saku025
宗遠日乗
闇に言い置く 私語の刻
平成十五年(2003)十月一日より十月三十一日まで
宗遠日乗
「二十四」
* 平成十五年(2003)十月一日 水
* 二時前に電気をけし、六時に床を離れた。すこし眠い。
* 学生時代に『慈子』を読んだという人と、夜中から今朝へメールが三往復した。泉涌寺や東福寺の秋が静かに胸に蘇る。ひとも、多く、慈子という。わたし
も、やはり、そう思う。このヒロインを思うと、つぎからつぎへ他の人にそれが繋がれて行く。
四日のペン京都大会へは結局行きはしないが、休息するが、いちばん心身をやすめに行きたいとすれば、やはり来迎院や通天橋。清閑寺や正法寺。白河筋であ
り知恩院、将軍塚、南禅寺であり、平安神宮の神苑であり、永観堂や黒谷や法然院だ。銀閣、曼殊院、そして円通寺。光悦寺、金閣、妙心寺、竜安寺、そして広
沢の池の北嵯峨から嵐山。苔寺へも思いははしる。
行かなくても、いい…。あそこには、過ぎて来たなにもかもが在る。
東京にも沢山ないろんなものが在る、が、懐かしさはかなりちがっている。
* 秋の朝NHK俳壇を見て 秦恒平様
朝はつめたき水を汲むような清明に、NHK俳壇の再放送を拝見。冒頭ゲストの紹介で、ご自身の俳句
月皓く死ぬべき虫のいのち哉
を披露されました。忘れていた飯田蛇笏の芥川竜之介哀悼の一句
たましひのたとへば秋のほたる哉
を思い出し、二つの句にある深い闇に、光を感じました。ただこのことを書きたくてご多忙の中へメール致します。
秋、燦々と降り注ぐ朝。 神奈川県
* 私の句は、小説「みごもりの湖」の冒頭、清水坂の夕暮れにふと妻とともに骨董の店で買い求めた、姿美しいが「名ばかり丹波」の大徳利に秋の色をさし添
え、自作の句の短冊の下にも置こうかと書いたのが初出であり、句は出来ていたのか小説のために即座に作ったのか覚えがない。その後に、小説「月皓く」を書
いた。女主人公が、清水への初詣の道行に、おりからの月明かりのまま思い出して私に告げる句として使われている。この初詣は事実あったことで、時代はわた
しが大学生のころであるから、もうそのおりに作っていたのか、どうか。
小説に利用した句には、「糸瓜と木魚」に、
あめの日の雨うつくしき秋桜
と書き入れている。作中の誰かの句としてつかったように思う。
菜の花に埋められたる地蔵哉
とは、よほど昔の自作と覚えている。これは類句がありそうで。
高校から大学時代に用いて今も座右にある英和辞典の見返しに、とんでもない斜めにはしった字体で、
死にいそぐ道には多き春の花
という、とほうもなくいやみな句を書いているのが、恥ずかしい。最近に、
コスモスの少し垂れしが美しき と。
俳句は難しい。うまいへたを云わないなら、短歌は口ずに流れ落ちるように、と謂うと涎のようだが、出来るけれど。秘めて出さないけれど、白状するとわた
しは、すっごくセクシイな短歌がジョウズなのです。類似のそんな歌集を出して送ってくる若い人があるけれど、藝もなく、みな下品でただただ汚かった。お話
しにならない。
* 十月一日 つづき
* 十一時、ひとり、俳優座稽古場に向かう。時間早く、近くの「正直屋」で鰻定食の昼にする。
*「ワーニャ伯父さん」は稽古場の密度を効果満点に活かし、撞球台を一つ据えた簡明な舞台に、緻密に劇が組み立てられた。演出も演技も文句なく、成功、と
観た。幾度も観てきた同じ此の劇のなかでも、最良の「ワーニャ伯父さん」が仕上がっていたと躊躇なく云おう。
ワーニャが圧倒的なリアリティー。地味で器用でもなく、だが芯に剛力ある加藤佳男の、これは武骨に心優しいみごとな代表作になった。切ない堪らないワー
ニャ伯父さんが、呻き絶望し、しかも不条理に堪えるためだけに、またも「働き」はじめる、何の役にも立たぬモノに奉仕するしか「生きるアテ」も見つからぬ
ままに。わたしは息が苦しくなり、怒りにふるえ、舞台に駆け上って、ワーニャのために彼に替わって無性に乱暴を働いてやりたかった。憎き「知識人」を撃ち
殺してやりたかった、まぎれもなく自分自身を撃ち抜く思いも抱いたまま。空洞化した形骸の「知識人」を告発する、それだけに終始したドラマではないが、だ
からといってその点を見過ごしてしまうわけには行かない。
先日の三百人劇場の「花粉熱」も意欲的な面白い舞台であったが、感動という点からも、完成度からも、今日の俳優座の袋正演出「ワーニャ伯父さん」は、き
れいにその上を行った。あの、スタンディングオベイに湧いた野田版「鼠小僧」やコクーンの「夏祭浪花鑑」よりも、劇的感銘は深かったと云っておく。まぎれ
なく「今・此処」で喘ぎ生きる自分自身の問題と交響するもの。嘆きも痛みも絶望も閉塞感も。
チェーホフは、貫く棒の如きものでワーニャと私とを殆ど刺殺した。「今・此処」の「今・此処」なるがゆえの苛酷な残酷。ワーニャと彼の姪とだけが、そん
な「今・此処」を永劫の罰かのように背負い、神の愛を夢見ようとする。
このドラマは、ドラマに即して汲むべき具体的な感銘と、ドラマを超えて読み取らざるを得ない「歴史」的な衝撃の強さとの、二重の力を持っている。それは
チェーホフ劇の特色の一つであり、ことに此の「ワーニャ伯父さん」において顕著である。ワーニャやソフィヤの絶望的に強いられた、それしか残っていない不
毛の「働き」は、いやほど具体的で現実的で不条理を極める。
ところが気が付くと、それは間違いなく「今・此処」の我々の苦痛そのものなのだ。
瑞木和加子という女優に出逢った。この役のためにあらわれたかのようにドキドキする不安な魅力と絶望を全身に抱いて、暗く光っていた。平田朝音のばあ
や、島英臣の居候は、名演だった。島の奏でるハモニカの哀調も美しかった。そして中吉卓郎のあの憎くうつろな「知識人」の存在感が凄かった。
あの芝居、あの演出・演技、やはり稽古場でこそ活かされた。広い平たい本舞台ではどうか分からない。
ややこしい感想は消去して、ただ一言、今年観てきた舞台で最高、と言ってあげたい。俳優座に。それ以上に、感謝をこめてチェーホフに。
* 大江戸線で西武線練馬駅ホームへ戻り、妻と四時半に出逢って、池袋西武の「伊勢定」で早めの夕食。わたしは今日二度目の鰻。
日暮里北口の本行寺に入った頃は、もう夕暮れも果てかけて。
「平家物語を演じる」という触れ込みで、語り芝居「俊寛」と琵琶語り「知盛」と語り合わせ「祇王」という番組。
俊寛の岡橋和彦は赦免と足摺そして俊寛最期までを、姿正しく美しく、独りでみごとに演じた。平家の詞章がいかに的確に書けているかをさながらに示した。
岩佐鶴丈の薩摩琵琶で、あれは「知章」と云うべきだろうが知盛愁嘆の名場面を、琵琶の魅力で語りとおした。正統な平曲ではない、現代味を活かした琵琶楽
の演奏。
「祇王」は「俊寛」とともに、いわば清盛悪行を主題に据えた唱導もの、意向鮮明なドラマであり、これに我が友原知佐子は、母刀自で出演。清盛、祇王、仏、
刀自、そして地語りとともに祇女の役が、みな熱演した。こういう演劇活動もあるのだなと感じ入った、危うがっていた妻も、とても平家物語がよく分かるのに
感心し感嘆していた。
熱中と緊張のあまり、肝心の今様歌をうたいあげるところで祇王がつまづいたのは気の毒で惜しかった。「仏も昔は凡夫なり われらもいづれは仏なり」と謳
う本文をつかっていたが、あっというまに「ほとけはいずれも凡夫なり」とやってしまった。が、さ、それはあまり聴衆に気付かれて居なかったと思われる。こ
の祇王サンの熱演、たいへん印象的であった、好感した。
* 原知佐子と逢い、主宰した岡橋和彦氏とも少し立ち話しした。
本行寺本堂をうまく舞台にしていたが、客席には、湖の本の読者で親しい竹田昭江さんの姿も見えていた。とりまぎれ特に話すことも出来なかったが。
満たされ満ち足りて、日暮里から池袋、また保谷の家に帰った。
* 朝からさわやかですが、今日も来客用寝具の後片付けで大わらわです。医者の甥がトロント大に留学するというので、27〜28日に我が家で歓送会をしま
した。総勢24人(うち幼児5人)でした。
そんなわけでテレビ番組は録画しておき、昨夜やっと見たのです。側で一緒に見ていた夫が、「懐かしいなー、変わってないなー」とうれしそうでした。ほん
とうに、お変わりない、と思いました。
「花嫁の父」で思い出すのは、最後の、「息子は結婚するまでだが、娘は一生親の子供だ」という父親の言葉です。息子しかいない私には印象的でした。
留学する甥にも、あちらの人は家族を大事にするからクリスマスには帰してもらえるかしら、と言うと、「それより自分としては良い機会だから外国のクリス
マスを体験してみたい」と返され、ちょっと詰まってしまいました。そんなことごくごく当たり前のことなのに、感じ方の違い、私の気持ちの小ささに気づかさ
れました。
この快い季節はあっという間で、すぐ寒くなりますね。でも私は冬は嫌いではありません。
3日に「安全地帯」(御存じないかもしれませんね)のコンサートに行きます。 千葉県
* さ、分からない。夫婦して私を知っている。この前のメールでは妻のことも知っているとあった。心懐かしいのに、だが、この人たちのことが思い出せな
い。もう何年も、である。文通はずいぶん久しいのであるが。
* 十月二日 木
* 月光値千金 平成中村座初日。勘九郎さんの芝居だけでなしに、浅草はなにか派手派手しいイベントが行われているようですね。
11日に浅草で「エノケン生誕100年祭」があって、柳沢愼一(私は「奥様は魔女」のダーリンの吹き替えでしか存じません)が、エノケン・ヒットソング
を歌うとか。前田憲男のピアノで。
いいなぁ。聴きたいなぁ。ぶん殴ってちょうダイナ♪ なンて、一緒に歌いたいわ。
* いよいよ始まるか。
卒業生出演のミュージカル案内も届いた。「編集者」を主題にした賑やかなミュージカルらしい。主題がいい、珍しい。新聞記者はよく小説やドラマの主人公
になったけれど、わたしが小説を発表し始めたころ「編集者」の登場する小説は珍しいですねとよく云われた。74年大春闘のあと、三部作で「迷走」を出した
ときも「編集者もの」として注目され書評された。最近は息子も書いていたドラマ「編集王」のような人気マンガも出て、そう珍しくなくなっているが、先魁け
た者として、いつも気にはかけている。東工大の卒業生でも編集者になった人は一人ならず居る。ミュージカルを少し下に宣伝しておく。こんな機会に卒業生諸
君の顔が見られるといいが。私は今のところだが、どの日もあいている。
* 劇団のチラシ&チケットを送らせて頂きました。
以下の予定で公演を行います。
ミュージカル集団コーラス・シティ第32回公演
『EDITORS(エディターズ)』作・演出 田中広喜 作曲 徳永洋明 振付 asA
日時; 11/21(金)19:00〜、
11/22(土) 14:00〜&18:00〜
11/23(日) 14:00〜
※いずれも開演時間。開場時間は、開演の30分前。
場所; 労働スクエア東京ホール(最寄駅:八丁堀駅、新富町駅など)
料金; 3,000円 (当日精算券が秦の手元に二、三枚来ている。)
今回は、「フリージャーナリスト」の役をもらい、それ以外にも編集者などの複数の役をやりますので、ほとんど舞台に出ていることになりそうです。
生バンドでの公演となりますし、音楽は世界作曲コンクール3位の徳永さんという方が作曲したもので、演歌っぽいものからジャジーなかんじまで色々あって
楽しめるかと思います。
お忙しいと思いますが、是非観に来て頂ければと思います。公演後、直接お会いできる時間があると思いますので、来て頂けるようであれば、事前にいらっ
しゃる日時を教えて頂けると助かります。
* 少し不安が。つい今し方、まったく原因不明で画面が消失し、二回それが続いて、セーフフモードを指定し、立ち上げて直ぐまた再起動して、辛うじてとい
う感じで復帰した。一度は書いていたモノが消え失せた。機械の故障・不調、そしてウイルスを心配しているユーザーが多くなっている。いつこの機械も不通に
なるか知れない。
* 街の使い捨て マスコミは、新幹線の話題でもちきりです。こないだまで、丸ビルに大騒ぎしていたのが、品川駅周辺、品川プリンス、お台場、大江戸温
泉、汐留シオサイト、六本木ヒルズ、渋谷、新宿南口が「今」だそうです。原宿どころか、天王洲アイルもエビガデも、フジテレビでさえ古い古いと。
東京らしいところを、と訊かれ、訪ねたい、連れて行きたいと思う場所を探しました。地図を広げ、記憶の引き出しを、がったがたさせて。
白金台の、白く麗しき朝香宮邸。それを取りまく、武蔵野の面影いぱいの自然教育園はどうかしら。今もそのままでしょ?
* 庭園美術館はともかく、自然教育園はなつかしい。変わってもいまい。医学書院に勤務し担当の雑誌「公衆衛生」に力を入れていた頃、編集委員の先生が白
金台の公衆衛生院におられ、よく通った。クラシックに壮麗偉容の大建築だった。奥の方にも大きな東大医科研があって、そこへは東工大から何人かが院へ転入
というか転出というか、して行った。
この取材の帰りに、まぢかな自然教育園に立ち寄り、つまり仕事をサボッテ広い園内を一回りするのが今風の「癒し」の時間だった。ああ、あそこ。懐かしい
と思う人がいるだろう。
東京らしいところ、か。よく知らない。浅草寺の界隈から、すこし奧へ待乳山の方、平成中村座が舞台をかつて仮設した辺り、また花火に招いてもらう、言問
通りより奧の、吉原へもまぢかそうな辺りまで含めて、わたしはいつ知れず浅草が気に入っている。根岸の奥の方、寺町辺りもらしいといえばらしい雰囲気があ
る。ある歯医者さんに根岸の奥の方の時代物の鰻やへ連れて行かれ、ものめく風情の二階座敷で鰻懐石を食べたことがある。辺りの町筋は暗い闇に沈んだよう
で、しかも土地のお祭りに町内がさざめいていた。もう何年の昔か、懐かしい。
* バルセロナが再開した。ほほう。柔軟になったなあ。
* お客様サービス係 2003.09.25 小闇@バルセロナ
確か、日本には、そういう名前の仕事が存在した。はきはきした声に、受話器の向うの笑顔が思い浮かぶ。ここはスペイン。分かってはいても、また腹を立て
てしまった。
今週の土曜日から、「お客様サービス係」に当たる番号に、電話をかけ続けている。正確には夫が。既に十回は同じ説明をし、その都度、今日にも技術者を送
る、と言われている。今朝は、「最優先に」と。
毎回、辛抱強く説明し、挙げ句「ありがとう」と電話を切る夫が、物足りない。文句の一言でも言ってやったら、と。とうとう痺れを切らし、仕事から帰って
受話器を取った。
かけても掛けても話中。「お客様」の怒りはますます煽られる。苦情が多くて当然だろう。たった今、この電話線を占めている人たちも、きっと厭味の一つを
言わずにはおれまい。ある人は怒鳴り、ある人は喚き散らしながら。
が、ふと、電話を受ける側の不機嫌な顔が浮かんだ。この電話が終わっても、次の電話、次が終わっても、その次。この仕事をしている限り、電話を取り続け
なければならない。一つの苦情の終りは、新たな苦情の始り。なんとやりきれない仕事だろう。
一時間後に繋がった電話。私は夫と同じ説明を繰り返し、ありがとう、と電話を切った。
やれやれ。インターネットが使えるようになるのは、まだ先になりそうだ。
* 雨雨ふれふれ 2003.09.30 小闇@バルセロナ
何ヶ月ぶりのまとまった雨。おかげで、昼食に戻った私は、朝と違った服装で家を出た。さすがにヘルメットは持たない。タクシーを捕まえるまでに、びしょ
濡れになった。服を着替えて、損した気分。
18時35分。建物を出る時には、雨はあがっていた。腕時計をもう一度確認し、家に向かって歩き出す。雨あがりだから、25分はかかるだろう。
大通りから右へ、一方通行の道に入る。確か、その辺りにY夫婦が住んでいる。6月に電話で話した人を思い出した。そろそろ電話をしなければ。今週、、、
いや来週の初めに、きっと。正直、気が重かった。
6月末、仕事でYさんから電話を受けた時、切り際に、よかったら会いましょう、と言われていた。定年後、日本から住みに来られたご夫婦。窓口で見た顔を
思い出す。印象は悪くない。それでも、警戒心が振り切れない。あなたは、利用されるだけかもしれないと。休暇から帰る日を聞かれれば、鬱や悩みの相談かと
も疑った。ただ「はい」と言ったきり、いつまでも電話をかけない自分が、後ろめたくて嫌だった。
交差する人の流れに、突然、知った顔。Y夫婦と認識する前に、すでに声をかけていた。あれよあれよと、近くのカフェへ。
家に着いたのは、腕時計を見てからちょうど二時間後。
雨のおかげで得した気分。また、会ってもいいと思った。
* 海外で何ヶ月と「暮らして」くる知人は少なくない。この小闇は結婚もして生活し、日本の在外公館のようなところでサービスの仕事をしているらしい。い
ろんなことが有るのだろうなと思いつつ、東工大の卒業生でいま海外に何人いるだろうとふと数える気分になった。ブラジルで童貞をうしなった飛行機青年よ、
今日も元気か。
* 十月二日 つづき
* 月 30日までの展示と知り、先日、湯木美術館へ、高野切「あまのはら」を見にでかけました。
展示室入口の壁には、籠にたっぷり、秋の草花。胸にある外の空気を、すべて吐いて。
寄付、腰掛、本席(あまのはら)、懐石、炭道具、後入、続き薄と、薄。
千鳥、波、秋風、夏月、十五夜、秋草といった道具の展示が続きます。
最後の、広間――。三笠山から月が上り、月光の下、満開に咲き誇る桜――「春日宮曼荼羅」。
立ちすくみ、涙ぐみました。
* 春日宮曼荼羅は、この世界が夢にほかならないことを酔うたように教えてくれる。すばらしい。立ちすくみ、涙ぐむというのが、そのままだと思う。
* 田中真紀子が動き出しそうだ、半端でなくやってほしい。「自民党」にとらわれ拘泥らなくていいのではないか。日本の政党政治のために闘いを再開して欲
しい。菅と組んで可笑しいと思わない。かなり似ているのだから。田中真紀子がせっかく伏魔殿に風を通しかけたのに、みな放ったらかしだ。大いに吼えよ。今
この國で獅子吼できる数少ない政治家なのだから。そして味方を組織せよ。
ずいぶん不当なバッシングにあい、それも自民党にイビられて苦労をした、それを誠実に活かして欲しい。手枷足枷首枷その上に口封じまでした連中に、公然
反撃していい足場を得たのだ、やるだけはトコトンやって我々の分まで念晴らしをすればいい。
* 高史明さんの『歎異抄』を第六章まで「e-文庫・湖(umi)」に掲載した。続けて読んで居られた方に、暫く間があいていて申し訳なかった。引き続き
掲載して行く。
* 十月三日 金
* 「街の使い捨て」というメール批評がおもしろかった。厳しい批評である。
人間は莫大な無駄を重ねながら文明らしきものを古びさせつづけてきた。街の使い捨ては、ハコものの立ち枯れ以上に物騒な要素も持っている、が、またその
御陰でその街が静かに定着するのだという視野もあろうか。
さて原宿がいま落ち着いているか、エビガデこと恵比寿のビヤガーデン辺りも落ち着いているか、実地検分に行きたいほどではないが。おおがかりな「使い捨
て」で以て経済というモノ、景気というモノを起こしたり支えたりしなければならない人為のしまりのなさ、恥ずかしさ、ということをわたしはふと身に痛いほ
ど感じる。
* いま三谷憲正さんの『オンドルと畳の國』が面白い。韓国朝鮮のことを考えていて、根の問題としていつも違和感を覚える第一は、向こうの知識人達の発言
だ。強硬に硬直している例にむやみと遭遇する。三谷さんも触れているが、金芝河という日本でも一時むちゃくちゃに持ち上げられた詩人の日本國の理解など、
発言など、ただただ首を傾げさせるトンチキなところが、あるいは視野狭窄と思考の固着が著しい。何十年たっても一つ覚えのような「日帝」極悪だけでは、日
本の私民は顰蹙する。かすった程度の批評としては当たってもいようが、かすりもしないで見えていない広大なところへは、およそ何の理解も及んでいない。不
勉強なものだ。
一時、日本文化の何もかもを、すべて「朝鮮」由来ときめつけたアチラからの議論が大流行し、珍妙で強引な解釈が、とんでもなくトクトクと開陳された。興
味深い指摘も中にはあって教わったが、『冬祭り』の作者としては頷けない議論が多過ぎた。
シベリアやオホーツクからの、またダッタンからの北要素が、雨に降られたように日本列島に広く認められる。また稲や蛇の文化を抱いてきた南島づたいの民
俗がいかに豊かに日本列島を北上してきたかは計り知れない。渤海や南海経由の中国の文物や言葉も、直に日本を感化し、痕跡も展開もを今に残している。
いったい朝鮮半島の知識人達は何が本当は言いたいのかと戸惑い、やはりそこに「政治」が顔を出す。過去の政治的関係が顔を出す。当然であるが、そこで急
激に知識が感情的に揺れ動いて、スローガン化してくる。金芝河氏の言葉はたんに糾弾のための糾弾と化してくる。三谷さんも書いているが、認識自体が固着し
て、機械的にある一点に縛られた言葉の連発になり、アホの一つ覚えをゼンマイ仕立てのように繰り返してくる。自国の人を煽る効果はあれども、たとえば普通
に生きている日本の私民知性にうったえる中身は干からびきっている。
* 藤村の「夜明け前」は文学的に静かに精錬された言葉で、落ち着いて、身の回りと日本とをたいせつに語りつづけている。大人の文学である。韓国や北朝鮮
にも、そういう文体の魅力とともに、スローガンに走らない静かなリアリズムの文学があるのだろうと思う、そういうものが佳い感じにもっともっとこっちへ伝
わってきて欲しい。
* 七時に起き、一時間ほどサーフィン、あちこち、いいところやよろしからぬところを覗いてまわった。底知れず機械世界は無際涯。いいとこ取りをしない
と、時間を空費する。
* 井上靖のとくに有名な第一詩集「北国」全編を「あとがき」もともにスキャンした。このあとがきは、井上さんには珍しいかなり表立った「詩論」ふうに
成っていて、大事なものである。これに加えてわたしのことに好きな二編を、拾遺詩篇から採った。
小説「道」も名品であったが、散文詩集「北国」は、詩作の藝術家であった井上靖の業績として不朽の代表作、「ペン電子文藝館」はまた優れた一樹を得たの
である。
ついでに、わたしの旧著から、幾つもの大小のエッセイをスキャンした。作業の間に、キャスリーン・バトルのソプラノが入る「グローリア」「スターバト・
マーテル」を繰り返し聴いた。またイタリアのカンツォーネ美しい男声の詠唱も繰り返し聴いた。
* 大阪の日経本社から、「秦テルオ展」の会期中の記念講演を依頼してきた。京都近代美術館の内山武夫館長から、直筆の添え書きがついてぜひ見て欲しいと
立派な図録が届いたときから、これはヤバイぞと感じていたが、てっきりお鉢が回ってきた。いま堺か倉敷かで移動展覧会が始まり、次にこの近所の練馬美術館
へ来て、そのあと京都へ戻る。その京都展で講演して欲しいと云うのだが。
秦テルオと秦恒平には何の血縁も親戚関係もない。わたしは画家や絵画の専門の研究者ではない。
とはいえ秦テルオは、ざらには見られない優れて異色の天才肌の画家であった。私とて沢山は見る機会が無かった、ただ何度か散発的に彼への関心は語ってき
た。書いてきた。小説家の言いたい放題になるがいいかと大阪日経に念を押した。押すも押さないもそれしか出来ない、幸い明けて一月半ばの予定なら、少し勉
強も出来るし、じつはしてみたくもある。
返事は来週と応えて電話を切ったけれど、これまた一つのチャンスだろう。
* なにごとにも過剰ということは起きやすい。過ぎたるは、たしかにロクなことはない。一言多かったり一言足りなかったり。世の常か。
* 一日の最後に、遠くからのきっぱりといい文章を読んだ。気をよくして、もう今夜はやすもう。
* 権威 2003.10.02 小@バルセロナ
後ろを走っていた白バイが、赤信号で真横に並んだ。白バイと言っても、バルセロナでは白に青と蛍光色の黄色が入る。いつもなら目もくれないのが、今日
は、何故かじろじろっと見たい気になった。視線は感じるものなのだろう。ヘルメット越しの私の顔を顧みて、見慣れない目の形に一瞬止まったようだが、信号
が青になり、そのまま行ってしまった。
緊張感はなかった。ここでは、お巡りさんを前にして、皆平気で、信号無視も見切り発進も違法駐車もする。肝心のお巡りさん自身、交通マナーを守らないの
だから、人のことなど言ってもいられない。白バイやパトカーが通るだけで、みなの背筋が一瞬伸びて見えたのは、遠い国の話。日本の警察は、それなりに敬意
を払われていた、いや権威があったと思う。
今から25年程前、まだ小学校にもあがらぬ私は、「警察の権威」に脅されたことがあった。場所は京都の梅小路蒸気機関車館、忘れもしない。
黒ピカの機関車たちはかっこよく、その中から一番を選ぼうと、私は行ったり来たりした。みんな同じに見えるだなんて、言ってはいけない気がしていた。マ
ニアらしきお兄さんたちが、デッキに上がっている。機関車に紙を当て、一生懸命鉛筆を動かしている人もいた。でこぼこの文字を、浮かび上がらせているのだ
ろう。さっきから登りたかった私は安心し、お転婆を発揮した。周りには、ロープも注意書きも見当たらなかった。
デッキに立ち上がろうとした瞬間、鋭い声がした。
「降りなさい。降りないと、警察につれて行くよ。」
電撃が走り、頭が真っ白になった。慌てて飛び降りれば、デッキは思いの外高く、足の裏がじんじんした。野良犬を蹴散らすような係りのおじさんに、私は
走った。なぜ、、、デッキの上のお兄さんが頭から離れない。みんなが私を見ているようで、恥ずかしさに顔が火照った。心臓は潰れそうだった。
警察に連れて行くよ。そんな言葉でしか話せない大人は、大っ嫌いだと思った。今でも赦せない。
* 十月四日 土
* 終日機械の前にいて、眼の霞みがひどく、時に文字列が波打つように見えたりした。よろしくない。リラックスしようとしても、それは酒になるか、テレビ
でもべつの読書でも、やはり眼をつかってしまう。寝るのが一番かも知れぬ。
応対の厄介なメールも何点か処理が必要だったし、「ペン電子文藝館」校正も、校正そのものの再点検も必要だった。仕事のなかみ自体は、関心も興味ももち
やすいもので苦にしないけれど、視力といった生理機能は正直に衰えを増してくるから、いやでもやすまざるを得ない。妻も手伝ってくれるから、まだ少しずつ
でも「ペン電子文藝館」の作業は前進するが、日に日に疲労は二人ともに積んで行く。いまは家から出て行くことが、強制的な休養になるようなものだが、これ
また私にはいいが、妻は疲れる。
* 今日は京都でペンの大会があったはずだ。行きたかったが、気より躰が動かなかった。
もう、疲れた。眠い。
* 十月五日 日
* 菅直人と小沢一郎が、田原総一朗の番組で話していた話の中身も話し方も好感が持てた。公約とはこういう風に歯切れ良く一つの「覚悟」として、誠意を
持ってもちだすべきもの。公約が百パーセント守られるものとも、そうでなくてはクビを落とすともわたしは云わない、眉宇にひらめく「気迫と誠意」を信用し
たいのである。
入れ替わって出てきた自民与党の政策通と紹介された中川某の、終始何一つとして云わずにその場限りに言い逃れている一方の、ぬらぬらした話しぶりには、
肥大自民党の悪疾がみなぎった顔付き言葉付きかと見えて、反吐が出そうであった。
菅と小沢といえども、私は、彼等が旧来政界の政治家である以上全面的に信用などしていないのはむろんだが、こういう時期の選択は、曰く謂いがたい「面構
え」で判断せざるを得ないのも国民・私民のつらいところ。とは言え、わたしは今度こそは共産党にも社民党にも堪えて貰って民主党政権の実現に期待し一票を
行使する気だ。
田中真紀子の動向にも、ダイナミックな突風的活躍が欲しいと期待している。私は終始変わりなく田中真紀子の政治エネルギーを支持してきた。まして一事不
再理の公式の司法判断が、あれほどの悪環境・バッシングがあってなお確定した以上は、大いに自民党中枢の彼女に対するいじめ裁量に対する大抗議を一翼に、
徹底的な与党批判を展開して、我々の眼には届かなかった伏魔殿政治・行政を公開してもらいたい。
* つとに予測しておいた通りに石原国交大臣の道路公団総裁更迭は少しも進まないで、もう組閣以来、ずいぶん日数を経た。電光石火クビをすげ替えていれば
小泉政権の大きな得点に成ったろうし、一日二日と荏苒日を過ごせば過ごすほど、改革断行内閣の看板はハゲ落ちて行くだろう、それは民主党に利するだろうか
ら、ひやひやものだが石原の決断がノビノビになるのを私は暗に期待気味に予想しておいた。
まさに期待通りに石原大臣の腰も言葉も砕けぎみであり、現に石原の補佐役で戦友であった猪瀬直樹が、石原の頼りない変容を危惧し憤慨しかけている。道路
公団も、目玉でも何でもない崩れた目玉焼き人事に終わるのだろう、それは少し残念である。ナベツネとならんでムチャ者の東西横綱である石原都知事のオヤジ
支配が、息子大臣を陰で鷲づかみしているのだろうと読んでおこうか。
* おはようございます。新婚旅行に出かけた娘から預かっている姫りんごが日に日に秋の色に色づいていきます。目の調子がよくないということ、心配です。
京都南禅寺畔の初秋をのんびり楽しんでこられるとよかったのに。散歩に出かけられたり、庭の草木をながめたりされるだけでも、少し目を休められるとは思う
のですが。
文藝館の立原さんの「冬のかたみに」さっと目を通しました。幼年時代お父様との触れ合いを中心に丁寧に述べられていますね。改めてじっくりと拝見したい
と思います。昨晩は藤村の「破戒」を読みながら眠りました。丑松の新しい人生を余韻に感じながら。
イベントの準備であわただしくしています。自分で作ってしまったあわただしさです。しなくてはならないことではなくて、したかったことが、今度はしなく
てはならないことになってしまいました。自ら刺した「黒いピン」です。これから準備に取り掛かります。
静かに秋の日を過ごされますように。 川崎市
* とうとう柏木衛門督藤原氏が、源氏の正妻女三宮を犯してしまった。六条院中の憂慮が、すべて、二条院に移って重い病を堪えている紫上にかけられ、夫の
光源氏=六条院も理想の妻紫上にひたすら寄り添っている、その留守の間のあやうい密通であった。「若菜」下の帖の、それは源氏物語全体の、暗い深い悲劇の
絶頂を成している。
去年の初秋であったろうか、源氏物語をすべて毎日音読して読み遂げようと読み始めたのは。翌年の春の花頃には夢の浮橋を渡れるかなどと甘い予想であっ
た。まだ三分の二には間がある。
* 同じ音読もう十年余のバグワンは、今また「般若心経」を読み進んでいる。ゆうべは「知識」への本源的な批評を読んでいた。なにの花ともしらず眺めた花
の美しさ、その瞬間には花と人との深い融和と一体感とがある、が、一度びその花がバラである、ナニであると知ったとき、人と花とに「距離」が生じる。この
「距離」という精妙に微妙で正確な指摘をわたしは直感的に全面的に受け容れる。そのようにして我々は余儀なく大事な幸せを手放さざるを得ず生きてきたと思
う。知識は、まず何より知っているモノゴトと知らずにいるモノゴトとに、分離や分割を強いる。つまり「分別」という一つの距離がいやおうなく現れる。心
は、マインドとは、「分別心」そのものであり、これを高く旗印に掲げるが、人の不幸はこの旗印のもつ詐術に気付かず、大事なモノゴトを実は捨て去ったこと
に気付かずに、もっと大事なモノゴトを手に入れた、獲得したかのように錯覚し評価する。だが、それは底知れぬ「もっと、もっと」という蟻地獄に身を投じ
て、しかも本質的な関心にはほとんど何の役にも立たない・立たなかったことに、死の間際になるまで気付かないのである。
分別をのみコトとする知識=論理では、人は決して静かな無心には至れない。知識を棄てる非論理や無分別の底のトータルな静謐が大切なのだと思う、わたし
も、バグワンとともに。譬えての分母はそれであり、それゆえに分子は自在に多彩に活躍してゆける。分子とは、政治への関心であれ、湖の本や電子文藝館であ
れ、無数の人間関係であれ、それは夢であり絵空事であり虚仮である。分かっている。分かっているから活躍すればいい。分かっているから楽しめばいい。しか
し大切なのは分別や知識ではない、それらが引き裂いてきた夥しい亀裂や分裂のみせている深淵の凄さを、一気に棄て去れることである。人は嘗てに「真っ黒い
ピン」を我から無数に身に刺し、その痛みに耐えかねて奔走している。ピンはもともと刺されては居なかった。刺したのは自分である、それも分別や知識や打算
で。
ピンは抜き去ることが出来る。だが難しい。わたしのこういう言辞もまだ分別くさいと我ながら思う。
* わたしが自分で自分を嗤い叱るとき、思い出す一つの小歌がある。この辛辣にこそ、頭を垂れ、わたしは凹むのだ。
人は嘘にて暮らす世に 何ぞよ燕子が実相を談じ顔なる 閑吟集 一七
燕子という聖人が実在したのではない、分別くさく鳴きしきる燕たちをそう呼んでいるのだ、孔子や孟子の名になぞらえて。そんな燕子たちがどんなに世間に
多いか、そういう人ほど「心=マインド=分別」を云う、「実相を談じ顔」して。それこそ人を心ない浮薄と形骸化へ誘うだけの、諸悪の根源なのに。日本ペン
クラブの会報に、驚いた、「心の委員会」が必要と提案している会員発言が出ていた。驚いた。だがそれを驚くわたしのことを驚く人達の方が、まだまだ絶対多
数だろう。
* もう宵の六時半。戸外は真っ暗。秋になっている、深々と。遠く遠くに飛行機の爆音。ずうっと今朝から源氏物語の世界にいた。眼もだいぶ使った。
* 浅草 勘九郎さんの芝居を見に行った友人が、浅草のタウン誌を送ってくれました。
神谷バーや、ヨシカミの広告に、思い出すのは食べものやさんばかり。佃煮、てんぷら、トンカツ、どじょう、豆かん、麦とろ、そば、蛸まん…。
「浅草」と、古風な字のしたには、中村座の三色に白く家紋を抜いた表紙。題字は川端康成の手蹟だそうです。
川柳と都々逸の投稿頁が、浅草の風。
~\誰かに手紙を書きたくなった 俺と波しかいない宿
~\やさし過ぎると言われたキズが 消えず今でもひとり者
ですって。うふふ。
* 平成中村座浅草寺の興行は即日完売であったという。佳い席を昼夜通しでとれたなんて、ほんとにラッキーである。佃煮、てんぷら、トンカツ、どじょう、
