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述懐   
平成二十六年(2014)四月

  遅き日のつもりて遠きむかしかな          与謝蕪村

 山は水はうつくしきかも衷(した)ごころ
    憎める人を昨日はもちし            佐佐木信綱

 ししむらゆ滲みいずるごときかなしみを
    脱ぎてねむらむ一と日は果てつ       田井安曇

 外(と)にも出よ触るゝばかりに春の月      中村汀女

  はんなりと老いの一途(いちづ)を歩みたし
    見ぬ幾としの数をわすれて          宗遠

 花は春 春はさくらに匂ふ夜の
    うらがなしもようつつともなく          湖

  あらざらむあすは数へでこの今日を
    ま面(おも)に起ちて生きめやも いざ   有即斎   
                                                    
                                           
                    



                黒いマゴ




* 四月三十日 水

* 起 床7:30 血 圧126-60(52) 血糖値98  体重68.5kg

* 朝から、眼が「花 ホア」である。雨で、本が送り出せない。濡らしたくないので待機のまま作業をすすめている。

 ☆ 手にとって
 つくづくと眺めています。とても品格が高く、風合のよさを感じています。 ただ表題の文字は、ほんとにこれでよかった−−私でよかったのかと、面映ゆく、ありがたく、秦さんのご好意を 心から嬉しく感じ入っています。(ことばに表し切れません、ご推察ください)
 数日前、旧知の松本徹さん(現三島由紀夫文学館館長)からその著『天神への道−菅原道真』をいただきました。漢詩でたどる道真伝といった作品です。
 その中の、宮中の女人たちを中心とする宴席で作られた漢詩を読んでいるあたりで、御本が届いたのです。 詩の一節に、「和風先導薫煙出」−松本さんのこ とばを借りますと「やうやく春の風が吹き、麝香を燻らした煙が先導して、舞姫が現はれ出る、」というのがありました。無理なこじつけになるかも知れません が、タイミング的に私には、舞姫は『秦 恒平選集』と重なってしまいました。
 八十二歳(五月八日)のバースディープレゼントか、こんなことがあっていいのかと喜んでいます。
 お礼というか、お祝いというか、別便で「祝酒」をお送りしました。お飲みになれるかどうかと思ったのですが、お祝いはやはりお酒かと思いまして。
 実は「十代目」という酒が造られた時、そのラベルをデザインした西のぼるさん(さし絵画家・私の友人です)に頼まれ、私もちょっと参加したのです。それというのも、お酒の銘の字を書かれた(中村=)芝翫さんの落款を彫ったのです。印は、その俳号「梅莟」です。
 後に、歌舞伎座の楽屋へ誘われ、福助時代からの贔屓芝翫さんにお会いする幸運にも恵まれました。下戸の私には、お酒の味はわかりませんが、そんなお酒ですのでお送りしました。
 秦さんの(今回第一巻の=)お作、単行本、湖の本、そして選集と三度の出会いになります。 新たな思いで読ませていただきます。(そっと飾っておこうかな)
 何もかもご厚志重く受け取っています。
 妻が少し病んでいるのを助けていて、秦さんの奥様のお手助けのこと、いかばかりかと大きさをも深く感じています。どうぞよろしくお伝えください。
 最後に 選集の巻の重なること、お元気でお過しのこと お祈りしています。
 (午前中、一寸庭いじりをして手の力なく、ただでさえ悪筆の所へ乱筆が重なって失礼します)
        四月二十八日      井口 哲郎
    秦 恒平様
 (追、 同封の篆刻「世短意恒多」は、旧作ですが、今の思いです)

* この嬉しいお手紙が頂戴したいばかりに此の「選集」第一巻を懸命に造ってきたような気さえする。
 美酒「十代目」の銘を書いたいまは亡き芝翫丈については、井口さんも私も、やはり亡き富十郎丈とならんで「歌舞伎舞踊抜群」と感じて、手を伐つように歓 談した思い出がある。文学館の館長室に訪ねたことも、講演に呼んで戴いたことも、すばらしい温泉や鏡花ゆかりの宿に泊めて戴いたことも、実盛の遺跡などへ 愛車の運転で連れて行って戴いたことも。思い出はいっぱい、有る。私からは、およそ何事のお礼も出来ないまま、永く、小絶えなく背を支えて戴いた。嬉し かった。
 井口さんをはじめ大勢の石川県のかたがたとご縁の生まれたたぶん一の契機は、今回「巻頭」におさめた、ちょうど四十年まえ、新潮社書下ろし昭和四九年の長編小説『みごもりの湖(うみ)』であった。ありがとうございました。

* 「湖の本119」へも、今も、たよりが有る。

 ☆ 拝啓
 不安定な春は、不安定なまま夏に向かうようです。
 いつもお心に掛けていただき、ありがとうございます。秦さんの鋭い眼差しにいつも学ばせていただいています。
 また、石の森章太郎の「家畜人ヤプー」も持っていて読んでいます。秦さんのアンテナの広さにも感服しています。
 ゆっくり大切に
   読ませていただきます。
 拙詩誌「ERA」三次二号を送らせていただきます。
 私も身近にいくつもの死を抱え作風も少し変化しています。  埼玉新座  詩人

* 故福田歓一(元東大法学部長)さんの夫人からもいつもの鄭重なご挨拶と静岡の新茶を頂戴している。恐れ入ります。
 またロサンゼルスの池宮宗千さんからも、平安神宮のしだれ櫻をなつかしみ、差し上げた圓能斎筆・淡々斎極め書簡つき「四海皆茶人」の軸を掛けての初釜そ の他茶の湯の楽しみを伝え聴いている。チョコちゃんももう八十過ぎ。ご主人をなくされて一年と。時を同じくして花小金井に住む中高一年後輩・茶の湯の手ほ どきもしことのある人も、ご主人の一周忌を迎えましたと。
 だれもだれも生きてある人、人の平安を願う。

* 終日雨で、用意できた本も、妻が重そうに郵便局へ持って出た四册しか送り出せなかった。明日も雨降りだと、送り出せない。慌てることもないが、他の仕事の進行には障りになる。ま、いい。ゆっくりでいい。

 ☆ 
作品集第一冊が刊行されたという嬉しい記載。
 発送には無理なさらず、ゆっくり進めていかれますように。晴れれば晴れたで日差しは強いです、とにかくお身体大切を優先な
さってください。    
 日本は連休に入っていることでしょう。と、書いている鳶は、先週シンガポールに来ました。飛びたいでしょう、と書いてくださいましたが、確かに飛んでますね?! 飛んで、そして九カ月に入った孫の世話をしています。
 在宅で仕事をして子育てもしている娘婿の海外出張、娘はその間出来る限り在宅勤務とやり繰りしているので、少しだけ手伝いです。つかまり立ちと這い這いに忙しく、片時もじっとしていないのを相手に奮闘中。四苦八苦?? 可愛いけれど責任も感じます。
 改めて人が生まれ成長していく過程を、適切な表現ではありませんが、観察しつつ、思うこと多いです。生老病死行く末を切に思う年齢になっているからですね。友人にも病に倒れる人あり、悲しいこと多いです。
 五月半ば過ぎに帰国予定です。    
 どうぞ、くれぐれもお身体大切に大切に。  シンガポールの鳶


* 孫。心底、うらやましい。

* 久しく「いい読者」であって戴いた方が、病魔に遭われることも多くなった。わたしよりも年輩の方がもともと多かった。自然の数というしかなく、お一人お一人のご平安を心より願っています。

* 四月が、信じられないはやさで過ぎゆく。

                                                       

* 四月二十九日 火

* 起 床8:15 血 圧124-60(66) 血糖値88  体重67.9kg

* 朝から、眼が「花 ホア」である。
                                                                                                                                                                         
  ☆ 中三、俳句の授業。テーマは「愛」。
 「きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり」。
 前回に習った草田男の「万緑や」に引き摺られたのか、娘を嫁がせた父の寂しさだという意見が先ず出た後、「遠き」に注目しつつ、「きみ」との関係を巡って議論白熱。
 「逢ひに行く開襟の背に風溜めて」。
 こちらは大きな異論は出ず、真っ直ぐに駆けてくるような(心持ちでいてくれる)恋人、駆けていけるような恋人を持ちたいという話になりました。
 この年頃、やはり「恋」は重大な関心事のようです。  

* もう昔だが、東工大で実験していたわたしの『青春短歌大学』に倣って、滋賀県のある先生が、
 いくたびも( )の深さを尋ねけり  子規
と出題され、中学生諸君は懸命に独自の句づくりに励んだ。原作は「雪」。だが教室の圧倒的な支持をえた一字が、「愛」でしたとその先生から手紙を戴いた。 上の二つの句作者をわたしは知らないが、「きみ嫁けり」の句の「訃」を虫食いにしておけば、至難の出題になる、かろうじて原作に達する道が無いではない が。

* 能美の井口哲郎さん、 名酒「十代目」でお祝い戴いた。なんと嬉しいことか、越前の好きな盃で、ぐいぐいと頂戴した。わたくしから御礼申し上げねばな らないところ、不調法を恥じ入りながら、お酒の美味さに身を任せている。一日に建日子が来てもかれには車の運転がある。二人分、しっとりと至醇の名酒を頂 戴したい。ありがとう存じます。銘の「十代目」がおもしろい。有難い、が、それはいささか私書きかけの小説にかかわってくるので、この上は触れない。

* こころよく機械にむかい熟睡していた。宵の七時に目覚めた。

* 『初恋=雲居寺跡』を読み始めて、惹き込まれている。宮川寅雄先生に此の作が読めたのは「有難いでした」とお手紙を戴いたのが懐かしい。「あるとき」 という創刊された雑誌の巻頭に二回連載で仕上げた。河上徹太郎先生のご紹介だと聞いた。こういう仕事が出来ていればいいと言われ、嬉しかった。授賞式後の 席で、吉田健一さんとすっかり出来上がってられた(と見えた)太宰賞選者の河上先生に、「で、これからどうするんだね」と聞かれ、にこにこして「はい、わ たくしなりに、わたくしなりのものを」と口走った途端、「そんなものがあるのかね」と言われた、あの瞬間の大げさに言えば頓悟の畏しさを、今でもよく思い 出す。以後、わたしは懸命に各先生へ
答案を提出する気で小説の一つ一つを書いていった。あの場にご一緒だった吉田先生にはやがて松園女史を書いた「閨秀」を、朝日の文藝時評全面をつかって激賞して戴いた。あのころのああいうきもちを忘れていない。いまもわたしは文学青年のままだ。

* 今日の午前に妻と観たテレビの、「春日大社」神秘の祭儀を超好感度カメラで写しだしたみごとな番組に、感動した。涙を流して観ていた。とても、感動の 詳細を言葉で再現できないが、目にやきついた幾つもの場面場面は、いま読み返している自作の小説「初恋=雲居寺跡」とも結ばれ合うているのだ。


* 四月二十八日 月

* 起 床8:15 血 圧123-63(55) 血糖値80  体重68.2kg

*  昨日以来の「選集@」発送作業に手間も時間もかけていた。郵便局へ運ばねばならず、自転車に積んで一度に運べるのは十册が限度の重労働、函に傷つけたくな くまた汚したくなく、記番を書き入れたり私印を捺したり、さらに雨などに打たれないよう丁寧に荷造りが必要で、しかも挨拶を手書きしたり、宛名もみな手書 きするしかなく、妻と二人の分業でてんてこまい、危うく今夕の歯医者予約を忘れてしまうところで、着替えもせず鬚もあたらず大あわてでバス停の待ち時間に やっと間に合った。じつを言うと、昨日の今藤会のことも完全に忘却していて出かけずじまいに終えていた。アタマもボヤケて来ているのだが、なんともはや気 ぜわしく働いていた。
 昼過ぎか、能美の井口さんから今本が届きました、おめでとうと電話を戴いた。 

* 歯医者の帰り、江古田のブックオフで面白い小説の岩波文庫をと立ち寄ったが、気に入った物が見当たらず、岩波ではないキワモノの「京の魔界」探訪とか 案内とかいう女性の書き物に手を出してしまったが、とんでもない雑駁至極の書き殴り本で、ま、予期していた物の呆れかえった。ブックオフ向かいの「中華華 族」で、マオタイをダブルグラスに二杯呑んできた。

* 疲れた。晩はたいしたことも出来ず、「イ・サン」のシリーズでも最も劇的な展開の一時間を観てから、入浴。「八犬伝」とヒルテイと「結婚狂詩曲」という珍な取り合わせを少しずつ読み継いでいた。

* 明日の祭日も、同じように過ごすことになろうが郵便局はお休み。ほかの幾つもの仕事にも気も手も入れたい。
 

* 四月二十七日 日

* 起 床8:15 血 圧131-63(63) 血糖値88  体重67.7kg

* 朝、仕事にかかる前に陶淵明の一、二を読む。及ばずながら清爽の気に満たされる。失意の詩でも高揚の詩でも。生涯陶淵明集は手放せないだろう。唐詩選 は和綴じ大判の五冊評釈本を愛してきたが、文庫本を手に入れたい。手近に置ける文庫本は文字は小さいが便利でいい。                                     

* さ、今日は発送の下拵えに時間をかけたい。

* 作業しながら、黒澤明監督の「乱」を観たり聴いたりしていた。仲代達也畢生の猛演であり、原田美枝子、ピーター、野村萬斎といった異色の配役が効果ををあげていた。「ものものしい」映画だが、リア王の翻案としてもおもしろく、くろさわだから完成した監督作品だと思う。

* 函装を傷めないためにも荷造りに細心の用意が必要で、二人がかりで一日かけても沢山は用意できない。「湖の本」の発送とは、大違いで
、やっと二十册ほどの贈謹呈の用意ができた。むろん、幾らかは手持ちの蔵本としてのことしても、これぞという送り先へ送るだけで、五月の大半を要しそう。それでも、気の張る、また心地の晴れる作業で、晩年の大きな節目づくりになったとわたしも妻も喜んでいる。
 さ、気力でも体力でも、また何より資金的にも、今後、どれほどの巻数が造れるものか、賭のようなもの。順当に数えれば、小説だけで二十巻を要する。せめ て五巻は選びたいと気を張っている。                                            

* 『風の奏で』本文を読み終えた。大好きな作だが、ルビ打ちは大仕事だ。
 はじめて本を手にした人が、あまりに読み煩った腹立ち紛れに壁に投げ捨てたと告白してくれたのを懐かしく思い出す。しかもこの読者は此の作に魅せられ て、人もおどろく熱い愛読者になっていってくれた。当時安田武という著名なプロの読み手の批評家がいたが、主に此の『風の奏で』を念頭にしながら、わたし に「秦さんの小説は、文章も表現も阿片だね、一度掴まったらやめられないよ」と惘れたように話しかけて呉れたことがある。ことに平家物語の愛読者には、此 の創作の仕掛けは魔術的に思われたようだ。「歴史と文学」という堅い雑誌だから二度にもわけて載せてくれたし、文藝春秋の寺田英視さんだから佳い本に創っ てくれた。橋田二朗先生の装幀も素晴らしかった。
 第二巻は太宰賞の「清経入水」に此の「風の奏で=寂光平家」そして次へ「初恋=雲居寺跡」ともう一作他が加わるだろう。第一巻に優るともおとらぬものを集められる。怪我無く仕上げたい。
                     

 

* 四月二十六日 土

* 起 床8:15 血 圧121-62(58) 血糖値94  体重68.1kg  

 ☆ 
選集第一巻上梓 お疲れ様です。そして、おめでとうございます。
 すべて、了解です。
 保谷に行くのは、たぶん、5/1になると思います。
 楽しみにしています。   建日子
 
* 感謝。

* 土曜日曜は送り出す郵便局が休みなので、胸に空気を入れに、好天、ゆっくり街へ出てみる。仕上げ前の小説のことも思案したく。                                                                                            

* 何をしたどうしたということもない漫然と上野で「時間」を食べ歩いて、最後に、手術以来久しぶりに、先日テレビで紹介していたという根岸の 「香味屋」へタクシーで乗り込んだ。ここは何時でも店を開けている。フジタの繪がありビュフェがあり、相変わらず小気味のいい店であった。但し茄子の入っ たコース料理には弱って品を替えてもらった。赤ワインもたっぷりと美味かった。この店の難は、鶯谷の駅まで歩いて帰るのに腰のいたくなること。途中で、二 た休みもする。
 驚いたのは、香味屋のま向かいに、浅草に店だししていた寿司の「高勢」が、大昔の元の場所に帰って店を開けていたこと。こんどは、高勢へ行きたい。上野の街には行きたい天麩羅の店が二軒有る。天麩羅にはまだ食味回復の自信がない。強の洋食は、まずまず。
                                                                         
* つまらんなあと思いながら、電車ではずうっと銭鍾書の『結婚狂詩曲』下巻を摘み読みしていた。書いている当人は得意で、訳している日本人も大いに共鳴しているらしいが、作に「品」がない。漱石の「我が輩は猫である」になぞらえ読むなど、おけやいと思う。

* べらぼうに安価な苺を売っていたので二函保谷駅で買って帰った。

* 生憎か幸いか連休にはいると郵便局から本が送り出せない。ま、ゆっくりと荷造りに専念しておく。そうはいえ、「選集A」も「湖の本120」も、そして小説も進めなくては。五月八日から十五日まで、なにやかやと用事がかたまっている。
  建日子が来ると言うている。豊島園で妻の友だち夫婦と出会おうかという話も出来ている。「選集@」は、手渡し可能な人には手渡したいと思うが、飛び回って いては身が保たないかも。                                           


* 四月二十五日 金

* 起 床9:30 血 圧120-65(57) 血糖値86  体重68.9kg  

*  十一時ちかく、『秦 恒平選集 第一巻』がダンボール函入りで山のような嵩で届いた。玄関がまるまる塞がった。
 美しく仕上がっている。佳く出来ていればいるほど、発送には気を遣う。正直のところ気が遠くなる。ともあれ、題字を刻して戴いた能美の井口哲郎さん(元石川文学館館長)に真っ先に郵送してきた。無事に届いて欲しい。
 さ、あとのことは、ボーオッとしていてどう収まりがついて行くのか見当もつかない。豪華とは謂わないが美しい清潔な本になったという嬉しさを、妻とふたりで噛みしめながら、ワインと赤飯という妙な取り合わせでともあれ祝った。そのあとは全然手もつかない。
 このあとは追っかけて届く凸版印刷の請求書に、気丈に立ち向かわねばならない。豪華限定本をどんどん創ってもらっていたのは三、四十年も昔、いちばん新 しいのが、わたしの五十の賀に和歌山の三宅貞雄さんが渾身の力をこめて創られた、それこそ優美に豪奢な『四度の瀧』だった、あれが「秦 恒平・湖の本」のいわば旗揚げ本になった。谷崎松子さんの題字、森田曠平画伯の版画など入って組みも刷りも装幀も函も完璧だったが、当然ながら高価につい た。今回本は頁数にして、倍。ずしっと重い。あえて私家版の非売本にしたのである。
 ではあるが、本の姿・形よりも、「作」を観てほしい、作が「作品」を備えているか、それがわたしの、物言いは変だが「勝負どころ」。その辺を読み取って是非してくださる、またできれば永く恵存ねがえる各施設、各界の先輩・知友に感謝をこめ贈呈したい。
 所詮、これは私・秦 恒平の「紙の墓・紙碑」である。どこまで私の寿命がもつか、どこまで資金がもつか、或る意味で楽しめるゲームのようなものか。息子の、やはり作家である秦建日子が「発行者」の名を副えてくれたのが嬉しく、有難い。
 昨日詠んだ述懐歌を、此処に、置く。

* をしげなく花びらくづし大輪の赤い椿は地にはなやげり   恒平

* 咲き残る木瓜の紅しづかなりいましばしつよく生きてありたし  湖 

* 杜甫の有名な「飲中八仙歌」の最初の登場者は、賀知章。詩っていわく、
  知章の馬に騎るは船に乗るに似たり  眼花(くら)み井に落ちて水底に眠る と。
 この二行目の 「眼花落井水底眠」の中の「花」字がおもしろく、かつビックリした。興膳宏さんに教わっているが、「眼に花が咲く」つまり「目がチラチラ するという意味になると。「歳をとって段々、字が見えにくくなりますね。そういう状態を中国語で『花 ホア』と言いますが、酔っぱらって眼がチラチラして 井戸の底、水の底で寝てしまう、そういう酔いっぷりだと」杜甫は詩にしている。酔いっぷりはともかくとして、わたしの只今の眼の状態、これ、まさしく「花  ホア」であり、「ちらちら」と謂う意味もすなわち水中水底に浮遊しながらものを観ている感じなのである。「ホアっ」としている、「ホアホア」として潤ん でいる。よろしくない。

