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述懐   平成二十六年(2014)七月

  聖(ひじり)を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠を持たじはや
 年の若き折戯(たは)れせん             梁塵秘抄


 
ふればぬるぬるればかはく袖のうへを
      雨とていとふ人ぞはかなき         一遍上人

   犬も/馬も/夢をみるらしい  動物たちの/
 恐しい夢のなかに/人間がいませんように    川崎洋
 
 身のうちに未知の世界を見ることを
      歓びとする悲しみとする           竹久夢二                      

 
立葵 たち立つ丈の高きまで
      きほひ花やぎ夏至はすぎゆく        湖

 亡き孫に
 天の川を越えてやす香のケイタイに
      文月(ふづき)の文を書きおくらばや    爺

 なるやうに なるも ならぬも なるやうに
      ならす鐘こそ うつくしくなる         遠    
                                               




                        木槿盛花



 


* 七月三十一日 木

 起 床8:00 血 圧124-62(57) 血糖値97  体重67.7kg  

* 午後、聖路加へ。三時の予約に一時に入って、昼食も抜いて校正また校正、幸い二時半に診察室へ呼び込まれて、あっさり済んだ。ともあれ百日分のお薬が 処方され、次回には血液検査をしましょうと新保先生。帰り際、腫瘍内科の山内部長先生と出会った。明日にも渡米退職の名取先生に代わる若い先生をまたつけ て下さいと頼んでおいた。こまごまと相談をもちかけるには若い先生の方が話しやすく、しかも主治医は部長先生となっている。まだ先は永いのだ。

* さて遅い昼食をと銀座へ出たが、空腹なのにまったく食欲が湧かない。目指すどの店の前まで行くと全然気乗りがしない。というより空腹の方がラクなので ある。で、銀座一丁目の地下鉄の真上の店で、見るから涼しげに感じのいい服に、とんぼ玉などで映えるネクレスをつけた服をみつけ、妻の土産に買った。電車 でもずうっと校正していた。
 保谷ではギラギラ照りにタクシー無く、それならばと処方された薬を薬局で手に入れ、そのまま寿司の「和可菜」へ。この店にはいるとちょっと「帰ってき た」という安楽感がある。大将も奥さんもすこぶる親切。で、量は入らないが、うまい生牡蛎や蟹、とろ、しめ鯖などなどでお酒をいただき、ぶらぶらと家まで 歩いて帰った。街で食べて満腹などしていたら疲れてへとへとになっていただろう。

* 金田先生の奥様より、北海道の鮭の切り身十二枚を送って戴いた。しっかり栄養をつけねば。根が大食だったのが胃袋無くなりとても量が入らなくなったの は、いっそ善いことだと思うようにしている。お酒だけは、何酒であれ、すこぶる美味しく入るのだから熱エネルギーは足りている。今朝は体重も67キロ台に 下げていた。この辺で調整したい。

 ☆ 合と衝
 
月1枚の天文カレンダーに、雀は、合や衝といったことばを教わりました。
 そして7月28日が第一次世界大戦開戦から100年の日ということも。
 主人は主人でGWが始まってすぐに、鉄ちゃん旅も兼ねて貝塚市の善兵衛ランドへでかけました。以前に水間鉄道に乗った時は終点の水間寺とその周辺で終 わったそうで、終点のひとつ手前にある善兵衛ランドは遊園地とばかり思っていたのです。天文に関する―それも江戸時代の―施設とわかって、一転。
 オープンは1992。
 9:00に開館して木金土は21:45まで開けて天文観察会をしているそうです。個人は無料というのも珍しいでしょう。
 岩橋善兵衛(1756〜1811)が作った望遠鏡は、幕府の天文方、伊能忠敬、学者、そして紀州をはじめとした諸大名も購入したとか。
 「天地明察」が映画化された折にはこの施設も協力しているそうです。
 主人は数日後に訪れた京都大学総合博物館で、製作者の名は書かれていないものの善兵衛生存中の年号がキャプションに書かれた国産の望遠鏡に立ち止まり、 さらにその数日後、香芝市二上山博物館では二上山の金剛砂とサンドペーパーの展示に、善兵衛がレンズ磨きに使ったのがここの金剛砂なんだってと教えてくれ ました。
 同じ展示が違って見えるのですよね。
 GWだったからか、善兵衛ランドでは、主人のほかにも遠方からの団塊世代男性おひとりさまがあって、ガイドさんが天体望遠鏡で昼間の星を見せてくださったそうです。
 スプーン博士こと佐治晴夫さんの随筆に「昼間の星」「トワイライト」「雨の日の日時計」といったことばが登場します。
 スミレの花のような数学、松葉ぼたんが咲く科学、とは松岡正剛さん。
 油断から貧血を悪化させて後悔したことのひとつが、7/12(土)に津市で開催された「アカデミックセミナー2014」初回の佐治晴夫さんの講演聴講をキャンセルしたこと。
 後悔はもうひとつ。
 7/6(日)に吉野歴史資料館の池田淳館長の案内と解説で「妹背山婦女庭訓」ゆかりの地バスツアーがあったのをキャンセルしたことです。これは主人が参 加して、途中で急な雨に降られ、風邪を引いてかかりつけ医に2週通いました。ひどく低い声に変わり、「こんばんは若山弦蔵です。いや、大平透です、かな」 「♪ハシハカの雨にうたれてぇ」と苦笑いしていましたが、トシを痛感していましたね。
   名張の囀雀


* 上の記事、面白い。「善兵衛ランド」ねえ。いいものが在るんだ。小説にしてみたいほど。

 ☆ 江戸地図の堀の藍色夏はじめ ( 木内彰志)
 
京大総合博物館では企画展として江戸時代の京の地図が出ていて、地図大好き、少年の頃から描き写し ていて、それにあきたらず何枚もの地図を編集して1枚に仕立てたり、架空の都市の地図を描いたりしてた(本居)宣長さんが目にしたかもしれない地図はどれ だろうと思うと、展示を見るのも愉しくって、その上、売店には「江戸知識人と地図」と題された京大出身の若き研究者の著作が売られていたので、後日、名張 市立図書館でお取り寄せをお願いしました。
 届いてびっくり。
 最初の1/3くらいが宣長・春庭父子の話で、「やちまた」も何回も引用されていますし、なにより口絵が彼らが写した地図の写真でした。
 本居宣長記念館がかなりの協力をしてる本のようでしたから、この秋「正倉院展」と同時期に奈良県立美術館が開催する「大古事記展」のチラシを入手したこともあり、松阪三珍花のひとつである松阪なでしこが咲く頃を見はからい、松阪の本居宣長記念館へ行ってみました。
 受付には若い女性学藝員さん。
 料金をお支払いして2階の展示室にあがり、入口で今回の企画展のリーフレットを読んでいると、先ほどの学藝員さんがファイルを胸にとんとんと階段を上がってこられて、「ごゆっくりなさってくださいね」とにっこり微笑まれます。
 「こないだ京大でこんな本を見つけちゃったの」と出してみせたら、「あ!上杉先生の!」。
 パッと目を開いてくださる。
 たまたまほかに観覧者がなかったので、「大古事記展」のチラシも出して、「こちらからなにか出ますか?」と訊ねると、下へ降りて調べてきてくださって、「出ます、出ます。5点!」と それぞれについて説明してくださいました。
 展示を見終わって受付に戻るとロビーに吉田悦之館長がいらっしゃいます。
 「京大は地図のコレクションがすごいンですよ」と納得のお話――。   名張の囀雀

* 展示会や記念館や講演会には、このようにして参加するのよと教えられる心地。ここまでアクティヴに身も心も知識や関心もがいきいき動く人は、そうそうは、いるものでない。びっくりする。幸福な知性である。

 ☆ 湯の街は端より暮るる鳳仙花 ( 川崎展宏)
 遷宮で三重県の斎宮歴史博物館だけでなく大阪市でも「旅」をテーマにした連続講座が開催されました。
 大阪市のミュージアムがリレー形式で行うもので、会場は梅田にある生涯学習センター。1回につき2本の講演で、全5回。期間は2014年2月〜3月。
 「湯の旅」の回が温泉の旅と湯川秀樹で、随筆『旅人』と、彼が中之島にあった大阪大学で行った研究についてとあるので申込み方法を調べ始めたら、金曜日の夜7時からというので仕方なくあきらめました。

 天地(
あめつち)は逆旅(げきりょ)なるかも鳥も人も
    いづこより来ていづこにか去る  (湯川秀樹)

 湯の峰、湯崎、それから有馬…近くは赤目に榊原。涼しくなったら温泉に行きたぁい。
 雷鳴がしていましたら、激しい雨と強い風。窓ガラスはびしょびしょです。
 どうか おからだ、お大事に。   名張の囀雀
 

* 反原発や反政府などのデモに参加することは、意識があり時間と体力があれば出来るし続けることもできる。
 上の、雀さんのような生活は、どうしてなかなかできるものではない。時間と経済がたとえ潤沢にゆるそうとも出来るものでない。わたしにも妻にも、全然で きないだろう。着実でしかも燃えるような関心と好奇心とが脈絡ゆたかに何年でも何年でも保ててなければ出来ない。それが分かるので、体験を頒けてもらう気 持ちでわたしは「囀りメール」を敢えて読み敢えて保存している。

* 民主党が海江田を引き続き代表にするのでは、前途は塞がったまま、壁はますます厚く高い。そんなことも判断できないのかなあ。
 東電の福島原発爆発の責任を問うて数人を起訴、起訴相当としたのは当たり前のことで、あれから今日までにそれが素早く決断できなかった方がよほど訝しい。
 石原環境大臣の、廃棄物の中間廃棄場所にかかわる候補地説得は、てんで説得にも何にも成っていない。沖縄の基地と同様に、最後には「金目」で決められる とといういやらしい気組みが、見え見え。彼の政治家としての無能ぶりは、歳が増すに連れて目立ってきた。慎太郎の息子は要らない。小泉の息子進次郎に賭け たい誘惑につい駆られる。もう旗幟を鮮明に猛進を開始していい時機ではないのか。自民党には、ほかに、センスとして目星い若手が見当たらない。女性の大臣 も党三役もお話にならない、まだしも小池百合子か。



* 七月三十日 水

 起 床9:00 血 圧133-71(56) 血糖値85  体重68.1kg  

* 「群像」編集長として名高かった大久保房男さんが亡くなった。また一人大きな知己を喪った。もう久しくお目にかかる機会こそ無くなっていたが、本を送 ればいつも真っ先かけて嬉しいご返事をくださった。上村占魚さんを介して個人的に親しくして頂いた。「秦さんには何も言うことはありません。一つだけを言 うなら、もっと銀座へ出ていらっしゃい」と言われたことがある。全くおなじ事を、やはり亡くなられた杉森久英さんにも言われた。みな、はるかな昔のことに なった。杉森さんは「文藝」の、大久保さんは「群像」の名編集長だった。じつはお二人と仕事での御縁はなかった、わたしは主に「新潮」「展望」「すばる」 「海」に書いていた、それなのにお二人とは個人的に永く親しくして頂いた。だんだん だんだん みんな遠くへ逝かれる。

* 「湖の本121」組み上がってきた。もう最初の章を初校した。きもちよく、ずんずん読める。「選集B」の初校と並走している。
 「選集A」は八月二十日頃に出来て届いてくる予定と、印刷所から報せあり。

 ☆ ラ・ロシュフコーによる箴言集への「考察」1 
ほんものについて
 
 ほんものである、ということは、それがいかなる人や物の中のほんものでも、他のほんものとの比較によって影が薄くなることはない。二つの主体がたとえど れほど違うものでも、一方における真正さは他方の真正さを少しも消しはしない。両者のあいだには、広汎であるかないか、華々しいかそうでないかの相違はあ り得るとしても、ほんものだということにおいて両者は常に等しく、そもそも真正さが最大のものにおいては最小のものにおける以上に真正だということはない のである。

 
スキピオとハンニバル、ファビウス・マクシムスとマルケルスのように、同じ分野の二人の人物が、互いに異なっていたり、それどころか正反対だということはあり得る。しかし彼らのすぐれた資質はほんものだから、両者は並び立ち、比較によっていささかも見劣りしない。

 ある人が幾つもの真正さを持ち、別の人は一つしか持たないこともある。幾つもの真正さを持つ方は、より大きな値打ちがあり、相手が光らない面で光ることができる。しかしそれぞれほんもののところでは、どちらも同じ光輝を放つ。

 一羽の小烏の目をつぶしたために執政官によって死刑にされた子供の残忍さは、自分の息子を死に至らしめたフェリーペニ世の残忍さにくらべれば小さなもの だし、他の悪 もそれほど混っていなかったかもしれない。しかし一羽の小さな生き物に加えられた残忍さの度も、最も残忍な君主たちの残忍さと同列であるこ とに変わりはない。程度は違うがどちらの残忍性も等しくほんものだからである。
 
 それぞれふさわしい美しさを持っている二つの館は、大きさがどんなに違っても、互いに少しも損なうことがない。だからシャンティイの城館は、リアンクー ルの城館よりもはるかに多種多様な美をそなえながら、リアンクールの価値を減ずることは全くないし、またリアンクールがシャンティイの価値を減ずることも ない。
 とはいえわれわれは、華やかではあっても端正ではない美しさを持つ女が、もっとほんとうに美しい女の影を薄れさせるのを見る。しかしこれは、好みという 容易に先入観にとらわれるものが美の判定者になっているし、また最高の美女の美しさも必ずしも一定していないから、たとえ美しくない女が他の女を目立たな くさせるとしても、ほんのしばらくの間だけであろう。

* 「ほんもの」という評価を人は想像以上に重んじ憧れている。「お宝鑑定」もそれに類しているとはいえあれは浅い見解での真贋判定や家格判定に過ぎな い。あの手の鑑定ではときにほんものと評価されたもの以上にほんものではないかもしれないがより美しく素晴らしいものにも出会えるのである。美術骨董の場 合には、浅い基準の真贋の問題と真実魂に触れてくる「ほんもの」のよさとはべつものであり得る。ある画家の真作と認められたからすぐれた「ほんもの」と決 まったわけでない。大作者の平凡作や駄作はまま無くはない。
 ラ・ロシュフコーが自身の箴言集にかかわって第一に考察対象にした「ほんもの」の意義を説き直す必要は微塵もなく、多くの平凡人でもよく識り憧れてい る。見分ける力に優劣はどうしてもあるだろうが。わたしが、作と作品とはちがうもの、べつものだと説くときの「作」に備わった品位・気品。それこそが「ほ んもの」に極めて近く同義とすらわたしは観じている。その観点からすれば、ラ・ロシュフコーの「ほんもの」観は不動の確信であるとわたしは全面的に信頼す る。
 あなたは、いかが。

* さいたま市のある区で、教育長が、区民投稿の俳句が世論を 二分している問題に触れているのを理由に削除させたと奉じられている。こういう「にせもの」の腐ったアタマを教育のトップに置いたのは誰なのか。区民や市民は抗議しないのか。

 ☆ 塔ばかり見えて東寺は夏木立(一茶)

 今年のGWは、連休、飛び石、4連休で、家事をなまけたい雀は、京大の総合博物館に主人を案内して解説してもらおうとたくらみました。
 いつもの京都行き特急に乗って丹波橋駅に着くのが8:45。博物館開館は9:30ですから京阪に乗り換えて鴨川畔から歩けばちょうどいい具合です。
 2001年に開館した京大総合博物館を初めて見学したのは2012年秋のこと。山中教授のノーベル賞受賞で無料解放というさなかで、
全体量を把握しないまま矢印通りに見て回り、へとへとになってたどりついた最後のコーナーに石棺が並んでいたの
に臍を噛んだのです。
 今回はその経験に加えて広いほうの企画展示室が使われていなかったこともあってラクに見て回れたのですが、主人は疲れも見せず2時間を過ごし、館内で唯一飲食ができる売店でもコーヒー一口含まず、書籍や品々を見ていました。
 ホームページによれば、この6〜7年、地理学と考古学の担当教員を欠いたままだそうです。京大考古学と探検部と深く関わる地理学が手薄なのは至極残念!
 地球儀も世界地図も常に展示会場のあちこちにあってほしいですし、四角形の土台でつくられた日本のジオラマは円形の台にキャスターをつけて簡単にいろい ろな角度から―北方四島から、ロシアから、朝鮮半島から、中国から、ベトナムからなどなど―見られるようにして、くるくる動かして視点を変えて国境線のな いジオラマを見たいなと思いました。
 開校当時に導入されたイギリスやドイツ製の実験器具に混じって島津製作所製の器具が展示されていたので、近くに島津創業記念資料館があるから寄ってみようということになりました。川まで志賀道を歩き、荒神橋を渡りました。
 ♪かもの川風ェ袂に入れてェェ…月に棹さす高瀬舟ェ♪
 荒神橋といえば湯川秀樹さんを思い出します。新婚の新居候補が三本木だったとか。
 リバーバンクといったかしら、昔ながらの喫茶店で御昼にしました。
 錦秋の京でミュージアムめぐりをしてから半年。鴨川は葉柳と川床の景色へとかわっています。
 西三本木通から東三本木通と歩き、丸太町通に出て「山紫水明処跡」の標石をたしかめ、道を渡りました。
 「信楽」でしたか、文人が贔屓にした旅館は「山紫水明処」の場所にあったのでしょうか?
 保養所やマンションが建ち並び、旅館イシチョウ前に「木戸孝允寓居跡」の標石。
 銅駝美術工藝高校の正門脇に立つ「舎密局」の解説板を読み、リッツカールトンの脇を歩いてホテルの正面入口を物見高く覗いたのち信号を渡って島津創業記念資料館へ。資料館西隣の銀行会館や日本銀行は毛利重能がそろばん道場をひらいたところですね。
 一昨年の正月休み、雪の朝一番に大悲閣千光寺を訪ね、そのあと嵯峨を散策していて「塵劫記」石碑を見つけたことがきっかけで、それからしばらく日本の数学者を調べたり随筆を読むことにひたっていました。
 ときに、島津創業記念資料館――。
 島津製作所河原町本社が武田五一の建設で、資料館に転用されたこの建物も五一近辺の建築家が関与した説が有力なんだとか。
 7/1から京都工芸繊維大学美術工藝資料館で「浅井忠・武田五一と神坂雪佳」という展示が始まっているそうで、是非とも見たいと思っています。
 ちなみに大阪歴史博物館では9/3から村野藤吾の展覧会が始まり、新歌舞伎座がテントで囲われ解体が進まないなか、こちらも見たい展覧会です。
 それにしても田中耕一さんがノーベル賞を受賞されてから干支が一回りしているなんて、歳月を感じますねえ。   名張の囀雀

 ☆ ほととぎす平安城を筋かひに(蕪村)
 島津創業記念資料館では、京大総合博物館からはしごで立ち寄られる方がよくいらっしゃるとのことで、館のかたが展示をすみずみまで解説してくださいました。
 島津製作所のことだけでなく、蛤御門の変から明治維新、東京遷都と、みやこだからこその混乱に見舞われた京について、歴史の話、暮らしの話、電気の話、 学校の話、それからこれと話はうつろい、むすんだり、ひろげたり…。舎密局の解説を読んでいたことも役立って、物見高いのも大切よ、と、雀は胸をそらせま した。
 主人は銅駝も舎密局も気になったとみえ、後日、2代京都府知事を勤めた槇村正直を描いた本を探しだし、図書館で取り寄せていただいきました。
 島津資料館にも2時間いましたよ。
 どちらも飲まず食わずで立ち通しですから2時間が限度といったところ。ところが出たんですよ。島津でも、石棺のような展示が…。
 最後の部屋は島津製作所の歴史の紹介で、年表に、昭和9(1934)年「阿武山古墳のX線撮影」とあるのに、ふたりで声をあげました。
 昨年12月に高槻市で「歴史シンポジウム『中臣(藤原)鎌足と阿武山古墳』」が行われ、事前申込で主人が当選し、雀は落選。
 帰宅した主人が、その後しばらく何かというとそのときの話をしていたのです。あとで定員600人に1389人の応募があり、今城塚古代歴史館の森田克行館長が「いささか読み誤った」と思われたと知りました。
 最後の展示室からあわてて受付へ戻り、高槻市でのシンポジウムの話をすると、「少々お待ちください」と奥から1冊の本をお持ちになって戻られ、撮影した 島津製作所の技師さんがその後、関西大学の理学部教授になられて、阿武山古墳の再調査が始まったとき、関西大学考古学教室の網干義教教授を訪ねられたと教 えてくださいました。
 本のタイトルや出版社などを書き留め、後日、名張図書館へ出向くと地下書庫にあることがわかり、早速借りて一気に読み、シンポジウムの資料がより理解できました。
 1985年7月末から藤ノ木古墳の発掘調査が始まり、1988年10月に開棺されましたが、1982年3月から阿武山古墳の再調査が始まっていて、1987年11月2日に記者発表が行われたんですね。
 1986年に文学部博物館の新館が落成し、それを旧館にして、新館をつないで2001年6月に開館したのが、現在の京大総合博物館で、1986年のその新館開館による資料引っ越しで、考古学教室の阿武山古墳遺物が発見されたことも知りました。
 記者発表の少し前に猪熊兼勝さんが報告に末永雅雄さんを自宅へ訪ねたそうで、末永さんもその技師さんも、50年間の胸のつかえがおりたのではないかしらと思いました。
 X線撮影が行われたのが1934年6月29日。
 2012は高松塚古墳に彩色壁画が発見されて40年。
 2013はキトラ古墳にファイバースコープが入って30年。
 今年は阿武山古墳発見とX線撮影から80年。
 来年2015は藤ノ木古墳発掘調査から30年になるんですね。
 受付で阿武山古墳の話をしているとチャイムの音。入館受付終了の合図です。
 立ち通しで足も痛くなっていましたから、辞去して、一之船入にできたオークラ別館のレストランを、また物見高く覗いて、オークラの駐輪場前に伊藤博文揮 毫の石碑を見つけ、オークラ正面に桂小五郎の銅像を発見し、川を渡って、三条駅から丹波橋駅乗り換えで名張へ帰ってきました。

  短夜や枕にちかき銀屏風(蕪村)

 今年は天文系カレンダーと入江泰吉さんの風景写真カレンダーを下げています。うき世離れしていいものです。  名張の囀雀


* 生き生きと徹底していて、メールの文面に乗っかってくる「生きの意気地」が逞しい。ちゃちな道楽では、とてもこんな幸福感に湯気の立ったような行動力・活力は生まれない。

* 四国の木村利孝さんから地元でこの季節に特別栽培されているという蜜柑、とても甘い美味しい蜜柑を沢山、また同じくジュースを沢山、頂戴した。じつは 木村さんには大きな宿題をわたしの方で負うている。ご厚意には激励が含まれている。しっかと心得ています。気を引き締めて立ちむかっています。ありがとう 存じます。

* 近江大津にお住まいの大学での恩師の奥様からも、暑中お見舞いのお達者なお手紙に添えて、贈り物を予告してきてくださった。

 ☆ 長い梅雨も
 明けたようでございますが、お元気にお過ごしでしょうか。
 私も大分老化しまして脊椎をいためコルセットをつけながらも京都まではどうにか出かけております。 
 いつも御著作を拝受いたしありがたく存じます。
 心ばかりの品 別便にて送らせましたのでお納め下さいませ。益々御健勝にご活躍をと念じて居ります。
 主人がなくなりましてからもう二十年余にもなりますが、私が長命なのを不思議に感じて居ります。このホームに温泉があるおかげかと存じます。曾孫も三名となりました。それぞれが幸せなのを感謝しつつ老を楽しんでおります。
 お大切にと念じ上げます。  大津雄琴  

* 岡山の有元毅さんからも。

 ☆ 暑中お見舞い申し上げます。   吉備の人
 私語の刻により充実した日々を送っていらっしゃることが分かって嬉しく安心しています。
 暑中のお見舞いに、近く、岡山の桃をお届けします。   
 

* 上の
お三人とも、みな、わたしよりずっとお歳を召している。なんと…わたしは幸せ者であることか。

* 『拾遺和歌集』の二撰を始めた。

* ラ・ロシュフコローに興味があって彼の箴言集を読むのではない。彼の箴言や考察を借りて自身のことを、心根のありようを思うのである。拾遺和歌集の和 歌を品評するのが目的ではなく、撰歌を介して、自分が何に感じ何を思い何であるのかが見たいのである。平家物語を解析し探索したくて平家物語を読んだり考 えたりするのではない。それを通して自分が何に惹かれ何処へ歩もうとしているのかが識りたいし実感したいのである。一休さんに「諸悪莫作」といわれれば、 そういう一休さんに関心を持つ以上に、自分のために「悪」とは何でそれを「作(な)すな」とはどういうことかを考えるのである。およそそのように働く関心 でなければ、たんなる知識の断片を弄んで終わってしまう。どんなに源氏物語が好き、谷崎文学が好きであるにしても、源氏や谷崎を対象としてこまかに解剖し てみても生きるつよさは生まれない。自分の問題にしない、ならないような勉強では、老いの前に、干からびて崩れてしまう。



* 七月二十九日 火

 起 床7:45 血 圧137-695(49) 血糖値90  体重68.0kg  

* 失念した聖路加の再診、明後三十一日の午後三時(少し待たせるかも知れないが、と。)にと、ドクターに決めても らえた。一安心。夕方の保谷駅前へはタクシーがほとんど来てくれない。もし熱暑ならば、ないし熱暑でなければ、ひさしぶりに日比谷のクラブへでも入れる か。あるいは夕暮れをもとめて隅田川を越えてみるか。
 昨日江古田の眼鏡屋にさらに二つ、遠用と、遠用サングラスとを注文した。次の日曜日には出来ていると。昼前にでも受け取りに行く。天気次第で街歩きができるかも。すこし食事らしい食事をしてみたい。
    幸い今日にも「選集A」ゲラを全部、責了として送り出せる。とにかくも一息ついて、次の仕事へ安心して踏み込める。

* ことばを斡旋するという意味では詩歌は小説の何倍もこころづかいが有ろう。むろん小説でもそれは当然。だが当然などとまるで思ってないだらけたおしゃ べり小説が多すぎる。最近亡くなった同世代の人気作者の新潮社から出ていた小説、著者から贈られていたか隣家の書架にあったのをいささか敬意を表したいと 持ってきた、そして読み始めたが、とても二頁も読めない。だらしない文章、とても文学の表現でも志気でもない。作が作品ならば、作に品があるならばたとえ 淫猥も好色も不倫もすぐれた表現となる。文学の歴史はだいなり小なり淫猥も好色も不倫もを書き表してきたのだ、四角四面のモラルの教科書として書かれたわ けではない。しかし淫猥と好色と不倫とを売るだけで名高く、その作は幼稚なほどだらしない説明のお喋りでは、あまりに情けなかった。特大の人気とは、ベス トセラーとはこんなふうに書かれているのが普通だとしたら、なんと恥ずかしいことだろう。そんなものを流行させる責任はいったいだけに有るのか。
 作者? 読者? 批評家? 編集者? 出版者? まさか政治? それとも、機械?
 責任は、わたし自身にある。わたしの非力にある。
  わたしとは何者か。                                                                                                                                                                 

* こころに触れてくる詩集を大切に思うようになっている。それもほんとうにいろいろである。いい音楽を奏でて自身の魂の歎きや嬉しさや渇きを、静かに、佳いことばに「預け」てくれている詩歌に出逢うと感動する。

 ☆ 陶淵明の詩句に聴く 
萬化は相ひ尋繹す            万物はつぎつぎと推移交替していく
人生 豈()あに労せざらんや     人生もどうして苦労しないですまされよう
古(いにしへ)より皆没する有り    昔から生るものは必ず死ぬ定めにある
之れを念へば中心焦がる        これを思うと心中に焦りを観じざるをえない
何を以てか我が情に称(かな)へん  わが心をどう慰めたらよいのか
濁酒 しばらく自ら陶(たの)しまん   ともあれ濁り酒など飲んでみずから楽しむとしよう
千載は知る所に非ず          千年先のことはわかるはずもないし
 聊(いささ)か以て今朝を永うせん  とりあえず今日という日をゆったりと過ごそう 

* 「選集A」を全部責了、送り返した。

* 同志社の田中励儀教授から、編著である国書刊行会刊のみごとな美麗豪華本泉鏡花作『初稿・山海評判記』を頂戴した。感謝に堪えず、ああっと声のもれた ほど函も造本も美しい。いかにも鏡花晩年人気の代表作、その初出新聞連載原稿に小村雪岱の挿絵三百枚を全部入れて、他に小冊子で十二分の解説や文献がつい ている。田中さんらしく万端を尽くして遺憾の無い立派な刊行である。
 いま渡しの目の真ん前の書架には、春陽堂刊行の豪快なほどの天金美装『鏡花全集』十五巻が揃っているが、鏡花が人生半ばでの全集であり、『山海評判記』などまだ収録されていない。
 田中さんからはこれまでも
鏡花全集編輯に携わった巻をそのつと頂戴しているが、今回の刊行は例外的な豪華 本である。部数限定でなく愛読者はいまも多いはずだが、それでも頒価は税別で一四八○○円とある。それだけの内容を優に持している。あらあらこういうホン の復帰してきた時代なのだろうかと思ったりするが、なかなか、書店の店頭はいかにも軽薄に軽薄な本作りで氾濫している。  

* エリザベス・テーラーといってもあの美しい映画女優でない、同姓同名作家の作を脚本にして「クレアモント・ホテル」と題し、俳優座が稽古場で観せてく れる。稽古場の芝居は緊密さも親密さも劇場とはおおきにちがって入りこみ易い。九月、彼岸前でまだ暑かろう、台風の心配もあるが、そんなことはもう九月で は云うてられない。招待嬉しく感謝して妻と出かけることに。むろん妻の席はいつも支払っています。若い人も配役されていて、名前が「保亜美」とか 「Kinomi」とか。楽しみ。九月には歌舞伎座「秀山祭」も待っている。季節到来には待ったがない。

* 神を誹ったり怨んだりしたくはないが、イスラエルの神、パレスティナの神、はあんなにも酷薄無残に無辜の民を殺し合わせるほど不仲で狭量なのか。不仲 どころか、溯れば根をともにする同じ神ではなかったのか。なんという人間同士の野蛮さよ。ひとつには無条件でイスラエル支援のアメリカの人道感覚にも政治 感覚にもつよい不信を覚える。アメリカに、他国の人道危害をお高いところから厚かましく非難できる資格などあるのだろうか。
 建国時のアメリカという國には心惹かれたが、あつかましい帝国主義を偽善的にふりまわし始めたのもあまり無念に早かった。そのアメリカのすすんで傭兵国家たらんと安倍「棄憲・違憲」総理は何をトチ狂っているのか、恥ずかしい限り。

