saku146
述懐 平成二十五年(2013)十一月
人それぞれ書を読んでゐる良夜かな 山口青邨
鰯雲はなやぐ月のあたりかな 高野素十
人のこの世のつひに儚しといふ事の
唯しみじみと君の亡き今 清水房雄
道を行く人には見えぬ階の上の
庭に咲きゐるひとりしづかは 北沢郁子
老耄を明日のわが身とおもへども
われは生きをり今日といふ日を 東淳子
伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしか
ひとはかほどのまことをしらず 遠
己が闇どうやら二人の我棲めり 湖

うちの三獣士 次郎 太郎 小次郎
* 十一月三十日 土
* 起床9:20 血
圧140-69(65) 血糖値朝食後一時間値161
体重67.2kg
* 昨日の「選集」打ち合わせについて、わたし自身の理解の緩さから、或る思い違い・誤解がなければいいがと、夜中、確認のための質問メールを担当氏に宛て出しておいた。
* 建日子も当然含めてわたしたちの意図は、この「選集」の、「著者 秦
恒平」「発行者 秦建日子」「出版 湖の本版元」であることは動かず、或る他社から出版してもらう気はまったく無い。その点の確認をしっかりしておきた
い。極少部数の限定本であるがゆえに何等かの協力をトッパンが他へ委嘱されるのはむろん問題ないことだが、出版権を、また著作権をオンデマンドの会社に委
ねる気は全く無い。
それを問い合わせておいた。念のために、ということ。
わたし自身は、この「選集」実現にも、何が何でもといった執着・固執をもっていない。成れば嬉しく、成らないならそれも構わない、また他のことを計画すればよく、それさえも無理は決してしない。
* 私より年輩の尊敬する或る名誉教授からお葉書を戴いた。ご趣旨ありがたく、当該箇所も確かめた。
☆ 御本(=湖の本117)をありがとうございました。
「私語の刻」の187頁188頁のご発言に「全面的に」同感する者です。私も何かの会合があれば、同じ事を発言しようと思うのですが(うまく言葉が出ないのです、秦さんのように)口の先まで出かかって止まってしまうのです。
この御文を力にして、私なりに発言してゆくつもりです。ありがとうございました。 衛
* 当該箇所には、「私語の刻」部分として、もう旧聞には属するけれど、今にも余響を帯びて、こうある。
* さて、此の(平成二十五年2013)七月二十一日、参議院の「違憲」選挙が強行された。一作家として『ペンと政治』三巻(千二百枚 湖(うみ)の本114 115
116)を出版した私なりに、即日「総括」しておく。
@ 東京で、反原発の山本太郎を勝たせたこと、共産党も勝たせたこと、最低限の歯止めは打った。
A 安倍政権は明らかな「違憲」政権である。内閣および自民党に
は、危険の日々に迫る原発の「トイレ」はどこに、いつまでに、だれが、どう建設するのかを、一切に優先し誰もが執拗に徹底的に問いつめねばならない。また
放射線による病害・生命不安が、東北と限らず列島中にひそやかに増長蓄積されて行く疫学的事実への不断の検査と対策・対応を厳しく要求しつづけたい。アベ
ノミクスごときは、かならず墜落する。経済に不動の右肩上がりのあるわけはない。ムリと傲りはかならず綻びる。安倍「違憲」政権による「国民の最大不幸」
は確実に迫っている。特権の独占を意味する「国益」の謳歌でなく、広範囲に明確な「民益」のために政治せよと求めつづけたい。
B 海江田・細野執行部をかついだ民主党の惨敗はあまりに当然。海江
田執行部の無力な居座りを許さず、すみやかに馬淵澄夫、古川元久、辻元清美らの覚悟きわめた蹶起なくては、「解党」に到るよりない。看板になりうる田中真
紀子に比例での復活をさせなかったのも失敗の大きな一つ。筋を通して大河原まさこ候補を応援した菅直人元総理の政治家たる気概こそが、党再生には必要不可
欠だ。この際、無策に「連合」頼みの民主党は一旦解党して出直すべき時機にあるのでは。
C 「労働者」を見棄てたまま「憲法」しか叫ばない福島みずほ社民
党の、とうてい「票と議席」に結びつかない無反省な無力は、蔽いようがなかった。惨敗当然。「野党の意義」を率先壊滅へ導き続けた「責任」の自覚を欠いて
いる。ものが見えていない。山本太郎を党首に迎えるほどの英断しか此の党に延命の道は無い。
D 「政権を担う」ことを一度も目標としない共産党の政治姿勢は物足りない。つねに「政権から遠い外野」に甘んじ、ただ大声をあげているだけでは、到底国民の幸福をゆだねられない。
E みんなの党のある種の頑なさが野党の大同団結を妨げる大きな障りになっている。小さな独善に陥っていないか、渡辺党首の器量の小ささか。
F 大阪維新の会は、すみやかに石原慎太郎と訣別し、初心に戻るとともに黴の生えた党名を清新に一新し、小さくても強烈な政治姿勢の再生・再建をはかるべし。
G 生活の党は臥薪嘗胆を覚悟し、善き政治の火種を列島のすみずみに地道に植え続けよ。またの日がある。
H 公明党には、ただただ自民党に対し、憲法改悪・海外参戦への無用な手出しをさせない強い防波堤たるを期待する。
I みどりの風は甘い観念に陥っていた。明確に、伸び上がる現実女性の権利政党をめざすべし。
J 六十五歳から八十歳までの「老人たちによる政治勢力の結党」または参議院にかわる「老議院の実現」へ歴史的な舵をきる時機ではないか。
K 口を開けば「参議院のねじれ解消選挙」などと一斉に叫んでいた日本のマスコミの、見識の無い「違憲」政権への阿諛迎合、情けない姿勢に失望を倍々増した。糺すべきを正さぬ日本大方のマスコミ報道の無責任と偏向には呆れ果てる。 (以上)
* 関連して今日只今の思いを語っておく。
@ 山本太郎の「お手紙」事件は一つの「発想」として、余人には出
来なかったプラスマイナス付き「珍」プレーだった。人々は無意識へし沈めきってはいるが、日増しに募る安倍自民「違憲・強権」政権への不満、「迫る国民の
最大不幸」への不安を、考えられなかった・考えてはならない筈の「天皇への直訴」、「天皇の非道政権に対するある種の拒否行為」等を期待しかけている動き
と山本の「珍」プレーは連動していたのかも知れない。あくまでも限定して謂うことだが、現在の天皇ご夫妻への国民の尊敬や信頼はすぐれて人格的・人間的な
優秀への感謝に裏打ちされている。主権在民の大原則は絶対に守らねばならぬ時、その主権在民を先頭に立って蹂躙しこくみんを奴隷化して行こうと憚らない
「悪・違憲」政権への「拒否行為」を天皇さんにお願いしたいという動きは、これから先に膨らんでくるだろう。政権は、国会は、司法は「その前に」謙虚な善
政へ立ち戻るべし。
A 民主党に曙光はみえない。菅直人に、もっと元総理としての気概
と責任感から積極的・刺激的な「発言」と同志の「結集」を図ってもらいたい。鳩山・野田二人の元総理は、どうにもならない落第総理として忘却してよく、誠
実な政治家魂をもった若い気概の人を盛り上げねば何一つなし得ないまま、理の当然として、ジリ貧が進むであろう。
B 共産党が、「政権党」への前進を委員長の言葉で公言に到ったことを、高く評価したい。わたし自身が共産党を無条件で支持するという表明で決してないことも断っておく。
C 公明党への祈るほど悪政への防波堤希望は高まっている。どうか、悪く折れて迎合も阿諛もなく自民党と対峙・対決して欲しい。
D 政治をひたすら「我私(われわたくし)」する政権は許さない。
政権の「権」の字義は、国民から謂えば、時期を限って政権に対し「国民主権を分割して貸し預けただけ」の意味であり、政権として謂えば、国民から「託され
た、大事な仮り・借りもの」に他ならない。それをよく国民は記憶していたい。それを政治家・行政官はよく記憶し、誠実に理解して勤務するのが義務である。
E 小泉元総理は、かつて自身が持っていた「原発推進」説を真反対
の「原発即時ゼロ」説へ切り替えた。過ちを改めるのを憚らなかっただけではない、確信をもってその危険と損害を認識し力説している。その論拠の真っ先に大
きな一つは、私が、さきの参院選集約の中で言っていた、即ち、「内閣および自民党には、危険の日々に
迫る原発の「トイレ」はどこに、いつまでに、だれが、どう建設するのかを、一切に優先し誰もが執拗に徹底的に問いつめねばならない。また放射線による病
害・生命不安が、東北と限らず列島中にひそやかに増長蓄積されて行く疫学的事実への不断の検査と対策・対応を厳しく要求しつづけたい」という言葉に、事実上、呼応したものである。その回心に敬意を惜しまない。
* 岡山の高裁が、上に触れた今年七月の参議院議員選挙を「違憲・無効選挙」と判決した。つづく各地の高裁の判決に期待したい。文字どおりに「気骨の判決」「憲法に誠実な司法」を心底期待したい。
* 無利子・無担保・無期限の5000万円を個人的に借りたという都知事の言い訳も、貸した側の思惑も、ただの紙切れ同然、何一つの「対関連」「対思考」を言葉で示していない借用書。猪瀬都知事はいまや無思慮・軽率・ご迷惑をひたすら「謝罪」して、追及
から遁れようと藻掻いている。弁明の余地がないと観念したのである。
この際、詫びるだけでは話にならぬ。「都知事」として、@脱原発・廃炉 A東電徹底改組 B放射能物質の最終処理案 C都内の放射能情況 D放射能病害検査と対策 E河川湖沼および海の放射能汚染、食料への放射能汚染に関する明確で誠実な精査と対策 F特定秘密保護法および関連法への、政治家・作家・一市民としての見解 等々を、公開の文書によって広く明確にすべきである。
* 朝刊に、「仏教と悲」と題した定方晟氏(東海大名誉教授)の文章が出ていた。惜しいことに「下」で、「上」ないし有れば「中」の稿を読む手だてを失っているが、一読、簡明も得胸に落ちるものであったので、ここに記録させて戴く。
☆ 仏教と悲(下) 定方晟 2013年(平成25年)11月30日(土曜日)東京新聞朝刊
不変の法の下での救済 苦への共感で生まれる悲 (紙面大見出し)
先週に続いて、悲が仏教の核心的思想であるゆえんを説明しよう。
慈悲はしばしば愛という言葉に置き換えられて語られるが、仏教では「愛」(タンハー)は「渇愛」とも訳される否定的な概念であり、
慈悲はこれとは全く異なる。キリスト教も世俗の愛とキリスト教の愛を区別し、前者をギリシャ語にいう「エロース」(利己的な愛)に当て、後者を「アガ
ペー」(利他的な愛)とした。したがって、仏教の慈悲に相当する言葉はキリスト教にないわけではない。しかし、「悲」という単独の概念となると、はなしは
別である。これはキリスト教にはない。
* * *
キリスト教と仏教を分かつ最大のポイントは、その中心的存在が、前者の場合、宇宙を創った万能者であるのに対し、後者の場合、宇宙
の理法に従う存在にすぎないことである。仏教徒に限らず、インド人は、宇宙を支配する最高原理を非人格的なダルマ(法と訳す)とし、神々もその支配下にあ
るとする。
したがって、仏は宇宙の理法にしたがう存在であり、宇宙のあり方を変えることはできない。かれにできることは、苦しむひとを見て悲しみ、同情し(compassionate)、いかにしてその苦を除くか、その道をみつけてやることでしかない。
いつの時代でもそうであるが、世界には悲惨な出来事が多い。新聞に1ヵ月も目を通せば、災害、テロ、誘拐などで、いかに多くの無辜の民が涙しているかが分かる。もし仏が万能者であったら、どうしてこのような悲惨な状況を放っておくだろう。もし等しくかれを主と仰ぐ宗教同士が争い合い、あるいはそれぞれの中に分派が生じて血を流しあっていたら、どうして手をこまねいて見ているだろう。
しかし仏は万能者ではない。何でも思うようにできるわけではない。そこに悲が生まれ、同情が生まれる。万能者に悲はない。なぜなら、かれがなすことは「すべてよし」だからである。かれに同情はない。なぜなら、かれは人間とは隔絶した存在だからである。
仏は万能者でないがゆえに、ひとを救おうとするその努力が人々の心を打つ。限られた能力の中で(あるいは、限られた能力にもかかわらず)おこなう精いっぱいの努力の尊さは、仏教の「貧女の一灯」(キリスト教の「やもめの献金」)のエピソードが示すところである。
そのような有限の存在は信仰の対象にならないという考えがあるかもしれないが、信仰によってしか捉えられない万能者より、確信できる有限者のほうがどれくらい頼もしいか分からないという考えもある(信仰とは必然的に疑念を含む行為である)。
仏教は知恵と慈悲の宗教であると先に述べた。大乗仏教でいうと、知恵とは般若の知恵、すなわち空の思想である。そこでこんな疑問が出される。すべてが空であるなら、慈悲の対象になるべき衆生も空であり、慈悲は成り立たないのではないか。これに対する『大智度論』の答えを私か要約すれば、つぎのようである。
* * *
そのように危惧するのは、有にあらざれば無、無にあらざれば有という思考法(西洋論理学のいう排中律)に呑みこまれて
いるからである。空は有でも無でもない。このことを知らぬひとが「すべては空」といわれると、「すべては無」といわれたと思い込み、慈悲も無であると考え
てしまうのである。
仏や菩薩は、自然のままに生きながら、慈悲にかなった生き方をする。(孔子の「心の欲するところに従ってのりを踰えず」に通じ
る)。そもそも仏や菩薩は人々を苦悩から救うために思索をはじめ、その結果、その目的を実現しうる真理(空)を見出したのである。かれらが人々に空を説
き、同時に慈悲を説くことに何の矛盾もない。
慈悲に三種ある。凡夫や初歩の修行者が通常の人間的感情にもとづいて抱く慈悲(衆生縁の慈悲)、進歩した修行者が仏教の教義や空の思想にもとづいて抱く慈悲(法縁の慈悲)、仏がそうした一切の想念を超えて抱く慈悲(無縁の慈悲)である(大正大蔵経二五−二五七)。
先に「仏教は厭世的である」といったが、「無縁の慈悲」を正しく理解すれば、仏教は最終的にはそうでないことが分かるであろう。
* 分かりよい良い文章である。同時に、仏教である論旨の援用が、理解が、およそは西暦以降の経・律・論の三蔵の立場から為されてい
るのは、仏教を語る際の通有・通例で、最初期のゴータマ仏教からは距離を置いていわゆる仏教教義・教説に依拠している。「仏教と悲」と題されているのだか
ら、それが自然なのである。キリスト教に「悲」の思想が無いかどうかわたしには即断できない。キリスト教もまたイエスの原始キリスト教徒、はるか広大の教
会キリスト教では介在する教義・教説はあまりに多様化されている。
いまのわたしは、聴いたばかりの『スッタニパータ ブッダ(ゴータマ・釈尊)のことば』に大きく立ち止まっていて、関心から謂えば定方さんの謂われる「悲」の思想をどこまで親密・緊密に「スッタニパータ」に膚接して謂いうるのかどうかなのである。
* 中村元先生の人と学問にふれたテレビ番組を聴きながらも、それを思い続けていた。
* きまりを付けねばならぬことは、付けた方がよい。
* 少なくも二つ書き進めている一つに、大事な書き添えをして、主題へ一段と近づいた。よしとしよう。
昨夜、途中で起きて機械に向かったりしたので、体も眼も疲労している。休んだがいいようだ。
* 十一月二十九日 金
* 起床8:20 血
圧137-69(64) 血糖値91
体重67.6kg
* 水道のトッパン印刷へ出向き、「選集」の為の初の打ち合わせをしてきた。デジタル パブリッシング サービスの安達昭俊氏も同席。「みごもりの湖」の
ルビ打ち原稿を預け、家に帰ってから、電子化原稿を仮入稿した。ひとまずのスタートともいえるが先途はまだ長い。しかし、本の中身の構想は成っているに近
く、姿・形ではつまり函のデザイン等の問題が残っているだけとも言える。要するにイージィにはしたくないというに尽きる。小松から、「秦
恒平選集」の題字が届くのを楽しみにしています。
美装本ということでは和歌山の三宅さんが「朱心書肆」の名で創って下さった『四度の瀧』が、ベテランのトッパン担当者の曰く、「完璧」の出来だった。そ
こまでは手が届くまいが、美装よりも「作品」として遺せる本にしておくのである。はかない「人の業」「紙碑」ではあるが、出だしも収めも私家版の作家とし
てきちんと全うできれば善い。何巻創れるのか、それはわたしの(妻もふくめての)寿命次第であり、有り難いことに建日子がよく頑張ってたすけても呉れるの
で、秦 恒平の贅沢を、最期に味わわせてもらう。
* 昨日、散髪しておいた。ぼうぼうの蓬髪が白さを増して凄んでいたのを、なんとか静めてきた。新刊の発送前に散髪したりトッパンまで「仕事」用で出かけ
たり出来たのは、発送用意の作業を早めに早めに進めてたからで、それに「選集」のための仕事も重なっていた。仕事を集中して早くというのはムリになって行
く、それよりも仕事の予定を長めに早めに立ててムダに休まないのがいい。
問題もある。
病気以前には、隅田川の橋を歩いて渡るなどと目論んだりし、一人でよく出かけては何かと食味を楽しんでいた、自然脚を運んで歩きもしていたが、去年から
今年へ、杖にすがってのヨロヨロで、外出を楽しむ外出が全然失せた。ペンクラブの懇親会などまったく気が無く、ただもう聖路加病院やかかりつけ医院の受診
と、歌舞伎座などの観劇・観能。ほかは、ゼロ。今日「仕事」の打ち合わせにトッパンまで出かけたのが、まったくの久しぶり。
これでは体を脚腰から鍛え直せない。
ひとつには、食欲は戻りつつあるのに、美味い感覚がしっかり戻っていない。辛い甘いの「度の過ぎた」のばかりを美味いと感じているようではいけない。ウイスキーやマオタイやウオツカがしみじみ美味いというのも、アルコールの高い強い度数に刺戟されているだけ。
* その代わり、本はよく読む。ただただ楽しく読む。新鮮な感銘を受けている。ただし眼は霞みに霞む。どの眼鏡もロクに役に立たない。
* 眼のまん前に春陽堂版の『鏡花全集』がある。上の棚に福田恆存全集・翻訳全集がある。森銑三著作集がある。戴いた井上靖短篇集や紀行集も揃っていて、和綴じの漢籍も三十種ほど。ドナルド・キーンさんに戴いた「日本文学の歴史」全巻も、それから各種各般の「大事典」も三十册ほど見渡せる。振り仰げば著名な寺院研究の三十巻も見える。たまたま其処に在るだけ、それだけでもそ
れぞれに独特の体温と刺戟とをいつも送りつけてくるのが、「いい本」たちの力、だが身の近くにはこれらで満杯、あとの何十倍は、書庫に仕舞い込まれてい
る。出来ることなら広い広い部屋で、愛してきた本に囲まれて暮らしたい。これで執着・無所有とは、とてもとてもわたしは落第生である。わたしは、どうしよ
うもなく救いがたい落第生である。
☆ 冬ですお元気ですか。
ご無沙汰しておりますが、如何お過ごしでしょうか?