* 三好徹さんの『大正ロマンの真実』は荒削りにぶっつけの叙述だが、シベリア出兵と尼港事件の惨劇、血の復讐がすさまじく、また、朴烈・金子文子の天 皇・皇太子への暗殺計画をめぐる知見に驚かされた。愛しあっていた二人の徹底した反体制姿勢の迫力に眼をみはった。政界の汚れや、総理や元老や華族たちの 女をめぐるあれこれなどは、ただ気色悪いだけである。労働運動の勃興や権勢への徹底した批判のなかに、むしろ時代のロマンをわたしは感じた。


* 四月二十四日 木

* 起 床9:30 血 圧129-66(60) 血糖値79  体重68.9kg  

*  酒といっても今ウイスキーも日本酒も払底してて、缶ビールとワインが少々、その少々のうちシャブリの白を昨日と今日とでせいぜい一本足らずを呑んだだけな のに、昨日も二時間ほど、今日は昏睡ぎみに三時間以上も寝入ってしまった。いい具合に酒に弱くなっているのか、ふつうの缶ビールがこのごろ一缶呑みきれず に置いてしまう。そしてうたた寝する。「家では」である。
 戸外、出先での酒には、めっぽう強い。強烈なスピリットのマオタイ酒とズヴロッカとをつづけざま杯を重ねても平気で、なにごともなく帰宅している。醸造 酒に弱くなっているのなら、それはそれで良いと自覚している。酒はうまければ少量で足りるのが最適なのだから。仕事をする家で寝てしまうのは、気持ちは別 としてもメイワクする。恥じ入るほどに仕事も用事も有るのだから。

* オバマ米大統領を国賓として迎えている。なにもかも安倍「違憲」内閣のご都合で算段した「国賓あしらい」と見えて、天皇さん方のご苦労をつい思ってし まう。前二度の来日はふつうの訪日だった。今回ことさら「国賓」をオバマに強いてでも遁れたい外交内政の難儀を、よほど手前勝手に安倍「違憲」総理が自ら 抱え込んでいるというだけの話であり、それでいて、アメリカ世論をつよく「失望」させた靖国参りの愚行をこれ見よがしに内閣と党とを上げ直前に強行すると いう国際感覚に欠けた失礼まで敢えてしている。それでいて、「バラク、バラク」と恥ずかげなくファーストネームを連発の猿芝居、見苦しいこと、この上な い。
 日米の銘々に怖れ畏れているのは、中国とロシア。けわしい「新冷戦」の見え隠れ拡大傾向は、第三次世界大戦への発火点をむしろ進んで数増そうとしてい る。うまい寿司と酒とを二人でどれほど飲み食いしたかなど、滑稽な茶番であり国際宥和に何の役立つことではない。それよりも、戦死・戦没者への慰霊は靖国 でなく千鳥ヶ淵ないしそれに準じた新施設でとズバリ「決め」てしまうだけで、アメリカの余計な「失望」も、中韓らの「ヒステリックなイチャモン」も出場を 喪う。よほど日本の国益を増すはずであろうに。なにもかもバカげている。

* 井口さん、お電話頂く。
 いよいよ、予定通りなら明日に『秦 恒平選集 第一巻』が出来て家に届く。460頁、函入り布装本で、けっこう重い。傷めないように送り出すのは手間も方法も難しくなる。いちいち手渡したい ほどだが、相手のあることで思うに任せない、と、なると必要な分をもな送り出すのにたいへんな日数と手とがかかりそうだ。ま、それも良い、だれにメイワク をかけるでもない。売り物ではない。祝っていただくのである。



* 四月二十三日 水

* 起 床8:30 血 圧140-69(57) 血糖値103  体重68.9kg  

*  小松の井口さんに、「選集@」の函、表紙、総扉等に使わせて頂いた刻字金圧し等の見本を速達で送った。久しい親交の一つの「形」が成ったのをよろこんでい る。ほかにも幾つか使わせて頂いた。神戸の木山蕃さんに頂戴した「湖の本」印も大事なところへ使わせていただいた。細川弘司君の描いてくれた肖像もきれい に収まった。
 予定どおりだと、明後日出来てくる。
                                                                                                                                                                  
* 井口さんへの速達を投函しておいて、そのまま好天の下、自転車で近隣をしばらく走ってきた。花咲き、新緑萌え、風そよいでいた。泪の湧くのはドライアイ気味にはわるくないが視野がにじんで危なっかしい。自動車道路の狭い歩道を走るのはかなりヒヤヒヤする。

* ペンの元の同僚委員で大学の後輩でもあるという、エプソン社勤めの人に、このごろわたしの機械で使えなくなっているEpson File Managerについて教えを請うた。親切に教えて貰った。さ、教えられたとおりが巧く出来ますように。
Epson File Managerには、写真のトリミング機能があり重宝していた。Dimage Viewer   にもトリミング機能が有れば助かるのだが、よく分からない。写真の楽しみはトリミング効果なのである、わたしには。よく分かってられる人、ご指南くださ い。

* 書庫へ入って、本の点検を始めたが、仕事にならない。もともと不要と思うような本は置いてない。棚を一段アケルにさえ辛い思いをする。一つには、どう するのか、がある。@捨てるとという処分、A図書館や施設へ寄贈するという処分、B適切な人に差し上げたいという処分。 どれも選別が難しい。いろんな人 を書庫へ招いてお好きな本は差し上げますと言いたい気持ち。そんなことは出来そうで出来ない。なによりわたしの愛着が一冊一冊に濃い。だが、強引にでも書 棚を空けねば遺したい本が収容できない。この試み、何十遍繰り返してもまるで進行しない。
 まだ書庫は冷えている。長い時間いると、息ぐるしく胸も痛んでくる。それでいて手にした本をついつい読んでしまう。わたしの関心からまるで逸れたような本は一冊も置いてないはずなのだ、仕様がない。

* 冷えた白のシャブリを昼間から呑んで。うまい酒があると機嫌はいいが、仕事にならない。仕事からわたしを引っぺがす酒があるというのは、ま、幸福に類する。

* 昨日、われながら驚くほど腕も脚も働かせた、今朝も故紙回収の手伝いで重い束を幾つも運んだ。それから書庫に入り、とにもかくにも沢山な本に触れては積んだり崩したり読んだり思案したりし続けて、その間に胸が痛み始めた。筋肉疲労だけならいいのだが。
 なにとなしダルい。目もよく見えない。書くのはさほどでないがたくさん機械の文章を読んでいた。眼精疲労もやむをえない。
 休息がわりに黒いマゴの輸液を手伝いながらゲリー・クーパーの西部劇をたわいなく観ていた。観終えると、すぐぐれごりー・ペックの「アラバマ物語」が映りはじめた。それは後日の楽しみに電源を落としたが、もう仕事らしい仕事ができそうにない。

* 機械の文章は文字を大きくして読むようにしている。本も、文庫の字は小さいのが難で、辛いときは単行本の字の大きめのを読む。いま手にして愛読し続けている田能村竹田の画論『山中人饒舌』が読みやすく、読みやすければ自然惹きこまれる。
 西山松之助先生の三回忌記念に奥さんから頂戴した『茶杓探訪』も読みやすく、かつ興趣に富んだ鑑賞と批評でもあって、手元に置いていてはもったいない気 がするが、茶杓を自分で削るほどの人にあげたい、そんな人はめったにいない。札幌の真岡さんに削らないかと嗾しているが、返事がない。今日書庫に入ってい て、やはり西山先生茶杓の図説ものがみつかり、懐かしかった。
 漫然と図書館に入れるより、愛読もし愛蔵もしてくれる人それぞれに上げたい本が無数にあるが、問い合わすことも難しい。図書館学をすこし囓っていた朝日子がいれば、蔵書目録をつくってもらって、それを公開して希望者を捜せるといいのだが。
 日本の古典、日本の文学史、近代文学、文学研究、作家論、作品論、伝記等々。そんなふうに歴史、美術、詞華集、それと事典、辞書が多種類。広範囲にいつのまにか揃っている。辞書は生涯大事に生かしてきたが、それでもまだ間違う。(フルメトロン点眼)。
                               
 ☆ 昨日送信しましたメールが  (妻宛て)
 何をどう間違えたのか、ご主人様のところに届き、そして、本文が送信されず、添付の写真だけ届いた様子。失礼いたしました。Windows  8.1に余儀なく変更後、時折首をかしげるような事態が発生します。原因が分からず首をかしげています。もう一度送ってみます。ご主人様にはどうぞよろし く誤っておいてください。
 送りました写真は娘の家族で。一緒にメルボルンの国立公園のthe grampiansの岩山に登ったものです。孫が顔を隠していたので、彼 一人を1枚。往復3時間以上の岩山で、枯れ枝の杖を頼りに孫たちにつられて登りました。下りの方が、足首をひねりそうで怖かったです。やはり広大な自然は 素晴らしいでした。泊まったモーテルには朝、夕、野生のカンガルーや兎、鹿までがすぐ側までやって来て草を食べています。久しぶりの孫たちとの1週間は アッという間でした。留守居の主人もマー無事のようでした。
 朝日新聞で漱石の「心」が100年前の同日4月20日から連載されています。
 100年後も通じる批評として取り上げられたようです。毎日こころして読みたいと思っています。
 秦様のコメントが出るかと期待していましたが、大江健三郎氏への取材記事でした。「湖の本エッセイ17」の『漱石「心」の問題』を取り出して読ませていただいています。
 この1年はまずスマホに変わり、パソコンが新しくなり、次にプリンターと翻弄されています。
 そして洗濯機。電子レンジ。ガスヒーターともうどれもこれも故障して新しくなると使い勝手が悪く、何かいつも説明書片手の毎日を余儀なくされているようです。
 私たちもきっと世間とうまく調和できなくなっているのだろうと思いながら過ごしています。
 メルボルン行で、城郭協会の手伝いも休みましたが、ボランティア仕事は変わりが少ないので、そう休みも取れません。
 天候が不順な日々、どうぞお二人ともお身体おいといください。  練馬                     

* 朝日が「こころ」を連載という話、ホホウという感じ。

 ☆ 
おじい様 おばあ様
 先日は、温かいメールをありがとうございます。
 (中略)
 現在、休みは火・水曜日です。
 そのうち1日は、びっくりするぐらい寝て過ごしますが、残りは活発に過ごしています。
 おじい様おばあ様と、どちらかの日にお会いできたら嬉しいです。
 おじい様から直接、体調が安定していると聞けて安心いたしました。
 目だけがいけないとのこと。
 何か私がお手伝いできないかなぁ、と思っております。   

* 亡きやす香に代わって、わたしたちを、こう呼んでくれる人。嬉しく、真実 感謝し愛している。幸せであり続けて欲しい。      
 やす香の妹の押村みゆ希はもう大学生かと想われるが、どこでどう暮らしているのかも全く分からない。両親が愛をこめて名付けた「朝 日子」の名を改名してまでどこかで暮らしている「やす香・みゆ希の母親」は、健康な精神で生き生きと幸せにしているのだろうか。それなら良いが。
  「真の身内」は、血縁やDNAが決めるのではない、と、しみじみ思う。妻がいて建日子がいて、黒いマゴもいて、いま、やす香の親友もいてくれる「身内」の 有る、幸せ。そういう形而上的な実感を此のわたしに育ててくれたのが、漱石の『こころ』であった。一つ下のわたしに春陽堂文庫の『こころ』を手渡して戦後 の新制中学を卆えていった人、その人」が生まれて初めての最初の「真の身内」であった、以来六十余年、昨日も今日も、明日も、わたしは「その人」を、今ど こにどう暮らしているのか、元気なのか、何一つ知れずにいるただ「その人」を、生みの母よりも育ての母よりもまこと「母」であったような「姉」と、身に沁 みて感じ、思慕している。お元気でと祈らずにおれない。  

 ☆ 今夜は
 勤め先の歓送迎会で、柚子酒と白ワインを少し。
 蛸と里芋の炊き合わせにも柚子がほんのり。
 ライトアップされた大神宮の境内の石楠花が艶やかでしたよ。                                            


* 四月二十二日 火

* 起 床7:00 血 圧136-65(54) 血糖値88  体重68.6kg  

*  余儀なく、奮発して、新刊「選集@」搬入のために玄関に積んだ本を隣棟へ運び込んだ。運び込むためには隣の玄関に山積みのべつの本をなんとかして、どこか へ片づけ片寄せねばならず、本の包みは岩のように重くて参った。ロキソニンの世話にもなり、したたか汗もかいた。
 我が家はひろく自室は15畳あり、空き部屋もあります、少し受け容れましょうかと声がかかっている。本気にしてしまいそう。羨ましい。我が家には八畳の 間も無い。秦の両親が最晩年に短期間くらした隣棟も、一階は、本包みや初出本や新刊刷りだしや発送用の袋などなどでもう脚の踏み場もなく、二階は二階でバ ンザイするより無い。
 ま、いいか。成るように成るだろうか。成るまいなあ。
 

 ☆ ご無沙汰いたしております。
 ご執筆も続いて、お元気なこととお喜びしております。
 はりきってはおりませんが、元気にはしています。
 
 例のようにパソコンがXPでしたので買い換えたところ、使いこなせなくて大変不便していました。 
 あまり公表していなかった仕事ですが一応公の立場を離れたので気持ちが楽にはなりました。
 気分の一新もかねて、茨城空港から一番便の福岡便にのってみました。
 お目にかかる機会があればと願っております。 

 ☆ みづうみ、お元気ですか。
 能楽堂にいらしたことを拝見して、羨ましくなりました。私も行けたらと願ったのですが、体調が悪くて断念しました。

 最近しみじみ思いますのは、2011年3月11日は、将来「日本が終わった日」として記録されるのではないかということです。3・11のあとの自分の人生は余生ではないかと。
 東京新聞が少しがんばっているくらいで、原発事故のことは最近殆ど報道されません。東京電力 の記者会見などを読みますと、作業員の凄まじい被曝が続くだけで、収束作業は完全に破綻しています。フクシマは工事のふりをしているだけです。東電という 一企業ではもはや手に負えない、どうしようもない事態であることは明らかです。明日壊滅的惨事になっても少しも不思議ではありません。このまま東電まかせ にしていては早晩この国は崩壊します。
 たぶん政治は、フクシマのこの絶望的危機を理解していません。理解したくないのかもしれません。真相を直言できる人間もいないのだと思います。上の嫌がることは伝えないという卑怯、卑屈な事大主義や過剰な忖度でしょうか。
上 から下まで臭いものに蓋で行けるところまで行くつもりのように感じます。目前の地獄に無関心な多数の日本人を見るにつけ、終わっているなと感じてしまいま す。どこかに、「見たくない真実より安心できる嘘」とか「みんなで死ねばこわくない国民」とか、そんなことを書いていたひともいました。
 日常的にそんなことを考えていると、自分の胃の具合も悪くなって当然でしょう。心から笑うことがないのは困りものなので、最近は笑顔を作ることを意識的に心がけています。
 みづうみ、お元気ですか。
 今日は久しぶりに外出しましたので、遅れに遅れておりました湖の本の払込をすませることができました。
        春愁や稽古鼓を仮枕   たかし     

 * ほっこり疲れてしまうと、つい、手近な勅撰和歌集を開いては読み開いては読みして、気の塩梅をとっている。

    水そこにむらさきふかくみゆる哉
        きしの岩ねにかかる藤なみ  大納言実季

 たいした和歌ではないが、もう何年になるか、ふっと思い立って妻と足利学校の近くまで藤の盛りを見に行ったのを思い出す。藤は枝振りなどすこしこわいの だけれど、花の色よさ美しさに惹かれる。応挙が描いた優美な藤の屏風は、同じ応挙の雪松図とともに忘れがたい。あの屏風、根津美術館で観たか。花のすぎた あの根津の園池も茶室も懐かしい。館の真向かいで天丼を食べた。あのちかくに佳い喫茶店もあった。
 どこかを飛行機が飛んでいる。障子の外に日射しがある。雨でなかったのなら街へ出てみたかった。
                             
* メルボルンの友だちから、娘夫妻や孫たちらの晴れやかな写真が二枚送られてきた。オーストラリアかあ。                    

* 『風の奏で』を夢中で読んでいた。場面は仙台へ--動いている。眼が、だが、ギトギトしてきた。

 ☆ 
四国の旨い物市で
 阿波和三盆糖と芋焼酎(お酒の効いたお菓子好きなのです)を使った鳴門金時のスイートポテトを買ってきました。
 なかなか美味しかったです。
 食欲、出てくるといいですね。
 
躑躅も見頃近いと今日のテレビのニュースで言ってましたが、近所の公園の藤棚の藤も、はや綺麗に咲いていましたよ。
 季節は、先に先に着実に進んでいるのですね。
  

* ウヘッというほど、甘そうなポテト。躑躅も燃え始める季節か。ほんとうに、花が佳い。四季、花が好きだ。

* 達者なダスティン・ホフマンと、比較的好きなルネ・ロッソの離婚夫妻が、優秀な防疫医師として、おそろしい疫病がらみの軍の無道映画を、黒いマゴの輸 液の間から、観た。映画の魅力は画面の展開・進行。文藝まがいに凝るとダメ、たいてい。映画の画面展開もまた音楽の味。録画のおかげで映画も本のように繋 ぎで読めるのが有難い。


* 四月二十一日 月

* 起 床8:00 血 圧123-57(55) 血糖値92  体重68.3kg  

*  『凱旋門』新潮文庫上下巻を読了。佳い読書だった。人物のだれもかも生きていたこと、無類の感銘。ラヴィック、ジョアン・マヅー、ケート・ヘグシュトレーム、モロゾフ、ローランド、淫売宿の女主人、安ホテルの女主人、みな忘れられない。
 作の題に登場人物の名が出ていれば、それは覚える。オデュッセイ、シェイクスピアの四悲劇、若きヴェルテル、フアウスト、アンナ・カレーニナ、モンテク リスト泊、ゲド、ボヴァリー 夫人、アイヴォンホー、チャタレイ夫人等々。そうでない作で作の人物名をあたりまえに覚えていることはそう多くない。『凱旋門』のラヴィックは出逢った昔 からなぜか特別の人物だった。  
  今度の読みには、つらいほど「日本の悪現状」がうち重なってきた。ただヒットラーの昔ごととは思われなかった。胸をしめつけられた。しかもそこに生きる人 たちの智慧と善良と気品。                                                                                                   

* 我ながら惘れるほど沢山な、ちょっと意地悪い、かなり答えにくい質問を、毎時間始めに胸ぐらをつかむように東工大生に突きつけていた。こんなに問い続 けて、自分は答えないのかと思い直し、丁度一年余り前から自問に自答し始めていたが、いやもう難しくて閉口している。良くもこんな質問に学生諸君は答え続 けたものだ、あれ以降コンナシビアな問いを突きつけられ答え続けたこと、無いのではないか。質問がどれほどの数か数えもしないがとてもハンパな数でない。 わたしは一年掛けてまだ三分の一も答えたろうか。
 ま、「* 故郷の「山」「川」の名前をあげ、今「故郷」とは何かを語れ。」「* 自身の「名前」について語れ。」など極く
最初の方はなんとか成っていたが、「* 何なんだ、親子って。」「* 今、 真実、何を愛しているか。」「* 何を以て、真実、今、自己表現しているか。」「* 寂しいか。」「* 今、心の支えは在るか。」「* 真実、畏れるもの は。」「* 不思議を受け容れるか。」「* 秘密をもつか。」「* なぜ嘘をつくか。」等々となってくると、容易でない。全部答えるのにもう三年もかかっ てしまいそう、生きていられるかなあと心許ない。「湖の本」にすれば何冊要るだろう。
 前にも挙げたか知れないが、わたし自身の尻を叩くためにも、質問の全部を借用証書なみに以下にかかげて置く。お気持ちのある方は、自問自答されてはいかが。まさに「自問自答」の「白状」であります、ウソを書かない限りは。 


 ☆ 資料・東工大学生が秦教授へ書いて答えた「挨拶」一覧  (順不同)

