saku149






述懐   
平成二十六年(2014)二月

 夜のほどに降りしや雨の庭たづみ
    落葉をとぢてけさは氷れる          上田秋成 

 遠山に日のあたりたる枯野かな         高濱虚子

 終りなき時に入らむに束の間の
    後前(あとさき)ありや有りてかなしむ   土屋文明

 とほどほにさかりてあはぬひとつ世の
    限りといへばあひたかりけり         水町京子

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠って              茨木のり子

 
ひとつ落ち一つのこりて姉妹(おとどい)の
    緋椿はけさも咲きしづまれり          湖

 寒ければ寒いと言つて 立ち向ふ         遠 
  



* 二月二十八日 金

* 
起 床8:45 血 圧128-69(61) 血糖値92   体重67.6kg  夜前読書後に「リーゼ」一錠、よく眠れた。目覚めると直ぐ床のまま緑内障のための「タブロス」点眼。起きて体重を量り、血圧を測り、血糖値を計る。インシュリンを注射し、洗眼。朝食。量は食べない。

* 『囲城』がようやく佳境へ。琴線がこころよくふるえ鳴るのでなく、知性を装ったおもしろい議論や言説が、埃のように舞い上がってくる。フンフ ンと面白い。西洋料理と中国料理の差異を、一語、前者は「調 あじつけ」後者は「烹 ひとおし(火通し)」で云い分けているなど、調理・割烹に縁のないわ たしにも、はあとかへえとか思わせる機微に触れていそう。西洋料理に鶏やあひるの「砂胆なんてあったためしがない」というのも、そんなものかと思い当た る。「烹」の利かない「向こう(西洋)の汁物は特に味が物足らん。鶏を煮て、一度煮立ったら、汁を捨てちまって、肉だけ食うなんて、ほんとお笑い草」と嘲 笑っている意味はわたしにも分かる。
 「それでもまだ丸損じゃないさ。お茶の葉が初めて外国(西洋)へ出されたころ、連中はいつもお茶一ポンドまるまる水を張った鍋に入れて、沸騰したらお湯 を捨て、塩胡椒して、お茶の葉だけ食ったんだ」には、わたしだってグツグツわらったが、一方で「コーヒー」を一缶もらった中国のえらい先生は「かぎタバ コ」と思いせっせと吸い込んで鼻の穴をムチャクチャにしたというのも、ま、お互い猿の尻笑いめくが、はっきり見えるのは、西洋との対等ないし優越感であ り、西洋に学びだした頃の日本人は、よほど頭も腰も低めていた。

* も一つ、(わたしも始終云うてきたが、)自称「哲学者」に、「哲学(:研究)学(者)」と「哲学
(者)」 とのちがいが分かってない自称哲学者の多いことが厳しく追及されてある。哲学していると云いながら、ふつう、「一人一人の哲学者を単位にして、その人達の 著作を読んでいる。」それではまるで哲学者研究、せいぜい哲学史研究で、哲学の研究でも哲学しているのでもない。「目いっぱいのところで、哲学の教授にな れるばかり、哲学者にはなれません。  いま哲学者と称する人間は多いが、ほんとに哲学しているのでなく、哲学関係の人物やら文献やらをけんきゅうしてるだけ。厳密にはそんな人を哲学者と呼ぶべ きでなく、哲学者学者・哲学学者と呼ぶべし」と。
 これはまあ、洋の東西をとわず当たっている。

* 機械での宛名印刷の復旧、やっと出来た。ほっと一息。印刷所からはあれもこれもそれも進行を迫られている。三月四月は何が何やらアガッテしまいそうに一切気忙しくなるだろう。二月はニゲルと、昔から。まさしく然り。

 ☆ 
秦先生
 少しずつ暖かい日が増えてきて、春が近づいてきた気がしています。
 お身体のお具合はいかがでしょうか。
 都知事選はあのような結果になりましたが、東京都だけではなく、日本という国自体がこれから一体どうなっていくのか、先が見えない気がしています。子供たちのためにも、おかしな方向へ進まないよう祈っています。 
 ありがとうございました。  卒業生  麻

* 四月から消費税アップになると、「湖の本」の出血はさらに大きくなる。ま、余儀ないこととともあれ出る血は洗ったり拭いたり、な んとか堪えるしかない。もう二十八年も続いてきた事実こそがこの「仕事」の勝ち的な稼ぎであると思うしかない、それでよいと。幸いにも遺産を遺して死なね ばならぬ負担は「無い」と勝手に思いこんでいる。就職以来五十五年の細々とした稼ぎであっても、なんとか暮らせている。湖の本も出し続けられよう、「選 集」も、わるい戦争が始まらないでいてくれれば、そこそこ巻数を積めるだろう。それもこれも、やはり堪えて、起って、生きるのである。奈良の意味も価値も ないと人がわらう前にわたし自身が面白く笑えている。そんなふうに老いられる、それもこれも生みの育ての四人五人の親たちの情けだとわたしは、思い至って いる。

* 選集A のために、『清経入水』の本文はもう読み返した。いまは『風の奏で』を読み返している、おもしろく。おもしろがって書いたのも読んでいるのも わたしであって、文藝春秋から出した頃、あまりのことに本を壁に投げつけたという読者もいたし、はじめのうちビックリするほど読みにくかったのが、すうっ とまるで阿片を吸ったように文体の味わいに魅されて感服しましたという読み巧者の評論家の賛辞も聴かせて貰った。壁に本を投げた人も、そのまま熱狂的に愛 読して行ってくれた。平家物語研究の専門家達が数人で此の作を座談会で鑑賞してくれたりもした。
 しかしまあ何といっても、やはりわたしが第一の愛読者だった。読みたくて堪らないから自分で書いた作と謂うのがいちばん当たっている。この巻に他にも予 定している『初恋=雲居寺跡』も『絵巻』も『月の定家』も、どれもみな他でもない第一自分のために書いた小説と言い切れる。



* 二月二十七日 木

* 
起 床8:00 血 圧131-67(61) 血糖値92   体重67.6kg 

* 少し前に手に入れて上巻を読み続けているのが、銭鍾書、字は黙存、号を槐聚の作になる『囲城=結婚狂詩曲』。原題は「結婚」を意味しているが分かりに くいので邦訳(荒井健・中島長文・中島みどり)はラプソディに改められている。一九四六年(日本の敗戦翌年昭和二十一年)中国で刊行され、ながく禁書同 然、むしろ国外で翻訳されていた。作者は昭和十年生まれのわたしより四半世紀分の年長、ということは、日中のさまざまな戦変期に成人した西欧への留学イン テリであり、今日の中共中国建国の前年に此の作は世に出ていたのである。さまざまな意味で古き(良き?)文化中国には遅れ、共産党支配中国には先立つとい う、繪に描いたほどの過渡期中国での、よくも悪しくも軽薄に西洋かぶれのした若い男女の社交や恋や結婚がいっそコミカルに語られている。ウヘェ、これって 中国人イメージそのままやと思ってしまう。我々日本人がかなり長期に亘りバカにしていた近現代支那人のしつこいほどの印象が裏打ちされている、かと読めて しまう。
 やや以前に愛読した沈復の『浮生六記』には、古き佳き敬愛にあたいする中華民国以前の中国の人と心と美意識や生活感が溢れていたが、『囲城』にはそれが 無い。しかもわたしが中共政府に招かれて四人組追放直後、またその十数年後に訪れたときの中国人の印象とはかなり近似している。なんともオモロイ作であ る。そのオモシロサは作者銭氏のきわめて意図的に巧妙に創出されたもののようにわたしには思われる。漱石の「猫」に比して謂う評家もあるのは幾らか頷け る。

* 「囲城」とはフランスの諺、包囲された城砦を以て、つまり未婚の人が入りたがり既婚の人が出たがる即ち「結婚」を諷喩しているらしい。まだ全編を読み 切らないが、読み終えれば存外にものを思わせるかも知れない。なににしても、この作は『結婚狂詩曲』にほかならず、『凱旋門』『愛の終り』『ペスト』『ブ ラックサンデー』などとは全然毛色のちがう小説で、「中国人」案内を介して東洋思想のおかしみにもかなしみにも触れうる可能性を持っている。こんなものも 岩波文庫はだしてくれている。

 ☆ 駅のマクドナルドから
 
久しぶりに地下鉄の駅まで来て、これから知人に会います。一人になれる時間がなかなかなくて、絵を描いたり、メールを書いたりできません。 目下人生修行中?? ということにしておきます。
 くれぐれもたいせつに。眼、少しでも、とにかく良くなりますように。  尾張の鳶


* 老々介護時代。迎えるのも、卆えるのも、つらいこと。

* 死んだハズだよお富さん 生きていたとは知らぬホトケのお富さん というのがよく流行った。春日八郎の唄として記憶しているよりも盆踊り最高潮の体感 として全身で覚えている、そしてこの歌詞は、あたりまえに嬉しいモノであった。死なれるのは堪らないとどれほど繰り返し小説に書いてきたか。生きていて欲 しかった人たちばかりが思いだされ、夢にも現れる。亡くなった人が夢に見えないと嘆く声をときどき聴くが、秦の親たち三人にも、御恩の先生方にも、友人に も、わたしは比較的よく夢で逢っている。三月の写真に出してみた装幀画の橋田先生とも夢で数度も逢っている。
 稀に、死んだと思いこんでいた人の現存をうわさに聞いておどろきも喜びもする。生きられるかぎりは誰にも生きていて欲しい。





* 二月二十六日 水

* 
起 床8:00 血 圧147-71(58) 血糖値92   体重67.7kg 地元佐藤眼科に行こうか、やや迷っている。自転車が不調で。昼まえ、気を励まし電動自転車で、佐藤眼科へ。聖路加の処方箋と検査内容をみてもらい、眼鏡新調の助言を得た。遠用にはやはり少々の乱視対応をと。処方箋どおりに。近く用、機械用は、現状のままでいいのではないかと。

* ソチ冬季オリンピックは、繪に描いたように結局浅田真央が掉尾を飾って終えた。その精神の平静と心性の鍛錬に敬服する。森もと愚宰相の軽率で無礼な愚弄をかわしたみごとなコメント。日本中が肯いた。言葉はまさに心の苗である。

* 夜中すこし寝そびれていた。六時半から灯をいれ、本を何冊か読んでから、起きた。いまわたしの読書は幸せに満ちている。『凱旋門』『愛の終り』『ペス ト』『ブラック サンデー』そして『ギリシア・ローマ神話』を読み、『八犬伝』も。ちり紙のような小説も世にはびこっている中で、大作ではないが選り抜きの小説、胸に迫っ て花の香をたたえた作品に心満たされる嬉しさは類い無い。
 そして機械の前に来ると陶淵明が待ってくれている。

 ☆ 陶淵明 龐に答ふ  四言詩

 衡門の下 琴(きん)有り 書有り。
 載(すなは)ち弾(たん)じ 載ち詠じ 爰(ここ)に我が娯しみを得たり。
 豈(あ)に他の好(よ)きもの無からんや 是の幽居を楽しむ。
 朝には園に潅(そそ)ぐことを為し、夕には蓬廬に偃(ふ)す。

  衡門  横木一本の粗略な門   蓬廬  雑草の茂る陋屋  
偃  ねむる

 人の宝とする所 尚ほ或ひは未だ珍(ちん)とせず。
 同好有らずんば 云胡(いかん)ぞ以て親しまん。
 我れ良友を求めて 実(まこと)に懐(おも)ふ人に覯(あ)へたり。
 懽心 孔(はなは)だ洽(かな)ひ 棟宇 惟(こ)れ隣(となり)す。

  
覯  偶然の出逢い   懽心  嬉しさ   棟宇  軒をつらね

 伊(こ)れ余(わ)が懐(おも)ふ人 徳を欣ぶこと孜々(しし)たり。
 我れに旨酒有れば 汝と之れを楽しむ。
 乃(すなは)ち好言を陳べ 乃ち新詩を著(あらは)す。
 一日(いちじつ) 見(あ)はざれば 如何(いかん)ぞ思はざらん。

  孜々  日々に励んで怠らない。

 嘉遊 未だあかざるに 誓々(ゆくゆく)まさに離分せんとす。
 爾(なんぢ)を路に送り 觴(さかづき)を銜(ふく)みて欣ぶこと無し。
 依依たる旧楚 邈邈(ばくばく)たる西雲。
 之の子(ひと) 遠きに之(ゆ)く 良話 曷(なん)ぞ聞かん。

 (一節を割愛する)

 惨惨たる寒日 粛粛たる其の風。
 翩(へん)たる彼(か)の方舟 江中に容裔(ようえい)す。
 晟(つと)めよや 征人 始に在りて終りを思ひ、
 茲(こ)の良辰を敬(つつし)みて 以て爾(なんぢ)の躬(み)を保んぜよ。

* 屈指の名作と思う。

* 読んできた小説についても書きたかったが、もう眼が霞んできた。

* 眼の能は、よくなってますよと眼科の先生は言われた。必然、以前につくって使っているどの眼鏡も視野を狂わし乱して疲れさせるのだ。まだ動くだろう と。どう動くか知れぬママ、とにもかくにも生きる。考え直すまでもなく、わたしは、途方もないむだで贅沢な最晩年をいましも設計してしまっている。なんで もない。ものを棄てるのだ、それを「仕事」として。  

* 
「不幸のない幸福とはどんなものか。それを想」うと、ふと思った。『凱旋門』のラヴィックは云う、「幸福 いったいそれはどこではじまって、どこでおわるのかね?」と。「愛というのはね、いっしょに年をとりたいと思うひとのことだよ」とも。
 ジョアン・マヅーは答えている、「愛は、そのひとがいなかったら、生きておれないひとのことよ。それならわかるわ」と。
 すこし前でラヴィックは云うている、「何かしたいと思ったら、結果なんか聞いちゃいけない。そんなこと考えたら、何もできゃしないよ」と。マヅーは彼を見て応えている、「こまかいことでは聞くのがいいのよ。大きなことではけっして聞いてはいけないけど」と。
 さらにその前の方でラヴッイックは云うていた、親しい友でもあり、絶望的な彼の患者であるケート・ヘグシュトレームにむかい、「世界は一生懸命になっ て、自殺の準備をしているよ。そうしながら、一方では自分でそれをごまかしてるんだ」「みんな戦争がおこると思っているよ。まだわかっていないのは、何時 おこるかということだ」と。「いつかそんなことがおころかもしれないなんて、いかにもありえないように思える。みんながそんなことはありえないと考えてい て、自分たちを護る手だてを講じないからだ」と。ケートのつぶやくような言葉は、こうだ、「昔風に正式に結婚して、子供を持って、静かに神さまをたたえ、 生活を愛していきたいわ」と。


* これら彼や彼女たちのことばの背後には時代と悪しき権力政治の暴風が荒れていること、そして、わたしらの今の日本と日本人にとって無縁な批評だとはとてもとても思われないことに肌の冷えるのを思う。
 なにもかも冷えてはいけないのだ、優しく温(ぬく)くなくては危険なのだ。ラヴィックは、さらに少し前で呟いている、「妙なものだ、人間の体に関係のあ るものが、温味がぬけると、まるで死んだようになってしまう ぞっとするほど厭なものになる」と。着の身着のままで逃亡を強いられた消しがたく冷え切った 記憶のママ彼はいまも生きることに努めねばならない。「人間は独立していなくちゃならん。何でも、もとはほんのちょっと安易に頼んでしまうことからはじま るんだ。はじめはそれに気がつかない。気がついてみると、もう惰性という綱にがんじがらみにからまってしまっているのだ。惰性−−どんなことにも馴れてし まっちゃ危ない。」彼はあたりを見まわす。安くて曖昧な宿の「部屋、スーツケースが二つ三つ、若干の持物、散々読み古した本が四五冊−−人間なんて、生き るのにわずかの物しかいらない。生活が危なくて安心できないときには、たくさんの持物に慣れない方がいい。そんなものはしょっちゅう棄ててしまわねばなら なかったり、奪られてしまったりする。いざとなったら、いつでもすぐ飛びだせる用意をしていなくちゃならん。身を縛られるようなものは持っていてはなら ん。心を掻き立てたりするようなものは、絶対にもってはならん。」
 ラヴィックのような人にも、ふと温いもののように肌をかこってくれるのは、やはり「愛」なのだ。

* わたしはこの小説を過去の遠い異国の物とは読んでいない、読めない。そうなのだ彼にも彼女らにも安全や安定を保証するどんな「抱き柱」も無いのだ。「抱き柱」に抱きついたような「自由」「幸福」などはじつは幻影なのだ。

 ☆ ミュージアム 一
  名張の囀雀
 
展示が替わるつど、できる限り観に行っている奈良市の入江泰吉写真美術館と愛知県知多半島にある杉本健吉美術館、それと考古学、歴史、本居宣長記念館を除き、記憶に残っている展覧会を書き出してみました。

 2011年11月。
 大阪市立美術館「生誕120年記念 岸田劉生」。
 劉生展はしばしば開催されますでしょう。またか、と、悩んだあげく、最終日の朝に決めました。杉本健吉さんが憧れた画家ということで、このとき健吉少年 は何歳だったか、と計算して、ひとつひとつ杉本さんにお訊ねする気持ちになって観ることにしたのです。これが、新鮮で、たのしくて、絶筆の前では鼻の奥が つんとなってしまいました。
 『麗子の部屋』と“劉生の首狩繪”部屋がつくられ、油絵での芝居繪や大首繪はさほど強調されていませんでしたが、もし劉生が長生きしていたらこのスジの繪はどうなっていったかしらと思います。青木繁の油絵の日本神話画とならぶ思案です。

 2012年4月
 姫路市立美術館がリニューアルして、記念の企画展に京都市美術館所蔵品を主につかった「麗しき女性の美」を開催するというところへ、私鉄の企画切符で往復1700円弱で行けるとわかり、“乗り鉄”も兼ねて遊びに行きました。
 城はテントの中にかくれ、桜は散り、空は降りみ降らずみ。たいがいの観光客ががっかりするこんな日こそ雀の羽ばたきどき。美術館がある公園を歩き回って、姫路駅名物というおうどんも味わいましたよ。
 森浩一さんの追悼記事で知ったのですが、司馬遼太郎さんが亡くなった1996年、上田正昭さんは姫路文学館の館長に就任され、司馬さんの父方のふるさと 姫路ということから、司馬さんの誕生日8月7日に、ゆかりの人を招いて対談されていらして、2012は森さんが承諾してくださり、7月に、脚を手術したの でと欠席のご連絡があったそうなんです。翌年の8月6日―司馬遼太郎さんの誕生日前日―に逝去されたのですね。
 大阪の小阪に司馬遼太郎記念館があって、そこで菜の花忌として行事が行われることは知っていましたが、姫路で誕生日イベントが行われていたとは初耳です。

 2012年4月。
 108点の寄贈を受けて、三重県立美術館が開催した「榊莫山展」。
 榊莫山―1926年2月1日〜2010年10月3日。翌2011年の10月1日に美代子夫人が、10月3日には親友の元永定正さんが亡くなりました。伊 賀古川村―現在の伊賀市菖蒲池―雀の巣からはクルマで20分ほどのところにお住まいで、若い頃は小野十三郎に似ていたという莫山さん。莫山さんの若い頃の 写真も、小野十三郎の年を経た写真も、いまだ確認できずわかりません。
 この展覧会の最中に、莫山さんのご長女榊せい子さんと、莫山さんに書道だけでなく諸道を習ったとおっしゃる東大寺220代管長の北河原公敬さんの対談がありました。公敬さんは関西ホッケー協会の理事も勤めていらっしゃるとのこと。東大寺といったら法華会ですものね。
 2009年秋、せい子さんは東大寺で得度されました。2010年5月に公敬さんが管長さんになられ、莫山さんは大層喜ばれたそうです。その5カ月後にこ の世を去った莫山さんは、葬式不要と遺言され、せい子さんの読経でおくられたとのこと。この追悼展で作られた図録がご遺族のいちばん満足のいく図録になっ ているとのことです。
 莫山さんが1951年に加藤千晴の詩「観音」を書いて賞を取ったこと、団体をすべて脱退するとき出品したのが同じく千晴の「石をたたいても」だったことから、せい子さんは、千晴のいくつかの詩と莫山さんの「石をたたいても」をコピーして会場に配られました。
 この日は同じ津市内にある石水博物館へ、開館1周年記念展を観に寄って、半泥子の作品をたんと目にして帰りました。     