私は少し仕事をやすみ、ひとつきヨーロッパに出かけ、また新しい気持が持てました。
どうかお元気で、お過ごしくださいませ。
お目にかかれる機会があることを願っております。 司
* 秋のアだけで冬になったかと、惘れ心地。
季節としての京の「冬」が好きであった。底冷えの盆地であったが、冴え返る寒気の魅力があった。小説のヒロインに名を与える仕事は創作者の喜びでも権利
でもまた義務でもあるが、『冬祭り』の「冬子」は、ひとしお忘れがたい。たんに季節のご挨拶であれ、「冬です、お元気ですか」とメールで呼びかけられる
と、ふと、ときめく。町子、慈子、紀子、直子、菊子、槇子、雪子、彬子、冬子、京子、頼子、敦子等々、みな典型的なむかしののままの「子」らばかり。簡明
で気品に富んで想えるのは、やはり「…子」だ。
それにしてもいくらかは羨ましいが、ヨーロッパに「ひとつき」とは。疲れるだろうなあ、大仕事だなと想うばかりで、機動性が五体から抜け落ちている。ほ
んとうにもう、どなたとも「お目にかかれる機会」など恵まれまいと思ってしまう。気が弱っているのか。逢いたい人は、いつでも、何人でもあるのだけれど。
* 十一月二十八日 木
* 起床8:20 血
圧138-66(58) 血糖値86
体重67.7kg
* 『みごもりの湖』のルビ打ち原稿と電子化原稿とが揃った。『秘色』『三輪山』のルビ打ちはまだだが、勢いで出来て行く。
明日、『選集』についての初の顔合わせを水道橋の凸版印刷で行う。なにもかも一度に決まるわけは有るまいし、もしかして話し合いの纏まらないつまり破談
にすることもあり得よう。それはそれで、わたしは拘泥しないし、また別途の考え方も出来るだろう。執着はしていない。なるように成って行けばよろしい。
* いわゆる「仏教学」なるものを捨ててかからねば、最古・最初の釈迦ゴータマ・ブッダのことば「スッタニパータ」を理解することはできないと中村元先生
は言われる。ブッダは、教条・ドグマに対する信仰は捨てよと明言している。最初期の仏教はいわゆる信仰なるものを説いていないのである。信ずべき教義を持
たなかった、信ずべき相手の人格ももたなかった。心が静かに澄むという意味の「信」を勧めていた。「奪い去られることなく、動揺することのない境地をこそ
了解するように。最初期の仏教のめざすことは、かかる確信をえよと勧めることだった、後世の仏教でいうならやはり禅の境地・境涯へ人間の生きを導いてい
た。地獄をたとえ執拗に描写してもそれは方便以上ではなかった。
* 「悪の力のもとは私たちの恐怖心である」とヒルテイは言っている。「恐れなくなれば、悪はたちまち力が弱くなってしまう」と。「神がしっかり支えてやろうとする人間を、悪は決して征服しえない」とも。(第二部二月一日)
こういう「擁護」の「神」という観念がもちにくいのだ。
☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』より
人に対してもはや愛が持てなくなったり、あるいはペシミストや人間軽蔑者になったことを弁解しようとする人たちは、いつもきまって、彼らが愛したためになめたにがい経験について語る。
かりに、彼らの言う通りであり、実際ほんとうにまじめに人を愛しようと試みたのだと、一応認めよう。でも、それ以来、彼らは人を憎むことによって、以前にましてよい経験をしたであろうか。
しかし彼らはたいてい、本当に愛しようと試みたわけではなかったか、それとも、彼らのいわゆる愛はやはりエゴイズムにすぎなかったかである。(第二部二月二日)
愛のとりわけありがたい点は、ただ愛し返されることだけでなく(これは、その愛がいくらか永続きし、また強いものなら、ほとんどつねに起こることだ
が)、それよりもむしろ、愛することで自分自身が即座に強められ、活気づけられることである。愛は、それがなければあまりにも冷やかなこの世にあたたか味
を添えるもので、それだけでもすでに一つの幸福である。さらに愛から生じる一切のよきものを度外視しても。愛はまさに魂のいのちであって、愛をすっかり捨
てさる者は、その魂をも失うことになる。これは永遠につぐないがたい損失である。
魂を失った人は生きつづけることができない、現世の生命ばかりか、未来の生命をも失ってしまう。(第二部二月三日)
善き思想は決して人間が自分ひとりで作ったものではない。ただ、その思想
が人間を通して流れて行くにすぎない。こうして善き思想が形を得て行為や言説や文章となったなら、その際われわれの手柄といえば、その思想に対して心を開
き、それに仕える用意を怠らなかったという点にあるだけである。
悪い思想についても、おそらくそうであろうか。
そうだとすれば、それに仕えようとする心構えにこそ、人間の罪があるのだ。(第二部二月四日)
* 愛について語る基督者の場合、精神的な愛、友愛的な愛に当然のように傾くか固定化されてくる。性愛は埒外に置かれてあるが、そんなことで今日二十一世紀の愛に生きている人たちは説得されるのだろうか。
善い思想、悪い思想という物言いに含まれる傾きや偏りが気にならないか。
いまレマルクの『汝の隣人を愛せ』に日夜感動の眼をそそいで愛読しているが、「愛」とはここに描かれてある種々相にこそ在る。むしろしいて「神」を介在
させるとややこしくぎごちなくなるのではないか、愛そのものが。むずかしい。レマルクを敬愛する。フランク・オコナーの短篇をもわたしは敬愛する。
* 十一月二十七日 水
* 起床8:20 血
圧145-68(62) 血糖値97
体重67.5kg
* 機械の調子もわるいが、わたしの調子もすこし歪んでいる。機械はまともに始動してくれないし、わたしは日付を間違える。日付などどうでもいいと思っているならそれはそれだが、日付は軽いモノではない。年月日を正確にしておくことは、ある種の義務である。
機械の方は負担増の度を越えているのではないか。子機へ移せるかぎりは移す工夫をした方が良いと分かっていて、なかなか手が回らない。
* オコナーの短篇「国賓」には愕然とした。イギリス軍が捕らえたアイルランド兵を四人処刑した。アイルランド側では報復のため捕らえていた二人の英兵を
処刑した。処刑命令の来る寸前まで双方の兵士等は年来の友のように談笑し遊び夢中で対等に平穏に付き合っていた。だが報復は命じられ、命じられたからは実
行しなければならない。そして二人の英兵は重殺される。日常のご挨拶でもかわすかのように。
かつて知らぬ小説だった。かつて知らぬ小説の書き方だった。淡々と。ちがうのである。息苦しく。それもちがうのである。朝日はのぼり夕陽はしずむ。そんな感じに書かれてあり、読み苦しくはすこしもない。それでいて実に重い。
* 映画好きのわたしが好きな映画として挙げるのは、昨日もふれたバグワンふうに謂えば「叛逆」する作が多い。利害感による反抗とはちがう、容認しがたい
悪や悪習への謂わば当然の「叛逆」をわたしは支持してきた。「マトリックス」がそうだ、人間が完全に機械に支配され、奴隷ないし飼料と化している虚偽世界
からの脱出と闘争、人間の回復世界へ。その手の映画はSFでもファンタジイでも、でもリアリズム映画でも幾らもある。
テレビ映画「阿部一族」など、強烈に記憶にある。息子秦建日子の芝居では「らん」「タクラマカン」が印象深く、映画「ブレーブハート」の刺戟もつよかった。
こういう精神がおしなべて昨今の日本人に衰弱仕切っている。教師達がダメな以上に学生達が颯爽の叛逆精神を投げ出している。
* 『スッタニパータ ブッダのことば』に触れて、もう少し書いておこう。
仏教は言うまでもなく幾変遷して今日に至っている。ブッダが実在していたのは西暦前五から四世紀前葉の頃であり、北方の伝説によって伝わるゴータマ・
ブッダ(釈尊)の逝去・涅槃は、西暦前三八三年。ブッダは明らかに明晰な悟りに入っていたが、信頼できるかぎりの彼の言葉からは、仏教という教義・教団を
意図した跡が無い。ただ彼を尊敬し思慕した弟子達がいて、彼らは、釈迦の生存中から、釈迦自身も加わっていたろう、たぶんに暗誦の便宜を目的としていただ
ろう、短い詩句・韻文でゴータマ・ブッダの言葉を記録していた。それらの詩句は、詩句なるが故におよそ変改を蒙ること無く、或いは極めて少なく、永く久し
く伝えられたのである。散文化されたモノには修訂の手が出やすく、そこから西暦後の「経蔵」化、「律蔵」化、「論蔵」化、即ち「三蔵」行為が結実していっ
た。
わたしが今読んでいる『スッタニパータ』は、そうした仏教幾変遷のなかで、ゴータマ・ブッダ釈尊が生存し教説していた最古・最初期の「ことば」で編まれ
ており、ことに第四「八つの詩句の章」第五「彼岸に至る道の章」は信じうるかぎりで仏の説いていた究極の始原を示していると「学問」の成果により確認され
ている。
わたしは今、その『第五』を詳細な中村元先生の註ももろとも、読み進んでいる。同時に、現存インドや東南アジアの小乗仏教については思い及ばないのだ
が、チベットや中国、朝鮮をへて日本にまでたどり着いた大乗仏教や禅のことを、ぼうやりとした知識を介してではあるが想いつづけている。
仏教に帰依したいとか、キリスト教よりいいとかどうとかいう気持ちは全然もっていない。どんな宗教であれわたしは少なくも教団に属した僕として生きたいと想ったことがない。ただただ聴くに足る深い言葉に聴いて、こころよく生きたい、それに尽きている。
* 原発爆発以来わたしの生活はいわば関連の情報・報道とともに在った。
いま、新聞が疎ましくニュース番組もうとましい。わたしは、確言したのだ、「迫る、国民の最大不幸!」と。それが日に日に日増しにヨり疎ましく確実に迫っていて、どう心楽しみ喜べるか。情けない。しかもわたしのからだはまだ殆ど活性を回復していない。
仕方がない。それでも、じっと向き合って行く。壁をにらんで九年待つたくましさが分からぬではないが、凡夫の私には出来ない。
* 中村元訳註『ブッダのことば スッタニパータ』を、本文、詳細な註、解説、悉く通読し終えた。このような本に出逢いたかった、久しい渇きのような願い
がひとまず満たされた。今後も座右を離れまい。ここへ執するのではない、ここへ戻り戻り、自身に向き合い自身を離れたい。
* 十一月二十六日 火
* 起床8:20 血
圧124-65(57) 血糖値84
体重67.2kg 夜中左肩上腕の強烈な凝り・痛みがもう連夜のならい。睡眠を妨げられる。辛うじてエアスプレーで宥めている。 もう一つ。ふっと気づ
くと胸を掌でおさえていることが増えている。痛みではない、かすかな圧というか、重みを感じる。夕べのウオツカは身に沁みて美味かった。ダブル三杯でヨロツキもしなかった。それからすると、まだまだ食べ物の美味に嘆声を漏らすまでは行かない。
* シェイクスピアの『ソネット集』 はじめのうちは取り付き難かったのに、興を覚え始めるにしたがい面白く読み進んで、読み終えた。わたしの読書史で
は、初見参の「ソネット集」だった。可能なら善い原本を得てシェイクスピアの言葉と表現とで読んでみたい。おなじ事はミルトンの『失楽園』にも思ってい
る。
* 佐藤眼科で貰ってきた『フランク・オコナー短篇集』巻頭の「ぼくのエディプス・コンプレックス」を引きずり込まれて面白く読んだ。次いで訳者阿部安倍
公彦さんの「解説」それも作品解説でなく、アイルランド略史がとても興味深かった。オフェイロンの論考『アイルランド』との相乗効果あり、わたしが、なぜ
このところ半ば以上は偶然ながら、スコットの『アイヴァンホー』や『湖の麗人』を読み、またオフェイロンやオコナーに手を出したかが、分かる気がしてき
た。
わたしはイングランドやノルマンに対立して、アイルランドやスコットランド、ないしケルトの、ヨーロッパにおける特異性に関心を覚えていたのだ。その一つの表れは、いろんな映画でのアイルランド人の描かれようを挙げてもいい。
例えば台は或いは憶え間違えているか知れないが「パトリオット」とか謂った、ハリソン・フォードが演じるアメリカの軍人夫妻が子連れでイギリスに旅して
いて、たまたまバッキンガム宮殿の真ん前でテロリストに襲われた英皇族を救うという出だしをもっていた。夫妻は「サー」「レディ」の称号をもらい栄誉に浴
するが、襲撃に失敗しことにハリソンに撃ち殺された弟をもつ一人は徹底的に上の夫妻と子供の家庭を襲い続けることになる。スリリングな話の展開で、むろん
夫妻家族の危険をおそれる映画作りの足場からすれば、復讐に命懸けのアイルランドテロリストは完全な「悪」になっている。そこにわたしは何度その映画を観
ても立ち止まっていた。なぜ彼らはという動機を知りたかった。アイルランド女王アンとイングランド女王エリザベスの死闘を識っている。そこには英国プロテ
スタント国教とアイルランドのカトリックとの死闘も絡んでいる。そして身をもがくようにしてアイルランドは有名な「イースター蜂起」を機に独立を得ていっ
たが、それでも両国に溶けないしこりは堅く硬く残っていた。
* オコナーの短篇はわたしを興奮させるだろう。オフェイロンのアイルランド検証はわたしをすでに引きこんでいる。
* なんとなく体調がよくない。疲労が重い。国会の無法な立法や、福島・東北での小児癌の表面化や、尖閣諸島辺での日中米の混雑や、猪瀬都知事の不明朗金づく事件など気を憂(ふさ)がせるタネばかり、しかも遁れようがない。人間どう生きるか、といった古くして新しい難題は無くなりはしないし、「いかなる所有もなく、執着して取ることのないこと。極めて怖ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのなか
にある人々、老衰と死とに圧倒されている人々の拠るに足る<州=避難所・よりどころ>は、それだ」とブッダに聴くとき、深く頷いている自分と、上の、「国
会の無法な立法や、福島・東北での小児癌の表面化や、尖閣諸島辺での日中米の混雑や、猪瀬都知事の不明朗金づく事件など」も忘れてしまえ、放棄せよ、「求
著(ぐちゃく)」するなで済ませられることなのか、わたしは、それに苦しむ。そんな問題に心を労し胸を痛め怒りに眉を焼かれるのは愚劣な執着、無意味な求
著なのか。
そうは行くまい、そうではあるまい、それではまともな生きようにはなるまい。そうわたしは思っている、そしてそれが重い重い重い。執着しないことと逃げてしまうこととが等価でなどあるわけがない。
レマルクの『汝の隣人を愛せ』を読んでいて、マリルという避難民のひとりが不幸な同様な仲間達に述懐する、こんな言葉を聴いた、「古代ギリシァ人の間で
は思想はその人間の名誉であった。後では、(思想は=)幸福となった。さらに後になると、病患となった。それが(ナチスに追いまくられてヨーロッパ中で立
つ瀬もないような=)今日では、罪悪となっている。文明の歴史は、文明を創造した人間の苦悩の物語だ」と。なんという悲惨。その悲惨の度は、吾が日本国に
於いて、今まさに地獄へまでも深まっている。悪法の権化としかいいようのない「特別秘密保護法」は違憲でかつ狂犬にも似た強権により強引に国会での成立が
強行されようとしている。
悪と闘うのは、「迫る、人間の最大不幸」を避けようと闘うのは、人間として棄ててしまわねばならない「執着」「求著」であるのか。
平和憲法という柱に抱きついていればこの最大不幸は避けられるのか、民主主義という柱にただ抱きついていれば人は奴隷にならずに済むのか、南無阿弥陀仏
に抱きついて死後の安寧をもとめ、天にましますわれらの神よと抱きついておれば神は人間を救われるのか。神と神とがすでにして争い戦い人間の思想をただの
苦難に貶めてしまっている。どうすればいいのか。
早く死に迎えられたいなどと毛筋ほども願いたくはないのに、それしか、もう望みがないかのように人間の堕落と最大不幸とは身に迫っている。
* あの優れたバグワンの基本の生き方は、ブッダを慕いイエスを愛し、老子に自身は最も親しいと告白し続けた彼の生き方の基本は、「叛逆」精神を堅持する
ことであった。これは決して決してテロリズムなどを謂う表明ではなく、人間のともすれば陥って免れ得ないで射る「長いモノに巻かれろ」「言うな、聴くな、
見るな」の逃げ腰の生きように対する「叛逆」精神であった。その徹底の中で、「いかなる所有もなく、執着して取ることのないこと。極めて怖ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのなか
にある人々、老衰と死とに圧倒されている人々の拠るに足る<州=避難所・よりどころ>は、それだ」とブッダとおなじ事をバグワンも言うのである。悪の権勢からの退散でも敗北でもない。あらゆる知恵を尽くして悪への「叛逆」精神を盛り立てるのである。
* 十一月二十五日 月
* 起床9:20 血
圧138-63(65) 血糖値90 体重67.7kg
*
猪瀬都知事の「借金」の不自然が当然ながら厳しく追及されている。出る杭が打たれているのでもあるが、不自然にウヤムヤにしたがる姿勢もみえみえで見苦し
い。オリンピックの時はすぐ前言を撤回してあやまった。今度は訴追の難が見えているので逃げまどっている。しかも借りたという金主が悪く、返したしたという時
点も最悪。要するに尻が抜けている。こういうドジへ自分から嵌ってゆくような過剰が彼には有る。惜しいことだ。
「作家なる者」の名誉のためにも二度と「作家」と名乗ってくれるなと、作家らしきコメンテーターがテレビで断言していた。厳しい三行半ではあるが、いわゆる作家の世間がそうまで清いものでないのを、苦々しくわたしは五十年の実見や瞥見でよく知っている。
わたしは彼猪瀬の才能
は文筆の畑、それも創作でなくジャーナリストとしての追究・追尋能力にあると思っている、創作者としてではない。才能ある畑で働けばいいのにと都知事選以前から願っていた気持ちは変
わらない。
しかしここで都知事を投げるわけには行くまい。
石原慎太郎という垢を落とし、安倍だの自民だのという汚れを洗ってしっかり距離を置いて離れ、素人政治家としての誠実を真っ当に真っ当な的へぶっつけ、期待の都知事へ仕切り直しして欲しい。
そのために必要なこと。
@ 今回の不当・不自然な借金沙汰を潔く政治家道義として都民・国民に謝罪し、選挙資金記載漏れの当然の罰を受けること。
A オリンピック成功のためにも、金権政治からの脱却のためにも、「即時脱・廃原発」「即時全廃炉」「即時東電改組」「即時発送電分離促進」「日本国憲法の忠実な遵守」を、国民の前に、世界の前に「誓言せよ」とわたしは願う。
* 『ブッダのことば』 読み終えかけている。
釈迦仏教が成立して行く時期の教え・ことばであり、少なくも二千五百年昔のことばである。
没後に、小乗と大
乗の分派が生じ、大乗の最も遠くまで波及し変成され洗練されてきたのが、ほかでもない日本の仏教、それも古代末から中世へ時世が遷って行く時期の、禅や法華や念仏等の教えと
いうことになる。
その中では、禅の教えや実践が、もっとも「ブッダのことば」に親近していて、天台真言の密教も、放念親鸞等の浄土教も、あきらかにブッダ涅槃後の宏遠な
展開の結果と観るよりない。ただし、だから後発の大乗信仰が何かから劣るとか無意味とか歪曲とか観るのは偏狭に過ぎよう、そこには「宗教」そのものの根から抱えた
目的意識が関与し機能して、多くの人々の願望や希望と真向かってきた。
それはそれ、として、しかも「ブッダのことば=スッタニパータ」のわたしの胸に響かせるものは、人間どう生きるか、に極まっている。信仰を進め求め功徳を
与え救済を与える体の宗教とは表情がちがう。「いかなる所有もなく、執着して取ることのないこと。極めて怖ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのなか
にある人々、老衰と死とに圧倒されている人々の拠るに足る<州=避難所・よりどころ>は、それだ」とブッダは学生の問に答えている。地獄とも極楽とも、言
わない。柱に抱きついて難を去れというに等しい信仰をも語らない。南無阿弥陀仏とも南無妙法蓮華経ともいわない。「求著すれば即ち転た遠く、求めざれば還
つて目前に在つて、霊音耳に属す」と臨済は言う。「幻化空花、把捉を労せず、得失是非、一時に放却」とも言うている。
* 夕刻、歯科へ。もう出かける三時半から夕暮れのようにくらく、五時半に先生に見送られて医院を出たとき、沼袋は真っ暗。バスで江古田に戻り、「ボル
ボ」のカウンターで、家では呑まぬ事にきめた洋酒を、今宵はウオツカを楽しんだ。強い酒だが、それは美味い。ダブルで、三杯。久々にロシアの酒を堪能し
た。妻はお付き合い。気持ちよく西武線で保谷に帰った。幸い降られもしなかった。おそい夕食のあと、酔いに手伝われてきもちよくうたた寝しばし。
* 外は、風。そして雨。寒くはない。
☆ 自邸に関して
秦先生 昨日ですが、内覧会を行いました。
建築関係者を呼ぶのが通例なのですが、現在住んでいる社宅の方々や今後ご近所さんになる方々も多く来られて、和気あいあいと過ごすことが出来ました。「建築」という世界だけでなく、いろいろなつながりを大事にしてきた結果かな、と思っています。
室内にはアーチストの鳴海暢平さんに絵を描いてもらいました。近隣の成蹊大学の森に多く育つどんぐりをモチーフに色鉛筆で描かれました。
大学院時代は、アートとのコラボレーション等は建築の純粋性を損なうと考えがちでしたが、会社に入って建築の実施をやってきた中で、アートの価値を再認識したという感じです。
秦先生とご一緒させていただいていた学部時代は、茶碗等の展覧会のチケットもいただいて、美術館に行ったりしていたので、またそこに戻ってきた、という感じもします。
純粋な建築的な文脈だけで語れる建築も大事ですし、建築に対する厳しさも大事ですが、やはり楽しさがないと。自分で語りえない部分をどう含みこんでいく
かを、ノーコントロールでなく含み込めたら、それが楽しさにつながっていくのではないか、と絵を描いてもらいながら考えました。
秦先生は家具が入って普通の生活が始まってからご招待したいと考えております。
心のご準備をお願いします。 楊
* 残年のほぼ尽きてきたわたしには、住まい新築という希望はとうに失せていて、結局わたしは、生涯六畳より広い間取りを持たぬ家で過ごすことになる。
育った京都の家では、京間の四畳半が家中で広い部屋だった。父の仕事場も、茶の間も、わたしの勉強部屋も、三畳だった。昭和二十年、丹波の田舎に戦時疎