*故郷の「山」「川」の名前をあげ、今「故郷」とは何かを語れ。 *自身の「名前」について語れ。 *身にこたえて友人から受けた批評の一言を語れ。 * 身にしみて学校(大学は除く)の先生に言われた言葉を思い出せ。 *「別れ」体験を語れ。 *「父」へ。 *何なんだ、親子って。 *今、真実、何を愛し ているか。 *何を以て、真実、今、自己表現しているか。 *寂しいか。 *今、心の支えは在るか。 *真実、畏れるものは。 *不思議を受け容れるか。  *秘密をもつか。 *なぜ嘘をつくか。 *信仰とは *もう一人の自分へ。 *「位」の熟語一語を挙げて所感を。 *「式」の熟語一語を挙げて所感を。  *仮面を外すとき。 *親に頼るか、子を頼るか。 *結婚と同棲 *死刑・脳死・自殺を重く思う順にし所感を述べよ。 *誇れる国とは。 *今、思うこ とを述べよ。 *自由とは。 *(漱石作『こゝろ』の先生に倣って)「恋は( )( )である。」 *漠然とした不安について述べよ。 *人間のタイプを強いて一対(例・ハムレットとドンキホーテ)の語で示し、所感を述べよ。 *何が恥か しいか。 *「日本」を示すと思う鍵漢字を三字挙げよ。 *なぜ嫉妬するか。なにに嫉妬するか。 *セックスについて述べよ。 *絶対なものごとを挙げ よ。 *家の墓および墓参りについて述べよ。 *わけて逢いたい「  」先生。 *科学分野に「国宝」が在るか。 *清貧への所感を。 *「性」の重み。  *いわゆる「不倫」愛に所感を。 *「参ったなあ」と思ったこと。 *自身を批評し、試みに、強いて百点法で自己採点せよ。 *「挨拶」について。 *今、政治に対し発言せよ。 *東工大 の「一般教育」を語れ。 *心に残っている「損と得」を語れ。 *他を責める我を語れ。 *報復したことがあるか。  *仮面をかぶる時は。 *結婚とは学問分野に譬えれば「 」学か。 *一生を一学年度と譬えた場合、あなたは現に何学期の何月何日頃を今生きているか。  *「脳死」「死刑」「自殺」の重みに順位をつけ、所感を述べよ。 *国を誇りに思う時は。 *嬉し涙・悔し涙を流した記憶を語れ。 *「心臓」と「頭脳」のどちらI「こころ」とふりがなせよ。何故か。また東工大の他の学生がどう選ぶか、比率で推測せよ。 *「心」とは何か。 *何から 自由になりたいか。何から自由になれずにいるか。 *生かされた後悔、生かせていない後悔。 *ちょっと「面白い話」を聴かせよ。 *話せるヤツ、また は、因縁のライバル。 *今「思う」ことを書け。 *いま「気になる」ことを書け。 *疑心暗鬼との闘い方。 *あなたは信頼されているか。 *あなた自 身の「原点」に自覚が有るか。 *自分の「顔」が見えているか。  *兵役の義務化と私。 *何が楽しみか。 *心残りでいる、もの・こと・人。  *Realityの訳語を一つだけ挙げよ。何によって・何を以て、感受しているか。 *「童貞」「処女」なる観念の重みを評価せよ。 *自分に誠実とはど ういうことか。あなたは誠実か。 *何があなたには「美しい」か。 *何でもいい、上手に「嘘」を書いてみよ。 *あなたの「去年今年貫く棒の如きもの」 を書け。 *「生まれる=was born」根源の受け身の意義を問う。 *井上靖の詩『別離』によって、「間に合ってよかった」という、出会いと別れの運命を問う。*漠然とした不安、あるか。 *「魔」とは何か。 *「チエ」 に漢字を宛てよ、何故か。 *「風」の熟語を五つ選び、風を考えよ。 *「死後」を問う。 *「絶対」を問う。 *「祈り」を問う。 *生きているだから 逃げては卑怯とぞ( )( )を追わぬも卑怯のひとつ この短歌の虫食いに漢字の熟語を補い、所感を述べよ。 *上の短歌に補われた多くの熟語回答例か ら、もう一度選び直し、所感を述べよ。 *「劫初より作りいとなむ( )堂にわれも黄金の釘一つ打つ」という短歌に一字を補い、その「( )堂」とは何 か。「黄金の釘」とは何かを語れ。 *落語「粗忽長屋」を聴かせて、即、「自分」とは何か。 *「春」「秋」の風情を優劣せよ。 *今、何が、楽しいか。  *「血」について語れ。 *集中力・想像力・包容力・魅力。自身に自信ある順にならべ所感を記せ。 *「事実」とは何か。信じるか。 *「絵空事」は否 認するか、容認するか。 *「幸福」は人生の目的になるか。 *「惜身命」と「不惜身命」のどちらに共感するか。何故か。 *毎時間読んでいる井上靖散文 詩の特色を三か条で記せ。 *五年後、新世紀の己れを語れ。 *今期言い残したことを書け。 *公園で撃たれし蛇の無( )味さよ この俳句の虫食いを補 い、その解釈を示せ。 *命は地球より重いか。 *命にかえて守るもの、有るか。 *喪った自信、獲た自信。 *仮面と素顔の関連を語れ。 *漱石作 『こゝろ』で「先生」自殺のとき、先生、奥さん、私の年齢を挙げよ。 *漱石作『こゝろ』で「先生」自殺後の、未亡人と私との人間関係を推定せよ。 *目 から鱗の落ちたこと。 *「私」とは何か。 *あなたは卑怯か。  *自分が自分であることを、どう確認しているか。 *「情け」とはどういうものか。風情・同情・情熱のどれを、より大事な情けだと思うか。何故か。 * 「死ぬ」「死なれる」重みを不等記号で結べ。何故か。 *「本」を読む、とはどういうことか。 *「恋は罪悪、だが神聖」になぞらえて「金は(  )、だ が(  )」である。何故か。 *あなたにとって「大人の判断」とは。 *踏絵を、踏むか。何故か。 *人の「品」とは、どんな価値か。あなたに備わって いるか。 *「自立」を語れ。  *むしって捨てたいほどの「逆鱗」があるか。 *性生活の、生活上健康な程度を、人生(10)に対し、どの水準に設定(予定・願望)したいか。何故か。   *「未清算の過去」があるか、どうするのか。 *「神」は、(人間に)必要か。 *罰は、当たるか。 *あなたの価値観とは、つまり、どういうものか。信 頼しているか。 *いい意味の、男の色気・女の色気を、どうとらえているか。 *二十一世紀は「 」の世紀か。何故か。 *みじかびのきゃぶりきとればす ぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ このコマーシャル短歌の宣伝している商品を推定せよ。 *秦さんに今期言い残したことを書け。 *「死後」は必 要か。 *命とは。命は地球より重いか。 *運命天命未知不可知を「数」と呼び、その「数」を見出す・拓く方法や意思を「算」ないし「易」と呼んだ東洋的 真意を推測せよ。 *迷信の意義、迷信とのあなたの付き合い方は。 *「情け」とは。「情けが仇」「情けは人の為ならず」「情け無用」のどの情けを重く見 ているか。 *「縁」とは。 *「不自然」は活かせるか。無価値か。 *「工」一字を考えよ。 *「花」の熟語を五つと、好ましき「花」を語れ。 * 「(  )品あり岩波文庫『阿部一族』」の上句の虫食いに一字を補い、かつ所見を述べよ。 *仮想敵を語れ。 *「父」とは。 *虚勢・嫉妬・高慢・猜疑・卑屈  自身の蝕まれていると思う順番に並べ替え、思いを述べよ。 *「常」一字を英語一語に翻訳し、日本語「常」の熟語を幾つか添えて、自己観照せよ。 *人生 は「旅」であろうか。 *第一原因として「神」を信ずるか。 *証拠・証明が無ければ信じないか。無くても信じられるとすれば何故か。 *直観は頼むに足 るか。勘・直感と直観とは同じか。例を添えて述べよ。 *日本のいわゆる「道」を考えよ。 *親は子を育ててきたと言うけれど(  )手に赤い畑のトマト一首の虫食いに一字を補い、作者(俵万智)の親子観を批評せよ。  *二十一世紀を語れ。 *最期に、秦さんに言い残したことを。
                                                      
* 何より急務として、選集@を受け容れる「場所」を生み出さねばならない、玄関にもものが山積みのママ、それだけでもどこかへ移し運ばねば。明日、雨の予報だが、降られても何とかしないと。

* テレビでコレステロールのLH比の話を聴いた。わたしは聖路加で、内分泌でも感染症でも腫瘍内科でも血液や尿の検査を歳々受けていて、総じていつもドクターに満足して貰っている。
LH 比も1.6と、正常値の2.0をぐっと下回っている。あまり脂っ気を食べなくなっている。糖分は欲しているし日本酒も飲んでいるが、血糖値は(インシュリ ン注射の御蔭で)正常値を保っている。もづくや昆布は好きな方だし、納豆も毎日食べている。鮨屋へ行けば青魚を気をつけて食べるし、歌舞伎座では鯖寿司が うまい。むかしと違い、大好きだった天麩羅がまだ味なく、肉にもあまり手を出さない。なにより多量の食事が苦手になっている。
 ま、この調子でいたい。体重は手術後で66キロ(術前より22キロほど痩せていた)だったのが、いまF68キロ台へ戻ってきている、が、かなり心して急 激にリバウンドしないように心がけている。杖には頼っているが、せいぜい街歩きに出たく、それでのほうが不要な体重増が防げる。体重と体形とは今の方が以 前より健康的なバランスになっている。問題は、眼。強度のドライアイとも見え、極度の眼精疲労とも謂えようか。せめてメガネが眼に合ってくれているといい のに、どのメガネをかけても水のなかを游いでいるように視野が濡れて滲んでいる。

* それでも気だけは、読書が十分楽しめ、観劇も科白や音曲が楽しめる、演者の顔はよく見えなくて悔しいが。

* 打てば響くというのは、きもちのいいものだ。




* 四月二十日 日

* 起 床9:20 血 圧121-64(61) 血糖値83  体重68.1kg  

*  いましも私が些かの思案・躊躇をすて、正面から名乗り名乗ろうとしている卑号「有即斎=うそくさい」が、近時・今日・以降の、われらが「日本」に向けた慨嘆の「批評」に他ならないことを、今日、はっきり書き留めておく。
 政治・行政も、科学も、営利の商売も、教育も、経済の運営も、新聞・雑誌も放映・放送も、なんとなんと「ウソくさい」に充ち溢れていることか。無責任極 まる原発の安全神話などを皮切りに、この半世紀に積んだ悪質な日本の「ウソ」で、國も社会も自家中毒に陥っている。せめては一人一人がそれを「うそ臭い」 と払いのける「批評の厳しさ正しさ」をもたねば、みながみな足下の奈落へ落ちて行くことになる。
 もとより「うそ臭」くない良いモノ・コト・ヒトを見捨ててはならない、しかと盛り立て守り抜かねばならない。
 そのためにも「うそ臭い」という嗅覚の鋭敏を「不可欠な素養」として人は身につけねばならない。斬り捨てるものと、残して育てるモノとの仕分けが本当に本当に必要な「危うい時節」だと覚悟しなくては。   
 「言うはやさしい。」行わねば無意味になる。

* レマルクの『凱旋門』では、いまやドイツの攻勢をおそれ、パリも灯火管制の闇に沈み、避難民やユダヤ人はアメリカや南米等へ遁れたくても遁れにくいア イデンティティの不安に暗澹としている。「ドイツ軍はポーランドをとるでしょう、それからアルザス・ローレンスをよこせっていうでしょう、そのつぎは植民 地。そのつぎは何かほかのものをよこせとくるでしょう、しまいにはみんな投げだしてしまうか、戦争しなくてはならなくなるまで、いつまでも、もっとよこ せ、よこせですよ」と、避難民達を非合法に入れている安ホテルの女主人はラヴィック医師に話している。またある男はこう彼に話している、「親爺はこのまえ の戦争で殺られました。祖父さんは一八七○年に殺られました。わたしも明日行きます。いつまでたってもおんなじこってすよ。こんなことをもう二百年もやっ てきたが、どうにもなりません。また行かなくちゃならんのです」と。
 いまクリミヤのロシア占拠につぐ東ウクライナ状勢を念頭に想えば、上の「二百年」は、かるく「三百年も」と推移しているに同じい。そしてこれが「よそご と」ではない、日本列島に実は同様の憂慮・脅威が迫り続けて、われわれはすでに日本領空の自由」を、「首都上空の自由」をすら米軍にガツンと抑えられてい るし、極東の隣国もまた虎視眈々と日本領土の蚕食を考え続けている。
 おそろしい。だから、どう在るべきか。安倍「違憲」内閣は、交戦権と軍備を第一義に、核兵器志向をすらもはや露わに仕掛けている、が、それが本当に聡明 で確実性のある政策であるか、いまのところ、わたしには大いに疑わしい。日本の外交下手は歴史の証するようにほぼ絶対的に否めない。そもそももはや鎖国で 逃げられる世界事情ではない。経済で勝ち抜けるとももはや思われない。労働力も、かりに兵力を算定しても、とても他国に対抗できる現実味がない。
 なにが誇れる日本であるか。政治でも経済でも軍備でもない。文物と技術と自然と歴史が築いてきた、またこの先も築いて行ける文化力を願うのが、ひ弱そうでも本格の本道のように思われて成らない。

* 五時半に豊島園に着いた。オープンの店は見つかったが六時開店だったので、祝儀だけを先渡しして、馴染みのない豊島園の駅近くをゆっくり歩いてみた。 遊園地の豊島園があるだけの田舎と思っていたのが今や認識不足らしく、、えらく駅前など賑わっていた。店もたくさんあった。「としまりん」というバーを見 つけて入ってみた。感じのいい店と客あしらいが気に入り、少し珍しい名前のビールを呑み、カルヴァドスがあるかと聞くと有って、かるいつまみと一緒に味 わった。店の雰囲気はちょっと較べにくいが、こころよさでは築地の「茜屋珈琲」がとても気に入っているのにやや似ていた。また来る機会があるかは分からな いが印象にのこった。
 六時半ごろ、オープンの「VELVET」に入ったが満員の立ちん坊で、わたしは大体立食や立ち飲みは苦手なので、今夜は飲み食べ放題という「スパークリングワイン」をカップ半分啜っただけで失敬してきた。
}
* 今週はここ数日雨もよいらしいが、週末には晴れて「選集@」が出来てくる。次いで日曜に「今藤会」で一日唄と音曲を聴き、高麗屋父子と病癒えた三津五 郎の踊りも楽しんでくる。帰りに麹町でまた中華料理、というよりさっぱりと蕎麦など食べて帰れるかどうか。月曜には歯医者で新しい差し歯が入る。
 わたしにゴールデンウイークは何の関係も無いが、月替わりの一日、建日子が帰って来ると予告有り。「選集@」刊行を喜んで祝ってくれると嬉しい。八日ま で何のアテもなく、八日夜明治座の染五郎「伊達の十役」以降になると、わたしも妻も病院通いが毎日のように続く。十五日には俳優座公演に招かれている。劇 壇昴も「リア王」という佳い公演の案内を呉れている。

* 『凱旋門』ではとうどうラヴィック医師が、パリに遊んでいたゲシュタポの怨敵ハーケを徹底的に殺した。いま、貴婦人ケート・ヘグシュトレームは骨と皮 になりながら医師に見送られてアメリカへ帰っていった。そしてジョアン・マヅーは今、男に撃たれ、医師は懸命の手術を施したけれど死にかけている。作中を 嵐が吹きまくっている。
 レマルクは処女作『西部戦線に異状なし』以降『凱旋門』を含めて、たったの七作しか書いていない。しかも世界に鳴り響くほどの大作家であり超級のベスト セラーであり、その主題への迫り方、表現の緻密さ、優に文豪と称していい。なんども言うが、若い読者達にぜひ触れ合ってもらいたい。 
                                                                                                                                
* 書き継いできた小説の一つが、終盤を残ところまで来た。
 相次いで、もう一つの作をいっそはんなり展開したい。趣向のきいた美味い食事を楽しむように書き継いで行きたい。
 じつは、昔に、一応八百枚の用紙原稿にしておいた私小説に、手を入れやすくすべく妻に電子化してもらっている。これがどういうモノに成りうるかわたし自身すっかり忘却しているので、いっそ楽しみでもある。
 調べてみると、原稿用紙に書き込んである幾つもの書きかけ小説が、かなりの束になって残っている。あまりの忙しさに煽られて中途に已んだ創作意図とみえる。息を吹き返すかどうかは、もう一度しっかり向き合ってみないと分からない。

* 『風の奏で』下巻を「今様の巻」まで読み改めてきた。まえの「讃岐の巻」など、この巻だけで劇的でもあり、さてどっちを先に書いたのだか小説『繪巻』 とも色よくも色濃くも関連が出来ている。自分がなんとしても読みたい、そういう小説を自分で書いていた、そうするよりなかった若い興奮の作が生まれていた のだと思う。書いて置いてよかったと思う。
                                    
* 十一時過ぎ、黒いマゴの輸液も終えてあり、もう眼をやすませねばならぬ。


* 四月十九日 土

* 起 床8:30 血 圧136-61(54) 血糖値80  体重69.0kg  

*  これがわたしの「部屋」かと、見まわしている。みまわすなど適切な物言いではない、六畳の狭い上に狭苦しい小部屋だが、幸いいま向かっている機械の左かた 壁面に作りつけて、頑丈で大きな木製書架が相当数の大判書籍を収納してくれている。右手には白い障紙窓が戸外の光を入れている。
部屋の中が「コ」の字に机で囲われ、その狭い真ん中の廻転倚子一つで、三面に一つずつの機械を使っている。まともに歩ける通路はなく、立っての移動はみな 蟹歩きするしかない。そして沢山な本、本、の行列。湖の本もみな手の届く近くに。プリンタ、スキャナなどの機器類に覆い被さってわけのわからなくなりそう なメモや紙や小道具や筆記具が散乱している。
 それでも、此処はなんとも温かい。家も庭もボロの山にして世間の顰蹙を買う人がときどき報道されるが、当人にはたまらなくその世界が温かで住み心地がいいのだろうとわたしは想ったりする、はたの人には迷惑に相違なかろうが。
 わたしがやがて死んだなら、この部屋はどうなるかしらんと、しみじみ眺め回していたりする。タバコを吸わないわたしの、それが休息なのである。誰一人の役にも立たない本やモノばかりで充ち溢れているのだ。無一物の境涯に憧れながら堕落を重ねてきたんだなと苦笑いが湧く。
 こんのゴモクをどうしようと悩ませまいためにも、成ろうなら自分の手でシマツをつけておきたいが、どの本もどの資料や道具もわたしの「身内」ではあるのだ。
  悩ましい。そんなとき、陶淵明全集を手に取る。開いた頁の詩を黙々と読む。                                                                      

* 二時半、国立能楽堂へ。いつもの展示室を観てから見所に入る、最前列。シテの一切が間近にしかと見える。橘香会に、梅若万三郎に感謝。独り置いて隣に馬場あき子さん、二人とも嬉しがって握手。
 素晴らしい「江口」だった、とても凡手の舞える能でないが、そこから格段に高く抜け出せるシテがいま能界に何人いるだろうか。万三郎のことに後シテ、さらには序の舞になっての万三郎「江口」の長、じつは普賢菩薩のみごとに聡い落ち着きと境涯の高さには思わず泪が溢れた。
 宝生閑のワキに衰えを感じたのは残念、もう何十年、彼の父親が活躍の頃から舞台を見続けてきたのだ。致し方ないか。だが、煮たようなお付き合いの山本東 次郎間狂言の立派さにはあらためて惚れた。松田弘之の笛がなかなか面白かった。とても叙情的に鳴り響いた。能の前の仕舞四番は、みなつまらなかった。
 能一番が果てて、出会った堀上謙さんとも見所で立ち話しし、今日の「江口」のみごとさに感想が揃った。
 奔命の「江口」一番でわたしはもうからだが限界、馬場さんにも堀上さんにも失礼し、能楽堂を出た。夕方の冷えが身に堪えたので、いっそお茶の水へ向か い、地下鉄千代田線で日比谷へ出て、ホテルのクラブに入った。年会費の払い込みもしたかった。シャンパンのサービスがあり、好みの角切りステーキで、ヘネ シー、そして竹鶴をゆっくり、たっぷり呑んだ。しごく落ち着いて、心地よくシートでうとうとさえした。
 おかげで温かくなり、数寄屋橋センターを地下鉄丸ノ内線へ抜けて出ながら、途中、妻に便利そうな簡単服を買った。
 保谷へついたら小雨が来た。辛うじて傘をひろげなくて済み、タクシーで帰宅。

* 建日子からコールデンウイークの予定を聞いてきていると。なにごとぞ。珍しいところへでも連れて行ってくれるのかな。選集@の刊行記念会でもしてくれる気か。

 ☆ 
こんばんは。
 お元気ですか?
 この度、ずっと目標にしていた自分の店を持つことになりました。
 名前は
 bistro&wine velvet
 (フランスの郷土料理とワインを中心としたお酒を提供していきます)
 open日は、ご報告が遅れてしまい急ですが、4/20(日)を予定しております。
 場所は
 最寄り駅が豊島園(池袋線、大江戸線2線あります)です。すぐ近く。
 20日はopen記念として、カウンター席を設けず、スタンディングでのご案内とさせていただきます。
 (通常営業時はカウンター席はあります)
 その日は会費\3000を頂戴いたしますが、その分、ワイン、フード共に食べ飲み放題とさせていただきます。
 もしお時間がありましたら、ご来店下さい。
 心よりお待ちしております。
 open 17:00〜close  26:00
 p.s
 メールでのご報告で申し訳ありません。   
velvet

