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述懐 平成二十八年(2016)三月

 石ばしる垂水の上のさ蕨の
   萌え出づる春になりにけるかも     志貴皇子

 みづうみの氷は解けてなほ寒し
   三日月の影波にうつろふ         島木赤彦

 ものの芽をうるほしゐしが本降りに     林 翔

 年々歳々花あひ似たり
 歳々年々人同じからず             宋之問

 花鳥もおもへば夢の一字かな        夏目成美

 物のしゆんなは 春の雨
 猶もしゆんなは 旅のひとりね        隆達小歌

 わたの原八重にぞ霞む日のはての
   やそしまかけて世をのがれたし     遠 

 人も押しわれも押すなる空(むな)ぐるま 
   何しに我らかくもやまざる         遠 






             繪所預 土佐光貞・畫




    三月十日 秦 恒平選集 第十二巻まで刊行







* 平成二十八年(2016)三月三十一日 木 

* 
床8:30 血 圧135-66(56) 血糖値88  体重67.5kg

*  バスで駅前へ。銀行から、凸版と暁会へ払い込みを終え、好天を楽しみゆっくり遠回り気味に花をたずねたずね、歩いて帰宅。まだ保谷の桜はせいぜい四分咲きほど。
 機械の前へ来ていたが、そのまま居眠りしていた。もう四時。のんびりと謂うか。

* 歯が痛く目は霞みおなかも不安定。なにが、のんびりですか。


* 平成二十八年(2016)三月三十日 水 

* 
床6:30 血 圧129-75(61) 血糖値91  体重67.3kg

* 六時に黒いマゴを外へ出してやり、また入れてやって、そのまま「水滸伝」など読んで起きてしまった。花粉のくしゃみ十連発。ウウ。

* ICU図書館(館長)へ既刊の「選集」十二巻を送り出した。
 凸版からは請求書が来た。非売の限定本であり、純然の支払い。歳久しく獲てきたものを、心して返しつづけている。そういう生き方でよいと思っている。

* 湖の本も選集も、いまはボールが印刷所側の手にある。その間を利して「第十六巻」の原稿を慎重にかつ面白く読んでいる。 

* 駅近く、珈琲の「ぺると」の隣に出来た唐津ゆかりの「うどん」店が気に入り、今日の午後にも自転車で一走り。軍鶏肉のうどん、サービスよく肉がころころと沢山、美味かったが腹も張った。

* 明日は花見に出ようかと妻と話している。七日からの「湖の本129」三十年記念の(一)、発送用意はもう出来ている。引き続いて「選集第十三巻」も出来てくる。

*  腹がしくしく、痛む。神経か。
 このごろ、寝ていてもはっきり夢と分かる夢より、眠れぬ儘に仕事の行方を具体的にあれへこれへと思案している「夢」をよく見ている。目覚めてはいないの だ、眠っていながら実感がなく、思案に耽っているらしいのである。かなり生き急いでいると思うが、ブレーキをかける気になれない。寿命をなど過信していら れない。
 一つには、どうしても登って越さねばすまぬ、通り過ぎねばならぬ暗い「関」らさしかかっている。愉快にばかりは歩いていられない道程がある。仕方がない。

* 今は、書いて、本にすることを大事の眼目としているが、それでこと終わらせたくはないのだ、最期に、いや並行してもむろん構わないのだが、まだ「読み たい」「読んで楽しみたい」という本好きの性根がガマンしていない。いまこの機械の背後の本棚に、浩瀚な福田恆存さんの全集が八巻、飜訳全集が八巻並んで いて、ことに福田さんの戯曲そしてソポクレスやシェイクスピアらの戯曲、ロレンスの小説など、ぜひ読みたい。春陽堂版の泉鏡花全集十五巻は、それでも彼の 人生半ばの業績だが、読み返したい作がいっぱいある。森銑三さんの著作集も十三巻、これはもう近世文化をのぞきこむ宝庫のようなもの、時を忘れて読みたい 最右翼にある。
 書庫へ行けば、潤一郎、藤村、柳田国男、折口信夫らの全集のほかに二十世紀世界文学全集がジョイスに始まり夥しく読んでくれと出番を待っている。数え切れないほどたくさんな頂き物の小説や詩集、歌集、句集があり、何よりも厖大な古典全集が数種類もある。
 読んで、逝きたいではないか。

 おほけなく憂き身のほどもはげまして
    やえの葎のみちを辿らめ     遠


* 平成二十八年(2016)三月二十九日 火 

* 
床8:00 血 圧125-62(61) 血糖値98  体重66.8kg

* 『死なれて 死なせて』を読み終えた。わたしの本の中でもっとも広く読まれ多くの読者を得て版を重ねた。だれにでも深く厳しく関わってくる主題であり率直な把握である から当然と謂えようか、いま適当な版を得て新刊されても今日にしていよいよ多くの関心や共感を集められるだろうと感じる。
 
 ☆ 拝啓
 (略)奥様からご丁寧なお葉書をいただき、恐縮いたしました。
 御生母様はすごい歌人です。巻末の秦さんが選ばれた歌の数々に深く感銘を受けました。本当に素晴らしいです。歌人・秦 恒平は御生母様の血の由縁なのですね。
 御礼申し上げます。  久間十義  作家

* 国文学研究資料館館長の今西祐一郎さん、妻の従弟の濱敏夫さん、早稲田大学図書館からも選集第十二巻受領の挨拶があった。
 ICU の学長、図書館長からも『秦 恒平選集』を受け容れたいと並木教授を介して連絡があり、喜んでいま妻が荷造りしてくれている。

* ご親切の高麗屋さんへもお礼を申し上げた。

* 正念場のような「新選集」の仕事を、気を入れて着々進めている。巻頭に、処女作以前の『生まれる日』ついで心を籠めた『死なれて 死なせて』を大切に置くつもり。

*   東近江市五個荘での「お宝鑑定団」と聞いて、仕事をやめて観に降りた。さすがに、佳いモノが続々出た。狙仙の猿、武山の仏画、みごとなやきものたち。目の保養をした。

* という間に、三月逝くか。



* 平成二十八年(2016)三月二十八日 月 

* 
床10:30 血 圧122-51(55) 血糖値92  体重67.4kg

* 思いがけず靖子(澤口靖子)の「ネタ元」とでも謂うたらしい二時間ドラマの一時間半余りを観た。よく出来た脚本で、「科捜研」の靖子(榊マリ子)が生 真面目に一本槍の気持ちよさとすれば、このドラマでは、生き生きした社会部の感情女性記者の喜怒哀楽を元気にまじめに演じていて、「いいよ」「それでい い」などと口に出しながら楽しんで、共感して見終えた。
 小さい頃からわが家へ親とよく遊びにきていて、のちのち早稲田大学のころから活躍しつつ、卒業して大手新聞の社会部記者となり着々足跡をのこしてきた娘のような「アオ」を思い浮かべていた。
 我が家では、澤口靖子とはめったに呼ばない、いつも「靖子」「靖子ちゃん」で通っている。なにしろ玄関から二階、書斎まで靖子の額入りの佳い写真が六、 七枚も所を得ている家である。二人で、三人でならんで撮ってもらった写真もあるのだが、いくら厚かましくてもあまりに落差がありすぎ、「蔵」に仕舞い込ん である。

* 妻の従弟から、いつものようによく選んだケーキが送られてきた。
 妻も父方母方に親類が多い。妹も健在で「選集」の仕事を、いつもいつも手厚く親切いっぱいに応援してくれる。
 兄恒彦が元気でいてくれたら、どのように言うかなあと、見果てぬ夢の儘、さびしく、なつかしく思う。

 ☆ 御二人の
 御祝日 心より お祝い申し上げます
    為
     秦 様 
      奥 様    16. 3. 14    九代 (松本)幸四郎   (高麗屋)

* 先の三月十四日 わたしたちの五十七年の結婚記念日のために、玄関まで到来の豪奢な盛花のほかにも、五代目中村雀右衛門襲名興行の歌舞伎座に観劇を待 ち受けご用意頂いていたものと思われる、華やかな「三月大歌舞伎」筋書き本の第一頁和紙に、松本幸四郎丈の墨書自筆でお祝い戴いていた。
 それのみでない、冒頭のはんなり写真集の中の「祇園祭礼信仰記」金閣寺の場で勤められた松永大膳役の写真にも「九代幸四郎」と署名が乗り、同じく「花競 木挽賑」欄の写真にも、「今月の出演俳優」欄の写真にも、ともに「幸四郎」の自署が乗っている。特・特の祝意と心嬉しく、御礼申します。
 夫人のお口添えもあったにちがいないと感謝申し上げます、
 歌舞伎座の封筒で叮嚀に送り届けて下さった番頭さんにも、感謝。
 あの日は、心底観に行きたくて、時間ぎりぎりまで堪えていたが、妻の風邪と咳とがおさまらず、記念の日にわたしひとり出かける気にはなれなかった。ご近所の奥さんに券二枚を差し上げた。
 すばらしいお祝いの盛り花といい、この、めずらかなご厚意といい、
 高麗屋さんに、心より御礼申し上げます。 秦 恒平・迪子

 ☆ 拝復
 梅便りがいつのまにか桜便りにかわり、季の移りの早さに驚いております。
「秦 恒平選集」第十二巻ご恵送たまわりありがとうございます。(中略)
 私小説にはご家庭の秘密をのぞき見するようなうしろめたさがつきまといますが、巻頭 母上のお写真や、文中の事実を裏付けるようなご子息との歌碑前のお 写真を拝見するにつけ、改めて、母上のご苦悩の重さ、思いをはせております。 それにしましても姉上の寛容のさまには感動、「身内」とはこのようなことと 納得したこと思い出しまして、奥様も傘寿とのこと、お揃いでお大事にと念じております。
 「短歌抄」の短歌 作品のなかにどう扱われているか、学生達と定本『生きたかりしに』味読したくなりました。
 かわりばえしませんが、せめてお礼のつもり 秋田の(稲庭)うどん少々お届けします。 着到のご返書どうかご放念くださいますよう  草々  神戸  信  神戸大名誉教授

 ☆ 秦 恒平様
 謹 啓  このたびも「秦恒平選集」第十二巻(「生きたかりしに」附阿部鏡短歌抄)をご恵贈賜り、まことに有難く御礼申し上げます。発刊早々に賜りましたこと、重ね重ね身に余る光栄と感じさせていただいております。しっかり読み、大切にいたします。
 「湖の本」版で「生きたかりしに」を読みましたときには、「わが旅、大和路のうた」を是非読んでみたい、と切なる思いをいだきましたが、今回「選集」版 で同時に拝読することを得、思い違わず、というよりむしろ推測以上の感銘をいただきました。作者が純粋な理念と実践の人である、ということ。そして専一無 垢に所与の運命を生き抜かれた、その強さとかなしみの深さを感じました。
 「選集」を、紙による「墓碑」とおっしやっておられましたように、「選集」第十二巻は、この一冊で完璧な、そして完結した独立せる一冊となっていると感 じます。「生きたかりしに」は、この「選集」一冊をもって、秦文学の要諦として読み解かれる一冊になるだろうと思いました。
「短歌抄」を読んでの後の「生きたかりしに」は再読ながら、なにかまったく新しい御作品として、文章も展開も、印象深く立ち上がって、ずんずん読み進みことができました。
 同時に「湖の本」12(平成10年刊)の「死なれて・死なせて」も書架からとりだして読みました。当時は家内を失くしたばかりでしたので、「死」−とい う言葉が酷く感じられて読めませんでしたが、今すこし距離を置けるようになって、反省的に顧みつつ読み、すべてに納得している自分を見出しております。
 徹して思考する、作者の体験の深さに、文学の生まれる淵源を臨み看る思いです。「実感のあるところを」というお言葉、深くいただきました。有難く御礼申し上げます。
 早々にご恵贈いただきながら、まず拝読して、印象をまとめてから、と思っているうちに日にちが経ってしまいました。御礼が遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。
 開花宣言ながら、一進一退、不確実な世情を映すような陽気です。一日も早く晴れやかな春の陽気が訪れますよう、先生、奥様ともどもご夫妻のますますのご健勝とお幸せをお祈りいたします。
 まずは御礼まで。
 失礼の段はご宥恕のほどお願い申し上げます。 早々頓首  埼玉・八潮  滝  作家

* 歌人の大塚布見子さんからも受領の挨拶があった。

 ☆ 弥生も 

 残り数日、どうにか、開花宣言が出たばかりの故郷に帰ってきました。
 卯月になれば私も五十五。
 峠までのぼりつめたなら、眺望も開け、少し休むこと(読み、考え、味わい、楽しむこと)もできようかと、今はこの胸突き坂を精いっぱいのぼっていきます。
 それはそうと、 各々の作品は、電子化なさった最初の形態も保存なさってますか。ご存じと思いますが、校閲機能を使えば校異も簡単に出来ますね。
 春風邪や花粉に気をつけて、佳い季節をお迎えください。  山陽  九

 


* 平成二十八年(2016)三月二十七日 日 

* 
床9:00 血 圧139-72(58) 血糖値94  体重67.1kg

* 岐阜各務原市の詩人山中以都子さん、お心入れの名酒「三千盛」二升を下さった。有難う存じます。金沢市の作家金田小夜子さんは、お手紙とともに妻傘寿へ有り難いお祝いを頂戴し、お酒の肴にと珍品の干物を何種も頂戴した。三千盛がひとしお美味しく戴けた。

 ☆ 秦先生へ
 息もつがせず選集お送りいただきありがとうございます。やっとお母様に会えました。綺麗で情熱的な雰囲気にみとれました。長い間の呪縛から解放されて本当に嬉しく心からお祝い申し上げます。お二人とも傘寿で今年はお祝い重なり 益々のご活躍を祈念しております。
 気持ちだけですが 酒肴と共にお送りしますので美酒を味わわれて下さいますように !
  夏にかけて又多忙の由 くれぐれもご自愛下さい。
 今年が実り豊かな一年ですようにお過ごし下さいね。  金澤  金田小夜子

 ☆ 桜の便りが
 聞かれる頃となってまいりました。その後 ご体調は如何でいらっしゃいますか?
 先日は 十二巻目の立派なご本を現在卆ご恵賜頂き まことに有難うございました。
 遅くなり申訳けございませんが 御礼をこころばかり同封させて頂きました。 ご笑納下さいませ。
 ご生母様の短歌の数々 胸の痛む思いがいたします。
 前川佐美雄にご指導頂かれたとの事、 奈良女子大学の頃に「橙(オレンジ)」の歌師 山崎雪子先生(H15年没)もご指導を受けられたと時々なつかしそうにお話しして下さいました。
 これから また ご無理なさいません様に ご活躍下さいませ。
 新門前梅本町 ご存知ですか (=我が家の一軒東から梅本町だった。 秦)
 小学時代の恩師 浅見登喜子先生がお住いで 度々遊びに出かけておりました。(現在卆寿でご健在です 六角辺りにお住まいです) 華頂会館の北に 戦後 両親を亡くした子供達が建物の辺りで遊んでいた事や 洗濯物が干してあった事など思いだしています。本当に懐かしく 胸のキュンとなる情景がご本の中から あふれてくる思いで一杯です。 (=そういう養護施設が在ったと覚えている。母の勤務ともいくらか連携があったやも知れない。 秦)
 ご令室様のご体調は如何でいらっしゃいますか。
 くれぐれも 共々にご自愛下さいます様 お祈りいたします。
 有難うございました。  奈良あやめ池  絹

* お気持ち、感謝します。
 二つ下、北日吉の「華」さんと仲良しの茶道部員だった。
 山崎雪子さんも浅見登喜子さんも、人生のどこかでかすかに袖触れ合うたことがあった気がする。

 ☆ 
秦先生
 「選集11巻」を拝受しながら、ずいぶん音沙汰なしで申し訳ありません。
 ありがとうございます。
 「余霞楼」の一段落目で、僕のなかで京都中の町家が、プルンと震えて反応した気がしました。

 新聞社を離れて、気分は自由になったものの、身体はなかなかそうはいかず…という具合です。

 TVつけても、どこの番組も不倫の話で、もっと公共の電波の使い途はあるのにと思い、最近はCDやDVD、ネットで落語ばかり聞いています。
 高市総務大臣の発言に対して、ジャーナリスト…というかタレントのような方々が抗議声明のようなものを出しました。
 メディアの「萎縮」についても言及していましたが、あれは「萎縮」ではなく過剰な「自粛」だと思っております。
 もちろん高市発言も、問題がないとは申せません。
 が、僕の感覚からすれば、あのジャーナリストと名乗る方々も、高市大臣と安倍首相とも同じグループの人間としか見えないのです。
 何か、こちらの皮膚感覚を刺激するものがない世界の住人だと感じます。
 世界全体でみても、
 本来なら金融緩和をして金利を下げれば、理論的には経済効果があるはずですが、現実には成果はありません。アベノミクスは円安による外需効果と、インバ ウンド需要という帳面上の「内需」を喚起しただけの日本の安売り。株価などの数字を目標にするばかりで、本当の内需の強化には結びつかず、実効性が薄いこ とは明白になってきました。その株価も為替効果を期待する余り外国投機筋に翻弄されすぎています。
 すみません。
 調子に乗って大きなことを書いてしまいました。
 会社(新聞社)をやめて約半年、ポジションが変わってこれまで見えなかったものが、もっと見えてくるかな、と思っていたのです。
 でも、期待はずれ。
 重ねた馬齢に伴う目のウロコが化石化しているかもしれません。
 でも、あきらめないで、何が見えていなかったのか、を探しております。
 勝手なことばかりをダラダラと書いてしましました。
 まずは遅まきながらの取り急ぎの御礼のメールです。
 お体ご大切に。ご機嫌よくお過ごしになれることをお祈りしております。  大阪市  秀

* テレビに顔をさらして「コメント」を業としてきた大勢のインテリたちをいゆほど観てきたが、要するところ保守政権と「
同じグループの人間としか見えない」とは、わたしの情けない認識だった。多くの彼らが、誰を、何を、実は敵視しつつ「同じグループの人間としか見えない」働きで日本を不健康な支配国家にしてきたか、分かり切っている。一言で言えば「働く人たち」であった。 

 ☆ 豪華な選集を
 当方まで御恵送下さり 有り難う御座いました。
なのに お礼申すのが遅く申し訳ありませんでした。届いたまま上にものを重ねていて 気づくのも遅れ その上私達家族はまあまあ元気でしたが それこそ身の回りでいろいろと有り これが80才かと思い知らされました。
 小学校の時の先生お二人 
中学校の担任 同級生三人のご主人 お町内の人 お米を頂いているお家のご主人 檀那寺の大奥様等々 毎日続いてお見送りをしてました。
 3,4日ごとにブログをまとめてみていますが どうぞご両人とも ご無理の無いようにお過ごし下さい。
 (・・・羽音ゆるく 肩によらなむ)を見つけ 感動しました。  京・宇治  草

