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述懐    恒平・令和三年(2021)二月 

  * ここに「恒平」三年としてあるのは、
    私・秦恒平の死期をかぞえ始めて三年目であるという気持ちを示している。他意はない。




 たのしみは難しい字を宛て訓んでその通りだと字書で識ること

 たのしみは難しい字を訓みちがへ字書に教わり頭をさげること

   ☆ 只今の最中仕事での実感です  恒平



        *   *   * 

  令和三年(二〇二一)二月二十八日 日       

   起床 9:50   血圧 160-90 (66)  血糖値 80   体重 58.5kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ この桜しろがねの壷に挿さうかな
        夜寒なにかは月も入れんよ    高橋 幸子

 ☆ こういう豊かに美しい、しかもなごやかなエロスを秘めもった情感を、壺も、月も、私は詩歌の表現としてことに好む。

★ 花籠に 月を入れて 
  漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な     『閑吟集』

 ☆ この室町小歌を東に置いた高橋の表現に相違なく、「しろ がねの壷」には女体である自像も彫り込まれていよう。「なにかは」構うものか、それへ「桜」「月」もろともに挿し入れて佳しと夢見る、春おぼろ「夜寒」む の孤心。風流の極みと愛でたい。  昭和五八年『花月』所収。

* 妻や「ま・あ」が起きたなと気づいてからの朝寝はこころよい熟睡になる。 朝酒というほどでないがちっちゃな角の桝で二つほど呑んで、朝飯は入れない、午にま近いのだから。こころよいテレビ番組には恵まれない、いきなり不快にな り、二階へ来て、手をついて待っている削り鰹をふたつの革ペン皿にわけてやる。感心するのは、お互いにおとなりの皿へ手や口を出さない、しっかり礼を心得 ていて、呉れる物なら何でも構わず飲み食いしてくる安官僚どもとは大違い。

* カマロンの熱い叫び歌に私を鞭打たせている。

* 過剰なほど下半身が冷たく寒いと感じるのは、蛋白脂肪炭水化物みな栄養を摂ろうとしないからよと妻は云う。ちがいない。からだが求めてないのもその通 りで、いろんな意味で不順なのだ。妨げているのはほかならぬ「私」にちがいない。バカげている。カマロンの叫ぶ歌声を瀧に打たれるように聴きながら、目を つむる。黒いマコが、階下へ降りましょうと脚をつつきに来た。正午。

* 以前は、読書がしっかり楽しめるほど長湯できたのに、このごろは、湯あたりしそうになり、心ならずはやく切り上げる。
 六時半、いよいよ二月が去って行く。どんな三月が訪れるか。恙ないのを願う。
 マリア・カラスの卓抜の美声を聴き始めている。ドニゼッチィの「苦しい涙を流せ」からはじまった。めずらしく此の盤は自分で、池袋駅地下構内の出店で買い求めたのを覚えている。マリア・カラスがあまりに綺麗だったのに惹かれた。
 わたしはこの手の音盤の殆ど全部を誰か彼かから頂戴して、大方はどなたからとも忘れて、愛蔵している。有り難いことだ。  

* 荷送りで宅配受付まで自転車で走り、息切れのまま、グレン・グールドで、ベートーベンのピアノを聴いて 息をととのえている。風はあるが 暖かい。二 階の窓へもたれ込みそとへ顔を出して、グレコの繪の次には、表紙もボロボロの分厚い岩波文庫の『歌合集』に、古人の「判」わ無視して私自身の「判」をして 行くのを楽しみ始めた。暖かくなるにつれ窓の外へ顔や手を出すのもラクになる。が、さて古来の歌合は限りなく歌の数も多い。ま、出来るところまで。
 が、もう、眼を開いてモノをまともに視る、読むことが、短時間しか出来なくなっている。点眼薬で一時凌ぎ凌ぎするばかり。不審に思うまでも有るまい、八五老だ。とても九重老とまでは有るまい。

* 物干しに出ると、書庫まえ、テラスのわずかな外地に生えた「隠れ蓑」 もともとは私の腹までほどの小さな植木であったのが、いまでは書庫のうえどころ か二階の大尾根を超えんまでに大きな枝葉を手廣くひろげ栄えているのに驚嘆する。根もとには、恋しいまで懐かしいネコとその子のノコ、そして愛おしかった 黒いマゴが睡っている。超大に繁栄した「隠れ蓑」は、三人の愛し子達のちから強く生き延びてくれる姿にほかならない。ネコ、ノコ、黒いマゴ。いとしい思い 出は尽きない。


 
 令和三年(二〇二一)二月二十七日 土       

   起床 9:45   血圧 132-77 (63)  血糖値 73   体重 58.3kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 白きうさぎ雪の山より出でて来て
                殺されたれば眼を開き居り     斎藤 史

 ☆ 当代屈指の難解歌かも知れぬ。しかも魅力に富み、看過できない。
 この歌について、私はこの詩人自身が語るのをテレビで聞いたことがある。感動して聞いた。が、それをここへ正しく私は伝えられない。人により、実にいろいろに読まれて来ましたと作者は微笑していた。だからといって作者自身の読みを強いているようでも毛頭なかった。
 どう思ってもこの歌は、例えば「美」を意図したものではない。そういう言いかたをするなら「真」を、真の「自由」を不当に覆い隠すものに対する、激しい憤りを「うったえ」た歌だろう。
 「雪の山」にすむ「白きうさぎ」は、自然に外の侵しからは守られている。が、豊かな暮しではないだろう。「山」を出たい気持ちにもなるだろう。出ればそ こは人間の世界。見つかれば簡単に「うさぎ」ごときは殺される。そして案の定「殺されたれば」こそ初めて、命の一切をかけてむごい人の世のありのままを、 「眼」をみひらいて見ている。そのむなしさの一切をかけて抗議している。死んで、殺されて、…そして初めて眼を開いてものを見るのでは遅い…と、意識にお いて「山のうさぎ」でしかないいつも甘えてめくらな誰かに、あるいは自分自身に、この歌は「うったえ」ているのだろうか。
 今の私にはこの程度の読みが精一杯だが、年を経てまた別の読みが可能かも知れぬ。 昭和二八年『うたのゆくへ』所収。


* 気持ちよく晴れた。寒いよりも、こころよい晴天を先によろこぶ。ともすると思いのみ重く暗くなる時節だもの。
 テラスへ、毎日 繰り返し 鵯や 目白がきて、妻のふたつに切って置く蜜柑を しばしつついて行く。それを尾を振り振り「マ・ア」が窓から、廊下から、 観る。襲いたい気でなく、いかにも嬉しそうに、である。仲間気分なのなら、それも、私たちに嬉しい。生き物たちの愛らしく生きてある姿に心励まされ、人間 もいっとき嬉しい。

 ☆ カマロン・デ・ラ・ルイス
     賢者に尋ねた
     死の後になにがあるかと
     賢者は答えた
     それは誰にもわからない
     ただ、神のみぞ知る 
 フラメンコの大きな歌手であったというカマロンの、叫ぶほどに何かへ訴え呼ぶ、息つくひまも無いはげしい歌声を聴いている。まっすぐ胸に迫るものが今はなにより尊く思われる。

* 書庫うえのほそながい草はらに、背丈のない一樹の白梅が、日盛りに満開。むかし、だれであったろう誰か読者から頂戴した鉢植えを、鉢のママに書庫うえの小庭に埋めたのがそのままで毎年真っ白い花を元気に咲かせてくれる。
 家にある 何にも彼にも それぞれの歴史がある。そんな無数の歴史を一つ一つ折に触れ懐かしく想い返す。やがてそれらとも別れて行くだろう。

* 高城由美子さんの手で、いかにも重厚に美しく織りあげて戴いた膝掛けに、この冬は、有り難く嬉しく膝下の冷えを温めてもらった。
 この部屋には、谷崎潤一郎の松子夫人が手づから珍しい柄の着物地幾つもで創られ、頂戴した、ふわーッとふっくら美しい大きな座布団が、いつもソフアに置 いてある。尻を置くのは謹んで遠慮してきたが、観た目の美しさは高城さんの織り膝掛けと一対で、目にふれ手にふれるつど、日々萎えやすい思いを励まし慰め られる。
 私は決して孤独に寒々と八十余年生きてきたのではない、むしろ逆と喜んでいる。無数に覚えていたそんな大勢との温かなふれあいと名前とが、しかし、少しずつ記憶から洩れこぼれて行く。
 ゴーン アザー デイズ。

* 考えようでは、これはまったくコロナ禍のせい、モトイ 届け物 かと思えるが、おかげでこの十日ほど、なんとなし怠けた日々を ままよと受け容れ費やして来れた。
 来週からもとへ戻って追われそう。  

*   マカロンの歌に胸を掻きむしられているが、聴き止めてしまえない。

* むかし、あれは、敗戦後の六・三・三新制中学へ進んだ一年生の、音楽の教科書に「オールド・ブラック・ジョー」に天国から「早く来い」と呼びかける譜 と歌詞があり真実憤然としたことは、何度もあちこちで書いた。これから何十年も懸命に生きて頑張る少年に天国へ早くおいでとは何事かと怒ったのだ。が、  今は、もう、怒れない。なんともう、あの世へ移転した親しかった人たちの数多いことよ、そしてみな私を呼んでいるかと想われる。逆らうことの出来ない、こ れが、天命か。

* 大事にしてきた「獺祭」を、 吉備の人 お元気であれ、お変わりなくと切に願いながら、有り難く嬉しく戴く。

* 書庫から、目当ての国史大系「続日本紀」前後編 や いろんな人の京都をかたる昭和も初年の随筆集など、持ち出してきた。つぶれそうにシンドイときも本は読めて、それはしみじみ有り難い。
 さっきまで、ソファへ崩れ落ちたまま新井白石著大冊の語源辞典『東雅』を楽しんでいた。

* もう二月が、明日で果てる。想いしづかな 心優しい春のおとづれでありますよう。
 


  令和三年(二〇二一)二月二十六日 金       

   起床 9:00   血圧 143-79 (75)  血糖値 92   体重 58.2kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 国原はふもとにかすみ冬の蝉
        さくらの幹にひそと放つも   前 登志夫

 ☆ 「ひそと」という清寂の気に、この歌は心あたたかに包まれている。言葉の正しい意味で「なつかしい」佳い歌になっている。吉野でよし、吉野と強いて読まなくともよい、とにかくもこの「かすみ」籠めた「国原」はわれらの国原だ。
 下句をことさらになにか寓意ありげに読む必要もなく、ただ言葉のままに作者の優なる振舞いをありがたしと享け、美しと感じれば佳い。 昭和四七年『霊異記』から採った。


*かなりの貧血に落ちているのか、夜前就寝のころより、夜中の手洗いへも、今朝の寝起きでも、よほど朦朧とからだが揺らいだ。幸いアタマにも手指 の働きにも変はない。ヴィクトリア・ムローヴァのバイオリンで、チャイコフスキーの協奏曲を聴いている。シベリウス、パガニーニと続いて、ヴュータンに至 る板で、此の、
ヴュータンという作曲家が、東工大の教授室のころから、妙に気に入っている。

* 菅総理の広報官とかいう女史の不正接待を受けての弁明は、言葉も表情もはなはだ不潔に不快であった。あれも一種悪しくも悪しい権力意識女の立ちざま で、悪しい男官僚達のそれと少しも変わりない。悪しくも悪しいありさまたでの男女同権の方が暴走気味に想われる。スガスガしからぬ政権の容貌、去れと言い 置く。

* 緊急事態宣言の解除をあたふたと急ぎかけている。前者の轍をふみそうで案じられる。国民の健康と安全よりも、的がオリンピック開催の強行にあるなら、 ますます危うい。海外から押し寄せる選手や観光なみの観客たちの罹患も危ぶむし、逆に、彼らがもたらす日本中への罹患の危険にも怖気をふるう。すかっとし た勇断に叡智が加わってほしい、何にしても。
 ワクチンについては、日本へなど好意的に大量に西欧世界が譲ってくるものかと思っていたので、異様なほどの不足と遅滞の状況は、あのりに当たり前。河野大臣は、ガースーの政権保持の底意で巧みに火中の栗を強いて拾わされた、拾わされている、と観ている。

* ソファにのがれ、手の届くところから明治四十二年刊の作家略伝「評釈国民詩集」で、西郷南州や山縣含雪、成島柳北、乃木希典らの漢詩を拾い読みしていた。柳北が、アララト山にノアの方舟の留まったのを歌い、またナイアガラの大滝を吟じているのが面白かった。

* この週あけにはいよいよ「湖(うみ)の本 151」の再校ゲラが出来てくる。これがまた初校と変わらぬほどの難儀な校正に成るだろうと覚悟したがよい。ま、籠居に徹している現状を逆に利して、難儀なことを楽しむぐらいに受け容れたい、が。ハテ。
 バカをやってしまい、ほとほと気が草臥れた。七時前だが、やすんでしまおう。「マ・ア」がときおりを狙うように鰹節頂戴と寄ってくる。美味そうに、互い の皿をあらそうことなく食べると「アコ」は階下へ、「マコ」は私の近く、ソファにおいた巣舎(とや)で熟睡して行く。この「ふたり」のいることにどんなに 我々老境は慰められていることか。「アコ」がウカと家出の二外泊三日は、われわれ、身に堪えて寂しかった。


  令和三年(二〇二一)二月二十五日 木       

   起床 8:40   血圧 153-79 (68)  血糖値 89 体重 58.6kg
          血圧計働かず、昨日のママ。
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 仔の猫の吾を見守りしばしあり
        人語解らぬもののすがしさ    大塚 布見子

 ☆ 仔猫の可愛いようすもさりながら、それから下句へふくら んだ認識が、ただに認識にとどまることなく作者の「境涯」として深められているのが、なつかしい。言葉を駆使して生きる歌人ゆえに、また「人語」のわずら いをよく心得ている。まこと「言わざ繁」き世のなかになっている。
 私も仔猫のノコと「ふたり」在る時が、一等清々しい。 昭和六〇年『霜月祭』所収。


★ 己が名を聞き分けて応ふるわれの犬
       名のあることの寂しくはなきか    青井 史

 ☆ この歌を読んだとき、作者はどんな考えでこの下句を作ったのか、そこが聞きたい、つまり、そこの所を歌って貰ってこそ歌なのにと思った。その思いは、今も変わらない。が、心惹く歌であるにも相違はない。むろん下句のゆえにである。
 名づけて名を呼ぶ、のは、古来「加護」ないし「支配」の一つの形だった。すぐれて人間に固有の営為でもあった。「われの犬」もそうした人間の行為に巻き込まれて暮らしている、「名」あるがゆえの服従を強いられている。そういった事を作者は言いたかったか…。
 そういう風情では、なさそうにも思われる。むしろ「われの犬」に問うかたちで、実は「われの心」にこそ作者は問うているような気もする。何を…。あらゆ る人間の関係が、何らか「名」と「名」とのうわべの関わりと化し、真に人間的な共感や共生の実質を欠いている事に愕然とすることは多い。「名」にはばまれ て真実の愛がむしろ完うされないという悲しみや寂しみを胸に抱いた人は、多いはずだ。少なくも私はそう思ってきた。そこを乗り越えなければ人と人とは、い つまでも他人ないし世間の域を出ない間柄でしか生き交わせず、真実の「身内」にはなれないと考えた。
 青井の意図は汲み切れない。が、この歌はそういう私の思想をまた思い起こさせた。 「かりん」昭和五五年六月号から採った。

* 中国は、この世界的なコロナ蔓延・猖獗は、いわば第三次世界大戦であり、中国は「勝つ」ないし「勝った」と明言しはじめた。
 私は驚かない、去年の早い段階で、私は強感染のウイルス・細菌やワクチン対応は、まさしく戦略戦争の武器であり、中国にその糸が有ったとしてナニ不思議 もない、むしろ明らかにその威とを隠然かつ陰然として抱いている懼れあろうと指摘しておいた。なにも中国に限らない、そのようなことを考えるのが世界支配 に気のある強国の歴史的な姿勢であったし、「勝つ」ためにそんな手を隠し持つのは世界史的な事実だと観てきた。殺人に「毒殺」を考えるのは、政治権力者だ けでない、貴婦人にしてそんな犯罪を試みてきた例は、『モンテクリスト伯』を読んでもすぐ分かる。ウイルスや細菌はまさしくその「毒」なる精というに同じ く、権勢がそれを武器同様に駆使して世界戦争に勝ちたいと狙うのはあまりに当たり前なのである。日本軍にも当然そういう姿勢と研究への体制対策の存在した ことは、識るものは識っていた。医学書院の編集者として私も、それらをちらちら耳にする機会は、無かったでなく、在ったと知覚し淡く記憶している。
 中国の姿勢が公にたしかになりつつあるのは、用意周到の戦闘的悪意と理解するのが、防衛に廻る他国の理の当然であろう。日本の代議士と称する無知な政治家たちの何人ほどが、この、中国の所謂「第三次世界大戦」に気づいているか、寒気がするほど頼りない。

* 中国には儒教も道教も、仏教や禅も、びっくりするほど盛んに根付いたけれど、それは、事実に於いて「中国」なる「国」の、とほうもない策謀・暗躍・支 配欲のただに「影絵」に過ぎないのを、まして日本國と日本人はよく心得ていないと危ない。孔子でも孟子でも、都合次第に裏向けたり表向けたりして勝ちに利 するためのカードに過ぎない、過ぎなかった。

 ☆  お元気ですか、みづうみ。
 暖かくて、陰気なお天気ではないのは幸いですが、みづうみのご体調の記述を拝読すると気持ちの沈んでしまうことがあります。病院はスーパーより感染対策ができていますので、ご不調をあまり我慢なさいませんように。

 先日、猫の脱走についての記事を見つけましたので、貼りつけておきます。アコちゃん二度とないことを信じていますが、万が一のときのためのご参考になればと。

 ★ 「家の周囲を徹底的に探して」ネコが地震に驚き脱走…獣医師が教える探し方のポイント
 猫の探し方のポイントです。1週間以内は半径500m以内を徹底的に探すようにしてください。特に完全室内飼いの猫ちゃんは発見場所の中央値が39mと、家の近くに隠れている可能性が非常に高いです。
 探す時は猫が隠れそうな茂み、車や物置の下や室外機周辺を注意深く探しましょう。驚いた猫は上に登る習性があるので、屋根や木の上などにも目を向けてください。大好きなおやつをふりながら探すのも良いです。 また、猫は隠れ家を好みます。
 ダンボールに入口の穴を開けた隠れ家をつくり、中にお気に入りの毛布やクッションを入れて、おうちの近くに置いておくのも効果的です。
 また猫の習性を考えると探す時間は早朝もしくは夕方から夜にかけてが良いでしょう。猫は目が光るので案外暗い方が見つかりやすい場合もあります。同時に警察・保健所にも連絡を入れましょう。
 休日は保健所や動物愛護センターは電話がつながらないことがあるので明日忘れずに電話しましょう。一方で、多くの人は保健所=殺処分のイメージがあり、 保護してくれた人が保健所等に連絡していないケースもあるので、ポスターやチラシで呼びかけることもとても大事です。 すべての猫が家族のもとに帰れるように、拡散よろしくお願いします。