* 医心方の研究者、全訳者としていまや世界的に知られた槇佐知子さんから関連のエッセイ集を頂戴した。パラと開いた頁に、滝井孝作先生のお名とともにわ たくしたち夫婦の名まで出ていて恐縮した。あれは、どこかのハケを見に行き、また落合の方の牡丹寺へ牡丹を観に行ったのだった。
 『医心方』という大部上代の中国文献に深々と着目し門外から踏み込み一途に取り組んだ槇さんの見識と頑張りはすばらしく、同様に、一主婦の勉強心と関心 とから江戸時代の閨秀詩人江間細香に取り組んで優れた文才による大著を成し遂げ、いつしかに江戸時代女流文学史の一権威として名を成していった門玲子さ ん、また夫の転任先で志を起こして平曲の演奏にとりくみ、一方流の流れをたくましく再興して全句演奏を完成させた橋本敏江さん、この三人のわが同世代をわ たしは尊敬している。一つには、着眼。一つには熱誠。そして大きな到達である。そういう人は、なにもお三人には限らないのだが。石牟礼道子さんも、そんな お一人と眺めている。
            
 ☆ 葛城人気
 2012年秋、葛城市歴史博物館が特別展「忍海と葛城―渡来人の歩んだ道―」を開催し、翌2013年秋には香芝市二上山博物館が特別展「葛城・広瀬の考古学―古墳時代とその文化―」を開催しました。
 雀は、以前にウォークイベントで二上山博物館の常設展示を見学して時間が足りず心残りでいましたから、5月6日(祝)に開催されるシンポジウム「古代の飛鳥と葛城」を聴講してあらためて展示をゆっくり見てまわろうと思いました。
 シンポジウムは、ナブンケンの松村恵司所長、カシコーケンの菅谷文則所長、国文学の塚口義信さん、そして二上山博物館前館長の石野博信さんと現館長の松 田真一さんによるもので、開場を待つ行列の長さに驚いていたら、時間が経つにつれ補助椅子が出て立ち見もという大入りで目を見
はりました。
 翌年の同じ日は藤ノ木古墳についてのシンポジウムで、発掘にたずさわった5名の研究者が集まってのたいそう面白いものでしたが、葛城のときほどの行列はありませんでしたし、満席、という程度でしたから、あのときの満員御礼は特別だったのかもしれません―。
 そのあと二上山博物館では11月23日(祝)に葛城市歴史博物館館長の千賀久さんに「葛城地域の遺跡と古代葛城氏」と題した講演をしていただいて休憩ののち松田館長と対談という会を開催し、雀は、特別展の見学も兼ねて聴講しました。これもかなりの入りでしたね。
 年明けて2014年。
 1月19日は雀の誕生日なので、毎年何かしらイベントを探すのですが、1/18(土)に葛城市歴史博物館で千賀館長の講演があるというのでそれに決めました。
 葛城市今在家の観音寺建て替えに伴うご本尊特別公開が1/19までで、18日には講演のあと学芸員さんが解説をしてくださるというのも魅力だったからです。
 千賀館長の講演は「飯豊陵古墳の造られた時代」。
 飯豊皇女についてのおはなしと、古墳について、その時代の葛城についての講演で、時間超過を学芸員さんに気がねしながらのあっという間の90分でした。
 春彼岸には大淀町へ出かけました。
 今木の建王殯塚伝承がある保久良古墳と宮内庁管理下にある坂合黒彦皇子墓に詣でるためです。
 ときに保久良古墳から出土したのは琥珀の首飾りで、琥珀の枕は斑鳩の竜田御坊山古墳の出土品です。間違えていました。ごめんなさい。
 この春、月刊「ならら」は4月号で『ソツヒコ』を特集。
 そして4/26には近つ飛鳥博物館で「ヤマト王権と葛城氏」展が始まり、雀は、5/20に奈良文化財同好会の講演会で金関恕さんからこの展覧会について耳にしたというわけです。
 近つ飛鳥博物館へ行く前に名張市立図書館へお願いして、2000年2月に刊行された野溝七生子の「眉輪」を取り寄せていただきました。
 カシコーケン附属博物館のロビーの展示に、復元された建物の模型が発掘された場所とのCGとあわせて置かれていて、その“極楽寺ヒビキ遺跡”というの が、室宮山古墳が築造された時期と重なる5世紀前半の遺跡で、火災で焼失したと思われる大型の建物から葛城円大臣が自害した館ではと、
現地説明会に大勢が駆けつけたということと、室宮山古墳がソツヒコ墓と考えられていることを知って、「眉輪」を思い出したのです。七生子が亡くなったちょうど3年後に刊行されているのですね。
 そして極楽寺ヒビキ遺跡の現地説明会が「眉輪」が第1席に推された1925年からちょうど80年後だったなんて…。  囀雀

 ☆ 藤ノ木古墳
 和田萃さんは講演会で配布するプリントにしばしば国土地理院の1/25000地図拡大コピーに書き込みをしたものと、「古代の大 和と河内」とタイトルのついた、@山と山脈、A川と池と湖、B峠と古道、C遺跡、D古墳、E宮跡(飛鳥、藤原、平城、長岡、恭仁)、F寺院、G神社 などが書き入れられた簡単な地図を使われます。
 これが全体が眺められて、じつに便利な地図で、今年になって講演のなかで、小学舘の「大系 日本の歴史」全15巻の第2巻『古墳の時代』の巻末付録につけたものです、と明かされました。
 佐原眞さんが第1巻を執筆された全集で、専門ではない自分が古墳を担当したのは、白石太一郎さんをはじめ、先生方がお忙しかったからと軽くお笑いになりました。
 後日、名張市立図書館で訊ねたところ、係りの方が地下書庫から持ってきてくださって、地図を確かめ、借りてきて読みました。
 第2巻の口絵は藤ノ木古墳石棺のカラー写真。1988年1月1日の発行で、石棺にファイバースコープが入れられたのが6月2日、開棺は1988年10月 7日、棺内の洗滌が終了して遺物が明らかになり、2体の遺体と判明したのが10月26日だそうですから、開棺前の写真です。
 香芝市二上山博物館で行われた藤ノ木古墳シンポジウムで、調査開始から29年、朱塗りの石棺の蓋が開けられてから26年が経ち、15000個ものガラス玉を拾い上げた若き研究者が老眼になる、その歳月に詠嘆の声があがりました。
 とはいえ思い出話に浸りきることはなくて、ムズカシい話に進み、雀は「空玉(うつろだま)」や「梔子玉」「棗玉」という音の響きに心がうろうろ飛んでいきました。
 最後に被葬者について、開棺当時カシコーケン調査部長だった石野博信さんが「ボクは旧家のどら息子と言ったンだ、ねぇ」と隣の前園實知雄さんの目を覗きこみ、現場担当だった前園さんは穴穂部皇子と宅部皇子とおっしゃいました。
 2008年11月6日に藤ノ木古墳が史蹟整備される起工式があり、12月28日にそのときの写真を入れて、前園さんの「斑鳩に眠る二人の貴公子―藤ノ木古墳」が発行されていることがわかり、シンポジウムのあと、図書館で借りて読みました。
 カシコーケン附属博物館に展示されている出土品と復元品はそういうことだったのかと、次に博物館を訪れたときの楽しさが段違いでした。
 また、藤ノ木古墳を穴穂部皇子の墓と考える理由のひとつに、斑鳩の竜田御坊山古墳群を山背大兄王一族の墓と考えて、という話に、御坊山古墳群出土と書かれた展示品も興味深く見ることができました。
 10月25日(土)に、前園さんがホストとなって片山一道さんと「人類学と考古学で迫る被葬者像」と題した対談をなさるそうで、楽しみに待っているところです。   囀雀


* とても凡常の真似のできない質の高いエネルギーである。もう十五年ほど、厖大な量のメールでわたしをオッカケつづけてくれる人である。メールを死蔵し ているのが惜しい。ことに字数制限の合ったころにケイタイから送って来続けた短文は、詩的ですらあった。大学とも研究施設とも学歴とも仲間達とも無縁、ひ たすら家庭の人として、身をはたらかせて自身の興味や関心を培い育てている。それだけでなく自身の精神衛生をすぐれて健康に推し進めている、あまり丈夫で は無さそうなのに。

* 明後日に用ができたので、明日は家に籠もる。今日の午過ぎ自転車で郵便局へ走った暑さ、焦げると思った。よほどハラをくくって出ないとどうにもならない。闇雲には出歩けない。

* 来月「私語」を用意した「述懐」のなかに岩田正さんの「
どんぶりを抱へてだれにも見られずに立蕎麦を食ふ時が好きなり」を貸し てもらった。岩田さんは馬場あき子さんのご亭主でありよく存じ上げている。わたしにもかつてはこんな「好き」な「時」があったのに、今は麺類がとても食べ にくい。残念な。いい歌かどうかの品評は控えておくが、心惹かれたのだからいい歌に違いない。わたしはもっぱら西武池袋線池袋駅地下改札内で、立ったまま 蕎麦や饂飩を嘆賞していた。乗降客がいっぱい通るのである。だれか見てるかなあと思っていた。それも味のうちだった。



* 七月二十八日 月

 起 床8:00 血 圧124-675(57) 血糖値85  体重674kg  

* すこしずつ「原稿・雲居寺跡」の向かっている方角が察しられてきた。いま物語は、歌舞伎の「近江源氏先陣館」の舞台とやや呼び合っている。和田義盛とすでに物語の語り手は関わりを持っているが、あの歌舞伎でも大事な存在は和田義盛であった。
 ただしこの物語に手を染めていた頃にはまだ、この芝居こそ南座でいちど観ていたかすかな記憶はあるが、むろんそのときは自分が小説をほんとうに書くよう な者になるとも思えてなかった。また芝居を観ながらもとくべつ近江の佐々木に関心をもつ理由もなかった。だが、後年、「みごもりの湖」を書いた頃にはあき らかに近江佐々木の上代でのありように関心を強めていた。この「原稿・雲居寺跡」は「みごもりの湖」はおろか、「清経入水」もまだ書かず、作家以前のまだ 習作期の仕事だった。
 行けるところまで行こうという書き方に思われる。ゆけるところまで此の旧作を追いかけてみる。或る意味では開花とも噴出もいえる何かしらエネルギーをこうしてわたしは蓄えていたのだろう。

* 石牟礼道子さんから詩集「祖さまの草の邑」を戴く。けさ、山中以都子さんの詩集「水奏」を読み返しまた布川鴇さんが編輯している詩誌「午前」をも読んでいた。高木冨子さんの「優しい濾過」も目の真ん前にある。紫圭子さんからも詩誌をよく戴く。

 ☆ 秦先生
 御著「湖の本」(光塵 櫻の時代) ありがたく拝受いたしました。 先般 拙歌集をお送り申し上げる時 よほど
 先生への日頃の感謝をつづろうかと想いましたが  それも憚られまして お許し下さいませ。  戦前 戦後を通じまして 苦しい事もありましたが、「うた」に、先生の御本に救われたことも多々ございました。
 老い先みじかい身ながら、 なお承けつづけてゆきたいと思いつつ ひと言 御礼のべさせて頂きます。
 先生の御健勝 祈り上げつつ   かしこ   鎌倉長谷  利根

 ☆ お暑うございます。
 御本とうに頂き 今 夢の浮橋に入りました。ニュースで祇園祭もみました。
 今日は葉ぶたのおけいこをいたしました。上手に露も雫さず、涼しそうに。
 冬に埋めておいたおいもが 今年はきれいな葉が出てうれしい事です。  ロス  千代

 
☆ 湖へ
 お元気ですか。 暑くなっています。 くれぐれも脱水に御注意下さい。 
 辛い時期でしょうが、お大切にお過ごし下さい。  世田谷用賀                    

* さ、歯を抜かれに歯医者へ。暑いさなかであるが。 

* あっさりと巧みに左上の奥歯は抜かれた。右上の奥でも一本欠けている。帰路での食事も酒も禁じられ、まっすぐ帰ってきた。抜歯から二時間。もうそろそろ夕食ができる。理史君の送ってくれたお酒が呑みたい。

 ☆ 山へ紙ひらひらとんで御祓かな (宇佐見魚目)
 
土曜日が夏越(なごし)でした。明晩は三日月。今週末は七夕です。
 昨日の昼下がり、待ちかねたおしめりがございまして朝の気温がすっと下がりました。
 昼の猛暑もしのげる気になるのですからおかしなものです。
 此の、24日夜、そちら、井ノ頭線が運転を見合わるような浸水や停電の被害があって、ちょうど1ヶ月前には雹が積もったとか。
 ご無事でいらしたのでしょうか。   名張の雀


* 「風の奏で=寂光平家」十二巻を再校し終えた。明日、「選集A」跋の再校が出て、諒承できれば「風の奏で」とともに、どう遅くても三十日には送り返せるだろう。「清経入水 雲居寺跡=初恋 風の奏で=寂光平家 繪巻」の四編、「いい読者」には喜んでもらえるだろう。
 すぐさま、既に組み上がっている「選集B」の初校を始める。「畜生塚 慈子=齋王譜 隠水の 誘惑」で纏まる。四編ともに語りが「私」がらみになる。
 さらに入稿用意の「選集C」には、「蝶の皿 廬山 青井戸 閨秀 墨牡丹」で頁が合ってほしい。これは四編ともに「私」が関わらない。
 そのうちに、「湖の本121」が組み上がってくるだろう。じつは十年ほども書いていた匿名コラム原稿もスキャンして、すでに校正し掛けている。うちかえす津浪のように「仕事」が押し寄せる。こんな晩年を予想していなかった。病気をしたセイかもしれぬ。
 「e−文藝館・湖(umi)」ももっと拡充したいと思っている。そういう意欲が小説創作への推力になっていると信じている。
 
* 八月に、坂田藤十郎の至藝を楽しむ会があり、幸い、国立劇場前三列の座席がとれたと、松嶋屋から送ってきてくれた。
 大好きな「吉田屋」を芯に、所作の演目が三つほど。わくわく銷夏。夜分へ掛けて出て行けばいい。たった一日だけの山城屋藤十郎、機会のあるかぎりは心躍 らせて観たい。扇雀、鴈治郎、藤十郎と大化けしていった全期間を楽しませてもらってきた。                            


* 七月二十七日 日

 起 床7:45 血 圧129-65(62) 血糖値91  体重67.5kg  

* 孫のやす香をこの日付で死なせて八年になるか。やす香の母朝日子がこの日付で生まれてからは、何十年になるのだろう。一年として欠かしたことなく赤飯で祝ってきた今日の日付だが、あれ以来、一度として祝っていない。

  かみなりが来て雨も来て遠のいて
     なんといふ寂しい夏の今日かな
  生きいそぐとは死にいそぐことなのか
     みえぬ眼のまへをかきまぜてゐる
  わらつてゐるやす香の写真(あれ)は泣いてゐる
     泣くな泣くな泣くな 詩を読んでやるぞ

  哀しみを銜(ふく)みて旧宅を過(よ)ぎり
  悲涙 心に応じて零(お)つ
  借問(しゃもん)す 誰が為にか悲しむと
  懐(おも)ふ人は九冥に在り

  門前に手を執りし時
  何ぞ意(おも)はん 爾(なんぢ)先ず傾かんとは
  数(すう)に在り 竟(つひ)に未だ免れず
  山を為(つく)りて成るに及ばざりし     陶淵明

  したいこと就きたい仕事なりたい人
    させも就かせも成らせもあえず 

 ☆ ぼくの姉の誕生日。   (建日子 facebookに)

 もうずいぶん長く会っていないけれど。
 そして、たった19歳で逝ってしまったぼくの姪の命日。
 あれから、ずいぶん長く時は流れた。
 姉さん。誕生日おめでとう。
 やす香。安らかに。
   
   
* 「風の奏で」再校を進め、一つの仕掛かり小説を書き進み、ついで、「選集C」原稿としての、思い出多い「廬山」を、ずんずん読み進んだ。「廬山」はは じめ「新潮」に見て貰っていたが、何度も何度も推敲してしかもパスしなかった。しまいに劇評などしていた編集者まで現れ、登場する武将伯麟の子を太郎、次 郎、三郎、四郎などと云うのは可笑しいなどと云った。こりゃダメだと見限って、筑摩の「展望」に見せた。一発で、もう次の号には載り、すぐさまその期の芥 川賞候補になった。耽美的なわたしの作風からすればよほど遠くに感じられる滝井孝作先生、永井龍男先生が銓衡の席で強く推してくださった。本になったと き、永井先生は、「『廬山』は美しい小説である。美しさに殉じた小説である」という推薦の「帯」文を下さった。小学館の文学全集にも、筑摩の文学全集に も、角川文庫にも「廬山」が採られた。これはと自信があるなら、「新潮」ほどの「権威」にも無意味に屈してはならないのだと思った。

* イスラエル支持のアメリカ、ウクライナへのロシアの暴圧、したい放題の自己中中国。かつての米ソ対立が、三大国の吾がもの顔で世界の不幸は深まるばか り。あいつぐ飛行機の事故や撃墜や行方不明。心底、情けなくなる。なにを一心に努めていても、みんなムダであるに過ぎなくなる、それで当然というような頼 りない気持ちに襲われる。が、それは、ちがう。それだからこそ、真実したいこと、仕遂げたいことへ立ち向かって倦まぬことだ。

* 日野の陸川さん、高石の東野さん、口当たり清しい夏のご馳走を下さる。夏柑糖の冷えて美味しいこと。

* ひとしきり、遠雷と雨と。冷やしていても家の中も暑い。

* 「選集B」は頁数のよみをあやまり、短篇二つを組み置きに残さねばならなくなった。「畜生塚、慈子、隠水の、誘惑」四作になる。なるべく第一巻の規模 に準じたい、頁が増えると一冊送料が一段と増し、荷造りの手間もより難しくなる。あまり重い本では読みにくくなる。「選集C」は、「蝶の皿、廬山、青井 戸、閨秀、墨牡丹」で進めているが、どうなるだろうと案じている。

* 白鵬 三十回優勝。よしよし。よしよし。

* 奈良の理史君、加賀金澤から名酒「獅子の里」「奥能登の登雷」を贈ってきてくれました。ありがとう。奥さんと新潟へ帰ってきたのかな。

* 「風の奏で」十二巻平家語りの十巻まで再校、今夜寝るまでにもう一巻読みたい。気持ちの最も盛り上がる仙台の「琵琶の巻」になる。

* 『ラ・ロシュフコーの箴言集』 箴言はみな一読を終えた。今夜から、「考察」の各章を熟読し頭に入れてから、また箴言を再読して思索を加えたい。こんやは「1 ほんものについて」を読んだ。納得できた。明日、もう一度読んで吟味したい。

* 「原稿・雲居寺跡」を書き写して行くと、これはもうほとんど十三世紀の公武の闘いといった大筋に絡まりながら、わたしのいわゆる「風の奏で」の藝能史 が浮き上がってくるのかと想われる、それとて宛て推量で、まだ書き写していて「語り手」がその素性・本性をあらわすのにもう暫くかかりそうで、その先にも たっぷりとした原稿量がある。いまでは、書いたはずの私が、独りの読者の場にいて興味津々先を追っている。
 これと同種の書き差し原稿が他にも何作も現れてきている。惘れたというのが実感。この年になって、こんな体験をするとは。


* 七月二十六日 土

 起 床7:00 血 圧126-65(55) 血糖値87  体重68.4kg  

* 仕事をしては休み、また仕事に帰って、休むという繰り返し。校正ゲラを読むのも創作も作品の読みも、テレビが鳴っていてはとても近くでは出来ない。本の発送用意などにはテレビがむしろ骨休めになるが。
 浅草の花火は、往復に自信なくお誘いを辞退した。             

* 用があって隣棟の書斎に入ったが、熱湯の中のよう、慌ててクーラーを働かせてきた。ときどき出かけて部屋を冷やしてやらないと。こう暑くてはまともに ものも考えられない。出来るのは「読む」こと。「風の奏で」半分の六の巻まで読んだ。「蝶の皿」も読み終えて「廬山」を読み進んでいる。十分に読んでおけ ばのちのちの校正も確かになる。

* 相撲も失敬して、「原稿・雲居寺跡」の電子データ化に熱中していたが、書き手のわたくしのもう全く忘却していたような物語がいかにも根気よく続き広がって行く。唖然ともし、喜んでもいる。

* リチャード・ギアとゼブラ・ウィンガーの「愛と青春の旅立ち」、以前にも観ているが、見せるいい作だった、小泉純一郎に似たこの主演男優はあまり好きでないが、ゼブラ・ウインガーは魅力に溢れていた。今晩は、九時までこの映画で休憩した。花火には行けなかったが。

* 明後日は、とうどう、また左上で歯を一本抜かれる。やれやれ、まさにネバーエンディングの歯医者さんである。                             




* 七月二十五日 金

 起 床8:00 血 圧131-61(52) 血糖値101  体重67.5kg  

  ☆ ご無沙汰いたしております。
 過日は 立派な御選集を 頂戴しながら 礼状もさし上げず また湖の本の方もとどこおっておりまして まことに申しわけございません 不徳義漢になってしまいました 何卒 おゆると下さい。
 脳出血に倒れて以来 しんしんに一寸不調をきたし おまけにここ数ヶ月目の焦点がおぼつかなくなってしまいました。 一昨日 眼鏡をかえどうやら筆を執 ることができるようになりましたが、長い間はつづきません まことに歳はとりたくないものですが 外村繁の「一日喜び」という言葉を つぶやきながら そ の日暮しをしております。
  御選集 題字 造本 装丁等 すみずみまで 心が通っていて このように見事な御本には 最近めったに出逢えません 元出版社の社員として恥じ入るとともに 御志の広さ 深さに感嘆するばかりです
 暑さも本格的になります どうぞお身体 おいとい下さり おすこやかに お過ごし下さいますよう おわびとともに お祈り申上げます    元文藝春秋   

 ☆ 先日は
 「湖の本120」をありがとうございました。
 先生のご健康を願い「老松」より「夏柑糖」をお届けさせていただきます。ご笑納下さいませ。  高石市 

 ☆ 月様
 湖の本120 送金が遅くなりまして申し訳ありません。
 二月に、わが家にとって、はじめての女の孫が生まれました。三ヶ月の産休明けに仕事に復帰した娘(嫁)のかわりに しばらくは孫育てをしていました。三月末に仕事を退職したのも都合のよいじきだったと思っています。
 暑さ厳しき折り 御身ご大切に御無理なさいませぬように くれぐれもご自愛下さいませ  花籠  徳島市

* 今日は、もう一通、嬉しい手紙が届いた。娘がひさしぶりに帰ってきたような思いで、夫婦して喜んだ。

 ☆ 大変ご無沙汰して申し訳ございません。
 このたびは「湖の本」に記事(「憲法九条にノーベル賞を」)の引用をいただき身に余るお言葉までおかけくださり、うれしく もったいなく、本当にありがとうございました。
 これまでの不調法をどうおわびしてお礼を申しあげようかとうろうろしておりましたら 今度は「ひとりから」をお送りいただきまして もう何と御礼申しあ げてよいやらです。  幼少時からお宅におじゃまし かあいがっていただいたことは片時も忘れたことがございません その大恩人のご夫妻に娘のようとおっ しゃっていただいて、こんなにうれしいことはありません 私などには過分なお言葉ですが 新聞記者になってよかったとしみじみ思いました
 思い返してみれば、その新聞という仕事に就いたのも 高校生のときにいただき、お話をしてくださった中世の藝能民のところに原点があると感じております
 秦先生が、「彼とか彼女・あの人たちと言った時点で 自分とはちがう人間として遠ざけているともいえる」というご趣旨のお話があり、自分の中の差別や偏見の心に気付かされました。
 学生のときも 社会に出てからもずっとその問題を考え続けている気がいたします。
 今 自分がここにおりますのも、お二人があたたかなまなざしで見守ってくださり、育んでくださった賜物と、どれほど感謝してもしきれない気持でいっぱいです。
 本当に ありがとうございます。
 来月から現在の部署を異動となり、文化部に配属されることになりました 少しは落ちつけるだろうかと (単純に深夜勤が減るという物理的な意味ですが)  新しい仕事に不安もありますが がんばりたいです この社会の問題をどうやって切りとて伝えていくか 貴社の仕事は「イタコ」」と信じているのです が…。
 湖の本を拝読しながら お体の具合がいつも心配で お健やかであられますようにと お二方のことほお祈りする日々です  またお目にかかれますのを切望しております
 つたない文で 申し訳ございません どうぞお元気でいらしてくださいませ 御礼をこめて
    二○一四年 七月二十一日    堀船    

* 新聞社に受かりましたと伝えに玄関までかけつけてくれた時、アオは同じ保谷でお母さんと二人の妹たちと暮らしていた。早稲田のキャンパスで健闘してい た。それは聡い、たくましい、いい子だった。あの日も、家まで送ってやるよと自転車の尻にのっけて走った。思えばあれから会っていない。新聞紙面で記者と しての名乗りをばかりをみてきた。ああ、娘が帰ってきたよと、喜んでいる。

* 案じていたように白鵬、ツメがあまくなり逆転負けしてしまった。これで二敗力士が三人になり、混沌。二敗同士の琴奨菊と高安の対戦に勝った方に、或いは利が見えるかも。

* 「風の奏で」の再校、うまくすれば今月末に読み上げられるかも知れない。今晩中に「六」の巻を通過。ちょうど半分。

* 朝の五時にそとへ出してやった黒いマゴ、熱暑の一日を夕方五時半近くまで遊びほうけてか、どこかに暑を避けたままか、帰らなかった。それから輸液した。元気ということなら宜しいのであるが。

 ☆ 東京は
 昨日雷雨で大変だったとか。西東京はいかがでしたか? 今日こちらでは気温38度を超えたと報道されていますが、日本列島全体がこの夏一番の暑さなのでしょう。わたしなど全く戸外に出ないで 横着鳶を決め込んでいます。

 鴉、あなたご自身こそ、御身大切に 元気でいてください。  尾張の鳶

 ☆ 秦先生
 今年も隅田川花火大会がやってきます。
 明日お天気大丈夫そうです。(去年は雨でした)
 もしよろしければ浅草にいらしてください。
 いつも間際で申し訳ございません。
 よろしくお願いいたします。   望月太左衛


* 明後日はやす香の命日。花火をみあげながらもう天上のやす香を見送った何年も前を想い出す。そしてあれから何年もの間、無念の苦界に心身をふかく傷めた。
 かなり疲れてはいるが、久しぶりの浅草の花火を見上げてきたいという気は有る。だが往きもたいへん。帰りもたいへん。体を動かすのは大切だが。今日の猛暑が明日には退くとも言い切れぬ。悩ましい。            

 

* 七月二十四日 木

 起 床7:50 血 圧126-66(62) 血糖値98  体重68.0kg  

* 俳句の「鷹」から送られた亡き主宰湘子の百句、これは、久しい馴染みがあって多年を経ての変容・変貌また達成もなんとなく懐かしいほど分か る。もう一冊の飯島晴子が「鷹」の猛将とは知っていたけれど句には馴染んでいなかった。なんとなく触れ合ってこなかった。こんど奥坂まやさんの紹介で「百 句」を拾い読みし、なんじゃこれはと思いつつ奥坂さんの手引きでその底知れぬ大きさや新しさや説得力に心惹かれている。これはこの年になっての嬉しい出逢 いのようである。

* 物覚えがわるくなったというより、記憶のきれきれの喪失に困惑している。思いのほか俳人とのおつきあいも歌人に劣らず多かったのだが名前をぶじ列挙で きる自信がない。滝井孝作先生も永井龍男先生もそのお一人だが、占魚、稚魚、八束、兜太、登四郎、杏牛、湘子、羊村、杏子さんら、やっと思い出せる。そん な中へ、飯島晴子の名が加わればいいが。ただし晴子はすでに八十にして自死されている。

  泉の底に一本の匙夏了る
  人の身にかつと日当る葛の花
  西国は大なめくぢに晴れており
  猫鳴いてお多福風邪が奥にゐる
  わが闇のいづくに据えむ鏡餅
  大雪にぽつかりと吾れ八十歳    晴子

 ☆ 
通院で
 難儀されてはいないかと案じていました。
 居心地のよい場所を見つけて、暑さが和らぐのを待ちつつ校正を進められてるかなぁ、それとも好きなお相撲が見たくて真っ直ぐ帰られたかなぁとも想像しながら。
 通院を忘れていたこと、お仕事に打ち込んでうっかりというなら、(わたくしもも、歯医者の定期検診をうっかりしたことが何度かあります)、ご自身がさして気に病んでないなら、それでもいいのですが。
 記憶力云々ではなく、この猛暑が心配です。
 どうぞお元気で。    小雨


* 電話してみたら、今朝十一時までに聖路加へ来て初診手続きせよと言われた。九時半に電話で聞いて十一時に聖路加着はとてもムリ。その上の蒸れたような熱暑。
 薬だけが欲しいので、仕方がない薬局で類似の売薬を買うことに。要するに利尿薬。この殺人的な真夏に、息急ききって保谷駅へ、また築地の日照り道を病院へ急ぐのは賢明でない。診察日を完全に失念したのがわたしの責任である。

* 黒いマゴの輸液には十数分か二十分かかる。太い針を刺されるのはイヤだろう、で、わたしの膝に抱きかかえているうちに妻が刺す。うまくいけばそのまま輸液できるが、刺しようが浅かったり皮膚を塗ったりするとたちまち水が溢れるように洩れる。これが難しい。
 輸液の間わたしは動けないので、そのあいだ、録画の映画を小刻みながら毎日見続ける。昨日までは「ショコラ」をとても面白くみていた。ジュリエッタ・ビ ノシュがすこぶる魔女ふうに魅力的で、ジュディ・デンチもなかなかの存在感。中世を思わせるほど牧歌的でかつ閉鎖的な因習にもしばられた小さな町での物 語。初めて観たときから、好きな、佳い映画の一つと数えてきた。いまの体調ではジュリエッタのつくる多彩な「ショコラ」を味わう元気がないけれど、魔術的 なうまみが、不当にアタマを抑えられて暮らしていた町の人たちをめざめさせてゆく。漂泊の魔女母娘も呪縛から解き放されて行く。

* その気になればどんなに忙しい中でも楽しめることはいくらでもある。いい映画ならちぎりちぎり観ていても十二分に惹きつけられるし、本にしても、いっ きに沢山読もうとしないなら、存分に楽しめる。詩歌を読むのは小説や論攷を読むよりも、別の打ち込みがようが利く。小説を読めば、たちまちに他界へとんで ゆける。また庭の花を、草や葉を、ふと観ているだけで堪らなく嬉しくなる。まして、家の内にかけたり置いたりしてある繪や、書や、壺や、蒔絵のものをへ眼 を送る嬉しさ、しんそこ楽しめる。人間の才能の中で、こういうふうに豊富に容易に静かにものの楽しめるちからがいちばん貴いのかもしれない。