豆かん、麦とろ、そば、蛸まん…。天麩羅ぐらいか、他のどれも取り立てて好きとも言えないが、浅草へ行くとそれが懐かしく感じられることは確かにある。
そうそう望月太左衛さんが、さらに発展して国立小劇場で「鼓楽」の会、ぜひにと招待券が届いた。日本中でこれほど精力的に忙しい女性は少なかろうに、芸
大の博士課程にこの春から進学している。先生で通用する人が、一学究として進んだ。この人の音楽は伝統の鳴り物お囃子を基本にしながら、地球や宇宙をいつ
も主題にひっぱりこんで、太左衛は作詞も作曲も演奏も演出もする。日本中に稽古場をもっているのではないかと思うほど、手広く、しかもそれに満足していな
い。えらい。
* 十月五日 つづき
* 石原国交相に、わたしの「私語」が聞こえたかのように、やっと道路公団藤井総裁のクビを切った。よくいえば慎重だろうが、何に慎重であり得たのかが国
民にはわかりにくく、まるで大臣がツメ腹でも切ったような錯覚すら生まれる。ま、しかし、一つ線路の上の邪魔石が取り除かれる。かりに総裁に少しの理がた
とえ有ろうとも、理の立て方に問題が多すぎたのだとすれば、それだけで国益事業の責任者としては不適格とせざるを得ない。
* 新しい湖の本の入稿用意も進めなければならぬ。
* 秦テルオの勉強がまた課題になる。藤村講演とはかなり筋がちがう。東京国立近代美術館で村上華岳展の、山種美術館で京都美術の精華展の、国立博物館で
日本の書展の、講演をしてきた。日曜美術館では、村上華岳を皮切りに波光も麦僊も、紫峰・晩花らの国画創作協会のこともみな話してきたから、かなり秦テル
オの同時代に深く触れている。小説「墨牡丹」のどこかにもテルオは登場していたと覚えている。
しかし、いい機会だ、虚心に勉強してみよう。
* 井上靖についても、湯が島町の依頼に、書けるだけは書いておきたいと思う。原田奈翁雄さんからの「時世」への発言の依頼にも、応えておきたい。
* 松原泰道さんの話をテレビで聴き、感銘を得た。禅の人らしく、その細部に至る述懐のあれこれに矛盾がなく、透徹した理会が感じ取れて、一会一切会の人
だと敬意を覚えた。それはダメということには、わたしもそれはダメだと同感できた。それが大切といわれる大切なことが、わたしもまた大切に思われた。バグ
ワンの把握の的確なところと通っている、力づよい静かなものをビンビンと感じた。わたしの問題として、いま暫く松原さんの談話を反芻していたい。
* 今日は仕事の間中、ワーグナアの歌をペーター・ホーフマンで聴いていた。六つのオペラから八曲。一々中身を詮索していないで、ただ音声美として。ひと
つずつ日本語にしてある解説の歌詞を読んで聴けばいいのだろうが、そういう聴き方はしていない。そして井上靖の「北国」を校正している。もう眼が限界のよ
うで。階下におりる。
* 十月六日 月
* 以下の「小闇」の一文は、大事な点に触れている。この人がそれを肯定しているのか、否認に転じようとするのかは判然としていないけれど。
「慣れ」ないし習慣にいたる問題である。
* エクセラ 2003.10.5 小闇@tokyo
昔いた研究室には「お茶係」という役回りがあった。所属する教官、学生から集金をし、インスタントコーヒーなどを買い揃える当番である。当番になった私
は、初回の購買で、ネスカフェエクセラを買った。ネスカフェゴールドブレンドより、安かったからだ。
買って帰って周りから罵倒された。インスタントコーヒーとはつまりネスカフェゴールドブレンドであり、それ以外はインスタントコーヒーとは認めない、そ
れが当研究室の伝統である。
所詮自分の金ではないし、それ以降はゴールドブレンドに戻した。こういうつまらないところにこだわる人間とはつきあいたくないなと思った。
時は流れ、今日。切れたインスタントコーヒーを買いに出かけた。一本のゴールドブレンドと二本のエクセラが、同じ値段。迷わずエクセラを買った。
家に戻って、冷たい牛乳に溶かしてカフェオレもどきを作った。いつものゴールドブレンドと違って、簡単に溶ける。アイスカフェオレにはうってつけだ。
自分の選択のセンスにややうっとりしながら口をつける。
・・・。研究室にいた保守的な小舅たちの主張が少し分かった気がした。うまいまずいではなく、慣れの問題。つまらないところで、また学んだ。
* 慣れて、習熟することは、その限界と、さらなる手直しの大事さとを考慮に組み入れている限り、大切な、有効なことである。だが此処で小闇のいう「慣
れ」は、かなりに「習慣」の意味のように読める。
わたしは心ならずも「心=マインドほ分別」をワルモノに言い続けている、(それには色んな展開や思索が加わるので、「心」という一字一語にあまりに過剰
な意義を押しつけているのが問題なのであり、一概に言っている訳ではない。)それとほぼ同様に、「習慣」になずむことの怖さにも触れたことがあり、一つの
胎毒また大毒だと思っている。「一期一会」を大切に思う者からはあたりまえのことである。習慣は、ときに美服であり時に襤褸である。いずれにしても人間を
ハダカにしない優しい或いは怠惰な防護服である。アランはその「美学」で語っていた、人間の自然は衣服をつけたときにあるか、つけずに裸体であるときが自
然なのかと。アラン的には答ははっきりしているし、わたしもアランに反対ではない。だが、習慣にひきずりまわされることの余りに多い、余りに安易にそれが
好きな日常や人生では困る。真に肝腎なこと、覚悟として、「念々死去・念々新生」のハダカに直ちに戻れる「バネ=発條」のつよさがなければならない。
わたしも、意図して日々に繰り返すことを幾つも持っている、が、それが「習慣」的に流れていないことを、大切に意識し、つとめて新鮮に繰りかえそうとし
ている。繰り返すことは、避けられない。繰り返すことは必然である、例えば日本の自然が四季を繰り返すように。しかも繰り返しの一度一度が、生涯にただ一
度「かのように」繰り返せるかと古人は問いかけた。わたしも自身に問い続ける。「分別」と同様安易な「習慣」をわたしはほぼ敵視していることを、小闇の一
文は、あらためて気付かせる。
* 田中真紀子の旋風が「習慣」化せずにたえず瞬間風速の強度を新鮮に発揮して吹き続けるなら、自民党に負けが、野党に勝ちの目が無いではない、と思わせ
る。予想通りの戦略をもって田中真紀子は単純な立候補宣言でなく、自民の本拠に鏑矢を先ず射込んだ。小泉・安倍政権与党は何らかの対応を、党内で秘密にす
るわけに行かず、国民の注視下において提示せざるをえない。黙って時をかせぐ手に出るだろうが、それもまた自民の「回答」として批評されるだろう。
もう石原国交大臣の一総裁のクビきりなど、色あせた過去のひきずり人事で、真紀子旋風の前には紙屑同然になった。就任して翌日にクビにしていればかなり
の得点もしたろうに。
田中真紀子の言説を深く聴きたい。田中真紀子に対する自民党のしてきた仕打ちは、百パーセント大人げない男ヒステリーの不当な「いじめ」であったこと、
わたしは当初来疑ったことがない。あんなイヤらしい仕打ちはなかった。田中真紀子をあのように処分するなら、感覚的には鈴木宗男や山崎拓や加藤紘一やその
他あれこれも党務停止があって当然だった。
それにしても検察がよくこの時期に「真っ白」決定をしたことだ、わたしは、それに正直の所感嘆している。
* どうぞお召し上がりください。よろこんでいただいて嬉しゅうございます。
余裕のないスケジュールで、新幹線の中でだけ、ゆっくりと車窓の秋の風景を眺めながめておりました。
(歌集「少年」)16,7歳であんなに素敵なうたを詠まれるなんて、なんて素晴らしいのでしょう。詠まれた方は生涯のお幸せでいらっしゃいますね。
東京都
* 海胆などを戴いた。メールの交換から京都の「泉涌寺」や「東福寺」が話題になったついでに、私の歌集『少年』のことになっていた。高校は二つのお寺の
中途の丘の上、日吉ヶ丘に在った。わたしの文学は、まず此処で、短歌のある日々としてスタートしていた。短歌的な抒情はよかれあしかれ永くわたしの表現を
律したかも知れず、やっと近年にそこをのがれ出て来たかも知れぬ。そんなに変わらないで欲しいと読者は言うのだが。
* この人がプリントして旅先に同行させていた少年の歌は、巻頭の、ちょうど以下の辺りであろう。柩にもし一点入れて旅立つなら、この歌集をどうかと思わ
ぬではない。
菊ある道 (昭和廿六・七年 十五・六歳)
窓によりて書(ふみ)読む君がまなざしのふとわれに来てうるみがちなる
国ふたつへだててゆきし人をおもひ西へながるる雲に眼をやる
まんまろき月みるごとに愛(は)しけやし去年(こぞ)の秋よりきみに逢はなくに
朧夜の月に祈るもきみ病むと人のつてにてききし窓べに
山頂はかぜすずやかに吹きにけり幼児と町の広きをかたる
さみどりはやはらかきもの路深く垂れし小枝をしばし愛(かな)しむ
うつくしきまみづの池の辺(へ)にたちてうつらふ雲とひとりむかひぬ
みづの面(も)をかすめてとべる蜻蛉(あきつ)あり雲をうかべし山かひの池
朝地震(あさなゐ)のかろき怖れに窓に咲く海棠の紅ほのかにゆらぐ
刈りすてし浅茅(あさぢ)の原に霜冷えて境内へ道はただひとすじに
樫の葉のしげみまばらにうすら日はひとすぢの道に吾がかげつくる
歩みこしこの道になにの惟(おも)ひあらむかりそめに人を恋ひゐたりけり
山なみのちかくみゆると朝寒き石段をわれは上(のぼ)りつめたり
歩みあゆみ惟ひしことも忘れゐて菊ある道にひとを送りぬ
山上墳墓 (昭和廿八年 十七歳)
遠天(をんてん)のもやひかなしも丘の上は雪ほろほろとふりつぎにけり
あかあかと霜枯草(しもかれぐさ)の山を揺りたふれし塚に雪のこりゐぬ
埴土(はにつち)をまろめしままの古塚のまんぢゆうはあはれ雪消えぬかも
勲功(いさをし)もいまははかなくさびしらに雪ちりかかるつはものの墓
炎口(えんく)のごと日はかくろひて山そはの灌木はたと鎮まれるとき
勲功(いさをし)のその墓碑銘のうすれうすれ遠嶺(とほね)はあかき雲かがよひぬ
日のくれの山ふところの二つ三つ塚をめぐりてゐし生命(いのち)はも
しかすがに寂びしきものを夕やけのそらに向かひて山下(お)りにけり
山かひの路ほそみつつ木の暗(くれ)を化性(けしゃう)はほほと名を呼びかはす
うす雪を肩にはらはずくれがたの師走の街にすてばちに立つ
三門にかたゐの男尺八を吹きゐたりけり年暮るる頃
東福寺 (昭和廿八年 十七歳)
笹原のゆるがふこゑのしづまりて木(こ)もれ日ひくく渓(たに)にとどけり
散りかかる雪八角の堂をめぐり愛染明王(あいぜんみやうわう)わが恋ひてをり
古池もありにけむもの蕉翁の句碑さむざむとゆき降りかかる
苔のいろに雪きえてゆくたまゆらのいのちさぶしゑ燃えつきむもの
雪のまじるつむじすべなみ普門院の庭に一葉が舞ふくるほしさ
日だまりの常楽庵に犬をよべばためらひてややに鳴くがうれしも
はりひくき通天橋(つうてんけう)の歩一歩(あゆみあゆみ)こころはややも人恋ひにけり
たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは
日あたりの遠き校舎のかがやきを泣かまほしかり遁(のが)れ来つるに
冷えわたるわが脚もとの道はよごれ毘盧宝殿(ひるほうでん)のしづまり高し
内陣は日かげあかるしみほとけに心無罣礙(しんむけいげ)の祈願かなしも
右ひだりに禅座ありけり此の日ごろ我にも一の公案はあり
青竹のもつるる音の耳をさらぬこの石みちをひたに歩める
瞬間(ときのま)のわがうつし身と覚えたり青空へちさき蟲しみてゆく
拝跪聖陵 (昭和廿八年 十七歳)
ひむがしに月のこりゐて天霧(あまぎ)らし丘の上にわれは思惟すてかねつ
朝まだき道はぬれつつあしもとの触感のままに歩むたまゆら
木のうれの日はうすれつつぬれぬれに楊貴妃観音の寂びしさ憶(おも)ふ
道ひくくかたむくときに遠き尾根をよぎらむとする鳶の群みゆ
ぬればみて砂利道は堂につづきたりわが前に松のかげのたしかさ
をりをりに木立さわげる泉山(せんざん)に菊の御紋の圧迫に耐へず
御手洗(みたらひ)はこほりのままにかたはらの松葉がややにふるふしづけさ
ひえびえと石みちは弥陀にかよひたりここに来て吾は生(しやう)をおもはず
笹はらに露散りはてず朝日子のななめにと.どく渓に来にけり
渓ぞひは麦あをみっつ鳥居橋の日だまりに春のせせらぎを聴く
水ふたつ寄りあふところあかあかと脳心をよぎる何ものもなし
新しき卒塔婆(そとうば)がありて陽のなかにつひの生命(いのち)を寂びしみにけり
汚れたる何ものもなき山はらの切株を前に渇きてゐたり
羊歯(しだ)しげる観音寺陵にまよひきて不遜のおもひつひに矯(た)めがたし
岩はだに蔦生(お)ふところ青竹の葉のちひささを愛(を)しみゐにけり
はるかなる起重機(クレーン)の動きのゆるやかさをしじまにありておだやかに見つ
目にしみる光うれしも歩みつかれ「拝跪聖陵」の碑によりにけり.
光かげ (昭和廿八年 十七歳才)
なにに怯え街燈まれに夜のみちを走つてゐるぞわれは病めるに
ぬめりある赤土道(はにぢ)を来つつ山つぬに光(ひ)のまぶしさを恋ひやまずけり
アドバルンあなはるけかり吾がこころいつしかに泣かむ泣かむとするも
黄の色に陽はかたむきて電車道の果て山なみは瞑(く)れてゆくかも
つねになき懐(おも)ひなどあるにほろほろと斜陽は街に消えのこりたり
鉄(かね)のいろに街の灯かなし電車道のしづかさを我は耐えてゐにけり
別れこし人を愛(は)しきと遠山の夕やけ雲の目にしみにけり
舗装路はとほくひかりてタやみになべて生命(いのち)のかげうつくしき
ほろびゆく日のひかりかもあかあかと人の子は街をゆきかひにけり
山の際(ま)はひととき朱し人を恋ふる我のこころをいとほしみけり
そむきゆく背にかげ朱したまゆらのわが哀歓を追はむともせず
遁れ来て哀しみは我にきはまると埴丘(はにをか)に陽はしみとほりけり
夢あしき眼ざめのままに臥(こや)りゐて朝のひかりに身を退(の)きにけり
閉(た)てし部屋に朝寝(あさい)してをり針のごと日はするどくて枕にとどく
うつつなきはなにの夢ぞも床のうへに日に透きて我の手は汚れをり
生々しき悔恨のこころ我にありてみじろぎもならぬ仰臥(ぎやうぐわ)の姿勢
散らかれる書物の幻影とくらき部屋のしひたげごころ我にかなしも
誰まつと乱れごころに黄の蝶の陽なかに舞ふをみつめてゐたり
偽りて死にゐる蟲のつきつめた虚偽が螢光灯にしらじらしい
生きんとてかくて死にゐる蟲をみつつ殺さないから早くうごけと念じ
擬死ほども尊きてだて我はもたぬ昨日今日もそれゆゑの虚飾
灯の下にいつはり死ねる小蟲ほども生きやうとしたか少くも俺は
うすれゆくかげろふを目に追ふてをればうつつなきかも吾が傷心は
つもりつもるよからぬ想ひ宵よりの雨にまぎるることなくて更けぬ
馬鹿ものと言はれたことはないなどと小やみなき雨の深夜に呆(はう)けてゐたり
まじまじとみつめられて気づきたり今わらひゐしもいつはりの表情
夕雲 (昭和廿八年 十七歳)
朱(あか)らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人恋ひにけり
わぎもこが髪に綰(た)くるとうばたまの黒きリボンを手にまけるかも
なにに舞ふ蝶ともしらず立つ秋をめぐくや君がそでかへすらむ
ひそり葉の柿の下かげよのつねのこころもしぬに人恋へるかも
いしのうへを蟻の群れては吾がごとくもの思へかも友求(ま)ぎかねて
君の目はなにを寂ぶしゑ面(おも)なみに笑みてもあれば髪のみだるる
窓によればもの恋ほしきにむらさきの帛紗(ふくさ)のきみが茶を點(た)てにけり
りんどうを愛(は)しきときみが立てにける花は床のへに咲きにけらずや
わくら葉のかげひく路に面(おも)がくり去(い)ななといふに涙ぐましも
柿の葉の秀(ほ)の上(へ)にあけの夕雲の愛(うつく)しきかもきみとわかれては
またも逢はなとちぎりしままに一人病みてむらさきもどき花咲きにけり
目に触るるなべてはあかしあかあかとこころのうちに揺れてうごくもの
踏みしむる土のかたさの歩一歩(あゆみあゆみ)この遙けさがくるしかりけり
うす月の窓にうごかぬ黄の蝶の幾日(いくひ)か生きむいのちひそめて
草づたひ吾がゆくみちは真日(まひ)あかく蜻蛉(あきつ)のかげの消えてゆくところ
のぼり路(ぢ)は落葉にほそり蹴あてたる小石をふとも愛(を)しみゐにけり
秋の日は丈高うしてコスモスの咲きゐたるかな丘の上の校庭(には)に
ひむがしの窓を斜めの日射し朱く我に恋慕の心つのりく
しのびよる翳ともなしに日のいろや吾が眼に染みて暝れむとすらむ
言に出でていはねばけふも柿の木の下にもとほり恋ひやまぬかも
以下・略
* 十月六日 つづき
* 終日井上靖の第一詩集『北国』の校正をしていた。全編。そして著名な「あとがき」に加え、わたしの好きな拾遺詩篇の二篇。藤村、白秋、朔太郎、中也、
その他「ペン電子文藝館」は意図して大勢の招待詩人をかかえている。歴代会長では藤村、靖、大岡信という三人の詩人を擁している。靖の、徹しての散文詩
は、独特のものだ。
がんばって、夜には入稿にまでこぎつけた。読んでいると、『北国』は殆ど全編を東工大の教室で読んでいる。懐かしいなあと、その時々のなにとなし学生諸君
のどよめきや反応のあれこれが思い出せてくる。
* 秦先生 お久しぶりです。
私は元気、元気。なんとかやっています。ここのところは、仕事も少し落ち着いてきていて、毎日、電車で帰れるかなぁ、無理かなぁ・・・といった状態で
す。ここ一ヶ月以上、電車で帰れる日がほとんどなかったことを考えると、大幅な改善ですね。ただ、もう少ししたら、12月末に向かって再び忙しくなるは
ず。ちょっとした小休止といったところでしょうか。
相変わらず私は予算の仕事でかけ回っていますが、世の中的には大臣が変わったり、総選挙に向けた動きがあったりと色々です。大臣は、道路道路と道路ばか
りですが、行革大臣時代と違い、我が省の守備範囲はとても広い分野を担っています。生活に直結した施策なども沢山あります。懸命に、日々過ごしておられる
人たちにどんなメッセージを投げ掛けるのか。そもそも、投げ掛けられるのかどうか。少なくとも、息子さんには、今のところ期待しているところです。
柳とはメールのやりとりだけですが、秋には先生と会いましょう、ということで前から話をしていました。ご紹介頂いたミュージカルですが、11月末は
ちょっと厳しいですね。もともと、予算編成時期であることに加えて、国会の方も色々と動きがあるようですから。
もう少し早い時期が良いかな、ということで連絡をしておいたところ、今日先生のメールが柳から転送されてきました。柳には「その日でOK」と答えておき
ました。柳も大丈夫だと言っていましたので、確定ですね。
今朝から、仕事の合間を縫って書いていたら、結局色々になってしまいました。それでは、楽しみにしております。
* わたしも楽しみ。ともあれ、まずうまい酒で乾杯し、口をほぐしておいて、動くなら動いてもいいし。落ち着くなら落ち着いても佳いし。話し合うなら、ク
ラブは適している。
* 今夜のテレビタックルは面白かった。民主党の若手の諸君が、合併でなんだか自民党の連中と対等に大きくなり元気がいい。今日の議論は各般にわたりとも
あれ活気づいて、へたなドラマより何層倍も生き生きと考えさせるものが有った。
* 久米宏の番組に民主党の菅直人、小沢一郎が出て、閣議前の「事務次官会議」なる仕組みがいかに政治を官僚の手で弱体化せしめる元凶であるかを、巧みに
説明していた。民主党のマニフェストは徐々に効果を上げて行くだろう、せいぜい分かりよく話し続けてくれることだ。
これに対して藤井道路公団総裁の「意外な」反乱と抵抗の前に茫然としてる小泉首相も石原大臣も、政治手腕を非難されこそすれ、褒められた図ではない。藤
井というのは猪瀬氏らが口を極めて非難していた通りのトンデモナイ病人であることがよく分かった。事の此処に至ったのは藤井総裁にいろいろよからぬ思案の
ヒマを与えすぎたこと、その間にたぶん党内の反対・抵抗勢力、族議員たちの知恵漬けも有ったに違いない。電光石火、クビをとらずに説明を聞くのナニノと無
用なゴタクを敬語イッパイにならべ立てていた石原大臣の「したり顔の落ち度」が、露わに現れているのが藤井反乱である。
* 一票が政治を変えうるであろう最大のチャンスが目前に近づいた。選挙に力一杯の判断を示したいものだ。
* 十月七日 火
* 日本語の底荷 秦恒平様 歌集『少年』の幾つかの短歌を読ませていただきました。
読みながら、ある歌人の書いた文章が断片的に思い出され、その本を取り出し目をとおしました。作家の指標で始まるその第一章の文ですが、・・・
「短歌は日本語の底荷だと思っている。そういうつもりで歌を作っている。俳句も日本語の底荷だと思う。短歌、俳句ーそういった伝統的な詩歌の現代におい
てもつ意味は、この底荷としての意味を措いてほかに無いと思っている。
「底荷」とは空載時の船舶の重心を低くするために船ぞこに積み置かれる荷物を言い、ふつう、砂利が用いられる。」
「私は、短歌、俳句の言葉は日本語の中でもとくに格調の正しい、磨かれた言葉であると思っている。適確に物を捉え、思いをのべるのに情操のかぎりをつく
し、正確に、真実に、核心を衝く言葉を選ぶのが短歌であり、俳句である。」
五音と七音を基調とする詩学、情操の豊か日本語へ思いを新たします。昭和二十年代の(恒平)短歌の命、永遠なりと読みました。 神奈川県
*
秋冥菊 白色だけを貴船菊と呼ぶと聴いています。鉢のひょろひょろと延びた僅か二本の茎に四、五輪輪の白い蕾が、気がつけば綻び初めて、秋を感じます。
気紛れに化学肥料をパラパラと落とす程度で、そうなるまでの存在が薄いのに、もう何年もこの時期、私のアイドル。 東京都
* 朝一番のおくりものに、感謝。さ、木挽町へ。お天気はどうか。
* 十月七日 つづき
* 歌舞伎座は芸術祭十月大歌舞伎。昼夜とも演目が二つずつで、珍しい。
昼の部は、「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」三幕六場と、「連獅子」とで、夜の部が、「祇園祭礼信仰記」から「金閣寺」一幕と、「於染久松色
読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」の「新版お染七役」とで、坂東玉三郎が「七役相勤め申し候」ての三幕七場。
この演しものだけで、特別楽しみにしていた。期待裏切られず、昼夜通して楽しんできた。妻も、今日は、ほとんどメゲることなく最後のさいごまで拍手して
いた。
* 「盟三五大切」は鶴屋南北らしい趣向の勝った芝居で、一見終始陰々滅々めいていながら、写楽大首の役者絵を観ているような、様式美も濃厚、それを松本
幸四郎の薩摩源五兵衛実は赤穂浪人不破数右衛門、中村時蔵の芸者小万、尾上菊五郎の佐野屋三五郎らが、丁寧に練り上げて行く。初めのうちは体温が上がらな
い感じにしずしず進んで行きながら、なかほどから俄然劇的に切なく凄まじく盛り上げて行く。
なにしろ忠臣蔵義士外伝の体裁のなかで、四谷怪談もが絡んでいる。いわば趣向の不自然こそは南北得意の展開、それに乗せられついて行くと、異様にぎらり
と美しい人模様が真実みを光らせる。義士の仲間入りのために百両の金をぜひ必要としている源五兵衛のために、その金を陰で作ろうと、それとも知らず当の源
五兵衛の手に入れていた百両を、三五郎と小万夫婦とは色仕掛けでだまし取ってしまう。そして、廻りまわって源五兵衛の手にその百両の届いたときには、うら
みに燃えた源五兵衛はそれとも知らず小万の首を切って落としており、三五郎も源五兵衛の前で自害する。こういう「転がし」ようは南北のお手の物である。
さすがに幸四郎、沈着に、かつ、やぶれかぶれに狂いながら、もの凄い世界へ舞台を塗り上げて行く。時蔵の小万が適役で、菊五郎にはもうすこし打ち込んで
働いて欲しかった。若い愛之助がいい役をもらって熱心にやっていた。
* 幕間に、吉例の「吉兆」で昼食、銚子一本。あしらいのついた、もみじ鯛の造りが抜群。胡麻豆腐の赤出汁うまく、盛りだくさんに八寸、焼き物、焚き合わ
せ、和え物、酢の物、それに飯と果物。三十五分で食べてしまうのが、毎度のこと、惜しい程。
*「連獅子」は、松緑の子獅子が抜群の健闘で、わたしは嬉しくて胸が熱くなった。団十郎の父獅子に谷底へ蹴落とされて、しばしがほどは木陰に息を整えてい
た子獅子が、ようやく谷から這い上がり、父と子とは歓喜する。連獅子はそこが眼目で、わたしはいつも胸を熱くするが、珍しい団十郎と松緑という組み合わせ
が新鮮に成功し、大らかに豊かな成田屋にむかい颯爽と気迫烈しい若い音羽屋が真っ向対峙して、雄壮に赤毛を振りに振り立てたクライマックスは、興奮の渦で
あった。松六は検討して団十郎を庇っていたのである、視線を集めるようにして。団十郎の大きなゆとりは申し分なく、松緑の緊迫と敢闘とはおみごとであっ
た。嬉しくて、わたしは涙をじんじん瞼で煮ていた。家橘と右之助とが法華と念仏の僧で間狂言。
所作事の面白さは、歌舞伎には無くてかなわない、「連獅子」などことにわたしは好きである。また良い記憶の作も多い。はじけるほどの美しい興奮で昼の部
がはねた。
* 入れ替え一時間を利して妻と銀座へ散策し、ちょっと風変わりな「らーめん屋」に入ってみた。久しぶりに食べた。
* 夜の部の先ずは「金閣寺」は、三姫の一人雪姫に御大の京屋中村雀右衛門。松永大膳に松本幸四郎、此下東吉実は羽柴筑前守に尾上菊五郎、そして佐藤正清
に片岡我當。これは最も歌舞伎らしい大柄な舞台で、感覚的にも美しい限りだが、役者の芝居の質をえらんで、よく見せてくれた。
幸四郎の大膳が大きく冴えかえり、菊五郎のことに此下東吉で出て碁をうち大膳を負かす辺りは、おみごとな大いさだった。我當は健闘好演、下半身はややひ
弱いが上半身と口跡の張りのよさとは逸品。満足した。嬉しかった。
雀右衛門の雪姫はしっかりしたものだった、席が前から四列目の真真ん中であったから息づかいまで聞こえそうにリアルに演技が楽しめた。
* 玉三郎のお染七役には、ほとほと恐れ入った。油屋お染、丁稚久松、久松の許嫁お光、久松の姉奧女中竹川、芸者小糸、土手のお六、後家貞昌の七役を、変
わる変わるまた変わる、目まぐるしさが輝くように美しくて、危なげなくて、もうもう玉サマ魅力のオンパレードであった。
土手のお六の気っぷの良さは抜群で、締めくくり花四天とのはなやかな立ち回りのままに「本日はこれぎり」と玉三郎の口上で一日の芝居を終えた爽やかさ。
劇場は興奮の渦に巻かれて、心地よいはね出しとなる。
「歌舞伎はやっぱり満足させてくれるわあ」と、妻の満ち足りた声が耳へ。その通り。
* 松嶋屋からの土産を手に、妻の元気なうちに帰りたくて、今夜はクラブに寄らず、銀座一丁目まで心地よくそぞろ歩いて、有楽町線の地下鉄に乗った。「日
本の歴史」で毛利元就を読むうち保谷に着いた。われわれの顔をみた黒いマゴが、嬉しくて興奮して家中を上へ下へ疾風のように駆けていた。
* 十月八日 水
* リンゴ 『冬祭り』には、たくさんの美味しいものが出てきますが、なかでも、袋いっぱいのリンゴは、旅程でのタイミングも絶妙で、読んでいていつも
喉が鳴ります。
雑誌を繰っていて、「無間道(インファイナル・アフェア)」のアンディ・ラウ(劉徳華)を見た瞬間、あのリンゴを思い出しました。あい変わらず、いい顔
です。NHK教育「中国語講座」で、インタビュー・フィルムが流れましたが、真摯でまっすぐ、引き締まっていて爽やか、味わいは濃く。
林檎の香残る籾殻あたたかし (福田邦子)。
宏ッちゃんがロシアでかじったようなリンゴが食べたいわ。
* たしかに書いた気がするが。こと左様に作者より読者の方がよく覚えていてくれる。これでたぶん健康なのだろう、作者にも読者にも。
たいていの作者は、出版社があって作者が在ると考えている。読者が、などと言うと変わった動物に出会ったような顔をされてしまう、同業者たちの中で。
しかし作者が作品を介して魂の色を分け合っているのは、読者。わたしは終始そういう作者をしてきた。夏目漱石はそういう作者であったと思う。
* 一水会出展の油彩、以前に増して、格別に美しく纏まっていると。いつもの例のモチーフ(円形枠の棚)が今回初めて、活かせたなとみました、後景に脇役
風に置いた効果でしょうし、陰翳もやわらかに落ち着いています。
上ひだりの黒い人間のような樹木のようなシルエットはバランスを欠いて成功していない。そこだけ手抜きしたように感じてしまうラフな捌きです。これが無
かったらどうでしょう。弱いですか。
絵の右側半分は佳いですね、美しい。下の左も、ほぼ。細い壺を垂直に置きたかったのはよく分かりますが、質感よわく、無意味に不安定です。
しかし、絵としては断然前進しています。
その上で、この先がどうなるか楽しみでもあり不安でもあり。
不安といえば、あなたの構図の甚だ特異なのは、視線の流れが右下から左上へという。これは珍しい例に属することを、十九世紀のヨーロッパの美術史学者が
説いています。ふつうは、左下から右上へ、左から右へ、です。劇場の花道がひだりにつき、左の下手から右の上手へたいていは移動します、視線が。一という
漢字を書いて見れば分かります。これは、意図してしましたか。これがあなたの自然ですか。悪いとは云いません、とにかく稀有の例とすら言えます。
湖
* 或るペンの会員、わたしもよく知っていて親しくもある会員から、実は筆名でだれにも知られず小説を書いてきたと電話で告げてこられ、ビックリした。夢
にも思わなかった。昨日人権委員会だったか、の、催しがあった。来なかったねといわれ、歌舞伎座にいたと返事すると「優雅だね」を十遍ほど云われた。優雅
とは思っていないが、楽しめるに越したことはない。大江健三郎と誰とかの公開対談があったようだ、気は少しもそっちへは動かなかった。歌舞伎がなくても行
かなかったと思う。「心」とかかげて、ただマインドの言説にはハートは動かない。少なくも歌舞伎は、美しい。父子の獅子たちがタンと床を踏む音までが美し
いのだ、揺るぎなく。
* 秦建日子が、しばらくぶりに、作・演出の演劇公演を発表した。新年早々に五日間ほど、下北澤でと。いいことだ。旧作のリメイクらしいのは少し失望で、
楽しみは薄れたが。
連続ドラマ「共犯者」は、十月十五日からスタートする。讀賣テレビだったか。十五日は理事会で、晩は国立小劇場で「鼓楽」を聴く。コマーシャル入りで観
るよりビデオで見る方がいいので、差し支えはない。
* インスパイアということを、ことに大切に考える。鼓吹されない程のことは、何事であれ、つまらない。鼓吹されるためには自分を開いて、或る程度棄てて
いなくてはならない、難しいけれど。自分は堅くガードしたまま、インスパイアされようなど、ムシのいい話である。自分の身の丈に合ったものばかり求めてい
てもお話にならない。
* 秦テルオ講演を正式に引き受けた。手持ちの資料をプリントしてみたが、分厚い単行本の優に一冊ほどもある。無心にまず読み、また展覧会が練馬で始まっ
たらせっせと通わねばならぬ。幸いに美術館は近い。
* 安物買いの銭失い 2003.10.07 小闇@バルセロナ
四月から起動したある「日系」企業が、半年経たぬうちに、三人目の現地社員を雇うことになった。要は、一人目、二人目に見切りをつけられたのである。
私は、その二人を知っている。どちらも、咽から手が出るほど、仕事を欲しがっていた。通訳、翻訳、秘書業は言わずもがな、そこでの仕事はマーケティン
グ。スペイン語、英語、日本語を駆使しての業務に、優秀そうな彼女らは、むしろ張り切って見えた。
会社は、利用できるだけ利用して、金の出し惜しみをした。抗議に対して返した言葉が、「日本では、(部品)組立てのパートさんも、このお給料です。」
スペインに、MERCADONA(メルカドナ)という名前のスーパーマーケットがあり、創業以来、脚光を浴びている。成功の秘訣は、従業員が正社員とし
て雇われ、相応しい給料をもらっていることにあるそうだ。
それだけ。たったそれだけのことが、従業員に満足感を与え、彼らの志気を高め、結果、よい雰囲気とサービスを生み、それが顧客を増やし、商品の値を下げ
ることに繋がっていると言う。安ければ顧客はますます増えるだろう。
私たちも実際、近所の七、八軒のスーパーマーケットを横目に、わざわざMERCADONAまで足を延ばしている。
どちらが賢いか。質や志気を侮り、けちることだけに喜びを感じている人間は、一生机で皮算用でもしていたらいい。気がつけば、かちかちやまの狸にでも
なっているさ。
* オウ。
* みっともない 2003.10.7 小闇@TOKYO
野中某とか藤井某とか、ここまでいくと往生際の悪さとはこういうことだ、という見本のようで、ある種の清々しさを覚える。嘘である。
己の引き際を見誤ることほどみっともないことも、そうはない。
例えば恋人が心変わりしたのにそれに気付かず、あるいはうすうす気付いてはいても認めずに、いや彼女はきっと意地を張っているだけで、本当は僕のことを
まだ愛しているのだ、とか。だから俺は押すぜ押すぜ、みたいな。このあたりの男心の葛藤の描写はどうやったって三谷幸喜に敵わないのでこれ以上触れない
が、つまりはそういうことである。
「みっともない」成立の必要条件に、自分ひとりのつんのめった思いと、相手の気持ちの量れなさとを挙げたい。
判断の基準が渦中の自分の心のうちにしかないから、こういうことになる。防ぐのは簡単。自分がその騒動を、外からみたらどう思うか、想像すればいいだけ
の話。
電車の中で化粧をしないのもコンビニの前に座り込んでカップラーメンを食べないのも、長い列に割り込まないのもひとの持ち物をうらやましいと思ってもそ
う口にしないのも、私を捨てないでなんて口が裂けても言わないのも、そうしている自分ははたから見たらさぞみっともないだろうと思うからだ。
なんだか中高生向けの道徳の教科書にありがちな厭味な感じの流れだが、これが七十八歳男子と六十七歳男子の振る舞いによるものなのだから、日本というの
も素敵な国だ。嘘である。
野中某も藤井某も、対峙すべき観衆の心がしらばっくれているのでなく本当に分からないのなら、冷静な眼の自分をもうひとり、蚊帳の外に置けばいいだけの
