saku130


  闇に言い置く 宗遠私語=日乗   「宗遠」は作 家秦 恒平の茶名


  『宗遠日乗』闇に言い置く私語の刻

   平成二十四年(2012)七月分


* 反原発の国民デモに、衷心、共鳴・賛同する。
 当局は謙虚に、聡明に、この声を聴いて欲しい。  
         作家・秦 恒平    2012 07.1

* 消費税増税を含む法案が衆議院で可決された。
  内閣不信任案による解散総選挙、そして法案は
  再審議せよ。

 @ 民主党の明瞭な総選挙公約違反である。
 A かかる重要法案が、僅か数日の自民公明二党とだけの談合で、そそくさと合意採決、人間無視の党議拘束による衆議院議決と決したのは、国会と政党政治 の無残な自殺行為であり、ま た民主主義とヒューマニズムの蹂躙と謂わねばならない。
 B 予想を超えて多数の党内造反があった事実に、民主党の政権担当力の非在は証明されて余りある。
 C 「国民」と謂う二字が、不体裁で醜悪なな政局の渦の中で、政府、野田与党の言動からまるで抹消されてきた現実は、嗤うに足りて余りがある。
 D 議決後の首相記者会見でも、放置状態の震災被害への言及も対応もなく、原発問題もまったく棚上げのママのひたすら「増税急ぎ」に、国民は決して説得 されていない。承知していない。
 解散総選挙こそ誠意の見せ所ではないか。それで遅いという政治情勢ではない。遅いとは、たんなる野田総理の私的な名誉欲か らの論理に過ぎない。
 E 自民党、公明党のやり方も穢い。醜い。   作家・秦 恒平    2012.06.2


         ーーーーー☆ーーーーーーーー☆ーーーーー



述懐 平成二十四年(2012)七月

 庭の夏草茂らば茂れ
   道あればとて訪ふ人もなし         隆達小歌

 触れしバラの針柔らかし、たまゆらを
   胸に萌(きざ)しし刺(とげ)を悔い居り  游 細幼

 箸涼しなまぐさぬきのきうりもみ        久保田万太郎       

 
鋭 (と)き小さき南天の葉のいさぎよい
   真みどりに染みて命あらばや            湖

 花の匂ふ狭庭に降りてどの花が
   匂ふのかとしゃがむわれが楽しも    遠



             


        
       村上華岳 太子樹下禅那図 部分




* 平成二十四年(2012)七月一日 日

 
☆ 反原発 初・デモ参加                        
 
お元気ですか、みづうみ。
 みづうみの一日一日の投薬が無事におさまりますよう に、心をこめてお祈りしています。

 六月二十九日、初めて官邸前の反原発デモに参加してきました。
 今までのデモというと政治色の強い印象でしたが、一昨夜のデモはほんとうに「ふつう」の人々のデモでした。初めてでも安心して参加できます。サラリーマ ンやOLや老夫婦や学生や子連れの家族が穏やかに歩いていて、私のように一人で参加している人もたくさんいました。
 構えずに、気軽に歩く感覚でよいので、これからも一人でも多くの人に脱原発の声をあげていただきたい、デモに参加してほしいと思います。
 想像していたより若い人が多いことが嬉しいことでした。背広姿の男性が「日本を滅ぼす気か」と叫んでいたのが、まったく同感でした。この場に来ていた人 々の共通の思いでしょう。
 一昨夜の規模になれば、さすがに新聞テレビでも報道されました。しかしながら、率直な感想を述べれば、この程度の人数では、官邸及びその周辺には屁でも ないということです。たしかに今までにない大規模なデモですが、このくらいは想定済みで原子力推進派には痛くも痒くもないでしょう。ほっておけばそのうち 諦めて下火になるとふんでいるはずです。国民の怒りも、再稼働の既成事実を重ねることで、下火になってくると高をくくっているでしょう。それよりも彼らは 数人の東電さま、あるいは彼らの正体不明の親分のお怒りのほうが怖いんじゃないかしら。
 福島瑞穂さんをお見かけしました。誰かと話しながら歩いていらっしゃるところでした。私の印象では、この人は、脱原発の看板を掲げていても、とても脱原 発運動に貢献できないだろうと失望しました。デモに来るだけましかもしれませんが、国民の声を代弁できる政治家ではないでしょう。命がけのもの、発信力が まるで感じられませんでした。
 国民の抵抗はまだ始まったばかりです。これからが大切です。少なくとも昨夜の三倍の人数が集結しなければ、原発推進勢力を一瞬でも止めることは出来ない でしょう。
 国民は、このまま黙って原子力ムラに殺されるか、そ れとも断固闘いぬくか、この二つに一つの選択肢しかないのに、まだ無関心な人間が多すぎます。誰かがどうにかしてくれるなんていう幸運は、もうあり得ない 状況です。一人でも多くの国民が、怒りと強い意志をもって行動しなければ原発は止められません。
 防護服を着て原子炉の実物を見たことのある人間はそう多くはいないでしょう。私の見た物は実験用の小さな原子炉でしたが、若い日に見ておいた経験は貴重 なものでした。あのような物体が無惨に破壊された時、人間が制御出来るはずがないということは、肌でわかります。人間の創り出したほんものの悪魔、怪物と 思っていただければよいでしょう。
 正直に申しまして、私は福島の事故収束については、希望を失っています。どうにもならない状態ではないかと恐れます。決定的破局を一日延ばしにしている だけではないかとすら感じています。
 起きてしまった福島の事故はもう変えられませんが、せめてこれから起きる悲惨な事故の種は防がなければ日本は破滅を免れません。
 再稼働前に既に一晩で二十六回も警報の鳴った大飯原発が、今後も無事故であると、お気楽な希望的観測している関西電力も政府も信じがたいバカ集団です。

 第二次大戦では三百万人以上が死にました。もっと犠牲の少ない形で敗戦にすることはいくらも出来たのに、愚かしい日本国は最大限の国民が死ぬまで戦争を 終わらせることが出来なかった。そして、無駄に無能にかくも多大な犠牲を強いた当事者は責任すらとらなかった。原発でもまったく同じ轍を踏むつもりでしょ うか。
 このまま国民の無関心派が動かなければ、第二、第三の福島が起きます。危険度の高い原子炉が次々に稼働をはじめます。政府は浜岡も、もんじゅも、六ヶ所 も稼働させるでしょう。
 日本人は大失敗した第二次大戦の歴史から何を学んで きたのだろうと思います。今も同じことが起きています。
 第二次大戦の勝算のない愚かしい開戦は、地震国日本に原子力発電を導入し、活断層も調べず安全性を軽視した原発を次々に建てたことと同じ。根拠のない楽 観と精神論だけで戦線拡大し、負け続けたのを隠蔽した事は、「安全神話」をでっちあげ、事故後はこのくらいの放射能は大したことはないと国をあげて洗脳し ていることと重なります。

 私は、今の日本人は満蒙開拓団と同じ立場にいると感じます。日本の敗戦が決まった時、軍部と満鉄の上層部などは住民を見捨てて真っ先に逃げていました。 政官財や原子力ムラの、真相を知る人間たちは、日本が汚染でいよいよ危なくなる前に、早々に外国に逃げるでしょう。お金もルートもたっぷりあるのです。
 残された満蒙農民たちの逃避行の悲惨は、そのまま私たち国民のものとなるでしょう。 私が満蒙開拓団の記録で耐えられないのは、わが子を棄てたり殺した りせざるを得なかった事実です。
 幼児を筵に置いて、食べ物とおもちゃを残して逃げた多くの家族。幼児は運がよければ中国人に助けられたでしょうが、大半は狼の餌食となりました。乳飲み 子は、母親が乳房に毒を塗って、授乳させながら殺しました。
 もし、放射能から緊急で逃げる必要があるとき、日本人は満蒙開拓団の人々のように、弱い者を見捨てていかざるを得ないかもしれません。
 福島事故の影響で、これから想像を絶する事態が始まろうとしています。子どもたちから死んでいきます。これ以上の悲劇を繰り返さないために、もう悪循環 の原発依存経済は止めるべきです。
 こんなことを書く私の頭はおかしいのかもしれませんが、少なくとも昨夜デモに参加した人間はこの危機感を共有していました。
 
 ただ一つ、あの戦時中より今のほうが有利なのは、言 論の自由があることです。秘密保全法が成立してしまえばわかりませんが、まだインターネットで自由に発言することが出来ます。
 日本が取返しのつかないことになる前に、一人一人が、小さな人間が、絶対にあきらめずに意志表示をしていかなければと思います。相手はおそろしく強大で す。容易には勝てない相手です。
 デモに参加しないでも、脱原発への声はあげられま す。
 大飯原発再稼働に反対意見をお持ちにもかかわらずデモに行けない方は、電話かファックスで後方支援という手段があります。
 
首相官邸1:03-3581-0101 首相官邸2: 03-5501-2277 首相官邸FAX:03-3581-3883 
 
関西電力:06-6441-8821 関西電力 FAX:06-6441-7143
 
 電話では軽くあしらわれてしまうそうなので、FAX で簡潔にまとめて送ってみてください。
 
 一昨夜、原発国民投票を実現しようというパンフレッ トが配られていました。賛同人として浅田次郎、辻井喬、吉岡忍、谷川俊太郎さんらのお名前にまじり、黒川創さんお名前もありました。みづうみのお兄さまと 同じように、無関心ではなく行動しようとしていらっしゃるのでしょう。
 急いで書いたのでいつにもまして乱文ですが、読み返さずにこのまま お送りします。みづうみのお気持ちの晴れるメールを書けなくてほんとうにごめんなさい。         いかづちの後のもの影濃くしたり  中山宗一郎

* 日本中の生活者がこうあって生きて行きたいと、この、わたしの娘よりやや年嵩な主婦読者のすばらしい変貌に敬服する。歩くのは嫌いで す、疲れますからと、むかしメールで読んで、病人さんかと久しくわたしは想っていた。
 わたしこそ今は病人で情けないが、こうして日々の「私語」を発信し続けている。どれほどの人たちに伝わって行くのか、多年の励行で読みに来て下さる人は 少なくはないと想っている。どうか、わたしの「私語」は(主旨を書き替えられては迷惑だが)いくらでも転送されていいとむしろ願っています。
                      
* 甥の黒川創の名を久しぶりに聞いた。こういうところで踏ん張ってくれて当然のこと、有り難い。
 秦建日子ら、藝能畑の若い人たちにも、信念を持って発言し「歩いて」欲しい。

* それもこれも仇夢のうちとわたしは感じているが、感じながらも夢の内でなりと人間悪に向かっては、当然の声を挙げたい。「無用の用」を意識し、「世間 には無用の もの=散人」になることを念願にしてきた先達も、荷風散人のように、いた。わたしは心底でむしろそちらに憧れる自分を承知しているが、しかし、いま、わた しは敢えて「雷」さんに同じて、悪政に向かっては思うまま批判を書き置いてゆきたい。

* 大事に保存・保管していた記録が喪失して機械の中で見付からない。参った。だがそういう経験は一度や二度でない。原因や理由が全く分からないことも同じ だ。いやはや。 
 
* 今夜の「平清盛」は平治の乱。保元の乱はあっという間の勝負で、血なまぐさい死刑などもあったが、要するに勝った負けたの結着は判りよく割り切れてい た。平治の乱はくだらない動機で始まって終わったものの、及ぼしたあとあとへの影響は深刻だった。信頼などの愚かな公家の末路はお話しにならないが、源氏 の義朝の浅慮はそのまま時代を、信西入道が計らおうとしていた方向とは違う方へ奔流させた。清盛とて、信西の野心を正しく読んでいたか心許ない。信西は間 違っ ても武士の世を考えてなどいない、明らかに後白河上皇を頂いた公家政治を、摂関家の割り込みを排して実現すべく、清盛と平家の武力をそこそこに厚遇しつつ 背後に備えようとしていた。義朝の野心は信西の眼にはちいさく田舎臭く映じていたろう。
 清盛は、その信西を義朝らに殺されてしまうと、行く先々の展望を切り替えるしかない。義朝の源氏と並び立っていては公家の犬のままになる。源氏を倒し て、こんどは直に後白河院との間で前途を画策するよりない。摂関家も近臣公家ら公家社会は清盛の味方にはならない。
 来週のドラマがどう動くか、差し当たっては平氏が源氏を都から追い出す。捕らわれた頼朝の命乞いも始まるだろう。牛若など幼児をかかえた義朝寵愛の常 盤は清盛に縋ることになろう。清盛はもう頼む信西を喪って前途を独りで考えるしかない。後白河院との親昵や競合や確執の時代へ動きながら、妻時子の妹滋子 を後白河に提供する。史上もっとも幸せな皇后といわれた建春門院をあの好色な院は、他をすべて顧みないほど愛したのである。娘徳子、のちの建礼門院を、そ の滋子の生んだ高倉天皇妃にして外戚の権を得たというだけの清盛ではなかった。
 『猿の遠景』という著がわたしに在る。一点の名画を介し、清盛と後白河院との時代や折衝がおもしろく読み取れるはず。


* 七月二日 月

* 見失っていた記録、発見。これだけ厖大なホームページの収蔵記事から、一つ二つを見失うと捜索に手こずる。見付かってよかった。                 

* かねがね不可解であったこと。それは「党議拘束」という四文字。誰か識者が、党議拘束が守られねば政党政治は成り立たないとテレビで 喋っていた。バカげて いる。そんな個人の信念を無視した制度を居丈高に振り回しているのは、日本国だけではないか、一言堂、一党支配の共産主義国家を除けば。
 吾々は多くの代議士を「その人」と信頼して国会に送り込んでいる。たとえ党がどう主張を持とうが、「その人」の信念に悖るなら反対する姿勢は持って欲し いし、そういう「人間としての意思」を許容する民主主義であって欲しい。「党議拘束」という言葉も汚いが、なによりも代議士を頭数でしか動かせない政党感 覚の硬直が嫌い。
 今回党議拘束に反して投票した民主党のいわゆる造反議員に限って言うのではない。われわれの代議士の信念や行為を平然と「拘束」して単なる頭数に貶めな いでもらいたいし、国民の支持で当選した代議士も其処の所で踏ん張って欲しい。数で数えられるだけの頭としてでなく、「頭の中身」で政治行動して欲しい。
 現民主党の代表や総務会長らの居丈高な「党議拘束」吹聴は、人間の貧しさを露呈している。

 ☆ 暑い日が訪れました。
 いつもご心配くださいまして本当にありがとうございます。
 先生。眼科でご入院とのこと、奥様もお忙しいことと存じます。どうぞお体にお気をつけ下さいませ。
 実は私もいろいろあって、七月二日に再手術となりました。短い間に二度目ということでガックリしています。でも約一週間で退院できます。
 いつかお目にかかれますように。  弓  京都

* やはり癌と聞いていた。
 自身が病気していると、心親しい知友の病気がひとしお気になる。なかには、自身の病気ではなくて心身の奔走を必要としている人も有る。老々介護もしか り。 なかには、お子さんが欲しいのに満たされぬまま人工授精の成功を願って採卵などにクリニック通いを続けている人もいる。どうかどうか、いい結果へ繋がると いいと願う。 心身の鬱になど冒されないで、だれも、元気でいて欲しい。
 わたしは色素沈着が進んできて、妻に言わせると顔色もと。抗癌剤の副作用は、待ったなしに高めへうねって行く。先は永い。 

 ☆ 「湖の本」112j巻を頂きました。有難うございます。
 五日ほど、神戸、京都を所用で廻っておりまして、御礼がおくれました。帰ると、思わぬ方の訃報やら、すでに「相済ませました」という御報告やらで、これ また天てこまいです。
 折りから遺書の数々の例を沢山挙げて下さってあり、大変有意義です。
 日々、御快方にと思いますが、どうぞお大切に…。  元文藝誌編集者 文藝批評家

* わたしは、バグワンに出逢うよりずっと昔から、いわゆる「マインド」とされる「心」に、全幅の信を措いてこなかった。「マインド」はくるくる変わる、 揺 れる、定まらない。わたしは「ドンマイ」を良しとするようになったが、その実のわたしは、容易にそうは成れなかった。
 断っておく、ハートを拒絶しているのではない。分別という理知、知識や小理窟に動かされやすい「マインド」への警戒ないし嫌忌。これは、まだまだ、なか なか、人に判ってもらえない。
「真実って何ですか,バグ ワソ?」と彼のアシュラムで質問した人に、バグワンは応えている。すこし纏めてバグワンに聴いてみよう。           

 
☆ 
般 若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさ んの翻訳に拠りながら。                                                      
 
「真 実って何ですか」,それは誰しもの心に浮かんでくる疑問の中で,最も重要なものだ
 だが,それには答えがない
 最も重要な問い
 究極の問いは回答を持ち得ない
 だからこそ,それが究極の問いなのだ
 ポンティウス・ピラトゥスが,イエスに真実とは何かと尋ねたとき
 イエスは沈黙したままだった
 それだけじゃない
 物語が伝えるところによれば
 真実とほ何かというその質問をしたとき
 ポンティウス・ピラトゥスは回答を待つことさえもしなかったという
 彼は部星を出て立ち去ってしまった
 答えなどあり得ないと思ったのだ
 イエスが沈黙を守ったのも
 それは答えられないと考えたからだ

 しかし,この二つの理解は同じものではない
 正反対だ
 ポンティウス・ピラトゥスは
 それが答えられないのは,真実などないからだと考える
 「どうしてそんなことに答えられる?」ーー
 それが論理的な心

   ローマ人の心
=マインド
 イエスが沈黙を守ったのは,真実というものがないからじゃない
 真実というものが巨大すぎるからだ
 定義不能なのだ
 言葉になど収まり得るものではない
 言語には還元され得ない
 それはそこにある
 人はそれで在ることはできる
 だが,それを言うことはできないのだ
 イエスが沈黙を守ったのは
 彼が真実を知っており
 そしてまたそれが言われ得ないということを知っていたからだ

 
「真 実って何ですか」
 これより高度な質問は何もないと言ってもいい
 なぜならば,真実よりも高度な宗教などないのだからーー
 これは理解されねばならない
 私はそれに答えるつもりはない
 答えることなどできないのだ
 誰ひとりとして,それに答えられはしない
 だが
 われわれはこの質問の中に深くはいり込んでゆくことはできる
 深くはいり込んでゆくことによってこの質問は消え失せはじめるだろう
 質問が消え失せたとき
 おまえは,おまえのハートのまさに核心に回答を見出す
 おまえが真実なのだ

 真実というのは,ひとつの仮説ではない
 真実というのは,ひとつのドグマではない
 真実はヒンドゥー教でもないし
 キリスト教でも回教でもない
 真実というのは私のものでもなければ,おまえのものでもない
 真実は誰にも属さない
 が,誰もが真実に属する
 真実とは在るそのもの(that which is)という意味だ
 それがその言葉の正確な意味なのだ
 それは<Eェラ(vera)’というラテン語源から釆ている
 ウェラとは在るそのものという意味だ
 英語のwas,were−それらはウェラから来ている
 ドイツ語のwar
 それもウェラから来ている
 ウェラとは在るそのもの,解釈されざるものを意味する
  いったん解釈がはいって来ると
 そのときには,おまえが知るのは,〈現実
リアリテイー〉であって〈真実〉ではな い
 現実とは真実の解釈されたものなのだ
 だから,おまえが「真実とは何か?」に答えたその瞬間
 それは現実=
リアリテイーになってしまう
 真実じゃない
 解釈がはいり込んでしまっている
  心=マインドがそれに色づけしてしまっ ている
 現実は、心
=マインドがあるのと同じだけたくさ んある
 真実は、
=マインドがそこに無くなったときは じめて知られる
  おまえを私から分離させ、他人から分離させ
 存在から分離させているのは
=マインドなのだ
 もし
=マインドを通して見たら
 
=マインドはおまえに真実の映像を与 えてくれはする
 しかし、それは一つの
映像
 在るそのもの の写真でしかない

 ‘‘リアリティー(reality)”というのも
 理解されてしかるべきビューティフルな言葉だ
 それはレス(res)”というラテン語源から来ている
  物,あるいは物事という意味だ
 真実は物じゃない
 ところが,いったん解釈されてしまうと
 いったん
=マインドがそれをつかんでしまうと
 定義してしまうと,限定してしまうと
 ひとつの物になってしまう

