saku164
述懐 平成二十七年(2015)五月
ひとつ脱いで後ろに負ひぬ衣がへ 芭蕉
夕燕我には翌のあてはなき 一茶
夕霞棚引く頃は佐保姫の
姿をかりて訪はましものを 谷崎松子
さみどりはやはらかきもの路深く
垂れし小枝をしばし愛(かな)しむ 遠
逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の
桃のはなちる道きはまれり 湖

谷崎潤一郎先生ご夫妻

谷崎松子夫人より初のお手紙 「蝶の皿」へ、
色美しい巻紙も ながながと
* 五月三十一日 日
* 起床7:30 血
圧148-75(56) 血糖値94 体重68.1kg
* 『最上徳内』『親指のマリア』という、わたしにとって方法を全く異にした二大長編を思いこめて読み返している。まさしく私自身が心より読みたかった作を、自分自身で書き上げていたの。そういう機会を与えられた岩波書店「世界」と京都新聞社に感謝する。
そして、昭和四一年(一九六六)十一月十一日、それは「清経入水」で太宰賞受賞よりも、作家として文壇に迎え入れられたよりも二年半も以前に起稿し、原
稿用紙百五十四枚で断念中絶の『<原稿>雲居寺跡』も読み返しているが、かえすがえすも惜しい中絶だった、希望をもち根気よく想像力とともに
書き継いでいたなら、少なくも「何か」に、後の『風の奏で』とは異なる長編小説に成っていた。成らずじまいにしておいて良かったのだという納得も実は深い
が、この苦悶と残念とがあってこそ、『清経入水』もその後も在りえたには万々相違ない。
この未発表中断作、ぜひ公表して欲しいと馬渡憲三郎さん(藝術至上主義文藝学会会長)に奨めて戴いている。すでに『清経入水』や『風の奏で』を懇切に論
じてくれている原善君にもこの原資料である<原稿>を呈上してもいいと思っている。もとより「作家以前」の懸命の、しかも思い入れも過ぎたる試作ではある
けれど、出る「芽」は出始めていたのではないか。
* と胸をつかれるほど『原稿・雲居寺跡』は奇っ怪にものがたりを奥の暗闇へまで進めていた、わたしは皆目記憶していなかった。しかし、いかにもわたしの書き起こしそうな場所へ場所へとはなしは運ばれていた。
心底、いま、驚いている。まだもう少しくは費やした用紙原稿の残りが在る。久しいわたしの読者は、喜んでくださるかも知れない。
* 予期していたよりも踏み込んだところまで「原稿・雲居寺跡」は書けていた。湖の本にいれて中編、優に七十頁ほどはある。あまりにもしどけない中断では
なく、その先が朧にも読み取れなくはない、が、だから書き継ぐということも、作の「気合い」からして自然ではないだろう。あえて謂うなら、總緒の纏まりす
らかんじとれるところまで書けていた。なぜアトが継げなかったか、当時の私には荷が重くなったのであろう。
妻が読みにくい原稿から、昔むかしのようにとにかくも電子化してくれて、まことに有り難かった。それなりにこれは大事な一記念作に相違なく、「生きたかりしに」に次いで、大きな儲けものになった。
* こういう仕事が、実を言うと、まだ幾つも、それも作として嵩のある書き置きものがまだ幾つも見つかっている。しかし、原稿用紙へ手書きの儘では、またノートブックへ書き置いた儘ではニッチもサッチも行かない。
* さて。これからは、徳内サンと白石先生・シドッチ神父とのお付き合いが当分続く。ありがたい、間違いのない「身内」である。
* 五月三十日 土
* 起床8:00 血
圧139-67(52) 血糖値92 体重69.0kg
☆ まいにち暑いです
「生きたかりしに」、はじめから惹きこまれて、ほぼ一息に(上)を読みました。
あとは、とりとめのない感想です。
まわりの方々が、亡くなるまえに本にしておけば、ということを気にされていますが、今でよっかたと思います。
なにかのためのものでなくて、完全に一つの「作品」ですから。
テーマがはっきりしていて 読みやすかった。
53ページに、誤植。
36と71ページの、「がったり」という言葉がめづらしかった。
いつかもっと丁寧に、書こうと思いますが。
自死のことも。
とりとめのないことを、それでも、捕まえておきたい、と、たいへん。
おゆるしを。 柚
* 亡くなった兄は知り合った当初むしろ賛成でなかったが、わたし自身は、作家生活のハナから、よく読んで下さり、感想を持って育てて下さり、
なんらか生涯に響き合うモノを感じて下さる読者を、血縁や俗縁を超えて心の「身内」と想い、親しく迎えてきた。血縁や俗縁には偶然がある。読者との縁には
「作品」というよかれあしかれ命が在る。
* 「がったり」という物言いはわたしの辞書にもなかった、母の家集のアタマの、早い内に、「がったりしてはいけないよ」と言われ、しかし真実「がったりしている」という述懐があった。感じが伝わるので、わたしもつい一度どこかで用いたはず。
誤植の指摘はありがたい、が、著者自身でもなかなかそれが見つけられない。校正は怖いしごとである。
* 『親指のマリア』が、まろやかにスムーズに読みすすめられることにホッとしている。この京都新聞朝刊小説は、わたしの作の中ではむしろマットウな書き
方に属しており、いわゆる著者・作者ないし準じた語り手が作中へ割り込んでいるいる形跡を持たない、つまり客観叙述に終始している。「小説」とはふつうこ
うであって、「或る折臂翁」「蝶の皿」「廬山」「閨秀」「墨牡丹」「マウドガリヤーヤナの旅」「華厳」なども私小説ふうの語り口からはっきり離れている。
紫式部集に取材した『加賀少納言』、俊成・西行・定家を通して勅撰和歌・晴れの和歌を説いた『月の定家』また上田秋成の晩年を怪談にした『於菊』などもそ
うで、ま、手堅い書き方に属している。
語り口に「趣向」をもちこんでいっそ方法的な実験をわたしはもともと好んでおり、「清経入水」「秘色」「みごもりの湖」「風の奏で」「雲居寺跡」「冬祭
り」その他多くは、たとえ人物や歴史や伝奇にふれても、手が込んでいる。「最上徳内」のような歴史の日本人を検証し顕彰て行く創作でも、わたし自身類を見
ない実験を叙述にも表現にも展開にも推し進めている。
白石と徳内とはわたくしの近世理解・近代観測の太い軸芯を成しているつもりだが、その書き方は、はっきり意図して、客観叙述と主観趣向とを際だたせてみ
たのだった。しかもともに主題の核心部には人間性への合理的な愛と人間・弱者差別への憎しみとが置いてある。書いた順序は先後したが、白石のシドッチ審問
こそは日本の近代への幕開きを告げており、徳内の蝦夷地での活躍や成果は近代へ向かう歴史のつよい推進力であった、二人とも、海の道を認識し世界の広さへ
揺るがぬ視線を向けていたのである。
☆ 秀樹です。
「湖の本124」が届きました。ありがとうございます。全冊揃ってから読み始めようと思います。
今は「客愁」第1部3冊と「罪はわが前に」「逆らひてこそ、父」を併読・再読しています。
「罪はわが前に」を読んで自分の誕生日が火曜日だったことを知りました。
「丹波」では私も幼少期に友達からは「デキ」「フデキ」更には「オデキ」などと呼ばれていたことが懐かしく思い出されました。 野川在
* 湯川秀樹博士の盛名を聴いて育ったわたしには、その名は「フデキ」どころでない憧れだった、作の「丹波」の結びでもそれを逆手にとって書いたんです。ご勘弁あれ。
* 「原稿・雲居寺跡」を、よほど読みすすめた。
途中、地震が来た。噴火あり、地震あり。悪政あり。
* 五月二十九日 金
* 起床8:00 血
圧139-67(52) 血糖値92 体重69.0kg
☆ 生きたかりしに ありがとうございます
湖の本、ありがとうございました。
いったん読み始めると寝られなくなりそうで・・この週末に一気にいこうと思っております。
ちょっとがまんできずにパラパラとめくってみましたが引き込まれそうになって慌てて閉じました。
感想や思いを文字にするのは苦手ですので、心の中で反芻することになりそうです。
杉本秀太郎さんが亡くなられました。
我が家とご縁のある方で (仲の良い従兄弟の奥さんのお父様です)数日前に具合が悪いと聞いてはいましたが とても残念です。法事などで幾度かお目にかかりました。穏やかな、そしてはとこたちにとってはとても優しいおじいさんでした。
杉本さんといえば、私にとってはやはり最初に読んだ「湖の本」のあとがきに名前を見つけたときです。なんだか秦さんと自分が縁があるように勝手に思ったことを思い出します。今年の伯牙山は寂しくなりますね。
寿命とは不思議なものだなと思います。
したいお仕事の山登り、どうぞお楽しみくださいませ。
でもご自愛を・・と口をついて出ますが。。
どちらも本当です。 京山科 長村美樹子
* 佳いメール、胸にひびくメールを、ありがとう。
* わたしの読者の第一号は、二人の読み手、杉本秀太郎と新潮社の宮脇氏だった、太宰賞の「清経入水」に同時に手紙が来た。杉本さんは「ジュ スィ キヨ
ツネ」と書いてくれていた。「秘色」を発表したときも展望に投書してくれていた。そのころは京都女子大のただの教授だった。「展望」で、対談したこともあ
る。本は送り続けていた。あんまりたくさん行くので、彼、惘れていたかもしれない。仕事で出かけて泊まっていた烏丸京都ホテルの地下の食堂でひとり食事し
ていたとき、杉本さんが友人らしき人と来て、少し離れた席で食事をはじめた。彼かなと想ったが確信なく、そのまま行き分かれたのが顔を見た最後だった。亡
くなったとは、年齢を数えればありえたこととはいえ、いつまででも生きている人のように想っていた。
* ベ平蓮事務局長の吉川勇一氏も同じ八十四歳で亡くなった。同じ西東京のすまいで、わたしの仕事をよくホームページで紹介して下さった。兄恒彦らの同志であった人、わたしはその周辺にいただけだが、志は近くに在った。
* 今井雅之もなくなった。彼の素晴らしい芝居「ウインドウズ オブ ゴッド」を一度だけ観たが、終生忘れまい感動作だった。他は知らないが、舞台を降板
報告の会見からあまりに早い死のおとずれに戦いた。ああいう芝居を一作遺しただけでも、たいしたものだ。そういう「一作」がまた実に得がたく難しいのだ。
五体が破裂しそうなほど強くまともに訴えねばおれない動機からあの芝居は生まれていた。それが分かった。敬服もし感服もした。小手先のつくりバナシでは無
かった。
* ふと手を掛けた資料棚で手に触れたペーパーが、川端康成の掌小説の一編「心中」だった。妻も居たので、声に出して読んでみた。
川端といえば掌の小説は有名な一つの畑で、「心中」は、なかでも「絶頂の秀作」だという評判もあるらしいが、正直、全然感心できなかった。なにより文章
がいけない、「だ」「のだ」と聞き苦しい押しつけが雑音のように繰り返されて効果なく、話そのものも、私の思いからはナニの発明も感興も刺激も呼び起こさ
ない、頭でっかちに下手な計算づくでムリにつくったモノだった。ウソならウソにもっと見事に感動的に徹すればいい。あまりに、半端で、結果、ウソクサイだ
け。こんなのが「絶頂」では他はどうなのと寒々しい。
☆ 薄曇り、外気温25度
メール嬉しく。
選集の第九巻を既に入稿されたとのこと、驚嘆します。快哉!!! 鴉の切ないまでの覚悟と情熱です。(悲壮、悲愴とは申しません。)
「
両の腕に抱っこする孫ちゃん等が日本にはいなくて不服で唸っているのではありませんか」との問いですが、さにあらず。
元気なつもりでも、やはり年齢は意識いたします。もう少し近くに住んで時折会えたらいいのですが、疲れますが面倒を見ることだって十分引き受けますが。
空港で別れる時は悲しかったですよ。
帰国して一週間、やや睡眠障害?でつらく、グズグズ暮らしています。日本に帰ってきても例年より早い夏のような天候で、たじろぎました。
昨日メールをいただいた頃、わたしは久しぶり、多分五、六年振りに映画館にいました。一人では、行っていないでしょう、娘に誘われて出かけました。
『セッション』というジャズのドラマーを目指す若者の映画。ジャズも、ドラムも凄いと再確認、これは極めて単純な感想です。
昨日のHPでは、お母様と恒彦さんが「同志」的に近づいて行けたと指摘されています。それと無縁だったからこそ鴉は後の人生で闘えたとも書かれています。そのようにわたしも納得できます。
安易に歴史的な背景を持ち出したくはありませんが、二十世紀を通して人々の運命を左右した大きな要素は何かと言えば、社会主義と資本主義、帝国主義の衝突だったと改めて思います。その延長の今世紀、現在をも揺り動かしています。
主観として、自分についてもさまざまな要素を(性的な要素なども無視しがたく)振り返りますが、世界の流れの中の一人としての姿をみています。それにしてもわたしは闘いが嫌いな人だから・・弱い人間だと思います。
話が逸れましたが、『生きたかりしに』については中、下の部分をまだ読んでいない段階でどこまで読み込めるか・・考えています。
暑さが早くから到来、夏が案じられます。お身体ひたすら甘やかし無理なさらぬよう。
気力充実、闘われますよう。 尾張の鳶
* 南海の島での噴火。住民が無事退避できますように。
* 昨日は国会委員会の討議をかなり聞いた。民主党も、維新の党の江田氏も共産党の志位和夫委員長も、しっかり追究し論旨も慥かだった。
共産党は、志位委員長が健在な間に、「政権」を窺う決意表明をした方がいい。政権をハナから諦めているような野党に意味は薄い。社民党には天才が現れない限りもう潰され切っている。
* 「選集I巻」の編成を決心した。また、心ゆくまで努める。
* もう月が変わる。六月十日に『生きたかりしに』中巻が出来てくる。二十二日には「選集」第七巻『罪はわが前に』等が出来てくる。二作の、わたしの実感で謂えば大きな出逢いである。わたしも齢を重ねた、生きてきたという感慨がある。
* 五島美術館より、著名なイセコレクションの中国陶磁の名品七十点に加えて、中国人士大夫らがこよなく愛した文房四寶と絵画とを観にこないかと、特別鑑
賞会に招待状が来た。東工大時代には近いので学生等ともよく通った五島美術館だが、いまの体力気力では上野毛はかなり遠方に感じる。しかし、そろそろ思い
切って躰を働かせても良いのでないかと、そぞろ心は動いている。実は有楽町の出光美術館の同様の中国陶磁名品展にもつよく誘惑されている。この方は近いの
だから、必ず行きたいと。
京都の何必館からは、ウィリー・ロニスの写真展へと招待が来ている。ウーン、行きたいが。チラシには「脱衣」という題の思い切った写真が。こういう場
合、被写体の裸形を美しいとみてほしいのか、我々素人には判じもつかぬ写真技術を看て取れというのか。ウーン。わからんけれど、京都へは行きたい。
☆ 湖へ
また御無沙汰してしまいました。「選集」に続き「湖の本」も送って頂きありがとうございます。
私は忙しい毎日ですが、元気にしています。奥様の心臓処置、無事に、ホッとしました。
実は…夏の金澤での茶会に御誘いしたいと… また御連絡させて頂きます。お元気で。 珠
* 「珠」さん、過分に「選集」へ助勢して頂いた。感謝。
* 金澤では井口哲郎さんはじめ逢いたい方がたくさんおられ、新幹線も通ったこと、行ってみたいはヤマヤマだが、お祭り騒ぎらしい新幹線もしんどいし、京
都よりも遠い。新幹線なら、熱海、水戸、せいぜい仙台、名古屋が限度と、それもまだ一度も試みていない。血圧も、血糖値も、検査値によくないところ無いと
聞いているが、かすかに貧血が自覚できる。疲れると、よろっとする。電車やバスの乗り降りに注意している。一つには眼鏡をいくら掛け替えても、裸眼でみる
に等しく、クリアな世界は朝に目覚めてのせいぜい三十分どまり。眼科で、例のカタカナや記号を読むときだけは視力1.2とか1.1とか、「視力よく回復し
ていますね」でさよならになる。「ま、やすみやすみお仕事して下さい」で、では三ヶ月後に「また、いらして下さい」と。困るんだなあ。ま、わたしの咎であ
るのだろう。上田老秋成も、右明を失し、次いで両眼盲い、辛うじて左明をかすかに回復したと謂う。やれやれ。
* 五月二十八日 木
* 起床8:30 血
圧116-60(64) 血糖値98 体重68.7kg
* 一度も目覚めず一夜眠った。
* 「選集」第八巻の再校が出そろった。
* 「選集」第九巻の原稿全部を入稿した。
☆ 拝復
「秦 恒平選集」第六巻 誠に有難うございました。
好きな「秋萩帖」も収められてありまして、楽しく拝読させていただいておりました。
この巻では笠原伸夫氏の評論も読むことができますのも魅力あるものです。こうした新しい作品の編み方がさまざまの全集や編集などでもと、おもったりしております。「私撰」の素晴らしさを感じております。
巻末の、「自分の余みたい世界を書いた」というお言葉に感銘を覚えております。「小説家が『小説』を創作し表現する」ことの意味を、大事なお言葉として心にとまりました。
一昨日、『湖の本』124巻目もいただきました。上、中、下三册の未発表作品というのも嬉しいことです。
ただ「疲労濃く」との文字が気にかかっております。これからも多くの新しい作品を拝読させていただきたいと願っておりますので、どうかくれぐれもぐお身体を御大切にと念じております。