話なのだ。もちろん彼らの場合は、私のような小娘とは違って地位や名誉に相応しい退路が必要なのかもしれない。そのプライドが何かをじゃましているのかも
しれない。
しかし、私は彼らがどんな有益なことをしたのか存じ上げないし、あったとしても、過去の実績が仇となっている面もあるように思えてならない。なんにせ
よ、お釣りが来るくらい十二分に、みっともない。
* オウ。三十の「小娘」たちのこの機鉾よ。きみたちには、だが、責任もあるぞ。
* 美しい女先生 来日十年、日本語は難しいと言いながらも、相当堪能。故郷ジェノバでの二ヶ月の夏休みを終え、また日本へ。久しぶりの伊会話教室。
欧米では当然の習慣らしく、会話の中で何処の国、何処の都市出身かと聴いてきます。
「デイ ドヴェ セイ?(何処の都市出身?)」
「ソノ デイ キョウト」と返事をするや、ラテン系の気さくで美しい中年のマリネッラ ヴアーリ先生は、身を乗り出
して「オー、キョウト、ベッラ チッタ!(美しい町)」と返ってきました。
「イエース」いや違った、伊語では「シイー」と返答しながら、ホンマは、ローマとフイレンツエを併せたような古い歴史の街です、と答えたかったのに、当
然、そんな難しい会話が出来る筈もなく。
何十年来のここ東京で、京都だと云うと大抵の人はヘンな期待をかけてつくずくと顔を覗きこんで、勝手な判断をしてくれて、気恥ずかしい思いの経験は何度
もあり、京都出身者が皆々美人の筈がないでしょう、と身近にいる同歳、同郷者の友人と口を揃えて、そうよねえーと共鳴します。
まあ、それはさて置いて、京都が話題を膨らませるのは確かで、決していやではなく、むしろ身に纏うほんわかとした衣のように感じます。
* これがまた七十になるおばあさん。この人にも責任があるかどうか、わたしは判断を留保。
では、わたしには責任があるか。ある。シュワルツェネッガーには成れないし成る気もはなから無いが、今度の総選挙には、必ず責任を果たす。権利を行使す
る。自民政権には引っ込んで貰いたい。
* 十月九日 木
* セカイハツ 2003.10.8 小闇@TOKYO
世界初、を売り物にした新製品の説明会に出席した。セオリーどおりのプレゼンで、上座にはプロジェクター、手元には紙の資料。会が後半に入り、営業担当
者が説明を始める頃になると、プロジェクターには手元にはない資料が投影され始めた。良くあることだ。三十分が過ぎ、ようやく最後の資料が映し出される。
そこには「世界発」の文字があった。説明していた営業担当者が間違いに気付き、「あ、これは世界初、ですね。世界で初めて」。するとパソコンで資料の投
影をしていた社員が、その場で「発」を「初」に書き換えた。
いい時代になったものだ、と、思う。
OHPやスライドの準備がとても嫌いだった。印刷も何度もやり直した。私だけでなく皆そうで、地方の学会でのプレゼン資料にミスがあることに現地で気付
き、コンビニのコピー機にOHPシートを手差しして新しい資料を作ったりもした。そう遠い話でもない。
その頃すでにノートパソコンもPowerPointもこの世にはあったが、まだ学会レベルには降りていなかったように思う。今はどうなのだろうか。
なんて、懐かしくもないのに振り返ってみたりして。
で、「世界発」、これも悪くないと思う。世界中から私のハートめがけて何かが飛んでくるようで、世界で初めてのものよりも、新製品としてはかなり魅力
的。
* コラムとして、いい切れ味、面白い。
* 十三夜の翌朝に。 二十歳のとき、無茶をやり同輩ともども破門されかけた師に、飲み屋でごちにあずかった。土佐っぽの師はたしか六十半ばだったが、
いい飲みっぷりだった。説教は少なくとてもうれしかった。
いまごろ、君付けで呼ばれる酒席もとんと少なくなった。さ、遠慮無用、若いもんはどんどん食べて飲んでと。知命ごろまで、一まわり上の元気な長上者が飲
み仲間でもあった。五十のとき、四十上の大先生と飲んだのが最後の記録か、さすがにご自宅まで送っていったが。
でも、昔の先輩、長上者は元気で飲みっぷりもよかったような。うまい酒肴でもてなしてくれる先生が何人かいた。いまは、いくつか年上の兄さん数人が君付
けで呼んでくれるが、勘定はおあいこの付き合い。ちょっぴり寂しいが、還暦の歳になるとそんなもんだろう。
四、五十代、留学生や地元の大学生をよく飲み食いに誘った、自分も楽しんだ。催促ナシで金も用立てた。それも何だかなくなってきたような。これも、何や
ら味気ない、でもまだ老けていられないから、そのうち。先輩にもらった分は後輩に回さなくては。
十五夜よりずっと心に染みた十三夜が明けて、天気も上々、朝から仕事を片付け、母を五ヶ月ぶりに見舞う。都下ではまだ南へ飛んでいく雁は見られないだろ
うが、里の秋がきっと迎えてくれるだろう。いっときネオンの錦秋よさらば。 西多摩
* わたしの酒は、家で、妻と猫を相手の「ひとり酒」が大方、それで良い。それか、気の合った、むりにしゃべらなくていい、白い手先がときどき動く、静か
な「おんな酒」。ま、そんな相手は、めったにいるものでない、創りだすものである。
* 電メ研のメーリングリストがほとんど稼働しないので、住基問題はどうする気かと、小石を投げ込んでみた。やっと、弁護士の牧野委員らから三、四意見が
交わされ始め、ほっとしている。電子メディアの問題は、膝に手をおいたままでいると、ただたた過ぎ去り流れ去り、そして問題は垂れ流し気味に増してゆく。
やはり適切にタイムリーに反応して行けるようでありたい。
明日の会議は、めったになく六時から八時という晩景。疲れずに帰りたいが。
* 今日出掛けたものの、遠くまで出張る気になれず、駅近くの「ペルト」の店を借りて二時間ほども秦テルオの資料を読んだ。それでやっと文献が一つ二つだ
け。
しかし感動した。想像した以上に大きな豊かな画家である。優れた藝術家である。その人生は波瀾に満ちて、しかも静かに成熟する。すばらしい。
* 十月十日 金
* 同僚委員三谷憲正氏の直哉「城の崎にて」試論を深夜に読んだ。
志賀直哉は、或る年、いいわば交通事故に遭い生死も危ぶまれた。その恢復と静養とのために城の崎温泉にでかけた。作品によれば静寂孤独の湯の宿住まいで
ある。事実は友人達もともにほとんど連夜遊びほうけて、どこが療養の人かといぶかしむほどであった。
名作とうたわれ事実素晴らしい作品であり表現である「城の崎にて」は、作者が創作余談にいうがままの「事実そのまま」どころか、巧緻に、神妙至極に組み
立てた創作そのものであった。三谷さんは入れた力こぶも見えるほどそのことを書き込みながら、深層を模索している。
この筆者、書く論文のことごとくを(と云いたいほど)一編一編「試論」と題する、慎重で神経の張った人である。あまりどれもこれも「試論」なので、読む
側はもう殆どこの二字を「三谷好み」と受け容れて気にしない程になっている。無くて七癖の一つかと。
* 日本史はいま、毛利元就の戦国大名として伸び上がり伸び切ってゆくサマを、仙台伊達などとも共通する貫高制などもともに、読み進んでいる。
思えば律令制の昔から、貴族の荘園支配を経て武家の守護・地頭乱入があり、さらに守護大名の下剋上また上剋下の死闘があり、応仁の乱を経過後の戦国大名
による領国ないし家臣支配が続いている。死力と秘策は、つまりは、めんめんと上下・主従の格闘であり葛藤であった。根底は「土地」の支配であった。狭い国
土。国土が遙かに遙かに広大であったらまた別様の歴史が営まれたか、それは分からない。いま我が家のこの狭くて窮屈を思うと、やはり同じ因果律は働いてい
るなあと歎息される。
*「若菜」下の巻の紫上には、あの六条御息所の死霊がしゅうねく憑いて、瀕死の境にまで追いつめていた。源氏は青くなって紫上の間近を離れない、その隙
に、藤原氏の柏木は源氏正妻の女三宮に迫って強引に情交し、妊娠させてしまう。そのうえに節度をわすれたあらわな文をやり、若気の至りの女三宮は不注意に
夫たる光源氏にそれを読まれてしまう。その決定的な場面を、夜前、わたしは音読した。栄華の六条院は暗雲につつまれはじめる。紫式部の構想力と麗筆とにほ
とほと感嘆する、それも、初めて読んだかのような新鮮な魅力と衝撃の強さとに。
それにしても源氏物語の虚構というか、徹した一つの姿勢……にも、やはり時々は改めて驚いたり注視したりする必要があろう。この物語に書かれている時
期、平安京の日々は、放火人災と疫病死骸と偸盗放埒とにそれはどぎつく彩られていた、それが事実の現実社会であった。しかも源氏物語は、一度の火災も一つ
の街上や河原の死骸も、一度の強盗の働きも書こうとはしない。病死は書いている。物の怪も書いている。不思議も書かなかったわけではない、が、あらわな暴
力的な人災のすべてを拭い去るように書いていない。これは、知っていてわるくない作者の巧緻、または狡知ですらある。
* 井上靖第一詩集『北国』と、優れた「あとがき」、そして「そんな少年よ、おめでとう」の詩など、好もしい追加の二篇が、もう「ペン電子文藝館」を飾っ
ている。感慨深い。立原正秋作『冬のかたみに=幼年時代』もともに、若い大勢に、新たな読者に読まれたい。
いまなおスキャン極不調の泉鏡花戯曲校訂に、悪戦苦闘している。ほとんど全面打ち直しである。参った。
* 秦テルオといい、バグワンといい、また政局といい世情といい、何と多彩にわたしの脳みそをまたハートを刺激して已まないのだろう。昨日の晩、ジャッ
ク・レモンとサンディ・デニスらの「おかしな夫婦」に夫婦して大笑いのあげく、今度は「種の起原」とやら恐ろしく気味の悪いホラーに胸がわるくなったり。
これもまた非生産的な「優雅」な暮らしとみられるべきか。いやいや、ありのままということである。
* さ、今日は久しぶり、電メ研。まだまだわたしは枯れ木も山の賑わいを努めてあげねばならない。人が寄らねば委員会が成り立たない。電子メディア委員会
はよくぞ創立したと誇らしいけれども、維持と運営とは苦しかった。苦しかった。山田委員長は支援しないといけない。
* 祝 光あれ真澄の天(そら)と海と人 遠
* 厚くお礼申しあげます。 退院時に黄疸が強く出ていると、二日間箱に入り光をあてられていましたが、他の女の赤ちゃん達は大人しく寝ているのに、こ
の子だけが何時見ても大泣きで新生児とは思えない程、位置が横になる程の大暴れで、目を保護しているテープが剥がれた形跡もあり、目の見える二ヶ月までは
気がかりで、密かにただひたすら祈っていました。我々の頃には未熟児の箱に入れられた赤ちゃんに事故が多くあったのが記憶に生々しかったからです。娘も同
じ思いだったと後に聴きました。
幸いしっかりとした視力を持ち、両親譲りの黒目がちで二重の大きい目で、睫毛はこちらに欲しい程長く、色白で、髪の毛がまだ非常に薄いせいか、一見白人
の子風。決して孫自慢ではありませんが、つい贈られた句にお礼の意味を篭めて書いてしまいました。有難うございました。
今朝は珍しく七時まで朝寝坊をしました。やるべき家事に大童で今やっと落ち着き、ご飯が炊けたようです。 京都市
* 今朝も、のんびりと(か、どうか知らないが)プロペラの飛行機がゆっくり頭上を渡ってゆく。
* 絵の写真を機械のわきに立て、見ながら仕事しています。
黒い人体風と、細長い壺と。どっちかを省くなら人体の方、と思いながら凝視しています。視線の奧へ通るのを黒いシルエットが通せんぼして、そこで画面を
限画し狭く妨げている感じです。この黒い武骨なシルエットが無くても絵画のバランスは崩れないで済む、絵の奥行きが明るく深く通るような、素人考えです
が、感じです。
すると、前の壺もこんなにも長い首でなくて、首半分の長さで効果的なのではないのかなあと。
それにしても、あなたの絵で「美しい」季節感・構成感を感じた、ひょっとして初の制作ではないかなあ。いや、頂いた紫陽花が、おとなしいながらに、ず
うっと日常に眺めていて佳い色彩の力を、あなたらしい品の良さで発揮しています、これも「美しい」作品です。
この今度の絵では、ことさらに、美しい右側に対し、左で黒い濃い影を置いて対抗させなくてもいい感じだなあ、やはり。それほど、右のあかい色彩群がはな
やいで佳いですね、写真だけで云うのはナンだけど。
* 制作についての過程を、メールさせていただきます。
こんなにおっしゃっていただきけるなど予想もしませんでした。率直に嬉しいです。有難うございます。
あの作品の動機は、ムリをして最高のキャンバスを求めたことでしょうか。真っ白な画面の前に座ったとたん、わ!やった!! と快い興奮につつまれて、次
々とイメージがふくらんで・・・すっかり私自身になれました。
観葉植物のクロトンはお店で迷わず求めました。さてこれと丸い飾り棚をどう配置すればいいかしら・・・どうすれば魅力ある奥行きのある構図がなせるか?
バックにはどうしてもフェラガモの布地をあの色で入れたかったのです。
大きな画面に向き合ってあれこれと草稿を重ねました。
うしろの黒い人形も迷いながらいれました。 あそこにいれないと画面がもたないようにおもいました。
左前の骨董の引き出しは、こだわって買い求めたものです。
つぼはおっしゃるとうりで、あいまいですね。これはきちんと描いていたのですが・・・・かたい! ので、すこし消しなさい! と先生にいわれました。
私の不消化でおわっていた場所です。
それと、右下から左上に視線のながれる画面構成のことですが・・・意図したものではなく・・・・自分が描きたいように描いたのです。特異なものとはつゆ
しらず・・・です。
今回はとにかく開きなおって自分のやりたい放題に描いたものです。 先生の目を気にしないで・・・出品しないでも・・・いい・・・と・・・・。ところ
が先生はそれを出品しなさいといわれ、自身驚いたのです。
途中ですが・・・・またつづきをいれます。すみません。
* 永年にわたって、あまり褒めてあげられなかった、感想を聞かれれば悪態ばかり伝えていた、仕方がなかったが、少し変わってきた。悪態ばかり云いたいわ
けではなかった。よかったなあと思う。やはり多少でも褒める方が気分が好い。
* 十月十日 つづき
* 衆議院解散。
それよりも、しかし、今日、わたしが怒り狂っているのは、どこそかの小学校教師の、四年生の少年に対する、信じられない差別といじめの報道だ。三代ほど
以前の、曾祖父とかがアメリカ人であるためかどうか、少年はかすかにか濃厚にか、それらしい髪の毛や肌や顔立ちをしているのを、その教師はつねづね不審に
思っていて、家庭訪問の時に親たちに尋ねたという。何のこだわりもなく曾祖父の事を告げた途端に教師は五時間にわたり悪徳アメリカ人の血に汚された家系に
ついて問詰と非難と説教をならべたて、以降執拗にその少年を、事あるごとにいじめて差別的侮蔑的な言辞を浴びせ体罰的な加虐も自殺の強要すら厭わなかった
という。少年は、自分の汚れた血をぜんぶ入れ替えて欲しい、顔立ちも手術で替えて欲しいと、全く落ちこんでしまい立ち直れないでいるという。
どうしてこんな愚劣で悪魔的な男が、教師として通用してきたのか、いま彼は告発をうけ、原告の弁護団はものすごい人数であるという。
* 電子メディア委員会は、「住基ネット」の問題に最も多く時間をさいて議論したものの、なにも決められなかった。なにも具体的に進みそうになかった。
せめて何がなお未だ大きな問題であり、それに対し、せめて國と行政との暴走や、未来における恣意的な拡大悪用の恐れに対する歯止め請求などはしたいと、
わたしは強く願うのだが、委員長以下、さまでの熱意は感じられなかった。落胆した。
* 電子メディア委員会は、どういう活動が望ましいのか。
幾つもの問題や課題を列挙し、その一つ一つを委員が分担して報告し討議するという委員長試案には、疑問をもつ。ダイナミックではないからだ。
電子メディアの世界では、今日明日にもまるで予測しなかったような事態や問題が突発するおそれがある。委員会は、そういう事に対して日本ペンとしてはど
んな姿勢で対応するかを理事会に素早く具申して行けること、それが最大の使命だと思う。それをメインにしながら、他方継続して特定課題への学修や検討や試
案を出してゆく。その両翼を拡げていないと、この時代のトピックスに対し対応できず、いつも冷えた問題の蒸し返しにかかることになる。火花のちるような咄
嗟の適切な対応が出来なければ、「電子メディア」時代の電子メディア委員会に成らないではないかと思う。
* 秦テルオの詳細な年譜をつぶさに読んだ。いい年譜が書けるといいうことは、研究が行き届いている事であり、わたしは、どんな作家論でも、年譜がどれほ
どおさえられているかで評価する。研究書には索引が必備、そして人物を論ずるのならどんな年譜に基づいているかが成果の分かれ目になると考えてきた。秦テ
ルオの図録についた年譜は、なかなか優れている。関連の資料も要約や簡略化しないで載せていて、参考にしやすい。
なにしろしかし小さい字でぎっしり書かれた文献類で、視力には厳しい。しかし読んでいてわくわくするほど興味深い。
* 十月十一日 土
* 衆議院選挙。今度こそ一票の重みを、千鈞万鈞にして行使したい。
* 今ひとつ、北朝鮮の金正日周辺のなにかしら重大異変からも、目が離せない。何が有ったのか。夫人のことよりも、金正日自身に何かがあったのか、無かっ
たのか。気になる。
* 初出(雑誌等への発表)を経ない書き下ろし原稿の、三つばかりそれぞれ内容無縁な短編を一つの題名に、ぐさぐさに括って、寄稿されると悩ましい。二度
目の掲載になる、それはイイのだが、「ペン電子文藝館」が、会員による即ち「無料投稿場所」として利用されるような按配で。
編集者や出版人の眼を経ていないから、自己批評だけであり、自己批評ができるほどの人だから「会員」になっているわけだが、なかなかそこが実は微妙なと
ころで、悩ましい。それでイイのだとも言える。だが電子文藝館全体としての質的レベルが上がることにはならない。悩ましい。
* べつに寄稿の、裁判モノの小説と、ホラー小説とを読んだ。
* 秦さん、こんばんは。
今週末あたり、秋らしく清々しい青空の下での散歩を楽しみにしていたのですが、あいにくと、いま一つすっきりしない空模様ですね。冷え込む夜も多くなっ
てきましたが、お元気でしょうか?
先日、東郷青児美術館の「ゴッホと花」展に行って来ました。人込みにもまれての鑑賞を避けたく、仕事の折も良かったので、休暇を取って出かけました。
平日の午後に出歩くのは久しぶりでしたが、店に道に、存外と人出は多いものですね。何より、週末とは違い、日常の生活の匂いの濃厚なことが、今更ながら
に印象的でした。普段の朝夜の通勤時間帯、目にするのは、同じような服装をしたサラリーマンやOLばかり。最近では、その光景にも慣れてしまい、すっかり
当たり前のものになっています。
学校帰りの子供たちや、子供を遊ばせる母親たち、ゆったりと話しながら、楽しげに歩いてゆく学生たち。夕食の買い物に賑わう店や、食事の支度をする音。
ちょっと前まで当たり前だったはずのことが、妙に眩しく目に映り、惜しいような気持ちにもなりました。日々、こんなにも多くのことを見過ごしながら生きて
いるのかと。
もっと健全な仕事のありようはないものかと、ついつい考えます。働くことは、生活する上で必要なことですが、当然ながら、生活=仕事ではありません。に
も関わらず、振り返ると一日の時間の大半は、働くことに費やされています。大学の同級生の生活などを聞いてみても、大体似たような感じのようです。
その生活の中で、充実感、達成感を味わうことも確かです。なのですが、ちょっと歪んだ何かを、これでいいのかという疑問を、ふとした時に、どうしても感
じてしまいます。
社会を見渡してみても、過労で亡くなってしまう方々が多い反面、働きたくても職のない方々も大勢です。豊かに働くことができて、豊かに生活できる社会
は、一体どうしたら達成してゆけるものなのでしょう? 折りしも選挙の時期ですが、各党の主張に慎重に耳を傾け、大切な一票を投じようと思います。決し
て、雰囲気にのまれた人気投票にしないように。
さて「ゴッホと花」展ですが、やはり印象的なのは、二点のひまわりとルーラン婦人画の「三幅対」でした。鮮やかな黄色に囲まれたルーラン婦人は、満ち足
りた笑顔を浮かべているようにさえ見えます。あのように豊かな表情を持てるように、一日一日を、しっかりと受け止めてゆきたいものです。
ではまた。どうぞお元気で。くれぐれもお体を大切になさって下さいね!
* 国家公務員君のしばらくぶりの「あいさつ」であった。どうしても型通りに日々の流れてゆく息ぐるしさも有るのかも知れない、どこか破天荒にものの破け
る楽しみも視野も欲しいのであろうなと想う。
この二十五日にはやはり別の国家公務員君と建築家君とに逢う。久しぶりのことで楽しみにしている。
わたしからは、卒業生のだれもかれも等距離に心親しいけれど、存外彼等は同じ同窓生とはいえ、専攻も学年も違っていて、間近な友人同士以外はわたしが感
じているようには近くない。交流もないようだ、当然のことだろう。むりに顔を合わせても話題に詰まることもあるだろう、みな、それぞれにわたし、秦サンと
話したいと思ってくれる。いつでも元気に応じられるようでありたい、それは秦サンの義務でも楽しみでもある。
* 十月十一日 つづき
* 同感。東京の小闇がわたしもそう思ったままを代弁してくれたのが、小気味よくて。いい大人が、あっちでもこっちでも世迷い言を言っている、ばかばかし
い。
* 別の人生 2003.10.11 小闇@TOKYO
歌手と元野球選手が離婚して、報道関係者にファクスを送ったらしい。なぜこの手の広報にはファクスを使うのだろう。
それはそれとして、そこに書かれていたという文面に、ふーんと思った。
お互いを尊重し別の人生を生きる選択をした、と言うのだが。 それと結婚離婚は別だよなあ。
本当にお互いを尊重し別の人生を生きることを是としているのなら、それは結婚生活を続ける理由にはなっても、離婚の理由にはなるまい。
それとも、結婚するとそのふたりは同じ人生を生きるんだろうか。ありえない。結婚していようが離婚しようが、もともと別の人生である。
まあもちろんファクスに事実を書かなければならない理由も書く必要もないのだが、だからってお互いを尊重とか別の人生とかって言葉を使うのは、センスの
なさ丸出しである。
「同じ人生を生きるというのは幻想であることに気づき、それができないなら一緒にいても意味がないと思った」と、正直にこう書けばいいのに。
* 「ホワイトハウス」というアメリカのドラマを、「ER」や「CSI」とはまた別のドラマの傑作と感じている。新しい二部の初回をみて、面白いと思っ
た。救急治療室や科学捜査班のリアリティとは当然ことなって、なにもかもハデな物語になるが、その通俗さはこのドラマでは大事な要素である。引きつけて放
さないドラマの運びにわたしは賛成する。楽しみにしている。
息子の新連続ドラマ「共犯者」が、通俗は構わない、リアリティのあるクォリティーの高いものであればと願う。
* 十月十二日 日
* ひやりとする初体験をした。キーボードが利かず、一字といえどもどのアプリケーションでも書き込めなくなった。カーソルが動かないし、パスワードも打
てないのである。レジューム状態からすんなり起動しなくなり、機械と画面との連携が働かなくなったので、あちこちキーをむやみに叩いているうち、画面は出
たが、キーボードが働いていないらしいと分かった。ホームページも一太郎もメールも完全に使用不可能状態。ネットワークが利かなくなっているという。青く
なった。これはまたしても布谷君に懇願しなくてはならせないかと胸が痛んだ。
そこから回復しえたのは、機械本体裏の何だか分からないスウィッチをオフにしオンにし直したら、再起動し、そして不正電源オフによりエラーを生じている
おそれがあるからと、機械が何だか調整か試験かを始め、その結果元へ戻してくれたのである。
理屈は何も分からない。途方に暮れてヤミクモに試みたことが、たまたま当たったらしいだけの結果で、冷や汗をかいている。
どんなことで、わたしの電子メディア活動は全面停止してしまうか知れない。それは覚悟しておきたい。わたしから急にメールが届かなくなったからといっ
て、「病気」と疑うよりももっと普通に「機械環境の不如意ないし潰滅」と想像し、寛大であってほしい。前もって「闇」のかなたへお願いしておく。
* 田原総一朗の番組で、与党のアイマイ政策は日一日と暴露されている。イラク、年金、弱者切り捨て、対アメリカのポチ姿勢、抵抗勢力への弱腰と首相達の
空疎な強弁。どれをとっても、みな、ひどい。野党は万全などとユメにも思っていないけれど、自民政権には愛想が尽きている。少なくも今回は交替を実現した
い。
サンデープロジェクト取材での力作は、あめりか共和党政権の超巨大巨悪な軍需産業、死の商人達とほぼ一体化した悪辣無道、の、剔刔レポート。こういうレ
ポートをどうかしてアメリカへ輸出し、かの国民に広くみてもらいたいものだ。アメリカで、アメリカ人の手では、とても制作できないと、レポーター達が口を
揃えていた、さもあろう。
* 何というイヤな世の中になっているかと、米も英も、イラクも、また人権軽視の非憲法国家中国も北朝鮮も、チェチェンを抱えたロシアも、スーチー女史を
監禁のミヤンマーも、もうもうむちゃくちゃ世界であるが、これにソッポを向くのは簡単そうで簡単でない。なによりソッポをむけば何がよくなるのか、せいぜ
い自分一人の精神衛生だけかも知れないのであるから、苦痛と厭悪にまみれてしまうのではあるが堪え忍んでも、その思いを世直しの選挙日へ意識を集注したい
と思う。
* あるペンの現会員と話したときに、日本ペンクラブは、文学について語り合う団体だろうと思って入会したと言う。ペン憲章など読みもしていないし、思想
団体であり、言論表現の自由を守り世界平和を願って人権や環境や反戦反核を守ろうとしている世界的な組織だとは、ユメにも思っていなかったと。もっとたわ
いないべつの夢見心地で生きているらしい、ペンを握っている人としての知性が感じられず、辟易した。知性に裏打ちされないびしょびしょの濡れそぼった感性
だけで文学が成り立つわけがない。
近代日本の作家の中でもっとも感性的に天才の高みにあった泉鏡花も、そらおそろしいほど痛切な、時代と人間と権勢と歴史への批評を胸に抱いていた。
自分勝手な気儘な創作をしていれば作者は足りていると思いがちであるが、血のにじむ自己批評に欠けた、感性だけのことばや詩句など、虚しい泡に過ぎな
い。辛辣な霊水を張ったホフマンの「黄金の壺」にひたせば、ただただに溶けて失せることば、それを恐れるのである、わたしは。
文学者の「はたらき」とは何か。それに一人一人の答が出て来て湖水のように集まらねばと、わたしは思う。清きオトメのようなただきれいな、または批評と
責任を欠いた言葉の垂れ流しではしようがない。
清き( )女なんぞと歌ふ一首ありさういふモノがゐることはゐる 島田 修三
揶揄されているのは乙女ではない。あんただ。だが、あんたより先ず自分自身が指弾されていると感じること。
* 十月十二日 つづき
* あまりに的確な穿った観察であり警告であるので、おもわず控えを取った。悪徳不良建築業者どもの言いぐさ十箇条で、これの三つ以上を言う手合いは信用
すべからずと、その道の達人の託宣。感心した。即ち、
一、 「大丈夫ですよ。」
二、「木は生き物ですからね(何があってもおかしくない。)」
三、「いつもこうしています。」
四、「そのようなことは、言われたことがありません。」
五、「うちはいい職人を使っています。」
六、「人間がやっていることでからね。」
七、「それが当社の規定です。」
八、「その程度は許容範囲ですよ。」
九、「構造的には問題はありません。」
十、「それは保証の範囲外です。」
ウーン。言い逃れの定番で、必ずしも不法悪徳建築だけに限らない。一、三、四、六、七、八、九、十。政治や行政の多くの場面で聴いたことがある。こうい
うことを言い出されたら、そいつは信用できません、大概の場合は、と言われると、よくぞ教えてくれたと思ってしまう。うまく見抜いている。
* 天災の如きパソコン異変について。
ヒヤリッとしたお話を聞き、我がことの如く冷や汗をかきました。僕も何回かありました。
僕は電子計算機の世界を多少かじって生業とした卒業生ですが、電子の糸に頼っている情報空間は「吹けば飛ぶ」世界だと痛感しております。
コンセントがぬける。ゴミが付着する。環境的「摩耗」です。パソコンには目に見えない埃が宇宙からの電磁波の如く降りそそいでおります。日常の「手入
れ」と「掃除」と機械への無言の「挨拶」が必要であるなあと思います。冷たい「機械」でも見方によっては「命」があるように思います。
異変が起きたときが「人間の腹のすわり具合」でことを好転させてくれるようです。雷が自分のパソコンへ落ちたらこれはどうしようもありません。かといっ
て銀行のようにバックアップパソコン(システム)を用意するなどする気はありません。しても大体成功はしないと思っています(個人が責任を取れる世界での
話です)。
便利になればなるほど「災害」を忘れてしまいます。便利さが増せばますほど「災害の影響」が比例して増すと思っています。昔「危険がいっぱい」といった
題名の映画がありましたが(内容は別ですが)、まさに危険の中で、素晴らしい闇の音と色とを享受しています。 E-OLD
* E−OLDといえば、千葉の勝田さんはお元気だろうか。しばらく私からもご無沙汰してしまっている。のんびり酒を酌み交わしたいが、話題の合いそう
な、年齢もそこそこの誰か彼か三人四人で出会うのもイイかなあなどと思っている。そうであるのがいいか、ないのがいいか、正直の所わたしには分かりかねる
けれど。
* 少しずつ少しずつ、オリビア・ハッセイの「ロミオとジュリエット」を見ていて、見終えた。シェイクスピアで一つ傑作をなどと言われると閉口するが、好
きな作品を一つ二つといわれれば、この神話的にオリジナルな恋物語をその一つに選ぶかもしれない。いま俳優座や昴などの舞台でシェイクスピアに出会うと、
ときどき閉口することがある。しかしシェイクスピアをかなり忠実に映像化すると、それはもう素晴らしい劇的時空が堪能できる。わたしが、ビデオやDVDで
欲しいと思うのは、よく創られたシェイクスピア劇の映像である。有るのも知っているが、高価すぎてというより、大部過ぎて手が出ない。場所をとるからだ。
この映画は、俳優の名は知らないロミオがすてきな好青年、そして、オリビア・ハッセイのジュリエットの愛らしいこと。それだけでもう大方成功してしま
う。原作のオリジナリティーは抜群で、そのエネルギーの強さが、あのミュージカル「ウエストサイド
ストーリー」を大成功させたのだ。神話をみているほどに、そのオリジナリティー、独創性は偉大である。
* なにかというと自分は誤解されていると嘆く人がいる。そんな人には、こう言いたい。
* 誤解があたりまえ。
人が人を正解している、どんな実例があるというのですか。誤解し誤解されるのが、正常とは言わないが、通常の人の世ですよ、分かってませんね。
例えばあなたが、どうして此のわたしを誤解せずにおれるのですか。一人一人の人間は、みな「他者からの誤解の固まり」として生きているのですよ。そのか
わり自分も他者をむちゃくちゃ誤解している。そもそも自分はその人あの人を誤解していない、正解し正しく理解していますなんて、どうすれば確認できるので
すか。
だから、わたしは、人に誤解されるのが普通のことだと思い、少しも嘆かないし、人を誤解しているかも知れぬことを当然の余儀ない仕儀と思って、とくべつ悪
い悪いとも思わないのです。
他者に誤解されたくなかったら、ひとりヒマラヤの洞窟にでも棲めばいいのですよ。しかしその方が不健康です。誤解の海の中でひるまずに泳いでいるのが、
ほんとうの健康なんですよ。誤解をおそれ嫌うのは通俗で、誤解が普通と断念してずんずん生きるのが超俗的とわたしは考えている。どうぞ、遠慮無く、いっぱ
いわたしを誤解して下さい。
いちばん驚くのは、人から、自分はあなたをよく理解しているつもりです、あなたのことが分かる、などと言われる時です。バカモンと口の中で言い、あまり
そういう人とは真面目に付き合う気がしない。
「人に理解されたい病」というのがあります。これは重病・難病に属します。「人に理解されない病」の方がはるかに軽症で、むしろそれが普通です。
* 十月十三日 月
* 雷雨になりました。一段と秋が深まります。
「三岸好太郎・節子展」を見てまいりました。
印象的だったのは、ボール紙にのせた油絵の具の、温かさ。ゴッホがひまわりなら、好太郎は、鉄砲百合。伸びやかに開いてゆく花の背景の、澄んだ黄色。
一方、額縁の凝りようは、胃に脂がつかえる感じでした。
節子さんの長命は存じておりましたが、彼を喪ってのち、60数年もあったなンて。
子育ての30代の絵も、90才のときの絵も、変わらない画境なのと、晩年の絵が思いの外、大きく、確りとして、静かなのに、唸りました。 奈良県
* まだお休み続き。 物干し場では夏並に蒸し暑く辟易していたのに、もう曇り空です。
昨日は少しのんびりと、あれこれ溜まっていた身の回りの整頓が沢山出来ました。
そうそう、パソコンの状態はどうですか。
こちらも、一昨日、これまで見たこともないカラフルな幾何模様が前面に出現して、ウイールスに侵されたかなと肝を冷やしましたが、落ち着け落ち着け、と
一度電源を切って入れ直すと正常にセーフテイモードが出て解決しました。
何がナンやら分らず、きっと何処かのキーに手が触れたのでしょう。
子守りを頼まれていますので、孫の顔を見に行ってきます。お持たせに、初物、松茸ご飯が炊き上がり、ほかほかと嬉しい気分です。食いしん坊は元気です。
京都市
* 痛み 2003.10.12 小闇@TOKYO
カリフォルニア大などの研究グループが発表したところによると、仲間はずれにされ疎外感を覚えるのも、体が痛みを感じるのも、脳内の反応は同じという。
へぇ、だ。85へぇくらい。「知らなかった」ではなくて、「ああ、やっぱそうなんだ」。
仕事がせっぱ詰まっても、風邪をこじらせても、私自身がダメージを受けていることに変わりはなく、ああどこか温泉にでも隠れたいと思うのは同じ。