 ☆ 
梅雨明け宣言の後の
 今が一番暑い時期。梅雨明けといってもこちら(尾張長久手)は空梅雨で、時折雷雨があったけれどという状況でした。今日は35度くらいになるようです。
 選集、湖の本、そして創作活動、HP!!! 本当にお体のことが心配になります。精一杯生きていらっしゃる、無理は承知・・中途半端に老婆心を述べても駄目ですね。
 14日、関西に行き、詩の集まり、友人とのお喋り、15日、友人のお墓参りをすませ、祇園祭の「宵々山」に久しぶりに行きました。四条通りの長刀鉾の写真を送りましたね。下手な写真・・荷物を抱えていて思うように撮れなかったのです、これは弁解。
 この時、年賀状だけは絶やさなかったのですが、ほぼ40年ぶりに友人に会いました。
 日盛りの中、三条の文化博物館で黒田清輝の展覧会を見 (これは友人のリクエスト)、六角の宮脇賣扇庵に立ち寄りました。
 京都大学に来たのは、ていのいい家出やったねえと彼女も言い、わたしもそうだったと。以来ずっと京都で暮らしてきた、そのことだけは羨ましい。
 四十年ぶり、その四十年という歳月が長く、ただしとても曖昧なものに感じられました。お互い、基本的には昔と何も変わっていない、話しやすさがありました。
 帰宅して、週末からは姑が滞在。今は一人の時間が貴重です。
 粂川さんのエッセイで語られる少年、ついでに成人男性の女性の裸に対する思いは、そうでしょうかと半ば頷き、半ば苦笑? それ以上に見られる側の女性としてはハッと胸衝かれるものがあります。
 鴉の幼児経験、銭湯の経験も、微笑ましい日常の情景でありながら、怖さも感じます。
 わたしは下宿して初めて銭湯に行った時の衝撃を今でも忘れません。温泉も全裸になることへの抵抗感が強くて好きではありません。
 それにしても「特段の難しさなどなしに、洋服からであれ和服からであれ、ほぼ何でもなく透けてみることができた・・」と鴉は書かれています。
 男性として、また作家としての目の鋭さ。
 わが身は振り返るまでもなく、自分の老いを強く感じている今現在、さらに老いを痛感していくであろう未来が横たわっています。
 身体を裸を、リアルに素直に認めることは恐いです。
 何だかヘンな話になりました。
 くれぐれも大切に大切に
    尾張の鳶

* 鳶のメールには、「曖昧」とはいいなから、意識たしかにものを観、ものに感じ、ものを思い続けて満たされてきた力ある「体験」を感じさせてくれる、いつも。知性にも趣味能力にも溢れている。それが、読むわたしのビタミン効果になる。感謝している。
 枯れ木の寒鴉、わたしは、まだまだ励まされて生きて行かねば。

* 「湖の本121」 一気に入稿した。 「選集A」の半量を責了にし、のこり半量を今日から読みに読み込む。

* 殺人的に暑い。遊び半分にも戸外に立ってみたいという気がしない。近くのスーパーや酒屋へ自転車で走ろうという気も出ない。
 仕方がない、校正する、読む、書くのほかは無い。相撲も横綱の三番しか観る気にならない。暑さに当たってか腹具合もキリッとしない。幸い「風の奏で」には惹き込まれる。「蝶の皿」も原稿づくり、読み終えた。よくまあこんなのが書けていたと不思議な気がした。
 
* 白鵬が一敗同士の大関琴奨菊に勝ち、また先頭に立った。頑張って三十優勝を実現して欲しい。
 つよい雨と激しい雷鳴。

 ☆ 秦 恒平選集第一巻
 嬉しく拝受致しました。ありがとうございました。
 何とも上品で飽きのこない装丁、手にずっしりと馴染む感覚。そして活字の大きさと余白との絶妙なるバランス。久しく素敵な本に巡り合えなかった私としては、嬉しい限りです。
 初期の三部作、出版された当時、感動して読んだことが思い出されます。改めて、当選集で味読したいと思います。
 是非二巻以降もお頒け頂きたくお願い致します。
 暑い日が続きます。くれぐれもご自愛くださいませ。   中野区  安井恭一

* 備前焼 伊部の川井明子さん明美さん連名で、窯だしや横浜で個展の案内がきた。「又、お会いしたいです。暑さ厳しい折柄、ご自愛下さい ませ」と。りっぱに出来た大壺を玄関に飾っている。横浜の個展へも一度出かけた。備前らしい焼きの美しい花筒や瓶が忘れられない。いまは息子が持ち帰って 愛している。

 ☆ 笠の下吹いてくれけり土用東風 (一茶) 
 
前売券を買っていた兵庫県立美術館の展覧会が7/21(祝)で終了してしまうのにあわて、20日(日)に観てきました。
 昨年11/2から12/29まで開催された「“小林多喜二から梅原龍三郎まで”昭和モダン『絵画と文学』1926―1936」と同時代を取り扱った「東京・ソウル・台北・長春『官展にみる近代美術』」です。
 どちらも巡回しなかったのではないでしょうか。
 二度と観られない、企画もされない展覧会だと思って大事にゆっくり観て回り、館のレストランで海を眺めながら1時間かけて昼食を楽しみました。
 『絵画と…』を観に来たのは12/1のこと。
 半年余りのご無沙汰で、両日とも屋上の“美かえる”がお休みなのは残念でした。
 阪神なんば線が開業して近鉄と阪神が相互乗り入れを開始してから5年を過ぎ、名張8:03発の大阪難波行き特急に乗ると、難波駅のホームでそのまま数分後に三ノ宮行きの快速急行に乗る継ぐことができて、途中で各停に乗り換えて、岩屋駅到着は10時半頃。
便利で涼しくてらくチンで、嘘のようです! 助かります。
 嘘のように便利で楽チンになったのは、先月出かけた大阪府立「近つ飛鳥」博物館 (大阪府南河内郡河南町) もそうです。
 この春、奈良市で金関恕さんのお話を聴講した折、いい展示ですよ、是非、と薦められたのがここの開館20周年記念の第1弾「ヤマト王権と葛城氏」。せっ かくなら館長さんの講演がある日にと、6/22(日)に、主人に頼んでクルマを出してもらいました。展覧会が6/29(日)で終わるのでぎりぎりです。
 初瀬街道→横大路→竹内街道を基本に、自動車専用道路や広域農道、バイパスを利用したら、2時間余りで着いたのには、主人も驚いていました。
 電車で来たときは、なんべんも乗り換えもして、最後は1時間に2本のバスでしたもの。
 講演会の整理券配布が12:00。講演は13:30〜15:00。館は17:00まで見学可能ですから、聴講後に展示室に行っても大丈夫です。
 午前中があくので、途中にある太子町立竹内街道歴史資料館を見学して、資料館近くの<道の駅>で昼食をとり、山田の仏陀寺を再訪しました。
 近つ飛鳥博物館の駐車場は80台分。講演会場は定員200名だそうです。
 ところが、この展覧会では毎週のように開催される講演やミニシンポジウムが毎回300人をこす人気だったそうで、白石太一郎館長の講演が行われたこの日 は、1台きりの券売機を使用中止にして、カウンターで購入する仕組みにしていました。整理券は雀の10人前で終了。館への道すがらでも、館内でも、「こん なン初めてやァ」という声を耳にしました。後日、450人を超えたと知り、葛城氏と古墳と白石太一郎が重なるとこんなに人を呼ぶのかとびっくりしました。 
 5月の夏日続きでバテたと思っていたのが、どうにも苦しくて、ぼんやりというよりうすのろになってなにもできないので、昨冬、循環器内科から紹介されて いたレディースクリニックを受診。1日に検査、翌週は隣市の市民病院へMRI撮影に行かされ、鉄欠乏性貧血がかなり悪化していたことがわかりました。
 新しいご本は初めてクリニックに行くとき、受けとりました。
 どうにか家事もできるようになり、神戸へひとりで往復してみたわけなのです。
 あれこれ囀りたいことがあって文章を入力していじっていたものの、どうにも冴えず、ぜぇんぶ消去して、土砂降りの雨のなか、市民病院へひとりで出かけ、数日後、身体の大儀さに髪をベリーベリーショートにきってきました。赤ちゃんのとき以来の短さです。
 秋のお彼岸までまだ2ヶ月。涼しくなるのにかなりかかりそうな酷暑の日々。
 突然の激しい雨もあり、検査や通院のご負担も大きいこととおからだ ご案じもうします。
 いっそうご自愛くださいますようおねがいいたします。   名張
  囀雀                                 

* 一茶の昔も夏はきつい暑さであったらしい。雀の貧血は何十年も昔から。油断大敵ですよ。大事にしてください。

* 遠雷を聞きながら機械を整理していて碁盤があらわれた。縮めた盤であったので、黒番で久しぶりに挑んでみた。大負けかなと思ったが、半目の負けで収め た。善戦かもしれない。碁にせよ将棋にせよもわたしの勝負事にはちっとも成長が無く、アテズッポウで打っている。二番も三番もやろうという気もない。

* 「風の奏で」鼓の巻を音読したり、浴室の中ででも読んで校正していた。作の四分の一まで読んだ。一巻ずつでもあと八日で読み上げられよう。もう少しピッチも上がるだろう。


* 七月二十三日 水

 起 床6:00 血 圧128-63(57) 血糖値99  体重68.4kg  
 
* 印刷所から叱咤されている。選集第二巻をいつ責了に出来るか。
 なんとか頑張って、八月八日ごろには残る半分の責了紙を送りたいが。だからこそ、落ち着いた仕事をしないといけない。
 「殺到」などという言葉の宛てはまることは滅多に無いものだが、今は、事実「仕事が殺到」している。こんなときに「慌てふためく」とロクな事がない。

* 白鵬、先場所に続いて豪栄道に敗れ、がっかり。関脇の大関昇進が成るかも知れない。

* 朝から、昼過ぎから、横綱の相撲と夕食のあとから、やすみなく「仕事」に打ちこんでいた。眼は。くらくらしているが、出来る仕事は出来るときにした い。どこまで歩いて行けるか。どっちが先に折れるか、仕事かわたしか。撓んでも折れないようにように書いたり読んだり創ったりしたい。

* 十一時半。もう、ダメ。 さっき気が付いた、今日は聖路加へ行く日だった。カンペキに忘れていた。まいった。                                                     


* 七月二十二日 火

 起 床8:00 血 圧126-68(62) 血糖値87  体重67.8kg  

* 火曜日はふつう郵便が少ない。三連休だったせいか、今日は郵便が多かった。郵便は、わたしのように外向きに逼塞している者には風の通う窓ににていて、きもちが花やぐ。

* 創刊五十年記念の俳誌「鷹」から堂々とした「季語別鷹俳句集」に加えて、創刊された亡き「藤田湘子の百句」また「飯島晴子の百句」を頂戴した。「鷹」 はわたしが頼まれて原稿を書いた一等早かった俳誌で、日大小児科の同人先生から声をかけられた。利休のことを書いたと覚えている。まだ作家でもなかった。 医学書院の編集者だった。湘子とはのちのち、お目に掛かりこそしないがいろいろに親しくものを書き交わしたりした。わたしは俳句は難しいと手も出さなかっ たのに、「鷹」「みそさざい」ほか何誌ともお付き合いがあり、有名な何人もの主宰さんらとお付き合いがあった。だから俳句は短歌に劣らず読むのはよく読ん できた。すべてわたしは完全な門外漢の小説家で通したが、それゆえに心親しくしてもいただき懐かしく感じてきた。これで、わたしはけっこうお付き合いは下 手でない。井口哲郎さんにそれを褒めて貰ったこともある。

* その一方でわたしは、東京新聞でながく「筆洗」を書いていた林さんによく「辛口」の秦さんと呼ばれていたが、「辛口」どころでない容赦ない批評やポレ ミックな言葉を「匿名」で打っているコラムに驚くほど多年に亘り書き続けてきた。そんな原稿も現れ出てきてビックリ仰天しているところ。

* 豊中の大学友だちから、「いちど きいてみて下さい。お大事に 大切に おすごしくださいますように。」と書き添えて、アルヴォ・ペルトの「アリーナ  鏡の中の鏡 アリーナのために」CDを送ってもらった。「黙考する音楽詩人ペルトの70年代重要作品の新解釈」とある。何だろう。安原さんは、美学にい た妻の同期生のなかでとびぬけた知性と感性の人。ピアノを弾き繪を描く。湖の本も最初からずうっと応援してくれている。「アリーナ」 何だろう。機械に入 れて、聴いてみる。

* 喜多職分会の自主公演、九月は「経正」「蝉丸」綾鼓」と魅力満点。

 ☆ 六月に
 それはもう久しぶりで、太子町山田の仏陀寺(ぶったいじ)に行ってきました。ご住職がかわらず秦さんでした。  

 ☆ 梅雨も
 終りに近づいて、むし暑さが増してまいりました。過日は「櫻の時代」ありがとうございました。
 かつて、東工大で教えておられたことは、存じておりましたが、今回は(
青春有情で)学生さん達のいろいろな言葉を聞き、改めて、自信のその頃を思いだしておりました。
 私も理系出身(同志社の工学部を昭和46年卒業)でしたので、彼らのまっすぐ悩んだり、尖った気持ちで理屈が先行したり… の様子に「わかるわぁ…」と思いながら読ませて頂きました。
 その次に、とても嬉しく、楽しかったのは先生の沢口靖子さんの好きっぷりでした。私も大好きで、関西ではときに木曜日の八時から放送される科捜研シリーズを楽しみにしております。生れ変ったら、私も科捜研に就職したいと言っては、娘に笑われております。
 梅雨が明ければ さらに暑い日々がまいります。先生も どうかお体に気をつけられて、お元気でお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。   大阪 淀川   

* 雑誌「ミマン」での連載で知り合えた人だが、大学の後輩で、沢口靖子がお好きで未来は科捜研に就職と。こういう嬉しい風も吹いてくる。それにしても科 捜研のマリコさん、じつにいい人柄の優しさ品のよさ行儀の明るさで、申し分なくなっている。身についた品と知性。それもわざとらしくなく静かに明るい。声 音もいい。騒がしいモノの微塵もないところ、こころより惚れ込んでいる。

 ☆ 秦 恒平 様
 前略  このたびは、豪華限定本『秦恒平選集』ご恵与にあずかり、ありがとうございました。ご厚情に深く感謝いたします。
 巻末の「創刊に際して」をまず拝読、「今生の終焉も・・」の感想は、数年年長の私にこそふさわしいと感じながら、医学書院以来の長い年月を振り返り見たことでした。
 「みごもりの湖」「秘色」「三輪山」、あらためて、ゆっくりと読ませていただきます。年月を経た今、どのような風景が新しく私の眼前に展開するのか、それも楽しみの一点です。
 井口哲郎氏の「説文」風の刻字、細川弘司氏の達者なべン画、いいですね。
 表紙の紺地と金箔が、あか抜けていて、お酒落だと思いました。
 御礼が遅くなったことをお詫びします。先日の抜き刷りでも触れたデッサン会仲間のグループ展に出品するなどのことがあり、雑事に追われておりました。
 やがて猛暑の季節、ご自愛ください。 草々
 2014年7月19日   粂川光樹 (
明治学院大名誉教授
 追伸 同封のものは、私が所属する銅版画工房の仲間内の落書き雑誌『工房万華鏡』に連載中のエッセイの一部です。馬鹿話ですが、笑っていただければ、と思ってお目にかけます。感想を頂戴するほどのものではないので、ご放念ください。

* 入社同期のよしみで口癖につい粂川君といってしまうが、その粂川さんが上の手紙に添えてくれたエッセイの一つが、このまま通過できない意義を帯びているので、関連の箇所だけ、ちょいと書き抜かせてもらう。

 ☆ 閑話休題(それはさておき)第十話 スケッチ・デッサン・クロッキ−
 (前略) 
  すべての少年かそうであるように、少年の日の私は女の人の裸をぜひ見てみたいと思っていた。でも少年には無理な願いだ。魔法の透視眼鏡はないものかと ニキビ面の十代は考えた。着衣を通して、中のヴィーナスがそのまま見える、そんな眼鏡だ。それを掛け、ドキドキして街を行く。女性の群と擦れちがう。お、 見える、見える、というわけだが、もちろん、そんな眼鏡があるはずもなかった。
 しかL、日進月歩と言うべきか、以来半世紀以上が過ぎた今日に至って、私はようやくその不思議眼鏡を我が手に掴んだと感じている。そこに少年のドキドキ がないのは致し方ないとして、なにしろ、とてもよく「見える、見える」だ。あそこにもここにもヴィーナスがいる。街が楽しい。電車が楽しい。そして実はと 言えば、これもまた、幾らかはリン版画工房のお陰なのである。だが、万華鏡ならぬこの不埒眼鍍のことは、この文の最後で物語ることにしよう。
 (中略)
 閑話休題(それはさておき)、冒頭で触れた裸体透視のことに話を戻そう。リン版画工房にお世話になって、私はすでに10年を越えた。だが、なかなか思う ような銅版が彫れない。下手である。なぜだろう。才能がないのか。それはそうでも、そう思いたくはない。やはり絵の基礎が出来ていないのが原因だ。その部 分を怠っているからだろう。それをしみじみ悟ったのは、三年ばかり前だった。以来、改めて描画の練習を始めた。日課として毎日ともかく一枚は「何か」を描 くことに決め、中断していたヌードデッサンも再開した。今は毎月計2回、固定ポーズと、ムーヴィング・クロッキーの会に出て、勉強している。その効果は版 画の上にまだ現れないが、自分の中ではいくらか手応えを感じるようになっている。手応えの一つは、人物の裸の線がどうやら掴めるように思えることだ。着衣 の男女を見る。すると、その着衣を内側から支えている、骨格や肉付きの様子も透けて見えるようになって来た。
 「お、見える、見える」
である。このことを女房に話すと、
 「ああた、それは幻覚ですよ。いよいよね」
と言った。.彼女によれば、これは最近注目を浴びている「DLB(レビ−小体型認知症)」というものだそうである。
 「何? でえ・、える、べえだと? 馬鹿言うな」
 でも、こういう認知症なら悪くない。もっと進行してもいい。私としては、桃源郷をさ迷う気分の日々である。 

* 粂川さんは東大出の、謹厳な日本上代学の一権威であり、漱石「明暗」未完の続編を書いた小説家でもある。さらに挿繪も描き銅版画も彫る。そういう人の、これは、たんなる笑い話ではないエッセイらしいのでこう書き出してみた。
 じつは同様の話題で先日も、わが書きかけの小説がらみに上の述懐と似た、いやもっと徹底した実感をしゃべってしまって妻と秦建日子とに大いにわらわれ軽蔑されてしまったのである。
 わたしは、と謂うのは避けておくが、いましも「ヰタセクスアリス」を物語っている主人公は、少年時代から、その気なら着衣の女のすっぱだかが丸見えに見 える。その体験的な下地は幼時から母に連れられた銭湯の女湯で、少年はむろん性欲からではなく物珍しさと感嘆の思いから、ただもうひたすらに女体というも のを観察し嘆賞し手で触りこそしないが徹底的に眼で愛でて成長した。上の粂川さんが憧れていたことぐらい、特段の難しさなどなしに、洋服からであれ和服か らであれ、ほぼ何でもなく透けて見ることが出来たし、古稀をとうに過ぎた現在でも何でもなく見えている。それが嬉しい楽しいなやましいなんてことはちっと も無い。
 しかし妻も息子も噴飯のていで嗤いとばした。だまっていればよかったのだが、小説は進んでいるのかと、何を書いているのかと聞くので一端を話してやったまで。
 粂川さんの述懐は、すこしは、わたしの、ではないその作中老人の才能を弁護し擁護してくれそうではないか。

* 今日は終日「湖の本121」のために原稿を読み整えていた。もう眼は、ひどい状態。まだ八時半だが、とにかくも休憩するしかない。などと言いながらまた一時間経っている。





* 七月二十一日 月

 起 床8:00 血 圧131-70(70) 血糖値91  体重68.0kg  

* はや昼を済ませ、再校ゲラをかかえて家を飛び出した。
 さすがに疲れた。白鵬の相撲に間に合うように帰宅。
 妻のスキャンしてくれた原稿をひたすら読んで「湖の本121」入稿に備えた。明日にはほぼ一冊分にちかい原稿を読み終えるだろう。それへ書きためてあるエッセイをえらんで差し込んで行く。「櫻の時代」につづいて、またひときわ「はんなり」した一巻が出来るだろう。

* 梅若万三郎さんから、「ブルーベリー」を二パックに一杯頂戴した。夫人のお心づかいでもあろう、いつも視力の曖昧を労って舞台へ一等前の席へ招待して くださる。大きに大きに有り難いご配慮で、能のよさが満喫できる。そして、目に良いというブルーベリーの実を山のように。忝ない嬉しいお気遣いである。

* 浴室で「富士山の文学」「建礼門院の悲劇」を読んだ。「拾遺和歌集」の一撰を終えた。「後撰和歌集」の一撰もすすんでいる。和歌は気持ちを静かに落ち着かせる。

* 湯から出て、少し湯に当たった感じがした。血糖値が50に下がっていた。白砂糖をスプンで数杯口にした。白砂糖は美味い。師の坊の隠していた砂糖を留 守居の弟子等が堪えきれずなめ尽くした「狂言」、まことにもっとも。砂糖のあと少し日本酒を口にした。低血糖はほぼ確実に五体で体感できる。かなり気味が わるいが、甘味さえとれば当座は回復する。習慣化しないように気を付けねば。

* 疲れを溜め込まないように。今夜も、いい眠りが欲しい。明日もたくさん仕事する。たくさん読む。


* 七月二十日 日

 起 床4:30 血 圧133-64(59) 血糖値95  体重67.5kg  

* 夜前床に就いてから「繪巻」を半ば再校し、引き続いて、久保田淳さんに戴いた「富士山の文学」をおもしろく読み次ぎ、さらに「八犬伝」 カミ ユの「ペスト」 そしてダンテ「神曲」地獄篇の第二曲までを読んだ。山川丙三郎訳は文語だが難儀なく読んで行けそう、楽しみだ。隣棟の書架にリルケが見つ からなかった、誰かに上げたのだろうか、その代わりに「神曲」三巻を経巡ってみようと思い立った。
 それから、
 ラ・ロシュフコーの箴を読んだ。ことに次の二条に心して目をとめた。

 ☆ 
ラ・ロシュフコーの箴言集より
 MS52    国の中に奢侈と過度の文明化があるのは亡国の確かな前兆である。なぜならすべての個人が自分自身の利に汲々として、全体の幸福に背を向けるからである。  (まさしく今日の日本ないし世界の陥っているのが、これだ。 秦)
  MS54    すべての情念の中で、われわれ自身に最も知られていないのが怠惰である。その激しさは感じ取れず、それがもたらす害はごくわかりにくいにもかかわらず、怠 惰はどんな情念よりも熾烈で有害な情念である。怠惰の威力をよく考えて見れば、それがあらゆる場合にわれわれの判断、関心、快楽を支配してしまうことがわ かるだろう。怠惰は最も大きな船をも停める小判鮫(レモラ)である。最も重大な問題にとって、暗礁よりも、どんな大時化よりも危険な凪である。怠惰の安息 は魂の秘密の魔力であって、最も熱烈な追求も、最も断固たる決意も、突如として中止させてしまう。  (その通りだとわ、たしも体験的に何度も悔いてき た。)    
 そのあと、とっておきの「イルスの竪琴」を。モルゴンが、ライラの導きでヘルンのモルゴルの宮廷に入った。
 折口信夫全集第十七巻を475頁まで読んできて、今夜は「雛祭りのおこり」に興味深く深く教わった。感嘆した。

* 灯を消したのが一時半。リーゼは服していたが、四時半に目が覚めてしまった。なまじ逆らわず電灯をつけ、また「繪巻」を相当量読み進んでから、思い 立って、佐伯真一さんに頂いていた「建礼門院という悲劇」(平成二十一年六月 門川学芸出版)第一章「建礼門院の生涯」だけを読み通した。建礼門院につい てはうんと早くに角田文衛先生の書かれたものがあり、多くを教えられた。その角田論攷を読んでいた頃に併行してわたしは平家物語ないし前後に関連して幾つ も小説を書き、殊に、「風の奏で=寂光平家」(昭和五十四年「歴史と文学」夏・秋号)という長編小説ではわたしの「建礼門院像」を気を入れて彫琢してい た。佐伯さんも御存じであった。
 いままたわたしは「風の奏で」などの復刊と併行して、同じ々方面の新作に現に力を入れている。佐伯さんの上の新刊からも新たな何か示唆や刺戟が得られればと、明けの七時前まで熱心に、面白く記憶や認識等の整理を楽しんだ。
   あれもしたい、これもしたいと手が何本も欲しいが、創作だけは自分の手と頭と性根とでしか成らない。
                                                                                                                                                                      
* 陶淵明の詩句に聴く
 總髪抱孤介   
総髪より孤介を抱き、
 奄出四十年   奄(たちま)ち四十年を出づ。
 形迹憑化往   形は化に憑(よ)りて往くも、
 霊府長独閑   霊府は長く独り閑(しづ)かなり
 貞剛自有質
   貞剛 自(おのづか)ら質有り、
 玉石乃非堅   玉石も乃(な)ほ堅きに非ず。

 少年時代からわたしは、
かたくなに自分を守ったまま、
 
たちまち四十年(=七十年)が過ぎてしまった。
 からだは自然の推移につれて衰えてしまったが、
 心はいつも(=なんとか)平静でいられた。
 わたしのこの妥協しない性格は天性であろうか、
 これに比べれば玉石といえども堅いとは言えまい。(=とまで豪語はしないが。)

* さすがに眼が疲れてきた。 

 ☆ お早うございます。
 今朝のニュースで、行方不明だった女児が無事保護されたと知りました。
 女児の通学している小学校は私の母校(中学の時に市の中心部に引っ越しましたが)で、懐かしい地の映像を思いがけぬ形で見るにつけ、他人事ならず案じていたので、幼い命が助かったことに先ずは安堵しました。
 涼しい風が吹いています。梅雨明けも、もうすぐですね。
 暑い夏になりそうですが、お疲れを溜めないようになさって下さい。
 (送信前にホームページを見ました。
 私も2時過ぎに眠って5時に目が覚めましたが、二度寝していました。)  品川   


* ともあれ保護されてほんとうに良かった。

* 「選集B」の頁読みをまちがえ、相当超過した。予定していた「隠沼」「月皓く」を組置にしなければならない。頁数が増えてしまうと送料も跳ね上がるだけでなく、荷造りがしにくくなる。難しい總頁の「読み」である。

* 白鵬が勝ち、しかし琴奨菊も全勝で中日を越し、横綱鶴龍が一敗で追っている。この二人次第で白鵬30回優勝の望みは大きくなる。

* 荒い雨が西東京にも降り始めた。大過無ければ雨はむしろ歓迎するが。

* 染織作家渋谷和子さん、作「南国の果実」を下さる。玄関に飾った。

* 「繪巻」最後の最後に「絢爛」の「爛」一字の誤記を発見できた。さ、これで、残る「風の奏で」一作を叮嚀に読み終えうれば、第二巻を責了出来る。さ、この長編の再校に何日かかるだろうか。
 明日、どうするか。仕事の出来る(校正の出来る)喫茶店をあてどなく町へ探しに出るか。とにかくも夕べは三時間しか睡れていない。十一時廻った。


 

* 七月十九日 土

 起 床8:50 血 圧124-58(60) 血糖値91  体重67.7kg   久しぶりに体重を67キロ台に落とした。願わくはこの辺を維持したい。

* 朝いちばんに「風の奏で」の再校ゲラがどっさりと届いた。懸命に読みに読んで、「選集」第二巻、最良の紙碑を建てたい。

* 世界中が殺気立っている。米中、米ロ戦の日本が先兵・先鋒を強いられる日は遠くないかに憂慮される。日本の若者たちをアメリカ戦略の無意味な傭兵にさ れてはならない。中国、ロシアと、最高度に聡明な外交、国を救う決死の外交を。善意でなどとは云わない、最高度に聡明な外交とは「悪意の算術」の優秀にし て逸れぬのを謂う。日本の外交は、敗戦以来、聡明であったことが無い。

 ☆  陶淵明に聴く
流幻 百年の中(うち)
寒暑 日に相推(あひうつ)る
常に恐る   大化の尽きて
気力 衰に及ばざらんことを
撥置して且(しばら)く念(おも)ふ莫(な)からん
一觴 聊(いささ)か揮(ふる)ふべし

* 終日家に籠もって、あれこれ、みな必要不可欠なたくさんの仕事に打ちこみ続けていた。妻がスキャナーをつかっておよそ本一冊ほどの初出ものを電子化してくれたので、気がかりだった、放っては置けない仕事にも、急速に目鼻がついた。
 七月祇園会のさなかというのに無気味に涼しく雨もぱらついた。政治も間違っている、天候もぶきみに穏やかでない。
 そんなとき、したい仕事にうちこめるのは、ほんとうに本当に有り難い。

 「常に恐る   大化の尽きて 気力 衰に及ばざらんことを。」

 家で、この機械でしか出来ない仕事と、家ではなかなかしにくい仕事と、がある。大半の仕事や創作は機械を用いて書いたり考えたりしているが、大量の時間と、しかも急いで集中的に注意深く仕遂げねばならないのが「校正」で。
 いま、「選集A」の全再校・責了、加えて「選集B」の全初校を、目の前にドッカーンと積んでいる。本組にして、ほぼ900頁。これはもう、どこか明るく てゲラの広げられる場所へ出向いてするしか無い。かつて利用したことのない、だが、保谷駅に隣接してある市の図書館分館はどうだろうか。問題は自転車置き 場が無いことじゃ。

* 「選集A」再校前の赤字合わせを、終えた。これからは、ひたすら「読む」。目を労り労り読む。十一時。もう休む。 


* 七月十八日 金

 起 床8:20 血 圧135-64(56) 血糖値84  体重68.6kg

*  黒いマゴが弱っているように感じたので医院に連れて行った。検査の結果、実は、腎臓等の機能、驚異的に回復し、口腔内の異常も失せていると。熱中症で弱ら せないようにとのこと、安心した。昨日は終日ぐったりし、赤い舌を吐き、粘性の涎を垂らしていたので心配した。まずは、一安心。

