saku134




述懐 平成二十四年(2012)十一月

   末の世のへろへろびとは見むもうし
    旅にい往きて海をこそ見め        吉井勇

 あの夏の数かぎりなきそしてまた
    たつた一つの表情をせよ         小野茂樹

 子にわれは何なりや知らず子のわれは
    親の愛知りあやふきに生く        窪田章一郎

 松羽目の松秀(まつほ)に臨(お)りよ白鷹(はくたか)よと
     願(ね)ぎつつ目守(まも)る万三郎鉢木

 珠取りの海女(あま)が恋しと躬(み)の母の
     生きて死ににき戦(いくさ)を想ふ

 われは誰れ清経のやうであらば在れ
     死にての後も妻にむき逢ふ

 死ぬるが定(ぢやう)と少しづつ少しづつ思ひ寝の
     夢に来て顕(た)つあのひとは誰れ         

 
老いは老い どう おい懸けても老いは老い 
     悲しくば泣け 来世を待つな        遠
     

 






 「反原発」 を民意で吶喊・完遂するには、総選挙の投票により「総意」として実現しなければもとの木阿弥で終わる。たとえ雨風がつよくてもこの「反原発」の願いは選挙 の票でぜひ意思表示したい。棄権しないで、「どの党、どの候補」が「反・脱原発」を誠実に表明しているかを確かめながら一票を投じたい。投じて欲しい。 12.11.19


「経団連等に原発稼働促進を公然申し入れた安倍晋三率いる自民党に、絶対に政権を委ねてはならない。」 
「反・脱原発」を「政策として闡明にしていない政党・立候補者を決して支持しない。
12.11.16



作家である私・秦 恒平(元・日本ペンクラブ理事、東工大教授)は、

「反原発へ八策」の必要を、声明する。

 @  「2030年原発ゼロ」目標を堅持しつとめて実現に向かおう。
 A  原発擁護推進を鮮明にしている自民党の政権復帰を来る総選挙で徹底阻止しよう。
 B  政府・政治家に対し、核廃棄物、放射能瓦礫や劇害放射能物質の「永久隔離」策を、また電力企業の発電・送電分離を、 間断なく要求しつづけよう。
 C  広域に亘り国民の内部被曝や発病のおそれにも目を向け、科学的に正確な線量検査態勢を要求しつづけよう。
 D  国民による全国的な「反原発運動やデモ」の我慢強い継続・持続をつづけよう。
 E  政治家や官僚や特権企業・財界の悪辣な「欺瞞と隠蔽」姿勢に対し容赦なく糾弾しつづけよう。
 F  知性と洞察と探索に長じた誠実なジャーナリズム・メディアを応援して行こう。
 G  謬り多き原発安全神話に跳梁した学者・政治家・企業人への告発を強め、差別的に排除されていた良心ある少数科学者たちの声をいま新たに国民は聴こう。公正な意図と運営とで真摯な意見交換を企画して行こう。
       2012.10.01

 原文の損改無しに、広範囲の転載を希望します。

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* 平成二十四年(二〇一二)十一月一日 木

* 
血圧135-60(63)  体 重64.7.kg   涙目は改善傾向 ただ視力は安定しない感じ 朝、栗飯一膳 葛切 白菜 朝の服薬   午前仕事 昼食忘却 聖路加眼科へ 検眼の結果まだ眼鏡のための処方箋出ず、この六日に諸検査予約が半年前から決まっているのに、一月後にまた検眼に来る ようにと。わたしの眼鏡と仕事との重い関係を担当医師は分かってくれない、あげく左眼の白内障手術も
しましょうかなどと。左眼は視力もいいし白内障も進ん でいないといわれるのに何故と聞くと、右眼の故障と平均化する意味でと。途方も無い。なにかしら右眼に傷が有りフルメトロンで改善が進んでいるとも。手術 して三ヶ月以上経っている。おそらくは抗癌剤「TS1」の副作用が右眼に来ているからと言われ、同様のことは腫瘍内科でも長野の中村眼科の告知にも言われ ている。左眼にもそれは及んでいるのか。結局フルメトロンが継続処方されて終えた。索然とする。眼科学は周辺領域の研究などに配慮しないのか。
次いで腫瘍内科へ主治医の十一月からの復帰を確かめに立ち寄ると、名取主治医は年内戻らないと。愕然。今後どうなるのかも決まっていなかった。外科を断って家族全員で腫瘍内科に全面依頼した。事情は分からないが、現任教育の継続であるなら、むしろ歓迎し勧奨しなくては。
 処方眼薬を受け取り、空腹を満たす気もせず、木村屋の小さいパンを六種買っただけで一路帰宅。夕食、ちらし寿司と汁蕎麦。 夕方の服薬後、疲労の妻が床に就いたので、わたしも寝入った。いま、起きて機械の前へ。十二時、日付が変わる。


* 放射能高線量下での「作業の強要」は違法であると、福島第一原発の危険区域元作業員が、東電と元請け関電工への訴えを起こした。事情を知れば知るほど、この特権企業は、ひどい。

* テレビ朝日の玉川氏が、菅前総理にインタビューしていた。菅氏の言句はことごとくあの原発爆発当時の証言として、わたしは適切で間違いの無いものと了 承する。チェルノブイリをも念頭に、もしも東京にまで危害が及ぶとき
都民はいかにどこへどう避難できるかと恐怖を覚えた以上、総理として必死の覚悟で東電 や官邸に指示を発し続けた行為は、もしこれをしていなかった際の逡巡や無責任を想えば、万全に正確なとはたとえ多少謂えないとしても、東電も官邸も誠実に 聴いて適確な責任在る対応をすべきが当然であった。事後に、責任のなすりつけで、「脱原発総理のひきずり下ろしを画策した東電、経産省、原発擁護代議士、学 者ら」の「儲け主義者」どもの不誠実こそ弾劾されて当然だ。菅前総理の断然とした脱原発への不退転の意思表示を、と゜うか永続して欲しい。
 もう電力企業の経営不振に国民の税金を無際限に投入する安易な政策は、やめよ。

* 午後三時、またしても眼科の三度目の検眼に出向く。処方箋が出て、とにもかくにも眼鏡の調製が可能であって欲しいと切望するのだが。

  ☆ 再びの独り言
  
くらきよりくらき道にぞ入りぬべきはるかにてらす月とこそ見め  

* 返し
   この月は先月でも来月でもなき月ぞ今・此処をひしとおのがじし照らせ   

* 昨夜は例の自転車で目黒から建日子が帰ってきて、映画「指輪物語」の第三部四時間を、親子三人で十分に楽しんだ。よく出来た、壮烈で美しい映像の魅力 を三人で三嘆した。読む方は二度目を第四巻、半ばまで読み進んで楽しみを尽くしている。はじめのうちは「八犬伝」の導入に魅されていても、物語が進行する につれ、「指輪物語」の語りの精緻な美しさに、より惹き込まれている。

* これも昨日。福田恆存先生の劇作「明暗」を嗣子である福田逸さんが演出されるということで、「同伴者」ともどものご招待を戴いた。この作は漱石の「明 暗」とは関連の無い福田先生独往の創造世界。
 以前には「堅塁奪取」の見事さ、面白さ、怖さに痺れた。有難いお誘いであり、ぜひ大勢に観て欲しい。建日子た ちにも観てほしく、追加で注文しようと思う。


* 十一月二日 金

* 
血圧120-60(64)  血糖値73 体重64.9.kg   朝、栗飯半膳 小さいパン一つ 紅茶 洗眼 洗口腔 点眼 朝の服薬 午 前仕事 午は 粥一膳 小さいパン一つ スクランブル卵ほんの少し、苦くて。今日はことに食べ物が苦い 眼も霞んでいる 午後  歯科へ 手の痺れ強く 視野甚だ不安定 診療からまっすぐ帰宅 夕食 鮓一人前を少し残す すべて苦くて食べがたく。 十時まで夜仕事 一時間ばかり休息して寝る。                     

* 滋賀県東近江市から「未来共創新聞」の5 6号が送られてきて感想を求めている。四月一日号の一面では京大名誉教授の西村進氏が「『安全』 後回しで原発建設」を指弾し、往年に小泉総理が氏を「定年」理由に委員会から追い出したこと、当時氏は「家と便所とは同じ場所に建てて当然」という意見を強く 出していたが、便所の必要まで三十年ある、そのうちに考えればいいという「いいかげんな意見」が当局、企業、科学者の大勢を占めていたといった気味のこと を語っている。
 原子力産業の言う「安全」とは一種の物理学的な発想で、極端に言えば、限りなく刹那的な現在が永遠に続くというようなことかという質問に、西村氏は「そうです。彼らにすれば、メルトダウン事故は『起こりえないことが起こった』」といった言い訳しか言えない」のだとある。
 まだ詳細に送られてきた全紙を読んでいない、感想がどう書けるかも分からないが、こういうコミュニケーションの働きかけは、今日、ことに大切と思う。
 東電では現場作業員のうち、より安全区域で作業の自社職員には「危険撤退」をさせても、下請け会社から送り込まれたより危険の濃い現場作業員の撤退指示 は出さず、抵抗すれば馘首が待っているという「非人道」が為され続けてきたと、今回公に訴えた作業員は暴露している。これに対し企業東電は「箝口令を作業員らに 指示」しているとも報道されている。なんというイヤな東電か。

* 昨夜は夕食後から十一時まで寝てしまい、一時間ほど機械の前などに来て一日の始末はつけたが、日付が変わったところで上野千鶴子さんにもらった新刊の 一部をとても興深く読んでから、すぐ寝入り、八時過ぎまで寝ていた。通して、十三時間寝ていた。寝過ぎかもしれないが、その間は平和である。
 上野さんの実調査や証言を踏んだ言説には驚くほどの意外さと説得の力がある。眼からウロコを何枚も剥がされて行く。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 フローベールによれば「散文」は「韻文よりも作るのが簡単」と。紋切型である。それに対し「詩」は「まったく無用のもの」「その流行は廃れた」と言い 切っているのは、世界史的な「散文」作家の強烈な「詩の無用」批評であろう。「韻」を踏みやすい西欧の言語専門作家である人のこの突っ放しは、「韻」のと らえがたい日本の「現代詩」では一層の「無用」感を強いてくる。いろんな詩誌が送られてくるが、詩作の多くは独り合点の独りよがりに近いと評されよう。
 「日本人の詩作」には、確乎たる方法論が見当たらない、おのがじし好き勝手をしていて、文学的効果は低調なのである。
 フローベールに言わせれば、なんと、「詩人」とは「夢想家、馬鹿者の同義語」だとある。ゲーテやハイネやヴォードレールらの名と作とが厳粛なほどにわたしには蘇ってくるのだが。
 さて、「字」が「きれいだと何でも成功する。」「読めないような字を書くのは、学があるというしるし」とはどうだろう。後者の例では、亡き中村光夫先生、健在の梅原猛さんの書字がわたしの触れた限り、飛び抜けて「読めない」。
 「時間」は「永遠の話題」であるとともに、「いつでもどこでも病気を引き起こす原因」だというのは、何ともいえぬ凄然の示唆であり、頷ける怖さがある。
 「事故」は「常に『嘆かわしい』、あるいは『遺憾な』もの」とは自然当然で、わたしも常に「事故」や「怪我」を我にも家族にも人の上にも無かれと切に願っている。
 「仕事」は「何よりも優先される」「人生においていちばん重要なもの」だが、「女性は仕事の話をしてはならない」と。原語の「affaires」には「月経」の意味があると訳者は注してくれている。
 「自殺」は「卑怯だという証拠」というのには多くの反論が在ろう。東工大の学生達に訊いたとき、「自殺は基本的人権の一つ」「文化」と答えた学生が二、三にとどまらなかった。キリスト教社会と日本人の感覚がちがってもくるのだろう。自殺者はあまりに多い。
                                           
 ☆ 臨済録に聴く
 「おまえたち、時のたつのは惜しい。それだのに、おまえはわき道にそれてせかせかと、それ禅だそれ仏道だと、記号や言葉目当てにし、仏を求め祖師を求 め、〔いわゆる〕善知識を求めて臆測を加えようとする。間違ってはいけないぞ、おまえ。」「このうえ何を求あようというのだ。自らの光を外へ照らし向けて みよ。古人はここを、『演若達多は自分の頭を失って探し廻ったが、探す心が止まったら無事安泰』と言っている。おまえよ。まあ当たり前でやっていくこと だ。あれこれと格好をつけてはならぬ。世間にはもののけじめもつかぬ悪僧の手合いがいて、何かといえば神がかりをやらかし、右へ左へとくるくる向きを変 え、『やあいい日和だ、やあいいお湿りだ』と御託を並べる。こんな輩は、みんな閻魔王の前で焼けた鉄丸を呑んで借りを返させられる日が来るだろう。ところ が、しゃんとした生まれのはずの修行者たちが、こんな狐狸の手合いに化かされて、さっそくうろんまことをやらかす。愚か者め。閻魔王に飯代を請求される日がきっと来るぞ。」    

 演若達多 鏡にうつる自身の美貌を楽しんでいたが、ある日直に顔を見ようとして見られず、顔を失ったと町中を走り回った男。自己を見失った愚かさの喩え。
 核心は「要平常、莫作模様 
当たり前でやっていくことだ。あれこれと格好をつけてはならぬ。」
 生皮を剥がれる心地がする。知識人ほどこれが出来ぬ。

  ☆ 謹啓 秋冷の候、
 秦 恒平先生におかれましては、ますます御清祥のこととお喜び申し上げます。
 過日は、ご著書『京のわる口』を御恵贈いただき、誠にありがとうございます。京都ご出身で、京都を知悉され、京都をこよなく愛される秦先生のお心が伝わって参ります。
 時節柄、くれぐれもご自愛いただき、秦先生のますますの御活躍と御健勝をお祈り申し上げます。 敬具
    平成二十四年十月二十二日   京都市長  門川大作
  
 ☆ ご清祥の御事と
 お慶び申し上げます。
 この度は『京のわる口』を御恵贈賜わり、心より御礼申し上げます。
 愉しみに拝読させていただきます。
 益々の御自愛、ご健筆をお祈り申し上げます。
 先はとりあえず御礼まで。  瀬戸内寂聴

 ☆ 御賀のこと
 お祝い申し上げます。
 いよいよ御健筆にて 御活躍下さいませ
 京のわる口 身内ならではの御文章です。わたくしなどは書けませず 書いたら京の方に叱られましょう。
 冬は老の大敵 くれぐれも御大切に。 
 御本の御礼まで   杉並区  作家

 
☆ ご送付のお礼
 秦先生  
2枚つづりのカレンダーも今年最後の1枚となり、急にひんやりしてきました。
 夏日から一転、あいだの季節がないような移り変わりです。
 お体いかがでいらっしゃいますか。
 ご病気のあとも、少し落ち着かれるともういつもと変わらぬ日常を紡いでいらっしゃるお気持ちのありよう、いつも驚嘆しています。
 先日はご本ありがとうございました。
 新聞で広告を見て、本屋さんに行ってみようと思っていた矢先、郵便受けに届きました。申し訳ありません。
 当方、老老介護がますます加速し、制度や仕組みの不備や矛盾が直接身に降りかかっています。
 まあその中でなんとか日々を流したり泳いだりしています。
 どうぞくれぐれもお大切に。  杉並区    読者 
        
 ☆ 閑坐  白楽天
 暖擁紅爐火    
暖は紅爐の火を擁し
 閑掻白髪頭    閑、白髪の頭を掻く
 百年慵裏過    百年、慵裏に過ぎ
 萬事酔中休    萬事、酔中に休す
 有室同摩詰    伴侶有るは摩詰に同じく
 無児比ケ攸    愛児無きはケ攸に比せり
 莫論身在日    論ずるなかれ身に在りし栄枯特質を
 身後亦無憂    来世を恃まず亦些かの憂いもあらず                    

 わたしはこのように読んで、慕う。 


* 十一月三日 土

* 
血 圧116-53(59)  血糖値92 体重64.7kg   朝、中華風握り飯一箇 スープ 柿一つ 朝の服薬   今、何世代か前の古眼鏡を掛けて調子が他の新しい眼鏡より良い。涙無く両眼の視線が比較的安定している。何を意味しているかは分からない。 排便 午、粥 に振掛一膳 スープ 午の服薬  排便少し 眼帯を新しく買い右眼を塞いで左眼だけで仕事している。古い眼鏡もおおかた左眼には適応しているので。涙目は 落ち着いている。手足の痺れはきつい。入浴読書五冊 浴後体重65.0KG。

* 拉致され、小泉訪朝で帰国した一人蓮池氏がインタビューに答えて、じつに聡明に答えていた。最後の提言で日本政府には拉致問題のチームが必要なこと、 6カ国会議とは別に日朝二国の直接交渉の必要なこと、北朝鮮の言い分を勘案するより、日本国としての強い交渉・要求案を堅持して立ち向かって欲しいという 蓮池氏の意見は聴くに足る。

* 反原発デモの出発点、日比谷公園を都も裁判所も使用不許可とはどういうことか。

* 大飯原発地下の活断層精査、しっかりした結論へ導いて欲しい。あいまいな理由で稼働是認へ強行されぬよう深い関心で注目を続けたい。

* 昨日江古田の書店で、幻冬舎刊『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』という菅直人前総理の著書を買ってきた。この表題の「総理大臣として」 の表白が重い。わたしは菅直人叩きの声を聴くつど、この点が看取られていないことに発言者の軽薄を感じてきた。読み進んで落ち着いた筆致のなかに、「総 理」という立場にガンとして起たずばあるまじき気概とともに、今となって事実
を糊塗しようとする卑しい言表も気息もわたしは感じなかった。大事な歴史的証 言に臨んだ「当時総理大臣」としての実感としての驚怖、責任感がよく表現され、いやしい言い逃れは感じ取れなかった。
 そう読んだ上で彼・菅直人が何を述懐し証言していたかを重く具体的に見極めねばならない。願わくは大勢が自身の読み取りをして欲しい。

* 大河ドラマ「平清盛」の視聴率がわるかったこと、主役の松山ケンイチ君がスタッフや特に女優陣から不評を買い続けたということ、事実がどうかは知らな いが、おかしい。ドラマの何が不評なのか知らないが、耳にする、スタート時点で描き出された「侍」風情が汚いなどは、むしろ精確な脚色の把握であり、一般視 聴者の無知と視聴能力の低級を露呈しているに過ぎない。脚色者の勉強も感覚・感性・知性も、累代の大河ドラマからみれば飛び抜けて優秀であったし、難しい 公武政権交替時代をリアルに良く捉えてきたとわたしは高く評価している。
 松山君の清盛も立派に実感をとらえ、出色の面構えも磨かれて、わたしは何不足無く喝 采している。見るに足るいい顔に成ってきた。むしろ女優陣の方に松山君に匹敵する傑出した魅力表現が足りなかったのではないか。建春門院の輝きなど、出せ ていなかったのは遺憾だった、歴世の后妃として最高の幸福を満喫した美しさに足りなかった。
 このドラマでは、清盛のみごとな聳立感、父忠盛の気概、白河院の化け物度、後白河院の唸らせる実在感、信西の圧力、時忠のいやらしさ、源頼政のなにとな く武士として弱い存在感、重盛の苦渋など、男達をたいそうよく創りだしている。公家達の、右往左往も実際にああいうものであった。歴史的にも人間関係・階 層関係の最も複雑で、しかもおよそ日本列島の全土にドラマが起きていた時代を、この程度まででも再現して見せた追究の力に、わたしは敬意すら表している。
 脚色者も松山君も、わたしのこの評価にもし気づいたら、胸を張って欲しい。また一般試聴者も、ドラマを見る目をもっと質的に輝かせて欲しい。

* のびのびした「文章」が書きたい。が、ただの懐旧談ではつまらない。続けて書くならべつの場所がいいだろう。

 ☆ 
ご本をお送り下さり
 ありがとうございました。
その上御礼が遅くなり申し訳ありません。 
 
主人が
珍しくめくってみて面白いと言って読んでいます。
 東京に居る姪(兄の子)が京都弁のまま毎日ブログを書き込んでいるので 主人が読めば送ってやろうと思います。彼女はミュジシャンです。
 以前から同じ本を私は手元に持っていますので。
 3日と空けずに私語の刻を見て一喜一憂しています。
 どうぞご無理なさらないようにお過ごし下さい。
 遅ればせながら御礼まで   京都同窓    読者

* 新しい仕事は着々進んでいる、眼の不自由は不自由として。今夜は、もうやすむ。


     
* 十一月四日 日

* 
血 圧123-60(58)  血糖値79 体重64.9kg   朝、うどん 餅一つ半 蜂蜜紅茶 ヤクルト   朝の服薬 午前仕事 午 卵かけ飯一膳 柿一つ 午後仕事 夕刻前に千駄ヶ谷国立能楽堂で友枝昭世の「海女」だけを観て、一路帰宅。「平清盛」観ながら夕 食 煮鶏卵 薩摩揚と豆腐の煮物 酒少し 夜仕事

* いま、前世紀末から
こ の新世紀へかかる我が国の政治事情を点検しているが、ちょうど小渕、森そして小泉内閣誕生頃に当たっていて、自民政治のむちゃくちゃが「時間」の彼方でも ありありと再認識できる。それは今の民主党野田政権のむちゃくちゃと類似していて、「政治」というものの良くは改まらない実情を情けなく思い知らせる。あ あ、こういうことがあったと思い出す一方で、いまのあれこれとちっとも変わりが無いと、情けなさを倍増させる。しかし、国民は、それらを忘れ去ってはなら ない。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「時代」とは「われらの時代即ち現代」のこと。「現代」に対しては常に「はげしく非難すること」「移行期、頽廃の時代と呼ぶべし!」「詩的な時代でな いと嘆くべし」とフローベールの作中人物は叫ぶ。「現代」を謳歌するなど今の日本人にもまるで許されない。日本の「現代」は腐れている。
 「実践」は「理論にまさる」と。
 「写真」は「いずれ絵画にとって代わるだろう」と。ひところまでは一世を風靡した画家が同時代にいた。今はかなり心許ない、その原因の大きな一つ に、画家が写真機を利用して撮影した写真から繪を描いているからだ、繪が弱く弱くなって行く。「写真画家」を絶対に容認してはならない。絵画と写真とは絶 対にちがう。写真を繪にしている画家は、画家では無い。
 「ああ自由よ、汝の名においてどれほど多くの罪が犯されることか!」とは、フランス革命でギロチン刑を受ける直前にロラン夫人が口にした。だが革命の自 由をのろった人士も生前は「自由」の名で多々罪を犯していた。フローベールの言うように「われわれには必要な自由がすべてある」と仮にしても、必ずしもご同 慶とは言いがたい。わたしは「自由」を願うが、非難したい我が儘勝手な自由もある。ごちゃ混ぜにはしない。
 「醜悪」なことを「やってもいいが、口にしてはならない」と。人の行為のおおかたは良きにつけ悪しきにつけ「醜悪」に隣接し直接している。「口にしない」でやり過ごしているだけ。しかし政治や特権企業の醜悪は、はっきり口にして咎めるべし。

* 午後おそめに友枝昭世の能「海女」を観に千駄ヶ谷まで出向くつもり。後ろの席から舞台と演能とがちゃんと見えるかと心配はあるが招待に愉しみに応じたい。
 二時半に能楽堂に入った。最後列の一つ前の席で、舞台は眼にぼやけていたが謡を聴き、囃子を愉しみ、ときどきは片目右眼を掌でふさいで左眼ひとつで昭世 の美しくたしかな舞いを喜んで見つめていた。「海女」は子方がかなり謡う。これは難と言えば難であるが、前シテは珠取りの劇を強く深く演じて感動豊か。後 シテは龍女としてちからづよくしかし静かに舞う。いい能であった、
 能を終えたところで馬場あき子と出逢ったが、馬場さん一瞬二瞬わたしが識別できなかった。言葉をどうかけていいのかという顔つきで、湖の本が「こーんな に書架に増えたわ」と両手をひろげて話した。先日の「鉢木」のとき小林保治がやはりそうだった。二十数キロも痩せたのだ、顔にも生彩がなかったろう、掌の無数の深い皺 などわたしが観ても愕く。
 一路帰宅。二つの電車で二度とも親切に席を譲ってくれる人がいた。有難かった。

* 「平清盛」いよいよ絶頂の晴れと退潮へ向かう暗影とが交錯し始めた。重盛の唯一の見せ場「孝ならんと欲すれば忠ならず。忠ならんと欲すれば孝ならず」 の慟哭を聞いた。伊豆の頼朝は父時政にゆるされ政子を妻にし、沙那王は母常磐の義経命名を得て弁慶と奥州へ下る途中、父義朝最期の地尾張で元服。源頼政は この期に及んで清盛から三位に昇叙して貰っていて、まだ以仁王は現れていない。重盛の義兄成親の配流地での惨死は書かれたが、言仁親王・安徳天皇の誕生は描かれたが、鬼海が島の俊寛らのことは出てこない。割愛されたか。

* 林君の、電話でのコントロールで機械を改善しようという「直接遠隔操作」は、わたしの理解力がなく、結局なにも出来ないままわたしがバテてしまった。難しいことだ。林君には一時間の余も電話させてしまい、申し訳なかった。

* 明日、地元の眼科で診てもらおうと思っている。なにのために病院眼科が検眼を三度も四度も繰り返しているのかが皆目分からない。もし抗癌剤が眼を傷つ けているなら、それへの治療が必要。それはフルメトロン点眼だけで足りているのか。何度か作り直してもいいから今すぐにも適切な眼鏡が欲しい。
 疲れた。やすむ。



* 十一月五日 月

* 血 圧125-63(63)  血糖値70 体重64.0kg   朝、振掛けじゃこ・梅干茶漬け一膳 柿少し クリームチーズ少し ヤクルト 朝の服薬   手先の痺れ強く、手先が寒い 涙・洟水相変わらず  午前 仕事の後 地元佐藤眼科で検眼 眼鏡の処方箋貰う 眼鏡不調での日常我慢ならない 目に変化あればその都度眼鏡新調を覚悟 午 狐うどん 餅半箇  午の服薬 午後仕事 夕食は 卵かけ飯一膳 スープ 清酒・ウイスキー少しずつ。 酒は、口の苦いのを「消す」とはいえないが激しい刺激で少し忘れさせる。  寒さ、身に響く。手袋も襟巻きも厚着も当たり前に必要になってきた。 入浴読書六冊 夜仕事。
 一日も早く現状に対応した眼鏡が欲しい。必要なら何度でも取り替える。眼はわたしの生産意欲の根だから。十月二十三日、右眼手術から正確に三ヶ月。その 日以降、二十五日、十一月一日、明日十一月六日も含め、二週間に四回ただ「検眼」のために通院。地元の眼科では、そのまでは辛いでしょう、眼鏡はいくらか随時に 不安定な視力に応じ作り直す必要が起きるかと思うけれど、と、丁寧に時間懸けて診察のうえ、眼鏡の処方箋を出してくれた。なにより目下、ありがたい。 夜、排便して 寝る

* 単身女性の貧困 貧困家庭の実情をNHKが報道していた。しかし番組は核心にあえて触れようとしていないと見えた。
 一つは、「非正規雇用」という制度化された儲け主義経済界の利便を根底から見直し廃止すべきこと。これを受け入れ歓迎すらしてきたような「働き人の甘えた エゴイズム」が猛烈なしっぺい返しをされているとも謂えるが、そんな貧困者の実情を今が今無視した評論は措くべきである。「非正規雇用」制度は貧しい人たち を自殺へすら追い込もうとしている現実を直視したい。小泉内閣の最も悪しい悪政の一つ。
 もう一つは、「政治悪」への批判がまったく出てこない。民間の狭い範囲の当事者・関係者だけが時に評論に陥り、時に半ば空しい奔走に追われている。しか し事は「非正規雇用」制度を制度化した根源の悪政意図に在る。それへ声を挙げて闘わねばなんらの解決もみないまま事態は悪化の道を辿るだけだ。
 繰り返しわたしは言ってきた、働き人、労働者を真正面・第一義擁護する「政党」が、この国からまるで消え去っている。何という不幸で怠慢な事実だろう。 かつてはそういう政党が、常に三分一の代議士を国会に送り、利益追求しか考えない保守政党にかつがつ対峙していた。大勢の困窮を免れて我が世の春に浮かれる 如く労働者のための政党を、保守勢力はことごとに掣肘しついに破滅に追い込んだ。
 追い込まれた政党にもまた自覚がなかった。社会党は分裂して右派は保守政党へ身売りし、左派は、必要で大事なことではあるが「憲法擁護」を叫ぶのみで、労 働者を全く顧みなくなった。その意味では土井・福島女性二代の社民党党首の大きな無責任、観念論的な政治姿勢のもたらした無識見の咎というしか無い。福島党首はわた しにも国会を見に来てと言い寄越すけれど、もっと大事なのは彼女や彼らが率先国民の中へ身心を運んで、いかに働きたい人々が困窮の底へ、地獄へ追いやられ て救いの手が無い現実に代議士としての良心を磨き直すべきである。旗印を、「憲法擁護」は良いとして、さらに大きな「労働者擁護と前進の政党」として国民 との団結を呼びかける時である。「憲法」だけでは肝心の「票」はとれない。
 一日「百円」の食費に喘いで「自殺」を思っている本来まともに働けていいはずの 人たちを見捨てていて、何が民主社会党なものか。何が共産党なものか。何が「みんなの党」なものか。なにが「国民の生活が第一」の党なものか。何が「維新」な ものか。何が「民主」の党、なにが「自由民主」の党なものか。
 「非正規雇用」制を廃棄を含めて革新せよ。
 社民党は国民の巷へ奉仕の足と心とを運び、働き人を徹底的に守れ。