心理的な痛みと肉体的な痛みの決定的な違いは、再び痛むタイミングだ。
肉体的な痛みは、また同じ痛みが訪れるまで忘れている。またやってきたときに、ああこれはあの痛み、と思い出す。
心理的な痛みは、何か別のものに呼び覚まされた記憶によって引き起こされる。そして痛いなあ、と感じる。
記憶と痛みの訪れる順序が違う。
頭脳と心臓と、どちらに「こころ」とルビをふるか、という課題が昔あって、そのときは迷わず「心臓」と答えた記憶がある。今なら少し迷う。
心理的なものと肉体的なものと、それぞれの痛みは決して同じではない。それでも生理的には同じ痛みなら、いくらか救われる。
*「課題」を出したのはわたしである。こういう二者択一課題を「強制」しても、かならず一理屈つけてこの質問の仕方じたいが誤りであるとかナンとか言う連
中がいるものだ。そんなことは分かっている。そこで強いて考えてくれよと問うている。心臓でも頭脳でもありません、「私」が「こころ」ですと答えてきた学
生がいた。面白い答であった。だから「私=エゴ」はいつも不安定に千々に乱れるのだよ、と。
* 十月十五日スタートの秦建日子脚本「共犯者」の前宣伝が動きはじめている。スチールなどを見ていると、その他の予告ものよりもクォリティに手応えあり
げ。浅野温子という女優は気がはいると底ぢからが強い。三上博史という主演男優のことはよく知らないが満々と気が入っている感じはする。時効三ヶ月前の女
の前に謎の男があらわれ同棲生活になるという設定も、どう展開するか、スリリングには運びそう。
初日は、わたしは妻にビデオを頼み、コマーシャル抜きで見せてもらう。国立小劇場での望月太左衛「鼓楽」の旗揚げを先ず楽しんでくる。その前が理事会。
新会員に俳優の浜畑賢吉氏、二松学舎大学の松田存教授らを推薦する。浜畑氏は小説家でもある。松田氏は能狂言等の優れた研究者。
エディターとして、またエッセイストとして、佐和雪子さんも推薦したかったが、ためらったようだ。人不足の電メ研委員にも推したかったが。
* 十月十三日 つづき
* 浅草 メールありがとうございます。受付に1枚(座席券)、置かせていただきます。(秦建日子脚本)「共犯者」、私も見せていただきます。奥様のは
げましに感謝いたします。よろしくお伝えくださいませ。
また、ホームページに私の事を書いていただき、有難うございます。それも中村勘九郎丈のそばで嬉しかったです。
先日、浅草中村座の舞台裏で宙乗りの出入り見ました。(チケットとれないので。)勘九郎丈は外にいる私達にも手を振ってくれました。疲れをみせない、観
客を大切にする姿勢に頭が下がりました。鼓楽会の前、いいタイミングで拝見できました。
三輪山 じつは私が高校生の時、テレビで勘九郎丈の「三社祭」をみて、自分も藝をがんばろうと決心したからです。その時の気持ちをあらためて思い出
し、このたび私の会に対しても、勘九郎丈の情熱を見習って今一度気合いがはいりました。
また、一昨日、三輪山、石上神宮に参りました。当日10月15日は、石上神宮のふるまつりと聞き、こちらで夜神楽ということかなと思いました。そして大
学生の時、三輪山、石上神宮を教えてくれた東川光夫さんの御紹介で秦先生の作品に出会うことができた事を思い、不思議な御縁でつながっていると感じます。
鼓の縁 この度の会は、新たな縁を生み出す事が目標のひとつです。私が大学院に戻った理由は鼓の研究をし、鼓の博物館をつくるということです。(テレ
ビの「なんでも鑑定団」出演がきっかけで知った鼓の生田コレクションを中心に、)邦楽以外の外の世界へもっとひろがってゆくことが必要と考えます。会当日
のプログラムにもごあいさつありますが、後援会もたちあがります。多くの方々のお力を集めて、夢を夢で終らせることなく、実現したいと思います。これから
も御指導のほど、よろしくお願い申し上げます。当日会場にてお目にかかります。 望月太左衛
* 文化界ですでに名を成し地位を築いていて、しかもこのように気迫と意欲とが具体的に伝わってくる。すばらしい。さすがに打てばみごとに響いて、謙遜で
ある。鳴らない太鼓の高慢とは千里万里隔たっている。
* さて、次のメールは長大であるが、優れて真剣、優れて謙遜に現状を「あいさつ」してくれている。観た二つの芝居(チリのアリエル・ドーフマンという作
家の戯曲、及び、「Our Country's
Good〜我らが祖国のために〜」、ティンバーレイク・ワーテンベイカーという人の戯曲化した作品。)を克明に語っている、が、本題はさらにアトへ繋がっ
ている。ちなみに、アトの作品は、以前たしか俳優座で上演されわたしも妻も観ている。)
このメールは、空疎な世迷い言とは、はるかに異なった「今・此処」に呻きながらも、生きて、生き行こうと努める若い精神の、苦渋の、しかも壮んな発露であ
る。
この声をわたしは待っていた。打てばかならず響くと信じていたのである。
東工大の卒業生諸君、また打てば響いて下さる「闇」の彼方の親しい人達、どうかこの長い述懐を聴いてください。
* ご無沙汰してます。
こんにちは。お久しぶりです。先生の東奔西走のご様子、いつもWebで拝見しています。
こちらは、何度も本を送っていただきながら、何もご連絡をせずじまいでした。今年、何度か先生にメールを書こうとしました。一月くらい、ポツポツと書い
ては、断念しました。具体的なことばが書けなかったからです。私には、お伝えするような、主張も何も、ありませんでした。
仕事でならいくらでも、具体的な、意見もあるメールを書いています。しかし、そういう作業とは別に、いざ、個人的に書き始めると、最初なにか重さの感じ
られたものが、だんだんと軽くなっていったのです。
このギャップ、私がこの数年間、何もしてこなかった実証です。
が、そんなことをご相談にメールを差し上げたのではありません。
先々週、先週と、縁あって芝居を観ました。久々に、とても感銘を受けました。
先々週観たのは、「死と乙女」といい、チリのアリエル・ドーフマンという作家の戯曲です。
チリは1973年の軍事クーデターの後、約20年の間、ピノチェト将軍による独裁政権が続きます。この間に、判っているだけでも5万人以上が拷問され、
数千人が殺害。現在は民主化して10年以上経っていますが、いまだにこれら人権犯罪の裁判が続き、行方不明のままとなっている人々が多くいます。新世紀に
なり、新しい大統領が、拷問真相究明委員会を設置し、国民同士の和解を訴えます。
ここまでは、史実。そしてこの戯曲は、場所を限定していませんが、以上のような国の、とある一日の、ある三人の姿を描きます。
一人は、独裁政権が形式的に終焉しつつも、いまだ前政権の要職が居残っているなか、新しく設立される拷問真相究明委員会の主査となった、弁護士。
もう一人は、その妻。まるで誰かに狙われているかのように非常に落ち着かず、一見、精神に異常を来たしているかに見えます。
ある夜、弁護士が帰宅し、遅い夕食を食べているところに、来客。先ほど、たまたま弁護士の車がパンクして、道端で立ち往生しているところを助けてくれ
た、通りすがりの医師です。
この医師は、一度は弁護士を家に届け、帰宅したが、車の中のラジオで、弁護士が拷問真相究明委員会の主査であったことを知り、挨拶にとやって来るので
す。
夜遅いために、弁護士は医師を家に泊めますが、夜が明けると、弁護士の妻は、その医師を痛めつけた上に椅子に縛りつけていました。妻は、医師が、独裁政
権時代に自分を拷問し強姦した男に間違いないと言います。その声、その体臭、そして、車の中にあったシューベルトの弦楽四重奏「死と乙女」のカセットが証
拠だと。
医師はもちろん否定します。
妻は、そのまま医師を殺そうとし、やめさせようとする夫にすら銃を向けます。夫はなんとか妻に思いとどまらせようとします。もともと同志の活動家だった
夫は、妻の苦しみを、そして、拷問当日のことも知っています。それに妻はかつて、その弁護士である夫の名前の自白を強要され、その名を秘したために、酷い
拷問を受けたのでした。
しかし主査たる弁護士は、医師に、今の今親切な助けを借りていました。そういう恩のようなものもあり、妻の手でいま事件を起こしては、独裁政権下の要職
にもあり、折角できた真相究明委員会にいて、真相を暴き責任を明らかにし、国民の苦しみを少しでも和らげることができなくなってしまう、と妻を諭します。
しかし、拷問によりいわばPTSDになっている妻は、その男の声、そして、「死と乙女」を聴くと平静ではいられなくなります。(かつて拷問されていた最
中に、「死と乙女」がずっと流されていたのです。)
実は、その妻は完全に狂っていたわけでなく、医師に対し、なんとしても、自分の行(や)ったことを自白させたかった。(そして、自分が好きだった「死と
乙女」を安心して聞けるようになりたい。)
夫は一計を案じ、寝室で妻に拷問された日の出来事を詳しく語らせます。もちろん、苦しみなしには語れません。
一方、居間では縛られている医師を説得します。妻は正常な意識になく、完全に医師を当事者と信じきっている。そのため、これから弁護士が語ることを書
き、自分がやったと認めるしかない。妻は決して銃を放さず、常に二人に向けており、生きて帰るには、それしかないと。
医師は、断固拒否します。完全な思い込みで散々痛めつけられた上に、やってもいない非人間的な拷問行為を、自らやったなどとは決して書けない。尊厳ある
人として、決して書くことはしないと。
妻が次第に我慢の限界に近づいて、荒っぽい行動を頻繁に取るようになります。しかし、弁護士は、あくまで理性的に、拷問に拷問で返すような、独裁政権の
ようなやり口を批判し、諭します。医師を殺してしまったら、妻の気は晴れても、今度は医師の家族が妻を赦さないだろう。いつまでたっても憎しみがなくなら
ない。どういう事実が、苦しみが、あったとしても共存するより他に道がないと。
一方の医師は、狂った妻に理性的に語りかける弁護士の無意味な行為を批判します。弁護士が一見仲介役のように見えて、しかし銃を奪わず警察も呼ばないこ
とに、実は妻と同様に自分を疑い、殺そうとしているのだと偽善を非難します。
板ばさみの弁護士はやがて、これ以上二人の仲介はできない、どうにでもなれとGiveUpします。医師は諦め、弁護士が言うとおりに、拷問行為を書き連
ね、署名します。
弁護士が、医師の車を取りに出て、二人きりになったところで、妻が言います。本当は半信半疑だったが、やはり、医師こそが、自分を強姦した男だと確信し
たと。弁護士の一計を察し、わざと嘘をついて弁護士に事実のように語ったにも関わらず、その嘘が全て、医師によって有った真実に変わっていた、と。妻は医
師に銃を向けます。
数ヵ月後、真相究明委員会が順調に動いており、そんななか、弁護士が妻とともに、シューベルトのコンサート鑑賞にやってきます。すると、向こうの方に医
師が現われます。医師は、ずっと二人を見ています。そして、コンサートが始まります。
やがて、コンサートが終わり、幕。
弁護士を風間杜夫が好演。暴発寸前の妻の前で、銃を向けられても、しがみつくように決して理性を忘れないひたむきさが印象的でした。妻を余貴美子。この
人も意外に舞台歴があり、決して異常ではない妻を、時に怖しく、そして哀しく、演じていました。医師は、立川三貴。私は初めて見た人ですが、劇団「円」の
設立メンバーの一人とか。南米の男の持つギラギラした自信の塊のような、生命力溢れる様をよく演じていました。演出は木村光一。地人会の公演です。
少し話が飛びますが、私は昨今、国内の異常な事件には、怒りを感じ、海外では、イスラエルだけの専売特許と思っていた、「憎しみの連鎖」が、いつの間に
か身近に迫っていることに、恐怖と、反発を感じていました。これは、ぼんやりとした、感覚です。
そんな年が早や数年。余りにも異常が続いて感覚が麻痺し、怒っているのか、憎んでいるのか、はっきりしなくなっていました。
そして、これからの時代、自分の身を守るためには、もっと、強い態度で、そういった暴力に向かわなければならない、そう思っていました。なめられちゃい
かん、から、くるならこい、へ。自衛隊論議と同じです。
罪に対する怒りと憎しみは、尤もなものだ、しかし、それだけじゃないだろう、特に、「これから」を考えた場合、そういう怒り・憎しみでは、ことは繰り返
すだけ。
こんな言説、今までは、楽天的、観念的、と思っていました。「現実は」「苦しみの重さは」という形で軽んじていました。
けれど、チリの人々は、独裁政権が終焉し13年が経ちますが、今なお苦しんでいます。そして、その中で見つけた解決策が、「和解」だった。いや、解決策
ではなく、希望を託せるとしたら、そこにしかない。弁護士は決して妻に和解を、「勇気」を奮って「諭した」のではなく、もうそれしかないんだという悲痛な
願いのように、「訴えて」いました。現在進行形のチリで描かれたこの「死と乙女」から、リアルな切実さを、感じました。
そして、人と人とが、こうも最悪な絵図を織ってきたのかと、実感しました。
軍事クーデターが成立した背景には、アメリカとソ連の冷戦があります。大した資源があるわけでもない南米の一国が、アメリカの都合で軍事クーデターを引
き起こされた。引き金を引いたのはアメリカで、一旦発射された銃弾は、憎しみというエネルギーによって、チリ全土を二十年間引き裂き続け、今も傷跡が生々
しい。この構図、よその国の話ではありません。
各国で上演されていると聞きます。(映画も、原作者が脚本に参加した、「死と処女」という題で、あるらしく、探しています。)
長くなりましたが、これが、一本目、先々週見た芝居です。
そして、二本目は、「Our Country's
Good 〜我らが祖国のために〜」といい、ティンバーレイク・ワーテンベイカーという人が戯曲化した作品です。原作は、「シンドラーのリスト」の原作
者、オーストラリアの作家トマス・キリーニーの作品です。
舞台はオーストラリア、イギリスの植民地:流刑地だったころの話。こちらはもうすこしリアリズムから離れた芝居です。
流刑地に囚人とそれを監視する軍人たちが住んでいます。作中では、当時のイギリスで身分が卑しい者が、なんどか窃盗をする、それだけではるか地球の裏側
に流刑されます。 史実としては、18世紀末から、流刑が廃止されるまでの約60年の間に、20万人もの囚人が流されました。つまり、数多くの人が常に流
刑されていました。しかもその半数は、空腹のために食料を盗んだ者だといいます。
その流刑地には、囲まれた中で、囚人達のコミュニティができています。その中でも、貧しい土地の貧しい食料事情の中、囚人は時に食物を盗むのですが、初
犯で鞭打ち、数度の再犯で、処置無しということで、簡単に絞首刑にされます。
流刑地で一向に窃盗犯がなくならない中〜絞首刑がなくならない中で、時の総督が、囚人たちに芝居をやらせることを発案します。
看守の軍人達は猛反対します。囚人に芝居なんぞやらせても、労役から開放するだけであり、何も意味がない。だいたい、彼らは、人のものを盗んでも罪悪感
のかけらもない、女達は飢えを凌ぐために簡単に春をひさぐ。そんな行為を繰り返す囚人達は生まれながらに人間未満、動物と同じ。そういう「人種」に必要な
のは、罰であり、社会的規則の徹底である、と。
しかし、総督は耳を貸しません。総督は言います。生まれながらの犯罪者はいない。大昔すでに、ソクラテスは奴隷にも教育を施せば才能を発揮することを実
証してみせた、生まれながらの奴隷がいないことを実証した。流刑地の囚人達は、動物的な扱いを受け続けるから、動物のような生活をし、繰り返し罪を犯すの
だ。そんな彼らに、自分とは別人の、貴族や、将校を演じさせ、人間らしい扱いをし、させることで、人間らしさを取り戻すことができる。動物並みに抑圧され
た扱いから解放することで、人としての尊厳を自らつかみなおすことができる、と。
そこから先は、芝居の上演に向かって様々な事が起きるだけです。囚人達は、自分達と天と地の差の貴族を演ずることに苦心しつつも、やがて、誇りのような
ものを見つけていきます。看守の軍人達は芝居の稽古の合間に盗みを働いたというカドで、出演者の生意気な女性囚を絞首刑にしようとします。軍人達は総督に
逆らいますが、総督は、うまくいく自信はないけれど、信念に殉じ、囚人達が人間性を取り戻していくことに自分の地位を賭けます。
ちなみに、現代のイギリスでも、刑務所事情は非常に悪い。犯罪者の八割が再犯を重ね、女性の囚人の三割以上が精神の病に侵されているといいます。
これは、明らかに個人の問題ではない。そんな背景の中、芝居という姿を借りて、人間に、尊厳と、自発的な、能動的な、人間らしい志を与えるのが何である
かを見せてくれたのが、この作品でした。
いつからか、私にも、「人間らしさ」もいいが、まずはルールを徹底し、刑罰を徹底させることこそが、円満な社会生活を送るために必要だ、という、感覚が
備わっていました。正直、私が言うのも何ですが、芝居を観ている最中、始めは、
「理想はわかるけれど、芝居程度で人間性を取り戻すという試みが現実的に成功するとは思えない。」と思っていました。
自分を省みますに、最近の新聞の社会面の影響があります。が、それだけではありません。会社で「人」を使うようになってから、なのです。会社では、使お
うとすると、うまく使われてくれる人と、思い通りに使われてくれない人がいることを知りました。すると、私自身、以前よりも、上司の言うことをよく聞くよ
うになり、また、言うことを聞かない人間に対して、苛々するようになってきます。それがプロ意識だと、変な勘違いを起こしていました。それからなのです。
ルールを徹底すべし、という感覚が常に先頭を切るようになったのは。
しかし、芝居を観て、考え方が変りました。とは言っても、別に、舞台上で何か奇跡を見て、それを信じた訳ではありません。ただ、考え直したのです。
人間は決してパブロフの犬ではない。訓練、刷り込みで行動、ルールを覚えさせることはできても、それでは人間として、自発的にモノ・コトを変えていく力
は生み出せないのではないか、と。
そして、この芝居のタイトルが、「Our Country's Good」。
さて、お伝えしたかったことは、芝居の話ではありません。これまでは、前置きです。
実は、今月末に、子供が生まれるのです。いま妻は実家におり、医者からはいつ生まれてもおかしくないと言われています。おなかの子は、文字通りおなかの
形が変わるほど動き回っています。
産みしより一時間ののち対面せるわが子はもすでに一人の他人 篠塚純子
いまでも忘れられません。この短歌を大教室で聞いたときは、正直言って、あまりの違和感に全く理解することが出来ませんでした。当時、子として、親は、
肉・親であり、特別だったからです。
しかし、親になろうとする今は、以前のようなことはありません。母親がこのような歌を創ったことには、未だに素朴な驚きを感じますが、少なくとも男の私
には、この「他人」感は、非常につよい。
どちらかというと、当惑しています。(もちろん、子供を授かりたくて授かった訳ではありますが。)当惑、というのは、正直言って、何が真実か、理想か、
日々、働く中で、判らないからなのです。私が教えてほしいくらいなのです。
それなのに、子供に、何ををどう語っていけばいいのか?
お腹の子を前にして、早すぎると思わないでください。日々が過ぎるのがとても早いのです。今判らないのであれば、「そのとき」になっても、何も判らない
でしょう。先生のお言葉も覚えています。
* この篠塚の短歌に関して正確にはこのようにわたしは話そうとした。(青春短歌大学上巻)
母と子とが「他人」は無いだろうと思われるが、よく考えればこの歌、なかなか鋭い批評をもっている。頷かせるものをもっていて、忘れ難い。
「他人」とは何で、「他人」でないなら、では、その相手は自身にとって真実何なのか、それを問う思考の体系と、「親子」を不動の軸にして人間関係を組み立
てる思考の体系とは、この日本でも、鋭く一度衝突していい時機に、今、在る。そう、わたしは思っている。親子を、この歌のように、「他人」同士からの愛の
出発と考える歌はかつて無かったかも知れない。
学生に、自己の発想の型をこれから後、より「親子型」へ誘うか「夫婦型」へ誘うかと聞いてみると、ほぼ二対一の割合で「夫婦型」と答える。タテよりヨコ
ヘの思想や発想の転換の芽が出ているようだ。しかし、他のいろんな質問にも答えてもらっていると、本音は、ないし無意識には、まだまだ「親子」の縦軸を強
烈に感じている者のほうが、東工大では多い。わたしはどうかと聞かれれば、若い時から意識して「夫婦型」にほぼ徹してきた。しかし学生諸君に強いたいとは
思っていない。私の生い立ちはやや特殊にすぎる。学生諸君にはつとめて自然な発想をみずからていねいに培ってほしい。
親はなくても子は育つ。けれども、親は子に、何も語らないでもいい、そんな風には決して思いません、特に現代。
とは言え、日常、私自身は、真実・理想よりも、現実のほうばかり気にしています。現実が広すぎて、私はあまりに知らな過ぎるからです。
それに、この子が大きくなる頃は、今よりももっと厳しい時代だろうから、強く、たくましく、それこそ人を押しのけるくらいでないと駄目だと感じていまし
た。自分の甘さで仕事が進まないこともあり、なおさら、現実的に動ける、そんな子に育って欲しいと。
しかし、観た芝居をきっかけに、考え直しています。子供に、真実・理想を語るということを。何が真実・理想か、「解答」は持っていないけれど、それで
も、やってみようと。
先日、TBSで「さとうきび畑」という番組があったのを、ご存知ですか? 森山良子の「さとうきび畑」という歌がモチーフとなっています。その歌は、一
度聴いたら忘れられない、悲しい歌です。沖縄戦でさとうきび畑のなかを死んでいった者を哀悼する歌です。
さて、その番組の方は、沖縄戦を、今の日本にしてみれば、真正面からドラマ化したもの。明石家さんまと黒木瞳の夫婦の6人の子供(今をときめく若い人気
役者が演じます。)が、沖縄戦が始まっていく中で、次々と亡くなっていきます。つまり、沖縄戦でどういう殺され方があったのか…特に子供…が描かれるので
す。
あるシーンでは、崖っぷちに看護隊として動員された女子中学生が列を成しており、そこを、順番に飛び降りる集団自殺を、そのまんま映像にして見せます。
娘の一人、人気の駆け出し女優、上戸彩も飛び降ります。
最後は、徴用された主人公(写真屋の主人=明石家さんま)が、瀕死のアメリカ兵を見つけ、日本人将校に、殺すように命ぜられ、人を殺す為に生まれてきた
んじゃないと泣いて拒否し、その将校に殺されます。
終戦の日でもなく、ただのTV番組改編期の、夜9時から11時40分という、そのような時間帯に、TVでそんな露骨な描写をした、佳作がありました。
見ながら、時間も悪い、テーマも重い、さてどれほどの人が観てくれただろうか、そう思っていましたら、視聴率がなんと28%。最大瞬間視聴率は33%。
その数字の解釈はいかようにもできますが、私は「捨てたもんじゃない」と感じました。
もっとも、戦争の事実を知る人からは、嘘が多く、軽く描きすぎだと言う非難も受けたようです。けれど、私は、タイムリーにこの番組を出したことを評価し
ます。また、日本人が日本人に殺されるという、戦争の半面を、人気タレントを使って、そのまま描いたのは、画期的だったと思います。
いつぞや、先生に一筆、芝居を書いています、とお伝えしました。実は、昨年から今年の春にかけて、寝ずに、書いていました。「兵」を扱った小作をなんと
か、著名な劇作家の指導を受けて、完成させました。とは言っても、先生の『懸想猿』を前には、あまりに恥ずかしくて、お出しできませんが。
リターンマッチで、今年もまた、書く事にしています。主題は変りません。
いい大学を出て、そこそこいい会社に勤め、部署が潰れかけながらも、幹部社員候補として居残り、子供もうまれ、ますます、身動きが取れなくなってきてい
ます。現実に流されています。
しかし、なんとか、理想と真実を求めていきたいと思っています。そして、それを、子供に正面切って伝えて、生きたいと考えています。そのためにも、芝居
を書き続けていこうと思います。
できるだろうか、これでいいのだろうか、と、不安はなくなりません。あとは、信じて、実践するだけです。
長々と、自分のことばかり書き連ねてしまいましたことをお許し下さい。では。
P.S.
今、名前を考えています。
漢字は訓読みで、なるべく日本らしい名前がいい。…といっても、日本らしいという意味は、人それぞれでしょうが。先生のお子さんにも匹敵するくらいの…
という意気込みも持って、万葉集の解説本を借りました。何より印象にあるのが、ギリシア人ラフカディオ・ハーン。彼は小泉八雲というすばらしい日本名をみ
つけました。ご存知の通り、「八雲たつ…」からです。しかし、なかなか難しい。無理はやめようと、再び漢字辞典とにらめっこです。
イチローのように、「実」が「名」を高めた例もあり、素直な名前を贈りたいと考えています。
* 嬉しく読んだ。繰り返して読んだ。ああ、ここへ出てきたか、こう出てきたかと。さきざき、容易いわけではあるまい、が、こう鳴り響くように自分の言葉
で謙遜に書き起こされた声を聴くのは、ほんとうに嬉しい、励まされることである。ありがとう。どうか、元気な子供さんが母子共に幸せにやすらかに生まれま
すよう、願い祈ります。
* 千葉のE-oldです。ごぶさたしてしまいました。E-oldもolderです。元気を貰いに、なるべく秦さんの頁を見て、色々な方々の日々を想像し
ています。
電子文藝館もありがたく、印刷しては読んでいます。
江戸川乱歩「押絵と旅する男」こういうの好きですね。でも桐生悠々も尊敬します。
その後、千葉の田舎にも、光ファイバーが来ました。すぐあたりまえになりました。
それから、元気出してやりにくい事をしてみようと、越中おわらの盆踊りを教わりに行き始めました。「おじさん! そうじゃない! こうっ!」なんて言わ
れながら、息を切らしています。ほんとはやりたかったので、日々の暮らしとは別に頑張ってみます。
虫がやけになったように鳴きます。急に寒かったりします。くれぐれもお大事に。
* 盆踊り、か。ま、どういう事であったのか、盆踊りには血を沸かせた。戦後すぐのことである。中学生の三年間が沸騰の頂であったろうか。越中おわらのよ
うに静かな者でも風情のあるものでもなかった。瑞穂踊り、東京音頭、三味線ヴギ、炭鉱節、真室川音頭。そんなのを京都の祇園街や界隈で踊りまくった。その
一端は、小説「或る雲隠れ考」のなかで書いている。
なにより盆踊りといえば京都は地蔵盆の八月下旬、暑い盛りの夜天下であった。開放的でなつかしく、昼間の出会いとはまるでなにもかもが様子を変えてい
た。女の子達の浴衣姿はほんとうに昼間とは別のものであった。
妻を別格にと言っておくが、それ以外にわたしの魂を魅了して放さなかった人も現実にいたわけで、それはやはり小説「罪はわが前に」に書いた「姉さん」で
あり、二人の「妹たち」であった。妹の一人は亡くなったと風邪の便りに聞いている、残念な。
この三人が盆踊りの先頭になって踊っていたのを、わたしは、今もありありと眼に想いうかべられる。離れたところから見ているだけで幸せであった。中学生
であった。あの姉はどうしているだろう、あの妹はどうしているだろうと今でも思う。「身内」という私に独特のタームを与えてくれたのは彼女たちであった。
死ぬまで、そう想ってわたしは老いてゆくであろう。
* テレビも新聞も、気を晴れやかにするような何もない。政局も選挙も、無意味ではあらせ得ないと分かっていても、気のふさぐ事でしかなく、じつは仕事
も、ただひたすら通過してゆかなくてはならない根気仕事を、とにもかくにも黙々といましも続けている。流れをどっとつくるには、一番難儀な大きなつっかえ
を押し崩し押し流さないことには始まらないから、そういう時はただもう黙々とガマンしてそれをやる。しんどいから休み、またやって休み、釣り鐘を指一本で
動かそうとしているような作業であるが、ぜひし遂げてしまわねばならない、仕方がない。根気と辛抱。幸い、それが出来る。
* 本を読み継ぐ按配にビデオで映画を観る。いまはアネット・ベニングを観ている、「アメリカン・プレジデント」だ。お伽噺だがアネットの笑顔を観ている
と幸福な気分になれる。
夥しい映画を観てきたが、忘れられない佳いシーンというのが有る。この映画ではフランス大統領を招いたホワイトハウスでの晩餐会で大統領とアネットがダ
ンスするシーンと、それ以上に、職場のアネットへ、マイケル大統領からカードつきの山のようなハムが贈られてきて、そのカードを読む彼女の笑顔。それはも
う「ナンバーワン」と言いたいほど心嬉しい場面。
「タイタニック」では船の劈頭へ出て若いデカプリオに支えられて、大洋へケイト・ウィントレットが羽ばたくように手をひろげるシーンが忘れがたい。「ア
パートの鍵貸します」のラストでジャック・レモンのもとへ走るシャリー・マクレーンの髪を靡かせた姿もよかった。
こういうことを想っていると、わずかに憂鬱を忘れていられる。
* 十月十四日 火
* させることなし、と、昔人の日誌には見える。ようやくに泉鏡花『海神別荘』の初校を終えた。スキャンがむちゃくちゃ、ほとんど妻に打ち直して貰った。
これからわたしが再校の体で読み直してゆく。
事務局から届いた現会員の或る出稿ファイルを開くと、なんと題名もない、筆者名もない、略紹介データの何一つもない、それも日記のような原稿である、ど
ういう神経なのだろう。適当に何もかも他人がやってくれると思う人が、平然としているから困る。
こういうことを無視してしまえば、させることなき一日であった。退屈という二字に意味があった。昨日から雨。
* バルセロナが暫くぶりに書いていた。スペイン語で本を読み始めたという。きっかけは、「Die falsche
Faehrte(誤った手がかり)」。空港バスで拾った本だとか。スウェーデン人 Henning Mankell
著、ドイツ語訳の刑事物。読みながら自ずと引き込まれずにはいられない小説だが、「ありふれた感想を聞かされるより、具体的な事象を並べられた方が面白
い。」と、二年前に(このわたしに)言われた(らしい)言葉を思い出したと言う。
「スペイン語で本を読み始めたのは、何を隠そう、Mankell
の本が読みたかったから。スペイン語は、話せるから読めると思っていた。ところが、読めば読むほど知らない言葉ばかり。五年経った今、自分の語彙の貧しさ
に気づかされている。
言葉の習得には『住む』のが一番と、その素晴らしい効果を信じすぎていたと思う。耳と口で覚える言葉と、読み書きで覚える言葉は違う。本を読む人、読まな
い人。どちらも生活には困らないけれど、この二つの間には、確かな隔たりがある」とこの小闇は適切に自覚している。どうせなら、「本を読む」スペインに住
む人、になりたいと思ったと書いている。 いいですね。
* 旅支度 2003.10.13 小闇@TOKYO
窓を閉めていると部屋はとてもとても静かで、聞こえるのは冷蔵庫とパソコンの低く唸る音だけ。私が文字を入力すれば、少しだけ周波数の高い音がする。視
線を左前方にやれば、ベランダのベンジャミンが風に揺れている。
昨日の夜も眠れなかった。本を閉じて灯を消すときから、今夜は眠れないなと分かっている。それでも眠ろうとじっとして、四時頃になって、ならもう寝るの
は諦めよう、と決めて身体を起こす。ベッドを出て、いつも本を読む椅子に座る。でも本を読むわけではなく、ほおづえをついてカーテンを眺めている。
だんだんと、明るくなってくる。六時を過ぎて、カーテンを開ける。日がまぶしい。普段私が座っているこの椅子は、東を向いていた。
結局七時を過ぎてまたベッドに戻り、本を開いたとたんに眠って目が覚めたら正午前。ほどなくして雨。洗車機に運び込まれた車の中にいるように、窓という
窓に水滴がたたきつけられ、内側が曇る。あかりをつける。エアコンもつける。旅の支度をしよう。
夕方近くになって雨は上がった。今度は南西方向から、厚手の白いレースのカーテンをつきぬけて、光が床に達している。カーテンの織りそのままの格子模
様。あの天井の低い、空気のよどんだ決して愛していないわけではないオフィスにいるときも、ここにはこんな、ひとつひとつの粒子が踊っているような光が射
している。
床の格子模様は、五分と経たずに消える。椅子から立ち窓を開ければ、秋の空気。東から西へと、雲が滑るように流れていく。
* 意識過剰でリアリティーに乏しい詩人の詩句よりも、詩的に斡旋された字句が佳い顔をして弾んでいる。生活者たち。遠くの、近くのこの「小闇」たちは、
しっかり呼吸し「今・此処」を落ち着いて意識し生きている。具体的に生きている。
* 秦さん、こんばんは。
>(秦テルオ展の券) 何枚入り用か言ってください。
どうも有り難うございます! ですが、よろしいのでしょうか・・? 妻と二人で出かけようと思いますが、もしご不足でしたら現地で買いますので、どうぞ
ご心配なくお願いします。
>***君も一緒に会うこと、週日がいいのか、土曜日などがいいのか、いかが。
実は来月から、職場での部署が変わることになりました。仕事内容も、違ったものになります。一年間だとは思うのですが、週日はタクシー帰りの毎日となりそ
うです。
ですので、今月中でしたら週日が、来月以降でしたら週末が都合が良さそうです。秦さんのご都合はどのような感じでしょうか?
> 今日の「闇に言い置く
私語」に、卒業生男子が長いアイサツを送ってきています。少し長いけれど、目を向けてみてください。
読ませていただきました。
身の回りの現実は順調に進んでいるのに、それでも消えない焦りと、大事な何かを忘れているのではとの不安。
境遇が似ているということもあるのでしょうか、身中に直接響くものがありました。
と同時に、安心感めいたものも沸いてきます。ああ、やはりこういう感覚を抱いて生きてる人もいるのだと。
週末にでも、もう少し静かな気持ちで、じっくり再読してみます。
ではではまた!
