述懐   平成二十六年(2014)八月

 見るままに露ぞこぼるるおくれにし
    心もしらぬ撫子の花               上東門院
 
 大雷雨鬱王と会うあさの夢              赤尾兜子

 犬も 馬も 夢をみるらしい
 動物たちの 
 恐しい夢のなかに 人間がいませんように     川崎洋
 

 向日葵の大声で立つ枯れて尚             秋元不死男
 
  どんぶりを抱へてだれにも見られずに
     立蕎麦を食ふ時が好きなり           岩田正

   ひかりふる梢のみどり濃くゆれて
    つかのまわれは生きをうしなふ         湖

 岩づたひこぼるるほどの真清水の
    わが尿よ尿よいとほしみ聴く           遠





                                         染色家 三浦景生書簡            茄子浅漬
 


 安倍「違憲・棄憲」内閣は、国と国民の平和を危殆・破滅へ導く、安易で好戦姿勢の集団自衛権を、「閣議決定」一つで決めた。
 断乎、これを拒否する。
 かかる大事を、かくも違憲・独裁・強行するならば、解散・総選挙で「民意を問え」と、私は提言する。

 同調の声の燃えんばかりに広がるのを願う。
      
平成二十六年七月一日       作家 秦 恒平


* 倒せ、独裁政権!





* 八月三十一日 日

* 
起 床8:45 血 圧127-68(61) 血糖値94  体重67.9kg

  ☆ 
秦先生

 返信ありがとうございます。
 大泉学園駅ですと、駅南口の「ゆめりあ」のなかに湯葉と豆腐料理のお店「梅の花」があります。おばさま族向けのおお店で、若者はいません、比較的落ち着いてお話しできます。
 そこが良いともいます。
 一駅電車できてください、駅からすぐです、改札口でお待ちしています。
 (大泉学園駅の近くは道も狭いので自転車は危ないです)
 是非奥様もご一緒で。
 都合の良い日時をお知らせください。予約しておきます。
 ランチ、ディナーでもどちらでも。
 宜しくお願いします。   直樹


* 出合う場所が分かっていると気がラク。四十余年ぶりに昔の小学生君に会えるだろう。

* 「選集B」の要再校ゲラを送ってきた。すぐさま「湖の本121」発送用意にかかる。

* 朝から、眼の見えないのに困惑・憂鬱。視野がまぶしく濁っている。昼間からうまい山葵漬をさかなに、八海山を戴いている。

* 眼精疲労、底知れず。寝入るより逃げ道がない。
 明日はまた、歯医者。



* 八月三十日 土

* 
起 床8:30 血 圧125-73(50) 血糖値90  体重67.7kg

* 昨夜は一度も起きず熟睡した。なにとも知れないがよろこばしい気分で夢ともみえない夢に揺られていた。

* 昨晩気付いたが、もう十数年、インシュリンを朝昼晩と注射し続けてきた腹部に、一箇所、十円硬貨大の鮮明に赤い硬結が出来ていて、触れるとビー玉のよ うに円く硬い。シャツ二枚の上から指で触れても分かる。恐らくは虫さされであろう、かなりの痒みを帯びている。それにしてもかつてない赤身と大きさ硬さ で、気持ち悪い。

*  竹西寛子さんより、山は富士、海苔は佐賀で知られた「佐賀海苔有明海一番」二缶を頂戴した。いつも変わらぬお心遣いに低頭する。ご健康を心よりお祈りする。

 ☆  秦 恒平様  処暑を迎えても
 いまだに不順なお天気が続いていますが 強い気持ちで日々をお過ごしになっていらっしゃることに感慨ひとしおでございます。
 この度は『秦 恒平選集第二巻』を御贈呈くださりお礼の申しようもないほど嬉しゅうございました。(八月=)ニ十七日の日妃のなかの、「わたしが、願ってきたのは、むず かしいのやさしいのでは全くなかった。<文学>の香気が作品という品位をつくり得てぃるかどうか、作が作品を持ち得ているがどうか、それが願いだった。そ れが文章にどう表せるか示せるがだった」という言葉に心から納得できました。秦さんの作品を読みきることは私にはできないと分がっていても、作品の世界に 惹きこまれ、老いの身にとって生きがいになっています。急がず焦らずじっくりと味わっています。
 本当に有難いことです。日日是好日でありますように。  岡山市  有元毅

* 名酒「八海山」最上乗の一升を頂戴した。嬉しくて。今夜は、陶淵明のように酔いたい。ありがとう存じます。

 ☆ 起てよ なんぞ其の波を揚げざる  屈原  陶淵明
 「世人皆濁らば、何ぞ其の泥を淈(みだ)して其の波を揚げるざる」 屈原
 「襤褸 茅簷(ぼうせん)の下(もと)、未だ高栖と為すに足らず。願わくは君 其の泥を汩(みだ)さんことを。」 陶淵明
   ボロを着てボロ家に住むのが、高尚な暮しですかね。 あなたも一緒になってこのドブ泥の世の中を掻きみだしたらいかがです。

* 東電の非道無能はすこしも変わりなく放漫に放置されており、安倍「うそつき」政権は、東北の原発危害に責任をとらず放射能への万全の備えも怠慢に対策 無きまま、再稼働・温存・あまつさえ原発輸出計画まで執拗に狙っている。國は傾きを強めており、安倍総理の表情に弱気と苛立ちが見えている。ヒットラーた らんとし、それにも成れないというコンプレックスのまま名誉心に喘いで更なる暴発へ向かっている。国民は、無力感にとらわれてはならず諦めてはならない。

 ☆ 城跡に
 萩の細い紅色が揺れるようになり、田舎は確かな秋が始まりました。
  『選集第二巻』の発行をみ、益々お元気にご活動のご様子、何よりのことと、お喜び申し上げます。
 御恵贈いただきましたことに対しお礼申し上げる前に お心遣い戴いていることに深い感謝の念を禁じ得ません。ありがとうございます。
 私、春、教育財団と小児科の仕事を離れ、大変、楽になりました。
 ご健康に、沢山のお仕事をなさって下さることを、心から祈っております。 かしこ   那珂市 菜

 ☆ 前略
 『秦 恒平選集第二巻』 できあがるまでのご苦労を思いつつ あらためて手に持ったすばらしさに感じいっています。
 国債の大暴落でも起きないと安倍政権はまだ続きそうで 暗くなるばかりです。集中豪雨の連続といい、炎暑から急に涼しくなったり 変なことが続きます。あまり御無理なさらずお体お大事になさって下さい。草々   青田吉正  元中央公論社

 ☆ 冠省
 選集第二巻御上梓のお祝いを申し上げます。大切にいたします。
 ひたすら御清硯をお祈り申し上げます。不尽
   雀二羽 のせゐるちから破蓮(やれはちす)  谷地快一  国文学者 俳人

 ☆ 残暑お見舞い申し上げます。
 お元気で執筆の由 嬉しく ホームページで拝見しております。私も原稿に追われ苦しんでいます。
 本日第二巻ご恵贈いただきありがとうございました。落ち着いて拝読したいと楽しみにしております。
 近日中に「ルビーロマン」お送りしますので 奥様とご賞味下さいませ。 
 とり急ぎお礼とご案内のみに失礼いたします。  石川金澤  金田小夜子 

 ☆ 美しく
 豪華な本で、手に ずしりとおさまります。気持ち、お納め下さい。
 大切に 味わいたいと思います。お体を大切にして下さい。  愛知知多  久米則夫

 ☆ 選集第二巻発刊
 うれしく存じます。感謝いたしおります。些少 お納め下さいませ。  香川高松  星合美弥子 

 ☆ 「清経入水」は
 私の大好きな作品です。大切に、この美しい本で、また読ませていただきます。
 些少ながら、お納め下さい。第三巻以降もよろしくお願い致します。
 くれぐれもご自愛下さいませ。  中野区  安井恭一

 ☆ 「秦 恒平選集」第二巻
 まことにありがとうございます。
 製作実費などわかりませんが、とりあえず送らせていただきます。
 不足の際は、次回第三巻配本時にご請求下されば幸いです。    世田谷区  鈴木定幸

 ☆ 神奈川近代文学館  国立国語研究所  名古屋大学国語国文学会  お茶の水女子大学付属図書館  同志社大学図書館からも「選集第二巻」受領の礼状が届いている。

* 「選集B」要再校の用意が出来た。

* 一昨日にも帰国と聞いていたロサンゼルスの人から連絡がない。すこし前に強い地震があったとニュースが報じていたので気にかかる。

* 「選集C」の巻頭「蝶の皿」は事実上の受賞第一作として、昭和六九年「新潮」九月号に、当時の新人賞受賞者たちの作と並べられた。黒井千次、坂上宏ないし亡くなった渡辺淳一ら十人ほどの作がならんだ。気のある人は、その号を実際に読み比べて欲しい。
 此の作は、谷崎潤一郎の松子夫人との御縁を結んでくれた。 
 そしていま「廬山」を(入稿のために)読んでいる。「新潮」で何ヶ月も容れられず、癇癪を起こして「展望」へもちこんだ。あっと驚く翌月には掲載され て、即、芥川賞候補作とされ、滝井孝作先生、永井龍男先生に推された
。小学館の文学全集にも採られた。受賞者は李恢成氏と東某氏との二作だった。李さんとは今も著書の親しい往来があ る。
 「選集B」はわたしの美術もので纏める。高校で美術コースの友だちと触れあい、大学では美学・藝術学を専攻し、作家になってもかなり旺盛に画家や工藝の 名品を小説に書き論攷・論著も数重ねた。NHK日曜美術館にもひところは常連のように何度も出演し、あげく京都美術文化賞の理事選者を二十四年も務めた。 「選集A」の「繪巻」も「選集B」の「畜生塚」「隠沼」「隠水の」も同じく美術との宴が濃い。「選集C」はわたしの愛執のひときわ濃い小説集に成る。わた し自身が楽しみに待っている。中には「閨秀」のように朝日の文藝時評全面を用いて賞賛された作も、福田恆存さんや梅原猛さんらとのご縁を生んだ長編「墨牡 丹」も入る。
 眼を労り労り読み進んで、無事入稿したい。来年のことをいうと鬼が嗤うそうだが、来年の一月か二月には出せるだろう。

* 眼鏡を掛けても掛け替えても、字が読めない。視野は濡れたように曇っている。さっきニメートルほどさきのテレビ映画がよく見えないので、バカみたいに 眼鏡を二つ重ねてみたら、ウソのように画像がクリヤになったのに惘れた。そうは長持ちはしてくれないのだが。眼鏡の問題以前に、視力や眼精自体がしょっ ちゅう動揺しているのだと思うしかない。「選集」の校正ミスが気になる。「粟田山」が「栗田山」に、「咄嗟」が「咄嵯」になど、情けないほど直し続けてき たが、同様の直し洩れが幾らも有るだろうかと思うと情けない。

* 書き進めている小説の一つを、気を入れて前へ押し出していた。もう十一時半になっている。

 

* 八月二十九日 金

* 
起 床5:30 血 圧136-75(51) 血糖値100  体重67.4kg

* 濃いお茶にのまれたか目が冴え、電気をつけて本を読んで早朝を迎えた。「選集B」の「誘惑」を初稿し終えて、要再校で戻すことが出来る。かなり綺麗なゲラなので早くに再校が出るだろう。その間に前・後ろのツキモノを入稿してしまう。追っかけて「湖の本122」
が出来てくるはず。
 読書は、マキリップに心酔している。鏡花の触るのさえ惜しいほど美しい造本の「山海評判記」では耽溺の嬉しさを満喫。フォークナー、マルケス、ジョイス、グリーンに乗っている。八犬伝も気の向くままに。
 七時に独りテレビの前でシャロン・ストーンのセクシーな魅力をたのしみ、見終わってからはブルース・ウイリスの風変わりな「キッド」を機械にセットしておいた。
 昨日の晩、武井咲で注目しているつづきものの「真実の瞬間」をまずまず面白く観た。来週には完結。ま、佳い方のみものだった。これが終わるとまたもや米倉涼子の「わたし失敗しません」の外科もの。川の映えしてますます佳い写真を見せて貰いたい。

* 不愉快で情けない政治・経済ニュースばっかり多いのにうんざりしている。マスコミも、今少し「朗報」をひろうことに熱心になってくれないか。感動を送り込んで元気づけて欲しい。
 和やかに懐かしい番組もある。日野正平が自転車で故郷へ故郷へ力走しては、投書のいい手紙を読み静かに美しい日本の凡山凡水を見せてくれる。かと思うとカメラマンが海外の街で徹頭徹尾のどかな猫たちとの心和む対話を写真でみせて呉れる。

* それにくらべ、日本の政治家たちも地方自治体の姿勢も、機械呆けして遊びくらしているわかものらのばからしさ、まるで此の世のハナクソのようだ。

  ☆ 猛暑の夏も
 ようやく終りの気配がしています。ご多用のことと拝察申し上げます。
 「選集」の第二巻 うれしく心ときめかせつつ拝掌いたしました。これから拝読の所存です。
 どうぞ体調のこと気をくばりつつお仕事をおすすめ下さいますよう。
 送料の足しにと少々同封いたしました。  松坂弘  歌人

 ☆ 不順なお天気が
 続いておりますが、 御加減はいかがですか。
 昨日『秦 恒平選集第二巻』を拝受 得難い御本をありがとうございました。
 もったいないことと恐縮しつつ ありがたく頂戴いたします。
 いつもの(開新堂)クッキーと別便で夏の杏のお菓子を送らせていただきます。
 御身ご大切に。   一番丁  

* せめて製作実費を負担するのでぜひにとご希望の読者から送金があった。

 ☆ 感謝
 
選集第二巻お送りいただきありがとうございます
 バイオリンレッスンから帰宅したら届いてました
 ちょうど(片岡)我當さんの清盛再放送中で、不思議な感覚でした。
 皆さん仰るように 光栄です 本当にありがとうございます。
 お身体に異和感とありましたが どうぞ早めに受診なさってください。お大事に。
 迪子さんもお大切に。  下関  緑

 ☆ 秦先生
  
 早速にご返信いただき、ありがとうございました。うれしく、ありがたく、何度も拝読いたしました。
 それにしても転倒されたとは大変です、おけがなどありませんでしたか。
 自転車の後ろに乗せていただいたのが、昨日のことのようです。
 秦先生の背中のぬくもりが鮮やかによみがえりました。
 あのときも、もう成長して重たいのに乗せていただいて、子どもに戻ったみたいな気持ちになりました。
 それにしても、以来だいぶ馬齢を重ねてしまいました(笑)
 (中略) 
 いま心がけていますのは、朝鮮学校がらみの情報公開不開示の話と、愛知県立美術館での男性器がうつった作品展示が「わいせつ」とされた問題です。
 東京都美術館が、靖国参拝批判の文言が書かれた造形作品を政治的だとして撤去する話がありましたが、同様に「わいせつ」かどうかの感性にかかわる話をお上が決める話なのかと、疑問です。
 これからホームページも折に触れて拝見しようと思っています。
 父も会いたがっておりました、声かけしておきますね。
 肌寒いくらいのお天気、どうぞお風邪など召されませんように。   


* ブルース・ウイリスの「キッド」 滋味掬すべきものがあった。今夜は、もうやすまないと、睡眠が足りなくなる。


* 八月二十八日 木

* 
起 床9:00 血 圧130-68(66) 血糖値99  体重67.7kg

* 首の根をつかむと電気がはしるように肩胛骨の方へ痛む。首が回りかねている。疲れを、開放してやらねば。

* 機械が尋常に作動し稼働するまでに辛抱よく待って、十分ほど。その間にもっとも心惹かれるのは、陶淵明。

 ☆ 陶淵明 飲酒 其七 (岩波文庫に拠る)
 秋菊有佳色
    秋菊 佳色有り、
 裛露掇其英    露を裛(まと)うて其の英(はな)を(と)る。
 汎此忘憂物    此の忘憂の物に汎(う)かべて、
 遠我遺世情    我が世を遣(わす)るるの情を遠くす。
 一觴雖獨進    一 独り進むと雖も、
 杯尽壺自傾    杯尽きて壷自から傾く。
 日入動息    日入りて群動息(や)み、
 歸鳥趨林鳴    帰島 林に趨(おもむ)いて鳴く。
 嘯傲東軒下    嘯傲(しゅうごう)す 東軒の下
 聊復得此生    聊(いささ)か復(ま)た此の生を得たり。

 秋の菊がみごとな色に咲いた。
 露にぬれたその花びらをつんで、「憂さ払い」(酒)に浮かべると、
 世俗から遠く離れたわたしの思いがいっそう深まるようだ。
 独酌でちびりちびりやっているが、
 杯が空になると、知らぬまに手が動いて、徳利を傾け杯を満たしている。
 日が暮れて、もろもろの動きもやみ、鳥たちも林の中のねぐらに鳴きながら帰って行く。
 わたしも東の軒下で心のびやかに放吟する。
 まずはこの人生の真骨頂(自由)を取りもどしたか。
 今日もまずまず無事に過ごせたのだ。

 (
)浥に同じ。うるおう。()摘むこと。菊の花は不老長寿の薬とされている。(英)花。
 (忘憂物)酒のこと。(遠)決める。(遺世情)世俗から遠く離れた感情。(群動)昼間のもろもろの動き。
 (嘯傲口笛、またうそぶくこと、傲は自由で物事にしばられないこと。

* 励まされる手紙が、たくさん。有り難いこと。

 ☆ 秦 恒平様
 「秦 恒平選集」をお送り頂き有難うございます。
 「清経入水」を読みましたが、不思議な小説だと思います。
 丹波は京都の人にとって怨霊や妖怪の棲み家でしょうか、少年の日の不思議な感覚が甦ってくるような良い小説だと思います。
 私の著書「親鸞」が十月に刊行されますので、出来ましたらお送り致します。
     平成二十六年八月二十六日    梅原猛  哲学者

* ありがとう存じます。昔に、村上華岳らを書いた『墨牡丹』を梅原さんに誉めてもらい、嬉しくて、京都へ帰った折り、前ぶれなしにいきなり京都美大の学 長室をノックして初対面したのが懐かしい。以降、幾重にも御縁を戴いた。日本ペンクラブの理事に指名されたのも、京都美術文化賞の選者を二十数年もご一緒 したのも。理事会では何度も怒らせたけれど、気にしたことはない。著書の書評も解説もしばしば頼まれて遠慮無く書いたし、批判すべきはしてきた。浩瀚な全 集も単行本も山のように頂戴してきた。
 「ペン電子文藝館」を提案し開館したときも、梅原さんの処女作にちかい一文を選んで歴代会長作の一編として掲載したときも喜んでもらえた。やや離れたところから心持ち張り合うほどの元気でわたしは仕事してこれたのだと感謝している。

 ☆ 残暑お見舞い申し上げます。
 限定私家版の選集第二巻をありがとうございました。
 大切にいたします。大事に少しずつ拝読いたします。心より厚く御礼申し上げます。  出久根達郎  作家

 ☆ 残暑お見舞い申し上げます。
 鄭重なお便りとともに、『秦 恒平選集 第二巻』をご恵送賜りまして、誠に有難うございました。「清経入水」から「絵巻」まで、好きな作品が並んでいます。上品な造本を楽しみつつ、再読させていただきます。
 (泉鏡花作=)『初稿 山海評判記』について、「ああっと声のもれたほど函も造本も美しい。」「万端を尽くして遺憾のない立派な刊行である。」と、ブロ グにお書き込みいただき、(監修・刊行者・鏡花研究者・愛読者としても=)嬉しくてなりません。国書刊行会の編集者礒崎氏にも転送させていただきました。
 今夏は異常気象がつづき、京都は五山送り火の日も大雨。
 それでも、点火の時間には雨があがっていました。    田中励儀  同志社大学教授

 ☆ 拝啓
 このたびはご高著『秦 恒平選集』をご恵与下さりまことにありがとうございました。
 まだ読みはじめたところではびざいますが、詩情あふれる文章に、平家物語と現代が交叉した不思議な世界と平家物語の新たな魅力を発見する思いがいたしております。
 ご厚情に心より御礼申し上げます。
 なお、時節柄ご自愛のほどお祈り申し上げます。 敬具   秋田大教授  志立正知  中世文学

 ☆ 
秦恒平様 有り難う存じます。
 少し過ごしやすい日が続いております。
 このたびはまたまた貴重なご高著『秦恒平選集第2巻』をご恵投たまわり、深く御礼を申し上げます。
 このような立派な御本を世にのこされる素晴らしさに、敬服いたしております。
 いっそうのご活躍を念じつつ、一言御礼まで。   西垣通 拝    東大教授 作家

 ☆ 「三田文学」編集部 「早稲田大学外山図書館」 からも、「ご著者のますますのご健筆を祈念いたします」 「ご寄贈いただいた貴重な文献資料は 広く研究者・学生の閲覧に供し、ご厚志の一端にお応え申し上げたいと存じます。」と。

 ☆ 秦 恒平先生
 拝啓 晩夏の候、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。先日は、私家版の立派な選書の第二巻をお贈りいただきまして誠にありがとうございました。限定本ということで、社にて、大切に保管させていただきます。
 また平素は「湖の本」もご寄贈くださり、恐れ入ります。
 先生の変わらぬご活動、ご活躍を、いつも拝見し、糧とさせていただいております。
 季節の変わり目、おからだくれぐれもご自愛の上、お過ごし下さい。 敬具  山野浩一  筑摩書房専務

