SAKU132




述懐 平成二十四年(2012)九月

 秋風やしらきの弓に弦はらん      向井去来

 たのしみは衾かつぎて物がたり
    いひをるうちに寐入りたるとき   橘曙覧

  蝉よ汝 前世を啼くな後世を啼くな
    いのちの今を根かぎり鳴け           湖

 人に似し人に行きあひ見交はしつ 
    あはれ此の世の情けなきかな         遠

 
在るとみえて否や此の世こそ空蝉の
         夢に似たりと
ラ・マンチャの男             湖

 
ちりんと鈴 鳴らして在り処(ど)おしえつつ
    黒いマゴはわれを隠れんぼの鬼に     湖






       古径画・菓子図




      市川染五郎 健やかな復帰を





* 平成二十四年(2012)九月一日 土

* 
体重66.2kg 血圧105-55(58)  血糖値 95   朝、桃、ドーナツ一つ ミルク一杯 服薬 体違和無し  仕事 昼、牛肉煮、巨峰十粒、飯半膳 服薬後 就床読書少し 短時間昼寝 強烈な苦み腹から湧き驚く 仕事 自転車で郵便局 帰路に坂、疲れる 晩、鰹刺身、飯半 膳、桃 宵寝  薩摩芋少し 食少し進むか 排便 排便後排尿快調 貧血か低血圧ゆえかよろめくこと増えている 他に特に体違和を覚えず

* 眠れないからと妻が朝五時半に起きてしまったので、つられて、そのまま読書十三冊。
 折口博士の舞と踊り、歌舞伎踊りなどの論の面白さ。
 谷崎が関東大震災後に関西へ移住した心境など、「東京をおもふ」の谷崎証言は貴重。おおよそは読み得ていたけれどもっと慎重に読んで胸に納めていてよかったと、少し悔いが残る。
 平安の公家達が、いかに「作法」という生活枠に習熟しつつ変化や機転の妙にも対応していたことが「古今著聞集」でよく知れる。

* チェーホフが余儀ない夫婦別居を強いられていたのはオリガ・クニッペルがモスクワ藝術座に不可欠な才能豊かな人気女優であり、チェーホフには時に血を 吐くほどの病をヤルタの温暖を頼んで癒さねばならなかったから。チェーホフの妻への手紙は同居の成らない寂しさやいらだちを懸命におさえての切ない「恋文」が 、さも愉快げに書かれていて、胸を打つ。
 一方、憧れのローマに滞在しているゲーテの日ごとの藝術観想や自覚の表現の健康なことに圧倒され、頷いている。

* 亡き辻邦生さんの「夏の砦」は、作者の、ディテールにも潤沢におよぶ想像力と表現へのまさに陶酔感に感嘆する。小説の筋など無視しているかのように感じてしまうほど、ヒロインの男性的な口調でしかも繊細に深刻に彫り刻まれてゆく描写力。
 辻さんが、とても懐かしい。長谷川泉さんは著書に、辻さんとわたしとを、タイトルに「反リアリズム」と括っていた。そうかも知れない、それているのかも知れない。

* マキリップの「イルスの竪琴」は終巻なかば、迫力とふしぎに充ち満ちて、読み進むのが惜しい。
 馬琴の「南総里見八犬伝」は、高田衛さんの「八犬伝の世界」に導いて貰いながら、無条件に面白い。巻をまた新ためた。
 「指輪物語」にも熱中し、巻を新ためた。
 この三冊、日々読書の楽しみの、芯に成ってくれる。

* 東洋文庫の「中国古代寓話集」も「捜神記」も、フムフムと楽しい。

* 読書に没頭できる「幸福」を、老いてなお切実に実感する。

* もの凄いとしか謂いようがない苦さが腹の奥から湧いてきて、昼寝から起こされた。初体験の強度の苦さに驚いた。「おどろく」とは「目の覚めること」とは承知し ていたが、体験として教えられた。他には幸い苦痛な体違和はない。坂の道を自転車で郵便局まで往復して、疲れたにしてもさしたることは無い。今日は久しぶりに雨も降り、ラ ンニング姿で自転車をはしらせると心もち涼しくもあった。

* 機械を三台開いて、doropboxで連携させている。機械の中身を整頓し始めれば、どれほど時間があっても足りない。ただ機械への負担は軽めておいて遣りたいし。
 そこへイーモバイルを、値段やすく機能も早くなった新しいのに取り替えないかと、電話で勧めてきた。これが、ものの二、三十分かけて電話の向こうで早口に 女性がまくしたてる。わるい話とは思わなかったが、喋っている女性の猛烈な早口では何も記憶すら出来ない、結局、いい話らしいが、断った。あんな、「伝え る」ための適切を欠いた電話の長談義で「キャンペーン」になるのだろうか。

* 感染症科で処方された含嗽のシロップが幾らか舌に効いているのかも、食、美味くはないが堪え堪え食べられている。

 ☆ 花に別る   白楽天
 花林好住莫顦顇   
花林好住して顦顇(せうすゐ)すること莫(なか)れ 
 春至但知依舊春   
春至らば但(ただ)知る舊に依りて春なるを
 楼上明年新太守   
楼上明年新太守     (=新しい佳い人が登場する筈)
 不妨還是愛花人   妨げず還(また)是れ花を愛する人


* 九月二日 日

* 
昨日来の雨 渇水の虞れあるとき、恵みの雨か。十分に朝寝 体重65.2kg 著しく減る 血圧108-55(66)  血糖値 103  朝、桃、ドーナツ三分一 薩摩芋一囓り 巨峰七粒 服薬 点眼 下腹部不穏便意か 体違和特に感じない 昼、卵かけ飯一膳 午後仕事で眼も疲れぐたりと昼寝  驟雨に目覚め 夕食は水飯一膳 魚菜口に合わず 服薬

* 朝の食事しながら雑誌「茶道の研究」九月号の口絵写真を眺めていた。「竹一重切花入れ」は
十六世紀千利 休の作、高さ31.6センチ、口径12.6センチ、堂々の貫禄で、今は永青文庫に在る。「これ以上ない簡素さ」と解説されてありその通りだが、筒内面の黒 漆といい、正面大きな縦割れには黒の竹を埋めて鎹の修理がしてある、それすらが見どころになっていて、簡素を超えて出た美意識の参加が生きている。
 こういう道具の美しさを、見落とすどころかしかと創りだし、かつ守り育ててきた日本の魂に感嘆する。

* もう一つ、国宝の孤篷庵蔵、大井戸茶碗、銘喜左衛門のいつ写真で見ても引き寄せられる真の安定美。柳宗悦は昭和六年に、河合寛次郎と共に大徳寺孤篷庵 でこれを見て、「飾り気のない平々坦々たる姿」に感動し、「世にも簡単な茶碗」と絶賛した。この「簡単」誤り見てはならない。それはあらゆる堂々、本格を はらんだ大いさで、揺るぎなくそのそこに平然と在る。姿、色、景色とも「飾り気」なく「平々坦々美」に徹して最高度に美しい。「国宝」であることに喜び を覚える。
 茶の湯の世間では、このような美の馳走・振舞にしばしば出逢える幸せがある。

* 大島史洋氏から新刊の「アララギの人々」を戴いた。「幸福を追わぬも一つの卑怯」とうたってわたしの東工大生活を学生と共に豊かにしてくれた歌人。表紙にとりあげたアララギ歌人の名が列挙してある。これだけで一つの「歴史」が読み取れて有難い。
 正岡子規、伊藤左千夫、長塚節、古泉千樫、中村憲吉、島木赤彦、斎藤茂吉、平福百穂、土屋文明、土田耕平、松倉米吉、高田浪吉、築地藤子、佐藤佐太郎、小暮政次、宮地伸一。一人二人よく知らない名前も混じっているが。
 大上段の論考でなく、エッセイの集成のようにも思われ、楽しんで読みたい。 感謝。

* わたしの人生に和歌、短歌がもし無かったら、どんなに味気なかったろう。母子がとおく離れて生きそして死に別れたが、生母は歌集一冊を遺して逝った。亡き 兄恒彦が、「きみが歌をやっていてくれて、ほんとうによかった」と言ってくれたのを忘れない。茶の湯だけでなく和歌というものの歴史的に在ることを寝物語 におさないわたしに初めて教えてくれた、秦の叔母つるにも感謝は深い。
 そして今、わたしは俳句にも、漢詩にも、ほんとうに嬉しく日々に心惹かれている。幸せなことだ。

 ☆ 白楽天「
水村に客を送る詩句  和漢朗詠集より
 帆開いて青草湖中に去る           「青草湖」は洞庭湖南端 
 衣湿(うるほ)うて黄梅雨裏に行く     「黄梅」は梅雨を謂う

 水駅の路は児店の月を穿つ  「児店」は蘇州の景勝地 友の旅立ちを送っている
 花船の棹は女湖の春に入る  「女湖」も蘇州の景勝

 ☆
 櫨の実のしづかに枯れてをりにけり   日野草城
 万巻の書のひそかなり震災忌       中村草田男 

* 大判の二冊、完備した「歳時記」が隣棟にあるのを、場所をとられるが身近へ運びたくなっている。

* 九十半ばの老歌人清水房雄さんの歌集「汲々不及吟」をおもしろく通読して爪印をつけ、さらに読み直して丸印をつけ、また更に読み直して二重丸をつけ た。書き出して作者に送り、「e-文藝館・湖」に招待したいのだが、書き出す時間がないのに閉口している。同じような閉口が多すぎてなさけない。
 和泉式部集にもそのような撰歌をはじめて、まだ半ば。爪印にしたがって、やがて「和泉式部集全釈」の解を読み合わせられる日を楽しみに待望している。これ らもみなわたしの「仕事」である。したい「仕事」がいっぱい。わたしの最も早い時代の「仕事」に『花と風』が在った。中頃には『蘇我殿幻想』が在った。い ま満を持してあれらに類する「随筆」を悠々書き継ぎたい思いに襲われている。

* 夜前、東洋文庫『中国古代寓話集』完読した。荘子、列子ら道家の寓言と、儒家の寓言の性質のちがいが興味津々読み取れてありがたかった。前者は「事 実」にとらわれず「事実らしく」人と世との「真実」に深く触れようとする。後者は世の「事実」や「実在の先人」に拠りつつ教訓する。寓言・重言としては前 者が優るという編者の言にわたしも同調する。

* 「平清盛」ドラマの純文学めき、作者のセンスにわたしは共感の一票を呈する。わたしの根からの清盛への共感、後白河院への共感を、理においても聡く満たしてくれている。
 「薄桜記」すこし大まかに事が運んでいるが、どうか案に相違したおもしろい展開を願いたい、典膳と小春のために。吉良家討入りで典膳と堀部安兵衛との決闘になって終わるなどは、つまらない。原作者に期待したい。
 柴本幸という小春役が段々によい。他のドラマで見た覚えないが。上級武家の妻女らしさに、忘れていたものを思い出させる品位がある。
 ほかで何作か見た松下奈緒とかいった女優の丈高い気品にも、似た味わいがあり期待している。

* 日曜の夜は、もう二つ、建日子作「サマーレスキュー」と韓国の「イ・サン」を楽しむ。


 
* 九月三日 月

* 
体重65.9kg 血圧108-61(60)  血糖値 89   朝、中華風握り飯一個 桃 巨峰沢山 服薬 腹鳴  眼の不調 瞑目が楽 排便二度 十時地元佐藤眼科へ「あれ以来」の報告とお礼に。手術はとても綺麗に成功しているといわれ、点眼 薬や眼鏡その他の注意すべき点を懇切に教わってきた。
 昼飯は進まなかった。西瓜と中華風握り飯の半分ほど。昼は食後の決められた薬が少ないので、抗癌剤もないので、食べなくてもいいやという気が動く。食べ てあとより、食べないまえの方が心身ラクなので。それでは貧血に加えて結局疲労し、体力は落ちて善くないと分かっているが、あまりにも食べ物が苦痛なほど 口に合わない。苦くて味がなく、砂や土を食べているよう。
 さすがに疲れて、二時頃から五時前まで本も読まずひたすら寝ていた。目覚めたとき朝かと思った。心身軽くあかるく、寝ていた効果は歴然。
 こういう体調の時、こうして気ままに何の拘束も受けず病身をいたわっておれるのを、ほんとに幸せに思う。


* 選挙対策ではあろうが、大きな流れが、政府内でも「原発ゼロ」化へ向かおうかとしている。野田総理を押し倒して見識の大きな若手が、経済過剰を脱した 国民の生活と安全に配慮した政治姿勢で立ってくれれば、民主党の再生につながるが。野田代表再選は断乎阻止すべし、禅譲期待の前原総務会長の姿勢をわたし は潔しとしない。一日も早く政局の迷走から政治の基本へ各党が軌を一にして欲しい。

* 聖路加では「二人主治医」ということを勧めていて、地元の医師と聖路加とが連携して患者をフォローす るのが善いとしている。他の諸科はともかく、眼科はそうしようかな。
 帰りに保谷駅にくっついたスーパーであれこれ買い物して一時前に帰ってきた。

* 『丹後の宮津』という案内本を読み継いでいる。要領の良い親切な本で、少しずつ丹念に読んでいる。曽遊の地である懐かしさもあるが、与謝蕪村への関心 がのいていない。加悦に古跡を尋ね、宮津の見性寺や実性寺など訪ね歩いた。天橋立よりそっちが主眼のふらり独り旅だった、まだ会社勤めのころだ。蕪村のこ とは『あやつり春風馬堤曲』という奇妙な小説を「湖の本35」として書き下ろし出版している。そのままの続編に山椒大夫を書き、第三部で浦島太郎を書くと「予告」 しておきながら、とりまぎれている。忘れたことはない。書けるだろうか。わからない。「丹後」という地へのふしぎな夢がある。
 『なよたけのかぐやひめ』 (湖の本47)も「丹後」に触れあう一つ。
 たとえ書けなくてもそういう夢のような世界は、わたしの内側で光るように生き続けている。冥利というべし。

* 夕食後、疲れた妻を寝かせて、わたしは古い録画からシュワルツネッガーの「トルーライズ」という破天荒で家庭的な活劇スパイものを見聞きしながら、辛 うじて刷り出せた謹呈者の宛名シールを封筒に貼り込んだ。しかしその他の、大学高校への寄贈シールも、肝心の読者の宛名シールも古い古いワープロがもはや 働いてくれなくて、刷り出せない。妻は、それら一つ一つを新たにパソコンに打ち直している。たいへんなことだ。
 わたしは、謹呈追加分を、手書きで宛名書きする。今回はこれがきっと多数になる。

* 眼鏡の新調は手術から三ヶ月は待ってくださいと佐藤眼科の先生に言われてきた。まだ手術から四十日余にしかならない。この視野の不安定なまま もう一ヶ月半は辛抱しなければならぬ。もう何をしてもいいですが、手術した目にものをぶつけないでくださいとも言われた。これは気にしている。横寝して本 を読み赤鉛筆をもっているとき、するりと鉛筆が手から漏れ落ちて病眼のちかくへ当たったときは仰天した。
 とにかくも持ったものを手から落とすことが頻繁に なっている。情けないが要心しなくては。

 ☆ 鴉へ
 
HPの一番最初に血圧の数値が目に飛び込んできます。鴉の体調のことがやはり日々を左右する大きな事象であるのを痛感させられます。
 夏の暑さがまだまだ続いています。病院通いがお体にとってどれ程の負担になっているかは、どんなに遠くに暮らしていても十分に想像できます。秋口にはより一層体調に注意なさってください。体重の変化にやはり一喜一憂してしまうのは自然な心の動き・・。
 新しい機械に慣れ、メールの一つも欲しいなあと鳶は勝手に思っています。

* 今日松本幸四郎丈より、子息染五郎の現状を伝えながらのご挨拶があった。命にかかわるほど手ひどい様子ではないらしいのが、何よりの安堵で在る。はやく治って舞台に復帰してくれますように。

 ☆ 微雨夜行  白楽天

 漠漠秋雲起   
漠漠として秋雲起り
 稍稍夜寒生   稍稍(せうせう) 夜寒生ず    
 自覚衣裳湿   自から覚ふ衣裳の湿ほふを
 無点又無声   点無く 又 声無し


* 
九月四日 火

* 体重65.1kg 血圧105-55(64)  血糖値 98   朝、ミルク半杯 ミカンジュース半杯 巨峰十粒  飯半膳 服薬 下痢  服薬からまぢかい下痢は薬効を損じないかと気になる。排便するとからだはラクになる。昼は食べた実感が無い。午後はロシア映画「戦争と平和」に魅せられ何 もかも忘れていた。晩は、昨日は食べられなかった牛肉の煮たのを甘辛く味をキツクして貰って食べた。胡瓜揉みも酢の味で食べ、野菜と巨峰のむき身も食べ た。野菜ほんのすこし口にした。処方された含嗽剤も使っているが、ほかにウイスキーか焼酎かで口の悪さを刺激して追い払っている。チューインガムも役立 つ。夕食後、服薬して腹部にウーンという感触があったので床に就き、十数冊をおもしろく読んだ。そして仕事のために二階へ。腹は張った感じだが、とくに体 違和は覚えていない。

* 選挙間近というので「反原発」「脱原発」「原発ゼロ」などと吹聴し始めた議員達が増えてきたという。本気で堅い決意を持ってきたのならいいが、どうせ 風船玉のような軽い軽い思惑であろう。よく個々の顔と言葉とを見定めたい。便所のない宮殿を平気で造ってきたのだ、愚かしい極み、加えて宮殿の内部に日々 に危険な爆発物が増加していて、もう数年のうちにも現存原発の六割は満杯になると新聞は報じている。推進派や擁護派はこれらにどう責任在る考えや対策を 持っているのか、ぜひ聴きたい。
 あの大震災直後の東電連中の狼狽のなかでも「儲け」「儲けが」と連呼していた者のいたことが確認されていると。原発を「儲け商売」とのみ考えてきた連中は、国賊と謂うに同じい。

* いましがた、途方もない悪辣な国際条約ACTA
(Anti Counterfeit Trade Agreement)条約に関する長文のメールを読者から受け取った。ヨーロッパ連合はこれを批准しなかった。グーグルもFACEBOOKなどもストライキしてまで反対の声をすでに挙げていた。
 だが、日本は秘密裏に批准をすませたという。途方も無い暴挙だ、民意も問わず、極秘の内に。
 ただ批准が参議院が先で、しかも十五人でというのが、より正確に分かりたい。野党がすべて欠席の委員会討議を民主党が自儘に採択したというのかもしれな い、まだ、よく分からない。しかし此の読者氏は燃えるような言句と、いくつもの情報源を証しながら、その強圧的なネット弾圧の条約を長大に知らせてくれてい る。
 わたしはペンの言論表現委員会に永く在籍していたころ、ことあるつど、「権力的なネット弾圧の動き」が予感できると言い続けていた。中国はそれを強行してい るではないか。ペンクラブに、「電子メ ディア委員」会をせっかく提言企画創設し委員長を勤めていたのも、サイバー世界での、ネット世界での、言論弾圧のおそれを痛いほど予感していたからだ。
 何 にも分からないか、いじましい悪意でか分からないが、阿刀田・浅井氏の当時執行部は、何の相談も無くわたしの委員会をぶちこわした。わたしは、それで理事の席を擲った。
 とにかくも寄せられたメールを、わたしは慎重に読む。寄せていただいて感謝しているし、場合によればペンにも文藝家協会にも意見を伝えたい。からだで働けないのが残念だ。
 じつのところもわたしの「闇に言い置く 私語」なども「抹消の弾圧」に遭うだろうとメールは率直に注意している。そんなことは、早く早くから覚悟していた。やられる懼れはある。そのときは、そのときなりに闘わねばならないが。命があれば、であるが。
  ネットや個人のブログやソーシャルネット等の体験から察しうる人は、この国際猛毒条約ACTAについて声を挙げて欲しい、完璧なほど悪辣な言論への圧制 を、国際的に強権的に可能にしようとしている。原発にならんで、またしても国家的な犯罪行為が展開されそうである、この日本国でも。
 おそろしい。

* プリンターの本機への接続が間違っていると見え、繋ぐと、何の指示もしないのに勝手に作動してやたらものを刷りだしてくるのに、閉口。それとADSLがまるで働かず、機械の始動が遅い遅い。待つことには慣れているので辛抱して、その間にもちらちらと本を読んでいる。

* 仕掛かりの創作がいろんなメモで錯雑としているので、少しずつ整理した。いつでもどの選択肢からも取り組めるように。

* 「神楽」というのを久しく何と理会していたろう。天の岩戸舞や祭礼の折りに舞われる舞とか。
 「かぐら」とは実は「かみくら 神座」とは思いよらなかったが、移動する神人たちが神体を容れる箱、入れ物がもともとの「かぐら」であり、神体として多く獅子頭などを容れて移動したことが、地方の方言としても、事実としても多く遺されてある。
 そういうことを、ごく、アッサリと折口信夫博士は告げ語って、眼の鱗を落としてくれる。

* 和歌をわたしはもう昔から、倭歌という以上に「和する歌」と受けとって理会してきた。そういう意見はあまり聞かない、今日では。しかし『古今著聞集』 の「和歌」巻第五は多くの「和する歌」で編まれていて、その神妙・玄妙に拍手なされている。古今集に継いで編まれた「後撰和歌集」を今日も二階廊下の窓に 凭りかかり拾い読みしていたが、特徴的に和する歌を主に編まれてあると従来の感想を改めて新たにした。さきごろ千載和歌集を撰歌して読者に届けたが、前々 から気に懸けてきた今度は後撰和歌集を撰歌し鑑賞してみたくなってきた。
 後撰集世界は小説『秋萩帖』(湖の本25 26)に書いている。生やさしい作でないが、平安博物館の館長であられた生前の角田文衛先生が、京都からわざわざ電話をくださり「よく調べられましたね」 と褒めてくださった。後撰和歌集に、伊勢についで多く歌を採られていた或る女人、大輔の誤り伝えられてきた出自を、小野道風との恋とともに追いかけた「現代」恋愛小 説だった。そのときから後撰集はおもしろいなと思っていた。「著聞集」を毎日読み継いでいてむかしの興味をふと蘇らせた。

* 午後、気づかずにいたロシア映画「戦争と平和」第二部の途中から観て、第一部から観られなかったのをくやしがりながら、あまりの画面の美しさに感嘆し ながら、ナターシャの初々しくも危うい恋の美しさとあはれとに魅入られていた。アンドレイに惹かれて求婚を受けながらアンドレイは一年の猶予を請い、その一 年はナターシャは「自由であり婚約にとらわれないで欲しい」と告げられる。背景にアンドレイ公爵家の家の事情も伏在していたがそれを知らぬうら若い処女ナター シャには過酷な要請であった。そして、無頼の武官に恋をしてしまい誘拐されそうになったのを、辛うじて阻んだのはナターシャからもアンドレイからも信頼厚い インテリのペーチャだった。ナターシャの中途の恋を伝え聞いたアンドレイは冷たく婚約の解消をペーチャに言い、ナターシャのロストフ伯爵家に伝えてくれと 頼む。
 オードリー・ヘプバーンの「戦争と平和」も好んで観たが、さすがロシア映画は、美しさと感性の豊かに清潔で静粛でかつ絢爛たる演出において擢んでていた。明日の第三部は必ず観る。トルストイの『戦争と平和』ほど好きなロシア文学は無い。
 このトルストイとチェーホフとは、ことに親しかったと『妻への書簡集』に繰り返される記事で知られる。心嬉しくなる事実。
 それにしてもチェーホフの結婚生活のいかにもの哀れであることか。
チェーホフ は貧しい下層の出で、トルストイ伯爵家とはちがう。しかも彼は家庭と一族とを支え、母と妹の存在に気兼ねして婚期を大きく逃し続けていた。女優オリガ・ク ニッペルとの結婚式の挙げ方も異様であった。宴会に知友を招いておいて二人でぬけだし、教会でふたりだけで夫妻の誓いをし、その足で遠く旅立っていった。 結婚の前にチェーホフはオリガに、挙式前に誰一人にも結婚を告げないと誓って欲しい、そうしたら結婚しようと頼んでいた。母と妹への気兼ねであったと伝記は伝えている。
 トルストイの晩年の家庭生活も必ずしも幸福では無かったと、よく知られている。二人の文豪はしたしく何を語り合っていたのだろう。

 『イタリア紀行』のゲーテは聳え立っている。
   
 最もすぐれているものは二度も三度も眺めているが、そうすると、いくらか順序がついてくる。主要なものがそれぞれ適当な場所に座を占めると、より価値の 少ないものはそれらの間に(ほどほどに=)収まってしまう。 私(=ゲーテ)の心は落ち着きのある興味を感じつつ、より偉大なもの、最も純真なものへと惹かれてゆく。  
 よいもの、よりよいものを明らかに見て知ることができるということ は、まったく特別の作用である。ところがわれわれがそれを自分のものにしようとすると、それはいわば掌の中で消え失せてしまう。それでわれわれは正しい (善い=)ものを掴まないで、捕え慣れているもの(ばかり=)を掴むということになる。
 物事を立派に仕上げるためには、一生を通じての練習が必要である。われわれは自らを、他と比較すべきでなくして、むしろ独自の方法によって行動すべきである。