 ☆ ミュージアム 二   名張の囀雀
 2012年4月末
 ゴールデンウィークに、名古屋の美術館をめぐりました。
 桑山美術館「水墨画の魅力」、昭和美術館「漆の魅力」、名都美術館「日本画に描かれた動物たち」、杉本美術館「『新・平家物語』さし絵の世界」です。
 青梅の吉川英治記念館が季節公開に切り換えたと聞き、東京下連雀に暮らしていた頃、梅見の帰りに立ち寄ったことを思い出しました。江戸の人たちは大和の 吉野に憧れを抱いていて、にているから吉野村と名付け、染井村で桜を売り出したときには、染井吉野と付けたの、と、バスの車内で教わったような気がしま す。あの記念館に飾られていた肖像画が杉本健吉さんの描いたものだったンです。
 1960年の文化勲章は、吉川英治のほかに岡潔も一緒で、上京した岡は、中谷宇吉郎を見舞っています。1962年4月に宇吉郎が、9月に吉川英治が亡くなっていますね。

 2012年5月。
 “正木美術館の考古作品を一同にお披露目する初めての展覧会”というチラシにひかれて大阪府泉北郡忠岡町へ。
 正木美術館は春と秋に企画展が開催され、茶の湯関係の所蔵品が多いにもかかわらず中高年男性の来館者が多く、主人が気に入って、毎年出かけてはにこにことして帰ってくるのです。確かにおもしろくておッとなる展示でしたし、館内の雰囲気もよい加減に
緊張があってよかったです。
 「日本一小さなまち」をキャッチフレーズとしキャラクターは「ただお課長」という忠岡町。面積は4.03kuだそうです。

 2012年5月。
 大阪市立美術館「契丹」展。

 2012年9月
 大阪歴史博物館「スキタイ」。
 どちらも興味深く見て回りました。

 2012年7月
 飛鳥園の第103回仏像講座に参加して、奈良博「頼朝と重源」と仏像館(国博旧館)を見学しました。特に旧館は主任学芸員さんの解説つきで、立ち通しで痛む足腰と、もっと聴きたいという頭と目の、切ない悩みをかかえました。
 仏像だけでなく、昔の展示状況がわかる写真の展示もあり、戦時中に杉本健吉さんが通って描いた繪が一層せまって感じられました。
 このとき、飛鳥園の小川光三さんがずいぶん衰えてお具合の悪そうなのには驚きましたし胸が痛みました。2013年春の仏像講座は直前に中止になり、月刊 「ならら」の連載が今年になって休載が続いています。光三さんは1928生まれ。長兄は早逝し、次兄は八一の早稲田に学んでいましたが終戦で帰郷して同志 社大学に入り、1948頃に光三さんに飛鳥園を継がせた父晴暘は1950に他界。次兄光暘さんは同志社大学で日本美術を教授され、在職中に他界されたと か。

  2012年8月
 大垣市守屋多々志美術館「平清盛と源平の時代―守屋の平家物語」。3度目の大垣です。桑名から養老鉄道に乗ったり、まちあるきをしたり、いずれも夏。
 「おくのほそ道」で、曾良が病のため伊勢長島に帰り、芭蕉は葉月の末に大垣到着。曾良が合流したのが伊勢の内宮遷宮には遅く外宮遷宮には間に合うというとき。ですからなんとなくいつもそんな季節に出かけてしまうのですよ。
 今回は、開館したばかりの、奥の細道むすびの地記念館を見学することも兼ねての遊山です。
 記念館は、全国の芭蕉関連施設の情報や奥の細道関連の情報、そして、大垣ゆかりの先賢の展示に、地元の銀行、物産販売コーナーに休憩所と、観光イベントの拠点として建てられたようです。
 先賢には、江馬蘭斎、江馬細香、飯沼慾斎、梁川星巌などの名がありました。
 守屋多々志は1950年4月から連載が始まった『新・平家物語』の挿絵を担当し、イタリア留学のため降板。36回から杉本健吉が担当したということでした。
 前田青邨が担当した高松塚古墳壁画模写も、実質的には守屋がかかわっていたようですね。 1972年3月に壁画発見。青邨はその5年後に他界しています。
  明日香村の壁画館は青邨の揮毫でした。     


 ☆ ミュージアム 三  名張の囀雀   
 
2012年11月
   三重県立美術館「平櫛田中」。
 国立劇場の『鏡獅子』は大きくて持ってこられなかったようです…。人生が長く活躍も長い分、展示品が豊富で、どれも並々ならぬ出来。敬服しました。2階の常設展で橋本平八を見て、初めて平八の良さがわかりました。収穫です!

 2013年1月。
  津市に県立美術館30周年記念のコレクション展と、石水博物館の名品&半泥子作品展を見に出かけました。
 その翌週、天理大学附属天理参考館の新春展「古代日本の鏡」へ。参考館の常設展示には圧倒されました。おもしろいだけにへとへと。出直して再挑戦しなくては。

 2013年2月。
 富山県水墨美術館の名品展が開催されているというので、愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館へ。碧南市は御初の雀。美術館のお向かいが清澤満之記念館でした。“三河大浜の西方寺”というのはここだったのです。
  美術館のあと、お寺にお参りして、記念館を見学して、お墓参りをして帰路につきました。
  同じ2月に、これも御初の笠岡市。竹喬美術館「入江波光」です。 館長の上薗四郎さんの講演と美術館見学で、昼食をとるため再入場許可スタンプをいただいて外出した以外、どっぷりと10時から4時まで滞在しました。
 大変に静かな展覧会で、と館長さんは苦笑され、なぜ京都でやってくれないのかと責められたり、1点も所蔵していないのにやるのか、と呆れられたり、コレ クターや美術館を各地に訪ねて借りにいらした際の反応など、波光の画業以外にもおはなしが広がり、暖房を切っているお部屋なのにアツくなって、ドアを開け 放しての講演となりました。研究者や美術関係者の来館が多く、館長さんおひとりがやたらにお忙しい展覧会です。
 今年の華岳展は隣の図書館の視聴覚室を借りて、ひろびろと空調の都合もよい講演会でした。ただ、入館料は取れないし、図録も販売できません。
 竹喬美術館はつつましい。

 2013年6月
 リニューアルをしてコレクション名品展を連打しているメナード美術館へ。「近代日本画と工芸」の回です。規模といい、中身といい、ため息がもれる展覧会でした。

 2013年9月
 大阪の高島屋「高島屋と美術家たち」と、近くの高島屋史料館を見学。デパートでは催事場だけでなく、正面入口からはじまり、各階のエレベーター前などに も展示がされていて、「アレ夕立にローズちゃん」に導かれてデパート内を歩き回りました。デパートの作戦に降伏のていです。厳しい残暑に大阪なんばの雑踏 も堪え、見学のみで早々に撤退。

 2013年10月。
 兵庫県立美術館「橋本関雪」。ひさしく来ていなかったわ、と、過去の展覧会図録を見ていて、蓑豊さんが館長に招聘されてから足が遠のいていたことが判明しました。カンフル注射のような展覧会が3年間近く続いていた印象があります。
 県立美術館の開館時刻にはかなり早く最寄り駅に着いたので、関西大学創設の地に建つ神戸文学館を先に見学しました。ここの閲覧コーナーは優れた図書室です。広さや数ではないのですよね。
 芦屋の虚子記念文学館で開催中の「『ホトトギス』を飾った明治の画人―忠、為山、不折―」と、谷崎潤一郎記念館「狐と谷崎、そして歌舞伎」に立ち寄るよくばりをしていましたが、時間切れで、谷崎記念館のみ見学。

 2013年11月。
 石水博物館「川喜田半泥子がみた名品」。
 五島美術館、畠山美術館、出光美術館、滴翆美術館、野村美術館、東京国立近代美術館から借りて、半泥子の作品と並べるというなんとも贅沢な展示で、期間中に熊倉功夫さんの講演も行われたとのこと。    


 ☆ ミュージアム 四   名張の囀雀
 2013年12月。
 「絵画と文学 1926〜1936」展にかわった兵庫県立美術館へ行き、神戸文学館と虚子記念館に寄って帰りました。白鶴美術館へも足をのばし、美しいものざんまい。
 県立美術館では、展示ケースにある初版本や限定本のなかで復刻された本を手に取って読める椅子席が展示室内に作られ、『盲目物語』『聖家族』『伊豆の踊子』『機械』など、読み出すと止まらなくなりそうなdangerな揃えでした。
 『ホトトギス』初期の表紙と裏表紙を目玉に展示した虚子記念館に通ずる企画で、美術ざんまいでもあり、文芸ざんまいでもあります。
 同じく12月。
 大阪市立東洋陶磁美術館「定窯―窯址発掘成果展―」。
 いつの間にか淀川の中之島に地下鉄が通っているんです。2008年10月の開業だそうで、なにわ橋駅では地下1階のコンコースに
アートエリアB1と名付けられたスペースが設けられ、企業・大学・NPO法人が協同で各種のプログラムが実施されているそうな。そのひとつ「鉄道芸術祭」 というのがvol.3を迎え、「松岡正剛プロデュース『上方遊歩46景―言葉・本・名物による展覧会』」を開催しました。
 猛暑の8月に取材に訪れた正剛さんが京阪沿線と大阪市内でどこを訪ねたか、数ヶ所聞くだけでも感じるものがあり、秀吉と幸村と織田作之助ばかり目につく大阪で(2013年は織田作之助生誕100年。2014〜5は大坂の陣400年)なにを出してくるのか興味津津。
 初日前夜の正剛ソロトークは無理でしたが、翌日の川崎和男との対談を見に行きまして、最終日間近の一陽来福京阪電車貸切“道行”と終了後の正剛トークに出かけたはずが、東洋陶磁美術館の展示とミュージアムトークに時間を過ごしてしまいました。
 定窯も、ボランティアガイドさんの説明もよかったのです。ひさしぶりの東洋陶磁美術館コレクションも変わらない感動を与えてくれましたし。
 気がつけば3時。
 お目当てにしていた中之島図書館も適塾も、耐震化工事につき休館中で、12月22日、しかも日曜日とあって、イルミネーションに集まってくる人混みと吹きつのる淀の川風に帰宅を決めました。

 2014年1月。
 神戸市立博物館に巡回してきた「ターナー」。神戸市立博物館はかなりひさしぶりです。開館と同時に入りましたが、どんどん混んできまして、いやいやいや、まぁぁ、すごかったです。東京はもっとひどかったのでしょう。関西で観るありがたさはここにあります。

 書きながら、京都行きがミュージアム企画展のほかに無くなってきたことと、ミュージアム見物そのものが減ってきたことに気がつきました。来館者数と売上 (図録、売店、飲食店)に苦しめられているミュージアムをお気の毒とは思いながら、こちらも自腹で出かける以上、雰囲気の好いところで時間を、つまり、人 生を過ごしたいわけで、ごぶさたとひさかたぶりは今後も変わらずありそうです。
 そういえば能も歌舞伎も落語も芝居も、雀は自腹が自慢で通っていました。

 あッ、ながながとごめんなさい。

 思い出しては囀ってしまって…。    名張の囀雀

* 気楽ならできる、裕福ならできる、健康ならできる、好きならできるという事でない。この真率な踏み込みは、そうそう真似がならない。他に、こういう人 をめったに知らない。徳力冨吉郎さんが、あ、あの徽宗画が観たいと思うと、すぐ飛行機で英国へ飛びますと云われていたのを思い出す。                                           
                       
                                                 
* 二月二十五日 火

* 
起 床8:30 血 圧134-63(52) 血糖値85   体重68.2kg 昨日の疲れが抜けていない。眩くて、眼が明けてられない。夕方、また歯医者に行く。

* 軽薄な人は動揺しやすい、つまり心が静かでなく簡単に気が変わる。

* いま、『陶淵明全集』が最も身近にあり、つい機械の前から手が出る。四言詩の魅力は陶淵明に尽きて他に例を見ない。
 「貞脆由人 禍福無門」
 まことその通り、思わず省みて嘆く。

 ☆ 榮木 三
 嗟予小子    
嗟(ああ) 予(わ)れ小子、    
 稟茲固陋    茲(こ)の固陋を稟(う)く。
 徂年既流    徂(ゆ)ける年 既に流れ、
 業不増舊    業は舊に増さず。
 志彼不舎    (少年には=)彼(か)の「舎(や)めざる」ことに志し、
 安此日富    ((いま老境=)此の「日(ひび)に富む」ものに安んず。
 我之懐矣    我れ之れ懐(おも)ふ、
 怛焉内疚    (だつえん)として内に疚(やま)し。

 小子 つまらぬヤツ  固陋 頑固もの  不舎 功はやめざるにありと説いた荀子により、普段の努力を謂う  日富 詩経によって自制心のない酒を謂う  
懐  自省し  怛焉 傷つき痛む 

* 
嗟(ああ) 予(わ)れ小子。

* 沼袋の歯科へ。帰りに、先週と同じ江古田の「中華家族」でマオタイを楽しみ、ついで「VIVO」でズブロッカ一杯半を堪能して、途中こともなく帰宅。強い酒がたしかに美味い。くらべて食べ物は今一つ落ち着かない。

* 安倍「違憲・暴権・死の商人」総理内閣と呼ばざるを得ない。増長させているのは公明党だとも断言出来る。毅然と信条・党是を守る気なら、もう袂を分かって抗議と反対の意志を明確にせよと迫りたい。
 自民党の中が軟弱に腐れている。ものいう術も筋も魂も喪っている。ペンの会長浅田次郎氏は、当節の政治家はエリートだと謂われるが、「エリート」の意味を承知でして謂われるのか。


* 二月二十四日 月

* 起 床7:30 血 圧139-70(59) 血糖値97   体重68.9kg 

* 身奥がぐたっと疲れ、横になっても寝入れない。午前中校正ゲラを読んでいた程度のことで、他に身を粉にした何事もない。

☆ 人生は寄のごとく、顦顇(しょうすい)すること時あり。
   静かにここに孔(はなは)だ念い、中心 悵而たり。

 人の一生も、旅の一夜のように束の間にすぎ、やつれはてるときがくるのだ。
 心を静めてそのことを思いつづけると、悲しみに胸ふさがれるのである。 (陶淵明 榮木一後半) 


* 
「静かにここに孔(はなは)だ念い、中心 悵而たり」というほどの何も実感無く、ただ疲労している。
 この陶淵明一連の四言詩には「榮木」と題されわたしもとても好きな「木槿」のこと。「(以下の=)榮木(=の詩) は、将に老いんとするを念ふなり。日月推し遷り、已に復た九夏(=夏九十日)。総角(あげまき=十二三歳の髪形)にして道を聞くも、白首にして成る無し」 と序がある。いまはまだ寒い底で木槿咲く夏でなし、そもそも「道を聞く」ような殊勝な子ではなかった。老いてかくべつ学成らなかったのを悔いる実感はない。ただ疲労にはつい負けている。

* 機械で長編『風の奏で』を読み進め、階下で『秘色』『三輪山』それに 「湖の本119」の再校ゲラを読んでいる。物語を読んではいけない、句読点や濁点・半濁点、促音・拗音、括弧の種類、仮名遣い、送りがな。そういうものに 間違いがないか、見落としがないかと読むのである。視野がくろずんでくる。しかし専門の校正職を頼めない限り、これこそは著者・作者の必須の義務。心身の 奥から疲れがくらい煙のように涌いてくる。
 だが、いやではないのだ。わたしにとって「生きる」とはこれなのだ。

 ☆ むつの花    囀雀
 淡雪の中にたちたる三千大千世界またその中に沫雪ぞ降る

 雪はかなりの大災害となっているようですが、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

 ○ 雪のほかは見る物がなき雪を掻く   (菅裸馬)

 10日後は啓蟄。日射しは日に日に眩しくなっています。雪は眼を傷めますから、くれぐれもお大事になさってくださいませ。
 さて、今年は世界結晶年とのことで、寺田寅彦、西川正治、中谷宇吉郎の名前が挙がっていました。
 宇吉郎が北大に赴任したのが1930年。雪の研究を始めたのは1932年で、人工雪に成功したのが1936年。ウサギの毛が鍵なンですよね。
 土井利位の「雪華図説」が刊行されたのが1832年というので、ベントレーの雪の写真が1931年に出版されたことがあったにしても、100年後に研究開始というのはおもしろいことだと思います。
 昨日は、三重県松阪市三雲町小野江で、恒例の「武四郎まつり」が行われました。寺で読み書きを学んだのち、津藩の儒学者が開いていた塾へ通った武四郎 は、10代半ばで家を出て諸国を歩きめぐります。「雪華図説」刊行の頃です。武四郎は誕生日が2月6日で命日が2月10日。それで生誕地では2月に「武四 郎まつり」を行っているんだそうです。
 昨秋、静嘉堂文庫美術館で、武四郎のコレクションが初公開された由。三井美術館なら松阪だからとわかるのですが、岩崎家が所蔵していたのですね。
 武四郎と儒学塾で知り合い、一生の親交を続けたのが、川喜田石水。半泥子の祖父です。津市にある石水博物館では館蔵品のなかから「松浦武四郎と川喜田石水―幕末知識人のネットワーク」展を開催しています。江戸にはない機密資料のような武四郎の資料も展示されていました。
 昨日、中谷孝雄の生誕地、津市久居森町七栗に行って、氏神さんの神社と父の葬儀をしたという照安寺を訪ねたあと、石水博物館を見学して、武四郎は対馬から朝鮮に渡ろうとして失敗し、長崎で寺の住職をしていて、ロシア南下を知って蝦夷へ渡ったと知りました。
 武四郎の繪や地図、そこに半泥子の繪に書に陶器でしょう。気持ちがすーっとする展示でした。
 ところで雀も当世風に花粉症のようで、ぐすぐすかゆかゆ。向上前進右肩上がりタッタッタァ〜とまいりません。
 書きとめたなかから、京都遊山をまずは抜いてみます。   名張
 