重ねて申し上げますが、どうかどうかお身体を御大切にとお祈り申し上げます。
御礼と御礼遅延のお詫びまで。 敬具 馬渡憲三郎 藝術至上主義文藝学会会頭
* 万葉学者の中西進氏、「金八先生」の小山内美江子さん、 もと早稲田中学高校教頭・歌人の橋本喜典さん、神奈川県知事、親鸞仏教センターの本多弘之氏、二松学舎大からもご挨拶を貰っている。
☆ 前略御免下さいませ
お送り下さったご本 確かに拝受致しました。
残念ながら両親は共に唱和六三年に亡くなり過去の人となっております。 (娘の)瑞穂は海外在住につき、本日(五月二十七日)連絡がとれ開封させて頂い
た次第です。着状だけでもお出ししてほしいとの言付けでしたので 葉書で失礼とは存じましたが、お気持ちを汲みつつお礼申し上げます。
ご健勝をお祈り致します。 田中瑞穂 代 横浜市旭区
* 代筆の方がどなたか分からなくて残念だが、瑞穂さんは生母の次姉の孫に当たる人かと想っている。返事がもらえただけでホッとしている。佳い代筆だとこころよく思えた。
☆ 前略ご免下さい。
このたびは御著『親指のマリア』上、中、下、早速ご恵投頂き深く感謝いたしております。
シドッチと新井白石との関係についてはかねてより関心を抱いておりましたが、生来の怠け癖のために、いままで深く勉強しておりませんでした。御著を通
じ、江戸時代にあってとびきりの合理的精神の持ち主であった白石と、布教の情熱に燃えて来日し、獄舎につながれたシドッチとの対話について、じっくり考え
てみようと存じております。
私は、小学校一年から中学一年まで小石川に住んでおり、小日向台あたりまでよく遊びに行き、キリシタン屋敷の前を何度も通ったことがあります。すでに塀
はなく、庭がまる見えで、土か石でこしらえた動物(鳥やキリンだったと思います)が点在していたのを記憶しております。子供心に、この屋敷は何だったのだ
ろうかと疑問を何度も抱きましたが、深く知ることはありませんでした。御著を通じて子供のころに抱き、そのままになった疑問が氷解して行くのを楽しみにし
ております。
「生きたかりしに」「親指のマリア」をすべて拝読いたしましたら、御礼かたがた一度ご挨拶に伺いたく存じております。(中略)
目下、六月半ばに国際文化会館で開かれる小さな会で「漱石と近代」という話をするために、全集を読み直しております。昔、途中で投げ出して了った賦「文
学論」をいま読んでおりますが、漱石の桁違いの英語力と感覚の鋭さに改めて驚いております。論そのものにはいささか強引で無理なところがあるような気がし
ますが、自然科学的な方法で文学を論じようとした漱石の異様な情熱にひかれるところがあります。
最後になりましたが、秦様のご健康とご健筆、心からお祈り申し上げます。また「生きたかりしな」中、下巻の到着を心待ちにしております。 草々 持田鋼一郎 元筑摩書房編集者
☆ 拝啓
まだ5月だというのに気温30度とか、また噴火や地震も頻発、なんとなく生活に不安をおぼえる毎日です。お元気でお過ごしで
しょうか。
先日は、『湖の本』124巻お送り頂きましてありがとうございました。「生きたかりしに(上)」、たいへんに重い私小説のようで、しっかりと読ませていただきます。
また、先日申しておりました「秘色」論、予想以上に早く載せてくれましたので同封させていただきます。的はずれなことを書いているのではないか、と相変わらず心配しております。
どうか今後ともご教示のほどよろしくお願い申しあげます。
くれぐれもお身体大切に。平成27年5月24日 永栄啓伸 奈良五条市住
* 夕刻前、建日子が帰ってきて、晩飯を一緒にし、歓談。八時前に仕事場へ戻っていった。心ゆく、人の胸に深く宿って動力になるほどのいい仕事をもどうか、してくれるようにといつも願っている。
* キムタクと大の贔屓の上戸彩とが演じている「アイムホーム」を時折見ている。血縁家族のあいだの微妙な断絶を問題提起の断続の中にあらわしていて、わ
たしのように複雑に過ぎた幼少期をへて大人になってきたモノには、ややゆるくは有るけれど大方の人には見過ごされている微妙な危機的罅割れを上手くドラマ
へ持ち出している。
生みの母のことをひとまずは形にした。実の父のことには、手は掛けかけてはいるが、どうなるとも分からない。母の場合は大げさには名誉回復してあげたい
気持ちが働いた。それだけ、わたしの内側に愛情ではない敬意が生まれていた。少なくもわたしが懸命に整理し得た母の短歌には、真摯なつよいリズムが息づい
ていて、強く肯くことにためらいがない。生きる短歌、うったえる「うた」としての短歌を母は死ぬる日まで胸の奥から噴き上げていた。けっして泣き言の歌な
んかではなかった。
父の遺している文章や記録は大量にのぼるけれど、終始謂えることは、歎きと逃避と敗北のグチに近い。だれもが穏和で頭のいい坊っちゃんだったと教えてくれるが、敬意はくみ取れなくて、触れて行くのはかえって気の毒という気がしてしまう。
* 今度の上巻では、兄恒彦と息子の建日子を、それぞれに等身大に紹介できていたのではないか。母と兄とは「同志」的に近づいて行けた。わたしは、母を嫌
い抜いた、たぶん血の疼きから。わたしは共産党じみはしなかったし火炎瓶とも無縁の少年。青年時代を過ごした。短歌と読書と茶の湯と少年らしい恋と。だか
ら、その後の人生でわたしは闘えた。今でも秦さんは烈しく闘っていると見ている人が少なくない。ナニ、したいことをしたいようにしていて、それが出来るよ
うに努めているだけの話。この後のわたしに立ちふさがって来かねない問題は、一つだと思っている、即ち、死、自死。生母はおそらく自死したろう、それは兄
恒彦の確信に近い推測でもあった。実の父も、と想われる。そして兄恒彦も自死した。あとを追わねばならぬ理由は何一つ無い。しかし先のことは分からない。
* ま、仕残しているしたい仕事の山登りをせっせと楽しもうと思う。みなさん、くれぐれも自愛せよと誡めて下さる。有り難い、が、したいことが有る、有るという生きる幸せを、大事にし満喫して生涯を終えたい。仕事に終わりはない。
* 五月二十七日 水
* 起床6:30 血
圧128-72(60) 血糖値88 体重68.5kg
* 昨日『修羅』の十二篇を読みおえて、「鷺」へ。これがもうわたし以外の誰が書こうか、愉しむだろうかという濃艶な幻想境で、鏡花にもこの小説が抱き込
んだ背景はとても手に入っていない。ぞおっとする凄みに美しいフラグメントがきらきらしていて、堪能した。まこと自分で書いて自分で愉しんだ物書きでは
あったと思わざるを得ない。誰にでも書けるようなものを書いていて何が楽しかろう。
今朝は「孫次郎」を読み始め、次いでは「於菊」へ。身辺雑記風の私小説が純文学めいて流行っていた頃、わたしはそんなサラリーマン小説など書きたくなかった。「蝶の皿」であり「清経入水」であり「秘色」だった。
* 各務原の山中さんより、「三千盛」の特と超特の二升頂戴。じつは日本酒が、ずうっと切れていて。まことに嬉しく、感謝し、ちくと二、三杯きこし召してから、診察を受けに築地の聖路加へ。
* 正午予約で、診察室から声のかかったのが午后二時。めずらしく校正ゲラが無く、「生きたかりしに」上巻を読み返してきた。生母の短歌を多く点綴して、
わたしの歌もところどころに置いたのが、唱和ではないけれど呼び合っていて、ときどき胸を熱くした。また後半の七十頁に及ぶ大和路、近江路の旅を建日子と
倶にしていたのも、子と父とのかけがえない懐かしい記録になっていて、この小説がただもう一途の探索で終わっていない余裕も見せていると、喜ばしい気がし
た。
幸い、検査データ、肝臓ほか全てに問題なく。次の診察は九月。
何一つ道草食わず、帰宅。暑さに草臥れるが、少し元気にもなっているか、と。
とはいえ、頸のまうしろから肩が重く痛む。やはり疲労と思う。すこし休む。
* たっぷり三時間半も寝潰れていた。二階で妻のピアノが鳴っていた。ひとりで混ぜ鮓を少し食べた。
* 井口哲郎さん、「待望の書。選集の方はひとまずおいておいて こちらを先に拝読します。お大切にと、心から」とご挨拶に加えて、お心入れ、万能薬効の蜂蜜大瓶を二つも頂戴した。ありがとう存じます。
* 神戸の木山蕃さんから、みごとな玉を用いた「風」の刻印を頂戴していた。ありがとうございます。
☆ 拝復
選集の「祇園の子=菊子」「糸瓜と木魚」を読み終えたところへ、「湖の本124」をお送りいただきました。
上田秋成は、興味は持ちながら、結局は研究せずにこの年齢になってしまいました。ただ、このところもっぱらかかわっている西山宗因の俳諧を最初に編纂したのが秋成で、二人の詩性あふれるその琴線に触れ合うものがあったのだと思っています。
二度の手術も成功し、今は七割方もとの生活にもどっています。発病以前から引き受けていた「永井陽子という歌人」の講演と展示にに郡上大和に行って来ま
した。思えば秦さんとおつきあいすることになったのも、(まだ直接おあいしていないのですが)、私の家集の贈呈先について彼女が推薦してくれたのが、きっ
かけでした。 島津忠夫 国文学者
*
* 故福田歓一氏(元東大法学部長)の奥さんから、「生きたかりしに」にご挨拶があった。一茶研究者で僧侶でもあられる上越の黄色瑞華さんからも、府中市の作家杉本利男さんからもお手紙が来ている。多摩美大、広島経大からも。
元岩波書店の高本
邦彦さんからは「緊迫感のある私小説」と、妻の従姉弟の濱敏夫さんからは「益々の文筆のさかんなことに感銘を受けました」と、源吉兆庵の「桃泉果」を頂
戴。有難う存じます。妻の妹からは、「今度のはすごそうですね」と。著者のいまの感じで言えば、読後は、つよいシャワーを浴びてのかなりの爽快感がのこる
かと。桐生の住吉さん「久しぶりの書き下ろし作品 わくわくしております」と。「お元気で、ご無理なさらないように、願っています」と大阪枚方市の中村冨
美子さん。「ご自愛の程、お願い致します、切に。この後の問題作も期待しています。」と藤沢市の永田さん。
* 湖の本へ、どっと。
☆ 先日は、
わがまま申しました。本当にありがとうございました。今回のお作も愉しみに(といっても、つらい中味かと思いながら)お待ちしていました。じっくり読みます。御大切に、どうぞよい日々でありますように。 碧 下関市
☆ 読みたかったです。
どうか御大切にされてください。私もいちばんらくなように がんばっています。敬白 e−OLD 千葉若葉区
* 短編小説こそ、おもしろくなくてはお話しにならない。と、思います。
* 五月二十六日 火
* 起床6:45 血
圧136-69(57) 血糖値87 体重68.3kg
☆ 思い返しますと、
学徒動員の日から今日まで、ご本にあります「生きたかりしに」一念で月日を重ねてきたようです。開きました一節に、「十字架に流したまいし血しぶきの一
滴を浴びて生きたかりしに」とありますが、道は異なりますが、八月九日に被爆死したクラスメートたちの命の一滴を身に浴びて私も生きて参りました。
ご健康をお祈り申します。 林京子 作家
☆ 昨日
並々ならぬ決意をもって始め、中断し、ようやく筆を収めた『生きたすりしに』の上巻をいただきました。いつも一方的に御恵贈にあずかり、忝のう存じます。
意欲作ゆえ、敬意をもって、昨日、学会発表の準備を差しおいて、一気に読ませていただきました。
引き込む力、いや書き手の気迫に満ちております。叙述対象にべったり取り込まれる通常の「私小説」とは全く違うという印象です。
時系列を乱す手法、すぐれた先人の情念との重ね合い、フラッシュバックの手法、叙述対象との教官と距離設定。才能の継受の宿命へのほのかなおののきと、抑圧しない誇り。
非凡な手法の小説であると、今回の書き物を拝読いたしました。
十数年来の食いしん坊日記は、うらやましくも ほほえましくも読みました。私は美食を知らぬ一学究として人生を閉じるでしょう。 感謝。 平安 並木浩一 東京国際基督教大学名誉教授
☆ 前略
『生きたかりしに』(上) 大変興味深く、一気に読んでしまいました。ずっと避け通してきた母に対し、ついに時満ちて、その人生をたどり直していく迫力
と、冷静な距離感のある筆とがあいまってひきこまれました。黒川創さんとは面識があり、(先日も紀伊国屋サザンシアターの隣の席で民芸の芝居を見ました)
恒彦さんと鶴見俊輔さんのつきあいも知っているので、私には身近に感じられます。今度の小説は続きが楽しみです。
世の中は安倍の戦争法案で、本当にあぶない方向へと一気に加速しており、「赤旗」と共産党こそがんばらねばと、仕事をしているところです。同人誌では加藤周一論を書きつごうと遅々とした歩みながら、著作集を読み込んだりしています。
あたたかく(暑く)なってきました。ご自愛ください。草々 北村隆志 新聞記者
☆ 立派なご本を
お贈りくださりありがとうございました。
頂いてから随分時間も過ぎましたのに、ページを開いてやっと『祇園の子』を読みました。最初のうちはともかく、後半から最後へ、頭を殴られるような衝撃
のまま読み終えました。感動などという言葉では嘘になる、棒で殴られたようなということだけ、あとは何も言えないままです。遠く懐かしい回想だけを心のど
こかに置いていたのでしょう。
『たけくらべ』もこうなるのだろうか……。
同学年の女子の暗い顔を思い出していました。学童疎開で信州に居りました。敗戦の日も近いある日、その子は先生の部屋に呼ばれていき、しばらくして、突
然、号泣といってよい泣声が聞こえ、私たちは息をひそめてその声を聞いていました。やがて、その子の両親が下町の空襲で亡くなったことを知りました。
それからお祖母さんに引き取られていくまで、その子は何もしゃべらない笑うことのない子になりました。お別れで見送ったその日も何も語らず、かたくなにすべてを拒んでいるように。
戦争が終わつて一度だけ私たちはすれ違いました。私は中学生に、彼女は女学生になっていましたが、瞬間暗い目を交わしたまま視線をそらして過ぎていきました。
脈絡なく、いきなり浮かんできたことです。
今頃おかしな話ですが、後のお作は眼の具合の良いとき読ませていただきます。
遠くを夢見るような気持ちでお作を手にしています。
いつも秒を惜しむようなお仕事ぶりにはらはらしています。
どうぞお大切に。私もしやつきりしなければと思います
五月二十一日 宮下 襄 島崎藤村研究家
今日、『生きたかりしに』頂きました。
いつもいつも、傍らをあっというまに駆け抜けていかれるような。 五月二十三日
* 藤村学会会報に随筆・資料として、「『まからぬや』と『まからずや』」という面白い報告をされている。
☆ 拝復
『秦 恒平選集 第六巻』を頂戴し 誠に有難うございました。巻頭の短編小説「祇園の子=菊子」から拝読。甲部・乙部(この呼び方もされなくなりました)の差異が子供の関係にも反映された作品に、複雑な気持で惹かれました。
早く、笠原伸夫氏が、谷崎より鏡花とのつながりを指摘されていたのですね。
「誰も読ませて呉れなかったから、自分の読みたい世界を書いたのである」
読者にとって、嬉しい言葉です。 草々 田中励儀 同志社大学教授 泉鏡花研究家
☆ 雑用に追われたまま もうすぐ定年を迎える身には、充実したお仕事ぶり、羨ましい限りです。 新保邦寛 青山学院大教授
☆ 御高著 湖の本124
『生きたかりしに』(上)巻 拝受致しました。ありがとうございます。
つい先日『秦 恒平選集』第六巻をいただいたばかりでしたので、その精力的なお仕事に圧倒されます。
現在選集の「秋萩帖」を読み始めたところです。身がひきしまる読書体験です。 藤原龍一郎 歌人
☆ 前略 ご免下さい。
ご恵投に与りました「生きたかりしに( 上)」 本日拝読し終えました。
秦様のアイデンティティを探す旅、興味深く存じましたが、まだ様々な伏線をはりめぐらせているという段階で、重要な事実は中、下によって明らかにされるのだろうと憶測しております。
私の父も 大倉喜七郎と芳町の芸者との間に生まれた子で 生後まもなく喜八郎夫人*子の実家**に養子に出されているだけに、今回の御作、まことに身近に感じております。 草々 恋ヶ窪 歌人
* 中巻へ、下巻へ転じていってたしかに驚かれるだろうと想いはする、が、言われている「伏線」とか手持ちのタネを「明かす」というようなことは、この私
小説に関しては百パーセント無い。著者である私自身が何の推測も見当も持ち得ずに、ただもう一歩一歩脱線も覚悟で前へ歩いて歩いて見つけたり知ったり聞い
たりしたことが、その時々に書き込まれている。時系列を正すことも、仕掛けをすることも、したくても殆ど不可能だった、何一つ出来なかった、であればこ
そ、私自身の「実感」として「事実は小説より奇」という気配のこの世にあり得ることにただ圧倒されたのだった。ただ、圧倒されっぱなしでなく、かなり冷静
に普通の叙述を守った守ろうとしたのである。
* 写真家の島尾伸三氏 詩人の山中以都子さん、エッセイストの榊弘子さん、國學院大、大正大からも挨拶があった。
☆ 秦さま
お疲れは取れましたでしょうか
今回は、中身も量も重くてお疲れになられたのですね。
今はもうお元気に、美味しいものを求めてお出かけでしょうか?
