saku166



述懐 平成二十七年(2015)七月

  世の中はいづれかさして我がならむ
    行きとまるをぞ宿と定むる        よみ人しらず

 草づたふ朝の螢よみじかかる
    われのいのちを死なしむなゆめ    斎藤茂吉

 この言葉も亡びるのかと嘆かひし
    こともひそかに吾は思はむ       土屋文明

 人おのおのこころ異なりわが歌や
    われに詠まれてわれ愉します      窪田空穂

 世の中は夢か現か現とも
    夢とも知らずありてなければ      よみ人しらず

 海棠の紅(こう)も翠も梅雨の花       湖 

   秦 恒平選集第七巻に
 惚けたる老いそれなりに花やいで      みづうみ

   愛しきやす香 逝きて幾としぞ
 天の川を越えてやす香のケイタイに
    文月の文を書きおくらばや       おじいやん



      ☆ーーーーーーーーーーーーー☆


* 平成二十七年(2015)七月三十一日 金 

 床9:00 血 圧133-67(53) 血糖値91  体重67.9kg

* ながい睡眠あとの目覚めでは視野はくっきりと明るい。ものの縦線も垂直に見える。或る程度の回復は可能なのだ。だが、目の盛れ屁午前の二時間も保たなくて視野は滲み薄墨んでくる。

 ☆ 福島の今    
福島診療所建設委員会
 事務局長 渡辺 馨 
 日頃より福島にお心をお寄せくださり、ありがとうございます。
 7月は安保法制の強行採決があり、安倍政権は国民の反対を無視し戦争に向けて走り始めました。兵士の命は捨て石です。
 それは福島にとっても全く同じです。
 自主避難者への支援打ち切りにはじまり、9月は楢葉町、16年末にはすべての避難指示を解除して賠償を打ち切ろうとしています。
 オリンピックまでに常磐線も全線開通させ、外見だけ「何もなかった」ようにするというわけです。
 川内原発は8月にも再稼働を強行し、伊方原発も続けようとしています。
 財界の原発再稼働要請には最優先に応じ、核兵器開発のためのプルトニウム生産も続けよう、そのためにはフクシマを覆い隠してしまおうとでもしているのでしょうか。汚染水は漏れ続け、融け落ちた核燃料の行方すら分からないというのに。
 それまでは年間50ミリシーベルトだった原発労働者の被爆上限が福島原発事故の後、緊急事態ということで100ミリシーベルトに引き上げられました。それを原発再稼働にあわせて250ミリシーベルトまで引き上げるというのです。
 政府は一体、人の命を何と考えているのでしょうか。
 福島の子どもたちの甲状腺癌は増え続けています。大人の被害も増えています。
 避難する権利、保養する権利、医療を受ける権利を守り抜くために「ふくしま共同診療所」の事業をさらに拡大させたいと思います。
 このたびは福島診療所建設基金をお寄せいただき、ありがとうございました。
 今後ともひきtづきのご支援とご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
                    
* 頑張ったには頑張ったなりのご褒美が出るのか、ほおっと息がつけている。一年に四巻平均 の湖の本を半年余で四巻送りだし、その上に秦 恒平選集という大冊を第四、五、六、七巻も出版し、八月半ばには第八巻が出来てくる。専業でかかりきりの編集者・製作者でもこんなことは出来ない、まして 作家や批評家。詩歌人にも絶対に出来ない。自身の作物と編輯の技術とセンスと判断をもたないかぎり身動き一つならない。医学書院で十五年のモーレツ編輯・ 製作体験がしっかり財産になっていて、加えて妻がたすけてくれた。人を雇う必要がなかった。
 ま、もうムリは出来ない、命があってこその創作であり出版であり、生きて行く気概もはたらく。
 とにかくも、いま、息をついている。

* 
平和な国をつくりたいと書いた生徒の作文を「政治的」だからと先生が書き直させたとか。
 なさけないねえ。そのアホな先生の顔が見たい、先生の上の人達の顔も。


* たいした何事もせず、気持ちは休息していた。思い立って目の前の書架から福田恆存飜訳全集の一巻を抜いて、シェイクスピアの「リチャード三世」を読み 始めた。重い本でもった手が草臥れるが、劇ははげしく進行する。わたしは英国王家の激しい葛藤が英国流の民主主義を導いたと思っていて、その道筋の理解に はいわゆる通史を読むよりもシェイクスピアの戯曲を読むのが早かろうと見当をつけてきた。沙翁はかなりの数の英王室に取材した戯曲を遺しているが、「リ チャード三世」はことに悪辣残忍な劇のはこびで知られている。新劇の舞台ではハムレットなど四悲劇やベニスの商人や十二夜や真夏の夜の夢などが多く演じら れるけれど、「リチャード三世」だけは二度舞台を見てきた。一度は蜷川演出の舞台を遠く大宮まで妻と足を運んで観た。とても面白かった、陰惨でありなが ら。英国王室の根深い葛藤と相克の歴史にこそ英国流の近代帝国主義の猛烈さ、えげつなさの源泉があったとわたしは観じてきた。
幸い浩瀚かつ稠密な福田飜訳全集八巻の半ばはシェイクスピアを主として戯曲の飜訳であり、余みたい読みたいといつも願ってきた。小説の翻訳はかなり多く読 んできたが戯曲はまだ二、三。それに、今日はふっと手を付けた。シェイクスピア原作戯曲はみなずいぶんの長編である。踏み込んで読み抜かねば棒折れがして しまう。

* 元文藝春秋の明野潔さんからお手紙と選集支援の喜捨を頂戴した。地元の歌人堀江玲子さんからもお手紙があった。


* 七月三十日 木 

 床8:30 血 圧132-66(55) 血糖値96  体重69.0kg

* 朝いちばんに竹西寛子さんからりっぱな利尻昆布をたくさん頂戴した。有難う存じます。
 頂戴物の有り難さ以上に、消息が知れて、ともあれ安堵もし心より御健勝でと願わずにおれない。

* 愛媛の木村年孝さん、瑞々しい愛媛名物の蜜柑をたくさん送って下さった。美味い! ありがとう存じます。 

* 澤地久枝さんに頂いていた『14歳(フォーティーン) 満州開拓村からの帰還』(集英社新書)を読み終えた。澤地さん よりわたしは五歳の弟にあたり、わたしの敗戦は丹波の山なかで迎え、澤地さんの辛苦艱苦はわたしの体験とは天地ほどもちがって痛切だった。ロシア兵や中国 人からの身の危険に迫られることも日常の怯えの中で、澤地さんは軍国日本(満州)に生きた十四歳の記憶を記憶の限りに付け加えも差し引きもしないで明瞭に 書ききっておられる。淡々とことさら乾いた筆致で書かれていながら、読み進むのが苦しいほど胸騒ぐ。
 スマホでキス写真を配信して記念になる嬉しいなどと言う連中にはもう詮無いのだろうが、まともな感性と知性で現実や歴史から学び取る気のある十四歳から三十歳、母になるような世代にまで、読んで欲しいと思う。

* 国会、ことに短時間に限られた社民党福島みずほ、別の党代表の山本太郎の質問は切れ味の剣のようだった。「憲法に対してだれよりも誠実遵守」であるべ きが「総理大臣」ではないか。その総理が率先してはっきり憲法違反を詭弁でまぶして強行している。総理を即刻辞めなさい!
 安倍総理、グの音も出ぬまま「まさに」「まさに」「まさに」絶句していた。河内山なら大声一番「バッカめ」とやるだろう。
 福島、山本二人の質問、大きく大きく取り上げて欲しい。みなに聴いて欲しい。憲法の意義を知らない総理をもってしまっている国民の危険な不幸、身に滲みる。賢に数無く、愚は雲集。はずかしい国会にしてしまったよ、われわれは。

 ☆ アベ政治を許さない
 「安保法制で送り出される自衛隊員は軍隊ではないとして捕虜の扱いも受けず、民間人としても扱われず、テロリスト並みの扱いを受けかねない。危険に目をつむって自衛隊を送り出すことは許されない」   (小沢隆一・東京慈恵医大教授)

* 「選集第八巻」は八月十七日に出来てくる。
 「選集第九巻」の跋文を入稿し、「選集第十一巻」の本文も入稿した。「選集第十二巻」本文はすでにゲラになっていて、今日から校正し始めた。
 「九」の再校、「十」のゼロ校が出てくるまでに、「湖の本127」のことも考えたい。在庫をより広範囲の高校へも送り出したい。それよりも新しい小説にねっちりと取り組みたい。したい仕事、有りすぎて困るほど。目は、わるくなる一方。

* かつて、わたしが推薦してペンクラブに入ってもらった会員が、ここ数年に大勢退会していった。そのつど詫びてくださるが、詫びられることはない、わた しでも退会したいぐらいだが、大きく道を外されそうになったら、きちんと故障も述べたく、踏みとどまっている。今日も一人、退会しましたと詫びてこられ た。よく今日まで辛抱されていたと、こっちが詫びたかった。わたしの理事時代、どうやら会員二千人を超すぐらいだったが、いつしれず入会より退会の人数の 方がずんずん増えているらしい。文学文筆の団体として機能していない、魅力がない。こびりついた黴のような、非文学的超多選理事たちが臆面もなく自儘に切 り盛りしているのだ。
 ほんとうなら大江健三郎とか村上春樹とかを会長に、日本文学の質を背負って世界へもののいえる執行部が必要なのに。藤村、白鳥、直哉、康成、光治良、達 三、中村光夫、等々の会長時代ならペンの会員でいることが誇らしかったろう。藝術的な仕事をしてきた作家や詩人たちが、今やほとんどペンの運営にそっぽを 向いている。新鮮な文学信仰の空気などしずくほども湧いていない。ただの会費会員たちがやめてゆきたくなるのはムリでない。

 ☆ 
今日、
 「グランブルー」をようやく見終わりました。
 女を愛していても、平安な陸での生活を営めず (そこに本質的な価値を見出せず)、果てのない青い世界へと帰っていく男と、男を理解しているからこそ見 送り、陸に留まるしかない女。<結婚>や<家庭>に直結などしなくても、この男と女そしてその子も、男たちとイルカたちとはまた 別の身内(<家>の概念は失われているので、<家族>というより<身内>ですね)であった、あってほしいと、母娘の ために思いました。
 「星の流れに」なら、知ってますよ。
 歌が好きな母 (やはり美空ひばりが贔屓です) と一緒に歌番組もよく見たので。
 松たか子も好きです。「コイシイヒト」「IStandAlone」「明日、春が来たら」「サクラ・フワリ」などなど。
 「どこかどこかもっと遠くへ」と、いつの間にか頭の中でリフレインしています。
 夏バテなさらぬよう くれぐれもお気をつけ下さい。  

* 知っているだけではない、わたしはこの街をさすらう悲しい敗戦の女性を、おなじ不幸を身にうけた人として感じ続けてきた。


* 七月二十九日 水 

 床9:00 血 圧143-69(55) 血糖値94  体重68.4kg

  ☆ 
昨夜はよくお休みになれましたか。
 「これ(=今)からお休みの方もお目覚めの方も、時刻は5時です。」
 そんなニュースを聞きながら、夜通し仕事をしている人や、眠れぬまま朝を迎える人のことを思いました。
 低血圧(先日の健康診断では83-61、ちなみに視力は眼鏡をかけて左0・3と右0・8でした)でよく立ちくらみはしますが、目覚めは良い方です。
 休みの日はなんだかワクワクしてむしろ早起きする子供でしたが、勤めをするようになってからも、眠くなったらうたた寝できる休日は、早く目覚めがちです。ここ数日は遅寝早起きです。
 鳴釜神事に関わる怪談というのは、残念ながら分かりません。怪談といえば、「眼」など『春蚓秋蛇』をまず想起しますが、夢の所産とも思わせる艶めかしく怖いお話を沢山お書きになっていますね。
 ひれはさておき、高齢化社会にもかかわらず、村落共同体が失われて核家族化の中で、煙たいことも言う物知り、訳知りのご隠居さんが町から消え、無条件に抱きしめ甘やかしもするおじいちゃん、おばあちゃんが若い家族からどんどん遠ざけられているのは残念に思います。
 気忙しい日々の中で、ネット等の普及とは裏腹に、人と人の生の繋がりも希薄に形骸化しているのも、やはり。
 日暮れてからも、まだまだ暑いです。どうぞ大事に、大事になさってください。  

*  少年少女がキスしている自像を自ら嬉しげに得意げに躊躇い一つ無くネット世界へ送り込んで、大勢が見て楽しみ見て喝采し見られて大喜びしている図をテレビが報道していた。
 一つには、そういう映像が後々の自身の生活、結婚生活や家庭生活や親子生活や社会生活で決定的な禍になりうることにまったく気付いていない。少年少女の 恋が結婚や家庭や親子へ直結するパーセンテージはあまりにも低い事実が頭に入っていない。入っていてもそれが将来に持ち込む悲劇や不幸の種になると想像が 出来ない。ムリもないが哀れすぎて、ここでもネット機械と社会との害毒の濃さ、精神環境の破壊されて行く恐ろしさを思わずにおれない。
  悪政治への抗議の意思表示や行動はむろん目下最も大切だが、こういうネット社会の害毒に多する啓蒙や宣伝、その必要の自覚は、たとえば東工大卒業の諸君 なども、むしろ現代人世界への義務ではないのだろうか。フェイスブックなどを盛んに多用し楽しんでいるらしい卒業生諸君のにちじょうらしきセンスにもオピ ニョンにもフィロソフィーにも、その手の自覚や責任感はかなり希薄に想われる。残念なもどかしいことだ。                                                                               
 少年少女らのキス公開映像は、もっと過激にむき出し化されてゆき、帯同して盗撮などの陰湿も或いは営利化しかねない。
 わたしは個と個との信頼や愛がさせる行為に「ワイセツ」「猥褻」という評価は無意味と考えている。太古来、未来までも老若貴賎のする身体行為や性行為に 差別はない、ただ公開していないだけのこと。朕でてあれ上であれ下郎下女であれ差はない。無いと見て間違いと断定できるだれ一人もいない。無意味な無差別 なのである、要するにそれはネット社会へ触れまくようなことではないのだ。
 政治家が美辞麗句を操ってウソクサイ政策を弄んでいる間に、青少年の精神環境は機械のために腐敗を促進されている。それが人類を破滅へ運んで行くことを洞察も直観も出来ていない。

* ペンクラブの理事をしていた頃、一つ覚えのように「環境」をいう理事たちの環境というのが、あまりに「自然環境」一辺倒なのにわたしは惘れていた。自 然環境はむろん大切。同時に人間の精神環境、ことに機械環境の破滅的な爛熟傾向が、どんなに世界を、日本を、日本の青少年や家庭を腐らせて行くかを懼れね ばと、それを言うのは、理事の中で私ただ一人でいつも失笑・無視された。起ち上げた「電子メディア委員会」も、洞察を欠いた執行部役員のほとんど悪意で潰 されてしまった。キスやその他の性行為をスマホ世間に投稿し、それが多数の鑑賞者を得ている現実、これは、言論ではないが「表現の自由」の行使だと、やが て言いきられて蔓延しかねない。わたしは、ネット社会ではこういう事態や現象が「精神」の廃亡に繋がるのをはっきり予測し、言論社会の健全を考えねばなら ぬペンクラブにこそ、専門の「電子メディア」委員会を一度は創り上げたのだだった。だが、「言論表現委員会」で足りていると潰された。
 しかし電子化の世界では、「言論」と無縁に強行も暴発もできる「表現」が生まれてくる。「キスシーン」の嬉々としてのネット公開に「言論」は要らないのだ。

* 「選集J」の入稿用意も出来てきた。特別に参考作品を一つ加えたいと思い、それを読み直せば、入稿できる。

* 九時、もう視力は霞みに霞み、機械には向いていられない。乱視複視み加わって小さな活字や淡い薄いてがきの字は潰れてしか見えない。罫線なども二重三重、縦線はグニャグニャに蛇行(セルペンテイナ)している。

 

* 七月二十八日 火 

 床7:00 血 圧125-61(64) 血糖値98  体重68.2kg

* 夜通し、「セコハン娘」と「星の流れに(こんな女にだれがした)」の言葉とメロデイとが眠りを波立てた。寝ている間もわたしの脳か心かは激し い喜怒哀楽に揺れる。或る意味では健康な反応なのでもあろうと堪えている。静謐な眠りをわたしはほとんど知らない、昔から知らない。想像が眠りを揺りたて る。思案にも耽る。あきらかに眠っていながら、わたしはわたしを試み続けている。「木ヘン」の漢字を三十字、「サンズイへんの漢字を」「クサかんむりの漢 字を」二十字などと。人は思うだろう、カンタンだと。やってごらんなさい「木ヘン」の漢字を三十、たちどころに言うてごらん。出来ない。
「サンズイへんの漢字を」「クサかんむりの漢字を」たちどころに二十も出せる人は、まずいない。やってごらん。
 わたしの掌小説に「数をかぞえる」はなしが有る。わたしは、昔からその「ヘキ」があり、いまでも、歯医者がわたしの歯をがりがりやりつづけて いると、指を折っている。歴代天皇の名を順に呼び出しているのだ。かと思うと百人一首の歌を、作者の名を五十あげよと自分に命じたり。外国映画の男優女優 の覚えている名を数えたり。少年時代は源平藤原北条足利徳川歴代の名をみな覚えていた。そのなごりの波が今も夢を揺らすのだ。あまりつらいとリーゼ(安定 剤)を一粒服する、三日に一夜ほど。
 わたしのこの頃に、喜怒哀楽の喜は残念だがすくない。怒は突出する。哀も噴出する。楽は、努めて創りだしている。まだ日々に衰えていると思っていない が、年々にとまで老衰の感覚が引き延ばせているか、そうは問屋がおろさないと観念している。そして、何にとも言い得ぬまま、「間に合いたい」とささやかに 願っている。

* 下の、五十余年も昔に社宅のベランダで撮った妻と朝日子との写真を見ていると、ナンとも言えない。あの、父母の娘は、いったい、いま、何を胸に抱き世に立っているのだろう。 

* 京大名誉教授、元の京都博物館長の興膳宏さんから、吉川幸次郎著・興膳宏編の『杜甫詩注』第九册を頂戴した。九、十册は杜甫の「成都」時代、もっとも完成された杜甫詩の盛期である。有難う存じます。

   大邑焼瓷軽且堅     
   大邑焼の瓷器は軽くて堅い
   扣如哀玉錦城伝        
扣けば哀切な玉の響きと当地の評判
   君家白盌勝霜雪        君の家のお盌は霜や雪より白い
   急送茅斎也可憐        急ぎ拙宅にお送り下さい 珍重します 
   
* 東京・開新堂の社長さん、季節限定の生菓子を下さる。珍重珍重、感謝。

 ☆ 秦様
 暑中御見舞申し上げます 酷暑でお体に障りはしないかと気になります
 過日は「新日本風土記」をご覧いただき 先生と奥様 ご銘々から嬉しいおことばをいただきありがとうございました
 今の季節は杏のお菓子を作っておりまして テレビで映りました生菓子は九月末までお休みです 私の仕事は軽くなっています
 今回は 杏のお菓子を送らせていただきます
 どうぞどうぞ御身御大切に       

* 国会質疑、民主党の追及にたじろぐ安倍総理の、「まさに」「まさに」「まさに」「まさに」を連発の」曖昧模糊とした答弁が、すべての「非」を明かしていると聴いた。とんでもない宰相をわれわれは持ってしまっている。見遁してはならぬ。

* 「選集J」に用意している創作は、かなり明瞭に私の「戦中・戦後」に焦点を結んできた。ことに、まだ前半で、思い切った物語の
「或る雲隠れ考」「義子(原題・喪心)」そして「余霞楼」三編に凄みがあり、まさしく「京」の女文化の肉身を「戦後」のどす黒い深い傷が抉る。読んでいって怖くさえあった。 

* 眼、最低調、テレビにうつる人の顔が判然としない。はん失明状態に陥ってきたか。間に合うのか。
 十時だが、もう休むことにする。もう文庫本など字が小さく、しかも潰れたような字にみえて、読めなくなった。                     


* 七月二十七日 月 

 床7:00 血 圧131-64(57) 血糖値91  体重67.5kg

* 五十五年前の今日、初の娘、朝日子(改名して押村宙枝と。)が生まれた。

    「朝日子」の今さしいでて天地(あめつち)のよろこびぞこれ風のすずしさ



  父へ全身で笑む可愛かった朝日子。我が家の原点!




    おじい やん !