* 福島原発の現場作業員の確保は二万数千人を確保と東電は従来語ってきたが、最低必要人員一万二千数百人に対して八千人しかなく、それも日々に一人二人 と辞めていくと、作業員も東電すらも認めている。廃炉作業要因であるが、一つの廃炉にも四十年もかかると言われている。何なんだこの実態は。

* わたしは老いそして重い病に落ちている。しかし、もし「老議院」が実現するなら、懸命の一人として参加したいとすら願っている。老境にあるせめて75歳までの人は、新たに政治改革へと起つべきである。無為に隠居という屏息に陥るなと言いたい。

* 無事是貴人 但莫造作 祇是平常  無事是れ貴人 ただ造作すること莫れ ただ是れ平常なれ
  「無事」とはなにごともなしに済ませた通り抜けた意味でもあるが、余計な何事もせず真実悠然無為の意味と思う。「造作」とは建築の意味でなく、あれこれと 画策して動き回る意味と思う。「平常」とは、真実ありのままに健常な生き方暮らし方に安心し落着いている意味か。わたしは無心に、すべきことはしたいの だ。

 ☆ 
秦 恒平様 2012年10月31日
 秋も一段と深まった感じのするこの頃ですが、お変わりなくお過ごしのことと存じます。お目を患いながらの平凡社ライブラリーへのまとめ、御苦労が多々あったことと存じます。
 京都のご出身だけに、数多くのご著書で故郷について書かれていますが、このたびご恵与していただいた『京のわる口』は、京ことばの深淵な意味、それに対する奏さんの心からの愛情のほどがうかがえるすばらしいエッセーと思います。
 それとことばの持つひびき、そこからつむぎ出される意味の広がり、京ことばへの「わる口」のポーズをとりながらも、心から自らをさらけ出し、表現できることばとの愛情ある思いまで伝わってくるようです。
 日ごろお送りいただく「湖の本」とともに、<秦文学の世界>を、ことばによって、またその口から出る息吹によって構築しているようでもあります。「湖の 本」も読みごたえがあり、いつも感動していますうちに<とき>がたち、御礼をさしあげるのも間延びがするありさまで、申し訳なく思っております。
 私のほう、大阪大学から国文学研究資料館長を経て、現在では阪急文化財団逸翁美術館館長を務めております。そこでも何か新しいものを作り出そうと、まず は「阪急文化」という雑誌を昨年創刊し、お送りするのは3号目です。今回は、源氏物語の展示をいたしますのにあわせ、雑誌はその特集をしてみました。ご笑 覧いただければと思います。
 ますますご健勝を祈るとともに、執筆活動により、私どもにさまざまな教えをいただければと心から願っております。
 ありがとうございます。      伊井 春樹    
阪急文化財団逸翁美術館館長

 ☆ 鴉に

 メールありがとうございます。優しいお心遣いを十分に感じとりました。ありがとう。
 「半ば盲目のように暮らしながらめげずに」という力強い一節にこちらが励まされます。
 先日「あなたは、これからの方が、もっと強くなりますよ。」と書かれていた「映画女優 知」は、大学時代からの友人かと察しますが如何でしょうか。彼女 の名前を記憶したのはわたしがまだ小学生の頃だったと思います。中原淳一の大きな瞳の女の人が表紙になっていた雑誌『それいゆ』を姉が読んでいて、それに 彼女が紹介されていたのです。
 さまざまなお見舞いの言葉の中で彼女の言葉が深く迫ってきました。苦しいこと、厳しいこと山ほどを潜り抜け、めげたとしてもめげず、屈しても屈せず執念く強くなりますよう、願っています。あなたは、これからの方が、もっと強くなりますよ、と。
 『指輪物語』を楽しまれたこと、よかったです。わたしはまず先に映画を観ています。これはハリーポッターについても同じ経緯で、CGを駆使して、以前 だったら映像化不可能と思われたものが映画化され楽しめるのは嬉しい。映画館の大きなスクリーンと身体まで響いてくる音響の中で味わうのが好きです。『ナ ルニア国物語』も好きですが、これは本を先に読み、その印象が強かったこともあり、映画のミスキャストが気になってあまり評価できませんでした。
 「個展」どころか・・・目下、山越え阿弥陀図の部分模写に近いことをしています。初めて絹に描く「練習」をしているのすが、細かすぎる線を骨描きできるかどうか。
 絵に関して書きますと、昨日の「私語」の記載には、「写真」は「いずれ絵画にとって代わるだろう」とありました。既にかなり多くを写真がとって代わりつ つあるのではないでしょうか。「ひところまでは一世を風靡した画家が同時代にいたもの。今はかなり心許ない、その原因の大きな一つに、画家が写真機を利用 して撮影した写真から繪を描いているからだ、繪が弱く弱くなって行く。『写真画家』を絶対に容認してはならない。絵画と写真とは絶対にちがう。写真を繪に している画家は、画家では無い。」と。
 実に厳しく恐い。
 指摘されている写真画家、これはもうほとんどの画家に当てはまる事柄ではないでしょうか。省みるまでもなくアマチュアのわたしもそれを否定できません。指摘されたことの深刻さを、描く人は改めて刻み込まなければいけないでしょう。絵と写真は違うものと。
 自分でデッサン、スケッチをして、さて次の段階で大きな画面に本図にする時、プロジェクターを使用する人もあると聞きます。確かにその方が速い。わたしも使ってみたいと思うのです・・。
 物の形を生動的躍動的に写し取るのは、たとい完成度は低い場合があるとしても、その場で物に対峙して描いたデッサンやスケッチです。日本画の下図と本画が並列して展示されている機会がありますが、下図の方がいいと感じることも多々あり、考えさせられてきました。
 詩について書かれていたことも耳に痛く、目に痛い事柄でした。しかも無視しがたい重要なことでした。
 「フローベールによれば『散文』は『韻文』よりも作るのが簡単」と。」けれど見回してみるまでもなく、韻文(詩、短歌、俳句)は散文より「お手軽」に作 られていることもあります。フランス人であるフローベルが「詩」は「まったく無用のもの」「その流行は廃れた」と言い切っているとしたら、詩(短歌ではな い)、「韻」のとらえがたい日本の「現代詩」では一層の「無用」感に陥るしかありません。「詩作の多くは独り合点の独りよがりに近いと評され・・『日本人 の詩作』には、確乎たる方法論が見当たらない、おのがじし好き勝手をしていて、文学的効果は低調なのである。」といわれる状況を、どう受け止めていくの か。わたし自身、極めて個人的なレベルですが、あまりに分からないことだらけで、立ちすくみ立ち止まっている状況です。
 わたしは自分のために泣くことはまずありません。悲しくても悔しくても泣きません。泣けたら、あるいは人に話したら「楽になる」と言われますが、泣いた ら話したら本当に楽になるでしょうか? 「つらければ泣け、来生を待つな」 これだけは、そのまま真に受け止めます。ありがとう、本当にありがとう。
 急に寒くなりました。炬燵でもストーブでも何でもよろし、温まって甘やかして、絶対に風邪などひきませんように。  尾張の鳶

* この「十一月日録私語」のいわば表紙になっている、光琳が描いた「寒山図」 上村松篁が描いた「金魚図」 またとりわけて十月の小林古径が描いた「林檎図」や、奥の奥に残してある村上華岳が描いた「太子樹下禅那図」の、どの一点として、決して写真やプロジェクターなど用いない、一貫して自身の画筆で描き挙げている、だからこそ、と敢えて言う「名画」なのである。

 ☆ お礼、大変遅くなりました。
 まずは「京のわる口」の上梓おめでとうございます! 当節の書店は、雑誌、参考書、ハウツー本に文庫本しか置いていないですね。文庫本はやはり手に取りやすいですから、新しい読者を開拓できるかも、と期待してしまいます。
 以前、劇団協議会勤務時代、直接の上司は京西陣の織屋さんの息子さんだったため、京都の方の言葉には随分驚きました!
 普段はとても思いやりもあって優しいかたなのに、こちらがすっかり忘れたころ、何気なくキツ―イひとこと。
 びっくりして「鳩が豆鉄砲くらったような」顔を何度したことか…。
 本当に地域性および地域言葉は歴史と連動しているものなのですね。
 秋もすっかり深まりました。どうぞお変わりなくお過ごしくださいませ。  田無    

* 神戸の信太周先生から、故郷青森へご注文戴いたわたしの好きな稲庭うどんが沢山送られてきた。有難いこと。嬉しいこと。
 もう久しくe-OLDの親友としておつきあいしてきた読者玉井研一さんが癌で急逝されたのは悲しいこと、無念なことであった。向島の百花園へ勝田貞夫さ んも一緒に出かけ、帰りの方角の同じ玉井さんと上野の街なかで天ぷらをたっぷり食べて歓談に終始した日が、恋しいほど懐かしい。嗚呼。 
 奥さんから、これも また沢山なわたしの大好物の椎茸を頂戴した。嗚呼。

 ☆ 
秦先生
 気づけば一時間以上も、電話でパソコンの前に縛り付けてしまい、申し訳ありませんでした。
 成果も、先生がうすうす感じていた、新しい一太郎導入でパソコン全体が遅くなったことに同意する程度で、面目ありません。(TeamViewerが問題 なく動作していたのが、ADSLが良好な何よりの証拠でした。)現状のNECパソコンの速さを受け入れていただくしかありません。
 根をつめて仕事しないようにと、パソコンが言っているのですね。
 なお、ソフトウェア(一太郎)は、理由がない限り、新しいものは入れない方が無難です。(「便利」が理由の場合は、特に避けるべきです。セキュリティだ けが理由の場合は、導入すべきですが。) 新しいソフトは、新しいパソコン向けに作ってあり、ソフトが発売される3年以上前のパソコンでは、使いづらくな ることが多いです。  卒業生  

 * 自前の電話を一時間もかけて、懇切に始動してくれる君には、ただただ感激して感謝あるのみです。有難う、有難う。 


 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「猥褻な表現に出くわしたら、『なんと醜悪な!』と 叫ぶべし」とフローベ゛ールは言うが、「猥褻」と「猥褻でな い」との「行為」としての差異は何処に、誰に、在るのか。暗に謂われてあるらしき「猥褻」行為は、病的な病人は除くとして、貧民も庶民も貴顕も全く同じで はないのか。なぜ同じなのかをよく思惟すれば、性行為は普遍妥当な人間の、そう、普通の営みであろう。病的でない一般社会で「猥褻」という言葉は、いたず らに穢く使われていないか。使わなくていい言葉ではないのか。「ギリシア語やラテン語から派生した科学用語にはすべて、何か猥褻なことが含まれている」と フローベールは付け足している。


* 十一月六日 火

* 血 圧126\5-62(60)  血糖値72 体重64.1kg   朝、きつねうどん 朝の服薬 小雨の中、聖路加眼科へ 検眼 視野検査 眼圧検査 ついに眼鏡処方出ず地元眼科に委ねた形で 次回診察二ヶ月後視野検査 をと。
 小雨の中一路二き時過ぎ帰宅 遅い午食 赤飯 ゆで卵 スープ 梨 疲労し五時半まで熟睡 夕食 おじや おでん 柿 菓子 ヤクルト 食後に排 便 そして下痢 夜よく眠れず夜半に読書十二冊。

* 菅直人の「総理大臣として考え」尽くした「福島原発にかんする述懐と証言」はじつに真摯なもので、しかも背筋の冷えるおそろしい事実やシミュレーショ ンや恐怖に、圧倒される。これは脱原発、反原発を願う人だけでなく、この問題で菅総理に罵声を投げかけ不信や不審を覚えていた人たちに、「ぜひ読んで下さ い、その上でもう一度原発について考えてみて下さい」と強く強く推奨する

 ☆ 秦 恒平様
 『京のわる口』ありがとうございました。
 最初 読ませていただいたおりはよくわからなかったのですが、2度目は少しわかるようになりました。 3度目でようやくわかるようになりました。
 どうぞお大事になさっていただけますように。   大学教授 京都   読者

* この心親しい人から、京ならではの名菓が贈られてきた。有り難う存じます。

* 夜仕事は、した。眼の疲れも体の疲れも増してきたので休息する。


* 十一月七日 水

* 血 圧120-62360)  血糖値82 体重64.9kg   朝、きつねうどん 野菜ジュース 朝の服薬 午前仕事 午、栗飯半膳 おでん 葛湯ヤクルト 午の服薬 午後仕事 手の痺れと口腔に乾いた苔の生えた感 じ 食味の苦さに悩む 下痢二度 夕方は、湯豆腐 鱈は苦く食えず 蜂蜜牛乳 口中の苦さを殺すためにウイスキーや焼酎 辛いガムを用いる 入浴読書六冊  浴後体重64.7kg  夜仕事 明日腫瘍内科へ 名取医師不在中の主治医は誰方になるのか、不安で心許なし。
 
* 原発関連の委員会や団体にお粗末なミステークが連続し、しきりに「お詫び」や愚痴が新聞紙面にあらわれる。よほど箍がはじめから緩んでいるのでは。福 島破壊原発はなんら安定しているのでは無い、忘れているだけで大危険の火種はほぼそっくり残っていて、いつ何が起きるか分からないのが実情のようだ。

* 田中真紀子文科相が新規大学設立をめざす三校の申請を認めなかったのは、もう少し言葉数を用いて説得すればよかったろうが、大臣の判断は現実問題とし て正しいと思う。少子化傾向が続いている日本の現状で、大學だけが続々増え続けているなど逆立ち現象であり、大學は出たけれど「就職難を招く大きな要因」 になっている。大學は高校までと違い、学生個人の意欲で独自の学習を展開して行くのが本来、教授の講義をただノートしていれば勉強になるなどと思っている のでは、進学の意義は薄い。ざる審議でパスしてきた大学増設にめくら判を押してきた従来大臣の無見識こそが問題なのであった。
 容認機構の徹底改新のうえで 再考慮するという田中大臣は、きわめてまともなことを言ったに過ぎない。大學は商売ではない。破算や廃校に陥っている大學の噂も事実も無くならない。大學 の数はもっと精選した方が良い、多すぎる。
 いまどきの低俗大學を名目だけ卒業してみても四年間がもったいない。大卒などこの時節何の冥利も無いに同じい。 働きながら自学し自習するのが今日的であろう。
 
* またぞろ、小泉内閣の昔に、伏魔殿外務省の建て直しに田中真紀子が孤軍奮闘し、あげく小泉・福田の官邸により更迭されたのと同じく、真紀子大臣更迭の声 が党内に起きているとか。
 まともな政治家がまともにモノをいえば嫉妬半分の野次馬達が足を引っ張り始める。あの頃の自民党に今の民主党はそっくりだ。

 ☆ 「仏法は用功の処無し、ただ是れ平常無事。」「古人云く、外に向って工夫を作(な)すは、総べて是れ痴頑の漢なり、と。なんぢしばらく、随処に主と
作(な)れば、立処皆真なり。」と、臨済は喝する。
 「平常無事」かつ「随処作主」 なかなか、なかなか。

 ☆ 前略
 重ね重ねの野暮、何卒 田舎者に免じてご海容下さい。
 御奥様からのおはがきによれば、手製干柿、再び おめしあ上り下さった由、何よりの幸いでございました。うれしいです。
 以前にも(失礼ながら『湖の本』の振替用紙通信欄で)申し上げた記憶がございますが、「秦 恒平の前に秦 恒平無し(とは、あえて言わずとも)秦 恒平のあとに秦 恒平無し」です。昨今、その感、実に一層深く、そのことは、ご当人の先生ご自身が最も深く、強く感じておられることでしょう。
 何卒ご快癒の祝をと、心から念じております。
 取り急ぎ一筆のみ、失礼申し上げました。  不尽
 末筆乍ら、ご令室様によろしくご鳳声下さいますよう。
    十一月三日     神戸 大學名誉教授 歌人    読者
 たはぶれまでに
    よろこびが松としきかば めぐりこむ喜壽の齢ぞめでたかりける  東彦

* かへし
    松ヶ枝に喜となく鳥のことぶきに齢なかばと知るが嬉しも  遠

* 懸命に書いた原稿の大半を、保存しておかなくて消失させた。こういう体験はパソコンとつきあい始めてから、数限りなく重ねてきて、やっぱり諦めにく い。ウーン、今夜にもう繰り返すのはよしておこう。抗癌剤の今期服薬は明日一日で、金曜から一週間休薬の予定。今期は、かなりキツかった気分。明日通院、 土曜は国立大劇場で幸四郎らの通し狂言が楽しめる。あけて月曜には感染症内科へ。そのあとは、俳優座公演や歌舞伎の顔見世や、久々福田恆存劇「明暗」を嗣 子逸さんの演出で楽しめる。楽しみ尽くして病苦に克ちたい。

 そのうちに、新しい「湖の本」114が入稿できるだろう。

* 昨日、名大名誉教授山下宏明さんから新著『「平家物語」入門』を頂戴した。「琵琶法師の『平家』を読む」と副題されていて、大著『琵琶法師と「平家物 語」と能』も以前に戴いている。わたしの『能の平家物語』が少し先行していたが、さすが専攻の研究者の追究は興趣に溢れていた。今度の本はもうすこし早く 出ていたら大河ドラマの観客たちのたいへん好適なお奨めの入門書(笠間書院)となったろう。いまからでも遅くない、わたしもこの新刊を便利にも頼みとし座 右に置きたい。
 今日は、大阪の作家眉村卓さんの新刊「異世界シリーズ」の第三冊を頂戴した。
 上野千鶴子さんの『みんな「おひとりさま」』は少し貪欲に利用させてもらう。
 菅直人前総理の『福島原発 総理大臣として考えたこと』も是が非でも通読する。



* 十一月八日 木

* 血 圧121-56(63)  血糖値84 体重65.2kg   朝、きつね蕎麦、菓子、ヤクルト 朝の服薬 出がけに激しい下痢 聖路加へ、 涙目で元気乏しく 血液検査 腫瘍内科名取先生の診察 今後も、と。 安 心。 抗癌剤の影響で出ている涙目にはあまり有効な手立てがないと。 点眼薬もたしかに卓効はない。 常時貧血の緩和に、注射受ける。 腫瘍マーカーの動向をみるため次回にCTスキャンも心用意。 主任主治医の山内先生とも立ち話で激励される。次回診察は十二月六日。 抗 癌剤処方。 疲労感加わり処方薬もらわず ゆっくり銀座を歩いて何の食欲も無く 一路二時半に帰宅。 遅い昼食 蟹・穴子寿司半人前 コーヒーと洋菓子一 口 美味さ無し。 仕事 夜食はカレーライス スープ 夜の服薬 明日から一週間の休薬期 入浴読書六冊 入浴すると、からだはらく。腹もやわらかになる。ゆっくり文庫本を読むのがいい。 浴後体重65.2kg  米倉涼子の外科医ドラマ愉しむ。 眼鏡士と日曜の眼鏡調製を約束。 なんとか現状を改善したいもの。 

* 米倉涼子主演の「ドクターX」前回分を爽快感とともに観て休息。今夜の三回目。愉しみにしている。この女優、迸るほどのオーラと魅力とを兼ね持ち、か つての宮澤りえを継ぐ当代ナンバーワンのはじけよう。三回目も面白く観た。患者の味覚障害を書いていて、身につまされた。わたしの場合は抗癌剤の影響にほ ぼ相違ないのだが。

* 米国ではオバマ大統領が圧倒的に再選され、中国ではトップが習近平に交替する。日本は、「近いうちに」解散を公約しながら総選挙惨敗を恐怖している「野 田しがみつき政権」がだらしなく居座ったまま。
 それにしても中国八千万人の共産党員をたった九人のトップが支配している。九人に誰が入るかの人事抗争の激し さにも、よそながら、嫌気がさす。わたしは胡錦濤の名も温家宝の名も、最初の訪中のころから耳にしていた。江沢民のあとに二人が頭角をあらわし党第一書記 と首相とに就任、二人ともに好感は持てないでいた。とくに、胡錦濤の傲慢。

* 東京都知事に宇都宮氏が立候補表明。明確に脱原発、また臨時雇用制度にも批判的と知られている。
 ^P氏は原発にたいする姿勢がはっきりしない。彼の有能は信頼できるが、思想と意向とに不分明があっては、ついて行けない。また彼も立候補を、現在、意向表明していない。

* 涙目と手先の痺れとで、キイをうつ手作業がままならない。しかし、昨晩、し損じた原稿はちゃんと書き直した。
 昨日今日は疲れた、やはり二週間朝晩の抗癌剤服用のせいか。しかし、意欲面は減衰していない。こんど正月早々には送り出せるだろう新しい「湖の本」は読者を驚かせるだろう。
 それにしても、かなり癌患者としては過密な日程で家の外へ出歩いている。健康な老人でもこうはなかなか動けまいと思う。明日は貴重な一日休。明後日から 三日間は、歌舞伎、眼鏡調製、聖路加感染症内科とつづけざま外出する。どれもこれも今のわたしを鮮やかに代弁してくれている。そういえば今日病院へ出かけ る間際の下痢はナイアガラのように凄かった。
   

* 入浴すると、からだはらく。腹もやわらかになる。ゆっくり文庫本を読むのがいい。今晩も、ゲーテの小説「親和力」 ブーシキンの史劇「ボリス・ゴドノ フ」 ロマン・ロランのやはり史劇「愛と死の戯れ」 トールキンのファンタジー「指輪物語」 滝沢馬琴の稗史「南総里見八犬伝」 辻邦生の小説「夏の砦」 を、納得できるほどを十分愛読した。
 眼が霞んできた。やすみます。


* 十一月九日 金

* 血 圧103-60(63)  血糖値82 体重64.8kg   朝、振り掛け茶漬け飯 モンブラン半箇と蜂蜜紅茶 朝の服薬 今日から一週間抗癌剤休薬 午前 眼薬を受け取りに地元の薬局へ自転車で。自転車に乗る体 力は十分有るが、両眼の涙と視力の曖昧さとで、かなり走るのがコワかった。 仕事進め、一区切りつけたものも。左眼、引き攣る感覚。黄斑変性症も想えば抗 癌剤の副作用であったかと素人考えも湧く。何が苦痛か 視力の不安。 午、スバゲティなど 午の服薬 午後仕事 一冊分の仕事を電送。 夕食 秋刀魚 蜆 汁 梅酒 清酒 焼酎少しずつ アルコールは口の苦さを紛らわす目的で。

* なにより陰気にコワイのは、「大學は出たけれど」就職できないで、不満と鬱憤にまかせた凶悪で陰険な犯罪が日常茶飯のように起きている、または起きか ねないこと。田中真紀子文科相は、あんなに簡単に引っ込まないで、日頃思ってきたという思いを正々堂々と表明し議論にも及んで、問題点を鮮明にすべきだっ た。あんな謝っておさめる忸怩たる収束では、大臣の思想や批評や確信がなにも受け取れない。彼女の考えを推量して同感している人士もメディアも、じつは少なくない。や たら大學ができるなど、なんとも不条理な気がしている。社会の重苦しい沈滞の、大学生過剰は大きな一因であることにだれもが気がつかないと、途方も無い経 済の沈滞はより下降するだろう。

* 復興予算で公安調査庁は過激派対策費を水増ししていたと新聞はトップ報道している。被災地復興と何の関係も実は無い、が、口実は何とでもつくれる。こ ういうのを欺瞞という。今日の政治は第一番に「欺瞞」が出てきて、それが官僚主導の大きな実体に成って仕舞っている。政治家は余儀なくまたは便乗して欺瞞 の上塗りをしている。「ばかかお前」と言いたい。

* 原発で重大事故が起きた場合の放射性物質の拡散予測で、相次いで誤りが見つかったが、原子力規制委員会はまるでチェックしていなかった。やっと公表し た十六原発すべての予測結果を「総点検」すると言いだした。何のための「規制委員会」なのか。「ばかかお前」と叩きつけたい。
 予測の根拠になる気象データは本来「規制」対象の電力会社に頼み、計算は、これまた「規制」対象関連の独立行政法人にマル投げしていた。この独法には、解体された旧保安院OBや電力出身者が大勢巣くっているのだから、何の「規制」になるのやら、バカも休み休み言え。
 それでいて原子力機構は、従来途方も無い金食い虫のまま頓挫してきた「もんじゅ」を来年にも「再開」などと言いだした。「延命姿勢明確」と報道は疑問を呈している。
 総理副総理が顔をならべた「行政刷新会議」での復興予算横取りの実情に対する姿勢は、ぬるま湯に漬かるような不徹底が目に立つばかり。「ばかかお前ら」 とやはり言いたい。
 原発の「安全考慮」を切望して「原発ノー」を願う国民は、内輪に見積もっても65%、内実は九割にも近いかと言われる。この民意に応え ようとしない「民主」の「自由」のと、どうして言えるのか。民意を抑圧しても大事な国民の幸福に寄与できる政策があるなら、明瞭に目の前に出してみよと突き つけたい。さもなくば、「原発容認・擁護・推進」と観られる候補者は全員「落選」させようと「民意」を糾合したい。

* 八月、九月、十月は、それぞれ月に十三回も通院や外出に費やした、三度の入院生活のあとに、である。堪えられたのは結構であった、ある程度まで肉身を 働かせるのはわるいことではなかったろう。「暑い」「汗」の実感の無い炎暑であった、ただひたすら「まばゆさ」が苦であった。抗癌剤は涙、洟水になって 襲ってきた。砂や灰を含んだような口の苦さで、ほとんどの飲食がままならなかった。食べられなかった。むりやり飲み込むと誤嚥で吐いた。からだの芯が抜け てしまったような疲労にもしばしば襲われた。はあっはあっと小さな吐息が漏れるとからだは疲労感にたちどまってしまう。昨日も銀座を最寄り駅へと杖でよた よた歩きながら何度か道の真ん中で立ち止まって呆然としていた。
 それでもわたしは負けても屈してもいない。身心にめだつほどの苦も痛もなく、執筆も出来、読書も出来、外出も観劇なども出来、少しずつ酒ものめる。寝て しまうことも出来、入浴読書も愉しんでいる。大勢の方の励ましやお見舞いを有難く頂戴している。病勢よりも、こうした生活力がまだ優勢を保っているのが頼 もしい。「もう半年ありますよ」と昨日は医師先生に笑顔で捻子を巻かれてきた。
 はっきりいって胃全摘のあとも体内に残っていたという癌細胞が、まだ存在し増殖し転移しているか、薬効で逼塞しているか、もう絶滅してるかは、まったく分からない、まだ調べようがない。
 そんな心配はしないことにしている。いまここでわたしのしたいこと、しなくてはならぬことは、あらまし承知して対応に努めている。努めといっても義務感からではない、養生というよりも「天養愉快」に身心をまかせている。
 このごろときどき夜中に目覚めていることがある、不安からでは無い、なんだか歌が出来て出来て、歌の言葉や表現が満潮のように半ばは夢寐に押し寄せてく る、せっせせっせと歌を作っている。おっそろしくエロティークな歌も自動機械のように出来てくる。また創作の文章をそらんじている。むろん記録などできな くて、朝になると片鱗ほどの記憶しか残っていない。しかし、いやなのではない。からだが望んでそうさせるのだろう、応じてやっていいと放り出したままそん な真夜中を無意味に受け入れている。

* 今月は能楽堂をはじめ、国立大劇場、新橋演舞場、そして妻ももろとも招待されている福田恆存劇の「明暗」を、息子の秦建日子も加わって三人で観る楽し みが待っている。その頃までになんとか少しでも安定した眼鏡が出来て欲しいが。眼鏡自体に動揺があれば何度でも作り直す気でいる。この闘いは苦戦し難渋す るに相違ないが、根気よく執拗に押し返したい。