* 「
主 要なものがそれぞれ適当な場所に座を占めると、より価値の少ないものはそれらの間に(ほどほどに=)収まってしまう」という言葉はあまりに厳しいと、創 作者ならだれしも心に歎くだろう。だが歎くことではなにも変わらない。「その通りだ、だが、時間の力の前で、そうは簡単に収まりはせぬ」と、わたしも、常 に、「私の心は落ち着きのある興味を感じつつ、より偉大なもの、最も純真なものへと惹かれてゆく。よいもの、よりよいものを明らかに見て知ることができるということは、まったく特別の作用である」からだ。「自らを、他と比較すべきでなくして、むしろ独自の方法によって行動すべきである」と信じているからだ。 

* 金沢の作家、金田小夜子さんから、彼女自身が名付け親の、とても大粒の「ルビーロマン」という葡萄を一房頂戴した。大きい大きい、巨峰も大きいが体積は 三倍ほどか。もっと大きいか。普通の葡萄がバレーボールと比べたピンポン球に見える。去年にも戴いたのでその甘さ、美味さはしかと覚えています。感謝。
 さすがに季節の移動で桃は味も確かさも落ちてきた。吉備の有元さんに二度もいただいた桃を断然筆頭に、店売りの桃の総じてうまかったこと、命をのばした心地がした。西瓜もうまかった。
 それにしても、好きな日本酒の味がよみがえってこない。ワインも。ところが、これこそダメと思っていたウイスキーのシーバスリーガルが、また焼酎が、そ れぞれ小さなグラスの底に二、三ミリだが、苦い口の口直しに卓効あり、ほんのりと味わいも得られる。焼酎など、知らぬうちに杯を重ねていたりする。
 要するに上品な薄味は却って苦くて味無くて、塩昆布や錦松梅やアミやくぎ煮やちりめん山椒など、しつこく塩辛いほどのものだと口の苦みに拮抗してくれる。好きな麺類が、苦みでは無く、誤嚥ぎみに食べ損じて、何度試みても嘔吐のモトになってしまう。
 だが、何であれ、量の多少を問わず、朝から夜まで食べていないと、体重は減り続け、貧血でのたちくらみも、危険なほどひどくなる。うっかり手術した右眼をものにぶつけては大変なことになる。「ぶつけないでくださいよ」と昨日も佐藤先生に言われてきた。



* 九月五日 水

* 体重65.1kg 血圧115-61(63)  血糖値 101   朝、 強飯少し 卵かけ飯一膳 巨大葡萄ルビーロマン一粒 服薬 体違和無し
 仕事 昼、桃 飯一膳 午後映画とドラマ一つ見て 読書 仕事 湖の本113責了迄 夕食、餅二つ煮て 服薬  夕食後すこし横臥  入浴後体重55.3kg  仕事 体違和感無し 明晩まで抗癌剤服薬 ts1ちょうど無くなる 明日の十一時聖路加腫瘍内科診察

* ACTAに関しては東京新聞にも報道が見当たらない。
 それよりも電力関連の秘密会で、原発推進へのあからさまな虚偽画策のあったことを報じている。財界筋は一致して原発無しの未来はありえないと。核廃物等 の処理能力一つについても、彼らは責任と実現性ある用意や対策を全く口にしない。「儲け」のためだけに国土と国民の命を縮める原発に固執している。恥無き者 らよ。

* いま東北に関心が集中しているときに、下記の谷崎随想(内の一部)は刺激がつよいが、食い物の好みから関連した昭和八年当時谷崎の
「東京」に対する、また「東北」を念頭にした剴切な「批評」は、必ずしも今日の日本と遊離していない。

 ☆ 谷崎潤一郎「東京をおもふ」より 一部分 昭和九年「中央公論」一月号ー四月号連載 今日の漢字を此処では用います。

 ところで、此の東京人の衣食住に纏はる変な淋しさは何処から来るのかと思つてみるのに、結局それは、東北人の影響ではないのか。私はそれについて青森の 男が話したことを思ひ出すのだが、東京の人は仙台と云ふ所を東北の玄関のやうに考へてゐるけれども、青森からみると、彼処は東京の玄関としか考へられない と云ふのである。なるほど、東京と青森の間では仙台の位置がさう云ふ風になるであらうが、もし青森と京都の間、或は下関の間では如何。東京の人は政治の中 心に住んでゐるから、そこを地理的にも人文的にも日本の中心だと考へ易いが、しかしたまたま関西から出かけてみると、何となく東京が東北の玄関のやうに見 え、此処から東北が始まるのだと云ふ感が深い。さうして事実、京阪地方に四国や中国の人間が多いやうに、東京には近い所で栃木、茨城、あれからずつと、会 津、米沢、仙台、南部、青森、秋田、あの辺の人間が非常に多い。(谷崎の親友で当時鶴見在、国際的な映画俳優でもあった多能多才な上山=)草人なども仙台 から出て来て名を成した一人であるが、震災後は純粋の江戸つ児が次第に何処かへ影を潜めて、東北人の入り込む数がますます殖えて行くらしい。その証拠に は、昔に比べて東北訛の東京弁が非常に多くなつたのに気がつく。恐らく自動車の運転手などは東北人が大部分であらう。運転手と云へぼ、いつぞや小石川の目 白坂を流してゐるのを拾つて乗つたのが、此奴が一寸モダーン味のあるイナセな兄哥(
あにい)で、茅場町まで乗せて行く途々、落語家のやうな垢抜けた口調でいろいろと運転手稼業の辛いことを剽軽(へうきん) に語り出すのであつたが、だんだん尋ねると、色物の寄席が大好きでときどき聴きに行くと云ふ。だが此の兄哥のしやべる言葉が、よく聞いてゐるとやつぱり何 処かに野州辺のあの尻上りのアクセントがあるのだ。いかさま、現代の東京のイキとかイナセとか云ふ奴は皆これなんだとつくづくその時も思つたことだが、運 転手はいゝとして待合の女将なんかにズウズウが多いのには全く驚く。それも渋谷や五反田ではない、新橋赤坂下谷と云ふやうな所に案外それがあるのである。 私は経済上のことはよく知らないが、自分に最も縁の近い出版業者の話を聞くと、雑誌でも単行本でも関東よりは関西の方が遙かに多く売れる、京都から西には 大阪があり、広島があり、福岡があり、朝鮮満洲の殖民地があつて、孰れも相当の読者層を有してゐるが、関東の方は、たゞ東京が全国的に第一位を占め断然群 を抜いてゐる外には、仙台や札幌などは大したことはないと云ふ。此の一事を以て推論すると、東北と云ふ所は東京と云ふ恐ろしく立派な玄関を持つてゐるだけ で、いや、或は玄関にばかり費用をかけ過ぎたために、西部日本に比べると財力も文化も劣つてゐるのだ。さうして東京はその貧しい東北のたつた一つの大都会  なのだ。斯く東京を「東北地方に属するもの」として見る時、昔は「鳥が啼く東(あづま)」と云つた夷(えびす) が住んでゐた荒蕪の土地が権現様の御入府に依つて政治的に、と云ふのはつまり人為的に、繁華な町にさせられたものであると見る時、始めて今戸の煎餅や千住 の鮒の雀焼や浅草海苔やタヽミイワシが名物であると云ふ理由が分る。(関東大)震災前の東京市は市でなくて村だと云はれたが、震災後の今も、或る意味に於 いて田舎なのだ。米沢や会津や秋田や仙台の延長なのだ。私は嘗て東北に遊んで、モヤシのヌタや、鰰(はたはた)の味噌漬や、ナメコの三杯酢に舌鼓を打つた ことがあり、今でも折々たべてみたくなるけれども、あの地酒のまづさを想ひ、それらの食物の東北らしい淋しい色合ひを想ふと、背筋が寒くなつて来て、再び 彼の地へ行つてみようと云ふ気にはなれない。が、東京の所謂「オツなもの」を並べた食膳の色彩も、それと幾ばくの差があるかと云ひたい。

*  今日の東北や東京を語っているのでは無い。八十年の余も以前の感想であるから、どうか癇癪を起こさないで欲しい。そしてその上で今、福島原発の惨状から もつらつら思んみれば、福島と東京はなにも遠隔地ではなく、放射能はかんたんに東京全域をいまも侵し続けている。目に見えないから気に懸けない人が多いだ けの話、現実に福島原発の「地元」とは、原発近在の市町村ないし福島一県に限る道理なく、東北はむろん茨城、千葉、埼玉、東京という関東地区も、こと原発の 危害、放射線による人体内部被曝の危険からすれば、全く同じ「地元」同士なのである。
 はからずもそういうことへも視野をひろげて警戒せねばと思った。たし かに東京は東北への大玄関なのだ。「上野発の夜行列車降りたときから青森駅は雪の中」と歌手は歌ってきた。それならそれで東京の政治は、東京人は、東北の、福島の、宮城 の、茨城の人たちの今が今の原発や震災・津波ゆえの苦しみにもっと親身であって当然だ。

* ACTAに関する厖大量のメールが二通、昨日と含めて三通届いた。ざっと見て容易ならぬ事態と思う。が、明日の築地通院を控えて用意などあり、熟読できない。明日を見送ってからと思う。


* 九月六日 木

* 体重64.7kg 血圧113-66(69)  血糖値 93   朝、 黄桃一つ ルビーロマン二粒 餅二つ 服薬   体違和無し  今晩まで抗癌剤
服用 十一時聖路加腫瘍内科診察  血液の諸データ相応の副作用をみせているが急を告げる程でない 貧血が今後も続きそうだが、今より強度になった場合は 月一度のビタミン点滴で優に凌げるだろうと。痛みも出血もなく、摂食障害だけが顕著な現状、重だるい体感が始終あるだけで他に体調の不良も悪化も自覚して いない。自覚しても凌いでいる。明日から一週間の休薬になり、また相応に少し回復があるだろう。
 二時ちかく、処方の抗癌剤次の二週間分を薬局で受けとり。さて食べなくてはいけないが。鮓の福音はもう暖簾を巻いていた。銀座で地下鉄を降り、さていろ いろと思い巡らしていたが店の前まで来ると、食べられないだろうと通り過ぎる。パンの木村屋で小粒の餡入りを五種買って、結局地下鉄に。インシュリンを打 ち、パン一つを車内で行儀悪く食べ、各種の薬を飲んだ。池袋でおり、また食餌のいろいろを思いつつ西武の八階に渋々あがってみた。日本料理の店先に「松茸 御膳」を見つけて店に入った。食べられたのは、土瓶蒸しの汁、辛うじて茶碗蒸し、赤出汁、デザートのくず餅。揚げ物はただ苦く、名ばかりの松茸飯もダメ。 要するに汁けのものだけ口にして退散した。この調子では、店にはいって食べるということに極端に臆病になってしまう。先日麹町「登龍」にとびこんで食べた 北京ダックとすっぽんのスープのような美味い出逢いが、宝くじ当選のように想われる。
 保谷駅で梨を買って帰った。冷えた水けの果実をせいぜい食べよう。服薬のために強いて食べた飯がまずく、葡萄の巨峰、ルビーロマンに救われた。今期最後 の抗癌剤をのみ、その他ナンパオやスッポンのカブセルや、アリナミンを呑んだ。疲れに堪えられず潰れるように宵寝した。ものすごい喉元の苛烈な苦みに目覚 めを強いられた。胃は無いので胃酸ではなく、食道へ直結した小腸から逆流してくる胆汁だと教わってきた。すこし枕を高くしてとも。理由が分かると、それは 当然だなと納得する。

* 病院でも電車でも、平凡社から届いていた文庫本のゲラを読んでいた。得意の話題、若かりし日の筆力、推察力、批評力の面白い産物に、筆者のわたしが、驚いた。これなら、来る「喜寿」の恰好の記念になる。平凡社に感謝。
 「湖の本」をはじめて、十巻も続くものかと陰口を叩かれたのが、今度の新刊で、継続二十六年 を超え、百十三巻である。だが、そうなればなるで出版社は、母港である筑摩書房ですら、もうわたしに見向きもしなくなった。そんな状況で、今回平凡社が自 社でこの本をと選んで文庫本を出してくれると提案してくれたのには、嬉しいよりも、さきに、吃驚した。ふっと胸が明るくなった。眼科病棟へ三度目の入院 直前のことだった。

* ADSLから本機が切れてしまっていて、機械が「遅い」こと甚だしい。しかしどうすれば無事つなぎ直せるのかが分からない。スキャナは幸い繋がった が、プリンターも、繋いでみると勝手にとめどなく同じものを吐きだしてきて手に負えな。不便で往生しているが。ま、機械とはそんなものか。

* 政局は、民主、自民の代表、総裁選びで騒いでいる。
 民主党のやっていることは、もはや「国民」「民意」を土足で踏みつけながら、ふてぶてしいまで野田総理の暴行が続いている。原発、 ACTAの言論の自 由という憲法の蹂躙、国会無視。もう極まれり。ただただ、野田内閣がもう二度と組閣されないように、せめてそれだけが叶うなら、若い細野でも女の田中真紀 子でも善いと思う。仙石系の、原発が無ければ「日本は集団自殺」だなどと世迷い言をほざいた連中は絶対に許せない。無軌道で垂れ流しのままの原発の林立や稼働でこそ「日本は集団自殺」に追い込まれるのだ、分からないのか。
 細野大臣は、口で勇ましげにまっとうを言っているようでいて、再三腰砕けに弱いところを見せてきたのを案ずる。未知数だが田中真紀子で盛り上がるなら、それも面白い。以前の、若い総務大臣でもいい。なにしろ野田内閣を二度と見たくない。
 自民党では、いまの総裁は、どうしてこんなのが総裁なんだととうの昔から思ってきたほど、トンチンカン。それが前回の総理問責に同調の珍光景に露呈し た。その意味では、石原も、かなり言いっぱなしの腰砕けを、過去から現在まで再三みせてきたのが気になる。口だけ勇ましい老害老たちの坊やである。石破茂は、よくここま で成り上がってきたと思う。野に置いておいた方が無難な、どこかに剣呑な本音を隠していて、日本国を謬りかねない。

* それよりも、それそれ出てきた、森本防衛大臣の化けの皮。むかしからこういう考えの男だと最もウサンくさい評論家の一人と嫌ってきたが、今度の「原発 必要論」の危なさ。核武器製造の不可欠な設備という認識は、この男なら必ず胸に抱いていると察しながら爪弾いてきたが、ついに本音が出てきた。物騒きわま る、野田の失政人事である。理の当然のように持ち出した論法、何が本当の狙いかを露呈した。
 オスプレイに一度だけ乗っかって、「安全・快適」を吹聴する理屈のええかげんさにも、失笑。
 経団連会長、民主党の野田、仙石。こういう鉄面皮な原発推進の論者に、政治・経済を預けたくない。

* なんだか胸の底まで汚れてきた気がする。

 ☆ 和漢朗詠集 より 「水」

 辺城の牧馬は連(しき)りに嘶(いなな)いて 平沙眇眇たり
 江路の征帆は尽(ことごと)く去つて 遠岸蒼蒼たり      暁賦

 洲(す)芳(かんば)しうして杜若(とじやく)心(しん)を抽(ぬ)くこと長し
 沙(すな)暖かにして鴛鴦(ゑんあう)翅(つばさ)を敷いて眠る    白楽天

* 少しく思いの静まるを覚える。

* 嗚呼

 ☆ あきらめません
 みづうみ、お元気ですか。
 ACTAは、本日衆院で強行採決されてしまいました。外国との条約批准を、野党欠席のまま、たったの四分で強行採決です。民主主義に対する暴挙です。
 もしこの条約が動きだせば、インターネットはおしまいです。個人のツィッターまで潰されます。情報は政府の望むようにしか流されない社会が到来します。
 民主党議員の中にも反対者はいましたが、多勢に無勢。ACTAがどんなに危険なものかもしらぬ愚かな議員たちも多かったと聞きます。典型的ノンポリ人間 だった私でさえ、生まれて初めて議員事務所に反対の電話をするという必死のあがきをしましたが、どうなるものでもありません。
 この政権は最悪です。
 欧州議会は圧倒的多数で否決したというのに、日本はACTAについて国民には何も知らせず、だまし討ちとしか言いようがない卑怯なやり方で批准しまし た。それを支えたのが新聞テレビの大手メディアです。報道管制をしいていたのでしょうか。インターネットをつぶすことで、斜陽になりつつある自分たちの力 を取り戻せるとでも考えたのでしょうか。新聞テレビが信頼を失ったのは、真実を報道しないせいだということもわからないのです。
 
 しかし、まだ希望を棄ててはいません。決してあきらめてはいけないと思います。どんな小さな力でも抵抗しなくては、将来人間らしい生活ができなくなります。特高や治安維持法の復活を望まないひとは、どうか闘ってほしいと思います。
 ACTAを発効するためには最低6か国の批准が必要です。他国が良識ある議会運営であることを切に切に祈ります。そして、「ACTA脱退運動」を国民の力で成功させるのです。「CTAのあとに秘密保全法までが成立してしまえば、日本は、原発を続けるために、放射能汚染を隠蔽するために、言論を徹底的に封殺する、北朝鮮よりひどいファシズム国家となるでし           取り急ぎ      藁砧とんとんと鳴りこつこつと  素十

* 日本丸はまさしく「危険水域」に入った。


* 九月七日 金

* 体重65.9kg 血圧97-55(63)  血糖値 95   朝、葡萄ルビーロマン三粒、飯一膳 ヤクルト、青汁など 服薬 今朝から一週間の休薬 体違和をとくには覚えない。午前、仕事。昼、巨峰と半膳飯程度で、 さして食べず。ことに今日は視野曖昧、困惑。そして疲労時間を追って加わる。それでも自転車で夕刻近く、駅前通の文房具店まで用事で。疲れて、寝入る。夕 食、味濃く煮付けた牛肉と飯一膳。

* 若さ故ともいえる決断力不足が気弱げな表情にもみえる民主党代表候補に取りざたの細野環境大臣は、おそらく野田陣営のありとあらゆる脅しと甘言との前 に撃沈されるのではないか。第一、生死を賭してと言う第一が福島の復興とは気宇がちいさい。根は原発と電力企業の悪辣にある。それを討たずして何が福島の 復興か。福島に原発被害からの回復がすすんでいるかに政府や原発擁護派が言い散らすウソはこれからの時間がきっと証明してくるだろう。放射能は、そんなに 甘い物ではなく、至る所のあらゆるものにこびりついて人体の内部へ潜入し蓄積される。内部被曝というおそろしさが、具体味を帯びて病害を発露し始めるのは もう数年先になるだろう。福島の復興に命を賭けるなら、原発危害を看過していては話にならぬ。
 立て、細野大臣。野田総理を撃沈せよ。それが国民の生活第一という本来の党是を再生させる。

* 本機の「遅さ」にゲンナリする。なにかしら配線をわたしが間違えているのだろう。ADSL自体はランプもついていて、問題なげにみえるのだが。
 配線をいじくったら惨憺たる「遅さ」 悲鳴を上げ辛うじてモトへ戻して、「遅さ」ももとへ戻った。なんだか「早く」なったような。錯覚であろう。とにかくも機械のなかの整理に相当時間を割いているが、これまた病状を忘れさせる。それがいいこと。

* 今月の表紙にかかげた小林古径画は正しくは「菓子」という題。もともと果物を意味していた。桃山頃の茶会記にもよく「菓子」と出てくるが、今日で謂うお菓子、茶菓子とは異なっている。
 それにしても何という佳い繪だろう。何という美しさか。こういう佳さ美しさに支えられている。ありがたい。

* 二階のみじかい廊下の奥に仕事場・機械場があり、木のドアと踏み込みを九十度角にはさんで襖戸がある。
 外の木のドアに、今は上村淳之の花鳥小品と現代書家たちのかながきの歌など書いた書とが上下に入ったカレンダーを懸けている、が。その諸作の方にわたし はきつい不満をもっている。気随に漢字を万葉仮名ふうに用いながらの書の力、魅力がまるきり感じられない。「現代」書家がこんな読みづらい読めない、なに より美しさの感じられない貧相な仮名書きに自儘をしているのは、頭から読み手を無視しているのだ。読めるなら読んでみろといういやらしさ。
 光文社の知恵の森文庫で「古美術読本」という何冊かが出ていて、わたしはその二冊目の『書蹟』巻を編輯している。岡倉天心、幸田露伴、会津八一ら十八氏 の書への蘊蓄や謦咳の文を取りあつめた。それらの書に寄せた気概と実際の「現代書家」のひ弱な仮名書きとの落差が、あまりに寂しい。「古美術読本」は、陶 磁(芝木好子)、書蹟(秦恒平)、庭園(竹西寛子)、建築(大庭みな子)、絵画(辻邦生)、仏像(大岡信)各編輯の六冊。すぐれた先人達の気合い鋭いまこ とのエッセイに多く出会われるだろう、興味を寄せて欲しい。

* 予言はしたくなかったが、やはり予言通り細野環境大臣は野田との会見でまんまと潰されてきた。野田総理は硬軟二つの手を用いたのであろうか。一つは大 臣を辞めて貰うと。もう一つは「次は君だ、その機はきっと支持する」と。もしこれが事実か事実に近いなら、それに屈してきた(かと想像できる)細野という 男は前途を喪ったに同じい。こんな決断力の無い未来の総理はお断りだ。
 出来れば彼に丁重に出馬要請した若手議員等の思い切った離党を期待する。所詮民主党の儘で諸君に選挙の勝ち目は無いのだから。

 ☆ 前略
 最近、やっといくらか平常に近い気特にもなって、「私語の刻」 の今年の三回をまとめて読みました。それから妻のインターネットで最近のご文章をいくらか拝見しました。大きな手術の後の耐え難い連日の暑さにご養生の大変さを想像しています。
 私のほうは今年のはじめから六月までの原稿で消耗し、この月の半ばに校正を終えましたが、今回は筆も進まず最後は精も根も使い果たした感じで思い悩むば かりでしたが、終った後は何をする気力もなく(手紙すら書けず)無気力に居眠りを繰り返し、遠くの空をぼんやり眺めて過ぎました。
 そして、今頃やっと、気にかけていたお手紙を書き始めました。
 それでも春には、気分転換で中断して、(島崎藤村の=)『エトランゼエ』に出てくる宮代青年のことを尋ねて、暁星学園の同窓会事務局や、「暁星」という校誌(そこに同窓会欄もあります)を読みに上智大学の図書館を訪ねたりしました。
 暁星を訪ねたのは、藤村が作品中で多少とも宮代青年の学生時代を知っていると言うパリ在住の小柴画伯について書いていて、小柴が暁星の出身者だったから ですが、結局、暁星を出た宮代四之介(小柴の三年後輩)という青年がその人だと思いました。この仕事は九段や四谷と出歩くことが多かったのですが、早春の ことでもあり、気持ちのよい日々でした。というより一つ一つ事実が判ってきたのが楽しかったのでしょう。古い戸籍などを尋ねてお墓参りもできるようになる のが夢ですが、残念ながらそれほどの時間も残されていないように思います。
 連日、蝉の声に囲まれて、早朝から夢を破られていますが、気のせいか、いつもは道端に数多いむくろも今年は少ない気がします。長い雨のせいだったのか、極端な暑さのせいで地上に出るのが遅かったのかもしれません。
 この何年か、時折、シヤー、シヤーというクマゼミの声を聞くようになった気がします。佐多稲子さんが長崎の夏の思い出に書いていましたが、南国の蝉を関 東で聞くようになったのも温暖化熱帯化のせいでしょうか。子どもの頃初夏の頃にいたマツゼミ(春ゼミ)はまったく見なくなりました。
 この日曜、初めて、赤蜻蛉を見ました。見上げると空は秋の雲です。

 どうぞお大切にご養生ください。
 九月の末になりましたら研究誌をお送りできるでしょう。「小説「夏草」の周辺−『女学雑誌』での位置づけ」という題です。ご笑覧ください。
 少しずつ 「湖の本」も読み始めました (一一二)。「部分読み」されながら……とありましたように、私も「お墓の問題」から読み始めています。

 白露といふ秋もなく国荒みけり   (去年の秋の句です)
     八月三十一日      
  秦 恒平先生

* 「国荒み」果てた今しも、こう清清とした心事の書かれてある書簡には、胸の奥まで洗われる。わたしは斯く久しいよい友に恵まれている。

* 先の旧親機の故障で、大勢の方のメールアドレスも住所氏名も消失した。親しい人にもメールも手紙も出せなくなっている。この新親機に残存していた方も むろん多いが、不運にしてデータを消失させた方からは、メールなり住所なりを新たに頂戴しないと連絡の糸は切れる。余儀ない機械の故障であった。このこと だけを申し上げておく。