* こういう案内の来るのも楽しい。この人つい先日まで江古田のスタンドバー「vivo」を仕切っていた。歯医者の帰りに妻とももう何度も止まり木に止まってきた。
 明日、雨でないといいがな。


 

* 四月十八日 金

* 起 床8:00 血 圧129-66(64) 血糖値88  体重68.9kg  

* いろんな自治体が、反戦や反核や脱原発や平和運動などのために施設を貸さないとか協力できないとか言いだしている。問題が議論に及んでいるからと。 「万機公論に決すべし」だいじなことこそ議論があって当然であり、議論を興すことも行政の大きな義務の一つだということを忘却しているのか。

* テレビで、取るに足らない芸能男女のついた離れただの無意味な放映はバカバカしく盛んにやるが、上のような「問題」、言論の自由の根底にかかわる問題 などにはマスコミの怒りの声があらわれない。ごく一部をのぞいて大方のマスコミが腑抜けになっている。國が健康を喪っている。これでは陶淵明の境涯にます ます惹かれてしまう。

* 書いていても、不快さに消してしまうほど、政界・自治体の情けない乱政。ただもう唸るのみ。

*  久しぶりに橋元敏江さんの平曲、灌頂巻「六道」を戴いていたディスクきで聴いた。いましも読み進めて原稿づくりしている『風の奏で』は、まさしくこの大原 御幸を分厚い下敷きにしている。読み返しながら、もうもうこんな作はどんなに書きたくても書けないだろうなと慨嘆を重ねてきた。グイグイと書いている。選 集第一巻に優るとも劣らない第二巻が成るだろう。『清経入水・風の奏で=寂光平家・初恋=雲居寺跡』で一巻に足るだろう。
 第一巻の、表紙もともに本紙刷りだしが届いた。函と総扉と巻頭の写真とで全部が揃う。搬入にあと一週間と予告されているが、急ぎはしない、いい仕事で仕立ててほしい。

* 明日は、梅若橘香会、万三郎の「江口」を楽しませてもらう。ありがたいことに真正面最前列の席をもらっている。
 いましも『風の奏で』「七 西行の巻」「八 阿波の巻」を読み終えて「九 讃岐の巻」へ進んでいる。「江口」のことも濃厚に推量し表現している。能は二時間、大曲だが、もっとも能の魅惑と美とを崇高な官能のように描いている。歌の応酬もある。
 帰りに日比谷へまわり、さらに寄り道もして帰ろうと思っている。
 


* 四月十七日 木

* 起 床9:30 血 圧136-67(58) 血糖値94  体重68.8kg   夜中に読書九册

 ☆ 
今週火曜日
 家人が退院。昨日娘の体調が悪くなり、まだ回復したとは言えない様子で落ち着きません。
 鴉の日常、殊に目の不自由、困難を遠くから懸念しています。
 「機械の前にこびりついて」いるのは作家にとって、鴉にとって、それが砦であり、武器でもあるのですから納得します。
 めったに「人の顔を見ません。人の声・言葉を聴きません。」と書かれているのは気に懸ります。
 おそらく状況としてはさらに徹底して人と接していないわたしです。黒いマゴちゃんならぬ孫ちゃんにインターネット回線で日々接していますが。
 厭世観にめげず ニュースも さまざまな情報も 受け止めています。生きている証ですから。
 取り急ぎ
 どうぞどうぞお体大切に。 花粉症は如何? すべてすべて良い方向にありますように。  尾張の鳶

 
* 自分だけ年取って、ひとのことは相変わらず若い人と思いこんでいる。人はみな年取って自分は若い気でいるよりも、この方がじつは幸せな考え違いなのではあるまいか。みな、若いままに元気でいてくれると思っている方が世界が明るい。
 胃袋をみな無くした頃から、例年きつかった花粉症をほぼ忘れている。これは有難いが理由は不明。ときどきくしゃみを連発している程度で。
 
* メールを交わしながら、秦さん **さん 私は あなたは では堅苦しくてすらすら思いも言葉も出てこないと暗に感じている人は大勢いることだろう。 そのために妙に心にもなくトゲトゲしくキツく感じあってケンカさえする人が多いとまだまだメール流行以前から聞いたり感じたりしていた。「機械」「メー ル」に触れた稿を初めて依頼されたとき、わたしは「メールは恋文を書くように」と応えた覚えがある。それとともに、「maokatさん」「hatakさ ん」のような仮称を互いに用いる工夫をした。ごくごく初期に、わたしの閑吟集を手にした四国は徳島の読者が何度かのメール往来後に、自身を「花籠」と名 乗ってきた。それならばと、わたしは「月」と応えた。
  花籠に 月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な
を承けたこと言うまでもなく、さてこそ、それはセクシイな仲らいを謂い合うのと変わらない。一度の顔も合わさぬまま、その人はいまでも「花籠」となのって いるし、わたしからも相変わらず「月」と名乗って返事している。死ぬる日までも逢うことはない。それでいいなら、それでいいのである。心豊かとは、そうい う思いを謂うのである。
 上の「鳶さん」と「烏」とはわたしが押しつけた。海外の説話などでは「烏」も「鳶」もやや悪役を配されている。それも承知だが、好きな蕪村の繪の「鳶と 烏」とが、いかにも佳いのでそれで通した。「カア」と一声でも名乗りになる。とても便利で「鳶さん」ももう久しく愛用? してくれている。
 「みづうみ」「湖」と呼んでくれる人も何人もいる。わかりよくて、しかも「秦さん」の「先生」のなどと書くよりよほど気儘なのだろう。
 最近、少し必要もあってメール往来のある相手の、あまり陰気に鬱陶しいのに参るので、いっそ「芋(薯よりも)」と呼んでみたくなった。ただし人を「芋」 にしておいて自分は秦さんでは気が悪いので、では「蛸」はどうかしらんなどと思うている。蛸は褒め言葉ではない、「タコ!」は吉本風には悪口に類してい て、わたしに似合うのではないか。芋・蛸はともあれ「なんきん=南瓜」は苦が。芋も蛸も概して酒に合う。ただし、その人、酒も飲めそうにない。

* 初出紙誌、初版本、共著本など、「作家」と呼ばれてから四十五年の物のかたちした足跡の片づけまたは処分に真剣に挑まねば、もう二棟の家に脚の踏み場 も無くなってきた。建日子の蓼科の別荘に疎開できないかなあ。それどころか、我が家にはまだ建日子の処分責任のあるモノがわんさと在る。じつにじつに困る のだ。  

 ☆ 映画
 何時もの映画の友に誘われて何年か振りに渋谷まで映画を観に行きました。行き馴れた筈の映画館への坂を間違えてトットと登って行ったのはお笑いでした。
  「あなたを抱き締める日まで」 好きなイギリスが舞台で、好きな女優のシユデイ デンチの母物ですが、ほのぼのといい感じの作品でした。
  最近のテレビはお笑い藝人オンリーで、私好みの映画の放映もなく飢えていました。
 (亡きあとの) 整理仕事はウンザリですが、だからと言って誰かがやって呉れる訳でもなく…
   これから、(二世帯住宅新築のため=)頭の痛い仮の住居探しも始める予定です。  泉
                    

* 

* 四月十六日 水

* 起 床9:00 血 圧141-60(54) 血糖値96  体重68.2kg

*  小保方さんの上司の笹井さんという超級の科学者の会見を見聞きし、可能性の高いSTAP細胞研究を國を挙げて歓声へ尽力有るべきという感想を持った。小保 方さん只独りに汚名をかぶせて事を曖昧にするなど決して有ってならない、人類の福祉のためにも是非とも國を挙げて成功へ導きたい発想と追究と或る程度の成 果とが見えているというしか無い。理研という特権・利権組織のあつかましさを乗り越えて、日本の科学の成果を育てるへきだとわたしは願う。

* 小和田哲男さんの『戦国大名と読書』『戦国史を歩んだ道』、興膳宏さんの『杜甫のユーモア ずっこけ孔子』 色川大吉さんの『追憶のひとびと』 三好徹さんの『大正ロマンの真実』五冊を、ただいま愛読している。みな単行本。手には重いけれどどれもが惹きつけ読ませる。

* 昭和三十九年十一月二十三日、『畜生塚・此の世』 小説集としては初の私家版を、勤務先の取引先科学図書印刷に頼んで製作した。医学雑誌大のb5大判 で、8ポイント二段組み64頁、巻頭には歌集「少年」を、そして小説「少女」「畜生塚」「此の世」「桔梗」を収録した。表紙・目次頁の挿絵は妻がわたしが 希望の原画を描き写してくれた。
 此処にその「あとがき」のみ書き写してみる。一九六四年の作家を志望した最初のわたしの述懐である。この私家版の作者名は「秦 恒平」ではなく、「菅原万佐」であった。高校時代の女友達三人の姓名から借用したもので、「新潮」編集長酒井健次郎氏との初対面で言下に本名に直せと言わ れ従った。

* 第二私家版『畜生塚・此の世』の「あとがき」
 昭和lニ十七年七月三十日、私はとつぜん小説を書きはじめた。書きはじめてみると、書いてみたいと望んでいた頃とはまるで違った自分がそこにいた。べつ に感嘆した訳ではないが、たしかに自分のことを「ほうっ」という心地で見直したようだ。二年余のうちに七篇の小説と二篇のシナリオを仕上げ、小説を二篇書 きかけにしている。四百字の原稿用紙にして千百枚ほど、驚ろくに当らない量であり、出来栄えがいいとは決して思わない。ただ、私なりの考え方があるので烏 滸の沙汰にもけじめをつけておきたい。
 妻は結婚当初、藝術家は半ば狂人である、好かないとかなり強い牽制球を投げていた。藝術家きどりの傲慢で横暴な人間が僅かな誇りをも見失って、やがて裸 の王様と化してゆく実例を見知っているからであろう。二年、三年と私は妻の心中のこの負の像と秘かに抗争せねばならなかったが、この経験は良かった。もの を書く以上、妻の眼力というよりは素朴な批判を超えてゆく必要を覚えた。
 百万の読者をもつ職業作家と百人にみたぬ知人しかもたぬ者とであっても、創作の弟一義は等しく生きてぃる。また賭博そこのけのサーカス的苦行で何かの懸 賞に当選せねば創作者の本義に叶わない訳はない。そういう印可がないとものを書くことに卑屈な恥じらいを覚えねばすまぬのなら、そんな割のわるい苦行はや めた方がいい。僅かの読者に恵まれ、自分の書く文章が自分なりに新天地を拓きつづけてゆくものなら、素人が素人のままいることに卑下することはない。生活 の中で獲た時間をそのためにつかう、それは誇りにもならぬし卑下するにも当らぬことだと私は思う。あってなIらぬのほ努力を惜しんでの自己満足と不用意な 妥協である。文学はそれを許さない。
 勤務の性質上、活字の魅力を表裏にわたってかなり承知している。私はむろん貧しいし、たしかに少からぬ金をかけてこの私家版を印刷したことを、活字の魅 力に屈した笑止の振舞と冷笑する人もいるに違いないが、弁解めいたことは言うまい。それどころか、これからも事情が許せば私はつづけて作品を小部数ずつ印 刷する気でいる。幸いにして師友知己の鞭捷がいただければ嬉しいし、未知の人の目に少しでも触れて認められれば、さらに墳しい。
 私小説ふうの拵えにはなっているが、詮索は無用である。作品の批評がほしい。
 簡単に心覚えを書いておく。
 「歌集・少年」のことは後記に書いた。愛着が深く歌として自立できるものを選び、これ以前の作は思い切って割愛した。良かれ悪しかれこれは私の十代を記念するもののようである。
 「少女」は最初に書いた百枚余の作の中途で、ふと思い立ってペンを走らせた即興的な作だが、筆づかいの粘っこさなどが、多少私なりに特徴的なので入れた。
 「畜生塚」は、先にタイプ印刷したシナリオ『懸想猿(正・続)』 の主題を承けている。小説としては五作めになる。情景の転換がいささか唐突だとすれ ば、ちょうどシナリオ研究所に通っていて「懸想猿(続篇)」 のまとめと時期的にだぶった影響があるのだろう。波乱の多い運びではないので、映画的にカッ トしたりカットバックさせたりすることが多分に頭にあったと思う。
 「此の世」は、筆つきはやや軽いが私らしい仕事だと思っている。軽みについた点など十分でないが、今の私には馴染んでいる。どうしても、このままで放っておかせない所がある。
 いずれにせよ、道徳の欠落者という主題にはまだまだ関心がある。業念とか業執という方へ退避しないで積極的に手づかみにしたい。
 「桔梗」は娘の誕生日が来るたび
に書いてやる童話の一つなのだが、すぐには読んでやれそうにないものになってしまった。
 表紙と目次の絵は妻が描いた。原画は可翁と南岳である。
 書いて見つける自分、それがうめきたいほど厭な男の像(もちろん、作中人物とか作品とかを意味しない。私自身の心にはねかえって来る或る自意識とでもいうもののことだ。)を結んでいても、顔をそむけのがれることはできない。二年余の私の感想である。
    昭和三十九年(一九六四) 霜月    菅 原 万 佐

* きっちり今年で五十年になると気がついた。今日の「秦 恒平」を大きくは裏切っていない。今のわたしがこの「菅原万佐」をも大きくは裏切っていないことに納得している。一途に、さほど見苦しくはブレて来なかったようだ。

* エリザベス・テーラーとリチャード・バートンのシェイクスピア劇「じゃじゃうま馴らし」を久しぶりに。せいぜい二メートルあまりしか着慣れていないのに、大きろのスクリーンの、せっかくのエリザベスの美貌が霞んでしか見えない。

 くらやみをとばりのごともあげたしとおもひかなはぬゆめのかよひじ

* ぐっすり寝てしまうが勝ちか。それでも今日、「清経入水」のルビ打ちを済ませ、「風の奏で=寂光平家」原稿をだいぶ読み進め、新しい「湖の本120」 の原稿用意にもかなり視力を費った。ときどき温めたタオルを目に当ててやすみながら。点眼は頻回に。しかし、気分の晴れ間は短すぎる。おまけに今夜は冷え てきた。くしゃみも連発している。やがて十一時。マゴの輸液に降りる。



* 四月十五日 火

* 起 床8:30 血 圧141-75(60) 血糖値87  体重69.0kg

*  大昔といっても中世頃からの学習や勉強に勤しんだ子弟は何を習っていたか、教室で教わったこともある。外来の典籍はべつにすれば、『庭訓往来』の名をよく 聴かされ、さらには『実語教』『童子教』といった名も聞いていた。時には北条泰時らが編纂した『貞永式目』も子弟の教科書になった、ただし前三書にくらべ て武士社会の特殊性を帯びた法度集なので、「読み」「書き」つまり文字を覚える目的が大きかったろう。前三書でもむろん文字の読み書きを大事にしていた上 に、やはり書かれてある内容が指導性を持っていた。『実語教』四九条、第一条に「山高故不貴 以有樹為貴」と読めば、どんな教育かはおよそ察しうる。今日 のわれわれにも如何にそれらの教訓が良かれ悪しかれ浸透しているかは実感できる。「童子教」は一六四条もあり、例えば「口是禍之門 舌是禍之根」だの「人 而有陰徳 必有陽報矣」だの、身に染みついたような文句が並ぶ。狙いはよく分かる。いまも愛読している『十訓抄』などもこれらのいわば上級書と謂えよう か。
 『庭訓往来』は、ことに広範囲に実用も読み書き勉強も兼ねて用いられていた。「庭訓」とはいわば先人からの「教え」であり、「往来」はこの場合「往復書 簡」をおよそ意味している。明治になっても、私の手元にいまも有る「通俗書簡文範」などもその流れであり、よく見ていると一葉女史も書いていたりする。手 紙を書くというのは、商売や交際や処世上だれしもの必要であった。要件を書くとともに季節への挨拶や趣味の滲み出ることも大事であったなら、なすなすこれ こそが素養として重んじられたにちがいない。
 一転して今日、もはや手紙を書く人は「趣味人」か「高尚なお人」で、大方の人が「メール」という機械文を愛用している。しかもその「往来」に「庭訓」ふ うの指導は無いも同然なのだから、今日そういう方面の「庭訓」も「教」も地を払って不必要になっている。文字を覚える必要もない、機械が出してくれる。繪 文字のはんらんが、感情の表現を便宜に画一化してくれる。
 こういう視点からの批評や論攷がまだ本格に出てきていない気がするが。有るのか。不要なのか。

 ☆ 湖の本119
 堪え・起ち・生きる  に元気づけられました。
 お誕生日祝いを兼ねて 塩蒸し桜鯛をお届けします。 四月  
                                                                                                                 
* 妻の誕生祝いを兼ね添えて吉備人からりっぱな鯛一尾を頂戴した。夜、ウイスキーの「富士山麓」オンザロックで頂戴した。愛しんで大きな半身を明日に残した。美味かった。いつもいつも頂戴し、有り難う存じます。元気にならねばと気を励ます。

* 天気良く、冷えも熱しもしないので、久しぶりに街へ出てきた。
 ずっと以前に近くまで行って立ち寄りそこねた白鬚橋ちかくの梅若塚が気になっていた。ま、跡形が有ろうが無かろうが所詮それだけのこととしても。白鬚か ら上へ向くと隅田川が西の方から直角に曲がってくるのが、ま、界隈では大きな景色でわたしは好いていて、また見たいなと。
 この先は、荒川という川へ脚を延ばしてみたいとも。我が家から自転車で荒川の少し上流までは何度も走って、長い大きな橋をさいたま市へも乗り入れたこと がある。体力さえ許すならそのまま荒川土手を寅さんの柴又まで走らせてみたいものだが、そこから保谷まで自転車で帰ってくるのはムリもいいとこ、不可能で ある。

* 視力をいたわる気もあった、ほぼ半日、字を読まずに過ごした。

* そんなことより何よりも今日のビッグニュースは、元の細川総理と小泉総理とが、都知事選の第二幕として「脱原発 国民運動」を立ち上げるという。精し いことはまだ知れないが、大見出しだけでも異議無く共鳴し、可能ならば応援も声援も惜しまないと言っておく。小泉お得意のサプライズを利かせつつ、かけ声 だけに終わらない実質的な運動体を組織して欲しい。やるなら勝てる運動をと切望する。今日、これに勝る政治運動は無い。「安倍を倒せ」の声が津津浦浦に渦 巻き起こるように希望を持つ。

* と、言いつつ、いままた陶淵明代表作の一である「帰園田居」を一気に読んで、深奥に開ける清閑の境涯を願いかつ憧れていた。私のこれは、矛盾撞着であるのかと惑う、否と内に答えつつ。

* 黒いマゴの輸液は、わたしの膝に載せて、妻が針を皮膚と肉とのあわいへ入れる。はやくても十数分、点滴の点が短いと二十数分もかる。そのあいだ、わた しはマゴのからだを抱えてやりながら録画の映画を観る。この二日ほどアンソニー・クインが力演の「バラバ」を観ている。慣例に従いイエスかバラバかと問わ れたユダヤの民は、イエスの磔刑をと叫んだ。ならず者のバラバは命助かり、不思議の運命をたどってローマで剣闘士として勝ち残り、自由民になる。そして、 いま、そのローマが燃えている。
 基督教が、どのようにして、ギリシアやオリエントの文化を下敷きにしたローマで、ついには国教たり得たのか、わたしは、その関連の歴史映画を見逃さないようにしている。辻邦生さんの超大作『背教者ユリアヌス(皇帝)』も興味津々読んだ。
 基督教の魂にはすぐれた光輝を見ないわけに行かない。しかし基督教という専制君主で巨大領主でもある組織宗教にはとてもついてなど行けない。基督教から ほんとうに高貴なものを得たいとは願っている、それは荘子や老子やブッダに願うのとまったく同じなのである、わたしにすれば。佳いものは佳い。宗教も文学 藝術も、変わりない。囚われてはいけない、汲み取るのだ。






* 四月十四日 月

* 起 床8:30 血 圧138-72(46) 血糖値84  体重69.0kg

*  重っ苦しく生きている人、それが余儀ない仕方ない自身の運命だとでもいいだけに不満げに生きている人。気の毒とは思うが、妙にアホらしく眺めていることが ある。ロシア文学の、オブローモフふうのインテリによく見かけたものだ。しんどい人たちだと歯がゆい気がした。

* 子の入学式に親もかならず出よと決めている学校があると。その親が別の学校で担任を持った先生で、仕方なく子の入学式に出て、担任のある勤務校の入学式を欠席した。それが問題にされていた。
 国民学校(小学校)の入学の日には母がついてきてくれた。それ以降、保護者面接のほかで親がわたしの学校へ顔を出した記憶など国民学校低学年での授業参観日いがいに全く覚えがない。そんな必要があるものかと親もわたしも思っていたが。妙な時代になっている。