開し、農家の隠居を借りたとき、初めて八畳間で暮らした。勿体ないほど広く感じた。叔母は京都の家の離れに住んでいたが、そこも四畳半と三畳だった。
東京へ出てきて妻と暮らした新居は、江戸間六畳が一室だけのアパート。社宅へ移っても、六畳と四畳半だった。
作家生活を始めたのは、家を建て、社宅から移り住んだ二階家の今の家だが、親子が四人の上に、京都から引き取る父母と叔母との用意を要したので、六畳間
以上の部屋はとうてい造れなかった。幸いに垣根ひとつを隔てた地つづきの隣家が買い取れたが、その家一軒がそのまま書庫、物置になっていて、そこでは暮ら
せていない。家が建ち、まだ老人三人が京都を動かなかった頃は、一日に十回ぐらい「おお広いな」「広いな」と嬉しがっていた。新居というのは、嬉しいもの
だ。茶人の叔母のための部屋には、半間の床の間をつけ炉も切ったが。とてもとても実際には七人の家族が一緒に住める広さでなかった。狭くて狭くて今も苦労
している。
思わずも妙な回顧に落ちた。
妻は千里山で三百坪もの広い家で育った。どうも生涯狭苦しい家に閉じこめてしまうようで、ときどき申し訳なく思っている。
ま、気持ちは、ごく豊かに暮らしているつもりだけれど。
* 機械の画面が眩しくなってきた。
新しい湖の本が出来てくるまでに、めったにないことに一週間ほど余裕が出来、狭い上に狭苦しくものに、つまりは概ね書籍に溢れているのを少し片づけて、
せめて東の住まいから西の物置きへ移動させたい。ただしこれがみな重い仕事になり、腰や脚を痛めることになる。ま、仕方がない。
十一月二十四日 日
* 起床9:20 血
圧133-74(58) 血糖値91 体重67.4kg
* 猪瀬直樹都知事が「選挙資金」としてとしか想い寄らない5000万円を、いま選挙違反で追及されている徳州会の徳田議員の手から議員会館で受けとって
いた事件。その言い訳の仕方など、多年ペンクラブで同僚理事や同僚委員を努めてきた者として、思わず苦笑されるほど彼らしい。権高に勇ましいが、理が崩れ
てくるとああいう誤魔化しめく言い訳になる。かりにも李下には冠を正しておくべきだったが、図に乗る。オリンピック問題で、競争国をあしざまに放言したあ
れも、つまりは図に乗るタチが出たのだった、あああ、やっておるよと苦笑いが出た。
選挙事務所開きに妻と覗きに出がけた日も、彼はいかにもわたしたちの来訪を嬉しそうに歓迎してくれた。そういう人なのである。だが、話が弾むと、自民党
の安倍や石破らとも親しくしてるんですよなどと大にこにこで口にする。わたしにすればそんな話柄は彼のためにはボロに過ぎないのに、勲章かのように口にし
てしまう。それにちっとも気づかないでいられる人物なのだ。徳田議員の方へ「個人的な借金」になどというのも噴飯ものだが、或いは安倍や石破らの助言を得
ていたのかも知れぬと想像すると、「猪瀬やなあ」とむしろ笑えてしまう。
野におけ蓮華草。もちまえの追及や探索上手で本を書いて読ませてくれるときは鮮やかなまで緻密な達筆なのに、つい図に乗ってくるとボロがこぼれ出す。惜しいことだ。
なによりも誠実みに欠けて見えるのは、オリンピック至上の姿勢で、地震や津波の自然災害はともかくとしても、放射能危害の列島蔓延に関連しての猪瀬姿勢
は無責任放置というに等しいこと。東電の大株主としても、もっと着実な原発問題への誠心誠意のはたらきがあって当然ではないか。あの小泉元総理のような史
上最悪とまでいわれていた政治家にして、原発問題ではみごとな改心・回心の誠実をみせてくれている。小泉並みの、それ以上の革新的な働きがあってこそ作家
猪瀬直樹の骨頂が見えるというもの。今のままでは、安倍とのお近づきを嬉しがっている権力至上主義似而非公僕と謂うに終わってしまう。しっかりしてや。
* 漢字を借りての日本文表示への古代ひとのただならぬ苦心を幸田露伴が語っていた。その最も古い時期の試みを昨日の「私語」に原文だけ掲げておいたが、今朝、露伴によるその読み下しを書き添えておいた。
☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』
第一部 三月八日
キリスト教会の歴史を綿密に、また公平に観察するとき、われわれ
は、この教団はその創始者の思想に完全に適合した正しい完成に達したことがまだ一度もないこと、そしてまた、真のキリスト教は現代にいたるまで、おそらく
ただ個々の人びと、しかもたいてい世に知られなかった人びとにおいてのみ十分な実を結んだ、と信じたい強い誘惑にしばしば駆られる。
なるほど現代のすべての教会組織や、さらにあらゆる社会的および国家的状況は、キリストのキリスト教からはかなり大きくへだたっているが、しかし、その
ような真のキリスト教をより立派に実現するための新しい企てがなされる方向に、われわれの時代が進んでいることだけは確かである。
* ほんとうに「確か」だといいのだが。
* 湖の本118発送K用意は進んでおり、『みごもりの湖』のルビ打ちも進んでいる。
あすは、夕刻、また歯医者に行く。月が変わると聖路加へ一日三科診察という一日掛かりの日がある。一日で済むとあとがらくになる。十二月の上旬は忙しくなるが、そのあとは、落ち着いて仕事に向かえるだろう。今は気を緩めること出来ない。
* 十一月二十三日 土
* 起床9:20 血
圧134-71(58) 血糖値98 体重68.2kg
☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』第一部 三月四日
完全に健康でなければ、立派な仕事はできない、だからなによりもまず、健康でなければならぬ、という見解を信じ込んではいけない。これは今日、多くの良い人びとの迷信となっている。 現代、肉体のことをあまりにも気にしすぎる。
病弱はすこしも善い事を行う妨げとはならない。これまで偉大な仕事をなしとげた多くが、むしろ病弱者であった。
それに、完全な健康をもっていると、必ずとはいわないが、精神的感受性の繊細を欠くようになることが実際少なくない。
あなたが健康に恵まれているなら、神に感謝しなさい。
しかし健康でなくても、そのことにできるだけ心を労せず、また妨げられないようにしなさい。
たんに「健康を守るためにのみ生きる」という考え方は、知性ある人にふさわしくないものだと思うがよい。
* 心底から賛同する。たしかに健康でいられることは「感謝」に値する。しかしたまたま健康でない者の、始終それを念頭に置きすぎること、それにより生きて在る大事な「時」を虚しくしてしまうことは、なるべくは避けたい。
* わたしは自分が癌に冒されないかと永くながく懼れていた。思い切って我から人間ドックにとびこんで、一発で胃癌と診断されたとき、ああ、とうとう…と
思った、だが、ふしぎなほどわたしは深刻には動じなかった。身は、医学に無心にゆだねてしまおう、そのかわり可能な限り「仕事」をつづけ「楽しみ」もつづ
けようと、すぐさまその姿勢を自身に律した。いろんな泣き言は言うだろうが、言うてよい、だが病気とは「立ち向かう」まで。立ち向かうとは、気力で生き続
けること。そう思い、そう二年近くをわたしは生きた。まだこの先、海とも山とも分からぬ道を辿っているが、その間に、湖の本は『千載和歌集と平安女文化』
上下二巻、山折哲雄さんとの対談『元気に老い、自然に死ぬ』、『センスdeポエム』、『ペンと政治』上中下三巻、『作・作品・批評 濯鱗清流』の八巻を出版し、この師走上旬のうちに118『歴史・人・日常 流雲吐月』
も送り出す。A5判各册200頁の九巻。それとて湖の本はわたしの「仕事」の一部であり、ホームページの運営も欠かさず、文藝連鎖としての「闇に言い置
く 私語の刻」も厖大量を欠かさず書き継いできた。むろん、創作も。そして体力を賭して歌舞伎を、余の演劇も楽しみつづけた。読書量は生涯での盛時に匹敵
していた。
病気はつらかった。手術後に更に二度入院した。抗癌剤の副作用は想像を絶してきつかった。眼も歯も、むちゃくちゃになった。だが、だからこそ「立ち向かえた」と今も思っている。これからも、と、思っている。
* 朝から晩までサプリメントや女性の化粧品の広告がテレビ画面を席捲している。「健康病」「美肌病」という病気が21世紀を蔽っている。「金銭病」も「貪食病」もある。「これは今日、多くの良い人びとの迷信となっている。 現代、肉体(=善く生きるという実を伴わない欲望)のことをあまりにも気にしすぎる」と、ヒルテイは百年以上も昔に警告していた。どう生きるか、生きたいかの問題・仕事は抛たれているのだ。
* 二言目にはキリスト教の「神」の話になるのはヒルテイにとってはじつに当然必然なので、わたしはとやかくは言わず、その辺は適宜に按配して読んでい
る。わたしは「神」のごときモノを無視も否認もしてはいない、それへの「信」を以て自身の生を預けてしまわないだけである。だからギシア神話も古事記の神
話も中国やインドの神話もそれなりに興味や関心をもって読んできたしもっと読みたい。ミルトンの『失楽園』を予期した以上に面白く耽読していささかも閉口
しないでいるのも、この偉大な詩人なりの「神と人間」とが感銘や納得を与えてくれるからである。
* まことわたしの命名した「健康病」の蔓延は苦々しい。サプリメントの氾濫だけではない、病気・病状・服薬情報のほしいままな氾濫に人は溺死しかけながら、日を追って正反対の示唆や情報を追いまくって狂犬のように輪をかいている。
そんな情報宣伝の担い手達に、芸能タレントが夥しく動員されている。
にわかに判定は下さないが、かつて芸能人の曰くにかくも軽薄に一般私民は踊らなかったものだ。いまや先生・指導者かのように芸能タレントが、クスリとつかず化粧品とつかず説法を垂れ流している。
芸能人には本職の藝を望んでいる。なるほど副業に励んでいる彼らはそれも藝の修業と心得ているか知れない、たしかに昔の大道芸や売り立て口上にはその気味があった。
しかし、今日、見ていると彼ら大多数のテレビに駆り出されてやっていることは、ただ大声で馬鹿笑いし、互いに馬鹿拍手して、七転八倒喚いているばかりに見える。五月蠅いだけである。
☆ お元気ですか、みづうみ。
ご無沙汰いたしておりますうちに、勤勉なみづうみからは次の湖の本が届きそうで楽しみにしています。
ここ数ヶ月の間、トーマス・マンの日記とともにナチス時代のユダヤ人の人生を描いた本を何冊か読んでいました。あの時代と今の空気の類似にぞっとしながらの読書でした。
ホロコーストから逃れたユダヤ人の中にはドイツ最高
の詩人のひとりパウル・ツェランやノーベル賞詩人のネリー・ザックスがいます。この殺戮の時代を生きのびた二人は、愛する人々を死なせて自分だけが生き
残ったという深刻な罪悪感から、生涯立ち直れませんでした。結局精神を重度に病んで狂って死んでいったことを初めて知り、衝撃を受けました。単純に虐殺さ
れた人数だけが歴史にカウントされていますが、その蔭におそらくこのような苦悶の人生と悲劇の死が無数にあったことを思い、戦慄をおぼえました。
『通訳者ダニエル・シュタイン』も、ゲシュタポで通訳をしながらホロコーストを逃れた実在のユダヤ人神父をモデルにしていて、大変感銘を受けた小説でした。この主人公も両親の犠牲の上に生きのびたのでした。
「人間の心理にはびっくりするほど不可解な側面があります。ユダヤの老人たちは、一生の間に数多くのポグロムや広場での集団銃殺を経験してきたのに、ユダヤ人絶滅作戦が計画的に組織されているということは信じようとしなかったのです。」
『通訳者ダニエル・シュタイン』の中のこの一節は、たとえば津波から逃げそびれた震災犠牲者
の心理にも共通するものがあるように思います。人間は本物の危機の渦中にあると身動きがとれなくなり、一縷の望みにすがるものかもしれません。作中で、ユ
ダヤ人はナチスが政権をとった時にすぐ逃げるべきであったと書いてありました。
いずれの本を読んでも一つ教えられることは、虐殺か
ら助かった人間は時期を逃さず避難した人間だということです。逃げなかった人間は全部死んでいます。逃げそびれた人間はもう唖然とするほど殺されまくって
います。アンネ・フランク一家が父親の判断の遅れで逃げそびれたと言われているように、避難の時期を逸してはだめなのです。
今まで過去の出来事としてどこか他人事として読んでいたファシズムの話ですが、やはり歴史は繰り返してしまいます。今この時、日本国民にとってファシズムの恐怖はすぐそこに在る事態であり、再び戦前、戦中の悪夢が始まろうとしています。
日本はこれから恐ろしいことになりましょう。暗黒の時代となってみづうみにこのようなメールを書くこともできなくなると危惧しています。
今ならまだ海外に逃れる道もありますが、今後は北朝鮮のように自由な出国が不可能になる恐れもありますでしょう。検討されている出国税などで事実上出ら
れなくなることもありましょう。ですから、出来るだけ早く若者、子どもだけでも逃がすべきと、このような読書からも教えられた気がしています。
しかしながら、世界に安心安全な場所などないのも事
実です。ただ、日本よりややましな場所があるだけです。これからの若者は、その時々で少しでもましな場所に移動して生き抜いていくための機動力と覚悟が必
要なのでしょう。世界のあり方が恐ろしい勢いで変化しています。資本主義の行き着く先が「命よりカネ」になりつつあるためではないかと考えています。
東京オリンピック開催が決定したことに沸き立つ報道
をみながら、真珠湾攻撃の勝利のときがまさにこのような感じであったろうと想像しました。真珠湾攻撃が勝目のない戦争をごまかす打ち上げ花火であったよう
に、オリンピック開催決定もまためくらましに思えます。フクシマの災厄隠蔽と経済破綻の先延ばしでしかないと感じています。日本もIOCも狂気としかいい
ようがありません。そのくらい国際原子力ムラというのは強大なのだと思い知らされました。オリンピックで経済が好転しないのはロンドンでも証明済みです
し、貧相な仮設住宅と豪華な選手村を考えただけでも、税金の使い方の本末転倒ではないかと思う自分と、祝賀一色の報道とのギャップに心が折れました。
さて、話題かわります。
広瀬隆さんが講演会でこのようにおっしゃったという記事もありました。
「食べて応援? 本当なら是非にと言いたいけど、それはやめてください。日本では死んだら荼毘にふされます。環境放射能汚染で子供や孫に迷惑かけちゃいかんのです。」
では今日はこのへんで。かわいい三獣士君たちによろしく。
木守 深秋といふことのあり人も亦 虚子
* ありがとう、メール。
* 馬場あき子さんから今日贈られてきた二十四冊目の歌集『あかゑあをゑ』は、馬場さんの新たな境涯をこころよく想わせる佳い歌で始まっている。
晩年のわれをみてゐるわれのゐてしづかに桃の枝しづくする
年改まりわれ改まらず川に来て海に引きゆくかもめみてゐる
夕ぐれの鵜の森に鵜は帰りきて川闇重くふくらみはじむ
鷺の木に鷺居り鵜の木に鵜の居りて春の川の辺なにかはじまる
負けて悔しいといふ唄久しくうたはねど三月は来ぬ雛を飾らん
いもうとが欲しかつたわれ年たけて雛あがなへり相向かひをり
桃咲けどわが雛の髪みだれなし葵上のやうなかなしみ
梅咲いてひひな斎ける七日ほどくらしひそけく隠れ家のごとし
* この三月に、フクシマの翳り汲み取りたい。
* 佐藤眼科の待合いから貰って帰った三册は、戦後文学椎名麟三の『深夜の酒宴・美しい女』 アイルランドの短篇の名手『フランク・オコナー短編集』 そしてサラ・ウォーターズの『半身』。
椎名のいわばデビュー作「深夜の酒宴」頭から数頁の行文に、「のだ」「のだった」という語尾が毎行ちかく百にも余ってさらに「のである」が混じる。こういう不自然にリキの入り過ぎたがさつな文章は、苦手。しかし椎名文学にじわっと湧き出るルオー画の魅力ににた存在感のあることは他の作で少し知っている。しかし「のだ」「のだ」「のだ」「のだ」はよくない、
* 『露伴随筆集』はいま、「日本文話」と題した講話ふうを読んでいる。日本文の誕生までをいましも聴いているが、固有の日本文字を未だもたず、義字であ
る漢字に接して、それだけで漢文ならぬ日本語の文章を開発していった古人の苦心惨憺をわたしもまた感謝と共に納得する。推古天皇の十五年に出来た薬師像の
光背に刻された漢字だけでの、それでも日本文。書き写してみる。
池辺大宮治天下天皇大御身労賜時歳次丙午年召於大王天皇与太子而誓願賜我大御病太平欲坐故将造寺薬師像作仕奉詔然当時崩賜造不堪者小治田大宮治天下大王天皇及東宮聖王大命受賜而歳次丁卯年仕奉
一見、これは純然の漢文ではない、が、日本字は一字として加わっていない。露伴はちゃんと読み下して呉れている
池辺(いけのべ)の大宮に天下(あめのした)しろしめす天皇(すめらみこと)(=用明天皇)の大御身(おおみみ)労(いたず)きたまふ時歳次(としのついで)は丙午(ひのえうま)の年(用明天皇元年)大王(おおぎみ)天皇と太子(ひつぎのみこ)(=推古天皇と聖徳太子)とを召して誓願したまはく、わが大御病(おおみやまい)平(たい)らぎなむとおもほしますが故に将(まさ)に寺と薬師の像とを造りて(仏に=)仕へ奉ることを作(な)さしめんと詔(の)りたまひき、然るに当時(ときさにあたりて)崩(かむあが)りたまひ(用明天皇はその二年四月崩御)て造るに堪へずありければ小治田(おはりだ)の大宮に天下(あめのした)しろしめす大王天皇(=推古天皇)および東宮聖王(あまつひつぎひじりのおおきみ=聖徳太子)大命(おおみことのり)を受けたまはりて歳次(としのついで)は丁卯(ひのとう)の年(=推古天皇十五年)仕へ奉りぬ
* もうわ
たしの眼は霞みきっている。すぐにも二十四時。「木守」さんのメールや馬場さんの歌集を戴いて、少なからず気が晴れていた。
* 十一月二十二日 金
* 起床8:30 血
圧132-72(54) 血糖値81 体重68.0kg
午前 地元の佐藤眼科へ。点眼薬が不足してきたので。眼鏡は、遠い用二つ、室内用二つ、機械用一つ、読書用一つの六つを持っていったが、六つともが微細
な差で出来ていて、新しく作ってみても役に立つまいと。そんな審判になるのだろうと行き渋っていた。両眼とも、とくに悪化の兆候は無いと。
* 往きは妻も一緒にバスで保谷駅へ、そしてタクシーで佐藤眼科まで。帰りは徒歩。お天気の良い裏道の農村めく家や林や杜や畑などを楽しみながら、途中石
挽き蕎麦の「一喜」で昼食。旨い蕎麦で、酒もよし。家までの徒歩に五千三百歩とはめったにない記録で、流石に腰が痛んだ。気分はよかった。知らない保谷村
が在るものだ。
それにしても開発か再開発か知らない、のどかな農村風景をぶち抜きに何十メートルもの道路が造られつつある。じつは自転車でそれを走れば佐藤眼科へは簡
単に行ける。だが、便利がいいとは思いかねる。保谷は比較的なーんにもない平和な田舎だが、必要とも思われぬ大道路の暴力的な開発で、何が何やら分からな
いほど地理まで混濁している。朝日子が帰ってきても、無事には育った家が見つかるまい。
* 有るだろう、いずれ出るだろうと心待ちに待っていたのが、『眠られぬ夜のために』を書いた敬虔な基督者ヒルテイによる、他宗教、ことに仏教への感想ないし批判の言葉。
☆ ヒルテイによる 『眠られぬ夜のために』 第二部 一月二十八日
あまり活動的でなく、思弁に溺れがちの、学識ある、ごく少数の人たちだけが、仏教の方がキリスト教よりもまさっていると考えている。それというのも、彼らがキリスト教を誤解しているからだ。
ところで、この仏教は、キリスト教よりもなお一層不運な道を辿ってきた。すなわち、キリスト教の福音が理屈っぽいギリシァの神学者によってゆがめられた以上に、仏教はラマ教によって、つまり僧侶の修法によってゆがめられてきた。
しかも仏教は、その最盛の復興期においてさえ、キリスト教の偉大さ、宏量さ、その実際的適用性には、いずれにしても遠く及ばなかった。仏教に帰依した諸民族の中から、最も条件にめぐまれた場合でさえ、ブルン・バガドのような遁世的隠者をわずかに育てあげたにすぎない。
仏教は、最高の発達をとげた時にも、単に一つの思弁であり、たいていは半ば夢みるような瞑想にすぎず、しかもそういう形式では、つねにごくわずかな人たちしか親しみえない宗教であった。
このような宗教へ、われわれはさらにすぐれた、さらに真実な宗教を持ちながら、あえて改宗すべき理由を全く見出しえない。ところが、現代の「教養ある」
階級の大多数の者は、あまりに怠惰なために、このよりすぐれた宗教を自分で綿密に究めようとしないか、あるいはただ新奇なもの、異常なものを追うせっかち
な衝動に捕えられているのである。しかもこの衝動は、結局のところ、虚栄心という根本悪から由来しているのである。
つまり、安価に手っ取りばやいやり方で他人にぬきんでること、なにか「自分だけに特別なもの」を身につけること、これこそが現代の教養が目新しい宗教などをもてあそぶ主要なげんいんなのである。
いまにこのような教養をもつ広い範囲の人たちは、破産した自然科学的な唯物論のあとを追う破目になるであろう。
(そしてヒルテイは仏教等への迷いからの覚醒のためという積もりらしく、マタイによる福音書二四の一一・一二・一四を熟読せよと示唆している。該当するその箇所を挙げておく。即ち、)
また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。(しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救
われる。)そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後がくるのである。
* 繰り返し丁寧にこのヒルテイの言説を読み返してみて、失礼ながら、頬笑んでしまう。ヒルテイにして、かかるわが田に水を引く弁を臆面無く披露する。た
ぶんこれが、かなり得意なキリスト教贔屓または荷担が有るだろうから、彼のこの書物での十二分敬意に値する言説のなかで、キリスト教に字義どおり拘泥して
「吾が仏尊し」をやってある箇所は、そのような偏頗のおそれ濃い口吻から身を避け避け、ただもう一般に言いうること、さすがに深い人間的洞察と読めるとこ
ろをだけ、敬意をこめて読んできた。