* きわどく湖の本113最後の一部念校がファックスで届いて、読みにくいファックス文字を追っていた。明日責了便を送り返せる。
 まだ平凡社ゲラの読みが半ば残っているのも、先方さんのためにも急ぎたい。これで、けっこう忙しい。
 宛名シール印刷不能の問題も、妻が読者、大学高校贈呈分の全部をパソコン用に打ち直し、夕方わたしが買ってきた宛名シールに試行的に印刷を始めるところまで漕ぎ着けた。妻はたいへんな労力をかけた。感謝。ご苦労さん。


* 九月八日 土

* 体重65.4kg 血圧109-58(74)  血糖値 96   朝、飯に味噌汁かけ、アミや刻み塩昆布まぜて 服薬各種 下腹部に重み感じる程度 体調は普通 どんよりして疲労に似た体感は常に払拭されない。貧血ゆえ か。午後東工大の昔から仲良くしてきた卒業生が訪ねてくれ、数時間もコンピュータ四台の環境調整をしてくれた。その間ひたと側にいたが、体違和は何も感じ なかった。夜食はだが、巨峰三粒と、さて何を食しえたやら。食後排便。体感普通。どよんとはしているが。

* 午後に、卒業生の林イチロー君が機械の様子を点検に遠くから来てくれることに。有難いこと、恐縮。家の中のとっちらかっているのに驚かれるだろう。正直、座れる場所も無い。湖の本発送前はとくに雑然騒然としてしまう狭い我が家である。

* 東洋文庫の「捜神録」には、実に多彩に怪力乱神が語られている。孔子等が「君子は怪力乱神を語らず」と謂っていたのは、正反対のことが世に行われていた からだと編者は言い、信じられないほどの奇怪な現象や人事や騒動が、いかにも面白げに書き留められている。これがいわゆる「志怪小説」そのものであり、わ れわれのいわゆる「小説」のもはや疎んじてばかりいられない、出発点となった。
 そんな文学史はこの際の要点ではなく、この頃の日本の社会に、大学生が幼い女の子を鞄に押し込め性犯罪目的で誘拐拉致しようとしたり、そのたぐいの異様 な殺傷行為もまさしく氾濫気味に日々報道されている。「捜神録」に倣って謂うなら、どこかでこういう乱暴や陰険や犯罪や騒乱の種になる政治や経済の奇怪現象や事故が起 きていることの反映なのだと謂うことになる。大地震も大津波も原発の爆発も、政治の不誠実な停頓や混乱や欺瞞も、東電など儲け主義者たちの悪辣も、それら が拠って以て人心の制御不能の暴発などを招いているのだと謂うしかない。
 中国では、幼い子が自動車に轢かれままた再び轢かれて路上に倒れていても、平然と、見向きだもせず真側を人が、親子連れも、大人も、車も、通り過ぎて誰 一人も倒れて瀕死の女の子を助けようとしない「ニュース映像」を目の当たりに見せられた。肌に粟立ち、よそながら恥ずかしい極みであった。
 何故こんなことが。中国の政策が しからしめたのであり、国民は二人と子をなしてはならない、産めば一人は殺処分も勧められていた。死にかけた余分な者は死んでしまえばよいという政策に、 国民は同調せざるをえない。かくて上のような凄惨な酷薄な光景が実現していた。「捜神録」の昔の紳士たちなら、国の滅びる前兆だと理会し書記して世に警告 していただろう。
 日本でもそういう事態にさしかかっていること、凶暴で無差別な事件多発が指さしている。

* 敢えてしていた機械内容の過剰な重複を整理し、機械を「軽く」しようと今しも努めている。新鋭とも呼べる機械から、内容が多すぎると警告されたりする。新子機が本機なみに稼働してくれたら助かるが。

* 湖の本113 全責了。

* 目が、霞んで困る。すこし休む。休みながら身辺少しだけ片づける。キッチンが仕事場にされ、大混雑なのを少しは整理し、食卓を物置から改め、せめて食卓らしく用いたいが、はてさて。

* なんという嬉しいことだろう、卒業生、四十歳の林君が、療養中を押してはるばる訪ねてくれた、立派なメロンまでお土産にして。それから先がたいへんな ご苦労で、くるくる回る椅子を中心に、四台の機械を次々に点検し環境をかえ、弱っていたプリンタなどもすっかり直してくれた、というより私の機械音痴ぶり を訂正していってくれた。
 何よりも古い古い故障機械の生きているのを確認して、二つ入っていたハードデスクの中身を新機に、すっかり、時間懸けて救命救出 してくれた。これで、やはり卒業生の布谷君がてづから組み立ててくれた十年も愛用の旧親機は、最期の日を迎えた。ディスプレイはもう役に立たなかった。
 これからは、ノートパソコンと、買って真新しいDEL機と、建日子が買ってくれた軽量の優秀機とをせいぜい効果在るように使い分けて行く。
 原稿用紙の昔は、 ほとんど喫茶店で、時には取材先の病院で原稿用紙に小説を書いていた。機械に転じてからはもう家から外へ出て原稿は書けないものと諦めていたが、林君の指 導と建日子の応援とで、どうやらまた喫茶店で小説やホームページ原稿が書けそうです 生きて行く三台の機械を大事に使いたい。

 * 林君 心よりお礼申します。 
 
療養中を押して遠路訪ねてくださりそれだけでも嬉しかったのに、長時間をかけて機械環境を大幅に改善してくださり、喪ったと諦めていたも のを沢山救命して下さった。さぞ疲れたろうと、何のお構いもしなかったのを、事情余儀ないにしても半ば悔いています。そのうえに立派な一顆の名菓頂戴し、 恐縮の極みです。いつかお返しをしなくてはと願っています。
これから機械の新環境に慣れてゆきたい、それが闘病の応援になろう事必定で、有難いことです。そうとう全身に疲労と弛緩とが訪れていても、機械に向かっていると忘れています。

またいろいろ教えて下さい。遠隔操作とか言われていましたが、それにも手順手続きなどあるのかなと、分からぬままに、思っています。
ツイートに関連して、原発のことなども林君の言葉として色々聞けたのは嬉しい収穫でした。

どうか、元気になられ、旺盛に食もよみがえり、気力体力ともに楽しみのもとに復帰発揮して下さることを切望しています。わたしも、心身のマグマを元気に抱いて、喜寿を傘寿へと、ともあれゆっくりとでも歩んで行きたい。

お元気で、イチロー君。ありがとう、林君。また会いましょう。ご家族の平安を祈ります。   秦 恒平

* 学部の頃、彼、林君は200単位の余も取得する猛者で、まだ日本にいて200安打を超えていったイチローによそえてわたしは林君をイチロー呼ばわりしていたのが懐かしい。
 あれからもう二十年にやがてなろうという、今の企業生活はなかなか厳しいらしい。それは彼の属する大企業だけがそうではなく、日本丸という国家の船が傾いでいるのだ、昨今ひどく目立つ国家社会のよろよろ兆候に余儀なく同調し苦闘しているのだろう。
 原発についても、彼は彼の質実な言葉で適確にわたしにも伝わる批評や批判を聴かせてくれた。
 ツイッターに関しても、よく人を選んで「つぶやき」を聴いていると、指導され教育される貴重な意見に接しますよと。東大の上野千鶴子教授が、「秦さんも ツイートなさればいいのに」と以前に言われていたが、意味も意義もまるで分からなかったが。先ず、林君に教わって、どういう人の「ツイート」を聴くがいい か、聴いてみたくなった。

 ☆ どうぞお大事に
 秦 恒平様  久しぶりに「私語の刻」拝見し、近況を知って胸ふさがる思いでおります。
 やっぱり抗がん剤治療は本当にしんどそうで辛いのですが、お書きになっていることが政治の状況を含め、冴えわたっている感じで驚きです。
 実は一度お目にかかれたらなとずっと思っていたのですが、まだ時間がかかりそうですね。しかし、必ず良くなると思いますので頑張ってください。
 小生は相変わらずの仕事の無間地獄にはまっています。とくにこの春から河出書房の手伝い仕事をしていたので、とにかく大変でした。いつまで続くかわから なかった個人事業主の仕事ですが、九月末の契約更改を前に、あと半年ぐらいというのが見えてきました。愛着してきた仕事が終われば、少なくとももっと頻繁 に「私語の刻」は読めると思います。終わることがさびしくもあり、自分の仕事にかかれるという嬉しさもありという心境です。
 機械の故障でメールアドレスなどが失われたとのこと、とりあえず記録に残していただければと書いてみました。
 ちなみに小生の体重は最近67キロぐらいになっています。  

* 彼、「吉」さんとは、体重を減らす競争を挑み合いながら、わたしはいっこうに減らせないでいた。最大で86.6キロはあった。余儀ない病気発 見、胃全摘その他三度もの手術や入院を経て、今日夜の入浴後体重は、65.9キロだった。1キロほど先へ行ったが、これはまったく勝負にはならない。自力と 意志づよさで67キロは、敬服する。
 いつも会いたい人である。酒が飲めない、食べられない、珈琲やジュースなども口にも入らないのでは、なあ。



* 九月九日 日 重陽

* 体重65.3kg 血圧114-61(65)  血糖値 93  体重65.3kg  朝、巨峰七粒 飯半膳だけ 服薬 枕高くしてから胆汁の溯上無い 体違和平静

* 倒れてきては物騒千万だが寝床に接するほど近くに、全部で五十ほども抽斗のある棹棚が四列並んでいて、どの抽斗も何がなにやら満杯で、早く整理してくれ と呼んでいる。体を起こして気まぐれに抽斗を引いてみると記憶に遠く漏れていた妙なものが出てきて、それなりにおやおやと面白い。今朝はこんなのを見つけ た。前句付けの雑俳。なんとなくヒマをみて試みたか、前世紀末らしい。

(オット ドッコイ 
オット ドッコイ
  野茂 ヤハラ イチローもゐるぞ世紀末

(それは危ない それは危ない)
  スクイズをしたが二度までファウルなり

(やめて下され やめて下され)
  帰り度い部下をネチネチ誘ふヤツ

(言ってやりたい 言ってやりたい)
  いぢめてる児がしらじらといい子ぶる

 ほんの息抜きのらくがきだったろう。それでも戸棚に投げ込まれていた。新世紀になって十二年。敬愛していた野茂投手も柔道の田村亮子も現役を退いて久し いが、イチロー君はヤンキース・ベンチの「いじめ」にも似た打順や起用にめげたふうもなく、健闘している。来シーズンはもっとまともに起用してくれるチームへ移籍 して欲しいぐらい。
 こんなのは前狗付けを適当に作り立てておいて、気ままに付け句を添えるといい、自然と出来てくる。

(なんぢゃこれ なんぢゃこれ)
  嘘に嘘 積んで儲けの原発屋

 メモ書き最後の「いい子ぶる」一句は、永遠相かも知れぬ。古川柳にこんなのがある。辛辣にやや過ぎているか。

  美しひ顔より(  )が見事也 古川柳

 虫食いの漢字一字、入れてみて下さい。

* 午後に俳優座稽古場でのチェーホフ「かもめ」を観にゆく。
 稽古場公演は密度濃く観てとれて楽しい。どうか満たしてもらいたい、感動を胸に。

* 強烈な日盛りの正午に家を出た。バスは待ちかね、来合わせたタクシーで駅へ。六本木の俳優座劇場稽古場へは一時十五分に
入った。とても見やすい三列目の通路脇をもらった。
 「かもめ」を何度か観てきたが、今日の稽古場のがいちばん明瞭に内容を伝えて感銘を誘った。
 舞台、演出が効果的に巧みで、場面の転換を正確に伝えてく れた。美学藝術学的な場面や台詞が静かに胸にしみて、作家の私としてはチェーホフの作意の或意味の苦々しさや難しさが面白く分かりよく活かされてい た。誰もかもが幸せで無く、そのうちの誰かはけっこうずるく、誰かは恋の哀れに泣き、誰かは遁れようのない名声欲にとりひしがれ、誰かはひたすら孤独で あった。チェーホフ世界はそういう人間の鬱屈や絶望を抱き込んでいて、死の影も容赦なく襲ってくる。
 俳優達の誰がどうこうということは、今日の舞台では二の次である。トレーブレフが、ニーナが、トリゴーリンが。ソーリンが、ドルーンが、アルカジーナ が、マーシャやポリーナやメドヴェジェンコやシャムラーエフが、どんな運命と人生に喘ぎまた諦めまた安く誤魔化しながら生きているかがくっきり見える舞台 であったからは、ほぼ立派に及第点。
 チェーホフの舞台劇の主要名作をすべて熟読し、いまは妻のクニッペルに宛てた夥しい書簡をわたしは愛読してい る。そのことも観劇にいい視座をあたえてくれていた。
 からだはかなりバテていたのだが、持ちこたえた。だが練馬駅の構内で何度も入っている鮓店に立ち寄ってはみたものの、注文した鮓種も純米酒も苦くて味無 くて尽くダメ。妻の注文分についてきた茶碗蒸しと味噌汁だけに「味」が有った。そして食後貧血はことにひどく、立つと目の前が暗くなった。血の気の引いて 行くのが分かった。
 保谷駅からは幸い五六分でタクシーが来てくれた。

* 平清盛は浄海入道となり今の神戸、福原の港を大きく修築し、孰れは平氏の構えた新都として遷都を考えた。結果的には成功しないが、彼の意図は、海を手 中にして宋との交易利に基づいた新たな国作りを実現し、武士を頂に立たせようと。
 源氏の頼朝が武士の世を建てたのではなかった、平氏の清盛の構想を頼朝 は、制度的に踏襲したのだ。彼には守護、地頭といった制度こそ武士支配の国土観から必至であったが、宋との交易などという、土地支配とは異質な発想は出来 なかった。清盛には日本の土地は狭く限界は険しい。海に囲まれているからだ。清盛・浄海の眼には「海」の道が見えていた。
 国宝の「猿図」があり、それは宋の画家の作かと伝来されていた。ところがその猿は明瞭に日本猿であり、青森辺を北限に日本国にしか棲息しない。「この絵の猿は日本猿だよ」と指摘されて学者達を狼狽させたのは、今日平成の天皇が皇太子時代のエピソードであった。
 ところが、当時十二世紀半ばの日本の絵師たちに、現存する「猿図」の猿のような表現・繪心は実在しなかった。鳥獣戯画の猿のようにしか、猿を画面いっぱい に精緻に写実的には描けなかった。だが宋の画家にはそれらを得手とする著名な画家たちが実在し、だからこそ由緒書きの「伝」は、特定の宋画家の名を絵に添えてきた。 だが宋時代の中国に「日本猿」はいなかった。皇太子の指摘をうけた学者達は、日本猿を宋に運んで描いて貰ったという説明を思いついた。
 これは嗤うべきこじつけか。
 いやいや、宋との往来は、平清盛らにとっては、ま、朝飯前。しかしわざわざ「猿図」を何でと思う人はあろうが、当時は日吉信 仰の真っ盛り期だった。ことに後白河院。清盛が手配して日本猿を宋に送って作画を依頼し、その成果を後白河院に献じるなどは、なんの造作も無い。そううこ とが清盛には出来た。頼朝等はそんな真似はしなかった、出来なかった。
 上のエビソードを起点にわたしが東洋の『猿の遠景』を書いたのは、もう四半世紀も以前のことだ。

* つづいて、秦建日子脚本の連ドラ「サマーレスキュー 天空の診療所」を観た。検事や刑事や人殺しがひしめき合うテレビドラマの世界では一服の清涼剤のように清々しいのが、父親からの褒美。それでよい。心ゆく仕事をして欲しい。

* 今日観てきた「かもめ」の中で、売れっ子作家のトリーゴーリンには、作中、「上手に書く、しかしツルケーネフやトルストイにははるかに及ばない」とレッテルが 貼られている。
 トリゴーリンの創作は、ただもう思いつきの継ぎ接ぎで面白づくに書かれているらしいことは、ちいさな属目や人の言葉からの着想をこまめなメ モ書きしていることで分かる。おそらく彼は、彼自身の内面から噴出する主題や動機を持っていないのだ。おもしろく上手に書けるけれど、所詮トルストイに は、ツルゲーネフには立ち向かえないのだ。
 読み物の売れっ子作家には、藝術文学に遠く及ばぬ軽薄がつきまとって臭みのように離れない。我が命のいたみやよ ろこびから噴き出すような必然味が薄く軽く、要するにメモばかりに頼った思いつきの作しか書かない・書けないのだ。
 トリゴーリンにしかなれないのでは情けない。ツルゲーネフやトルストイになって欲しい。建日子は、幼かった頃、ツルゲーネフの「初恋」や「父と子」を読んで感心していた。なつかしくそれをわたしは思い出す。

* さ、今度は、韓国製の超連続ドラマ、気に入っている「イ・サン」を観に階下へおりる。仁政の善政の苦難の王を描いている。悪政にうんざりしているときの、これも清涼剤。



* 九月十日 月 

* 体重65.1kg 血圧101-57(69)  血糖値 93  体重65.1kg  朝、バナナ一本 葡萄ルビーロマン二粒 ミルク半カップだけ 服薬
 心気は普通 体感は脆弱。白髪茫茫、鏡中の幽霊は誰そ。
 今日は二時半ごろから歯科治療に出かけねばならぬ。日射のすこしでも陰るのを願う。
 本発送の用意は進まない。仕方が無い、ゆるゆると。もう一週間もすると出来本が届きそう。とまれ、成るままに成ればよし。天下の急務ではない。
 それより週末十五日の新橋演舞場の昼夜通しの観劇を楽しく迎えたい。染五郎代役に建部源三予定だった吉右衛門が松王丸を演じる。これが前評判すばらしい と聴いている。建部は梅玉が立つと。これも楽しみ。吉右衛門は河内山宗俊と夜の武智光秀の三役ご苦労さま。梅玉も昼夜に三役、期待してい る。なによりも休薬明け、十四日からまた抗癌剤の入るその翌日の昼夜の観劇、はたして体力如何。それも舞台の映えに依る。父芝翫を偲ぶ福助の大切り「道 成寺」に注目したい。
 明後日十二日は上村淳之傘寿の祝賀がある。記念展の高島屋で。傘寿まではわたしはもう三年。妻とお祝いかたがたあやかりに行こうかと。
 十八日に眼科診療、その翌日には保谷市のホールへ来る坂東三津五郎独り芝居が晩にある。
 二十四日には、糖尿病と感染症二科の診察を受けにゆき、二十六日夜には舞踊の藤間会に妻と出かける。顔ぶれが多彩な祝賀ムード。染五郎の出ないのが一抹寂しいが。その日、歯科治療も受ける。
 ま、からだでの勝負を挑んでいるような過密スケジュール、大事を起こさぬようにしたい。

* 二時過ぎに家を出た。空気も燃えたようなギラギラの熱暑。それでもバス停がわずかに木陰になっていた。江古田からまたバスに乗る。江古田二丁目から歯 科医院まで、日陰を辛うじて縫うように。左下の歯から神経をぬく治療、事前にレントゲンを三枚。かすかに左奥の上下がしみる程度なのだが、虫歯もぐらぐら もいくらも有るらしい。お任せしますと。
 四十年余も、同じ歯科の父・娘先生に診てもらっている。
 帰路、江古田ですこしだけ遠回りしてブックオフへ。なぜだか前回立ち寄って「椿説弓張月」が無いかと聞きに立ち寄ったときから、岩波文庫が買いたくて堪 らなかった。「易経」上下巻、「後撰和歌集」「拾遺和歌集」「後拾遺和歌集」プーシキンの「大尉の娘」ツルゲーネフの「猟人日記」上下巻、都合八冊も買っ てきた。溜まりに溜まった本の整理に苦心しているのに新しい本が買いたくて読みたくて堪らないとは、これも病気か。呵々。気をつけないとまた眼を患いかね ない、一時に読む冊数を自制し抑制しないといけない。しかし買って帰った八冊はすぐにも読みふけりたく誘惑されている。後撰和歌集とロシアに文学を 勃興させたプーシキン晩年の最高傑作とされる「大尉の娘」に、もう、ウズウズしている。
 ついでにブックオフ近くの和菓子店で棒羊羹いろいろを買い、江古田駅前のマクドナルドで、食べられないかなと希望的観測のもとに、油で揚げたジャガイモのスティックLサイズを買い、さらに保谷駅でタネ無しピオーネ葡萄の房を買って帰った。
 医院の待合でも、行き帰りの西武線でも、平凡社のゲラをずんずん読んでいた。昨日の帰りほどでは無くても、グダグダにからだは暑さに参っていた。夕食 は、やっとこさ冷や飯半膳にチリメン山椒をふりかけただけ。期待のポテトスティックも苦くて食べられなかった。食べる食べ物のどれもこれもが苦くて苦くて 堪らぬとは、ほんと、情けない。

* 破損してはいなかったらしい旧親機の二つのデータベースからは、過去の仕事のほぼ全部が、DELLの新機に助け出されていた。ありがたし、ありがた し。但しもう重複して不要化している内容は、果敢に消去して行かねばならない。新機械の容量はギガを超えてなんとやら謂う単位になっていて、重 複も負担にはならないというから驚く。安心も出来る。
 ただ、この新機でまだメールは打ち出せない。パスワードをころっと忘れているからだ。しかし今の親機で はメールは可能。ただ、このメールに付属していたアドレスブックが助かっているかどうかが、現在すこし心許なく不明なまま。

* 松たか子の十月「ジェーン・エア」の日が決まったと事務所の通知が来た。
 十月には、昼夜に幸四郎と、団十郎の「勧進帳」弁慶の競演があり、こんな企画 にはめったに出逢えない。幸四郎弁慶に染五郎富樫が向き合えそうにないのが残念だが。怪我した彼、その後幸い順調に快復へ向かっているとも事務所は知 らせてくれている。よしよし。

* TVタックルで反原発と原発必要の双方が議論していた。そういう試みはいいし望ましいが、科学者も双方から加わって冷静に話し合って欲しい。今夜の必 要擁護論者の中には、「福島などマイナーな事故にすぎない」「福島原発は破壊していない」などの暴論をがなりたてるのが混じっていて、怒る前にシラケた。 こういう手合いは冷静で公正な議論など出来ない。人間としてそもそも失格している。

* そのあと石破茂自民総裁立候補者の弁を、古館キャスターの番組でじっくり聴いた。
 耳に逆らう暴言無く、ほぼ冷静沈着にな言葉を吐いていた。その言やよし、ただ現地現場に立って前言を紙屑のように翻されては迷惑だとは言っておく。
  ついでながら、続投への立候補を断念した谷垣総裁の政治生命、まずはこれまでとなったのは当然の酬いと言っておく。しかし、改めて話を聴くまでも無く、初 当選以来結局は野次馬にすぎなかった石原幹事長には期待を少しも持っていない。父離れも出来ていない甘えた姿勢が、党の長老への阿諛体質とともに、好かな い。政治より政局が好きなのでは。
 安倍は、難しい段階へ来て下痢をしつづけ内閣を投げ出した、根は弱虫の見せかけのタカ派。国政は任せられぬ。総理の夢を二度見たいだけの無責任者ではないのか。
 もう一人の町村。これは慇懃ぶった弁舌だけが能の本音不在、信念不在の権力志向者として、もともと、昔からうさんくさい代議士だと嫌ってきた。国民として信頼できる内容をもたずに、化けの皮だけをキザに着込んでいる。
 もう一人の林某については印象が無い。
 


* 九月十一日 火 

* 昨夜はつぶれるように寝入った。


* 
体重65.4kg 血圧107-59(64)  血糖値 91  体 重65.4kg  朝、バナナ半本 巨峰三粒 ポテトスティック数本 小羊羹一つ 中華風握り飯半分 服薬 心気体感ともに尋常。午前、横になって読書十五冊、さらに平凡社 文庫本の校正。昼、何を食べたとも。とにかく苦くて。午後も仕事、平凡社文庫本を責了に出来るまで読み切った。「後撰和歌集」の解説を読み、概略を頭に入れた。晩は、卵かけの飯を半膳、巨峰四粒、他は覚えぬまま、服薬。ズーンと体の芯が溶けたように気怠い。両腕は肘上の関節まで色素沈着で黒ずんでいる。晩、イラクとのサッカー試合など観て体感の重さをまぎらわす。

* 湯に浸かり、八犬伝、指輪物語、星を継ぐものを楽しんだ。湯の温度がからだの懈さを忘れさせてくれる。

* イラクとのサッカー戦、一対零でリードして前半を終えたところまで観た。前半の前半は押され通しだったが、幸いに一点とれて意気を盛り返していた。しかしイラクは強い。後半、すきを衝かれれば危ない。