 おまえがひとりの女性と恋に落ちるとき
 そこにはある真実がある
 もしおまえがまったく知らずに落ちたとしたら
  突然、、おまえがその女性を見,彼女の目をのぞき込み
 彼女がやまえの目をのぞき込み
 そして,何かがカチリと通じ合うーー
 おまえはそのやり手(doer)じゃない
 おまえの自我=エゴは関わっていない
 少なくとも,ごくごくはじめのうち
  まだ愛が純潔=ヴァージンのとき
 その臍間.そこには真実がある
  そこに解釈は何もない
  愛がつねに定義不能なままなのはそのためだ

 やがて
=マインドがはいり込んでくる
 物事を処理しはじめ,おまえを支配しはじめる
 おまえはその女の子を自分のガールフレンドだと考えはじめる
 どうやって結婚しようかと考えはじめる
 その女性を自分の妻として考えはじめる
 さあ,そういうのは“物”だ
 真実はもうそこにない
 退却してしまっている
 いまや物の方が大切になっている
 定義可能なものはより安全だ
 定義不能なものは危なっかしい
 おまえは真実の息の根を止め
 それを毒しはじめてしまっている
  ハネムーソは過ぎた
  ハネムーンは.真実が
現実=リアリテイーになる
 愛がひとつのく関係〉になる、まさにその瞬間に終わるのだ
 ハネムーソはとても短い
 不幸なことにーー
 ただし,私が言っているのは
 おまえたちが遠くまで出かけて行く
ハネムーン゜新婚旅行“のことじゃ ないよ
 たぶんほんの一瞬、真の
ハネムーンはそこにあったかもしれな い
 だが.その純粋性
 その水晶のような純粋性
 その神々しさ
 その超越性……
 それはく永遠〉から来ている
 それはく時〉のものではない
 それはこの俗世の一部ではない
 それは暗い穴に差し込んでくる一条の光線のようなものだ
 それはく超越〉からやって来る
 それを愛と、神と呼ぶのはまったくふさわしい
 なぜならば.愛は真実だからだ
 あたりまえの人生で
 おまえが最も「真実」に近づくのは愛なのだ

  「真 実って何ですか」,
 聞くというこ と自体が消え失せなければならない
 そうしてはじめておまえは知る

 覚えておきなさい
 おおよそのものなど何もあり得ない
 真実はあるか,あるいはそうでないかのどちらかなのだ
 もしそれがおおよそだと言ったら
 言葉の上ではそれは大丈夫(all right)に見える
 が,それは正しく(right)ない
 おおよそというのは,そこに何か嘘がある
 そこに何か偽りがあるということだ
 さもなければ,どうしてそれは100パーセソト真実ではないのか?
 それが99パーセソトだとしたら
 そのときには何かそこiこ真実でないものがあるのだ
 真実と非真実とは共存できない
 闇と光が共存できないようにーー
 闇とはく不在〉以外の何ものでもないからだ
 (不在〉と〈現存〉とは共存できない
 真実と非真実は共存できない

 
「真 実って何ですか」,
 回答は何ひと つ不可能だ
 だから,イエスは沈黙を守ったのだ
 静寂が回答なのだ
 イエスは言っている
 「静かでいなさい
 私が静かであるようにーー
 そうすればあなたは知るであろう」と
 言葉で言っているのじゃない
 それはひとつの仕草だ
 ごくごく禅的だ
 彼が沈黙を守ったその瞬間において
 イエスは禅のアプローチ
 仏教のアプローチに非常に近づいている
 彼は,その瞬間においてはひとりのブッダなのだ
 仏陀はこの質問にけっして答えなかった

 根本的な質問
 本当に重要な質問ーー
 そのほかのことなら何でも聞いていい
 仏陀もいつでも答える用意があった
 ところが,根本的なことは答えなかった
 なぜなら,根本的なことは体験するしかないからだ
 そして,「真実」とは最も根本的なものだ
 存在のまさに本体ーー
 それが真実の何たるかだ

 
「真実とは何か?」
 
質 問の中にはいって行ってごらん
 そこに大いなる集中を湧き起こらせなさい

 それを生死を賭けた一大事にするのだ

 しかも、それ に答えようとしないこと
 なぜならおまえは答えなど知らないのだからーー

 ところが、答えが来るかもしれない
 
=マインドというのは、つねにおまえ たちに答えを提供しようとするものだ
 しかし,自分が知らないという事実を見てごらん
 だから,おまえは尋ねているのだ
 だとしたら,どうしておまえの
=マインドがおまえに回答を提供する ことなんかできる?

 
=マインドは知りやしない
 だからi 
=マインドには「静かにしていろ」と 言って聞かせなさい
 
=マインドのもち出すおもちゃに騙さ れないこと
 
=マインドはいろんなおもちゃを提供す る
  心=マインドは言う
 「見ろよ! 聖書にこう書いてある
 見ろよ! ウパニシャッドにこう書いてある
 これが答えだ
 見ろよ! 老子がこう書いている
 これが回答だ」ーー
 
=マインドはあらゆる種類の経典類を あなたに放ってよこすことができる
  心=マインドは引用もできる
  心=マインドrは記憶からいろいろなも のを引き出してくることができる
 おまえはいままでにたくさんのことを聞いている
 たくさん読んでいる
  心=マインドはそういう記憶のすべてを たずさえているのだ
 それを
=マインドは機械的にくり出すことが できる
 だが,この現象を見つめてごらん
  心=マインドは知ってはいない
  
=マインドのくり返してくることのすべ ては、借りものにすぎない
 そして,借りものは役に立たない

 
=マインドに気をつけなさい
 
=マインドというのは引用ばかりした がるものだ
 
=マインドとうのは全然知りもしないで すべてを知っている
  この現象をよく見てごら ん
 〈洞察insight〉するのだ
 それは考えるというような問題じゃない
 もしそれについて考えたりしたら
 それはまたしても
=マインド
 おまえは深く深く見抜いてゆかなくてはならない
 
=マインドの機能を,=マインドがどのように働くかを深く 見つめなければならない
 
=マインはあちこちからいろいろな ものを借りてくる
 そして貯め込み続けてゆく
  心=マインドこそ貯蓄家だ
 知識の貯蓄家だ
 しかもいざおまえが本当に大切な質問をするときには
 
=マインドはまったくいいかげんな回 答をしてくれる
 空しい,浅薄な,ゴミくずだ

 
=マインドと悪魔だ
 ほかに悪魔など何もいやしない
 そして,それはおまえ自身の
=マインドなのだ

 深く深く見通してゆくという洞察力が磨かれねばならない
 鋭いひと太刀で
=マインドを真っ二つに切り裂きなさ い
 その刀が覚醒だ
 
=マインドを真っ二つにして,それを 通り抜けなさい
 乗り越えるのだl
 もしおまえが
=マインドを乗り越えられたなら
 
=マインドを通り抜けられたなら
             ノーマイソド
 おまえの中に無心=ノーマインドの湧き上がる瞬間が来る
 そこにく回答〉があるのだ
 口先の回答じゃない
 経典の引用でもない
 真実おまえのもの
 ひとつの体験だ
 真実とはひとつの実存的体験なのだ

 ちょっと湖に行ってごらん
 岸に立って,水に映った自分の影を見おろすのだ
 もしそこに波が立っていたら
 風が吹いて湖面にさざ波があったなら
 おまえの影は安定しない
 どこが鼻だかどこが目だか?−
 湖が静かで,風もなく
 水面に波ひとつ立っていないときには
 突如としてそこにおまえがいる
 おまえの姿が映っている
 湖が一枚の鏡になるのだ

 いつであれ
 おまえの意識の中を思考がよぎるとき
 必ずそれは歪曲作用をする
 そして,思考や分別の数には限りがない
 何百万という思考や分別が,絶え間なくひしめき合っている
 いつもラッシュアワーだ
 交通は途絶えることなく,いくらでも続いてゆく
 そして,ひとつひとつの思考や分別には
 また何千というほかの思考や分別がつながっている
 それらはみな手を取り合ってつながり合い互いに組み合わさっている
 そして
 その群衆全体がおまえのまわりにひしめき合っているのだ
 それでどうして真実が何かなどわかる?

 この群衆から脱け出しなさい
 それが瞑想の何たるかだ
 それが瞑想のすべてなのだ
  心=マインド抜きの意識
 思考・分別のない意識
 ゆらめきのない意識
 揺るがざる意識ーー
 
群 衆から脱け出したとき
 それらは一切の美と天恵のもとに具現している
 く真実〉がそこにある
 それを神と呼んでもいい,ニルヴァーナ(涅槃)と呼んでもいい
 何とでも好きなように呼ぶがいい
 それはそこにある
 それも,それはひとつの体験としてそこにあるのだ
 おまえはその中にあり
 それがおまえの中にある

 
「真 実って何ですか」 
 この質問を使いなさい
 それをもっと透徹したものにするのだ
 それに賭けて
、心=マインドがあなたを騙すことができ なくなるぐらい
 それを透徹したものにするのだ
 ひとたび
=マインドが消え失せたなら
 ひとたび
=マインドがそれ以上古いトリックを しかけなくなったなら
 おまえは真実とは何かを知るだろう
 おまえはそれを静寂の中で知るだろう
 おまえはそれを無思考の覚醒の中で知るだろう

* わたしは読んでいるのでなく、「聴いて」いる。いたく恥じ入り忸怩とした思いにも苛まれながら、聴いているのだ、毎日。

* 小沢一郎らの民主党離党がきまり、総数で五十数人が報じられていて、今少し増えはしまいかと期待している。造反とは考えない。民主党に質的に造反した のは野田内閣とその与党である。画餅の如く政党公約を足蹴にして恥じない政治家の淘汰を真剣に国民は実行しよう。
 いまの民主党は死に体である。葬って惜し いなにも残していない。些少の政策実現が問題ではない。政治的誠実を忘れ国民の嘆きに知らぬフリを通そうとする、それは悪魔的な所為である。むろん、 自民党にも些かの復活期待など無い。どうかどうか、良き三極が大同について大道の先登を昇って欲しい。
 国民や都市民を下目に見下すような傲慢・高慢な政権 が二度と現れぬ事を願う。民主党の分裂を「ざまあみろ」という物言いでしか感想のでない石原慎太郎の公人としての、同じ政治家としての、高慢な行儀悪さに は都民のひとりとしても、同時代を生きてきた作家同士としても、情けない。

* ビート・タケシと阿川佐和子の司会しているTVタックルの長時間掛けた原発論議などは、聴き応え有ったとしておく。野田内閣の暴挙を是とした者は、民 主党の二人も含めて一人もなかった。

* 野田総理は、官邸を取り巻いた国民の声と言葉とを「大きな音」としか聞き取ろうとしない。なんたる鈍重・高慢ぞ。

* それにしても、食べられず、体疲労は深く、体表にまで変化が表れてきていないかと疑う。午前はまずまずだったが、午后からは参った。明日は眼科の検査 と診察に聖路加まで行かねばならぬ。うまく気が変わってくれるといいのだが。

* 祇園会を迎える。八坂神社のお手洗場を、幕末岸派の岸連山が安政四年に描いた繪軸を掛けてみた。この年、幕府はハリスとの日米通商条約海底の交渉を始 め、条約締結を孝明天皇の朝廷に伝えている。
 伝足利義政筆の歌短冊「海上蛍 みつしほに入ぬるいそを行ほたるおのがおもひはかくれざりけり  義政」も。  

             
* 七月三日 火

* 予想した以上に苦しいか。そんなことはない。不快にしんどいけれど、堪え難い苦悶苦痛があるとは今の段階では言えない。仕事したり読ん だりしていれば大方忘れられる程度。だからといってラクではない。容赦なく鋭気や生気は侵蝕されている。

* 聖路加の眼科で検査と診察を受けに行く。独りで行く。「中国古代寓話集」を持って行こう。

* 往きも帰りも座席を譲られてきた。よほど生気なく見えるのだろう、わたし自身も、往きはまずまず、帰りはとてもしんどかった。朝食が十分に入ってなく て、服薬はしていた。昼すぎに診察が終え、有楽町で鰻と菊正でもと強いて思いはしたが、有楽町線の保谷まで直通が来たので、そのまま有楽町で降りなかっ た。 それでも食べねばと、池袋で下車したものの、デパートの高いところまで行く活気が無く、むなしく西武線に乗って帰ってきた。とてもとてもすすたとは歩けな い。帰って少し食べ物を口にしたが危うく吐きかけ、中断して機械の前へのがれ、バーン・ジョーンズの繪写真をいろいろ細工していた。気分のわるさをなんと かやり過ごした。
 夕食は摂らねばならない。体力が落ちてしまうと妻を心配させている。ふんばって食べねば。
 京都の「樅」のママからバラエティに富んだ、柔らかくて京ならではの祇園町のお煎餅詰め合わせをもらい、群馬の図書館長さんからは工夫を凝らしたゼリー を各種頂戴していた。感謝。
 「樅」のママは、中学・高校の同級生、気っ風のいい、唄のむちゃくちゃ上手な友達で、そうそう京都へも行けなくなったけれど、お店に行ければしんから寛 いで、人さまのカラオケ自慢を黙々と聴いている。妻も好きで、一緒に行ったことも何度か。妻も、あまり上手でない「愛燦々」など歌いたがるのでびっくりす る。

* しんどい中でも、路傍の小さな季節の花に眼が行くと、写真に撮る。朝顔も木槿も季節になってきた。青々と茂ったいろんな樹木にもしみじみ眼を惹かれる が写真には難しい。花はどんなにちいさくまた一輪だけでも、佳い。

* **県に赴任した「宏」君が、名産の葛を各種、食べて下さいと送ってきてくれた。ありがとうよ。

 ☆ 秦先生
 お体の具合はいかがでしょうか。**の美味しそうなものを見付けたので、沢山ではありませんが、お送り致します。
 私の方は、先日、初めての議会が終わりました。
 事前の質問通告に無いのもありましたが、思ったこと、考えたことがそのまま答弁できたので、自分なりには良かったのでは、と思っています。
 この点については、市民、県民の日常生活に密着している住宅行政は、判断に迷うことが少ないような気がします。もっとも、いろいろなしがらみがある中、 いつまで、この様な気持ちで居られるのか、分かりませんがーー
 この夏、関西では(本当は全国的なんでしょうが…)節電、節電です。霞ヶ関では自由にとれない夏休みをゆっくり取って、家族で過ごしたいと思っていま す。
 先生も、お躰に気をつけて、この夏をお過ごし下さい。    卒 業生

* 気持ちにブレのない好青年が、夫になり父になり、一方では霞ヶ関から赴任して県議会で答弁するような官僚生活を真面目に努めている。すばらしいことだ と、嬉しい。わたしと同じにかなり以前に眼を病んだと聞いた。大事に元気で、生き生きと、と願う。







* 今日ほど疲労して食餌も摂れずに苦しいと、わたしも、ひたすら「ねむり」たい。

* こういう時、余念無く所蔵の茶道具の包みをといて楽しむのもいい。からだはいくらいたぶられても、気持ちは負けまいと思う。


* 七月四日 水

* 朝食に難渋した。食べ物を拒絶しているらしい腸の反抗が感触され、無理強い出来なかった。栄養を考え、ピーナツをポリポリ噛み、カルピ ス味のカルシュウム・亜鉛水を飲み、妻がほぐしてくれたグレープフルーツを食べた。

* 今日初めて暑さを感じた。昨日までわたしは長袖の毛糸のセーターを着ていて、少しも暑くなかった。夜もすっぽり冬布団を着ていた。このところ朝一番に 測る血圧が低すぎるように感じる。今朝は上が102、下が56 パルスは67。血糖値は、88。昨夜測った体重は68.3キロ。立ちくらみなどは貧血のせ いかと思っていたが、血圧のセイですとドクターは。

* 午前中は動けなかった。韓国の連続ドラマ「王建」の途中をたまたま観たあと、元ボクサーのガッツ石松主演、渡瀬恒彦、原田美枝子、富田靖子それに大滝 秀治らベテランが見事に競演した二時間ドラマ「つぐない」を観た。大概なら途中でテレビの前を立ち去るのだが、釘付けにされた。こういうのに出会うと嬉し くなる。

 ☆ ごぶさたしております。
 日記、毎日お読みしています。病に立ち向かっておられるご様子を、正直はらはらしつつ、こうやって新しい湖の本を届けて下さること、一読者としてありが たく感じております。五月から橿原の工場に移りました。元気に働き、奈良を楽しんでいます。薬師寺がお気に入りです。    奈良県 

* 高校一年の夏に、中学での恩師で歌人の給田みどり先生が、ふいと我が家にこられ、そのまま奈良の薬師寺と唐招提寺へ連れて行ってくださった。薬師寺の み仏達の奥深い造形美になにもかも初体験のわたしは圧倒された。薬師三尊はもとより聖観音像にものけぞるほど胸打たれたのを忘れない、つたない、幼 い歌もつくった。歌集「少年」には入れなかった。
 若い「理」君や、卒業生の「宏」君が奈良で働いているのが、なにともいえず懐かしい。
 わたしは、ちいさくて秦の家にもらはれて行った頃、何かというと誰の言葉を口真似してか、「奈良へいたまんモン買いにいこ」と口にしたそうだ。奈良市内 に戦後のかなりの期間生母は暮らしていた。その母に、末期の息のもとで編んだ家集『わが旅 大和路の歌』がある。

* 昨日、気に掛けていた建日子へのメールを送った。きっぱりモノの定まり無い甘えたメールであったが。

 * 
建日子  いろいろと   
 親切に気をつかってもらいながら、意気地なくクスリとあらがい過ごしています。
 くるまで蓼科まで行ければいいのに、つい長距離・長時間に、躊躇ってしまい。それでも、どこかへ自動車に乗 せて欲しいなあとは願っていますが、さて、どこもよく知りません。
 お奨めの小劇場芝居で座席のとれそうなところなら母さんと行けていいとけれど、今言うて今は、ムリと思う。
 「四度の瀧」の東北はまだまだ地震がやんでいないし、放射能汚染もある。今日も病院の三階外来で強い揺れを感じました。
 
 体調は、いいとは言えませんが、痛いというような苦痛とは違います。気力をおびやかす、しつこいダルさ。食 餌がほんのお義理程度しか摂れないまま、抗癌剤はきちんと服用しています。
 眼の手術の迫ってきたのも、胃全摘以上に気分のわるいことです。
 湯に漬かっているとき、横になって寝てしまうときが、らくです。
 銚子とか館山とか、ひろい海がみたいと思うときもありますが、災害とは出会いたくない。
 こういう煮え切らない日々を過ごしています。
 
 またの入院のために、たまたま手に入ったお金を宛てようと、奨めてもらったパソコンを諦めていたけれど、機 械の前にいるときは、体違和をいつも殆ど忘れられているので、思い切って買おうと思いかけています。そのためには部屋の模様替えが必要になるかと、今は、 そういう労作が不可能に近いほどからだが萎えていますが、最小限の場所をつくって我慢しようかと。
 ま、なにもなにも極まりのつかない日々ですが、病気を躱し躱し、頑張ります。
 
 これは、親切へのお礼のメールだから、気に掛けなくていいです。
 元気に、怪我も事故もなく良い仕事、心ゆく仕事を楽しんで下さい。今月は連続ドラマがあるとか。楽しみにします。 

 ☆ 
パソコンは買いましょう!
 ぼくからのプレゼントでもいいですよ。
 面倒な最初のセッティングはぼくがやれるし。
 大型のノートか、省スペース一体型のデスクトップなら、たぶん、部屋の模様替えすらほとんど必要無くやれると思います。
 いかがですか?  ☆秦建日子☆TAKEHIKO HATA☆

* 建日子がコンピュータを使い始めたのは、わたしよりもずーっと後のことだが、今は彼、I T製品の大通らしい。ウーン

* 横になり本を読んでいた。平凡社から電話。文庫本の話。会って相談する元気も用意もないので、案は、郵便で貰うことにした。横になっていると、何か、 寝たり起きたり生活のように思いかねない。寝るも起きるも読むも走るも、どれもみな「闘病」。闘って勝たねばならない。「仕事をする」のが何よりの闘病。 新しい「湖の本」ももう念頭にある。原稿の用意は出来て在る。
 