田舎では、植物はすくすく育って、素晴らしい季節になりました。
お疲れが一日も早くとれますようにといのります。 畝 那珂
* 祇園の「辻」さんから、素晴らしい和菓子、京に咲く梅「おうすの里」を送って戴いた。「恋しくば尋ね来てみよかつらきや名柄の里のうらみ葛の葉」とい
うたぶん即興の歌でわたしを名柄の里へ導いて下さった京大N名誉教授とはこの「辻」の止まり木にならんで盃を含んでいた。わたしの純然京ことばで書いた
「余霞楼」という小説の題も、N先生の連載されていたエッセイの題からもじって頂戴したのだ。なつかしい、とても。
* 祇園北側の路地なかあちこちの店では、京都へ帰るつど、何人もの、当時既に高名を遂げられていた「先生」がたと止まり木に並んで酒を飲んだ、うまいも
のを食った。わたしは、これで生来人なつっこいタチで、特別ものおじもしないから、どんなえらい先生とでもすぐ話し合うようになった。わたしのしてきた、
している仕事も多少は役に立ってくれた、こと歴史や文学や藝能や古美術に関してならわたしは聞きたい教わりたい質問がいっぱいいつも有ったし、おかしな文
士だと笑っても貰えた。いまでも妻が言う、わたしも身に沁みておもうけれども、「いつでも、お年寄りに好かれる」のである。「売れないワケよ」とまでは言
われないが、ま、そんなところだ。作家生活の大半をわたしは、太宰賞への招待を筆頭に、大先輩、先輩の作家や批評家や先生方に手をひいて表へ表へ引っ張り
出してもらえた。わたしも、恥ずかしからぬ答案を提出する姿勢と気持ちとで手を抜いた仕事はしないで来れた。先生方に恥ずかしい仕事は見せられなかった。
* 明日はまた、正午予約で、聖路加へ。腫瘍内科。顔を見せに行く。それでもよほど外来で待つだろう。
世の中、暑そう。不快な熱中症に気をつけねば。
* 五月二十五日 月
* 起床8:45 血
圧138-68(64) 血糖値84 体重68.3kg
☆ 長らく音沙汰なしで申し訳ありません。
<「湖の本」124―生きたかりしに(上)>落掌。ありがとうございます。
選集や「湖の本」を頂戴しながら、御礼のメールすらも途絶え誠に失礼しております。深い意味はありません。拝受のご連絡をしよう
と、思うのですが、作品や、その度のご業績に圧倒されて、自分のようなものが気軽にメールなどを差し上げていることに臆するうち、こんなことになっている
次第です。
(秦と同じ=)大学を出て就職をして、今年4月で丸30年。無駄に重ねた馬齢とはいえ、“いい年”をしたオッサンなのですから、臆すること自体が、
無礼なことだともアタマでは承知していながら、50を越えた男が、二十歳前後の学生が本当の自意識もないのに、自意識過剰になっているような滑稽の極みなのでした。
本日(25日)は朝おきてすぐに、昨日、ポストに届いた「湖の本」を冒頭から拝読しはじめ、ふだん通勤の途中にある場所が出てくるのに興味をそそられ次々にページをめくりました。
途中、「私語の刻」を読ませていただいた次第でして、そこで、「あっ」と本当に声をだしたかもしれないような「言葉」に出会い。
その勢いで、メールを思い立ち、出勤前にPCに向かっております。
その「言葉」とは…。
“どれも、だれも、書いて読ませては呉れなかった、だから自分の読みたい世界を書いたのである。小説家が「小説」を創作し「文学」を表現するとは、本質的にそういうものだと私は心得ている”
という167ページ後ろから4、5行目の一節。
一瞬「自給自足」という文字がアタマをよぎったのですが、全然ちがうことはないとはいえ、少々、僕のピントがずれていますね。
自給自足なら、つくって食べて血肉となり、その他は排泄されるという循環ですが、小説というのは、いくら飲んでも、汲んでも、涸れない井戸のようなものなのだと、あらためて認識した次第です。
もちろん、
消費され、
一時的な満足があり、
毒にも薬にもならず、
排泄されても肥やしにもならない読み物もあることは、
抽象的な例えではなく、実際にあることは想像に難くありませんが、それは小説家が表現した「文学」とはいえないのだなぁ、…と、今更ながらに諒解したような面目ないことです。
添えていただいた“栞”に、
「湖の本」は通算百二十六巻をめざしておられるとあり、「生きたかりしに」が上中下で構成されるということは、この作品が創刊から29年の「湖」の掉尾を飾ることになるのか…と思いつつ、小説家の作品世界全体には、はじめもおわりもないことにも、考えをめぐらせました。
「飲むも食うも勝手次第です」とのことで、何よりです。
まずは取り急ぎ、
またメールをいたします。 秀 関西産経編集長
* 湖の本 まだ終刊は考えていません。小説の新作もじりじり進んでいます。さらに新たに書いておきたいと思うこと、次々に脳裡に浮かんできています。健
康でさえ(わたしも妻も)あれば…と本気で思うのです。全掌篇集の『無明』や趣向の短篇集『修羅』を読み返していても、こういう「泥」の吐き方でなら、幾
らでも世界は創れるのになあと、欲しいンは時間やなあと呟いています。
* 危うく歯科約束の時間に遅れかけた。まだ当分歯医者通いから解放されない、終わるかなあと思っていると、歯が欠けたり抜けたりする。あらゆる医療機関のなかで、通っている歯科との縁がダントツに永く久しく、数十年。
* 帰路、中世フランスのコント集『結婚十五の歓び』 ポール・ヴアレリーの『ムッシュー・テスト』 そして或る日本史の論著を、みな岩波文庫で買ってきた。車中では『後拾遺和歌集』の何度目かの撰を愉しんだ。校正するゲラがめずらしく手元になかったから。
* 郵便がたくさん来ていた。
* 国際基督教大学の並木名誉教授 文藝春秋の寺田前専務 逗子のの作家林京子さん、アカハタの北村隆志さん 金沢市の作家金田小夜子さん 各務原市の読
者石井真知子さん 長岡市の詩人植木信子さん 川崎市の墨画家島田正治さん、国分寺の佳人持田鋼一郎さん、静岡大小和田教授 京下鴨の澤田文子さん また
日本女子大 名櫻大学、立命館大学ノートルダム清心女子大学 東海学園大学等々のお便りを戴いているが、疲れていて今此処に記録は出来ない。
金田さん御喜捨いただいた。石井さん、じつに濃やかに美味い鶏卵を沢山頂戴した。湖の本も創刊このかた三册ずつ買い上げて下さっていて、感謝しきれない。
生母の親族へも古い記録で分かる限り戻り覚悟で「生きたかりしに」たくさん送ったが、予想通り、すでに逝去、また消息不明でバラバラと戻ってきているのは母のためにも残念、ただ一通、千葉県市川市から便りがあった。
☆ 秦 恒平 様
お便りと御著書 有難く拝受致しました。
恒平様は私の母 **(昭和62年80歳で他界)のいとこにあたられますので、私より一つ上のジェネレーションの方、叔父上様です。 ただ、実際の年齢では私が昭和3年9月生まれ(=わたくし秦は、昭和十年十二月生まれ)なので、私の方が少し年上です。
子供のころ、能登川(=生母の両親等の実家)へ行きましたが、おじいちやん(**)おばあちやん(**)がとても優しく、可愛がって下さったのをよく覚えています。 川でアユ釣りをしました(釣れませんでしたが)、三井寺などへも連れて行って貰いました。
恒平様はパソコンに詳しく出てきますが、私のは全く出ていませんので一寸自己締介致します。
北大農学部(旧制)卒、日本水産勤務、ペルー、シンガポール勤務各3年余、ジェトロ手伝い、昭和58年太平洋水産、現在も代表取締役会長として土i日曜日を除き毎日会社です。冷凍食品を製造していますが、本人は全くの「名ばかり技術者」です。
文学とか藝術については残念ながら文字通りの無学無知無能です。
三重県の関の家(**嫁ぎ先)は「亀山市有形文化財Jとして7年j5市に寄贈致しました。 現在「旧**家住宅」として保存されています。
取り急ぎ御礼かたがたご報告まで。 草々 平成27年5月22日 市川市 稲
* 作中でもわたしはこのぐんと年輩の「甥」の家を訪ねて、母上に当たる従姉弟からハナシを聞いているはずである。なにしろ、母の生家はわたしなどの想像
を越えた大家で縁者のひろがりもひろく、わたしは目を回しそうであった。上田秋成ともいい勝負であって、何も知らなかった当初の想いは巻を追うに従い展開
していった。父方も輪を掛けて白けてしまいそうに大きく、参ってしまった。
それでいて、甥にしてこの年齢だもの、従兄、従姉も、ましてその親の伯父伯母級の人達は、生きていてと願う方がテンでむり。やはり三十年前にこそ本にしておけば良かったのだ。がっかり。
* 湖の本ではいきなり一冊にまとめるのはムリだったが、できるだけ早めに次を用意したい、間が抜けないように。三冊同時に送って欲しかったというメールも来ていて。
☆ お元気ですか、みづうみ。
長い間ずっと待ち続けていた『生きたかりしに』を頂戴いたしました。ついに読める日がきたことに興奮しています。ありがとうございます。今朝 振込すませてきました。
パソコンに危険信号がでているようで心配です。私のような機械オンチが申し上げることではありませんけれど、外付けのバックアップを使っていらっしゃる場
合、その外付けのものもある日突然壊れることがあります。機械は必ず壊れるものです。バックアップも是非二重三重になさり、リスク分散をお願い申し上げま
す。みづうみの膨大なコンテンツが消えたら、読者も泣きます。メーカーはいつ壊れるか予告を出してくれるパソコンや家電を発明してくれないものでしょう
か。
今日の午後の地震如何でしたか。こちらのほうは震度3でしたが、体感的には震度4くらいに感じました。揺れるたびに、薄氷の上の日本列島に住んでいることを思います。
どうぞお疲れのでませんように。 竹 今年竹同じ高さに二本かな 素十
☆ 「選集」の第六巻
ありがとうございました。又又 私のお宝が増えました。
少しばかりですが別便で卵を送らせて頂きました。
気の利いたお礼は出来ませんが せめて卵かけごはんでもどうぞ。 真知 各務原市
* 黒いマゴへの輸液、もう一年半になろうか、毎日欠かさぬようにしている。さぞ針刺しが痛かろうが、わたしが目を見合わせて抱き、妻が注射している。ほぼ十五分前後かかる。
* 五月二十四日 日
* 起床7:00 血
圧136-73(61) 血糖値84 体重68.1kg
* 趣向の短編集『修羅』の十二篇を読み始めた。何が出るやらホイと美術品を見せられた印象と刺激を能楽の題にからめて現代ものの短篇小説をという依頼
だった、身を乗り出して、楽しんで書いた。書きながら泥も吐いていた。いま、読み直していて、ほかの人は知らない、わたしはホクホクと面白く懐かしく、は
やく選集Hのゲラで校正したいなとそぞろ気が急いてすらいる。
妻はいつも言う、あなたって幸せな人ねと。わたしは一つの覚悟としても、まだまだ、まだまだ足りない、努力も勉強も技も足りないなんて気張ったことは言
わない。思わない。ウソクサイ。出来たモノは出来たモノなりに精一杯に身贔屓もし喜んでもやり愉しませてもらう。そもそも書き殴ってやっ付けた仕事など一
つとしてしていないと思っている、それこそがわたしの義務・責任・働きだと思っているからだ。
* 各務原の石井真知子さん、岐阜特産の鶏卵三ケースに特製の出汁二瓶を添えて下さった。感謝。
* 奥田杏牛さんから、「素(そ)の俳句 瀧井孝作先生名句鑑賞」「生(き)の俳句 句集釈迦東漸自注」という小冊子二冊を一つ函にいれたのを送ってこら
れた。瀧井先生の随筆「素のまま生のまま」から分けて題されたもの、瀧井先生の「名句」はさすが際だって「素のまま」胸に届く。「俳句ハ物体ヲ示ス」と。
懐かしさに胸が熱くなる。巻頭巻末から引いてみる。
やはらかい春の夕日の伊目の山
夏姿真向(まむき)に甍急なりけり
短夜の鐘のねいろに目覚めけり
浮寝鳥別別になるうねりかな
春淋し居るべき人がもう居ない
硝子戸の中の句会や漱石忌
もう一冊奥田さんの集も、同様に。
霧の灞橋車のわれは渡りゆく
李白哭詩晁衡碑惨菊花かな
雙塔や華厳寺草の枯るる丘
少陵原苅田の道を興教寺
鵲の遊ぶ華厳の寺の庭
がまずみの実や純白の佛坐す
相変わらず漢字過多で句境まっつ黒く重たい。俳諧の軽みおかしみの妙味にあまりに乏しい。文字を弄くり用いて胸を張っているとみえる。すくなくもわたしの愛する俳句の妙は、こうではない。残念。とても「生(き)」のままとは見えない、漢字に靠れて造り立ててある。
もう一度瀧井先生の方を観て行くと、
鮎の川西日になり手賑へる
白牡丹花びらのかげほの紅み
しぐれ行く山が墓石のすぐうしろ
かなかなや川原にひとり釣りのこる
落葉焚く煙の中のきのふけふ
これが俳句だ。
漢字一字の字義に頼んで、五七五になんでもかでもやたら押し籠もうというのは無粋な邪道であり、当節の俳人たちのやたら落ち込んでいる見当違い、「俳」知らずの堕落である。
「鷹」巻頭、小川軽舟の「利休忌や刃短き花鋏」も、短剣に自ら伏した利休ではあれ、「刃短き」が俳句の妙にとどかず武骨に寸足らずで、「花鋏」への詩的な繋ぎに欠ける。
俳句は難しい。さればこそ佳句名句に出逢う嬉しさ、曰く言いがたい。上の瀧井先生の句、みごとではないか。
* 「修羅」十二篇の五篇を読んだ。濃厚な短編小説だ。うまくすれば、明日にも十二篇を通り過ぎるかも。
* 新大関照の富士が誕生、決勝戦をまたず、大きな横綱白鵬に逆転優勝を遂げたのだから偉い。今場所の白鵬には昨日から諦めをつけていた。大物の伸び上がってくるときとはこういうものだ。
☆ 帰国
お元気ですか? HPの記載から、鴉が精力的にお仕事を進められて、今は『修羅』を読んでいらっしゃる様子。
留守中に「選集E」が届いていました。さらに今朝、湖の本が届きました。
わたしは帰国して、さすがに疲れが溜まっていたのでしょう、ぼんやり過ごしていました。
が、今日は『生きたかりしに』に沈潜していました。秋成に関するあたりはまだ未消化ですが、読み進めるうちにグングン惹きつけられていきました。
中、下と近いうちに読めるとか。人の生きた証を、鴉は勿論の事、お母様、恒彦さんの生涯をこのような形で書き残されたこと。重く響くものが迫ってきます。
石馬寺、能登川、繖山、近江の村々、それぞれにわたし自身も歩いた日を思い起こします。
今日は時間がありませんので長いメールが書けませんが、とりあえず帰国のお知らせまで。
くれぐれもお身体大切に、そして存分に日々を過ごされますように。 尾張の鳶
* 帰ってきましたか。よしよし、無事でなにより。『生きたかりしに』がどう読まれるか、鳶の場合をとても気に掛けています。
* 『修羅』一日かけて半分六篇を読んだ。「神歌」「三輪」「八島」「小督」「海人」そしていま読み終えた「山姥」が凄かった。いやいや、みな、わたしの滅多に使わない批評語の「凄い」「怕い」淵の深みを美しく書いている。「選集」第九巻 楽しみになってきた。
* 五月二十三日 土
* 起床7:00 血
圧142-68(56) 血糖値90 体重68.5kg
* 機械の調子、非常に宜しからず。危機せまるの予感しきり。
☆ 初夏を飛ばして、
真夏になったかのような陽気ですが
先生、体調はいかがでしょうか。
「生きたかりしに」拝受いたしました。
インタビューさせていただいたときに、少し話してくださったお母様のことをお書きになっておられるとのこと、心して読ませていただきます。ありがとうございます。
そして、なにより嬉しいのが「京都で逢いましょう」とお書き添えいただいたことです。
これから暑くはなりますが 京都国立博物館の常設展の建物も快適になりました。ゆっくりご覧いただけるかと思います。
ぜひ、京都にお越しの際は、お声かけいただければ幸いです。
私は、これから 何必館と、細見美術館、鉄斎堂ギャラリーへ行って参ります。
先生のお話を思い浮かべながら、新門前あたりを歩いてきます。
では、季節の変わり目、どうぞご自愛いただきますようにお願い申し上げます。 香 京都府庁
* 眼の見えないこと、京は甚だしい。機械で原稿を読むのにとても苦労。
幸い校正も途切れていて。すこしゆっくり街あるきしてこようか。
* 「月の定家」(しゆんぜい さいぎやう さだいへ)を読み終えた。わたしの和歌観である。わたし自身に気概の在った頃の作だと思われた。
ついで短編集の「修羅」を読み直す、初めて読むほどの感慨がある。
* 白鵬が負けて三敗。やんぬるかな。やれやれ、落胆。
* ご近所から、脂の乗った美味しいいさきを戴いて、妻が、なかなか上手くおろしてくれたのが上乗、お酒がうまく飲めた。昼には饂飩で腹が張って苦しかっ
たが。酒、そして美味い肴が、いま一番口に合う。空腹のままに好い栄養の入る工夫が大事らしい。腹の靠れる食事は苦痛のもと、禁物。むかしはよかった、何
を食っても美味かった。
☆ 『湖の本124』拝受
生涯をかけられたともいえる御作を読む幸運を頒ちあたえて下さってありがとうございます。当時の担当者はおそらく**でしょうか、いまは読書もかなわぬ体調ですが、きっと完成を喜ぶことでしょう。かわりに拝読するつもりです。
その前菜に腹の座った食いしん坊ぶりをまずは楽しみました。これぞ<快>を知るひと! <飲むも食うも勝手次第>とはいえ、どうぞどうぞお身体お大切になさって下さい。 敬 講談社元出版部長
☆ このたびは「湖の本」124
ご恵投下さりまことにありがとう存じました。『生きたかりしに』は秦文学のモチーフ「生まれる」に対応するものかと想像しています。
選集本「強っての希望」あらば申出よとありました。 厚顔を承知で手もとにない第二巻と第五巻を「希望」いたします。もとよりご笑殺も可です。 御礼までです。 東郷克美 早大名誉教授
☆ 大患を
幾つもしのぎながらの文学活動 まことに見事で 貧脳をかかえて終末をまつばかりの身にとって大いなるはげましとなっております。
奥さま共々 くれぐれも御身ご大切にご活躍のこと深く祈り上げます。 冽 俳人
☆ 若葉が
風にかがやくよき季節となりました。
選集第六巻 拝掌しながら 雑誌(歌誌)に追われており失礼をしておりました。
体調のこと お案じ申し上げております。 松坂弘 歌人
* 過分のご喜捨にあずかった。毎々、ありがとうございます。
☆ 「湖の本124」
早速拝読いたしております。一章の「名柄の里」を読み了ったところで思い立ち、この寸書を記しております。
秋成の実母と秦様の実母とを重ねての書き出し、まことに興味深く、これから以後が愉しみです。
また「私語の刻」の美食談議 私には羨しい限りです。カルバドス、秦様は「モンテクリスト伯」でその名を記憶されたとのことですが、私はレマルクの「凱
旋門」でその名を知り 四半世紀前に 初めてパリを訪れ サンジェルマンデプレの小さなビストロで口にしました。カルヴァドスはワイン同様、ピンからキリ
まで味の優劣が極端に激しい酒とのことですが、私の飲んだのは中の上程度のものだったようで、さほどうまいとは思いませんでした。
最後にお願いで恐縮ですが、もし可能であれば「湖の本37 38 39 親指のマリア=シドッチ神父と新井白石』いただけませんでしょうか、もちろん代金はお支払い致します。
今後のますますのご健筆、心よりお祈り申し上げます。草々 鋼 歌人・翻訳家
* 回復された瀬戸内寂聴さん、「新潮」元編集長坂本忠雄さん 山梨県立文学館、中京大、法政大、大阪藝大、岐阜聖徳学園大からも、「湖の本124」受領
の挨拶を戴いている。上中下巻三册が出来るまでは、感想も出にくかろうと思っている。私も一読者の気持ちで気を入れて読み直している。
☆ 空腹の方がよいと
おっしゃっていますが、やはりもう少し栄養をお取りになれれるといいですね。
体はほっそり、心はふっくらを心がけたいと思っています。
ご本(湖の本)は、残念ながらまだ届いていません。 黍
* ぐるうーっと遠回りして、漱石や芥川のことから、「これは平の宗盛なり」なんぞと名乗って出る能の「熊谷」の道行きについてまわりながら清
水坂の物語へ誘い込む算段、わたし自身がおもしろがってどんどん運ぶにもなかなかシンドイ成り行きの不思議さ怪しさで。読み返しながら、この新作のロマ
ン、どこへ漂流して帰港できるのだろうかと、不思議がっている。
また「八重垣つくる」「衛士の焚く火の」「おののしのはら」「わが身よにふる」などと続いて行く苛烈な「ワイセツ」の物語も、どう鉾をおさめるのか、そ
もそ発表できるのか、死ぬる日までわれ一人で読み書きを愉しんで、あとは野となれと放り投げてオサラバするか。今日は、そんなことを考えていた。明日も明
後日も考えます。
* 今朝は七時前に起きた。世間様とは比べようもないが、早起きすると午前の仕事がはかどって有り難いが。機械の仕事は目にこたえる。それでも「選集H」
の機械での原稿読みは欠かせない。明日からまだ十五篇もをとにかくも読んで調えて、入稿へ。さながらに人生を生き直している心地。
* 五月二十二日 金
* 起床9:00 血
圧122-63(58) 血糖値92 体重68.2kg
* 朝一番に、銀行から、選集Eと湖の本124との支払い送金を終えてきた。二つが一気に来て金額が張ったが、張ろうが張るまいが、見返りの収入はゼロな
ので、出来るだけを出来る間は続けるというだけのハナシ。自然とお金が無くなるか命が無くなるか、うまくバランスしてくれるだけを希望している。