* 処方薬局への自転車走は、両眼の涙、陽のまぶしさ、視力と視野とのひどい不安定で、かなりコワい思いをした。

* そのあと一仕事の区切りをつけた。もう四時。少し休まねば。

* 金沢の讀者の金田小夜子さんより、万歳楽酒造の逸品清酒「白山」と「梅酒」とを頂戴した。忝し、ありがとう存じます。
 早速夕飯時に「梅酒」を戴き、おかげで口中があらたまり、秋刀魚が食べられた。蜆汁も飲めた。食べ物がもともと苦いわけは無い、ひたすらわたしの口中が わるく荒れ、灰を含んだような砂を噛んだような薬物で汚染されたような不快感を培養してしまっているのだ、お酒はいくらかその不快を殺いでくれる。次第次 第にアルコールへとわたしは惹き戻されている。過ぎぬようにはせねば。


* 十一月十日 土

* 血 圧128-59(64)  血糖値76 体重65.9kg   朝、何やら食す 朝の服薬 国立大劇場で幸四郎らの通し狂言、鶴屋南北作「浮世柄比翼稲妻」観劇 開幕前に狐饂飩食す はねて何処へも寄らず帰宅。 観 劇にも、涙で視野・視力動揺し舞台は左眼のみで観ていた。夕食、粥をあみと梅干しで。 ラーメンを半分。焼酎・梅酒。手持ちのどの眼鏡も役に立たず。

* 菅前総理の著書、読み進むに随いその思想・志操・執筆姿勢の正しさ、執筆内容の表現・訴求力の強さ、信頼度の篤さ、すべてに感服。少なくも福島原発の 爆発と対応にかかわる菅さんへの疑念など持っている全ての人は、これを読んで、その上で批判すべきはするようにと願いたい。

* 高麗屋が不破伴左衛門と鈴ヶ森の幡隋院長兵衛を演じた南北作の通し狂言「浮世束比翼稲妻」は、福助や錦之助の好助演もあって、高麗屋らしい剛強で端正な芝居が楽しめた。高麗蔵の白井権八もかれのニンに合ってそれなりに見せた。
 もともと、通し狂言として再々は上演されない芝居には、それなりに理由が有り、多くは人の真情にせまって感動させるものは少なく、南北作でいえば、四谷 怪談や東文章のような感銘作と、今日の狂言では、段が違っている。作り立てた芝居だが人情からは離れて面白づくに作られてある。いかに幸四郎といえども精一 杯の好演を以てして多くは胸に沸きたたない。通し狂言の復元や再演は国立劇場のいわば約束のようになっていて、半ば賛成しているが、出来ればより慎重に 狂言を精選して、ほうこんな一品が埋もれていたのかと観客を喜ばせて欲しい。それでこそ藝に優れた役者達もより以上に気が励むだろう。
 幕間に、ロビーで向こうから高麗屋夫人が早足に寄ってみえ、いつもより長く歓談できたは何より。文化功労者に選任されたのを祝い、わたしは親しく病状をいたわり励まされた。
 新年の二月日生劇場で、父幸四郎や中村福助とともに染五郎の再起公演が予定されている。「奇跡的な回復」「それあってこその…」と母夫人は今日も声をつ まらせていた。よかった、よかった。染五郎の自愛、そして熱演を期待する。むろん観たい。幸四郎の「口上」がまずあり、次いで「義経千本桜 吉野山」染五 郎と福助、河竹黙阿弥没後百二十年を記念の通し狂言「新皿屋舗月雨暈 弁天堂・お蔦殺し・魚屋宗五郎」に幸四郎、福助、染五郎が出揃う。

* 終演後はもうどこへ立ち寄る体力なく一路帰宅した。どの電車にのっても席を譲って下さる人がある。ご親切にいつも深く頭を垂れてくる。

* やはり食べられないものが多い。苦い灰か砂かを、ものを口に入れた一瞬に感じ、げそっとする。ウイスキー、酒、焼酎そして戴いた梅酒、強烈にからいガ ム等で口腔をまず麻痺させておいて食べ物を口にしている。幸いと太い饂飩や蕎麦、ラーメンなどが少し喉を通ってくれる。肉はどれもまだ、ダメ。食べるよろ こび、まだまだ復帰しない。抗癌剤はあと半年は続く。病気に抵抗できるならあと一年でももっとでもわたしは副作用に堪える気でいる。堪えられる。

* 十五代樂吉左衛門展「フランスでの作陶」が日本橋の三越でと樂さんから案内があった。わたしはこの人を天才と感じている。初めて見て即座にそう思え た。京都美術文化賞に躊躇なく推したのはもう二十数年前。いまはわたしの辞任あと同じその賞の選者を務めてくれている。この人の展覧会は琵琶湖畔の佐川美 術館でのことが多く、いつも招待があってもなかなか行けずにいるが、東京での展覧会には出かけている。楽しみ。

* 打って変わって寂しく、国民学校から高校までの同窓、ときに俳句の便りもくれていた今村豊君の訃報が子息より、また読者でもあり高校の茶道部で手ほどきした人の姉上、やはり「湖の本」を応援して下さっていた方の訃報も。合掌。

* 明日は江古田の眼鏡屋へ、地元眼科で出た処方箋持参でなんとか少しでも効果ある眼鏡をつくっていもらいに行く。察するところ容易でない懸念があるけれど。今も眼は潤んで浮かんでいる。今夜はもう休息する。


* 十一月十一日 日

* 血 圧121-61(64)  血糖値85 体重66.0kg   朝、粥をあみやちりめんジャコで。蜂蜜紅茶。白玉善哉は苦くて食べ残す。午、きつね蕎麦 揚げ二枚 柿 白菜漬け。 江古田ナガノ時計・眼鏡店(黄斑変 性・黄斑前幕を第一発見してくれた店)で新調の眼鏡調製に難航。左眼の乱視をどうするか、右眼は事実上視力が激変していて、働いていないのが現状なので、 左眼の負担を抑制しながら左眼に機能して貰うしかない、と。遺憾千万だがとにかくも今、手元の六つ七つの新旧の眼鏡のどれ一つとして視野の安定を得ないま までは、闘病の利器とも妙薬とも思う仕事・読書・観劇のどれ一つも不可能に近くなる。いつまた新調せねばならぬのは覚悟の上、現状で穏和に適した遠用眼 鏡とパソコンに適応の眼鏡を作って貰うことにした。十八日には出来ると。その十八日にはもうまた右眼の状態が変化していることも優にありうると懸念してい る。
 黄斑変性の手術を希望したとき、病院眼科の判断で、帯同して白内障手術も同時に為されていたのが、良かったのかどうか。
 ともあれ右眼の状態のわるさが 癌の闘病に悪影響を現に露呈しているのは、遺憾と言うしか無い。これも抗癌剤の副作用なのかどうか、それなら耐えぬくしかないが。
 夕食 卵かけ飯 柿 夜仕事 入浴読書六冊 浴後体重66.1kg   明日は聖路加感染症内科へ。                     

*  田中真紀子文科相の大学新設三校不認可の真意を汲んでいる人たちも、大学生達もけっこういて、今朝のテレビ番組でも教育問題に真剣に取り組み続けてきたこの大臣の閲歴にも及ん で、かなり丁寧に報道していた。大臣は、三校を認めないという時点で、縷々その信念を語り添えておけばよかった。
 何にしても、田中真紀子は掛け値なく、欠点 もあるけれど、一人の政治家であるとわたしは十余年前の外務大臣のころから評価を持続している。政治識見において田中真紀子が呆れるような愚を語ったこと は無いと見ている。きちんとした正論と批評を率直に、ときに率直すぎるほど語れる政治家とみている。
 そんな彼女に嫉妬心まるだしのバカ男どもの多いことに わたしは呆れている。
 田中真紀子のような政治家がなぜ数少ないのかと心細い。
 入学は難しいが卒業はあまりに簡単などという大學は無用であろう。「もう 四年は遊べる」という気で大學を利用している若者の情けなさ、大いに日本の停滞と衰弱へ拍車をかけ、しかも自ら就職難を醸成していることに気づかない。困っ たものだ。
 自民党安倍総裁の「三校への謝罪が先だ」といった無見識と傲慢とに、彼の度量の無い地金が露出していた。再度の安倍内閣
がもしもできたとき、日本の危機は深刻化するだろう。言いたい放題の各所でボロがボロボロ出て、また内閣を投げ出すかも。

* よびかけ団体である「原発をなくす全国協議会・ふくしま復興共同センターらによる『原発即時0セ゜ロは 多くの国民の願いです』「福島の原発 事故は収束していません」「除染、賠償、健康を守ることが福島県民の願いです」「政府は『原発即時ゼロにする』決断を」と適確な祈願を大きく掲げ、おおっ と思わず叫んでしまうほど万を優に超すのではないか、わたしの今の目では虫眼鏡でも読めない厖大多数の機関や団体が、個人名でなく組織名で賛同している。
 第一に
「福 島の原発事故は収束していません」としている内容に、「昨年12月、野田首相は何の根拠も示さず『福島事故の収束宣言』を行ないました。しかし、炉心溶融 (メルトダウン)という日本の原発史上最悪の事故を起こした東京電力は今も『原子炉の格納容器の内部の状態はわからない』と述べています。実態は『収束』 にほど遠いものなのです」と指摘している。
 たどたどしい行文だが糾弾は適確で、ことに4号機の手つかずに大破壊の懼れなしとしない危険な現状は、ほぼ放置に近いはず。野田内閣のいい加減な認識と 言動には強い怒りを覚える。野田総理の泡のような認識には、菅前総理の『福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎刊)の理路も情理も明晰な 識見の足下にも遠く及ばない。「財界や米国の圧力に屈して『原発ゼロ』の決定を棚上げにした」内閣の不見識とひ弱な態度は嗤うに足る。野田政権のいまや断 末魔の叫びが聞こえてくる。

* 裁判官として初めて原発に「ノー」を判決したひとの談話などを聞いた。良心と見識の人は皆「斯くありたい」と思った。

* こう書いているうちにも目が霞んでくる。右目の負担が健常な左眼に懸かってくるからです、いっそ眼帯で右眼を伏せてください」とナガノ店主は言った。 現にわたしもそう思い至って眼帯で右眼をふさいで読書も観劇もこういう仕事もしてきたが、気持ちは悪い。要するに休むしかない。昨日の歌舞伎も半ば以上片 掌で右眼を塞いで観ていた。わたしたちがどこの席にいるか分かっている高麗屋は、怪訝に感じただろう。

* 「平清盛」は従来の三本指に数えられるほど、今夜の清盛と後白河法皇との確執が見事に象徴的に描けていた。清盛も後白河もドラマを盛り上げて立派な出来で、これほどの対立を見応え有る映像に創り上げるとは、敬服に値する。とても面白かった。
 無理にも頂上へ登り詰めた者の孤独と空虚感は凄い。「そこから何が見えますか」という祇園女御の説破は厳しいのである。さてこそ来週は以仁王の平家追討 の令旨が真っ先に源頼政父子を動かし、またあの鹿ヶ谷で裏切った源行綱や文覚らの手と脚で諸国の源氏に伝えられる。まさに風雲急。

* 今読んでいるゲーテの「親和力」は劇作や翻案には恰好の小説。またプーシキンの「ボリス・ゴドゥノフ」もロマン・ロランの「愛と死との戯れ」も、短篇の 史劇ながら、激しかったロシア皇室の交代劇、また凄惨なギロティンが働いたフランス革命のさなかを、一つは僭帝の苦悶、ひとつは革命に翻弄されていまなお 苦痛に息をひそめた人たちの、まさに「劇」作を成している。
 劇作家で演出家でもある秦建日子が、巧みに翻案してこれらを日本や中国に持ってきても素適に生きる、感動的に生きる作だと思う。いずれもすばらしい傑作である。読んでごらん。



* 十一月十二日 月

* 血 圧128-60(54)  血糖値82 体重65.0kg   朝、フ レンチトースト一枚 蜂蜜紅茶聖路加感染症内科へ 血液と尿の検査  空き時間に食堂でサンドイッチと珈琲 サンドイッチ苦くて食べられず 診察では血液・尿ともに綺麗で感染は克服 軽度だが貧血は認められるのでと、従来の ピドキサールに加えビタミンが強化された。少しく歓談。 薬局で処方の薬を受け取り 「更級」で更級蕎麦と菊正 新富町から有楽町線清瀬行きで一路帰宅  夕食、飯軽く一膳 豆腐味噌汁 梅酒 夜、仕事 九時過ぎだが合わぬ眼鏡で無理をしている 目が霞んできた。

* 予算委員会での、民主党細野代議士の質問で疑問なのは、大臣のころ「福島復興に命を懸けたいのでと、代表選候補に立たなかったのに、「脱原発」に一語 も触れなかったこと。そんな安い命懸けなのか、そんな軽薄さではとても将来を嘱望する気がしない。「福島原発の事故は収束した」という野田総理の 宣言は全くの「ウソ」を言っていた。事態はまったく「収束」していない。東電の責任問題も改組も成っていない。線量をかかえた瓦礫やごみの最終処分は全然 進んでいない。被災者や被災企業への支援も賠償も東電はもとより政治もほとんど責任を遂行していない。何が「収束なのか」という国会質問が民主からも自民 からも出ない。
 「脱原発」か「原発擁護」か、全代議士にどれかの団体がアンケートをとり総選挙の前に公表してくれないか。「原発にノー」の候補者以外には 決して投票しない、わたしは。

* 小沢一郎の裁判は、はなから悪しくも無謀な強制起訴で、裁判の経緯をみていれば、むしろこんな起訴は有ってならない法の乱用であった。とにもかくにも 政治家の政治活動をゆえなく合理的な判断もなしに永く制約したのは気の毒であった。ふっきってこの混迷の悪政時代に、所詮善政など望んでも無駄なら、小沢 一郎在りという骨の通った価値ある悪政でいい、嵐の芯へ果敢に飛び込んで貰いたい。

 ☆ 秦 恒平先生
 漸う落ちついた秋の深まりを感じるようになりました。 この暫く あまりの気候の荒々しさにもてあそばれるように過して、 ましてや御いたつきの御身を どうお過ごしでいらっしゃることかとお案じは申上げながら 湖の本113を頂き、その御礼も申し上げませんうちに 「京のわる口」の平凡社版、御恵贈下さ いましたものを拝受いたしました。 有難う存じます。
 喜壽を御祝い遊ばします由、まことにおめでとうございます と、平凡に申上げるのが 何やらもの足りず、毎日ページを繰り直して、時には ほんまやな あ、と感心し、時には、もっと云うてほし、と思ったりして、今日に到りました。 大変な御闘病の中を、それでもこうしてなお およろこびの辞を申上げられ ますことが うれしゅうございます。 よい日をお迎え、お過しになります様 お慶び申上げております。
 私、少し先をあるいて今年八十一歳で年末を迎えます 何とか日を送っておりますが し残した仕事をどうぞしてと思いつつ 自分自身のしんきくささにじれ たりして、一日一日が過ぎてゆきます 足が不自由になり 心臓も母ゆずりに病んで病院通いの日常ながら、なお いこじに一人くらし、 今日になっても 東 と京とは違うことを 毎日のように思いしらされております。 たとえばこの間も 「虹」のことを、度々話していましたのに もひとつ納得した顔をしていな かった東京生れの人が、「あゝ、ニ「ジ」でございましたの? 「ニ」ジっておっしゃるのが分りませんでしたの、」と言いました (古い国分尼寺趾の地名が にじ(尼寺)がおか と云われるうちに 虹ヶ丘になった という話です)  笑いながら この すかたん と思いました。
  蛇足になりました。
  くれぐれも御大切に、よき御日々をお過しをとお祈り申上げます  かしこ
     十一月十日         エッセイスト

* 「すかたん」は見当外れに自説に固執して場をかきみだす相手に蔭でなげつける「批評語・わる口」で、男も云うが、とりわけ女性の口から吐き出されるこ とが多いと感じている。次の、在米京育ちのお茶人の口からも時折聴き取って、にやりとしたことがある。京おんなはもの優しいが芯は堅い。

 ☆ 恒平様 
 そちらは早やさむくなってゐるようですね。
 先日は湖の本113と続いて京のわる口 お贈り頂きましてありがとうございました。
 私も「ミマン」の読者で最后迄拝見して居りました。何時も次頁に幸四郎夫人の美しい和服姿も楽しみにしてゐました。
 京のわる口は半分程読んだ頃友達が持って帰りましたので私は初版を読み直して居ります。
 
楽しいですね。でも 中々通じない人ばかりでつまらないです、田舎の人が多いので。
 
こちらも少し寒くなり もう椿が咲き始めました。
 細水指と秋の野のお薄器 使わせて頂いてます。表さんの友達がうらやましがってゐます。
 見る程に美しいおなつめで 嬉しい嬉しい思をさせて頂いてます。 ありがとうございます。
 どうぞお体お大切にお過し下さいませ。ありがとうございました。  ロス  茶人 読者 

* 差し上げた茶の道具が実地に使われているのは、ことに嬉しい。ハズバンドさんの御健勝が切に願われます。

 ☆ 秦先生
 めっきり寒くなりましたが お元気でしょうか。勿論 HPで日々の体調のご様子拝見していますので、大変なことは承知しておりますが それにも関わらず  根をつめて、お仕事なさっておられるようで、案じております。先生のお眼の方、本当に辛そうで 一日も早いご快癒を祈念しております。
 喜壽の御祝いと出版の御祝いを兼ねて、萬歳楽のお酒をお送りしましたので、もう着く頃かと思います。梅酒もありますので奥様と共にお召し上がって下さい。お口の苦さがすこしでも軽減すれば幸いです。
 同封のものは、福島へ行ってきた記録とその契機となった事業のご案内です。お暇の折にご一読下されば嬉しいです。
 では くれぐれもご自愛下さいませ。ご案内まで。   金沢市  さよ 作家 読者

* お酒は嬉しくもう毎日戴いています。お酒の味が戻ってきてとても喜んでいます。しかも食味の苦さにお酒類は緩和の著効あり、もともとの好きが復帰してきています。 

* 送って貰った「さらに反原発への声を」をはじめ、「現代女性文化研究所」のニュース版や「ざぶん庫」など、関心をもって見せて貰った。

* 老い人われの 病む身はあらき息ながら胸に毅然と「No  Nuke」のバッヂ
   更科の蕎麦に菊正この上の美味は望まぬけふの我が身ぞ
   蕎麦湯呑みけふの昼餉はつつがなし夕餉はなにが喉とおるらむ
   癌を懼れ久しく生ききいまはしも癌もなく死無く 愛を命ぞ
   愛執といはれじただに愛は愛 愛をかなしと読みし人も在り
   炎暑とふことしの夏も汗かかずはやくも秋を寒がるわれは   遠

* お手紙はかように有難くたくさん頂戴するが、メールの方はこのところ、ずうっと殺到する不良メール「SPAM」のみ。今日も、数十の全部、即 座に削除。そんなことでメルアドを変更したいと願うものの、ホームページなどでもややこしい「要変更」があると手に負えない、未だに手を拱いています。
 そんなことを書いていたら、嬉しい便りがメールで。感謝。

 ☆ お花便り 紅葉の京都 
 
遠様
 暫くご無沙汰でした、すっかり紅葉の頃になりました。
 HP では頑張ったはるけど、大変にご無理の様ですね、自転車がこわいです、良く此れまで来れたと喜んでいます。
 私にも、色々なことで問題有りです。
 (日吉ヶ丘高校)雲岫会 の事 お話したいけど 時代も変わった今、此方がくたびれて来ました。春 頑張って最後のお茶会をと努力しました。今年も 11. 12 月楽しく集います。
 後はとくに考えが纏りません。暫くは今までどうりかな?
 日吉ヶ丘に新しいお茶室が出来てからでも35年になります。私も後期高齢者になります。
 今月は、炉開きで、椿はまだ硬くて、菊とさねかずらを、ひさごの花瓶に入れて見ました。
 しばらく天候が悪いらしいので体調に気をつけてください。  

* 長い長いあいだ母校の茶道部をまもってもらってきた。お疲れさん。

* システムが変更されたのか、せっかくの写真を、ホームページに入れるすべがまだ掴めない。これは情けなく、弱っています。


* 十一月十三日 火

* 血 圧133-65(52)  血糖値66 体重65.5kg   朝、赤飯 豆腐味噌汁 白菜 朝の服薬 午前仕事 午、とんこつラーメンに卵 葛切 午の服薬に誤嚥 濃厚唾液など暫く吐く 国会中継みて 三時間寝る 夕食、キングサーモン・銀鱈各小片 粥 薄揚煮きゃべつ 胡瓜揉み 蜂蜜二匙 苦み抑えに焼酎少しずつ 夜仕事 九時半、完全に眼は霞んでいる。もう、よそう。 

 ☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。
   当今の学者たちは、まったく法とは無縁だ。(今時学者、總不識法) まるで鼻づらを物にぶっつけたがる羊みたいに、何に出会ってもすぐロに入れてしまう。(逢著物安在口裏) だから奴隷と主人の区別 もつかず、主と客の見分けもつかない。こんな連中は、初めから不純な目的で学ぼうとしたやから(如是之流、邪心入道)で、にぎやかな場所にはすぐ首をつっこむ。これでは真の学者 とは言えぬ。まさに根っからの俗人(真俗家人)だ。
 いやしくも真に学道の出家とあれば、ふだんのままな正しい見地をものにして、仏を見分け魔を見分け、真を見分け偽を見分け、凡を見分け聖を見分けねばな らぬ。こうした力があってこそ、真の学者と言える。魔と仏との見分けもつかぬようなら、それこそ一つの家を出てまた別の家に入ったも同然で、そんなのを <地獄の業を造る衆生>という。とても真の学者・出家者とは呼べぬ。
 たとえばここに仏と魔が一体不分の姿で出てきて、水と乳とが混ぜ合わさったようだとする。そのとき真偽・邪正を見分ける気の能力者は乳だけを飲む。しかし真の眼力を具えた学者・修行者なら、魔と仏とをひとまとめに片付ける。(魔仏倶打)
 おまえがもし聖を愛し凡を憎むようなことなら、生死の苦海に浮き沈みすることになろう、(生死海裏浮沈) 今のおまえが、それだ。

* すこしく、わたし個人の気持ちを入れて聴いている。末尾の一句はわたくし、現下の自覚。
 とても難しいところが、きちっと謂われている。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「習慣」は「第二の天性である」と必ず言い添えるべし。「慣れればパガニーニのようにヴァイオリンを演奏できるようになる」とは、かすかにジョークかも知れないが、最近のテレビが広告している聴く一方の英会話の学習法などそれに同じいか。
 「住居」は常に「不可侵」。
 「宗教」は「社会の基盤のひとつ。」「ただし、あまりに狂信的なのは困る。」現にわたしらはイスラエルとイスラムとのただただ過激な狂信的乱闘を苦々しいほどに遠見にも呆れている。
 「銃殺」は「ギロチン刑に処するよりも上品」「この特典をあたえられた者は喜ぶ」と。フランス革命では王や王妃をギロチンに懸けた者が次に同じ目に遭 い、また次の者が同じ目に遭い、引き波も激しい津波のように繰り返しギロチンが働いた。ロランの史劇『愛と死との戯れ』はまさにその渦中をえぐり取っている。
 「十字軍」は「ヴェネチアの商業に役立っただけ」と。炯眼のように想われ、ただ皮肉のようにも。
 「羞恥心」とは「女性にとってもっとも美しい装飾品」とは、猛烈な罵倒にすらなっているのかも。今日日本の女性のもっとも誇らしい徳性が「羞恥心」だという人有れば首をかしげる。高笑いするかも知れぬ。
 「趣味」については、「質素な身なりですみません」と謝る女性にたいしては「質素こそいつでも趣味の良さを示すものです」と「かならず言ってあげること」とフローベールは言う。なるほど。たしかに。
 それにしても今日ほど女性の身なりの、少女から中年までめちゃくちゃにバラバラなこんな時代が過去にあったろうか。「趣味」の自由化とも壊滅とも感じている。

* 京都宇治の美術商伊藤隆信さんから電話、お見舞いと、神宮道の割烹「波多野」に頼んで食味をいろいろ作らせて送りましたから、せいだい食べてみて下さいと。有難いこと。
 電話の後にすぐ届いた。

 ☆ 秦様   ちりめん山椒 鰊旨煮 手前味噌 金時芋レモン煮 栗の渋皮煮 赤万願寺唐子しょうゆ漬 昆布巻煮 です。
     お早目にお召し上り下さいますように おくれやす。

* お店「波多野」からの、贈り物へ口添えと想われる。どれもこれも美味しそう。感謝・感謝。美味しく食べられますように。

* 夕刻まで睡れてよかった。入浴と睡眠とは、これもわたしの味方。
 今日明日明後日と家におれる。珍しいこと。
 
近々の金曜には「反原発」を下に秘めた俳優座公演。 次いで日曜には、期待と不安の、新しい眼鏡が出来ている筈。そして月曜の歌舞伎は、江戸以来の顔見世興行。
 松嶋屋仁左衛門の「熊谷」休演と聞いているのが残念至極、とはいえ代役に、音羽屋松緑とは、期待も大いに大いにあって、楽しみ。妻は「松緑」襲名の弁慶 いらい大の贔屓。
 「汐汲」の山城屋藤十郎は言うに及ばない、彼が扇雀・鶴之助の花形上方芝居で大いに鳴らした頃から、そして鴈治郎時代も通してのわれわれ大の贔 屓。
 大切り「四千両小判梅葉」の前評判も高い。音羽屋菊五郎御大以下、大勢の役者が勢揃いの賑やかな黙阿弥芝居が楽しめます。元気に観てきたいです。
 その翌日は歯科に通い、その後は、二十九日に、これも期待に胸も熱くなる福田恆存作・嗣子福田逸演出、夫婦ともお招きの大作「明暗」が、建日子もふくめ、われわれを待ち受けている。
 ようやく通院ラッシュからも徐々に抜け出して行けそうな気配で、有難い。
 何でもいい、楽しめる限りは何でも楽しみにし、病苦と懸命に対峙し克服しなくては。
  本音をいえば、
「喜壽」の祝いに、師 走の休薬期に三泊ほど京都へ出かけられないかと、半ば本気で願っている。こころおきなく京都に身を置いて京都の山川を眺め、空気を吸ってきたいのだ、墓参 もしたいし、顔を見たい人もいる。新幹線は坐ってさえいれば、たとえ寝ていても済むし、京都はタクシーの使い道が東京とは段違いに好適なんだし。
 無理で無ければ、出来れば建日子も一緒に行ければ最高なんだが。彼はいまもべらぼうに忙しそうだから。ムリかなあ。
 主治医と相談すれば、止めるより奨めてくれそうな気がする。

* 九時半、完全に眼は霞んでいる。もう、よそう。

* 急遽 秦建日子のブログから。

 ☆ 
仲間由紀恵主演の本格医療サスペンス「悪女たちのメス」続編放送決定! 
 情報解禁になりました! 
「2」が実現できて、本当に嬉しいです。
 
 11年12月にフジテレビ系で放送された仲間由紀恵主演の本格医療サスペンス「悪女たちのメス」の続編、金曜プレステージ特別企画「悪女たちのメス episode2」(12月21日・金 夜9:00-10:52 フジテレビ系)が放送されることがわかった。

 「悪女たちのメス」は、コミカルでキュートな演技に定評がある仲間由紀恵が、冷徹でありながらも、命を救うことにひたむきな脳外科医・桧山冬実を演じて話題となった作品。今回の第二弾「悪女たちのメス episode2」では、桧山冬実に降りかかる、医療ミスの疑いと、その陰に潜む悲しい過去、さまざまな思惑によって、起こされる事件の数々を描く。
 ま た、仲間以外のキャスト陣には、医療ミスの疑いをかけられた脳外科医・白石由紀役に大塚寧々。虎視眈々と、執刀医の座を狙う脳外科医・理沙子役に山口紗弥 加。病院が隠そうとしている真実に迫ろうと暗躍する医療コーディネーター、美原役に、木村文乃。さらに、前作に引き続き、冬美の姉、夏帆役として、西田尚 美が出演する。
 ス トーリーは、石塚総合病院で、ある患者が術後に容態が急変、医師の白石由紀(大塚)、太田理沙子(山口)らが必死に心臓マッサージをするが、その甲斐なく 亡くなってしまう。これで立て続けに術後死が2件も続いた。院長の石塚(高橋英樹)は頭を抱える。数日後には、次のワールドカップ出場に期待がかかる現役 サッカー選手・中川浩介の脳腫瘍のオペを控えている。石塚院長は、術後死の事実はもみ消し、中川のオペを別の病院の医師・桧山冬実(仲間)に頼むこと に…。
 再 び悪女を演じる仲間は「天才脳外科医・冬実が帰ってくるということで、うれしかったです。脚本は今回も面白くて、スピード感があり、サスペンス要素のある 作品でしたので、楽しみに撮影に入りました」と明かし、「人が持つ野望や嫉妬など、登場する人たちのいろいろな思惑が交差し、そこに冬実の過去の事件も絡 んできて、前回とはまた違った悪女たちが集まって来てワクワクさせられる展開になっています」とアピール。
 さ らに、自身の悪女な部分について「悪ふざけをしますね(笑)。監督をいじめたりとか…衝動に駆られます。監督がそうさせるのではないかと思うので、監督の せいです(笑)。監督が歩こうとする廊下をふさいでみたり。それは悪いなと思って、反省はするんですけど、なかなか直らないです(笑)」と笑顔で告白し た。   
(Yahoo!ニュースさんの記事から転載)