* 「原発反対を言うヤツは国賊だ」言う者がいる。そういう手合いの仲間は、「福島などマイナーな災害に過ぎない」と恥じらいも無くテレビで叫ぶ。「原発 を無くしたら核爆弾が造れなくなる、国防はできなくなる」とも。人間としての感性も知性も喪い、儲け仕事に夢中なのだ、誰かが「経済軍国主義」と言ってい た。わたしの苦い思いも批判も、それだ



* 九月十二日 水 

* 体重64.8kg 血圧90-55(65)  血糖値 90   朝、牛肉の炒り付け ふりかけ海苔の飯一膳 焼酎猪口半杯 体感、表面軽く内に重懈い  昼は焼売二個 ふりかけ海苔の飯一膳   徐々にからだ怠くなる 

* 同志社の加藤千洋氏が瀬戸内の大島、伯方島 大三島を探るというので、少しく関わる興味があり観ていたが、「水軍」も「船」も「漁」もうわべをかすっ ただけで、この地域の歴史や伝説などには少しも触れてこないので失望した。伯方の古い塩づくりを再現していたところだけ、目がとまった。

* 大久保房男さんが「三田文学」に連載されている「戦前の文士と戦後の文士」をずっと読んでいる。今年の夏期号の、ごく頭に、
「他人からの干渉を出来得る限り排除し、自分の生きたいように生きようとしたのが日本の文士だと私は思っている。」「書きたくないことは書かぬばかりか、書きたいことはどんな障碍があっても書こうとしたのが昔(=近代の戦前)の文士だったのだ。」と書かれている。
 大久保さんの口や筆から、繰り返し聴いてきた。わたしが、これに共感しないわけがない、大久保さんに聴く以前から多くの戦前作家達の仕事ぶりを 通して全く同じ事を察知し共感し、自分もと憧れるほど願っていた。
 不十分かも知れないが、私の現在は大久保さんの書かれている通りを、かなり厳格に為して いるつもりだ。異様なことをしている気は無い、あたりまえのことと思っている。

* ところで、大久保さんの今回夏期号の表題は「書く文章・打つ文章・口述の文章」とある。何が言いたいか、題だけであらまし分かる。戦前の文士達にワー プロもパソコンも無かった。彼らの前にもしそれが登場していたら、経済がゆるすならけっこう当時の人も機械で打ち出した文章で傑作も書いたろうと想ってい る。無かっ
た物を念頭に、昔の作家達は手書きしていたと頑張るのは、少し滑稽である。明治になり、鉛筆や万年筆が出てきたとき、毛筆に拘泥した作家は、わ たしは多くなかったと想像している。漱石をはじめ海外体験のあった人と必ずしも限らず、ペンや万年筆を愛用して書いていた人は多く有り、タイプ ライターに興味を寄せた人もあった。もし時勢の必然として文章の書ける機械が現れていたなら、好奇心から、興味から、便利からとびついた人は、われわれの 時代が実 現していったと少しも変わらず気も手も働かした文士は必ずいたと考える。作家達の誰ならば手を出していたろうと推測してみるのもなかなか面白い。多作の可 能であった人、多作と速成を余儀なく求められた人たち、腱鞘炎などの人は、いやでも気が動いたに違いない、なにも戦前人間と戦後人間に生理的・心理的決定 差は無いのであり、 状況が自然に促せば、昔の人も今の人も同じ事である。違いを証明することの方が難しい。
 ばかばかしいと思うのは、もうよほど前になるが、「書家で、文芸家ではないけれど、石川九楊氏がワープロで書いた小説は認めない」と言っていたなど、小 説書きの何がわかって言うかと滑稽だった。大久保さんはこう引用している、「石川氏は筆触ではなく、筆蝕という独自の言葉を使っているのだが、思念 が筆蝕へと変り、筆蝕から点画ができ、点画から部首ができ、部首が集って文字ができ、文字から文学ができるのだが、ワープロは筆蝕から部首までのプロセス を無意味としたと言っている。」
 こんなfoolishな説は世にふたつとあるまい。わたしは、東芝製のワープロ第一号機を買い、ほとんど即日実用し始めて 岩波の「世界」に連載中の『最上徳内』を途中からワープロ書きに換えたのだが、石川氏はこの小説のどの箇所までは手書き、どの箇所からワープロ書きと見分 けられるか、試みて欲しい。当時も今までも、誰一人からもそれを指摘されたことは無い。「文体」という固有の指紋のようなものを持った作家なら、手であろ うが機械であろうが、藝術性を損なうような差異は出さない。石川氏が、我田引水の珍説で畑違いの小説論をはじめたとき、ほぼ即座にわたしは反論しておい た。大久保さんも石川氏の「この説は漢字文化圏のもので、表音文字で書く文章には関係ない」ものとされている。
 「書く文章と打つ文章」に差を出してしまうのは「文体」を持たない・持てない物書きにはあるやもしれないが、まともな作家には、意図して差を創作してみたい場合以外には、ありえない。
 「口述の文章」には経験が無いので触れないが、文学といえども根は口承に始まっている。それを併せ思って欲しい。大久保さんの恩師である折口信夫の文学論は根に、口承やそれ以前の原初の藝能論を置いている。「口述の文章」は意外に興趣ある文学論を生み出すだろう。

* どうしてるかなあといつも噂していた亡きやす香の一のお友達から、声が届いた。情け深い声。放映関連のお勤めは、さぞ忙しくさぞ興味深くもあるのだろ うなと想ってきた。夫君の海外留学は以前から決まっていたと聞いていた。新婚さんが半年でもべつに暮らすのはさびしいことでしょう、が、持ち前のがんばり と明るさで乗り切ると思っている。
 やす香が今ももし元気でいてくれたら、何を励みに力づよく生きていたろうか。国連職員になりたいと言っていた。ならせてやりたかった。

 ☆ 
おじい様、おばあ様
 大変ご無沙汰しております。
 お久しぶりのメールです。
 今日は大切なやす香のお誕生日。
 何を欲しいって言うかなと考えていました。
 私の誕生日に何度か写真立てをプレゼントしてくれました。
 思い出や人との繋がりを何よりも大切に考える、やす香らしい贈り物です。
 大切にするだけでなく、人と繋がる才能があります。
 その才能は、誰もが真似できるわけではありません。
 本当に深くしっかりと繋がることは、なかなか難しいことです。
 それをサラッとやってしまうやす香は、私の憧れです。
 そして、可愛らしいやす香のことを考えると自然と笑顔になってしまう私。
 今日は私にとっても素敵な1日になりそうです。
 
 今度の15日に**君がフランスのリールへ出発します。
 半年間離れて暮らすことになりますが、そんなに不安はありません。
 **君は自分自身の成長のために頑張る期間ですし、
 私はわたしで、絵を描いたり、家を模様替えしたり好き勝手過ごそうと考えています。
 淋しくなったら、少し電車に乗って姉に会いに行くのもいいかなとも。
 何事もやってみなくては分からないので、今はとにかく**君を無事に送り出すことに専念します。
 昔からの私の夢が、猫と一緒の一人暮らしをすることだったのです。
 これを機会に、ソラと、この夢を楽しみたいと思います。
 
 9月に入ったというのにまだまだ暑くて、昼なんて空に入道雲がクッキリです。
 毎晩窓を開けては、冷たい良い風まだかな、と待ちわびています。
 どうか暑さに負けずお過ごし下さいませ。
 またメールいたします。    

 
☆ 秦 恒平様
 枚夕、「私語の刻」を拝読するたび、嘆息しています。
 何を食されたか、詳細に記されているので、そこから先生の回復度を推測しています。
 すこしは涼しくなってきましたが、季節の変わり目、
 どうか無理をなさいませんように。 九月十日    三豊  

* 六さん、同人誌に参加して、エッセイや創作のために場をえらばれたと。しっかり、しっかり、節を曲げずに書き継いで下さい。

* 五時半に、妻と、日本橋高島屋の「傘寿記念上村淳之展」の会場に入った。上村さんの夫妻にまずお祝いを申し上げ、懇切な御見舞を戴いた。わたしは今年の暮れに喜寿、あやかって八十にまでも元気にありたい、そんなお祝い気持ちで参上しましたと。
 淳之画伯自選の作品展で、気の入った納得の行く作品選定であり、会場は清潔な空気であった。
 花鳥の時代はあるいは過ぎて行こうかとしている。しかし花鳥画は 東洋画の不動の分野でなければならず、後継者の盛んな登場を願いたい。花鳥画の優秀な作品は、凜然と胸にひびいて静寂かつ強靱なのである。今の人にはその 辺の価値判断があるいはしにくいかも知れないが、大事に盛り育てて欲しい。
 画伯は気が優しい。それはいい。その上に花鳥の命に、より強靱な命の波動を表して下さると嬉しい。
 別館の四階で祝賀の宴があった。文壇人の顔がみえず、千住真理子らと一緒に中国二度目の訪問旅行で団長を務めてもらった画家の松尾敏男さんと顔が合い、 親しく久闊を叙した。上村さんにも松尾さんにも湖の本は見てもらっている。それにも丁重に挨拶があり恐縮した。うまく出逢えてよかった。この二人には前の 歌舞伎座時代に、緞帳繪で幾たびも出逢ってはいたが。
 妻は、いくらか、こういうレセプションが好きで、食べ物、飲み物も楽しんで戴く人だが、今晩はなにしろわたしが飲みも成らず食べも成らないまま、淳之さ んに失礼の合図をすると、人をわけて礼に来られ、いたく恐縮した。握手して別れてきた。奥さんとも親しく立ち話をし、どうかどうかお大切にご養生の甲斐あ りますようにと見舞われて、別れてきた。そういえば松尾さんも二十年も前に胃の切除手術をうけておられ、今はさぞお辛いでしょうが、大丈夫必ずそのうちにお 元気に成られますと太鼓判をもらってきた。

* 先刻高島屋に入ってエレベーターに乗ろうとして、咄嗟に妻はイタリアの手細工の銀のネクレスに目をとめていた。宴を失礼して一階へおりると妻はその売り場へ向かい、目をつけ た銀細工の繊細で美しい品を、よほど高価であったけれど、嬉嬉として買った。たしかに珍しい感じの気の入った彫りの手仕事にわたしも賛同した。
 とても歩けない。車で銀座一丁目へ、そして地下鉄に麹町駅まで乗り、大通りの向かいの、このあいだ独り入った中華料理「登龍」へ。望みは先夜ひと きわ美味しく食べられた北京ダックとすっぽんのスープ。紹興酒は先日残してきたので、今夜はマオタイがあるかと聞いた。最近マオタイを飲ませる店は無いと すらいえるが、さすが、ちゃんと出してくれた。
 みんな美味かった。デザートの杏仁豆腐は半分妻に助けてもらった。満足。妻は先夜土産に持ち帰った料理がとても好きで、今夜も持ち帰り分を頼んでい た。この店をみつけたのは染五郎が、目の前で大怪我してなにもかも中止の帰路であった。あの晩はわたしも気落ちしてよほど調子わるかったのに、北京ダック とすっぽんスープに助けられたのだった。

* 一路保谷へ帰った。どの電車でもほぼ必ずのように座席を譲って下さる。ご親切まことに有難い。が、よほど幽霊のような顔をしているのだろうと情けない。
 就寝前、例の十五冊をおもしろく読む。


* 九月十三日 木 

* 体重65.2kg 血圧120-65(68)  血糖値 90   朝、体調良し 巨峰五粒 メロン八分一 菓子柴ふね三枚 服薬 抗癌剤の休薬は今日いっぱい 明朝からまた二週間服用  徐々にからだ重苦しく 昼は、メロン八分一 卵スープ二杯 飯半膳   午後読書後寝入る 晩は、桃 胡瓜揉み 飯一膳 食後横になって読書 ムローヴァのバイオリン協奏曲聴きながら機械整備 掌ジンジン痺れる

* 憲法改正を旗印の自民総裁候補、安倍、町村、林らはそれだけでダメ。民主党は反野田の三人は一本化をはかるべし。最初の投票で野田に過半数を与えてはいけない。
 こんな政局に終始するなら解散こそを急ぐべきだが。
 うんざり。

 ☆ 暮江の吟  白楽天
 一道残陽鋪水中   
一道の残陽 水中に鋪(し)く
 半江瑟瑟半江紅   半江は瑟瑟 半江は紅なり
 可憐九月初三夜   憐れむべし 九月初三の夜
 露似真珠月似弓   露は真珠に月はに似たり

* 手近に白楽天詩集が在り、つい手が出、嘆声が出る。

* ここへ写真を入れたり取り替える手順が機械的に機械の中で変わってしまい、困惑している。「一太郎2012承」に換えたメリットより、困惑の方が今は多い。
 晩、
好きなムローヴァのバイオリン協奏曲(パガニーニ ビュータン)聴きながら機械整備 掌ジンジン痺れる。

* 推理小説、推理ドラマというと、ただもう殺人事件で無くてはいけない有様に嘆息する。
 秦さん、推理小説が書けますねと何度も編集者に言われた。殺しの 話を書けというのではなかった、わたしの歴史に取材した作などに、多くその要素があるという批評だった。むろんわたしはあざとい殺し小説など書かなかっ た、「清経入水」「秘色」「みごもりの湖」「風の奏で」「秋萩帖」「「あやつり春風馬堤曲」「四度の滝」など、推理の要素を作の組み立て自体にはらんでい る。
 谷崎の「春琴抄」夢のき橋」「芦刈」などさながらに読者の推理を誘っていることにわたしは着目して論じた。漱石の「心」もそうだった。
 文学にはもともと殺し話で無くても、推理を深めながら読者を謎解きに面白く誘い込む要素があるのだ。

* 批評というのは、するのもされるのも、なかなか難しい。批評されて気に入らないと、怒る人がいても、ま、仕方ないが、怒る人と受け入れて踏ん張れる人 との「落差」は大きい。目の前が真っ白になるほどの罵倒に等しい批評を編集者から受けた経験がある。何を言うかと思いながら、自身の道を思い直し考え直し工夫 を重ねて奥へ入って行くのが、ときに痛快だった。編集者が万能ということはありえない。作家が万能と言うこともない。しかし書くのは作家である。
 わたしはいつも自分を五条の橋の牛若丸だと思うようにしていた。編集者は七つ道具であの手この手で攻めかかる弁慶だと思っていた。弁慶のいない牛若丸はいない、そして最後には勝たせてくれるのも弁慶だ。
 きつい批評をわたしも若い書き手のために惜しんでこなかった。作の世界に「花が無い」といわれ、ムクレていたのでは、前進はないなあと嘆息してしまう。
  だれが心からの批評など、助言など、してくれるだろう。つよいつよい弁慶はそうは世間にいないのである。牛若が義経に育ちたいなら、強い弁慶を嫌ったり憎ん だりしてはいけない。文学の問題であり人間の問題だ。何度も何度も思い直して起たねば、志した人生をひ弱く見喪う。


* 九月十四日 金

* 体重65.2kg 血圧96-46(68)  血糖値 90   朝、黄桃一顆 卵かけ飯一膳 抗癌剤「ts1」三カプセル含む朝の服薬   今朝比較的永く寝た 睡眠後はきまって体感軽快 朝一番に主治医先生ご夫妻の御見舞戴く 感謝 午前は仕事 昼は、メロンと葡萄と卵かけ飯半膳 午後も仕 事 湖の本発送用意の力仕事でバテる 晩、葡萄六粒 牛肉を小さく辛く炒った一皿と飯半膳 抗癌剤等夜の服薬 入浴後ドラマ「薄桜記」楽しんで 仕事へ  体重64キロ台に一時的にか落ちる 明日の演舞場歌舞伎昼夜通しのために早く休む

* 吉川勇一さんのブログから転載させて戴く。わたしはこの集会に参加できていないが、思いは同じ。共感の表明にかえて。
 
 ☆ 
7回 原発はいらない西東京集会アピール

  「再稼働反対」の多くの声を政府は受け止めず、夏期ピーク時の電力不足の可能性をあおり、大飯原発再稼働を強行した。だがこの夏、節電が進み、電力は余 り、東電は火力発電を一部止めるほどだった。西日本では、電力を「融通」すれば、関電は大飯原発なしでも十分足りた。また、そもそも関電は火力発電を動か せば間に合ったのだから、大飯原発の再稼働は原発推進の巻き返し策であった。
 原発依存度ゼロは、政府の決断で、今すぐにできること。政府のエネ ルギー政策のシナリオでは、依存度の選択肢は2030年が目標だが、私たちは、今、2012年に、原発依存度をゼロにすることを求める。大飯原発の運転を 止め、全ての原発を再稼働しない決定、つまり廃炉決定を求める。
 原子力規制委員会が発足するが、これまで原発を推進してきた者はメンバーになる資格がない。現在の人事案は、第三者機関としての公正さを保障できないので撤回するべきだ。
 福島第一原発の事故は未だに収束せず、放射性物質の放出が続く。高濃度汚染の現場では、廃炉に向けて被曝労働に支えられた先の見えない作業が続く。労働者の被曝隠しが発覚したが、命を削る労働の場で、人権が守られていない。差別と犠牲で成り立つエネルギーはいらない。
  政府は福島で除染を進め、チェルノブイリより4倍も高い避難基準で、再び人々が暮せるよう帰郷を仕向けている。除染は移染にすぎず、汚染物全てを取り除く ことは不可能だ。放射能汚染が続く中で暮し続ければ、人々は健康を守ることができない。特に、子どもたちの被曝線量を減らすために、国は責任をもって、保 養や移住の制度を整えるべきだ。
 自然界に存在しない核物質は自然と共存できないことが、明らかになった。人間は自然の一部であることを忘れずに、地球を汚さない生き方をしていこう。
 「原発はいらない」どこにもいらない。私たちは、福島で、日本中で、世界中で「原発NO!」の意思表示を続ける運動と連帯し、行動する。
                   2012年8月26日  原発はいらない西東京集会参加者一同

 
* 花だより 4   京の
 
遠様  ご無沙汰でした、まだまだの暑さに閉口です、最近のHPを見て予想外にお元気そうで安心しました。
 暑くてもお花は秋の様子です、負けじと頑張らなくては!
  裏庭のキスゲの写真を送ります。  
  

* ありがとう。せっかくの秋の花が、だが、うまく此処の頁に送り込めなくなった。何が機械上で変わったのか分からない。

 ☆ 
この度は
 大変お騒がせを致し申し訳ございません
 現在は入院中にてリハビリを開始しております
 幸いに後遺症に兆候もなく順調に回復に向けトレーニングしております
 自分のミスにより多大なご迷惑をおかけしていることに猛反省をして
 今後の仕事に対して様々考えております
 少しずつ前向きに歩き始めております
 乱文なままですみません
 改めてご連絡致します     
市川染五郎

* ほっとしている。

* 十八日に湖の本113が出来てくるが、今回は、あれこれ混雑して発送用意が順調で無かった。ゆっくりと落ち着いて発送して行きたい。ゆっくりとお待ち下さい。それでも用意の力仕事をして、暑い暑い、つねはめったに入らない隣棟で、ふらふらになった。

* 明日は多少冒険だが新橋演舞場の秀山祭昼夜通しで楽しんでくる予定。染五郎東京ではたぶん初役の「寺子屋」松王丸を楽しみにしていたが。楽しみが先に伸びたのもまたよしと、明日は二代目吉右衛門の名演をしっかり楽しませて貰う。

* 隣棟から、箱入り大冊の歳時記を三巻分こっちへ、寝床の側へ運んできた。
 歳時記は、日本の四季と自然にしたしむ宝庫。おりおりに楽しむ。

* ドラマ「薄桜記」に惹かれ続けてきた。来週で終わるそうな。残り惜しい。

* 自民党総裁選、悪くても安倍と町村とは落選を願う。石破、石原、林の誰がよいとも言えない。
 自民党の復権をなんとか誰か阻止してくれぬか。また穢い悪夢を見続けるのは御免である。


* 九月十五日 土

* 体重65.5kg 血圧111-55(51)  血糖値 88   朝、葡萄 卵に振掛け飯一膳 服薬 十一時開演の新橋 演舞場へ 弁当場で笹巻き寿司一人前を妻と半分け 昼の服薬や点眼等   昼の部と夜の部との間に劇場真向かいの喫茶店でバニラアイスクリームとジャックダ ニエルのシングルストレートを「美味い」と 晩食はとくに取らず餡菓子 三つだけで 抗癌剤服用 夜の部果てて大江戸線で練馬経由帰宅 歌舞伎 を昼夜通しで大いに楽しんだためか、疲労は疲労として、心身むしろ健常 帰宅して葡萄五粒 桃ひとつ食す

* 秀山(初世中村吉右衛門)祭は昼夜とも嗣子(=孫・松本白鸚次男)吉右衛門の熱演で盛り上がり、「寺子屋」の松王丸は福助の千代、梅玉の建 部、芝雀の戸浪らの好助演を得て、一代の名演かと想わせた。舞台半ばから涙こみ上げ、いつになく声も漏れそうに泣かされた。今まで観た誰の松王丸より丈高 く立派だった。
 二つ目の吉右衛門、河内山宗俊はいかにも手に入った悠々のうちに気合い満ちて、松江侯玄関先での「とんだところへ、来た=北村大膳」も、居直りも、哄笑 も、花道からの「馬鹿め」も、爽快だった。してやられた松江侯の梅玉、沈着な家老の又五郎も、可憐な浪路の米吉も、よく舞台の充実感に寄与していた。

* 夜の部は鶴屋南北の「時今也桔梗旗揚」げ、武智光秀蹶起反逆の次第を吉右衛門が、凄いほどの堪忍と爆発の気持ちを、饗応、本能寺馬盥、愛宕山連歌の三 場で、怪我の染五郎に代わった歌六の重厚しかも癇性の小田春永の凌畧をはね返す覚悟で、よく表現した。妻は魁春、妹は芝雀、最後の最初に四王天但馬守で登 場の梅玉らが、吉右衛門の大きな演技を緊密に支えた。歌六も懸命の迫力を絞り出していた。
 そして大喜利は、父・七世芝翫を偲ぶ中村福助の成駒屋を背負っての「京鹿子娘道成寺」がじつに楽しかった。
 福助は近年とみに充実し自信に満ちて踊りの手 ごとを悠々と楽しむように遊ぶように、しかも手ごとも間も魅惑も適確に出してあやまらない。とてもとても美しい踊りが楽しかった。
 「聞いたか坊主達」も松江を先導に宗之助や亀寿らがおもしろく演じ、花四天の活躍も堅実。最後の最期には押し戻しに荒事の大館左馬五郎があらわれ、鬼と化した清姫と花道から舞台にかけはげしく争うのも見ものだった。大喜利にふさわしく大満足。
 昼夜ともに、大作を二番ずつ。老体の病体には優しい番組で、疲労は疲労としても心身はやすらかであった。有難かった。
              

* 新聞をみると、経産省と大臣とが、当然のように新建設中の原発は「建設を継続」すると。その一方で党是にしようかという顔つきで「原発ゼロ」方針を民主党は「公約」しようとしている。この齟齬、あまりにしらじらしく厚かましく、巨大な金だけをムダに食う。
 どこまでこの党の政権は「ウソをつき」続けるのか。
 今日、わたしも妻も、胸には「反原発 NO NUKE JAPAN」バッジを付けて演舞場に出かけた。
 同じこのバッジを付けていない代議士には無条件で投票したくない。


* 九月十六日 日

* 体重65.7kg 血圧117-62(45)  血糖値 87   朝、葡萄五粒 ち りめん山椒ふりかけ飯一膳 服薬 点眼   朝の体調普通  午前やや力作業 排便  午後一時半、ふと不調で測った血圧は、87-48(79)と異様なほど低い 横になり読書十冊 晩はじゃがいもの味噌汁二椀 胡瓜揉み ちりめん山椒のふ りかけ飯一膳 服薬 点眼等 夜はテレビを楽しみながらほんの発送用意など。やはりズーンと心身が重怠い。

* 原発安全神話をデッチあげてきた紛れもない原発推進派のいわゆる「原子力ムラ」へ、いまなお巨額が流用されていると朝刊が報じている。
 野田政府の「原発ゼロ」の旗は、経産大臣枝野の建設中の原発建設は続行という青森県への言質で、すでに露わに裏切られている。三十年を期して「ゼロ」にと言いながら、五十年まで生き延びる新原発を建設し続けるとは、呆れる厚顔無恥のウソではないか。

* なにとなく疲れている。
 見つからなかった去年の日記一部分が、林君に故障機のハードディスクから救い出して貰った中で見つかった。今の本機では明らかにその年のその月の日録は 整理できておらず、一週間分ほど記事が抜けていた。こういうことが有り、バックアップも多面的に、ファイル名の重複に懼れていられない。読者からの指摘で 欠損や整理不十分が発見できた。感謝。