日盛りながら暑くもなく、行きは駅まで市の花バスで。帰りは妻と歩いて帰った。銀行での支払い事務は、用紙への書き込みなどが煩雑で、こっちは数字も見にくい視力なので、妻に付き合ってもらわねば出来ない、情けないが。
☆ 秦君
ご本(=湖の本124「生きたかりしに 上」)、ありがとうございました。お元気そうでなによりです。
最近通販でウオーキングシューズを買い、履き心地がよいので、折に触れ、洛中、洛外を歩き回っております。
今年は下水事業開始85周年と琵琶湖疏水竣工125周年の記念行事に参加して、上鳥羽下水場の「藤」と蹴上浄水場の「つづじ」をゴールデン・ウィークに楽しみました。
仕事の関係で30年近く湖国住まいをしましたが、生まれ育った京都に戻って10年、ふるさとの良さを実感しております。
再会の機があればと願っているのですが、お互いに息災でさえあれば歓談できる日もあるでしょう。
何はともあれ、充分ご自愛のうえご活躍のほど念じております。
本当にありがとうございました。 森下辰男 京岩倉
☆ 秦 恒平 様
「湖(うみ)の本 124 生きたかりしに(上)」を拝受しました。
上田秋成の足跡と重ねながら御生母様の生涯の軌跡を辿る30数年に亘る成果を、確りと観取したいと思います。
2015/05/22 濱 靖夫拝 練馬 妻の従兄
* 「選集 第九巻」を編成して原稿を読んでいるが、掌篇小説集や短篇小説小説集とは別に前半と後半に自愛の独立した短編小説を各三作用意している。
とりわけて、「加賀少納言」。
日本の作家のだれ一人、源氏物語を数次現代語訳した谷崎潤一郎でもこんな紫式部を書いてはくれなかった。どう見わたしてもこう書ける作家は、過去にも今
日にも一人もいない、過去でいえばもしかしたら上田秋成が書いた書けたかもしれない。「太陽」に発表し、この「加賀少納言」をはっきり評価してくれたのは
誰あろうロシアの文学者たちであった。わたしの小説で唯一外国語、ロシア語に飜訳されているのが「加賀少納言」なのである。この小説は、あれほど汗牛充棟
ただならぬ源氏物語研究で、この小説以前に「加賀少納言」という未知の名前に解答を与えた学者も一人もいなかったし、今も、学者からの解答は出ていないの
ではないかと思う。
この「加賀少納言」は、紫式部集 つまり彼女が自選した家集の掉尾を飾る歌の読み手なのである、が、本来、家集の最後の歌は、歌人本人の述懐歌か、よほ
ど世に知られた大家または名家の作で結ぶのが「習い」だった。紫式部ほどの人の家集なら当然そうあるべきに、そうではなかった。「加賀少納言」 これは今
もなお研究者世界で実在が確認されていない人物なのである。男とも女とも、明瞭でないが、女であろう。
わたしの小説「加賀少納言」は、わたしの最も自愛、最も自信の短篇作品として選集Hを飾りたいと自負している。はっきり、それを書きのこしておく。古典や文学をこころから愛し愛読している「いい読者」に心から捧げたい。
* 同じ、「選集H」では、後半の「於菊」、前半の「月の定家」も、「加賀少納言」なみに愛読されたいと願っている。
* 「夕顔」を読み、「月の定家」の一の「しゆんぜい」を読んだ。もう眼が見えない。
* 五月二十一日 木
* 起床6:30 血
圧141-71(63) 血糖値102 体重68.1kg
* 午前、「選集G 最上徳内」を要再校で戻した。ひどい直しはなく、早く進みそうな気がする。華やいだロマンではない。が、日本の近世近代現代に深く食い入った問題作になっている。こういう歴史も広く認識されていたいと切に願うのであるが。
よほど出歩きたいとけさも六時半には床をはなれ、ロスの池宮さん、バルセロナの岩見さんへ送本し終え、さらに「徳内」を要再校で全編送り返して……、さて、動きも敢えず、今は機械の前でうたてねしていた。いっそ、イヤになるほど熟睡してみるか。
☆ 昨日
長い旅行から東京に帰りましたら「秦 恒平選集」第六巻が届いていました。まだ拝読する時間がありませんが 近いうちの楽しみにしています。
以上は 御感謝な書きました。 ドナルド・キーン
☆ 拝啓
「秦 恒平選集」第六巻をご恵送いただきありがとうございます。「祇園の子=菊子」をまず拝読。とても面白く、興味深く、秦版「たけくせべ」とも呼ぶべき作品に耽溺いたしました。
私は北海道の山がつなので、祇園の甲部や乙部といった区別もまったく不案内で、秦さんの小説の持つ文化の重みというか深さが本当に羨ましいです。
そんなことをあれこれ考えているうちに、ふと秦さんが以前仰っていた(吉祥寺)元近鉄テ゜パートの上の京料理の店を思い出しました。本格的京料理。デパートがなくなって、かえすがえすも訪ねなかったのが残念でなりません。
とり急ぎ御礼申し上げます。 敬具 久間十義 三島由紀夫文学賞作家
☆ 拝復
初夏の風の清々しいこの頃でございます。
先だっては『秦 恒平選集 第六巻』を賜りまして、まことにありがとうございました。この立派な選集を今回も頂戴しましてたいへん恐縮しております。
生の深い処に鉛錘の降ろされた、美しい、豊饒な物語世界を味わわせていただいております。
ますますの御健勝をお祈り申し上げます。 敬具 梅原稜子 平林たい子賞作家
☆ 拝復
選集第六巻をご恵与下さいまして熱くお礼申し上げます。ありがたく拝読致しました。いつも変わらぬお心遣いをいただきまして誠に恐縮しております。
拙い文章(「作家の原稿料」 西鶴の三百匁から始まる<原稿料>の歴史)を同封致しましてなお恐縮ですがご笑覧願えれば幸いです。
末筆ながら一層のご健勝をお祈り申し上げます。 敬具 谷口幸代 お茶の水女子大准教授
☆ 拝啓
紫陽花の花芽の目につく頃となりました。
三月に、御高著『冬祭り』をお送り頂きながら、全くの御無音にうちすぎ、御無礼を深くおわび申し上げます。
このたびもご立派なお仕立てで、冒頭の数頁を拝誦致しますと、とてもロマンの香り高き小説のおもむきに、はたと自分がこの頃全くこのような小説を読んでいないことに気が付きつきました。
新聞小説としてのご発表とございます、さぞや、当時の読者の方々は、この恋のゆくえには、明日はどうなるのか、と気をもみながら、毎日をすごされたので
はないかと想像しております。その上、舞台が日本だけでなく、海外にも広がっておりまして、更にろまん性を高めているように思います。さして、美しいとい
うことには必ずはかなさがついて回る、ということも、語っているように感じております。
京ことばはとても真似出来るものではありませんが、思わず、冬子の言葉など、口に出してみたくなります。ドラマにもなりそうな構成ですね。雅びで美しい小説を有難うございました。
ほんのすこしですがお疲れ休めに粗菓をお送り申し上げます。ご笑納賜りますれば幸いでございます。
ご自愛ご専一にとおいのり申し上げます。 かしこ 菊 紅書房主人
* 早大、神戸松蔭女子学院大からも受領の挨拶があった。
* しごとらしい何も今日は出来ず。晩は、何度も何度も見てきた潜水艦映画をハラハラしながら見ていた。黒いマゴに輸液したら、本など読んで、リーゼを服して、寝よう。
* 五月二十日 水
* 起床6:30 血
圧128-68(63) 血糖値89 体重68.3kg
* 午前、頑張る。
* 紀伊国屋ホールでの俳優座公演、レマルク戯曲「フル・サークル」を深い共感と喝采とで観てきた。今日ただいまの日本国民に訴えるもっとも適切な主題で
あり舞台であり、レマルクの傑作小説の強烈な自由と平和への志向・殉情を少しも損なわず歪めずに彼自身で成した劇作であった。いまの、怠惰で優柔で卑屈な
ほど安穏に安住して今日から明日への真の恐怖世界を想像すら出来ない日本人、ことに青年、中年を、これほど叱咤し忠告している舞台は無いであろう。
わたしは眼が不自由で、舞台も霞んで見えていたが、だから俳優達のうまいのへたのなどは却って問題外となり、息づかい激しい歎きの、怖れの、不安の科白
の一つ一つを耳から胸へ畳み込んで聴き味わっていた。最大級の拍手を率先送ってきた。しかし、おそれていたように、劇場内の反応は、わたしの祈るような思
いの共感や認識とはやや懸け離れ、温度の高まらないもどかしさがあつた。現代というより、今日から明日へ生きぬかねばならぬ日本人の足もとを激しく揺るが
している現実の危機、それと共振させ踏み込んで観ている人が少ないなあと感じた。あーあと、寂しさをさえ覚えながら、妻と、劇場を離れたが、俳優座、制作
の人とはしっかり握手してきた。
* 賑やかな新宿では、久しぶりに船橋屋の甲州「笹一」で天麩羅を。笹一のうまいこと、このところ日本酒が家に払底していたので、満たされてきた。妻と一緒だから帰りの電車を乗り越す心配もない。それに副都心線、新宿と保谷との往復の楽なこと早いこと。
帰ったら、吉備の有元さんから素晴らしい地酒が届いていて、おおと声が出た。手紙もたくさん。
なにより、初日に黒星を喫した横綱白鵬が、さすが横綱相撲で照の富士を一蹴一敗を堅持し、魁聖と二人、勝ち星の最先頭に立った。油断なくぜひ優勝して欲しい。
* 昨日も今日も「選集E」への佳いお手紙をたくさん戴いているが、今夜は、まだ作業を続けたいので、メールだけを。
☆ みづうみ、お元気ですか。
選集第六巻頂戴しました。こんな光栄なこと、人生でめったに経験できるものではありません。ありがとうございました。今回のご本について、自分の感想をまとめるのに時間がかかってしまいました。
今回の配本の中で、今までその存在すら知らず未読であった笠原伸夫氏の、「秦恒平
における美の原質」に感動、興奮してしまいました。わたくしの読みたかったのはこのような「秦恒平論」なのです。優れた文藝評論だけがなし得ることです
が、秦恒平について、「祇園の子」についてだけでなく、わたくし、自分自身についても目を開かれた思いです。
「京都的なもの」「血の昏さ」というキーワードを見つけて、ずっと探していた言葉を見つけたと思いました。
みづうみの作品における「魂の血族」とは、「魂のエロス」を「滴らせる」「京都的なもの」の結実する「女人像」という笠原氏の指摘部分(わたくしの解釈ですが)は、わたくしにみづうみの謎をとく鍵の一つを教えてくれたようです。
祇園甲部と乙部の違いは「祇園の子」を読まなければ、わたくしのような江戸っ子は
生涯知らずにすませていたことで、最初に読んだときにはなんともむごい実態に衝撃を受けました。悪意がなくても、無知というのは罪深いものです。たとえば
ハンブルグのレーパーバーンなどと違って、表面の舞妓さんの華やぎに隠されているだけに、祇園の陰湿な商売はやりきれないと思いました。世界中、どこでも
どの時代にも存在する性の搾取と差別の構図で、いつ「祇園の子」を読んでもわたくしは涙を禁じ得ません。自分が菊子の立場にいなかったことは偶然の幸運に
すぎないのですから。
菊子を書かずにはいられなかったところに、秦恒平の「原点の京都」があると思います。『初恋』のヒロインに対するものと同様に、被差別の側への深い共感、差別する側にいることへの呵責が、秦恒平文学の血の色です。
みづうみが美空ひばりを大好きな理由も「祇園の子」菊子に対するものと根が同じではと感じました。
正直に申し上げると、私は美空ひばりを好みません。天才だと思いますし、テレビやラジオから流れてくるその歌に、うまいなあと思わず聴き惚れるのですが、
自分から触れようと思わないのです。どこがどう好きになれないのか説明が難しいのですが、それは「演歌」に対するある種の嫌悪感です。彼女の演歌は、日本
のどうしようもない暗部なのです。日本の「血の昏さ」を感じるのです。山口百恵がどうにも苦手だったのも同じ理由によるものでしょう。美空ひばりも山口百
恵も、「菊子の系譜にいる女」です。きれいごとの裏側で、被差別の側に生き、泥水を飲んできた女です。
ある高名な仏文学者が、留学から帰国して下船した瞬間、美空ひばりの歌が聴こえて
きて、「ああ日本に戻りたくない」と痛切に思ったと述懐していましたが、自分のことのようにわたくしには理解できます。日本人の血にしみこんだ昏さが陰々
滅々と美空ひばりの「演歌」に流れているような気がしてなりません。たとえ明るい歌を歌っていてもジャズを歌っていてもそれを感じてしまうのです。美空ひ
ばりが悪いのではなく、美空ひばりにあのように歌わせてしまう「日本的な何か」に、耐えられないものを感じるのです。それは後ろめたさのようなものともい
えます。
みづうみの「魂の血族」になる資格のようなものが、もしあるとしたら、菊子や美空
ひばりと同類でなければならないと思います。彼女たちの性根のすわった、命がけのさまは、到底ひ弱なインテリ女もどきのわたくしの力の及ぶところではあり
ません。フラメンコやタンゴのほんものの名手を観て、その全身から発せられる強烈な性と生に圧倒される感じと似ています。
みづうみのヒロインの中で、わたくしに一番近しいヒロインは、おこがましくも厚かましくも申し上げれば、『あやつり春風馬堤曲』の「浦島朋子」でしょう。
『秋萩帖』は、秦恒平作品の中で、一番読みこなすのが難しい作品です。わたくしは未だ充分読みこなせていないのです。再挑戦の良い機会で、今度こそ「読める」ようにと願っています。
『生きたかりしに』については是非一度に三冊いただきたいのですが、それはご無理でしょうね。読者のわがままにつきあっていたらみづうみの身がもちません。
昨夜の私語のご様子で、心配しています。どうぞどうぞお大事に。今日も明日も明後日も、毎日をお身体をお楽に、お心を少しでも楽しくお過ごしくださいますように。 漆 花漆こまごまと咲き日にけぶる 上村占魚
* ありがたい、メール。こういうメールは、研究者からもめったには貰えない。いい読者はありがたいし嬉しい。書き手冥利に尽きて、頬を熱くする。
ことに「漆」さんの美空ひばりへの言及は、しっかり胸に届いておのづと「私」をも論じてくれている。こういうひばり観を私はなんら拒絶しないし、先行理
解の範囲内であり、「それでも」と踏み込んできた私自身の弱者を思い強者を悪んできた歴史がある。上田秋成の境涯に自身を想い寄せながら、ついについに
『生きたかりしに』を書き上げたのもその底意からだ。出来のよろしさも願うは当然ながら、その前か先かに人生苦汁の自問自答があったし、生みの母にも、兄
恒彦にもあったに違いない。
今日も妻と往来の車中で話していたのだが、「母」のことは書いてやりたかったし、身近に読んで欲しい人達も、母方、父方に数多い。が、「父」のことは、どうも書きにくい、書きたくもなく書いては父に気の毒という気がある、と。
それにしても、『生きたかりしに』では、私の「秋成葛藤」がどう「小説」として現れているかに自身興味を持って読者の批判を願っている。そもそもは講談
社から「秋成」を書き下ろしでという依頼があった。依頼の意図にはおもしろい時代小説をという希望があった、が、私には、それが苦手、というより時代読み
物は書きたくなかった。さあ、どう書こうとたゆたっているうち、井上靖さんに誘って戴いた中国旅行がとびこみ、「華厳」のような自負と自愛の作は成ったけ
れど、「秋成」主役の長編は飛沫をあげて消散した。『生きたかりしに』へ化けていったのである。
* さ、作業が残っている。奮発したい。余のことは、みな、明日以降に。
* 九時半。予定した作業を、とにかくも終了した。あとは、必要な追加送本だけ。有元さんに戴いたお酒で、乾杯。
☆ 前略
この度は『秦 恒平選集』第六巻を頂戴し、誠に有難うございました。
巻頭の「祇園の子=菊子」をまず 読み、そのみずみずしさ、少年のこころの痛み、交錯する ひそかな春情、祇園の描写 等々にひきこまれ、感動いたしました。
昭和二十二、三年ごろの 新制中学生のことなども よく描かれております。 わたしは そのころ 大学出の 新制中学の若い教師をしておりましたから、とくに共感できました。
ありがとうございました。 久々に文学作品の喜びに ひたりました。 御礼申し上げます。
わたしも 少年時代、関東の田舎町の色街を見て育ちましたので、その違いや共通性もよく分り、共感できました。 (祖父にあたる人が、置屋−芸妓家−を経営していたのです。) 重ねて ありがとうございました。 敬具 色川大吉 思想家
☆ 拝啓
初夏を通り越して、暑い日も交じる頃となりました。『選集』の第六巻 ありがたく拝受いたしました。
忘れていた『秋萩帖』に再会し、是非再読させていただきたいと思いました。
連休中、海外に出ており、御礼が遅くなりました。
お詫びかたがた一言申し上げます。敬具 今西祐一郎 九大名誉教授 国文学研究資料館館長
☆ このたびは
「秦
恒平選集」第六巻をお恵み下さりまことにありがとうございました、まさに学匠文人というにふさわしい 学・藝一如の世界です。まさか手を入れられてはおら
れまいと思いつつ年のため以前いただいた架蔵の「秋萩帖」の本文と比べてみると 明らかに推敲のあとがあり、これは油断成らぬと一驚したしだいです。小ざ
かしき研究者根性お笑い下さい。
昨日は神奈川近代文学館の谷崎潤一郎展に若い友人たちといってきました。秦さんの谷崎愛をあらためて思い出しました。
本日は御礼までです。不一 東郷克美 早稲田大名誉教授
☆ 拝啓
貴重な一巻をご恵与賜わり恐縮に存じます。文藝の消えかかっている昨今 本当に貴重と存じます。拝読させて頂きます。最近 文藝作品から遠ざかっていて 大切な時間になると信じています。ありがとうございました。 敬具 西尾幹二 文藝批評家
☆ 『選集第六巻』を
御恵贈賜わり、誠に有難うございました。六册も並んでくると、秦文学の世界が一層開かれてき、壮観です。
「糸瓜と木魚」の瀧井孝作先生の手書き推賞文を見て、「群像」時代に、『野趣』、志賀直哉追悼特集の際の瀧井先生の原稿「志賀さんの書」を、正座した机の前で読んだときの力強い鉛筆書きを懐い出しました。愉しみに拝読します。
御礼のみ。 徳島高義 元講談社出版部長
☆ 選集第六巻を
拝受いたしました、誠に有難う存じます。
『祇園の子』と『糸瓜と木魚』とはすでにどきどきしながら楽しく読ませていただきましたが、『あやつり春風馬堤曲』と『秋萩帖』 とはともに香気あふれ
る稀有な作品とは分かっても、がつて湖の本で私のカ不足のため納得できる読み方が出来ませんでした。「あやつり春風馬堤曲』につl、ては蕪村をもう少し
知ったうえで再讀もl三讀もしたいと思います。
『秋萩帖』のほうはさらに手強く、まだまだ勉強しなければ無理と思います。そのうちに読むカを得たいものです。
お二人とも万全とはほど遠い体調なのに読者のために奮闘してくださって ただただ感謝で一杯でございます。 吉備の人
追伸 岡山のぶどうや桃はまだ店頭に出回らないので代わり映えがしませんが 地酒「きびの吟風」をお届けします。
☆ 薫風の
美しい五月でございます。お健やかなことと存じます。選集第六巻を賜り、勿体ないと恐縮に存じます。
読んだことがあったとしても 新しい書物になりましたので 格別な感じがいたします、懐かしい感じが致します。
お礼申し上げるのが遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。
心からありがとうございます。 かしこ 畝 那珂市
☆ 冠省
夏めく日が続きます。
ご出版に向けての諸作業にご出精のご様子 ご無理のないようにと念じます。
選集第六巻 有り難く拝受致しました。
雨の日の 雨うつくしき 秋ざくら
の句をお書き添えのお葉書(1974)を頂戴しましてから40年以上経ちました。 後に、「糸瓜と木魚」の作中にありましたので 今もよく覚えています。新ためて拝読させていただきます。
湖の本 次回からは新作をご発表とのこと 楽しみに存じています。
奥様もご入院されたそうで、 お二方様にはくれぐれも お大切にと存じあげます。
有難うございました。
些少、同封致しました。お納め下さい。 朱心書肆主人 紀の川市
追伸 ホームページ 私語の刻で 和歌山県御坊市に熱心な先生の読者がおられて限定本も愛蔵されていると識りました。
同郷に、こういう方がおられて嬉しいことです。
『四度の瀧』 もしお持ちでなかったら進呈させていただきたいと思います。お差支えなければ ご連絡先をお教えください。
☆ 緑の日々になってきました。
選集第六巻 言葉が粒立つような文をこの装幀でゆっくり読むのは贅沢な時間です。
有難うございます。 啓 小松市
☆ 選集第六巻
「祇園の子」 面白く 発見をもって読ませていただきました。 星 高松市
☆ 先日
新潟の実家に豪華本の新刊が届きました。ありがとうございました。
やはり「秋萩帖」の難しかったことが、まず思い出されます。また、読んでみます。
迪子さん ともども、ご自愛下さい。 藤田理史 奈良市
* 天理大学図書館からも、
* 昨日は、澤地久枝さん、西尾幹二さん、徳島高義さん、下司菜畝子さんのお手紙を戴いていた。
今日は、色川大吉さん、今西祐一郎さん、有元毅さん、三宅貞雄さんらのお手紙を戴いた。三宅さんには過分のお祝いを頂戴した。 八代啓子さん、星合美弥子さんからもお便りを戴いた。みなみな、ありがとうございました。
* 五月十九日 火
* 起床6:30 血
圧143-75(63) 血糖値86 体重68.0kg