  地震つながりでもう一つの注視すべきニュースも貼りつけておきます。

 ☆  東京電力は19日、
 事故収束作業を続けている福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の1、3号機で、原子炉格納容器内の水位が30センチ以上低下し、1 日数センチのペースで続いていると発表した。13日夜に両町で観測された震度6弱の地震の影響で、10年前の事故で損傷した部分が広がり、原子炉建屋内に 漏れ出る量が増えているとみられる。

 この小さな扱いのニュースの深刻さはわかる人にはわかるのではないかと思います。
 十年経っても格納容器の損傷箇所がどこか分からないまま修理出来ないで、今回もまたです。
 このまま水位が低下し続けると底に穴のあいたバケツにじゃぶじゃぶ水をいれ続けることになり、汚染水はどうにもならない量になりますし、水で冷却し続け ないと核燃料が発火し大惨事になります。オリンピックがどうのこうの、といっている場合ではない深刻なニュースですが、大半の日本人が都合の悪いことは見 ないことにしているのか、危機的事態に馴れてしまったのかもしれません。
 震度五までを想定して建てられた施設が壊れかけているところに、再び震度六強直撃なのですから、何もないと思うほうが楽観的すぎます。

  来月、わが家の猫は十五歳です。子猫のときも可愛かったのですが、シニア猫になって益々可愛いと思っています。毎日元気で長生きしてねと撫でまわします。人間と同じで地震が大嫌い。とにかくこれ以上どこも揺れないで、とくに福島は、と願っています。

 読んでも読んでも読み尽くせない湖の本をかたわらに、幸せに過ごしていますが、出かける先が病院か近所のコンビニという不健康さ。でも、運動する体力は 残っていません。自分に与えられている時間がどのくらいあるのかわかりませんが、みづうみのように今此処を「深く生きる」日々であれたらと願っています。
 お元気でいらしてくださいね。  雛   白酒の紐の如くにつがれけり  虚子

* 東電福島の廃炉もならぬ崩壊原発の無残な「超・危険」 呼吸困難を覚えるまでも 怒りと倶に案じられる。あの、底の抜けたバケツのようだった元総理大臣は、日本列島は「不沈空母です」などとバカげたことをバカ笑いでほざいていたが、
   なにが不沈空母なものか原発を三基もねらい撃てば日本列島は地獄ぞ 
 それどころか、この 地震、地震の頻発よ。 

* 神事・神官・神社へおさめる千年來変わらぬ装束や御簾などの衣冠や家具を、千年來寸分の変更も加えず今日もつくり続けている、京都の各種職人の、神秘 の域にあるかと想われるほどの精緻・精美の技藝・手藝を懇切にみせてもらった。ただ感嘆・嘆美・嘆賞。このところ私のよく楽しんでいる「神楽」「催馬樂」 世界が今日にも歴々伝わっているのだ、目をみはり、声を喪い感動した。不思議を極め、幸せでさえあった。神を祭り祝うという古来の意味も意義もしみじみ窺 い識った。 
 これからすればオリンピックの聖火リレーなどと称するあれに、いったいどんな神秘が保たれているか、盆踊りの方がはるかに身に心にふれてくる。

* エル・グレコ絵画の至藝と凄みとを、しみじみ、しかも初めて、一冊の小画集で、識者の適確な鑑賞と解説を得て、心嬉しく学んだ。海外の美術史に、それ も印象派以前の多彩で重厚な作と作者とに詳しくない、なによりも海外へ出てその実作品に触れた体験があまりに乏しかった、それでも旧ソ連時代に作家同盟に 招待され、モスクワや当時レニングラード(現・)ほかの大小美術館や基督教教会でたくさんの作や作者に出会ったけれど、それでも、千・万に一つというしか ない。グレコに触れた記憶は、絶無であった。
 そのグレコの、大きくはない小冊子ながら画集と解説とが私の書庫に隠れていたのは何故か、それもしかと思い出せない、私の顔の絶妙のクロッキーを描きおいて北陸へ去った画家細川君のありがたい置き土産であったのだろう。

* いま、目の前の機械は、ヘンデル作曲のオラトリオ「メサイア」を聴かせてくれている。これは縁の遠いものではない、いま耽読している「失楽園」も 「ファウスト」も、繰り返し手にふれる「創世記」以降の『旧約』世界と想い豊かに触れ合うている。ロシアを旅してトビリシのホテルに宿泊の時、どういう キッカケであったか、ホテルの従業員のような人が、いきなりに『スターバトマーテル』のレコード板一枚を手渡しに呉れた。大事に日本へ持ち帰り、よく聴い た。こういう世界へ触れ合ってゆきたい気持ちが、私にはもともと在る。神仏であれ神であれ、ことに聖母マリアであれ。
 この二階廊下の書架には「マリア」に関わる本が数冊の余も積まれてある。そういえば、昔、世界の名作に「マリア」の名で登場する大勢の女性たちをとりあ げ一冊の思索本にと或る出版社と申し合わせたことがあった。私の事情で成らなかったが、おもしろい企劃ではあるまいかと今も思う。世界の名作に、マリアの 名のさまざまな女性が登場して意味を帯びている。トルストイ『戦争と平和』にも佳い「マリア」がいる。小説ではないが映画「ウエストサイド・ストーリー」 の心優しいヒロインも「マリア」と高らかに歌われていた。いい本が書けるはずである、だれか書きませんか。 

* 晩、撮って置きの小津安二郎映画『東京暮色』の徹底した人生の寂しみに、したたか打たれた。妻のない柳智衆の父親、半ば出戻り同然の長女原節子、二女 と一男を産みながら男と家を出ていた山田五十鈴、今の男の中村伸郎、大学生の子を身ごもって堕胎し、踏切で電車にはねられ死んでいった次女の有馬稲子。
 こう書いてしまえば観たくもなげの辛い限りの映画だが、三時間近く、緊密と的確をきわめた名作のシナリオで、じつに素晴らしい作が仕上がっていた。むろ ん二度三度観てきた映画だが、観れば観るほどしみじみと辛く寂しく、逃げ道も救いもただこの先の日々に託して期待する以外に道のない家庭映画であった。ま あ何という精緻にしあげて胸に迫る作であることか、人間が生きるとはかくも寂しく冷え冷えとしていて仕方ないのかと嘆かれる。「東京暮色」 この徹底した 精緻の作にくらべれば、昨晩の池部良、淡島千景らの『早春』は何でもない夫婦生活のただの収まりドラマだった。しかしその方が観ていてラクだった、悦ばし くおさめられていた。『東京暮色』の映画術は徹してすぐれた藝術であったが、今度観るのは何年もマタ後々であろう、果たして観るだろうか。
 柳智衆 原節子 有馬稲子 山田五十鈴 そして杉村春子、藤原釜足、中村伸郎ら、なんと一人一人の芝居が巧かったか。唸る。そしてとても寒いほど、いま、寂しい。励まされたとは、言えない。

* 懐かしい限りの原節子に似た、コントラアルトのキャスリーン・フェリアーの歌うしューマンの歌曲集「女の愛と生涯」をいま聴いている。 令和三年二月の現実をわめきチラしているようなテレビ画面と喧しさは、イヤだ。
    



  令和三年(二〇二一)二月二十四日 水       

   起床 8:40   血圧 153-79 (68)  血糖値 89 体重 58.15kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 新しきとしのひかりの檻(おり)に射し
       象や駱駝はなにおもふらむ   宮 柊二

 ☆ 暦の上での清々しい「新年の日の光」はいついかなる時にも変りないが、人間や時代の運命は容易には定まり難いものである。その閉塞状況への憤りをこのさりげない独詠歌からは読みとらねばならぬ。
 「檻」の中の「象や駱駝」の思いを問うのは、そのままに自身と母国とが置かれている一切の状況へむけて問うのである。すべての自由ならざるものの運命に 問うのである。骨柄の大きい、多くの近藤の歌とはまた味わいを異にした思想歌とでも言おうか。 昭和二八年『日本挽歌』所収。

*  昨夜はあんまり早く床に就いたので、寝入ってのち夜中に目が冴え、電氣をつけまた一通り十種ほど読書した。「フアウスト」のゲーテに心底賛嘆を覚える、こ の巨大な名作に、ことに第二部に、初めてと云う、初めて、かなりの理解と強い興趣を覚えている。今度読んで、もうまた読み返す余命があるかと疑われ、とて も大事に感じている。
 まったく同じ事が、ミルトンの「失楽園」にも謂える、こっちはもう二度三度以前の読書からその気宇と措辞と世界観とに全身で惹かれていた。シェイクスピアはすさまじいまで巨大だが、ミルトンの思想と詞藻の底知れなさに私は惹かれる。
 ロシア文学は偉大だが、ドイツの「ファウスト」も英国の「失楽園」ももたない。むろんそれはトルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフらの壮大さと食い合うわけでない。

* 出歩かない、そのための体力・脚力・筋力の低下は蔽いようがない、体調不良はそれから来ている。コロナに去って欲しいとつくづく願う。音を上げるとはこういうことか。

* ながく「史記列伝」のいわゆる「春秋」の割拠と攻防を読み継いでいるが、わきで中国の太古、上古の歴史を教科書ふうにおさらいしていて、春秋世界への 経路も文脈も葛藤も見えやすく、ひとしお面白くなった。「十八史略」や「四書講義」にも力を貸してもらっている。この一年、ずいぶん漢文と漢字とに馴染ん できて、まだ先がある。日本語の宜しさ懐かしさには、「源氏物語」「神楽歌・催馬樂」で真実満たされている。各種の和歌集はいつも手近身近に揃っていて、 気持ちが乾燥してしまうことは無い。
 現代文学。これはもう全くの不勉強で、今世紀の作家も作品も、識らないまま。残年を惜しめば、身にも気にも合うほうへ傾く。

* バッハやショパン、またジャズバラード、そしてファドなど鳴らしつづけてきたが、いま、ふっと森下兄の撰になる「戦後日本流行歌史 第五集」を機械へ さしこんだ。いきなり懐かしい林伊佐緒独特の含み声で、「ダンスパーティの夜」が来た。彼は「ダンスパーテ」と謡うのも当然昔のママで、わらってしまっ た。次いで渡邊はま子の懐かしい美声で、いま「桑港のチャイナタウン」を聴いている。さっきは「火の鳥」を謡っていた。あっというまに中・高生の昔へ帰れ る。「懐かしや 懐かしや」とはま子の歌が続いている。かなり効くビタミンになってくれるか、お、ひばりが「越後獅子の唄」を歌い始めた。ひばりをそれは 上手にうたった恋しい懐かしいおさなかった人たちの顔が、光る箭のように胸に衝き入ってくる。

* やはり歌謡曲は歌謡曲歌手のつよいクセで歌われるのが本当なのだろう、声楽家の流行歌は淡味に過ぎて、かえって趣味のよくない企劃に思える。

* 聖路加から処方箋の送られた薬局へ、お薬をうけとりに自転車に乗った。かなり疲れると分かった。帰路に白梅の梅林のそばを通って薫りに惹かれた。
 匂ひは、光を受けずには起きない。薫りは光なしに闇にも人に届く。それが「源氏物語」宇治十帖二人の貴公子の光源氏との関わりを証言している。
 薫は表向き光君の次男とされているが、光の血筋は受けない、光の妻三の宮と柏木藤原氏との道ならぬ道を通って生まれた子。匂宮は歴とした光源氏の娘明石中宮の子息、光君の血を受けた孫である。
 薫君と匂宮との通り名の意味をこう読み取った前例は、私の提言まで無かったらしく、当時、慶応の人気教授であった池田弥三郎さんはいちはやく目をとめて下さった。遠い昔のハナシになったが。

* 
2006-2-24  まさしく 15年前の今日の今時刻 娘朝日子の生んでくれた孫娘二人(押村やす香・みゆ希)の手で我が家の雛祭りがされていた。姉やす香は、不幸にして同 じこの年の七月、母朝日子の誕生日に、二十歳成人を目前に病死した。妹みゆ希はもう三十歳前後、姉やす香の死以降、まったく会えない。朝日子とも会えな い。なんという不可解に寂しいことだろう。
 もし、みゆ希にいま女の子があれば、この雛飾りは曾祖母である妻からごく自然に曾孫へゆず
られているであろうに。 やす香も、哀しい思いでこの両家不可解の事情を歎き眺めていよう。
  やすかれと呼びて笑まひて手をふりて
     やす香は今し歩み來るなれ  令和三年二月二四日

 
 祖母ちゃん描く幼時のやす香


* 
菅総理長男の深く関わった総務省上級官僚らへの不届きというもおろかないわば贈賄行為は、徹底処罰されて当然で、不肖の長男をいわば承知の上で放任・目こぼしして行政を腐敗へ謬らせた菅総理自らを処罰すべきではないのか。

* よく晴れているのに妙にうっとおしい日であったが、いま、松たか子に貰っていた「みんなひとり」  ことに彼女自身の作詞になる「幸せの呪文」「now and then」を聴いて、健康におおらかな歌声に気を励まされている。ちからと魅力とに溢れた松たか子はすてきな「存在(ひと)」である。
 繰り返し繰り返し聴いていて、身の底から熱く励まされる快感に溢れる。まさしくみじんゆるみ無く、歌声そのものが燃え上がっている。

 ☆ <大學>
 天子より以て庶人に至るまで、壱に是れ皆身を脩むるを以て本と為す。其の本乱れて末治まる者否(あら)ず。其の厚きところ薄くして、其の薄き所厚き者は未だ之れ有らざる也。

* 大臣達、服膺し給へ。

* 晩、小津安二郎映画の『早春』 池部良 淡島千景 岸恵子 浦部粂子、杉村春子、中北千枝子、加東大介、柳智衆、山村聡等々で観た。どうあっても最後まで、「池部良」の名前だけが何としても思い出せなかった。しかし、かなり大勢がなんとか思い出せ、ホッともした。
 私たちより一世代半ほど年配の、戦地体験がある今は会社人間たちの世間だったが、昭和十、十一年生まれの私たち夫婦にも、微妙な差異と共有ないし知見で見えも分かりもする戦後東京が懐かしく、まことにしんみりと面白く通して観られた。
 小津映画は、えもいわれず快適に懐かしく創られて、グの音も出ない。撮って置き、やはり棄てがたく、またいつかきっと観る、観たい映画と思った。

* それにしても「会社員」人生の背中の寒々とした心細さ。顧みて、ああいう世間を幸運によく抜けて出られた、自力で自分の世界を創り切れた闘い切ってこれた、よく頑張ったナと自身の歩みに頷けた。懸命に、自身励まし励ましよく生きてきたな、二人して、と思う。
 ここ数日はじつは怠けて半分遊んでいるが、怠けるということのほぼ全然無い人生であったなと、感謝あるのみ。



  令和三年(二〇二一)二月二十三日 火 天皇誕生日      

   起床 9:30   血圧 149-73 (75)  血糖値 78  体重 58.65kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 僕は衰へてゐる
  僕は争へない
  僕は僕を主張するため他人を陥れることができない

  僕は衰へてゐるが
  他人を切つて自分が生きようとする衰へを
  僕は恥ぢよう

  僕は衰へてゐるが
  他人の言葉を自分の唇にのぼす衰へを
  僕は恥ぢよう

  僕は衰へてゐる
  僕は僕の衰へを大切にしよう     高見 順

 ☆ 昭和二五年刊の『樹木派』に収めた「僕は衰へてゐる」を 引いてみた。自分の「衰へ」を自覚できるという事は、思いようでは、人間にも「動物」なみに許された高貴で自然な自覚である。その自覚のいわば底辺にあっ て、なお…というか、それだからこそ…というか、譲ることの出来ない「人間」的な一線をこの詩はきっばり歌いあげている。
 もう一つ、同じ高見順の詩集から、挙げずにいられない、「天」という作品がある。


★ どの辺からが天であるか
  鳶の飛んでゐるところは天であるか

  人の眼から隠れて
  こゝに
  静かに熟れてゆく果実がある
  おゝその果実の周囲は既に天に属してゐる     高見 順

 ☆ これまた「愛」の詩とどう読めるのか、人はいぶかしむだろう。
 何でもない。
 「天」を「愛」と思って読めばいい。


* 快晴。寒くはあってもこんなに日光に恵まれた二月は記憶にない。昨日はウソのように温かで、上着を二枚も脱いだ。天変も地異も有りませぬよう。

* 若い天皇さんの誕生日というので、妻と、わらって赤飯を祝った。
 天皇などという名前にひれ伏す気はないが、日本史に天皇の途絶えなく存在したことは、独特の「文化」として私は受け容れている。敗戦後に、無くても佳い のではと思った時期もある、が、日本人は、戦後がつづくうち、その中でも政治家という不逞かつ無学な悪徳権力者達が、天皇無ければさらにさらに横暴と我 欲・権力欲を極めるであろうコトが確実になるにつれ、せめても「文化」としての、かろうじて「安全弁」としての天皇制は保持したいと思うようになった、 が、それも一つには平成天皇ご夫妻、また令和のご子息天皇に誠実と聡明とを信頼した、するからである。政治悪にわるく利用されてはならぬ。その意味でも、 天皇が「象徴」に止まられるのが無事かとは思う。
 しかし、年に、数回は、思い切った「お言葉」を国民のために、平和な安穏のために、「希望」また「苦言」として積極的に吐かれるのを、私一人はむしろ強く期待している。

 ☆ 神楽歌  閑野小菅(しづやのこすげ)
  