        愛しい孫やす香 二十歳を目前に
     九年前七月二十七日 肉腫におかされ、
    
生命維持装置が停止され   逝去

 来て来て来てと お土産はお蜜柑とよびかけて
    苦しかりけめ 生きたかりけめ
 やすかれといまはのまごのてのぬくみ
    ほほにあてつついきどほろしも 
 このいのちやるまいぞもどせもどせとぞ
    よべばやす香はゆびをうごかす
   恒平


    やすかれとやす香恋ひつつ泣くまじとわれは泣き伏す生きのいのちを

 もう一人の孫押村みゆ希は、もう大学を出ただろう。聡く、元気に成人してあれよ。

* 「選集H」の初校を終えた。たくさんな掌篇小説、大小の短篇小説を多く揃え、この巻、趣味のある読者には「秦 恒平の美と古典の世界」をもっとも楽しんでもらえるだろう。要再校ゲラを宅急便に託した。 また少し肩の荷がおりた。

* 今朝床から起きて以降、ときどき針で刺すような(ツ、ツ、チクチクッという)疼痛が、左肩と乳との間で繰り返す。脈にもすこし結滞が見えている。きのうは終日、ダル重かった。血糖値が低いのかと疑ったが。
 ま、やすみやすみ、過ごそう。

 ☆ 暑中お見舞い申し上げます。
 暑気祓いに「戦後日本流行歌史第二集」をお届けします。
 きょうは祇園祭後祭りの宵山ですが、本集の歌が流行っていた頃は、後祭りの山鉾はせまい三条通りを巡行していたのをおぼえています。おやじのライカを持ち出してYMCA界隈で写したセピア色の写真が二三葉残っています。
 この時期の歌はどれもヒットしたものばかりですが、
 8,「山小屋の灯火」近江敏郎 13,「緑の牧場」津村謙権 21,「たそがれの夢」伊藤久男 は、NHKのラジオ歌謡です。
 また 9,「銀座セレナーデ」藤山一郎 12,「バラのルンバ」二葉あき子の作詞家「村雨まさと」は、確か服部良一のペンネームのはずです。
 ラジオと云えば新門前の兄宅の店の出窓に 5球スーパーラヂオが置いてあったような記憶があります。
 この時期の歌は詩はよし、曲よし、歌手またよしで、夫々個性がありましたね。
 近所に新京極のSY京映の切符切りをしていたお姉さんがいて、岡晴夫、霧島昇、二葉あき子らの実演の時には顔パスでよく観に行きました。
 縄手の源氏屋?旅館にプロ野球の選手が泊った時など サイン帳を持って追いかけ回していたのもこの頃です。
 野球雑誌を見せてもらいに永田純冶君や桑山君宅には始終出入りしていましたから 選手の情報も多分その辺が出所だったのでしょう。
 なつかしい日々です。
 梅雨が明けて 愈々夏本番です。充分ご自愛ください。  京 幡枝  

* 辰兄 ありがとう。

* さっそく、夕食時 「選集H」後半の妻と、昭和22 23年の全24曲を聴いた。これは憶えがないという曲はなかった。戦時をはなれて戦前の歌謡曲を なつかしむような感傷的でロマンチックでずっぷり歌謡曲の作詞作曲伴奏の多いなかから、流石に「戦後色」「戦後調」をしっかり歌いだし歌と人の時代の「漸 速前進」をはっきり予感・実感させてくれる感銘曲が、少なくも三曲はあった。
 一つは笠置シズ子の「セコハン娘」(結城雄二郎・服部良一) 身につまされた。わたしは上に兄のいない一人子だったのでセコハンという意味すら当時は知 らなかった。聞き過ごしていた、が、七十年近く歳をとって、身にもつまされ胸疼いて悲しく聞いた。次は、菊池章子の「星の流れに」(清水みのる・利根一 郎)で、これはも少年ながら耳にやきついて忘れなかった名作。ウソクサイ感傷的歌謡曲とちがい、「こんな女に誰がした」と、真っ向バンパンガール悲しみの 境涯、女の呻き怨み、戦争・敗戦・家族離散の悲惨を、全身で表現し切っていた。見喪った妹をなげき一目会いたい母を恋いつつ赤いルージュをつかって街に立 つと聴いて、妻も思わず叫びをあげ、わたしは声を漏らして泣いた。
 この歌、忘れてはならない。
 子供ながら身に沁みたものが、後に、「月皓く」のような創作にもなった。「こんな女に誰がした」と、またしても呻かせたいのか、安倍内閣と自民与党の智慧なきヤカラは。
 そしてもう一つは、笠置シズ子の「東京ブギウギ」(清水勝・服部良一)だ。これはもう次世代、あきらかに美空ひばりという天才を呼び出す歌声というに尽きている。譬えはどうかと思うが洗礼をうけに現れるイエスを待つ予言者ヨハネのようにがっちり唱ってくれる。
 歌は、歌謡は、悩みも望みも多い「時代」へ、前向きに沸騰しつつ交響してくれねば、意味は薄い。うそでもいい、徹したウソは至藝にちかづく。うそくさいツクリ歌ではダメなのだ。

* あまりの暑さに体調、はなはだ宜しくなく、明後日の聖路加受診を取り敢えず一ヶ月先へ延ばして貰った。


* 七月二十六日 日

 床6::30 血 圧133-61(61) 血糖値103  体重67.7kg

* 
わたしは、現今の親世代に、何十年も昔につよい危惧を抱いていた。こういうダラケた世代が親世代になったときの日本は、ほんとうに危なくなっているよと。まさしく、現代はその通りの有様。
 安保法制の悪風にもっとも無関心のまま子供に向き合って未来を危惧する理性を持たないのが、その親世代であると世論調査は示している。情けない限り。
 それでもやつとやつと大学生、高校生にも、声を挙げ起ち上がる人数が出て来た。わたしの謂うダメな親世代にあたる学校教師達がどう動くのか、動けるか、じっと見ている。

* 『憲法が国家権力を縛る考え方は、絶対王政の時代のもの』(安倍首相)。
 バカじゃないの。英国の大憲章マグナ・カルタのころを思っているのなら、勉強し直しなさい。
 早稲田の朝倉むつ子教授は明瞭にこう言っている、「
とんでもない間違い。安倍さんが国家権力を行使できる根拠こそが憲法であって、憲法の範囲内でのみ権力を行使できる。それが立憲主義です。首相のやり方は、権力者自らその根拠を否定するもの」と。                                                               
 ☆ 秦 恒平様
 謹 啓 「生きたかりしに」読了いたしました。「湖の本」を購読し続けていて良かったと、先ず思いました。ここにいたって秦文学の大宇宙が、秋の夜空を見るように、澄み切った姿ではっきりを捉えることができた、と感じることが出来ました。
「第五章 当尾の里」の二十四、泣けました。大海の孤島に、しっかり真の身内は、待っていたのですね。混沌をかき混ぜて、天の沼矛から滴り落ちた一滴が 成った孤島、たどり着けば、聖母や神のような七度の七十度も許す、大悲の身内が大きく両手を広げて待っていた。ここでは全てが「思無邪」、純粋な自分であ ることが出来る。氷に結ぼれていた小川が春を迎え、穏やかな流れをとりもどし、川面には梅花藻が咲き初め、岸辺には野草が、とりどりの花を咲き競って生命 を輝かし、揺雲雀は歓呼するように大空に囀っている。すべての結ぼれが解けて、摩訶価討般若波蜜多の大宇宙に包まれている。そしてこの摩訶般若波羅蜜多の 大宇宙では、上田秋成も阿部鏡子も砥部恒之も作者も、等しく「命」の「光」であり、永遠なる超越であるのです。人間の命は、運命とか宿命とか性とか、その ような低次の世界ではなく、もっと高次の「絶対」であり「永遠」という命の大河、その流れに運ばれて生きている、そして生き続ける定めにある、と、この作 品は言っていると、私は惟いました。私は、自分もまた、その人間の一人であることを惟い涙しました。
 当尾の砥部邸を再訪した作者の感慨には、まさに「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」の思いがあったのではないでしょうか。そして矢絣 を着た生母と撮った写真を砥部邸の松に重ねるとき、「命二つの中に生きたる櫻(松の木)哉」の思いが作者の胸中を満たしていたと感じました。
 阿部鏡子(三浦くに)さんに美濃正子さんがおられたことは、岡本かの子に一平がいたように、必然なことであり、幸せなことであったと感じました。もし砥 部恒之氏が一平なりせば、阿部鏡子さんは、女流として一家をなすことも可能だったかも知れません。お手紙の論理力と文章の力強さは、並の知力ではないと感 じさせます。それを認めればこそ、美濃正子さんは歌集の出版に無私の尽力を図られたのだと思います。「年々に我が悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなり けり」を生きたかの子と重なるところを感じさせる阿部鏡子(三浦くに)さんの半ば不本意な生々流転は、無理解な世間・俗界に押しつぶされた結果の迷いだっ たと感じられます。俗人には理解できない聖性一高貴な心性の人、まさに昭和二十二年発布の新憲法を持つに値する女性であり、其の尊厳に生きる個人主義を生 き得た女性であり、現に生き抜かれた方と感じました。
 最後に至っての「芳江叔母」との再会は、私には衝撃的でした。丁度いただいた「選集七巻」で「罪はわが前に」を読みすすめていたところでしたので、「芳江叔母」が、わたしには「久慈芳江」に重なってしまったのです。複雑な感動を味わいました。
 桐壷更衣も紫上も公的名、二人には身内だけが呼び合う私的名前があったのではないでしょうか。光源氏は、紫上と二人のときには、きっと私的名前で互いに 呼び合っていたのではないか、と、ふと思いました。そうでなかったらただ似ているだけ、あるいは血縁というだけでは感情を同化できないと思います。
 妻を亡母と同じ名前−「芳江Jと呼んでこそ、源氏の思いは亡母と同化し、満たされるのだと思います。名前は単なる記号ではなく、魂であることも、今回再 認執したことのひとつでもありました。中巻(近江路 十三)の石塚鏡子さんの登場に、ふと心を揺さぶられるものを感じました。
 断片的ですが、r生きたかりしに」を読んで心に刻まれた思いの一部を、出で湧くまま縷々、書かせていただきました。失礼の段、ご宥恕ください。
 今日は、益子町の関東三大奇条「御神酒頂戴」を見る為、友人に案内していただきました。
「選集第七巻」の御礼と、「生きたかりしに」の完成を祝させていただきたく、評判の良い地酒をお送りいたします。地元の酒造元からお送りするよう手配させ ていただきました。近日届くと思います。御賞味いただければ幸甚に存じます。暑さ厳しき折り、御身体を大切に、この暑さを乗り切っていただきたく、ご自愛 のほどお祈り申し上げとます。  敬具  八潮  小滝英史

* 笠間の清酒、純米大吟醸「郷之誉」一升瓶に添えられ頂戴したこのお手紙、このまま、母阿部ふく(三浦くに)の霊前に献じておく。
読者は、みなさん、ほんとうに心優しい。母の返礼が読めるといいのだが。
                                                   
* 冷房していても、フウーッとしんどくなりそうな暑さ。25度にさげた。階下で、すこし休憩してこよう。家の中で熱中症にやられそう。

* 白鵬 三十五度め十四勝一敗の幕内最高優勝、よし! 負けた横綱鶴龍も健闘した。

* 今晩もまた、池上彰のナチス、ヒトラーらの不幸な限りの暴虐非道政治について、解説を聞いた。よく語られた。安倍総理と自民公明党の議員らよ、聴いたか観たか。

 

* 七月二十五日 土

 床7::00 血 圧129-65(58) 血糖値99  体重68.2kg

* 太左衛さんの親切な花火へのお招き、いちどは参りますと返事したが、医師は、まだムリでしょうと。行くは行けても帰りの疲労、群衆の波間で転倒してはと。諦めた。
 この辺で、グイと一歩前へ出たい、そうすれば京都までもと思ったのだが、仕方ない。あまりの日照りで暑すぎもする。
 家での仕事を楽しみながら進めたい。

  ☆ 暑中お見舞い申し上げます。
 先日は 又々 立派なご本 第七巻と湖の本とを ありがとうございました。
 四巻 ようやく 読了… でももう一度「廬山」を読んでいます。 美しく 淡々とした文章は なぜか「ハックルべりー・フィンの冒険」を
想い出させてくれます。 ハックの冒険は徳に好きな本で ミシシッピは私の子供の頃からの憧れの河。カナダ在住の時、長年の思いかなって ミシシッピに沿って旅行しましたが 初めて河に対面した時には 思わず涙ぐんでしまいました。
 余計な話になりましたが 七巻も 興味深く とりかかるのが楽しみです。
 それにしても秦さんの博識には驚嘆させられます (失礼ながら…)。一日に15册も本を手にされるという事を想い出して その原動力と蓄積を 納得の気がします。 ほんとうに物を知らない私まで 楽しませて下さいまして ありがとうございます。
 梅雨も明けましたが これから酷い暑さの日々も来ると思います。どうか くれぐれも お身体をお大切に。乱筆乱文 お許し下さい。
 p.s @ 少しばかりの玉ねぎを喜んでいただいて嬉しいです。秦さんが玉ねぎ好きだとは全く知りませんでしたが、それをお送りしたというのは 全く ヒット!?   ホームラン
!?   or ストライク! ですね! 来年もお送り出来るといいですが 何しろ素人なもので…。
 A それから 「閨秀」の松爺の砂繪の描写はすばらしいですね。秦さんは実際にごらんになった事がおありなのでしょうか。(見てみたいです…)
    秦野市    画家 妻の従姉妹

*  文は人なりと謂う、そのいい意味の、なつかしく匂うような手紙だ。まるで無関係だが 小松の井口哲郎さんのお手紙を想い起こす。手紙に味わい有ってじょうずな人に、内なる痩せを想わせる人はいない。逆は、ある。

 ☆ 拝啓
 蝉の声に暑さを覚える今日此の頃 先生にはますますご活躍のこととお喜び申し上げます。
 さて、この度は、秦先生の『湖の本』三巻をお送りいただき 誠にありがとうございます。お礼申しおくれ大変失礼いたしました。
 私はまだ未熟者で、漸くこの度博士課程を卒業(九月ですが)できることになりました。一歩一歩がんばって阿いきたいと思います。
 「湖の本」「拝読いたしました。「生みの母」を求め歩みを進める姿に引き込まれ一騎に読んでしまいました。ありがとうございます。
 それでは 暑さ厳しき折柄 くれぐれもご自愛下さい。   蔀屋  

* 国文学研究資料館今西館長 鳴門教育大 などからもご挨拶を受けている。

 ☆ 
花火に
  いらしたかと思っていました。
  もう何十年も見ていない瀬戸内に高く上がる花火、高梁川の仕掛け花火、懐かしく思い出されます。
、テレビ放映はするようですが、体を震わす音も光もブラウン管ごしでは、もどかしいばかりで。
 今夜は思いがけず一人になったので、夕方ふらっと出ようかと思いながら、台所仕事をしています。
  

* 晩の長時間番組で池上彰がじつに重要な日本の戦後問題を歴史的に追いかけながら、欧州へも視野と話題を拡げながらいかに日本人と日本国家の歴史認識が 半端で誤り多いかを説き聴かせてくれた。番組が終えたときわたしは拍手を送った。ことに日本とドイツとの戦後責任の認識や実践に天地の差があって日本の後 進的なことに、もともと痛感はしていたが、具体的な事例も介して、しみじみと納得せざるを得なかった。安倍総理と彼の内閣がナチスヒトラーのあとへ意識し て追随しているのはあからさまに過ぎている。危険なこと夥しい。
 この番組、どうか繰り返し放映して欲しい。

* 「或る雲隠れ考」を読み終えた。わたしはかねて、「凄い」という語の誤用に五月蠅いのは知られているが、しかもこの自作の小説
は秦 恒平創作の中で最も「もの凄い」小説だと新ためて自覚した。「清経入水」で太宰賞スタートをするよりずっと以前に、半世紀も以前にわたしはこんな「凄い」 小説を書いていた。自賛しているのでも自慢しているのでもない、わたしは、処女作の「或る折臂翁」「少女」の頃から、いわばハッピーな極楽や天国ではな く、もの凄い地獄絵図を美しく書こうとしていたのだと、ありあり思い出せる。その極めを打っているのがこの源氏物語に取材した「或る雲隠れ考」であった。 読み返しながらわたしは何度も身震いした。もとよりフィクションではあるが、リアルに動かしようのない「家」を書いていたのである。
 おそるべきは、この物語を語っている「私」であり、ひいてはその「私」を書いている作者の私自身である。なんという凄い男が書けてしまっていることか。
 「蝶の皿」や「畜生塚」で秦 恒平は女性読者に見込まれ、次の「慈子」で男性読者に支持されたとは多くの編集者に私自身いわれたことだが、「或る雲隠れ考」は男女とも読者をたじろがせ た。しかもベテランの編集者はこの作の「どろどろ」が秦 恒平の世界だと指さし、むしろ認めてくれた。
 もしこの作が優秀な映画作品になれば、(十分成り得るが)川端康成:原作の映画「千羽鶴」などはお遊戯並みに見えてしまうだろう。この小説、選集第十一巻巻頭に用意している。

* つづいて短篇「底冷え」を読む。「選集第九巻」は、もう「於菊」「露の世」を初校し終えれば、全編再校待ちの段階になる。

* 古い機械、愛用しているがいろいろと躓きが多くなっている。やす香の写真が可愛く出ているかなあ。


* 七月二十四日 金 祇園会 あと祭り

 床8::30 血 圧130-61(58) 血糖値101  体重68.4kg

* 鶴見俊輔さん 逝去
  「日本共産党だけは創立以来、動かぬ一点を守り続けてきた。それは北斗七星のようにそれを見ることによって自分がどの程度時流に流されたか、自分がど れほどダメな人間になってしまったかを計ることのできる尺度として、日本の知識人によって用いられてきた」(鶴見俊輔・哲学者)

*  本当に残念。
 鶴見さんは、亡兄北澤恒彦の、また甥北澤恒の先生、大先生のように遠見に見えていた。その縁でとは言わないが、わたしも、鶴見さんに時折りご縁を得て京ことばに関わる「対談」で引き立てて頂いたり、作への激励や批評のお手紙を沢山いただいてきた。
 上の、「共産党」に触れた鶴見さんの言葉など、現今日本の国民にとって最良の助言である。同感する。

 ☆   とうとう
 「生きたかりしに」全三巻、読み終わりました。
 「初原」の地が見えてくる辺りからは、もう、胸の高鳴りがそのまま伝わってくるようで、どんどん加速度もついてきて。
 こまぎれの時間を利用しての初読。落ち着いたら再読したいと思います。
 今はただ、「恋しくば」の遠い呼びかけに促されての永い遥かな旅をした「私」が、「ただ情欲を満たしただけの結果」なんかではなくて「此の世へ歩み出」 し、慈しまれていたと確かめた後に、<母>でもあり<姉>でもありうるような「愛(い)と子」との再会を当尾で果たし得たこと、 母の歌声を耳に作が完結しましたことを、心からお喜びいたします。
 吹きやまぬ風は、今どこに向かっているのでしょうか。
 どうぞお元気で。   
 

* 「目次」構成に、わたしは或る意味の「策」を構えて、「秋成」と「私」とのつかずはなれずの重ね繪が読者にもなんとなく予想できるよう に創っておいた。「母」かたにはあまく、「父」かたにはからいと見えてくるもののバランスをはかってみる創作意識・作意をはたらかせていた。予想したより も多く重く、読者はこの母方へと父方へとのバランスめく作意を実意として「よかった」とうけとって下さった。
もし事実然様であるなら、私小説に底敷きしたバランスの作意が、ま、いい方へ受け取られたことになる。
 もしも、作者であり子である私自身の実感から「母 三浦くに」への気持ちをいうなら、異父長兄「聡一」の母親観に、書いても読んでも終始一貫してほとん ど「同じ」であったと紛れなく気付いている。およそ聞き書きの他に方法を得られなかったなかで、わたしは「母」のあまりに偏りすぎて捩れた像を、ままその ままに近いまで修正してやりたかった。冷静に言えば「それだけ」のモチーフだった。まして「真の身内」が確認できたなどというハナシではなく、その限りに おいて「三浦くに」は小説の主人公たり得る多彩な光源を内蔵していたと信じていい喜びは、しかと掴んだ。
 父方方面へは、どう作が作として収束されて行こうと、いようと、作者としても父の子としても、ごく冷静いや冷淡であった。心情的にみて良く言って「不分 明で未解決で」あり、聊かの感傷も感じていない。「父」「父方」も、じつは既に書きかけてもいて、これまた難儀にも複雑な、あまりに嬉しくない実情が展開 して行くだろう。
 よく母を書いた谷崎は、しかし、リアルの母とイメージの「母」との別をきっちり私に教えてくれた。鏡花もそうだ。そて谷崎や鏡花の愛はどっちへ向かって深かったのか。
 わたしはたくさんな小説で「母」に熱く恋・愛してきたが、今回、リアルな母は「母」ではないことを「生きたかりしに」で実は冷静に冷徹に再確認したので ある。ましてやリアルの父は。いやいやリアルな父は、或る意味で母よりももっと痛切な苦汁をなめつづけた気の毒な敗者であったのを、今の私は識っている。 母の「生きたかりしに」はじつに分かる、よく分かる。父は、それに比して、何と我とわが心に問い続けながら死んでいったか。書き遂げられるかどうか、この 小説は、母の小説よりももっと険しい道を辿ると想われる。

* 母と父とから、わたしは何を承けたか。享けたか。身体髪膚、それは動きない事実。深い思いとしては、何を。言うまでもない、
血縁や親縁はなんら「真実の身内」を保証しない、「身内」は人が人として生きながら見つけ出し創り上げてゆくしかない、と。この私根底の思想からすれば、実の父も、生みの母もあまりに正確な「反面教師」であった。わたしはわたしの「身内」を探し求めずいられなかった。
 父母に感謝はしないのかと問われるだろう。「しない」とも「している」とも言うまい。それならば遙かに多く豊かに「秦」の親たちにわたしは感謝してい る。いまでもわたしは朝起きて真っ先に、「秦」の「おじいちゃん おばあちゃん」「あば」に呼びかけてありがとうございました、ありがとうございます、そ して、こころから「ごめんなさい」と不孝のかぎりを詫びている。

* 手洗いにはいると、安直ではあるが庭の梟が愛らしいちいちゃな扁壺に、妻が、はんなり、ふっさりと青紅葉を挿していた。なんという葉というものの美し さだろう。我が家の紅葉はささやかに葉がちいさめで姿よく好きだが、清潔な緑いろの瑞々しさ、堪らない。手洗いへ入るのが嬉しい。

* 「或る雲隠れ考」が懐かしい。まだまだ迷い多い筆つきのまま懸命に物語を書いていた。登場の人も場所も色や音や匂いも、みな懐かしい。おそろしいほど の物語でありながら、臆することなく遠慮無く書いている。登場人物はみな残りなくよく知った人たちばかり。そんな実在の人にびっきりする様な仮構の役をふ りあてて容赦ない悲劇が生まれて行く。妻も懐かしい一作のように挙げてくれる。「新潮」の小島さんが、「蝶の皿」「畜生塚」についで躊躇なく受け容れてく れた。みな、半世紀もまえの懸命の創作だった。

* 望月太左衛さん、浅草の花火へ今年も誘って呉れている。手術の年からは、三年、行けなかった。
行ってみたみたい気がしている。天上の孫やす香とものを言い交わせる機会だ。明日だ。

* 今夕は、これから、またまた歯医者だ。とてもとても解放されそうにない。

* 右下にまた入れ歯一つ。
 帰路、「中華家族」で、マオタイと妻がおすすめの酢豚で、小説「孫次郎」を校正。保谷からバスで帰る。

* 横綱白鵬、一敗で首位に立つ。あと二日。健闘あれ。

* 映画「ターミネーター」はシュワルツネガー映画の価値ある警告。機械に占領され毒された地球と人間の悲劇の未来、未来なき抵抗と闘争を予言する映画。電車に乗っても街にいても、うつけ顔で若いのも中年も、老いまでも機械に魂を奪われている。
 ここまでは使う、この先は縁を切るという機械との付き合いが出来ない限り、人間の機械化という死現象は日ごとに広まる。おそろしくなる。     


* 七月二十三日 木

 床6::00 血 圧125-69(60) 血糖値97  体重67.7kg

 ☆ 『生きたかりしに』上・中・下を拝読いたしました。  元「群像」編集長
 <「上田秋成」と現代の作家である自分との折り合いに、「母」と、「子」である自分との折り合いを付ける、工夫ーー。>を超えて、大きなうねりともいえる力に 読者である自分も引きこまれて、呆然としています。
 私小説を越えた「私」小説、秋成を手離さず 谷崎につらなり、かつ<書く行為を業のように信じている者>のその行為によって、圧縮されていたマグマがのびやかに拡がりだす爽やかな読後感でした。
 起稿なさってから三十八年、どのように補筆なさったかは窺い知れませんが、時間がふくよかに熟成させたのでしょうか。
 「三浦くに」はなんといっても魅力的です。縦に横にと広がる人と人の結節点にあって異彩を放っています。この母にしてこの作家あり、 <生きたかりしに>と詠んだその心をまっすぐに受けとめてくれた子を、母は喜んでいることでしょう。
 秦文学の高峰を読む機会を与えていただいたことを深く感謝申し上げます。
 暑い日が続きます。どうぞお身体お大切になさって、秦さんの”業”を全うして下さいますように。  二○一五年七月二十一日