* 受付の親切と機転とで午後一の予約を午前最後へ送ってくれ、一時間余もはやく眼科検査と診察とを終え、点眼薬をたくさん出してもらってまた三ヶ月後と。
* 昼食の選択をしくじり、何となく疲労して三時ごろ帰宅。見えない眼で自転車をつかい郵便局へ本を送りに行ったあと、残りの発送仕事にかかったものの、
あたまも手も遅々としてはたらかず。どうも切り替えがうまく行かない。夕食もかたちばかり終えて、今晩、もう一踏ん張りする。
* 九条の会、呼びかけ人の大半が亡くなり、大江さんも澤地さんも、力尽きたようで、澤地さんの悲痛な手紙を今日、留守に貰っていた。若い、そして知名度も人気もあるインテリジェンスが結集しなければ、と、切望する。
* 五箇荘の乾徳寺さんから、「選集@ みごもりの湖」を悦ぶ手紙が届いた。冷菓をたくさん戴いた。那珂の下司さんからも手紙を戴いた。
* さ、きを取り直して。踏むばらねば。
* 十時半、機械の前へ戻ってきた。疲労して、今日体調非常にわるい。明日、朝に仕事して、午后に劇場へ、帰宅して晩にまた作業を続けねばならない。相当ハードだけれど、弛んでしまうと回復しにくくなる。何を措いても、やすむことにする。
* 五月十八日 月
* 起床7:00 血
圧143-68(56) 血糖値86 体重68.0kg
* 「湖の本124 生きたかりしに・上巻」出来てきた。亡き生みの母が、どんな気持ちで読むだろうか。亡き兄恒彦は。父を異にした亡き姉、亡き三人の兄たちは。
すぐ発送にかかり、破竹の勢いで夕食までに相当量をすでに送り出し、また今日中にさらに送り出せる用意をした。
* 川西市の島津忠夫さん(国文学者)、さいたま市の出田興生さん(元平凡社編集者)から選集Eへの鄭重な挨拶を戴いた、出田さんには、湖の本新作ならびに選集Eに、多大のご支援を戴いた。
☆ 選集のお願い
あまりに厚かましいと諦めるつもりが、どうにもいけません。
選集第六巻 まだお手元に残っているなら お送りいただけないでしょうか。
『あやつり春風馬堤曲』『秋萩帖』 とても好きな作品が、あの立派な御本に並んでる、と想うとやはりどうしても手にしたくて押さえきれません。
殊に『秋萩帖』
一度読むと、いっとき作品の世界に浸りきり、戻ってくるのも辛くなるほどです。
「こんなのが読みたい!」 けれど他の作家では叶わないので、京の古地図を探し、『後撰和歌集』を借りて書き写し、また御作の世界に舞い戻り…あの宝物の御本で、もう一度浸ることができたらどんなに幸せかと想います。
どうぞお願いいたします。
お忙しい時期にすみません。
お身体御大切になさってください。
迪子さんもどうぞお大事に。 碧 下関市
* 「読んで作品を愛して下さる」方は、書き手のこよない寶。ありがたく。
* 「選集G」の口絵写真を探し出さねば。
* ものすごい勢いで、今日は夜まで、発送予定の大半を荷にした。
明日は聖路加なので、夕方からあとにしか仕事が出来ない。
明後日は、午后に、レマルク作の芝居を観に出かけるので、せいせい午前中しか仕事が出来ないが、夜には、作業をほぼ終えられるかも。
* 五月十七日 日
* 起床6:00 血
圧128-63(48) 血糖値93 体重67.9kg
* なぜか六時に起きてしまった。「下巻 126」跋と後ヅケの責了紙を速達で送った。これで長編『生きたかりしに』の校正作業は終了。よく頑
張った。選集Fもぜんぶ手を離れている。選集Gの『最上徳内』初校了にもう50頁。選集Hは、入稿前の原稿読みに集中。おそろしいほど忙しかった今年の前
半。慌てているのではない。何に、とは言いにくいが、「間に合い」たい。それだけ。
☆ 後撰和歌集 冬 より (秦 恒平撰)
初時雨ふれば山辺ぞおもほゆるいづれのかたかまづもみづらん よみ人しらず
吹く風は色も見えねど冬くればひとりぬる夜の身にぞしみける よみ人しらず
神無月時雨許(ばか)りを身にそへてしらぬ山路に入るぞかなしき 増基法師
神無月時雨ふるにも暮るゝ日をきみ待つほどはながしとぞ思ふ 人の女の八つになりける
けさの嵐寒くもあるかなあしびきのおまかきくもり雪ぞふるらし よみ人しらず
白山に雪ふりぬればあと絶えていまはこしぢに人も通はず (式部卿親王絶え絶えのおもひ人)
年ふれど色もかはらぬ松が枝にかゝれる雪を花とこそみれ よみ人しらず
故里の雪は花とぞふり積もるながむるわれも思ひ消えつゝ よみ人しらず
冬の池の水に流るゝあし鴨の浮ねながらにいく夜へぬらむ よみ人しらず
物思ふと過ぐる月日もしらぬまに今年は今日にはてぬとかきく (藤原)敦忠朝臣
* 特色あり読み応えあって面白い「選集第九巻」に仕立てたいと、知恵を絞っている。「選」という「編輯」を大事にしたい。
* 早起きしたぶん、仕事もはかどり、眼の休息に敢えてうたた寝の数も重ねていた。明日からの一週間、病院通いも俳優座の芝居もはさまり暑さも雨もあるだろう、疲労に負けないようにしたい。梅雨もちかづく。冷暑の落差はげしいこの時季は老境には障りやすい、
* 五月十六日 土
* 起床8:30 血
圧131-69(51) 血糖値85 体重68.1kg
* 幸いに、「生きたかりしに」三巻の一仕事をほぼ終えた。あとは、適宜の間隔で順次の出来を待ち、送り出す。その間に、「罪はわが前に」を主とした「選
集F」も出来てくる。この二作は、わたしの人生に表裏一体の心棒を、御陰をもって成した一区切りといえる。七月上旬には、皆、まとまる。
実の父のことも書き置くべきか、まだ、踏み出せない。
* 義妹より、今回も、有り難い刊行援助をもらった。心より、厚く深く感謝。
☆ 拝復
先日は御鄭重にも『秦 恒平選集第六巻』を御恵贈にあずかりました、誠に有難うございました。
相変らず慌しくしておりまして、御礼が遅くなり申訳ありません。
お手紙にある『祇園の子=菊子』のみまず拝読致しましたが、祇園についての知識の乏しい私にも、土地柄と人柄の重なり合いが非常に新鮮に伝わってきて、
傑作と感嘆致しました。この女主人公の屈折が飛躍感のあるリズムで描かれていて、結末の一行のこの作全体の放散ぶりも実にお見事と存じました。「第六巻刊
行に添えて」も拝読致しました。諸作も改めてじっくり拝読致したく存じますが、取敢えずの御礼まで一筆啓上致しました。
何卒 呉々も御自愛のほど、切にお祈り申上げます。敬具 忠 元「新潮」編集長
☆ 秦恒平様
急に夏のような気候となりました。お元気にてお過ごしのことと存じます。
このたびはまたまた、貴選集第6巻をお送り頂き、まことにありがとうございました。今度は短編小説からエッセーへと、創作の息づかいが感じられる逸品ぞろいですね。
どこか懐かしく、そして深い人間愛が感じられます。こういう作品を後世に遺されるのはうらやましいことであります。
御礼のみにて。 通 東大名誉教授
☆ 謹啓
本日は思いもかけず「選集」第六巻の贈本を賜わり、驚くと共に大変恐縮しております。誠に有難うございます。
白状致しますと、「選集」の刊行が初まった時、できるものなら購読したいと思いました。しかしながら「湖の本」でさえ時には送金が遅れてしまう現状では いかんともしがたく唇をかみしめておりました。
その間、なんとか「慈子」「罪はわが前に」「三輪山」「雲隠れの巻」などの限定版を探し、入手 自らを慰めておりました。
現在、アルバイトにて町役場の宿直警備をしています。多少なりとも自由に小遣いの使えるのは年金を頂いた時だけとなってはご迷惑をおかけすると諦めておりました。
賜りました「選集」を拝見して その見事なまでの造本。やはり「本」にこだわる者にとっては ぜひとも持ちたい「選集」との思いを強く致しました。
「湖の本」の次回からの小説も楽しみです。
賜りました第六巻本、大切に大切にさせて頂きます。製作実費で配本もされていますが、とてもあのような金額で済むような造本ではありません。
ただただ心より厚く御礼申し上げます。
昨日来の台風六号は 大きな被害もなく和歌山を過ぎ去りましたが、今年も異常な天候に見舞われるやもしれません。
どうぞお体には充分ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。
簡単ではございますが、とり急ぎ御礼申し上げます。
追伸
「選集」の既刊分の残部はもうないでしょうね。
もし残っていれば、誠に勝手なお願いとは存知ますが、二ヶ月置きに一冊ずつ お願いできないものかと……。
あまりにも素晴らしい「本」ですので、本箱の秦 恒平コーナーに並べたくなってしまいました。
もちろん 私の願望ですので、聞き流して下さい。 謹白
乱筆乱文をお許し下さい。
平成二十七年五月十三日 祥 和歌山御坊市
* 作者冥利に尽きる三十年ちかく、湖の本も毎回二册ずつ買い上げてきて下さり、また本を愛されていること、敬服と感謝に堪えない。こういう方のためにこ
そ、著者私蔵本を少々手元に残してある。本が読者のもとで愛される、それこそが有り難い極み、お気持ちに喜んで応じたい。
* 瀬戸内寂聴さん、田辺兵昭さん、山梨県立文学館、早稲田大学図書館、立命館大学図書館からも、挨拶が有った。
* 六月歌舞伎座昼夜の座席が用意できた。「新薄雪物語」の昼夜通しが楽しみ。昼の開幕に真山歌舞伎、吉右衛門で前にも観ている「天保遊侠録」は海舟の父、勝小吉のおはなし。夜の大喜利は菊五郎と左団次の老夫婦で「夕顔棚」とは、涼しい楽しみ。
七月新橋演舞場の染五郎「アテルイ」も、日が決まった。
今月は、レマルク唯一の戯曲を紀伊国屋ホールで、俳優座劇団。好演を期待している。
* カラーでなくて惜しいが、谷崎松子夫人に頂戴した巻紙のお手紙の最初の一通のごく一部を抜いてみた。戴くお手紙はいつもこんなふうに美しく優しいもの
だった。「隠し子やないの」と本気で筑摩の編集者に問われた水上勉さん。事実でこそないが、嬉しい贈り物をくださったと今も笑える。
* 映画「ダイハード2」を観ていた。シリーズ作のなかで、第一作のナカトミビル事件よりも図抜けて、一等痛烈におもしろい。ブルース・ウィリスは決して
こんな活劇にかぎらず渋い地味な役の佳い映画にも、冷徹な悪役映画にも、成績を残している。ガッカリはさせない俳優の一人だ。
* この古い機械、日増しにガタが来ている。受発信に危険信号が出ていると思われる。スクリーンの大きい新機を早く使いこなさねばと思いながら、眩しいの
と複雑なのとで持ち腐れしている。建日子の知恵を借り、思い切って、ポータブルのスマホなどに切り替えようか。いやいや、小型で軽いノートの新鋭機も持ち
腐れしているのだ、それに慣れた方が早いかも。
* 五月十五日 金
* 起床7:30 血
圧129-65(61) 血糖値99 体重68.6kg
☆ 選集第六巻を、ありがとうございます。
「墨牡丹」にとらわれたまま、宿題を先延ばしにしています。小説にでている人たちの画集や、写真をみていました。
こころをこめて、つくられたご本を読むのには、ふさわしい読みを、とおもいます。
まずは、感動 でしょうが、つぎは 妙なところに気を取られて、散漫なこと!
毎日、事が多すぎるのを言い訳に。 みなさま、どうぞご無事で。 柚 大阪府
* 染五郎が、勘九郎、七之助とで、七月、「阿弖琉為(アテルイ)」を演じる。わたしの『最上徳内』とは時代がよほど溯って、あの坂上田村麻呂を思い出させる。どんなに創っているか、楽しみに出かけようと。
* 封筒への宛名貼り込みをはじめて、読者分を終えた。今日、明日にも諸大学・高校や各界人への寄贈分を貼り込み、日曜には今回の『生きたかりしに』関係
の縁戚や知友への宛名書きを追加しなくてはならない。沢山の人が、亡くなってしまっていると想われ、無常の感にとらわれるが。
* 朝一番に、村上開新堂の山本社長から世評嘖々のクッキー一缶を頂戴した。
午后には、むもむ京都の華さんからしっとりした京味の小魚を二包みも戴いた。
お茶に酒に、有り難う存じます。
* 東京大学大学院国文学研究室、神奈川近代文学館、お茶の水女子大図書館から「選集E」受領の挨拶あり。
四国の木村年孝さん、東近江の石馬寺西史観さんからも。
* 大川のように何冊・何巻分も仕事が併流しているので、よほど慎重に記憶も判断もしてないと、うっかりミスが生じかねない。、
☆ 後撰和歌集 秋 上中下より (秦 恒平撰)
ひぐらしの声きくからに松虫の名にのみ人をおもふころかな よみ人しらず
わがごとく物やかなしききりぎりす草のやどりに声たえずなく よみ人しらず
来むといひし程や過ぎぬる秋の野にたれ松虫ぞ声のかなしき よみ人しらず
穂には出でぬ如何にかせまし花すゝき身を秋風にすてやはてゝん 小野道風朝臣
浦ちかく立つ秋霧は藻塩焼く煙とのみぞ見え渡りける 紀貫之
秋の田かりいほの宿のにほふまで咲ける秋萩みれどあかぬかも よみ人しらず
秋萩の色づく秋をいたづらにあまたかぞへて老いぞしにける 紀貫之
秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつゝ あめのみかどの御製・天智天皇
白露を風の吹き敷く秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける 文屋朝康
月かげは同じひかりの秋の夜をわきてみゆるは心なりけり よみ人しらず
秋風にいとゞ更け行く月かげを立ちなかくしそ天の河霧 藤原清正
白妙の衣かたしき女郎花さける野べにぞこよひねにける 紀貫之
女郎花にほふさかりをみる時ぞわが老いらくはくやしかりける よみ人しらず
花すゝきそよともすれば秋風の吹くかとぞ聞くひとりぬる夜は 在原棟梁
秋風にさそはれわたる雁がねは雲のはるかにいまぞきこゆる よみ人しらず
誰聞けと声高砂にさを鹿のながながし夜をひとり鳴くらむ よみ人しらず
秋の夜に雨ときこえて降りつるは風にみだるゝ紅葉なりけり よみ人知らず
わたつうみの神にたむくる山姫のぬさをぞ人は紅葉といひける よみ人知らず
おほかたの秋の空だにわびしきにもの思ひそふるきみにもあるかな 右近少将季縄女
わがごとくもの思ひけらし白露の夜をいたづらにおきあかしつゝ よみ人知らず
* 五月十四日 木
* 起床7:30 血
圧128-62(61) 血糖値86 体重67.4kg
* 選集づくりのピッチを早めているのは、云うまでもない「命あるうちに」と思ってで、他に理由はない。非売本であり、私の、ま。ビタミンなのだと思っている。第九巻の原稿読みにかかる。ガラッと様子が変わる。
☆ 後撰和歌集 夏より (秦 恒平撰)
時わかずふれる雪かとみるまでに垣根もたわに咲ける卯の花 よみ人しらず
みじか夜の更けゆくまゝに高砂の峯の松風吹くかとぞ聞く 兼輔朝臣
夢よりもはかなき物は夏の夜のあか月がたのわかれなりけり 壬生忠岑
よそながら思ひしよりも夏の夜のみはてぬゆめぞはかなかりける よみ人しらず
逢ふとみし夢に習ひて夏の日の暮れがたきをもなげきつるかな 藤原安國
五月雨にながめくらせる月なればさやかにもみず雲隠れつゝ あるじの女(坂上なむまつが女)
ふたばよりわがしめゆひし撫子の花のさかりを人に折らすな よみ人しらず
うちはえて音を鳴き暮す空蝉のむなしき恋もわれはするかな よみ人しらず
つねもなき夏の草葉に置く露を命とたのむ蝉のはかなさ よみ人しらず
人しれずわがしめし野の常夏は花さきぬべき時ぞきにける よみ人しらず
つゝめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれるおもひなりけり よみ人しらず
* 参議院の江田五月氏、お忙しい中を、「選集E」へ謝状頂戴。日本近代文学館、昭和女子大からも。。
☆ 拝復
家宝がふえて どうしましょうとうちの者たちと手を叩いております。まこしにありがたく、暑く御礼申し上げます。馥郁たるご文章に、ただひたすら酔いしれております、のめり込んで一体となりますと、剽窃してしまいそうで、おそろしい……
どうぞ御身体お大事にお過ごし下さいませ かしこ 浪 京鳴瀧 小説家
☆ 選集第六巻を拝受
ご繁忙のなか早々とご送付賜りましてありがとうございます。「祇園の子=菊子」を久しぶりに、笠原伸夫氏のご批評とともに拝読。しばし、秦先生の世界に浸りました。長編三編は、母(96歳)がショートステイの期間に、じっくり読ませていただきます。
奥様ともども、御身お大切にお過ごし下さいませ。 宏 渋谷笹塚
☆ 箱根の噴煙
颱風六号の接近、五月晴れの間にちょっと迷惑なお天気状況です。
作品集第六巻 すばらしいです。ありがとうございます。
どうぞくれぐれもお体 ご自愛なさってくださいませ。 鳥 駿河
☆ 次回も選集
配本の程 お願いいたします。一巻経費が足りないさまであれば、その旨ご連絡下さい。
この選集は私の寶となっております。 鈴 世田谷
* 三鷹の唐澤さんなど、みなさん、選集一巻実経費を負担するので著者私蔵分を頒けて欲しいと云って下さる。冥利に尽きる。
* 「生きたかりしに」上巻発送用意の追い込みに、今日一日ずいぶん頑張った。あと三日。十八日朝には間に合わせる。
* 「選集」第九巻の原稿読みをはじめた。「選集」は頁の読みが微妙に難しい。460ないし464頁だと辛うじて350円の切手で済むが、もう四頁もふえると460円かかる。なにしろ非売の特装本、少部数。一冊経費が凄い。一巻でも多く造りたいので気を遣う。
☆ 五月になって
ぎをんさん、清水(きよみづ)さんは、外国の観光客に次いで、修学旅行のジーンズになり、それも、やっと静かになりました。
お天気の良い内にと、京都文化博物館の「琳派の美」展へ行って来ました。
花見小路は、やっぱり、人人でした。
身体にやさしい物ーおじゃこーお好みに合いますか? 少しですが送りました、早ければ明日届きます。
先般奥様からお礼状をいただき恐縮しました、ご無用です、お忙しい日々、お大事に。
華
* 五月十三日 水
* 起床7:30 血
圧130-63(63) 血糖値98 体重67.2kg
☆ 激しい雨が、
窓を叩いています。
降り始める前に、選集が無事届きました。有難うございます。
瀧井先生の佳い字とお言葉を眺め、先ず「刊行に添えて」を、次いで笠原先生の文章を読みましたが、評する人と評せられる作品との美しい出逢いが伝わってきて、このような論が書ければとため息をついています。
映画「レオン」のマチルダを思い、馬堤曲「浦島朋子」と先生のことを考えています。
先日亡くなった長田弘さんに、「死ではなく、その人がじぶんのなかにのこしていったたしかな記憶を、わたしは信じる」といった詩があるそうですが、映画
のエンディングは、レオンを死なせて少女からやがて女になってゆくマチルダの中で、レオンの存在は確かになり、愛も深まってゆくのを示唆していたように感
じました。
「あやつり春風馬提曲」は、私には幾重にも気掛かりな作。
いずれ熟読、再読したいと思います。
テレビをつけたら、ちょうど鑑定団で華岳の牡丹が出ていました。
絵も映画と同じく詳しくないけれど、艶やかで気品のある牡丹、ブラウン管ごしでも佳いなぁと見ました。
明日は雨も上がって、かなり暑くなるとか。お気をつけて病院へいらして下さい。 黍
* では「最上徳内」の第八章をかかえて、気永に聖路加での検査と診察を受けてくる。暑くなるとか。帰りは涼しいビヤホールなんか、いいかな。
* 検査良好。支払いして処方薬を薬局で受け取ったのが一時半。築地の「玉寿司」で、「極み」の鮓で「山田錦」と特醸秋田の「まんさくの花」をしっかり呑
んだ。いい気分で、新富町駅ホームの倚子で一寝入りしてから地下鉄に乗った。乗り越すよりいいと算段。電車でも「最上徳内」をおもしろくズンズン校正でき
た。
* ロスの池宮さん、東京の友人を介して菱川師宣ゆかりのお酒二本を頂戴していた。ちょくッと呑んだ。どうも食べるより先になる。腹が張らないから。
* 「最上徳内」のような変わったツクリの小説にも、めったにお目にかからない。田沼意次から松平定信へ時代の動いて行くころ、幕府の蝦夷地探索一件が
「北の時代」の幕を激しく明ける。その立役者で先駆者の最上徳内さんと此の私とか連れだって不思議に旅しながら、アイヌのこと、松前藩のこと、蝦夷地のこ
と、奥蝦夷千島樺太のこと、ロシア人のこと、探索一行の御普請役らのことを、克明に、歴史的にも今日的にも再現し検討して行く、愛らしく美しいヒロインも
加わってくる。小説の中に、私独特の発明になる不可思議にリアルな「部屋」が用意してある。
もう終盤の暗転へまで小説は、物語は近づいている。読める人には、関心のある読者には滅法興味津々であるだろうが、とことん読み物に骨までくたくた煮付けられている人の多い昨今では、わたしの物語・小説は天然記念物なみだろう。
☆ 五月*日は
私の誕生日で、八十三歳らなりました。去年のこの日の日記(メモ)には、「午前、秦さんに刻字など送る」と記されています。
選集の刊行のテンポの早さに驚いています。なかなかついてきいけません。いくら再読とはいえ、そんなにすらすらと読めるような作品では、秦さんのお作は、ありません。
親(恒平)の作品を一冊読む間にはさんで、子(建日子)の文庫本を一冊読みました。自分の年齢を考えてみると、そのうちにといって、本棚に並べていて
は、読む機会がないままになってしまいそうです。一編を読みながら、気になる他のお作を拾い読むといった、乱暴な読み方もしたりしています。