  閑野(しづや)の小菅(こすげ)鎌もて苅らば
  生(お)ひむや小菅
  生ひむや生ひむや小菅

  天(あめ)なる雲雀
  寄り來(こ)や雲雀
  富草(とみくさ)
  富草持ちて

  富草噉(く)ひて

  あいし あいし

  あいし

* こういう環境や感興を、神と親しむ思いで人は「文化」として抱いていた。そういう日本の末世にいま私たちは生きている、あまりに雑然と。

* 朝寝していると、きっと「アコ」の方が、黙って、二度三度と寝顔を見に来る。起きよとつつくのではない。ただ黙って、生存を眺めに来る。きまって「アコ」である。

*  ひらがなを書くだけにも機械くん、頓挫したりする。肝を冷やす。あれこれしている間に、もう五時になろうとしている。新しい題をつけて、やや長く書き進 んである作を触っているうちひらかなが書けなくなり、そんなときは全て中断、機械をオフにしてやり直す。いま、やり直して  やっとまともに落ち着いた。
 私の一太郎は、じつに「2004」という版であり。これは 卒業生の林君が、古い機械に最新の版をセットすると機械が負けて不具合が出ますと助言してくれたのを聴いたからで。好む機械クンはそんな配慮を良しとしてくれて長生きしてくれているのではないか。
 林君はどうしているだろう。東工大在学中、お茶の水女子大の教室にまで「単位」を稼ぎに出向いていた。200単位も獲得していたと思う。当時、200安 打を超えて記録をつくったあのイチロー選手にちなんで、「イチロー」とあだ名で呼んでいた。おもしろい子だった。わたしの機械操作を、家まで来てそれはよ く教えてくれた「恩師」です。

* 機械クンの気まぐれと苦戦して、シンから疲れている。仕事として何をしていいのか
判断が付かぬほど。知能的な衰え、減退も余儀ないと思うが、きのうドラマの朝顔のお父さんがアルツハイマーの気を嘆いていた。いずれ遁れよう無いのかも知れぬが、出来るところまで出来る気構えでいたい。

* <大學>
 大學の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しむに在り、至善に止まるに在り。
 止まるを知りてのちに定まる在り、定まってのちに能く静なり。静にしてのちに能く安し、安くしてのちに能く慮る。慮ってのちに能く得(う)。
 物、本末あり。事、終始あり。先後する所を知れば、則ち道に近し。
 古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先づ其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先づその家を斎(ととの)ふ。其の家を斎へんと欲する者は先づ其の身を脩(おさ)む。
其の身を脩(おさ)めんと欲する者は、先づ其の心を正しくす。其の心を正しくせんと欲する者は、先づ其の意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先づ其の知を致す。知を致すは物を格(きた)すに在り。
 物を格してのちに、知至る。知至つてのちに、意誠なり。意誠にしてのち、心正し。心正しくして、りち、身脩まる。身脩まつてのちに、家斎ふ。家斎つてのちに、國治まる。國治まつて、而して天下太平。

* 息子に放題に悪をさせておき、親とは別人格と。この親総理、どんな「大學」に學んできたのか。修身斎家まさに落第、治国平天下など、とてもとても不適。落第。

* 近い時代に大きな存在であった 道教の老子
 荘子   儒教の孔子 孟子  前二者と後二者とは 明らかに異なって、それぞれに近くて親しく見えている、が、前二者のあいだにも 後二者のあいだにも またよ ほど異なる風情があり実感がある。いずれにしても、仏教の祖師はふれど、こういう思想的な覚者は日本には現れなかった。輸入されたのであり、今日にも日本 にはすぐれて生き生きと日本人を育てた哲学は今なお実在しないと思われる。戦前の哲学も美学も、舌を噛みそうなひどい日本語をまきちらしたのが関の山で あった。戦後世代を構造と方法とを持って率いてくれた哲学も思想も、無いと謂うしかない。

* 中国の人民はじつに割りよい「福・禄・壽」信者とみえながら、権力ある指導者は、えてして摩訶不思議な自前の「思想」を鞭のようにふりまわす。日本の政治家たちは欲だけは深いが、不勉強の極みを競い合う不可思議人たちである。

* 殷に次ぐ、「周」という中国古代を今夜は床で読む。「フアウスト」「失楽園」のような巨大な創作を、「源氏物語」の美しさのほかにもてなかった不甲斐なさを覚えながら。ま、西鶴かなあ、かろうじて。明治以降では、漱石と藤村とを、やはり挙げたいが。



  令和三年(二〇二一)二月二十二日 月      

   起床 8:40   血圧 138-74 (59)  血糖値 80  体重 58.3kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

 ☆ ユニークな作風で注目された丸山薫の『帆・ランプ・鶴』(昭和七年刊)から、ちょっと面白い散文詩 「山」 を挙げてみる。

★ ケンキチは、肥ってゐる僕を山に肖てゐると言ひ、
  いつかの夜、夢の中で登つたのがそんな形の丸い山だ
  ったといふところから、僕の顔さへ見ると、かならず
  「やあ、山が歩いて来た、山が寝てゐるぞ、煙草を吸
  つてゐらあ」などと、人をそつくり山にして喜んでゐ
  る。うるさいな。僕は苦笑するが、かうして考へるこ
  ともなく動かない自分はわれながら巨きな山であるや
  うな気がしてきて、をりをりは涼しい雲に巻かれさう
  になるから可笑しい。                 丸山 薫

 ☆ 為す無き安逸を自戒している風でいて、もっと余裕があ る。「ケンキチ」のいわく「山」にも、友の美質に触発されて清風が流れている。独座大雄峯。そうまでも居直らない涼しい境涯に、またこの詩風に、心境的私 小説全盛の時代と相亙る「詩人」の好みや態度もほの見えて面白い。そして可笑しい。この面白さも可笑しさも、すぐれて上質である。

* 嬉しいのは眩しいまでの晴天の多い二月ということ。折々は、二階の靖子ロードの窓を戸外へあけ、上半身をあずけて窓へ依りかかり、小さな版の『グレ コ』画集を、一作また一作と解説を頼りにりに見入って楽しむ。比較的にグレコ世界とは馴染み薄く過ごしてきたが、この機会にグレコの繪を介して彼の宇宙を さまよい眺める。晴れの日々の心新たな楽しみ。
 画家のグレコ、詩人で英国のミルトン、ドイツの巨大な藝術家ゲーテ、そして類い希な想像力の巨人トールキン、作家でフランスの果敢な政治家であったレオン・ブルムの「結婚」論。
 毎日、親しんでいる。支那人の歴史的な史書二冊も漢文のまま親しんでいる。すべて精神衛生の圧倒的な秘薬であり、そして、それらの全部と優に匹敵して揺 るぎない魅惑・魅力の『源氏物語』はいま「やどりき」の巻を堪能しつつ、少年來大好きな「宇治中君」に日々に逢っている。

* 大阪なおみ選手の優勝してきた全豪テニスでのコロナ徹底排除の策を聴いていた。もと日本のコロナ禍が六七月もこのままなら、オリンピックは「中止」こ そ至当賢明の策となろう、分かり切ったハナシである。コロナを完全に抑え込む それ以上の政治課題は、そうそうは無いはなし、あればそれは、あってほしく ないが「戦争」だろう。中国のゆさぶりながらの挑発は、オリンピックに日本画ふりまわされる時機に繁く危なくなるだろう。アメリカ頼みは、甘いも甘い。政 治家の誰が真剣にこれを思いこれに対策を考えているのか。不明。オラ、知らないよばかりが「国会」をムダに浪費している。

* 廊下の窓へ半身をだして「グレコ」の繪に見入っていた。馴染んでこなかった画家だけに、新鮮なド迫力に感嘆し好きになっている。もっと大きな画集でも観てみたい。

* 機械の奥へ奥へ踏み入って行くと、見当だけ付けて仕置きの発想や着想や書き出しが沢山隠れていて、申し訳なくてアタマを掻く。使い方もよく分からな い、しかし、気の遠くなるほど大量保存の利くらしいモノ(名前も分からないごっつい蓄電池のようなのが在る。うまく遣えると、ありとあるモノが一括して保 存出来るらしい。
 なにしろ、「撰集」33巻分、「湖(うみ)の本」152巻分、毎日・毎月・毎年の日乗「私語の刻」が23年280ヶ月分、電子文藝館、何十年もの写真、ものすごい量の来信メール、「歌作、そして数え切れない随想・随筆・試作・書きっぱなしのいろいろ」。
 この、草ぼうぼうの大森林にさまよい入れば、すくなくも、私は退屈ということを知らずに彷徨える。
 よくもこの古い古い機械くん、それらをみな「飲み込んで」いてくれます、感謝、感謝です。
 これらを 傍の、未使用の別機械二台へも「移転」しておこうと思っているが、機械の使い方も、日々に覚束なく、物忘れする。やれやれ。

* 八時半、もう目も体力も限界。じっとしていたら、このまま両手の指をキイに添えたまま寝入りそう。大きなテレビも、前脇へ席をすすめないと観にくく なった、もっともドラマといえば、犯罪と殺し事件ものか、安直な時代劇か、坊やや嬢やらのサンザメイて手を打ってバカ笑いしているばかり。
 「朝顔」「剣客商売」ぐらい。韓国ドラマの古い「い・さん」やアメリカの撮って置き「ネイビー」などがやはり善く、「ドクターX」に早く戻ってきてもらいたい。医学モノがやはり胸に響いて観られる。それと日野正平クンの自転車「日本の旅」が佳い。
 名作傑作力作といえる佳い本は、繰り返し読んで裏切られない。私自身の人生も溶け込んでいる。


  令和三年(二〇二一)二月二十一日 日      

   起床 8:30   血圧 123-69 (72)  血糖値 92  体重 58.35kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 聖書が欲しとふと思ひたるはずみより
        とめどなく泪出でて来にけり     近藤 芳美

 ☆ いまさらに「聖書が欲し」と思うくらいだから、この人は これ以前にクリスチャンであったわけではないのだろう。ただ「聖書」の意味や価値については承知していた。ふとおとずれる信仰の誘いのごときもの…の、魅 力や価値についても、またそのような誘いに心惹かれる人間の思いの深みや寂しみを、まるで覗いたこともない人ではなかった。ただ、どちらかといえば積極的 に「聖書」に真理を求めるというより、ふと心なえたり傷ついたりした時にそういう誘いに身をまかせたくなるいわば自身の性向に気づいていて、だから、い ま、「とめどなく泪」の出るのをおさえようもないのだ。
 「泪」を否定しているのではない。作者が信じているものとあるいは対極に在るかも知れない「聖書」を、否定しているのでもない。どの道を通って目的へ到達するにせよ、人間の運命がいとおしまれている。 昭和二三年刊の歌集『早春歌』の冒頭を飾った歌。


* 今朝は アマリア ロドリゲスの ポルトガルのファドを聴いている。何を歌っているかは、ちっとも構わない、ファドなる歌謡に触れ合うたのは何十年む かしだろう。マドレデウスから始めたのだった。なまじ歌詞をぜんぜん理解しない分、純な音楽として耳に親しんで楽しめる。歌手のことは、写真の顔しか、女 性としか、なにも識らない。

* もしタクシーを傭って京都まで行くのに、どれぐらい運賃がかかるか、往復分支払うのかなどと建日子に訊ねて叱られた、「絶対に、ノー」と。なにより身体がもたないと。そやろなあ。
 ときどき、こんな夢をみるのであるが。



* 建日子、医学書院の社宅で生まれた頃は、こんなに、ちっちゃかった。五十数年が駆け去っていった。

* 2000年5月分(21年余以前)と思しき「私語」日記が、それだけ単立で、機械の中で見つかった。
 読んでみると、当時、あの「女の話は長くて会議には迷惑」とぼやいた森総理大臣が、「日本國は神の國」と軽やかに宣うていた。なんの、かんたんに逆が云える。
 双方ともに男とも女とも限らず、「その通り」と思うている日本人、けっこういるであろうことも慥か。一律にモノは云いにくいということこそが慥かなので。
 「分かる人には分かるのえ。分からへん人にはなんぼ云うても分からへんの」と、むかし、教わったが、森総理もそう云う、女の人たちもそう云う。わたし も、そう云う。言の葉は、様々に色づき、様々に散りかう。それと「承知」していれば、さきの「教え」が微妙に「正確な意味」を持つ。

* マドレウスのチャド、「ムーヴメント」に板を代えた。ポルトガルのチャドに出会った一枚目、たいへんに面白く受け容れたのを思い出すが、何十年の昔かももう覚えない。

* 体調あしく、夕食摂れぬまま床に就いた、但し本を読んでいた。『十八史略』の「菟」を経て殷末の紂王から周の興るまで。『フアウスト』第二部、帝の広 間での多数さまざまな諷喩の弁舌、『失楽園』で、地球の人間世界へ忍び入ったサタンが振舞いはじめるまで。『指輪物語』は、ファラミアと出会うフロド、サ ムそれにゴクリも。
『フアウスト』はこれまでに三、四種の訳を読んできたが、二三度めの森鴎外訳の通読がもっとも日本語としても穏和に自然で 一種名訳たるを喪わず、ごく面 白うやすやすと味わっている。鴎外先生の偉さをしみじみ実感できて嬉しい。『渋江抽斎』『阿部一族』『アンデルセン』の訳とならんでまた一つ鴎外の寶を見 当てた心地。

* まだ七時半だが、遅い食事をこころみて、むりなら、そのままやすもうと思う。やはり、何かしら食していないのは良くなかろう。が、腹におさまらないと云うよりも、口からのどへ食べ物が素直に通ってくれない。拒んでしまう。 つい、飲む方へ方へ傾く。

* 外へ迎えだしていた 紀略 や 実録 が巻違いという勘違いだった、寒い書庫へ入らねばならない。
 もう、コロナ も ワクチン も 忘れていたい。建日子は新幹線はガラガラだよというが、新幹線までに、バスと 西武線と 地下鉄 がある。まだ人とは 触れ合いたくない。感染者数の単純な減少には、前段階の検査数の大幅な削減という人為が先行している。パーセンテージで説明するようだが、やはり検査数を減らすという基本のサボは気に入らない。
 わたしらの特高齢者へワクチンの廻ってくるのは初夏にもなるのではないか。そのころになってなおなおゴタゴタしてるようならオリンピツクはヤメになるだろう。
もう、コロナ も ワクチン も 忘れていたい。
 

  令和三年(二〇二一)二月二十日 土      

   起床 9:30   血圧 150-84 (70)  血糖値 98  体重 57.85kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ きらきらと輝くような目で見てよ
       われはそれほど不幸にあらず   
  空わたるかりがねよいま人として
       地上に生きるわが身も見てよ     冬道 麻子 

 ☆ 重篤の病に文字どおり身動きもならない若い人の、これは また、なんと美しい「うったえ」だろう。「見てよ」といった、何でもなく、むしろ投げやったような物言いがこんなに胸を打つ明るい響き、誇らしいまでの輝 き、をもった例を知らない。ことに第二首めの間然するところなき表現の確かな訴及力に、その新鮮さに、心からおどろく。
 命への噴き上げる「愛」あって初めて歌い切れた歌声が、聞こえる。 昭和五九年『遠きはばたき』所収。この歌集出版には、亡き高安国世をはじめ多くの歌友の応援があったときいている。心すこやかなこの作者の前途を祈りたい。

* 朝は「ま・あ」にサンザン「もう起きよ」と攻撃される、抵抗していると眠けが募る。曾 孫がふたりいると、よろこんでいる。ふたりとも私の仕事部屋であちこち探索するのが好きで、ときどきモノが高いところから転げ落ちたりする。二つのペン皿 に削り鰹をひとつまみずつもらうのが何よりらしい。

* 森下兄の送ってくれた藝大卒の声楽家藍川由美の歌う「歌謡曲」を、今朝は聴いている。知らない歌は一つもない。いま「白いランプの灯る道」を歌ってい る。歌謡曲歌手なら強調するコブシはほとんど殺して、美声と澄んだ気配を歌う。で、どの歌もほぼ同じアンバイである。それでも、今聴いている歌も、これか ら歌う「港の見える丘」も「フランチェスカの鐘」「長崎の鐘」「白い花の咲く頃」なども、清潔感を哀愁がつきぬいて歌われ、声楽の妙を愛聴できる。

 とはいえ、私の耳には、ところどころで自然な諧調が、かすかに不自然に「蹴躓く」と聞こえる箇所がありますナ。なぜかナ。

* 十二時半、昼食しても、瞼に痛みを感じるほど、睡い。疲労がかぶさっている。今朝の体重は何十年ぶりだろう、57キロ台へ沈んだ。胃ガンの手術前から は30キロ近く、術後からは10キロ余も減った。身軽になったなどという気軽な気分ではない。疲れやすさへ関わっていようから。

* 出した、返事したはずと思いこんでいるメールの控えが、発信済みとして機械に残っていない。わたしが狂っているか、機械の変か。この比べになると、わたしに勝ち味は無い。がくッ。もうもう「孤」に徹し余生をちいさく手に囲うしかない。失礼があったら、あやまります。

* 機械のなかを散策中に、「ひばり」という短編のあるのにぶつかった。アレレと思ったが、『選集 11』に収めていた。口絵をみると、懐かしい、京・新 門前の父がくつろいだかっこうでちっちゃな建日子を膝に抱き、母もそばへしゃがんでいる写真が上段に載っていた、下には幼稚園頃か建日子と私で我が家の門 のまえで撮った写真と、そのわきに、一年生の建日子が「父の日」に教室で書いてきたという、
    お父さんへ、

    いつでも日の出づる人に
    なていて下さい。
            建日子
とあるのも 同じ選集11の口絵に遣っていた。嬉しくて、しばし見入っていた。
 「ひばり」か。懐かしいなあ。こんな短編をひばりの「唄」と合わせ合わせ十も書いて置きたかったが。美空ひばりもまた わが青春の花であったのだ。

* 夕食もスムーズに口に入らぬまま、困憊して床へ逃げ込み、寝て仕舞うまいと、『十八史略』鴎外訳の『フアウスト』そしてトールキン『指輪物語』を読ん でいた。なんらの回復もなく、起きて、機械へ来たが何かをするガッツが無い。機械を閉めに二階へ来たというあんばい。なにより瞼が垂れるほど重い。




  令和三年(二〇二一)二月十九日 金      

   起床 8:00   血圧 154-91 (71)  血糖値 102  体重 58.6kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 「昼食」と机上にメモを置きて来し
       身は早春の街に遊べり    島田 修二

