saku026
宗遠日乗
闇に言い置く
私語の刻
平成十五年(2003)十一月一日より十一月末日まで。
宗遠日乗 「二十五」
* 平成十五年(2003)十一月一日 土
* 西大寺は、京または奈良への通過点としての意識しかなく、あやめ池方向へは気が無いままでした。
この夏、「松園の下絵と素描」を見に、初めて松伯美術館へ行き、その折、半券提示で割引といわれて大和文華館へも足を延ばしました。池(蛙股池っていう
んですってねぇ)の向こうに見える、中野美術館は、あのとき展示期間でありませんでした。
今回は、文華館に五島美術館のコレクション(懐かしいこと!)が来るというので、中野美も今度は展示しているとも確かめてから、出かけました。
――撲られました。「遅い、遅いよッ」って。遅いンだよ…ッ。
賑わう文華館にひきかえて、中野美術館には、誰もいなくて、かすかな音さえはばかられる館内に、華岳、波光、浅井忠。先日見てきた三岸好太郎。見に行こ
うとしていた劉生。
光雲「西王母」の、襟元に、どきどき。正面。右。左。眺め、眺めて、去りがたく。
波光「朝に遊ぶ子」の前から、動けなくなり、浅井の繪の、空気のよさに、さらに動けず。
池に、さざ波。一時間…ずっと、雀、一羽。
帰りに、リーフレットをいただき、駅で電車を待つひまに開けたら、真ン中に、「気稟の清質、最も尊ぶべし」と、白抜きで―。 叱られたァ。
* 囀雀サンの此のメールにいう「中野美術館」とは、京都の材木商だった先代が心魂を傾注して創り上げた小美術館で、珠玉とはこれを謂うかと思う宝物のよ
うな小さな建物に、宝石のような収蔵品がおさまっている。じつに佳い村上華岳が揃っているし、逸品の小品絵画が粒を揃えて光っているのである。今の館長は
息子さんである。先代はわたしの大学専攻の先輩であり、温和な人で、美術雑誌の対談に引っ張り出したものの、話して貰うのに往生するほど口数の少ない人
だった。美術館によせたわたしの原稿に、わたしの好きな芭蕉のそんな言葉が入っていたはずだ。
* 昨日今日と溜まっていた作業を幾つも前へ運んだ。家にいると、それが出来る。家にいると、だが、からだを動かさないから運動不足になる。
あすは二時間の大曲、昭世の能「野宮」を観てくる。もう何年前になるだろう、一時期「湖の本」の読者で、コンタクトレンズの優秀な技師であった人に、ぜ
ひ一度「野宮」の能を観たいと頼まれたことがあった。感想は聴くおりもなかったが、今は新潟県の深い山奥の実家へ帰っているかとも、かすかな風のたよりに
聞いた。
明日の友枝会が済むと、しばらくの間、十一日の委員会あたりまで、外出を強いられている用事はない。
* 八日に、言論表現委員会主催のシンポジウムがあるが、わたしの関心はかなり失せている。
「貸与権」のことは軌道にほぼ乗って、行政ベースで実現が図られて行くだろうと、あまり心配していない。見守ってゆきたいだけだ。
猪瀬氏や三田誠広氏らが躍起になっている「公貸権」については、機も熟さず、勉強も合意の形成も、相変わらずゼロに近く、日本ペンクラブでも文藝家協会
でも、会員の絶対大多数は問題の所在も方角も何も報されていないし、まして意見聴取も話し合いも情報周知も無い。前回のシンポジウム会場に顔を出した「著
作者」は、委員関係者だけで、会員はまるで参加していなかった。その一つだけでもかなり足許の空気が分かる。それに、「著作者」と謂えば一つの統一体めく
が、事実はそんなことは全くなくて、純文学系も詩歌人もエッセイストも戯曲家もいる。推理作家や漫画家だけが「著作者」では無いのに、いっこうシンポジウ
ムでそれが考慮されない。
ぶっちゃけた話、図書館との間に、いましも敵愾心に似た攻勢をかけようと意図し発言しているのは、推理系・マンガ系著作者を営業的に大事に抱えた出版、
極く数少ない大手出版社だけではなかろうか。声高なのは限られたジャンルの少数に過ぎないように、わりとハッキリ見えている。しかもその姿勢がいかにも
セッカチで、高飛車で、話を幾ら聴いていても、まだまだ説得力に欠けている。自分達の都合ばかり考えているように見える。少なくも読者である私民の立場や
都合は無視されている。
だからこそ、わたしは、「著作者と図書館」という対決姿勢の表題の真ん中に、「読者と」の一語をぜひにも挟ませた。それがいいと賛成はされたものの、趣
意の分かったいったい誰がいたのだろうと、わたしは可笑しかった。
委員会では、わたしは終始一貫、図書館との「対決」姿勢になど「反対」の少数意見者であり、しかし、おそらくもっと広い場所に出れば、この「多・少」の
対峙は、簡単に逆転してしまうこと、知れた話なのである。だが一部の著作者代表は、一部の強い出版社の販売意向をも汲む余りに、少数意見などほぼ完全に無
視し、要するに「シンポジウム」を開いて気勢をあげることばかり考えている。わたしに謂わせれば、はっきり、「まだ無理」な段階にある。いい感じでの話し
合いが、図書館との間にまだまだ全く進められていない。ちらほら現れる双方の言説には不可解な敵愾心があらわであり、そういう悪熱をいい方向へもっと聡明
に冷やさないかぎり、なんだか女学生同士の喧嘩沙汰のようで、滑稽だ。そんな「無理」には、まるで興味が失せているのである、今の、わたしは。
* たぶんご当人には断られるだろうと思いつつ、シンポジウムに「本とコンピュータ」の津野海太郎氏のような論者が登場してこそ意義があると、名前を挙げ
て委員長の猪瀬氏に推薦しておいた。だが案の定あっさりペンからの依頼は振られたようだ。この問題では、日本ペンの姿勢にある種の批判や意見を、津野さん
なら持っているだろうなとわたしは想像していたのである。
今回のシンポジウムの顔ぶれにしても、ペンの側の都合で恣に選んでしまった印象がつよい。図書館側からの人選は先方に委任し一任しないと、フェアじゃな
い。そう言ったけれど誰も聴く耳を持っていなかった。話し合うなら先方の意志の強く色濃く出せる、なによりしっかりした論客を求めて、人選は任せるべきな
のに。
図書館側から前回とまた同じような顔ぶれに出られてはかなわないと、主催者のペン側では言いつつ、しかも著作者側からのパネラーは、猪瀬直樹も三田誠広
も前回通り、変わり映えは全くない。彼等の意見なら前回の繰り返しにほぼ近いと、およそ分かっている。おかしな話だ。
* パンチ! 2003.10.31 小闇@TOKYO
ずっと欲しいと思っているものに、パンチングボールがある。子どもの背丈ほどのマッチ棒のような見てくれで、その頭の部分を打てば跳ね返ってくる、ボク
シングのまねごとに使う的のことだ。まねごとだけれど、グローブは使う。
東急ハンズに行くたびに、展示品に一発食らわせてはすっきりしていた。部屋にあったらいいなあと思っていた。ダイエット効果とかストレス解消とかを期待
するのではない。跳ね返ってくるものを打つ、という行為が日常にあれば、それは素晴しい。
買っていない。手が出ないほど高価なわけではない。部屋にあったらいいと思うのと同じくらい、ああいうものが部屋にあるのはやっぱちょっとオカシいん
じゃないかとも思うのだ。
部屋に置いてあったところで、だれに見られるわけでも、咎められるでもない。が、親が見たら「あんたらしいね」と大笑いしそうなのが癪だ。「そんな金が
あるなら口紅でも買えば」と言われそうなのも癪だ。
でも。私は元々、逆上がりうんてい登り棒が全滅なことから証明されるように、腕にパワーがない。それを鍛えるには適している。特に左腕は、彫刻刀で左手
中指の付け根をえぐって以来、力が入らない。それを人並みにしたいとささやかに願うことの、何がいけないのだろう。
後付けの理由はこの際どうでも良くて、要は欲しいのだ。エアロバイクやルームランナーよりずっと安いし、場所も取らない。なにより、パンチっていうのが
いい。
で、意を決してハンズへ行くと、展示品はなく、もう売られていなかった。消化不良。帰ってきて通販サイトを眺めている。
* わたしも以前から、いたく欲しているが。
* 十一月一日 つづく
* 自民党の安倍幹事長の選挙演説をちょびちょびと摘んで聴くつど、どれもいつも民主党の悪口だけで、若い政治家の政権も見識も豊富もまるで伝わってこな
い。これには閉口、これには失望、なんやいな、こんなもんかいなとガッカリさせる。急にただのガキのように見えてきた。
* もう一人ヒドイのが自民党にいる。大嗤いだ、鳩山邦夫クン。党の比例区で第二位。つまり選挙ではもう議席を貰っているわけだ、それでいて、菅直人への
当て馬として菅の小選挙区で立候補している。菅を潰せればという目的だけで金を使って立候補。これが自民党のヨゴレ果てた根性というものだ。菅と本気で闘
うなら、スベリドメのような比例区で席などもらうな。堂々と、落選も覚悟で当選しようと闘え。菅党首は小選挙区で出る以上比例区での救済は求めないと決め
ている。そう聞いている。この菅直人の潔さと、此の鳩山邦夫に顕れている自民党の卑しさとは、お話しにもならない。こんな腐れ男を小泉はどう思っているの
か。お決まりの「個人の自由」ですか。この宰相、ブッシュがいよいよイラクで「核兵器を使用」しても、同じようにシャアシャアと「人それぞれの自由です」
などとバカを言うのだろうな。
* オーム真理教のスカタンな教主にも真実ヘキエキだが、舟から河へ飛び込んで北朝鮮に「亡命」した二十九の女にも呆れかえる。「亡命」とは謂えない、単
に「行った」だけだ。後悔先に立たず、すぐ悲鳴をあげて泣くだろうが、あんなのはもう放ッとけばいい。
* アイピローのAさんから、ホームページに写真アルバムをつくる方法を懇切にメールで教わったが、まだ難しい。わたしは、写真を扱う関連のソフトでは、
「自在眼フライト」「花子フォトレタッチ」「アークソフト フォトスタジオ」「シャープスキャナー」などを機械に入れているが、自在眼フライト以外は触っ
ていない。写真はマイドキュメントのマイピクチュアに纏めてあり、JPG
が数多く、GIFがまじり、PSDも少し、BMP、JTD、HTMというのも一つずつある。自在眼を使うと写真の拡大縮小が出来るので楽しんでいるが、
ホームページに送り出せない。
* 十一月二日 日
* いいお天気
太陽はもっと高くなって
昨日の寒さはどこにいったのでしょう、
ストーブを抱えた日の次は
半袖になり、窓越しの満ちた光を受けています。
まっすぐな心のように。愛のように。 千葉
* こういう日記で朝を迎えている人もいる。ありがたい、そういう陽気の一日でありたいもの。
光はわがおもひと謡う平安の美女の舞を、能舞台に、さ、観に行こう。どんどことやり合っている国会討論会もだいじだが、よく聴いていると、あれは鳴らな
い太鼓を虚しいと自覚しつつ打っているようなもので、愚かにしらけるばかり。
嵯峨野宮の竹林のさやぎが、耳の底からわたしを誘う。もう蚊柱立つ季節ではない、静かにたたずんで、我とわが心のうちなる、鬼か、仏か、空っ風かを感じ
て来よう。
* 友枝昭世の「野宮」は、ほぼ完璧の仕上がりで、美しく美しく、感動した。念のため、観世流の父が遺愛の謡本を懐中して行き、演能の前に二度通読してお
いた。それほど、わたしは気を入れて能楽堂へ出向いた。
詞が頭に入っており、源氏物語はそらんじており、嵯峨野宮あたりの風光も眼裏にありありと在る。その上にわたしには小説「慈子」があるのだ。
泉涌寺来迎院の慈子に初めて逢い、慈子の父上朱雀先生に逢い、学校の帰りにまたお寄りと言われた嬉しさに、高校の放課後に来迎院のお庭先へとんでいった
とき、先生は静かに「野宮」を謡っておられた。季節はずれですのにと生意気を口にして、おまえは謡曲がわかるのかとおどろかれた。あの、原題を「齋王譜」
といった小説世界の深い根の一つは「野宮」であった。そして小説に幾重もの底を成していた徒然草世界も兼好の思いも愛もまた「野宮」と齋王とにあった。
わたしは、今日、昭世の能を観ていたのではない、シテの御息所だけをじいっと観つめて、眼を離さなかった。優れて位貴(たか)く、知性と哀情に富んで美
しい御息所の幽霊に出逢っていたのだ。手にした双眼鏡でわたしはひたすらにシテの姿に魅入られた。どんな謡の詞にも、どんなシテの舞にも起居にも、わたし
はその美しさと寂しさと悲しさを彫り込まれるように感じ続けた。
わたしは、もともと、源氏物語の御息所に対しては、親愛も共感もはもってはこなかった、これなかった。生霊となり葵上をとり殺し、夕顔をとり殺した人
だ。死霊となって紫上をなやませ、女三宮を出家に追い込んだ人だ。
だが、その根底に哀しみの極限があったのを、わたしは心から識っている、そうなんだと、何度も何度も書いている。「光はわがおもひ」御息所を鬼にしたの
は、光君その人の男心であった。親しみはしないが、深い同情をわたしは御息所にもってきたので、鬼と化して狂い、哀しく調伏されてしまうような能「葵上」
の御息所よりも、美しい極みの「野宮」の御息所に惹きこまれるのである。今日の御息所は、それはそれは深々と静かに美しい女人のまま、ついには救済され、
解脱を得て行った。嬉しかった。女人の美しくも美しいことが、こんなに嬉しい能はなくて、妙なことをいうようであるが、わたしは不思議に遠く遙かな「青
春」をすら呼び戻すのである。慈子がわたしの心に住んでいた青春を。観念の青春を。幻想の青春を。もう喪ったのかもしれない青春の絵空事を。
* このようにわたしは、ヘンな男なのである、正気とは思われない。
* ともあれ友枝昭世の今日の好演、いや名演にわたしは感謝する。どこからどこまでも御息所が舞い続けていた。あれは昭世ではなかったのである。香川靖
嗣、粟谷菊生らの地謡もじつに良かった、ワキの宝生閑もすっかりの閑流で空気を満たしたし、粟谷辰三の後見も適切で行儀が良かった。囃子は尋常で過不足無
かった。
* 昭世さんの配慮であろう、わたしの隣に堀上謙氏が、その向こうに小林保治氏が並んだ。本当は、昭世の能と続く野村萬の狂言「富士松」を観たら失礼する
気で居たが、席の左右を塞がれていて出られなかった。
萬の狂言はたいへんけっこうであった。「野宮」の間狂言を巧みにしっかり勤めていた野村与十郎が、上手に萬の狂言顔に付き合って、連歌の狂言をおもしろ
く盛り上げた。萬という名人は、わたしが初めて出逢った頃は生真面目な顔立ちで、弟万作よりも損をしていた。わたしは狂言師が狂言顔を創れないのでは落第
だと何度も書いていたが、そして佳い狂言顔の例に京都の今の茂山千作を推していたが、今では萬の顔こそが絶品の狂言顔である。この顔になってきて俄然萬は
先代の名人万蔵に迫ってきた。
* しかたなくもう一番の能「小鍛治」に付き合ったが、わたしにすれば、不用であった。これでは折角の興が冷めてしまうとおそれ、遠慮無く眠ることにし
た。この舞台ではわたしが大の贔屓、あの勘九郎若い日の颯爽とした美青年を彷彿させる、大鼓亀井広忠の出演だけがご馳走であったし、大鼓は眼をつむって夢
の中にいても小気味よく響いたのである。この能の若いシテは、謡からして稽古を積みに積んだ方がいい。
* で、小林氏らに誘われて、帰り、代々木で食事をした。あと、堀上さんと二人で大江戸線練馬を経て保谷に帰った。八時過ぎであった。
* ジュード・ロウとエド・ハリスの「スターリングラード」は素晴らしかったが、今夜の「グラデュエイター」もローマの昔の時代劇ながら、スケア・クロー
がなかなか佳い、観るに値すると教えてくれるメールが来ていたので、喜んでテレビの前に座った。ウン、たしかにわるくなかった。はなから出てくるのがマル
クス・アウレリウスという哲人賢王であって、まず驚いた。この人の『自省録』は、ほんとうの愛読書の一冊で、心をゆすぶられるように岩波文庫を繰り返し読
んできた。わたしの『親指のマリア』シドッチ神父にも愛読させた。
* 佳い一日になった。留守に幾つも佳いメールが届いていた。湖面を去来する鳥や雲は、往くも来るもみな心親しい。
* 東京の小闇の以下の言論に共感する。国選弁護人というのは、建日子の書いた「最後の」弁護人のことだ。
* 法 2003.11.2 小闇@tokyo
松本智津夫被告の長い裁判がひとまず結審し、来年判決が下ることとなった。最終弁論での被告側の弁護団(渡辺脩弁護団長)の発言が、被害者の遺族の心を
逆撫でしたとかしないとか、ニュースで大きく扱っていた。
被告の行って来たことと、国選弁護人の仕事振りとは、分けて考えたほうが良いのではないか。
国選弁護人が傍観者であったなら、また、一個人としてなら思いもしないことも、弁護士としての職を全うするには、ときとして口にしなくてはならないと私
は思う。法に関わる仕事をしている人間には、それくらいの意気が求められて当然だ。
ひとは丸腰ではひとを裁けない。だから法治国家というものが存在する。
松本被告の弁護人は、与えられた職務を全うしようと努力した。それだけのことだ。
ひと月ほど前に、こんなことがあった。女子高生を拉致し殺害した被告への判決、無期懲役(久我泰博裁判長)。求刑は死刑だった。裁判官は言った。「犯人
が人を殺すのは簡単だが、国家として死刑判決を出すことは大変なことです。納得できないと思いますが、そういうことです」。
つまりは裁判官として腹がくくれていなかったということだ。これだけの世論を正面から受けてのうえでの渡辺弁護団長の「『被告が黙っているので事件の真
相がさっぱり分からない』という議論は間違っている。被告には沈黙する権利がある」という発言の、その重さ、潔さを久我裁判長は、どう受け止めるのか。
* 十一月三日 月 文化の日
* 福原百之助と徹彦の笛「嵯峨野秋霖」を聴いている。昨日の「野宮」の余韻が身内にある。
* 国際ペンの理事として日本ペンクラブから送り込んでいる堀武昭さんのメールが、昨夜遅くに舞い込み、『世界マグロ摩擦!』という本の中から、わたしの
希望していた章を「ペン電子文藝館」にいただけることになった。今日は「終わりに」の章とともに、スキャンした。長く気に掛けていた宮田智恵子さんの小説
「風の韻き」もスキャンした。
沢口靖子の案内するイタリア、パルマの街の美術環境を観たかったのに見損じて、スキャンにかかっていた。妻の話ではとてもきれいであったらしい。或るサ
イトから沢口靖子がブランコに乗っている珍しい印象の写真を手に入れ、不用な周囲をカットしてデスクトップ中央に置いてみた。
*「夜明け前」の、というより主人公青山半蔵の精神的背景が「平田篤胤の国学」であることはよく知られているが、平田の師本居宣長の評価が高いのにくらべ
ると、篤胤の評判は在来、概してむしろ悪い。大山師のように云う人もいたほどだ。しかし、実際は誰も平田の書いた何一つ読んだことも観たこともなく、ただ
もう風聞風説に従ってきたに過ぎないので、そのような「風説」の根拠には、やはり幕末から維新への廃仏毀釈という運動などが、尊皇攘夷への直情径行的な運
動の背後に位置していたことも挙げられるだろう。
わたしは正直なところそういう風聞は耳にしてきたが、事実は何も知らない。知っているとすれば、やはり島崎藤村の父に当たる作中の「青山半蔵」があれほ
ど心酔し尊敬していたということ、その結果というのではないが半蔵はついに発狂し屋敷牢に終生軟禁されたといったことを知っているに過ぎない。
いま「夜明け前」を約四分の一読み進んできて、ついに、書架から平田篤胤の代表作『古史徴開題記』を探し出してきた。いつか読まねばならないだろうと、
古い古い岩波文庫のかなり傷んだ古本を買って置いたのである。山田孝雄校訂本である。
山田博士の本でわたしは岩波文庫等の『平家物語』に親炙した。新しい出逢いになるかどうか。明治以来戦前の影響が山田博士にもいくらかあるにはあるが、
平田篤胤にはそれが濃くて、例えば日本の神と皇統への深い信仰がある。それが平田学の科学的な骨格を疑わせてしまっていた。学問でなく信仰であり、極端に
右傾していると、殊にこの敗戦後は、敗戦後でなくて明治大正昭和の学界ですらも、殆ど毛嫌いされた。無視するにしかずと。
だが山田博士は、時世の進展による余儀ない「訂正」を受けねばならないのは至当としても、篤胤の学問の周到にして堅固なことを、多くの他の学者達の研究
と比較して、高く再評価し、不当な無視や軽視がいかに科学者の姿勢に背いているかを、深切に解説されている。わたしは、その解説に基本的に歪みは無いと読
んでいる。
* どんな人にも叩けばホコリは舞い立つ。純粋無垢にいい人もわるい人もいるわけがない。両極に対立する物を置いてしかものの考えられないのは、「心=マ
インド=分別」に拘泥し膠着している人の誤りである。あるがままを対立項によりかからずに受け容れて眺めるなら、しだいによく見えてくるものがあり、片寄
り無くそのものだけが見えてくる。
* 選挙向けの党首討論会なんて、もう元気も弾みもなく、話すことも新味はなにもなし。
* 「CSI」が魅せた。科学捜査班の、名前のなかなか覚えられない主任役もいいが、目の碧い海のように光るマージ・ヘルゼンバガーの存在感に、凄みまで
も感じる。これにはわが沢口靖子ちゃんの「科捜研」は、とてもとても太刀打ちならない。
* 十一月四日 火
* すべるように日が経つ。このごろは自転車にも乗らない。乗り物願望は、小闇のこんな若々しい感想が代弁してくれる。うらやましい。
* 秋晴れ 2003.11.3 小闇@tokyo
十一月になって何日も経つというのに、日焼けして蚊に刺されてしまった。紫外線と虫が減らないのなら、夏が終わる意味がない。
気持ちよく晴れたので、久し振りに自転車で出かけた。チェーンの錆び具合とサドルに溜まった埃が、どれだけ放っておいたかを物語っている。つまりは運動
不足でもある。乗ってしばらく、なかなかペースが出ない。駅前を抜けて、自転車専用道路に入ったあたりから調子が出てくる。
結局、皇居前まで行った。
日曜の午後、内堀通りの東京駅側は、自転車専用道路として解放される。貸し自転車もある。三連休の中日とあってか、いつもよりはひとが少ないように見え
たが、それでも自転車ライダーはたくさんいた。皇居見学の団体客よりも、いた。レースの練習中風情もいれば、自前のママチャリでかっ飛ばしているひともい
る。子どもも多い。あほみたいに元気な男の子と、こまっしゃくれた女の子。四歳くらいの子が補助なし自転車を必死にこいでいる様は、プランクトンの鞭毛の
動きを思わせる。
片側三車線の車道のど真ん中を自転車で走ると、何か天下を取ったかのような気になってくる。天下を取るのと、秋晴れの下を自転車で走るのと、どちらが気
持ちいいだろう。東京駅へ続く滑走路の脇、銀杏はようやく色づき始めたところで、何人もが携帯のカメラで記念撮影をしている。正面には霞む東京タワー。
一時間ほど走った帰り道、普段行かないスーパーで、普段と同じものを買った。餃子の皮と、パスタと、エリンギ。リュックにぎゅうぎゅう詰める。ついで
に、配っていた民主党のマニフェストも丸めて入れる。
部屋に戻って窓を開け放って換気をし、雑巾とクレ556で自転車をきれいにし、鶏の軟骨を叩いたものを入れ「パレスサイド餃子」と名付けたものを120
個包み、そのうちのいくつかを焼いて食べた。アルコールは白ワインを一本、どこで買ったものかは忘れた。
翌朝、私は「半袖シャツを着てました」という証明のような日焼けと、首の裏っかわに、なぜ今頃というような蚊に刺された跡とを見つける。筋肉痛にはなっ
ていない。症状が出るとしたら、おそらく明日だ。
* これが文字どおりの「生・活」というものなら、ずいぶんそれから「遠く離れて」わたしは生きている。そんな気持になる。わたしを捉えているのは、現に
いま目の前に「ない」ことが多い。
例えば――織田信長天下布武の生涯が、夜前、本能寺で果てた。読み継いできた「日本の歴史」が、そこまで来た。克明に叙された彼の天下一統の戦歴、秀吉
や光秀や勝家らをまさに駆使したその多くの戦歴は、なにかしらみな頭に残っていて往時遊歴の地を再訪するようであった。わずか二百足らずの本能寺を一万数
千の兵と鉄砲とで取り巻かれた最期は、信長の言葉通りに「是非なき」ことであった。最期に彼信長は身を清め、身を拭うているところを兵に襲われ、傷つきな
がら奧に入って割腹したと伝えられている。
「ペン電子文藝館」では、明治期の時代小説で白眉といわれた石橋忍月「惟任日向守」や会員武田清の「武田終焉」をわたしは読んでいる。信長最期への必然を
描いた作であったが、安国寺恵瓊の予言もしたたかに確かに在った。信長は、大彗星の光芒のように疾走して果てたが、武将というよりも政治家としての魅力
は、秀吉や家康も、掴み込まれて到底離れ得なかったほど、大きかった。その感慨をまた深く持ってから、昨夜も三時半をまわって、やすんだ。
その前には、「夜明け前」を読んだ。二度目の江戸の地を踏んだ半蔵らの眼に映じた、江戸のさびれ、が印象的であった。一橋慶喜のつよい主唱により廃止し
た大名の参勤交替制は、滅びの前に鼠たちの逃げ出すように、長く人質同然に留め置かれた大名家の妻子や女達の帰国帰郷のラッシュとなり、各街道の宿村に一
時の激動をあたえるとともに、また貧窮と出費の種もまいた。「江戸」から「京都」へと時代の軸芯が大きく移り動いていた。それもまた、印象深い史実であ
り、藤村のような筆の大家がそれをみごとに叙するさまは、歴史学者の歴史記述とは幾味もことなる感銘である。
そして亡き「柏木」衛門督の友たりし大将夕霧は、夫柏木に死なれた妻「落葉宮」を見舞いつつ、徐々に心惹かれて、とめどなくなっている。父六条院はさり
げなく諭すが、息子は人のことだと賢しくおっしゃると頬笑んでいる。
* 昔は、夢中になって読書から「知識」を得ようとしたが、「知識」を、いまわたしは少しも欲していない。浅い知識をいくら広く得てみても、それは多く深
くのものを見忘れさせ見落とさせ、人間を薄く偏ったものにするしか役に立たない「毒素」のようなものと実感してきた。知識は鏡を曇らせる、霞に、雲に、黒
雲に、邪魔者に過ぎない。それあるがゆえに、かえって大切なものを見落としてしまう。たいせつなもの。それは、見えていない真実、静かさ、無心であろう
か。さかしらは言わない、ただもう知識のためには読書していない。感じ、眺めているだけだ。それが楽しい内は読みやめないでいるだろうが、そんな必要も失
せればわたしは書物を顧みないだろう。早くそうなりたいとまでも今は思っていないけれど。
* 秦テルオ展へと、妻と家を出て直ぐ、昨祭日のいれかえで今日は休館と知り、仕方なく、それではと逆方向の所沢という馴染みのない街へ電車に乗った。賑
わった京都でいえば出町商店街なみの通りを通り抜けて、どこかで気持の佳い昼食をと願ったがいい店は何処にも見当たらず、余儀なく駅ビルへ戻って、三階の
獅子だか獅子林だかいう中華料理の店に入った。妻はとなりで本を読み、わたしはいつもながら持参の校正ゲラを読んで、二時間余もかけゆっくり食事した。生
ビールをジョッキで呑み、紹興酒二合を呑み、そのおかげで仕事がはかどり、ひとまず校正も行くところまで行ったのはけっこうであった。
また西武線で保谷に戻った。池袋より近いのである。もう少し何かしらマシな店が在ればまた来るのだがと思い思い帰った。
機械の前に戻ったが、しばらく酒も手伝い、心地よくうたた寝していた。
* 十一月五日 水
* せんせい 昨夜は随分遅い時間のメールでいらしたのに、あの時間からまた数種類の本をお読みになられるのでしょうか? 古典から、近代、はては文学以
外の分野のものまで・・・ゆったりとゆたかな時間。
昨日は、母の帯の買い物に付き合わされているうちに、自分の帯を、衝動買いしてしまいました。沖縄の花織です。それで嬉しくて、機嫌がよいのです。「く
だらない女どもよ」と、お笑いにならないで下さいね。 都内
* 帯を買うのは、男がベルトを買うのとはまるでちがう。もしそれで謂うなら往古、都の大貴族達が身に帯びた「石帯」などが相当するかも知れない、店で買
うようなものではなかったが。婿の光源氏に舅の左大臣が秘蔵の石帯を贈って、自身の手で婿殿の腰につけてあげる場面が、早くにある。葵上の父大臣がなにや
ら伝来のいわれを話していたが、石とはいえ、それは宝石に類した品であった。
江戸の粋な男達も「帯」に何をしめるかは、お洒落のポイントであったらしい。その帯はよくない、こっちにしろなどと、親や大家が、息子や、なにかいわく
ある店子のために世話をやく場面は咄にもよく出てくる。
女の帯がどんなにその場で晴れするものであるかは、よく茶会の裏方にいて社中さんやお客の装いを見てきたから、肌身に感じて知っている。帯にはまさしく
ピンからキリがあり、むろん着物にも衿・半襟にも襦袢にも帯揚げにもある。むろん履き物にもある。佳い着物姿に出逢うと、一種ぞくぞくっとくる興奮を覚
え、時に敬意すら覚えるものだ。
茶会が近づくと、着物の新調に付き合ってくれと叔母の社中に頼まれたこともあった。ヤボの限りの大学生に演じうる役どころではなかったが、おもしろ半分
に年上の人にくっついて呉服屋の店頭へも行ったことがある。メールの人が、気に入った帯が欲しくて買ってしまい上機嫌というのは、幾らか懐かしさもいりま
じり、さもあろうなと肯いている。いまどき、もうあまり聴かれぬコトになっている。靴でもハンドバッグでもないところが嬉しい。佳い。
京の祇園「ゝ屋(ちょぼや)」に、朱の松葉を花緒に散らした下駄が店先に出ていて、その当時叔母の茶室に稽古に来ていた、五つ六つ年下の子に、何とかし
てああいう下駄を履かせてみたいと想ったことがある。お金はないから買うなど思いも寄らない、それだけに純然の想像であり、まさしき思い入れであった。そ
ういう思いようも日々の楽しみの一つであり得た。そういう時代があった。あの子も、いいおばあさんになっていることだろう。
* 眠れなくて 昔の勤め時代の奥さん友達に誘われて、「ホセ カレーラス」の歌を聴きにサントリーホールに行ってきました。白血病克服の後だからで
しょうか、往年の声ののびや華やかさがなく、ピアノに片手をついて足を曲げての詠唱でした。全部私にとっては初めて聞く曲でしたが、途中から声に艶が出
て、トスティの小曲は,胸に熱いものをよみがえらせてくれました。サービス精神旺盛で観客のアンコールに丁寧に応じて歌ったのはなんと8曲。中には日本語
の「川の流れのように」も。おかげで帰ったのは11時過ぎになってしまいました。幕間に飲んだコーヒーが聞いて、疲れているのにまだ眠れません。夢も闇も
無い日々は砂漠のよう。
秦テルオ展 娘はとても興味をもって行きたいといっています。
そろそろ眠らないと。明日も朝6時に起きなければなりません・・・。おやすみなさい。 神奈川
* この時節に、今は人を大勢つかっての事業が右肩上がりに展開していると洩れ聞くような人だが、日常のバランスはなかなか難しそうにも、こういうメール
から察しられる。人に羨まれるような日々と窺われるけれど、心に抱いた砂漠もまた広いのであろう。「時間」というものに人は縛られている。時間を駆使ない
しは使用しているようで、時間の前に餌食のように我が身を投げ出して東奔し西走し奮迅している。お金も貯まるのだろうが疲労も溜まる。仕事も疲労もあれも
これも、いずれをも「楽しんで」いるのなら、それは、えらいものだ。何をしても何の「楽しみ」もあとにのこらない、身内を癒さない、となると困るかもしれ
ない。難しい。
わたしは静かに深い「闇」とは親しみたいが、胸をかき乱すだけのような「夢」はいらない。夢を見ずに眠りたいなあと毎夜のようにわたしは夢を憎んでい
る。子供の頃から夢とは概して相性が悪い。夢のある人生、おお、いやだ。そんなものに人生を託せるだろうか。人生そのものがすでに夢・幻であるというの
に。
* テルオ展へいきました。 先ず、大変佳かったです。お礼を申します。教えていただき・・・。構図が心地よい。空気を画面一杯に感じます。 内面をしっ
かりととらえて描ききっておられます。何が描きたいか? 迫ってきます。 構成に新しさ! モダーンさ! を感じます。美工の図案科出身なのですね。
一言で、すばらしかったです。 ありがとうございます。 2時間ちかく会場におりました。 神奈川
* さて秦建日子作のドラマ、四回目の「共犯者」を見た。話はますますややこしく展開し、しかし最初の死体が山の中で発見されたし、車を貸したマンガ屋が
浅野温子をドライヴに誘い出し色にからんで威し始めた。ところがバックシートには浅野と共犯の三上博史が乗りこんでいて、マンガ屋は甚だ危ない。
三上の神出鬼没ぶりを、彼は実は浅野の「心の鬼」つまり幻影であるかと、作者のフアンたちは秦建日子のサイトの掲示板でおお騒ぎなんだそうだが、わたし
の妻は、そういうことだとあなたの「加賀少納言」のようねと謂う。ブルース・ウイルスの演じた映画「シックスセンス」のような哀しい物語もある。「加賀少
納言」と謂うなら、建日子はこの作品にかかるより以前に、と謂うより少年の昔から『ゲド戦記=影との戦い』の大フアンである。建日子が原稿依頼されて原稿
料を稼いだいちばん最初は、小学校か中学初め頃の『ゲド戦記』感想文であった。
もっとも三上博史は、十五年前に浅野に殺された娘の親たちとその娘の墓参りをして、言葉も交わしている。霊的な存在と言葉のかわせる「生きた人間」は、
よくよくでないといないものだ。わたしの『冬祭り』でも、冬子や法子は、わたしとは言葉を交わして互いに正目に見合っているが、そういう人は他に冬子の妹
ぐらいしかいないのである。まして敵意をもった同士ではそれはかなわない。
どんな展開が待っているのか、正直の所わたしには見当がついていないから、途中多少停滞して退屈感もおぼえるけれど、けっこう興味深く先を望んでいるの
はたしかだ。
* こんなドラマこそが、テレビ世界では最も受けないのだそうだ。一時間ドラマよりは圧倒的に説明的な、「二時間で一話完結する殺しドラマ」が受けるのだ
と、そんな、調査と解説の番組が今晩あった。それによれば、真っ先に、金持ちが不幸になり殺されるに至る筋書きでなければならないと言う。それが二時間ド
ラマで視聴率を稼ぐのに第一に必要だというから可笑しいが、大多数の心理は、そんなものらしい。そして最後に、切り立つ「断崖」に立って犯人が告白する場
面が、いくら馬鹿馬鹿しくても絶対に必要なんだそうだ。こういうドラマツルギーがテレビのプロデュースの至上命令だという以上は、一時間ずつ連続するス
トーリーで、かくもややこしい物語で、しかも殺しまくるお話では、あっちからもこっちからも総スカンを喰らいそうなものだが、おそらく「共犯者」レベルへ
のドラマ水準の移行は、事実ゆるやかに進みつつあるのであろう。一旗手としてこの道を敢えて拓いて行くのなら、わたしも建日子に声援を送ろうと思う。
* メールの調子がわるい。ルーターと同調し接続しない。そのオプションを外して接続しているが、その場合もADSLが働いているのかいないのか不安であ
り、わるいことにこれだと、電話を繋ぎっぱなしに出来ず、メールソフトを使っていないと自然に切れている。また使おうとすると一々新たにダイアルしなくて
はならない。前にもこんなことがあった。どう調整したのか記憶していないのが困りもの。
*まだ写真をホームページに入れる手だてが掴めない。そのかわり、いろんな写真関連のアプリケーションが機械に入っているのを見つけ、順繰りに触っている
うち、写真に加工が出来そうなことなどを少しずつ覚えている。へえ、こんなこと出来るんだということが、まだまだ無数に此の機械に隠れている。おもしろ
い。
* 十一月六日 木
* お元気ですか。数日まったく器械に触れない日を余儀なくされていました。今日は静かにメールを書ける時間をもちました。紅葉は始まっていますが、まだ
冷え込むこともなく、むしろ汗ばむ陽気。
いかがお過ごしですか? 楽しんで暮しながら、時折、生きていることすべて「夢、幻」と書かれている。そのままを受け止めてわたしは読みます。そして夢
の中の「現」であれ、生きている以上「しっかり生きなければ」と、そのしっかりが漠然としたまま、でも、わたしも「今」を生きようと思います。
先日山に出かけて歩いていましたら、すぐ近くの茂みで突然がさっと音がして、なんと鹿が身をおこして走り去っていきました。鹿はその時まで眠っていたの
でしょうか? 鹿がわたしに気づいて驚き息潜めていたのは、どれほどの時間だったのでしょうか。鹿が逃げ去った後、山の静けさに落ちていくような錯覚を覚
え、不思議な時間を経験しました。
携帯からメールを送りましたが、文章が短かすぎて却って失礼だったかしら?