* 身に沁みて有難う存じます。ますます努めます。

 ☆ お元気ですか。
 
梅雨明けの酷暑はお身体に障ることと思い、できる限り外出など控えて、とは言ってもさまざまな用事や、そして動くことも大切で。あーあ。とにかくもお お身体愛しみつつ、少しは甘やかして、きつい夏を過ごされますように。
 あまりに日々慌ただしく、かつての子育ての頃を再体験しつつ暮らしています。三か月と一歳十一か月の孫二人、そして大人が五人の食事の世話を「大変」と感じるのはやはり「年齢」なんでしょうか。
 本を読む時間もほとんどありませんが、先週、数日かけて漸く『生きたかりしに』下を読み終えました。
 秋成のことがもう少し書かれているかとも思っていたのですが、作家は終始「自分」を貫いたという実感を強くしました。その姿勢は、読む人によって評価や好き嫌いも現れるところでしょうが、そんなことは作家自身から既に離れた事柄で、鴉は、鴉の手法で。
 島崎藤村や志賀直哉の小説と同じトーンが流れているようにも感じましたよ。書かれていることは重く痛い事柄ですが、お母様の死からほぼ半世紀、その永い時間に文章がしっかり晒されて、ご自身にとっても納得いくものに、肯定追認しうるものに変貌したのではないでしょうか。
 読む者にとって、時にはお母様の手紙などに「時代」を感じたり、「系図」の類に再確認の必要が出てきたりしますが、それも謎解きのようであり、グングン前に進めて、読みとげました。
 お母様の生き方と兄恒彦さんの生き方、「同志」として感じられる手触りのごときもの、時代背景や革新性など諸要素はあるでしょうが、母としての切なさはやはり汲み取ってあげたい。生きるのに不器用で、でも真摯に、傷ついて生きた方です。
 下巻を読み終わって数日、今、特に心に響いているのは、五歳のあなたが秦のご両親について行って新門前のお家に入っていった光景です。
 どんな気持ちでついていかれたのか、そして、その、恐らく無心の歩みが生涯の選択の第一歩であったことを痛切に想います。
 また、その時まで育てていた奈良の祖父母様は、いずれ手放す覚悟であったとはいえ、突然の成り行きにやはり涙されたろうと思うのです。
 秦文学との出会いの最初に、本の帯に書かれていた衝撃的な事柄、それを、丹念に丹念に解きほぐしてくださった『生きたかりしに』は、重い意味をもつ作です。
 書きたいことはまだまだありますが、三冊を改めて読んでからまた書きたいです。何より今、時間がありません。
 それでもそれでも、お父様お母様、ご両親はお二人を突き離し忘れ果てたのではなかった。殊にお母様は苦しみ悶えるほどにお二人を想われた。そのことだけは銘記すべきです。差し出がましく、半ば臆しつつ、敢えて書きます。
 先頃送った絵のこと、わたしは恐縮しています。絵も有難いこと、過分のことと恐縮しているでしょう。
 マードレデウスは、ポルトガルの、少し雰囲気は違いますが「ファド」に近いものでしょうか。美しい声ですね。
 繰り返し返し、どうぞお身大切に、大切に。
 読み返す時間がありません。ヘンな箇所があればごめんなさい。   尾張の鳶


* 多忙ななかから、親切な、深切な、メールを有難う。ひび、大事にして下さい。 

* 恋ヶ窪の持田鋼一郎さんからもお手紙と、声援の有難いシャンパンを頂戴した。感謝。さ、どんな機に栓を抜こうか。まだまだ私には、先がある。

* 今日は「鷺」を読み、「孫次郎」を読む。
 室町末期、名高い松屋三種というと、徐熈の描いた「鷺」、大名物茶入の「松屋肩衝」、そして「存星寶尽四方盆」と極まっている。とほうもない、名品中の名品であった。
 「孫次郎」とは、金剛流に伝わる能面のすこぶる著名な名昨である。
 こういう美術工藝の名品名作を在に得てわたしが小説を創り出すのは、簡明に謂って、それらにまつわる美しさや由緒来歴や伝説を私が好むから、古典や能や歌舞伎や古美術や民俗に、趣味ないしそれ以上の愛好を自覚しているから、である。
 自分が読みたくて堪らない小説を、人は容易には書いてくれないので自分で書いてきた、という意味の大半は、いまいうような世界への趣味・愛好が、いつも 私自身を刺激し誘惑していたからだと謂える。いまどきの小説家で、そういう古典的趣味を生活の下地からしっかり身に帯びている人は、めったにいない。ほと んどが知らない、ないし趣味を持ち合わせていない。当然にも、だから私が読みたい世界を小説に書いて読ませて貰えるわけがなく、そんなに読みたいなら、自 分で書く、創る、しかない。
 「選集第九巻」の私の短編小説の世界は、文字どおりに、そういう「日本の古典的文化世界」なのである。「竹取翁なごりの茶会記」「加賀少納言」「夕顔」 「月の定家」さらに「鷺」「孫次郎」「於菊」など、その通りであり、更に加えて、「修羅」十二篇の短編小説は、みな、古美術と能と現代とのコラボレーショ ン小説になっている。私にすれば、書いても読んでも、面白く楽しく嬉しくて堪らない。
 だが、当然ながら、こんな半面も露骨にあらわれる。即ち、そんな美しい趣味世界とは無縁無知識の人には、小説自体が「むずかしい」「分からない」「読み取れない」ということになる。蔵が建つほどの多数読者には、はなから、恵まれるわけがない。
 いまごろそれに気づいたのではない、初めからそれと承知で、しかしわたしは、あくまで自分が読んで楽しくて嬉しくて面白い、しんみりと没頭できる界をこ そ「小説」としてに書き続けたかった。「騒壇余人」と名乗り、「湖の本」を創刊して三十年も本を出し続け、しまいには非売品の「秦 恒平選集」まで創っているのは、私家版の昔から今日に到るまで、迷いがないからである。
 文学の創作には、こういう依怙地に頑固なところが在って当たり前なのだと思ってきた。

* 今朝は六時前に床を離れ、ずっと読んだり書いたり、いっとき録画のヒッチコック映画の部分を観ていたりした。眼を使わずにはなにもできないなりに休ま せてもやらねば眼は堪らない。映像は、本や機械の文字を読んでいるよりはすこし負担がかるい。それもだめなら居眠るかさまざまな音楽を聴いている。大きな 画集を身のそばに置く場所なく隣家にむざむざ死蔵しているが、幸いいい画家を特集したカレンダーを何種類も貰っているので、その月が行ってしまっても繪や 写真は取り置いて、やたら貼り付けてある。栖鳳、御舟、土牛、靫彦、古径など。それらと一緒に澤口靖子のポスターや谷崎先生ご夫妻や、愛おしい亡きやす香 の写真などを、首をぐるぐるまわしながら狭い書斎で、なんとはなくほっこりと自足しているのである。これで書き物机が置けたらなあと嘆息する。とにかく、 とてもまともに歩きもならない。  


* 七月二十二日 水

 床7::45 血 圧139-63(64) 血糖値103  体重67.9kg

* 恐るべき照りつけ。郵便局へ自転車で三分を走るのが怖いほど。               

* 年度初めに出版や営業の管理職は「前年同期プラス」の目標提出を求められた。プラス20−50%ほどは当然のように要求されたが、そんな甘い計算で続 くものかとわたしは、可能な限りの上限しか出さなかったし、わたしの課はその目標を外したことは一度もなかった。機械的な「前年同期プラス」設定などバカ げていると思っていた。
 東芝のあきらかな不正・粉飾決算の惨敗も、名目数字のウソクサイ暴走にすぎない。企業倫理のカケラも失せ果てていたわけで、ただ嗤える。株主は刑事告発するのではないか。これこそ当然。

* 未熟少年らの「ポリ鬼」ごっこ、弱い立場の雇用女性へ管理職のセクハラ・パワハラ。ゲーム感覚でなされる殺傷犯罪。文字どおりに「GAME OF WAR」の底抜け地獄図が世間を覆っている。
 何故か。 いまぞ、はっきり言う。
 政治が、あまりにあまりにあまりに悪すぎるから。

* オリンピック一つにしても安倍総理は国際的に大きな「ウソ」を少なくも二つついてバレている、一つ福島原発危害の安全な解消、二つ、見事に新しい国立競技場の新設。

* まっさきに無能の極にある文科相は罷免更迭して当然。原発災害担当大臣も罷免に値する。疫学的にすでに甲状腺癌の数値は被害地元でおそるべき数値を示 しつつあるのにも、政治は顔を背けたまま、そんな危険地へ被害者を強硬に帰らせよう、手当はもう打ち切るなどとホザイている。政治が国民に対し、して良い ことか、そんなことも分からないのか。
 もう一人、あれほどの個人情報流出の責任を取らない厚労大臣も罷免されて当然だ。こんな杜撰な行政力のままで国民番号の実施など、国民總被害の懼れ極めて濃い。
 およそ安倍内閣の彼ら大臣らの手で、どれほど国民の血税がバカバカしく空費されたか、益々空費されて行くか。
 だめだ、だめだ、
「GAME OF WAR」ばかりウツツを抜かしている安倍晋三政治は、ダメだ。国の荒廃への足どり、目に余る。

* 今期 A賞(芥川賞ではなく。)に、思い切った団体を推薦した。銓衡で理解されるといいのだが。推薦への礼状はちゃんと事務局から届いているが。と゜うかな。

* 亡き福田歓一さん(元東大法学部長)の夫人から、また藝術至上主義文藝学会の若い京都の会員からも、「生きたかりしに」三巻へ懇切のお手紙を戴いてい る、が、いずれも長文で。お礼のみ申し上げておく。関西の会員さん、母上の方でさきに夢中に読み進んでいて、いろいろ話題にしてきます、と。許されるな ら、湖の本など、もっと欲しいとも。うへッ。
 高松市の読者からは「選集F」の、東海大日本文学科からは「生きたかりしに」受領の挨拶もあり。
 集英社「すばる」編集室からは上中下巻購入の払い込みがあった。有り難し。

* 郵便局へ熱風の中を。往きは下り坂で三分とかからないが、帰りはしんどい。気が遠くなりそうだった。四時前には保谷駅まで所用。歩けば二十分。バス停 までは徒歩で数分。帰りはタクシーを使うしかないが、日照りの直撃下で長く待たされると潰れる。歩くしかない。それでも仕事がはかどるのは有り難い。

* 熱光線をしたたかに浴びて、三時すぎ保谷駅まで出向き、駅構内パン屋の喫茶コーナーで校正しながら、凸版印刷の営業さんを待った。四時過ぎに出会い、仕事半分歓談して、五時過ぎには辛うじてバスで帰宅。かなり疲れた。

* さ、さしもの大横綱白鵬も下から攻め上ってきた大関や関脇に苦戦を強いられる土俵を見せてもらおう。新旧交代は生き物の世界では当たり前といえば当たり前。それを凌ぐのは先輩には厳しいけれども、そこに妙味もある。

* 仰向けにねたまま短編集「修羅」十二篇の初校を終えた。
 ま、これこそは自分で読みたくて堪らないように自分のために自分で書いて書いて積み重ねた「趣向」の短篇集。わくわく、うきうき、乗って乗って「おはな し」を書いている。しかも書いている私自身と根の切れた糸の切れた凧をあげているのではない。どの一編の物語でも、、あ、この語り手は秦 恒平だと思われるだろう、だが、読めばみな秦 恒平ではなく、さまざまな境涯に人となっている男なのである。それでも、やはり作者としっかり臍の緒をつないだ語り手たちばかりだ。とほうもない創りばな しでも作者は自身を軽率には手放していない。どんなにリアルな筆致であろうと作者の命綱が作中へのびていなければ、リアルどころかウソクサクなる。途方も ないお話しであっても作者が命の緒をしかと掴んでいれば、ウソはウソのまま本当に面白くなる。淡弁償説は然様に書かれねば存在価値も理由も喪ってしまう。

* おそい晩飯のアトは機械に向かい、「或る雲隠れ考」の原稿読みに励んだ。それはもうわたしには懐かしい作であり、苦心と玄人に明け暮れながら書いては 直し書いては直した小説である。それでも、今と隔たる五十年の重みは険しく、読み読み読みながら、微細なところで気配りの手を入れていた。「文学の文章」 とは「音のない音楽」だとつくづく思う。音の濁りやはずれを丁寧に直して行く。作家として表へ立って以降の作では、いま読んでもほとんど直しを要していな いのに。だが、その推敲作業じたいがとても嬉しく楽しいのである。そうか、こうか、やっぱり…などと呟かんばかりに、キイを使ってはことばの流れや走りを 正して行く。                     
* 十時半。さ、もう、今夜は、少し音楽を聴いて、そうだ松たか子の「みんなひとりぼっち」でも聴いてから、からだをゆっくりやすめよう。猛烈な暑さだった、戸外は。バス停から西日へ向いて家まで歩いた五分ほど。よろよろしていた。           
 明後日はまたそんな夕方に歯医者へ通わねばならない。次の水曜には聖路加の眼科へ通う。ほどよく雨が降って欲しい、嵐はイヤですけど。


* 七月二十一日 火

 床8::45 血 圧111-54(53) 血糖値104  体重67.3kg

  ☆ 拝啓
 いつも御本をいただき、何のお返しもできず申しわけなき次第です。
 今回は『生きたかりしに』の全部を拝読して阿、『秋成』(未)との関連とは別に、これをふしぎな感覚でふしぎな世界像の聳立を眼前にする思いにかられ感銘しました。(朱筆で)「源氏物語」を読むような感じでした。ありがとうございました。
 なお小生儀 体力を毀したまま生きておりますが、私どもに後継の者がなく、家内も体調不備、どちらが先にどうなるか不明で、いろいろと片付けものをしております。
 明日より二か月、山梨県清里の山荘で暮します。  高田衛  東京都立大学名誉教授

 ☆ 秦 恒平様
 暑中おみまい申し上げます。いつも本を送っていただきありがとうございます。
 ところで、私の父、富*恒*は先月より重い心臓病で入院しております。こちらの病院では、手術が不可能ということで22日に東京ハートセンターに転院す ることになりました。そのため大変申し訳ありませんが、当分の間購読を停止させて頂きたいと思います。元気になりましたらまたご連絡さし上げますのでよろ しくお願い申し上げます。  二女 真柄   山形県酒田市
 (はんなり囲って ) なお、父の耳元で私が「湖の本」を朗読すると、おだやかな表情で喜んでくれるのが よくわかります。

* 心よりお父様の御無事とご回復を祈り、多年のご親切に深く感謝申し上げます。

* 娘夫婦に無道な言いがかりと裁判沙汰に苦しめられていた時には、中学生だったお子さんから明快な理解とともに励ましてもらったことも忘れない。まこと、真実身内とは、血縁でも親族でもないのだった。

* 晩、ずうっと、マドレデウスを聴き続けている。どこかの国の演歌のようなものとか聞いたが、それはもうどうでもよく、詞は分からず、ひたすら曲と歌声 とに心身を添わせたまま、いろんなことを思っている。じっとものを思うということも大事なのである。上滑りに乱暴に流されてはならない。

* 「選集J」の巻頭に、何十年もむかし「新潮」に載った第二作の、「或る雲隠れ考」を選んだ。年譜でも振り返れるが、此の作には飽かず屈せず、じつに手 を掛けた。処女作を通り過ぎて、最初に「畜生塚」を、ついで「斎王譜=慈子」を書いて、「或る雲隠れ考」へ行った。この三作を書いてわたしの作家人生にあ る大きな「事」が産まれた。「畜生塚」の町子は「私」と結婚できなかった。慈子は「私」との子を流産した。「或る雲隠れ考」の阿以子は「私」との子を死産 した。そして「清経入水」にはじまるその後の小説世界で「私」は、死なせた女と娘との繰り返し返しの来訪に遇い続けてきた。おかげで、「ほんとうなんです か」と聞かれ続けてもきた。わたしは自分の人生にも作家人生にもそういう「仕掛け」を意図して創ってきた。だれも言わないので、「私」から明かしておこ う。

* 「マドレデウス」の盤二枚をむかしむかしに送ってきてくれたのは「尾張の鳶」さんだった。世界中を飛び回ってきた日本の「鳶」の見聞はたくさんな佳いメールに満載されている。たくさんたくさん教えられてきた。
 
* 小鳩くるみの最高の歌声「埴生の宿」を聴いた。いまはの死を想いながら「螢の光」を聴いた。
 もう今夜は疲れた、はやくやすむ。

 

* 七月二十日 月

 床8::15 血 圧131-72(71) 血糖値102  体重67.6kg

* なんとはなく気はくつろいでいる。大きな節目の第十巻を入稿したこと、昨年四月に第一巻が出来ていらい一年数ヶ月、やれば出来ることと分かってはいたが、それでも夢のようだ。
 梅雨も晴れたし、九巻の校正ゲラをたくさん持って、乗り物の遠出など試みようか。
 もうずいぶん昔、新幹線で熱海まで行きながら不案内で温泉に入れず、駅前魚屋の食堂へ入って、大きな伊勢海老などしこたま美味い魚を食った覚えがある。なんと行き当たりバッタリのわたしであることか。
 ま、それもいい、それがいいと思っている。                                

* 日照りは、さすがに避けた。街中をうろうろして食べ過ぎなければ体重は減る。なによりも体重を増やしたくない。それでも、ほんとうに久しぶりに、胃全 摘以降は初めての筈、東京駅構内、昔は再々馴染みであった沼津から見せ出しのカウンター鮓とここ暫くぶりに日本酒を楽しんだ。
 ゲラは趣向の短篇ばかりで、校正しやすかった。
 帰宅して体重を量れば、出歩きの効果は明らか、ひさしぶりに67キロを割りそう。
 暑かった。かなり参った。何故に今日が休日なのか、分からない。

 ☆ 
「生きたかりしに」下の続きを読み
 やっと405「本陣の娘が大名の」のくだりまで読んだところですが、なんと無惨なと感じると共に、母や兄、甥(そして自身もまた)が革新を願った根として考えていらっしゃるのも納得できました。  
神奈川  沢

* このメールには、「なんと無惨な」には、驚かされた。ま、そうもいえなくは無いけれども、 この本来「秋成」を書こうとして始められた小説の、流れ流 れて行きついた、とある流れとしては、( 創作当時の新学説に応じつつ眺めれば)、ここで思いがけず「上田秋成と大名家小堀」との、また、わが母方祖父「阿部周平と九州の大名家」との、びっくり仰 天の相似的奇縁が意味をもってくるのであり、探訪者のわたし自身、ここへ出遭ってまさに仰天もし、また奇遇のように面白かった。「無惨な」など毛筋も思わ なかった。
 それに、こんなことが、父周平を深く敬愛していた「娘=わが生母・くに」の「革新」を願う「根」だったなどということは、全くあり得ない失見当だし、「わが兄・恒彦」は、こんな「九州の大名の」ウンヌンなど、雫ほども知ることなくて亡くなっている。
 この私にしても、幕末の水口本陣での固く秘匿されていたらしい一件は、母探訪のさなかにあちこちから偶然に聞き込んだのであり、そんな噂ほどのことと、(それが在るとしても)私自身の革新性とになど、何らの関わりも無い。
 そもそも祖父に革新性など全くなかったし、母のそれが(在るとして)、それは自分の父となど全然無関係な甚だ性格的なものであり、わが兄のそれは歴然と して生涯りっぱな意嚮と実践であって、祖父との間には雫ほどの関わりもなかった。甥のことは言わないが、彼も彼の父方曾祖父のことなど全く知らないであろ う。
 こんな走り読みで文学部のマスターに軽々に「納得」されては、見当違い甚だしいですよと、ひらに謝っておく。びっくりしたなあ、もう。





* 七月十九日 日

 床7:30 血 圧118-59(58) 血糖値97  体重67.7kg

  ☆ 謹啓
 台風十一号が暴れ、国会内外でも逆風が吹き荒れて居ります。学生時代ノンポリで過ごした私でも、新聞ニュースの政治面に無関心ではいられぬ昨今です。(テレビは地デジ移行と同時に解約致しました。)
 扨て、「湖の本」 別途第一二七巻以降の継続購読料として一万円也振り込みますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
 更に昨十六日には、『秦 恒平選集』第七巻の貴重本をお贈りいただき、すっかり恐縮に存じて居ります、有り難く拝受致し、心より感謝申し上げます。
 私が奉職していた中学校の教え子の母親が、私の入院見舞にと届けてくれたのが「湖の本」初巻でした。その後間もなく、自分で購読するようになり、今に続 いて居ります。御作には古典に題材をとったものが多くあり、私の興味を惹く力も強かったのです。小説では、『秘色』『みごもりの湖』『親指のマリア』等は 多分初版本で読んだ筈です。(「湖の本」は、初巻ー一二六巻、すべて保存してあります。)
 この度頂戴致しました「選集第七巻刊行に際して」の文末で、先生が私と同年生まれだということを知り、一層、先生の作品が身近に感じられる気が致します。
 先生と私とでは勿論、雲泥の差ですが、中学時代の級友には、自称詩人や一家言を持つ者が多く、クラス内には、手書きの雑誌(同人誌とも言えぬような、今思えば大人のマネ事でしかないような。)を回覧して面白がっていた時期もありました。
 大学では、一応文科に進み、故西郷信綱先生のご指導のもと、「源氏物語」を卒論に選びましたが、最終的に文学の道には進まず、中学校の(国語と英語の) 教諭として四十年近く勤め、今は「悠々自適」と言えば聞こえが良いのですが、少しばかりのボランティア活動と趣味の世界(音楽、絵画、短歌、写真、旅 行…)に遊んで居ります。
 とりとめのない事を書き連ね、大変失礼を申し上げました。
 向酷暑の時節柄、先生も呉々もご健康にご留意され、益々ご清栄にてお過し下さいますよう。
 とり敢えず御礼迄。  敬具   横浜    

* ありがとう存じます。
 こういう真実「友」だちにわたしは励まされ支えられてきた。尋常ならぬ、文字どおり容易ならぬ作風、そのうえに世渡り頑固なわたくし、しぜん友の数は限られているが、一騎当千という言葉も実感もある。

* 国立国会図書館、東京都立中央図書館、京都府また京都市の中央図書館、その他順不同に、東大大学院 京大 同志社大文化学科 同志社大図書館 早稲田 大図書館 三田文学編集室 近代文学館  山梨文学館 神奈川文学館 京都女子大 名古屋大 大阪大 九州大 東北大 金沢大 お茶の水大図書館 法政大文学部 立命館大図書館 天理大図書館 神 戸松蔭女子学院大 日本女子大 昭和女子大 国立国語研 調布市図書館  福島県立図書館等々へ、選集を収めている。まだ不用意に洩らしている先がありそうに思うが。少部数非売本ですが、勝ってご希望の学校・施設・図書館・また 個人でも、一応お声を掛けて下さい。
 差し上げている個人の方々も、もし後々ご処分なさるようなときは、だれよりも、読書力旺盛な若い方々、または堅固な図書館や文系文化を大切にしている大学や研究施設へ、どうぞご寄託下されば有り難いです。