 ☆ なんでもない歌のようでいて、一語一語がよくモノを言っ ている。一首の短歌として、用語の一つ一つが「詩化」を遂げている。短歌作品としては当然の前提であるとはいえ、これがなかなか遂げえられないのが「現代 短歌の重い病気」なのである。言うまでもない作者は勤めの人であり、それも忙しい連絡に追われている。その昼休みに「メモ」一枚を机に置いて街へ身を解き 放った、そのあふれる喜び、そして下にただよう悲しみ、が…下句にみごとに満たされている。
 こういう自愛を余儀なくされている社会、都会、生活。作者は、やがてここから敢然と脱出する。 昭和五八年『渚の日々』所収。


* コロナ禍は終息に向いているとはまだ言えないようだ。さらに長期の辛抱、文字通りの辛抱が要るよう だ。それならそれで向き合うしかなく、私の場合は、諸事要慎しながら「長期の春休み」と受け容れ、好きなことを好きに、したり、しなかったり、八五老の日 々をむしろ飽きるほど堪能すればよい。この此処の「私語の刻」など、おそらく他の人には無い私に独特の読み書きの遊びでも創作でも日乗文事でもあり、いわ ば存在証明でもある。なにより、飽きることが無い。

* いまも手をすこし伸ばして国史大系「公家補任」の一をあけ、いま何より欲しい孝謙天皇の頃から光仁、桓武をへて嵯峨、淳和天皇ごろまでの宮廷人事に目 を向けている。えも謂われぬ津々興味の史料で、はまりこむと時間を忘れる。上司も同僚も部下も友人もいない気楽さ。感染のおそれの外出も必要なくて歴史と 読書に親しむ「籠居老人」には、疲労はあっても、退屈が無い。次から次へ、太古から近代へ、日本にも世界にも、心惹かれる人や話題や事件は限りない。そし て雑多な知聞や知見の前後左右修正や整理や積み増しもできる。

* いま、元代の曽先之が編んだ『十八史略』にも心惹かれている。十八もの史書の略編であるか。「太古」に始まり、次いで「三皇  太昊伏羲氏 炎帝神農氏 黄帝軒轅氏」へ、そして「五帝  少
昊金天氏 顓頊高陽氏 帝嚳高辛氏 帝堯陶唐氏 帝舜有虞氏」へ 次いで「夏后氏」となり、以後、初めて「歴史時代」へ、書契をもった「殷」時代となり、「周」時代へ続く。
 よく、耳にも目もしてきた「堯・舜」の時代は、いわばまだ神話伝説の雲のなかにあると分かる。
伏羲氏は「蛇身人首」であり、神農氏は「人身牛首」とある。
 しかし、読んでいると、この神話的伝承にも「火」「木」「土」「水」「金」また「天象」への「順」を踏んだ生活上の知見や認識の展開がみられる。日本神 話とは趣を全く異にした人間社会への歩み歩みであり、叙述の順は、よほど知的・生活的に感じられる。そして、はるか後々の歴史時代『史記列伝』のような諸 国入り乱れた戦国時代では、次から次へ交錯して、強かな「策士」らが、各国の王や帝に善悪こもごもの智恵をつけて勝敗・優劣を競いあって飛び回る。
 かすめたほどの上皮だけは教科書で読んでいても、ま、なにも識らないで来た。だが、漢文を難儀して読み読みでもたいそう心惹かれ、知識的になんとも面白 い。しかしこんな読書、漢字の一字をこうして書き出すだけにも延々とATOKの世話にならねばならず、今だから出来る。依頼原稿の山なみを懸命に登り下り して駆け次いでいた若い頃には、手も出せなかった。コロナ籠居の老蚕なればこそ好きに繭も吐ける。退屈の「タ」も無く楽しめる。 

* 明け方だったろう、おかしな夢を二つみた、先には、路上、両膝を折って力任せに地を蹴り跳び上がる。気が付くと、電柱よりも高く跳び上がっていてびっくりした。
 次には、どこぞ都心めくターミナルの地下をうろついていて食べる店に行き当たった店の名が大きな字で「有用」てあった。変わった名と思いつつ、「有用」とは何事か、必用でも無用でもないがと頻りに意義を夢中に穿鑿していた。ヘンな夢。

* 言葉にならない疲れようで、夕方、横になると本を読むどころか直ぐ寝入って、六時過ぎにしぶしぶ床を起った。一つには視力の鈍さと視野の曇りに負けてしまう。
 ま、老いるとは斯くの如きことと、フテ腐れて頑張るまでのこと。



  令和三年(二〇二一)二月十八日 木      

   起床 8:00   血圧 154-91 (71)  血糖値 102  体重 58.6kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 通用門いでて岡井隆氏が
       おもむろにわれにもどる身ぶるい     岡井 隆

 ☆ 誰しもが「変身」の劇を秘め持っている。ひとつの世界か ら機あってべつの世界へ入って行く。その境の「門」をこの歌では「通用門」と呼んでいる。事実どおりの次元を超えて読めば、いつも通る門、繰返し往来する 門、表向きでない我一人の門とも読める。これまた誰しもが秘め持つ門ででもあろうか。「われ」が「われでない」世界と「われ」が「われにもどる」世界と、 ある。この歌では、「通用門」の内の世界で「われ」でなく、外へ出て「われにもどる」のだと「岡井隆氏」は言う。だが、価値判断は示していない。「身ぶる い」が面白い。魔法つかいのようだ。大喜びで「身ぶるい」したとも、やれやれというおぞましき「身ぶるい」だとも、「氏」は断わっていない。
 敢えて察しなどつけない方がこの歌は面白い。 昭和三六年『土地よ、痛みを負え』所収。


★ わが合図待ちて従ひ来し魔女と
               落ちあふくらき遮断機の前     大西 民子

 ☆ 前の岡井の歌でいう「通用門」が、この歌では「遮断機」という一層毅然たる表現に転じている。「われ」と「魔女」とは異なる世界を踏み越えて変身の間際の、同じ二つの顔に相違ない。
 この歌でも「われ」と「魔女」との価値判断はしていない。出来もしない。「われ」のなかにいつも「魔女」は潜み、「魔女」として生きる暮しが「われ」の 暮しでもある。お互いにしめし合わせて不都合なく生きて行くよりないと、世界を分かつ「遮断機の前」は、両者が慎重に瞬時に打合せを遂げる秘処なのであ る。
 むろん作者が勤めの退けどきや、通勤途中の踏切などにうち重ねて想像してみるのは、「岡井隆氏」の場合と同様、いっこうに差支えない。ただ、そこで読み止まっては面白くない。
 これらは私のみる所、自身および「生きる」ことへの、まぎれない、「愛」の歌である。 昭和三五年『不文の掟』所収。


* 「東京」オリンピックと謂う。「日本オリンピック」ではないのでは。
 それなら、聖火は、ギリシャから日本の東京へ届く。東京港なら、そこからメインの競技場へ、空港なら、そこからメインの東京会場へ「聖火」が走る。本来 は、それで満たされるのでは。もっぱら政権がらみに「経済効果」を願って日本中を走り回るご大層には、スポーツでよりも「お祭り気分」で稼ごうよという算 段が見え見え、そうは、気が乗らない。感動はフェアで懸命な競技から得られる、それが願いで楽しみだ。「お祭り」に、ではない。

 ☆ 神楽歌   劔
  
    白金(しろがね)の目貫(めぬき)の太刀を提げ佩(は)きて
    奈良の都を練るは誰(た)が子ぞ
    
練るは誰(た)が子ぞ

    石上(いそのかみ)
    ふるや男の太刀もがな
    組の緒垂(し)でて宮路通はむ
    宮路通はむ

    斎(いは)ひ來(こ)し神は祭りつ
    明日よりは
    組の緒垂(し)でて遊べ太刀
佩(は)き

    おきつきに皇神達(すめがみたち)を
斎(いは)ひ來(こ)し
    心は今ぞ
    樂しかりける

* 聖なる祝祭の、火ならぬ、いつくしき劔の宮路通ひと想像され、厳粛という楽しさを遙かに想いだす。

 ☆ 地震お見舞い
 有難うございます。東海は北部なので、今回はほんの少し被害が出ましたが、仕方ないことです。
余震で、良かったですが、もし心配されている東南海沖などの地震が起きると大変です。
 元気にいたしております。有難うございます。  那珂

 ☆ *子おばあちゃま   馨 (亡きやす香の親友)です
 ステキなプレゼントありがとうございます!
 荷物が届いた時、ゆい佳にかな〜?と思ったけど、
 私へのお誕生日プレゼントだったなんて!
 最近は忙しさからか、自分の誕生日を忘れることが多くなってきてしまいました。
 ステキな絵本と、かわいい靴下たち!靴下の履き心地、最高です!
 自粛中なのでなかなか買い物に行けず、穴の空いた靴下にダーイングの刺繍をして何とか履いていたので、嬉しさ倍増でした。
 お腹の子も私も元気です。
 もちろん、ゆい佳も主人も。
 お腹の子、どうやら男の子らしいんです。
 私が姉妹なので、姉妹を育てることになると漠然と思っていたけど、おばあ様と同じになるようです。
 どんな生活になるか想像がつかないけれど、夏が来るのがとても楽しみです。 


* みなみな揃って お元気に。やす香に生まれた曾孫を抱いてやりたかった。結婚もさせてやれなかった。うちの玄関で ハイ ポーズの五歳頃の写真を京都の私両親の写真とならべて、いつも声を掛けている。亡くなった前の、大学生(成人直前)の写真は つらくて見られない。

* わたしのズボラや不用意もあったが、聖路加への通いは、内分泌科診察が四月初めへ移り、前立腺の方は、失礼して処方箋を地元薬局へ送って戴くことにし た。これで二月三月はコト無しとなり、コロナ禍の通り過ぎるのをひたすら待望。文字通りかなり「退屈」してきた。安全なタクシーを傭ってどこかへと願って も、確実に安全などこかが無い日本列島の現状では仕方ない。戦時中のようにどこか山奥へ疎開したいほど。
 機械へ前屈みに見えない目でキイを叩く日々、姿勢自体が前屈みに「く」姿りに成っている。なにもかも宜しくない。 


* 気圧の乱高下があったとも聞いた、そのせいだったか、頭痛もともない疲れ切っている。九時へ向いている、もう休む 


 
 令和三年(二〇二一)二月十七日 水      

   起床 9:00   血圧 145-79 (72)  血糖値 87  体重 58.65kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ ほそぼそと心恃(こころだの)みに願ふもの
        地位などありて時にあはれに     畔上 知時

 ☆ よくぞ…と思う。これは、なみなみでは歌い出す勇気すら出ない歌である。四十代、五十代の、世に中間管理職といわれるような人たちの日常心理は、概してこういう所へ余儀なくせつなく繋がれている。
 「地位」の二字、この一首にあっては莫大な容量を孕んで揺るぎない。人間が「繋がれ」る虚栄と執着といささかの「心恃み」として、「地位」の二字は実に多くの人を支えかつ蝕んできた。
 そういう全てを見通しながらの、「時にあはれに」という述懐自愛の純真が、この歌を詩にしている。 昭和五八年『われ山にむかひて』所収。


* メールが、いつ通らなくなっても可笑しくないよと、機械クンが警告している。覚悟はできるが手当は出来ない。

* 印刷所から「「湖(うみ)の本 151」初校直し・再校出へ、ワルクすると三月になると報せてきた。すりゃ三月刊はとても有るまい、1986年桜桃忌 に「創刊」し、第150巻を34年経て昨2020年桜桃忌に出している。続く151巻刊行までにマル一年かけた今年桜桃忌には間に合うか、コロナ禍の故障 もあったといえ、それよりも赤字訂正の作業にそれほどかかるほど難儀な仕事になったのだということ、さぞご苦労掛けていると想う。掛けある仕上がりにした いものです。購読のみなさま、お待ちください、手が抜けていたのでなく、手の掛かる原稿であるということです、ご容赦下さい。


             * 稚心可咲 *  

     
               特別席                      安まる角度  
              此処に機械と私

* 谷崎先生には年がら年中此の角度で睨まれている。松子奥様になだめて戴い ている。若い若い日の{娘}靖子に笑われている。妻の描きおいてくれた亡き愛猫ノコがいつも見守ってくれる。囲まれた黒い角い機械は建日子が「トーサン」 に呉れて、日々音楽を愉しんでいる。今は、カラヤン指揮で、ディヌ・リバッティがグリーグのイ短調ピアノコンチェルトを弾いていて、ついでシューマンのそ れに代わる。書き仕事にはなんら邪魔にならず、そして「マ・ア」が、ふっと思い出したように足もとへ顔をそろえる。二枚の革ペン皿にわけてやる「かつお細 削り」をきれいに食してカーサンの階下へ帰って行く。
 稚心可咲、わらふべし、八五老。
  

* 
遊び疲れている。なんとなく機械の底を嘗めていた。階下へ行って妻の機械 までいじってみたが、想うようには何も出来ずに草臥れた。これはもう、籠居疲れというものだろう。島根県の知事だったか、聖火リレーのオリンピックのと云うて られるか、やめるとブチまくった気持ちも分かる。鉦や太鼓で何とやらの長に誰を据えるか、大臣の橋本聖子にしよかとか。彼女は往年、しんじつ競技で感動さ せてくれた。も一度、何にかは分からんまま、ガンバリやと云いますか。
 心神に、ビビッと電氣のように生涯の感銘を呉れるのは、文学の名作。繪など美術は、観たく ても出かけられん。食う欲もない。もうもう、「読む」と「寝入る」に惹かれるばかり、しっかり「書く」も加わりたい。

* 印刷所との ややこしい 折衝や訂正やお願い それも省くわけに行かなくて。「読む」「寝入る」どころでなく。もう 九時になった。視野の確保が ますます 乱れて。困るなあ。



 
 令和三年(二〇二一)二月十六日 火      

   起床 8:15   血圧 143-69 (53)  血糖値 86  体重 59.9kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ この祭はかなしみ多し雪が疾(はし)り
        鬼が裸体であることなども    
  見捨てられ追はれし村も遠ざかり
        鬼のしづかにねる雪の洞     春日井 建
     *
  今は昔朝けの堂に栗鼠(りす)は来て
        籠(こもり)の鬼と遊びけらしな   木山 蕃

 ☆ 春日井の昭和四五年『行け帰ることなく』から二首、木山の昭和五四年『鬼会の旅』から一首を採った。
 日本中に、「鬼祭」「鬼会」といえる催しは数多い。が、何故かという事までは人はあまり考えない。自分とは関係がない…という気もするのだろう。そうだ ろうか。ここに挙げた歌で「鬼」は雪のなかを「裸体」で「見捨てられ追はれ」て、わずかに村はずれの「雪の洞」や「堂」に籠もりながら、人外(にんがい) に栗鼠などと遊んで心をやっている。
 まぎれもないそれは敗者の境涯のように想われ、人はさも「鬼」だもの当然かのように思い切って、顧みない。
 そこを敢えて顧みて本当に自分は、自分たちの歴史は、敗者でなく勝者のそれであると断言できるのかどうか、よく思い直してみたがいいだろう。日本の歴史 で、もっとも「かなしみ多」く、「愛」に欠けていた部分として「鬼」の世界への偏見と差別が、ある。自分だけは「鬼」ではないなどという思い上がった誤解 から自由にならない限り、日本人の暮しに、真に高貴な「自由」は確立できないだろう。


 ☆ 十六日の節(せち)の酒坐歌(さかほがひのうた)

     此の御酒(みき)は我が御酒
(みき)ならず
     酒(くし)の神常世(とこよ)に坐(いま)す
     石(いは)立たす少御神(すくなみかみ)の
     豊壽(とよほ)ぎ壽(ほ)ぎもとほし
     神壽(かむほ)ぎ壽
(ほ)ぎ狂(くるほ)し
     祭り來(こ)し御酒(みき)ぞ
     乾(ゐ)さず食(を)せ さゝ

     
此の御酒(みき)を醸(か)みけむ人は
     其の鼓(つづみ)臼(うす)に立てゝ
     歌ひつゝ醸(か)みけれかもし
     舞ひつゝ
醸(か)みけれかもし
     此の御酒
(みき)
     あやにうた樂し さゝ

* 神とも同座の 悠久をしのばせる酒坐
(さかほがひ)の歌声が、なつかしく聞こえる。信不信ではない、日本人の、いいや押し広げて謂うまい、私の心根には、もっとも懐かしい自然な日々と受け容れられて、在る。この酒が楽しくて嬉しい。
 オリンピックも、そういう楽しくて嬉しい神と同座であったろう、今日只今のオリンピックは、ひとり人間のエゴを、表でも裏でも競うかの臭い営為へ堕して、堕しかけて、いないか。

* 自身にこう問うたことがある、「神は、(人間に)必要か」と。東工大で若い人たちにも問うた。
 私自身はこう書き置いている。  「抱き柱」「アジール(逃げ場)」「利益(幸福)願望」の為には、全く無用。底知れずこの地球・世界に隠れてある「不思議」を不思議として受け容れる際の「根拠」「支え」かのように承認しておく意味では、有用で有益」と。 

* 孔子は、一切 神世ないし怪力乱神を語らず認めなかった、歴史的に認めうる史実からものを言い始めた、それが孔子の儒教の姿勢だった、が、孟子にいたると神世の不思議をも史実に取り入れ始めていて、むしろ荘子などはそれを嗤っている。
 キリスト教の歴史観では、神も神の子も史実世界へ必然呼び込まれていると見える。創世記を読んでも失楽園の主神や御子神を読んでも、真実基督教者ならただ「神話」とは謂うまい、まして歴史の外の怪力乱神とは謂うまい。

* なにとなく ほっこりし、三台の機械をそれぞれにイジッて、休憩していた。オソロシイほど大量のコンテンツの、どう眺めていても何の解決にも改善にもならないのに呆れる。
 さすがにこの数日の濡れたような疲れに、夕食もそこそこ、暫く寝入っていた。疲れは妻も「マ・ア」も同じらしく、いつか寝入ってまだ起きてこないが、八時には「マ・ア」決まりの食事時間。