* 筑摩書房は「清経入水」に太宰治賞を贈ってくれたいわば文学人生の「母港」であるが、じつにこの三十余年、筑摩の編集者から受け取ったこれが唯一通の 来書である。電話一本受けたことが無い。いかに疎遠になっていたか、されていたかが分かる。「湖の本」を始めたのが気に障ったのであろうか、もしもそうだ としたら、狭量に過ぎるだろう。井伏鱒二、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫先生らが満票を投じて世に送り出して下さり、わたしも以来四 十五年、渾身、「文学作品」を心がけて書きかつ創り続けてきた。疲れたときには心おきなく母港に憩い、また元気に船出したかった。文藝春秋の寺田さん、新 潮社の坂本さん、小島さん、講談社の大久保さん、徳島さん、天野さん、河出書房の小野寺さん、その他中央公論社、平凡社、新聞各社からは、久しく久しい鞭 撻や激励を戴いてきた。
 創刊の第一巻は送らなかった。第二巻は太宰賞へ招待された機縁に感謝して送った。「清経入水」は応募したのでなく、私家版中の一作が最終選考の席へ招き入れられたのである。感謝せずにいられない。
 洩らしたことのない愚痴ではあるが、新専務の山野さんがじつに久々に筑摩書房として葉書を呉れた機会に、わが
不徳を恥じながらも、一言、書き置く。
                  
 ☆  秦 恒平先生
 
地蔵盆も過ぎましたが大雨にたたかれ、おそろしい災害でございました。
 先生、奥さま、ご無事にお過ごしでいらっしゃいますか。
 先の七月台風のさ中にご本を荷出しして頂き お手数でございました。
 金の刻字が美しい選集第一巻を拝受して、うれしく拝読いたしました。
 「みごもりの湖」は 作中小説「此の世」で、いきなり清水坂が書かれていて引きこまれ、博物館の古写経から藤原仲麻呂が立ちあがり、あれあれと思う間に(琵琶=)湖西高島の勝野に連れてゆかれました。
 歴史に題材を取ったものは(幾らも=)あると存じますが、章を別けて記述するという方法は知りませんでした。 「此の世」の次には主文に、この小説のヒ ロインである繪屋の槇子の姉探しの経緯が語られて、この姉、菊子と「此の世」の直子、湖に逃れた仲麻呂の娘東子とが重なり引き合い、ずしっと読者を湖の靄 の中へと連れてゆきます。
 「此の世」を主文に挟む こんな書き方もあるのだとびっくりしつつ、互に響き合って尚、理解を妨げない、硬と軟の達意の文章に感嘆致しました。 ものすごい力技で、ぐんぐん読まされました。
 ことにも、「此の世」で語られる政争に、知らない古代史の細部を教えられ、又 その中で「此の世」の作者(或は、当尾?)が唐木直子と道行する冬の湖北は 今津も海津大崎も 行きどまりの哀しみが凍結していて ため息ばかりでした。
 本を読むというのは 実に身体体験でもあると知らされ、古戦場を通り抜け 直子と康之を追って歩いたかのように、どっと疲れました。
 主文で、槇子が大学へ通う中で 友人静子と出会ったり、お茶を習ったりと 娘らしい行動を書かれていて、ほっと致します。
 繪屋のある五箇庄へ帰ると 失踪した姉のことが、両親や信はん、山や石馬寺や墓から どっと槇子をとりまき 又 謎に包まれます。
 あまり長くなって 先生の目をお煩わせしては 申訳ございません。
 槇子が放り出されたと感じた 暗く寒い此の世を耐えて、大きな喪の仕事をする物語を 琵琶湖をめぐって 読ませて頂きました。
 作中作で 孝謙女帝と銅鏡に対する藤原仲麻呂、娘東子と養い母の佐々貴山君仲子の動きが 平城京から恭仁、難波、紫賀樂と遷都と共に記述されているのが 通奏底音となって物語に深みを与えていて すごかったと存じます。
 終章で 槇子が鈴鹿の山を見にゆくのが 胸に落ちました>
   藤原東子の入る山、菊子を生んだお藤さんも入った山、菊子も? 入った、祖霊の眠る深い山。
 雪のダム湖上流の橋で、槇子は姉を呼ぶ。尾の長い小鳥が来る 精衛の鳥。 ようやく若い槇子の喪の仕事は終わるのでしょう。一緒につきあってきた 読者も 安堵いたします。
 死なれた者の 此の世 という幸田、生まれた者の 此の世 という迪子、 若い人達が 各々つらい思いで生きている。 若いから つらいのですね。
 これを書かれた時の作者もお若くて、 噴出するエネルギーを感じます。 よい時に書かれた力作でございました。
 ありがとうございました。  平成二十六年八月二十六日 かしこ   星合美弥子  高松市 作家 読者

* こんなに嬉しい感想をいただくとき作者冥利という以上に、書いて良かったとしみじみ思う。このお手紙は「選集 第一巻」所収の巻頭長編「みごもりの湖」へ戴いている。第二巻は、早くて今日にも届いているだろうか。
 星合さんのことに、少し触れておく。もう一年も前か、四国から、
例は幾らもある同人雑誌が送られてきた。送 り手は永らく懇意にしている書き手だったが、一冊の中でわたしが作に目をとめ、誉めたくなって電話を掛けたか手紙を上げたかしたのが星合さんだった。無縁 まったく未知の書き手であったが、短篇ながらその作に、看過できない力と「作品」とを覚えた。そういうことは、めったなことで有るものではない、だからそ れを伝えたかった。
 その後の通信から星合さんは、わたしと年齢的にちかい、むしろ一、二年輩かも知れない女性と知れた。この人に「みごもりの湖」や「秘色」を読んでもらい たいなと思った。その願い思いがまさに的中した上のお手紙であった。同じなら、もっと早く早くに知り合いたかったと思う。ときに「名作」とも誉められたも のの、複雑怪奇ただならぬ長編を、上の手紙ほど濃やかに五里霧中をかきわけるようにして感想を下さった人は(若干の研究者のほかには、)無いのである。感 謝申し上げる。

 ☆ 秦 恒平様
 選集第二巻ご出版おめでとうございます。
 お元気でお仕事に精を出されているご様子 大変嬉しく思っています。
 どうぞこれからもお体大切にお二人で頑張って下さい。応援しています。    妻の妹

* 私家版非売特装本の、第一巻にも、今回第二巻にはさらに何倍もの、支援をして呉れた。有り難う。嬉しく嬉しく、感謝。

 ☆ 秦先生
 めっきり秋のような涼しさとなりましたが、お元気でお過ごしでしょうか。
 お風邪など召されていませんようにとお祈りしております。
 二巻目のご本をお送りいただき、ありがとうございました!
 御礼が遅くなってしまって、申し訳ございません。
 本当に美しい、落ち着いた装丁で、手触りも良くてついなでてしまいます。大事に大事に拝読いたします。
 文化部に異動して約一ヶ月ですが、いまだにヨチヨチしております。
 16年もニュース部門しかやっておらず、感覚の違いに戸惑っています。今日取材して書いて明日の紙面にする繰り返しだったのが、何週間も前に聞いた話を、掲載の一週間以上前に原稿を出す…というのが不思議でなりません。
 母方の祖母の介護をしながら、二人暮らししています。
 父ともたまに会って食事したりしています。
 決まった伴侶がいるわけでもなく人生どうなるのか不安だらけですが、日々をなんとか生きていることに感謝しなければいけないなと思います。
 特報部にいたときに比べて、時間にかなり余裕ができました。お目にかかれたらなと思っております。
 それでは、どうぞお体おいといくださいませ。  阿


* 小さい頃からほんとに聡明な子だった。きっと個性的ないい仕事をしてくれるだろう。 

 ☆ 作家・秦建日子のブログから
 あえて振り出しに戻ってみる。
 この夏は、延々と「刑事 雪平夏見」シリーズのvol.5を書いていました。
 着々と半分近くまでは進んだのですが、でも、何か足りない。
 ひと味足りないというか、今ひとつ立体的でないというか、ずっとモヤモヤしていて、8月のあたまに、一度、構成をガラッと変えて、振り出しに戻ってみました。
  で、かなり良くはなったのですが、まだ微妙なモヤモヤがあり……
 着々と3分の2くらいまで進んだのですが、やっぱり何か足りない。
 モヤモヤ。
 モヤモヤ。
 そして、ついに! そのモヤモヤの正体に! 昨夜、ようやく辿り着きました!
 やった!
 それは何を意味するかと言うと……
 そう! もう一回振り出しに戻るわけですね(笑)
 でも、同じ振り出しでも、それまでの試行錯誤があるのとないのとでは全然違うわけで!
 なので、雪平夏見のその後を楽しみにお待ちいただいている皆様! 夏には書き終えますというお約束はちょっと破ってしまいますが、もう少しだけお待ちください! ここからは早いはずです!(今までの経験上)
     ☆
 そして、この夏、雪平夏見と並行して、「民間科学捜査官 桐野真衣」シリーズのvol.2も書いていました。
 こちらも着々と半分近くまでは進んだのですが、でも、何か足りない。
 ひと味足りないというか、今ひとつ立体的でないというか、ずっとモヤモヤしていて、こちらも8月の半ばに、一度、構成をガラッと変えて、振り出しに戻ってみました。
 で、今、また着々と半ばまで取り戻しました。
 ただし……
 なんか、予感がするのです。
 あー、これももう一回は振り出しに戻りそうだ。
 正確に言うなら、もう一回は振り出しに戻るべきだ。
 出版社さんと約束している締め切りがもうそこまでやってきているのですが、でもでも、締め切りに合わせてそこそこのものを書くのではなく、
 「よし!突き抜けた!」と自分で思える感覚を大事にしたいと思っています。
 なので、桐野真衣のその後を楽しみにお待ちいただいている皆様! 秋には出しますというお約束はちょっと遅れてしまうかもしれませんが、もう少しだけお待ちください! もう、ゴールは近いです!(今までの経験上)
     ☆
 以上、見苦しい言い訳のブログでした。
 すみません。
 頑張ります。    

* 建日子は昭和四十三年(1968)年に生まれている。
今年四十六歳になっている。建日子の生まれた翌 年に、父であるわたしは太宰賞を受けて文壇へ招じられた。建日子の年齢は、ほぼこれまで父の外向き文学人生と同年齢なのである。その年にはわたしは初の新 聞小説『冬祭り』連載を終えており、文学選集に入る主な小説の大方はすでに書き上げている。それらはわたしという人間を「根」にして生えだした樹木であり 花であった。息子に向かい父が自慢し自賛しているのではない、一つ、言いたいのである、秦建日子という人間を「根」にして生えて出た樹木を書き花を書くよ うにと。迷い迷いながらでいい、「根」をみつめ「根」を育て「根」にこそ立ち向かえと。どのような売り物であってもいいが、秦建日子ならではの「根」から 生え出たみごとな樹木を、花を、創れ。それが言っておきたくて、わたしは老境にも病身にもめげずに自身を励まし「仕事」し続けている。いまに仰天するよう な「エロセクスアリス」を、また現代歴史ロマンを、さらにおまえの実の祖父母の「人間」を再現してみせてやるつもりだ。
 めげず、くさらず、我慢づよく、胸を張って頑張りなさい。

* この人は共産党の人だが。こういう声が燎原の火のように国民をして燃え立たしめたい。
 ソシアルネット世間で、機械中毒にあてられ呆けたようにらちもないお喋りや写真いじりの若い人達、本来の知性に気付いて生きた言葉を以て起って欲しい。
 
 ☆ 
池内さおり認証済みアカウント @ikeuchi_saori 14 時間
 みたいものだけをみて歴史を捻じ曲げ、誤ちを認めず信じたいものだけを信じ暴走する安倍政権は、異様としか言いようがない。
 一日たりとも延命させてはいけない政権!
 →A級戦犯法要に哀悼文=自民総裁名で「祖国の礎」―安倍首相
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140827-

* 東大久保での恥知らずな悪口デモには情けなさ恥ずかしさを覚える。その一方で、それを規制すると同様に、国会周辺でのデモも規制すべしとの自民党武市なんとか会長の発言にも呆れかえる。知性が脳みそと一緒に腐れ落ちているのではないか。
 安倍「違憲・棄憲・うそつき」総理と内閣とが、むざむざ日本を潰しにかかっているのを、半日も早く阻止したい。国難を招いているのは彼と彼らである。そろそろ党内からの反省が動き始めてほしい。石破は信じない。未知数ながら、小泉進次郎のセンスを見たい。
 田中眞紀子は、何をしているのか。
 民主党は、あの不出来な代表が代わらない限り、明るい進路は絶対に開けない。
 少なくも十数年のわたしの予見は、「日録」「私語」「箚記」として明記し保存されているが、予見を誤った例はほとんど無い。疑う人は確かめてみるがいい。

* 目の見えぬ人を助けてくれる盲導犬に、すれ違いざまに数カ所も傷を付けたヤツ。なんという情けない鬼畜の所為か。犬を傷つけ同時に人を傷つけたに等し く、危険きわまりない。ぜひ見つけ出して厳罰を加えたい。ぴりっとも騒がず使命を果たした犬の勇気と誠実とに讃嘆と感謝。それにくらべ、なんと人間の醜さ よ。痴漢の方がマシだなどとは言わないが、痴漢には相応に本能の催しにまけてしまう人間の哀しみや辛さの有る場合もあろう。盲導犬をわざと傷つけるなど、 微塵、理由がない。自分がみじめで情けなくて腹立たしいのなら、刃物を向けるにしてもあえて自分自身に立ち向かえ。障害のある人やよく訓練された価値ある 犬に悪意を向けるなど、万に一つの同情も容赦もできない。


* 八月二十七日 水

* 
起 床7:45 血 圧147-68(51) 血糖値102  体重68.5kg

 ☆ 高価な豪華本
 『秦 恒平選集』第二巻のご恵贈にあずかり、誠にありがとうございました。
 小生、近年、視力の多くを喪い、厳しい読書制限を受けておりますので、ご名作「清経入水」「風の奏で=寂光平家」など、直ぐにも拝読したいのですが、速 読はかなわず、日々少しずつ読ませて戴くことをお許し下さい。馬齢を重ねてすでに九○歳に近く、生きていられるのがふしぎなくらいです。まずは御礼まで。   
色川大吉  東京経済大学名誉教授

 ☆ 残暑厳しき折、
 おからだその後如何でしょうか。
 このたびは『秦 恒平選集』第二巻を御恵贈賜わり有難うございました。『清経入水』から、秦さんの文学への関わりが深くなっていったわけですね。
 「あとがき」の「生ける文豪のだれ一人いない日本文学にしてしまったのは誰か」との問責は、大久保房男さんのいなくなってしまったこの秋に一層、身に沁みてゆきます。ご自愛を。  徳島高義  元講談社出版部長

 ☆ 出版印刷文化の粋をこらした
 『秦 恒平選集』第一巻に引き続き、第二巻をお贈りいただき このご好意にどうむくい、どうお礼を申しあげていいのか言葉を失う程です。厚く厚くお礼を申しあげます。
 「清経入水」は若かりし日にはじめて秦作品と出合った印象深い御作、この記念すべき選集で再読させていただきます。
 異常気象が続きます。どうぞ御身お大切におすごし下さいますように。  天野敬子  
元講談社出版部長

 ☆ 陶淵明「飲酒」其五六より

 廬を結んで人境にあり
 而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
 菊を採る 東籬の下
 悠然として南山を見る
 山気   日夕に佳し
 飛鳥 相与(あひとも) に還る
 此の中(うち)に真意有り
 弁べんぜんと欲して已(すで)に言を忘る。

 行止は千万端
 誰か非と是とを知らんや
 是非 苟(みだ)りに相形(あひくら)べ
 雷同して共に誉め毀(そし)る
 咄咄(とつとつ) 俗中の愚
 達士のみ爾(しか)らざるに似たり
 
* 肩の凝る力仕事、手先仕事、二人でとにかくも終えた。四時半。事故は、郵便局帰りに、カラのダンボール箱ひとつ片手に掴んで自転車に乗りかけ、路上に転倒。幸いごく軽傷で済んだ。
 さ、次へ。 
 
 ☆ こんにちは。
 
今日は涼しくなり、過ごしやすくなりました、またぶり返してくるとは思いますが。
 保谷駅の近くの何処かで、軽くビールでも呑みながらというのはいかがでしょうか。
 もし、お酒がのめないようでしたら、私が車でお迎えにいき何処かでランチでもたべながらとしたいと思います。
 私は、土曜日の午後ならたいがいあいています。
 ご都合の良い日をお知らせください。
 直近ですと8月30日土曜日となります。
 9月27日は出勤日となっています。(完全な週休2日にはなりません)
 母は晩年お茶を再開し、道具一式が残されたので、少しはお茶もと思っています。  直

* 1959年に上京・結婚して入居した新宿河田町、女子医大裏のアパート「みすず莊」大家さんちの少年だった。六畳の一部屋でこの少年がわたしにお茶を習いたいというので、保谷の社宅へ転居するまで手ほどきしていた。思えば不思議なように感じられるが、この
「みすず莊」へも、遠い社宅へ転居してからも、会社の同僚の何人もがわたしに茶の湯の作法を習いに通ってきた。そのうちの一人だった後輩の遠藤恵子さんは、のちに東北学院大の教授になり、米沢女子短大の学長になった。今も「湖の本」購読を続けてくれている。上京・結婚いらいやがて55年半になる。その大家さんちの生真面目な小学生だった直樹君が、もう六十過ぎに相違ない、わたしに会いたいと。

* おおそうだ、明日にはロサンゼルスからこれまた久しく久しい京都の頃から馴染んだ八十すぎたガールフレンドがやってくる。

 ☆ 選集第二巻届きました!
 
迪っちゃん  昨日は、大きな大切な小包がどかんと郵便受けに入っていましたよ。
 本当におめでとうございます!
 どっしりしているけれど、清楚で美しい本ですね。
 いつもお送り下さり本当に有難うございます!
  宛名書きが、秦さんの字だったので、迪っちゃんの手の具合を心配しています。でも秦さんがしっかりと書いておられるのも嬉しいことでした。
 今、お祝いを別便でお送りしました。
 少しですが、これからのご出版の足しに使ってくださいね。
 どうぞくれぐれもお体を大切にして下さいね。  琉   妻の妹
 
* お気持ち、ありがとう。                                            
                  
 ☆ 選集第二巻
 刊行おめでとうございます。
 近々また保谷にうかがいます。  秦建日子

* 「憲法九条の日本」に海外から「平和賞」を与えるというニュース。詳細は知らないが、これは重い意味をもつ。理研のいやみに重苦しい機構改革や中間報告、また安倍「違憲・棄憲・うそつき」内閣の改造ばなしなど不快で不可解な話よりよほど前向きに喜ばしい。

 ☆ 選集第二巻のお礼
 
秦様   立派なご本を第二巻まで頂戴いたしまして勿体なくて恐縮しています。
 このご本の読める価値が(自分に)あるのだろうかと、ありたいと自分で励ましています。

 最初に発刊されて読ませていただいた頃は、能の事、謡曲の事など全く知りませんでしたので、
現実の世界と夢幻の世界が行き来するのに大変戸惑ったりしました。謡曲の稽古をし、また京都も作品の世界に沿って歩いたりして、少しは地理的な事などにも親しみをもって読ませていただくことができるようになりました。作品の数々に育てていただいたと感謝しています。
 懐かしい思いで一杯になりながら、また今の自分の読みをさせて頂きたいと思います。

少し凌ぎやすい日が続きましたが、後の暑さのぶり返しはまたお身体に応えるようです。どうぞどうぞ迪子様ともにお身体ご自愛ください。

  先日 ロンドン在勤の子を夫婦で訪ねてまいりました。今イギリスとの分離問題で揺れているスコットランドに彼の案内で出かけました。フェステイバル一色で 観光客には全然そのような情景は見当たりませんでしたが。お食事は進まれない様子でもお酒は大丈夫のご様子とうかがっていましたので、エジンバラでスコッ チを求めてきました。来月になりまして、少しは暑さも凌ぎやすくなりましたら、以前お約束し、私の突然の体の不調のため、反故にしてしまいました豊島園の お店にでも持ってまいりたいとお二人のご都合も考えず思っています。押しつけがましいことで 勝手で申し訳ありません。
お気の向かれたときにお返事くださいませ。 晴  練馬区


妻の同級生だが、この人の、結婚後の人生をうちこんだいわば勉強ぶりには感心し続けてきた。たしかにわたしの小説の多くは、読者にあまりに多くを求め、 または押しつけている。難しい難しいとどれだけ多くの人に言われたことか。ひとつには、わたしが「清経入水」を発表できた頃、選者の河上徹太郎先生が「現 代の怪奇小説」とも選評に書かれている、そのような作風の小説は実に無いにも等しい時代だった。ほとんどが身辺私小説なみであった。幸いと言って佳いかど うかは別問題だが、今日、わたしのような作風を「怪奇」がる読者はすくないだろう。むしろ流行になっている。まして、謡曲や仕舞を習ってきた人には、夢幻 能にちかい魅力は掴み佳いだろう。
 わたしが、願ってきたのは、むずかしいのやさしいのでは全くなかった。「文学」の香気が作の品位をつくり得ているかどうか、作が作品を持ち得ているかどうか、それが願いだっ
た。それが文章にどう表せるか示せるかだった。