* 「死なれて 死なせて」を四章まで読んだ。一九九二年に弘文堂で書き下ろした。二十四年も以前の、言うまでもなく今八十のわたしがまだ五十半ばの著である。その干支に して二回りも年をとってきた間にわたしの思索思想も成熟とは言わないが変わってきた。思えばこの直後にわたしは東工大教授の辞令を受け、学生諸君に夥しく も難儀な問いをかけつづけ答えを書かせ続けたのだった。
 最近になってわたしは学生諸君に強いた問いの一つ一つに「秦教授(はたサン)」として答えないのは卑怯な気がして、長い時間書けて全問に答えてみた。 「死なれて 死なせて」とはくっきりと移り動いてきた思案が現れている。まったく変わっていない思いも色濃く残っている。さ、どう読まれるのやらと、すこ し緊張している。                   




* 

* 平成二十八年(2016)三月二十六日 土 

* 
床9:30 血 圧145-69(57) 血糖値86  体重67.6kg

* 朝一番の郵便で、第十巻を進呈した栃木・下野市の寺沼輝幸さんから十万円の送金があり、この機に既刊の「全巻取り揃え」たいとご希望があった。次回からも配本願うとも。直接製作費と送料とをご支援願えることになり、有り難いことです。荷造りしてお送りします。

 ☆ 境内の
 梅の花が散りはじめました。
 その後ご体調は如何かと心配いたします。ご自愛下さいませ。
 早速ながら、ご新著のご恵投、まことにうれしくありがたく頂戴いたしました。
 精力的な あまりにも精力的なご活動に敬服するばかりで、法務さえ十分に勤めえない身を悲しくさえ思います。
 ありがとうございました。幾重にも御礼申し上げます。 称名  上越市 
光明寺

* なんとしても本になるのが余りにも遅れたので、生母の親戚も知友もほとんど存命でなく、その子弟ですら高齢に過ぎて、直接わたしの母や祖父におよぶ関心は薄れているだろう。残念と言えば、残念。そういう方たちにすればうかと感想も出ないだろう。

* 連続ドラマ「あさがきた」が終幕に近づいている。すこし淋しい。「刑事フォイル」も次で最終回、これも淋しい。
 韓国の現代物は見ないと決めていたが、評判で韓流に火をつけた「冬のソナタ」を始めたので三四度観ていた。チェ・ジウの存在感のある魅力は、むかしにも遠目に感じていて写真を機械の何処かへ保存した記憶がある、すぐにはとても見つからないけれど。

* バイアットの「抱擁」上巻を、浴槽に落として往生したが、まあまあ読めるほどに肥大しながら乾いてくれておとなしく落ち着いて再度三度目を読み継いで いる。バルビュス「地獄」とはまるでちがう書き方で、素材の処理の仕方、追及の仕方ではこの「抱擁」のほうがわたしのそれに近縁していると思うが、「地 獄」の思想と文学的な魅力にもつよく惹かれている。「抱擁」からは小説表現の魅惑は感じるが思想からの刺戟は無い。「地獄」には、世界の人間の男女の神の 見方からつよい思想的刺戟を受けている。
 すぐれた文学には、真実の魅力が発光している。お手軽なこどもの作文なみのつくりものが世にはびこっているようだが、紙屑の山が出来るだけ。もったいないことだ。

 ☆ 選集落掌
 
秦恒平様
 失礼致します。過日、選集第十二巻確かに頂戴致しました。湖の本共々、落掌する度に身の縮む思いでございます。
 大学という場が、成果主義という尺度で測られるようになる前は、秦作品をほとんど精読していたファンの一人としては、四年後にひかえた自由な時間に「秦恒平」の文学とは何であったかを問い直してみる所存でございます。
 礼状を認めようと思いながら、遣われております身故の雑事に追われ、卒業式を終え、電子メールでの遅ればせながらのご挨拶になってしまいました。何卒お許し下さい。 山口大教授  芳
 追伸
 私1月7日より14日まで聖路加に入院しておりました。秦さんも重複して検査入院されていた由。奇遇でございました。 

 ☆ 秦 恒平様
 先ほど、宅急便にて『秦恒平選集』第1巻〜第9巻をいただきました。わざわざの梱包と発送ご手配、まことに痛み入りました。段ボールから一冊ずつ取り出してそれぞれの本の重さを感じ、私などは思い及ばない成立史がそれぞれにあったのだと思いを馳せております。
 再読が多いのですが、通して読んで、また新たな感銘を受けるでしょう。
 ありがとうございました。   国際基督教大学名誉教授  浩

*   下野市の寺沼さんへも既刊の十二巻を発送した。

* 大相撲十四日目、白鵬が初日一敗のぶざまを美事にはね返して優勝宣戦に競り勝って単独一位のまま、二敗の大関(稀勢乃里或いは豪栄道)を置き去りに明日四場所ぶりに優勝してくれそうな勢い。がっちり優勝して欲しい。
 初日の元横綱北の富士の解説、ことに今日の元横綱九重(千代の富士)の解説は、理に深く嵌って一々聴くに値する深みがあった。

* わたしは「小説」等の「創作」だけで五百頁平均の「選集」のほぼ二十巻ちかくを書いてきたと今にして確認できる。
 だが、わたしの仕事は「創作」だけでなかった。「創作」にも類するの何作かのエッセイふう「準創作」のほかに、純然とした論考、批評、評論、エッセイ、 講演録、対談・鼎談の類を「創作」分と変わらないほど大量に書きのこしまた本にもしてきた。まだ本にならずにいるその手の原稿がたくさん積まれてあり、 「創作」とそれら「エッセイ」とはわたしの文学のまさしく両翼を成している。それら「エッセイ」の中にはもわたしの少なくも「日本文化」と「日本史」と 「日本の思想・信仰」「日本の藝能」に広範囲に触れた考察や論証や見解や指摘が籠められてある。それらが「創作」を裏打ちもしていたし「表現」を鍛えもし てきた。
 「創作」だけの選集に終わるかも知れないと体調を覚悟してきたが、覚悟は覚悟として、わたしの「日本の理解」をわたしの日本語で表現できた内容も、及ぶ 限り「選集化」しておきたいと、いま、凡そは腹を括っている。わたしの「文学」は「創作」と「エッセイ=思想」が両翼を成している。出来れば二つの翼を羽 ばたかせて、終焉へ歩んで行きたい。それ自体が騒壇餘人・有即斎から「日本文学」への「批評」とも成れるようにと。
 いま、わたしは『死なれて 死なせて』を読み返している。

* 「刑事フォイル」の最終回をしみじみと観た。「コロンボ」だの「ポアロ」だのという薄いツクリモノとちがう。二次大戦時英国本土の窮地窮乏を背景に、 一警視正と一巡査部長と一女運転士とが、静かに、険しく、かつ優れて人間的・人格的な能力で織り上げる魅力の犯罪捜査ドラマじたいが切実な反戦劇でもあっ た。三人が三人ともまことに静かに有能なヒューマニストであった。切なくて辛くて情けなくとも、しみじみと心嬉しい劇の魅力をとともに「戦争」の過酷な虚 しさを力強く味わわせてくれた。残り惜しい。 

 

* 平成二十八年(2016)三月二十五日 金 

* 
床8:30 血 圧149-67(61) 血糖値85  体重67.2kg

* 「選集M」を、少し気にかかり、全部「要三校」で送り返した。

  ☆ 桜花の候
 お元気でしょうか。
 このたびは、御選集第十二巻『生きたかりしに』を御恵贈賜わり、有難く厚く御礼申上げます。
「正真正銘の『私小説』」を、昭和五十二年以来、三十年近くかけての感性への思いがどれほど強いか、御生母阿部鏡様の御歌に合せて、味読いたしたく存じます。
 奥様傘寿の祝いが満開の桜で飾られますよう。
 御自愛を。   徳  講談社役員 元出版部長

 ☆ 話したき
 夜は目をつむり呼びたまへ
     羽音ゆるく肩によらなむ
「選集第十二巻」嬉しく拝受しました。ありがとうございました。
 不順な気温です。どうぞご自愛くださいませ。   各務原  都  詩人
    
* 滋賀湖南市の小田敬美さん、日本近代文学館から、受領の挨拶があった。

* 妻の妹から、いつもに変わらぬ多大の支援をもらった。ありがとう、ありがとう。感謝しています。

* もうすぐバルビュスの「地獄」を読み終える。期待したよりも遙かにぬきんでて優れた作だった、作品もあった。そして理解もでき共感もできた。
 いままでに一度読み通して二度目を半ばまで読み読み煩っているのがぐれあむ・グリーンの「事件の核心」、これは表題の真意がつかみにくい。スコウビイと いう警察の副署長が自殺するのだが、カトリック信仰という問題、神の救いという問題が、人間の肉体や愛や道徳と衝突してくる。なかなか乗って行けなくて (一つには新潮文庫の活字があまりに小さいのだが)いっこう初読時の印象すら甦ってこない。伊藤整の飜訳も煮え切らない。熱心なカトリック信者のスコウビ イは妻のルイズと若い未亡人ヘレンとの三角関係に苦しみ、睡眠薬自殺するのだ、その「何故」が通じてきにくい。肉の愛と、人間への救いと規定されてある神 の愛との「対立」が書かれて、「神の救いがあるべき、あるにちがいない」と小説は進行して行くらしいが、よく、のみこめない。引きこまれて行かない。

* 用が出来てとなり棟の二階書斎へあがり、用を済ませてから書庫の本をさわっていてなかなか離れられなかった。一つには、わたしの全著作が一点につき複 数册書棚をぎっしり埋めていて、それはそれで少し眩しい気分なのだが、そのほかにもウエーと思うような佳い本がほこりをかぶってずいぶん押し込まれてあ る。新井白石全集だの基督教関係の参考書や聖書やミサ典書や聖歌書などが固まっていて、いまでもわたしの好奇心関心をひきつける。
 また文庫本専用の書架のまえに座り込むと際限なく手が出る。またひさしぶりに全二十一巻の「千夜一夜物語」が読みたくて堪らなくなる。もっと困るのは此処に在って欲しくて無い本をもたとえば「金瓶梅」なんて本の無いのが唐突に残念に思えたりする。
 こつち棟にくっついた鉄筋書庫へなど入ってしまうと、いっそそこで寝起きしたくなる。春になり、だんだん書庫の冷えが和らいで夏はいっそ快適になる。
 とにかく、心を鬼にして、良書ほど図書館へ揃えて寄付するようにしているが、重い本の荷作りが
とてもとても大変で。

* いまはわずかに残してある選集をこそ、思い切っていろんな施設や若い人手に分散しておきたいと思っている。ICUの「浩」先生のように希望してくださ ると、本当に心づよい。わたしの手元に置いておいてもむしろ意味の無いのが「秦 恒平選集」なのである。これまでに何人もの方から、全巻をぜひ手に入れたいと希望されてきた。創作は生き物、わたしの家の書庫にとじこめていては、可哀想 なのである。

 ☆ 感謝
  秦 恒平様
 選集1〜9巻を拙宅に宅急便でお出し下さった由。ご厚情に浴することに心からの感謝を申し上げます。
 ICU図書館にご寄贈いただけることも、感謝です。秦さんのご好意を喜びをもってお受けしましょう。 図書館では寄贈書の受け入れに当たっては選択して いますので、あらかじめ私が図書館長に話しをしておきます。秦さんのような立派な作者の立派な選集をいただけるのは光栄であると感謝されるでしょうが、ま ずは館長に話しを通しておきます。私は来週の月曜日に図書館に行く予定です。
送付先は次の通りです。
 そこで早速、私がいただく選集の「将来の行き先」を考えました。わが友人の一人、東北学院大学教授(言語文化学科)の下館和巳さんです。1955年、塩 釜生まれ。ICU卒(英文学)、ICU大学院終了(比較文化研究科)。大学院ではシェイクスピアと近松門左衛門とを比較しました。大学院時代より、英語に よる演劇指導で抜群の才能を示しました。現在までに、ケンブリッジ大学客員研究員、ロンドングローブ座ダイレクティングフェローを経験しています。シェイ クスピア劇の舞台を東北の地に移し、東北弁(仙台弁)で公演し続けてきました。シェイクスピア・カンパニーの主催者を続けています。下館さんは、いずれ か、すぐにか、秦さんの選集を言語文化研究科の図書室に寄贈することになるでしょう。     

* これまでに恒久的な研究・保管施設として、国会図書館や大学研究室、図書館、また文学館などへ三十箇所、受領されている。




* 平成二十八年(2016)三月二十四日 木 

* 
床7:30 血 圧129-54(57) 血糖値89  体重67.5kg

* 強烈な洟花粉。まいる。だが目の痒いよりはいい。目は、四種類の点眼でいくらか助かっている。点眼の嬉しくない広く見ての副作用は、目のふち が薬ヤケして赤らむこと。そういう目の縁の人をイヤだなと目を逸らせていた事もあったのに、あの人も目薬人であったのかと思い当たる。やれやれ。

* 息子が、秦建日子が、いま、三重県の桑名で映画を撮っている、そうだ。わたしは彼のツイッターもフェイスブックも全く読めない(完全な不具合)し、 ホームページも開けなくて、活動のさまはほとんど見えてこない。ず、今日、彼には母港であるような河出書房の小野寺社長から新刊の『KUHANA クハ ナ!』という小説仕立て一冊が送られてきた。東海地区限定で九月三日から劇場公開されるという。三重県書店商業組合推薦図書だとも帯にある。
 松本来夢・須藤理彩、それに多岐川裕美と風間トオルの名前が出ている。「アンフェア」原作者が描く、笑いと涙と音楽溢れる物語だそうで、「うちら、ジャ ズ部はじめました!」という「JAZZ×KIDS」の映画になるらしい。本はまだ一行も読んでないが、殺しモノでないらしいのは有り難く、以前の小説 「チェケラッチョ」や「SOKKI」の系列か。心朗らかによめるといいと期待している。

 ☆ 東大寺二月堂修二会(お水取り)も終わり
 お彼岸を迎え奈良もにわかに春めいてまいりました。                            さて過日は貴書「生きたかりしに」をお届けいただきありがとうございます。
 文中の田波良信氏は 小生の父岡谷実がモデルと思われます。 
 私は昭和18年生まれで当時のことはほとんど知りません。近くに私の次姉の中井総子(ふさこ)(昭和17年生まれ)が居りますので聞きましたところ 父 が存命中 秦様より連絡があり阿部さんのことを知ったようです。もとより小説ですのでアレンジされていると思いますが旧い奈良の地名など懐かしく読ませて いただいております。
 いまさらお役に立たないとは思いますが医療法人岡谷会創立40年・50年・60年に発刊いたしました冊子をお送りいたします。
 なお 岡谷実は平成10年3月14日満92歳で永眠いたしました。
 秦様のますますのご活躍をお祈りいたします
   平成28年3月22日  岡谷 鋼(こう) 現・理事長・院長

* 感謝申します。
 亡くなられていたお父上とは作中にあるように何度も文通を重ね、ほんとうにいろいろとお世話にもなり教えてもいただいた。せめて御霊前へも本を届け得たかと、母のためにも喜んでいる。

* 滋賀県草津市の方を介してロサンゼルスの池宮千代子さんから過分のご喜捨を戴いた。

 ☆ 2016年3月23日 秦恒平様
 ご健康の維持にご苦心しつつ、しかし体調を維持しておられる。その意志力に敬意を表します。立派な装幀と堅牢な箱の作りの美しい私家版、秦恒平選集第 12巻を先日、いただきました。今月に入ってすぐのことではなかったかと思います。いつもながらのご好意に何と申し上げてよいか分かりません。
 お礼の遅れを弁解いたしましょう。先月初めから今月中旬まで、私は牧師たちの研修会での連続講演、YMCA午餐会での講演、神学生交流会(諸神学校学生 代表者たちの合宿)での連続講演そのほかのための準備とレジュメ作りに追われました。その仕事を終えた時に、それを待っていたかのように、ある有能な政治 思想研究者から最新の著書『存在と秩序』が送られてきました。著書の
中の一章全体が旧約聖書「ヨブ記」を扱っており、岩波版の拙訳ヨブ記を使用して議論を組み立てています。しかしそこには拙訳への批評がかなり織り込まれて おりました。そのため私はそれに対する応答を至急にせざるを得なくなり、批評対象とされた部分については、難解なヨブ記原文の訳法を再検討し、その結果を 長文の書状にしたためました。それが5日前でした。その後すぐに、いただいておりました選集の第12巻をひもといたしだいです。
 未補筆の『生きたかりしに』は『湖の本』で以前に拝見しておりました。もちろん、巻末の阿部鏡『わが旅 大和路のうた(短歌抄)』の全体は初見でしたの で、一晩かけてのその味読から読み始めました。この方は非凡な歌詠みでしたね。もし凡作があるとすれば、それは秀作を引き立てるために収録されているので しょう。秦さんは歌集を手に取った時、あえて前夫との生活時代とその子らを思う歌は消去されていると、すぐにお気づきでした。その消去は当然でしょう。こ の歌人が「大和路」を生活の場として選んだこと自体が、在りし日にやむなく子らを手放した上で、そのことの償いの生とでも言えるような、病者、弱者を友と する人生を生き直すことの決意であったのですから。在りし日に手放した子らは幼時のままに心に止まり、その子らとの母子の睦みの夢想を消失させることはな かったでしょう。生活の現実に屈した無念が、罪責意識を伴いつつ、心理的には時の進行を止めているのだと思いました。

  水垢離に滴りたぎる水煙この垂乳根は子らを見捨てつ

  話したき夜は目をつむり呼びたまへ羽音ゆるく肩によらなむ

 母心に参りました。この方は秦さんの生母ですから、たとえば「ご母堂」、「ご生母」と敬称をつけて言及しなければなりません。しかしこの方は作品上の人 物となっていますから、以下の、一読者としての私が読み取った人間模様の提示では、「くに」と、お父上は「恒之」と呼ばせていただきます。お赦し下さい。
  