* なんとなく機械に触れながら、芯の疲れにならぬうち、今夜は終業としたい。
 機械に向きながら顔を左右へ振ると、書斎六畳の西壁、作りつけた大きな書架や障子戸へ少し伸ばせば手先が届く。そんな一と側の、ありとある余地へ小物や写真などの「静かな・賑わい」です、 呵われるだろう、が、わたしは咲っています。
 書架に接した右脇に、南洋の産か大きな豆鞘が吊ってあり、鞘の一つずつに 「鴛」「鴦」「夢」「圓」そして「潤一郎」「書」と墨書されてある。谷崎論へのご褒美だった、いつかは、誰方かに、何処かに、差し上げねばならない。
 その直ぐ右、白い障紙に架かって、まだソ連時代のグルジア(ジョージア)を旅した時、首都トビリシで歓待の政治家ノネシビリさんに、お土産にもらった
洒落た酒器が飾り金で吊してある。優に50センチもの弓姿りの角(牛か、鹿か、羊か)そのままの酒器で、葡萄酒やビールを満杯に注がれると飲み干さねば下に置けない。
 ノネシビリさんも通訳でていねいに案内してもらったエレーナさんも、その後に政変がらみでか亡くなられた。賑やかに楽しかったトビリシでの一夜は今もありありと懐かしく、目をあげて太い大きな角盃を見上げては想い入れに沈むのだ。
 まだ小さくて愛らしかった、あの亡きやす香を妻が鉛筆描きした肖像にもじっと目がとまる。
 社員という社員からまるで獅子吼に畏れられた医学書院の金原一郎亡き社長、私はただ一度も叱られなかった、そして葬式はしないんだ、写真をもらって呉れ よと仕事の席へまで自身で届けて下さった「温容」の一枚には親しく「秦 恒平君 社長」ほかの献辞も添ってある。入社前の面接の日、金原社長は私の戸籍謄本を手にしたまま、「きみは、この謄本(の記載)を気にしているかしれな いが、わたしは、何ら気にもかけないからね」と。以来十五年余、この社長が相談役として退かれたその日に作家としての道へと医学書院を退社した。作家代表 団に加わり井上靖さん等と中国から招かれたときも、伝え聞かれて金原社長は長谷川泉さんを通して餞別を届けても下さった。書かれた文章なども何度も戴いた のだ、とてもとても忘れられる方ではないのです。

* 十時になる。

* テルさんが「代表作はこれだ」としかと指さしてくれた『オイノ・セクスアリス』を、懐かしく読み返し終えた。『罪はわが前に』へ帰るか、『花方 平家 異本』の「颫由子」へつながった「冬子」の『冬祭り』やその以前の『風の奏で』などが、読み返してみたくなった。となると、原点は、やはり『清経入水』の 「紀子」になる。『四度の瀧』へも。読み返してるヒマがあるだろうか。次へ次へ、書くが先か。


     


  令和三年(二〇二一)二月十五日 月      

   起床 9:00   血圧 158-77 (69)  血糖値 99  体重 59.9kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 春がすみいよよ濃くなる真昼問の
        なにも見えねば大和と思へ     前川 佐美雄

 ☆ むずかしく思わなくていい。「春がすみ」の籠めたひろいひろい「真昼間」だ。「なにも見え」ない。見えねばこそこの世界を「太古」の名のままに「大和」と想おう。感動と想像と両の翼をそうして限りない「時」の彼方へ解き放とう…と。
 「見えねば」といいつつ、より豊かにものが見えている。国が、自然が、歴史が、そしてそれらに育まれた自分自身が確かに見えている。名歌である。 昭和十五年『大和』所収。


★ 猪鍋(ししなべ)や吉野の鬼のひとり殖(ふ)ゆ     角川 春樹

 ☆ 「言霊の鬼、前登志夫氏」と添えてある。私には分かる気 がするが、前氏を知らぬ人には無理だろう。それならば採るまでもないようなものだが、この句、そんな限定を超えた魅力がある。たんに一人の現代歌人をほめ るだけでない、もっと初原へ帰って「鬼」そのものへの強い愛を感じさせる。
 鬼が「ひとり殖」えた…、それがなぜ作者の喜びになりまた私の喜びになるのか、理づめに説く気も起きないが、いわば「鬼の世界」を信じているのだ。むご いばかりな「人の世界」に無い、貴い秘密を抱き込んだ真実を信じ愛しているのだ。「吉野」はそういう世界だったと、古いものの本には証してある。
 だが「吉野」ばかりか「日本」中がひろくそういう世界だった。昭和五九年『補陀落の径』所収。

* 青空の晴れ晴れした昨日とうって代わり、しとしとと真冬の雨。聴く雨もよろしい。積もる雪は遠慮したい。「聴雨」という二字、佳い。出典を探ったことはないが。

 ☆ 神楽歌  篠波
(さヽなみ)
     樂浪(さヽなみ)や
     
志賀の辛埼(からさき)や
     御稲(みしね)舂(つ)く女の佳(よ)さヽや
     其(それ)もがな
     彼
(あれ)もがな
     いとこせの まいとこせにせむや

     葦原田の稲
舂蟹(いなつきがに)のや
     己(おのれ)さへ
     嫁を得ずとてや
     捧げては下(おろ)しや
     下しては捧げや
     肱擧(かひなげ)をするや
     いとこせの まいとこせにせむや

     あいし あいし

     あいし あいし

* 「
御稲(みしね)舂(つ)く女の佳(よ)さヽや」  いい唄声が聞こえてくる。「いとこせの まいとこせにせむや」「あいし あいし」  耳を澄ますと、森の菅のコロナのと現世の雑音が、ふと失せる。

* いつしかに、五時。雨は行った。 
 こまかな機械仕事に根を詰め、錐で刺すように右肩一点が痛い。

* 七時。目を明いていられない。
 機械画面を好きな翠いろに設定しているのも目に悪いのかしら、ブルーライトが良くないと言うから。ま、もう、休息に如かず。
 
* 十時前。床で、十手の本を面白く、興深く読み続けていた。新しく加えた一冊は「世界の歴史」の第一巻、中国の太古、上古、古代史をとりまとめて知識と して再確認しておこうと。その方が、史記列伝も、十八史略も、荘子も より興深く読み進められようと、いわば歴史学という杖を傭ったのである。
 ひときわ『失樂園』での、世界の主神と御子との「人間」の犯す筈の罪をめぐる壮大で美しい対話に心惹かれた。『ファウスト』でははやグレートヘンが哀しみと懼れと恋の熱さとに泣き始めており、妹を怒り哀れむ兵士である兄が帰ってきた。悲劇が露骨に始まるのだ。

* 機械をしめに二階へきた。もうこのまま寝むつもりだ。




  令和三年(二〇二一)二月十四日 日      

   起床 8:00   血圧 125-63 (78)  血糖値 101  体重 59.4kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ ロオランサン、シャガールなどの画譜を閑ぢ
               貧しき国の秋に瞑(めつむ)る
  さめぎはのゆめの混沌(かおす)のたのしければ
              枯山(かれやま)に片目をあきしふくろふ
  口中に一粒の葡萄を潰したり
      すなはちわが目ふと暗きかも     葛原 妙子

 ☆ さきの二首は昭和二五年『燈黄』から、三首めは同じ作者の昭和三八年『葡萄木立』から採った。が、さてこれらがどう「愛の歌」か。愛どころか、一般に短歌ときくとおうむ返しに「分からない」と嘆く人らには、この三首など 先へ行くほど頭がイタくなりそうだ。
 だが正直に言う、これら三首はおそらく今日の短歌の最高水準を達成している、私はそう思う、と。しかも翻訳も解説もほとんど意味のない、これは数学でい うこれ以上に割切ることの不可能な素数のような詩なのである。それでもいくらか手がかりは、ある。ロオランサンやシャガールの絵に負けない日本の「秋」 へ、しかと「瞑(めつむ)る」のは、見まいためでなく真に見るためだろうし、それはいくら目をあいていても、絵も自然の美も西も東も見わけのつかない、そ もそも夢を拒絶されている者らへの、ものうげな訣別の態度でもあるのだろう。「枯山に片目をあきしふくろふ」とは、おそらくは作者その人の自愛のポーズで もあろう。
 だが、その辺りまでが精一杯。三首めになれば、これはそのまま「生きのたまゆら」のようなもので、この歌そのものを口中に含んで、そのうちに舌で押し潰 してみるしかない。存外にむずかしくも何ともなく、その、くらい甘美な味に納得するだろう。「ふと暗きかも」とは、詩と真実へ出逢いのふと濃やかな味わい に、思わず「瞑る」嬉しさを謂うのかも知れない。ここに秘められた愛の次元は高い。


* 久しぶりグレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」を娯しんでいる。
 もう、大小となく、テレビから聞こえる見える「世間話」が、まっとうそうだが本音はくたびれた井戸端の口舌の域を出ないのに、ウンザリ。グールドのピア ノは掛け値なく美しく心根に響いてくる。世界史的にもえり抜きのみごとな古典文学に触れていると、世辞や世事ぬきに、生きている嬉しさを覚える。
 「ほんまのことはナ、言わんでも、分かる人にはわかるのん、分からへん人にはなんぼいうても分からへんの」と教えられた。ハテ、わたしは、「分かる人」 なのか。「分からへん人」なのか。苦笑しつづけてあの中学生の昔から今日まで不様に生き継いできた。「あほやなあ」と、あの教えてくれた人は、身近な虚空 のうらで笑ろてはるやろなあ。

 ☆ 天岩戸 神楽ノ條
     あはれ
     あな面白
     あな樂し
     あな清明(さやけ) 
     をけ

* これが「生きる」「生き(息)づかひ」というもの。人間はあくせく惑うて馳せまわっているが、うちの「マ・ア」は一日中、仲良く、さやかに神楽を楽しがっている。

* グールドのピアノを耳に、ぶっ通しのガンバリで、三時半を廻って行く。時に靖子ロードへ出て路上へ窓をあけ、グレコのちいさな画集に見入る。凄い画家だ、眼を抉られるよう。

* ヴァーッと街へ出て、帝国ホテル地下の中華料理か、三笠会館のステーキか、上野へ走って天すずの天ぷらか、浅草米久で贅沢にすきやきかなどと思ったりする。すこしヤケ気味ではある。コロナ禍はまだまだ嘗めてはいけない、絶対に、と思っている。

* ゴールドベルク変奏曲32曲はバッハのピアノ曲の筋金入り、それを稀代の名手グレン・グールドが弾き続け、また繰り返し弾き続けている。私は、どうも弦の曲よりピアノ曲が好き。

*  手順で手放せなかった「湖(うみ)の本 153」の予定稿が、まずは出来上がった、多少の増補や削除はこの先のハナシになる。
 印刷所も なかなか容易ならぬ状態らしく、「151」の再校も出てこない。この間に書き下ろしの「152」を入念に仕上げながら、新しい小説のアタマにあるプランを展開しておきたい。

* 九時をとうに回っている。朝から、よほど今日は集注出来ていた。グールドのピアマと別れて階下へ。休息。
  『史記列伝講義』上巻をやがて終える。『十八史略』の漢文もとても読みやすい。いま、読書に恵まれていて『フアウスト』も『失樂園』も、ぐんぐんと「読み物」として惹き付けられている。相変わらす『指輪物語』にも引き込まれている。



  令和三年(二〇二一)二月十三日 土      

   起床 8:50   血圧 148-71 (51)  血糖値 88  体重 59.85kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 胎児つつむ嚢となりきり眠るとき
        雨夜のめぐり海のごとしも    河野 裕子

 ☆ 「雨夜のめぐり」はやや際どい表現だが、必然の感をも持 つ。水に抱かれ「嚢(ふくろ)=作者である母胎」に包まれた「胎児」の世界と、その「嚢」をさらに容れた「母」の世界との、まさに大きな入子(いれこ)構 造を視野に入れながら、この作者の根底に「海」としての世界観が働いている。「嚢」の海と、始源としての広大な海との等質が信じられている。人間への愛 と、始源への愛との等質も信じられている。その愛を、「眠り」を触媒にイメージとしての「雨」が強く喚起している。
 大きい歌である。 昭和五一年『ひるがほ』所収。


★ 子の友が三人並びてをばさんと
        呼ぶからをばさんであるらし可笑し    河野 裕子

 ☆ 「呼ぶから」が、おもしろく、これ一つで「歌」になっている。
 「をばさん」は予想外だったが、なるほど「をばさん」なのだろう、「をばさん」でいいわよ…。精神の容量、器量、の大きいこの人の作風がこころよくうかがえる。昭和五九年『はやりを』所収。


* 
今日は、ずっと機械で仕事しつづけていた。疲れて夕過ぎてすこし寝入ったが。仕事は、力仕事にも類したが捗ってくれた。
 十時を過ぎて行く。もう機械からは離れ、読書と音楽。今日は、昼間はグノーのオペラ「フアウスト」を聴きながら仕事していた。グレン・グールドの「ゴールドベルク」が久々に出番を待っている。明日のことに。


 
 令和三年(二〇二一)二月十二日 金      

   起床 10:40   血圧 152-84 (73)  血糖値 77  体重 59.4kg

       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 月天心貧しき町を通りけり     与謝 蕪村

 ☆ アンデルセンの『絵のない絵本』の一節を読む気がする。青く澄んで皓い月光に満たされ、「貧しき町」への自然の愛と作者の愛とが清らかに共鳴りする。通るのは、「月」と作者と両方、と読み込んでひとしお美しいし、気も晴れる。
 そうは謂いつつ私の胸には怖い怖い映像もじつは秘められていて、しばしば魘される。

★ 終るべき生命をもちてあかつきの
       漁夫も獲られし魚もかがやく     安永 蕗子

 ☆ 「終るべき生命」だから作者はなにかを断念している、のでは、ない。「終るべき生命」だからいよいよ「かがやく」ものとして、愛している。目の底に「かがやき」が、確かにのこる。さすがに現代を代表する女流の、佳い歌である。昭和三七年『魚愁』所収。

* 朝からなにも書き込まないで、首を突っ込むように仕事していて、夕方四時になる。二、三度も「マ・ア」の訪問があった。「鰹」を少しずつ。古い革のペ ン皿が役立っている。分けてやって、取り合うことは全く無く、うるわしいまで仲良し兄弟。弟のマコがアコを唸って叱るのは、不用意に戸外へのドア近くへ兄 貴の寄る時。

* 六時 はや目が見えない。休むしかない。

* わたしは数十年来の日本は「女文化」論者である。男を尊重するとか女を蔑視するとかことさらな言辞も弄さない、軽口をたたくなら「男は嫌い 女バカ」 と半世紀も昔から公言している、ともに蔑視などはない、「女バカ」は尊重の言辞と確信している。森、昔の総理の最近の言辞が盛んに話題になっている。あん なことは、千数百年も昔から日本の男女は互いに嗤いあっていたこと、井戸端の長話は女の専売で、男は表向きは女を下目に物言いながら、私的には「かかあ天 下」を然るべしとしてきた。森某氏の物言いは、根からのあの仁の生来の「バカ」が言わせた「場違いの物言い」に過ぎない。
 男女同権を國にする西洋人たちの母国を訪れたかつての日本の指導的な政客や知識人は、口を揃えて「なにが男女同権か」と公然嗤っていた。やってることは、「むちゃくちゃ」な女蔑視と見抜いて帰国していた。
 そもそもキリスト教の世界は、その根底の「神話」以降、言語に絶する「女性蔑視」は高徳の司教や法王らの専売特許であった、オリンピック発祥のギリシャ が「女性」をどうみていたか、すこしはホメロスでもソクラテスでも読むがいい。
  森某氏はもともと「日本は神の國」の信者だった。この「神」の國は、そもそ もの國産みの儀式に女神が先に口を利いたからと蛭子を生んで流させ、男神からの求愛にやり直させた國であり、それでいて「女ならでは夜の明けぬ國」と、「天 照大女神」を國祖と仰いできた。
  頭の悪いマスコミが、安直な話題作りにたんに「バカ」なだけの元総理をくしゃくしゃの紙屑なみにイジメてみただけの話、まともな女性ほど腹で嗤って相手 にもしてなかったと思う。「バカか、おまえら」と言いたいだけの、これも手に負えないコロナ禍のうちの病的な騒ぎと観ていた。森某氏は、要は引き際と謂う にすぎまい。いま、本気で案じかつ対処を考えて手を打たねばならないのはあの「トランプ」の「凶狂」後遺症である。へたすると、これこそ人類を地獄へ追い 込みかねない。

* 九時半をまわる。もう休まねば。


  令和三年(二〇二一)二月十一日 木  紀元節      

   起床 8:45   血圧 152-86 (58)  血糖値 78  体重 60.0kg

     
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ ただ人は情あれ 槿(あさがほ)の花の上なる露の世に   『閑吟集』

 ☆ 中世十五、六世紀の人が愛読した小歌、『閑吟集』所収。
 思えば時代の表情は、言い換えるなら真実の「情」を求めて求めえない渇いた人の世のありさまは、五百年を経てすこしも変わっていない。室町時代より現代 の方が、「花の上の露」よりもろく地獄へころげ落ちかねない不安の時代だと、それこそ「たれもたれも」が恐れている。「ただ人は情あれ」の「うったえ」 が、つまり「愛」の不可能を可能と変えよう信仰が、今ほど切実でかつ今ほど稀薄な時代は、なかったろう。

★ 世の中は常にもがもな
       渚こぐ蜑(あま)の小船(をぶね)の綱手かなしも    源 実朝 

 ☆ 「世の中は」の取りようで、奇妙にオーバーな観念的な歌になる。
 作者が、渚に綱手引いてゆるゆる小舟をやる「蜑」夫婦を、おそらく遠望しながらの感慨であろうからは、この「世の中」は、社会とか世間一般とかへいきな り押し広げて読むより先に、具体的には、あれあのように慾も得もなくひしと心を一つに力を合わせて世渡りに励んでいる「蜑」夫婦のように…と、世の男女が みな心平らに波乱もなく幸せであれと祈願する意味でありたい。「世」はもともと男女の仲らいを意味した言葉、しかも渚へ渡して「綱手」引くのに一人では足 らず、舟の「こぎ手」もいる。まして「蜑(あま)」といえば零細な語感があり、人手を頼むどころか夫婦で助け合うしかないほどの世渡りだ。「常にもがも な」は強い願望を示す物言いで、「綱手愛しも」に響き合う。 『金槐集』所収。作者は鎌倉の三代将軍。

* この「私語の刻」のはじめに掲げた、菱田春草の名畫「帰樵」と通いあう境涯よと、私は実朝の思いを懐かしく汲む。

* まばゆい朝日、静かに溢れている。なによりの幸せ。

 ☆ 安名尊(あなたふと)  催馬樂(さいばら)
   あな尊
   今日の尊さや
   古(いにしへ)も はれ
   古もかくや有りけむや
   今日の尊さ
   あはれ そこ良しや
   今日の尊さ 