今の調子ですと、秦さんが私の年齢に達しなさるころは、果し何巻になっているか、数多い作品のこととて、完結ということがあるのかないのか、そんなことを考えることもあります。
「作柄」を考えてのまとめ方は、秦作品のおもしろさをみごとに際立たせているように思います。すばらしい編集ぶりだと思います。作者の思いがなめらかに読み手に伝わるように思います。
私のあわい記憶によると、「秋萩帖」の構想を、直接秦さんのお口からうかがったように思います。私の好きな作品の一つです。
第録巻では、「刊行に添えて」(毎巻一番初めに読みます。秦さんの生<なま>のお声が聞こえます)にまず強い印象を与えられました。秦さんの「生<セイ>」の選択が垣間見られたからです。
第四巻を読んだ後で、初めて秦作品に接した時の感銘と別な肝銘を受けました。それは秦さんは、私と遠い存在だったんだということです。今までなれなれし
くおつきあいさせていただいたことが、深く反省させられ、何か、顔に血がのぼる思いです。そして、第六巻を手にし、目次を眺めただけで、秦さんが私と遠い
遠い存在であることを思い知らされるような感じです。美しい作品の詰まった選集の並ぶ本箱を見て、胃に重いものを感じているところです。
秦さんは戦っていらっしゃいます。私はなんとーー。恥しい次第です。しかしそれをどうすることもできない意志と年齢ーーでしかありません。
こんなことを申しあげても何の意味もありませんが、私のプレッシャーをちょっと吐かせていただきました。(秦からの=)「日頃の敬意と感謝」はそのままお返しさせていただきます。
どうぞどうぞ、奥様ともどもお大切に。 五月十一日 哲 石川能美市
* 有り難く嬉しいラブレターを頂戴したと喜んでいます。どうぞどうぞ お元気にご長命なさって、ご鞭撻下さい。
* 三田文学編集室より「選集E」受領の挨拶があった。
* よけいなことだが、昨日、国家的栄誉も肩書も得ているある先輩作家の長編小説第一頁の冒頭一行半を読んで、音をあげた。慨嘆した。
私の父は山東半島の貧しい家に生まれたが、清朝末期に師範学校の入試に合格して、二年間の勉強をしたのち、優等で卆業したのだそうだ。 原作
短いような長いような文中に、「して」「した」した」が三箇所、まこと無雑作に不用意に重ね使われている。文体の節度からは、「師範学校の入試に合格
(し)、」と引き締め、次の「二年間の勉強をしたのち、」も、「二年の勉強ののち優等で卒業した(そうだ)。」とすっきりしたいところ。
何よりも<「したのだそうだ」などという結びようのウソクサク、陳腐なこと、「した」「のだ」「そうだ」の鈍重・凡庸なこと、読むに堪えない。
さらに云えば、小説冒頭第一行の書き出しであるからは、「父は」と書けば「私の父」に決まっている。「妻の父」でも「だれそれの父手」でもないのに、た
だもう、慣い性のごとく無意味に「私の」と添えている。この作家、この程度の推敲が出来ないのだろうか。これでは、作は書けても作品は添わない。長編小説
書き起こしの第一文ではないか。そもそも出版社の担当編集者は何をしている、平伏して見遁していたのか。
わたしなら、こう推敲する。
父は山東半島の貧しい家に生まれたが、清朝末期に師範学校の入試に合格、二年の勉強ののち優等で卒業した(そうだ)。 秦の推敲
わたしが編集者なら、この原作一文を読んだ瞬間に推敲をと原稿をお引き取り願っている。
* 小説という創作には、文章と主題思想との両面がある。読み物はべつの慰みもの、ここでは何も云わないが、最近の文学、あまりにも文章を涜し切っていな
いか。すぐれた主題や思想を優れた文章で書けてこその藝術であり文化なのではないか。駆け出しの素人よりも程度のワルイ上のような小説の書き出しが、大出
版社から堂々本になって出てくる。こわいことだ、おそろしいと思う。
名編集長でもあった久英さんが、ある女性の書き手から「助言」を熱心に求めている場に居合わせ、何と云われるかと聞いていた。「文体を」 それだけだった。それで充分分かった。作家にとって文体は指紋以上の源泉である。
上の著名な大作家は、どんな優れた文体の持ち主であるのか。上の漢字ではあまりに文品、お粗末ではないか。
* このような場所で「私語」を走り書きしているのと、作家が小説を世に出すのとは、やはり問題がちがう。すくなくもわたしは作家として創作を本にして出すときは、推敲に推敲を重ね自分の文章・文体を磨きにかけている。当然ではないか。
* ちょっと必要あって書き取っておく。「チャタレイ裁判以来、刑法一七五条にふれる「わいせつ」とは、@ 徒に性欲を興奮または刺激せしめ、 A 普通
人の正常な性的羞恥心を害し、 B 善良な性的道義観念に反するもの を謂うのであり、藝術作品だからといって、基本的にこの規定を免れはしない」と
か。(今夕、東京新聞夕刊「大波小波」)
わたしが今にも書き上げそうな長編『ある寓話 ないしワイセツという無意味』が、どうなるか。@の「徒に」の意図はない。Aの「普通人」「正常な」はあ
まりに曖昧、年齢・性別・環境・体験により到底一律に規定できない。 Bの、「善良な」とは何を指さして謂えるのか、「不良な性的道義観念」も在るという
のか。「道義」とは何か。だれが道義と認めるのか。
ま、そんな疑念をもっていて、たから「ワイセツという無意味」とわたしは認めている。地位の高下とも教育の高下とも収入の高下とも趣味や美観の質とも、ワイセツは無関係で、ワイセツそのことは誰しもにひとしなみ等質に働いている。
* 五月十二日 火
* 起床8:30 血
圧123-65(60) 血糖値85 体重67.1kg
* 『秦 恒平選集』第六巻を拝受
『祇園の子』が冒頭にあるのに魅かれてすぐに拝読、「中村菊子」の姿を深く胸に刻みました。あの印象深さは、秦さんの筆でしか現出できないものです。笠原さんの文章も続けて読み、秦文学の深いところを見定めておられることに感嘆し多くを教えられました。
秦文学の陶酔感はあとをひきます。が
いま『糸瓜と木魚』を読んでいるところです。
いつもご厚意をいただき深く感謝しています。
「第六巻刊行に添えて」は秦さんの面目躍如。読みたい本を書いていただいて、当方 幸せです。
どうぞお身体お大切に。 敬 元講談社出版部長
* 優れた編集者に読んでもらえて感想も戴くのは、書き手の幸せである。
* 面目躍如と笑って頂いた「あとがき」を披露しておきたくなった。
* 秦 恒平選集第六巻に添えて
まったく私撰の本であり、世常の例を逸れてもいいかと考えている。一例が、作の成った時期に順じて列べることもしていない、むしろ一巻一巻に作柄を考え選んでいる。この第六巻では最初期の一短篇に次いで、三つの中篇・長編を収録した。
短篇「祇園の子=菊子」は、最初期の私家版『斎王譜=慈子(あつこ)』の巻末から後に単行本『廬山』(芸術生活社)に収めたとき、帯の文を頂戴した永井
龍男先生の、「祇園の子」ほどの短篇が十も出来れば「たいしたもの」というご感想が、編集者を通じ届けられた。ただただ「過褒」と頭を下げて恐縮するばか
りだったが、文藝批評家笠原伸夫さんもまた「秦恒平における美の原質」という、生涯私感謝にたえない一文のなかで、祇園の子の「菊子」に熱い共感を語られ
ていて、この批評は、その後私の創作を鼓舞も刺激もし、ある意味指標とさえなった。新ためて心より感謝申し上げ、巻末の解説などというのでなく、敢えて、
小説「祇園の子」と本文中に相列べて笠原さんの文章を此処に頂戴した。どうぞ、お聴しください。
次いでの三作は、大学で学んだ美学藝術学に生涯「学者」として従事するに慊りず、「小説」を書いて思うさま探索や讃嘆を完うしたいと願った、その最も顕著な作ばかり、と謂える。
いったい、私の小説・文学への愛はよほど我が儘な「病気」じみて繁殖したのである。中学か高校一年のころ谷崎潤一郎の岩波文庫『吉野葛・産刈』に出逢っ
て、ああこれこそ私の読みたかった小説だと胸が膨らんだ。『細雪』や『少将滋幹の母』や『夢の浮橋』に出逢えて私は文字どおり「谷崎愛」に燃え、幸せだっ
た。心底「読みたかった」作がそこにあった。
だが、そういう幸せは、昭和も半ば過ぎて滅多に恵まれなくなった。
やれやれ、と、思った。
そして私は書き始めた、読みたくて堪らないのに誰も書いてくれないからは、「自分で自分の読みたくて堪らなかった小説を書く」しかない、と。此の選集の
第五巻『冬祭り』を含め、それまでにちょうど二十作を選んだが、どの一作も、自分で書いて自分で読むしかない小説であり、今回第六巻の中長編三作は、こと
に学究風の探索をわたし自身が楽しんだのである。
幸い、正岡子規と浅井忠を書いた『糸瓜と木魚』は瀧井孝作先生にお褒め戴いた。『あやつり春風馬場曲』は、かつて『風の奏で』が多くの平家物語研究家や
愛読者を動かし得たと同様、蕪村研究の専門家からも「興味津々」の注目を浴びた。さらに国寶『秋萩帖』をめぐる知られざりし人渦を、千年をまたいで不可思
議に表現した長編は、あの、小説家のフィクションに厳しかった京の碩学角田文衛博士から東京の私宅まで、「よくやりましたねえ」とわぎわざお電話をもらう
作となった。
どれも、だれも、書いて読ませては呉れなかった、だから自分の読みたい世界を書いたのである。小説家が「小説」を創作し表現するとは、本質的にそういうものと私は心得ている。る
☆ 「秦 恒平選集」第六巻を
ご恵与いただきまして ありがとうございました。
開くと紙とインクの匂いが立ち上がってくる立派なご本で、お書きになっている世界といかにも似合っていることだと感服、また羨しく拝見しました。
「湖の本」もそうですが、いつもお礼もせずいただきっぱなししで失礼してますが、お許し下さい。
折りをみて一気に拝見したいと思っております。 勝又浩 文藝批評家
* 山梨県立文学館から、「資料と研究」第二十輯が贈られてきた。こまごましい紀要の域を抜群に抜け出て、歌人としての村岡花子資料も豊富なら、とりわけ
て中村章彦氏による芥川俊清「日記」翻刻と解題(一)は瞠目に値する。「俊清」は芥川龍之介母方の祖父である。刮目して読み進んでいる。裏表紙に、
甲斐の家 はたちの母がえんがはに手まりつきては涙せし家
て詠草の写真を出している。いま「生きたかりしに」三巻をほぼ責了へまで持ち込んだわたしには、身にせまる一首である。
* 明日は朝から聖路加、十三時予約の感染症内科、わたしの診察日。ま、ドクターに顔を見せに行き、仕事の話などし、たっぷり処方薬をもらってくる。検査結果は、ずうっと安定している、が、油断はしていない。
ドクターに差し上げた繪が、二階チャペル入り口のすぐ右の壁に掛かっている。日本の画家が、キューバの夏景色を描いたみごとに質感を湛えた小品。小品ながら、堂々の存在感にあらためて感じ入っている。このあいだ妻の診察に付き合って行った日にみつけた。お
、いい繪じゃないかと近寄ってみると、わたしが京都の星野画廊で見つけて買ってきた秀作だった。妻も、あらためて感じ入っていた。明日もまた繪に逢ってこよう。
明日は、嵐かなあ。
* もう眼が見えない。雨、本降り。
* 五月十一日 月
* 起床7:00 血
圧139-69(62) 血糖値98 体重67.3kg
* 「選集E」郵送作業終えた。「選集F」口絵など責了。「湖の本126下巻」私語の刻以外責了。ほっと息をついている。
「選集H」の入稿用意に本格取り組まねば。
☆ 昨日「グロリア」を
ご覧になったのですね。私は「グロリア」は観ていないけれど、先月録画した「レオン」をちょうど見終わったところでした。「レオン」は「グロリア」に影響を受けたと言われているようですが、この映画はご存知でしょうか。
「君を一人にしない。君は生きる希望をくれた。一緒に生きよう。愛しているよ、マチルダ。」
殺し屋のレオンと少女の愛を、「身内」と呼ぶのだろうかと、レオンの最期の言葉を反芻しつつ思いました。
いつも以上に、今回の発送は気も体もお遣いになっていたことでしょう。
休日明けも終日作業でしょうか。お疲れが出ませんように。 黍
* むろん「レオン」も何度も繰り返し観ている。ジャン・レノとの出逢いだった。彼の映画としては「グラン・ブルー」がさらに優れていた。これこそ「身内もの」と謂える名品だった。「レオン」では、双方から一致の「真の身内愛」は成立していない。
☆ 化け文字解決
HPにて文字化けの件解決の経過知りました。感謝。
携帯のニフティ画面から改めてメールを書いたのですが、それも何か不具合で送信できませんでした。
今は文字化け恐れず書けます。
本の発送で郵便局までの往復、無理しませんように。
まだ台風の影響はないでしょうか? 強風心配です。
こちら(シンガポール)はいつも暑く、やはり身体に堪えます。(生まれたての新しい孫に)母乳はあげられませんから<!> 主に料理と、一
歳八ヶ月になった孫のお相手。語彙がドンドン増えて面白い時期。アルファベット半分以上と、数字を覚えました。...ババ馬鹿? 抱っこすればズシンと重
いですが、ダイエットと思い頑張っています! 鳶
* 死なせた孫のやす香、元気ならもう二十六、七か。もう一人音信跡絶えた孫みゆ希も、大学を出たのではないか。職を獲ただろうか。姉に似て立派な大人の判断や批評がもてていますように、病気しないようにと願っている。
* 歯医者、また当分通わねばならない。次回は25日夕方。
帰路、中華家族でマオタイ二杯。妻は好みの酢豚など。
☆ ごぶさた致して居ります。
もうずっと以前に「123繪とせとら」受取って居ります。ありがとうございましたた。
前に 美しい選集を頂き恐縮致しております。この御本のお礼は書いたと存じますが 今となってはおぼえがうつろではっきり致しません 改めてお礼申し上げます。
客間のテーブルの上に置いてありますので 時々 少し…学のある人は気付いておどろいてゐます 私は時々少しつ読んだりチラチラと見たりしてゐます。
(中略) やっと今年から収入がぜんぜんないので税金(所得)を払わなくても良いそうです。これで頭痛がなくなりホットしてい居ります。
初釜と、先日思付いて隅炉をして見ました。(写真を)ごらん下さい お蔭様で皆さんも初めてと言ふ人が多くて私は一寸ごきげんでした。お茶をして居る時は 楽しく元気です。
お二方様 千代子 ロサンゼルス
* チョコちゃんは、わたしより四つ五つ上だが、写真、若い隅炉もおもしろく、また前に差し上げた圓能斎筆「四海皆茶人」の一行が堂々と美しい。わたしが死蔵しているより遙かに軸が幸せそう。
* 花巻の医師、照井良彦さんから、「父・照井壮助とその遺作をめぐって ー『天明蝦夷探検始末記』ー」が送られてきた。
☆ 秦 恒平様
ご機嫌いかがでしょうか。知・情・意・体力をあまりにも存分に発挿してきたご経歴ゆえに、少し休憩なさった方がよいのかもしれません。現今の対がん療法のレベルは目にみえて向上しつつありますので。
さて、昨秋、地元・花巻の歴史好きの集まり「花巻史談会」から、なにを考えたのか昔の亡父の著作について一文を寄せてくれと依頼されました。当方の賛助
会員加入が本当の目的だったようですが、四十年ものあいだ、父の遺作について一文もなしてこなかったことを自省する気持もあって、やや意気込んで書いてみ
ました。
失礼をおそれず恥をしのんで「別刷」を足下に呈しますので、ご叱正くだされば幸甚に存じます。
ところで、当方はこの六月に、五たびめ入院して再々化学療法を受ける予定となっております。主治医団はこちらの現況をどうみたのか、さいわい宿主と鬼っ子癌腫との共存をはかってくれているようで助かります。
といいますのは、目下、西郷隆盛に打ちこんで稿を起こしているところです。
岩倉具視は麿人、大久保利通は役人、西郷は本当の意味での政治家、すなわち創作的行動家であると考えているところです。なにか飛びつきたくなるようなご教唆をいただければ嬉しいのですが……。影書房からは夫の催促です。
貴重なお時間を奪ってしまいました。rご健勝を祈念しながら結びます。
2015年5月8日 照井良彦 花巻市
* 今しも「選集G」として初校進行中の『最上徳内=北の時代』を、岩波の「世界」に連載のおり、照井壮助さんの労著にはたいへん教えられること多かっ
た。ご子息、と云うても私より年輩のかたであるが、久しく照井良彦さんにも「湖の本」にお力添えを戴いてきた。「花巻史談」記念特集の抜き刷り、心して拝
見する。
☆ 六巻・有難うございました。
「選集」六巻 今日夕方到着しました。有難うございました。
不自由な中、お送り下さり有難うございました。何もかも懐かしくて。メールの返信も頂き、嬉しいです。メールのお蔭でお話しをしている様で。
お身体無理なきよう お大事に。
近い内、体に良い物を送りしようと思っています。
では、おやすみなさい。 華 京渋谷
* 第九巻の編成、楽しくもあり、なかなか難しくもある。読みやすい、佳い一巻に仕立てたい。
* 五月十日 日
* 起床7:00 血
圧130-62(54) 血糖値90 体重67.0kg
* また、歯一つ、落ちる。齢、少なくなるばかり。明日夕、暫くぶりに歯科へ。
* 後撰和歌集、六撰も繰り返したろうか。この和歌集はひときわ贈答、相聞歌や詞書の多い集で、たんに短歌を読むと云うより、まさに「和する歌」である和
歌を読み楽しむ集になっている。わたしのように、自立し得た短歌としての秀歌を選びたい者にはいささか難儀であり、しかし「読む」面白さには多く恵まれた
和歌集だと謂える。贈答や相聞は、当然に男女間に多く、詞書の伝える事情も男女間の消息をより色濃く伝えている。そこに物語めく状況が浮かんでいて、短歌
一首の妙を鑑賞するという気味にはむしろ総じてやや離れている。その点を心得て読めば、時代史の感情的基盤すら観て取れる。
一人の男が、また一人の女が、幾重にも女たちと、また男たちと関わり合っていて、関わり方は淡泊というより多彩に恋愛や性交渉を露わにしている。寝た
り、寝取ったり寝取られたり、飽きたり飽かれたり、またくっついたりしている。そんなのにまともに付き合っていると歌よたんに状況に奉仕してしまう。詞書
の示す状況をかき消しても良しと読み取れる和歌の一首一首をわたしは選びたい。状況はすこぶる興味深くても歌は不充分なのは最終的には見捨てるのである。
数は、少なくなるが。
☆ 後撰和歌集 春上中下より (秦 恒平撰)
春霞たなびきにけりひさかた月の桂も花や咲くらむ 紀貫之
かきくらし雪は降りつつしかすがにわが家の園に鴬ぞ鳴く よみ人しらず
春くれば木がくれおほきゆふづく夜おぼつかなしも花かげにして よみ人しらず
大空におほふばかりの袖もがな春さく花を風にまかせじ よみ人しらず
ねられぬをしひてわがぬる春の夜の夢をうつゝになすよしもがな よみ人しらず
うちはへて春はさばかりのどけきを花の心やなにいそぐらん 清原深養父
あたら夜の月と花とをおなじくはあはれしれらん人にみせばや 源信明
しのびかねなきて蛙の惜むをもしらずうつろふ山吹の花 よみ人しらず
折りつればたぶさにけがるたてながら三世の佛に花たてまつる 僧正遍昭
みなぞこの色さへ深き松が枝に千年をかねて咲ける藤波 よみ人しらず
散ることのうさも忘れてあはれてふことを櫻にやどしつるかな みなもとの中朝臣
暮れて又あすとだになき春の日を花のかげにて今日はくらさん みつね(凡河内躬恒)
三月つくる日、久しうまうでこぬ由いひて侍る文の奥にかきつけ侍りける
またもこん時ぞと思へどたのまれぬわが身にしあれば惜しき春哉 つらゆき(紀貫之)
かくてその年の秋、つらゆき身まかりにけり
* 次の拾遺和歌集へくると、和歌がずんと和らいで美しく一人立ってくる。拾遺和歌集の撰もほぼ終えている。後拾遺和歌集の撰も終えている。とても愉しいこころみで、寸暇を繋いでは活かしながら和歌世界に遊べる。ありがたいことだ。
* 発送の荷造りは、予定した全部を終えた。明日月曜には郵便局へ二度三度運び込まねばならない。
*今晩は九時から、藤田まことの剣客商売を楽しんだ。小太郎・みふゆの若夫婦役も小気味よく凛々しくて、時代劇の中では、一、二に好きな連続モノ。おはるが剣客秋山を舳先に乗せ棹をつかって舟を流して行く風情が佳い。
☆ ご本ありがとうございました
『秦 恒平選集』第六巻、昨日届きました。
なんと立派な装丁!! ありがとうございました。
先生の著作への入り口は、NHKブックス『梁塵秘抄』や『閑吟集』で、「これはほかの方と全然違う解釈のユニークさ!」と思い、すぐにファンになってしまったときのことを思い出しました。
小説も何作か読ませていただき、その中でもとくに好きなのが『風の奏で』と『あやつり春風馬堤曲』。俳人の中でも一番に好きなのが、与謝蕪村とあって、とても興味深く一気に読みました。
全般に謎の多い蕪村ですけれど、とくに蕪村母の出自「ころもがえ母なん藤原氏也けり」についてはそれ以前から釈然としない感じをもっていたので、「わが意を得たり!」と思いました。
(たしかに北陸、山陰地方などでも、ある人たちを「十無い・とうない」とひそかによびます)
当時朗読ワークショップ卒業公演で『山椒大夫』に取り組んでいたこともあって、丹後由良から丹後半島をめぐる旅に出て、想いを深くしました。
「水の江の浦島子」という木札の立っている、浦島神社も訪ねました。
そういうわけですから、この作品の後編をぜひお待ちしております!!