* 手術前に四日間、特別の目薬をさす。その目薬を処方薬局へ取りに行ったついでに、夕方の保谷から南大泉、北大泉へ大回りして帰ってきた。電動自転車の 運転自体には何の不自由もない、四、五十分も走っていたと思う。しかし、ずっしりと疲労はしていた。夕食は、ま、そこそこ摂れたとも。
 摂食障害では、低血圧、低血糖、低体温そして骨粗鬆症が出てくると。体温は六度台を普通に維持しているが、低血圧と低血糖は、常時の徴候になっている。 いっそ日に二食というのはどうだろう。いやいや、体力を落とせばまたまた点滴のために病院にかけこまねばならなくなる。
 部屋を26度に冷房してみたら寒くて気分が悪くなった。

 ☆ 夏夜
  空夜(こうや)窓閑かなり蛍度(わた)つて後
  深更軒白し月の明らかなる初め     白楽天          

* 急に胸の奥の遠くに吐きたいような違和感が蠢いてきた。機械から離れる。

* へたなドラマを観て、口直しに録画してあった「雨に唄えば」を楽しんだ。ジーン・ケリーはもとよりだが、デビー・レイノルズが若くて愛らしい。もう一 人の、ジーン・ケリーも顔負けにうまいドナルド・オコナーがダンスをとことん楽しませてくれる。くっきり印象にある。                         


* 七月五日 木

* 寝覚めがよかった。夜前、「ナンパオ」他の漢方薬を服して寝た効果だろうか。朝の食欲があったわけでない。お握り一つと花林糖少しと、 西瓜と。西瓜の小丸半分ほど、水分とほのかな甘さとで口に心地よい。                                  
 ☆ 湖の本112 元気に老い、自然に死ぬ 受け取りました。
 ありがとうございます。先週から、前に頂いた御本を取り出して再読致して居りました。元気のまゝ自然に死にたいものと思って居ります。
 そちらはお暑くなってゐる様ですね。
 毎日の闘病がんばってられますね。応援して居ります。
 紫陽花の前での(妻の=)お写真いゝですね 赤いセーターが良くお似合いです うちの方(ロサンゼルス=)は あじさいは白 ブルー ピンク。むくげは ピンク、紅、白 宗旦が今満開です。他に 水引 なでしこ 桔梗など 毎朝花を見て廻るのが楽しみです。そうそう、昨日までサボテンの真っ赤な花 こんな 美しい花がどーしてあのトゲトゲの中から生れて来るのかしらと 毎年乍ら感心して居ります。
 もうすぐ真白の月下美人(月見草ですか) つぼみがのびて来ました、楽しみです。
 此方はそんなに暑くならないので 来月 お客様をしようと思ってゐます。
 どうぞ呉々もお体お大事に。
 (送られてきたテンカフン=)の後 ポンポンと使って下さい。
 スミマセン (葉書に描かれた安田靫彦の繪が、わたしの苦手な=)おなすでした。     ロサンゼルス

* 茄子の煮たのは見るもイヤだが、そのままの茄子は美しいと思うし、掌に包み持つのも眺めるのも好き。茄子の花も大好き。むろん繪も。染色九十五翁の三 浦景生さんに戴いた毛筆書簡に描きこまれた茄子の紫もあまりに美しく、表具に出し、茶の間に架けている。そんな次第で、茄子の漬け物もむしろ好きな方で。
 た だ、煮たのはゼッタイだめ。紫からのあの穢い変色は堪えがたい。

* 「自然に死ぬ」には、葬式もしぜん関わってくる。
 荘子のまさに死なんとしたとき、弟子達は手厚い葬式を考えていたが、荘子はこう言ったと『荘子』の列禦寇篇にある。弟子達は粗末に葬ると先生が鴉や鳶に 食べられてしまうと心配していた。荘子は、地下に入ってもどうせ螻蛄や蟻の餌食になるのさと構わなかった。

 ☆ 天地を棺桶とし、日月を対の璧とし、星辰を珠飾りとし、万物を齋物(お餞別)だと考えれば、わしの葬式道具に何ひとつ欠けるものはありゃせんじゃな いか。この上いったい何をつけ加えようというのだ。   
 
 不公平な標準で物を公平にしようとすれば、その平は真の平ではない。また無心の感応によらず、さかしらの人為を弄して物に応じようとすれば、その応は真 の応ではない。とかく明知を誇る人は、自分の知(=マインド・分別)を働かすので、かえって物に働かされるが、神知の人は無心で物に感応随順していく。愚 かな人間どもはじぶんの知識見解をたのんで人為におちこむから、その功業は外に馳せて内なる精神には何の益もない。かなしいことではないか。     荘子

* 
「功業は外に馳せて内なる精神には何の益もない。」実例は世に蔓延こっている。

*  敬愛する画家村上華岳は名を震一といったが、父は彼をいつも「シンチ」と呼んでいた。華岳はこれを「神知」と受けとめて雅号の一つに用いていた。「神知の人は無心で物に感応 随順していく。」村上華岳の仏や牡丹花や山の繪にわたしが打たれるのは、それだ。

* へんな咳こみと洟水に困惑している、風邪などとは無縁で、やはり摂食障害の波及ではないか。猛烈に睡くもある。よろしくない。気持ちが悪い。

* ちょっと作業しながら、「雨に唄えば」を見終えた。ダンスのべらぼうに巧いドナルド・オコナー。テレビでも、マイケル・ダグラスとグィネ ス・パルトロウの「ダイヤルM」を観た。俳優は二人とも贔屓だが、映画は不愉快だった。 

* 槇佐知子さんが丹波康頼撰全三十巻全三十三冊、国宝で世界的文化財『医心方』の「全訳精解」を筑摩書房から出版されたと案内を戴いた。この人は、あの 『江馬細香』の著者である門玲子さんと好一対の研究者・作家である。
 この偉業までに多年を費やし続けてこられた。お手紙にもあるが、亡き瀧井孝作先生があ る日殿ケ谷戸庭園へ行こうと誘って下さり、妻や建日子まで出掛けていった。ハケを観た。その足で落合の牡丹寺へ牡丹の盛りを観に行った。一行は十数人も。 その中に槇さんもおられ、それが初対面だった。
 『医心方』は鍼博士の丹波康頼が、宋以前の医書・仙書・仏典・哲学・文学などの文献を網羅して、九八四年に編纂した医学全書。千年にわたり全貌を知る人 のなかった大著。医家の大いに秘かに頼りにした本であるとともに、「房内篇」巻二八にひっかけ性愛の書としてももてはやされた。日本漢方医学の根底の参考 書であり、他方では仏道の癒やしにも深く関わっている。人によって、世界最高レベルの医学業績と称え、世界中に伝えるべき成果として槇
佐知子さんの全訳精解は絶 賛されてきた。

* 他に、二冊、新著をもらっている。一冊は早稲田の教授になっていた千葉俊二君の谷崎にも触れた一冊。もう一冊は大阪の眉村卓さんのSF『眉村卓コレク ション異世界篇 T』で。眉村SFには全く予備知識がない。
 ぽん、と肩を叩かれたので、ぼくはびっくりして、振り返った。
 「やあやあ。こら奇遇やなあ」
 相手は叫び、おまけに、ぼくの手を握りしめ、振りまわした。
と、書きだしてある。ル・グゥインやパトリシア・マキリップやトールキンの感触とはずいぶん違う。サイエンス・フィクションなのか、サイエンス・ファンタ ジイなのか。

* 疲れるとバーン・ジョーンズの深々と眠っている女の繪に眼をあてて、「そうだ、寝ていればいいんだ」という気になる。                            
* 五月一日の「TS1」服用開始以来の朝の血圧と血糖値、同時に日々の容態等の記録を、電子化している。オンコロジイの医師に口頭で伝えるより正確で、 時 間ロスも省ける。
 自分の病状も病状だが、病んだり苦闘したりしている人のこともとても気になる。わたしの場合は「私語」して公開しているが、普通の人の場合は、病状も様 子も知れなくて、迷惑になってはいけない、うっかりメールも送りにくい。


* 七月六日 金

* 寝覚めはよかったが、夜中、何度も咳き込んでいた。風邪ではない。なにかしら食道か気道にひっかかりがあるような。        朝食は、グレープフルーツとバナナ。昨日はそれに西瓜があった。折りから高麗屋さんから「林檎ジュース」をたくさん頂戴した。まるで果物を主食にしてい る、この 頃は。炭水化物を口が、好んでは受け付けない。好きな卵料理にもつい辟易してしまう。この調子では衰弱が進むかも知れぬ。今朝の体重、67.5kgほど。 もうすぐ最高期体重から20kg減になる。わたしの理想体重はせいぜい60kgほどだから、まだ余裕はあるのかも。
               
* バーン・ジョーンズに「ピグマリオンと彫像」という四点組み代表作の一つがある。彫刻家のピグマリオンが自身の彫みあげた美しい彫像に恋をし、愛の女 神に このような妻をと祈ると女神のはからいで彫像に命が吹き込まれ、彼の願いが成就する。
 若い頃ならこういう話に惹かれて似たような幻想小説に書こうとしたかも知れないが、齢七十六にもなると、ばかばかしい。しかしこの絵、とても魅力的では ある。

 ☆ 
『ジャン・クリストフ』のなかで、作家ロマン・ロランは言 う。                  
 愛とは、信仰 を絶えず新しくする行為である。神が存在しているにせよ、いないにせよ、それはあまり問題にならない。人は信仰を持つゆえに信仰を持つ。愛するゆえに愛す る。そのための理由は不要である…… 

 春に花咲く樹のように生と愛との重さを持たず、自己の豊饒を感じない魂は不幸だ! そんな魂に、たとえ世の中が名声と幸福とを山ほど与えるとしても、そ のばあい世の中は、一個の死骸の頭に冠をかぶせているのだ。

 それぞれの民族、それぞれの藝術がそれぞれの偽善を持っている。世界は、僅かの真理と多くの虚偽とで養われている。

 敢えて不正当な態度を取るだけの勇気をもたなければならないような、そして、あらゆる讃美の心や、教え込まれたあらゆる崇拝心を振り捨てることを敢え てし、自分みずからほんとうだと思えないことの一切合財をーー虚偽をも真理をもーー敢えて否定しなければならないような、そんな一時期が人生にはある。
 一人の健全な人間であることを欲する青年の義務は、一切を吐き出してしまうことである。

 人は悟性(=マインド・・理知・分別心)によって創造するのではない。人は必然性によって創造する。
  
* 今朝、あの大河ドラマ「江」で彼女の夫になる徳川秀忠を好演した、向井理クンがテレビで話していた中で、座右銘というか好きな言葉として「禍福は糾 (あ ざな)える 縄の如し」と挙げているのを、頷いて聴いていた。いいことも長続きはしないしわるいことも長続きしないとは、わたし自身の実感でもある。例外もあろ うが、概してそのように生きてきた気がしている。
 そうそう言い忘れたが、向井理クンが今度主演する連続ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」(日曜夜九時)の脚本は、秦建日子と。

* 午后、はからずも「二百三高地」という映画の始まるのに出会った。戦闘の悲惨さをつぶさに映画的に描きながら、日露戦争の眼目となった乃木さんの指揮 した旅順攻撃の劇映画化で、明治天皇に三船俊郎、乃木希典は仲代達也、彼を戦略的に救った参謀総長児玉源太郎に丹波哲郎、ドラマの主人公に葵輝彦と夏目雅 子という、その他にも日本映画男性陣を総動員したかの力作であった。さだまさしの「教えてください」「山は死にますか、海は死にますか」と訴える主題歌に 泣かされた。
 日露戦争は明治三十七年(1904)に始まり、乃木の率いた第三軍の旅順攻撃は八月十九日に始まって、旅順のロシア軍が降伏したのは翌年の元日であっ た。戦闘の悲惨と残酷が、時代が百年前であるだけに肉弾相撃って凄まじい。凄いとはこういう惨状にこそ用いる批評語だ。

* それにしても、全体として体調は尋常にちかいのに、夜前からの理由の掴めない激しい咳込みが断続して続き、時に吐きそうになり、濃厚な白い泡水を吐 く。伴ってわけもなく洟水が垂れる。何がどうなっているのやら。

* 平凡社から『京のわる口・他』の文庫化ゲラが届いた。平凡社原本後に出した「湖の本」版で念のため異同を校正したいが、その気持ちの余裕、体力の余裕 がないのが、残念。

 ☆  慵を詠ず  白楽天
官あれども慵(ものう)くして選ばれず
田あれども
慵(ものう)くして農せず
屋穿(うが)てるも
慵(ものう)くして葺かず
衣裂くるも
慵(ものう)くして縫はず
酒あれども
慵(ものう)くして酌まざれば
樽は常に空しきに異なる無し
琴あれども
慵(ものう)くして弾(たん)ぜざれば
亦絃無きと同じ
家人飯(はん)の尽るを告げ
炊(かしが)んと欲すれども
慵(ものう)くして舂(う すつ)かず
親朋書を寄せて至り
読まんと欲すれども封を開くに慵し
嘗て聞く嵆叔夜(=けいしゅくや という人は)
一生慵中(ようちゅう)に在れども
琴を弾き復鐵を鍛ふ
我に比すれば未だ
慵しと為さず

* こんな境涯へのあこがれが、いつも永い人生にありわたしを或る意味で脅かしていた。



* 七月七日 土

* 夜来の雨もやんでいる。夜中何度も咳き込んでいた。
 朝食進まず。放心気味。服薬のために食べるだけ。スクランブル卵、冷えた西瓜、御飯二口ほど。水分。
 折しも野澤利江さん、「和久傳」の鱧素麺を下さる。ありがとう。ありがとう。
 掌がジンジン痺れている。手の甲は色素沈着で黒ずんでいる。からだは弱り、気持ちは、ま、しゃんとしている。

* 松本幸四郎丈より、重ねてブーゲンビリア一鉢のお見舞いを戴いた。
 吉備の有元毅さんからは、翡翠のようなみごとなマスカット二房で見舞って戴く。ありがとう存じます。

* 福島原発に対する国会事故調査の報告書は、概して適切に問題を拾い上げて厳しく「東電の欺瞞体質」を責めている。当時の菅総理・官邸の過剰な介入の指 摘な どは当たっていない。あのとき総理や官邸が動かないで居たら、それこそ国民は責めに責めたに違いない。未曾有の災害に菅総理が飛行機で現地に飛んだのなど も、東電の会長以下が現地に行こうともしなかったに比して、やはりそう在るべきを為していたとわたしは菅総理の当時の反応に正当性を認める。
 反原発を旗印に、鳩山・菅の二人も、同士と共に、ねじ曲がって国民無視の野田民主党を見捨てて清新で明解な旗印をかかげ、小沢グループと、もう一度団結 して出直してはどうか。

 ☆ 
『ジャン・クリストフ』のなかで、作家ロマン・ロランは言 う。
 生きること だ! 過剰にまで生きることだ! ……自分の衷にこんな力の酔い心地を、こんな生の歓呼をーー少しも感じない人は藝術家ではない。藝術家であるかないかの 試金石はこれであ。まことの偉大さは、喜びと苦悩との中で歓呼し得るその力において認められる。
 
 男たちは自惚れと抱負とに媚びられるとやすやすと心を昏まされる。そして藝術家は想像力がつよいだけに人一倍、その点で迷わされやすい。

 美しいものを引きずりおとしてだいなしにすることを私は承認できない。

 「諸君はみずから好むままの者であるがいい。だが何でもいいからとにかく真実であれ! たとえそのために藝術家たちと藝術とが悩まされることになろうと も、真実であれ! もしも藝術と真実とが共に生きることができないなら、藝術の方が消えうせるがいい! 真実は生であり、虚偽は死である」  クリストフ

 クリストフは自分では気づかずにゲーテの偉大な言葉を注釈していたのだが、しかしクリストフはゲーテの高い清澄さ(セレニテ)にまだ到達していなかっ たーー
 「民衆は崇高なものをおもちゃにする。もしも民衆が崇高なものの真相を見るとしたら、民衆は、崇高なものの有様を見るに耐えるだけの力をもたないだろ う」  ゲーテ

* わたしはこれらの言葉を七十六歳の一人としてと同時に、一人の少年の心で受け容れる。わたしは今も少年であれることを悦ぶ。

* 平凡社編集部とメールを交換し、文庫本企画は順調に進みそうである。

 ☆ 御本
 『元気に老い、自然に死ぬ』いただきながら御礼がおくれて相すみません。しかし、私にもまさにその時期を生きている思い、さまざまにあり、「平気で生き ていくこと」、長寿の日本人としての第三林住期のこと、老愁のなかの春愁のこと、ガンかボケか、などあれこれ、ゆさぶっていただきました。ありがとうござ いました。  劇作・脚本家

* じいっと眼を閉じていると気持ちがいい。眼をひらくと躰がゆらゆらする。追加にもう五十数冊、本を送り出す。適量の在庫はぜひ必要としても、家に過分 に保存しておいても意味がない。

* もうとうに亡くなったが知求会の吉田修三さんに戴いた「牡丹」の繪を居間にかけ、棚わきに長尺の義政「海上蛍」歌短冊をもってきた。
 「湖の本」五十六人の追加発送を終えて、散らかっていた居間がようやく片付いた。次をまた送りだそうかと思っている。入稿の用意は出来ている。

 ☆ 摂食不調
 
お薬の副作用 大変ですね。健啖な方のように感じていましたから、食べられないのはさぞかし辛いでしょう。
 体重は大幅に減りましたか。
 これから目の手術ですか。あれこれと気懸かりの事が多いでしょうが、無事に退院されるように。
   私はどうにか元気に過ごせています。 無理なくお過ごし下さい。  


* とても睡い。血圧が下がっているのか。記録によると、だいたい130−140あった血圧がこの三週間ほどは平均して110台ときには102などという 低いときもある。それで、こう目の前が白っぽく揺れるようであるのか。素人判断はできないが、
五体が一日中睡けに取り巻かれ ている。だからこそ一日中断続して面白い本を読んでいる。日にかならず読むと決めている本は、階下で15冊、機械の前で3冊在る。
 録画した映画も楽しんでいる。昨 日今日は「大統領を作る男たち」前後編、期待通りに楽しんだ。この映画、夫婦して何度繰り返し観てきたことか。
 役の名でいうと、FBI捜査官のマンクーソ (ロバート・ロッギア) と、性的異常者で教師だった世界制覇野心の副大統領候補男ファロン(ハリー・ハムリン)を「政治的英雄」に仕立てて反米活動に向かわせようとする底意と策謀を抱いた美 女サリー(リンダ・コズロウスキー)が、フルに活躍する。二線級の俳優達をリアルに生かして四時間を超す大作に些かのブレがなく、ストーリー自体が緊迫し て面白く、十分楽しませて くれた。

* 入浴してからだをやすめ、低血圧を案じながら八犬伝や指輪物語を楽しむ気。その間に、今夜は機械部屋を防虫燻蒸する。



* 七月八日 日

* ごちゃごちゃと夢は観るが、それでも眠っている夜は本当の安静期で。もしわたしが何かの勤務者として出掛けねばならないならと想うと、 今の境涯を幸せに思う。わたしは、いま、何一つ義務に追われていない。元気に生きていることだけが義務といえは義務。
ありがたい。

* 今朝の上の血圧、105。
からだに生気を保たせるに は、あまりに低い。葡萄、桜桃、西瓜。果物が主食のようになり、炭水化物も脂肪も蛋白質もほとんど摂れていない。口が容易に受け付けな い。喉を通すと鳩尾で苦しく固まってしまう。無事に腸へ落としていくのに時間がかかり、へたをすると激しい咳になり、吐き出そうとする。奈良の丸山君が 送ってくれた大好物の葛菓子のいろいろが、口当たり涼しく冷たく糖分にも恵まれて、とても美味しい。
 こんな状態でも、自転車で走れる。摂食には拒絶的な躰が、サドルに全身を坐って預けて、両脚でペダルを踏みつづけるのは許してくれる。低血圧で危険とい う用心はしている、が、近い範囲の武蔵野を走る開放感は身体の苦痛や不快を忘れさせてくれる。苦痛や不快な体違和をいろんな工夫で跳ね返す、それが現下の 闘病ということだろう。

 ☆ 
湖へ
 お元気ですか。ご無沙汰しています。
 私は、いろいろありますが、元気です。
 「私語の刻」を拝読しながら、何だったら栄養になるかしらと思う毎日です。
 召し上がれるかどうかは天気のようなものでしょうが、季節だけでも味わって頂ければと「和久傳」の鱧素麺を送らせて頂きました。眺 めるだけでも楽しんで頂ければ嬉しく思います。
 私の近くで治療中の患者さんを、湖だと思って看ています。
 これからの暑い季節、何とか体力持ち堪えてください。
 どうか、湖、くれぐれも、お大事に。   