* 一時半 仕事すすむ。

* 神があるとか無いとか信じるとか信じないとか、私は思って来なかった。ただなにかしら想っていたし今も想っている。古事記を読んで事実のように読んで きたのではない、こういうことが大切に伝わっていたのを良かったと喜び、日本人としての「神話」の歴史的に与えられてある事実を、優れて有り難い「文化」 と思う。神話を持たない民は根底の寂しさ物足りなさを無意識にも感じていると思う。日本の神話はどの国民のそれと比べても優れて美しいのである。

* 中国の元の曽先之が編次の『十八史略』は当然に中国「太古」の史実と観ての「神話」から語られている。
 「太古」  (天皇氏) 木徳を以て王たり、歳を摂提より起こし、無為にして化す。兄弟十二人、各々一萬八千歳。地皇氏、火徳を以て王たり。兄弟十二 人、各々一萬八千歳。人皇氏、兄弟九人にして、分かって九州に長たり、凡そ一百五十世、合はせて四萬五千六百年。人皇の以後に有巣氏と曰ふ有り、木を構へ て巣を為し、木実を食らふ。燧人氏に至り、始めて燧を鑽り、人に火食事と歓談教ゆ。みな書契以前に在り、年代国都攷ふ可らず。
 「三皇」 (太昊伏羲氏) 風姓。
燧人氏に代つて、而して王たり。蛇身人首。始めて八卦を畫し、書契を造り、以て結縄之政に代ふ。嫁娶を制し、儷皮を以て禮と為す。網罟を結び、佃漁を教ゆ。犠牲を養ひ、庖厨を以てす、故に庖犠と曰ふ。龍瑞有り、龍を以て官に紀す。龍師と號す。木徳王、陳に都す。庖犠崩ず。女媧氏立つ、亦た風姓、木徳王たり。始めて笙を作る。

* 以下なかなか面白く 膨大な時世を経つつ「炎帝神農氏」「黄帝軒轅氏」と続いて次いでまた大きく『五帝』時代が来る。
 これは根底から「歴史」であり「蛇身人首」などと奇怪であろうとも、どこかに人類史の生活的な展開も読み込まれている。
 日本の古事記神話は、こんなではない、もっと「国土の自然」に接して神が語られている。まさしく「物語られ」ていて、八岐大蛇など現れるけれども、耳を傾けてお話の先が聴きたく、聴いて懐かしいのである。


* 紀元節という名の祝日は、天長節や地久節や明治節などより、「おはなし」の世界として親しむ気持ちがあった。「今日のよき日は大君の生まれたまひし良 き日なり」と歌うより、「雲に聳ゆる高千穂の」という古色の自然を目に浮かべるのが、身に沁みる二月の寒さや町内で炊き出される大好きな「粕汁」の香とと もに、とても印象的な一日だった。

* 「十八史」がドレドレかアタマにないが、手にしている「片仮名付き」原文のままの『十八史略』は漢文が読み良いし、興味津々、面白い。編者の曹先之は「元」の人、あの「太古」から「唐・宋・元」までの歴史が大略語られていそう。
 いま、秦の祖父から頂戴の明治の漢籍本にはきまって「目次」が無い。これは、なんでやろ。

 ☆ 秦 恒平様
 ごぶさたしておりますが お障りなくお過ごしでいらっしゃいますことを願っております。
 冴え返る日も少なくありませんカセ この日頃の明るさに春を感じられるようになりました。
 コロナ感染も多少抑えられてはいるようですが まだまだ安心できず 外出を控える日々 せめてクッキーにお見舞いを託します。
 私も 昨年 後期高齢者となりました (分類されたくありませんけれど) 何とか無事に過ごしたいと思っております。
 御身 御大切に
   令和三年二月八日       村上開進堂  

* クッキー頂戴し お手紙も戴きました。
 麹町界隈へ 佳い花の春の訪れをと願います。お元気で。

* 入浴もして。なんと。もう十時だという。機械の前で十時は、このごろ珍しいかも。早く就床と心がけているが、床に就いてからの読書時間がながい。
 頭の中に何やかやもやもやしているが、寝に行こうと思う。


  令和三年(二〇二一)二月十日 水    

   起床 9:00   血圧 160-94 (73)  血糖値 93  体重 60.0kg
               血圧が高すぎる。
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ しづかなる悲哀のごときものあれど
        われをかかるものの餌食となさず    石川 不二子 

 ☆ これも私なりに読みたい、「しづかなる悲哀のごときも の」であると「愛」の本質を受け止めて、あやまりであるだろうか。この歌はけっしてそのような「悲哀」を否定や否認はしてはいないと読める。避けがたい運 命のように受け止めたまま、なお堪え耐えてそれと戦い抜いてみたい意志が読める。
 我々は「愛」をあまりにやすやすと受け入れることで、その隠された「むごき部分」の「餌食」たるに甘んじては来過ぎなかったか。「われをかかるものの餌食となさ」ざる所から、「愛」への主体性を確保したい…と、私も思う。 昭和五五年刊の『短歌年鑑』から採った。

 
* みごとなお天気  天岩戸神楽ノ條(古語拾遺)
  あはれ
  あな面白
  あな楽し
  あな清明(さやけ)
  をけ  

* コロナへの一喜一憂はやめ、厳重注意に徹しつつ、関心の的からは逸れてもらう。

* 椅子にいて、膝下が痛いほどの冷え。戴いた、ずしと、美しい手織りの膝掛けが、まこと有難い。

* 朝から三時半まで、つづけて機械作業していた。
 新しい仕事も、新しくはないが放っておけない大事な仕事もある。思案に暮れているより、手の着いた仕事は、そのまま進めないと、身が持たない。
 算盤玉をはじくなど、子供の昔から出来ない、が、仕事の段取りをつけて仕遂げて行くのは、大小といわず、医学書院の編集者時代に徹底してスポーツのように身につけた。科せられた目標に届かない年など、15年半勤めて、一度も無かった。その間に、小説も書き始めた。
 一つには、医学書院編集長が、鴎外研究等々国文学の泰斗長谷川泉さんだった。おっそろしい程な医学看護学全般の専門書や雑誌刊行を統括しながら、その間 にも、狭苦しい一画につっ込んだ小机で学問されていたのを、少なくも私は賛嘆して背後から見ていた。あの人がアア出来るなら、わたしもコウ出来なくては 思っていた。「或る折臂翁」も「畜生塚」も「蝶の皿」も「清経入水」も「慈子」も「秘色」も「みごもりの湖」も、勤務での外出中に、立ったままでも書き継 いでいた小説だった。
 幾らかは 今にも同じ血が身内を流れている。器用には立ち回れないが、算盤抜きに飽きない「読み・書き・想像」が、根っから好き、文学は、それが「基本」でなくて、何が。「人間」でしょうね。

 ☆ 随分と長い
 ご無沙汰でした。コロナに暮れコロナに明けてしまいました。
 そしたら大雪です。それも二波、三波、しかしコロナと違い、雪はすっかりとけて 昨日なんか冬晴れの一日でした。ただこのまま春に向かうとは思うわけではありませんが。
 秦さんのご様子は、H.P.で拝見して、お変わりないことと安心しています。私の方は、コロナも大雪も関係なく、相変わらずの閉じこもりめいた毎日で、刻字や篆刻なんかもこのところお留守にしています。これでいいのかと自問することもあります。
 身に近い変化といえば、去年の暮れ近く、二歳年下の弟に死なれたことでしょうか。銀行員だった弟は、定年前に脳梗塞で倒れ、三十年近く半身不便の病との 共生でした。晩年は子供たちの住まいの近くにと、横浜に移り、そこでなくなりました。甥から家族葬との案内を受け、いろいろの不都合で、参列できないおわ びを告げたことでした。
 このころは遠出するどころか図書館へも本屋へも向うことが少なくなっています。子供たちが車で出掛けることを気遣い過ぎるからです。そこで身の回りにあ る本を無作為に引っ張り出して読んでいます。先日、文庫の棚から取り出したのは、立原正秋著『日本の庭』でした。作者にも、もちろんその内容にも引かれる ところがあったのでしょうが、「解説」の頁にしおりが挟んでありましたので、解説者が気になって買い求めたのだった
のかも知れません。「解説」を読み返して納得、あとはゆっくり本文の頁を繰っています。
 この作者が気になったのは、もちろんその作品のせいですが、立原正秋をあつく語るお弟子さんを知ったせいでもありました。宮城谷昌光さんです。文学館に いたころ、宮城谷さんにかかわる小さな展覧会を開いたときお会いしました。ご自分のことより師匠(そう呼んでいらっしゃいました)について語る時間が長 かったようです。こんなお弟子を持った師匠は幸せだなあと思いました。
 作品とのかかわりあいは、地元の新聞が「北陸・名作舞台」というシリーズを企画し、私にも何編かの執筆依頼があって、そのなかのひとつが立原正秋の「恋 の巣」だったのです。舞台は「金沢・長町周辺」ということでした。執筆にあたって、他の立原作品にも目を通しましたが、『日本の庭』はその時に手に入れた ものだったかも知れません。
 このところ元気ではありますが、去年の秋頃から五十肩?が再発して診てもらったところ、お年だからねと言われました。二週間に一度、注射に通っていま す。もう一つ、眼鏡の調整に行きましたら、眼科検診を勧められ、それに従ったところ、白内障の診断が下され、六月に手術することに
あいなりました。これも「お年」のせいなんでしょう。なにかにつけ、年齢を思い知らされる「今日このごろ」ではあります。
 お二人ともお大事にとお祈りしています。
   2月8日         井口哲郎  元・石川文学館館長・県立小松高校校長先生

* なんと心温かな佳いお手紙かと、お元気を心より喜びながら 懐かしくて 逢いたいなあと痛嘆する。無事これ好日と お互いに 「お年」と付き合って行 きましょう 奥様ともども 文字通りお平らにと願います。 私からも 井口さんのように 自筆の手紙が書けるといいのだが、痺れる指先でペンが踊ってしま う。昔に、萬という枚数「秦用箋」つまりは原稿用紙を刷ったのに、やがて機械クン登場、原稿紙は200字のも400字のも埃をかぶった。あの升目の大き な、大きな400字原稿用紙へ万年筆で手書きの手紙を、字はいいから、送り出したらどうかと思うこともある。
 とはいえ、送り出したい先が、もうよほど寂しくなってきて、心痛む。「湖(うみ)の本」の久しい読者が列島にまだ大勢おられる、そういう方々に「お電 話」で話しては思ったこともあったが、電話で話すのは苦手でもあり、何より先サマにご迷惑かとたじろぐ。老境というのは、よほど自分で囃し立ててやらない と寂しくなる一方。妻は、わたしが何もかも「私語」しすぎて見苦しいと叱るけれど、「私語の刻」ぐらいは好きにさせろよと自分で自分の鼻を摘んでいます。
 

 *
 令和三年(二〇二一)二月九日 火    

   起床 8:50   血圧 152-71 (62)  血糖値 81  体重 60.0kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ さまざまな愛

★ 愛の最もむごき部分はたれもたれも
        このうつし世に言ひ遺さざり    東 淳子

 ☆ 死が愛をこぼち、しかし愛が死をしのいで生きつづけるさまも多く見てきた。それはそれとしてたしかに見てきた。が、この歌人がこの歌で呻いている意味、分からなくはない。
 いかに愛の種々相をと拾い集めてみても、なお歌うに歌い切れない「愛の最もむごき部分」がこの世に充満しているであろう事は、「たれもたれも」本能的に、また理性的に承知している。
 厳しい現実の重みに耐えて、この一首はさながら私のこの一冊の『愛の詞華集』を総括してしまう批評性を持っている。いかなる愛のかたちも、絶対とは言えないぞと、力弱い人間の胸へ鋭く指をさして来る。
 私は、作者の意図に頓着なくこの歌を受け入れ、この歌に恐れをなす。幻影にもひとしい愛の可能よりも、愛の本来不可能を信じた上で、だから愛を求めずにはおれぬ人間のつらい運命を思う。 昭和五九年『雪闇』に収められた一首である。

* 日光がまぶしいほど明るい。嬉しいこと。
「マ・ア」ふたりして、革の「ペン皿」ふたつに頒けた「削り鰹」を嬉しそうに食べに来る。わたしたち大人もきつい体験(アコ失踪)だったが、かれらにも身に沁みるものが有ったよう。

 ☆ 手術後の
 姑は痛みはあるものの 気丈に静かに時を過ごしています。
 元気にしています。  尾張の鳶


* 誰も誰も こういう時節こそ 穏やかに心静かにと願われる。

* 宵の七時半、とかく居眠りが出る。身体が望むなら休む良いサ。と、言いつつ、九時半まで仕事し続けていた。疲れた。椅子の腰もギリギリ痛む。もう終わる。


  令和三年(二〇二一)二月八日 月    

   起床 7:30   血圧 150-82 (68)  血糖値 105  体重 60.0kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ 師弟の愛

★ しぐれ行く山が墓石のすぐうしろ    瀧井 孝作

 ☆ 「法然院谷崎家墓域」をうたってまことに的確、しかも谷崎潤一郎没直後の昭和四〇年十一月に訪れている。「しぐれ行く」の句にしんみりと哀悼の意がにじみ、「山」を負うたお墓に、いかにも文豪の風格を伝えて美しい。「はかいし」か「ぼせき」か、前者が宜しいかと。
 この作者は1私小説を宗」とした大家であり、谷崎潤一郎とは対極にあったが、よく認めていた。私のような者でも谷崎論を成すつど、よく激励や賞賛の電話を戴いた。懐かしい思い出になった。
 昭和五〇年、鉛筆で自筆丹精の句集『山桜』に収められている。


* いろいろと読んでいるが、いま一等の感嘆は『史記列伝』。 七十全編中の最要最佳といわれる「孟子荀卿列傳第十四」へまで到達した。何となく読み進んできたが、叙述簡明の筆に導かれてじつはヴィビッドに多く多く「戦国」を学んでいたと気づく。「簡潔に書く」凄いようなお手本である。
 策士策士策士そして死と死骸の山を見続けてきたが、入れ替わって、「孟子」と出会う。
 読み始める前は、続くかなと想っていたのが、誘われ惹かれて上巻五百頁の三七○頁まで来ていた。下巻へまで、信じられない、なんと「楽しみ」になってい る。城井壽章の講述に導かれながら、漢文が楽しめている、そして世界は戦国、ついに秦始皇帝が立ち二代までのまさしく合従連衡のドサクサ続きであった、こ こまでは。一度の決戦で何万何十万と「頸」斬られ殺され、八つ裂きにもされ、秦に至っては三十万人を一時に「坑殺」してもいる。日本史ではついぞ見聞に及 ばない惨虐の國であったのだ、中国は。だからこそまた、老子や荘子が、孔子や孟子が登場した。はて、今の中国に老荘・孔孟が現れれば忽ちに投獄ときに暗殺 されているのではと怖気ふるう。もう何十年かまえ、井上靖を団長に中国へ招かれた時は、毛沢東なく周恩来もなくなり、四人組が投獄された直後だった、が、 「孔子」の名を口外するのも禁じられた。大岡信と私とに配されていた自動車で、付き添いの一人が、「一言堂」という言葉を知ってますかと問いかけてきた 「オドロキ」を忘れない。中国での天下統一とは、即「一言堂」国家の確立を謂うのであるか、さもあらん。

* いま手元へ引き寄せて随時に読み進めている他の漢籍は、「大學」に始まる『四書講義』上下巻、元の曽先之編次になる『十八史略』 そして『孫子講 話』。国民学校の頃から秦の家に祖父鶴吉が蓄えていた数多い漢籍や字典や古典や事典や古書を、傘寿もすぎて私は愛読愛玩している。繰り返し返し寡黙に怖そ うだった「お祖父ちゃん」に感謝感謝。「湖(うみ)の本 150」で公にできた山縣有朋の家集『椿山集』もしかり、そして次巻にも、当節とても手に入らぬ 一冊を介してモノが言えます、深々と、感謝。

* 三時半 もう、まるで機械のキイが見えない。休む以外にない。

* 五時半。久しぶりに機械クンと碁を打ち、快勝。とはいえ… 疲れる。

* 六時半。 再開すれど 視野濛々、話にならない。休む。

* 所詮は この高老齢ともなれば、アタマに、久しい生涯の思い出が、いい思い出が沸騰してくるのはとめどもない。しぜん「自慢ばなし」に類してくるのも 防ぎよう無く、それで良しとしている。いい先生、いい人、いい事と、それはたくさん出会ってきたのだ。それはごく自然な人生の勲章と思っている。懐かしい のである。精神の生き生きしてくる妙薬にもなってくれる。ありがたい。



  令和三年(二〇二一)二月七日 日    

   起床 8:30   血圧 127-67 (74)  血糖値 98  体重 59.9kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ 師弟の愛

★ 墓標より戒名手帖にうつしつつ
       荒木先生はやはり荒木先生がよき     脇 須美

 ☆ たいへんよく分かる。「墓ヒョウ」「戒ミョウ」「手チョウ」と韻を踏んでいる。それはともかくとして「戒名」のあとへ、字余りでも、「を」を一字送ってはどうだったか。 昭和五四年『散りてまた咲く』所収。
 こう読んできて気がつくのは、弟子から師へ、それも今は亡き師への歌が多く、師から弟子たちへの歌は、釈迢空らに無くはないものの、ここに紹介したいと 思うほどの作に、出会えなかった。概して情が先走り表現に周到さの不足しがちな所が、「師弟」の歌の残念な特徴だったか、という気がしている。


* 脇須美さんはお母さん。娘さんの脇明子さんは泉鏡花研究の本など出してきた方で、私は一度座談会でご一緒している。翻訳もされる方で、大好きな三巻本マキリップの『イルスの竪琴』を戴いていてル・グゥインの『ゲド戦記』とともにもう十度も読み返して飽きないでいる。
 そんなことも告げてお礼も言いたいが、現在どこで教鞭をとられているか知れない。お差し支え無くかつ連絡先ご存じの方があらば、お教え下さいませんか。