「くに」は彦根の宿で「恒之(ひさし)」の母恋の対象として自己を与えることを容認し、同時に一人の男の欲情を受け入れることを自らも女として欲した。そ の行為を通して彼女は自らも女として自覚し、初めて自律した女としての人生を選び取った。自らの意志で家族を構成した喜びを味わった。世間が何と思うか。 それはどうでもよかった。
 しかし「恒之」にはそれは成り行きでそうなっただけのことであった。構成した家族に自らの人生を賭けたわけではなかった。名望のある実家の面目があっ た。実家での自分の立場を危うくするわけにはいかなかった。「くに」は「恒之」の心中で次第に大きくなる困惑に直面した。彼女は一人の青年の前途を塞ぐ現 実に目を開き、離別の道を選ばざるを得なくなった。それを実行したものの、自己の意志で拓き始めた人生は、女一人の力では貢徹できない。その客観的な事態 を認めなければ、子どもたちを悲惨の淵に落としかねない。「くに」はその悲劇を予見し、その回避策を考えた。子らも自分も生きるためには、「恒之」の実家 に押しかけ、息子の不始末の責任を取ってくれと、押しつけるようにして子らを置き去りにした。その行動以外には、彼女に選択の余地はなかった。彼女はそれ が自分の責任を棚上げにした利己的な行動であることを十分に自覚していた。「見棄てつ」という歌の一句からその思いは読み取れる。
「くに」が自らの意志で選び取った人生は見事に挫折した。しかし、挫折とその後の人生の歩みは、わが子の名を呼ぶ狂女のごとき振る舞いを含めて、「くに」 が固執すべき唯一の人生であった。それは一人歩み抜かねばならない「大和路」であった。「くに」はわが子らの貰われ先を探り当てた。京の町での彼女の仕草 は、精一杯の生母の権利の主張であったがために、独善のにおいをも発散した。それを息子は鋭敏に察して、事情は分からないままに嫌悪した。しかしなりふり 構わぬ行動は、母としての「くに」の真実の生きざまだった。彼女は生母を名乗る権利を
得ることに失敗した。彼女は失意を埋め合わせるかのようにがむしゃらに働いた。弱者への献身は子らへの叶わぬ献身の代償でもあったろう。彼女は「いのち」に敏感になった。
 歌集「わが旅 大和路のうた」には、失意にまみれつつ、しかし他面では達観しつつ、おのが人生を歩む決意が溢れている。

 一読者としての私の読解は以上で終えます。以下は新版『生きたかりしに』を拝見しての私の感想です。
 美しい幸子姉さんに抱かれるご生母の顔には、気位の高さと尋常でない意志力をすでに宿しています。後年、この方が弱者の友として歩もうと努力されたことはうべなるか。
 (秦注 この箇所は写真に対する私の説明不足であったか。私の姉を抱いているのが「生母」である。)
 ご生母が最後の時期に、牧師の候補生たちにとりすましたクリスチャンとして振る舞わなかったことには好感が持てます。彼女がきれいな顔をして死ななかっ たことも、牧師候補生たちへの彼女の最後の教育であったように思われます。キリスト者にとって死に際をきれいに見せるなどということはどうでもよいことで す。イエスも十字架上できれいな顔をして死んではいません。

 十字架に流したまひし血しぶきの一滴を浴びて生きたかりしに

 実に含蓄がありあます。ベッドでよくぞこの一首を書き留めたものです。
「生きたかりしに」という一句だけに注目すれば、秦さんがご生母の「生きたかりし」生をご自分なりの仕方で展開なさった。秦さんは非凡なご生母の文学的な 才能を引き継がれた。この方以上の能力に恵まれた。秦さんはこの方から独立して育ち、何一つ秦さんは影響を受けなかったにもかかわらず、青(少)年時代か らの歌人であった。秦さんは「歌の別れ」を実行なさった後も歌に特別な思いを馳せる意味での歌人です。この方の歌集を校訂し、ご自分の大事な選集の別巻に (参考)と称して再び、ずっと重みをつけて世に問うた。歌人の生を引き継いだ。秦さんがご自身の生を展開することによって、この方の生の可能性を開花させ た。秦さんは「羽音を立てて」この方の肩に止まった。羽音やかましく
は、この方には似合わない。私家版として世間には密かに、「羽音を押さえつつ」ですが。それが、歌人たるを生業にしなかった方には似つかわしい。

 しろし召せ父なる山よ母湖よ巡礼が子が鈴の行方を
                                  
 母は『湖の本』を予告していましたね。子が振る鈴の音の行く先を。
 秦さんがこの方から受け継いだことについて、私はさまざまに思いを馳せますが、これ以上は記さないのがよいでしょう。余白を大事にします。

 かつて『生きたかりしに』を「湖の本」シリーズで拝見したときにも、これは私小説的素材を追いながら、秋成の生い立ちの探索という叙事的な営為を絡ませ て、私小説における感情の奔流を断ち切る異色の作品として、その手法に驚嘆しつつ受け止めておりました。この書物は登場する人々についての「批評」の展開 だということもできるでしょう。今回補筆して批評性を強めたと感じました。この巻は選集第12巻とは言いながら、その実「新作品」です。

 この優れた作品に触れて、私には願いが強くなりました。選集刊行の発表をぅかがったときには希望者には「差し上げる」という著者の姿勢にたじろぎ、申し 出そびれてしまいました。実は私が長年勤め、たまには日本文化に対する感受性豊かな学生たちをも育ててきた、ICUの図書館の棚にこの選集を並べたい。 もっとも開架書棚の日本文学の棚はすでに満杯でしょう。ICU図書館は開架式を目指したために他の図書館よりは広いスペースを誇っていますが、蔵書が増え た今は所蔵図書の三分の一ぐらいが開架書棚に並んでいるに過ぎません。いつの日か、この図書館に所蔵の選集が役立つことに期待します。そもそもこの見事な 本が図書館に存在していること自体が、すでに役割を果たします。
 そのためには選集の第1巻から第9巻までを戴けるものかどうかを恐る恐るお伺いしなければなりません。もし選集が全巻揃ったときには図書館に寄贈しま す。お手元にはすでに選集の保留分はないのでは、と推量いたします。しかし、思いがけないことが起こるやも知れず、失礼を顧みずに申し上げます。

 桜が咲き出し始めましたが、寒が戻るとか。
 どうぞご自愛なさって下さい。    浩  国際基督教大学名誉教授

*  感謝申し上げます。

* 神戸松蔭女子学院大学から、受領の挨拶があった。

* 沖縄の名嘉みゆきさん、四国の星合美弥子さん、世田谷区の鈴木定幸さんから、有り難い下付゛んの御助勢を戴きました。感謝。



* 平成二十八年(2016)三月二十三日 水 

* 
床8:00 血 圧136-66(63) 血糖値91  体重67.4kg

* 「湖の本130」創刊満三十年記念巻を「要全念校」で戻した。出来る限り遺漏のない刊行へこぎ着けたい。

* 花粉での嚔・洟に閉口、風邪ではないと思う。

 ☆ 櫻が
 少しずつ近づいているようです。
 先日、『生きたかりしに』が新潟(=実家)届きました。毎度のお心遣い、ありがとうございます。
 何度か訪れた浄瑠璃寺のあたりの気色を思い浮かべながら読んでいました。
 私も、両親やそれぞれの生家のルーツをたどってみたいと思っています。
 父方の祖父は上越の雪深い山裾の集落の出ですが、実は家内の祖父母も上越高田城の近くが出自です。(戦後、佐世保へ移ったのです!)不思議な縁を感じています。
 迪子さんともども、ご自愛ください。  理  奈良

* 薬師寺玄奘三蔵院伽藍と薄墨桜の絵葉書に。
 この青年の声を聞くたびにわたしは身の内の宿題、新潟も北の方を舞台にして書きたい書きたいと願っていた構想を思い出す。もくもくと思い出す。
 わたしは新潟市にいちどだけ「日曜美術館」の仕事で出掛けた。群馬の赤城山の上での「著者を囲む」読書会のあと、脚を延ばしたのだった、仕事は「土田麦僊」の繪と人を語ること。
 もうあのときもその小説への作者なりの期待は疼いていたのだが、願いの方面へまで脚は運べなくて東京へ帰った。
 「上越」という二字が便りに点綴されていて、恥ずかしながらわたしには的確に「上越」とはと地誌や風景風物が浮かんでこない。かろうじて近年「上越」の 光明寺さんと文通があるが、ご住職とも面識はない。わたしが久しく目を向けているのは新潟市より北よりの「村上市」辺で、たぶん「上」越ではないのだろ う、「上」は同じ越の国でも、より京都へ近い方面を謂うのだろうから。
 わたしは主として京都を書いてきた。丹波へも疎開し暮らしてきたし、近江や大和は想像の可能な範囲で、それ以外の異域、たとえばロシアの「冬祭り」も「最上徳内」の北海道も、茨城の「四度の瀧」へも、取材に脚が運べていた。

* また、古くて新しい願いが、ぶうと膨れてきた。が、はたして独りで勝手知らぬ・知れぬ秋田へも近い北越へなど出掛けられようか。

* 京都市中央図書館から、選集十二巻受領の挨拶があった。土日をはさんだ火曜、三連休後の水曜は郵便が少ない。

* 必要があって、『死なれて 死なせて』を読み返している。思えば『生きたかりしに』のこれは身代わりのように書き下ろされた或る叢書中の一冊で、わた しの本としては、ま、よく売れたらしい。反響も痛いまで深切であった。もうこれを書いた頃には「生きたかりしに」草稿もほぼ出来上がっていて、だが、だれ がこんなのを読んでくれよう、本にしてくれようと、我から棚上げにしたのだった。
 よく覚えている、この新刊が評判を呼んでいたまさにその時にわたしは東工大教授として授業を
はじめたのだった、学生諸君はわたしと出会うまえにいくらかこの新著の評判や内容を知ってくれていて、おかげでよほどトクをした。聴講の学生たちが教室へ殺到した。
 この本で生みの母や実の父にふれては、今からして事実上の間違いも含まれているが、それらはホンの些事に過ぎない。このほんこそはわたしのいわば「思想」書なのであった。人は「生まれ」そして「死なれて 死なせて」 「死んでいく」。
 いま読み返していて、あーあ、こんなところを通ってきたのだなあと嘆息もし、しかし、この先にはさらに嵯峨として嶮しい難路がわたしを待っていた。

* むかし、師表とうたわれている国文学の二人の教授と鼎談したことがある。話し終わったアトで、一人の先生がやおら取り出して見せてくださったのは、巻 物の秘畫であった、その手のものとしては格別に筆が優しく美しかったが、男女の交接をいろいろに描いた絵巻物の春画に相違なかった。もとよりその先生は 「文化・文物」の一端を興趣ゆたかに披露してくださったのである。
 どこかの文化資料施設から、むかし「えろ本全集」の広告が送られてきたことがある。フーン、こんなにもあるのかとかなり書目詳細を一覧にし露骨な交接画 もでかでかと印刷されていて、一資料としてその広告は保存されていたが、最近資料棚から現れたのを再見して、もう必要ないとシュレッダーで断裁した。その 種のモノへわたしなりに「分かったよ」という断案が出来ていたから、必要も失せて捨てた。
 露骨な春画など、見ていてなにも面白くなく、醜悪で目を背けたいだけ、と、思っているが、そこに描かれてある男女の行為じたいは、貴賎都鄙のわかちな く、洋の東西の別もなく、ほぼまったく同じだという当たり前の認識にわたしは立っている。皇族貴族は排泄すらしないという笑い話は子供の頃から耳にしてい て、だれもがそれを信じてなどいない事実だけが胸に畳まれ、ひいては性の容態・様態もまた同然と、それを本気で疑う人になど独りも出逢ったことがない。
 さればこそ、また、わたしは、その厳格な事実性を、愛とか恋とか性欲とかいう人間不可避の営為認識の当然の前提と見てきた。いかなる男女の愛や恋や交情を描くさいでも、その認識を捨てていたことは無い。
 アンリ・バルビュスの『地獄』は、露骨に謂えば終始隣室の男女の「覗き」であり、覗きと聴き耳とで、きわめて優れて悲愴な絶望の思想を、優れた文才で描 出している。それこそ、「四畳半襖の下張」めく男女交接をひしひし描いた本は、発禁のおそれをかいくぐって古来けっして少なくはなく、あの戦後となって 「えろ本」が解禁後は、相当に赤裸々にアクドイまで書かれてきたと思う、わたしはまだ少年だったので、実際には読んだことがないと正直に言いきれるが、裁 判になった「チャタレイ夫人」も、誰の作とも断定しきれないで流布した「四畳半襖の下張」も、荷風散人のその手の佳作も大人になってからはちゃんと目にし てきた。いやいや例の「襖の下張り」は、東工大に教授室を並べていた時になんとある日政治学の教授が、「こんなコピーを手に入れましたよも差し上げます よ」と手渡しに呉れたモノだった。むろん、読んだ。ホームページの「電子文藝館」にも入れて、但し転送はしないままに保存してある。
 
* わたしは仕掛かりの創作のためにも、字で書いたものよりも、写真による性の容態をコンピュータから意図的にかなり蒐集までもしてきた。女性の裸の写真 は美しく撮っているので美しいモノが多く、知名の女優さんでもけっこう裸の写真はひとに撮らせている。そしてそんなのは、わたしの創作にはほとんど何の役 にも立たない。わたしはいかなる美女といえども、静止して意図して美しく撮られた裸が美しいのは美術に類するのだからあたりまえ、あまり意味がないと思っ ている。そして、どんな美女でも素っ裸で動き回れば決してそんなに美しいわけがないと思っている。ミロのヴィーナスのように人は佇立して過ごせるわけがな い。乳房がたぷたぷしたり、腹が揺れて皺になったり、それは美しいよりは疎ましいモノのように思われる。男でも同じである。ダビデや考える人のように男は ただ立ったり座ったりはしていない。力士達がまわしを外した恰好で相撲を取ればどんなものか、言うまでもない。ほぼ見苦しいだけである。女性ならもっと見 苦しかろう。
 しかも、そんな見苦しいような裸形をからませての男女交接の容態は、人類という種の生存保存に避けるわけに行かなかった。皇帝と后妃であれ、浮浪の貧男 女であれ、すること、せざるを得ないことは、ま、同じである。「えろ本」全集の広告にでかでか出ていた春画のいろいろが、致命的なまでまったく変わり映え しない同じ図様・容態であったことを、苦笑いして思い出す。しかもそんな図を乗り越えての理想は、結局「ユニオ・ミスティカ」であろう、つまりは、それも 人間の営む不可避・不可欠の「文化」となっている。文化ならば、たとえ美しくなくどう見苦しくても、見捨てられはしない。

* わたしはわたしの「地獄」をなど書こうとはしていない。どんな作が語られるか、それはナイショだが、しかしバルビュスの「地獄」は、予期した以上に文 学としての美しさと哀れさとをよく備えていて、それを学ぶ・マネぶ気は無いけれど、いましもこの佳い作品を、そろそろ読み終えようとしている。それしかあ るまいという女の声が聞こえてくる。
 そういえば戦後直ぐのベストセラーでわたしの感化された二つ西洋人の著していたエッセイがあった。最近の病気で、とっさに書名が出てこない、が、あああの頃からいろんなこと思ってたんだとかすかに納得したりしている。
                                                                    

* 平成二十八年(2016)三月二十二日 火 

* 
床8:40 血 圧145-61(58) 血糖値86  体重68.0kg

  ☆ いつも
 素晴らしい御本をありがとうございます。
 奥様の御誕生日が四月五日と聞き及びました。
 少し早目となりますが、お召し上がりいただければと…。  久間十義  三島由紀夫賞作家

* 叶匠壽庵のすばらしい二段飾り箱入り和菓子を頂戴、感謝。

 ☆ 
おじいさま、おばあさま、聞いてください!
 私、子供ができました!
 さっき病院で診てもらい、分かったばかりです!
 妊娠初期段階なので、きちんと成長してくれるか不安ですが、嬉しくてついついお二人に連絡してしまいました。
 ちなみに、予定日は*月**日くらいだそうです。
 子供ができた嬉しさはありますが、母になる実感はもちろんまだなく、何に喜んでるのかよく分からない不思議な状態です。ふふふ。
 というわけで、ご報告でした!   やす香の一のお友達

* 萬歳! わがことのように、こころもち案じながら待望していた、良かった!! 
 さ、 たいせつに たいせつに、母子もろ、ともに元気に育ちますように。
 こんな嬉しいことを聴くとは! よろこびがうまく言葉にならないよ! 心からの最初のおめでとう
を言いますよ。そして わたしたちからも天上のやす香に伝えます、すぐ。嬉しいお知らせでした。ありがとう、ありがとう。

* いい仕事を わたしもしたくなった。頑張らなくちゃ。          
 

* シナリオ「懸想猿」正続を再校し終えた。この苦悶哀慟の根底の処女原作に触れない「秦 恒平論」はありえないだろう。わたしはまだ三十歳に間があった。シナリオになど何の関心も野心もなかった、書き方もしらず、雑誌「しんりお」の見よう見まねだった。
 だが半世紀の余も経て読み直して、当時の松竹専務城戸四郎さんや批評家の岸松雄さんが正編続編ともに八十点を下さってともども、むしろ「小説をお書きな さい」と慫慂されたかなり重い意味が今になって合点できる。これを読まされた勤務で同席の人が「こわかった、魘された」と吐き出した声音までが思い出され る。わたしは「地獄」を胸に抱いていた。『生きたかりしに』をとうどう仕上げて選集に収め得た今こそ、この『懸想猿」の凄みが胸に蘇る。「もらひ子」そし て戦時疎開の山村暮らし。肺腑にしみわたった「身の程」の激情。

 ☆ 前略
 『生きたかりしに』 立派なご本をお送り下さいまして ありがとうございました。
 今はもう人手に渡ってしまいました懐かしい のと川の家(=秦の生母三姉妹らの本家)の事など
書いてありますので 思はず 時を忘れて読ませて頂きました。
 私は今年十二月八日 満九十五歳になります。一生懸命計算して自分ながらびっくりしてます。目も見えなくなりました。今は息子夫婦に見守れながら 世話になりながら 猫二匹と一人暮しをして居ります。
 話しは変りますが、
 ご本開けたところ、おふく(=秦生母の本名、作では、秦と兄恒彦以外の全部の氏名が変えてある。)おばさんやおじいさんのお写真 とても懐かしく思いました。 恒平さんとははじめてお逢ひしたような気がします。
 叔母さんによく似ていらっしゃいますね 叔母さんも よい息子さんをおもちでお幸せだったのだなー、と えらそうに 思いました。
 どうぞこれからもお元気で 益々よいお仕事をされますようお祈り申し上げて居ります。私はなるべく皆に世話をかけず暮す事で せ一ぱいです。ご想像下さいませ。
 呉々 御身ご大切に祈ります。
 先づは御禮まで   愛知・津島  富永 豊  従姉・生母の姪

  ☆ 秦 恒平様
 『生きたかりしに』、ありがとうございました。はてさて、どうしてわたしに、と思案していたところ、清水の姉(奥村優美子)から電話あり、父・矢澤三郎がいつかどこかで貴方様とかかわりのあった縁で送ってくださったと知りました。
 ご著書を開くと「水口」という地名。父と貴方様との接点があるとすれば、水口ではないかと思って、その前後を拾い読みしました。
 父・三郎は静岡の「矢澤漆器店」の三男ですが、父の父(わたしにとっては祖父)・小嶋紀四郎の実家が水口の小嶋家でした。紀四郎が矢澤漆器店に奉公に来て、そのまま婿養子(六代矢澤久右衛門)になったという次第です。
 一九九七年、叔父・叔母・従兄弟たちと水口の小嶋家を訪ねたことがあります。
   小嶋米子 滋賀県水口町元町9の8
 小嶋家は脇本陣で、となりに本陣があり、「明治天皇行在所跡」の石碑がありました。
 小嶋家は「大本教」 (現在は「大本」) の信者で、その影響で父・三郎も熱心な大本教信者でした。
 でも、ご著書では、お母様がキリスト教信者であったとは書かれていますが、大本教とのかかわりは出てきません。父・三郎と秦様がどのようなかかわりがあったのか、知りたくなりました。  .