* 神戸の岡田昌也さん、巣のついた蜂蜜を下さる。感謝。満腹せぬように食べ物と量とに気遣っている。蜂蜜は少量づつで元気が貰える。村上開新堂さんの クッキーも美味しくかつ極く少しずつと紅茶とで十分食事になる。甘味は量をじょうずに考えてさえいれば、体力が保てる。体重が安定していれば、少量の麺類 も楽しめる。
   と、言いながら、昼食を食べ損じて苦しいほど吐瀉してしまった。食べずに空腹が気分いいのに、ちょくちょくとモノに手を出す。意地汚いのである戦時り欠食貧小僧は、老いても。

* 果然がんばって、大作『親指のマリア』を丁寧に読み終えた。入稿可能、「選集第十巻」という盛り上がりに成る。先はまだ長いが、到達感は深い。
 
* ショーン・コネリーやロバート・レドフォードらの激戦映画「遠すぎた橋」は無惨だった。無理な作戦の強行で兵の八千人が死に、街も住民も壊滅し、かつ がつ撤退してきた兵らに、司令官は、作戦の85パーセントは成功したんだと言い放ち、シレッとしている。後方も兵站もへちまも無い、これが「戦争」だと映 画は教える。おそらく、今度起きる大戦争は、こういう肉弾戦の以前に大量破壊兵器の使用でもっと多数が凄惨に死ぬだろう。この企画された映画放映の意図 は、安倍自民の暴走を批判していると読み取りたい。

* 
憲法学的に見ると、安倍政権はすでに専制権力だという。恐ろしいことだが僕もそうだと思うと
石川健治氏(東京大学法学部教授)は言われる。「私たちの国は安倍晋三らに乗っ取られた。あれは安倍政権によるクーデターだった」と。
 現在完了形で言ってのけて、そのままで済ませることではあるまい。


* 七月十八日 土

 床7:00 血 圧139-73(57) 血糖値94  体重68.3kg

*  指先、足裏の痺れ、すこしも改善しない。眼の不安定も言語道断。とにかくも不調のスキをすり抜けすり抜け仕事をしている。間に合うか、間に合わないかもと いう気持ちにつきまとわれ、文字どおり生き急いでいると感じながら、成るように成るだけのことと諦めている。諦めながら、したい仕事があれこれと脳裏を往 来するに任せている。

* 「九年前の安倍政権と私」(湖の本122)が、いま鮮やかに今日の危機的暴戻に重なっている。ようやく若い人が動き始めた。漸くである、永続し拡大して欲しい。

* 共産党志位委員長の長い演説を傾聴した。
 ある放送局のニュースと解説とで、いかに自民党政権が国民の前にウソを並べ立てて反省も訂正も誠実もなく、多年不潔な権力を悪用してきたか、また新たに知るところ多く、情けなかった。

* 原稿読みの目疲れをやすめながら、森下君が呉れた盤の一枚を機械に入れ、いろいろ聴いた。聴いた中では、湖東美歌がうたう「アメリカ橋」につよく惹か れ、狩人のうたう同じ「アメリカ橋」もおもしろく聴いた。奥山光伸の詞も信楽順三の曲もよかった。淡谷のり子の若い日の美声「鈴蘭物語」もなつかしかっ た。山本健吉先生と二人がかりで淡谷のり子と語り合った鼎談の昔も想い出された。「湖畔の宿」は曲だけでなく歌で聴きたかった。高峰みえ子だったろうか奈 良光枝だったか。べつの歌を松島詩子も唱っていたが、むかし苦手の感じがすぐ蘇ってきて驚いた。

* 二枚目も機械に入れてみた。倍賞千恵子の「鈴懸の径」に期待したが重ッ苦しくて、よく聴いている「かあさんのうた」や「遠くへ行きたい」ほどには響かなかった。鮫島有美子の「白い花の咲くころ」も粘った感じ。笑わせる東京ぼん太を、半分ほど聴いた。

* やはり「親指のマリア」や趣向の短篇世界「修羅」を読んで行って心満ち足りた。「生きたかりしに」下巻も校正しながら、ほどなく読み終える。

* 安倍悪政と自民・公明のなさけなさに、気が腐るばかり。そんなとき、「自分の世界が、ある」のが、そこへ没入できるのが、譬えようなく嬉しい。自分で 読みたくて堪らない自分の作をはなから書いてきた、書き続けてきた。この昂然とした自己満足をわたしは胸を張って恥じない。この気概が新たな今日を創り明 日を創る。所詮は一切みな消え失せて行く世界と心底疑わず、しかも満たされている。それが、いい。こういう「幸福」を追わぬことが「卑怯」の一つなのだ。

* 眼が見えない。音楽にしよう。
 
* と、言いつつ、階下で小憩後、また「親指のマリア」最終章を読み継ぎ、いよいよ最後の一節を残すだけとなった。明日には読み終えて、選集第十巻「入稿」用意の仕上げになろう。

* 宮沢明子イン・ニューヨークのピアノ曲、透明感のある美しさに恍惚としている。ピアノで愛盤というなら、これ。ガルッピ、スカルラッティ、ショパン、バッハ。胸にしみいる逸品。


* 七月十七日 金

 床7:00 血 圧135-69(58) 血糖値110  体重68.8kg

*  雨は明かり、飛行機が飛んでいる。関西は台風禍のさなからしい、平安に通過して欲しい。

 ☆ 祇園祭り
 
台風で心配しましたが、山鉾巡行が行われています!  尾張の鳶


* えぇなあ! 

* 感動に声を呑み泪をこぼしたまま『親指のマリア 五 洗礼の章』を読み終えた。書いていた当時よりもさらに深く切支丹牢の明け暮れに感動した。シドッチと、長助・はるの兄妹、魂を触れあい重ねた三者「真の身内」の愛と信仰。嬉しかった。
 さ、もう一章を読みすすめる。 新井白石と近代日本への歩み。

 ☆ 『私語の刻』
 二○○○年より二○○三年の記録拝読いたしました。一めぐり十二年も前のペンですが、今日只今の政情・人情をすでに先生は達観・洞察されていたのに、ただただ驚いています。ありがとうございました。  府中    作家

 ☆ 「生きたかりしに」
 天国の御生母に捧げる真心をこめた懸け橋と受け止めています。
 厳しい夏を迎えていますが 御自愛下さい。 敬具  石神井台    岩波書店編集者
 
* 選集第九巻は、百篇ちかい掌篇小説をいろんなバラエテイのまま「無明」と総題して収束し、さらに、よく選んだ短篇小説も二十篇ほども選集した。
 短い小説は、面白くなくてはならず、且つ、ちいさな疵も作の命取りになる。そればかりか、作者として、ある意味おそろしいのは、自然と泥を吐いているの が掌篇・短篇だという実であり、「おいおい、こうまで書くのか」と作者自身が顔をしかめたくもなり、文字どおり性根がで現れ表れるので、かなり、ヤバイ。 だから面白いともいえる。
 明日にも前半を要再校で印刷所へ戻す。
 選集第八巻を、いつごろ仕上げて貰うか折衝しているが、八月の盆の前後になるだろう。いまだに現代日本人の殆どの人が、片端も知らずにいて、その実は、 日本の近代へ現代へ向けてまことに重要であった歴史上の大事を、私独自の方法・手法で書き表してみた。歴史小説であり現代小説である「最上徳内=北の時 代」に、注目して欲しい。


* 七月十六日 木

 床8:00 血 圧133-65(64) 血糖値98  体重68.8kg

* つよい雨音がきこえたり、静かであったり。颱風ラッシュ、梅雨は上がりそうにない。 

* 選集H前半を要再校で送り返す用意、そして選集Iの入稿用意に終日励んでいた。

* 国会で安倍暴法は多数に乗じて可決された。与党は、六十日戦術で参議院で決まらなくても衆議院で再可決を明らかに狙っている。そのための昨日今日の強行採決なのは明らか、なのに野党は結束して今日の可決前に動議を連発して徹底抗戦するだけの気力も見せなかった。
 オーラの淡い岡田民主党の言いぐさ、聞いていてアホカイナと思うその場限り。「憲法違反の疑いがある」なんてことを言っているのでは、失笑の前に苦々し い。あきらかに安倍自民らの強行は憲法違反そのものではないか。民主党は一刻も早く例えば長妻を起てて、脇に強い賢い女性議員を配すべし。

* さ、眼をいたわり、熟睡の一夜を願おう。


* 七月十五日 水

 床9:00 血 圧135-66(64) 血糖値102  体重67.8kg

* 
国民の憲法は、今日2015年7月15日、安倍晋三政府・自民公明与党の横暴多数により蹂躙された。
 日本国土と多くの同朋を灰燼と死に帰せしめた過ぎし悪夢の戦争犯罪人たち。あたかも彼らが幽霊孫であるを
誇りとするような安倍総理虚妄の権力欲は、ついに日本国を、あたかも米国等の属国となし、再度の降伏と追従を
誓うに等しい憲法否定によって、国民を、いわれなく他国の戦場へ従兵として人身御供に供する暴悪法を強行採決した。
 われわれは、堅忍、政府与党売国の悪政に抵抗し、国会解散を徹底要求しつつ、来年の参議院選挙はもとより、
次回衆議院選挙で、自民・公明両党の壊滅にひとしい選 挙結果を獲ち得、再び、我が国の歩む道を正さねばならない。
 そのためにも、一日一日
、「アベ政治を許さない」決意を新たに、「I am NOT ABE!」の旗を高く掲げつづけよう。

* 今、国民統合の象徴である天皇のことばをわたしは聴きたい。宮城前に全国からの国民が集まって「平和憲法をまもる声」をあげてほしい。

 ☆ 
秦様
 ご多用中のところ、メールありがとうございました。
『親指のマリア』は素晴らしい小説だと存じます。
 最上徳内については、よく知りません。まことに図々しいお願いですが「湖の本」で是非拝読いたしたいと存じます。
 日本近代が水戸学と結び付けられて考えられ過ぎてきたことに、何となく違和感を抱いておりましたが、『親指のマリア』を拝読して、その違和感の正体を見つけたような気がしております。
 この小説が文壇のみならず、日本の歴史学会でなぜもっと問題にならないのか不思議な気がいたします。
 森鴎外は『伊澤蘭軒』の中で漢方医学と西洋医学の対立が攘夷と開国に思想的につながると述べていますが、白石を日本近代の礎石と考えることは 日本の近代史理解に画期的な転換をもたらすことと存じます。
 ご都合のよろしい時に一度是非お目にかかり、いろいろお話伺いたく切望いたしております。場所は適当なところを選んでいただければどこにでも出かけます。酒は弱くすぐ赤くなりますが、日本酒二、三合はお付き合いできます。
 私は『米欧亜回覧の会』という民間の研究会と東京経済大学の「世界システム研究会」に出席しておりますが、両会で『親指のマリア』と秦史観を大いに宣伝しようと存じております。
 また、『古史通』を読み始めました。白石の文章は私には難解ですが、とにかく少しずつ読んでいこうと存じております。
 佐藤一斎の『言志四録』に「若くして学べば壮にしてなすことあり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死しても朽ちず」とありますが、若い時も壮年時代もろくに勉強してこなかった私ですが、この言葉を座右の銘に、秦様を見習おうと存じている次第です。
 今後もよろしくご指導のほどお願いいたします。   拝


* 勉強とは永く勉める意味であり、強とは容易くはない意味であろうと実感してきた。「古史通」もなかなか強かな文献であって、足を踏み外すと深い谷へ落ちる。

* 深い濃い静かな闇が恋しい。

* とても疲れている。シンから疲れている。処方薬を薬局へ受け取りに行っての帰りに、鮓の「和可奈」で、せめて心地よい銚子一本もと思って出かけたの に、とてもそんな気になれず、ゆらゆらと家に帰ってきた。暑さと脱水も、ある。それよりも、だが、安倍政権のとめどないゴリ押しの悪政、その前に萎縮し服 従して理性と正義の声ひとつ挙げられない自民党員らの惰弱と卑怯とに、身も腐りそうな吐き気を覚えるのだ。残念だが国会を取り巻く体力は、ない。しかし、 目は背けないぞ。

 ☆ 
本当に
 暑い日になりましたね!    さすがに祇園祭の頃の暑さは昔も今も変わりませんねぇ〜      
  ところで 今 丹波の長姉の所に来ています。   秦さんの丹波の思い出をなぞりながら 今朝出掛けて まいりました。
  ここは丹波でも 北になる園部です。 近くに園部城があって園部高校がその中にある様ですね!    
   息子達が小学生の頃には松茸狩りや筍掘り 稲刈りの手伝いなど経験して、楽しい思い出 です。  子供のいない姉夫婦も卒寿と米寿となって二人別々の施設に入っています。  今日は空き家になった自宅の掃除に来ています。 夕方5時になったら奈良へ帰ります。
  京都駅は宵山の人出で賑やかなことでしょうね〜 
  ではまた 今日は とり急ぎです。 どうぞお元気でお過ごし下さいませ。 有り難うございました。  

* この人も喜寿、わたしより二つ若い。しかし喜寿のこの人はまったく想像も出来ず、高校時代の小柄に温和しかった少女の感じでしか、このメールの便りも読めない。

 この人に限ったことではなく、しかし、これって、ちょっと、マイルなあ。マイルけれど、考えようでは、後期高齢の若々しい、初々しいラブレ ターの往来が可能な空気が流れうるとも想えば、ちょっとおもしろい文学のこころみが、創作される老いらくの自然が、フィクションとしてリアルとしても可能 になるのかも知れない。なんだか、とても楽しそうな、かつ、春愁に似て非なる愁いにみちた「老春小説」が、書けそうやないか。

* 映画「ランボー」の三度目か四度目の作を観ていた。妻は「ランボー」は苦手だというが、わたしは作意を貫いている傷み、悲しみに惹かれる。ベトナムで の闘いが、横柄で独善的なアメリカ帝国主義の身勝手で悲惨な経過を経、その中で命懸けで闘った兵士達は自国・故郷へ帰還しても、同朋からも国からも愛され なかった無惨さ。その悲しみと怒りとをシルベスタ・スタローンは全身で表現し、わたしは彼と同じ悲しみ・怒りをつよく共有する。シュワルツネガーの活劇 と、スタローンの「ランボー」とは質が、主張が、訴えてくる実感がまったく異なっている。見始めたら眼が放せない。
 安倍内閣の今回の政策からすれば、もしもまたベトナム戦争のような戦争の際は、ランボーではない日本の若者が尖兵として借り出されかねないのだと想うと、やりきれない。 


* 七月十四日 火

 床9:0 血 圧120-66(66) 血糖値94  体重67.5kg

* 
明け方、つよい胸焼けに辟易した。

*   途方もなく暑い。今夕も江古田の奥まで、歯医者に通う。

* 吉備の有元毅さん、美味しい葡萄のピオーネ一房、すばらしい白桃をたくさん、頂戴した。有難う存じます。
 川西の東野美智子さんには、男物の佳い扇子を頂く。感謝。

 ☆ 
 「罪はわが前に」 源氏物語
 「生きたかりしに」 上田秋成  少しオーバーラップ? してきました。いまさらながらですが。
 棟方志功版(細川文庫4 全12頁)『夢応の鯉魚』が木箱のスミから見つかりました。何かのエンでしょうか。ただしコピー版でした。棟方好きの私のために だれかが造ってくれたーーようです。  濃尾市 井口哲郎 元石川近代文学館館長

 ☆ 略啓
 御健勝大慶に存じます。「生きたかりしに」有難く頂戴しました。
 この出版事業は 秦さんの生涯現役宣言だと改めて認識した次第です。
 今度 川越で鰻でも食べませんか。 不備   志木市  寺田英視  前文藝春秋専務

 ☆ 湖の本126 落手
 ありがとうございます。
 読むとはなしに読み進んでしまいました。ふらちな読者ですみません。 豪徳寺  島尾伸三 作家・写真家

 ☆ あまり
 解釈しないで作品世界に浸りたいと思います。 八潮市  小滝英史

 ☆ 生きたかりしに
 ご完結 敬服しております。  大和郡山市  鈴木昭一  藤村研究家

 ☆ 生きたかりしに
 重く大きな主題で素晴らしい労作、傑作でした。  神奈川  高城真夫妻

 ☆ 生きたかりしに は
 他の私小説とち違って、つらくなく読めました。久しぶりの浄福感を味わいました。
 故人を憶い出すのが「供養」と教わりました。  狛江市  野路秀樹

 ☆ 昨夜から
 読み始め 詠み了りました。下巻もっとも興味深く いつのまにか引き込まれ、一気に通読いたしました。
 自我か強く、自己主張が烈しく、自由奔放に生きたご母堂様の一生を執拗に追跡され、過不足なく浮かび上がらせた秦様の情熱に感心するとともに、こういう ご母堂様の血を継いだからこそ小説家秦 恒平は誕生したのだと 改めて考えました。秦様の背負われた「業」はやはり深く重いものだったとも感じました。秦版「女の一生」として多くの読者を得るこ とを願ってやみません。同時に別の視点からの上田秋成も読んでみたいと存じました。
 いま「親指のマリア」拝読しておりますが、遠藤周作のキリシタンものとはまた違った内容と奥行きをもつ作品で、じっくり味わいながら読み通そうと存じております。  国分寺市  持田鋼一郎  歌人・翻訳家

 ☆ 梅雨空のつづく
 毎日ですが お変わりございませんか?
 先日は心温まるメールを頂き有難うございました。
 又 お送り頂きました第七巻も楽しみながら拝読しております。本当に「京都」への愛着と言いますか 故郷のなつかしさをいつも有り難くしみじみと感じて読ませて頂いています。
 私も喜寿を迎えて人並みに「山あり他にあり」の人生を過ごして来た様に思います。又、メールでお話ししても良いでしょうか。
 これから夏本番の暑さがやってまいりますね!! 
 どうぞくれぐれもお身体お大切にお元気でお過ごし下さいませ
 末筆ながら ご令室様にもよろしくお伝え下さいませ いつもお優しいお葉書を頂き まことに嬉しく有難いことで よろこんでいます。
 降り続く雨の中にて…  七夕  奈良市    高校後輩

* 過分のお心遣い恐縮です。感謝します。

  ☆ 秦兄
 戦後日本流行歌史第2巻の曲の整理がまだ出来かねていますので、ご本を受け取った印に、(早稲田)大学クラス会の開催記念CD盤を、残りもので失礼ですが直近の3回分をお送りします。
 家族身内で弦楽合奏を愉しんでいる者から、宴会の二次会でマイクを独占してへたなナツメロに酔いしれている者や軍国少年あがりの者などに手配りしますの で、お聴きのような何でもありの五目飯的CDにいつもなっております。それでも具の中には、今までに聞いたことがない曲も混じっていて結構楽しめると、よ ろこんでもらっています。特に本人たちより奥さん方に毎回好評のようです。わたしの顔を見知っている奥さんなどは「**さんは顔に似合わず甘い曲が好きな ようね」と云ってたよ、という友には「お前の奥さんは音楽を顔で聞くのか、器用やな。ふつう音楽はオイドで聞くもんやけど」と冗談をいって笑わせていま す。オイドは(京ことばで謂う)お尻のことではなく、スペイン語で「oido=耳」のことやで、の但し書きつきのジョークですが。
 兄とちがってわたしはグルメではないので食べものには特別関心はなく、酒は大好きですが貧乏性で少量で酔える、できるだけ度数の高い蒸留酒を、発泡酒を水代わりに飲んでいます。
 音楽はガキの頃から好きで、弾くことも、歌うことも譜が追えないので出来ませんが、聴くだけは何でも聴きます。草野球並みの守備範囲は、バロックからロ マン派位までと中南米ものぐらいてすが、ファドやディキシーランドから日本の民謡まで、その日その時々の気分で適当に愉しんでいます。大学時代にはじめて 入手したオープン・リールの録音機を皮切りにカセットからMDやCDにSP盤やLP盤を、ラジオのエアー・チェックと並行して録りまくりました。
 磁気テープのほとんどは杜撰な取扱いでおしゃかになりましたが、それでも毎日10時間づつ聴き続けても、生ある間に二回は聴けないかもしれません。そんなわたしの道楽に、女房は「これさえなければ住み心地のよい家に住めたのに」と音源を目の敵にしています。
 わたしはコレクターではありませんので聴きたい音源は買いますが、ほとんどの場合昔は磁気テープに、MD,CD時代になってからは、それらに録音しては 原盤を処分し次の盤を買う、自転車操業の繰り返しです。ですから女房の嘆くように、買うときは2−3000円でも売るときは2−300円ですから、手持ち 音源のほとんどには市場価値はまったくありませんし、それでよいのです。
 そんな女房の恨み節のこもった音源の中からのCD−R盤ですが、兄のオイドを和ませる曲が数曲でもあれば幸いです。
 日本歌謡史のほうは昭和20年を境として、戦後と戦前のシリーズを目論んでいるのですが戦後編はわたしの好みと、わたしのしばらくのやくざな生活時代か ら見て、精々昭和40年頃になりましょうか。日本の歌謡曲もカタカナの曲が幅を利かせるようになる一方で、流行歌が「えんか」と十把一絡げに呼ばれるよう になった頃がボーダーラインになりそうです。
 何はともあれ、いつもいつもほんとうに有りがとうございます。
「流行歌(うた)は、こころの日記帳」です。お互いに聴いて往時を懐かしみましょう。  京・岩倉  辰  中・高同窓

* 音楽の盤を三枚も送ってきてくれた。ハイカラの曲もたくさん。楽しみます、感謝。
 ファドのマドレデウスも、ジャズも、クラシックも、パバロッテイやマリア・カラスも、スターバト・マーテルも謡曲も平曲も演歌も唱歌も、わたしも雑食している。思い屈したときや心静かになりたいときに聴く。音量と共に聴く。

 ☆ 私語の刻の
 「書かずにはおれなかった、それだけが、いま、わたしの本音である」というお言葉、大変重く、深い愛を感じました。
 くれぐれも御身お大切にと念じております。かしこ 
 先日 森鴎外記念館へ行って参りました。  堺  郁  歌人

 ☆ 拝呈
 御作「生きたかりしに」三巻 本日読了いたしました。徳に最終章の笠置木津のあたりはかつて学生たちと歩いたこともあって一気に読みました。 さて秋風は吹いておりましたろうか。
 このようなこと 作家に向かっていうべきことではありませんが、 ここまで書いていいのだろうかというのが俗人の感想でもありました ご憫察(殺)下さい まずは御礼のみです どうぞお大事に。  八王子市  東郷克美  早大名誉教授

 ☆ 大病を
 なさったのにもかかわらずお元気にご活躍 なによりのこととおよろこび申上げます
 梅雨もまだうっとうしさを残しております くれぐれもお大切にと祈念いたします。 七夕の夜半 たまたま雲の切れめに遇いました。 これも天恵の一つでしょうか この世 ありがたいことです。  江戸川区    俳人

* ある人から、今しも選集第十巻に内心予定してすすめている『親指のマリア』に、それとは知らぬままこの作を通読された感想が届いた。
 京都新聞の朝刊に連載した長編「親指のマリア」に到るわたし自身の願いや認識は、選集第八巻としてすでに責了し八月半ばの刊行を待つ段階の「最上徳内=北の時代」あとがきに、すでに手強く触れてある。