* 八月二十六日 火

* 
起 床7:45 血 圧134-73(56) 血糖値94  体重68.3kg

 ☆ 
 残暑お見舞申上げます  土石流被害など痛ましい日々ですが お変りなくお過ごしのことと拝察します。
 このたびは『清経入水』など収録の『秦 恒平選集』第二巻の恵与に預かりまして洵に難有うございました。御禮申し上げます。
 豊潤なな作品群を『選集』におまとめになる企画大変うれしく存じます。「畜生塚」「慈子」など 嘗て 読む喜びを与えて下さった記憶が蘇ってきました。  大学教員の現役時代、時折求められた「愛読書十点」といった企画にこれらの書名を記したことも なつかしく回想されます。
 騒々しい人集めが良しとされる世情にうんざりしているだけに、こうした刊行予定が眼に入ることの嬉しさ一入のものです。
 近時は多勢を相手にすることは一切せず、毎月一日だけ二、三人に限って家に来てもらって お茶を呑みつゝ 文学の話をしています。
 先日は丁度新聞に「歌壇俳壇」欄が載った日だったので、もう六十五年前の俳句の方に載った
    遠花火窓に見し夜の別れかな
という作者名も忘れた作品を種に話題を拡げました。
 次回には はるかに水準の高い御本の話をしようと思っています。
 といっても当面の健康状態からは、いつ店仕舞をするかもしれないのですが、「畜生塚」の話ができると思うだけで、まだ少し生きていられるような気がして、有り難い限りです。
 駄文が長くなりました、お許し下さい。  不尽
    葉月廿三日    松野陽一  元国文学研究資料館館長 

* 嬉しい。

 ☆ 残暑お見舞い申し上げます。
 この度は 秦 恒平選集第二巻をお送り賜り、まことに有難うございました。心より御礼申し上げます。
 第一巻を頂いた時に、丁度体調をくずし、その後検査入院など致しまして、御礼状も差し上げぬままになってしまいました。もとより体調だけの事ではなく、性来の怠惰のゆえです、ご海容のほどお願い申し上げます。
 既に読ませて頂いたことのある作品を今回の選集で再読しつつ、美しい、力のある文章は、今は本当に少ないことをしみじみ感じました。第二巻のあとがきにお書きになっている通りです。
 選集で、文章を 文字どおり味読しています。
 (中略 以下、日本の古典籍の利用活用にかんするじつに大切なことが書かれていて胸の鳴る心地ながら、ここに書き写すのは、筆者のお立場を考慮し、遠慮しておく。ますますのご尽力ご活躍を願います。 秦)
 学術会議などという所に所属させられ、自分の仕事ができませんでしたが、この秋から自身の仕事を再開したいと思っております。
 どうぞお元気でお過ごし下さいますように。
 酷暑の日がまだまだ続きます。御自愛下さい。 敬具  長島弘明  東大教授  

* まだ学生だった頃の、秋成り研究に志していた長島さんに約束しながら果たせなかったのが、いま読み直している八百枚もの「生きたかりしに」である。

 ☆ 炎暑の日々が続きました。
 この度は選球第二巻を早速にお贈り賜りまして ありがたく拝受。
 『風の奏で』の折には研究誌「古典遺産」で(研究者の)座談会を持ったこと、橋本敏江さんの「小督」だったかの平曲にご案内したことなどを懐かしく想い出します。
 造本、製版、みごとな出来映えの美本で 感嘆致しております。
 十月には「将門」にお出まし頂けたら幸甚です。 拝具   小林保治  早大名誉教授

* ひところ、毎月のように会って、食べては語りしていた。小林さんが初めて連れて行ってくれた鶯谷・根岸の懐かしい中華料理「鴬泉楼」も、先頃「香味屋」の帰りに通ったら無くなっていた。

 ☆ ご清祥の御事とお慶び申し上げます。
 この度は御高著『秦 恒平選集第二巻』をご恵贈賜り、心より御礼申し上げます。
 愉しみに拝読させていただきます。
 益々のご自愛、御健筆をお祈り申し上げます。
 先ずはとりあえず御礼まで。    瀬戸内寂聴   作家

* まだ送り残しがあるが、ほぼ贈呈等の作業を終え、一息ついている。
 すぐさま「選集B」の要再校、ツキモノ、跋等の用意をすすめながら、興の乗っている新創作等の進行、またもうそこにさし迫っている「湖の本121」を送 り出す用意、また新しい「湖の本122」の原稿揃えに取りかかる。奔っているから倒れない、ゆるゆるになれば自転車だと転倒する。愉しんではしるように躯 に指令している。

 ☆ 選集第二巻拝受いたしました。
 
お世話になっております。平凡社の岸本です。
 お盆明けの猛暑も一段落いたしました。
このまま秋に、と思いますが、そうは問屋がおろさないのでしょうね。
 このたびは選集の第二巻お送りいただきまして まことにありがとうございました。
 第一巻に続き豪華な装幀、恐れ入っております。この巻には太宰賞ご受賞作も収録され、平安と現代の間を行き交う風を感じつつ、
今回も味読いたします。
 それにしても、秦先生の精力的なお仕事ぶりには本当に驚嘆の念を禁じえません。
 どうかどうか、お身体だけはお大事になさってください。
 引き続き何卒よろしくお願いいたします。  平凡社  岸本洋和

 ☆ 
みづうみ、お元気ですか。
 思わずため息のでる美しい作品、美しい選集第二巻を頂戴いたしました。関川夏央さんのお言葉のように、「光栄の極み」としか申し上げようがございません。
 作家や作品を選ぶのは常に読者というのが鉄則ですのに、みづうみという作者に選ばれた読者かのような錯覚、恐れ多い有り難さで、何度も申します、光栄の極みでございます。
 みづうみには、わたくしなどより遥かに素晴らしい識者・読者の方々がたくさんあるにも関わらず、少しばかりのお手伝いをしたというだけで、限定私家版、非売本を頂戴するという幸運と幸福に恵まれました。未来のみづうみの読者からも、嫉妬されるでしょう。
 ご本を何度も開いては、にっこりしているところでございます。とてもうれしいです。何度も読みたくてたまりません。
 切に願うのは、自分が汲み尽くせぬ清泉のような名作にふさわしい読者であることです。ほんとうにありがとうございました。
  みづうみの新しい小説も、湖の本の新刊も、次の選集も楽しみで待ち遠しく思っています。
 同時に、みづうみの働きすぎも心配でたまりません。熱中症を案じておりましたが、他にも不調のご様子です。この夏の熱気の重圧は異常で、元気ピンピンという方のほうが少ないかもしれません。
 すべてに、一日も早い検査と診察をお受けになり、ご安心なさってくださいますように。
 少し涼風を感じる頃になりましたら、一度お目にかかり、新しいお手伝いの仕事を頂戴いたしたく思っています。お出かけのご予定など早めにお教えいただけ れば幸いでございます。わたくしは相変わらず不出来なものを書いていますし、他の用事にも追いまくられています。    馨   茉莉花を拾ひたる手もまた匂ふ  加藤楸邨

   
* ぎやうさんに世辞賜はるもめうが哉  みづうみ

* 壱岐の「ちんぐ」もイタリアのワインもウイスキー「富士山麓」も飲み干した。缶の野菜ジュースが美味い、以前は全然見向かなかったのに。飯や固形の物 が食べにくく、ことに細かく粉になったり粘ったりするもの、つまり歯に触るもの、素麺のように細いものなどがうまく口の奥へ通らない。むりをして呑み込む と苦しくなる。ひたすら飲み物を飲み、水とお茶を呑み、果物を食し、甘味が欲しいと白砂糖。これが美味い。ハハハ 血糖値は安定しているので油断もしてい る。

* 終日働いた。「氷の微笑」のシャロン・ストーンを観たかったが、なぜかみんなが同時に英語と日本語を喋るのに辟易した。
 「誘惑」を読み上げて、「選集B」の初校を終えたい。建頁を確認して跋と奥付など、また前ヅケの總扉や写真を。 
 それでいて、フォークナーの「アブサロム、アブサロム」 マルケスの「族長の秋」 グリーンの「事件の核心」に引っ張られている。マキリップの「イルス の竪琴」はわたしには美酒に同じい、陶酔する。「里見八犬伝」は文字どおりの通俗な稗史の超大作、ゆっくりで良い。ジョイスの「ダブリン市民」は、「アイ ルランド」への興味と帯同する。佐伯真一さんに戴いた「建礼門院の悲劇」も、面白すぎるほど。ラ・ロシュフコー、陶淵明、後撰・拾遺和歌集、そして「茶道 問答集」も、機械の側から放せないで、一服がわりに読んでいる。目は、ちっとも休まらない。ひっきりなしに目薬をさし、眼鏡を取り換えている。


* 八月二十五日 月

* 
起 床8:15 血 圧126-62(65) 血糖値88  体重68.3kg

*  輸液後、すぐ、烈しく労働した。朝食、すこしワインと「ちんぐ」を腹に入れた。二階へ上がったが機械の前でなくソファに落ち込み、昼前まで寝入っていた。 からだが堅くなった。                                                                                                                                              
 ☆ 前略
 秦 恒平選集第二巻をお送りいただきました。
 ありがとうございます。光栄のきわみです。「
 それにしても美しいご本ですね。
 これで 私にとっては「伝説」の『清経入水』を拝読することができます。 草々  関川夏夫 作家

 ☆ 本日は処暑
 新涼がが待たれます。
 第二巻いただきました。 早々の刊行に少し驚いています 初々しい(失礼)写真とお作に見入っています。
 長谷川(泉)さんの色紙、すごい字ですね 元気が出ます そのまま刻字に写し取りたいような気がします。
 私は 石川淳対談集「夷齋座談」を拾い読みし、浅学な己をいじめています。
 とりあえず お礼まで     井口哲郎  元石川近代文学館長

 ☆ 拝復
 本日は御鄭重にも「秦 恒平選集」第二巻を御恵贈に与りまして、誠に有難うございました。
 巻末の「刊行に際して」で仰せの通り、造本・装幀・製版ともに このような御高著の刊行は希有の快挙であり、心からお慶び申し上げます。 亦 「文豪は どこへ行ったのでしょう」との御感慨には私も全く同感で、担当致しました川端先生のことが近頃しきりと懐しく思い出されます。
 異常気象はまだまだ続きそうですが、呉々も御体調には留意されますよう 御自愛のほどお祈り致して止みません。
 右。取り急ぎ貴酬 一筆啓上致しました。八月二十三日 敬具  元「新潮」編集長

* 当代樂吉左衛門さんから、九月下旬の『(萩)新兵衛の樂 (樂)吉左衛門の萩』展 開会宴へご招待がいつものように届いた。琵琶湖畔の佐川美術館であ る。萩の新兵衛は好きで、いい茶碗、いい酒杯を愛蔵し愛用している。行きたいなあと嘆声が洩れるが、さ、行けるだろうか、琵琶湖まで行けば京都へも帰りた い。

* ネバーエンデイングの歯 医者へ。
 帰り、中華家族で休息、妻は酢豚とクリーム煮の芝海老。わたしはマオタイと甕入り紹興酒。保谷駅でパンや果物買って帰る。
 往来の電車や食事の店で、 「誘惑」の初校をずんずん進めてきた。東横女子短大へ、一年だけ話しに(とても講義とはいえません)行ってたときの試みが按配よう生きてくれた。

 ☆ 取り急ぎ
 
メール嬉しく。
 「藝術的」からかなり離れた日常を過ごし、目下娘家族ら来日、七人の世話? をしています。
 明後日、孫の世話のためシンガポールに行き、半月滞在します。
 処暑、誕生日です。
 気候不順の落ち着かない夏が過ぎようとしています。
 体調への懸念を述べてらして驚いています。どうぞどうぞできるだけ早く診察を受けてくださいますように。
 PS 海外ですが、携帯へのメッセージ、niftyへは、従来通りに送信可能です。  尾張の鳶

* 遅々としているが、もう二日もすれば根気仕事の山を越えるだろう。今晩は骨休め半分、ブルース・ウィルスの映画、少なからず陰惨な「スリーリヴァーズ」を観終えた。Dlifeの人気番組らしい「NCIS」も観ていた。新しいコーヒーカップで珈琲をのみながら。
 もう十一時半になろうとしている、かなり睡くなっている。
 それでも、ラ・ロシュフコーによる「箴言集」への彼自身の「考察」を、ことに「恋と人生について」を面白く読んだ。すこし考えの違うのを感じるけれど、 これも一つの明快な観察で考察だと思われた。公爵で歴戦の武人で皇帝や后妃やリシュリューらとも関わり深い宮廷貴族で、相当に辛辣でも如才なく社交的でも ある人物の「考察」である。スエーデンのクリスチナ女王はこの「箴言集」の愛読かつ容赦ない批評家であった。『クレーヴの奥方』で名高いラファイエット夫 人ともしたしかった。                             ちょっと「恋と人生」考察の全文を引き出してみたいが、もう眼がもたな い。                                      
 
* 八月二十四日 日

* 
起 床8:00 血 圧125-65(57) 血糖値96  体重68.1kg

* 着々、しかし一冊一冊の慎重な荷造りはなかなか難儀、だが、包装は妻に手伝ってもらい、手分けして少しずつ作業進めている。昨日今日は郵便局 が開いていない。明日何度も郵便局へ通うが、せめて曇っていて欲しい。明日夕刻には歯医者へ。さいわい、痛いというほどのことはなかった。

* 作業しながら、高校野球をときおり面白く観ている。三重と気比との優勝戦を期待している、が。いま、三重が文理を抑えている。

* 堀上さんからの「壱岐焼酎 ちんく」頂戴、久しぶりの焼酎、もう味わい戴いている。。
                                                                     
* 狭い家の三室で冷房していても、むうっと暑い。家の中での熱中症、油断ならない。

* 「選集B」の「月皓く」を初校し終える。この作、秦の叔母宗陽のプロフィールにもなった。仮構ではあるが、つねの稽古場や、茶事や大晦日埋火の茶や、おけら参り・清水参りなど、みな身に沁みて覚えている。
 もう一作、中編「誘惑」の校正を始める。おいおいにツキモノを揃えねば。

* 「選集A」の見積もり精算書は昨日届いた。請求書を待って支払う。

* いろんな人から、わが自作にかかわるいろんな文章を載せた自著を戴いている。ついつい、ものに埋もれて忘れていて、ふと見つけ出す。今日も二つ、見つけたので記録かたがた書き取っておく。

 ☆ 黒瀬珂瀾著『街角の歌』ふらんす堂刊 2008.04.01刊 より
 
 鉄(
かね)のいろに街の灯かなし電車道のしづかさを我は耐へてゐにけり  秦 恒平

  掲出歌は昭和28年、作者17歳の一首。早熟な才を思わせる。電車の騒音の大きさが逆に通過後の線路脇の静寂を印象づける。名状しがたい内面の衝動を 静かに押える少年の姿。人の営みから距離を置こうとする若き心が、「街の灯」を鉄色に感じさせたのか。小説家として知られる秦は、
若き日の歌業を歌集「少年」として纏め、自費出版した初の小説集の巻頭に置いた。その後、この青春歌集は幾度となく単行出版され、多くの読者を得ている。(「少年」『畜生塚・此の世』昭和39年刊所収)

* 京の祇園石段下辺の市電線路を、宵の街の灯に照った「鐵のいろ」と眺めていた。想いなやめる高校生だった。こんな歌をわたしより四十二年もあとに大坂に生まれた若い歌人がみつけてくれている。

 ☆ 槌田満文著『名作365日』講談社学術文庫 昭和五十七年十月十日刊 より
 
 9月20日  『隠水(こもりづ)の』  秦 恒平作
  出版社に籍を置く新進作家の当尾宏は、京都の高校時代の後輩尾山彬子と愛し合っていた。愛が熟さぬまま一度は離れた二人は、それぞれ家庭を持った十数年後に東京で再会して、結末のない甘美な悲劇へと、ひそかにつきすすんでゆく。
 秦恒平の「隠水の」は、古代歌謡「こもりづの下よばへつつ行くはたがつま」を踏まえたタイトルを持つ小説。草の下の見えない流れのような二人の結びつきは 「九月二十日、会議中に彬子の電話があった」 のがひきがねとなった。
 「一つ家に共住みできない。法も世間も保証しない。誰も知らない。子どもをつくれない。この結婚には何一つ支えというものがない。だが彬子は思いつめて 『結婚』 と言った。」
 そんな世の常ならぬ愛のドラマは、宗達・光琳展や新制作展の都美術館、知人の個展が開tれている日本橋や銀座の画廊、また京都泉涌寺の含翠庭などを、つかの間のあいびきの場所として、悲しくしかし美しくくりひろげられてゆく。

* この作はつぎの「秦 恒平選集」第三巻にいれてある。読まれれば、上記槌田氏の読みとことなる印象をもつ読者が多いかもしれない。

* こんなふうに書いて下さった人さまの文章が、論も解説も紹介も批評もいっぱい家中のあちこちに埋もれている。せめて見つければこんなふうに書き置いてみたいと思うが手が回らない。

* 何処へ、何方へ本を贈るにしてもよほど慎重に考えないと、たちまち限定部数はとびこえてしまう。予備の著者本を少しは用意してあるが文字どおりの少し。宛名をいちいち手書きしなければならず、何の挨拶もなしに送りつけることもできない。
 あすは、昨日今日に用意したものを自転車の荷台にのせ何度も郵便局へ走らねばならぬ。日照りがすこしでも和らいでいて欲しいが。

 
* 八月二十三日 土

* 
起 床8:45 血 圧136-71(61) 血糖値105  体重67.9kg

* 朝、目覚めると、床に坐って真っ先に緑内障用の「タブロス」(日に一回)を点眼する。これは忘れてはいけませんと、もう大昔から言われてい て、それで起床なにをおいても第一番に実行する。次いでですぐ、秦の両親と叔母の位牌、妻が持参の観音像に「敬意」を表してから、体重、血圧、血糖値を計 り、記録する。ついで食事前のインシュリン注射(朝昼晩)。食後に服する十種類ほどの錠剤を必要量、七宝の小皿に出しておく。そしてすぐ座布団を膝に置い て黒いマゴを載せ、落ち着かせる。輸液の用意は妻がして、マゴに注射。針の刺入をしそこなうと体外へ液が洩れる。刺入に成功すれば、早いときは十数分もせ ぬまに輸液終了、マゴは自由を得る。われわれは朝食する。用意しておいた食後の薬をすべて服する。
 以上、毎朝のきまり。

* しかし今朝は、タブロス点眼のあと、フォークナーの「アブサロム、アブサロム」をまたアタマから読み始めた。巻頭の人脈系図をまっさきに暗記するほど丹念に頭に入れておいて読み始めた。導入の設定がよほど明瞭にアタマに入り「おッと、よしよし」。
 それから訳者が篠田一士さんと気付いてそれはそれはと「解説」頁をあけた。作品の解説の前に篠田さんならではのじつに適確な近代の世界文学小史というか 骨組みが説かれていて、じつに興深く面白く教えられた。「二十世紀世界文学の第一人者は誰でしょう」とよく聞かれるのへ篠田さんは踏み込んで大づかみに、 前世紀までの全面ヨーロッパ文学だけで二十世紀はつかめなくなった、なによりの傾向として、詩と詩人は衰弱し、圧倒的に小説が全面を蔽った、その中でも 「失われた世代」のフォークナー、ヘミングウエイ、フィッツジェラルドなどがアメリカ文学という前世紀ヨーロッパ小説と大きく異なる文学を起ち上げた。そ の英語はイギリスの英語と臍の緒が切れたと思えるほど別の魅力と迫力と破壊力をもっていて、、ことにフォークナーは、おいおいにチリのホセ・ドノソ、コロ ンビアのマルシァ・マルケス、ペルーのバルガス・ジョッサら二十世紀世界文学の雄たちを奮い立たせてきた。明らかにもはやヨーロッパ語の詩と小説時代はア メリカ・新大陸英語や言語の破壊的魅力に塗り直されて行った、と、篠田さんは言われる。あるいは常識なのかも知れないが、わたしはアメリカ文学には馴染み が薄かった。それでも「失われた世代」の作は読んできて、以前のヨーロッパ小説との違いは怖いほど鮮明に見せつけられていた。そして今、フォークナーの
「アブサロム、アブサロム」と、マルケスの「族長の秋」とが手近に来ている。ともに良い意味を持たせて「凄い」表現に満ちあふれている。
 さ、はたして読み込んでたしかな感動を汲み取りうるか、わたしに。楽しみだ。

* 輸液の間の録画映画「スペシャリスト」を三日ほどかけて二回繰り返して観た。シルベスタ・スタローンとシャロン・ストーンという好きなペアの、緊迫と 哀愁。爆発のもの凄さ。外国人女優の裸形でもっとも惹かれるのは、シャロン・ストーン。「ランボー」を演じたスタローンの滲みでるものの哀れにちかい愛と 迫力。
 それにしても我が家には何百の録画映画の在ることか。よほど好きなのである、映画・映像の表現が。
 昨日の歌舞伎「吉田屋」にも長唄「二人椀久」にも魅された、すばらしい書画や詩歌・物語や陶磁器・漆器にも、仏像にも、むろん小説にも心惹かれる。よほど好きなのである。
 そしてすばらしい女性にも。美味い酒にも。花にも。

* 疲れか。機械の前で、腰掛けたまま寝入っていた。三度ほど気付いて目覚めようとしたが、すぐまた。やすもう。
 と、言いながら、やはり仕事をつづけていた。結果も効率も、よし。やがて十一時。
 今日息子へのメールで初めて洩らしたが、なにとなく、前立腺そして咽喉の辺に「違和感を予感」している。次回診療のおり検査を願い出ようと思っている。

 ☆ 
秦さま  
 素晴らしいご著書(選集A)頂戴いたしました。
  ありがとうございます。
  先日ご好評いただきました、”ちんぐ”(=壱岐焼酎)を別送いたしました。
  ご賞味ください。お礼まで。  堀上 謙(能楽研究家)