 お母様の残された短歌を読んで、その鮮烈な生涯に胸が締め付けられます。
    二〇一六年三月二〇日     矢沢国光  埼玉・川口 矢沢国光

* 能登川へ養子で入った私の祖父(生母ら三姉妹の父)は、かなりの確度で、水口宿本陣の娘と参勤交代で往来のあったさる九州大名との中に生まれたといわ れていることは『生きたかりしに』でも触れている。その祖父生母はのちに静岡の矢澤家へ再嫁したかと、水口宿脇本陣の小嶋家で聞いていた。すべては往時渺 茫、ではあるが、かつて訪れていろいろ話を伺った静岡市に現存の矢家さん三軒等へも当然、今回の本をお送りした。川口とは近い。一度お目に掛かりたい。

 ☆ 秦恒平様
 お変わりございませんか? 私はお蔭様で元気、毎日会社へ出勤しあくせくと働いております。
 御著 確かに拝受致しました。 ご厚志は大変有難いのですが、昨年五月のお手紙にも書きました通り、私は文学には お恥ずかしい事ですが全く無知無能で、また関心も御座いません。 その為、せっかく立派な御著を頂いても、文字通りの「猫に小判」です。
 最初のご本は少し拝読致しましたが、悲しいことに何のことやらさっぱり解からずで、2回目以後の分に就いてはチャレンジする意欲も時間も無いため、そのまま保管しております。
 この様な次第ですので、今後は私への御著のご恵贈はなさいませぬ様お願い申し上げます。 実は、この様な不躾なことを申し上げ、お気を悪くされないかと  とても心配なのですが、折角頂いたご本を読まずに積んでおくのも甚だ心苦しく、不躾とは思いながらもこの様なお願いを申し上げる訳でございます。
 なお、お尋ねの(三重県津市の=)油田夫妻ですが、もうだいぶ前に二人とも癌で亡くなりました。
 ご健勝をお祈り鼓します。 草々  千葉・市川市  田中稲蔵  生母次姉の孫か

* 生母の親戚筋から、四人の方の手紙をもらえて、ほおっと息をついている。何にしても母に直にかかわったお人は、ほとんどが亡くなられている。「いとこ」といえどわたしより遙かにみな年長、その子弟となると所縁は薄れている。せめて十五年早く作を纏めておけばよかった。

 ☆ お手紙さしあげます
 いつも御「選集」「湖の本」お恵みいただきながら 御礼も申し上げませずお赦し下さい このたびはまた第十二巻をいただきました。昨年の「湖の本」以来再読いたし 秦文学の根底(幹)をなす作品であることをあらためて認識いたしました。
 御母上「阿部鏡(=生母の筆名)様の「短歌抄」いくつかは本文中で目にしておりましたが 息を呑むような思いで再読三読いたしました。巻頭の御遺影もお作を読みつつの想像をうらぎらぬ美しさです。当然のことながらやはり面ざしは作家ご自身に似ておられます。
 また今回御姉上「幸子(=本名は千代)」様のお手紙も重ねて拝読、強い印象を受けました。文字どおり丈高きお姉さまを持たれたこと 羨しく存じます。
 「秋成」も生かされていると読みました。
 「私小説」とはいえ作品によるこのような結着のつけ方もあるのだと知らされました。
 乱文をおゆるし下さい。 
 どうぞお健やかに  不一   東郷克美  早稲田大学名誉教授 近代文学

 ☆ 拝啓
 ご無沙汰致しておりますが先生にはお変りなくお過しでございましょうか やっとのことで陽射しにも春を感じるようになりました。
 過日は『秦 恒平選集』第十二巻をご恵送賜り乍ら御礼が遅延致してしまい申し訳なく存じます。
 立ち止まり立ち止まりしながら拝読させていただきました。「湖の本」上中下で拝読した折の戸惑いを、この度も味わいながらの拝読でした。少しぺいじを 繰っては、最初のお写真「生母と姉」を拝見して、また頁にもどり、頁を繰っていくことのくり返しでした。お写真を拝見しては、何か心を静かにして――何か 心を静かにさせていただくものがありました。
 「牧師」が「参列者が、まるで他人のように口をきかないんです。(略)葬儀らしいといえばそれだけでした」というお話、「母権」の「主張」というお話、などなど、一つひとつが心をつよくうってきました。
 むしろご本のなかの言葉の一つひとつが、と申しあげるべきかと思います。お写真を拝見しながらこの方の生涯が、このご本のなかにあって、歌碑とは別に生 き続けていくのだと思うことで、心の動揺を鎮めることが出来るような気がしておりました ここに紙碑があると思うことで、お写真の方の生涯を受けとめよう と思っていたのかもしれません。
 少し時間をおいて再度、拝読させていただこうと思っております。 生きるということ、生きてきたと言うこと、生きようと思っていたことなど、もっと考えてみたい気持です。
 「遺書」とされた歌の「羽音ゆるく肩によらなむ」が深く心にかかっています。お写真から受ける印象と重なっています。
 ありがとうございました。
   御礼まで  敬具   馬渡憲三郎  前・藝術至上主義文藝学会会長

 ☆ 前略 ご免下さいませ
 梅の花がおわり 今はサクランボの花が満開です 今年はどれぐらい実を付けてくれることやら 楽しみにしています (小さな小さな み ですが。)
 重ねてご本を頂戴しまして恐縮しております 有難うございました。
 「生きたかりしに」は上中下巻と ひといきに読ませていただきました。
 資料つくりは大変な仕事だったろうと…絡みにからまった糸に少し光があたっただけでもよかったとおもいながら読んでいきました。
 いちばん読んでほしいのは お母様に と思いました とどけられるなら天国へ届けたい、そんなおもいがいたしました。
 戴きましたご本は 今度は一ページづつゆっくりと読ましてもらいます。
 ありがとう ございました。 かしこ  京・有栖川  

 ☆ やっと
 サンシュユの黄色い花が咲きはじめた近江の遅い春です。
 御著書有難う存じます。
 それにしても 美事なものと感服しきりです。
 どうかお大切に。   五個荘  川島民親  作家

* 毎々の手厚いご助勢 感謝申します。


* 平成二十八年(2016)三月二十一日 月 

* 
床8:00 血 圧135-63(55) 血糖値90  体重68.3kg

* 「水滸伝」では、運命に導かれたように梁山泊に集結した大勢の豪傑たちの豪傑ぶりをさまざまに語る講釈本。
 とにかく彼らは、よく大酒を呑み、よく肉を食い飯を食う。槍棒など武闘の至芸そして怪力、強靱、知略。酒量の程は言語を絶し、牛を馬を羊を鶏をたちどこ ろに、かつ何日もつづけて喰いつづけ、それのみか、憎い敵の体躯を割って五臓六腑を平気で喰い飽きない。人を、老若男女をとわず、平然と殺し、首を切る。 殺伐かつまことにからっと乾燥した感性で、銘々の卓越した技倆をつくして結束した梁山泊体制を守り抜く。豪傑達にははっきりした席次があり、しかも共同生 活の団結はゆるがず、ひとりひとりが堅い役目とともに家族と大勢の手下を抱えて広大な梁山泊世界を堅固に確保している。殆どが当然のように男の豪傑だが、 稀に飛び抜けて強くて美しくも現代日本語への
憎しみほどの気持ちを中和したい気はある、リクツにならないもの言いだが。
 ときに手厳しく教えられる詩句にも出逢う。

 朝(あした)に楞伽経(れうがけう)を看(よ)み 
 暮(ゆふべ)に華厳の呪を念(とな)ふ
 瓜を種(う)ふれば還(ま)た瓜を得(え)
 豆を種うれば還た豆を得(う)
 経と呪とは本(も)と慈悲なるも
 冤(うら)みの結ぼれしは如何にして救はん
 本来の心を照見すれば
 方便多く竟究(けうきう)す
 心地(しんち)若(も)し私無ければ
 何ぞ天佑を求むるを得ん
 地獄と天堂とは
 作(な)せる者の還(ま)た自(み)づから受くるなり

 末四句、ずばッと言い得ている。
 けたたましいほどの講釈のなかに、時にかかる鞭撻に出逢うのがありがたくて、長編に飽きない。あの南総里見八犬伝にはかかる清冽の詩気に触れることが無かった。

 古(いにしへ)の賢しきひとの遺せる訓へは太(はなは)だ叮嚀(ねんごろ)なり
 気(はらだち)と酒と財(かね)と花(いろ)とに情(こころ)を縦(ほしいまま)にすること少(な)かれと
 李白の江(こう)に沈みし真ことに鑑識(かがみ)なり
 緑珠の主を累(わづ)らはせしは更に分明(あきらか)なり
 銅山と蜀道とは人何(いづ)くにか在る
 帝を争ひ王を図りしも客(ひと)已(すで)に傾けり
 寄語す 縉紳よ 須(すべ)からく領(し)り悟るべし
 四大(ひとの身)を教(し)て日び営営(あくせく)せしむるを休(や)めよ

  ☆ 岡山にて
 
hatakさん  『秦 恒平選集 第12巻』「生きたかりしに」お送り頂きありがとうございました。五百頁の重さを手取りに感じ 巻頭の写真に胸が熱くなりました。
 学会のため、昨日から岡山入りしています。
 昨日は風が強くやや肌寒い一日でしたが、後楽園を散策してきました。梅は散り桜にはまだ早く、後楽園の芝もまだ冬枯れ色をしていましたが、天気の良い日に雪のない乾いた道を歩けるのが嬉しく、橋を渡って岡山城にも足を伸ばしました。
 宿に戻る途中で目に留まった備前藩主池田侯お好みの大手饅頭と、岡山の蔵元の大吟醸原酒をお送りしました。酒屋店主の熱心に勧めるところによれば、備前 の酒米「雄町米」で仕込んだこの酒は山田錦の酒より芳醇な味わいになるのだそうです。明日明後日中に届く予定ですので、ご賞味ください。
 来週から新年度でまた忙しくなりそうですので、しばし岡山の城下の落ち着いた雰囲気を楽しんで帰りたいと思います。Hatakさんもどうぞお大事にお過ごし下さい。  maokat

* 研究に専念の日々から管理職へ転じ、家庭も持たれ、大学への出講もあるのではないか、お忙しいことと思う。茶の湯のほうへも親しんでられるかな。一時は小説も書いてられたが。忙中の閑雅、大切にされていることと思う。

* 吉備の名酒雄町米を磨き抜いた極大吟醸「室町時代」一升が、いま、到来。ありがとう、maokat
さん。

 ☆ このたびは
 貴重な御本をありがとうございました。大切に読ませていただきます。
 私も来年の春で定年退職となります。ラスト一年の会社生活を楽しく過ごしたいと思っています。退職後の暮らしも今からワクワクしています。
 やっと春らしい陽気になってまいりました。櫻もそろそろでしょうか。
 季節の変わり目 くれぐれもご自愛下さいませ。
 お口に合いますかどうか 
 またお送りしても良いのかすこし迷いましたが ご笑納下さい。  

* まだ幼かった少年と母子で四国から転勤上京、もう少年も社会人ではあるまいか。創刊の昔からの久しい読者。土佐文旦とはんなりしたお煎餅を戴いた。感謝。

* バルビュスでもサドでも、呼応してでもあるまいが「美徳」の名でひろく信仰された「神」なるものを批判し排斥している。サドが違法ものの『ジュスチー ヌ』では神を自然の名で否定していたが、バルビュスの『地獄』では「自然」をすらもおしのけて「ぼく=自分」を世界の真ん中へ立たせようとしている。
「神は神秘と希望とに対する出来合いの返事にしかすぎず、神の実在には、神をもちたいというわれわれの願い以外に、何の理由もない。」「ぼくは形而上学の 言うことに耳をかたむける。形而上学は科学ではない。藝術と同じく真実の真理にむすびついているから、むしろ藝術に似ている。というのも、絵画が力づよ く、詩が美しいのは、真理によるからだ。」「次のような圧倒的な真理をぼくは聴いている――人は世界に関して抱く観念を否定することができない。しかし、 人が世界についてもつ観念のほかに世界が存在することを確認することもできない、と。」「<我考う、故に我あり>を言ったあとで、あの哲学者(=デカル ト)は推理に推理を重ねて、思考する主体のほかになにか実在するものがあると結論しようとして、次第に確実性から逸脱していった。」「われわれのまえに見 えていると思われる自然は、それを見ていると信ずるわれわれの存在だけしか証明しない。」「世界の無限と永遠とはいずれも偽りの神である。」「宇宙にあの 法外な特質を与えたのは、ぼくなのだ。」「真の聖書」とも謂うべきは「カントの純粋理性批判」であって、「社会を高尚な線にそってみちびくために言われた イエス・キリストの言葉も、これにくらべたら、表面的で功利的に見える。」
 そして『地獄』の「ぼく」は言いきる、「すべてはぼくのうちにこそある」のだと。世界の芯に「ぼく」をおくのだ、神も自然も「絶対」に信じられない、と。
 バルビュスが、この線路上を歩いて行くのか、世界観を変えて行くのか、わたしはまだ『砲火」と『クラルテ』を読んでいない。

* 花粉のせいか、この寒む気とクシャミの連発は。夜来の風邪ぎみなのか。


* 平成二十八年(2016)三月二十日 日 

* 
床7:30 血 圧129-60(60) 血糖値96  体重67.2kg

*  散髪屋の鏡に白髪蓬々 白髯蓬々 のひどい面相、おどろいた。一時間で見違えるほどサッパリした。よしよし。久し振りに、街か、郊外かへ出掛けたくなった。

 ☆ 寒暖定らぬ時節ですが
 お変わりございませんか このたびは貴重な私家版『秦 恒平選集 第十二巻』をご恵贈賜わり厚くお礼申し上げます。たしかに拝受いたしましたむ。ありがたく頂戴いたします。
 お心のこもった「正真正銘の私小説」の新稿を、「疲労の底で深呼吸」して書き下ろされた想い 深く受けとめ愛読させて頂きます。
 心ばかりの御礼のしるしですので、なにとぞご笑納くださいますようお願いいたします。
 なお、ご夫妻が敬虔なクリスチャンでおられるとぞんじますが、ご夫妻のご平安とご健康を祈って 石切神社のお百度を踏んで参りました。
 ご迷惑と存じますが「お守り」を同封いたしますので 
 よろしくお納め戴ければ幸に存じます。  京・山科  馬場俊明  詩人

* 一保堂の最上のお茶をたっぷり頂戴し、歓声を。有難う存じます。石切さんのお守りとお札と、わたくしはこういうのもいつも大切に身に添えている方で す、お百度まで踏んで下さり、心より感謝し、日々だいじに過ごして参ります。わたくしどもは基督者でも佛徒でもはありませんが、イエスにもブッダにも真摯 に敬愛を抱いています。いわゆる「信仰」という「美徳」の持ち主ではありません。

* バッハの協奏曲をグールドのピアノで聴き、いまはチェロの独奏で聴いている。悠然でも茫然でもなく、目疲れを、うたたね半分にやすめている。とにか く、私の仕事の大半どころかほぼ全てが「読む」行為を伴う。それも「機械」画面でか「書物」「校正紙」にほぼ尽くされる。機械は照り、本やゲラの字は小さ い。
 しかしわたしの「機械」には、文字どおりもの凄いほどの量の原稿や資料が入っていて、そのほかに音楽と写真がたくさん入れてある。写真は目疲れには効用 がうすいが、音楽は大いに助かる。声楽も器楽もたっぷり。それも気恥ずかしいほど選りすぐってある。男声ならパパロッティ、女声ならマリア・カラスといっ た按配。グノーの歌劇「ファウスト」、それに選曲した「ひばり」、倍賞千恵子や小鳩くるみの唱歌。そうそう謡曲も平家琵琶も入れてある。ききながら寝入れ るならそれも有り難い。やすみやすみ、仕事。それに限る。

* 吉備の有元さんから美味しい「鮒寿し」を頂戴した。早速、「越乃寒梅」の肴に戴いた、美味い。いつもいつも有難う存じます。


* 平成二十八年(2016)三月十九日 土 

* 
床9:30 血 圧123-60(62) 血糖値109  体重67.0kg

*  山中共古の『砂払』ほど面白くて有益な時間つぶしはない。江戸末期の江戸の風習やもの言いやしきたりやえり好みが具体的な片言隻句によって即座に知れる。 知ってどうするわけでないが、歌舞伎の舞台などでヒョイと出くわすことがあると、にやりとなる。中野三敏さんの校訂本、巻末の書名、人名索引、事項索引が まことに詳細かつ親切で嬉しくなる。
 好き勝手に拾い読んでいるうち機械が働き始める。イライラと慌てると機械が暴走して手に負えなくなる。じっと待つがよろしい。

* 土曜の朝には連ドラマ「あさ」の一週間ぶんを何となく観てしまう。見せるちからを持っている。一代うえは、みんな亡くなった。そのことの重みを思う。

* 「選集N」を、箱表紙や總扉添え、要再校で戻した。

 ☆ 秦 恒平選集 第12巻
 ありがとうございました。大事にいたします。
 「生きたかりしに」 あの感動 驚きの想いにまた浸りたい。また、ページをめくります。
 新たな、読む歓びの高まりが静かなうちにほとばしりそうです。
 お体に気をつけられ、更なるご活動を祈っています。  四国今治  木村年孝 元図書館長