「秋萩帖」、「糸瓜と木魚」、「祇園の子=菊子」は、はじめてですので、読み終わったら、また改めて感想を。
ただこのご本、厚みが相当あるので、電車の中に持ち込んで読めそうにないのが残念です(笑)
はつなつのゆめ
* この的確なすばやい反応を期待していた、ありがたい。「あやつり春風馬堤曲」へ要所に着眼してくれており、さらには、わたしが実のところ一
二に愛している「風の奏で」にも愛読を告げてもらえていて、じつに嬉しい。今度の巻は、「読める」人がかなり限られてくると覚悟していたが、いの一番に、
嬉しいメールが届いた。感謝。
* 五月九日 土
* 起床8:00 血
圧125-69(66) 血糖値77 体重67.1kg
* 社会党を潰したあとは、NHKの占領と朝日新聞潰しという、保守自民の戦後長期戦略がくっきり目立ってきた。そのためには御用口説家と御用新聞・マス
コミがフル動員されてきたし、いまもウヨウヨしている。目をよく瞠いてその目、その口もと、その言葉のウソクサイのをしかと見抜くがいい。のんきな日々に
浮かれていると、大きな黒い渦に巻き込まれて行く自分自身を国民は嗤わねばすまなくなるだろう。
* 憲法は押しつけられた? あの新平和憲法制定直前に日本政府が提示した憲法草案を読んでみるがいい、ほぼ明治憲法の踏襲で、願いは国体護持に尽きてい
た。日本の保守政府は、そういう本音を妙な表現になるが「露骨に隠し」てきた。隠しながら、今日まで反対勢力を惘れるほど根気よく潰し潰しきたのである。
追随憲法だって? バカを云うんじゃない。安倍はアメリカでポチよろしく尻尾を振ってきた。その尻尾は、中曽根の頃から太く長くなる一方ではないか、自
民党政権ほどアメリカに阿諛追従しご奉公に勤しんで莫大な国土と国費と労力とを奉り続けている。国民にもポチになれなれと厚かましくゴリ押しを続けてい
て、ひどくなる一方だ。
言って置くが、国民には政権を批判する言論の自由が、基本的人権が「憲法」により保証されている。政権は、懸命にあのむかしの大逆事件当時のフレームアップをもやり遂げる強圧での国民弾圧へ向かいたがっている。言にもう向かおうとし「法」をすら恣にしようとしている。
* 作業をつづける。その間に、趣のまるでちがう録画映画、シャロン・ストーンの「グロリア」とハリソン・フォードの「K19」とを観た。好きなシャロン・ストーンと子役とが良く、また、ソ連の原始潜水艦の原子炉故障による悲劇を描いた後者も感銘もの。
* 校正も着々進んで、湖の本「生きたかりしに」は下巻までももう責了用意が近づいた。すでに、「選集F」の本紙、「湖の本125」中巻本紙も責了になっている。「最上徳内」に集中しながら、「選集」第九巻入稿を考えねばならない、特色有る第九巻をと思案している。
☆ 美しい5月になりました。
美しい季節になりました。ご無沙汰いたしております。
こちら田舎は美しい季節を迎えておりますが、先日は美術館や博物館を巡ってきました。
みなさんは郊外へ、私は都心へと別行動で住み分けているような感じです。
いつか、機会が訪れますようにと思いながら、ひたすらご健康を祈っております。 菜
* 竹内結子主演の刑事物映画をたいそう面白く惹き寄せられて見終えた。二流の娯楽ものに過ぎないが映画の作法はしっかりしていた。どこかで抜けているというところの無い手だれの作であった。
* 「湖の本」などの発送用意も、まずまず、休日の利を逆に活かして、しっかり出来た。
* 五月八日 金
* 起床8:00 血
圧139-75(57) 血糖値82 体重67.0kg
* 朝一番に、用意の荷造り本を腕車で郵便局へ運ぶ。明日明後日の土日は荷造りだけ。
* 昼すぎには聖路加へ。妻の循環器内科の検査と診察。歩かない方がいいと云われており、築地までタクシーというのもオーバーなので、極力短距離
の所もタクシーを利用する。当然、付き添って行く。軽快してるといいのだが。幸い以前の右腕動脈瘤のときの激痛は訴えていないが、緩やかな痛みと広範囲の
紫斑は目立つ。
病院の待ち時間は恰好の校正どきで、待つのは苦にならない。
* 幸い事なきを得て、病院から帰宅、七時。帰り、気に入り野の築地「更科蕎麦」で、妻は鴨南蛮、わたしは蜆をたっぷり煮込んだ深川蕎麦で、升酒を二合。
病院でも、電車でも、たっぷり校正出来た。病院通いで時間をロスしたということが全然無く、目先も気も変わって自然歩きもするので、上乗。日比谷のクラブへ寄ろうかと思ったが、ま、あっさりと蕎麦がいいと。
さ、明日明後日の土日を利して、送本作業を終えてしまいたい。十八日には、「湖の本124・生きたかりしに」上巻が出来てくる。その発送用意もしなくては。
なにより、健康。
* もう久しくメールを用いているが、送るのも受けるのも難しいことは昔のママ。十数年前、わたしがメールを使い始めたときは、まだまだ極くの少数派であり、雑誌から違憲や感想やエッセイを求められた。
久しく体験してきて、もらうメールに、少なくも対蹠的な二種類があるのに気付く。「語りかけてくる」メールと、「自分のことを語る」メールである。前者
が多いけれど、後者もん数少ないながら、有る。自分が昨日は、今日はどうした、今日は、明日はどうする、とそれだけを書いてくる。
「メールは恋文」と、十何年も昔にわたしは雑誌に書いた。そういう気味に書いたほうが、和やかになる。ひたすら自分のああしたこうしただけしか書けず
に、それが行儀も趣味も良くて当然というメールからは、嬉しい懐かしい楽しい気分や親愛感は伝わってこないと。なにも、 I love youなどとべた
ついて書くべしなど云わない、相手への。向こうへの、優しい親しい思いやりの気持ちの伝わるように書いた方が、無難に和やかだという、それだけのこと。気
が利くとか、気働きとか、要するにそういう情味が大事なのではないか、我の強い人ほど、風情の「恋文」は書けないようだ。
いいメールを呉れる人は、なつかしい。わがことに尽きる報告型のメールは、どんなに細かく弾んで書けていても、とかく、ああそうですか、で済んでしまう。相手の身や気持ちになれていないからである。
☆ 秦 恒平 様
大変遅くなりましたが、過日は「秦恒平選集」第四巻および第五巻を頂戴いたし、まことにありがとうございました。
身辺の雑用にまみれ、頂いたご本の中の小説を読み返してから御礼を、と思っておりますうちに、いたづらに時間が打ち過ぎました。
御礼がはなはだ遅くなりましたこと、ご容赦ください。
秋成の『背振翁伝』(茶神の物語)を読み返しているところに、「蝶の皿」や「青井戸」が収録されているご本が到来し、しばし茶の世界に遊んだことでした。
茶は事を酔わせます。
どうぞ、変わらずお元気でご活躍ください。 長島 弘明 東大名誉教授
* 長島さんのメールをもらい感慨に耽っている。初対面の日、彼は東大のまだ学生ないしは院生だった、わたしを五月祭に呼び出しにきてくれた。五月祭の会
場で東大生たちに何を話したかは全く覚えないが、そのあと長島さんと喫茶店「ルオー」で歓談、その際にわたしからも秋成を書きたい、彼からもぜひ秋成を書
いてくださいという話題になった。わたしは彼に宿題を負うたのである。
その後、長島さんは上田秋成研究を大きく成熟させ、その業績は広く深く知られて、なんと、もう東大名誉教授に。ところがわたしは秋成という宿題を果たせなかった。講談社から書き下ろしで秋成をと依頼されたのも、果たせなかった。
とはいえ、わたしは、じつに、わたしの「秋成」を書きはしたのである。書き始め一応書き終えて三十年、ようやく日の目を見るのが、この十八日の上巻出来
にはじまる「生きたかりしに」なのである。どうその長編がどうわたしの秋成探索に成っているのか、それは読まれれば分かる。
上田秋成研究に目をみはる一生面を開かれたのは高田衛さんだった。その研究をさらに深めたのが、高田さんには後輩に当たる長島さんであり、秋成を語ると
なれば、いまや長島さんの研究に頼らねばならないが、「生きたかりしに」に組み討った頃は、高田さんに学ぶしかない時期だった、そしてわたしは、それを敢
えて改めないままに、「生きたかりしに」を仕上げた。長島研究はまだ知らなかった事実をあえて改めなかった。その必要がなかったのである。
誰に読んで欲しいか、誰よりも生みの母の霊を慰めたい名草、が、ついでは高田衛さん長島弘明さんへ宿題として提出したい。そう思っている。願っている。
* 五月七日 木
* 起床8:00 血
圧138-64(59) 血糖値86 体重67.4kg
* 「秦
恒平選集」第六巻が無事に出来てきた。今回は、巻頭の短篇「祇園の子=菊子」はさておいても、続く三長篇「糸瓜と木魚(子規と浅井忠)」「あやつり春風馬
堤曲(与謝蕪村)」「秋萩帖(後選和歌集の時代)」は、読み物慣れした人にはやや手強く、著者用本の数を減らした。経費負担でご希望の読者も少しずつふえ
ており、各界寄贈を今回はいくらか調整せざるをえない。興味も趣味も有るいい内容なので、減らさねば良かったと、すこし悔いている。
本は出来た。おちついてゆっくり送り出せばよい。もっとも追いかけて「湖の本124」も出来てきて、その発送用意をしなくてはならない、この方は上中下
巻とかんかくを詰めて送り出さねばならない。そのうちに「選集」第七巻も出来てくる。五月も六月も七月までも、有り難い活気ではあるが、労力も蓄えておか
ないと。
* 思っていた半分も荷造りできなかった。脚に造影剤を入れ、そこから心臓血管にまでステントを入れた妻の片脚は、ややに回復していてもまだまだ広範囲に
紫斑が浸潤したまま、痛みも消えたわけでない。その体調を片膝立てで庇うようにして重い本を荷造りかるのは、健常時のようには行かない。明日は午后にまた
聖路加で診察を受ける。悪化が進んでいないことを願うのみ、歩行をむしろ禁じられている状態なので、むろんわたしも同行する。続いて土日、郵便局がしま
る。その間に、荷造り分を溜めるようにする。
* 英国の孫王女誕生にマスコミがなんでああも大騒ぎにはしゃぐのか気が知れないが、某日本の動物園が、生まれた赤ちゃんサルにその英王女の名をつけたな
ど、いったい何を考えているのか。こんなのに類する浅はかなニュースが、政治屋のそれも含めワンサ報道されると、もうもう「発病日本」と歎きたくなる。マ
ホメットを諷刺漫画にしたなど、海外での事件も、なにが表現の自由か、ハキちがえるなと惘れてしまう。
☆ エンコード
お元気ですか、みづうみ。
>* シンガポールから鳶のくれた二つのメールが全くの化け文字で、残念。
誠におせっかいではございますが、iphoneやipadから送られている場合、文字コードの違いで文字化けすることがあります。
メールを開いて、表示をクリック→エンコード→その他→UTF−8クリック となさいますと、見られる場合がございます。だめかもしれませんが、一度お試しくださいませ。せっかくの鳶さまからのメールですから、お読みになれないと残念です。
蕗 あらはれて流るる蕗の広葉かな 素十
* その通りにしたら、読めた。親切、ありがとう存じます。
☆ スコールや雷、いくらか過ごしやすいです。
着いて翌々日の朝、緊急手術で無事男の赤ちゃんが生まれました。黄疸が少し長引きましたが、数値は安心してよいほどになり一安心。
携帯でのメール、不器用なわたしは苦手で短いですが、ごめんなさい。
歌を忘れたカナリヤならぬ、歌を歌おうとしないカナリヤでしょうか? 思うことは溢れ溢れています。やがて溢れ零れるのを願っていますが。
ネパールの地震被害が明らかになるにつれ、衝撃をうけます。貧困や政治的対立に苦しんできて、さらなる苦難から立ち上がらなければならない。ここシンガポールは地震がないところで30階ほどのビルや集合住宅が林立しています。
くれぐれも、目、大事に、無理なさらず、体調も仕事も順調でありますように。 シンガポールのおばあちゃん鳶
* 五月六日 水
* 起床9:00 血
圧135-58(67) 血糖値85 体重67.3kg
* 一部分「念校」希望を添えて、「湖の本124中巻」「選集第七巻」の「責了」便を送った。
「選集G」徳内さんと楊子とのオホーツク寄り蝦夷地の道中は和やかにすすんで、なつかしい尾岱沼「牧場の宿」の一夜も過ぎ、知床へ向かう楊子(ヤンジ
ア)と別れてきた。あれから何年になるだろう。「蝦夷地一件」の旅は、まだまだ半ばである。予想を超えて「北の時代」夢中の旅をつづけている。岩波の「世
界」、よう、こうも存分の連載を許容してくれたと今更に深く感謝。こういう仕事が出来たこと、当たり前のようにさせて貰えていたこと、を、今頃になり、し
みじみ思う。自分で遠慮して小さく縮かんでいた割りに、今思えば、各社・各誌ともまるで好き放題にわたしに仕事をさせてくれていたと思い至る。その厖大な
量の初出原稿が、仕事が、いま、「湖の本」にも「選集」にも成ってくれている、経済をすら伴って。たくさんたくさんのことに、わたしは当時気が付いてすら
いなかった。
* シンガポールから鳶のくれた二つのメールが全くの化け文字で、残念。
☆ 連休最終日
お元気そうで何より。
若い家族とは体力的に合わないので、ほぼいつも別行動です。
今朝、皆が出掛けた後、
一人で小金井公園へ。沢山のテントが張ってあり、若い家族は終日過ごすのでしょうか。
桜
藤が終わり、満開のポピーが新緑に映えて、飽きないです。
元気印だった親友が病と闘っているので、 気重です。他人事でなく… 又 泉
☆ 今朝は
家族の顔を見る前に、ホームページのお顔を見ました。(アップするのに時間がかかるようで、昨日分は昨夜のうちには見られませんでした。花の写真はなぜか一枚しか見えません。)
昨日、一昨日と家で仕事を進めました。家事やテレビも少し。
古典和歌の講話は聴かなかったけれど、和泉式部の歌は心に響きます。
三島由紀夫を巡る討論会を見て、村松英子の「三島愛」に圧倒されました。
春も、はや行こうとしています。
明日は六義園か馬込の文学館にでも出掛けようかなぁと考えています。
いつか晩春の湖国近江へ旅したいと思います。
発送の作業、お怪我などなきように。 黍
* どうも、村松栄子などという三島派は好きでない。云うことより云い方が似而非臭くうそくさいのである。
三島由紀夫の天才は、ミソもクソもいっしょくたではあるが、派手に大きい。彼は谷崎の跫音の大きな響きを讃嘆したが、かれ三島の跫音も大きかった、但し
うそくさい雑音がむやみと混じっていた。臭気は鼻持ちならないほどだった。末期の五部作は、むざんに痩せ涸らびていた。魂をゆるがしてくれる真の名作、名
品のまことに少ない天才だった。作は豊富だが、作品に満たなかった。ま、わたしは彼が初期中期の作や劇作に惹かれた。三島愛などといえる心酔の気持ち、微
塵ももた無かった。
* 五月五日 火
* 起床7:00 血
圧141-77(52) 血糖値86 体重67.0kg
* よっぽど疲労が溜まってか、一日中何度も居眠りした。仕事は進んで行くのだが、そのぶん律儀なほど疲れものこる。目がよく見えないので疲労は
加わるばかり、それでいて、やっぱり仕事していることが、そのときが、気分はいい。やめようとか、投げ出そうとかは想わない。胃のない腹具合の重苦しさへ
疲れがのしかかる。これには参る。
* トイレの手洗いに溢れるように、アメリカ岩南天の白い花房も、わびて青い葉色のかたちも、優しくて。ほっとする。眺めたままふうっと眼を閉じて行く。
* 十時半。もう寝よう。今朝は九時半まで寝床にいた。寝ていない。眼のいい起き抜けに、床に坐ったままゲラを読むのだ。働いてしまうと浅間血圧はすこし高くなる。
* いま、この「私語」のフタマにおいた写真、どの一枚もが目にしみて美しい。花は、どっちも通りすがりの道ばたで見掛けた。花が好き。葉も好き。
いま入れてみた松篁さんの金魚、水は描かれて無くてシカと游いでいて嬉しなる。
* 五月四日 月
* 起床7:00 血
圧151-75(55) 血糖値92 体重67.3kg
* 晩がた、渡部泰明さんの古典和歌の講話、それも今晩は和泉式部の名歌を数々引き合いに、男、女、子、神までふくめ生の悲しみにも死の重みにも幾重にも触れて聴き応えのする話されようだった、ふと涙ぐむほどだった。
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな
暗きより暗きみちにぞ入りぬべしはるかに照らせ山の端の月
まことや…と胸にとどく。男なら西行でもよい、女なら和歌は和泉式部に極まると久しく思ってきた。拾遺、後拾遺また千載集の和歌を繰り返し返し読んでひたすら愛でて飽きないには、和泉式部への愛がある。
* 霞んで見えない目をやすめやすめ、今日も書いて読んで、そしてテレビもながめていた。テレビに出てくる人の見当はついても顔が見えない。
これでは、自転車が危ない。疲れる自転車での遠出は、したくても已めた方が良い。
* 「生きたかりしに」は中巻を責了可能なところまで運んだ。オクリが複雑に出たりし、頁数の精確な読みに夜前は三時頃まで唸った。アタマが悪くなっているので、せめて本の仕事は、イライラしないで時間かけ手間もかけて間違わぬようにしたい。
徳内さんとの蝦夷地の旅へ懐かしい「楊子」が現れ出てきた。校正が、嬉しくなる。
* 五月三日 日
* 起床8:15 血
圧127-69(57) 血糖値91 体重67.5kg
* ロシュフコー(今後は、ロ公爵と謂う)は云う、
「47 他人に対して抱く信頼の大部分は、己れの内に抱く自信から生まれる」と。また、
「392 運も健康と同じように管理する必要がある。好調なときは充分に楽しみ、不調な時は気長にかまえ、そしてよくよくの場合でない限り決して荒療治はしないことである」と。
前者は謂い得ている。後者には他の判断もあり得ようか。
わたしの過去にあって、それは好調の不調のという判断でなく、生涯の行く手を決する意欲と覚悟の問題だったが、
@ 大学院を見捨て、そこでしか生きられないと人にも謂われていた「京都」という基盤を一気に抛擲し妻と「東京」へ出、就職し結婚したこと。
A 貧の底の暮らしの中で、敢えて高価な支出に堪えて私家版で小説や歌集などを四册もだし、ワケも意味も分からぬママ、志賀直哉や谷崎潤一郎や小林秀雄らに送るという行為に出たこと。
B 六十余の著書をすでにもちながら、騒壇に背を向け読者と相向かうような「湖の本」創刊に踏み出したこと。
少なくもこの三条は「ロ公」の誡めている「荒療治」に類していたのだとは考えていない。しかも明瞭に成功した。@で良い家庭を得、Aで念願の作家の道へ
太宰賞という大きなおまけつきでさながらに「招待」された。そしてBは独特の文学活動としてもう三十年、百三十巻に及ぶ実績を維持継続し、「騒壇余人」と
して生き長らえ、「選集」刊行にまで到っている。
自慢でも自賛でもない、決然と行わねばならぬことが「ある」という、それに尽きている。
* 渡部泰明教授の放送大学古典和歌の講義を、歌枕としての各時代の吉野山について、また和歌・俳諧の伝統に於ける「霞と時雨」について、とっくり聴い
た。放送大学の講義は概して講義のすすめかたが陳腐であったり鈍重であったり独り合点に過ぎたりして時に聴くに堪えないのが混じるが、今晩の渡部さんの古
典和歌の語りは聴きやすく分かりよく、大いに共感して妻と一緒にこころよく楽しませてもらった。和歌、好きだなあとしみじみ思った。
* それにしても安倍総理の、度はずれたアメリカでの阿諛追従の亡国演説や暴走に、怒りと憂悶とを覚えずにいられない。昨日のバーン教授も話され
ていた日本には掛け替えない優れた豊かな文化のあることに思いを深めつつ、カスカスの魂に乾上がって行くことをなんとしても拒んで生きたい。和歌、物語、
俳諧、美術、能、歌舞
伎、伎楽、舞踊、茶の湯、庭園、建築、そして民謡や藝能。今日の演劇、音楽、映画も加えていい、相撲やスポーツも大事にしたい。その為にも、平和憲法の要