* まずは保谷市内へ先着した。


* 八月二十二日 金

* 
起 床7:00 血 圧128-64(58) 血糖値93  体重68.6kg

* 午前中に二度郵便局へ荷を運んだ。午後、もういちどだけ運んで、今日の外向けの仕事は終えておく。順調にことは運んでいる。
  とはいえ、荷をうしろに積んで自転車で走る数分の炎を噴く暑さは、文字どおり凄かった。一度一度家に帰るとぐたりと息を喘いだ。
 四時過ぎ、熱暑の中を妻と、国立劇場へ向かった。至藝、四 世坂田藤十郎の「藤娘」「吉田屋」をしんそこ楽しんできたかった。地下鉄は涼しかったが永田町で降りた暑さに気分が悪くなった。ペットボトルの水分を補給 し、タクシーで劇場に。さすがに盛大な山城屋贔屓の人出。いすに腰掛け、売店での少し食べ物を口に入れ、水分をとって、なんとか不具合から遁れた。三度の あの郵便巨木往来でもう熱中症に罹っていたと思われる。ま、大過なく、安堵した。
 満員の劇場、松嶋屋・美吉屋のおかげ、前三列、「吉田屋」のためには絶好の席がもらえていた。観えるのがありがたく、しかも「吉田屋」の芝居はだいたいがわれわれの席の前で終始する。申し分なかった。
 開幕は、「藤娘」 藤十郎ムリをせず悠々と華麗な舞踊を若々しく鷹揚に踊る。彼は、既に八十の半ば。それが若い豊かな美貌の娘にみえるのが堪らなく嬉し い。久しく見久しい久しい、扇雀、鴈治郎そして藤十郎に大化けした六十年だ、京都の頃、歌舞伎というと武智歌舞伎で扇雀・鶴之助(のちに富十郎)だった。
 中幕には、女性だけの長唄「二人椀久」の演奏、これが今藤の三味線を芯に、唄よし、笛よし、小鼓も大鼓も、一糸乱れぬ好宴で、堪能した。山城屋に華をそえた名演奏、この幕は寝ると言っていた妻も感嘆。
 そして期待の「吉田屋」は、好きな歌舞伎で五本の指折りのうちに加えたいほどの大好き。むかし先々代の勘三郎と若い玉三郎との舞台を観て痺れたのが病み つき、読者の藤間由子が最前列真ん中の席へ連れて行ってくれて観たむのだった。その後は幾度「吉田屋」を観たことか、近年では仁左衛門襲名の舞台から、そ れが印象的に焼き付いてきた。夕霧は玉三郎できまり。
 今日は、藤十郎が浄瑠璃の型で上方の芝居に徹して、仁左衛門らのそれとは随分異なった情緒纏綿の藤屋伊左衛門を孫の壱太郎を夕霧役に引き上げて、面白く、懐かしく演じてくれた。天与の愛嬌、しかも歌舞伎界最長老の至藝。熱中症など飛んで行った、

* 八時半にはねて、車で日比谷へ、そしてクラブへ入った。食事をし、妻は赤ワインを、わたしはヘネシーと竹鶴、そして二人ともアイスクリームで口を冷やした。のんびりと、丸ノ内線、西武線で帰ってきた。

 ☆ 古墳と神社と半泥子
 
菅谷さんと持田さんの講演からひとつき余りのち、津市高茶屋大塚古墳があったあたりを訪ね、そこから海辺へ出て藤方地区の式内加良比之神社を捜しに行きました。
 神社は藤方地区でも垂水地区に近い山側にあって、常夜灯に刻まれた文字は「式内加良比之宮」。境内には「片樋宮」と刻まれた石柱が立っています。
 解説板によると、ご祭神は御倉板挙神(みくらたなのかみ)と伊豆能賣神(いづのめのかみ)。
 「御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして」の「御頸珠」を神器として 御倉の棚の上に奉安したことから御倉板挙神というんだそうです。
 菅谷文則さんがおっしゃった「土師氏の祖神ウマシカラヒネノミコト」は?
 神社を参拝してから近くの石水博物館を見に行きました。
 なんべん行っても年譜に発見がある川喜田半泥子。それでもこの日は気がつきませんでした。戦時中に、半泥子が、荒川豊蔵、金重陶陽、三輪休和らと結成した会の名が「からひね会」だったということに。
 そして廣永と千歳の二ヶ所の窯があるのは進駐軍に千歳山を接収されて津市分部の長谷山に疎開したことが原因ということも。
 千歳山の土地は6年前に市に寄付され、市は半泥子の本宅跡や巨木ののこる森や池を保存活用して公園に整備するとのこと。
 ときに、半泥子の祖父と親交があった松浦武四郎の号に「馬角斎」があります。
 大和郡山に暮らした水木要太郎(十五堂)は「南都馬角斎」の号を持っています。
 今年の2/9(日)に大和郡山市で第2回「水木十五堂賞」の授賞式があって、“なにわの生き字引”とよばれる肥田晧三さんが授賞され、講演されたそうです。
 第1回の授賞者は荒俣宏さんでした。  名張の囀雀

* おもしろい。半泥子のことどもも、それにあの松浦武四郎が「馬角斎」と号したとは知らなかった。ウーン。
 わたしの「有即斎」も、この辺ではっきりさせておいていいだろう。「うそくさい」とはもし一言で人間世界を評し諷するならこれしかないというのがわたしの思い。むろん、わがことも含めて。「ばかくさい」「うそくさい」そしてだれかは「ふたばていしめい」と名告った。

 ☆ 萃と六爾と治宇二郎
 ●きらきらと雨もつ麦の穂なみかな (蝶夢)
 和田萃さんが、「ボクが子どもの頃は奈良でもよく麦が作られていて、麦の秋、麦秋が、ごく近くで見られました」とおっしゃったことがありました。
 小津安二郎の「麦秋」はラストシーンに耳成山麓の麦の秋をもってきたんだとか。1951年の公開ですってね。和田さんが6才のときです。
 地元の中学から奈良高校に進学して阪大を受験するも失敗。理系から文系に転じて、翌年、京大文学部に合格された和田さん。
 歴史系サークルにこれはと思うものがなく、考古学研究会に入られたそうで、1回生後期になって上田正昭さんが鴨沂高校から教養学部助教授として着任され たことから、俳句から短歌に転じ、日本古代史を選択。助教授に岸俊男さんがいらっしゃって、大学院進学が決まったあと藤原宮跡から大量の木簡が出土して、 岸さんについてお手伝いをすることになったんだそうです。
 岸さんは1984年に定年退官されカシコーケンの3代所長に就任されます。
 前任は有光有一さん。京大考古学教室3代教授をなさったかたですね。
 岸さんは1986年に病にたおれ、1987年1月21日に世を去っておられます。
 「日本の歴史2『古墳の時代』」が発行されたのは翌年の1月1日。和田さんは月報に載せる対談で前登志夫さんを指名され、この対談がきっかけで弟子入りをゆるされたとのこと。
 この年、1月13日に長屋王邸宅跡から木簡が出土。和田さんはおひとりで釈読されたそうです。
 1967年1月からちょうど20年。昨年のこの日はまだ岸先生がこちらがわにいらしたのに…。
 この頃、京・紫野の住まいを引き払い、束明神古墳のすぐそばに家を新築されたようで、書庫を設けたもののたちまちのうちに廊下にあふれ 玄関で出迎えるのは横積みの本という有り様なんだそうです。
 田原本町のご実家にも書籍を置いてらっしゃるので、あ、おまえさん、こんなところにいたのかい、すまなかった、忘れていたわけじゃぁないんだよ、とつい読み耽ることもあるのではないかしら。うふふ。
 さて、和田さんは『古墳の時代』を執筆し始めた頃に、近鉄の大和八木駅近くで偶然、小学校1〜2年生のときの担任教諭だった男性に出会って驚きますが、先生の打ち明け話にさらに驚いたそうです。
 あのとき、クラスのみんなを連れて唐古池に土器ひろいに行ったのは、自分が小学生のときに森本六爾先生に出会っていたから。
 えッ!森本六爾先生?!
 森本先生はわずか1年で退職され上京されたそうで、先生は森本先生のような先生になりたくて、奈良師範学校に進学し、先生となって、朝倉小学校の校長をさいごに退職された由。―朝倉小学校といったら脇本遺跡のすぐそばです。
 田原本町の小学校にいたとき、入学してきた和田さんを教えたというわけなのです。
 森本六爾が歿したのは1936年1月22日。
 30年後の1968年に先生は<大和史学>に「森本六爾先生の思い出」と題した文章を掲載なさったそうです。
 雀は、1936年の<考古学>7巻3号に中谷治宇二郎が「巴里と森本君と私」と題した追悼文を掲載していたと知って飛びつきました。
 治宇二郎が亡くなったのは1936年3月22日。六爾のちょうど2か月後です。
 そして唐古遺跡の発掘調査がその年の12月から始まったんですね。
 父程着手の億劫をじざなくて、そして根気がよかったら、物理の実験などはどんどんはかどることだろうと考えることもある。  中谷宇吉郎。
 父の遺伝子を治宇二郎も受け継いでいたのでしょう、そして兄より長く父と暮らしていたのが弟でした。  名張の囀雀
 

* ずいぶん豊かに、具体的にいろいろ伝え、教えてくれる。たいした「雀」の囀りで、わたしは、愛読、いや愛聴者である。

 

* 八月二十一日 木

* 
起 床8:00 血 圧123-62(62) 血糖値79  体重68.1kg

*  作業に入る。夜中少しめが醒め、拾遺和歌集の二撰をすすめたりヒルテイやマキリップやグリーンを読み、わたしの「隠水の」を校正読みしたり。すこし酒をの み少しウイスキー「富士山麓」を含み、リーゼを一錠服して寝た。八時に目覚めた。、                                                                                                                                                                                 
* 「兄者」の輸液を終えながら映画「イヴの総て」を驚嘆の思いで見終えた。ベティデイビスの圧倒的な存在感、アン・バクスターの戦慄の演技。映画藝術の最たる一つであること間違いなし。ただラストシーンのなぞりは、本当に必要だろうか。

* 炎える空気をかき分けるように郵便局へ三度「選集A」を運んだ。一冊が重く嵩高いので一度に多くは運べない。一册一册に手紙など添えていると多くはとても捗らないが、それは覚悟の前。傷まずに届いて欲しい。雨が、いや。
 やっと夕食にありついた。晩も、荷造りのためのさぎょうも死ながら仕事もする。

 ☆ 板絵の馬と土の馬、そして金属の馬具
 
763年に丹生川上神社に奉帛と黒毛の馬を奉っているのですね。
 大阪歴史博物館で発掘60年記念の特別展「難波宮」がこの18日まで開催されていました。お盆休みのいちにち、大阪へ行って見学してきたのですが、出土品に絵馬があったのです。
 絵馬は平城宮や奈良市日笠町のフシンダ遺跡からも出土していて、いずれも破断されているとか。平城宮は藤原麻呂邸門前の濠と推定されている遺構で、フシンダ遺跡は光仁天皇陵のすぐ近くとのこと。
 フシンダ遺跡出土の絵馬とその復元品が展示された、奈良県立橿原考古学研究所(カシコーケン)附属博物館の年末年始恒例「十二支の考古学」午の回。
 昨年師走から今年正月にかけて開催され、カステラ箱にしまわれていた津市の高茶屋大塚古墳出土品のうち金属製の馬具が初公開ということと、1月13日 (祝)に所長の菅谷文則さんとカシコーケンの研究員さんがそれについて講演なさるというので、雀はサンドイッチと熱いお茶を持って当日の朝早く出かけまし た。
 カシコーケンに着いたのは10:15。10:30から特別展の「見どころ解説」があり、12:00に講堂を開場して13:00から講演会というスケ
ジュールで、解説があることを尋ねて入館料を支払う男性のおひとりさまがあり、フリースペースにいる館の女性
に開始時刻を確かめている男性のおひとりさまがあり、連休だったせいか初めてという来館者さんもあり、ボランティアガイドさんは急ぎ足で館内を行き来していらっしゃいますし、雀も「今日は混むようですよ」と言われてあわてて入館受付に向かうしまつ。
 見どころ解説をなさったのは重見泰さん。太安萬侶墓誌に筆跡を発見された方で、今回の展示を担当された主任学芸員さんだそうです。午後は講演会の司会と冒頭の講演を担当されて、大活躍でした。
 講演会は300席がほぼ満席の盛況。重見さんの講演に次いで、論文を発表したばかりの持田大輔さんが60分の予定を5分超過して、ご自身の妄想も含めて熱のある鑑定報告をなさいました。
 講演会終了後、聴衆の何人かにくっついて雀も展示室に戻って馬具を再見していると、持田さんがいらして思わぬ列品解説タイムとなりました。
 話は講演会に戻ります。
 持田さんの講演後、休憩となり、会場に菅谷所長がいらっしゃっいました。
 いつも背広にネクタイの菅谷さんが年明け最初の講演会なのにツウィードのジャケットで、赤いチェックのコットンシャツにグレーの毛糸編みのベストをお召しです。若ぁい!   名張の囀雀

 ☆ 馬具と埴輪
 大正4(1915)年2月14日。三重県の久居警察署に一枚の発掘届が提出されました。提出したのは小林嘉平治さん。三重県一志郡雲出町大字伊倉津 1708番地に住む嘉平治さんは、所有地の山林、高茶屋村大字小森字大塚1091番地を開墾中に銅製金具18点、刀剣断片1点、土器破片数点を発見発掘し たと届けています。
 2012年夏に菅谷所長が発掘品と対面。主任研究員の持田大輔さんを呼んで金属製の発掘品を見せたところ、彼はその場で研究を申し出ました。
 持田さんが嬉々として鑑定をしているので、菅谷さんは、届け出が本人の筆跡かどうか確かめることと、記された地名を現在地に探し出すことに着手します。
 嘉平治さんは議員に当選され男爵になられた方で、名古屋の古書店に嘉平治さんの書いたものが大量に売りに出されていたのを買い集めて寄付した人があったとかで、県史編纂室に嘉平治さんの手跡があり、筆跡は本人と確認できました。
 津市は空襲を受けて官公署が焼失して書類がないんだそうで、菅谷さんは、県庁、県史編纂室、県立図書館など、現地以外にも県内各地をまわって取材と調査を続けます。
 持田さんは1年余りをかけて、2013年の冬に論文を発表。
 そして2014年1月。菅谷さんは津市へ7回目の取材旅行をして13日の講演に臨みました。「三重の戦争遺跡」(つむぎ出版)と、「あなたに知ってほし い高茶屋120年の歩み」(伊勢新聞社)を持参なさり、考古学は、第二次大戦や空襲、江戸時代も発掘調査対象である、とのお話もなさいました。
 藤堂高虎の安濃津城築城、そして明治になっての城の破壊、第二次大戦の被災、戦後の復興、県庁&県立美術館&県立文化会館ホール&新しい県立博物館などの建設で安濃津は土地の変化が甚だしく、空襲による書類焼失も加わって遺跡がわからなくなっているのが残念と菅谷さん。
 久居や高茶屋は雲出川のすぐ北で、川の南は松阪市に編入された嬉野町。ここは津市と反対に古墳や廃寺跡が多いことを観光資源にしています。菅谷さんは川 の北側にもきっと遺跡があったはずとおっしゃいます。そして安濃津あたりは点々と海岸線に御厨があって、馬具が出土した、津市高茶屋小森の地もそのひとつ だそうです。
 そしてまたその海岸地域には小さな古墳があって、小さいことと群集していないことから被葬者は在地支配者クラスと考えられ、天武・持統朝に権力を奪われて伊勢神宮の御厨となったのでは、とのこと。
 馬具が出土した津市高茶屋大塚の古墳は、出土品からみて古墳時代後期の最終期だそうで、この時代は巨大古墳よりも特異な遺物の時代なんだとか。塩で築いた富と地位で古墳をつくり、その富を狙われ、つぶされて、一帯は伊勢神宮の神領にされた…。
 金ぴかの馬具とともに埋葬されたのはそんな製塩王ではなかったかというのが菅谷さんの推理です。
 結論。
 これは特級品の馬具である。
 発掘届けから99年11か月後に価値が明らかになりました。
 講演会の6日後に展覧会が終了。
 そのわずか2日後に、FM三重の番組で菅谷所長へのインタビューが放送されました。2月にはカシコーケン友の会「友史会」例会で一帯を散策。
その報告を見て、雀も行ってみることにしました。
 実は、菅谷所長のおはなしのなかで、藤方にある式内社「加良比乃神社」の祭神は土師氏の祖神ウマノカラヒネノミコトとおっしゃったのが気にかかったので す。元伊勢の一「片樋宮」といわれる神社ですが、いわれてみれば、川喜田半泥子の千歳山窯がすぐ近くで、石水博物館が建てられているのが藤方の隣の垂水地 区です。  名張の雀

 ☆ 倭姫、御厨、大海人皇子
  古墳の被葬者の話から伊勢の御厨の話になりそれはまた倭姫 命がへめぐった地の話になり、菅谷さんは「ヤマトヒメがアマテラスをせたろうて最後に伊勢に落ち着くンやけど」と、万葉文化館で中西進さんと講演されたと き、時代がくだるにつれて、立ち寄り先が増えてくとおっしゃったことを思い起こさせる話をされ、そして、「ヤマトヒメのルートは壬申の乱の大海人皇子の ルートと重なる」と、壬申の乱の話になりました。
 昨日の万葉文化館の講演会はさぞ講演されたかっただろうなぁ。
 最後に種明かし。
 「講演などこういう場ではいつもネクタイにスーツで話すンですが、この馬具を調べるうち、大学生や院生の時に同じようなやり方をしていたと思い出して、 楽しくなって、学生時代に戻ったような気もちになりました。ですから、あえて今日は、ネクタイもスーツもやめて、若返って学生の頃のような格好で出てきた わけです」
 やんややんや!
 馬具解説の前日、1/12(日)は、「飛鳥歴史紀行」と題した奈良交通の日帰りバスツアーがあったのです。
 ツアーは月に1度で、全12回。午前は万葉文化館で講演を聴講し、昼食場所は飛鳥地域の毎回違う場所でいただきます。午後は奈良交通のバスガイドの案内で、関係する場所を歩き回るという企画。1月はその10回目で、タイトルは「壬申の乱の悲劇」でした。
 万葉文化館での講演は一般聴講も可能で無料。雀もツアーに参加せずに聴講のみの回が何回かありました。 ツアー客は1〜3列に座れるよう優先されてい て、雀は前年8月の「仏教伝来」とこの1月だけ参加しました。午前中の講義がどちらもカシコーケンの研究者という、ただそれだけの理由で。
 企画した添乗員さんいわく、「壬申の乱」でカシコーケンに講師を依頼したら菅谷所長が話したいと乗り気で、「所長じゃ予算が足らん」と困っていたら、所長の都合がつかなくなってホッとした。
 1月の「壬申の乱の悲劇」は、200人限定の会場がほぼ満席。菅谷所長の都合がつかず、60分間の講演を頼まれた主任研究員の鶴見泰寿さんは、タイトルの「悲劇」というのにたいそうひっかかっていらして、最後までそこに拘泥した講演で、最後に、
「昨年、NHKの『BS歴史館』という番組で壬申の乱が取り上げられまして」とおっしゃって、聴衆が、あったあった、見た見た、と頷いたあとで、「12月 に飛鳥を案内して、いちにちロケをやったんです。年賀状に書きました、ぼく。年賀状を出したあとで、NHKの女性から電話があって、全部カットになりまし たって…『壬申の乱の悲劇』といったら、これも悲劇でして…すみません、こんな個人的なことで…」と、見事なオチ。   名張の囀雀

 ☆ 37年前の大海人皇子
 BS歴史館は、名張の歴史サークルの人たちがエキストラで出演したと宣伝していたのと、友人からメールがきて、倉本一宏、仁藤敦史、林部均、山中章、玉 城妙子といった方々が出演され、矢治峠、名張横河、積殖峠といった地名が出てきましたよぉと教えてくれたので知っていました。
 翌日のカシコーケンで、菅谷文則所長が、鎌倉時代に書かれた倭姫命の巡行ルートは壬申の乱のルートをなぞっているとおっゃって、今から30年、いや37 年くらい前のことだけれど、と、カシコーケンの「壬申の乱を歩く会」の思い出話をなさいました。1977年7月から数回実施され、大海人皇子は石野博信さ ん(1933生)、ウノノサララは玉城妙子さん(1947生)。菅谷文則さん(1942生)、前園實知雄さん(1946生)、西藤清秀さん(1954生) が発起人で、末永雅雄所長から金一封をいただいての出発だったとか。同志社大学の考古学を学ぶ学生さんもたのんだそうです。
 先日、石野さんの本を読んでいたら、1回目の夜、伊賀の敢国神社で警察官がやってきたとか、石野さんは初日にダウンしてしまって、その後も初日にダウンを繰返し、だんだんと倒れる場所がビールの自販機近くに変わっていったとか書かれていました。 

 さて、いよいよ夜明けが遅くなってきました。水も冷たくなり、空の雲ががぜん変わってきました。
 9月のカレンダーは、入江泰吉さんが櫛羅の辻堂のお地蔵さんたち。葛城のトワイライトの辻の写真です。
 京都のカレンダーは常林寺の萩。  名張の囀雀


* 雀は、これで手前一人の関心だけで囀っているのでなく、微妙にわたしの関心や興味や仕事ににじり寄るように話題を展開している。壬申の乱にからまるようにわたしが「秘色」や「蘇我殿幻想」や、「みごもりの湖」も念頭にしつつ囀ってくれている。
 そして、今日只今にふ、京のカレンダーは「常林寺の萩」と。この萩の寺はわが秦家の菩提寺であり、やがてはわたしもそこへ帰ることになる。