ヒルテイの明白な誤謬は、「宗教」というもののもつ高次の自然性、独自性を、ひとからげに無視して「基督教だけ」を独善視してやまない、(事、宗教なる
ものに関するかぎりでの)言説の幼稚さにある。仏教に対しても、よく探索し認識した上で批判し非難しているとはとても想えず、偏狭で幼稚な弁舌に酩酊のて
いに読み取れる。
人の、底知れぬ生や死への不安、その救済といった視点からすれば、多くの民族がその地方分布に応じ、独自の宗教的恩恵ないし指導がありうるし、事実いろ
いろに行われてきた。仏教もまた然り、深淵の別派とも関連しつつ、顕著に歴史的に独自性を構築し洗練してきた。そしてまた拡散した。ことにインド仏教に関
しては、はやくに衰微と辺地化を余儀なくされて小乗仏教として固まり、しかしながらチベットや中国やことに日本で独自に変貌し変容し洗練された大乗仏教の
本質や差異には極めて独自な宗教力があり、ヒルテイにはそれらが殆ど見えていないようである。
たとえば、禅。たとえば、念仏。
ヒルテイは小乗・大乗の認識すら曖昧なままに異端視に励み、只もう吾が神とキリスト尊しと差別に励んでくる、だか゜じつは、そこにこそキリスト教の冒してきた歴史的な傲慢と過誤と破綻とがあったのではないか。
わたしは、自分を仏教徒とも反基督者とも思っていない。そういうところに身を固定し、あたかも抱き柱に抱きつくような宗教を望んでいないのである。だか
ら自由に高邁に自律したバグワン・シュリ・ラジニーシに「聴く」のである。彼は偏頗な主張を柱にして抱きつかせたがるような迷妄を全く持っていない。
またブッダは、あくまでも人間であり人間としての安心立命を教えて、「神」をとほうもない上位概念にはしていない。
* ゆっくり読み返せば返すほど、上の一文に関してのみ謂うなら、物足りないだけでなく、ヒルテイは間違っていると言いきりたい。
* ツルゲーネフの『貴族の巣』には拍子抜けした。『猟人日記』とは雲泥の差、ラヴリェツキィもリーザもただの人形だった。
☆ 沙翁「ソネット集」より
137
盲目の愚か者、愛の神よ、私の眼に何をしたのだ。
この眼は見てはいるのに見ているものが解っていない。
美とは何か知っているし、どこにあるかも見ているのに、
最低のものをこよなく優れていると思いこむ。
恋のひが目に馴れて、堕落した眼が、
どの男たちでも乗り入れる港に錨をおろしたからとて、
なぜ、おまえは眼の過ちで釣針をつくり、
わが心の判断力をひっかけるのか。
広い世間の共有地だと、心は納得しているのに、
その心が、これは個人の私有地だなどとなぜ考えるのか。
また、私の眼はこれを見ながらこれではないと言い
こんな醜い顔に美しい真実を、なぜ、装わせるのか。
私の心も、眼も、まこと真実なるものを見あやまり、
いまはこの迷妄の苦しみに憑かれて生きているのだ。
138
わが恋人が、あたしは真実そのものと誓えば、
嘘をついているのが解っていても信じてやる。
それもみな、私が初心(うぶ)な男で、嘘で固めた
世間の手管など何も知らぬ、と思わせたいがため。
女は私の若いさかりが過ぎたのを知っているのに、
こちらは、女に若く見られていると空しく自惚れ、
愚かなふりして、彼女の嘘八百を信じてやる。
両方がこんなふうにむきつけの真実を押し隠す。
だが、何ゆえに、彼女はおのれの不実を白状しないのか。
また、何ゆえに、私はおのれの老いを認めないのか。
ああ、愛がつくる最良の習慣は信じあうふりをすることだ。
恋する老人は年齢をあばかれるのを好まない。
だから、私は彼女と寝て嘘をつき、彼女も私に嘘をつく。
二人は欠点を嘘でごまかしあい、慰めあう。
* シェイクスピアの恋愛ソネット、面白いではないか。原文が欲しくなっている。
* 佐藤眼科の玄関に、本や文庫本が並べられて、「ご自由にお持ち帰り下さい」とあった。椎名麟三の文庫本など三冊を先生に断って頂戴してきた。その一冊はアイルランドのオコナーの小説。アイルランドに心惹かれている。優れた作品に出逢いたい。
* 今日も遅滞なく「仕事」が出来た。五千歩を歩いても来た。
* 黒いマゴの輸液を続けている。腎機能は低下していて、輸液の継続は必要と、今日も獣医に言われてきた。むかしのネコやノコの最期は相当に衰弱しきって
可哀想だった。黒いマゴには、あたう限り手厚く看護してやり、一日も永く共に生きてやりたい。前のネコ、ノコに比べればまだまだ健康な眼ぢからと毛艶を
もっている。運動機能は弱っていても、戸外での時間をせいぜい妻の庭仕事とも馴染んで楽しんでいるようだし、留守番を頼むと黙ってわたしの仕事部屋へ上
がってソファで寝てわれわれの帰宅を待ってくれる。
十一月二十一日 木
* 起床8:20 血
圧139-75(55) 血糖値81 体重67.9kg
* 新宿紀伊国屋ホールで俳優座の「気骨の判決」を観てきた。実話を構成したドラマである。
昭和十七年、いわゆる「翼賛選挙」での国を挙げての不正選挙にかかわり、不正を訴えた鹿児島県の原告申し出を、三年もかけ綿密に調べ尽くした上で、時の
大審院第三民事部は、さきの選挙は「違憲」であり「選挙無効」であるとの「判決」をくだしたのである。第三部部長判事であった吉田久の、まさしく「気骨」
の判決、法の立場からすれば、「当然な」判決であった。
だが、世は、あの東条英機総理や軍の独裁的暴政の時機であった。いかに至難かつ身に危険な判決であったかは、平成の今日とはまるで環境がちがう。遁れがたくも「非国民」としての信じがたい「判決」であった。
慎重に慎重に、そして遂に吉田らがその判決を下したのは、昭和二十年、あの米空軍による絨毯爆撃に東京市の全域が壊滅した直後だった。
いかに大本営が必勝を叫び、破廉恥な偽の勝利情報に自ら酔いまた国民を誑かそうとしても、すでに日米彼我の戦力差は歴然としていた。
こんなこともあった、東京大空襲の少し前には、こんどのわたしの『歴史・人・日常』にも書いているが、あの戦中に日本の海軍は、日米海戦での「大勝利」
という「真っ赤な偽」報告により、天皇をも欺き、陸軍には対抗的な功名心を煽りたてていた。だが事実は、米海軍の被害はごく軽微、日本海軍の惨敗は目を覆
わせるほどだった。しかも米海軍の敗亡という偽の事実を信頼した日本の陸軍は、軽率かつ果敢にフィリピンでの日米決戦に踏み切ってた。結果は、殲滅という
に近い惨憺たる敗け戦だった。それらの経緯は今日では詳細に知られている。だが、当時の大本営は日本の勝勢を過大に報じつづけ、国民は信じて日本の必勝を
信じていた。信じさせられていた。
だが昭和二十年の東京大空襲は、果然、戦況の著しい劣勢を無残に国民の眼の前に曝した。例の違憲選挙の不正裁判に話を戻せば、それまでは吉田部長判事の
「選挙無効」判決に当然のように抵抗し続けた民事部の他判事たちも、事ここにいたって軍と内閣の虚勢を見抜き、「大政翼賛という非政・悪政」への警鐘とし
ても、「選挙を無効」とする判決にきっちり一致したのだった。ヒロシマ、ナガサキの原爆が、もう目の前に迫っていた。
* さて、竹内一郎作・川口啓史演出・俳優座公演の「気骨の判決」とは、そういう「裁判」物語を通しての、まず間違いないであろう今日の「違憲選挙」等を非難する「アピール」劇であった。
* だが残念ながら、舞台は低調、ただただ裁判経緯の「説明」にのみ推移して、そこに「演劇」のもつ本質の「劇」性が、「劇」表現の魅力が全然欠けていた。
上にも謂うように、物語・事件じたいは「甚だ簡明」で、入場時にもらった筋書きや、前もって家にも送られていた「コメデアン」紙にも目を通していれば簡
明しごくに分かりよくて、「分かりにくい事情」など、ちっともない。それでいて舞台は、こまぎれに繋いだいろんな小場面の只の連続で、まるで「紙芝居の絵
解き」よろしく、ひたすら裁判沙汰を「説明」し続けるだけであった。俳優が、みな、絵解き人形のように使われてしまい、科白も、「ことがらの説明」のため
にだけ味わい薄く耳に届いた。「劇」言語のもたらすべき感銘も興奮も、ゼロ。「劇」という文字の迫力、「ドラマ」に呑まれて行くいい意味の凄みなど、何も
無かった。熱烈な共感の拍手は湧き起こらなかった。カーテンコールも全然無かった。
吉田久を演じた加藤佳男は、はっきり言う、好演していた。だが、岩崎加根子や可知靖之らの手に汗する芝居を楽しみに期待していた身には拍子抜け、ただもう「科白付きの絵解き人形」をただ強いられていた俳優たちが気の毒だった。
台本が、出来ていない。演出に悪戦苦闘の汗のにおいもなかった。お話をただ分かりよく聞かせてもらっただけ。
* 「吉田久」その人の「気骨の判決」には胸も熱く感動するし、いまの司法、いまの大審院ならぬ最高裁判事にも、心して見ならって欲しいと願うが、只それだけでは、お話の筋が、おかげでよくよく分かりましたと感謝するにとどまる。「演
劇」を楽しみに劇場へ出向いた甲斐が無い。劇的感動は、まるで得られずじまい、舞台劇の余韻など滴ほどものこらず、ホールから出てしまう前に、もう舞台の
ことは頭から失せていた。吉田久という実在した裁判官達への深い敬意だけを持ち帰ったが、その敬意なら、「気骨の判決」に招待しますと俳優座から通知され
たときに「十分」胸に湧いていた。俳優座劇団の舞台が、それにどれほどの「劇的感動」を積み上げてくれたかどうか、それが「演劇」であることの問題なの
だ。
盛り上がりの丸でない舞台だった、残念至極。一番の咎は、演劇としての題の付け方。いまどき、「気骨の判決」では、モノを観なくても大方分かって仕舞うではないか。よほど破天荒な「劇」を編み出さないかぎり、これは俳優座制作部の気の利かない責任とも言える。
* 伊勢丹で、妻に似合う帽子を見つけ、七階の「魯山」で寿司を食って帰ってきた。
* キッチンで仕事・作業をしながら、沢口靖子の「科捜研の女」 米倉涼子、内田有紀の「ドクターX」を楽しみ、さらに、韓国ドラマの名医もの「ホジュ
ン」も楽しんだ。いずれも緊迫した面白いいいドラマであった。紀伊国屋まで出かけていった甲斐がなかったなあと、また思わせられた。
* 十一月二十日 水
* 起床8:20 血
圧144-66(57) 血糖値87 体重68.2kg
*
湖の本118
責了紙を送り出した。月替わりの五日頃に出来てくる。今度の「歴史・人・日常』は、前回の文学ものに並んで、いやあれ以上に興味をもって喜ばれそうな気
がする。そして史実や時代や人らへの理解や意見の相違から愉快な議論もたくさん生じるだろう。
* 最高裁が総選挙を違憲状態と裁定した。無効としなかったのは、さまざまな行政上の混乱を見越したからであり、なんら違憲状態が容認されたのではない。
そのような状態をさらに適確に是正しようという誠意を国会も内閣も持たない。「違憲」国会であり安倍「違憲」内閣であることは歴然として事実である。追及
の手を緩めてはならない。
☆ レマルク『汝の隣人を愛せ』より
ブローゼはベッドの柱に頭をよりかけた。彼は、自分の上役が製図室へはいってきて、長い間時局のことや彼の才能のことを話したあげく、ただ彼がユダヤ
人の妻をもっているというだけで、解雇の通知を出さなくてはならないことほ、まことに残念なことだと言った。あのときのことを、いまでも覚えていた。彼ほ
帽子をとって、立ち去ったのだった。それから八日たって、彼は自分の住んでいる家の門番で、同時に地区の党監視人であり、スパイである男を殴って、鼻血を
出さした。その男がブローゼの妻を小汚ないユダヤ人と呼んだからである。幸いに、彼の弁護士は門番が酒に酔っぱらって、政府を誹謗したことを証明すること
ができた。すると、門番の姿は消えてなくなった。だが、彼の妻はもはや安心して街へ出ることができなかった。彼女は党のユニフォームを着た中学校の生徒に
突き当られるのが厭だった。ブローゼはほかの職を見つけることができなかった。そういうわけで、彼らはパリへ去ったのだった。その途中で、妻は病気になっ
てしまった。
窓の彼方の林檎のように青い空の色が褪せた。霧がかかって、暗くなった。「苦しかったね、ルーシー?」
「たいしたことはないわ。ただとても疲れてるの。ずっと中の方が」
ブローゼは彼女の髪を撫でた。髪は、デュボネのネオンサインの光をうけて、銅色に光った。「じきまた起きられるようになるよ」
女は彼の手の下で、ゆっくり首を動かした。「いったい何でしょうね、オットー? わたしこんなこといままで一どもなかったのに、もう何カ月もつづいてるのよ」
「何かちょっとしたことさ。心配することじゃないよ。女のひとは、よくこんなことがあるんだ よ」
「わたし、二どと快くなるとは思わないわ」と、彼の妻はとつぜん絶望して言った。
「君ゃじき快くなるんだよ。ただ勇気を失くしないようにしていさえすりゃいいんだよ」
外では、家々の屋根に夜が這いひろがっていた。ブローゼはまだ頭をベッドの柱にもたせかけたまま、静かに腰かけていた。昼の間はげっそりして、おずおずしていたその顔は、いまは最後の淡い光の中で、澄みきって、和やかになっていた。
「僕は君を愛してるよ、ルーシー」 ブロ−ゼは自分の姿勢をかえないで、やさしく言った.
「病気の女など、だれも愛することはできないわ」
「病気の女は二重に愛されるものだよ。女でもあれば、子供でもあるんだからね」
「そのことなのよ!」 女の声は引きつって、小さくなった。「わたしはそれでさえないのよ。あなたの妻でさえないの。あなたには、ご自分の奥さんさえないのよ。わたしはただ重荷だけなの、それだけよ」
「僕には君の髪があるよ。君の可愛い髪がね」 彼は屈みこんで、彼女の髪に接吻した。「僕には君の目があるよ」 彼は彼女の目に接吻した。「君の手がある」 彼は彼女の手に接吻した。「僕には君がある。君の愛がある。それとも、君はもう僕を愛していはしないのかね?」
彼の顔は彼女の顔のすぐ真上にあった。「君はもう僕を愛してはいないのかね?」
「オットーー 」 彼女は弱々しくささやいて、彼女の胸と彼との間に手を押しこんだ。
「君はもう僕を愛してはくれないのかねー」と、彼はやさしくたずねた。「言ってごらん。生活費もかせぐことのできないような値打ちのない男を、君はもう
愛さないかもしれない。僕には、それはよくわかるよ。一どだけ言ってごらん。たったひとりの.可愛いひと!」彼は脅かすように、やつれた顔にむかって言っ
た。
とつぜん、彼女の目は幸福な涙にあふれ、彼女の声はやさしく、若々しくなった。「あなたはほんとにまだわたしを愛していてくださるの?」と、彼女は微笑をうかべてたずねた。その微笑に、彼の胸は引き裂けそうだった。
「僕は毎晩それをくりかえさなくちゃならんのかね? 僕はね、君が寝ているベッドに嫉妬するほど、君を愛しているんだよ。君は僕の中に寝ていなくちゃいけないんだよ、僕の心臓の中に、僕の血の中に!」
彼は彼女に見えるように、にっこり微笑み、もう一ど彼女の上に屈みこんだ。彼は彼女を愛していた。彼女は彼のもっている一切であった ー だが、それで
も彼女に接吻するのが妙に気のすすまぬことがよくあった。彼はそういう自分を憎んだ。彼女の患いの原因は、ちゃんとわかっていた。ただ彼の健康な肉体が彼
よりも強かったのだ。だが、いまアペリティフのネオンサインのやさしい、温かい反射をうけて、この夕暮は、何年か昔の ー 病気の暗黒な力を越えた彼方の
− 夕暮のようだった。 一 向いの屋根のあの赤い光のように、心を慰める温かい反射。
「ルーシー」 彼はささやいた。
彼女は濡れた唇を彼の口に押しあてた.こうして彼女はしばしの間、責め苛まれた自分の肉体のことも打ち忘れて、静かによこたわっていた。
* この、故国を追われ生活の道を奪い尽くされた避難民夫婦、目前の今日明日も生き延びられそうにな
い、だが深く愛し合う夫婦。ナチスは、強権の狂犬と化した政権は、無数にこういう哀しい夫婦をヨーロッパ中に生産していたのだ、かつて。そして今からの日
本は決してこうはならないと、信じられるか。過去の治安維持法というに同じい特定秘密保護法が、曖昧模糊とした法のウソを満載のママ明日にも成立仕様とし
ている。
*
「ダンダリン」で、労働基準法という、共産党も社民党も民主党も生活の党もみーんなが忘れ果てているような法律の名を、守れと叫ばれていた。ただそれだ
けでも今日希有の叫び声であった。思い出せと言いたい。もう一度労働三法をしかと手中に握り直して政治や行政や企業の故意も甚だしい諸悪に立ち向かえと言
いたい。働く人が、われからそれらを抛ち投げ出して泣き言ばかり言うていてどうなるのか。結束しなければ、とてもとても太刀打ちならぬ兵法を敵は悪辣なほ
どに手に入れている。それに負けていては話にならない。吉田社民党新党首、気を引き締めてかかれ。憲法には選挙権がない。投票し、代議士を増やしてくれる
のは、人、でしかあり得ない、それを忘れ果てていたのが社民党壊滅の自己責任であった。忘れるな。
* 十一月十九日 火
* 起床8:20 血
圧140-70(58) 血糖値75 体重68.6kg
* 毎朝八時過ぎに起きているのは、週日八時半から韓国の大河歴史劇「イ.サン」がはじまり土曜にはおなじく「トンイ」が始まるからで。「イ.サン」は
朝鮮王朝の英君といわれた人、その祖父もまた立派な王であり、じつは波瀾を経て慧明の王妃となった「トンイ」の皇子であった。この縦軸が見えているので長
大な歴史劇の芯の筋が分かりよい。彼の國の本にも文献にもはなはだ通じないわたしたちにはなかなかの読み物であり絵本なのである。この二つの絵巻を通じて
われわれもかなり韓国歴史劇の俳優や女優達をおぼえてきた。現代ものにはまったく手を出さないが、ほかにもけっこう幾つもの歴史劇を見ている。いまも「馬
医」「ホジュン」のような医師ものの連続劇もことに妻は熱心に見ている。放送大学のあまり上手でない講義で聴くよりはるかに面白く具象的に勉強できる。
それにしても、中国と比べても、ほんとに何にも知らぬまま過ごしてきた朝鮮半島なんだと我ながら恥ずかしく惘れている。
* レマルクの『汝の隣人を愛せ』で、うれしくなるような、やはり悲痛の味のするエピソードを読んだ。賢いつよい大人の避難民シュタイナーが、たまたま友
人が手に入れてきた「国家社会主義党 ナチョナル ゾーチャリスティッシェス パールタイ」の徽章を上着の左の襟の下につけ、避難民いじめの男を訪問し、
「徽章」の威力でみっちり油を絞っていた。
徽章などわれわれ私民には疎遠なものだが、それでも勤務の頃は社章を、高校や大学でも校章をつけていた。弁護士も代議士もいかめしげに徽章をつけてい
る。しかし、それらとてわるものを震え上がらせる威力はもっていまい。しかしいつかは上のような「党員徽章」がわるさをしたい放題する時機が来そうでイヤ
だ。人間の誠実や実力が、たかが徽章ひとつで圧しつぶされてしまうそんな時代の到来を決然阻まねばならぬ。
* 外出の必要がないと、心ゆくまで仕事ができる。それでいて、旅がしたい、温泉へ行きたいなどと夢を見る。何年も前に熱海まで行って、どの宿でも温泉に
入れてくれず、広い広い薔薇園を見たり、海を見たり、そして駅近くの魚屋で、イキのいい大きな伊勢海老や鯛の刺身などたっぷり食べてトンボ返しに帰ってき
たことがある。熱海という町にはプンプンしながら、肴の美味かった思い出は只ただ懐かしい。
四度の瀧の温泉に行きたいが、袋田といい水戸といい仙台松島といい、どうも地震が怖くて脚が向かない。じりじりと地震に逼られている。
* 竹田の『山中人饒舌』で、池大雅、与謝蕪村の「評価」など、心うれしく大きく頷き頷き読んだ。竹田は、大雅を「正」と、蕪村を「譎」としているのを蕪
村に酷という思いを永くもってきたが、訳解の竹谷長二郎氏の理解では、決して上下ないし正否の意ではなく、大雅の真正直な筆意の働きに比し、蕪村のいわば
俳味を帯びた趣向の筆意を謂うていると。それが正しい田能村竹田の理解とわたしも思う。中野三敏九大名誉教授や河野元昭東大名誉教授の、「『山中人饒舌』
を抜きにして、江戸絵画を語ることはできない!」という推讃は謂えている。佳い本である、本物の本とはこれであろう。
* 松原陽一さんの『千載集前後』は、「伝義家作『勿来関路落花詠」がかくべつ興深く、引き続いて今は「福原遷都述懐歌考」を、さらに一段と身近に感じな
がら熟読している。福原遷都はさきの大河ドラマ「平清盛」でもハイライトの一つだったし、書きかかりの私の小説にも縁が深くなる。研究者の追跡には、わた
したちのそれと異なり、同時代、異次元でのたくさんな文献が絡んでいる。わたしたちの所懐にはそういう高次・多彩な原資料からの探索は入れようにも手も届
かないのが常であり、想像力を用いることになる。研究者はこの想像力にあからさま頼むことを原則禁じられている。「学恩」ということをわたしは心よりいつ
も感謝している文士の一人、だから学恩にあずかれそうな研究書の面白さには、にじり寄らずにおれない。そして、研究者とは異なる道筋から詮議し創作して行
く。わたしの作家生涯の中で、幾つか忘れがたい喜びがあるなかで、たとえば後撰和歌集の閨秀「大輔」の身元を小説家として追いに追いつめて書いたとき、京
都から角田文衛先生がわざわざ電話を下さって、よく追いかけましたねと褒めてきてくださったこと。小説家の想像に必ずしも甘い方でなかっただけに、嬉し
かったのを昨日のように覚えている。
そういえば、いまふっと別ごとを思いだした。さきにお名前を出した中野三敏さん。古典鼎談のあとで、「とっておきの」と持参の品を披露されたのが、それは精微な春画巻だったこと。そんなこともあったなあ。
* さ、今日はよく頑張った。もう眼はウロウロしてしまっている。やすみましょう。ではでは。
* 十一月十八日 月
* 起床8:20 血
圧146-73(62) 血糖値79 体重69.0kg 体重増要注意 眼がぎらぎらギトギトして眼鏡がどれも役に立たない。
☆ 前略
「小柴錦侍と宮代四之介」 (『島崎藤村研究』41号)と一緒にと思っていましたが、パソコンなどの不調から遅くなりました。いつものようなご挨拶代わりです。
今回は余計な事は考えず、目にした資料に沿って、それだけを紹介しようと心がけました。それがそれほど資料のない若者への礼儀であろうとも思いました。とは言え、若くして亡くなつた人を思えば、気になることも多くありました。
そのためもあつて、何度か 「宮代」という青年の影を求めて、学籍簿にあつた横浜日ノ出町周辺をさまよいました。今の日ノ出町はもちろん、回想で古老た