 ☆ 京都   囀雀
 
2011年11月。
 京博「細川家の至宝」、京都国立近代美術館「川西英コレクション―夢二とともに―」、京都市美術館「コレクション展」を観に行った日はこぬか雨が徐々に 強まり、吉井勇の命日ということから「かにかくに」歌碑へ寄ったときには川面の細波とたっぷりと雨を吸ってくろずんだアスファルトがともりはじめた灯りを うつしていました。
 このときから、いままでの、京都行きを書き連ねてみます―
 2012年3月。
 夜半からの小雨に京都行きを決め、駅から一気に「野仏庵」へ向かいました。京都市内、しかも名の知れている場所でありながら、まさかの雀一羽ということが、しばしばあります。雨の日は特にそうです。
 カセットテープのご案内にそって建物内を見学ののち、「雨月席」でお薄を一服いただきました。窓に寄ってみたり、離れてみたり、ぼんやりと雨の座敷でひとり、ひととき。
 石仏ひしめく庭を歩き、地図を片手に、林丘寺宮墓、葉山一燈寺を訪ね、曼殊院前の弁天茶屋でお蕎麦の午食をいただいて、鷺森神社境内をぶらぶらと抜け、 音羽川岸のミニ公園で小休止。東の高い山、氷室山の山々、谷向こうの松ヶ崎。雨にけぶり、止み間には靄が立つ山の景色に、何度も足を止めました。
 橋を渡って禅華院の石仏にお目通り。満足満足。修学院離宮入口から坂を降りて叡山電鉄に乗りました。
 2012年6月。
 二階建てバスが引退すると聞き、初めて駅前から京阪の京都観光を利用しました。おっとりとしていながらスーパープロフェッショナルなガイド嬢の案内で、平安神宮、天龍寺、嵐山、金閣寺、清水寺と、旗にくっついてめぐるうち、雀はおのぼりの初心にかえってゆきました。
 2012年8月
 夏の特別公開に初公開の木嶋櫻谷旧宅があるというので、上賀茂社家、荷田春満旧宅と3ヶ所見学しに行き、帰りの電車に余裕があったので、勧修寺へ足をのばして真夏の京をめぐりました。このとき工事中だった櫻谷のアトリエが、昨年、公開されましたね。
 2012年9月。
 京都国立近代美術館の「高橋由一」、京都市美術館の「京の画塾細見」、京博「大出雲展」を見物。
 このときはまさか1年後に日帰りで出雲大社参拝をすることになるとは思ってもいませんでした。
 2012年10月。
 京大の博物館に行ったところ、山中伸弥教授の受賞記念で無料公開中。受付で「山中教授にメッセージをどうぞ」と紙を渡され弱りました。
 京都工芸繊維大学美術工芸資料館は、まだ入ったことがありません。
 相国寺承天閣美術館「八一回顧展」で、10月、11月と、神林恒道さんの講演があり、2度とも申し込みが通り聴講できました。タイトルは「會津八一の美学」「八一と御風と良寛と」。
 神林さんは、大学入学以来、大阪で教鞭を執った数年間のほか、ずっと京都にお住まいだそうで、奈良市で講演なさった折に、わざわざ新潟からと言われて恐縮なさったとのこと。
 10月22日。
 京阪の京都観光バスを利用して時代祭を見物しました。
 熱中症注意のアナウンスが流れる暑い日でしたが、いい席で、楽々と悠々とたっぷり見物できました。
 翌日から6日間、北村美術館の四君子苑が公開されるというので、数日後、再び京へ。お目当ては飛鳥の石。   

 北村美術館のガイドさんに案内されて建物や庭をめぐりましたが、ひとつひとつが雀には驚くものばかりで、ガイドさんについたり離れたりしなが ら2周目に入り、飾られている繪のなかに伊藤小坡を教わったり、掛物は上司海雲とわかって小さな歓声をあげたりしているうちに、石工さんのグループや先生 に率いられた建築の学生さんが見学にいらしたので、ついたり離れたりしながら3周目の見学。
 10時に受付をして、3時間。それでも足りません。
 こうなると南禅寺界隈の庭にあるという飛鳥の石を見たくなりますねぇ。
 北村美術館から京博の「宸翰」展へ。
 聖武天皇から昭和天皇までという広さも三筆と三跡の展示も存外で、ひさびさに墨と筆と文字の世界にひたり、心も頭もふやけました。リニューアルした文化博物館へ立ち寄り、常設展と建物を見学して帰りました。
 2012年11月。
 承天閣美術館での神林恒道さんの講演前に、京都市学校歴史博物館(ガクレハク)「学校で出会う京都の日本画」へ。思わぬ日本画展でした。上村淳之さんが館長さんなのだそうですね。
 2012年12月。
 京都国立近代美術館「山口華楊」、京都市美術館「須田国太郎」。
 華楊をたっぷり目にしたのは初めてです。
 平安京最古の仮名文字というのを見たくて、京都市考古資料館に、藤原良相邸跡出土の墨書土器を見に行き、帰宅。
 2012年12月。
 京都駅ビルの美術館「レオ・レオニ展」。ただひとつ。「平行植物」が見たいばっかりに。「スイミー」やねずみのキャラクター人気で大変な行列だったのには驚きました。
 2013年1月
 この冬の特別公開は「八重の桜」がらみで同志社大学関連が多かったですね!
 雀は三時知恩寺と宝鏡寺の見学をしてまいりました。駅からバスに乗り宝鏡寺最寄りのバス停で降りたものの拝観受付には早く、
近くをうろついていたところ、「薄雲御所」と刻まれた石柱があり、毘沙門堂と弁財天の祠があって、新しい小さな庭がありました。雀はそこに飛鳥の石を見つけしゃがみこんで撫でました。あの山田寺の石が蹲踞に使われていたのです。
 冬の特別公開を見学したのち、清水三年坂美術館「鍛鉄の美」を観に行きました。鍛鉄も、その工芸品もちんぷんかんぷんで、館長さんの展示解説があるとい うので、それをたよりにしたのです。自在物というのも初めて目にしました。帰宅して主人に話すと、金属会社に勤めていたものですから、晩酌片手に講義が始 まりまして、一緒に行けばよかったと思いました。
 後日、宝鏡寺や薄雲御所から、後水尾天皇皇女他利宮により“谷の御所”こと椿で知られる円成山霊鑑寺が創建されたのが1654年で、“山村御所”こと普 門山円照寺が八嶋に移ったのが1656年とわかりました。1156年旧暦7月2日に鳥羽法皇が崩御して、崇徳院が挙兵して、讃岐に流されて、憤死したのが 1164年旧暦8月26日。
 1651年旧暦4月20日に将軍家光が歿し、1654年は崇徳院の憤死から490年、1656年は保元の乱から500年の年だったと気がつき、円照寺界隈を歩いたとき目にして立ちすくんだ、アスファルト道の真ん中にある石を思い出しました。
 1945年が645年から1300年というので、近衛文麿が東條秀樹を殺害して東久邇宮を擁立しようとしたそうですね。
 2013年9月。
 高麗美術館のバスツアーに参加しました。おはずかしい話ですが、高麗美術館を訪ねたのはこのときが初めてなのです。展示は8月6日に逝去なさった森浩一 さんを追悼して「朝鮮文化と京都」。バスツアーは「京都のなかの“韓流”遺跡めぐり」。めぐった先は、平野神社、木嶋坐天照御魂神社、葛野大堰、広隆寺、 蛇塚古墳、松尾大社、樫原廃寺、伏見稲荷大社でした。
 申し込んだ当初、キャンセル待ちの4人目と言われ、半分諦めたのです。ところが、定員を増やして、最新の大型観光バスに取り換えて実施してくださいまして、貴重な機会に参加することができました。
 高麗美術館では、あまりの人気に驚かれたそうで、「近江のなかの“韓流”遺跡めぐり」を企画していますとのこと。
 司馬遼太郎「街道をゆく」の文庫本に「甲賀・伊賀」と「大和・壺坂」が一緒に入っていたので、その1冊だけ求めまていたのですが、そのなかにある「砂鉄のみち」に登場された方が高麗美術館をつくられたのですね。
 2013年11月。
 堂本印象美術館「梶原緋佐子、広田多津、三谷十糸子、北沢映月」の最終日にすべりこみ、高麗美術館「朝鮮通信使と京都」、京都市美術館「竹内栖鳳」「下 絵を読み解く」、象彦漆美術館「高御座と御帳台―菊とNIPPON―」、京都市学校歴史博物館「近代京都画壇を育んだ人たち」と、タクシーを使い、市内を くるくる回って、時間一杯目一杯見て回りました。
 紅葉の京都、しかも晴天というのに、これほど市内を動き回ることができるとは、京都も人出が変わってきたのでしょうか。
 「竹内栖鳳」は途中で飽きました。
 「山口華楊」や兵庫県立美術館の「橋本関雪」のほうがよほど気分よく、やわらかな気持ちで出口をあとにしましたねぇ。
 このあとすっかり京都にごぶさたです。
 今年は、伏見と松尾でおやま登拝をしたいな、と思っています。
 ○ 読みちらし書きちらしつつ冬籠   (山口青邨)     名張の雀

* 脱帽して、ひとつひとつの見聞満喫の余涎を舐めました。感謝。 ただ息をしている人ではない。                




* 二月二十三日 日

* 
起 床9:00 血 圧136-67(61) 血糖値88   体重67.8kg 定時の三食という感じでなく、終日すこしずつ間食しているような昨今。日に三度服薬の種・量多く、そのつど腹部に異変を感じ、便意・排便に繋がる。

* 「みごもりの湖」三校出を頼んで返送し、「選集@」前付け、後付けの、原稿の出来たところから入稿した。じりじりと進行。
 昨日には「湖の本 
箚記119」の再校が届いている。

* ソチオリンピックが終わる。メダルになどわたしは拘らない、敢闘した選手達の鋭意熱戦に拍手を惜しまない。

* 「生きている」のと「生きる」とは、露伴翁にあらためて問うまでなく、「生きている」とは「息をしている」から「生きている」のであり、性別、年齢、 意志や賢愚の差なくみな同じ、いわば生物が息をして生きている、それだけのこと。しかも覚者、至人、仏陀は、むしろこのように生きている。
 ところで、「生きる」は「生きている」と、はっきり、ちがう。まさに「イキル」「イキリ立つ」すなわち活躍し、興奮し断乎として意志を以いて立ち向かい 踏み出すのである。ただ静かに、ただ深く、またはただ無意味に「息をしている」だけでなく、息づかいが励んでいる。仕事や行為に活気がある、ただし
覚者、至人、仏陀の呼吸ではない。
 静かにただ座し「息をしている」だけで不足のない日々が願わしい、しかし、すくなくも今のわたしにはとてもムリ。
 あなたは。

* グレアム・グリーンの『愛の終り』 レマルクの『凱旋門』 は小説として占めている場にすこぶる懸隔があるが、「愛」の表現に得も云いがたい魅力があり、ついつい毎夜手を出して読み継がずにおれない。
 たいてい、チャーミングな小説の主題は「愛と死」とキマリがついているようだが、わたしは早くからその今一つ奥にこもった「身内」感覚、必然の「一体・ 一致」の共有こそが、性別と年齢とをとわず、人間至高の憧憬であり願望であると観てきた。それはもう恋や愛を超えていると観てきた。性愛が添ってくれば一 体・一致の喜びはさらに深まるだろう。『愛の終り』のベンドリックスは知っている、「その瞬間が来たとき  あの不思議な寂しい、怒ったような、身も世も 抛げ棄てた叫び声」を。声は、抱かれたサラアだけの声でない、抱き締められたベンドリックス自身の声でもあると。「一つ」という「身内」の実感。それは日 常の時空にあって性行為と無縁な同性の知己や師友やまた血縁に対しても決して不可能でない。
 とはいえ、性の神秘にはおそろしいほどの真実がやどる。ことにすばらしい女のすばらしい自己放棄には。「サラアーは疑いを持たなかった。その瞬間だけが 問題であった。永遠とは時間の延長ではなくして、時間の欠如であるといわれるが、わたし(ベンドリックス)に彼女の自己放棄はあの不思議な数学上の点、広 さを持たず、空間を占めない点のもつ無限性に触れているように思われることもある。時間にいったい何の意味があろう−−」
 これは男が女に捧げ得た最高の感嘆ともいえるが、男と女とで性の神秘に捧げ得た最高の感謝であるというのが正しくはないか。

* 『凱旋門』の医師ラヴィックはジョアン・マヅーを愛し始めている。「女は、愛はなくとも、魅力と誘惑そのものである。
男 の性欲が先行しているようでも、女の魅力と誘惑とは彼の意識を置き換えて行く。この「女は何をやるにも、それにすっかり打ちこんでしまう。これはこの女の 非常な魅力でもあるが、危険でもある。 こういう女は、酒を飲むときには酒が一切、恋するときには恋が一切、絶望するときには絶望が一切、そして忘れると きには完全に忘れてしまう。」
 そしてラヴィックはマヅーへの愛をこんな言葉に置き換える、「僕は何にも知ってやしない。ただ口で言うだけだ。人間て、何一つ知らないものだよ。あらゆ るものは、いつでも違うんだ。 いまだってそうだ。二日目の晩というものは、けっしてありゃしない。いつだって最初の夜だ。二日目の晩というのは最後のこ とだよ」と。彼も彼女もパリの陋巷に身をひそめあいながら帰るに足る故国や故人を喪いきっている。
                                          

* 日本の近代・現代の藝術味ゆたかな作の中で、上のような愛のきびしさや美しさや懐かしさを欠いて感動させてくれたどれほどがあったろう。日本の作者達 は観念を咀嚼して魂の栄養に変える言葉の魔法に乏しい。信仰や戦争や故国喪失の地獄を深くは持ち得なかったのでは。漱石にも藤村にも潤一郎にも真に恋愛小 説といえる名作は無い。作り物の恋は描かれ得ても。清張にもない。直哉にも武者小路にも川端にも三島にもない。むしろ荷風の『濹東綺譚』などが純である か。

* 相変わらずどぎつい「SPAM」メールの洪水、そのなかに今日もこんなのが。この程度の英語ならわらって読めるが、誘いのウエブは決して開かない。

 ☆ Life is beautiful
 
Hello - my name is tabbie
 I am very cute girl and i like chat online.
 I love showing my body on Cam to other guys.
 Come play with me!

* こういう誘いに揺らめく何もない。わたしの想像力はもっと精妙なつもり。

* 「選集」第二巻には『清経入水』などが入る。もう此の
受賞作の本文用意は出来ていて、ルビ打ちを残している。長編『風の奏で』 上下巻を読み返し始めた。この世界こそ懐かしい。少年だったわたしの底知れぬ憧れが平家物語を語りながら胸もうち震うように塗り込めてある。まさにわたし は自分が読みたくて読みたくて堪らなかったような小説を書いていたのだ。読み上げには少し時間を掛ける。ついで、『初恋=雲居寺跡』そして『絵巻』を入れ る。分量の按配では『月の定家』を加えるかも。
 

* 第一巻のためには責了すべき『秘色』『三輪山』を最後に丁寧に読まねばならぬ。この巻は『みごもりの湖』を巻頭にも大和・奈良時代の物語が纏まり、第 二巻には平家物語の時代が濃やかに語られる。わたしの作は、どんな歴史や物語に触れていようとみな現代の愛の物語になっている。
 わたしは、楽しんでいる。谷崎が、年を取ったら自作をしみじみ読み返して過ごしたいとも言うていたのをよく憶えている。谷崎は、亡くなるときまで創作し執筆していた。わたしも、ぜひ、そうしたい。そうしている。

* 五月明治座夜の部で、市川染五郎がケレンの早変わり『伊達の十役』に挑戦する。番頭さんに予約を終えてある。
 三月には昼夜、四月にも昼の部の歌舞伎座が楽しめる。新しく処方箋ももらえたこと、それまでによく合った眼鏡を新調したい。

* 夕飯からあとへ、くたりと疲れる。十一時過ぎた、もう休もう。


* 二月二十二日 土

* 
起 床9:00 血 圧136-65(63) 血糖値86   体重67.3kg 仕事の輻輳に悲鳴、しぜん眼精疲労。

* 落ち着け、落ち着けと自身に言い聞かせている。落ち着かねば、手の舞い脚のふむところを失って仕事にミスが出てしまう。

* とにかくも「選集@」はなにもかも初仕事で、ことに本文のほかのツキモノ頁の形・格好を決めて行くのにひどく心労する。決めてしまうと次回A以降に、必然やりなおせず前例として残ってしまう。午後いっぱい、眩しい機械画面に向き合って苦労また苦労。

* そんな間に、ふとメールボックスを開くと、たくさんな「SPAM」メールのなかにこんなのが。しかもほかでもない熟知のアドレスから送られてきてい る。こんなのはマシな方で、もっとむちゃくちゃなのも舞い込む。舞い込んでも削除するだけだから被害はないが、世間が狭いのか世界がやたら広いのか。明け よとあるウエブアドレスは消してある。

 ☆ love
 
bonjour number-one!
My name is richard, im really hot russian girl
I very like the virtual hot meeting.
If you are realy interesting to love chat, meeting, change photos, hot webcam (skype) talk with me (or with my girlfriends)
please go to my web paage:
my sweetheart, I am going now, see you

* 妙な世間である、ネット空間とは。

* へとへとになりながら、辛抱のいる細かな原稿づくりに一晩掛けた。明日には、用意の出来たところから印刷所へ戻したり、入稿したり出来るところまで努めたい。
 意識している、わたしの「選集」など、いまの日本にも未来の世界にも何らの役に立たない、つまりは身命と経費の贅沢なムダづかいに過ぎない、と。だから こそ、だが、此の「最期の私家版」をわたしはただただ楽しむのである。奥付に、印刷を四月五日、発行を四月十五日とした。花の散る頃であろう。          
 
* 祇園に根の生えた友だち、中学のクラスメート、から「伊織」の美味い和菓子をもらった。懐かしく。また美味しくお茶うけに戴いた。

* この年になると杖をついた同年輩にはこと欠かない。しかし若い男性がお洒落にステッキを愛用している姿は見ない。
 漱石の「彼岸過ぎ迄」には人の探偵をたのまれる気のいい生年がおもしろい杖を好んで持ち歩いていた。わたしは、少年の昔からそれを面白く趣味のあること と感じていた、ただし彼の杖、家賃を踏み倒して逃げた男の忘れ物の杖は、握りが蛇の口を明いたようになっていて、それは勘弁願いたかった。
 手術のアト、余儀なく二年も杖つき暮らしをしているが、杖が格好わるいと思ったことなく、今は妻の買ってくれた紫檀の生一本を愛用しているが、どこか古 道具屋におもしろい杖が埃をかぶってないかなどと趣味が高じている。しかもたしかに杖は用心がいい。まだよろめくことの珍しくない身には、あえて杖を追放 の必要がない。出来合いの代用品のような杖は二本ほど置き忘れてきた。気に入った杖は大事に身の一部のようにして置き忘れてこない。
 ただし杖は身丈にきちっと合った長さでないとかえって疲れる。こっちの身が月日を追い縮んできているので、いまの杖、心もち長すぎる。杖屋でなら簡単に調節できる、はず。


* 二月二十一日 金

* 
起 床7:00 血 圧145-75(57) 血糖値87   体重66.9kg 好天なれど 積雪随処に消えず、風寒い。

* 福島の汚染水漏れが百トンに及ぶとは何事であるか。オリンピック招致で責任持って大丈夫と公言してきた安倍「違憲・暴権」総理に、「虚言・無責任」の咎めを加えよう。

* 森喜郎五輪組織委員長とやらの公言した「浅田真央は大事なときには決まって転げる」といった情けない言葉に呆れかえる。浅田の今回ソチ騰貴五輪の失敗 は、国とマスコミと国民とが挙って加えた無軌道なプレッシャーのせいである。ソチ五輪開催の前から、可哀想だが今度の真央はハナから潰されている、成績は 期待しにくいとわたしは露わなほど予覚していた。森のような者が組織の長に立っている五輪になど、わたしは特別の期待など全く持たない。

 ☆ お元気ですか。

 あまりお元気そうには感じられないのですが、お元気ですか。
 「白い石で日記を書きたくなる日」というのがどういうお心持ちなのか、無教養のわたくしにはよくわからなくて、お教えいただければとお願い申し上げます。
 メールを書く気力もわかないくらい非常に落ち込んだ日々を過ごしていました。わたくしは今の日本に心底恐怖しています。
 一体今この国に起きていることはなんでしょう。昨日今日のニュースどれ一つをとってもおそろしくてなりません。どうして世間は沈黙して、正気にしていられるのか、そのことがさらに絶望を深めます。
 ニュースその一
福島第1汚染水が漏れた東京電力福島第1原発のタンク周辺=20日午前(東京電力提供) 東京電力は20日、福島第1原発で放射性物質を含む汚染水を保管 しているタンクの上部で漏えいが見つかり、汚染水がせき外に流出したと発表した。約100トンが流出し、水からはストロンチウム90などのベータ線を出す 放射性物質が1リットル当たり2億4000万ベクレル検出された。
 
 1リットル当たり2億4000万ベクレルが100ト ンです。総量でいったい何ベクレルになるか計算したら卒倒しそうです。たぶん東電の大本営発表であることを考えると、真実は凄まじく、人類未踏の天文学的 数字になるはず。どうしてこの事実がNHKの、大新聞のトップニュースとならないのか、それが信じられないことです。やがて日本は、この汚染水の無為無策 に対して世界中から凄まじい非難をあびるでしょう。海が、それも太平洋全域が死ぬ予感におののきます。
 