* ご療養中の阪大名誉教授島津忠夫先生のお葉書も戴いた。国立国会図書館からも受領の挨拶があった
 愛知知多の久米則夫さん、岩手花巻の照井良彦さんから、有り難いご助勢も戴いた。深く感謝。

* 「湖の本129」納品が四月七日ときまり、二十日近く間が出来、創作仕事のためにも、発送用意にも、休息にも、ありがたい。四月五日の妻傘壽と歌舞伎 座四月興行まで、気分的にゆっくりできる。暖かくもなってきたし花も早く咲くという、少し浮かれてみたい気も湧いてくる。目が良く見えてくれたら言うこと ないのだが。
 歯医者さんへ行かなくちゃ。

* 元朝日新聞社で「湖の本」創刊時の恩人である伊藤壮さんから、名酒「越乃寒梅」を二升送って下さった。四月、いっしょに楽しく祝ってくれる酒の友が欲しくなるなあ。

 ☆ 


* 平成二十八年(2016)三月十八日 金 

* 
床8:00 血 圧135-88(57) 血糖値99  体重67.0kg

*  保育園・保育士の致命的な不足・不遇、介護施設・介護士の致命的な不足・不遇。貧困の国家的な瀰漫と進行。税金の目に余る無駄遣い。政権・与党の傲慢と怠慢。利権に狂奔の独占企業。実質賃金の低迷・低下。衆愚化政策の浸透と青少年大半の痴呆度拡大。
 新聞もテレビも口を揃えながら、しかも上記の国家的国民的現象をむしろ助長・助勢している。
  余命は無いのだ、そんなこと考えるなと内心の呟きを聴きながら、情けない。                                                                                              
 ☆ 冠省
 第十二巻「生きたかりしに」 ご恵贈いただき拝受いたしました。ありがとうございました。
 姉上、兄上、それに縁者の方々をたずねてのお話しにも深い感銘を受けました。せめて一度でも母上とゆっくりお話しができていればと強く思いました。
 「わが旅 大和路のうた」 この本のことを識った当時 詩歌専門店なども随分さがしましたが入手できませんでした。この度 この優しい歌をまず最初に読ませていただきました。
    話したき夜は目をつむり呼びたまへ羽音ゆるく肩によらなむ   
 お風邪とのこと、先生も奥様も どうぞお大切になさってください。  紀ノ川氏  宅
  些少 同封致しました。お納めください。

* お心入れ 感謝します。

* 「湖の本」129巻 四月七日に納本ときまる。ほおっと一息つける。

 ☆ 前略
 先日は 秦 恒平選集の 私家蔵本 第十二巻をご恵贈賜わりまして 誠に有難うございました。
 本巻「生きたかりしに」も大長編で、すぐに読み通すことはできませんが、 生母への想い 切なるものがあり、胸を打ちました。
 また、 この長編の末尾に収録されました 短歌抄は まことに感動的で、すべて拝誦致しました。
 御生母の歌境の痛々しさ、孤独、悲しさなどに 作品を越えて 感動致しました。この歌は 半世紀ほども前に 『わが旅 大和路のうた』として刊行されて いた由ですが、 今、読んでも古びれておらず、 秦さんの手が若干入っている由ですが、それは、いっそう輝やきを強めたものと思われます。
 これまで、各巻五百頁余の労作を 次々と刊行されてきましたのに、次回、第十三巻もすでに用意された趣き、ただ ただ 驚嘆するばかりです。
 旧臘 傘寿を迎えられた由の御身、どうぞ過労におちいらぬよう、くれぐれもご自愛のほど、切に祈ります。 敬白    色川大吉  歴史思想家・東京経済大学名誉教授

* ありがとうございます。

 ☆ 第十二巻
 いつもよりずっしりと重く、受け取りました。内容のせいもあるかも知れません。
 「湖の本」では、上、中、下と息をのむ思いで読みました。あれから一年ほど、まだそのほとぼりが残っています。
 その時から気になっていたのは、挿入の短歌です。短歌をちゃんと読む力は私にはありませんが何か心にひびくものがありました。
 第十二巻で、秦さんがあえて「阿部鏡短歌抄」をつけ加えなさった思いを推しはかっています。
 短歌を通して読んでみますと、それらはすべて「恒平」にむけて詠まれたもののようにも感じます。
 冒頭のお写真、やはり面影に通じるものが感じとられます。

 先頃、ちょっと私の身辺に異変がおこりました。北海道江別在住の山崎という方から、中谷治宇二郎たちが、小松中学時代に出していた文藝同人誌「跫音」Uを発見したという電話がありました。これは、
治宇二郎の娘法安桂子さんに、父の作品集の手伝いを依頼された時から探し続けていたものです。それから四半世紀経ちます。
 この『跫音』Uには、芥川龍之介が随筆「一人の無名作家」としてとりあげた
治宇二郎(筆名杜美)の「独創者の喜び」という作品が載っています。兄の宇吉郎にもそのことについて書いた同盟の随筆がありますが、誌名や題名は記されていません。芥川龍之介全集の注解でもそれは「未詳」(当時)となっています。
 平成五年に法安さんが、父の遺稿をまとめて『考古学研究の道』を出され、小説も収載されていましたので、その後、探すのをやめておりました。
 私の案内で、北国新聞がとりあげてくれました。そちらの方が要領よくまとめていますので、コピーを同封しました。発想のもとに「平家物語」がかかわっていますので、よけいなことを追記しました。
 お体お大切に。奥様お大事に。 三月十六日  井口哲郎  元石川近代文学館館長

* 井口さんの日々にこういう嬉しい異変の訪れていたのを、よそ事とは覚えず嬉しいと思う。井口さんは旧制小松中から起ち上がった小松高校の校長先生もされ、声をかけて戴いて講演に出向いた楽しかった懐かしい思い出もある。
 ここにいわれている
芥川が文才を称讃した旧制中学生中谷治宇二郎(杜美)の短篇小説を刺戟した素材は、平家物語の一節「甍破霧焼不断香 枢落月挑常住灯」(「甍破れては霧不断の香を焼き 枢落ちては月常住の灯を挑ぐ」)であって、この句の成立と解釈をめぐる12頁3部構成の物語であったと「北国新聞」記事は伝えている。。
 井口さん、中学高校から平家物語とその成立に惹かれていつか「資時出家」「初校・雲居寺跡」「清経入水」「風の奏で」などを書いていった私を想ってくだ さってこの好異変を報せて下さったのだと思う。往年の少年作家にふと「身内」の縁を感じもして、しみじみとしている。有難うございました。

* 色川先生といい井口さんといい、嬉しくも有難い知己と、心温かに頭を垂れている。

 ☆ 拝啓
 御高著「生きたかりしに」に限定版のご上梓、まことにおめでとうございます。
 記念すべき豪華本を 私にまでご恵送にあずかり、きょうしゅくしております。と同時に心より御礼申し上げます。
 お祝いの気持ちとして、
 山形県庄内町余目の「やまと櫻 大吟醸」を一本、蔵元に送っていただくよう頼みました。どうぞ祝杯をあげてくださいますようお願い申し上げます。
 ありがたく拝読させていただきます・ 敬具    文化出版局役員
 
* 便箋に「大吉」の朱印、そして聞こえた名酒も到来、有り難く、四月五日、妻も傘寿を迎えます日にしみじみ頂戴します。妻の力添え(
長編の電子化)がなければ「生きたかりしに」は到底生き得なかった。

 ☆ 前略
 『秦 恒平選集』をつづけて頂戴し、誠に有難うございました。矢つぎばやの刊行を維持されるパワーに圧倒されています。
 第11・12巻ではご親族の写真を巻頭に配された「私小説」を読ませていただきました。お母上とよく似ていらっしゃいますね。「古い良い時代の<同志 社>を直感した」など、ところどころで出てくる「同志社」に立ち止まります。まもなく奥様もごいっしょに傘寿を迎えられるとのこと、おめでとうございま す。 草々   田中励儀   同志社大学教授

* 京都御所御常御殿南庭に薫る白梅の写真が懐かしい。妻と手をたずさえ京都を、同志社をはなれて東京に新居の直前に、御所の白梅を二人してしみじみ眺めてきた日を思い出す。

 ☆ いつもより
 春の訪れが早い今年は、一月に降らなかった分、よく雨が降ります。裏庭のレモンや柚子、蜜柑の木々の手入れ、施肥など素人の私が手間のかかる仕事ですが、雨ではお手上げです。ほどほどを願っております。
 ご自愛くださいませ。  静岡 駿河区  鳥井きよみ  

 ☆ 選集十二巻拝受致しました。
 読むのが追いつかず、恐縮なのですが、
 お送りいただくたびに、身がひきしまります。 江東区  藤原龍一郎  歌人

* 鳥井さん、藤原さん、刊行のつど有り難いご助勢をたまわり、心より御礼申します。
 立命館大学図書館、また京・河原町の「ひさご寿し」からも受領の挨拶があった。

* 喜多流宗家十六世喜多六平太(喜多長世)さんが九十一歳で亡くなられた。
 もう永くあまりに永く、流儀の何かの事情あって、宗家長世さんの能を舞台で観ることが出来なかった。惜しくも口惜しくもあった。職分会がここ久しく喜多 流を支えて立派に充実していたが、やはり、宗家の演能が観られないのは異様であった。心穏やかに「天寿を全うし」ての逝去であったか、哀悼の思いには事情 など何も識らないままの痛みがある。先代喜多実さん、兄の後藤得三さん、次男の喜多節世さん夫妻、みな亡くなり、いままた世嗣六平太も。東京へ出て来て、 能といえば久しく私には喜多流しかなかった。数々の名手が、みんな亡くなり、友枝昭世らその次世代職分がしっかりと喜多の舞台を守り抜いていて頼もしい、 だが、せめてもう一度長世さんのふうわりとした能を観ておきたかった。

* 長編を二つ、初校し終えた。

* 昼間に観た「NCIS」が一編として快調てかつ面白く、おもしろさに感心した。「刑事フォイル」は滋味ふかく静かにしかもムダなく展開して感心させるし、「NCIS」にもムダがなく、しかも佳い科白でメリハリもよく面白く緊迫にも富んで堪能させる。
 どうして、こういう制作の妙を日本のドラマ作家は学ばないのか、もっと謙遜にしかも貪欲に盗めばよかろうに。いかにもトロクて日本のテレビ劇の九割九分がつまらない。

* 晩には作曲の古賀政男特輯を仕事しながら聴いていたが、ひばりの「悲しい酒」が歌唱の藝として飛び抜けているほかは、古くさくて、アホくさくて聴いて られなかった。三波ハルオの東京オリンピックの歌ぐらいなもの。おなじ古くさいなら、ナツメロになりきった昭和戦前の軽音楽風の方がマシだった。

* サドの適法作「恋の罪」の一作めを、ほほうそういうふうに美徳と悪徳とをからませてそこへ持って行くかと思わせる面白みがあった、が、違法作の、サド 当人も死ぬまで自作と認めなかった「ジュスチーヌ」ものの凄みとはよほど柔らかい。ジュスチーヌの美徳を無惨極まる悪徳の暴行悪行でで膚無きまでいためつ けるあの作では、なんども吐き気を催し辟易したものだが、しかもソドの思想には力ある表現であった。
 イギリス現代の知性を代表するバイアットのロマン「抱擁」と、バルビュスの悲愴小説「地獄」と、サドの思想小説と、わたしの頭の中の地図は、どんなふうに書かれて行くのだろう。 


 

* 平成二十八年(2016)三月十七日 木 

* 
床7:00 血 圧153-67(58) 血糖値99  体重68.1kg

* 朝一番に、村上開新堂の山本社長から、クッキー二缶とべつに綺麗なケーキを頂戴した。開新堂の
、まこと豊富な詰めも包装も完璧な美味しいクッ キーは、総理大臣でもお店へ受け取りに来なければ手に入らないと噂にも聞いてきた。幸せなことにわたしは「湖の本」創刊以来、つまり三十年もの久しきにわ たり山本さんを有り難い「いい読者」に得てきた。ちょっと言い表せないほど友情に似た親しさを分け持ってきたと思う。半蔵門前の大通りに以前は「ドーカ ン」という食事のお店もあけてられてて、一度だけちらと調理場の山本さんを見かけ声を掛け合った、ただそれだけの交際だが、温かい身内観をもちつづけてき た。
 お心入れ ありがとう存じます、感謝します。

 ☆ 秦 恒平様 奥様
 「秦 恒平選集」第十二巻をお送りいただきありがとうございました。
 「湖の本」版をぢされて一年で先生の選集にお加えになられたことに先生のエネルギーを感じております。
 昨年十二月に先生が 本年四月に奥様が 傘寿をお迎えの由 まことにおめでとうございます。
 御礼と御祝いの気持をこめて クッキーは二つにいたしました。
 小さな 作背のパウンドケーキと焼菓子を少しばかり 春の賑いに 一緒に送らせていただきます。
 どうぞ 御身体御大切に    一番町  道

 ☆ このところ
 鳴瀧音戸山では、朝の鴬の声で目覚めるようになりました。
 本日はご高著「生きたかりしに」をご恵贈たまわりまして、まことにありがとうございました。
 早速、頁を繰りましたら「まァ、お母様そっくり」と思わず声を上げてしまいました。男の子は母親似ということばのとおりでございますね。
 第一章からするする拝見しております。時のたつのを忘れるほど、研ぎ澄まされたご文章に魅入られとしまいました、すばらしい。
 あわてて拝見するのはもったいないと存じます 介護の時間を盗み ゆるゆると拝読させて頂きます。
 どうぞお身体、ご無理をなさいませんように、
 益々のご活躍をお祈り申し上げます  かしこ  京・鳴瀧  春  作家
  お返事ご放念下さいませ。

* いつものように山田松香木店の典雅な匂い袋を添えた封書の切手には、東京キッドのひばり。お心づくしの御喜捨も同封されていた。有難う存じます。

 ☆ 御礼
 
選集12巻をお届けくださり誠に有難うございます。
 巻末の『阿部鏡短歌抄』は どの一首にも作者の深い思いが溢れていて 涙なしには読めませんでした。
 お二人の体調がはやく本復するよう祈っています。
 ふな鮨を 20日頃にお届けします。  吉備の人


* 生母の歌の「うったえ」が、かように心深き読み手の胸に届いて行くこと、「編輯者」としても不肖のの末子としても、嬉しい極み。
 有元さんありがとう存じます。
 お揃いで どうぞどうぞお元気で。

 ☆ 前略
 『秦 恒平選集 第十二巻』に収められた「生きたかりしに」を新しい思いで拝受、 本文を繰り、そして愛息によって<入念に抄出補綴>された「阿部鏡短歌抄」を感慨深く拝読いたしました。
 恥かしながら今だに短歌の心に届きえない読者ですが、身の内に<業火>をかかえた詠者の修羅、渇望、たまゆらの静穏に身も震えます。
 選集にこの一巻が加わったことを、いまひとつの賜物のように感じます。
 この度もご厚意をいただき深くお礼申しあげます。
 春こそ 秦さんに適わしい季節、どうぞお身体お大切に、いい春をお迎え下さい。 草々
         元「群像」編集長

 ☆ 拝復
 先日は 又 御鄭重にも「秦 恒平選集第十二巻」を御恵賜にあずかりまして誠に有難うございました。このところ文壇関係の依頼事で忙殺されておりまして、御礼が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
 「幼來かつ死後も容易に肯んじなかった『生母』の面影と足跡を追い求められた私小説「生きたかりしに』」と記され、巻末の御文で刊行に至られるまでの経緯が非常に精しく述べられているのを拝読し、「疲労の態で深呼吸している」という御心情に深く感銘致しました。
 「短歌抄」を編輯併載されたのも、十全の御配慮と存じました。(「遺書」は「羽音ゆるく肩によらなむ」に、感無量の想いがいたしました。)
 これから先もまだまだ慌しい時期を迎えますが、一段落致しましたら、じっくりと拝読させていただきます。本日は取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。
 季節の変り目に呉々も恩自愛のほど併せお祈り致します。 敬具    元「新潮」編集長

* 神奈川県立文学館、都立中央図書館からも受領の挨拶があった。

 ☆ 三月十四日
 選集第12巻拝受、ずっしりと重く、ご立派な、まさにお母様の一生が詰まっているよう。お写真のお母様に、先生はとてもよく似ていらっしゃいますね。湖 の本で拝読して、さぞかし天界のお母様がお喜びになっていることと存じましたが、選集第12巻を手にして、改めて最高のお母様へのご供養をなさった! と 感じ入っております。ご協力の迪子奥様はにも、拍手です! 
 お風邪おだいじに!   渋谷笹塚      

 ☆ 「秦 恒平選集」第12巻を
 お送り下さいまして ありがとうございました。次回以降もどうぞよろしくお願い致します。
 先生の御作からいつも生きる勇気をいただいております。
お体お大切に!  中野中央  

* 安井さん、佐藤さん 東さん 唐澤さん 及川さん 井領さん、毎回の有り難い熱いご支援、心より御礼申します。

* 夕刻 鎌倉のご夫婦から、「せきや」の、飯にして美味い、鯛、ふぐ、あわびを二人分ずつ十分に贈って戴いた。
  近江の名品鮒寿司といい、鎌倉からの鯛、ふぐ、あわびといい、食欲をかきたててご馳走になります。感謝申します。

* 第十五代の楽吉左衛門から、「初めての、そして最後の親子(三人)展」をやるので招待が来た。近江琵琶湖畔の佐川美術館。ながい会期中に行けると嬉しいが。

* 日本近代文学館からは「近代文学の一五○年」展の案内。ちらしには漱石、一葉、龍之介、太宰の顔写真が。

* 押して、入浴した。もう今夜は機械仕事はできない。封筒へのハンコ捺しも、校正も、機械の前では出来ない。十時過ぎ。いつも実際に消灯して寝に就くの は午前一時半、二時になる。まずは床に座った姿勢で、校正を。それから横になって、バルビュス「地獄」、「砲火」、サドの「恋の罪」、ルソーの「散歩者の 夢想」、そして「水滸伝」 バグワン、さらに思い立ってまたバイアットの「抱擁」も読み返し始めている。強い照明で裸眼で読んでいる。翌日出掛ける予定が ないと、しんから寛いで読書や校正に没頭している。


* 平成二十八年(2016)三月十六日 水 

* 
床8:30 血 圧146-66(57) 血糖値82  体重68.1kg

 ☆ 昨日
 雨の中 ご本が届きました。
 見開きの おじい様 お母様の お写真は タイムスリップした様な懐かしさを感じてしまいました
 私にまでに立派なご本お送り下さり恐縮致します 先に(湖の本三巻本で=)拝読させて頂き 正直 胸締めつけられる思いもありましたが 今回ご本の最后に 奥様とのこの后を詠まれたお歌に心安らぎました どうかお揃でお健やかな日々であります様に。
 拝受 御礼まで  有りがとうございました。 三月十五日     生母の姪か従妹か