今月下旬には上の娘がシンガポールから帰ってきます。仕事をやめて次の方向を決めるまでしばらく家にいるようです。わたしはますます身動きが出来なくな
りそうです。これはわたしの意志とは逆の方向ですが・・。
ウズベキスタンから帰国したときは成田経由で、快晴でしたので東京方面や富士山を機上から楽しみました。東京はとても近いのに、とても遠い。 播磨
* 秦テルヲ展を観にいきました。失恋と体調違和とで疲れた心でしたが、絵を観たことで、活力の沸くのを感じました。最初のほうにあった「煙突」の絵が好
きです。津田、田中など知らなかった洋画家の絵に、はっとしました。
秦テルヲは構図や線に独特のものがあると感じました。何か独特のよい線だと。中盤の作品はシュールリアリスム的な何か、の迫力を感じました。ムンクにも
似た凄み。またスケッチブックを大変面白くみました。仏画にはあまり興味を持ちませんでしたが、風景画は面白くみました。簡単な感想ですが、お伝えしてお
きます。 板橋区の卒業生
* H氏賞詩人の岩佐さんとは「湖の本」がご縁でもう久しいおつき合いになるが、「ペン電子文藝館」に二度目積み増し作品が欲しいなあと思い、提案も含め
てメールした。ところが、そのメールがアドレスちがいか受取人不在で戻されてきた。しかも全く同時に、当の岩佐さんからメールで、「詩六編」を送ってき
た。偶然の一致である、こういうことも有るのだ、おもしろい。詩も佳い。嬉しい。もう入稿した。
国際ペン理事堀武昭さんの出稿「世界マグロ摩擦!」は、論旨明晰で活気と刺激と提案に満ち、国際人としての活躍が目に見えるよう。
スキャンを引き受けてくれた向山委員から、まだ原稿が届かないので校正を始めていないが、立松和平理事の小説は「道場」と題されている。読むのが楽しみ
だ、若い作家の作品に触れることは滅多になかったので、そういう点でも「ペン電子文藝館」の仕事はわたしにすると、おあつらえ向きである。
宮田智恵子会員の小説「風の韻き」は丁寧に書けてある。
* 昨晩は、寝ついて間もなく降り出した雨の音に目が覚め、そのまましばらく眠れませんでした。TVで、年輩の女流俳人が、与謝を旅したことを、興奮気味
に話していましたの。若い母親と幼い男の子が、川で水遊びをしている映像に「夏河を越す…」の字幕がついて流れました。
ようよう「あやつり春風馬堤曲」を読み終え、はなに戻って、逸翁美術館で見てきた絵を思いだしながら、読んでいます。
「劉生と京都」の券が当たりましたの! 法然院の特別公開が明日までというので、行って参ります。
金福寺へも。 雀
* 葛づくし 葛西聖司アナウンサーの番組に、中西進さんがお出になりましたの。これまで存じませんで、物腰や、お顔立ち、声の音色に、ぽぉっとなりま
したわ。
葛西アナは、葛湯をすすめて、「萬葉集のなかで、一番お好きなうたは?」。
中西さんは、「真葛原なびく秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花ちる」とお詠いになり、「萬葉集ゆかりの地で、お勧めの旅は?」との問いに、「葛城の麓を
夕方お歩きになるのがいい。日が…ぽとん、と、落ちる」と。
一羽きりの道の心細さに、半泣きで歩いた、葛城の逢魔が時を思い出しました。囀雀
* 朝に昼に晩に夜中にと、雨霰のように届いたメールが、ツキモノの落ちたようにパタリと途絶える。そういう例が過去に何度かあって、マンガ好きなティー
ンの少女であったり、家庭につらい問題のある青年であったり、夢見がちなオバサンであったりする。
メールのすがたかたちを見ていて、分かった。五、六回に一度くらいから、返事の間隔をだんだんあけて行くと、遠い雷の遠のくようにやがて、いや急速にと
び去ってゆく。おもしろそうでも、そういうメールには独特の飾りっ気とクセがそれぞれにあり、クリアで確かな魅力には乏しく、結局はみな消去してしまう。
* そんな中で、もう千に及ぶだろう、囀雀さんのおそらく携帯からの短いメールには、風趣に富んだ境涯が、ときにつらいほどににじみ出て、表現も行動も具
体的にわたしの関心事に、なかなかニクく触れてくる。もしメールが文藝にいつか数えられるななら、この人のは電子メール時代初期の或る一の集積になるだろ
う。
* むやみとルビをふる必要のあった校正を終え、あとがきも書き終えて、送った。心持ち風邪気味か頭痛がある。おととい所沢を歩いたときから微かにあっ
た。妻が聖路加通院で、少し気分をわるくし一時間ほどベッドを借りて寝てきたというのも風ぎみなのではないか。こういうとき、つい酒は百薬の長と称えたく
なるのがわたしの病気かも知れない。しかし気にかかっていた仕事を前へ押し流したので、気は楽になった。楽にならないのは電子メールの不調である。放りっ
ぱなしにしておいても直ぐ切れてしまう。いちいちやり直すのが面倒くさい。
* ニフティの問い合わせ窓口でも専門でないので答えられない、明日改めてかけてくれと言い出すので、ならばと、あれこれ独りで以前のことも思い出し出
し、ルータの設定を変えることを思いついて、無謀かなあと思いつつやっつけたら、幸い(なぜだか分からないが)しつこかった不調が綺麗に元へ戻った。あり
がたい。
* 選挙の日がちかくなった。映画「ザ・ロンゲストデイ」で、ジョン・ウエイン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャム、クルト・ユルゲンス、ロバー
ト・ライアン、リチャード・バートン等々、懐かしい昔の男優達の顔をたっぷり眺めながら、選挙のことを思っていた。
田中真紀子が、投票の前日あたりに民主党のシャドー・キャビネットに入閣しないかしらん。
* 十一月七日 金
* 永年、まれにあってこその小春日和なのに、?
のつく程、違和感を覚える程、暖かい毎日です。汚染による地球の温暖化とか、自転がホンの微か早くなっているとか、従来の季節感、特に俳句の季語などが合
わなくなるのではと。
それでも貴船菊の白い花びらが皆落ち、咲き乱れた友禅菊も花びらも落ち始めて、秋の深まりを感じます。
ぬくぬくと七時まで朝寝坊の連続で、今朝も六時からのイタリア語の番組を観るのも、録画も、手遅れでした。定番をうっかり抜かすと、どうも気色悪い一日
になります。
毎日やるべき仕事をこなし切れずに、掃除が滞りがちになり、何故と考えるに、お話相手とお手伝いを懇願されて、ついつい娘と孫には弱くなりますね。声を
出して笑い、半月もすれば寝返りが出来るかなと。
こうして家事時間が押せ押せになり、おばあちゃんは埃の部屋で生活するハメになります。まあ、イイッカ。
* いつもなら さくらの葉っぱの紅葉も楽しめる頃なのに この暖かさが残念です。
ご体調はいかがでしょうか? くれぐれもおだいじになさってください。
九月末 大徳寺(瑞峯院・大慈院)の月釜に出かけてきました。さるホームページのお仲間で、総勢十人、みなさん和服で集合。遠くは千葉・茨城から。お茶
の経験も年令もいろいろ。京都の方にスケジュールを組んでいただき 大寄せのお茶会を楽しんできました。次回は来春の<明治村茶会>へ集合する予定です。
再び『罪はわが前に』『風の奏で』を読ませていただきました。
『風の奏で』は今回もやはりむずかしく 読みながら人間関係の図式を書いて見たりしました。笑われそうですが 時間をおいてまた読み直したいです。
わたしの中には、<宏>という名前が大きく存在。全く関係が無いのにもかかわらず、今でもキュンとなるのです。
ひとりの<宏>: 学生時代の、夢中になっていたほろ苦い思い出。
もう一人の<宏>: 小学四年生からずっーとおおきな存在感あり。学部こそ違え同じ大学だったことも含めて、どれほどうれしかったことか。こちらは<永
遠の宏>
会うことがあっても一度もそれらしいことを伝えたこともなく。勝手にじぶんの中で育てていた宝物。この先「じつは。。。」とお話することがあるか? な
しか? 大切だからそっとしまっておこう。
ここまでおしゃべりをして お終い!
そして『罪はわが前に』の三人目の<宏>の存在。 ふしぎです。 愛知県
* 『風の奏で』というと、笑って思い出すことがある。或る読者がはじめて文藝春秋の単行本を手にしたとき、あまりに難しい、読みにくいと腹立ちまぎれに
壁に叩きつけた、そうだ。それにもかかわらず、いつしかこの作に結局は夢中で引き込まれ、熱い愛読作の一つになっていた、そうだ。さもあろう、この作品は
容易ではない。平家物語の最初本成立の機微を歴史的に問いながら、東京に暮らす一人の医学書編集者が、現代の京都や仙台での恋物語を介して、いわゆる日本
の「藝能」の吹き流れてきた筋道を偲び辿ってゆくのである。こう書いてみるだけでも、たいていの読者は、察しもつかないだろう。これが私の文学の組み立て
だと言ってしまったら、気弱な読者はみなますます遠のいて行くだろう。
同じ保谷に安田武さんという、鶴見俊輔さんらとお仲間の手だれの「読み手」がおられた。もう亡くなってしまったが、生前、いろんな機会に私の仕事を推奨
して下さったが、そもそものはじめは、とても「ついて行きにくかった」と言われていた。「それが文体に馴染んでくると、まるでアヘンだね」とも笑って、最
良の読者の一人になって下さった。あの笑い話の折りにも、此の『風の奏で』が話題ではなかったか。
* 「宏」という作中の自称は(というのも変だが、)小説を書き始めてから十年余はよく使っていた。私は幼名というか、むしろ育て親たちが便宜に付けた変
名を「宏一(ひろかず)」といった。幼稚園までは宏一サンだった。叔母の社中でも年嵩な人はみな永らくわたしを「ヒロさん」と読んでいた。「恒平」という
本名にわたしが初めて衝突したのは、何度も書いたが、国民学校へ入学した当日の、胸に赤い名札に書かれていた二字であり、とても自分の名前という自覚がも
てなかった、「しょがないわ。こういうメにあう運命なんや」と、既に「もらひ子」であることを察していたわたしは諦めた。小説を書き始めてしばらくして、
「宏」を使おうと決めた。姓の方は「当尾(とうの)」とした。実父の実家が、山城の国、相楽郡当尾村の大庄屋であった、から。そこに数えか満かで四つ五つ
まで祖父母のもとで育てられていた、から。その家に、父も、母も、姿はなかった。その家でわたしが変名の「宏一」と呼ばれていたのか「恒平」であったのか
は全く覚えがない。
わたしの「宏」は、上の読者の「宏」さんとは縁が無い。が、このメール、遠い「宏」に伝えるさりげない恋文のようなものかもしれない、物語というのは完
結しないまま転々とつづくもの、先のことは分からない。
* 棘 すっくと立った木の先に、一輪白く。その脇に、何本も、紅に‥艶やかに、香り豊かに、薔薇が咲き競っています。
明日は、立冬、そして…満月。私には解らないことばで、また、月とお腹とが話をし始めました。ほんと、仲良しさんだこと ― アイタタタ。
* 一瞬分からなかった、が。こういう表現もあるわけか。
* 十一月七日 つづき
* 投票まぢか 雨が降れば投票に行かない若い連中がゴマンといる。お年寄りはもっと足腰がしっかりしてますよ。
不在投票なんて放ったからしの連中もワンサカ、ワンサカ。
10年間に7度も奉公先を変えた与党側党首もいる、なんですかねえこれって。
私よりいくつも若いのに、政権が変わったら不安だとのたまう零細商工者とも、酒の席でガンガンやったが、頭が固くて箸にも棒にもひっかからない。
安倍幹事長の演説に2時間も待たされていた応援弁士、支援者の塊。動かぬ真っ黒クロスケのようだった。野外特設の映写を熱っぽく見つめるニューシネマパ
ラダイスの観衆はいなかった。
秦さん、ここは一発、尻を蹴っ飛ばしてくださいな。 西多摩
* 選挙ごとに、「日本」と「日本人」について、「尻を蹴っとば」すどころか、ためいきをついてしまう。先進・保守の国なのだ日本は。いいかえれば技術・
安定の国なのだ。利益に従いそれに理屈をつけてゆく国だ。経済が見合うなら問題は先送りする国だ。公を都合良く立て奉るフリして私は無残に滅ぼして行く国
だ。利権が肥大し福祉は消えて行く国だ。
自民党政権への屈従はまだまだ続いて、「私」は痩せて死に絶え「日本国」は国力を根から喪って滅びるに違いない。日本人が「歴史的に」先へ行くほど下降
して行くという下降史観に支配されてきたというのは、上古も中世も今も、基本的に変化していない。いま「先はばら色」と、日本人のだれが本気で思っている
だろう。小泉純一郎以下の自民党代議士でも思っていないはずた。田中真紀子は自民党はもう死体にひとしいと、のがれて出た。死んだも同じ国になろうとして
いる国だ、日本は。
それでもわたしたちは投票に行く。忙しい息子も、投票のためにだけ、そして一緒に昼飯にだけ帰ってくるとメールを寄越した。それでよい。
* 外国で老いるということ 2003.11.06 小闇@バルセロナ
週末、義父が四人の我が子を集めた。義父の妹が末期癌、余命幾許もないと言う。話を聞きながら、思い出していたのは、この夏の病室。見舞い客として現れ
た義父の妹は、ベッドの上のやつれた私の義母を、口を開けば「あんたはいいわね。面倒を見てくれる子供がいて。」といって羨んでいた。
こういう場面に直面すると、私は、独り年老いて暮らす自分を想像する。漠然とした不安。それでも、その時になればなんとかなっている気がするし、なんと
かなっていなければ、生きていないだろうから、やはり、なんとかなっていると思う。「今」生きていることに意を注げば、自然、行く先の不安は遠のくから不
思議。
唯一つ、いつも私を不安にさせることがあった。外国で老いる、ということ。もし病気になったら、と。
外国では不安で、日本では安心な理由って、いったい何なのだろう。言葉? 今だって、病院には一人で行く。難しい専門用語を使われたら? 日本語だって
分かりゃしないだろう。友達? 着実に絆を深めているのは、この地の友だろう。親戚? 日本にいたって助けは求めまい。社会保障? 私を保障してくれるの
はスペイン政府。年金も、スペイン政府から。
そう考えてゆくと、外国ゆえに不安にならなければならない理由が、どこにあるのか分からなくなってくる。第一、今こうやって暮らしていて感じない不安
を、なぜ将来感じなくてはいけないのだろう。
大事なのは、どこで生きるかでなく、どうやって生きるか。ここに来た時、言い聞かせていたけれど、それもそろそろ必要なくなってきた気がする。強がりだ
ろうか。
* ウン。がんばってる。そのままでいいと思う。
* オマハビーチの上陸のように、難航しつつも少しずつ文藝館の入稿・校正往来・掲載が捗っている。息苦しいが、ねばり強く進めている。
* 鏡花学者の田中励儀さんから、新版、岩波書店刊の美しい函装泉鏡花集の「京・大阪編」を頂戴した。わたしの好きな「天守物語」や「南地心中」その他が
含まれていて、早速今夜寝る前から読み出して全編読んでしまおうと心弾んでいる。有り難いことです。
メールですぐにお礼を言った。
若い同志社大学教授である。はじめて金澤の文学館を介しておつきあいを始めた頃は、ほんとうに若かった。篤実の学究で論文もめざましく多いだけでなく緻
密で、いろいろと教わることがおおい。
* 十一月八日 土
* 朝から5時まで京にいました。 朝霧の西大寺に案じたものの、京へ着いたらぬくぅてええ天気。法然院、(蕪村の)金福寺、(浅井忠の)金地院。お墓
まいりもしました。どこも、雀の居る間ァだけ、人が少のゥて。
お午。のち、(粟田の)花園天皇陵、円山公園。双林寺、西行庵、護国神社は、すたすた歩き、(冬祭り、冬子法子のねむる)正法寺。古井戸に涙ぐみ、戻る
と、女子学生がふたり。互いに息をのみました。「観光です」と名乗る互いが、安堵。「きれいですね」と、高い石段から、暮れゆく京の町を眺めました。雀
は、(慈子の)来迎院へ。
胸絞られる思いでいっぱい。「劉生と京都」も「京都市美リクエスト展」も、みなパスしました。
* どんな暮らしをしているひとなのだろう。
東京の小闇の二本もおもしろく読んだ。「泣く」ということも、「携帯電話」のことも。感想もある。これから言論表現委員会のシンポジウムに出掛けるの
で、帰ってから書く。
* 涙の味 2003.11.6 小闇@TOKYO
泣かない子どもであった。ひとより我慢強いことを知ったのはわりと最近で、普通はみなそうなのだと思っていた。物心ついてから泣いたシーンは、すべて覚
えている。一番強烈だったのは首筋に太い注射をされたとき、その痛みに涙が出たときだ。悔しさでなく、痛みでなくことが自分にあるとはなかなか認められな
かった。そのとき、十歳。
ところが最近は、本を読んだり音楽を聴いたり、ちょっと何かを思い出すだけで泣いている。これまでの分を取り返す勢いだ。
泣いてたまるか、とか、涙を見せるのは恥、とかどちらかというとそういう思想を持っていたが、泣くのは楽だ。それで何が解決するわけではないけれど、泣
いたあとの虚脱感、こんなことで泣いてバカみたいだなと思うことで、辛さとか苦しさとかに分類していたことが、実はそうでもなかったと気付く。
ちらっと見た女性誌にもそんなようなことが書かれていた。もしかしてトレンドなのだろうか。けれど雑誌がトレンドをリードできず、トレンドの後追いを初
めて久しい。とうの昔の話なのかも知れない。
とはいえ迷惑だろうから、ひとの前ではあまり泣きたくない。ときどき親しいひとのまえでつい泣いて、あとでそっと「大丈夫?」と聞かれる。聞かれる頃に
は、「あ〜、あれね」とアルバムを捲るような、昔話やヒトゴトのような記憶に昇華している。そして突然、また別の理由で泣き出したりして。
* un-mobile 2003.11.7 小闇@TOKYO
気付いて呆然とした。携帯電話を家に忘れた。鞄の中に見あたらない。パソコンの脇の充電器にさしたままらしい。しくじった。携帯電話を持たずに出社する
のは、初めてである。今日一日、私の携帯電話に連絡を取ろうとするひとがその携帯電話が自宅に起きっぱなしであることを、知る術がない。不安ではあった
が、実に自由であった。
職場では普段、机の上に置いている。女性用衣料の最大の欠点はポケットが少ないことだ。仮に小さなポケットがあったとしても、私の携帯電話はかなり大き
い。
音は消しているが、着信があれば震えるし、液晶の画面が明るくなるのですぐに分かる。その画面は暗いままだと鏡のようで、誰かの影が映っただけでも着信
かと勘違いすることも多い。
それが今日はなかった。電話そのものがないのだから、通り過ぎる誰かを着信と間違えることもない。
携帯電話もそうだし、ミニノートとAir
H"でもそうなのだが、出先で誰かとつながれるのはとても便利だ。例えば、帰京前の新大阪駅、フライト前の成田空港。出張でなくとも、家を空けるときには
必ず私はどちらも持って行く。
それでも、出先で電話が鳴るのは嬉しくない。パソコンを起動してネットにつないでも会社宛てのメールは見ない。おしかりや苦情が入っているかもしれない
のが怖いのではなく、会社が嫌なわけでもない。会社から離れていられるときに、会社のことを知るのが、それができてしまうのが嫌なのだ。
帰って確認すると、着信あり。メールもあり。緊急の用事ではなかった。本当は普段から、必要ないものなだろう。だからといって明日から捨てられるかと言
えば。どうなんだろう、実は簡単なことかも知れない。
* おもしろい。ふたつとも。
* 「泣く」という行為は、国により文化に属していた。「号哭」が一つの礼であったわれらの隣国もあり、その風は日本にも変容を経て入っていたのではない
か、殯宮(もがり)では「遊部」などがさまざまに鎮魂・慰霊したが、その「えらぎあそぶ」作法には号哭が混じったのではないか、泣女(なきめ)という
「役」どころのあったことは天若日子の葬儀にも明記されてある。
源氏物語を少年の昔に初めて読んだとき、大人達が、女とかぎらずむしろ貴族の男達がしきりに「泣いて」「涙する」さまに仰天した。男は人前で泣かぬも
の、涙を人に見せるものではないと教え込まれた時代にものごころついていたので、まことに「めめしく」感じた。どうしてこう何かにつけて泣けるのだろうと
呆れていた。
だが、光源氏たちほどでなくても平家の公達でもあらき東の武士達ですら、鎧の袖をぬらす風情はあった。後世にも「男泣き」に泣いたりすることが、必ずし
も咎められていない、ただしそれだけ滅多には泣かなくなっていたのも確かで、平家物語はもとより太平記の武士達でも、まだ、ときどき泣いている。しかし織
田信長とくると泣きそうにない。徳川の頃の侍達も男どもも泣くのを恥じていた。
泣くことすら出来ないのは、恥ずかしいではないかと、わたしは、年が行くに連れて思うようになった。感動してとどめえない涙は流してよいように思ってき
た。今もそう思い、涙のために関所は設けていない。感動したい。やすい感傷はいやだけれど。
* 十一月八日 つづき
* 「著作者・読者・図書館
―公貸権を考える―」シンポジウムを、わたしも委員を永年勤めている言論表現委員会で、主催した。内幸町のプレスセンターで。
著作者としては、コーディネーター松本侑子を含めて、日本ペンクラブから猪瀬直樹、文藝家協会から三田誠広、推理作家協会から、だれだか若い理事、大沢
某氏が出ていた。新潮社が出版「代表」として出、図書館からは、都立中央の吉田直樹氏、川崎市立中原図書館の西野一夫氏の二人、そして図書館学から慶應大
学の糸賀雅児氏も、バネラーとして壇にならんだ。
* 会場は、前回シンポジウムより、ずっと空席が目立った。図書館人と出版人とに人数が偏り、例の如く、著作者といえるような、ことにペン会員などは、委
員以外に数えたくてもほとんどそれらしい姿がなかった。
前々から言うように、「著作者」といって「一括り」には簡単にならない「いろんな著作者」がある。
また「問題の所在」に関しても同じことは言える。一部の熱心な「推理作家」協会員以外に、ほとんど大方の著作者たちが、今日のシンポジウムに関して、問
題意識は強くない。問題点の浸透も無い。おおかたなにもかも欠如したままの一部の見切り発車ないし暴走であることを、明白に「会場」の様子が物語っている
のである。
現に、壇上にいた著作者は、三田氏以外の、猪瀬・松本・大沢氏とも「推理作家協会」の会員や理事たちであり、彼等がいわゆる「著作者」の全体を代行する
ことも意見を代弁することも出来るわけがなく、またそう出来るよう努力し誠実に根回ししたとも言えない、言えるわけがない。つまり、奇妙なほど偏した人選
と意向とで、シンポジウムが演出されたと言うしかない。
* 三田氏は普通の作家であるが、この問題に関する限り、独特の偏した意見の持ち主で、その意見を、攻撃的に図書館にぶつけて、どこかから「本」にして出
版したけれど、その内容たるや、今日も、本人が赤くなって弁明するほど「感情的」に過度に挑発的で、しかも、論の基盤をなす基礎的な調査、ことに的確な数
字などの裏付けが乏しすぎる。人によれば全然欠けているとすら批判している。三田氏の問題の著書は、わたしに言わせれば、あまりみっともいいものでなく、
むしろ恥ずかしいぐらいのものになってしまった。あたら彼のために惜しむ。
そもそも猪瀬氏も三田氏も、関連問題で他者の言説に真摯に耳を貸さないし、人の書いたものを読んでもいない。あれは読んだか、これは読んでいるかと、図
書館からの発言だけでなく、わたしですら目を通している津野海太郎氏の雑誌「本とコ」や、「出版ジャーナル」などの雑誌特集や記事を挙げても、まるで「知
らない」まま、小さな知識に固執して大声を張り上げているとしか、私には、終始、聞こえなかった。
例えば、もう三年ばかり前か、我々の委員会がイギリスから「公貸権」資料を取り寄せたのは事実であるが、資料の「クリテイク」がその後も少しもなされ
ず、現地事情の聴き取り調査もなく、すぐさまその「聞きかじり」を、日本の土壌に根移し出来るモノと考えて、コトをやたら急いたのは、どう眺めても、滑稽
なほどであった。
私は、日本でも、公貸権は「確立されてしかるべし」という、原則賛成者である。だが、著作権法等の法律的な基礎知識も欠いたまま、いきなり今直ぐにも国
に「基金」を求めて「確立」などと、それはかえって只の夢物語に大事な問題を溶解させてしまうのであり、そんな危険を強硬したがるだけでも、むしろ罪深い
邪道というに近かった。認識が間違っているのである。
* ま、これぐらい言っておけば、もう必要がないほど、パネラーたちが「一渡り話し終えた」もうその段階で、情けないほど、「著作者」と「出版」の言い分
は、「図書館」「図書館学」からの発言の前に、あらわに幼稚であった。大勢は、はやくから私が言い続け、しかし委員会ではあまり聴こうともされなかった方
向へ方向へ、ぴったり重なってきた。
* 図書館の貸し出しゆえに著作者が明らかに経済的に損害を受けているという「損だ派」の主張には、或いはそうかも知れない、それを全否定はしないけれど
も、けれども、そうでないかも知れないと「否定できる根拠」の方が、かなり具体的に強いと、論調としては、図書館側の言説にわたしは肯かずにおれなかっ
た。はっきり判明したのは、一部の著作者達の「損だ」の合唱は、たんに合唱以上の説得力に、結局は著しく欠けているようだという、こと。
オソマツにもコーディネーターである松本侑子の挙げた、例えば六十五万冊が売れ、三十五万冊が図書館で貸し出されているとすると、著者は三十五万冊分の
印税をフイにされていると言いたげな、まるで子供の算術のような言い分など、著作者の権益はぜひ守りたい一人の私でも、おもわず吹き出してしまう「珍妙」
でしかなかった。
かりに三十五万人が図書館で借りられないからと、すぐ本屋へ財布を握って買いに行くという「証明」は、絶対に出来ない。わたしが多年それについて学生や
読者達に直に聴取してきた限り、少しの例外は当然あるとしても、絶対多数は、図書館にそれが有るから借りてみるだけのこと、「その程度の本」を、本屋へ
走って買おうと思う者はいないですよと、ほぼ全員の口がそろうのである。
損だ損だと合唱するのなら、本屋や図書館での「出口調査」を、多種多様にそれも全国で実施しないと到底判らないでしょう、実際はそれが出来ても判るとい
うこととは思われない、という図書館側からの発言は、否認しようがない。
わたしは、損だ損だとそれだけを言い張るなら、それが挙証できるか、どう損なのかを、ハッキリさせる努力が必要だと、言ってきた。それをしないで図書館
に先ず喧嘩をふっかけたのが、われわれの言論表現委員会であったのである。恥ずかしい。
しかし今のところ、それを具体的に数字で言っているのは「出版社」で、売り上げが落ちている、と嘆く。
だがそれ一つでは、全く著作者の「損だ」挙証になどならないし、出版社が売り上げの出ないのを、図書館の「せい」にするのも滑稽な慌て方としか言えな
い。それは自由主義経済下での自己責任であろう。そもそも、この問題の出どこは、おおかたは景気のよくない出版の懐勘定に出ていて、なんとか「お助け」を
と図書館にムチャを言い掛けているに、ほぼ、過ぎないのである。
このままでは出版視野の多くは潰れます、潰れますというが、特定の某社が潰れても特定の某新社はかならず生まれ出て、出版事業が全く立ちゆかない社会な
どには、少なくもこの先五十年はなりようがない、絶対に。
クレバーな読者は見ているのである。図書館で借りて読めば済んでしまう、手元に置く気になどとてもなれない本を出して、景気を悪くしている責任は、大手
出版たちのセンスの悪さにこそ有る、ということを。
* 「公貸権」を議論して行く出発点が脆くもとうに崩れていたのは、はっきり言って、猪瀬氏や三田氏の、すこし慌てた功名心ゆえで、アタマを冷やして出直
した方がよろしい。「時期尚早」というより、下手な急ぎ方でこの大事な問題点を破壊するなというのが私の考えであった。そう言ってきた。地道に周知の労を
とることから始めなければ、どうなる話でもないのだという私の判断は、たぶん、これでほぼ公認されてしまったと思う。そんな簡単なモノではないだけに、投
げ出すことはなく、もっと地道にみんなで勉強してかかるべきだ。そういうプロジェクトを関係団体がこぞって持とうとする誠意が先立たねば、一人二人が大声
で引っ張ろうとしても、現に誰もついて行こうとさえしていないではないか。
* もう一つの問題に、「推理作家協会」というよりも、その背後にある「大手出版社」の意向と姿勢である。割り切った説明にしてしまうなら、推理もの新刊
を、当初六ヶ月、図書館で貸し出ししないでくれという、強い要望が出ていた。
はっきり言うが、わたしは反対であった。今日の会場に入るまぎわにも、同僚委員の一人はこれに触れて私に、とんでもない話だ、ばかげてるとまで言い切っ
ていた。その人もまた推理作家協会の会員なのだが。
図書館学の糸賀氏は、一二ヶ月貸し出し猶予ぐらいなら試験的に試みていいのではと言い、西野氏や吉田氏には図書館根源の立場として「読書権」への正当な
対応という義務があり、館に図書を購入した以上は貸し出さないわけに行かない、その理由がない、推理作家や大手出版のそんな提案にはハッキリ反対するとの
表明があった。わたしも、同感である。「損だ派」の合唱と有意に交叉するという根拠が感じられないのである。それをすると、著作者の損がどう補われて、本
がその分どう売れるのか、印税がどれだけ増えて入るというのか、どういう具体的な根拠が数字で出せるのか。てんと、わからない。自儘の夢に酔っているので
はないか。
推理作品は、相当のパーセンテージ、図書館で借りて読まれてしまう、多い作家の場合は五十パーセントにも及ぶと、今日、聴いた。なるほど。
しかしそれも先の話と同じで、もし図書館にその作家のその本が置いてなければ、その五十パーセント分が本の購売購読で埋められると思っているのか。皮算
用も過ぎた、それはちと、いや大いに、自儘な過信というものである。
今日のシンポジウムの「題」に、わたしが強硬に提案して捻じ込んだ一語は、「読者」であった。読者というものは、かなり的確に、金を払っても手元に欲し
い本と、それに値しないシロモノとを、見分けている。読者は根がクレバーな人達である、かなりに。
図書館でしか読まれない作品は、所詮その程度の作品でしかないのだろうという、痛切な自己批評の観点が、こういう「損だ派」の著作者たちに、根から「抜
け」ているのである。出版社にも「抜け」ていて、そのために今の出版文化なんて「紙屑文化」だと揶揄されているのである。
* 「複本」のことでも、指摘し続けてきたように、どうも全体として「有意」の問題になりにくい認識が、シンポジウムの会場をもう支配していたと思う。
その結果として、何が起きたか。図書館の人と謂うと、やたら敵愾心に燃えて喧嘩腰に出てくると聞いて予想してこの席へ出てきたけれど、まるでそうではな
かった、穏健に適切に話して貰えているなと感じた、意外なであったと、パネラーで推理作家の大沢理事発言になって、一つの転機が出たように思う。氏は、個