* 獣医さんの待合いでもひたすら「雲居寺跡」校正。

* 雨もよい。それでも夕刻、歯医者へ行く。次回二十八日には、また歯一本を抜くと決まる。やれやれ。
 帰路、「中華家族」でマオタイ二杯呑んできた。マオタイが美味い。

* 「雲居寺跡」再校終える。明朝には大作「風の奏で」再校出。今夜から「絵巻」を先に再校する。寸時のヒマもなく次から次へ追われる。いい仕事の場合は、それが何よりだ。それにしても、助っ人はいないものか。

* 「原稿・雲居寺跡」 文字どおり承久の変を書こうとしていたらしく見えてきた。後鳥羽院の帷幄に参じた綾小路有雅の名が現れてきた。「雲居寺物語 平曲秘聞」というような表題めく走り書きも見える。

* 探しに探していた「随筆選(二)」の原稿が見つかった。仕事の山からこれぞというモノを苦心惨憺見つけ出すのも、仕事。

* 明日から世間は三連休とか。何故とも何があるとも分からず、そういうこととは、無縁の暮らしをしている。
 霧の降るように疲れがからだに堪る。気晴らしも必要。それには時間がかかり、時間を費やすと仕事がもっときつくなる。
 今日歯科の待合いでめくった雑誌に、老齢の睡眠は六時間で十分、夜眠れないときは、起きて過ごせばいいのだと。ほんまかなと思うが実はそれに近く過ごしている。本を読んでしまう。目を使ってしまう。
 十一時、今日もいろんな仕事に手をつけた。もう休んでいいだろう。


* 七月十七日 木

 起 床7:45 血 圧128-66(62) 血糖値84  体重68.5kg

*  東京新聞の報道・編輯姿勢が高く評価・賞賛されている。まったくその通りだと感謝し賛同する。

* ドッカーンと「選集B」が組み上がってきた。これで今年内刊行の大仕事がみな軌道に乗った。拙速に流れず心籠めて刊行して行きたい。「選集A」の装幀・造本の用意も今朝届いた。一心に校正し校了あるのみ。
 「湖の本121」の入稿用意も着々進めて行く。
 かかっている新作少なくも二つのうち一つの表題は、はなからズバリと決めてある。もう一つの方は仮題のまま運んできたが、爆発的な好い表題が欲しいと思案に暮れている。

* この毎日使っているノートパソコンの寿命が徐々に危うくなっている。連携している新型機二台を、わたしはまだうまく使いこなせない。これも、毎日気に掛けて、ともあれバックアップにも努めている。

* 忙しく忙しく生きている、暮らしている人は、多い。ささえるのは心身の健康だけだ、お元気ですかといつも胸の内で声を掛けながら、わたしもまことに忙 しい。褒められたことではない。黙然、陶淵明を慕う。はたして今代、「義風都(すべ)て隔たらず」と謂えるか。哀しいかな、言えぬ。
 「これ余(わ)れ何為(す)る者ぞ。勉励して玆(こ)の役(えき)従ふ。一形 制せらるる有るに似るも、素襟 易(か)ふ可からず。園田 日々に夢想 す、安(いづく)んぞ久しく離析するを得んや。終(つひ)に懐(おも)ふは帰舟にあり、諒(まこと)なる哉 霜柏を宜(よろ)しとするは。」
 陶淵明には自ら耕す田畑があり園林があった。それに同じいものはわたしには「書く」ことだけだ。

 ☆ 今、
 
NHK.BSで祇園祭巡幸の中継をしています。ご覧になっていますか?
 巡行中継NHKではなかった、ごめんなさい。  尾張の鳶


* 黒いマゴに輸液のあいだ、稚児さんが長刀鉾に入御の式を観ていました。すぐ、機械の前へ移動。
 祇園会は、総じてみな胸奥に在る。なにもかも見え何もかも聞こえてくる。

* 「みやび」の伊藤氏から依頼のあった短文原稿を送っておいた。

 ☆ きびしい暑さになりました。
 八十歳を過ぎてからは年ごとに衰えというかきびしさを毎日感ずるようになりました。
 病で大変な毎日と思いますのにますますお元気にお過ごしの様子、うれしく思います。どうぞ御大切になさって下さい。
 少しずつしか読めなくなりましたが 楽しみです。  桐生  君                           


* 「蝶の皿」に打ちこんでいた。わが作ながら魅されていた。息をのんでいた。おもえば自己愛の極ではあるが、わたしも読書家で批評家であり、作品の有無 も是非も分かる気でいる。そうでなくては小説など書けない。こういう作を作家生活にはいる以前にすでに書いていた。この作があったればこそ、谷崎松子夫人 はすばらしい長い巻紙のお便りを下さった。
 いま思えば、この作では二つの思いで深いわらい話がある。先のは。この作を三冊目の私家版『齋王譜』の巻頭に入れておいて、その後にこの「蝶の皿」を原 稿にして「小説新潮」の編集長へ郵送した。びっくりするほど早くにいっそ鄭重な返事があり、この作は本紙によりももっとふさわしい場があろうと思います と。その相応しい場をとくにわたしは思い寄れないまま、その返事を有り難いと感じた。そして、これが、太宰賞直後の事実上受賞第一作の体で「新潮」九月号 に当時の新人賞作家たちのさくと並んで出たのだった。何度も想いだしては語ってきたことだが、黒井千次氏、坂上弘氏ら、十人ほどの作が特輯されたなかで、 田の殆ど全部が身辺の日常を書いた私小説風であった。わたしの「蝶の皿」だけが異様に耽美・幻想の世界を描いていた。わたしは、自分がとてもかかる文壇で は棲息できない片端者に思われて、じつに肩身狭い孤立感にとりつかれた。「作家さよなら」と本気で尻込みした。それほど、異様にわたしの小説は他の人のそ れらと懸け離れていた。むろんわたしは自分の作と作品とに自負があった。だれがこうも書けるものかと実は嗤っていた。嗤いながらなんとも心細かったのであ る。
 さいわいこの作は「新潮」編集長にも担当の小島喜久江さんにも文句なく支持されていた。中村光夫先生が、あれでいいのだと褒めてられましたとも人づてに 聞いたし、読者の佳い反響も届いてきた。危うくわたしは、少なくも半ばは立ち直れた。だが、その先々はしんどかった。「現代の怪奇小説」というけっして否 認ではなかった批評にも縮こまっていた、わたしは。

* 歯の痛みもなんとか持ち堪え、明日夕刻また歯医者へ。来週水曜二時には聖路加、これははやばやく解放されるだろう。小雨や夕立ぐらい平気、有楽町レバンテのようなからりとしたビヤレストランに腰を据えて校正に励もうか。
 二十七日は孫娘やす香の命日で、娘朝日子の誕生日。

* 家では妻のテレビ好きに机のある部屋が占領されるので、近隣に馴染める喫茶店が見つかるまいかと大泉方面をよほど根気よく自転車で探したが、運動にはなったけれど目的は全然果たせなかった。西武線を南へ越えれば在るのだろうが。
 結局は街へ出るか電車に乗るかしか、ない。食べたくないのでレストランは適しない。おっとりと明るく静かな喫茶室が欲しいが、安心して自転車が置けないと困る。
 何のことはない、隣棟の二階には使ってない書斎があり、大きな机もあるのだ、億劫がらずそこへ機械も一台もちこんでネット使用が利くようにすればいい。メインの仕事場を分散する不便をいやがってきたが、もう背に腹は替えられない。

* 今晩は、仕掛かりの、「も一つ」の方のやはりややこしい小説にしんみりと「手」を掛けて過ごした。二百頁の「湖の本」一巻はわたしの電子化原稿でほぼ 95頁ほどで出来ている。その勘定で、この小説はもう131頁になっていて、まだ数十頁ほども書き足さねばならないだろう。何をどんなふうに書き足すのか 狙いはついている。しかしチョコマカとは書いてはならない。場合によってはバッサリ切り取らねばならないかも知れない。いまのところは、仮題のまま、「あ る寓話 または猥褻という無意味」となっている。この題のままで行くか、思案し切れていない。この吉野東作と名乗る喜寿すぎた男の「ヰタセクスアリス」 は、あるいは作家・秦 恒平の文学生涯にまんまと泥を被せてしまうのかも知れない。ままよ、と、居直る気持ちは出来てある。何と云っても仕上げてしまいたい。ただ焦りたくはな い。

* 十時過ぎて、ほんとうに良い意味での凄いメール、長いメールを受け取った。心より共感し共鳴し敬意をこめて読み終えた。大勢の人にもどうぞ心して読んで頂きたいと切望する。
 じつは「カティンの森」のことは、ペン会員のエッセイを感銘深く読んでいて、いくらか識っていた。関連の映像や言及にも出会っていた。今日の日本人なればこそ、「これ」は一人残らずわが体験の如くに反芻されていいこととわたしも信じている。
 じつは今日、しめきり間際の頼まれ原稿に、間に合わせなのだが、下記の短文を送った。戴いたメールの内容と交響する一言及似すぎないが、深いところで響き合う懼れとして先に、読んでおいて頂ければ。

 * 日本の明日
 
大竹し のぶが主演の映画『一枚のはがき』を観て、胸のつまる辛さに堪えていた。没落農家の長男に嫁いで夫は応召そして戦死、老いた両親に請われて慣習のママ夫の 弟と再婚し、それもまた応召し戦死。老父は死に老母は自殺。残された嫁は、村の世話役から妾になれと強いられていた。大竹のうまさに凄みがあった。
 どうかして、こんなことは繰り返したくない、強慾な利権「違憲」政治にこんな悲劇をむざむざ繰り返させてはならない。こんど、こういう事が起きれば、悲劇の度は地獄に同じいだろう。
 何度でも繰り返し言うておく。政治と外交と軍事をこんど一度び謬れば、日本列島が、沖縄は台湾に、九州四国は朝鮮韓国に、西日本は中国に、東日本はアメ リカに、北海道はロシアに「分け取り」にされ、「日本」という国家は失せかねない。まさかそんなと馬鹿嗤いはよも成るまいと、わたしは真実予感している。 そんなハメに万に一つも我々の「日本」を壊滅させてはならない。 
秦 恒平(作家)

 ☆ カティンの森
 
お元気ですか、みづうみ。昨夜、とうとうみづうみの登場する夢をみてしまいました。

 蒸し暑さに体調をくずされていないか心配です。遅くなってしまいましたが、先週「湖の本」と「選集第一巻」の心ばかりの金額をお振り込みさせていただいております。
 (中略)
 わたくしは日常しなければならない仕事以外は、読んで書いている時間を何よりの幸せと思って暮らしています。今の日本に尋常でない危機感を抱いているの で、よけいに早く自分の書きたいことを色々書いてしまわなければと焦っています。(ただし読んでくれるひとがいませんの。)
 
 本日は近況報告かねての、映画のつたない感想メールなど、送らせていただきます。
 
 カティンの森の惨劇については、歴史にお詳しいみづ うみに今さら申し上げるまでもないことですが、みづうみが「戦場のピアニスト」について書いていらしたので、同じ撮影スタッフの別の映画、アンジェイ・ワ イダ監督の「カティンの森」のことをみづうみに書きたくなりました。
 みづうみがこの映画について言及している文章を読んだことがありませんので、たぶんみづうみはまだご覧ではないと思って書きます。もしすでにご存知でしたら、釈迦に説法でごめんなさい。
 
 「戦場のピアニスト」も戦争映画の名作の中に入るで しょうけれど、「カティンの森」を観てしまった後では、所詮作り物だなあと思います。アンジェイ・ワイダ監督は「映画というのは、あの時何があったかを記 録して、見せる手段である」と考えていたそうですが、私には観る前と観た後では、人生が違ったものになる映画でした。あまりの、あまりのことに声を失い、 一滴の涙も出ない。そんな映画でした。
 私はこの映画を岩波ホールで観なかったことを幸いに思います。もし大画面で観ていたら、間違いなくラストシークエンスで気を失って救急車のお世話になっていたと思います。
 何気なくつけた深夜テレビで放映されていました。映画の途中から観始め、画面から伝わる異様な緊迫感に釘付けになり、今観ているものがカティンの森についての映画と気づいたときには、手も足も出ない状態で全身固まっていました。
 そして、私はこの映画を結局最後まで見届けることができませんでした。これ以上観ていたら頭がおかしくなる。正気を失いそうで耐えられなくてテレビを消 したのです。映画の終盤の言語を絶した凄まじさ。私はありありと後頭部に銃撃を受けたような脳髄の痺れを感じました。この映画を観る前には決して感じるこ とのなかった痺れの感覚は、今もまだ私の体内に残っています。
 その夜は寝つけるとは思えなかったし、うとうとしてもひどくうなされるのがわかっていたので、海外旅行用にもらっていた睡眠薬を飲んで寝ました。
 誤解のないようにいいますが、この映画は拷問シーンがあったり、生首が飛び手足が千切れ血しぶきが噴き出すというような、目を覆いたくなる残虐シーンが あるわけではないのです。その程度の怖さなら目を閉じて通りすぎるのを待てばいい。一切の感傷を削ぎ落として、淡々と静かに凄惨の極みが進行するのです。 今まで生きてきてこれほどまでに恐ろしい映画を観たことがありません。

 この映画は名画だ、いや映画的カタルシスがないなど、さまざまに批評されているようですが、私にはこの映画は、なまじの批評など入る余地のない、映画という形をした映画を超えた何かでした。
 おそらくカティンの森という映画は、私の「経験」になったのだと思います。たとえ一部分にせよ、カティンの森の真実にたしかに触れた。なまなましく経験 させられた、そう思います。登場人物とともに、戦火に逃げまどい、スターリンとヒットラーに祖国を分割占領され、最愛のひとを喪い、挙げ句後頭部に銃弾を 受けジェノサイドの犠牲者となる。つまり絶対にしたくない物凄い「経験」を強いられたのです。
 この映画を撮ったアンジェイ・ワイダ監督の入魂の、その覚悟のさまはいやでもわかりました。カティンの森で殺された将校とその遺族たちが、アンジェイ・ ワイダ監督に憑依していたのではないかと思うほどです。アンジェイ・ワイダ監督はこの映画は殆ど実話を基にしていると言っていますが、記録映画では絶対に 到達し得ない神か悪魔の領域に達していました。
 後でこの映画についての解説を読み、彼の製作動機もわかりました。アンジェイ・ワイダ監督の両親に捧げられた映画なのです。彼の父親はカティンの森で虐殺されたヤツク・ワイダ大尉であり、母親は夫の生存を信じて、待って待ち続けた妻でした。
 構想五十年、アンジェイ・ワイダ監督八十歳でようやく完成させることの出来た生涯の集大成です。カティンの森の真実を語らずして死ぬことは絶対に出来ない、事件の真相を闇に葬ることは許さないという執念の成し遂げた、戦争映画の極北でありましょう。
 
 アンジェイ・ワイダ監督は、「この映画が映し出すのは、痛いほど残酷な現実である。主人公は殺された将校たちではない。男たちの帰還を待つ女たちである」「特に、多くの女性の話を書くことが大事だった」と述べています。
 男の生存を信じて必死に待ち続ける女の愛の描かれることなしには、カティンの森という歴史的犯罪の真実をあぶりだすことは不可能だったでしょう。女の 「愛」を打ち砕いたカティンの森の虐殺を記録し尽くし、「正視」させることこそ、アンジェイ・ワイダ監督がこの作品で目指したことであったと思います。
 
 登場する主な女性は三人、夫の帰還を待つ大将夫人とアンナ、ワルシャワ蜂起の生き残りのアグニェシュカ。
 登場する女たちは、深く愛するがゆえに、男の死を信じないし断固受け入れない、そして愛するものを殺した存在を赦さないのです。
 おそらくアンジェイ・ワイダ監督の母親がモデルになっているだろう女たちは、夫の生還を信じて待ち続けました。彼女たちは絶望に屈することなく、ひたすら待ち続けます。待つことは愛です。この世界に、夫が生きて帰ってくると信じる以上に深い女の愛がどこにあるでしょう。

 大将夫人ルジャは、ドイツ占領下のクラクフでドイツ情報機関に夫の死を知らされます。そこで大将夫人としてソビエトを非難する声明を読み上げるように強 要され拒否します。勇気は愛からしか生まれません。だから、彼女はどんな政治的圧力にも敢然と屈しないのです。しかし、別室に連行されてカティンの記録映 像をみせられた帰路に、ついにはりつめていたものが切れて、彼女は道端で思わず崩れ落ちます。ナチスとソ連の罪のなすり合い。彼女はどちらも赦さない。戦 後、ソ連の支配下にカティンの犯罪が封印されるポーランドの街を、孤独に彷徨い歩く彼女の壊れた姿は救いようがありません。

 アンジェイ大尉の妻アンナはソ連の占領地域にいました。捕虜の妻という身分のために、クラクフに戻れない。国境を越えられません。そんなアンナの危機に 赤軍将校のポポフ大尉が、ある秘密を打ち明け、自分と偽装結婚すれば、KGBの追求を逃れられると助けを出します。アンナは夫の死を認めず、私は結婚して いるからそれはできないと拒絶し通します。遂に夫の友人から夫の死を知らされて、アンナは「アンジェイは死んだ」と義母に(大学教授の義父はナチスの収容 所で死亡)ひと言い放ち、自分の部屋に入った瞬間卒倒するのです。
 兄の墓碑に「1940年4月。カティンにて非業の 死」と刻んだアグニェシュカは逮捕され、カティンはナチスの犯罪であると認めろと恫喝されます。ポーランド政府人民委員に「生きるのが嫌か」と脅される と、彼女は怯むことなく「私はドイツと五年間闘った。その私を五分で説得できるとでも」「教えて、私はどこの国にいるの?」と答えます。そしてすぐに、彼 女は死の地下室へと連行されていきます。地下に向かう階段をおりながら、彼女は数秒立ち止まりこの世の見納めのように頭上を見上げ、そして二度と地上に戻 ることはありませんでした。彼女はソ連の傀儡政府と折り合いをつけている姉に向かって「私は殺される側の人間とともにいたい。殺す側ではなく」と言ったと おりの道を選びました。
 
 そして映画は終盤クライマックスシーンに突入していきます。一縷の望みをつないでひたすら「男たちの帰還を待つ女たち」の愛は、カティンの森で戦慄の結末を迎えます。映画がこのような終わり方をするとは、映画という娯楽に馴らされていた観客には想像もつかないことです。
 
 戦後、アンナに秘密裏に届けられた夫アンジェイ大尉の最後の日記にはこう記されていました。
 「5時。何か変だ。囚人用自動車で移動。森に運ばれる。保養地のような場所。持ち物検査。結婚指輪は発見されず。ベルトとナイフを取られる。次に時計。8時30分を指していた。ポーランド時間で6時30分。我々はどうなる? 」
 
 大将たち高位の軍人は名前確認のあとに室内で、アンジェイ大尉、アグニェシュカの兄ピョトル中尉のような将校は名前も確認されず森の中で殺されていきます。彼らは自分がなぜ殺されるかすらわからないまま射殺されます。
 ソ連の兵士たちが将校を一人ずつ車からひきずりだし、後ろ手にロシア結びで縛り、数人で動かぬようにおさえつけ、抵抗の叫び声をあげさせる猶予もなく後 頭部に一発銃弾を打ち込む。即死。血を洗い流す。死体を穴に放り込む。人間を扱う処刑ではなく、家畜の屠殺そのものの手順で次々と処理していきます。その 見事に機械的な、ベルトコンベアーのような、手際のいい作業と化した殺戮が、静かに延々と積み重ねられていきます。
 あの美しい女たちが命がけで愛した男たち、大将夫人にとって、アンナにとって、アグニェシュカにとって人生のすべてであった、彼女たちの気高いまでの愛 に値した存在、かけがえのないすぐれた男たちが、こんな人間の尊厳のかけらもない凶暴な力で、十把一絡げに一人数十秒で殺処分されていくさまに肌が粟立ち ます。人間をこのように死なせてしまう衝撃。屠殺という酸鼻な地獄図。
 さらに、見続けるうちに、一度も表情を映されることのない殺害する側の兵士たちへの同情を抑えられなくなってくるのが不思議です。殺されるという最悪の 経験は、何の慰めにもなりませんが、それでもただ一度で済みます。ですが、殺すという体験は何百回でも出来る。ソ連兵士の中で、降伏した無抵抗な捕虜を望 んで殺した人間がいたとは思えないのです。殺すことを拒めば、自分も同じように殺されるから仕方なく殺すしかなかった。殺害を強いられた彼らも、「罪を赦 したまえ」と祈って殺されていったポーランド将校と同じ祈りを、弾丸を打ち込むたびに切実に祈っていたであろうと思えてくるのです。

 映画の終盤十五分とも三十分ともいわれる映像の中で(十分ほどは目を瞠いていましたが、最後まで見届けられなかったため長さがわかりません)どれだけの 数の男が殺されていくのか想像してみてください。脳漿の飛び散るような残虐な映像は一つもない。でも殺される将校たちの、身に憶えのない理由で殺害されて ゆく、そのあまりに人間的な恐怖の顔と思わず囁かれる祈りの言葉に胸がかきむしられます。そして規則的な銃声の音が、静まりかえった深い森に途切れること なく続くのです。一万数千人がこのようにして屠られていきました。銃声の度に観ている私の後頭部にも鈍い音がずきんと響き、喉がからからになり頭が痺れて きます。

 この迫真の、殺戮につぐ殺戮の場面こそ、アンジェイ・ワイダ監督のそれまでの生涯の、抑えに抑えていた憤怒、瞋恚の爆発ではなかったかと思います。
 このクライマックスシーンには徹底して打ちのめされます。平気で見通せる人間がいるとは思えない。もう人間なんかでありたくないと呻くしかないのです。
 私の逃げ出した、見尽くせなかった映画の結末はこの夥しい殺処分のまま暗転。まったくの無音で終わるそうです。カティンの森の殺戮地獄のあとに流せる音楽など、世界のどこにもないと訴えるように。
 これはもはや映画の終わりかたではありません。一筋の光明もない。そもそも、アンジェイ・ワイダ監督は観客に感動してもらう商業的意図など微塵もなかったと思います。
 アンジェイ・ワイダ監督は「カティンの森」で、このジェノサイドを見尽くせ、スターリンがポーランドに何をしたか、人間が人間に何をしたか、暴力がいかに愛の息の根を止めたのか。さあ直視しろ、正視しろ、徹してそう突きつけているのです。
 
 スターリンはポーランド占領にあたり、武装解除したポーランド軍の兵士は解放し、将校のみを捕まえました。つまりカティンの森の虐殺は、ヒステリックな狂気の所業ではなく、最初から悪意をもって計画された大虐殺であったのです。
 カティンの森について、ネットでわかりやすい記述を見つけましたので引用します。
 
1939年9月にナチス・ドイツとソ連の両方に侵攻されたポーランドは敗北し、武装解除されたポーランド軍将校インテリ民間人層・軍幹部がソ連軍の捕虜になり、強制収容所へ入れられそのまま全員消息不明となったのです。
当時のポーランド共和国の徴兵法で、大学卒の知識人は全員予備役将校とされ、戦時には自動的にポーランド軍将校として招集されることになっていました。
ポーランド軍将校のほぼ全員を捕虜にすれば、大学卒ポーランド人を全員逮捕したことに等しいことになり、将来ポーランドを再び植民地とする際に、まっさきに邪魔となる知識階級を根絶やしにする目的でスターリンがソ連赤軍に命令して実行された大量殺戮がカティンの森です。

 彫刻家高田博厚は著作の中でスターリンについてこのように評価しています。まだ第二次大戦の結着していない時期でのことですが、あの時代に予見していた人間もいたのです。
「左であろうと右であろうと、スターリンという男はヒトラーが及びもつかない、たいへんな奴だよ。狂言の甘さの代りに、鉄みたいに冷たく堅い人間だよ……戦争に勝つ負けるの賭はともかく、辛抱強さで勝つ奴だ……」
  宣戦布告もなしに侵略して捕虜にした、一万数千人の無抵抗で非武装のポーランド将校を、家畜のように屠り、あげくその罪をナチスになすりつけ、戦後この犯 罪を糾弾もされず天罰もあたらず、絶大な権力を握ったまま死んだスターリン。スターリンとは、はたしていかなる悪魔であったのか。そしてそれを支えた世界 の悪意の集積とはいかなるものであったか。
 カティンの森がナチスの犯罪ではなく、スターリンの犯罪であることを戦時中に充分知りながら、その報 告を握りつぶし、小国ポーランドを冷酷に見棄てたチャーチルやルーズベルトはスターリンよりましかもしれませんが、まったくの無実といえるのか。彼らは、 多くのアグニェシュカのような死刑の加担者ではなかったのか。
 
 松本清張は小悪は滅んでも巨悪は生き延びるという思 想を持っていたと思いますが、世界には正真正銘の巨悪が残念ながら存在して、たぶん今この瞬間も世界を牛耳っています。国家が国民に牙を剥き巨悪に変貌し たとき、いかにまともな個人が無力であるかを思うと絶望しかありません。
 反ソ姿勢のためにポーランド政府に弾圧され続けたアンジェイ・ワイダ監督は、ガンジーとは方法がまるで違いますが、個人で巨悪に挑み続けた稀有の闘士で す。五十年という長い年月、カティンの森の映画化を待ち続け、冷厳な映像でカティンの森という巨悪を描き切った彼の強靱な意志と勇気には驚嘆するしかあり ません。もし人間にまだ希望があるとすれば、アンジェイ・ワイダ監督のような闘士がこの世にいることです。それにしてもなんと凄まじいモーンニングワーク が完成したことでしょうか。
 
 映画「カティンの森」を「経験」したあとに、思い知 らされるのは、この歴史的犯罪が決してよその国の過去の、特殊なホロコーストではない事実です。人間はカティンの森を度々繰り返してきました。ナチスは言 うに及ばず、ポルポトや毛沢東のしたことはまったく同じことでした。今もガザで、スーダンで、世界中で、そして私の愛してやまない祖国「日本」でも、現在 進行形で行われているではありませんか。
 歴史を知っている私は、モスクワから囚人列車に乗せられるポーランド将校たちが、西の収容所に移送すると嘘をつかれて殺されにゆくのを知っていますか ら、映画を観ながら彼らに逃げてほしいと願いました。あと五十年先、百年先の日本の歴史を知る人間も同じように、今の日本人に向かって早く逃げろと、言う でしょう。
 
 福島はキリングフィールドだ、アウシュビッツだと表現する人間がいます。現在の大半の日本人はそう告発する人物を、福島を差別する流言蜚語を垂れ流すけしからぬ輩と見るでしょう。報道はそう洗脳を続けます。風評被害の払拭をと言い続けます。
 しかし、歴史はたぶん少数派の正しさを証明するのです。
 福島で甲状腺癌の手術を受けた五十人ほどの子どもたちが過剰診療で手術されたという批判に対し、福島大学が大半がリンパ節や肺に転移していたもので決し て過剰診療ではないと反論した、という小さな扱いの記事がありました。私はこのニュースにパニックにならない日本に戦慄をおぼえます。かわいそうに、癌が 肺に転移した子どもたちは天寿を全うできるでしょうか。親は胸が張り裂けそうにちがいありません。
 百万人に一人という確率の子どもの甲状腺癌が、実数を大幅に下回る政府発表でさえ五十人以上も発生していることが、アウトブレイクの異常事態であり、そ の上すでに転移しているというのは、チェルノブイリより被害の展開が早く、福島が居住してはならない環境であることを実証する以外の何ものでもありませ ん。
 政府はそんな場所に避難民を戻そうとしている。これは住民を死なせる、直接手を汚さず緩慢に殺すという別のかたちの「カティンの森」です。
 他にも日本の未来を支える子ども世代を率先して被曝させる政策が強力に進められています。全国的に給食に福島などの汚染食材を使う。日本各地の学校に福島への修学旅行をよびかける等々。正気の沙汰とは思えないことばかり。
 福島で起きている被害はやがて必ず東京でも、他の地域でも起きるでしょう。汚染瓦礫の広域焼却、埋め立て、セメントなどへの再利用、汚染食材の大量流 通、汚染穀物や魚粉を使用した汚染肥料の全国流通、汚染車両の大量移動。海、地下水のとめどない天文学的数値の汚染。人間は放射性物質を解毒する技術を もっていませんから、深刻な汚染はこのまま日本全土に広がり続けます。
 チェルノブイリでは厳重に禁止されていたことがすべて国策として進められています。全国民に最大限の被曝を強いる政策を実行している理由は一体どこにあるのか。少なくとも日本政府が日本民族の百年後の存続を目的としていないことだけは明らかなのです。
 要するに、私たち日本人はモスクワからカティンへと囚人列車で運ばれつつある、処刑を知らされていない非武装無抵抗の捕虜なのです。大半の無関心な国民は、いざ処刑場についたときどんなことを思うでしょう。

 以前から、原発事故のあとにはファシズムが来るといわれていました。その通りのことが猛烈な勢いで展開しています。秘密保護法からついに集団的自衛権ま できてしまいました。常識で考えれば、武力の限定的使用などあり得ません。必要最小限の武力行使などしたら必ず戦争に負ける。勝とうとしたら常に不必要最 大限の武力行使しかない。それは日本に最大級の壊滅のふりかかることと同じ結果をもたらすでしょう。
 三年も経つのに、福島の原発事故に収束の道筋さえつけられない低能な日本政府が、目先の利益のために戦争を始めたら、泥沼のまま収拾がつかなくなるのは 目に見えています。いたって強欲で何十倍も賢い強大な軍事大国相手に、ぬるい日本が勝てるはずがない。過去にルーズベルトやチャーチルがポーランドを見棄 てたように、国連含めて日本を助けてくれる国などないでしょう。アメリカにとって、世界にとって、中国やロシアとの関係が日本より大切なのは自明のこと。 どうせ独裁者に支配されるなら、せめて民草枯れたら、自分の権力も終わることくらいは理解できる頭脳の独裁者に支配されたかったと思います。
 
 アンジェイ・ワイダ監督のこんな言葉は今の日本人への警鐘かもしれません。
 
 歴史認識を持たない社会は、人の集合にすぎません。 人の集合はその土地から追い出されるかもしれないし、民族としての存在をやめるかもしれません。今日、歴史の果たす役割は以前よりずっと小さくなっていま す。人間の意識に歴史が占める場所を取り戻すために戦わなくてはならないのです(映画パンフレット「カティンの森」事件より引用)
 
 それから名もなきひとのツィートから。
 
日本でこれから起こることは、イラクもコソボもシリアもアフガンもパレスチナも、公園の散歩に思えるぐらいの大惨事だろうね。派手な音も戦車も登場しないけど、病院のベッドでのたうちまわる。