* 生母方の親類から、初めてお便りをもらったねである。感無量。
 この母は、平成の初年に九十一、九十三、九十六歳で亡くなった秦の父、叔母、母らより、なお数歳の年長であった。四人の子をなしてから夫に死なれ、その後に時を隔てて私の父と出逢い、兄恒彦と私とを昭和九年春、十年暮れに生んだ。
 父のちがう長姉とも長兄、三兄ともそれぞれ只一度ずつ逢うことができた。次兄は戦時中に亡くなっていた。そしていまは優しかった姉もこころよく逢ってく れた二人の兄も、それのみか、両親をともにした兄北澤恒彦も、此の世を遠く去ってしまい、久しい。母の血は、いま、私一人に流れている。
 縁戚で出逢えた人は多くはないが、能登川、水口、山科、京都、三重、静岡、横浜、市川などへ話を聴きに出向いた。
 母には母代わりの長姉一族が能登川の広壮な本家を手広に嗣ぎ、次姉の嫁いだ三重の婚家とも深い縁を重ね重ね、子弟は各地に広く住み分けている。
 さらには伯母や母からは実父、私には祖父である人の生まれが、東海道水口宿本陣であり、ここにもいい知れない遠い歴史が宿っていた。母は自身「白道」と時に称し、この祖父「白峯」を終生恋い慕っていた。

* 兄恒彦と私との実父に関しては、私自身の内でほとんど何一つも片づいていない。父の生家は南山城の当尾にあり、私には祖父に当たる人の子女や孫らの拡げている門戸は各方面に途方もなく広い、らしい。
 実父との関わりを本気で書いておくか、どうか、まだわたしは腹を括っていない。おそらく、それだけの時間は残されていないだろう。わたしは母を、母の生 前も死後もひさしく受け容れなかった。ようやく桎梏を押し切って「生きたかりしに」を書かせたのは、母の歌であったと思う。母が歌など書く文学少女とも まったく知らなかったまま、わたしは秦の叔母の添い寝の手ほどきで和歌というものを教わり、国民学校の四年生から一人学びの短歌を創り出して今日にいたっ ている。今度の選集本に「参考」として「阿部鏡短歌抄」を私の手でアンで添え得たのは、おそらく最良の供養であり母孝行になったかと胸を撫でている。
 実父とは、そういう接点が見つからない。 

 ☆ 鴉に
 
御本が届きました。ありがとうございます。
 風邪 早く早く快復されますように。   尾張の鳶
   

* 釈迢空研究家の石内徹さんから、まことに過分の御喜捨と激励とを頂戴した。有難う存じます。

* 瀬戸内寂聴さん、東大大学院からも受領の挨拶があった。

* 「湖の本130」の表紙とあがきを要再校で戻し、「選集14」の口絵を入稿、追いかけて「湖の本129」発送の用意を前へ進めた。

* いやな再確認をしてしまった、なんだか時ならずクシャミを連発し、また妙に目尻などが痒くなると気付いて、これは数年ぶりにわたしの花粉症が、ここ 四、五年気色もなかった花粉症が戻ってきたのだと気付かされた。新世紀になって四年五年頃のわたしの花粉症は目へ集中して悲惨だったが、あれへ戻って行く かと思うと、抗癌剤一年に苦しんだのとどうかとイヤになる。その昔に眼科で出して貰ったアレルギーのための点眼薬が残っていた。古すぎるとは承知で使って みたりした。

* 十時過ぎ。機械での仕事は打ち上げ。階下へ降りる。
  

* 平成二十八年(2016)三月十五日 火 

* 
床8:45 血 圧158-71(56) 血糖値85  体重68.7kg

 ☆ 
大好きな おじいさま、おばあさま
 
結婚記念日おめでとうございます!
 おばあさまがお風邪をひかれたとブログで読みましたが、体調はいかがでしょうか?
 つい前週まで暖かかったのに、今日は寒くて外にも出たくない日でした。(会社には嫌々ながら、ちゃんと行きました)
 そんな天気では、風邪を引く気がなくても調子が悪くなってしまいますよね。
  どうか温かくして、美味しいものをきちんと食べて、早く良くなってください。
  私の元気が、おばあさまに届きますように\(^o^)/
  花粉症以外は元気いっぱいな    馨より  亡きやす香の親友


*  ありがとう。

* 好天。少し暖かくなるか。

* 昨日の雀右衛門襲名歌舞伎座、前二列め中央角席券、アナをあけずにお友達と喜んで行ってくださったご近所さん、今朝、ポストにお礼状が届いていた。相 撲場の橋之助、国崩しの幸四郎、すっきり小顔の松緑、口上での菊五郎の名に触れてあって、主人公の芝雀改め四代目中村雀右衛門の名も評判も無いのには、ち と京屋に気の毒だった。

* 昨日は、初日に不甲斐ない見苦しい負けをとった横綱白鵬など観たくなくて、大相撲の時間、大好きな映画「レディホーク」を妻と観ていた。昼間は鷹に身 を換えるミシェル・ファイファーがとても佳い。夜は狼に身を換えるルトガー・ハウアーもおみごと。何と云っても物語のふしぎな哀れさと大きな展開。中世の 欧州の静かに深い風土や、おそろしい司教が支配する暗い時勢。劇的な推移はあくまでも不思議に、そして大きく展開して、鷹にされ狼にされて女と男として逢 えぬ呪いを受けてきた恋人らの呪いが溶ける。映画さのみのに、いい知れない優しい魅力があふれていて、いつ、どんなときに繰り返し観てもこの作には飽きが 無い。まったく無い。よかった。気も静かに落ち着いた。

* マスコミのハナクソのような見せ物や喋り場が目立ちすぎる当節、紛れもない他界へ誘ってくれるこういう映画に、つい心惹かれて行く。

 ☆ みづうみ、お元気ですか。
 お風邪の具合とても心配しています。発送作業のお疲れのせいかと思いますと、ご本を頂戴するだけのわたくしは本当に申し訳ない気持でいっぱいです。梱包 や運搬などの発送作業、どなたかお手伝い、学生さんのアルバイトなどお頼みすることは無理なのでしょうか。学生さんにとっては良いアルバイトのはずです。 失礼な言い方かもしれませんが、傘寿の方のなさる肉体労働ではありません。「選集」と「湖の本」をお続けになるためにも、お二人の作業の軽減が不可欠と思 うのです。どうかご検討くださいますよう伏してお願い申し上げます。
 選集第十二巻『生きたかりしに』 いつものことですけれど、素晴らしい一冊です。亡きお母様はどんなにお喜びでしょう。三浦くに(=阿部ふく)のよう に、才能豊かで烈しく生きる方でなければ、みづうみのような文学者は生まれていません。『生きたかりしに』を読んでそのあとに『わが旅 大和路のうた』を 読みますと、さらに切々と胸に迫ってまいります。歌人安部鏡の歌大好きです。みづうみの作品と一緒に、死なないお仕事になりましょう。
 お早いご快復お祈りしております。
 末筆ながらご結婚記念日おめでとうございました。   囀をこぼさじと抱く大樹かな  立子

* 母ふく(阿部鏡)の短歌抄を喜んでくださり、嬉しい。とにもかくにも文学少女が文学老女のまま辞世の歌まで、わたしへの遺言歌までのこして行った、や はり「短歌」の表現が生涯を引き締めていると思う。むりやりも幾らかはまじるが、抄録してただ歌だけをならべてみて、「佳い」ように、贔屓目かも知れぬが 思っている。母の歌はまさしく歌の原義に密接し、まさに「うった」える言葉と律動とで創られている。うったえるのが「うた」の本来だというわたしの定義に さながら模範の証歌を母はたくさん書きのこしてくれた。母の伝説がすべて消え失せるときにも、「歌」は遺るだろう。

*   染織家の渋谷和子さん、翻訳家の持田鋼一郎さん、三田文学編集室から選集等について来信があった。
 歌人の松坂弘さんからは過分の御喜捨を戴いた。御礼申します。

* 保谷市庁舎まで税務申告に行ってきた。申告するほどの殆ど何もない、医療費等の支払い過多でいくらか返送されてくるらしい。わたしにはよく分からな い。同じ市庁舎で幸い暁会へ費用支払いも終えて来れた。月末までに、こんどは「湖の本129」発送の用意が要るが、ま、なんとかなるだろう。成るように成 るように成らせるまでのこと。

* もう「湖の本130」三十年記念の巻再校が届いている。今回に限り、記念の口絵も入れ、それらしく粧わせてみる。

 ☆ 選集感謝
 
第十二巻をお送りいただきありがとうございました
 昨日の配達でしたが留守にしており御礼が遅くなりました
 函の表題を見たとき
 「あ。よかった」
と直ぐに想いました
 選集に入ったこと (生母ふくの=)歌も添えられたこと 嬉しく感じます
 迪子さん 風邪だそうですが 早く快復されますように
 どうぞお大事になさってください
 春の佳き日をおふたりお健やかに迎えられますよう お祈りします
 ありがとうございました   下関  

*  本を差し上げている方々もみなさん著者であるわたしの年齢に上も下も近い。もしも、ご不要になったときは、お近くのシッカリした大学図書館なり県立や市立 の中央図書館に揃えて御寄贈してくださいませ。或いは、お眼鏡にかなう若い文学愛好の方に差し上げてくださいませ。
 いろんな地方に此の「選集」がなるべく「揃って」遺れば、それはそれなりに私の創作や著作の運命と思っています。ながく愛蔵愛読して頂ければなによりです。

* 誰の監督作品だか確かめなかったが、録画しておいた映画「それでも恋するバルセロナ」を面白く観た。レベッカ・フォールとスカーレット・スワンソンが 競演していた。いますぐにこの映画をかたるより、しばらん翫味した上で感想を生みたいと思うが、すくなくもこの映画をみていたら、このほど來、どころか、 年がら年中日本のマスコミがバカ騒ぎして貴重な時間と金と電波と紙を浪費している「男女狂想曲」のたぐいの幼稚で非文化的非生産的な情けなさを嗤わずおれ ない。
 わたしは自分たちの社会に行儀の整っていることを本心希望していると同時に、性的な人間の成熟と自由と意欲をも大切に感じている。日本のマスコミのその辺の知的な感性的な感度は、あまりに下劣だと思う。
 おもしろい映画だった。これもあり、しかし「レディホーク」もなければならぬ。

* 階下でしたい仕事があり、黒いマゴに輸液もしたい。十時まえだが機械を離れる。妻もわたしも、やや持ち直しかけている。


* 平成二十八年(2016)三月十四日 月 

* 
床8:30 血 圧140-60(54) 血糖値91  体重68.0kg

*  結婚五十七年、 妻が風邪をこじらせ、歌舞伎座の雀右衛門襲名口上を断念、前二列中央の二席分をご近所の芝居好きな奥さんに差し上げた。雨、しとど。ま、こういうこともあるということ。わたし独りで出かけても意味のないことと断念した。
 四月の、妻傘寿での歌舞伎座を楽しむとしよう。

* 朝ぬき昼の食事に、赤飯と豆腐汁と美味い酒とで、妻と祝う。

* 松本幸四郎丈ご夫妻、たくさんな花でお祝い下さる。夫人からも事務所からもお見舞いのメールをもらっていた。ありがとう存じます。

 ☆ 遠様
 昨今、気候不順ですが、お変わり御座いませんか。
 次つぎと、お仕事に無理をされているのでは? と心配です。
 私は、12日久しぶりに日吉ヶ丘の友だちと嵐山へ行って来ました。お天気も良くリフレッシュできましたが、翌日は一日鼻炎がひどくて、参りました。
 19日の土曜日は、三年ぶりに、リフレッシュされたお茶室で雲岫会のお茶会を開催します。
 先日 遠さんのHPを見ました折、東工大の桜が美しく、見とれておりました。
 円山のさくらがおとなしいので、観光に来られる方には気のどくに思います。
 早、来月は都をどりです。
 甘い物と、すはまのお団子とお抹茶を送りました。
 すはまは、祇園の松葉屋さんも早くから作られてなく、お口にあうかな?
 京都はこれから観光シーズンで大変です。住み辛く成りました。
 季節の変わりめです、お気を付けて下さいませ。  
 (携帯からは、沢山書けないのでパソコンにした。)  京・北日吉   華

 追伸 メール送って、夕方になって、選集12巻届きました。有難うございました。
 毎回頂き恐縮です。お大事に。  


* 「雲岫会」か。限りなく懐かしい。この日吉ヶ丘高校茶道部の名もわたしが決めたのだった、創作された「茶席」にすでに「雲岫」と名付けられていたのを貰ったまでであるが。あの六十三年も昔に、帛紗捌きから手ほどきしたなかの一人が、華さんが、いまも雲岫会」を守ってくれているとは。感謝しきれない。

 ☆ 選集第十二巻 おめでとうございます。
 昨日ずっしりと重い選集12巻 着きました。
 ご上梓、おめでとうございます!!
 本当にみっちゃん共々大変に頑張られて 今頃は、お二人でのびておられるのでは? と心配しています。 大丈夫ですか?
  私は先日、急に寒くなった雨降りの日に、町まで買い物に出掛け、ひどい吐き気と真っ直ぐに歩けないような身体のふらつきで大急ぎでタクシーで家に帰りました。
 迪っちゃんたちはめまいとかありますか?
 これは比較的遺伝的なものだそうです。
 二日間ほど寝ていたら大分良くなりました。
 老人には多いそうですね。
 三寒四温の頃に多い体調不良らしいです。
 老人はやっぱり大変だなあとしみじみ思います。
 お体大切にして下さいね。        妻の妹

 ☆ 選集第十二巻ありがとうございます。
 上梓おめでとうございます。
 貴重な選集を賜り恐縮しながら感謝しております。
 迪子様が風邪をこじらせておられるご様子案じております。
 1冊でもずっしりと重いご本ですのに、大勢の方たちに送本なさるご準備は大変な御労苦でしょう。
 お母様の歌が心に響いて、一首づつ丁寧に味わせていただきます。
お二人とも、どうぞゆくっりとお疲れをとってくださいますように。
 迪子様の早いご快復を祈っています。  練馬  晴  妻の親友

* 晩 ひばりの名曲を幾つか聴き、聴くにつれ涙が溢れた。死なれたくなかったとしみじみ思う。ひばりというと、どうしても少年の頃の出逢いを思う。ああ。もういないのだな、向こうにいるのだなと思う。向こうにいる人があまりに多くなってきた。

* 天才ひばりのあとへ思いがけず建日子の作というドラマが現れ出た、が、あまりのつまらなさに逃げだした。「刑事フォイル」や「NCIS」を観ている目 には、あまりに画面の密度がぬるくゆるく、しまりなく、娯楽の域にも達していない。「人生は紙飛行機」とうたいあげている連ドラ「あさがきた」の方が客を とらえるコツを駆使し得ている。やれやれ。

* 文春専務だった寺田英視さんからも早速十二巻にご挨拶をいただいた。恐縮。

* 気落ちのした記念日であったが、心のこもった高麗屋さんの豪奢な盛花に祝われ、有り難かった。
 目が見えなくて困っている。十時半。もうやすもう。


* 平成二十八年(2016)三月十三日 日

* 
床9:00 血 圧138-69(58) 血糖値86  体重68.3kg

*   本送りで風邪をこじらせたか、妻の体調よろしくない。明日の歌舞伎座へも行けそうにないと。ムリを強いたかと気が重い。

* わたしも夕刻まで、心身崩れて休んでいた。

* 歌舞伎座、断念。ご近所にお頼みして、代わりに行っていただくことに。
 雀右衛門襲名の口上、聴きたかった。我當も出るというのに。残念なことになった。
 


* 平成二十八年(2016)三月十二日 土

* 
床9:00 血 圧142-67(59) 血糖値88  体重68.5kg

* 「選集K」の送り出し用意を完了、夕刻までに郵便局の集荷がある。ほっこりと疲れている。

* 帰ってきていたロスの池宮さんとの電話連絡が付かぬまま日が過ぎ、今朝、新橋のホテルから 贈り物の「ロド・パー」や京菓子が送られてきた。申し訳ないことだった。
 四国の大成繁さんからも「讃岐うどん」などいろいろ送ってきて戴いた。 感謝。

* うたたねしていた。

* 「選集第十二巻 生きたかりしに (参考)阿部鏡短歌抄」送り出しを終えた。作家人生の後半生を画する一作であった。
 十二巻を刊行し終え、第五巻「冬祭り」第八巻「最上徳内=北の時代」die十巻「親指のマリア=シドッチ神父と新井白石」第十二巻「生きたかりしに」 と、三分の一を、一巻一作の長編小説で占めている。ほかにも、「みごもりの湖」以下、長編小説といえる作が思いのほか数多かったことに、今さらに気付いて いる。寡作と、少々凹む感じに思ってきたが、そうとうな多産の作家であったよと、他人事のように今頃おどろいている。まだ当分、創作選集が続く。さらにそ れら創作をうわまわるエッセイや論考の仕事がある。

 ☆ 
「選集第十二巻 生きたかりしに」
 有り難うございます。お疲れになってやしないかと、案じています。
 渾身の御作にお母様の短歌抄も添えられたこのご本は、「影のみわれに離れじと言ふ」と詠まれたお母様にとっても、纏めあげた秦さんにとっても、まさに鎮魂の書ですね。
 血の迸るような激しい生を疾走なさったお母様も、今は秦さんの呼び掛けに寄り添い、安らいでいらっしゃればと願います。
 「初稿雲居寺跡」、義兄との再会から花絵の死の辺り、引き込まれました。
 「創作ノート」は興味深く、ここから再度作品に戻って検証すべき貴重なもの。個人的には、大きな歴史のうねりを背景にした茅野や亀菊をめぐる物語が、やはり気になります。
 骨の折れることでしょうが、創作を第一に、習作や創作ノートの整理も進めていただけたらと思います。
 今週は珍しく風邪でダウン。何年か振りに休んでいました。
 秦さんも、どうぞお大事に。    

* もう本が届き始めたらしい。

* 帰国中のロスの池宮さんと辛うじて電話が通じた。こちらふたりとも間の悪い風邪気味で申し訳なかった。このところ電話まで不調であったが、すこしの間話せて良かった。送って戴いた「オールドパー」を独りでしみじみ堪能した。妻は風邪の不調で床にいる。
 わたしも、明日一日の休養を頼みに、明後日の結婚五十七年を楽しむ歌舞伎座雀右衛門襲名興行に備えて休養したい。