* 両手の指先が鳴りそうに痺れている。「マ*ア」はもうこの部屋で「削り鰹」を嬉しそうに食べて、階下へ。家族の揃っている宜しさを喜んでいる。
 今回の「アコ」喪失一件でしみじみ思うのは私は何ら意志的理性的人間でなく、過剰なまで情、感情、感傷の人間だということ、そんなことはとうの昔から自 覚も承知もしてきたし、それを羞じたり嘆いたりすることは無かった。そう生まれついているなら、それで生き通すと思ってきた。
 同時に、だから意志的に生きたい、いきると自身に励ましつづけてきたと思う。
 一切の大學受験など放擲して、好成績を利してあっさりと無試験推薦で同志社へ入ったのも、学問的学問をして「教授へ」の道など棄て、家を棄てて、恋人と 東京へ出て極貧の新婚に甘んじ勤めながら一人学びに勉強を積み増しながら念願の「小説家」へ全身で逼りつづけ、私家版本を四冊も作っている内に、突然とし て、四冊目の巻頭作『清経入水』に太宰治文学賞をという有り難い申し出に会った、まさしく文学の世界へ招待してもらった。これら経緯一切は、すんりに意志 的なガンバリであったが、それも内実は情緒的に自身を濡らし濡らしの「夢見がちな時代」だったのだと思われる。
 同じ事は、以降、猛烈なほどの原稿を書き、本を出しつづけたあげく、こんどは「秦 恒平・湖(うみ)の本」など思いつくと「騒壇余人」と自称し、突如として國から「東工大教授に」と招聘されて六十定年までつとめ、その後もほぼ文学世間か とは付かず離れず今日にも至っている。自身をある種の「感傷」「情緒」「夢想」に委ねられない人には真似はできないと思う。わたしは、それをやり遂げてき た、作家・文筆家として。百冊の単行本をもち、三十三巻大冊の「特装選集」をもち、とめどもなく「自作自編のシリーズ本」を150巻も世に送り出し続け、 今もとめどない。こういう隙勝手な人は、日本中に一人もいないし、世界のことは知れないが稀有と思う。理性と知性の人たちには不可能な「夢と感傷と情緒」 の所行・所産だったとつくづく自覚する。
 だからこそ、猫の「アコ」が二三日失踪失跡しただけで、身も心も折れそうに泣いて嘆けるのである。京都での少年のむかしから、きまって、「変わっとる」「変わってはる」と言われつけてきた。そうかも知れないが、自分では、ただ「情のまま」に歩いてたんやと思う。

* こんな見極めが出来てきたのは、もう残り少ないなという予感であるのかも。
 ま、やれるだけは狂気じみた情趣を身に抱き、恰好にも行儀にもなんら構わず、どう笑われながらでも今暫くとぼとぼ歩きつづけたい。

  ☆ 秦様
 アコちゃん無事に帰って来てくれて本当に良かったですね。
 ケガも無かったようで安心しました。
 ご報告ありがとうございます。   アネア動物病院 横町

 ☆ 昼目歌(ひるめのうた)  催馬樂
    本
 いかばかり良き業(わざ)してか
 天照(あまて)るや日孁(ひるめ)の神を暫し止めむ
 暫し止めむ
    末

 何処(いどこ)にか駒を繋がむ
 朝日子(あさひこ)が映(さ)すや岡邊の玉笹の上に
 玉笹の上に

* 何という胸の奥の奥に遠い懐かしい「神います昔」の歌声か。
 「末」うたの、「玉笹のうえに映(さ)す「朝日子
(あさひこ)」は、私たち夫婦が初めて抱いた娘に、愛情に溢れて名付けた名。

 ひそみひそみやがて愛(かな)しく胸そこに
      うづ朝日子の育ちゆく日ぞ
 「朝日子」の今さしいでて天地(あめつち)の
      よろこびぞこれ風のすずしさ     一九六○年七月

 その娘・朝日子(アコ)に、そして孫娘みゆ希にも(ひょっとして曾孫等にも)、あまりに年久しく、いまも、我々両親・祖父母は、「出会うこと」すら叶わない。わからない。わからない。 

* 夕方まで、仕事 はかどる。ホンの一部ではあるのだが。そばへ時折「マ・ア」が連れて様子を見に来る。「削り鰹」を二た色の革のペン皿に分けてやる。仲良く食べて行く。

* 八時。かなり集注して機械仕事を続けてい。視野はすっかり霞んで暗い。もうこの青いライトでの仕事は今夜は限界。



  令和三年(二〇二一)二月六日 土    

   起床 8:45   血圧 144-76 (65)  血糖値 83  体重 58.9kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ 師弟の愛

★ こりこりと乾きし音や 
               味もなき師のおん骨を食べたてまつる     穂積 生萩

 ☆ 釈迢空の弟子。永別の悲しみに堪えかねて、とっさに出た行為か。
 一読、あ、と声が出たが胸をつきあげてくる同情の念は熱かった。事の次第の異様さを超えて、歌一首の表現は微塵の揺れもなく、美しいまで整っている。 昭和三年『貧しい町』所収。

★ 夏場所の新番づけも棺にをさむ   上村 占魚

 ☆ 「先師松本たかしを悼む」昭和三一年五月二一日の句、『一火』所収。
 そんなことかと簡単に読み過ごせない含蓄がある。「夏」という旺盛な現世感に溢れた季節が、「棺」という寂しい文字に対応している。まして「夏場所」は 力士と観客との汗と熱気が舞う大相撲の本場所。生きてこの世を楽しむ人間が群集して活気渦巻くところだ。弟子はそんな相撲好きな師のために「新番づけ」も 「棺」におさめた。きっと幽明 処は隔てても師弟一緒に変わりなく相撲を楽しみたい、楽しめるはず…と想いたいし、あの世の師もそうしてにぎやかに慰めた い。
 ふしぎに「夏」「新」の字が爽やかな縁語を成して、「棺」の、くらいイメージを清らかにしている。

* 「マ・ア」も我々も、みんなが安心し、歓喜に溢れ、安眠した。よかった。




      窓越し テラスへ並んだ 兄のアコ(左) と弟のマコ 


 ☆ アコちゃんの帰還!
 鴉の探し歩いた思いが届いたのですね。良かった、良かった。
 シンガポールの娘の家のムッチは、行方不明のままになりました。わたしにとっても大事な猫でした。今でも思い出します。
 昨日義母が救急入院しました。胆嚢捻転、年齢や健康状態から手術は出来ないと診断されました。それにしてもコロナ禍で病室での見舞いも厳しい制限があり、今日は会えませんでした。
 アコちゃんが戻り落ち着いた日常を、どうぞ大切に穏やかにお過ごし下さい。
 お身体くれぐれもご自愛ください。   尾張の鳶

* ありがとう。そして、くれぐれも、お大事に。 鴉

* 日差しもことに明るく。

 ◎ 駿河歌
 あな安らけ
 あな安ら
 あな あな安らけ
 練りの緒の
 衣の袖を垂れてや
 あな安らけ

 や
 有度濱(うどはま)に
 駿河なる
有度濱に
 打寄する波は
 七草の妹(いも)
 ことこそ良し
 ことこそ良し
 七草の妹は
 ことこそ良し
 逢へる時いざさは寝なむや
 七草の妹
 ことこそ良し

* 東遊(あづまあそび)歌の、晴れやかに「あな安らけ」と心嬉しい歌が目に付いた。

* 昼食後 機械の前で椅子のまま寝入っていた。「湖(うみ)の本」絡みの「機械仕事」は、印刷所側でのコロナ感染などもあり停頓を余儀なくされ、これ以 上前進の必要も解除されているアンバイ、しかれば今こそ手の広がってある「創作」のどれかへ真直ぐ向き合える。全姿勢を切り替える好機。 
 ☆ 安心しました
 アコちゃん、無事に戻ってほんとうに良かった。昨夜はよくお休みになれましたでしょうか。気が気でなかったのでほっとしました。

 とにかく、めでたし、めでたし。  
        節   木の芽してあはれこの世にかへる木よ  鬼城


              


  令和三年(二〇二一)二月五日 金    

   起床 7:30   血圧 153-92 (71)  血糖値 92  体重 59.0kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ 師弟の愛

★ 青葉風すがすがと入(い)るわが部屋に
               先生はいます羽織脱がして     谷  鼎

 ☆ 昭和十七年五月末に師の窪田空穂を自宅に迎え、歌会か何かを催した日の詠。同じ作者の同じ日に、こういうのも有る。
  先生の軸掲げたる床を背に先生います家はわが家
  大き人に間近く見えしよろこびを子らもつつしみて言ふよこまかく
 全人的な傾倒であり感激である。短歌表現を超えたものがある。だからこそ短歌表現としても力を保っている。 昭和五三年に弟子たちによって没後に編まれた『水天』所収。


★ 先生と二人歩みし野の道に
                 咲きゐしもこの犬ふぐりの花
  先生は含み笑ひをふとされて
                 犬のふぐりと教へたまひき     畔上 知時

 ☆ 師の谷鼎の没後歌集『水天』を編んだ弟子たちの一人。昭和五八年『われ山にむかひて』所収の微笑ましい、かつ巧みな歌。どこといって無理なく自然に今は亡い師をしのんで、心優しい。大声にものを言っていないのも佳い。
 「犬ふぐり」の「名」だけを師は弟子に教えたのではあるまい。歩一歩の野の歩みのなかにも、目配りがあり、心入れがあり、感動も発見もあることを弟子は師のなにげない言葉づかいや、笑顔や、身振りからも習ったのだ。だから懐かしく慕われる。

 アコの声がしたかと 早い朝いちばんに近所を一回りし アコ アコ と呼び廻ったが。空しく。帰っておいで。

* アコを呼んで家の中をはせまわるマコの声を聞いていると、悲しさに、わたしは、潰れそう。一瞬のすきにアコは外へ出た、決して遠くへ行くような子でなく臆病でもあったのに、神隠しに遭ったようにかき消えてしまい、帰ってこない。

* 仕事にかかり、十一時。
 午後、駅の方の交番へ失踪を「届け」に行くと。無事でいて欲しいが。飢えてもいよう、寒かろう。

* むかしは駅まで十三、四分とかからなかった駅まで、三十分は優にかけて、銀行と交番と駅の売り場まで妻と往復、へとへと。アコと呼び呼び歩いても返事は無く。疲れた。体力も気力も、夫婦とも、へとへと。

* がんばって、「「湖(うみ)の本 152」の入稿原稿をつくりあげた。すがた・かたちを整えればいつでも入稿できる、が、印刷所がわでコロナ感染と いったアクシデントもあり、「湖(うみ)の本 151」が刊行出来るのは、春も過ぎるのではと案じられる。春、そして桜桃忌に、一巻ずつできあがってくれ るといいが。
 
* アコ(猫の)の写真に「帰ってきなさい」と滾々・懇々と呼びかける。

* 八時前、だが、疲れきってながら仕事は捗らせた。この部屋で仕事に没頭していると、脇のソファへアコとマコとがいつものように来て「削り鰹」頂戴と行ってくる気がする。
 階下で休息し、そのままもう床に就いて本の世界へ没頭してもいい。
 いま一に惹かれて懐かしいのは「宇治十帖」でわたしのむもっとも愛する「中君」が、匂宮の妻として二条院へ引き取られて身ごもり、匂宮は右大臣夕霧の六 の君の婿にもなったあたり、薫中納言が中君に恋慕してしまっている。何度も何度も何度も読んできたげんじものがたりだが、ゲーテの「フアウスト」ミルトン の「失楽園」という世界史的な大の名作と向き合って、凌ぐほどの文藝の魅力に溢れているのだ、感嘆のほかない。「ファウスト」も「失樂園」も、溜まらなく 魅されて面白く読める。
 そして、魅されるというのではないが、「史記列伝」の凄まじいまでの権謀術策のまさに「列伝」に怖毛だつほど。中国人というのは、日本列島ひとがまだ貝 塚を積み、どんな言葉を話してたかも知れないほどの大昔に、もう合従連衡など戦国のたくらみで闘いあい、勝てば相手の「首を切る」こと「何萬」「何十萬」 と数えている。凄い連中、そこから抜け出て、中国中原に、初の「統一帝国」を建てるのが「秦」ですとさ。
 日本の作家代表の一人として中国に招かれたとき、大会堂へ招待主として出席の、当時死去間もなかった周恩来(毛沢東に次ぐナンバー2)夫人(副首相)か ら、「秦センセイは、お里帰りですね」と笑顔で挨拶されたとき、「秦の國」へ来て居るんだなと、ちょっとフクザツな心地だったのを思い出す。二度目の訪中 では、バイオリニストの千住真理子さんらと超巨大な始皇帝陵を「見物」した。仰天モノであった。
 いま二階では、機械の脇へ出している「四書講義」と片仮名付きで「十八史略」を読み始めている。寝床脇へはちくま文庫「荘子」雑編も持ち出して読み進んでいる。中国の読み物では「水滸伝」と「三国志」をみているが、むしろ詩に親しんできた。
 それに比べると朝鮮半島の本というと「古代史」をよんだだけで、他はもっぱら韓ドラです。

* と、振り向いても 「マ・ア」の姿が、無い。やがて、九時。心凍えるように、悔やまれる。アコ、ごめんよ。マコ、堪忍しておくれ。

       ☆

☆ アコ 帰った!! 
アコ 帰った!! 帰って来た。 夜九時。

* 機械閉じて、電氣消して、階下へと靖子ロードへ出て、もう毎度のように外の路上の見下ろせる窓を開けて。マコ、マコと呼んで、薄明かりの路上を見下ろ して …… と、うちとお向かいとの路地真ん中に、何か、影が動かない…が、目を凝らすと、アコが蹲っているかと。すぐ階下の妻を呼び、表へ出した。また 真ぢへ戻ると、路上の影は失せていた…が、鳴き声がした。妻が見つけてくれた。アコの帰還!!  よかった よかった よかった よかった。 妻が抱き 帰って、すぐ、削り鰹をやり、予想通り マコ はアコに唸って怒っていた。マコは、従前から アコがともすると戸外へでようとすると、烈しく制止して怒る のだ。
 よかった よかった。
-D
 



  令和三年(二〇二一)二月四日 木    

   起床 7:45   血圧 154-81 (71)  血糖値 93  体重 58.5kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ 師弟の愛

★ 真夏日の左千夫の忌日(きにち)朝はやく
        室かたづけてひとり坐れり    古泉 千樫

 ☆ 大正二年「七月三十日」が、作者の師伊藤左千夫の忌日。この日をせめて心清く静かに過ごしたい。そういう気持ちで尊敬と愛情とを身いっぱいに表現したい。すがすがしい。 昭利八年『青牛抄』所収

★ 動悸して壁の落書(らくがき)にわれ対ふ
       をさな字に北原隆吉とあり    宮 柊二

 ☆ 先師北原白秋の「名」に、師の故郷で、師の「をさな字」の「壁の落書」として対面した。
 師とは全人格、全生涯をかけての師であり、弟子もそうなのである。そして何度も何度も出会い直し出会い重ねて行く。「動悸して」の一句に、喜びと敬愛とが躍動して貴い。
 もっとも、ここで注意しておきたい。この種の歌は、先の「新島先生」にせよ「左千夫」にせよこの「北原隆吉」にもせよ、その「人」を知ることなしには十分受け取りにくい。
 師弟の愛の歌はけっして数少なくないのだが、感動をひろく深く共有できる佳い歌が、実は稀であるのも、これによる。
 短歌にも俳句にも師弟愛のあまりにか、ごく一部の仲間内にしか通用しない作が、それで良い、当然だという顔で溢れる。当然でもなく、良くもない。独善のそしりを免れぬばかりか、短歌や俳句の「表現を矮小化」するだけだ。 昭和二八年『日本挽歌』所収。


* アコ家出失踪の悲しさに殆ど睡らず、順に10種も和漢洋の本を読み、最後に建日子の文庫本『サイレント・トーキョウ』を一冊、朝七時半ごろまでに読み 切った。停頓もなく読み終えた。めずらかな読書であった。目下わたくしの仕事と関心または意向・論調でふれあって交錯しそうなのは、「戦争」の一語だった と思う、それも意向の向かい先はちがっていて、それはそれなりに受け取っておける建日子の現代世界のテロリズムを見通した理解・主張であろうし、私のそれ は現代を見越しながら明治から昭和へ通じた戦争観への一つの異議申し立てである。コロナ禍ののちに、ゆっくり話し合える日の早いのを待ちたい。

* アコ不在の悲しさ淋しさは、だれより弟のマコに露わで、われわれ両親も耐え難い。わたしのウッカリ・ドアがアコ飛び出しを誘ったのだし、それが不思議なほど、そのまま一晩も、朝になっても、帰ってこない心配と哀しみ……何とも…、泣いている。

* ひるまえ、妻と、近在を歩き回って「アコ」を呼んだが、甲斐なし。出かける前、家の中でマコが留守しているのは確かなのに、お隣とのあいの塀の奥に 「マコ」が座ってこっちを見ているのに仰天。ところがやはりマコは家にいて、塀うえの真黒いじつにマコそっくりの顔・身体の子は、よく似た別猫だと分かっ た。双子でもこれほど綺麗に似た子はいるだろうかと驚いた、が、「マコ」と「アコ」とはまったく良さで生まれた兄弟で建日子が我が家へもたらした。この近 所で生まれた子ではないのだ。
 胸の鳴る不思議である。しかし、アコに帰ってきて欲しい。


* 夕方前、もう一度、近くの
竹藪に沿った小公園の方へ空しく妻とアコ捜しに歩いてみた。

* 「「湖(うみ)の本 152」の入稿原稿が、八割がた仕上がってきた。アコを想い想いのガンバリである。マコが、寂しそうに甘えてくる。マコのためにも、とんでもない私はシクジリしてしまった、謝りようもない。ごめんよ。

 ☆  お元気なはずはありませんが、
 お元気ですか、みづうみ。
 アコちゃんが戻らないのですから、本当にご心配のことでしょう。私も気持ちがふさいでいます。脱走した猫は、そう遠くにはいかないと読んだことがありま すし、猫は身を隠すのが上手ですから、案外ご近所で様子をうかがっているのかもしれません。車庫などに入りこんでしまって出られない可能性も。ご存知とは 思いますが、猫を探す専門探偵もいます。アコちゃん、どうか早く出てきて、急いで戻ってほしい、帰ってほしいと、ご一緒にお祈りします。
 ご気分転換になるかどうか。一昨日書いていたメールをお送りします。
 大変なルビ打ちの校正がお済みとのこと、おめでとうございます。
  先月、高等科時代に(なんという昔!)ご指導を受けた先生の訃報が届きました。お美しく才能にあふれ、ぱあっと輝くような方で、憧れて敬愛 していました。英論文の書き方、英文学の読み方を叩きこんでくださった先生です。後年失明なさったと伺ったときには悔しくて残念で涙しました。
 先生が、フランス大使館でアンドレ・マルローの出席するパーティご出席の折に、彼が、たかが十分程度のスピーチのために講演でもするかのような大変な量 の原稿の束を準備して登場したことに驚き、「才能を与えられた人間はより多く苦しむ」と仰っていらしたことがずっと頭にありました。
 みづうみと出逢って、あの時先生の仰っていた意味が心底分かるようになったと思います。天才を与えられることは、途方もなく苦しむことと同義なのだと痛感しました。
 もしみづうみと出逢わなかったら、あけぼのは死なない仕事が出来るほどの天才の持ち主を羨んだかもしれません。みづうみとみづうみの文学を知ることなし に、ほんとうの意味の謙虚を学べなかったのではないかと思います。今でも謙遜な人間とは言い難いとしても、歴史の泡と消えゆく凡人であることに少し安堵し 感謝するのです。その上で、天才を生きる方々へのご恩返しの意味でも、なり得る最高の自分になろうと願って毎日書いて務めています。棒ほど願って針ほど叶 うか、でありましょうとも。
 幸いに春一番の吹く暖かさ。
 一分でも早い「ご帰還」の朗報を心よりお待ちしています。
      梅     紅梅の紅の通へる幹ならん   虚子

