saku165
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あけぼの
「『我々が提出する法律(案)についての説明は全く正しいと
思いますよ。私は総理大臣なんですから』。首相であることがなぜ正しさを担保するのか。そこに論理はない。『存立危機事態』は日本の政治状況にこそ当ては
まりそうだ」(「東京」5月27日付)
総理大臣という「権力」を根から安倍晋三は誤解している。
「権」とは、「借り・仮り」の字義をもっている。生来本然の
所有でも私有でも無い。
総理大臣の場合も、その地位と権能とは、國の憲法上「主権者と確定されている国民」からたんに「一時的に預かっている、借りている、仮のも
の」に過ぎない。国民は、その地位・権限を取り換える不動の主権をもっている。
I am NOT ABE!
安倍政権の憲法を踏み躙る独裁傾向、眼にあまる。
安倍自民は、保守でなく、国民支配の強権である。
@ 放射能危害は放置のまま、厖大な国費の乱費とともに、不良で危険な原発の安直かつ強引な、再稼働政治。
A 沖縄県民意を強権で無私蹂躙する露骨ないじめの、弾圧政治。
B 富裕ブルジョア(大企業)最優遇と、格差に喘ぐ大多数の貧・弱・老の「福祉厚生」を切り捨てて行く、無慈悲政治。
C 米国の操り人形に甘んじて参戦体制へひた走る、好戦卑屈の属国政治。
D 幻影に同じい株式いじりのマネーゲームで繁栄をうそぶく「ウソクサイ」政治。
E 近代現代の世界史=帝国主義の跳梁から何一つ学べず、西欧に言いなり一辺倒の無知蒙昧政治。
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述懐 平成二十七年(2015)六月
はかなしや命も人の言の葉も
頼まれぬ世を頼むわかれは 兼好法師
くすむ人は見られぬ 夢の 夢の
夢の世を うつつ顔して 閑吟集
水すまし流れにむかひさかのぼる
汝(な)がいきほひよ微(かす)かなれども 斎藤茂吉
ほろびゆく日のひかりかもあかあかと
人の子は街をゆきかひにけり 湖
鐵(かね)のいろに街の灯かなし電車道の
しづかさをわれは耐へてゐにけり 湖
生母(はは)といふ他人(ひと)を厭ひて遁げてきし
六十余年 すべもすべなき 恒平
生きたかりしにと 闘ひ 死にし母なれば
生きのいのちの涯てまでもわれは 恒平
生きの緒の根ざせる身内 慕ひつつ
人とし生きて生きてあらめやも 恒平
* 平成二十七年(2015)六月三十日 火
* 起床7:30 血
圧124-66(56) 血糖値103 体重68.2kg
* 亡き恒彦兄がお子さんをうしなわれた高・岡ご夫妻に宛てた手紙を、読んだ。兄の声が聞こえた、兄が生きて想われた。
わたしは、五十にして初めて兄と会い、以後せいぜい数回しか会ってなかった。手紙やメールはたくさん貰っていた。兄生涯の行実をわたしはほとんど知らな
い、「朝日人物事典」の記載程度にしか。兄の知友は、わたしなどと比べようなく広かったろうが、高史明さん夫妻や鶴見俊輔さんや、ほんやら洞の甲斐君ぐら
いで、ほとんど誰も知らない。眞継伸彦さんや小田実さんから、「えらい男やったよ」と聞いたことがある。その眞継さんは湖の本をずっと買ってくださり、小
田さんはいつも「敬意をこめて」と自署して本をくださった。彼らと兄とに接点のあったのを最初に教えてくれたのは、筑摩書房で「文藝展望」編集長などされ
ていた原田奈翁雄さんだった。それでもなおわたしは長い間、兄と会わなかった。
逢い始めての何年かは、いまとなれば「寶」である。それでもわたしは自死と聞いたこの兄恒彦の葬儀にも偲ぶ会にも敢えて行かなかった。兄とは、兄自身のことばであった「個対個」に徹したかった。
* 作家百田某の口を借りてとうとう権力の本音が出て来た。「朝日と毎日と東京(新聞)を潰さねばならない」と。
「社会
党」を潰したら「朝日新聞」を潰すというのが日本の戦後保守の陰険な戦略だと私は、言ってきた、早く早くから。保守はあらわにはそれを口にしな
かったけれど、本音がそこにあり、それをこそ「保守絶対政治」と肚に巻いていたのは万々間違いない。負けてはならない。社会党の迂愚は気付かずに散々に負
け続け、はためには自滅と見えたけれど、じつは保守引見の戦略がよう見抜かなかった自業自得であった。「朝日」「毎日」「中日・東京」よ、屈してはいけな
い。
☆ 梅雨の晴れ間に、
建仁寺の両足院内の半夏生の庭園へ行って来ました、雨の後でとってもきれいでした。写真送ります、小さいのでちょっと見にくいかな?
続けて、お腹に良い物 探して来ました、お好みに合いますか? カステラと紅茶です、京都のナガサキやは無くなりました、フクサやなら悪くなさそうで、明日着くようです、お疲れにご賞味下さい。 京・日吉
華
* 建仁寺両足院とは、懐かしい。家から、花見小路、祇園町を小走りにゆけば数分で両足院へ行けた。叔母が懇意で、わたしも御免蒙ってお庭で何度も憩わせ
てもらった。「冬祭り」にも書いた。淡交社の京都古寺巡礼のシリーズでは「建仁寺」篇のために長めの文章を書いたが、その取材の際にも両足院を訪れた。等
伯の襖絵が観られた。翅があれば翔んで行きたい。
☆ おはようございます
今年も 早いもので折り返し点に来てしまいましたね〜 ご無沙汰ばかりで申し訳ございません。 ご体調は如何ですか?
気に掛かっていましたら 先日思いがけず立派なご本をご恵贈頂きびっくりしております。 有り難うございました。
本当に私の様な者に頂いても良いのでしょうか。
ご本を読みながら、子供の頃の自分に返って懐かしい思いに浸っています。 新門前の梅本町に小学校の恩師が住んでおられて遊びに行ったりしていました。
同じ京都に住み 同じ地域の中で 子供時代を過ごしていたからでしょうか
本当に懐かしい何かに引き寄せられながら 読ませて頂いて います。 有り難うございました。
私も先月肺炎になって入院していましたが、昨日退院後の検診で無事との許可をもらって ホッとしています。
これからご夫妻
共にご無理をなさいません様にくれぐれもお大切にお過ごし下さいませ。
追伸 過日
お見舞いにと 予約でお送りしたのですが、和菓子でなくてごめんなさい。 奈良市 絹
* 「華」さんも「絹」さんも高校茶道部でわたしから茶の湯を手ほどきされた後輩で、二人は仲良しだった。はからずもメールを同時にもらって、ほおーっと昔を偲んでいる。二人とも、湖の本をずうっと応援してくれている。
我が家の一軒東からが新門前の梅本町だった。そうか…うちの前を通って先生のお宅へ遊びに行ってたのか。むかしの家なみが思い出される。ありがとう。
* 以前は郵便配達は午前も早い内だったが、この頃は夕刻になっている。
☆ 『秦 恒平選集第七巻』を
拝受いたしました。
<作家を志して書いた「処女作」>のお言葉に、すぐに「少女」と「或る折臂翁」を拝読し(未読だったとは不勉強者ですが)、震撼しました。ここには、作
家秦 恒平の芯がすべてあり、そして完成されています。いいものを読ませていただきました。ご厚意が晩年の読書を豊かにしてくれます。お礼申しあげます。
うっとうしい日々が続きそうです。どうぞお身体お大切になさって下さい。 敬 元講談社出版部長・「群像」編集長
☆ 拝復
御鄭重にも『秦 恒平選集第七巻』を御恵贈にあずかりまして、誠に 有難うございました。
まず 処女作(一)の「少女」のみ拝読致しました。
この魔障めいた少女を細かくさまざまな視点を使って提出された事は、これからの創作の展開の減点のようで、感服しました。(文中の 「私のような凡庸な
人間」とあるのに初読の際いささか違和感を覚えましたが、再読して、この類型的な表現を入れておかないと、この短篇は浮き上がってしまうので、用意周到と
改めて感じ入った次第です。)
今度の芯に、『罪はわか前に』を選ばれた所以も、巻頭のお便りでよく分かりました。
右、取り敢えずのお礼と愚見申し述べます。 敬具 忠 元「新潮」編集長
* 処女作二遍を巻頭に敢えて挙げた「選」が晴れだってくれて、作品に一礼を奉ずることが出来た。うれしくてならない。
☆ 前文ご免下さい。
選集第七巻 拝受致しました。変わらぬお心遣いありがとうございます。
ご意欲にみちたお仕事 同慶の至りです。いっそうのご活躍 祈っております。
取り急ぎお礼まで。失礼致します。 出 元平凡社「太陽」編集者
☆ 秦 恒平 先生
この度は「秦 恒平選集第七巻」を御恵贈賜りまことにありがとうございました。貴重な著者私家蔵本を頂戴し御芳情のほど厚く御礼申し上げます。思いがけないいプレゼントに驚きうれしく、本を撫でさすりました。
「湖の本」127冊のとなりにどっしりとところを得ております。
『生きたかりしに』中巻を一所懸命読んでおります。
著者が誰か、創作の背景などまったく情報がないまま読んだとすると,時にmysterious で、また事実探索の手掛こふと森鴎外が脳裏こ浮かんだり ノーヴェルとして楽しめます。
さりながら、「わが八十の生涯を、思想および生活の両面から相重なり合うて裏打ちした作であること、…わが身の程を明かす臍の緒であった」との言葉を眼にしたのちは、リビングルームのテーブルに乗せた足を下ろし、背筋を伸ばして拝読しておはす。
上田秋成が通奏低音として響くなかで展開していく場面を、様々に思考を巡らしながら読んでおります。
さいわい、私は東京と大阪を振り子の如く三回も転勤を重ね、京の街をそして湖西・湖北の山々、沢を歩き回ったことでかなり土地
勘があることから、別の楽しみも読み解くことができています。
この八年ほどは、専らギリシア哲学とくにプラトンを古典ギリシア語で読む道楽こ耽っており、日本文学までなかなか手が回らない
日々が続いておりますが、この機会に未読の「湖の本Jのページを繰らせて頂きたいと考えております。
「視野視力の動揺おさまらず…」との由、案じております。御無理をなさらず、どうかお体おいといください。
先ずは御礼まで申しあげます。 敬具 鎌ケ崎市 篠崎仁 読者
* 我が家での いわゆる「全巻読者」で、お付き合いは三十年に近い。感謝に堪えない。
☆ 秦 恒平選集第七巻
ありがとうございました。もう第七巻とは目を見張る勢いですね。
二十六日 二十七日とバスツアーで能登半島を一周してきました。お天気が良ければ絵葉書のように美しいだろうと グレーの空と海が少しうらめしかったです。
輪島の朝市から少し干物を送ります。
お風邪などひかれませんように。 各務原市 真 読者
* 創刊いらい三册ずつ三十年ちかく買って下さってきた。何かの度にいろいろと送ってきて下さる。感謝。
* 京都の瀬戸内寂聴さん、千代田区の村上開新堂社長、早稲田大学図書館からも選集受領のご挨拶があった。
* 「尾張の鳶」さん、送った繪に額もと、見つくろって、ズシッと佳い額縁が夕方届いた。どこの国のどこの街とは分からないが、建物の重畳する市街を描いて、とても佳い。すぐ額装した作品を玄関の真正面に掛けてみた。佳い。妻もとても佳いと見入っていた。ありがとう。
* 藤江夫人から届いている平安神宮神苑の花菖蒲のはがき繪もとても好く、とっておきの写真立てに入れようと想っている。
いまこのたった六畳の機械部屋に、、むろん写真だが御舟の柘榴、靫彦の青花の鉢、栖鳳の蛙、淳之の花鳥、細川弘司の描いてくれた秦 恒平素描、妻の描いた亡き愛猫ノコの肖像などがあり、今一枚尾張の鳶が描いた「吾亦紅」の額繪をも飾った。繪は、嬉しい。
* 鑑定団で、曽我蕭白のすばらしい屏風絵を観た。若描きに類していながら圧倒的な奇想が精確な表現を得ていて感嘆した。
* 六月二十九日 月
* 起床7:30 血
圧143-72(55) 血糖値98 体重67.4kg
* 六時過ぎから寝床のまま「徳内」そして短編集の校正をし、また本を読んでいた。朝、目覚めたときは、ものの縦線もまっすぐ見え、この一ッ時だけがクリアに快調なので、その時に少しでも仕事もしよう本も読もうと。
いま最も惹かれて勉強しているのは韓国のまだ伝説伝承に彩色されていた上古史。著者に信用のおける適確な叙述・斡旋に導かれて「韓」の由来までたいそう
興味深く読み進んでいる。不勉強な無関心のまま久しく来て、わたしは「朝鮮」という名が「日向」「日本」「日立」などとすっぽりかぶってくる陽明・陽光の
清潔を意味するとすら推量もしないできた。なにしろ「朝鮮」という言葉を口にするのすら差別的な感覚が先行し遠慮してきた。韓国というようになって、喉の
つかえが外れたような便宜をさえ感じてきたのだ、何ということだ。彼の國の太古にあって「熊」が「神」に等しいつよい大きい意味をもっていたことも、初め
て識った。中国大陸を背負い、日本列島を目前にした三面を生みに包まれた半島とは地図で諒解していて、高麗・新羅・百済また任那などに分かれていた程度は
知識していても、とてもその先へは自発的に入ってみようと出来ないままだった。
その反省が、主にはアイヌのことを書いた「最上徳内=北の時代」に、伊藤楊子ならぬ「イ・ヤンジァ」という可憐なヒロインを呼び出すことに繋がった。そ
れでもその後も、近年までわたしは朝鮮にほとんど知識も関心も深め得ていなかった。「い・さん」「トンイ」「ホジュン」「馬医」のような向こうの歴史ドラ
マをつとめて観るようにし、独特な朝鮮文字発明の物語劇にも心惹かれて、まともに韓国史を勉強してみようと思って、三十年も前に買っておいた上下巻の専門
書に向かい始めたのである。おもしろい。もっと早くにこの最近国のせめて歴史は知っておくべきだった。
* 胃癌の手術入院時に二度目を読み始めた「南総里見八犬伝」が、三年を経過してやっとあと岩波文庫で一巻まで来た。馬琴先生の病的なしつこい稗史癖には
閉口してしまう、一度目は物珍しかったが。同じ巻数でも「水滸伝」や「指輪物語」や「戦争と平和」など感銘しきりにグイグイ読んで楽しめるのに。馬琴のく
どいくどい筆致は病的なまでしつこい。それでも、夜来読んできたなかに「兵は凶器である」と喝破した箇所があり、深く肯いた。安倍総理に思い当たって貰い
たい。
* 昨晩観た映画「栄光への脱出」が、じつは現在無惨な悲劇の横行となって殺戮の日常化激化劇が中東に、欧米に、拡大している。日本の政治家に、ただに他
国追従の「一つ覚え」のような念仏を唱えているヒマに、神と人と政治との隘路をぬくフィロソフィーを培って欲しい。自称する哲学者、宗教家、教育者たち
よ、胸にひびくモノを生みそして語り、率先して実践してくれ。作家達も詩人達も、創れ、書け、語れ。
* 「親指のマリア」審問の章を読み終えた。これで半分。六章あるが、一章一章がしっかり長い。
☆ 秦恒平撰集第七巻
頂戴いたしました。
京都での授賞式への出席も見合わせられたというご体調の中での、次々の出版、本当に感銘御尊敬申し上げております。
以前一度お金では失礼? がしらとお酒をお送りしたことがありました。お菓子だとかお酒だとか、只今の御体調を把握しないまま何かモノを差し上げるのは
やはり失礼だと思い、こちらも失礼と云えば失礼なのですが、奥様に、秦さんの御体調に合ったものを調達して戴こうと思い、心ばかり同封いたしました。
こういう偉業を成し遂げていらっしゃる中での奥様や御子息のご苦労ご協力がどのように大変なことであるか、よくわかるような気がします。でも同時にご一家が全力を挙げて取り組んでいらっしゃることに、とても暖かい羨ましいものを感じます。
私は、前にもうしあげましたように、今は(=新刊の)「湖の本」の方に夢中ですが、次は(=第七巻の)「罪はわが前に」拝読しようと楽しみにしています。
八十の坂を登るのは大変だと前々から医者の兄に聞かされていましたが、そしてその本人も八十六才になりエレベーターのない古いマン
ションでフウフウ言いながら暮らしていますが(長兄は昨年八十八歳で旅立ちました)本当にそのようで八十三才と八十四才の老人夫婦 ヨロヨロと暮らしてい
ます。京都にはやっと行って参りましたが、その後は一週間位、疲れから来る色々の症状に対対峙しなければなりません。
本願寺の岡ア別院という所で会がありその隣の平安の森ホテルという処で或る方の撰集刊行完成の祝賀会があり、そのホテルで(=夫君
高史明さん)は話したのですが、(ホテルの)すぐ隣に岡崎神社という何やら由緒ありげな神社があり、帰ってから若い人にスマホで調べてもらったら、祭神は
スサノオノミコト・クシナダヒメで、平安京の東のかための神社とか。大磯の中心の六所神社もクシナダヒメなので、どちらも新羅系、何か因縁を感じました。
もう京都も見納めと思い、東本願寺だけお参りして帰りました。
さてもうひとつ同封のものは、北沢恒彦氏のお手紙です。
わが家の息子の自死などもあり、大変たくさんのお手紙をいただいていましたが、小平から大磯に越した十四年前、大方は整理しまし
た。でもどうしても捨てられない手紙があり、ダンボール二箱位残して持って来ました。でもやはりそろそろ死に支度で、もう一片付けしなければと日々丁寧に
読んでは始末するということをはじめました。
先月、その中で北沢さんのお手紙を見つけました。はじめてお会いしたのが息子が死んで半年後ぐらいの頃、京都のほんやら洞という反
戦喫茶店で、その時もその後も何回か京都を案内して頂いたり、一度は小平のわが家にいらして下さったりしましたが、お会いしたのも十回に満たない位の数で
したし、お手紙を頂いたことは忘れていました。
でも改めて読みますと、あの北沢さんの表面は厳しいのに心の底の何とも云えぬ優しさがよみがえって参ります。本当に優しい方だっ
た。そしてそれは底知れぬさびしさに裏打ちされた優しさだったと、今思い当たりました。殆ど交渉がなかったとおっしゃっておられましたが、やはり濃い血の
つながり、秦恒平さんにそっくりだったと強く思います。
(筆が走って失礼なことを申し上げました)
大事な手紙と写真は私共が死ぬまではとっておこうと思っていますが、今回、北沢さんのお手紙は秦さんにお送りしようと思いました。
私共には子どもがいませんので、死んだら皆ゴミとなって捨てられてしまう、それならそちらに差し上げた方が──と夫と相談して決めた次第です。失礼でなど
ないようにと心から願っていますが。
撰集と湖の本 秦さんご一家には只今一分一秒でも大切な時と思います。つたない私共の便りを受けとったという御連絡などお気使い下さいませんように、私共に本を頂くこと、それを読むことが一番大事ですので。
前から上手くはありませんでしたが、最近ますます字が汚くなっております。読み辛いと色々な人から叱られますが、パソコンが使えな
いので手書きになります。御迷惑もかけて申し訳ありません。又、夫は私以上に判読不能な字を書き、従って筆無精になっておりますのでいつも失礼しておりま
す。でも二人共、秦さんのお仕事を尊敬し、それが成し遂げられることを心から念じております。
くれぐれもお体お大事に 御夫妻のご健康を念じあげます。
舌足らずの手紙で失礼いたしました。 合掌 岡百合子 エッセイスト、作家高史明詩夫人
* 嬉しいお手紙を、いつもいつも、本当にうれしく頂戴している、そのうえに、もう久しくも久しく、亡き兄恒彦に代わってのように、ひとしお心温かな応援をして下さる。身の幸せを底知れず感じて感謝している。
* 兄恒彦の高夫妻へ宛てた手紙を、いましも読んでいる。恒彦の書字は、これはもう特級の判じ物のようで、きちっと読み取るのに心血を注がねばならない。懐かしい。とても恋しい。
☆ 拝啓
御健勝 大慶に存じます 続々御著頂戴有り難く存じます。今 小説を読む楽しみを存分に味わつてをります。
梅雨が明けましたら 一度お目にかかりたく存じております。 不備 寺田英視 前文藝春秋専務
☆ 降りみ降らずみの
梅雨空がもどってまいりました。
昨日は ご高著第七巻を御恵贈たまわりましてまことにありがとうございました。
「或る説臂翁」は胸を抉られるような鮮烈な御作でございますね。処女作から既に確立した世界を持っていらっしゃると あらためて感じ入ったことでござい
ます。 私ごときが感想などとおこがましいことではございますが、鎌の穂の血のりが未だに口中に残っております。 お心遣い暑くお礼申し上げます。
どうぞお身体をお大切に ご自愛下さいませ かしこ 京・鳴滝 川浪春香 作家
おって
何か美味しいものをと思いますが お身体に障りがあってはいけませんので 心ばかりを同封いたします 失礼の段 お許し下さいませ かしこ
お返事はご芳念のほどを
* おそれいります。「或る折臂翁」に触れていただき、嬉しい。「小説」という文字があたまに舞い込んだときから、この白楽天の詩をいつか書こうと狙い定
めていた。詩集は秦の祖父の蔵書だった。怒られた覚えなど一度もないのにこわいお祖父ちゃんであったが、長持ちや箪笥に埋蔵されていた大量の古典籍にどん
なに少年のむかしから思い養われたことか。感謝しきれない。
此の作、書きたい書きたいと震え始めていたのは、安保闘争で連夜国会を取り巻いていたあのころで。仕上がりの作とはずいぶん違った結末を想っていた。兵役忌避の作とも、たんに臆病の作ともとれる微妙な割れ目を意識していた。
文章にもっと風通しを、会話に妙味をと願って、このあと、築地の松竹にあったシナリオセンターに、かいしゃが退けると毎晩、半年通って、課題の二作を書
き上げた。七十人ほどいた生徒の殆どが続かず、二作提出したのはわたしを復命二人だけと聞いた。当時松竹の専務だったか副社長だったかの城戸さんが提出の
シナリオを読んで八十点くださり、「あなたは小説家になるよう奨めます」と評がついてきた。奮い立った。そして「畜生塚」を書いたのだ。
☆ 前略
新潟(=の両親宅)に 選集第七巻が届きました。ありがとうございました。
今回は『罪はわか前に』が入っているようで、何度読み返したことかと 懐かしく思い出しております。九月ごろ新潟へ戻る機会があるので、これまでいただいた選集と合わせ、手にとれるのが楽しみです。
梅雨で落ち着かない日が続きますが 迪子さんともども、どうかご自愛ください。
新潟の両親も、よろしくと申しておりました。 草々 奈良市 藤田理史
☆ 先生が
精力的にお仕事なさっていらっしゃることに感激しております。
ますますお大事になさって御自愛くださいますようお祈りいたします。 静岡市 鳥
☆ 第七巻
刊行おめでとうございます。ありがとうございます。
お体、お気をつけて、第十巻までは、最低でも出版お願いします。 愛知・知多 則
* お二方 ご支援有難う存じます。
* 六月二十八日 日
* 起床9:30 血
圧121-69(48) 血糖値92 体重68.1kg
* 四時半に一度起きて五時からの、なでしこジャパン対オーストラリア戦の前半だけみてまた床に戻った。
* 政治権力ないし政治上の権力者への批評・批判は許されているという以上に常に必要な国民の義務である。
それ以外での、たとえばヘイトスピーチや、例の百田某らの言説は、なんら言論の自由に当たらない。言論の自由にも節度があり品位ある良識が働かねばならない。
安倍総理の奉戴ないし支持政治家たちには、百田某なみに愚昧な権力=暴力主義者がいるということ。歎き惘れる。
We are NOT ABE & JIMIN!