* だめ。また機械の前で寝入っていた。ゆっくり休みたい。 


* 平成二十八年(2016)三月十一日 金

* 
床8:45 血 圧151-67(45) 血糖値83  体重68.5kg

*  東北大震災 原発爆発 から五年。
 この日を「忘れない」という標語だけでは響かない。若い人に頼みたい、そのためにも「良い政治かの良い政治が、必要」と。そういう「政治家」に自身で成 るか、そういう「政治家」をこそもり立てて欲しい。ともすれば独裁・独善に走って国民を奴隷視し支配しようとする宰相や与党や阿諛追従者の日本にしてし まっているが、根からの是正無くては東北の悲劇は、日本の悲劇は続き強まるばかり。

* 目覚めてすぐ、バルビュス「地獄」 サド「恋の罪」 ルソー「孤独な散歩者の夢想」そして「水滸伝」を読む。近代西欧の三著には微妙な脈絡が聞こえる。いい読書になっている。加えて、バグワン。

* さ、昨日からの作業を続ける。

* 根気仕事でもあり、家の中で奥から表へ運ぶ力仕事でもあり、汚さぬよう、傷つけないようと、気疲れもする。もう九割がた終えているが、最後まで気は抜けない。気を張る疲れで眠くなる。
 明日には、一応、予定通りに終えられそう、ただ、わたしも妻も、コンコン咳が出る。夕刻の予約をしていた歯科は、二人とも延期を申し入れてお休みした。

* 体を、はやく横にしてやりたい。
 五年前の津浪の映像にいまも度肝を抜かれる。痛ましさよ。気の毒さよ。
 それでも原発を無くそうと政府も電力会社も、財界も言わない。関連死者の数は増え、放射能危害はいくら隠そうとしても現れ出てくる、今後も、ますます。 廃炉にも半世紀はかかると言いつつ、的確な手だてすら成り立たないまま。大津地裁の高濱原発停止の仮処分は当然で、全国でこの判決に追随してほしいと願 う。

* マレーネ・ディートリヒとチャールズ・ロートンのおもしろい裁判劇「情婦」を観ていながら居眠りしていた。十時になった、作業は明日にのばしておいて、黒いマゴに輸液だけして寝入りたくなった。 

 
* 平成二十八年(2016)三月十日 木

* 
床7:15 血 圧139-68(63) 血糖値91  体重67.7kg

*  八時半、「選集K」の納本を待機している。「選集」創刊のとき、この巻『生きたかりしに』は予定に入ってなかったが、この巻の実現のためにこの企画が成ってきたという思いも今は深い。

* 妻もわたしも風邪気味で、妻の方は近くの病院で処方された風邪ぐすりを服している。インフルエンザ検査は陰性だったと。おちついて乗り切りたく、送り 出しの作業も前回の倍の時間・日数をかけて無事に終えたい。とにかくもこの六月桜桃忌、つまりは創刊満三十年までは、「選集」「湖の本」刊行がしのぎを削 るように進行する。

 ☆ バグワンに聴いている。
「光明(悟り)を得ようとしてはならない。得よう得ようとすれば、要点をまるごと取り逃がす。」「要点を見抜くと、笑いがこみあげてくる。」
「目的地もなく、道もない。」「仏陀は案内者(ガイド)ではない。指導者(リーダー)でもない。」
「明日(あした)を待つ必要はない。なぜなら、起こることは、(思わず笑ってしまうような機縁は)すべて<今>起こるからだ。木々は今繁り、鳥は今歌い、 河は今流れ、わたしは今話している。なのに、おまえは、明日には光明が得られるかもなどと考えているのかね。」「笑いは、今か、永遠に起こらないかの、ど ちらかだ。」
  心とはいかなるものをいふやらん
     墨絵にかきし松風の音   一休

* このこみあげる「笑い」の味は、悟りなどとほど遠くても、かすかに覚えがある。「なーんだ、そうか」「そうだったんだ」と、こみあげる「笑い」に笑っ てしまったこと。あの底の抜けたような愉快。あれ以上の寶は無かったと思い当たる。得よう得ようなど思っても決して得られない、「今」「此処」という名の 寶。「いま・ここ」を生きなくて、いつどこで生きるのか。

* 九時半。『生きたかりしに』着。

* 作業、順調。

 ☆ 鴉に
 来週には冬は去ると報じられていますが、今日はまだ寒そう。本の発送にお忙しいかと察します。お体、無理されませんよう、少しずつ、少しずつ。
 第一次世界大戦ほどの規模ではなくても、絶えず紛争戦争が起き、多くの人々が今この一瞬も苦しんでいる状況は、アンリ・バリュビュスが直面した状況と大差はないでしょう。
 彼の時代には社会主義、体制としての共産主義を一つの「希望」として描けた。(さらにはユートピアの片鱗を夢見る、アナーキズムさえ・・)勿論そのプロセスの容易でないことは重々認識しつつ、それでも希望はあったはず。
 鴉が、彼ほど、現実に直面して行動へと軸を変えていった文学者は嘗ていなかったと、その点に限って現代を見回して、確かに・・さらに軟弱に傾いているとも感じます。
 が、同時に小さな国、地域に限られたためにあまり知られていないかもしれないけれど彼のように現実の政治闘争に身を投じていった、或いは現に投じている人たちがあるだろうことも、また信じたいです。(できるなら書くことに邁進できるのが書く人にとって幸せでしょうが。)
 難民受け入れを許容できず、バルカン半島北部経由の国境が閉ざされたというニュース。
 人々がポピュリズム、ナショナリズム、に容易に動き、排他的になっていく恐れを感じています。ただ必要以上の脅威を強調したくはありません。シリアやアフガニスタンの社会が平和を取り戻す日が来るのを願うばかりです。
 わたしは怠け者ですからNHKの『あさが来た』の歌詞で、最初に覚えたのは『思い通りにならない日は 明日頑張ろう』というくだりでした!
 よく考えるまでもなく「紙飛行機」に譬えられた人の生涯の方が怖いです。
 庭の椿が咲いています。折に触れ何となく違った苗木を買いもとめ、いつしか十種類以上の椿があります。これから庭仕事に良い時期を迎えます。
 このメール、午前に書き始めたのですが、少々操作ミスでストップして、気を取り直して漸くここまで書きました。
 くれぐれもご自愛ください。   尾張の鳶


* 明日か。 明日は久しく希望の代名詞だったが、明日の短さ少なさが実感できてくると、「今・此処」へ思いも行いも集めたい、生きているのは「今・此処」でしか無いのやと、実感する。

* 体調ととのわず、九時、今日の作業は終えることにした。また、明日。とっておき「珠」さんに貰った絞りたての酒が美味い。この送り出しを終えたら飲み干し、もう一本は、十四日にとっておく。

* 終日荷造りしていたが、送り出せてはいない。澤口靖子の「科捜研の女」最終回、そして「NCIS 海軍秘密捜査官」とを楽しんだ。十時すぎ。もう明日のために休むことに。明日歯医者も、休もうと思う。  




* 平成二十八年(2016)三月九日 水

* 
床8:15 血 圧140-70(52) 血糖値97  体重66.7kg

*  「地獄」から「砲火」へ、そして「クラルテ(光)」へ。アンリ・バルビュスの三段跳びは人間の歴史上に類のないみごとな文学と思想の生涯だった。シェイクスピアにもゲーテにもトルストイにも出来なかった。
  いろいろ書きたいが、みな心新たに読み終えてのことにする。                                                                                         
* 明日からの「選集」送り出しに備え、もう床に就いて、やすむ。


* 平成二十八年(2016)三月八日 火

* 
床7:00 血 圧132-59(58) 血糖値98  体重66.6kg

*  八時四三分のバスに乗り、聖路加へ十時前に入った。検査順調に済み、診察も簡単明瞭「いいですね。また半年後に」と。十二時五分前には病院を出ていた。

* 寿しの「福音」で、
「八海山」ですこし贅沢にゆっくり昼食、もう、どこへという気にも成らず、新富町から保谷へ。「ペルト」で珈琲二杯、ゆっくり選集分を校正してから、歩いて帰った。妻も今日午後は地元病院で循環のいつもの診察だったが、帰ってきた。黒いマゴ、留守番してくれる。

* 「ディアコノス=寒いテラス」一気に読み終えた。これまで、わたしの作を外国語にと奨めてくれた二人がまるで申し合わせたように二人とも、飜訳に適切な作は「ディアコノス=寒いテラス」と。その日本語が飜訳し易いという評価もあったろう、が。
 読み終えて胸がきしんだ。的確に書けていると胸も張れるが、表現された内容のきびしさに作者でありながら胸を押されのけぞるようだった。

* 「ディアコノス」という表題には作の中でも問題の娘「セツコ」が話しているが、作者のわたしは基督教のイデーにはけっして詳しくないので、念のため読者のお一人に確かめておいた。ひとつには「ディアコノス」でいいのか、「ディアコニス」だったか、確かめたかった。

 ☆ 
用事のため昨夜遅く帰宅。今朝パソコンを開きました。早いほうがよいと思いますので現時点での私の考えをお伝えします。
 多少カトリックの教育を受けた程度の私に一つだけ申し上げられるのは、「ディアコニス」という言い方はきいたことがないということです。しかし学問的な 正確さの自信はまったくありません。神学部関係者でなければカトリック教会でもあまり使うことのない言い方なのです。すでにお調べになっていらしゃること 以上のことはわかりません。ネットでの検索ですが、次の部分が一つのわかりやすい説明かと。
    http://church.ne.jp/tanpopo/pdf/1temote_26.pdf

 21世紀に聖書を読む〜「テモテへの手紙第1」シリーズ26

執事もまたこういう人でなければなりません。(8節)

パ ウロは「監督」についての審査基準と誰がその職につくことができるのか、ということについて述べたことに続いて、「執事」についての話題に移っていきま す。「監督」という職務が「全体を見る人」という意味であって、日本語の印象とは異なっていたように、「執事」についても、聖書の世界の言葉として、その 意味を捉えなくてはいけません。

「執事」その意味と働き

こ こで使われる「執事」とは、ギリシャ語で「ディアコノス」と言って「ディアコニア」を行う人のこと。「ディアコニア」は「奉仕」と訳されることのある言葉 ですから、「奉仕者」という意味の方が、言葉のイメージはつかみやすいでしょう。ここで言われている「奉仕者」というのは、教会の中で、食事を作ったり、 会計をしたりということ以上に、教会の福祉的で宣教的な働きに、教会の支援や認定を受けて携わる人たちのことなのです。4章を見ると、テモテも、「奉仕者(ディアコノス)」だったことがわかります。 

 こ のディアコニアは、旧約聖書の中で、理想とされた社会、お互いに助け合い、貧しい人がいなくなる、そういう社会の実現のために、実際に何かをする、そうい うものです。残念ながら、旧約聖書の世界では絵に描いた餅で終わってしまいましたが、イエス様が来られたことにより、この理想が実現し始めました。イエス 様が、この理想社会の実現のためにディアコニアを、身をもって教えられたからです。それは「へりくだって仕える」全人格的な献身、お世話の姿勢です。イエ ス様は、貧しい人、困っている人、弱っている人のところへ出向いて、具体的な必要に奉仕されました。この世界には、誰もやりたがらないような、けれども誰 かがそれをしなくてはいけない、そういう仕事、面倒できつい仕事があります。この世は、そういう仕事を、お金や権力に物を言わせて、弱い立場の者に押し付 け、無理やりにさせることでしょう。けれども、そのような方法では、問題は解決するばかりか、もっと悪くなるものです。
 イエス様は、そういう仕事を世の中からなくすのではなくて、愛のゆえに喜んで引き受けるという奉仕の姿勢をこの世界に持ち込まれた。イエス様こそ、本当の「ディアコノス(奉仕者)」でありました。そして教会は、このイエス様にならって歩むのです。
 私たちは奉仕というと、教会の中のこと、教会運営に必要な働き手という狭い意味だけで捉えてしまうかもしれません。けれども、聖書が教える「奉仕」は、それを超えて、世の中に働きかけていく、そういうものであります。
 今日、制度としての社会福祉は充実 しているかもしれません。けれども、教会は福祉的な働きを、教会の外に任せておいてよいわけではない。大事なのは制度以上に、人です。キリストの愛をもっ て、そのわざに従事する、そういう人を育て、送り出し、あるいは教会として、そのわざに携わることが求められているのです。    

  引き続き 調べ、心掛けてみますが取り急ぎの私の見解です。お役に立たず申し訳ございません。

* これだけ分かれば、十二分。感謝

* わたしの小説世界も、「畜生塚」「慈子」「清経入水」「秘色」「みごもりの湖」の昔から、 それは大きく変わってきた。作者は人間であり生活者であり勉強家でもあって、いつもいつも同じ調子の仕事しかしていない、出来ていない作者で在る方がヘン なのである。しかし読者の好みは、どうしても固まってくる。愛読した「あんなのを」と望まれる。わたしはそういう希望に揺すられることは避けてきた。 「今」これをこう書いて自分として当然、必然の題材に真向かって行く方を選んできた。中村光夫先生は小説は老人の藝術であり、老人は自然と私小説を書くも のだという趣旨を語って居られた。わたしも、必然そのように動いて行くだろうと思い、作品を出版社に売る生活をしていると、自由にそれが果たせまいと諦め ていた。「湖の本」三十年の健闘は、そうした転進への意識的な場所づくりであった。
 それにしても老境へかかっての私小説は厳しかった。
「迷走 課長達の大春闘(三部作)」は、まだサラリーマンとしての働き盛りであった、が、おいおいにキツクなった、ならざるを得なかった。
 明後日に出来てくる「秦 恒平選集」第十二巻『生きたかりしに』はわたしの私小説突端の大作になった。そのあとへ、文字どおり人生の苦境が実に理不尽に襲いかかってきた。だが、一 作家としては、それも書いた。当然だ。第十五巻以降の一、二巻には自身の血を絞るような作が来る。避けては通らない。





* 平成二十八年(2016)三月七日 月

* 
床9:30 血 圧138-67(64) 血糖値96  体重67.0kg

*   私語しているよりも、仕事している時間が長かったと謂うこと。がんばって、気がかりな、手の抜けない調整の仕事を、一つ一つまた一つと片付けました。決して雑用でなく、みな創って行かねば済まない仕事ばかり。

* 尾張の鳶さん、バルビュスの「戦火」上下二巻を送って下さった。いまこそ、この本が日本国民、それも若い国民に読まれたい。わたしも心してしっかり熟 読したい。いずれはレマルクの作などに連絡する先駆作であろうかと思うが、戦闘する兵士達を凝視して、もっともっと険しく凄まじい「戦争」が描かれている だろう。

* サドの短篇集「恋の罪」の第一作へも、すうっと吸い込まれるように入って行くと、ここにもまたあの美徳の象徴「ジュスチーヌ」の様な娘が登場、悪徳のかぎりに穢されて行きそう。したたかに時代を批評して容赦ない一種の「自然」絶対思想をくむ事になる。

* 少年時代のように新たな本への出逢いにドキドキしている、が、明朝は十時四十五分に聖路加眼科の諸検査を受けに行かねばならない。うまくすれば、正午前後には解放されると有り難い。

 

* 平成二十八年(2016)三月六日 日

* 
床8:30 血 圧118-59(57) 血糖値98  体重66.8kg

*  TBSが福島原発廃炉の限りなき停頓と不安な状況、要処理廃棄物への無策、森林や土壌の濃厚汚染となげやりのまま終わって行く除染の現状、誰が何処へ帰っ て行けるというのかという不安なままの政府・東電の撤退と無責任等々を綿密に時間いっぱいを費やして放映。
 福島原発の危害に対する対応は、いまだ入り口でのウロウロに過ぎない実情、みな予測してきたままだ。
 小泉元総理の「廃反原発」の叫びに同調し、彼の過去の失政をせめては償わせてやりたい、「廃反原発」を何の躊躇もなく支持する、私たちは。

* いろんな、小さいとも用意とも謂えない大事な「補充」原稿を、かなり苦辛して、目も酷使して二つ、三つと片付けた。すっかり用意して、それで行くと決 めたものを、頁数の読みを慎重に全く別の原稿へ用意をし換えたり、なかなか緊張した。平行棒を歩かされたような揺れ揺れだった。ま、それなりに行方の見え るところまでガンバリつづけて、十一時になった。もう黒いマゴに輸液してやらねば。
                                       
* 目をつむって字の読み書きが出来ないものかなあ。


* 平成二十八年(2016)三月五日 土

* 
床8:45 血 圧148-67(56) 血糖値90  体重67.1kg

* 目覚めて直ぐ床に座ったまま一休の「狂雲集」等に関わる論文を読んでいた。そういう興奮後に血圧を測るとどうしても高い。何もしないうちに静かに計らねば。

* 昨日はじつに久し振りに吉祥寺へバスで出た。高円寺での開場に十分間があったので吉祥寺の「京極」のような繁華をそぞろ歩いて妻はピザで昼の軽食、わ たしは食欲なく、珈琲だけに。そのあと、店の向かいの古本屋に寄り、見つけたマルキ・ド・サドの適法短篇集「恋の罪」を買った。サドの文学とは、「ジュス チーヌ、あるいは美徳の不幸」で出会っており、さらに読みたいと思っていたので幸便であった。サディズムともいわれてきたサドの違法・適法さまざまな小説 や著述の接してきた「時代」転換への辛辣を極めた反時代性をよく知っておくことは、西欧近代への突っ込んだ理解に不可欠という観測をわたしはよそながら 持ってきた。「ジュスチーヌ」はその期待に刺激的によく応えてくれた。「神」の否認、「自然」の賛美と肯定とが示す抗議の意志は強烈だった。
 「恋の罪」四編は、どうわたしの眼の鱗へきつい爪を立ててくるか、期待している。と同時に、前からぜひ読みたかったルソーのベストセラー小説「新アベ ラールとエロイーズ」もブックオフで狙っているのだが、まだ出会えずにいる。このルソーの作はサドの創作による主張と、かなり緊密に響きあっているので は、と、見当をつけているのだが。

* バルビュス「地獄」は、読み進むほどに優れた情報量に富んだ作だと敬意が持ててくる。慌てず急がず読みすすめている。 



* 平成二十八年(2016)三月四日 金

* 
床8:00 血 圧146-69(54) 血糖値92  体重66.9kg

* 芥川賞候補最年少と伝説になってきた久坂葉子を描いた芝居を、松本紀保が演じる。幸四郎の長女、市川染五郎、松たか子の姉で、ゆったりと弾み も奥行きもある佳い舞台を何度も観てきた。岩崎加根子との競演というのも楽しみ。夭折というしかない作家で、年齢だけで言うとわたしより何ほども年かさで はなかった「葉子」が、いま、何をうったえるのか、見届けてきたい。