* 「和久傳」の特色でもあるが、食べ物をただ食べ物として届けるのでなく、とびきり美しく、今の季節を涼しく爽やかに形作り彩って届けて くれる。それが贈り主の気持ちそのものに馴染んで届く。ありがとう。


* 私宅へ、また入院先の病院へ見舞いに伺うと仰って下さる方もあるが、申し訳ないが、堅く拝辞したい。
 
 ☆ 私語の刻を毎日開いています
 
御連絡が遅くなって済みません。マスカットなら一粒くらいお口に入るのではと思ってお届けしました。
 「私語の刻」を読むと粛然とした気持ちになります。
 どうぞお大事にと申し上げます。
  吉備ひと  

 * すばらしい二房、まず、見惚れました。美味しく三顆頂戴しました。これからの毎食を美味しく救援してくれましょう。有 難う存じます。向暑著しく、また御地は風雨の禍もひどかったのではないかと心よりお見舞い申します。どうかお大切になさって下さい。 

* ご近所の立川さんから、これならお口に入りましょうかと菓匠「匠寿庵」の涼しい和菓子を頂戴した。小豆入りの外郎ふう冷菓を美味しく戴いた。有難う存 じます。

* 「平清盛」についで九時からの連続ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」第一回が始まる。期待と楽しみにして観る。                               
* 
連続ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」(秦建日子脚本第一回、申し分なかった。 殺しドラマばっかりにいつもウンザリしているので、出だし尋常、山も美しく、主演の向井理は元々好きなので、見やすかった。あれは小池栄子ではなかった か、彼女の助演といい、笹野高史の顔が見えたことといい、嬉しいサービスだった。もう一人芯になってくる助演女優尾野真知子の今後にも期待したい。                                         
* それにしても寝る前にグーッと一杯の酒に美味く酔えたらいいなあと、あらゆる酒に振られている自分が情けない。

 ☆ 山寺   和漢朗詠集
 更に俗物(しょくぶつ)の人の眼(まなこ)に当れる無し
 但だ泉声(せんせい)の我が心を洗ふ有るのみ    白楽天              

* いい気持ちで熟睡したいもの。それでも今日もう全部読み終えた本の中から、「八犬伝」「指輪物語」「イルスの竪琴」のどれかをさらに読 み継いで寝たい。どれへ手が出るか。


* 七月九日 月

* 九時まで寝られた。煮た餅を二つ、砂糖と醤油とで食べてみた。危うい喉の通りであったが、食べ切れてほっとした。飲め飲めといつも言わ れ、飲まないと拒んできたヤクルトを今朝は飲んだ。朝はそれだけ、では少ないなと思いながら、そのまま抗癌剤と利尿薬とを極まりのママ服用した。血圧が上 102しかない。半分居眠りしているのと似た一日になるのか。

* 衆議院の委員会で社民から民主へ移籍した辻元議員が質問しているので、聴いていた。この議員には社民党で福島委員長と交替して欲しかったのだが、政権 与党へ身を寄せたことに幾分の理解はもっている。ただ民主党に先の希望があるだろうか。
 国民新党の赤ら顔の下地議院が森本防衛大臣をやっつけていたのは、言葉は荒くても正論であった。議席もない評論家を大臣に起用して現下日本の国防や関連 外交を任せようという任命自体が、根から、間違っている。                                                                               
* 与党より野党の方が与党顔をしている国会、政権与党が野党の顔色をうかがうばかりの国会の情けなさ。

* 腹部不穏。腹の中で、ライオンや虎がではなく、まさしく恐竜たちが吠え唸り悶え叫びまくっている。聴診器を腹に当てると、まったく異世界を覗くよう。 それでも、彼らが叫び狂っている方が、沈黙されるより無難。彼らの咆哮は、腸が、胃は全部無くもう腸しか無いのだが、とにかく働いていてくれる証拠なのだから。

* 『元気に老い、自然に死ぬ』を、わたし自身も毎日少しずつ読み返している。
 老いの死のということは、もっと先の先のことと先々へ追いやって生きていた 時代が当然あった。じつは、この正月早々に胃癌と診断されるまで、老いも死もじつのところまだ先のことと思っていたのだろう、わたしは。したがって十二年 も昔の山折さんとの対談は、たぶん山折さんも、むろんわたしも、まだ先々を遠望しながらの老いと死との予行演習に過ぎなかった。またそれだけに、問題や視 野をひろげて総ざらえに論じ合っていたと思う。抜けた大きな問題にも気づいているのだが、ともあれかなり論点は網羅的に並べ立てていた。老いにも死にも、 無関心ではこれだけさらけ出すことはやはりムリだったろう。
 いまもう一度対談すれば、すくなくもわたしは、死にふれて深刻に話さざるをえまいが、そんなわたしの背を支えてバグワンの言葉が力になっているに相違な い。 

 ☆ 元気に老い、自然に死ぬ
 
秦さま  湖の本112 お届けいただき、ありがとうございます。
 目次を開いただけで、「老い」と「死」の文字が溢れ、ちょっとたじろいでしまいましたが、読み始めるとおもしろく引き込まれて読了しました。
 幼い頃から、死が恐ろしくてなりませんでした。自分が無くなってしまうという考えに怯え、かといって、死ぬのが恐いとは誰にも言えず、お腹が苦しい、気 持ちが悪いと母に訴えて、お腹をさすってもらいました。その手が体に触れているあいだだけ、少し苦しさが和らぐ気がして、もう少し、もう少しとせがんだこ とを思い出します。
 人肌との接触が、死の恐怖のいちばんの妙薬かもしれないと思います。
 山折さんのおっしゃる、若い異性の看取りは死の恐怖に対しては効果があるでしょうが、確かに若い命の側にとっては、嫌悪を起こさせるものでしかないで しょうね。空想社会主義者のフーリエがそれを好もしいものに感じさせる社会制度を創設しようと知恵を絞ったのでしたが、やっぱり無理がありますね。
 わたしは現在63歳になります。子どもの頃には、自分がそんな年まで生きていようとは思いもかけなかった年齢になりました。こんなに長く生きてきたの に、少しも賢くならず、子どもの頃と同じで、何も知らず、何の覚悟もできていないことに驚き、でも容赦なく死が近づいていることに怖れ慄いています。
 子どもの頃の居ても立ってもいられない苦しさを遠ざけておくことは少しできるようになりましたが、死が現実的になってくるにつれ、現実的な心配が加わっ てきました。
 病院で死にたいとは思いません。一人暮らしの私は、結局死後何日もたって発見されることになるでしょう。
 それはいいのです。でも、私の飼っている猫はどうなるでしょう。
 前の猫が死んだときに、いつまで世話できるかしれないのに、もう生き物は飼うまいと決心したのですが、昨年1月末、寒さで死にかかっていた子猫を家へ連 れ帰ってきてしまいました。
 他人に馴れない猫なので、この猫より先には死ねないと思ったりします。
 窓を通して聞こえてくるバグワンの言葉に耳を傾けます。

  探求をやめてごらん。何もせず、静かに座っていると、春が来て草はひとりでに萌え出ている。

 ほんとうにそうだといいと、かすかな希望をいただいています。
 苦しい服薬に加えて、眼の手術もなさるのですね。
 お大事にと祈るばかりです。  大阪・まつおより

* こういう人が、心の友になる。そしてしばらく老いを忘れ、死に親しむ。この人にはわたしは智慧も借り約束もした負債がある。小説を書きますと。その小 説がじつに難しく隘路に迷い続けていて。迷うことをどうやらわたしは楽しんでいる、苦しんでもいるが。

 ☆ 花便り
 遠様  
 その後、いかがでしょうか、気に成りHPを時々見ております、
 頑張って努力の様子、きっと良くなると思って居ます。
 良くなって、一亭一客で御茶を頂きたいです。
 昨年京都女子大の講演の折、お会いできるか、と思っていましたが!
 昨日、以前の「女文化の終焉」を再度読み終えて、平清盛展へ行って来ました。
 先月は、大徳寺黄梅院へ、行事があり行って来ました。建物も新しく豪華なものです、撮影禁止の中バシャッと撮りました。
 沙羅双樹(夏椿)を送ります。
 祇園祭の行事も忙しくなって来ました。
 13日は大阪の七月大歌舞伎へ。楽しみです。
 くれぐれもご無理をされないようにお大事に    


* 夜前、マキリップの三巻本の第一巻『星を帯びし者』を読了、すぐ第二巻に移行。此の、マキリップの『イルスの竪琴』が、わ たしは、よほど気に入っている。泉鏡花研究者でもあった脇明子さんの翻訳もいいし、原著者の精緻な構成力に ぐいぐいと惹かれて常に新鮮、常に誘惑される。
 何度読み返してきたろう。十度は軽い。英語版でも一度通読していて、できればまた、と願っている。ますます 面白くなる第二巻、第三巻を、右眼手術の入院時にも病室にもちこみたい。『八犬伝』は精微に馬琴独特のルビが本文一面に振られていて、視力に制限のある間 は、ムリしない。トールキンの『指輪物語』も連れて行きたい。 

* 今日は放心に近いまま午前を過ごし、昼食も摂れず、睡くて眠くて、本の数冊しか読めぬうちに寝入ってしまった。夕食も、まるで
入らない。抗癌剤服薬第 二期四週間は明日で終わり、二週間休止となる。すこしラクになりたい。

* バグワンは「明け渡し surrender」ということを、よく話してくれる。他のバグワンの話を十分繰り返し聴いているので、
「明け渡し  surrender」の理解や納得には近づいて、憧れているわたしがいる。同時に容易に「明け渡せない」わたしもいる。当然にも自我=エゴへの拘りは捨て ねばならない。言うは簡単だがこれこそが容易でないのは、「明け渡そう」と願っている誰もが知っている。                                        
  ☆  般 若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさ んの翻訳に拠りながら。

 明け渡しというのは、何かおまえがやれるようなことじゃ ない                           
 もしおまえがそれをやったら、それは
「明け渡し  surrender」じゃない。
 なぜなら、やり手(doer)がそこにいるからだ
 明け渡しとは
 「自分はいない」という一つの大事な「理解」なのだ
 明け渡しとは
 自我
=エゴというものは存在しない
 自分は世界・全体=totalと別々ではない、という一つの洞察なのだ
 明け渡しとは、「行為」ではなく「理解」なのだ。
 一瞬たりといえども
 おまえは宇宙と別々に存在することなどできない 

 
自 我= エゴというものについて最初に理解されねばならないのは
 それが存在しないということだ
 仏陀やイエスと同じに私はそれを知っている
 おまえはそれを知らない
 違いはただの理解の差だけだ

 明け渡す主体が見付からないその瞬間に、明け渡しがあるのだ
 おまえがニセ物である以上
 おまえが何をやろうとそれはニセ物だ
 そして根本的な偽りは
 
自 我= エゴ、つまりは「俺は俺だという観念なのだ
 
 おまえは、「私の明け渡しは目標志向です」と言う
 
自 我= エゴはつねに目標志向だ
 それは、いつも、もっと、もっと、もっとと追い求める
 
自 我= エゴは、絶え間なく腹を空かせているのだ
 それは未来に生き、過去に生きている
 貯蓄屋としてだ。

 目標とは何だろう?
 ひとつの欲望ーー
 自分はそこに達しなければいけない
 自分はそうならなくてはいけない
 自分は成し遂げなくてはいけない……
 自我は現在には生きていない
 生きられないのだ
 なぜならば,現在というのは本物だから!
 そして自我
=エゴというのはニセ物だ
 その二つはけっして出会わない
 過去というのはニセ物だ
 それはもうありはしない
 
自 我= エゴというのは墓場なのだ

 一方でF,それは未来に生きる
 またしても,未来というのはまだ来ていないものだ
 それはイマジネーションであり、幻想であり,夢だ
 
自 我= エゴはそれと一緒に生きることもできる
 いとも簡単だ
 ニセ物どうしというのはとてもウマが合う

 「現在」にいる,いまここにいることを強調するのだ
 まさにこの瞬間ーー
 もしおまえに冴えた知性があったら
 私の言っていることを考える必要など何もない
 おまえはただただそれをまさにこの瞬間に見て取ることができる
 
自 我= エゴなどどこにある?
 そこには静寂がある
 そして,そこには何の過去もなく
 そこには何の未来もない
 この瞬間ーー
 おまえはいない
 この瞬間をあらしめてごらん
 おまえはいない
 そして.そこには途方もない静寂がある
 そこには深い静寂がある
 内も外もーー
 そうしたら,明け渡す必要など何もない
 なぜならば
 おまえは自分がいないということを知っているからだ
 自分がいないということを知ることこそが「明け渡し」なのだ

 それは私に明け渡すという問題じゃない
 それは神に明け渡すというような問題でもない
 それは全然明け渡すなどという問題じゃないのだ!
 明け渡しとは
 自分がいないということのひとつの「洞察」
 ひとつの「理解」なのだ
 自分がいないということ
 自分が無であるということ
 空であるということを見ることによって
 明け渡しが育ってゆく
 明け渡しの花はく空〉という樹に育つものだ
 それは目標志向などではあり得ない
 が,
自我=エゴは目標志向だ
 
自 我= エゴというのは未来をあこがれてばかりいる
                          
* 今日は体調・体違和、最低。生きている心地がしない。明け渡しが出来ていない、出来ないで藻掻いている。もう寝る。テレビ・タックルで政治が論われ ている大方に共感もするが情けない。
 鳩山の一党、菅の同士たち、大道団結してもういちど{国民生活第一」の新党をつくれと言いたい。衆議院民主党は二分され、参議院では公明を措いて悠々新 党が 第三党になりうる。不信任案、問責決議案に自民公明がどう出るか、これはきつい踏み絵になる。



* 七月十日 火

* 朝の血圧が上99。異様に低すぎる。朝飯、ほとんど摂れず。体重もへり、裸で測れば66キロ台に落ちこんでいる。気はしゃんとしている が。
 今日は歯医者に。                           

* 日照りで頭が焦げそうだった。歯医者のあと妻は池袋へ連れて行き、少しでも何か食べさせたかったのだろうが、わたしは杖をつき立ってゆっくり歩くだけが精 一杯。わるいことに保谷駅北口前でタクシーが中々来てくれず、年寄りの熱中症になるかなあと心配した。
 朝一番に京都で病後の田村由美子さんから「生八つ橋」を戴いたのが幸い口に入ってくれて、二枚ほど、それが主食になった。
 保谷駅構内で、小丸西瓜、グレープフルーツ三顆、桃三顆、買って帰った。すぐに冷やした桃がおいしく食べられた。

* 機械の前に来たが、部屋に暑熱がこもっていて、家の中で熱中症をやりそうだと怖くなった。それでも、そのまま仕事をした。この疲弊と苦痛と無力感 は「仕事」で押し返すしか道がない。
 夕食は、強飯、桃、生八つ橋ぐらいしか食べられず、そのまま今期最後の「ts1」を飲み終えた。明日から二週間は休薬になる。その二週間がけっこう忙し い。十七日に歯科、十八日感染症内科、二十日に眼科と、新橋演舞場、二十二日に入院、翌日午后に右眼の黄斑前膜、白内障の手術。二十五日からまた第三期四 週間の抗癌剤連用が 始まる。
 八月、海老蔵の「伊達の十役」か福助の「櫻姫東文章」のどっちかが観られるといいが。むりかなあ。
 幸四郎父娘らの「ら・マンチャの男」そして月末には二日続き「松鸚 会」の舞踊を楽しむ予定。なんとかなんとかなんとか七月を無事乗り切りたい。

* 八月からの仕事に、決然、「湖の本113」を入稿した。

 ☆ 拝啓
 例年にも増して不順な昨今でございます 御体の御様子は如何でいらっしゃいますか  「湖の本」毎回 御恵み頂き 有り難く拝読しながら またその都度 にお礼を申上げ度いと存じつつ  御いたつきのことをお案じ申し上げる余りに筆をとりかねて 失礼ばかり重ねております  行き届いてのお手当、御加療の ことは、尽しておいでのこととは存じつゝ またそのための煩わしさなど、いろいろと他からも聞き及んでおりますので 遠くからお案じ申上げるのみで過ごし ております     私の方も去年の早春までは年のことも考えず 骨折した足や弱った心臓のことなど気もせずに居りましたが、あの原発事故ののち 気持が なえて、老いをつくづく考えるようになりました  小さい源氏物語のための集まりのために京都へ通うのがせいいっぱいになっておりました中で ちょっと雑 文をお頼まれしまして、すさび書きしましたものをお目にかけたくなりました  御加養の御日々の御たいくつしのぎにも お笑草に遊ばして下さいませ
 この梅雨から酷暑 京都を思い出しつゝ 今年は少しでもやさしくあってほしいと希っております
 ありきたりの御見舞申上げるのも ためらわれて、駄文一筆いたしました
       萬々失礼お許し下さいませ   かしこ
   七月九日         伊吹和子
  秦 恒平 様   御読み捨て下さいます様に

* お手紙も嬉しいが、こういう天然の素養が育てたやわらかな日本語に、わたしはしみじみする。流石に谷崎先生晩年の文学作品を口授筆記されていた練達の 編集者であり京のお人である。雑誌「ぎをん」今年の陽春号に投じられた一文も、ぜひ読ませてもらう。

 ☆ 
いまはむかし    伊吹和子(エッセイス ト)
 昭和四年の三 月に私が生まれた家は、繊維品の卸商を営んでいて、烏丸通に面して、綾小路と仏小路との間の西側に店の表があった。町名は「二帖半敷町」といった。私が生 まれた頃は店の建物の裏側に、何棟かの倉をはさんで背中合わせにつながった居宅があり、家族が日常に出入りするこの家の門口は、室町通に向いていて、常暖 簾がかかっていた。ここの町の名は「白楽天町」で、名高い祇園祭(八坂神社の祭礼・祇園御霊会)の時期には山鉾(山車=だし)のひとつである「白楽天山」 が立った。どちらにしても、家族は祇園八坂神社の氏子であった。鉾巡行のお供をした時の記念に写したという裃(かみしも)姿の若い父の写真が残っていた し、一族の一人は少年の頃、「籤(くじ)改め」の大役で面目を施したと、語りぐさになっていた。私のお宮参りも、当然八坂神社だったらしい。
 宵山(山鉾巡行の前夜)の賑やかさや座敷の飾りつけの忙しさについて話す時、平素無口な祖母が饒舌になって、お祭の御馳走に鱧と鯖との「お鮨(す)も じ」を何本作ったかが自慢であった。一方私はまだ幼くて、お守りの札を売る近所の子に混じって、
 ……ご信心のおん方様は、受けてお帰りなされましょう、常は出ません今宵限り
と、半分わけがわからないまま、唄ったことをかすかに覚えている。
 家には「祇園のお茶屋のおかみさん」という人たちが挨拶に見えていた。しかし、平素から商家の内側では、ごくつつましい生真面
目な生活が続いていたので、祇園さん(八坂神社)と舞妓さんのいる祇園まちとがどう繋がっているのか、あまり知識も関心もなく、
まして子供の私には、とんと理解しがたいことであった。
 いったい、祇園まちとはどういうところかと、母に尋ねたことがある。母は、要するに社会の指導的地位に立っている錚々たる男性たちの社交場である、とい うようなことをわかり易く説明しようとして、
 「(そういう人たちが)お金を、たんとたんと持って、お酒飲んだり御馳走食べたりして遊(あぼ)しにお行(い)きるとこ」
と言った。「遊(あぼ)する」も「お行(い)きる」も祖母や母の頃までの人が使っていた古い京都言葉である。母の苦心の説明も、「お茶の葉を売っている店 でお祖父さんたちは何をして遊ぶのだろう」と、納得の行きかねることであったが、私は相当大きくなるまで、そのままを信じていた。
 祖母も母も、南座の歌舞伎は見に行ってもお茶屋遊びに同席したことはなかったようで、また、行きたいとも思っていなかったらしい。私も、小学校を卆えた 頃から歌舞伎はよく連れて行ってもらったが、芸妓さんたちの花舞台である「都をどり」は一度しか見ていない。
 ずいぶんと年月が経って、時代も変り、私の境遇も激しく変った。今では私は、誘われて一力のお座敷に座り、何度か、酒宴のお相伴に与(あずか)ったり、 舞妓さんの接待を受けたりした経験がある。
 変っていないのは、私の本籍である。別に大した意味や信念があってのことではないが、何となく変える気になれず、烏丸にあった店も室町の家もなくなった のに、本籍は「烏丸綾小路下ル二帖半敷町」のままである。従って、まだ私は「祇園さん」の氏子ということになる。
 「二帖半敷町」という変った町名にもかなりの由来があるが、ここではそれには触れない。