* 小保方さんをめぐる大騒ぎでも、わたしは或る番組での大宅英子さんのコメントに最もつよく頷いた。理研も男社会科学者等も、妙に変だと。変だと思う。追い落とすのがただの目当てのような騒ぎ方。
 科学研究者も人文の学者も藝術家もなにも特殊な存在である前に人間であり、それも並はずれて嫉妬深い、功名心と名誉心にアプアプしている人間である。そ の人間をむき出しに、さらに理研の利権欲までつきまとうて、執拗に核心の周辺で騒ぎ立てている。イヤな時代を見るものだ。

* 本の字を読む眼と、機会画面の字を読み書きする眼とが、異なる不自由さ。これに参る。このごろはもう戸外は、つまりは游いであるいている。むかし、メガネを外して水泳していた頃の滲んだぼやけた視野と同じ。

* 「海を飛ぶ夢」という、あれはスペイン産の映画であったか、「尊厳死」を主題に身にしみわたる表現と作品の深さ確かさに、泣かされた。さしづめヒルテイなら真っ向非難し否定するだろうが。

* 昨夜眠りそびれて夜中に多く本を読んでいた。その眼疲れもあってか、永い一日の何度か眼をふさがれ、とても疲れた。仕事にも根をつめた。十一時。黒いマゴの輸液をしたら、やすむ。 

 

* 四月十三日 日

* 起 床8:00 血 圧138-78(60) 血糖値88  体重689kg

* レマルク『凱旋門』を初めて読んだのが何十年前のいつごろと記憶しないが、一つだけ忘れがたく覚えていたことがある。作のどの辺でだったかも 分からない、ただ、あるナチスドイツからの避難民が、秘蔵の繪、ゴッホやゴーギャンやセザンヌやルノワールの繪を巻いたかたちで命より大事に持って逃げ隠 して逃げながら、一枚ずつ身を切る思いで金にかえ生き延びねばならない。逃げて行けるさきも査証や旅券や証明書の問題でじつに難しく限られてくる。
 ハイチ、ホンジュラス、サン・サルヴァドール、「それから多分ニュージーランドもね」
 「ニュージーランド? そいつはえらく遠いじゃありませんか?」と、ラヴィック医師が口にした。と、打ち返すように、
 「遠い?」と、ローゼンフェルトは言って、悲しそうに微笑した。「どこから?}
 この「どこから遠い」のかという即座の反問と絶望の深さにわたしは、慄然とし茫然として彼の絶望を共有した、そう電気に打たれたように感じた。
 遠い近い。それは定住し安住し得ている者にだけ謂える、特権に同じい。ナチのゲシュタポに追われてヨーロッパ中を逃亡し避難し潜伏し生き延びている者に は、遠い近いをいう原点が喪われている。現在、西東京ずまいのわたしと故郷京都の距離は一定しているね。近くも遠ざかりもしない。しかし、もしローゼン フェルトやラヴィックのような逃亡や潜伏の境遇に追い込まれたなら、ある時は北海道に、ある時は佐渡島や沖縄や足摺岬などに隠れ住んで、明日の行方も覚束 ないだろう、どこからどこへが遠いか近いかなどお話にもならない。
 こういう境遇がいつ無辜の人たちを襲うか知れない。『凱旋門』を初めて読んだ頃のわたしが日本に絶望しかけていたとは思い出せない、むしろ希望を持って自身の小説世界を培おうとしていたに違いない。
 しかし今はどうか。安倍「違憲・好戦・国民支配・利権追究」総理や内閣や自民政治のもと、いつ日本はアメリカにすげなく見捨てられ、いつ中国やロシアや 朝鮮半島からの国土分け取りの結果を招くだろうような愚かな紛争・戦争に及ばないとは言い切れぬ危うさに在る。なんども言うが、日本は地続きのヨーロッパ や大陸とはちがい、海という壁が絶望の深さをきわ立たせることが案じられる。
 軍隊と軍備とを増強した覇権志向国家に日本はわずかに海を隔てているだけで、事実上包囲されている。おそろしい事態が跫音たかく国民の最大不幸という重荷をさげて迫りつつあるという自覚、それ無しに生きてあるとは、ああ、なんということか。

* 次の「湖の本120」は区切りの記念号になる。内容の充実した佳い物を送り出したい、出せるだろう。ずんずん用意している。

* 眼が潰れたほどに霞んでいる。参る。しかし仕事は呼んでくる、わたしを。果てしなく仕事は在る。幸せなことではないか、わたしに退屈してボヤンとしている時は無い。むしろときどきはきっちり休まなくてはと体にも心にも叱られている。
 電車に乗りたいなあと思う。以前に、なかば惘れるほど堪能したのは西武線で西武秩父まで行き、秩父鉄道でたしか熊谷まで延々と走り、JRで上野だったか 池袋までだったかへ帰ってきた、あれは空いた電車で退屈なほど延々と乗っていた。あれで気儘に途中下車も楽しめればのびのびするだろうと憧れる。

* 昨日の晩、秦建日子脚本の連続ドラマ最初の長時間版「マルホの女」があって見始めたが、わたしは十五分ほどで退散した。シナリオを勉強に研究所に半年 通っていたのは、小説を書き出した頃であったが、名だたる巨匠先生達の口を揃えての曰くは、「最初の出で停滞すれば、あとがどんなにであろうと、客はさっ さと逃げますよ」と。小説でも同じだが、小説よりシナリオやドラマ脚本は厳しい。映画館なら金を払っているから我慢して付き合うが、テレビなら容赦なく チャンネルを替えるか立ち去ってしまう。昨日のドラマは、出だしに快適なテムポも刺激もなく、役者ぶりの紹介が主になっていて、観客は軽く突き放されてい た。台本は擁護できても演出は拙であった。退屈してわたしは自分の仕事へ立ち去った。今日、もう一度放映されたのを妻はまた観て、佳い線を描いていて悪く はないけれどねえ、出だし少し退屈したわねえと。二時間ものは、とかくそうなる。時間に追われて一時間でかちっと纏めた方が刺激も効果も感銘も良い。海外 物で、以前「クロージャー」という取り調べ専門の練達女刑事の犯人追究ドラマに感心して毎回観ていたことがある。こっちが追いまくられるほどスキがなかっ た。「ドクターX」や例の倍返し銀行トラマや、藤田まこと時代の「剣客商売」など、或いは緊張させ、或いはゆったりさせてくれた。登場する人間の把握の強 さ。深さであることは、小説もおなじだが、小説は文章の彫琢が人間の劇をしっかり確保しなければならず、花も欲しい。通俗はいけない。映像は、通俗をおそ れずダイナミッキな時間の推移に劇を盛り込んで欲しい。建日子に、二回目以降を期待する。

* テレビや新聞の「政治がらみの報道」を嫌って避けがちになっているのが情けないのだが、あの不愉快には限度がない。『凱旋門』のラヴィック医師が言っていたように、まこと、本が、優れた本が、魂のための壁に成ってくれているのを感じる。

* 目尻、目元、瞼に、いつのまにかジャリッと目やにがつく。そんなときわたしはなかば明を失している。指先や手の甲でついごしごしと目やにをこそげ落と すと少し視界が明るむ。フルメトロンや、ヒアレイんや、時にハイパージールやレスキュラを点眼すると一瞬視野が澄明になる。しかし二分ともたない。また曇 り出す。六つ七つのメガネがオール不適確。情けない。目やにを抑えるせめて妙薬がないかなあ。休むのが一か。やがて九時だが、まだまだ。



* 四月十二日 土

* 起 床9:00 血 圧143-74(68) 血糖値87  体重68.7kg

* 孫やす香の一の友だちが、元気に、変わりなくわたしたちを励ましてくれる。ありがとう。あなたも日々を幸せに、お元気で。

 ☆ 
おばあちゃま!
 大変おそくなりましたが、
 お誕生日おめでとうございます!!
 私のお誕生日には、おばあちゃまはすぐメールをくださるのに・・・
 本当にひどい私です!
 今年も素敵なお誕生日を過ごされたのでしょうか。
 可愛らしい桜が咲く中、おじい様と2人で仲良く歩かれている姿を勝手に想像しては、温かい気持ちになっています。
 私の家の近くは、サトザクラが満開です。
 ポンポンまるまって咲いた桜達がかわいらしく、それを見ながら会社へ向かうのが楽しみなのです。
 明日は、やす香と私の親友の結婚式です。
 サトザクラのような衣装を着て、式に参列する予定です。
 それでは明日は、やす香と待ち合わせをして行ってきます。  

* レマルクの『凱旋門』が映画になっていたか確信はないが、シャルル・ボワイエがラヴィック医師を、イングリット・バーグマンがジョアン・マヅーを演じていた気がしている。暗にわたしがそう望んで配役しているだけなのかも。
 二人の恋はむずかしい隘路をすり抜け行き当たっている。マヅーはラヴィックに、こんなふうにも叫んでいる。
 わたしは夢中にならないではおれないの! わたしは、自分に気違いのようになってくれるひとが必要なんです! わたしがなくては生きられないひとが必要 なんです! あなたは、わたしがなくっても生きることができるわ! あなたは、いつだってそうでした! あなたは、わたしなんかいなくってもよかったんで す! あなたは冷たいのよ! 空っぽなのよ! あなたって方は、恋というものがどんなものか、ちっともわかってないんです!」
 ラヴィックはジョアンの気持ちがわかっている。彼にもおなじ思いがある。だが、同調を表には出さない、出せない。彼には、復讐心に燃え危険を冒してもつけねらっている冷酷で残虐なゲシュタポ高官がいて、接触もまぢかに現実化している。
 「真実というものは、しばしば嘘のように思われるもの」だと彼は考えている。涙をいっぱい流しているジョアンに向かい、彼は微笑して、「恋って、あまり 楽しいもんじゃないんだねーーときとすると?」と言い、マヅーは彼を見つめたまま「そうよ」と言葉を継いでいる、「わたしたち、どうしてこうなんでしょう ねえ。ラヴィック?」と。

* 「恋って、あまり楽しいもんじゃない」だけでなく難しいものでもある。グレアム・グリーン『愛の終り』第二部の冒頭で、語り手の作家ベンドリックス は、「不幸感は幸福感よりも遙かに語り易い」と言っている、「失恋に陥って、われわれは自己の実存を自覚するらしいのである、たといそれが厭うべき利己主 義の形においてであっても」と。彼は自分だけが不幸感に溺れていると思ってサラアを憎もうとすらしていたが、サラアは彼よりも心から彼を愛して、傷つき不 幸だった。二人の愛は、ことばでは購えずことばでは誤魔化せない。サラアはひそかに書いている、「ーー私がヘンリ(=夫)にも他の誰にもしなかったような 触れかたで彼(=モオリス・ベンドリックス)に触れなかったらーー私はあなた(=神様)に触れられた(=信じ得た)のでしょうか? あんな風に触れたの で、彼は私を愛し、他のどんな女にもしなかったような触れかたで触れたのでした」と。サラアは叫ぶように手記している、「私は(神様あなたなど気にもかけ なかった=)昔の私のように、ただもう彼が欲しくてなりません。 モオリスが欲しゅうございます。あり来りの堕落した人間の愛が欲しゅうございます」と。 サラアにもモオリスにも、この上ない互いへの敬愛をともなって、俗悪で自涜的な世上の「猥褻」は一切「無意義」なのだとわたしは此の愛し合う「ふたり」を 読んでおり、その読みを肯定しつつ、今も、仮称ながら、小説『ある寓話 ないし猥褻という無意味』を書き継いでいる。わたしの筆は多くの普通の読者を驚愕 させ作者を憎ませさえするであろう、が、書き上げずに済まない、たとえ生前に公開はできなくても。
 「私はモオリスが欲しゅうございます。あり来りの堕落した人間の愛が欲しゅうございます」
 これほどの誠のことばはよほどの文学作品ででもなかなか聴けない。モオリスは敢然とした語気で言いきっている、「男と女が愛しあえば、二人は一緒に寝る のだ。これは人類の経験によって実験され証明された数学的公式だ」と。むろん「愛」がかほどの確信にふさわしいならば、である。
 ベンドリックスは言う、「ぼくは疲れているし、きみなしで暮らすことが死ぬほど厭になっているんだよ、サラア」
 「あたしもよ」
 ベンドリックスは確信する、「これは、わたしたちの結びつきのすべてを通じて鳴りわたっていた合図の口笛の節のようなものだった。『あたしもよ』ーーさびしさにつけ、悲しさにつけ、失望、悦楽、悲観、あらゆるものを共有しようとする要求がこれだった。」
 恋をするなら、こうであろう。

 ☆  天候不順の日が
 長く続きました。体調 如何おすごしでしょうか。
 生きて八十八年 生理的 そして身体のうごきに困難を感じる年齢になりました。 長い間お世話になりました「湖の本」 このあたりで辞したい と、お願いいたします。
 深い内容の小説に 作者の学問の深さに 大変な学恩を受けましたこと あらためて感謝しお礼申し上げる次第です
 種堂なお身体の不調に負けずご活躍の先生に感銘を深めつつ ここに長い間の佳き刻を頂戴したことのお礼 あらためて申上げる次第です。 四月九日  江戸川区  俳人  冽 

* まだわたしは七十代の七十八歳。わたしの久しい読者にはこの方のようになお十歳も年輩の方々が大勢おられて、余儀ない心身の老境を抱きかかえておられ る。わたしはそもそもデビューの頃から自分より年輩の先進たちの支持と愛読を受けてきた。支持者も読者も当然のことに減りに減ってきた。自然の理というし かない。多いときは三千人も送り届けた「湖の本」が、今日只今の少数に減っているのはどう考えてもあたりまえの成り行きでわたしは微塵もそれ自体は悲しん でいない。まあよく二十八年間も刊行し続けられている事よと感謝しているし、刊行に特別の不自由や失望など感じていない。二十八年も支えて頂いた実績が、 なお今日から明日への継続を精神的に支えていてくれる。

* 依頼原稿は昨日に送って、按配は編集者に一任した。「
早々に原稿拝受いたしました。秦先生ならではの奥行きのある内容です。用例の多彩さはもちろんですが、後半のご主張にとても説得力を感じます。ありがとうございました」とあり、よしなに、どうぞ。

*  安倍「違憲・強行」内閣の悪し様には吐き気がする。残念にも手を拱いて、二年半後の選挙の一日も早まらんことを願っている。維新の会の、みんなの党のバ カらしさ、どうしようもないが、民主党も何を旗印に挽回を策しているのか分からない。生活の党の小沢一郎にせめてもう一度の勇猛果敢を期待したくなる。

* 今日の輸液も終えた。日によっては、体調と気分によっては黒いマゴも輸液に猛反発する。それに太い針の刺しようでは液の体外への洩れ零れがして難儀する。無事だとほっとする、マゴもわたしたちも。

*素直になれない、あれやこれやと拘泥っては思いのままを我が儘に求めるばかりで、隘路をしなやかに突っ切れない頑なさ、そこへ陥るのを、わたしはいちばん嫌う。本当のそれこそが損というものだ。

*  日本の歴史時代をいろいろに区分して今日を現代とも平成期とも謂うているが、別にわたしに謂わせれば、日本は上古以来、。わずかな「梅」の時代を中継ぎ にはさんだ久しくも久しい「櫻の時代」であったし今もまだそうなのだ。そういう見方で謂えば、コノハナサクヤヒメや衣通姫、紀貫之や紫式部も豊臣秀吉も本 居宣長らもミーンナ同時代人として相まみえうる。わたしはそういう実感で小説もエッセイも書いてきた。                     
              



* 四月十一日 金

* 起 床8:30 血 圧123-64(52) 血糖値93  体重68.3kg

 ☆ 湖の本、ありがとうございます。  バルセロナ  
 
恒平さん

 恒平さん、ご無沙汰しております。
 しばらく書かないと、書くのがすっかり億劫になっていけませんね。
 今日は、どうか「送信」まで辿り着きますように。
 スペインの財政難の話、日本にも届いているかもしれませんが、我家には、話だけでなく、火の粉が実際舞い込んできました。
 カタロニア州のラジオ局に勤めていた夫が、去年9月に職を失いました。四、五年前から、労働時間は増し、給与は5%、15%とカットが続いていたので、 いつか来ることとは思っていましたが、去年の夏を前に、財政難によるテレビ・ラジオ局の一斉解雇が提示されました。交渉交渉交渉の結果、的になったのは 《一番影響の少ないだろう》年配者たちです。夫はラジオで2番目に年寄りでしたから、免れません。
 語学に長けた夫は、欧州放送連合との窓口役を一手に引き受け、その仕事を随分楽しんでいましたから、えっ、と言う思いはあったと思います。それでも気持ちの切り替え早く、リタイア生活を楽しみに辞めていきました。
 私は、迷いなく歓迎しました。
 夫の歳になると、老いは年々加速しますから、夫と、それも体も頭も元気なうちに、共有できる時間が増えるのは、願ってもないことです。有り難いことに、住む家あり、私に職あり、特段贅沢にも興味はないので、十分暮らしてゆけます。
 こうして始まった夫のリタイア生活ですが、いいですね。夫は、プール、英文学、仏文学、独逸語のクラスに通うほか、とりわけ読書に耽っています。楽しく て堪らないようです。時折、音読もしています。おかげで、映画を見る頻度が減りましたが。私は、週末を待ち侘び週単位で飛んでいっていた時間が、毎日ゆっ たり流れるようになりました。
 「秋」、秋が来た、と感じています。私の年齢で「秋」は、ちょっと早いかもしれません。昔は、秋を「落ち目」と感じる気持ちが強く、人生は夏が長いほど よい気がしていました。恒平さんの(=教室での)問い掛けに、当時大学生であった私は、自分は人生の「初夏」にいる、と答え、私の夏は長いぞ、と秘かに 誓った覚えがあります。
 秋もいいじゃない、と思います。実りの秋なら、尚さらです。   京
 自分の話だけで終わる失礼を、お許しください。でも、これで「送信」を押せます。


* すばらしいメール。東工大の卒業生もみな大人になり、力闘し苦闘もしているなかで、「京」は卒業してすぐドイツへ勉強にゆき、まる一年間「恒平さん」 への約束通り週一回の便りを寄越し続けるうちにスペインの男性と恋をし結婚してバルセロナに暮らして今日に達している。この人だけが一貫して学生時代から わたしを「恒平さん」と呼んでくれる。「秦さん」と呼んでくれる学生はたくさんいたが。わたしに会いに来るときは、季節の花を一輪持ってきてくれた。そう そう、大教室で、いま、あなたは人生的に観て「一年」のどの辺を歩んで生きている気持ちかと皆に問うたことがある。仰天するほど千差万別だった。ゴールデ ンウィークの前と答えた学生が比較的多かったのは自然だったが、「京」は「初夏」と。かなり深い悩みもジレンマも抱いている人だった、恒平さんの授業に出 てなかったら中途退学も考えていましたと話していたこともある。すべてを乗り切り、酷暑ものりきって新秋を迎えたならよかったねと祝福してあげたい。はる ばるバルセロナから欠かさず「湖の本」も支援してくれている。教授冥利である。
 先日は、建築大手で大きなマンションや研究施設などを設計施工している「天才」卒業生君が、こんどは「自邸」を建てましたので見に来てくださいと招待状 をくれたし、同じ建築出の仲良しで国交省勤務の中堅君は、作家もおどろくみごとな筆致で、日々の行政活動の努力と成果、その機微と苦心とを、昔のママ教授 宛に「挨拶」してきてくれた。的確な筆致と中味とにわたしは舌を巻いた。嬉しかった。 
 いったいいつごろ東工大にいたっけと忘れそうになるほど、教授就任は一九九一年十月だった。おかげで今こうして機械で文章が書けている。もう四半世紀ち かくも以前のとても貴重でありがたい「道草」であったが、おかげで今も昔のママにつきあっている若い諸君がすくなくも十数人はいる。嬉しいことにみな「湖 の本」を応援して支えてきてくれた。少なくも十余人の結婚式に招かれたが、みな、お父さんになりお母さんになっている。年賀状には家族の写真がきまって届 く。幸せ者である。