である「前文」と「九条」とは死守したい、それらの上でこそ文化も生き抜ける。たんに「改憲」「護憲」といった大雑把な議論に誘導されて騙されてはいけな
い、現行憲法でも改めて当然の条項も有るのだ、しかし「前文と九条」とは徹底して日本の宝として死守しなければならない。それは、大量の戦闘兵器よりも平
和裡に間違いなく戦後日本を護ってきたし、今後も、平和憲法を守っている日本を無道に他国から攻め立てるということは、「世界」現代の理性が許さない。ウ
クライナのような歴史的な絡みからロシアが横暴を尽くしているような、あんな歴史認識は、逆に、中国にも韓国朝鮮にもロシアにも許されはしない。それより
も、一朝事あればアメリカが護ってくれるなどという事こそ、百に一つも無いものと思って毅然と平和な自立を護らねばならない。それなのにアメリカの戦争の
先陣さえ駆けましょうというほどのバカ三昧にうつけていて、どうなることか。大国の外交は猛烈な「悪意の算術」ではちきれている。安倍総理は歴史に嗤われ
る前にすでに世界に嗤われている。
* 久しい付き合いの宮下襄さんが、「元気な間の、日々、片見分けのつもりで、こんな本にしました。ご笑納下さい。どうぞお元気で。奥様もお大切に。もう少しの間、がんばってみます 秦様」と便りがついて、見事に美しく出来た佳い研究単著が送られてきた。
むかし、学研でわたしの担当『泉鏡花』一冊を編集担当してもらった。その後退職されてから、おりにふれ藤村研究と宮下さんの詩篇とが次々送られてきて、わ
たしは藤村学会にお入りになると推薦したように覚えている。藤村生涯の生彩に富んだ発見や探求を緒論文にされてきたなかで、この大作『テーヌ管見 私の「英国文学史」 藤村研究のためのノート』はじつにみごとな、眼を洗われるような秀作で、わたしも読者のいろんな創作や評論を読んできた中で、傑出した成果を生み出されている。この論考は以前に、旧稿のまま読ませてもらっているが、手が入ってはるかに充実を成している。こころより刊行をお祝いする。「テーヌ」の名ももうなかなか人の口に上らなくなっているが、振り仰ぐような大きな名の文学史家であった。
☆ いつか散り散りになってしまうよりは、
形だけは残しておこうと思い立ったもの(=『テーヌ管見 私の「英国文学史」 藤村研究のためのノート』)です。本棚の隅にでもお置きください。
最初は古い原稿を渡せば済むと気楽なものでしたが、そうはいかず随分と頭を抱えました。
○ 「あるがまま」 「生きている人間」ということでも、「我々はもう今日、自然(ナチュール=本
性)といふものがどんなものだか知らない。我々はまだそれについて十八世紀の温情に富んだ偏見をとどめている」(第二篇「ルネッサンス」第二章「劇」四)
とテーヌは書いていますが、私もそのような「温情に富んだ偏見」の中にいるのでした。「露骨な邪悪」とか「放縦な、…狂人に近い人間」とか、「遊蕩と乱行
にふけり」 「錯乱した生活」 のあげく死を迎える詩人たちという過激な言葉すらロマン的な幻想に溶け込んでいたかのようです。
○ 「ディレッタンティズム覚書」などもたどたどしい言葉を連ねましたが、たとえば若い一人の作家の出発を、彼は「洗練されたディレッタンティズムから
出発した」などとは私にはとうてい書けないことに思いました。これもブールジェの文にふと見つけた言葉ですが、我々の文学にはこういう言い方はなく、ディ
レッタンティズムとはそもそも「底の浅いその場限りの」、あるいは「半可通の、訳知り顔の」という侮蔑の意味が強いのではないかと思うのでした。(島崎
=)藤村が書いた言葉に引きつけて言えば、ああいう場所での 「批評的理解」 の底の浅い 「濫用」は、いかにも軽薄な、思想のサロン化という印象を、我
々の心に残すのかもしれません。
○ そのほかいろいろなことがありますが書ききれません。笑顔でいつかお伝えできればいいのですがおそらくその時間はなく、何かあったらどうぞご批判ください。
そんな言い訳もついでに、残り少ない時間のうちに。ワープロの記録を見ると、「テーヌ語録」などのノートが二〇〇二年に、バイロン、ミルトンの部分の訳
が二〇〇三年にあって、「テーヌ管見」という初稿は二〇〇四年に始まっていました。長い時間が経っていたのだと我ながら驚きました。平成二十七年四月三十
日 宮下 嚢
* もう大分むかし、大阪の松尾美恵子さんが平家物語の延慶本研究を一冊にされた仕事にもすこぶる教えられた。
小説では、早稲田の文藝科で「行けよ」と背中を押してきた角田光代が、我が家で小説をこそ書けよ書けよと励ました甥の黒川創ががんばっている。息子の秦
建日子も、いろんな読み物を書いては、しっかり稼いでいるようだ。読み物小説よりは、時代の水準をするどく突き抜いた劇作に期待したいが。
もう一人でも二人でも、わたしの近くから創作や批評の真摯な実力で世に出て欲しいなと願っている、のだが。
こう云ってはワルイかもしれぬが、映画「夕陽が丘三丁目」だったかの中の作家志望ないし売り出しようは、信じにくい。あのような苦心惨憺のウリは、逆に
うそくさく見える。髪の毛をかきむしって地団駄踏んでみても、作家になるにはいろんな才能と開発とが不可欠。その見極めがどうなっているのか、だ。ことに
「龍之介」を慕う純然の文学に花咲かせるためには。
* 「原稿・雲居寺跡」を読み続ける。おもむろに物語は近江の佐々木を芯にしながら鎌倉と京との葛藤が目立ってきている。フーン、そう云えばわたしは高校
の頃から承久の乱に関心つよく、慈円の「愚管抄」をその方面の問題意識から読んでいた。思い出してきた。なぜか近江源氏の「佐々木」一党に身も心も寄せ始
めていたのも、能登川という母の生国に膚接した佐々木の本貫であったからか、あきらかに後年の『みごもりの湖』胚胎の偽らぬ徴証であった。
* 五月二日 土
* 起床7:15 血
圧145-66(58) 血糖値78 体重68.1kg
* ロシュフコー(今後は、ロ公爵と謂う)は云う、
「166 世間は偉さそのものよりも偉さの見掛けに酬いることが多い」と。悪臭にも似てその例、政界・官界・学界・あらゆる騒壇に幾らでも見られる。また、
「266 野心や恋のような激しい情念でなければ他の情念を征服できない、と信じるのは間違いである。怠惰はまったく柔弱ではあるが、にもかかわらず、しばしば他の情念の支配者にならずにはいない。それは人の生涯のあらゆる意図、あらゆる行動を浸蝕し、知らぬまに情念も美徳もつき崩し、消尽するのである」と。
*
世界的に卓越した歴史家として知られる、アメリカ、マサチュセッツ工科大学のジョン・ダワー教授の、TBS取材談話をたっぷり聴いた。諄々と説き
すすめる談話は、よく整備されていて、核心は、戦争へ戦争へ政治が舵を取ることの悲惨さ、日本の戦争から得た最も大きな宝は「平和憲法」であるこ
と、日本がアメリカのあたかも前衛を引き受けて戦闘準備に奔走することの愚かさなど、沖縄についても、戦争への深い反省からまなびとらねばならぬことも、
縦横に語って、理路整然、説得力豊かな内容で、身を乗り出して聴き入った。安倍総理と自民政権は、「はっきり間違っている」と云いきっていて、そ
の論点も論旨も、すべて、わたしなどが云い、思い、憂えてきた内容を百パーセント裏打ちしていた。感銘を受けた。再放送をぜひ願うと極へ電話した。憲法記
念日を明日にひかえ、TBSの志向と論調にこのところ多大の共感を持っている。朝日も、渾身の誠意と力量とで、もっとシャンと働いて欲しい。いまやNHK
は政府御用を務めている。危険極まりないジャーナリズムのピンチに、ダワー教授の冷静でしかも熱と力にみちた談話は素晴らしかった、有り難かった。
安倍政権は着々とマスコミ向けスポークスマンを飼い慣らしながら、あきらかな亡国への戦略に耽っている。コメンテーターの質をよくよく見極めないと危ない。もうやがた徴兵を口にして総理に阿諛する議員が、ひょっとして女議員らが現れかねない、用心したい。
* 他方で今日もたくさん校正ゲラを読んだほかに、例の「原稿・雲居寺跡」も読んだ。物語は鎌倉が京を制圧したあの承久の乱のころへ動いていて、二代つづ
いた藤原公家将軍が唐突に都へ還され、皇子将軍が新たに樹ったりした頃へ大きく動いている。書いたわたしがビックリするような語りと想像をこえた聴き手が
出来ている。語り物の平家、琵琶平家の担い手がどうやら高貴な、うら若いほどの公卿に夜をこめて長物語を請われて話している、らしい。まだ、作者のわたし
にもこの先の展開が思い出せないが、原稿はまだまだ書き継がれてある、ようだ。むかしふうに謂うならなかなか「きょうとい」つまりおもしろいわたしの日々
ではある。なにが夢でなにがうつつなのやら。
☆ お元気ですか、みづうみ
イルポスティーノはしみじみ佳い映画でした。郵便配達人の俳優の遺作となったのが、今も残念です。深刻な病を抱えながらの撮影だったと聞いています。
みづうみはわたくしをこきおろしていると、お元気になるようですので、嬉しいとは申しませんけれど、それもよし、と思っています。なにをなんと書いたらわかっていただけるのかわかりませんが。
せめて、作家秦恒平の親切な読者であり、誠実な同時代の証言者の一人になりたいと頑張っているところです。能力が足りなくて、成果が出せないことが心苦しく残念なのですが。
「或る寓話 ないし猥褻という無意味」で、どうみづうみ観が変えられるのか、変えられないのか……。変えられないと思っていますから、楽しみに完成をお待ちしています。
評論を書き直しているのですが、もしお許しいただけるなら、みづうみ
がデビューしてしばらくしてから書いたという「作家さよなら」の一文を読ませていただけないでしょうか。そこに、みづうみが現在の秦恒平である根があると
思うのですが、公開はご無理でしょうか。永遠の秘密になさいますか。そろそろ解禁なさってもよろしいのではないかと思います。少なくとも、この一文、秦恒
平を読み続ける者なら、必須の一文として、わたくしは大切に大切に考えていますが。 山 夏山に向ひて歩く庭のうち 素十
* それなら、簡単に見つかると思っていたのに「作家さよなら」が手文庫に無かった。捨ててはいない筈だが。ま、沈思し熟考しての告白ではなかった、いま書いておかねばとは思い入れ、しかし走り書きで浄書などもしていなかったと思う。
また捜し物が出来てしまった。捜す、という行為が常住のことになっている。捨ててしまうことを励行しなければ。が、まあ、これは根気よく捜索しよう。
* 「イル ポスティーノ」の郵便夫詩人は、みるからに痩せこけていた。病気じゃないのかと思って見ていたが。やっぱり。
* 今日から連休になるらしい。連休あけには「選集E」が出来てくる。どきどきしている。こんどの送りでは、妻を疲れさせるわけに行かず、たとえ100あ
まりでも、ゆっくりとと。追いかけて新作未発表長編の湖の本が「上中下三巻」つづけて出来てくる。「選集F」も併行して出来てくるだろう、どきどきする。
元気でいなくては。
* 平成二十七年(2015)五月一日 金
* 起床8:00 血
圧128-64(57) 血糖値82 体重67.5kg
* この慣用、愛用の古機械はいまや電源を入れてから希望のこの画面に落ち着くまでに、時には十分もかかる。いらついて無用にキーを敲いたりすれ
ばぜんぶやり直しになる。で、その待ち時間をわたしき辛抱の妙薬とし、そのあいだに「陶淵明全集」「白楽天詩集」「日本唱歌集」や「後拾遺和歌集」「茶道問答集」ないし「ラ・
ロシュフコーの箴言集」「眠られぬ夜のために」などを機械のすぐそばに置いて気儘に手に取り、いっときの静謐を求めたり脳の廻転を促したりしている。いま
は「中世の非人と遊女」のような文献も置いてある。わずかな時間ではあれ、生き生きとした佳いチャンスとして大事につかっている。
ロシュフコーは云う、「われわれの力(メリット)が低下すると好み(グウ)も低下する」と。わたしも、これには気をつけている。「洞察力の最大の欠点
は、的に達しないことではなく、その先まで行ってしまうことである」というのも、痛いほど。先までいってしまってから迷論を叫んでしまうエライ人の多さ
よ、自戒が、だいじ。
* まるで高校生の作文程度の、しかもわるいことに真実感に全然欠けた、うそくさい、安倍米議会での演説。なんじゃ、これと、呆れる国売り姿勢、歯の浮くようなしかも本音のアメリカ・ポチの甘ったるい演説。この総理には、日本国憲法への忠誠、かけらも無いのか。
* 思い立って市の老人福祉館へ利用願いの書類を出してきた。
遺憾にも談話室に、低いソファと卓としかなく、倚子での書き物・読み物机が無い。おばあさんたちが数人で盛んに大声で話していたのは平気だが。それでも、
ともあれ持っていっただけの仕事はして、トイレを使い、幾つかの部屋をみてまわって帰ってきた。囲碁に熱中の二十組ほどが湯気の出そうに対戦の部屋があっ
てびっくりした。いま、人と碁を闘わせて過ごす気も時間も無い。和室の大広間、洋室の大広間では民謡などの会合のようだった。
やっぱり、何処か気に入りの喫茶店を探すしかないが、目下、近在に一軒もそういう店が見つかってない。このぶんだと、やはり長距離の空いた乗り物がいちばん「校正」には好い。やれやれ。
*
大昔には会社からメーデーに参加もしたが。わたしも、これで、やはり労働者の一人だと思ってはいる。しかし労働者は一人では弱い。大きな、昔の総評なみの
組織ができないかぎり、この踏んだり蹴ったり時代の働く人達の大勢は、ますます、ますます政治と企業と時代の「食い物」になって、かみ砕かれ吐きだされる
だけ。民主党がよりかかっている連合をわたしは信用していない。
* 写真家井上隆雄さんの、下鴨社を包む糺の森を縦横無尽に写されたすばらしい大冊『光と游ぶ』が贈られてきた。あ、と声が出たきり息を呑む美しい樹々や空の、また花やせせらぎの、何百とあろう写真に見とれて動けなかった。嬉しい。
☆ 春、
札の森には、新しい生命の色彩が光を帯びて輝いている。
日々、美しく移ろう無常の自然。そこに満ちてくる心地よい大気。
四月二十七日には「式年遷宮」がご斎行になり、訪れる人々の心にも、新たなる気配が、何処からともなく漂っているようだ。
この写真集は、私の拙い美意識や作為から出来得る限り離れ、ただただ無心に徹して、自然の真実、あるがまま、そのままの相と出遇い、見つめてみたいと撮り進めてきた。
光と陰、風や、雨や雪、瀬音や鳥の囀りとも交わり融け合う自然の万象。
その種々の様に導かれ、遥か向こうに「何か」を想い、そしてまた、時には、念いつつ。
未熟な写真集ですが、ご高覧賜りますよう、どうかよろしくお願い申し上げます。 井上隆雄
* 選者の折、京都美術文化賞に推した井上さんである。それまでは写真作家には授賞していなかったが、わたしは強く推した。井上さんの世界にはまこと特別の清い光が風になって流れている。
のちに、甲斐扶左義君も、京の町と人を撮る写真家として推賞した。
* 先頃、京都の森下辰男君から中学同窓のちいさな会があって、みな、わたしの容態を案じてくれていたと手紙をもらった。
その会の、いつも世話役をいつものように丁寧にしてくれる西村肇君から、今日、手紙や写真が届いた。
☆ 拝啓
いつにない短かい春もすぎ初夏を迎えました。
お具合は如何ですか、おたずねもせず申し訳けありません。「湖の本」が届くたび最初に目を通すのが「私語の刻」の頁で、恒ひらさんの日々のことを早く知りたいと思うのです。
遅ればせ乍ら 二月に京都府文化功労賞を受賞されましたこと 誠におめでとうございます。
一月七日 朝日紙で知り 授章式はどうされるのか、来られるのだろうか、寒い時に障りがあるのでは…と案じておりました。
決して楽ではない日常の生活とお察ししていますが、少しずつでも快い方向へ進んでいると信じていて期待も大きく、恒平さんが無理なく京都に来られるような状態に回復されたら 弥栄中の同窓会を開いて、激励やお祝いの会をさせてもらえるかと ついつい思ってしまいます。
好きな歌舞伎を観たり上品な和食とお酒を楽しまれるご様子も「私語の刻」で承り ホッと安堵しています。
一組の高城組の10名ばかりの常連が 春秋 機会を見つけて集まります。恒平さんへの心配が話にでます。皆さんに便りを出してもらうよう頼むのですが
おそれおおいと遠慮するばかりで「よろしゅう ゆうといて…」という結果でした。先日、瀬尾(重宏)さん、(内田)豊子さんが応じてくれました。四月十七
日の写真を同封します。 お分かりになりますか。
ついでにもう一枚は十年まえ古稀を祝った同窓会の時のものです。
どうぞ 無理せず お大事になさって下さい。
ご萬安をお祈りしています。 敬具 平成二十七年四月三十日 西村肇
秦 恒平様
お札は 小生 二十年まえに胃を3/4摘出して以来 ずっとお守りにしていたもので、地蔵院へ出向いて授かってきたものです。ご笑納ください。
尚、返信のご心配はご無用とお考え下さい。 謹白
☆ 秦 恒平様
一年振りで皆様と食事会をやり お元気なお顔を拝見致しました。
80歳が目の前になりましたが 今の所 体調を損なうこともなく元気で過しております。今年は自治会長をやらされたりして少々大変ですが ボケ防止のつもりで御奉公しております。
子供の頃 新門前のお宅で プロレスTVを見せて頂いた事を懐しく想い出しておりました。
どうかお元気で過ごして下さい。 瀬尾重宏
☆ 秦さん江
内田豊子です。
今日は西村肇さんのおよびかけで バレスサイドホテルでお食事会をしました 11名が集い楽しいひとときでした
皆 秦さんのお躰のこと心配しています くれぐれもおいといくださいませ いつの日か 又 お目にかかれます日を楽しみにしています。
今は 歌舞伎ざんまいです。
歌舞伎ってほんとうに最高です!
今 こうして書いている時 松尾良輔さんが くれぐれもよろしくと云ってられます。
* 西村君は、京一、二の友禅会社の重役を勤め上げた、温厚で親切ななにもかもの世話役をいつも務めてくれる人で、湖の本を久しく大事に支援してくれている。優情あふれる嬉しい手紙。ありがとう。
瀬尾君は、小学校へ途中入学してきた友だちで、かれはプロレスTVなどを懐かしがってくれるが、わたしから云うと、彼のお屋敷然とした家へ押しかけては、ひたすらいろんな本を読ませてもらった懐かしさ有り難さに堪えない人なのである。
内田さんは中学一年で同級、わたし自身が、演劇大会のためにモーレツな演出をした劇の主役で、日頃声もきけないほど温和しいのを強硬に引っ張り出した。
最良の思い出となり、その劇で、わたしたちの一年二組は全校で一位優勝した。隣の一年一組の劇が二位になり、そのヒロインだったのが小説「祇園の子」の
「菊子」である。この小説は、永井龍男先生にも笠原伸夫さんにも生涯記憶に残るほどの称讃を得たのだった。豊子ちゃんがいま歌舞伎に夢中とは嬉しいではな
いか。
松尾良輔君は群れない狼のような暴れん坊だったが、後々には大きな紳士になって現れた。
みな、わたしの「早春」期の懐かしい友だちである。京都への郷愁、抑えがたくなっている、が。
* 晩、「時」というこわい題の、静かに静かな凄みの洋画をみた。メリル・ストリープやニコール・キッドマンら凄みの利く卓抜な演技派女優
を何人もならべ、名優エド・ハリスを芯におきながら、女流作家ブァージニア・ウルフの小説に取材の、難解で深刻だが喩えよう無く魅力ある映画を、録画から
えらんで、妻と観た。
後刻、「夕日ヶ岡三丁目」とか云う好きな映画のあれで三作め位なのを楽しんだ。薬師丸ひろ子が好き。今回ではひときわ堀北真希が好きだった。人品というのは疑いなく目に見えて人の心をうつものだ。
いまひとつ、この映画で描かれる「作家」志望の描き方は、わたしの想いでは、つくりばなしめく。