人的には、貸し出し猶予の必要もないと思っているがと、そんな本音も出ていた。
ああこれでもう「大勢」はきまったなと思った。もう「vs」ごっこは、やめよう。そして出版主導でなく、「著作者と図書館」とが仲良く話し合わねばいけ
ない時機である。なんだか、今の様子では、大きな出版社の台所の苦しさを、一部の著作者が前へ出て「代弁人」かのように、「損だ」の合唱をしているようで
ある。それも、実態は「合唱」でも何でもありはしない、ごく一部の「売れている」が「自慢」の「推理作家達だけ」の「合唱」なのだ。「著作者」の大勢も
「小出版社」の大多数も、図書館を敵視したい、難題を押しつけたい、そんな気持にはとてもなれる情況にはいないのである。
* そんななかで、「公貸権」をどう声高に今言いつのっても、虚しい。それが、今日のシンポジウムの基調であった。
大事なのは、じつは「読者」なのだ。ところが、それが現代の著作者にも出版者にもまるで分かっていない。
彼等は言うのだ、露わに。読者は存在しない、読者は必要でない。いて欲しいのは、必要なのは、「本を買う」人だけだ、必ずしも読んでくれなくてもいいの
だ、と。本気でそういうことを言いたいのだなあと、孤軍泣きべそ風大出版社役員のグチり続けるのを、わたしは、みっともないなあと、聴いていた。聴くにた
えなかった。
* さてさて会場閑散ぎみのシンポジウムは済んだ。いろいろ済んだのだ。にわかには、もうこの上の手順が立っていない。なにもかも済んだ、第一期は。
そういう気分でわたしは引き揚げてきた。
* 「ホワイトハウス」は、シンポジウムよりも何倍も面白かった。
* 鍋 2003.11.8 小闇@tokyo
冬になると、週末の夕餉は必ず鍋であった。湯豆腐か、水炊きか、すき焼き。水炊きは中に入れるものが毎回変わっていたとはいえ、最後に雑炊またはうどん
をにするまでがルーチン化されていた。子どもとしてはそれがつまらなく、たまには土日に鍋じゃないものが食べたいと何度か抗議した。あるとき母は言った。
「でもねぇ、お父さんがこういうのがいいんだって。みんなで鍋つつくのがやりたかったんだって」。父はひとりっ子。そして当時実家は六人家族。以来私は黙
々と鶏や白菜や椎茸をポン酢で食べていたが、でもそれと私の夕食とは関係ないでしょとも思っていた。
昨日、「鍋奉行になる」というタイトルのムックを買った。レシピ集だ。この手のものを買うのは、初めてだ。「男子厨房に入ろう」というキャッチと、写真
の豪快さ、文字の大きさから察するに、定年後の男性がターゲットなのか。確かに鍋はそういうひとに向いているかも知れない。奉行にもなるだろう。
実家三大鍋に加え、常夜鍋、牡蠣鍋、餃子鍋、豆乳鍋、つみれ鍋。私の鍋のレパートリーは、実家よりは多いつもりだが、まだ攻略していないものがいくつか
載っていた。はりはり鍋はぜひやってみたいし、ラタトゥイユ鍋とか茄子と鮭缶の鍋なんてのはあまり味が想像できない。おでんも鍋なのか、ぐつぐつやってい
るものを食べる雰囲気ではないしすぐにお腹いっぱいになりそうだ。
実家を離れて久しいが、私も冬の週末は、土日のうちどちらか鍋を夕食にしている。建前上、血は争えないことになっている。野菜をたくさん取れるので身体
にも良い。しかし本当の理由は準備も片付けも楽で調理しながら食べられるところにある。母もうまいこと言ったもんだ。そこは女の情けで指摘しないでおいて
やる。
私は今日はきりたんぽ鍋、もう二人しかいなくなった実家は湯豆腐あたりだろうか。明日、両親三十二回目の結婚記念日。
* 両親の結婚記念日を覚えている娘って、いいなあ。
この小闇、以前なら「腹いっぱいになる」と書いていたろう、今夜は「お腹いっぱい」とある。「女の情けで指摘しないでおいてやる」は、ユーモアがくどい
か。「指摘しない」で足りている。ま、こういうチェックはお気に召すまいが。あたたかいエッセイで、ご馳走の匂いも湯気もよかった。
* 十一月八日 つづきの続き
* 今、劇団「昴」を率いている福田逸さん(故福田恆存先生ご子息)のメールを頂戴した。此の「闇に言い置く
私語」を読んでくださっているとは、仰天した。先日の「花粉熱」への感想がお目にとまった。劇団員の何人かへもコピーして転送した下さったらしい。恐縮す
る。
歌舞伎への感想にも触れられて、当代の「立ち方」では吉右衛門がすぐれていると。この前、「河内山」を観たが、晩の「俊寛」は敬遠してしまったが、優れ
ていたともある。吉右衛門の「俊寛」は、以前に一度観ている。先代以来の、全く「吉右衛門」の播磨屋芝居だ、わるかろうわけはない。よくて辛くて、泣いて
しまうのである。
平家物語にとっていわば俊寛系の(平曲風に謂えば)「句」は、高山のようにそびえて裾野も広い。長い。その経緯がすべて清盛の「悪行」という裏打ちにな
る。そして、かなり読んでシンドイ登りづらい高山に属する。カタルシスがないのである。気の弱いわたしは、ニゲタのだった。だが、舞台は目に見えている。
残っている、とても強く。
* 息子は多忙を極めながら、この深夜にも此方へ来て、明朝投票してすぐ、また昼の打ち合わせ会合へ戻って行くという。ぜひ投票したいと。
東京の小闇は「今から開票速報が待ち遠しい」と書いている。こういう若い人達が、全国で一人でも二人でも多くいて欲しい。私民の棄権は、生命線の放棄な
のだから。
* 信長の生涯は、殺伐ともしつつ清爽の風気にも満ちていた。横死し早逝した人のトクでもあろうか。秀吉の事蹟は読み進むにしたがい不快を溜めて行く。い
ま彼は強硬に検地し刀狩りをしている。
* 久しぶりにマオカットさんの、また岡崎の岩崎広英君のメールももらった。
* 十一月九日 日 衆議院選挙
* 深更に来ていた建日子も早起きして、親子三人、近くの小学校で投票を済ませてきた。建日子はもうその足で車を駆り、都内の稽古場へ戻っていった。
不在者投票をした遠方の友より、早や、一言とどく。
* 今は不在者投票所もたいそうな人手なのですね。
菅代表の沖縄米軍基地撤退発言。自衛隊派遣中止発言に一票。
国が戦争を始めようとしたら、私はどうやって反対できるのか。いまならまだ止められるかも知れません。イラクへの侵略戦争の片棒担ぎもゴメンです。
最高裁判事の国民審査にも、判決内容により、はじめて×を投じました。
お忙しそう。ご自愛のほど。 北海道
* 今回程定まらないのは、初めてではないかと思います。
マニフエストを読んでも、何か虚しく。
政治家の腐敗を見過ぎたせいでしょうか。
戦後にやっとやっとやっと勝ち取られた女性の選挙権を、今の若い人達はどれほど知っているのかしら。当然の権利、義務の行使をどうして簡単に大勢が放棄
するのかしら。
娘夫婦も選挙を終えてから、赤ちゃんを連れて遊びに出ると、メールをしてきました。
よしよし、それでいいのよ。 京都
* これから母たちの家に行き、そこから4人で投票に行きます。東京のベッドタウンの神奈川県民の政治への審判がどうでるか、楽しみでもあります。そちら
は親子3人での投票ですか?
なんだか先週は眠れない日が何日もありました。あれやこれや。結局一夜漬けになる私ですけれど、日常のルーティンワークのほかに引き受けた仕事は、だん
だん荷が重くなっています。でも、全部今まで撒いた種が芽を出しただけのこと。いそいそと準備に励むことにします。
二人の娘のことも気にしないでおこうと思っても気になります。
眠れない日はどうなさいますか? 翌朝6時に起きなければならないというプレッシャーさえなければ、静かな夜の瞑想を帰って楽しめるのにとも思うのです
けれども。
庭にはコスモスが満開。太陽の日差しは頼りない日ですが、そろそろ出かける支度を始めます。
* むかしむかし、雪の朝にうけとった用事の手紙に雪のひと言も触れてなく、お冠の女の人がいた。徒然草の話である。今日この日の朝メールに、「選挙」に
関心を示してない便りなんて、読めない。
* わたしは幸い、翌朝の用事がふつうは無い。また眠れないということもめったに無い。眼を酷使しているからたいてい眼精疲労で疲れており、眠りたければ
闇にして、アイピローを目の上におけば自然に寝ている。直前に天井を見上げた真上へオーデコロンを三度ほど噴霧してから、アイピローを使う。薫りはこころ
よい闇へのいい先導になる。ま、眠れなければ幸いと何冊も本を読む。
深夜のリビングで、バグワンと源氏物語を音読し、床について日本の歴史と藤村「夜明け前」と、戴いたばかりの本などをひろげる。今は鏡花集と、角田文衛
博士から届いた平安女人達を論じた論文集を楽しんでいる。必ず、いつかは眠くなる。
翌日早めに用のあるときは早めに闇に沈む。あああすは何も無い、出て行かなくていいんだと頭の中で確認する瞬間、幸せである。朝目覚めかけて、ああ今日
は出掛けなくていいんだと再確認するときの安堵の幸せ。自由開店休業者の贅沢である。
* 鏡花解説のなかで、「……ゃ、はけ」という京言葉表記の語尾を疑問視してられましたが、
……や、はけ といった物言いは、ごく普通に耳にしてきました。
御所近くで育った秦の母は、
……ゃ、さかい という物言いをひどくきらっていましたが、これが、
……ゃ、さけ と同根なのはたしかとして、それより前か後でか、
……ゃ、はけ も、より温和な発声として比較的「愛用」されていたと思います。少しも耳障りでなく不自然とも思わず聴いていました。女語尾ともいえます
が、秦の父でも時折、母の兄で中京の呉服屋など、「はけ」はむしろ多用する方でした。気が付いたので一つだけ。
* ご教示のメール、有難うございました。「はけ」という京ことば(語尾)が、実際に、普通に使われていたとのこと、知りませんでした。私も御所の近く、
烏丸中立売(烏丸通りに面し、お向かいが御所)で生まれ育ったのですが、「……ゃ、さかい」 という物言いばかりでした。自分の感覚で「解説」を書いては
いけないということが、身に染みて分かりました。機会があれば、訂正します。それにしても、鏡花は短い滞在でも、よく京都のいろいろなことを収集した、目
や耳の鋭い作家だったことを、改めて確認した次第です。取り急ぎ、お礼のみ申し上げます。 2003/11/9 田中励儀
* 鏡花の京都ものを読んでいて驚くのは、古いひと頃の京言葉、会話をまことに巧みに適切に写していることで、ああ、あやういかなと思いつつ、これで掴ん
でいる捉えていると納得出来る用方が、とらえ損ねより確実に多いからエライものである。
* 会員宮田智恵子さんの小説「風の韻き」を校正して入稿した。温和に書かれていた。疑点の確認に二度電話で確かめた。
* 十一月九日 つづき
* 自民党は前回選挙の233議席は、下回るのではないか。民主党は200を超すのではないか。大物議員の多くが落選するのではないか。社民党は終焉し土
井たか子も落選の懼れは充分ある。それでもいいのではないか、土井ではもうどうしようもない。新保守党は名も無きまでに憔悴するであろう。共産は伸びる芽
が無い。
* 開票二時間にならない十時前だが、そう、わたしは予想している。
* 土井たか子の落選が決まったようだ。気の毒であるが、一つの到達点として、歴史的な結末になった。比例区で議席はとるにしても、もう過去の人。
辻元清美を見殺しにした冷たさ、北朝鮮拉致被害への大きな大きな判断ミス。それは、機械人形のような口調と言葉での憲法堅守だけではカバー出来ない、そ
の明らかな認識違いが大きく出た。出るに違いなかった。人柄にひそんでいた弱者切り捨て思想は、とうの昔に私の見抜いて懸念を表明していたところだが、そ
れが祟った。教条的ということでは、共産党なみかそれ以上であったからは、突き当たるところへ突き当たったのである。社民党は解党してでも出直した方がい
い。社民党には男のスターが出来なかった。男達の粒が保守よりも小さく偏っていた。
* 十一月九日 つづきの続き
* やがて半時間ほどで明日に入る。まだまだ混戦するだろうが、自民の負け幅はそう大きくはひろがらず、民主の勝ち幅は小さくなかった、という結果になろ
う。わたしはずうっとテレビの前に、いない。妻が時折知らせに来るのを聴きながら漠然と予想している。
* 十一月十日 月
* 133議席を滑り抜け出て、小泉は前回選挙時議席を下回るという破滅的自体は避け得たようだ。あとは民主がかろうじて180議席に手が届くのかどうか
だ、ぎりぎり一つほど足りないのではないか。
なににしても、大勢は決まった。この機に政局が流動化して政界の再編成が起きるかどうか。ことに野党再構築という問題と、自民の一部分離がありうるかど
うか、だ。山崎拓、土井たか子、熊谷某保守党首、石原知事の息子らが落選したのは一つの象徴であろう、此の選挙の。
* もう夜通しする必要はあるまい。東京の小闇の感想で纏めておいてもらおう、もうわたしは、過ぎた選挙と思っている。誰もみなが、一人一人、小闇のよう
に、きっちり自分の気持ちの中で「とじめる思い」を持てばいいだろう。
* 選択 2003.11.9 小闇@TOKYO
投票へ行ってから朝刊を読んだ。日経新聞一面、左側に政治部長の署名記事があった。タイトルは「時代の変わり目の選択」。最近読んだ中で、中立な立場か
ら最も簡潔に今回の選挙を総括していると感じた。全国紙ではあっても経済紙、政治部への所属は決して名誉なことではないはずなのに、ときどき、こういう優
れたコラムがある。
「こんどの選挙は、どんな結果になっても、日本の政治で、次への起点になる可能性をひめている」として、マニフェスト、将来への関心の具現化、政治体制
を、その三つのポイントとして挙げている。
特に将来への関心の具現化として、ぼんやりした不安がはっきりした不安へ変わったことを指摘し、その根幹には「戦後政治の問い直し」があるとしている。
政治部長はいみじくも「どんな結果になっても」と書いた。連立与党が過半数を確保しようが、民主党が比例区で第一党になっても。たとえ田中真紀子が当選
し、たとえ土井たか子はもとより山崎拓まで小選挙区で落選しても。たとえNHKの開票速報最初の当確が安倍晋三でも、たとえ土屋埼玉汚職知事の娘が当選し
ても。
そしてもっと私たちが意識すべき結果は、投票率だ。起点としてのポテンシャルを十二分に秘めたこの総選挙で投票率は伸び悩み、一方で、不在者投票をした
ひとは前回の三割り増しとも聞く。意識の二極分化。
戦後政治の問い直しとはつまり、戦後民主主義の問い直しでもある。政治部長はこうも書いている。「政治はだれもみんな豊かで幸せになるためにあると考え
るのか、それともある程度、差がつくのもやむを得ないと考えるのか」。これを選ぶのが、私たちだ。
「私たち」とは、つまり「だれもみんな」。今のところ。
* 十一月十日 つづき
* 冷えます がたっと気温が下がり勝手なもので、暖房が恋しくなります。風邪引きさんもあちこちに。
視力の低下心配ですが、こればかりは自己管理以外にないですから、お気をつけて。
選挙もほぼ予測通りに終了しました。単純に云えば、老人が快適に暮せて、現役は職に付けて、若者が将来に希望を持てる国に、そして国際社会への連携も含
めて、税金を有効に使って欲しい。それが当選した政治家達の使命。それだけ。
「英国強奪至宝展」は観ていません。あの行列には恐れをなします。
去年、ロンドンで古代ギリシャ、エジプト、ローマ時代の彫像、レリーフ等を観てきました。強奪品の陳列とは云え、入場費が無料、であるのは感心します。
広いせいか、人影もまばらでゆったりと観られ感動もしました。蒐集の方法に疑問はあっても、その国に管理される事に依って、只の土に化したかも知れない文
化が残されたと見れば、それで良く。
疲労していても、六、七時間熟睡すると、幸い身体は正常に回復しています。十分な睡眠時間、適度な運動、バランスのよい食事が三原則と分っていても。ム
ツカシイ。 東京
* 電子メールがこう普及しなかったら、日記も書かなかった、手紙も書かなかった夥しい人数が、いつしかに消息を告げあったり、感想を伝えたり、意見を述
べあったりという機会は殆ど無かったろう。おどおどと手探りでキーを叩き始めた人達が、いつのまにか達者なE-OLDにもなり、自在に日々の思いを「文
章」に託してソツなく、だんだん上手になる。
これは新しい文化と認定できるのではないか。
わたしのこの「闇に言い置く」サイトを覗き込まれている人達は、私のセッカチに騒がしい転換ミスだらけの文章にまじって、いろんな「表出」が織り交ぜら
れてあるのを、むしろ今では楽しまれているであろうと想像する。小さいながら此処に「世間」が浮かび上がり、ま、似た者同士にはなっているけれど、バラエ
ティが無いとも言えない。
いわゆる「掲示板」はそれに当たるという人も有ろう。わたしはそう思わない。あれらの絶対大多数は無責任な落書きであり、垂れ流しの放言であり、有名な
誰かが、いみじくも譬えたように、ときには「公衆便所」なみの臭気に満ちている。社会は普通の人の普通の言葉で基盤を形作られていなければ、壮大なものを
その上に築き重ねることが出来ない。電子メディアのなかで、電子メディアなるが故に突飛で軽躁で浮薄な無責任言説だけが泡立つのでは、インフラ(社会構造
の基盤機能)とは成り得ない。そういう飛び跳ねた現象はしかしまた社会の全体から見れば、極微少量でしか無い事実もぜひ分かっていたい。普通にまともに、
少し遠慮がちに暮らしている普通人で、此の世は成っている。そういう人達の普通の言語生活を電子メディアが少し活溌に可能にしつつあればこそ、電子メディ
アはいよいよ、漸く、インフラたりうるのである。
* 有山大五さんが亡くなった。訃報は同僚委員の真有澄香さんから届いた。がくっと寂しくなった。有山さんとは、『みごもりの湖』を出した頃からのおつき
合いである、ほぼ三十年に近い。その頃は新聞社におられ、わたしの本に触発されて、或る出版を企画したと、本の後書きに書いておられた。芸術至上主義文芸
学会へも二度講演にわたしを呼んでくださっている。「湖の本」も当初からずうっと応援してくださった。六十七歳である、わたしとはほぼ同年ということで、
ひとしお胸の凍る寂しさに打たれている。ご冥福をいのり、数々のご厚意に今更に感謝を深くする。
* 雨が、止みませんわ。 そちらはかなり気温が下がっているようですが、お変わりなくいらっしゃいますか。
前に、名張市の隣町に、阿保親王墓があるとお知らせして、青山町の「あお」と判ったことがございました。木津川の源流を抱えた町で、地震除けの「なまず
石」を境内におさめた神社がありますの。秋季祭には、「なまずみこし」が出るそうです。名賀郡青山町。そのおとなり名張には、四十八滝があり、オオサン
ショウウオがいます。朝霧残る駅前の、コンクリの道、また、日の少し傾いた頃、花の下を、カガノリコさんが散歩していること、ありますのよ。
* わたしの読者だと、多くの人が、このメールで何を言ってきているか、すぐ判る。「なが」「な」「かが」…。ノリコは、そんな町へも。そんな町ではない
かナと、少しオソレはなしていた。
さっきから、急速に冷えてきた。今夜は寒そうだ。明日は「電子文藝館」の委員会。明後日の晩は音取で「清経」の能。とてもとても楽しみ。明々後日の昼過
ぎには日中文化交流協会の中国作家代表団歓迎会が有楽町であり、さらにその翌日は、俳優座の「三人姉妹」に招かれている。同じこの劇団でも、だんだん「三
人姉妹」を演じる女優達の顔ぶれが変わって行く。それだけ年をとってきたわけだ。
俳優座とは、優に三十年、本当に長いおつき合いで、身に余る厚意を得続けてきた。感謝している。
* 今夜の「CSI」には久しぶりに恐怖心を味わった。このドラマはだいたい、いつも二つの異なる事件を班で分担し併行して究明して行くが、今夜の、マー
ジ・ヘルゼンバーガーら女性陣の追及した、娘の、水に転落死の方は察しが付いていた。主任ら男たちの担当していた猛犬による咬殺後の或る女性の「絡み」に
ついては、想像も及ばなかったので、事のサマが割れてくるにつれ恐怖心が鋭い棒のように突っ込んできた。映像にもおそれをなした。しかし、それはつくりご
とのむちゃな恐怖の煽りではなく、科学的に推定の利く、「事実」のもたらす恐怖であった。心が白くなる「怕」さというよりも、深く上下に震動する恐怖で
あった。予告編によると、来週も凄いようだ。こういう凄みが日本版の科捜研には滴ほども表現できない。
書き手がいないのでなく、製作責任者たちのノータリンに硬直した先入主が、害をしているのである。視聴率の愚は、低くてもいいではないかというのでな
く、物差しの目盛りが単純すぎる点にある。視聴率稼ぎでスポンサーに気兼ねのないNHKドラマなどが、勇気をもって、悪しく瀰漫したイージードラマの改造
をしてくれなくてはいけないのに、相変わらず講談・講釈まがいの人情時代劇や、紙芝居のような連続ドラマばかりが目立つ。
* 血縁 2003.11.10 小闇@TOKYO
昨夜は外が明るくなるまでNHKの開票速報を見ていた。
最初の当確が安倍晋三だったのはまあ予想の範囲内だったが、その後続々と報じられる茨城の小選挙区当選者の名前を見て驚いた。ほとんどが自民党議員のい
わゆる二世なのだ。最後までもつれた選挙区も、当選したのは二世候補。茨城に小選挙区は七つ。うち自民が勝ったのが六つ。一区は赤城宗徳の孫、三区は葉梨
信行の娘婿、四区は梶山静六の長男。自民の半分は世襲ということになる。もちろん、ほかにもっと顕著な都道府県があるかも知れない。顔を見ただけでアイツ
の子どもだなと思わせる当選者がほかに何人もいた。
世襲議員の繁殖は今に始まったことでないし、世襲議員=必ず悪という図式も成り立つ訳ではない。それでも、選挙に血縁が持ち込まれることに、私は違和感
をぬぐいきれない。
血縁と言えば、今回もまた「伴侶の戦い」が一部でクローズアップされた。安倍晋三夫人、菅直人夫人。あるいは山崎拓夫人。野田聖子の夫というのもあっ
た。石原軍団はその最たるものだろう。
世襲候補者への風当たりは強いのに、なぜ家族の選挙運動はこれほどまで歓迎されているのか。私には「××の家内でございます」と「××の跡を継いで立候
補しました」は、同じ、に映る。彼らが家族ぐるみで闘いたがるのかと言えば、それは議員がオイシイ職業で、世襲しやすいものだからだ。
もうひとつ。山崎拓が愛人問題で落選し、不倫の末に再婚した船田元には、再選まで「禊」の期間が必要だった。
有権者がこういう判断を下すことを、感情的には理解できないではない。けれど本質ではない、ように思う。彼らを落とすことで選んだ議員は、本当に彼ら以
上にその資質があったのか。従来の家族の形を壊したことに、必要以上の拒絶反応が、果たしてそこになかったか。
私の家族感が歪んでいるのは、私が一番良く知っている。批判されても致し方ない。それでもどこかに、このあまりに濃すぎる血縁に、同じように首を傾げて
いるひともいくらかはいるのではないかと思う。そしてそれを大きな声で言ってはならないように感じているひとも。
* あったりまえのところを衝いている。誰もが感じていても、誰も本気で取り上げない。取り上げきれないほど重くて厄介なことを、我と我が心の内をのぞき
こむことで、誰もが恐れつつ納得してしまっているのだ。
何度も書いてきたが、二十年余も前にわたしは、これからの日本では、たとえば教育よりも目立って、各界での「世襲」こそが社会を腐敗腐蝕してゆく大事に
なるだろうと、新聞にも書いた。出来ればわたしは「世襲論」を書きたかった。書けなかったのは私の能力不足でなく、むしろ内容が必然触れて行くであろう歴
史的な差別問題ゆえでもあった。卑怯に避けたのではない、書くプラスとマイナスとを慎重に考えると、書いて問題の深刻さを警告しても、日本人の人性の致す
ところ、暖簾に腕押しに終わる割りに、不用意に傷つけかねない人と問題の深刻さを、わたしが承知していたからである。書いておくべきであった、とも、まだ
思えない。政治家が、家から屋に、看板をかけ直して稼ぐのである、これからは。
当たり前に政治屋と呼ぶべきである、石原一家なども政治を私するという以上に、政治屋はうまい商売だと思っているのだろう。
なにも政治屋だけではない、企業には社長屋があり、大学には教授屋があり、文壇には小説屋の筋があり、美術や工芸では、歴史的に掃いて捨てるほど世襲の
権威が乱発された。遊芸の家元など世襲の権化であり、芸能では、能も歌舞伎も狂言も、かつては世襲せざるを得なかったほど、世の中から人の外へ掃き出され
るように虐げられていた。
だが、いまや芸能屋は、雨後の筍なみにとりどりに繁茂して常世の春を謳歌している。世襲必ず悪とは言えないのも確かであるが、悪のイヤな味が余りに腐臭
と化しつつあるのは、今に始まったことではない。アメリカでも大統領父子は幾組か実現しているが、確実に孫大統領もそのうち出来るだろう。そもそも天皇・
皇帝・王様・皇族・貴族・華族などというのが「世襲」のいいとこどりをしてきた、それを政治屋も教授屋も芸能屋も真似ているのだ。
せめて文学屋なんてのは御免蒙りたい。畑違いで育って欲しい。だがとかく蛙の子は蛙になりたがる。鳶が鷹を産めばまだしも、普通の瓜蔓には普通の瓜が垂
れて、段々に小さくなりやすい。ご用心。
* 十一月十一日 火
* 選挙で、政界の勢力分布を顕著に変えうる、変わりうることを、今回衆議院選挙は示した。一票を投じる人がもう数パーセントも増えていれば、政権交代し
た可能性も見えている。かえすがえす無思慮で怠惰で傲慢な棄権が、自身の喉を絞めることに気付きたい。
これから、イラク派兵や年金などで政党間の綱引きは活気を帯びるだろう。民主党は、政策的に近い公明党との間で、おそらく水面下で新たな別組み連立を模
索しているだろう、そうあらねばならぬところだ。田中真紀子がどんな働きに動いて出るか、働き場があればいいが。民主党との共同会派を形成してぜひ国会質
疑に参加してくれるよう願いたい。予算委員会での活躍を希望している。
* 暫くぶりにバルセロナの声が届いた。不在投票したのだ。いま、連絡の付いた限りの卒業生は、一人残らず投票したと言っている。教室の昔から、熱を入れ
て、投票権だけは紙屑にして棄てるなとわたしは言い続けてきた。わずかでもいい、一人一人が動いてくれるのが大切だ。
* 選挙 2003.11.10 小闇@バルセロナ
投票から今日までの十二日間、落ち着かなかった。自分の票は確実に日本へ届いて欲しかったし、選挙の結果も待ち遠しかった。海外の投票期間は、十月二十
八日から十一月一日。一定の条件を満たした上で、予め面倒な手続きをしておけば、衆参議院の比例代表選出議員のみ、投票できる。それっぽっち、、、とも言
えるが、比例代表だけでも、今回投票できたのは、嬉しかった。
五日間の投票期間は、閑古鳥。システム上、海外に腰を落ち着けたような人でないと選挙登録が難しい。ただそういう人に限って、興味を持つのはむしろこの
地の選挙。そういう声をいくらか聞いた。社会保障にしろ、教育にしろ、税金にしろ、移民法にしろ、直接生活に影響し、我が身に降りかかるのは、生活してい
る土地の政治。政治をこれほど生活と近いものに感じたのは、これが初めてかもしれなかった。
今週末、カタロニア州議会の選挙がある。私にとって、長い選挙はまだ続いている。目が離せない。でも、興味を持てば持つほど、自分はまったく蚊帳の外、
市民と同じ土俵には立たせてもらえないことを感じている。女だから、ではない。スペイン国籍のない私には、選挙権がない。
カタロニアの新聞では、投票率の低下を懸念。前回の七十台後半のパーセンテージから少し下がるのではないかと言う。日本、五十九、その差約二十。
スペイン人は文化レベルが低いとか、自己中心だ、浅はかだとか、ここに住む日本人は口々に言う。そうかもしれない。でも、生活を自分事として、自分の生
活を生きようとしているのは、どっちだ。
* 会議のために家を手出てまもなく、左奧の下歯に痛みが萌しているのに気付いた。暗雲がひろがるように痛みは強まり、ペンの本部に着いたときは険しい情
況だった。
会議は賑わって、いい会議であったが、痛みはおさまらず、珍しく二次会に参加して茅場町で賑やかにお酒ものんだけれど、酒の効果を期待に反して、痛みは
刻々とヒドクなり、家に帰り着いて今も痛みで思考力が働かない。バファリンを三錠飲んだけれど、まだ利かない。寝てしまうよりないだろう。
会議の最中に、日立製作所の「ドイ」さんという人から私宛に電話があったと事務局の連絡を受けたが、見当もつかない。日立というと弥栄中学の同級生が重
役になり、今はもうリタイアして遠くにいる。西村君であり、「ドイ」さんとは判らない。
* 痛みをこらえて、和漢朗詠集と女文化について語ったエッセイを読んでいた。
そういえば、米原万里さんにな貰った本を読み始めて、これが面白い。小説かと思っていたが、米原さん実体験のノンフィクション。才筆である。大宅賞をこ
の本でとっている。
彼女とはソ連時代のモスクワ、作家同盟の本部食堂でたまたま出逢った昔なじみだが、今はペンの常務理事。井上ひさし会長の何でも、義理の姉上になるらし
い。そういうことは何も知らなかった。女傑で、物言いはややガサツだが、気のいい、きちっとした人である。一度に二冊、本を呉れた。今読んでいる一冊の、
一部を「ペン電子文藝館」に抄録できないだろうか。
* 十一月十二日 水
* バファリンを結局倍量服用して寝た。かろうじて痛みの緩和された感覚のママ、ひととおり読書して、寝た。
源氏は「夕霧」巻に入り、バグワンは「下稽古」した生き方を「心=マインド」というエゴの最害として、批判していた。米原万里さんの、旧友リッツアとの
再会をはかって探し回り、想像のほかの医者になっている彼女と家庭とに、ついに行き当たる物語がおもしろく、著者の人柄をみせて感動できた。
鏡花を読み、藤村を読んで、もう寝ないと歯痛がヤバイと思った。
明け方まで幸い眠れた。手洗いに立ってもう一度床に入ったが痛みが強くぶり返していて、堪らず起床、八時過ぎ。すぐまたバファリンのお世話になって、
今、やや軽快しているが、上と下との歯をわざと浮かしているからで、噛み合わせるとひだりの奧で痛苦が破裂音のようにからだに響く。わるいことに、行きつ
けの神戸歯科が水曜日は休み。ウーン。
* 急に寒くなりましたね。十月の暖かかった分を差し引いたような気温です。わたしはすぐに風邪を引いてしまいますが、あまりひどくならなずに治るのは、
数年前から常飲しているビタミン剤のおかげかもしれません。
今回の総選挙は、わたしが選挙権を得てから、最も投票に意義を感じたものでしたが、全体の投票率は低く、あれれ、「風の音に、 あの木々をゆるがせ、
野をわたり、
村を二つに割るものの音」に、耳を傾けていないのかしらん、とがっかりしました。それにしても、自民党があれだけ議席を減らしておきながら、小泉の「支持
してもらっている」発言は、毎度の厚顔でした。わたしの希む世界平和と、常に逆行する人を、わたしは支持しませんが。