ニュースその二
 三宅雪子(前衆議院議員)のツィートを拝借して
 集団的自衛権「憲法解釈変更は閣議決定」〜www3.nhk.or.jp/news/html/2014 …「 御憲法解釈を変更する際は、与党との協議も踏まえて閣議決定する考えを示しました」 何気なくすごいニュースをさらっと報じている。
 
 以前ならこんなこと公表した時点で内閣が倒れていたのではないでしょうか。民主主義国家ではあり得ないことでは。国の根幹を激変させる凄まじいニュースではないですか。そこまでして戦争したいのは誰? そしてこれも大ニュースにはなっていません。
 
ニュースその三
 共同通信速報「東京都内の公立図書館で『アンネの日記』が200冊以上破られた」 
 
 不気味のひと言です。日本にナチスを、ホロコースト を、良しとする勢力のあるということでしょう。『はだしのゲン』都内撤去の請願のニュースも含めて、この事実は、やがて間違いなく、ハインリヒ・ハイネの 「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」ことにつながるものです。
 
 都知事選も終わってみると、見えてくることがあります。
  ★ 結局、猪瀬が追放されたのは、東電の利権を侵したということが最大の原因だったようだ東京都が東電と契約拒否したことが、東電が支配してきた闇の権力の逆鱗に触れたということらしい
 
  ★ 東電「舛添が当選してよかった。猪瀬元都知事は当社の足を引っ張っていた。値上げ拒否や電力調達先を変更された」 saigaijyouhou.com/blog-entry-181 …桝添が東電のバックなしに当選できるわけがなかった
 
 ツィートに散見する裏事情はこんな感じです。安全に生活したいと願う市民の側の大敗北でした。
 
 このままでは、自分も含めた恐ろしい数の国民が死な なければなりません。身の毛もよだつ事態。迫りくるファシズムに戦慄をおぼえています。ご体調もこんな状況が影響していないはずがないと思っています。牡 蠣を召し上がるなんて、早くあちらに行きたいという願望すら感じられてなりません。
 
 そんなこんなで滅入ってばかりでしたが、今日は思いがけず励まされました。
 どん底から、たった一日であそこまで立ち直った浅田真央選手に爽やかに励まされました。オリンピック、とくにその報道には腹立たしいことが多くて何の価値も見出せませんが、スポーツ選手に励まされたなんて初めての経験です。
 浅田選手に不利になることを最大の目標とした審査基準の改定をされた時点で、彼女が金メダルに届かないことは明らかでした。それでも、腐らずに倦まずたゆまず努力を重ねて、彼女は自分の信じるフィギュアスケートを完成させました。
 
 またツィートの引用で手抜きなのですが、あれだけのフリーの演技であってもジャンプの加点は殆どなかったことには驚きを禁じ得ません。
 
  ★ 歴史に記憶にも残る演技をした6 種8 トリプルの浅田真央には殆どGOE (加点)が付いてないんだぜ。びっくりだろ!ソトニコワ 14.11キムヨナ 12.2 コストナー 10.39ゴールド 8.93 浅田真央 6.69 素人でもわかる異常さ。馬鹿にしてる。
 
  ★ フリー得点浅田142.71キムヨナ144. 19ソトニコワ149.96この3人の得点がこの様になるなら、トリプル・アクセルの意味は有るのかな。フリー演技の得点順が浅田、ソトニコワ、キムヨナ ならまだ納得できる。フィギアスケートと言う競技の評価点は難しいがこの様な現状では納得できない。
 
 ですが、私は尊敬に値するほど立派なフリーだと思いました。金メダルをとったことではなく、素晴らしい滑りによって浅田選手は心に残るチャンピオンになってくれました。喧嘩に負けても勝負に勝ったと思っています。
 中国のツィートにこんなものがあったそうです。
 「他の選手は審判を征服し、Mao は観客を征服した!」
 
 二十三歳の彼女にあきらめずに戦いなさいと、そう背 中を押された気分でしょうか。今日は久しぶりにメールを送れます。現在の日本は国民の権利が侵され、浅田選手のように圧倒的不利にルールを変えられていく 状況にあります。それでもまだ道はあると信じて勇気と希望を棄てないようにしなくてはいけませんね。
 わたくしにもお手伝いできることはございませんか。何か少しでもお手伝いできることがありましたら、どうぞお申しつけください。
 みづうみ、お元気ですか。   葛  うすめても花の匂ひの葛湯かな  渡辺水巴

* 真央のことで慰められた。その他は、まさに陰々滅々。

* シーボルトは、いいことがあった日は、白い石で日記を書くと特記して、その日、最上徳内と会ったことを喜んでいた。
 昨日は、久しく食したかった美味い生牡蛎に出会えたのが嬉しかった。放射能汚染のことは考えなかった。美味いものは美味いと思える内に食っておきたい。 卵納豆でも叱られたが、せめて、線量検査にかなり熱心と聞いている生協から卵も納豆も手に入れている。ことに納豆は免疫環境への好影響を念頭に置いてい る。

* 実に不快でイヤなことの多い日本の現実だが、気持ちを温め和ませる「リーゼ」効果は、薬物よりもなによりも愛を感じることと思う。それが出来なくなれば人間の干物ができる、安倍や森や東電のような。
 本も愛して読み、いい芝居や映画を愛して楽しみ、元気を復活して人との愛にもふれられるように、可能な間は美味いものを愛して食い美味い酒を愛して飲み、なにより日々の仕事に愛をそそぎたい。

 ☆ 寒さの厳しい今年の冬ですが、いかがお過ごしでしょうか
 
秦先生  ご無沙汰しております。
 今年の冬は雪も多く、寒い毎日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。
 私、不覚にも風邪をひいてしまい、自宅で休んでいるところです。
 さて、先日名古屋に行く機会がありましたので、木曽の名物である栗のお菓子をお送りしました。お茶と共に楽しんで頂ければと思いますが、賞味期限の短いものですのでご注意下さい。
 奥様にもどうぞ宜しくお伝え下さい。  富士市  

* 栗菓子、蕎麦菓子を戴いた。音楽や美術展やまた冬山のはなしなども聴きたいもの。お元気で。             

 

* 二月二十日 木

* 
起 床7:00 血 圧145-75(57) 血糖値87   体重66.9kg 好天なれど 積雪随処に消えず、風寒い。

* 歌舞伎座。とちりのと席で視野開けて絶好であったが、遠用眼鏡が見えにくく、今日は、舞台をおもに科白と繪がらで観ていた。  近年珍しい通 し狂言での「心謎解色糸 こころのなぞとけたいろいと」小糸左七、お房綱五郎を、染五郎・菊之助、松緑・七之助でみせた。芝居そのものは四世南北ものとし てはお安い筋だが、そこは「花形」が気張って見せ、秀太郎、歌六、高麗蔵らが手堅く支えた。染五郎奮闘、菊のゆたかな色気、七の意気、そして松緑の手堅 さ。楽しみました。染五郎夫人が喫茶の「檜」まで挨拶に追ってみえた。愛らしいすてきな高麗屋の若女房で、笑顔一つでこっちも晴れ晴れする。
 はねて、有楽町まで歩くというので歩いたが、用事をもってビックカメラに入って出た、その辺で妻が貧血ぎみにダウン。がんばって「レバンテ」まで歩いて とびきり美味い生牡蛎や牡蛎のクリームシチュウーなどを赤いワインで食べて、息を吹き返した。期待して行き、期待通りのじつに佳い牡蛎だった、妻が四つ食 べ、わたしは二つ。「レバンテ」なんて、何年ぶりだろう、八、九年も来なかったのではないか、懐かしかった。いまの店に移る前は有楽町駅のすぐ前の角店 だった。ロシアからきたエレーナさんを作家達で歓迎したこともあった。むかしから、旬の牡蛎のとびきり美味いビヤホールで、八九年前に来たときはフライが 美味かった。
 有楽町からはまっすぐ保谷へ帰ってこれる。便利になった。

* 今日は白い石で日記を書きたくなる日だった。 

 ☆ 人生は寄のごとく、顦顇すること時あり。
   静かにここに孔(はなは)だ念い、中心 悵而たり。

 人の一生も、旅の一夜のように束の間にすぎ、やつれはてるときがくるのだ。
 心を静めてそのことを思いつづけると、悲しみに胸ふさがれるのである。 (陶淵明 榮木一後半)                                      
* 微熱もないが、体疲労は免れていない。飲み過ぎのきらいもあり。朝も早かった、休むにしかず。

 

* 二月十九日 水

* 
起 床10:00 血 圧145-66(70) 血糖値105   体重67.7kg  積雪消えず、風寒い。午後聖路加で三度目の検眼。遠用にはすこし乱視を加えることで現在二つの遠用よりクリアに。機械用にも、処方箋をもらう。眼鏡も眼鏡 だが、客観的にいまのわたしの眼の長時間酷使は、諸悪の根源と自覚もしている。抗癌剤の副作用もようやく抜けきってきたかという気持ちもやや生まれてい る。

* 明日も外出なので、病院からまっすぐ帰ってきた。それでも、がくっと疲れている。

* 湖の本119の跋文初校が届いている。「選集@」巻頭長編「みごもりの湖」の再校読み上げが、もう少し。校正は、読んでは洩れ零れる。しかし作者とし てはどうしても読んでしまう。厳密に校正に集中しながら作の品や質を読み取ることはとても出来ない。そして途方もなく疲れる。

* 一時間ほども機械用の眼鏡で機械の前にいて、もう目の前が白むくらい眩しく読み書きが出来ない。余儀なく休むことに。


* 二月十八日 火

* 
起 床7:00 血 圧143-68(63) 血糖値85   体重68.1kg  積雪消えず、風寒い。多事。

 ☆ 前略 
 千葉の市川に住む姉から昔がなつかしいほどの雪が降ったとの便りがありました。
 「(選集)表紙の文字」はあれで善かったのでしょうか。気になっています。篆刻が必要なら彫ります。お急ぎでしたら時間をできるだけ早めます。ご案内下さい。
 メールがうまく(出来)なくてすみません。
 お体のこと気にしています。
 **さんという方と、ちょっとしたやりとりがありました。秦さんとお知りあいだったそうで。ご縁を感じています。  濃美  

* わたしが手書きの手紙を書きわびるもので、いずれも様に失礼ばかり重ねてしまう。ごめんなさい。
 お問いあわせには葉、いま、メールでご返事した。

* さて宛名印刷がうまく出来るか。苦戦中。
 やっぱり、出来そうにない。宛名印刷は湖の本という刊行仕事の「脚」に当たっている。脚が使えなくては、モノが届かない。

 ☆ 『凱旋門』のラヴィック医師が云うている、
 「どうすることもできないからといって、気が狂ったりしてはならぬ」と。戯談めいて聴く人もあろうが、決然として本気の信念になっている。そうなる根底が在った。すこし長くなるがわたしは改めてそれに耳を傾けたい。
 われわれは「死ぬ」存在であるまえに「死なれる」存在であり「死なせる」存在である。しかも自身が死ぬまでは「生き」ねばならぬ存在である。もしわたし 自身が自身の文学に「主題」を謂うなら、まさしくこれ此のことに永く関わってきたし、いい読者はみな知ってくれている。いましも『選集』第一巻の巻頭にお こうと読み返している『みごもりの湖』は、じつに此の主題にこそ取り組んでいた。書いた頃のわたしはまだ若かった。
 ラヴィック医師の若き日の不運に酷い戦場体験の回想には、とほうもない年輪が加わり、むろんわたしの作とはあらゆる意味で条件も環境も人も異なっている、だからこそまたわたしは、此所にも強く感じ立ち止まって、読み返すのだ。

 ☆ レマルク『凱旋門』 ラヴィック医師の回想  山西英一さんの訳によって
 それは、一九一六年の八月、イープルの近くだった。中隊は、その前日、前線からかえってきたのだ。それは彼らが戦場におくりだされてからはじめて配属さ れた、平穏な塹壕だった。何も起らなかった。そしていま彼らは、温い八月の太陽の光を浴びながら、小さな焚火のまわりに寝ころがって、畠で見つけてきた じゃが薯を焼いていた。それが、一分後にはあとかたもなくなった。突如、砲撃が開始された−−砲弾が焚火の真中に落下した−−我にかえって見ると、自分は 無事で、擦り傷一つ負わなかったが、戦友がふたり死んでいた−−そして、向うには友だちのメッスマン−−よちよち歩きはじめたころから知っており、いっ しょに遊び、つれだって学校へ行き、切っても切れぬ友だちとなっていたメッスマンが、腹を引き裂かれて倒れていた。腸が出かかっていた−−。
 彼らは彼をテントの布でつくった担架にのせ、一ばん近道の、小麦畠の斜面をのぼって、野戦病院へ運んで行った。四隅をひとりずつもって、四人で運んだ。 メッスマンは茶色のテント布の担架によこたわっていた。両手で白い、脂切った、血だらけの腸をおさえ、口を開け、眼は据って何も見えずに−−。
 二時間後、死んだ。その中の一時間は、喚きつづけた。
 彼は、自分たちがもどってきたときの様子を思いだした。ぐったりと力もぬけ、気も顛倒しながら、兵舎の中に坐っていた。あんな光景を見たのは、生れては じめてだった。そこへ、国では靴屋をしていた分隊長のカチンスキーがやってきた。「いっしょにこいよ」と、カテンスキーは言った。「今日はバイエルン酒保 にビールとブランデーがある。ソーセージだってあるぞ。」ラヴィックは、彼をまじまじと見つめた。そんな粗野な無神経を理解することができなかった。カチ ンスキーは、しばらくの間彼を見まもっていた。それから、こう言った。「貴様、おれといっしょに来るんだぞ。ぶんなぐってでも連れていく。今日は貴様、 食って、飲んで、それから淫売屋へ押しかけるんだ。」彼は返事をしなかった。カチンスキーは彼のわきにすわりこんだ。「貴様の気持はわかってるよ。いま貴 様がおれを何と思っているかもわかっている。だがな、おれはここへきて二年になるが、貴様は二週間にしかならない。まあ、聴け! いったいメッスマンのた めにまだ何かやってやることができるというのか?−−できゃしないんだ−−あいつの生命を救ってやる見こみがちょっとでもあったら、
お れたちはどんなことだってやってのけるってことは、貴様わかってるだろうが?」彼は顔をあげた。そうだ。それはわかっている。カチンスキーならそうすると いうことはわかっている。「よろしい、と。ところで、あいつは死んじまったんだ。もうどうにもなりゃしない。ところが、二日すると、おれたちゃここを発っ て、戦線に向わなくちゃならん。こんどの戦線は、あんな平穏なものじゃないぞ。いまここで坐りこんで、メッスマンのことばかり考えこんでいたら、すっかり 気が腐ってしまうだけだ。神経が壊れてしまう。神経過敏になってしまう。おかげで、前線へ出かけて、こんど砲撃をくらったとき、敏捷に動けなくなる。ほん の半秒おくれる。すると、ちょうどメッスマソを運んで来たように、こんどは貴様を運んで来なくちょならん。いったいそれがだれのためになるっていうんだ?  メッスマンのか? なりゃしない。ほかのだれかのためになるのか? なりゃしない。貴様が薙ぎ仆されるだけだ。それだけの話だ。こんどはわかったか?」 −−「わかった。だが、僕にはできない。」−−「黙れ、できないも糞もあるか! ほかのものはできたんだ。何も貴様がはじめてじゃない。」
 その晩から、よくなった。彼はいっしょに出かけて、最初の教訓を学んだ。できるときにはやってやれ−−そのときゃ、何でもしてやれ−−だが、どうすることもできなくなったら、忘れちまえ! そうして、廻れ右するんだ! 元気をだすんだ、同情なんてものは、平穏無事な時代のものだ。命がどうなるかという瀬戸際のものじゃない、死んだものは埋めちまって、生を満喫しろ! 生はまだきっと必要になる。死を悲しむのと事実とは、別のことだ。事実を見、それをうけいれたからって、死を悲しむ情が足りないわけじゃない。そうでもしなかったら、生きのびることなんかできゃしない。

* 
「どうすることもできないからといって、気が狂ったりしてはならぬ」  むごい、哀しい、堪えられぬ「死」の事実に生きている者は出会わざるをえない。生きているとは「死なれ・死なせる」ことなのだ。その厳粛ないわば罪責を、 罪障を言を左右してなんとか免れようとアモラルな愚行にはしる者たちも確かに実在するが、堪えて、起ち、生きて悼み謹み自身を励ますことの出来る人がい る、そうあらねばならぬ。原則はそうだ。
 しかし、自殺という行為の選択へはしる人もいる。いた。それはまた別問題として受け取るしかない。
 
「どうすることもできないからといって、気が狂ったりしてはならぬ」
 これは、重い確かな「覚悟」というものである。気が狂うとは、ただもうオロオロ、ただもうメソメソ、ただもうガチガチ、ただもうナゲダシと謂うに近いか。たいていはそこへ逃げ込むのだろう。わたし。わたしだって若き日のラヴィックとそう違うまい。

* 


* 二月十七日 月

* 
起 床7:00 血 圧148-73(60) 血糖値84   体重68.3kg  積雪消えず、風寒い。多事。

* 妻、医科歯科の歯科へ。神戸先生に紹介状をもらって。抜歯と出血との関連を用心しての配慮と。

* 「選集」を煮詰めてゆくのがなかなか気が重い。いま決めてしまうことはあとあと変更しにくい。慌てたくないのだ。しかし放っておけずいつも念頭にあ る。重いというのが実感だ。ひとまかせにお願いして本をつくり出版して貰うのと、ぜんぶ自分で責任を持つのとでは重み百倍の気の抜け無さがある。「お任 せ」仕事のいかにラクかを実感する。
 だが、だから、自分でやる。
 いま第一巻に限っての、創刊の弁を下書きした。

* 妻の電話。医科歯科病院での診察、無事に済んだと。よし。

* ついで、入れ替わりにわたしが沼袋の歯科へ。
 帰路、先週と同じ「中華家族」に入って「マオタイ」を三種の前菜(蒸し鶏、鮑、海月それにトマトと胡瓜)でゆっくり味わいながら「みごもりの湖」の後半 を読んだ。マオタイは60度ちかく、じつに美味い。そのまま帰ろうかと思ったが、スタンドバーに寄って、ズブロッカをダブルそしてシングル、しみじみ楽し んだ。此所のマスター君は建日子のもう大昔の連続ドラマ「天体観測」の大フアン。お客もいろんな年齢差の人たちと出逢えて楽しい。それにそれに、凍らせた ようなロシアの酒の美味いことも格別で。心楽しく、しかし気をつけないと電車を乗り越すと心配したが、心配までもなく無事に帰宅。

* 帰ってみると六時前に建日子が来てくれていて、懸命に妻の機械と格闘に格闘を、ということは思案という思案の限りを試み尽くして、十時半過ぎてとうど う削除・消去されていた必要なデータを掘り起こすように回復していってくれた。ウン。ありがとう。感謝に堪えない。十一時前に、今夜は車でなくて徒歩で駅 まで帰っていった。幸い、副都心線を巧く使うと保谷から一本で中目黒へ帰れるのだそうだ。有難いことだ。
 昔、昔、西武池袋線へ地下鉄が乗りいれると予告されていたとき、そんなはるかな未来まで生きちやいないよとわらっていたが、今では聖路加へも渋谷へも横浜中華街までても、一本の電車で行ける。

* 幸いに、建日子に初めて抱いてもらったという黒いマゴの輸液も順調に出来た。想えば今日はいい一日だった


* 二月十六日 日

* 
起 床9:30 血 圧135-71(56) 血糖値71   体重68.7kg  積雪雨に溶け、寒い。

* 「みごもりの湖」の再校がもう100頁残っている。校正にうちこむと眼が痛む。

* ソチオリンピックの以前から、マスコミや国民からの過剰で無意味な「メダル」期待や「金」確実の何のと言う取りざたを疎ましく毛嫌いし、選手達への無 用の重圧と眉をひそめ続けていた。浅田真央や高梨沙羅の思いがけない不成績もありうることといつも気の毒がっていた。彼ら彼女らは懸命に努めてきた。われ われは余計な重圧をかけてやらずに応援していればよく、金の優勝の日章旗の国歌のなど、成るがままでいい、そうあるべしと余計な期待などで胸を騒がせてた りはしてこなかった。よくもあしくも、よくやったと褒めてあげればそれでいい。口さがない期待や過剰な応援の声・言葉にであうつど、むしろ気の毒にと感じ ていた。それよりも自分自身の努めで自分自身に出来る世の一隅を照らせよと思っていた。苦々しいのだった。