 ☆ 秦恒平様    
2014・4・8
 いつまでも寒い春ですが、お元気でお過ごしのことと存じます。
 過日はたくさんの御本と心のこもったお便りを頂戴しましてまことにうれしい事でありました。半世紀前の自分が茫漠とした霧の中から姿を現したようでまことに驚きでした。それにしてもそれほど昔の取るに足らぬ私の名をご記憶願えたのはまことに恐縮でありました。
 お送りいただいた「湖(うみ)の本」を読み進めておりますが、改めて貴兄が文学に対する正確な対峙の姿勢を貫いておいでである事を賛嘆とともに感得します。文学作品自体もまた文化論的な認識としてもまさに正論を構築しておられるのを実感しました。
 学生たちとの対話もご自身の文学を深める要因となっておられたようで素晴らしいことです。
 おそらく多くの蔵書に囲まれておいでで、ご迷惑とは思いますが本日はテーマを私がかかわった「大きい本」「小さい本」とを謹呈します。
 横浜市の学童疎開では集団疎開が県内に行われたことが特色でそのためか該当者には疎開に対する反応が強かった経緯があります。教育委員会に談じ込み、われわれ体験者が横浜市から疎開したすべての当時の国民学校の体験談を網羅して編集するという方針でそれを実現しました。
 戦後五○年記念ということでしてもうかなり以前のことになりました。
 「小さい本(=笑いについて)」は私の唯一の小説集からの豆本です。その他もただただお恥かしいものですがお暇なおりにお目通しいただければ幸いです。
 さてお手紙では何やら薬を飲んでおられるとのこと、どうかくれぐれもお大事になさって下さい。お元気で良いお仕事をしてくださることを願っています。
 「湖の本」第119号で「堪え・起ち・生きる」とタイトルをつけておいでのように残念ながら時代は最悪の状況を呈しておりますがここは堪えどころと感じています。
 いろいろと書き連ねお時間を取らせてしまいました。
 どうかくれぐれもご自愛されますよう念じます。    ゆりはじめ

* この年になって、なお新たな知己にまみえうるということ、喜ばしい。
 ゆりさんはわたしより二三歳年上、もっと上の方もいくらもご健在。歌人の清水房雄さんは百歳に近く、九十歳に手の届く人届いた人も何人も。まだわたしは若い方と思うことにしている。

 ☆ 大空に
 ゆったりと咲いていた木蓮も
 はや春風のいたずらで
 大きな花びらを 一枚また一枚と……
 そして今日は、
 散り落ちる直前に 筆をとることができました  (繪 木蓮の花)
 秦先生
 先日は、失礼いたしました。お便りも添えずお品物を、お贈りさせていただき、恐縮に存じます。
 先生も、お体を痛めなさっている中で 次々と巻を重ねてのご出版、「大丈夫?」と案じております。 でも私のところへもお届けいただけ本当にうれしく拝見させていただいております。
 ご子息さまも小説家におなり とか、「すごい」と、うれしくなりました。
 先生のような 純文学の方は、少なく、尊いご存在と 遠くより誇らしく思っています。
 先日「炭屋で一泊し、京の春をたのしんでまいりましたが、お迎えのお茶菓子は「末富」の  夜のデザートは「老松」の「夏柑糖」でございました。
 いずれも私の好物ばかり、とてもうれしくなりました。
 やっぱり 京都はいいですね。
 夜の清水寺も「ご招待」していただき、
 妖艶なさくらを愛でることが できました。  (繪 木蓮の花後)
 どうぞ 先生 お体をお大切になさって下さいませ。 合掌    高石市  東

* 巧みな花の繪に、切り紙の櫻を散らし、大小の筆の散らし書きがきれいで、そのまま写真にしたいほど。祇園町で育った、わたしの母校中学での後輩。わた しが高校生から大学への頃、中学の茶道部へ先輩として教えに行っていた。文化祭には教室を茶室に仕立てて佳い茶会ができた。そんなとき、この人は頼りにな る中心の生徒だった。祇園をあえて出て大阪府で高校へすすみ、いい学校の先生になった。絵手紙の美しい本など出し、歌も詠む。根はたしかな京おんなであ る。

* さてまた今夕は歯医者へ。

* 帰りにVIVOでズヴロッカ三杯。妻は赤ワインとチーズケーキ。

* 雑誌「みやび」の依頼原稿をおおよそ取り纏め、取捨は先方に一任のかたちで送稿した。


  

* 四月十日 木

* 起 床8:30 血 圧132-65(56) 血糖値100  体重68.2kg

*   わたしは今問題になっているXP機械を使っている、日用的に使い慣れているので。調子は、しごく良くない。いつ何が起きてしまうかしれない不安定さ。べつ の、Windows7に移行した方がいいと思いながら、使い慣れないので、放ってある。どうなることやら分からない。 

* 「選集@」の函総刷り見本、別紙総扉刷り見本 巻頭の顔繪刷り見本が届いた。顔の繪がつるんと光ったアート紙に印刷されているのを、これに限ってやや柔らかい和紙風のものに刷れないかと相談している。
    ほんとうに煮詰まってきた。                                                                                                                                  

  ☆ レマルク『凱旋門』より
 本というものは、不思議なものだーー自分にとってだんだん大切になってくる。本はあらゆるものの代りになるというわけにはいかないが、しかしほかのもの では到達することのできないところへ到達する。 (或る時期、ラヴッイク医師=)彼は本には手を触れなかった。実際に(=政治的・世界的・外的に)起った ことにくらべたら、本など生命のないものであった。それが(弾圧され、逃亡を余儀なくされている=)いまでは一つの壁となっていてくれるーーたとえ保護し てはくれないとしても、すくなくともそれに寄りかかることはできる。大した助けにはならない。が、暗黒にむかってまっしぐらに逆行している時代に、最後の 絶望から護っていてくれる。それで十分だ。

* まったく同じ実感をわたしは、今まさに、抱いている。だから、読み、だから読んでもらおうと書いている。わたしは、ラヴィック医師の生きた時代と質的に変わりない劣悪で危険な日本に生きている実感のまま毎日を「堪え・起ち・生きている」つもりだ。

* 春うららか。庭に降りて、咲いたいろんな花に目をちかづけ、カメラにも。海棠、しゃが、木瓜、木蓮その他名も知らないいろんな花。花が好き。酒より好きかも。

* メールというものを、機械を使い始めてから何万という以上に貰ってきたが、メールを自分も使い始めた頃、まだまだ利用者は、つまり往来の相手は極めて すくなかった。そのころ或る雑誌に頼まれた原稿に、メールは「恋文」を書く気持ちで書いた方がいい、さもないと却ってトゲトゲと感情のうえのトラヴルにな りかねない、と。事実そういう問題がたくさん起きて行きつつあったようだ。もう一つ、メールに必ず経返信を期待しまま強要するようなことになれば、人の暮 らしが機械に率いられることになる、それは不健康だと思っていた。所用の返事はすばやく、さもない消息の場合はむしろ間隔をたもって返信し、自分からは返 信を強いたり要求したりはしないようにと態度を決めていた、決めていった。人が機械にこき使われていて、それに気もつかずに道を歩きながらのケイタイ、ス マホとか、電車の中でも夢中の人などながめていると、いよいよますますマトリックス現象(機械が人間を飼育し使役し機械化して行く)へ堕落して行くと心か ら憂えてしまう。人間社会がそのような機械から得ている便宜や利益をわたしは決して無視も過小評価すらもしないけれど、精神の衰弱がますます機械主導で進 行している事態には惘れも悲しみもしている。

* 数え切れない多数から何万と数えてもきかないメールをもらってきたが、明らかに上手下手があったなと思う。所用以外のメールが「恋文」とまで謂うのは 刺激が過ぎるが、メールとは「呼びかけ」が基本なのだと感じている。「呼びかけ」上手にこっちの胸の内へ適切な言葉と呼吸とで飛びこんでくるメールは、読 んでいて心もおどり、なつかしく、人柄まで嬉しく見えてくる。わたしは、もう十五、六年も昔から、程なく「メール」のなかから新たな「機械環境文藝」が起 こってくると予見し言及して、じつはホームページのなかで文藝としてもみどころあるメール実例を記録し蒐集してみたいと試みかけた。それ自体は可能であっ たが、あっというまに往来のメールの数が山積してしまい、とてもそんな仕事は続けようもなくなった。だが、その見通しはまちがってなかった思う。
 わざとらしくなく、知的にも行儀の点でもこっちの「胸を打って届く」メールは、明らかに「呼びかける命ぢから」に富んでいる。
 返事だけのメール、自己紹介と主張 自身に関して呟くように書いてはいるが、読み手へ呼びかけていない陰気に弾まないメールもすくなくない、いや、これが多数ともいえるだろ
う。で、返事は省略しよう、となってゆく。貴重な時間は大事な仕事のために所用のために使いたい、使うべきだろう。
 兼好がある女性に用を頼む手紙を送り、その女性からの返事に、今朝から降り積む雪へただ一言も触れてない味気ない頼みなど聞いてあげたくないわと有っ た。ここをはじめて読んだ中学三年のころ、わたしは何かしらだいじなことを教わっていた。兼好さんもヘコンダ、だからこそその人を誉める気持ちで書いてい る。名文美文の必要はない。「伝わってくる肉声」の温かみ。
 いつもいつも「思ひ」という「火」を美しく聡くかきたてて人の胸に温かに「呼びかける」 そういう人とのメールを楽しみたい。

 ☆ 御本(=湖の本119)の内容
 10年まえより、いっそう迫力を増して怖いです。
 『台所太平記』が六条院物語の戯画化とは 目から鱗でした。
 どうぞくれぐれもお身体大切に。   京 美学教授  清

 ☆ 「秘密保護法」の
 廃止を求める署名に取りくんでいるところです。
 まともな意見がメディアに取り上げられません。
 草の根だけでは、間に合わないあせりを感じています。 広島 庄原市   

* 東横女子短大にたった一年「漫談」で責を塞いでいた大昔、それは愛らしい学生だった。故郷へ帰ってから熱心に熱心に活動しているようすを、「湖の本」支持の便りに添えてきて呉れる。こっちの方が励まされる。
 たしかに草の根だけで闘いきれる相手でない。その実感を国民自身が「組織化」して行かない限り、悪辣なノウハウに長けた権力構造に対抗できない。「起て」とあえて言う、わたしは。

* 胃袋が無い。食べたものを溜めてくれる袋が無い。食べたものが直通で腸に停留する。胃の張りとはちがう腸の張りはけっこう苦しい。時に食道へ逆流しか ねない、これが苦しい。順調な排便が頼みになる。食べての満足より、食べない空腹感の方がラクである。あまり嬉しいことではない。

* 創作中の小説二つをかわるがわる少しずつ前へ進め、そして「選集A」の入稿用意もしんぼうよく進め、さらに、新しい「湖の本120」の原稿もしっかり 用意している。度の仕事も、むろん苦しくても楽しい。ただ、「湖の本」なにかと出費が増し、出血の度も増してくる。さりとて値上げもならない、仕方がな い、ここ二十巻ほど少なくも200頁を守ってきたのを、いくらか「減頁」するしかない、か。
 忘れかけていた、めったになく引き受けてしまった原稿依頼の〆切が来週火曜。以来の手紙も見失っている、こりゃ、イカン。



* 四月九日 水

* 起 床8:30 血 圧131-57(56) 血糖値93  体重68.3kg

*  XP機械が、はや破滅しかけているか? どうする?

* 聖路加感染症内科の受診。血液・尿の検査に異常なく、貧血も改善され、肝臓も綺麗ですと。ここで貰う三種のビタミンは信頼して愛用している、妻も。安 定剤のリーゼも出して貰った。今日は見通しよく、一時半予約が二時半には解放された。それなのに、遅い昼食の店えらびに失敗し、結局、ニュートーキョーの ビヤホールでビールとピザ゜という鈍な選択と相成った。
 なんでビヤホールへ入ったか。或る本で、酒の最後の到達点はビールと自他ともに許すらしい酒博士が言っていて、缶ビールの徒には分からないとあった。な るほど家では缶ビールだと反省して、ビールの巧さをじ旨さを実感してみたくなった。べつだん、なんとも感じなかった。仕方なく、ピザを囓りながら、「清経 入水」の原稿にルビ打ちをして過ごし、電車ではレマルクの『凱旋門』を読みながら帰った。保谷駅でタクシーを延々待った。歩く元気がなかった。

* 留守に連絡があり、「秦 恒平選集」第一巻の搬入は今月二十五日と。明日にも函装のツメ、別紙写真と総扉とのツメが届く。それを可とするか不可とするか。いずれにしても、たぶん本 紙は印刷にかかるのだろう。極く少部数。とはいえ一巻の厚み重さはたいしたもの。もう此処まで来たら黙って待つだけ。そして少しずつ施設等へ寄贈してゆ く。発送もかなり気を遣わねば。函を傷めたくない。

* 小保方さんの理研決定への不服申し立て記者会見、理路は通っていた。STAP細胞生成に「200回以上成功している」「
STAP 細胞はあります」という明言があり、隘路を克服して更なる確実な実験成果へ研究者として参加して行きたいという言葉は、納得しやすかった。これに比して理 研の強引な小保方さんひとりに全責任を押しつけて研究からも排斥しようとする姿勢はフェアだとはとても言えない。

 ☆ 先生の「箚紀」は
 一言一句、その通り。「國中を『ドイツの強制収容所』なみにしていた」ことも同感。この國の宿痾、「和の全体主義」は明治以来どころか、はるかにその以前から、そして現在も、未来も、変らず
、あらゆる社会現象を規定し続けていると見ております。くやしさ、無念さ、残念さは、言いようもありません。そして恥ずかしい限りです(現代人として)。  神戸市  大学名誉教授 

* 八時。かなり疲れている。目もまぶしくギラついている。


* 四月八日 火

* 起 床8:30 血 圧132-60(57) 血糖値86  体重67.7kg

*  十時半、地元の厚生病院で心エコー検査をうけ、先日来の他の検査もふくめた診察・診断を受けてきた。心臓に関して検査の限りでは全く正常と。有難く、安心した。「安心」とはうまい言葉だ。
 妻は昼過ぎに、お茶の水まで抜歯後の診察を受けに出かけた。

 ☆ 元気ですよ。  尾張の鳶
 
メール嬉しく
 HPによると今朝は循環器系統の診察とか。良い結果でありますように。
 桜の季節、花に嵐の喩のごとく、今年は殊に寒くなったり激しい風が吹いたりしましたね。灰色の空を背景に桜はしらしら冷めて寂しい感じがしました。
 今日は暖か、春うららになりそうです。私の家の桜はようやく蕾が開きかけたところ。
 椿が盛りです。
 家人が昨日腹部大動脈瘤とその下部の動脈瘤の手術を終えました。血栓症を避けるための前処置で先週から入院しており、以来三日に二日ほどの割合で病院に出かけています。片道二時間近くは遠いけれど、地下鉄ではもっぱら読書、バスの車窓からは桜を眺めています。
 今年に入ってからの私は、失語症?に近いほど「書く」ことを避け拒んできたような状態が続いています。それはさまざまな状況に原因があると思いますが、 書けないことはあくまで自分の問題ですから今は流れに任せています。鴉に「お叱り」をいただくことは十分に予測しているのですが。
 確実に押し寄せてくるものの気配を感じ、書かずにいられない時間もまた到来しつつある、それも感じています。
 今回の湖の本、私語の刻はすぐに読んだのですが、ようやく熟読し、本人が忘れかけていた十年近く前の中国に関する文章に驚きました。大筋では現時点でも間違いは少ないと思います。補足するならエネルギー問題に関わること、大気汚染の問題などでしょうか。
 これから出かける支度をします。駅までの20分を歩くのもダイエット、ダイエット!
 帰ってくると足から疲れが這い上がってきますが。
 どうぞくれぐれもお体大切に。
 校正、お役に立つには不足かもしれませんが、遠慮なく声かけてください。


* 2005.9.5だった、鳶の「中国」観を聴いたのは。わたしより十ほど若いが、豊富な読書量、繰り返し広く世界 を尋ね歩いてきたこと、そして詩人として画家としての創作力等が、この人の見解を偏頗でなく相対化しえており、わたしのように激語しないことからも、安心 し信頼して聴ける。
 ご家族の病状の平安を心より願います。わたしの心臓、健全でした。安心して下さい。

* すこしのアルコールが入ると、家ではすぐ寝入ってしまう。なぜだろう。依存するほどの量は呑まないが、呑みたくなることがある。夕方、ちかくの店へ行って、途切れているウイスキーと日本酒とを自前で買ってきた。こういうことは珍しい。

* 明日また聖路加へ行かねばならない日と、夕食過ぎて思いついた。うへーっ。明日の診察は、毎回延々と待つ。観念して出かけるしかなく、今日も明日も、 病院。せめて雨に降られまい。これから暑くなってくる。寒いより暑い方がにがてです。金曜日はまた歯医者で、新しく高価な差し歯が入る。女医先生のお話で は「ネバー・エンディング」治療だそうで。ウヘーッ。

* 心臓に異変がないということは、すこしは過剰な動きにも堪えられるということか。本気で引っ込み思案から抜け出さないといけない。e-OLDの勝田兄 と、一緒に百花園に遊んだ亡き玉井さんを偲んで、久々逢いたくなってきた。あれはまだ手術まえだった。勝田さんと別れてから玉井さんと上野までもどり、も うちょっとと「天庄」で美味い天麩羅を食べ、玉井さんは酔って真っ赤になった。あっけないほど急に亡くなるとは信じられなかった。奥さんから知らせがあっ たとき、わたしは動転してしまった。ろくに奥さんを慰めることすら出来なかった。
 年齢でいえばずっと若い人にすら、あっと思う間もなく死なれてしまうことが、有る。無常である。

* 『風の奏で』を下巻前まで読み返した。このような小説は、断言していい、わたし以外の誰にも書けない。読み切れる読者も多くは亡かろう、文藝春秋がよく出してくれたと感謝する。橋田二朗先生に描いてもらった装幀もわたしは大好き。

* 東工大建築院卒の柳君から、自邸を建てたので見に来てと招いてくれている。五月の連休頃か。


* 四月七日 月

* 起 床8:00 血 圧142-70(49) 血糖値99  体重68.2kg

*  グレアム・グリーンの『愛の終り
』モオリスへの、ひいては神様へのサラアの愛の吐露。吸い込まれるように耽読している。
 レマルクの『凱旋門』では、いましもラヴィックがパリで、ゲシュタポの凶悪ハーケに向き合っている。医師はハーケを殺したく、ハーケの方は自身この拷問や虐殺で不幸の底へ突き落としたかつてのジューの一人を忘れている。緊迫。そして、先はどう動転するか。
 いま、この二作にバランスしてわたしを異境へ誘いうるのはマキリップの『イルスの竪琴』三巻かと想っていたが、建日子が読みたいからと持って行った。彼はいまル・グゥインの『ゲド戦記』を原語でよんでいると言う。

 ☆ <四月馬鹿>
 というのは完全に死語になってしまったようです。なにしろ毎日のように、エイプリルフールとしか想えないような出来事のニュースをきかされているので、当然の結果でしょうね。
 ご自愛のほどを祈っております。   府中市  仏文学者

 ☆ 拝啓
 花の季節となりました。
 先生にはますますご清祥のこととお喜び申しあげます。
 「湖の本」 たいへんありがとうございます。興味深く拝見させて戴いております。また勉強もさせて戴いております。
 今後ともよろしくご指導下さいませ。ありがとうございました。 敬具  日本ペンクラブ理事

* 出テレビ族と見テレビ族とに国民が別れているとはもう二十年も前から言い慣れてきた。ことに出テレビ族の世にハバする度はずれぶりはこれこそもの凄 く、この極端な乖離傾向はますます強まる。テレビの質が良くなっていればまだしも、ニュースの報道といい政治の無責任といいゲーノー人らのアホラシサとい い、時代と國とがもろともに発狂しているかのように想えも見えもしてくる。むろん時にはああテレビでこれが見られたかと簡単も感謝もする画面も有る。だが 比率においてこんな放映放送ならない方がいいのが圧倒多数。ま、見なければまだしも済むのだが、見なくても電波は費消され、どこかでわれわれがそれを負担 している。             

* ちらぬより散るこそ花のうつくしく雨をきく身に添ふおもひかな  みづうみ
  
   花よりも団子ではない酒がよい酒よりうまいコーヒーはない     有即斎

* STAP細胞論文にかかわる監督機関「理研」の態度は、小保方さん一人に向けての、反省無きパワハラ・セクハラとしか思われない。非常に態度が汚い。 責任があるとすれば、理研全体の共同責任であり、論文と再研究・調査から小保方さんだけをはじき出すというやり方にも頷けない。科学的という以前に人間 的・社会的センスの汚さを感じる。

 ☆ 
佳いお誕生日
 
お二人様。
 5日には優雅なそして温かいお誕生日を過ごされたご様子。
HPで読ませていただきました。
 お身体の調子が優れられないなか、宝物のような時間を過ごされているようで、嬉しかったです。

 選集も立派に心ゆくまでにできあがっていってるとか。おめでとうございます。
私まで嬉しく誇らしげに思えます。
 湖の本119巻を送付いただきありがとうございます。届きまして以来ボチボチと読んでいます。
難しくて理解できなかったり、考え考えしながら読み進めています。