* 十一月十四日 水

* 血 圧127-63(66)  血糖値77 体重66.2kg   朝、渋皮煮大栗一つ 薩摩芋旨煮三つ 珈琲フレンチトースト一枚 朝の服薬 大排便 映画の途中から国会党首(自民。国民の生活第一 公明のみ)の政治 不在の討論を聴く 納得せず 仕事 夕食 鰊蕎麦 ポテトスティック スープ 渋皮煮大栗一つ 薩摩芋旨煮一つ 凄いほど排ガス大連発 入浴読書六冊 浴 後体重65.4kg

 ☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。
 問い、「仏と魔とはどんなものですか」
 師は言った、「お前に一念の疑いが起これば、それが魔である。(一念も生死を計れば、即ち魔道に落つ。) もしお前が一切のものは生起することなく、 (万法唯心、心もまた不可得 存在として心は把得できぬ) 心も幻のように空であり、(一切の諸法は幻化の相) この世界には塵ひとかけらのものもなく、 どこもかしこも清浄であると悟ったなら、それがである。
 ところで仏と魔とは、純と不純の相対関係に過ぎぬ。わしの見地からすれば、仏もなければ衆生もなく、古人もなければ今人もない。得たものはもともと得て いたのであり、(理法は求めて新たに得るのではなく、本来自己に具わっていることの体認・目覚め・気づきこそ肝要) 時を重ねての所得ではない。もはや修 得の要も証明の要もない。(
道の修すべきなく、法の証すべきなし。

* バグワンも常にこう語っていた。「分別心 マインド」が障礙だと。修行苦行して得るもので無い、すでに備え持った仏性に気づいて目覚めよと。まことに、まことに然かあるべし。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 おそろしいことをこの大小説家は言い切る。
 「小説」は「大衆を堕落させる」と。もともと「小説」とは字義の示しているように古代中国では蔑称であり、世に出始めはマカ不可思議の怪力乱神などを介 し、大小の寓話や面白づくを「読み物」として世にまき散らしていた。その意味では今日の通俗読み物はその類いを引きずっている。フローベールには「小説  読み物」と「文学作品」とを峻別していたのだろう、か。
 「単行本で出版されるより新聞に連載されるほうが、道徳的な害が小さい」とも言うている。小説など本の形で永く座右に置くのは弊害だと謂うのか。
 「『歴史』小説だけは許容されてもよい、歴史を教えてくれるから。例として、たとえば『三銃士』」とは、一つには現代の生活を堕落させる度合いが小さいと。二つには、毒にも薬にもならない読み物が多いと。そういう皮肉か。
 「メスの先端で書かれたような小説がある。たとえば(フローベール自作の)『ボヴァリー夫人』」とも。
 訳者の傍注によれば、サント・ブーヴのこの作を論じた結語への「言及」であると。「すぐれた医師を父と兄に持つギュスターヴ・フローベール氏は、他のひとたちがメスを手にするように、ペンを手にする。解剖学者と生理学者よ、私(
サント・ブーヴ) はあなたがたをいたるところに見いだす!」と。フローベールは「メス」で書いたのか「ペン」で書いたのか。「ペン」を「メス」のように駆使して「人間」を 解き明かしていった自覚の、これは自負と限界の自覚であったか。「針の先端にかろうじて乗っているような小説もある」と彼は書いている。なかなか「紋切 型」と読み捨てがたい。フローベールがあたかも身構えていると感じる。

* 国会での党首会談を聴いた。
 疑問の第一は、数多い小党意見をどう汲むのか、意見は自民とも公明ともかなり違うはず。今日の討論ではまったく無視されていた「原発」政策論が、小党派なら必ず提起されたろう。
 疑問の第二は、民主は、「脱原発30年までに」という党の看板をなぜ掲げようとしないのか、例のウソっぱちだからか。
 野田総理は明後日十六日の解散をエサに、議員定数削減法案成立について自民・公明の確約があればと具体的に両党に迫ったが、返事は曖昧であった。へたをすれば野田総理は確約が無いからと解散の示唆をまたとりやめるかも知れぬ。狐と狸の化かし合いのようだ。
 質疑は公明の代表が言語明晰で聴かせたが、さて内容は薄い紋切型に過ぎなかった。自民の安倍の言論は彼の迂愚の本性を露わに、論旨の空回りや脱線が多く 追究力が薄手に過ぎていた。野田はかなりの覚悟で出てきて演説上手は印象づけたものの、もはや死に体のひ弱さに喘ぎ気味だった。
 明後十六日の解散が成るのかどうか、それだけの国政党首討論だったのかと思うと、あまりに露骨な政治不在に泣けるではないか。

* 都知事の条件に、東京新聞は一面トップで「原発政策 国動かせ」と大書している。言うまでも無い「脱・ゼロ原発」へ舵を切る都知事をとの待望であり、 都民の自覚を意識した宣言とも読み取れる。賛成だ。わたしは私的には^P直樹に信愛しているが、自民党に凭りかかり「原発」への明瞭な態度表現もしていな い限り、立候補支持など出来ない。いまのところ「宇都宮健児」候補の政治姿勢に強い賛意を寄せている。他の候補、元自民党の笹川氏、また松沢氏にも措信材 料が認めにくい。
 原発の「立地自治体」では、金配りの誘惑に負けて「脱原発」の姿勢が腰くだけていると、しきりに見聞きする。人欲の哀れさも感じるし、一つには原発の 「地元」範囲が局限され過ぎている。福島での壊滅危害が、もう一段猛烈であったときは数千万人の首都圏退避も十分あり得て、皇室も含め、そんな退避がいっ たいどう可能だったとシミュレーションできるものか、政治家にも財界人にも、この際都民にも聴きたい。「われわれも原発地元」運動が起きてよい。そして、 甘い撒き餌の「金」や「利権」のばらまき法を廃棄ないし改正して欲しい。

* 放射能の拡散予測図を原子力規制委員会(田中俊一委員長)は、孫請け業者にマル投げ依頼していた。あげく、幾つもの過誤も世に出た。なんたる綱紀の緩み、責任感の欠如。
 そしてまた「復興大臣」平野達夫たるや、被災地で使った復興予算額も「分からない」と答弁している。何なのか、野田内閣のこのうじゃじゃけたウソと無責任は。 

 ☆ ゆり根
 
hatakさん  札幌はそろそろ雪の気配がしてきました。お加減はいかがですか?
 今年のゆり根は少し小振りのようですが、いくつかお送りしました。お口にあうと良いのですが。
 今週来週は一年で一番忙しい週です。あちこちの会議と北大院の講義、出張、間を縫っての実験指導などなど。ご恵贈いただいた『京のわる口』を、ゆっくり読むのを楽しみにしているのですが、なかなか叶いません。
 初雪が降るころには少し余裕ができるといいのですが。
 では体重を落とさぬように、食がすすみますように、お祈りしております。 maokat


* 有難う、maokatさん。
 子供の頃、めったにはないことだったが、茶碗蒸しに必ず入っていたゆり根を、どんなに感激し美味しく食べたろう。主なる鶏肉などより大好きだった。

* 一つ、小説もエッセイも書くmaokatさんに苦言を。
 「初雪が降るころには少し余裕ができるといいのですが。」の一行には「が」の三つも、ま、韻を踏んではい るように読めます。それでも、最初の「初雪が降る」は、「初雪の降る」とお行儀よく。二つ目の「余裕が」も「余裕も」と柔らかに、そして行尻の「が」は、この頃の わたしは、一呼吸いれ、「いいのです、が」などと書きクセになっています。但し最後のこれは、あまりお奨めではありません、が。 

* もう明日早朝には「湖の本」114の初校ゲラが届くと、連絡あり。 

* このごろの新聞紙面の見出しに、「出生前」「出生前小児」の文字を何度も見かける。かつてはそうそうは用いられない学術用語であり、れっきとした研究 書で真っ先に『出生前小児医学』と題し出版されたのは、編集者わたしの出版企画で、当時日大病院長をされていた馬場一雄教授の監修そして共同研究の成果であった。 「出生前小児」と馬場先生の口から題名が提示されたとき、もう十数年も編集者を務めていながら、はっと胸をつかれ、瞬時にその研究意図・出版意義を解した。 ためらいなく企画書を書き、企画会議を異論無く通過した。退社した一九七四年の二年ほども前に堂々の大冊を医学界に送り出した。
 そういう発想があ るのかと驚かれた小児科医も当時少なくなかったし、部数の千部が速やかに捌けたわけでもなかった。だが、わたしの処女企画、一九六○年頃の東大小児科・産 婦人科の両教授を口説き落として両科の大規模な共著『新生児研究』を成し遂げたのとともに、わたしの誇らしい編集企画であった。
 今日、小児科産科が共同の新生児科は実質的に各病院に常設されているし、新生児学会も医学総会に承認されている。
 そして最近になり、わたしの眼にも「出生前小児医学」の大切さが、放射能内部被曝のこともあろう、いろいろに問題視されてきたのは嬉しい限り。医学書院 での十五年ちかい編集者生活で、わたしの企画した研究書は『免疫学叢書』『医原性疾患』『血管造影の臨床』『農村保健』また綜説雑誌「小児医学」創刊な ど、百数十冊にも及んだ。今にして思う、わたしに向いていた職場であったと。 



* 十一月十五日 木

* 血 圧131-59(54)  体重64.0kg   朝、フレンチトースト一枚 ヤクルト 柿 カマンベールチーズ一切れ  蜂蜜紅茶 朝の服薬 休薬期の微かにも安楽なのを今期自覚した。服薬の重苦しさを初めて感得したということ。 立ち向かわねば。 午前、仕事。午は、鰊と揚げ二枚のうどん カマンベールチーズ四分一 渋皮煮大栗一つ 薩摩芋旨煮二つ 午の服薬 午後仕事  夜食 はて何を食べたのか 夜の服薬 入浴読書六冊 浴後体重65.4kg

* 「湖の本」114の初校ゲラが届いた。原稿づくりに慎重を期したので、眼の状態さえよければ早く進む。眼の方は、十八日の眼鏡の出来で少しく決まってくる、今後の動揺も覚悟しているが。

* 宇治の伊藤隆信さんから贈られてきた神宮道の割烹「波多野」手作りのいろいろは、みな口に合い、ことに渋皮煮の大栗、たぶん小布施の大栗かと想うが、 とても美味しい。薩摩芋の旨煮も。鰊は蕎麦に添えている。商品ではない、「波多野」でわたしのためにいろいろ瓶詰めにしてくれたもの。有難し。
 この店の向 かいに馴染みの星野画廊がある。北向けば平安神宮朱の大鳥居がみえ、南へすぐの三条通りをこえるとそのまま坂道が青蓮院や知恩院へ誘う。
 少年のころ、坂の あるこの界隈は自転車乗りの絶好域で、粟田坂でも三条大通りでも知恩院前でも下りの疾走を盛んに楽しんだ。しかし二度、トラックや車に接触して危なかっ た。軽傷で済んだ。

* 政局の動向は、混乱に混乱していて、民主、自公の三党外の小野党連合が成って行くとも成りきれまいとも、見通せない。いずれにしても政治空白・政治不 在である。「脱・反原発」を争点にしたくない民自公の思惑に真っ向「争点」化し得れば、都知事選と同時の總選挙の行方に期待がかかる。それなくては、超反 動保守の大勢力が「日本」を我が物顔に抱え込む。そうはさせてならない。

* 事実問題として、今回の野田総理解散の日程宣言は、党内野田下ろしへの動向に半ばは自棄に反発したのであろう、民主党の末期が自棄を合理化できると、名 誉心もあり突出したのだろう。だが、東北の災害復興も原発の多岐にかつ根本を成している危険極まる諸問題は、全然に投げ出されている。投げ出せ ば無くなる問題では絶対にない。この野田のいいかげんさにはしたたかな超保守姿勢も、自民党との今後の連携すらも用意されていたと観たい。
 しかもこの選挙は「違憲」という無道の罪を吶喊してなされる。自民の協力をえて今国会で成らないまでも、次期国会でぜひ一票の格差・定数改善をまさに庶 幾(こいねが)ったまでが、せめても野田の哀訴であった。それでもわたしは解散自体には賛成している。早く、一日も早く政局からの政治復帰が望まれる、それも自民党の 独裁を是非に阻んで実現して欲しい。
 ことに事実上の「三党談合」という悪弊は今後に繰り返させては絶対にならない。自公はまさに「大義」を失し自棄クソ解散に野合したのだという事実に国民は批判を突きつけねばならぬ。

* そもそも野田内閣は政治としてなにを果たしたか。公約のマニフェストを自ら蹂躙し、国民の信をまったく問わずに無謀な消費増税だけ、まさにそれだけを 強行したに過ぎない。他には語るに足る政治など出来なかった。「身を切る改革」など詭弁と欺瞞にすべて過ぎなかった。なんという悪党へ民主党は成り下がっ たものか。
 見よ、大飯原発と活断層の危険とをしらべる当局のへっぴり腰を装いながらの原発稼働の持続をねらう見え見えの姿勢は、福島から何ものも学び取る まいと謂うほどの悪意に満ちている。原発は要らないのだ、もう。政治力の全部を新しい無害なエネルギー開発へ向けよ。原発は、現在すでに要らないのだ。東 電や経団連に国民の安全と安寧とを売るな。それは明らかに「国の犯罪」だ。「脱原発」を国と国民の英知として「選ぶ」時機がもうとうに来ている。心ある人 たちよ、ともに克ち抜こうではないか。

 ☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。
 おまえに言う、大丈夫たる者は、今こそ自らが「本来無事の人」で あると知るはずだ。残念ながらおまえはそれを信じきれないために、外に向ってせかせかと求めまわり、(念々馳求) 頭を見失って更に頭を探すという「愚」 をやめることができない。円頓を達成した菩薩でさえ、あらゆる世界に自由に身を現すことはできても、浄土の中では、凡を嫌い聖を希求(厭凡忻聖)する。こ ういった手合いはまだ「取捨の念」を払いきれず、「浄・不浄の分別」が残っている。
 禅の見地はさようの迷惑とは違っている。ずばり「現在そのまま」だ。なんの手間ひまもかからぬ。
(直是現今、更無時節) 
 
わしの説法は、皆その時その時の病に応じた薬で、実体的な法などはない。
 もし、このように見究め得たならば、それこそ真実の探求者・出家者で、(俗塵に塗れず無心に=)日に万両の黄金を使いきることもできる。
 おまえ。おいそれと諸方の師家からお墨付きをもらって、おれは禅が分かった、通が分かったなどと言ってはならぬぞ。その弁舌が滝のように滔々たるもので も、全く地獄行きの業作り(皆是造地獄業)だ。真実の求道者であれば、世人のあやまちなどには目もくれず(不求世間過)、 ひたむきに正しい見地を求めよ うとする。もし、正しい見地に目覚め得て月のように輝いた(圓明) なら、初めて正覚は成就したことになる。(方始了畢 まさに初めて
了畢せん。

* 知解はしている、それが「いけない」。いけない、いけない。知解で満足してしまうのが、知識人の地獄なのだ。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「肖像画」で「むずかしいのは、微笑みを表現することだ」と。謂えている。
 「娼婦」について、「独身の男がいるかぎり、娼婦はわれわれの娘や姉妹を保護してくれる」と。また「娼婦はいつでも、ブルジョワ男に誘惑された民衆の娘である」と。後者は、句読点の添え方で意義が、ほぼ同義ながら、動揺する。「民衆の娘」なのか。「
ブルジョワ男に誘惑された民衆」の「娘」なのか。
 「譲歩」は「絶対にしてはならない。譲歩したせいでルイ十六世は破滅した」と言う。「ルイ十六世」の例は無視したい。
 「女性の衣裳」は「想像力を刺激する」と。「男の想像力」と付け加えるべきか。当節日本の若い女性はもはや「衣裳」などという言葉も念頭にないのだろう。「男の想像力を」もはやなんら刺激しない。わたしが置いたからか。否!
 「書物」は「どんな書物であれ、常に長すぎる!」とは、参りました。しかし『戦争と平和』も『モンテクリスト伯』も『ジャン・クリストフ』も『指輪物 語』も『源氏物語』」も『南総里見八犬伝』も長さを魅惑の根にしている。半端に無意味に長い小説や評論は自戒しないと。むろんわたしも。
 「新聞」は「現代社会できわめて重要なもの」だが、「新聞に書いてあることを信じる一方で、常に新聞を弾劾すべきである」とフローベールは適切である。今日の日本でも、有力新聞の大方は「弾劾」に値して措信に値しないし、インターネットの蔓延で力衰えつつある。
 「進歩」は「いつも誤解されているし、あまりに拙速だ」と。人間が「進歩」で儲けながら「悪しき進歩」を抑制も操縦も解雇もできない現状は、「滑稽」を通り越して「もの哀れ」に過ぎる。

* 十二月早くに 建日子が「いっしょに京都へ行ってもいい」と言ってくれている。妻は、黒いマゴのために留守居しようと言う。これは残念だが、黒いマゴも大 事に世話してやりたい年齢へ来ていて、われわれにそれは親しく懐いているので、淋しい留守番に家に閉じ込めて出るのは可哀想。
 建日子とは、彼の少年時代に一度、成人してからも一度、関西へ旅している。けっしてこれが最期と思っているわけでないが、超多忙の建日子が喜壽を祝って 同行してくれるのは、とても嬉しい。新幹線の手配や、宿の手配なども頼まねばならないが、体調次第では彼にきつい負担もかけかねない。抗癌剤一週間の休薬 期中に二泊と思っているが、さ、どんなものか。内心の予定では、帰ってきて翌日に腫瘍内科の診察を受ける。
 あまり病状を軽くみて軽挙妄動になってはならぬが、ま、大丈夫だろうとも、かすかに楽観している。

* 八、九、十月の外出よりは減ると思っていた十一月も、十三回の外出、になる。ただ今日の、ボジョレーヌーボー予約のワインを受け取りに保谷駅まで出るのは、明日の俳優座観劇の帰りにと省略した。
 十二月は、さすがに外出予定も減っていて、病院の診察や歯科眼科が若干加わってくるだろうが、加えて京都行きがあれば、楽しくもあり疲労も出ようか。
 十 日には尾上菊之助が花魁八ツ橋を演じる「籠釣瓶花街酔醒」が楽しみで。二十日には松本紀保らのミュージカル公演があり、出来れば喜壽当日には国立劇場での 通し狂言、吉右衞門以下、華やかな顔ぶれの「鬼一法眼三略巻」が観られないだろうかと尋ねないし高麗屋にお願いしている。明けて二月の染五郎復帰、日生劇場の公演 はもう確保できている。
 着々と新歌舞伎座のこけら落としが近づいてくる。何としても観に行きたいなあと、そんな願いをも闘病の力にしている。 



* 十一月十六日 金

* 血 圧135-64(62)  血糖値71 体重65.0kg   朝、ゆで卵一つ 狐うどん 柿 蜂蜜紅茶 ヤクルト 朝の服薬 今朝から朝夕、「抗癌剤」服用再開  午後、俳優座公演「いのちの渚」反原発を含意の劇を観る。広報誌「コメディアン」に批評寄稿を懇望される。 遅い昼食はケーキ半分とたっぷりの珈琲 服薬 保 谷駅で、予約しておいたボジョレーヌーボーを受け取り帰宅。 晩は、柿、おでん 昆布巻 フレンチトースト半枚 スープ。 夜の服薬 夜の仕事

* 国会で「衆議院が解散」された。それ自体は野田内閣の退陣にもつながり、かねて希望していたことだが、「脱原発と被災救援、復興推進」という本質と急務を投げ捨てたような、まさに「政府の犯罪」ともいえる解散であった。遺憾というしかない。
 「原発」問題は、国と国民との将来の安寧と健康な身心にふれた本質的政治課題であり、いま各党派が掲げている他のいろんな政策のはるか上位にあらねばならぬ「永世の国是」と謂えるもの。
  したがって、今朝、この頁の冒頭に掲げたように、「原発推進」を経済界にあたかも誓約しに訪れた「安倍自民党は絶対に支持しない」し、「反・脱原発」を公 約として闡明にしないいかなる政党も立候補者も、わたしたち、「NO NUKE」を求める国民は、けっして支持しない。
 今日、支持を願ってきた地元代議士にも、上の「意思表示」と「声明」とを以て返事とした。

* 午後、俳優座公演、吉村公一郎作・落合真奈美演出の「いのちの渚」を観てきた。これは観落とせないと思い招待に応じて、いつものように妻と出かけた。 作にも演出にも遺憾は隠せないが、この時節に真摯に「反原発」の底意を表現した舞台は、少なくも前半、息をのませるスリリングな迫力で、原発企業の特権意 識が、また、原発じたいの安全神話を裏切る構造じたいの脆弱と過誤過失や、危険極まる故障突発の隠蔽工作が描き出され、原発のそもそもに機構上の、また企業上の過 剰に差し迫ってきた危険や隠蔽に気づいて行く或る中間管理職の、途方も無い苦悩や、彼の家庭・家族とのまことに難儀な意思疏通の難しさが、すばらしい筆致と 展開とで達成されていた。満場の客が息をのんでいた。
 残念ながら後半になると、なにとなく焦点がバラケて、ことに、家庭・家族のなんともやりきれない曖昧さが、舞台の真率をかき乱し、おいおい、どうなるの と困惑さえ感じ始めていた。「原発」のとてつもない危険についてはほぼ遺憾なく息をのませるほど描けていたのに、家庭のドラマがよく描けず、よく演出され ずに、求心力を見失っていた。
 舞台の事件は、あの地震と津波による福島原発の惨害よりずっと以前の、どうやら実際に取材して書かれているのだが、今もなお指さす一つの不幸、遺憾極まるあの福島原発爆発、 を思い出すこと無く観劇していた客は、おそらく一人もいなかったろう。ところが作者も演出家もそこへ舞台を懸け上らせる勇断をもたなかった。
 終幕の寸前に暗 転の儘もの凄い轟音が客席へ流され、さてこそと然るべき福島のたとえ津波とか無残に爆発した建屋の「映像」が出るかと思ったのに、願ったのに、そのまま意 味の弱々しい、無残に無念に死んでいたあの管理職の妻の、夫の死の意味が分かったとも分からないままとも何とも、曖昧な呟きひとつで、棒を折ったように突然演じた 俳優達が舞台にわらわらと現れて、拍手が要請された。あまりに勿体ない後半舞台の曖昧さは最期まで拭われなかった。
 あの最期の直前の轟音はそれでよい、なぜそれにかぶせて福島原発の壊滅した建屋の映像を凝然と置くことで、問題意識を今日の「反・脱原発」運動や東電批 判に直結させなかったか、惜しんで余りある作者と演出家と劇団俳優座のミステークであると、批判しておく。
 しかし前半の舞台は、展開は、怖いほどの迫真、 すばらしかったのである。
 制作の方から広報紙「コメディアン」への寄稿を依頼されてきたが、率直に書いて、原稿を受けとってくれるかなあ。

* 昨日、プレハーノフの『歴史における個人の役割』とフローベールの『紋切り型辞典』を読了した。ともに量のある解説がついていで、それもぜひ 読んでおきたい。「辞典」はともあれ、プレハーノフの「論攷」がいまの頭の老いたわたしに読めるだろうかと思っていたが、本を朱で真っ赤にしながら、とてもとても興味深く読 み込めた。いい論文であった。
 また「八犬伝」も一冊読み終え、次巻にうつる。

* 青田吉正さんから、「京ことばの『批評性』に注目」と特筆されている『京のわる口』紹介の新聞記事を送ってもらった。となりに、鶴見俊輔さんの『身ぶりとしての抵抗』という、ま、エッセイ雑纂らしい本の紹介があり、これが、わたしの甥・黒川創の「編」だと。
 わたしも生涯一度、『谷崎潤一郎家集』という豪華本の二冊を、松子夫人の序文もろとも克明に「編纂」したことがある。文学史にも寄与しえた、谷崎研究者・愛読者としての佳い「仕事」になった。
 学研からの『泉鏡花』『枕草子』も、そういえば「編纂」の仕事だった、そういえばまた、光文社「知恵の森文庫」で、岡倉天心・幸田露伴・三条西公正・安田 靫彦・武者小路実篤・高村光太郎・村上華岳・会津八一・北大路魯山人・亀井勝一郎・吉川英治・宮川寅雄ら近現代十八氏の古美術読本『書籍』をわたしは 「編」してもいた。いずれも雇われ仕事で無いわたし自身の渾身の「仕事」であった。

* 十二月喜壽の日に、国立大劇場での中村吉右衛門らの通し狂言、座席がとれると高麗屋の返事をもらった。梅玉、魁春、東蔵、歌六、芝雀、又五郎、錦之助、高麗蔵らの華やかな芝居になる。清盛館、菊畑、檜垣、そして一条大蔵卿の奥殿まで。有難し。

* 十時半、さ、やすむとしよう。
 妻は京都への旅をすすめてくれる。建日子も同行してくれる。
 この体力や体調で、「軽挙妄動」になっては闘病の実を無にしてしまう。それが気がかり。行ってみたいが。


* 十一月十七日 土

* 血 圧128-59(59)  血糖値69 体重65.2kg   朝、揚げ二枚の蕎麦 昆布巻 林檎 朝の服薬 午前の仕事 午は、飯に振掛け一膳 柿 蒲鉾 味噌で清酒少し 午の服薬 午後の仕事 夕食 晩の服薬 排便 夜の仕事  眼の状態は従前に同じいが、点眼と洗眼に頼む。 顔つきにやや生色戻るか。

* エネルギー白書に「原発ゼロ目標」は出ていない。このままでは十二年度の白書にも出ない可能性がある。これが民主党政府の本音なのだろう。
 選挙目当ての口当たりだけよい誤魔化しに乗ってはならない。

* 株主代表訴訟に対し東電は「津波予見はできなかった」と主張するだろう、予見は誰にも出来ていなかったろう。問題は津波では無い、先立つ大地震で福島 原発は致命的な破損を招いていて、東電の責任においてとうてい修復の成らない事態が、地震前から実在していた、しかけていた。重要免震棟は世界的に必備なのに、日本の原発ではどこにも設営できていない。追究が肝要。

* 「日本原子力技術協会」が「原子力安全推進協会」と名を変えた。なかみは旧態依然。理事長は中学・高校でのわたしの同窓生。協会トップはかつて多年原 子力安全委院長をつとめ、「福島事故の起こる原因に思いが至らなかった」と、表明していた松浦祥次郎氏。それは何らの釈明にもならない無責任かつ無能の自 認でしかなかった。「原発絶対安全神話」の捏造主体の一つとして「原技協」が働いていただろう、松浦表明はその「自白」に近い。「原子力安全推進」とは、「原子力 安全神話の再版推進」という反動役割の表明でなければよいが、そもそもこういう機関がほんとうに現在必要なのかが問われて良い。

* 「脱原発」政策に、民主党は一時は閣議していた「ゼロ」化を、今や「確約しない」ことで、いずれの「自民野田派」への擦り寄り姿勢を明かしている。許せない。
  自民党は選挙対策として誤魔化しの「争点化回避」に躍起であるが、安倍総裁はすでに経団連等へ出向いて「原発推進」を約束し握手してきている。絶対に自民 党は支持できない。
 
「国民の生活が第一」党は「十年後全原発の停止」を、公明党は「二千四十年後にはゼロに」と。「みんなの党」は明瞭に「反原発」をと唱 え、大阪橋下らの「維新の会」は、国内で「脱原発」しかし「原発輸出」は推進と、思想的混濁を露呈している。
 「共産党」「社民党」は明瞭に「反原発」を主張し て迷いがない。
 石原慎太郎の「太陽の党」は「原発稼働を当然」としていて許せない。
 名古屋の河村らは脱原発を口にしながら石原らとの合流を考えている。頭隠して尻隠 さずか。
 第三極はどうなるかわからないが、石原慎太郎が突出している限りは纏まらないだろう。かりにそれで纏まるなら、そんな第三極は結果として自民党の色と仕掛けに壊滅して行くだろう。