 ☆ 停雲 一   陶淵明  
     松枝・竹田氏の訳によって
 靄靄停雲、
 濛濛時雨
 八表同昏
 平路伊阻
 静寄東軒
 春醪獨撫
 良朋悠邈
 掻首延佇

 (一) もやもやと立ちこめる雲、もうもうと煙る春雨。
     八方いずこも暗く、平らな道も往き来できない。
     静かに東の窓の下に身をよせて、
     春に熟したどぶろくをひとりわびしく飲んでいる。
     親友のいる所ははるかに遠い。
     わたしはいらいらして頭をかきかき、じっと立ちつくしている。

* 
良朋悠邈。まことや。

* 「湖の本119」要再校で本紙を返送した。どこかしこ、残雪。

* 大事件。妻が自身の機械に造りだし、自身のプリンターで「湖の本」刊行前には宛名印刷してくれていた読者、寄贈者、大学高校等の名簿をすべて機械から 見失ってしまった。見失った時点、引き出せなくなった時点が、いつであるか、昨日建日子が来て妻に頼まれ機械を操作するより「以前」か「以後」か。機械に 自信のないわたしが今しがた観てみた限りでは、妻がそのために使用していたという「筆ぐるめ」とか云うアプリからは記録されていた内容はすでに「削除され ている」と有る。そう見えるがわたしには確たる判断は、また捜索もできない。
 はっきりしているのは、それら宛名住所録が無い限り、宛名印刷が出来ない。手書きするにしても正確な住所を確認しつつ済ませるには途方もない時間と労力とが要り、とくに高校大学宛の手書きの住所記録が無い。本の発送に多大の支障が起きたということ。
 以前にワープロに保存していてワープロが働かなくなったときも、たいへんな時間と労力とで妻が自分のコンピュータに余儀なく書き写した。せっかくのそれも、今回の消滅前にバックアップしてなかった。
 なぜ記録されていた内容が消滅したのか、分からない。困った。一種の錯覚で、簡単に機械の奥からまた見つかるのだとどんなにいいか。個人情報に属する名 簿なので、商売で修繕などしてくれるよく知らない人に安直には頼みたくない。建日子に自信があって昨日来て点検していたのなら、データが「削除」されてし まっているなど、ワケが分からない。弱った。 

* いかんとも為す術無く疲労す。妻は明日は医科歯科で診療予約。わたしは夕刻歯科へ。いろいろに緊張する。




* 二月十五日 土

* 
起 床9:00 血 圧142-64(58) 血糖値80   体重67.8kg  積雪、寒い。

* 夕方から建日子が帰ってきて食事をしテレビを観、そしてシャリー・マクレーン、アン・バクスターらの映画『愛と喝采の日』を感嘆し合って行った。いいものを一緒に喜び合うのは幸せだ。黒いマゴも建日子に馴染んできて、今晩はすろーずに輸液できた。

* 気がかりだったメールアドレスの全部も機械の外へ保存できた。仕事も進めた。                              

 ☆ 
秦恒平 様
 珈琲 ご注文ありがとうございます 佐川急便にて 先程こちらを発送しました
 昨年は 建日子さんのタクラマカンの大阪公演を観に行き 建日子さんの作品らしい 優しさと苦難の織り成すものを楽しんできました
 長男も春から大学生で ゲームソフト制作の関連学科に進む事になりました
 そんなこともあって 近頃応援しているものに 誰でも、いつでも、自由に学べる無料のネット学習サイトのeboard[いーぼーど] というのがあります
 http://www.eboard.jp/
 肩の力を抜いた 短時間の1コマを系統だてて作り 寄付と 動画サイト閲覧数の収入だけで 頑張っています。
 一度見ていただけたら幸いです
 それでは 今後とも宜しくお願いします
 _/  coffee豆 凛 
_/ E-mail:k_iwata@pop06.odn.ne.jp


* 父方の従弟に珈琲豆を注文している。南山城の木津川市加茂町。今度の『選集@』で出す「みごもりの湖」の舞台にもなっている恭仁京に近い。父の一等末の妹、わたしには叔母の子。なつかしい叔母のことを「けい子」という作に書いている。            

 ☆ 
今日は第三土曜日で
 日吉ケ丘(=母校茶道部)へ行って来ました。
 昨日は大雪でしたが今日は雪も無くて良かったです。
 関東の方は大変な様子をTVで見ました。
 しばらくご無沙汰しました、寒さの中どうされてるかなと思っていました。
 寒さの中、もう後一月ほど頑張って下さい。くれぐれも無理をされない様に願います。
 我が家のロウバイが咲きました、写真を送ります。  京の 華
         

 ☆ お変わりなくて安心です。
 
只今 雪かきの疲れで休憩中 腰が重いです。
 次男からの提案で、同じ場所に住み易いように、建て直します。
 今年中は転居があったりとバタバタするので 気が重いです。
  目下、ゴミ家屋の整理に精を出しています。 なかなかラク隠居になれない。 

* 東京都民はどうかしてるのでは、と、都知事選の結果に地方からのあきれ顔の声も届いてくる。
 あんなむちゃくちゃな違憲総理にヘイコラの自民党にも嗤ってしまう。嗤っているだけでは。何にもならない。

 ☆ 
秦恒平様
 いつも大変お世話になり、ありがとうございます。
 長編詩集『沈黙の季節』を掲載いただき、まことにありがとうございます。
 この詩集は、日本ペンクラブにも、お世話いただき、小野十三郎賞の最終選考まで行ったものです。
 第6詩集を現在、検討しております。
 別紙詩集も「E-電子文藝館=湖(umi)」に掲載たまわれればありがたく、よろしくご検討をお願いします。 詩人 岡本勝人


* 二月十四日 金

* 
起 床7:30 血 圧154-75(58) 血糖値87   体重68.4kg  水雪、寒い。

* 猪瀬直樹の『ピカレスク 太宰治伝』にはもう一人の「ピカレスク 悪人」が書かれている。第三章「山椒魚の受難」でもっぱら取り上げられ登場 する井伏鱒二で、太宰が情死直前に、終生の尊敬する先輩であり師でもあった人を名指しで「井伏さんは悪人です」と書き遺したセンセーションを根から掘り起 こしているのだ、猪瀬の探索と追究はナミでない。
 いま太宰治とともに、都知事職を棒に振った猪瀬直樹にも関心のある人は、さしあたりこの『ビカレスク』を読んで、著者の探索と追究との興味深さに、その 方面の彼の強い才能に触れられるといい。このまま埋もれさせるには惜しい才能なのである、ただし文学の香気を高望みはできない、その点では最近戴いて熱心 に愛読したゆりはじめさんの『太宰治 その生と死』の方が文学としても批評としても出来ている。
 なににしても、だが、太宰治も井伏鱒二も、名を冠した文学賞とその選者の一人としてわたしを文壇に誘い入れた二人であり、かりにも井伏先生の「悪人」呼 ばわりは刺激が過ぎるのだが、しかも猪瀬直樹の追究はダテでない。なにしろ面白い。故人の二人はともあれ完結している。未完の才能をわたしは惜しみ期待しつつ 猪瀬君の旧著『ピカレスク』をいままた楽しんでいる。

* 亡きやす香のお友達から、ことしも愛情がいっぱいのチョコレートをもらった。ありがとう。

* 苦心しての一仕事を入稿。

* 今晩は輸液を完遂できなかった。途中で零れてきた。

* 何日も掛けて少しずつ、ルネ・クレマン監督の大作「パリは燃えているか」を久しぶりに観終えた。胸が熱くなった。人間がなんだか感動しやすくなっているなあ。しかし善い映画であった。

 ☆ お能
 
こちら(名張)に越してきて嬉しいことのひとつは大倉源次郎さんがすぐ近くで活動されていることです。名張には2012年3月に梅原猛さんとともにお越しくださいました。
 2000年8月から大淀町で「能楽座」を始められ、2012年9月の「能楽座」では、千田稔さん、池田淳さんと鼎談をなさったのですが、ポスターを目に したのが翌日で、雀はへたりこみそうになりました。そうしたところへ、2013年の9月は、梅原さんのスーパー能「世阿弥」上演とわかって、それは気をつ けて観に行くことにしました。
 梅原さんは2011年5月に談山神社での「翁」奉納の際に講演をなさったのではなかったでしょうか。
 源次郎さんが、どちらかで、鹿路峠の鹿路は轆轤の転訛で、ここの桜の木で鼓の胴を作っていた、と、お話しされていて、梅原さんが談山神社の翁の面と対面 したことがきっかけで、談山能というのが始まり、第1回が梅原さんの講演と「翁」の奉納だったような気がします。観覧人数が少なくて、その分、高価で、問 い合わせもせず諦めましたが、若葉の談山神社でしょう…いいなぁ、と夢見る夢子になりました。
 そして、梅原さんは、2012年3月始めに奈良県天川村の天河大辨財天社を訪ねられ、元雅が奉納した面と対面されたのち、3月24日に名張市にお越しに なり、市のホールで講演なさいました。観阿弥研究のため名張に越していらした男性の活動で、名張市も「観阿弥創座の名張市小波田」と観光資源にしているこ とから、講演の前にエクスカーションをつける観光イベントに仕立て、客席に市長さんがいらっしゃいました。そのとき、梅原さんは、国立能楽堂開館30年記 念に元雅を新作能に書き上げる、とおっしゃったのです。
 新潟市でも上演された「世阿弥」は、残念ながら伊勢での上演がありませんでしたが、2013年9月に奈良県吉野郡大淀町で上演され、梅原ご夫妻のごりんせきをたまわりました。
 この公演では、天河大辨財天社での奉納能と天川村の料理旅館での昼食と「世阿弥」観劇という限定40名のバスツアーが企画され、夫婦で参加してまいりました。
 天河の辨財天社は以前に訪ねたことがあります。(オッカケていた=)先代の桂文枝さんが最晩年につくられた新作落語を奉納なさった場所でもあります。
 元雅奉納の面は、ここでの奉納能でしか使用しないということでしたから、幸運でした。また、この日はちょうど、源次郎さんの56才のお誕生日でもあり、神社の境内や、大淀町のホールホワイエで、たっぷりと源次郎さんを眺めてまいりました。
 能の一番の印象は、ワキの石田幸雄さんのよさでした。
 伊賀の地名こそ出ませんが、千早赤阪、大和、伊勢の北畠氏など、地理がわかるだけに、歴史ワイドショーというか、空想再現ドラマという感じで楽しかったです。
 2週間後、明日香村にある万葉文化館で、恒例の「万葉の日フォーラム」として、名誉館長の中西進さんが菅谷文則さんとともに壇上に並んで腰かけられ1時間半おはなしをなさいました。「『遷宮』にみる日本―記紀・考古学の統合に立って―」というタイトルで
したが、途中で、中西さんが、能に「鵜羽」というのがありましてネ、とおっしゃったのです。10月に国立能楽堂で上演されたそうですね。
  ☆ 淡雪の中にたちたる三千大千世界またその中に沫雪ぞ降る
 今日の昼休み(近くの=)の校庭は大勢が走り回り雪投げをしたり転げるようなはしゃぎっぷりが伝わって、これまた、トモシキロカモ。若いってすばらしい〜。   囀雀


 ☆ 映画とピアノと七段目
 
2012年9月に、名張市で3回目の、ワンコイン名画座が開催されまして、市川雷蔵の「弁天小僧」 と「眠狂四郎」、それに、(昔の=)中村錦之助の「反逆児」と「沓掛時次郎」の4本を堪能してまいりました。トークゲストに招かれたのが大阪の方で、次の 週末に、大阪歴史博物館のホールで、2日で4本、溝口健二の映画を上映すると知り、博物館の企画展「スキタイ」とはしごで、「雨月物語」だけ観てまいりま した。
 ワンコインシネマでも「雨月物語」でも、甲斐庄楠音が美術や衣装や風俗考証を担当というので気になりましたし、「雨月物語」は早坂文雄、「反逆児」は伊福部昭と、音楽にも気持ちが傾きました。
 森雅之さんにはほれぼれです。
 2013年に大阪で開催された「中谷宇吉郎の『森羅万象帖』」展を知らずにいて、7月の真夏日に巡回先の常滑市まで見に行ってまいりました。名張市立図 書館が図録を購入していて、新刊本の棚に展示していたのですが展覧会とは知らず、常滑のあとは東京巡回というので、ギリギリセーフ。
 宇吉郎が太平洋戦争のために学会に出席できなかった1944年に、15分のフィルムを作って学会に送った、その「snow crystal」がテレビ画面に流れていたのが、雀にはとても貴重でした。製作が岩波ではなく東宝で、音楽は伊福部昭。サスペンスタッチな始まりかたでした。
 中谷宇吉郎が北大に赴任したのが1930年。伊福部昭は北大林学実科を1935年に卒業しているのですね。
 さて、2013年は、関西では溝口健二「雨月物語」から60年で、三重県松阪市では、小津安二郎の生誕110年、松竹入社90年、没後50年というので、「松阪オーヅ会」とおっしゃったかしら、有志の方々が新聞を発行されたりイベントを行ったりなさいました。
 小津さんもお誕生日がご命日というかたなのですね。雀は、没後49年のご命日の頃、小津さんが1年だけ代用教員をなさった松阪市飯高町宮前の小学校跡を 含むウォークに参加してみました。「飯高オーヅ会」の2代目会長さんのご案内で、展示資料の解説に始まり、街道を歩きながら、小津さんの文章に出てくるあ ちらこちらを歩きまわり、後半は、ガイドさんが交代して、倭姫命伝説の地と春日大社に水を献上した赤桶地区を歩きました。
 その3日後、奈良県庁前から春日野の万葉歌碑をめぐるウォークイベントに参加したところ、正午に終了してしまい、奈良ホテルへ、アインシュタインが弾い たピアノについて訊きに行ってみると、調律から戻ってきて、これからピアニストのかたが演奏なさるところです、と受付嬢がおっしゃいます。せっかくですか ら、ケーキセットを注文して、始まるのを待ちました。思いもよらぬぜいたくなひとときを得たことでした。
 アインシュタインは奈良ホテルに1922年12月17・18日と連泊したそうです。佐治晴夫さんが、松岡正剛さんとの対談本のなかで、パグウォッシュ会 議の初期参加メンバーはかなりの確率で楽器をよくした、という話題になったときに、アインシュタインはピアノではモーツァルトのニ短調やピアコンの第2楽 章を、バイオリンではメンデルスゾーンをよく弾いたとおっしゃっています。
 そして、2013年8月。お盆休み明けに、名張に桂米團治さんがいらして、昼夜2席なさいました。雀は昼の部だけ拝見。ご自身と兄弟子とお父様をネタにしたマクラを聴きながら、なにをなさるのかしら、と、思っておりましたら、「七段目」です。
 亡き團十郎丈の声色には泣き笑いでしたが、芝居噺の懐かしさにお腹をかかえて笑い転げました。
 正午のニュースで、名張の積雪は20センチ、大雪警報が出ていますといわれました。夜半過ぎには月が出ていたのに。
 東京もタイヘンなことになっていますか?
 ご無事で! 囀雀

* 雀の囀りは、ただ聞きながすのでなく、まさしく同行同席している気持ちになれる「具体」の花が佳い。話題がきれいに匂ってくる。これは容易に出来ることでない。

* 日付が替わる。今日は眼の不調に困惑し迷惑し続けたが。


  
* 二月十三日 木

* 
起 床8:50 血 圧140-71(60) 血糖値76   体重68.5kg 寒い。

* 午前、仕事。

* 午後、文化村コクーンで松たか子らの音楽劇「もっと泣いてよ フラッパー」を観てきた。松たか子のしなやかな自在演戯、ダンスの巧さ、歌唱の優しさに十二分に満足してきた。天成の俳優と謂うを疑わない。舞台そのもの が絶妙なのでも、何でもない。題がしめすような表白の女達の或るあわれは浸透してくるが、さりとて感動の演劇とは感じないし、オーラの立たない演技陣では あったけれど、松たか子のミラクルなほどの輝きには胸をつかまれた。
 思い返せば彼女の芝居をこの十年ほどに何度も何度も観てきたが、一度としてわたしを落胆させたことがない。

* 東急八階の「揚州飯店」で、しっかり夕食してきた。うまい紹興酒を出してくれた、妻も初めておいしいと褒めた。料理はたっぷり有り、黒いマゴにもいくつも土産ができたほど。ほかに最後の炒飯は、土産にして貰った。
 渋谷へは保谷から副都心線の急行をつかえば、あっという間に着く。ただし渋谷地駅下はややこしい。今年は新年の松濤能楽堂の「翁」についで今日文化村の松たか子と、渋谷へは二度目。帰りも急行快速でまっすぐ帰ってきた。

* 悪玉コレステロールの退治にいいと聴いて、このところ夫婦して赤いワインを日に一杯ずつ薬のように呑んでいる。保谷駅構内にワインの専門店があり、店員に教えられて二種類二本買って帰った。
 なだめつすかしつ毎度のように二人がかりで黒いマゴに、輸液。
 今日は、午後からは休息の日になった。いま、機械の視野が明るい。

 ☆ 横臼醸大御酒 
 
今日は国栖奏。
 本居宣長は15才までに謡曲を51曲修めたそうですが、13才の時にお礼参りの吉野行きから帰って最初に習ったのが「国栖」だったとのこと。
 昨年、吉野町歴史資料館の池田淳館長さんが資料館からつきっきりで解説をしてくださった上、天候は穏やかで見物人も少ないという、ビギナーズラック、いえ超自然的な「国栖奏」見学をいたしました。
 和田萃さんの講演が7回を数えた講演会は、北葛城の施設にある小さなセミナールームを会場に、1月と8月などを除いて月に1度開催されていて、2月と9月は和田さんと決まっているほかはその時々で講師が招かれているようです。
 平城遷都1300年祭をきっかけに日本古代史の講演が続いていたらしく、雀が聴講した最初のときに、次回・次次回の申し込みをして帰られる男性が何人も いらっしゃって、たまたまお名前を存じ上げていた方が講師でしたので、雀もそのまま3月4月と聴講しておりましたら、5月はお休み、6月は2回講演で、内 容は谷崎潤一郎とのことで、申し込み用紙を記入して帰られる方がほとんどいらっしゃらなかったのですよ。
 講師は、たつみ都志さん。
 雀は、芦屋の記念館へ「谷崎、乱歩、横溝」を見に行く途次、倚松庵を訪れて、たつみさんの解説に遭遇して以来のお目見得です。
同じ会場で20年前に「吉野葛」についてやはり2回にわたって講演されたそうで、「まさか、そのときの講演を」とおっしゃったとたんに、お二人の女性が手を挙げられたものですから会場がわきました。
 芦屋の記念館へ行ったのは2011年10月。
 昨年10月に企画展「狐と谷崎、そして歌舞伎」を見に寄ったのですから、丸2年のごぶさたでした。
 九代目(澤村)宗十郎が亡くなって今年で13年。NHK-FMで澤村藤十郎さんが始められた「邦楽ジョッキー」が、中村壱太郎さんになって3年目を迎えます。
 壱太郎さんのおしゃべりに、祖父、父、叔父、従兄弟、ゲストによっては外祖母の話題も出ますので、ついつい毎週スウィッチを入れてしまいます。番組は1985に始まったとのことですから来年で30年。歳月を感じますわ。
 昼下がりの校庭にちらちら動く人影がありました。
 男子学生がふたり、ブランコの立ちこぎをしていたのです。
 室生の山がうっすら雪化粧をして、乾燥と低温と凍結の毎日というのに。
 若いなぁ。トモシキロカモ。
 明日からまた雪になるそうですね。
 手術はもちろんですが、そのあとの検査や通院がまたたいへんな負荷でしょう。
 日差しも増してまいります。お大事におすごしくださいませ。   
囀雀