* 九月十七日 月

* 体重66.3kg 血圧110-63(53)  血糖値 92   朝、葡萄八粒 バター食パン半枚不味し 服薬 点眼 機械の内容整理  今日はかなりしんどい。横になり読書し、眠る。手のしびれつよく、目は霞みがち、ズシーンと心身重く、手足は黒ずみ、目の前が暗くなったり、よろめいたり。夕飯ほとんど、葡萄と味噌汁のほか、食べられない。それでも抗癌剤服薬は欠かせない。六時の血圧102-46(77)。喰らい穴へずり落ちて行く感じ。入浴して、八犬伝、指輪物語、星を継ぐものを、せいぜいゆっくり読む。入浴後の体重66.7kg  三度の食事の代わりにヒマを見ては間食している。体がだるい。
 
 
* 中国広域での反日大規模暴動。反日は半ば口実の反感政府攻撃もあろう。それにしても総裁や代表選挙にうつつを抜かしている日本は、新聞紙上でコメントもしていない。自民党五人の街頭演説でも、まるで型どおりの触れようで、気が知れない。
 民主党の「原発ゼロ」方針はその日のうちに枝野経産相の建設半ばの原発は建設続行というまるで「ゼロ」方針と矛盾した発言で、混濁している。「本音は原発擁護推進再稼働」なのは、自民総裁候補五人とまったく同じ。
 国民の反対デモは、力強く継続しなければならぬ、根限り。

* 水泳の二百平泳ぎに、北島の日本記録もロンドン五輪での世界記録をも抜く大記録を、日本の高校生が打ち樹てたのには感嘆した。

* 昨晩の「平清盛」では清盛と後白河院の達引が露表してきて、やがて成親、西光、康頼らの鹿ヶ谷謀議や頼政・以仁王らの暗躍も起きてこよう。東国では、 失意の頼朝に北条時政や娘の政子が絡んで行く。そろそろ木曾義仲の動向も画面に出てくるだろう。入道浄海の命運も傾き始める。嗣子重盛の描きかたに終始抑 制感がある。もうすこし重みの配役が欲しかった。宗盛がわりと大きな顔をして出ているが、もうすこし鈍な気弱な表情でいいように思う。次回には徳子平氏の 高倉天皇への入内が実現するにちがいない。面白く展開していて、わたしはこの大河ドラマの異色の筆致展開に賛成している。
 「薄桜記」も、異色の赤穂義士らの一外伝として巧みに物語が運ばれており、次回が読み切れない。山本耕史の丹下典膳も柴本幸の千春も佳いが、吉良上野の 洒脱で行き届いて生彩有る表現に驚かされている。このような吉良の扱いはかつて観たことがない。しかし吉良上野は、領地の領主としては領民に評判の良い一 種の名君であったとは、尾崎士郎の「人生劇場」にも書かれていたと記憶する。
 もう一人、堀部安兵衛の風貌にも味がある。吉良の邸に客分として剣技を高く買 われている典膳と安兵衛との肝胆を照らし合った師弟・親友関係が、土壇場でどう展開するのか、楽しみにも待ち、典膳夫婦の安堵をも内心に願っている。
 秦建日子の「サマーレスキュー 天空の診療所」も落ち着い感銘を誘って、わたしは快く受け入れている。これも最終回を控えているが、どう収まろうと、このドラマ表現の清潔なリアリティーは良質であった。
 韓流の「イ・サン」は、掛け値無く面白く描かれていて、わたしたちは、妻もということだが、「王」にも「王妃」にも「側室」にも、王と側室の幼来の心友 である「パク・テス」にも、親愛と共感とを惜しんでいない。朝鮮での宮廷政治や後宮のありようや、諸制度や日本より遙かに広壮な宮殿配置や、両班(ヤンパ ン)のありようなど、とにかく見た目からも劇的なことも、放映を待ちかねて毎日曜の深夜を楽しんでいる。

* 中国の古典文化はすばらしいが、中国の現代には高い文化と謂うべきは殆ど何も見当たらない。国民性(国民は、ではない)は露骨なエゴイズム で、貧富の差に応じてゴーマニズムと暴徒性とに分かれる。どちらも富に支配され、目前の利得に犬並みに繋がれている。国民行動としては数少ないのではあろ うが。
 日本人は一揆のちからさえ官憲に呈上して、必要以上に国民として温和、個人として陰気ないし陰湿。奇怪な犯罪が巷に多産の傾向にある。
 いずれにしても政治に仁も義も礼も智もない。愚かや。

* 四季折々、多年撮りためた花の写真を、一枚一枚懐かしく見ている。人より花がいい。美しい。

* 明日午前中に、「湖の本113」が出来てくる。午後にはまた聖路加の眼科へ。雨でもいい。涼しくあれ。
 明後日は午まえに歯科、夕刻後に保谷の市庁ホールで坂東三津五郎の、なにを演るのか、独演会。妻が入場券を予約していた。
 本の発送は、二十日から手がける。今日も発送用意に余念無く。



* 九月十八日 火

* 体重66.1kg 血圧112-56(61)  血糖値 93   朝、葡萄六粒 振り掛け飯一膳を義務のように 昼 もろくに食べられず 聖路加眼科へ 眼鏡仕様の検査は早すぎると思った通り、検査技師はもう一ヶ月後にと医師の指定を延期した。少なくも三ヶ月は待たねば と佐藤眼科でも眼鏡屋でも言われていた。点眼薬の処方だけ貰って帰ってきた。途中で何か食べようかと思ったが、ひたすら疲れていて、どこへも寄らず。かろ うじて保谷駅前でタクシーが拾えて帰宅。晩、卵かけ飯半膳だけで、晩の服薬。 潰れるように横になり、読書十四冊、十時過ぎまで寝入る。気分持ち直している。手先のしびれ、終日。腰を軸にからだが前傾して硬い。腰をのばしたい。

* 午前十時前、「湖の本113」出来てくる。玄関に積み上げる。これも力仕事。いつまで出来るか。本はとても綺麗に仕上がっていた


* 中国の荒れようは狡猾な国家戦略と不可分の「あやかし」と見るべく、問題は日本国政府に「沈着」だの「毅然」だのと言葉だけが泡のように浮かび、総理 からも外務大臣からも防衛大臣からもなんらの対策が出てこない。彼らはうろたえ怯えていると見える。領土問題は存在しない、尖閣は日本領土と言う以上は、 領海や島自体冒されたときは、「自衛権を発動やむなし」とぐらいは大使館を通じ、また首相、外務相、防衛相はそれこそ毅然と中国政府に申し入れるべきであ ろう。なにともはや日本の中国大使はあいついで事故にあい不在の現状。党内の代表選挙どころか一刻の空白も無く人事は為されねば。そのへんのことも皆目国 民には見えてこない。
 日本は領土問題で、フィリッピンが棒折れしたように押し切られて已む気なのか。中国は明らかにそれを目前の目標にしている。
 野田総理、外務大臣、防衛大臣。即刻、有効に適確に動きかつ国民に語れ。

* わたしは十余年前から、日本国自体が、近隣諸国の垂涎の「架空領土」として意識されていて、ことあるつど意図的にバッシングを浴び苦境に苦境を重ねること になると予言してきた。地理地勢そして歴史を顧みて、北から西から南から日本列島は近隣の外交豪腕に脅かされて行く、そんなとき日米安保など何の役にも立 ちはしないと。
 現にアメリカは、日中、日韓、日ソの領土問題になどしっかりそっぽを向いて関わろうとしない。当然だ、優しく関わってくれるなどと期待して いる方がおかしいのだ。
 「外交は飽くなき悪意の算術」だと覚悟の出来ていない日本のひ弱な政治家達は、へたをすれば加速度的に国益を次々と放棄してベソだ けをかくだろう。政治家ともいえないふやけた連中が泣こうが構わぬ。しかし国民は屈服泣きなど絶対にしたくない。平和ボケの国民よ、若者等よ。頸木を負う 日をただ待つのか。中国も、朝鮮も、ロシアもかつて日本の支配や勝利のもとに怨念を抱いてきた。怨念をはらす機会があるなら、彼らは真っ向から日本国民を 陵辱するだろう、あの暴動の無軌道をみれば分かる。日本国民は大陸にすべて強制移住させられて荒蕪の地の開発に使役され、日本列島は異人のすみかと成りは てるかも知れぬ。
 政治家よ、国民よ、わけて若い男女達よ。なまくらな平和ボケから目を覚ますときがもう来ている。戦争をどうかして毅然と避けねばならぬ。 

* プーシキンの『大尉の娘』は、歴史眼と家庭を見据えた、不思議な渾然一体に妙味ある秀作。
 プーシキンが在ってロシア語のロシア文学は偉大な出発を遂げた。ペテルスブルグ、当時はレニングラードのホテルの前の公園にプーシキンの銅像が丈高く 立っていた。彼の原作をバレーにしたのも劇場で観てきた。作家同盟の招待の旅だった。グルジアのトビリシまで飛行機で飛んだ。モスクワにも何泊かした。
 ロシアの旅は、なんとなく楽しかった。窮屈で無かった。旅みやげともなった、新聞連載小説の『冬祭り』も書けた。

* 谷崎潤一郎の「東京をおもふ」は、徹底した近代東京への批判の底に故郷への愛もひそんでいて、批評家で作家で随筆家の本領がみごとに現れていた。しき りに肯き頷き愛読した。
 次いで「春琴抄後語」を読み始めて、ここでもすぐさまとても大事なことを聴いた。
 「どう云ふものかわれわれ日本の創作家は年を取る とだんだん會話を書くことが億劫になるらしく、小説よりは物語風の形式を擇ぶやうになり、しまひには地の文さへも簡略にして、場面を描き出す面倒を厭ひ、 物語風から一層枯淡な随筆風の書き方をさへ好むやうになる」と。
 これこそ、いま、小説を創りながらいちばんひっかかっている課題であり選択なのである、わたしの。谷崎先生の云われる通りの道を行き悩んでいる。枯淡か どうかは別にして、「随筆風」に、つい心を牽かれるが、まだ物語風を惜しむきもちもある。この選択は、生やさしいものでは無いのだ。            



* 九月十九日 水

* 体重65.7kg 血圧107-58(63)  血糖値 91   朝、体重65.7kg  朝、桃ひとつ 振り掛け飯一膳 服薬  強い雨 十一時過ぎの歯科治療に  江古田へ戻り菓子とブックオフで岩波文庫三冊買い、保谷駅で鮓買って帰る 昼は、葡萄七粒 鮓 機械の前へ  はやめに果物と強飯の夕食 服薬 六時半、保谷支庁のこもれびホールで亡き井上ひさし作・坂東三津五郎の独演「芭蕉通夜舟」を観てきた。便が一昨日から昨 日から今日も結していて、不快。

* 買ってきた岩波文庫は、ゲーテの小説「親和力」、フローベールの「紋切型辞典」そしてプレハーノフの「歴史における個人の役割」の三冊。どれも欲しかった。

* 三津五郎の独演はうまく演出されていて、歌仙に擬した三十六景のつなぎも順調で、わたしには、芭蕉伝と芭蕉俳諧の復習をしている感じだった。創作の機微 におおまかに関わった構成は、創作者には面白いだけでなく反省もしきりに迫って遁れがたい興趣に満ちていたが、創作に縁の無い観客には、すこしばかり観念的 な芭蕉解説であったかも知れぬ。

* 総 裁候補の五人とも原発推進を明言。こういう自民党の復権はゆるせぬ。民主党の掲げかけた「原発ゼロ」党是も、アメリカと経済界の反対に押されて、ずるずる と後退してしまっている。なんという情けない党か。国民の声には耳に蓋をして、米国の悪意の算術や財界の恥なき儲け主義には、意気地なくむしろ渡りに舟と 本性を暴露する。なんという情けない政治か。

* いまどき、アメリカに阿諛追従の「オスプレイ安全」を承認している外務・防衛大臣とは何なのか。それでいいと思っているのか。彼らは、一刻も早く国際世論の前に尖閣や竹島について為すべき問題があるではないか。どうかしているぞ。

* 国の情けなさに不快をかみ殺したくなると、藝術や文学を思う。

* ちょっと引用が長いが、深切に身にこたえて響くので、心して聴いておきたい。
 わたしがここへいろいろ引用する「文学」関連のこ とばは、一つには、今しもわたしの視野のもとで小説を書いている若い書き手にも心して読んでいてほしいのである。
 もっとも下記の谷崎の言説には、若い人は 拘泥してはならない。一つの流れの必然が云われていると記憶だけしておけばよい。

 ☆ 谷崎潤一郎「春琴抄後語」より

私は最早現在ではそんな幼稚な馬鹿らしい考を捨てゝしまつたけれども、而も猶「今日はから始まつて左様ならまで書く書き方」に一種のあこがれを持ってゐる ことは否み難く、たまたまさう云ふ作品の傑れたものに接すると、(近松=)秋江氏と同じやうな羨望の念を覚えることもあり、自分も書いてみたいと云ふ野心 が急にムラムラと湧くこともある。又、久しくさう云ふ作品を書かずにゐることに不安を感じ、自分はいつかさう云ふものが書けなくなつてゐるのではないか、 自分が書かないのは書けないのでなく、それに適した題材が浮かばないからであるが、しかし浮かばないと云ふのが年齢のせゐではないか、などゝ云ふ疑念が起 つて凍て、矢張何としても淋しいのである
       
 
作家も年の若い時分には、會話のイキだとか、心理の解剖だとか、場面の描寫だとかに巧緻を競ひ、さう云ふことに夢中になつてゐるけれども、それでも折々、 「一體己はこんな事をしてゐていゝのか、これが何の足しになるのか、これが藝術と云ふものなのか」と云ふやうな疑念が、ふと執筆の最中に脳裡をかすめるこ とがある。私は往年芥川龍之介に此れを語り、「君はさう云ふ経験がないか」と尋ねたことがあつたが、芥川は「いや、大いにある」と言下に答へた。そして、 「シエンキウイツチも失張それを云つてゐるが、さう云ふ疑念が萌した時は悪魔に取り憑かれたと思つて、勿々に沸ひ除けるやうに警めてゐるね」と云ふのであ つた。事實、大概の作家が、そんな場合には慌てゝ左様な忌むべき不安を追つ祓う払ふやうに努め、ひたすらそれに眼を閉じてしまふのであるが、現在の私は、 それを「悪魔と思へ」といふシエンキウイツチの説には賛成し難くなつてゐる。私は一方に於いて、「年を取ると、短い詩形程好もしくなる、三
十一字の和歌の形式でもまだ長過ぎると思ふやうになる」 と云つた北原白秋の言葉を想起する。これとシエンキウイツチの言と、必ずしも矛盾してはゐないであらうが、何にしてもわれわれ日本人の作家の多くは、老齢 に及ぶに従つて本格的な書き方を面倒臭がるやうになり、場面の描寫や會話の遣り取りなどに苦心するのを、無駄な仕事のやうに感じ出すのである。さうしてそ れが、一時の疑念や不安でなく、われわれの體質の深い所に根を据ゑてゐるらしいので、さう簡単には迫追つ払ふ譯に行かなくなる。此のことは、讀者の側に廻 つてみてもさうであつて、若いうちこそ小説的な作品でないと物足りないが、老人になると、さつぱりさう云ふ書き方に興味がなくなる。どんなに巧く書いてあ つても、巧さの底が知れてゐる、讀まないぅちから分つてゐると云ふ氣がして來る。現に私なぞがめつたに雜誌の創作欄に眼を通さないのも、叙事文にすれば半 枚か一枚で済むところを、事も細かな段取りを踏んでゐるのが、たどたどしい、煩はしいものに見えるからである
     〇
一體、讀者に實感を起させる點から云へぼ、素朴な叙事的記載程その目的に添ふ譯で、小説の形式を用ひたのでは、巧ければ巧いほどウソらしくなる。私ほ永井 荷風氏の「榎物語」を正宗(=白鳥)氏が推称する程には買つてゐないが、しかしあの作品が正宗氏を感動させたのは、主としてあの中に含まれてゐる實感のせ ゐであらうと思ふ。さうしてそれは、一にあの簡略な、荒筋だけを述べてゐる書き方に由来するのである。

* 若い書き手にこれを拳々服膺せよなどとわたしは云わない。これは若い人でなく、いまわたしの年齢の者こそが真剣に向き合って自身で乗り越えねばならない難所なのである。
 芭蕉俳諧における大成後のとも謂える「軽み」の境涯は、同伴者たちにも大きな誤解を与えた。それと谷崎の晩年老成の文学とは一つことに入れ混ぜて読んでは成らないけれど、問題のむつかしさにおいて、なかなかの重さである。わたしは、正直、それに悩んでいる。

* 明日から、ゆっくり、体に障らぬように、湖の本113を送り始める。


* 九月二十日 木

* 体重65.9kg 血圧105-58(67)  血糖値 95   朝、体重65.9kg  朝、桃ひとつ 振り掛け飯半膳 服薬例の如く八種  午前、仕事 昼は梨とラーメン麺だけ半分 午後も仕事 途中処方された点眼薬ヒアレイン十本を受け取りに薬局へ自転車で 日盛りと蒸し暑さに参る その後 も夕食まで仕事 ぼた餅二つ 卵のスープ多めに 服薬 午後に排便すこし 小刻みの頻尿 ミルマグに加えてサトラックスも飲む  ときどき、ハアハアと息 を吐くほどしんどくなるが 堪えられる   ステイーヴン・セガールの映画観ながら晩も発送の仕事
 かなり疲れ全身に力なし 服用の薬種が多すぎると云うこともあるのだろうか。 一つには視力がまだ定まらぬままどの合わない眼鏡で生活しているので、危 険なほど視野が安定せぬ上に、ドライアイがひどく、それでますます心身の疲労が増している。新しい眼鏡がつくれるのにもう一月かかる。それまで、わたしは よれよれの日々を堪えねばならぬ。むろん堪えられる。

* テレビ朝日のいわゆる「玉川(
玉川某氏による=) 総研」なる企画をかなり信頼していつも見聞している。今朝は「尖閣諸島等の実効支配とはどういうことか」を分かりやすく説明してくれた。要するに周恩来や ケ小平このかたの問題解決の「先延ばし」提言に歴史事情の変幻を顧慮せず日本側も渡りに舟と従ってきたということ。
 わたしの感じる問題は、その間の数十年 に、日本はあぐらをかいて何の手も打たず、中国は着々と行動により尖閣に肉薄して来つづけていたという事実だ。「実効支配化」へ中国は行動しつづけ、日本 は太平楽に安住し続けてきたこと。

* オスプレイに関してはニューヨークタイムス等のアメリカの一流紙が、無謀な配備は沖縄の悲歎と不安とを強めるばかりで、米軍の強行配備や訓練の実施 は、現地の恐慌を無視したものと批判している。しかも日本政府は米政権に阿(おもね)った恰好でまさに鞠躬如(きっきゅうじょ)として云われるままになっている。外務大臣と防衛大臣の、 力も策も貫禄もない総理の任命責任の軽さが露呈されている。

* 栄花物語は、ドラマ「平清盛」の冒頭に君臨した怪物法皇の白河天皇時代に入り、さしもの御堂関白道長の子女も頼通、教通、彰子らほとんど全部が死去し た。この希有なる後宮史物語は、無数の貴族社会の誕生と死去を不動の縦軸にしていて、人間の自然死ないしあまりにもひ弱い無力死の実情を証言してあまりあ る。病めばあっというまに死んで行く。もう医心方などの文献も輸入されていたろうにあまりに医師は無力で、呪術や読経しか働いていない。光り輝くようで あった平安王朝の無残な不健康と評さねばならぬ。

* 和歌はおもしろい。古今著聞集の「和歌」巻も愛読に堪えるが、和泉式部集はさらに一段も二段も上を行く面白さ。
 和歌のない彼女の生活はありえない。そ してほぼ赤裸々に彼女の恋多き日常を縷々かつ平然と告白しつづけている。生身の女の切実な実感が赫いて個性的であり、なまぐさくもある。岩波文庫と、「和 泉式部集全釈」とを、併行して読み進めながら、その実伝への関心にとらわれようとしている、喜寿にちかいわたしが。

* 折口さんの藝能談の細緻に深彫りされてあることにも感嘆している。わたしなどが十センチ彫り下げてみても、折口信夫は一メートルも彫りこんでいる。ただもう「聴いて」「聴いて」そして面白がっている、わたしは。

* 読書とはなんと楽しいことか。一冊ずつを読み切ってから次の他へ移る読書では、古今東西世界の偉大な相対性は実感しづらいが、一日に同時に洋の東西を超えて一気に十五冊を読んで行く読書には、地球儀をすら超えた時間の、時代差の、魅惑に酔える嬉しさがある。

* さてさて、湖の本113の送り出しにかかり、各界寄贈分の半ば四百部ほど送り出す。寄贈は各界残りと、全国の大学(研究室や図書館)そして高校を加え て、まだ相当数を送り出さねば、そして継続購読の読者、有難い「いい読者」にも。
 体を、ある程度の力も遣わねばならないが、妻の応援も得て、もう数日。月 曜二十四日には、聖路加の糖尿病と感染症との二科診察に行かねばならず、二十六日には夕刻から妻と藤間會初日に出かける。発送はその先まで延びそう。

* マルクス主義を質的に確立したとされるプレハーノフの「歴史における個人の役割」は、彼の最も優れた業績の一つとして評価が高い。なんだか季節外れの読書のようではあるが、歴史には関心を持ち続けたい。読み出すのを楽しみにしている。
 こんな調子では、すこしも就寝前読書の冊数が減らない、出待ちの本がむしろ増えている。なかでもゲーテの「親和力」も早く読みたくて堪らぬ。
 


* 九月二十一日 金

* 体重65.6kg 血圧118-62(65)  血糖値 91  体重65.6kg   就寝目覚め後の体調快適 朝、桃ひとつ 牡丹餅二つ 服薬 処方されている薬(抗癌剤ティーエスワン3カプずつ朝と夕 ピドキサール朝1錠 25mgアリナミンF糖衣錠毎食後1錠 ハルナール朝 1錠 ヒルドイドソフト軟膏手の痺れに適時 朝昼夕・インシュリン注射・ヒューマログ各4単位 就寝前・インシュリン注射・ランタス6単位  含嗽剤ファンギゾンシロップ100mg) 自身で追加 している薬(ナンパオ毎食後2カプ にんにく卵黄一日に2錠 肝油一日に6錠 すっぽん毎食後2カプ 昼食後には左眼のために ビタミンE1錠 亜鉛1錠 ビタミンC2錠 ベータカロテン2錠) 昼 素ラーメン一碗 蜂蜜を数匙舐め る 午後は夕刻まで仕事 気が薄れるほど疲れた。晩は、ピザを二きれほど。服薬。入浴して読書五冊 浴後65.7kg 視野定まらぬほど疲労。
   
* 米軍の輸送機オスプレイ、国民の猛反対を押し切り民主党政府の賛同のもと、岩国基地で見切り始動。
 いっそ、日に一度は尖閣諸島上空で演習し、時に着陸も可とでも、強硬に提議しては。中国は刺激するだろうが、米国を、実効支配の証人として国際的な認識にプラスがあればいい。それぐらいのサプライズを産むのも外交という「悪意の算術」ではないか。

 ☆ 鴉に   
 今現在は再び抗がん剤の副作用でおつらいと察しますが、それでも「わたしはよれよれの日々を堪えねばならぬ。むろん堪えられる。」と力強く書かれています。この世界の動きや、様々な書籍への尽きない関心や共感にも触れています。今を生きる鴉にわたしが励まされています。
 半月ぶりに文字を打ち込んでいます。自分でも驚くほどの空白です。現在の頼りなさ、底知れない曖昧なままの状況・・わたしもまたよれよれを堪えなければならない。ただし自覚し醒めて堪えなければいけません。  
尾張の鳶

* 真澄の鏡の上を流れる雲や雨のように、物・事・人は流れ来て流れ去る。来る者は来させ、去る者は去らせ、呼び求めず、呼び追わず。来べきは必ず来る、帰るべきは必ず帰ってくる。命の今の根かぎりは、真澄の鏡のように涯てない青空とともに在りたい。

* 午前午後と、発送作業に邁進、キッチンのテレビは野田総理の代表戦圧勝を伝えていた。離党者がぜひ増えて、衆議院の過半数割れにおいこみ、内閣不信任 案を通すほどの代議士が民主党にまだいるかどうか。わたしには鳩山や菅が、なぜ「新・民主党」の旗を起てないのか、そこまで野田に去勢されているのかと情 けない。
 発送作業に容易の不足が出て、機械の前に戻ってきた。