 ☆ 古墳と日中戦争、第二次大戦
 さて、地名の変遷ですが、
 明治13(1880)年の「伊勢国一志郡総称小森野官民有地之図」と、
 明治20(1887)年の“仮製地図”、
 昭和15(1940)年の「高茶屋村字図」、
 現行の市街地地図をつきあわせ、
 津市高茶屋小森町の「警察学校西」交差点周辺が、届け出に記された、高茶屋村大字小森字大塚と考えられるに至ったとのこと。

 この明治の2枚の地図がわずか7年の差で、江戸時代様の筆書きの地図と、現代と変わらない地図記号を使った地図ということに、明治の日本を垣間見る思いでした。

 明治以前は、一志郡小森村。
 明治9年に、安濃津県と度会県が合併して三重県になります。
 大正4年、高茶屋村大字小森字大塚1091番地から馬具などが出土。
 大正14年、愛知県守山から陸軍歩兵第33連隊が三重県久居へ移駐してきます。
 昭和5年、この頃から、高茶屋村に、海軍、陸軍、逓信の各省が、基地用地を購入し始めたそうです。
 昭和11年7月、大政官布告第17号に基づき、小森村と小森上野村が合併して高茶屋村が成立しました。
 昭和11年、小津安二郎はドキュメンタリー映画「鏡獅子」を撮ります。―六代目の舞踊と、名人九世太左衛門(四世朴清の父)の鼓の音―。
 昭和12年9月、小津召集。久居の所属でした。
 昭和14年7/13、小津は神戸へ上陸し、除隊。
 昭和14年7月、津市と高茶屋村が合併。命令系統を一本化するためで、これにより海軍工廠の工事が始まります。
 昭和16年、小森地区の墓地が移転させられます。
 昭和19年、海軍工廠は稼働を始めました。
 昭和20年8月、敗戦。
 昭和23年頃から払い下げられ、工業団地と県の機関がつくられてゆき、現在は、工場として、日本板硝子、井村屋、住友ベークライト、松阪鉄工所、カネ美 食品など、ほかに、警察学校、自動車学校、盲学校、スーパーマーケット、駐車場まがいの空き地などがあり、古墳があった場所とは思えない、まっ平らな地形 です。   名張の囀雀

* この人は、無味乾燥の穿鑿に明け暮れているのでなく、こういう興味、好奇心、調べ、確かめ、繰り広げながらなによりも自身の暮らしに風味をそえつつ自 身の魂を肥やしている。感性で知性を涵養しまたその逆をもやっている。自在の境を自分の脚で経巡っている。金とヒマがあればだれもが出来るというような事 でない。

* あすは、夕刻から出かけるので、早い時間にすこしでも送り出せるようにと用意はしておいた。慌てることでは少しもない、その点売り本をお届けする「湖 の本」とはとがうので、ただ作業を叮嚀にと思うだけ。土曜日曜は郵便局が働かないので、その間に用は進められるだろう。むしろ相次いで「湖の本121」が 遅くも九月十日頃にはもう出来るかも知れない。
 「湖の本」を創刊して今年の桜桃忌に二十八年になった。いま七十八歳だが八十歳の桜桃忌には創刊三十年になる。手許の未収録原稿や新たな創作の進行から 見れば、もうその辺で打ち止めなど思いもよらず、健康と体力のゆるす限りだが、少なくももう五年は出を待っている文章が、それなりの文章が順番を待ってい る。思わず笑ってしまうほど先が賑わいげに見える。「いま・ここ」「いま・ここ」を積み重ねて何を急ぎ慌てることはない。しかも元気でさえあれば、そして 資金が続く限りは、「選集」も着々遺してゆける。
 こんな心豊かな老境を迎えるとは夢にも思ってなかった。



* 八月二十日 水

* 
起 床8:00 血 圧115-55(60) 血糖値93  体重68.0kg

*  九時過ぎ、無事に「秦 恒平選集」第二巻『清経入水・雲居寺跡=初恋・風の奏で=寂光平家・繪巻』出来てきた。確認して置いて、炎暑に喘ぎながら聖路加病院眼科へ。よくなってま すね、両方1.5ですね、どうしてでしょうね。左の白内障はすすんでますねえ。次回三ヶ月後には視野検査もしましょう。ブルーベリイなど、ま、気休めです けど、いいですよ」と。わたしの自覚からすると、ちょっとも良い視力でなく、どんなに眼鏡を使い分け使い分けしていても、疲れてくれば文字粒も潰れて読め ず、視野は霞んでいる。わけが分からない。ま、諦め諦めやりくりして付き合ってゆくまで。
 思い切り早くに出かけたので診察予約の二時半には、もう支払いも済ませ、近くの薬局で処方の点眼薬三種類を買ってきた。
 有楽町「きく川」で鰻をと思ったが、有楽町までが億劫で、例の築地玉寿司で京の酒「古都」二合で特上の「栄蔵寿司あらため、極み」を食べて帰ってきた。 電車でも、外来でも、また電車でも「選集B」の「隠沼(こもりぬ)」「隠水(こもりづ)の」の読み校正をずんずん進めていた。この二作も身に沁みて気に 入っている。

* 留守のうちに妻が十人余の送り出し荷造りをしてくれていた。晩から、そして明日から、こつこつと発送する。「湖の本」と同じ作業では済まな い。本を傷めないように気遣いしなくては。                                                                                                                                                                    
* 「生きたかりしに」を読み始めるとやめられない。秋成への関心もわが身の程への関心も、書いていた当時から見て衰えていない。読み始めるとどんどん時間をとられる、が、いまは、これに時間を費やしていい時ではない。

* げんなりすること。あるか。ある。人で、事で、物で。それはやはり、人で、多々参る。第一番は、安倍「違憲」総理の無神経そうな臆病そうな表情・言語。察しのつかない、できない人にも参る。 


* 八月十九日 火

* 
起 床8:00 血 圧134-59(57) 血糖値95  体重67.30kg

*  「湖の本121」を全紙責了にした。「選集A」は明日朝に出来てくる。受け取ったら、その足で暫くぶりの眼科受診に築地へ。「選集B」はわたしの頁数読み 違えで予定の二作を組置きにあとへ廻さねばならぬかと思っていたが、調べてみれば印刷所出校時の意味不明の間違いがあり、わたしの頁数読みに間違いなかっ たことが判明した。
 さて明日明後日から、「秦 恒平選集」第二巻の贈呈ないし希望者への郵送作業にまた相当な日数を要する。本を傷めないように荷造りするのが容易でなく、それは妻が一手にしてくれる が、宅急便でなく郵便局へ運ばねばならない、これが炎天下の大変な労作になる。思いやられる。ま、幸いそれへ気持ちも集中できる。べつだん慌てる必要はな いし、約束事もない。僅少の限定本であり希望者の熱意は高い。手作業を叮嚀に叮嚀にと心するばかりである。寄贈も思い切って数を減らさざるを得ないだろ う。

* ほんの暫くと、大昔「原稿・雲居寺跡」を書き写していた。筆は頼朝亡き後の鎌倉御家人争闘のあれこれから北条義時の執権職就任に至っていた。有力な武家がつぎつぎに潰されて行く経緯がよく見えていた。
 で、次に、さきのを大昔というなら中昔に書いて棚上げにしてあった「生きたかりしに」を、妻がもう三分の二ほど電子化してくれた長編小説を読み始めた が、これは、もうわたしの眼でみていわば完成されているのではないかと思われた。但し、一旦書き上げて推敲もし原稿用紙に清書も済んでいたこの作より以降 の何年も何十年物間にわたし自身が獲ている新知識も相当あって、それらとの折り合いがどうつくかが分からない。一編の作としてならば、このまま「湖の本」 小説の上中下三巻本に仕立ててもほとんど問題無さそうに直観される。
 なぜ放っておいたか、そもそもは講談社の書き下ろし依頼だったが、書き進んでいる打ちにも、世の出版環境は思わしからず、これを書き下ろし本として作者 も本屋も経済的に成り立つようにはとても思えなくなっていた。で、むしろわたしの方でそういう環境へあえて踏み出す気がせず、きっと講談社もそれでホット するのではないかと、棚上げしてしまったのだった。一つには上田秋成をという依頼なれどもわたしは、お定まりの時代小説にする気が失せていて、思い切って 別の小説世界を目蔵めっぽう切り開いていたのだった。
 なににしても、この旧作である新作をどうするかということだ。いきなり「選集」に入れて一巻に大きく纏めるのがいいのかも知れないなどと、荷をかかえた気分で居る。

* 鏡花の「山海評判記」を小村雪岱の瀟洒に上出来の挿絵と共に、文字どおり新聞連載のままを楽しんで愛読している。なにしろ日本語がすてきに美味にできており、いきな母娘の会話など、ああだれか、玉三郎のような読み手の肉声で聴きたいなあと惚れ込んでしまっている。
 その一方で、ガルシア・マルケスの「族長の秋」の激越で超現実の悪政世界にも、のみこまれそうになる。フォークナーの「アブサロム・アブサロム」 ジョイスの「ダブリン市民」グリーンの「事件の核心」など名だたる世界文学の凄み。
 同時に、しみじみと魔法世界を旅し続けるヘドの領主モルゴン・スターベアラーの神秘のものがたりに、もうとうに十度を越したろう陶酔の愛読中でもある。
 久保田淳さんの「富士山の文学」を読み終えて、「なるほど」こういう日本文学の味わい方もある、あると喜んだ。

* さ、あすからに備えて、あまり気張らず、盃を少し傾け傾け心身をやすませておくか。

* 黒いマゴのお医者さんで輸液分を十日毎に買ってくるのが、この一年四ヶ月のわたしの仕事。そうとうヒドイ腎臓だったのがよく立ち直ってくれていて女医 さんも喜んでくれている。マゴの年齢はどれほどですかねと尋ねてみると、人間の八十歳でしょうねと。ウヘッ。わたしは今年の暮れに七十九歳になるのだ、 「黒いマゴ」どころか「黒い兄者」だなあ上座に上げないとしつれいだなあと妻と笑った。元気でもっともっと長生きしてくれるといい。いまでは、ほとんど 「会話」もできるほど、ものがよくわかる兄貴である。

* 鑑定団を見ながら酒杯に馴染んでいた。さ、もう今日はこれでいいだろう。本を読んで寝よう。明日は、神官を受け容れることと、眼科の検査・診察。涼しいことを望むのはありえない、せめて曇っていて欲しいが。慌てて帰るよりせっかくの街ゆえ、食欲を励まして帰りたい。


* 八月十八日 月

* 
起 床8:30 血 圧130-60(52) 血糖値100  体重68.0kg

*  今日は、とにもかくにも食べに出た、校正ゲラを二種類持って。そして食べ、そして読んだ。昼過ぎには西武で肴で八海山を、夕刻前には上野公園のフレンチ精 養軒にはいり、つまみ、添え物はなにも口にしなかったが、フィレのステーキも、スープも、食前酒のシェリーも美味かった。わたしが独り占めのように店は静 かで見晴らしよく、ひさびさにうっとりと佳い休養になった。元気になり、思い切って、手許で無くなっては困ると気がかりだったヒューレットパカードのプリ ンタインクを有楽町まで買いに行き、その足で日比谷のクラブに入り、ここでも独り占めの静かさで若いお嬢さんと愉快に話しながらヘネシーと竹鶴を、エスカ ルゴとブルーチーズとで愛飲。持って出た校正も、期待していた以上にここで静かに読み進んだ。さすがに食べて効いたか元気に歩いて保谷まで帰ったのが十時 過ぎ。疲れていないのが、有り難い。いい休養になった。

* あすには「湖の本121」責了の作業へ入れる。「選集A」を送り出す用意もまた一段と進められるだろう。「選集@」から通してぜひ欲しいという希望者 がぐんぐん数増えてきて、手放しに広く贈呈してられなくなってきた。せめて「@」は著者用本をもっと多く創っておくべきだった。

* 信太周さんの紹介で湖の本の「風の奏で」を読んでもらった研究者からまた一人懇切なお手紙を戴いた。
 「風の奏で」は研究者の関心をえた長編であったが、論攷では全くなく、純然虚構の小説である。わたしは小説家である。できうれば、研究者には手の届かない虚構の他界を創作したい、それが作家であるわたしの全く不動の念願であり方法であり甲斐性であった。

* いま、ふと「処女作」ということばが念頭を奔った。わたしの「処女作」は「湖の本」のなかでいえば「少女」と「或る折臂翁」であり、文壇的なそれは太 宰賞を受けた「清経入水」になる。しかしこの作以前に永井龍男先生にこんなのが「二十もできたらたいしたものです」と褒めて戴いた「祇園の子」、さには 「畜生塚」「ある雲隠れ考」「慈子=齋王譜」も「蝶の皿」もみな書きあげていた。文壇へ発表するとき、一つ一つ入念にまた大量に推敲した。「清経入水」で も、賞に当選が決まっていた原稿は、「展望」に入る直前に徹夜して徹底的に推敲した、その校異が原善くんの手で出来ている。
 そればかりか、原稿の残っていない(先生に「危険」ですと破棄された)「襲撃」という差別問題に触れた小説を中学一年で書き、高校時代には「三門」とい う小説をひっさげて先行していた文藝クラブに乗り込んで朗読し、唖然とさせたこともある。この二作は、原稿が無い。「憧憬」という間らしい題でよその組で 謄写刷りの文藝誌を出していると聞いて、「竹芝寺縁起」と「やどかりの話」を持ち込んだのは掲載されて、そのまま探せば手許にある。この前者は、後年、長 編「慈子=齋王譜」のなかで慈子の父上朱雀光之先生若書きの小説と手ほぼそのまま取り込んでいる。
 大学に入ってから、大学のレポート用紙をびっしり利用して、ながながとした私小説風の記録または虚構を書きつづったものがそのまま残っている。
 そういうのも、おいおいに現物を目にしながら取捨しておきたい、死に急がずに済む前に。


* 八月十七日 日

* 
起 床9:00 血 圧130-60(52) 血糖値89  体重67.9kg

*  億劫にしてきた気がかりの大仕事を、眼を酷使しながら、とにかく一段落させた。
 二十日には大きな箱でいくつもの大荷物が運び込まれる。受け取っておいて午後には忘れぬように聖路加の眼科へ出向かねば。  二十一日からは気の張る限 定特装本の手抜きのならぬ発送に集中する十日間ほどが続くだろうが、すぐさま二十二日夜分には、国立劇場で坂田藤十郎の会。好きな「吉田屋」などを楽しん ではやばや一息をつく。
 明日と明後日は、とにもかくにも気楽に過ごしたいが、この内に早くも「湖の本121」が責了に出来るかも知れない。その発送用意は半ばはしてあるが、 「選集」についで「湖の本」発送にも連続しそうな初秋になる。秋は、秋。それなりの期待も楽しみもある。十一日は「秀山祭」の歌舞伎座にずっぽり終日。昼 の「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)=法界坊」に浄瑠璃「双面水照月」がついて吉右衛門。当時勘九郎の勘三郎が「平成中村座」旗揚げの浅草舞台 の面白くて面白くて堪らなかった懐かしさを、播磨屋がどう様変わりに再現・表現してくれるだろう。夜には、仁左衛門が孫千之助と「連獅子」を颯爽と舞うだ ろう。

* そして何よりもの染五郎弁慶が、十一月歌舞伎座顔見世で、父幸四郎が富樫、叔父吉右衛門が義経を勤めてついに実現するというのだ、祖父白鸚の三十三回 忌記念として、なにより期待したい舞台。昼の開幕には我當の翁で染五郎と松緑とが「壽式」の三番叟というのも嬉しく、もう松嶋屋へも高麗屋へも注文を出し た。

* 夜前、「畜生塚」に次いで長編「慈子」の初校ゲラを読み通した。来迎院の世界、齋王の譜。朱雀家のひとたち、その死生。われながら「凄み」すら覚えて 肌のそよぐのを感じた。「選集B」、次いで「隠水(こもりづ)の」「誘惑」を初校する。一種おそろしいほどの異境が書かれている。明日はそなゲラを持って 街へ食べに出かけようか。食べないとからだが弱って行く、それが分かる。

* 九時すぎ。もう眼は見えていない。

* 茶庭につかう「垣」にもいろいろ在る。柴垣、宗左垣、建仁寺垣、大裏垣、打合せ板垣、大津垣(朝鮮矢来とも)、利休垣、鴬垣(黒もじの垣)、立合垣、枝折垣、重ね垣、真背垣、連子垣など。金閣寺や光悦寺にも風変わりな垣がある。名は名なりに懐かしい。


* 八月十六日 土

* 
起 床8:00 血 圧132-66(61) 血糖値95  体重68.0kg

*  母の無念を書き綴った長編『生きたかりしに』を読み返し始めて吸い込まれる心地がしている。よほどブレーキをしかと握ってないと、暴走はしないがこの一本 槍にはまりこむ懼れがある。いまわたしは、数百枚にはなっている謂わば「ヰタ・セクスアリス」を仕上げるところであり、清水坂と瀬戸内海をむすぶ平家物語 のロマンも峠を望んでいる。仕掛けてある創作の「仕事」が少なくも五つほど進路の半ばにあり、さらに「選集」あり「湖の本」がある。旺盛われながら驚くが わたしの時間にも体力にも余裕は無いのだ。道草は食ってられず、あれにもこれにも躊躇ってはおれない。
   とにかくも真っ向進しかないし、進みたいと本人は願っているのだから他の選択はない。「生きたかりしに」は作者の予感ではさらに大量の書き加えが必要かも しれない、仕事量にはひるまないが、それだけの甲斐のある素材であって欲しい。三十年経っている。忘れてもいるし、以後に新たに多くを識り得ている。長編 をこつこつ電子化してくれている妻は、「仕上げて欲しいもの」と読んでいる。
 さ、眼をいたわりいたわり、老いの生き甲斐を追い続けよう。

* 十数年も昔の赤茶けた新聞紙のコラム原稿を書き起こす作業は途方もなく難儀。それをほぼ十年分、優に五、六百本、連日書き起こしてきた。新聞からのス キャンは事実上手間だけかかって正確を欠く。手書きして行くしか手がない。歯が痛むのもムリ無い。しかもそれだけで「仕事」は済まない。創作と校正と日記 と、そして読書も。そして「原稿・雲居寺跡」その他の電子化書き起こし等々。こうやって数え上げ数え上げて自身に納得させながらでないと、意識が分散し希 薄になってしまう。アタマの交通整理とカラダの按配。

* それにしても昔の新聞を触り続けるのは、かなりの楽しさでもある。昔子供の頃の街一斉の衛生掃除のとき、揚げた畳の下に湿気よけに強いた古新聞が、な んともめずらかに新鮮に見えたのを想い出す。いま触れている東京新聞夕刊の「文化欄」記事が奇妙に新鮮にめについて読み返したくなる。いまも梅原猛さんの 連載原稿「思うままに」の中で、「マルクス主義をどうするのか」などという原稿に吸い寄せられた。そんなふうに、十数年も昔の十年分もの古新聞文化欄の話 題に、意外なほど、興趣を覚えていた。ま、シンドイ仕事の中でのオアシスめくほどの慰みになった。東京新聞は今日、もっとも精彩を放った国民意識の代表紙 だが、昔の文化面もなかなか充実していたんだと、敬意と親愛を新たにした。まる一年も、長編小説「冬祭り」を連載させてもらったのを、ふと晴れやかに思い だしてもいた。
                                                                                                                                                            
* 八時半。もう目が見えない。終日「仕事」そして暫くの合間潰れたように寝て、また。
 気が付くのは、あまり食べていないこと、ウイスキーをオンザロックで。(以前はストレートでしか呑まなかった。)両掌と指とがジンジンと鳴るほど痺れて いる。左肩が痛む。肉が落ちて、倚子に腰掛けているだけで尻も脚も痛む。疲れると歯が痛む。幸い頭痛はめったに無い。脂肪をあまり摂っていない。蛋白質も 十分でない。炭水化物の主食を口も体も拒絶気味。脱水を懼れて水分は意識的に入れている。食の感激のうすいのは、残念。いちばん美味しいのは果物。この夏 は幸福なほど果物を食べた。少年のむかしも大人になってからも久しく、果物はワキのものだと思っていたが、ほんとになにもかもあの手術から、変わってし まった。胃袋が全く無いことのこれは結論的な状況か。

* せめて街歩きを楽しみたいが、酷暑は剣呑そのもの。36度の日照りの下を、昨日、自転車でものの二分とかからない散髪に走っただけで、しばらく変だっ た。やってくれた青年にも奥さんにも「秦さん、お疲れ」と言われたほど。ま、なんとか凌いで凌いで行くだけのこと。二十日過ぎからの「選集A」の発送が思 いやられる。宅急便では送料が倍以上かかる、郵便局へは荷を運ばねばならない。自転車ではむり。腕車でもとても量は運べない。けれど必要な限りは送りた い。送らねば。曇ってくれるといい。

 ☆ もう
 
此方は秋の涼しさです。
 今月になってから一度も猛暑日はないそうで、降ったり止んだりの今日は少しひんやりしています。 


* 京は大文字の夜。「みごもりの湖」でも、「慈子」でも「雲居寺跡=初恋」でも、、「死なれる」ことを一等重い主題として受けとめ書いてい た。堪らない死をもう何人も見送ってきた。いずれはわたしも逝くのである。真っ赤に炎をあげた大文字が、無性に懐かしい。いつまでたっても、こどもか、少 年のようである。                     