 ☆ 前略ご免下さい。
 ただいま 一○一五年七月十一日午後八時三十五分、御著『親指のマリア』を拝読し了りました。読み了ると同時に、自分の感じたことを秦様に何としても申し上げたいという衝動に駆られました。
 まず、「信じる」とはどういうことかと納得させていただきました。
 私は三年半前の妻の死後、カトリックの洗礼を受けましたが、自分の信仰に確信が持てないままでおります。神父やシスターに接し、極力ミサに出席し、信徒 仲間と語り合う機会を多く持つようにしておりますが、自分の心の姿勢がどうしてもカトリックを「知る」ことに傾きがちで、知れば知るほど「信じる」ことか ら遠離って行くような樹がしておりました。
 しかし、御作を拝読、「信じる」ことに一歩近付いたような不思議な感覚を得ております。
 もっとも私の信仰は、「信じる」よりも「すがりたい」という重いの方が強いような気がして、自省しております。
 シドッチ(=神父?宣教師)の信じる姿勢を、「知る」ことに徹してシドッチに接した(新井=)白石がもっとも良くしたという風に私は御作から読み取りま した。白石の「知る」姿勢に、日本の近代の萌芽を見る秦様の見解に、まったく賛同いたします。水戸学を維新の思想的バックボーンとする見方が一般的です が、久米邦武の「米欧回覧実記」を読みますと、米欧を「知る」ことにどれほど維新の志士たちが精魂を傾けていたかよく分ります。(いち早く西洋記聞を書き 著していた=)白石と「米欧回覧実記」とのつながる線をこれから勉強してみようと存じております。
 また、吉宗の問いに、「世界を識る眼が開かれていなければ、五十年後には異国の支配を受ける」という白石の応えに、これほど簡にして要を得た近代化論はないと感心しました。
 このほか、秦様が日本の歴史、日本の古典に徹底して没入し、生半可な外国語などの知識と無縁であったことが、こうした傑作を無生んだのだという感を深く しました。日本近代のアイデンティティを追求したのがこの御作(=「親指のマリア」および「最上徳内」)なら、ご自分のアイデンティティを追求したのが 「生きたかりしに」(=とも「罪はわか前に」)だったのだと改めて納得した次第です。
(中略) 今月末に谷中へ墓参の帰りに国立博物館に行き、「親指のマリア」との対面を果たしてまいりたいと存じております。
 いささか興奮気味で乱文乱筆お許し下さい。 草々    

* 「最上徳内」も「親指のマリア」も相当な長編であるが、この程度の長さの娯楽読み物は珍しくあるまい。しかしわたしの此の二作は娯楽読み物ではない。 方法はそれぞれ大きく異にしているが、歴史小説であり、また作者渾身の渉猟と論考を込めたもの、生なかの姿勢では精神・肉身に接することはできにくいだろ う。秦 恒平選集の太い芯として、大事に仕上げておきたい。

* わたしは愛することは知っているが、抱き柱は抱かない。神仏への崇敬は持っているけれど、信仰はしていない。信じる相手とも思っていない。しかし敬虔 な信仰者の精神にも生活に対しても愛は感じる、敬意すらも持つ。そういうわたしが、心籠めて切支丹牢のシドッチや長助・はるを書き、白石や通詞たちを書い た。心底の誠意を以て書き上げた。私小説は措くとしても、小説として誰を書くときも、同じ姿勢である。

 ☆ 週末に
 
「湖の本」届きました。
 永い永い時を経ての「生きたかりしに」完結、おめでとうございます。
 今日、電車で「私語の刻」のみ拝読しました。
 「音楽によって動揺するものを人は胸の奥に隠している」という言葉に、深く頷いています。
 ここ数日で急に暑くなりましたが、体調を崩さぬようくれぐれもお気をつけて。  
 

* 歯科への通い、暑いのにも参ったが、風の激しさにも面食らった。空は明るく晴れ渡っていた。

 それとなく木蔭をつくる日照かな
 閑かさや日照の坂を二た折れに

 海棠の紅(こう)も翠も梅雨の花

 帰りにバー「VIVO」でうまい赤ワインとおすすめのサッポロビールを、ブルーチーズで。そのあと、まつたくの気まぐれでラーメンをひざびさにどうか知らんと小さい店へ入ったが、失敗。
 帰宅後、豆腐の味噌汁だけを。これまた食べ方がわるくて、苦しいほど執拗にえづいた。

 ☆ 「湖のほん」ありがとうございました。
  突然の猛暑になり、びっくり。お二人とも熱中症対策は萬全にお願いします。
 「湖のほん」ご発送いただきありがとうございました。
「生きたかりしに」の下巻読ませていただきました。
 重い内容に本を伏せたいような、先を読み急ぎたいようでもあり。
 親として、自分の子どもを手放さなければならない状況は如何なことがあっても、正常ではいられない気持ちでしょう。
 それを思いやられての作品が、書き出されてから今回世に出されるまでの長い年月を必要としたことで図られるような気がします。作品にしていただき、読ませていただけたことありがたく思っています。
 ご親戚との関わりが出てくると、ホッとしながらも、秦様だけでなく、迪子さんにも重い日々があったのだろうと推察しながら、支えておられる優しい心情にほっとしたりしました。
 私情を離れて読めず、申し訳ないようなお礼状で失礼します。
 梅雨もまだ抜けきっていないようですが、後2・3か月お互いに心して暑さを凌いでまいりましょう。
 くれぐれもご自愛を。   練馬  持田晴美



 

* 七月十三日 月

 床6:50 血 圧136-66(63) 血糖値89  体重68.2kg

*  猛暑の一日を出歩くことになる。無事でありたい。

* 切支丹牢に、「身内」の日々が生まれている。嬉しい。

* 糖尿の検査、良好、ただ腎臓のデータがいつもより良くないのは、水分摂取の不足、そして塩分過剰でしょうと。思い当たる。お酒をからだに入れるならそ の分もひときわ水分をとり脱水を防がないと。わたしは一度は「強度の脱水」で命を落としかけ、胃全摘の手術時に匹敵する緊急入院をやむなくした。
 今日の築地から新橋演舞場まで日陰を縫っての徒歩行、暑かった。時事通信社の玄関外で半時間近く座り込んだ。

* 染五郎、勘九郎、七之助らの「アテルイ」 おもしろく観てきた。アテルイは坂上田村麿と烈しくたたかって屈し、都へ引致されたアイヌ族の英雄、平安初 期の正史にも名前が出ている。それだけの正史をほとんどマンガチックに大脚色して活劇仕立てにした破天荒・放埒な作り話でありながら、批評の的をたくみに 設定して、神ないし帝というまぼろしに操られ、ないし利用して闘いあう者らの、信頼し合う人間同士としての理解・自覚、それでも蹉跌し勝者・敗者の歴史が 生まれてしまう悲喜劇を、なかなか巧みに脚色していた。すくなくもこの舞台、戦前・戦中なら作者も演出家も、役者達も、関係者全員が禁獄されたであろうほ ど露わな「帝・都」批判をおめず臆せず歌いあげていておどろかされた。
 まだ三十年余のむかし、まだその頃、大きな総合雑誌の編集者から声ひそかに、「秦さん、天皇には触れない方がいいですよ」と注意されたことがあつた。今 回「アテルイ」の舞台は、そんな幾昔か、といっても敗戦後年を経ていてなおかつ「天皇に触れた言説」が禁句めかされたのとくらべると、モーレツとさえ謂え た、そしてそれはわたしには首肯できる批判であり非難であり虞であった。そのような舞台を観られたのをわたしは喜ぶ。
 わたしの江戸時代後半の「最上徳内」は、さながら舞台「アテルイ」で強引に創られた坂上田村麿の自然体に相当している。小説の造りは或る意味ベラボーで も、そこで描いたアイヌモシリの歴史は、とうてい軽視も無視も成らないもの。その意味では毫末も荒唐無稽な作り話はしなかったのである、

* 座席まで、愛らしい染五郎夫人が挨拶に見えた。若き高麗屋のアテルイ、真摯な熱演。中村屋兄弟の田村麻呂と鈴鹿(アラハパキ神)も大健闘で楽しませた し、いつもの歌舞伎座か武器とは大違い、萬次郎や弥十郎や亀蔵、宗之助、橘太郎らも破天荒の活躍でおおいに役者自身が楽しげでよかった。稽古が行き届いて いて、場面がはげしく移動していっても弛み緩みみせずに小気味よく展開したのも演出のお手柄だった。
 観客が照明具を配られていて、終幕のところで盛り上がりスタンディングオベーションも。
 しかしおそらくアラブの混乱等も念頭に置いていたに違いない、神や帝をぬきに「人間と人間」とで争いをなくして行こうとの舞台からの念願や主張が、は て、しっかり受け取られていたろうか。それでも、こういう趣旨が「カブキ」として虞れげなく打ち出せている事実にわたしは拍手を惜しまない。

* 日比谷のクラブに入り、例のエスカルゴ、角切りステーキで遅い晩食。妻は赤ワイン、わたしはブランデー。
 ゆっくり帰宅した。手紙などたくさん。それも置いたまま、就寝。


* 七月十二日 日

 床5:30 血 圧138-71(50) 血糖値97  体重68.8kg

*  早朝から『親指のマリア』五章をヨワン・シローテ(ジョヴァンニ・シドッチ)の目と思いとで読み進む。

* 元朝日の記者で「湖の本」創刊に親切で強い後押しをして下さった伊藤壮さんから、大きな桃の実を九顆も頂戴した。また作家の津田崇さんからも、小田原 の美味そうな立派な干物をたくさん頂戴した。久々の長編新作の書き下ろし出版をよろこんで下さっている。感謝に堪えない。

 ☆ 湖の本126、拝受いたしました。

 秦先生
 梅雨の晴れ間の太陽が、容赦なく蒸し暑さを連れてきます.
 ああ、もうやる気でないなあ〜
 などど思っていたところ、郵便受けに先生の封筒を発見!!
 だらだらしている場合じゃないぞ と自分に喝を入れた次第です。
 ありがとうございます。
 完結編、しっかり拝受いたしました。三冊、きれいに並びました。
 心より御礼申します。
 私は伊賀上野の出身なので 加茂、木津、笠置...近しいところです。浄瑠璃寺から岩船寺までの石仏の道も小学生のころから幾度となく参りました。
 しかしながら、数年前岩船寺を訪れて泣きそうでした。
 あの塔が、建築当時の色に復元修復されていました。
 法律のとおり復元修復されたのでしょうが、堪忍してほしいなあと思いました。
 実は私、見たい展覧会があって昨日、一昨日と東京に行っておりました。
 田能村竹田(出光),江戸のダンディズム(根津美),前田青邨(山種) そして洋画の鴨井玲(東京駅),ヘレン・シャルフベック(芸大美)を廻りました。
 秦先生がおっしゃっておられた本来の意味での「作品」に多く出会えました。
 京都は、祇園祭ムードです。
 この暑いときは大変ですが、涼風が吹き始めましたらぜひ、お出かけくださいますように。
 「生きたかりしに」完結を祝して、僭越ながら乾杯させてください。
 では、夏本番を迎えます。
 おからだ、くれぐれもご自愛くださいますようお願い申します。  京都府  
                                                     
  
秦 恒平様
 「湖(うみ)の本 126 生きたかりしに(下)」を拝受しました。
 引き続きただ黙々と読み継ぎます。   練馬     妻の従姉弟

* 明日は午に聖路加で検査と診察、引き続いて、新橋演舞場で染五郎、勘九郎、七之助らの「アテルイ」を楽しむ。病院から劇場への綱渡り、無事に渡りたい。
 染五郎は、九月歌舞伎座の秀山祭(曾祖父初世中村吉右衛門の記念興行)にも、金太郎クンとともに出演、昼の部を、もう予約した。演目が気に入った。

* 混戦模様の名古屋場所、へんに面白くない。復帰の横綱鶴龍のほか、大関も横綱もてんで相撲になってない。日馬富士と妙義龍の相撲など、分は横綱にワル くて、取り直しが順当。白鵬も宝富士に棒立ちにされてしまっての辛勝など、解説舞の海に無遠慮に「力落ちた」などと言わせているのでは、なんとも情けな い。イヤな感じ。大相撲いよいよ混戦時代に入るか。

* 「加賀少納言」「夕顔」を初校終え、「親指のマリア」洗礼の章のクライマックスを読みすすめた。かけがえのない、わたしの時間。


  

* 七月十一日 土   祇園会始まる

 床7:00 血 圧132-68(55) 血糖値102  体重68.6kg

*  田勢番組で、田原総一朗ら政治評論家三人が、安倍政権の手法と自民党のぶざまさをよほど突っ込んで語り合っていた。安倍に代わって野田聖子を推してもい た。それは、ま、成るまい、今の自民党代議士の大勢が次回選挙での落選候補なのは明らかであり、いま安倍に楯つく力はない。小泉進次郎もぶきみなほど沈黙 している。しかし、野田聖子は声をあげる潮時を得ている。安倍は必ず潰れるだろう。

* 田原総一朗と猪瀬直樹が対談した『戦争・天皇・国家』(角川新書)を猪瀬直樹氏が送ってきた。読んでみよう。
 ただしわたしは、この二人がこう並べば、一言言っておきたい。わたしはかつての社会党に何の贔屓も情愛も政治的共鳴ももってはいなかったが、野党として議会に三分の一を占めうる力は支持してた、野党が存在しなくて民主主義は成り立たないのだから。
 だが、岸信介から中曽根康弘へ太い線でバトンを継いだ自民党保守の基本戦略は、とにかくもどんな手を使っても先ずは社会党を殲滅し、次いでは新聞ジャー ナリズムの批判寄り精力を圧殺することにあった、そんなことは、まともに目をあけて政治の世界を見ていれば分かる。分かるのに分からぬという顔をしたま ま、日本の自称批評インテリは、ほぼ恥ずかしげもなく社会党殲滅に協力することで名を売りに売って、田原も猪瀬も。、ま、今日の地位を築いてきた。だが笑 止なことに、いまや彼らの論評が反安倍的な色合いを見せ始めれば、もう御用納めの潰され側に立ちかけている。安倍は、まっさきにNHKという国有放送をま んまと支配し、その勢いを駆ってついに「朝日」「毎日」「東京」という名指しまでして「潰さねばならぬ」と子分に声を挙げさせてきたではないか。
 田原さん、猪瀬さん、その辺の歴史的認識は慥かなのだろうか。
 わたしは、これまでに、おおっと思うほどの人の口から、「社会党なんて」と唾を吐くように聴かされたのを忘れない。社会党に反省も賢さも無かったのだが らいくぶんはヤムを得なかったけれど、日本のエライひとたちは、そのように口の端を賢そうに歪めつつ、野党という政党の働けない国会の姿を容認し応援して きた責任を自覚しているのだろうか。政権をはなから意嚮していない共産党は問題外だったのだ、保守の本音として。
 今日、もらった本を、わたしは心して読んでみる。

* 午后、なんとはなしに途中から、森繁久弥らの映画「社長忍法帖」を見て、ひさびさに盛んに腹から笑わせてもらった。ああ、時代は、こんなにも変遷変化 してきたんだ、いま、どこにこんなナンセンスにゆとり沢山な空気が残っているだろう。一つには俳優女優達の懐かしさにも引き込まれた。森繁の巧さはもとよ り、加藤大介、三木のり平、小林桂樹、フランキー堺らの間のいい上手い芝居、また久慈あさみ、新珠三千代、司葉子、團令子、池内淳子らの懐かしさ。あの昔 にはこんなバカげた喜劇へ見向きもしなかったのに、安倍臭い空気を呑み込まされている今日には、まことに貴重な清涼剤と見られたのだから、感謝した。

* そして贔屓の松たか子がキムタクと一緒に驚異的な視聴率を稼いだ「ヒーロー」にさえ、みうしなってしまった何かへの懐かしさを覚えたのは。よくよく、今日只今の日本の政情に吐き気がしているのだ。

 ☆ 暑さお見舞い
 
京都では、みこし洗いの頃になると、暑さが一段と激しく成ります。
 暑さの中 頑張って湖の本126を有難うございました。
 鉾立ても無事に終わった様です。
 私は、昨日の暑さから少し体調がおかしく成りました。が、何とか無理せずと過ごしているところです、暑さ此れからですもの、お互い無理せずに!
 巻、目下読書中    

 ☆ 待望の
 『生きたかりしに(下)』を拝受いたしました。今、机上に三册そろえてスタンバイ、というか数日前から読み始めていたところでした。
 筋をただ追う早読みなど出来ない御著を、大切に拝読いたします。
 とりいそぎ、まずはお礼申しあげます。
 はっきりしない空模様が続きます。どうぞお身お大切になさって下さいませ。    元「群像」編集長

 ☆ 昨日、
 『生きたかりしに』下をいただきました。忝く存じます。目下の仕事を退けて早速に読み耽り、夜に読み終えました。圧倒されました。
 文章、微妙に揺れる感情表現の妙に心打たれることはもちろんですが、何と言っても、たぐり寄せられて明るみに出される人々の、ご自分の、不思議な関わりと存在の重さに晒されます。
 全巻を通して、御母堂が自分に正直に、限界内で力一杯に、存分に、しかし 最後は心残りの(「生きたかりしに!」)人生を生き貫かれ、歌人としても秀れた才能を発揮されたことに、また不如意に手離さざるを得なかった幼い息子たちへの母心に、深い感銘を受けました。
 ところどころのやや冷たい筆には、御母堂はただ頬笑むばかりでしょう。
 ありがとうございました。     国際基督教大学名誉教授

 ☆ はは恋ふて ははとこしなへ 縷紅草   杏牛
 「生きたかりしに」感動の名作完結 お目出度うございます。
 小生、昨年の手術以降静かに予後を過ごしております。
 先生には、くれぐれもお大事になさいましてご健筆祈っております 匆々  小金井  俳人  

 ☆ 前略ご免下さいませ
 瑞穂へのご著書のご送付(三册)確かに拝受致しました、有りがとうございました。 本人は年に一度の帰国 今年は十月頃の予定にしているようです、ので それまで私の所に預っております。
 能登川のお家も今はなく 母達の時代が段々幻の様になってしまいました、が、ご著書はきっと思いの深いものとご推察致します。
 梅雨が明けて蒸し暑い夏がやってきます どうかご自愛下さいませ。  横浜  田中瑞穂 

* 書いてもらっているこの代筆者は、おそらくはわたしのすぐ上の姉、三重県へ嫁いだと聞いているわたしの母方伯母の娘あるいは嫁に あたる人ではないかと想っている。瑞穂さんはその妹か娘か。なぜこういう送付に成ったかは、じつは私にも分からないが、よほど近い母方血縁のように想われ る。わたしなどには想像もつかなかった大きな一門親類であったのが、いまでは本元の能登川の家屋敷も手放されたとか。
 ま、『生きたかりしに』はかつがつかすかに間に合ったような間に合わなかったような。しかし、三十年を原稿のまま発酵させたのは、作のためには良かったと想う。

 ☆ ごぶさた致しております  草加市  関本 佳  雅
 いつもお送りいただく湖の本で、奥様とお二人のご様子が知れて、とてもなつかしく、色々と思い出して、妹と折にふれ話題にしております。二人ともそこそこ毎日の生活を楽しめる位は元気で、毎年アメリカ、ヨーロッパと旅を重ねています。
 五月には大好きなブルターニュの以前に行き残した最北端のカンペール、ポンタベンに行ってきました。以前にサンマロから回って、ノルマンジーをエトルタ まで列車バスを乗り継いで、何日かかけて旅をしましたが、ノルマンジー半島の戦争の跡には、自分の生きてきたことをふり返るよい機会だったと思いました。
 パリに戻って、迷っていたジヴェルニーのモネの庭園にも行き、ああこんな所だったのだと思いました。
 お二人の上を祈りつつ、湖の本を読む機会を与えて下さいましたこと、感謝いたしております。  佳

 湖の本で、秦さんの御病気の御様子がわかり、心配していますが、姉 静が亡くなり四年がたちますが、突然の死の訪れがある事を思い、毎日を大切に生きています。
 最近、明治時代の助勢の生き方に興味があり、大山捨松、新島八重の本を読み、二年前には大山捨松が卒業したヴァッサーカレッジへも行ってきました。新し い面白い本を読んだり、湖の本から昔をなつかしく思い出したり、大好きなMLBの試合をテレビで見て、姉と二人で草加での生活を楽しんでいます。
 どうぞ お体を大切になさって下さいませ。
 奥様、御家族の皆様の御多幸をお祈り致します。  

* この姉妹は、もとは三人姉妹で、わたしが本郷の医学書院に編集者勤務しながら小説を書いていた頃に、本郷三丁目のすぐ近くの広辻の奥で、「とっぷ」と いうバーを持っていた。昼にはまことに小味な工夫のいい昼食を食べさせて人気があり、晩からバーになった。店の奥がちいさな二階席になっていて、私は時間 外にも姉妹からその席を借りて、ひしひしと小説を書き継ぎ書きためて、そして思いもうけぬ太宰賞の招待受賞となったのだった。その後も、文債に追われると 勤務の方を失敬して独りこの「トップ」に机を借りてはひしひしと原稿を書いていた。
 つまりは無名時代からの、好む店とこの姉妹とは「作家・秦 恒平の産みの親」にあたる三人なのであった。じつに、よく親切に親切に便宜をはかってくれる人達だった。心新たに感謝を捧げたい。
 姉妹のお母さんが、じつに品の佳いしかも貫禄のママさんであった、この方からのご縁でわたしは劇作家木下順二さんと文通したり本のやりとりを永くつづけたのだった。
 そうそう、三島由紀夫の事件が起きた日、わたしはその頃「春秋」にエッセイ「花と風」とを連載中であったが、三島自決に衝撃をうけたまま「とっぷ」に居 坐り、当時「春秋」編集長だった山折哲雄さん(後年には二人で対談『元気に老い 自然に死ぬ』を出版した。)へ興奮の電話をかけたのも覚えている。
 もう一つ、太宰賞のお祝いに何かをと三姉妹に言われたとき、おみせに掛けてあった「問一問」三字の扁額をねだり、よろこんでと贈られた。「問一問」の三 字にわたしは深く教えられ続けた。筆者は、姉妹のお兄さんかのように聞いたが、とても心惹かれる三字であって、むろんいまも愛蔵している。

 ☆ 「私語の刻」の
 初めだけを読んで、今から振込に出かけます。早く読みたいのを、どきどきしながら、おさえて。
 今日は台風のせいか急に蒸し暑く、夏らしくなりました。
 どうぞ お大事にお過ごしください。 ありがとうございました。   下関  

 
 湖の本                               
  久しぶりの梅雨の晴れ間、ですが、名古屋はかなり湿度が高く、少々息が詰まる思い。
 先生の体調は如何でしょうか。心配です。
 でも午前中、初蝉の鳴き声を聞きました。あと一週間ほどで梅雨が明けるかしらと思いながら空を見あげていました。
 昨日「生きたかりしに」下巻が届きました。楽しみです。有り難うございました。
 どうぞ御身大切に。 

* 日本近代文学館、法政大学文学部、元米沢短大学長の遠藤恵子さん、お茶の水大準教授の谷口幸代さんらからも受領の挨拶來。

* 『親指のマリア』を読み進んでいると、気持ちが澄んでくる。シドッチも長助もはるも、白石も、間部越前も、わたしは愛情や敬意を惜しまずに書いていた。長崎の通詞たちにもそうだった。その心持ちが蘇ってきて、ウソクサイ今日のいろいろを洗ってくれる。、