群馬では、五つの選挙区すべてで自民党の候補者が当選しました。他党の影が薄いのは、自民党が強すぎるからでしょうか。群馬には、福田、中曽根、小渕
の、それぞれ二世がいます。わたしの住む町の選挙区では、小渕優子さんが圧倒的な勝利をおさめました。彼女に関して言えば、前回の選挙のときは小渕元首相
の死の直後だったので、同情されたのは間違いありません。その後、地元回りに来た彼女を見て思ったのは、彼女が若くて、背の高い、見栄えのする女性だとい
うです。それらのプラス要素を打ち消してしまうほどの対立候補は、今回いませんでした。
世襲といえば、主人公の工藤新一君と、幼なじみの蘭ちゃんとの恋の行方が気になって観てしまう「名探偵コナン」というテレビアニメの映画版、「ベイカー
街の亡霊」は、世襲社会への批判でした。有力者のわがままな子供たちが、コナン・ドイルの小説を引用したバーチャルゲームに参加し(バーチャル空間での死
は現実になってしまう、とんでもないソフトだったのですが)、親の七光りの通用しない世界で、名探偵コナンと力を合わせて見えない敵と闘うというお話でし
た。その映画の冒頭で「悪しき世襲制」という台詞を、ある登場人物が言いました。おっ、と思って見ると脚本は野沢尚さんでした。
野沢さんの書いた「結婚前夜」という佳いドラマを、ときどき憶い出します。登場人物が妻を殺害する内容の小説を書いたせいで、自分の妻が自殺したのでは
ないかと悩み続けている推理小説家が、息子の浮気を詫びに、その婚約者を訪ねたことから、事態は急展開します。下町で父親の風鈴作りの手伝いをしている彼
女は、頑なで、とても地味な女性でした。息子は別れた恋人とヨリを戻したいために、彼女を利用したのかもしれないと、小説家は考えますが、彼女の素質を見
抜いて、マイ・フェア・レディさながらに磨き上げます。洗練された彼女に逢って、穏やかでな
い小説家の息子は、男として、父に対峙します。小説家は息子と勝負するつもりはありませんでしたが、すっかり自分を頼りにしている彼女に対しては、責任を
取らなくてはならないと、息子と彼女の結婚前夜、彼女を連れ出します。そして、彼女の頑なさの理由かもしれない、今は別の家庭を持っている彼女の母親と、
決着をつけさせるのでした。ここが素晴らしかった! 家族を捨てて恋に生きた女性は、一日たりとも娘を忘れていませんでした。幼い娘を置いてきてしまった
身勝手は、彼女の深い業でした。そしてあれが、わたしの范文雀を見た最後でした。小説家は橋爪
功、あざやかに変身する美しい娘は夏川結衣でした。妻に去られ、男手ひとつで子供を育てた、娘の幸せを誰より願う頑固な風鈴職人に井川比佐志、結婚式の寸
前にただならぬ様子で自分の父親と現れた花嫁を、事情も訊かず優しく受け容れた花婿は、ユースケサンタマリアでした。滅多にない適役ばかりでした。
まとまりませんが、、、わたしは元気にやっております。自分の読みたいと思うものを書こうと、毎日考えています。これからますます寒くなります。秦さ
ん、どうかご自愛ください。
* 気をせかず、きちんと隅々までとらえて書けば、話題によっては長いメールになるが、それでよい。配慮を、文章を書くすみずみにまで行き渡らせてものを
伝えるということを、このメールなど、大切にしているので、宛先であるわたしは、読みながら深切に書いて貰っていると思う。
「結婚前夜」というドラマは知らなかった。しかしおもしろいと分からせてもらえた。半端に書かれていれば、何が何やらわたしには分からなかったに違いな
い。メールには一人合点が多くなる。それでイザコザが起きている例もよく耳にする。
* 対北朝鮮で日本も世界も態度を決めるべきは、金正日体制の穏便な存続で小康を保ち続けるといったやり方でなく、北朝鮮国民の救済・救出と解放のために
金正日体制を倒すという、堅固な意志と実践ではないかと、もう一年半も二年も前から、わたしは、思ってきた、此処にも書いてきた。ますますその意を強くし
ていて、今では大方の日本人は暗にそう考えているようなのに、政府や国際世論は、そこへ纏まろうとしない。
一つにはイラク攻略へのアメリカの大義名分が初めそれに似ていて、結果としてイラク戦争ないし占領が今非常にまずい結末へ導かれているからだ。轍を踏み
たくないのであろう。今一つは、当然予測できたことだが中国とロシアは、対米牽制もあり、自国の都合からも、金正日体制の存続と維持をイヤがってなどいな
いから、だ。そして韓国の国論はやはり微妙に割れている。
報じられるのは、その間にも、「北」の非道を極めた人権蹂躙の例と、偽善不自然なその粉塗情報ばかり。拉致被害家族の心情いかばかりかとと思う。
その思いと、しかし、往年の日本が朝鮮半島に犯した暴悪犯罪的な弾圧や蛮行を帳消しにしていいなどという気持とは、決して連動しない。日本書紀の昔か
ら、朝鮮半島から日本が攻められたことは無いに等しいが、日本側はしばしば半島へ侵攻した。その歴史的な事実は動かない。忘れてはならない。
* 昨日の「電子文藝館」の委員会では、わたしの提示した、「読者参加」にどんなドアの明けようがあるか、が、議論を呼んだ。「創作」は審査しにくい。
わたしの腹案は、――読者参加を歓迎し、委員会の判断により、当面、以下の投稿を「読者寄稿」として受け容れます。「ペン電子文藝館」にすでに掲載され
た作ないし作者を具体的な入り口にした、一作家ないし作家の組み合わせによる「作家論」、あるいは一作品ないし作品の組み合わせによる「作品論」、また斬
新な文学史への論及。いずれも不当な誹謗中傷を含まない、新知見を盛った建設的な真摯な内容のみを受け容れます、と。
いわゆる「読者」の作家論、作品論は、学問的な手続きを踏まない思いつきに終始してしまうのが普通ではないかという反論が、研究者から出された。
わたしはそれには異議があった。
初めから専門家や研究者がいたわけでなく、またそうでない評論家や作家による「論」の提示は、いつの時代にも有った。例えば谷崎論にしても、谷崎学者の
貢献と作家や評論家からの貢献ということになれば、どっちとも言えないではないか。むしろ評論家や作家からの発言の方に元気も才気も有ったのではないか。
どんな作家も評論家も学者すらも、もともとは「読者」からの出発ではないか。そういう「読者」を呼び込むことは、不可能でもなく、有意義ではないか。ク
レバーな読者の批評は軽視出来ない、と。
* 体験的に、わたしは学問的手続きを心掛けて作家論や作品論をしたことは一度もない。しかし谷崎についても漱石についても鏡花についても、また源氏物語
や枕草子や平家物語や徒然草や歌謡の集についても、古典や芸能や文学史についても、多くの発言を続けてきたし、専門家の手を届かせえなかったところへ目も
言葉も向けてきた。御陰で一流の研究者ともおつき合いが出来ている。
もし今、わたしがペンの会員でなくて「ペン電子文藝館」の「読者」であったら、そういう「場」が開かれていれば、力をこめて「寄稿」を考慮するかも知れ
ない。そういう読者が世の中には大勢いて、機会がないだけなのではないかと想いたい。
原稿料は差し上げないが、いい原稿なら採用すしますよと言う場合、創作よりは評論・エッセイ・鑑賞の方が受け容れやすい、論旨がものを言うから。
わたしの思いには、大学院クラスの、オーバードクター級の人達や、評論家志望の才能の登場も、待望しているのである。掲示板での浮薄な感想垂れ流しで
は、たいした意味は無いむしろ有害だとわたしはシビアである。
議論は次回に持ち越すことになった。
* もう一つのわたしの提案は、近代現代文学を深く鋭く刺激し得た、近世末のいわば直接の父祖として、せめて小説の上田秋成、詩歌の与謝蕪村、評論の本居
宣長、演劇の鶴屋南北の四人を特別に採り上げておきたい、ということで。この考えは、河竹黙阿弥や三遊亭圓朝を採り上げた頃から腹案として持っていた。招
待席が充実すれば、その意義が鮮明になってくると期待していた。これは、やがて実施したい。「ペン電子文藝館」に、より堅固なかたちを整えておきたい。
* そろそろ表面へ出てくる頃だと思っていた意見も、昨日は聞くことが出来た。
もっと、電子文藝館を「親しみ」やすいものに出来ないかと。
それは、読者にとってなのか、出稿者にとってなのか。むしろ声は後者よりに聞こえた。つまり読み物系の書き手は、此処へ作品を「出し渋る」というのであ
る。純文学に比重がかかり、「あんなえらい人達」と一緒に作品を並べられるのは、気が引ける、と。推理小説やホラー小説の書き手からの声であったが、これ
は「一つの現実」に相違ない。時代読み物の書き手も同じように思っているだろうか。
なんだか、文藝館に出ている名前と作品を見ていると、「かびくさい」のではないかという声も出た。
この批評にも、しかし、わたしはわたしなりの異論がある。「読まず嫌い」なのではないか、読んでみるとそうでもないと思うけれどと自ら注釈がついたよう
に、印象でものを言っている。
印象というのは、しかし確かに、無視も軽視も成らない。大切である。その一方、「ペン電子文藝館」の存在意義は、いわば、もはや「歴史的」な収蔵・記
念・公開にもある。若い新しい人達のものをもっととは願っているが、昔の人は此方で選べるが、若い新しい人達の仕事は、その当人の意志が動いてこなけれ
ば、強いることは出来ない。そもそも会員になっていない人もとても多い。それに本質的には、「かびくさい」は、人と作品との時代の古い新しいで言い切れる
モノでは、全く無い。現代尖端の読み物が、陳腐にかびくさい通俗な表現である例は、やたら多いに比して、「ペン電子文藝館」の採り上げている明治大正昭和
の作品は、多くが新鮮に息づいている。そうでない例も、しかし、それなりの記念的な性格で、採用してはある。「館」は、たんにジャーナリスティックにだけ
では成り立たない、別の「意義」を持っている。
それにしても「かびくさい」論は、本気で議論されていい、とても大事な眼目・課題である。銘々に自分自身の作品は「かびくさく」はなかろうかと反省して
みることは、「通俗」なのではなかろうか、と共に、自覚的な文筆家なら、常にもっていていい自己批評のポイントだと思う。
* 或る委員は、「ペン電子文藝館」のメリットの一つを、思いも掛けない作家と作品とに出逢えること、忘れていた作家と作品とが再び姿を見せてくれている
こと、と発言していた。電子文藝館の意義は、今では、全くその点に重きがある。少なくも重きの一つはそれなのである。そんななかへ自分の作品は出しづらい
という書き手の姿勢や意識の方が、わたしには、理解は出来ても敬意を覚えにくい。わたしが、「電子文学館」と名付けずに「電子文藝館」とした理由は、「文
学など書いているのではない」という意識の書き手をも呼び込みやすくしたかったからだ。だが「推理小説は文学ではないのだし」という発言が、「そうではな
いでしょう」という発言に打ち消されてもいたように、「いい作品」はジャンルで決まるのではない。
それと同時に、推理作品の日本での歴史は、まだ短いのである。生年順筆者資料で例えば、江戸川乱歩の生年を見れば分かる。それ以前の人は「かびくさく」
それ以後の人は「かびくさくない」わけでもない。難しい。
議論は、さらにさらに沸いて欲しい。
* 十一月十二日 つづき
* 八列目中央、左通路わきという絶好の席を戴いて、観世栄夫の能「清経」と野村萬齋の狂言「清水」を観てきた。国立能楽堂。
* 狂言は、萬齋に叔父万之介がつきあっていたが、萬齋の狂言は、能楽堂の狂言でなく歌舞伎座の狂言。まったく考え違いをしている。
あれなら勘九郎や三津五郎の狂言ものを演じている方が、百倍も面白い。能舞台で歌舞伎を演じられては、半端でやりきれない。大名と太郎冠者の受け渡しも
正確でなくて間抜けがし、これはもう一にかかって萬齋のいわば増上慢というに近い。黒澤映画や新作の舞台ではめざましい才能をみせるけれど、能舞台での狂
言でしんから感心させられたことは、ウソでなく一度も覚えがない。これではまずかろう。昭世の会の、伯父野村萬はすばらしかった。今夜の甥萬齋は、出来損
ねでしかなかった。
* 観世栄夫の「清経」には、最後で、どっと涙を吹きこぼした。修羅能とはいえ、むしろこれは、死なれた妻と死んだ夫の幽霊との、愛と恨みの対話劇であ
り、正確な組立ての傑作能で、小書(こがき=特別の演出)が「恋の音取」となると、寸分の弛みもゆるされない。清経は清盛孫の一人で、左中将。都に最愛の
妻を残して一門ととともに西国に都落ちしているが、前途をはかなみ、ひとり柳が浦に舟を出し、横笛音取(おうじょう・ねと)り朗詠し、一念、御仏の名を呼
んで入水死を遂げてしまう。その遺髪を家来のワキ淡津三郎がたずさえもち、都の妻の元に届ける。このワキを演じた宝生閑は立派で、深く眼を眼鏡で覗き込ん
でも、凛として微動もなく、しかも情け深く演じていた。この人の粘った謡には賛成でないのだが、当代のワキでは他を圧している。おもえば、もう三十数年閑
のワキを観てきている。父の弥一もすばらしいワキであったが、迫ってきている。
ところがワキの三郎から清経遺髪をうけとり嘆きに沈む妻のツレの能が、いけない。謡が出来ていない。姿などはよろしく、面も美しく用いていたが、栄夫の
清経のすごいほどの力量と表現の前では、ハナシにならない。それが残念無念で、せいぜいツレの方は観ていなかった。
シテの清経は、栄夫のすみずみまで想像力と勘定とを利かした、しかも力感と哀情とのあわや爆けそうなつよい切ない演能で、今夜は謡も粘らず魅力十分、も
うツレの半端なんか問題でなく、ひたすら目が離せなかった。視力の落ちた私には眼鏡がほんとうに有効、とても舞台が美しかった。
観世銕之丞率いる地謡が舞台の邪魔をせず、しっとりとたいへん情け深く宜しく、もともと詞章も曲もことにみごとな謡曲であるから、優れた波に乗るよう
に、見所は夢幻能へ運ばれて行く。カッパと入水の前あたりから清経の面は、面とは見えない生彩を放ってあまりに哀しい夫であり武将であり公達の顔をしてい
た。すくと舞台にまた身を起こして激情をともないつつ奈落にふたたび消えて行く余情の深刻さ、まさにドラマであった。
それもこれも、一噌仙幸の笛一管にのり、妻の夢枕へ万感湛えてしずしずとあの世から近づいてくる清寂幽玄の緊迫が、まず有ってのこと。このシテ登場の
「音取」は、一度味わうともうクセになり、だれもが惹き込まれてしまう。
* 歯が痛くて何も食べられず、能が済むと、玄関でお礼を述べてから、まっすぐ帰宅。混んだ電車で立ちながら、いよいよ「日本の歴史」は、第十三巻「江戸
開府」を読み始めた。家康秀忠家光三代の幕府政治。この巻が全巻の真ん中にあたる。この先が現代に至るまで、じつに長い。
* ちょうど建日子の「共犯者」第五回に間に合った。見ようによれば支離滅裂。しかしそれは途中でのハナシ。終わってみないと何とも言えないのが長編であ
る。わたしが『冬祭り』を新聞に連載していた途中、面と向かってわたしに「支離滅裂なんじゃありませんか」と言った他社の編集者がいたけれど、その同じ人
が、単行本にしたのを読んでくれて、「こんなに完成度の高いものだったんですね」と言ったことがある。完結後にほとんどあの作品には手を入れなかった。
ま、みてらっしゃいという気分で連載していたのである。建日子もそうなら、それでいい。
* ドラマの途中から歯痛がものすごくなり、よくないと思いつつ痛み止めの薬を入れておさえている。水曜日が歯医者の休日とはまいった。今夜眠れるといい
が。
* 野菜の話 2003.11.12 小闇@TOKYO
夏の天候不順のせいで今年の冬は野菜が高くなる、とどこかで読んだように記憶している。が、実際はそんなこと全然ない。少なくとも白菜、大根、水菜、レ
タス、菠薐草に関しては、ここ何年かで最も安いくらいではないだろうか。スーパーで見ると、今日だけ特別に安いような気がしてつい買ってしまい、結果、毎
週同じものを食べている。
加えて先日は芹を買った。思っていたほど高くなかった。それより、普段行っているスーパーで、簡単に見つかったことに驚いた。この時期の都内では、何件
か探さないと見つからないと思っていた。視野に入っていなかっただけだった。
何でもそうなのだが、知らないことはずっと知らないままでいってしまう。くわいという野菜というか根菜があるが、あれを初めて知ったのは、中学の家庭科
の授業中。教科書をぱらぱらやっていたら、その文字列が目に飛び込んできた。くわい。正月料理の材料として挙げられていたそれが、漢字が想像できずに何な
のか分からず、魚の名前かなぁと思っていた。 帰宅して母に聞いてみた。しゃきしゃきした根菜だと言うことが分かった。「そういえば家では一度も買ったこ
とないね」と母。「お母さんあれ嫌いだから」。
そういうものがいくつもある。舞茸、母の好き嫌いとは別に、当時の関東地方では入手が難しかったものもある。例えば水菜もそうだし、香菜もそう。袋茸も
豆苗もなかった。ライチを初めて見たときは、どうやって食べるのか分からなかった。
それに比べると今は、簡単に何でも手にはいるし、調理方法だってWebで検索すればたいてい分かる。何でも買ってみて食べてみればいいのだが、大根も白
菜も美味しいので、冒険心に火がつかないでいる。
* こういうことはわたしは決して書けない、だから読んでいてふと興趣をおぼえる。たとえひとごとでも、この人はいきいきと具体的に暮らしているなあと感
じるのは気持いいものだ。
* 十一月十三日 木
*
選挙投票率の低いところは、高齢者が低いのでなく若年層だというのは、そうであろうと思う。これを回復する秘策の一つは、「選挙権年限を十八歳以上」と
引き下げてみることだ。少年犯罪等で罪責年限を引き下げる動きがあるのは、責任能力を読み込んでもいるのだから、逆に国民としての基本の義務を与えてみる
べきではないか。わたしは、ずうっとこの二三年、家では、妻を相手に言い続けていた。選挙権を与えられた高校卒から大学初年範囲は、少なくも当初は選挙に
参加し、うまくすると時代を引っ張りうるかも。参加して変化を経験した者なら、継続して参加する。選挙権の無責任放棄を、大学で教壇に立ち政治学に籍をお
くような似非教員がうそぶいてやまない実例を、わたしは身近に知っていた。情けなかった。
* 土井たか子が党首を辞任した。当然である。筑紫哲也の番組に先ず土井が、ついで田中真紀子が出るというが、筑紫も、この二人を同席させて話し合うと面
白いのに、そういうことはしてくれない。個別でなら、二人とも言うことは決まっている。土井と田中とが一つの席で互いに顔を見ながら何をどう話すかが聴き
たい、それならテレビの前にすぐ行くのだが、筑紫のセンスではそういう機転は利かない。自分がホストだと思っているからだ。そういうエゴのつよさは、久米
宏のエゴのつよさとは、味がよほどちがう。久米なら視聴者が願う面白さや興味深さへ随時に場面を動かす機転があるのだが。
* 社民党という「旧・社会党」の強さは、労働者の意識に結びついた都市型闘争意識にあった。土井はそういう意味での労働者の気持ちが分からない。労働体
験もない上に弱者に冷たい。だから憲法一点張りで、学者的になった。しかし「憲法」は投票してくれないのである。投票してくれる支持母体や基盤をすっかり
痩せて干からびさせて、それで代議士を増やそうなど、ばかげた錯覚である。憲法がどんなに大切かをよく分かって投票してくれる「市民労働者」を組織するど
ころか、嫌悪し見放してきたツケが、社民党の決定的な衰弱を招いた。今この期に及んで、まだ「働く人達」の政治エネルギーを結集しようとしないで、バカの
一つ覚えに「観念」としての憲法を連呼している。愚直というより迂愚にちかい。今一度言うが、憲法は投票所に歩いて行かないのである。
「労働者」を見捨てたまま党勢を立て直そうというのなら、もう、「女性」を組織する以外にない。女性は選挙に行く。もし女性を纏めるという此の不可能なと
謂える課題をクリアできる指導者がいれば、「女性党」は現実味をもっていい。だから言うのだ、冷たいのと熱いのと、ともに我の強い我執の強い田中真紀子と
土井たか子が二人で話すと、どうなるのか聴きたかったと。
* 歯が痛いのは本当につらいですね。顔がなすびのようにゆがむほどはれて痛むのに、仕事に行かなければならなかったこともありましたっけ。こんなに医学
が発達しているのに、歯の治療は昔と同じに麻酔をかけて削ってつめるだけ、そして手遅れになると抜くしかありません。一番簡単に作れそうな人工臓器なのに
「歯」の世界は遅れていますね。歯医者は大嫌い。よほど痛まないと行きません。お大事になさってくださいね。
「共犯者」きのうは、なんとか最後まで見ることができました。漫画家の唇が噛み切られそうになった「本当の恐怖」は、やはり見続けることができないほど怖
かった。殺されたOLがかっと目を見開いていたのも怖かった。車で崖から飛び込んだ共犯者たちは、きっと命は助かるのでしょうね。それも怖い・・・。相変
わらず、かつてみたことのない構図、非凡なカメラの使い方も楽しめました。そう・・・ やっと楽しみながら恐怖を味わえるようになってきました。
* 歯のはなしは実感が持てるが、ドラマの方はちょっとご挨拶を戴いた感じもある。ああいう恐怖の煽り方は、ほんとうは、なにでもない。恐いとはああいう
ことだろうかと、わたしなどの感覚は少し違っている。見て戴けるのは本当に有り難いが。
* 歯科の処置を受け、痛み止めとたぶん化膿止めとを貰ってきた。奧の歯の噛み合わせが気味悪く軽い痛みが残っている。しかし食事は気をつけつけ出来るよ
うになった。帰り久しぶり「ぺると」へ寄り、コーヒーを呑みながらマスターとゆるゆるお喋りしてきた。
もう湖の本の再校が出揃ってきた。これから発送の用意で断然忙しくなる。師走をらくにするには、十二月早々の発送がいい。しかし月末の二十六日水曜から
は、「ペンの日」を皮切りに三日間に四つの観劇が予定してある。「ペンの日」までに用意が出来ていると、この観劇が感激になり、そして発送に繋げるのだ
が。その為には集中しないといけない。明日は六本木で「三人姉妹」の舞台が待っている。本格の新劇にはそれなりの気力をもって出向かないといけない。劇場
を出る頃はもう街は宵灯りで溢れているだろう。
* ちょくちょく、来たメールを開くつもりで消してしまっている。慌ててその人にもう一度送ってと頼むことになる。同僚委員の村山精二氏に、申し訳ないも
う一度お願いと頼んだら、送っていないと言われてしまった。手の込んだイタズラではないかと、そういう例を自分も体験していますと。やれやれ。何にしても
私のタガがゆるんできているということか。やれやれ。
* 忙しいのにシルベスタ・スタローンの不出来な映画につきあってしまった。
* 十一月十四日 金
* 甲斐扶佐義氏との「美術京都」での対談篇が出来て、届いた。甲斐さん、かなり気を入れて手を入れてくれたので、これなりに甲斐参考資料の一つになった
と思う。もっともいささか書き入れの度が過ぎていて、「美術京都」という場所柄というか、美術また京都という雑誌の性格に対する柔らかい配慮に欠け、かな
り露骨に「自分」の情況をあれもこれも売り込んでいる。この辺によかれあしかれ甲斐さんの俗な性分も露出してしまった。
また次の対談相手を、決めねば、見つけねばならない。古美術、珍裂、などを考えているが、服部正実さんと、京の町屋の屋根に上げてある鍾馗像について話
したい気持もある。
* 歯痛はまだおさまらない。
* チェーホフ作、俳優座の「三人姉妹」は、安井武演出の本公演。眼鏡の必要なく、前席の客の頭もない、足も楽な絶好席。開演前に安井氏に声をかけられ
た。初対面。わたしの此の「私語」を聴いているという。先日の福田透さんといい、思いも掛けなかった人たちが、このサイトを目にしている。恐れ入ります。
ま、そんなことで、だが、ウソも書かないが。あくまで「闇に言い置く」ものと心得ている。
* 先日稽古場の「ワーニャ伯父さん」でも感じたが、俳優座のこの二作品とも、前作は演出の袋正が、今回の作も演出の安井武が、新たに訳して台本を創って
いる。
共通して謂えるのは、たいそう舞台が明快に、ある速度感をもって、つまり停滞しないで進行する。相当原作の科白を刈り込んでいるのではないか、チェーホ
フの原作は、ロシアの時代の風もあろう、明快でも明晰でもなく、空気は粘っているし、登場人物の心情もさらさらとは乾いていない。暗い吐息を、よく言えば
しみじみと、わるく謂えばじとじとと、はらんでいる。袋さんも安井さんも、そこは思い切り明るませ、風を通して、舞台時間の足をはやめている。舞台の運び
がそのために分かりいい。チェーホフもいいが、暗鬱でもあるなあという印象は、たいていいつもつきまとう。「桜の園」「かもめ」がそうだ。今回連続公演さ
れた二作は、その点、原作が或る程度分かりいい面白みを持っているけれど、それを一段と明快に強調した点で、訳・演出者の「意図」と「方法」のかなりはっ
きり見えた舞台であった。成功していた。
* 観ながら、或る、重要なと思われる「感想」を持った。実は今頼まれている、明日が締め切りの原稿の「主題」そのもののような「感想」であり、それを早
く書きたいけれど、やはりその前に、舞台の感想の方を先にあらあら書いておく。
配役によって、また舞台装置によって、演技も演出も変わってくるのは当たり前である。三人姉妹の配役も、過去に観たいろんな実例とは一変してみえた、当
然だ。
幾らか戸惑ったのは、過去の三人姉妹は長幼の序が観てすぐ分かったのに、今回は、中野今日子の長女オリガと鵜野樹理の次女マーシャとが、いくらか背格好
や衣裳の印象から、混乱した。中野は品のいい位も定まった美しい立ち姿で適役だったし、とくに後半の舞台に、芯になる空気を与え得ていたと思う。とはいえ
黒という強い色彩のドレッシイな服装で、すでに人妻の次女マーシャが、はなから感情を露わにした表情や姿態で舞台中央を占めると、すこしだけバランスが崩
れるような不安を覚えた。終始覚えた。
末のイリーナを演じた若い木下菜穂子は、柔らかい反応と佳い科白声とで、三時間の劇に、よく光る一筋を貫き通して、まず成功していたと思う。「働きた
い」と高く張った胸を覿面にすぐ傷ませて、「モスクワへ」と哀しい夢を追いながら、最後には婚約者の死をすら内心に「分かって」受け容れていたイリーナ
の、あの絶望と希望との交錯。彼女はああいう「感じ」なんだと思っているわたしの理解、先入主に、木下は結果としてよく添ってくれた。ほぼ満足した。イ
リーナは、そう複雑な女性ではない。
それからすると、オリガには、長女である立場を超え、もっともっとどうしようもない彼女自身の絶望があり悲痛があり、それが観客の胸をかきむしるぐらい
であっていい筈だが、やや大人しく抑えて、爆発しきらなかった。爆発という演技的な「山」が一つ聳えないことには、あの舞台に対し突起・突出した主題上の
刺激が与えられない、そういう役どころにオリガという長女は在る。在る筈ではないかと思う。オリガがもっと遙かに魅力的に強く共感される必要があり、その
ためには、一度だけでもでいい、観客が息を呑んで忘れられないようなもっと鮮烈な「噴火」が欲しかった。
これまでのいろんな「三人姉妹」で、わたしは、劇的なマーシャや若々しいイリーナよりも、オリガの、恋も結婚もしらずに本意なく学校の校長にまで押し込
められて行く、暗澹とした気品と抑制とに、心惹かれてきたものだ。今少し妹二人を圧する上背も欲しかった。
マーシャの鵜野は、姉と妹に、ヴェルシーニンへの恋を告白したあたりから、ほんものの、「やぶけた」芝居に高まってゆき、終幕へ身を投げていった。アン
サンブルとしては少し大柄すぎて舞台を混乱もさせたマーシャだが、それは、彼女の、日々に落ち着ききれない絶望がさせたわざだと好意的に見ることも出来
る。ただ、演出のせいか科白の翻訳のせいか分からない、此の女優の一課題なのかも知れないのだが、マーシャの苦悩が、主には、薄く上わすべりなムーディな
表現でのみ説明されていた感じなのが、物足りないといえば物足りなかった。あれだけ本を読み詩を引き合いに出しながら、知的な抑制はなく、三姉妹のなかで
ひときわ露わに荒廃した雰囲気を情的に流していたのは、勘定ちがいというものではなかろうか。マーシャを「情」のままに表現すると、品がやや落ちて同情が
薄れてしまうのではないか。
三人姉妹が「知・情・意」を仮に示していると読めば、長女からこの順番にあてるのは普通の理解だろう。だが、それをあえて押し戻し、演技の上では、オリ
ガを「情」をおさえた情愛の女、マーシャは意志を歪めて自身が支えられなかった女、イリーナは知に走って夢を買う以外の道を失った女「かのように」表現し
てみると、それぞれの二重構造が顕れるのかも知れない。
* 伊東達広のヴェルシーニンは、こんなに紳士的でいいのと驚くほど好感に包まれていたので、むしろ少し戸惑った。いつもの舞台ではあまり好きにならない
男だ、それが今日の舞台ではちがっていた。うん、こういうヴェルシーニンがあり得て、伊東はうまいなあ、マーシャが恋に落ちたのはもっともだと思った。こ
れは演出の勝ちであったのだろう。しかし科白の美しいほどの安定は、伊東達広という俳優の魅力の芯であろう、それにぐいと引きこまれた。負けた。
可知靖之の酔いどれ医者は、ぐらつく舞台に安定をはかる分銅のような役を果たしてソツがない。誰よりも怠惰で投げやりな、しかし只一人の正常な男である
内面を、誰からも最後まで隠しおおせていた。老獪な。
* 翻訳のいい意味でもわるい意味でも刈り込んで軽く明るくした所を、田中壮太郎のトゥーゼンバッハ男爵は、深くは勘定をつけず、額面のママ受け取ってし
まい、そのため科白も身ごなしも日本の現代の若者劇と同じぐらい味の薄い芝居をしていた。少なくもイリーナはこの男爵と、明日にも結婚式を挙げ、未来を頼
んで家庭を持ち、働いて生きようとしていた。誠実な妻に成る気でいた。そういう男爵であったからは大事な存在だ。その大事さがちっとも出せなかった。もっ
ともイリーナは、この夫に選んだ男を愛してはいなかった。そう明言もした。男爵はだがイリーナを深く愛していた。だからこそ絶望しつつ決闘で撃たれて死ん
で行く。
しかし男爵の絶望も、決闘に至る深刻な内側の経緯も、未来への男爵が持ち前の希望の喪失意識も、ほとんど田中は表現しきれなかった。田中の演技に、男爵
の存在感に、ともに観客として同情しきれないがために、「三人姉妹」の大きな一つの悲劇が其処で糸が切れた。悲劇の表現が、もう一つのマーシャのそれの方
へ、比較として偏り引きづられた。
原作の意図はどうだろうか。チェーホフの意志や意図は、あの誕生日を迎えて張り切っていたイリーナと、婚約者の死を聴きながら未来へ視線を放つイリーナ
とを結んだ「一線」の、その歴史的「延長上」に本当は何が可能か、何が希望できるか、希望はなくていつまでも絶望か、という暗い暗い吐息のような、問い。