* 京の中の京都で育った人の思い出である。実家跡はいまの烏丸京都ホテル辺であろうか。わたし自身は祇園まちのまん中にできた戦後の新制弥栄中学に通っ た事実上 の第一期生であった。教室には、舞子や後に藝妓に巣立っていった同級生が何人もいた。我が家は祇園の遊郭から抜け路地ひとつで背中合わせの新門前通りに あった。外人もよく出入りする骨董や美術商達の通りであった。通りの東端に、京都の骨董商たちが取引する美術クラブがあった。 

* 妻の妹が、わたしとメールで話したいと、妻のもとへ伝えてきた。少なくも四十数年の余も逢っていない。どんなメールが来るのかな。楽しみ。


* 七月十一日 水

* 九時半に一度起き、朝食不如意で全身けだるいまま、こんなときは寝るに限ると昼すぎまで、左手に眼鏡を掴んだまま正午過ぎまで夢を観な がら熟睡。
 昼食も意のままには行かず、おそらく不調の原因の一つであったろう排便に強硬にこぎつけた。少し視野が明るくなったか。
 昨日の晩、蓼科から帰りの建日子が寄ってくれ、蕎麦などみやげをくれた。わたしは茫然と眼を閉じて坐っているのが限界で、気の毒にほとんど対話も出来な かった。わたしの痩せているさまに母に驚きを隠さなかったようだが。                              
* 午后にも二時間余寝ていた。
 夕食はやや食べた方か。

* 「国民の生活が第一」党と幼稚な名付けで小沢新党が発足した。スローガンとしてはそれでいいが、こんなだらけて永い党名は国民の口の端にのぼせにく い。知恵者がいないんだと分かる。せめて「国民生活党」と纏め直したほうがいい。脱原発を大きなスローガンに挙げて欲しい。鳩山・菅との連繋を上手に計り 続け、いつか大同再新を測って欲しい。 

 
☆  般 若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさ んの翻訳に拠りながら。

リラックスしてごらん
ただそこにいるのだ
おまえがただただそこにいる
何をするでもなく坐っているーー
と,その意識の中で
春が訪れ,草はひとりでに生える

それがそっくり仏教のアプローチの全体だ
何であれおまえがやることはやり手(doer)をつくり出し
それを強めてしまう
見張ることもそう
考えることもそう
明け渡すこともそうだ
何であれおまえがやることは必ず罠をつくる
おまえの側でやる必要のあることなど何もない
ただ‘‘いる(be)”のだ!
そして,物事の起こるのにまかす
やりくりしようとしないこと
操作しようとしないこと

やるなんておまえは何者か?
おまえはこの大海の中のひとつの波にすぎないのだ
ある日,おまえはいても
また別なある日,おまえは消え失せてしまう
海は続く
なんでおまえがそんなに気をもまなくちゃいけない?
おまえはやって来る
おまえは消える
その合い間の,この小さな幕合いに
おまえはあきれるぐらい気をもみ,緊張し
重荷という重荷を全部自分の肩にしょい込む
全然何の理由もなしに,自分のハートに重石(
おもし)をする

おまえは絶えず言う
「それはそうですよ,バグワン
でもちょっと,どうしたら悟った人間になることができるのか教えてく ださい」ーー
そのなること
その達成癖
その欲望は
目にはいってくる対象のことごとくに跳びかかってゆく
あるときそれはお金だし,あるときそれは神だ
あるときそれは権力だし,あるときそれは瞑想だ
とにかくどんな対象でもいい
おまえはそれにつかみかかってゆく
つかまないことこそ
本当の生を,真実の生を生きる生き方だ
無取得,無所有ー−
物事を起こらせなさい
生をひとつのハプニングにするのだ
 

ただやり手(doer)にならないこと

* 金澤の戸水さん、麩料理を下さった。少しでも食べられるようにとであろう、感謝します。

* 晩、入浴後の裸体重66.3kg。 これで全盛時? より、丁度20kg強の減となった。食べなければ。     



* 七月十二日 木

* 寝覚めの時、からだはラクに感じた。血圧も少し上がっていた、121。朝食はやはり進まない。身動きも重い。                                 
* いまきまっての読書の中で、折口信夫全集のなかの「藝能篇」を面白く読んでいる。或る程度多年の下地もあり、復習するように独特の論攷に馴染んでい る。古代藝能の萌芽が成熟して祝言藝に成って行く経緯など、肯きながら面白く納得して行く。
 「古今著聞集」の方はまだ「釈教」篇でそうそう面白くはないが、やがて世俗に触れて行くのでどんどんおもしろい説話が読めるはず。これまでもたくさん拾 い読みしてきたので素性は知れている。退屈していない。
 「栄花物語」は道長時代を盛期として主として後宮の変遷を描いているのだが、大きな流れは、人が生まれ、縁づき、死んで行く、まさしく大勢の人がただた だ「死んで行く栄花」の物語なのである。その特色に、したたかにアテられている。

* 風の吹きすさぶ中、今日は聖路加で腫瘍内科と感染症内科との二科の診察を受けてくる。妻も「風にとばされないように」付いてきてくれる。

* 抗癌剤「ts1」が相当に効いていると。しばらく会っていない医師の眼には体重減の痩せも色素沈着で手や顔が黒ずんできているのも、髪の毛の抜けなど も一目で見て取れるらしい。血液検査も尿検査も前回は「優秀」と褒められたのに、今回は各データによろしからぬ変化が見え、ことにビリルビン値が1.6に 跳ね上がっているは、抗癌剤のセイとも言えるが、2.0を超えてくると、癌の再発なども疑われることになると。この場合むしろ至急必要なCT検査を実行し ましょうと。
 詳細で簡潔な容態日記を持参しておいて佳かった、つらい容態のほぼ全部が抗癌剤の影響であり、あまりひどくなれば分量減その他の対応も考えると。血圧の 低いのも、高いよりはいいのですと。腫瘍内科の対応は親切で、からだに水分と栄養を補給の点滴も用意され、点滴車を手で押して感染内科へ移行。
 ここでも微熱と前立腺のかすかな炎症も疑われるし排尿が一時より好調を欠いているのでと、また抗生物質を含む薬剤二種が処方された。
 そこからCTを撮りに検査室へ行き、造影検査を受けてから、また午前中の腫瘍内科へ。
 ありがたいことに、CT検査の結果はほぼ良好で、癌の再発も全然認められなかった。腸もよく活動していた、但し一つ、大腸に「憩室」が出来ていてかるい 炎症が認められると。抗癌剤の影響ともとれるが、休薬期間が始まったところなので様子を見ていいということ、他の所見は満足できると。有り難かった。癌の 再発等について素早く適切な検査を実行し、その結果もちゃんと説明してもらえ、ほんとうに安堵した。
 水分を十分に摂ること、偏食であれ何であれ、たとえ少量ずつでも食べ続けるようにと。そうしよう。
 
* 午は院内食道で天麩羅蕎麦をとったが、かつがつ蝦の天麩羅を二本食べ終えて蕎麦はダメだった。汁だけ飲んだ。
 点滴していたので、それの終わる五時まで院内に居残り、近くの薬局で処方の薬を三種請け出してから有楽町帝劇下へタクシーで。妻は鰻を食べよと。
 前に一 度なんとか食べられたことがある、妻は鰻重、わたしは最少の蒲焼き。此処の「菊正」一合とキャベツの塩もみをとった。口に美味いと感じられたのは、キャベ ツと妻か ら廻された肝吸い。鰻もみな食べたが、美味いと舌鼓を打ったのでない。食べられて良かった、それでも。
 とにかくあさからずうっと睡くて、地下鉄に乗って座席を譲られると、頭の落ちるほど浅い眠りへおちこむ。保谷駅でタクシーを待つ二十分ほどがけだるくて 困った。

* 池田遙邨画伯の孫、わたしの新聞小説『親指のマリア』に挿絵をかいてくれた池田良則さんから、お見舞いに添えて『京都よせがき ちょっとそこまで』と いう スケッチ集をもらった。いきなり知恩院下、白川行者橋が柳の翠に濡れていた。裏表紙にも角度をかえて同じ橋が描かれている。故山しきりに夢に入る昨今、有 りがたい美しい贈りもの。ありがとう。
 メキシコを主な活躍場所にしていた墨画家島田正治さん、女流陶藝展の審査をした年に文部大臣賞をとった日吉ヶ丘高校後輩の松井明子さんも、なつかしい季 節 の繪の葉書でお見舞いを言うて来て下さった。
 処女長篇の『慈子』がはらんでいた徒然草の考察を誰より早く評価してくださった中世文学者の青木晃さんも、 「御加療中の由、まずはお見舞い申し上げます。  対談集拝受いたしました、「元気に老い、自然に死ぬ」…よろしいですね」と。『室町〜戦国軍記事典』 三部作を旧冬末に上梓し了えた所、とも。いいことだ。
 残念なのは、『細雪 松の段』に曲をつけてくださった荻江の家元壽友さんが、昨年に他界されていたこと。荻江壽友に作曲を依頼して自ら振り付け国立小劇 場で谷崎松子夫人のまえで二度舞ってみせた藤間由子さんも亡くなっている。淋しいが、また向こうでみなと逢うだろうと、はかない夢を観ている。

* 「そめいろ」染五郎から九月秀山(初世吉右衛門)祭の案内が来た。昼の部に「寺子屋」染五郎が松王丸、吉右衛門が武部源蔵という、これは「そめいろ」 大激励の配役、観たい。もう一つは吉右衛門お手の物の「河内山」。夜の部は「時今也桔梗旗揚」の本格を吉右衛門の武智光秀、染五郎の小田春永とい う対決。おお切りは、亡き芝翫を偲んで福助の「京鹿子娘道成寺」を鐘供養より押戻しまでとある。
 わたしの予想される体調で通しはムリ。二日に分けてでも両方観たい本格歌舞伎。さ、どうするどうする。
 こんな事を思っているときは、重苦しい体違和を忘れていられる。

* それにしても病院通いは、とことん、疲れます。    



* 七月十三日 金

* せいぜい朝寝してと思ってもほどほどに起きてしまう。
 今度の建日子ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」日曜夜九時のヒロイン尾野 真知子が、「山名さん」の番組でインタビューされているのを聞いていても、すみずみまで理解しているし新聞もちゃんと読めるけれど、躰は雲に浮かんでいる よ うで茫然自失、起つ気にもなれず起っても歩く気になれない。それでもよたよたと庭に降りて咲き盛りの桔梗の鉢を写真に撮り、よたよたと二階の機械の前まで 来た。此処へ坐ると、すこししゃきっとする。
 体温36.2度 血圧98−59(75) 血糖値117。血圧が異様に低い。ドクターは抗癌剤の影響と摂食障害のせいであり、しかし血圧が高いよ りいいんですと。ただ茫然自失の如く、寝ているのと同じ。
 いま、わたしの安心の場は、便座。両膝に両肘つき両手を握り、頭を深々下げ瞑目しているとそのま ま昏睡に近く眠ってしまう。きつい便意が来ようと尿意が来ようと、そのまま安心して寝ておれる。                                

 ☆ 如何ですか、鴉
 
今日(=昨日)は風の中、病院にお出かけになって、いかがでしたでしょうか。夜九時を過ぎましたが、 まだHPの新しい記載がないので気に懸っています、とてもお疲れになっていらっしゃるのではないか・・。
 抗癌剤投与の区切りがついたら日頃の副作用の症状など改善されるかと、強く願っています。

 先日、『荘子』のことを書かれていましたが、その中に「弟子達は粗末に葬ると先生が鴉や鳶に食べられてしまうと心配していた。荘子は、地下に入ってもど うせ螻蛄や蟻の餌食になるのさと構わなかった。」とあり、鴉、鳶に思わず絶句。しかし荘子のこの件を全く意識する以前に「鴉、鳶」を呼称としてきたので す。些か複雑な思いがしますが、ただ淡々と読むことにしました。
 鴉、少年のまま、生きることです。クリストフのように過剰なまでに生きること、です。
 同時に、矛盾しているような、物事の表裏そのままに白楽天の詩も紹介されていました。白楽天のその詩の境涯に憧れ続けてきたと・・
 その生き方はほぼ不可能に近いとさえわたしには思われます。無為であること、怠惰であることetcを悪であると常に刷り込まれて、義務や役割、規範を意 識して生きてきたと思います。
 が、わたしもまた逆の生き方をしたい、思いのままに表現したいと強い衝動を感じます。慵(ものう)くして何もしないのではなく、ものごとに捉われない自 分を取り戻したい、表現したい。見方によってはエゴ以外のなにものでもないでしょうが。


最近のわたしは週一回乃至は二回、岡崎まで出かけて家の整理、これがなかなか終わらないのです・・。週一回の日本画教室、そして神戸の詩の会に は一か月おき位に出かけています。
 ストレスを感じることも多々ありますが概ね人の眼には穏やかに暮らしていると映ずるでしょう。
 書きたいことは山ほどもありますのに、鴉を煩わしてはいけません。

 今はとにかく快癒されること、それが最優先です。元気に、元気に、大切に、大切に。  尾張の鳶


* イソップでもアラビアンナイトでも、なぜか鴉と鳶はわるものの対のように登場すると、この人は気にしていた。 今度は荘子にも一対であらわれたのは可笑しかった。
 わたしが鴉と鳶という戯れの名乗り合いを思いついたのは、わたしにすれば何でもない、この人にも理会があるに違いない蕪村の絵画を利したまでのこと。蕪 村の描く鴉と鳶と。とても佳い。

* この「私語」ともダブルのは作業量としても辛いので、どなたのメールにも大概お返事はサボらせて貰っているが、「書きたいことは山ほども」有るなら、 読ませて貰うのは日々の苦痛を癒す上でも有りがたいのです。

* いま次の愛読書に狙ってるのは、「荘子」。「老子」よりよほど読みやすいから。秦の祖父の残してくれた和綴じ三冊本、いつでも手元へ移せるよう用意し てある。東洋文庫の『中国古代寓話集』には、荘子篇、列子篇、戦国策篇、韓非子篇、呂子春秋篇などが収めてあるその全部が祖父蔵書として残されてある。な んという有り難い家にわたしは「もらひ子」されていたことか。
 荘子はこうも言うている。

 会えば離され、成れば壊され、廉}(かど)だてば挫かれ、出世すれば批評され、事を行なえばけちをつけられ、賢なれば謀られ、愚なれば欺かれる。 人の 世の累いをまぬかれて安らかにあり得るのは、ただ道(タオ)の世界に遊ぶことのほかにはないのだよ」と。
 
道 (タオ)を説いた老子と一心同体と公言してきたバグワンもそれを言う。わたしもつくづくとそれを思う。おもしろい世間でもあったが、イヤな世間でも あった。
 ただ、どんなにイヤな世間でも其処を通ってこなくては
、道(タオ)は、分からな いのではないか。バグワンへの信頼と帰依は深まる。

*  唐 代伝奇集の二冊も、面白い。       

* 午に。また食べねばならぬ。食べたくない。古城進工さんから京都の漬け物いろいろ頂いている。食べてみよう。


* 御飯というのがまるで口に入らない。西瓜、グレープフルーツ。チリメンジャコ。昨日「きく川」で或いは食べられるかと、肝焼きや焼き鳥の串を買ってき たが、ダ メ。食べるより、食べずに空腹でいるほうかラク。空腹感というのが、無い。

* 嬉しく心はずむ来信に励まされる。

 ☆ 『湖の本112』をいただき、
 鉄人と思いこんでいた秦さんのご闘病のことを知りました。そして「老いと死と遺書」を語る対談、これは今現在当方の直面している問題でもあり、ひきこま れるように拝読いたしました。世によくあるハウツー本とは違い、身に染みこんだ知と思索がぶつかりあう流れに心が洗われたような気がしました。短詩型の力 にも気づかされました。<それでも立ち向かふ>秦さんに励まされ、退嬰的になっている自分をのぞきこむことにもなりました。お礼申しあげます。
 闘い勝利のお知らせをお待ちしています。 七月十二日   講談社 元出版部長 




      昨十二日 聖路加病院の食堂で


* 昨日、腫瘍内科の先生、秦建日子脚本の「
サマーレスキュー 天空の 診療所」第一回、ご夫婦で観て下さっていた。わたしの新刊にも、こういう気持ちと姿勢で生きていらっしゃるんだなあと。感染症の部長先生も読んで 下さっていた。文学好きで、歌集『少年』も喜んで下さっていた。
 また、二十年ちかくも妻の主治医でいてくださった前の副院長先生とも、偶然院内で出会い、上機嫌で、 こんどの『元気に老い、自然に死ぬ』はぼくらの必読書です、とてもよかった、いろいろ考えましたよと。
 仕事を通して思いの繋がる励みと喜び。これこそが、力。

 ☆ (音楽家ジャン・クリストフは言う=)ほんの少数の、良い人々 から愛され理解されることの方が、無数の白痴に作品を聴いてもらって、あら探しをされ たりお世辞を言われたりしているよりも遙かに良く、遙かに楽しいではないか? ……栄誉を求め名声を誇る悪い根性には僕はもうつかまれない。
 音楽の領域と文学の領域とは互いに無縁な、そして密かに敵意を持ち合っている二つの「国家」であるらしいが、僕には、シェイクスピアは、ベートーヴェン と同じく無尽蔵の生の源泉だ。
 僕は、藝術上の離れ業を嫌う、自然を歪めるすべてを憎む。女は女であり、男は男であるのを僕は好む。                

* 文学は音楽を根にし、絵画の花を咲かせる。 

* 妻が髪結いさんへ行っている留守にたまたま映画「クレオパトラ」を中途から観て、最後まで惹きこまれ、感動を新たにした。
 こういう歴史劇が、たとえ脚 色され潤色され過剰に批評されていてもわたしは好きで、つとめて観るようにしているが、この名高いエリザベス・テーラーとリチャード・バートンの演じたア ントニウスとの映画を通して観たことがなかった。
 なんというエリザベス・テーラーの美しさであったろう。わたしは少女時代の作から、「花嫁の父」の頃のエ リザベスから、「熱いトタン屋根の猫」などいろいろ観てきた。奇跡としか言いようのない天恵の典型という美女は彼女をおいて無い。イングリット・バーグマ ンですら、美しいと言うだけで言えば敵わない。海外女優ではわたしは早くからこの二人を双璧と観て、毫も揺らがないて来た。
 だが、映画「クレオパトラ」もすばらしく、殊に脚本の科白がみごとな音楽美に溢れ、文藝の魅力にも感嘆したのである。 

* 「医心方」全訳者の槇佐知子さんの電話を受けた。

* 夕食も食べづらく食べ悩んだ。手先はジンジンと痺れている。とにもかくにも抗癌剤以外にもクスリは各種、時に十種も飲んでいる。どのようなクスリにも 大なり小なり副作用があり、似た副作用が輻輳もする。夕刊によると「抗癌剤」副作用を主題とした救済目的の公的な会議が検討されていながら中止にされたと も。
 キイを叩いている両方の手の甲の黒ずんだ穢さを観ていると気が滅入る。顔色もそうだと聞いているが、だからますますわたしは気を揺り起こしてでも、なに かにつけ元気に楽しみたい。  

* 一仕事をやめ、ベートベンのソナタ30番をグレン・グールドで聴いている。なんという美しい出だしだろう。わたしは音楽の何であるかロクに知らない者 だが、聴いて喜べる幸福は持ち合わせている。ありがたい。 

   ☆ 陶淵明集より
栖栖失羣鳥  
 栖栖たり羣を失へるの鳥、
日暮猶独飛   日暮れて猶ほ独り飛 ぶ。
徘徊無定止    徘 徊して定止する無く、
夜 夜聲轉悲   夜夜 聲 うたた悲し。
視ソ思清晨     響 清晨を思ひ、     響は高い鳴き声
遠去求何依    遠 く去りて何に依るかを求む。
自値孤生松    自 づから孤生の松にあうて、
斂翮遙來歸    翮 (つばさ)を(をさ)めて遙に來歸す。
勁風無榮木   風勁く榮木無けれども、
此蔭獨不衰   此の蔭獨り衰へず。
託身已得所   身を託するに已に所 を得たり、
千載不相違   千載 相ひ違(さ) らざらん。