* フィリッピンのアキノ政権が、アメリカとの談合のなかでか、対中国懸念の緩和ないし対抗のため、日本の自衛隊駐屯を期待しているかの報道があった。決して決して有ってはならぬ誘惑であり画策である。
* 詩人山中以都子さんから、夏限定の純米大吟醸など純米「三千盛」二種を頂戴した。作家牧南恭子さんからは二人で戴ける特製のご馳走蕎麦を頂戴した。食の進まない折、感謝に堪えません。
* 選集Fで、おかしてはならないミスをしていた。故人に成られた林「富士馬」さんの名を、目次とあとがきには正しく、本文のところで「富士夫」と間違えてしまった。申し訳ないことをした。
編集者気質で、人の名と電話番号はウソのようによく覚えたが、この一年二年ほど人さまの氏名が思い出せなくて困っている。氏名は間違えては失礼と肝に銘
じていてそれでも思い出せなくて困り、あやふやに表記して気が付かないのに実に困る。年齢のせいにだけしたくないが、争いがたく間違えやすくなっている。
仕方ないとは思っていない。
* 暑い部屋につい冷房なしでいると、いつ知れず息を忘れそうなほど草臥れているのに気付く。部屋の中での熱中症をいつも意識している。
☆ ご本ありがとうございました。
先日頂戴致しましたのに、お返事大変遅くなり、失礼いたしました。
(身内に不幸がありまして、本日これからお通夜の手伝いにでます。)
「罪はわが前に」 少しずつ読ませていただいています。
私も、両親が中学三年のとき離婚しており、「身内」の縁は薄いほうなので、傷みを感じつつ。
もはや50年も過ぎ傷みもだいぶ風化しましたけど、当時は大人というものを嫌悪し、憎み、なるべく家を離れるようにしていた時期がありました。
亡父が、居室入口に板きれで 「S(当時の住所)刑務所」と黒々と書きつけ、釘で打ち付けていたおぞましい記憶は簡単にきえるものではありません。
大人になってみれば、人間は本当に弱いもので、ときには激流に流され飲まれることもありうるのだと頭では理解できるようになってはいますけれども。
何があっても、最後まで自分らしく理性と知性をもって生きていきたいものですね。
感想はまた後日に。 能登 弓
* この体験は凄まじい。青春はなべて型通りに明るくも希望に満ちてもいない。暗い侘びしいトンネルのようにも思えたものだ。だが、抜け出さねばならない、努力と、はからいに手をひかれて。
* ポール・ニューマンとエヴァ・マリー・セイントらの映画「栄光への脱出」後編を固唾を呑んで観た。イスラエルとイスラムとの共存と平和を願いあいなが
ら、戦闘と殺戮とテロとに終始せざるをえない軋轢、その背景に支配国であった英国の、その背後の米国の、また英国が撤収を決めたあとへユダヤ殲滅の意図を
もって介入してくるドイツと。なんとも謂いようのない複雑な悲しみと怒りと怨讐の念とのみが画面に停滞したまま悲劇の極を味わいながら映画は終えたが、エ
ルサレムの現実はガンとして残る。ポール・ニューマンの最期の弔辞はみごとに美しいけれど、また限りなく力弱いまま終わるのだ。
さして、いまや、ISテロの残虐な展開。神の愛と崇高とをどう信じればいいというのか。
もっともっと繰り返し観たい映画、次の機会の放映を待望する。
* 美味い蕎麦と美味い酒・肴と、美味い菓子とで、今日を過ごした。なんと有り難いことだろう。
* 『親指のマリア』は時代読み物ではない。あえていえば私の思想小説でありその「審問の章」で向き合い語り合い挑み合うシドッチ神父と新井白石の対話・
対決は、事実を越えて出た真実の創作であり、その意味でし文責は私自身にある。わたしは、かの白石自身の感銘深い実感「一生の奇会」とそこで語られる東西
叡智の言葉を、なにかに依拠して書くことは出来なかったも拠るべき文献や記録などは何も無いのだから。だが、わたしは自分の「部屋」(「最上徳内=北の時
代」に出ている)で、自在に、往時実在のまた架空の人達と話し合えるのである。
いまも三度目の「審問」を克明に読み返していた。小説に登場した人達の、そして創作者わたし自身の思案の底までが書かれてあると想えた。
そういう性質の自作の創作・小説としては、これまで唯一のものと思う。もとより「みごもりの湖」も「風の奏で」も「冬祭り」も「最上徳内」も同じそうい
う思想性を望んだ創作であったけれど、同時に「物語」の語り手に「私」がしっかり介在していた。『親指のマリア』ではその「私」を出さなかった。「閨秀」
「墨牡丹」あるいは「加賀少納言」「月の定家」「於菊」などの短篇にはその手の書き方もあるが、長編であり新聞小説でもあった『親指のマリア』は徹して語
り手を出していない。出さずに私は私の思想を籠めた。
* 向暑 気がかりなのは、われわれ人間とともに、もう一年半を超えて輸液を欠かさない愛する黒いマゴの健康。とかく外へ出たがる気持ちも分かるが、外に
はケンカ相手もいる。以前のネコもノコも最期は怪我をさせてしまった。可哀想なことをした。黒いマゴは、実に賢い。われわれの言葉をかなり聞きわけて、
「留守番してね」といえば出たがっていても諦めて機会部屋のソファで終日留守番してくれる。各家で表へ生ゴミの出る日は、「ごみの日だからね」と謂えば、
静かに家で寝ている。その他、あれやこれや相当な「意思疏通」が言葉で出来る。
暑い夏を無事に乗り越えさせてやりたい。十六歳。ネコとしてはわれわれ夫婦よりも高齢になっているのだろう。まだ、敏感な反射神経ももっている。なによりも、われわれを信頼し愛してくれている、それがよくよく分かる。
* 六月二十七日 土
* 起床8:30 血
圧131-63(55) 血糖値98 体重68.3kg
☆ 加賀は梅雨に入りましたが、
今日は晴れて暑いです。きのう病院(月に一回の診察)から帰りましたら「第七巻」が届けられていました。ちょうと「生きたかりしに(中)」を読み終えたばかりなので、さっそくこの巻で「罪はわがせ前に」を読ませていただきます。
「罪はーー」の単行本は、神田の古書店で見つけて(ずっと前です、いつか忘れたくらい)、カバーがヤケていたのを気にしながら買って読みました。
林(富士馬)氏との対談を先に読んで、今さらながらこれまで秦さんのお作をいかに上っ面だけをなぞったような読みかたしかできていなかったことーーと
想っています。それでいて ファンレターを書くほど感激した(それがご縁で今までご親交をいただいています)のです。これからは、別の読み方になると思い
ます。
先日 庭を掃いていたら 竜のヒゲの中から一米近いシマヘビが走り出ました。粟生では蛇はめずらしくありません。以前風呂をリホームした時、古い風呂場
の下に白に近い蛇が塒を巻いていました。工事の人が貰っていいかといって持ち帰りました。 散歩の途中で田ンぼの畦や用水の中に時々見つけます。ほとんど
シマヘビのようです。
秦さんのお作を読むようになってから、蛇はただ見過すことがなくなっています。
先日 小林輝冶さんがなくなりました。私と同年です。小林さんは福井から金澤に来て、石川の文学者の研究を巾広くなされ、大きな業績を残していかれました。クリスチャンのお葬式に初めて参列しました。
ハチミツ お気にいってくださったようで何よりです。 レッテルに写真のある先代からのヒイキで、購入に行くと 広い入口の板の間で、長々とハチミツの効能を説かれました。 私も軽いゼンソクで、ずっと愛用しています。また機会を見てお送りします。
重いブレゼントをいただく気の重さをそらそうと、筆が外への走りました。字の乱れもお許しください。
奥様ともどもお大切にと願っています。 井口哲郎 元石川近代文学館館長
* この心温まるやさしい筆致のお手紙は、谷崎松子夫人に多年頂戴していた美しいお手紙と一対のわたしの宝物である。手紙とはこのように書かれて
嬉しいもの、最良の消息とはこうなのである。にがてな蛇が書かれていても、井口さんがいわれると、しぜんと「清経入水」や「三輪山」や「みごもりの湖」や
「冬祭り」や今回選集に入れた「丹波」などなどが懐かしく胸の内に浮かびあがってくる。
小林輝冶さんのこと、残り惜しい。この方も湖の本の最初から三十年近く変わりなく応援して下さった。ご冥福を祈る。
* 朝いちばんに、利休研究などで名高い村井康彦さんより、磨き抜いた超級の美酒「獺祭」の小瓶を頂戴した。感謝。むかし山口の俳人孤城さんが何度も何度も送ってきて下さったが、亡くなられた。
「日本酒」ぜんたいが何かしら国際的に高く評価されたと聞いた気がするが、たしかに、よくよく醸した米・米麹だけの日本酒は、各地なりの水質と工夫とで、互いに、比べようなく美味い酒になっている。藝術的である。
* 昨日はほとんどモノを食わず、日本酒、ウオツカ、ワイン紅白、ビールだけで暮らした。京、永楽屋の昆布や椎茸などと、この店特製のとびきり上品なゼリー菓子とを、少しずつ。体重も減らした。
☆ 前略
すっかり御無沙汰いたしております。京都府文化功労賞表彰式の日、お目にかかれるのを楽しみにしておりましたがーー。
御労作を次々とお贈り頂き、御礼の申しようもありません。封を開けてすぐに「私語の刻」を読む楽しみは格別です。
それにしても一連の御仕事ぶりは、私にはもう驚愕としか言いようがありません。すべての読者が実感しているところでしょう。(もっとも私の方は、その都度、自分は何をしているのだろう、と反省させられ、落ち込んでしまうのですがーー)。
本日、御礼の(ごくごく)一端として、故郷である山口県岩国市でつくられている、話題の日本酒「獺祭」を、知人を介して入手いたしましたので、一瓶、しかも小瓶ですが、お送り申し上げました。(不細工なつめ方ですみません。)御賞味いただければ幸甚です。
天候不順の折柄、御自愛下さいますよう。
先ずは御礼まで。 村井康彦 京都市文化芸術協会理事長・滋賀県立大学名誉教授
☆ 初夏の
さわやかさを楽しめる日も殆どないうちに梅雨の季節となりました。
ご高著「生きたかりしに」 本当にありがとうございます。
自分のことを書いて恐縮でございますが、今の日本の政治的社会的状況に対するつよい関心もさることながら、八十六年この世に生きてきて、人がどんな家族環境に生まれ育ち、どう人格形成がなされたかについて深く考えるようになりました。
先生とご生母との関係をこのご本を通して初めて知りました また先生と同じく私の両親も京都育ちということもあって、時には古い京都の地図を見たりして
興味深く読ませて頂いております。ご厚情にこころからお礼申し上げます。不安定な季候の中、どうぞおからだをお大切になさいまして お仕事をお進めにな
られますようお祈り申し上げます。 かしこ 元東大法学部長福田歓一氏夫人
☆ 選集第七巻
ありがたく頂戴させていただきました。大切に読ませていただきます。
先の五月三十日に同志社女子の同窓会が平安神宮横のレストランであり、会の終わるのもそこそこに神苑のはなしょうぶと睡蓮をスケッチに走りました。と申
しますのも、中学生の折 写生に行ったのですが 花に圧倒されて不本意な繪しか描けなくて、それが今でも心残りだったのです。
まあ そんな気持で描いた夕ぐれのお池。やっぱり平安神宮の庭はすばらしいと思いました。
下手くそですが (=はがき表のはなしょうぶたちの繪) 見てやって下さい。 もと子 同窓藤江孝夫君の夫人
* なんとまあ懐かしい、繪。平安神宮の神苑は、朝はやか夕ぐれがいい。はなしょうぶの季節、櫻の季節、藤の季節。胸の疼くほど懐かしい。
この人は、京大へすすんで藤江君と結ばれた人。藤江君とわたしは弥栄中学区、奥さんはとなりの洛東学区から同志社女子へ通っていたらしい。昔話もこれま
でに沢山聞かせてもらい、その中には、いま書いている新作の小説への重いヒントも有った。はやく、しっかりと書き上げたい。
☆ いつも
すてきな御本をありがとう存じます。
好きなむくげ一輪咲きはじめました。どうかお大事に。 五個荘 民 作家
* お志し、いつも過分に有難う存じます。
☆ 冠省
選集第七巻 ご恵贈いただき有り難く拝受致しました。「罪はわが前に」は単行本で拝読しました。私小説とは、こうまで赤裸裸で辛いものなのだと存じました。
「生きたかりしに」中巻 近江路水口宿での辻元きよさんの話には、ほっとさせられました。「中肉中背の、見るからに品の佳い丈高い人で、当時としては、
ハイカラを繪に描いたような美しい顔と良い服装だったから、ただ遠目にぼうっと憧れていた」と くにさんのことを語っています。宝塚スターを彷彿とさせる
ような方だったのかと感じました。
梅雨のうっとおしい時季です。先生も奥様もどうぞお大切にお過ごしください。
ありがとうございました。
些少同封致しました。お納めください。 和歌山・貴志川 朱心書肆主人
* ありがとう存じます。
三姉妹にも心から、五人の親たちにも、また、そっとあたまをさげています。が、書くべきを心籠めて書いた気持ちに変わり有りません。文学が藝術になるか、紙屑同然になるかは、籠めた心と文章から品が匂い立つかどうかで決まるのです。
☆ 秦さんへ
『秦恒平選集』を 又々 ご恵送賜り誠に有難うございます。
今日はこれからクラス会で、木更津甚句を楽しむ会
に参加します。
バスで千葉へ出て内房線木更津までの間に楽しめるように、あらためて、選集”有即斎”番本の『少女』をそーっとコピーしました。
本郷通りは、何度も煎餅を積んで自転車で通り抜けていました。『少女』も忘れずにいたいです。
何と御礼を申してよいかわかりませんが重ねて厚く御礼申し上げます。
日々、その通りのもの凄いお暮らしを思い、元気をいただいて、相変わらずのろく、いちばんらくにがんばっております。
どうかくれぐれもお大切になさってください。
(しとのこと云えませんが、よろけ転倒骨折厳禁) 勝田拝 e−OLD
☆ HPに
「実存ということばを思い起こして(繪に)見入っている」と書かれています。どう読み解けばいいのか、迷い考えています。
孤寂の境涯・・どのような中にあっても、弧寂はとてもとても大事なことです。鴉の言葉、痛切に感じます。 尾張の鳶
* 「繪のような」と譬えるとき、表皮の綺麗だけが称讃されていることが多いが、佳いつよい繪は、骨肉の質に目が届いている、ないし届かせよう
と思いをいたしている。貰った鳶の繪は、視線と思いとが対象にだけでなく自身の内へ差し込まれている、ないしそう志されている。そういうことを言ったので
ある。
* 国会図書館が、「秦 恒平選集」喜んで受け容れますと。立命館大学図書館、神奈川近代文学館からも受領の挨拶有り。
* 野呂芳信さんに戴いた十一人同人の結集「近代文学資料研究・1」 良い仕事がならんで読みごたえがある。川端康成ふうの物言いでいうと「こたえる」ものがある。
おなじ事は、毎々頂いている東海大日本文学会編集の紀要「湘南文学」49 50号にも言えた。教授の小林千草さん、退職と。初めて「千草子」さんという名で手紙をもらったころは若い人に想えたが。ま、多年、モノの見事に多彩な研究を発表し続けた力量抜群の人だった。
* 戦後保守の革新に対する長期戦略は、 @ まず国会に三分の一を死守する「社会党」を殲滅すること、その成就を見て(現に実現している。)
次で、A 「朝日新聞」を初めとする民主意識を先登姿勢にした「新聞・マスコミ」を殲滅すること、にあるとは、私の久しい観測であり、危惧であったが、そ
の微塵外れない露骨な状況が、昨日の自民党、安倍追従の露骨な青年部会が、「作家」と自称する百田某を呼び寄せての集会であった。殆どの新聞・マスコミが
この暴挙を報じたが、読売新聞は見過ごし聞き流す姿勢に出ていた。
* なんと! 自分で驚いてみせる強調。ほとんど、うそくさい。
まさに! 安倍を筆頭に政治家どもの、無意味にひとしい強調。まったく、うそくさい。
スゴイ! 日本中に蔓延した白痴的賛美・称讃の強調。「すごい」の原意が、凄惨、凄絶、目をそむけるほどの腐敗や恐怖にあるのを忘れ果ててのバンザイ三唱。うそくさい極み。
いま日本人がつかう日本語の、ウソクササの臭う三珍。
* 六月二十六日 金
* 起床8:30 血
圧122-75(61) 血糖値92 体重69.0kg
* 脈絡を欠いたただの空想と、探索力に導かれた想像とは、明らかに、ちがう。想像力の欠けた優れた創作は無い。あり得ない。
小説を読んでいて、豊かな想像力に翅をえたリアルな筆致と、想像力の導きを知らないまま放恣に書き散らしたものの、隔差は、こわいほどである。神話といわれて久しくも久しい時空を超え渡ってきた物語には想像力の放つ生彩に満ちている。
「最上徳内」には使い切れないほどの記録や論策や研究が在った。「白石とシドッチ」には、ことにシドッチには拠るに足る証言量はあまりにかすかだった。
それでいて新聞小説「親指のマリア」九百枚では、白石を超える五百枚以上もわたしはシドッチ神父にかかわる真相をかたり続けていた、想像力の生んでくれる
秘蹟を疑わなかった。
☆ お早うございます
随分とお疲れのご様子でしたが、夜はぐっすりお休みになれましたか。
昨日は残業、8時頃に遅い夕食をとりました。
今日の午後から雨が続きそうです。発送の間は降られなくて何よりでしたね。
足元、お気をつけて、歯医者さん、お出掛け下さい。 黍
☆ りっぱな本を
ご送付戴き有り難うございました。
八十路にかかり、体力的にも大したお仕事だと恐れ入っています。
弥栄中校舎の写真を見て、
あの増設の四階から弟が落下したなぁなどと… 幸い頭に異常がなく骨折だけでしたが 治療で受験が一年遅れた事など思い出して。
弥栄中が楽しかった訳でもないけれど、高校時代よりは 良かったかな、と。
気候不順な折り、お元気で 小金井 泉 後輩
* 学校の茶道部でではなく、秦の叔母の稽古場を借りて我が家へまで茶の湯の稽古に通ってくる後輩達の六七人もがいた。わたしはもう大学に、その人達はまだ高校生だった。
その一人であった「泉」さんとは、はからずも長編「最上徳内=北の時代」の中で、早稲田大学にお勤めだったご主人を介して際会したのだった。そんな偶然もあり得るから、世の中が、おもしろい。
* 銀行で選集Fの支払いをしてから、例の歯科へ通う。電車で校正。
* 雨に降られながら、歯医者の帰りに、食事はしたくなく、「vivo」に寄って、ウオッカ、それに白と赤とワインを。このスタンドの小さな店は、酒のプロという自負で営業していて、しかも安心できる値段で、親しめる。美味かった。チーズを少しだけ。
☆ 拝啓
七月にもならないのに、暑中お見舞いを差し上げたくなるような日々ですが、お変りございませんでしょうか。
長年にわたって構想なされたという長編「活きたかりしな」を上、中 相次いで賜り、目を見張りました。
冒頭、京大の「N先生」の登場に、思わず引き込まれて拝読しております。
ありがとうございました。 今西祐一郎 元九大教授 国文学研究資料館館長
* 「N先生」は今西さんらの大先生であった、野間先生である着流しで止まり木に粋に腰掛けて気さくによく話して下さった。祇園の飲み屋ではほかにも偉
い懐かしい先生方とよく一緒になり、ご機嫌でよく飲んだしよく話した。有り難かった。わたしはお年寄りにはとてもウケがよく可愛がられたのである。
☆ 拝啓
梅雨明けが待ち遠しい今日この頃ですが、先生にはいかがお過ごしでしょうか。
先日は「湖の本」124 125「生きたかりしに」上中をお送りいただきまして まことにありがとうございました。味わい楽しませていただく所存でございます。
御礼にはまったくなりませんが、最近友人と創刊いたしました研究雑誌(「近代文学資料研究・1」)を同封させていただきます。この雑誌は資料を楽しもうという性格のもで、五冊まで刊行する予定です。
中に小生も一本、萩原朔太郎関係で執筆いたしました。実は「研究ノート」のつもりで書いたものだったのですが、意外にも論文扱いになってしまい、やや恥ずかしい気持ちのものでございます。
ご笑覧いただければ幸いに存じます。
本格的な夏をひかえ、一層ご自愛くださいますようお願い申し上げます。 敬具 野呂芳信 東洋大学准教授
* ことに親しくして頂いた野呂先生のご子息であろうかと想っている。ご親交を願いたい。
☆ 梅雨になると
古家のたてつけが、わるくなって、なだめたり、すかしたり。
選集第七巻をありがとうございます。感謝しています。
めずらしく「対談」からよみました。作者の意図するものと、読者の受けとる読み方は、創作物であることをおもえば、違ったり、見当はずれであっても、ありがちと思いますが、「生きたかりしに」(中)では、ちいさな坊やを、気のすむまで抱きしめていてあげたい、と
おもってしまいました。みなさま、体調を、くずされませんように。 大阪府
柚
☆ ありがとうございました。
久しぶりのまとまった雨です。
先生、奥様おかわりありませんか?