* ^P直樹が都知事選に立候補して、自民党の支持を拒絶し、かつ東電の「発送電分離」「東電改組」等を実現してくれるなら、それは、それなりに成り立たせたい。しかし自民の支持で原発は容認・擁護では、^Pと私的に親しいわたしとても、支持しない。

* 田原総一朗が民主党の仙石副代表を呼んで語り合い、それなりに聴かせていた。そのあと、政治評論家の田勢氏とも話し合っていて、これは妻からの報告で 知ったが「、大阪の橋下は自分を牛若丸と思って石原を弁慶にと願っている様」子で、石原自身もそれらしい言辞で「橋下牛若を翻弄」している気持ちでいると思われる と。しかも石原は結局は自民党に乗り込んで半日一日で
も「総理大臣をやりたいような男」であり、橋下にすれば弁慶として仕えもし引き立ててくれるという甘い期 待があるにせよ、いざとなれば石原慎太郎は「頼朝」に化け、て橋下「牛若・義経」を抹消するだろうと。
 これはなかなか面白く聴けた。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「進歩」は「いつも誤解されているし、余りに拙速だ」と。
 「衰弱」は「常に『早すぎる』」と。
 「正義」は「けっして気にかけるべからず」とも。 これは聴くに足る。「正義」の名において成されてきた「不正」の多さは「正義」に立ち勝っている。
 「聖職」に関しては「藝術はひとつの聖職である」「一般にあらゆる職業が聖職である」と。
 「正書法」など、「自分なりの文体があるときは、知らなくてよい」と。 これは文章読本の常識である。
 「青鞜」とは、「藝術上のことがらに関心を抱く女性を形容するときの侮蔑語」だと。
 「折衷主義」とは、「自分の評判を落としたくないひとが支持する主義」であると。 確かに。
 「摂理」が「なかったら、われわれはいったいどうなることだろう?」

* しかしながらフローベールは生涯の永い期間かなりに熱中し執着した『紋切型辞典』のなかに、「自身の言葉は意図してまったく入れなかった」と「解説」されている事実を頭に入れておく必要がある。何故か。それはもう少し先である程度まで理解できるかも知れない。

* 正月初春歌舞伎の案内が来た。昼は同級生の片岡我當が三番叟の「翁」でめでたく新年の幕を開けてくれるという。彼に座席を頼み、夜には幸四郎の「逆 櫓」が楽しみで、高麗屋へ、別の日にとお願いした。
 二月には、日生劇場で染五郎が復帰の舞台を勤める。
 三月だか四月だかには新歌舞伎座の「こけら落とし」 興行があろうと期待している。ぜひにと願っている。
 新年の、はんなりした楽しみに励まされたい。五月一日から服用し始めた抗癌剤での闘病、あと半年つづく。もっともっと続くだろう、いろいろに。頑張る。

* 観るから幽霊顔であったのが、少しずつ昔顔へもどって来ているのかと感じたりする。しかし、身のよろよろ、よたよたは変わらないし、もっと頼りなくもなりかねない。どうあろうと立ち向かうまで。

* 手洗いに。蚊帳吊草の下へ小玉の赤い実がものの百も挿してあった。妻が、庭草に、京の杉田博明さんが花政から贈ってくれた盛り花の名残の赤い実を取り合わせたのだ。華奢で可憐な風情が嬉しく、手洗いにはいるのが心地よい。

* 仕掛かりの幾つもがあるのに、突如新しい「寓話」が書きたくなって、書き出してみた。躁ではない、だがわたしは鬱でも全くない。こんなに仕事も楽しみもあ るのに、海とも山とも分からない病状に「気」で負けていられない。「湖の本」114の校正も進めているが、115の構想も出来つつある。
 いま、メールをわたしは殆ど自分から使わない。使い始めれば途方も無く必要な時間が殺がれる。手紙や葉書も、ましてそうで、わるいし申し訳も無いが、妻 に、ほぼ全部の必要を助けてもらっている。
 したいこと、せねば済まぬ衝動がはてしなく在る。機械の前へ一度坐れば、身をもぎ離すほどでないと「仕事」が止 められない。あるいは「生き急いで」いるのかも知れないが、目下はそんな気分に無い。「創作」と「私語の日録」と「機械の整備・整頓」と、それだけでたいへん。しか もそれが「要すれば好き」なのだから仕方が無い。有難い。

* 明日は待望の眼鏡を受け取りに行く。これまでと違い相当な不十分に動揺するだろうが、辛抱良く視力の移動を追っかける覚悟で、眼鏡も作り直し作り直して立ち向かうしかない。右眼レンズが真っ黒な眼帯かわりの眼鏡も追加して作りたい気がしている。

* 十月の日記をいちおう全部、日付順に誤記・誤変換を訂正したつもりで、他へ移動させた。もうすぐ十二月が来れば、此処での十月日記は無くなる。


* 十一月十八日 日

* 血 圧122-61(61)  血糖値73 体重65.2kg   朝、中華風握り飯一つ 蒸し薩摩芋薄輪切り一つ 蜂蜜紅茶  午前の仕事  朝の服薬 昼食 カレーライス 午の服薬 午後、調製した眼鏡を受け取りに江古田駅前へ。パソコン用と遠用とが出来た。右眼の不安定があり万全とは行かないがあと半年は新しい眼鏡 を更に作るのは無駄だといわれる。七つ八つ残してあった古眼鏡の古い物がなんとなし今使える。理由は分からない。 晩食、おでん 白飯に振り掛け 晩の服薬 入浴読書六冊 後の体重65.4kg   ボージョレーとブルーチーズ
  
* 「維新の会」、「脱原発」の旗を降ろして単なる「石原慎太郎党」となる。支持しない。いよいよ「橋下牛若丸の弁慶役」を装った石原が、化けの皮を脱いで、牛若義経を滅ぼす頼朝役へ化けて行く。
 石原の念頭には自民に乗り込み一日宰相、三日天下の夢があるだけと識者は読んでいる。
 所詮橋下には大局が読めていなかった。
 自民の石破幹事長は、山口県での新原発建設を許容明言している。自民のあの永い永かった「大悪政時代」の再現を権力に任せて実現したがっている。拒否せよ、絶対に。
 国民の生活第一・公明・共産
・みんなの党・社民各党が「反原発」を明確にしている。支持するのは、これら。公明党は、自民党に終始擦り寄っていて支持できない。公明党を除く他党が「消費増税法」の撤廃も揚げていて、支持する。
 都民の世論調査では「原発ゼロ」を57%が望んでいる。巧みに「反原発」党は合流して、票の分散を防がねば民意が立ち枯れてしまう。
 首都圏はいまいちど原発の壊滅事故が起きたとき、何千万人が避難の行く先さえ持てずに往生すること、菅前総理の『福島事故 総理大臣として考えたこと』 (幻冬舎)が肌に粟立つほどリアルに証言し確認している。もう「まさか」では済まないのである。太平洋岸の日本全地域は、今日、大地震や大津波に襲われて もおかしくないのだ。政治をわれわれの真率な批判で動かしたい。動かそう。

* 田中俊一の率いる原子力規制委員会は、放射能拡散予測を三度も間違えた。規制庁は幹部職員の処分に踏み切るという。規制委員会自体を顔ぶれを公正に改め再スタートすべきだ。

* 活断層が原発の下を通っているという事実かそうでないかを専門家達が二度に亘り調査して、「シロ 問題なし」としている専門家は一人も無く、「クロ」 またし「グレー」という意見で纏まっているという。しかも政府も規制委員会も稼働している原発を停めようとせず放置の儘あいまいにしている。何のための調 査であったか、「活断層」が認められれば稼働は停止しなければならぬという前提の調査であった。当局は何を誤魔化そうとしているのか。

* 国の「除染」実態は、「安全より東電救済」に傾いて、有効な「新しい技術」をまったく活かしていないと東京新聞は非難している。野田内閣のともすれば 自民寄り「原発・東電」擁護に歩んできた実態が被災東北の全域でつぎつぎに暴かれ、住民に気の毒な諦めのムードすら見え始めている。いけないいけない。
 起 つべき時機が来ているのだ、こんなときに社民党や共産党は陣頭に立たねばウソだろう。

* 田中真紀子文科相の判断が正しかったとする論調が、多方面から澎湃と上がってきていることを、ペンの言論委の同僚だった篠田博之氏月刊「創」編集長が 紹介している。田中真紀子の眼は曇っていないことは明らかで、わたしは、終始支持してきた。彼女は新たな政界でも出来れば重用されて欲しいし、選挙でも堂 々勝ち上がって欲しい。ステーツマンシップ(政治家魂)を堅持した田中真紀子ほどの政治家がめったに見当たらないのが、情けない。

* 午後に、新しい眼鏡を受け取りに行く。少なくも現状より改善されているといいが。難しいかな。
 新しい遠用、パソコン用の眼鏡を持ち帰った。まずまずか。とにかくも半年はこれで、と。せっかちに作り直しても大差は出ないと。腹をくくってこれでやっ て行く。日蝕用のパツチ眼鏡で右眼を隠すといい、疲れたならと。幸い妻が残し持っていて、左眼は明るく切り取り、右眼の真っ黒をのこしたのが使える。掌で 右眼を蔽っているのにも限度があり、助かる。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「想像力」は「警戒すべきである」とともに、「想像力さえあれば、誰でも小説を書ける」と。
 フローベール自身の説や言葉と受けとらないこと、彼は徹底して他書の引用や聞いての体験でこの「辞典」を書いている。絶筆となった大作の小説『ブヴァー ルとぺキシェ』のこの作中人物二人が熱中して小説の中で編纂している。材料は二人の厖大な読書体験に埋蔵されていた、が、それすらも作者フローベールの意 図が構造化されてあることは否定できない。辞典として書き込まれてある言葉をフローベールに直に結びつけては間違う。そのように創られてあるというのが解 説者小倉孝誠氏に教わったことである。
 「挿入」は「卑猥な言葉」であると。わたしには少し違った思いがある。
 「損害賠償」は「常に要求すべし」と。
 「体液」が「出たら常に喜び、体にこれほど多量の液体が含まれていることに驚くべし」と。血液の意味ではあるまい。こういう語を採り上げる小説の作中人物たちないし作者の思いが汲まれる。
 「代議士」は「みんなお喋り」で「何もしない。」「議会を激しく非難すべし」と。この通りの今の日本の代議士達。
 人はみな「ある種の」「体質」を「持っている(好色だとい意味)。」
  「対比」するのなら「次の両者で行うべきである。』即ち
   カエサルとポンベイウス。
   ヴォルテールとルソー。
   ナポレオンとシャルルマーニュ。
   バヤールとマク=マホン。
   ゲーテとシラー
   ホラチウスとウェルギリウス 
 「ダゲレオタイプ(銀板写真)」は「やがて絵画に取って代わるだろう」と。 日本の昨今の若い画家もベテラン画家ですらも自ら「写真」に身売りして、 デッサンをおろかに、「写真」の輪郭をなぞり描きして新思潮だとでも思っているらしいが、無能・無策の非藝術家に陥っているのだ。

* よくもまあ「不良メール」ばかりが山と来るものだ。「ウイルス」が来たという報告もときどき入る。

* 清盛に、見かけ頽廃現象が出てくる。「清盛悪行」といわれる、が、彼の性根と執着は、あくまで武士が「侍でなく」生きられ、しかも国政を左右できる実力確保だっ た。だが、一触即発の反平氏蹶起を誘ってしまった
のは、重盛亡き後の平氏の棟梁宗盛の、源三位頼政嫡子仲綱にした愚行だった。脚色者はよく押さえている。かく て不平の塊の以仁王と八条院の反平氏の意思が、全国に散開の源氏に令旨を放ち蹶起に向かわせるや、清盛の恩顧に隠忍してきた頼政父子も漸く起つ。
 次回、頼政らが起ち、かつ以仁王もろともすぐに宇治平等院で挫折する、が、伊豆の頼朝は、平氏の代官山木を急襲するだろう、そして一時は窮地に陥るだろう。木曾義仲の挙兵も描かれるかも知れぬ。
 清盛悪行の象徴のように祇王祇女姉妹と仏御前の出入りが描かれたが、世間はやはり法皇の押し込めと幼い安徳の即位に観ていただろう。

 ☆ 京都
 ホームページ見てます。
 せっかくのチャンスですし、12/3−5で京都行きいかがでしょう。
 行きは出発を遅めに、帰りはチェックアウトしたら帰るだけ、と割り切れば、体の負担も最小限で行けると思いますが。。。
   ☆ 秦建日子☆TAKEHIKO HATA ☆

 * re:京都

 建日子
 一緒に旅など希有の好機かもしれないね。喜壽を祝って貰うこれ以上の贈り物はないね。
 永く歩くという無理は出来ないだろうが、京都は車が使いやすいし。わたし自身は何でも食べられるわけでないけれど、建日子にそこそこの店を教えることは出来ます。楽しめるといいね。仕事に障りはありませんか。
 十二時頃の新幹線で行き、帰りもそれぐらいで新幹線の切符がとれていると安心です。
 どんなところへ建日子が行ってみたいか、それも楽しみ。
 とくに人と会いたいといった望みはもちません。京都の秋色と山川の空気が目に胸に入れば幸せです。
 宿は、三条・四条辺で、やはり祇園・東山に便利なところが有難い。河原町御池のオークラ京都ホテルなら、わたしに、カードがあると思います。
 二十九日に福田恆存さんの「明暗」を一緒に観られるのもとても嬉しく楽しみにしています。
 その日、観劇のあとに幸い時間の余裕があればいろいろ話し合えると思います。
  生き急いでなどいませんが、建日子との機会は、ますます大切にしたいと、わたしも母さんも願っています。
 では。怪我や事故や病気のありませんよう、人生安全運転してください、ぜひ。
 メール嬉しく。ありがとう。  

* やはり長時間の読み書き仕事では、新しい眼鏡でも霞んでくる。眼鏡のせいで無く、眼の酷使ゆえと思わざるを得ない。もう、やめよう。             


* 十一月十九日 月

* 血 圧118-57(59)  血糖値86 体重65.2kg   朝、きつね饂飩 朝の点眼 服薬 大排便 午前仕事 午は、フレンチトースト スープ 午の服薬 午後仕事少しして、新梅演舞場の顔見世歌舞伎に出かけた。劇場での夜軽食のあと抗癌剤など服用。 十時前に、帰宅。

* 「反原発」を民意で吶喊・完遂するには、総選挙の投票により「総意」として実現しなければもとの木阿弥で終わる。たとえ雨風がつよくてもこの「反原 発」の願いは選挙の票でぜひ意思表示したい。棄権しないで、「どの党、どの候補」が「反・脱原発」を誠実に表明しているかを確かめながら一票を投じたい。 投じて欲しい。

* 放射線の内部被曝の蓄積・発病には、アメリカの水爆実験で島ひとつの全住民が苦悶し悲歎し、おくればせに他島へ全移転を余儀なくされてからも、長年月 にわたり故郷への帰島は成りがたく、しかも甲状腺の異常や発癌のケースは根絶できないとテレビ放映でつぶさに明かしていた。
 日本の放射線食品照射のデータ評価の報告で、アルキルシクロブタノン類の安全性を調べた研究報告書の「肝心な部分」が真っ黒に塗りつぶされていた。内閣 府食品安全委員会は、墨塗り報告書をそのままで、食品による「発がん性を否定できる有用なデータ」と公表した。こういう点から、久しい将来に亘る食べ物か ら来る人体の内部被曝や発病の懼れが露呈してくるのでは、堪らない。

 ☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。
  凡常の修行者たちは、いつも名前や言葉に執われるため、凡とか聖とかの名前にひっかかり、その心眼をくらまされて、ぴたりと見て取ることができない。
 例の「経典」というものも看板の文句にすぎぬ。修行者たちは、それと知らずに、看板の文句についてあれこれ解釈を加える。それはすべてもたれかかった理解にすぎず、(皆是依倚) 因果のしがらみに落ちこんで、生死輪廻から抜け出ることはできぬ。  
追いかければ追いかけるほど遠ざかり、求めれば求めるほど逸れていく。ここが摩詞不思議というものだ。
 おまえに言う、おまえの幻のような連れを実在と思ってはならぬ。そんなものは遅かれ早かれするりと死んでしまうのだ。おまえはこの世で一体何を求めて解脱としようとするのか。
 ずるずると五欲の楽しみを追っていてはならぬ。光陰は過ぎ易い。一念一念の間も死への一寸刻みだ。(光陰可惜、念念無常) 大にしてはこの身を作る地水火風〔の変調〕に、小にしては一瞬一瞬が生住異滅の転変に追い立てられているのだ。
 おまえ、おまえは即今ただいま、これら四種の変化が相(かたち)なき世界であると見て取って、外境に振りまわされぬようにせねばならぬ。

* このおしえを、バグワンにも教わって知解はしているが、これと、「反原発」のいわば闘いとはどういう関わりになるのか。
生住異滅の転変に追い立てられている」だけなのか。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「種馬」は「いつでも『頑強』 (そうでなければ、種馬として養っておく必要がない)」「女性は、種馬と普通の馬の違いを知らないほうがよい。」「少女にとっては、種馬というのは他よりも大きい馬のこと。」と。
 小説
『ブヴァー ルとベキシュ』のこの二人の作中人物、即ちまた作者フローベールは、このての、存外に「性」と関わった暗喩にひとしい「辞典」見出し語を、かすかに意図して多用し、そこにこれら人物のある種の底意を表しているのではないか。それがこの「辞典」へ存外に読者を誘うのではないか。現にわたしも、誘われている、或るべつの意図をもちながら。
 「卵」は、「生物の起源をめぐる科学的な議論の出発点」と。
 およそこの人物達の読書渉猟の、そして何かしら実務のための探索範囲は、まことおそるべきもので、「農学、化学、生理学、医学、天文学、地質学、考古学、歴史学、文学、美学、政治学、社会学、哲学、倫理学、宗教そして教育学」と追究され、それはまた
ブヴァー ルとベキシュだけでなく、原作者フローベールの心性を反映している。『紋切型辞典』とはたんなる余興の諧謔どころか、途方もない探求と性癖に根ざしている。
 「騙されやすいひと」に触れては、「騙されるよりは騙す側になったほうがいい」とある。作中人物と作者とのともに担った社会や時代への怨念のようなものが滲み出ているのではないか。
 「タレーラン」という、著名なフランスの政治家・外交官。革命時代からナポレオン帝政を経て王政復古期にいたるまで、あらゆる体制をくぐり抜けて活躍し た政治家で、権謀術数を体現したような人物を見だし語にとりあげ、彼らは、「憤慨すべし」とだけ断言している。たんなる「紋切り型」だろうか。
 同様にフランス革命期の一七九二年、国境に迫った敵軍と戦う市民を鼓舞すべく議会で下記のように演説した「ダントン」については、「勇気を持て、常に勇気を持て」とのみ記載している。「辞典」に関わった作中の二人、また作者自身の自身への鼓舞が願われている気がする。

* いまわたしの読んでいるロマン・ロランのフランス革命史劇『愛と死との戯れ』は、身のこわばるほどの感銘作であり、上の『辞典』はこの名作の或る意味のベースとさえなっている気がする。

 ☆ 拝啓
 急に寒くなってきました。おからだの方はその後いかがでしょうか。お大事にして下さい。
 『京のわる口』拝読しました。私は大阪生まれなので、読んでいて同じ関西弁でもこれだけのちがいがあるのかということがよくわかります。
 引用の文章がニュアンスともども聞えてくるようでたのしいでした。自ら話すことができなくても 聞けば理解できる範囲のちがいだな、と 言葉というもののおもしろさを改めて知りました。   川西市  国文学者 名誉教授

* 十二月は夫婦の祝い月でもあり、十日は五十五年めの婚約の日、演舞場で菊之助の花魁八つ橋が観られる。松嶋屋の配慮で、今夜は最前列、師走十日は二列目 中央の角席を用意してもらった。十二月二十一日は七十七の誕生日。高麗屋のお世話で、国立劇場吉右衞門の大芝居が楽しめる。
 歌舞伎は何十百度観てもこころ寛ぐ。

* 
新 橋演舞場の「顔見世」歌舞伎、夜の部に出かける。
 松緑代役おそらく初役に近い「熊谷陣屋」 これは期待以上に柄の大きい歌舞伎を松緑が創りだしていた。彼 はこういう大歌舞伎のごつい役で真価を磨いて行くのだろう、妻の相模魁春、藤ノ方秀太郎、義経梅玉、弥陀六左団次、いずれもベテランが脇を引き締めたなか での松緑熊谷は、或る意味今日の歌舞伎の可能性を示唆している。
 もうほんとうの大名題は坂田藤十郎一人、雀右衛門も芝翫も冨十郎も亡くなった。高齢という 意味ではわたしの友である片岡我當、弟秀太郎、松本幸四郎、尾上菊五郎、市川猿翁、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、坂東玉三郎、市川段四郎、中村梅玉、中村 魁春、中村時蔵、市川左団次、市川團十郎らが、今日未来の「歌舞伎」引き締めてゆかねばならず、最も魅力的な役者中村勘三郎の病気がことに心配される。
 新 しいどんな歌舞伎の演技が構想されてゆくにせよ、坂東三津五郎、中村芝雀、中村翫雀らを牽引車に、市川染五郎や尾上松緑や市川海老蔵らに頑張ってもらわね ば済まない。今日の松緑熊谷に、わたしは希望をさらに持った。
 ついで坂田藤十郎と嗣子中村翫雀の「汐汲」はさすがに父子の所作事が悠々と美しく運ばれて、楽しんだ。もう機会あるごとに藤十郎の天才に触れつづけて行きたい。
 さて菊五郎ら大勢の「四千両小判梅葉」。黙阿弥という作者は「筋」は存分に書けるが、人間の感動を表現するのはむしろ下手ではないのか。「熊谷陣屋」 「寺子屋」「勧進帳」など何度観てもしたたか泣かされる人間劇だが、今夜の黙阿弥も、作の狙い・趣向はけっこうだが、人間はしみじみと描けていない。菊五 郎、梅玉がお気の毒なような、しかし、好奇心からすればなかなか観られないような面白い舞台が創られていて、はい、分かりました、ありがとうさんという程 度の芝居であった。菊五郎にこんなことばかり遣らせていてはいけなかろう。

* はねて、日比谷のクラブで休んで行こうかと帝国ホテルの前まで往きながら、食欲無く酒にも気が無く、   Uターンして保谷へ帰った。明日はまた歯医者に行く。



* 十一月二十日 火

* 血 圧131-59(70)  血糖値75 体重65.0kg   朝、きつね饂飩  柿 蜂蜜 朝の点眼 服薬 手先の痺れ 涙目 いつも通り   午前仕事 午、きつね蕎麦 午の服薬 午後歯医者へ 義歯一本入れる 便意あれど排便せず 夕食 スープ グラタン 振り掛けて白飯一膳 夜の服薬

* 福島の除染進まず道路脇や軒先の線量がかえって増加し始めていると。山間部では放射性物質が風雨で移動しているというのはわたしの確信を裏書きしてい る。日本の山野は植生豊かで放射性物質の温床となりしかも無際限に拡散して行く。日本列島は山伝いに行けないところは無いと聴いてきた。ことは福島に限定 されない。

* 政党の公約がいかに簡単につくった党自体の足蹴にされ改悪されて行くかは、民主党野田政権が絵に描いたように実演して見せた。彼らは今、対自民党を念 頭に、もとより選挙対策に過ぎぬであろう「原発ゼロ」「稼働ゼロ」と言い始めている。よしよし、厳重にこの公言の行方を観察しつづけよう。
「原発ゼロ」「稼働ゼロ」は今われわれの最も望むところなのだから。
 福島県は「脱原発」「全廃炉」という姿勢のもとに、「核燃料税」廃止を決めた。基本の姿勢に背くからであろう。原発を持ったり稼働したりしている他県に、いずれは我が身と、見習って欲しい。

* 亀井静香と民主党を離党した元農水相の山田正彦が「反TTP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」を旗揚げした。ただの旗におわり実効は願えない。同 志の党は結集してこそ戦えるだろう。自らの愚かさ・思慮の無さに負けていては話にならぬ。
 「原発ゼロを最大争点にする」という野田総理のなんとも薄氷にに た思いつき発言にも、わたしは「反自民」への足がかりは求めたい。もう二度とどんな総理にも「嘘」をつかせまい。
 「反・脱原発」の投票がいかに「結集」するか、出来るかが鍵になる。分散していてはタダの「声」だけに終わる。

* いまだに原子力規制委員会に属する科学者が「電力」からの寄付金を受けている事実が実名で報じられている。しかも委員会当局は「問題ない」と言う。あしき結託で無いとの保証はないだろう。

* 民主党は「脱世襲」を実行し始めるようだ。三十年も昔からわたしは「世襲」が国を乱す最大原因の一つに必ず成ると総合雑誌の編集者にも語り新聞にも書 いていた。
 やっと、今になって「脱世襲」が政策化されるのは、遅きに失していたが、今からでも声を大にし、「安倍晋三」自民総裁はじめのうのうと能もなく 世襲してきた乱政・暴政の徒の根絶やしを、ぜひぜひ、はかりたい。

* 自民党は選挙後の自公民連携を公言している。少なくとも民主党は自民野田派には成るべきで無い。それではアンマリではないか。「原発ゼロ、稼働ゼロ」の呼びかけがまたも「嘘つき」になる。民主党と野田内閣の多少とも名誉回復も全然あり得なくなる。
 政策の明らかに建前の上で異なる自民政治を必死で食い止めたいのなら、「嘘つき」政治は二度と繰り返してはならない。

 ☆ 秋冷の候
 その後おからだ如何でしょうか。『湖の本』113やペンクラブ会報などで、今年はいくつもの手術入退院を繰り返し、御闘病の由存じておりますが、一日も早い御快復を心より念じ上げます。
 また、喜壽の御祝いにと御著『京のわる口』を頂戴いたしまして有難うございました。私ごとながら、本日、小生は喜壽プラス壱歳となりました。
 御両書の御礼を申上げようと思いながら、先日一杯まで、私事で手つかずになってしまいましたこと、お許し下さい。
 唯一の、掛け値無しの褒め言葉が「はんなり」で、「花あり」の意、とある『京のわる口』は、関東銚子生れの身にとって、具体的な一語一語が説得力を持って迫って来、愉しみました。歴史の違いを、殊更、痛感しました。
 「私語の刻」で、終始「悪政」を批判されていましたが、今回の「無責任解散」を意味あらしめる選挙にしたいのですが。
   2012.11.18     元出版部長  高   
 
* 手先の痺れつよく、頻繁にモノを取り落としている。涙目も洟水の零れ落ちるのも相変わらず、眼は疲れやすい。抗癌剤を、休薬あけからまた服用して五日目、やはり顕著に副作用が迫ってくる。瞑目してじぃっとしている時間が多い。目を開いていたくない。
 食べ物も、殆どがきつく苦いか、まるで味ないか、食べにくく、限られた食材を繰り返し食べている。口の中が耐えがたく灰を含んだようになると、焼酎かウ イスキーの一垂らしでカアッと辛く燃やすようにしている。読書の量も、堅い本と小説類を全部でなく、半々に読むようにして視力を労っている。
 健康に関してはきびしく叱ってくれる読者もいて有難い、が、所詮は元気に自身で決するよりない。そのためには、多角的に自身の楽しみ、創作も観劇も私語も、またいろんな外出も、を堪能できる気力を根気よく高めていく。「立ち向かう」ということの、それが姿勢である。

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「ため息」は「女性の近くにいるときつくべし」と。
 「男色」は「すべての男性がある程度の年齢になるとかかる病気」と。作中人物の
ブヴァー ルとぺキシェにも重いか軽いかこの「病気」が有ったのかも知れぬとわたしは推察する。
 常に「ヘラクレスのような」のが「力」だと彼らは認めている。強い男性へのかそけき憧れを二人は分け持っていたのだ。そして「力は法にまさる」というビスマルクの言葉が引用される。
 自然の「地平線」は「いつも美しく、政治の地平線はいつも暗いと思うべし」とは、あまりに思いやすい、時代を超えて。
 「妻を寝取られた男(cocu)」には、「女性はみんな夫を裏切って間男すべし」と、とても紋切型とは思いにくい断言をあえてしている。
 「強い」には、「トルコ人のように」強い、「雄牛のように」強い、「馬のように」強い、「ヘラクレスのように」強いなどと列挙し、「あの男は強い人間にちがいない。全身これ活力という感じだ」と書いている。「力」「強い」男へのコンプレックスが
少なくもブヴァー ルとぺキシェについてまわっているようだ。