* 七月十日 金  

 床8:00 血 圧146-73(54) 血糖値94  体重68.6kg

* 選集Gの責了作業に入る。いつもより五十頁ほど増頁になる。

* 国会の討論、民主党、もう少し厳しく迫れないか。徴兵制否認の政府言質をしっかりとりながら、自衛隊員の顕著な減少傾向と政府の新安保体制強行との保ち合いの齟齬を衝くべきだろう。
 また、これからの戦争では、機雷の掃海や兵站活動どころか、一発の水爆原爆が一切を決めてしまうのであり、国会論議ではその方面の討論が聴かれない。 はっきり言って、もっとも戦端破裂のおそれある近隣の国には、核兵器がすでに備わっている現実を、あたかも忘れ果てたかのように暢気な旧時代戦争ゴッコへ の参不参を語り合っている。嗤えてしまう。

* 長崎総合科学大学の横手一彦教授から、従来に引き続き、「長崎(浦上)原爆体験の記録」第二集が送られてきた。敬意をこめて、紹介する。

 ☆ 拝啓
 時下、ますますご清栄のことと、お喜びを申し上げます。
 突然に、このような荷をお届けする失礼をお許し下さい。
 この度、『長崎(浦上)原爆体験の記録 − 石田寿「原爆物語」など』を制作しました。私家版の第二集にあたるものです。
 あの日、一九四五年八月九日の日のことを証言する録音テープから、許しを得て、文字起こしをおこないました。また、関連する資料などを、これらも許しを得て、収載しました。
 これらの資料は、記録し、あるいは再録に値すると考えます。石田寿「原爆物語」は、おそらく、長崎(浦上)原爆の体験を、音声として記録した初めてのものです。被ばくの証言としても、最も早い時期に位置するものです。そして、貴重な内容を含んでいます。
 あの日に、現在から立ち返ろうとする時、石田寿「原爆物語」や関連資料のなかに、一つの定点のようなものが形成されていると考えます。
 加えて、石田穣一の同時代記録に驚きます。偶然のことであったとはいえ、戦時末期の特異な時空間のなかに、それは東京と長崎との距離を経ながらも、これ を超えて、一つの家族が、互いが互いを気遣いながら生きていたのだ、と改めて感じさせます。このような情況は、時と場と個別性の違いはあるとしても、皆、 等しい心持ちを持っていたに違いありません。皆、互いが互いを支え合うことで、戦時末期の苦しみに耐え、生きていたのだと思います。
 長崎(浦上)原爆の基点は、長崎市内浦上地域への原爆投下にあるのではなく、この地域に生き、生活し、あるいはこの地域の工場などで働いていた人びと が、突然に、被ばくしたことにあります。原爆による死者、被ばく者、その後の病苦や生活苦から自殺した人たち。誰一人として、原爆投下を予見していた人は いません。事前の対処も、一切、為すことが出来ませんでした。よって、原爆投下ではなく、被ばくに基点がある、と考えます。
 このことを基点として、ここから被ばく直後と被ばく後の起点が設定され、七〇年を経た現在へと連続します。基点を明確にし、これらの起点から、人類史的な悲惨を記録する努力は、これからも継続されると考えます。
 文学を研究する側から、被ばくということを、このような形で問い直しました。小集が果たし得ることは少なく、小集は非力であると知ります。一読して頂けるのであれば、これを制作者の喜びとします。
 この小集の制作に関して、多くの方々の理解と助力を得ました。このことに、改めて、感謝を申し上げます。
 有り難う御座いました。  敬具
 付記 多忙の毎日をお過ごしのことと推察します。着荷を伝える返信などは、ご放念下さいますようお願い申し上げます。
 851-0193     長崎市網場町五三六番地 長崎総合科学大学共通教育部門      横手一彦

* 文学研究の分野で、こういう横手さんらのようなセンスで、政治的にも国際的にも危うい現代・未来と切り結んで視野をひろげる同志のあまりに少ないのが物足りない。

* 平凡社から、浩瀚かつ丁寧な「平凡社100年史」二册が贈られてきた。想えば平凡社には、大冊『中世と中世人』や雑誌「太陽」への執筆の数々など、太 宰賞の母港である筑摩書房より以上とすら謂える温かい親切をいただき、お世話になってきた。おそらく、社風とわたしの作風とにも親近感が生まれていたのだ と思う。一時は経営的にハラハラもしたが立ち直られた。ますますの発展と良心に溢れた出版活動を期待する。

* 民社党辻元氏、共産党穀田氏の委員会質問は要領を得て辛辣で、安倍総理以下、アプアプしていた。維新の党の提案も審議され始めたし、ここへ来て野党は 国会内でも国会外でも「国民に信を問え」闘争に気を揃えて吶喊したがいい。よう解散はしないだろうが、問題は廃案含みの審議未了を狙うこと。がんばれ、野 党。

 ☆ 拝復
 「湖の本126」を御恵送下さいまして、誠に有難うございました。『生きたかりしに』を御完結され、お慶び申上げます。「私語の刻」の御文にも襟を正させられました。
 そらに頁を繰っていきますと、私と家内が登場していたのに驚きました。淺井さんの演奏への御感想には同感致しました。私もあのCDを持っていますが、久 しぶりにモーツアルトの「デュポールのメヌエッ」を聴きたくなりました。今回の「音楽のある日々」を拝読していますと、私も聴いてきた曲が続々と出てまし て、やはり同世代者なんだとしみじみ思いました。本日は取り敢えず御礼まで一筆啓上致しましたが、気候不順の折、呉々も御自愛りほどお祈り申し上げます。 敬具    元「新潮」編集長

 ☆ 
みづうみ、お元気ですか。
 こちらのパソコントラブルはやっとやっと解決いたしました。メールも大丈夫ですので、みづうみのつぶやきなどたまにお聞かせいただければ幸いです。
 ネット不調のためお礼をお伝えできず気に病んでおりましたが、選集第七巻無事手にして、とても幸せです。ありがとうございました。
 『少女』『或る折臂翁』について言及されている方が多いようですが、この二作を読むと、みづうみは、谷崎や泉鏡花の系譜だけでなく、上田秋成の系譜にもつながる作家であると感じられます。
  以前から、みづうみの掌編などに、上田秋成と大変近しいものを感じていました。私はこの『少女』『或る折臂翁』を、秦恒平の「雨月物語」として読みたくな ります。読みながら、悪夢の中にいる感覚におそわれます。なんて凄まじく怖い小説でしょう。藝術家は言いかえれば、悪夢をみる人たちのことではないかと思 います。
 それにしましても、二十代の処女作の、この恐るべき完成度にはため息しかありません。処女作からこうでなければ、ほんものの文学者にはなれないのだなあと。   
 まだ梅雨が続いています。昨年は雨が多すぎて、ツバメの巣が脆かったようで崩落し てしまいました。人間たちがあわてて急ごしらえした巣では四羽のヒナたちは餌をもらえませんでした。ヒナの周辺を餌をくわえて必死に飛び回る親鳥と、飲ま ず食わずで耐えているヒナがかわいそうでなりませんでした。自分で育てようかと色々調べ、渡り鳥の飼育はとても難しいことがわかりました。ヒナのために一 日中昆虫採集して生きたまま与えることは不可能だし、市販の餌では成長しても渡り鳥として生きられないし、ペットにするにはあまりに短い寿命でさよならが 待っています。人間の手をかけることを断念しました。最後の一羽のヒナが息絶えるまでの、ヒナたちのいのちの闘いを見つめながらの三日間はほんとうに辛い ものでした。奇跡を祈りながら眠れないくらいで、バカみたいでしたが。
 最後の日には親鳥も来なくなりました。人間の赤ん坊でも三日もガンバレただろうかと思い、生きたいと闘い続けたヒナにいい子ねえらかったわね、と何度も何度も褒めてあげて花を供えて葬りました。
 ヒナのがんばりに涙した昨年の二の舞にならないように、今年は巣が落ちても大丈夫なように補強してあります。今年のヒナには元気に巣立ってほしいと祈願しております。周囲にあきれられているのはいつものことです。
  さきほど、湖の本『生きたかりしに』下巻が無事届きました。
 心してお母さまの旅路をご一緒したいと思います。    にんにくを噛みつつ粥の熱き吸ふ 長谷川素逝 

* 「読者」には、なにを言うてもよい権利がある。

 ☆ 湖の本
 
届きました。 有り難うございました。体力的にも大変でしょうに前向きの姿勢にただただ感心しています。 
 今度の我が家は、庭といえる空間がほとんど無くて、木は一本も植えず、辛うじて三カ所の箱庭のような土の部分に気持ちばかりの花を植えまし た。ほどもなく八十へ手の届く老いの私の体力を見据えての「はからい」です。それでも家の周辺には沢山の樹木があるので、秋には、吹き溜まりの落ち葉掃除 に今年も追われる事でしょう。  花小金井  

 
 湖の本を
 
ありがとうございます。心ばかりの品 送りました。
 京都新聞の戦後七十年特集で、北澤(=恒彦兄)さんといっしょに活動されていた関谷さんさんのお話が掲載されたりし、また反戦平和への思いを強くしております。
 先生にはくれぐれもお身体ご自愛くださいますようお願い申し上げます。  京・岩倉  廣瀬ちづる  往時の兄の同僚

* 『親指のマリア』三分の二を読み進んだ。

* 楽しみに時間かけて進めてきている小説の、尚子の先の隘路を拾い上げてみた。まだ沢山有る。沢山を繪に織り上げてみたいのだ、難しいが。
 幸い、今月中は、すこし余裕が出来る。旅をするなら、今だけれど、遠くへは行けない。日帰り。それでもいい。しかし地震と放射能とは叶わんなあ。


* 七月九日 木  

 床7:00 血 圧138-65(53) 血糖値102  体重68.5kg

*  朝食に、完熟の大きな桃一つと祇園会の粽ひとつを。そして赤いワイン少し。早朝に寝床で公正に励んだので、十時半、もう目が霞んでいる。機械仕事はムリらしいので、ゲラ校正に向かう。選集Gの再校を終えてから全編丁寧にチェックして責了へ向かう。

 ☆ 慈子です。
 梅雨らしく しとしとと雨が降り続く毎日ですね。
 永い間、お返事もしないままでご心配をおかけしました。

 生きております。
たくさんの問題を抱えたままで。
  ついにお書きになったのですね。
 本当にお書きになりたかったこと。

 いつまでもお元気でご活躍くださいますように

 湖の向こう岸から応援させていただきます。

* 明け方の夢の中で、しきりに思っていた、「一切空」と。この三字に至るまでに、要するに 論の証の理の説のという「賢しら」な「なにもかも」みんな「空」に帰するけむりのような夢に過ぎないのだという自問自答に議論熱くなっていた。そして「一 切空」まで煮詰めて覚めた。覚めてから、だから論や証や理や説に「あそぶ」のも好き勝手だ、好き勝手だと承知している限りはと納得していた。                                                     
  ☆ 前略
 この度は『秦 恒平選集』第七巻を頂きまして 誠に有難うございます。
 長編を読む前に 二○代の処女作「少女」と「或る説臂翁」を拝読し、驚き、感銘致しました。
 とくに「或る説臂翁」は ぐんぐんひきこまれ、一気に、その世界を走り通すことができました。
 これが作家二十代後半の作品かと思うと、構成、筆力、時代背景のとりこみ方、叙述の巧みさに驚嘆せざるを得ません。
 戦争の時代と敗戦直後の時代の空気も活き活きと描かれており、戦中派の私など 身につまされる思い出させるしました。
 重いテーマなのに息苦しさをあたえず、最後まで 読む物わかりわるくなりひきつけてゆく力は 並々ならぬ才能かと思い到りました。 
 まことに良い読書をさせていただきました。重ねて御礼申し上げます。
 ご返礼に、来る八月十五日に講談社から刊行される拙著の『戦後七十年史』をお送りさせて戴きます。 私の<九十歳>全力を込めての書き下ろしです。
  御礼までに。  草々 2015  7  7     北杜市  色川大吉  東京経済大学名誉教授 歴史家 思想家

* 今日持つとも尊敬できる日本人のお一人にこうお手紙を頂戴できた「処女作」に喜んでやりたい。元「群像」編集長の天野敬子さんも「震撼」したとまで 言ってきて下さった。二つの「処女作」を、内心には自負しつつも、これまで何と亡くものかげ置いていたが、選集第七巻のあえて巻頭に持ち出して、此処から 歩き出しましたという宣言のような気持ちで編成したのだった。編集者としての勘も働かせた。
 とても嬉しい。

 ☆ 拝啓
 お礼が遅れて申し訳ありません。秦 恒平選集の第七巻目をご恵送下さり本当にありがとうございます。「罪はわが前に」のような告白小説を前にすると、思わず自分自身の姿勢について問う<私> を意識してしまいます。何のために小説を書き始めたのか、見過ぎ世過ぎの中で私にもどうしても書かねばならないものがあるはず、と。 不一   久間十義  三島文学賞作家

* 若い友人の中で、文学的に深い期待を覚えている一人の久間さんから、こうお便り頂いて、かえって励まされる。秦建日子にも、久間さんのこの述懐を耳に 留めて置いて欲しい。「作家として生きる在りよう」 それを意識しすぎても強ばるが、なおざりにも決してしてはならぬこと。

* 『最上徳内=北の時代』を再校し終えた。ン、と大きく頷けて、よかった。力一杯の仕事をしたと思う。ていねいに今一度点検して責了にする。

* それにしてもよく飲んでいる。戴いた「三千盛」も「獺祭」も「北の誉」も、買ってきたウイスキー「富士山麓」も、うれしく飲んでしまった。「辰」兄 が、このごろは飲み会でなくお食事会になるのがツマランと嘆いていたが、気持ち、分かる。ただしわたしは飲み会という会にはほとんど縁を結ばずにきた。 「ひとり酒」がたいていで、話し上手の「おんな酒」にはめったに出逢えない。
 飲むと寝るようになった。幸いに、いっとき寝入ると視力がやや回復して、次の仕事へかかれる。八割九割は無難に危なげない家での酒になっている。
 今日はなぜか左の肩が強烈に硬くて痛い。
 それにしても、よく降る。こんなときは、晴れ晴れした山がみたい。

* 闘いには型通りは無い。工夫も度胸も決意も要る。安倍政権と批判的に向き合うなら、団結心と共に一人でも闘う気概が無くては自己満足に終わってしまう。闘いには作戦も決意もが必要になる。
 
 
* 七月八日 水   

 床8:30 血 圧141-64(59) 血糖値79  体重68.3kg

* 散髪してきた。すっきり。今日は妻が診療を受けに行き、わたしは留守居。創作と校正と、片付けや整理を。戦後直ぐの唄を聴きながら。

* 小松市八代啓子さんに戴いた金澤森八の清(すず)やかな絶品「葛切り」に鬱気を払われる。感謝。

* 選集Fについで、「生きたかりしに」完結本ももう届き始めるだろう。八月に選集Gを送り出せたら、少し大きく息をつこう。

 ☆ 
選集第7巻を

 早々と先月24日にお届けいただきながら雑事に取り紛れてお礼を申し上げるのが遅れてしまいなんとも申し訳ございません。
 日記に載っていた八潮市の小滝英史様の文章が、大変勉強になりました。
 それにしても貴重な選集を身近に置いて、目にしまた自由に手に取って心ゆくばかり楽しむことができる幸せを、しみじみと感じています。
 水蜜桃とニューピオーネをすこしばかり「志ほや」を通じてお届けします。20日頃には到着すると思います。
 お二人のご無事をお祈りしています。   吉備の人

* 小瀧さんのようなブチ抜いたような感想は、研究者からは容易に出てこないもので、「いい読者」のいわば特権行使でもある。わたしの作家 論や作品論にも、しぜんそういう気味があるはず、それが作家や作品のおもしろみ発見になるということ、あり得るのだ。研究者や学者になるのを避けて、あく までも作家、欲をいえば学匠文人でありつづけたかったのも、ま、気儘でもあるからだ。        
* 四国高松の岡部洋子さんから大きな立派な桃の実を戴いた。京・嵐山の田村由美子さんからは、神輿洗いも迫った祇園会を祝って、好きなちまきを戴いた。美新座市の詩人田中真由美さんからは、地元の銘菓「にいくら」を頂戴した。

 ☆ 秦先生
 ごぶさたしております。
 いつも御本をお送り下さいましてありがとうございます。
 祇園祭の季節になりましたので ちまきを送らせていただきます。
 お元気で。   京・嵯峨  田村由美子

 ☆ 拝啓
 あじさいの花がさかんにかがやいています。つゆたけなわです。
 過日はご労作の選集第七巻ご恵送賜り厚く御礼申し上げます。
 ささやかですが、御礼の気持をこめて寸志をおとどけいたします。
 選集の完成をお祈り申し上げます。
 右 御礼まで  敬具  千葉・長生郡  石内徹  釈迢空研究家

* 懸命に書き、懸命に本を出し、懸命にお送りしての、日々の賑わい華やぎを、この後への元気のためにも、心より喜んでいます。

* 聖路加の妻の診療が順調なように願っている。ゆっくり留守をしながら、敗戦直後の流行歌を思い出多く聴いたり、そのまま、撮りためた多年四季の花の呼 びかけてくるような綺麗な写真に見入ったり。黒いマゴが、背のソファで機嫌よう寝入っている。おっとりと心静かな時間に私もありついて、ありがたい。週明 けには染五郎、勘九郎、七之助の新歌舞伎を楽しみに行く。

* 秦建日子が、河出からアンフェア・シリーズの新作として『アンフェアな国」とやらを近く出版するという。母親からの聞きかじりで     慥かではないが、いまの日本国政治の「アンフェア」をも告発し追究する気味を少しでも含んでいるなら、しっかりやつてと励まし応援したい、が。ハテ…。


* 七月七日 火    七夕

 床7:30 血 圧121-65(60) 血糖値89  体重68.1kg


  懐紙 星河秋興和歌  正二位 飛鳥井雅章 筆



     あまの川 つきのみふねの追風も
          さこそすずしき雲のころも手

* 七夕とはいえ暦の上では季節逸れのまだ梅雨さなかではあるが、ふと思い出して巻いてあった軸をひろげ写真に撮った。
 雅章は江戸初期、後水尾院いわば子飼いの和歌の弟子で、ながく院の歌壇に重きをなし従一位大納言に至った。歌のよみにまちがいがあれば、私の咎である。飛鳥井藤原氏は伝統の蹴鞠の宗家でもあった。亡き藤平春男さんに頂戴した『和歌大辞典』に「雅章」の記事がある。

* 季節外れを犯してまで、湖の本発送の途中でもあるのにこな和歌軸をひもといたり、昨日、一昨日と「私語」を通さなかったのも、言うに堪えないある私ご との「にくしみ」を心に抑えがたく、縷々激越で不快な私語を書いて了っていたのを洩らすまいと耐え忍んでいたからである。
 この歳になっても、なお、さような煩悩にわたしは襲われ、怒りのママにものを書いてしまう。ウソ偽りを書くのでは全く無い、事実をあったまま踏まえて書 くのではうるが、その不快、身を焦がすほど炎を上げる。静かな心になりきれないどころか、遙かに遠い。その恥ずかしさ故に「私語」を送り出すことを懸命に 抑えていた。
 いまその箇所を他所へ移した。これまでも、何度もそんな愚かしいことを重ねてきた。

* さて幸いにも、「生きたかりしに」完結編の発送は今日にも終えてしまえる。もう少し、午后に作業をつづける。

  あまの川 つきのみふねの追風も
     さこそすずしき雲のころも手  雅章

* なにとなくあのかぐやひめの舟あそびのようにも想像される。
 
 ☆ 
秦さん、こんにちは。
 上尾くんの予定を聞いてみました。
 以前歓送会をしていただいたとき夫婦でお会いしたので、また夫婦でご一緒できたら、ということでした。息子さんがキャンプに行く機会があり、その間だと夫婦で来られるとのことです。
 それが、8月2日(日中)と、8月3日(夜)です。
 もし8月2日(日中)でよろしければ、池袋辺りでお店を探してみたいと思いますが、いかがでしょうか。
帝国ホテルも、すごく魅力的で心傾くのですけれども、今回は、私たちに秦さんをおもてなしさせてください。
 上尾くん単独参加であれば、26日や、平日であれば30、31日も大丈夫ということです。
 平日の場合は、19時くらいになるそうです。
 以上ご都合のよい日をご指定いただければ嬉しいです。
 いちおう(京都の)菜々子さんにも声をかけてみたのですが、夏に帰省予定がないとのことで、今回は残念ながら見送りです。でもとてもお会いしたい様子でした。  川崎  東工大卒業生 

* たのしみだねまだまだ秦さんがご馳走するよ。
 東工大教授としての給料と賞与等、その後の年金等の一銭にも手を付けないで来た。それが今、非売本「秦 恒平選集」を可能にし「湖の本」刊行の赤字分を補ってくれている。最良の費用になってくれている。

* 今回「湖の本」完結発送、了。あとは、手渡し分が残っているだけ。妻が、よく頑張ってくれた。

 ☆ 兄からの
 なつかしい母校の写真に触発され、ささやかなお礼のしるしを兼ねて手持ち音源で「戦後日本流行歌史第一巻」を編集しました。何分にも古い音源のためノイ ズが耳に障りますが、中には珍しい曲も混じっているかもしれませんので、各地のフアンから届けられた銘酒や銘菓などをお供に、くつろぎのひとときBGMと してお楽しみいただければ幸いです。殆どがオリジナルのSP盤からのダビングのため録音レベルが曲ごとに異なり、音量が一定していないことを重ねてお断り しておきます。
 生前、母が愛した「ひばり」の全集? を13回忌までに作成しようと意気込んでいたのですが、長年物置に入れたままの磁気テープ類は湿気や高温のため、 カビが生えて再生しようにも膠着したり変質しており機器が作動しなかったり巻き付いたりで結局ミカン箱8個分の音源はすべて泣きの涙で廃棄処分をする羽目 になりました,もっと早くにパソコンの外付ハードディスクに取り込むかCD化しておけばよかったのですが、すべては後の祭りです。
 屋内に保管の音源はクラシックと中南米ものが多く、懐メロはあまりないので、何巻まで編集できるか分かりませんが、歯抜けでもせめて高校時代ぐらいまで の代表曲はシリーズで纏めたいとおもっています。片目同然での作業ですから遅々として捗りませんが、CD一枚分の音源がまとまれば、ダビングしてお送りい たします。
 年々親しい友人に先立たれてさみしい限りですが、それだけに尚更ガキの頃から大学時代の友人たちとは肩の凝らない付き合いを続けたいとおもっています。
 先日、久しぶりに早慶戦をTV観戦しましたが、最近は早大生も随分スマートになり、応援席を見る限り、慶応と変わらないほど垢抜けしているのに驚きまし た。私たちの頃のライト側は黒一色で野暮なことこの上なしでしたが、そんな中でも私は蛮カラの極みでした。いまだに学生気分が抜け切らず、散髪屋などは結 婚後も今日に至るまで数回行ったきりで、数カ月毎に見えるところは自分で、うしろは女房に適当にハサミでチョン切らせています。無精ヒゲも同様です。どん な会やグループでも一人くらいこんな男が居てもいいだろうと、ひとり合点しては仲間入りをさせてもらっています。
 最近の不満ごとと云えば、宴会がお食事会に変わり酒の相手が居なくなったことです。(祇園町)新橋角の扇屋のボン佐伯武久君は日大写真科で当時、鶴巻町 に近い戸山ハイツに下宿しており新宿でよく飲みましたが、私が帰洛して長い療養生活に入ってから音信が途絶えました。梅乃井の三好君の話では、彼も帰洛し 高野方面に転宅したそうですが、新橋当時の酒屋が高野まで追いかけて行ったとか。肝硬変で亡くなった、と嘆いていた当の三好君も早くに逝ってしまいまし た。
 兄も京都に戻られてはいかがですか。それとも、深くて太い根が張ってしまって最早身動きがなりませんか。
 いずれにしても、身体だけは充分労わってください。今日はこれで失礼します。  京・幡枝    中高同窓
 