 このツィートを風評を煽ると攻撃する人間は、東京大空襲や広島や長崎を予想していなかった戦前の人間と同じではないかと思います。少なくとも、福島の子どもにはこのツィートのようなことは始まっています。
 おかしいのは世間ではなく、自分であってくれと時々祈ります。私の危機感が単なる被害妄想で終わるのならこんなに喜ばしいことはありません。
 事態がここまできて、私に出来ることはあるのだろうかと暗澹たる思いで毎日生きています。せめて日本人が抵抗したと歴史に刻まなければ、汚名に亡びてしまう。
 私にできる抵抗があるとしたら、日本語で書かれた最高の文藝を世界に遺しておくために、その能力のある人間を探し続けることだと思うようになりました。
 しかし、みづうみも書いていらしたように、結局私に残された道も見届けることだけかもしれません。祖国と同胞、そして自分自身が亡びていくさまを正視す ることしかきっと出来ないのでしょう。せめていのちの最期の瞬間まで誇りをもって、日本人と日本語と日本の美しいものすべて、私の愛の終わりも直視してい たいものです。
 
 気の晴れない長ったらしい近況報告で、申し訳ございませんでした。
 真実と格闘すること、それだけを糧として読んで書いて、愛するひとを愛し、犬猫雀ツバメを可愛がって、ベランダの植物に水をやりすぎて、たまにあと数年 で亡びゆく技術の良質の着物を着て、日常生活をふつうに愛しんで過ごしております。まだなんとかそれが可能であることを感謝しつつ。       白絣着てまぎれなく老いにけり  西島麦南
                    
* 今の今、これほど真剣にこういうことを書いて読ませてくださる主婦がおられることに、わたしは敬愛の思いを深くする。、                         
* 本気で畏れ懼れねばならないことを、軽薄にごまかしごまかし日々を費消していていい今日ではない、われわれは、実に危険な現実 を、一つは監理のじつは不可能と謂うべき事態の放射能危害から、今一つは、安倍「違憲」政権の傲慢と認識不足の好戦姿勢から、心底悟らねばいけない事態に 面している。
  もとより、人それぞれの生活と意欲と責任感からいろいろに為されねばならぬことながら、見誤ってはならぬことは断乎と して見誤って成らないのである。わたしの健康では、身をつよく働かせて闘うことは難しいが、思って、感じて、書いて働くことは、書いて訴えることは出来 る。根限り、それをして行きたい、上の「絣」さんとも連携して生きたいと思っている。なんら過剰なことをこの人もわたしも云っては居ない。               
 


* 七月十六日 水

 起 床7:50 血 圧125-61(55) 血糖値90  体重68.5kg

* 「原稿・雲居寺跡」 すっかり忘れていた、思いがけない鎌倉時代の腹の中へまで踏み込んでいて、書き写しながら吃驚。いま語り手は、鎌倉の将軍職を皇子将 軍に譲って都へ帰ってきたもと二代の公家将軍頼嗣を相手に縷々物語り続けている。このさきどうなる話なのか、作者のわたし自身が行方を推し測りかねてい る。
 ついで、これはもう惹き込まれて「蝶の皿」を読み進んだ。文字どおりの佳境へ入って行く。こんな作をようあんな若い年齢で書けたと思い、若ければこそ書 けたとも思う。今はりっぱな作家、当時は婦人公論の編集者だった梅原稜子さんが、仲良しの友だちと、さる温泉につかったまま飽かずこの「蝶の皿」を話し合 いましたと後に聴いた。「新潮」に出したのが昭和四十四年九月号。梅原さんともそのお友達とも、いまも親しくしている。

* 「選集」に署名や識字を望まれる方があるが、これはご勘弁願う、折角美しく出来た本をかな釘流でただ汚すようなもの。講演に呼ばれるようなときも、字 は書きませんよと先に断っている。湖の本にぜひと頼まれても、ボールペンで済ませている。「選集」造本時の打ち合わせでも、署名用和紙一丁を巻頭に入れる のはわたしから断ってわざと省いた。
 識字印なら、好みの幾つもをもっている。それで宜しければ、「生涯在酒」とでも「念々死去」とでも「宗遠」とでも「有即齋」とでも、捺しましょう。

 ☆ 昔の
 静かでしっとりとした梅雨が懐かしく想われます。
 どうぞお身体 お大切にお過ごしを。   港 浜松    

* 「清経入水」の再校を今夜中に読み終え、すぐ「雲居寺跡=初恋」へ。
 明日には、もう「選集B」の初校や「選集A」の造本関係の材料が届く。「いま・ここ」だけが生きている。

* 疲れ切らないうちに、休もう。

                                                                                                                                                                     
* 七月十五日 火

 起 床8:30 血 圧123-64(56) 血糖値82  体重68.6kg

* 昨日の私語を推敲していた。歯が痛んで、一昨日から間隔にちゅういしながらロキソニンを服している。少し堅い食べ物があたると飛び上がりそうに痛い。ロキソニンはよく効くが、金曜日の歯医者まで我慢も利くかなあ。

* 明日には、はや、「畜生塚」「滋子」「隠沼」「隠水の」「誘惑」とつづく「選集B」の組み上げゲラが届くらしい。津浪を受ける感じだが、この津浪は がっしり立ち向かって送り返さねばならない。その立ち向かう力をも得て新たな創作や新しい仕事へも、また立ち向かう。もうわたしにはそれしか無く、それの ある幸せを満喫したい。所詮は無に帰するだけのすさびと承知して。
 いつか太陽が死に、地球も。そんな地球の寿命よりはるかに早く人類滅亡はきっと来る。
 さらにそれより遙か早く早くに日本はうち滅ぼされるだろう、いまのように驕った誤った政治とそれに無関心な国民のままならば。

 ☆ 湖の本「随筆選(一)」
 読ませていただきました。p123-125「もっと大事なこと」では、「センチメンタルに過ぎないか」と、「総じて<時代>が、甘ったれていないか」に 共感(極!)しました。又、p184.の「啐啄同機」を、オコガマシクも私の場合は、今年二月に孫(高二・男)のーーと言ってもババの片想い?ーー一通の 手紙が運んでくれました。
 建日子氏のご活躍をウレシクは意見しております。  練馬  

* 今夜の鑑定団には佳い物が出そろって楽しめた。美術品には多方面への展開があるものの美しい、貴いという求心力があり、真実楽しめる嬉しさがある。こういう嬉しさを奪われてしまったら生き甲斐の多くを見失うだろう。

* 十時過ぎ。歯の痛みの疼き出す前に今夜はもう機械を伏せよう。校正しながら、睡くなれば寝てしまおう。「選集A」の責了、「湖の本121」の編輯と入 稿、「選集C」原稿読み。それらに勤しむ一方で、新しい小説を仕上げて行き、また草稿段階で放置されている過去の小説の電子データ化をもすすめておきた い。しておきたい仕事がせめぎあうように目のすぐ先へ波立ってきている。生き急いでいるなあと危うい気がする。

* 尾張の鳶が、京の祇園会、鉾の写真を送ってきてくれた。京都か。京都だよなあ。いつになれば行けるかなあ。 


* 七月十四日 月

 起 床7:00 血 圧137-67(54) 血糖値87  体重69.6kg

* 黒いマゴの輸液、済ませた。

* 嘉田由紀子さんの後任、滋賀県知事選挙では嘉田さんと二人三脚の三日月氏が自民候補を一万票余抑えて当選。好かった。嘉田さんからはわたしの「選集@」へ叮嚀な感想に加えて、知事を二期満了で退任するむね挨拶があった。願わくはなお一層の新乾坤のあらんことを。
  朗報であった。「三日月」氏という姓は珍しいが、「朏(みかづき)」さんという姓もある。同じ滋賀県にも有る。わたしの母方祖父の出た水口宿本陣筋にあっ た。水口の朏家は京都市へ出られている。このおそらくは血縁もあるかと窺える朏健之助さんから、わたしは祖父阿部周吉の書軸を受け取って大切にしている。

*  歌舞伎座 終日、十二分に楽しんだ。
 昼の部 まずは松嶋屋番頭さんに中央二列目角席という絶好席の礼を言い、いつものように心入れのお土産をいただく。
 開幕は「正札附根元草摺」を澤潟屋の右近と笑三郎で。趣向の所作事で達者に頼めば浮き浮きさせる荒事の「躍り」がたのしめるのだが、右近五郎の所作は重苦し くしかも小さく、詞にも、不用意なまるで標準語がまじって、科白に豊かな「含み」が無い。科白とは、科すなわち「身働 き」・白すなわち「口跡・発声」。右近の五郎はともに未熟。
 さて笑三郎の舞鶴は、事実上、また作の趣向のうえでも主役に等しいのだが、女荒事と女色気との使い分けが活 きず、ただもう美貌の無表情だけでめりはりも変わり映えもない科白もザラつく一本槍で、剛力の男勝り・艶めく女のたっぷり色気という「変化所作」 の面白みが、まるで表現できていない。
  盛んに「右近ちゃん」だの「澤潟屋ァ」だの、近くで、元気なおばさんがぞめき続けたけれど、この趣向豊かな所作事の逸品をこのていどでは、とんと歌舞伎に は成りきれてないと、落胆。「踊り」が、「躍り」も、「ちいさい」。歌舞伎味をもっとたっぷりと大きく表現して欲しい。
 二番目は通し狂言「夏祭浪花鑑」で、海老蔵の團七、吉弥の女房、左団次の釣船三婦、そして玉三郎の一寸徳兵衛女房お辰、さらには團七舅の三河屋義平次に期待の市川中車と出そろえば、ま、最良に近い舞台が期待でき、期待は裏切られなかった。
 海老蔵、好感のもてる、ま、大坂ふうにやさぐれた安い喧嘩やくざだが、気っ風は江戸者なみに、すっぱりと純な男ぶり。これを、終始小気味よくバカ正直なほど一心に創り上げた若い「成田屋」の、嬉しいほど気持ちのいい進境を喜んだ。
 玉三郎のお辰ときては、斬れ味するどい、気魂も甲斐性もあっぱれ潔い女ぶりで、科白といい目ぢから目づかいといい、オーラで燃えるよう、それだけに美貌を自ら焼いて傷つけるお辰の振舞いには、観客側のためらいを突き抜く説得力が湧いている。
 (ここで明記しておく。わたしが谷崎名作の『春琴抄』で「春琴自傷」を読み説いたのを思いだして欲しい、あの芝居好きの谷崎が、まして大阪神戸に暮らして、 この上方の代表的な名狂言を観なかったわけがない。悪魔主義的などぎつさの長町裏舅義平次殺しももとより、だれよりも谷崎が「三婦内」に突如登場す る徳兵衛恋女房お辰の美貌を自身で灼く意気のはげしさに惚れないわけがなく、お辰の自傷は、きっと「春琴や佐助の自傷」にも近く遠くからヒントとして働いていただろうと、重ねて特筆して おきたい。)
 さて不器用なタチながら左団次が、渋味の情けと侠気とをごく自然に伝えてくれるようになった。このところ見続けてきた左団次は、地のままのような三婦でも。「近江 源氏先陣館」の和田兵衛にしても、「実盛物語」にしても、身に沁みて快く心優しく観ていられる。「熊谷陣屋」の弥陀六もそうだった。近年の左団次の存在感、これは、歌舞伎界のためにも嬉しい力だ。
 吉弥、右之助、は、尋常。
 特筆したいのは期待も期待も胸を波立たせた市川中車(映画では香川照之)の「わるい舅」義平次の芝居で。亡くなった勘三郎と組んで壮絶な舞台を演じた笹 野義平次の演技が目に焼き付いている、これをどう凌ぐかだ。どう張り合うかだ。
 ウン。笹野とはちがうが流石力ある俳優中車、胸にも眼にも手触り強く響いて、鮮度の濃い「わるもの」義平次を立派に創りだして くれた、今後の歌舞伎座に彼の「持ち役」のように伝えられるだろう。喝采を惜しまなかった。あえてこう書く、よく魅せてくれた。

* 食べる欲はなく、三階でわたしは少しの鯖寿司を、妻はカツサンドを買っておき、半分ずつ昼と夜との弁当場はそれぎりで済ませた。ただ、わたしは、昼に「大関」夜に「なま搾り」のカップ酒を美味しく。好きな塩瀬の小饅頭の小箱も買っておいた。
 昼のはね出しのあと、例の「茜屋珈琲」カウンターで一服、満員の中でも店主との歓談も。なんとなんと加山又三が描いたという珈琲カップで美味い思い を満喫した。妻は、いつもきまってこの店特製のジュース。飲み物一律、千円を渡して五円「ご縁」のおつりが出る。好きな店である。

* 夜の部。 花道に間近い三列目角席、舞台への視野素敵に広く、まぢかな花道からは海老蔵演じる清潔な若武者図書之助が、五重天守に棲む世にも美しい妖怪富姫坂東玉三郎に会いに上ってくる。贅沢だが、こういう絶好席で歌舞伎を見慣れる嬉しさは堪らない。
  開幕は松羽目ものの「悪太郎」を、澤潟屋の右近、猿弥。これへ亀鶴が付き合った。これまた昼の部開幕同様、至って不出来で退屈。なにより狂言の絶対的な素 地である「狂言顔」の意義を右近も猿弥も心得ていない。科白は重苦しく、語っても躍っても「含み」の妙味も可笑し味も出てこない。
 猿弥はまだしも達者に踊れていたが、右近悪太郎が悪い酒で狂っているあいだ、露わに退屈顔や迷惑顔を顔芝居してみせ、いわば狂言藝を、地のままの顔へ出 している。浄瑠璃や長唄や小唄・謡の中へ、小学唱歌のような標準語が混じってしまうのと同じ。藝としての「含み腹」がてんと出来ていない。右近の悪太郎も 同じ。所作にも言葉にも寸の足りない小ささ狭さが露出して、こんな所作ではお素人のお上手程度に見えるだけ、観ていて、退屈さえしてしまう。まだしもさす が亀鶴は重みを軽く殺してあっさりと「お役」を果たしていた。わたし、このところ亀鶴に注目している。蝙蝠安などまだ満足できなかったけれど、先達の富十 郎世界へじりじり寄って行ける素質と努力は見えている。
 二番目の「修禅寺物語」にも、中車の夜叉王、期待していた。綺堂歌舞伎。実は京は祇園の新制中学演劇大会で、一つ上の三年生が、堂々と演じたこともある 芝居(歌舞伎の見始めだった)なのだ。と同時に、映画演技に通暁、しかし歌舞伎役者としては新人中車にすればいかにも適役、持ち前の力で演じられるだろ う、どうかいい舞台を観せて欲しいと期待していた。
 中車、これも、さきの義平次なみに、よく演ってくれた。根が綺堂のこれは観念的な「藝術家」芝居なので、役柄を納得さえすれば義平次よりはよほど演じやすくもあっただろうが。
 この芝居、この戯曲で、しかし、いつもわたしが気にもし問題にもするのは、一箇所できまって客席から失笑の洩れるところ、だ。
 名人と自負する面打ち伊豆の夜叉王。その夜叉王が、どう打って打って打ち直しても不満。なぜなら面の依頼者将軍頼家の面相をどう写しても死相ばかりが表 れる。ところが史実どおりの成り行きで、その二代将軍頼家が、北条の討手により暗殺されてしまう。思想の面は、頼家の寵愛を得た夜叉王姉娘桂が身代わりに 立って深傷を負い父や妹のもとへ瀕死で辿り着く。
 それと知った夜叉王は、死相をまざまざ打ち出していた吾が技倆のほどをアッパレ伊豆の夜叉王は天下であったのだと自賛の声を放つ。
 それは、まだ良いのだ、そこまでは藝術家の底知れぬ自己愛のあらわれと観客もアタマで理解してくれる。が、その先で、きっとのように観客席に失笑と驚きの小波が立つ。なぜか。
 頼家の寵愛を得て一度は身代わりに立ち死んで行く姉娘桂の死相を、父夜叉王はぜひ写生しておきたい、未だ死ぬなと叫んで写生にかかる。そこのところ、で、きっと小さくてもどよめきや笑いが起きる。
 「藝術家」夜叉王が頼家非業の死を傷むよりもその死を予期していたわが腕前を自賛する「自己愛」は、ま、或る意味もの創りならば当たり前とも強弁でき る。しかし、さらにその上に、いま目の前で死に陥る娘の死相をしかと観たい、写したいと。それはあんまりだという観客席のどよめきなのである。
 さ、この「修禅寺物語」は、演者夜叉王は、この失笑に近い惘れたほどのどよめきに、どう対峙していいのか。克服できるのか。
 芥川龍之介に「地獄変」という今昔物語に取材の小説があり、これも希代の絵描きが、火炎にまみれたわが娘を狂気したようにあるいは狂喜したように写生す る。綺堂も何れこの辺に取材した観念劇だとわたしは観ているが、娘桂の瀕死にもかまわず無我夢中に例の死相の頼家の面に見入って、魅入られて、自己満足に ひたる夜叉王を、あのまま、そのままお構いなしに演じてそれで充分なのか、いま少し腹の工夫があの場合あり得るのか。芝居の出来る中車には、そこを「将来 持ち役の新課題」にしてもらえまいかと希望しておくのである。今夜の芝居っぷりのママでは、まあま藝術家の自己愛許せるとしても、それで舞台の空気があの とき薄れていはしないかどうか。まして娘の死相を描いておきたいと。失笑でガスが抜けるのは惜しいと思うのだ。
 笑三郎の桂、亀鶴の春彦、月之助の頼家は、あんなもの。

* さて大喜利の「天守物語」は、もう褒め称えることばすら忘れた。玉三郎の富姫、海老蔵の図書、そして我當の桃六で終える舞台の懐かしさ、嬉しさ、ふる えるほどの感動、真っ先に拍手が出た。異例のカーテンコールでは、我當が舞台に一人残って、左右から海老蔵と玉三郎とを手招いた。思わず起ち上がって拍手 を送った。海老蔵と、まっすぐいい視線が出会った。妻も起った。みな、起った。
 鏡花はえらいなあ、玉三郎と同時代を活きて幸せだと、しみじみ思った。我當桃六の、愛の深い温かい最期の声音、鑿・槌ひびき。玉三郎理解と演出の「天守物語」 何度観ても 何度観ても すばらしい。
「勧進帳」「娘道成寺(春興鏡獅子)」
「天守物語」 三百六十五日毎日でも好い。

* 銀座一丁目まで歩いて、保谷行きに恵まれ、「清経入水」再校しながら帰宅。十一時前。良い一日だった。

 

* 七月十三日 日

 起 床7:45 血 圧125-62(54) 血糖値84  体重70.1kg

* 黒いマゴの輸液など済ませておいて、昼前から「選集A」の再校ゲラをもって出た。曇り空で昨日とは余程過ごしよく、幸い電車に座れる空きもあり、「清経入水」を克明に文字を追って読み進められた。今日は上野の街を主に。
 遅い昼食をどこでどうと思案いたが、むかし、亡くなった玉井研一さんと楽しかったやはり天麩羅の「天庄」を試みて見たかった。今日は試みに、ま、成功し たと思う、あぶら味がしつこくなく、種も清潔。店主のお薦めというのを頼んでお酒は二合。まだ出るのと思うほどたっぷりと最期のかき揚げまで、、ま、美味 いと感じていた。よく食べました。
 さすがに上野にはゲラをひろげながら休める店は多い。帰りは、ぜいたくかなあと思いつつエイと、タクシーで池袋まで。環状線はもう座れまいと思った。西武線ではらくに座れて。さらにゲラを読み進んだ。
 家に着くなり、名古屋場所の初日結び、白鵬が三役へ還ってきた曲者の安美錦と。ひやっとしたが、押し出した。

* 整理の付いてないメールの多くを、整理。

* 晩には「原稿・雲居寺跡」のデータ化を進め、「選集C」のための巻頭作「蝶の皿」原稿を読み進め、ついで書きかかりの小説の、ま、清水坂ものとでも云っておく面妖な作を読み返しつつ書き進め、それから、心覚えのためにメモを取り始めた。

* さ、明日は、歌舞伎座。昼には、夏祭浪花鑑が、夜には天守物語がある。  


* 七月十二日 土

 起 床7:30 血 圧129-64(53) 血糖値89  体重69.5kg

 ☆ 陶淵明の詩句より
 詩書敦宿好  詩書 宿好を敦くし、
 林園無世情  林園 世情無し。

 商歌非吾事  商歌は吾が事に非ず、
 依依在耦耕  依依たるは
耦耕に在り。
 投冠旋舊墟  冠を投じて
舊墟に旋(かえ)り、
 不為好爵縈  好爵の為に縈(つな)がれざらん。

* 猛烈な照りと暑さ。いやはや。黒いマゴには輸液、欠かせない。
 とにもかくにも今日明日に「風の奏で」初校を終え、送り返さねば。眼、ぎらぎらしている。

 ☆ 前略 失礼します。
 お好みに合わないかも存じませんが
 お口汚しまでに  御笑納下さいませ。
  これからの暑さに 御身御大切になさって下さいませ。 京白川  安藤節子

* 中学高校の同級生、京に創業、元禄二年「半兵衛麩」の、麩と湯葉の一包みを御見舞に下さる。感謝。
 品に、「五観の偈(げ)」とある栞がついていた。禅の修行僧が食を受けるとき胸奥に想念の、反省と感謝を含んだ「偈文」だろう。

 ☆ 五観の
偈  (括弧の中は私に略解した。)
 一には功の多少を計り、彼の來処を量る。 (食が、いかに多くの人手と働きによっているか、ひいては自然の恵みを思う、と。)
 二には己れが徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず。 (全欠とは努めて完成する意。意をよく省みつつ食を戴け、と。)
 三には心(しん)を防ぎ、過貪等(とがとんとう)を離るるを宗とす。 (雑念に染まらず過や貪の愚痴のまま食してはならぬ、と。)
 四には正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。 (食事こそは心身の良薬と感謝して受けよ、と。)
 五には成道(じょうどう)の為の故に今此の食を受く。

 ☆ 台風一過の
 猛暑日、コタえます。
 このたびは『湖の本120』(櫻の時代)を御恵送いただき、有難うございました。お躯のことがあるのに、絶ゆまぬない御発刊に頭が下がります。
 「東京」「朝日」「産経」「日経」まで、性格変る各紙に、性格変らぬ一貫した姿勢でのエッセイ、読み易く考え深いものでした。
 それにしても、(渋谷松濤の)観世能楽堂→「まつ川」日本橋高島屋での「四人展(小生も皆、好きです)。更に浅草まで足を伸ばす予定とは!吃驚。脊椎間 狭窄症とやらで、散歩もキツくなった身には素晴らしい行動です。とはいえ、これからの季節を考え、お互いに無理は禁物。ご自愛を。   元講談社出版部長    

 ☆ 社会に、お仕事に、
 心魅かれる藝術・藝能に、そして日々の生活に 常に真摯に向き合い続けるエネルギー ただただ敬服……退職して3ヶ月「淀んでいる」自らに比しても……   世田谷   

* なんの。日照りに懼れて外へも出られず、狭い場所での仕事に疲れて数時間も寝入ってしまったテイタラク。そしてまた「風の奏で」の初校に励み、仙台へ の旅、現代と平家との二人の徳子、後白河院の凄み、そして阿波内侍と源資時らの時空を超えた語らいに我ながら吸い込まれていた。原善君がこの作を論じてい た抜き刷りをみつけた。どう読んでくれていたか、読んでみたくなった。今度の「選集」第二巻で大きくひとまとめに括った小説が、あらためてどう読まれる か。「秦さんの小説は、むずかしい。むずかしい。むずかしい」と言われ続けたその焦点に固まっているのが「雲居寺跡」と「風の奏で」だろう。しかし、もし どれかを自分で代表作とえらべと云われたら容易に承諾しないけれども、胸の奥ではこのへんを想うのではふるまいか。
 見つけ出した「原稿・雲居寺跡」の手書き原稿を電子化しているまだ先の見えぬ徒中だが、「風の奏で」にはやはりその先を窺わせる物語が書かれていた。こ の「原稿」を傍らに、わたしの創作世界の展開や手法や祈願のようなモノを適確に解析してくれる若い力有る読者・研究者が欲しい。原作『斎王譜』を『慈子』 と改題したのは結果的にこの作がひろく愛される理由ともなった。それからすれば『風の奏で』の副題を「寂光平家」としてきたのを、はっきりと「徳子」にし てもよかった。それほどにわたしは建礼門院を書きたかったのだが、その副題では後白河院はじめ他の大きな存在の影を隠してしまいかねないのをわたしは惜し んだ。

* 「風の奏で」初校を終えた。明日送り返せば、すぐ再校分三作に取り付く。

* 早稲田の「文藝」教室での教え子で、はっきり背を押し出した角田光代原作のドラマを、ちょっとだけ観ていた。原作は知らない。ドラマの配役はいいが、演出に冴えもテンポも無く、永くは観ていられなかった。

*    FACEBOOKで、染織の人間国宝志村ふくみさんとの親縁が出来た。

* 選集Cの原稿読みにかかり始めた。まっさきに、清朝精磁の名品「蝶の皿」を。「美しい」ということでは、この巻の「選集」的な結晶度は高い。来年早めの刊行をわたし自身楽しみにしている。

 ☆ 夜空を
 見上げたら、朧な満月。
 今夜はスーパームーン。地球と月が近く、今年最大の月だそうです。  



* 七月十一日 金

 起 床8:30 血 圧132-63(56) 血糖値98  体重68.6kg

  ☆ 暑中お見舞い申し上げます。
 過日は 「湖の本」 120 「櫻の時代」 の御恵投にあずかり、ありがとうございました。
 幾つもの新聞御連載は、ほとんど拝読しておりませず、楽しみです。
 「私語の刻」を拝読しますと、観世能楽堂や国技館などへお越しになつておられるよし、ご健康大慶に存じます。
 先頃、館蔵の古い狂言絵を影印本として刊行いたしましたので、お送り申し上げます。能狂言には暗い私ですが、専門家の言によると、貴重な資料のようです。楽しみいただければ幸いです。
 暑くかつ不規則な気候の時節、何とぞご自愛ください。
 御礼かたがた一言申し上げます。
 敬具
      七月十日
 秦恒平先生         国文学研究資料館(館長)  今西祐一郎

* 館の影印叢書、これまでもいつも頂戴してきた。今回はその「6」にあたり、函入り大判『狂言繪 彩色やまと繪』と題されてある。
 今西さんの序を読むと、この館の二代館長が小山弘志さん、三代目が佐竹昭広さんだったと思い出せる。小山さんとは能楽堂での顔なじみで『湖の本』を購読 もして下さっていた。偉い先生だが「仲良し」というほどの親しさでいつもお目にかかっていた。初対面は館の招待で講演に出向いたあとの会食だった。そのと きお呼び戴いた初代館長さんは、たしか同じ保谷の泉町にお住まいだった碩学小西先生であった。佐竹さんとは岩波書店の「文学」で、亡き恩師岡見正雄先生と 三人で「洛中洛外図」をめぐる鼎談でお目にかかっている。そして今西さんとは、おもえば久しい、九大助教授教授時代を通しての有り難い先生であり読者でも あって頂いた。今西さんに戴いてきた貴重な研究書や論攷は数え切れない。あらためて、こころより御礼申し上げます。
 で、その影印本ですが。いやもう、涎の垂れるような貴重な繪と解説とデータに満たされていて、頁を繰りながら唸っている。近所で狂言の稽古をし舞台にも立つ趣味人堀上謙さんが観れば嘆声を漏らすだろう。
勉誠出版が制作している。

* 製作実費・送料を支払ってでも「選集」第一巻に残りがあれば是非にという希望が届いて、否をこの数日に五、六册も送った。今後も継続して頼みますと、有り難い愛読者の声に励まされている。
 昨日入稿した第二巻の跋のアタマだけを参考までに挙げておく。第四巻まで「構成作」を決めてある。第二巻は、たぶん、八月末か九月初めにはと目論んでいる。まだ慎重に再校しなくてはならない。

* 秦 恒平選集 第二巻刊行に際して
 第一巻  「みごもりの湖」「秘色」「三輪山」 いずれも奈良・近江・大和の上古と現代を馳せめぐり、人が、人に、死なれ・死なせて生きて行く意味を問うています。
 第二巻  「清経入水」「雲居寺跡=初戀」「風の奏で=寂光平家」「繪巻」 太宰治賞作をはじめ、いずれも、保元・平家物語の時代と現代とをうち重ねな がら、秦恒平ならではの平清経、建礼門院、後白河院、生仏、また待賢門院などを書き切り、「平家物語(平曲)の成立」自体を「主人公」かのように追究、人 と生まれた死生の深淵を表現しました。
 第三巻予定  「畜生塚」「慈子」「隠沼」「隠水の」「月皓く」「誘惑」 独自の「島」の思想に基づき、「真の身内とは何か」を追い求め問い極める代表的な「愛と倫理」の小説集です。
 第四巻予定  「蝶の皿」「廬山」「青井戸」「閨秀」「墨牡丹」「華厳」 美と人間とを感動と批評豊かに描いて大きな賞賛をえました。文学が音楽を奏でた「美しい」美術小説集です。
 小説集およそ二十巻、著者らの健康が及ぶかぎり心籠めて刊行しつづけて参ります。

* 小説の新作を、また、選集にかかりきりになるは心配との声もあろう。じつは、これにもまこと余儀ない事情が迫っていて、なんとかなんとかせめて十巻は纏めておきたい強い理由がある。ご勘弁願いたい。むろん、「仕事」は鋭意いろいろに進めて滞らせない覚悟でいます。

* 就寝前の読書も、怠りなくよく多く読んでいる。このところわたしを魅了し、また惹きつけて放さないのは、ひとつは『ラ・ロシュフコーの箴言集』そしてラ・ロシュフコーなるその人の人生・年譜。そのことは、また書く。黒いマゴの輸液に呼ばれている。
 もう一冊は、やはりやはりマキリップの『イルスの竪琴』で、もう遁れられない、吸い込まれている。われわれ現実の地球世界とは百パーセント異質な異境を旅して行く不思議な懐かしさ怖さ。

 ☆ 漱石の
 鏡子宛書簡(明治34年1月22日付)の一節
 顔の造作は致し方なしとして背丈は大きくなり度 小児はなるべく倚子に腰かけさせて座らせぬがよからんと存じ候   花巻市  照井良彦  医師

* 「湖の本120」のなかの「正坐」観に触れてのお便りと思う。ペンの三好徹さんもまた、少壮時の剣道稽古の後先に「静座」したとお便りを下さってい る。明治には「静座」の名で座禅に似た修養法が盛行したのである。いわゆる「正坐」という行儀とはいささか精神を異にはしているが。
 