その「問い」を動機にしていたのではないのか。その問いの重要な一環を成したトゥーゼンバッハ男爵が、終始存在感を明晰に示せずに、軽く軽く右往左往して
舞台から消えていったところが、痛切であるべき幕切れに、ある空虚な穴をのこしたのではないか。
舞台は終えて暗転し、ほんとうならもう拍手の渦であるはずが、拍手を客はためらった。照明がもどって俳優達が俳優達の顔で整列している、それを確認した
ところで拍手になった。客のためらい。それも遺憾の一つであった。科白の一々を引用し場面の一々を再現して言えばもっと具体的だが、それは此処では実現出
来ない。それも遺憾。
* 「三人姉妹」がよく分かって面白かったことでは、かつてないほど今日の舞台はよかったのである。チェーホフを楽しむ演出はこれだなと思った。と同時
に、チェーホフ劇は、とうてい楽しいとか嬉しいとかいえるようなものではないんだなとも、つくづく思い知らされた。この先はもう現実の舞台からは離れて、
わたしとチェーホフとの直面の話題になる。ならざるを得ない。
だが、それは約束の原稿としてべつに書かねばならない。一つだけ言っておくが、チェーホフがとは敢えて言わないが、チェーホフ劇の登場人物は、まぎれも
ない上昇史観に金縛りになっている。金縛りというふうにわざと言うのは、その上昇史観は、現在の退屈や倦怠や不幸や暗澹からのがれ出たい一念に発した、一
首の「埋め合わせ上昇史観」であり、はかない夢である。夢が儚かったことはその後の歴史が既に示していて、この先の上昇も約束されていない。そういうこと
を、いましも極東日本の我々観客は感じて観ていた。いや私はそうであったと限定しよう。チェーホフの人物達は「未来に失恋」するであろうことを知らずに、
憧れずにおれなかった。モスクワは如何。百年後は如何。二百年後は如何。チェーホフは夢に終わると見て、トゥーゼンバッハを死なせたのか。イリーナやオリ
ガの夢を哀れと愛したのであろうか。
チェーホフ劇を観るのは存外に辛い、切ない、哀しすぎるのは、彼女たちが高く指さしていたそのちょうどその「未来」に、今しも私たちが生きているから
だ。その今がやはり重く暗く険しいと知っているからだ。
* 劇場からの帰路をあえて曲げて、久しぶりに、何ヶ月ぶりかで「美しい人」の和食の店へ立ち寄った。明るい座席の空いているのを期待した通り、「美しい
人」はお久しうございます、おかげんが良くないのかと心配しておりました、と喜んでくれた。お酒の種類の少ない店であったのが、新規に沢山仕入れていた。
中に「久保田」の萬寿が入っていた。千寿もいいが、萬寿はその上だ、300mlで五千円、とびきりの最高級。奮発した。いやまあ、じつに美味かった。料理
も、今晩はひとしおの献立で、言うことなし。二時間半。湖の本の再校が、ずいぶんずいぶん沢山はかどった。店ではだれも苦情をいわず、気の済むまでごゆっ
くりと黙って放っておいてくれる。料理を運んでくれるのはたいてい他の人だが、「美しい人」がほんの時々お酌に来てくれる。黙ってきて、黙ってついでくれ
る。わたしも、有り難うとしか言わない。そして店の外へ笑顔で見送られて、帰ってきた。「美しい人」のこの店と、日比谷の「クラブ」とがあるだけでも、わ
たしの気持はとても落ち着く。
* 十一月十五日 土
* 原田奈翁雄さんの原稿依頼には、「この時代に……私の絶望と希望」を書くようにと、ある。人は、いつの世にもこういう自問自答は重ねてきたのであり、
今はまたそれのふさわしい時機だと原田さん達は認識されているのだろう。でも……少し迂路迂路してみるのを許して戴こう。
* 俳優座でチエーホフの芝居をつづけざま二つ観てきた。
チェーホフ戯曲の上演は、日本では珍しくない。「かもめ」「桜の園」「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」など、日本の新劇のおはこに部類される。芝居の好
きなわたしは機会があると、観てきた。
チェーホフ劇は好きか。好きだ。だがその先はあまり聞かれたくない。悲劇的な結末なのに原作の題の上に「喜劇」と添えてあったりする。ややこしい。軽妙な
味わいのチェーホフの短編小説に慣れてから舞台を観たりすると、重苦しい違和感にまいってしまうこともある。
チェーホフの芝居は、帝政ロシア時代の風もあろう、明快でも明晰でもなく、空気は粘っているし登場人物の心情もさらさらと乾いてはいない。暗い吐息を、
よく言えばしみじみと、わるく謂えばじとじととはらんでいる。チェーホフの芝居は暗鬱でもあるなあという嘆息が、だいたいいつもつきまとう。わたしの殊に
好きな「三人姉妹」や「ワーニャ伯父さん」でもそうだ。むしろ、とりわけそうであると言いたいほどだ。何故。何故だろう、と永く思いあぐねてきた。
なんてイヤな一日だったか。なんてつらい毎日であることか。もうイヤ。もう堪えられない。気が狂ってしまう。チェーホフの女達はどの舞台でもそう叫んで泣
く。堪えられない、もう。分かる。ワーニャ伯父さんやソーニャを、オリガやマーシャやイリーナ三姉妹を観ていると、贅沢を言うななどとは決して思わない。
生きながら重い墓石に抑えられているようで、まさしく気が滅入る。そして彼や彼女らは、しかし、とか、けれどと声を振り絞るようにして言い出す。明日とい
う未来に期待しよう、五十年、百年、二百年の未来にはきっとなにもかも明るく充たされて良くなっている、と。
これがチェーホフ劇の基調音である。そして陪音として、何百年経ったって何も変わらないさ、今のママさというほぼ全否定、絶望のつぶやきもチェーホフは
忘れずに響かせる。「三人姉妹」の末の妹を愛して明日の結婚を控えながら、死ぬと承知の決闘におもむき銃声一発に斃れる醒めたトゥーゼンバッハ男爵がそれ
だ。だが総じて「今・此処」の不条理に苦しんで、未来に希望を託しているのがチェーホフ劇のつらい紳士淑女たちの「哲学」であり、「三人姉妹」の中の妹で
人妻マーシャとのひとときの情事におちた、ヴェルシーニン中佐のおはこだ。彼はおそらくその空疎を分かっているのであり、しかし三姉妹はその「哲学」を信
じるしか道がなくて、眼をはるかな未来へ送るのである。
「今・此処」の暮らしはあまりに酷い。辛い。堪らない。けれど未来は明るいだろう、夜が明けるようにだんだん良くなるに違いない。
おそらくチェーホフもそう思っていた、或いはそう思いたかった。まだ来ぬ「未来」に対するせつない恋、それがチェーホフ劇の基調であるが、その基盤は、
只今現在への底知れない不信と絶望なのであり、まだ見ぬ恋より現実の方が遙かにけわしく人間を金縛りにしている。金縛りの痛苦から来る幻影かのように
チェーホフは、いや、チェーホフ劇の人物達は、「未来」に恋している。夢見ている。チェーホフこそ、「この時代に……私の絶望と希望」を、あまりにあらわ
に書き続けていた作者だと謂える。
* チェーホフ劇を観ていて感じる息苦しい悲しさは、どこから来るか。
チェーホフや彼の作中人物達が、明るい未来への「恋にやぶれて」いたこと、「失恋」していたこと、そんな「未来」はやはり無かったらしいことを、現に
「今・此処」の日常体験により、如実に二十一世紀初めを生きている我々は「知ってしまって」いる。此の痛切な「現実」を彼等は知らずに我々は「知ってい
る」からではないのか。
反論もあろう、こんなに「良くなっている」ではないかと。例えば帝政的絶対権力は無くなったではないか、と。だが、ほんとうにそうだろうか。また例え
ば、こんなに何もかも「便利になっている」ではないか、と。だが、全ての機械的な便利の徳を、根こそぎ覆い尽くすほどに、核の脅威も、サイバーテロの脅威
も、大きく現に居座って、そんな便利は瞬時にふっ飛んでしまいかねない。時代の真相が良いとか悪いとかは、この事繁き巨大時代に簡単に言えることではな
い。
それにもかかわらず、こういうことは謂える。
今日よりも明日・未来はきっと良くなるものと希望しがちな人や国民があるだろうし、その一方、明日という未来に望みはもてない、だんだん悪くなるものと
絶望しがちな人や国民もある、ということ。上昇史観と下降史観。先へ行くほどよくなる。いや、わるくなる。我ひとりの人生や我が家族・家庭の将来が、では
ない。もっと広く、たとえば「ロシア人」の、「日本人」のこの先はといったマクロな判断である。
* 日本人は、どうか。日本人はだいたいいつの時代にも、人の世の中「先行きはわるい」と思ってきたと、或る日本の歴史学者は説いていた。少なくも中世の
終わる頃まで、日本人は、自然環境から、また信仰上から、また政治的にも、概して前途を悲観的に眺めてきたと。
日本は島国で、余儀ない慢性鎖国環境にあったため、土地に依存した経済と社会は、どこかで行き詰まりがくる。零細私民はもとより、貴族達も武士達も土地
という所領の限界にあせって荘園所有に狂奔し、知行地や領国の拡大に戦国の世を過ごした。蒙古襲来を防いだものの恩賞として授ける土地がなくて北条氏の政
府は政治的にも頓挫したなど、顕著な例である。出世の可能性はあっても、どこかで茶道具の一つが一国一城に値するような不自然な価値観を創出する以外に、
この鎖国的島国自然の袋道は抜け出ようがなかった。先が良くなり続ける「芽=目」はつまり無かったし、みながそれを判っていた。
信仰からいえば世は「末世・末法」に及んでいた。先は地獄であった。極楽往生の望みをもつには罪障の自覚はあまりに日常的であった。人は死後という未来を
つねに恐れていた。
天皇制というヒエラルキイのもとでは、すべて袋小路の中であった。たとえ上を凌いで這い上がっても、その上とは、やはり何かの下であった。先へ行けば先
へ行くほど、道は下り坂であるという「断念」が、だいたい、どの時代のだれもかもを捉えていた。道鏡でも道長でも清盛・頼朝でも尊氏でも、しかり。その下
はまして、しかり。それが日本を金縛りにしていた「下降史観」であった。
そんな望みうすい悲観や断念を突き抜き、「上昇史観」ふうに日本人をめざましく刺激し舵取りしたのは、中世末期に顕れた「天下」という「観念」であった
ろうと、その歴史家は説いていた。
日本の國へ広い世界が、西欧文明が割り込んできて、久しい鎖国が大きく崩れ、種子島の新式銃は、戦国大名の戦術を根から変えてしまい、キリシタンの信仰
は急激に日本の神や仏に戦いを挑んだ。
地球規模に「天下は広大」と知ったとき、天下布武の信長は安土の天守閣に大世界地図を飾り、天下人秀吉は本気で「唐渡り」を二度も決行した。その秀吉は
まして支配階層の出でなく、それでいて天皇の権威を小さく下目に眺める「天下」として振る舞った。そんな秀吉に可能なことは他の者にも可能かと見えたと
き、旧来の政治的な権威と体制は、事実上の残骸となった。天下分け目の関ヶ原に勝ち大阪に勝った家康率いる江戸の近世は、織・豊のその勢いを当然受け継い
だ。
* では日本人は一気に未来に希望をもっただろうか。いや、持ちたくても持てなかった。
徳川幕府はまたしても頑なな「鎖国」を急激に強行した。「天下」の観念をみずから圧し殺し、またしても人は希望をうしない、先行きは「わるい」ばかりと
いやでも思い直しはじめた。赤穂浪士の討ち入りなどは、切ない下降史観へのあがくほどの反撥であったろう。しかし保守的な復古と前例主義は強烈に足並みを
そろえ、蘭学や外国語の普及などに抑制をかけ続けた。
江戸三百年の太平とは、袋の中の逼塞と似ていた。未来への断念を代償にした籠居の平安であった。
農業の改善や手工業の進展で、いささかの裕福と便利とが世間に出回ったとはいえ、冨と贅沢とは著しく偏在した。絶対多数の民衆は窮屈さに藻掻くか、諦め
て黙るか、無足の人外に沈むしかなかった、概して謂えばそうであった。
明治維新。富国強兵。滅私奉公。そしていつしか昭和維新と世界戦争。原爆と敗戦。復興。「電気」に全面依存した機械化の便利さを、黒い影のように、黒い
雲のように常に覆っている、核爆発とサイバーテロの脅威。大国エゴの核保有に象徴されている、硬直して強引な新たな絶対権力の、世界支配。それへ追随また
追随の、日本の政治。
こういう情況のなかで問われて来た「この時代に……私の絶望と希望」なのであるなと、まずは課題を受け取ったのである、わたしは。
* 原田さんらは問うて来た、「私」の絶望と希望を語るように、と。わたしは問い返したい。この問いに謂う「私」とは何ですかと。
わたしは、ずいぶん昔、「私の私」を説いたことがある。
自分という「個別の私」とともに、理念として「公に対する私」が在る。公に対峙する「理念の私」によって「個別の私」がしっかり自覚的に支えられ成熟して
いないと、一人一人の「私」は、自儘にただ動いてしまう。そんな「私」は真実自由な「私」ではない。
一人一人が思い思いに絶望や希望を語ることは、個々人にとり、そう難しいことではない。まただからこそ回答や思案の内容はバラついて、何かしら超えねば
ならぬ閾居の前で、何の力にもならず霧消してしまう。そのおそれがある。
その残念な一例が、つまり「選挙」であろう。選挙権は徹底して分割された「私」にだけ与えられている。そう思われている。ただの「個」に分散された
「私」たちが、「私の私」が在るのに気が付かず、それゆえに、「公」をチェックするという「私」の大切な役割を、無責任になかなか果たせないでいるのが、
われわれの、あの、選挙および選挙権ではないか。
選挙権は只の一人一人に「好きにせよ」と与えられてはいない筈だ。「公」に対比される「私」が、政治的に「意思表明」する機会が、選挙だ。ところが個別
一人一人に無償配布された自儘な権利かのように誤解しているから、安易に棄権もされてしまう。「私の私」が分かっていないから、こういう結果になる。そん
なことでは根こそぎ「私」を喪失してしまう危機にも気が付かずに。
原田さんららの問いかけは、此の「公に対する私」に、しかと思いが及んでいるのだろうか。さもなければ、一人一人が思うままを気儘に言い放ち、しかしそ
のままで済んで、次への「力」には結局ならないのを、わたしは恐れる。「私」の絶望は、まさにその点に在る。「公」は、ばらばらな「私」から好き放題に
「私権=基本的人権」を奪っている。もっともっと奪いたがっている。
だが、「公に対する私」の自覚が、「国民=私民」の間で互いに手を取り合うように育ってくれば、「私」は、未来になお希望がもてるだろう。
「私」に希望のない「公」とは、絶望の同義語にほかならない。そういう「公」をお上と捧げ持ってきたから日本人は、所詮「下降史観」に我が身をゆだねるし
かなかった。過去の話ではない、今まさにそうなのである。街頭に出て一人一人に聴けばわかる。「先行きは明るいでしょうか」と。この日本で、無数のワーニ
ヤ伯父さんや三人姉妹達が、明日に望みを持てずに、今、焦れている。
* 最後に、しかし、わたし独りの思いも、小声で添えておこう。
いま、わたしは「望み」の有無など、本気ではほとんど考えていない。望みとは、未来にかけた虚仮の幻影であり夢である。過ぎた昔へはだれも望みをかけな
い、甲斐がないからだ。甲斐ないことでは、だが、未来も全く同じである。未来なる時間は存在しない。
過去があり現在があり未来が在るとは、便宜の仕掛けであるが、むろん虚仮に過ぎない。在るのは、「今・此処」という時空だけである。永遠に「今・此処」
だけが推移する、それが、世界。過去も未来も、回顧も予測も、絶望も希望も、可能も不可能も、即ち現在只今の営みである。われわれは、背後にも眼下にも底
知れぬ奈落を控え、切り立つ断崖絶壁の上に生きているのと変わりがない。しかも眼前の底知れぬ奈落へ刻々踏み出せと、猶予なく迫られている。奈落を踏むと
想うとおそろしいが、ところが時空とは、不断に「今・此処」でしかありえず、足下に奈落は無い。おそれることはない。
その上、そのような不条理の闇や奈落をかき消すように、われわれの「今・此処」つまり此の世は、いつも脳の電気現象の「夢」を成している。時計は穏やか
に動き、なにもかもが「在る」ように見えており、感触もある。みな刻々と移り行く「今・此処」の「顔」である。そして、それも夢。過去を思い出すのも、未
来を予想するのも、現在のただの「夢」である。頼みになるのは「今・此処」に落ち着いて、元気に生きる意識だけである。ワーニャ伯父さんやソーニャが、三
人姉妹がついにのがれ得なかっただろうように、「今・此処」を脱出できる者など、一人もいない。
* しかし、いくら頼みにならぬ「夢」であれ、楽しむ気ならそれは楽しめる。生き甲斐などを求める人なら、夢と知りつつ覚めざらましをと、「生きる演戯」
が楽しめるのである、現実感も伴って。元気に。
浮き世は夢よただ狂へ、と、昔の人は狂ったが、狂わなくても楽しめる。その気になればいいだけだ。だからわたしは文学も歴史も美術・演劇も、床屋政談
も、飲食も好色も、家庭生活も楽しんでいる。「夢」のような「影」に戯れていると思っている。希望しないし絶望もしていない。よくよくウンザリはしている
が、それも楽しめる。だから選挙に行く、政談もやる、源氏物語も読む。
ニヒルを気取っているのではない。はてしもない一枚の澄んだ鏡のように、落ち着いて、写ってくる何の影も拒まずに和み楽しみ、去って行った何の影も追わ
ないで、愛だけは感じていたい。
そのうち、涯しない真澄の空のほか何一つ映さない「鏡」になりきりたい。そうなんだ、そんな「希望」を楽しんでいるのだ、わたしは「今・此処」に生き
て。
* 十一月十六日 日
* 土井たか子をひきついで、社民党の党首に福島瑞穂が就任した。福島さんには参議院議員会館で初対面のとき、勧めて日本ペンクラブに入ってもらった。そ
の少し前に佐高信氏との憲法対談など読んでいたから、彼女に入会資格のあることは分かっていた。即座にあの可愛らしい笑顔で福島さんも同意し、すんなり手
続きは済んだ。去年のペンの日にもゆっくり話している。
余儀ないとは思うが、ご苦労なことになった。顔になる人が他にいないのは明らかであるし、向き不向きのことなど言ってみても始まらず、自然に成って行っ
てもらうしかあるまい。幹事長の人選も出来ていないという。
わたしは思う。この際、土井たか子は自ら率先幹事長として働くべきである。この人事は一つの話題にも衝撃にもなりうる。今の社民党に必要なことは、たえ
ず話題にされ続けているということだ。さもなければ蝋燭の灯の散ってしまうように消え失せる。
土井が政界を引退するというならべつだが、党内に残るのなら、そういう福島の援け方があるではないか。当選一回わずか五年の国会経験しかない新委員長に
は、まさに「支持する支柱」が必要なのは目に見えている。それを黙ってただ引き下がって「あんた一人でおやり」は無いだろう。「幹事長を、わたしがやって
あげる」。それぐらいの機転と親切が政治家土井たか子に必要なのだ。それが出来ないから、大きく躓いた、躓くのではないかと危ぶんだとおりに。
土井たか子の政治家としての最期の結び目は、幹事長として身を捨てても党再建をはかることだろう。
それとともに福島さんに言いたい、もともと日本社会党の昔から、誰が党に投票して支えていたか、その「誰」を思いめぐらし、もう一度見つけ直すことだ、
と。その「誰・彼」ぬきにいくら憲法を叫んでいても票には結びつかない。
いま巷には、列島の津津浦浦には、「働く」ことに希望の持てない働く人や働けない人が溢れている。本来、そういう人が社会党を支えていたのに、その人達
ととともに政治的に闘わなくなったから、社民党は衰弱して此処まで落ちぶれたのだ。
* 妻の報告では高橋尚子が東京マラソンに苦戦しているらしい、あんなむちゃな前半の走りでは危ないと感じ、わたしは早くにテレビの前を離れてきた。気
負ってはいけない。武蔵丸ほどの安定した力士でも、怪我から休み初めて相撲勘のもどらぬまま無理相撲が利かず引退に追い込まれた。高橋尚子の逸材ぶりは言
うまでもないが、体力の持久を一目見て危ぶませる肉も皮も削いだような骨体質ではどうかなと、案じていた。
歳歳年年人は同じからずで、じつにうまいぐあいに人は山をのぼり、山を下りて行く。山の高さは人それぞれであるが、高いから貴いのではない、山には山の
それぞれの味わいがあるのだ、それはその山に抱き込まれてみて分かる。佳い山は佳い山なのである。人は片道の登り坂だけを登るものではない。
* 発送作業へ手が附くと、自然、バックサウンドのようにしてビデオ映画を、聴く。昼にはビデオで「ランダム・ハーツ」を見た。クリスティン・スコット・
トーマスとハリソン・フォード。これは断然女優が佳い。シナリオもほぼ完璧だ、目立たないが秀作である。不倫の男女が航空機事故で死に、その夫と妻とがい
やおうなく出逢う。男は内務捜査班の巡査長で、女はいわゆる二世議員。不自然でなくハナシのすすむところが快いのであろうか、監督の手腕を感じる。
晩には放映の「ダイアルM」を半分観て半分聴いていた。マイケル・ダグラスとグィネス・バルトロウ。ヒッチコク名画のリメイクである。凡そに聴いている
だけだから、もう一度見直してあれこれ言わないと作品は可哀想だが、まずまずの映画のように感じていた。グィネス・パルトロウは「大いなる遺産」のヒロイ
ンだった。こわい夫の妻ものとしてはやはりイングリット・バーグマンとシャルル・ボワイエの黒白映画「ガス燈」が神経質にこわそうだった。あの映画でへん
な女中役をしていた女優が、後年のテレビもので「ジェシカおばさん」を主演していてびっくりしたことがある。映画のハナシをしていると気分が和み疲れがや
わらぐ。
* そんな中でも、明治の思想家達のものを読んで、中村敬宇「人民ノ性質ヲ改造スル説」田口鼎軒「日本之情交論」陸羯南「『日本』創刊の趣旨」「『日本』
と云ふ表題」志賀重昂「『日本人』が懐抱する処の旨義を告白す」を選んで、一気にスキャンした。黒岩涙香の萬朝報「発刊の辞」「満十五年」それにもう一編
ほども選びたい。山路愛山からも田岡嶺雲からもとりたい。
いろいろの人がいた。その時にあたって活躍し、時世を動かした。もう多くは忘れ果てられているが、忘れてもいいから忘れられるのはいいが、そうでもない
人のことは大切にとりあげたい。「ペン電子文藝館」は絶好の場である。識りたい人だけが胸をたたいて聴けばいい。その気になればその言葉や思いがいつでも
聴けるということが大切である。知識ではない。もうその人達から得られる者は知識ではない。意気である。
* 十一月十七日 月
* 陸羯南の「日本」創刊の辞を「ペン電子文藝館」に送り込んだ。句読点の殆どない原稿だが、明快で、読みわずらうことはない。同僚委員から、句読点がな
いがと問い合わせが来たが、明治憲法発布より少し以前の文章であり、あの頃は句読点のない原稿は幾らでも公にされていた。そのわりには読みいいと感じなが
ら校正した。
そんなことよりも、明治の思想家の息吹が吹き付けてきて心地よかった。大新聞というのは、今では功より罪の法が目立っているが、つよい志を抱いて新聞が
創刊され、論陣を張って同時代を刺激し鼓吹し、そして転身したり消失したりする。それもいいのではないか。明治の知識人の気概がこういう「新聞」に表れ
た。大学を中退してきた正岡子規を正社員に招いて、以降十年、あの旺盛な文学活動を庇護し続けた人としても、陸羯南は忘れがたい。
* 終日、あれやらこれやらと作業を進めながら、いくらかボンヤリとしても過ごした。「湖の本」校了のタイミングを、うまく掴みたい。もう少し、もう少し
と、右を見、左を見ながら仕事している。
* メールで送ったつもりの原稿が、べつの方角へ送られていたらしく、また送り直すという情けない失敗をちょくちょく重ねている。
そんな中で、機械故障をうったえてくる人もある。たしかに機械というのは故障する。直して貰わないと困る。
* 十一月十八日 火
* 再び選挙 2003.11.17 小闇@バルセロナ
カタロニア州議会選挙は、面白い結果になった。結果が出た現在も、まだ、どの党が政権を握るのか分かっていない。決定権は、一手に第三党が握っている。
第一党でも第二党でもない、第三党の党首が州知事になる可能性がでてきている。
カタロニアには、CiU(カタロニア連合)、PSC(社会労働党)、PP(民衆党)、ERC(左翼共和党)、ICV(緑の党)の五つの政党がある。党名
には惑わされないでほしい。簡単に説明すると、CiUがカタロニア保守政党、PPがマドリッド中心主義のスペイン保守政党、ERCがカタロニアナショナリ
ズムの政党。左翼という名前がついていても、マドリッドから見るから左であって、カタロニアでは極右ともとれる。右派が三つも存在するようで、はっきり
言って分かりにくい。ひょっとして、ERCには保守派から急進派まで色々いて、スペイン(マドリッド)対カタロニアという構図があるからこそ、一つにまと
まっているのかもしれない。ICVは急進派、PSCは日本ならば民主党か。
今回の選挙の最大の関心は、政権を四分の一世紀握り続けたCiUがPSCに敗れ、政権交代なるかだった。四年前、PSCはCiUに票数で勝ったものの、
議席では四つ負けた。市議会同様、PSCはERCとICVと組もうとしたが、CiUがPPと連立したため、政権交代は実現しなかった。
そして今回。イラク戦争反対の声を挙げ、スペイン政府に歯向かったカタロニアで、ERCとICVが伸びるのは明らかだった。結果はCiU
46議席(-10)、PSC 42議席(-10)、ERC 23議席(+11) 、PP 15議席(+3) 、ICV
9議席(+6)、PSCはCiUに票数で勝ち、議席でまた負けた。
どの政党も、選挙結果をそれなりに喜んで見せたものの、内心の不安を隠し切れず息を潜めている。政権を動かすのは第一党でも、第二党でもなく、第三党の
ERC、というおかしな結果になってしまった。誰もERCが組んでくれなければ、政権は取れない。ERCは強気、PPはかんかんだ。
政治のコネで生きてきた役所やメディアの権力者は、今日も眠れぬ夜を過ごしているに違いない。よい気味だ。ERCよ、どうか期待を裏切らないで欲しい。
* こういう現地情報は、なかなか聴けない。興味深く読んだ。忙しくくらしているからか、この程度にと抑制しているのか、バルセロナからの声は間遠にな
る。なにか纏めようとしなくてもいい、にちにちの息づかいのような便りも、今少し数多く聴きたいが。
* 陸羯南の「日本」創刊の弁に関して、同僚委員から「かび臭く」なるおそれについて意見が出ていた。一つには、今今の新聞社説や天声人語のような言葉で
書かれていない、文語であり、また句読点や改行すらないという、形の上のとっつきにくさがある。それは、時代により余儀ない歴史的な所産である。中身はど
うか。中身は明快で意気に満ちている。わかりにくくもない。ああそうか、そうだったろうなと深く肯かせる力にみち、それだけに記録するに値する文献になっ
ている。何をもって文藝・文学の「かびくさい」と「かびくさくない」「親しめる」「したしみにくい」を分けるのかは、容易なことでない。ものさしが何本も
必要だろう。
こういうふうに当座の考えを述べておいた。
* 電子文藝館は 美術展で謂えば、いわば 今今ごった煮の日展でなく、近代「記念」「証言」展であり 文藝「記録」館でもあります。「出版・編集」の歴
史的な流れも「証言」しようとするとき、明治の思想家達の大きな足跡に触れないワケには行きません。
「カビ臭い」というのは、個々人の趣味判断能力の問題で、何が本当に「カビ臭い」かの判断は容易でないし、それは読者にまかせておいていいのです。読みた
い人は読み、通り過ぎる人は通り過ぎる。それでいいのです。博物館のようなものです。しかし揃えて然るべきは「揃える」というのが記念館の性格です。
なにが「かび臭く」なにが「かび臭くない」か。それはたいへん難儀な問題ですが、作者の生きた時代の古い新しいで判定するのでは、コッケイな間違いを犯
します。極端な云い方をすれば、源氏物語を超えた現代の作品は無いといわれるように。質的な水準を無視し軽視して良いとは思われませんし、そこから行く
と、誰の眼にも今今の寄稿だけでは懸念されるものがあり、そこから発展して「招待席」が生まれたのでした。それ在って電子文藝館は一気に存在の意義をひろ
げ、存在理由を強めていると思います。
博物館というのは、そうそう誰にも「親しめる」ところではないが、敬意は持たれています。また利用価値も高い。今のあの日展では、褒める人はいない、と
断言できるほどですが。
本質の価値高さを保存して行きたい、やすい貸本屋のようにはしたくない、またそれでは意義は薄いし、クレバーな読者の失笑も買うでしょう。むろん結果と
して玉石混淆はさけられないとしても、それをカバーするのは「意図」という芯の糸の太さ強さではないかと思います。
だいじなのは、「招待席」にヒケをとらない優れた現代作品がもっと増えることです。その手だてを焦れずに考えて行くのが先です。「カビ臭い」とあわせて
「親しみやすい」とはどういうことで、どうすれば「親しみやすくなる」のかも具体的な「方法」として、提案して欲しいと思います。
ともあれ、出版・編集に関しても、現代の人を主に実現し出稿して頂ければ幸いです。
さらに議論を重ねましょう。
* 中村敬宇「人民ノ性質ヲ改造スル説」を入稿した。いま中村敬宇を読む人はおろか思い出せる人は寥々たるものであろう。しかし明治の第一期の知識人とし
て、福沢諭吉や西周らとともに、それも政府や政界の内側から啓蒙的に優れた論説を書き続けたきわめて著名な大きな存在であった。時事新報が各界から選りす
ぐった「明治の十傑」つまり明治時代の人傑ベストテンの第四位に挙げられたと云えば、察しも利く。この論説は即ち、明治八年二月の演説草稿であったが、言
葉こそ明治だが、その趣旨は明快で堅実で、ま、今から見れば常識のようでありながら今にしてなお中村の警告や指摘に我々日本人はまだ至らない遺憾なところ
を多々のこしている。自由民権の行方を、明治憲法発布より十五年もまえに示唆して揺るがない気合いには敬服する。
* 陸羯南の「日本」創刊の文章に句読点が有るようで殆ど無いのは変ではないかと同僚委員の疑点が出ていたので、以下のように答えておく。
* この『「日本」創刊』は、「日本」創刊の趣旨 という題の一文と、「日本」と云ふ表題 という題の一文とで編成しています。おそらく「創刊当日」
の一面と、一両日後に「追加」した一文であることが察しられます。したがってこの二つを書いた筆者の気組みには微妙に差があり、そういうことが、句読点に
も表れているのでしょう。後者にはともあれ句読点が用いられています、かなりルーズにですが。
これら二つの文の中で肝腎なのは、むろん創刊の「趣旨」であり、それは、前の原稿の後半、二行アキより以降になります。これが公式の創刊宣言です。その
直前の物言いで明らかです。「日本」の趣旨を特に掲出して初刊の緒言に代ふ と明記しています。
そしてその公式の「趣旨」には、一つも句読点が無いことにご注意下さい。