 

* 八月十五日 金

* 
起 床8:00 血 圧135-69(66) 血糖値100  体重67.8kg

* 今朝の輸液からは、録画映画は「イヴのすべて」に。これぞ震えの来るほど凄いとのけぞる藝術豊かな作品。ベティ・デイビスとアン・バクスター。息を呑む。

 ☆ 漸く晴れた昨日は
 
海の方へドライブしてきました。
 港に近い、小さなイタリアンでお昼。
 前菜五点の盛り合わせには蛸(カルパッチョ)。ここは蛸の本場、蛸専門店から蛸煎餅まで多彩です。
 お盆に入っても海水浴客で賑わう海岸線を走って、大橋を見下ろすホテルで一休み。
 太平洋に打ち寄せる波を見るのも好きですが、穏やかに凪いだ瀬戸の海と島々を眺めると心も静まります。
 出雲大社へは、学生時代に妹と二人、鈍行列車で行って玉造温泉に泊まったのを覚えています。
 龍神といえば、中学の頃でしたか、建て替える前の家に居た頃、庭に突き出た部屋を蛇が横切っていくのを見たことがあります。
 居間にいた母に、さっき蛇が出て行ったよと話したら、私があまり怖がってなかったのに驚かれました。
 家に蛇があがってくるのに違和感も感じず、襲ってきそうでなければそう怖いとも思わぬ少女だったようです。  

* 茶室へ通る露地に「砂雪隠」の用意のある席もある。大小便ともに用いていいのか、触杖はどう使うのかという「問い」に、大小便共に使用して差し支えは ないが、「砂雪隠」は貴人のための用意ゆえ、普通人は普通に「下腹雪隠」で用を済ましておき、砂雪隠が有れば拝見のみしておくのが当然と答えられている。 貴人、普通の差別以前に、ま、当然のこと。「触杖」は、用便のあとへ砂をかけおくのに用いる。わたしも「砂雪隠」を見たことはある。よく選ばれた「砂」と いう素材の「妙用」を目で感じた。

 ☆ 忙しいのは
 おれのせいじゃない。
 と、心のなかでつぶやいてから、すぐに間違いに気づく。
 忙しいのは、どう考えても自分のせい。
 因果応報。自業自得。
 そして、書きかけの小説をボツにしてまた一から書き直すのだ。
 没にする分量を考えると気が遠くなるけど、仕方ないのだ。  或る四十半ば過ぎた作家の「facebook」から
  

* そう。仕方ないのだ。「facebook」にわざわざ書くことではない。言いたいなら、自分のブログで「私語」する程度にすれば。四十半ばは働き盛 り、二度目三度目の噴火のときだ。黙々と堪えて膨れあがって、爆発すればいい。自身の年譜をしっかり腹に入れ、黙々、着々、変容と充実を遂げてゆくのが大 事だ。

* 散髪してきた。気持ちいい。
 作家の場合、小説なら一作と数えエッセイなら一編と数えている。著書なら一冊ないし一巻と数えている。散髪屋さんは人一人の髪を刈り整髪するのを何と数 えているか聞いた。青年は単に「一人」かなと言い、父親は「一頭」かと笑った。それはそれで笑い話だが、利休の師は生涯に数え切れない点て茶を即ち「一期 一碗」と謂い、井伊直弼は数重ねる茶会を「一期一会」と謂った。「一期」とは生涯の意味であろう、それで「一碗」それで「一会」とは、どういう覚悟である か。作家は、とは謂わないわたしはと限るけれど、覚悟は「一期一作」「一期一編」「一期一巻」と思ってきた。それでも悔いはのこるが、仕方ないとは投げ捨 てない。やはりあくまで「一期一作」と立ち向かう。当然と思っている。

* 八百枚ほどに書き置いた『生きたかりしに』全五章の一、二、三章が妻の手で電子化された。このあとどういう進展があるにせよ、もう今日、電子化されていない長大作は、手の施しようがない。
 これもまた新たに読み直していって、新作として「湖の本」に、うまくすれば選集にも入るようなら有り難い、が。とにかく読み直して行く。もともと、講談 社の書き下ろし依頼で、「上田秋成を」という話だった。ところが、書き始めようとしたところへ井上靖先生直々のお電話で、作家代表団として中国政府の招待 に応じ、いっしょに旅をしませんかとお誘いがあった。即答で「行きます」と返事し笑われた。同行は井上先生夫妻、巌谷大四、伊藤桂一、清岡卓行、辻邦生、 大岡信氏、そして日中文化交流協会の白土吾夫氏、佐藤純子さん、姉昭和五十一年(一九七六)十二月の、渡しには初の海外旅行になった。北京、大同、紹興、 杭州、蘇州、上海を訪れた。四人組が逮捕された直後で、全土はまだ武闘の余波を残していた。
 秋成を書くというまさに出鼻をくじかれたが、いい旅だった。秋成を諦めたのではないが、私なりのわたくしらしい秋成探索をこころざして生母の生涯を追い かけたのが此の「生きたかりしに」だった。まったくの、しかも血まみれのような私小説ができ、講談社からの出版はわたしの方で断念した。そして作も、その まま棚上げし、二年半後昭和五十四年九月には今度はソ連作家同盟の招待でモスクワ、レニングラード、グルジアへ旅立った。これも楽しい旅になって、帰国す ると待ち受けていたように初の新聞小説連載の依頼が来たのだった。泉鏡花賞二度目の候補作となった長編『冬祭り』を書き上げた。その後「世界」での長い連 載『最上徳内=北の時代』や朝刊連載小説『親指のマリア』などが相次いだ。みな、一期一会の渾身の仕事になった。そして決断の「湖の本」をも実現して、後 半生への扉を自分で開けた。昭和六十一年の桜桃忌だった、その年秦建日子は早大法科に入学していた。わたしは五十一歳だった。いまの秦建日子がもうその歳 に迫っている。もうちっとも若くはない、心底「仕事」を見極めながら打ちこんで行く歳ごろだ。
 わたしは、この超む多忙の中で、またも新たに妻の書き出してきてくれた『生きたかりしに』をも本格仕上げて行かねばならない。この作の題は、わたしの生 母の辞世歌の第五句そのままである。母は「死にたかりしに」とは嘆かず「生きたかりしに」と叫ぶように世を果てた。母を書き、実の父をも書く、そしてロマ ンも寓話も書く、書き続ける、それがわたしを生かす「仕事」だ。立ち向かうまでだ。
 

* 八月十四日 木

* 
起 床8:00 血 圧134-64(58) 血糖値96  体重67.9kg

 ☆ 高梁川を遡って、

 本陣の町矢掛を経、山道を美星町へ。
 名前通りに星が美しい里(天文台もあります)の、家族で贔屓にしているお店へ出掛けてきました。
 氷を張った器に盛られた明石産真蛸の子と冬瓜他三品の先付けに始まるお料理の数々。
 尺八奏者横山勝也さんの旧邸のお庭の景色や、床の間の大瓶の鬼灯、オーナーの曾祖父に当たる福田恵一の「千利休」の絵。目にもお腹にも、ご馳走を頂いて帰りました。   

* 故郷への感懐は、ひととおりでない。
 「ふるさとは遠きにありておもふもの そして」とうたった詩人の歎きを共にする人も多かろうが、故郷を満喫して日頃の心労を癒せるひとたちも多い。昨日今日、盆やすみの帰省客はピークだと。
 信じられないほど遠くまで、夫婦で車の運転を交替しつつ帰省するひともいた。
 わたしはついに車を一度も体験せずに終わる。なんの、そんなことは他にも山のようにある、それが当たり前。スキー場で出会って結婚したカップルを二組 知っている。スキーにもわたしは縁無く終える。いくら蛸のように脚をひろげようと、手足の届かないことのほうが天文学的に多い。読書こそはその補いだ。
 ああねそれにしてもこんなに長く京都へ帰っていないとは。それもあってか、いま自作の小説・エッセイの校正や読み返しにいろんな思いがキツイほど揺れる。

* この機械のOSはいまやサポートされない全くの古物。そのうえ、光通信も使っていない。附設器具の故障で電話・ファックスも此処では使えな い。なによりも起動の遅いこと。ホームページの「私語」が無事使えるようになるまで延々と時間がかかり、メールが読めたり使えたりするのにも延々と待つ。 いまわたしは、その「待ち」時間を、むしろ楽しんでいる。陶淵明ほかの漢詩や、17世紀フランス製「箴言集」や日本の勅撰和歌集や歳時記やヒルテイの忠告 など。待ち時間にちょうどフィットする。
 もう一冊、今朝からは「茶道問答集」が加わって、これがまことに有益かつ興深い。有り難い。
  問  茶庭に用ふる門戸の種類は、どれ程あるのですか。
  答  猿戸、あじろ戸、角戸、四ッ目戸、へぎ戸、枝折戸、簀戸、鳴戸などあります。尚此外にもありますが普通は右に記した位です。
 これが全一冊冒頭「茶室及び露地」の章の第一問。この章だけで数十問14頁ある。さらに「花」「花入」「薄板」「釜」「風炉」「敷板」「水指」「棗」 「蓋置」「建水」「棚」「薄茶平点前」「濃茶」「炭点前」「茶箱」「七事式」「特殊点前」「茶事」「懐石菓子」そして「雑問」の章がある。馴染みのない人 には「何のこっちゃ」ろうが、人の、日本人の「暮らし」の行儀作法知識用意にこまやかに膚接している。
 上のような一問一答なので、ま、わたしにはと断るべきか知れないが、生き生きと身内に甦ってくる感覚が有る。
 そういえばこれは大きな辞典で重いのだが、ふんだんに写真の載った『原色茶道大辞典』も左手を斜めにおろしたすぐ手先にいつも置いていて、これを手辺り 次第にひろげ、茶道具等もろもろの原色写真と記事とを読むのも、それは楽しい慰みになっている。なにかをぼんやり「待つ」のも悪くはないが、このような 「待つ」楽しみには豊かな励ましや慰安がある。                     


* 根をつめたいろんな仕事で今日も終始した。眼もアタマも足腰もかなり疲れている。それでも、デカプリオの「ロミオとジュリエット」を打ちこんで見終え た。また注目している武井咲の監察医ドラマも、おもしろく見た。表情は十分に善い。ただマスクのせいもあるにせよ、言葉がきれいに聞こえないのは大きく なって欲しい女優としては自覚が足りないのでは。名優の大特徴の一つは、科白の明晰にある、どんな役柄であっても。
 火野正平が自転車で、福井県の田園の真ん中にある「三昧 サンマイ」を訪ねていた。なかなかの原風景で、静謐のうちに感動をたたえた写真がみられた。よかった。
 食べにくいので、つい酒を飲んでいる。もう十一時。


* 八月十三日 水

* 
起 床7:30 血 圧130-70(54) 血糖値84  体重68.3kg

 ☆ 陶淵明の詩に聴く 飲酒
(其の一)

衰栄無定在  
衰栄は定在すること無く、
彼此更共之  彼れと此れと更々(こもごも)之れを共にす。
邵生瓜田中  邵生 瓜田の中、
寧似東陵時  寧(な)んぞ東陵の時に似んや。
寒暑有代謝  寒暑に代謝有り、
人道毎如玆  人道も毎(つね)に玆(か)くの如し。
達人解其會  達人は其の會を解し、
逝将不復疑  逝々(ゆくゆく)将(まさ)に復た疑はざらんとす。
忽與一樽酒  忽ち一樽の酒と與(とも)に、
日夕歓相持  日夕 歓びて相ひ持せん。

人の栄枯盛衰は淀まった所にあるわけではなく、両lj者は互いに結びついている。
秦代の邵平を見るがよい。畑の中で瓜作りにとりくんでいる姿は、かつて東陵侯たりし時のそれとは似ても似つかぬ。
自然界に寒暑の交替があるように、人の道も同じこと。
達人ともなればその道理を会得しているから、めぐり来た機会を、恐らく疑うようなまねはしまい。
思いがけずありついたこの樽酒を相手に、夕方ともなれば酌みかわして楽しむとしよう。

* 朝いちばんにこういう詩にしみじみ頷ける嬉しさ。
 「
衰栄は定在すること無く彼此(ひし)更々(こもごも)共にす。」「寒暑に代謝有り、人道も玆(か)くの如し。」「一樽の酒あれば、歓びて相持せん。」

* 出来本受け入れの、とにかくも場所をあけた。20册の本包みを二包みは普通に持ち運んでいたが、今は一包みずつが限度。それだけ作業時間が何倍にも増えてしまう。暑さに、ふうふう。
 「仕事」も、あれこれ、きっちり進める。食欲が無いのではないが、飯も麺類もパンも、また堅いものも食べにくい。酒、ワインはうまい。ビールはいまい ち。アルコールが切れると、もっぱら果物や甘味の小菓子や飴などをばかり口にしている。腹が頼りなく、夏ばてか。脱水には気をつけているが、体力が落ちて 行くのと、ときおりの低血糖気味に警戒している。

* 西の書斎をやはりクーラーで冷やしておかないと熱気で蒸れてしまう。昼間にクーラーをつけに行き、夜分にはとめに行く。少しずつ馴染めば、西の書斎で 機械仕事も出来はじめるだろう。書斎のつづき部屋には、作りつけの広い本棚に、ほぼ一点も洩れず単行本自著や共著の蓄えがある。新井白石全集や基督教文献 なども置いてある。東芝トスワード第一号機もしまってある。書斎には谷崎文献が揃えてあり、文庫本専用の書棚ふたつから大量にあふれ出ている。
 このところ、「ペスト」を読み終えてから、現代小説を読みたく、今晩、すこし文庫本をこっちへ、東の母屋へ運んできた。
 ジョイス「ダブリン市民」 フォークナー「アブサロム、アブサロム」 グレアム・グリーン「事件の核心」 ガルシア・マルケス「族長の秋」それとこれは 正体不明だが、サラ・ウォーターズの「半身」 以上五冊。二十世紀文学の幕を開けたジョイス。ノーベル賞作家のフォークナー、マルケス。国際的なスパイで もあったグレアム・グリーンの「事件の核心」は、あの「情事の終わり」とは異なる世界。いや似ているとも言えるか。
 この超多忙の中で、現に十数册を読み続けていて、かなり重い小説が加わる。読めるかな。読みたいと思っている。
 書斎に秦の叔母玉月宗陽の遺品の大きな函があって、そこから淡々齋校閲、井口海仙著の「茶道問答集」もこっちへ持ってきた。茶の湯は身に沁みたわたしの 素養の最たる一つ。懐かしみながら、こぼれ落ちて行く知識の記憶をすこしずつ拾ってみたくなった。昭和二十三年九月の本で、真っ赤に紙が劣化してきてい る。わたしは新制の弥栄中学一年生だった。もう茶の湯の稽古はだいぶ進んでいた。この、問答というよりはなはだ具体的で箇条の質疑集は、読み始めると興味 深くてやめられなくなる。さすがに茶の湯、いかにも平生の暮らしと密接に触れ合っていて、智慧として生かしやすい。わたしの小説では、「畜生塚」「ある雲 隠れ考」「慈子」「蝶の皿」「みごもりの湖」「「青井戸」など、茶の湯世界とすら謂えば言えるもの。茶の湯と能。このふたつをわたしは秦の叔母から、秦の 父から学んできた。陶淵明や白楽天などまた日本の古典や歴史などへのつよい興味は秦の祖父の蔵書から学んできた。感謝している。

* 夕暮れ前、あおむけに体を伸ばして湖の本を再校し、「慈子」を初校し、何冊も本を読んだ。「書く」仕事もした。「書き起こす」仕事もした。妻につきあ い、Dfileの映画も観た。わたしはわたしの録画から「プライドと偏見」についでデカプリオの「ロミオとジュリエット」を機械に入れてある。黒いマゴに 輸液の時、マゴを膝に載せたまま15分か20分、好きに映画を観ることにしている。
 今夜は、新しく運んできたどれかから読みだそう。もう眼は水に浮いているが。

 

* 八月十二日 火

* 
起 床5:00 血 圧115-59(53) 血糖値81  体重68.6kg

* 「湖の本121」の再校ゲラが届いたので、建て頁を確認しながら跋文と奥付の要再校ゲラと表紙の責了紙とを、今、送り出してきた。発送用意がまたして も大変だけれど、本紙責了自体は八月中にも可能かも知れない。九月十二日はやす香の誕生日。生きていてくれれば幾つになるのかなあ。俳優座公演の「心−わ が愛」開幕の頃にやす香は生まれたのだった、戯曲「こころ」が「湖の本」第二巻として出来たのだ、とすると、あれから二十八年、思えば「湖の本」はやすか と同い年なのだ。死なせたくなかった。

 ☆ 
(昨日=)午前中に着きました。
 赤飯、金平牛蒡、蛸の胡瓜もみ、冷奴、鰆、烏賊の煮付け、お味噌汁、奈良漬け。両親が丹誠の白桃は今年も甘く、お昼からお腹一杯。夏休み中にすっかり薩摩芋みたいになってしまいそうです。
 迎えの車から降りたスカートのお尻に、いつの間にか蝉が止まっていたのに驚きました。夜は、虫の声を聴きながらのんびり湯舟につかりました。
 121の予習を兼ねて持ち帰った106は、先ず「私語の刻」をゆっくり区切りながら読み返し、京を過ぎてゆく車中で「京都の明日を励ます」を読みました。
 「ドアは開いている」。
 雲間から時おり覗く、驚くばかりに皓い秋の月を見上げて心の中で呟きました。
 もう眠ってられるかな。お元気ですか。  

* 夏休みという、忘れ果てた季節を沢山な人が、それぞれに満喫しているようだ。大きな都会生活から山や川や草木の薫る故郷へ帰って行く人は、 往時のわたしらのように東京から京都市内へという帰省とは格別の風情が楽しめるのであろう。戦時疎開で丹波での一年半を体験していなかったらわたしの「日 本」は偏っていたにちがいない。「丹波」があったればこそ「清経入水」が書けた。、

 ☆ 秋の川真白な石を拾ひけり(夏目漱石)
 1988年1月発行の小学舘「大系日本の歴史2『古墳の時代』」を借りて読んで、そのあと、和田萃さんが編集した「大神と石上―神体山と禁足地」が1988年2月に筑摩書房から発行されていると知って借りて読みました。
 そうしたら、1985年6月発行の雑誌《日本学》に和田さんの「夕占と道饗祭―チマタにおけるマツリと祭祀」という論文を掲載されているとあったのでそれも借りてみました。
 チマタ、聖なる樹、市、六月の晦日、十二月の晦日、道饗祭、鎮火祭、広瀬大忌祭、竜田風神祭、宮城四隅、京城四隅などのことばがつらなり、藤原京の四隅が説明されていました。
 トワイライトのチマタ…これこれ、これです。

 雑誌の特集は「倭国から日本へ」。冒頭にディスカッションが載っていました。収録は1984年10月。
 韓国元首として初の公式訪日をした全斗煥大統領が「韓国五千年の歴史」と発言し、昭和天皇が「六、七世紀(我が国=)の国家形成のころ」と発言されたことが大きな話題となってのディスカッションとのこと。
 天皇が、あるいは宮内庁がそういうことを認めたのは初めてではないか、だれが原案をつくったのか、戦後の教育を受けた優秀な官僚たちだろう、紀元節を建 国記念の日として実施した佐藤栄作首相は、「あれは神話でいい」と歴史事実と切り離して実施した、といったことを参加していた学者さん方が話していたの に、えっ、そんなことがあったの!?と驚きました。

 1984年は「ゴジラ」が30周年記念で、澤口靖子さんをヒロインに記念映画が作られていたのですね。
 20周年の作品では田島令子さん。雀は、田島さんのお声が大好きです。
 今年はゴジラ60周年ということで、平田昭彦、佐原健二、天本英世などなつかしい名を目にしました。
 音楽は伊福部昭。
 戦争中、昭は木材に放射線を照射して強化する研究に従事していて、兄のひとりを放射線障害で喪ったとか。
 「ゴジラ」は第五福竜丸事件と防衛庁と自衛隊が発足した1954年に作られていた、その意味を雀は今まで知らずにいました。

 北大教授の中谷宇吉郎が療養中にワシントンの学会に送るため製作した「Snow Crystal」(1938〜39)の音楽を作曲したのが北大林学科を卒業した伊福部昭でした。
 そして1946年に小宮豊隆が東北大学附属図書館の館長を辞任して東京音楽大学の校長になったことで、昭は作曲科講師に招かれています。

 1936年1月の寺田寅彦告別式のあと、仙台に帰る豊隆と札幌に帰る宇吉郎が同じ列車だったことを宇吉郎が書いていました。
 宇吉郎に学んだ樋口敬二が、1965年4月の宇吉郎墓碑建立の際、京都駅ホームで特急を待っていたときに、列の前のほうに(数学者=)岡潔さんを発見して思いきって話しかけたときのことを書いていて、このふたつのエピソードは雀の心のなかで、対聯になっています。

 さて、昨夕、昇って間もないお月さまは、朦朧体。いつもなら月明かりで目が覚めるのに、昨夜は水滴の音が眠りをさましました。雨です。
 朝になって津市と松阪市に大雨警報が出ているとラジオニュースで聞いたあと、名張川の方向からダム放水を知らせるサイレンが聞こえてきました。
 ふるふる、ふる。
 トワイライト、チマタ、坂、橋…。
 ゆら、ゆら、もゆら。