* 十月十五日 水
* はて、今日は「トペリ」か「カペリ」か。アトがないのだから「カペリ」か。
こんな風に書いても、すぐ人には分からない。わたしは「略称」名人では全くないが日本人はいったいに名人級と思われる。略称というより隠語か。
先日テレビで女性政治記者が内輪話のあいだに、「ヨリコン」「ヤリコン」という隠語をつかっていた。怪しげであるが「与党理事懇談会」「野党理事懇談
会」の略称の積もりだと。それならわたしもそうしようと「トペリ」「カペリ」を採用した。東京會舘ペン理事会と兜町本部ペン理事会の略である。ペンクラブ
の理事会は、アトに例会・大会の無い日は兜町の本部ビル会議室を用い、アトの有る日は東京會舘に会議室を借りてする。識別・弁別がジャマくさかった。「ト
ペリ」「カペリ」なら覚えやすいではないか。今日の理事会は「ト」だと思いこんでいたが、アトに例会の無い日なので「カペリ」であろう。
早起きして、こんなザレゴトから一日が始まるか。
理事会のあと、鳴り物の会に行く。そして今夜十時から秦建日子作・脚本の「共犯者」が4チャンネル讀賣テレビで始まる。賑わいの一日である。無事にと願
う。
* 「クオリティー=質感=リアリティー」そして「テンポ」を大切に。
東京新聞朝刊に大きな讀賣テレビの挟み込み、何と秦建日子脚本「共犯者」のハデな広告だから驚いた。そして番組頁下のコラムに、この欄でも珍しいほど期
待と称賛・推賞の弁があり、ハリウッド映画なみのスピードと切れ味と。少しずつ少しずつ評価を高めてきたのは、つまり作品の「クオリティー=質感=リアリ
ティー」そして「テンポ」を大切にする気が、秦建日子に定着してきたからだ。エンタテイメントであるよりない以上は、むしろ映像の本質に身を寄せて、いい
意味の通俗に生きながら映像化への「クオリティー=質感=リアリティー」そして「テンポ」を大切にするのが、「作者」の意気であり志気でなければならない
だろう。そのようにそのようにと、冷酷なほど批評し続けてきたつもりだ。まだ出だしを見ないのにここまで言うのは親バカ過ぎるが、親でなく批評家として言
うのだし、また言ってきた、のである。耳に入れていてくれたなら、嬉しいことではないか。
*「モー娘。内閣」に「マダムキラー政権」ですか。ウマイコトイイヨルワ。
今朝は、「藤井総裁は河内山宗俊」と。
「邪魔なところへ石原大臣」、「よもや首は、取れめぇがな」と、高笑いして帰るのかしら。 囀雀
* 知性でも機転でも諧謔でも、ある。かたくなに殻をかぶった夜郎自大からは生まれぬ視野確かな短句である。
* 十月十五日 つづき
* 銀座一丁目のサエグサ画廊で、群馬の杉原康雄氏が「薔薇」の個展。氏は京都の日吉ヶ丘高美術コース(往年の京都美工の後身、現銅駝美術高校の前身)の
卒業生で、同じ高校のわたしの数年後輩になる。わたしは美術コースではなかった。久しい湖の本の支援者でもある、現在群馬の伊勢崎市在住。
この個展は質的に安定した薔薇の絵が十八点。安易に描きならべただけのものでなく、さすがに年期と研鑽の成果で、一点一点としても画廊全体としても統一
感ある、しかも独立感もきちんと確保した手だれの薔薇花が並んだ。病弱のハンデがありながら、誠実に花を見ている。もっと見抜いてもいいという批評も可能
だが、小さな個展の仕事としては優れて安定した画境と見受けて、安心した。画家も顔色よく表情もよろしく、嬉しく安心した。もう二三日の会期だが、湖の本
の装幀をしてくれた、やはり日吉ヶ丘の美術コースでの杉原クンの先輩堤さんにも見てもらいたい気がした。
* さて「カペリ=兜町ペン理事会」は三時から五時半まで。
「ペン電子文藝館」としては、現況の報告、校正杜撰の出稿に悩まされており、内容の審査は原則としてしないが校正だけはせめて厳格な完全原稿でない限り、
返却することもある、という現状を諒解して貰った。当たり前の話である。
「作者」の作品が中心に充実してきたが、それに沿うかたちで、「出版・編集・記者」室を特設し、明治以来の大編集人たちの業績も収拾展示してゆきたいと提
議して、むろん異議無く了承された。
第三年度の作品積み増し(第三作)が承認された。
会員に拘泥せず、「より良きを、より広い範囲から、豊富に取り入れて」て行きたいという提議も、異論なく承認された。
四百作に及ぶ現状を、筆者の生年順にならべた資料を提示し、参考に供した。現在、河竹黙阿弥の1816年生まれが最も古く、松本侑子さんの1963年が
最も若い。ほぼ近代百五十年の「歴史」となっている。
* さて問題は、「ペン電子文藝館」の「質」的レベル維持が大事(理事会はそれがやはり望ましいという空気。)だとなると、いわゆる「初出データ」を持た
ない作品の出稿をどうするか、であった。「ペン電子文藝館」を無料掲載可能の発表場所として、安易に、出来合い原稿が出続けると、水準はどうしても低くな
るおそれがある。理事会もこの点に頷く空気が濃かった。
わたし(秦)は、平等に「会員」である以上、作品の「質」的審査はしない・出来ないという立場を当初から堅持してきた。だが、三好徹理事など、「審査し
ていい、した方がいい」という意見も出ている。
「初出データのない」安易な原稿はなるべく「遠慮して欲しい」とは私もじつは願っているが、その一方で、「書下し作品は不可」という根拠が「ない」と考え
ている。ことに「初出」の意味が、活字での公表・発表ということに限定されたりすると、「電子メディア時代」のURL活動が見過ごされて、新方式といえる
文藝活動をしてくる新人たちを当初から切り捨てることに繋がる。ウェブでの作品も著書なみに審査し入会申請に際しても考慮内に受け容れるとした理事会決議
にも背馳してしまう。私は、ケース・バイ・ケースで委員会が誠実に判定してゆくより無いと考えている。規則的な切り捨ては、また安易な受け容れも、ともに
排したい。
この辺も含めて、十月理事会では議論は尽くせず、問題点を整理して報告することになった。
* その他の議題と議論とで関心のもてたもの、問題点をかんじたものも二三あったけれど、今夜は触れない。推薦した浜畑賢吉、松田存、水野るり子各氏の入
会が承認された。
* 国立小劇場に移動した。永田町からの途中レストランで、海老のスープ、鴨のソテー、そしてハウスワインで夕食した。小劇場では望月太左衛「鼓楽」の旗
揚げ公演。永くつづけていた「夢舞台」からの展開である。
十世杵屋六左衛門作曲「翁千歳三番叟」を、太左衛はじめ女性が八人、それに三味線杵屋五三郎他、長唄杵屋喜三郎他、笛鳳声晴雄など総勢二十一人で、交響
的な合奏。これが大いに盛り上がった。三番叟へ女性が取り付くというのはむしろ禁制破りに近い意欲的なことで、旗揚げにふさわしい敢闘の演奏が成功してい
た。楽しんだ。
二番目の「三輪山」を題材にした創作が、一傑作となり、今後も再演に堪えるだろう。太左衛構成・作調で、彼女の鼓に、豪華に宝山左衛門、福原洋子の佳い
笛がしみじみと付き合い、効果的な背景の前で、巫女姿の額田姫王が「歌謡」し「物語」る。この「節付け」して演じた櫻井真樹子が、よく平曲等の発声や声調
を活かし、上古の楽調を示唆的に実現して見せたのはえらい。わたしは、橋本敏江のすぐれた平曲演奏を思い浮かべつつ、この櫻井の工夫や勉強に好感を覚え
た。太左衛の「総合的演出力」は端倪すべからざるものがあり、佳い世界を生み出したと思った。
三番目は「アムリタ」で、これも太左衛の構成・作曲と、エレクトーンを担当したセリア・ダンケルマンの編曲とが大胆に出会い、さらに深海さとみの箏の演
奏が大きく参加、いい三つ巴をなしながら、繊細にまた豪壮にまた優美華麗に音響が展開したのは、意欲満々。音としては、深海の箏曲がパチパチと硬い突き当
たった音をさせていたのが全体の円熟と深みとをやや損なっていて、惜しいと感じた。
* 三輪山は傑作だよと褒め、太左衛さんの嬉しそうに崩れた笑顔と歓声を目に耳にして、一路帰宅。秦建日子のドラマ「共犯者」がはじまって数分というとこ
ろへ間に合った。
* さて、何と云おうか。第一回目はどうしても種蒔きどきである、そうそうはうまくはかどるまい、助走であり序奏であるから。本人も言っていた。役者も
言っていたようだ、次、そしてまた次へと見ていって欲しいと。一回目には一回目なりの問題はあるので、と。
まず、われわれ創作の世界では「運転中に声はかけるな」という不文律がある。昔は、あった。今は知らない。ただ建日子はとうに十回分をみな書き終えてい
るし、撮影録画も、おおかた、終えているというからもう「運転中」ではない。いやに前評判の高い出だしで、めでたかった。各紙でとりあげていたらしい。だ
から、あえて苦言も批判もしておこう、忘れてしまうから。
* 第一回めは、いわばカード撒きでもある。お目見えである。気張っている。画面の伝えるクオリティーは悪くない。だが、役者も、えらくえらく気張ってい
る。率直にいえば、だが、画面からはリアリティー(真実感)の、良い衝撃、快い感銘は受けられなかった。
ネチコチと、何もかも無理に作っている感じがもたつく。速度感はあるのに、自然な佳い「流れ」は出ていない。場面場面の身振りの大きさばかりめだち、
ゆったりと大きな「時間」が効果よく「流れ」ていない。「設定」は凝ってあるが、それが、第一回目に限ってかどうか、ドラマの顔付きをウソくさくしてい
る。
最初の「怪電話」でしたたか脅迫されたあたりは、恐怖感がある。あと二ヶ月で、殺人罪時効。そのまま何が何でも「逃げに逃げる」というのが、以前大竹シ
ノブのやった実話ドラマだった。逃げ切れなかったが。
浅野温子演じる今回のヒロインは、だが、全く、逃げのびたいそぶりすら見せていない。それは凡夫の想像力からすると心理としてどうにも解せない、かりに
逃げ切れないにしても、だ。「逃げ出す」という選択肢が一顧もされていないのがウソくささの一の罪ではないか。
刑事が会社へ尋ねて来るのも、恐い。あれは効果的だ、が、あの場面で、なんと女自身が、「いたずら電話」に触れて口走るのは、石橋蓮司刑事にそういう事
実を感づかせてしまうのでは、犯人の「怯えや本音」がこの作者に掴めていない感じ。あんなこと、彼女は絶対に口にしないはずだ、せめて「内心」の叫びぐら
いに抑止しておいていいことではないか。なにしろ「あと二ヶ月」というところまで多年逃げ延びてきたほどの犯人の女の、絶対に自分から出すわけないな「尻
尾」を、作者は、「作」の都合で手軽に出させたとすれば、チョンボというに等しい。必死で守らねばならないボロを出させているのだから、ウソくさいし、ア
ホくさい。
自宅に帰って、カレンダーの日付を消させている、ああいうことも、ホンモノの犯人なら絶対にしないだろう、もっと効果的な、別の、人目だたない日消しの
「手」はがあろう。刑事がいまなお彼女を狙っているというのに、家の中とはいえあんなことをしているなんて、信じがたい。万一他人の目に触れれば多くのこ
とがバレてしまう。足も地につかないほどフワフワとあわてふためき、必死に「あと二ヶ月」を消化しなくてはならない人間のすることとしては、いかにもバカ
げている。
へんな男に家まで押し込まれたのは仕方ないとしても、翌日も、又、のこのこ家へ戻ってゆくのは、どうか。普通の恐怖感に怯えた女には、男でも、出来るこ
とでなく、むしろ、どこかよそのホテルか宿屋へでもとっさに逃げこみ、姿を隠して男の次の出方をみるなり、震え上がっているだろう。或いは思い切った一散
の逃避行に走ってしまおうと少なくも考えあぐむだろう。殺人犯として逮捕されるよりは、課長の職なんて軽い軽いはずではないか。三上博史の演じる謎めく男
が、警察へ訴えて出るくらいなら、とうの昔に出ていていいのだから、ともあれ、そんな変な男と闘うためにも、男の言いなりに浅野が動いていてはおかしいだ
ろう。必死に逃げ出すスキぐらいはある。男からも逃げだし、刑事からも逃げだし、「二ヶ月」をなんとしても塗りつぶす。それが当面生きる目的のはずだ。逮
捕されては元も子も無いのだから。
なのに、あそこまで身近に現れ威されても、暴走すら出来ない浅野女課長の反応は、全体にあまりに不自然過ぎて、ひたすら作・脚本の「趣向」に、律儀に付
き合っているだけ、まるで人形ぶりに見える。ウソである。
家に帰ると、べつの若い女が新たに死んでいる。殺されている。乱暴だが、あれにはわたしも驚いた。さ、どう処置するかと期待した。しかし、そのあとは旨
くなかった。近所の、それもいわくある男の新車を借りに行ったり、若い女を殺したという男と、二人だけでマンションの高いところからクルマまで、重い大人
の死体をとにかく人目の心配もなげにやすやす運び出したり、これまたご都合がよすぎるだろう。少なくも浅野はあそこで、もっともっとリアルな心理と行動と
で苦しんで苦しんでいいところだ。そこに劇=ドラマがある、のだから。解決の仕方がチャチチャチと安すぎる。さらに「目撃者」としての佐藤珠緒の出て来か
たも、あんまりご都合よろしく、リアリティに大いに欠ける。
* 前作「最後の弁護人」の出だしは、もっといい意味で「力が抜けて」いて、そのぶん巧妙だったと思う。今夜は、だれもかれも、力が、不自然に入りすぎ、
ドラマの「自然な流れ」を阻害し塞いでしまった。そのためか、途中でわたしは退屈さえした。浅野温子の恐怖感を、もっとリアルに把握し彫り込んで欲しかっ
た、妙に作りすぎたお話しにしてしまわずに。
これが「共犯者」となるのだろう三上博史の芝居など、今夜の限りでは、分かりにくい上に巧くもなく、好感もあまり持てなかった。
だが、万事は万事は「これから」のことなのだろう、と、好意的に次回に大いに期待する。ご苦労でした。ほんとのところ、これから先なのだろうと期待して
いる。
* 少し厳しいかもしれないが、苦言は出ていたほうがいいだろう。新聞などが、少々褒めていたとて、あれは商売用の提灯持ちでもあるのを忘れてはいけな
い。上り坂の作り手は、鼻が高くなって自分が見えなくなりやすい。劇場でいえば作者は最後列の隅へ身をひいて謙遜に見守っていた方がいい、自分自身を。
* 十月十六日 木
* すこし気も体もダラケている。昨日国立小劇場で買ってきた「笛」の曲を聴いている。かつて藝術祭で大賞をとった福原百之助(現宝山左衛門)作曲の「嵯
峨野秋霖」が惻々せまり来て、佳い。
* 最近の世の中は、サスペンスドラマ顔負けの人の命を軽んじた際どい犯罪が頻繁に横行して、市民を慄かせていますが、これとて他人事ではないかも知れ
ず。
昨日のドラマ「共犯者」の初回を観て、不審な不可解な人物の登場、短絡な殺人とその山中での遺棄現場、想像し得る次の殺人と、少し背筋が冷たくはなりま
したが、話の展開は時効を待つ女性周辺を描くだけでなく、誉められている脚本ならば、例に依って、何かいいテーマを絡ませてくるのではと期待しています。
京都市
* ご親切というものであろう。
* 榛名の母のところへ行き、軽井沢の紅葉や温泉につれていったりと、親孝行? のまねをしてきました。すばらしい紅葉で、母に、みつゆびついて感謝され
ました。 京都東福寺のもみじのように紅葉がすばらしく、見渡すかぎりの秋満喫でした。
久し振りにホームページを拝見いたしましたら・・・杉原さんのことにふれられておられ。明日丁度銀座へ行く約束をしておりますので・・・拝見いたしま
す。そーッと・・・。
* 十月十七日 金
* 十一月歌舞伎座の券がきた。花道芝居が手に取れる、まえから五列目、有り難い。我當は白髪の北条時政で「盛綱陣屋」に。吉右衛門、雀右衛門。鴈治郎の
「河庄」も。菊五郎の踊りも。
今月末にどうぞと、浜畑賢吉氏のシアターXへの招待もあった。長谷川平蔵役だという、殺陣がみられそう。建日子が初めての作・演出でデビューした劇場
だ。帰りに妻とチャンコの「巴潟」に二度立ち寄っている。好成績で千秋楽を終えた大関といっしょになり、妻は大関と握手してご機嫌であった。
* お返事が遅くなって申し訳ございません。ちょっくらパリに行っておりました・・・。10年前に私が自炊生活していた頃とは全く違う街になっていてびっ
くり! でした。10年ひと昔とはよくぞ言ったものだ・・・などと変に感心したりして。
でもすごくいい「感覚転換」になりました! 来年はたぶん自分の作品づくりの転換期になると確信しています! (別に何を作ると決めたわけではないのです
が。)
そしてその「本行寺」なのですが、既にもう行かれたでしょうか? このあたりの寺はあまりに多く、みんなお寺の名前よりも「ああ、あそこの角の寺ね
〜」って感じなので私も母に聞いてみました。もしまだでしたら母が調べていましたのでメールにて情報をお送らせて頂きます。
父の作品は恥ずかしくて実はあまり読んでいません・・・・。でも好きです。もしアップしていただけるなら電子文藝館で読みたいです。
感想は文藝館にメールで? ・・・なんだか不思議ですね、こんなのって。でも現代の良くも悪くもあるところの、良いところだ! と勝手に思っています。
いつも父の作品を気にかけて頂いて本当にありがとうございます。
今月の21日は父の命日。しかし、娘はたぶん仕事でヒーヒーで多磨霊園には行けそうにありません・・・。許してパパ〜! とココロで叫びつつ、その日の
終わりには父に乾杯〜! (毎日乾杯はしていますが・・・ね・・・)
季節の変わり目。どうぞお身体ご自愛くださいますよう。 台東区
* お忙しい中お出かけいただきまして、誠にありがとうございます。おかげさまで無事、舞台をつとめさせていただくことができました。当日、大きな地震が
ありましたが、ちょうど「三番叟」の舞台稽古の時でした。舞台監督さんから待避してと言われて、皆逃げました。地は動く、生きているということが体で再認
識できました。そして本番。無意識でも地に対する畏敬の気持ちが入りました。
三輪山は寳先生の笛の会に参加させていただいているようで、幸せでした。桜井さんの歌謡とどんな風に聞いていただけたかと心配でしたが、お帰りにお会い
した時、誉めていただいたので、ほっとしました。言葉の響きのすばらしさを邦楽を通してもっと広く知っていただきたいと思います。
アムリタはエレクトーンとお箏と鼓の音のバランスについて、国立劇場の音響さんに親身な御協力をいただきました。生の音中心の劇場ですから、いつもと違
う音量にびっくりされた方も多いと思います。洋楽器との合奏が、単なる和洋合奏にならないようこれからも努力してゆきます。先生、これからも御指導、よろ
しくお願いいたします。有難うございました。 望月太左衛
* 静かな興奮がここちよく蘇ってくる。佳いものは佳いものである。
* ここ岡山も秋らしくなってまいりました。毎日お忙しくしていらっしゃるようですがお疲れを出されませぬようご自愛ください。
日本の政治の在り方などについて随時触れておられますが,私どもの気持ちを代弁してくださっていることを心強く思います。
今日振替で「青春短歌大学上・下」をそれぞれ2部注文いたしましたのでよろしくお願いいたします。私の手許には湖の本のほか平凡社版もあるのですが、友
人のなかに短歌を作っている者がいますので読ませてあげたいと思います。田舎の家の庭に吾亦紅が咲いていました。
* 吾亦紅がこんなに吾亦紅らしい魅力で大きく取れた写真は珍しいなあと、心嬉しく秋を好感している。
* じつを云うと、むかしの大学生の頃から写真を撮るのが好きで、貧しい中で苦労して手に入れたニッカという佳いカメラで黒白の写真をよく撮った。うちの
モノのなかで建日子がいちばん処分に困るのはこのアルバムねえと妻が言うほど大きなアルバムが何十冊と有る。これらを機械に入れてしまえば嵩がひくくなる
のにと思うが、ホームページに写真の頁をつくる「手順」が掴めていない。スキャンして機械に入れても、転送することが出来ない。昔に田中孝介君に習って出
来たのに、みな手順を忘れてしまい、転送できていた写真が消え失せてしまいもしている。
* 石本正氏や橋田二朗さんから創画展の券がたくさん来ている。演劇も美術も読書も、秋。「飽き」でないことを望む。
* 家から駅への十数分。出がけから腰の痛みがあったが、歩いているうちに両足膝から下が鉄棒のように固まり痛くなり、歩くのに苦労をした。正直、駅まで
行くのがイヤであった。池袋線と山手線を乗り継いでいるうちに強い痛みはひいた。
上野駅からの公演は晴れやかに人出も多かった。西洋美術館でレンブラントをみせていた、しまったパスを忘れてきたと舌打ち。都の美術館で、かつてわたし
の『閑吟集』を担当してくれた安田さんと会った。大英帝国の秘宝とか財宝とかのオープニングがあり、もと山種美術館にいた川口直宜氏とも出会った。
わたしは創画展に入ったが、大歎息してしまうほど会場は冷え込んでいた。思えば上村松篁さん、秋野不矩さん、その他当会のスターの何人もが相次いで逝
去、大きな目玉になる画家が払底してしまっている。石本正の絵が今年はつまらなく、上村敦司がつまらなく、橋田二朗に元気がない。おやおや、この生気の無
さでは、思い切って解散かなあとよけいな心配をしたほどつまらなくて、十五分とまがもたずさっさと出たものの、脚痛でははじまらない、すたこらと池袋へ戻
り、ひとりパルコの「船橋屋」で、せめて好きな天麩羅で甲州の酒「笹一」をと、脚を休めた。特注した「はぜ」がうまかったが、それ以上に、ぷりぷりした牡
蠣を揚げてもらったのが、それは旨かった。天麩羅でもフライでもいい、牡蠣の油で揚げたのは旨い。それ以上呑むなと職人にとめられ、笹一は枡に二杯。電車
でひとねむりし、まっすぐ帰った。家まで歩いたが、往きほどは痛まなかった。
* 今日は「集金人」のようにブッシュ米大統領がのこのこ日本にやってきているようだが、なぜか新聞もテレビも、一つは藤井道路公団総裁の聴聞会と、もう
一つはニューヨークヤンキースのリーグ優勝と松井選手の活躍ばかりを報じている。ブッシュで選挙に追い風と当初小泉自民党は考えていたろうが、あの多額の
イラク復興大盤振舞いを「お土産」にアメリカさんに進呈など、大きな逆風でしかないと、さすがに首を縮めて報道に抑制を利かせたかと勘ぐりたくなる。
やっぱり心配してやったとおりに、石原ワカ大臣、藤井河内山との勝負で「ばかめ」とばかり玄関先で大見栄切られて、へどもどしている。悪党をあしらうほ
どには石原には読みも度胸も切れ味もないとよくよく任命賢者も国民も分かったであろう。「抵抗勢力」もとんだ悪党を切り札に隠していた。さすが猪瀬直樹は
よく見極めていた。
民主党も、また、煮えてこない。マニフェストばかり云ってないで、鮮やかにカーブもきりながらの運転を。田中真紀子も未だ吼えない。告示前にごちゃご
ちゃやってまた不用意に脚を払われまいとしているのだろう。知恵は絞って爆裂してもらいたい。
* 十月十七日 つづき
* ブッシュと小泉との肩を抱き合った図など、なんと醜く目にうつるものか。一つには、あの際の小泉首相の胸中にも脳裏にも「日本国民」の尊厳も幸福も
宿っていないように感じられるからだ。勘には勘違いがある。が、勘で云うのではない。嘆く思いで云うのである。
* エディ・マーフィの「ドリトル先生」は彼の映画の中では心地よい一つだ。楽しんだ。
* 泉鏡花の「海神別荘」を点検し校正しているか、これはもう文句なく、読んでゆく作業それ自体が楽しい。この途方もない作品に鏡花が込めている意気地と
批評とは凄いものである。陸地に「人間」と称して棲む存在への痛切な厭悪が感じられる。
中西進氏のいわれるように、海は陸の三百分の一の短い時間を持っているのではない。海の世界は陸の時間の三百倍どころでない広大無辺の時空間を湛えてい
るというのが、鏡花の「海」の理解である。此処に登場する「公子」こそが鏡花の幻想する理想の己であるのだ。そういう鏡花が、わたしは好きなのである。
* 先週の今日は電メ研であった。あの日、わたしは銀座ちかくでフェンチュウを呑み、中華料理の中にうまい牡蠣が使われていたのを思い出す。そして兜町の
会議へむかったのだ、あれから一週間が経ち、このごろはだいたいにあっというまに時が経つのに、顧みると、遙かな昔のようにあの会議の日が遠くに思われ
る。なぜだろうか。
* 十月十八日 土
* 名古屋出張やNPO設立の届出など、あわただしい日々が過ぎました。
先日は楽しみにしていた「共犯者」拝見しました。かつてみたことのないカメラの動きに息を呑んで画面を見つめたのですが、最後まで観る事はできませんで
した。そういう意味では非凡な作品だと思います。設定に多少無理があろうとも、私が見続けることができなかったのは、恐怖感があまりに強かったからです。
「人をかつて殺した」ということだけでも恐ろしいのに、時効2ヶ月前にひたひたと追ってくる脅迫者。不可思議な出来事。ちょうど、逃げても逃げても、どの
小路を曲がっても追いかけられ、どの家に飛び込んでも追跡者が迫ってきて、恐ろしくて恐ろしくて、最後に断崖から飛び降りる悪夢を見るように。
井上靖さんの詩集「北国」(「ペン電子文藝館」で)読み始めています。
お元気でお過ごしくださいますよう。この休日は娘夫婦や母たちと過ごします。 渋谷区
* この感想などは、或る程度脚本作家秦建日子の本意にちかいモノを観ているのであろう。有り難いことだ。ただ、観つづけていられない、という其の処を、
エンタテイメント作者として何とか乗りきりたいところ。もともと不自然な設定、それでもそれを観させつづけるアイキャッチャーは何なのだろうかと、批評し
思案してゆくなら、作者の苦心と同じ次元に、同じ地点に、例えばわたしも合流できるのだろう。
* 杉原康雄さんがおっしゃってられました。 今回はやっと褒めていただけて、次へのステップになりました。と・・・喜んでられました。竹内浩一さんと大
変親しくしているともおっしゃってられました。好感のもてるかたでした。
絵 薔薇の絵 について・・・・・私にはあのような絵は描けません。なぜならば・・・薔薇が同じ色ばかりで一枚の絵を仕上げておられるからです。バック
に相当な苦心をはらっておられますが・・・・そのエネルギーを、ひとつかふたつの薔薇の花に与えて欲しいです。
偉そうにいいすぎたでしょうか? 描けないくせに・・・・ごめんなさい!
* この批評、おもしろいですね。
彼は、かなり意識して、でもそれでいいのだと思っているのかも知れません。絵が、形として美しく把握されて生きるなら、彩色には多くを頼まないという造
形感覚・構築感覚かも。
彼病弱の事情から完成していない絵もあったようですが、基本的に彼は洋画家でありながら、ものの形を線で堅固に把握し、色彩は簡明に、およそ線構築の美
感を助けるだけでもいいと。竹内君の美術にもそれが、ある。彼等の気持ちには、村上華岳が云っていた「色彩は瞞着」という思いが在るのかもしれませんね。
ものの形をしっかりとらえて造形したい、という。
あなたの批評にも彼は聴かねばならないし、彼らの造形的把握からあなたが受け止めていい姿勢もあり得ます。
* 幸福感がもてることなど、そう有りそうにない。映画「アメリカン・プレジデント」は、観ている間も観おえても幸福感を覚えるほどだから稀有の現代お伽
噺である。簡素で単純な思想であり恋であるが、そのためだろう。一つには今のアメリカがあまりにこうではないのも、逆に訴求力をつよめている。やはりア
ネット・ベニング。他の映画ではまあ普通なのに、とびきり佳い。
* ほんとうにボケてしもたらその辺に棄てていいと言ふ 妻、笑諾す 遠
どうも、その気味があり、よろしくない。物忘れ、間違え。やれやれ。そんなことも言ってられない、湖の本新刊の初校が出揃ってきた。
* 気に掛けて、日本シリーズの阪神・ダイエー戦を繋ぎ繋ぎみていた。最後の最期にダイエーのさよなら勝ち。熱戦だった。これまた繋ぎ繋ぎ「釣りバカ日
誌」を観ていたが、この方は途中。スーさんこと鈴木社長に少し元気がなく心配したが、役のうちだといいが。
今夜は「ホワイトハウス」があり、もうすぐ、また階下におりる。アメリカの池宮夫妻から明日にも日本に着くとメール。関西から九州方面を楽しんで。月末
ちかく東京へ来ると。
* お久しぶりです。 アイピローの**です。日記はいつも拝読していますが、メールはご無沙汰しておりました。
前回メールを差し上げましたとき、仕事がない……とボヤイてしまいましたが、あのすぐ後に声を掛けてくれた知人がいて、お陰様で現在は、装丁やホームペー
ジなどのデザイン仕事が入ってくるようになりました。急ぎモノの依頼が多いので、毎日気忙しいのですが、それはそれでやり甲斐もあり、とても充実していま
す。
それで、来年用のオリジナル卓上カレンダーを作りましたので、先生にもぜひお使い頂きたく、あとで1部お送り致します。宅配便でお出ししますので、手紙
が入れられませんで、不調法ですが、事前にメールでお知らせしておきます。
寒くなりました。猫が膝に乗りたがって、ニャーニャーと大騒ぎしています。お風邪など召しませぬよう、どうかくれぐれもご自愛くださいませ! 千葉県
* 香料といっしょにアイピローをもらったこの人の厚意を、今も感謝し常用している。
我が家の黒い青年マゴは、大きくならず、端正で、漆黒の座卓の真ん中で正座していたりすると、イギンの広告の黒い服の女神達よりも高貴な顔付きである。
* 十月十九日 日
* 泉鏡花の「海神別荘」。楽しみにいたしております。
ご無理なされませぬように、くれぐれもご自愛くださいませ。 花籠
* 漸く、鏡花の意欲横溢の戯曲「海神別荘」を入稿した。起稿にのべ三ヶ月ほど要した。戯曲という形の上の制約があり、ト書きの表記など機械環境との折り
合いを付けなくてはならず、その上になにしろ鏡花の表現でかつ台本とあっては、その読みを正確に原作に合わせる必要ががあって、手間はたいへんなもの。例
えば、故郷という二字も、場合により話者により「こきやう」「くに」「ふるさと」と言い換えてあれば、どう煩瑣でもよみがなは原作通りに指定しておかねば
間違ってしまう。俳優の発語で成り立ってゆく戯曲ではこれが大切な手続きであり、演劇原語の粋を打ち出している鏡花では、好きなように字を読んでください
とは行かない。
こう招待席への「紹介」を書き添えた。
* いずみ きょうか 小説家。 1873.11.4 - 1939.9.7
石川県金沢市に生まれる。 帝国藝術院会員。 日本語表現の魔術的と賞賛された天才の一人で、古今独歩の美しい幻想境を歩む一方、愛憎の念と共に日本の
虚栄虚飾社会に批評の視線を鋭く刺し込み、自ら弱者との共同歩調を生涯堅持してやまなかった。その思想と姿勢とを象徴的に打ち出した世界は「海=水」であ
り、その主たる龍・蛇に置いた重みは生涯の作品に隠見して優れた課題性を示している。 掲載作は、大正二年(1913)十二月「中央公論」初出。尖鋭な寓
喩的批評を通じて鏡花のかかえた多彩で深い課題を集約した傑作戯曲である。
*
「ペン電子文藝館」の戯曲はまだ作品の数は少ないけれど、なかみはよく選んでいるつもりだ。河竹黙阿弥、泉鏡花、正宗白鳥、岡本綺堂、郡虎彦、菊池寛、福
田恆存、梅原猛、井上ひさしと並べば、しっかりと「流れ」を成している。むろん、もっともっとの登場を待っている。新しい人気作家の作品も積極的に招き入
れたい。
* いつか秋半ば 今朝は冷え込み、重ね重ね着で落ち着きました。
秋咲きの深紅の大輪、薔薇一輪に日が注ぎ、秋日和の日曜、まだ外も家も閑かです。月日と曜日の確認を日課にするのは、老齢者(?)には不可欠。加齢とと
もに人はせっかちになり勝ちですが、何事も慌てるとろくなことはないと、アワテンボウの私は毎度赤面しています。
今日は久々に、地域の手作りコンサートで、マリア・カラスやリストの曲を聴いてきます。 燕子
* 道路公団総裁の「抵抗」がひょっとして衆議院選挙の流れを変えるかも知れない、告示されれば田中真紀子が尖鋭に吼えはじめるだろうが、この問題は小泉
自称改革内閣ののど元をしめるような片や反逆片や無策・無能のうってつけの事件、これへ痛烈な批判を浴びせてくると、ほかの連中にはない刺激が加わる。石
原大臣の無能・無策は、たかをくくつて今川義元のように不用意にてまひまかけ、年齢や貫禄はアベコベになるが、藤井総裁は織田信長のように田楽狭間に進撃
した。ひょっとすると小泉の首が落ちるかも知れない、それならそれで一つの効果であるが、だからといって藤井某の梟雄ぶりは国民の一人として絶対許容しな
い。クビが至当であり、何一つ弁護したくない。
問題は、石原大臣にマル投げして高みの見物を平然と決め込んでいる小泉の無責任資質である。あれでは石原が可哀想に見えるほど、小泉はオレの責任じゃな
いよという涼しい顔をして、一言の決定的な藤井批判も言わない。卑怯者そのものの顔だ、その同じ顔をして卑屈にブッシュと抱き合ったり握手したり嬉しそう
について回って、片隅で薄い胸を張っている。
この総理には、説明責任を取らねばいけない相手が正しく見えていないか、取り違えているとしか想われない。
* しっかりとしたデッサンの重要性は大事なだいじな要素です。その上をいかに展開させていくか? 色をのせていくか? からはじまります。 制作
が・・・いくら抽象でも、デッサンがとれていないと・・・・・みられません。先生にいつもデッサンのことを指摘されています。デッサンをなおざりにしたこ
とはありません。ただ(対象の性根が掴み)取れないことが多いのです。
学校時代にさぼっていたつけ! が、今押し寄せています。よく「みる」ことから・・・・・はじめます。
明日から白馬へスケッチ旅行をいたします。教室の25名です。切久保館に泊まります。やっと今年一杯で講師のバトンタッチができます。10年も携わって
いたことになります、資格も人格もないのに・・・・。よくもついてきてくれました。お別れ写生会になります。
たくさんのご心配をおかけいたしましたが・・・・・やっとふんぎりがつきました。始めからの方には泣かれましたが・・・・こころを鬼にしました。 神奈
川県
* 「デッサンがとれていない」「取れないことが多い」という述懐に、わたしが勝手に、(対象=モノの性根が掴み)取れないと注釈したけれど、ご当人の思
いと同じかどうか分からない。この人は少なくも素人画家ではない。
* 源氏物語の音読は、いよいよ「若菜」上下の大峰を越えて「柏木」の巻へ入った。このあたり、ひとうねりが波長長くて、全集本で一度に数頁読まねば次へ
橋が架からない。読むのは楽しいが、物語は苦痛な悲痛な坂を転げ落ちてゆくと見えているので、つらい。読み堪えるだろうかと心配する。その辺は小刻みに少
しずつ読んで、つれなく乗り切ってゆこうと思う。
妻が、もぎとるように持っていって、米原万里の大宅賞作品に読みふけっている。なんだか、いたく感じ入っているのは、その世界が珍しいらしい。ずぶりと
かつての共産党ソ連時代にはまりこんだノンフィクション系の作品らしい。持ち歩きに適した本の重さなので、まわってくるのを待っている。
藤村の「夜明け前」は静かに前進している。少しも急がず、二三頁ずつ欠かさず寝る前に読んでいる。そのペースがいい。作中の空気に包まれてしまって、そ
の場面場面に自身も加わっているような心地で読める。これは少なくも馬籠の現地を踏んできた大なる功徳。そろそろ青山半蔵(藤村の父当たる人物)の平田国
学が、周囲との摩擦を見せ始めてきた。わたしは此の作品を初めて読んで、これは神と仏との死闘が一つの主題だと感じたものだ。その感じを一応は忘れて読ん
でいるつもりだが。藤村という大作家必然の道を、たんたんと誘われ行く思いがする。
* 日本史は、ついに織田や松平が表へ出てきた。「近世」がもう顔を見せようとしている。「中世」はむずかしい時代であった。
* ひと頃のわが現代日本は、さかんに「中世」を語って倦まず、その頃は、まだしも民衆のエネルギーが炎をあげていた。国会議事堂を揺るがすことも出来
た。いま、中世のエネルギーを口にするような知識人は、一人も見られなくなった、そのことに誰が気付いているだろう。中世精神に殉じ得たような知識人は、
払底した。
今、象徴的に世の中で、名と顔との現れているのは、間違いなく対立する猪瀬直樹と藤井治芳であるが、藤井が保守で猪瀬が革新などとは、とても言えない。
藤井のことは言語道断でお話にもならないが、道路民営化にしても郵政民営化にしても、本質はただの「手直し」であり、その根底が、いずれにしても甚だ保守
的な、いわば「近世支配」的なものであることは、火を見るより明白である。民営などという美しい言葉が瞞着の意図を秘めていて、個人情報を保護するといっ