この前の一文の前半と、後ろの一文とは、性質として同じ、普通の原稿、それに対し「趣旨」は晴の一文、正面切った宣言文です。こういう晴のものの場合に
特に句読点といった「便宜」の記号を、敢えて、略してある気味をお汲み下さい。
明治の知識人には句読点は、ナミの人の便宜のためにうつ臨機応変の追加のもの、とくらいの気持があり、少なくもその取捨は実に気儘なものです。句読点は
文章にとって必要不可欠ではなかった時期がありました。あってもなくてもよかったし、むしろ改まったときは平気で省いていいものでした。漢文のカエリ点な
みでした。読み慣れた人は白文で読みましたし書きました。読めない人へのサービスのような気味がカエリ点と同様に、句読点にはあったと謂えます。
中村敬宇のような啓蒙家は、ずっと早くから句読点を打っていますが、ずっとあとの黒岩涙香でも、やがて御覧に入れますが、句読点はとてもいいかげんで
す、「萬朝報」の刊行の辞でも。
しかし文章そのものは立派で、志はしっかり伝わります。つまりそういう「書き方」ですね。
文章の形式は、国語教育の中で整って行き、むしろ形式が文章を緊縛したともいえます。明治の人には宛字も宛読みも圏点も傍点も句読点もカタカナも、「表
現」の「手」でした。好きにしてよいという意識でしたろう。
そういうことと、お分かり下さい。そしてそういう文章の時代もあったことなどを伝えているのも、「ペン電子文藝館」の「意義の一つ」になってゆくのでは
ないでしょうか。
そんな中から、誰が、新しい時代の新しい文体を創始創作してくれたか、も、おのずと見えてくるのです。四迷の「浮雲」藤村の「破戒」漱石の「それから」
そして泉鏡花や徳田秋声や志賀直哉や谷崎潤一郎らが立ち上がってきます。みな、仔細に「現在の常識」から見ると不思議な物言いも表記もしていますが、それ
もその時代を魅力的に反映しています。
* 電メ研、どうか、うまく働いて行って欲しい。
* 街で校正したかったが、冷えてきそうなので、銀座竹葉亭に開店そうそう駆け込んであっさり鰻懐石を喰い、有楽町線でまっすぐ帰った。「ダイヤルM」の
二度目のうしろ三分の一ほどを見おえた。このマイケル・ダグラスは気持ちが悪い。父親のカーク・ダグラスほど個性的に渋い顔ではなくて、ときどき蝦蟇のよ
うに見える。しかしアネット・ベニングを魅了した「アメリカン・プレジデント」のマイケルはすてきだった。「ダイヤルM」ではグィネス・パルトロウがごく
普通に佳い。
* 冷えて足先が痛いほど。冬の足音が聞こえる。
* 十一月十九日 水
* 「さむ、なったなぁ」
おだやかな言葉つきで、初老の紳士が、駅員とことばを交わしていました。
昨日は、零度近くまで冷えましたの。晩れゆく秋。そちらは、いかがですか。
こちらへ越してきたことで、お作の、京ことばへのつまづきの石がかなり除かれました。
(中日)新聞の連載、「河童」に、挫折―。「河童」のあとの「風の又三郎」の、なまりなつかしく、微笑みに、声も出
て、毎朝読んでいます。越後生まれの私は、東北のことばでしたら、聞き取りも、読むことも、わりとつまづかずにできますの。
* にわかに秋暮れてゆく。
* 痛くない 2003.11.18 小闇@TOKYO
厚生年金の負担率20%、労使折半なので実質10%へ。どうぞ。消費税の税率引き上げ。どうぞどうぞ。そんなのぜんぜん「痛み」じゃない。
今、私は毎月の手取額こそ把握しているが、総支給額はよく知らない。総支給額という数字から、厚生年金と所得税と住民税と組合費と遺族遺児年金とが引か
れ、私の場合は十五万円がみずほ銀行に、残額が郵便局に振り込まれる。明細に印字された数値と、振り込まれる額の乖離。もう慣れてしまった。
その目で見ると、賃金闘争で示される当社の「三十歳モデル」の一時金は驚くほど多い。実際はここから、例の要素が引かれるわけだ。
そういう仕組み。
今後負担が増える分、給与に上がって欲しいとは思わない。制度上、そうするしかないのなら従おうじゃないの。負担増で支給減、それが我々の世代の宿命。
そう、腹をくくっている。
だから、さっぴく側にも腹をくくってもらいたい。公費の無駄遣いをなくせ。国民年金未払いを撲滅せよ。収支がどうなりそうなのか、信頼に足る試算を明ら
かにせよ。それができないなら、負担増も税率引き上げも、言い出すのは百年早い。
だましだまし耐えてきた痛みは、痛いと認めた瞬間に、耐えられなくなる。守れない約束をこれまでいくらもぶち上げてきた日本政府よ、それでも私はあなた
を信じたい。お父さんには、惚れた男には、最期まで強くあって欲しいと思うのと同じだ。だから、私はまだ、痛くない。
* イラク派兵のいいかげんや、国防次官のエゲツナイ恫喝的侮辱を附録にした悪代官風米国防長官の来日など、昔なら、国民も参加して大規模デモが実現して
いただろう。アイクが来たときの怒濤のような抗議デモを思い出す。
デモがいいかよくないかは俄に結論出来ないが、いずれにしても凄いほどのエネルギーが無くては生まれない。そういう政治的なエネルギーが大学生たちの中
で憔悴消滅し、その連中がいま企業に溢れている以上、社民党や共産党に目が無いのは当然だ。或る一部の特権人種たちにはたまらなく嬉しい現状だろうが、国
民の絶対多数は甚だしいワリを喰っていて、気が付いていても断念している。
安土桃山寛永時代が、猛烈な「黄金色の暗転期」であったように、バブルに浮かれての暗転はまだまだ抜け出せない。国民が、ことに若い世代が政治的なエネ
ルギーをこうまでダウンさせているのだもの、ほぼ絶望のように感じられるが、この小闇のような自覚が、姿勢が、すこしずつでも回復してくればと願われる。
忙しがってはいるが、じつは惰性の惰眠を貪っているだけかも知れない若い男達の意識こそ、問題だ。
* 秦建日子脚本の「共犯者」は、黙って最期まで見るしかあるまい。かなり複雑で、その複雑さを適切に観客にも分かりよくしてあるといいのだが、今のまま
では木の枝から葉が散るように観客が減っても致し方ない。たまにテレビの画面にこういうのが映るのもわるいことでない、勇気ある冒険だと行っておく。成功
か失敗かは最期まで見ないと分からない。
* 伊丹十三がおおむかしにテレビで光源氏を演じたとき脚本と監督は度忘れしたが著名な映画監督であった。源氏物語の映画はそれ以前に長谷川一夫、若尾文
子らのを映画館で見ていた。説明的な美しい絵巻であったが、それに比べるとテレビのはシュールな画面と批評的な内容でしかも優れて藝術品に出来上がってい
た。あれほどテクニックでも魅了された映像作品は、その後、めったに出逢えない。
建日子のものを見ていて感じるが、持ち前の才気をフルに出し尽くしていっぱいいっぱいになっている。だからストーリーの展開に深い水面下の分厚さが出て
こない。「共犯者」はいわば現代の歌舞伎をなしているといえば、むろん褒めすぎだが、歌舞伎にはこの程度のカラクリや組み立てや妖しさはいっぱいある。院
本にも世話にも怪談にもある。能など、みな幽霊が主人公だと謂えるし、うならせる不思議の趣向は幾らもある。
「共犯者」の作者は、そういう豊かな伝統からほとんど何も学んでいない。観てもいないし読んでもいない。蓄えがない。佳い底荷の乏しい航海をしているか
ら、舟は息が浅くかなりアプアプしている。
鬼面人をおどろかすには、それなりに安定したリアリティーが必要だが、その辺の造作が手薄い。作者一人でよろこんでいる。観客はかなりマゴマゴしてシラ
ケている。
*「共犯者」の前に映画「グース」を観てほろりとした。もう一つ前には自閉症の天才少年が軍事超機密の暗号をやすやすと読み解いてしまい、機関に追われて
殺されそうなのを、FBIのブルース・ウイルスが守り抜く映画をみて、これも終幕でホロリとした。ともに手堅い台本であった。いつもいつもこんな手堅いば
かりの画面ではつまらないけれど、切れ味のいい組み立てにこそ惹かれる。ジャクリーヌ・ビセットとキャンディス・バーゲンの「べすとフレンド」も、ビデオ
途中にコマーシャルが挟まっていて少し癪であったけれど、そして物語の造りは図式的であったけれど、気持は分かる落ち着いた組み立てになっていた。落ち着
いていると作の動機がよく訴えてくる。「共犯者」で作者を衝き動かした動機が何か、ほんとはもう伝わっていていいのだが。分からない。変わった作を書いて
やろうというだけでは、観客は感動出来ない。あと四回に期待しよう。
* 発送用意の作業がビデオ映画の御陰で進む。本文とアトヅケとは責了にした。月末は難しくても、師走初めには送り出せるだろう。
* 十一月二十日 木
* 雨。夜前も四時近くまで読んでいた。藤村「夜明け前」、角田文衛博士の業平と高子との恋、日本史の家康、秦テルオの図録。なぜか執拗に大学時代の教室
の夢。
* ベランダの矢矧薄が風に吹き靡かされています。
いま、ある短歌誌に、定子中宮の辞世、
夜もすがら契りしことをわすれずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき
を、めぐるあれこれを書いています。
定家は、「百人秀歌」で採らなかった後鳥羽・順徳両院のうたを「百人一首」に入れるために、「百人秀歌」から三首除きましたが、その三首のうちの一首が
このうたでした。
除かれても仕方ないうたは、ほかにいくらもありましょうに、よりによって、と、悲運の后宮に、肩入れする気も手伝い、「百人一首」をえらんだときの定家
は、何を基準にし、何を目論んでいたのかしらなどと、生意気なことをおもったりいたします。
イギリスを訪問したブッシュは、大規模な反ブッシュデモに迎えられた、と、ニュースで知りました。日本に立ち寄ったときは、どうだったので
しょう。「湖」でおっしゃっての通り、デモをするエネルギーもなくなってしまったのですね。
「首切り」といわず、「リストラ」という何だか軽く聞えることばを流行らせたのはたいへんな知恵者、陰謀家。たぶん大企業の経営者か政治家お召し抱えの
頭脳か。
とにかく、そのリストラに遭った友達が二人います。「何でだまって首切られているの。デモでもストでもやればいいじゃない」と、申しましたら、「そんな
こと言うのは、むかしのひとだよ」と、言われてしまいました。気がついたら、デモもストもない世の中になっていたのです。そして、気がついたら、十六、七
の少年・少女が親を殺し、親が子を殺し、通りすがりの人をムカつくといって殺す、おぞましい世になっていたのです。
こんなことをかんかがえていますと、悲運の后宮のところへ、なかなか、こころがもどってゆきません。
* 先日の「ペン電子文藝館」の集りのとき、「エンターテイメント」とそうでないものということがでていた。その区別がわからない、そう分ける理由もよく
わからないという声も聞いた。
また、エッセイ、評論、論文の区別、違いというようなことも話題になった。これも、その区別がよくわからない、と。エッセイと論文のちがいは、わかって
いるつもりだけれど、評論と論文の区別はわかり兼ねると。わからないなりに、自分はエッセイと評論の中間のようなものを書きたいとおもっている、と。
*「ペン電子文藝館」には「評論・研究」とした検索ボタンが設けてあるが、自分で作品を選び校正していて、自分なりには評論・論考・論説・演説・研究など
といろいろに腹の中で読んでいる。批評とも。「感じ」以上を出ない。
角田先生のいま読んでいるものは明らかに研究・論考つまり論文である。「日本の歴史」は概説であり論説である。これとても研究成果である。小林秀雄や伊
藤整や中村光夫や大岡信のものを論文とも研究とも感じなくて、せいぜい論説・評論と受け止めてそれで敬意を払う。ここに「エッセイ」という感じ方も触れて
くる。「エッセイ」というとき、それは随筆と評論・論説との微妙な包含であることを思わずにおれない。谷崎の「陰翳礼讃」は随筆か評論か論説かエッセイか
非常に分けるのが難しく、その境界なき区別に味わいがある。
わたしは半ばジョウダンに、「論文は正しくて面白いのが宜しく、評論は面白くて正しいのがよろしい」と云ってきた。正しいの内実も面白いの内実も微妙
で、角田博士の論文や伊藤整の評論はそれに当たるだろう。
少し厚かましいが、こんな風にいわれたことがある。「失礼を顧みず申しあげるのですけれど、秦さんの書かれた数々は、評論というには詩の香気がたちのぼ
り、犀利であるかとおもえば、ふっくらにおいやかであったり。エッセイというには、綿密で、あいまいなところが微塵もなくて……」と。それはわたしの「願
う」ところをうまく代弁してもらえて、なかなかそこには達しないのであるが、念頭には、模範として例えば少年来愛読した岡倉天心の「茶の本」や潤一郎の
「陰翳礼讃」などが在ってのこと、間違いがない。つまり文学・文藝の名に値するエッセイとして例えば谷崎や漱石や日本文化が語りたかった。そういうものを
書いて世に出せる道としては「小説家の道」を先に掴むのが有利と観ていた。だから小説を書き受賞し、エッセイ発表の場を獲得していった。
* 先日の議論で、わたしは、読者たちによる作家論や作品論での「ペン電子文藝館」参加を認めようと提案したときに、素人の作家論や作品論には学問的な手
続きが欠けていて体を成さない、参考文献の記載や所説の「裏」が取れていなかったりすると指摘があった。つまり正しさに欠けるというのであろう。
わたしは、新人はすべて最初、学問の方法者としては素人であり、その素人が学者になって行く例と、学者にならずに評論家や作家になる例があり、学者の論
文にも批評家・評論家・作家の評論やエッセイとの間に甲乙があるわけでなく、特色の違いがあるに過ぎないと、先のジョーダンも付け加えた。例えば谷崎論で
云えば、佐藤春夫や中村光夫や伊藤整や十返肇やその他私も含めて作家評論家の論説が本筋を引っ張ってきた。所謂「谷崎学」の学者たちは寥々たるもので、目
立って記憶されるような創見も記憶にない。論文には必須の「正しい」という保証すらあやふやな議論が無くはなかった。
わたしの読者参加の願いは、学者ふうの「研究あらわれよ」ではない。おこがましい云い方をあえてするが、大学の紀要レベルの細々とした「研究」ではな
く、文学・文藝に愛情をもち勉強もし感性も豊かな「素人」からの作家論・作品論の見事なのが出てこれる「場」を提供しておきたいと願うのである。いきなり
角田博士のような研究は出来ない。しかし、わたしが太宰賞を受賞するやすぐさま着手し、結果としてその評価から大きく道を開いていった最初の書き下ろし
「谷崎潤一郎論」のようなものなら、書ける若者は、大人でも、世に隠れているはずだ。江藤淳の漱石論もその様にしてスタートしたではないか。最初はみな素
人であり、なまじな玄人研究者よりも文学的なエッセイが書ける道はある。はっきり云って小説よりも有る。
だから、創作での読者参加は求めていない。
*「エンターテイメント」(秦の云い方では「通俗読み物」であるが。)とそうでないものとの区別がわからない、そう分ける理由もよくわからないと云われる
が、実物を読めば分かる。分類という意味で「分ける」のではない、成績に於いて自ずとはっきり「分かれてしまう」のである。通俗読み物は、概して、類型的
ないわゆる手垢つき言辞を平気で使っている、作者のモチーフが感じられない、絵で云えばパン絵である、ただおもしろづくのおはなしである。斜めに読んでも
読める程度に軽薄である。
わたしは純文学がいいとばかり云うのではない。ジャンル分けは無意味に近い。要するにいいものがよく、つまらないものはつまらない。そして、わたしの鑑
識では、つまらないものに、通俗読み物の殆どが入るというそれだけの結論である。ひまつぶし以上のものではなく、しかし人間生活にひまつぶしも大切だとい
う価値は十分認めている。
ああまた読みたいなと、たとえば直木三十五の「南国太平記」などを思う。佐々木邦も懐かしい。松本清張などわたしは藤村・漱石・潤一郎とならべて大切な
文学者だと思っている。わたしの「清経入水」など、選者から「現代怪奇小説」「ホラー」とすら評されたし、あなたの小説には推理的要素が魅力になってい
る、推理小説も書けるのではないですかと編集者に勧められたことさえある。推理だから、ホラーだから毛嫌いするなんて事は、鏡花や潤一郎の徒であるわたし
が思うわけもない。佳いものはいい、つまらないものはつまらない、しかしただの「読み物」意識で書かれた作品にはつまらないものが多すぎるという、それだ
けの結論。
これはいいですよ、すばらしいですよという作品をどうか「ペン電子文藝館」に導き入れたいと願っている、ジャンルなど関係ない。書き手の覚悟である。
* 十一月二十日 つづき
* 雨に降られたが、歌舞伎座の夜の部がとてもよかった。だしものの関係で昼の部は割愛した。
* 十一月は顔見世興行。家の藝が出揃った。吉右衛門の盛綱、菊五郎の所作で女伊達・浮かれ坊主、鴈治郎の河庄、紙屋治兵衛。わるかろうわけがない。
* ことに吉右衛門の盛綱は性根の濃い凛然とした藝風で、実もあり綺麗に盛り上がって、終盤、したたか泣かされた。今まで観た吉右衛門芝居の中でも一二の
上出来に属するが、この舞台では、どんな場合でも大人達の芝居をさらってしまうのが、幼いながら大役、囚われ小四郎。歌昇の息子の種之助が抜群の好演で、
じつはこっちに泣かされた。ま、のちのち名優になる人の持ち役のようなもので、大人にまさる芝居を長ぜりふでえんえんとやらねばならず、それも一筋縄でな
い腹の藝も要求され、覚悟の上で咄嗟の切腹もしなくてはならない。この子役がうまければうまいほど舞台は求心力を高めるので、ひとつ間違うと名優がわきを
支えていても崩れてしまう。
盛綱の老母微妙に芝翫、敵方の弟高綱の妻、盛綱方にとらわれの息子小四郎の母篝火に雀右衛門、盛綱の妻に秀太郎と、申し分ない豪勢な配役だが、種之助演
じる子役の活躍で、吉右衛門以下がとてもきもちよく芝居が出来ていた。父親の歌昇も颯爽と若々しい勇ましさで注進侍を演じていた。
複雑に仕組んだ芝居だが、分かりにくくはない。いわば佐々木の盛綱・高綱兄弟は、家康方と大坂方とに分かれたあの真田幸村たち兄弟に当たり、わが友片岡
我当が座頭役で演じた堂々とした白髯白髪の北条時政役が、いわば徳川家康に相当すると見ていれば、筋は通りやすい。今日の我当は威風あたりを払い舞台中央
上段をしめて睥睨するあたり、喝采ものであった。ひときわ今日は上出来の時政で、嬉しかった。左団次の和田義盛(後藤又兵衛あたりに相当か)も気持ちよく
演じていた。大舞台であった。
* また成駒屋の河庄のおもしろさ、さすが近松の人間把握の確かさもあり、浪花の遊冶郎ぶりが家の藝で磨き抜かれてまた自在に、絶品のおいしさであった。
一つには、相役の孫右衛門に予定されていた中村富十郎が急の休演、代役に坂東吉弥が急遽出てきたが、この孫右衛門がそれはもうおみごとな熱演で、吉弥の力
量と誠意とが全面によく出た。富十郎とは味わいの違ったおそろしく愉快に深切な孫右衛門が出来上がった。そのために、鴈治郎の治兵衛にも突風のようにべつ
の味わいが添って出た気がする。つまり客の私も妻も、だれかれも、とっても儲けもの、拾いものをしたような気もちだ。
加えて小春が中村時蔵の、初役。初役なのにしんみりと匂うように美しく切なく、ひたむきに治兵衛に惚れぬいた佳い小春になっていた。なんだか芯の三人が
みな初役のように思えるほど舞台の意気が新鮮に盛り上がった。東蔵の仇役江戸屋太兵衛もすっきりと好演、終始気持のいい舞台で、せつないのに笑いも自然。
吉弥の義兄と鴈治郎の義弟のからみには、上方のにわかや漫才ふうのよさもただよい、わたしはあれも一つの行き方、良いと思う。
もともと五貫屋善六という端役をあてがわれていた坂東吉弥が緊急の代役なのに、根がしたたかに力の出る役者である、大役孫右衛門をあんなにみごとにやっ
てのけたのだ、歌舞伎役者の懐の深さ、根の生え方に、感嘆する。玉三郎の父親の守田勘弥が代役名人であったのも思い出す。
* 中幕の尾上菊五郎が踊った「女伊達」はおおらかに男っぽくもありまた艶麗。からみ役に付き合った松助と秀調の二人が、さもさも気持よげにうまく踊っ
た。そのあとへ友右衛門の大尽を囲んで芸者や幇間、番頭等が連れて踊るのが気軽に楽しめた。芸者の萬次郎があんなに軽快に美しく踊れる役者とは、初めて気
付いた。小顔で可愛らしいほどだった。
その後へ、菊五郎ががらりサマを変えて家の藝の「うかれ坊主」は願人坊主で、ちょぼくれを踊る。六代目や前の松緑が得意だったが、今の菊五郎にはむしろ
珍しい感じがする。ニンにあっているかどうか、俄に言い難い。女伊達の方が美しい。だが所作としてはこの願人坊主の踊りは面白いのである。
* 盛綱陣屋の後で、例の吉兆、晩秋霜月の小懐石が美味かった。「八寸」割山椒 いくらおろし 細巻玉子 かに蓮根巻 銀杏しめじ松葉打ち 牛肉生姜焚金
包 「造り」もみじ鯛 たこ 「焼物」えび養老揚 なます まなかつお柚庵焼 「焚合」筑前焚 白天 青ト 「御椀」鶏豆腐 焼もち 「ご飯」白ご飯 香
物 「果物」ゼリー寄せ そして例により銚子一本。三十分たらずで、能率良く賞味。鯛、吸い物、牛肉がとびきり美味かった。
* はねての歌舞伎座前は、雨脚はげしく。それでもタクシーで日比谷へ走り、九時半過ぎてクラブに舞い込み、勧められるまま今日が解禁と聞いていたボジョ
レー・ヌーボーの赤をグラスで呑んだが、めったにない上出来と聞いた通りに、濃厚に甘いほどのうまさ、去年や一昨年のはうそのようなほど、完成品の味わい
に、惚れ惚れした。妻はそこまで。顔色をあかく染めていた。わたしは置き酒のレミ・マルタンを一口、そしてインペリアルをそのままツーフィンガー。身にし
みる美酒で仕上げて、帰途についた。雨など、何でもなかった。
だが帰宅すると即座に、今日の予定の残り仕事にかかって済ませた。そうも余った時間はないのである、今は。
楽しい半日であった。歌舞伎ならではのよろこびが身内を浸す。
明日は歯医者で、痛いめを見る。
* 十一月二十一日 金
* 湖の本の通算七十七巻めを「跋文」まですべて責了紙郵送し、その足で沼袋の歯科医に。歯を抜くといわれて、今回は勘弁願った。痛む歯でも歯を残した方
がいいなどという見解でもない。暮れに向かって鬱陶しく、面倒に感じた。ま、痛みはかなり緩和している。それでもまた来週も行く。
* 練馬まで帰りのバスに乗った。西武練馬駅の構内に入って昼近かったので、保谷の堀上謙氏に教わった寿司の店をさがして、西友の中で「魚力」わ見つけ
た。これがばか廉い店でびっくり。寿司ねたがわるいとも思わない。ただ握りが訝しいほど緩く、箸でとると崩れるのに閉口した。たしかに廉いが、食事にはほ
しいある心地いい落ち着きがない。喰うという行為だけで済んでしまう店だった。
* それでも元気が出たので次の中村橋で下車し、練馬区美術館で秦テルオ展を二周り三周りゆっくり見直してきた。少し入れ替えがあった。大正七年ころの
「絶望」「血の池」「女たち」「淵にのぞむ女たち」「母子」など、それより前の「女たち
花骨牌」「吉原」など、みな力に溢れていた。昭和五年のまさに日本画の小品「瓶の原」(階段に陳列)がすばらしい境地であった。美しい極みの子供らが「遊
戯」の軸装もみごと、瓶の原時代か東京時代の終期か仏画に見まがう「眠れる子」の母子像、また後年の釈迦三尊も。
* また「ぺると」でコーヒーをのみ少しお喋りして帰宅。
常任理事の米原万里さんから友人の随筆をできるだけ早く電子文藝館にお願いしたいと原稿が来た。事情に同情し、即座に読み始めたが、かなりのスキャンミ
ス、校正ミスがあり、原稿原本は届いていないが「常識校正」で通読し、ともあれ入稿した。「わが父わが友」随筆である。亡父を語る二編と、米原万里著の
「解説」一編。あまり感心した選択ではなかった。
校正して入稿した中村敬宇の「人民ノ性質ヲ改造スル説」の通読をお願いした夫馬基彦委員、萬田勉委員からは、問題ないと通知があり、本館へ掲載を業者に
指示した。
志賀重昂、黒岩涙香、大西操山の三人分が現在校正待ち。
城塚朋和委員推薦の物故会員白井喬二の読み物小説は、いま妻が読んでくれている。
* 大幅に予定していた作業時間が食い込まれたが、ガンバッテ追い込んだ。もうホンの少しで何とか追いつく。昼から夜へかけて超大作「風と共に去りぬ」の
ビデオ映画を流していた。ヒビアン・リーのスカーレット・オハラ、クラーク・ゲーブルのレット・バトラーは、もうこれ以外に思いつきようのない適役で、ス
カーレットはじつに美しくまた好演。ゲーブルの魅力も、「荒馬と女」なみに魅力横溢。なによりメラニーを演じたオリビア・デ・ハビランドの聖母を思わせる
愛ある淑女ぶりは、効果的な映画の底荷になった。そこへ行くとメラニーの夫になりスカーレットにも陰に陽に慕われ続ける男も、演じる俳優も、とても贔屓に
はしかねた。
原作は少年時代に人に借りて読んだ。パール・バックの「大地」と、このマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」とは、面白い小説だとは感じていな
がら、たとえばゲーテの「若きヴェルテルの悩み」ほどには、あるいは「嵐が丘」ほどには敬意を持たなかった。だが映画で見る限り、やはり壮大な歴史絵巻の
魅力は十分備えていて、仕事の邪魔になるほど画面に惹き込まれがちであった。スカーレットのような女は現実にはかなわないが、映画とはいえ、小説とはい
え、こういう女も神様は造られたと思う気持ちには感謝もまじる。
* 幾つも幾つも処置を要するメールが届き、何となく忙しくて大変な一日であったが、まだ済ませねばならぬ作業が残っている。
明日もまた外出。「時間」の綱の上を前へ前へ渡っている。いまのところ予定は、ほぼ消化されている。師走の上旬に「秦テルオ」京都展のオープニング・レ
セプションに来ないかと主催者に誘われている、が、そこまでの先はまだ見通せない。
* 十一月二十二日 土
* 優秀企業に勤務する卒業生女子の一人が、去年から参加している「ミュージカル集団コーラス・シティ」第32回公演の「EDITORS」を、妻と観てき
た。日比谷線八丁堀の、「労働スクエア東京ホール」はペン本部からも近く、なんとなく馴染んだ土地なので、億劫ななにもなく、雲一つない快晴の秋空の下
を、気をはずませて出向いた。
わたしはダンス・ミュージカルが好き。演技が美味いのへたのなど気にせず楽しめる。日頃はめいめいに自分の仕事をもった人達で構成された劇団であり、そ
れにしてはといっては失礼なほど、きちんと仕上げた熱気と意欲の佳い舞台だった。
演出に感心した。おそらく台本のまま読んでも感興をおぼえるかどうか分からない組み立てなのを、音楽とダンスと人物や場面の流れるような自在な動かしか
たで、求心力に富んで元気いっぱいの舞台に仕立てていた。
総合大出版社の、ジャンルを異にする四つの編集部と、会社から邪魔にされている第五編集室。文藝ありトレンディあり週刊誌あり総合雑誌あり。それぞれの
持ち味や問題をうまくからめながら、左遷されて行く実力あり誠意ある編集長や編集者が、第五室へ追いやられ、それもいずれ「構造改革」路線のどこかの宰相
風専務の意向で整理されてしまいそう。そんなこんなの中で、第五室が頑張るのである。
出版や編集にはわたしも内から外からかなり豊富に体験しているので、又一入の興味も湧いた。おなじ演劇でもミュージカルであるために、或る程度の無理や
ありえそうにない不自然もかなり雲散霧消してくれる。フムフムとなかなか面白い。これほど全面的に「編集と編集者」に取材して芝居にしたものは、わたしは
聞いたことがない。「編集者」小説では断然先駈けた作品を書いたつもりのわたしには、「EDITORS」という題からして、惹きつけられていたのである。
さて私の元学生サンは、去年から入団とは思われない颯爽たるダンスと歌と働きで、大いに活躍していた。彼女はその社の編集者ではなく、左遷されてしまう
総合誌の出来る女編集者と、がっちり組んだ、いわばフリーの記者役で、場面の大きな転換に繋がる取材で第五室の意欲の仕事に、応援もし、弾みもつけるとい
う大事な役であった。それを元気に小気味よく果たして、ダンスのなかではめざましい横転回も見せたり、わたしは、あの大人しい声も聴かせないような「早
蕨」サンがと、感嘆を久しうした。そもそもミュージカルに出るから見てくださいとメールしてきたのにも、仰天した。ほんまかなと疑った。あの物静かな、む
しろネクラな風の女性がダンスして歌を歌うって。
だが、じつにおみごとであった。わたしは、真面目な熱意の編集がいかに恵まれずに行き詰まりやすいかを、よくよく知っているので、途中何度もほろりとし
た。涙が頬に伝う時もあった。しかも楽しんだのである、大いに。
* フイナーレにたくさん拍手を送ったあと、ロビーで「早蕨」サンと握手した。わたしの顔をみて歓声をあげて大喜びしてくれた笑顔は美しかったし、若い元
気に溢れていた。会社では硝子関連の当然研究職に任じて、もうベテランの意気に近づいているだろう。その人のこういう表現活動である、心より拍手も称賛も
送りたい。そうしたいことを、そうして、楽しんで成功させているのだ、どんなに楽しんで演技しているかは観ていてありあり分かった。それが嬉しかったし楽
しかった。
* 妻と八丁堀から茅場町の方へ歩いたが、土曜日で店も開いていないので、日比谷へ戻り、例により「東天紅」て小さなコース料理を堪能した。ボジョレー
ヌーボーをグラスでとり、わたしは別にフェンチュウを二杯。静かなわたしたちの穴場の一つ。ゆっくり芝居のことや何かを話しながら、佳いメニューのうまい
中華料理であった。
とっぷり暮れた宵の有楽町を歩いて地下鉄一本で保谷駅まで帰った。北風が吹いて冷えてきていたが、妻は元気で歩くと云う。風に向かって歩いた。黒いマゴ
が迎えに出てきた。
* かつがつ「ペンの日」理事会用の配布資料を造り事務局へファイルを電送した。フウーッ。
* 秦建日子が今日のミュージカル「EDITORS」に関心を示して、公演予定を教えてくれと云ってきた。きわどいことに、もう明日の二時開演で千秋楽で
ある。観られるとよいが。ただし、むちゃに高望みはしないで。しかし忙しい人だから、今夜の明日ではムリだろうな。
* さ、日、月、火と外出の用事はない。ここで一気に作業のハカを行かせると、また水曜からの四連続外での用事を、落ち着いて捌きも楽しみもできる。その
ためにも、今夜これから、もう一がんばり二たがんばもしなくては。
* 十一月二十三日 日
* アメリカの絵本に、「空で、おばあさんのがちょうの羽むしりが始まった」とあるとか。伊吹山は雪化粧。余呉湖でわかさぎ釣りが始まったそうです。
降る雨は、時に驚くような音を立て、唐突に止み、くすべたような色をした伊賀の山は、日の光を返して、澄んだ大気に照ります。晴れると同時に、風が吹き
荒び、清気は、きりきり肌をさします。
昨晩、八時を過ぎる頃から、部屋の空気がぴりぴりと変わって、冷えるきざし。早めに床に入りました。
冬間近。どうかご自愛のほど。