 先日のHPで誉めておられました歴史学者の小和田哲男先生ですが、日本城郭協会の理事長をなさっています。
 私はこの教会の事務局で、2・3年來すこしですがお手伝いをしています。
 小和田先生は先月30日には、奈良大の千田哲夫先生方と一緒に「信長の城」のシンポジュームをしていただきました。武蔵野大学で大勢の城郭フアンに優しく、そしてお城好きになってもらえるように熱心に優しく話していただきました。
 私も協会の事務員の一員として、その準備や後始末などに大わらわの毎日でしたが、先生のお人柄に触れることもできて良かったです。
 明日から、メルボルンの娘の家族のもとへ一〇日ほど出かけます。「湖の本」は機中でもせっせと読み、あちらに何冊か置いてきたいと思っています。娘は日本にいるときよりはよく本が読めると喜んでいます。ロンドンの息子も同感していました。
 今年は花が散る前から新芽の緑が初々しく出てきています。木の芽時は変調をきたしやすいとか、どうぞお二人におかれましてもくれぐれもご自愛くださいますように。 練馬区 

* 浴室でゆっくり読書。いま、嬉しくなるほど佳い本を手元に沢山置いていて、読み始めるとやめられない。浴室での読書は危険ですと、よく叱ら れている、読者からも。やめられない。妻の親友が小和田さんの学殖に惹かれているとのこと、嬉しいことだ。小和田さんも私も、中公新書を出している。担当 編集者の青田吉正さんに感謝しようと、同じような著者の十数人で「青田会」を持った。そのときに小和田さんと始めて会った。それ以来著書の贈答が続いてき た。
 こんど貰った自伝も戦国大名の読書体験もすてきに佳い著書である。

* 三好徹さんの大正時代批評は、「情死」三例からはじまり、次いで「労働運動」の実況と時代の激動とを読み継いでいる。作家としても見過ごせない大事なところだ。

* そして興膳宏さんには、中国の哲学や詩文の、人と境涯とを、興趣に富んだしみじみとした観察や紹介や解説で楽しませて貰っている。いっぱい此処へも紹介したいのだが、もう眼がつぶれかけている。

* 明朝には地元病院で、循環器のさらなる検査と診察とを受けてくる。妻は午後に医科歯科大病院へ受診に。
 

* 四月六日 日

* 起 床8:00 血 圧137-69(50) 血糖値103  夜中低血糖49   体重68.2kg

*  頂戴してきた各氏単行本に、今、持ちやすい文庫本以上に心惹かれて愛読している。順不同にいえば、
 一歳とし若い興膳宏さんの『杜甫のユーモア 孔子のずっこけ』 エッセイ集としての表題は軽いが内容は簡明にかつ至れり尽くせりの研究余録であり、話題 の範囲も広い。今朝、起き抜けに床で読んだ「荷風という雅号」や「孔子をののしる」など、一日の初の読書にふさわしい雅な名文だった。
 また小和田哲男さんの『戦国大名と読書』も氏の研究成果の全容を基盤に据えて表題が示す主題を明確な徴証をそなえて語り尽くされていて、じつに興趣に富んで教えられる。
 興膳さんも小和田さんも簡潔で緊密ないい文章を書かれている。
 小和田さんにはもう一冊『戦国史を歩んだ道』という自伝も頂戴していて、しみじみとして読める。小和田さんはわたしより九つ若い歴史学者だが、ま、ほぼ 同時代をともに生きてきた気息と見聞とをわかち持っていて、しかもわたしは大の日本史好きなもので、著者の心境にとても寄り添いやすい。読んでいて、思い 安らぐのである。
 わたしより十も年上の色川大吉さんに戴いている『追憶のひとびと 同時代を生きた友とわたし』も、いいかえればおのずと色川先生の「自伝と時代」を成し ていて胸にしみてくる。冒頭から、今は亡き懐かしい歌人の玉城徹さん、ペン会長の井上ひさしさん、また松本清張さん、辻邦生さん、またつかこうへいさんら の名が上がってくる。みな、わたしとも相当なご縁を得ていた人たちであり、つづく何十人の大半にわたしも心親しんできた。その意味では実感にちかく裏打ち された同時代史と読めて懐かしい。そのうえに色川大吉という活躍した学者の面目もありあり窺える。こういう著者ともいつしかに著書の応酬があるという、そ んな人生であるかと心地温かい。
 四つ年上三好徹さんの『大正ロマンの真実』また、人と事件とを荒々しいまでちからづよく鷲掴みにとらえたまさしく「大正時代論」であり、ただならぬ「日本人論」である。読まされる。
 高田芳夫さんの『文芸へのいざない』のことは前に書いた。人生にロマンをと副題があって、高田さんはわたしより十一歳上の長者である。
 亡くなって三回忌の記念に奥様より頂戴した西山松之助先生畢生の精華『茶杓探訪』は眼をみはる豪奢な集成で、頁をひらくだけですばらしい「寶」のような 人と茶杓とがあらわれ、精緻に鑑賞されてある。おのづとりっぱな茶道史に成っている。平伏したくなる。西山先生はわたしよりほぼ干支で二回りもお年上の懐 かしい懐かしいお一人であり、仲良しの下村寅太郎先生もご一緒に鼎談に呼び出された嬉しい思い出がある。どうも、わたしは、お年寄りの先生方にウケがよ かった。感謝している。

* こうしてみると、発想の真摯と才能や学識にみちびかれて読み手の人生をもふかぶかと資する著作は書きうるものなのだ。お人柄と視野のひろさ視線の深 さ、そして筆力。ものすごいとまで畏れるほど大きな基盤のうえにこれらの著書一冊が生まれている。いささかの痩せも涸れも不備もなくて、しかも読ませら れ、自然豊かな滋味に心養われている。
 本を書くならこういう風に書かねばと思う。地味が痩せて偏して蕪雑なままではコケの一念も佳い実りを挙げるわけに行かない。
 ものごとを小さく狭くしかも絶対化し抱きつくように囚われていては、想念も識見もふっくらと美味しくは発酵しない。勉強は豊かに豊かに豊穣に。その中から芽生える命に独自性をあたえてやらねば。

* 元九州大学の、現在は国文眼資料館館長の今西さんに頂いた「書物学」誌創刊号に書かれている、「版本『九相詩』前夜」は題名からして引き寄せられる。 「九相詩」とは「人の死をその直後から時を経て亡骸が腐敗し骨となって霧散するまでの九段階を七権律詩に作った書」で、今西さんは新たに出た「奈良繪九相 詩」に拠って、広く流布した版本「九相詩」成立の「前段階」を紹介し考察されている。目が不自由で繪が鮮明に観られないのがもっけの幸いめくが、これこそ 「凄い」繪が紹介されていて、谷崎の『少将滋幹の母』にあらわれる「不浄観」のことなども思い出す。この論攷、繪はともかくとして「e-文藝館・湖 (umi)に戴きたい。
 とにもかくにも興味深い面白い物も事もいくらでも有るものだ。

* 幸福感はいろんな物事人からえられるが、いま、わたしは書きかけの自身の小説を読み返すのが面白く、書き上げてある昔の小説を読み返しながらルビ打ち するのも面白く、その上にいろんな単行本や文庫本を読み耽るのも面白くて、とても幸福感に包まれている。ありがたいこと。


* 四月五日 土

* 起 床7:00 血 圧113-63(63) 血糖値80  体重67.9kg




*  歌舞伎座、三列目花道間近な通路角席という絶好席で、新開場一周年、鳳凰祭四月大視する歌舞伎の昼の部を楽しんできた。今日を晴れ着の妻は七十八歳の誕生日を幸四郎夫人にはんなり祝ってもらい、嬉しそうだった。
 開幕の「壽春鳳凰祭 いはふはる こびきのにぎはひ」は我當の帝を芯柱に、時蔵、扇雀、橋之助、錦之助らのはなやかな舞いが、美しい舞台とともにきっちり楽しめた。
 「鎌倉三代記 絹川村閑居の場は」鎌倉時代のはじめに人も物も事も設定してありながら、大坂と江戸との葛藤を暗示するつくり、その敵味方の入り組んだ人 間関係を冒頭にわかりやすく工夫してあって、そのぶん、幸四郎演じる藤三郎じつは京方佐々木高綱である趣向が大らかに生きた。前半、三浦之助(梅玉)と時 姫(魁春)のかかわりように大芝居の濃厚さと色気とがあり、義太夫狂言の重みと面白さが楽しめた。
 つづく「壽靱猿」には歌舞伎踊り大和屋の名手三津五郎が、重い病の床から元気に復帰してくれた嬉しさで、満場拍手喝采。女大名三吉野には達者の又五郎が 藝風満帆につきあい、大和屋子息の巳之助も進境の踊りでこころよい舞台を見せてくれた、だが、なんともかとも小猿の子役のかわいらしい猿楽が佳かった。た のしかった。
  大喜利は一世一代、坂田藤十郎と中村翫雀の父子でみせた圧巻の「曽根崎心中」 ひょっとすると本当にもう見られなくなる山城屋のお初かと思うとこっちの 気の入れようも半端でなかった。成駒屋も、このところ毎度のことだが、気力充実の好演で人間国宝の父の一世一代をよく引き立ててみごとだった。                                                                                                                                                                              
* 茜屋珈琲でゆっくりした。満員で大忙しのマスターとも歓談しいしい美味いコーヒーを楽しみ、昭和通りの画廊永井で安井曾太郎のスケッチ展をのぞいてから、有楽町線で麹町まで。
 中華料理の「登龍」の前で建日子と合流、馴染みの店で和やかにながながと料理を楽しんだ。最初には、スッポンのスープと北京ダック、わたしはマオタイ、 甕出しの紹興酒、妻は赤ワインで、車の建日子は黒烏龍茶。あとは思い思いの料理を心ゆくまで。わたしは、量を控えめに。親子三人、胸の底までのびのびでき た。
 それから建日子の大きな車で家まで送られ、家で佳い和菓子とお茶でいろいろに話せた。
 凸版印刷から届いていたわたしの「選集@」の「函入りツカ見本」をこれは豪華だ、ちかごろこんな立派な本を見たこと無いよと気に入ってくれ、「もらって行きます」と持って帰った。それもそれで心嬉しかった。
 妻の、いい誕生日になった。建日子と和やかにゆっくり食事でき、車にも乗って、親は他愛なくただ嬉しかった。

* 十時半。そういえば郵便も見てない。

 * お元気ですか
 
秦先生 ご無沙汰しております。
 いつも「湖の本」をありがとうございます。
 その後、お身体は如何ですか? ちゃんと執筆活動はなさっていて、感心しています。
 私は元気ですが、制作活動は全然していません。制作以外のことで、とても忙しくしています。
 とは言っても、年齢のせいか大分気力が薄れてきています。
 とうぞ、御自愛くださいませ。  北海道  


四月四日 金

* 起 床9:00 血 圧128-61(57) 血糖値90  体重67.8kg

*  小保方さんのSTAP細胞論文をめぐる今や泥仕合は目に余るものになってきた。理研はひとり小保方さんを「ワルモノ」として懲戒解雇などいう言葉も耳にす るが、論文は小保方さん一人で書いたものでなく研究に携わった何人もの目も手も経ていたに相違なく、その上にその論文を海外の権威誌に送るに際して理研が 監督機関としてまったく無関係であったとは想像できない。しかもその論文は厳格・厳選できこえた雑誌の審査をパスしている。もし、こんなに簡単に異論・異 議・不審が続出するような内容なら、投稿以前に共同研究者からも監督機関からも発言があって当然ではなかったか。あの賞賛の渦が世界を覆っていた、なぜ、 それ以前に理研やいわば今回告発者はブレーキが掛けられなかったのか。そういう点をじつに不可解に気色悪くわたしは感じている。
STAP細胞じたいへの期待と驚きは大きかった。それを第一歩にさらに研究を積み重ねて朗報の実現可能へさらに科学的に邁進し協力しましょうという大らかな姿勢が感じ取れない。名誉心と功名心と、その裏に張り付いた嫉妬心との不快な劇場化現象ばかりが醜く肥大している。

* こんな佐藤優氏のコラム「聴聞」を東京新聞で読んだ。この醜さにも、まさかとは思わない。思わないとだけで見捨て読み捨てていいのかと強い怒りすらわたしは覚える。あなたは、どうですか。

 ☆ 佐藤優 「聴聞」
 2014年(平成26年)4月4日(金曜日) 東京新聞 朝刊25頁 本音のコラム
 佐藤優(さとう.まさる)(作家・元外務省主任分析官)
  
   組織は生き物なので、生き残りのために職員を切ることがある。二〇〇二年の鈴木宗男事件のとき、筆者は外務省内で三回の聴聞を受けた。
 一回目は外務省参与の園部逸夫氏(元最高裁判所判事)によるものだった。
 聴聞で「あなたは鈴木宗男という政治家が、国益に貢献すると思いますか。彼にチャンスを与えるべきだと思いますか」と聞かれた。聴聞の目的が鈴木氏と親しかった外務省職員に「踏み絵」を迫ることだと認識した。
 二回目は飯村豊官房審議官(田中真紀子氏と対立し、官房長を更迭。外務省内に極秘裏に設置された田中氏の信用失墜を目的とする特別室の責任者)、
 三回目は外務省に出向している検察官による聴聞だった。
 三回とも録音され、一、二回目は記録係も入った。飯村氏が速記係を外に出し、録音を止め、筆者に取引を持ちかけた部分以外は全て記録になった。
 理化学研究所は小保方晴子氏が英科学誌ネイチャーに発表したSTAP細胞に関する論文の撤回を先月十日にロ頭で勧め、同氏も論文撤回に同意したと発表した。
 他方、小保方氏の代理人は二日、同氏が「撤回に同意した覚えはない。撤回の意思もない」と話していることを明らかにした。論文撤回に関して、理研は小保方氏とのやりとりについて記録を取ったのだろうか。とても気になる。

* わたしも気になる。こういう聴聞という慣例が組織悪の外護行為として平然為されていることは、気になるどころでない不信と怒りとを覚える。

* この頃の日々、家の中で二階と階下とを往来するのに必ず手に提げてなくて成らないのは「メガネ袋」という紙袋で。手持ちの全部のメガネが入れてある。「遠い用 3種類 室内用
 2 種類 機械用 間近い用 機械等の眩しさ防ぎ用。それに細字用虫眼鏡。メガネ拭き」で。余儀なく、とっかえひっかえして仕事している。外出時にも最低三つ は鞄に入れて出かける。メガネに視力がなじむまでどの一つにも多少の辛抱と時間とがかかる。堪えて生きている一例である。


 ☆ re: 徹子の部屋と今藤会
 
先生からの
嬉しいメールありがとうございます。
 おめでたいバースデー!
 お二人揃って何よりです。
 今月も我當さんとご一緒の一座で。「ういろう」をいつも頂戴しています。ご親切でありがたく思っています。
 歌舞伎座でお目にかかるのを楽しみにお待ちしております。  


* 国文学研究資料館の今西祐一郎館長からおたよりに添えて、勉誠社創刊の 「書物学」@ 「DHjp」@ を頂戴した。前者には、「版本『九相詩』前夜」を、後者には日本古典籍総合目録データベースなどに触れながら「画像の効 用」について書かれており、どちらも興味津々。おりにふれて館の刊行物や記念品などをよく送ってきて下さる。久しい歳月にたった二度しか会っていない今西 さんだが親戚のような気がするほど心親しい。ま、だいたいわたしは自然とそのように人と出会い交際している。難しい、やりにくいヤツと思われている向きも あるかしれないが、百パーセント近くそれは誤解である。

 ☆ 自宅の一部を使って
 小さな美術館を始めて四年目に入りました。ささやかな事業ではありますが、新しい出会いがたくさんあり楽しんでいます。秦先生との長いおつき合いに心から感謝しております。  千葉県山武市  

* ご主人は佳い画家であられた。「湖の本」をだいじに迎えて下さる方だったが、創刊してほどもなく急逝され、奥さんがずうっとアトを守ってこられた。遺作の佳い一点をわたしたちも購めて大事にしている。

 ☆ 何かあっても
 お変わりなく生活のご様子、その意思の力に敬服いたします。
 昨年から今年 我が家も変化が起き、三月に私は退職、それを待たず 私の新生活を介護から解放するかのように母が亡くなりました。きょうから私の新年度が始まります。  世田谷  

* 久しく久しい読者。介護のかたわらジャーナリストとしても健闘されてきた。新たないい日々をと願います。
 
 ☆ 中国の首席が
 ベルリンで、ありもしない南京虐殺(30万人)を日本軍が行ったと演説したようですが、日本の政府もマスコミもそれを批判しようとしないのが不思議です。
 日本国内でまだ「行なった」という誤まった認識が払拭されていないのは困ったことですね。  早稲田大学名誉教授 

* 主席とか、大統領とか、総理大臣とか、「外交=悪意の算術」と考えて物を言う立場の者は、平気でデタラメも言いまくる。中国も韓国も北朝鮮もロシアも アメリカも、そして日本の安倍「違憲」総理も、ちっとも変わり無い。東北大震災の不幸も原発爆発の大不幸もとうに無事復旧完了しているので東京五輪は何の 問題もなく安全ですと大法螺も平気で世界向けに吹いてきた勢いで、原発を海外へ売ることにも国内で再稼働することにも平然たるもの、同じ日本の国民として は、この方をもっと厳しく咎めて責めたい。
 南京で何があったか、過剰な数字が膨張し続けているのか、そのことをわたしは白とも黒ともとても断定できない。ただ、これは言える、類似の被害や迷惑を 日本の軍国主義が執拗に中国や朝鮮半島に為していたこと。これは遺憾にも否定のしようがない。わたしは父世代の大人達の平生の談話からも、むごたらしい斬 首刑の行列した手撮りの市街写真からも、信頼しうる文学や文献からも、それ自体を疑うことがとても出来ない。「誤った認識」と言いきる根拠を持ち合わせな い、残念ながら、逆である。そして確かなこと、「虐殺」は一人でも十人でも三十万人でも、まったく同様の極悪である。
 あの原爆死に対し、日本国政府はアメリカに向かい謝罪すら求めていない。それに比すれば、中国の主席や韓国の大統領が、あの大戦時の日本軍の悪虐悪事に ともすれば繰り返し言及するのは、国民感情の代表行為としてもあながち不届きなことではないと謂える足場があるのだろう。
 日本の知性のなかに、歴史に徴しても遺憾ながら「やって」しまってたことを、ただ感情的に、「やってない」「やってない」と子供じみた片意地を張りたが る大人がいすぎるのにも、わたしは恥じ入る。ことを「南京」の「30万人」に固定してのみモノ言うのも、やはり恥ずかしい。歴史とは、まずは反省というこ とでないのか。

* まだ手指が痺れ、足の裏も痺れている。

* 建日子が、母の誕生日の晩餐に参加しますと言うてきた。


* 四月三日 木

* 起 床7:45 血 圧131-65(50) 血糖値89  体重67.8kg

* 「選集@」のツカ見本が来た。どっしりと大きい。本のツカ、つまり厚さと、函の感じがわかる。正確に分かるのは表紙の布装の色と手触り。これに黄金色の題字がのるわけだ、佳いわと妻も喜ぶ。本の出来は急がない。ちゃんと製本されれば有難い。
 郵送はたいへんだ。大きく重くて包装にも郵送にも費用がかかる。少部数ながら、いったいどんな請求書が舞い込むやら。創作だけで、これまでのものを全部 本にするとほぼ二十巻になると観ている。エッセイはすべて除いてである。資金的にみて、二十巻はとても出せないだろうな。愛着の作に絞るのも難しい。ゼイ タクな悩みだ。 

* 雨の築地へ。

* 降るわ降るわ降るわ。花はまだ懸命にもっているが散りかけもしていた。わたしは、散る桜こそという派で、散らぬ桜過ぎるのはなにか気に障らぬでもない。それにしても雨にぬれた花の風情は絶対にわるくはない。
 聖路加病院は、途次にも院内からもたくさん桜木が見える。食べるにも、タワーの上の上に「ルーク」があり、ステーキも美味い。あまり高すぎて雨の日は下界も遠望も曇ってしまうけれど雲の上の風情がある。
 雨では歩きたくても歩けない日も、たいてい「仕事」を抱え持っているから、心持ちの佳い店で明るくさえあれば、ビールと牡蛎フライなどで十分用が足せる。「レバンテ」は最適で、店の側もテキトーに放っておいてくれる。
 西武の地下は超満員だった。それでも「寿司政」は顔なじみで席をつくってくれる。しかし、あまり食欲はなかった。
 保谷駅のタクシー乗り場で、ほぼ土砂降りのしたで四十五分も待った。こういう日もあるのだ、仕方なし。 