* 送ってもらった音盤を聴いている。もう何曲目か、甘い声では史上一の岡晴夫が、「ああ東京の花売り娘」と情け深く唱っているところ。そして継ぎに唱っ ているのは池真理子の「愛のスイング」かな。ああ…次は、しみじみと懐かしいあのバタやん田端義夫り「かえリ船」じゃないか。おっ、つぎは二葉あき子と近 江敏郎の「黒いパイプ」だ。24曲録音された中の三分の二が昭和二十一年の歌であり、その年はまだ秋までわたしは戦時疎開先の「丹波」で暮らしていたの だった、おお。いまは渡辺はま子が「雨のオランダ坂」をしみじみ歌いあげている。なんだか、ぜんぶ一度に聴いてしまうのがほ、もったい。「ニュー・トー キョー・ソング」を岡晴夫がうたえば、「麗人の歌」を美声の霧島昇が歌いだす。わたしは内心、岡晴夫の「青春のパラダイス」を待ち兼ねている。中学生の 昔、ラジオに耳をすりつけて毎週のベストワンで歌われるのを待っていたものだ。いま聞こえているのは樋口静雄がうたう「長崎シャンソン」らしい。オオッ、 笠置シヅ子の「アイレ可愛や』にかわった、なかなかの美声でもあったし歌も上手い。
 たいへんなプレゼントだ、わたしがどんなに歌が、流行歌であっても、が好きであったかを身に沁みて思い出す。秦の母もはやり歌
を聴くのが好きだった。謡曲を、能舞台で地謡にでるほど心得ていた秦の父が、ラジオやテレビのはやり歌をむしろ目(?)の敵にしたのも、面白い。
 あ、はじまった、「青春のパラダイス」…丘を越えて行く、若き命輝くパラダイス…と。ありがとう、辰男兄。もう深夜です。

 ☆ 七夕
 
あいにくのお天気。
 発送作業、難儀なさったのではと案じています。
 どうぞお元気で。  


 ☆ いかが
 おすごしでしょうか。
 いつも素晴しいご本を頂きありがとうございます。
 ご自愛下さいませ。  備前焼  川井明子・明美 

* 明子さんに戴いたみごとな大壺が、いつも玄関正面を飾ってくれている。その上に、鳶さんの「イスタンブール市街」の繪が掛けてある。十五ヶ月の間に、「秦 恒平選集」ははや七巻が出来てならんでいる。今年の内に少なくも九巻までならぶだろう。

* 八巻「最上徳内」再校は終章を迎えた。九巻短編集では「加賀少納言」を読み終えようとしている。この作はロシアで「日本文学選」に入ってロシア語に飜 訳されている。日本の読者で此の作を味読できたひとは少なかったと思う、が、自分では中編の「華厳」とともに大事に思ってきた。むかし、作家でも批評家で もない新聞記者で読み手であったあるひとが、「華厳」をあげて、「秦さん、コレの読める人はすくないと思うよ、ぼくは秦さんのもののなかで一等好きだけど ね。大勢には読めなくても、いい読み手は、でも、きっといるからね」と、励ましてくれた。自分でもそう信じているから、書いてきた、ムズカシイとかヨミニ クイとか言われようとも。その点ではわたしの文学への期待は、芹沢光治良さんのとは異なっていた、芹沢さんをわたしは敬愛しているのだが。東郷克美さんに 戴いた「学匠文人」の小説わたしは自身の短所とも長所とも覚悟して、出来ることを、書けることを、きちっと書いて置きたい、まだまだ。 




* 七月六日 月を岡

 床7:30 血 圧141-67(71) 血糖値95  体重67.2kg

* 「湖の本 126 生きたかりしに・下巻」出来てきて、発送作業に終始した。作業しながら、なでしこジャパンの準優勝に終わった健闘も楽しん だし、超美貌の澤口靖子「科捜研の女」や颯爽としたデーモン未知子の「ドクターX」なども楽しめた。しっかり頑張ったので今回の完結巻発送は、うまくする と明日で作業を終えられそう。

 ☆ 本格的な
梅雨の候です
 おからだおいとい下さい。『選集第七巻』を御恵贈賜わり誠に有難うございます。
 二つの処女作を拝読いたしました。ともに昭和三十七年(一九六二)に書かれていたのですね。小生当時は「群像」四年生でした。
 『少女」は主人公(ナレーター)の暗い心象が少女と犬への強いまなざしとなり、『或る折臂翁』は、とりわけ秦さんのそれからの道を示すような世界で、構 造もきちんと考えられ、人物への彫り下げも役割が納得できました。弥繪の「おとうさま御免なさい」という悲鳴の謎が効いていました。同年生れの大江健三郎 さんの初期作品へ思いを馳せました。今、江藤淳さんの初期評論(エッセイ?)を読んでいます。 御礼まで。   徳  元講談社取締役出版部長

* 都立大名誉教授の高田衛さん、東洋大準教授野呂芳信さん、国立国会図書館、都立中央図書館からも、お手紙や受領挨拶があった。

* 機械のどんな脱線でか、いまの機械でフェイスブックやツイッターを開こうとしても、「インターネットエクスプローラーではこの記事は開けません」とな る。しかもフェイスブックなど、一日中何十度となく例えばハタタケヒコさんが写真をとりかえましたとか、どうとかしましたとか通知してくる。フェイスブッ クのそれが営業手法らしいが五月蠅くて堪らない。解約したいのだけれど、その方法も分からない。耳元でうるさい蠅か蚊のようで堪らない。


* 七月五日 日

 床9:30 血 圧149-73(71) 血糖値93  体重67.5kg

* 若い人達の平和と憲法民主主義への声、We are NOT ABE & JIMIN!の声と活動が各地で沸き起こりつつある。やっと、やっ と、やっと。待ちわびていた。運動活動の主導権争いや内ゲバの過去の愚劣におちいることなく、穏和に大人世代、老人世代にも率先して、主権在民への決意を 全うして欲しい。若い人が声を挙げ身を働かせ智慧を集めねば健康な国は出来ない。もう四半世紀も昔から、東工大の教室や教授質での昔から、ホームページの 「私語」のなかでも、どんなに繰り返し繰り返し若い人達に訴え続けてきたことか。もとより声援も応援も協力も惜しまない、妻もわたしも。

* 黒いマゴに輸液しながら、放送大学で「孫文」の五族協和や三民主義などの講義を聴いていた。孫文の大きな偉さをわたしは認めていると同時に、拭いがた い思想姿勢の限界、中華を誇り弱小他国の朝貢を暗に求める覇者への意嚮には疑念や反対の気持ち棄てることは出来なかった。その思いを今朝の講義からも再確 認した。

 ☆ 日程調整します。
 
秦さん、さっそくのご返信ありがとうございます。
 上*くんにも声をかけてみましたら、ぜひ! と嬉しそうでした。
 私が14日までは埋まっていますので、それ以降で、あらためて候補日をご連絡いたしますね。
 夫へのお言葉も嬉しく、もしかしたら今回夫も同席させていただくかもしれません。上*くんとは家族ぐるみの付き合いです。
 建日子さんのご活躍は存じ上げており、とても興味をもっておりました。会社員から脚本家になられたいきさつを伺ったこともあり、いまのご活躍ぶりを尊敬いたしますし、励まされもします。
「選集」のご編集、並大抵のお仕事ではないと思います。
 お話伺わせていただきたいです。
 私も父の経済本を昨年自費でつくりまして、苦労いたしました。
 苦手なフェイスブック、ツイッターも、ちょっとずつ利用しています…。  東工大卒業生

* 奈良出向から霞ヶ関の本省へ帰還している丸ちゃんとも早く逢いたいと言い合っている。何かのツドには頼みにしているイチローの顔も見たいと言うている。ピアニストの登山好き子松クン、元気かな。早瀬のように何人もの今も連絡親しい十数人の名や顔が想い出される。

* 「親指のマリア」を読み継ぎ、昼食して。

* 京は嵯峨の大河内山荘の映像を観ていて、あまりの懐かしさに涙溢れて此処へ逃げてきた。京都の文化的な歴史的な価値をわかりすぎるほどわたしは分かっていて、恋しい。いつ、帰って行けるのだろう。

* 一心に「親指のマリア」、白石新井勘解由と長崎の通詞三人との対話を読み続けてきた。浴室では、天明の蝦夷地探検が田沼意次失脚で潰えて行く一種悲愴な成り行きをゲラで読んでいた。

* さ、明日から数日、「生きたかりしに」完結の下巻(126巻)発送作業に入る。無事終わればすぐに選集G「最上徳内=北の時代」の仕上げに入る。選集 Hの掌篇・短篇集の初校も進んでいるし、選集I「親指のマリア」入稿用意も三分の二巻まで進んでいる。仕事に途切れなく、ただ立ち向かうまでのこと。


* 七月四日 土

 床7:30 血 圧144-68(62) 血糖値102  体重68.1kg

* 今日は、おおかたの時間を新作の小説、気に入っていて、ぜひとも仕上げたい小説の進捗に取り組んで過ごした。これはもう「生きたかりしに」と も違う。「罪はわが前に」ともちがう。老いの想像がどこまで翅をひろげて翔べるか、だ。若い日に「雨月物語」上田秋成も、おいて「春雨物語」を書いた。二 作は、いろんな面で相貌も方法も筆致も異にしている。それを意識せず追いも真似もしないけれど、出来る限り気持ちよく書き上げたい。じつは、中編でまとま るかやはり長編になるかも、決めていない、成るように成らせたい。

* 書く。書き続ける。その間は、生きている。国会を囲みにも行きたい、デモにも参加したい、けれど、やはり小説を書きたいし、本を創りたい。そのために生まれてきたと思う。母の分も兄の分も、私らしく書き置きたい、許される限りは。鬱いでいるヒマは無い。

* 神戸の市川澄子さんから播磨素麺をたくさん頂いた。京・舟岡の杉田博明さんからも、京野菜の多彩な漬け物を頂戴した。有難う存じます。杉田さんには、 やがて「選集第十巻 親指のマリア」を贈れる。京都新聞の朝刊に惜しみなく回数を書き続けさせてくれた人。杉田さん自身も「京」のための多くの著書があ る。


* 七月三日 金

 床7:30 血 圧132-74(58) 血糖値95  体重68.2kg

* 皇居の周囲を取材した案内番組のなかで、皇室の御用達、いつもきっちりした缶詰めでたっぷりと特製クッキーを戴く村上開新堂の紹介があった。維新の 折、京都から江戸・東京へ移ってきて創業した老舗である。番組の知らせは社長母娘さんからもらっていた。創業以来の歴史を綴った好い書籍ももらっていて、 優れてユニークな経営に徹した名匠の風格ある洋菓子屋さんである。社主とのご縁は久しく、「湖の本」創刊いらい途切れなく手厚く応援して戴いている。創刊 と購読依頼や配本時のわたしの挨拶に意気を感じてもらうたのが三十年のご縁であった。
 一切配達しないお店として知られている。いつもいつも郵送してご馳走して下さり、有りがたい。
 皇居のへん、あらためて歩いてみたくなった。本丸跡、北の丸公園、将門塚など。よく行く国立劇場からの帰りに、濠ぞいに帝国ホテルまで妻と歩いたことも何度か。ジョギングの元気はないが、気の晴れる空の明るさがある。

* 朝日賞の推薦依頼が例年通りに。讀賣文学賞の推薦依頼も例年のこと。適切な目配りができていればよいか。

* 今では笑い話であるけれど、初めて週刊誌大の私家版第一册以降四册を創り続けたとき、なにしろ文学仲間も先生も無い一切独り合点の思い立ちであったので、百、百五十と造ってみても届ける先がほとんどなかった。
 で、たまたま好いダイヤリーを手に入れたので、志賀直哉、谷崎潤一郎、中勘助、歌人の窪田空穂、詩人の三木露風、さらには批評の神様
小林秀雄と いった天上に光り輝いていたような名宛てに、当然そうすべきもののように本を送った。その結果がまわりまわってどうなったかは物語のようでもあり、今はか なり広く知られているので繰り返さないが、とにかくも「いい読者」と出逢う大切さを心から思い願うわたしは、文壇とかぎらず、各界に知己を得ては、ていね いにお付き合いをこころがけまた重ねてきた。国文学、歴史学、美術史学、民俗学、宗教学等々の研究者や大学教授がた。医学書院勤めをしていたので、医学部 の大先生達も編集者としてだけでなく、文学の書き手としてもお付き合いが出来た。
 ひところの東大医学部教授はじつにおそろしいまで怖い丈高い存在で、そんな人達に迫って研究書出版や論文執筆をお願いするのは容易なことでなかった。名 前すら呼んで貰えなかった、「本屋の人」などとも呼ばれた。ところが、小説の私家版をつくって、ときにおそるおそる先生不在の教授室の机に献呈してきたり すると、仰天したことに、だれよりも畏れ多いむかった教授からデスクへ電話が来て、「こういうものを書かれる人とも知らず想わず、これまでは失礼しまし た」と挨拶され、天井まで飛び上がりそうに驚愕した。そんな経験もあって、まして受賞もしてからは医学編集者務めが、ほんとうにラクになった。教授室で話 し込めるようになり、さまざまな親切を戴いた。順天堂内科の先生には、まだ受賞前に、当時受診されていた大先輩の円地文子さんを教授室でご紹介戴き、この ご縁はよほどいい地下水のようにわたしを「新潮社・新潮」へまで誘い出されたらしかった。
、わたしは、子供のむかしから、お年寄りに愛されるタチであったが、太宰賞以降、どれほど多くの諸先生、諸先輩のお引き立てを蒙ってきたか、数え切れな い。しかしまたお年寄りは早くに亡くなって行かれる。「湖の本」へ意気を振り向け、しだいに「騒壇余人」の境涯へ歩んでいったのは、もうわたしの理解者は 「いい読者」と尊敬し敬愛できる各界の知己と思い詰めたからでもあった、それはじつに豊かなわたしの心の財産であった。

* 創作の道へ歩み寄ってきた息子の秦建日子にわたしは何ほどの応援もできない筋違いの道を互いに歩んでいるが、上に書き置いたようなこと、優れた知己、 いい読者をたくさん得て欲しいとは切に思う。甥の黒川創の方は幼少来、目の前を歩んで行く大勢のいい大人達の背をみて育ったろうし、また援けられても来た だろう、それを彼のためにわたしは何時もよろこんでいる。
 あとを慕うならば、なるべく、いや極力、ほんとうにえらい人、敬愛に心底堪える人を生涯の宝のように思って謙遜に努めて欲しいのである、建日子にも。小 山の大将に甘んじ、自分よりも立派な師友がいないのでは、いずれ心底貧しくなってゆく。とてもとても大事なところである。
 もう一つ、付け加えたい、あらゆる作に作品をと。オーラである、真実の。

* よく降るなあ。

  ☆ たいへんなご労作
 読ましていただこうと思っています。益々のご活躍をお祈り申し上げます。  京・若王子  梅原猛  

 ☆ 貴選集第七巻
 拝受しました。
 「湖の本」には秦様の読者への配慮を、『選集』には自作品への愛情を、しみじみ感しさせていただきながら、開披しております。ありがとうございました。取り敢えず御礼申し上げます  草々  神戸市    歌人・民俗研究家  

 ☆ 「秦 恒平選集」第七巻
 ありがとうございました。長年愛読してきた秦文学総仕上げの感ありです。
 秦文学はとにかく一読ではほとんど理解不可、最低二回読みが原則と心得、無初期の単行本時代から湖の本シリーズに至ってもほとんどの作品を最低二度読 み、中には三度読み(糸瓜と木魚 墨牡丹 蝶の皿 青井戸、等々)してようやく味がわかり、じっくりかみしめるという読み方を楽しんできました。まことコ クのある料理を味わう醍醐味。本当に数十年、これが小説だと心の中で喜び続けてきました。
 日吉ヶ丘時代、上衣のポケットに両手をつっ込んで歩いていたあなたの姿が思い浮かびます。あの頃聞かされた短歌や古典文学の話など、当時の私には全く別 世界の如く、はるか空の上の事とかのように聞こえました。また岡見正雄先生(=古文 太平記研究などの当時既に大家であられた。)の古典文学に対する話な ど、いったいいつになったら、どうしたらあの世界に近づけるかと空遠く聞いていた記憶があります。あの時、岡見先生の一言「文語文法を知らずに古典へ能美 とはないよ」が頭に残り、二年生の冬休みに問題の文語文法(特に助詞・助動詞)を必死に勉強し、マスターしたのが、後々古典文学へ入り込む第一歩でした。
 元々私は中学二年まで鹿児島県の小さな離島(もちろん無医村)で育ち、突然姉の嫁ぎ先であった京都東山・下馬町に居候でころがり込み、洛東中学三年に転 入しました。それまで学業とか勉強とか、まして小説とか全く無関係の田舎ッぺで、最初の半年は途方にくれた状態でした。幸い後半なんとかにわか勉強で日 吉ヶ丘に入学できたのが人生の一大転換への第一歩でした。あのド田舎ッぺがとにかく人並みにコース(大阪大学)へスタートできたのも、日吉ヶ丘の三年間の おかげです。まことあの三年間は我が人生の最も充実した時でした。
 日吉ヶ丘第五期の我々(=たぶん洛東中)同期は結束固く、今も毎年秋に定例の同期会を続けています。草*(*田)さんともその都度会い、語り、あなたの こともよく話しています。元気で活き活きとした毎日のようです。私も生来無病で元気を誇りにしてきましたが、今春、急に心臓の動脈がツマり、ステンドパイ ブ挿入で命拾いしました。あなたも大病、大手術で大変でしたが、夫婦そろっての活躍で大仕事を続けておられますますと、おどろき感心しています。お体大切 にしながら、これからも楽しみを与え続けて下さい。
 古典文学について。
 仕事の合間に現役時代もずっと続けてきました。小学館の「日本古典文学全集」は全册読了、中には二讀三讀のものもあり、特に源氏物語は全五十四帖を通読六回、別途 谷崎・円地・瀬戸内各氏の現代語訳も数回くり返し読みました
。今も毎日、たとえ数頁でも、何らかの古典に目を通すのを日課にしています。
 本当に体にきをつけて、これからも御活躍を祈っています。ありがとうございました。  高槻市    高校同窓

* 小学館の古典全集百巻余をわたしも家に置いているが、あれを全巻、しかも繰り返してとは! すばらしい。

 ☆ 十日間ほどの
 北海道旅行をおえ、帰宅すると、郵便物が 山積みになっていました。二つ小包みが重ねてあり、その一つが 先生からの「書」と、私は直観しました。涙が でるほど 感謝の気持「湖の本 125」と、この度の「第七巻」を非常に速く、とにかく 一生懸命読ませていただき、筆を走らせております。
 先生のように 自分の思うように 感じるがまま これまで生きてこられたこと、 これは奥さまの支えとともに実現した と 痛感いたしました。(中略)
 そして すべて、過去が あって 今があるのだなあーーとかんじます。
 お体をかなり酷使なさっているのが 心配でございます。
 どうか 奥さまとともに 一日でも長く お幸せな日々を…と、お祈り申し上げます。
 夏に向います折柄 ちょっと京好みのいいお品をお届けしたく思っています。
 お待ち下さいませ。  大阪・高石市    弥栄中学後輩

* この人に弥栄中学暮色の校舎がどう見えたかし分からないが、人一倍しみじみと思い起こすものがあったろう。甲部の子ではあったが、まぎれもない又一人 の「祇園の子」であった。そりから以降、国の褒章をうけるまでの敢闘は、可能なら彼女自身が書けばいいものになるだろう。 

 ☆ おはようございます。
 
梅雨本番になり、よく降りますね。朝、鳥が鳴いていたので、雨は上がるのかな? と思いましたけれど、また降ってきて。近くに自然林があって、先ごろまで朝夕カッコウの声が聞こえていました。
 朗読、語りのレッスンと外国人のための日本語学習読本CD吹き込みボランティアも継続して続けています。明日は定例レッスンの後、「招き猫」(豪徳寺由来など)を読むので、いま下読みと猫の鳴き声の練習をしていました(笑)。
 先生もどうぞ梅雨冷えにはお気を付けて!  