* 何度も云ってきたが、久しく久しい読者であるこの名張の人に「囀雀」とあだ名を献上したのは、わたし。わたしのために、大阪成駒屋の中村扇雀丈のメー ルアドレスを教えてくれたときのこと。「湖雀(うみすずめ)」と謂うときもある。十数年、雀さんのメールは一通も漏らさず保存してあるが、一年三百六十五 日に三百六十三通も読んだことがある。北海道の植物学者のmaokatさんら何人もが「囀り」を聴くフアンで、間が開いたりすると心配してこられる。なみ のお喋り雀でないから、ビックリもするし、じつはたくさんの見聞からさまざまに教わってもきた。若い人若い人と感じていたが五十になられたと先日のメール で初めて知った。やはり若いんだ。
 
* 気が付いた、もう日付が替わっている。仕事にかかっていた。休むことの難しさ。だが今はまだやや小増しに字が読めて見えている。でももう休む。


* 二月十二日 水

* 
起 床8:30 血 圧124-62(52) 血糖値89   体重67.3kg 寒い。

* 詩作の個々にとりつくまえに、訳注者である松枝茂夫さん和田武司さんの「陶淵明」案内をそれは興味深く面白く読んだ。これまでは幸田露伴校閲、漆山又 四郎訳注の旧本だけを愛読してきた。陶淵明と言えばたしかに「帰去来辞」や「悠然見南山」が根であった。文字どおりの先入見に素直だった。詩人の伝にも実 像にも関連した知識をほとんど持っていなかった、むしろ必要無かろうとすら思っていた。買ってきた新しい二巻本の『陶淵明全集』はパッチリと必備の視野を まず開いてくれた。感謝にたえない。
 「素より貴を簡(えら)び、上官に私事せず」とある。「仕」と「隠」との間を揺れ動いたとある。躬耕の日々に世変への視野を喪っていたわけでなかった。 無類に酒を好んだが酒を詩っていたわけでなく、述懐の詩世界は深く、かつ狭くはなかった。淡泊でもありしかも放埒なまで濃厚ですらあった。
 中国の詩人といえば、籤とらずに真っ先にわたしは陶淵明(ないし陶潜)であり、李杜を尊重し白居易に親しんだことも、陶淵明と次元を一にならべて謂いも思いもしたのではなかった。
 陶淵明の作は必ずしも量的に多くなく、確認される限りはこの文庫本全集上下巻で網羅されていると。座右一二の書となるであろうと心より喜んでいる。

* 「自殺」には少年の頃から関心があった。読み物では武士の切腹があたりまえのように頻出した。同級で自殺した友人もいた。身近にも自殺した人は何人かいた。江藤淳がなくなり半年後にはわたしの実兄が同様に自殺した。『死から死へ』と題して本にもした。
 文学では、ウェルテルの自殺に、また『こころ』のKや先生の自殺に衝撃を受けた。ロミオとジュリエットのそれには埋葬問題もかかわっていた。キリスト教 が自殺を厳禁し、教会が自殺者に過酷なことは、そのまま常識のように憶えた。だが、なんで? とわたしは少年の頃も青年・成年のころも、老境に入ってから も不可解だった。それで、どんな時機であったか確かにわたしはショーペンハウエルの「自殺について」という文庫本を古本屋で買った記憶があり、しかも理由 もなく読みそびれて忘れていた。一昨日、同じショーペンハウエルの岩波文庫をわたしは買ったのだ。自殺への関心もキリスト教の自殺者拒絶という常識」への 不審も昔のママにわたしは抱き込んでいた。
 そして読み始めた。

 ☆ 「自殺について」 ショーペンハウエル 斎藤信治さんの訳に拠って
 私の知っている限り、自殺を犯罪と考えているのは、一神教の即ちユダヤ系の宗教の信者達だけである。ところが旧約聖書にも新約聖書にも、自殺に関する何 らの禁令も、否それを決定的に非認するような何らの言葉さえも見出されえないのであるから、いよいよもってこれは奇怪である。そこで神学者達は自殺の非認 せらるべきゆえんを彼ら自身の哲学的論議の上に基礎づけねばならぬことになるわけであるが、その論議たるや甚だもって怪しげなものなのであるから、彼らは 議論に迫力の欠けているところは自殺に対する憎悪の表現を強めることによって、即ち自殺を罵倒することによって補おうと努力しているのである。だからして 我々は、自殺にまさる卑怯な行為はないとか、自殺は精神錯乱の状態においてのみ可能であるとか、いうような愚にもつかないことをきかされることになる。そ うかと思うと、自殺は「不正 
ウンレヒト」 である、などという全くのナンセンスな文句まできかされる。一体誰にしても自分自身の身体と生命に関してほど争う余地のない権利(レヒト)をもっているも のはこの世にほかに何もないということは明白ではないか。いま言ったように、自殺は犯罪の一種にさえ数えられている。だからして、殊にも賤民的な頑信の英 国においては、自殺者の埋葬は恥ずかしめられその遺産は没収されることになっている、−−そこで陪審裁判所は殆ど大抵の場合精神錯乱の判決をくだすのであ る。自殺が果して犯罪であるかどうか、この点に関しては何よりもまず倫理的感情に訴えて判定をくだされたらいいと私は思う。試みに、知人が或る種の犯罪、 たとえば殺人とか暴行とか詐欺とか窃盗とかの犯罪を犯したという報道に接した場合に我々のうける印象と、知人が自発的な死を遂げたという報道に接した場合 のそれとを比較してみられるがいい。前の場合にはなまなましい憤激やこの上もない腹立たしさを覚え、処罰や復讐の念に駆られたりするのであるが、後の場合 に呼び覚まされてくるものは哀愁と同情とである。そしておそらくはそれに、悪行にともなうところの倫理的非認というよりはむしろ、彼の行為に対する一種嘆 賞の念がかえってしばしばいりまじることであろう。自発的にこの世から去っていったような知人や友人や親戚をもっていない人がいるだろうか、−−そしてこ れらの人達を一体誰もが犯罪者に対するような憎悪の念をもって回想しているとでもいうのであろうか。否、断じて否! むしろ私は、僧侶どもが一体如何なる 権能によって、−−何らの聖書の典拠も提示しうることなく、否、何らか確かな哲学的論拠すらもちあわしていることなしに−−教壇や著作を通じて、我々の敬 愛する多くの人達がなした行為に対して犯罪の刻印をおしたり、また自発的にこの世を去っていく人達に対して名誉ある埋葬を拒んだりするのであるか、この点 に関して何としても僧侶どもに弁明を要求すべきである、という意見を有している。但しこの場合はっきり断わっておきたいことは、我々の要求しているのは論拠な のであって、その代りに空虚なたわごとや罵倒の言葉を頂戴することは御免蒙りたいということだ。−−さて刑法は罰則によって自殺を禁じているのであるが、 これは教会で通用しているのとは違った理由によるものである。それにまたこれは徹頭徹尾滑稽である。一体死をのぞんでいる者を、脅かして思いとどまらせる に足るような刑罰などありうるであろうか。−−もしもひとびとが自殺未遂を罰するとしたら、彼らは自殺者が自殺に失敗したその不手際を罰しているのだとい うことになろう。
  * 〔異文〕 むしろ私は、僧侶どもは一体如何なる理由によって(そのような場合)我々の友人や親戚に犯罪者の刻印をおし、この人達に 名誉ある埋葬を拒むのであるか、その根拠を提示するように何としても僧侶どもに要求すべきだ、という意見を有している。聖書には典拠は見出されえない。哲 学的な根拠もたしかではない、それにまたこれは教会には通用しない。してみると一体、何によるのか。何によるのか。何によるのか。返事をし給え! 死は我 々には余りにも必要な最後の避難所なのであって、これは坊主どものただの命令などで我々からとり去らるべきものなのではないのだ。

* この優れた哲学者のこの冒頭の表明に賛同ないし共感する人はかなり数多いのでは無かろうか。
 ヒルテイの『眠られぬ夜のために』上下巻で、まだわたしは彼の「自殺」に触れた思いを聴いていない。聴きたいと思っている。

* もう一冊買ってきたルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、あの長大な『告白』に感じ続けたと同様な、ないしもっと露骨な不快感を持つかも知れない。ルソーがフランス革命前夜に果たしていた歴史的な意義を割り引く気はないが、どうもルソーという男は、気色が悪い。

* 終日機械にとっ掴まれていた。疲れた。


  

* 二月十一日 火

* 
起 床9:00 血 圧136-69(52) 血糖値96   体重67.3kg  ふと、胸を、僅かにではあるが圧されている感じがあり、頻度を増している。姿勢のせいか。気がつき始めて小一年にもなるか。いま、な によりわたしに必要なのは、億劫がらずに戸外へ歩いて出ることのようだ。一日に二万歩も歩くことがあるなどとメールを読むと、呆れて人間離れして感じるの だが、わたしの方が怠惰に過ぎている。

* 「湖の本119」初校終えた。「選集@」の再校、営々と。

* ソチオリンピックにかまけている間にも安倍違憲内閣は、着々好戦国家体制を可能にして行く。十年前の小泉内閣当時と日々に比較して観ているが、はるかに危うさを加えている。

* 57通の不良メールを朝一番に、削除。日に、少なくも三度の日課に。全部が英語のタイトルなので躊躇いなく消して行くが、日本語であったら猥雑な汚ら しさに反吐が出るだろう。猥褻・猥雑は人間の「ことば」に表れる。「行為」や「肉体」にではないのだ、そんなものもコトも、普通の人間にならさしたる差異 は無い。

* ともすると、うとうとと寝入ってしまう。からだが寝たがっている。テレビなど見て聞いていても、とぎれとぎれて何やら分からずじまいになる。一つには、目覚めてさえいれば眼を、視力を費っているからだ。
 それでも、もう黒いマゴ今日の輸液を済ませた。

 * 秦 恒平 後拾遺和歌集秀歌撰 夏
     
(とくに六首には、作者名を付す。) 

 白浪の音せでたつとみえつるはうの花さける垣根なりけり
 きゝつともきかずともなく郭公心まどはすさよの一こゑ  伊勢大輔
 またぬ夜もまつ夜もきゝつ子規花たちばなの匂ふあたりは  大貳三位
 ねてのみや人はまつらん子規物思ふやどはきかぬ夜ぞなき  
 御田屋守けふはさ月に成にけりいそげや早苗おひもこそすれ  曾禰好忠
 徒然と音たえせぬは五月雨の軒のあやめの雫なりけり  橘俊綱朝臣
 さみだれの空なつかしく匂ふかな花たちばなに風や吹クらん  
 おともせで思ひにもゆる螢こそ鳴ク虫よりも哀なりけれ  源重之
 澤水に空なるほしのうつるかとみゆるは夜はのほたる也けれ  
 夏の夜もすゞしかりけり月影は庭しろたへの霜とみえつゝ  民部卿長家
 きてみよと妹が家路につげやらんわれ獨ぬるとこ夏のはな
 夏山のならのはそよぐ夕暮はことしも秋の心ちこそすれ

* 詞書にまれには捨てがたい物もあるが、拘泥しない。あくまで、歌一首としてうったえるものだけを撰している。無案内な作者の名すら、今日われわれの鑑賞には詞書以上に無くて可なのであるが、おのづと記憶されていいとも謂える。
 和歌という材料は無限なほど豊富であり、さりとて皆がみな趣味にかなうとも謂えない。撰するといういわば知的でも美的でもある営みを和歌は惜しみなく誘 い出してくれる。千載でも拾遺・後拾遺でも今はただ撰んでいるが、もっと主題めく好奇の思いにも応えてくれる。そんな趣味趣向もみうちに動いているのだ が、相手の数があまりに夥しく多くて、簡単には手が出せない。しかし、やってみたいと願っている。撰歌は、じつにこころよい喜びを惜しみなく呉れる。どん な雑踏の中でも、懐から佳い和歌集をもちだすだけで、たちまち別世界に入れる。逃避ではないのである。
 
 

* 二月十日 月

* 
起 床9:30 血 圧140-68(52) 血糖値87   体重67.8kg  夜中眠れずに、読書。

* ミルトン『失楽園』上下巻本文を今日、二○一四年・平成二十六年二月十日早暁四時半に読了した。
 キリスト教にいつも歴史的な関心は寄せ続けていたが、宗教としての根源の世界構造が見えにくかった。見えても素直には見にくかった。ミルトンは、それを 統一感と美しい表現とで詩的に展開して観せてくれた。『眠られぬ夜のために』のヒルテイがいささか強要してくるていのキリスト教よりも、『失楽園』は対象化し構図化したまま具体的な「神」話と して納得させてくれた。説教され帰依をもとめられたのではない、ここに一つの世界宗教の神話が在ると納得できたのである。
 詳細な訳注が貴重で、本文は読み終えたが訳注にもきっちり目を通したい。

 ☆ ヒルテイの
 「弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の小さな信仰の火種をもすっかり消して仕舞うことのないようにしなさい」と言うのには肯く。

* わたしは信仰心をもって「不思議」をうけいれてきたが、「神」とは観ていない、まして自分たち人間が「神」の姿態に似せて創られたなどと思わない、そ れを言うならむしろ逆で、人間が己れに似せた「神」を創作することで、根源の「不思議」に手がかりを、文字のママの「理解」を積み上げてきたのだと思う。それ でもなお、わたしの中に「信仰心」はまちがいなく生きている。自覚も実感もある。それを「抱き柱」にしていないだけだ。

 ☆ ヒルテイはまた言う、
 「勇気を失わず、勇敢な人でありなさい。そうすれば、慰めは必要な時にあなたに与えられよう。勇気は、あらゆる純人間的な性質のなかで最も有用なものである」とも。「およそどんなことがあっても勇気をすててはならない」とも。
 「たしかにわれわれは、正しい思いをいつも持ちつづけることはできない。それはしばしば、風に吹き払われるように、消え去ることがある。 しかし、勇気 は、つねにいくらか努力すればしばらく持ちつづけられる一種の気分であり、やがてそのうちに助けも与えられ、事情が好転する」と言いきる。

* わたしは小さいころ弱虫で泣き虫だった。いまも変わっていないだろう、涙もろいことなど我ながら情けなく感じるくらいだ、が、成人するに随い、必要と あれば勇気をもって立ち向かえるようになっていた。仕事にも、圧力や不当な権威や無道にも、また疑義や不審にも、そして癌宣告や手術にも、勇気を持し動じ ないで立ち向かえるようになっていた。弱虫で泣き虫でごく正常に臆病でもあるけれど、勇敢と勇気は「
つねにいくらか努力すればしばらく持ちつづけられる一種の気分であり、やがてそのうちに助けも与えられ、事情が好転する」ことを信頼してきた。                   自身の不徳や悪徳をかなりに自覚しているわたしは、まだまだ、まだまだ何とも真実にむかい間隔をおいたまま都合をつけ つけ生きているのを情けなく思っているけれど、だからこそだから勇気は大事だと思わずにおれない。無理矢理と勇気とは違う。勇気は結局は自己批評の傷みに 堪えて正すことのようだ。

* 露伴随筆集下巻の『言語編』は、もの凄いという嘆声で迎えるしかない「字とことばと音」へのおそるべき探求で、興深くて面白いことも無類の「穿鑿」で ある。こんな追究を最晩年の空襲下や敗戦直後の窮迫のなかで完成させていた幸田露伴という巨人の尊い好奇心にわたしは最敬礼する。ここに露伴原文を筆写す ればたちまちにその興趣は観てとれるのだが、あまりに微細でかなり時間をとられることに恐れをなす。アイウエオ」の「イ」の関連のごくの一端だけ引いてみ るが、スキャン出来るかどうか。

 ☆ 露伴翁の言語説 
 元来、気息といふ古邦語がイで、それは尖状に外へ衝くといふやうな気味のある音の質からおのづからさうなつたものであらうが、たとへばイブキは気噴(イ ブキ)であり、鼾(イビキ)は気響(イヒビキ)の約、言フは気経(イフ)である。生キは人の気を存するので、気絶ゆれば生絶ゆるのであり、命はすなはち気 ノ内(イノチ)なのであるから、気息はイキともいふやうになつてゐる。癒ユは気延(イキハ)ユの約、憩フは気生(イキハ)フである。気のイまたはイキの義 は一転して人の精神情意とその威焔光彩の義となる。萎頓困敝のイキツクは気尽(イキツ)クで、奮闘努力せんとするのイキゴムは気籠(イキゴ)ムである。人 の気の盛んに騰(あが)るをイキルといひ、物の気の騰るをも酡(イキ)ルといふ。イキリ立ツはすなはち人の意気壮烈なるので、イキマクはすなはち人の気の 風動火燃せんとするをいひ、イキザシは心の向ひ指す所を心ざしといふと同じく人の意気の向ふところあるをいふ。イキホヒは気暢(イキハヒ)もしくは気栄 (イキハエ)の義、イカルは気上(イハアガ)ルの義であつて、古書の『挙痛論』に、怒るときはすなはち気上るとあるに吻合し、憂悒の義のイブセシは気噴狭 (イブキセマ)シの意で、憂ふる者の気噴は暢達寛大なる能はざるの実に副ひ、これも『挙痛論』に、悲む時はすなはち心系急に、肺布き葉挙つて上焦通ぜずと 説けるに応じてゐる。イキドホリは怒りて発する能はず気の屯塞して徘徊(モトホ)りて己まざるイキモトホリの約ででもあらう。厳(イカ)シ・厳ツシ・厳メ シ・啀(イガ)ムの類の語も深く本づくところを考ふれは、皆気息に関してゐるかも知れぬ。これらの語は気のイキの義なることを表はすと同時に、気息に係け て人身状態を表はしてゐるので、実に気息は人の心裡や身状と離れぬ関係があるからである。気有るはすなはち生(キ)あるので、気を失へばすなはち死すとい ふことは韓嬰の伝を待たずしておのづから明らかなことである。で、人の心身にかかる或意味を表はすことにおいて、漢字の気の字も邦語のイキといふ語も気息 の義より一転再転三転して、甚だ包含量の多い字となり語となるに至つてゐる。色酒財気と連ねて言ふときは、気一字でも気息の義ではなく、威張つたり怒つた りすることの方になつてゐる。イキノ荒イといふときは気息の荒いといふよりは威焔の烈しいといふことになつてゐる。酔うて兇暴になるを古い語にサカガリと いふのも酒気騰(サカイキアガリ)の約である。オキナガの術は道家から出たものか日本古伝であるかは明かでないが、オキは気息(イキ)で、イ・オ内遷の例 にも挙げられようけれど、いはゆるオキナガは単に気息長(イキナガ)とのみしては面白みは幾分かは失ふ。またイのウに変る語例では、魚(ウオ)は古言イヲ である。茨はイパラ・ウパラ二様に訓むしまたムバラとも訓み、『万葉集』巻二十東歌、「道のべの宇万良(ウマラ)の末(うれ)にはほ豆のからまる君を離 (はか)れか行かむ」とウマラとも訓んでゐる。魚の名のウグヒはイグヒでもある。美(ウツク)
シはイツクシともなり、周章の義のウススクはイススクでもあり、缺唇(イクチ)は兎口(ウクチ)の義、抱(イダ)クはウダクである。            一
 ウがイと内遷し易いのは今述べた通りであるが、動(うご)クはイゴクともオゴクともなるのでイ・ウ・オ相遷るごとく、ウとオとも遷り易いのである。

* この辺にしておこう、文庫の二頁分ほど書き出したが、この調子で言語篇三百六十余頁もある。露伴先生に敬礼。

* 歯科へ。帰り、江古田のブックオフで、『陶淵明全集』二巻、ショーペンハウエル『自殺について 他』、ジャン・ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』を買い、 その足で近くの中華料理の店に舞い込み、マオタイで、八宝菜を食べてきた。大好きなマオタイ酒が有ってよかったが、八宝菜の味わいはさほどでなかった。保 谷駅で食パンなど買って帰った。黒いマゴに輸液のあとはいろんな校正に精を出した。校正漬けの毎日です。気も急くし、慌ててもいけないし。