*「第三次世界戦争」が始まっているのだと考えた方がいい。この戦争は厄介だ、世界の多くの国を相手にしたゲリラとテロの戦争なのだから。コレラの猖獗で
も自然に落ち着いた、が、人間のやるテロリズム戦争は、鎮火にさらに時間がかかる。人間が単なる心理的動物であるなら飽きておさまる。しかしそこに歪んだ
宗教感覚と狂熱が介在し利欲までがからむと、半永久的にエネルギーが継続する。
経済的な一揆は簡単に制圧できても、一向一揆や法華一揆のような信仰がらみの抵抗には信長や秀吉や家康も手を焼いた。キリシタンを徹底大弾圧した下地に
そのオソレが生き延びていたことは知られている。
ともあれ、アフガン戦争以降は第三次世界戦争の時代になっている。その認識がもう必要になっている。
* 原田奈翁雄氏の電話につづき、雑誌「ひとりから」の初校がファックスで届いた。済ませた。発送用意の作業も先が見えて、もう数日を費やせば調いそうに
なってきた。本の搬入にぎりぎり間に合いそうである。
* 田原総一朗の番組では、鳥取県の北川知事の「善政」特報が印象的であった。やれば出来るところは有る。だれかが云うように北川知事がせめて三十人いれ
ば日本の国政すら大きく動かせるだろうに。無投票で再選されたと云うが県民の気持ちも伝わってくる。たしかに県庁吏員の顔からしてちがう、明るい。
*「出版ニュース」の清田義昭氏から贈られてきた新刊十一月号に、「三田誠広著『図書館への私の提言』への提言」を岡山の田井郁久雄氏が書いている。これ
を読んでくれということだろう、読む前から書かれていることはおよそ分かっていて、それはわたしの感想とほとんど同じだろうと予想したが、その通りであっ
た。同僚委員であり同じ作家同士で親しくしている三田氏ではあるが、彼の本はあまりに戴けない所説が多すぎる。書くなら腰をすえて、一期一会の覚悟で書か
れるべきであった、恥ずかしいほど概してお粗末なのである。彼の立場からすると、日本の作家達がみなこのように考えている、彼は文藝家境界と日本ペンクラ
ブを代表してこの本を書いたように誤解されるかもしれないが、ちがう。わたし個人は「ちがう」と云っておく。先日のシンポジウムで彼自身が弁明していたよ
うに「故意にも喧嘩をふっかけよう」としたような動機で書かれている。まともな物書きはそんなことはしないし、してはならないだろう。
* だいじなキーワードの一つなのに、多くの作家からも出版からも洩れているのは、「読者」への愛や誠意である。読者層の市場調査ということはウルサク云
うけれど、それは市場の「買い手」としての「頭数」調査であり、「読み手」の頭の中を探索し感謝したり配慮したりは、二の次にも三の次にも無く、無くて当
然、のようなことになっていたのが日本の「本」をダメにしてきた。わたしは、そう思っている。大量に買わせる目的一つで、読めるレベルを探るものだから、
どうしても、マンガか不出来な推理や浅い読み物になる。紙屑出版といわれるワケである。
キャンディス・バーゲンとジャクリーヌ・ビセットとが仲良く喧嘩した、邦題「ベストフレンド」の原題は、「リッチとフェイマス」であった。
キャンディスは売れに売れる読み物作者として大金持ちになり、ジャクリーヌは寡作でも優秀な藝術文学によって名を高くし、敬愛されている。そういう題
だ。
この場合の「リッチ」は、精神ぬきのお金持ち、お金だけは有り余るという意味で使われ、この場合の「フェイマス」は日本語でいう有名・知名人の意味でな
くて、作品そのものの価値高さや内容の豊かさゆえによく識られている、という意味に使われている。あまりお金儲けはできていそうにない。
日本の出版が、リッチな作家を多くもつことで経営的に安定出来るという大事さ、これは否定しないし、否定出来ることではない。しかしながら日本の出版や
編集者のあやまりは、リッチをフェイマスと錯覚して、真のフェイマスを置き去りに見捨てて行く経済利得感情の優先傾向にある。
昔はそうでなかった。それがそうなりはじめ、近時ますますそうなってきたのは、フェイマスな作者も少なく乏しくなり過ぎているのだろうが、それだけでは
ない。と云うより、フェイマスを敬遠というよりむしろ排除し、リッチにばかり走りすぎた結果として、売れる読み物作家の団体が圧力団体かのように世にも訝
しいことを平気で主張したり要求したりするようになってきた。背後の黒幕に、有力な、しかし経営不安の出てきた大出版の有ること、誰でも知っている。フェ
イマスだった文筆家団体も、そういうリッチ感覚に今や占領されて行く気味がつよい。
井上ひさし氏が会長になり、報道人たちと懇談した場所で、「直木賞作家に成りたい人は日本ペンクラブに入会されるといい、日本ペンの役員や理事には直木
賞作家が五人もいます」とジョウダンを云っていたが、そういう意識である。そういえば井上氏は歴代会長の中で、初の直木賞作家である。賞創設以来の会長で
は、第一回芥川賞の石川達三、以来、井上靖、遠藤周作が芥川賞作家であり、先の受賞者も含め、川端康成や中村光夫らは芥川賞の選者であった。フェイマスが
ともあれ柱になっていたように見受けられるが、リッチ傾向に転じていることは、理事会の話題の大半が「金稼ぎ」に傾きやすいこの五年六年を体験しただけ
で、言い切れる。
金は大切なものでわたしも軽視はしていないが、文学・文藝となると、やはりフェイマスが心から懐かしい。固定した熱愛読者が「五百人」いるといって他の
作家から羨望され、ときに憎悪もされたという泉鏡花の伝説は極端であるにしても、フェイマスとはそれであった。リッチな天才になどお目にかかったことがな
い。
* 詩人西垣脩の生前の詩業からえらんで「招待席」に入れることが出来そうで、喜んでいる。
* 十一月二十四日 月
* ややくつろいで発送用意の作業から離れ、いま、志賀重昂による「『日本人』が懐抱する処の旨義を告白す」を起稿し、校正し、入稿した。名著の誉れ高い
『日本風景論』で知られるが、まず今日、重昂の論著を読む人はめったにあるまい。そういう意味ではカビ臭いと譏る人もあろうが、この論文など、一時期文明
開化に狂奔しつつその蔭で上流と官学との支配が執拗に計られていた「明治」にあり、やはり誰かが明晰に声をあげて当然な論旨を通しており、説いている「国
粋保存」の四字に、落ち着いた視野と意欲とが漲っていて、敬服を誘う。
志賀重昂は日本国内に狭く跼蹐して発言していた人ではない。地理学者として西欧にもよく知られ、足跡は世界に及んでいた。むしろすぐれた西欧文明に学ん
で説をなしている。「日本人」刊行の第二号初出の「告白」である。出版編集人としてのまた一つの立場と覚悟とが披瀝されていて、おもしろかった。「日本」
の陸羯南といい「日本人」の志賀といい、また「萬朝報」の黒岩涙香といい、こういう創始者の名前と意気とが、「時代」の若い活気を体現している。今日の
ジャーナリズムではあまり聞こえても届いてもこない声と言葉を彼等は用いている。
黒岩の前に、いま、田口鼎軒の「情交論」を起稿校正しはじめている。云うまでもない男女の性的な関わりが、くらい視野のなかへ追いやられ忌避されていて
いいわけがなかった。だが、黒田清輝の展覧会に出した初のヌード画に、布の被いがかけられた逸話でも察しられるように、封建時代の以前から男女情交はむし
ろ以ての外の悪事に類して取り扱われた。明治でもそれが当然のようであった中で、田口の、意を決しての議論である。これまた起こらずして済まなかった新時
代、明治十九年の勇気の声であった。二葉亭四迷の「浮雲」をはじめとするわが近代文学はこの翌年よりして大いに開花し始めたのである。
「ペン電子文藝館」は、このように時代の進行に歩調を与え得たような、記念の文章、をも長く保存し展示したいと、それが館長としての私のつよい意思であ
る。思えばあの敗戦後の性と性の表現の解放は、めざましいものであったし、良くもまた悪しくも時代を一変した。その遠き淵源が、この田口鼎軒の「情交論」
にもあると改めて知るのは感慨深い。
* 黒田清輝のたしか「朝妝」といったろうか、日本の油絵で初の裸体画は、警察ないし展覧会当局による滑稽な扱いを受けた。きわどく布で隠されたまま陳列
されたというが、さすがにその後そういうことはなかった。
絵のモデルというと直ちに裸体を連想させたほど、画学生も画家もヌードデッサンし、裸体画を公表した。彫刻作品ではまして裸体像は珍しくなかった。萩原
守衛の有名な代表作などに観られるし、秦テルオと互いに感応した戸張孤雁の彫刻もヌードにいいものが多い。着衣の現代彫刻はむしろ少ない。
西欧の彫刻は、ミロのヴィーナスをはじめ、連綿として現代まで裸像の歴史をもっている。絵画でもそうだが、或る時代的な特色がからんでいるという。裸体
画がもっぱら好んで描かれる時代と、そうでない時代とは微妙に交替しているという学説を、西洋の美術史家ヴォリンガーに学んだことがある。それから、裸体
の人物と着衣の人物がさも当然のように混じる時期もあるという。そういう、戦闘する民衆の先頭に裸体の像が先駈けていたり、裸体の婦人もまじって草上にな
ごやかに食事などしている光景の絵を、見覚えている人があるだろう。それが特に不自然でなくある種の鼓吹的な効果を持って描かれていたりする。
* 裸体を劣情の対象として描くか、また観るか。難しい問題である。日本画家の石本正も加山又造もいい裸体像を描くが、石本のはスケベーが過ぎると嫌う人
もあり、加山のもなまなましいと嫌う人はいる。そのきらい、ないではない。
しかし、少なくもボッティチェリからプーサンやルノワールやマティスにいたるまで裸婦像は「美」の表現として多くを魅了して已まなかった。すばらしい裸
婦像は展覧会の花である。だがどう「すばらしい」かとなると、微妙な個人差が描き手にも鑑賞者にも箇々に分かれてくる。伝えるところルノワールは絵筆をペ
ニスのかわりに女の肉体を美しく描いたと云われる。そういう機微は否定出来ない。
* 生まれて初めてみた女のからだの美しさにまいったのは、あれで幼稚園のころか、その前かも知れないが、家の二階にあがると、着替えの最中であったか叔
母ツルが、上半身をあらわにしていたその、乳房のかたち。特に色白な女ではなかった叔母は、また美女とも程遠かったのに、豊かに美しい胸乳をもっていた。
稚いわたしは、実の母の乳というものを全く見覚えもせず秦家へ貰われてきていたので、また不幸にして養母の胸はあまりに薄かったので、このときの叔母の胸
にはほんとうにまいってしまった。うわあっッと歓声をあげとびついて行ったのを、ありあり覚えている、むろん触れることも出来はしなかったが。
* あれは一種のすりこみ体験であったろう。女のはだかに彫像や裸像や写真で接するとき、わたしはほとんど乳房の形と美しさだけに惹かれている。母を知ら
ないわたしのトラウマとも謂える。が、美術史的に謂っても、人類の、少なくも男子の、根の深くて遠い憧れなのであろう。ミロのヴィーナスにあの美しい乳房
が欠けていたら、国立東京博物館を人は七巻半も取り巻いて観に出掛けたろうか。だが、わたしは出掛けた。レンブラントの「ダナエ」特別展にも出掛けた。劣
情ではない、まさに優情であり哀情からである。
* 誰でも知っているように、インターネットの蜘蛛の巣には、すばらしい情報も多いが、愚劣極まる醜悪な画面も、底知れぬドツボの内容物となり堆積してい
る。むろんわたしは、そんなもの知らない、見ない、覗きもしないなどと白けたことは云わない。わたしは何でも観ているし、知っている。そしてこ幸いにもそ
んな夥しい刺激物に、わたしは精神的にも肉体的にも殆ど反応しない。もう少し反応しないものかなあと慨嘆するほどつまらない。見ていて汚い。
わたしは、汚いもの穢れたものを直視することで「解脱」を切望し、夜ごと墓場に泣いていた老大納言国経の、いわゆる「不浄観」という修行のあるのを、生
まれて初めて愛読した新聞小説「少将滋幹の母」で識った。絶世の美人妻を若い権力者時平に奪われた大納言は、墓場に腐乱した女の死骸に瞳を凝らして、苦悶
からの脱却をはかっていたのである。そんなうまい手があるもんかなあと、かすかに子供ごころに感じたが、インターネットで出逢う女たちの裸ときたら、墓場
の腐乱死骸にかなり似ていて、幸い悪臭のないまま見ていると、じつは、「みーんな同じ」で、曲もないバカな見せ物だとすぐ分かる。悟りが開けるとすれば、
どんな人間も、裸になればみな変わりはない、という事実にだけだ。つまり、つまらないものである、この年齢にもなってしまうと。
だが、極めて稀にであるが、泥中の蓮花もかくやと清らかに匂うような女のはだか写真も混じるのである。地獄で仏のように、である。なんでこんな美しい人
が、なんでこんなきたない場所に自分の裸身を曝すのだろうと、訝しい極みであるが、それほど、写真効果もあるにしても、上品で清潔な人のヌードに出逢うこ
とが出来る。極めて極めて稀であるが。云うまでもない、たいてい乳房の清純なかたちや色に美は凝縮される。ダウンロードしてよろこんで秘匿したりする。ミ
ロのヴィーナスを彫刻の美として喜ぶように、佳い写真として鑑賞に堪えるヌードが、たまに、ごくたまに、インターネットの泥田の蓮のようにみつかること
を、わたしは、徳としている。
* ドラマ「CSI」が終わってしまった。どきどきするようなマージ・ヘルゲンバーガーに逢うのが楽しみであったのに。
ディケンズ原作ではあるが、かなり脚色されて舞台も現代に置き換えた「大いなる遺産」は、森秀樹さんに戴いたビデオ映画、これがわたしも妻も好きで。ヒ
ロインはグィネス・パルトロウ、男で画家の主役はイーサン・ホーク。それに大事な役、大きい役でアン・バンクロフトとロバート・デ・ニーロが出ている。豪
華キャストだ。
作中の絵画がすばらしく面白い。それも楽しみで観る。そういえばグィネス・パルトロウは数日前に観たマイケル・ダグラスの妻の役でも、ならずものの画家
に誘惑され愛して、最期には夫を殺すはめになっていた。二流の娯楽作であった。だが「大いなる遺産」はかなり楽しめる上出来のドラマに成っている。
* 十一月二十五日 火
* 白井喬二の小説「大盗マノレスク」と田口鼎軒の論説「日本之情交論」を起稿校正して、入稿した。また何本かスキャンしなくてはならない。漱石と啄木の
第二作を考えている。
* 明日は「ペンの日」の理事会と懇親会がある。明後日は昼前に歯医者。金曜は昼の「冬物語」に引き続いて晩には平家読劇。土曜は「マクベス」を観て、そ
れが済むと今年四冊目の「湖の本」を送り出す。通算七十七巻めのわたしより、一足も二足もはやい喜寿である。わたしは師走二十一日の終い弘法で、六十八歳
になる。
* 柳君が湖の本へ先払いも含めて一万円払い込んできてくれた。ありがとう。ボーナスをもらったようにひとしお嬉しい。
* 誕生月 2003.11.24 小闇@バルセロナ
義父母から、私の留守中に電話があった。誕生日に、私に何を贈ろうか聞きたかったという。気づけば今年もまた、プレゼントの季節がやってきた。
欲しいもの、と聞かれると当惑する。もともと物欲はない方だ。それに、欲しいものは、欲しい時に、自分で買う。いつの間にか、それができるようになって
いた。子供の頃には、想像もできなかったこと。プレゼントの行き交うこの時期になると、いつもあの頃が甦り、なぜか無性に哀しくなる。
欲しいものを買ってもらった記憶がない。私はねだらない子供だった。それを「よい子」と呼ぶか、子供らしさに欠けるととるかは知らない。素直に「これが
欲しい」と言える子供を見て、最近はもう、嫌悪に近い嫉妬を感じない。子供はそれでいい、と思う。欲しがるものを与えるか与えないかは、大人の決めるこ
と。ダメと言われれば、その時子供は理由を考えるだろう。
私はその逆だった。「くだらない。」真っ先に大人の意見を耳にして、いつも、自分が欲しいかどうか感じるのを忘れた。匂い消しゴムも、絵柄入り折り紙
も、二面式筆箱も、飾りつき鉛筆キャップも買ってもらわなかった。悲しくなんかないと思っていた。
小学六年生、スタジャンが流行った。後にも先にも、これほど欲しかったものは思い出せない。兄と親戚の「お下がり」っ子だった私は、新しいスタジアム
ジャンパーを羽織った自分を夢見て笑った。買ってもらう色は、決まっていた。濃いグレーの身頃に、薄いグレーの袖。豊島君と同じ色だった。
こんなに欲しいのに。初めて、買ってもらえない切なさを認めた。
プレゼントの季節が来ると、決まって哀しくなる。何が哀しいのか、自分でもよく分からない。
買ってもらえなかったこと、じっと我慢していたこと、欲しいものも欲しいと言えなかった自分。倹約に追われた母。それとも、欲しいものが何でも手に入る
ようになってしまった今の境遇?
いや、これもただ、秋風に舞うプラタナスの葉のせいなのかもしれない。
* そうだった、わたしも、親に、買ってとたのむ前から断念していた。ま、それほど哀しみもしなかった。断念の方が深かった。それに父はわたしに、学歴と
養育と謡曲の美しさとを呉れた。母はいろんなことを識っていた。叔母は茶の湯や生け花や女の世界を呉れた。もらったものを、まずまず活かしてきたつもり
だ。
* 原田奈翁雄さんに誘われて書いた原稿も、井上靖記念文集に湯河原町から頼まれた原稿も校正が出て、さきのは終え、あとのはこれから校正する。自治体の
仕事なのに、いまどき活字組みらしくて、びっくり。
* 気分がゆったりしていたので、日付が替わってから、スキャナーをつかって、大西操山「批評論」黒岩涙香「『萬朝報』発刊の辞・満十五年」それに栗本鋤
雲の「岩瀬肥後守の事歴」をスキャンした。こういう貴重な明治人の、いやみな明治の以前から世にあった人達の声を、「ペン電子文藝館」は今聴いておかない
と、いずれわたしが退蔵の日を迎えてからはとてもとりあげて貰えないだろうと懸念するからである。文章は文語で、たしかに今の若者には読み煩うであろう
が、学徒の中には、篤学の大人の中には、読んでくれる読者があると思いたい。たとえ読者の数は少なくても保存に値する先学の先達の言葉や意思は書きとどめ
ておきたいとわたしは思うのである。今暫くは、こういう意思を我なりに大事にしたい。
そして意欲的な人があとあと、より現代的な血潮をも注ぎ込むように受け継いで欲しい。
* そんなことをしているうちに、また卒業生の声が届いてきた。卒業後に外国へ旅などする機会があるつど、泰西の絵にふれはじめて、すっかり「絵が好きに
なった」とある。「最近のお気に入りはルノワールで、解説付きの画集を買ってしまいました。彼の描く人物は健康的で、幸福で、笑顔にあふれていて素直に素
晴らしいと思います。人の表情のもっとも素晴らしい瞬間を、逃さずとらえていると思います。また、渋谷Bunkamuraで展示会が開かれていたミレーの
描く世界も素晴らしいと思います。」とあって、「それでは、12月にお会いできるのを楽しみにしております」と結んである。ルノワールであれミレーであ
れ、またその受け止め方がどうであれ、研究室で尖端の顕微鏡を覗き続けていたような青年が、大学院の学問を終えて企業に籍を置いて、何年かしてこういう趣
味と機会と感想を持ってきた、それがわたしは嬉しく愉快である。
ミュージカルの彼女からも見てもらって嬉しいと礼のメールが元気に届いた。
* 小闇@TOKYOが「風呂」のことを書いている。正しくは「浴槽」について主に書いている。そして「風呂上がり」という言葉で結んでいる。どうという
ことはない、が、われわれが今風呂屋といっているのは湯屋である。もともと風呂は湯に漬かるのでなく熱い蒸気に当たる場所である。京の八瀬の窯風呂のよう
に。ま、家の浴室でも湯気に当たるような気味も無いではないけれど、蒸気までは行かない。せっかく気持ちいい「湯上がり」という適切な言葉があるのだか
ら、「風呂上がり」はどうかなあと思う。
* 小泉と菅との論戦その他の予算委員会を聴いていたが、かなりバカバカしくかなり情けなかった。わたしは、あの梅原猛前会長と、なにもかも意見が揃うと
いう方ではなかったけれど、ある日の理事会で、声をしぼるようにし小泉純一郎を名指しし、歴代の総理大臣の中で最悪の総理大臣だと切言した、あの顔や声
を、このごろ、しきりに思い出す。その頃の小泉の支持率は高かった。だから、梅原さんはよくよくの認識を述べていたのだ。わたしは、あの時もかなり共感し
ていたが、今では完全に同調し同感する。彼小泉総理の胸の内に国民は住んでいない。卑怯に詭弁を弄し悪辣に政治をまさに愚弄している。
* 十一月二十六日 水
* 午前中に西垣脩の詩編「霧ぬれの歌」を読んで、形を整え入稿し、さらに黒岩涙香の「萬朝報」発刊の辞など論説を校正した。西垣の詩はたいしたもので
あった、母堂の臨終を見守る詩など、胸に迫った。また黒岩涙香の見識もまた精悍な魅力に富んでいた。また佳い見映えの「植樹」が出来た。
* 創立六十八年目の「ペンの日」に加わってきた。六十八年前の今日はまだわたしは生まれていなかったが、一月しないうちに誕生、わたしは日本ペンクラブ
と同い年なのである。
* 理事会はいろいろあった。
或る理事から、或る会員が重い病気のなかで創作活動を続けてはいるが収入がない、会費減免等の特典を与えられないか、と。
もっともな提案のように思われるが、わたしは、同様の会員は他にもいるだろうから、特典を与えることに反対はしないが、全会員に「会報」で動揺の事情の
方とはご相談に応じる用意がある、申し出られたいと「周知」を計ってからにして欲しいと発言した。たまたま理事会で代弁してくれる理事や役員と懇意な会員
にだけ特典が傾くのは不公平であろう、と。何でもないことだ、会報に公告しておくだけで、一つの「窓」は開かれる。あとは箇々のケースについて、「情」深
く審議すれば済む。特定の人にだけ特別の措置が可能になったりするのでは情実のそしりを免れない。結局、こういうことはウヤムヤにしておこうとでも云うよ
うな結論になった。会費滞納を黙許しておけばいいと。しかし、苦しい中からも律儀に会費は払っている無収入書き手もいるであろう。温情を以てすることには
賛成である。しかし役員や理事に繋ぎを付けることも出来ない困窮会員をみすみす置き去りにするのはおかしい。
* イラク派兵への抗議声明を出すことに決まった。いいことだ。ただわたしは、似たことが北朝鮮の国土で起きたときにも日本ペンクラブは同じように抗議す
るのか、それはまた別なのか、別だとすれば、とういう論理が用いられるのか、少なくも腹の中では自分なりの思案が必要であろうと発言しておいた。
わたしの意見は、そもそもイラク派兵など自衛隊の趣旨とも日米安保ともハミでていて憲法違反だと思っている。イラクほどの遠方への派兵は、いかに屁理屈
をこねても自衛からはハミ出ている。しかし北朝鮮との間にアメリカが進攻して戦闘状態がもし起きたときは、日本が圏外にいて巻き込まれないでいられるわけ
がないし、如実に日米安保の条約が適用されてくるだろう。わたしはそれをイラクとの場合とは「べつもの」だと思う。だがしかし、アメリカは小型核兵器の開
発に伴う熾烈で残虐な手口を、イラクの場合と異ならず北朝鮮にも及ぼすであろう、その際に、アメリカのこれでもかという核を伴う、劣化ウラン弾使用等を伴
う軍事行動に、われわれは、やはり正確に抗議すべき事態があるであろうなと、イヤな予測をせざるを得ない。頭をどう悩ませても、誠実に苦悩しつつ一つ一つ
に対応せざるを得ない。
そう想像の範囲で予測しつつ、明確にイラク派兵には抗議するのが至当だと考える。
ペンの日の祝宴で、われわれの声明文が朗読された。それは少なくもここ数年の「ペンの日」にかつてなかった成果であった。感動した。
* 電子文藝館の書面報告は、全く「異議」無く了承された。ただ口頭で別にわたしは、三つの事を提議した。
一つは、四百作に上している掲載作から「オン・デマンド」出版を考えてはどうか。二つは、いうなれば「特別招待席」の感覚で、近代文学の鼻祖というべき
例えば、小説の上田秋成、詩歌の与謝蕪村、評論の本居宣長の作品を迎え入れたいがどうか。三つは、読者の参加に窓口を開けたいと考えているということ。
討議するには時間がなかった。が、次回理事会ではまた問題として採り上げてもらおうと思う。
* 言論表現委員会の猪瀬委員長から、先日のシンポジウムの纏め報告があったが、参加した私の感想とはかなりかけ離れた、自賛気味の報告であった。わたし
は、かなりかけ離れた別の感想を持ったこと、例えば会場アンケートの回答例が思ったより数多く出ていたものの、その中に著作者からのものは、まして会員か
らのものは、只の一例も認められず、すべてと云っていい、それは図書館関係者や大学生や読者層のものばかりであったことが、如実に猪瀬報告の内容を裏切っ
ていること、を、指摘するしかなかった。指摘しなければ、そのまま事の大勢を都合良くヨイショヨイショと飾り立てて終わるからである。「出版ニュース」に
書かれていた田井郁久雄氏らの議論の方が、ずっと正鵠を射ているように思われるのでは、著作者の一人としてまことに奇妙な心地である。その点は、あのシン
ポジウムの日のあと、この「私語」としても言い置いてある。
* 「ペンの日」の懇親会は、例年よりも人数が少ないかのように、感じた。わたしはもっぱら電子文藝館へ出稿可能そうな人に依頼してまわり、出稿希望の人
の相談に乗り、すでに出稿し掲載された人の挨拶や謝辞を受け、一万円の会費は払ったものの、乾杯の水割を一杯だけのほかは、焼き鳥を一串口にしただけ。
かなり会場に粘っていたが、抜け出てタクシーで帝国ホテルへ直行し、クラブで、思わずひとり息をついてから、とびきり「美味い」と今夜も保証付きのボ
ジョレーヌーボーをボトルでとった。グラスについでもらい、残りは妻の土産にして、わたしはいつものようにマーテルとインペリアルをそれぞれたっぷり注い
で貰った。お腹がペコペコだったのでクラブ自慢の佳い寿司を取り寄せてもらった。静かな別室へ入れてくれたので、独り、井上靖の「美」と「美術」を、繰り
返し二度読んで校正を終えることが出来た。無趣味に乾燥した雑踏の宴会場からのがれて、特別静かな籠居の中で、井上靖との落ち着いた対話を、それも「美し
いもの」を話題にした対話を楽しめたのは、これこそが休息であった。憩いであった。別世界だった。寿司も酒もほんとに旨かった。
保谷駅からタクシーで帰宅。妻と、ワインのグラスを合わせてもう一度ボジョレーを賞味し楽しみ、そして機械の前へ。
* 十一月二十六日 つづき
* 意地を張れ 2003.11.26 小闇@tokyo
テレビ朝日の社長が謝った。アサヒコムより引用。
--------------------------------------------------------------------------------
テレビ朝日系で9日放送された総選挙特番「選挙ステーション」に自民党幹部が出演を拒否した問題で、同社の広瀬道貞社長は25日の会見で、「政権党幹部
の出演がなかったのは残念だが、テレ朝側にも非があった」と同社の報道自体にも問題があったことを認めた。
同党による出演拒否の理由は、民主党の閣僚名簿発表を元にした「ニュースステーション」(4日放送)内のマニフェストに関する特集が著しくバランスを欠
いていた、としたもの。広瀬社長は「報道することは当然。だが、民主党を引き合いにマニフェストを説明したのは、視聴者に対して公平を欠いたと思ってい
る」と語った。
--------------------------------------------------------------------------------
絶句。
現場の非を認めるということは、トップは当然引責ですよ。あなたの監督不行届なんですよ。いくら外部に丸投げの番組だからって、知らなかったじゃすまさ
れないんですよ。雪印、JR東海バス、日経、日本テレビ。さんざん叩いてきましたね。けれどあなたのやったことは、これらのトップ以下ですよ。部下を売り
渡して保身ですか。
トップなら、内心しまったと思っても意地を張れ。現場が暴走したと言うなら、それより大きな声で責任はすべて私にあると言ってみろ。
この報を耳にした現場の憤りが、私には分かる。
社長はご存じないようだが、ニュースステーションは一般に、報道番組ではない。よくできたバラエティである。「視聴者に対する公平」など、はなから期待
していない。その高視聴率のバラエティに自民党幹部が出演しなかったのは、彼らもガキだからにほかならない。電波独占してなんぼの商売だろうに。子供の喧
嘩に親が出て、その出方を誤った典型。アホか。アホならアホなりに口を噤んでいろ。
* 同感。
* 筑紫哲也が、小野清子法務大臣にめずらしく激怒していたのも、同感。あんなのは大臣ではない、官僚のメモ読み人形であり、法のなかに流れるべき血の温
みをあたまから知りもしない愚物である。大臣も官僚も、人間をいたわる親切をもたず、都合のいいときにだけ法は運用し、都合が悪いと形式論理で冷え切った
顔付きになる。国籍について、日本国の法律行使ほど杓子定規な文明国は他にあるだろうか。有るかも知れないが、自慢にはなるまい。筑紫は頑張って欲しい。
* 十一月二十六日 つづき
* 意地を張れ 2003.11.26 小闇@tokyo
テレビ朝日の社長が謝った。アサヒコムより引用。
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テレビ朝日系で9日放送された総選挙特番「選挙ステーション」に自民党幹部が出演を拒否した問題で、同社の広瀬道貞社長は25日の会見で、「政権党幹部
の出演がなかったのは残念だが、テレ朝側にも非があった」と同社の報道自体にも問題があったことを認めた。
同党による出演拒否の理由は、民主党の閣僚名簿発表を元にした「ニュースステーション」(4日放送)内のマニフェストに関する特集が著しくバランスを欠
いていた、としたもの。広瀬社長は「報道することは当然。だが、民主党を引き合いにマニフェストを説明したのは、視聴者に対して公平を欠いたと思ってい
る」と語った。
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絶句。
現場の非を認めるということは、トップは当然引責ですよ。あなたの監督不行届なんですよ。いくら外部に丸投げの番組だからって、知らなかったじゃすまさ
れないんですよ。雪印、JR東海バス、日経、日本テレビ。さんざん叩いてきましたね。けれどあなたのやったことは、これらのトップ以下ですよ。部下を売り
渡して保身ですか。
トップなら、内心しまったと思っても意地を張れ。現場が暴走したと言うなら、それより大きな声で責任はすべて私にあると言ってみろ。
この報を耳にした現場の憤りが、私には分かる。
社長はご存じないようだが、ニュースステーションは一般に、報道番組ではない。よくできたバラエティである。「視聴者に対する公平」など、はなから期待