* なにをやっても挫折したブ ヴァー ルとぺキシェは、ついにはヴィクトールとヴィクトリーヌという若い二人に自分らの後継たりうるように「教育」しようと試みるが、これまた無残に失敗する。 彼らはまたもや二人で、ありとある項目を書き抜き書き取り書き置いて行く。なという不思議で奇怪で恐ろしいようなリアルでイデアールな寓話的なフローベー ルの「小説」だろう、『ブヴァー ルとぺキシェ』とは。


* 十一月二十一日 水

* 血圧125-61(63)  血糖値77 体重65.5kg   朝、フレンチースト一枚 スープ 朝の服薬 涙目 手先・足裏の痺れ 足首の痒み 色素沈着 午前仕事 午、きつね饂飩 午の服薬 大排便 午後仕事 夜、飯 お萩二つ 百合根汁 夜の服薬 入浴読書六冊 浴後体重59.7kg   夜仕事

 「進む右傾化」を拒否しなくてはならぬ。石原慎太郎は「核武装」をさえふくむ軍国日本の再現さえ口走る。軍備には、戦後日本人のとうに忘れ果てた、途方も無い巨額がかかる。誰が負担するかを思えば、石原、安倍らの口舌に乗せられてはならぬ。
 橋下の腰砕けは予想していたので驚かない。維新の会に期待してはならない。石原に棚上げされた当初の「維新」志向はもはや風前の灯火よりもか弱く萎えた。

* ^P直樹君が都知事選に立候補した。「副知事」での活躍や貢献は認めている。しかし「都知事」としての政策が、現実問題への対処・対策が問題。東電へ の発・送電の分離等々の注文には具体性があった、が、間違いなく継続するのか。「原発」「稼働」にはどんな認識か。支持するしないは、それを聴いてから。

* 環境省が、遠隔の福島と長崎の小児甲状腺検査比較を疫学的に実施するのはいい。願わくは疫学的な判断、検査結果を隠蔽せず、きっちり国民の前に報告してほしい。小児の近未来での発病こそ、放射線問題でなにより憂慮されねばならない。
 避難民らの大勢が、東電に対し国に対し、福島県内原発の「全廃炉」を要請している。それが真情であり、日本の各地でこの歎きが実際にまたまた起きる懼れを認め、問題の核心をよく理解して選挙に反映しなくては。

* 放射能の拡散予測図を規制委員会は性懲りなくこれまでと同じ孫請け業者に丸投げしていると。二年前にも当局は依頼し、しかも未完成の儘だというではないか。田中俊一率いる現行「原子力規制委員会」に不信任を突きつけたい。

* 昔、田原総一朗らがわたしからも「十万円」の寄金をつのって、重要懸案に関して全代議士のアンケート結果を新聞に公開した。それより先、日本ペンクブでも別の事案でわたしが提案し全代議士のアンケート調査を実行していた。
 いまこそ、「脱・反原発」「原発ゼロ」への全候補者にアンケートして欲しい。わたしは候補者のメール先が分かると、直接聴こうとしているが、返事は来ない。こういうときに新聞社が動いて欲しい。もっとも、ただ選挙用の工んだ解答しか集まるまいが。

 ☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。
 わしの見地からすれば、すべてのものに嫌うべきものはない。おまえが、もし(凡を嫌って)聖なるものを愛したとしても、聖とは聖 という名にすぎない。修行者たちの中には五台山に文殊を志向する連中がいるが、すでに誤っている。五台山に文殊はいない。おまえは、文殊に会いたいと思う か。今わしの面前で躍動しており、終始一貫して、一切処にためらうことのないなら、おまえ自身、それこそが活きた文殊なのだ。おまえの一念の、差別の世界 を超えた光こそが、一切処にあって普賢である。おまえの一念が、もともと自らを解放し得ていて、いたる処で解脱を全うしていること、それが観音の三昧境 だ。(この三つのはたらきは)〕互に主となり従となって、その発現は同時であり、一がすなわち三、三がすなわち一である。
 ここが会得できれば、はじめて経典を読んでよろしい。

* とてもわたしは今、経典に向かおうと願わない。今の私には経典がただのファンタジーとしか読めない。いろんな世事に思いを向けて他念なくそれに打ち込む、いわば作務禅に無心に打ち込んでいたい。悟りを待つ気もない。

 ☆ 鴉の京都行き
 寒くなってきました。くれぐれもお体大事にと先ず書かずにおれません。    
 尾張の鳶は元気です。
 京都行きを考えていらっしゃる様子。計画は進んでいますか? あまり寒くならないうちに実現されるといいなと思います。真冬の京都はやはり寒さが身に沁みます。
 先日わたしは自分のためには泣かない、悲しくても・・・と書きました。
 今日、本を読んでいてわたしは泣きました。宮本常一氏が終戦後生まれ僅か50日生き亡くなった息子のことを書いた文章を読んだのです。彼はそれを息子へ の手向けとして書いた、その息子の生年月日は、何とわたしと全く同じでした。この世に生まれ50日生きた、そのうち40日は病に苦しんで、せわしく去って いった。
 わたしは? 生きて還暦を過ぎ、四捨五入すれば早や七十に入ります。
 彼は死に、わたしは生きた。その境界線は何だったでしょう。運命と述べて終わることでしょうか。終戦後の苦しさ貧しさを記憶しないわたしは、いつまでも 半分も理解できない事柄に、ただ運命として納得することはできないし すべてこの世に在ること、起こることは神仏の計らいであり無駄なことではないのだと  時折耳にする考えを認められないのです。
 そう思えない多くのことがこの世界にはあります。
 数日来、パレスチナの紛争が再び報じられています。
 Bombs rain down on Gaza.Rocket fire in Israel.
 ガザと言う地名を知ったのは高校生の時ハックスレーの『ガザに盲いて』を読んだ時、あの頃ポール・ニューマン主演の映画『栄光への脱出』を見たのも中東への関心が高まるきっかけになったと思います。いずれにしても容易に解決できない深い深い問題です。 
 国内の政治の動向も選挙のことも普通程度に? は関心があるのですが、今回の混乱状況は、さてどこに投票したらいいかと、いっそ無気力にさえなりそう。もっとも基本的なことでおさえていけばいいのですが。
 それにしても「政治家」の身の処し方にはあきれて、やはりわたしの頭では理解できません。
 日曜日十一月十八日、家に空き巣が入りました。夕方、食料を買いに留守にした一時間弱の合間に。
 六十年以上の生きた時間の中で初めての「体験」です。警察に電話をしたら近くの交番からでしょうか、三人警官が来て侵入口やら床など丹念に調べて調書な ども取り、指紋照合のために家族の指紋もとるということになりました。左右の手の十指と掌の指紋をとられました。これは確認後には処分されるということで すが・・。
 何も盗まれていないと思います、鉢合わせしなかっただけ幸いと思わなければ! それでも以来家族は何となし「委縮」した気分に覆われています。(わたしが一番元気らしい) 
 なにはともあれ、早や師走が近づきました。 重ねて、くれぐれも御身大切に。   

* 京都はたしかに寒い。二月頃がいちばん寒い。寒くても冬の季節は好きだった。とはいえ、いまわたしは都心へ出るだけでも厚着してマフラー巻いて、手の冷えを手袋で庇っているほど体熱が貧血とともに落ちている。要心して、せめて夜歩きは避けてこよう。
 鳶のメールで、イスラエルとバレスチナとの酷い砲撃戦の惨苦が語られている。わたしも新聞報道にいつも胸痛めている。なんとしたら良いのか。大国のエゴがこういう不幸の環境づくりをしているように想えてならない。我一人が無念無想でいて澄ましていること、出来ない。

 ☆ 京都
 
師走初頭の京都は紅葉狩りには最適です  ごった返しの観光客もやや少なくなり、紅葉もまだまだ色褪せずで、私は 敢えてその頃に行ってました。
  メールは、食べる話ばかりで吹き出しましたが、美味しい京料理を堪能して来て下さい。そんな気力が病を追っ飛ばすでしょうから。
 先日 母校日吉ヶ丘の東部同期会に行ってきましたが、体調不良で欠席の人が多くなりました。夫はデイサービスに行き始めて私はちょっぴりラクになりました。
 またお土産話を聴かせて下さい。  


 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「
手」 「美しい手をしている」と言えば「字がきれいという意味である」と。これは驚いた、日本でも「手」は書の技や道を第一義に謂った。次いで音楽演奏の手も、 武藝の手も、碁将棋や相撲・柔道の手も、そして手下・手勢といった勢力の手や、策略・謀議・戦略の手もあった、日本では。
 「デオゲネス」は言った、「私は真の人間を探している」と。訪れたアレクサンダー大王には「私の太陽を遮らないでくれ」とも。
 「哲学」は「あざ笑うべし。」
 「デッサン(術)」は「三つの要素から成る。」「描線、塗り、ほかし。さらに力強さも必要。」「しかし、力強さを表現できるのは巨匠だけだ」と、フランスの画家ジョゼフ・クリストフの言葉を引用している。
 もしナポレオンが「鉄道」を「手にしていたら、無敵であったろう」と。
 「手の込んだ筋書き」は、「あらゆる戯曲の根底にあるもの」と。
 「天才」とは「一種の神経症にほかならない! と叫ぶこと。もっとも、この一句には何の意味もないが」と。
 「問い」を「発することは、すなわちそれを解決するに等しい」と。  

* 相変わらず、入浴して六冊の文庫本を読んでいる。ゲーテ「親和力」 プーシキン「ボリス・ゴドゥノフ」 ロマン・ロラン「愛と死との戯れ」 トールキン「指輪物語」 瀧澤馬琴「南総里見八犬伝」 辻邦生「夏の砦」。よく選べている。他の十二冊は浴室には持ち込めない。

* やはり眼の不安定は改善されず、新調の眼鏡でも長時間はとても保たない、眼は霞んでくる。



* 十一月二十二日 木

* 血 圧123-62(55)  血糖値76 体重65.7kg 朝、ラーメン三分二 蒲鉾数切れ ヤクルト 朝の服薬 手先の痺れやや軽いか 但し冷たく手袋する 涙目、眼の不調は顕著、午 前仕事 午、飯一膳 玉葱と白菜とポテトとベーコンのシチュー スープ以外は味わい無く 柿半分 昆布巻二つ 午後仕事  霞み眼になると処方されている点眼薬ヒアレインを用いる。一瞬ドライアイが潤う 地元の眼科先生もこの点眼薬は気兼ねなく使うようにと。 聖路加眼科は 他にフルメトロンが良く効くからと処方してくれ、地元眼科ではフルメトロンはやめ、右眼にのみクラビットを日に四回使うようにと。二人主治医制を選択した のだがなかなか難しい。晩、飯一膳に海苔佃煮 大根と豆腐との煮込み コーンスープ 晩の服薬 食後二時間近く寝る 九時米倉涼子の連続ドラマは楽しんだ が、体疲労。師走初めの息子との京旅行を断念。 再々眼を温水で洗う。 粘った唾液。 それでもこの程度では苦痛など無い、十分家で普通に生活可能。 抗 癌剤による死亡事故の新聞記事。「薬のことは分からない(担当医)」外科より腫瘍内科に今後をお願いしてよかった。こう書いている間も、涙目・霞み目だけでなく、涎も垂れかねない。五体の内、抗癌剤の副作用は、わが顔のほうへ攻めかかっている。そして手先・足の裏の痺れ。  

* 雪崩を打って、激しい右傾化、超保守財界軌道政治化、準軍事国家企図政治化が自民党の主導で提唱され、維新の会その他も迎合の気合いをみせている。日 本国は、ますます危殆に瀕して行くこと、間違いない。一度は政権を投げ出した弱虫が、気負い立って冷静を極度に欠いた自己主張を、面子の回復とばかり垂れ 流している。
 まれに見る危険な「悪政」時代へ国民は立ち返るのか。絶対に阻止するのか。「改憲し国防軍を創設」という。日本が日本のために「国防」の必要はある。し かし「国防軍」という発想はどんな闘いを想定しているのか。「原発」再稼働へはずみを求めた底意は、明らかに核戦略へ移動の「下描き」だろう。国民はひと りひとりが自身の未来、子弟の未来を痛切に想い描いて、判断すべき瀬戸際へ追い込まれている。らくらく大学は出たけれど職にありつけない若者達は、いつ起 ち上がるのか

* 福島での子供達の線量検査値を、東京の病院に再依頼すると、値が何段階か高く出ると。
 日本の科学の、分野によって世界に擢んでて優秀なことをわたしは信じている。だからこそ、科学者は成績を誤魔化してはいけない。誤魔化しの上には優れた 成果はけっして出ない。原発・放射線・地震学関連のデータ提出に「神話」的誤魔化しや捏造・誤謬が多い現実を強く遺憾とする。

 ☆
 フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「
動物」には「人間より賢いのもいる」「ああ! もし動物が口をきけたら!」と。動物の方が平和ボケにあなたまかせな若者達より蹶起するのではなかろうか。「猿の惑星」はただの寓話ではないと想いたい。
 「動物磁気」は「ご婦人がたといっしょのときは絶好の話題ーーしかも女性を誘惑するのに役立つ」と。動物磁気治療法はドイツの医師メスマーにより流行し たというが。この治療法を用いる者のなかには「催眠術女性患者を眠らせて、意のままにするという噂」もあった。谷崎潤一郎ら日本の作家達にこの前世紀の流 行情報が入っていたか。そういう作もいくらか残されている。
 「独身者」は「利己的で、放蕩者で、女中と寝る。」「彼らを激しく非難すること。課税すべきであろう。」「なんと寂しい人生が彼らを待っていること か!」と。独身者は今日の日本では「シングル」「おひとりさま」と呼ばれ、上野千鶴子の新刊は『みんな「おひとりさま」』と題されていて、びっくりする内 容の社会学的調査などをもとに刺激的に論調を展開している。「独身者」は男だけでない、女にもいるのはが当然だが、「なんと寂しい人生」を余儀なくされて いるのは40代男性で「性的弱者」と呼ばれている。「パートナーを得るスキルが不足」な男達と呼ばれている。この男性世代が日本国の政治的活力を湿らせて いるとも謂えようか。起て「40代男性」よ。
 「独占」はぜひ「糾弾すべし。」今の日本では、むろん、東電をはじめとした電力企業の独占が叩かれねば。また政治当局の「伏魔殿」的な独占も叩きつぶしたい。
 「都市の役人」は「いったい何を考えているのだ?」殊に、「道の舗装をめぐって、彼らを激しく非難すべし」と。わかるなあ。
 「富」の「威力はすごい。「あらゆるものの代わりをする。信用の代わりさえも」とは、異論を述べがたい。
 「トリュフ」は「妻の体調がよくないときは、夫は食べるのを控えること」と。わたしには「トリュフ」そのものに知識がないが、フローベールらの当時「トリュフは催淫効果を持つと見なされていた。」

* 小倉孝誠さんの『紋切型辞典』解説は、単独の論攷としても興味津々。感謝。 

 ☆ みづうみ
 お元気ですか。
 猫がストーブの前から動かない季節になりました。メールもご迷惑になってはと遠慮しておりました。
 もしお手空きの機会がございましたら、湖の本『風の奏で』上下二冊、『光塵』、計三冊、頂戴したくよろしくお願い申し上げます。決して急ぎませんので、おついでの時にお願いいたします。
  本日のメールも長いので、適当に読み流してください。お読みいただかなくてもかまいません。 (以下略)

* たしかに長い。不自由な眼で読むので、落ち着いている時に読ませて貰う。

* 建日子から新幹線や宿についての知らせが、晩にあった。抗癌剤からの負担はじりじりと濃くなってきている。しかも体が寒さに圧されている。出かける当 日のことは予見できないが、出先のホテルでダウンしていては建日子が困惑する。軽挙妄動とまでは思っていないし多少の無理は利くと思うけれど、病人が無理 を押すのも賢くないと、師走の京都行きを断念。建日子が同行してくれるという申し出はほんとうに嬉しかったが。その嬉しさを喜壽の祝いと受けとって置く。
 こう書いている間も、涙目・霞み目だけでなく、うかとしていると涎も垂れかねない。五体の内、抗癌剤の副作用は、わが顔のほうへ攻めかかっている。そして手先・足の裏の痺れ。

* プレハーノフの『歴史における個人の役割』にも訳者木原正雄さんの懇切な注と解説があり、とても効果的で感謝したい。食らいつくように本文を読んでき た。わたしは生涯にわたってマルクシズムとは一切無縁で来たが、敬意は感じていた。労働者を奴隷か動物並みに責めさいなんできた資本主義も経済至上主義に もわたしは与したくない。

* 少しだけ告白しておく、わたしはほぼ五年このかた、三つまたは四つとも謂えるが、「小説」に思いを籠めてきた。まだまだ先途は永いだろう、が、ゆっくりでいい、投げ出したくはない。
 一つは、平家物語に取材した現代の物語。一つは、「おやじ殿 実父」の人生苦闘のスケッチ、そして男女の徹した性的関係を一つの理想として描こうとする 性と人間との探求作で、これは、二通りに書き継いでいるので、あわせて四つの草稿を、女性に託して謂えば陣痛に堪えながら出産しようとし続けている。その ためにもわたしの気力を衰えさせてはならない。自戒として書き置く。



* 十一月二十三日 金

* 血圧127-58(57)  血糖値85  体重66.0.kg   朝、小さなホットケーキ二枚 蜂蜜紅茶 朝の服薬 大排便 午前仕事 午は、粥一膳 白菜・玉葱・ベーコン・ポテトの煮物 そのスープ 午の服薬    午後仕事 創作の仕事を少しずつ追っている。それにしても眼疲れと視野が霞んで、ときどき眼球がかるく痛む。抗癌剤を飲んでいる間はめがねの度をどう合わ そうが綺麗に役に立つとは想われません、作り直しは今から半年より以降にして下さいと眼鏡屋は言う。どうやら随うしか無い。 いつも午後がしんどい。 晩 は烏賊の旨煮が苦くて食べられず   卵かけ飯で済ます 日本酒もすこし飲む 酒類は口の苦みを灼いてくれる。 晩の服薬   晩の仕事 頑張る。   
* 国家戦略担当相でエネルギー・環境会議の議長である古川元久は、民主党政権の成ったときから政治家として注目していた。彼は篤志の識者六人を集め、端的に、
  ・ 原発ゼロ
  ・ 四十年廃炉の徹底
  ・ 原発の新増設禁止
  ・ 核燃料サイクルの中止
  ・ 高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃止
  ・ 原発を国の管理下に置く
とA4紙に示して配り、「これを盛り込んだ新しいエネルギー戦略の原案をみなさんで書いてほしい」と要請したという。理想的だ、が、原発擁護推進派は猛反 発するだろう、現にその場に経産相枝野幸男、環境相細野豪志が登場、さらに原発ゼロに慎重と謂うより否定的な仙石由人も割り込んで、古川案に対し大声で、 「野党の国民運動じゃないんだ、われわれは政治をやってるんだ」と卓を叩いて激昂したと東京新聞は伝えている。わたしには古川の案の提示こそ本質の政治だ と思う。仙石は「国民運動」「市民活動」こそが「政治」への本来の推力であらねばならぬことを忘れ果てている。政権だけが政治するのでは無い。野党も国民 もが政治を正して行くのが本来だ。
 上の「古川六条」にわれわれ国民はぜひ賛同したい。その実現への選挙投票をしたい。

* すべての使用済み核燃料を再処理し原発で再利用するいわゆる「全量再処理」はただいたずらにプルトニウムを抱え込むことになる。古川はそれを「中止」 しようと提言し、原子力委員会は、「使用済み核燃料の再処理と地中処分を組み合わせた『併存』」を古川に申し入れている。
 ところがこの原子力委員会は、この五月下旬に、電力業界など「推進派」だけを集めて「秘密会議」を開いていた。推してしるべし、原子力委員会とはそういう機構なのだ、陰険な策謀が「原子力」の不透明な或いは悪用に荷担しているのだ。
 わたしは懼れている、どこかで「プルトニウム」を大量保有することが「日本の核武装」に役立つという願望が働いているだろうと。安倍自民総裁の「防衛 軍」創設をはじめ戦闘的な底意を忍ばせたかしましいほどの表明が、それへ繋がっているものと、一国民としてわたしは推量し、それこそは阻止しなければと切に願う。願う。

* 活断層の濃厚でほぼ事実とみられる調査結果が、大飯でも東通原発でも専門の科学者から出ている。しかし原発側は執拗に否認を重ねている。万一福島第一 なみの大爆発につながったとき、原発当局は刑事犯として訴追されるだろうし、そんなことに何万倍する悲惨が広範囲の国民に及ぶことになる。「疑わしきは避 ける・やめる」のが聡明というものであろう。

* 
オーストラリア人で放射能被害の世界的権威ヘレン・カルディコット博士(ノーベル平和賞候補)が来日し講演したのを、木下黄太という人がブログでその内容を次のように要約しているのを読んだ。
 
 ☆ メルトダウンが三回福島で起きたことは、歴史上今までなかったこと。なにがおきているのか、本当のことはまだ誰もわからない。
  ☆ 日本政府や東電の言っていることは、うそばかり、信用してはならない。
  ☆ 福島の事故では、チェルノブイリの時よりも4.5 倍から5 倍の量が大気に放出された( ガンダーセンの推測を引用している) と思う。当初は、太平洋上に、次に市街地側へ流れた。今も、続いている。
 キセノンなどの核種は大量に放出されていることは間違いない。
  ☆ 福島第一原発からおよそ200 種類の放射性物質が排出されたが、これらの物質については確認さえ、なされていない。セシウムばかり取りざたされるが、これはあくまで指標の一つ。
  ☆ チェルノブイリでは立ち入り禁止区域は30km圏だけではないのがわかる。日本政府より、よほどソ連の方が対策を取っている。
 ☆ 汚染が高かったスウェーデンはダウン症と知的障害が増加している。
  ☆ 私なら土壌とハウスダストの汚染を調べます。本来はこれら測定費用を国が出すべきお金で国に要求すべきです。放射性物質は、非常に難しい。目に見えない臭わない。見えるようになると皆さんはわかるようになると思います。
  ☆ 少なくとも、去年ボストンでは、アメリシウムが検出されている。アメリシウムは、プルトニウムよりも毒性が高いもの。日本でも、他の核種を調査しないといけない。
  ☆ 悲しいことだけど一度体内に入った放射性物質を除去する方法はない。蓄積する
  ☆ 放射性物質は濃縮する。そして何世代も続き、どんどん酷くなる。
  ☆ 福一4 号機はM7クラスでいつ崩壊してもおかしくない! もし、そうなった場合はチェルノブイリの10倍もの放射能が放出される可能性。何かあったらすぐにボストンに住んでいる孫をオーストラリアに連れてくる。南半球と北半球では大気の周り方が違い交わることはない。
 ☆ こどもの甲状腺の嚢う胞は極めてまれなものだと、私は認識している。子どもの甲状腺の問題は2 種類。液状ののう胞と結節。結節は癌になる可能性がある。転移すると脳に問題が出てくることもあって、チェルノブイリでも知的障害と形成不全が出ました。
  ☆ ( 僕が血液検査やエコーの検査の必要性を話した直後) 検査するぐらいなら、逃げてください!  高い汚染のある場所から、汚染がない場所へ。
  ☆ ( 東京23区土壌が平均でセシウム合算800Bq/kgや世田谷区のハウスダストで50g のほこりで75Bq、つまり1500Bq/kg 、セシウムが出たことを話すと) ごめんなさいね。私が東京の人間だったら、私は東京に今居ません。妊婦、お子さんやそのお母さん、特に小さな子供がいる 方、妊娠可能な女性は、今からでも首都圏から離れて下さい。皆さんにこんな事を言わなくてはならなくて、本当に、ごめんなさい。
  ☆ 事故がまだ終わってない事を常に念頭に置いて下さい。何が起こってもおかしくないのです。
 
* 若い建日子らが東京にいることは、危険という認識を持つべきなのか。
 
* いかに食品からの被曝を低く抑えるかというのが、 これからの健康被害を避ける眼目だとわたしは考えている。たとえ5ベクレルから10ベクレルの、日本では危険ではないとされるものを食べていたとしても、 原因不明、治療出来ないあちこちのひどい痛みの症状が出るというチェルノブイリの報告がある
 
* 東京が劇的に「脱原発」の流れに変われば、日本が大きく変わる可能性がある。東京はすでに相当汚染されているかと想像できるだけに、無謀な瓦礫の焼却で益々深刻になって行くのは是非避けねばと思う。これ以上東京を住めない場所にしないために。
 

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
  「日曜日」には奇妙なことが謂われている、「雄牛は日曜日の習慣を止められなかった」と。日曜日が基督教の安息日であり人は教会に多く赴くという事実 を前提にするとこの「雄牛」とは、敬虔ならざる性欲のつよい夫を暗示し、その酬われがたかったのを謂うのではあるまいか。この「辞典」での「雄牛」はそんな ふうな存在かのように現れる。

 
日本」は「すべてが瀬戸物でできている」そうだ。黄金でできているとヨウロッパ人を刺激した時期もあったが。
 「にんにく」は「腸内の寄生虫を殺し、催淫剤ともなる。」「アンリ四世が生まれたとき、彼の唇をにんにくで擦ったという」と。アンリ四世は多情な女好きとして有名だったらしい。
 「熱」については、「プラム、メロン、四月の太陽などはすべて熱の原因となる」とあり、「精力がある証拠です」と。
 「農業」は「国家の乳房のひとつ(「国家」は男性名詞だが、支障はない)」と。
 「農民」には、「彼らがいなければ、われわれはいったいどうなることだろう?」と。たしかに、その通り。                      
* 創作の仕事を少しずつ追っている。

 ☆ 京都   建日子
 
わかりました。
 では、旅行はまたの機会に。
 次は三人で行けたらいいですね。
 
* 楽しみが先々にあると思うことに。建日子、ありがとう。 父 

* 迂闊な判断ミスから十月十一月見当の受信メールを消去喪失した。ま、日記にも幾つかは掲示し保存できている。メールボックスに回帰させなくては。  


* 十一月二十四日 土

* 血圧119-55(61)  血糖値87  体重65.5.kg   朝、小さなホットケーキ二枚 バター 蜂蜜紅茶 珈琲 ヤクルト 朝の服薬 涙目 視野不安 午前仕事 午は、卵出汁で蕎麦 クッキー一枚 午の服薬 眼の疲れかすかな痛みさえ 両足・足首への色素沈着と痒み 午後仕事 晩、とんかつ小さい二きれ スープ 白飯一膳 ウイスキー少し 入浴読書六冊 浴後体重64.7kg。 

* 核燃料サイクルは近未来にもわたる或る意味最重要解決の懸案であるが、推進派の自民党もこれに有効な施策は持っていない。今の今の問題で無いと思い体よく頬被りしている。しかし日一日と、後戻りも前進もならない難関へ近づいて行く。
 越えねばならぬ難題の一つと関係者は真剣に向き合って欲しいのが「青森県」問題である。六ヶ所村には政権が安易に地元に与えて きたいろんな補償や保証の約定があり違背すれば持ち込まれた核廃棄物を各原発へ送り返すぞと脅している。ばらまき利益に潤った地元はそのうま味をとうてい 忘れられなくて、これらが各原発立地地元の欲の皮となりきっている。日本の危険などと頭で分かっていてもそれよりは現金や利得の甘い味わいを確保したいの だ。こういう金や利得を餌にした電力や政府の原点での間違いがいま日本の不幸となり、反・脱原発運動への冷や水となり脚をひっぱっている。自民党は政権を 奪回したら、何が何でも彼らが設定したこの臆面無いバラマキ政策を補強し永続しようとしている、それは見え見えである。だからこそ、他のいろんな自民党公 約に増して彼らの原発擁護推進に絶対反対の大多数の声を、「投票」へ結集させねばならぬ。せめてこの点への「結集団結」が成らぬものか。
 たとえ原発をゼロにしても核廃棄物の処理問題はガンとして残るのだ。それをどうする、そもそも青森にしてもいつまでも持ちこたえられるのか、それは無い はずだ。万が一ともいえぬ高率裡に此処へ大地震・大津波が襲って福島なみの六ヶ所村壊滅が生じたなら、明らかに福島に何十倍する国民危機をもたらす。
 北海道にはわるい提言になるが、六カ所村より何十倍の広野を、地震率の低い広野を政府が買い上げ、底知れぬほど掘り下げて核廃棄物を厳重保管しながら埋 蔵する術を持てないものか。しかし名にしおう地震国のこと。しかし安易に、自棄になり海への廃棄など絶対にしてはならない。「青森・六カ所依存」に根本の改革が必要だ。原発の「便所」問題、こ れを無策に放置することは断然許されない