* ありがたく。

* 記憶の薄れないし喪失、また認知症的な傾向は、或る程度この歳のことやむを得ぬと思い又傾向はややに顕著化して行きそうなのが自覚出来ている。ヒトや モノの名を忘れるのは、ま、良しとして、困るのは機械操作の手順にふと迷いが出たりする時は困ったなと思う。順調に老いを積みつつあるらしい、余儀ない自 然の成り行きと諦めている。
 
* 「アコ」「アコ」と呼ばわって妻と、二度にわたり近在を歩いた。心身の疲労余儀なく、明日は、駅の方まで交番へ届けるという。バスを避けるので、いまの我々の足取りだと駅まで片道三十分は歩くだろう。腰が痛まないのを願うばかり。ロキソニンのお世話になる。

* 幸いに、ゲーテの「ファウスト」 ミルトンの「失楽園」 「宇治十帖」 「史記列伝」 「柳北全集」 が断然 興味深く心に響く。千数百枚は下るまい 長谷川泉先生の「鴎外ヰタ・セクスアリス考」も読み出すと止まらないほど。老境の私を質的に助けるのは「良い読書」だろうと念願している。

* 八時半だが、前夜はほとんど寝ずにいた。建日子の文庫本をはじめて一気に読了もした。
 疲労をしつこいものにしないために、もう休もう。アコは、飢えているのでは、怪我していないといいが、帰ってきて呉れるのを、祈って待つ。     
                        


  令和三年(二〇二一)二月三日 水    

   起床 9:45   血圧 157-79 (60)  血糖値 83  体重 58.8kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ 師弟の愛

★ この頃は逢ひたい友の多けれど
        わけて逢ひたい新島先生    徳冨 蘇峰

 ☆ 同志社創立の新島襄先生をしのび、尽きぬ愛と思慕を高弟 蘇峰は晩年の『残夢百首』(昭和二五年)の中にこう詠んだ。「わけて逢ひたい」の一句に一切がある。述懐歌として技巧的に見るものはないが、真率なかつ枯 れた物言いに忘れがたい感銘がある。「新島先生」と、呼びかけた結句が光る。 
 京都若王子山中の明浄処に、師の墓を守るように蘇峰はじめ薫陶を享けた弟子たちの墓が美しく並んでいる。結婚式というものを挙げなかった私たち夫婦は、 二人でこの奥津城をおとずれて、結婚と上京とを報告した。梅が満開の二月末だった。二○二一年(令和三年)現在、六十二年)が過ぎた。


★ よく叱る師ありき
  髯の似たるより山羊と名づけて
  口真似もしき       石川 啄木
 ☆ この歌には「わけて逢ひたい」といった直接な物言いはどこにも無い。事柄の一つ一つが具体的に想起されているだけ、たかぶった感情は表出されていない。むしろ噛み締めるようなふしぎな哀感が韻律たしかににじみ出ている。
 おそらくは生活と時代との悪戦苦闘に疲れた作者の、根深い喪失感にその調べは共鳴していよう。 明治四三年『一握の砂』所収。

* 眠りを偸むという物言いが有ったか、とみに記憶力が薄れて頼りないが、朝方、いいや、 も少し寝ようと寝入るのは快い偸み寝で。昨日はその間に、硝子越しにいい笑顔の沢口靖子と二、三十秒も向き合えたし、今朝は、どこかしら廣い水際で、建日 子と舟こぎの、また自転車での疾走を精一杯競い合っていた。深夜や明け方の夢見のよろしくない私には、こころよい偸み寝でした。

 ☆ 大前張(おほさいばり)
    本
   宮人(みやびと)の大装衣(おほよそごろも)
   膝通し
    末
   膝通し
   著(き)の宜(よろ)しもよ
大装衣(おほよそごろも)

* 光源氏のおほ昔に、こんな囃し歌でファッションをほめ合ったりしてたか。「歌」こそは神代の昔からの文藝のめざめであったと。山本健吉先生のすばらしい論攷に出会った時の嬉しさを思い出す。
 ごいっしょに横浜駅前で講演して、あと銀座の「きよ田」で寿司を食べたり。はるばる講演の旅をご一緒したり。ブルースの淡谷のり子さんを囲んで賑やかに鼎談したり。山本先生とははなしもよく合い、いつも温かに声をかけてくださった。

* 朝起きにテレビをみると、ころなといい、失政・鈍政といい、一日を不快にはじめてしまう、それなら「偸み寝」のできる今こそ、やすやすと寝ている方がいいと思い知る。

* 一時 郵便箱を見に玄関外へ出た、その瞬時にドアを推して出たか、「アコ」が、以来、どう探しても帰ってこず、六時半をまわって外は真っ暗。暗澹とし た思い。私がドア外へ出る時も、アコは玄関上の廊下にいて、最近は外へ出ないとも聞いていた。気が付いたらドアがやや緩んで開いていて、家の内に姿なく、 もう戸外を声かけ声かけて呼んで探しても現れず、相当遠くまで自転車で廻ってみたが見つからない、
 暗澹とし嘆いている。出て行く姿をチラとでも見ていればと思うが、かき消すように「アコ」は消え失せたかのよう。「マコ」も寂しそうに甘えてくる。私が、ウカツだった。帰ってくるのを、じっと待つ。待つ。 

* 仕事はたいそう捗ったけれど。
 気は重く、哀しい。朝にもしっかり抱いてやったのに。帰ってこい、アコよ。

* 八時半。アコ帰らず。泣くのをこらえ、鳴き声に耳を澄ましている。マコは出歩くのを嫌い、アコは出歩きたがり、そのつどマコがアコに怒って何度も叫びながら取っ組み合っていた。可哀想にマコが案じに案じて鳴いて呼んでいる。弱った。


 最愛のアコ 無事に 無事に 無事に 早く帰ってきて 帰っておいで

* 神隠しに遭ったように、ちいさな痕跡一つ目にも耳にも無い。ただ泣いて待つばかり。こういう時節に我々が感傷のまま過剰に無用心に外歩きするのも軽率になる。ただひたすらに無事帰宅を祈るばかり。

 ☆ 秦先生
 お世話になります。
 要再校ゲラを受領しました。ありがとうございます。
 **が仕事をしているフロアで コロナ罹患者が発生しました。
 その為、**、その他スタッフ 併せて自宅待機になっております。
 3割出社と言われている折、状況により「出校の遅れ」が考えられます。
 ご迷惑をおかけしないように出来るだけの事はいたしますが、何卒状況のご理解を賜りたく思います。
 コロナが身近な存在になってきている事に恐怖を感じながら通勤しております。
 秦先生、何卒よろしくお願いいたします。  印刷所

* 切にお変わり無きを念じつつ
 お大事に お大事に と願います、油断なく。 私も。  秦

* アコも、怪我無く、無事で、早く帰っておいで。トーサンも カーサンも待っているよ。待っているよ。
 
 

 *
 令和三年(二〇二一)二月二日 火    

   起床 11:00   血圧 148-79 (70)  血糖値 72  体重 58.25kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ 師弟の愛

★ 白粥のあまりすゝるや冬ごもり   向井 去来

 ☆ 師の松尾芭蕉が病気の折に、かたわらに侍しながらの吟である。
 季節は冬。「粥」は、師のための病人食でもあろうし、寒気をしのぐ温かな食事でもある。「あまり」とはむろん師の食べ残しの意味にせよ、ここは「一つ鍋」 という師弟親和の喜びも含む。この両方が相乗効果を示して、まさに一味同心、「身内の愛」を心暖かに感じとらせる。
 「白粥」の「白」一字にも、寒さと清さ と、ほかに何も無いといった「簡素な美」とを、あやまたず言い龍めている。 『去来発句集』から採った。


* 「獅子吼」は英雄の言葉で、傲慢不遜の声ではない。かつてのヒットラーや最近のトランプ他の大国独裁者のあんな声を謂うのではない、さしづめ現代では、ドイツのメルケル女史の時折の演説に片鱗が窺える。
 日本の、瓦斯(ガースー)の抜けた、しかも国民の自助にまかせて「権力」だけは大好きと謂われる宰相も、ミヤンマーでの、軍力による政変、民主主義への弾圧にふれて、世界が耳を傾ける「獅子吼」をすべき時機ではないか。
 世界はコロナ禍に悩み、しかし世界はコロナだけで喘息逼塞していのではない。

* そうはいえ、それでも、いま、日本中が「コロナ禍」からの脱出・克服に、甘い氣のゆるみは禁物と思う。総理や政府は、手前味噌の「国民自助」を云うよ り窮迫への「国民公助」へ予算を駆使すべし。病害死数のむしろ増加傾向の今こそ、「GO TO復活」などの前に目の前の窮迫へ「経済補償」に手持ち予算を徒らにケチるなと願う。「無いカネ」は出せまい、が、政府の握って「有るカネ」は適切に 困っている国民の側へ費えよと思う。

* 宵すぎて、七時をもうまわった。夕方には、「鬼は外 服は内」の豆まきを恙なく今年も終えた。

* テレビで、懐かしいグルジアやアルメニアの豪快にも瀟洒にも変化に富んだ景色を眺めた。グルジアの詩人゛いぎしノネシビリ三のお宅へ招待された楽しかったこと、忘れない。いろんなお土産を頂戴したあれもこれも今も身辺に在る。旅は、当時ソ連の作家同盟の招待だった。
 日本へも来られたが、その後に複雑な政変もあって、ノネシビリさんは亡くなった。
 各地を深雪きわまりなく案内してもらったエレーナさんも、やはり政変がらみとかで、日本へ来て亡くなったと聞いた。佳い人だった。一緒に招待され同行した団長宮内寒弥さんも同じ京都出の高橋たか子さんもとうに亡くなった。あーあ。
 この「ソ連の旅」は新聞三社の連載小説『冬祭り』にはなやかに取り入れた。読み返したくなった。ヒロイン「冬子」は、評家から、「また必ず姿をかえて帰って来る」と予言かつ期待してもらった。果たして、最近作の『花方 異本平家』の「颫由子」となり帰ってきた。

* 今朝は、八時前に、妻や「マ・ア」が起きて行ったナと承知してゆっくり寝入った。寝起きのすこし前の夢の一画へ、突如 愛くるしく穏和な沢口靖子の笑 顔と、ガラス窓を距ててふと直面した。靖子は戸外にいてわたしは何かしらビル住宅の内にいた。「ここにお住まいでしたの」と靖子ははんなりと且つまじめな 笑顔だった、この機械に蓄えられた数十枚の顔写真のどれよりも佳い笑顔だった、帝劇の楽屋で、妻も一緒に、「細雪の雪子」衣裳で写真に撮られたときより若 い青春顔をしていた。夢は、三十秒ほどで霞み、やがてわたしも床を離れた。

* こんなふうに、私は、いつも「夢・現」の前後左右に「ただよひ」生きている。「ゆめ」世界はますます賑わい「現つ」の日常はいまや繪に描いた籠居であ るよ。仕事していると「マ・ア」が椅子のきわへ訪れてくる。「削り鰹」をホンの一とつまみを楽しみに階下からとことこ訪れるのだ。「方丈」という居室はな にも閑散と孤独にいる場所ではない。いろんな懐かしいモノや写真たちで、騒がしくはなく静かに賑わっていて心温まる「方丈」なのです。「綽綽有悠」と此処 に暮らしつづける。

* 十時半をまわる。時間と疲れを忘れ、頑張っていた。

 ☆ こんばんわ!
 ご体調はいかがですか。
 今日は節分とはいえ、どこのお寺も神社も豆まきは中止です。
 新門前のお家のことが、書かれていますと、とても懐かしく しみじみといろんなことが思い出されます。
 次女宅に 太郎という孫がいます。
 たまに雪が降るといつもこの詩が浮かびます。
  「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」
 小さかった太郎も社会人になり、会えば小遣いをねだっていたのが、今年はお年玉をくれました。
 秋から悩んでいた足の痛みも少しずつましになってきました。
 何かと鬱陶しい毎日ですが、良いこともあるわと、自分を励まして過ごせればと願っています。
 又世間が落ち着つけば、東京へも行きたいし、恒平さんにもお会いしたいです。
 どうぞ、どうぞ、お元気でいてください。
 お祈りしています。     京都      みち 秦の母方従妹

* お年玉をくれる太郎君 いいな。この従妹の「みち」さんは私より一つか二つかほど年下だったか。お父さんとは秦の父が碁がたき。よく新門前へもみえていた。わたしも船岡山のお宅まで碁を打ちに行ったりした。それはやわらかに懐かしい京の男ことばの伯父さんだった。
 いつまでも、お元気で、みっちゃん。



  令和三年(二〇二一)二月一日 月    

   起床 9:45   血圧 137-76 (59)  血糖値 95  体重 58.9kg
       
                   
 
 ☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
    
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
                  一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

  ☆ 師弟の愛

★ 夢の世になれこし契り朽ちずして
        さめむあしたに逢ふこともがな    崇徳院

 ☆ 配所讃岐国で崩御のおり、都なる皇太后宮大夫(藤原)俊成に「見せよ」と書き遺された歌である。『玉葉集』に採られている。
 この二人、厳密な意味はさておき和歌の道の師弟とも歌友とも言っておこう。俊成はやがて『千載集』を後白河院の命により勅撰する。この院は崇徳院の実弟 であり、しかも保元の乱で兄院を打ち負かして讃岐国へ放逐した勝利者だった。だが和歌にかけては弟院は兄の敵でなかった。
 「夢の世になれこし」とは微妙な覚悟である。所詮この世は「夢」と承知で生きてきたのだから、という「仮りの世の思い」が一つある。「さめ」てからが「真実の世」という覚悟だ。その「次の世」で再会し結び直す契りこそ、愛こそ、真実の名に値するという覚悟だ。
 今一つ、讃岐国へ流されてのちは「夢」でしか柑逢うことの叶わなかった口惜しさも言い龍められていよう。だがその「夢の」間にも二人の契りは、朽ちてはいなかったという信頼と愛の確認。
 あの世で、今生の契りそのままにまた幸せに逢いたいという願望。讃岐国に所領も持ったらしい俊成は、悲運の院に密かに同情と便宜とを寄せ続けていたかと 想像される。古代の歌い口で、この程度の技巧はとくに言うほどもないのだが、人と時との契合が、一首に、いたましい「うた=うったえ」の力を与えている。


* 和歌といえども「読める」 だが 「味わう」には 古語への親炙がやはりものを云う。今日のいわゆる歌人の若い大勢が「和歌」を敬遠し時に軽視・軽侮す るのは、「日本語 古語」を勉強しなかったから、と、ほぼ断言もできる。古典が読めない、味わえない、それでも文藝愛の日本人とは、やはり物足りなさが過ぎ る。和歌を読めと強いたいのではない。しかし文学に親しみ創作に生きるなら日本語は古語も学んでは、と云いたい。日本語の歌、短歌が、瓦礫の道を踏むようなア ンバイなのを自賛し弁護している図は見苦しい。


* 二月はことに底冷えて寒い京都だった、だが、わたしは、京の二月が恋しいほど懐かしい。大雪の降り積もることのやや少ない古都だった、降れば山なみが和やかに愛づらしい。古代の人と同じ都を感じている気がした。
 新門前の、北向き秦の二階家は、一階が、表から奥へ三間、その奥に泉水と笹と山茶花の小庭、その奥に叔母が茶の湯、生け花の先生をしながら暮らした隠居がたあった。奥に蔵があった、が、他所のモチモノだった。
 小庭へは、奥の間四畳半の、硝子窓を仕組んだ南がわ障子一枚が距てていた。その窓側へアタマを向け床を敷いた。硝子越しにちらちら天から降ってきた雪を 臥たまま仰向きにながめ、泉水に薄氷の張るらしいのを感じている寒さは、寝床にちいさな電気こたつが入っていても身にしみた。妙なものだ、子供ごころにも ああやって風情ということを覚えたのか。
 思い出は、大きな蔵につめこんだほどもまだ私に生きている。八五老の執着か。これが財産か。

* とうとう、「「湖(うみ)の本 151」の初校を、様々に手入れ手当てして、添え稿も組み入れ、「要再校」で宅配に委ねた。宅配扱いへも、久しぶりに 出向いたが、余分の用ではずうっと接触を敬遠してきた。まだ、当分それが続く。人との、持ち運びものとの「、接触」に用心している。そのため、不要不急の 送り出しでは、敢えて義理も欠いている、申し訳ないが。 

* 緊急事態宣言は 解除を慌てず、いま暫く辛抱して延長しないと、また元の木阿弥に戻るだろう。数は減ってみえても、外出自在となれば感染の再拡大は論外の当然と成りかねぬ。

* 少しく息をつき、ボウボウの白髪をすこし切ってもらい、湯に漬かり、政治ディスカッション番組を聴いていて、九時。今夜は少し寛いで早めに床について読書を楽しむか。 

水深魚楽 楽此不疲 日々客愁


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述懐    恒平・令和三年(2021)正月

  * ここに「恒平」三年としてあるのは、
    私・秦恒平の死期をかぞえる三年目であるという気持ちを示している。他意はない。


 橋一つ越す間を春の寒さかな        夏目成美

 枯れゆけばおのれ光りぬ冬木みな     加藤楸邨

 朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 種田山頭火

 手は熱く足はなゆれど
 われはこれ塔建つるもの           宮沢賢治
  
  これやこのいのちのはてとおもひしか
     さもあらばあれ「いま・ここ」を生く   恒平    





                ☆ 丑の歳 ☆




       山口薫・畫                 土牛・畫 部
               牛になってみたい時があった。



 




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