 ☆ 今の安倍政権の
 やっていること、もっと日本中が大さわぎしなくてはいけないのではないでしょうか。
 メデイアには期待できません。
 安倍さんは、国民が、忘れ、あきらめ、行動しないことを望んでいるでしょう。
 ですから、その真逆をやろうと思います。   広島庄原  
 
* たった一年講義に出ていた東横短大の学生、いらい、ずうっと湖の本を応援してくれ、こういう便りをいつもはるかな広島県北から呉れる。容貌も忘れた ことのない愛らしい人であった。安倍「違憲」内閣には、云われるとおりである、国中が大騒ぎに異をと不信とを唱えてやまぬ覚悟で立ち向かわねば。

*すさまじい台風一過の日照り・暑さ。郵便局へ薬局への自転車走がかなり堪えた。

* 「風の奏で」最後の一巻を残すだけまで初校を終えた。わたしの創作ではめったにない、京、近江や大和でない、仙台の場面が我ながら懐かしい。頑張って明日にも初校を終えて送り返したい。

* 注文して届いた萬歳楽醸造の「白山」純米大吟醸が美味い。夕飯としてはなにを食べたとも覚えないのに、酒は美味かったと謁に入り、食後機械の前で寝入っていた。

*「中世騎士物語」を読み終えた。「ギリシア・ローマ神話」より、ひとしお珍しく面白かった。

 『ラ・ロシュフコーの箴言集』の殊に鍵になる言葉の一つは「アムール・プロプル=自己愛」であり、どうあってもそれはわたしにも避けて通れない。自己愛のカタマリのようなわたくしであるとは、どう自身否認しようが人様は笑われるだろう。よほど広げてもの申して自己愛の旺盛でない少なくも信の藝術家はいないのである。
 昨夜もよほど遅くまで十四世紀に生きて死んだ
ラ・ロシュフコー公爵の やや詳しい年譜を小説を読むように面白く読んで認識を新たにした。この、今日のパリにもなお豪奢な血脈をのこしている人物は、ルイ十三世の頃に生まれ、絶 対王政をしいたルイ十四世の時代を生きており、西欧近代小説家の濫觴とすらいわれるラファイエット夫人らとことに親しかった。根が武人の家で武士として育 てられ、人生半ばに文に転じて優れた才能と才気とで高貴の社交界に大きな存在として人気を得ていた。貴族としての地位をいうなら、日本でなら五摂家の近衛 や九条に相当し、ひらたく云って最高位の家格を誇った、しかもよほど個性的な大いなる存在であった。
 その人が編んだ、と云うより創作した『箴言集』はスエーデン女王クリスチーネや著名な詩人ら愛読者・批評家に恵まれて、五版まで書き改められ出版され愛 読された。あまりの峻厳ないし皮肉なため、後生の才人たちから憎まれることも少なくなかった。もっとも抵抗したのがあのジャン・ジャック・ルソーでありま たサルトルもそうであったと云う。
 わたしは、いま正篇を一通り通読し終えたに過ぎない。「箴言集」には、著者が存生のうちに「削除」された箴言もあり、また没後に追加編輯された箴言もある。わたしは、今から「削除された箴言」を読んで行くのだが、その冒頭の異例に長大な一文、「
アムール・プロブル 自己愛」を語った一項だけはもう読んだ。読んで、大いに感じるところがあった。
 ともあれ、その一文をわたしは、二宮フサさんの翻訳のまま、書き留めておかずにおれない。感想はアトのことにしよう。ここで断っておくのが適切かどうか分からないが、
 『ラ・ロシュフコーの箴言集』に接してのち、このところ久しく読み継いできたヒルテイの『眠られぬ夜のために』一部二部二巻の印象というか評価が、かなり低まってしまっていると云うことを云っておきたい。ヒルテイの基督教に腰掛けた説教は、よほど重苦しく、偏頗に生真面目である。ラ・ロシュフコー公爵は、よほど言いたい放題だが辛辣に難儀を極めたしょうのない「人間」をひたすらに見詰めている。あのサド侯爵の見詰めかたも極めてユニークだが毒々しくもえげつない気味がある。 『ラ・ロシュフコーの箴言集』は、けっして人間に優しくはないが、故意にねじまげてモノを言うてはいない。わたしはそう読んでいる。

 ☆ 『ラ・ロシュフコーの箴言集』 削除された箴言の筆頭記事 「自己愛の肖像」
 MS1   自己愛(アムール・プロブル)とは、己れ自身を愛し、あらゆるものを己れのために愛する愛である。それは人間をして自己を偶像のごとく崇拝せしめる。ま たそれは、もし運命がその手段を与えるならば、人間を他人に対する暴君たらしめるであろう。自己愛は己れの外では決して落ちつくことがなく、自分以外のこ とがらには、あたかも蜜蜂が花にとまるように、自分に都合のよいものを引き出すためにしか心をとめない。自己愛の欲望ほど抗(あらが)いがたいものはな く、自己愛の意図ほど秘められたものはなく、自己愛の行動ほど巧妙なものはない。その柔軟さは筆舌に尽くし難く、その変貌ぶりは変身の玄妙を凌ぎ、その精 緻は化学を凌ぐ。人は自己愛の深淵の深さを測ることも、その深い闇を見通すこともできない。そこでは自己愛はどんなに鋭い目からも安全に守られている。自 己愛はそこで誰にも感知できない千古の変転曲折を展開する。そこでは自己愛はしばしば自j分自身にも見えなくなり、知らぬ間にあまたの愛情や憎悪を孕み、 養い、育てる。しかも実に醜怪きわまる愛や憎しみを作るから、産み落とした時にわが子とわからず、もしくはわが子と認める決心がつかない。自己愛を包み隠 すこの夜陰から、自己愛が己れ自身について抱く滑稽な思い込みが生まれる。己れに関する過誤、無知、粗野、愚昧がそこから出てくる。だからこそ自己愛は、 己れの感情が眠っているに過ぎないのに、その感情は死んだと思い、立ちどまるや否や自分はもう走りたくないのだと思い、自分で満足させた嗜好噂好を、自分 はすっかり失ったのだと思うのである。しかしこの深い闇は、自己愛を己れ自身から包み隠しながらも、それが己れの外にあるものを完全によく見ることを妨げ ない。この点自己愛はわれわれの目に似ている。われわれの目は何でも見えるが、目そのものを見ることはできないからである。事実自己愛は、己れの大きな利 害にかかわることや自分にとっての重大事に臨んで、激しいでまよう願望が注意力を総動員する時は、すべてを見、感じ、聞き、想像し、疑い、洞察し、看破す る。それでわれわれは、自己愛の諸々の情念にはそれぞれ固有の魔力のようなものが具わっている、と思いたくなってしまうのである。自己愛の執着ほど内に根 ざした強いものはなく、そのために差し迫る危難を見ても、どうしてもこれを断ち切ることができない。それでいて自己愛は、時どき、長年最善を尽くしてもで きなかったことを、またたく間に、何の苦もなくやってのける。
 こうしたことからわれわれは、どうやら結論として、自己愛の欲望に火をつけるのは対象の美や真価より自己愛自身である、自己愛の嗜好こそが対象を上等に 思わせる値段であり対象を美化する化粧である、つまり自己愛は自分自身を追いかけているのであって、自分に好ましいものを追求している時も、自分の好みそ のものを追求しているのだ、と言うことができよう。自己愛はあらゆる正反対のものである。尊大にして恭順、誠実にして陰険、慈悲深くして残忍、小心にして 剛胆なのだ。自己愛は体質の相違に従ってさまざまな傾向を持ち、それらの傾向が自己愛を時には名誉、時には富、時には快楽へと駆り立て、奉仕させる。自己 愛はわれわれの年齢、地位、経験の変化に従って傾向を変える。しかし、幾つもの傾向があるか、一つしかないかは、自己愛にとって問題にならない。なぜなら 自2愛は必要とあらばいつでも、また好むままに、自分を幾つもの傾向に分散したり、一つに集中したりするからである。自己愛は移り気である。しかも外的な 理由から生じる心変わりのほかに、自分の中から、自分自身の資質から生まれる無数の心変わりがある。自己愛は移り気ゆえに移り気、軽薄さゆえに、愛ゆえ に、目新しさゆえに、倦きゆえに、また厭気ゆえに、移り気なのである。自己愛は気まぐれで、時には少しも自分の得にならない、むしろ有害でさえあるものを 得ようとして、極度の熱心さで、信じられないほど骨身惜しまず働くが、しかし自己愛は、それが欲しいから追い求めるだけなのである。自己愛は変わり者で、 しばしば最も下らないことに全力を注ぐ。最も味気ないことに喜びのすべてを見出し、最もいやしむべきことの中で己れの誇りのすべてを保ち続ける。自己愛は 人生のあらゆる状態、あらゆる状況にいる。どこででも生き、すべてで生き、無で生きる。物があることにも無いことにも順応する。敵対する人びとの側につい て、彼らと志を共にすることまでする。そして感嘆すべきことには、彼らとともに己れ自身を憎み、己れの失墜を計り、己れの破滅に尽力さえするのである。
 要するに自己愛は、存在することしか念頭になく、たとえ己れの敵としてでも、とにかく存在さえしていればけっこうなのである。従って自己愛が時として、 この上なく厳しい禁欲と結びついて、己れを滅ぼすことに敢然と協力しても、驚くには当たらない。なぜなら自己愛は、一方で身を滅ぼすと同時に別のところで 立ち直るからである。自己愛が己れの快楽を捨てたとわれわれが思う時でも、自己愛は単に快楽を中休みしているか、取りかえたに過ぎない。自己愛が敗北し、 われわれが自己愛から解放されたと思う時でさえ、われわれは己れの敗北そのものに勝ち誇る自己愛を再び見出すのである。
 以上が自己愛の肖像であり、全人生はその大きな長い動揺にほかならない。海は自己愛の生きた絵姿であり、自己愛は絶え間なく寄せては返す海の波の中に、そのさまざまな思いの入り乱れた継起と、止むことのない動きの、忠実な表現を見出すのである。(563)

* この感想はおいおいに書けるとして、いま謂えるのは、まこと穏和な筆致で描かれた、けっして放埒でも過酷でも優柔でもな い、深みを湛えた洞察の言だと、わたしは背を向けては読まなかったということ。ヒルテイより豊かに率直に甘やかすこともなくモノを言うている。自己愛にも いろいろの面目があり気質の差があり、じつに多面的に豊富な噴泉に似ている。きめつけてモノをいえば、もう何かが変わってしまうのである。

 ☆ 台風一過 

 蒸していますが。お元気ですか。
 今日で職場のいろいろ有った難儀なお仕事も、一段落へ漕ぎつけました。
 『櫻の時代』が届く前に再読していた『光塵・詩歌断想(一)』も、新たに印を付け、線を引っ張りながら読了しました。
 (一)とあるからには、是非とも(二)を、それも燠火どころではない命の炎そのもののような歌を、と望んでしまいます。  
 

* いろいろに不調、痛みなど。そんなこと気にしていたら何も出来ない。明日は出来れば午前中にもどこかへ出て一区切りの校正を仕上げてきたい。環状線を三回りでもするか。                    


* 七月十日 木

 起 床8:00 血 圧136-67(53) 血糖値81  体重68.7kg

* 梅原猛さんから「桜の時代」受け取ったと、独特の自筆で礼状が来ていた。

 ☆ 秦 恒 乎 様
 暑さのお見舞い申しあげます。
 異常気象に加えて、政界の異常とも言うべき暴挙、不安定な国際情勢など、いろんなところで怪しげな空気がながれています。
 その後お身体の調子はいかがでしょうか。
 「湖の本」をお送りいただきましてありがとうございます。拝受するたびに、逆に、お元気でいらしゃるのだと安堵している次第ですが、あまりご無理をなさるとよくないのではないかと心配もしています。
 それにしても120号とは、出版され続ける情熱もさることながら それの出来る作品の量のあることに驚かされます。
 いつもながら、先生の文学に対する執念に似た強い気持ちを感じます。今後、少しでも見習って頑張りたいと思います。
 さて、お礼が遅くなりましたが、5月には豪華本『秦恒平選集第一巻』を小生のような者にまでお贈り下さいましてありがとうございま
した。「湖の本」の中から、特別に精選されたものを、このような豪華限定版として残されることには格別の思いがございます。装丁、活字、製本などへの気配り、先生の書物への愛着、こだわりが伝わってきます。
 大切に大切に所蔵させていただきます。
 早くに頂戴しながらお礼が遅くなり申し訳ございません。正直なところ、ご厚意にどのようにお礼を申しあげたらよいのかわからず戸惑っておりました。
 天候不順の折り、くれぐれもお身体ご自愛くださいますように、心からお祈り申し上げます。
      平成26年7月6日    五条市   永栄啓伸  研究家

* この篤実の研究者に手持ち多くの関連資料を託したい気ももっている。会ったことのないひとだが、大学の後輩に当たっていた気がする。何点かのわたしの作品論も、また事典の記事も書いてもらっている。

 ☆ 季節の巡りとともに
 相変らず、能仕舞発表会のお稽古にあけくれており、御無礼をしております。
 このたびは「秦 恒平選集」創刊おめでとうございます。第一巻ございましたらよろしくお願いいたします。
 気候が不順です。お気をつけてお過ごし下さいませ。  小松  啓

 ☆ 「湖の本」120 
 有り難うございます。以降もお願い致します。
 「秦 恒平選集」も希望します。第一巻はまだ在庫ございますか。是非お頒け頂きたいと存じます。入手可能でしたら、すぐに必要なだけ振り込みますのでお知らせ下さい。よろしくお願い致します。
 どうかくれくせれもご自愛くださいますように。  中野区  

 ☆ 「湖の本」次回も
 継続して配本して下さいますようお願いします。
 「秦 恒平選集」第一巻 有り難うございました。第二巻以降もぜひお送り下されば幸いです。  世田谷  

* 京 嵯峨の田村由美子さん 涼しげに水出し煎茶を下さる。

*「選集A」のあとがきを入稿した。


* 七月九日 水

 起 床5:00 血 圧124-63(56) 血糖値90  体重69.5kg

 ☆ 陶淵明詩より抄
  静念園林好  静かに念(おも)ふ 園林の好きを
 人間良可辞  人間(じんかん)良(まこと)に辞すべし
 當年詎有幾  當年 詎(なん)ぞ幾ばくも有らんや
 縦心復何疑  こころを縦(ほしいまま)にして復(ま)た何をか疑はん

 ☆ 思案に値する、『ラ・ロシュフコーの箴言集』正篇の結び 
  (二宮フサさんの訳に拠って)   死の蔑視ということ
 
 503 嫉妬はあらゆる不幸の中で最も辛く、しかもその元凶である人に最も気の毒がられない不幸である。
  「箴言集」正篇は、こう一応終えていて、以下が結語かの重みでこうつづく。
 504 こんなにたくさんの見かけ倒しの美徳の虚偽性について語ってきた以上、死の蔑視の虚偽性についても一言あって然るべきだろう。私(
ラ・ロシュフコー)が語ろうと思うのは、異教徒たちが、よりよき来世の希望もなしに、自分自身の力の中から引き出して見せると自慢する、あの死の蔑視のことである。
 毅然として死に耐えることと死を蔑視することの間には相違がある。前者はかなり普通である。しかし後者は決して本心ではない、と私は思う。にもかかわら ず、死は不幸でないと信じさせる決め手になりそうなあらゆることが書かれてきたし、英雄だけでなくごく弱い人びとまでが、この説を裏付けるような千百の名 だたる例を示してきた。それでも私は、良識のある人が一度たりともそれを信じたことがあるだろうか、と疑う。それに、他人や自分にそう思いこませようとし て人びとが四苦八苦しているのを見れば、この企てが容易なものでないことが、かなりよくわかる。
 生きているのが厭になる理由はいろいろあり得るが、しかし死を蔑視する根拠は断じてないのである。進んでわれとわが身に死を与える人びとでさえ、死をそ れほど些細なこととは考えていない。だから彼らにしても、自ら選んだ道とは違う道を通って死がやってくれば、ほかの人びとと同じく、怖気(おぞけ)をふ るってこれを斥(しりぞ)けるのである。数限りない勇者の勇気に認められる差異は、死が彼らの想像力にそれぞれ違うふうに立ち現われ、またある時には他の 時よりもすぐそこにあるように見えることからくる。だから、彼らが自分にわからないものを蔑視していたあとで、わかってみればやっぱり怖い、ということも 起こるのである。
 死があらゆる不幸の中でも最大の不幸であることを信じたくないのなら、死をそのすべての状況とともに凝視することを避けねばな
らない。最も利口で勇敢な人とは、最も立派な口実を設けて死を見つめないようにする人である。しかし、死をありのままに見ることのできる人は誰でも、死は実に恐ろしいものだと思っている。
 死は不可避である、ということは、哲人たちの不動心のすべてを成していた。彼らは、どうしても行かざるを得ないところへは欣然として赴くべきだと信じて いた。そして、命を永遠のものにすることができないの切で、何がなんでも自分の名を永遠に残そうとして、所詮難破を免れ得ないものを難破から救うために、 万策をつくしたのである。
 われわれは、せいぜい晴れやかな顔を保つために、死について考えるすべてのことを自分自身に言いきかせるのはやめる、というだけで満足しよう。そして、 われわれも平然として死に近づけるなどとわれわれに信じさせようとするあの脆弱な論法よりも、自分の気質に期待しょう。毅然として死ぬ栄光、人びとに惜し まれることへの期待、立派な名を残したい欲求、生の悲惨から解放され、もう運命の気まぐれに支配されずにすむのだという安堵、それらは無下に斥けてはなら ない薬である。しかしまた、絶対に効く薬だとも思ってはならない。それらがわれわれに自信を持たせるためにできることは、戦場で敵の弾がくる場所に近づか ねばならない兵士がしばしば頼みにする、貧弱な垣根と同じ程度のことである。遠くから見ると安全に守ってくれそうな気がするが、そばに寄るとあまり助けに ならないことがわかる。
 死は近くで見ても遠くで考えていたのと同じはずだとか、弱さそのものでしかない自分の了見を、あらゆる試煉の中で最も苛酷な
試煉にも疵(きず)つかないほどしっかり焼きが入っているとか思うのは、気休めである。また、自己愛を必然的に滅亡させるはずのものを蔑視するのに自己愛が助けになる、と考えるのは、自己愛の働きを取り違えているのである。
  さらにまた、人があれほど多くの拠り所を見出せると思っている理性も、この場合は、われわれが欲することをわれわれに納得させるにはあまりにも弱い。 それどころか逆に、この理性こそわれわれを最もしばしば裏切るものであり、死の蔑視をわれわれに吹きこむかわりに、死のおぞましさ、恐ろしさを、われわれ に見せつける役をつとめるのである。理性がわれわれのためにできることといえば、せいぜい、死から目をそむけて他のことどもを見続けるようにすすめること だけである。
 小カトーとブルトゥスは、中でも華々しいことを選んだ。一人の従僕は、洗頃、自分がこれから車裂きの刑に処せられる処刑台の上
で踊るだけにとどめた。
 このように、動機はいろいろでも生じる結果は同じである。それで実際に、偉人と凡人ではとうてい比べものにならないにもかかわ
らず、いずれも同じ顔で死を迎えるところが千度も見られたわけである。といってもやはり違うところは、偉人が死に対して示す蔑視においては、彼らの目から 死を隠すのは名誉心であり、凡人の場合は洞察力の不足がおのれの不幸の大きさを知ることを妨げて、他のことを考える自由を残すのである。

* いまわたしはすぐさまこの長々しい「箴言」に論及はしない。できそうにもない。できても直ちに自信をもてる気がしない。ただこの前を無関心に通過し歩み去るのは、どうかな、と立ち止まる。
 今朝は五時に起きた。いま七時過ぎ。もう二時間すれば聖路加へでかける。診察を受けに行くのでもあり、待ち時間にたくさん校正できるといいがと思っている。雨に降られないといいとも願っている。

 * 出かける直前に印刷所との電話打ち合わせが入り、予定より三十分遅れて家を出た。生理検査を終えて正午、診察と支払いを終えて二時前、まずは順調だった。
 よたよたと築地を歩いて馴染みの「玉寿司」でいつもの「栄造(初代店主)握り」ら「八海山」二合。大とろや生き車海老の大きいのなど美味かった。しめ鯖 と小鰭とを追加してご機嫌で、しかしよたよたと歌舞伎座脇へ歩き「茜屋珈琲」で一服。昼の部がはねたときで盛況、それでもカウンターでマスター千葉さんと 歓談。
 ついで歌舞伎座の地下売店で、先日買っ手忽ちに下げ緒が切れていつのまにか鈴が失せていたのを、買い替え。杖にも鞄にもリリ、リリと綺麗な鈴をつけている。すこしでも怪我を防げるかな、と。
 きわどく雨に降られず帰宅。

 ☆ なんとなく
 
台風が心掛かりな毎日です。
 お蔭様で7、8、9月とおやすみをいただき、連日家の片付けやら、軽井沢にいったり、ぶらぶら過ごしています
 先日戴いた「湖の本」 主人が何度も繰り返し読ませていただいてます。九段目をお誉め戴いて嬉しかったとお伝えしてと横で申しています。休み続きでボーッとしないように、せいぜい体を動かさねばと話しています。
 奥様に呉々もよろしく。  高麗屋夫人


* 九月の歌舞伎座は秀山(初世吉右衛門)祭。染五郎が昼一役、夜二役。「御所五郎蔵」を演る。当番の吉右衛門奮戦は当然として、仁左衛門と孫 千之助の「連獅子」がある。秀太郎もなにかと応援。「通し」はしんどいが、ま、坐っているだけであり、眼が見えさえすれば楽しめる。                 

  ☆ 
雨もようの
 
七夕から一転、昨日は強い日差しが照りつけましたね。
 「櫻の時代」読了。
 「青春有情」、東工大生の感想も興味深く、同じ大学生の息子にも読ませてみたいと思いました。
 「櫻の時代」、第一随筆集の巻頭も飾った表題作は、再読なれどやはり面白く、作家として立って以来、変わらぬ(変わりようのない)秦さんの姿勢が既に明確に打ち出されていたことを改めて思いました。
 「風は道をもち、〜しかもいつか尽きるちからである」という言葉が、胸に響きます。
 3日続けての外出、お疲れの出ませんように。   眸

* なぜか分からないが、ぐたりと草臥れている。腹にちから無く、へたるような違和感。何かに手を付けようとする元気が湧いてこない。三日連続の外出が響いているのか。好くないモノを食ったりしたわけでない。体を痛めたのでもない。
 思い当たるのは、今朝の五時起きだ、それだ。そのうえ病院へ出かける直前、空腹のまま冷たいヤクルトを呑んだのが好くなかった。ま、理由が分かれば、よろしい。

 ☆ 選集ご出版おめでとう存じます。
 非売品の由。「みごもりの湖」の入った第一巻も「清経入水」などの第二巻も、なんとか、と願っております。
 別に、湖の本「みごもりの湖」上中下(14 15 16巻)を6セット お手数ですがお送り下さいませ、送金させていただきます。
 日々、どうぞお大切になさって下さいませ。  高松市                    

* ありがたいことです。心より感謝申し上げます。 湖

 ☆ 京都の
 祇園祭が 今年からむかしのまま前祭と後祭に戻りました。
 ぜひ京都にお帰り お待ち申し上げます。  河原町 ひさご寿司 

 ☆ いつも湖の本を
 有り難うございます。
 本を受け取るとお元気なのだと嬉しく思います。
 夏に向けて、どうぞお体大切になさって下さい。    義妹

 ☆ しばらく留守を
 しておりまして送金が遅くなりました。申し訳ございません。
 先生のご病気をご案じ申し上げております。  相模原  

 ☆ 季節はずれの暑い日
 大雨などの続く日ですが、お元気にお過ごしのことと存じます。
 (出張先の)郡山で三ヶ月過ごしましたが、何かと疲れが残ることはありますが、新しい環境になれようと頑張っています。
 選集も 湖の本も 今後の刊行に期待しています。  横須賀    妻の従弟 

 ☆ 「櫻の時代」
 ありがとうございます。楽しく読ませて頂いています。
 雨も上がり 又 晴れ間がのぞいています。
 お大切にお元気でお過ごし下さい。  秦方従妹  

 ☆ 国民の「最大不幸」は
 確実に 日毎に身に迫っています。実感です。  千駄ヶ谷    ペン会員
                             
  「湖の本」第120巻出版され
 嬉しいです。有り難うございます。
 義父母の悔悟のあき時間に、***公民館図書室の電算化(予定)らより、除籍本の指導をボランティアでしております。
 亡き尾崎秀樹氏に贈呈された先生のサイン入りの『牛は牛づれ』を見つけとても嬉しかったです。
 呉々もご自愛下さいませ。  渋川    元図書館長

* 感謝しながら購読者のみなさん通信欄のおたよりを敢えて引かせて頂いている。「秦 恒平・湖の本」は三十年近くも、ただわたしのコケの一念だけで成ってきたのではないことを、喜びまた誇りにしているということ。
 こういう文学活動、これほど永く多く刊行し続けている読者と作者との「世界」は、日本はおろか世界にも類があるまいと思っている。幸せなさくしゃなのである。 

* 小松の八代啓子さん、金沢でもとびきりの名菓店から、観るから涼しい「くずきり」を沢山下さった。食の進まない季節、ありがとう存じます。                         


* 七月八日 火

 起 床8:00 血 圧132-67(54) 血糖値85  体重69.4kg

* 朝一番に、機械が煮えるのを待ちながら(じつにじつに立ち上がりが悠長なのである。そんなことは構わない、待てばいいのだから。目覚めてくれ れば、夜終えるまで明けておくだけ。)「ラ・ロシュフコーの箴言集」正篇の結びにもあたる長文(多項に比べれば)を読んだ、これはなかなかのもので、落ち 着いて再読も三毒もしてみる価値が有りげである。「こんなにたくさんな(と、503もの箴言を云うている。)「見かけ倒しの美徳の虚偽性について語ってき た以上、死の蔑視の虚偽性についても一言あって然るべきだろう」とラ・ロシュフコーはその「504」を書きだしている。機械が目を覚ますのを待ちながらざ あっと一度通読しただけだが、強い印象を覚えた。
 いますぐは気ぜわしいが、この長めの一文は紹介しともに思案し考察するに堪えていそうな重みを感じさせる。「死」について何らかの思いを日頃抱いている人なら、この「箴言」でないなら「言及」には関心を寄せていいだろう。

*はや「選集A」の半分の再校が出た。残る半分の初校を丁度半分終えたところ。「選集B」の組上初校出も遠くあるまい。「選集C」にどの方面の作を選ぼう かと思案している。思いの外多彩に作の翼をひろげていたと気づく。思案そのものを楽しもう。わたしは根は編集者でもあった。その面白さは覚えている。

* ひさびさ親切な編集者であった
昔の友人と昼食する。食べるよりも会うの が楽しみ。もう何十年になるか、とうじまだ駆け出しのアーサー・ビナードに会ってやって呉れませんかと頼まれ、妻も一緒に、日比さん夫妻も一緒に、東武の 「美濃吉」でにぎやかに食事した。あれ以来かも知れない。台風が来ているようだが、東京へはまだ遠い。
 明日午後には聖路加内科での診察がある。台風は近づいているだろうが。

* 鶯谷駅で日比幸一さんと出会い、タクシーで柳通りの「香味屋」に入った。わたしとしては、よく食べた。呑めない日比さんを前にして、赤ワインもたっぷ り二杯、妻も一杯。この店を好きな理由は、こぢんまりと静かなこと、ビュッフェや藤田嗣治らの佳い繪を惜しげなく美しく掛けていること、そして美味いワイ ンを大きなグラスにたっぷり注いでくれること、二杯目はことに気前よく、加えて店員の行儀が佳いこと、さらに校正などの「仕事」にも好都合に或る程度外光 が静かに満ちていること、で。有楽町の出店を閉じてこの本店に店が戻ってもう十数年、何度この店へ通っているだろう、柳の色の美しい柳通りにある。おまけ に今日は入谷朝顔市の最終日で、お店のサービスで朝顔の鉢をお土産に呉れた。ありがとう。
 ま、香味屋で問題はというと、往きは駅から車がつかえても、帰りはつい鶯谷駅まで歩いて戻る、その途中で、よく腰痛を起こしてへばってしまった。もうそ この駅へ戻って行く登り石段と陸橋の登り傾斜によくへこたれた。幸い今日は、日比さんとの時間が楽しくて、妻もよく頑張って、すたすた歩けた。途中に、細 い、ちょっとした近道裏道もあるのだが、今日は柳の翠に心ひかれ、ずっと表通りを歩いて帰った。むかし早大の小林教授に教えられた鴬泉楼とかいった、これ も懐かしいほどの中華料理店が無くなっていたのには驚いた。
 
日比さんには「選集@」をお土産に差し上げた。筑摩書房時代にはごくごく親切に仕事を手伝って戴いたが、わりと早めに退職された。
 パナマ産の素晴らしくお洒落な瓶にたっぷりつめた紅茶と、なんだか貴重そうな化粧品とを妻は戴いた。
亀有の方へ帰る日比さんとは日暮里駅で別れてきた。昼間の空いた電車で、「風の奏で」の校正もよくはかどった。

* 上越市の光明寺さんから、自然薯そばを何キロも頂戴した。この夏の主食に涼しやかに頂く。感謝。この前は境内の柔らかなとても大きな筍を二本頂いた。季節の香に満たされた。