ちが語ったような明治・大正の町とも違いますし、そこに何かを期待したわけでもないのですが、それでも、そこに暮らしていた人々を思い浮かべるだけで、充
分に幸福な時間でした。
今度の文では宮代青年のほんのわずかな事を知っただけなのでしょう。今でもまだ、青年がどこで生を終えたかという事すら分かつていません。
藤村が書く文との微妙な差異をどう考えたらよいかと思う事もあるのです。
旧教の教えを求めて巴里に来た青年の志も、表向きの事かもしれませんが『暁星』では、「大学課程の研学をせられんと」となつています。「羅馬旧教に身を
委ねようとして白耳義の修道院の方へ」という藤村の文も、宮代の文に従えば「私の健康は長く巴里に止まる事を許しませんでした」と、暑い巴里の夏を避けて
ベルギーの田舎へと、巴里の僧様が気を配ってくれるのです。
そのほかにも、藤村の文で宮代青年は、帰国を促す母の事を何度も語りますが、父の事はありません。青年の父政之介は、暁星の学籍簿には「養父」とありま
すが、この養父と宮代はどのように向き合っていたのだろうかとか、(学籍簿では「宮代政之介」の「政之介」の名が二本の線で消されているのは何故なのかと
か)、子を暁星に学ばせたのは、横浜で商いに従事する人としては、目先の事業のための外国語修得にあつたのではないかとか、そういうお宅だつたら息子を上
級学校に進ませるよりはすぐ実務に就かせていたのではないかとか、(卒業後四年間の空白はそういう事ではなかったのかとか)、あるいは、船の中でも病み、
パリでも健康が勝れず、再三病に悩むのは、宮代は長い病いをもっていたのではないかとか、いずれも想像だけの事で書く事ではありませんが、それでもひたす
ら内を見つめるような宮代の長い文は、暁星の他の青年とちがつて、何かこの人の孤立というか、孤独な翳が気になるのでした。
ベルギーのコルチイルという村も調べれば分かるのかもしれません。
古い戸籍を尋ねて区役所も訪ねましたが、当然の事、今日では見知らぬ他人への情報開示は断わられました。親切に教えてくれた人が、震災や空襲で古い戸籍
も曖昧な事もあつて、むしろお寺さんの過去帳などのほうがよくわかるのではないかという事でしたが、最期の地もお寺も知らず、お寺探しなども霧中をさ迷う
かのようです。
明治・大正の横浜の人名簿などから「宮代」という名や、「宮代政之介」の名を、あるいは縁のありそうな方を探しましたが、これも思うような結果を得る事
なく終わりました。詮索ばかりしているようですが、私はただ、許されるなら青年の墓前に立ってみたいと思うだけなのです。
等々、また長々と書いてしまいました。
最初の日付は十一月五日でしたが、それから一週間も経ちました。五日の頃は、やっと暑さも去り、家の周りでは柿も色づき、桜の紅葉も染まり始め、外を歩
くと道路の脇は落ち葉で埋まるようになつた。つい先日は夏でしたのに。……などと書いていましたが、今はもう完全な冬になりました。寒さばかりでなく、心
落ち着かぬ事の多い毎日ですが、どうぞお大切にと念じています。
十一月十三日 宮下 嚢
=ふと道端で
蟷螂が蟷螂のまま轢かれ居り
* 「藤村研究」所収の論考はこのまえにもらっていた、その追伸。人が人を慕うようにして調べることの難しさ、また誘引力が察せられて。こういう境涯に身
を置く人のゆかしさも覚える。大雑把に言い立てれば堪らないような今日の世情であるが、深層ではこういう静かに心ゆかしい営みもある、それが人の世。
☆ 秋はどこへと思うほどの冷え込みで
山口盆地でも十四日の朝 最低気温四・四度となりました。
先生、お具合如何でございますかお見舞い申し上げます お食事がおいしく召し上がれるようにおなりですとか 本当によろしゅうびざいました。 でも視力に少しご不自由がおありですとか、ご案じ申し上げております。
過日は「湖の本117」 まことに有難うございました。大好きな文藝批評で、本の読み方を学び、又、読み返したい本もございます。 大切に拝読させて頂いております。
私は 今年の猛暑、残暑の厳しさ等で、少し体調をくずしました。先日、漸く毎年一回のがん手術後の検査を済ませました。今、五年半が過ぎました、結果は
すべて異状なし、全治ということで一安心しているところでございます。手術一年後に始めたハイクの勉強も四年半経ち、毎月の三句提出ですこしはよい評価の
句ができる様になりました。「センスdeポエム」の当時、俳句の勉強をしていたらと今さらながら赤面しております。
庭の手入れ、旅行、読書、コンサートや美術鑑賞等気儘に暮しております。パフィオペデラムが一鉢に四本のつぼみを伸ばしております。蘭の世話も疲れ、い
つのまにか鉢の数も少なくなって参りました。 山茶花が八重、ピンク、白と何種類かが次々と咲き続き散った花びらはそのまゝにして眺めています。
今年の寒さはいかがなりましょうか。
先生、奥様 お揃いでお体大切にお元気でお過ごし下さいます様お祈り申し上げます。
先生、山口の蒲鉾お送り致します。 お気に召して頂ければよろしいのですが どうぞご笑納下さいませ。
一筆 御礼申し上げます。 かしこ 山口市 艶
☆ 秦先生
私の本 お読み下さったとのこと大変うれしく存じます。
いま 歌集「少年」読ませていただいています。
私に大変むづかしい本ですが この冬にかけて湖の本を読みたいと思っています。
私には他に送るものがありませんので 私の作っているセロリーを近々送ります。 十三日 安曇野市 秀
* 妻が声をあげて驚嘆し讃嘆したほどの瑞々しいそして巨きな大きな美味しそうなセロリ二株を今日戴いた。わたしと歳も変わらない方が手づから栽培し養育されている特級のセロリー。恐れ入りました。有り難く戴きます。
* 丈、一メートルもありそうな瑞々しいセロリ一株を妻が抱きかかえて、歯の女者さんに持参。喜んでもらった。
帰りに、江古田の蕎麦「甲子」でゆったりと食事。この店は、ちょっと吹聴したくないほど落ち着いた佳い店で、蕎麦もうまいが、いろんな酒肴ができる。そ
れらの器がよく選ばれている。酒の「甲子」が美味い。店内の繪も書も花も花生けも佳い。指折り数えれば、もう二十年ちかく前から時折立ち寄る。東工大での
講義の帰りにわざわざ下車して立ち寄っていたこともある。
* 「みごもりの湖」のルビふり、なかなか難儀、みるみる眼、視力が、乾上がってしまう。それでもやるべきは、やらねば。「湖の本118」の責了作業も発送用意も渋滞無く進めている。
* 京は祇園の何必館・京都現代美術館から、没後45年の「山口薫展」の招待が来ている。好きな画家で、館の梶川芳友にたくさんみせてもらったこともある。何必館には思い入れの画家であり、そぞろ懐かしい。明けて一月下旬まで、それまでに京都へ行く元気が出るかなあ。
金沢の細川弘司君が東京藝大のころの恩師と聞いている。彼と京都で久々に再会など楽しいのだがな。
歯医者へ行って帰ってきて、それでもけっこう疲れるのだからな。これでは、いかんのです。冒険心を振り起こさないと。だれか誘い出してくれませんか。
* 十一月十七日 日
* 起床8:00 血
圧136-70(57) 血糖値90 体重68.3kg 昨日今日 眼がぎらぎらギトギトして眼鏡がどれも役に立たない。
* 『みごもりの湖』のルビ打ちを始めた。作柄からやむを得ないが時間をとられる。「湖の本」118責了へも着々進んでいる。どの読書にも心惹か
れ、五冊でとめようと思ってながら、十册も十五冊も読んでしまう。馬琴の『八犬伝』も高田衛さんの『八犬伝の世界』も面白いがもツルゲーネフ『貴族の巣』
も面白くこんぐらかって来た。レマルクの苦境を這う人らの隣人愛の温かさと哀しさとにも時に思わず顔を手でおおう。
* オフェイロンの『アイルランド』がこう面白い興味深い佳い本だとは思ってなかった。ふっと出会い頭に手に取った。地図上の位置やイングランドとの関わりなどたしかによく知りたい気持ちはあった。
* 「正しく送られた人生において最後にいだくモットーは、かならずや平和と親切と
いう言葉であるにちがいない。そうでなかったら、その生涯はたとえどんなに立派に見えようとも、けっして正しい道を経たものでない」とヒルテイは言い切
る。思わずじいっと立ち止まらされる。平和は分かる、だれしもの願いだから。親切は、重い厳しい指摘だ、「親切にされる」嬉しさ有りがたさには甘えるの
に、「親切にする」ことで自身徹底しているかとなると、ハテ、と顔あからむ。ヒルテイも言っている、これにしっかり頷けるのは「たいてい、かなり晩年に
なってからの成就」だと。
また、こうもヒルテイイは言う。「人間のすべての性質のなかで、嫉妬は一番みにくいもの、虚栄心は一番危険なもの」と。心中に飼ったこの二匹の蛇を吐き
出してしまうのは素晴らしく快いと。まことに。だがそんな嫉妬や虚栄心を吐き捨てたあとへ、「人間軽蔑」と「傲慢」が入り込みやすいとヒルテイは指摘す
る。これは、「嫉妬と虚栄心を免れた者に通常ありがちのこと」であり、「自己欺瞞」に陥らぬよう心せよと。まさしく洞察である。
* ヒルテイの優れた洞察や示唆・指摘の基底には、まぎれもないキリスト教の「神」への謙虚な熱愛が在る。ただし彼のキリスト教を、大雑把にカトリックの、教会のなどと観ることは出来ず、しかも「聖書のみ」のプロテスタントをヒルテイは批判している。彼は彼の人間味をすべて傾けて神と向き合っている。そう観てとれば、キリスト教にかかわりない者にもかれの『眠られぬ夜のために』は心親しく向き合える。
☆ 天地創造の第六日目で、最後の日(ミルトン『失楽園』)
そして、原動力の主である大いなる神がその御手をもって
初めて定められた軌道に従い、すべての天体が、その運動を
始めた。地は華麗で完璧な装いに包まれ、にこやかに
微笑していた。空に、水中に、地上に、それぞれ鳥が、魚が、
獣が、群れをなして飛び、泳ぎ、闊歩していた。だが、まだ
第六日目がこれで終ったわけではなかった。既に造られた
すベてのものの目標である、最も重要なものが未だ造られては
いなかった、
−−つまり、他の生きもののように常に下を見、
道理を弁えないのと違い、聖なる理性を与えられ、背を
のばして直立し、穏やかな額を真っ直ぐに保って他のものを
支配し、自らを知り、そして自らを知るがゆえに神と交わるに
ふさわしい高邁な心を持ち、しかも同時に自分のもつ一切の
善きものがどこから下賜(くだ)されているのかを知り、感謝し、
しかして、虔(つつし)んでその心と声と眼を天に向けてそそぎ、
自分を万物の長(おさ)として造り給うたいと高き神を崇め、拝む
ところの者、−−
これがまだ造られてはいなかったのだ。
そこで、全能にして永遠者でいまし給う父なる神はl
(なぜなら、神が存在されない所はどこにもないからだ)、
次のように声高らかに、御子に向かって言われた−−
『次に、われらに象(かたど)り人間(ひと)を、われらの像(かたち)の如くに
人間(ひと)を、造り、
* 上の、「−−つまり」以下に、ミルトンなりに、また聖書に即して「人間」が謂わば定義されてある。ヒルテイにおける神と彼との直結もこの定義に忠実なのであろう。
☆ ソネット
きみの贈物、あれら一つ一つの記憶は、私の体に充満している、
消えやらぬわれら絶境の数々が一つ一つ発光する繪のように。
このほうが、どんなむなしいメモやノートより長もちするし、
かぎりある時をこえて、永遠に生きてくれよう。
ともかく、体と心が自然から授かった力を働かせて
生命をたもち続けるかぎりあの一つ一つの嬉しさは永遠に生きる。
いずれは、きみの若さ美しささえ老い行く忘却に委ねられようけれど、
それでもきみとの一つ一つに燃えた歓喜の消失することはない。
およそ貧弱な筆墨の器に多くを容れることなどできないし、
きみが絶頂の愛を刻みつける画板も私にはいらない。
よのつねの凡庸な手だてなど悉く手放していいのだ
もっと多くの一つ一つに輝いたきみの記憶は永久に私の名画。
きみを思いだすのに、備忘録を手もとに頼るなんて。
私が忘れっぽい男だということになりはしませんか。
* シェイクスピアのソネット、えも言われず佳い。
☆ とり急ぎ
嬉しいおばあちゃん、同時にお疲れおばあちゃんをしています。やはり育児には体力気
力が必要です。
メール嬉しく、感謝、鴉こそお元気に、お元気に。 尾張の鳶
* 山口市の横山さんから、『センスdeポエム』贈呈用の注文に添えて、初めて見るそれは美味い純白巻物の蒲鉾を五本戴いた。酒に、すばらしく合い、夕飯を楽しんだ。感謝感謝。
札幌maokatさんに戴いたりっぱな百合根も、甘煮にしたり、美味しく食しています。ありがとう。
* 十一月十六日 土
* 起床9:30 血
圧146-60(57) 血糖値90 体重68.0kg
* 久保田淳さんに頂いた久保田さん訳注の鴨長明『無名抄』をとても面白く興趣を覚えながら丹念に読み終えた。系統立てた議論でも批評でもなさそ
うで、思い出すママに和歌詠みや読み批評のカンどころや伝聞を簡潔に要点をつまんで書かれていて、たいそう読みやすい。ただことが和歌であり、昔の和歌を
くっきりと意味を通して読み取り味わうことは、千年を隔ててもいて言葉の上でも表現のうえでも嘗めてかかれない。和歌は嘗める程度で美味を味わうにはてご
わいのである。その点、引用されてある和歌のかずかずを久保田さんはきちっと現代語で意味を通してくださっているのが有り難い。
じつに詳細な補註があり、これが短篇と謂うも可な本書での美味なるご馳走である。こまめに箸を動かしている。
久保田さん、さきの文化の日にはおめでたい受勲の報があった、この場をかりてお祝い申し上げます。
* 誠実な人などめったにいない、誠実な動物よりも少ないとヒルテイに言われて、気が重い。動物のほうがなまじな人間より誠実で感謝の気持ちも人間より表
現できるという、後段はともかく、前段は、謂われている動物がつまりは家畜のことであるなら、またすこし話の方向がずれてくる。
日増しにわれわれ権力と無縁の人間が、権力の前に家畜のように飼い慣らされつつ、権力前での誠実・忠実度がはかられるかと思うと堪らない侮辱を覚える。
毎日の夫婦の対話の中で、時の政治家や企業家らの不誠実を嘆く割合が増しに増して行く。それとともに、自身の誠実の下落もまた言い逃れできずに、苦々し
い思いに襲われる。そしてそんなとき、もうすぐ死んで行けることを幸いかのように実感しかねないのも、悲しい情けない、しかし偽り無いそれが安堵感のよう
に思われる。ときに幸せとさえ思われて先の永い若い人たちの明日、明後日を傷ましいとさえ感じてしまう。
* わたしの小説は、ことに時空を翔び越えながらの歴史x現代小説では、フリガナを省くことが出来ない。ことに文学を音楽として創作している身には、同じ
一字の漢字でも「どう読んで欲しいか」が懸命の要所となる。今回ていねいに読み返しながら痛感した。原稿をファイルで入稿するとき、ルビを振っていては手
間が堪らず、( )内に後付していては原稿の分量が読めなくなる。で、思い切って縦組み原稿をプリントし、それにルビを振っておいて、製版のさいゲラにル
ビ付きで初校を出してもらうことにした。要再校ゲラに真っ赤にルビが入るより、初校で入れておいてもらう方が再校、三校の精度があがるから。
で、いま『みごもりの湖』『秘色』『三輪山』三作を、縦組みの原稿プリントに作ってみた。もう一度全編を読みながら詳細にルビを振るのはたいへんな労作ではあるが、原稿としての万全を大事にしたい。
少しずつ少しずつ、手をあけずに、『選集』作業を前進させたい。手を休めるのはいいが無意味に休めたら、往々成ることも成らず事は流れてしまい易い。
* で、気重に感じていた三作の縦組みプリントをあっさり終えた。プリントで、文字10.5級 40字 40行 で。220頁有る。組み版はこれを按配し
て、行数や一行字数を変更し、まえづけ、写真など、目次、本扉や中扉やあとづけを添えて、ほぼ目論見のまま多くてもA5判で500頁内に納まる。大判の函
装、どっしりした第一巻になる。ごく少数の限定本で行く。
* また「かぐやひめ」のマンガか劇画か映画が話題らしい、それも「かぐやひめ」が何故この世界へ放逐れてきたのか月世界で犯していた罪をかたるのだとか。彼女が「罪」をえて竹取の翁・媼のもとへきたことは竹取物語にも書かれてあるが、どんな罪とは分からない。
1995年というと、18年もむかしになる、わたしは次のような短い短い小説を書いて置いた。面白半分に、ちょっと此処へ書き写しておく。湖の本47
『なよたけのかぐやひめ』にも収録してある。このラジオドラマに類する上の作は、今福将雄が「翁」 大塚道子が「媼」 地の文のナレーターは鈴木瑞穂とい
う配役で、朗唱・朗読用の台本としてラボ教育センターのために書き下ろした。今でも売れているらしい。だが、下記は、いわば私の謂う「掌説」です。
☆ 遠い遠いあなた 秦 恒平・作
逢ったことのないあなたが、どこにいたのか気がついたとき、わたしは、飛ぶ車をもたない自分にも気がつきました。なんと遠い…。あんまりにも、遠い遠
い、あなた。逢いたくて、逢いたくて。銀河鉄道の切符を買おうとしたのですが、あなたの所へは停車しないそうで、がっかりしました。
あれから、もう千年経っているんですね。
昼過ぎての雨が夕暮れてやみ、宵の独り酒に、心はしおれていました。下駄をつっかけ、わびしい散歩に、近くの大竹藪をくぐるようにして表通りへ、いま抜
けようという時でした。東の空たかくに、白濁して歪んだ月がふかい霞の奥に、とろりと沈んで見えたのです。月が泣いている…。そう思いました。そして、
はっとした。泣いていたのは、かぐやひめ、あなたでした。天の使いの飛ぶ車で、月の世界へ羽衣を着て去ったあなた、あなただ…と分かった。
わたしは、あなたを、血の涙で泣いて見送った竹取の翁と姥との血縁を、地上に千年伝えて、いましも絶え行く、ただ一人の子孫です。もうもう、だれも、いない。妻も、また、子も、ない。
いま虚空に光るのは、三日の月。あぁ…待っていて、かぐやひめ。今宵わたしは高い塔の上に立っています、手に縄をもって。この縄を飛ばし、遥かあなたの
月に絡めてみせましょう。力いっぱい塔を蹴り、広い広い中空に私は浮かんで、縄を伝ってあなたに、今こそあなたに、逢いに行きます。縄を伝い、あなたもわ
たしを迎えに来る。ふたりで抱き合って、一筋の縄に結ばれ、あぁ堅く結ばれて、天と地の間を、大きく大きく揺れましょう、かぐやひめ.:。
また男がひとり死んだ。千年のあいだに、数え切れない男がわたくしの名を呼んで虚空に身を投げ、大地の餌食となって落ちた。やめて…。わたくしは地球の
男に来てもらいたくない。だれも知らないのだ、わたくしが月の世界に帰ると、もうその瞬間から風車のまわるより早く老いて、見るかげなく罪され、牢に繋が
れてあることを。「かぐやひめ」という名が、どんなに無残な嘲笑の的となって牢の外に掲げられてあるかを。
牢には窓がひとつ、はるかな青い地球だけが見える。わたくしが月を放逐(おわ)れたのは、月の男を数かぎりなく誘惑して飽きなかったからだ。地球におろ
されても、わたくしの病気はなおらなかった。何人もが命をおとし、何人もが恥じしめられ、わたくしは傲慢にかがやいて生きた。人の愛を貪り、しかも酬いな
かった。天子をさえ翻弄した。竹取りの夫婦の得た富も、地位も、むなしく壊(く)えて残らぬと、わたくしは、みな知っていたのだ。あまり気の毒さに、夫婦
のためにもう一人の子の生まれ来るだけを、わたくしは、わたくしを迎えにきた月の典獄に懇願して地球をあとにした。
だがその子孫のだれもかも、男と生まれた男のだれもかもが、なぜか、わたくしへの恋慕を天上へ愬えつづけて、そして命を落としつづけた。一人死ぬるごと
にわたくしの罪は加わり、老いのおいめは重くのしかかって死ぬることは許されない。あぁ、ばかな、あなた…およしなさい、この月へ、縄を飛ばして上って来
るなんて。迎えになど行けないのだから。あぁ…、でも、ほんとうに来てくれれば、かぐやひめは救われる。来て。来て…。
(RIHGA ROYAL NEWS)1995年6月号
* こういう短い(原稿用紙4枚前後)掌説をわたしは、数十年のうちに六、七十作も書きおいてきた。作家としての私の「索引」ほどの役をしてくれているかも知れない。今度の選集で、そういう「短篇小説選集」を出せるまでわたしの命がもつかどうか、分からない。
* なんとかかとか可愛い太郎 次郎 小次郎の写真はねじ込めたが、これまではエプソンのファイル・マネージャーで自在にトリミング出来たのに、このソフ
トが全く働いてくれなくなり、ディマージュ・ビューアでは映像処理がただただ複雑なのにトリミングは利かないと来ている。不格好な写真を入れるハメにな
り、太郎たちに申し訳ない。いまわが家で、黒いマゴに次いでの大の人気兄弟です。
* 十一月十五日 金
* 起床7:00 血
圧143-70(50) 血糖値79 体重68.3kg
* 『十訓抄』ほど逸話たくさんにしかも平易に端的に書き並べた古典も珍しく、難解に苦しむような何もなく親しみやすい。それだけでなく、頭の中に、
「あ、聞いたことがある」「このそ話、知ってた」という件も意想外に多く含んでいて、耳学問の馬鹿にならぬ事を思い当たらせる。しかし耳学問は、聞き覚え
は、間違いも誤解も少なくない。落語に出てくる横町のご隠居よりははるかに正確の輪郭を心得た著者が語り聞かせてくれる。古典の苦手の人にも、この本、そ
の気になりさえすれば読める。楽しめる。「古今著聞集」などよりも古典語が平易なのである。「徒然草」のようには深みはない、ことがら、逸話をただ端的に
伝えようとだけしていて、わずかに、かすかに教訓臭だけが伴う。それ自体が、お高い姿勢を平たくやさしくしている。
* 西欧の近代開幕を告げたのは「自我の確立」を明確にしたデカルトの、「吾惟う 故に吾在り cogito ergo
sum」という高らかな声明であったが、『ブッタのことば』は、古代インドにおいては、「<われは考えて、有る>という、<迷わせる不当な思惟>の根本を
すべて制止せよ」と教えている。自分は「考えるものとして在る」「考えるから在る」というのは、「内に存する妄執」「分裂し対立した自我」の業であって、
制し滅されねばならぬとしていた。
二千何百年の落差に於ける、一方は太古インドの、一方は西欧近代の声明であって、一概な比較はしにくい、とはいえ、必ずしもまったく触れあわないかどう