していない。その高視聴率のバラエティに自民党幹部が出演しなかったのは、彼らもガキだからにほかならない。電波独占してなんぼの商売だろうに。子供の喧
嘩に親が出て、その出方を誤った典型。アホか。アホならアホなりに口を噤んでいろ。
* 同感。
* 筑紫哲也が、小野清子法務大臣にめずらしく激怒していたのも、同感。あんなのは大臣ではない、官僚のメモ読み人形であり、法のなかに流れるべき血の温
みをあたまから知りもしない愚物である。大臣も官僚も、人間をいたわる親切をもたず、都合のいいときにだけ法は運用し、都合が悪いと形式論理で冷え切った
顔付きになる。国籍について、日本国の法律行使ほど杓子定規な文明国は他にあるだろうか。有るかも知れないが、自慢にはなるまい。筑紫は頑張って欲しい。
* 十一月二十八日 金
* 六本木へ一時前につき、俳優座劇場で指定席の券を受け取る。制作の山崎菊雄氏、「佳い席をご用意しました」と、にこにこ。感謝して、ひとまず劇場裏の
喫茶店にいつものようにまわって、休息。玉子サンドウィッチとコーヒー。
なるほど佳い席であったが、やがて開幕の前になり、われわれの隣席へ加藤剛夫妻が入って、ビックリしながら久闊を叙した。久しぶりで。懐かしく。また、
珍しいことで。なるほどこれは「佳い席」であった。
* シェイクスピアの「冬物語」を、松岡和子の訳、W.ガリンスキーの演出で。この演出家は三十一歳の俊秀とあとで山崎氏に聞いた。じつは、それまで演出
家がロシアの人とは気付いてなかった。俳優座の誰が演出しているのかな、と、あれこれ推測しながら観ていた。
「冬物語」は、日本でいえば、けっこうに歌舞伎仕立ての芝居である。
ボヘミアの王を宮廷に迎えたシチリア王が、后とボヘミア王の仲を邪推し、腹心のカミロに殺害を命じるが、カミロはその理不尽な邪推と不正義を避けるた
め、ボヘミア王を故国へ逃がし、自身も亡命する。シチリア王は、嫉妬のあまりついに王妃をゆるさず、牢獄で生まれた娘をも僻地に送って、廷臣に殺害すべく
命じる。障碍のある兄王子も死に、王妃も牢に死んだと知らされた王は、そこへ来て、いたく己の非を悔いる。
そういう前半のあらすじを、一つ一つ目出度く覆して行くのが後半の舞台で、まずしい家に救われて育ったシチリア王の美しい娘は、ボヘミア王の王子と恋に
落ちている。父王の猛反対に屈しない王子とその娘は、あのカミロにも勧められてシチリアの宮廷へのがれて行く。ボヘミア王への不当な嫉妬の悲劇を痛悔して
いるシチリア王は、よろこんで王子達を迎え、娘の美しさにまたひとしお亡き王妃への思い出をかきたてられるのだが、まだ自分の娘とは知るよしもなかった。
そこへボヘミアの王もカミロも娘を育てた家の者も、シチリアの宮廷を訪れて、お察しのような目出度い事態に至るが、さらにこの「歌舞伎」は展開し、生き写
しと見えた美しい限りの亡き后の像が、身動きし口をきき、悔いた王を許して抱き合い、また娘をも祝福する。王妃は死んでいなかったのである。
しかしあの障碍のある、母を愛し父を愛していた王子はよみがえることがない。この王子はいわば霊性の「鳥」の化身かの如く生きて、また死んでいた。この
鳥は死せる肉親にまた魂を呼び戻すほどの隠れた役割を持ち得ていたのであろう。死の儀礼に、幾種もの鳥の「役」のものが、死者の霊を慰め鎮め奉仕すること
は、日本の神話でも天若日子の死の際に如実であるが、障害者の帯びやすい不思議の霊能をこの王子がこの舞台では持ち得ていたように想われる。
* こういう筋立てはいわば「伝奇」であり歌舞伎劇のおはこである。翻案して時代物に創ることは容易である。そして事実、従来のシェイクスピア劇として上
演すれば、まさに歌舞伎的にものものしい荘重劇にもなったのである。
ところが若き演出家ガリンスキーは、このいわば歌舞伎を、狂言の手法に置き換えて、あるいはマリオネットなどの簡素で質素な村芝居風に翻案し翻訳して、
一つの舞台に仕立てた。なかなの冒険であり大胆な新シェイクスピア劇への挑戦である。
俳優達を「少しとまどわせ」た演出ともわたしはあとで漏れ聞いたが、さもあろう。さもあろうが、懸命に俳優達は応えて、それでも応えきれないものは舞台
に幾らか残っていた。
歌舞伎の芝居は、めんめんと感情や所作や言葉で情況を塗り込めて行ける。それで演じる方も観客も酔って行く。マカ不思議も何のその、やすやすとやっての
けるから歌舞伎なのである。幽霊も出れば神様も出る。何でも来い舞台になれる。
ところが狂言は、余白をうずめない演劇である。俳優の言葉と肉体とが、それだけが活躍する。劇の時空に白く浮かんだ隙間をきちっとうずめる力は、役者の
滑舌と口跡の音楽的な力感と美しさ、そしてきびきびと決まった所作の鮮度でもたらされる。
今日の舞台では、演出の意図と意欲を活かせるほど、俳優達の滑舌と口跡美に欠けていた。科白の美味い川口敦子でも、幕開きの出だしはすべてひわひわと軽
薄で、舞台を引き立てる芯の一人としての感銘薄く、だれかが「お妃さま」と呼んだとき、村女への冗談かと思いかけたほど、そこが宮廷であり王妃である
「位」も確かさも欠けていた。能役者達が舞台の「位」をどう読むかに力を致すのと、まるでかけ離れて、あの場面を印象づける、リアルな、ではないリアリ
ティーのある理解が、欠けていたとしか思えない。
シチリア王の中野誠也は、もともと滑舌も口跡も甚だ難のある俳優であり、その難が今日もヒドク耳障りであった。この人など、もっと狂言役者や歌舞伎役者
達の明瞭な「語り」に学ばねばなるまい。少なくも自分の舞台の「声の粘り」「言葉のねじれ」を、録音で何度も自ら聴き確かめて、これでも観客にきちんと聴
き取られているだろうかと懸念しつつ、是正の利く限りは是正し、よく自己批評しなければいけないだろう。科白の聴き取りにくい名優というのは、ついぞいた
タメシはないのである。加藤剛にいつでも感心するのは、科白が美しく明晰なこと。どんなに早口、どんなに小声、でも、それなりに悠々と朗々と演劇の声で
「明瞭に」話し聴かせ得ないようでは、新劇の優れた俳優ではとうてい有り得ない。
歌舞伎、能、狂言の芯の役者達の科白は、なかみはむちゃくちゃに妙でも、言葉としては明晰にしかも美しく届いてくる。ましてシェイクスピア劇ではない
か。今日のようなつまり「狂言」芝居に近い明晰空間では、筋書きのややこしさを伝えるだけでなく、演劇言語としての魅力で勝負する理解が、覚悟としても必
要であったろう。訳も、あまり魅力的とは思えなかった。「目に入れても痛くない」式の通俗語法が平気で混じっていた。
もっとも中野の芝居も後半の舞台ではそれなりに引き締まっていた。前半は、これが王であろうかとなかなか思いにくい、紙屑のような軽さであった。ボヘミ
ア王の武正忠明は、王の位をそこそこに出し得ていたのだから、比較に於いてシチリア王はマリオネット人形か影絵芝居の人形のようにひょろりと薄かった。
あの王は、あの時に限り取り憑かれたのである、嫉妬に。それを分からせるためには、余のことでは賢王であり得た確かさを「位」として身に帯びていないと
おかしい。この優れた王様が何を物狂いされたかと廷臣のみんなが思って止めたり諫めたりしているのは、彼等の王への愛と信頼があればこそである。中野の王
は、あれでは観客からももろに軽蔑されてしまう。しかしそれは間違っているし、そんなうすっぺらいままの王では後半の悔いの深さが訝しいものになってしま
う。
また若い王子王女たちの恋の芝居も、口跡よわく滑舌まずく、美しくもなく、魅力もなかった。この二人が光り輝くことこそ、この芝居が大きく映える要件な
のに。
立花一男の大らかな芝居が、小川敦子のポーライナの緩急の口跡と吹っ切れた身動きが、また執行佐智子の美しい語りが、ひかった。小山力也のカミロは佳い
感じで喋ってくれる俳優なのだが、今日の舞台では、なにかしら肉体的な魅力に乏しかった。
* そういうわけで、斬新な演出家の意図を、俳優達がよく生かし切れなかった舞台とわたしは観た。はっきり云って全体にミスキャストではなかったか。
だが、妙に面白く惹きつけられ、意表に出て心憎い舞台でもあった。七十点ぐらいに感じた。純熟させての再演を期待したい。
*「冬物語」は好きか。わたしはもともと好きな劇の一つに数えている。しかし、今日のように斬新な「冬物語」は予想もしていなかった。この驚きは、俳優座
のためにはたいへん好もしい成果である。
明日は同じ劇団・劇場・俳優達で、「マクベス」を観る。今日はカミロの小山力也がマクベス、大きく演じてくれるだろうか。ダンカンはむろん中野誠也、こ
れは適役だろうと想う。小川敦子の活躍に期待している。
* すぐ大江戸線で練馬へ、そして大泉学園駅へもどり、「ゆめりあホール」での、語り芝居と琵琶による「平家物語」を待った。このまえ日暮里の正行寺で、
原知佐子らと一緒に平家を「語り」の、今日は岡橋和彦の一人舞台。その岡橋の親切な招待があった。
「ゆめりあ」の中をひとまわり歩いた。新しく出来た建物と店舗とで感じが佳い。時間があったので駅北口へ出て、まずまずの風情の蕎麦屋に入った。風に冷え
たからだを鍋焼きうどんとビールで温めた。蕎麦は酒の肴になる食べ物、日本酒を置いてないのには失望したが、温かい物は温かくてうまくて、ゆっくり、妻
と、芝居やら何やらとぎれなく話しながら、気分良く休息した。
* 七時開演。演目は、祇園精舎、足摺、木曽最期、敦盛最期、那須与一、壇ノ浦合戦。そのうち那須与一だけは鶴田流薩摩琵琶の岩佐鶴丈が琵琶で語り、余
は、岡橋和彦が語り芝居で美しく演じてくれた。活字で読めば難しい分からないと嘆くかも知れない人も、美しく力ある読み語りに魅入られて聴いていれば、こ
とごとく理解でき感銘を受ける。木曽最期など、泣かされた。熊谷・敦盛も、壇ノ浦も、流石に名文、心打たれ心しおれた。
帰りがけ岡橋さんの懇切な挨拶があり恐縮した。私からのおみやげに、「風の奏で」を持参した。
*「ペン電子文藝館」の校正が四本輻輳、それぞれに手配を終えた。明日が過ぎれば、新しい「湖の本」の発送にいつからでも臨める。歯の痛みもかるく残って
いるけれど、落ち着いている。
* 十一月二十九日 土
* 夜前深更、島崎藤村「夜明け前」第一部を読了、これから後半に入って行く。第一部では、木曽馬籠本陣を受け継いだ半蔵の気持ちに乗せて、幕末の鈍雲た
ちこめた動揺・動乱の日本が、よく巨視的に捉えられている。小説としての展開も大きいが、歴史的な興味も湛え、わたしのような歴史好きの読者には有り難
い。しかし繰り返し云うがあのそうは大きくない馬籠宿の、あの島崎家本陣跡の記念館や、菩提寺や墓地を、小径を、実地に見て歩いてふれてきた体験がどんな
に役に立っているか計り知れない。
こんなに清明に静かに呼吸した佳い文体の大作は珍しい。いかに文壇や出版から精神的に離れて自律していた作者かと、頭が自然にさがる。独座大雄峰。あの
宿から仰ぎ見る恵那の山容が眼にうかぶ。
一気に読むなどということはしないで、今日まできた。多くても十頁、少ないときで二頁ずつ咀嚼し賞味する気持で、しかしほぼ一夜と欠かさず読んできたの
で、没入できている。この名作はそのように読んでこそ楽しくさえあり、むろん興味津々と動いて尽きないのである。
* このところバグワン、源氏物語、江戸開府とあわせて、欠かさず楽しんでいるのは角田文衛博士に頂戴した王朝の女性達を多く論及した大冊。昨夜は高二位
成忠の娘高階光子の研究を読み上げた。なまじな小説などの何倍もこういう人物研究は興味深く面白い。業平と齋宮恬子内親王との夢かうつつの密通は余りに有
名だし、また良房の女高子と業平の生涯の恋にも惹かれる。こういう人事が、小説としてでなく詳細な文献検討と推測との結論として巨細に叙されると、安心し
てその成果に乗って行ける。小説家的な想像をさらに自由に放って行ける。書こうとは思わないが、われ一人の楽しみは、これに過ぎるものはそう無いのであ
る。
* さて秀吉の人間的な武将的な魅力は山崎合戦で終えて、あとは不愉快がかなり襲ってくるが、それに輪をかけ、家康への敬意は秀吉に臣従し隠忍するあたり
までで、開府以降の大坂圧迫、京都圧迫になると不快感が泓々と湧くばかり。それは即ち彼等の政治力の勝利して行く時期に合致している。政治支配という欲と
は無縁に暮らすわれわれには、そんなものが愉快であるわけがない。
本居宣長は、よく「治者」の理想を人は論じるけれど、治められる自分達にすれば、「被治者」からの理想というものがある、それを人はもっともっと語り考
え治者に対して求めるべきであると語っていたのが思い出される。治められる側にはそれなりの理想がある。それが治める者達の強欲や都合の前に見向きもされ
ない、そんな政治の不愉快を、強権者の足下でみなが堪え忍んできたが、今はそうではない、などと思う人がいれば鈍感を羞じたがいい。今もわたしは、不愉快
な政治の力の下で怒りを禁じがたい。
* 大江健三郎氏に贈られた小説も読み始めた。この三日四日の多忙でお礼も申し遅れている。
* 遅ればせながら「秦テルヲ展」を観てきました。よきものお勧め、ありがとうございましました。
企画、構成、配置もしっかりしており、なかなかに充実した展覧会でした。
ーーーーー
……先日、いまにも雨が降りだしそうな、鄙の露天フリーマーケットで、野ざらし状態の油絵(10〜40号)12点を捨て値で買い求めた。木枠から剥がさ
れキャンバスのみ、経年の色のくすみも進み、厚塗りの油彩も剥離しはじめていたが、なぜか、荒らぶる魂に圧倒され連れて帰った。静物が11点、一番新しい
1点は風景、画風の移ろいも感じる。10年余前に某都内デパートで展覧会をやった有名でない現存作家の画学生時代の習作(35年前ごろからの)と推察、あ
とは不明。
家に戻り、まず、保存不良、丸めておかれていたため波うっている布を引っ張り、一枚一枚壁にピンで止め、壁の余白いっぱいに8枚を並べてみた。さてどう
するか? 下手に修復するのもいただけない。古い絵に合わせて色を塗るとあとで色が変わってくる。すでに古色をだしはじめている「ありの侭」を楽しんでみ
たい、気もする。せめて、木
枠に貼ってはみたいが、イタミも進み容易ではないかもしれない、額装は金をかければいつでもできる。作家の手を離れた、元絵とは様変わりした「迷い絵」の
運命を考えている。どこにあっても、イタんでもイイものは残しておきたい。美しく映えるものだけが「名画」ではない、とも思う。また汚いものを拾ってきた
とややあきれ顔のカミさんに、しばらく眺めていないと味はわかんないよね、と言われホッとした。
そんななか、ふと、「秦テルヲ展」を思い出し、期限2日前に観てこれた。
秦テルヲの絵は、正直言って、かなり「上手い」。枠からはみだしそうな、とくに若い時代の爆発的な作品を期待していたが、初期の暗い大作にしばらく足が
止まった。あった、よかった。絵の運命と保存にも想いをはせている。テルヲもよくぞ蒐集、保存・管理されていたとも。発掘、再評価にふさわしい展覧会水準
を維持できた基は、やはり作家の「力」であろう。型録から彼の経歴を読んでいる、棄教のことも。件の油絵作家の最近の絵もそのうち観てみたい、日展入選に
名があがっているので。
* 何人もの人が秦テルオ展へ足をはこんでくれた。テルオを本当に追体験するのは容易でない。彼が凝視し体験した世界へは、なかなか近づけもしないからで
ある。彼は京都の美校図案科に学んで、のちに「千総」という京都でも有数有力な染織の大店に務めて下絵を描いている。それで若い頃生計を保って母や弟妹を
養っていた。彼は、だから、と云っていいだろう、何でも描ける自由さと技術の高さを持っていた。素人画家ではない、基礎が充実したプロであったが、そのプ
ロ性に耽溺も安住もしないで、むしろ人の世の痛苦と不条理とを見詰める自分の心の震えに画技を従わせた。テルオほど画境を転じていった画家は少ない。アホ
ウの一つ覚えのようにいつもいつも判でもついたような似た絵しか描けない絵師とちがった。展覧会を歩いて、これがみな一人の画家の作品かとみなおすと驚く
ほど画風も画材も画題もいろいろ。しかもそれを統一している技術が生きている。
* お世話になります。返信、ありがとうございます。少し考えてみましたが、最初おっしゃられたように、「e-文庫・湖(umi)」に掲載していただけれ
ば幸甚です。いろいろご親切にお考え下さって恐縮です。
昨日は、有休をとって、画廊を見て回りました。銀座の西村画廊で開催されている三沢厚彦デッサン展が、とても面白く、ラフに描かれた様様な動物の表情に
惹かれました。三沢氏は木で動物を作る彫刻家ですが、今回はデッサンを発表。中央に一頭だけ「ヒョウ」が置かれていました。
それを見た足で、資生堂ギャラリーの駒井哲郎銅版画展をみました。駒井さんがいるので東京芸大を受験したのですが、入れませんでした。もう30年も前の
ことです。
* 優れた詩人岩佐なを氏の初期詩編を「ペン電子文藝館」に要請したのと全く入れ違いに六篇の、同僚委員にも喜ばれた詩が届いて掲載された。初期詩編をま
とめられたので、さきののうしろへ追加するかどうかなど相談した。これは独立させた方がいいかも知れないので、一年間、わたしの「e-文庫・湖
(umi)」であずかることになった。H氏賞詩人「岩佐なを初期詩編」は値打ち物である。俳優座から帰った今夜か明日にも「e-文庫・湖(umi)」に収
録する。有り難い。
この人はエッチングでたいへんおもしろい優れた書票を創る特異技能の画人としてもよく知られている。
* ああ、ああ。今日は雨。それでも今日の「マクベス」は楽しみ。シェイクスピアではない「マクベス」なのである。そして演出はもう一人のロシア人。俳優
座も企画に奮励している。嬉しいことだ。
* 十一月二十九日 つづき
* 俳優座劇場で、イヨネスコ作「マクベス」を観てきた。この作者について特別の予備知識は無かった、シェイクスピアの原作をパロディ化したものだろうと
想って出掛けた。そうかも知れない、そうでないかも知れないが、舞台を観てみればそう思ってもいいようだ。
見終えての一番の感想。沙翁の「マクベス」という作品が底知れず畏ろしいものだと云うことを、今更のように怖いほど実感した。原作を素材に、ストーリイ
などはむしろ忠実なほど下敷きにしながら、今日の舞台、たいへん面白い批評でもう一つの別の「マクベス」劇に仕立てていた。
正直のところ、チェーホフですら原作をなぞってあのまま舞台に乗ると、重いなあと感じ、こんなふうに知恵もなく舞台化してて本当に佳いのだろうかと、惑
うことがある。ましてシェイクスピアとなると、原作に近く、ただ短くしての上演では、観ていてつらい辛抱が要ることが多くなった。日本の劇場では、シェイ
クスピアのままシェイクスピアを上演できる時代相にはないのである。いきおい、思い切って原作を批評的にアレンジしながら新解釈の現代化・今日化を計ろう
かと、劇団劇場の企画段階でも考え、劇作家もまた考え、演出家も考える。そういう傾向の一成果として、今日の舞台が提供されているように思う。
わたしは、劇作として今日の「マクベス」は、昨日の「冬物語」より格段に面白いと感じた。明らかに「マクベス」であり、だが時空を超えて現実の日本にも
根を生やしている「マクベス」であった。時には、舞台へ向かって「小泉純一郎
!!」と野次りたくさえなった。「マクベス」劇には魔女が現れる。リアルなだけの芝居ではない。そしていつもの例によって例の舞台では、この「魔女」がむ
しろ弱点になり、舞台がつくりものめくのに、今日の舞台では主役は魔女たちかと錯覚するほど、よく働いた。魔女は世界から別世界へ、時代から別時代へ移り
住みつつ、その世界や時代を混乱させる「役」をしている。ダンカンとマクベスの世界を崩壊させておいて、あとに、とてつもない悪王の悪権力を置きみやげ
に、はるかなべつの世界や時代へジェット機に乗るようにして天翔り去る。そういう魔女集団を率いて、小川敦子の魔女1は、時にダンカン妃、時にマクベス妃
となり誰よりもよく働いた。魔女2を演じた古関すま子の踊りも感じが出ていた。わたしも妻も実は小川敦子という女優に記憶がなかった。ほう、おもしろい人
が出て来たなと思う。あれで人品というものが「位」として自在に出せれば頼もしい。
魔女に比べればダンカンもマクベスもワキ役であった。中野誠也のダンカンは昨日のシチリア王にくらべればはるかに水を得て泳いでいたし、小山力也も昨日
のカミロよりは役を心得て大きく演じていた。だが彼等が主役でなく、受け継いで行くバンコーの子のマンコーが、この舞台では、インパクトが強い。この今後
久しく続くであろう王朝の始祖は、ありとあらゆる悪徳と悪権力のシンボルとしても自ら宣言することで、一気に現代への不敵で苦々しいメッセンジャーともな
る。ブッシュやフセインや金正日や小泉純一郎の祖先となる。そういう終幕が猛烈に無気味な唸りとともに、さながらの地獄を現じて、幕となるのだから、凄い
と云えばこんな凄い「マトリックス」を見せられたのかと、わたしは少しオソレをなし、肌に粟したのである。
昨日の「冬物語」は、いわば原作の「歌舞伎」劇を強引なほど簡明に「狂言」化して役者の力量がついてゆけなかった、だが面白い芝居だった。
今日の「マクベス」は明らかに何人かのシテとその後シテを用意した複式の夢幻能のようであった。演出にも演技にもその意図が窺い見られたと思う。魔女と
大公夫人とは一体に、バンコーとマンコーとも一体に、この世界を潰滅させたほんもののシテであり、その点では二人の凡愚の大公は、ワキかワキツレのような
卑小な存在であった。卑小さを中野も小山もよく出したといっておく。
ではホンモノのワキとしてこの舞台またはこの世界と時代を把握していたのはだれか。それは、虫取りの網をもち日本の学童の制服を着て舞台を何度か往還し
ていた少年であったのかも知れない。
この「マクベス」劇も権力の歴史も、マトリックスも、その少年のふりまわしている小さな虫取り網にとらえられる虫にひとしい、何事でも実は有り得ない、
幻覚、夢に過ぎないと。
* ま、そんなふうに見終えて俳優座劇場を出て来た。雨であった。この雨の一粒のなかにすら、あのような悪徳の歴史の一切は含まれているのかも知れぬと
想った。『家畜人ヤフー』のなかで、ある女性の服のポケットを覗き込むと、其処に「歴史」そのものがありありと一切「入っていた」という表現をみて、感じ
入ったことがある。それぐらいの想像力を或いは今日の「マクベス」は現代人に要求していたかも知れない。たいへん面白かった。役者達も、今日の芝居ではみ
なが生き生きと泳いでいる小魚のように見えた。
但し、一人が、一人舞台で長ぜりふの長丁場を演じているときなど、力不足か、聴いていて退屈してしまうことが何度かあったことも、書き添えておく必要が
ある。
* 妻は朝から体調をダウンさせていて、わたし一人で六本木へとすら言っていたが、やはり一緒に出て来た。雨の路上に出たとき、大丈夫だというので、日比
谷線で銀座に出、読者でもある画家鳥山玲さんの個展を清月堂画廊で観た。芸大の大学院を出て、ずっと若い頃に受賞もしている画家で、綺麗な絵を描く。工藝
的なセンスに優れていて、書物の装飾や屏風や衝立を美しく創る人だと覚えている。
* 清月堂のとなりが海老の「中納言」なので、入って、早めの夕食にした。ワインをハーフでとった。産地は知らないがいわゆる伊勢海老の大きいのを主にし
た、懐石を食べた。最初にドーンと大きな海老が出てうまく、料理も多彩で、味噌椀も海老飯も箸洗いの豆腐汁もけっこうであった。妻がよろこんで、元気を回
復してくれてよかった。
銀座一丁目から、保谷駅まで一本で帰った。北口には近年料金百円の簡素なバスが走る。
* 「ペン電子文藝館」の校正便も一つ二つと片づけてから芝居のことを書いた。
* 優れた日本文学を先人が遺してくれた恩恵を想いながら、木曽馬籠の「現場」の空気にふれて「藤村」を読むことの確かさ有り難さを、あわせて考えてみま
した。
外国文学ですと、トーマス・マンの「魔の山」を読んで、トルストイを読んで、すぐスイスの保養所やサンクト・ペテルスブルグへ気軽に行ってみるわけには
いかない。それが「三四郎」を読み、「こころ」を読み、宇治十帖を読んで、そのつもりになれば、東大の三四郎の池へ、鎌倉の海岸へ、宇治川の流れを見たい
と思えば、時間さえあれば比較的簡便にその現場を訪れることが出来ます。泉鏡花なら金沢。川端康成の伊豆。
日本文学を、風土、現場、で考えることの意義へ思いを馳せることが出来ました。 川崎市
* 高史明さんからNHKライブラリー『現代によみがえる歎異抄』を頂戴した。「e-文庫・湖(umi)」に途中まで掲載し続けていたその文庫本であるよ
うだ。紙の本が読みよいと思われる方はお購めになるといい。
* 西垣脩詩作品のなかに傍点のふられた箇所があり、PDF版では傍点が付き、本版=普通版では行間に影響しないようにはふれないらしいと分かった。しか
し下線は問題なく引けることを、わたしは今頃知った。なんというドンなことだろう。しかし、日一日と進むにつれいろんなことを覚えて行く。今宵ではない、
今夜おそくにも、やたらもたもたと試行錯誤している内に、どうかしてこうしたいと思っていた写真の処理が、思いがけない遠回しなところから手をつけてみた
ら可能になって、深夜に気分が浮かれている。まことに無邪気なのか有邪気なのか分からない、へんなE-OLDである。
* 十一月三十日 日
* イラクで外交官二人がテロ(である可能性濃厚)に射殺された。まさかとは、国民の多くが思えないでいる現状こそ、すさまじい。ありえないこととは誰も
考えなかったし、その通りに起きた被害である。絶句している。
* 水曜の理事会と「ペンの日」以来、秦テルオ展、冬物語、平家物語、マクベス、鳥山玲展と引き続いて、さすがに草臥れていたが、今日、気持だけはやや
ゆっくりした。大江健三郎氏に小説本を貰ったお礼に便乗し、「ペン電子文藝館」へ出稿依頼の郵便も出してきた。出して貰えるだろうか。
田口鼎軒の「情交論」を、校正往来し、責了にした。いまは大西操山の「批評論」を起稿し校正している。「批評」という行為を質的に論じた優れた言説で、
いわばその後の批評家や評論家の働きに道を付けた最初の本格論で、たいそう興味深い。「明治」とは、出るべき仕事が出て大いに働いた「時代」であったとい
う敬意を、また新たにしている。
* 明日はもう師走。おちついて歳の暮を迎えかつ送りたい。十一月はまさに文化的な、ナニよくよく遊んだ月でもあった。よく働いたとも思う、ただしお金に
する仕事はなにもしていないが。
* つい怠けていた十一月分「私語」を、やっと十二日までの分、「私語の刻
26」に日付順におさめた。展観ミスがむちゃくちゃ有って恥ずかしい。三時半。まだ機械の前にいる。
* 秦さん、こんばんは。 段々と寒くなってきましたが、お元気ですか?
私は、11月から部署が異動となり、終電かタクシーでの帰りの毎日です。なかなか自分の時間が持てず、辛いところではありますが、折角ですので、むしろ
楽しんで、いろいろ経験しておこうと考えています。
最終日前日に、券を戴いた秦テルオ展へ出かけてきました。
このような画家が、いたのですね。
もっともっと名前が通っていても良さそうなものですが。不勉強な私は、絵にも名にも、教えていただくまでは、全く触れる機会を得ませんでした。
画題は覚えていませんが、初めの方に展示してあった、確か工場から出てくる女工達を描いた絵を見たとき、顔すら判然としない彼女たちの抑鬱、諦念が、じ
わっと伝わってくるようで、思わず引き込まれそうになりました。
そして、さらにその延長上にあるのであろう、「絶望」そのものを表現しているかのような数点の絵。あれら程、人間の内面の葛藤、絶望、暗部などといった
ものを、赤裸々なまでに描いた絵画は、少なくとも私は、殆ど見たことがありません。
ミケランジェロのピエタなどと一脈通じるものもあるかに感じますが、テルオのものは、ドロドロとした愚かさ暗さを捨てきれない、それでいてどこかに動的
なエネルギーを内包している。そういった意味で、遥かにずっと人間的、なのかもしれません。
数々の、ほとんど宗教画とも感じられる、数多くの、仏のごとき、穏やかな顔をした女性画や、聖母子画のような、母と子の絵。おそらくはテルオ自身の、
「絶望」の時代を経た後の作品なのでしょうか。彼の到達したのであろう、一つの安らぎの境地には、心底ホッとしました。
しかし、何より目を引いたのは、何気ない風景や、人々を描いた絵でした。山並みや、田畑などへの視線が、なんとも深くて優しいこと。
葛藤の時代を経た後の境地に立って、きっと彼の目には、自然の営みや、一見当たり前の人々の生活が、かけがえなくいとおしいものに感じられたのではない
でしょうか。
一つ謎なのは、自分と息子以外、全くといっていいほど、男性が出てこないことです。如来像のような絵ですら、やはり女性として描かれていました。
これは、テルオの絵全般にそうなのか、それとも、今回の展覧会に集められた絵がそうなのか。もう少し追求できれば、面白いテーマなのかもしれません。
ではまた、どうぞお体を大切にされて下さいね!
* ウーン! 霜月尽きて、はや木枯らしもきこえそうな深夜に、締めくくりにふさわしい卒業生君の佳いメールをもらった。初めて秦テルオの絵を観て、ここ
までとらえてくれれば、画学生よりももっとヒューメンで心深く的確だと謂える。
テルオの絵は技術で云々出来ない。技術は素晴らしいものをもっていたが、もっと素晴らしかったのは人間の世間、ことに幸せを得ていなかった底辺女性達の
苦悩と苦痛と絶望を共同体験するように描いて描いてやまなかった前半生の魔界体験の誠実さであった。彼はデカダンの極のように生きていると見せながら、描
いて描いて描き続けておそろしく勤勉な画家であった。だから倫落の女たちの血の池に望んでいる苦渋を正確に見抜いて、リアルというよりも極めて表現的にイ
デアルな愛をこめて描く事が出来た。凄いほど巧いのであるが、巧いということに目が行く前にテルオの真面目さが誠実さが伝わってくる。それが徹底していた
からこそ、結婚し子供が出来ると、その家庭生活を「恵まれしもの」と感謝して、妻子を宗教画のように描いてあらわし、仏の世界に、自然の精神的な生命に一
転して我が身と心とを委ねきっていけた。
この彼がいうように、南山城の自然をとらえる優しいこまやかな視線と視野の深さとは、まことにすばらしい。
これほどの画家が、他の大勢の大家といわれた画家のように「有名」にならなかったのは、官製の画壇に、権威で出来る商業的な画壇に終生背をむけて踏み込
もうとはしなかったからだ。
だが、何人かの優れた知性や感性は秦テルオを最期まで応援して生活の成り立つように心遣いを絶やさなかったのである。
よく観てくれました、U君。ありがとう。
* 秦テルオの練馬区立美術館での展覧会は今日十一月三十日で終幕。今度は京都で始まる。その会期の半ばに、わたしは出掛けていって講演する。その心用意
が師走のわたしの宿題である。