* 「飲酒」一連の第四首だが、詩人陶潜の経歴と帰去来の安心とが諷喩されているとわたしは読んでいる。
「自づから孤生の松にあう て、翮(つばさ)を(をさ)めて遙に來歸す。勁く榮木無けれども、此の蔭獨り衰へず。身を託するに已に所を得た り、千載 相ひ違(さ)らざらん。とは、至らずとも、吾が思いも其処にある。

*  いつしかに音楽もやん だ。やすもう。
 明夕、亀戸まで俳優座劇団の芝居を観に行く。無事に行ってきたい、ゆらゆらと転ばぬように。 



* 七月十四日 土

* 朝寝した。血圧105−68、血糖値99。朝食は、弥栄校同窓の横井さんが送ってくれた祇園煎餅が主食、有元さんに戴いた岡山のマス カット。そして山椒入のちりめんじゃこを掌に少しずつ載せて。それで精一杯。ときに誤嚥して濃い唾を吐きに手洗いに。
 抗癌剤「ts1」の予想されてある副作用は沢山ある。この数日涙目で霞目なのも、洟水も、濃い唾も、口内に膜を貼り付けたようなざらつきも、排痰を伴わ ない咳込みも、みな副作用に入っている。涙目は眼科的な症状かと思っていた。眼をこすってはいけないと。
 自分で分かる副作用と、検査でないと分からない副作用とがある。骨髄機能の抑制、白血球減少、貧血、血小板減少、肝機能障害などは、貧血気味のほかは検 査でしか分からない。四週目で出てくるビリルビンの上昇は、わたしの場合八週目に顕著になっていた。自分で分かる、吐き気、食欲不振、口内不調、色素沈着 はもうはっきり自覚しているが、発疹はなく、わたしの場合下痢は顕著でなくむしろ便秘になりやすい。
 副作用であるのか分からないが、暑い暑いが分からず、冷房されると寒いと感じ着重ねている。夜も布団を首までかけている。

* 観察と記録のために体調凝視をなるべく平静に励行しているが、たえず「ま、こんなもの」だという自覚がある。病気に成ってしまった以上は仕方なく、堪 えて乗 り切って行くしかない。
               
* 朝一番に小松の八代啓子さんから利尻昆布など昆布のいろいろを沢山頂戴した。ありがとう存じます。

 ☆ 御病気 御見舞い申し上げます。
 抗癌剤の副作用の辛さは大変なものだろうと心から心配しております。私の妻の苦しむ様子を見ていて、私が代ってあげられればと思ったこともありました。 妻はがんばり、いまでは普通に暮らすことができるようになりましたが、いつ再発するか、という恐怖から逃げることはむつかしいようです。ともあれ、一日一 日を大事に生きていければ それが幸せという心境のようです。
 御著書第112巻、「老いと死と遺書」を拝受いたしました。ありがとうございます。早速に拝読しております。一日一日をどうぞ大切になさいますようお祈 りします。   作家・日本文藝家協会理事

* ペンの理事会ではよく隣席していた心親しい同僚・同業だった。懐かしい気がする。
 言われるとおり「一日一日」である。「いま・ここ」を生き続けるまで である。感謝。

 ☆ 過日は
 湖の本112の対談集を御恵送たまわり深く感謝いたします。早稲田の定年退職から七年目に入り、ようやく山梨英和大学の特任も解かれるところまでこぎつ けました。「翁さぶ」つもりで「老いの繰り言」を若い人たちにしゃべってきたようで、横町の隠居もこのへんで廃業いたします。御病状の一日も早い御恢復を 祈りあげます。右 取急ぎ御礼まで。  文藝言語学者

* この方からは関わられた辞典・辞書を幾つも頂いてきたが、なかでも自編された『日本語 語感の辞典』がユニークで珍重し読んで愛用している。名文と は、などという問題意識からの著書も多い。

* 各界の知己知友の数多いことはわたしの有り難い福分である。大学高校を別にしても、五百人ほど、それ以上か、に「湖の本」を贈呈している。しかしわた しはそ の殆どの方と面識を持たない。上の作家理事氏とはペンの同僚理事で親しかったが、早大に居られた中村明さんとはお目に掛かったことがない。殆どすべてが創 作と著述とを介してのみの知人なのである。それが我が「淡交」というものであり。 

* 午后、有楽町線市ヶ谷経由で亀戸駅のちかくカメリアセンターでの俳優座一日公演、山田太一作・中野誠也演出の「沈黙亭のあかり」を観に出かけた。ヒロ イン格で出演している早野ゆかりさんからの誘いがあり、いつものようにわたしは招待、妻の分はいつものように支払って、
用意して貰っていたD列中央の角席、絶好席に おさまっ た。
 この芝居は 以前初演の時も観ていて、記憶は朧ろとはいえかなり書き改められたか、演出がより良くなったか、出来映えは格段によろしく、一の拍手を送ってきた。芝居は 小難しいと言うよりすこしむりに言うと「小ややこしい」筋を追いながら、静かな沈黙を基調に進んで行く。舞台はいわゆる喫茶店だが、マスターは口が利けず 耳も聞こ えない。工夫をこらした経営を善意の常連さんが助けもしているが、それが必ずいいとも有り難いとも言い切れない。「沈黙亭」と名のっているように、店のメ リットはマスターの障害を利したかたちで客は内緒話がしやすいのである。
 そういう店で事件がゆっくりと、バカらしいほどゆっくりと進行、むしろ浸潤して行く。事件は集団自殺をもくろんだ無差別殺人。それがトンマなのである。 かなり自然に舞台は会場の笑いも取っていた。横で妻もよく笑っていた。事件のもう一段基底に、マスターの妻の過去の自殺、女性客の娘の過去の自殺がズンと 沈み込んでいる。「死なれて・死なせて」生きるという主題が、トンマな四人組の深刻な生き方により混乱させられる。
 これだけいえば「小ややこしい」劇だというわたしの共感と称讃といささかの困惑の思いは理解されるだろう。なににしてもしかし新劇を久しぶりに楽しん だ。その為に体不調を押して亀戸まで出掛けていった。よかった。大塚道子はじめ俳優さん達にも何人も挨拶をもらってきた。妻が大の贔屓の可知靖之ともお喋 りして来れた。「心 わが愛」で「K」を好演してくれた立花一男の死も聞いた。
 作者の山田太一さんとも親しく挨拶を交わしてきた。

* 六時、まだ日ざしは亀戸の町にのこっていて、わたしは我が身を奮い立たせるようにして、タクシーで近くの亀戸天神詣でに向かった。『蘇我殿幻想』連載 取材の昔に、一度詣でたことがある。
 妻には新奇で珍らかな参拝であったと見え、池や藤棚のゆたかに広々としていて、拝殿の華麗なのにも、歌舞伎舞台をみる ような花やぎを楽しんだ。
 境内に店をもった老舗の料亭「若福」に入り、お任せの料理を頼んだ。これが妻にはとてもとても美味しくて、ご機嫌。
 わたし は、味わいは殺されがちでも、ほとんど一通り食べられたのである、ちょいとした奇跡のようだった。場所も店も料理も一級、店の親切な饗応も茶ごころに適っ てとても嬉しかった。裏千家の茶の稽古に励んでいるという料理長の料理に涼しげに梶の葉があしらってあり、懐かしい夏の茶の「葉蓋」手前を思い出し、話題 がは ずんだ。
 とっぶりと晩景への推移も店内にいてたのしみ、満足して、料理長や厨房さんたちとも親しく話してこれた。見送ってももらった。
 またタクシーで亀戸駅へ、総武線で市ヶ谷へ、市ヶ谷からは清瀬へ直行の有楽町線で保谷へ帰ってきた。芝居も楽しみ、参拝も料亭の親切な献立にも満 たされてきた。帰りの亀戸駅で、亀戸の大老舗「船橋屋」の葛餅も買ってきた。保谷駅では妻がわたしのために桃やグレープフルーツを買ってくれた。タクシー で帰り着くと、留守番の黒いマゴが玄関で元気に迎えてくれた。
                       
* もう十一時を過ぎた。



* 七月十五日 日

* ゆっくり朝寝。朝食に昨日買ってきた船橋屋の葛餅、グレープフルーツ。体調良く、薬効か、排尿もすこぶる改善。左手先のしびれ感は有 る。
                          
* 政局の混乱、目に余る。そんななかで反原発、脱原発を願う市民のデモが大きく膨らんで来ているのを、心より喜ぶ。この運動はかつての反安保デモよりよ り 市民的に、かつ辛抱よく長期に官邸や国会を熱く取り巻くことで成功させたい。早くから此処にも繰り返し書いてきたこと。いつしかに実現してきており、嬉 しい。新聞では東京新聞の報道がもっとも原発問題の核心に触れて誠実だとわたしは評価している。東京新聞の姿勢に感謝している。

*  バグワンはいわゆる聖人や宗教教団に名をはせた宗教者・聖職者には厳しく当たるが、仏陀はもとよりイエスやソクラテスや老子らとは篤い一体感、称讃の純粋 な共感を何度も何度も語っていて、それにもわたしは信頼を寄せ同感している。ひととおり旧約も新約も聖書は全通読してきたが、聖書を、また仏典などを「読 む」という行為自体には、バグワンの言うとおり、たいした意味は感じていない。むしろ囚われてはならぬと思っている。奇跡にも、まして奇跡という「言葉」 にも囚われていない。関わる気がない。奇跡は有っても無くてもわたしの手も思いも及びはしない。それどころか、へたをするととんでもなくエゴをこねまわす ことに なる。

 ☆ ロマン・ロランが言う
 悪意をふくんでいる批評に対する最良の返答は、決して返答せずにどしどし自分自身の創造的な仕事をつづけることである。藝術上の不当な攻撃をいちいち相 手にして必ずそれに返答するという悪い習慣に染まってはならぬ。

 ☆ ジャン・クリストフが言う
 私はあなた(=大公)の奴隷ではありません。私は言いたいことを言うでしょう。書きたいことを書くでしょう。

* 息子の秦建日子にも甥の黒川創にも、これを伝えたい。

* 普通のドラマなら「平清盛」悪行のかずかずを描き出そうとするだろうが、今回の大河ドラマは、実に正しく、武家の武家として起とうとする意図と意欲と に基づいている。源平のいずれにもそれがあり、しかし源家の棟梁義朝は早まり焦って平家の清盛に名を成させた。清盛は後白河上皇の意も受け、武家の手で、 平治 の乱の大将を以て任じ信西入道を殺した公卿藤原信頼の頸を六条河原で斬った。その上で、とうとう、父忠盛の果たせなかった公卿の列に武士の清盛は並ぶので あ る。
 脚色者は平家物語の虚構や仏臭をあえて採らずに、歴史が孕んでいた体制の変更を着々実証して行く。りっぱな見識とあえて言う。

* 建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」二回目、緊迫していい流れだった。瑕疵は強いて謂えばあるが、ドラマの基本姿勢が誠実なのは気持ちが いい。

* 今日はいくらか元気だったようで、やっぱりいまは、視野もアイマイでゆらゆらする。
 出来ればわたしも妻も明日の代々木「反原発デモ」に参加したいのだが、日盛りの真昼どきの大集会で、人に迷惑をかける容態に陥っても困る。マトモに考え れば、残念 残念だが、とてもムリな気がする。

* 九月秀山祭は、昼夜分け、診療に障り無い土曜日をえらんで「染五郎そめいろ」の番頭さんに予約を入れた。承知と返事もきた。

* いよいよ一週間後の日曜日には、ここ半年に三度目の聖路加病院入院となる。今週は、とても忙しい。



* 七月十六日 月

* 黒い手を見つつし呪詛(とご)ふ言葉なし抗癌剤めよく効いてをる   湖                                            
* あたりまえの話、抗癌剤はわたしの敵ではない、味方である。副作用がどう出てこようが、「お辛そうですヤメましょう」とたとえ医師に言われようが、わ たしは「続けましょう」と言う。

* ものごとには終わりが来る、そして作家には初めが来る、「書く」と謂う「初め・始め」が。

* 昨日河出書房から新刊の文庫本、秦建日子『サマーレスキュー 天空の診療所』が届いていた。
 救える命は救いたいという著者の思いは、日曜夜九時に放映 されているドラマからも確かに伝わってくる。姪のやす香に死なれた体験や、今度の父親の胃癌や母親の心臓の手術などに立ち会ってくれた体験が生きているの だろう。
 子供の頃にはそうは言わなかった、「死んだら死んでしまいだ、死なんか考えないよ」と。そうは言いながら、漱石の『こころ』を読んでやると、途中で 泣き出した。どうしたか聞くと、自殺した「K」が「可哀想」と泣いていた。体験を積み重ねながら、確かに生きて行く。確かに生きているようだと眺めてい る。

* 「以心伝心」と言うが、それは達人の域の人らの話で、凡人は言葉に頼らねばどうしようもない。言葉を蔑視している内にとても大切な宝を掌からこぼして しまう ことが有る。わたしも永い人生の中で一度ならずそういう悔いは遺してきた。
 「わたしの気持ちはわかっているはず」という思い込みを「特別視」する人が世間にはとても多いように思うが、大概それは我独りの自慢に属している。凡人 同士 は、結局の所、言葉にして言わねば伝えねば、なんら伝わったりしない。言葉は不束なツールだけれど、度量もなく「沈黙は金」などと胸を張ってみても、たい ていは言葉の伝達力に遠く及ばない。  

* 一少年をまんまと自殺に追い込んだ、滋賀県大津市の市教委と校長以下の担任・担任外の教員たちと、親も含めて加害生徒たちとの、共犯とも謂うべき一連 のいじめ行為は、単に「イジメ」などと謂ってしまえない明瞭な「犯罪」であり、徹底追究が望ましい。
 市教委も校長以下の教員も「いじめのない優良校」の名 を守りたいだけの、大きく見て文科省官僚の「奴隷」身分に屈従している。情けない。
 わたしの昔を考えても、こんな情けない先生たちとは出会ったことがない。 
 この学校問題と、原発への意見公開聴取での、内閣と電力との、元々「結論ありき」のあまりに見苦しい「やらせ」行為もまた、国民を愚弄した「犯罪」行為 と謂 うに値する。

* 今日の反原発デモには、ほんとうに参加したかった。しかし日盛りの大群集の熱気のなかでは、妻もわたしも熱中症に倒れてしまうのは必至の衰弱であり、 断念した。明 日火曜も水曜も金曜も医院・病院通い。日曜には入院、月曜には右眼の手術である。途方もない。せめて今度は、妻に大きな負担をかけたくない。

* 何年もの間にいろいろ手がけてきた小説に、新たに手をかけ始めた。今日手がけた作は、ドライに、パリパリに乾いた構成で組み立てて行きたい。    

 ☆ 
秦 恒平 様
 暑中お見舞い申し上げます。
 いつも湖の本お送り頂きまして本当にありがとうございます。
 ところで其の後お体の具合は如何でしょうか。
 病魔との闘いは私には想像できませんが、事故で死にかけたことは何度かありました。チンチン電車に轢かれそうになった事。荒れた海で2回。川で1回。山 で滑落1回。
 病では、椎間板ヘルニアと判明する前の徐々に痛さと痺れで歩けなくなっていった時の恐怖。
 今にして思えば、全て避けて通れる事と病名が分かった時点で対処可能であったと言う事。死とは背中合わせであったとは言えどうしようもない状況ではあり ませんでした。
 秦さんの今の病において、京都山科のガン治療の話聞かれた事ありますでしょうか。そこは今以上に転移し難く治療を施されていると聞き及んでおります。日 本ではそこでしか施療していないとのことです。知り合いの友人から聞いたのですが、彼も関東から月1回通院に来ているそうです。
 元気いっぱいの秦さんしかイメージできません。昔と違って治癒できる可能性もあると思われますので色々な情報と実績に基いてお調べになればと思います。
 ともかく秦さんは、元気に老い、自然に死ぬ、年齢ではありません。
 素晴らしい秦さんであり続けて欲しかったのですが、途中ちょっと本当の秦さんの事わからなくなってしまった時期があります。
 しかし先日退院されてからの秦さんは、昔の私の描いていた秦さんを、さらに大きくされたような感じを受けました。
 秦さん。これからが秦さんの、権威や権力にとらわれない京都人、自由人として益々愛され魅力ある人生を全うされて行かれるものと思っております。
 一緒にお酒でも飲みたかったのですが、先ずは病気治る方向にて変な御無理なさらないよう頑張って下さい。
 少しですが北海道の食べ物送りました。食べて頂けたら幸いです。
 お会いできます日を楽しみに致しております。
 July 16, 2012    京都宇治  


 *  古い古い昔からの読者。一度お目に掛かったことがある。東京におさらばして、京都へ帰ってきてはと、熱心に奨めてくれた人。この人は、そうして脱サ ラし京都へ居を移して、美術関係のお仕事に向かわれた。
 北海道の食べ物、いろいろに沢山頂戴。最初に、粒貝であろうか歯触りの確かな甘煮貝を戴いた。「美味しい」という感触を久々に少し実感できたのは幸 せであった。有難う存じます。

* 唐代伝奇集など東洋文庫の四冊を愛読。二十冊ほどを階下と二階とで日々愛読、それが抗癌剤の副作用に負けない絶好の緩和剤となっている。「書く」習い と「読む」習いを強制や干渉なく植え付けてくれた時代と恩師の大勢に感謝」している。

* さて明日は独りで歯科へ。明後日も独りで聖路加の感染症内科へ。頭の焦げる熱暑でないことを願う。   



* 七月十七日 火

* 今回の原発で「人は一人も死んでいない」という仙台公聴会での割り込み原発関係者の原発擁護温存発言は、いま、あのヒロシマには緑樹い よいよ茂り草木舒榮ではないか、といった、原子爆弾では大勢が悲惨になくなってきた事実に目をそらして放射能被害がまるで無いように言う詭弁と、まるで同 一 である。福島で被災し、郷里を永久に喪おうとしている大勢の現状は、「死」に同じい。そして事実、原発への憎しみや非難の声をのこして自ら命を絶った人た ちも、いるではないか。

* ちょっと郵便局へ自転車を使ったが、日照りの暑いこと、寒暑に鈍感になっているわたしでも閉口した。
 いまから電車に乗って独りで歯医者に通うが、いささかこの熱暑と日照りとは怖いほど。慎重に、ゆっくりとすばやくとを使い分けながら無事に帰ってきた い。朝食も不十分なので、からだは弛緩している。

*  ま、暑かったこと。入念に歯と口の中を綺麗にしてもらい、歯科医院を出てからバス停まで、焦げそうだったが、道ばたには可憐な花たちが幾色にも咲いてい てカメラを向けずにおれなかった。大きな木蔭のバス停で助かったがバスがなかなか来ない。来たのは練馬行。いいやと乗り、相当遠回りして練馬駅前まで。
 駅 構内に馴染んだ寿司屋がある。家に帰っても妻は妻の病院へ通って留守とわかっているので、さて食べられるかどうか案じながら店に入った。
鯛と鯖と小鰭と鰺とを肴に切っ て貰い、〆張鶴の純米吟醸を一合。そして平目とうにと中トロを一貫ずつ握って貰い、上がりは玉の切れ。なんとかみな食べられたのは目出度かった。
 保谷駅で桃を三つ、グレープフルーツの大きいのを二つ買ったまではよかったが、炎天干し下でタクシーを二十分も待ったのは、危うかった。音をあげかけた ところへやっと一台。助かった。
 病院通いは明日も、独りで。

 ☆ このたびは『湖の本112』御恵与いただき、
 ありがたく御礼申し上げます。梅雨の晴れ間の一昨日拝受。御闘病中の精力的な御執筆、敬服するばかりです。
 この十年ほどの間に、私は年齢(昭和九年四月生まれ)相応の病気が増え、通院ばかりの日々ですが、御著書から刺激をいたゞき、せめて、生きてゐるうち に、一つは、自分自身で納得できる論を書かねばと思ふこと切です。
 気候不順の昨今、何よりもお体をおいとひ下さいませ。 かしこ 七月十一日  登 美  中世文学研究者