* 新聞やテレビをみてしまうと、不愉快になる話ばかり。重金敦之さんの『ほろ酔い文学事典』など拾い読みながら機械をうごかす。ビールこそ酒づくりの到達点という考えようがあると教えられた。わたしはマオタイとかズブロッカなど強い酒が美味い。          
 ☆ 「湖の本119」 
 有り難うございました。「ペン会長に質す」には 拍手、快哉を叫びました。ヘッピリ腰の男供には、後ろからケリを入れたい(わァ・ゲヒン!) 今日この頃ですので、久しぶりにスッキリしました。
 P.90のL.9 アンネ・フランクに関し、「語られるべき歴史が知識化している」のご指摘には、サスガ先生の鋭い舌鋒と感じ入りました。  練馬区          

 ☆ 今日から4月
 消費税アップアップといいながら、自分も含め日本人の鈍重な対質に情けない思い。せめて買い溜めした品物が無くなるまでは財布のひもを開かないぞと、独り抵抗。  京都市 桐

* そう言いながら、この人もそうだが、払込金額をだまって足してくださっている読者が多く、恐縮です。感謝。

 ☆ 中公版「日本の歴史」(初版)
 折に触れて読んできたものには、ご意見うれしい限り。  杉並区  

* ちょっと見始めた映画がおもしろくて一時間余も見ていた。通俗な読み物は堪らないが、高尚でなくふざけた映画でも映画として断然面白いという作は上等 なのである。優れた原作の文藝映画に物足りない作があるのも当然で、それは映画として下手なのだ。映画の文法は映像の展開にある。文学の骨頂は音楽にあ る。



* 四月二日 水

* 起 床8:45 血 圧134-63(55) 血糖値93  体重67.6kg

  ☆ 秦 恒平様  
 前略。
 3月14日に発表した日本軍「慰安婦」問題についての「見解」を収録Lたパンフレットをお送りさせていただきます。
 「河野談話」が国政の大きな焦点となっております。この問題については、さまぎまな意見があることを承知Lておりますが、私なりに事実と論理を積み上げて、この「見解」をつくりあげたっもりです。
 ご一読いただけると幸いです。    2014年3月28日  志位和夫  

* 日本共産党志井和夫委員長自署の上記手紙が中央委員会から送られてきた。『歴史の偽造は許されない 「河野談話」と日本軍「慰安婦」問題の真実』と題 した志位さん自身の小冊子が入っていた。この件に関して近時安倍「違憲」内閣や自民党安倍寄り連中からの口弁は、また維新の党橋下代表等の口弁は恥なきも のであり、わたしは特別共産党支持者でも何でもないけれど志位さんの見解はじつに当たり前に妥当と観察できる。何故、これが送られてきたか。「湖の本」 を、あの『ペンと政治』三巻以来、各政党に送っている、それに対する共産党中央委としての挨拶・応答に類する物と観ている。その種の反響や挨拶は、元総理 大臣や元国会議長や現県知事や各党代議士等からもけっこう届いていて、共産党だけが特別にというのでは無い。

* いわゆる「河野談話」なるものを、此処に再掲しておく。わたしは父世代のもと日本兵士たちの陽気に騒がしい半島・大陸等での日本軍生活に触れた談笑を 否応なく聞かされた体験ももっている。彼らが面白可笑しく戦地等で何をしでかしてきたか、耳をふさぎたいようないろいろをまだぬぐい去れていない。 

 ☆  〔資料〕  「慰安婦」についての河野談話
 日本軍「慰安婦」についての河野洋平内閣官房長官談話(1993年8月4日) の全文は次の通り。
           ◇
 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により 設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請 を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これ に加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを 問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げ る。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考え る。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本間題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。     (「しんぷん赤旗」2014年3月15日付)

* 上の資料談話の平静な人道的姿勢をわたしは理解する。ちょうさがいかに行われたかまで承知してはいないまでも、河野談話の口吻に過剰な誤謬ありとは信 じにくい。文学の創作、演劇映画の創作、また数多日本私民の放談や反省や見聞にも接してきた。歴史事実として否認することは難しい。ましてや何処の國のど この軍隊でも、いつの時代、どこの地域にかかわらず「慰安婦」は実在したと言いがかり、それ故に問題の深刻で無道なことをチャラに誤魔化してしまうような 大阪市長、維新の会代表等の恥なき弁口に呆れかえるということは、此処に明記しておく。

* 「作」と「作品」とはまったくべつもの、作品の備わった作は尠い。私自身それをくちにするとき忸怩の思いに恥じ入るが、一般論としていえば、面白づく 面白い話題をここを先途と書き殴って見せた書物が決してすくなくない。ザラザラ、ガサガサと、よくわたしは言うのだがまるで年譜の上を滑り台で滑るように 記事をかいつまみつまみ手荒に弁舌して行く歴史物が多い。「読んでいる」「読まされてしまう」文章のよろしさやたしかさが味わえない。

* 猪瀬直樹前都知事が新刊の署名本を送ってきてくれた。まだ本格の仕事ではない、五輪招致に立ち向かった『勝ち抜く力』だから或る意味古証文ではあるが、とにかくも挫けてしまわず敢然野党精神に立ち返って、敢闘の追究・探求・批評に勇往邁進して欲しいと応援する。

 ☆ 『湖の本119』を拝受しました。
 御著冒頭で知ったコラムを書くような(日本ペンクラブ=)会長では困ります。
 ご意見を(会員の一人として)支持します。 日本ペンが折々発表するリベラルな声明(私はこれに支えられてきた)とのあいだの大きな落差をどうすればいいのでしょう。  詩人

* 正午放映に転じた「徹子の部屋」での高麗屋夫妻を観た。舞台は数えきれぬほど観てきたし、手紙などは貰っているが幸四郎とまだじかに会ったことはな い、その代わりに高麗屋の女房紀子さんとは歌舞伎座等のロビーでこれまた数えきれぬほどこの十余年、妻もわたしもお馴染みになっている。なにが何でも、怪 我も病もなくお揃いでお勤めあれと願う。
 この土曜には、幸四郎の「鎌倉三代記」高綱という剛毅な大役を観に行く。奥さんともかならず会う。佳い春芝居を楽しみたい、嬉しいことに片岡我當も出てくれる。三津五郎も病癒えて顔をみせるし、御大山城屋坂田藤十郎一世一代の「お初」にも逢える。櫻はまだ花盛りである。
 そういえば今日高麗屋から三世今藤長十郎生誕百年を祝う今藤会二十七日の案内があった。幸四郎、三津五郎、染五郎三人が特別出演する。一日たっぷりと国立大劇場にひたって「独り」楽しんできたいと、もう座席を申し込んだ。
 十九日土曜には、梅若万三郎の大曲「江口」のために最前列中央の席を用意してもらっている。美しく酔えるだろう。春爛漫。
 
* 春の選抜高校野球、甲子園で京都の龍谷大平安高校が6:2でみごと優勝した。なつの大会で三度、選抜では初の優勝、久々、久々の決勝であった、たまた ま七回から観て声援、八回にはワンアウト満塁のバッター2ボールからの二度目の投手交代という大ピンチを替わった投手が冷静に投げ勝って零点に抑えたのは 偉かった。そしてその裏に平安は豪快な2ランホームランで大阪の履生社高校を突き放した。九回も平安の投手野手とも冷静に相手校を討ち取った。堂々の優 勝、実に久しぶりに高校野球に感激した。京都愛がかくも濃くのこっていたかと我ながら少し驚いた。ま、それほどこの大会で優勝するのは至難の勇戦というわ けだ。こころよく興奮した。若いもんだ、わたしも。

* 『凱旋門』も『愛の終り』も佳境にあり、三好さんの『大正ロマン』も一章を読み終えた。銭鍾書の『結婚狂詩曲』はあまりバカらしくて上巻半ばだが読み捨てることにしようかな。

* 明日はまた暫くぶりに聖路加通院。他科診察に比し簡単に済むと期待しているが、分からない。雨が降るらしい、濡れたくはないが春雨のこと、厭うまでも ないだろう。湖の本と選集@との重苦しいトンネル続きから抜け、幸い校正刷りを持って外出しなくて済む。書きかけのもののプリントにどこかで落ち着いて目 を通せるかも知れない。食べたいという欲が無い。コーヒーの類もからだに合わない。近くなら出光美術館も佳い、博物館本館をゆっくり蟹歩きするのも佳いか も。しかし上野は花で雑踏しているだろう。e-OLDの勝田さん玉井さんと行った向島の百花園など隅田川寄りにも心惹かれる。ま、こう想っているうちが花 かも。そういえば、桜餅を食べたなあ。言問まで行けば、浅草の肉の「米久」鮓の「高勢」、柳町まで戻れば洋食の「香美屋」あり支那料理もあり豆腐の「笹の 雪」蕎麦の「公望荘」もある。西洋美術館で洋画を観て「すいれん」の庭をみてワインとステーキもいい。いっそ精養軒の見晴らしの席でコニャックかシェリー で大きな海老を食べてもいいが。困るのはこんなにわざわざ書いていても腹具合はよろしくなく、食欲などすこしも出てこない。やれやれ。結局は、花を愛でた いということか。
 なにとはなし、後拾遺和歌集をひらいて、好きと選んだ歌の四、五十ほどを夢中で読んでいた。明日のことは明日きめればよい。

* 湯に漬かり、『結婚狂詩曲』『里見八犬伝』そして『大正ロマン』をゆっくり読んできた。
 とくだん、何の連絡もメールもなく、リーゼで神経を休めて、はやめにゆっくり寝入りたい。明日は十二時前に病院へ家を出る。


* 
平成二十六年(2014)四月一日 火

* 起 床8:45 血 圧138-73(61) 血糖値104  体重68.3kg

*  昨日、妻の親族の
墓地からほんの少しま近をそぞろ歩いていて、思いがけず志賀直哉ならびに父祖親族一家の墓地を見出した。「志賀直哉墓」とある一基も確かに見て、思わず声が出た。墓域は鎖されていた。垣根のそとから静かに一礼してきた。
 「墓」というものは、、しかし、妙にはかない。石や岩や土で死者を地下におさえた感じが、古事記のむかしからハッキリしている。
 「墓」は、生きてある人の胸の内に在るものとわたしは思っている、「慕」情とともに。 その人の生きて覚えていてくれる間が「墓=慕」であって、その人も亡くなれば死者への記憶もなくなり、墓石はただ形だけ残る。
 志賀直哉はたとえば『暗夜行路』 や『母の死と新しい母』や『和解』を介してわたしの胸の内を墓にして今も生きている。森鴎外も谷崎潤一郎も太宰治も同様で、眼にのこっている禅林寺や法然院の墓碑・墓石は、いまでは記念碑 にすぎない。「石の墓」は欲しくないなあと、昨日もまたわたしは思っていた。不埒な思いなのであろうか。


 ☆ 青山墓地
 じつは、昨日わたくしも青山墓地にお花見に出かけていました。姉は長い距離歩けないので、タクシーで花のトンネルを往復する花見です。
 青山墓地はわたくしたちの毎年の花見の場所です。親戚のお墓もあります。姉が元気な頃は、青山墓地を存分に散策したあとに、青山斎場の前にあるウエストという喫茶店によく行きました。
 椅子がゆったりして、クラッシック音楽が静かに流れ、化粧室には藤田嗣治の版画があり、長い時間いても大丈夫な、今では珍しい昔ながらの喫茶店でした。 卵のサンドイッチや、メニューにはない生クリームがはちきれそうなシュークリームを注文したり、気前よくお替りのあるコーヒーなどでささやかな楽しい時間 を過ごしていました。改装してからは殆ど行っていませんが。
  墓地には桜がよく似合います。
 最後に、教えてください。
 「穆穆良朝」の正しい読み方がわかりません。漢文を素養として学んでいない致命的欠陥があるのです。(文科省を恨みます)門玲子さんのように江戸時代の漢詩を復権させてくださった方には感謝あるのみです。  世田谷   
                                            
 ☆ 陶淵明 「時運」第一節
 邁邁時運  
邁邁たる時運         移り行く四季
 穆穆良朝  穆穆(ぼくぼく)たる良朝   うららかな季節
 襲我春服  我が春服を襲ね        仕立てた春着を着て
 薄言東郊  いささか東郊にす       ちょっと東の野辺に遊べば
 山滌餘靄  山は
餘靄はれ      山は靄にあらわれ
 宇曖微霄  宇には微霄くもる       空にあわい虹がかかり
 有風日南  風有り 南よりし        そよ風が南より吹いて
 翼彼新苗  かの新苗をたすく       わが田の新苗をはぐくんでくれる

* 「湖の本」裏表紙のヘソにわたしは、時に「念々死去」印を、時に「帰去来」印を用いている。「帰りなんいざ」と光孝の漢文教室で初めて習い覚えて以来、陶淵明は胸中つねに一点の灯であった。理屈ではなかった。

 ☆ 秦さんの馬力に
 敬服しています。圧巻です。どうぞ御自愛されお仕事をお続け下さい。 前聖路加病院副院長

 ☆ ことしはお寒さの厳しい冬でした。
 また春先も変りやすいお天気でございますが 先生にはご不自由なおからだにも拘らず精力的にご活動、執筆を続けておられるご様子、なによりと存じ、また勇気と力を頂いております。
 私など さきの見えた無力な老人の一人ですけれども、これから日本はどうなっていくのか心配しております なによりも政治家やその他要職についている人 たちの言葉の軽さ、前言を感嘆に取り消して平気なのや、私たち日本人が本当にものを考えなくなったのではないかと思うことが多くなりました。 想田和弘氏 が書かれているようにいつの間にか「熱狂なきファシズム」が社会に蔓延していきつゝあるのではないかとさへ思うようになりました。 過去の歴史を知らない 人が増えているのは案じておりましたものゝ 浅田次郎氏の発言ーー先生がご本の四頁で引用されているーーには大変驚き、ショックさへ覚えました。 八宗兼 学でいらっしゃる先生のご本からまたいろいろ学ばせて頂きます。
 どうぞおからだご自愛なさいまして執筆活動をお続け下さいますよう心から願っております。
 一筆 御礼まで  かしこ    故福田歓一先生夫人 

 ☆ お送り下さいました御本
 昨日拝受致しました。ありがとうございます。時世への洞察がちりばめられた文章にふれ、興趣をかきたてられる思いでおります。
 学生たちのの目にも触れる所に架蔵させて頂きます。  京都橘大学日本語日本文学科

 ☆ 最近は毎日
 ホームページ「闇に言い置く 私語の刻」を拝読し、同感納得しております。『選集@』待っております。
 くれぐれも お体を大切に。  愛知県知多郡 則

 ☆ 桜前線北上中
 淡紅色の霞みがかった様子に、強風や雨に打たれないで! と願いながら楽しんでおります。
 『堪え・起ち・生きる』も興味深く、得心しながら拝読しております。
 どうぞ、ますますご自愛くださいますようお祈りいたします。 静岡市  

 ☆ 「堪え」(特に肉体的な)の
 少ない日々を祈ります。いつぞや「待つ」あいだ歴代天皇名を暗誦すると書かれていましたが、私は「桐壺」から「夢の浮橋」までをくり返します。   藤沢市  

* 源氏物語五十四帖の題を性格に順にいえれば、ほとんど物語を読み返したのと同じほどの興趣に浴しうる。与謝野・谷崎の現代語訳をふくめ、わたしは少年 このかたこの物語をおよそ二十度の余は読んでいて、叙述や情景や人物の言葉や涙まで記憶しているが、桐壺から夢の浮橋まで巻の名を順に唱えれば絵巻のよう に物語そのものが脳裏に再現・再映される。おなじ事は平家物語の流布本についても言える。

* 歌集「少年」や「センスdeポエム」の注文が来ている。ふと嬉しく、第二歌集「光塵」についでまた歌集が作りたくなってくる。題は「亂聲(らんじょ う)」でどうかと予定している。王朝の頃、宮廷その他での舞踏などの、幕へ去るひけぎわにひときわ賑やかに演奏される音曲をいうが、わたしのはさように優 雅でも華麗でもない、、例によって汗水を散らしているような、ま、乱れ歌である。乱れすぎているかも知れぬと首をすくめて遠慮している。

* 四月一日、べつにウソも楽しまなかった。

 ☆ 『愛の終り』の人妻サラアは自分を「淫婦姦婦」と呼んでいる。けれどもモーリス・ベンドリックスを心から愛して「妻」にもなりたいほどだったし、今 も真実愛している。しかし二人がその日愛をかわしていた最中、ドイツからのロケット砲V1号空襲に遭い、モーリスが重い扉の下敷きになって死んだとサラア はかけつけて、思った。「私は裸かでした、そう私は(神様に)言いたかった、だってモオリスと私とは、一晩じゅう一緒に寝ていたんですもの。」そしてサラ アは神様との間である「約束」をしてしまう。モオリスを生かしてほしい、生きててくれれば、彼をあきらめますと。すると、モオリスは死んでいなかった。サ ラアは絶望した。ほんとうにこれが神の「愛」なのか。いっそ死んでいてくれたら彼への愛をあきらめずに生きられた。 
 サラアは政府の高官である夫ヘンリをも彼女なりに夫なりに愛していた。「ヘンリと私とはお墓のなかの死骸のように毎晩まっすぐに並んで寝る」とサラアは 書いている、そういう愛でおっとと妻とはつながれているだけだ。サラアはモオリスといたい。「だって二人が一緒にいれば砂漠ではないのもの。」彼女は神を 憎む、「あなたは私に愛を追放させておいて、さてお前にはもう肉欲もないぞとおっしゃるのです。では神様、いまあなたは私に何を期待なさるのですか?」 「モオリスは自分では憎んでいると思っていながら、いつもいつも愛して、愛してばかりいるひとです。自分の敵(=例えばヘンリ)さえも愛する人です、けれ ど、この私、淫婦、姦婦のうちに、どこにあなたは愛すべきものをお認めになるのでしょう? それを教えて下さい、神様、そうすれば私はそのものを永久にあ なたから奪う仕事に取りかかりましょう。」「私は自分が楽しみ、同時にあなたを傷つけるようなことを何かしたいのです。そうでなければそれは難行苦行のほ かの何物でもなく、それでは信仰の表現みたいになりますもの。ですから神様、私をお信じ下さい、私はまだあなたを信じません、私はまだあなたを信じませ ん。」
 そしてサラアは呻き続ける、「私がモオリスを愛していたあいだは、夫ヘンリを愛した、それなのに(=神との約束でモオリスを喪失した)いま、この(淫婦 姦婦の)私は世間から善い女と呼ばれる女になって、誰をもまったく(肉体を交わしあって)愛していない。そして(最も愛したいのはモオリスであり)最も愛 さないのは神様、あなたです。」
  基督教はサラアの「愛」を容認も承認もしないだろう。サラアは街なかに立って神を認めないと説き続けている男のもとを尋ねていく。男の考えをではなく自分の深い不審と不信の根をさぐたいばかりに。
 小説はまだ半ば。サラアが去ったと憎みながら愛し続けているモオリスと、モオリスを離れて愛し続けているサラアと。

*  有即斎と、わたしは名乗っている、すでに。なんと世も人も、われもまた、「うそくさい」のだろう。わたしが七十八年を生きてきて辿り着き手に握った「批 評」は、すべてが「うそ」ではないか、よほど甘く見てすべてが「うそくさい」ではないか。その認識や自意識を喜んでいるか。とんでもないこと。 
 二葉亭四迷は、「クタバッテ仕舞え」と自身にも焦れたに相違ないが、より本音では世の中のすべてをそう批評していたとわたしは信じている、何れにしても断乎たる「批評」にほかならなかったと思う。

* STAP細胞事件については、理研の姿勢をじつにいやらしいと感じる。若い女性の研究は、少なくも世界的権威の科学誌が容認し採用している。ただの名 誉欲だけで科学論文が採用されるということは、ふつうあり得ないのであり、理研の理事達の物言いには、卑怯な弱い者イジメのままで体面を保とうとしている のがありあり感じられる。科学の研究成果が一度に最終段階まできちっと出るというものでないのは常識であり、有能なかつ有望な研究意図をよりより盛り立て 検証し完成して行くというのが本来の行儀であろう。聴いていると調査したというそれ自体が曖昧模糊としている。
 できうれば女性研究者の有能とセンスの卓抜を支援して、理研外の研究施設や大学が、腰をすえてさらにさらに進展をはかられるようにと応援してほしいとす らわたしは思う。それとも、この研究者に海外研究施設へのいいかたちで送り出したいと思う。なみのボンクラに、世界的な超科学雑誌の関門はくぐれなかっ た、世界の驚嘆をえることは出来なかったはず。すばらしい芽が生えて花や実が期待できるなら応援という姿勢こそが理に適っているとわたしは信じたい。理研 という組織をむしろ憎むほどの不快感でわたしは眺めている。