 ☆ お元気ですか、みづうみ。
 
 2011年度9月24日から月末までお送りいただきありがとうございました。見つかりまして安心いたしました。お時間ございましたら本サイトのほうの修正もよろしくお願い申し上げます。九月分はすでに編集作業済みです。
 九月、十月分と作業しながら、早く病院にいきなさい!と、思わずツッコミをいれてしまいました。もう少し早く病院にいらしていたら、今のような抗癌剤を服薬しなくて済んだかもしれないと、つい女の愚痴も出てしまいます。ごめんなさい。
 以前のお写真などでは少しお太り気味ではという心配でしたが、最近は毎日計測されている体重を拝見しては、またお痩せになったとため息ついています。糖 尿のほうには悪いことではないですし、あせらず、少しずつでも食べて、ごゆっくり療養なさってください。かならずご回復なさいます。
 
 わたくしは震災から一年くらいは原発事故対応に悲憤 慷慨の日々でしたが、最近は完璧に意気銷沈の日々です。あきらめたら終わりですから、最後まであきらめはしませんが、日本の統治機構がこれほどの愚かしさ では、自分を奮い立たせようにも、さっぱり明るい材料も希望の芽も見出せなくて、相当な鬱状態です。
 みづうみが私語に書いていらしたように、日本丸の沈没はもはや避けがたいかもしれません。
 
 あるツィツターにこんなことが書いてありました。
 
 米国は、極東の小国のことなんて、もはや眼中にない。中国と日本を対立させて、自分は漁夫の利を得る。日中で喧嘩させて、自分はオスプレイと核利権を確保。次は韓国、ロシアと仲違いさせて、日本をアジアで孤立させ、米国のいうことを聞かせる
 
 私は今回の騒動でアメリカやヨーロッパの高笑いが聞こえてきます。日本を中国の巨大市場から追い出せればさぞ満足でしょう。日本は岩だらけの小島のために中国と紛争を抱えることで、多大の損失を被り、欧米に多大な利益を計上するのです。
 さらに穿った見方をすれば、この際日中で戦争でもしてくれたら、一気に世界の景気も回復するのにとすら思われているでしょう。
 そもそも、領土問題では中立の立場と明言しているように、アメリカが尖閣にかかわるはずがありません。今回の尖閣、竹島どちらについても、たぶん日本を 追い込むために仕組まれた騒動であって、日本がそれを承知で親分の指示通りに動いたか、あるいはホンモノのバカが首相であったかのどちらかと思います。
 アメリカだけでなく、近隣諸国、ロシア、中国、韓国にとって日本が潰れるのは大歓迎なのです。
 
 色々読んだところ、頭の悪い私の理解では、アメリカ は将来日本が近隣と友好関係を築けないように深慮遠謀で領土問題がおきるようにしたとのこと。本来、尖閣は沖縄返還の時に明確化して一緒に返還するもので あったのに、わざとあいまいにしたというようなことです。ネイティブアメリカンから広い国土を丸々略奪して成立した国家ですから、その程度の計画は朝飯前 であっただろうと思われます。
 今のアメリカ経済は、戦争しないとどうにもならないところまできているのではないかと推測し、非常に神経質になっています。中東についてもアジアについ ても、戦争勃発を待っているのではないかと憂慮します。昔から戦争が不況の一番のカンフル剤です。アメリカは実は経済破綻国家であり、現在のフードスタン プ制度がなくなれば四千万人が餓死するという記事を読んで戦慄をおぼえました。
 最近元外務官僚の孫崎享さんの『戦後史の正体』という本が大評判ですが、その宣伝文句では、日米安保条約は、日本を守るものではまったくなくて、アメリカが自国の国益のため、望むだけ日本に軍隊を置けるというものだそうです。
 今回の事件で、日本は確実に右傾化します。タカ派のために計画された騒動であったとすらいえます。日本をアメリカの望むような戦争の出来る国にするための布石であるのかもしれません。武力衝突を起こせば、軍需産業と右翼政治家は利益を得るのです。
 次の選挙で勝つのは自民、公明、維新の会。これに落ちぶれた第二自民党でもある民主党が加われば簡単に憲法が改正され、維新の会の目指す徴兵制が復活。原発も再処理も推進され脱原発は夢のまた夢。TPP参加で、日本の国民資産は根こそぎ外資アメリカに奪われます。
 日本の国益のためのメディアはネットの中に細々と存在するのみで、テレビも新聞も日本の真実の危機を絶対に報道しません。むしろ徴兵制復活や遺産没収を目指すタレント独裁新党首を勝たせようとしています。その過程で、言論の自由が封殺されるのも当然の流れでしょう。
 要するに、このままでは日本の近未来には戦争による破局、新たな原発事故による破局、経済的破局のいずれか、もしかしたら全部が待っていて、日本国はあ と何年、何十年生き延びることができるだろうか、生き延びても北朝鮮以下の国家であろうと、まあ私は悲観的になるしかないのです。
 個人レベルで考えれば、戦争になれば爆弾で、原発事故なら被曝で、経済破綻すれば乞食の餓死で、どれも自分の世代はしかたないにしても、孫子に望む死に方では絶対ありません。
 あの大戦のように、日本人が思考停止のまま、もの言わず流されるまま自爆の道に突き進むとしたら、非業の死を遂げた戦死者は浮かばれません。日本を滅亡させたくて若い兵士が死んでいったのではないのに、たかが戦後六十七年でこのていたらく。
 次の選挙に日本の命運がかかっています。TPP反対の議員(民主にも自民にも少しはいますし、国民の生活が第一は反対の立場)や脱原発派の議員を、自ら捜して投票してほしいと切に願っています。まだまともな議員はいます。
 国民の聡明な選択、それだけが日本を破滅から救う道ですが、福島の壊滅的現状もTPPの危険さえ知らされていない中で、はたしてそれが可能でしょうか。

 まあ、私ごとき人間が激越に悩んでも、世相は一ミリも変化するわけでなし、せいぜい泣き寝入りするくらいしかできないのです。みづうみはお笑いにならな いでしょうけれど、たぶんこんなことを書いている私を被害妄想と笑う人間のほうが世間には多いはず。何も考えないほうが幸せなんでしょうが。
 北九州は猛烈な市民の反対運動にもかかわらず市長が瓦礫の焼却を強行し、ついに九州までひどい汚染地域になります。これから一体どれだけの国民が死んで いくのかと思うと、今相当へこたれています。療養中のみづうみにお願いするのも申しわけないのですが、少し励ましていただきたい気分です。
 こんな中でも着々と湖の本を出し続けるみづうみの文学者魂を尊敬しています。みづうみの私語の編集作業をしている時だけ、なぜか悲観的にならず、静かに無心になれます。この作業をさせていただく幸せの一つです。
 染五郎さん退院のニュースがありました。大事にいたらなくてほんとうによかったです。ではまた。    
       つちくれを踏まへて逃ぐる鶉かな  虚子

* 上に書かれた国際事情は、何の被害妄想でも無く、そもそも自明のすべてアメリカ、中国等をはじめとする狡猾で当然顔の「悪意の算術」である。わかり きったことと、同じ事をわたしは十数年来云いかつ書いてきた。おろかものの厚かましい人類が地球上に瀰漫して黴も同然になってきたわけだ。
 だからといって 逃げ腰ではいられない。

* 今日は全国規模で大学・高校への寄贈分を送り出した。


* 
九月二十二日 土

* 体重65.0kg 血圧118-59(47)  血糖値 92  目覚め後の体調快適 朝、桃半分 飯半膳 朝の服薬   梨二切れ 茶漬け海苔で飯半膳 午後仕事 ほとほと疲労困憊 横になり読書十冊 よほど体はしんどくても、本へのうちこみや理会や面白さは少しも影響され ていない。日馬富士が鶴竜に勝ち白鵬が稀勢の里に勝った相撲を観ながら、晩は 桃半分 振り掛け海苔の茶漬け半膳 アイスクリーム 晩の服薬 そして仕 事。苦しい息づかいと全身の困憊は感じるが、それはそれだけのこと。

* 基本方針として建てようとした「原発ゼロ」の閣議決定をあいまいに、かつ矛盾をはらんだ形に後退させたのは、米国の「原発ゼロ」方針に反対されたから と、新聞は大きく経緯を報道している。米国の「悪意の算術」は露骨に日本を属国的に支配している。もうこそこれを、アメリカへの属国政治を革新しなくては。 日米安保の不確かな、まず米国の軍事力に日本が護られるなどという幻想から抜け出るべきだ。日本はアメリカの極東戦略の手先であるに過ぎない。遺憾なが ら、日本は日本で起とうとする意志を政府・国民もろともに堅持の方向へ踏み出さねばならない。これには、実に危険な選択も討議されねばならなくなる。政府 も国会も、「脱原発」と同時に「脱米国」を真剣な議題にしないかぎり、もうすでにそうである「米国日本州」の現実は、属国的現実は、孫子の時代までに確定 してしまう。そして中国の意図には、米国の日本に対し振舞っている米国の地位と利益を「肩代わり」的に奪取したい姿勢が確実に見えている。日本の政治と 国民とは、恐怖しつつそこから決然起たねばならない時機に来ている。

 ☆ 秦 恒平様
 いつも「湖の本」をご恵送くださいましてありがとうございます。
 お礼を申し上げなくて申し訳なく思っております。
 本日も113を落掌したしました。
 ご病気の体をおして発行されている、その強靭な信念に敬意を表すものです。
 たまたま数号前の「女の文化」が描かれたものを拝読していて、西行へのなみなみならぬ愛を感じていたところです。
 個人的には、私は式子や定家が、自分の詩のミューズと思えて好きなのですが。
 私事ですみま せんが、実は私の甥でピアニストの****というものがおります。その奥さんが****というフルーティストなのですが、1年半程前にガンを発病し、闘病 生活でした。しかしこの10月に復活のコンサートを行うことになり、喜んでいたところ、肺と肝臓への転移がみつかったとのこと。それでも予定通りコンサー トはやるといるのです。
 「息」が勝負のフルーティストが肺を犯されてもやるというその根性に、涙しているところなのです。
 怒られるかもしれませんが、そんなところが、秦さんの「湖の本」への愛情と似ているなあと感じている次第です。
 却って心を乱すようなことを言ってしまったら、お詫びします。一日も早い回復を願っております。
 取り急ぎネールでのお礼のみにて。   詩人

* 寄贈本には四文字で「不待来世」と書き添えていた。一箇所といえども「リンパへの転移」があったと言われている以上、何事が起きるか知れぬとは思っている。抗癌剤がいかに辛くとも、強い味方と信頼している。

 ☆ 「湖の本 113」を拝受しました。
 
秦 恒平 様  眼の手術成功は何よりのこと。経緯を伺えばまさに「眼鏡屋さん」の齎した僥倖かと。
 抗癌剤による不例は転移を防ぐ戦いの過程と拝察します。勝利あるのみですね。
  あ、宛名が手書きから宛名シールになりましたね!  2012/09/22 拝  妻の従兄

* もう早いところは届いている様子。読者へは今日明日集中しても、もう少し先までかかる。月曜には、糖尿と感染の二つの内科へ受診に行かねばならぬ。一日仕事になるだろう。少し涼しくなってきているのが有難い。

* 二十六日夕刻からは妻と藤間會の初日を見にゆく。歌舞伎役者が続々現れて踊る藝を楽しませてくれるだろう。
 十月には団十郎 幸四郎が昼夜で勧進帳の弁慶と富樫を代わりあい、藤十郎が昼夜義経を演じてくれる。おそらく当代一のいわば最高の熱演になるだろう。六日の通し。ともに絶好席をすでに貰っている。
 十三日にはル・テアトルで松たか子の「ジェーン・エア」再演を楽しむ。やはり絶好席をもらっている・いま私の眼はどうしようも無く視力停頓、舞台に近くないと楽しみづらい。
 二十日には梅若橘香會に招待が有り、万三郎の「鉢木」が観られる。先代万三郎の「鉢木」を楽しんで以来、何年、何十年が経ったろう。これも最前列真ん中の席をもう貰っている。ぜひからだを労りながら観にゆく。能舞台にまみえるのは久しぶりです。

* ゆらゆら、よたよた、ふらふらと全身が揺れる。一つには視野が定まらない。それで、つい眼を閉じていたくなる。手探りで家の中を二階へあがったり降りたりしている。狭い家のこと、要心しいしい手も足も家屋の様子は覚えていて、目をとじたままでも身動き出来る。

* すこし優勝に間の開いた横綱白鵬に賜杯を持たせたい、が、先場所、ことに今場所の大関日馬富士は体躯も豊かに、じつに充実している。横綱は明日の結びと決定戦の二番勝たねば、日馬富士に全勝優勝と横綱昇進を進呈することになるのだ。
 しかし日馬富士も今場所の相撲通りなら横綱になって立派な土俵を勤めるだろう。彼は大関昇進した初の場所で負け越しそうな散々ぶりでガッカリさせた前歴 がある。あれを覚えているなら、自重もし決意も新たに強い横綱になれると思う。久しい一人横綱の白鵬は、まさしく日の下開山の名横綱として働いてくれた。 さらにさらに強くなれる力士の鑑である。

* 寝る前読書に、強引に、ブックオフで買ってきたばかりのプーシキン、フローベール、ブレハーノフの三冊を加えてしまった。

* 食べられない。大方の食材がどう調理しても苦くて苦くて喉を通らない。堪らない。飯も果物もつい半分になる。ひっきりなしに間食もしたいが、花林糖、蜂蜜、アイスクリーム、氷菓子などばかり。糖分はあるが、炭水化物が入らない。 


* 九月二十三日 日

* 体重64.8kg 血圧114-60(58)  血糖値 93  目覚め後の体調快適 朝、赤飯三分二 蜂蜜一匙 服薬   排便 午前仕事 昼はピザ一きれ 蕎麦少し 午後は仕事に精出す 夕刻、大相撲の千秋楽、日馬富士が横綱昇進を確実にした熱戦をみながらの 夕食は、卵か け飯半膳 服薬 入浴してからは大河ドラマ 息子の脚本劇の最終回を楽しんだ。いまは、そう、しんどくない。困るのは視力と視野との不安定だけ。聖路加の 二人主治医の方針に応じて、地元の佐藤眼科を申請したのへ、今日、病院からの依頼文書が正式に届いた。 

* やはり日馬富士の勢いはほんものだった。横綱との千秋楽結びの一番では、5.5:4.5で日馬富士決死の勇に分があると予想していた。まさにその通りの熱戦を日馬富士は全勝優勝した。これは彼を褒美すべきである。

 ☆ バグワンは言う、「地獄というのはどこか地中の奥深くにあるものだなどと思わないこと  地獄はおまえなのだ  醒めていないおまえこそ地獄の何たるかなのだ」と。その通りだ。
 またこういうこともバグワンは言う。「仏陀の道は知性を通って行く  が、それを越えて行く  ある瞬間  知性がおまえにその与え得るすべてを与え終 わるときが来る  そうしたら、それ=知性はもう必要ない  最後にはおまえはそれも落とす  知性の仕事は終わった」と。
 どうか、そこへ到達したい。

 ☆ 秦 恒平様
 ようやく秋らしくなってきましたが、ご無事でお過ごしのことと存じます。  
 このたびは、「湖の本」113巻のご恵送をいただき、厚く御礼申し上げます。毎巻いただき恐縮に存じております。
 私は、頭部の腫瘍切除のため、約1か月入院いたしましたが、退院後は順調に回復しております。
 しかし、90歳という高齢ですので、専ら在宅生活を送っております。
 ご健勝を祈っております。   青山学院大学名誉教授
 
 ☆ 秦先生 お礼
 
湖の本、落掌しました。お体はいかがですか。
 建日子さんのブログなど見て様子を案じています。  文藝批評家

 ☆ こんにちは
 今日はこちらも涼しい朝を迎えました。
 午後には雨も上がりましたので、常林寺さんへ。
 お盆は余りの暑さで、お参り出来ず気になっていました。
 すっきり、きれいにして、お参りしてきましたのでご安心ください。
 萩もよく咲いていましたが、写真が目的の人たちが多く、私は携帯なのでよく撮れてませんが送ってみます。
 毎日のお暮らし、何かとしんどそうで心配ですが、しっかりとお過ごしのご様子にいろいろと教えられる思いでいます。
 こちらで、何かお口に合いそうなものがありましたら、お申し付けください。すぐ送らせていただきます。
 発送の作業など、くれぐれもご無理されませんよう。
 どうぞ、どうぞお大切に。      従妹
                  

 * ありがとう。なかなかお墓の面倒も見られず。ありがとう。萩の寺の萩満開のうねり、懐かしく見入りました。
 食べ物は口にする何もかもが苦くて、おおかた喉を通らないのをむりやり食べようとしています。口の中が、舌も、ざらざらしていますので、余儀なくチュー インガムを噛んだり、ウイスキー、焼酎などを滴ばかり垂らしますが、引き攣れるほど辛くて。それでも口中の不快はなんとか凌げます。からだはしんどくて も、気力などはすこしも変化ありません、今度の本も眼科に入院している最中に、片目で初校したものです。仕事したり読書したり観劇したりしているから、病 状とも対峙できます。それと睡眠。睡眠は良薬です、目覚めたときは健康な感じが思い出せます。 
                    
 ☆ 「湖の本」113を戴きました。ありがとうございます 
 
秦恒平さま  ご無沙汰をいたしております。
 「湖の本」をご恵送くださり、ありがとうございます。
 三度の入院、六科通院受診、抗がん剤服用……、という御文を目にして、ひた すら驚き、恥じ入っております。「私語の刻」にご病状を認められた「湖の本」を何冊も戴いておりながら、罰当たりにもそれらを紐解かず、何も知らずにうか うかと暮らしておりました。申し訳ありません。どうぞ、くれぐれもお大切にお過ごしください。
 実は私も今年は、思ってもみない病気に襲われました。
 昨年末、疲労甚だしく、なんとか年を越したものの、どうにも動けなくなり、一月五日に**病院を受診したところ、ネフローゼ症候群との診断。***の**病院に即日入院し、結局、一月〜二月と六月と二度、あわせて五十日以上病院のベッドで過ごす憂き目にあいました。
ネフローゼは寺山修司が患ったことで有名ですが、いつの間にか私も都の難病認定患者の一人になってしまいました。
 現在は症状が一応おさまり、ステロイド剤を服用しつつ自宅で身体を養っております。なかなか気力が回復せず、仕事はおろか、本も読む気がおきず、ぶらりひょうたんの半病人気分でこの間を過ごしておりました。
 しかし遅ればせながら、胃の全摘、胆嚢切除をされた秦さんが、またその後に術後感染や黄斑前膜擢除、白内障手術といったご闘病を続けられたと知って、自分の怠惰な日常が恥ずかしくなりました。
 大変なご病気にたおれられたのにもかかわらず、確かな筆をふるわれる秦さんに敬服いたしております。私もこれではいけない、と怠け心に鞭打とうと思っております。
 取り急ぎ、「湖の本」のお礼を申し上げます。いつも、ありがとうございます。  小説家
 
* 「平清盛」は今夜も面白く観た。福原の清盛、都の重盛、東国の流人頼朝と、三極の体が、いずれ重盛の逝去で二極化し、しかも源家の極がまた以仁王の宣 旨により木曽義仲らの台頭を促すことになるが、もう少しの間が必要になる。徳子平氏が高倉天皇に入内してのちの安徳天皇が産まれるまでは、その後も暫く清 盛の権勢、緩まない。それだけ後白河院や近臣、摂関家などの陰謀や暗躍が本気ではじまる。鹿ヶ谷の謀議など。ま、それも徳子平氏の入内が先行しなけ ればならない。御産の平安を願って清盛が喜界が島の成経、康頼に赦免状を送り俊寛ひとりを赦さないのも、鹿ヶ谷の失敗を示している。この事件は小さい事で なく、平家の命運に罅入らせた大事であった。
 そんなことよりも今夜の場面では、やはり宋との国交とも謂える貿易協商が実現して行くのが興味深い。こういうことは、清盛ならではの敢行であり、公家 や源氏の思いも及ばない独創であった。福原の都は短命に終わったものの、博多を都近くまで引きずり寄せた清盛の大望は、凄いとさえ言って良いのである。

* 秦建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」は最後まで清潔に、そこそこの感動ももりあげて実に行儀良く観ている私をも泪させてくれた。それで十分。俳優諸君も落ち着いたやくわりを元気に心地よく果たしてくれていた。

* フローベールの『紋切型辞典』の「過ち」に、「それは罪よりも悪い」と断じたタレーランの言葉を添えている。
 「アルビオン」 というイギリスの古名には、「常に『白い、不実なる、実際的な』といった形容詞がつく」とある。イギリスという国は、フローベールの頃にもすでに難儀な 存在であった。
 「胃」には「あらゆる病気は胃に原因がある」と。そうなのかも知れない、胃をすっかり切除してしまった私に異存は申しがたい。 みなさん、「胃」をぜひとも大事にして下さい。                                            
      

* さて明日は、聖路加の二つの内科へ行く。早めにやすもう。睡眠はまことに良薬だ。 


* 九月二十四日 月

* 体重64.7kg 血圧119-62(67)  血糖値 93  目覚め後の体調快適 朝、スクランブル卵少し お茶漬け海苔飯半膳 服薬

* 配線がわるいのか、どうも本機の調子がわるい。「一太郎2012承」の立ち上がりが遅く、よく、エンストを起こしてしまう。

* 聖路加病院へ出かける。発送の残り分に手をつけるのは明日以降になる。
    夏の間は空いていた病院に戻ってきた人たちが一杯。十時半に入って生理検査を受け、糖尿病内科の診察が終わったのが一時半、感染症内科の診察を終えたのが 三時半。料金の支払いにも時間かかり、完全に昼抜き。薬だけ、なしくずしに飲んだ。
 糖尿病は著しく改善が進んでいた。インシュリン注射の単位量を少し減らされた。感染症でももはや前立腺等の感染は終えたと思う、尿も血液もとてもきれいに良い値になっていて、貧血傾向だけが見える、と。
 とにかく今日はタチクラミ、ヨロメキが多く、危なかった。何
か食べねば家へも帰れぬと思い思い結局池袋で地下鉄を降り、西武デバートの地下売り場を通り抜 けていった。すずやの九粒入り栗菓子を買った。千円冊を出したらもう千円が必要だった。また亀戸船橋屋のくず餅を買った。支払いしたあとで賞味期限は明日 といわれた。やれやれ。
 半ばやけくそ気味にエレベーターで八階に上がり、結局「伊勢定」で蒲焼きの上と、肝吸い、赤出汁と、久保田の純米酒を注文した。どれも これも口苦くて美味いとは謂えず、途中でチューインガムを噛み口内のざらつきを抑えながら、鰻を食い汁を吸い酒を飲んだ。酒がのこったので胆焼を一 串頼んでむりやり飲んで食べた。五時前だったが、晩の抗癌剤ものんだ。
 西武線では準急の練馬まで座れなかった。つり革にぶらさがり殆ど目を閉じ、息づかいを殺していた。保谷駅で座席から起ったときのたちくらみで目の前が真暗くなった。そのまま下車、タクシーが駅前に一台いてくれて助かった。

 ☆ 「湖の本」113巻 有難く拝受仕りました。 
 いつもいつも恐れ入ります。 今回は詩歌関係なので 楽しく拝読させて戴きます。
 御身、何卒御大切に。(九月二十日)    清  歌人 

* 尊敬する九十八歳大老のお葉書で恐れ入る。

 ☆ 拝啓
 通算百十三巻 おめでとう存じます。御本を御送り頂き感謝にたえません。
 一度だけしかお会いしておりませんが、現在、大変な御病気の様子、三度の御入院までたいへんでございました。よく病いと戦いつつづけておられると感動の極みです。
 小生も八十八歳、足腰がひどく弱り、ステロイドの力を借りてなんとか生活していますが、もう世の中には出る力尽きてしまいました。でも、九十歳までに は、なんとか、生きてきた証しとなるような書をと思っています。年を経し苦しみはなんとも致し方のないことですが、どうか心の底力で病気を伏せ、一日でも 長くがんばられますよう、心よりお祈り申しあげます。
 気持だけ、御見舞同封申しあげます。 敬具   芳  文藝批評家

 * どうかお大事に良いお仕事の成りますように。大先輩の過分のお見舞いにあずかり恐縮の極みです。

* 能の喜多流友枝昭世さんからは、十一月四日の「友枝會」にお招き戴いた。昭世師は「海人」を舞う。喜多の舞台で何度も何度も観た友枝喜久夫師のもう十 七回忌。友枝一家が舞い競い、野村萬が狂言「入間川」を。友枝師には久しく湖の本も応援して戴いている。友枝昭世、かつて「鞘走らぬ名刀」とその名人藝を 讃えたことがある。当代の能役者では傑出した藝の人。観に行きたい。
 