「選集」第七巻をありがとうございました。
包装を順に開いていって、部厚いご本をそっと両手にしたときの私の気持ちは、いつも同じひとつこと。
それを、笹塚宏様がそっくりそのまま伝えていらして、ビックリいたしました。
本当にあのとおりでございます。どうぞ、お二人お身体をおいといくださいますように。
「三千盛」夏季限定酒がでましたので、お礼の気持ちにかえてお送りいたします。
28日の午前中に届くはずです。ありがとうございました。 各務原 都 詩人
☆ 「生きたかりしに」中 拝読致しました。
P265「性根に末っ子の人なつかしさのようなもののあるのが、無意識に・・・」と、
p367姉上のお手紙、「姉の文章には渋滞したものがなかった」とを結ぶプロセス が 印象的でした。
上巻、父と息子に、今は姉と弟の交信(心)に救われています。
そしてP120(290)末5行からP131(291)2行の7行をお読みになった、母(姉)上は天国で静かに微笑まれていらっしゃることでしょう。 練馬 裕 読者
☆ 昨日
選集7巻 お送り頂き有難うございました、厳しい体調の中いただきました事 有難く感謝。
前回無題のメール大変失礼しました、文字変換のつもりが送信してしまいあわてました、大変失礼しました!機械音痴ですから。
早や来月は ぎをん祭りですね、大船鉾が東京へ出張したとか? 私はまだお目にかかって無いのです、今年は見たいと思っています。
お礼方々 おやすみなさい。 華
☆ 感謝
選集第七巻をありがとうございました。
今日は雨の予報でしたので降りだす前に届き、ほっとしています。
宝物の山堆く 嬉しいです 本当にありがとうございます。
風が強くなってきました。今夜は本格的に降るようです。
関東はお天気の急変多いですね。どうぞ気をつけてお大切になさってください。 下関 碧
* 東大大学院、山梨県立文学館からも選集F受領挨拶があり。安藤啓一さん、鈴木定幸さん、野路秀樹さん、橋本美代子さんからは、ご支援の御喜捨を頂戴している。
* 映画「デイ アフター 2020」を観た。前半は昨日、後半を今晩。2020とはトウキョウオリンピックの年。何が起こっても不思議でないほど地球は人間の手で弄ばれており、どんな竹篦返しがあっても不思議でない。
* わたしは一言で今の世と政治とを本意なく眺めている、即ち、「うそくさい」と。
その象徴的にうそくさい日本語を、わたしは、こう見ている、即ち、「ナント」 「マサニ」 「スゴイ」と。
* 六月二十五日 木
* 起床8:00 血
圧126-64(54) 血糖値97 体重68.3kg
* 朝いちばんに、「尾張の鳶」さんから自作の繪二点のほか、菓子や茶など、いろいろ頂戴した。額に入ったのは吾亦紅か。板のままのは海外の市街風景。二作とも、実存ということばを思い起こして見入っている。ありがとう。感謝。すべてに、感謝。
* 玄関をはじめ、作業終了してまた元へ落ち着いた。作業台になる大きな楕円テーブルも、また元の丸テーブルに縮めた。すこし身動きがラクになっ
た。
日ごろの仕事へ戻って行く。
* 昨日、休息しながら、ラッセル・クロウ主演の映画「グラディエーター」を久しぶりに見た。マルクス・アウレリウスの将軍と王子との烈しい葛藤と相克。
グラディエート(剣闘技)は、ローマ市民最大かつ常習の逸楽であり興行であったとか。わたしは、可不可は問わずこういう歴史物の映画は勉めて観てきた。読
書とはまた異なる視野を与えられるから。
* 「ある議員が国会で
『八紘一宇』を『建国以来大切にしてきた価値観』と発言したが、冗談じゃない。天皇を盟主に東洋の国々を統治しようという、自国の地位を高くし、諸外国を
下に見るとんでもないもの。そういう歴史の事実を、いまの日本人はきっちりと把握すべきです」(加賀乙彦・作家)
「ある議員が」ではダメなんです。分かっている限り言責者氏名を明瞭にして筆誅しないと、同じヤツが別の場所で平気でゝコトを言うんで
す。政治家が歴史や言葉を知らないこと甚だしく、そういう政治家が大学から文系を潰そうと謀る。文は人、その基本を掴んでいない科学が無恥の道を走り出す
とき人間は自己破壊期Iに落ちている。
☆ 拝啓
鬱陶しいこの頃の陽気ですが先生にはお変りなくお過ごしでしょうか、ご案じもうし上げます。
先生のすばらしい「選集」第七巻拝掌致しました。毎巻のご恵送に与り心より御礼申し上げます。
第七巻の巻頭の「少女」は、初めての拝読でした。「うそうそした街」と「少女」の姿と「犬」とが、とても印象的でした。
「罪はわが前に」は単行本を拝読させていただいた折の実に重い読後感が想い出されてきました。承前の「死なれた」「生まれた」「死なせた」ということば
が、何ともいえず、もてあましていたことを思い出しています。「闇を信じることはそこに光をもとめることである。」の一行は、おりおりの心に糧にしており
ます。また時間をおいて再読させていただろうと思っております。
巻末の「秦 恒平選集第七巻刊行に際して」でお書きになっている「大学の頃」「長い私小説らしき」ものも、いつか拝読できる日がありますでしょうか、そういう重いがしております。
「作家は」「自作」らよって「こんな私でした」と「告白」しているとされておりますご指摘。大事にしたいと思っております。
くだくだしいことを申し述べましたことお許し下さい。
どうかお身体を大切になさって下さいますよう 心より願っております。 御礼まで 敬具 憲 藝術至上主義文藝学会前会長
☆ 選集第七巻拝受いたしました。
「魂、少年のまま」日々原稿をチエック、出来上がった作品を包み、運ぶ先生と、全身全霊で支えていらっしゃる迪子奥様のお姿を想像し、「腕(かいな)か
しこみて」御本を開きます。ありがとうございます。御身おたいせつに! (第七巻の発行日、「桜桃忌」でしたね!) 笹塚 宏 編集者
* 御喜捨 感謝申し上げます。
☆ ジョン・ダワー氏(=世界的な歴史学者)の談話
息子にパソコンから出してもらい、読みました。
広島でも 九条の会も加わり、大きなデモ、集会が行われています。
七月も予定されています。 広島・庄原市 知 読者・東横短大卒業生
* 誇らしい教え子。 東工大卒業生で、知る限り、こういう人はいない。
☆ 梅雨空のもと
紫陽花が美しく咲いております。お元気でお過しのコトと思います。
先日は湖の本をありがとうございました。
昨年 百一歳の天寿を全うした母を思いだしながら読ませていただいております。
いつもながら ありがとうございます。 京・大枝 望月重延 漆藝家
* 「活きたかりしに」の下巻は、七月六日に届ける予定と凸版印刷株式会社から連絡が入った。この完結と発送終えれば、しばらく、ふうっと息がつけるだろう。仕事は次々に続くけれど。
* 疲れ切っている。眼も見えない。字も読めない、本も読めない。九時。寝入るか。
* 機械に入れた音楽や歌を聴いてた。ペギー葉山の「学生時代」 芹洋子の「この広い野原いっぱい」倍賞千恵子「かあさんのうた」それにひばりの演歌。松
たか子の「みんなひとりぼっち」 学生時代が懐かしかった。唱われているのは立教のキャンパスだろうが、同志社とも似通う風情はある。ペギーが気を入れて
いるのがこころよい。小鳩くるみの「埴生の宿」も大好き。時代はうつってウス汚れどころでなく、腐敗臭もろともかきまぜた雑炊のようになってきた。清潔と
いう美感が曇り果てている。、
* 六月二十四日 水
* 起床8:00 血
圧119-64(54) 血糖値86 体重67.4kg
* 朝、照りつける坂道を重い腕車のバランスに難儀しながら郵便局へ。荷造りしてもう一度通えば、今回一、応済む。よしよし。怪我無く終えたい。腕・脚力は相当に用いて元気が出るだろうが、熱中症にやられるタチなので、間隔を空けて終えたい。
☆ 紫陽花の季節
雨上がりの街は涼やかでした。
コンサートでは、「Shall We
Dance?」等馴染みの曲もありましたが、織姫と彦星を思いつつ聴いた酒井格さんの「たなばた」がいっとう心に残りました。
映画「グラン・ブルー」、イルカの写真を見せて「こんな家族がいるのは僕だけさ」と泣く場面の辺りまで、漸く観たところです。
今日も暑くなりそうです。
熱中症など、くれぐれもお気をつけて。 黍
*
くっついてきた紫陽花の写真、ボテボテと花沢山で美しくない。沢山咲いているのを沢山撮っていい花と、よくない花とがある。わたしの感覚では、紫陽花はも
う過ぎて行こうとしている。咲き残りは愛おしむように近寄って花かずは少なくくっきりと撮るようにしている。花の写真は、花の声の聞こえるほどに撮ってや
らないと「美しく」見えません。、
* 機械の中に、いろんな時・時の述懐が日付もなく残っている。ふと想い出して探したら有った。おそらく2004−5年では無かろうか読者からのメールに驚かされたことがあった。述懐をそのまま再掲してみよう。
* 例えば――泉鏡花「伝記上の事実」として、彼が幼少来、思慕の的であった「姉さん」の実在したことは、鏡花文学の一大原点として、よく知られてい
る。このところ読んできた、極く初期の「義血侠血」も「琵琶伝」も、特に「化銀杏」などは、それへ根ざした構想が歴然としているし、やがて「龍潭譚」等に
も、匂い立つように見えている。
実は、鏡花とわたしの出逢いは、もうわたしが会社勤めをしていて、ある時ひどい風邪で三日も寝込んださなか、たまたま講談社版文学全集の鏡花の巻配本が
あり、これ幸いとむさぼり読んだのに始まっている。随分後れていたのだ。鏡花の年譜も、だからアタマにまだ何も入ってなかった。だが――鏡花の「姉さん」
思慕に似た「擬似母」体験が、わたしの新制中学時代にも、ほぼ半年間白熱したことは、小説『罪はわが前に』や評論『漱石「心」の問題』などで、こだわりな
く書いている。文学だけでなく、人生上も今も感謝している優れて有難い年上の人であった。
ところで、鏡花小説に関わって、一昨夜の「私語」だったか、彼泉鏡花の「姉さん」のことに、すこしだけ触れたとたん、或る人=いい読者である一人から、
「姉さん」という人のことは、たとえ「私語」にももう書かないで欲しいと云ってきた、メールで。その「姉さん」なる人とは実の縁の全然無い人である。
びっくりした。
いろんな事もあるものだなあ…と。しかし、一瞬、創作者であった数十年を、大きく否定されたような痛い思いがした。
わたしは、いま、その「姉さん」に、道であってもほぼ見過ごすであろう程、現に無縁で、何処にどう暮らしているかも知らない。ことさらに「私語」ですす
んで話題にする話題すらもっていない。だが鏡花へも、漱石へも、「その人ゆえ」に心親しくてものを言ってきたということはあり、自然それは文章に匂い立つ
でもあろう。
妻も黙っていてくれることである、「姉さん」とは現実に何の関わりもない、しかし、メールの主が有難いいい読者なればこそ、云われたくないことだった。自己責任を自覚して書いている人間に、「書くな」はないでしょう。
*
とは言えーー上の読者とは無関係にーー 「書く」という行為は険しく、時に甚だしく親しい人、慕わしい人をも傷つけてしまう。だから「書かない」か、それ
でも「書く」のか…。わたしは書いてきたのである。『罪はわが前に』の三姉妹はただ一言もわたしを咎めてはこなかったけれど……わたしの実の娘とルソー学
者の婿とは父であり作家であるわたしを、口汚く裁判所の被告席に置いてケチくさい賠償金を取った。なにをわたしが書いたというのか。
わたしは今もじっと目を閉じ「姉さん」たちにこそ心底詫びてもいる。悲しくも末の妹には早くに死なれてしまった。死なれたくない。
* 「選集」Fの送り出しを完了した。ワインとチョコレートで乾杯。
* 自転車でスーパーへ日本酒を買いに行き、「和可菜」の鮓と肴で打ち上げ。鯛の兜煮がサービスで付いた。サンキュー。
☆ 先生と奥様の
毎日のご努力 尊敬申し上げております。
心を元気に保てますよう、先生の御本と亡母の日記を読んでおります。
お体お大切に過ごされますようお祈り申し上げております。 渋川市 路 元図書館長
☆ 生みの母と
人生後半になりかかわりをもつことになった自身と重ねて、「生きたかりしに」興味深く読ませて頂いております。 葛飾 典 読者
☆ 「生きたかりしに」中
今ここに存在することの重さを痛感しています。太古のころより累々と綿々と連なって今に至ることの奇跡が「歴史」ということばでくくられるのでしょうか。
秦先生ごふさいに心からエールを送ります。
☆ 文藝資料や
未発表原稿等、次世代への伝承・保存をお考えなのですか。
同志社大学が小回りが利けば良いのですが……。 田中励儀 同志社大教授
* 早稲田の東郷名誉教授から一足早くお声が届いていたのか。容易ならぬことと思うが、誰にもせよ単独の研究者に任せるより、大学等の施設に預けたほうが安定感はあろう、が、活きるかどうかは運のようなもの。
* 山形大学の図書館が山のように大量の「最上徳内資料」を保管されていて、読ませて貰えたことは限りない幸運だった。あんなに北の時代そのものを証言して価値ある寄託内容をわたしが揃えうるわけではないが、もう一度も二度も三度も精選してみたい。
* 単行著書、共著本、初出紙誌、連載紙誌 初出新聞、全湖の本、全秦 恒平選集、電子化データ、自筆原稿、清書原稿、校正原稿、刷りだしなどは、当たり前の資料。講演録、対談録、テレビ出演の記録等もある。
「湖の本」三十年また「選集」刊行に伴う詳細な記録やデータ、また収支にかかわる記録等もほぼ散逸していない。
大小の帳面に自筆の、高校以降コンピュータ使用に到る間の全日記、コンピュータ使用以降今日に到る「私語の刻」その他多彩な全電子化データ。また全交信メールのデータ。大学ノート等に書いた創作ノート等書き置きの全部。
また年譜資料となった大量のこまかな記載をもった手帳も数十册あり、自写他写を問わず多年大量の写真がアルバムとしても機械内データとしても保存されている、
生涯に亘る厖大量の来信書簡から、せめても文学・文藝・創作にかかわる各界文化人・知名人や編集者・読者や知己親友読者らの内容あるものを精選するなり全部なりも、ほぼ散逸せず保管されている。
* やはり最上徳内を調べていたとき、有力な研究者所持の研究資料が遺族宅に残っていなくて多くはまさに「散逸」して行方知れない例に出遭っていた。残念なことだった。
私の場合、創作と同時にその全部をも凌ぐほど大量のエッセイ(論考や随筆、講演録その他)があり、もし「秦
恒平世界」と仮にも謂うならそれはとても一通りのものではないとしか謂えない。また一人の作家としての登場から生き方の全容を謂うなら、それなりに稀有の
相貌を持っているはずと、言挙げでなく思っている。奇しくも東郷さんがお手紙の中で「学匠文人」という言葉を用いて下さっていたが、明治の文豪はしらず、
昭和戦後の小説家で、編集者的な一面も加えて、そういう足跡をのこした人の例をわたしは識らないのである、しかも「騒壇餘人」と自ら自覚し活動してのこと
である。
* ここへ心覚えとしてもぜひ付け加えておく。わたしの八十年人生で、唯一、極不快であった事件、実の婿・娘夫妻からの名誉
毀損裁判に関わる、殆ど遺漏のない一切の「記録・法廷文書資料・書簡・言及・証拠等」も保存してあるということ。
世にまたと無い大学教授の婿夫妻から仕掛けられた訴訟に、わたしが父として作家としていかに応じいかに闘い抜いたか
は、わたしの文学姿勢とも緊密に繋がると信じる故に、あえてこれを此処へ付け加える。わたしは彼らに何をしたか。わたしは彼らに数々の虚偽と捏造とで何をされたか。作家とし
て、これほど不快に面白い対応材料は無かったのである。
* それが何だ、それがどうしたという思いも、明らかにわたしの内に同居している。当然のこと。残年の寡いだけが確かなこと。こんな一思案がそのままお笑い草に終わる、それも面白いわたしの人生である。
☆ 夏至過ぎて
「わたしは趣味で文学をしていない。一生の本業として文学を仕事にしており・・・」
そして「問題は、目が見えなくなってきていること。」「・・歩いて歩いて、元気に老いたい、生きたい。静かに自然に死にたい。」
21日に書かれている件りの、その強さ激しさ、同時にその自然さ静謐さを受け止めました。
15日の、信仰や神についての記述も従来通り、納得いくものでした。おそらく日本人の多くも同じような感懐ではないかと思うのですが、どうでしょう。
かなり前のことになりますが、和泉式部の歌、「
あらざらんこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな」「冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」
この二首に歌の精髄が表出されているという記述を読みました。
命の火迸るままに、周囲を気にせず、ある意味究極の愛を貫いて生きる、その真実を詠んでこその歌。その式部の写しかの如く生涯を生きた女人の姿を、お母様に見出します。同時に平安の同じ時間を生きて対照的に述べられること多い、赤染衛門にも思いを致します。
紫式部などは衛門を断然支持していて、世間一般はやはり衛門的生き方を肯定しました。そして現在とて、女性の生き方が変化しつつあると言っても、基本的には誰しも和泉式部のようには生きられない。
どちらの生き方に共感するか、それは問わず、さまざまな生き方をわたしは受け入れます。わたし自身もまた・・両方の要素をもち、そのような行動パターンを生きている、と。
できることなら自分にとっての真実のまま思い切り人生を貫きたい、と鴉が、『生きたかりしに』の感想で、鳶に特に聞きたいと思うことは奈辺にあるか、わたしは分かっているつもりなのですが、その故に、まだ書くことができません。
HPから読み取っている事柄をまず書いてしまいました。
一か月ぶり? のメールですので些かとりとめなくて済みません。
通っている日本画教室の展覧会が今開かれていて、明日は一日会場で受付の用事があります。今月はそのような機会が二度重なり、搬出入、展示などやはり少し気忙しく過ぎています。
歯肉炎で歯医者に通っています。医者は無理してはいけません、治りませんよと言いますが。さて姑のことやらあるとしても、肝臓に問題はあっても近々の検査は胆嚢、すい臓などパスしていますし。それほど無理はしていないのです。
こちらは梅雨と言っても九州や関東で報じられている集中豪雨などなく、から梅雨に近い毎日です。庭の梔子、紫陽花、木槿、沙羅双樹、みな季節を楽しむかのように咲き続けています。スケッチとなると追いかけられる感があります。
最後になってしまいましたが、安保法案に関連して国会は会期95日延長とか。さまざま恐ろしいことです。本当は書き連ねたいのですが、それはHPで鴉が既に丹念に書かれていることですから・・。
くれぐれもお身体大切に 夏を乗り切る体力をつけ無理なさらぬように。 尾張の鳶
* 作の感想をとなると、まず聞きたい知りたいと思う人である。ま、また聞かせてくれるだろう。詩も読ませて欲しい。
☆ :発送作業、お疲れ様でした。
「生きたかりしに」と相まって、(選集Fの「罪はわが前に」など)殊に重い意味を持つ巻ですね。今日届きました。有り難う存じます。
今は「生きたかりしに」の方を読み進めます。
ゆっくりお休みになって、お疲れを癒して下さい。
少年のままの魂を抱いた団子さんへ 黍
* 桃太郎で「黍団子」と、名は覚えたが、形も味も想像がつかない。
* 六月二十三日 火
* 起床5:00 血
圧139-69(54) 血糖値96 体重67.8kg
* 寝そびれて、四時半に黒いマゴを外へ出してやってから、ずっと「徳内」を読んでいた。
一仕事して、九時には今日の重い一便を腕車で郵便局へ運んだ。こういうとき、自動車の使える人はラクだなあと嘆息しながら、ま、運動運動と呟いてガンバるのである。蒸し暑くて一往復で汗みづく。
☆ 「生きたかりしに」
どこへ辿りつくのかとーー緊張して拝読しています。
「母」としては「かなわん」かもしれませんが、一人の女性としては、不器用な、一途な、精一杯な生き方に 痛ましさだけではない、「思い」をよせています。
国会包囲の一人として参加してきました。 横浜市 孝 読者・編集者
* 作家、当時は「婦人公論」編集者だった梅原稜子さんと二人して、「新潮」に出したわたしの「蝶の皿」愛読いらい、46年もの久しいお付き合い。こう言ってもらえて、わが亡き母は嬉しいだろう。わたしからもお礼を申したい。
* わたしは谷崎愛の作家、母と「母」とを混同しない。物語にどんなに「母」を慕わしく美しく書いても、現実の母とは切れている。わたしには親は(秦の叔
母もふくめて)五人いたが、「身内」とは思えなかった。深い感謝や謝罪の思いこそ切に持っていても、である。「そういう、わたし」であったと今も思ってい
る。思いながら日々頭をさげている。
* 日照りになり、自転車で荷を運ぶのも汗だく。日中症が危ない。妻は、これから地元病院へ。気をつけて。
* うちの道路際に、ひともとの草がたかく伸びてちいさなうす紅いろの愛
らしい花をたくさん咲かせている。名はしらない。覚えるには花はいろいろで、木の花も草の花もある。名前などにこだわらず、ああ綺麗と思うと写真に撮る。
ほっこりすると、撮った花の写真をたくさん機械にだして、香こそないが色よさを楽しみ堪能する。妻の写真が断然数多いけれど、花の写真も負けないほど撮っ
てきた。ふしぎなほど、写真で見ているとそれを撮ったときや場所まで思い出せる。花が話しかけてくるように想える。
いま、選集に口絵写真を入れているが、これにはいささか参っている。わたしの写真は何十年のうちにも数少なく、立ち往生してしまう。今度の第七巻では、
昭和石油で副社長だか社長までつとめた、中学、高校時代の友だち團彦太郎が母校弥栄中学で撮ってくれたのを使った。せいぜい名刺大のもので、どうなるかと
心配したが、まあまあ運動場や校舎の感じが残っていた。高校でもわたしは神は丸坊主のトンボ眼鏡でとんと冴えなかった。
* いま中休みしている。選集の荷造りは二人がかりでないと出来ない。妻はいま循環器内科の検査と定期診察を受けに出ている。で、花のいろんな写真を楽しんでいる。送り出しには、明日いっぱいかかるだろう。
* ほぼ明日で送りだし作業を終えられそう。
☆ 『生きたかりしに』は、
確実に秦文学の核にになる作品と思います。
御作・御活動の資料保存・研究にたずさわりうる人として 小生のもっとも信頼している同志社大学の田中励儀教授(ないし氏の門下生)にぜひ委嘱なさればと考えます。
「食いしんぼうの記」 田舎者の小生も大いに刺激を受けました(糖の気 私もあるのですが)。 不乙 御礼まで 東郷克美 早大名誉教授