て侵害管理し、人権擁護といって守られるのは悪い政治家や官僚であったりするのと同じく、つまり発想の根が、幸福と平安を願う民衆のエネルギーにまっすぐ
結ばれてはいないのである。最後は政・官の気儘な肥大尊大へ行こうとしている。
あの猪瀬直樹といえども、なんら革新派ではない。優れて能力に富んだ批評家ではあるが。田原総一朗にしても筑紫哲也にしても猪瀬と同じであり、彼等もま
た問題点という「餅タネ」を、マスコミの杵であっちへ搗きこっちへ搗き返ししているだけの「手直し=日和見」論者を一歩も出ない。それで飯を食っているの
だから、当然だ。飯のタネが搗き=尽き果ててしまえば、喰いはぐれるだろう。
それどころか、彼等こそ、現代日本の「中世」感覚や意欲を「目の敵」にして押し殺した、いわば官・公寄り下手人達である。
中世は今の日本では死んでいる。そのシンボルが、学生の無気力に見られる。今の日本の学生は、國の運命に身を挺して闘う民主主義のエネルギーをもたな
い、今は、だれも。大きなものに巻かれ飼われようと、そのための勉強をしている。そういう國は、ふつう、潰れてゆくのである。
なんのことはない、今の日本は、明治初年の富国強兵をしっかり引きずって、とち狂っていると見える。見えないのは、政治家も知識人も、われわれ民衆も、
強度の欺瞞的白内障患者であるか、そのフリを演じているからだ。
* 十月十九日 つづき
* あすのために、もうやすもうと思って、唐突に、妙な歌が思い出された。「江戸東京芸能地図大鑑」という、本だか何だか知れない広告チラシがたまたま傍
に来ていたからか。「逢ひたさ見たさに怖さをわすれ」という籠の鳥のメロディと歌詞と、だ。秦の父が、むかしむかし電器修理の仕事などしながら、あれは機
嫌がよいとであったか良くなかったときか分からないが、鼻歌にしてよく謳っていた。へんな歌と思って聞いていた。「おれは河原の枯れ薄 同じおまへも枯れ
薄」というのも聞いて、あまりいい気持はしなかった。いまとなってみると、前の、歌の方がまだしもとぼけていて感傷的でないのがマシかもしれぬ。
ところでこの歌、「暗い夜道をただ一人 逢ひにきたのになぜ出て逢はぬ 僕の呼ぶ声わすれたか」とつづき、二番だか三番だか、「あなたの呼ぶ声忘れはせ
ぬが 出るに出られぬ籠の鳥」と「題」があらわれる。で、その先が出てこないのだ、記憶してなかったのか。「籠の鳥でも」なんとかの鳥は、と続いたはずだ
が、なんとかが直ぐ出ない。虫食い題の感覚でいえば「チエ有る鳥は」だろうが、そのアトがまるで思い出せないので話にならない、するとしきりに「恋する鳥
は」かも知れないと、暗闇をさぐるけれど手応えがない。
そのうち、鳥に恋ができるのだろうか、鳥は恋をするかなどと考え出すようになり、あまりの突飛さに我勝手に鼻じらんでいる。へんな話だ。
しかし本気の所、鳥は恋するのだろうか。鳥は愛するだろうか。犬が恋をしたとか、犬と猿とが恋をしたとか聞いたことがあるような。
* 大敗した阪神は甲子園で巻き返すだろうか。
* 「黄色いロールスロイス」という洒落たオムニバスを一題ずつ三度に分けてみた。短編小説集のように。
まず、レックス・ハリソンとジャンヌ・モローの夫婦の破局、しかし、うわべは何も変わらない。夫公爵から遅れて贈られた結婚記念日の祝いの「黄色いロー
ルスロイス」は、妻と外交官との不倫の隠れ部屋に一度つかわれただけで、販売店に返却される。短くて、序曲めいて、あまり愉快でもない。ジャンヌ・モロー
は苦手である。
第二話はシャーリー・マクレーンとアラン・ドゥロンという豪華版で、二人ともしびれる魅力を発散してうまく、せつなく、美しい画面がつづく。黄色いロー
ルスロイスを駆ってイタリアを旅するアメリカの大ギャングの純な情婦と、観光地の「恥知らず」な写真屋青年との哀歓あふれた束の間の恋、そして別離。この
一編のゆえにわたしはこのビデオを愛蔵してきた。シャーリー・マクレーンは最も愛する女優の一人、その感覚も演技力も可愛らしさ美しさも。アラン・ドゥロ
ンは「冒険者たち」やこの作品ではじつに佳い。すかっとして哀れでもある。心をここちよく濡らす。
第三話はこれまた最も敬愛するイングリット・バーグマンに加えて、男の魅力のオマー・シャリフ。初めて見たときはバーグマンが老けて見えて辛かったの
に、今夜見ているとじつにチャーミングに美しく、凛々として魅力満点なのにビックリした。うわぁ、と内心に叫びそうなほどうまくて美しくて、しかも切れ味
のいい作品。黄色いロールスロイスが山国でのオマー・シャリフ率いる民衆の抵抗戦争に、なんと彼女の運転や献身で大活躍する。ああ、ビデオを取っておいて
良かったと、大きな得をした喜びで見終えた。
わたしが年をとって、中年バーグマンの美しさを再発見し、受け容れたということかも。なにしろ、エリザベス・テーラーとともに最も幼い昔に初見参の女優
がバーグマンであったのだ、どんな評判が彼女を襲っていた時機も、わたしは絶大な彼女の信徒であった。
* 十月二十日 月
* あんな夢を一夜に二度もつづけて見るとは思わなかった。京の新門前通り、昔の我が家のある場所だった。我が家の斜めむかいに、硝子がちにかなりな洋風
の家があり、大学時代の妻の友人が、夫婦で暮らしていた。夫はいくらか年嵩な小柄な人であった。
これは夢、事実ではない。その家のあたりは、昔は、我が家よりもまだ間口のない長屋の一軒で、母親と娘二人が暮らしていた。父親かと見られる、小柄な福
相をしたしかし喰えない感じの老人がときどき通ってきた。子供心には見えないものを大人達はむろん見ていた。
しかし夢では、家の様子もまるで違えば、妻の友人ははっきりと私にも分かる人であり、夫も、あの老人とは似ないむしろ貧相な普通の男であった。むかし現
実にあの家にいた娘二人がわたしはいつも嫌いだった。夢の人には夢の中でも、また妻の友人としても好感をもっていた。
夢は奇であった。セクシイであった。一度起きて、また同じ場面から夢は繰り返された。わるい夢でなく、快くはない夢でもあった。いまの不審は、なんであ
んな夢を、つづきものを見るように二度見たか、で。
だが夢は夢だ、意味を問い直す価値は何も無い。しいていえば、その妻の友人の夢をかつて一度も見た覚えがないのにという、ケッタイなだが新鮮な思いもし
たということ。
* さ、今日一日、いい一日であって欲しい。
* 十月二十日 つづき
* 鶯谷から、言問通りを浅草寺裏、ゴロゴロ会館の前でタクシーを降りた。浅草寺本堂の真裏に、仮設の平成中村座が出来ている。
* 昼の部は、前から三列め、花道に近い通路脇、花道へも舞台へも二、三メートルという絶好席。
入るといきなり花道にも舞台にも無数の馬の屍骨が累々。そこへ忠義のお初に打たれた岩藤の死骸は抛たれて、その怨霊が出るという。「加賀見山再岩藤(か
がみやま・ごにちのいわふじ)」は、むろん中村屋の骨寄せ岩藤。さらに奥方、望月弾正、忠僕又助など幾役も勘九郎ので健闘はめざましく、最期の最後には、
岩藤の恨みをふくんだもの凄い幽霊姿が、舞台の奧の奧をぶちぬきに、日光燦々の浅草寺境内から舞台をかけぬけ客席へまっしぐらの宙乗りで、なんと、手も届
き幽霊のこぼす熱演の汗も滴する高さで、妻とわたしとの真上にとまり、満場を騒がせてのヒュードロドロ。
みっちりの通し狂言で、中村福助が忠節の二代目尾上と毒婦お柳の方を美しく演じ分けた。扇雀丈は忠臣花房求女役を、いざり姿もまじえて、颯爽と演じた
し、七之助の女形ぶりも水際だち美しさを増していた。坂東弥十郎が便利を活かして多賀大領と安田帯刀を。
この狂言は以前に電光効果をばんばん用いた演出の舞台を、あれはたしか南座で観た。大阪の成駒屋兄弟と中村橋之助、市川染五郎の四人組だったと思う。か
なり商業演劇風に、あれもまたおどろおどろした舞台効果であった。今日の平成中村座は、本水をたっぷり用いて、どちらかというと江戸前にすっきり面白くリ
アルに仕上げていた。
何と云っても勘九郎の役者ぶりに、満場がとにかく興奮してしまう。興奮が舞台をますます活気付かせる。小芝居の妙味と佳い役者の藝振舞いがあるから、堪
らない味わいになる。演劇の本来の感激なのか、歌舞伎興行の景気なのか。どっちにしても客は遠慮なく楽しんで笑い、楽しんで手を拍き続ける。
特製の中村屋弁当がうまかった、カップ酒の大関も、むろん。
* 昼の部がはねてから、一時間ほど浅草寺境内を妻と散策。江戸のむかしの奥山風情を再現して、たくさんな店が出ていた。
*
夜の部は、同じ列で三つうしろへ席をずらし、花道芝居の真正面に。これはたいへんなご馳走で。「弁天小僧女男白浪」浜松屋へくりこむ七之助の弁天女形ぶ
り、片岡市蔵の南郷力丸から、ちかぢかと芝居が楽しめた。弁天小僧は音羽屋の尾上菊五郎や菊之助の舞台で記憶に濃い、が、七之助は、成駒屋風の口跡あざや
かに、また一風のあでやかに鋭い弁天小僧菊之助を見せた。この若い役者は、見る度にぞくぞくさせるほど成長している。
稲瀬川勢揃え花道のつらねが目の真ん前で気分大いに宜しく、ことにわたし達のすぐ前で忠信利平を、中村勘九郎が大変な気合いで演じてくれた。いわば付き
合い役でありながら座頭の責任をきちっと果たしいたのに感激した。扇雀丈は、赤星十三郎。
* ついで中村福助が、「本朝廿四孝」の奥庭、八重垣姫を、あでやかに、しおらしく、しかもすっきりと人形ぶりで。堪能した。
いつも言うが、この役者に、歌舞伎界次代を背負う立女形の貫禄と美しさが、一芝居ごとに増してゆくのは、嬉しい。ひと頃とうって変わり芝居に気を入れて
いるのが、眼を深く覗きこんで、分かる。役者の魂は「眼」に入っている。小狐役の子役が可愛らしかった。
* おしまいは「人情噺文七元結」で、むろん勘九郎の左官長兵衛とあれば、演じる前からもう顔も姿も身のこなしまで目に見えてきて、その段階から、贔屓の
われわれは既に喜んで楽しんでいる。私も妻もこの噺は名人三遊亭圓生のテープを少なくも十度も聴いて、すみずみまで頭に入れているから、舞台の進行も科白
までも前もって分かっているようなもの。扇雀丈があらけなくも思いきった女房お兼。すってんてんの亭主勘九郎との掛け合いで爆笑をさそいながら、もともと
の台本がよくて、ほろりとさせる。笑いながら泣いている客がやたら多かった、わたしの隣でも。
小気味よかったのは、福助演じる角海老の女将で、舞台に、安心感と清潔な品格とでもいいたい空気を漲らせ、勘九郎との競演をきちんと見せてくれた。圓生
描く人物に最も近く、ほぼ完成されていた。いつまでも眼に残る。
大河端での長兵衛と手代半七とのやりとりは、あんなもの。七之助が律儀に気のはしった若者を好演し、分かり切った場面に緊張感を失わせなかったのはお手
柄。
めでたい大詰めで、わたしも二つ目のカップ酒大関を高々とあげて乾杯した。昼の部にも大騒ぎしたカーテンコールに、夜の部も応じて勘九郎も扇雀も七之助
もいい笑顔であったうえ、もう化粧を落とした福助が、ちらりと児太郎の昔の素顔を舞台の袖に覗かせてくれたのもサービスであった。大満足の打ち出しで。
* どこへも寄らず、またごろころ会館の向かいからタクシーで鴬谷までもどり、山手線に。九時過ぎには家に着いた。黒いマゴが嬉しそうに出迎えて甘えてい
た。
* 十時から「CSI=科学捜査班」を観た。見応えがあった。
* 鳥も恋をするにきまっていますという、思いがけないメールが見知らぬ空から降ってきていて、驚かされた。よほど色んな人達が闇の向こうでわたしの私語
を聴いてくれているらしい。
* 十月二十一日 火
* 日本史は、第十二巻「天下一統」のところへ入った。まだ全巻の半ばに達していない。それでもぎっしり既に六千頁ほども読んできた。この巻は、織豊政権
そして徳川幕府成立までであろうか、世に安土桃山時代といわれた、私の理解によれば「黄金の暗転期」である。中世は近世の前に屈服を強いられる。
* 「ペン電子文藝館」がいわば難所にかかっている。先輩作家の選りすぐった力作や問題作を招待している限りは、作業は大変でも質的には安定し安心して掲
載出来ていたが、それが目的通り或る呼び水になって現会員から原稿が入ってくると、質の問題ではない、いややはり質が良くないということになるのか、とに
かく「校正」がまるで出来てない原稿が送られてくる。
酷い例では、原稿に題も筆者名も書かれていなくて、何百行もいわゆる改行が無い。事務当局でよろしく按配して欲しいなどと言ってくる。原稿を提出する作
法も行儀もない。そういうのに限り「初出データ」のないもので、ほとほと当惑する。
だが、それは予想できなかったことでなく、大なり小なりそんなことになりかねないのは分かっていた。そんなことは、毎度の理事会で、理事一同で安易を極
めた入会審査を私の知る限り六年も七年もつづけているのだ、おそらくもっともっと永く慣習化されて入会審査はいいかげんなのである。ちゃんとした人の多い
のはむろんとして、しかしその著書のなかみなど聴いていると、なんでこの人がペンクラブにと思う人も無数にいた。
原稿に誤植は容易に避けがたい病であるが、それにしても一原稿で、酷いときは百にあまる疑問箇所が出て、その一々を正確に委員会で正すことは至難という
より不可能に近い。それが「現会員」の実力であるということになれば、日本ペンクラブという以上に「現代日本」の文壇は胸をはりにくい裾野を引いているこ
とになる。
分かっていた。むしろ、それすらもハッキリさせてみたい気持がわたしには有った、が、それが現れだしたということである。いま、数点の出稿分が校正杜撰
で停滞し立ち往生している。しかし乗り越えて行かねばならない。
* 上瞼の奧が、いつもピリピリとふるえるように痛い。
* すっかり、秋らしくなりましたが、お変わりありませんか?
こちらは、二人とも変わらずに元気にしております。
が、ご報告があります。
先日、子供を授かることが出来ました。現在妊娠6ヶ月になります。来年2月中旬に、父、母となる予定です。
不妊に悩む、友人、親戚などの話を耳にしておりますので、二人の間に子供を授かったことを、とても感謝して止みません。主人も、一緒に妊娠百科を熟読
し、なんでも快く手伝ってくれています。
いつかは子供が欲しいと願ってはいましたが、授かってしまうと、もう戻れない、引き返すことの出来ない、重大な責任を負ったことに、今更ながらに気がつ
いて、妊娠を手放しで喜びたい思いと、気を引き締めなくてはいけないような思いとで、今を過ごしています。
また、育児関連書を読んでいると、両親が本当によく育ててくれたのだというのがよく分かります。そして、両親がしてくれたのと同じように、子供に対して
接していけば良いのだ、という指針を、得たような気がしています。
残念なのは、ひ孫を心待ちにしてくれていた義祖母を、この5月に亡くしたことです。おなかにいることすら報告できなかった悲しみとともに、もしかして、
義祖母が連れてきてくれたのかとも思いつつ、四十九日の法要で、静かに報告した次第です。
ところで、2年間住ん此の地から離れることになりました。主人が、母校の助手職に赴任することになり、11月から横浜に移り住むことになりました。喪中
はがきも近々お送りする予定ですが、新住所を念のため書き添えます。
(略)
私のメールアドレスは変わりませんが、主人のアドレスは、また改めてご連絡いたします。
少し大きくなったお腹を抱えて、バタバタと引っ越し準備をしているところです。お腹の子供も、最近は大分動いて、元気なことを教えてくれます。
ホームページで、名前を考えていらっしゃる方のメールを拝見しましたが、我が家も、そろそろ、本格的に名前を考えなくては、と思っているところです。最
近の子供の名前には、本当に個性的で驚くものが多いですが、一生を共にする、名前だけあって、心をこめて、考えたいと思います。
先生も、病院に何度も行っていらっしゃるご様子ですので、これから寒くなる季節、どうぞご自愛ください。
「共犯者」楽しみにしております。 それでは。
* さ、三人目の、出産予告だ、おめでとう。
どのメールでもそうであったと思うが、ほおっと胸をなでおろす安堵と信頼感を呼び戻された大人達も多かろう。こういう穏やかで健康な三十前後の述懐が、
絶対に飾ったモノでも頑張ったモノでもない、実に自然に流露した本音であることを、わたしはその「人」をよく知っていて、何一つ疑うどころか、嬉しくて笑
みこぼれる思いがするのである。どうか、あなたも、きみも、またあなたがたも、平安に元気にと、心より祈る。
このメールの夫妻は、二人とも同じ教室にいた。佳いカップルで、二人とももの静かで優秀だった。音楽を演奏できる心優しい夫人は、初ボーナスの頃に、夫
と二人でわたしを街に呼び出し、神楽坂の有名な甘党の店に連れて行ってご馳走してくれたものだ、わたしが大の甘党でもあるから。そして二人して湖の本を応
援してくれている。
博士課程をはやばやと好調に卒業した夫クンは、また日本の古典にも関心のあるもの静かな青年だった。佳い進路を確かにし、将来優れた科学者として大きく
成ってゆくにちがいない。
幸せな家庭をきっちりと築いて力をあわせている若いこういう夫妻たちの家庭は、世の中に、多彩にたくさん有るのだ。それなのに極めて手荒い異様な世の中
とばかり思えてとかく落胆してしまうのは、一に、マスコミが、そういう異様と荒廃の現象ばっかりを報道し続けているからだ。ときどき、この世界に新聞もテ
レビ週刊誌もなかったらどうだろうと、本気で思ってしまう。
われわれが結婚して数年は、余儀ない貧乏で、また意図してもだが、家に新聞を入れずテレビはなかった。ラジオだけで足りた。あの新婚の頃は、一つにはそ
れで生々清々とした気分でおれたのかも知れない。そして勉強も出来た。
* どうか、不用意な怪我だけはしないよう用心し、ことにこれから出産までは、あまり参考書にひきまわされるより、むしろ、この天与の機会を、心の底から
楽しみに楽しみにして、毎日を喜びに溢れて暮らしてくださいませと、わたくしの家内も、心からの祝福をお伝えしてと申しております。同感です。
夫君の前途も祝します。きみのためには何一つ心配ということをしなくて大丈夫と、わたしはゆったりと信頼しています。健康。それだけです、お大切に。
奥さんはこの頃流行の殺伐としたものでなく、ふっくらとして優れたものに、心を触れていて下さい。
あなた方のためにも、良い政治の良い社会、平和な國を望みます、心から。
* 十月二十一日 つづき
* 1メートル 2003.10.21 小闇@TOKYO
占いとか運命とか魔法とか霊感とか祟りとかバチとかいったものは信じない。信じないけれど、ちょっと不思議な体験をしたことがある。
暑い夜だった。緑深い土地の、天井の高い部屋で眠っていて、目が醒めた。足側の壁は一面が窓で、カーテンはかかっていたが、深夜独特の薄明かりは部屋に
忍び込んでいる。その明かりの手前、私の足元に、影法師が見えた。誰もいるはずがないのに誰だろう、と思ったとたんに、身体がベッドマットに押しつけられ
た。
ただただ重く、苦しくて、私は隣に寝ているひとにそれを知らせようとして、声を出そうとした。手を伸ばそうとした。けれど動かせるのは目だけ。私に何が
起きているかつゆ知らず、背を向けて眠っている姿が見えるだけ。すぐに届くはずの、そのひとまでの1メートルが、果てしなく遠く見えた。
もういちど影法師を確かめようと視線を戻すと、もう何も見えない。天井の暗さも、窓の明るさも何も。感じるのは重さだけ。
思い出していた。ずっと昔にも、同じようなことがあった。それはいくつのときだったか、夏だった。何日か続いて家族にそれを話すと、疲れていたんでしょ
とだけ言われた。そうではなかったのだなと、マットに沈みながら思い、気付いたら朝になっていた。
私に背を向けて眠り続けていたそのひとは、それはきっと精霊が降りてきたんだよ、と言う。
私はその手のものは信じない。信じないけれど、悪い返事ではないと思った。それ以来、精霊には巡り会っていない。
* 「かなしばり」と謂ったが、私にも二度覚えがある。一メートルの脇に人のいてくれない、旅先のホテル、京都市内の大きなホテル、だった。一つは河原町
の、一つは京都駅の西の。ともに夜中であったが、万力で平たく抑えつけられて微動も出来ない胸苦しい圧迫が暫く続き、やがて解けた。かなり恐かった。一人
でホテルに泊まることは余儀なく多いので、今もいつもそれは念頭にある。それの起きたホテルは二度と使っていない。
* ときどき人とちがうことを言う。「好異学」と自嘲し、ときには少し得意がる。「解釈」「読み」で、ちょくちょくそれをやる。また始まったと人は思って
いるだろう、ないし無視しているだろう。
愛する閑吟集に、 よのなかは ちろりに過ぐる ちろりちろり というたいへん有名な小歌がある。有名な割りに研究者の注釈本では、ちっとも面白
みのない読み、むしろ間違っているに違いない読みばかりを読んだ。世の中のことは無常迅速、ちらっちらっと過ぎて行く、などと。抹香臭い。
閑吟集の主体はたいがいが遊女である。そんなくすんだ歌をうたうものか。 くすむものはみられぬ と人のうつつ顔を笑いに嗤うのが彼女らの常ではない
か。
でもまあ、こんな夜中にこんな小歌の詮索をしてみても、あまりに、きわどい。やめて、寝よう。いい夢をみよう。では、おやすみ。湖の底でかなしばりに遭
いませんように。
* 十月二十二日 水
* 先週の今夜であった、太左衛の「鼓楽」の会で印象深かった「三輪山」朗詠の櫻井真樹子さんから、メールをもらった。やはり天台声明などを研鑽の成果で
あったらしい。天台座主の慈円が、平家物語濫觴にかかわる信濃(正しくは下野)前司時長や生仏を間近に扶養していたらしいことは、徒然草の兼好が書きのこ
している。平家琵琶の語りに天台声明の関わりあったろうことも。
ちかいうちに橋本敏江の平曲全句演奏のどのあたりか途中の公演があるはずだが、この二人、出会わせてみたい気がする。橋本さんの「全句」演奏はたいへん
な壮挙。まだ道半ばであるが着々進んでいる。
ご主人の転勤に主婦として仙台に住んだのを機に、当地に伝えられた一方流平家の正統を学んで、今は人間国宝級の演奏者。江戸女流文学研究の先駆者となっ
た門玲子さんと同じ、もとは普通の主婦であった。
* 深み お作はどれもそうですけれど、読む毎、光の角度が変わって、とっとっと渡っていた所が深くなったり、別のところが見えたりします。いま、
「あやつり春風馬堤曲」の深みに、足を取られ、取られ、一段進むのにえらい難儀。うぶ、いえ、おにぶで、‘読んで’いませんでしたわ。
頭を抱え、コーヒーブレイク。
配達に来た人が、小さなリーフレットをくれました。「浦島太郎の故郷は、丹後半島の与謝郡伊根町」…て、これはやはりご縁と、再びご本に戻ります。
あさってから、池田の逸翁美術館で「蕪村展」です。 奈良
* 短大の元の「作家」先生が、大学へ転入した女子大生の「蕪村の卒論」をあやつり(指導してやり)ながら誘惑して行く。小説である、ずいぶん昔の。小説
の中で展開される蕪村論には自信があり、それを言おうための趣向の小説であった。おおむかし、作家生活に入ったとたんに余儀ない仕儀で、一年だけ心すすま
ぬ短大の講師をひきうけたことがある。むろん何の関係もないけれど、蕪村の春風馬堤曲は、朔太郎などのいうような漫々的なのどかなおはなしでなく、蕪村の
あやしいうめきに彩られているのを、きちんと読み込んで考証小説を書いたのである。かなり手応えも歯応えもある、湖の本ならではの「書き下ろし」出版で
あった。
* 建日子作の「共犯者」が、質的に「今季一オシ」と担当記者に押されているほど、まずまず好調に評判されているようだ、今夜は第二回。回を追ってよくな
るよと当人自信をもっている。アメリカから来る友人のお土産にと、妻はこの前の「最後の弁護人」のDVDを取り寄せたりしている。やはり親バカ。
*「魂の色が似ている」から、とは、わたしの娘の、結婚前の啖呵であったが。むげに否認は出来ない、ありそうなことで。人それぞれの根というものがある。
根を認めあえるかどうかは、人間関係として大事といわずにおれず、もしも譬えばなしとして、あなたは好きだけれど「湖の本=文学・文藝」はきらいですとい
う人がいたなら、(いないワケは無いけれど、)息子の口癖ではないが、心からの「お友達にはならない」だろう。できるだけ深い佳い色を分かち合えそうな人
に親しむだろう。どんなにそれが少数であっても構わないのである。人間としての、それは必ずしも強さではない、弱さであろうけれども、自然なことだ。
* 電子文藝館、闇に言い置く-私語の刻 ともにいつも楽しく拝見させていただいております。本日は、闇に言い置く-私語の刻
の中にありましたが、泉鏡花(の戯曲「海神別荘」)の紹介について、お伺いしたことがあって、メールを書いております。
闇に言い置く-私語の刻 には、以下の紹介がありました。
* いずみ きょうか 小説家。 1873.11.4 - 1939.9.7
石川県金沢市に生まれる。 帝国藝術院会員。 日本語表現の魔術的と賞賛された天才の一人で、古今独歩の美しい幻想境を歩む一方、愛憎の念と共に日本の
虚栄虚飾社会に批評の視線を鋭く刺し込み、自ら弱者との共同歩調を生涯堅持してやまなかった。その思想と姿勢とを象徴的に打ち出した世界は「海=水」であ
り、その主たる龍・蛇に置いた重みは生涯の作品に隠見して優れた課題性を示している。 掲載作(「海神別荘」)は、大正二年(1913)十二月「中央公
論」初出。尖鋭な寓喩的批評を通じて鏡花のかかえた多彩で深い課題を集約した傑作戯曲である。
この中の「日本語表現の魔術的」は「日本語表現の魔術師」ではないでしょうか。そうしないと意味が通らないと思います。
そして、余計なことですが、一鏡花ファンとしては、鏡花の批評の視線、「海=水」のモチーフに異論はないのですが、ただそのような視点からのみ読み解け
る作品ばかりではないことを、出来れば紹介して欲しかったと思います(具体的には「歌行灯」「鷭狩」など)。また、鏡花の戯曲としては「夜叉ヶ池」「天守
物語」の方が完成度が高いと思います。
末筆ながら、益々のご活躍を愉しみにしております。 愛知県
* お返事します。
>この中の「日本語表現の魔術的」は「日本語表現の魔術師」ではないでしょう
>か。そうしないと意味が通らないと思います。
意味は十分通っています。「日本語表現の」の、格助詞の「の」が受け取れていないのでは。日本語表現「が」魔術的に神妙巧緻なといわれている という意
味ですから。今は何ごとも説明的にかつ本来は誤法の「が」ですべて済ませていますが、落ち着いた古法では 日本語表現「の」でよろしく、また「魔術師」と
いう露骨な云い方をあえてすこしだけ避けた趣旨をお汲み下さい。
>そして、余計なことですが、一鏡花ファンとしては、鏡花の批評の視線、「海=水」のモチーフに異論はないのですが、ただそのような視点からの
み読み解ける作品ばかりではないことを、出来れば紹介して欲しかったと思います。
どんな作家でもただ一つのモチーフということは普通無いはなしですから、その中でも圧倒的な、しかも在来わりと看過されてきたところを指摘したのは、そ
れでいいと思います。鏡花の蛇と水とを正面から指摘して言った論考は、私の指摘以前にあまり無かったことは、例えば専門家の新保さんや田中励儀さんにも確
認しつつ、書いています。
>(具体的には「歌行灯」)。
「歌行燈」の主要な場面は海で、また何よりも主題が、龍の珠とかかわる「謡曲海士」であるのをお忘れですか。学研版の大版本で、わたしが「龍潭譚」「高
野聖」とあわせて「歌行燈」を選んで脚注しているのを、御覧下さい。まさしく、これも海、水、龍・蛇のからみの、鏡花ならではの世界ですし、「海神別荘」
にも大きく響き合っています。
>また、鏡花の戯曲としては「夜叉ヶ池」「天守物語」の方が完成度が高いと思います。
「ペン電子文藝館」の招待席には、完成度を軽視はしませんが、珍しくて、問題を含み、異色の力作をむしろ考慮しています。「天守物語」は大好
きな一つで
すが、現代舞台でも映像でも繰り返されています。「海神別荘」のアレゴリックな「海」思想も、玉三郎と新之助とで幸い再現されていますが、「天守物語」よ
りは珍しく、また大胆に踏み込んでいて、何よりも、鏡花以外には書けそうにない問題作です。そういう判断で選んでいます。私は、「夜叉ヶ池」はさほどと思
いません。鏡花の戯曲としては普通作と見ています。
末筆ながら、心より感謝します。 「ペン電子文藝館」 秦 恒平
* この件、建設的にもう二三度メールを交換した。 感謝。
* なにげなく田植草紙をひらいたら、ふと目に触れた。調子がいいので書いてみる。
昨日から今日まで吹くは何風
恋風ならばしなやかに
靡けや靡かで風にもまれな
落とさじ桔梗の空の露をば
しなやかに吹く恋風が身にしむ
* 身にしむものは風と。源氏物語このかたの日本の風情。田植え歌である、農業の歌である。田舎で戦時戦後の二年足らずを暮らしたが、田植えも二度眺めた
が田植え歌などは聞こえもしなかった。こんな粋に優しい田歌があり、また田楽のような藝能もあった。
* 「湖の本」次巻のさらに先の一巻分をも編成した。
* 十月二十二日 つづき
*「共犯者」第二回を見た。
* その前に、林屋辰三郎さん担当執筆「天下一統」の巻頭を読んでいた。
日本人の過去の歴史観が、著しく下降先途感を基底にしていたこと、島国での鎖国的情況、仏教の末法観、天皇制という三つに緊縛されて、日本人は、上昇し
て行く明日の歴史を期待しにくかった、と。
それを突き破り得そうであったのが、戦国時代の末からはっきり意識されてきた「天下」という認識だった、と。
天下という広さで島国の枠は突破されそうであった。天下という深さで仏教的なまた神や儒教も覆い取れそうになった。天下は天皇よりも強力な「天下人」の
可能を導いた。織・豊そして徳川家康は「天下」にしたがい時代を動かし革新した。だが、それも寛永の鎖国でまったく頓挫した、というのが林屋教授の論調で
あり、概説としてたいへん興味深く説得された。
そして種子島銃の渡来とキリシタンの世界観の渡来。
まずは鉄砲に新旧の二種類が日本に、早く、また後れて入ってきたという。たんに「鉄砲」ということばなら元寇の頃に既に、そして不十分な鉄砲というより
火砲なら、中国から早めに日本に入って堺で製作されてもいたし、武田や後北条は手に入れ用いもしていた。だが種子島銃ははるかに強力で正確に機能した。武
田や北条は、なまじ旧式砲に油断して、織田や松平の新式銃に敗北したとも言えると。これも興味深い解説であった。
* そんな知的興奮のあとで「共犯者」を見たのは、ドラマのために気の毒であった。わたしは何度も退屈した。
身振りは大きいが、ドラマがてきぱきと進行していない。テンポも流れも前回以上になかった、良くなかった。
あんな死体をつくっておきながら、携帯電話も社員証も財布なども全く処分しないまま毛布にくるんで山中へ運び出すなんて。隣家に借りた自慢の新車で、ど
ろんこの山の中に入り込み、あげく埋める間際に死体の携帯電話が鳴って、慌てて目の下の社員証も見つけるなどという、あんなあたじけない芝居を観ている
と、苦笑のほかはない。
あれだけの高みから崖下へ落ちた女が、一夜の雨でぱっちりよみがえり、顔にも何処にも傷らしいものも見えず、よろめき歩いて人の助けを求められるという
のも安易すぎる。あれだけの山中を三人して必死に追いかけ合い、その間、うしろの開いた車も、死体も、ただ放置されていたに違いなく、共犯の二人はあのあ
とどうすらすらと元の場所へ戻れたのか。雨もよいの深夜の山中が、どんなに右も左も分からぬ危険で処置なしの闇黒世界であるか、多少とも私には体験があ
る。またそれほどの暗闇で辺鄙な場所だから、見つかるまいと死体も埋めようとするのであろうに、簡単に簡単に事が運んで、すべては軽薄な「筋書き」のため
にばかり、役立っている。
それにしても、ドラマは浅野温子のためには、むちゃくちゃ、にっちもさっちも行かないドツボにはまっている、それだけが、確かだ。それさえ支離滅裂な成
り行きなのだけれど、確かにそういう情況にタチ至っている。
さ、こんなアンバイでこの先はどうなるのという、客の引っ張り方、引っ張られ方でドラマはひたすら進行するわけだ。窓からのぞきの少女や、むかしの上司
のへんな愁い顔や、スーパーの無気味な店員など、思わせぶりにまだ働いてこない人数が、あちこちにどうやら撒き置いてある。隣家のマンガ先生もどう慌て出
すか。
なにもかもあまりにヤバイ情況に辻褄を合わせながら、何が何でもスリリングにただもうむやみに突っ走るしかもたない仕組みで、仕掛けで、あるらしい。そ
れなら、もっとめざましくテンポをあげ、視聴者をあれよあれよと眩惑し去らぬかぎり、もうそろそろ、「こりゃ、ナンジャイ」と思いかねない視聴者の数も増
えて来よう。
浅野温子の芝居も三上博史の芝居も、むやみと気張っているものの、身振り沢山が深い心理の衝撃にはちっとも繋がらず、ただ騒々しくて、わたしは少しも感
心しない。つまりヘタクソてある。率直に感想を言うと、およそは、こうなる。
いいところが無いかなあと思い返してみるが、石橋蓮司の刑事がそろりと現れると、恐い。彼のうまさである。それにくらべると浅野のも三上のも、演技に意
外性も陰翳もなくて、次はこうやるだろうなと見ていると、予想通りの仕草や表情をする。声音で凄んでみてもはじまらない、ドラマは。
今日妻がDVDを買ったばかりの、前回の「最後の弁護人」では、阿部寛弁護士と佐藤理沙押しかけ助手とのコンビが、もっと流動的に大きくリアルにも軽快
にも弾んで、狂いがない。コンビネーションだけでも大いに楽しませている。今回のスター二人は、いまのところ大きく期待はずれ、深刻がったドタバタ演技で
ある。少しも巧くない。
* だが心配しなくても、「共犯者」へのいわゆる掲示板への書き込みは、感動的な称賛の渦であるから、わたしがこれぐらいの批評でもとてもバランスしない
ほど、熱い好意の人達に見守られている。それにもわたしはじつは仰天しているが、そこへ来て「共犯者」とは、じつに、わたしの謂うところの「身内」を描い
ているのであるらしい。また魂の色の似ている大勢の視聴者が、作者建日子を称賛しているのだ、ここにも低調ながら「共犯」関係は出来ている。わたしなどは
彼等の垣の外だ。
* 今日数度メール往来のあった名古屋の大学の先生から、最後にこんな佳い文章を伝えられた。書き取らせていただこう。
* 以下は、中島敦「鏡花氏の文章」からの引用です。少し長くなりますが、引用します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本には花の名所があるように、日本の文学にも情緒の名所がある。泉鏡花氏の芸術が即ちそれだ。と誰かが言って居たのを私は覚えている。併し、今時の女
学生諸君の中に、鏡花の作品なぞを読んでいる人は殆んどないであろうと思われる。又、もし、そんな人がいた所で、そういう人はきっと今更鏡花でもあるまい
と言うに違いない。にもかかわらず、私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折
角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。しかも志賀直哉氏のような作家は之を知らないことが不幸であると同様に、之を知ること
も(少くとも文学を志すものにとっては)不幸であると(いささか逆説的ではあるが)言えるのだが、鏡花氏の場合は之と異る。鏡花氏の作品については之を知
らないことは不幸であり、之を知ることは幸である。とはっきり言い切れるのである。ここに、氏の作品の近代的小説でない所以があり、又それが永遠に新しい
魅力を有つ所以もある。
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「日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ」とまで、言われる作
品が理解されないのは寂しいことですね。
また、以下のようにも中島氏は言っております。
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鏡花氏こそは、まことに言葉の魔術師。感情装飾の幻術者。「芥子粒を林檎のごとく見すという欺罔(けれん)の器」と「波羅葦僧(はらいそ)の空をも覗
く、伸び縮む奇なる眼鏡」とを持った奇怪な妖術師である。氏の芸術は一箇