* フェイスブックを介して母方甥の川村芳治さん、画家の桑原盛行さんからメッセージが入っているらしいが、不慣れを極めていて、読めない。パスワードを 請求されてもまったく覚えていない。メールアドレスをご承知の方は直接メールを下さいませ。(但しこの節は「個人のメールアドレス」を売り買いする悪弊す ら云われている。わたしは、聞かれても、人様のアドレスは教えない、じかにご本人に聞いてくださいと答えている。)
 電子器機の上だけのアドレス交際という浮薄な耽溺から、いまや数々のすさまじい犯罪、そして人間自体の情けない腐蝕も進んでいる。集団的自衛権の安易容 認という憲法蹂躙も恐ろしいが、機械に支配されて魂を抜かれたように茫然・惘然としている若い人たちを車内でも戸外でも、ソーシャルネットでも、至る所で 見かけるのは、こちらまで毒を呑んだように苦痛である。機械は「使う」ならまだしも、機械に「使われて」性根を喪ってしまうなど、(その長所に類する連携 の半面をよく承知しつつも、)九分九厘はそれこそ自死ならぬ「自殺」行為かのように恐ろしい。
 むかし「北の国から」という佳いドラマがあり、そのかなり後篇の方で、あるハイティーン少年が、どこの誰とも知れない偶然に機械で触れ合った女の子から の「返信メール」を待って待って待ちながら精神崩壊して行くサマを如実に描いていたとき、この超長編劇中の最も強烈な「時代への適切な批評・批判・憂慮 だ」と特筆して指摘したのを想い出す。わたしが、日本ペンクラブに「言論表現委員会」と別に、世界のペンでも初の「電子メディア委員会」の必要を称え、そ して委員会が創設されたとき、もっとも予期しかつ懼れていたのは、うえに云うような、いわば「機械に呑み込まれてしまう」もっぱら若者たちの「人間崩壊・ 腐蝕熔解」であった。ペンには「環境委員会」もあったが一つ覚えのように「自然環境」ばかりを言挙げしていた。しかし自然環境だけが環境ではないとわたし は理事会で云い続けた、むしろこれからは、「機械環境」が人間の心と体とを目を覆いたいほど腐蝕して行くだろうと、ほんとに繰り返し発言したが、理事会は 失笑を繰り返し、ついにはそれを悟れなかった、理解しようともしなかった阿刀田会長・浅田次郎専務理事の体制は、無意味としか云えぬ理由で「電子メディア 委員会」をあっさり潰してしまった。「言論表現委員会」で足りていると。
 しかし「機械環境」の強圧と猛毒とが腐らせていくのは、「言論表現」というよりも「人間の精神」なのである。言論表現はむろん大事で大切だが、健康な精 神でそれを護りまた圧制と闘うことも出来る。「機械に魂を抜かれる」とは「人間の卑屈と死」とに繋がるのだ。文学における、言語表現における「精神や命」 を軽く観ている売り物派の物書きたちには、それが分からないのだった。
 だが、わたしは、そのとき頑張らなかった。ペンクラブという活動体の理解力の浅さ軽薄さからただ身を退いてしまった。理事など務めているのがバカらしくなった。ま、あまり、いい姿勢でなかったなと少しは思っているが、おかげで自分の「仕事」に戻れた。

* 建日子が、六時半頃、何か仕事の延長で、保谷へ寄ってくれた。十時半まで、今日は三人でかなりよく話し合えた。いろんな話を、ただし創作の話を遠慮会 釈なく語り合えたのは楽しかった。彼と、政治絡み、事件絡み、人の噂がらみのような話をしてみても楽しくない。根本の共通点は「創る」ことにあるのだか ら。わたしは、今進めている小説についてもキリキリいっぱいに近いまで話したりした。「選集」などに手を染めた以上は、新作にハッパのかかるのは当然で、 承知の上で踏み切ったこと。新作にわたしは苦しんでいない、むしろかなり楽しんでいる。苦しいとなるとなんとか早く形にしたくなるだろうが、わたしは、少 しも慌てていない。心ゆくまでてをかけたい。
 建日子に、「雲居寺跡=初恋」の再校ゲラをもって帰らせた。映画に、映像に、脚本に、できるものなら、やってみろ、そういう形で父親は息子に批評された いと。できるか。できるものかと挑戦的に思っている。できれば…、秦建日子、一つたしかな山を越えるだろう。朝日子なら、傲慢な父親と吐き捨てるのだろ う、しかしそれは「批評」でもなく、まして「創造」でもなく、それこそが「傲慢」の本義だろう。傲慢からはいいものは決して生まれない。


* 七月七日 月

 起 床8:00 血 圧129-67(47) 血糖値96  体重68.9kg

* 
原発は世界の流れ 福島の不幸ぐらいで止められるか」と自民党幹事長代行細田博之が喚いている。
電力安定供給推進議連会長 中国電力島根原発を抱える島根県選出議員だ、亡国の徒と謂うしかない我利我利亡者め。
 

  
☆ 梅雨があけますと
 今年も暑い夏になりそうです。くれぐれもおからだお大切にお励み下さいますようにと願っております。
 秦 恒平選集 よろしくお願い申します。
 本棚に立派な選集がずらりと二十余巻ならぶ日の壮観、想像するだに楽しいことです。
 右、お願いまで。    奈良  東淳子  歌人

 ☆ 秦 恒平選集
 紙碑 お供え 10,000   呉々もご自愛下さい。  総本山知恩院執事長 北川一有

 ☆ 通巻120号
 発行、おめでとうございます。選集、第二巻もご送付お願い致します。
 お体に気をつけて 大切にお過ごしください。  愛知知多郡  久米則夫

 ☆ 選集ご刊行
 おめでとうございます。 第一巻まだ在庫あればお送り下さい。なければ第二巻分として送金します。  苫小牧  林晃平

 ☆ 湖の本の
 読者が何人なのか存じませんが 私などのはがきもちゃんと読んで下さっているのに感激しております。
 選集第一巻誤植のことですが、
 七九頁 八行目 「夕燈んで」 → 「夕澄んで」です。秦
 一七七頁 一行目「燃ゑ」は「燃え」ではないでしょうか。「もゆ」はヤ行下二段活用だと思いますので。新潮社で出たのも湖の本も、たしかめました。  (ごめんなさい。迷って、わざわざ最終稿で弄ってしまいました。秦)
 それにしても『みごもりの湖」は傑作ですね。  花巻市  及川恵美子

 ☆ 第120巻 随筆選(一)
 最近のあってほしくない政治の動きに不安でいっぱいのところへ、一つひとつホッとする随筆を拝読して、心の中から温かくなっていく感じがしました。ありがたかったです。
 選集第二巻も楽しみにお待ちしております。お大事に!  静岡市  

 ☆ ハンゲソウ(ドクダミ科)が
 まだきれいに咲いています。早朝、夕ぐれ時、ガラス越しに眺めることが多々あります。いつの頃からかわかりませんがもう4−5念楽しんでおります。時節柄 ご自愛下さいますように。  京 西京区  

 ☆ 「桜の時代」有り難く。
 『牛は牛づれ』 田舎から持ち帰り再読致しました。掌説かのように読んだ昔を懐かしく思い出しました。
 どうぞ日々お大事にお過ごしください。「四度の瀧」「風の奏で」再読了致しました。  八潮市  

 ☆ お身体が大へんなのに
 直筆のおことばいただき申し訳けありません。
 先生どうぞお心を強くもって下さい。
 私の義母は車イス返上で、杖をついて歩いています。(98歳!)  群馬佐波郡  

 ☆ 『湖の本』120j巻刊行は
 お体の回復と相俟って大きな節目ですね。どうぞお元気で。  我孫子  倉田茂  詩人

 ☆ いつも一言
 はげましのおことば、 嬉しうございます。   東久留米  可部美智子 陶藝家

 ☆ 七月
 ギオン祭の行事が始まりました。今年も暑い夏が始ります。
 体調悪い中 大変だったと敬意を表します。御大切にして下さい。 京・今熊野  

 ☆ 日頃のご無沙汰を
 お詫び申し上げます。
 その後、お身体の方は如何でしょうか こうしてお便りを拝受しますと安堵致しております。
 呉々もお大切にお過ごし頂きますよう念じ上げております。  平安仏所  江里康慧

* 歯医者の帰り、江古田の「中華家族」で、妻は食事し、わたしはマオタイをたっぷり二杯。「風の奏で」好調に校正、進んで いる。よくこんな作を遂げておいたと嬉しくなる。ほとんどどんなところも直したいと思わない。小説家が小説で平家物語の成り立ちを現代の思い入れも充分に 書ききれば、こんなものだ。吉川英治の「新平家物語」などと、モノがちがう。平家物語に関心深い読者に出会いたい。湖の本で在庫があります。                           

* あすは、日比幸一さんと昼食。妻も。晩は、建日子が尋ねてくるとか。 

* 山積みのものの下から中から、半途に終えたまま、あるいは書き上げたに等しい小説が、今もデータ化している「原稿・雲居寺跡」の十倍にも成ろう程、原 稿用紙のママで立ち現れるのにびっくりしている。大方は、「畜生塚」や「清経入水」より以前の習作期のものか。「資時出家」と題したモノもある。あきらか に、前か後か「清経入水」と併行した発想のようだ。数え上げると二十篇ぐらいはある。いくら有っても、今は読み返して活かせるものは生かすという働きも出 来ない、時間が無い。せめて電子化しておけると息を吹き返すモノも有るに相違ないが。

* 久しぶりに映画「ダイハード2」を楽しんでみた。五回は観ているのに、惹きつける。ブルース・ウィリス一面の代表作だ、ただし彼にはもっと味わいを異にした渋い佳い作もある。
           


* 七月六日 日

 起 床8:00 血 圧126-71(58) 血糖値84  体重68.8kg

 ☆ 『秦 恒平選集』ありがとうございました。
 この度は ゆるりと音読させていただいております。
 『みごもりの湖』からは、最初に読ませていただいたころ、同志社大学で「デザイン論」を講義し、終ってから図書館で本を読み帰るのを楽しみにしていた昔を想いだしました。
 小説に触発されてはじめたお茶のお稽古は、茶名をいただくほど精進したのですが、今では、すっかり忘れて 米寿を迎えた先生とのおしゃべりを楽しんでいます。
 二度目の読書から、奥さまが何人もの女性に変身して登場されるさまなど、容易ではない小説創作の秘密を探り 小説もどきづくりを遊んでみたい……などと いっているうちに 人生が終ってしまうようです。 七十になってなお、講義やレポート添削に追われているとは思いませんでした。
 「日本」という国が失せてしまう可能性について考えました折、「S」という名が「H」になり、新潟の言葉や文化が否定され怒り悲しみ、けれど少しづつ新 しい習慣を学びはじめた過去を想いだし、異国の文化、その火の粉の中を生きてみるのも悪いことばかりではないかもしれないと空想し、そんな時間は私に残さ れていないだろうと気づいてほっとしたりいたしました。
 何かと不穏な世の中、でも、どうぞ
 奥さまと お元気で楽しい毎日をおすごし下さいますように    美大名誉教授  羽生清

* 母校でのすこし大きめのハーティー会場ではじめて羽生さんを見た。どこのどういう方とも知らず、言葉も、たぶん会釈すらかわさなかったろう、しかも、 すばらしく感じのいい、品のいいひとやなあと一目惚れしていた。かなりの後に、京都から東京までわたしをインタビューに行きたいという申し入れが或る大学 からあった。その当日に初対面のつもりで会ったら、なんと「あのひと」だった。記事は湖の本27の「誘惑」の後ろに出ている。羽生さんとは、以来一度も会 わないが、いつも懐かしい、また逢いたいお一人である。
 上のお手紙も控えめなしかし佳い紙の封筒・便箋を使われて、文面もホンワカと柔らかい。 
 これも懐かしい永楽屋のご馳走を送っても戴いた。

 ☆ 
秦先生
 ご無沙汰してます.
 御本お送りいただきありがとうございました.
 ご家族で病と闘われる中で編まれお送りいただき,頭が下がります.
 昔の授業を思い出しました.
 とても辛い毎日を送っています.
 昨日ようやく一休みでき,久しぶりにアメリカ人の知人と会ったのですが,先日の官邸デモの写真を見せてくれました.参加の理由を聞くと,このままではア メリカのような国になると思っていたところ,(前日の)29日に新宿で60代の男性が集団的自衛権の反対を唱えて焼身自殺を図った事件に憤って参加したと のこと
<http://matome.naver.jp/odai/2140402135341516201>
 私はこの事件,昨日初めて知りました.新宿駅前の事件をほとんど全く報道せず,くだらない嘘泣き議員を追及するバランス感覚って何なんでしょう.(建前上は,自殺報道にガイドラインがあるとのこと・・・規制に従う報道は,もはや報道ではない.)
 幼い息子は集団的自衛権の閣議決定後,朝のニュースかなにかを見て,これから戦争が始まるの?と真っ青になって聞いてきました.英語を勉強しろとしかいえない自分も情けない.  東工大卒業生  

* Re: とても気になる「とてもつらい毎日」とは。
 遠慮しないで、わたしを聞き役に用いなさい、活路があるでしょう。
 とにかくも情けながってないで、堪え、起ち、生きなさい。
 わたしたちは、年相応にバテテはいますが、成る限り、自殺などしないで、なにもかも見届けてやろうと思っていますよ。
 遠慮しないで、顔をお見せなさい。どこへでも出かけて行くよ。  

* 元筑摩の日比さんと八日会うことに。うちは、二人で出かける。

* 仕事のあと、日射しも強くないので、三十分余もひばりヶ丘の方へ自転車で。車体が重く感じられ、すいすいと走れなかった。ひとつには眼鏡掛けていて視野が崩れている。おどろいた。脚力も弱っているということ。電動で遠乗りした方が良いか。

*  入浴 明日は歯医者 校正刷り持ち歩く。  


* パラグァイにみごとな日本語学校があり、幼児から大学生まで。茶の湯の稽古までなかなかの行儀できちんと出来ているのに仰天するほど感心し た。毎日、無心に君が代をだれもが唱い、日本語の浸透度にも感服。寄付したいとさえ思った。みなの表情の穏和に柔らかなことにも驚嘆し、日本のていたらく が恥ずかしかった。

 ☆ 無事に
 今日のイベントを終えました。疲れたけれど、お客様にも喜んで頂けたように思えます。
 帰りに白山神社に寄りました。紫陽花はもう終わっていましたが、ここでも黒猫が待っていてくれました。
 不思議ですね。
 なんだか、佳い夢を見ることが出来そうな気がしました。
 お仕事、捗りましたか。   
           

* 我が家の黒いマゴは、いたるところに出張しては路上で哲学しているようだ。「猫あるき」という佳い番組にもそしらぬ顔して登場している。テレビへ呼びかけるとこっちを向くから不思議だ。

* さ、十時過ぎたので、機械を離れて階下で校正する。                                               


* 
七月五日 土
起 床8:30 血 圧126-60(54) 血糖値90  体重68.7kg

* 両掌にどっしり重い黒いピオーネのみごとな照り輝きに眼をみはりながら、朝食のいちばんに五つ粒もいちどに戴いた。美味い。
 食のすすまないわたしに、何を食べさせればいいかと妻はいささか途方に暮れている。細いもの、小さな粒々のもの(飯も)、くっつくもの、味の淡いもの、 鶏の匂いなど、苦手。ひとつには治療された歯との相性が問題、それでたいがい食べたくない。酒とフレッシュな果物とが、つい過ぎてしまうほどに、美味い。 甘い和菓子や飴なども、辛い塩辛や明太子、海苔なども幸い口に合う。ばらつく飯より炊いて冷えてきた粥の方がはるかに食べ良い。三度の食事よりも、つい、 小刻みに我が儘な間食を口にしている。よろしくないと懼れながら。
 鳩尾のところで食道と十二指腸とが直に繋がれ、胃袋はぜんぶ無い。その鳩尾辺でからだがくの字に折れるような気分があり、背筋が伸びにくい。前屈みになっている自分にいつも気づくのだが。
 暑さより、むしろ冷えのほうを鋭敏に感じる。たしかに手術以降の三年ちかく、熱夏とは思い辟易しながらも汗みづくにならなかった。この数日など寒いとすら感じている。いまも機械の前でむき出し膝下、ふくらはぎなど、痛いほど冷えている、冷房していないのに。

* 島尾伸三さんから、「『湖の本/落手。ありがとうございます。暑い日が続きます。ご自愛のほど」と書き添えて送られてきた、神戸の文学同人誌 「タクラマカン」創刊号、二号、三号の復刻。昭和二十五年の創刊でいまも続いている。伸三さんの父君島尾敏雄さんをかこむように成った同人だったが、島尾 さんが東京へ去ったあと、「島尾の残党」といわれながら仲間たちがあたかも死守してきた。いまは伸三さんも参加している。かつては母堂島尾ミホさんも参加されていた。
 わたしは、こういうグループでの文学活動に全く無縁で今日まで来た。短歌会にも入らず、同人誌とも無縁だった。
 どの世間の人とも(伸三さんも然り)想像以上に大勢の方々と懇意にしているけれど、わたしが文藝家協会やペンクラブの会員であるという以外の、特定の仲 間内というものは持たないし、一度も持とうとしなかった。ま、強いて謂うなら「妻との二人三脚」でずうっとやってきた。いまは秦建日子も身近にいる。「選 集」刊行にも力を添えてくれている。
 それでよかったと謂うのも可笑しい。それで悪かった不味かったとは、ゆめ、思っていない。

 ☆ 梅雨に入っても
 全然雨が降りません。やっと今日の午後くらいから降るらしくホッとしています。
 今週末、孫と京都へ行きます。とても楽しみにしています。
 今回の本、楽しそうで 一気に読めそうです。
 お体 お大事に。   各務原  

 ☆ 政治に絶望してますが
 あきらめたら終わりなので 動ける限りはデモや署名や会合や…小さな一歩を集めてつなげていくしかないと思っています。やれることをやっていきます!  名古屋  

 ☆ いつもありがとうございます。
 先日梅を漬けました。
 今年はとても良い梅でいつもよりも多目にしました。お盆頃にはお送りできればと願っています。  湖南市  

 ☆ ありがとうございます。
 HPを読みつつ、保谷のお二人に心を馳せています。どうぞお元気で大切なお仕事をなされますよう祈念しております。
 私も平和憲法を守るため頑張っています、希望を捨てずに! 
 又、金沢の品 お送りしますね。   金沢  小夜

 ☆ お疲れのところ
 色々とお心づかい下され ありがとうございます。
 まだ見ぬ御作 次々とたのしみに拝読申し上げます。  館林  

 ☆ いつも湖の本
 ありがとうございます。ラッキョウを洗った手の匂いを気にしながら 私語の刻 読み終わりました。 歌人も病気と付き合いながら 五月に79歳を迎えました。先生と同年うまれです。  桐生  

 ☆ 過日は
 立派な御本の御恵送をいただき有り難く存じました。
 私もまもなく満90歳。持病の緑内障が進み盲目に近くなりました。  横須賀    父方従兄

 ☆ 「穆穆良朝」を
 ありがとうございます。いつものどかな春が来たと思って過ごしたいです。
 陶淵明を読んでいます。
 「どうぞ、お元気で!」の励ましが こだまのように還って行きます。  狛江  

 ☆ 湖の本120
 ありがとうございました。お身お大切に、湖の本お続け下さいませ。  杉並  

 ☆ 今年の梅雨は
 関東の方が大変のようです。こちらは、カラ梅雨の様子、でもまだ油断はできませんが…。そろりと気温が高くなりました。ご無理なさいませんように。お二人どうぞご自愛下さいませ。   新潟  

 ☆ 
こんにちは。
 **です。湖の本120号いただきました。メモ拝見しました。本当に久しくなりましたね。
 **が倒れてから丸11年余りですから、おそらく12、3年になると思います。ぼくも、お目にかかれたらとても嬉しいです!
 火曜日の午後であれば、ご自宅へでも、どこへでも出向けますが…お身体に差し障りのない程度の短い時間をご一緒できれば幸い です。   元筑摩書房編集者    

* 懐かしい限り。はやく会いたい。

 ☆ ありがとうございます。
 上野、浅草、根岸、池袋のどちらでも、時間的にそんなに変わりなく行けます!
 奥様にもお目にかかれたら嬉しいですね。
 120巻分の在庫! 目に浮かぶようです。ここまで続けてこられたことに、本当に敬服いたします!  

* もし佳い表題がつくなら、書いてきた小説の一つは、脱稿へ近づけていいところへ来ている。いまのところ絶好題が見 つからない。慌てずに思案している。どうにもせよ、この作は、安易に公表しかねる。性愛一致の極を書いているのだから、たいていの読者は卒倒されかねな い。湖の本での公表をトバして、いきなり150部限定の選集にいれることも考えている。ともあれ、仕上げてしまわねばならぬ。

* 久保田千壽を買ってきた。その勢いで、仕事部屋、ソファの半分を占領していた山積みの何やら不明のものどもを整理し、辛うじて三分の一までに押しのけた。おかげで、在所不明を案じていた初出プリントの山が現れ出た。随筆選の継続に道が広がった。
 それにしても、ものはむやみに捨てられない。癇癪を起こしてエイなどとやっつけると取り返しの付かない微妙な心覚えのメモや資料が無くなってしまう。そ んなもの、いつ役に立つかと云えばそれまでだが、そんなふとしたメモに自分の命の匂いがのこっている。生きているとは、それらとも共に生きていたのだ。い まも、だ。「櫻の時代」の後ろの私語を結んで、書いて置いた。
 ☆ 小説の創作は容易ではない。「正しい手がかりを拾いあげる前に、無数の些末な材料を集めることの大切さ  だがこの拾いあげが、いかにむずかしいこ とか−−真の主題を露わにすることが。  余計な事実が多すぎるのだ。」 グレアム・グリーンが言う通りの苦労をいまもわたしは実感している。堪えねばな らぬ     2014.01.29
 呻くしかない。そして、いつもいつも、さがしもの。ばかげてるか? いいや。小説家の仕事は、それなのだ。

* ほとほと眼が霞んで潤んで。まるで裸眼で潜水しているようだ。十一時。もう休む。 


* 七月四日 金

 起 床8:45 血 圧133-74(51) 血糖値91  体重70.3kg

* 「ラ・ロシュフコーの箴言集」は、とても一時に多くは読めない、じいっと吟味し復唱し納得できるか出来ないかを考えたうえで、一つ一つに爪じるしをつ けている。一度に、十ほどしか読めない。おそらく何度も何度も今後も一つずつ読み直すだろう、親切にか、大量の著者による「考察」も付いている。まだまだ そこまで行かない。一通り読み終えたら「考察」を聴き、さらに箴言の一つ一つを反復読んで受け容れたり拒絶したりしてみる。和歌集から秀歌を幾次も重ねて 選んで行くのと似ていて、読み応えのする読書である。
 たまたま今から読もうとしていた
ラ・ロシュフコーの箴言なるものを少し列挙してみる。特に選んだというものではない。

 ☆ 
「ラ・ロシュフコーの箴言集」(二宮フサさん訳)より
 440 大部分の女が友情にほとんど心を動かされないわけは、恋を知ったあとでは友情は味気ないからである。 (そうとも想われる。友情をたのんでいる のは恋の情け・性の秘境をまだ知らないからと謂えようから。同性愛の魅力を知った同士なら、友情が恋に重なるであろうが。男の場合、異性への恋と男同士の 友情は難なく両立する。 有即斎)  
 441 友情においても恋においても、人は往々にして知っているいろいろなことによってよりも、知らないでいることのおかげで幸福になる。 (シニカルだが、謂えている。)
 442 われわれは自分が直そうと思わない欠点を、ことさらに自慢の種にしようとする。 (痛いところが確実に謂えている。)
 443 最も激しい情念でさえ時にはわれわれに一息つかせてくれるが、虚栄心だけは絶えずわれわれをかき立ててやまない。 (前段はその通り。問題は後段で、これを拒否するには、紳士淑女ですらよほど鉄面皮を要する。)
 444 年とった気違いは若い気違い以上に気違いだ。 (参ったな。たしかに謂えている。但し言われているのは、まこと放埒な老人のこと。聡明な「翁」の智慧を拒んだものではない。)
 445 弱さは悪徳にも増して美徳に相反する。 (「弱さ」の代わりに「強さ」と置いてみた場合、やはり「弱さ」の方にこれが謂える。「強さ」には種々 相があるが、「弱さ」には弱さしかない。但し、女子供といった弱さの意味ではない、此処は精神や根性や人格の弱さを謂うているはず。)
 446 屈辱と嫉妬の苦痛はなぜこれほど激しいかと言えば、この場合は虚栄心が苦痛に耐えるための援けになり得ないからである。 ( 言い得ている。)
 447 ふさわしさ(ビヤンセアンス)は、あらゆる掟の中で最もささやかな、そして最もよく守られている掟である。(よくも悪しくもそのように思える。斯くあって秩序が保たれ斯くあって社会は腐敗する。) 
 448 ちゃんとわかる人にとっては、わけのわからない人たちにわからせようとするよりも、彼らに負けておくほうが骨が折れない。(「わけのわからない 人たち」が弱小の場合と強大の場合ではまるで事態が変わってしまう。前者になら「負けておく」意味の生きる事が多い。しかし後者の場合は長いものには巻か れろと同じく、権勢のまえにただ平伏・屈服・阿諛追従の卑屈となってしまい、人としての行為が死滅する。わたしは、これには応じたくない。わかる人には言 わんでもわかる、わからん人はなんぼ言うてもわからへん、のは真実に近いが、だから手を拱くわけではない。人は時には闘わねばならない。)

* これだけで岩波文庫の見開き二頁分。この調子で一つ一つ吟味し批評しながら読んで行くのだから、読み終えるのはなかなか。だが、こういう読書は一面た いへん効率の高い、おもしろいものではある。秀歌撰にも似た効率の高さがあり、いつも鞄に本が入っている。退屈することが無い。

* いま、またわたしを捉えているのは、もう何度目になるか十数回めにはなるだろう、格別の愛読書マキリップの「イルスの竪琴」。第一巻「星を帯びし者」を読み始め読み深めている。これはわたしの謂わば「帰郷」に相当している。旅は永い。

  ☆ 
庭の百日紅が咲き始め、
 今朝は蝉の鳴き声も耳にしました。
 通勤電車では「孤・病・兵・貧の何が」の辺りを読みました。
 活字の向こうから、先生の声が聞こえてきます。    

 ☆ 湖の本 
 ありがとうございました。私もなまけていてはいけないなと思いました。
 最近の不穏な情勢といい、声を出さねばと、新聞紙上の働きバチと化した我家の長女さん、どうなりますやら。それに比べて子を持った次女さんの落ちつき振り。親になるという事は大変なのですね。
 お身体 ご自愛下さいます様。   保谷  

 ☆ 櫻の時代
 ありがとうございました。拝見し、刻々の情勢と併せて、日本の将来を考えさせられました。心に沁み、迫ってくる重いご著書、さらにじっくり拝見いたします。
 お暑さも加わって参ります。くれぐれも御体お大切にお過ごし下さいませ。御礼まで申し上げます。  堺  歌人

* 鎌倉の粂川光樹さん(明治学院大名誉教授・上代学  昔、医学書院で同年同僚)が、「『明暗』を継ぐ」と題したおもしろいエッセイを送ってこ られた。すでに彼は漱石絶筆「明暗」のその後を書いた創作がある。それへ到るこもごもの情熱的実践を整理的に追懐されている。「いつも『湖の本』お送りい ただき、ありがとうございます。120巻、ほんとに驚異の達成です。ますますのご健筆をお祈りします。」とも。感謝。

* 立教大名誉教授の平山城児さんからも、興味深い論攷「『陰翳礼讃』の陰翳」「『細雪』を読み直す」を戴いた。地道に追究して下さる。こうした踏み込んで力ある、かつ肩肘を張らずに真率な谷崎論が、ないし創作であれ学術論文であれ、望ましい。

 ☆ 
メール、
 ありがとう。感謝、です。気づかっていただくだけで感謝です。
 差し迫って悪いことは起きていません。
 姑の衰え、新しい施設への不満、夫の黄斑変性症、娘のヘルペス、などなど続いていますが、わたし自身は時折鬱になる以外は元気です。
 暮らしは工夫してやりくりし、それはどこの家庭でも同じことでしょう・・。
 一日三食、自分でもよく作っているなあと、これは苦い思いも含めて。ただし不味いものは誰だって食べたくないですね。
 家事のために他のことに集中するのが困難になる場合も確かにあり、用事を済ませる間にいろいろなものが消失します。消えていくものは消えていくに任せるしかありません。勿論懸命に「追跡」することも忘れてはいません。
 それにしても無力に近いわたしの状況です。
 湖の本、届いてすぐに読みました。
 選集の方も着実に進んでいる御様子、納得いく形で、愛着ある作品を纏められるのは鴉本人の渾身の力あってのことです。
 同時に大変な負担かもしれませんが、現在進行形の小説が健やかに形整えられることを切に願っています。
 HPでは志村ふくみさんのテレビ番組に触れていらっしゃいました。彼女は何冊も味わい深い随筆集を出版されています。わたしが傾倒するリルケについて も、彼の書簡集から感じ取ったものを『晩祷:リルケを読む』という本に纏めています。リルケの膨大な書簡は否応なく彼の生きたリアルを炙り出しており、彼 の生きる術なさ、不如意に苦しむ足掻き、時に悲哀も感じとらずにはいられません。

 今週の世の中の動きは実に嗟嘆の極みです。閣議決定の後いくつもの法案がむくむくと頭を擡げてくるでしょう。恐ろしいことです。
安倍総理の顔も、兵庫県議員の顔も見たくありません。嘆かわしいことばかり!
 来週は姑の世話、下旬には再びシンガポールに行くことになるかもしれません。
 取り急ぎ書きました。
 どうぞ元気にお過ごしください。
 ・・体重70キロを超えたのは糖尿病にとって良くないのでしょうか? とにかく大事に、大切に。  尾張の鳶


* じつはもう以前から、リルケを読みたいと思っていた。隣棟の書架に、昔々の新潮社版リルケ一巻がほぼ買ったときのままになっている。同時に 買った同じ編輯でのカミュ「異邦人・ペスト」は大事に読んだのに、リルケは詩の一部だけを読んだ。「マルテの手記」などにはとりつけなかった。
 それでも読んだ詩からは確実な影響を受けている、それは万物が絶え間なく限りなく落下して行くのを、受けとめる「手」があると歌って胃いた詩だ。わたし の「手の思索」は具体的には茶の湯の点前作法や盆踊りなど舞踊の手や相撲の手などからも具体的な刺激を受けていたが、リルケのその詩は、もっと深いところ からわたしの思いを受けとめてくれた。
 そもそもその当時としては洒落た装幀の新潮社の文学全集を、わたしはいつ買ったか。高校時代ではなかったか。カミュの大いに騒がれていた頃だ。では、リルケは何故。たぶんに「リルケ」という名に惹かれ、彼が「詩」人であることに惹かれたに違いない。
 隣から持ち出してこよう。偶然ながら今わたしはカミユの「ペスト」をじっくり熟読している最中なのだ。

 ☆ あまり
 外出なさらないようになられましたか? 簡単です。特急で、上野から水戸。常磐線。  
 これは便利ですが、このさき茨城は広くて不便ですね。 
 来週末にかけて検査入院し、18にちから一週間ほど、関西にいきます。京都なので今回は新幹線を使います。私はいつも予約しないで適当に乗り降りするほうなのですね。
 地震などこわがらず何時でもいらっしゃってください。
 でも暑くなりますから、随分お気を付けてください。   那珂   