* ありがたいご示唆を頂いた。田中さんとは鏡花や母校や京都を中に、久しいご縁がある。日記や創作ノートや原稿、未発表原稿、初出誌などの資料をお預けできると本当にありがたいのだが。
☆ 『湖の本125』を賜り
ありがとうございます。
この歳になると、親戚、兄弟、友人たちとの間で解決を要するような出来事も多く、ひどく疲れるこのごろ、折々ご本を手にとれば心も安らぎます。御礼まで。 倉田茂 詩人
☆ 『生きたかりしに』のなかで、
石馬寺から**家を御訪問なされた件りを読ませていただき 登場人物が全てよく分かりますので懐かしい思いで読ませて頂きました。
それにしても私の父や家内の事を短い言葉でズバリと表現していただいていることに驚き、作家の方の繊細な観察と適切な表現に改めて感じ入っております。
当時県立高校の教員に成った許りでありました私も定年退職いたしまして既に六年になります。御陰様で地元の教育委員会に世話になり忙しく過ごしております。息子が当時の私の年齢位になり、間もなく当寺への晋山式を行い、正式に跡取りとなるようになりました。
こちらへお越しの節には、**民親氏と共に歓迎申し上げますのでお知らせ頂くと幸いです。
向暑の砌、御自愛いただき、益々御活躍いただきますようお願い申し上げます。頓首敬白 乾徳寺住職 合掌
* 何とも何とも 懐かしい五個荘。乾徳寺さんにはたいへんなお世話になった。ちいさかった建日子との旅だった、よく書いておいたと思う。
☆ 卯辰山
京都駅の北陸行きホームに立つといつも、中谷宇吉郎墓碑建立に向かう樋口敬二さんが、列の前に岡潔さんを見つけたくだりを思い出します。
逢坂の関。清水寺の源。トンネル。山科。四の宮。右に湖水と三上山。左に鳩の平和堂。
いま、金沢に向かっています。
北陸新幹線開通で実家への道筋がひどくややこしく不便になりまして、新幹線でやってくる母と金沢駅で落ち合って遊山することになりました。
いかがあいなりまするや。
三重に行きたい、名張を見たい。ふた親のねがいをかなえることはどうやら最後まで無理のようです。
新幹線はひかり。
ひかりに照らされない地方の影は、一層くらくふかく、すみへすみへとあおぐらくにじんでゆきます。
前回は金沢に母を迎えに行き、湖北に一泊、嵐山に一泊ししての遊山でした。
今回は金沢一泊、片山津一泊。
前回も今回も、父をショートスティに預けてのふたりたびです。
そういえば前回も、比良は雲に頂を覆われていました。夕暮れに見る竹生島も、朝、宿から見る竹生島も、ウェットに霞んでいたんでしたっけ。
横浜の友人と、金沢で会いたいねぇと話していたのが、急な母子旅で 岩波新書「雪と氷の世界から」樋口敬二(1985)を読み返し、新たに 「映像をつ
くる人と企業―岩波映画―」草壁久四郎(1980)、「黒龍江への旅」高野悦子(1986)、ちくま少年図書館「雪はなぜ六角か」小林禎作(1984)を
借りて読みました。
まるで試験勉強だねと主人に笑われましたが、そうでもないとやらないのが雀です。切れッ端のメモを並べ、広げて、書き写しながら連ねては、はぁ、そうだったのかぁ、と手を止めることがしょっちゅうでした。
高野悦子さんの父、高野與作さんは黒部市のお生まれだそうで、四高で中谷宇吉郎と出会い、生涯の親友となりました。ご結婚に至ったのも宇吉郎さんのはか
らいがあったようです。1939年に夫婦で中谷のもとを訪れ、凍上の相談をしたことで、宇吉郎は、茅誠司とともに満州へ出かけています。悦子さんは、宇吉
郎にもたっぶりと筆を裂いておられました。
また、樋口敬二さんが、
「もともと、メイソンという男は気にくわない奴だ、そんな印象が北大の若手の間にあった。」「とにかく、気にくわない。その男に『親分』がやられた。し
かも、中谷先生が発表した観測は、私が計画したものである。まったく、いやな奴だ。」と述べておられる、イギリスのメイソンが、1959年6月のアメリカ
ウズホール海洋研究所にて開催された国際雲物理学会議で宇吉郎に質問したことから、小林禎作さんが1960年4月から翌年5月までメイソン研究室に行くこ
とになった、そのいきさつと、結果を、ようやく小林さんご本人の文章で読むことができましたが、それがまさか子供向けの本でとは思いもよらないことでし
た。
小林さんの本は何冊か借りていたのに「少年図書館」はまったくの盲点。この本にこそ、小林さんのお気持ちや経歴が書かれていたのに。
「反乱分子の私を敵方のメーソン博士のところへ送り込むというのは、やはり(中谷)先生はスケールの大きなほんとうの科学者だったと思う。」と小林さん。
また、加納一郎だけでなく、小学生でスキーをやっていた西堀栄三郎など、青少年が登山とスキーに熱中した時代であったこと。シュナイダーの来日により道
路も宿泊施設もよくなって、ニセコアンヌプリでの観測がたやすかったこと。スキーと登山に熱中した金属工学者が、宇吉郎とは別に凍上の論文を書いていたこ
と。などなど。おもしろくて飽きなくて、夢中になりました。
金沢か…。
おはなしを、あれこれ、おきかせいただければうれしいです。 名張の囀雀
* からだも動かしてしている「勉強」なので、ジワジワ・ジリジリとモノが血肉に成っている、お人。ヒマでキラクなだけでは絶対にこういうふうにモノは身に付かない。真似の成らないことをして楽しんでいる。或る意味、スゴイ奥さんである。
* 六月二十二日 月
* 起床8:00 血
圧150-66(48) 血糖値91 体重68.0kg
* 選集第七巻、出来。送りだし始める。
* 郵便局へ腕車で二度大きな荷物を運んだ。暑かった。
送り出すためには、本の発兌頁に印形をまず慎重に捺さねばならない、これに神経と腕ちからを使う。印を捺した本を妻が一冊ずつ丁寧に荷にし、わたしが封
印する。それらを或る程度の冊数まとめて腕車に載せて細い坂道を郵便局へ運ぶのである。かなり疲れる。ほんの微妙な5グラムほどの重さの差で、一冊350
円の送料が460円にはね上がる。460頁からかつがつ464頁で仕上げねばならない、そういう建頁の決めて行き方などは編集・製作経験がなければ容易に
は出来ない仕事なのである。
* 戴いた桜桃に元気をもらい、京の菓子や岡山の「ひめのもち」に力をもらいながら、晩方になると震えるほど疲れがたまり、浴槽で低血糖を感じたりした。
明日も、明後日も、根気の要る作業がつづくが、第七巻の出来は、感慨深い。
さ、早く、と言ってももう十一時前だが、寝よう。昨夜は寝そびれて夜中にもゲラを読み続けていた。
* 六月二十一日 日
* 起床8:45 血
圧141-69(59) 血糖値90 体重68.3kg
* 朝から視野曖昧のせいかほっこりと気怠い。機械仕事は遠慮した方がいいか。
* お宝鑑定団を見ていた。伊万里も竹田も、ダメなのはすぐわかった。ガレなど、マットウなのもすぐ分かった。
所蔵のもの、選集や湖の本の相当な費用に充てるため、確実な逸品からさきに、実は次々「処分」している。私存命のうちに、のちのち禍のタネに成りかねない品ほど、惜しみなく処分しておこうと決めたのである。残り物に福など、何一つ無くして置く。
とはいえ、実はそれらと取り換えても欲しいと思っている物がある。名作の、短剣か懐剣。むかし、敗戦直後に秦の母が丹波の疎開先で、箪笥の底からとりだ
して占領軍に差し出してしまった大小二振の日本刀が、今頃になって惜しまれる。人を斬ろうなどと夢にも思わないが、わが煩悩の雑念は斬って伏せたい。日本
刀はほんとうに美しい。清い。
* 二時半、雨もさ
ほどでないのに、出て行く気は逸れた。機械の中の「親指のマリア」二つの章を読み終えた。この新聞小説は、時代読み物ではない、時代小説といわれる物をわ
たしはまったく書きたくなかった。講談社依頼で「秋成」を書き下ろしでと謂われたときも、結局はいま湖の本で発表している「生きたかりしに」が出来、熟成
を待って三十年、じっと寝かしておいた甲斐があった。大方の読み手から「文学作品」としての感想が寄せられている。文藝春秋から「蕪村」の書き下ろしをと
頼まれたときも、わたしは敢えてあの「あやつり春風馬堤曲」をしか書かなかった。読み物なら他に書く人はいる。他の人に書ける作を自分も書きたいか。そん
な気は無かったのだ。
「親指のマリア」のように新井白石やシドッチを書くといえば、どの社も編集者も受け容れなかったに違いない。吉川英治の「宮本武蔵」のようにはわたしは
書けないし書きたくなかった。よい文章でよい文学を創りたかった。幸い京都新聞が朝刊連載を依頼してくれた。任せますと。それでも連載が始まってからは
びっくりしていたのではないか。挿絵の池田良則さんはえんえんと牢屋の中のシドッチを描いてくれた。新井白石も、とても宮本武蔵ではない。
しかし、いままた読み返していて、これでこそとわたしは「作品」を喜んでいる。敬愛してきた白石の人間を、シドッチ神父と向き合わせて「一生の奇会」と
の喜びや弾みと倶に精一杯描いた、書いた。ヨワン(シドッチ)と勘解由(白石)とを交替に一章ずつ各三章書いた。相当な長編であり、新聞社はよく許してく
れた。それよりも読者がよく辛抱ないし見遁して下さった。新聞小説の通行とはまるでちがう遠慮のない文章表現を貫いた。また、それしかわたしは出来ない、
する気がなかった。
「選集第八巻」 文学を愛し求めておいでの読者は、ご期待下さい。
☆ いつも
ご本を お送り下さいまして ありがとうございます。
秦さんの選集(第四巻)は とても興味深く 又 美しく 簡潔な文章を味わい乍ら かたつむりのような速度ですが じっくり読ませていただいています。
が、さすがに もうすぐ読破(!)します。 繪を描く者の端くれながら、希代の画家達の 繪を描く心 苦悩に触れて とても勉強させていただいていま
す。 それにしても 秦さんて ほんとうにすごい方だと 今更のように思っています。 闘病中のお身体とは とうてい信じられないエネルギーにも驚きま
す。 でもどうかお身体 ますますご自愛下さいますように。
今日は 主人の新作 玉葱 を少しばかりお送りさせていただきます。ご笑味いただければ嬉しいです。
又 ゆっくり お便りさせていただきます。 草々 明 妻の従妹
* こういう来信を披露しているのを嗤っている人、多いと思う。それは構わない。なぜ、これを忙しい中でもつとめて励行しているか。
わたしは趣味で文学をしていない。一生の本業として文学を仕事にしており、その文学生涯半ばから始めた「湖の本」は今では一巻2500円も頂いて、百三
十巻・創刊三十年ももう目前。しかも「騒壇餘人」をはっきり公称し、文学の世界にいながら、あえて文壇や出版とはほぼ全面離れ遠のいたままで、創作や著述
は当然、本の製作も出版も配本も、みな一人で、妻と二人で、続けてきた。親しい知己、有り難い知己、いい読者だけが、わたしの誇らしい財産なのである。
この、近代文学史に類のない、純文学作家の文学活動・出版活の実績がいかなるものであるか、ありうるかは、これまたわたし自身が記録し証言しておかねば
ならない「文学史上の義務」がある。そして、わたしの「文学」が何であり得て何であり得ないかを、わたし以外の人の言葉で(たとえどう偏っていようとも)知れる限り相応に証ししておきたい。もののかげで、ひそひそと自己満足だけで趣味か道楽のようなことはしていられないのである。批判は幾らでも受けるが、浮かれてしていることでは、毛頭無い。
* 問題は、目が見えなくなってきていること。
* この機械もかなり怪しくなってきた。物騒な何か、寿命・時勢・頭の弱りなどとあだかも競走しているような按配。どこまで行けるか全く分からないが、走るよりは歩いて歩いて、元気に老いたい、生きたい。静かに自然に死にたい。
* 六月二十日 土
* 起床8:00 血
圧135-71(54) 血糖値84 体重67.8kg
* 快晴の朝。山形の桜桃、村上開新堂のクッキー、赤ワイン少杯で食事。耳を離れない映画「ゴアの恋歌」のナレーションと歌をまた聴きながら黒いマゴに輸
液。マゴは、昨日の吉兆の焼き物などを大喜びで食べたらしい。留守番を頼むよと頼めば、どんなに外へ出たがっていても即座に心得て終日家を守っていてくれ
る。
* 朝一番に、京都の冨松賢三君から永楽屋のご馳走がずっしりと大きい包みで送られてきた。国民学校から中学高校大学までいっしょだったというただ一人の
友人、京都市で大きな区の区長を歴任した。男も惚れるようなまさしくハンサムだった。軟式野球の名手で、高校の時全国で優勝してきたように覚えている。大
学以来、三度とは会えていないが、いま茅野市で闘病している松下圭介君とともに、最も懐かしい七十年余もの「有済校」友だち。 ありがとう。
* 東近江の読者小田敬美さんからも、亡きご主人秘伝、毎年丹精の「梅干し等」をたくさん頂戴した。紫蘇や紅生姜や梅汁も。わたしは小さい頃から野菜苦手だったが、梅干しや紫蘇は大好きで、大人になってからも梅があれば飯も粥もいくらでも食べられた、それだけで好かった。
思えば太宰賞の日、あの桜桃忌から四十六年が経ち、その殆どの期間を愛読し支持して頂いた読者にいまも支えられている。ありがたいことだ。
* 数えきれず頂き物をするが、私からは、なにもしていない、出来ることはただ書いて書いて「本」にしてお届けする以外にない。
妻もわたしも、お返し物に気遣いして神経と時間と体力とを用いるゆとり無く、ひたすら少しでも元気に仕事の結果・成果をお届けする以外には無いと、心中恐縮しながらご返礼を欠いています。ご無礼、おゆるし願います。
* 明後日からの「選集第七巻」送り出しの用意、つい今し方までつまにも手伝ってもらって、ほぼ全部にちかく用意が出来た。本が来れば、記番ないし印形を
押し、一冊一冊慎重に荷造りして、腕車をつかって少しずつ何回にも郵便局へわたしが運ぶ。この運搬がかなりシンドイが、送り出せるのは有り難い。湖の本の
ように数はないし、非売品なので急ぐ必要はないが、特製特装本に怪我させたくはなく、丁寧に荷造りしなければならない分、気疲れは大きい。雨が降れば郵便
局へも運べない。急ぐことはないと、落ち着いて作業するだけのこと。
そして、これが済めば追いかけるように『生きたかりしに』下巻が出来てくるはず、いつだったっけ。
* なににしても明日の日曜は、ふらり、小雨ぐらいなら第八巻の校正ゲラをもち、電車で遠出でもしようか。
* 憲法九条の会 呼びかけ人の一人、ノンフィクション作家の澤地久枝さんから、集英社新書「14歳(フォーティーン) 満州開拓村からの帰還」を頂戴し
た。戦争の悲惨、つぶさに体験されている。私よりもずっと高齢の、瀬戸内寂聴さんといい、澤地さんといい、命懸けで「平和の尊さ」「戦争の惨さ」「I
am NOT ABE」を訴えられる意気の深さ。頭が下がる。
☆ 只今 京都に
来ております。無くなった真宗の学者**先生の選集刊行の記念の会に夫が短かいお話を頼まれたので付き添いということで来ているのですがーー、(中略)
豪華な選集を次々に頂きどのようにお祝いをと考えていたおりに、「湖の本」で 生きたかりしにを頂きました。まさに私小説の珠玉で、わたくしは選集の第
四巻をしみじみ読んでいたのですが それを中断して こちらの方を拝読させて頂いています。**恒彦さん(=実兄)のことか出て来てとてもなつかしいで
す。そう何回もお会いしたわけではありませんが、京都の素敵な所に皆案内して頂きました。私一人でも会いたくて修学旅行の引率中 一人で「ほんやら洞」に
行ったこともあります。
只今の御体調では毒をさし上げることになるのではと思いながら京都のお菓子を少しお送りしました。 大磯 岡 高史明夫人
☆ 湖の本125
早速に、食い入るように活字を追い、第二日目の夕刻に読了致しました。
知的、情熱的でおのが生を貫びっくりしました。プロテスタントの牧師は「司祭し」ではなく「牧会し」です。**牧師は「物語」として
類型化して事態をとらえたようですが、誠実でしたね。病床の祈りはすばらしい。下巻を待ち望みます。
体調が保たれますように。感謝。 並木浩一 国際基督教大学教授
☆ 拝啓
雨期ととなりましたが、これ迄雨不足でダムの水が不足気味になっているそうなので我慢するしかないのかも知れません。
「湖の本」生きたかりしに中巻 興味深く拝読致しました。まことに有難うございました。
作中の「高津氏」は、妻の親戚の**謄写版の経営者に ご家族の一員が嫁いだ「**さん」ではないかと思っています。
その内ささやかな御礼の品を贈らせて頂く所存です、その節は御笑納頂ければ幸いです。敬具 邦 元岩波「世界」編集者
☆ 急に梅雨空が
つづくようになりました。
「生きたかりしに」中巻 頁をめくっているうち、佐多稲子さんの御手紙に遭遇、佐多らしい優しい心配りの文面を拝見しました。
純の純たる「私」小説 次巻完結が待たれます。
「私語の刻」の十五年前の、インシュリンうちながらの、食事とお酒と甘味への行動のタクましさにひかれる自分がいます。池袋東武の「仙太郎」が今回も登場。先日新宿伊勢丹でも店名に気付かず、月一回は買っていることに気付きました。
とにかくご自愛を祈るばかりです。 徳 講談社元出版部長
☆ 前略失礼申し上げます
「湖の本125」をお送り下さいまして有難うございます 只今 私の手許に123 124 125と三册揃ってございます。粕谷(=元中央公論編集長)の一周忌(五月三十日)を終えましたのちゆっくり拝読させて頂くつもりでございました。
以前よりこの様な形で御自分の人生の流れとその速度に合わせながら御自分を書き残していらっしゃる技法に感動させて頂いております。
まだ全巻拝読致しておりませんが 拝読はじめますと 卓越したやさしい文章の肌触りの心地よさに魅了され豊かな気分にさせて頂きました。
自分史と申すものはとかく熱いか 自分に向ける目が必要以上に冷静で退屈なことがございます 素人の私が申し上げる失礼をお許し頂くことに致しまして 私小説を越えた面白さが時には良質な純文学を読み続ける喜びを感じさせて頂きました。
出て参ります場所・お店・人物・映画・芝居など、その都度嬉しくて嬉しくて思わず ああ粕谷が傍にいてくれたら鉄砲玉の様な私のお喋りを聞いて貰えたのにと口惜しくてなりませんでした。(中略) 私事ばかり申し上げてしまいました。ご容赦下さいませ。
粕谷が亡くなりましたあと メッセージや記事、追悼文などを厚め藤原書店が本にして下さいました。一部お届け申し上げます。
致し方なしとは解っておりますが、梅雨の頃の体調は言葉では表現しかねるほどの厄介な状態でございます。どうぞくれぐれも御身お大切にお過ごし下さいませ。乱文乱筆お許し下さいませ かしこ 粕谷夫人
☆ 「湖の本」ご恵与頂き
有難く お礼申し上げます。
京都 なつかしく偲びながらじっくりと深く拝読しております。
ゆたかな学識に多くを得 今朝は白川の螢など思っていたところでした。
京見峠にもう一度立ってみたい切なる望みもありましたが、ひたすら今は心の底にたのしんでおります。
梅雨に入りました どうか体調を崩されませんませんよう
祈っております 江戸川区 冽 俳人・思想家
☆ 湖の本125
感謝しつつはいどくしております。
拝読しつつ思うことは 秦様が、 公衆衛生のために猛烈なエネルギーを発揮して生き抜かれた実の御母堂様の血を色濃く受継がれているということでござい
ます。秦様の文学生活に注ぐエネルギーは、常人のとても及ばぬものがあると常々考えておりましたが、「生きたかりしに」を拝読しつつ、大いに納得するとこ
ろがありました。
ますますの御健筆、心からお祈りいたしております。 国分寺市 鋼 歌人
☆ 今年は例年になく
庭のあじさいが見事に、色濃く、大きく、数え切れない程の花数に。 独りで 愛でてやりました。
五月に「生きたかりしに」上 またこの度 中巻を続けてお送り頂き、誠に有難うございました。
何よりもご健康を案じておりましただけに 作家魂に驚き、喜び、そのお幸せを感じた事でした。
「私語の刻」はご近況を知る上でも、また 奥さんの登場が度々 身近かに なつかしく感じて いつも先に読ませて頂きます。
食いしん坊のはなし、楽しいです。 仙太郎の最中や、シーバスリーガー等々……私でも馴染みのものが記されて…。シーバスリーガーは亡夫とよく飲み歩いた昔を思い出させてくれました。
過日、テレビでご子息様がクイズ番組に出てられるのを観て これ又 うれしく思いつつ見入っていました。 また先週「うた」のレッスンで、「大きな古時計」を久々に唱って、保富庚午さん(=妻の亡き実兄)のことも とてもなつかしく思った事です。
七月には京都へ参ります。相国寺で恩師の墓参、その後同志社の友人達と食事、おそらく憲法九条ーー安倍総理へと話が盛り上がることでしょう。
「生きたかりしに」 ゆっくり読ませて頂きます。ありがとうございました。
くれぐれもご無理のございませんように。お二人方のご健康を念じつつ。 神戸市 澄 妻の親友
☆ 「生きたかりしに」
有難うございました。上巻読了いたしました。
「みごもりの湖」「閨秀」に流れる秦文学の構想力を認識しました、
秦さんは、このように書き、このように作品をよみたいのだろうなと強く思いました。 八潮市 瀧 読者
* 六月十九日 金 桜桃忌
* 起床6:30 血
圧131-61(60) 血糖値93 体重68.3kg
* 朝一番に、山形のあらき蕎麦さんから、すばらしい桜桃、たっぷりの四バックを、今年も頂戴した。甘い。美味い。出かける前に、妻と五つずつ戴いて。
* 思い静かに、今日は終日木挽町で歌舞伎を楽しむ。少し遅くなるが、重金敦之さんに教えてもらった店へ、行ければ行ってみたい。
* 週明け早々、「選集」第七巻が出来てくる。これは約束事の発送ではないので、日数をゆっくりかけても、少しずつ送り出せばよい。「湖の本」
で刊行半ばの生母を捜しもとめた『生きたかりしに』とは文字どおり表裏した、青春のまた生涯の「身内」を求めた愛の私小説を含んでいる。処女作2篇をも含
んでいる。緊張を覚えている。
* 幸い、雨という雨にはあわなかった。
* 昼の部。 先ず青果作、勝小吉・麟太郎父子を書いた世話歌舞伎、以前に吉右衛門で観ておもしろかった。今日は橋之助。わるくはないが大声になると声に
ひび割れが生じて芝居の熟度を落とす。魁春の小吉の姉、姿美しく。ま、特段の感銘作ではないが、楽しめた。締めの見せ場で小吉と八重次(芝雀)を包んだ大
道具の景色が情があって好かった。
次いで、今日は昼の部から夜の部へ通し狂言『新薄雪物語』、これは凝った歌舞伎で、各幕各場面がなかなか魅する。しかも菊五郎、幸四郎、吉右衛門、仁左
衛門、歌六、團蔵、高麗蔵、魁春、芝雀、時蔵などと役者を大きく揃えてくれたのは大サービス。しかも外題の「薄雪姫」には、梅枝、児太郎、米吉という若手