の麻酔剤であり、阿片であるともいえよう。
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私自身は、鏡花の作品に出逢えたことを感謝して、ゆっくりと全ての作品を味わいたいと思っています。
掲示板に関する懸念はもっともであると思います。先生のおっしゃるように、クローズな形でも何か読者投稿欄があるのは、作家の方にとっても、読者にとっ
てもありがたいことではないかと思います。
いろいろとありがとうございました。
* 有り難いのはこちらである。二十四日の電子文藝館の委員会では、だいじなことを幾つも討議しなくてはならない。
* 多少の小波はたてながら、湖は、ほぼ一枚の鏡となり、来て映るものは心から映しているし、去ったものを追って映すということは、出来ない。往来とい
う。来るものは雲でも鳥でも自然に往くのであろうし、また雲にしても鳥にしてもまた戻って来ることもある。それは湖の左右することでなく、鳥や雲のするこ
とだ。わたしは、そのように落ち着いて「今・此処」で生きていたい。わたしは湖でありたい。鳥でも雲でもない。
* 十月二十三日 木
* 鏡花の戯曲は総ルビ。これを分厚い単行本から強引にスキャンしたため、惨憺たるものであった。妻が殆ど頭から書き直してくれ、ルビは必要と思うものの
み漢字の後ろにカッコに入れた。それが電子文藝館の約束なので。
しかし科白の読みは絶対で、私が「わたし」か「わたくし」でも無視するわけにいかないから、やはり全面にちかくよみがなが入った。それを、わたしは原本
片手に通読して、さらに加えていったが、さすがは鏡花ということか、再現不能の漢字がずいぶん出た上に、校正室へだしてみると適宜にふっていったよみがな
の仮名遣いがずいぶん間違っていた。和泉委員に厳密に詳細に訂正してもらい、大助かりした。感謝、感謝。
和泉さんも日生劇場の上演を観たという。読みながら、玉三郎や新之助の声が耳にしばしば蘇り、わたしは楽しかった。三好屋の上村吉弥が佳い役で出ていた
なと思い出す。あの舞台には興奮した。今まで観た芝居の中で一番と思った。もっとも、これは、佳いモノに出会うといつもそう思うのだけれど。
* わたしは鏡花の根底には、海=水(の民)への親和が、また神話的な信仰ほどのものが働いていると、昔から考えてきた。そのシンボルとして鏡花は、処女
作「蛇くひ」の昔から龍・蛇シンボルを無数に使っているし、生身のモノをも実に烈しく効果的に使った作品が多い。
鏡花には藝道ものがほかに有るという考えもあろうけれど、日本の伝統藝能の根底にもまったくおなじ淵源のひそんでいることは、したがってそれへの懼れの
反転として、例えば観世・金春・宝生・金剛・喜多などの祝言藝にも、ふさわしい目出度い名乗りが出てくる。役人=役者は、背後に死ないし死者・死屍をいつ
も控えていたのである、その鎮魂慰霊こそが、藝能=遊びであった。祝言=寿ぎはその半面の必要であり、彼等のいわば義務であった。死の世界ないし準じた暗
闇の世界に蟠るモノとして、人は、海底や水底からくる蛇を、龍を、おそれた。
「海神別荘」で、多大に恵まれた海の財宝の身の代として、強欲な父親により海に沈められた花嫁の娘は、おそろしい海の底にまばゆい理想の宮殿や颯爽として
秀麗な公子が夫として待っていたのに驚き、この身の栄耀を一目陸の縁者達に見せてやりたい、自分は死んでいない、こんなに晴れやかに生きて幸せだと報せて
やりたい誇りたいと、公子に懇願する。公子は制止するが、聞かない娘は、既に得ている海の國の神通力により故郷へもどる。だが、親も親族も近隣の者達も、
津浪をともなうおそろしい蛇体の出現に身の毛をよだててただ逃げまどうのである。
鏡花藝道ものの名作として知られる「歌行燈」は、まさしく能・謡曲・仕舞につよく触れているが、じつはそこで大事に大事に取り上げられている謡曲は、
「海士」であるという事実を忘れるわけにいかない。これは海女が地上の愛ゆえに龍宮の龍の珠を奪いに行く必死の能。しかもそれを作中で凛然と舞う娘は、海
女女郎の境涯に貶められていた女であり、主人公の落ちぶれ能楽師との「海士」の舞いを介しての出会いにより、清まはり、救い取られて行く。「歌行燈」また
海と藝との両面から根源の海の倫理に渾然と帰して行くような物語として構成されている、実に緻密に。
* 在来の鏡花論は観念的な美学にひきずられた高踏な解説が多くて、ほとんどがそうであったが、「鏡花の蛇」というなまなましい観点を初めてわたしがもち
こんだ時は、まじめに聞いてくれる人も少なかった。だが、金澤へのりこんで、文学館主催の講演で克明に語り、また「日本の美学」に論考を提示して、また鏡
花学者にも応じて展開してくれる人達も現れるようになって、海=水=蛇の世界の鏡花文学という骨子は、藝道ものでも職人ものでも花柳界ものでも怪談でも民
俗ものでも、もう動かぬ指標となっているのではないか。この基底を無視して、論じ得られるような作品はめったに無いであろう、それこそ「外科室」とか「夜
行巡査」とか、日清戦争前後の風俗に根ざした深刻小説などを除いては。
* 戯曲は、鏡花藝術のかがやく華であるが、「天守物語」「夜叉が池」をはじめ多くが、殆どがいわば「水」ものである。「日本橋」「婦系図」「恋女房」な
どでも、やはり水商売といわれる花柳界をへてはるかな海底への縁をもの凄く引いている。「海神別荘」はいわばそれらのアレゴリックな「根」を示しているの
で選んだのである。
* 衣服を、丸善の売出で買い調えることが多かった。今日もその予定でいたが、妻の体調で、急に一人出かけることになり、それならばと、先ず中村橋の練馬
区立美術館に立ち寄った。
「秦テルオ展」は閑散としていたが内容はすばらしく、時間を忘れて観てきた。「母子」「絶望」「血の池」など一連の作品は、思わずくうッと涙が煮えてくる
ほど見事であった。ことに「絶望」という絵画ほど胸にせまる藝術作品を、そう数多く観た覚えがない。立ちつくし、動けなかった。
わたしの講演題は「秦テルオの魔界浄土」で出してある。崇高な魔界。多彩な画風であり特異な世界観であり、母なるものが鍵を握ってその宗教性に優れた扉
を構えている。
会期中、繰り返し観にゆきたい。
西武池袋線の中村橋駅から改札を出て左へ駅をでるとすぐ、駅線路に沿って左折の道がある。駅の果てる辺りに区立練馬美術館はあり静かな佳い環境で、よい
絵と心行くまで立ち向かうに絶好。
* 中村橋から有楽町線で有楽町下車。交通会館の十二階催し場で、予定の衣服をほぼ即決で買い調えた。五時だった。帝劇下のモール「きく川」でしばらくぶ
りに鰻と菊正二合。もうその足で直ぐ下の有楽町線に乗り、練馬まで座れなかったけれどそう疲れもしないで、保谷駅からも歩いて帰宅。
* 十月二十三日 つづき
* 石原若大臣が道路公団総裁にふりまわされ、説得不能。今度は、親分の小泉総理総裁まで老害太閤中曽根康弘の説得にもろくも失敗した。ジイサンに手もな
く「政治テロ」だと罵倒されている。アメリカのブッシュ親方と一緒にテロ反対で旗と尻尾とを振りまくってきた小泉が、こともあるに「テロ」呼ばわりされて
いるのは、コッケイというよりアワレをとどめる。
宮沢喜一の方があっさり退いた以上、小泉自民党総裁として中曽根を例外に遺すようではサマにならない。さ、どうなるか。小泉にはケチにケチがついたまま
の選挙告示が目前、これを追い風に民主党は自民党の首をぜひ落として欲しい。それも田中真紀子の烈風がどう吹くかに大きくかかっている。告示までにあと五
日もあるが、無駄なく働いて、選挙で政権が替わるのだという強い予感例をぜひとも保証し実現して欲しい。
* 国土交通省に入った石原大臣の、能と無能とで政局は混迷すると、組閣の時に予測した。蘇我蝦夷の首がたかくはねたように藤井総裁の首がさえざえと空に
舞っていたら、くやしいが小泉自民は勢いづくかもと恐れていたが、石原はためらいがちにドジを踏むモノとも、ほぼ信じていたのが全くその通りとなり、想像
したよりも遙かに無能無策のへっぴり腰ひけ大臣だったと分かり、国民もマスコミも今では藤井より石原に呆れかえっている。躍起になって石原が、藤井の示唆
したイニシャル悪者の「実在」に煙幕を張り出す、と、途端に藤井の陣営は、あまりに露骨に「小泉・青木」ラインへ暴露戦術を仕掛けている。悪達者なことで
は若造の比ではない。
* 明日は電子文藝館の委員会。そのあと卒業生二人と会う。あさっても卒業生二人と会う。
来週は月曜から木曜まで街へ出ている。三越名人会で久しぶりに荻江節「細雪
松の段」の舞を観る。浜畑賢吉が火付盗賊改・長谷川平蔵を演じる舞台「光る島」もある。テネシー・ウィリアムズの芝居もある。招待が続いている。その間
に、ロサンゼルスからの旧友夫妻を迎える。前の機会にはわたしがひどい風邪で逢えなかった。
それら全部に先立って糖尿の診察がある。先でよかった、アトでは気が縮む。
月が替わるとすぐ、人気も実力も今抜群の友枝昭世が、能「野宮」に招んでくれている。名曲である。月半ばには観世栄夫の能「清経」にも招かれている。名
曲の中の名曲。能は佳い能だけを、狂言も佳い狂言だけを観れば十分。昭世の会では名人萬の「富士松」が、栄夫の会では気鋭萬齋の「清水」が出る。珍しい。
さらには俳優座が、稽古場での「三人姉妹」に、本公演の「冬物語」と「マクベス」とに、相次いで招待してくれる。その中間で歌舞伎座の「近江源氏先陣
館」や「河庄」などがある。豪華に藝能堪能の秋。悠々楽しみたい。
* いつか、出たくてもからだがもたなくなるだろう、それがいつのことか、なるべく二人揃ってゆっくりでありたいと願っている。用心もしている。機会の
「数」をへらしても、より佳い機会を楽しみたい。そのために、久しく地道な蟻になって懸命に働いてきたのだ、力をあわせて。いい苦労をしておいたと感謝し
ている。
* 日本人は永らく、歴史は下降線にあると思ってきた。下降史観だ、先々に望みはうすい、と。終末観とは少しタチのちがう史観であった。
ところが、反転して、先へ行くほど歴史は上向きに良くなると「望み」をもつようにもなった、実はしばしば裏切られたのであるが。
科学の進歩が、人の歴史観をかなり左右し動揺させたのは明らかだろう。幕末の人は黒船にさえ驚き、汽車も飛行機も知らなかった。明治大正の人は、テレビ
はもとよりラジオも知らなかった。戦前戦中の人は新幹線をしらなかったし、戦後生まれの人でも自分のパソコンや携帯電話に手を触れたのは昨今のことだ。
いろんな分野で「便利」になったことが即ち歴史の進歩上昇だというのなら、科学こそは上昇史観に大きく利したと謂えそうだ。だが、それら価額の進歩はが
いつも概ね戦争の武器や戦術の開発と歩調を合わせてきたのである。核爆発の恐れやサイバーテロのおそれに戦く今の我々より、宇宙開発など夢にも知らなかっ
た時代の人の方が、不幸だった後れていたとばかりは、あながち、言いにくい。
さきへ行くほど時代は、環境は、政治は良くなると思っていたい。しかし先へ行くほど悪くなりそうだと感じている人の方が、やはり今日でも多いのではない
か。年金などの福祉政策にも期待は持てないし、近隣の平和はあやうい一方だ。
「今・此処」に徹して最善に、と、気力を用いて行くのが結句いちばんのように思われる。
いつか太陽の寿命も尽きることは科学的に確実であり、太陽の死の前に地球の運命はやけこげた埃ほどのモノでしかない。何が確実かと謂ってこれほど正確に
確実なことはないとなると、人間の歴史はやはり「終末への下降」を思うしかないらしい。
だからこそ、どう生きるか。太陽の死より先に、人間の手で人間らしい尊厳ある生き方と地球環境とを破壊するような「愚」だけは、ぜひ避けねばならない。
政治は、洋の東西となく、ほぼグローバルに「悪の相貌」を強めている。せめて日本の政治をすこしでも悪への足取りから引き留めたい。そういう選挙にした
い。
* 辛うじて阪神が二勝二敗に漕ぎ着けた。昨日今日と二試合つづいたサヨナラ試合というのも珍しい。これで正直のところ分からなくなったが、明日たとえ
勝ったにしても、福岡へ決戦の場を移されてしまう阪神は、やっと五分五分であろう。
* 十月二十四日 金
* 秦テルオ展ありがとうございます。
地球も人類の未来も永劫に続かない。はっとしました。歴史の中ではほんの一瞬に過ぎない「生」です。「今 ここ」を実感し、毎日を大切に過ごしたいと思
います。私自身滅びのときへと歩んでいるわけですから。
佳い日を 佳いときを お元気でお過ごしくださいますよう。
* テルオ 何時だったか、その異常もしくは怠惰ともいえるような生活振りを読んでいます。それに添った沈んだ色づかいの個性的な絵も、近美や日曜美
術館で観ていたなと、記憶に残っています。
観て綺麗、和む絵でなく、時代背景もあるでしょう、その日常生活、そのものが滲み出て、女性には全部が全部理解しきれませんが、訴えるものは感じまし
た。個性的なこの手の絵はきらいではありません、あの奇天烈なボッスの絵が好きなように。
十一月に入りましたら、足を運びたく思っています。
今、多彩にお出かけの予定を読みました。入り込む蟻の隙間もないのでは、と。
* 一つ言えることは、「観て綺麗、和む絵でなく、時代背景もあるでしょう、その日常生活、そのものが滲み出て、女性には全部が全部理解しきれませんが、
訴えるものは感じました」という予備的な感想の、少なくも一部は、かなり新ためられるのでは。
秦テルオの生涯は、母への深い感謝と、貧しく働く人達へ身を寄せた記録、そして零落し倫落した地獄の女性達へのすさまじいまでの愛と共感を経て行きつ
つ、最終段階で家庭的に得た妻子たちに浄土と幸福を祈り、美しい国土と故郷への静謐な讃歌を歌う。根底を、愛と健康とに支えられている。
綺麗な絵などというものは、テルオには単に邪道であり道楽にひとしかった。土田麦僊が同時代の甲斐莊楠音の絵を「穢い絵」と排したことは有名だが、秦テ
ルオはそのような麦僊に対し、ヒューマニズムの極北に位置していた。
テルオの才能は多彩に豊かで、生涯に、色んな作品を色んなテクで描いている。ポンチ絵か浮世絵かとおもうのもあれば、濃艶なのも清純なのも、じつに技術
確かに巧緻なのも一筆書きのような軽妙魅惑の絵もある。概して画面は大きくない。そしてその人生の到達点で、極めてユニークに「仏」を描いている。背後に
愛した妻子との家庭と、恐らくは法隆寺百済観音への親密な傾倒があるように想われるし、感化の根に、あの村上華岳晩年の画境があったことも間違いあるま
い。
しかしそこへ行き着く道中なればこそ、彼は「絶望」「血の池」「淵にたたずみて」「母子」など、一連の、ムンクやゴーギャンを感じさせる、しかし独自独
特の名作を生み出してきた。すべて幸うすき女の人生に注がれた万斛の涙の、結晶して、底光りを発した宝玉のようであった。一見「異状もしくは怠惰」と誤解
されやすいが、テルオは魔界の底を這い回るような時期にも、多数の優れた絵画を描きつづけていた。彼は終生個展を主にして世に作品を表し続けたが、その量
は半端ではない。たた不幸にも戦火で多くが焼失したのである。
こういう人材であり才能であったために、彼の身辺には時代の優れた知性や才能の多くが、具体的な応援や支持のために繰り返し集まり、そういう人達の提唱
で開かれた展覧会や頒布会が何度も催されていた。秦テルオは身振りの大きいだけの浅薄な異端児ではけっして無かったのである。
今度の展覧会ではそんなテルオと時代や行動や藝術的感性を分け合った、「魂の色の似た」大勢の作品も展示されていて、情況がたいそう分かりよい。中でも
野長瀬晩花は、華岳、麦僊、紫峰、竹喬、また波光らとともに歴史を画した国画創作協会の創立メンバーでテルオの戦友でもあった。また戸張孤雁は荻原守衛ら
とならぶ手練の彫刻家であり、必然の出逢いでテルオを深く刺激した。また竹久夢二との交渉もナミでないものがあった。
その他にも千種掃雲、北野恒富ら、特色に富んだ同時代人の多くの作品が楽しめる。ことにテルオの学校時代の先生であり優れた社会派の画家であった千種の
作品が適切によく選ばれている。
* 今朝飛び込んできた次のメールは、長いけれど、やはり此処に書き置かせてもらう価値がある。
* 秦先生 こんばんは。
先日は、返信をいただき、ありがとうございました。子供のことについて、お気遣いありがとうございます。そして、またもや返信が遅くなり、失礼しまし
た。
返信を頂いた後「生活と意見」を見て、驚きました。先生のお言葉には、戸惑っています。あのメールは、ようやく「言い置く」ことができて、先生にお送り
することができました。私にとっては、言い、置けて、しかも先生に予想外のお返事をいただけましたので、私にとっては、もうそれ以上特別な意味は持ちませ
ん。素っ気無い失礼な言い方になってしまいますが、あのメールは私の手から離れていますので、あとは先生にお任せします。
25日は、折角のお誘いですが、先生も書かれている通り、妻に付き添います。ちなみに、出産にも立会います。壮絶らしいですが、身一つ痛めず楽をしてい
る男としては、少しでも母子の力になりたいと思っています。同僚に言うと多くの人が驚きますが、私にとってみれば、立ち会わない方がズルい。(アメリカで
は立ち会わない家庭は、家庭に問題があると受け取られるのだそうです。)
実は、これだけ返信が遅くなった理由の一つに、(此の「私語」のなかに書き込まれていた)**君? の言葉がありました。
>身の回りの現実は順調に進んでいるのに、それでも消えない焦りと、
>大事な何かを忘れているのではとの不安。
どうしてもひっかかってしまい、先生への返信として書きはじめたはずが、いつの間にかこの言葉の周りを回り出し、収拾がつかなくなりました。
二つ、ひっかかった言葉があります。
一番ひっかかったのは、「何か」と、曖昧なものとして書いていることです。
私の前で、子供が、逃れることのできない存在感を持ってゆくにつれ、一頃、絶望に近い気持ちになったことがあります。「子供」という窓を通して自分を、
社会を、見つめ直したとき、自分の無力さを痛感したのです。
最たるものは、「教育基本法」の改変。
私は今の仕事漬けの生活を続けていては、子供と歴史観を共有できる自信がありません。
「子供ほしいね」と言ってる間の子供ではなく、妻のお腹をうごめく生き物、その存在感を前に、やっと自分が無力だと気づいたのでした。
それに、私は学生時代まで、「理想」「空想」しか掬い取ってきませんでした。それが、会社に入って、「現実」に叩きのめされ、少々の「理想」なんかでは
立ち行かないことを知ります。さらに今は、後輩・工場の人々を多少とも動かすことをしています。突き詰めるところ、個人対個人という紐でできた網を、なん
としても目標に沿って動かさねばならず、「理想」なんて言う余裕はありませんでした。子供に必要なのものも、「理想」が一番ではない、そう思っていまし
た。
その果てに、先日のメールがありました。
私はこれまで、辻褄合わせすることを、現実的に動くこと、と「勘違い」していたんです。あの二本の芝居を観ている最中、私は、理想を説く弁護士を、総督
を「軽く」見ていました。ただの理想主義者だと。でも、彼らは違いました。理想を、「それは単なる理想だ」と言って否定され続け、確信が揺らぎ、それでも
独り、実践、遂行するのです。日常を振り返ってみて、これは物凄いことだと感じます。
「自分は無力だ」なんて、当たり前。そこで「だから…」と甘いことを言ってはいけない、と、自省。
…いけない、また、深みにはまりかけました。これではまた返信をお送りできなくなります。
いずれにしても、子供が生まれ育つ前に、私の中で、「理想」という言葉が、生まれ変わったのは、とても幸運でした。
もう一つ、ひっかかった言葉は、「順調」という言葉。
身の回りの現実は、個人的な現実も、政治的な現実も、何一つ「順調」には進んでいないと思います。全て、「順序だてて」進んでいるだけです。将棋と同じ
で、歩が、一マスずつ、進んでいるだけ、まだ何も起きていない、だから、あたかも「順調」に、「自由」に駒を動かせると錯覚する。
具体的なことを書いていくと、これも収拾付かなくなります。
いま誰も何も言わないのを不思議に思うことは、自民党の「たかが公約」に、「防衛庁を防衛省に」と「2005年憲法改正」とが併記されていたことです。
これだけ重大な事柄なのに、なぜ誰も具体的なことを批評しないんでしょう。この二項だけでも、突っ込み、質す所は山ほどあるのに。「たかが公約」と甘く見
ているのでしょうか。
では。
P.S.
先日のメールを「生活と意見」に載せて頂いたとき、判読しにくかった部分を一部先生に直して頂いたと思います。
が、その結果として、「死と乙女」の説明について、実際の芝居と若干齟齬を来たしたようです。ひとえに私の書き方が明瞭でなかったのが原因です。それと、
考え方次第では、齟齬とは言えないかもしれません。以下に記しますので、ご検討頂ければ幸いです。
■もとメール(『 』部が今回ご指摘したいところです。)
一人は、独裁政権が形式的に終焉しつつも、いまだ前政権の要職が残るなか、新しく設立される拷問真相究明委員会の主査となった弁護士。(中略) しか
し、このような事件を起こしては、『独裁政権下の要職も残る中で』、折角できた真相究明委員会で、真相を暴き責任を明らかにし、国民の苦しみを少しでも和
らげることができなくなってしまう、と諭します。
■「生活と意見」(『 』部が今回ご指摘したいところです。)
一人は、独裁政権が形式的に終焉しつつも、いまだ前政権の要職が居残っているなか、新しく設立される拷問真相究明委員会の主査となった、弁護士。
(中略) 妻の手でいま事件を起こしては、『独裁政権下の要職にもあり』、折角できた真相究明委員会にいて、真相を暴き責任を明らかにし、国民の苦しみを
少しでも和らげることができなくなってしまう、と妻を諭します。
@独裁政権は形式的に終焉しました。つまり、対外的には民主化政体となっています。
A当初お送りしたメールでは…政体は民主政体。弁護士はその要職。一方、民主化されたのに、かつての独裁政権の要職も居残っている。つまり現在の自民党
の「抵抗勢力」のような存在が多々いるため、事件を起こしたくない。
B「生活と意見」では、『 』部が、政体が事実上独裁政権であり、弁護士がその要職、という意。(確かに、間違っているわけではありません。)
ただ、芝居では、民主化したことが頻繁に語られ、だから彼ら元レジスタンスが表立って要職に就けたことも語られます。そのため、弁護士を「独裁政権」の
要職としてしまうと、観た者の印象としては、「えっ?」と意外な感を受けてしまうのです。
* 理想の値いの低くされるのが、つまり「大人」の大人らしい社会であるという風に、とかく日本ではなりがちで、「現実的」「足が地に着いた」という評価
を高いものとする。だが、じつは、それが自己弁護と欺瞞に簡単に転用されている悪しき実例が多い。いろんな場所での「自称大人」達の議論を聞いていると、
そのウソにすぐ気が付く。「理想」という二字を胸の内に遺しているのが気恥ずかしいのである、悪しきごまかしの現実主義者たちは。大切なのは、現実に
「今・此処」こそ理想的で在らねばならないはずなのに。
「教育基本法」にメールの触れているのが嬉しい。われわれペンの理事会でも、いち早く警戒の声を放っていたのが、前会長梅原猛氏であった。ただしあの時
に、簡単に「心の教育」と発言されたのには失望した。「心」という一字を悪用し、基本法の理想をより管理的に保守反動的に動かしたいのが改正論者たちの狡
猾な手であるのは確かだから。
* ホンイ 2003.10.23 小闇@TOKYO
読売ジャイアンツにしか所属したことのない川相というプロ野球選手が、中日ドラゴンズの秋季キャンプに参加するという。
川相はご存じの通り、今年、世界最多犠打数という記録を樹立した。この手の滅私奉公が好きな日本人の心を、たとえそれがアンチジャイアンツの日本人の心
であっても、がっちり捉えた。そして有終の美という言葉を好む日本人にはたまらない形で、現役を引退することになっていた。原辰徳監督の下で。
しかしこれまたご存じの通り、原辰徳はペナントレースの半ばで、そして任期の半ばで解任され、川相は、現役引退を撤回した。
あのセレモニーは、あの胴上げは、あのコメントは何だったんだ、と批判するのは簡単だ。そしてそうしてしまったから、そのまま引退するのも簡単だ。
が、川相は意を翻した。
川相が今後、記録を残せるかどうかは分からない。だからあそこでジャイアンツに骨を埋めた職人として選手生命を終えておけば良かったんだと、言われるこ
とになるかも知れない。
でも、一度そう言ったから、そうしたからと、その言動に縛られて、やっぱりやりたいと気付いたことを閉じこめることこそ卑怯だ。何か言い訳を、外堀から
埋めているようで。そういう行為は、本意ではない。後になって取り返せるほど人生は長くない。判断は早ければ早いほうが良い。
川相には全うして欲しい。ジャイアンツもドラゴンズも、応援しないけれど。いやまあ今だから言いますけどね、今夜は金本が決めると思ってたんだよね。
* 翻意と本意。うまく活かして、さりげないが機微に属する線へふれている。
*「意志」に関して謂うなら、中曽根康弘のガンバリのことが頭にある。
わたしは、中曽根という政治家を、彼が国会の青年将校とうたわれた頃から知っている。、賛同すくなき頑固な「保守」代議士であった。日本列島を「不沈戦
艦」と譬えたり、「何でも先送り・見送る」政治姿勢など、賛成しかねることばかり。ま、若い頃の「総理公選」論だけかも、実現するならしてもいいと感じた
のは。
しかしエコヒイキなくいえば、彼はボケていない。ときどきテレビでインタビューされていると、なかみにあまり賛成できないのに、自分の言葉を用いてじっ
くり主張するところなど、参考に聴かせるちからをもち、小泉総理の上滑りした、本文のない見出しだけのような議論より、よほどマシかもしれないほど。ま、
それはないが。
老人だからという切り捨てが正しいとは、わたしも思っていない。だが、老人には老人ならではの「まちがいごと」も多くなるのは、わが身に宛てても或る程
度確かなので、難しい所だとは思う。
とはいえ日本は久しく、「翁」の日本であった。大老、老中、若年寄という内閣を持っていたし、藩には家老がいた。低級なドラマながらいまも水戸の「ご老
公」が、ブラウン管の中で世直しに活躍し、受けている。「老」を切り捨てない、「老」を柱と立てて若い人が奮励してきた日本。そして「老」も退くときは退
いた。但し引き際の難しかったことにも実例は余りに多い。
宮沢の保守本流らしい矜持の引退もよろしく、中曽根の断固拒絶にも気概はある。情けないのはやはり小泉総理の無能、簡単に玄関払いを喰うか喰わないかも
確かめずにいきなり出張っている。ヤキがまわっている。要するに押し切る気なのだ。
* 文壇にしても、時めく若者の作品だけが光っているなんて事は、全く、ない。しかし老人だから良いとも言えはしない。理事会に「電子文藝館」の筆者達を
「生年順」にならべた参考資料を提出してみたのは、是ほどの人達の「あと」に並んでいる我々なのだと自覚しているのか、責任を果たしているのかという皮肉
な気持が、わたしに、有った。おのれたちが自力で天下でも取っているような顔をしていては見苦しかろうという気持があった。人物ではない、まして年齢でも
ない、「作品の質」のことをわたしは謂うのである。会長理事以下現存会員の出稿原稿と、招待席や物故会員原稿とを、だれかが克明によみくらべてみれば、な
にか刺激に富んだ「感想」が現れることであろう。
* 政治にもどして謂うなら、良いモノを良く選んで自在であるのが、本来「選挙」の意義というもの。左様なすべきが選挙なのである。選挙結果がどうにも可
笑しいぞ、ヘンだぞという、(遠慮していえば)無意識の下意識が、自民党による代議士年齢制限決定になっているとすると、まさに自民党は「語るにも落ちて
いる」わけだ。
* 十月二十四日 つづき
* 今日の「ペン電子文藝館」委員会では、議題がしっかり有った。話し合うべきことが微妙に難しく、討議のし甲斐があった。この委員会はしっくりと馴染み
あり、委員会そのものを楽しめる。司会進行を高橋茅香子委員に代行してもらえるのも、ことに有り難い。
「出版・編集」という特別室をもうけ、その方面の歴史的存在の遺された文章もとりあげて行くことにした。古くは涙香・蘇峰・樗蔭らから、昭和平成に至る大
きな名前が百人ほどももう拾われている。一つ一つ地道に数を積んで行けばよい。
* 会員出稿を、質的に審査するか、では、やはり本来の原則は動かさず、審査しない、とした。但し不用意に個人又は団体を中傷誹謗したものや、校正杜撰な
ものは受け容れないし、また原則として「初出データ」のない書き下ろし作品の出稿も遠慮して貰うことにした。
* その他いろいろ話し合った。次の理事会前に、もう一度委員会で同じ内容を継続討議する。
* 帝国ホテルで、上尾敬彦、竹下和志君とあい、クラブでほぼ三時間余歓談した。若い人たちに食べ物の量は十分でなかったろうが、良いお酒をご馳走できた
と思う。話題は尽きずに、楽しかった。
竹下君には二歳の坊やがあり、上尾君は新婚。二人とも、わたしの教室にいた。ながいながい付き合いである。もう三十前後、職場でも少しずつ重きをなしは
じめて苦労も増している。それだけに自覚的に頑張っている人達との会話は、手応えもつよい。またさらにそれだけに、甘いその場限りのことを彼等に話しては
いられない。
* 秋なかば、ジャケットだけで暑からず寒からず、気候としてはいちばん佳いときで、帰りの電車では少し汗ばんでさえいた。明日も卒業生二人と夕食する。
* ロビン・ウィリアムズだかの主演、ロボット人生の映画が、家に帰ったら、途中だった。ちらと観ながらいい映画だなと感じつつ、しまいまで観てもおれず
機械の前で今日をしめくくろうと。ところが、東京の小闇が、うまく、しめくくってくれていた。朝に夜に、ありがとう。三十なんだもの、この意気盛んを、
「無理してらあ」などといなした気になっててはいけないよ、プロはこうでなくちゃ。めそめそした大人の多いご時世、これぐらいは「ユータッタ、ユータッ
タ」で宜しい。「聞こえてるよ」と返事しておく。
ちなみに日テレは、日テレか……。なんだか聞いた名前の局だ。
* 数字崇拝 2003.10.24 小闇@TOKYO
日本テレビのプロデューサーが、視聴率の操作を目的に興信所を使い買収工作をしていた。
視聴率は所詮いち民間企業の調査である、それを操作して何の意味があるのだろうか。もちろん視聴率は広告収入に、つまりは局の収入に直結する。
雑誌でもスコア調査というものがある。どの記事がどのくらい読まれたか、毎号毎号調査結果が上がってくる。それを見ておーと言ったり、ええっと言ったり
するのである。ポーズも含めて。
読者に背を向けた記事を作ろうとは思わない。けれどおもねる記事も作らない。
これは数字がとれる記事だな、これはとれないな、と、毎回毎回思っている。数字がとれる記事ばかりの雑誌は、つまらない。数字が取れる記事と、文句の集
中砲火を浴びる記事とが、いい案配で共存している。それが面白い、良い雑誌なのだ。
だから数字に一喜一憂しない。それがプロってもんである。思い上がり? その通り。でもそれくらいの矜持がなくて、どうして給与を貰えるんだろう。
ちなみに。数字を取れない記事の方が面白いんだよね、作ってるほうは。数字をとれる記事も楽しく作れるようになってしまったら、新しい課題を探さない
と。困難がないと、記者としてでも編集者としてでもなく、人間としてダメになっていく。
*「ユータッタ、ユータッタ」と、パンツスーツ姿で超長い脚をくねらせながら、三人のイキのいい女の子たちが、なんだか社長か上司か会社かのわるくち歌
を、よたって歌っているコマーシャル。何の広告だか全く覚えないのに、いま、わたしが一オシのお気に入り。あの真ん中の子は、「武蔵」のお通役ではない
か。コマーシャルの方が断然あの子の魅力発散。
* 十月二十五日 土
* 田中真紀子が動き始めた。街頭へ出ての獅子吼を期待する。へんに遠慮しないでやって貰いたい。
* 道路公団総裁の「解任」など、とうの昔に腹の中で決めていたではないか。それをのびのびの「解任」に漕ぎ着けて、電光石火、次期総裁の任命できない大
臣というのは、何なのだ。暫定的に副総裁が任に当たっているなどは、妙な話。小泉が選挙追い風にと狙った目玉人事の石原伸晃大臣の政治生命なんてものは、
もう、線香花火の最後のポトリを待つだけだ。もう一人の目玉の竹中なんとか大臣なんて、いま何処にいるのかと見つからないほど、影が薄い。見るから低体温
の女外務大臣など、何一つ役に立っていない気がしてしまう。やーい、何してるんだあ。
* 拉致被害・北朝鮮外交についての政策や主張が、いっこう選挙の争点に上がってもいない。
* 中曽根老人が癇癪玉まで破裂させて居座りたがる目的は。彼は、教育基本法と憲法との改定(改悪をはっきり含む)だと明言している。これは防衛庁の省に
昇格公約とも密接に連携している。やがて父親になる昨日の卒業生メールが指摘していた、具体的な「不安」は、此処に、在った。
明白に中曽根は喋っている。わるく勘ぐれば中曽根にこれを吼えタテさせたくて、小泉総理が藪をつつきに出向いたかと思いたいほどだ。中曽根の言説の及ぼ
す反動的な影響を国民は心から憂慮し警戒しなければいけないだろう。
* 昨夜も若い二人と、歴史は下り坂を歩むとみているか、上り坂を歩んできたのだと観ているか、話し合ってきた。つまりは、だんだんよくなるのが歴史なの
か、だんだんわるくなるのが歴史なのか、あなたはどう感じているか、ということだ。
昨日や今日の話ではない。少なくも五十年百年、五百年千年の単位で歴史をしかと見据えねばならぬという問いかけになる。織豊・徳川の時期まで、日本人は
歴史は下り坂にあるという基本観念で生きてきた。すぐれた識者はそう論じている。わたしもそれに説得される。
それからあとは、では、どうか。江戸時代、明治・大正・昭和・戦後・平成。これぐらいは同時代と見極めねばならないだろう。われわれのこの先は、下りか
上りか。手前一人の問題ではないのである。
* 同僚委員の加藤弘一氏が、めざましいニュースをしらせてくれた。広く分かち合われたいと思い、転載する。
* 加藤@ほら貝です。拙サイトの記事です。----Oct24
アメリカAmazonが、「Search Inside the Book」というとんでもないサービスをはじめた。
アメリカAmazonで販売している書籍12万冊3300万ページの全文検索(!)ができ、無料のユーザー登録がしてあれば、さらにその語句の出てくる
当該ページの画像を閲覧できるというのだ。
CNETとZDNetに記事があるが、Amazonの扉ページに掲げられているジェフ・ベゾスの巻頭言から引こう。
――本日からAmazon.comでは、著者名や題名だけではなく、本文中の語句でも書籍を検索できるようになりました。この新機能は「Search
Inside the Book」と言いますが、全12万冊3300万ページ以上のテキストから検索いたします。「Search Inside the
Book」は、従来の検索システムと一体化してありますから、お客様はこれまで通り、検索ボックスに語句を入力されるだけで新機能をお使いになれます。
たとえば「Resistojet」という語で検索しても、これまでは一冊も見つかりませんでしたが、新機能を使えば、この語が本文中に出てくる本を発見
することができます。どうか「Search Inside the Book」を試してください、新機能がどれ
だけパワフルか、実感できると思います。――
一般読者にとっては本を買うかどうかを決める大きな手がかりになるが、引用を確認するためだけに図書館に行ったり、無駄な本を買わなければならない研究
者や物書きにとっては、この機能だけで用が足りるケースが多いだろう。自由に閲覧できるわけではないが、実質的に120万冊所蔵の電子図書館がネット上に
できてしまったわけである。
本の画像を使っているところを見ると、国立情報学研究所NACSIS-ELSのように、本のスキャン画像の裏側にOCRで電子化した検索用テキストを貼
りつけているのではないかと思う。OCRの吐きだすテキストは誤りが多く、閲覧に供するためには人手で校正しなければならないが、検索に使うだけなら、多