* わたしより一つ年嵩の、たいへん勝れた在野の研究者、思い返せば優に四半世紀を超えたご厚誼を戴いてきた。なおなお良いお仕事の成りますように、お元 気で。

* 此の二十二日日曜日から、入院のためまた暫くは日記が書けない、送りだせない。七月二十一日までの分は、日付順に、誤記など直して、「宗遠日乗」 130として記録し保管しておく。

* 自分の関わった対談『元気に老い、自然に死ぬ』を、時間をかけて読み返し読み終えた。お元気な山折哲雄さんへも、亡くなった松永伍一さんへも、敬意を 新たにしたことが、よかった。

* 「備忘・未定・未完原稿」と名付けたフォルダが、在る、わたしに。そこへ入れば、数多い創作への出だしや構想や試行錯誤がたくさん溜まっている。ここ へも入れてない断片や、或る程度纏まった随筆などは、ホームページからこぼれ落ちそうに在る。うかっとそこへ紛れ込むと、読み直し初めてキリがない。手を 掛けて仕上げてやらねば可哀想なほどの草稿も在る。だがわたしは慌てない。

* 「湖の本113」のゲラが明日家に届く。病室へ持ち込んで、片目で校正するつもり。


    
* 七月十八日 水

* 今朝、葛餅 桃一顆 牛乳。食べ物が口にはいると忽ちに舌がザラついて、味をこわしてしまう。それでも食べられた方。

 ☆ 祇園祭でした
 
今日(=昨日)の暑さは今夏最高では。一人ではエアコンをつけない主義なので扇風機の前で茹だってました。
 暑い中、遠方への通院は大変だと思いますが、体力はある様子、何しろ前向きの方なので、安心です。
 お元気で退院なさるように。  


* ありがとう。

 ☆ 「古典を味わう」室への投稿
 秦 さま
 私のほうこそ、以前お誘いを受け、投稿しますと申しあげたお約束を果たせずおりました。
 手術を控えていらっしゃる御眼を煩わせるほどの価値のあるものとも思えませんが、ご回復後のいつの日かご覧いただき、ご指導いただければ、うれしいこと と存じます。
 そして、**の物語、どんな展開になるのかと楽しみにしています。お好きな****がきっと大きく描きだされるのでしょう?!
 反原発集会の盛り上がりにも瞠目しています。
 日本国民もデモで意思表示をする時代が来たのかと喜びを感じています。大飯原発の再稼動は残念ですが、これからですよね。
 マスコミも控えめながら報道するようになりました。
 政治、行政は目を覆う体たらくですが、こんなときに新しい希望も生まれるのですね。 大阪・まつおより


* 投稿の和泉 式部観 たのしみに拝見します。熱暑の日々、お大事に。

* さ、今日も独りで聖路加内科へ受診に。シッカリした気分で出向かないと暑さに負けてしまう。

* 十時半に病院に入り、出たのは二時前。それまで飲まず食わずで、熱暑の道をよたよたと杖ともの三本足で日比谷線の築地駅まで。食事をと銀座で下車した ものの、何が喉を通ってくれるのか分からず、デパートの食堂街はみな高い階にあるのも億劫で、目の前まっくらに立ちくらみしたりするので、結果、無用に遠 回り、 有楽町線の銀座一丁目まで眩しい日照り道を歩いて、地下鉄に乗ってしまった。池袋で降りようかと一度は電車の外へ出たがあきらめ、そのまま保谷駅へ帰っ てきた。また桃三つとグレープフルーツ二つを買い、例によってカンカン照りの真下でタクシーを待ったがえんえんと来ず、仕方なくバスに乗った。不便な場所 に停留所があり、家まで五百歩は歩かねばならない。

* 生八つ橋と桃とで飢えをしのいだ。印刷所から新しい校正ゲラがどさっと届いていた。さ、また戦が始まる。

* 大学での亡き恩師の奥様よりお見舞いを戴いていた。恐縮でする

 ☆ うっとうしい梅雨、
 雨も多くむし暑くしのぎにくい日々でございます いつも御本を御恵与ありがたう存じます
 御体調が悪いと知りつゝ お見舞もせず失礼して居りましたが その後いかゞおすごしでしょうか
 本日御礼のしるしに北海道より 名産を送らせましたのでお納め下さい。お口に合えばと存じて。
 私も二月に肋骨をいため 源氏の隔月の旅も欠席してしまいましたが 治りのおそい老体をしみじみ感じて。でもやっと平常通り外出も出来るように 元気に なりました
 お互い体に気をつけて長命を祈りつつ 一筆御礼のみ    恩師教授夫人

 ☆ お元気ですか
 
梅雨明け宣言のあった昨日は祇園祭の山鉾巡行の日でした。テレビでその様子を見ながら、何年も四条通りで見ていないことを改め て思いました。暑い、暑い京都ですが宵山の混雑と湿気が懐かしいです。
 いよいよ入院手術ですね。不安もあるかと察しますが、乗り越えていく一つの坂、それを越えたらきっといいことがある、視力の回復があると信じてくださ い。
 よろよろでも、手が黒ずんでも、朦朧と夢の空を踏んでいても、鴉は新しいものを生み出そうとしている、そのことを何人もの人が見詰めていますよ。
 ちょうどその日は神戸に行きます。遅まきながら詩集の出版を祝ってくれる小さな集まりを企画してもらっていますので。その後、チェコの友人がプラハで日 本に関する展覧会を企画していて来日するので、一日はそのお手伝いをします。
 暑くなければ京都も歩き回りたいのですが、多分怠け心たっぷりに動かぬおばさんに徹しそうです。
 くれぐれもお体を労わってください。梅雨明けの今は殊に慎重に、大切に。  尾張 の鳶

* 玄関に、岸連山が幕末に描いた、わたしの好きな墨画「祇園社御手洗場」をかけ、茶の間の奥には、足利義政の「義政」と名乗りのある「海上 蛍」 の歌短冊の長い軸を、晴れ場には友人にもらった「向日葵」の繪を飾った。下の棚には、高麗屋に戴いたブーゲンビリアの鉢とならべて、野澤利江さんに戴 いた和久傳の鱧料理が涼しげに入れてあった竹編籠を、籠だけそのまま飾っている。竹籠のいさぎよい清々しさがえらくブーゲンビリアにも、向日葵の繪にも、 白鶴 象嵌の青磁の皿にも似合うのである。ナイス!
 ダイニングには、読者である、NHKデイレクター夫人制作「白木槿」二輪の気持ちのいい額繪で飾ってある。

* 送られてきた大阪の松尾さんの和泉式部の内側へ潜り込んだようなエッセイは、面白く書かれていた。早い内に「e-文藝館=湖(umi)」の「古 典を味わう」室に展示させてもらう。技術的な展示方法をしっかりまたも頭に入れないといけない。技術や方法は、ちょいと怠けていると、すぐ忘れてしまう。
 毎晩の読書に、岩波文庫の『和泉式部集』があり、克明に撰歌の楽しみを続けている。撰歌のあと、笠間書院に贈られた佐伯梅友さんらの浩瀚な『和泉式部集 全釈』を楽しんで読みながら、より厳格な撰歌を更に試みてみたいと願っている。
 実はそれだけでなく、『和泉式部日記』を今日の眼で解剖してみたいとも、久しく、思っているのです。
  したいことは、幾らでも有るモンだなあ。

* 「e-文藝館=湖(umi)」に作を入れる入れ方が頭の中でアイマイになってしまっている。明日、落ち着いて調べよう。


* 七月十九日 木

* 福島四号機 の危うさ、廃炉への無対策。聞くだに気の遠くなる未来まで、日本はこの危険極まりない強烈放射能の廃墟とともに暮らすのか。
 識者は今日も警告している、もし破壊 状態が更なる破壊を起こしたなら、首都東京民も挙げて逃げ出さねばならないと。何処へ逃げられると言うか。
 五分と近づいていようなら「即死」してしまうような物騒なものが、福島廃墟に手つかずに放置されている。
  野田総理は何を考えているのか。万一と謂った確率でなく、福島も大飯も新たな惨事を起こしたら、われわれに何処へ逃げろと言ってくれるのか。
 北欧では、核廃棄物の処理に、19億年揺らいだことの無いと確証されている地下深く深くに万全を期して廃棄物を十万年埋蔵し密閉すると、事実、それが実 現し よ うとしている。
 有数の地震国日本は、何の対策もなく、狭い島国国土に50数基もの原発を抱えて、どうする気でいるのか、気が知れないと、フィンランドで嗤わ れ ていた。政治と国民との信頼度が、天地の差もある。
 便所のない家に住み着いて、ろくにモノも言ってこなかったのが、恥ずかしいし情けないし、政治に対し電力 会社に対し怒りは強まり深まるばかり。

* 今朝も、桃 と葛餅。玉蜀黍も少し。飲み物がすぐ生ぬるくなる。
 燃えるような日照りを押して、自転車で銀行へ。一年分の家計費を妻が管理の通帳へ移す。また一年、家計では安心して生活できる。
 自転車に乗っていても、両眼に泪が あふれ出て困惑する。 
                                   
* 書庫へ入る。28度、湿度70%もある。それでも、なかなか出られない。書庫は、わたしの宝庫。

* 闘病中の茅野市の松下圭介君、手紙を呉れる。肩の辺に痛みをともなう半身麻痺があるとか。痛みのあるのが気の毒。
 いまのところ、わたしに痛みは無い。眼の手術予後にどうか痛みが残らないように。
 眼に出血の懼れあり、術後酒は呑むなと言われている。いまのわたしは全 く酒類に手が出ない。たまに飲んでも、ビールも日本酒もワインもとても美味いとは受け取れない。はなはだ不味い。ウイスキーなど全くダメ。

 ☆ 汲々不及吟十首  清水房男歌集より

 齢だからと言ひつつ遣り処なき思ひ吾より若き友の逝きたり

 祖母も叔父も長き生(よ)終へし九十四か其の九十四に吾もなりたり

 如何にすれば救はるるかといふ嘆き神も仏も有り無しのまま

 今にして吾が力には片付かぬ事のくさぐさ更にまた一つ

 老年性被害妄想の故かとも纏はりやまぬ此の不快感

 何がどうといふ事もなき思ひにて寒き昼すぎ家出でて来ぬ

 あの男のいやな笑顔の記憶ありたぶん昭和期末年のころ

 何なりしか九十余年の吾の生ねがひて叶ひし事とても無く

 虚し虚しと独り呟きゐたりけり何虚しきか取りとめも無く

 もう長く生きゆく事もあるまいと思ふ時すら希々にして

* この老歌人のまだ壮年の頃の歌であったろう一首に、衝撃を受けたのを忘れない。
 
 思ふさま生きしと思ふ父の遺書に長き苦しみといふ語ありにき   清水房雄

 この一首の「長き」という尋常な一語に籠もる「父」の思いにわたしは泣いた。どのように其の子からでさえ「思ふさま生きしと思」はれようと、そんなもの ではない。「父」は生涯「長き(さまざまな)苦しみ」を背負っている。 

* 明日は聖路加眼科で、二十三日手術前の「硝子体」などの検査や診察を受ける。
 そのあと、新橋演舞場で、猿翁・猿之助・市川中車の襲名、市川團子初舞台 を楽しみに行く。目が見えていますように。我當君の番頭さんが、いい席を手配してくれたようで感謝しています。
 何が楽しみか。むろん「黒塚」と「口上」で す。
 「将軍江戸を去る」での新中車・俳優香川照之の奮励をしかと観たい。大切りの「楼門五三桐」で、病をおして新猿翁が、市川海老蔵の石川五右衛門を圧倒 する 真柴久吉を演じてくれるかどうかも、胸を鳴らす。
 目の手術という不幸を、この興行が大いに大いに励まし慰めてくれる。楽しみたい、終日の病み疲れにも何と か耐え抜いて。    

 ☆ 花だより3 
 
メール届きました、体調優れないなか有難うございました。暑さのなか又、入院の事お察ししてます、お気をつけて下さい。
 私は急に暑さが厳しくなって閉口してます、暑さ厳しくなってから開花しました、祇園守-むくげ-送ります
。 京小松谷        

* 夏にも夏の花が咲く。いま、木槿はなにより懐かしい顔をしている。



 

     我が家の底紅木槿です

 
*  どうしても「e-文藝館=湖(umi)」へ原稿がうまく送り込めない。頭が悪くなっている。
                        
*  やっと松尾恵美子さんの「和泉式部」観を、「e-文藝館=湖(umi)」の「古典を味わう」欄に展示できた。ほっ。


* 七月二十日 金

* 今朝から眼の手術前の特別の点眼薬を、一日四回、手術日の朝まで点眼する。

 ☆ 水菓子
 
hatakさん  今日北大に行く用事がありまして、帰りに通りがかった札幌駅のデパートの成果売り場に、果物いろいろがあり ましたので、お送りしてみました。
 明後日と来週の二回に分けて届きます。入院でお留守になるかもしれませんが、数日日持ちはすると思います。
 とにかく何でもいいから食べて体力をつけてください。
 そのほか北海道のものでこれなら喉を通りそう、と思ったものがありましたら遠慮なくおっしゃってみてください。道産農林水産物生産額1兆円の実績にかけ て、hatakさんの食欲を元に戻して差し上げたいです。 maokat
                              
* ありがとう存じます。
 今日、これから眼科の術前診察を受けに聖路加まで出掛けます。少し昨日より涼しそうで助かります。

* 眼科ではびっくりするほど沢山の検査で、瞳孔を開いたり猛烈な光を受けながらの写真撮影などあって、一時半頃に病院を出てもほとんどものが影のように しか見えなかった。
 三笠会館の秦淮春で中華料理を昼食に。いろいろ出たがすこしも美味しくなく、紹興酒もかなり残した。
 銀座を散策して、泰明小学校に近い画廊で、 ビュッフェのリトグラフが気に入り、買った。体調は宜しくなく、帝国ホテルで二時間近く休息というより寝てしまい、それからタクシーで新橋演舞場へ。
 澤潟屋の襲名興行は盛り上がりすばらしく、前から四列、花道より中央の角席が取れていて大満足したが、今日はもう日付が変わっているので、やすんで、明 日感想など書こう。メールも手紙も戴いているが、それも明日のことに。

* 帰宅して、素麺を茹でてもらったが、美味く食べられずに、みな吐いた。食べるのが難しい。なにより、今、難しい。 


* 七月二十一日 土

*  原子力規制庁が発足、国民の命と安全を第一に、良心と人間愛に満たされた仕事を、心より期待したい。

* 病中の三代目猿之助が二代猿翁に、甥の亀治郎が三代目猿之助に、新猿翁の実子で女優浜木綿子の子、映画俳優としてすでに名を成していた香川照之が、こ の度歌舞伎役者に転進精進を誓って新たに九代目市川中車を襲名、さらに新中車の長男が五代目市川團子として初舞台を踏む。昨日新橋演舞場での興行は、そう いう目出度い仕儀であった。
 昼の部は、「ヤマトタケル」でこれは遠慮した。夜の部が観たかった。

* 夜の部の開幕は真山青果の傑作「将軍江戸を去る」で、歌舞伎科白のイントネーションにまだ慣れない新中車のために選ばれた演目であろう、少し声は潰し かけていたが懸命の力演、まずはめでたいと観た。団十郎の、朝廷に恭順の意を示して将軍職を退いた徳川慶喜が立派だった。團十郎がこんなに円熟してきたか と嬉しかった。高橋伊勢守を演じた海老蔵もよく役どころを践んでなかなかの役者ぶりであった。わたしは青果歌舞伎ではこの「将軍江戸を去る」がことに好き で、新中車のためにも喜んでいた。

* 次いで「口上」これも楽しみにしていた。長大な列座にせず、襲名する三人、猿之助、中車、團子への餞役として市川宗家の團十郎と海老蔵父子とが出て、 みな爽やかに意気をこめた佳い口上であり、拍手喝采が祝意を盛り上げた。病猿翁が列座しなかったのは致し方ない。

* 次いで新猿之助の「黒塚」 これこそわたしが待ち望んだ舞台で、また期待を裏切らぬ猿之助の優れた力演であった、妻も大満足していた。
 この舞台はいつも 凄惨の風情を簡素に美しく創りだしている。そして今回脇をかためて團十郎が阿闍梨祐慶を演じてくれたのは大成功、じつに立派であった。山伏大和坊の門之 助、讃岐坊の右近も、凛々として立派で見惚れがした。儲け役の強力太郎吾を演じた猿弥が嵌り役を面白くみせて呉れた。
 この芝居は、舞よく、音曲すばらしく、にくらしいほど良く出来た舞台で、猿之助は、中幕のながい複雑微妙な老女岩手じつは安達ヶ原の鬼女の心境を切ない ほど美しく巧みに舞って呉れた。なんともはや、嬉しい限りであった。初めての若き亀治郎の舞台を観たときから、これは踊れる役者だなと将来に望みを持った の は正解であった。概して達者達者に演じて客をよろこばせる術に長けている役者だが、これからは、ケレン味無い堂々の澤潟屋一門の棟梁としての藝道を遂げて 欲 しい。

* 大喜利は「楼門五三桐」で、この舞台へ真柴久吉として新猿翁が十八年ぶりの舞台を見せて呉れた感激に劇場は燃え上がりそう。主役海老蔵の石 川五右衛門も堂々たる「絶景かな」「萬萬両」で、おお、大きくなったなと喜ばせて呉れた。
 カーテンコールまであって、新中車が、久吉役父猿翁の黒子とし て出、父みずからが押し出して挨拶させためでたさにも皆が湧いた。

* 嬉しく楽しい歌舞伎の一夜。割り込みのお願いに、松嶋屋の番頭さん、四列目の中央角席を用意してくれたのに、感謝し感激した。ありがとう。小雨が来 て、タクシーで帰ろうかとも思ったが、すこし歩きたいと木挽町「茜屋珈琲」に久しぶりに立ち寄り、マスターと歓談。銀座一丁目駅まで歩いて有楽町線一本で 帰ってきた。

* 家に届くのは来週の水曜というから、我が物として観られるのは先になるが、今日買って支払いもしてきたビュッフェのリトグラフは、洒落てすっきり と、美しい薔薇の花。いつか建日子がよろこんで持って行くだろう。かなりな奢りになったけれど、美しいモノを身の側に眺めるのは嬉しい贅沢の一つ。

* さてさて明日朝のうちには聖路加病院に今年三度目の入院。今日はそのための用意を。

 ☆ お体がすぐれない由、伺い、お見舞い申しあげます。
 このたび、お贈りいただいた「湖の本・元気に老い、自然に死ぬ」はたいへんおもしろく、かつ豊かな、深い内容に感激いたしました。わけても秦さんのお考 えに共感するところが多く、出色の作品と存じました。
 どうか、お体をおやすめになり、できる限り、長生きをして下さいますよう、はるかに願っております。
 いつかまた、お目にかかって、お話を伺いたい、とせつに願っております。 (葉書の表に)
 御本をいつもいただいて、ありがたいことです。今度の本はとくにすばらしいとそ存じました。 神戸市 名誉教授 哲学者

 ☆ 今朝(=昨日)はちょっと過ごしやすいですね  ゆ
 
16日の「海の 日」、いてもたってもいられなくなって、代々木公園で行われた反原発集会に行ってきました。原宿口は混雑するからというので、渋谷からNHKホールの横を 通っていきましたけれど、ハチ公口で待ち合わせをする人々やゼッケンをつけて公園に向かう人々でいっぱいでした。道すがら、福島や青森県六ヶ所村からきた 人々ともお話する機会があり、また若いひとたちがたくさんボランティアで参加していて、案内や会場整理などしており、これはほんとうに心強く嬉しいことで した。
 坂本龍一さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、そして90歳の瀬戸内寂聴さん、どの方のお話もすとんと心に落ちるものばかりでした。
 2時ころからデモがはじ まったのですが、A隊出発後、B隊出発開始まで、警察がかなり時間をあけさせるのです! そのためなんとなく流れに勢いがつかず、また前チームの声が後ろ チームまで届かないのですね。交通整理のためといいますが、青信号になったら隊列をとめればよいだけのことなのに、勢いを分断しようという恣意的なものを 感じます。あれでは最後の隊列の出発は午後7時過ぎになってしまったのも無理のないことでした。
 怒ってばかりいると、健 康に悪いので、ほどほどにしていますけれど、電力会社の対応は腹立たしいかぎり。
 半年前から電気炊飯器をやめガスでご飯を炊きはじめ(このほうが時間もかからず、また直火なのでとても美味しい!)、電気ポットなども片付けてしまいま した。
 友人の娘婿の姑さんは福 島県浪江町の方で、いわき市に避難されていたのですが、この六月なくなられました。死因は病気ですが、この一年どれほどのストレスがあったことでしょう か。
 今年もまた11月に「第 三回朗読フェスティバル」をやることになっていまして、実行委員会が始まりました。今年は参加グループによる「朗読によるリレー」を試みます。(テーマは 「絆」)
 先生もどうかおげんきで お過ごしください。
                     