の女形を共演させてくれた。想定外の児太郎が、青果劇の向島芸者とともに、薄雪姫でもひとかど、ひとくせのきりつとした女形ぶりで魅してくれたのは嬉し
かった。成駒屋のためにも奮発してほしい。
陰腹切っての幸四郎、任左衛門、それに奥方魁春が「三人笑い」の場面、しんどくも面白く競演の花火が咲いた。「重たいお役」で、家でも無口なんですよと
高麗屋の奥さんとの立ち話でも話題になった。幸四郎の幸崎伊賀も仁左衛門の方も、あの陰腹の長丁場で笑うのは大変だ、それにしても「薄雪物語」、ようやる
わという歌舞伎歌舞伎記で、けっこう見映えがする。
昼の弁当場は、躊躇いなく「吉兆」を予約しておいた。「水無月之御献立」が、すこぶる美味い。八幡巻きの八寸、鯛湯引きの造り、多彩な焼物、焚合せ、さらに強肴、酢物、新生姜ごはん、そして沢煮椀、菓子にはわらび餅。いくらかを黒いマゴのみやげに持ち帰った。
夜の部も「新薄雪物語」、そして大喜利には、左団次・菊五郎の所作事「夕顔棚」が絶品のおもしろさ、なつかしさ。老夫婦をしみじみと和やかに踊ってくれ
た。左団次のいちばん佳い顔が見られ、菊五郎と懐の深い藝がとことん楽しめた。里の若い衆が踊って出たなかで、父三津五郎をうしなった巳之助がみごとな踊
り上手を確証して魅せたのが大収穫だった。満足満足、木挽町の雨はやんでいた。
* 重金さんに教わったフレンチの店は惜しくも時間切れ、で、銀座表通りの「瀬利菜」へ入った。わたしはローストビーフとフランスの赤ワインが美味く、妻はアスパラなどのサラダ、ガーリックの栄螺にイタリアの赤ワインに満足していた。アイスクリームも。
* 最良の桜桃忌だった。帰宅して、頂戴した桜桃をふたりでしみじみ味わった。たくさんな郵便も届いていた。気がかりだったサーバとの登録訂正問題も解決していた。中途半端な不愉快が、すっきりと事終えてくれた。
* さ、選集Fの出来まであと二日。ゆったり過ごしたい、怠けたりはしないで。
* 六月十八日 木
* 起床6:00 血
圧130-71(56) 血糖値94 体重67.7kg
* サーバから、登録住所の間違いを電話で指摘してきた。
もう何年ものあいだ、請求書など郵便物はちゃんと我が家へ届いていて、支払いを滞らせたことも無い。
しかし、そう電話で言われて、郵便物を見直してみると番地の一部が確かに間違っていた。しかも、これまでわたし自身は不本意な思いをしたことがなかった。言に届いている郵便の我が家への宛名を確かめたりしない、その必要がない。
とにかく訂正手続きをしたいが、この手続きがややこしそうで、読み慣れない横文字たくさんな書き物の読みづらいわたしは、途方に暮れる。メールで、わかりよく教えて欲しいと、お願いしたところである。
悩ましいことは、いろいろ有ったり起きたりする。
* どこへどう落着するのか分からないが、先方の請求を入れてあれこれした。疲れた。食欲も無し。
* 今朝は六時から仕事をはじめて、一段落させたところへサーバーからの電話。ウーン。機械のキーは、ま、半ば指が自在に打ってくれる。しかし、読む方は、しんどい。
* 高史明さん岡百合子さんご夫妻、元中央公論粕谷編集長の奥さん、基督教大並木教授、俳人清沢冽太さん、歌人持田鋼一郎さん、読者小滝英史さん、また諸
大学から便りがあるが、今日は疲れがひどく、あちこちで居眠り、便座の侭でも熟睡してしまっていた。そして、目が見えない。どうもいけない、が。 日から
日へ、成るようになって行く。
* 日本酒がほしくて、ちかくの店へわざわざ買いに行った。それほど疲れていて、酒をすこしのんで寝入っていた。かなりの品数をおいたスーパーに、純米酒がたった一種「沢の鶴」だけというのに驚いた。聞こえた銘柄でももな醸造用アルコールを使っている。味はかなり落ちる。
* もう、寝る。
* 六月十七日 水
* 起床9:15 血
圧110-59(60) 血糖値97 体重67.8kg
* 黒いマゴに輸液しながら、映画「ゴアの恋歌」を、暫くぶりに全編、一気に観た。映像、語り、唄、人物。完璧の魅惑に圧倒された。
わたしの数多い、まことに数多い、無数とすらいいたい 映画鑑賞の経歴で、この一作、ベストテンの中に躊躇なく選ぶだろう。
ゴアはインド大陸にあって西欧とアジアとの絶好の中継都市。ポルトガル本国に根を置き、取り囲むインドとの軋轢の中に、いま攻防の危機迫って孤立している。
そんな背景の中での名家ソアレス家の哀愁あふれる瓦解の経緯が、語り手の思い出の中でへしみじみと蘇る。美しく、懐かしく蘇る。ポルトガル演歌の「ファ
ド」のメロデイが心を揺さぶりながら、西欧と東洋の世界観や思想がうら悲しく泡立ち入り交じる。美しくも懐かしくも入りまじる。どこか、あのチェーホフの
櫻の園や三人姉妹を思い出させるもののあはれがある。
時間を惜しみながら、しかし、テレビ画面に映る物語から身動きならなかった。痺れていた。
* 朝一番に、高史明さんご夫妻から、大好きな柚餅をふくむ京名菓を頂戴した。嬉しく嬉しく。感謝します。
☆ 相変わらずの御精進
感心しています。
私も 九十をすぎ、一日、一日を楽しんでいます。 梅原猛
☆ 『生きたかりしに』中巻
有り難く頂戴いたしました。
小生にもなつかしい光景が登場します そして 古典も。
秦文学の完成品として楽しませて頂き居ます。御礼申しあげます。 山下宏明 名大名誉教授
☆ 御著『湖の本』第一二五巻
ありがとうございました。いつもいつも頂くばかりで申し訳ありません。
毎巻 楽しみに拝読させて頂くのは「私語の刻」です。
ジョン・ダワー教授の談話について、小生も、つくづく安倍政権のあやまちにあきれています。この國は、どうなって行くのか、なんとか阻止したいと思っています。
ともあれ、そのためにもお元気で。 不一 森詠 作家・文藝家協会理事
* The sky of Minamisoma is fine と付記して美しく描かれた空のもとのトンボの繪。去年の七月三日の日付。森さんの繪かな。南相馬の心土産かな。
☆ 今年は皐月を
心から楽しむこともなく梅雨に入りました。
その後 お体のご様子いかがですか。
先回、生きたかりしに(上)につづき、(中)頂戴しありがとうございました。いつも思うこと 乍ら 病いをおしての出版、強固な意志以外の何ものでもない と 感嘆しております。
くれぐれもお大事に。 まずは御礼まで。 京・下鴨 正 同窓
☆ 親指のマリア(湖の本上中下)を読み
新井白石のことをもっと知りたく、他の本も読んでいます。琉球との関わりがあったことを知り、今の政府に白石がいたら、沖縄の基地問題にどのように取り組んだかと想像しています。
選集E巻へ送金します。
梅雨明けの沖縄は、南風が気持ちいい毎日です。 豊見城市 嘉 読者
* 「親指のマリア」 選集G巻 全一冊として初秋にはお届けします。いま、鋭意再校中です。感謝。
☆ 『冬祭り』(選集D)
再読。「生きたかりしに」につなげて 秦文学の趣向を楽しんでいます。 石川・能美 哲 文学者
☆ 『生きたかりしに』を「作品」に
して下さったこと、嬉しいと想いながら読みました。
明日から上巻に戻って、もう一度読みます。ありがとうございます。
おふたりの「重労働」にも感謝。 どうぞお大事に。 下関 碧 読者
☆ ことしは
ホトトギスがよく鳴きます。
どうかお大事になさってくださいませ。 滋賀・五個荘 民 作家
☆ 上巻に続き
中巻も あっという間に、読み終わりました。
先生の作品は気合いを入れて接しないと、見落してしまう場面がありますので、良い緊張感がたまらないです。
下巻が届くのが うれしいような もったいないような複雑な気分です。 群馬・桐生 住 読者
☆ 『かくのごとき、死』『凶器』と
読み続けてから、待ちきれずに『生きたかりしに』(上)を読み出しました。ほっとひと息つけました。 狛江市 秀 読者
☆ 「私語の刻」で
15年前の食道楽ぶり、楽しく拝見いたしました。こだわりをもって、楽しくすごせることができるのは素晴らしいことです。
「生きたかりしに」下巻を楽しみにしつつ。皆様、御健勝にてお過ごし下さい。 横須賀市 敏 科学者・妻の従弟
☆ お暑うございます。
梅雨はどうしたのやら、夏が来てしまいました。
37年間 世話をしていた義姉が亡くなり ポッカリと穴があいたような日々です。
「湖の本」下巻を楽しみに、届いたら一気に読みます!
お元気でお過ごしを… 新潟市 鶴 読者
☆ 驚異的なお仕事に
励まされております。
内だけでなく 外へのきっちりとした目くばりにも。 世田谷 米 読者
* 城西大水田記念図書館、親鸞仏教センター所長本多弘之氏、東海大文学科研究室、文教大国語研究室、日本近代文学館、山梨県立文学館、作家杉本利男氏らからも受領の挨拶あり。
* 「吉備の人」有元さん、美味しそうなお餅を送って下さった。お餅は「二つ」も食べれば他にたいして食べなくても十分「一食」に足りる。体重を67キロ台に保つことを健康体の基本に置いている。もう少し減らしてもいいが、体力を落としてもならず。
しかし、なによりも「歩く」を初めとして「からだを使う」こと。出不精になり、家に居座って「読み書き」仕事ばかりでは弱る一方。誘って貰ってでも出歩かねば。
* 国会党首討論での自民党安倍晋三総理の弁論、文字どおり言葉どおりに、まったく「お話にならない」見当の逸れた駄弁の連続、呆れかえるとは、あれ。国民をバカにし憲法を紙屑同然にしている。
@ 安倍内閣を「憲法違反」の廉で、広範囲に「告発」をしよう。
A 世論調査の「70−80%以上」が、安倍自民公明内閣の「憲法違反」政策に明確に「反対」を示している。國の運命を損なう大事に際会している今、「国会を解散」し「信を国民に問え」という運動を起こそう。
この声、賛同のみなさんは諸方へ広くおし拡げて欲しい。
* 少年多聞丸(後の楠木正成)は、巨大な釣鐘も、数(=人数、と理解しても宜しく。)を重ねて押せば「指一本ででも必ず揺らすことが出来る」と言った。
気を揃え、悪政を打ち崩す「指一本の力」に成ろうではありませんか。
* 梅原さんや大江さんらの体力が案じられる。この際、お年寄り達から、せめてビート・タケシぐらいな年齢層の十数人に「聡明な国民代表」を受け持っても
らえまいか。「上」の圧力で仕事や職場から簡単に干されて窮地に沈むタレントでは、気の毒でもあり荷が重い。しかし、代表的なアスリートで、往年の長島茂
雄(この名選手は、社会党が政権をとれば野球は出来なくなるのかという珍言を吐いて嗤われた。)のような人とははっきり異う聡明な現代人が、必ずいる筈だ
と思う。学者にも、作家にも、弁護士にも、ジャーナリストにもいる。
梅原さん、大江さんたち、そういう層の「新・賢者」へ辞を低くしてでも声と言葉と気持ちを伝える機会をつくられてはどうでしょうか。
* 名張の囀り雀さんから、長大な三本のメールが届いた。本居宣長は上田秋成をダシにして言いたいことを言い、小林秀雄は本居宣長をダシにして言いたいこ
とを書いた、という、新潮社の池田雅延氏の講演などに触れてある。ま、メールがあまりにも長く、けっこう多岐に亘っている。
池田さんは、わたしの『みごもりの湖』の編集担当者だった。のちに小林秀雄を担当されていたとき、この池田さんを介して、小林さんから「謹呈 秦
恒平様」と自署された名刺附きの大著『本居宣長』を頂戴している。めったになく私の書庫へなかば力づく割り込んだ読者がその大きな本を見つけ、殆どちから
づく持って帰ってしまった。惜しいと思うが、あの大部の「本居宣長」は、大半宣長と論敵上田秋成との「対抗」に費やされてあった。だが、わたしがあの大冊
をこつこつと全部読み得たかどうかは、曖昧なままである。小林先生も池田氏も、わたしが上田秋成に関心深かったのはご存知であった。小林秀雄をかなり捻っ
て論じていたこともご存じだったろう。
そもそも、私と新潮社ないし「新潮」とにご縁が出来たのは、私家版をおめずおくせず小林秀雄という批評の神様に送り、それを新潮社の或る有名な役員の手
へ小林先生が手渡して下さっていたからだった、そして「新潮」当時の酒井編集長から一度来社されたいと呼び出しの手紙が来たのだった。勤め先があった本郷
の道が歩一歩ごとに浮き沈みするような高揚感があったのを覚えている。
* 六月十六日 火
* 起床8:00 血
圧138-67(64) 血糖値93 体重67.5kg
* あれやこれや、していた。夕刻から、歯医者へ。帰路、「中華家族」でマオタイを、「VIVO」でウオッカと赤ワイン。
☆ 『湖の本125 生きたかりしに(中)』
拝受いたしました。貴重な作品は上中下を一気に拝読したいという不埒な企みを理由に怠けているのですが、「食いしんぼうの記」はすぐに楽しく、己れの十
五年前にも思いを馳せながら拝読しました。人生を味わいつくした人からしか、本当によい作品は生まれないと信じています。
いつもながらのご厚意に深謝いたします。
うっとうしい季節となりました。どうぞ御身お大切になさって下さい。 敬 講談社元出版部長
☆ 前略
昨日は又御鄭重にも「湖の本」125を御恵送下さいまして、誠に有難うございました。
「私語の刻」で、『生きたかりしに』を、「文字どおりに徹した「私」小説である。登場者の実氏名を配慮して取り換えた以外は「仮構、一切無。」とありま
すが、今度の「三 岩橋」の「九」から「十江」を拝読致しまして、「仮構、一切無い」の手応えが十分伝わってきました。「今回書き下ろされた長編の御健筆
をこころからお祈り申し上げます。
右、甚だ取り急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。
併せて、呉々も御体調に御留意されますよう、こころからお祈り申し上げます。 草々不一 忠 元「新潮」編集長
☆ 秦先生
いつも『湖の本』をありがとうございます。
ご案内の映画「日本と原発」 是非見ていただきたい映画です。 長田渚左 スポーツネットワークジャパン理事長
☆ 『生きたかりしに』中巻のお届け
有難う存じます。
お餅が好きと書いてありましたので、少し送ってみます。
町村合併の流れに逆らった県北の小さな村、新庄村特産の「ひめのもち」です。 吉備の人
☆ 湖の本は、昨日拝受。
「半天朱霞」(の挨拶文)は、前々回の、新作発表前の文面のままだったのは、やはりどうなさったのかとむしろ心配になります。(他の方はあなたの体調に遠慮しておっしゃらないかとも思いますので、敢えて申し上げますが)
今日は「私語の刻」だけ読了。156ページに誤植「。、」あり。
本文にはそうした見落としなければと思います。 黍
* 挨拶文は、用意した枚数が作業の終わり近くに不足したので、以前の残りを使った。「半天朱霞」は季節外れなのだが、ま、急場、本をお届けの用件が伝わればよく、繁忙と疲労のなかで手間を節約した。みんな、わたしの大変さは、よく分かって下さっていると感謝している。
誤植は、無いに越したことなく、しかし、校正職の目とおし無く、わたし独りですること、読者が、察して正しく読みとれるなら、それはそれで幾らかはヤムを得ずと。ハッキリと、決定的に意味を違えた誤植だけは出したくないと努めている。
気を入れて、作意を汲んで、本文を深切によく読んで下さる読者の多いのは、作者冥利。それが励み、それが感謝である。
* 六月十五日 月
* 起床7:45 血
圧120-64(57) 血糖値93 体重67.8kg
* 昨日見た映画「コンタクト」で地球人を代表して異星世界を訪れる科学者たちの資格に、「神を信じているか」が問われていた。主役の女性科学者は明言しなかったため選から洩れた。
わたしは、神について言葉では触れたくない。佛についてはやや異なる方角からの視線も信仰ももっているが、声高に語る気はない。
いま、人類の不幸が「神ないし信仰」を棘にして烈しくあらびつつき合うことにあるは周知である。わたしは、そのような神や信仰に決定的な距離を置いてい
る。信じないし、信じたくもない。そういう人は、現代人は数にすれば圧倒的多数をしめているだろう、神は死んだか、争いの種になるだけの神にはいて欲しく
ない人が、断然多かろう。しかし究極、人間の不幸はそのような神の名のもとに徹底的に自滅へ向かうだろう。
* いま、もし「信仰」について謂うなら、人々はあの神様や仏様ではない、即ち「お薬・お薬めく化粧品」の類をもっとも信仰しているように思われる。
現代信仰の本尊は、宣伝に宣伝されている数え切れない「やおよろづ」の「おくすり」に他ならない。ご利益として健康と美容を恵まれるのかも知れない、が、その軽信、妄信、狂信のもたらす行方はとうから見えている。すなわち、智慧の鈍磨と喪失である。
☆ 秦 恒平 様
「湖(うみ)の本 125 生きたかりしに(中)」を拝受しました。
ただ黙々と読み継ぎます。 拝 2015/06/15 練馬 靖 妻の従兄
☆ お元気ですか、みづうみ。
本日『生きたかりしに』の続き頂戴いたしました。
お母さまのお歌には胸を鷲掴みされます。みづうみの生みのお母さまは堂々たる歌人であられました。そして、みづうみが『生きたかりしに』を書いたことこ
そ、歌人としてのお母さまへの、最高のかたちの親孝行でご供養であることを確信しています。お母さまは、ご自身を「書かせる」ために、みづうみをお生みに
なったとすら思います。
恒彦ちゃん(=お兄さん)、母さんは何か書きたいの。いつも何か言ひたいの。でも何もかけない。何も言ひきれない。
みづうみはお母さまのこの悲願を達成すべき息子でした。
今、あちらで、どんなに喜んでいらっしゃることでしょう。 清水 絶壁の巌をしぼる清水かな 子規
追伸 私語に掲載の「あけぼの」と名づけられた朝日の写真、佳いお写真ですね。
* 三十年前に、ほぼ、「生きたかりしに」は書
けていた。だが、酒をうまくするために三十年を蔵で寝かせた。それが必要だった。あの頃、講談社がムリムリにも書き下ろし作として出版してくれていても、
わたしの中でまだあの母な味わいうすかっただろう。母もわたしの中で熟さねば成らず、わたしも三十年の生を一歩一歩経ていなければならなかった。「清水」
さんの指摘に、感謝する。
☆ 秦様
「生きたかりしに」(中)を送っていただきありがとうございました。
上巻からの気持ちを持ったまま、続いて、惹きこまれるように読ませていただきました。
ご本が届きました日、ちょうどよみうりホールで「歴史の歩き方」の講座を聞きに出かけていました。
「花に殉じる」歌に生きた西行の詩情と信仰がテーマ―でした。西行・ご本の中の秋成と惹きこまれ、あれこれと繋がりを求めてしまいます。
数年前、ミクシーで、秦様のご友人のtamaeさんをしり、西行の話から、前利登志夫の「存在の秋」の本も教えていただきました。
その本の帯には「わが歌よ、死者の打つ木魂のように空を走れ」と。吉野や大和の地の持つ力の大きさのようなことを感じます。
惜しくも亡くなられているTamaeさんの事を思い出し乍ら本を読みなおしています。
下巻もすぐにとのこと。楽しみに待っていますが、ご本の発送などくれぐれもご無理のないように。
まずは秦様と迪子様のご健康をと祈っています。
そして、搬送日のお天気の良いことを。 練馬 晴 妻の親友
* 母の生涯も活動も、わたしの本によって、一躍褒め称え
られる、といった何モノでもない。ありえない。ただ、悪名の方へ方へ過剰に傾いていたのを、いくらかまともに持ち直してあげたいと、ひたすら歩き回って、
多くの人の声やことばを聴いたのだ。それだけの甲斐はあったし、肩の荷をおろした気がする。
☆ 梅雨空には
山梔子と泰山木の白い花が似合います。
この度は「湖の本」一二こ五号をご恵投頂き、有難うございまLた。
いつもながら流麗な筆致に感嘆、声もごぎいません。
また銀座の「シュモア」とは懐かしい名前で、往時に思いを馳せました。
「鉢巻き岡田」の近くに、「**・***」という店がございます。ソムリエという職種が無い時代から三笠会館でボーイさんをやっていたご老人の店です。お気に召すのではないかと存じます。小生の名前を出Lてください。
ますますのご健筆とご健勝を念じております。取り急ぎお礼まで。草々 敦 エッセイスト
* 銀座に、楽しみができた。鮓の「きよ田」なく、ビヤホールの「ピルゼン」なく、フレンチの「シェモア」なく、ながらく落胆し続けていた。「敦」さんは朝日の記者時代から、その後も、名にし追う「食通」。ちょっと教えてと頼んだのである。おっと、ヨシヨシ。
* そんな気楽な話のあとでは拙いかも。
憲法学者は、およそ十割に間近いまで安倍内閣の強引な集団的自衛権を憲法違反と声を揃えている。ほこりをかぶった砂川裁判のような過去の裁判沙汰を、し
かもまるまる間違えて支えにし、最高裁のお墨付きがあったなどとバカも休み休み言えと怒鳴りたい屁理屈を並べながら、何が何でも強行採決へ持って出ようと
している。
この際、座り込みもデモもシュプレヒコールもいいが、はっきりと「安倍内閣」を名指しで、「憲法違反」の国民的告訴へ持ち込むべき時機であろう。この声を口々にネット活用で起こしてほしい。「被告」のまま国会を愚弄することは出来まい。
* いま一つ、この期に、安倍内閣に橋下大阪市長が肩を貸すような真似をするなら、それこそは法律家としても許せぬ国民への裏切り行為になる。このこと、しかと見極めたい。
* 六月十四日 日
* 起床7:00 血
圧134-66(53) 血糖値98 体重67.8kg
☆
秦兄 ご本ありがとう
お変わりなく、ご活躍のご様子で何よりです。
若いつもりでおりますが、九月がくれば八十歳と節目の年を迎えました。闘病生活の十代後半から二十代後半までの11年間分は、他の人たちよりも長く生きなければと努力目標を百歳に設定して、半世紀。耳目に不便は感じつつも、肺以外は異常はなく、365日休肝日なしで、塩辛やサバやイワシのへしこを肴に、戦争ボケと平和ボケの衆愚政治をぼやきながら、専ら度の強い蒸留酒を
手酌で愉しんでいます。
今年も10月15日(木)に銀座の「むらき」でクラス会開催の案内が届き、クラシックから懐メロまで、幅広い好みの出席者にひとり一曲は満足感をと、五目飯的CDの選曲をしはじめました。盤は出来しだいお送りいたします。
首都圏に住まいの箕中、藤江、団、西村明男君らから、上京の折は連絡をと言われているのですが、二次会・三次会で、いつも失礼しています。
自然界も人間界も不穏つづきですが、まずは御身お大切にご活躍ください。
いつもながら、ほんとうに有り難うございました。 京・岩倉 辰 同窓
☆ 秦 恒平先生
「生きたかりしに(中)」、拝受いたしました。
上巻をいただいてから、まだ20日ほどかと思います。ご執筆にお力を注いでおられること、大変嬉しく存じます。なにか、陣中見舞い致したいです。
まず、私語の刻を最初に読みました。
そのとおりでございます!!