* 細川・宇都宮を合算してわずかに枡添に及ばなかったらしく、完敗というしかない。堪えて起って生きるしかない。生きていれば何かが起こる。いい何かを期待して努めるしかない。 

 ☆ 
今容姿既耆
 
吉田洋一の「数学の影絵」をつまみ読みしておりまして、戦時中から終戦後にかけて札幌で療養生活をしていたときに「雪は天から送られた手 紙である」を口の中でくりかえした吉田さんが、昭和29年の東京の大雪の朝には、西東三鬼の「限りなく降る雪何をもたらすや」の句をくりかえしくりかえし 口ずさんでいた、とありました。
 東京で30センチの雪でしたら相当な“災害”でしたでしょう? 混乱はしばらく続きそうでしょうか。
 どうかお怪我などなさいませんように。
 伊賀盆地や隠国の泊瀬も立春から積雪に見舞われておりますが、夕方には土が顔を出す程度の雪で、昨日、新幹線で西へ西へ向かいながら増えてゆく雪に目を 丸くしておりましたら笠岡ではあちこちの戸口にかなりしっかりとした雪だるまが立っていて、駐車場の隅にかまくらまでつくられていたので、まったく驚きま した。
 「裸婦図」「日高川」「聖者の死(下絵)」のない華岳展は、竹喬美術館という都市部ではない場ということと、昨年の同じ時期に同じ会場で波光展が開催されていたことで、雀はこの展示内容がかえってしみじみとして佳いと思いました。
 さて、先週末に、「ワカタケル大王の時代T」と題した和田萃さんの講演を聴いてまいりました。同じ会場で7回を数えるそうですが、雀は昨年の2月の「タケル王とホムチワケ」からの聴講です。「ワカタケルT」は、万葉集巻頭歌と古事記に描かれたワカタケル。
 来月に「U」として稲荷山古墳出土鉄剣金象篏にみられるワカタケルのお話をなさるそうです。
 長谷朝倉宮から初瀬軽便鉄道の話になり、日下の直越から近鉄の昔のトンネルの話になり、吉野の童女の話から原石鼎の話になり、阿波野青畝の名が出て、櫻 花壇での対談がきっかけで弟子入りをゆるされた、と、前登志夫さんの名前が出て、先生が亡くなられてもう6年経ちますね…と途切れる、そんな和田さんのお 話ぶりが大好きで、たびたび聴講しています。
 最初の出会いは2009年5月。
 場所は名張から駅で4つ目の奈良県宇陀市榛原町。<あぶらや>のすぐそばの古いホールで、菅谷文則、千田稔、和田萃のお三方が揃うトークイベントがあるというので出かけ、雀はお三方のファンになりました。
 その年の11月。
 奈良県立美術館の「神話―日本美術の想像力―」展の企画で、和田さんが「青木繁と日本神話」と題した講演をなさいました。
 美術館での講演といったら、美術関係者と思っておりましたから、古代学と神話と明治の洋画家青木繁をつなげてのお話は大層面白く、しかも和田さんが青木の大ファンでゆかりの地はモーラされたお話も驚きましたし愉快でした。
 (2010年3月10日に「平城遷都1300年祭」が始まり、おんまつりの最終日に合わせるかのように、12月18〜19日にNARASIA〜2010〜ファイナルイベント」が開催されました)。
 和田さんの講演を伺った3度目は、2011年10月。
 田原本町観光協会主催の歴史講座で「古事記と安万侶さん〜古事記完成1300年を迎えて〜」と題した講演です。
 11月27日には、県のイベント「記紀・万葉ウォーク〜観光ボランティアと歩く・なら」吉野町篇に招かれて、宮滝遺跡近くの廃校で講演なさいました。
 この2011年は、3月13日に、橿原市のホールで、7月にはルテアトル銀座で、「古事記完成1300年記念プレイヤーフォーラム」が開催され、関東が3.11の予震に揺れている9月に、紀伊半島で大水害があった年です。
 1889年の十津川村集団移住の話題が出るほどの甚大な被害でした。
 11月に吉野宮滝界隈を歩く「記紀・万葉イベント」が予定通りに開催され、案内をしてくださったボランティアガイドさんが、大水で景観が変わってしまってとおっしゃったことを覚えています。
 紀伊半島は、2年後の9月に再び水害に見舞われ、三重県では、今年から別立ての税金が徴収されることになっています。 囀雀


 ☆ 時無曾雪者落家留
 高松塚古墳に彩色壁画が発見されたのが、浅間山荘事件の翌月。1972年3月21日だそうです。
 40周年を迎える2012年4月から2013年3月まで、1ヶ月に1度、12人の講師を招いて、飛鳥の郷土食を午食にいただきながら、午前中60分、午 後70分の講演を聴く講座が明日香村の祝戸荘で企画されまして、9回目が猪熊兼勝さん、10回目が和田萃さん、11回目が千田稔さんだったのです。
 ところが、猪熊さんの日は小津安二郎ゆかりの地へのバスハイクがあり、千田さんの日は竹喬美術館で上薗館長の講演があって参加できず、たまたま和田さん の日だけ予定がなかったのですよ。和田さんの回は、2013年1月19日。偶然にも雀が満50才を迎える日で洒落のようですが欣喜雀躍、明日香村へ飛びま した。
 受付でB4版10枚ものプリントが渡されました。
 1枚目には「文献から見た被葬者について」と書かれ、11月に明日香村で行われた記念フォーラムの新聞記事コピーも綴じられています。猪熊兼勝さんは被 葬者に刑部(忍壁)親王(705.5/7歿)を挙げてらっしゃいます。和田さんは…? プリントには一切ヒントがありません。
 午後の講演もいよいよ残り30分というところで、和田さんは、葛野王の名を出されました。父は、母は、祖父母は、外祖父母は、と話を進めてゆかれます。
 おかげさまで、このあたりは、ノレる箇所。
 和田さんが「鮒のおなかに密書を入れて」とおっしゃるのに、心のなかで“どうするどうする”。頷き頷き聞いていると、「あ、時間がきました」。
バスの本数が少ないためこの会は時間厳守なんです。
 続きはまたのお預かり。
 まず、本日はこれぎりィ。
 そして
 2013年9月29日。
 三重県松阪市で、本居宣長記念館の吉田悦之館長が「本と宣長」と題した講演をなさり、奈良県橿原市では、ウォークイベントのオープニングとして、和田萃さんが「本居宣長と『菅笠日記』」の講演をなさいました。
 主人が橿原市、雀が松阪市と分かれ、聴講と資料見学をいたしまして、夕食を取りながら報告会です。
 太安万侶を「安万侶さん」と呼ぶ理由から始まって、宣長さんはどんな人だったか、で、講演時間の半分が過ぎてしまった和田さんが、大きな字で縦書きに板書したのが「足立巻一『やちまた』」。
 足立巻一も「やちまた」も知らなかったわたしたちは、携帯電話での検索で、「千夜千冊―1263夜―」に取り上げられていることを知って、う〜ん、そぉかぁ!でした。
 ちなみに、本居宣長記念館は、古事記1300年の2012から、昨年は、本居春庭生誕250年、「松坂の一夜」から250年、「もののあはれ」から250年、足立巻一生誕100年、折口信夫の没後60年で、今年は「古事記伝起筆250年」と、話題が尽きません。
 日が傾きしんしんと冷えてきました。
 お大事になさってくださいませ。  囀雀
                              

* 久々の囀り、高らかに、さえざえと。この「私語の刻」には、貴重な雀。

 ☆ 
お元気ですか、みづうみ。
 大雪の降った土曜日、なんとなく二・二六事件のことを思っていました。(もちろんまだ生まれてもいない時代のことですけれど)今の日本を覆う雰囲気が、あの当時と似ているのではないかと、陰鬱な気分の雪でした。
 都知事戦は終わってみれば出来レースのようでした。それにしても九時からの開票の前、投票締め切り八時直後に、当確が出るシステムというのがふしぎでな りません。出口調査を経験したことがないということもありますが、もし投票先を訊かれても、ふつうは誰に投票したか秘密にすると思うからです。答えるの は、たぶん組織に属して投票した人間です。出口調査だけで結果がわかるなら、そもそも投票なんて不要でしょう。統計学というのは神のように正確無比なので しょうか。最初に結果ありき、あとは辻褄あわせなんてことが本当にあり得ないことなのか。日本は選挙で民意を表現することが出来ない国になりつつあるよう な気がしています。負け惜しみと笑われそうですが、開票率〇パーセントで結果がわかるのはやはり奇妙です。せめて半分くらい開票してから当確を出してほし いものです。

 冷えています。
 暖かく、ご無理なさらないでお過ごしくださいますように。    つづけさまに嚔して威儀くづれけり  虚子             

* いいメールにくっついて要削除のSPAMが、どっと80。イヤになる。
 

* 二月九日 日

* 
起 床9:30 血 圧140-66(63) 血糖値91   体重68.5kg    排便順調。昨夜も十一時半に床につき消灯、よく眠れた。

* 雪が厚く残っているが、快晴。都知事選への影響は如何、昼食過ぎて、まだ投票所へ行ってない。午後八時になると途端に桝添の当選確実が出る筈だ。それでも投票には行く。
 午前中は、校正しながらソチの実況を聴いていた。上村選手の四位は立派、拍手を惜しまない。
 三時過ぎて雪道を踏みながら二人で投票に行った。建日子は、棄権。虚しくても、投票は投票。

 ☆ 
秦 恒平 様

 先日は病院帰りのお疲れの所、突然の電話にて大変失礼しました。
 その時に話しましたミュージアムの企画展のチラシ下書きコピー 添付ファイルにてメール致しました。
 体調他不安なお気持ち少ない状態であれば奥様とでも故郷京都にお帰り下されば幸いです。その節は2月末から3月10日まで位ならJR桃山かJR六地蔵駅迄車にてお迎えにまいりま
す。
 何れにしましても無理は禁物かと思います。京都の空気を吸ってみようかというお気持ちになったらいらして下さい。
 Feb. 8, 2014   アート影絵芝居   京都宇治 伊信


* 京都……。行きたい。

* 居間の軸を、ビュフェの「薔薇」の額にかえ、真下に夢前窯の原田さんに戴いた金銀彩の大壺(夫婦の骨壺にと創ってもらった)を据えた。
   霜雪もいまだ過ぎねば思はぬに
      春日の里に梅の花見つ  
 日比野光鳳のかな書きを添えて上村淳之の花鳥「早春」が目の前に架かっている。大雪のあとの日射し明るいが、道路はまだ夜来の雪を積んでいる。かなり寒い。都知事選に出かける。
 
* 晩、「天才」美空ひばりの番組を半ば聴いていた。つまらない歌を信じられぬほどうまく唱う真の天才。同世代の直木賞作家の天才はひばりだけ、同時代を 生きたのが嬉しいといった感想は、そのままわたし自身のもの。石原慎太郎が出てきて好きな歌だと少し声を添えるほどにして聴かせた歌の作詞が、妻の兄の保 富康午だったのに、妻と一緒にびっくりした。これまでずいぶんひばりの歌は繰り返し沢山聴き、音盤も持っているのにたったの一度も聴いた覚えがなかっ た。石原もまたひばりは田中角栄と並んで同時代を生きた二人の天才と明言。義兄の名前をほんとうに久しぶりにテレビで見た。石原氏に少し感謝した。

* 都知事選のことは、ただただ虚しい。細川と宇都宮と、どちらの票が多かったか知らないが、共産党・社民党の愚鈍の極みの頑迷・固陋を嗤う。かくして、また一つ、提携すれば勝てる戦にむざむざ負ける知にも意にも疎いバカな例が歴史の表面で泡と浮かび潰えた。
 かくなるうえは桝添の安倍政権に阿諛迎合しない都民のための善政をきたいしよう、虚しいと分かっていても。

* 雪道を杖つい投票所まで往復しただけで、へとへとに疲れた。夕食のことも念頭になく二時間半も寝入ってしまった。気力はともあれ、体力の回復が遅れて いて、少々の疲労にメゲ過ぎる。明日また歯科へ。俳優座の「四谷怪談」の招待も辞退、女優早野ゆかりさんのお誘いも遠慮、それでも今週、来週、外出に追わ れる。外出を「運動」と思うぐらいに務めないと、気から弱って仕舞いかねない。

* SPAMメールの殺到、迷惑至極。いちいち削除しなくても済む手だてが欲しい。機械をいじくる根気が無い。

 * 秦 恒平 後拾遺和歌集秀歌撰 春上下
     
(とくに十首には、作者名を付す。)   
 あふ坂の關をや春もこえつらん音羽の山のけさはかすめる  橘俊綱朝臣
 春のくる道のしるべはみよしのゝ山にたな引クかすみ成けり
 雪ふりて道ふみまよふ山里にいかにしてかは春のきつらん  平兼盛
 春霞たつやおそきと山川の岩まをくゞる音聞ゆなり  和泉式部
 たづねつる宿は霞にうづもれて谷野うぐひす一こゑぞする
 ひきつれてけふは子日の松に又いま千年をぞ野べにいでつる
 白雪のまだふるさとの春日野にいざ打チはらひ若菜摘ミみん
 春日野は雪のみつむとみしかどもおひ出ヅる物は若菜也けり
 山たかみ都の春をみわたせばたゞ一むらのかすみなりけり  大江正言
 はるばるとやへの
ぢにおく網をたな引ク物は霞なりけり
 みしま江につのぐみ渡る蘆のねの一よのほどに春めきにけり  曾根好忠
 心あらん人にみせばや津の國のなにはわたりの春のけしきを
 梅ヶ香をたよりの風や吹キつらん春めづらしく君がきませる  平兼盛
 春はたゞ我宿にのみ梅さかばかれにし人もみにときなまし
 むめの花かばかり匂ふ春の夜のやみは風こそうれしかりけれ  藤原顕綱朝臣
 おもひやれ霞こめたる山里に花まつほどの春のつれづれ  上東門院中将
 うすゞみにかく玉章と見ゆる哉かすめる空にかへるかりがね
 思ひやる心ばかりはさくら花たづぬる人におくれやはする
 にほふらん花の宮このこひしくてをるに物うき山ざくら哉
 よの中をなになげかまし山ざくら花見るほどの心なりせば  紫式部
 花みてぞ身のうき事もわすらるゝ春は限のなからましかば
 わがやどの梢ばかりとみしほどによもの山べに春はきにけり  前中納言顕基
 高砂のをのへの櫻咲キにけり外山のかすみたゝずもあらなん  
 吉野山八重たつ峯の白雲にかさねてみゆる花ざくらかな  藤原清家
 
水そこにむらさきふかくみゆる哉きしの岩ねにかゝるふぢ波
 
* おりもよし、春遠からじ。
 古代のやまなみ、みやこの風情を懐かしみつつ。
 後拾遺和歌集の秀歌撰は全二十巻、悉くしおえてある。拾遺和歌集の方は、いましも撰りすすめている。「なんじゃい」と、瞬時に帰って行けるこういう世界のあるのを、いつも身に沁み喜んでいる。
   遠山を見つつしうたふわがこゑの川のながれのやうに去りゆく  遠 


* 二月八日 土

* 
起 床8:15 血 圧133-71(63) 血糖値82   体重67.82kg    排便順調。昨夜は十一時に床につき消灯、よく眠れた。

* 冬季ソチオリンピックにも、政界の風にも、心弾まない。天災地変なく、悪意の人災にも襲われないことを世のために願うばかり。

* 仕事へ時間を振り向けるより余裕がない。仕事していると眼が疲れて霞んだり滲んだり乱れたり。やすみやすみ、また機械へ、またゲラの前へ戻って行くし かない。やすんでいるとき、耳で聴いてたのしめる録画映画を観ていたりする。いまは「へスラー戦車隊」 ヘンリー・フォンダ、ロバート・ライアンらが出て いる。やすみ中に酒が入ると、寝入ってしまう。
 黒いマゴの輸液も済ませた。今夜もはやめに寝よう。安定剤のリーゼをときおり一錠服している。

 ☆ 
 
日付の変わる頃から降り始めて今年初めての積雪です。今日は一日雪籠りです。東京も大雪警報が出されているでしょう。
 何より病院での検査結果にホッとしました。日常では目の不具合や肩、腕、消化器官など山ほどつらい状態がおありで・・それでも腫瘍内科での医者の診断は心強く安堵しました。  尾張の鳶


 ☆ いちめんの雪景色です。
 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 雪に加えて強い冷え込みが続きますね。どうか一層のご自愛をお願い申し上げます。
 今年は1月1日が旧12月朔日にあたっていたため日付と月のかたちが半年ほど同じになるようです。暮れから毎夜のように月を眺めて、あらたまの年が新月 から始まることと、ついたち、ふつか、と口にしながら月を眺めて暮らすことが、これほど落ち着いた気持ちをもたらすものかと感じ入っています。
 身体の不調は、鉄欠乏性貧血と判明しました。鉄錠剤を渡されてそれでしまい。
 昨年のお正月に初めて誂えた遠近両用眼鏡はなんの違和感もなく、必需品となっています。
 両親は来週揃って満80才を迎えます。
 和達清夫と倉嶋厚共著の気象の本を読んでいましたら、数頁にわたって38豪雪の被害について引用されておりまして、30才直前で初産だった母と見舞いにいった祖母がどんなに異常な状況のなかに置かれていたのかと50年を過ぎて改めて感謝しました。
 その本には、裏日本ということばがいつごろから書物にあらわれ、いつごろNGワードになったかも述べられていました。
 さて、今年のお正月はひさしぶりに琵琶湖大橋を渡るドライブをいたしまして、「みれどあかぬ」湖北の雪景色に幸先のよいスタートを切りました。
 足立巻一「やちまた」は2週間かかって上巻をなんとかむりむり読みました。なつかしい構成です。おもしろいのに進まない。これもなつかしい感触でした。
 明日は竹喬美術館に出かけるつもりです。
 昨年の2月に、波光の展覧会を見たくて思いきって行ってみて、上薗四郎館長のおはなしも愉しいし、館のみなさんがあたたかくてのんびりと別世界をかもしだしていて、とてもよかったのですよ。
 今年は華岳だそうです。
 折り畳み式の座卓1脚を作業スペースにしておりましたが、書き留めた紙やコピーなどが崩れそうになってきたため、朝の食卓を片付けたのち、夕方までそこを作業台にしています。
 テレビなし。新聞なし。PCもタブレット端末もスマホもなし。
 インターネットは二つ折りの携帯電話で得られる範囲に限られます。
 雑誌購読は季刊の「明日香風」と「やまとびと」のみ。
 ラジオは津放送局からのNHK-FMと、三重県唯一の民放FMと、名張のコミュニティFMしか入りません。
 divide、deviate、devoid…
 どれでしょう…?    名張の囀雀

 ☆ お仕事
 くれぐれもご無理はなさらないでください。
  昨日の検査の結果が良くて何よりでした。喜んでいます。
 ですが、毎日の「卵納豆」は絶対にやめていただきたいと思います。あるいはみづうみのお腹の不調の原因であるかもしれません。
 国産の大豆はもうだめです。健康に害しかありません。大豆はセシウム移行率が非常に高い食物です。納豆だけでなく、卵も濃縮されて危険です。それを毎日 だなんて! とんでもないことです。ある納豆計測した人の情報では6ベクレルだったそうです。他の食品からの内部被曝も避けられない現状では、この数値の ものを食べ続けることは論外です。確実に病気になります。
 卵納豆はあきらめてください。強くお願い申し上げます。原発反対しているみづうみですら、この程度の内部被曝の認識しかおありにならないのですから、日 本の今後は絶望的ではないかと暗澹たる気持です。どうか食べることに注意なさって生き延びて、今書いていらっしゃる小説を完成させてください。  反納豆
 