 度会郡大紀町に鎮座する瀧原宮が懐かしく思い出されます。
 道路が大丈夫なら、このお盆休みにたずねてきたいです。   名張の囀雀
                  
* 萬華鏡  十数年におよぶ雀さんのメールに総題するなら、萬華鏡日本か。

 ☆ 薄曇りの今朝は                       
 秀吉の水攻めで知られる備中高松の城跡へ、蓮の花を観に行きました。
 二の丸跡から本丸へ、思った以上の花の数に圧倒され、気高さに打たれました。
 その蓮の葉と芋の葉とが同類と聞かされて、ちょっと笑ってしまいましたけど。
 心地よい夕風が吹いています。
 今、息子が入浴中。出てきたら、次は私。実家のお風呂からは山も川も望め、露天風呂気分なんですよ。  

* 山も川もない湯の中で、一時間余り校正ゲラを読んでいた。散髪したいが、行くヒマがない。ものを出迎えるために、玄関を片づけて床をアケテ置かなくては。つまり積んである重いものを西の家へとにかく運ばねば。本というのは重い。力仕事に耐えねば本など扱えない。

* なんだかだ言いながら、結局はやってしまう。からだをラクにするそれが最良の道なのだ。休めるときには休んでおく。所詮はいまは、いつもいつも台風 (選集)と豪雨(湖の本)とに間断なく見舞われる暮らしに自分から持ちこんだのであり、愚痴は言わない。かなりの運動になるとのみこんでいる。


* 八月十一日 月

* 
起 床9:30 血 圧127-60(61) 血糖値87  体重67.4kg

 ☆ 叡智の光に
 祈念しているような和泉式部の和歌と 世界の政治家たちの悪意の算術。
 今はもう 若者たちの知性に期待するばかりです。
 お二人とも どうぞ お身体 大切におすごし下さいますよう。  

 ☆ 台風が去り
 
又 暑くなりましたね
 大手術の後とは思えぬ精力的なお仕事ぶりに、拍手と、末長からん事を祈ります。 (新築前の=)仮住いにやや馴れてきました。
  今回 日数に追われながら一人で家の整理をしていて、あまりの多忙さに、取り置きの品物も間違えて捨てたりと頭が混乱していたようです。
 傘寿を目前に、これからはコンパクトに暮らしたいと思っています。
 最近は テレビでも観たい映画は全く無くて、飢えた感じです。 お大事に。  

* なにに疲れたか、台風か。朝も遅く起き、昼過ぎて機械の前で居眠り、ソファに移って居眠り、物足りなく朦朧と寝室にうごいて五時半まで寝入っていた。目のためにも、歯痛のためにも、よしとして。
 明るく晴れている。

 ☆ いちはやく火の見ひともる野分雲(上田五千石)   

 (小野=)竹喬さんの、茜の朝焼けと錦繪の暈しのような、たそがれ。
 節分、立秋、十三夜。
 ところが木曜の昼下がりと夕方の2度にわたって、急な雷と鉄砲雨があり、伊賀市役所など伊賀上野城下では浸水被害、伊賀市内では落雷による停電も起きたそうです。
 土曜の夜明け前から降り始めた雨は日曜の15時を過ぎるまで、まあよく降りました。
 昨日の夕間暮れに、避難所に指定された公民館に明かりがともっていて、川の濁流のはやさと水位の高さ、むくむくと広がった雲が取れない空を、やるせない思いで見上げました。夜が更けても一向にはれず、十五夜は残念ながら見えませんでした。
 今夜の満月は見たいものです。
 颱風の渦のしたではなかったので風はなく、ただ雨の音が小さくならず、止まないばかり。
 こんなに通行止めが多かったのはこちらへ来て初めてのことです。
 伊賀は盆地ですから川に沿うか峠越の道を使うかして他国に出るわけです。それが川は氾濫のおそれ、峠は土砂崩れのおそれということで、陸の孤島となりかけました。
 幸いに用事もなくじっとして済んだのですが、まいりましたね。
 今朝おそく、熱いお茶で一服しながらラジオのリモコンをいじっていたら、古い映画音楽が流れてきました。NHK-FMです。
 その曲でひとつのプログラムが終わり、次の番組が始まりました。早坂文雄の生誕100年がこの8/19ということで、彼の作品を放送しているそうで、今日はその最終回。戦後から遺作までとのこと。
 椅子に座り直して耳を傾けました。
 《管弦楽のための変容》(1953年)、遺作《ユーカラ》(1955年)
 それぞれ一部だけでしたが、ひさしぶりに別世界に遊びました。なんだか、とってもよいこころもち。
 そういえば少し前に伊福部昭の曲をやってたっけ、あれもよかったなぁ。
 そういえば同じような時間帯だった。
 伊福部昭も生誕100年なんですね。誕生日は5/31。きっと同じ番組でしょう。
 先日の松岡正剛『千夜千冊』が、佐宮圭「さわり」でした。   名張の囀雀
                                                                                                                                                                             
* いい気持ちで、その暮らしのなかへ同居できるような、佳いメール。台風一過。

* 久保田淳さんに戴いた「富士山の文学」をかるい気分でひもとき始めたのが、いまや愛読している。万葉の昔から、いまは子規や漱石をすぎて鏡花に手が届いている。
 「南総里見八犬伝」は、いよいよ新兵衛仁の、絵を抜け出た猛き霊虎との都での出会いになり、もう関東では両管領軍と里見軍との大会戦が始まろうとする。 ゆっくりゆっくりを厭わず読んでいる。最初の入院からだもの、優に二年半。この二年半に「指輪物語」は二度読んでおり、「ゲド戦記」も「イルスの竪琴」 も、「国家」も「ファウスト」も「戦争と平和」「アンナカレーニナ」「復活」も、そのた百册もを楽しんで読み通してきた。いままた「イルスの竪琴」でモル ゴンは狼王ハールとの出会いをとげて極北の荒原をヴェスタに身をかえ彷徨している。
「陶淵明全集」フローベールの「紋切り型辞典」ミルトンの「失楽園」そして「源氏物語」や何冊もの勅撰和歌集。
 こういう読書世界が在ればこそ「ペンと政治」三巻も本に出来た。「湖の本」は、手術いらい十一巻出し続け、いましも五百頁の「秦 恒平選集」を第二巻まで仕遂げた。まだまだ、まだまだと思いつ願いつ、歩一歩、問一問を進められれば幸いとしたい。人として不徳ではあるが孤独ではないの を感謝している。

 ☆ 雨はしとしと降らせない 1998.08.08
 「雨はにしとしと降ってはいかんよ」と小説を書きだした頃に丹羽文雄は教わったそうだ、尾崎一雄に。大久保房男が「三田文学」に書いている。
 いつもの大久保ブシだが大事なことは大事なのだ。
 晴れ渡っておれば抜けるような青い空、人が大勢集まれば黒山の人だかり、美しい風景は絵に描いたような景色、「こんな常套句を使うのは通俗読み物で、文学作品には使ってはならぬ」という。
 尾崎一雄はさらに言う、「下を向いて書いちゃいかんのですよ、自分より上の者、せいぜい自分と同等の者に、これが私の精一杯のものです、と差し出すのが文学で、読者を自分より下に見て書くと通俗小説になる」と。
 文学に向かう作家の態度を言い切っている。
 元「群像」の名編集長だった大久保は、これを念頭に作家たちの小説を読むと、「読者がわからないといけないという親切心から書いたところでも、下向いて書いたために文章の緊張感が弛んでいるのを私は度々発見した」と書いている。
 「私が兎を飼ったのは、これで三回になる。第一回目は、私が山科にいたときであり、二回目は、奈良にいたときだった。しかし、その頃の私は、兎をおもしろい動物とは思わなかった。」
 アマチュアがこう記憶で書いた文章が、志賀直哉の原作では、「兎は前に山科で一度、奈良で一度飼つた事があるが、飼つて面白い動物とは思はなかつた。」とある。
 文章の道は厳しい。
 大久保は神髄を指摘している。 (神様)

* まるまる十六年も昔の匿名欄原稿である。大久保房男は「男でござる」。翻訳家の大久保房雄とまちがえられるのをアタマに置いての啖呵だった。大久保さん、亡くなってしまった。独りで、悼み懐かしんでいる。


* 八月十日 日

* 
起 床8:00 血 圧151-78(63) 血糖値99  体重67.6kg

* 歯が痛む。ロキソニンを前夜からこの午後まで三度服した。紛らわせの酒が切れている。買いに行かねば。
 風が物音を届けてくる。関西に大雨風。陸奥に強い地震。やれやれ。
 それでも仕事は進んでいる。根をつめているのが歯にも堪えているのだろう。命と仕事とが競走しているなど愚の骨頂めくが、それでいいと思っている。それの出来るのを喜んでいる。
 むかしから、わたしには逢いたい人がいつでもいて、それは生き甲斐のような物だと言いも書きもしてきたが。からだが動く働くということが出来なくなっては話にならない。仕事のできるあいだは体も動くだろう、と。ま、鰯の頭のように信仰しているわけだ。

* 小降りのうちに、ちと酒を買ってこようか。

* 「杜氏の里」の上等を一升買ってきた。寝てしまうほどは呑んではいけないと、また機械の前へ来て、一仕事、二仕事したところ、また階下へ。

* 長い小説を、軽々と終えることが出来そう。作の命の求めるままに。


* 八月九日 土

* 
起 床8:00 血 圧131-70(55) 血糖値96  体重67.7kg

* 「選集A」刷了。すでに製本にかかっているはず。「湖の本121」の追加稿の初稿ゲラが出てきた。本紙の再校出は来週の火曜にと。わたしの仕 事も速いが、お相手からの仕事進行も小気味よく速い。医学書院時代にも、そんなに沢山、いつのまに仕事するのとよく聞かれた。適切な手順、うちこむこと。 それに尽きる。

* 台風接近のせいでか、天気は陰っている。外へ出やすいので、昼飯かたがた校正をもって出ようかなとも思いながら新作の小説に手を掛け、引き込まれていた。

 ☆ 
今日は
 雨が降り続いていますが、夕方現在三重県のような危険な状態ではありません。住まいも海や川の近くではないのであまり心配はしていないのですが、何事もなく過ぎてくれたらと思います。
 台風から遠い東北や北陸で既に被害が出ているのですから、どこにいてもやはり用心は必要で、東京もどうぞ安穏でありますように。
 気鬱、というか、時に集中力以前の無気力・・これまでも時々経験していますが、風邪のような症状を呈して一か月以上不調が続いています。老け込みたくないです。
 あと少しで。50号のカサブランカの絵を描いてます。水金泥の絵の具を買ってこないと描き終わらないのです、空の月を描くために。
 どうぞ、元気で元気で元気で。  尾張の鳶


* むかし、新聞社から転送されてきたこんな投書の手紙が出てきた。モーパッサンに触れた原稿をわたしが書いていたのへ来た読者からの手紙だったらしい。

 ☆  投書(1996.10.13)ひろば・・あなたと編集
 格別な面白さ西洋古典文学
 やや古い話だが、”大波小波”(9月17日付、一部地域18日付朝刊)で「モーパッサンの短編選が面白い」という文章を読んで、早速文庫本3冊を買った。
 まだ一冊を読み終えたばかりだが、本当に面白い。男女を中心とした人生の機微と美しい自然が巧みに描かれて、「小説」を読んだという気持ちでいっぱいになった。
 モーパッサンといえば、若いころ「女の一生」を読んだ。 しかし、当時の教養主義で読んだせいか、感動を覚えた記憶がない。年をとって短編を読んでみると、自分白身の多少の人生経験もあって、小説の醍醐味が身にしみて分かる思いがする。
 西洋の古典文学の面白さは格別だ。訳者の青柳瑞穂氏も書いているが、モーパッサンの小説は「読んでみて、けっしてソンをしたとは思わない」作品ばかりである。
  「大波小波」の辛目評論を読み続けてきたおかげて、モーパッサンを読むきっかけを与えられたことに感謝したい。(坂戸市 会社員 博 60)

* 歯が痛むほど、ロキソニンを含むほど、終日機械で仕事していた。

* 田中励儀さんに戴いた鏡花の『山海評判記』をずうっと読み進んでいて、なおかつ福永武彦、種村季弘の解釈原稿も読んだ。この、ま、晩年の長編小説は、 新聞に挿絵入りで連載されて以降、単行本としては一度も刊行されなかったという実に変わり種で、それは何故かと鏡花に熱い共感の持ち主、いま謂う福永にし ても種村にしても明快にはものを謂えていない。はっきり謂ってしまえば、この長編をいわゆる読書の範疇に入れてああ読んだ読んだ面白かったと分かり切るの は、よほどでなければムリというものだろう。いろいろに持ち上げて鑑賞することは不可能ではないが、総じて読者の想像力に荷を預けすぎた無理筋の作なので ある。その点では「風流線」「続風流線」のような、また「由縁の女」とはよほど出来が、いい・わるいを敢えては言わないが、違っている。戯曲での「天守物 語」や「海神別荘」などの不思議の迫力とは違っていて、鏡花の酔いが作の味わいを超えた分かり良さには到達し得ていない。鏡花だからという甘い遠慮をしな がら傑作といって賞賛することはできるにしても、わたしは、あえてそれをしない。
 だからこそ小村雪岱のみごとな挿絵をふんだんに入れたまま新聞での連載原稿がじつに美しい本、豪華本としてまとまったことを、愛読者としてとても嬉しいと言い切るし、作者鏡花のためにも喜びたいのである。
                                                           


* 八月八日 金

* 
起 床7:00 血 圧124-67(56) 血糖値92  体重67.5kg

* 歯医者へ出かける。はやくからの仕事づめで、眼はボンヤリ。                                                                  
*  「慈子」の校正好調に進む。原稿段階で叮嚀に読んであり、新たなルビを振る程度しか直しはない。うちこんで書いて、うちこんで推敲した昔が想い出される。 創作は「作」だけでは無意味にちかい、「作品」がともなわねば雑物になってしまう。そういうことを「畜生塚」や「慈子」を書いていたときに心魂に彫み入れ た。                                                         
* 歯医者の帰り、しばらくぶりに「リオン」のフレンチを楽しんできた。ワインもうまく、前菜、南瓜のスープ、牛の肉料理も、マンゴーのシャーベットもと てもうまかった。駅前で、頼んでおいた乱視入りの最近用眼鏡も受け取ってきた。ついに眼鏡は眼鏡袋に七つになった。とっかえひっかえ、とにかくもその時そ の場に合う眼鏡をつかって何もかも乗りきって行く。それしかないなら、それでゆく。

* ある新聞の有名な匿名コラムに、依頼され、寄稿し始めたのは、1990.1.17から。
 以降、いま手許に1992年末まで原稿が在り、目下捜索困難中の以降数年分を欠きながら、更に1996.6.11から、2001.10.3まで、ほぼ 11年間というもの(むろん毎日ではないが)信じられぬほど大量に書き続けていた。紛失中の原稿もやがては見つかれば、その全量、例えば私版の「湖の本」 にしてほぼ三册分ほど、すべて匿名の紙礫を、文壇はじめ政界・学界、各界へむけ容赦なく打ち込み続けていたことになる。
 まぎれもなく、これらはわたし秦 恒平の「批評」の矢・弾。ま、よくも書かせてくれたもの、よくも書いたもの、だ。


* 八月七日 木

* 
起 床8:00 血 圧131-67(49) 血糖値91  体重68.7kg

 ☆  
みづうみ、お元気ですか。
 みづうみの鬼気せまるお仕事ぶりにおそれをなしておりました。毎日みづうみのことをドキドキ意識して生活しています。
 みづうみに関わるものはすべて、たとえクリック一つで電子空間の闇に消えゆくメールであっても、何一つとしてお寶でないものはございません。
 それにしてもこの暑さに消耗しています。昼間の数時間、ぼーっとして頭がうまく働きません。東京は、サウジアラビアより、インドより、アマゾンより暑い そうです。書いているうちになんだか腹が立ってきました。灼熱という形容詞が許されるのは「恋」くらいのもので、灼熱の都会なんて……。
 クーラーの効いた部屋の中で好きな本をあれこれ読んでいるのが最近の一番の幸せの時間です。この暑熱が峠を越えるまではあまり出歩かれませんように。
 自転車も危ないです。       炎天の巌攀(よ)づ己(おの)が影つかみ  零子

* 口から出任せに、且つ自然に、からりと明るい光のようにものの言える人、幸せそうに善良な人、いるものである。相当な藝である。こういう光線のときに差し込んでくる暮らし、わるくない。

 ☆  秦建日子のFACEBOOKに

「着ているものを見れば、その人の中身もわかります。着ているものが変わればその人の中身も変わります」
「まじですか。ぼくは何を着るようにすればいいでしょうか。アドバイスください」
「秦さんはユニクロを着ていればいいと思います」
「……」
実話。


* 上の、息子の曰く「実話」がどんな状況のはなしかは知れないが、やや関連したところを昨夜わたしは小説で触れていた、ま、まるで別の話ではあるが。
 哲学者アランの問題提起に、人は裸身のときか着衣のときか、どっちが本来と謂えようかと。大学の頃、めずらしくアランの訳書を買って読んだ。
 このまえ書いたが、女の裸が観たい観たいという昔の友人のエッセイを紹介しながら、わたしはというと子供の頃から、大概な女性の裸身など着衣の上からま る見えに見えるとも告白していた。わたしにすればそんな事はたいした能でも性質でもなく、ま、観察と想像力の問題に過ぎないのだが、それよりも、女の裸身 は美しいかどうか、それこそがわたしの美学を左右すると観じてきたのであり、アランを読んだことは大きな契機であった。それだけを、記録しておく。

* 「原稿・雲居寺跡」のデータ化を我ながら興味深く進めている。どこまで物語はひろがって、どうしてハタと頓挫したか。手が入って、大幅に入れ替えたと 思われる箇所もある。とにかくもおさまりがつくまで書いた私にも行方がまるで知れない、覚えていない。覚えて無くてよかったと思い思い書き写しつづけてい る。

* 「仕事」の交通整理が必要ということを昨日も洩らしていたが、必要になっている。
 @ 「風の奏で」を追っている小説。 A ある寓話 または猥褻という無意味(仮題) B 私小説・父(実父)の敗戦  C 私小説・生きたかりしに  800枚の電子化 C 「原稿・雲居寺跡」の電子化 及び同様の未発表また書きかけないし中断諸作の電子化 D 「選集」Aの発送 Bの初校 Cの入稿   E 「湖の本121の再校・責了、発送用意 F 「湖の本122」の入稿原稿用意すでに着手進行中 G 日々の「私語」「箚記」 H 読書 I 通院 
 日々、手を出してないものは無い。むしろ幾らか重点的に選択すべきだが、抜いていい仕事は一つもない、みなもせっせとわたしの尻を打って来る。イヤでは ない。困惑も迷惑もしていない。欲しいのは唯一、視力。いま昼前、もうどの眼鏡に掛け替えても視野は滲み霞んでいる。まるで視力と仕事がどこかのゴールへ 競走しているみたい。成ろうなら協奏してもらいたい。

  ☆ 暑中お見舞申し上げます。
 このたびは あたたかいお手紙と選集をお送りくださいまして本当にありがとうございました。うれしくて何度も読み返しています。
 新しい部署に着任して慣れない毎日ですが お手紙をお守りとして持ち歩いています。
 選集 美しい装丁に、ご自宅とかお庭の書斎を想い起こしました ネコちゃんとノコちゃんの姿も (子どものときはこわがっていたのが おかしいです)。 
 母も折に触れて秦先生どうしていらっしゃるかと話しています。 この湖の本でいつも近くにいらっしゃるような気持ちにはなっているのですか…。ご尊顔拝することができたら本当にうれしいです。
 酷暑 どうぞお体 おいといくださいませ。  

* 猫の絵はがき。じつの娘からのように嬉しく。やす香のお友達を、じつの孫のように想っている。

* 「阿」や、秦建日子は、邦題『真実の瞬間(とき)』という映画を観てきただろうか。ハリウッドを舞台に、名優ロバート・デ・ニーロとアネット・ベニン グが、前の大戦直後のアメリカで二十年ほども吹き荒れた「赤狩り」マッカーシー旋風と戦い抜いた(しかし惨憺たる目に遭ったのだけれど)、アーウィン・ウ インクラーによる監督作品だ、凄絶、観ていて息をするのも苦しいほど、リアルで、ダーティで、非道と悪政を相手に人としての節操と誇りとを枉げず、勇敢無 比に闘った名画だ、マッカーシーズムへの怒りにうち震える名品だ。観てなかったら観て欲しい。文化とは何か、創作とは何か、人間とは何なのか。
 優れた映像の持つ説得力の美しさ強さ。おなじことは、文学でも演劇でも美術でも、思想でも、敢行されねばならない。屈服してはならず、問題を抛擲してもならない。
 この映画で為されていた非道・無道・脅迫は、日本では戦前戦時に為され続け、アメリカではヒロシマ・ナガサキに原爆を落として戦争に勝ったあとで、思想と表現との自由を壊滅させるために為された。
 いま、日本ではまたもやそういう時代・時勢への反動志向が安倍「違憲・棄憲」政治の露骨な反民主主義とともにまたぞろ復活しそうに蠢いている。さような 無道と闘うべきは、文字どおり「今でしょ!」。真剣に生きていこうとする若い精神と肉体とを、政治悪の餌食にしてはならぬ。