か。わたしは、今日の西欧化された現代精神の混迷に、東洋から突きつけて精神の安定を願おうとする思想的対決があるとみて、はたしてデカルトの決到か、古
代仏教の深い危惧と洞察か、大いに現代は誠実に迷い抜いて抜け出さねばならないのでは。苦痛をともなうそんな気がしているのです。ブッダは見抜いている、
「世界はどこも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している」と。
日本人の平安をねがう精神は、原発の無防備な無謀に揺さぶられ、悪夢の治安維持法に何層倍も輪を掛けた復活、特定秘密保護法の強引無比な成立の前に萎縮
しているではないか。万民の奴隷化時代に、何を思惟するゆえに「吾在り」と胸を張れるどんな万民の自我が自由の歌を立派に歌えているというのか。目に見え
て万民を括って管理し飼育するための「鎖と毒」とが、日本列島に瀰漫している。
もはや個人独り独りの単位で哲学などしていても力にならない。たしかにヒルテイの言うように、「人間のあらゆる性質のなかで、<最良のものは、誠実>で
ある」だろう。「この性質は、ほかのどんな性質の不足をも補うことができるが、この性質が欠けているとき、それをほかのもので補うわけにはいかない」のも
全くその通りだ。「ところが残念ながら、この誠実という性質は人間にはむしろまれで、かえって動物の方にしばしば見られる。」口惜しくも恥ずかしながら、
これまたまことに耳の痛い正当な指摘では無かろうか。自分自身をまっさきに槍玉に挙げておいて、さて十人の人が輪になったときそこに「最良の誠実」が認め
られるたった一人でも居るだろうか、久しい見聞と体験に徴して残念ながら極めて極めてこの世間に「誠実な人」は希有と感じられる。
しかも、そんな中でも万民への奉仕を職務とするはずの宰相や知事や代議士や官僚たちの人間たる誠実こそ、最もこの世のために必要なのに、権力を握った、
それも強い高い権力を私して握ってしまった連中ほど、「誠実」になど鼻もひっかけず紙屑籠に蹴込んでしまっている。動物以下である。おそらくは彼らこそ、
「われ思う(欲する)、ゆえにわれ(権力)在り」と胸を張り、ただもう彼らの「我私=われわたくし」のために万民を抑えて支配監理し、それが即ち「政治」
だと考えているのだ。
こんな世界では、個々人の誠実でいったい何が仕返せるだろうか。「万民」の「万」の字義にめざめて、つとめて誠実に誠実に万民は結束しないと、いつか殲滅されてしまう。
* わたしは「湖の本」118『歴史・人・日常』の本文巻末に、こういう一頁を付け加えている。
* 米沢藩主上杉鷹山 嗣子へ三箇条の教訓
一 国家(日本)は先祖より子孫へ伝へ候国家(日本)にして、(時の為政者が)我私(われわたくし)すべき物にはこれ無く候
一 人民(日本人)は国家(日本国)に属したる人民(日本人)にして、(時の為政者が)我私すべき物にはこれ無く候
一 国家人民(日本国・日本人)の為に(良かれと)立てたる君(為政者・一総理)にて、君(為政者・一総理)の為に(利便好かれと)立てたる国家人民(日本国・日本人)には、これ無く候
(括弧内は、昨今安倍「違憲」内閣の我私政治を嘆いて、秦が補足。)
* 迫る、国民の最大不幸
☆ お元気ですか
お寒くなりました。お変わりなくお過ごしでしょうか。私は幸い風邪もひかずにおります。
相変わらず週1のリハビリと 1日5000〜6000歩歩く事にエネルギーを使い果たしています。筋肉を付けるように言われていますので。
特に何を…ということもなく、時間が過ぎていきます。来月は二回コンサート聴きに行く予定です。 横須賀 津
* わたしの場合 きょうはシンドイほどよう歩いたと思えるときでも 5000歩を越したこと一度もありません、この一年余のこと。
過剰に動いてかえって足腰を痛めないようにと気遣いし懼れています。疲れ切ってまた転べば元の木阿弥になります。
筋肉強化とともに、精神や心理も楽しませてやりたい。それで、せっせと楽しむことを楽しんでいます。
横須賀という街も海もみたことがない。泉鏡花にゆかりの場所があるとよく聞いていましたが、お宅からは遠いのですか。わたしこそ、もっと動かないといけないのでね。
お元気で。
、
* 十一月十四日 木
* 起床8:00 血
圧146-72(64) 血糖値79 体重68.4kg
☆ 近況
その後如何ですか 私より複雑な病ですから色々と難しい問題を抱えてられることだろうとあんぢております。わたくしのほうは補歩行訓練で右手に杖、左手にリハビリの先生がついてくださりあるいていますが いまのところ4−5○mほど歩いています。
為せば成る なさねばならぬこともあり 何事も千里の道も一歩からの心境です。
あなたはまだまだぶんがくかいではひつようなひとです がんばつてください。iPadから送信 K
* 病に向き合う人の多いこと、それに気づくことの多く広くなっていること。ただただ平安を願い快方へと願う、みなお互いに。心挫けそうなときは励まし合うこと。
* 国立劇場の通し狂言「伊賀越道中双六」は人気の三幕目「駿州沼津棒鼻の場、平作住居の場、千本松原の場」を、文化勲章の藤十郎と翫雀、扇雀の父子を芯
に見せた。われわれ夫婦になによりのご馳走は、八十すぎている山城屋の矍鑠として綺麗に若々しい「呉服屋十兵衛」と、せいぜい五十過ぎ翫雀が八十歳という
「老け」に挑戦の「雲助平作」の大熱演、しかも三列中央角という絶好席をもらっていた妻とわたしの触れあうほどの真横で、それはけっこうに、和やかな老若
掛合いの藝でたくさん笑わせてくれたこと。えらいプレミアムのついたご機嫌で、終始浮き浮き、気楽に過ごしてきた。
もともと、この三幕目だけで観られる芝居であり、序幕、二幕目、また最後の伊賀上野での仇討ち場面などはどうでもよく、橋之助の唐木政右衛門には剣の秘
儀や極意を極めた達人の品格も人間味も匂わず、ただただ大声の磊落ぶりが目立ち、興ざめ。むしろ脇を固めた彦三郎の風格、市蔵・亀蔵の存在感に感謝した。
扇雀の平作娘も孝太郎の唐木妻も平凡。やはり三幕目だけで足りていた。藤十郎洒脱の存在感、翫雀の懸命の力演、それを真横で感じられ、幸いこの上なし。と
はいえ老「平作」の一心に成ろう仕ようという演技の力みは致し方ないか、いますこし成るがままにまかせた自然の老いが観たかった。
* 送りバスで新橋駅まで行き、歩いて歩いてけっきょく有楽町、帝劇モールのなじみの「きく川」で鰻を食べてきた。キャベツの塩もみに塩からや骨焼きも添えて、酒は菊正二合。ひさしぶりの「きく川」にしみじみした。
* 帰ってから「科捜研」沢口靖子のこころ深く澄んで和んだ美貌を、いつものように讃嘆。次いで「ドクターX」の米倉涼子と内田有紀というご贔屓美女ペア
の手術ぶりに、スカアッとした。「ダンダリン」の竹内結子も、沢口のようにか、米倉や内田のようにか、すっきりと活かして欲しかった、デビューの頃からほ
んとの活躍を心待ちにしていたのだ。
* さ、いよいよ師走上旬での湖の本118発送へ、忙しさが増してくる。う十日ほどのうちに責了にしてと頼まれている。選集のことも堪えず頭にあり用意怠りなく。
手が痺れて震えて書字に難渋している。連絡等はメールで済まさせてもらっている。小松の井口さんへの昨日のメール、機械を明けて観て頂けますように。
* 今月冒頭に掲げていた写真、「天麩羅勢揃顔見世(てんのたねきほひのかほみせ) 高麗屋助六 播磨屋意休 萬屋揚巻 など」
は、上野の天麩羅の店に在ったのをさつえいさせてもらった。十一月の顔見世歌舞伎にこと寄せてみた。外題はわたしが勝手につくったが、「助六」の各役の役
者が天タネなのである。真ん中の意休が初世中村吉右衛門、助六が市川染五郎のちの先代松本幸四郎。のちに勘三郎になったもしほもおり、揚巻の時蔵は、先々
代。なんと映画へ走った錦之助も嘉律雄もまじっている。昭和二十五年よりやや前の役者達で、わたしは、こういう顔ぶれから歌舞伎を見始めたのだった。
* 十一月十三日 水
* 起床8:30 血
圧140-68(66) 血糖値82 体重66.7kg
* 小泉元総理の「原発即ゼロ」表明は理の当然を指し示していて、数年来言い続け克明な『ペンと政治』三巻を以てした者には耳新しくないじつに自然な真率な表明である、そのかぎりにおいて、心より歓迎する。
いま至り尽くしてほぼ遺漏ない小泉表明を前にしては、安倍「違憲」総理の原発用語と推進・貿易の言説になにひとつの説得力もないこと、きわめて無力な表情を安倍「違憲」政治が見せていること、明白に観て取れる。
* 十数年前にわたしは此の日録に、、神様か誰かがわたしの服に「黒いピン」を刺したという夢の話を書いていた。ピンが立っていると旺盛にはたらけて、しかし必ずしも愉快でない。ピンを抜くとなにもかもゆったり落ち着いている、と。
昨日『ブッダのことば』第四「八つの詩句の章」の一五「武器を執ること」へ読み進んでいきなりこういうブッダの言葉に出逢った。
☆ 『ブッダのことば』第四「八つの詩句の章」の一五「武器を執ること」
九三五 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭い離れたその衝撃を述べよう。
九三六 水の少いところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が走った。
九三七 世界はどこも堅実ではない。どの方角でも動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
九三八 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。
九三九 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢をぬいたならば、(あちこち)を駈けめぐることもなく、沈むこともない。
* わたしが夢に見、以来意識し続けている「黒いピン」とは、ここに謂われてある「煩悩の矢」に他なるまい。
この節で謂われている「武器」とは、この時代「杖=暴力」を意味した。そして暴力からの「厭離」が語られている。「堅実でない」とは恒久的な本質がどこにも無いのである。そしてブッダは言う、「世間における諸々の束縛の絆にほだされてはならない。 自己の安らぎを学べ」と以下に具体的な教えが語りつがれる。
* 小松から有り難いお手紙と「書」を頂戴した。一目見て、すぐさま、嘆賞し頂戴した。心より御礼申しあげます。
* 少しも焦らず、着々と用意をすすめ、まさしく「一期一巻」の覚悟で心ゆく出版を期したい。
* 昨日今日、眼の不調著しいが、元気にしています。
* 高松市の糸川君から、「湖の本」継続しての購読料11万円が追加送金されてきた。創刊以来ずうっと読んでもらっている。ありがとう。奥さんもお子さんもお元気だろうか。
* 十一月十二日 火
* 起床7:00 血
圧141-70(57) 血糖値106 体重67.3kg
* 小泉元総理に賛同の体に細川もと総理も「脱原発」の意思を明らかにし、共同して動く可能性を記者会見で示したのは喜ばしい。安倍「違憲・強権」内閣
は、核最終処理という行き止まりの立ち往生を当然に強いられ、為すすべもない。すみやかに政権を解除・交替し、廃原発の意志をより明確にしながら、行き止
まりに明ける風穴を目指すべき時機だ、安倍は根本の道を謬って掘った穴に頭を突っ込んでいる。経済も、遠からず中国経済の壊滅的事態の巻き添えでなにもか
もご破算の懼れが濃い。自民党の中にも大波の揺れ始める時機があろう、見逃さず国民運動をと願う。そのためにも、危険きわまりない特定秘密保護法案の成立
を民意を上げて退けたい。
「古の天下に王(=総理)たりし者は、奚(なに)をか為さんや。天地のみ」と荘子外篇にある。同じ趣旨は内篇にも外篇にも頻繁にいわれている。舜の問わ
れて曰く、「天は高く広がって地はゆるぎなく安定し、日月はくまなく照らして四季はきちんと運行しています。昼と夜が秩序をもって交替し、雲が流れて雨が
降る、そのようにありたいものです」と。問うた堯は、「わたしのやり方はごちゃごちゃと余計なことが多かった。きみは天と調和しているが、わたしは人と調
子を合わせていたんだな」と反省した。
今日の政治は「人と調子を合わせ」ることも出来ずに、権力の恣に天も地も人も我欲のママ我私(われわたくし)して世界を汚し歪め乱している。安倍「違
憲・強権」政党・内閣のやり口は、何処をどう眺めても「天下」を総理する者の品位も知性も欠如しきっている。これは一に、彼および彼らが、国民に雇われて
いる公僕にすぎぬ事実・信実を、見失うというより、かなぐり捨てて国民の主人だと錯覚・誤認しているがゆえに起きる。改めるのは、実は容易なこと、次回の
選挙できちんと投票することだ。三年ぐらいすぐに経つ。それまでに自民党は荒れるだろう。
* 十八世紀ドイツの神学者エッティンゲルが、「体ということが、すべてのものの終りである」と言っていて、心より体をいずれかといえばより慥かとみるようなわたしには立ち止まらずにおれないのだが、エッティンゲルの謂うままではわかりよい理念ではない。
ヒルテイはこの「理念」という働きについてよほど分かりよく大事な点を語っている。
「精神的なものも、個性的に具体化されなければならない。この意味の具体性は理念の一つの形成であり、進歩であって、このように形成されて初めて理念は
十分な力と成熟に達する。」「現存するどんな理念もそれぞれ、その理念を表わすにふさわしい人間を見出し、それを生み出すまでは、休(や)むことがな
い。」「彼らに具現しているその理念が、まず大勢の人びとの頭や心におぼろげな姿で宿る時代がやってくるとき、そのような理念の具現者がその時代に対して
強大な支配力をもつことにもなる」と。
近代にかぎっても、ダーウィン、マルクス、ニーチエらの理念は時代を根底から動かしたが、もっと小さな個々人にもこうした理念形成と動力化の可能性があ
る。わたしの「身内観」による「島」の思想なども、「抱き柱は要らない」という理念なども、すこしずつ浸透しいつかより人間的な共感のちからをもつのでは
とわたしは観じている。
* シェイクスピアの『ソネット集』といいミルトンの『失楽園』といい原書が手にはいるなら、翻訳本もその詳細な註も片手に、ぜひ原文で読んでみたい叙情詩であり叙事詩であるが、今は叶わない。
それにしてもシェイクスピアの『ソネット集』はミルトン以上に容易ならぬ難体詩であり、だからこそ怖ろしいまで惹かれる。ソネットとは、ともあれ「十二行詩」のことであり、この「集」には154の詩が、前の大半で謎の若い男性に捧げられ、後方では謎の「黒い」女性に捧げられている。「謎」は深く混沌として冒険と物語に富んだ研究の山が積まれてきた。なにしろ劇聖沙翁渾身のソネット集なのである。
いまわたしは110まで、註とともに愛読してきて、たとえば105ではこんな詩句に出逢っている。「きみ」と呼んでいるのは、ここではまだ、若き愛しき男性の謂である。
☆ シェイクスピアの『ソネット集』より 高松雄一さんの訳に拠って
104
美しい友よ、私には、きみは年老いることがない。
はじめてきみの眼を見つめたときのあの姿と、今の美しさは、
ちっとも変っていないと思う。三度の寒い冬が、
森の木々から、三度の夏のはなやかな装いを振り落した。
三度の美しい春が黄いろの秋に変るのを、
季節の移ろいのなかで私は見てきた。三度の四月の香りが、
三度の暑い六月のなかで燃えた。きみはいまも緑鮮やかだけれど、
あの若やぐ姿を始めて見てからそれだけの時がたっている。
ああ、だが、美は時計の針のようなものだ。
いつしか文字盤を移るけれど、足どりは見えない。
きみの美しい姿も、私にはとどまるように見えても
実は動いていて、この眼が欺かれているのかもしれない。
私はそれを怖れるゆえ、まだ生まれぬ時代に告げておく、
おまえが生まれるまえに美の夏はおわったのだ、と。
105
私の歌も讃美の言葉も、どれもこれも、一人にむかって、
一人について、いつも同じ調子でうたい続けるが、
だからといって、この愛を偶像崇拝とは呼んでくれるな。
また、わが愛するものを偶像などに見たててくれるな。
わが愛するものは、今日も優しく、明日も優しく、
人にまさる見事な資質はつねに変ることがない。
それゆえ、私の詩も変るわけにはいかないから、
一つことを述べつづけて、多様な変化には見むきもしない。
「美しく、優しく、真実の」がわが主題のすべてであり、
「美しく、優しく、真実の」をべつの言葉に変えて用いる。
私の着想はこの変化を考えるのに使いはたされるのだ、
三つの主題が一体となれば実に多様な世界がひらかれるから。
美しさ、優しさ、真実は、別々にならずいぶん生きていた。
だが、この三つが一人にやどったことはかつてない。
* シェイクスピアア自身の体験にはやや距離を置いてだが、同じ『ソネット集』の64 65番のソネットにわたしは美しく、優しく、真実を覚え感銘を受けたのを告白し、書き留めておきたい。
64
いまは埋もれ朽ちはてたいにしえの時代の
華美で、きらやかで、贅をつくした建築が、時の神の
凶悪な手に汚され、かつては高くそびえた塔が
跡かたもなくなり、不朽の真鍮の碑が、
死の怒りのまえに、すべもなく屈従するのを見れば、
また、飢えた大洋が陸の王国を侵略し、堅固な太地が
大海原を打ち放り、むこうが失ってこちらが増やし、
むこうが増やしてこちらが失う、そのさまを見れば、
つまり、こうして、ものみな移り変り、
栄華もまた崩れおちて、残骸となるのを見るとき、
廃墟を前にして私は思いをいたすのだ、やがては、
時の神が訪れてわが愛するものを奪っていこうと。
この考えが、いわば、死のようなものだ、手中のものを
いずれは失うと怖れつつ、泣くほかはないのだから。
65
真鍮板も、石碑も、大地も、ほてしない海も、どの力も、
結局はおぞましい死に屈服するほかはないのだから、
一輪の花のいのちほどのカしかもたぬ美が、
どうして、この猛威を相手に申し開きができよう。
ああ、破城槌をもって攻めたてる歳月の恐ろしい包囲に、
あまくかおる夏の微風がどうしてもちこたえられよう、
頑丈な岩でも、鉄づくりの城門でも、
時の破壊に耐えるほどには強くはないのだから。
思えば怖ろしい。時の所有する最上の宝石を
どこにかくしておけば、時の櫃に返さずにすむのだろう。
どんな強い手が時のすみやかな足を引きとめられよう。
時が美をほろぽすのをだれに禁じることができよう。
できはしない、わが愛するものが、黒いインクのなかで、
永遠に輝き続けるという奇跡が生じぬかぎりは。
* 「櫃」は「柩」を意味している。
* 撮り溜めていた写真の整理をしていた。それが、どこかへ隠れてしまった。機械はややこしい。
* 十一月十一日 月
* 起床7:00 血
圧125-66(58) 血糖値86 体重67.2kg
妻の同伴で聖路加病院腫瘍内科へ。名取先生産休で主治医山内先生の診察。聴診、打診、触診もあり、異例なく。暫時談笑。支払いは診察代のみ。次回は二月七日
に、CTなど予約。
* 塩瀬総本家で和菓子をいろいろ買い求めてから、河近くへ歩をのばしてから聖路加タワーに入る。47階のレストラン「ルーク」で小洒落たコース料理を美
味しく、赤ワインで。 テラスヘ出て、百八十度余の明るい展望を楽しんだが、俄かの雨雲が急接近し、新富町の駅へ急いだが驟雨に遭い、途中の店で夫婦とも
真っ白い簡便な雨コートを買ってかつがつ駅へかけこんだ。
保谷ではもう真澄の空が戻っていて明るかった。
塩瀬の和菓子で「イ・サン」を楽しんだ。三度目で、大筋などみな覚えているのに、日本のやすい時代劇より何倍も面白い。
* 府中の杉本利男さんから『畳屋 多々見一路−−越前日野川残照』と題した新刊を戴いた。「ご笑覧」あれと。本の帯に、「日本の文化が大きく転換してい
く時代を背景に、畳刺しに命を懸けた三代にわたる畳職人の変遷を描く」作と紹介されている。今夜から「交響する読書」20册に加えます。一作だけを一気に
読むという読書をもう久しい昔から捨てて、毎日毎晩多くを少しずつ読み進む。けっして混乱もせず作の感銘があやまって伝わることはありません。いろんな作
や作品に交響的に揉まれることでひたすら読み進むだけで批評も生きてくる。はげしく比較されるから。
* 昨夜、とうどうゲーテの『イタリア紀行』全三巻を読み終えた。昨年二月十五日、癌に冒された胃全摘手術を受けた病室へ持ち込み、読みたかった他の何作
もと併行して読み始めたのだから、一年九ヶ月も掛けたことになるが、読書の間延びをなんら意味しない、このゲーテの精神の偉大な活力や天才を汲み取るの
に、必然必要とした歳月であり、泡を食ってただもう字面を追うだけならもっともっと早く最後の頁に駆け込んだろうが、そんな読み方ではまったく意味をなさ
ない。優れた作品に立ち向かうにはどうしても欠かせない行儀というものが有る。二年近くも驚いたり感嘆したり唖然としたり唸ったり手を拍ったりしつづけた
『イタリア紀行』を、いま初めて感謝とともに曲がりなりに読み得たのだとわたしは喜んでいる。私のいわゆる「交響する読書」とはそういう読書である。
ギリシアの神話、ブッダのことば、荘子の内外雑三篇、ミルトン、スコット、ヒルテイ、ツルゲーネフ、ドブロリューホフ、ジムメル、レマルク、拾遺和歌
集、後拾遺和歌集、無名抄、古今著聞集、十訓抄、平家物語、馬琴、田能村竹田、幸田露伴、高田衛、上野千鶴子、小谷野敦、そして何人もの知友の歌集。
「読む」という営為はただ受容的な慰楽でなく、自身の「創る」嬉しさに繋がる。そうでなければわたしは「読まない」だろう。
* やはりアメフリなどの外出に疲れている。
☆ 清水房雄『残吟抄』より
明日に恃む思ひもすでに無くなりて意味なき起ち居くり返すなり
己ひとりを守らむのみに肉親とも関はる無くて過ぎし年月
今がその残余の生と思ひつつ救急車過ぐる音聞きてゐつ
つひにして及ばぬ人と憧れて君が遺歌集を読みつぐ今日も
雲はやく流るる夕べの空の下遠きビル一つ日のあたりゐる
如何すればなどといふ事も考へず如何すればとて詮なきものを
思はぬ時思はぬかたちに来るといふ死といふ事を思ひをりまた
此のままに終りとなるか吾が一生苦しみのみの記憶のこりて
あれもこれも人の世常の煩ひと思ひきらむに猶ほ思ひつぐ
死といふ事思ひ続けて過ぎて来ぬ戦ひの日より今も変らず
* 十一月十日 日