* 病院でえんえんと待つあいだにプーシキンの『大尉の娘』をだいぶ読み進んだ。とはいえ、眼鏡の不調で永くは読んでいられない、やすみやすみ何度も頁を 繰った。なんともいえず文学が明るく澄んでいる。「花」やいでいる。しかも物語はあのプカ゜チョーフの乱のまっただ中で、主人公達はさんざんなめに遭い、 しかしそれをすり抜けて行く道筋が、なんともなんとも明るく澄んでいる。独特のプーシキンの「花」と謂おう。

* 疲れたなあ、今日は。しかし、どっちかというと、薬には責められておらず、体調はともかくとしても。気合いはわるくない。こうして機械の前にいると、しんどさも忘れるぐらい文章にうちこめるのが嬉しい。


* 九月二十五日 火

* 体重65.2kg 血圧127-57(68)  血糖値 89   目覚め後の体調快適 排便  朝、巨峰四つ くず餅 高野豆腐と椎茸の煮付け 朝の服薬 午前、仕事 昼は飯を半膳程度茶漬けで喉へ押し流した。 継続読者への発送を全部終え、さらに 寄贈者に、見失った宛名を書かねばならぬ。今週中かかるか。午後も仕事。 夕方、処方された薬を薬局で受けとる。 夕食は、船橋屋のくず餅だけをしっかり食 べた。 入浴後、晩も仕事。 自転車で郵便局や薬局に通ったあとは、げっそり疲れるが、やがて夜十時、仕事しているとつい体は忘れている。浴後の体重は、 65.7kg  数冊の読書をしながらの入浴、また良薬 心身軽快。今夜もはやめに休む。
 
機械から起ち離れるときよろめいて倒れる 物沢山なごく狭い所で物の上に尻餅をついた恰好 踵を強打 立ち上がるのに一苦労したが大過なく。 

* FACEBOOKにわたしも加入しているらしい、が、いくらいろんな通知が来ても、わたし自身は記事内容等を見る、読む操作ができなくて、連絡をくれてい る人もいろいろあるらしいが、先方からの片道通行にすぎず、何も読めていない。いっそやめたいと思うがその手順も掴んでいない。
 東工大の卒業生柳君からも連絡があったと
FACEBOOKはメールで伝えてきているが、どうしようもない。前親機の故障でメール内容は林君の手で救出されたが、アドレスは喪われ、柳君に返事もしてやれない。メールを貰うより外にアドレスは保存できない。
 
FACEBOOKはもとより、「mixi」も今は全く見ていない。開こうとしても、何故かまるで開けない。ともに野ざらしと化している。

* 夜前の読書で、とうとう『イルスの竪琴』全三巻を、またまた読み終えてしまった。残り惜しくて最後の盛り上がりのあたり一字一行を愛しむように読ん だ。三巻の最後巻を今回はほんとうに入念に愛読した。訳者の脇明子さんに貰ってから、何度も何度も愛読した。さすが泉鏡花の研究者でもある脇さんの訳は美 しい。この原作の複雑で精微な表現を日本語に置き換えるのは大変だったろう。 日本文学は別として、もし愛読書はと聞かれれば、躊躇無くマキリップの『イ ルスの竪琴』とル・グゥインの『ゲド戦記』と答えたい。この二作は、なぜかわたしの「故国」のように想われる。この地球世界とは完全な他界であることを懐 かしく愛しているのだ。『イルスの竪琴』は、尾張の「鳶」さんに貰った英語本三巻も、まがりなりに通読している。また英語でも読みたくなっている。
 さて今度は代わりにゲーテの『親和力』を初めて読んでみようと枕元の書架へ新たに入れた。ゲーテは『ファウスト』を耽読の後、いまは『イタリア紀行』の 第二巻を楽しんでいる。ゲーテ、プーシキン、チェーホフ、トールキンと、精選されている。ホーガンのSF『星を継ぐもの』も楽しんでいる。 

* さ、停頓せず残る発送に頑張りたい、が、多くのアドレスを喪っているのがネックになりそう、捜し回れば見つかるのだろうけれど。

* 野田の「原発ゼロ」など、泡のように米国と財界と自民党の圧力の前に、風に散っていった。また彼は国民に大きなウソをついた。騙したのだ。

 ☆ 前略
 『湖の本』113巻有難く拝受 大変な御病気で、今年の夏の暑さには 八年前に胃の三分の二を剔出した私も随分こたへましたから、乗り切ることが大変だつたことと拝察致します。
 歌や句の空白に漢字を埋めるむこの巻の問題に 早速当つてみましたが、ほとんど外れてしまつて 瀧井孝作さんの釣り好きなことを知つてゐましたのでそれが当つたのが唯一の正解いつたていたらくでした。
 葉書で大変失礼ですが取急ぎ御礼まで。
 どうか御からだ お大切に。    元文藝誌編集長 

* 原作者のとおりの「正解」よりも、解答者ならではの「明解」こそが望まれる。
 
 ☆ 拝復
 先日は「湖の本113」を御恵送下さいまして。誠に有難うございました。御近況をお伝えいただき、末尾の御言葉に言い知れぬ感銘を覚えました。「私語の刻」にて眼の手術が成功されました由、何よりに存じ上げました。
 『センスdeポエム 詩歌を体験』を繙いておりましたところ 瀧井孝作先生の「かなかなや川原に一人(釣)りのこる」が目に止まり、大変懐しく存じまし た。私は『俳人仲間』の御完成まで十年位担当致しましたので、先生から『全句集』もいただいており、それにもこの句が八月五日に作られたことを改めて知 り、先生が点景人物となられた風景が 私なりに目に浮かんで参りました。
 どうぞ呉々も御体調に留意されまして、マイペースでの御仕事をお祈り致しております。
 右、遅くなりましたが、御礼まで申述べます。 敬具   元文藝誌編集長

* 瀧井孝作先生はわたくしの『廬山』を永井龍男先生と連名で、芥川賞に推して下さった。お電話で、来ないかねと誘われて何度も八王子の先 生の書斎にはせ参じたこともあり、御本もたくさん頂戴した。目の前で署名して下さったり、御器を拝見したり、黒尉の面をみせて戴いたりした。ご一緒に物持ちの家へ骨董を観にでかけたり、花見に行ったり。わたしの目の 前で、急ぎの原稿を書かれていたこともある。『無限抱擁』『結婚まで』など、その他の私小説もまさしく滋味に富んだ傑作が多々あった。今度の本から、大久保さ んも坂本さんも「瀧井耕作の句」に目をとめられたのが、とても嬉しい。

 ☆ 『センスdeポエム』を頂きまして ありがとうございました。全く珍しいタイトルですが 拝見してから意味が分るでしょう。
 大変長くお目にかかりませんが お元気ですか。 九月二十四日    ドナルド・キーン                                     
* 谷崎文学等を介して親しくして戴いた。二十巻近い『日本文学の歴史』など数多く戴いた本が書庫の一画を占めている。梅原猛さん、鶴見俊輔さんらとともに、ときどき逢いたいなと想うお人である。

 ☆  拝復
 
一昨日、御著書「湖の本」113『センスdeポエム 詩歌を体験 他』御 恵贈にあずかり、忝うございました。いつもはすぐに拝見する私ですが、今回の書物は各項目をじっくり考えつつ読まなければならないし、その価値が大有り、 とすぐに分かりました。目下の私の状態では、直ちには実行できませんので、読了はだいぶ先になりそうです。申し訳けありません。変らぬ御友情に心から感謝 を申し上げます。
 手術後はいろいろと御不便を忍びつつの御仕事と感じます。ご自身が多くの魂のために心を注いだ、詩心を磨くためのお仕事を書物としてまとめられたことを慶祝します。幸せなことです。
 平安を心からお祈りします。感謝。    国際基督教大学名誉教授

* 著者冥利にあまるお葉書に心より感謝。

 ☆ 略啓
 御体調御恢復の御様子 何よりです。
 「湖の本113」有難う存じます。
 「登龍」へ御出ましの折には 是非お立寄下さい。お待ちしてをります。 不備   文藝春秋役員

* 明日の夕刻から国立大劇場の「藤間會」初日に妻と出かけ、帰りには、間に合えばまた麹町の中華料理店で北京ダックとスッポンのスープをと願っている。寺田さんを呼び出すには、ちょっと時間が遅い。 お気持ち、感謝。

 ☆ 御高著拝受 
 いつも有難うございます。今(113)巻では俳句をお採り上げいただき感謝いたします。「永病み」の対象は実は叔母で、作者と叔母とは全く結縁関係にあ りませんが 私のために尽してくれたのでその看取りを感謝した次第です。結縁関係からいえば私が看取らねばならないところを 妻が請負ってくれたもので す。経済的な面でなく 現実に看護してくれたのが妻だったので 感謝の思いを俳句にしたものです わかりにくい句を発表してしまって申し訳ありません。
 最近はペンクラブでの理事会でお目にかかれなくて残念です。
 どうぞ お大切になさって下さい。 御礼まで。  俳人

 ☆ 拝啓 
 猛暑の残暑もむようやく秋の気配を感ずるころとなりました。
 このたびは湖の本113『
センスdeポエム 詩歌を体験 他』ご恵贈により、厚く御礼申し上げます。永年のご教導を感謝申し上げつつ、拝読させていただきます。
 ご闘病の日々の中に、今回のご高著を刊行なされましたこと、感服いたしております。どうかご治療に専念なされ、御健康を回復され、文学の力で、混迷の現代人に灯をかかげて下さいますよう 心から祈念申し上げます。
 ご全快を念じ上げます。  敬具   日本文学研究家

 
☆ 漸く秋らしい感じになって参りました。
 その間、精力的なお仕事ぶりは いつもお送りくださる 湖の本をいただく度に ご尊敬申しあげておりますが どうぞ御自愛くださいませ 先ずはお礼まで。   脚本家
             
 ☆ 継続刊行
 頭が下がります。ありがとうございます。  大正大学文学部 人文学科国文学研究室

 ☆ こんにちは 京都です。
 新しい湖のご本届きました。
 いつもありがとうございます。
 今回もご入院中や闘病の中でのご製本で、いつもにも増して重みを感じます。
 頭の中で漢字が飛び交うようで、楽しみに読ませていただきます。
 どうぞ、お大切にお過ごしくださいますよう。       従妹

 
☆ 湖の本
 ご送本頂きありがとうございます。
 本の中に母の事が書かれた部分があるとの事。
 まずは亡き母に報告させて頂き、父と私が拝読させて頂きたいと思います。
 急に秋の気配が濃くなりました。やや肌寒い事もありますので、どうぞお身体を大切にお過ごしください。
     山口県  (高島 久詠さんの)娘


 * 高島さんはご夫婦で解答をよせておられ、今も印象に残っているいわば「常連」の読者だった。本の中にも何度も何度も正解・明 解者としてお名前があがっている。当時既にお年がお年であったから、あるいはと想いながらも、他界されていても喜んで下さると想っていた。ご霊前にご報告 して戴けるのを喜んでいる。お父上のご健勝もお祈りしている。         

* ことに今日はたくさんなご挨拶を戴き、とてもみんなは書き写せなかった。有難う存じます。

 ☆ 湖の本 有り難うございました。
 秦恒平さま 湖の本うれしく、本当にうれしく受け取りました。
 ご無沙汰してしまったお詫びには、私のパソコントラブルの顛末からお話ししなければなりません。
 スティーブジョブズが最初に発売したブルーのスケルトンPCを私はずっと愛用していました。機能が貧しく不便を感じながらも、使い続けていました。
 生みの親を喪いもはや骨董化して、一層見限れなくなっていました。でも、この夏の猛暑と共に老体は調子を崩し、おかしくなりました。アップルのサービス センターからは、「15年以上経ったパソコンはもう修理サービスはありません。長年のご愛用ありがとうございました。」と丁寧に冷たく断られました。
 もともとの所有者であった長男(東工大電気卒)に連絡したら、とにかく新しいのを買って動かして、それから善後策は考えましょうと、「今度はウインドウズにしましょう」と彼の勤務先の東芝製を見立てくれて、お盆休みを利用してセットアップしてくれました。
 新しいパソコンのまあ早くて美しくて便利なこと! 秦さんのHPもさっと、するすると読めます(アドレスはお名前から検索出来ますから) 貯まっていたデジカメ写真も取り込めたし、とにかく画期的!
 こうして私のパソコン新時代が始まったのですが―――
 でも、もとのパソコンがら情報が引き出せない。
 息子に言わせれば「出来ないことはないが、簡単ではない」と、「やってあげても良いけど――――」と気が進まぬ様子。
 「そうねえ、たいしたもの入っていないし、津波で流されたと思ってあきらめるか」
 確かに大きな支障はないのですが、メールアドレスがわからなくなってしまいました。来たメールに返事して、だんだん充実してはきたのですが、メールの来ない人とはご無沙汰になってしまったのです。
 でも、湖の本の奥付きを良く見たら、あらうれしや、ぼんやり記憶にある秦さんのアドレスが書いてあるではありませんか!
 ご体調がまだまだ整わず、本当に大変ですね――とお案じするしかありません。
 現代の医学は「とりあえず命が助かったのだから、少々の(本人にとっては大変な)不具合は我慢して下さい」と冷淡だと常々思うのですが、これはお医者さまに悪気があるのではなく、人間の能力がまだこんなものと思うしかありませんね。
 どうかご辛抱なさって、大事なお仕事を継続して下さいませ。
 私たち夫婦も金婚式は何もせず淡々と過ぎ、喜寿もまた淡々と過ぎました。
 ちっとも変わらない日常ですが、それこそが幸せと感謝しています。
 テレビのコマーシャル見ながら、歯も髪も自前が生えている私たちはすごいよね、
 夫婦の自慢といったらそれくらい。
 しかし今夏はシンドかったです。ヘトヘトでした。
 ご無沙汰のお詫びなど。   

* ああ、気持ち、なにもかも、よく分かる気がする。
 この夫人のご亭主は、わたしの中学・高校の同窓生。    


          
* 
九月二十六日 水

* 体重64.5kg 血圧93-49(65)  血糖値 95    口腔に苦い苔が生えたよう 血圧が低すぎる 貧血を体感 朝食、蕎麦60g  葡萄 林檎ジュース 羊羹半欠け 大下痢   仕事 四時開演の国立大劇場「藤間会」初日の舞踊を大いに楽しむ。はねて帰路、麹町「登龍」で北京ダック、すっぽんスープの遅い夕・晩兼帯の食事。インシュリン注射、抗癌剤服薬 一路帰宅  

* 尚歯會というのが昔あった。高齢者だけの詩会で、例外的に和歌の会もあった。承安二年(一一七二)に藤原清輔が宝荘厳院で主催したのが珍しくも和歌の 尚歯会だった。七人の高齢者でわたしより年寄ったのは散位敦頼の八十四歳だけ。しかし十二世紀の昔の八十四は現在日本人の優に百歳を超えた風貌であったろ う。
 七人の中の六十九歳に、右京の権の大夫頼政朝臣が加わっている。治承四年(一一八〇)平家追討の魁をなしたあの源三位頼政に他ならない。
  尚歯会で頼政はこう詠じていた。
  むそぢあまり過ぎぬる春の花ゆゑになほ惜しまるる我が命かな
 掛け値無く、秀歌である。和歌はもう公家の占有文化では無かった。武家にも勅撰集に採られる歌人が続出し始めていた。頼政はこの点でも優れた魁であった。かの尚歯会の主催、頼政と同年だった公家の清輔朝臣は、
  散る花は後の春ともまたれけりまたも来まじきわがさかりはも
と。花にはまた来年の映えがあるが、自分にはもう一花も咲かせ得ることはないのだと。これから見れば源頼政は、あはれ美しい末期の花を咲かせたのである。

* こんな面白い話もある、院の庁に勤務した身分の低い官吏が、「われより高き女房を思ひかけて」懸想文を使いも立てず自身で持っていって、こんな歌をその身分高い女に詠み掛けた。
   人づてはちりもやすると思ふまにわれが使にわれは來つるぞ
 懸想の艶書が途中で散逸するようなことがあったのだろう、時代はくだるが閑吟集に、
   久我のどことやらで 落といたとなう あら何ともなの 文の使ひや
 平安末期の梁塵秘抄にも、
   吹く風に 消息をだに托(つ)けばやと思へども よしなき野べに落ちもこそすれ
 それにしても男の、弁解ともつかぬ歌はおもしろく、「女、愛でてしたがひけり」 求愛を受け入れたと、古今著聞集にある。この男河内より住の江にゆきて夜ごと夜をあかしたと。「いみじきすき者にてぞありける」と。
 こういう話、わたしは好きである。

* 湖の本のまさに旗揚げの時、朝日ホールで「色」について講演した会場で、緒に就いたばかりの「湖の本」創刊を会場で知らせて下さったのが、朝日新聞の伊藤壮さんだった。その伊藤さんから御見舞金を頂戴した。恐縮の極み。ありがとう存じます。

 ☆ 長期に亘った今年の酷暑も、ようやく終りが来た様でございます。
 ご闘病の秦先生が猛暑に耐えて『湖の本』の刊行を続けておられること、誠に頭がさかります。御恵贈ありがとうございました。
   九月二十五日   伊藤壮

 ☆ 「湖の本113」
 お送り下さり、ありがとうございました。寺尾俊平さんの名を見て、びっくりしました。同姓同名でなければ、岡山の方(故人)で、ご尊父の岡麻吉
(故人)と私の父が、一匹のメザシを分け合って酒をのみあった仲でした。
 ご自愛専一に。草々    元参議院議長

* 寺尾さんの出題句は 「淋しい日一人の( )を仮想する」である。江田さんの御尊父はりっぱな闘志をもった社会党党首であられた。

 ☆ 冠省
 はがきで失礼いたします 湖の本毎巻頂戴しいつも啓発されながらお礼も申しあげず失礼お詫び申します
 お病気のこと伺って手紙を書きかけたのですが、長くなりすぎて あらためて、と思っているうちに時がどんどんたって行きます
 このたびの詩歌を体験、詩歌断想、私語の刻、いずれもおもしろくまた刺激的で おこたえしたいこと お伝えしたいこと 次から次へとあって、これまた収 拾がつきません 現代短歌の衰弱現象として私が憂えていることを もっともっと的確に鋭くご指摘されていて共鳴かぎりないといったところです。 あらため てまた書きます。**のこともお話しいたしたく存じますが またあらためてのことにいたします 取り急ぎ お礼とおわびまで  匆々    歌人

* 国立大劇場の「藤間会」初日に出かける。
 吉右衞門、菊五郎、梅玉の三人翁、面箱に七之助、千歳に時蔵、そして三番叟に藤間勘十郎の「壽式三番叟」弓矢立合が立派だった。吉右衞門の悠々、時蔵の品格、七之助の奮励、とりわけて勘十郎の三番叟の見事な格調に感嘆した。
 次いでは何と言おうと玉三郎の「竹」を賛美し親愛の「此の君」が、胸をさわがすほど絶品の美しさだった。玉三郎に会うのは久しぶりだった、嬉しかった。
 あと。「出雲梅」を舞った藤間綾がとびきり上手だった。藤間香花の「鏡獅子」は前シテの弥生が長くてやや退屈したが、後シテの獅子はまことに立派で、前シテの分を帳消しにした。「豊後道成寺」の藤間利弥も長い舞いを悠々と達者に舞った。
 贔屓の坂東亀三郎、亀寿兄弟が男伊達で、女伊達の藤間勘壽々につきあった「女伊達」が綺麗にしっかり纏まった。勘壽々は老女であろうが、悠然と崩れなかった。相当な達者にちがいない。大喜利の「雨乞其角」は賑やかしに過ぎなかった。
 四時間半を大いに大いに楽しんだ。
 麹町「登龍」でおそい晩食、マオタイが効いた。妻は北京ダックとすっぽんスープのほかに八宝菜を食べていた。美味そうに見えたがわたしには食べられなかった。店が、アイスクリームを最後にサービスしてくれたのに、わたしは半分と食べられなかった。苦いのだ、なにもかも。
 十時半過ぎて帰宅。

* 留守中、かつて建日子が在学当時、早稲田中・高校で教頭をされていた橋本喜典さんから、九冊目の歌集『な、忘れそ』を戴いていた。感謝。

* 予想したとおり、最初に一位だった自民党総裁候補の石破を、決選投票で二位だった安倍晋三が破ったと。
 さきざきロクな事になるまい。神経質に病 気で総理を投げ出した前歴の安倍は、困ったことに意気がって気のはやるタカ派だ。国民をひどい危険へひきずって行くかと想うと、桑原桑原。

  
* 九月二十七日 木

* 体重64.9kg 血圧113-63(65)  血糖値 93  朝、梨とミルク蜂蜜のジュース 強飯一膳 卵汁 服薬 服薬までは心身普通 午前仕事 昼は殆ど食べず 午後仕事 夕食は牛肉の甘辛煮 飯少し コンソメスープ二杯 氷菓子三個 今期最後の服薬 明日から一週間の休薬 仕事して 読書入浴  

* 玉川総研の「オスプレイ 危険の検証」は的確で裏付けもよく調べてあり、納得すると同時に防衛大臣の軽率で真摯を欠いた対米追従の姿勢に怒りを禁じが たい。アメリカでは住宅地の上では飛ばせないというのに、沖縄では、日本国内では密集住宅の上で「訓練飛行」を平然と行う。また行わせてしまうという現 実。誰もが許せないと思う。

 ☆ 冠省
 湖の最新巻を拝受、いつもご配慮頂きありがたくかつ恐縮しております。
 それにしても三度の入院、その間の病魔に対する大兄のしなやかで強靱な成心の在り様に、小生、いたく感銘を受けました。小生自身、記者になって三年目と 六年目に胸をやられ、二度目のときは喀血がとまらず、どうやらあと一、二年であの世に行くらしいと思ったのですが、母親が近くの目黒不動尊に毎朝お百度詣 りをしているのを知り、結核菌と闘うことにしたのです。そう力まずに大兄のように病魔を撫でてやる気持ちでいれば、もっと早く治っていたはずだ、と今に なって思っております。それを悟らせて頂き本当にありがとうございます、とはいえ養生は大切です。大兄の健康取り戻しを祈念致します。
 話は変りますが、**氏によるペン大会のデタラメさには呆れました。大兄の多額の寄付金が、それを含めてペンの基金が五千万円も無駄に費消されたので す。大兄のように、事態を見て直言する人を排除し、いうなりになる***系列の人を理事にして、好きなように運営したのです。私心をすてて会長をつとめた 井上靖さんの築いたペンは、小人たちによってつぶされました。
 それはともかく、どうか無理なさらずに、健康保持につとめて頂きたいと存じます。 不備  9/25   作家

* 今度の本の寄贈挨拶の頭に「不待来世」と書き出しておいたのは、わたし自身、どういう気持ちであったかと思い返している。単純に言えば「死ぬる」こと など考えない、今生の「いま・ここ」があるだけで足りているという心地であった。この四文字にもしかるべき原拠はあるにちがいないが、そういうことは知ら ない。わたしは間違いなくいつかの死に向かい歩んでいるのだが、それは自然現象であり、「いま・ここ」に在るわたしは一人の人間である。

 ☆ 御病状
 いかがかとご案じ申しあげます。ご自愛くださいませ。
 今般も亦「湖の本」113を御恵投被下ありがたく頂戴いたしました。いつものことながら私ごときに賜ります御慈悲まことにうれしくありがたく幾重にも御禮申しあげます。
 俳文学研究に参加して半世紀、御本を拝読し、「詩」について、初心にかえって考えることが必要だと強く思いました。ありがとうございました。御禮言上までにございます。 合掌   上越 ご住職

 ☆ 過日は
 「湖の本113 センスdeボエム 詩歌を体験・他」をお送りいただきありがとうございました。巻末の「私語の刻」執筆のエネルギーには驚かされますし、その姿勢 学ばねばと思っております。 恐々謹言 壬辰九月廿四日   大学教授歴史学 

 ☆ 拝復 このたびは
 
「湖 の本」113をご恵贈くださり心より御禮申し上げます。短歌・俳句の虫食い箇所を考える詩歌体験を楽しみながら拝読しております。 また「私語の刻」の原 発問題など重くうけとめております。 一雨ごとに秋が深まってまいりますが、ご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。 草々かしこ  山梨県立文学館

 ☆ 「ミマン」大好きでした。センスdeポエム ありがとうございました。 南巨摩郡 読者

 ☆ お見舞も申し上げず久しく失礼いたしました。心身虚脱状況がつづいています。今巻通読、日本人の詩精神の鋭さ、そして秦さんご自身の変らぬ広さ鋭さに大変感銘をいただきました。  出版社社長

 ☆ 
「湖の本」113
 拝掌致しました。ありがとうございました。 「センスdeボエム 詩歌を体験」楽しく体験しております。  大学名誉教授

 ☆ 拝啓
 ようやく涼しくなって参りました。虫の音も草花もあきらしく移りました。
 『湖の本』拝受、いつもありがとうございます。「センスdeポエム」表題からしてユーモアがあり、ユニークですね。いろいろなジャンルでのご活躍、ご執 筆に感心のしどおしですが、今回のはまたいっそう変わった深味のありそうな分野ですね。ゆっくり秋の夜長に読ませていただきます。大阪に越された森光洋子 さんの句が目につきました。『宴』でご一緒させて頂きました。
 まことに ありがとうございました。ご自愛下さい。 草々  ペン会員 作家