* メールというのは、やはり貰うと嬉しいモノだ。ムダを剥いだ囀雀さんの境涯、すっきりと佳いなあ。

* とはいえ、メールボックス開くと、不良メールが今も30 昼には50 朝には90。いやになる。  




* 二月七日 金

* 
起 床8:00 血 圧139-70(58) 血糖値86   体重68.2kg    腫瘍内科で、CT検査。なんら異常なしと診察された。

* 診察までが長引いた。空腹だったので、また更科蕎麦へ行き、軍鶏と鴨を鍋で食べてきた。有楽町線で、小竹向原を平和台まで乗り越し、戻ったりしたが。
 疲れた。映画「グレースと公爵(タレイラン)」を観て休息。フランス革命後の恐怖の成り行きを、英国人のグレースとタレイラン公爵の友情という視点に足場を得ながら、実感豊かに描いていた。

* 病院行きで留守中のSPAMメールが100を越していた。何になるのだろう、こんなムダをして。100ともなると削除にも時間を無駄遣いしなくてはならない。疲れた。九時半だが、黒いマゴの輸液を済ませたので今夜は寝てしまいい。

* 血管の健康に赤ワインがいいというので、日にカップ二杯ほどを薬と思って呑んでいる。卵納豆も欠かしていない。
 たくさん食べると腹具合が不穏になる。きょうなど、朝に卵納豆だけで聖路加へ向かい診察が済んだ四時前まで何も口にしていなかった間、腹の気分は軽快で 快かった。独りで鴨と軍鶏との鍋を、升酒つきで食べは食べきったが、満腹の気分はまことに不健康な具合でイヤになった。腹三分目ぐらいで足りる。

 

* 二月六日 木

* 
起 床8:30 血 圧148-73(64) 血糖値91   体重68.4kg 

* 節分には、命じられたまま今年も豆をまいた。

* 昨日の晩、京都宇治の伊藤隆信さんから電話をもらった。京都へ帰ってきたら、というお誘いだった。伊藤さんは何十年も前からそう誘ってくれる。
 今日は、伊原昭(あき)さん(梅光学院大名誉教授)から大著『源氏物語の色』を頂戴した。日本の色彩に関する第一人者。精緻な色彩大事典をはじめ大冊の研究をどれだけ頂き続けてきたことか。お目にかかったことは一度もないのに、久しくご好意を戴いている。

* 語勢は、事を成そうとする人の大切な徳の一つであり、聴くモノに頼もしい思いをもたせる。わたしの常日頃心して人の上に観察はしているオーラのそれは 一つの大事な特質なのだが、都知事候補でこれを意図して発揮しようとしている者と、そうでない者との落差は大きい。所詮、ものが見えていない。
 わたしが共産党の委員長なら、社民党の委員長なら、統一候補とテキパキと有効な政策協定の上で、ただただ選挙に勝利すべく候補の一本化を実現する。なにを躊躇っているのか理由が全く分からない。推している候補がこのまま勝てるとでも錯覚しているのか。

* 「先生」の意味を取り違える人は少ないが、後生の逆で「先に生まれた人」と、ほぼ定まっているが、これまた逆に「先に死んだ人」の意味でもあり得てい る。「先師」「先考」「先達」「先人」などみな「先逝」の意味を持っている。数日前に亡き「橋田先生」の夢を見た。亡くなった「先生」たちの多さを夢覚め たまま床の中で指折り数えてうたた今昔の思いに萎れた。
 先生方は、それでもなお順に先んじた先輩である。世代をともにし、またこっちが先にもしていた後生・後輩の既に亡き数を数えるとき、今一段と心萎れる。 孫のやす香、小学校の永田純治、中学の梶川貞子、田中勉、三好閏三、高校の富永いく子、大学の重盛ゲーテ、大森正一、そして何人も何人もの「いい読者」た ち。
  
 ☆ 寒い日
 
名のみの春です。今日は腫瘍内科診察の日かと察します。今どんな時を過ごされていらっしゃるでしょうか。良い結果でありますように。元気でありますように。          尾張の鳶
 

 * ありがとう。腫瘍内科の検査と診察とは明日七日です。夜前、もう日付の替わっていた時刻に「明日は」と書いたのが紛らわしかったと謝 りますが、とにかくも術後満二年になろうという初の本格的なCT検査、明日です。昨日の感染内科での血液・尿検査では貧血等その他のデータには問題点無 かったそうでした。
 二月十九日に眼鏡のための検眼と処方とをしてもらいに、また午後聖路加に出かけます。左眼の白内障手術をするか、まだちょっともったいないですがと。それには目下はわたしにも躊躇いがあります。
 今は小説を少なくも二つ書き進め、選集第一巻を仕上げ、湖の本119を刊行のための日々です。
 それに今月は松たか子のコクーンでの演劇、歌舞伎座での染五郎ら若手の芝居が待っています。


 ☆ 
都知事選
 こんな歎きを抱いているひとは多いようです。たとえばこんなツィート。
 
  ☆ 現代日本における最悪の政治家は、と問わ れれば小泉純一郎と答える。末代まで許せない。だから、細川は支持しない、という人達が多く居る。しかしあらゆる治療が不可能な中で、命うを救う可能性は モルヒネ投与だけとなったら、私は迷わない。再稼働申請中の16基、うち既に10基は安全認定。なんという、ウソ!
 
  ☆ 共産党の宿痾 は、今回の都知事選でもよく現れている。舛添要一よりも細川護熙を批判する。右翼や権力には甘く、近い人間を潰しにかかる。そしてテリトリーの確保を目指 す。今回の都知事選でも、党勢拡大(票数)が伸びたら、彼らは勝利の総括をする。だから決して一本化には応じない。
 
 少し前に、澤地久枝さんが深夜に宇都宮氏を訊ねて一本化のお願いに行ったという話が出ています。もちろんうまくいかなかったようですが、あの澤地さんがそこまでする危機感はよくよくわかります。
 共産党は以前から、裏自民党と言われていますが、票を割って自民党を助ける役割で、生き延びてきた政党でしょう。末端に真面目な人材がいても中枢は腐っています。
 脱原発派はよほど賢くないと勝利できません。
 脱原発運動の中には必ず原子力村からの工作員が入り、最初は味方を装いながらあらゆる手段で内部分裂を画策します。すでに、脱原発運動を国民運動ではなく左翼運動にみせることにかなり成功しています。
 それにしても愚かしいことです。
 フクシマだけでも本州の半分は終わると言われているのです。再稼働して別の事故が起きれば、国民全滅です。
 推進派は自分たちだけは助かると思うのでしょうか。
 ため息あるのみ。
 
 まあ、こんな話はつまらないことです。愛するひととか、愛する藝術とか、汚染されていない土地とか、救えるものを救うことにいのちを捧げたいと思います。
 明日の秦さんの検査結果が良好でありますように。   都内 読者


* 新井白石を書いたので、彼が六代将軍に仕えたときの富士山大噴火の様子は、かなり知っている。新たに大噴火したときの被害や避難についておおまかな推 定や懸念が提示されていた。大噴火には地震もともなう。心配は大きい。幸い徴候は無いように言ってあるが東南海大地震や都の直下大地震と同時化したりすれ ば、予想の危険範囲や程度を大きく超すだろうと心配する。          
* 黒いマゴの輸液を今晩は休むと妻が言う。では休もう。




* 二月五日 水

* 
起 床7:30 血 圧156-71(63) 血糖値79   体重68.3kg 

* 9:28のバスで保谷駅へ、9:55の有楽町線で新富町経由聖路加病院へ。その逆さまで帰宅したのは17:30。二科目の診療にまる八時間、一日仕事。
 それでも眼科はケリがつかず、この毎日の眼のありさまなのに、ずいぶん「よくなっていますね」とはワケが分からない。左眼の白内障手術をしましょうかと いわれてもこのテイタラクでは、おいそれと乗りにくい。結局二週間後に「メガネトライ」つまり検眼して処方箋を出しましょうと。現在の六つ造ってあるメガ ネは全部不要になるらしい。新調も構わないが、それがまた半年経たぬ間に不要で作り替えになるおそれもあるわけだ。なんと頼み甲斐のない眼科学であること よ。
 点眼薬三種の処方と、地元眼科への検査資料を受け取ってきた。

* 昼には、ひさしぶり築地の更科蕎麦で、牡蛎そばと菊正を枡で。ぷっくらと大粒の美味い牡蛎だった。

* 院内は暖房が十分で暖かすぎるほど。戸外は、かなり冷えていたが、むしろ久しぶりにわたしは自分の汗を感じていた。この二年、汗をかくなんてことは、絶えてなかったのに。
 内科の方は、検体検査すべて良好で、問題なく。各種ビタミンと安定薬リーゼとを処方して貰ってきた。
 あさっては肝心要の腫瘍内科で、術後満二年のCT検査と診察。無難に通り抜けたい。

* 「選集@」再校が出そろった。再校でもう責了にするなら、よほど慎重に読んで落ちこぼれの無いよう、印刷所にたとえ急かれても慌てたくない。



* 二月四日 火

* 
起 床9:30 血 圧141-74(53) 血糖値88   体重68.5kg  眼鏡を、作業や動作により頻繁に取り換え取り換えても視力の消耗甚だしく視界が見分けられない。

*  「仕事」が過剰なのだと分かっている。「選集」@を進めながらAにもBにも思慮が及んでいるのを、@完了が見えてAへバトンタッチするように、手控えることに。それでも過剰に溢れているほど。なにより視力の宥和と温存と大事にし、護眼のサブリへも余儀なく手を出そうと思う。

 ☆ 秦  恒平 様
  都知事選挙関係の情報、色々送って頂き、ありがとうございます。
  貴兄の候補統一についてのご意見、賛成です。
   都知事選挙、何としても、自民、公明の候補を破って脱原発の候補に勝ってもらいたいと思っていますが、一本化ができないのは本当に残念です。      ペン元同僚委員

* 何人もの友人から反響があった。「一本化ができないのは本当に残念です」と言うに尽きる。一本化すれば確実というに近く勝てるのに。弱小野党の迂愚と高慢がいつも結果を悪くする。

* 南相馬の桜井市長の演説を聴いて、熱弁には打たれたが、論旨をもっと東京都にも現に降りかかっている放射線の怖さ、また東京は東北の玄関と昔から言わ れてきた地理的な近さにも触れて、台所や座敷が放射線に現に痛めつけられていて玄関は無関係などということの事実問題としてあり得ない点などに現実的な警 告も発して欲しかった。

* 同時に、演説でも触れられていた、東京のオリンピック事情に大きく左右されて福島東北での労務作業者が日毎に激減して行っている実情にわたしは胸を痛 める。オリンピックへの騒ぎ過ぎ、過剰なバラマキなどは、じつに体のいい伝統の3S愚民化政策の一環に組み入れられている。スポーツ、セックス、スクリー ン(ショウ)の3Sに民衆が浮かれてくれること、これほど政権には好都合な強権土壌は無いのだ、世界的に政権はそれを多用し利用してきた。

* もう、いけない。疲れた。明日は一日がかりで聖路加内科と眼科。黒いマゴの輸液して、休みます。
 もう纏めに入るかなと思っていた一つの小説に大きな展開が予測され初めて、逃げずに立ち向かう気になっている。健康さえ保てるなら、気落ちしないで続けられる。 


* 二月三日 月

* 
起 床9:00 血 圧134-74(61) 血糖値87   体重68.2kg  眼鏡を、作業や動作により頻繁に取り換え取り換えないと視界がぎらぎらに揺れてにじみ出す。

*  「選集」@再校に入っている。Aの入稿用意にも、「清経入水」「初恋」「風の奏で」「絵巻」の原稿づくりと、ルビ打ち。
 一方「湖の本119」初校進み、併行して発送の用意にももうかからねば。「120」の心づもりも。
 なによりも、新たな小説二つの進行も。
 ゆりはじめさんはじめ、挨拶の御無礼もいろいろ重なっていて気になるが。

 ☆ 
秦さん
 今日で勤務校の中学入試が漸く終わりました。
 ほっとすべきところですが、「闇に言い置く」が昨日から書き込まれておらず、心配しております。
 杞憂であればそれでいいので、返信はご無用です。
 井口さん、先月判子を彫って送ってくださいました。人と人は、どこかで繋がっているのだなぁと思いました。
 明日は雪とか。
 どうぞ、お二人ともお大事になさってください。  美


* 都知事選では、脱・ゼロ原発候補等はまたしても相討ちの愚をおかすと見える。なぜ適切で実現可能な政策協力を図らないのか。「負けて」は何にもなるまいに。

* 南相馬からかけつけた桜井市長の細川候補への応援演説の動画が送られてきて、聴いた。観た。そして友人達に転送した。

 ☆ 
みづうみ、お元気ですか。
 毎日のご体調を拝見して、とても心配しています。そして、手も足も出ないことに、打ちひしがれる日々です。せめて何かのお仕事でもお手伝い できたらどんなにいいでしょう。お仕事を頑張りすぎないでほしいとお願いするのは、みづうみに生きるのをやめてくださいというようなものですが、少しばか りペースを落としていただけないかしらと、無駄と知りつつ切にお願い申し上げるものです。
 こちらの高齢家族も毎日歯が痛かったり、爪が痛んだり、目が痒い、お腹の調子が悪い等々で、それでも病院には行きたがらず、また行ってもドクターの呆れ るほど頼りにならないことで、お手上げ状態です。このような日々が加齢というもので、いずれ私の身にも訪れることと思うと、それだけでも鬱になりそうで す。吉本隆明さんでしたか、老齢がこれほど過酷なものとは思わなかったと仰っていましたけれど。
 
「堪え、起ち、生きる」というお言葉、噛みしめています。最近のわたくしの気 の滅入り方は、みづうみのご体調への懸念も加わって半端ではありません。ニュースを観ると吐き気を感じることすらあります。人類史上空前の(絶後でないと ころがさらに恐ろしい)凄まじい崩壊が起きているのに、テレビや新聞は恐ろしいほど情報統制され、無知無関心な人間を量産します。すでに被曝戦争が始まっ ている現実を隠蔽するためのオリンピック騒ぎでしょうか。このままでは日本人の国は終わってしまいます。
 わたくしは原発事故以来「楽しむ」ということを忘れてしまいました。何をしても心から喜べない自分が、周囲の人生を暗くしているのではないかと、さらに自己嫌悪する悪循環です。ですが、みづうみのように、堪えて、起って、生きなくてはいけないのですよね。
 久しぶりにフランクルの『それでも人生にイエスと言う』を読み返しました。みづうみの「堪え、起ち、生きる」と同じように、喝を入れられました。
 
 私たちが「生きる意味があるか」 と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそ問いを出し私たちに問いを提起しているからで す。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければ ならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そして、それは生きて いることに責任を担うことです。
 こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。どのような未来もこわくはありません。未来がないように思われても、こわくはありません。も う、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつもでも新しい問いを含んでいるからです。すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待さ れているかにかかっているのです。その際、どんな未来が私たちを待ちうけているかは、知るよしもありませんし、知る必要もないのです。
 

 以前みづうみの書いていらしたことを思い出します。ある高みに到達したひとの思索は共鳴しあうものなのでしょう。
 

 そのときそのときに、どういうやりかたであっても、人生を、瞬間を意味のあるものにするかしないかという二者択一しかありません。ですから、そのときそのとき、どのように答えるか決断するしかありません。
 ……(中略)人生はたえず意味を実現するなんらかの可能性を提供しています。ですから、どんなときでも、生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択 にゆだねられています。人生は、「最後の息をひきとるまで」意味あるものに形づくることができるといってもいいでしょう。
 
 自殺する人も、人生のルールに違反しています。人生のルールは私たちにどんなことをしても勝つということを求めていませんが、けっして戦いを放棄しないことは求めているはずです。
 

 ご体調不良にもかかわらずお仕事に奮闘なさるみづうみの日々を読ませていただ くと、じつはみづうみの現在こそ「瞬間を意味あるものにする」ために運命を真っ向から引き受けた文学魂の戦いであることに気がつきます。わたくしは、みづ うみのことを一度も戦いを放棄したことのない勇気ある闘士だと思っています。
 それに比べ、自分は意味のある「今・此処」を生きたことがただの一度でもあるのだろうかと、内心忸怩たるものがあります。気が滅入っても、絶望しても、 「堪えて、起って、生きなくては」せっかく何かをする機会を与えられた人生からの問いに答えられません。 みづうみの足元にも及ばぬ日々ですが、このメー ルを(ご迷惑かもしれませんが)書いている今この瞬間、精一杯の想いをこめていたいと願います。
 
 フランクルの言うようにけっして戦いを放棄しないことを求められているとしたら、とりあえず、これ以上愚かしい展開にならないための都民の都知事選でしょうか。最悪の選択だけは避けなければなりません。
 自宅が火事であれば、信用しようがしまいが、少なくとも目の前の火を消す意志と力のある人間を選ぶしかないではありませんか。自宅が燃えているのに、景 気がどうのなんて話が無意味なのはもちろんですが、正しい火の消し方は左からだ右からだとグズグズ分裂するのも大バカ。とにかく大量の水をぶっかけて消す のみ。すでに結果の出ているような奇妙な世論調査があるのはたしかですが、選挙が噂のような操作なく、公正に行われることを祈るしかありません。
 
 みづうみの日々の決してやさしくないことを憂いつつ、それでもわたくしは、ふしぎに、私語の刻「有即斎箚記」に励まされてもいるのです。みづうみに心からの感謝をお伝えします。    
    日脚伸ぶ夕空寒をとりもどし  皆吉爽雨

* 裸眼でも、読書用眼鏡でも、小ささい活字が幾重にも乱れて読めない。かろうじて、機械のキイが見えている。十時。休みがてら階下で、黒いマゴに輸液してやろう。マゴも堪えている。わたしたちも、みな堪えている。それでも起って生きねば。



* 二月二日 日

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起 床9:30 血 圧144-71(59) 血糖値:計測せず   体重68.1kg   熟睡というに当たるか。

*  椎名麟三作『美しい女』の語り手は、こう言うている、 「この私が、反動とまではいわれなくても、保守的だといわれているとすれば、私に、五年先か、た かだか十年先しか見えないからだろう。そして事実、私は、それ以上のことを考えることをお断り申上げるのだ。ひとが、一生不幸だとか、いつまでも不幸だな どというとき、私は情なくなって、当惑してしまう」と。
 作家としての椎名も、この運転手であることの大好きな働き手の彼も、あの大戦の渦中に生き、「五年先か、たかだか十年先」で敗戦という戦後を 迎えている。椎名は、あの戦中、いわゆる「転向」した作家である。彼らのここに謂う「不幸」とはどんな「不幸」なのだろう。狂った国の強権のもとで、国民 は、私民はじつは「情なく」「当惑」の度を越しどうあがいてもじつは「転向」などさせても貰えない。ゆるされない。
 いまのわたしは、その思いから遁れ得ていない。

* 今日は眼の状態が悪すぎる。


 
* 平成二十六年(2014)二月一日 土

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起 床9:00 血 圧136-70(67) 血糖値81   体重67.7kg  ちょっとした姿勢で左腰ないし脇腹に捻れるような痛みが来る。長時間の倚子仕事から起つと左脚に強い疼痛がきて歩きづらいほど暫く痛みが残る。食欲不振。

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二月の逃げ足は、むかしから、早いと言われる。その二月が来てしまった。

* 「みごもりの湖」の初校分を、電子データ化し終えた。繁雑な作業だがやっておけば後々まで決定稿になりうる。

*今日はくろいまごに朝夜二度の輸液を励行した。昨夜は出来なかった。今日はおとなしく受け容れてくれた。

* 息やすめには、録画しておいた感銘の大作「枢機卿」をみた。アメリカではKKKクークラックスクランが非道横暴を成し尽くし、ウイーンではナチスドイツの恐怖が描かれた。レマルクの世界に膚接していた。
 このところ否応なくキリスト教に関連しても物思いのあるとき、佳い映画を保存の中から掘り当てた。

* もう日付代わって一時になる。