安倍総理に、まともな注進が出来る方はどなたもおられないのでしょうか。「殿、ご乱心」の影響は、昔のように藩中ではおさまらないのですから・・・
そして、続く美味しいお話に つい、いそいそと、私も出かけてみたくなりました。
さて、6月6日は、鑑真和上のご命日でした。
知り合いから声をかけてもらい 初めて唐招提寺での法要に参列させていただきました。まるで、中世の絵巻物を見ているような
前田青邨や安田鞍彦、菱田春草らの描いた絵が動き出したような感じでした。
京都とはまた趣の異なった奈良、西の京
先生の御執筆がスムーズに進んでいきますことをお祈りいたしました。
梅雨の季節、気候不順の折ですので 一段と、ご自愛くださいますように
とにもかくにも、御礼まで 失礼いたしました。 京都府 香
* やはり食はうまく進まない。美味いと感じることがなく、健康配慮で強いて食べようと努めているだけ。ワインを干し、ルに手を出し、虎の子の
ようにだいじにしてきたシャンペンの口も切った。なるべく蛋白質をと心がけるのだが、肉へも生魚へも手が出ない。回復してきた健康をまた壊してはならない
と、とにもかくにも要心はしている、が。
* 昨晩、大原麗子の出た寅さん映画にしんみりした。この女優のものあわれな最期も想い出され、ひとしおの感があった。独特のひび割れたふうの
美声と美貌で、好きだった。もっとも、藝の立つ女優ならたいてい敬愛するし美しくて藝達者なら言うことはないのだ、わたしは。みんな好きになれる。なんと
いうトクな、楽しめる性質だろう、わたしは。妻と待ちへ出歩いていても、何度でも、オ、あの人美人だよと口にし、それだけで機嫌がいい。美術館ほど美しい
のが揃った街なかではないにしても、美しい人に出会う幸福感はすてがたい、ただし顔かたちは美しいがバカまるだしという女性もいる、あれは論外。
我が家でいま妻もわたしも口を揃えて敬愛する女子アナは、オーラも豊かな、TBSの膳場貴子さん。二人とも「膳場さん」「膳場さん」と敬っている。
* そういえば、このところよく録画した映画を楽しんでいる。「キングダム オブ ヘブン」もよかった。今日の昼間に見た、クィネス・パルトローらの「恋
に落ちたトェイクスピア」が、シェイクスピアの「ソネット集」を読んだおかげで、とてもとても興味深く面白かったし、晩に見た、大好きなジョディ・フォス
ター主演の「コンタクト」にも心揺すられかつ魅された。活字を長時間読んだり書いたりしていると眼がイカレてしまうので、目のお休みに佳い映画を見る。よ
く選んで録画してある映画に比べると、テレビドラマの低調・俗悪にはウンザリする。
* そうは言いながら、長編「最上徳内」「親指のマリア」を併行で読みながら、書きためた短篇・掌篇小説集の校正も楽しんでいる。
ありがたいことに、いま、なにをしていても楽しいので、たいへんトクをしている。あっというまに年を取る。年は、逆様にどう取りたくても取れない。
* 六月十三日 土
* 起床9:30 血
圧122-59(58) 血糖値106 体重67.6kg
☆ 青葉の美しさが
心からうれしい毎日です。
いつも御本御送付有がたく存じます。
大動脈解離で大手術 やっと退院して来ました。いつ何がおこるかーということ。
毎日たのしくおいしくすごして下さい。好物(仙太郎=)最中を送りました。 京・今熊野 孝・明 陶藝家夫妻 同窓
☆ 秦先生
梅雨のひととき
奥様とお茶のお伴に (虎屋涼菓=)ご笑味下さいませ。 鏡 梁塵秘抄・閑吟集編集者
☆ 秦 恒平様 (小倉遊亀の絵葉書二枚に)
お元気でおすごしのことと存じます。
「生きたかりしに」上巻を読みました。p.127末、施設の子と産みの子を「同じ不本意な『孤児』として両手に抱きたかった」に、お母様が描かれている、と思います。
「不本意な」由縁のひとつに時代があるでしょう。世間の目を気にせずにいられない旧家だった不幸も。子にとっては「不本意」かどうかなど、どうでもいいこと。
でも、お母様の気持ちの深さの分だけ秦さんの思いも深いーーそのことがわかる小説です。
2 3 4巻をゆっくりですが読ませていただきました。その上に、厚かましいのですが、第6巻を可能なら、(また第5巻も)お送りいただけないでしょうか。読みたいです。湖の本読者に数册ずつという本だと思うのですが。
実は、私も10年前から糖尿病です。身長157cm 体重**kg。(中略) やせると目に見えてHbAlcが減る病気です。(中略)
秦さんの胃をなくしたので、糖尿病が治った(=治っている)という悲しい笑い話。ーー笑えませんでした。
どうぞ お体大切に。
発行人「秦宏一」にも 心動かされました。 京・大原野 則 高校教員
☆ 湖の本(中巻)、有り難うございました。
いやな栗花落の候、 お元気な様子で何より結構な事です。
新築に関しての面倒な役所手続きを8割方済ませて 気分がラクになった昨今です。
そうなると
足腰の動く間に、久しくご無沙汰の劇場等に足を運びたい気分に駆られます。 小平市 泉 同窓
☆ 有難うございました。
湖の本 125
届きました、体調悪い中大変だったろうと察しています、有難うございました。
次々に急ピッチですね、ひやひやしています、無理なきよう 奥様共々お気をつけて下さい。
二便
写真送ります がく紫陽花、もくげ-ぎをん守り- 時計草 我が家で咲きました。
紫陽花は今年の花です。 京・北日吉 華 同窓
* わたしは美しい花の写真を、喜んで、丁寧に丁寧に撮ってきた。わたしは、これで、写真自慢なのです。シャツの胸ポケットにはいるほど小さい機械で撮ってきた。重い持ち物はもうダメで。
* 疲れか、今日もよく居眠りし、一度は横になって熟睡。時間は惜しいが、休息も大切、目のためにも。
眼鏡、遠用四、室内用一、機械用一、読書用一、サングラス一 家の中でも始終携行しているが、そのハタラキは、まったくデタラメで。視野は、つねに濡れ
たように滲んでいる。裸眼のほうがクリヤに感じるときも。現に今も、機械にむかい裸眼。比較的に文字が見えている。わたしの目玉は、抗癌剤以降、むちゃく
ちゃに動揺し続けているとしか言いようがない。
* 機械HPの中へ、「後撰和歌集」の自選秀歌を書き写している。ついで「拾遺」「後拾遺」も予定している。選んでおくと、いい楽しみに何度でも読み返せるし、改撰も利く。
*
次は、選集第七巻が、二十二日に出来てくる。この送り出しを済ませれば、七月になると湖の本版「生きたかりしに」下巻で完了する。幸い、遅ればせであった
が、目下は温かく迎えられていて、誰よりも「生みの母」のために喜んでいる。なによりも懸命に生きて生きぬいた母であった、わたしの他にそれを証言してあ
げられる一人もいなかった。「間に合って」よかった。
だからといって、いま、この生母への愛や感謝に溢れているか、それは、無い。感謝ならば、秦の両親や叔母にこそ感じている。三人の位牌を家の身近に置
き、「ありがとうございました」「ありがとうございます」そして心から「ごめんなさい」と欠かさず頭を下げるのはこの三人に向かってである。
}
* 六月十二日 金
* 起床8:00 血
圧133-67(55) 血糖値98 体重67.9kg
*
また、百枚足らずの原稿束を見つけた。原稿とともに、いろんな覚え書きが挟まっていて、冒頭には「俊成と建礼門院右京大夫」との関わりを意図するらしい六
箇条のメモが先立ち、しかし二枚目からの断続した原稿五枚は、あきらかに、後年「月の定家」の「さだいへ」の章を導いたらしい内容である。
次いで、レポート用紙五枚の裏に、 「嘉応元年(一一六九)十一月。 大嘗会屏風筆者に
伊経(と朝方)」に始まり、「天福元年(一iに三三)七月十三日 尊円阿闍梨 老躯をおして来訪 新勅撰集への撰入を頼む。 亡父俊成の追憶から 千載集
撰の頃の思い出など話す。この時、右京大夫のことも話題となる。」の記事以下 明らかに藤原定家の日記への心覚え箇条抄録らしきが「十一月二十五日」付けまで、続いている。
藤原定家を「小説」にまたは「評論」にと心がけていたと察しられる。講談社にいた鷲尾君から新書への書き下ろしを頼まれていた記憶があるが。相性悪くて放置し、書くなら小説でと思っていただろう。
さらに八枚に渡って、鎌倉初期の大勢の系譜や関連をふまえて実に大勢の人名や感地位官職等がさまざまに列挙ないし図譜化されていて、それを見ていくと、
私の関心が、俄然として「雲居寺跡」または「資時出家」の方へ傾いていたらしいことが推察できる。かなり詳細に及んだ時制の流れへの作者なりの認識をも書
き留めている。そのあとへ、小説原稿として書き進めつつも、関連の人名を系図・系譜化したものが多々交じり、渡しが何を思い何を書いて行こうとしていたか
が、詳細に見えてくる。すでに書き写した中断原稿「原稿・雲居寺跡」に先行してであろうか、相当量の草稿が残されてある。とうぜんに、まだ書き写していな
い「資時出家」や、後年に書き上げ選集にも入れたあの「風の奏で」へ到る私の探索や構想やまた挫折のあとなども読み取れるだろう。
とても今の視力で、この全部を電子化しておくことは出来ないが、あたう限りやっておこう。
* 映画「キングダム オブ ヘプン」を何度目か、また面白く観た。十字軍という西欧の発起にほとんど共感を覚えないわたしには、秀作というに値する映画だった。
* テレビト゜ラマでは、キムタクと上戸彩の「アイムホーム」が無気味に迫ってくる。
* ほっこり疲れて、今日はよく居眠りした。
☆ 改憲派の学者からも
「違憲法案」の声が出ています。
もっと大きなこえになって、何かがおきればと思います。 知 広島庄原市
* 東横短大で、一年、わたしの教室で「誘惑」冒頭の漫談なみの授業を受けていた。あれは、一九七五年であったろう、四十年も昔語りだ。いつも上記のよう
な方角から頑張っている便りが払込票に付いてくる。とても嬉しいし頼もしい。東横短大へはたった一年で強引にやめさせてもらったが、文学の収穫はあった。
* 京都の、高校同窓の陶藝家松井夫妻から、「湖の本」124上巻の「食いしんぼえ私語」に同情してくれてか、「仙太郎」の最中を送ってきてくれた。やっぱり美味い。餡の味がとびぬけている。サンキューベリマッチ。
* 六月十一日 木
* 起床8:00 血
圧133-67(55) 血糖値98 体重67.9kg
*
根気がどんなに大事な気力かを永年かけて覚えてきた。退屈しないことの底を支えるのが根気だ。この年齢で、余儀ない間違いや仕違いをする。大事な要を忘れ
る。半ばは仕方ないとして、いらだってくる気持ちを静めるのが根気だ。立ち直るのだ。グチや泣き言すらときには必要だが、要するに根気で立ち直りまた立ち
向かうのだ。
* 六時前。中巻発送おおかたの作業を、強行して終えた。あとは、後始末の程度で済む。さすがに疲れた。妻に気の毒したと謝っている。
* 「選集E」の発送に始まった「湖の本上下巻」をふくむ一連の大仕事は、次いで「選集F」の出来と発送、さらに「下巻」の出来と発送で一段落する。ふうーっと、肩で息をしている。
* 「憲法」論議での自民党高村副総裁とやらの「政治家支配」説には嗤えた。寒くもなった。アベ・シンドローム。
公明党の堕落徴候も凄まじい。
* 六月十日 水
* 起床7:00 血
圧138-71(57) 血糖値87 体重68.3kg
* 朝、「生きたかりしに」中巻が出来てきた。すぐ、今回は先ず読者のみなさんへの発送に取り組み、夕方まで、頑張った。
夕食してから、また、続きを。
* それにしても安倍政権の反省ということを知らぬゴリ押し姿勢の憲法蹂躙・傲慢政治には、ますます呆れかえる。参考人に招いた憲法学者に口を揃えて憲法
違反だと言われながら、愚か者の防衛大臣は、政府方針に憲法の方を弄くって辻褄を合わせるのだと馬脚をあらわし本音をほざいた。政府姿勢を合憲とみている
学者は「いっぱいいる」などというその場しのぎの菅官房長官の吹いたホラの音もたちまちに息詰まった。
どうかして国会をとりまいて、往年の安保反対デモを再現できたらいいのに。この躰で、なさけない。
* 少年や若者達の、信じられない凶悪犯罪の続出。健康で聡明で知的でありたい精神環境が、過剰も極まれ琉機械環境に毒害されて、人間の、若い内からの痴
呆化か進みに進んでいる。機械に魂をぬかれた、あのマトリックス世界の恐怖にはやわれわれは漬かっているのだ、情けない。
* 九時半、黒猫やまとに今日の分、渡した。明日配送敗走とはゆかぬそうだが、一両日で届き始めるだろう。
一種の重労働で、八十前の夫婦、疲れましたが頑張りました。
* 六月九日 火
* 起床7:45 血
圧147-82(59) 血糖値90 体重68.0kg
* この二三日、涼しい。長袖が欲しくなったり。それも梅雨に入って、むしろ蒸し暑くもなるだろう。美味い酒、けろっと一本(四合)飲み干した。
☆ なにをするにも
空を見上げる季節になりました。
雨は嫌いではないけれども。
雨、風に みぢかき芦のそよいでいるのを見ました。
では。ご本の発送など、お大事に。 黍
☆ 焚火してもてなされたるついりかな(白雄)
近畿地方梅雨入りのニュースのあと東海地方梅雨入りのニュースがあって、いよいよ三重県が梅雨に入ります。
名張市立図書館に取り置きの小川琢治遺著『一地理学者之生涯』がこの10日に返却期限を迎えるため、今日明日と図書館へ通うつもりです。
和歌山県立博物館で購入した絵本『おがわたくじ』がよくできていて、松浦武四郎のコレクション保存の一件や京都大学総合博物館で見た京都大学の宇宙地球
科学史の展示、それと桑原武夫『人間素描』。徐々に琢治さんへの興味が増し、図書館で調べていただいたところ『一地理学者之生涯』は昭和17年に刊行され
たきりというので、だめでもともととお取り寄せをお願いしました。するとありがたいことに富山県立図書館が貸し出してくださいまして、館内閲覧ながら実物
を手にとって読むことができるのですから嬉しくてなりません!
加藤千晴『観音』以来の館内閲覧です。
読めない漢字やわからない部分は後回しにして、取り急ぎ通して読み、2度目の通読に入りました。湯川秀樹『旅人』も読み返しています。
4月下旬に大阪市で益富地学会館が中心になって開催する「石ふしぎ大発見展2015大阪ショー」がありまして、大阪府・奈良県・和歌山県の地学スポットが紹介されるというので見に行きました。
紀伊半島の地図にスポットの写真が貼られて鉱物標本が並べられたコーナーで、ボランティアガイドさんの解説をうかがいながら、琢治さんが1891年11月から翌年正月まで旅したルートを想像しました。
1889年9月の十津川大水害があり、1891年10月に濃尾地震がありました。濃尾地震直後の旅です。不眠症、神経衰弱で休学しての帰郷です。琢治さんご自身の文章で旅を読めるのもたまらない喜びです!