 ☆ お電話ありがとうございました
  秦さん、こんにちは。ごぶさたしております。
 お電話を頂戴したと夫から聞き、お懐かしくなりメールいたします。
 いつもご本を頂戴し、ありがとうございます。
 お体の具合はいかがでしょうか。お大事にお過ごしください。
 精力的に本をつくっておられるご様子に、背中を押されています。
 秦さんの文字を目にするたび、必ず東工大の校舎、教室、教授室のあの感じを思い出します。
 秦さんに恩返ししたいなあ…とも思います。といっても、恩返し、というのが何か明確ではないのですけれども(笑)、
 私自身が幸せに暮らすこと、いただいた精神的支えを周囲に(社会に)返していくことかな、と漠然と考えれば、すこしずつできているかもしれません。
 最近は、主に自宅での校正の仕事のほか、音楽ボランティア、貧困問題の研究会やシンポジウムに時折参加
といった生活を送っています。
 それでも、これまで生きてきたなかで一番幸せですし、どんどん望む自分になっている実感があります。
  以前ちらりと、夫が作家デビューしたお話をしました。書いているのはミステリです。先ほどお電話いただいて、かなりあたふたしたようです(笑)。失礼いた しました。最近の出版不況のあおりで、エンターテイメントも本当に厳しいです。それでも、好きなことを続けられるありがたみをかみしめて、二人三脚で頑張っています。
 最近、作曲遊びにはまっています。照れくさいですけれどもご紹介しますね。↓
https://www.youtube.com/channel/UCCP9hZlmEtA6cmZVe2XIV0w
 なんだか最近、学生時代のことをよく思い出します。若い自分をいろいろな方が支えて導いてくださった、という感謝の気持ちとともに。
 秦さん、もしよかったら、池袋あたりでお食事などいかがでしょうか。上尾くんなどにも声をかけてみますので。もしお体の具合が許すようでしたら、ご一緒させてください。   東工大卒業生  

* 湖の本発送の宛名書きをしながら、懐かしくなりふっと電話してみたら夫さんが出てくれて初めて話した。夫さんともゆっくり話してみたい。
 メールの人は、教授室時代、もっとも「文学的」な学生の一人だった、一緒に井上靖詩集「北国」の詳細な語彙目録を創ったりした。楽器の演奏にも堪能だっ た。深くよく考え、ときに考えすぎて苦しそうでもあったが、卒業後はフリーの編集者としても好い仕事をしていた。もう一人、「文学的な」女子学生がいて、 その人はわたしに短歌などを詠ませてくれた。卒業後、その人も編集者をしながら、いつかエンタテイメントの作家になりたいと話していたが、元気にしてるか なあ。

* 当時六十で定年退官してもう十九年、わたしの東工大もそろそろ「卒業」かなあと思ったりしてたが、食事しようなんて声がかかるとは嬉しい事だ。湖の本にきちんきちんと送金してくれる卒業生がまだ十人いる。
 それにしても、ミステリを書いている作家の夫さんとも一緒に会いたいなあ。

* 元岩波「世界」の高本邦彦さんから立派な夕張メロンを二顆頂戴した。金澤の金田小夜子さんからも豪快な北国の名酒「北の誉」一升瓶を頂戴した。



* 七月二日 木

 床7:30 血 圧130-70(58) 血糖値93  体重68.6kg

* サッカーなでしこジャパンがイングランドに勝ち、決勝戦でアメリカと戦うことに。前回ワールドカツプ決勝戦の再現。健闘を!
 ゲームを見ながら、入金事情を点検しながら宛名の貼り込みを終えた。妻にさらに再点検してもらっている。このごろ、わたしが、ちょくちょくイージィミスをしでかす。上中下巻、間隔をつめて送り出してきただけに「未入金者」は現状かなりの数になる。
 非売の選集はもとより経費は総額支出が当然で、ごく少数の熱心な希望讀者には一冊経費相当をご支援願っているのだが、「湖の本」は買って頂いている、し かし、現状は大幅赤字になっていて、三十年近く、百三十巻に近いのだもの、収益のことは半ば最早度外視している。何冊も未入金の人には、もう送本しなけれ ばよいと割り切り、ただただ久しいお付き合いの今後も続く方々に、深甚感謝している。「文学活動」としては、各界の知己、大学、短大、高校、研究施設、図 書館等への寄贈を大事に考えているが、幸い、九割九部がた喜んで受け容れられていて嬉しい。眼が届かずに洩れている学校があれば、お声を掛けて頂きたい。 とにかくも無用の出血負担を減らすためには、製本部数をむりなく漸減することも当然考えている。幸い、掲載原稿はまだまだ有り余っている。書き下ろし小説 の新作も何作か用意しているし、未刊行エッセイはわたしも驚くほど大量待機していて、百五十巻はらくに越えて行く。
 とはいえ、わたしたちの健康からも、賢い潮時は考えつつ「選集」の良い形での増刊を平静に心がけ続けねばならない。

* ともあれ「生きたかりしに」下巻、来週月曜受け入れの発送用意は間に合う。土曜か日曜には、すこし気散じに外出できるだろう、か。
 この二三日のわたしの主食は、カステラ、コーンフレーク、味好い饂飩、さらに和菓子、開新堂さんに戴いたクッキーなど。幸い三千盛や獺祭など美味い酒が 半主食になってくれて、酒の肴は豊富にある。ただ、たくさんはとても食べられない、満腹すると苦痛に呻くようなこともある。すこしずつをしきりに食べ、す こしずつをしきりに飲んでいる。幸いに、暑さのおかげかこれまで一缶飲めなかったビールが喉をおいしく通ってくれている。赤いワインは相変わらず、お薬と 思って日に一度は少量口に含んでいる。

 ☆ 秦 恒平様
 謹 啓
 「秦恒平選集」第七巻、いただきました。私のような者が、御恵贈いただいて本当に良いのだろうかと、頬を抓る思いで受け取りました。有難く幾重にも御礼申し上げます。
 可笑しな話しですが、丁度コルタサルの短編「続いている公園」を数日前に読み返したばかりで、先生が24日(水)のHPで「朝、照りつける坂道を重い腕 車のバランスに難儀しながら郵便局へ。」と記されており、「ああ、さぞ、大変な思いをされておられることだろうな」と思っておりました、そのやさき(私 は、あいにく田舎に行っており、不在通知が入っており、29日(月)に再配達いただきました)「秦恒平選集」が届いていたのですから、まるで先生が腕車に 積み上げ、難儀されて運ばれた「選集」がタイムトンネルを通って、そのまま我が家のポストに真っ直ぐ届いたような、不思議な錯覚にとらわれました。正直、 夢を見ているような気持でした。
 「秦恒平選集」は、本当に持つべきに相応しい人が持ち、日本文学の成果(金字塔)として、確実に後世に伝え、研究資料となすべき、貴重なご出版なのだと 思い、陰ながらご進捗を見守らせていただいておりました。高夫人(=岡百合子さん)の礼状にもありましたが、私も今の齢ですと、大切なご著書を保存的に遺 していくことが出来ないだろうな、という思いが迫り残念でなりません。
 御出版がもう10年前だったら、ご無理を申し上げても、全巻前払いしてでも、予約させていただいたろうと思います。苦心して集めた「鏡花小説・戯曲選」 や「谷崎潤一郎全集」とともに、ガラスケースの書棚に「秦恒平選集」がずらっと背表紙を揃えて並んだら、どんなにか壮観で、嬉しい(気持ち良い)ことだろ うとも思ったこともありました。
 しかし、「湖の本があるじゃないか」 私は、自分にそう言い聞かせました。「選集」に、編まれた先生の意向を汲み上げるように、「湖の本」で読めば良い。私は、自分に、そう納得させました。
 HPで紹介される、礼状の数々を読みながら、r選集」がそれぞれに相応しい方々の手に納まっていくのを、「選集」のために祝すべきことと感じております。
 私は、お贈りいただいたことを重く受け止めます。それは、しっかり読み込むことだと肝に銘じました。重ねて御礼申し上げます。
 「罪はわが前に」は、1976〜7年頃、北区の王子図書館で読みました。
 いろいろ思い出します。当時は半ば失業状態でしたので、新刊本は購入できず、バスで5分ほどのところにあった王子図書館に毎日曜日、家内と通いました。
 岡本かの子全集やドストエフスキー全集本は、そこで全部読みました。正直言って現役の作家で読んだのは先生の本だけでした。「みごもりの湖」「迷走」三 部作、「誘惑」「慈子J「罪はわが前に」等々、を借りて読みました。小説で初めて買った単行本は「冬祭り」ですから、以後の本はたいがい買っていますの で、間違いないと思います。生意気なようですが、硬質な文章と、歴史とひと続きに現代を捉え、時空を超えて人間(日本人)を造形していく描き方が好きでし た。これが日本文学のあるべき姿とも思いました。
 髷と一緒に歴史を捨てきって、フランス人やアメリカ人のふりをして、どこに日本人がいるというのでしょう。トーマス・マンはこれぞドイツ人というドイツ 人を、ゴンチャロフはこれぞロシア人というロシア人を意織的・意図的に書きます。そしてドイツ人とはなにか、ロシア人とはなにかを哲学します。日本文学と いうとき、そこに明明として平安、安土桃山、鎌倉、江戸を生きてきた日本人が描かれていなければならない、と思います。私は秦文学に、真の日本人を描く日 本文学のあるべき姿を見てきたように思います。
 「選集J第七巻をいただいて、「少女」と「或る折臂翁」はすぐ読みました。
 「少女」は「湖の本」で、「或る折臂翁」は「廬山」で既読でしたが、こうして「選集」で再読した印象は、まったく違って浸みこんできました。いったいお前は、いままで、なにを読んできたのだ、と忸怩たる思いで、惹きこまれるように、たちまち読み終えました。
 「少女」は志賀文学の原点「母の死と新しい母」ともいうべき、秦文学の原点と感じました。ここにいたり「生きたかりしに」を読み進めていなければ、理解 の及ばないものでした。秦さんは「生きたかりしに」を書いて漸くに生母と本当に和解された、と私は感じています。HPに載せられた歌
 「生母(はは)といふ他人(ひと)を厭ひて遁げてきし
            六十余年 すべもすべなき  恒平」
と他二首に、それを私は感じました。
 しかし無意識の和解は作品「少女」にすでにあったと読みました。どこか養女らしい、あるいは再婚の連れ子らしいところの少女に抱く「私」の感想 「孤独な突き放された魂」、この言葉に私は、ハッとしました。秦文学のキーワードをみた思いがしました。
 「私」は「少女」であり、「少女」は「私」であり、「少女」の意を図り、半ば強いるように食事を饗したのち、
 「わあっと大声が出かけて、それこそ一目散に私は駆け出した。たちまち眼鏡が曇り、街の灯ばかりが冷たくきらめいた。」
と作者が描かれた、その「私」こそ、秘かに我が子に会いに来た生母(はは)であり、プレゼントを養家に届ける生母、「私」が逃げ回り、会うことを拒み続けた生母だったのですから。
 「私」はr少女」を生母(はは)が幼い頃の「私」を見るように見ていた。
 そして生母が幼い頃の「私」にしてあげたいと切望して成し得なかった、共にする食事、慈愛の抱擁が、「私」の「少女」に対する行為に重なって見えた。
 この時「私」は生母の心を理解し、生母の体温と一体になっていた。それで「私」は泣いた。と、私は読みました。
 「少女」から「生きたかりしに」にいたる闇夜行路、ここに秦文学を読み解く重要なキーがあると改めて思わせていただきました。
 また「或る折骨翁」は、なんと現在的な小説でしょう。50年の歳月を超えて、現在こそ、多くの人に読まれなければなりません。
 「新憲法には初樹も関心をもっていた。日本人の生まれかわろうとする理想を赤ん坊ほどにも無邪気にむきだしに提唱していた。どことなく時代錯誤じみても いた。意法が悲願や理想をかかげるものなら新憲法はこの上なく立派だが、その新憲法を空文化していく世界情勢が遠からずくる、国内でもわき起こることは想 像しなければならないことだった。」
 現安倍政権の出現の必然性がすでに予見されている、と読みました。新憲法発布の経緯や当時の社会情勢を知らない私には、このような洞見があったのかと、改めて襟を正す思いで読みました。
 反戦の同志? として結ばれた、初樹と弥絵の身を潜めるようなつつましやかで平和な山暮らしに、イヤゴーのような狷介な康岡が介入してくる。
 康岡は「非国民」という差別音を使って正義を威圧し、歪め、押し潰す無知蒙昧な「世間・民衆」であり、安倍政権のような朝三暮四に等しい言葉の詐術をつ かって国民を言いくるめ、隠然と、まるでヒトラーのように強権を振い、国民の自由を簒奪し、武力による強盗集団を作って、他国を侵略することも辞さない戦 前の軍部体制への移行がもたらす状況、それを体現している人物で、弥絵(良織・国民)に誅殺されて当然です。
 命を賭けなければ一度出来上がってしまった社会を変えることは出来ない。
 弥絵は、康岡に草刈鎌を振り下ろし、自らも命を絶つ。革命です。しかし革命で理想の社会が出来ないことは歴史が証明しています。支配者が替わるだけで、 状況は何一つ変わらない。初樹の置かれた状況は何も変わらず、康岡は死んだが、愛する弥絵にも死なれてしまった。むしろ弥絵の死と、どす黒く成長した猜疑 心がいよいよ重く、酷く初樹を責め苛むでしょう。初樹に救いは決して来ない。なんと酷い結末でしょう。
 この後、それでも初樹が生き延び得たとしたら、初樹はオイディプス王のように自らの眼を抉り取るのではないでしょうか。もうこれから先は、読者には哲学があるのみです。
 弥絵の最後の言葉 「おとうさま御免なさい」、の「おとうさま」は平蔵か、あるいは自分の父かと思うところですが、ここは私には父なる神、永遠の父性に詫びたように思われました。
 重い重い小説です。不条理の小説です。漱石の「心」のように読者に哲学を強いる思想小説です。
 「或る折臂翁」は秦文学を読み解く重要な作品として、必ずや研究される運命にある作品であると思いました。
 それから「罪はわが前に」が、「未完」と、あるのに衝撃を受けました。「未完」だったんですね。この「未完」を「完」にするのは「生きたかりしに」なのでしょうか。
 よくよく読み込まなければ、秦文学は理解できない、せいぜい理解したつもりで終わってしまうだろう。と、いよいよ我が身の非才を
身に滲みて思い到るばかりです。

 「選集」第七巻はとてもとても重要な巻と感じました。
 勉強させていただきます。ありがとうございました。   八潮市  小滝英史  作家

* 著者冥利とは、これぞと。わたしの文字どおり「処女作」二作をこうもしみじみと読み切ってもらえた身の幸は、ことばに替えるスベがない。「いい読者」に自分は恵まれていると思い続け言い続けてきた喜びを、新ためてしみじみ味わっている。
 「清経入水」いらいたくさんな評論や書評をもらってきた。小滝さんのこの一文をわたしは忘れまい。「いい読者」とは自分に単に好意的な読者を謂うのではない。あつい「おもひ」で作品を燃え上がらせて下さる人を「いい読者」と読んでわたしは頭を垂れる。

* 都立中央図書館からも天理大学図書館からも選集受領の挨拶があった。

* 京・洛北のバー「樅」の横井千恵子さんから、美味い佃煮が届いた。酒もいよいよ美味くなります。

* もう七八十人分、宛名を書かねばならない、この両三日のうちに。問題なくできる。それで用意は満了。
 眼は霞んでしかもギトギト、キラキラ。ほとんど字が読めない。アテズッポーでキーを敲いている。もう休むしかない。

* 「げに 兵は凶器なるかな。」 馬琴の一句がみみに鳴っている。


* 平成二十七年(2015)七月一日 水

 床9:30 血 圧136-64(57) 血糖値90  体重67.5kg

* よく寝た、いろんな夢をみたが覚えていない。

* 七月になった。むかし七月は嬉しい月であった、娘の朝日子が二十七日に生まれた。いまは同じその二十七日に孫娘のやす香の生命線を絶って死なせた悲しい月である。われわれは娘の誕生日を喪ってしまったのだ。

* 選集第八巻の函表紙が出来、口絵写真も。再校をもう百頁ほど残している。「冬祭り」に次いで、いつもより五十頁余も多い。

* 朝いちばんに、高麗屋から色も涼しい「ほおづき」の鉢が送られてきた。感謝。

* 作家の近藤富枝さんから「涼菜」 交通公社の編集者だった安藤典子さんから「のり」 中学・高校の同窓で日立の重役を務めた西村明男君から「両口屋是清」の銘菓 を戴いた。有難う存じます。

* 尾張の鳶さんから額も贈られて玄関正面に飾った繪は、「イスタンブール」の市街景だと。けさも新たな心地で見入って、ああ佳いよと首肯いた。

* さ。六日に出来てくる「生きたかりしに」下巻完結のための発送用意に取り組まねば。
 @ 封筒を注文する。代金を上中下すでに頂いている読者への挨拶、今回分をお願いする挨拶、これまでに未納のある読者へのお願い、各界人・大学・高校・ 文学館・図書館等への寄贈の挨拶を、それぞれに書いて A 印刷し B さらに一つ一つにカッターで分割する。 C 買い入れた封筒に、湖の本の印、謹 呈・贈呈の印などを全て捺す。 D 払い込み用紙に版元等の必要な登録印を捺す。 E 用意されている全ての送り先宛名住所を印刷し、一枚一枚封筒に貼っ ておく。
 すくなくもこれだけの作業は本が出来てくる前日までに終えておかねばならない。これを、もう三十年近く、現在までに126巻ぶん、妻と共に励行してきた。
 編輯、入稿用意から校正・責了までの間にも手抜きの利かない慎重な作業や判断が幾重にも必要になる。編輯・制作体験を積んでいなかったら、これは到底で きることでない。たくさんな作家達がいまではわたしの「湖の本」と同じような作家の出版を希望もし憧れてさえいることをよく承知しているが、@ 出すに足 る作品と量 A 編輯力 B 愛読者・知己の多さ C 家族の献身的な協力 D 健康と気概 E それなりの資金用意 が無ければ、誰にも真似も出来な い。人を雇って機械的に事を進められるような仕事ではない。知る限り、追随例を一つも知らない。「騒壇余人」に徹する覚悟も、むろん容易ではないだろう。

* いまの私たちには、さらに「秦 恒平選集」の刊行という大仕事がある。一巻一巻の一期一会、気概の繰り返しにじっと耐えて行く、資金の続く限り。命の続く限り。

 ☆ 
秦 兄
 大部のご本有り難うございます。時間をかけてゆるりと読ませていただきます。
 それにしてもなつかしい巻頭の母校の写真。いちばん西の一階だか二階だかが、途中から編入してきては、また金沢に転校して行った細川弘司君と机を並べた ホームルームの教室でした。二年生の時だったとおもいます。色白でおとなしく 画板をぶらさげて御所へ写生に付き合って行ったことを思い出しました。
  弥栄の三年間は私にとってはほろ苦い思い出がいっぱいの、なつかしい時代です。
 もう時効ですから白状しますが、兄の家の向かいに住んでいた石**子さんと結婚するんだ、と保健室の中村静子先生に言って 「あの子はあきらめなさい」と 言われたことがありました。
 年末試験の時など西**男、藤*君らと四人で私宅
で徹夜をし、早朝彼女の家まで送って行ったこともありました。彼女は日吉へも行かず、そのうちに弥栄の理科の伊*先生に盗られてしまいました。
 放課後はいつも渡**子さんと二人が音楽室で大賀先生にピアノのレッスンを受けていましたが、伊*先生もよく一緒でした。
 中村先生の忠告が、伊*先生のこと以外にもあったことは数年後に東山馬町の中村先生のお宅へお邪魔したときに聞かされました。
 テオドール・シュトルムの「みずうみ」岩波文庫本を誕生日のプレゼントに彼女から中3の時もらいましたが、伊藤先生の愛読書だったかもしれません。
 兄の写真に触発されてとんだ話になってしまいました。それにしてもなつかしい。.
 ほんとうに有り難うございました。
 季節がら充分ご自愛ください。  京・幡枝     同窓


* ぜぇんぜん、知らなかった、想像もしなかった。わがやの真向かい住んでいた、馬町の幼稚園通園の頃からいっしょの「彼女」ではないか、それなのに毛す じも知らなかった。文面に出ている同期生の名も顔もみな覚えている。それなのに。それほど、わたしは、よそごとに気疎く過ごしていたワケか。青春とはまた そういうものなのであるわけか。
 ま、あの弥栄中学校舎の写真をみて心動かさぬ同窓は一人もいまいと思い、「辰」君にも送ったのだ。冨松賢三君にも團彦太郎君にも松下圭介君にも送った。もうあの校舎も無いと聞いている、漢字博物館とやらに成り代わるのだとか。

 ☆ この度は
 『秦 恒平選集第七巻』のご刊行、おめでとうございます。小生のような者にまでご恵投下さり誠にありがとうございます。浩瀚な書物にこれまでの歩みが刻まれていて嬉しく存じます。
 文学が相手にするのは歴史=字間だと思います。これから先の長い文学史に本書の輝きがどのように映じるのか、楽しみです。
 まずはお礼迄。益々のご健筆を祈ります。 不尽  米沢市  馬場重行  米沢短大教授

  ☆ 選集第七巻
 拝受致しました。ありがとうございます。別便にて、こころばかりのもの、お送り致しました。ご高納ください。
 別件ですが 思うところあり、ペンクラブを退会致しました。
 御推薦いただきながら、事後報告になりましたこと、おわび申し上げます。  藤原龍一郎  歌人

* 日本ペンクラブの退会者はおどろくほど増えているが、わたしでも事実上それに同じい。文学的な存在価値が甚だ薄れて、読み物作家達の同好会のような気 味がある。現内閣の暴走に対しても、会員に危惧と蹶起とをうながすような何の対策もない。わたしは、居残っているけれど、やめたいと思われる方を押しとど める気になれない。 

 ☆ 秦 恒平選集第七巻
 ありがとうございます。
 非常に早いペースでのご発刊、しかも「湖の本」との同時進行。さまざまなご苦労がおありでしょうにーー。ただただ驚き入っております。
 「生きたかりしに」上、仲 作品への強い想いをもち、重く受けとめつつ、読了したところです。
 最後に、お体 くれぐれもご自愛下さい。 愛媛・今治市  木村年孝  元図書館長

 ☆ 先日は
 立派な本をお送りいただき、ありがとうございました。お礼の申し上げようもございません。
 昨日 はなしのぶコンサートに行き いただいいた絵葉書です。
 阿蘇にしか咲かないハナシノブの花です、まずはお礼まで。  熊本市  東淳子  読者

 ☆ 天候不順な
 毎日が続いておりますが、体調の方はいかがでしょうか。私の方はダルくて、いつも眠くて仕方ないという情けない状態です。
 このたびは大層立派な御本をいただき誠にありがとうございます。
 久しぶりにこのような見事な造本を拝見いたしました。拝読させて頂きます。同封の韓国のりは手作りの品です。食事や酒の肴に御賞味下さいませ。どうぞお元気で。   安藤典子  元交通公社編集者

 ☆ 選集第七巻
 ありがたく落掌いたしております。お心尽しもったいないです。感謝に堪えません。
 罪はわが前に を少しずつ読んで行きます。
 恒例の屋根の修理が遅くなってしまって六月に入ってどうにかさし茅修理も済んで一段落です。
 一同みな元気で働いています。粉を碾くもの これは三代目です。打方修行中の四代目 なかなか思うところにゆかぬようでいます。
 ご健康を念じております。奥様皆々様にどうかよろしく申し上げて下さい。 最上  芦野又三  あらきそば主人

 ☆ 湖へ
 選集を送って頂きありがとうございました! お元気ですか。
 金澤へお誘いしたかったのですが、私も都合がつかなくなり残念です。 またの機会によろしくお願い致します。
 お大事に。   

* 浦和の出田興生さん、石神井台の高本邦彦さん、世田谷の野澤利江さん、枝川の藤原龍一郎さん、小松市の八代啓子さん、八千代市の渡辺実さん。ご支援有難う存じます。

 ☆ 選集第七巻
 ご上梓 おめでとうございます!
 お忙しい毎日と思いますが、くれぐれもお体大切になさって下さい。
 何もお手伝い出来ませんが、応援団代表の 琉美子より   妻の妹

* いつも応援してくれて有り難く嬉しく 恐縮しつつも心より感謝申します。

* 徳内を読み白石とシドッチを読み、わたしの時間は十分豊かである。「部屋」へ入れば好きな誰とでもいくらでも話せる。描き出したヒロインたちですら、 みな、惜しみなく「部屋」へ来て話し込んでくれる。ごく初期の頃、わたしのことを、からだ半分を「あっちの世界」に置いた作家と批評していたが、よく見抜 かれていた。「死ぬ」とは、自分が部屋へ入った襖のそとへはもどらず、部屋を訪れてくれた人達、彼や彼女らの来てくれた襖を向こうへ一緒に出る、それだけ のこと。 





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