* 東松山市での震災瓦礫の
(二十近い項目を立てて)ま さに人手で「分類」し有効に「再利用」し「予算」をかなり割引しつつ「雇用」に繋げている実際をTBSが鮮やかに報道してくれていた。他の自治体でも津波 の堆積土砂をみことに「再利用」に成功していた。被災地の行政は、国のもたもたを尻目に必要にも迫られて知恵を出し人も協力している。

* 台湾では、極端なまで歴史的に差別しつづけた島嶼に核燃料廃棄物を劣悪な管理のまま押しつけてきたともにデレビは伝えていた。言語を絶する非道な政治 であり、台湾という国を見損ねた。島の住民達は完全に文盲、何らの知識も指導も与えられていないが、癌死は続発し、堪りかねて彼ら島民は日本人の調査を依 頼してきた。その結果は散々の惨状、なにおか言わんや。台湾の関係者も調査に割り込んできたというが、彼らの計数器機の程度のわるさは、まるで子供だまし に等しかったという。
 六カ所村や「もんじゅ」をさも安心なように錯覚し放置状態に置いてはならない。

* この時代の宗教家、日本でなら主として仏教家達は国民の苦悩などについてどう考えているのかと、時折、深刻に想像した。ことに他力本願で自力を忌避してみえる浄土系の僧たちは、例えば原発危害のため故郷や肉親知友を失い亡くした人たちをどう眺めているのだろうと。
 わたしのところには親鸞仏教センターから「通信」や定期刊行の本格の雑誌類が送られてくる。今し方届いた「通信」43号の巻頭に研究員という肩書きの花 園一実氏が「真宗と他者」というエッセイを掲載されていて、すぐ読んだ。信者にだけでなく大事な観点をもった一文であり、お断りも省かせてもらい、早速そ のまま此処へ転載させて頂く。

 ☆ 真宗と他者  親鸞仏教センター研究員  花園一実
 最近、ある宗教学の先生が、浄土真宗の公共性について問題提起されている文章を拝見した。東日本大震災を受けて、多くの仏教者が現地において支援活動を 行った。そのことの意義を大いに認めつつ、一方で仏教には、ボランティア活動などの公共的役割を果たすうえでの教理的な位置づけが未だ不明瞭ではないの か。特に浄土真宗では、他力念仏の教理を強調するとき、どうしてもそのような公共的活動が自力として退けられてしまう一面があるのではないかと、このよう な問題提起であった。
 この間題に対して、「いや、それは真宗の何たるかを理解していない発言だ」と耳を塞ぎ、真宗とはあくまで「個の自覚の宗教である」と言い張ることはたや すい。蓮如は「往生は一人一人のしのぎなり」と言っているし、『歎異抄』には「ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉もある。もちろん他者への関わ りを蔑(ないがし)ろにするわけではないが、肝心な問題は一人ひとりが教えに出遇うということにあるのだと。しかし、そう言ってしまえば、この間題はそれ で「おしまい」である。他所ではどうなっているかわからないけれど、とりあえず、私たちの宗派ではそのようになっている。だからこれ以上、議論の余地はな い。
 実を言えば、これは何より私自身がそのように考えていたのである。宗教はどこまでも「個」の問題、すなわち「自己の苦悩」という現実問題を離れて語られ ることは許されない。このことは今でも変わらない思いとしてあるが、ではその時、「他者」とは一体どこにいるのか。「個の自覚」こそが重要だと言われるそ の瞬間、「他者」の存在はどこかに流れて消えてしまっているのだろうか。逆に言えば「他者」が問題にならないところに、はたして本当に仏教とは成立するも のなのだろうか。このことが、震災を経た今、大きな問題として自分のなかに生まれている。
 かつて親鸞は、飢饉に苦しむ民衆を利益するため、自ら三部経を千部読誦することを試みたという。しかし、その行為に拭い切れない「自力の執心」を垣間見 た親鸞は、苦悩のすえ読誦を中断し、他力をたのむ名号一つに専念した。後世を生きる私たちは、親鸞が「自力ではなく他力だ」と言ったその結論だけを切り出 して、さもそれが親鸞思想の極致であるかのように鼓吹しがちであるが、それは大きな誤りであると思う。自ら民衆を強く思い、たとえ自力であろうが行動せず にはおれなかった、それこそが偽りない本当の親鸞の姿ではなかっただろうか。決して自力は無意味だと、離れた場所で念仏や書き物をしていたのではない。何 より他者を考え、その他者との関わりのなかから、どうしても間に合わない人間の現実というものを、念仏の教えのなかに聞き取っていったその人こそが親鸞な のである。
 だからこそ、私たちは凝り固まった机上の論理に埋没してはならない。「親鸞の思想にはこうある」ではなく、「親鸞ならどうするか」という、最もシンプル な問いに立ち返るべきではないだろうか。はたして真宗の教えは他者を救いえるのか。否、他者へのまなざしを忘れたところに、決して「一人」の自覚はありえ ないのである。

* ややたどたどしいが、趣旨には賛成できる。ただし花園氏一人の当座の思いだけでなく、親鸞の徒僧たちがみな同じ観想なのだろうか、むしろそうではない かに読める文脈がある。信仰が「一人」のものなら、「布教」に専念した祖師達は信仰の本義を逸脱していたか、そんなことはあるまい。信仰が人を救うとい う。この「人」とは僧という善知識にも信者らにとっても「他人・他者」である。阿弥陀や菩薩からみても「他者」を信仰へ誘うことが「他者救済」であった。 大経の本願も、人が「皆」、斯く斯く満たされない限り自分は正覚を得ないと言うている。自身の極楽安住など問題にもなっていない。それは、この「通信」の 次頁に掲げられた本多弘之所長の講話が「往相の回向と還相の回向」とだいされているのに、本質論として関わるのではないか。
 「他力本願」とはどういう事なのかの本質的な問い返しが出来ていないなという、傍観者なりの観察が久しくわたくしに有った。はしなくも目にした花園氏の一文に、だから、目を惹かれたのである。

* 入浴して今晩も六冊の文庫本を堪能した。浴後の体重は64.7kg。また減ってきた。

* 夕方東京中心に、短かったがかなりの強震があった。大地震は、いつ、どこを襲ってくるか知れない。日本列島を取り巻く海域は例外なくわたしにも記憶に残る大地震を記録している。安倍は、菅直人の「総理大臣」としてあの惨害急襲に怯えた恐怖と義務感との
告白と証言を一行も読んでいないようだ。なんたる怠慢。憲法改悪、国防軍創設、日銀にどんどん貨幣を印刷させてデフレ脱却の切り札にしようなど、素人の目 にもムチャクチャな暴言を以て選挙公約に掲げた。馬鹿か、お前。自民党内にこんな党公約をまっとうに批判・非難できる政治家はいないのか。あの渋り顔の妙 な自民幹事長は、口をひらけば民主党批判ばかり。批判されていい悪政を数十年日本国にまきちらした「国の犯罪」の頭目で責めを負うべきは、「自民党」なの である、都合良く忘れた顔か。馬鹿か、おまえ。

* 何十というメールの一通残らずが「SPAM 不良メール」なのにゲンナリ。



* 十一月二十五日 日

* 血圧135-61(62)  血糖値82  体重64.5.kg  朝、 排尿 体重測定 口漱ぎ 温流水で両眼洗い 血圧・血糖値計り 食前のインシュリン注射 タブロス両眼 ヒアレイン両眼 クラビット右眼に点眼 それから 朝食が毎朝の手順 飯一膳 蜆汁二杯 紅茶 ヤクルト 朝の服薬 大排便   手冷たい 午前仕事 午はカレーライス スープ 柿 午の服薬 再び排便 かなりしんどいが 午後仕事 白鵬の優勝に感激 夜食 きつね蕎麦 スープ 晩の服薬 平清盛を楽しみ 夜の仕事 目の 眩しさ極まる 九時だがもう休む。

* 過疎の村をねらうように国は放射性廃棄物焼却の実験施設を福島県内ですでに着工している。昨日も触れた台湾の被差別に等しい一島嶼での残虐に似た
放射性廃棄などと同様思想での過疎村いじめにならぬよう、先ずは福島県民による監視を願う。

* 被災地目線というのが絶対的に実在している。今度の総選挙「投票」に、その目線こそ活かされたい。

* 繰り返し書いてきたが、日本の今日の不幸をますます助長しているのは「非正規雇用」だという確信は変わらない。国民の生活が第一であるなら、生活の安 定や正規雇用の容易に得られない根源は「非正規雇用」のますますの増加にある。非正規雇用とは、多数国民の被差別化にほかならず、その利得は雇用者が独占 している。誰もが平等の条件で、勝手な採用・解雇に脅かされない社会にならなければ国力沈下は避けられない。
 あの小泉内閣が今日にまで遺したこの悪性の最大なる後遺症は、いまや国と国民と致命傷とも成ろうとしている。だれがこの制度でトクを稼いでいるかをよく見抜いて、被差別を蒙っている働き人は団結して起つべし、見えない檻の打破のために。

* 相も変わらず原発オフサイトセンターなど監視関連の契約が、電力企業の縄張り意図から独占されている例が、つぎつぎに明るみに出されている。電力企業の原発からの排除を、せめても国営化を、考えて当然と思う。
 発電・送電の分離など、なぜ着手して行かないのか、民主党政権がせめても置き土産に英断すべき第一はこれだろう。

 ☆ 秦 恒平様
 色づいた木々の葉も散り始め木枯らしの中、冬支度の季節となりました。
 お健やかにお過ごしの事と存じます。扨、私事このたび文化功労者顕彰を賜りましたところ早速にご懇意なるご祝意を戴き、喜びとともに暖かいご芳情に厚く御礼を申し上げる次第でございます。
  俳優として人生を過ごしてまいりまして六十七年、その間永年に亘り頂戴いたしました御厚情、御支援を思いますと感激で胸一杯の思いでございます。
 この慶事に際しあらためて、苦しみを勇気に悲しみを希望にそしてお客様お一人お一人に夢と感動をお与えする事が俳優としての自分の生涯の勤めと決意を新たに致しました。
 重ねて御礼申し上げますと共に、益々の御健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

 ありがとうございました。
    平成二十四年十一月吉日    
                 松本幸四郎

 ☆ 秦 恒平様
 晩秋の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 8月未の事故以東、約3ヶ月が経ちょした。ご迷惑とご心配をおかけ致し、心から反省の日々を送って参りました。とても長く感じる日々でしたが、その間に も温かいお励ましが支えとなって、リハビリと治療に専念することが出来ました。そして先日病院から「完治」という言葉をいただき、感謝の思いを込めてご報 告させていただきます。
 11月未より役者としての仕事再開を許され、まずは映像から復帰させていただき、來年2月には、日生劇場にて歌舞伎公演に出演させていただくこととなりょした。
 再び歩み始めることに感謝と喜びを感じ、懸命に藝道に精進して参ります。
 この後ともにご指導、ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
                              市川染五郎

* よかったなと思う。ますますの健勝と前進とを言祝ぎます。

* 小谷野敦さんの中公新書『日本恋愛思想史』を受けとった。いまの私からはもう遙かに遠い関心事であるが。
 たとえば中途で脇のメンシェビキへ逸れたマルクシストのプレハーノフによる『歴史における個人の役割』のような、古典に値する言説などに、いまの私は読 書の興奮を覚える。プーシキンの史劇『ボリス・ゴドゥノフ』 ロマン・ロランの同じく史劇『愛と死との戯れ』にも魂を揺すられる。一途に真実な著者・創作 者達の動機の強さに打たれつつ、ここに生動している息吹が、たんなる知識や史実の小手先の羅列ではないのが信じられる、それが嬉しくて堪らない。
 上野千鶴子の『みんな「おひとりさま」』も世を画する現代への佳い証言である。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「売却」 「売ったり買ったり、それが人生の目的だ」と。

 「梅毒」には「多かれ少なかれ、みんなが患っている」と。十九世紀後半に蔓延して多くの犠牲者を出した。世界的に強い不安に怯えさせた。
 「敗北」は「喫するものではなく、『被る』もの」と。なかなか。
 「博覧会」は、「十九世紀における熱狂の種」と。日本の名人藝も多大にヨーロッパを突き動かしたのである。
 「禿げ」は「常に『若禿げ』」「精力過多のせいで、あるいは壮大な思索に耽ったせいで起こる」と。幸い、わたしは禿げそうにない。不幸であるのかも知れぬかな。
 「化け物」には「もうお目にかかれない」とは結構だが、ありのまま「化け物」の犯罪者も財界人もいる。昨今の政治家は「化け物」にもなれない、モノが小さくて。
   「場末」は「革命のときは恐ろしい」という。そんな「場末」が今の日本には時に欲しくさえあるのだが。
 「八十歳のひと」「老人はすべてこれ」とは、時代がちがうなあ。今の日本では少なくも「九十歳」ではあるまいか、その歳をこえても現役の人もいる。
 「発明家」は「みんな施療院で死ぬーーそして別のひとが彼らの発明で得をする。これは不公平だ」と。よく観ているではないか。
 「早起きの」ひとは「品行方正の証拠。朝の四時に寝て八時に起きる者は怠け者だが、夜の九時にベッドに入って翌朝の五時に起きる者は活動的ということになる」と。仕事の出来る時間がすこぶる長くなり、たしかに活動的な人に得がある、まれまれの実感からも。
 「反キリスト」とは「ヴォルテール。ルナン」と。詩人と神学者。
 「汎神論者」は「糾弾すべし。馬鹿げている」と。そうかなあ。
 「反乱」は「もっとも神聖な務め」とフランスの革命家ブランキの言をあげている。概して、わたしもそういう思想と態度とをむしろ尊重しているのだが。 


* 十一月二十六日 月

* 血圧111-52(63)  血糖値87  体重64.5.kg  朝、スープ 中華握り飯一つ足らず 紅茶 ヤクルト 朝の服薬 点眼 三連続尋常排便 今朝は立ち居のよろけ目立つ 午前仕事 午、小餅粥 スープ 卵でまぶした豚肉は苦さに堪えず 午の服薬 午後仕事 目の不調につい瞑目中しばらく機械の前で寝入っていた。よくあること。 晩、白粥二膳 晩の服薬 入浴もせず、晩もいろいろ「仕事」してきた。目は霞んでいる。もう読めないし書けない。

* 「危険手当もらってない」「健康診断・講習も自費」「除染作業員怒りの訴え」といわきで被曝相談会が燃えたと報じられている。東電の非人道は横暴を極めている。
 国や党も、被曝30キロ圏の安心策をいっこう示さない。

* 滋賀県知事、嘉田由紀子知事を軸の先頭にたてて国民の生活が第一を初めとする数党が「反原発」を核として団結しようという構想には、新鮮な魅力を覚える。立 ち腐れなくぜひ実現して欲しい。嘉田氏の従来の発言も信頼が可能で、かつ科学者でもあることが頼みとなる。小沢一郎のあるいは示唆と推進とであるやも知れ ないが、彼の持ち味は策士であり、これまでも幾度も新党に関与してきた。民主党政権を実現できた総選挙の大勝も小沢の根回しや後進指導に拠っていた。
 嘉田氏がひるまずにこの難局をきれいに泳ぎ切って欲しい。

 ☆  各党の原発政策  (公約や党首の発言から)
民主党  
二〇三〇年代の原発稼働ゼロを打ち出す一方、建設中の大間、島根原発の工事再開を認めるなど矛盾も目につく。核燃料サイクルは当面継続。  右往左往の選挙対策に過ぎない。評価できない。
自民党  再稼働の是非は全ての原発で3年以内に結論。10年以内に電源構成のベストミックスを確立。原発の擁護と推進、核廃棄物の安全絶対の処理策など全く言及していない。  何も約束していないのと同じ。全く評価できない
国民の生活が第一党  10年後をめどに全ての原発を廃止。原発ゼロに向けた積極投資。  評価できる。
公明党  40年の運転制限を厳格に適用し、1年でも早く原発ゼロに。高速増殖炉もんじゅは廃止。  高く評価できる
日本維新の会  原発維持の旧・太陽の党と合流。公約には「脱原発依存」を盛り込む方向。  右往左往の結果原発容認に。腰砕けで全く信用できない。全く評価できない。
共産党  即時原発ゼロを実現。核燃料サイクルを中止。原発の輸出を中止。  高く評価できる。
みんなの党  発送電分離や電力小売り自由化で、15−20年に原発は市場淘汰。核燃料サイクルを中止。  評価できる。
減税日本・反TPP・脱原発を実現する党  原発リスクのない日本を産業立地面で
の強みに。予定表をつくって原発と決別。  評価できる。
社民党  原発稼働は直ちにゼロ。脱原発基本法を制定。核燃料サイクルを中止。  高く評価できる。
国民新党   当面原発を維持しつつ、依存度を減らす。  政権に擦り寄り続けた日和見党。 全く評価できない
みどりの風  原発ゼロ社会の実現。脱原発で一致する党、議員とは協力。  評価できる。
新党大地・真民主  代替エネルギー推進で脱原発。  評価できる
新党日本  10年以内に全原発を廃炉。核燃料サイクルを中止。  評価できる。
 
新党改革   原発に依存しない社会の構築。  あいまいだが、評価する。    

* 以上により、こと「原発」問題で、今回総選挙では、自民党・民主党・日本維新の会・国民新党の四党をわたしは認めないだけでなく、勢力減退を実現すべく多くの人たち・有権者たちに厳しい判断をお願いしたい。 

* 復興予算の使途を検証すると、実に19兆円 政官ともに屍肉に群がるハイエナのよう。しかもこの予算は屍肉どころでない被災地・被災民の復興・救済予算なのである。
 経産省は事業費として復興と無縁な名目を糊塗しつつ、2950億円をこの予算から食いちぎろうとしている。以下、防衛省の400億円、さらに経産省は原 発を口実に85億円、外務省は72億円、文科省が42億円、内閣府は34億円、農水省が23億円、財務省が12億円、文科省はさらに名目を立てて3億 3000万円を要求し、法務省も二部門を立てて5800万円の食いちぎりを策していだ。
 なんたる暴悪の政と官とであるか。
 これらも自民党政府など出来た日には、いと容易くすべて容認是認されて仕舞いかねない、それが数十年も日本国をとかく食い荒らしてきた「自民悪政」のふだんの姿 勢。
 軍事日本を策している安倍晋三に政権などもたせたら、じつは何も出来ないか、急な坂を滑り落ちるように日本は破滅へ歩み出すだろう。何としても悪政は 指弾し覆滅せねばならない、国民の権利と義務として。
 
                     
* 被災地7町村首長の「憤りと嘆き」の声が七枚の色紙に書き込まれている。
 井戸川双葉町長は「お粗末 責任者不在」と。馬場波江町長は「無力」と。松本楢葉町長は「早急に事故収束図れ!!」と。遠藤富岡町長き「有言不実行」と。渡辺大熊町長は「怒」と大書。松本葛尾村長は「五里霧中」と。菅野飯舘村長は「興」と一字。
 なにおか言わん。答えてみよ、政権の亡者達。

* 菅直人も田中真紀子も選挙戦あやうしとはやし立てている。
 わたしはこの二人を、十数年前から、それなりのステーツマンシップを備えた、他に擢んでた、だが久しい歴史から比較すれば、それでもまずまず程度の政治家・論客・責任感の人と、評価し続けてきた。
 過去の田中真紀子外相おろしをよく観れば、当時外務官僚の悪辣で卑怯な利得確保姿勢が超保守権力に媚びて成っただけのもの、同じ傾向はの今日の政界でも 変わっていないだけのこと。選挙民は、ただ地元への貢献度だけでなく、国のために元気に働ける田中真紀子を変わらず国会に送り込んでほしい。
 菅直人の、原発への熾烈で誠実な見解は、近時刊行された『福島原発 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎)が明歴々、書き尽くされていて、この一冊だけでも市民活動 から地道に起ち上がってきた、本来斯くあるべき政治家の本領を彼は今も堅持している。過去には厚生省で立派な仕事を遺してきた。民主党政権での鳩山、野田総 理と比較しても、菅総理の際会したあの大災害への政治家としての基本姿勢は、彼なればこそ曲がりなりに維持できたのだと、わたしは評価を惜しまない。安倍晋三 や野田能彦はいなくてもいい。
 田中真紀子や菅直人にはもっともっとその言動で政治の悪を、灰汁を、洗い流して欲しい。

* ^P直樹氏の事務所から、明日十一時に事務所開きをするのでおいで下さいと。また二十九日十一時に新宿小田急前で「出陣式」をやる、とも。
 いよいよ彼のその時が来る。東京都は東電の筆頭株主ではなかったか。^P氏ははやくから発送電分離を唱えてきた。それ一つでも早く実現できれば、大きな前進につながる。期待している。
 明日、冷やかし方々行ってみたくもある。

* 「仕事」が疼くように動いてくると伴って勉強も調べも必要になる。
 手元に史籍集覧本の『参考源平盛衰記』が全巻揃えてある。和綴じ古活字本、割り注が夥しく入る。普通に読む平家物語流布本はいわゆる語り本、この源平盛 衰記は浩瀚な読み本で、双方の記事には繁簡の大差がある。この数十巻の読み本を読んで行く必要を感じて手元に積み上げた。興味をそそるかなりの発見が期待 できる。
 もう一つは実父について書いている、そのための父の筆になる原資料の厖大なのを読み解いてゆかねば成らない。これは只に興味だけで読めない、時にはわが生皮を剥ぐつらさも味わわねばならず、つい手がつかぬところが大量に残っている。
 こういう仕事も、その実はとても楽しみな探索や探求であり胸がそよぐ。うまく行くとも限らない、しかし執拗に追ってゆけばこそ狩りの面白みも身に添うてくる。

 ☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。
 上のような気持ちの時に『臨済録』を開くと、「論説閑話して日を過ごす莫れ」と叱られる。
 せめて、「論説」で「閑話」でもないんですと言い訳の利く仕事でありたい。
  「但有(あらゆ)る声明文句(しょうみょうもんく)は、皆な是れ夢幻なり。」「仏境は自ら我は是れ仏境なりと称する能わず。」「境は即ち万般差別すれども、人は即ち別ならず。所以(ゆえ)に物に応じて形を現じ、水中の月の如し」と臨済は語る。
 「
物に応じて形を現じ、水中の月の如し」とあるような仕事に取り組みたい。

 ☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。
 「火」は「すべてを浄化する」と。
 「日」には「鬚の日、診察の日など『だんな様』の日がある。」「『奥様』の日もあり、これは毎月ある時期に『体調が悪くなる日』と呼ばれる」と。
『奥様』の日に対置して『だんな様』の日を深読みすると夫婦生活の場面が透けて見えてくる。そんな気がしている。
 「鼻孔」が「上向きなのは淫乱な証拠」と。まず目がうるみついで鼻を鳴らすと女の性を古書は説いている。
 「ルーヴル美術館。若い娘さんたちは行かないほうがよい」というのは、わたしには判じようがない。
 「ヒステリー」の「女は、堕落した男たちの理想である」というのも読めない。「色情狂と同一視すべし」と関わる理解なのだろう。
 広くて禿げあがった「額」は「才能のしるし、あるいは冷静だというしるし」も、そういう人との接触も交際もなく、理解できない。

* 目の不調につい瞑目中しばらく機械の前で寝入っていた。よくあること。
 入浴もせず、晩もいろいろ「仕事」してきた。目は霞んでいる。もう読めないし書けない。



* 十一月二十七日 火

* 血圧119-58(57)  血糖値85  体重64.6.kg  朝、飯一膳 茹卵半分 紅茶 ヤクルト  朝の服薬  両眼温流水で洗って 点眼 西新宿まで^P直樹都知事候補の事務所開きに、友人として夫婦で出向く。 帰路、西武百貨店で少しでも食が進むよ うにと葛餅など買い物 八階食堂街で、食べられるのではと期待して注文した黒毛和牛のハンバーガーステーキ コーラで口腔洗っても苦く、三分一も食べられず  小さなデザートだけの昼食 午の服薬 保谷駅で車拾えず歩く 帰宅 疲労濃し 晩は、葛餅 善哉二口ほど 柿半分 外出中涙目と洟水 日射しあまりに眩 しく。

* 都知事候補の事務所開きとはいかなるものぞと、一友人として夫婦で覗いてきた。挨拶やマスコミ取材はもう済んでいたが、^P氏とも本当に久し振りに握手して、しばらく歓談できた。時間に遅れてかえって親しく話し合え、夫人にも引き合わせられた。
 むろん元気で、意気軒昂と想いたく、健闘をと励ましてきた。それはそれ。
 「反・脱原発」だけのかけ声では具体化への検討があまりに不足、廃炉ひとつにしても大変だもんねと彼は話してくれた。しかし「反・脱・卒原発」というの は「原点」であり、原点のところで「反・脱・卒原発」を言うのと、逆に「原発擁護推進、稼働拡大」を言うのとでは、^P氏の言う今後の「具体化検討」や実 践はまるまる異なってくる。
 原点での態度表明が明確でないのは、今後の具体化がいったいどんな内容なのか、選挙民は判断できないではないか。「原点」での 姿勢ははっきり明言して欲しいと、「NO NUKE」を願うわたしは好感^Pに願望したい。
 彼は最も早くに電力の「発・送電分離」を企業に迫った人物。どうかそれだけでも早期に実現して欲しいと、涙目と洟水と眩しさとでよれよれ、よたよたのわたしは伝えてきた。結果はともあれ、健闘をと思う。
 彼は根からの才能豊かな批評家である。優れた批評家は、ややこしい柵みや網目の奥の問題点に目が届き、それを大勢の視野へ迄運び出して「表現」してくれ る。^P直樹はそれの出来る批評家であるが、細部の犀利とともに眼目の大きな要点も正しく見抜いて欲しいのである。その点、彼は石原慎太郎を継承すると明 言し、かつわたしたちにも自民党の安倍総裁、石破幹事長とも「親しい」と告げた。だが「友達の友達は、みな友達だ」とは受け入れない。自民党と彼らの名前 を見聞きするとき、「原点」での「日本破算」をわたしたちは憂慮し嫌悪している。
 ^P氏には意外に優しい配慮に富んだところがある。と、同時に高みから見下ろして大衆の「愚」を嗤い責めることが、無くはない。しかしそういう愚かもし れない「私民」こそが実は「くにたみ」でもあり、われわれも含めてかれらへの思いやりに富んだ「はからい」こそが「政治の原点」であるのを、どうか、忘れ ないでいて欲しい。

* 滋賀県の嘉田由紀子知事が、「卒・脱・反原発」だけを当面明瞭にし た新党を立ち上げ、小沢一郎らの「国民の生活が第一」党を「解党」して参加結集を決め、その他にも参集又は連携を考えている党が出来ている。あまりにやや こしく乱立した第三極に、明快に「卒・脱・反原発」で纏まろうという実に時宜を得た結党旗揚げにわたしは絶対的に賛同し支援したい。
 おそらく嘉田知事と小沢一郎のあうんの呼吸が「世直し」で一致したのだろうと思う。この際小沢一郎は黒子で良い。彼はそういう立党経験」を誰よりも豊富 に持っている。この旗揚げがどうか今回総選挙へのファインプレーとして広く支持されることを望みたい。何らかの妥協や調整のうえで共産党も社民党も結集に 意を進めて欲しい、面子では無い、利害でも無い、ひたすら「卒・脱・反原発」で足並み揃えて自民党や自民党に媚びた勢力への鉄槌をおろして欲しい。「脱原 発 結集加速」「比例で統一名簿案」「嘉田新党 接着剤に」「リベラル一致、競合区なし」「維新との違い鮮明に」 と新聞は「核心」を伝えて、大活字を並べた。
 嘉田知事の従来の「原発」批判発言にも、「いじめ」問題へのきちっとした対応にも、我が家は注目し賛同してきた。新鮮な旗揚げだと大歓迎している。どうか、健闘あれ。

* 一方、橋下維新の会は石原頼朝に食われた橋下義経の様相じつに顕著、「脱原発 ころころ変わって怖い」という、選挙区の声があたかも澎湃と膨れてきて いる。「維新の会八策」は核心を太陽の党に抜き取られたと観ている。とうてい支持できない。遅くは無い、石原と手を切る勇断を橋下はもたねば、あたらス タートダッシュも無意味に停滞するだけだ。 