また、パリ万博出張から帰国した翌年、鳥羽・木ノ本の地質調査に従事したくだりで、三重県庁訪問にあたり川北久太夫氏(パリ出張中の記述では「川喜多久太夫氏」)を訪れて歓談したとあり、あわてて半泥子の年譜を繰りました。
琢治さんより7、8才年下で、1901年は半泥子が結婚した年です。
『人間素描』(昭和32年刊行)では、西堀栄三郎の一篇も興味をそそり、ちょうど東近江市にある「探検の殿堂」がリニューアルオープンしたというので出かけてみたところ、2時間いても飽きない愉しい場所だったのですよ。
後日、京大の天文学展覧会「『明月記』と最新宇宙像」の図録で、西堀さんが南極で天体写真の撮影もしていて、帰国後、山本一清に送ったとあるのを見つけました。帰国が1958年2月。1959年に山本が70才で世を去っているのですね。
さて、2016年サミットが伊勢志摩に決まりました。実は何年も前から2017年に日本菓子博の伊勢開催が決まっていまして、遷宮、おかげで、サミット、菓子博と、経済効果話ばかりのマスコミと行政にうんざりしています。
日本菓子博は城下町で開催されることが多く、門前町はあまりなかったそうで、和菓子というと、抹茶、城下町、やわらかものの和服、“高級”“職人わざ”のイメージで宣伝されることがほとんどのところ、伊勢は門前町で、街道筋には種類豊かに飽きさせない餅が存在します。
また、会場は伊勢。シマです。縞です。松阪もめんがあります。
サミットで、菓子博で、なにを宣伝するか。
餅だけでも各方面にひろがりますよねぇ。 名張の囀雀
* 「伊勢は門前町で、街道筋には種類豊かに飽きさせない餅が存在します。」とあるのに「餅大好き」なわたしは、ぶるぶるっと来る。「種類豊かに飽きさせない」とは、何ぞ。「赤福」しか知らないんだから。
それにしても囀雀の勉強家なこと。大昔は文楽と落語とでオッカケを堪能していたようだのに。目をみはる勉強ぶり。根性が芯から健康なのだろう。
* ぼやっとしたまま、不慣れな別の機械を触り続けて、何の成果もなく機械を混乱の坩堝に投げ入れただけのようだ。お話しにならない。
* ぬるめの湯に二時間近くつかったまま、眼を洗い洗い「徳内」と「掌篇」とをたっぷり校正した。前のは再校、後のは初校。初校の方をたくさん読
んだ。選
集をと思い立ったとき、長編はもとよりとして、掌篇や「修羅」のような短篇集や短篇作をぜひ一巻にまとめてみたい切望があった。とくに掌篇。何人かの類す
るものを読んできたけれど、わたしを突き動かすほど面白くて根の深いと敬服できる作家には出逢えなかった。わたしは短篇で私小説を書こうと願ったことがな
い。掌篇や短篇こそヴィヴィッドに想像力の働いた面白くて問題を孕んだ異界・他界がはんなり書ける、リアルに書ける、と思ってきた。思ったように書けたか
どうかは別問題としても、かいておいて良かったと思っている。
* 六月八日 月
* 起床7:45 血
圧133-66(58) 血糖値91 体重67.9kg
* 午前午后 仕事。もうやがてまた歯科へ。
* あっというまに治療が済み、帰りに、五時開店のどの店にも立ち寄れず、まっすぐ帰宅。結句、その方がからだは安まる。お酒はもう一本残ってい
るのだし、家でゆっくり呑めれば結構だ。
* 凶悪な犯罪報道があまりに多い。情けなくなる。
* 幸い、わたしには上のような不愉快からたちまちに離れてしまえる他界がある。自作の掌篇でも短篇でも長篇でも。あるいは古代の和歌の世界へでも。後撰
和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、各五撰より以上を楽しんで終えた。平安王朝が円熟の時期の三集であり、特徴的に前詞書が多く、和歌が短篇小説化してい
る。詞書きもろともの面白さを汲むか、あくまで和歌一首一首自立し得たよろしさをとるか。わたしは後者に重きを置いたうえで詞書きも、あるいは唱和・相聞
も大事に読んだ。楽しんだ。今日、現代日本のまともな作家で日頃こんな世離れた楽しみと共に創作し執筆している人は、探すのに鉦と太鼓とが要るだろう。現
代作家の胸の内の寸法や深みがあまり足りなくなって居はしないか、お節介の気はないが、かさかさと味気ない気はしている。小説や文章の世界が騒がしすぎ
る。
* とはいえ、あまりにヒドイ事件が多い。無軌道で無道なカーレースで一家族の全員を死なせ、一人を八百メートルも引き摺って走ったとか。パワハラで一施設の全看護師が辞表をだし、施設が立ちゆかないとか、集団で友人の一人に暴行し河に追い込んで死なせたとか。
安倍政権の好戦姿勢と憲法蹂躙にたいし 国民の大半が反対の意思表明をしている、それでもなお自民党は反省のフリもみせない、札付きの右より議員達が街
へ出て安倍支持演説会をしても、市民から徹底して「戦争反対」の声で演説会自体が潰されている。反省のない、数を頼んだゴリ押しの政権。しかも愚昧と定評
の防衛大臣は、自分らの勝手な政策に同化して憲法をやりくりして近づけたいなどとバカの限りを国会で答弁している。
安倍を倒せの声で日本列島を覆うべきときが来ている。
☆ 拝啓
今年は、爽やかな五月の頃をひとっ飛びして、初夏の暑さを思わせる日々が続いていますが、そんな中にも、そろそろあのジメジメした梅雨が到来しようとしているこの頃です。
過日は、また立派なご本をご恵贈賜りながら、拝受のご報告もそのままに、時ばかりが過ぎてしまい失礼を致しており申し訳ございません。誠に遅ればせながら、
ありがとうございました。
先生には、奥様ともどもご病身にムチ打ち乍らも、益々精力的にお仕事をなされていらっしゃるようで、アタマの下がる思いでいっぱいです。
選集は、今までの先生の創作分野の全容が披露され、巻毎の構成も、先生の頭の中と心の思いが顕然化され乍ら、一つ一つの作品を飛び越えて、新しい世界を作り上げています。その思いをカッチリと受けとめて、拝読させて頂かなくては、と思っております。
ご体調には堪える時節となります。
くれぐれ、お二人には、ご無理なさいませぬよう、ご自愛くださいませ。 かしこ 鏡 編集者
* 明後日、中巻出来への発送用意がほぼ出来ていて、ほっこりと息をついている。上巻は読んだ。中巻がどう展開していたのか、憶えていない。いっそ楽しみにしている。
* 私のホームページが、記録容量上、厖大な所蔵可能に創られていることは、前世紀末いらい、かなり広くに知られている。おそらく、これほど大量の記事を
擁している私的な一個人のホームページはめったには実在していない。日記ひとつにしても、書き始めて間もなく中断し抛たれている例は数限りなく、それが一
般である。私のように日記・日録・日乗として、ホームページ開創の1998年いらい、ほとんど一日も欠かさず記事を満載してきた他例は、聞いたこともな
い。しかも私のホームページは日記だけでなく、湖の本の全部(現在126巻)の悉くを収録しているし、多彩な電子文藝館も内蔵している。凄い量の「フォル
ダ・欄」が多くの「頁・ファイル」を擁していろいろに利用できる。そのために明けてある欄は数十できかない。
公開のためにでなく、思い切った私用のために、例えば無数の書留めや書置きを字にしておいたり、和歌集の撰なども、一々公開しないで書き置いて吟味し感
想を書き添えたりできる場として活用しようと、いま、ポツポツといろいろに為し始めている。「私用」の「私語」を自在の物にしておきたくなった。「遺言」
ものこしておく。愛しみも憎しみも尊敬も軽蔑も遠なしに書いておく。
* 六月七日 日
* 起床7:45 血
圧118-62(60) 血糖値90 体重67.3kg
* けっこう自分たちのボケてきているのを、夫婦して苦笑している、いろいろと。なでしこジャパン四年前の大健闘再放映を見て感激していた。ま、よい。感激したのだ、わるいことでない。
* 「黍」さんから、名酒「奥の松」の純米吟醸と大吟醸の二本を戴いた。すぐさま大吟醸の栓を抜いた。感謝。
☆ 前略 ごめん下さいませ。
湖の本124を拝受、「生きたかりしに」(上)を一気に読了いたしました。全編を通じて知的な母上様のお姿が立ち上り、秦先生の母上様との向き合いかた
には、詩的な感動をおぼえました。三十余年を要しての御発表、まさに、女の子が生れた時に仕込んで、嫁入りの時に人にふるまう紹興酒のまろやかさを味う心
持ちで拝読いたしました。ありがとうございました。
井上靖団長室での酒宴、何といっても圧巻は「紹興の一夜」ですね。あの、骨をさす寒さと、汾酒の力で夜を明かした秦先生のお姿をなつかしく思い出します。
それにしても、皆さん(=井上夫妻、巌谷大四、清岡卓行、辻邦生 白戸吾夫さんら)、居なくなりましたね。私も(日中文化交流)協会を退いて五年、編物、繕いもの、布ぞうり編みなどの手仕事に励んでおります。
暑さに向かいます。奥様ともどもお健やかに。 お祝のみにて。 純 元訪中作家代表団 協会専務理事
* 突然として井上靖先生の電話がきた。「いっしょに中国へ行きませんか」「行きます」と、あまり返事の早さに笑い出されたのを忘れない。作家代表団のうちわたしが佐藤純子さんと同じ当時最年少。いまでは伊藤桂一さん、大岡信さんしかおられない。
四人組逮捕直後、周恩來総理逝去直後の北京に入り、周総理夫人(副総理)との会見をの席では「秦先生、お里帰りですね」と笑いの一場面も経て、大同へ。大同から北京へ戻り、やがて杭州へ飛び、紹興、蘇州、上海を経て帰国した。帰国後、大同での見聞をもとに、すぐ、小説「華厳」(選集四巻所収)を書き下ろし発表したが、長旅の感興に揺り動かされて、手をかけ始めていた上田秋成の書き下ろしが難航、「生きたかりしに」へ大きく行く手を替えた。
挫折といえばそうでもある、が、生涯の必然を迎え取ったのでもある。悔いはない。
* 明夕、また歯医者に通う。右下に一本欠けており、左下奥には歯がない。この無いのはそのままらしいが、右下の欠けはいずれ差し歯にでもするらしい。
* 六月六日 土
* 起床7:30 血
圧130-66(51) 血糖値101 体重67.7kg
☆ お母様もまた、
書かずにおれない火の魂を抱いていた方だったのだと、胸に迫る歌を読みながら思いました。 黍
* 母の歌には敵わない。本からわたしが好き勝手に抄録し「裸形の旅」と題していたのを機械の中で見つけたが、途中で跡絶えている。もういちど、丁寧に全
編を読み直しておきたい。なにしろ死にまぢかい身動き成らないまま編まれた本であり、短歌にも、表現や文法や用字に不充分もまま見られて、おなじ歌人であ
るわたしにはそれが辛くも有るのだが。拙いは拙いなりの「裸形の旅」を苦闘した母であった事実を尊重したい。その裂帛の語気語勢は、とうてい少年私の及び
がたい境涯であった。
* 「うた」って、何? 「うったえ」であろう。母の歌は「うったえ」であり「さけび」であった。母の歌には、敵わない。
* 文春におられた明野潔さんから、水上勉さんに触れられたお手紙と、「選集」へ有り難いご喜捨を戴いた。
作家の森詠さん、詩人の紫圭子さん、歌人の阪森郁代さん、陶藝家の橋本成敏さんからもお便りがあった。
* 吉備の有元毅さんから、いつも嘆賞に絶えない宝玉のような「マスカット」一房をお送り戴いた。心より感謝申し上げます。
* 六月五日 金
* 起床8:15 血
圧143-67(62) 血糖値89 体重67.9kg
* 建日子との旅、いきいきと思い優しく書けている。もし一人旅であのように母の過去を聴きもし尋ねもしていたのなら、叙述は重苦しく成りかねなかった。
雑誌取材の旅と父子での旅とを兼ねたのは、謀ったわけでなく天与のはからいだった。いまもその辺を読み返しながら、なんとなし涙ぐみもした。
祇園・四条の夜色にもじっと目をあてていると、まばゆいほど町の灯が明るく、目にしみ胸にしみてむかしむかしの「京都」が想われる。
* さ、やろう。いろんなことを、もっともっと、やろう。歳末には八十なんて信じられない。わたしの心は恥ずかしいほど少年のようにまだまだ未熟に幼い。長い夏休みには、宿題ではない、べつの何か「自由研究」にとりくみたくてウズウズした小学校から中学への昔を
身のうちに思い起こす。
* 国会の討論を聴きながらいつも思っていた、野党の質問者は、だれ一人例外なく質問の最初に総理や大臣にむかい、真っ先に一つ、「あなたは日本国憲法を
まもりますか」、踏み絵ほどに、イエス・ノーで先ず問いかけ、それから個々に質問して欲しい、と。「まもらない」と答える者に総理や大臣である資格は無い
のだ。
☆ 二十一世紀は(こんな)世紀になると思う。 (東工大・秦教室で)
以下は、平成八年(1996)一月、東京工業大学二つの大教室で、来る「二十一世紀は<どんな>世紀になると思うか」と問うたのへ、学生
諸君が答えてくれた端的な予測であった。表題の(こんな)の箇所へ一つ一つの予測を埋めて、今、われわれ現実の思いと付き合わせ、世界人として、日本人と
して、日本国民として、思いを新たにしたい。あなたの実感に強く触れてくる回答が見つかりますか。
あの「教室」以来、はや二十年を経ようとしている。あの年、三月末、教授職を定年退官したのだった。
あの頃の東工大生諸君、今、どこで、何を願いつつ日々を生きているだろうか。みな、元気にしているか。
ーーー以下*回答ーーー
地球の・地球危機の・地球保護の・地球と共生(存続)へ選択の・地球(はは)の定年の・地球人としての・宇宙へ地球開国の・宇宙への・宇宙人としての・宇
宙開発の・宇宙旅行の・運命の・現状維持の・灰色の・分岐の・分岐点の・衰退の・エネルギー不足で人類衰退の・停滞の・足踏みの・事故の・戦争の・破壊
の・崩壊の・破滅の・終末の・最後の・終りの・消滅の・飢えの・悩みの・憂いの・混の・乱の・混乱の・動乱の・混沌の・大荒れの・動の・激動の・滅の・暗
闇の・冬の・試練の・生残り(サバイバル)の・運まかせ七転八倒の・絶望の
地球的(グローバル)の・ボーダレスの・東西南北統一の・アジアの・中国の・南の・第三世界の・アフリカの・地域単位の・
科学の・哲学の・倫理の・神の・科学技術の・生命理工学(バイオテクノロジー)の・エコロジーの・遺伝子工学の・ロボットの・化学の・数学の・音楽の・イ
メージの・マスメディアの・コンピューターの・インターネットの・ネットワークの・科学分野大変化の・技術革命の・人口問題の・東洋医学の・核完全撤廃
の・環境見直しの・開発見直しの・あと始末の・罪を償いの・賠償の・精算の・清算の・環境対策の・燃料節約の・生物の・物質の・食物の・情報の・倹約の・
量から質への・改の・真(まこと)の・虚の・自然の・本質的には進歩のない・変わりのない
人の・人間の・人間復興の・人類の真価の問われる・私の生き方の問われる・地に足を着ける・精神社会の・和の・心の・精神の・モラルの・人類愛の・いろん
な意味で愛情の・平和の・安定の・確(着)実な・方向転換の・晴れ上がりの・挑戦の・交換可能の・夢の・ジャパンドリームの・時間改革の・善悪の・形式
の・選択の・再考の・意識革命の・開花の・感性の・未知の・分極化の・すきやき型混在の・発展の・視野を広げる・価値観転換の・新たな価値観追求の・新た
な価値探求の・想像力の・反省の・共存の・協調の・協力の・コミュニケーンヨンの・コミュニケーションの変化の・変革の・不安の・孤独の・空虚の・心無
い・愛想笑いの・虚構の・希望と絶望の・僕の・僕らの・僕達の・俺の・オレ達の・私達の・今の若者の・我々若者の・大人の・おふくろの・高齢化の・老人
の・女の・新人類の・個の・一個人の・自己の・エゴの・自他の境の・各々の・つながりの・非接触の・隔離の・猿の・武双山の・再生の・再出発の・例えばみ
かん(表面より中身)の・未来の・次の・二十世紀の次の・20と22との間の・二十二世紀を楽しみ待つ・
(以上、東京工業大学 2年生中心 文学概論 1996/01/08 出題)
宇宙の・地球の・科学の・電子の・情報の・全て簡略化の・環境の・破滅と再生との分け目の・混沌の・夕暮の・20世紀のツケを払う・大変な・宗教と科学と
統一の・技術的に最後の成長の、そして人間的に最も堕落の・エネルギー革命の・鉄腕アトムではなく、人の・「生身の人間」の・人間性重視の・メンタル面が
問題の・心の・精神の・精神と物質とが融合して行く・理性以上に感性が重要化する・清貧の・無関心から脱却の・人類の生きて行ける・手を施せる最後の・一
人一人が決断の・すべて見直しの・アジア的考え方の・古きをかえりみる・よりグローバルな努力の・いい意味で遅滞していい・休息の・滅亡へは賢明に向かわ
ない・我々世代の・平和の・廻の・前二千年のまとめをする百年
(以上、東京工業大学 3年生中心 総合B 1996/01/10 出題)
* 政治環境、機械環境、自然環境、原発破壊・廃炉を含む大災害環境、人間関係の劣弱化や狂信やエゴイズム等々、今日の世界や日本を日々揺るがしている広義の環境危機や法の危機へ、具体的には目も思いもあまり届いていないと見えるが、今一度尋ねたい、この二十年の実感を。
☆ 『生きたかりしに』第1巻を
一気に読みました。
作品の中にかつて訪ねたことのある地名がつぎつぎに出てくるので、いろいろ想いながら読みました。
第2,3巻を楽しみにしています。
ほんの少しですがマスカットをお届けします。 吉備の人
* 恐れ入ります。有難う存じます。
* 昨晩成功して、ネットからも読みとれた「e−文庫・湖(umi)」の掲示が、今日はどうしても成功しないばかりか昨晩の成功分まで消え失せてしまった。とても手に負えない。残念。
☆ 生きたかりしに(上)を
送っていただき、ずいぶんの日が経ってしまいました。
お礼が遅くなりました。ありがとうございました。
ご本が届きました頃には、5月の連休中にと図書館より借り込んだたくさんの本を読了していなくて、そちらを先にと、湖の本を横目で見ていました。
口実にして、実は怖かったのです。
いよいよお母様の事を書かれたと、読むのが辛く胸がつぶれる思いになって、静かに読み通せないのではないかと。
ここ数日読み始めました。やはり胸が騒ぎます。痛いのです。
秋成の方へ気持ちを持って。と息を継いでいます。
二章 大和路 へと読みすすめました。
葛城山の岩橋伝説。
謡や仕舞いの「葛城」を稽古した折 その地を訪ね 役の行者のたどった道を歩きながら頂上に登り 彼方の山を眺めました。
一言主神社にもお詣りをしました。
みにくいお顔を恥じ、夜しか橋を架けることができなかったとまでしか、思いは至りませんでした。
神様の恋
相模や和泉式部などのたくさんの歌人たちに詠まれていた、架けられなかった橋。
恋だったのですね。
秋成も詠んだ、その地で詠まれた歌を味わう。気持ちに入り込んで。
と今は違った気持ちで読み進んでいます。
2巻3巻と刊行していただき、静かな気持ちで読んでいきたいと楽しみに待っています。
未発表のいろいろの原稿などを刊行されるのに、ご夫妻で文字通り必死のお仕事をされておられるご様子。
ぜひ読ませていただきたい気持ちと、お身体を労わってほしい気持ち両方相まっています。
何のお手伝いもできないこと心苦しく思いながら、たくさんの作品が日の目を見ますようにと祈っています。
妻の親友 持田 晴美 練馬区
* よく勉強されていて、感心する。秋成がはるばる尋ねていった名柄の里の「いとこ」を、女性であり得るとわたしは読み、彼の「岩橋の記」に意味を持たせ
たのは、秋成学の学者からは認められないかも知れないが、秋成には、養家上田家にもともと年上の姉と呼んだ女性が居た。恐らくは秋成と娶せる気持ちが親に
はあったろうに、この姉は家をはなれて他の男性へはしり、いわば勘当にあっていたのを、懸命に秋成が仲に立って親の怒りを静めたのだった。その姉が、或い
はあるいは名柄のほうで家庭を持っていなかったでもあるまいと想ったりした。秋成その人を主人公に小説にしていたら、この養家に家付き姉なる人は大きな役
を帯びたであろうが、主人公はわたしの「母」に成った。
* 物識り小父さんが、フジテレビで、「韓国」の不思議を盛んに講釈していて聴いていた、が、なんとなく、聞き苦しい気持ちになった。なにかしら、わるく
煽っているようなイヤな空気にならないといいと思う。難しい関わりを大昔からしてきた両国。ことさらに「嫌い」感情を煽ってはなるまいに、両国ともに。
わたしは韓国朝鮮半島の歴史にきわめてうとかった。せいぜい陶器くらいにしか関心がなかった、が、それではいけないと思い、随分以前に意図して買ってお
いた「韓国古代史」前後巻を読み始めたところだ。著者は韓国の碩学、古代史の第一人者。興味深い。叙述も確かで信頼がおける。
* 六月四日 木
* 起床9:00 血
圧143-69(64) 血糖値90 体重68.8kg
* 紙袋に押し込んであるのを取り出してみたら、表題に「資時出家」とある19枚の原稿がある。十三世紀へかかてゆく時代のことこまかな年表や着想メモや
原稿の試みなどが種々束につかねてある。明らかに俊成・定家に視線をあつめた年表や原稿の試みも、同じ束になって括られてある。
すでに電子化した「原稿・雲居寺跡」への併走原稿も状況把握の年表や系図や人間関係もたくさんメモされている、そのいわば「資時出家」「平曲秘聞」の一
方で、あきらかに別途に「藤原定家」を意図した小説も懸命に思案していたらしいと窺える。そういう「書き物」「書き留め」が溜まっている。
* さらに別に、脱稿にもっとも苦心惨憺し、しかも満足せずに、後日に「誘惑」と改題して仕上げた原稿、即ち「鱗の眼」144枚が妻の清書原稿のまま残っ
ていた。表紙表題の欄外に、(保谷市泉町二の23)とあり、原稿も浄書も医学書院の社宅で成っていたこと、「清経入水」の太宰賞受賞より以前の仕事と分か
る。「作家以前」の詳細「年譜」を繰れば、苦闘の経緯は見えるはず、わたしが推敲に一等苦心惨憺したのは「或る雲隠れ考」とこの「鱗の眼」だった。前者は
のちに「新潮」に出せて、時評でもまたその後若い研究者の論考も得ていたが、後者はいったん断念し、日数を経てのちに新たな「誘惑」へ変貌した。此の作は
たしかお茶の水の谷口准教授の手でていねいに解剖・論考されたりした。読み返してみないとはっきり言えないが此の妻が清書の読みやすい原稿「鱗の眼」 こ
の題意がいくらかおそろしげに酌めるようなら、「湖の本」に出しておくべきかと思っている。手書き自筆原稿のままもう「誘惑」へ転じているらしいp.