 
☆ 前略
 此の度は
「湖の本」113巻 をお送り頂きまして有難うございました。端書乍ら、心より御礼を申し上げます。何よりご闘病の仲での編集出版には並々ならぬご苦労があるものと、只々頭が 下がる思いが致します。何かと日々の所用に追われておりますが、「湖の本」第一巻からの改めての拝読の日を楽しみに致しています。先生におかれましては一 日も早いご本復を祈念申し上げる次第でございます。   ペン会員 編集者 

* メールボックスの住所録が救出出来なかったので、残る発送に苦労している。アドレスの保管にかなりの手間をとられている。
 何でも無いようでいて、ズシンと疲弊している。食べられるものが殆ど無くなり、これはどうかと試みても、苦くて苦くて口仲でザラついて、吐き出したくなる。食べなければ痩せる一方、それも防ぎたいが。

           

* 九月二十八日 金

* 体重65.1kg 血圧116-58(68)  血糖値 92  朝、 梨とミルク蜂蜜のジュース  甘味二種だけ 服薬 点眼 本日より一週間抗癌剤休薬 午前歯科医に 江古田「甲子」で二段蒸籠の蕎麦、甲子の純米酒、煮奴と板ワサ 蕎麦湯など食べられ た。 仕事 夕食はまるで口に入らず 排便 仕事 目の眩しいほかは苦痛なし 但し終日泪と洟水垂れる。 

* 漢の時代に「白虎の墓」というのが出来ていた。王業、字は子香という地方長官がいて、彼は領内を巡察に出る前には、いつも斎戒沐浴し、「この愚か者を お導き下さり、民を無実の罪に陥れることがありませんように」と天地の神に祈っていた。在任七年、仁慈の政治がひろく行き渡り、災害も無く、山に猛獣が出 ることもなくなっていた。この王業が河のほとりで亡くなったとき、二匹の白い虎があらわれ、頭を下げ尾をたれて、終夜王の遺骸のかたわらにさながら侍して いた。そして柩が運び去られると、虎はかき消すように見えなくなった。住民達は碑を建てて「湘江白虎の墓」と呼んだ。王業の仁政・善政を讃えたのである。
 かえりみて今の日本はどうだろう。
 日ごと夜ごとに悪辣や暴虐な事件が乱立し、政治は無為無策の内に民の苦しみを放置し助長し、私利党利を貪り、天地にむかい恥多い欺瞞と虚言を弄し続けて恬としている。
 かの白虎どころか、恨みと怒りをふくんだ魑魅魍魎が彼ら悪政のともがらのいつかの死を嗤い呪うであろう。

* すでに被災地から幼児の甲状腺癌がみつかっている。原発爆発とは無縁だと当局はなかば怯えて否認に大わらわだが、同じケースが不幸にして徐々に数多く 現れてくることはチェルノブイリの例をまつまでもなく、予感される。親兄弟の嘆きの声が東北に、日本国に悲風となって流れるだろう。
 この期に及んでなお自民党のあの総裁候補五人がみな「原発推進」を明言していた。なんという知性・品性の低劣! 「原発ゼロ」を言いかつ引っ込めてしまった民主党の野田総理等は、いまや自民の軍門まえに平伏し、「自民党野田派」と貶称されている。
 このような自民党にまたもや政権を委ねねばならぬかも知れぬ国民は、日ごとに暴政・悪政の前の「奴隷」と化して行く。
 次の選挙の折、自民・民主の誰一人にも投票すまい心意気を誰も彼もこぞってもたねばならぬ。

* 中国の暴動まがいはまさにまがいものであったと報道されている。日当を支払われているデモが、気楽な面白半分になるのも過剰な暴挙になるのも当たり前 で、いかにも行儀の悪い政治体制だと嗤いたい。日本への留学生達は、まともな者は金をめあてのデモになんぞ、友人達も誰一人参加していないと。仁義禮を いったい中国政府はとんなどぶに投げ捨てたのか。恥も外聞も無い在り様、嗤うしか無い。

* そんなことよりも、安倍の総裁に石破の幹事長。へたをすると戦争へ国と民とをまたまた追い込みかねない気ばかりはやって思慮の足りない陣構えではないか。

* それより何より田中俊一が率いる規制委員会が記者会見から「赤旗」記者を追い出したという事件に呆れかえっている。まるで前の戦時のようでないか。思 想信条の自由の憲法も知らないのか。時代遅れも甚だしい偏見と傲慢に、田中体制ははやくも馬脚をあらわした野田総理、安倍総裁。こういう無識と短慮とを、 どう語るか。口を噤むのか。こういうことをもっと悪辣にやりたいために憲法を変えたいのか。答えよ。

* 昼前に歯医者に行く。帰路、江古田のブックオフで岩波文庫のプーシキン、トルストイ、ロマン・ロラン三冊を買ってきた。少年の昔の本が買いたい気持ち が先祖返りしているのか。足をやや伸ばし、妻の勧めていた蕎麦の「甲子」に入った。二段の蒸籠、純米吟醸の甲子で始めて、なんとか食べも飲みも出来たの で、酒の余りに煮奴と板ワサをもらい、昼の客の一人もいなくなってからもゆっくり食べて飲んできた。とにもかくにも食べられるということが、有難い。
 狐の嫁入りのような小雨にもしばし遭ったけれど、なんなく保谷駅からはタクシーで帰れた。

* 梅原猛さんから「謹呈 秦 恒平様」などと献辞ももらって署名入りの『世阿弥の恋』を頂戴していた。書庫には頂いた全集をはじめ梅原さんの単行書が夥しく並んでいる。ちょうど『墨牡 丹』を「すばる」に一気に発表したとき、喜んでもらえた。京都に帰ったときまだ七条にあった市立京都藝大の学長室にとびこんだら、ちょうど静かに部屋にお られて暫く話したのが初対面。その後も、京都美術文化賞の選者を二十数年もつとめ、その間に氏の推薦で日本ペンクラブの理事も十二年務めた。選者や理事を 辞職してからも梅原さんはことのついでに何度か「元気にしているか、心配しています」と激励して下さる。

 ☆ ようやく涼風がたって
 
過ごしやすくなってきました。春、秋が短くなって酷暑と厳寒ばかり長くなっているのは、やはり言われているように地球温暖化の影響なのでしょうね? 
 新しい「湖の本」いただきました。以前雑誌「ミマン」で時々拝見していましたけれど、あの穴埋めはなかなか高度でした。また楽しみつつ挑戦してみたいと思っています。
 お加減いかがですか? どこまでも闘い抜く先生、と信頼しておりますので、薄情なようですけれどもあまり心配してはいないのです。つらい経験でも、きっと先生ならそれを文章に昇華して生かしてくださるものと思います。
 この11月の「朗読フェスティバル」も今年3回目となり、いわば正念場です。「継続は力」だけでなく質的にも向上してゆきたいものです。
 東電のやり方 はあまり腹立たしいため、電気契約を40Aから30Aに下げました。火力発電は高くつくとかいってますけど、原油価格と連動ような契約になっているため、 世界標準よりはるかに高い値段で買い入れているようですね。(しかも関係小会社が請け負っている)電気炊飯器をやめて、ガス(土鍋)でご飯を炊くと短時間 で出来、また直火なのでとてもおいしくて一石二鳥。電気ポットもやめて魔法瓶に替えたりなど少しの努力で電気使用量は昨年の約2割減を達成しました! 
 またお便りします。  田無  ゆ

* こういう地道な実践の積み上げも「反原発」「原発ゼロ」への原動力になる。

 ☆ なつかしいご本を 
 復刻して下さりお送り下さり誠に有難うございました。心より深く御礼を申します。大切に読み返させていただきます。昔の日にこのような楽しい機会がありましたこと うれしく楽しかったことを忘れることはありません。
 先生のご健康をお祈りいたします。ありがとうございました。  浜松市 「みまん」解答者

 ☆ 歌や句のご本を
 お送り頂きましたが 順子は去る5月15日 癌に勝てなくてあの世に旅立ちました。
 出版費の一部に当てて下さるよう送金します。  札幌市 「みまん」解答者 代人 博

* 偶然に相違なく六十数人の「解答者」解答が手元に残されていたので、お送りしはしたものの、十余年もまえの連載だったし、解答者の平均年齢は六十代の 方々で、お亡くなりの方も多かろうと案じてはいたが、記念にもして頂きたいと解答紙も添えて敢えて手元に残されていた皆の人に送った。霊前に供えて下され ば故人も懐かしく破顔一笑されるだろうと。
 ご丁寧にお返事いただき、有難う存じます。

 ☆ 何卒何卒ご快癒の程を
 心より念じ上げております。御眼の件、よかったですね。全く、眼は宝ですから、ホッとしております。122頁の6行目「兵庫県玉野市」は「岡山県玉野市」です。   神戸市 大学教授 歌人

 
☆ 一冊一冊を重く拝讀しております。病に立ち向かわれる姿勢に学んでおります。  札幌 植物病理学者

 
☆ 美麗本をいつも
 有難うございます。HP「闇に言い置く」毎日拝読いたしております。時代相の反照とともに闘病文学になっているとも感じつつ。ご快癒をお祈り致しております。  八潮市 瀧  
 

 ☆ HP拝見しております。 
 そのなかでの、「湖の本」続刊、頭が下がります。   藤沢市 読者               

* 橋本喜典さんの新歌集『な、忘れそ』は、一読、とても佳い歌を揃えられてあり、これからの再読が楽しみ。そしてまた清水房雄さんからも重ねて新歌集を頂戴したばかり。
 すぐれた短歌に出会うのは、むかしからのわたしの貴重な喜びなのである。わたしを「外野」扱いしないで下さる歌人がたくさんいて下さるのが心強い。

 音信の絶えて無きひと想像をこゆる悩みにすごしてゐるか  橋本喜典

 この歌が佳いとは思わないが、そういう音信の絶えている人がわたしにも在る。数えれば何人もある。「想像をこゆる悩み」など無かれと願っている。

* じつはわたしは、本音をいえば講談社刊の浩瀚な、浩瀚に過ぎた『昭和萬葉集』の、いま一段の秀歌撰がしてみたい。一冊では無理。しかし三巻でおさめら れれば大勢の愛読がえられるだろう。現在のあの何十さつもの『昭和萬葉集』では、せっかくだが「貴重な記録」でこそあれ、手にとって読む人は少なかろうと 思う。

* 住所録もメールアドレスも 過去の保存により大方は見て取れるとはいえ、住所は転居もあり欠けているのも少なくない。メールアドレスも、変更や中止もあろうし、欠けているのも多い。


* 九月二十九日 土

* 体重65.9kg 血圧124-66(63)  血糖値 95  朝、 六時起き 処方されていたシロップで含嗽 昨日から少し飲む 飲んだ方が良い食道にも効くと薬局で奨められた 口腔たしかにやや明るい感じ 朝食、強飯三 分二 ほか殆ど食べられず 散髪 空腹時が楽 仕事 昼食は、蒲鉾五六切れ コンソメスープ二杯 飯は食べられず 仕事 晩はシチュウ飯半分 蜆汁一椀  入浴読書三冊 八犬伝 指輪物語に、トルストイの「イワン・イリッチの死」を加える 仕事 明晩は五反田まで妻の叔母の通夜に加わる予定   

* 夜前『大尉の娘』読了。ブーシキンの文学にふれると、いつもわたしは「物語の出で来の祖(おや)」といわれた竹取物語を感じる。プーシキンこそ、ロシア文学の
「出 で来の祖」であった。作風もざっくりと明るい。論者には或いはマイナスに見るかも知れないが、王朝へのあの大きな叛乱の首魁プガチョーフが主人公らに絡ん で生彩にあふれて見えるのをわたしは珍重する。女帝エカテリーナの登場の仕方にもわたしは竹取物語ふう大らかに意表に出た表現の面白さが楽しめた。両作と もに独特の時代にさきがけた「花」が感じられる。

* フローベールの『紋切型辞典』は筆者その人のものというより、筆者その人の時代と紋切型な偏見や硬直への揶揄であり批判である。そう読むと、今にも当てはまる奇警なしかし正統な評価がふんだんに楽しめて、ときどき声を放って笑える。

 医学   健康なときは愚弄すべし。
 怒り   血行をよくする。したがって、ときどき怒りを覚えることは体によい。
 医者   信頼されているうちは名医だが、仲違いすればたちまち藪医者にすぎなくなる。
 イタリア かなり失望させられる。ひとが言うほど美しい国ではない。
 田舎   田舎ではすべてが許される。
 犬     主人の命を救うために、特別に創られた動物。「人間の友」として理想的。
 猫     客間の虎と呼ぶべし(しゃれている)  ひとを裏切る。
 日本    この国ではすべてが瀬戸物でできている。

 遅い機械の合間合間に拾い読む。必要な「怒り」を忘れ果てているのが今日の「日本」と思える。 

* 谷崎の『文章讀本』を愛読中。いろんな人の文章講座を読んできたが、谷崎のものがさすがに鷹揚にかつ緻密に精彩に富み、谷崎の筆力の最も充実していた時期の執筆と頷ける。
 読み返していて、いかに私が此の谷崎の導きに懸命に忠実であったかが、涙ぐましいまで実感でき、今も膝を折り襟を正して読みたいほどだが、寝床の中の横寝で重い全集本を読み継いでいる。
 どういうところがと紹介したいが、本一冊の多くを書き写さねば用をなさないだろう。文学は音楽であると同時に用いる漢字・かなの配合から見栄えのする文字づかいも大事と。久しく肝に銘じている。

* 散髪ですっきり。白髪がのびてゆらぐ薄のようであった。まるで幽霊。これでは人も気味悪かろうと、開店時間をねらって散髪してきた。「これが本来の秦さんです」と。健康で元気でさえあれば、何でも出来ていい体重・体格なのだが。何としても表情に生彩が無い。

* 今日の読者からの支払い票の一枚が、e-OLDの親友として千葉の勝田さん等と浅草や百花園などに遊んだ玉井研一さんの、奥さんからの訃報であった。 「さびしいです」とも書き込まれていて強い衝撃と驚愕とで一瞬狼狽えた。たしかに難しそうな手術や入院を繰り返されていたのは覚えているが、亡くなるとは 夢にもおもわれぬメールなど頂いて逆に励まされていた。悲しみて余りある。狼狽はいまも已まない。

 ☆ 拝復
 ご加療中の由、ご家族のみなさまにはご心痛のこととお察しいたします。
 「湖の本113」拝受いたしました。厚くお礼を申し上げます。『センスdeポエム 詩歌を体験』は、短詩の奥深さを痛感いたしました。浅学菲才の身、遠くおよびません。楽しいひとときありがとうございました。
 「私語の刻」(原発と国政への=)怒りと歎きに心震えました。
 ご療養専一に念じております。  京都市山科 詩人

 
☆ 湖の本
 (かつての連載を=)まとめて拝見出来る御本をわざわざお送り下さり有難うございました。
 お身体はその後いかゞですか、どうぞあまり御無理なさいませんように。
 御本はこれからゆっくり拝見させて頂きますがとりあえず御礼まで。  市原市 みまん読者               

* ほぼ新刊分の発送を終えられそう。一息ついている。が、仕事は次々に津波のように来る。仕事してるときは元気が蘇り、食事のあとは、青菜に塩のよう。はあはあと息をつく。困りましたねえ。

 ☆ 
秦 恒平 様
 先日は、「湖の本113」をお送りいただきまして、大変ありがとうございました。
 9月の韓国の慶州でおこなわれた国際ペン大会には、はじめて参加いたしました。
 ル・クレジオの講演の最後に芭蕉が出てきました。
 「e-文藝館・湖」に詩をお送りさせていただきますので、よろしくお願い致します。
 また、別便にて、書類をお送りさせていただきます。   ペン会員 岡 詩人


* ペン会員のお一人から小田原の上等の蒲鉾を戴いた。昼、有難く少し戴いた。昨日は江古田の「甲子」でも真っ白な板ワサは食べてきた。食べられた。
 いったい何が苦くて何が食べられるのか、全然確信が無い。苦い食べ物が苦痛なのは避けようが無い。「苦」痛とは謂えている。
 朝が早かった。はやめに休もう。


* 九月三十日 日

* 体重65.7kg 血圧1116-57(61)  血糖値 86  朝、 体感きわめて普通 冷え粥をすこし温め佃煮海苔、鮭崩し混ぜて一膳 ヤクルト 服薬 薬種が多いか服薬すると腹部から体感重くなる    午前は機械と苦戦 昼は、焼売四個 コンソメスープ 木の実数粒 午後仕事 晩は牛肉スープ 白粥二膳 棒羊羹一つ 仕事 颱風 明朝妻の叔母の葬 儀に同行予定

* 「強い日本に」などと自民党の安倍新総裁はわめいているが、何のことか、なかみはまるで聞こえない。「強い日本」とは誰に。これまでの自民政治ではそ れは「国民」に対して強圧の政権を意味していた。アメリカには平伏し追従し阿諛し続けていたではないか。断乎アメリカの理不尽な厚かましさに対抗するとい うなら、良い。安倍にそんなことの出来る度胸はない。だから、喚くのだ。
 「強い」よりは民意に添った「聡い」「素早い」「優しい」政治が望まれる。なにより野田民主党政権のようなみえすいた厚かましいウソで固めた政治はいけない。

* なにかしら本機に機械的変調が起きているらしく、いままでの手続きで思いの写真を此処に入れられない。また手続きを誰かに習うまでは写真無しのまま新しい月に移行する。原稿を書いていても、こまめに保存しているのに、フイと書いている全部が消え失せたりする。

* 強い颱風が近づきつつあるが、今晩は妻の叔母の通夜。五反田まで出向く。台風に遭いたくないが。
  天気予報に従い、明日十時の告別式に参上することに。

 ☆ ご健康祈っています。
 虫食いを埋めながら 己れの詩才の乏しさを痛感してしています。 石川県 元文学館長

 ☆ 「私語の刻」
 しみじみと読んでます。小生(79歳)、パソコンと縁なく現代的通信不可ですが、じっくりと(湖の本の跋文=)読ませていただきます。
 二年前に心不全を患い今は煙草を止め、酒も教え子たち(主に60代)と会合時に飲むようにしています。
 加齢と共に種々の病どもが現れ、これもまた友とせねばと思ってます。
 先生、どうぞ御自愛の上、今のお仕事、ずーっと続けて下さる事を願っています。  取手市 読者

 ☆ すっかり稔った稲穂が
 黄金色に輝いて風になびいて周りは急に秋色に染まってまいりました。
 「湖の本」が届いて、本当にとっても、うれしかったです。ホッとしております。根気の要るご通院の日々、くれぐれもお大事になさってくださいませ。
 (今回虫食い埋めは、日頃の不勉強がたたって、非常に難解です。)  静岡市駿河区  読者

* 十一月の国立劇場、
幸四郎、福助、錦之助らの出演、鶴屋南北の通し狂言「浮世柄比翼稲妻」を予約。さらに松本紀保や上条恒彦らの出る、師走 クリスマススペシャルコンサートも予約した。
 十一月の顔見世歌舞伎も、せめて夜は観たいのだが。十月、十一月には能舞台の梅若万三郎「鉢木」 友枝昭世の「海人」にも招かれている。やがて松たか子の「ジェーン・エア」も開幕だ。よろよろでも、ふらふらでも、楽しむのは妙薬と思って出かける。

 ☆ 湖の本
 
お元気ですか、みづうみ。
 体調不良でご連絡遅くなりましたが、新刊無事届いています。今回も二冊分相当のぶ厚いご本です。ご療養中のみづうみには重労働でいらしたことと心配しつつ、嬉しく読みはじめています。
  みづうみのお得意の虫食いシリーズで、ある意味新鮮な驚きというのはないのですが、このシリーズはみづうみしか書けない独創的な文藝ジャンルです。他人が真似たとしても、おそらく試験問題かクイズにしかならなくて、到底文藝作品にはならないでしょう。
  まず膨大な中からの選歌、選句という厳しい創作があり、正統派の文藝評論の仕事があり、批評するみづうみの文章自体が批評される詩歌以上の詩であり、音楽性があります。どれ一つとして、文藝の巨人にしかできない仕事です。
 天才と書くと照れる方ですから、文藝の巨人にしておきますが、古来から文藝の巨人の特徴として、早世した以外はおそろしく多作である、仕事量が多いとい うことがあると思います。バルザックでもシェークスピアでも、谷崎潤一郎でも、とにかく作品が多い。藝術家の場合、仕事量は質と比例するのです。あれだけ の数のご本を刊行なさりながら、まだまだ出てくるお仕事の多いことには感嘆し、みづうみの来し方と今此処、そしてこれからもの、刻苦勉励の日々に驚嘆して います。
 
 大間の原発新規建設のニュースに、この国はほんとうに滅びるべくして滅びる方向にあると思って、沈鬱です。日本国は日本人のものではなく、外国の植民地なのだということでしょう。
 放射能の惨禍の拡大する中で、娘を無事に生き延びさせることが、命がけのことになると感じています。「母親」の責任を全うするだけの余命があることを願っているのですが。

 みづうみがもしわたくしを心底励ましてくださる方法があるとしたら、それは新しい小説を読ませてくださること以外にありません。それも、出来るだけ早くです。小説こそ、みづうみから日本へ、日本人へ成し得る最高のプレゼント、一番の励ましです。
 さらにわたくしの好みを申し上げれば、日本の文学には少ない本格的恋愛小説が読みたいと思うのです。わたくしの生意気な読者の感想を申し上げれば、みづうみの恋愛小説は『初恋』であり、それ以外『畜生塚』でも『慈子』でも『みごもりの湖』でも藝術家小説と読んでいます。
 日本を滅亡の道から救えるとしたら、文化の力以外にないでしょう。政治や経済が壊滅しても、文化はそれがほんものであれば必ず命永らえるものですから。
 
 「文明は勝つモノの卑しさを見せつけてきた。文化は敗れたモノの真実を遺してゆくのだ」
 
 昨年8月23日のみづうみの私語の、身に沁みる言葉です。
     鶍   いすか鳴き雲ただならずわれ包む  香取柏葉                  
 
 ☆ 湖の本が届き
 
病後であの酷暑の中で、と想うとその気力と体力に驚くばかりです。(上村淳之展の=)チケットも有り難うございます。 久々に日本橋に出向く事が出来ました。
 連日何かと所用i追われてなかなかのんびりとは過ごせません。やっと気温が下がり身体をラクに動かせるようになりましたが年々の酷暑に堪えられるか不安を感じています。
 (病む夫君に=)昼食を用意して夕刻迄なら留守番が出来ますが、それ以上の留守はムリなので最近は旅行もご無沙汰です。
 私は歳なりの元気で過ごしています。  泉  同窓


* 
「歳なりの元気」 深く深く頷く。

* ドラマ「平清盛」が面白い。この脚本を書いている人、そうとう勉強されている。後白河法皇と平の清盛との血のさそう共感と競合と反発とのドラマはこの ようであったろうと思っている。悪行を清盛の意も体した時忠にこかしてあるのが面白い。この男はじつに好かんヤツで、じつは彼のかかわる小説をこの二三年 ひきずっている。なにしろ面白い、このドラマは。視聴率など気にしなくていい、この文学性もたしかな脚本をしっかり最後まで書き継いで欲しい。 

* 九十七歳清水房雄さん、八十四歳橋本喜典さんの歌集、わたしより九つ若い大島史洋さんの『アララギの人々』が、この日頃機械のそばでの愛読書になっている。

 親子とて他人のうちといふ記述さうかさうよと頷き合ひぬ   
 労らるるやうになつてはお仕舞と聞けばこれ位が程々なるか 
 清水房雄

 来し方に起死回生のごときありしかと思ひありしとおもふ
 橋本喜典はこのわれなるにこのわれがわれを証明できぬ窓口

 珍しき草花もがと茶博士の左千夫がくれしチンノレヤの花   正岡子規

 冬こもり病のひまに伏しながら繪にかきませりふゆふかみくさ  伊藤左千夫
 
* もう常時 目先が霞んでブレて、もののみづらさったら、ない。一日も早く眼鏡を調整したいが、手術から少なくも三ヶ月は作ってみてもダメと。あと三週間と一日とで手術からまる三ヶ月。この間の不自由さは、泣きたくなる、ほんと。
 それでも、いよいよ、九月尽。今晩は猛烈な颱風と予報されて妻の叔母の通夜を失礼している。明日の朝は、十時の葬儀。午前中には少なくも風、弱まっていて欲しい。




   
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