 ☆ 随筆選(一)櫻の時代
 ありがとうございました。私共(夫妻)は今大学の合唱団のOB会で信時潔作曲の「いろはうた」を練習しております。
 また、長女の名は まゆみ と申します。立春の生れなので春の枕ことば 白まゆみ 張るまゆみ から名付けました。もちろん蓼科のまゆみの実も大好きです。  神奈川二宮  

 ☆ 元気です。
 そろそろ家の後始末を思いながら 元気です。老いるに従いなぜか過激になっています。過激に先生に習って幾種もの本を読んでいます。今どきの学生さんはなぜ大人しいのでしょうか。
 一ヶ月以内にPC購入予定。勉強部屋の整理からです。
 どうかお健やかに。あ、それからこの払い込み分の余りは美しい選集にお役立てください、わずかですが。  東近江  

 ☆ 声明の転送 了解いたしました。
 本当に腹立たしく、憂鬱です。60年安保のとき、あれだけの国民の反対を押しきって通したことを苦々しく思い出します(私はまだ小学生で、一家中テレビ画面に釘付けでした。)
 ときどき朗読ボランティアにいっていた世田谷区のデイケア施設から、人手がたりないのでしばらく来てほしいと誘われ、4月から週三回働いています(まっ たく性懲りもなく、笑)。片道一時間半以上かかるので、朝は5時起きです。あまり長く続けると止められなくなりそうなので、一応12月までの心つもりなの ですけど。
 外国人のためのテキストCD吹き込みも並行して続けていて、まだあと4、5本ありそうです。  田無  


* 「風の奏で」四分の一初校した。

*「選集B 畜生塚 慈子 隠沼 隠水の 月皓く 誘惑」の入稿用意が出来たので、電送入稿した。。「身内とは」と問い続けている。

 ☆ 毎日
 暑い日が続いていますが、お元気ですか?
 先日は本をありがとうございました。
 私ももう67歳、足腰が弱らないようにと、できるだけ歩くようにしています。
 今日は京都にウオーキングに行ってきました。
 蒸し暑い日が続いています、お体大切にご活躍ください。  大津   母方甥


* さ、今夜も階下で校正を続けながら、はやめに休もう。へんな夢を見ないで眠れると有り難いが。リーゼで眠りは深いが、夢 は見る。ゆうべは、ある老練の、鳥越氏のような気のするジャーナリスト主催のテーブルに並んでの食事会に招かれていた。わいわいと賑やかを極めていたがワ ケが分からないが、めんどうな謎解きに似た討議を重ねていた。こういう夢は疲れる。
 なんだか、世の中の誰も彼もが疲れているみたい。政府は、憲法違反連続の誤魔化しのように仰々しく拉致問題へ話題を引っ張っている。身振りばかり大きく、いい結果のあいっこうにらわれない政府ではある。
        

* 七月三日 木

 起 床7:45 血 圧139-69(52) 血糖値89  体重70.2kg

* 上記の声明に賛同し転送もいとわないが、どう「集約」する気かと問われた。「集約」二字の体する意義はいろいろと思うが、遺憾にして、わたしの現在の 体力・行動力では、こう「ことば」で声をあげる以上のことは出来ない。文筆を幸いにネットに送ることは、いまのわたしには出来る。同様の声や議論や行動 が、燎原の火のように広まって欲しいとただ願うのである。

* 集団的自衛権に関連して、「貧しくとも憲法を守り平和な日本を」とビート・タケシがツイッターに。そのとおり。

* 血の気をうしなった優柔自尊の若い人たちに、安倍「違憲」内閣のやってることなど俺たちには関係ないよとタカをくくっている気味が見えるなら、そんな 見当外れは無い。ほんとうに集団自衛権が発動され戦闘地域へ派兵される段になれば、自衛隊にも退役希望が必ず出る。現在既に自衛隊員の人数は減りつつあ り、応募者もすくないとされている。当然、その先には義務的な兵役つまり徴兵という国権行使がくるとき、まっさきにそういう若い人へ「召集令状」の昔で謂 う赤紙が舞い込んでくる。成り行きはその現実性を増しに増している。

* こういうときにこそ、しかと気を配っておきたいのは、選挙投票等の監理の公正確保だ。どうもここ何度かの投票数監理に疑念をはさみたい胡乱さがみられないか。案じている声は、よほど多いと思うが。

 ☆ 全く同感です。
 戦後70年のこの時期に、こんな法案が苦もなく通ることを絶対に阻止しましょう。 編集者 

 ☆ 有難うございます。元気にしております。
 確かに
今朝は地震がありましたが、震度5以下では何も起こりません。今朝は近くで、震度4でした。これくらいでも東京では大騒ぎしますね。いつも。
 
運転は以前よりむしろ多くなりました。、
 車は好きで、毎日です。つい
空港へ向けて走りたくなり、そのままチケット買って、神戸に飛びたくなります。気まぐれができるようになりました。  

* 実費と送料だけでも支払うので、「選集」全巻頒けて欲しいという申し入れが相次いで来ている。有り難いこと。

 ☆ 湖の本120「櫻の時代」を
 拝受いたしました。当方の三十代以降のそれぞれの時代の<不易>と<流行>が随筆という文藝の形で表現されていて、変らざる秦さんの芯と新しいものもい ち早く受容される柔軟な有り様の併存しているのが魅力的です。お宅への訪問を許されたような、小説・評論とはまた違った楽しさです。
 それにしても、けんのんな時代になりました。こういう時こそ書き続けていただきたいと心から願っています。
 どうぞお身体お大切になさって下さい。   元講談社出版部長   

 ☆ 庭の草取りをしていますと
 早やきりぎりすの鳴き声。今年も夏がやってきました。
 「湖の本」120 熱くお礼を申し上げます。たのしんで随筆集を読ませて頂きます。
 「集団的自衛権行使・容認」のニュースを聴き悶々としています。
 ご子息様にしきし「啐啄」を贈られた文を拝読して、私が子供に遺せる物は何か、考えさせられました。御礼まで。  神戸  

 ☆ 「私語の刻」に
 ございました
「啐啄」のおことば 深く心に刻まれました。
 長雨の季節 ご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。  山梨県立文学館

 ☆ 本日(七月二日)
 「湖の本」120の振り込みとともに、「秦 恒平選集」の第一巻・第二巻を戴きたく申し入れました。「選集」は全巻いただきたく、よろしくお取り扱い下さい。  三鷹  
 
 ☆ 「秦 恒平選集」
 制作実費負担で申し込みます。  池上  正

 ☆ 今年の梅雨は
 東京は烈しい雨の様子、ナゴヤ方面はほとんど降らず、どちらも心配しています。
 いつも湖の本をありがとうございます。今回は120巻めとのこと、おめでとうございます。随筆のさいごの年月日を確認しながら、あのころこのころと思いをはせております。
 どうぞお身体無理なく。益々楽しませていただけることに感謝致します。  愛西   ペン会員

 ☆ ご体調如何かと
 お案じするなか、御本お届け頂けるのは唯々嬉しゅうございます。どうぞ御自愛の日々をとお祈り申し上げています。
 半年が過ぎました。
 「茅の輪」も「水無月」も縁無く過ぎましたが、「ノーベル平和賞」署名集めに頑張っております。お礼まで  下鴨  

 ☆ 前略
 その後先生にはお変りなくお元気でいられますでしょうか。「櫻の時代」ありがとう存じました。
 エッセイしりーず17「漱石 心の問題」から永らく読ませて頂いていましたが、去年は体をこわしてしまいやはり入院したり、いろいろありまして終りにさせて頂きました。
 買い物から帰りましたらテーブルの上に御本がありましたので、ビックリしたり懐かしかったり致しました。
 多分先生と私は同年だと思います。お互いさまに、お体には充分お気をつけて下さいます様念じさせて頂きます。ありがとうございました。
 TBSテレビにご子息さん作の作品をよく観られ とても嬉しく存じております。  かしこ  赤羽  岸

* 文藝春秋専務寺田英視さんの退任ご挨拶があった。われわれの大きな久しい時代に、コンマが打たれた。寺田さんのご紹介がなければいまの「秦 恒平・湖の本」はあり得なかったのである。大恩の有り難い優秀な編集者であった。なおひとしおの新乾坤が真実期待される。ご健闘とご健康を祈る。

 ☆ 早速に随筆集送付いただき
 拝読させていただきました。
 「自殺」という言葉が使われていますが、モーリス・バンゲの著作の邦訳「自死の日本史」(筑摩書房、1986 竹内一夫訳)において竹内さんは  mort volon taire を自死と訳されました。 suicide という言葉は18世紀ごろにフランスで生まれ、もともと無色のものであったが、キリスト教の断罪と西洋を風靡し た近代精神医学の許し難い偏見が結びついてネガティブな色合いをもつようになった由です。
 私はほとんど本を読まずに医師としての時期をすごしましたが、ただ一冊、心をゆさぶられたのが、深沢七郎氏の「楢山節考」で、何の縁かこの本が上述の自 死の日本史を出版したガリマール社から仏訳されているのを後に知りました。秦さんの「笛吹川の母の声」を拝読して、きっと私も少数派なのではないと思うこ とができそうです。  品川    元国立小児科病院医長

* 今日も 10校 大学高校等からの「湖の本」への挨拶が届いていた。

* 吉備の人お志のピオーネ・マスカットの一函が届いた。なんという美しい果物だろう。両親や父母の位牌の前にまず置いて、岡山の人にじっと頭をさげた。さきに戴いていた「獺祭39」の美味しかったことを残り惜しいまで感じながら、夏の風味をまずは眼で愛でた。

* 高麗屋のご夫妻からも、日本橋で選り抜きのめずらかな冷凍スープを頂戴した。

* とうどう長編「誘惑」を読み終えた。うんうんと頷きながら。おもいきり苦心苦労した作だった。
 これで「選集B」がもういつでも入稿できる。「選集A」は残っている長編、「誘惑」の二倍以上ある「風の奏で」を十二巻の二巻分を校正した。好きな作である、快調に読めていくだろう。

* 京岡崎の星野画廊から届いた目録「滞欧作品」は充実の蒐集に深切な開設とデータの添ったもの、生ける美術史の感を楽しませて貰った。近代日本画からの 苦渋と歓喜とで生み出された謂わば報告書であり、作の出来不出来や刻印された時代性を突き抜いた質感豊かな具体的な証言集でもある。今日の眼でみても灼光 のちからを感じさせる新鮮な作も数点まじっていて、思わず注文しかねなかったが、いやいや今は「選集」の刊行に手も資金もかけなくてはと踏みとどまった。

* 「原稿・雲居寺跡」を四百字用紙で36枚書き写したが、先はまだ遠そう。咲きに何事がどのように書かれていたのか、まだ思い起こせない。場所は今はま さしく雲居寺の山居で、人はと言うと、物語っている「兵衛」、「師の御房」、その縁者である「茅野どの」という娘、それに「源宰相様」と呼ばれている当人 かその子息であるかの「経資」。名前だけならもう二三表れていて、そのうちに粟田の僧正様と呼ばれている「慈円」がある。泉涌寺の名も出ていて、およそど ういう世間であるかはわたしには見当がつく、けれど、物語の中味も行方もまだ見えない。この世界へは、二十世紀末の「わたくし」が、タイムスリップし「兵 衛」という青年に身をかえてて鎌倉時代に紛れ込んでいる。
 1966年頃の文壇に、「タイムスリップ」といった怪奇な(太宰賞選者の言葉)小説世界は、地を払ってほぼ皆無と謂えたのである。おうおう、いまでこそ はまるで氾濫の気味であるが。この手法は、すくなくも「清経入水」以降当分のあいだ、わたくし秦 恒平の専売の手法だった。ひとは多くゆびさして「幻想」と謂いもし評もしたが、さ、どんなものであったろう。

* 九時だが、目はまったく霞んでいる。もう機械から離れ、階下で可能なら「風の奏で」を校正し、何冊か読書し、休むとしよう。


* 
七月二日 水

 起 床8:00 血 圧132-62(48) 血糖値82  体重69.7kg

  ☆ 
同調 
 「安倍「違憲」内閣は、国と国民の平和を危殆・破滅へ導く、安易で好戦姿勢の集団自衛権を、「閣議決定」一つで決めた。
 断乎、これを拒否する。
 かかる大事を、かくも独裁強行するならば、解散・総選挙で「民意を問え」と、私は声明する。

 同調の声の燃えんばかりに広がるのを期待する。
      
平成二十六年七月一日       作家 秦 恒平」
 
諒承致しました。     茨城県  

 ☆ 
秦先生
  賛同します。
 とりあえず、『平家物語』編者一同ニ転送しました。
 ご報告まで。  国文学   
 
  今日は
 朝から自分の無力に苛立っていました。
 秦様の声明文に賛同し転送させていただくことで、少しは政治に物申せたでしょうか。
 声が広く広がりますように。
 若者たちへもと。 練馬 
                                             
  
 ☆ 
「櫻の時代」が届きました。
 ありがとうございます。
 述懐歌の、「天の川を越えて ……」の歌をよみ、ご夫妻の哀しみの7月を思います。
 年が経っても、一層の事痛いほどのお辛さが襲ってくるのでしょうね。
 秦さんも奥さんもお加減が悪い折に、ご本の発送にお手数をおかけして恐縮です。
 たくさんの新聞紙上に掲載された随筆を古今を問わず一度に読ませていただけること、感謝です。
 以前に「私語の刻」で読ませていただいた文も、また違って迫ってくるものもあったりして、読みついでいます。
 今日はこの一文 「親に頼るか、子を頼むか」
 年数が経った今この言葉がしみてきます。、
 「子を頼む」ことのできなかった私の母の哀しさ。
 親に頼らせなかった子の自分の醜さが見えてきます。
 素直に申し訳なかったと10年近くなっても過去にまだできないのです。
 「湖のほん」が手に軽く馴染んで、電車の中で読ませていただけるのが楽しみです。
 天候の突然の異変に戸惑われる様な日々でしょうが、
 お二人ともどうぞお身体お大切にお過ごしください。   高松  


* この読者のお便り、身にしみる。昨夜おそく、自作「誘惑」を入稿の必要あって読み返していて、苦痛と不快を覚えて五体の違和に悩んだのが、この方のこのお便りと同類の慚愧であった。起きていられず、安定剤を服して寝入った。
 夢に、めずらしく亡き唐木順三先生のために世界地図をしらべまわすという妙な夢をみた。亡き医学書院社長金原一郎さんの夢も見た。

* 濃厚に暗く粘った空気を蜘蛛の巣を掻き払うようにして毎日生きて行かねばならぬ。どう苦しくても。 

 ☆ 御高著「湖の本」
 有り難く拝受仕りました。慎んで御礼申し上げます。
 種々の随筆篇、心楽しく拝読仕ります。   白壽歌人                  

 ☆ 前略ご免下さい。
 今度は「湖の本」120 櫻の時代 のご恵投に与り、まことにありがとうございました。毎巻、愉しみに拝読しておりますが、今巻は花と歌についてのご感想が多く、ことに愉しく拝読しております。
 また「源氏物語」の書かれた時代の社会的現実は、筆舌に尽し難いほど暗く悲惨であったというご年来のご指摘、改めて想像を刺激されました。私は晶子源氏 を読みましてから、漸く源氏の本文を読了したのが五十代、何ともおく手な読者ですが、言辞の時代背景はまことに興味深く、これから勉強しようと存じており ます。
 秦様の「湖の本」は、現在の私の怠惰を鞭打って下さる貴重な冊子です。
 今月、作品社からホフマン「ウイーン」を刊行いたします。お送りいたしますので、笑覧いただけたら幸いです。 草々  歌人・翻訳家                              

 ☆ 梅雨らしい日々です。
 昨日は「湖の本」120『櫻の時代』の御恵贈にあずかり、早速に魅せられつつ読みはじめました。
 日本語という象徴言語を築き駆使し磨いてきた古人の努力と美意識に接して驚いております。
 読み切るまでに時間が相当かかりそうです。まずは御礼まで。
 平安をお祈り致します。  国際基督教大学名誉教授  浩

 ☆ ご本を
 ありがとうございます。どこをめくっても 思わず読み始めてしまいます。
 今日 ちょっと使っていたゞけたらと思う物を見つけ お届けしたいと思います。ご笑納いたゞけたら嬉しいです。
 暑さに向って お二人様とも くれぐれもご自愛下さいますように。  秦野    妻の従妹

 ☆ 疲れた
 と云うところに陥らないように お願い申します。  山形県 

 ☆ 御活躍
 うれしく拝読しています。
 一昨日は、盛岡で、啄木の講演をしました。  現代文学教授 ペン会員  

 ☆ Vol120以降も
 継続して購読致したく、申し込みます。
 秦先生のご健康をお祈り致します。   横浜  

 ☆ 秦 恒平選集
 第一巻 一部  第二巻一部 ご送付宜しくお願い致します。  八千代  

 ☆ このところ
 
ご本を手にすると『私語の刻』から読み始めます。そして、秦先生が どんな風に過ごしていらっしゃるかに思いを馳せます。
 向暑の砌、ご自愛の程お祈り申し上げます。  高槻  

 ☆ いつもありがとうございます。
 雨や暑さで関東はたいへんですね。お出かけも難儀でしょう。
 どうぞ おふたりともおだいじに。痛み 和らぎますように。  下関  碧

* 元都立墨東病院で脳神経外科医長をされていた藤原さんから、わたしの旧作『迷走』三部作の内最初の「亀裂」にもこまかにふれたエッセイの「薬事日報」 に載ったのを送ってきて下さった。医学論文のオリジナリティに関わるある不正事件をも書かれている。「医師像を紡ぐもの 脳神経外科医・木下和夫先生を偲んで」とあり、木下先生は不正の被害を受けられた。往時とはいえ、今更に感慨を覚えた。

 ☆ わが家のフェンスに(手作りのアピール・写真で)
  安倍内閣よ
  憲法と命を守ろう
  集団的自衛権の行使で
  国民を戦争に巻き込むな
  自民党よ
     公明党よ
  よくよく考えて 
 
今日、取り付けました。
 母の制作です。     山口県  

 ☆ も一つ 
  武器で
  国は守れない
  軍隊は
  人を護らない
 昨日のうちに わたしも こちらを。  山口県  

* 
なるやうに なるも ならぬも なるやうに
      ならす鐘こそ うつくしくなる        

 ☆ 
安倍政権への抗議と拒否 全面的に賛成です。
 
サッカーやAKBの魔術から早く冷めて、お互いに大きな声を出していくことを願っています。
 特に高齢者は関係ないとの考え方を捨てて、
ヤングに歴史を語る責任があります。
 もちろん出来る限り檄文転送します。   川柳作家  

 ☆ 秦さん
 
ご体調はいかがですか。
 喪失の哀しみの7月です。私は父親を亡くした月です。
 秦恒平選集の刊行、おめでとうございます。
 久しい読者の一人として、4月刊からの選集全巻購入を希望します。引き続き送って下さい。
「紙の墓」の墓守を志願します。   ペン会員  

* 不徳なれども孤ではないと、有り難く思う。

* 米倉涼子の「黒い蟻」(清張原作)を見ていたが、途中で二階へ戻った。小説「誘惑」を読み進んだ。はるかに大げさなテレビ映画より楽しめ た。この小説の「繪屋槇子」は、何人もの往時のヒロインたちをうち重ねながら、わたしにやっと書けた初めての「女」のように思われる。「たづねびと」を尋 ねるようにわたしは何人ものヒロインたちを生み育て「身内」として愛してきた。そのために小説を書いてきたとさえ思う。しょせんわたしは文壇の作家ではな い、わたしが読みたいものだけを書き、そのヒロインたたちを愛してきた、それだけの創作者にすぎない。私家版からはじめ、私家版の「湖の本」を二十八年 120巻もつづけ、そしてまた私家版の「選集」を紙の墓のように建立し始めている。           
                                                           
 ☆ 朝からバタバタと過ごしました。
 ようやく一息。
 昼前から耳鳴りが少し。
 夏至から11日目の半夏生の今日も、よく日が照りましたね。
 夕食にさっぱりと蛸の胡瓜もみを一品添えました。秦さんはバテてないかなぁと相変わらず心配してました。
 食欲も、回復してくるといいなぁと思います。
 不快と言って済ませられない日々ですが、堂々とどうぞ元気で長生きしてください。  

                           
                                          
  

* 
平成二十六年(2014)七月一日 火

* 起 床8:00 血 圧134-73(60) 血糖値88  体重70.2kg   ウーン、体重が一気に70kgを超えてしまった。よろしくない。食べてないんだけどなあ。

* 「戦争」とは「国と国とでするもの。若い俺たちには関係ないんだから」と、安倍「違憲」内閣のしたい放題にも「お好きにどうぞ」と若ものたちのかなり 多くが無関心とマスコミは報じている。歴史を知らず、しかし見るべきを見ないで、ファジーな機械あそびに腑抜けになっている。こんな連中のために明日の未 来を憂い案じているのかと思うとはかなくなるねだが、日本の未来の人と自然とをむざむざ戦火にさらすことは堪えられぬ。
 いま世界で戦争状態のその多分の状態がテロリズム暴力であることに気づかないのか。テロリズムは、多くの大きな事例が示しているように「国と国と」にお 任せの国民無関係の戦争ではない、どこに国民が無関係な戦争など有るものか。しかも近時のテロはむしろ殺しやすい一般民を平気で殺すことに向かっている。 そんなテロは、日本の好戦姿勢しだいでは日本国内のどこで起きるかしれない。新宿、渋谷、池袋、上野、品川、吉祥寺、町田等々の平和そうな安閑が突如とし て爆風と血の雨に破壊され亡いともかぎらなくなる、そういう危険を、ことさらに安倍「違憲」内閣は民意を問うこともなく閣議決定という名で強行した。
 漠然とした反対や憂慮のつぶやき(ツイート)でなく、この際「国会解散・総選挙」で国家の運命自体を問えとわたしは主張する。

 ☆ お変わりありませんか。
 秦君 しばらくご無沙汰していますが、その後体調はいかがですか。きょうは又新著を送って頂き有り難うございました。ゆるゆると読ませて頂きます。去年の暮れ近くに耳鼻医院で耳垢除去中に左鼓膜に孔を空けられ、それ以後通院を続けていますが、孔は塞がったものの元の聴力には未だに戻らず、音楽がステレオで愉しめない情けない日々を過ごしております。二十才台に纏めて内科と外科医のご厄介になったせいか、ここ四十年近くも内科医とは無縁でいますが、首から上は予防の仕様もなく、時折眼と耳医者の世話になっています。脳もいずれはアル中ハイマー ? に罹るかも知れません。何しろ365日休肝日がありませんので。特に数少ない愉しみの読書や音楽が満足に楽しめない近頃は、酒への依存度が余計に高くなりつつあります。
 ところで、あなたは、今も美空ひばりの歌を愉しんでおられますか。私の妣もひばりの熱烈なファンでしたので、生前は親孝行のつもりでせつせと音源を集めたりテープに取込んで聞かせていましたが、逝ってからはその音源も未整理のままだったのを、 今年の年忌を機に少しずつCD化しようと整理を始めました。お馴染みの薄そうな曲があれば、お送り頂いたご本のお礼にお聞き頂きたいと考えております。今 までに二、三枚はお送りしたと思いますが、さてどんな曲であったかメモも取ってありませんので、ダブるかもしれません。テープはカビが生えたり伸びたりし ていますので中々捗りませんが気長にお付合いください。
 それでなくても梅雨時で鬱陶しいのに、政治家の先生方の行状にもうんざりですし、ボール蹴りもご贔屓早々の敗退で興ざめですが、適当に暑気払いをしながらお互いに自愛して日々を過ごしましょう。ほんとうに有り難うございました。   洛北  

* 音楽大好きの君が耳を損じたとは。何と言うていいやら。年齢のせいにばかりは、お互い、したくないが。

 ☆ 
秦 恒平様
 「湖(うみ)の本 120 櫻の時代 秦 恒平随筆選(一)」を拝受しました。
 作家としてのご活躍に加え、世情にも鋭敏に、深くコミットされてきた軌跡を、まことに興味深く拝読しております。 練馬  

* もう一月の余も紛失したきり、ほとほともう諦めていた室内用の眼鏡一つが。なんたること、この足元に近く物の入ったダンボールの蓋が、ひ らっと外向けに伏せていたその真下蔭から妻が拾い上げてくれた。足元暗しの間抜けな見本のようで、照れ隠しもならない。ま、在るべきが在ってくれて、よ かった。
 それにしても今朝は、イヤに目が霞んでいる。

 ☆ 湖の本 届きました。

 「櫻の時代 秦恒平随筆選」 このような一冊の編まれることを待っていました。まだ読んだことのないものがありますから、毎日読み進むのが楽しみ。嬉しいです。
 それにしても、みづうみが書いて書いて書きまくっていらしたことがよくわかります。優れた藝術家は夭折しない限り、仕事量が恐ろしいほど多く、しかも質と量が比例するところが共通しています。
  今日から七月です。今年の後半に入って、予定していたことの何も出来ていない自分に焦ります。みづうみは湖の本二冊発行、選集第一巻創刊なのに……。
 わたくしはメールだけは、みづうみに読んでいただきたい一心で大量に書いているかもしれません。まるでメールが創作物かのようです。あとでまた長めの メール送らせていただく予定です。読まされるみづうみには申しわけなくて先にお詫びを申し上げておきます。 お元気ですか、みづうみ。  紙魚  月明の書を出で遊ぶ紙魚ひとつ   林火

         
 ☆ おはようございます。
 水無月、白と黒糖では黒糖の方、より好みの味でした。
 昨日の歌は勿論、牧水。
 宮崎の牧水記念館で牧水という名前だったか和菓子と一筆戔を買った覚えがあります。
 あくがれいづると言えば沢の蛍が連想されます。
 父母の里で蚊帳の中に放ってみた幽かな光や、思いきって勤めも休んで行った温泉で見た、この世のものと思えぬような怪しく美しい光の群れが思い出されます。
 こんなメールを打っていたら、旅に出たくなってしまいます。  眸


 ☆ 天候の
 厳しい変調が続いておりますが、お身体の方 如何でしょうか。くれぐれもお大事におすごし下さいますよう。
 小説への対い方の新しい眼 歴史を読み取る正しい姿勢 詩歌の読み取りを那辺に求めるか尊うご教示頂いた恩恵を 今更のように肝に銘じて感謝している次第です。
 大きな病いをものともせずご活躍の姿 まことに美事と申すほかありません  鏡として 小生も余年を楽しむことにいたします 有難うございました。   江戸川   俳人                                                     

 ☆ 拝復
 先日は又 御鄭重にも「湖の本」を御恵送下さいまして誠に有難うございました。いつものようにまず「私語の刻」から拝読致しました。御体調如何と気になっておりましたが、歌舞伎座、能楽堂、国技館と積極的に足を運ばれていることに感銘いたしました。
  殊に「今日はウイスキーを美味く呑んだ勢いで、大声で盛んに声援を送った」の一文には同世代者として思わず笑いを誘われ、かつ励まされました。相も変わらず色々な小説を読まれておりますが、最期のグレアム・グリーンの言葉の深遠さには頷き、感銘致しました。
 異常気象の日々が続いておりますが、奥様御一緒に呉々も御体調には留意されますよう、御自愛の日々、お祈り申し上げます。 敬具    元「新潮」編集長
             
 ☆ 本日は
 『湖の本』120 櫻の時代 お送りいただき有難うございました。
 (東工大生を書いた)「青春有情」のところから読ませていただいています。 恐々謹言  静岡大教授  歴史学   

* 久保田淳さんには、いつも新刊のご著書を頂戴していて、あれもあれもと数え切れないほど。「無名抄」や「西行全歌集」についで、いま「富士山の文学」を興味深く楽しんで耽読している。
 また、このところ、へええと驚きながら、かつて耳にも目にもしたことのなかった「マビノジョン」というのを、吃驚しながら、面白く読まされている。ブル フィンチ(野上弥生子訳)『中世騎士物語』の前半は「アーサー王とその騎士たち」であり、ともあれ「アーサー王」の名や王妃グネヴィアだの騎士ランスロッ トだのの名によって、ま、お馴染みではあるが、この本のちょうど後半分を成している「まびのじョン」という言葉も意味も、恥ずかしいというか当然ともいう か、まったく未知であった。これは「ものがたり」という言葉の複数形というか集合名詞とでも謂うものらしい。日本語でなら「お伽噺」だの「昔話」だのの類 で、やはり「アーサー王」の名や彼の騎士達の名も頻出するものの史実を踏んだものとはまるで思われない。アラビアンナイトの「ウエールズ版」みたいなもの か、それらがけっこう面白いのである。わたしは、この手の物語や語り口をやすやすと受け容れる素地を性格的に持っている。「マビノジョン」なるものの存在 が知れてよかったと思っている。

* 躊躇ってもおれない、総選挙要請の意思声明をひろく転送を願って発信した。

  ☆ 
秦さん
  今、官邸前にいます。  ペン会員  

 ☆ 
今日は娘と
 久し振りにランチに出ました。
 フレンチは満席だったので、北欧料理へ。(メインは少なめでも、オードブルやデザートが色々あるのが好きです)
 アミューズからデザート(さっぱりとライチのソルベ)までしっかり食べたのに、帰りに寄った新しく出来た駅ビル内のケーキ屋さんのケーキが美味しそうだったので買いました。
 娘が予約していた本を受け取りに図書館にも回り道。借りてきたのは、『憲法学の世界』『行政法概説』等。
 奇しくも今日、集団的自衛権の行使を認める閣議決定案が遂に了承されてしまいました。(打っているさ中に届いたメール、同じ思いです。)
 帰宅したら、『櫻の時代』が届いていました。
 私語の刻だけ読みました。後は、明日からの通勤時の楽しみにとっておきます。  


* 「選集A」の半分を要再校で印刷所へ戻した。

* 眼鏡さえかけてともあれクリアに目が見えるのなら、「仕事」はもっと進むのに、潜水して泳いでいるような塩梅。

* 霞んだ目で「誘惑」を読み進んだ。京都に育ての両親を置いたままの語り手幸田は、四十年生きてきたと言うている。今のわたしはそれから三十八年も生き てきた。作に表れている父も母も(叔母も)東京へ出て来て、父は九十一で、母は九十六で死んだ。実の父も死んだ、叔母も九十三で死んだ。なんというむごい ことであったかとわたしは嘔吐を催しそうに哀しく苦しく恥ずかしい。
 しんどい作やなにあとわたしは半ば泣いてしまっている。作家生活はほぼ順調だったが、独りの生まれたものとしては、厳しい辛い日々を背負っていたと気がつく。今にして気がつく。