266からp.318「完」までの原稿も残っていた。その巻末頁には、
一稿脱稿 76.6.27 2:30am
二稿脱稿 76.6.29 5:45pm とある。
「原稿・鱗の眼」からのちの「誘惑」までに、すくなくも受賞・作家をはさんで少なくも八、九年が経っている。妻の負担になって了うが電子化しておくべきか。
* じつは、もう一作、わたしにも何をどう書いたのか皆目記憶に蘇ってこないけっこうな量の小説らしきが見つかっていて、妻はもう機械に入れかけている。
そのほかになお「創作物 重要」と表に書いた大きな紙袋に.「書きかけ」小説が十数種も突っ込まれてある。書き継げばいいのにと惜しい物も入っている
が、要するに、そういう一見屑のようなたくさんな書き物を肥やしにしつつ作家生活してきたのだと思うまでのこと。その昔、自分は「寡作」と口にしたとたん
人に怒られたことがあった。いま、半世紀を顧みて小説とエッセイと、寡作ではなかったと納得する。
* 中巻の発送用意、ぐんと進んだ。
* 六月にはペンの総会があり、たしか藝術至上主義文藝学会では前会長、現会長と詩人との鼎談「創作と研究との」ウンヌンというのがある。久しぶりに顔を出してみようかなど思うけれど、徹底して出不精になっている。
* どう試みても掲載に成功できなかった「電子文藝館」への作の掲載に成功した。ああ、よかった。さらに習熟し流暢になれば、掲載したい作が、寄稿がたくさん在る。明日、また試みる。今夜はもう目が見えない、あてずっぽうにキーを敲いている。
*
* 六月三日 水
* 起床9:15 血
圧128-63(64) 血糖値98 体重67.8kg
* 「選集八巻」の口絵・装幀等を郵送し、同巻あとがきを電送した。
もう暫くのうちに第九巻の全ゼロ校が届くはず。この巻は内容的に歓迎され親しまれるだろう。いわばわたしの「掌短篇世界」のエッセンスたれと選集した。
* さ、これからは、さしあたり十日に出来てくる「生きたかりしに」中巻の発送用意。そして、大事に時間をさし繰りしながら新しい仕事へ落ち着いて手を掛けている。八日の歯科まで外出予定なく、つづく「選集F」の発送荷造りも視野に、間違いや滞りのないように用意したい。
☆ 拝啓
今年もはや六月に入りました。さきに選集」六巻をお送りいただき、また続いて 「湖の本」をお送りいただきました。
「祇園の子=菊子」 「糸瓜と木魚」 を読んだところで、「生きたかりしに」を読みかけると、おもしろくて一気に読みました。新門前通りというのは、た
しか昔ふうの旅館があって、岩波の仕事か何かで、一度泊まったことがあり、あのへんかなと思いながら読んでゆきました。N氏は、野間先生ですね。先生もそ
の旅館をよく使っておられました。
「祇園東新地一帯が、江州膳所藩主本多守膳正六万石のもと屋敷だった」とあることも、いま本多氏のことをちょっと考えていることもありまして、ありがたい手掛かりでした。
岡見正雄先生の名前が今度はそのまま出て来て、「おいと」もよく連れて行ってもらったな、と思い出しています。
同封の「連歌俳諧研究」は何のお役にも立ちませんでしょうが、能登川のことが問題になっているので、お送りします。
いま能登川は、金子金治郎氏が宗祇が伊庭の出だと言われたということで、大騒ぎをしています。この資料の閲覧のために出向いた時も、この地の人が何人も
待っていて、その説を肯定してほしいとばかりの話でした。私は肯定も否定もできないと思っているので、その点では苦労しました。この論考を送った時も、宗
祇自筆といっていただいたことはありがたい、と言いながら金子説が学会で諸手をあげて承認されるのを待っていると書き添えられていました。 島津忠夫 京都女子大名誉教授
* 能登川は今の東近江市のうちで、同範囲内に「伊庭」があり、小学生だった息子の建日子と旅したとき「伊庭」にも寄っていた。伊庭があの宗祇の生地とは、新説確認は経ていないが、ほほうという気はする。
* 羽生清さん、お手紙と、京・鶴屋吉信の銘菓を下さる。山口市の平野芳信さん、虎屋の羊羹二棹下さる。感謝。
☆ 選集五巻、六巻
ありがとうございました。
お身体の調子は如何でございましょうか。
京都の六月にきれいな風が吹いています。
四月には、南禅寺で デジタルで復元された等伯の障壁画を観、美術館で並べられているガラスごしの繪ではつまらない、新緑のお庭と共に見るのが一番と思いながら 土居(次義)先生について、お薄までいただいて鑑賞した大学院時代の贅沢を想い出しました。
『糸瓜と木魚』 グレーの水彩画が持つ いつ見ても新鮮な空気感、その秘密が解けてくるような気がいたしました。そこには 対象と それを描く淺井忠の
間にたちこめる大気の表現があり それが水彩画と観る私の間に振動しはじめる……それを絵筆でつかまえるか、言葉でつかまえるか、子規や漱石が繪を試みら
れずにおれなかった気持も伝わってくるように思われました。
描いた人と観る者の間に流れる気のようなもの、それは現代最新技術でコピイされた繪からは感じられないものと言い切れるのか……
土居先生は「繪の真贋判断は直観が大事」と言っておられましたが…
御本から 繰り返し勉強させていただいております。
かねてより目に残っていた『春風馬堤曲』の「裂裙且傷股」。 人形振りのお芝居を楽しみながら これまた考えさせられました。
俳諧と漢詩で ひとつしかない世界を創りだす蕪村の遊び心と重なる工夫で生まれた作品のなかで、 奥様が人形としてだけでなく黒衣として大活躍されているような面白さがありました。
先生、奥様 どうぞ くれぐれも お身体大切におすごし下さいますように 羽生清 美大教授
* 土居先生の 障壁画を目の前にしての講義 なんと 懐かしいことか。松園と祇園井特を書いた「閨秀」にも、子規と淺井忠とを書いた「糸瓜と木魚」に
も、土居先生に戴いた浩瀚な論著の学恩が生きている。先日、生まれてはじめて東郷克美さんから「学匠文人」というあだ名を頂戴したが、さもあるやらん…
か、と納得するムキをわたしはたしかに早くから持っていた。論文で論じない小説で論じたいといつも暗に、陽に、願い続けてきたのだろう。「最上徳内」も
「新井白石とシドッチ」も「加賀少納言」も「月の定家」も「風の奏で」も、みな、そうだった。
☆ 「生きたかりしに」
拝読しいたしました。「書かずにすますわけに行かない」お仕事として(p.146)受け取りました。
p.161.1行目「優しいね」と建日子が私の耳に囁く。から、 佳い旅だったと父と子は言い合い、荷物をベンチに置いて相撲の真似もした。このページが好きです。
p.177 (うまいものを の会へ)エレベーターの前で先生をお迎えしたこと、お帰りの際、ごあいさつして下さったこと。
懐かしいです。 宮本裕子 練馬区
☆ 拝啓
まだ5月だというのに気温30度とか、また噴火や地震も頻発、なんとなく生活に不安をおぼえる毎日です。お元気でお過ごしで
しょうか。
先日は、『湖の本』124お送り頂きましてありがとうございました。
「生きたかりしに(上)」、たいへんに重い私小説のようで、しっかりと読ませていただきます。
また、先日申しておりました「秘色」論、予想以上に早く載せてくれましたので同封させていただきます。的はずれなことを書いているのではないか、と相変わらず心配しております・。
どうか今後ともご教示のほどよろしくお願い申しあげます。
くれぐれもお身体大切に。 永栄啓伸 奈良県 現代文学研究者
☆ いつも
大変に貴重な「湖の本」いただき乍ら ご無沙汰のみ 申し訳ございません。
今回は特に感動的なお作品で、批判などとてもできません。
やはり このような形で作品化なさったのが、一番よかったのでは、と、思っております。あと二回の出来が待たれます。
ご健康とますますの御健筆を祈りつつ 風邪をこじらせ苦しい日々を過ごしております。
とり急ぎ御礼のみにて。 つかだ みちこ 作家 杉並区
* 人権擁護の活動で國の褒賞を受けている川西の東野美智子さんからも、巻紙に絵入りの綺麗なながい手紙を貰っている。「生きたかりしに」ともこもごも重
なり触れてくる重い「秘」の内容であり、再録はしない。生涯を賭けた進路について、大学生だったわたしのところへ中学卒業前のこの人が相談に訪れた日のこ
とを覚えている。中学の茶室でわたしから茶の湯を習っていたのだ。
「思ったままの道へ行きなさい」と奨めた。迷いなくこの人は祇園の舞妓、それも優れた藝妓にもなりえたのを一擲、きっぱり京都を去り、大阪で高校に進ん
だ。苦学して大学も出教育者になり、婚家の両親もやすらかに見送り、幸せに平和な家庭をきずきあげつつ、繪を描き、短歌をつくり、社会的にも献身のみちを
歩んできた。文字どおり、よく生きた。もう一人の「祇園の子」であった。
* 六月二日 火
* 起床9:15 血
圧128-63(64) 血糖値98 体重67.8kg
* 朝一番に美味しい焼きあなごをたっぷりと頂戴した。さっそく焙って、ちくと一献のいい肴に戴いた。善哉。
* 歯医者の間違い
それでも、事前に気が付かれてよかった。
大切なスケジュールは目につくところに書き置いておくといいかもしれませんね。
(上)を読了。
「筆にかかって存分に書かれてしまえば、現実もはや残滓に過ぎない。」
書くこと、書かれることの幸と厳しさを改めて思っています。
53頁「紹介したいた」の他、誤植は140頁「見晴らしなると」、154頁「して、、」くらいでしょうか。『京のひる寝』では誤植が目立ってちょっと心配もしていたので、ほっとしました。(偉そうな物言いに聞こえたらすみません。)
今日も暑くなりそうです。どうぞ気を付けてお出かけ下さい。 黍
* 誤植を教え
て戴けるのが、有り難い。目を皿にしている気が、猪口ほどに視力も視野も縮んでいて、独りのちからだけで誤植をゼロにするのは容易でない。明らかな間違い
と見えて、しかも大意や真意を見失うような誤植がこわい。いくらか、お察しいただくという気味も動きがちになるのは、よろしくない。三校する元気が無く、
入稿まえに原稿を読み、初校でルビを入れるなどし、再校ゲラで責了へ持ち込んでいる。誤植には、ひやひやする。しっかりした出版社には「校正職」のプロが
少なくも一度は見てくれているが、わたしの「選集」にも「湖の本」にもそんな手助けは無い。目の酷使、避けたくも避けられない。また自分で繰り返し読めば
こそ、たとえ句読点の一つでもより良い作へと直すことも可能になる。作者以外の人にそれをやられては困る。
* このところ、意識も意図もして「自作」に触れて相当多くかつ繰り返し書いている。有り難い読者のお一人が久しくこの「私語」を数十種の主題に分類して
きて下さり、それあればこそ、容易に過去の、たとえば「食いしん坊」にせよ「文学を読む」にせよ容易に引き出せる。出来うれば少なくも「選集」創刊の作業
にかかった頃(平成二十六年年初)からの「私語」分類に「自作を云う」一類を立てておけると、いくらか論者や評者の批判・批評に役立てて貰えるかも知れな
い。
* うへっ。もう「選集第九巻」の初校が出てくると。第八巻の再校が順調に進んでおり、第十巻入稿前の原稿読みも捗っている。
ともあれ六月十日には「生きたかりしに」中巻が、二十二日には「選集第七巻」が出来てくる。七月の初週頃には「生きたかりしに」が完結する。仕事がわたしをムダにウロウロはさせておかない。
* 東大名誉教授上野千鶴子さんから、『思想をかたちにする』と難しい題の「対談集」が届いた。
「いつも『湖の本』ありがとうございます。たゆまぬお仕事ぶりに感嘆しております。拙著一冊お納め下さい。三浦(=佑之。立正大教授)さんとの対談(「古事記はなぜ生きのこったか」)だけでもごらんいただけると幸いです。」と。
ま、エネルギッシュな上野さんに感嘆してもらうなんて、えらいこっちゃ。
☆ 前文おゆるし下さいませ。
何時もご本をありがとうございます。
私は今年の十二月八日には満九十四歳になります。七十八歳の時には名古屋能楽堂で能「巻絹」を演じました。人ごとのようにそのビデオを見ていると とても癒されます。
扨て、長兄俊吉一枝の一人息子力(チカラ)は能登川の家(=本家)を処分して東京の家族のもとに移り住んだ直後 平成十八年 疲労も一入だったのでしょう すぐ亡くなりした。
津島によく立ち寄ってくれましたので その苦労を思いやり可哀想でたまりません。 力には息子と娘が居りますが 息子は中国人と結婚 娘はピアニストでアメリカ人と結婚、アメリカに居ります。
三番目の兄の娘に 今朝電話であなた様のことを話しましたが、もう気力はないようです。甥も姪も年をとりました。
阿部の親族という事ですが 代が変わり 年をとっても繪に夢中になっているのやら飜訳で稼いでいるりやらおりますが、皆それぞれ一生懸命に生きてをります。
私はもう間もなく無の世界に行くでしょう。
最后に ご本のお礼が云いたくて一筆したためました。何のお礼もせずお許し下さい。
あなた様もご夫婦お揃ひでいつまでも
お健やかにとお祈り申しあげます。 かしこ 富永 豊 生母の姪 津島市
☆ ながらの里
名柄郵便局だった木造の建物が改修され、郵便や歴史関係の資料展示スペースをもつカフェになったと つい先ごろニュースで知り、名柄もずいぶん歩いていないなぁと思っていたところでしたから、さっそく近鉄に乗って御所(ごせ)駅へ向かいました。
御所駅に入っている市の観光案内所では、見るからに働き者といった顔だちの日に焼けた男性がきびきびと説明をしてくださいました。
南郷の極楽寺ヒビキ遺跡について訊ねたところ、発掘調査当時、農地関係の仕事をしていたもので覚えてます、焼けた建物だ、書いてあった通りだと話題になりましてねぇ など当時の話をしてくださいました。
観光地図をいただいて、まずは長柄神社にお参りです。
以前の印象よりよほどからりと明るくなりました。境内の巨木が何本も伐採されていたからです。
郵便局は残念なことに休業日でした。持ち主の池田さんが市に無償貸与して、お隣がご実家である堺屋太一さんのご寄付などで成ったそうです。
大庄屋をつとめていた末吉家、代官屋敷だった中村家、大宇陀の久保本家から明治に分家した久保家「葛城酒造」、太神宮ときざまれた石灯篭と地図通りに見
て歩き、久保家の脇を西へ曲がり 坂をのぼって増(まし)地区へ入り、移転した郵便局を見て坂をさらにのぼると、土の塀があり、一枚板の門をもつお屋敷が
ありました。
増からとっとっとっと下って、室宮山古墳の石室を覗きに行き、バスで御所駅へ戻り、タクシーで、櫛羅から猿目橋、梅室、山口、寺口と山裾を葛城山麓公園(葛城市寺口忍海古墳群)へと走り 忍海駅で近鉄に乗りました。
葛城市歴史博物館で開催中の展覧会が この寺口忍海古墳群に関する内容で、千賀久館長が30年余り前の発掘調査に参加されたことから、先月、講演会があったのです。
竹は皮を脱ぎ、柿はちいさな実をつけ始めていて、梅の実が葉陰で育っています。栗の花が咲いていました。
葛城の山々は青く潤み、畝傍山と耳成山が重なって見え、龍王山、三輪山、音羽山。
千賀館長が、タイトスケジュールでつらいこともあったけれど、景色に見とれてカメラをぶら下げたまま立っていたことを思い出したとおっしゃったのがわかります。 名張の囀雀
* 景色が目に蘇って心ひろやかに懐かしい。上田秋成の目にも景色はしみ入ったであろう。
* 「最上徳内」への選集あとがきを書いた。「祇園の子」とも「みごもりの湖」とも「雲居寺跡=初恋」とも「冬祭り」ともまるで異なる長編小説である、
が、しかもなおあの笠原伸夫さんの論説をわたしはきっちり身に帯びていた。そう思う。おなじことは、これに続く長編新聞小説「親指のマリア」にも謂える。
* 平成二十七年(2015)六月一日 月
* 起床7:00 血
圧143-64(60) 血糖値97 体重67.6kg
* 聖路加へ一時半、利尿の処方箋をもらいに出かける。
☆ 選集 第二、五巻
お恵み下さりまことに恐悦にぞんじます。田舎者ゆえの厚顔のお願いお赦し下さい。
早速読み始めましたが、「清経入水」など、四十数年前の初讀の印象とはまったくちがっていて驚きました。
「冬祭り」はなぜか未読で、これから楽しみます。
今や老耄の境にある小生などとは一歳年長であられるはず、どうぞ御大切になさいますように。
御礼までです。 東郷克美 早稲田大学名誉教授
☆ 「生きたかりしに」
三巻まとめて拝読いたしたく、楽しみにしています。それにしても、三十余年、考えつめる息の長さに驚嘆するのみです。
十五年前のインシュリン注射しながらの美食行は、小生も、糖尿病などで、朝晩コレステロール、高血糖、高血圧対策に十種類の粒薬に、四種の漢方を服用し
ている身には、痛いほど、甘いもの欲しさを躰が要求していること、わかります。「戦中戦後の飢えた子」は、当方、いまだ、食パンに漉し餡など欠かせずナゲ
キの80歳です。その他、病状の山盛りです。 徳 松戸市
* 飲まず食わず帰ってきた。もっていた「徳内」再校ゲラ、全部読んできた。「後拾遺和歌集」の最後の撰も終えてきた。
* とても疲れた。次の歯医者を今日と間違えていて、一週間後とまた覚え違いして、じつは明日の夕方だった。だいぶモーロクしてきた。疲れる。湖の本の発送用封筒に、必要のない「書籍小包」印を全部捺してしまったのもかなりアタマへ来る失策だった。
* ある程度は予想も覚悟もしていたが、生母方の親類の大方が死亡されていて、若い遺族まで行くと、母を知っていたり覚えててくれたりという人が、無いも同然、これも致し方ないこと。
* 「原稿・雲居寺跡」は、勤務先医学書院の400字原稿用紙を借用している。
表紙は二枚。二枚ともに「雲居寺跡」「菅原万佐」「66.11.24〜」とある。この高校の頃から用いていた筆名は、「新潮」編集長酒井健次郎氏に「本
名で書きなさい」と否定されて以後まったく使っていない。この「原稿」が「新潮」と縁が出来るより以前の作だと分かる。 一枚目の表紙の裏には、題が、
「雲居寺物語−−平曲秘聞−−」としてある。わたしの関心がすでに「平家物語」ないし「平曲」の成立に向いていたことが確認できる。この意図は明白に後の
長編「風の奏で」とも「雲居寺跡」とも対応している。中学二年、初めて自前のお金をつかい岩波文庫の「徒然草」また「平家物語」を買い求めたことのこれは
顕著な刺激また示唆の享受だったと分かる。この「原稿」段階でさらには、やはり岩波文庫の旧版古書「梁塵秘抄」を読んだこと、「愚管抄」にも接していたこ
とが大きな意欲になっていたとも分かる。
☆ 選集第六巻かたじけなく拝受、
ありがとうございました。
小生先般、秦先生あのご達成を十二分に評しうる人物は もはやこの劣化した國には存在すること難いのではないかと、半ば本気で申し上げましたが、このたび、六巻収録の笠原伸夫氏の一文に接し、それが杞憂であることを知りました。
先生の作品がいかなる代物であり、その作者が如何なる代者(ママ)であるか、ということの本質的な把握がすでに早期に尽くされており、まことに稀有の幸いと安堵した次第です。選集の堂々たる完結の日が、あらためて一層の楽しみとなりました。
もちろん、今回(第六巻)も、収録のどれもこれもが味わい格別で、徳に絵画好き・蕪村好きの小生としては、前巻につづき再読三読。ひねもす のたりのた
り、にやりにやり。一字一語一句一行、そして行間に立ちどまり、至藝の襞、その陰翳に遊ぶ至福の時━━いつもいつも先生ってほんまに「けしからんヤツや
わ」と誰かさんも言うてはりましたが、これぞほんまの秦(ママ)迷惑! 乱筆乱文不悪 不尽 (つづく)
二伸
と思いきや。にやりにやりの直後に『湖の本』124「生きたかりしに」(上)到着。
それは何と、永らく未公表の長編の始まり。しかもそれは、件の先生が何者であるかに関する根本資料ともなるに違いない大変な代物。それを、笠原氏の一文
収録と呼応させるタイミングで公表に踏み切られたご決断は ただごとならず。小生、先程までのにやりにやりはどこへやら、一字一語一句一行、そしてその行
間に立ちどまり、一転、身を引き締めて拝読させて頂きました。
上田秋成をからめた先生独特の二重奏、その綾襞の乱れもさひそと思いつつ、(中)(下)の展開を慎んでお待ち申し上げます。
それにつけても、つくづく思うことですが、先生は「けしからんヤツ」であるどころか、大変なお方ですね。笠原氏ほどではありませんが、小生も 早期に先
生のお作と出逢い、その特質・本質を直感的に察知して驚ろき喜んだ一人です。しかも、その後のご活躍とともに、あたかも的の真中を射抜いているかのような
実感が強まる中で、歓びも一層本格化し、今日に到っております。
失礼ながら、又、先生とは世代も近く、価値観や美意識なども重なるところ少なからず、うれしい限りで、まことに読者冥利に尽きます。
何卒何卒 御身ご大切にと念じ上げます。
末筆乍ら御令室様にも何卒よろしくご鳳声下さい。
原稿電子化のご苦労、さぞやと お察し申し上げます。 不尽 岡田昌也 神戸市
高砂・前濱のアナゴ、ほんの少しのみ、別便にて
お口に合えば幸甚に存じます。
* 恐れ入ります。
* わたしの文学的な産物は、短歌にはじまり小説へ転じ、双翼のていに比較的広範囲な論考・エッセイも書いてきた。同じ小説でも、物語もあり、そうでない
のもあり、私小説もある。それらの全部を包括して秦
恒平の文学世界を纏めてくれるのは、率直に言って簡単ではないと思う。わたしを、比較的よく分かっていて下さる人ほど、『秦 恒平論』は秦
恒平自身が書けと言われる。どうも、もうそんなヒマもチカラも失せようとしている。出逢いたいのは、わが身内の闇に叡智の光をさしこんでくれる真の批評
家、わたしよりもずっとずっと大きい深い論者なのだが。
ま、夢のような望みは棚に上げて、一作、一編、一巻でも心ゆく仕事をし続けたい。
* 神奈川近代文学館より、没後五十年「谷崎潤一郎展 絢爛たる物語世界」の一冊を贈られた。写真が多いので、喜ばしく楽しんで見られる。松子夫人に戴い
た蒔絵の御文も、遠くからのわが協賛と思っていただきたい。例の「恋文」一冊のカバーを飾っている松子夫人のお美しさ、日本女性の理想像とわたしには見え
ている。谷崎先生がご自慢だったご自身のお写真も、今日届いた一冊の中でひときわ立派に見える。