* 起床10:00 血
圧128-62(59) 血糖値86 体重66.9kg
朝の服薬後にいつも鼓腸、相当量の排便次いで軟便にいたること多く、今日も。その後、バテている感じで、溌剌感失せて、眠い。夜半過ぎた頃の毎夜の激しい
左肩・上腕の痛みに窮する。エアサロンパスで一時を凌ぐのみ。なんとなく茫然と過ごす。仕事はしているが、地に足が着いていない。
* 十訓抄 千載集前後 レマルク ヒルテイ 露伴随筆などを読むにとどめる。
* 晩の食事後 撮って置きの映画「ジャイアント」の導入部だけ観て、しばらくあとから懐かしい映画「細雪」に堪能した。岸恵子、佐久間良子、吉永小百
合、古手川祐子という最上の顔合わせ、男優たちも小さい役に至るまで行き届いた神経で配役されていて完璧の作品になっていた。この映画ができるとき、新潮
社からの写真集を篠山紀信が撮り、わたしは雅叙園での撮影に終始立ち会い、文章を担当した。これぐらい配役がすみずみまでの表現に利いた映画はめずらし
く、監督のちからの入れようはおみごとであった。松子夫人もお元気な頃で、佐久間良子のナカンチャンを気に入ってられた。懐かしく、なにもかも思い出す。
☆ 雀です。
木枯らしに二日の月の吹きちるか(荷兮)
朝起きて窓を開けたら、正面にオリオンの星星がまたたいていました。
左上の赤いのが源氏星で、右下の白いのが平家星と、野尻抱影さんの随筆にありましたっけ。
なによりお礼申し上げます。
お薬ご服用でご気分のすぐれぬなか、雀一羽へあたたかなお心配り、まことに恐れいります。
ここ数年でいちばん意気消沈していた日に、電子メールを受け取りましたので、大変驚きました。
酷暑以外、月に10日はあちらに遊びこちらに歩きしていましたが、先月末に、目的地へ歩き始めて間もなく、右足が腫れて熱を帯びてきた上、発車時刻が
迫った電車に駆けたところ、息苦しさにホームで動けなくなり、みすみす電車を見送るはめになって、1年以上続いてきた身体の状態は運動不足ではない、なに
かがあると気がついて、近くの循環器内科医を訪ねました。
そこで初めて、動悸・息切れというのがこれかと知ったあんばい。
10年来、歯科医以外の医者にかかったことがなく、データ 0 の雀に、なにもわからんのだから薬は出せん、と、健康診断の検査をひとつづつ始めることになりました。
肝機能も血糖値も悪くないし、動脈硬化も年相応と判りひと安心しましたが、頻脈と心臓肥大、心電図もおかしいとのこと。
雀の囀り、休業。
「運動不足だ。歩け歩け!」と無罪放免になる日を信じ、明日も検査にいってきまぁす。 囀雀
* そんなことではないかと想っていた。ま、容態が掴めてきたこと、良しとしなくては。お大事に。
若い若いと想っていた人たちが、予想もしなかった病気や怪我でジレンマに陥ってある例が増えに増えている。ま、わたしもその一人であったし今もあるのだけれど。「気」を何より大事にしています。
* 今夜も早めにやすむ。むかしは一時間あれば三時間分もの仕事が出来た。今は出来る出来ないでなく、五時間を用意して三時間分の仕事をするようにしている。
* 十一月九日 土
* 起床11:30 血
圧119-77(59) 血糖値79 体重66.8kg 風邪気味解消。
* 福島第一原発四号機廃炉への作業の無事を願う。人為ミスをどう細心かつ厳格に守りきるか、不慮の災害の襲うのをどう切り抜けうるか、不安は絶大だが無
事を願わずにおれない。人智をつくし国と東電の誠意・責任において気の遠くなる前途の長路へ踏み出してもらいたい。これの成り行きを見守る間は軽率な他の
再稼働などあってはならない。そして「国」「政府」の絶対懸命の急務は、まだ微動だに展望出来ていない「最終処分場」の決断・決定であること、その余の何
にも、これを妨げ遅らせてよい口実は無いことを肝に銘じて欲しい。
* あいかわらず軽々に「こころの時代」という看板がハバを利かせているが、今ほど謂わば「心ない時代」はないという見極めからモノを言うてほしいと願う。
* 機械を介して「つながる心」などと浮かれているが、そこには体温もなく言葉や触れあうものの温みも欠け落ちており、ただもう「つながる幻想」をむなし
く頼んでいるだけに終わることの多いのを知っていたい。心知った同士が余儀なく遠方に隔てられてあるときの音声や言葉で伝え合う携帯電話や、文字と記号と
で想いを伝え合える恩恵は大きい、しかし、顔を見たければ見られ、肉声で語り合いたければ語り合える同士の、むしろそれらを避けて交わし合う電子文字や記
号での関わりを、ほんとうに「つながる心」と呼べるのだろうか、呼べなければこそ、繋がっていなければこそ、それに端を発した無残な殺人や傷害も起きてい
る。
「見えない世界を信じて繋がりあえる」のは、神と人との関わりだけで、人と人とは息づかいや互いの温みを介して触れあわねば、繋がりきれない。ないしは、すぐれた知性と直観とによる「世界」理解が大切ということ。
機械を介してわたしの説く「真の身内」などほ得られるものでない。せいぜい「世間」「他人」の存在を仮象として知るにとどまり、その先は「ふれあう」ことでのみ「つながれ」る。
☆ ヒルテイ「眠られぬ夜のために」第一部二月十四日より
つねに真理を語るということは、真剣にそうしようと欲するときでさえ、決してなまやさしいことではない。嘘はわれわれの生活に深くからみついているので、たいていの人は嘘をいうことがなんの目的もきき目もないような、独り言や祈りのなかでさえ、やはりひと知れずいつわりがちである。
ところが、人間は他人の嘘にはたやすく気づくものであって、ただその嘘が自分におもねるときか、あるいはちょうど都合のよいときだけ、それを信じるのである。
あの教養あるローマ人(ローマの総督ピラト)の懐疑的な叫び(ヨハネによる福音書一八の三八=ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、
彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。)は、そっくりそのまま現代の教養ある階級の意向であ
る。彼らは、歴史あってこの方、この世のあらゆる科学も哲学も真に確実な、誤りなき真理を伝えたことがないのを、十分に知っている。
* 恐ろしいほどの見極めがここにあり、まことに然りと痛いほど首を縦に振るしかない。だからこそヒルテイは言葉をこう継ぐのだが、それは神とイエスとに敬虔な彼の信念にほかならない。
☆ だから(=とヒルテイは言う)、ただ個々の、その時どきの真理を求めるのでなくて、およそ真理そのものを得たいと思うものは、まさにその人自身が真
理の証しであることを、この世での歴史的な、唯一の使命とされたお方(=イエス・神)に従うよりほかに、選ぶべき道はないであろう。
* わたしは文字どおり座右に聖書も仏典も置いていて、すぐに手が届く。ヒルテイのあげた「ヨハネによる福音書」の指示箇所も、即座に確かめられる。
いま手にした文庫型の聖書は日本聖書協会1954年改訳の版で、それに手作りで黒い柔らかい和紙で丁寧に包みきってある。持ち主に相違ない実父が手づか
らした仕覆なのか、この聖書をわたしに手渡した父の娘、わたしの継妹の心づかいなのかは分からない。ただ聖書最初の見開き、右頁に、
熱愛を受けし
祖母の負託を憶ひて
と大きく書かれ、左頁には、
私の過去は凡て誤りでありました
心から神の前にざんげ致します
今後は
一、常に神に導かれていることを信じます
一、常に正しい道を歩むことをしんじます
一、神が道なきところにも常に道を作ることを
信じます
神と共にあればすべてのこと可能なり
一九五六、四、二一、 吉岡恒印(○朱印)
と、まちがいない父吉岡恒の手蹟で書き込んである。父が信実の基督者であったかどうか、一日として一つ屋根の下でともに暮らした覚えのないわたしには分か
らないが、継妹二人も家族たちも篤信者である。父の特筆している「熱愛受けし祖母の負託」の実質もわたしには分からない、ただ、わたしや兄恒彦を産んだ生
母が父のいうその祖母によく「肖て想われた」のが出逢いの縁になったかのようにも朧ろに聞いたことがある。
何にしても、わたしには、上の、実父が聖書に書きのこしたような神の導きにまつ思いは、無いなあというしかない。
☆ 学会・ゆり根・『百人一首一夕話』
hatakさん 札幌は昨日初雪。山も雪化粧をして、いよいよ長い冬の到来です。
今日は週末の休みを利用して帯広で開かれる小さな学会にいってきます。
夏頃に文庫本の『百人一首一夕話』と『千載和歌集』を買って、寝る前に拾い読みをしています。
帯広まで約3時間、今日は車中に持ち込んで、ゆっくり読書します。
『百人一首一夕話』の「○○の話」は面白いですね。
はじめの巻一では蘇我入鹿、大友皇子、家持と血なまぐさい話が続きますが、巻二からは雅やかになり、僧正遍昭の五条の若菜のあつものの話、伊勢の勅使伊衡をもてなす話(これも五条)など興味深く読みました。
陽成院というお人を知りませんでしたので、狂乱の話はびっくりしました。
挿絵も凝っています。巻二冒頭には小間席入で裃を着けた男が初座の花を拝見している絵があり「濃茶に初音の昔あり云々」と詞書きがついていて、「はてなんだろう」と頁を繰ってみると喜撰法師の「世を宇治山」が出てくるといった具合です。
江戸後期の町人も、私と同じように血暗い話に眉をひそめ、挿絵の趣向に乗せられて、面白く読んでいたのでしょう。今なら江戸末期に行っても、どこかの商
家のご隠居と、火鉢を囲んで『一夕話』を肴に日がな一日語り尽くせそうな気がします。百五十年の隔たりなど、さほど長くはないのかも知れません。
さて、先日ゆり根を見かけましたので、一箱お送りしております。月末には届くと思います。昨年よりも美味しく召し上がって頂けそうで嬉しいです。
季節の変わり目、奥様共々お元気に過ごされますよう。 maokat
* こういう若い友に恵まれ、思わず「嬉しく息伸びる」心地がする。
「百五十年の隔たりなど、さほど長くはないのかも知れません。」という感想にも我が意を得た心地が
する。わたしはもともと時と空とが大きな風船のなかで溶け合っているという時空観の持ち主で、であればこそどんな昔びととでも「同時代」感覚のお付き合い
が出来ると思ってきた。時空を大きく一と呼吸したような小説をだから書いてきたし書けたのだと思っている。
札幌はもう初雪ですか。日一日と、冷え冷えしてきましたね。
* 初春の歌舞伎座夜の部を予約した。それにしても松竹、遠慮無く入場料を値上げする。若い客層を大切に迎えないと先で蹴躓くのが案じられる。
* 黒いマゴへの輸液は、ま、三日に二回ぐらいずつ妻が続けていて、夕方液の補充に医院へ自転車で。
その頃からなにかしらからだに無力感がある。夕食後にテーブルに額を置いてうたた寝を続けていた。昨夜はよく寝たはずなのだが。
* FACE BOOKの「友だち」をほぼ全面削除した。「友だち」とはそんな軽薄なものでないからだ。事実上FACE BOOKからは脱退した気持ちで居る。
* 十一月八日 金
* 起床8:00 血
圧135-66(59) 血糖値87 体重67.0kg 胃全摘の手術以来一年九ヶ月、はじめて風邪気味を感じた。感心したことではない。よく眠るに越したことが無い。
* 選集第二巻の巻頭と予定している太宰治賞受賞作『清経入水』は断乎とした添削のおかげで冗長を脱し簡潔な短篇ないし中編小説に成ってお
り、校閲はあっというまに済むだろうと思っていた。ただ読んでいるだけなのに、それが、そう早く早くは読めない。文章表現のせいでも物語のせいでもない、
ただもう、書いた昔の記憶とも情調ともつかぬものが押し寄せ押し寄せ胸がつまって前へ進まない。ほんとに自分がこれをこんなふうに書いたのかと思うのだ。
『みごもりの湖』でも『秘色』でも『三輪山』でもそうだったが、書きたくて堪らず読みたくて堪らぬ作を自分はもう何十年も昔に書いてしまってたんだ、というような、いいような拍子抜けのようなヘンな気持ち。
*
『露伴随筆』は下巻「言語篇」に入っている。ミルトン『失楽園』も下巻に。やがてゲーテの『イタリア紀行』全三巻を読み終えるだろう、最初の入院手術以来
の本で、じっくり愛読した。スコットの『湖の麗人』も、『アイヴァンホー』に次いで、やがて読み終わる。馬琴の『八犬伝』八犬士会同が間近くなってきた。
神隠しにあっていた少年犬士親兵衛「仁」がいままさに活躍し始めて、稗史小説が盛り上がろうとしている。ツルゲーネフの『貴族の巣』では主人公の二人が愛
をわかちあって接吻したところ。レマルクの『汝の隣人を愛せ』がとても切ない。鴨長明『無名抄』も、松原陽一さんの『千載集前後』も相つれて、興趣深甚。
文庫本は、現在二十册余を手元に引き寄せて、少なくも日に七八册、読みたいだけ耽読している。
* もう新春の歌舞伎座のしらせが松嶋屋から届いた。
片岡我當、新年早々の開幕に当たり役で知られる『時平の七笑』をみごとに聴かせて呉れるだろう、心嬉しいめでたい春の出だしである、道真は歌六。すぐ此
の「昼の部」予約した。他に高麗屋が「誉れの石切」 播磨屋が「松浦の太鼓」と堂々の当たり藝。そして來年のうちには七代目歌右衛門襲名に立ち向かう中村
福助が、市川染五郎と、「鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこひのむつごと)」でお熱いところを仲よく見せてくれる。
夜の部は、兄高麗屋の加古川本蔵と弟播磨屋の競演、御大坂田藤十郎の戸無瀬、中村魁春のお石の対決、さらに梅玉の力弥、福助の小浪という豪勢でかつ気の
利いた趣向の、わたしが大好きな「山科閑居」で、果然、大歌舞伎の幕が明く。中幕は、梅玉、又五郎、福助、翫雀らの「乗合船」が賑やかに。そして大切り、
井上ひさし原作の新作歌舞伎を染五郎、翫雀、孝太郎、それを我當の弟、仁左衛門兄の秀太郎が粋に引き締める。お正月はやばやの楽しみ、夜は高麗屋のお世話
になる。
* 少し早いがやすむとしようか。
* 十一月七日 木
* 起床7:30 血
圧139-67(51) 血糖値101 体重67.5kg パソコンの輝度が、眩しくなったり暗くなったりする。そのつど調整しているがワケは分かっていない。
* 連続の「イ・サン」を聴きながら一仕事。発送のための封筒の用意終え、宛名を貼り込んで行く。
* 「選集」の刊行は、「湖(うみ)の本版元」の仕事に徹したく、発行者・秦建日子 装幀等・秦迪子 作者・秦恒平の家族が一致協力の仕事としたい。不幸な行きがかりはあったが、この際何かしらの事務と「秦朝日子」の旧名とで町田市に住む娘も参加してくれるなら嬉しいが。
さらにもし「読者・友人」として協賛がえられれば、「スペシャル・サンクス」でお名前を本に遺すことも、一案として考慮している。すべては考慮中であるが。
* 松原陽一さんの論考『千載集前後』の一章「千載集本文の源流」二章金葉期を中心に「入集<歌合歌>から見えること」を頗る興深く読み終えた。経過して
きた時代の図抜けた歌合判者らの選や批評を介して、歌風の芯位や好尚が浮かび上がる。とくに目立って新たな結論が導かれているわけでないが、考察の先への
進展・深化が期待できる。時として小説本よりもおもしろく耽読している。次いで、三章「承暦二年内裏歌合<鹿>歌の撰入」が論じられる。
* 「市気」という熟語が機械で出てこない。意味は、「俗人に媚びて自分を売ろうとする気持ちの卑しさ」である。
「荻生徂徠・伊藤東涯・北島雪山・細井広沢諸公の書を、今の人はどうしても書くことができない。彭城百川・柳沢淇園・池大雅・与謝蕪村諸大家の画を、今
の人はこれまた描くことができない。その理由はどこにあるか。思うにこれは市気があるためということに尽きる。(蓋市気使然耳)」と田能村竹田は百条の
「四 市気を去る」で断言している。
次いでこう言い進んでいる。
☆ 田能村竹田『山中人饒舌』五「己れの為にす」
百年前の書法画理は、今日の考究精博、力を悉(つく)して遺す無きが若(ごと)くなる能はず。而るに今人は却つて及ぶ能(あた)はず。愈々(いよいよ)
詳(つまびら)かにして愈々降り、益々工(たくみ)にして益々俗なり。它(た=他)無し。古への学者(=創作者・研究者)は己れの為にし、今の学者は人の
為にす。
〔口訳〕
百年前の書の法則、画の理論は、今日の博く綿密に研究の限りを尽くしたものにとうてい及ばない。然るに今の書画はかえって百年前に及ばない。研究が詳細
であればあるほどますます下等になり、技術が巧みであればあるほどますます俗になっている。その理由はほかでもない。「古えの学者は己れの為にし、今の学
者は人の為にす」 の一語に尽きる。
* 「古えの学者は己れの為にし、今の学者は人の為にす」とは孔子の言葉。
他人に知られるためにする売名的な創作や研究は堕落したものだと説いたのである。竹田はことに藝術におけるそれを慨嘆し、人の為にする書画は「いよいよ降
り、益々俗」と排撃した。さきの、「市気」を倦厭したのと同じく、草創期の藝術精神を重んじた。歴史にいう草創期も然り、さらには一藝術家・創作者の「初
心・志気」をもまた市気に塗れしむなかれと誡めている。
竹田は「書画(藝術)」は所詮「小道」であると言いきっている。根の人間・人物を謂うのである。
* 福島第一原発第四号炉から燃料棒を引き抜いて他に保管する作業が廃炉への手始めとして是非必要になってきた、が、危険きわまりない難作業にほかなら
ず、万一の大事故はチェルノブイリに何十倍する危うさと専門家は口を揃えている。せずば済まず、したこともない手探りの決行である。無事を祈る一方で、東
電、政府、専門諮問機関の「責任」を最初に厳重確認しておきたい。
* 十一月六日 水
* 起床8:30 血
圧163-78(52) 血糖値86 体重67.3kg 血圧高く、降圧剤「アバプロ」一錠服す。
* 田能村竹田『山中人饒舌』が、読みやすく、かつ深甚興趣に富む。鴨長明『無名抄』もおもしろく種々に頷けて有り難いが、これには一つ、話題が和歌とそ
の批評であるという親しみが与っている。『山中人饒舌』は平安末以降の絵画美術の変遷を大観しつつ事が「南画」の成立と盛況に触れて、なかなか微妙に美術
史の常識ではエアポケットをまさぐる観があり、それが有り難くも興味深いのである。しかも筆致は簡潔、要点を抉って的確。ただ論旨だけでなく文体の妙にも
酔うを得る。大冊であるが巻をおく能わざる精気に富んでいる。二かでの愛読書の最右翼。
加えて松原陽一さんの研究書『千載集前後』が、さきの『無名抄』とも呼応し、すこぶる面白い。手にしてしまえと容易にこれまた巻をおくあたわず、読み耽ってしまう。
* 昨夜は井口さんと久々に電話で話せたのが嬉しく、興奮気味で寝付けなかった。寝る前に文庫本を六七册読み、夜中目覚めてまた読み耽った。
☆ ヒルテイ「眠られぬ夜のために」より
愛をもってすれば、あらゆるものにうち勝つことができる。愛がなければ、一生の間、自己とも他人とも闘いの状態にあり、その結果は疲労困憊に陥り、つい
にはペシミズムか人間嫌いにさえ行きつくほかはない。」「愛は決してわれわれにとって自然に、生まれながらに備わっているものではない。ついに愛をわがも
のとした人には、他のいかなるものにもまして、より多くの力ばかりか、より多くの知恵と忍耐力をも与えられる。」第二部・一月九日 まことに、然り。
「いつまでも同じ考えに、そればかりか同じ思い出にこだわっていてはならない。過ぎ去ったことは済んだこととして、現在なすべきことを行わなければいけ
ない。」「なしうる最もよい、最も正しい事をしようと努めなさい。−−しかし、そうしたあとは、それをすて措くがよい。』一月十日 身を抓るほどに難し
い。
「人生は、老年にいたって、ますます美しく、立派になることができ、またなるべきものである。しかし、より安泰になるわけではない。
一月十二日 まことや。
「内的な進歩が行われるには、二つのものが必要である。われわれに話しかける声と、それを聴くことの耳とである。」第一部・二月十一日
「どんなに反対の実例があるにしても、この欠陥の多い地上で、やはり幸福と喜びとが得られるものだということを、大多数の人たちは夢にも知らない。」
「すべての人が幸福と喜びとを、もともとそれがありもしないところに、求めようとしている。」「この世で最もあわれなのは、老年になって、その半ばもしく
は全部がいたずらに過ごされてしまった己れの過去をふり返って、それをもっと立派に送ることもできたのに、と思うときである。これが、今日、教養ある階級
のなかにも見られる、無数の人びとの運命である。これをあなた自身の運命にしないように。」 二月十二日 ますます目が冴えてしまう。
* ヒルテイの忠告以上にわたしを唸らせたのは、レマルク『汝の隣人を愛せ』だ、この作には、まさしく父親世代のシュナイダーと息子世代のケルンという二
人の主人公が、ともに苛烈な亡命逃亡避難民の歳月を懸命に生きている。出逢っては離れ、また出逢っては別れている。シュナイダーにはリロという目の見えな
いロシアの女性がまぢかにいるが、それとていつも不意に別れ合わねばならないし、同様、ケルンにもルートという愛しい出逢いの人がいるが、容易に一緒には
行動できない。ひとりヒットラーが登場すれば、非合法を宣告された異端視されたものたちは、故国に住めずに他国へ遁れるが他国での定住も安住も得られず、
彼らの人権のために国際連盟はただ小田原評定を重ねているばかり。
ヨーロッパには隣接して複数の国と国境があり、彼らは国境またぎのさながらデスゲームをひっきりなしにしている。
☆ レマルク「汝の隣人を愛せ」より
ポツロッホが笑いながら言った、「こりゃ内証だがね、シュタイナー、この世でいちばん恐ろしいことは何だか知ってるかね? こいつは極秘の内証だが、結局は何もかもすべてあたりまえのことになってしまうということだよ。」「戦争でさえそうですよ」とシュタイナー。「(ナチスによる悪政の)苦痛でさえ。死でさえ」とポツロッホは端的に言い足した。
* なんという、あたりまえの顔をした怖ろしさだろう。国が地味に向かい犯罪を犯し、政治が国民に対し強権・強行というえげつない違反を犯罪的に重ね重ね
て、それがいつのまにか「あたりまえのことになってしまう」怖ろしさ。いま我々日本国民も、少しも事情変わらず安倍「違憲・強権」内閣の悪政を、ひびに