* 「ある寓話(仮題)」を、一つの大きな仕切りまで、ほぼ仕遂げた気がする。佳い表題が欲しい。


* 八月六日 水

* 
起 床9:00 血 圧132-65(50) 血糖値90  体重68.8kg

 ☆ 
お酒は
 利尿効果があるとききます。
 隠れ脱水にならぬように、水分補給と休息を心がけて下さい。  読者

* 一日で一キロ体重増に驚いた。けれども酒は美味い。

 ☆  陶淵明に聴く
何を以てか我が情に称(かな)へん、
濁酒 且(しばら)く自ら陶(たの)しまん。
千載は知る所に非ず、
聊か以て今朝(こんてう)を永うせん。  

* 陶淵明の「飲酒」二十首は、酔後の気儘な述思で、酒をうたう以上に酒に寄せて心事を述べている。序の詞も佳い。

余閑居寡歓、兼此複已長。
偶有名酒、無夕不飲。
顧影獨尽、忽焉複酔。
既酔之後、輒題数句自娯。
紙墨遂多、辞無詮次。
聊命故人書之、以為歓笑爾。

余(わ)れ閑居して歓び寡く、兼ねて此(このごろ)、夜己に長し。
偶(たまたま)名酒有り、夕べとして飲まざる無し。
影を顧みて独り尽くし、忽焉(こつえん)として復た酔ふ。
既に酔ふの後は、
輒(すなは)ち数句を題して自ら娯しむ。
紙墨遂に多く、辞に詮次無し。
聊か故人に命じて之れを書せしめ、以て歓笑と為さん爾(のみ)。

(序) わたしはひっそり暮らして楽しみも少なく、しかもこの頃は夜が長くなった。たまたま名酒が手に入ったので飲まぬ夜とてない。影法師を相手に独り飲 みほして、飲むとたちまち酔うてしまう。酔うたあとには、二、三の詩句を書き写してひとり楽しむのが常で、いつしか書き散らしたものがふえてしまった。字 句は前後の脈絡に欠けるが、
ともかく友人に書き写してもらった。お笑い草にでもと思って。

* 一読 なにも言うことがない。

 ☆ ヒルテイに聴く。「眠れぬ夜のために」
 あまり進み方が早すぎたものは二度も三度もやり返さねばならず、結局、一番長くかかることになる。 人間だけがいつもせかせかと急ぐ。

 本物の冠は、高位のものに至るまですべて、荊棘(いばら)の冠である。
 それ以外の冠は、選ばれた者自身にも、また、その人に支配され指導される者たちにも、よい効果を与えない。

 たえまなく人と交際していれば、だれでも精神的な害を受けずにはすまない。
 つねに人々にとり囲まれて煩わされることの多い聖職者、教師、施設の所長たちの場合も、まもなく彼らの力の衰えがはっきり感じられる。
 こうしてついに、多くの人々が、湧き出る力を全く失い、「味のぬけた塩」になってしまう。

 孤独癖も健康とはいえない。
 孤独癖は人間をわがままにし、世間にうとくし、善を行う気力を失わせる。
 聖なる隠者などを信じない。このような聖性はあまりにも手軽に得られるものだから。

 ☆ ラ・ロシュフコー『箴言集』の考察「交際について」に聴く。                                                                       
 友情には交際よりも崇高で尊いところがあり、交際の最大の取り柄は友情に似ていることである。
 
 交際を長続きさせる方法を講じる人はほとんどない。 常に自分自身のほうを大切にし、しかもほとんど必ずこの身勝手を相手にさとらせてしまう。 あいて の自己愛(アムール・プロプル)に配慮して、決してそれを傷つけないようにしなければなるまい。 これほどたいへんな事をなしとげるには才気が大きな役割 を演じる。

 交際を楽しくするためには、互いが自由を保っていることが必要である。 相手を立てることは必要だが、 行き過ぎれば隷従になってしまう。

 (紳士がた淑女がたの)交際には、才気とともに、一種の洗練、 ある種の信頼なしには長続きしない。 才気には多様さが必要である。一種類の才気しかな い人は、長く人を楽しませることができない。 また交際の楽しさのためには、少なくとも利害が相反しないことが大切になる。

 物を見るためには距離を置かねばならないと同じに、交際においても距離を保つ必要がある。どんな人にも、自分をこう見て欲しいと思う角度がある。 あらゆることにおいてありのままの自分を見て欲しいと思う人など、ほとんど一人もいないのである。

* むかしは「交際」ということばや行為を意味して「つきあい」「つきあう」と謂うていた。「あちらさんとはおつきあいはおへん」とか「何代もまえからの おつきあいどす」とか。「ほん、けっこうにおつきあいさせてもうてます」などと、明らかに健常で普通の大人の物言いとして「つきあい」「つきあう」という 交際の意味が生きていた。
 ところが、すでに前世紀後葉からは、若者ことばないしは男女関係をのみ謂うことばと限定されはじめ、しかもその関係が、既成事実化している「性」関係を 露わに意味しはじめた。今日、うっかり男性が特定の女性を、女性が特定の男性を指さすように「付き合っている」となどと口にすれば、それはそのまま互いに 性的関わりが、すでにある、今にもあろうとしている、あっていい仲であると認めたに同じい意味になっている。危なくて、うかとモノが言いにくい。これは今 代の大きな心身環境の特徴事象と目して記憶し記録されていいことでは無いか。

 ☆ 炎暑の日が続きます。
 いつも「湖の本」を御恵送下さいまして また今春は「秦 恒平選集第一巻」を賜りましてありがとうございます。  
 昨年の秋以後訪れていない今日の町を思い浮かべながら「みごもりの湖」拝読しております。
 「湖の本」109の149ページで「春曙」「春の曙」ということば・句についてお書きになっていらっしゃるので うれしくなりました。「あけぼの」とい うことばの和歌での詠まれ方らついては若い頃からずっと関心を抱いていました。今年の秋の和歌文学会で何か話すことを求められ、「『あけぼの』の系譜」と いう題だけを届けて中身を今考えているところです。
 一昨年はじめて一寸大がかりな(本人にとっては)手術を受けてから 時折体調を崩したりしますが、年を考えれば当然のことなのでしょう できるところま でやるだけのことと居直って まだまだ残っている宿題をぼつぼつ進めています。その仲には源平盛衰記の註釈というやっかいなものもありまして、一谷や屋島 の合戦場面 そして平家の公達の死に立ち会わざるをえません。
 そんなことに追われて失礼を重ねておりますことお許し下さい。
 天候不安定のこととて、くれぐれも御自愛下さいますようお祈り申し上げます。  久保田淳  東大名誉教授

* 久保田さんはわたしより二歳年長の碩学。びっくりするほど沢山ご本を頂戴している。今日もお手紙とともに、「古典講読 徒然草」「人生をひもとく日本 の古典 第二はたらく」を頂戴した。「西行全歌集」も「富士山の文学」もいままさに愛読している。ただの一度もお目にかかったことなく、じつは久保田さん が「淳」というお名前一字からして男性とも女性ともわたしはしかと知らない。そういうことは特別わたしには大事でなく、お仕事にのみ心惹かれてもう久しく 著書の贈答が続いてきた。まさしく淡交の理想をなしてきたと喜んでいる。これがわたしのむかしむかしからの「淡交」というもの。

* 「選集A」の表紙見本が届いた。二週間後には出来てくる。かねがね保元・平治・平家物語ないし平曲・謡曲への関心深い専門家、研究者、読者・知己へ、また研究施設・図書館等へ寄贈する。少部数限定本である、希望される方へも成る限りは届けて差し上げたい。

* 盆正月という、京都では盆は八月だった。盂蘭盆、それから地蔵盆。暑くはあったがいい季節だった、むかしは。京は寒いも暑いも昔からとびきりの土地柄 だったが、どう暑いと云っても一夏に三十度を超えるなど二三日、三十三度などときくと異様さに惘れたものだ。暑ければ暑いなりに夕立もした。だいたい、二 十日過ぎの地蔵盆にもなればもう湖や川でも水泳は遠慮したモノだ。
 地蔵盆が、なつかしい。『初恋 雲居寺跡』を読み直したばかりで、ひとしおなつかしい。

 ☆ 地蔵盆
 くにでも、していますよ。
 くにの実家は川を見下ろすこんもりした丘の上にあり、丘を登りきった裏手にお地蔵さんが祀られています。
 夕方と朝にお餅とお菓子の接待もあり、帰省中であれば、母に連れられ、息子や娘も連れて、巾着にお米を入れてお詣りします。
今年も、ゆっくりしてこられるといいなぁ。
 暑いのは苦手ですけれど、子供の頃から夏休みが一番好きでした。
 土曜夜市、花火、夏祭、盆踊、従姉のいる田舎、長い旅。
 日常を離れたケの時であり、都会に出てきてからは、古里でほっとできる時となりました。
 今日も暑い一日でした。
 これから、夕食です。  

* 季節感も生活感もあり、こういうメールをもらうのが心地よい。

* 「慈子」 水をくむように気持ちよく読める。やや長編だが、グーンと読み切れるだろう。

 

* 八月五日 火

* 
起 床6:45 血 圧122-61(49) 血糖値92  体重67.8kg

* 交通整理の必要なほど「仕事」が輻輳していて、気が付くと、し易い、手の付けやすい仕事を優先してしまっている。そは好ましからず。

* 自転車で近くへ切れた日本酒を買いに出かけた、その燃えさかる日照りの暑さ、生まれてはじめてという体験だった。こんな日照りの中を半時間も歩けばわたしは倒れてしまう。怖いほどだった。それでも日本酒が欲しかった。新潟の杜氏の里という初めての酒を買ってきた。

* 「畜生塚」から長編「慈子」へ転じた。美しい限りの小説をといきごんで書きだしたのを想い出す。

* ブラサゲの紙袋にケース入りの眼鏡が六つ。この七日には七つになる。裸眼も含めれば八つ。使い分けながら、すこしでも見やすく書きやすくなりたい。わたしは眼鏡に微塵の洒落っ気ももってない。少しでもよく読めてよく書ければ有り難い。

* 小説の一つに、今夜も、ずうっと取り組んでいた。この一つをとにもかくにも根限り書き上げたい。

                                                   


* 八月四日 月

* 
起 床9:00 血 圧127-62(57) 血糖値96  体重68.1kg

 
「致す」という語意は、あまりに広くて、安易に多用するとヘンなことになる。謙譲 語・丁寧語のようであると同時に、尊大語・無礼語ともなり、さらには「だます」「たばかる」「よくないことをする」意味合いも持ってくる。日常語感での、 陥りやすいだいじな機微に属している。大きな辞典で、いちど確かめておくといい。
「致します」「致しました」「致しております」などの多用された文章や手紙は、叮嚀・鄭重・行儀を誤解ぎみに、無用な力み、杓子定規、四角四面の無粋な物言いに、ふつう、なっている。かなりうんざりする。
 文の語尾を した した した と畳み込むのも「切り口上」になり、なによりも愛嬌なく愛想もない。ものの言い様には、自然「人」が出る。こわくなる。

* カミュの『ペスト』をじっくり時間かけて読み終えた。一気に読破するという小説ではない、じっくり読み進めたい目のつんだ大作である。『異 邦人』を読むのとは向かい方がすこし変わってくる。『シジフォスの神話』を対のようにして読みたい、あらためて感化をうけたあの「神話」にも取り組みた い。

 ☆ 秦 恒平様
 今年の夏はとくに厳しい暑さの毎日が続きます。以前からお身体の調子が優れないとお伺いいたしておりますが、如何お過しでしょうか。
 いつも「湖の本」 御礼申し上げます。
 七月の京都は祇園祭一色で、とくに150年ぶりの大船鉾の復帰が大きな話題となり、また、後祭が49年ぶりに復活したことで街中が終始賑わっていました。
 近年、入洛する外国人観光客が著しく増加、清水寺や金閣寺はもちろん、私がときどき散歩のコースにしている伏見稲荷大社界隈でも、擦れちがう人達の異国の言語にたびたび驚かされています。
 小生も京都市を退職後20年になりますが、3年前は大腸がん、昨年は前立腺がんと、病と闘いながらの終盤の人生です。毎日体調管理に気遣いの生活ですが 最近は何とか元気に過しています。
今後とも、お身体を大切に 益々ご活躍されますようご祈念いたしております。(別添の粗品ご笑納下されば幸甚に存じます。)
      平成26年8月2日   富松賢三    (元京都市下京区長)
   追伸  次回「湖の本」ご送付の際は、購読料の振込用紙をご同封下さるようお願いします。                                                  

* 国民学校(小学校)から大学までいっしょだった最も年久しい今では唯一の友。遠くはるかに顧み顧みて夢かと思う。 想うもなつかしい永楽屋の柚の名菓といろんな酒肴とを頂戴した。これが、みな、美味い。ありがとう。元気でいて下さい。こんどの「湖の本」随筆選(二) は、題して「京のひる寝」です。お気遣いなくご笑覧を。

* 「珠」さんからも、食のすすまないわたしを想って涼しげな美味しそうなご馳走が贈られてきた。ありがとう。

* 「湖の本121」要再校の初校ゲラに、表紙、埋め草、あとがき、あと付け、みな揃えて返送した。
 さて。暑いさなかだが、夕過ぎてからでも江古田へ眼鏡を受け取りに行ってこなくては。

* 遠い用普通の眼鏡と、同じくサングラスを受け取ってきた。このところのギラギラ照りにサングラス無しでは危険すら感じる。
 最近用の修正眼鏡をもう一つ頼んできた。七日の十一時以降には出来ていると。
 眼鏡の用を済ませたあと、「中華家族」へ寄り、灯りの良い席をもらって、マオタイと酢豚とで、『畜生塚』の校正を楽しんできた。此の作はわたしの私家版 本第一册『畜生塚・此の世」の表題作として書かれた。昭和三十八年(一九六三)十二月に脱稿し、B5判8ポ二段組みの本は、勤務先で取引のあった(株)科 学図書印刷につくってもらい、翌昭和三十九年(一九六四)十一月二十三日に出来ている。さらに五年、太宰治賞受賞後に徹底的に大幅に改稿し、「新潮」編集 室の小島喜久江さんに認められて発表できた。処女作ではないが最も早い時機のわたしの作であり、桶谷秀昭さんらに作品を賞賛された。気持ちの上では次いで 長編『齋王譜=慈子』が生まれた。「秦 恒平選集」の第一巻に置いていい文壇的な処女作はこの『畜生塚』であった。わがヒロイン創作の真っ先の一人、原点に立つ女性が「町子」であった。

* このところ妻はDfileのドラマ「NCIS」に嵌っていて、わたしもときどき付き合って観ている。マオタイのあと帰宅して、今夜は続けて二本、二時 間観てしまった。日本製のドラマにくらべて展開も映像も会話も、かくべつに切れ味がいい。ダラリペタンとした日本の刑事ドラマの鈍感で説明的で低俗ワンパ タンな氾濫。何でああなるか、誰の責任か。
 言うまでもない、視聴者があんなものを見続けているから、書き手も作り手もそんな視聴者を舐めきって怠けているのだ。
 文学についても言える。
 評判の名作がちっとも世に出ず、文豪がちっとも生まれてこない責任は、(本音を言う)一に読者にある。「いい読者」が少ないのだ。数少ない、けれど「い い読者」に恵まれてきたわたしは、秦 恒平は幸せである。さもなければ私家版の「秦 恒平・湖(うみ)の本」が二十八年も、百二十一巻も続くわけがない。

 

* 八月三日 日

* 
起 床9:30 血 圧118-58(63) 血糖値89  体重68.1kg

*  日照りのすさまじさに新調の眼鏡
二つを受け取りに出かける気がせず、機械の前や傍で仕事していた。ときどき居眠りもした。

* 「湖の本121」一気に初校終え、ツキモノや、あとがき、埋め草、表紙などもみな添えて、うまくすると明日にも「要再校」で印刷所へ戻せるかも。そうなれば、「選集B」の初校に集中できる。


* 八月二日 土

* 
起 床9:00 血 圧123-66(64) 血糖値98  体重67.3kg

* 終日幾つかの「仕事」に打ちこんでいた。用事や作業でなく「仕事」といえば志賀直哉の顰みに倣うでなく文学・文藝の仕事である。目はとうに霞んでいるが、細めたり凝らしたりして仕事への興味に目も右へ習えをと要望し強要している。

* 疲れているので、「私語」の方へ手も言葉も届かない。

* あす、修正された遠用の眼鏡と、サングラスを受け取りに行くか、行けるか、今はヨッポド、ぐたりとしている。一雨きそうな月曜に日延べしたい気分だ が。今日も、ろくに食べていない。おいしい果物、ジュース、ゼリーなどいただき物に感謝し、炭水化物に手が出ない。飯も粥も麺類も重苦しい。
 吉備の人から色も香もすばらしい黄金(きん)色した「白桃」を、今日頂戴した。掌に戴いて眺める内にも清い芳香に包まれる。
 昨日は、真岡市の随筆家渡辺通枝さん方から、新宿高野のフルーツ各種の大籠を送って戴いた。みたこともない珍しい果物がいっぱいだった。

* 田中励儀さんに戴いた鏡花代表作の一つ「山海評判記」新聞初出原稿に雪岱挿絵を満載の豪華本、汚さぬように気遣いながら毎夜読み進んで楽しんでいる。 カミユの「ペスト」がいよいよ終える。「イルスの竪琴」「里見八犬伝」「富士山の文学」「ラ・ロシュフコーの箴言集」「眠られぬ夜のために」など、相変わ らず夜の読書もいろいろ。加えて機械の前では歌集、詩集。句集それに陶淵明を手放さない。どんな安定剤よりも深く楽しく効いてくれる。
 


* 平成二十六年(2104)八月一日 金

* 
起 床8:00 血 圧124-59(64) 血糖値92  体重67.1kg  
                                                          
   ☆ 濡れてゐる卵小さき浮巣かな (山口青邨)                     
 
いつからか書店をぶらぶら見て回ることに面白みが感じられなくなって、図書館が具合よくなってきました。ですが図書館でも棚を見て歩くことは滅多にしません。松丸本舗の書棚写真を見て、書店や図書館の分類が体力気力集中力思考力を消耗させていたと得心したからです。
 代わりに本さがしに重宝しているのがミュージアムの売店や閲覧コーナーです。コンパクトにできていてくたびれずに本さがしができるすぐれたセレクトブッ クストアだと思います。絶版になった本、非売本、限定本、古い本に最新刊、こども向けから専門書まで、限られた場所に上手に並べられています。しかも自由 に手に取って読めるのですから。
 閲覧コーナーの本はメモして、売店の本はキィワードをおぼえて、名張に帰ってから図書館で検索します。
 名張の図書館は小さな図書館なので、地下書庫から持ってきていただいたり、よその図書館から取り寄せていただいたり、いつだって雀は係りみなさんの手間暇頼り。
 郷土資料室内に留め置かれて持ち出し禁止になっている本を、貸し出してくださる図書館がないか調べていただくことも、著者名を示して随筆など読みやすそうな本を探していただくことも、文庫本が図書館にあるのに初版本を取り寄せていただくこともあります。
貸し出してくださる図書館が見つからず、国会図書館の複写サービスの手続きを一切してくださったのも感謝です。
 リクエストした本が最新刊のときは購入していただけることもあって、サンライズ出版の「近江の祭礼行事B『勧請縄』」(2013年12月発行)もその1冊です。
 数年前に日野商人の館を見学に訪れた際、偶然、勧請縄の写真展が開催されていて、日野在住のおじいさんがたったひとりで撮っているとうかがいました。
 本を読んでわかったのは、その後、2010年に日野の図書館でふたたび写真展をされて、他の取材で日野町を訪れた大学教授がたまたまそれを見てこれは本にして出しなさいと強く勧められたのだそうです。
 「近江の祭礼行事A」は『オコナイ』とあるので早速取り寄せて読みました。
 大きなくくりでいうと、湖北はオコナイ、湖南が勧請縄とのことです。
 この2冊から、伊賀市島ヶ原にある正月堂の達陀は鬼が出るオコナイだなぁと思いました。
 また、これらの本がきっかけとなって西本梛枝「鳰の浮巣―近江の文学風景」を知り、取り寄せていただいて読みました。
 ところで、オコナイの本は大阪府高槻市の図書館が貸してくださって、怪訝に思ったら、著者の方が高槻市育ちでいらして、大津市出身の人に連れられて高月町のオコナイを見学して、その翌年、長浜城歴史博物館の学芸員に就職したのだとか。
 高槻市といえば、2013年12月22日に「中臣(藤原)鎌足と阿武山古墳」シンポジウムを行った今城塚古代歴史館は、今城塚古墳に隣接して2011年 4月にオープンしたミュージアムで、雀はプレオープンの2011年3月24日に行ったきりで、主人はシンポジウムが9時〜5時で見学できなかったものです から、GWの連休に2人で行ってきたのですよ。肌寒い雨の日で、古墳を歩く人影もなく、10:00の開館を待ちわびて入るとこどもの日で体験イベントの行 列ができていました。常設展と企画展を一通り見て2時間。主人はついでだから中之島の東洋陶磁美術館を見て帰ると言います。
 雀は疲れてそのまま帰路につきました。
 展示室入口に過去の図録が並んでいて、その時は気付かなかったのですが、開館1周年記念特別展が「阿武山古墳と牽牛子塚古墳」で、その次の年が阿武山古墳シンポジウムだったのです。
 かたや鎌足の墓といわれる阿武山古墳。こなた斉明天皇の墓といわれる牽牛子塚古墳。うまい企画!
 これらはまた終末期古墳とも呼ばれていて、猪熊兼勝さんが高松塚古墳のシンポジウムで、「ねぇ、この終末期古墳っていうの、別の呼び方にしようよ。終末期、終末期っていわないで、さ」と眉を寄せておっしゃったのが忘れられません。  名張の
囀雀 

 今日も、いっぱい「仕事」した。まだ、九時。一休みして、もう一働きできるだろう。saku155