* 小沢一郎は、「脱原発 国民8割支持」と適切に眺めている。嘉田氏の旗揚げ結党に「解党」してはせ参じた意気にわたしは感じたい。
 他方、「維新の会」をまんまと乗っ取った石原慎太郎代表は、明瞭に「原発ゼロ 目指さない」と方針を確言している。もはや何の容赦も無い8割の国民は「維新の会」を解党または分裂へ追い込むべく、決然と「脱原発」のために投票しよう。

* 『参考源平盛衰記』数十巻は、「東京府華族 徳川昭武」が「著者相続人 兼出版人」 「発兌人」は「東京府平民 近藤瓶城」と奥付にある。明治十五年 三月三十日に「版権免許」 同十六年七月廿一日「出版」。徳川昭武は、世界博覧会に初めて日本を代表する工藝・美術家たちを勇んで引き連れていった人では 無かったか。それは記憶違いもありそうだが、『
参 考源平盛衰記』をわたしにも閲読可能にしてくれたのは、有難い。都合で「三十四」巻から読み始めた。前にも読んだ。目当てがあって「読む」のはただの通読 よりはるかに面白くて有難い。諸本の異聞・異文も割注で漏れなく出ており、読み慣れた語り本の記述とは大いにちがっている。ゆっくりゆっくり読まねばなら ないが、深い楽しみが一つ増えた。楽しむだけで無く、創作前進への栄養が欲しい。

* 「おやじ」である実の父の草稿や日誌は、おおかた以前に一度目を通したが、平静に読めないことが多く、もともとの風呂敷包みにして蔭に置いていたのを、覚悟も決め、また機械の傍へ持ち出した。へんに身構えずに、わたしの散文が書きたいもの。゛
 
* 今日は、ほんとうは歩いてまわれる体調で無かった、が、久々に^P直樹の顔が見られ、それなりに仲良く話せてきたのが愉快に嬉しかった。異なる見解は 見解、ペンクラブでの永い永い理事会や言論表現委員会でのまじりけない協力や激論はわたしには今もある種の「財産」なのである。十あれば八つは仲良く歩調を揃 え、しかし二つほどは双方会議室がわれそうな声で議論してきたのだ。しかもしこりは残さなかった。彼もわたしも、出す本出す本を送り合ってきた。彼の本 は、さきにも言ったが、優れた批評を成して、しかも面白く読ませる。おっそろしく多彩な勉強家であり、それ以上に実行家。都の副知事としてはさぞ優秀で あったろうと掛け値無しに感じ取っている。

* 帰りの池袋西武では、完全に食べ損ねてきたが、目に付いたとても温かそうな白いカーディガンを見つけて、買って帰った。十二月十日の演舞場歌舞伎、菊五郎菊之助父子で演じる「籠釣瓶花街酔醒」の日に着て行こうと。
 手さきも足の裏も痺れて感覚鈍く、しかも冷たい。貧血のせいか。温かい手袋をし、まふらーを頸に しっかり巻き、杖ついてよたよた歩いている爺は、よほどに人様には見えるかして、電車では親切に席を譲って下さるお人が多い。嬉しく有りがたく、座り込む と目をかたく閉じ、杖に顔を伏せ、はあっはあっと重い息を吐いている。
 だが、頭の中では、創作を思案し、仕事のあれこれを予定もふくめ考え、また、たくさんな、あまり巧くもない歌や句を按じていたりする。残念だが眩しい戸外で本は読めない、が、そういうわたしは少しも病人でない。「仕事」は前へ前へ進んでいる。
 ただ、うまく、おいしく、苦くなく食べたい。ある程度量を食べていないと、体重が落ちて行くのがわかる。64、5キロのレベルをなんとか維持しないと、抗癌剤を減らされてしまう。どんなに重苦しくても抗癌剤はしっかり服し続けたい。

* まだ九時だが今夜はからだを休ませてやろう。



* 十一月二十八日 水

* 血圧129-62(60)  血糖値88  体重64.4.kg  朝、 床の中で校正 朝食、葛餅 蜂蜜生姜入りミルク紅茶 朝の服薬 午前中テレビ聞きながら校正ゲラの整備 午、きつね饂飩 梨二切 干菓子長生殿一つ 午の 服薬 午後仕事 晩、団子 茶碗蒸し 豆腐煮も飯一膳も食えず 服薬 腹鳴凄い。 晩の服薬 晩の仕事 入浴時の本二冊しか読めず 浴後体重 64.4kg  

* 嘉田由紀子滋賀県知事を代表に「卒原発」「日本未来の党」が起ち、「国民の生活が第一」党が解党して合流した。「脱増税」も表明し女性重視の党是も起つようだ。
卒原発  原発稼働ゼロから全原発廃炉の道筋をつくる。  大賛成
活女性、こども  誰もが居場所のある社会を実現 
守る暮らし  生活の不安を取り除く
脱増税  消費税増税の前に徹底した無駄の削減
脱官僚  国民・地域の立場に立った行政・司法に改める。
誇外交  食の安全、医療制度を守り、品格ある外交を展開 
 立党の「原点」として、賛同できる。「民意のよき受け皿に」と東京新聞は社説で嘉田氏の時宜を得た英断に期待している。
 すでに「未来の党」の代表代行として声明に参与している飯田哲也氏は「維新の会」から身を転じてきた人。橋下氏らの原発擁護変節を憎んだ理論家 の痛烈な批判をまさに体現。橋下はこの期に及んで「脱原発 絶対できない」と舌の根が抜けたかと思う変節の弁で嗤われている。大いに嗤いたい。
 「脱原発 民意結集へ一歩」「市民団体、期待大きく」各党の政策を独自にまとめ「盛り上がり感じる」という国民の声が高まっている。新聞はそう大きな活字で報じている。

* 嘉田氏の時流判断には科学者そして環境運動の「リーダー」であった経歴が底支えしている。「原発推進は国の品格を失う」と明言して維新の会橋下の右往左往をあぶり出している。
 「原発やむなし」論者は現実に目を覚ませと識者は、なにもかも「お金中心に考えすぎ」と儲け主義の亡者を嗤っている。まさに、その通り。経済学者で慶応 大名誉教授の加藤寛氏は「脱原発は雇用を拡大する」と明言し、原発故に経済は栄えると言いたげな経団連の頭目らの妄言を退けている。
 無心に、聡明に「脱原発」の真相を見定めて国民は一致団結したい。

* 都知事候補の宇都宮氏は明確に「東京率先し脱原発」と表明。
 ^P氏は「防災で都民に安心」をとの表明に抜けているのは、たとえば福島原発ほとんど手つかずの四号機壊滅になれば東京都も危ないこと、それは防災だけ でなく一千万都民の「避難」に及んでくる。現にあの時点で東京どころか日本から避難帰国した外国人の多かったことを思い出すべきだろう。菅直人の『福島原 発 総理大臣として考えたこと』では、現実の恐怖と責任感とで、皇室を含む首都圏市民の退避・避難がどうすれば可能かと身をもんで懊悩していた。
 ^P氏は やはり政治信念の原点に「脱原発」の開始意識を鮮明にして欲しい。後続する具体策が氏には有るはずだと思う。
 松沢氏の「都庁に民間の力を」はけっこうだが、あたりまえではないか。その前の政治信念の「原点」を鮮明にして欲しい。
 民主党マニフェストでの「30年代原発ゼロ」など、見え見えに選挙だけの例の野田流ウソつに終わりかねない、信用しきれない。「実現性に疑問符」はいっ ぱい着く。ただの発語とだけを認めて、民主党は自民党の「原発擁護・推進」姿勢に体当たりして欲しい。そのためにも民主・自民・公明」だけでの反民主自由 主義をも決然今後は否定すると宣言すべきだ。

* 「核のごみ」処分の明確な改善と推進にいっこうに国の姿勢が定まらない。もっと責任有る最終処理までの過程を国民の前に先ずはさらけ出す勇気をもてと言いたい。
 敦賀断層について規制委員会の調査団は、「安全判断」は、より厳しくと提言し要望している。「シロ」意見が無く、「クロ」「ハイイロ」意見ばかりなのに決断を躊躇しているのは、規制委員会の成心を露わにしたものと言うしか無い。

*そして相変わらず、東電・関電の工事発注では、送電線50社に談合の疑いあり、公正取引委員会が立ち入っている。こういう陰険な電力の暗躍が、ちっとも減らない。「発・送電分離」から政治化を着実に「詰め」て行ってほしい。

* ロマン・ロランの史劇『愛と死との戯れ』を作者の入念な「序」、訳者片山敏彦の懇切な「解説」もともに、感動して読み終えた。立派な立派な褒め称えたい名品であった。舞台でもぜひ出逢いたい。感想はまた追々に書く。

* それよりもも劇作からみで、今朝、俳優座の制作責任者から電話を受け、懇望されて書き送った原稿を「ボツ」にしたいと伝えてきた。その人個人としては 満腔の敬意と賛同を惜しまない原稿だが、劇団俳優座の広報紙「コメディアン」に掲載するのは困るという嗤いたくなる喜劇的な科白であった。
 わたしは提灯持 ち原稿は書かない。書評でも批評でも論文でも随筆でもその点はまったくゝ姿勢で書いてきた。それと「承知」で執筆を懇望し、なんらの悪声も放たずむしろ大 きく称賛し上演に感謝している原稿を「ボツ」にしたいとは呆れた。
 これを出演者や所属の俳優達が読んだときの反応に憂慮しているというが、新劇の俳優達は 相当に相互批評も活発なインテリ揃いのはず。わたしの短文だが真率な批評如きに震撼されるようではただの滑稽集団だという自己解体に陥るだろう。
 劇団俳優座の 厚意をわたしは四十年来受けてきたし、『心ーわが愛』も書かせてもらった。現にその劇もいつものように招待され、いつものように妻の分は支払いして二人で 期待に胸を弾ませて劇場へ向かった。
 『いのちの渚』と題されたそれが紛れもない「反原発」劇であるのを知っていた。そして前半、われわれは、満場の観客も 息を呑んで舞台のちからに称賛の思いを抱き締めていた。幕間にわたしは制作の責任者によくぞ上演してくれました、感謝しますと頭を下げていた。ま、それで 褒めてくれそうだと原稿依頼されたに相違ない、電話でもそう言われた。とんだ「コメディ」だった。
 以下に、書き送った原稿を掲載しておく。

 
「いのちの渚」 いささかの批判とともに大きな拍手・感謝
                            作家・秦 恒平
 
 俳優座公演、吉村公一郎作・落合真奈美演出の「いのちの渚」を観てきた。これは観落とせないと思い招待に応じて、いつものように妻 と出かけた。作にも演出にも遺憾は隠せないが、この時節に真摯に「反原発」の底意を表現した舞台は、少なくも前半、息をのませるスリリングな迫力で、原発 企業の特権意識が、原発の、安全神話を裏切る構造じたいの脆弱と過誤過失や、危険極まる故障突発の隠蔽工作を、適切に描き出していた。
 原発の、そもそもに機構・機能上の、また企業上の、過剰に差し迫ってきた危険や隠蔽に気づいて行く或る中間管理職の、途方も無い迷惑・苦悩や、彼の家 庭・家族とのまことに難儀な意思疏通の難しさが、すばらしい筆致と展開とで前半達成されていた。満場の客が息をのんでいた。
 残念ながら後半になると、焦点がバラケて、ことに悩み濃い管理職社員の家族三人、妻・娘・息子らの現状理解の曖昧さが、それも家庭・家族とは本来そのよ うに頑固に曖昧なものとの表現意図かも知れぬにせよ、舞台主題「原発批判」の真率をかき乱し、観ていて、聴いていて困惑さえ覚え始めていた。「原発」のと てつもない危険についてはほぼ遺憾なく観客の息をのませたのに、家庭のドラマがよく描けず、よく演出されず曖昧に求心力を見失っていた。そう見受けた。
 舞台上の事件は、昨年三月の大地震・大津波による福島原発の惨害より、ずっと以前の、どうやら実事件に取材し書かれていたのだが、その一方、不幸で遺憾 極まる福島原発のあの爆発と、首都圏に及びかねなかった危機を思い出すことなく観劇していた客は、おそらく一人もいなかったろう。ところが作者も演出家 も、あの悪しき恐怖を象徴的に舞台へ懸け上らせる勇断をもたなかった。終幕寸前に暗転のまま、もの凄い轟音が客席へ流され、さてこそと、然るべき福島のあ の大津波とか無残に爆発した建屋群の「映像」が出ると思ったのに、願ったのに、そのまま、無残に死んでいたあの管理職の妻の、夫の死の意味が分かったとも 分からないままとも、何とも曖昧に力ない呟きひとつで、棒を折ったように終幕となった。ざわざわと、演じた俳優達が舞台に出揃って、型どおりの拍手が要請 された。
 あまりに勿体ない、後半舞台の曖昧さは最後の最期まで拭われなかった。
 あの最期直前の轟音はそれでよい、が、なぜ追っかぶせて、福島原発の壊滅した建屋の映像をたった一枚で良い、凝然と舞台上スクリーンに大写しにし、原発への問題意識を、今日の「反・脱原発」運動や「東電批判」に無言のまま直結させなかったか、惜しんで余りある。
 しかし前半の舞台は、展開は、怖いほどの迫真、すばらしかった。癌の闘病中を押して六本木まで出向いても、酬われた。感謝した。わたしたちは「反原発」「原発ゼロ」のために、デモにも時に参加している「NO NUKE」のバッジを胸に。

* 読み直し て、名文どころか少し息を喘いで書いた感じが残っているけれど、どににも悪意など挿んでいない。作家でまた批評家でもあるわたしに感想寄稿を願った劇団で あれば、正直に書かれていてそれが「ボツ」理由になるとは、新劇の知性としてすこし低俗過ぎないか。そんなことでは「コメディアン」の記事が、舞台への発 言が「よいしょ」でなくてはならぬらしいと読者たちが眉に唾をつけて読むはめにならないか。
 いろんな観劇記事は他のメディアでも読むが、文学の批 評に比べれば、俳優・役者への遠慮からかずいぶん甘いと感じることが、ある。「広報」とはどういうことか。批評は受けないと言うことか。それなら病気で喘 いでいても筆を枉げるわけのないわたしに執筆依頼するな、「只働きをさせるな」と願いたい。

* ロマン・ロランの言葉 『愛と死との戯れ』から  片山敏彦の訳に拠って
 「藝術創作の仕事をした体験のある人は誰でも、それがまだ実らないうちに青い果実の皮を剥いではならないことを知っている。」その通り、知っている。
 「『
愛と死との戯れ』は私の『フランス革命劇連作』の一つである。」
 「フランス革 命議会の人々のあの情熱ーーわれわれの心の中では鎮静したところの情熱は他の人々の心の中でいっそう烈しく燃えている。ベルリンとモスクワはそれを味わっ た。」「個人の良心と国家の利益との間の確執の問題ーー『一般的福祉』と『永遠の福祉』との対立の問題ーーこの常に繰り返して起こる悲劇的な問題を目覚ま した。」
 「私のもっとも真実な友でありもっとも善き助言者である「善き全欧主義者」シュテファン・ツヴァイクは、作家としての私の最初の義務の一つが、「フラン ス革命」という血に染んだ山嶽の石を切り出す石截工夫の仕事であることを絶えず思い出させてくれた。」「そこから切り採った第一の石塊がこれ(史劇『愛と 死との戯れ』)である。  (つづける)

* 茅野で難しい病気でリハビリに懸命の松下圭介君から手紙に添えて北澤美術館の美しいカレンダー二種が「お見舞い」として贈られてきた。彼はまだまだ不 自由な身柄で、美術館の「案内」や作品の「紹介や解説」をボランティアとして務めていますと言う、言葉を喪うほど感激し感心した。しっかりしなきゃと自身 を鞭撻した。有難う。

* 北海道の知らない人、歌人、から『石川啄木』を探索し評論した一書も贈られてきた。

* 機械画面が眩しくてもうとても堪えられない、やすむことにする。
 明日午後の楽しみは、劇団昴の主宰福田逸さんから夫婦招待の恆存先生作『明暗』を、サザンシアターで、建日子も一緒に観ること。感銘深い舞台が福田逸さ んの演出で観られると、すこし嬉しい期待に緊張さえしています。明日で抗癌剤服用は、また一週間休薬になる。重苦しくよたよたした体勢を、しっかり立て直 したいもの。



* 十一月二十九日 木

* 血圧121-54(60)  血糖値81  体重64.4.kg  朝、 みたらし団子五つ 茶碗蒸し 茶漬け飯一膳 蜂蜜入りミルクティ 朝の服薬 点眼   朝仕事 昼過ぎ新宿へ サザンシアターで福田恆存作福田逸演出「明暗」を夫婦と息子とで観る 高島屋十四階で中華料理と加飯紹興酒 よく食べられた 晩の 抗癌剤服用 帰宅 抗癌剤以外の服薬 少し腹痛を覚えた

* 海外では例外なく装備されている、原発安全のための「重要免震棟」そして「バグフィルター」を、日本の全原発は備えていないことを調査しテレビで公表 していた。「安全神話」のご都合欺瞞隠蔽はとどまるところがない。そういうシロモノを絶対に必要と公言している「国民新党」 民主党政権にかじりつきたく て党首亀井静香の寝首をかいたような阿諛自見政党は、一人も国会に送り込んでは成らない。

* 自民党は憲法改正を党是としている。わたしは、要点は憲法前文の確保、そして九条の確保、ただ、九条二項に意識が集中しているところは、公然とした論 議が戦わされると観ている。「隊」と「軍」との問題も激論があろうが、わたしは「軍」の危険を案じる。「言葉」「文字」には魔力がありしかも容赦ない「拡 大解釈」へひろがることを知っている。自民党は海外での武力行使のあしがかりに「国防軍」といった古くさい発想を押し出している。そう観ている。

* 原発の再稼働「あり得ない」と明言した嘉田「未来の党」を支持する。それがきわめて自然な柔軟な「良識」というもの。「みんなの党」が、いささか硬直 し縮んできていないかと想う。「5段階で原発ゼロ」もいいが、今は三極一致へ「未来の党」と虚心に連携し、三極合成の実を推進実現してこそ「みんな」が 「みんな」に成る。渡辺党首の人間の小ささなど言われぬよう願いたい。「社民党」の「未来」と連携、結構。

* 「原発ゼロ」を「時期・期限」で考えるのは、ムリ。それは「目標」にとどめるしかない。工程の複雑さは私民のにわかに判断できることでない、即時ゼロ とは、全原発の「稼働停止」そして解体へすすむ姿勢とみればよく、「時期のばらつき」は、当面さほど気にしなくて善い。「卒・脱・反原発」の意向が堅けれ ば、現実の工程確認がそれへ続くのである。「原点」での揺るぎない意向こそ大切。
 「廃炉」には、あきらかに「廃炉原子学」とさえ謂うべき新たな学的追究と、万全の工程確認・実施が必要になる。その実現時期は軽々に判断できない。「原発ゼロ」姿勢と、「廃炉完結」とは、原点の意向を確保しつつ、かつ区別して発言した方が良い。
 都知事選も、やはり「脱原発」という原点を明瞭にした「宇都宮候補」を優勢へ導かねばならぬ。^P候補は、せめても「東電の発送電分離」を確約しないと、自民への擦り寄りも嫌悪されて、都の民意を見損なうだろう。

* 国連専門家が聞き取り調査の結果、日本国と福島県とを厳しく批判している。「ヨウ素剤を配布していない。」「健康調査をまるで公示していない。」これで は県民の放射線被曝を食い止められずまた健康への侵蝕を県民達は知ることも出来ないと。
 事ほどさように世界の眼からは日本の今回原発被害は故意に過少化し て県民や国民に伝わっているのだ。何たること。

* 都知事選に主要候補が示している公約では、断然宇都宮健児候補の姿勢が良い。^P君の「電力エネルギー改革」では、彼自身の言う具体性が見えない。「送発電分離」から「決断・突破・解決」と何故言明しないか。他の公約は型どおりに過ぎる。
 宇都宮氏の「脱原発、再生エネを東京から」「福祉を充実し反貧困を進める」「教育現場に自由を取り戻す」「憲法を守り国際平和都市に」「都政の隅々まで 都民の声を反映」「住宅耐震化を進め壊れない街に」という表明には、原則も具体性も金備わっている。その他候補は問題にならない。



* 十一月三十日 金

* 血圧110-54(64)  血糖値84  体重64.9.kg  朝、ヒー ナッツクリームとパン 梨少し 蜂蜜ミルクティ 朝の服薬 今日から抗癌剤「TS1」一週間休薬 大排便  午前仕事  午、何を食べたやら。午服薬 午後全党首討論会を聴く 夕刻の仕事 夕飯、白飯 塩昆布 粕汁二杯 カステラ一切 入浴読書五冊 浴後体重63.6kg  排便

* 昨日の恆存劇・福田逸演出「明暗」は深く考えさせる優れた出来であった、しかし理解の及ばぬまま刑事の謎解き芝居と受けとったかも知れない、とんでもない。
 事実ややこしい乱脈を極めた裕福な親類一族の間で殺人や自殺も起きる。よそからは「良家」とも見えたろう一族である。そこには秘密もその暴露もありうべ からざる一族間の情事や恋慕も、或いは陰湿に或いはあっけらかんと、遠い過去から現在にも断続・持続している。そんな状況の中で、まこと恆存劇らしい緻密 な理解で一人一人の人間の性根がのこりなく表現され、劇の全体が「この人間 奇態な生き物」の陳列となっている。一人として見逃されず容赦なく科白を通し て人物の「アク」が表現されている。胸を張って清廉の語れる誰一人も実在せず、その「あらわれ」として彼らの科・白すなわち言動の「言」は下心ゆえに拙な 口ごもりがちとなり、また内心の影に押されて誰もが「おどおど」と殆ど棒立ちで立ち位置を変えて行くだけになる。福田恆存の痛烈な「人間批評」として劇は 「劇しく」推移して行き、誰もが秘め持っていた人としての弱みや秘匿が明るみに出て、一組の夫婦は、
久しい空しかった情事と幼子をめぐる哀れな死のゆえに、そして一人の母親も同様の持ち堪えがたい秘密のゆえに、自殺しまた昏倒死してしまう。
 「明暗」の「暗」は歴々と舞台に魔のように渦巻き、「明」とはその魔を負うた人間の深淵が一刑事役の追究で暴露されてゆく中に表れると、ひとまずは、理解できそうだ。
 「人間」の、ほとんどどうしようもない「魔」と「痴愚」とが、冷然と美しく深く整った「日本語」と「行儀」とで表現された、福田恆存劇の一代表作とし て、観客へのきつい挑戦作とも成っている。嗣子福田逸さんは、この「難しい」劇を、ともあれ適確にかつ筋を明快に通した演出に成功していた。これまた途方 も無く難しい「表現」であったろう。
 わたしも現に、「人間」の難しさに少しく挑んで創作に苦闘している。恆存先生の凄みに打たれてきたのは、逸さんからの励ましかとビリッと来たことを書き 添えて置く。夫婦ともにご招待いただき、秦建日子にも観てもらえたのは、感謝にたえぬ有難い事であった。妻や息子にどんな理解がありえたかは、敢えて問わ ないでいる。「人間」を観る尺度も角度も、いろいろだから。

* 観劇のあと三人で高島屋十四階で中華料理を食べ、加飯紹興酒のうまさなども満喫、わたしも、美味い美味いとは思い切れなかったけれど、殆ど全部を腹中に納められた。必ずしも呑み助ではない建日子が加飯酒を美味いと手酌していたのも嬉しかった。
 帰路は山手線以外になく池袋まで満員で、座れなかったのがちょっと堪えた。
 いい一日だった。

* 昨日新宿へ出向く直前、ロスの池宮千代子さん(ちょこチャン)から、二人に、それぞれのセーターを頂戴していた。わたしはすぐさまそれを着て出かけた。着心地よく温かに軽くて嬉しかった。ありがとう存じます。

 ☆ 佳き月の十二月に、
 おめでとうございます。
 どうぞ呉々もお体
 お大切に
   御二方様
 お気に召しますように。   千代子

* 寝に就く前に、プーシキンの史劇『ボリス・ゴドゥノフ』を読み終えた。詳しい注も、訳した佐々木彰氏の解説も、みな貪り読んだ。ロシアの歴史の烈しく恐ろしい場面を通じて民衆の思いの那辺に形成・結集されて行くかに思わず身をひきしめた。
 今度の選挙に日本の現下の「民衆・私民」の思いが、どこへ結集するか、「卒・脱・反原発」に列島と日本人の健康な安寧を願う気持ちが票として生きて欲しいと願っている、わたしは。

* もと筑摩書房にいた持田鋼一郎さんから翻訳されたデビッド・コソフ作『マサダの声』を頂戴した。ローマ対ユダヤの壮大な歴史ドラマ、「しかし、マサダ は忘れられることはない!」烈しい反乱が書かれてある筈。この前にはやはり持田さんの翻訳でウディ・レヴィ作『ナバテア文明』を戴いている。ユダヤ王国に 隣接し、砂漠に壮麗な神殿を残して消えた謎の文明であり、基督教との、また当時のギリシァ・ローマまたインドとの関わりなど、不思議を湛えた「ペトラの遺 跡」の初の本格紹介だった。

* 三時間近い各党党首の討論会を終始聴いた。
 十何人であったか、政界の現況を如実に教える乱立。「脱原発」では未来の党、共産党、社民党、大地の党ははっきり攻勢をみせていた。
 そのなかで痛く見劣りしたのは維新の会代表石原慎太郎で、言葉ばかりが乱暴、維新の会としてすでに公表した公約の内、原発はいずれ「フェイドアウト」さ せるという文言を、石原代表はそんなものは知らない、マニフェストに入っているなら「取り下げさせる」と公言したものだ。まさしく橋下「義経」は、すでに 「弁慶」から「頼朝」に化けた石原慎太郎に、予想したとおりコケにされたのである。「維新の会」はもう断末魔をあげ信頼を失うに至ったと観る。さらに、 「自主憲法」制定をこの党は「公約」している。いつまで、「強いられた憲法」などと寝言を言うているのか。何と釈明しようと今や維新の会は石原と橋下とで 「正反対の主張を無理やり折衷」している。醜悪。党自体の「フェイドアウト(溶暗・消失)」は避けられまい。
 ^P都知事候補も、安直に「石原継承」などと拘泥せず、石原でも自民でも無い独自の思想を言葉にかえて都民を説くべきだろう。

* 自民党はつとに「九条二項」の改正を先頭に掲げている。即ち、外地での戦死と殺傷とを肯定する交戦の自由を謂うに等しく、危険きわまりない軍国復活へ の足取りと観て、断乎弾劾する。党利党政権のゴリ押しを企図し、「三分の二」を改憲の条件とした精神を「二分の一」に先ず改正しようと安倍晋三は公言して いる。絶対に阻止しなければ。
 識者らも安倍自民の暴卒に「懸念」を隠せず、「強まる権限と戦力」「後退する平和憲法」「中国や韓国は過剰に反発」などに国民は批判精神をと訴えている。

* 他党は、それぞれに力説すべきを独自に力説し、聴かせた。比較的に無駄に冗舌であったのは、「国民新党」だった。
 
* すでに公約に「もんじゅ廃止」を明記した「未来の党」の党首嘉田由紀子滋賀県知事は、こういう討論の場で大人し過ぎてはいけないがと案じたが、いずれ の質問にも明晰で具体的に淀みなく答え、「優秀」だなと感じた。評論家は、分かった顔をして何が足りないこれも言い足りないと勝手なオダを上げてくるが、 討論のルールとして、長くて一分半、短いときは三十秒での陳述と決められての所信の表白だというとを無視して論うのは愚かしい出過ぎだ。それでも、各党党 首は、石原の度を失った暴言や時間超過なく、自民の安倍氏のやや時間超過も不問に付し、みな適確に話してくれたことに、さすがと頷いた
 嘉田「未来の党」には、もっともっと多く傘下に加わって、名実ともの第三極中心に大化けして欲しい。都知事候補 の宇都宮氏とも共闘して欲しい。

* 再生エネルギーのことも、利点の周知、問題点の周知を、しっかり図らねばと願う。
            


    
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      十一月分の「日録・私語」誤記・誤変換を改め、
      日付順に直しています
    
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述懐
 平成二十四年(2012)十月


   くまもおちず家(や)ぬちは水にひたればか
     板戸によりてこほろぎの鳴く        伊藤左千夫

 あかあかと一本の道とほりたり
     たまきはる我がいのちなりけり     斎藤茂吉

 少数にて少数にてありしかば
     ひとつ心を保ち来にけり          土屋文明

   「まれにみる猛烈な颱風」と報じをり
     それがどうしたと悪政をこそにくむ   遠 

    われが着肌を好んでマゴの敷寝する
     汝(な)が夢にかけて悪政などあらじ  遠
                (黒いマゴ 愛猫)