「あたりまえのことに」してゆく歴史を強いられていて気が付いていない。危ない危ない危ない。我々にはそれを超えて非難し逃亡し生き延びるに足る「国境」
すら無いこと、これを覚悟しなければならぬ。
* ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』の面白さに惹き込まれている。もっともっともっと早く求めて出逢っておくべきだった。
初めて知る神話ないしはファンタジイの中に、説得力も優しく豊かにいろんな者の名前が匂いのように起ち上がる。ヒヤシンスだのアネモネといった名だけはよく覚えている花が、物語を背負って咲き競ってくる。
アプロディテとアドニスの話では、最期にアネモネの花が咲く。風が吹くと花が咲いて、また風が吹くと花びらが散るという。アネモネはギリシア語の「アネモス=風」からきたもので、アネモネは「風の花」の意味だと。咲くも散るもアネモス=風を慕うアネモネの花なのだと。
* 湖の本118責了への作業をどんどんすすめる。
* ドラマ「ダンダリン」物足りない。
* 太左衛さんの会に行きそびれた。天気のことも少しきがかりだったが、紀尾井小ホールの場所に自信もなかった、ずうっと以前に一度二ど行っている筈だが。一つには夜分へ向けて独りで出向くのも少し心配だった。
十一日の聖路加腫瘍内科へは、妻も、しばらくぶりに同行することに。
* 十一月五日 火
* 起床8:00 血
圧135-65(57) 血糖値92 体重67.5kg
「腫瘍内科」での前回診察以降ほぼ三ヶ月の体調で、近づく次回診察のために概して言えること、箇条書きに。
@ 血圧 安定しているが微かに漸増気味。一度だけ降圧剤アバプロを一錠服用した。
A 血糖値は正常値内で安定している。
B 体重はこの三ヶ月で、65キロ台から稀に68キロ超まで漸増気味。食欲は戻っているが、美味いといった食味はまだ十分は戻らない。
C 排便・排尿は尋常、発熱も無かった。
D 頻発ではないが、夜中、明け方に、時折、痛いほど胸・喉元の焼け気味を感じる。水分で幾らか沈静し、短時間で通過するが。
E 空腹時に冷たいもの、酒・珈琲などが入ると、臍下部辺にツウッと沁みて痛むことがある。一過性で長引いたことはない。
F 痺れ感は手先にだけ残っている。色素沈着もかなり薄れ、毛髪の量が旧に復してきた。
G 運動不足で脚力よわく、疲労が来ると杖のママまだよろめく。せいぜい外出の機会をもち歩くようにし、毎日少なくも小一時間は自転車を走らせている。
H この三ヶ月内に歯の欠け、落ち、抜けが相次いで、差し歯、入れ歯が一気に増えた。
I 左肩の強硬な痛みが、いわゆる何十肩であるかどうか、痛みは左肩、左上腕にきつく、右肩・右上腕にも及んできている。加齢ゆえかと堪えて暮らしてい
る。腰の痛みがいぜんより和らいでいて、代わりに左上脚裏に痺れ感の痛みが時に襲う。脚の痙攣・攣縮もときおり襲う。ただ、この三ヶ月、鍼灸・揉み療治は
受けていない。
J 問題は眼の不調、少しも改善せず。検眼を重ね二次にわたり眼鏡を新調したが、読字極近用 機械近用 室内テレビ用 外出・観劇遠用、の四種類、計六
つの新旧眼鏡のどれ一つでも視野明瞭が得られず、目やにと涙に妨げられ、視野の滲みと視力の動揺が不断にきつい。疲労も著しい。
K 点眼薬は、緑内障用に「タブロス」日に一度、白内障用に「フルメトロン」日に数回、眼の栄養剤として「ヒアレイン」日に頻回可を処方されており、加えて私の判断で市販のビタミンE、C、ベーターカロテン、亜鉛を服用している。
L 最近、以前点眼用に処方されていて処方替えで手元に残っていた緑内障用の「ハイパージール」「レスキュラ」を試みに点眼したところ、果然として視野の明るみが得られ、効果時間も長めなのを体感。
M とにかくも眼科学的な有効処置は体感に程遠く、しかもこのまま「次回診察は半年後」に検査とだけでは、眼と視力のことゆえ甚だ不安心でもあり心許ない。
N 総じて、眼の不調のほかは、徐々に元気を取り戻しつつあると実感し、不調は不調のまま日々の「仕事」も「用事」も「読書」も「楽しみ」も気力衰えることなく、疲れたら休み休み、ほぼ恙なく過ごしている。電車で、また家の玄関で、二度転倒したが大事には至らなかった。
* いまもわたしは『拾遺和歌集』からの撰歌を楽しんでおり、『後拾遺和歌集』からの撰歌はすでに数次繰り返して済ませてある。
「拾遺・後拾遺」と並べるといかにも「一連」と見え、そう観たとて差し支えはないけれど、切り離して見立てる足場もある。『後拾遺和歌集』をつづく『金葉・詞花和歌集』とも一連に観れば、更に続いた『千載和歌集』との親縁がひときわ濃いという経緯がわかる。千載集は、じつに後拾遺和歌集以降金葉・詞花集などから洩れた同時代秀歌をとりあげつつ、千載自体の「現代」に及んで編まれた勅撰和歌集であった。
わたしは千載和歌集が好きで、さきにその秀歌集を湖の本110 111『千載和歌集と平安女文化』上下巻に纏めている。
それはそれとして、改めて明かして置くのだが、このわたしが、千載集や後拾遺集ないし拾遺和歌集から「秀歌」をわたしなりに自選の際に、何らか基準があるのかということ、むろん、在る。それを今一度ハッキリさせておく。
わたしは、当時盛況を極めた歌合の場などでの、当代きっての批評家・判者・また歌合方人たちによる優劣の判詞や評判や批評にまったく拘泥していない、それが「私撰の不動の基準」である。
わたしは文学史的に当時当時の歌風や世評や毀誉褒貶になど拘泥する義理がない。まったく無い。あくまで昭和平成の一歌人として、一藝術家として、その足
場と鑑賞・批評、ないしは単純に好悪に即して、徹して「好きな」「佳いと思う」和歌を撰していて、それ以外の意図も目当ても無い。その当時当時にに、公任
が、経信が、俊頼が、基俊が、ないしは俊恵が、俊成が、定家らが秀歌を選んでいた批評には一切拘泥していない。歌風変遷の研究などしているのではない、わ
たしは。それは学者・研究者の仕事であり本来であろうが、わたしはそんな本文に拘束されていない、一人の創作者・文藝批評家でありこよない愛読者である。
昔昔の勅撰和歌集から、現代を生きる詩人・作家の一人として、「これらがわたしの好きな佳い歌だ」と思う作を存分に自在に遠慮無く抜き出している。文学史
家の領分を素人のわたしが踏み荒らしに出ているのでは、決して、ない。百人一首のどの歌が好きで「おはこ」にするかは愛読者の全くの自由である、そういう
自由を謳歌しながら、わたしなりの「読み」と「美感」と「感銘」とを「自己表現」として「創りだして」いるのだ、古典を愛する現代藝術家として当然至極の
それもまた時代に応える「創作行為」なのである。
* 今晩、なにの迷いもなく、「お願いの電話」を小松市へ掛けた。こころよく聴いて下さった。一つ、確乎として前進した。感謝。
* 浴槽のなかで、行儀わるく五冊の岩波文庫を一冊ずつじっくり楽しんだ。馬琴の「八犬伝」 ヒルテイの「眠られぬ夜のために」 ミルトンの「失楽園」 スコットの「湖の麗人」そしてもう一冊、ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話」。
ほかに今お気に入りの愛読本は、新潮文庫でレマルクの「汝の隣人を愛せ」。ナチスの頃のドイツを追われ、どこの国からも一日二日よくて十日ほどの滞在を
許可されたあとは希望する国境から国外へ追放され続ける逃亡亡命者たちの、困苦の極みを生き抜いて行く愛と協力と耐久そのものの歳月。寒気のする恐怖や緊
迫・危険の連続にも生まれる人間愛また恋愛。心温まるものも、憤りに取り包まれる不条理にも充ち満ちている。いま、レマルクをもっと読みたい。
* 創作のためにも、今まさに探索の必要な調べ仕事が何箇条もあり、関連の参考書がみな分厚く大きく重くて、二階の機械部屋が沈みそう。わたしは今この部
屋の真ん中で、四方を、機械や本棚やソフアの上の本の山に取り囲まれ、廻転する倚子一つ分の広さだけに身を置いている。こういう生活を、あるいは昔から望
んできたような気がするが、部屋を出ると窓そいの廊下も書類で塞がれ、蟹歩きして階段へ行く。階段のどの段も半分は本が積んである。どこに何と、比較的よ
く記憶しているが、探さねばならなくなると往生する。
* 十一月四日 月
* 起床9:00 血
圧122-70(56) 血糖値82 体重67.6kg
* すばらしい教えやことばで我が身は充満し知解は及んでいると思うのに、何一つとして体得できていない。いつの日か発狂するのではないかと心より懼れる。
* 梅若万佐晴の「姥捨」は、まあまあ。橋がかりへの入りなど、物足りなかった。総じて精霊化していない。哀れは哀れとしてもウツツの生身の哀れでとど
まっている。昨日の喜多昭世の「烏頭」では見えぬ糸にひかれるように凄くも美しく橋がかりにあらわれ、底知れず静かに魅了していた。しかし予想していたよ
り尻上がりに感情移入がきいてきて共感して行けた。興ざめなのは、すりにも「姥捨」の姥の哀しみなど知ったことかと幕へ消え入るまえに拍手。褒美の気持ち
は有り難いが、森々とかつ深々とした静寂の能一番は帳消しになってしまう。観客の程度の低さがもろにあらわれ、拍手さえすれば義理を果たせるかのような心
ない行儀にがっかりした。能一番がはてて物音一つない静寂の緊迫のままに幕になる、あの寸時の嬉しさ、よろこび。能は、そう終わるべきもの。拍手の押しつ
けがましい大安売りは藝能が観客に真実マッチしていないことを浅はかに暴露する。
昨日の友枝会のこころよさは、客が軽薄な拍手をきちっと幕のあとまで自制してくれる清らかさにある。橘香会でも、できれは万三郎師から同門に仕付けて欲しい。
テレビでの、軽薄なタレント同士の騒がしいお遊びで、なにかというとお互いに拍手喝采の大盤振舞い、あのへんに藝能がうすっぺらく扱われてしまう毒源があるのだろう。歌舞伎座ですら無意味なご挨拶同然の拍手がやたらでるようになった。
「姥捨」では、アイを語った山本東次郎が断然立派だった。三役、そして太鼓方もよかった。
* 万三郎の舞囃子「木賊」はさすがに哀切しかも力ある舞の美しさに息を呑んだ。優れた舞囃子、わたしは時に能よりも好き。
* 狂言の「寝音曲」 山本則俊のシテがおおいによろしく、則重のアドもいい役者ぶりで、東次郎一門の充実がよく伝わってきた。
* 昨日今日、久しぶりに能楽堂に長居をした。三役など、またワキなどに代替わりが目立っていて、それもおもしろかった。若い能才が出現してくれるのが何
より。若い頃の凛々しい勘三郎によく似た亀井広忠君にも久しぶり昨日も今日も。彼の大鼓、すこしサ行混じりにカンカン鳴りすぎているのでは。
* 能「烏帽子折」も観て行こうかと思ったが、やはり限界で。失礼してきた。
万三郎新夫人を小林保治さんに紹介され、歓談。湖の本をよく読んでもらっていた。結婚式に参列した紀長君の夫人ともロビーで立ち話してきた。昨日と同じ国立能楽堂。さすがに着物のよく似合う人たちが多い。みな、しづしづと歩いている。
* 能楽堂から千駄ヶ谷駅まで雨に降られた。どこへも寄らず、朝から飲まず食わずのまま帰ってきた。
* 東京新聞が沢地久枝さんにインタビューしていたのが、まことその通りなので、記事をここへ拝借する。一人でも多くに読まれたいと願うのみ。
☆ 東京新聞朝刊2013/11/04
「秘密」は秘密ってばかな話 「日米密約」で著書の作家・沢地久枝さん
機密を漏らした公務員らへの罰則を強める特定秘密保護法案に、強い懸念が広がっている。一九七二年の沖縄返還をめぐる日米密約を、
著書で取り上げたノンフィクション作家沢地久枝さん(八三)は「この法律が成立したら、密約の当時よりもっとひどいことになる。憲法がどんなことを定めて
いても全部吹っ飛ぶのではないか」と憂える。
「とんでもない法案だとあきれました。こんなに内容が分からない法案は初めて見た。具体的な部分で『政令で定める』と書いてある箇所がいくつも出てくる。政令は、政府がいくらでも出せるものです」
特定秘密とは、安全保障に著しい支障を与える恐れがあって特に秘匿する必要のある情報で、防衛相ら行政機関トップが指定する。
「一般の人には、自分が特定秘密に触れているのか分からない。文章を書く人が取材した後、これは特定秘密だと言われたらアウト。特定秘密の秘密とは何ですかと聞いても『それは秘密です』なんて、こんなばかな話はない」
政府は今国会中の成立を目指しているが「戦争中の法律よりひどいのではないか。当時、軍事機密に触れるようなことは一般の人も予測
できた。今度の場合、想像ですが、何が特定秘密かはだいたい米政府との話し合いで決まるのではないか。今急いでいる理由は、日米関係を特に軍事面で円滑に
するため、日本はこうしますという約束を米国に見せようとしているんだと思いますね」
沖縄返還の日米密約に迫った新聞記者が逮捕された外務省機密漏えい事件を、著書「密約」で取り上げ、密約の文書開示請求訴訟にも原告として加わった。
「法案が成立すれば警察国家のようになる。特定秘密の保護措置として警察庁長官はいろんなことができる。戦争中の日本人は『警察ににらまれたらまずい』と思いながら話していた。そういう時代に戻る可能性が非常に大きい」
罰則で、公務員らが特定秘密を漏らすと最高十年の懲役に、漏らすよう働き掛けた場合も五年以下の懲役となる。「公務員は恐ろしくて
何も言わなくなるし、情報提供を受ける側も取材しにくくなる。おかしいと思うことを調べ社会のためだと思って発表しても特定秘密を公にしたと認定されれば
罪に問われるかもしれない。記者やライターがさらし者になり、公務員も被告になるのです。われわれがこれも特定秘密かと用心深くなっていけば、この国の言
論は窒息します。それが法案の狙いかと思います」
法案は、平和主義や国民主権、基本的人権の尊重という憲法の基本原理に対する反動とも指摘する。「明らかな憲法違反です。米国の戦
略の中で戦争に向かう約束をしても、秘密といえば分からない。この法律が通った瞬間に日本は別の国になる。それほど悪い法律で、憲法を変えなくても何でも
できる。憲法九条や九六条を変えると言えば反論できるが、特定秘密の内容には反論できない」
安全保障に関する情報を守るのが目的としているが「安全保障自体がはっきりしたものでないから、どれがその情報か分からない。みんな特定秘密にしてしまえば国は答えなくていいし、憲法も無視できる。こんな法律のある国を、次の世代に渡せますか」。
* なにやかややっているうちに時間がたつ。こんなとき、纏まりを急くとかえって混乱する。「仕事」はするものでもあり、「成る」ように成らせるものでもある。
* 十一月三日 日
* 起床8:30 血
圧142-78(59) 血糖値85 体重68.1kg
* 国立能楽堂の友枝会へ。 友枝昭世の「烏頭」と友枝雄人の「夕顔」を観て、体力限界で失礼してきた。馬場あき子さんと歓談。堀上謙さんと隣同士、開会前に小林保治さんと歓談。展示室でいい能面をたくさん観てきた。
昭世のシテはさすが、深々とした世界へ凄絶に誘い込まれ、しかも印象は静か。謡もすばらしかった。仕舞いも、雄人の謡もよろしからず、しかし「夕顔」のシテ小柄に美しく、源氏の世界もなつかしく、堪能した。
久しぶりの能村萬で狂言「酢薑」も観たかったが、足腰が痺れて痛みだしたので、よろよろと退散してきた。よろよろと池袋へもどり、帰ろうかと思っていた
が、つい地下の寿司政、八海山で、中とろ、牡丹海老、小肌、海胆、穴子、鯖、ねぎとろ、鮑、そして玉でアガリ。シャリは極端に小さくしてもらってネタを楽
しんだ。帰りの西武線で、湖の本118の再校を。能の前は眼をやすめ、能の最中ははじめ双眼鏡を使っていたが諦め、ただもう舞台を遠望していた。謡があり
地謡があり三役の鳴り物があって、舞がある。強いて観ようとしないで、渾然とした美しさに身を任せていた。
* あすも同じ国立能楽堂での梅若橘香会。
万佐晴が三老女の大曲「姥捨」を舞い、棟梁の万三郎は舞囃子「木賊」。「姥捨」はしんどいので失敬し、期待の舞囃子と、狂言と、子役の頑張る賑やかな能
「烏帽子折」まで観て帰ろうか、さて、身が保つかどうか。わたしの目のために、最前列の中央席をもらっていて、穴をあけては気の毒やし。
ちかぢか紀尾井町小ホールでは望月太左衛さんの会「鼓楽」もある。招待券を二枚もらっている。鳴り物ですかっとしたいが、行けるかな。
相次いで国立劇場では坂田藤十郎、中村翫雀らの通し狂言。これは必見。俳優座意欲の批評芝居も見逃せない。
相当な運動には成る、楽しみながら。
* なんのかんのといううちに湖の本118は快調に責了へ近づいて行く。発送用意をうまく連動させないと。
「選集」第一巻の原稿入稿はもういつでも出来る、が、事の肇めの第一巻だけは簡単じゃない。あとあとまでもよく考慮して、造本・装幀の真剣で慎重な打ち合わせ無しには進めようがない。
* やはり今日は疲れている。比較的眼の明るい内に休んでおくのがいい。視力はやはりエネギーで、減って行くのなら溜めることも考えねばならぬ。
* 十一月二日 土
* 起床9:00 血
圧152-75(56) 血糖値93 体重67.2kg
* 湖の本118 本文再校が出そろった。
* 韓国のドラマ「トンイ」で、王が初めて飢えた賤民たちの苦境を目に触れて涙し己を怒る場面を観た。王と民とを山なして隔てている悪しき要職や官僚・諸司たち。民のための王なのにと嘆く王。
民のための総理だと、大臣だと、官僚だと、いったい今の日本でだれが思っていよう。彼らは自分のための政治、自分たちの安泰と繁栄のための政権だと思っている。
「聖人の静けさは、静かなのが善だからというわけではなく、彼の心をかき乱すほどのものは何もないから静かなのだ」と荘子の「外篇」天道篇の早々に言っ
てあるが、とてもわたしは聖人どころではない。かき乱されてばかりいる。恥ずべきか。虚静(自己を虚にした心の静けさ)、恬淡(無欲なこだわりの無さ)、
寂寞(ひっそりとした静寂)、無為(人為的な作意のなさ)が、道徳(無為自然の道とその道にもとづくあり方)の極致といい、帝王や聖人はその境地に安らぐ
のだというが、苛斂誅求の苦難と飢餓になげく民を目前にして帝王や聖人は、どう虚静、恬淡、寂寞、無為で済むのか、とは、問わねばならない。
* 平成二十五年十一月一日 金
* 起床8:00 血
圧120-65(60) 血糖値89 体重68.9kg 体重増におそれをなし、電動自転車で一時間半ないし二時間走ってきた。
* 十二月、松本紀保出演の小劇場芝居、来春二月の松たか子主演のコクーン芝居、予約。
今月はなにかと気ぜわしく能を二日続きで、俳優座の新劇も国立劇場の歌舞伎もある。十一日には暫くぶりに聖路加病院オンコロジーの診察を受ける。検査もなく、あっさり済むかも。それだと、天気次第だが久しぶりに午後の街を独り楽しんできたいが。
☆ 青柳幸秀さんに頂いた歌集三章の日常詠「安曇野に老ゆ」の歌には、生命力の、おとろえぬ滾りに共感できる。有り難い。
今日届いた有名歌誌の有名主宰の歌のあまりのつまらなさを嘆いていた。いい歌は、だが、真摯な精神とともに失せてしまいはしない。有名ゆえに許してはならぬ、無名にも光る宝石がある。
やはらかな日射しの中に立つ麦はおのづからなる花粉をこぼす
安曇野は麦の秋なる空の下ひと穂ひと穂の熟るる静かさ
昔より瑞穂の里の安曇野は稲穂垂れをりこの暑さにも
さきがけて秋咲く花のコスモスのすでにし盛りこの暑さにも
黒潮の波濤の中の国一つすでに老けたり日の本の国
洋(わた)なかの遠くに捨てむかかの昭和これなる吾を副葬として
昭和とふ波濤まだ見ゆふりむけば貧しさもまたなつかしきもの
一人静かに生きる現(うつつ)を諾(うべな)ひて春くれば咲く老木もある
老い呆けて空行く雲をみてをりぬ 風葬にも似たり吾の想ひは
玉音の記憶はいまも鮮しく重たし吾のこの一ページ
焼野原の日本の国を興したる人歩むなり杖をたよりに
安曇野に金輪際の生を得て緞帳下ろす前の夕映え
砂時計は最後の砂をこぼしをりこれなるさまに身を置く吾か
ありつたけの掌をば広げて花降らすこの遊星にわれは生れし
日の終り背に負ふ鍬の重たしよ悪童われもいつしか老いぬ
目の前の写真の母よ老いてわれは素直にあなたのいとし子となる
かぐや姫もきみさへもゐるこの空の暗証番号秘めて吾が持つ
汝(な)がために小さな星をかくし持つさみしきときは手をひらき見き
わづかなる年金の紙幣受け取りぬ終はらぬ戦後の農民われは
来る年は八十路とはなる吾が歩み遮断機の間(あひ)をすり抜けて来て
滅び逝く これの地球の前ぶれか全山松の立ち枯るるさま
山の秀(ほ)を拳のごとく押し立てて拒むものありひそと生きねば
稚ながほの埴輪の像を引き寄せて臨界近き地球を憂ふ
はるかなる夢路そのまま立ちてゐる埴輪はいまも恋の匂ひす
* 信じられぬ精気に打たれ、立ちつくすことがある。
* 自転車も、電動はらくだが、運転能はハンドル幅が狭くてよろしくなく、ときにヨロついて危ない。危ないけれど永く遠くまで走れる。天気の良い秋の日の自転車は暑からず寒からず口を衝いて歌など歌いたくなる。
五箇条のノルマを日ごと消化しているが、運動不足になる。もう一項目、少なくも日に、合わせて一時間以上は走ることにする。どうも歩く気にはなれない。京都で奈良むやみと歩いて楽しいのだが、西東京の保谷地区ではまるで楽しめない。
荷風は、電車で目的地ちかくへ移動してから界隈を散策していた。杖をついていたかどうか。わたしは、病後、あえて歩くときは紫檀の杖を用いている。昔の
人は若くて元気な者でも杖ないしステッキを愛用する人がいたらしい。漱石の『彼岸過ぎ迄』で実例を知った。同宿の誰かが下宿に置き去りにしていったちょっ
と変わった杖を、ワキ役の青年が勝手に面白がって外出時には使っていた。たしかに面白そうな杖だけれど、握りのところが、たしか口をあいた蛇のかたちだと
あって、辟易した。
しかし、趣味の佳い面白い古い杖に出逢いたいものだといつも思っている。気に入った洒落た杖が手に入れば、使いたくて散歩や外出が増え、運動になるかも
知れない。杖をついた人は最近やたら多い、が、多すぎる分、見たところ無趣味な杖ばかり目に付く。無趣味な杖はときどき置き忘れてしまう。わたしはすでに
二本、どこかで無くして家に帰った。で、ちょっと品質を奢ることにした。置き忘れなくなった。
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