* デモに参加して下さり、有難う。たくさんたくさん、また絶えることなく反原発抗議の集会が続きますように。

 ☆ 猛暑続きですが
 暑中お見舞い申し上げます。
  梅雨明けとともに炎天下での山鉾巡行も終りましたが、兄の体調 はその後いかがですか。健康体でも今夏の猛暑は耐え難いものですが、闘病中の御身には相当な苦行でしょう。私はお陰さまで一病息災にて過しております。エ アコン嫌いですが岩倉は洛中より2-3度は気温は低めでしょうか。窓を全開して風の通る部屋でからだを横にして音楽あれこれで涼をとっております。
 ここしばらくはこんな毎日が続きそうです。
 兄もどうか焦ることなくアフター・ケアにご専念ください。  京 岩倉 辰

* お見舞い、 ありがとう。なんとか挫けないで、日々をいろいろに楽しみながら過ごしています。

 ☆ みづうみ
 
みづうみ、お元気ですか。
 メールをお送りしては(長文になる悪癖がありますの で)ご迷惑と思い控えておりましたが、抗癌剤の日々のご様子を拝見するのはとても辛いことでした。ご回復のためには避けられない道ですが、毎日お加減如何 かしらと心配し続けていました。今は小休止ですけれど、今度はお眼の手術ですから、まだ心配の種は尽きません。
 来週の手術が無事に済み、みづうみの視界のすっきり明るくなりますことを切に切にお祈りしています。にっこりお元気な退院をお待ちしていますので。
 私語に掲載されていたみづうみのお写真は、わたくしたちの知らないみづうみの一面が出ていて佳いお写真でした。お顔色は少し黒ずんで見えましたし、今ま でのにこやかなご印象ではないのですが、かえってみづうみの「ワル」の一面とか、コワイところとか凄味のようなものを感じました。(これは褒め言葉ですか ら)わたくしはみづうみのことを何もわかっていないと、当然のことをあらためて思い知りました。
 今日の歌舞伎は充分堪能なさったことでしょう。玉三 郎さんが人間国宝になったというニュースもありました。みづうみが、一日も早くご退院後の歌舞伎鑑賞にお出かけになれますよう願っています。
 ご入院まで、お仕事あまりご無理なさらず、おいしく 召し上がって元気にお過ごしくださいませ。おやすみなさい。
   雹   くづ梨のへそのごときは雹の痕  由美枝         
 
 ☆ 北陸も梅雨明けで猛暑が続いております。
 先生には日々何かとお辛い状況が続いているとお察し致します。
 先日はお便りもせずに品物だけお送りして誠にすみません 少しでも食欲が進んで頂ければ幸いですが失礼致しました。
 ホームページではまた入院される由、くれぐれもご自愛下さって、一日も早い退院を願っております 体調が思わしくないのに読書や執筆校正と傾注しておら れるのに本当に頭の下がる思いです。
 私もいろいろ不便はありますが何とか頑張って動き回っています。
 脱原発の活動も続けています。先生の分も思いを込めて、子供達のためにもやらねばなりません。
 奥様にもよろしくお伝え下さい。   金澤市  作家

 ☆ 眼の手術の成功を祈願して  
 迪子様  昨 日・今日との涼しさにほっとしています。
 ご主人様は明日ご入院との事。もう一日過ごしやすい日でありますように。
 月曜日の手術が成功し、視界がはっきりなさり、そしてお身体へのご負担が少しでも少な いことをひたすら祈っています。
  金曜日の歌舞伎を楽しまれたご様子良かったですね。
 ご主人様の食欲が皆無なのを杞憂していますが、迪子さんも、その食事に付き合っておら れるのではないかと心配しています。
 あなたの身体のために、しっかりとあなたの食事を摂ってくださいね。
 病院食で、益々食べ物がお口に入らないことも心配ですね。
 立派な病院ですから、きっと元気を取り戻してご退院してきてくださることを待ちましょ う。
 どうぞどうぞお二人ともにご気分の良い時間が少しでも多いようにと願っています。病院 への往復などもお気をつけてくださいね。
  建日子さんの新しいドラマ「サマーレスキュウ 天空の診療所」楽しんでい ます。 
 
* ご心配ばかりかけ、恐縮です。感謝。  

 ☆ 元気に
 元気になってください。無事手術を終えられ新しい視界の拓かれますように。
   

* 北海道からmaokatさんのすばらしく大きなメロンが届いた。金田恩師奥様より、北海道の鮭を頂戴した。
 有難う存じます。                   
             
 ☆ 汲々不及吟十首  清水房男歌集より

 寒き雨降りつぐ一日家ごもる老に避け難き事の何くれ

 さびしがり居りても今は仕方なし遙かになりぬ人も記憶も

 肌シャツを脱ぎ換ふる時うら淋し告ぐべくもなき心の疲れ

 九十六歳とあれば当然の如くして森繁久弥死去の報道

 老のうた詠みつぐ吾を批判する君し老いなば何詠むらむか

 暮れやらぬ空にしろじろ寒の月黐の木末を去らむともせず

 さまざまに花のあはれを歌ふ人遠く及ばぬ人とさびしむ

 思ふこと思ふがままに詠まむなど面倒なこと人の告げ来ぬ

 唯しぶとく生きてゐる事よと言ふ声もひそかに聞きてほくそ笑みゐつ

 救ひ無きこころ歌ひて何になるか寂しさや独り尽きぬ寂しさ

* 何を食べてもそのもの固有の味わいが全然賞味できず、なにもかもが苦い。舌の味蕾がすべてザラザラに荒廃しているらしい。美味いと思いたいはやまやま なれども、体力を落とさないためにはとにかく食べるよりないと自覚している。
 今日浴後の体重66.1kg。朝にはかったときはものを着ていたが、66.5kgあった。あやうくもう66キロ台を踏み割りそう。
 明日からの入院がなにか気分の転換を生んでくれるといいが。

 ☆ 效陶潜體  白楽天
 嘗(かつ)て彭澤の令と為り。官に在る纔かに八旬。
 愀然として忽ち楽しまず。印を挂(か)けて公門に著け。
 口に帰去来を吟じ。頭(かしら)に漉酒の巾 (きん)を戴き。
 人吏留むれども得ず。直(ただち)に故山の雲に入り。
 五柳の下に歸来し。還(また)酒を以て眞を養ふ。
 人間の榮と利と。擺落(はいらく) して泥塵の如し。
 先生去りて已に久し。紙墨遺文あり。
 篇々我に飲むことを勸め。此外云ふ所無し。
 我老大より來(このかた)。竊(ひそか)に其人となりを慕 ふ。
 其他及ぶべからず。且(しばら)く效(なら)ふ醉ふて昏々たるに。 

* 只今の吾が述懐として、遠く及ばざれども。

* おおよその明日の用意はできている問題はただ食べられぬ事

* さて、此処への日録は当分、退院まではお休みと なる。 

            

* 七月二十二日 日

* 七時に起き、進まぬ朝食、服薬等を済ませた。九時少し前のバスで駅へ向かう。
 聖路加眼科へ入院。明日三時過ぎに、右眼、黄斑前膜と白内障の手術を受けてくる。入院は長くて十日ぐらいと。手術の成功が心より望まれる。                         

* では。



    ーーー眼科入院手術による八日間の空白ーーーー



     ーーー眼科入院手術による九日間の空白ーーー入院中備忘

  秦 恒平(オンコロジイ患者)の容態日録 3 眼科入院九日間

2012    朝の血圧       朝の血糖値      日々容態

7/22   122-58(76)       87             朝食メロン1/4  パン1/4  ソーセージ1本  体調普通 聖路加眼科入院 診察 昼食食べる 湖の本113初校開始 妻を遊楽町まで見送りシャツ衝動買い建日子に遣る 白鵬全勝優勝逸す 平清盛・薄櫻 記・建日子作のサマーレスキュウ、イ・サン観る 新しい目薬加わる 体調は良い  

7/23 
                                        体調良 食餌も摂れている やや難尿 8;30診察検査各種 点眼各種   右腕に点滴の用意 昼血糖値12;45サイプレジン、ネオシネジン、ミドリン点眼 校正進捗 主治医大越貴志子先生担当医稲垣圭司先生     15: 30黄斑前膜除去のための硝子体手術と白内障手術 執刀医は主治医でも担当医でもない年配と想われ る男性先生であった。一時間ほどで手術成功 苦痛なし 妻医師説明聞く 建日子見舞い来室   夕食 妻と建日子帰して 寝る       

7/24
    
122                     88             体温6度5分 片目で校正続行 朝診察 除膜等キレイに成功 体調良   三種点眼七時十時十三時十六時十  九時二十一時 食餌摂れている 妻来て帰る 校正・読書少しずつ イチローヤンキースに移籍驚く   原発政 府事故調の不十分怒る 手先痺れ顕著          
7/25                               82                    朝食後多量排便  腫瘍内科名取先生来室 泌尿器科診察8/16延期 下駄と甚平で外出 名取先生抗癌剤再  開は退院後からと 歓談 手先痺れにヒルドイドソフト軟膏処方 「湖(うみ)の本」113初校了 独りでシャワー  なでしこジャバン試合少し観て 寝る

7/26                        88             朝診察順調と 食堂パンケーキとオレンジジュース苦い 食物の大方苦い 妻冷えたメロン持参 下痢二度下痢止め服用 腫瘍内科山内先生名取先生以 下来室 妻を新富町駅へ見送る 荷物半ば持ち帰る ショートケーキら買うも味無し 点眼ごとのガーゼ眼帯取り外し苦手

7/27                        91             男子サッカースペインに勝つ ロンドン五輪開会式か 食餌まあまあ 味蕾ザラツき食餌大半が苦い 夕食鰻感謝 仕掛かり創作原稿点検思索心に動く モノあり 退院7/30かと。 持参のフアンタジー愛読 腫瘍内科名取先生抗癌剤服用は八月一日から再開しましょうと。 食餌口に苦いのが苦 浅草の花火 今年は観られず゜やや頻乏尿か  

7/28                                                          五輪開幕 空腹感あり驚く 食べている 名取先生来室 午后診察術後右眼とてもキレイと 建日子と万有美と見舞い 栗饅頭など 妻も来る 送る  

7/29     116                      92                   9:40朝診察了 脚力快感 御飯食べられる 五輪のメダル連呼が不調を呼ぶ一戦一戦を真摯に闘え 退院を待望 眼科主治医も担当医も病棟病室に足を運ん でこない 夕刻前親切な看護師に洗髪してもらう   建日子署名本にわたしの署名も添えて呈上 夕刻病院近隣治作辺を散策 平清盛・薄櫻記を楽しみ泪す インシュリンは朝昼晩に各4単位就寝前に6単位注射し てきた トールキン『指輪物語』第二巻、マキリップ『イルスの竪琴』第二巻読了 『中国古代寓話集』も荘子、列子、戦国策、観非子、呂子春秋を読み通してきた 明日は退院か

7/30    108-58           82             入念な朝診察と諸検査を経て本日午前の退院がきまる 9:20家で待機の妻に退院決定を伝え、手早く持ち帰りの荷も用意 数日滞っていた便が快調大 量に 空腹感 次回眼科診察日決定 抗癌剤休薬が名取先生の配慮でやや延長されていて、お蔭で確かに楽。 病棟に預けた薬や診察券も戻され 新処方薬も抗 癌剤はじめ幾つも 妻到着 病院請求書も調い、一気に退院手続き終わる 食堂で朝食にカレーライスがとびきり辛かった 食堂に隣接の画廊で北京出身の王亜 君が描いていた『木立』を記念に買った 熱暑を避けタクシーで保谷に帰る 点眼その他の日常生活に戻る 
 「眼を病んで 手術(オペ)受けて暑い日家に 退院(かへり)来ぬ あるがまま あるがまま 仕事に向かふ」 湖


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* 七月三十日 月


* 午后三時、九日ぶりに聖路加眼科病棟を退院して家に帰ってきた。右眼の黄斑前膜および白内障の手術は無事成功し、診察するどの医師達も「キレイになっ ています」と。命ほど大事な眼であり、ほっとした。ずうっと病室では眼帯をつけ、日に六度の点眼も実行しながら、左の片目で新しい湖の本の一冊分を初校し おえ、トールキン「指輪物語」の第二巻一冊を読了、マキリップ「イルスの竪琴」第二巻を読了、東洋文庫の「中國古代寓話集」を三分の二も読み進んだ、病室 へ此の三冊を選んでいったのは大成功で、トールキンとマキリップのファンタジーは繰り返し読んでも滴る魅力にひきこまれ続け、一字一句も逃さず楽しんで楽 しんで読んできた。寓話集は荘子、列子、戦国策、韓非子そして呂子春秋からの精選されたおはなしをたっぷり楽しんで胸に畳んできた。

* テレビでは折りからオリンピックだったが、「金メダル確実」の「金メダルしか頭にない」のと聞かされ続けると、挙げてメダルの奴隷のように思われ、選 手達が哀れだった。柔道の福見選手などわたしは試合まえから可哀想でならなかったが、銅メダルにも届かなかった。届かせなかったのは、マスコミや多血質の 応援者の過剰な間違った応援にあった。百平泳ぎの北島も然り。
 勝つの負けるのに拘泥しすぎて負けてしまう。そこへ行くと、一度一度を懸命にれいせいに闘っていたアーチェリー三人で勝ち取った銅メダル、女子重量挙げ の三宅選手の銀メダルは光っていた。積み上げた努力が光ったのであり、勝とう勝とうでは躓いてしまう。 わたしは、ぎすぎすしたメダル・オリンピックより 何層倍も、吾々の此の世からはしっかり離れた精緻な巧緻な文藝として輝ききった世界的なファンタジーや寓話の方が面白いと、夢中になれた。

* 昨晩は建日子の連続ドラマが五輪番組に食われて中止だったけれど、六時からの「平清盛」も、六時四五分からの「薄櫻記」もよかった。
 聖路加の眼科病棟の看護師さんたちには「サマーレスキュー 天空の診療所」その他のフアンが想像以上に大勢なのに驚かれた。折良くノベライズ文庫がでた ところなので、十冊余も献呈してきた。テレビはやはり人気者であるらしい。わたしのことなど、誰も知らない。サッパリと気楽である。                                         

* 入院の九日間は、幸い抗癌剤の休薬期間だったので、日増しに元気になり、食べるのも、けっして美味しいのではないが頑張ってかなり三食や間食が食べら れた。妻を見送って銀座・有楽町辺まで散策に出たり、聖路加病院の近在を独りで散歩もした。
 先日銀座の画廊でビュッフェのビュッフェらしいリトグラフを衝動買いしたが、今日の退院前にも、院内画廊の繪を一点、北京で育ち日本で後藤純夫氏に師事 して制作している中国人女性の小品を買ってきた。
 家に帰り、郵便の始末をつけたあと、玄関に、ビュッフェの薔薇と、親友が呉れた好きな蔵王のスケッチ小品とを、並べて掛けてみた。素敵になった。中国人 画家の木立の風景は、茶の間に掛けた。美しいモノが佳い。嬉しくなる。

* だが今も、右眼はガーゼを重ね、ボッテリと眼帯。

* 夕食後に、近くの薬屋スーパーに、「ナンパオ」左眼用の保護強壮剤、おーいお茶など妻と買いに出てきた。
 黒いマゴの、甘える甘える。
 七時、十時、十三時、十六時、十九時、二十一時に、二種ないし三種の点眼を欠かすことができない。わたしは、眼帯を外したいが、遺物や埃を警戒しなくて は成らず、わけても打撲が危険。就寝時には金属の眼底を用いる。

* 二十七日であったか、浅草の望月太左衛さんから七通のメールで花火のお招きや写真送付があった。入院中で余儀なくはあったが、お招き受けているだろう なと嘆いていた。

 ☆ 花火
 
秦先生  こんばんは
 隅田川花火大会 無事終えることができました
 先生のいつものお席から、撮りました
 次回は、ぜひいらしてください
 よろしくお願い申し上げます
   望月太左衛

                                



 
 * re花火
 
太左衛さん  
 今日只今、聖路加眼科を退院してきました。
 右眼に黄斑前膜が出来、白内障もともに手術により除去して貰いました。七月二十二日より今日三十日まで入院していました。今年三度目の入院でした。幸 い、手術は成功しました。
 きっとお誘い下さっているなあと嘆きながら、花火のニュースを聞いていました。御免なさい。
 これからまた辛い抗癌剤と闘う日々になります。食べて耐え凌がねばなりません。食の進まぬのが何よりの苦痛です。
 それでも、元気に仕事も読書も楽しみ観劇や舞踊の会にも出掛けます。楽しむことが良薬です。
 痩せましたよ。20キロ以上も。
 またお目に掛かる機会を待ちます。ありがとう、太左衛さん。 秦 恒平 
                                                      
*  夜十時半過ぎて、目黒から保谷まで建日子、自転車で退院を喜びに来てくれた。三人で、福原愛の卓球戦を観ていたが、分がわるく、惨敗のおそれも目前に見 えていたが、なんと最終セットで逆転勝ちした。すばらしかった。闘い抜く愛ちゃんの顔の美しかったこと。メダルの何のと言う段階でなく、こうして自己の力 と集中とを傾注して一つ勝ち上がった、そこにすばらしい花があり、感動が胸の奥で熱く燃えた。しみじみとして「いいものを観た」と建日子は言い残し、深夜 にまた目黒へ帰っていった。
 こういう勝負にこそ眞の感動がある。なにものでもない、ただ徹底して立ち向かう姿。ほんとうに「いいものを観せてもらった」。


* 七月三十一日 火

* 七時の点眼を三十分寝過ごして。血圧106-69(74)。血糖値91。腹中微鳴。朝食に゜ミルクが飲めた。

  ☆ おかえりなさい。
 
心配していました。外界は暑くてびっくりですか?   
 両目に、発症しやすいそうですから、目に悪いと言われたことは避けられますように。出来ればで
すけれど。
 つよい紫外線もよくないそうですが、もうすぐ満月です。こちらなら安心です。お元気で。       


* ありがとう。お大切に。

 ☆ おめでとうございます。
 
眼の手術が無事成功とのことおめでとうございます。
 これから天満屋デパートへ行って、白桃の配送手続きをします。2,3日で届くと思います。
 お口にあえばよろしいが。  吉備の人


*  ありがとう存じます。日々お大切に。

 ☆ 
re: 花火
 秦先生  おはようございます
 メールありがとうございます
 大変な時にのんきなメールで失礼いたしました
 花火大会のいつものお席に、先生がいらっしゃらないとさびしいです
 姉も、先生は?と、聞いてきました
 ぜひ来年はまたいらしてください!
 よろしくお願いいたします  望月太左衛☆彡

* 佳い来年を待ちましょう。

* 引退すら噂されていた水泳の寺川綾の銅メダル。美しくはなやいで喜びを語るのが、お見事であった。また日本勢で初の金メダルまで勝ちぬいた、名も評判 も知らなかった女性選手のワイルドとも見えて力強い表情も美しかった。「メダルや賞状には執着がない。勝とうとだけ思って努力してきた」と。虚勢を身に纏 わされ続けた選手は、本当に気の毒にも思うし、むりな意識が邪魔をした頓挫があった。惜しいことだ。

* 入院中の記事も調えた。あとまわしになった平凡社の仕事や湖の本113の進行などへ目を向けて行かねば。
 食べられなかった麺類「ほうとう」が食べられ、炒り卵も。
 明日からまた抗癌剤を飲み始める。
 右の眼にこまかに網状に穴の空いた金属の眼帯をしている、寝ているときも。いまは下にガーゼ無く、曲がりなりに両眼が使えている。

* 七月尽。ひとつの危機至り、幸いに免れるを得た。

 身を観ずれば岸の額に根を離(か)れたる草
   命を論ずれば江の頭(ほとり)に繋がざる舟    羅維