 ☆ 鴉に
 腹痛いかがですか? 心配です。
 昨日バルビュスの文庫本三冊をお手元に届くよう手配しました。数日のうちに届くと思います。
どうぞくれぐれも無理なさいませんよう。  尾張の鳶

* 謝謝。「地獄」をじっくり読んでいます。あだおろそかには出来ない異色の秀作と感じつつ。
 高配に感謝、楽しんで、落ち着いて、読みます。あなたも、お大切に。


* 高円寺の劇場で松本紀保主演、岩崎加根子特別参加の「葉子」を観てきた。主演、助演、特別出演、力演であった。わきの人たちには弱い気味があらわれ、こと に開幕早々の駅員達の芝居が学芸会レベルの薄さだったのには、先行きをよほど心配したが、ま、印象を持ち直して、劇は展開した。主として、最年少芥川賞候 補に挙げられ騒がれた若い作家久坂葉子が、迫る電車の正面へ身を投げた大晦日最期の一日を劇化しつつ、今日時レベルに御節料理を懸命につくっている老女を 配したまま舞台は展開する。作劇の方法はかならずしもリアルでなく、観念の操作にも熱心であったが、結果的には、(一作家として半世紀以上仕事をし続けて きた実感から観てしまうと、)もう、小説がまるで書けなくなってしまっている作家落第生の、死に神に引きこまれたような列車への投身自殺を「どう批評する か」に芝居は尽きてしまうのだった。久坂葉子という熟さなかったちいさな果物のような女性に与えてきた「レジェンド」のほぼ無意味だったことを、この劇作 の作者は、「実は死ななかった久坂葉子」という「老女」を最後にもちだし、何とか批評的にモノ言わせていたのだが、あまり説得的でなく、とってつけたよう な「劇」のおさめ方に終わっていた。「死んだから騒がれた、死ななかったら伝説になどならなかった」という老女の自白はきつい批評だが、盛り上がりに欠け て、なんだか洒落オチじみてしまった。紀保熱演の「久坂」に気の毒なような「せこい、かるい」批評に終わっていた。
 同人誌「バイキング」の象徴的存在だった作家島尾敏雄のまえで葉子はたわいない思慕と欲求から狂態を見せていたが、(舞台上の島尾役もひよわい物書き としてしか造形出来てなくて実に落胆したが、)要は、久坂葉子は「レジェンド」足るほどの書き手として、精気も根気も能も無く、「書けない病」に落ちこんで いただけだったと言うしかないと、舞台の成り行きはおよそそのように暗に批評しつつ、そんなに「小説を書く書けないが大事なことなのか」というあたりへモノを言わせようとしてい た、と、わたしには見えた。
 その解説役に、岩崎加根子の扮した「老女=死なずに生き延びたという久坂葉子本人」がツクラレていた。とってつけた手品のようであまり見事な劇的造形とは見えなかった。
 わたしは、根から、伝説化していた久坂葉子の「書き手」としての魂と才能と、それでも崩れ死んで行かねばならなかった真実に対面したかった。
 しかし舞台の上の事実は、「最年少の芥川賞候補」に祭り上げられただけの、その実は、到底書き続けられないひ弱い才能の露呈、それをいかにも才走った文学少女の昂ぶった興奮と絶望とで「死」を自ら招き寄せ、つまりはそこへ逃げ落ちてしまったに過ぎないのだった。
 太宰治の死は死、かれの文学は通俗におちることなく最後までほんものの作家だった。
 久坂葉子は書けなかった、書き続けられなかった作家で、潰えたのだ。候補に祭り上げ、さらにちやほや祭り上げ「レジェンド」に仕立てた男文壇のよけいな お節介が、もしかしてもっと健康に地道に「書き続けられる」才能へ延び得たかも知れないのを、押し潰したのだと云えようか。可哀想に。
 舞台で叫んでいた葉子の文学への意気は。批評は、「芥川賞」に象徴された文壇への侮蔑的な否定は、云えていたのである。葉子は、何かしら鋭く分かっていたのだ、が、いくに分かっていても「書き続けられねば」お話しにならないのが作家というモノだ。

* いやいや、劇団や俳優さんには申し訳ないが、この『葉子』という舞台をわたしは文学の、作家の問題として観に出かけたのである。それこそが問 題だった。耀く「久坂葉子」を実は知りたかった。この劇作からは、見つからなかった。他の劇作家の手でべつに「久坂葉子」舞台が出来るなら、それも落ち着 いて観たい、みせて貰いたい。(後刻、この一文、読み直し再検討したい、が。)

* 「書けない」「描けない」「創れない」苦しみは創作者の業病である。志賀直哉ほどの文学者も、暗に「書けない」苦しみを下地にして新しい小説を書いた りしていた。身につまされ、読んでいて苦しかった。励まされもした。小説家の場合、その上になかなか作が売れる物でなく、作を発表できない、本にならない という逼塞感に苛まれるのが常だ。しかし、書きたくて堪らないモノが身内の底から衝き上げてきて書かずに済まない、それが作家だ。書けなくて死んだ作家 は、何人も例がある。苦しいものだ、書けないのは。しかし他の理由はともあれ、書けなくて作家が死んでしまうのこそ逃亡だと、傷ましくはあるが、結句わた しはそう思ってしまう。

* 高円寺駅ちかくの「ふく玄」で久し振りに河豚を食べてきた。八海山300ccが利いた。妻は、梅酒のようなのを頼んでいた。観てきた舞台をながく話し合った。
 バスで練馬へ、そして七時半までに家に帰った。日脚が長くなっていた。


* 平成二十八年(2016)三月三日 木

* 
床9:50 血 圧146-67(55) 血糖値98  体重67.1kg

* 国会参議院の委員会。小池共産党佳いの質問と追及は聴き応え有り、政府は苦し紛れしか答えていなかった。共産党、はやく党名を新鮮で訴求力あるものに 取り換え、意欲的に政権政党へ伸び上がってくれるよう願う。共産党贔屓でも何でもない、ただ自民公明政権を追いつめて欲しい。岡田民主党には期待できな い。馬力と鮮度とがまるで無い。細川内閣の、また小泉内閣の誕生時に似たきっかけ一つ生まれればアベノリスク政権を寄り倒すことは、押し出すことは決して 不可能ではない。野党は一致してせめて数人の知恵者(参謀)組織を持つべし。戦は、勝たねばならない以上当然の用意だ。ただもう寄り集まって、署名して、 行進してでは、ほとんど何も進まない。いやおうなくネット線に勝ちうる絶妙のスキラーと作戦参謀を確保することだ。

* 困っている、この口座に一万円だけでいい送金願うなどという、暗い手のありうることを心得ていたい。私情報をいかなるかたちでも安易に漏洩す れば、それを手づるに黒い手が延びて来ないとは云えない。私人の弱味につけ込んだ黒い組織や団体のおれおれ詐欺ふうの私生活への乱入を、私民は周到におそ れ防がねばいけない。

* 石垣を組むような按配に仕事は進み、忘れてはならない大石と大石とのあわい小さな仕事を蔑ろには出来ない、それを忘れると大崩れしかねない。



* 今日も妻が整髪で留守のうちに、妙に暑さ負けのように一枚上衣をはねて作業中に、先日と同じ腹痛が現れ出て、先日と同じようにお茶をぬるくしてゆっくり呑み下し沈静させた。冷えか。

 花さそふ風のほのかににほふまで
     春はきにけり桃のはやしに  遠爺    

* 七時、雛祭りを祝った妻が久し振りのちらし寿司、蛤の汁、苺がうまく、戴いた絶妙の純米吟醸「最上川」ももう二本目に喉を鳴らしている。

* 疲れ休みに「NCIS」を二本楽しんだ。「あさ」やはつの両親が、またはつの姑が、あいついで亡くなっていた。待っては呉れない。

 

* 平成二十八年(2016)三月二日 水

* 
床16:00 血 圧131-57(55) 血糖値81  体重67.0kg

*  送り出し用意に午後の半ばまでかけ、おおよそを終えた。国会の委員会質疑を聴きながら。民主党・緑風会の質問が、よく勉強できていた、蓮舫議員には拍手を 送った。一方政府側の、経産大臣、TPP大臣、一億總活躍大臣、防衛大臣、法務大臣らの頼りないこと。また安倍総理の饒舌な侫弁、初手からまじめに討論し て是は是、否は否とする誠実などまるでないに呆れる。安倍総理、麻生元総理、どうしてああも終始質問を嘲り顔ににやにや出来るのだろう、行儀も悪く品もな い。
 ほんと、一握りの上層へ奉仕の政治権力を、もっぱら私して恥じないものたち。

* 早起きのためか、夕方になって、疲れている。「選集L」責了、「湖の本129」責了。
 予期通り「選集N」初校出。
 此処まで来ればもう「選集K」送り出しが、当面の一山。十分ゆとりはある。よく用意し、時間をうまく紡ぎ出しては新作の進行に宛てたり遊びに出たいもの。ま、疲れて潰れぬようにするが。

 ☆ 
秦先生、
 連絡できておらず、申し訳ありません。
 丸山君から連絡が行きましたか。
 アキレス腱を1/24(日)に切りました。
 15歳までやっていた剣道を44歳で復帰と試みたところ、30秒ともたず、断裂しました。
 準備運動が出来ない色々な訳があったのですが、それは次回にご説明します。
 会社は病院に行った月曜日1日のみ休み、朝はラッシュを避け、遅めに行っていますが、普通に働いています。
 妻もかつて靱帯断裂にもかかわらず、仕事は休まなかった!と豪語されたので、、、
 アキレス腱断裂は全く痛くなく、(腱は痛点がないんですね)毎日の松葉杖生活が億劫なだけです。それも既に1か月以上が過ぎ慣れてしまいました。
 私の報告ですが、
 昨年4月に国立市**にヤクルトさんの研究所の建物を完成させました。
 全景とエントランスホールに設えたアートです。(添付写真)
 アートは渋谷清道さんというアーティストと共に、素材や構成(ガラス3枚の表裏にパタンをプリント)等を考え、完成させました。
 幽玄とまではいきませんが、日本画における雲の表現のような現れ方が出来たように思います。
 また、ヤクルトさんのコマーシャルでも使われました。
 機会があれば、是非一度ご案内したいと思います。  柳  東工大院卒業生

* 寝ているかと心配した。   

                                                                                             
* 晩、録画しておいたデンゼル・ワシントンの「デジャヴ」を観た。造りすぎていて、ややこしく。ワシントンは好きな俳優の一人だが。

* 十一時。寝床へ退散して、何種かゲラを読み、本を読みたい。眠りが浅くなると疲れが増すが。

 

* 平成二十八年(2016)三月一日 火

* 
床10:30 血 圧141-64(64) 血糖値102  体重66.8kg

* 夜更かしして寝床で読書や校正をし、明け方五時六時に黒いマゴを外へ出して遣って、十五ないし三十分で帰ってくるのを家に入れてやる、と、そのまま起 床もならず、寝入ると目が覚めない。ま、寝入るのは健康法のうちと勝手に考えて容認しているが。午前の長い日の方が仕事は格別にはかどる。ま、成るように 成ればいいとしているけれど。
 食餌の量を意図して減らしている。出来れば65キロ台に近付きたい。糖尿の今のままの正常値安定を持続したい。

* 昨夜は遠藤さんの「少年の洛中記」を読み上げ「京の街角物語」もざっと拾い読んだ。「洛中」の知らないことを、たくさん教わった。甲斐扶佐義くんの写真と も、またちがう。音楽好きな森下辰男くんのセンスに近いのだろうか。標準語はむろん京言葉にも熟達しているという遠藤さんに、わたしの「余霞楼」や妻の 「姑」を読んでもらおうと思う。

* 午前中のわずかな時間であったが、野党柿沢未途(?)の質問は聴かせた。総理も副総理も、事実上追いつめられていた。にやにや笑いがこの二人の不行儀 のいやらしい通例だが、それもねじ伏せられていた。こういう勉強家の論客が増えてほしく、勢いのない三役らは身を退いて出来る若手に道を開いて欲しい。そ れしか勝ち味は無いのだから。(年齢ではなく、センスと気迫のうえの)老害は大きな邪魔。
 ともあれ賭にも出て、新党名は「民主自由党」「民自党」として腐朽「自由民主党」「自民党」を真っ向から揺さぶることをわたしは本気で奨める。「民主主義」の本流という気概を示せ。

* 今月の述懐歌、いずれも身に沁む。成美の「夢」の一字、隆達の「旅のひとりね」 そしてわたしの「空(むな)ぐるま」。
 わたしの先月今月の述懐歌はいずれも小倉百人一首、一首の初句および二句の初一音を受け取った「ざれ遊び」という趣向ではあるのだが…。こういうふうに、もう和歌百首の余が、成っている。

 ☆ 
秦様・迪子様
 おはようございます。
 寒暖の差が激しい日々ですが、ご本の創作・発送などで日々お忙しくお過ごしの事と存じます。
 本当にあの立派なご本を手元に届けていただきますまでのご労苦を思いますと、感謝の一言です。
 先週、能の原点の神事能。山形県の黒川能を観に出かけました。
 春日神社で氏子さんたちによって伝えられてきた能で、おおきな百貫蝋燭の下で幻想的なものでした。
 日ごろ見慣れている能とは全く違っていました。
 黒川能見学そして、最上川下りと冬の墨絵の世界を堪能してきた旅でした。思ったほど寒くなかったです。
 地方の地酒で美味しいと聞きましたので、お食事代わりの栄養にと思い送らせていただきました。
お口に合えば嬉しいです。
 今年は一日 日が多いので、ゆっくりと時を過ごして3月をお迎えください。
 お二人のご健康を祈っています。  練馬区  晴美
 追伸
 迪子様からご丁寧な受け取りのご挨拶頂き恐縮です。
 パソコンが不調の由、お手間とらせました。
 西東京市に、南関東最大の集落の遺跡などがあったのですね。
 何かの機会に訪れてみたいような楽しそうなキャラクター。

* 山形県は純正純米吟醸の山形酒に審査会認定をあたえて大事に送り出している。持田さんに戴いたのはその純米吟醸「最上川」が二本。最上徳内の取材で出向いた山形県また最上川。なつかしい思い出もある。
 黒川能まで辿り着かれたとは、敬服。やがては傘寿を迎えられることと。みーんな、齢を重ねてきた。どこまで歩めるか、一歩一歩と思うばかり。

 ☆ 美しいご本をご恵贈くださり
 誠にありがとうございました。
 京都弁の御作、たいへんおもしろく拝読いたしました。全て、解読(京都弁の)できました。
 私の姑も「タカ」さんでした。夫は七人兄姉の末っ子でしたので、結婚したとき、既に本物のおばあちゃんでした。私自身がお祖母ちゃん子でしたりので親し くつき合い、嫁姑関係は良好でした。ところが兄嫁(姑といっしょに暮らしていた)から、「おばあちゃんの前では声まで違う」といじめられました。
 秦先生のこともお作を読んで存じ上げていましたが、お母様ののお口から出た言葉で復習させていただいたことになり、たいへん興味深く、感銘を受けました。淡々とした語り口の中に、お母様のお人柄が手にとるようにわかって、「いいお方なんやなー」とうれしく思いました。
 (巧まざるユーモアというのでしょうか、声に出るほど笑ってしまったところもありました。『その女大学が尋ねて…』)
 心がほかほかとしてきたのは、今まで存じ上げてきた先生と奥様の人となりを こんな生の声で話してくださったような感じで確かめられたからでしょうか。ほんとうにありがとうございました。
 おもしろい物を「道の駅滝宮(たきのみや)」見つけました。お笑いぐさになさってくだされば幸いです。(用途はペーパーウエイト=文鎮だそうです。)  高松市  

* こういうお便りを戴けて、すこしでも秦の母への思いが生かせたかと、妻の創作を借りてでも一巻のうちに「参考」として収めておいたのを喜んでいる。わ たしは秦の父にも母にも「もらひ子」として痛められた覚えは全く持っていない。養育の大恩にほとんど報いられなかったのを、毎日、父母叔母の位牌に詫び、 また感謝している、心から。

* ところで洋子さんのプレゼント、なんと、お膳に「讃岐うどん」と牡丹餅のような菓子が二つ載っていて、箸が饂飩ひと筋を掬いあげている、のだ。重いめ の透明なガラス台にお膳が載っている。思わずふたり大声で笑いました。讃岐うどんの出汁の香がするようで腹の虫が啼きました。ありがとうございました。

* 認知症の親が国鉄線路で死亡した損害賠償を、国鉄側が妻と息子に要求してきた裁判の最高裁判決が出た。今回の事案で「賠償の必要無し」と。判決理由を こまかには知らないが、ひとまず胸を撫で下ろした。奥さんも八十半ばと聞くと、そのご主人の介護はとほうもない台負担であったろうと思う。大きな責任の一 つには福祉行政の最低へも行き届かない経済優先の放漫な悪政が在る。厳然として在る。巨大な国民間の格差拡大をすこしも安倍政権は是正しない。むしろ格差 拡大と、上層利益の優先拡大へ奔走している。
 最高裁判決は、見方をかえての行政・立法への司法からした憲法違背への叱責である。国民の大多数が日ごとに基本的人権をアベノリスクとして奪い去られている。

* 凸版印刷からの予想通り怒濤のゲラ出しに、混乱しないようにしないと。選集第十三巻の念校責了分、湖の本129の念校責了分を、明日、送り返す。
 選集第十四巻の再校、第十五巻のゼロ校ももう出てくるだろう。「湖の本130」の初校もあらかた終えて、要再校で送り返す前に、慎重に内容を点検してお きたい。著者であり編集者である仕事を独りで斡旋しなくてはならないが、医学書院では十五年、湖の本では倍の三十年、選集のように平均五百頁、気の張る特 装限定出版すら、もう満二年体験してきている。二年で十二巻もまずまず無事に刊行してきた。人が驚き呆れているのも当然だろう。だがムリに疾走していると いう気は少しも無い。大いに楽しんでいる。ぜいたくをしているという気持ちも、むろん、全然無い。これがわたしの仕事なのだから。
 新しい小説「清水坂(仮題)」「ユニオ・ミスティカ(仮題)」「父の子と子の父(仮題)」が先陣を競って(譲り合って?)犇めいており、ほかに、電子化さえ出来れば伸び上がってくるだろう棚上げ小説が手を掛けて呉れよと言うている。うち、五作は処置できている。
  
人も押しわれも押すなる空(むな)ぐるま 
     何しに我らかくもやまざる         遠

 やれやれ。