少の誤りがあっても差し支えない。
気になるのは日本のAmazonの対応だが、日本語OCRの変換精度は英語よりも低そうだし、それ以前に出版社の了解が得にくいだろう。一日も早く実現
して欲しいとは思うが。
日本の国会図書館は明治期に刊行された書籍4万7千冊をネット公開しているにすぎない。Amazonは120万冊で桁が二つ違う。こんなことを一企業が
現実にやってしまったのだから、アメリカのネット企業の実力には脱帽する。大変な設備投資をしたと思うのだが、ZDNetの「Amazon黒字、年末商戦
は過去最高の業績期待」によると、今年の第3四半期(7〜9月期)は総売上11億3000万ドル(前年同期33%増)、純利益1600万ドルと、これまで
で最高の業績をあげている。日本のネット企業のお粗末さを考えると、ため息が出てくる。
* うなってしまう。へんな法律で国民を縛り上げることには狂奔する自民政権だが、文科大臣って、誰だったっけ。文化庁長官って誰だったっけ。学術会議っ
て、今も在るの。政策の中に、電子メディアの大きなプラス面の反映してくる、毛筋ほどのそぶりもまるで見えないではないか。
* 十月二十五日 つづき
* 五時半に昨日と同じ場所で、柳博通君と、あいついで丸山宏司君と逢い、クラブに上がり、十時まで、かつて教授室でと同じようにたくさん語り合った。昔
と同じように柳君が主に語り、丸山君が相槌を入れる。わたしはわたしで、いろんなことで口をはさむ。
二人ともに「おめでたい」ことがあり、それも嬉しく、話に夢中になれた。柳君は大手の工務店で大建築の設計管理をずうっと手がけてきて、さらに本社での
中枢部門へ入っている。丸山君は霞ヶ関の本省で責任ある地位にもつき、予算の伴う企画に、また企画にともなう予算に、年柄年中精を出している。昔からの二
人の仲良しぶりも、まったく変わりがない。
みんな元気に活躍している。うちの息子へもすぐ手の届きそうな年輩なのだ。そういう人達が社会を支え賑やかにして行く。どうか世の中を少しでも健康にし
ていって欲しいと願う。
そんな風に言いながら、まだまだ問題意識や問題提起では、わたしもそうは置いてゆかれはしないと思っている。とにかくも私でも、仮にまだ二十年は生きて
行かねばならぬとすれば、老人で御座いと澄ましておれない、踏み込んで踏み込んで考えも行いもしなければならない。何が出来るか、何がしたいか、問題はそ
れだ。
あいかわらず、私からふっと「挨拶」をしかけ、そこから「問題」点がいろいろに解かれてゆく。生産的な会話も進む。
かつては、六十近い私に対し、彼等は二十歳の青春の顔をして、盛んに応酬した。あの頃はまたあれなりに談論風発で賑わったが、今は、七十近くなってきた
私が、三十すぎたばかりの働き盛りとまともに語り合い、すると、思いがけない筋道が新しく目に見えてきて、三人して驚きあったりもできる。彼等は大人に
なった。それでもときどき二人とも昔のママの顔をする。そしてすぐ今の顔にもどる。わたしもそんな風にちらちら変わっているのかしらと思いながら、楽し
かった。
淑やかに可愛らしい人が、終始、われわれの席のお酒や食べ物の面倒をみてくれて、若い二人とも、なんだか照れていたのが微笑ましい。この美しい人はわた
しのメルトモなんだよと自慢すると、二人とも、なんでなんで、そんなあ、と学生時代のような声で羨ましがる。おかしかった。
あっという間の四時間半だった。
* 保谷駅からタクシーで帰って、ちょうどお目当てのドラマ「ホワイトハウス」に間に合った。息をつがせぬテンポと切れ味の、含蓄ある科白を鏤めた佳い作
品だ、目が覚めるほど刺激を受ける。あまったれたものがない。それは「ER」もそうだったし、「CSI」もそうだ。緻密に練り上げてイキの佳い脚本とは、
こういうのを謂うのである。
* 十月二十六日 日
* 「闇に言い置く」日々、気持ちよく読んでいます。
この一月でぐっと冷え込みました。バイクで動く身にとって、日々に厳しくなっていきます。夏は風を受けて気持ちよかったのが、その風に身を切られる思い
で走っています。
福岡は日本で最も交通マナーの悪い街と言われています。九州全土から若者が集まる。雨の少ない気候ゆえ単車が多い。何より道路が複雑。悪いと言われて納
得できる環境です。
原付より頑丈とはいえ、バイクも事故に合ったらただではすまない。寒さに気をとられて運転を疎かにしないこと。当面の注意事項です。
大学での生活が少し変わりました。二年後期から専攻課程が中心になります。良くも悪くものんびりだった教養課程をほとんど終えて、ようやく始まったかな
という心地です。
「行政過程論」という講義があります。地方自治について具体的に学んでいます。
自治体、県議会、地方公務員など、さまざまな立場と、地域住民との関わり。ああなるほど俺の親父(=県庁職員)はこんなことをやっているんだなと、親し
みめいたものを感じます。
単位には苦戦しています。もともと器用に立ち回るのは苦手なほうで、競争しているわけではないし、楽しくやれればそれでいいかなと。こんなことを親に
言ったら心配されるかもしれませんが。
ともかく、のびのび楽しんでいます。
衆院選、福岡一区の現職は民主党です。ほかの候補に恨みはありませんが、民主党に投票します。
まだ選挙権を持たない友人はこう言います。
「俺なら自民党に入れる。民主党に変わっても、改革するだけの力がない。それができるのは自民党だけだろう」。
そうかもしれません。が、とにかく自民党はいったん下野するべきだと思います。
いずれ自民と民主がしのぎを削り合う関係になれば、もっと日本の政治は活発になる。「いずれ」に辿り着くために、今は民主党の勢いを買いたい。そう考え
ます。
先日「罪はわが前に」(湖の本28.29.30)を読み返しました。
秦さんのよく言われるとおり、本は繰り返し読んでこそですね。むやみに新しいものを買わず、気に入った作品を読み直すことに徹しています。高校のころは
中古の文庫本を買いあさったものですが、もう古本屋に行かなくなりました。家の本棚に読みたいものがあるんだから、まずはそれを読めばいいじゃないかと。
「罪はわが前に」は何度目でしょう、忘れてしまうくらいです。読むたびに、三姉妹より迪子さんに惹かれていきました。中盤の迪子さんと諍うところから
「転」が始まって、当尾家の問題を抱えつつ、「結」を迎えることなく「転」がり続けて幕を閉じる。秦さんのほかのどの小説より「おもしろさ」を感じる作品
です。
本棚の小説がひと段落ついたら、電子文藝館を覗こうと思います。湖の本も楽しみにしています。身体の、特に目の負担に、よくよくお気をつけてください。
「闇に言い置く」は、読んでいて本当に気持ちいい。秦さんの意見はいかにも豪速球という感じで、すかっとします。
二人の「小闇」さんも、秦さんの影響を濃く受けていますね。さすがにいつもいつも150kmというわけにはいかないようですが、秦さんとはまた違った若
さゆえの視点で、みごとなスライダーやフォークボールを決めてくる。おもしろいです。
そろそろ(今夜の)日本シリーズが始まるかな。おもしろい展開になりましたね。どちらが贔屓というのはありませんが、金本を応援しています。
それでは、迪子さんともども、どうかお元気で。
* 小学生の頃から手書きの手紙をもらってきた。はじめから、こういうぐあいに、きびきびと力づよい手紙をくれる少年であった。まだ一度も逢わないが、逢
わなくても、一等若いわたしの友人である。いまは大学二年生。二十歳になるならずのはずだ、頼もしい。この青年が「闇に言い置く」ようになれば、一世代離
れた二人の女性とはスパっとちがう世界を持ち出してくるだろう、けれど、今は奨めないし、それよりも本格の、構造の大きな知的世界の建築を期待している。
出来る。
* 『罪はわが前に』は書き下ろした昔よりも、むしろ今より先へ行くにしたがい、私の作品史のなかで無視出来ないものになるだろう。読みやすいが、なまや
さしい作品ではなかった。
* 井上靖のことをかかねばならない締め切りが近づいている。井上靖とは、「逢う前と後と」があった。そう書きだしてみようと思う。当たり前ではないかと
言うなかれ。谷崎愛のわたしは、谷崎潤一郎と逢ったことはない。小説は一人孤独に書き始めていたものの、逢ってもらうような存在でなかった。三冊目の私家
版に谷崎に捧げる「蝶の皿」を巻頭に入れるのがやっとだった。
井上さんに逢う前に、わたしは一つの井上靖論を書き、長谷川泉編『井上靖研究』に載った。その論考が井上さんにたいそう喜ばれ、お宅へ食事と歓談に招か
れるような縁となった。親しく中国の旅にも連れて行ってもらった。
「逢って後」は、書評や解説も含めるとたくさん井上靖論を書いた方だ。著書はほとんど残りなく、全集も単行本も戴いている。ご縁というのはふしぎなもの
だ。ご縁になった『井上靖の「美」と「美術」』は、読み直してみて、我ながらよく見てよく書いていた。是ならよろこんでもらえたろうなと、今更にしみじみ
ワケがわかった気がする。もし「記念したい」となれば、この「逢う前」のただ一点、この論文だなあと思った。
* 続いて親愛なる原田奈翁雄さんたちの雑誌特集に、「この時代に……私の絶望と希望」を寄稿しなくては。こりゃ難しい。わたしは絶望も希望ももたない
「今・此処」人間だから。それをどう書けるか。東工大で出していたアイサツの題のようだ。
* メールを戴いてきちんと返事の送れずじまいなのがあるのを、許して戴きたい。「そ知らぬ顔」をしているのではありません。「ペン電子文藝館」の校正往
来だけでかなりメールは輻輳し、手が回らない。内容が拝見しておくだけで足りている場合は有り難くそのままにもしている。それに私の消息なら、この「私
語」で相当なことは分かってもらえる。返事や反応のぜひ必要と受けとったものには、わりときちんきちんと返事しているし、こっちから発信する例もすくなく
ない。
お詫びしなくてはならないのは、メールでない郵便を戴いた方への返事が、どうしても遅れ遅れて失礼していることだ。この場でどう詫びても郵便の人には伝
わらない。ウーン。
* やっと訂正済みで届いた或る会員の小説。校正杜撰でお返ししてあった。結局訂正箇所が逐一箇条で挙がってきた全部を、試みにプリントしたら、A4版で
10頁にもなった。二百カ所を越えている。絶句した。これをまた、私は原稿の当該箇所に当たって、これはこう直して、ここは、このようにと、確認して業者
に戻すのである。もうこれは他の委員を煩わせられない、わたしがカタをつけるしか有るまい。数日かかるであろう。だが、会員の初の出稿である。苦労してで
も掲載にまで運んで上げたい。それにしても、あんまり、わたしの手と時間と視力とをとらないでほしいなあと、さすがにちと泣き言も出る。
* あすは定時の診察日。一冊分の校正も出ていて、手をつけているがハカは行ってない。外へ出た序でに、また病院の外来で待たされる間に、はかどらせた
い。
* 織田信長のめざましい台頭、徳川家康の辛抱強い奔走、木下藤吉郎知略の活躍とくると、やはり「日本の歴史」は活気づくからコワい。小猿の日吉丸。秀吉
の出自と伝説にはだいたいぴたりと比叡山の山王信仰がくっついているのはよく知られていて、林屋教授も触れて居られる。
そのわりに、彼が侍分の娘を妻にして侍分になり藤吉郎秀吉と名乗った際の、「木下」という姓の由来に触れた説明を、わたしはこれまで知らない。これは、
山王神主の家が、代々「樹下(じゅげ)」と名乗った家であったことが意識されているのではないか。この前の『猿の遠景』で言及しておいたが、私の説でいい
のか、既に言われていることかちょっと気に掛けている。
* 源氏物語の音読は、「柏木」の巻。柏木ははかなく死にゆき、女三宮は突如落飾、それも六条御息所のじつは死霊のなせるワザであった。二人の心の闇に生
まれ落ちた薫が、可愛いあまりに光源氏六条院の涙も誘う。夕霧は親友の寂しい死に疑問を抱いている。そんなあたりを読み進んでいる。
* 藤村の「夜明け前」は、こんなに落ち着いた素晴らしい作品であったかと、ただただ舌をまきながら、ゆっくりゆっくり味わうように楽しんでいる。これは
異数の大文学である。
* 十月二十七日 月
* 体調は急下降していると、病院でみっちり教訓をくらった。かろうじて体重は維持しているが、ヘモグロビン値は数ヶ月悪化連続、血糖値も同じく。運動不
足、食事のアンバランス、あまりにも仕事のし過ぎ、睡眠不足。みな本人が自覚しているので始末が悪いのである。
* 国際フォーラムに移転した「レバンテ」で旬の生牡蠣と牡蠣フライ、生ビールを大きいジョッキで。それが昼。その脚で、街で校正をとわざわざ持参の重い
荷物を意識したが、いやいや「秦テルオ展」にと思った。ところが月曜、美術館はお休み。なんだか、いろいろとガッカリしたので池袋に戻り、東武の「仙太
郎」で拳ほどのぼた餅を三種と餡の溢れた最中を一つ買って帰り、いい茶を淹れて貰い、ぼかぼかと喰ってから、此の機械の前へ。
* 現会員の出稿ではいろんなトラブルが相次いでいる。肝が太く成らないといけない。ボツにしてほしいと音をあげられると、気の毒になる。同じ会員であ
る。一肌も二肌も脱いで、なんとかわたしがしてあげたいと思うのは、一つには作品も可哀想であるから。
しかし、所詮校正にはミスがつきもの、少々はいいではないか、などと吹っかけてくる人には、困惑を通り越して腹が立つ。校正の完璧は実に至難。いくらや
つてもボロが出やすいのは編集者時代、作家時代で、数十年いやほど体験している。だからといって、渾身の力を尽くしてもなおかすかに残る校正ミスならとも
かく、はなから、少々の誤記誤植は当たり前の許容範囲、堅いことを言うなと言われると、本心アタマに来る。
そういう無責任な姿勢で、読者の前へボロボロ作品を出せるものかと責任者として思う。恥ずかしいのは日本ペンクラブという組織そのものになってしまう。
そういうことを平気で言える会員をもっていることが情けない。そういう口説に対し真剣に対応し対決しなくてはならない時間は、あまりに惜しいし口惜しい。
* 十月二十七日 つづき
* 秦先生、おげんきですか。
本当にご無沙汰してしまって・・・送ってくださる本のこと(送金も)、先生ご自身のこと、いろいろ気になっていたのに、性分なのか、筆不精ですごしてし
まいました。おげんきですか。
こちらは相変わらず、「超」のつく忙しい日々を夫婦二人共に過ごしていましたが、ここ1ヶ月ほど私のほうは、若干早く家に帰って家で夕飯を作って食べて
います。春先からなんとなく感じていた体の不調が、お盆明けに急に、あれこれとあらわれました。仕事などでストレスを感じていたのは自覚していましたが、
身体症状として現れるとは、正直そのことのほうにびっくりしてしまいました。
秋という季節や、周囲のあれこれ、自分と照らし合わせてやや憂鬱になることも重なってか、ここのところ、すこし気持ちの沈んだ日々です。
でも心配しないでください。まずは体調を整え、体力をつけて、すべてはそれからだと自身に言い聞かせています。
考えてみれば、結婚して以来、いろんな楽しいことを忙しく経験してきましたが、気持ちの中で頼れる人が出来たせいか、自分で判断することをせずに、自分
を後回しにする癖がついてしまっていたことに、今回の不調で気が付きました。思えば、仕事も家事も忙しいから、ゆっくり一人で新聞を読む時間も持たなかっ
た。かつては当然のこととして持っていた一人の時間。それがなくなっていたことも、実は無意識にストレスになっていたのかもしれません。何も考えずにぼ
おっとする、、、そんな時間も全然なかった。世の中で、「癒し系」なんて言葉が流行りますのも、そんな時間が恋しい、という気持ちの表れなんだなと感じま
した。充実していても、味も素っ気もない乾いた日常を、潤したい。潤った気分になるようなすごし方、気持ちの切り替えができるようになりたい。きっとその
方が幸せになれる気がします。
うまく書けませんが、久々のメッセージ、じっくり自分を見つめる時間をもてた事、本当によかったといま満足しながら書いています。こういう時間もしばら
く持ってこなかった。それは正直に反省、です。
12月に多分***さんと会うと思います。たのしみです。そうそう、7月には*君の新居にいってきたんですよ。幸せそうでした。結婚式のビデオでは秦先
生もみちゃった。
またメッセージを書いて、自分のことを考えたいと思います。
先生お体お大切に。それでは。
* とっても、を、十も二十も並べたいほど、嬉しいメールでした。
あなた、どうしてるかなあ、あなたのことは根は全然安心していていいんだが、ときどき小さな「調整期」がやってくる、元気だといいがなあと思っていたん
ですよ。それが、ちょうど来ているのですね。だいじょうぶ、やがて通り抜けてゆきます、落ち着いて自分を見ていれば。けれど、体はくれぐれも大切にして下
さい。
「超」忙しいのは、やはりいろんなものが堪ってきてシンドイでしょう。が、かわすスベがまるで無いのではない。見つかります。一本脚では危ない、せめて仕
事と自分と二本足で。できればもう一本、あなたならではの何か。
わたしのサイトには、同窓の人達の消息や、昔ながらのアイサツが、結構入っていますし、大勢が煙草のかわりに読んでいるようです。みんな未だお互いに身
近に居ます。自分でも「闇に言い置く」サイトを開き、一日も欠かさず短いエッセイを一年以上もホームページに書き続けている、やはり「超」忙しいエディ
ターもいますよ、女性の。それは、相当に読まれています。
***さん、ずいぶん元気になり喜んでいます。一度、みなで逢いたいですね。
あの人もこの人も、みな元気に幸せそうですよ。近いうちに、揃っていいことが有るかな。**君は、わたしが木曽馬籠、藤村記念館で講演したとき、わざわ
ざ日帰りで聴きに来てくれてました。気が付いたら会場の真ん中に、昔の教室と同じに**君がいて、一瞬、アガリましたよ。
嬉しいな。みんなみんな元気に、ますます幸せにと祈ります。もう深夜だからこのぐらいにします。いつでも何でも遠慮無く言ってきてください。お大切に。
* 大学のオーケストラの中で、輝くように活躍していた、学問の方でも頭抜けて光っていた健康そのものの学生だった。いい笑顔をいつも惜しげなく振り向け
てきた。ふっと思い出して、こういうメールになって声が届く。
調整期になると、ほんとうに賢く聡く切り返してゆく自生力のある学生だった。大丈夫。
* 十月二十八日 火
*
あいにくの雨ながら、三越劇場の三越名人会に。さすがに和服のきれいどころの多いのは、それに関西風の声音が多く混じるのは「はんなりと上方の華」の触れ
込みで。司会の後藤美代子はもたもたと、あまりに冴えない語りで、元はNHKの花形アナウンサーであったことが信じられないほど。たぶん、ものを見てもよ
く見えなかったのか、眼鏡をかければいいのに、と。
一番の地唄舞「芦刈」は、どうしようもなく、つまり下手くそ。
二番の花柳春の荻江節「細雪
松の段」は、私の詞に、二世荻江寿友作曲。まずまず。後段へかかって盛り上げたが、前半は不安定だった。容姿にどこか谷崎松子夫人に似かよう位と品があ
り、後半に進んで私にも感慨深いあわれを覚えたが、やや振付けに説明的なくどさがあり、その分すこし俗に踊りっぽくなるのは惜しかった。この荻江の佳い曲
は、これからも再々舞ってくれる人の有りそうな気がする。
三番の「都だより」は大阪北の新地が担当。座敷踊りの域を出ない雑駁な振りごとで、京ものも大坂ものも踊りとしてがさつで品下がった。
此処で中休み。妻が席を立っている間に、若い愛らしい洋装の人に声を掛けられた。一瞬とまどった。お名前を聞き返した。湖の本の佳い読者で、「e-文
庫・湖(umi)」にも、しっかりとした力ある長編を貰っている人で、むろん初対面、びっくりした。思いがけなかったので、ちょっと直ぐに反応出来ず失礼
したが、またお目にかかる機会も有ろうと、楽しみは先に延ばした気で、どぎまぎとアイサツを返した。
中休み後は、清元「保名」で。立方は京都先斗町の市園。これが「名人会」らしい名人級の見事な出来映えで、大いに満足した。寸分の乱れも弛みもないき
ちっとした所作と情感で、名曲を苦もなくゆうゆうと演じきり堪能させた。心からの拍手を送れた嬉しさは深く、ほほう、先斗町にこんな名手がいたかと感嘆し
た。感謝、感謝。この舞なら何度でも繰り返し観ていたいと思った。歌舞伎役者の舞台よりも、まさしく舞踊として完成された技倆に触れる満足があった。よ
かった、来た甲斐があったと。
もうそのあとの宮川町の宮川音頭は失礼し、妻と三越百貨店の外へ出た。雨は、ひどくはないがまだしっかり降っていた。
* 池宮夫妻との約束を、帝国ホテルで五時半としていた。時間はたっぷり有る、日比谷まで車に乗って宝塚劇場の前で降り、思い切って映画館に入った。時間
のアンバイのちょうどよい「恋は邪魔者」という、気楽なだけの朗らかな映画を観た。ドリス・デイとロック・ハドソンの演じた四十年ばかり前の映画のリメイ
クで、みるからに往年のドリス・デイに似た、あれより少しセクシイで美しい、若いはち切れたヒロイン。あれのこれのというほどの何もない、たわいない映画
で、気楽に見ている分には抵抗のすこしもない、疲れもしない、恰好の作品だった。残念にも男性俳優の方がわたしの好みで全くなく、それが口惜しかった。
* 五時過ぎに池宮さん二人と会い、メインロビーで、エディさんとわたしは軽くビール、千代夫人と妻は緑茶で、まずは嬉しく久闊を叙し、それから予約した
中二階「セゾン」で、ゆっくり歓談、フランス料理を楽しんだ。なかなか佳いメニュで、量的にもほどよく珍しく、美味しかった。この選択は当たりだった。陶
芸で人気の小十作、お祝いの「鯛」の箸置きなどをお土産に持参した。池宮さんたちは、この春、金婚であった。
夫妻は昨日はよそのホテルに入ってたのを、今日急遽帝国ホテルに移られていた。それなら安心、それで話ははずんで、食後は五階のクラブに場所を移し、懐
かしい昔話にこもごも花を咲かせ、飽きなかった。
クラブでも、セゾンの入り口でも、写真を撮った。
お互いに、たしかに年はとった。四十数年にはなる。昔は、大事に欠かせない人であった池宮夫人の姉の大谷良子さんがもういない寂しさは誰の胸にも消しよ
うなかったものの、だからこそ四人ながらお互いにまるで昨日のことのように、昔が今に蘇るのだった。
また、また、またいつまでも繰り返し逢いましょうと約して、名残惜しく別れてきた。
* 井上靖を記念したい原稿ももう送った。明日は、浜畑賢吉の芝居を観る。
* 十月二十九日 水
* 電子文藝館の、おそらくは題にひかれて読まれたのであろうか、或る現代作品にこんな「嘆き」が届いている。まことに、もっとも、である。招待席や特別
席を設けて力作・秀作を誘い入れ、また優れた物故会員からも問題作・名作を選ばないと電子文藝館じたいが保たないと当初から決意していた一つの理由が露出
している。
* このようなカタルシスのない作品を読むと、どうにも腹立たしく、どなたかに吐き出さないとおさまりません。作者がどういう方か全く存じ上げないので、
失礼なことを申し上げてるかもしれませんが・・・
しかし、しかしですね、こういう底の浅い、作者だけがわかったような気になっている作品は耐えられないのです。
小なりとも知識人であるらしい作の人物の手紙ですもの、もう少しましな書き方というものがあるでしょう。「あの人」の行為の動機を、「悲しみ」と説明して
しまったところで、もうこの小説は終わっています。
と、訴えねば気がすまなくなって、申し訳ございません。貴重なお時間ですのに、このようなメールをお送りしてお許しくださいませ。 武蔵
* 大勢の読者であるからまた異なる感想もあろうけれど、そしてそれが「作品」の運命ではあるが、このメールの嘆きをわたし自身も全く同じに持ったのであ
る。メールの人は文学研究者であろうと推量。
* メールをいただいたのは、病院の検査から戻られてからだったのですね。「体調は急下降、」と・・わたしの心は悲鳴をあげています。このところ私語に一
種乾いた感じを受けて悲しかったのなど問題ではありません。本当に本当に、しっかり自覚されて、節制なさってください。遠くから、こんなことしか言えない
のが口惜しいです。どうぞ大切に、大切に、それのみ書きます。わたしはまだ今ひとつ体調が戻っていませんが、体を休めています。これは何も心配いらないこ
とです。 播磨
さやさやと
窓の外の梢が揺れています。
冷たい雨も遠のいて
さやさやと 秋の朝。 揺れているのは梢ばかりでもありません。
きっと、樹木の根の先端まで ふるえはとどいているのです。
もとはといえば、わたしの周囲の空気がふるえていたのです。
胸の高鳴りのために。目覚めた瞬間からの。
都会の森のずっと向こう、今朝の湖の目覚めはいかがですか。 常陸
* ありがたい鼓舞であり激励であり、お叱りである。
* 夏といえどもプールの水はつめたい。意を決してすうっと水に入ってゆく。胸のあたりまで沈めてゆくとひたひたと身内に鼓動する興奮とも悲哀ともつかぬ
奇妙な覚悟があった。何と無く、ああいう気分を思い出している。
* 枯尾花 野崎まいりをした、雨の日、曽爾高原への道に、2畳ほどもある岩が落ちたそうで、先日の友人とのドライブは、一部迂回でした。
紅葉にはやや早く、平日ということもあって、秋日和のなか、クルマは快調に進みます。柱状節理の絶壁と渓谷、そしてダムの縁を、蜿蜒と巡る道の先に、車
止の標識。右手に細い土の道が延びています。
足元を気を取られ上りながら、ふと目を上げると、山腹から裾野まで、一面、すすき。それが風にそよぐさまは、山に腹這う大きな獣が伸びをしているよう。
「コーン!」狐が飛んでいく、幻。
* いい秋でありたい。
* 十月二十九日 つづき
* 秋葉原経由、両国駅で下車。時間が十分あったので大きな大きな建物の江戸博物館のほうへ歩き、風邪のふきすさぶ広い広いところで、したかに背を押し続
けて、まるで風式ジャグジイバスのような按配に風を受けた楽しんだ。温かくて、寒風ではなく、風力につきのめされそうなのを堪えて楽しんだ。博物館の方へ
は挙がらずに、清澄側へ降りて街中をそよろそよろと歩いた。
めざすシアターXへは、会場の十分前についたので、喫茶店でわたしはコーヒーわ、妻はナタデココのなにやら甘そうな物を。
* 浜畑賢吉主演の「光る島」は、火盗改奉行長谷川平蔵による人足寄場建議と建設のはなしで、殺陣ひとつないはなはだ真面目なもの。江戸の物騒のなかで若
い無宿者達の更正いやむしろ厚生のために手にワザを与えて自立させたい授産場として建設されたのが人足寄場。無宿つまりはホームレスを、鉄砲州や佃島の外
へ江戸の海を埋め立てて囲い込み、労賃を支払い給食もしてものを産み出す技を教え与えたわけである。ま、言うほどに生やさしいことではなかったろうが、そ
の辺は人情話の中へまずまず整理し取りまとめて、一つの芝居に仕立てたのである。浜畑賢吉はその風貌と口跡とを活かして長谷川平蔵を情味ある人物として好
演した。ほろりとさせる彼の生い立ちなどもからめ、若者の未来のために一条の光となって、平蔵は異色の幕吏たる立場をまっすぐ押し立ててゆく。気持はとて
も佳い。が、二三のベテランのほか若い連中がお世辞にもうまくないので、舞台に熱気が盛りあがってこない。むしろ感傷的になってくる。草笛などを何度も吹
くので、ほろほろと物哀しくばかりなる。その辺がむしろ惜しかった。凛々と明日へ勇気づける芝居でいいのだが。
劇場の一番前の真ん中に陣取ったので芝居は手に取るよう。浜畑さんも気付いたであろうか。
ああ、此の劇場、此の舞台で息子は、秦建日子は「作・演出家」としてデビューしたのであったなあと妻と思い起こしつつ、それがもう何年の昔になるのか思
い出せない、それほど昔になった。「ブラットホーム・ストーリイ」だった。師匠のつかさんも「プラットホーム」で佳いじゃないかと言われ、むろんわたした
ちも同じことを言ったが建日子はガンとして長たらしい題にこだわった。
* その公演がいつだつたか直ぐに思い出せなくても、初日がはねたあと、妻と二人で近くのちゃんこ「巴潟」でかなり興奮しながら食事したのは忘れない。そ
の後も、シアターXで芝居があると帰りには「巴潟」でちゃんこを食べた。この前に来たときは大関魁皇が来ていて、妻は握手しに行ったものだ。二十二代横綱
太刀山の写真のある小部屋に案内された、前のときも、今日も。今日は地鶏と牛肉の出汁がとても美味しく出て、野菜も豊富に食べた。他に鮟鱇の肝、戻り鰹の
たたき、イカ刺しとしめ鯖。そして純米絞りたての酒。両国へ来ると、こういうぐあいになる、それも楽しみの内になっている。
満足して一路帰宅し、お風呂に入った。もう三十分足らずで、「共犯者」第三回目。
* 「共犯者」第三回目を観た。いまどきのウンザリする低調な殺しドラマの中で、ここまで丹念に映像本位に劇性を映し出した実例は、稀有であった。秦建日
子のこのドラマが成功するのかどうかまだ分からないにしても、現代のテレビドラマのイージィな殺人ものミステリーの業界に、これだけ映像としても手の込ん
だサスペンスを番組として持ち込んできた冒険性は、相当高く評価されてよい。成功失敗にかかわりなく、一つの警鐘をならしつつ実験的な実例を提出してい
て、それは良かった、作者の意欲としても良かったと、少なくも此のわたしは、若い作者の意欲をつよく支持する。うまいかどうかは、どう視聴者に、また創る
プロたちに受け取られるかは、未知数とするも、である。
なぜかならば、こういう凝った映像は、裾野の視聴者にははなはだ分かりにくいと、歓迎されない懼れがある。かつての「ヒーロー」がスターの顔と名前によ
りかかり、ラチもない説明的なストーリー本位で、ばからしいほど高視聴率を得たのと、ちょうど正反対の、練り上げた映像を此の「共犯者」は打ち出してい
る。曲がりなりにも打ち出している。映像の文法を心得ていない初歩的視聴者には、こういうのは理解しにくいだろう。
今日の昼間に観てきた浜畑賢吉らの芝居は、いとも説明的に連鎖する短い場面の繋ぎで出来ていた。分かりいい舞台だと思った。ところが隣にいた中年の二人
の婦人達の、少なくも一人は全く筋の運びも俳優達の演技の意味も理解できなくて、もう一人の人の解説するのを聞き聞き、ふうんふうんという有様であるの
が、十分間の休憩中にもおかしいほど見て取れた。そういうものであるらしい。
それからすれば、今夜の「共犯者」など、八方でことが蠢動し始めるのでその連携に視聴者は想像力や推理力を要請される。つまりドラマに踏み込んで参加し
てゆくことになる。そういうことは、事実問題として誰にでも出来ることではない。できなければこそ、あまりに下らない低調に説明的な筋書きドラマばかりが
濫作されて、ウンザリするのだが、それは少数派のウンザリなのである。「共犯者」ははじめて少数派への理解を求めた凝ったドラマを打ち出した。そういうも
のをわたしたちも求めていた。
* 幸福を追わぬも卑怯のひとつだという意味を作者は作中人物に言わせていた。思わず、妻と顔を見合わせて笑った。殺人者が幸福にな労として何処がわるい
か。この反社会的な提言を作者がどう追いかけて行くのか、なるほど、三回目からいよいよドラマはきんぱくしてゆくのであるらしい。今夜の分では、一、二回
目のような間抜けた不自然はとくには感じなかった、佳い意味でも筋をトバシはじめたからだ。病室の前を守る刑事があんなに簡単に殺されるのは可笑しいが、
一つの既成事実として納得を強いてしまう緊張をドラマが孕み出せば、それはもう意志から落ちてしまう。不自然を、不自然と気にさせないアリティーというも
のが創作には必ずある。ルーベンスの描写力なら、空に舞うエンジェルの腹から腕が映えていても気にならないだろうと謂われた。そういうことが出来れば創作
は勝ちなのである。覚えていて欲しいことだ。力業である。めったに成功しないが、成功することもあり、成功させねばならぬ時は成功させねばならぬ。
* 昨日は突然お声をお掛けして大変失礼いたしました。
「細雪 松の段」が是非拝見したく三越劇場に参りましたが、ご挨拶するなどとは夢にも考えておりませんでした。ところが会場に着いて早々お見かけしてし
まいました。
子どもの頃から人見知りの強い性格ですのに、さんざん迷いぬいたあげく、なけなしの勇気をふりしぼって厚かましいことをいたしました。驚かれましたとの
こと、申しわけございませんでした。あまりに緊張していましたので、じつは自分がどんな言葉を発したのかもよく憶えておりません。奥さまにもご挨拶させて
いただければよかったのですが、舞台最後まで観る時間がなくあの休憩時間しか機会がございませんでした。どうか失礼のお詫びをお伝えくださいませ。
自分が何を話したのか憶えてはおりませんのに、先生の包みこむように豊かに深いご印象だけは温かく胸に滲みました。人間の出逢いには親しくしていても本
当には出逢っていない場合もあれば、現実に逢っていなくても出逢っている人がいます。昨日は正真正銘の初対面ではございましたが、私はすでにご本の中で先
生に出逢っていた
のかもしれません。まさに私の思い描いていたようなかたで、幸せを感じた一日でした。
先生のご体調が心配で一喜一憂しているのは読者のほうかもしれませんが、くれぐれもお大切にご無理なさらずお過ごしくださいませ。
* 恐縮している。印象深い出逢いであった。いつか再会もあるであろう。
* 十月二十九日 つづきの続き
* この若いパパ(とママ)の朗報は、もう是非とも喜びをわかち持ちたく。おめでとう!!
良夜かな 子生まれ親も生まれける 遠
* (Bccで送付しています。)
今日(水)の午前4時半に、予定日より三日後にして、ついに子供が生まれました。3296gと、最近にしてはまあまあ大きめ。お医者さん曰く、とても元
気な坊や。
黒髪ふさふさで、新生児室では早速看護婦さんにベッカムヘアで遊ばれました。
夫婦の第一印象が不思議と同じで、「声がいい」。泣き声が、よくある赤ん坊の声と違って、とてもいい声でした。
今回の出産は、難産でした。陣痛が始まったのが月曜の夜。病院入りも火曜のAM4時半、で、生まれたのが水曜のAM4時半なので、病院でも24時間、正
味36時間の格闘でした。
私も出産に立会いました。と言っても、陣痛室から立ち会うものです。小田急の始発で火曜のAM6時入りしてから22時間半、知ってる人は知ってると思い
ますが、妊婦の馬鹿力と大声の叫び声に5分おきに力と声で対抗しなければならない。おまけに夫婦揃って、月曜から寝ておらず何度もくじけそうになりまし
た。
子供が胎内から出てくると、疲れを忘れるといいますが、あれはウソですね。
22時間半は、忘れられるような疲れじゃありません。妻は当然、私もくたくたでした。
苦しさを忘れるといいますが、それは本当ですね。
陣痛の最中、陣痛監視装置の胎児心拍数が何度も200を超え、かたや妻は長時間の陣痛で衰弱する一方で、
やめることのできない出産に、二人の一方が傷つくのではないか、不安でした。
それだけに、母子ともに健康なまま、子供が胎内から無事やってくることができて、その瞬間、それまであったことが全部、もうどうでも良くなりました。
今はただ、無事済んだことが嬉しく、パパになったという実感はありません。その喜びは、病院から退院した後、お風呂に入れるときになるでしょう。 (楽
しみ!)
病院は結構大きな総合病院で、都内のアクセスしやすいところにあるのですが、面会に行っても抱っこさせてくれるわけでもなく、ガラス越しに覗くだけなの
で、この先、一ヶ月検診が終わって完全帰宅する12月以降に、ぜひ坊や(名称未定)に会いに来て下さい。 (出張サービスもあり??)
(もし新生児のうちに病院に会いに来て下さるという方がいましたら、言ってもらえればご案内します。山手線沿いです。)
では。
P.S. 添付は、ビデオカメラのキャプチャー映像なので、ちょっと粗いですが、生まれて1時間後、分娩台の上の母親に抱かれたときの映像です。
写真は、フィルムでしか撮っておらず、現像待ちです。(デジカメは持ってない。)
* 残念ながら、写真を扱う技術がわたしには無くて。
なんという初々しくも高揚したいいレポートだろう。 おめでとう!!
* キウイ 2003.10.29 小闇@tokyo
茨城県で、畑からキウイが四百個ほど盗まれたという。計三万五千円相当。ニュースがそう伝えた日に、実家からキウイが届いた。換算すれば二千六百二十五
円相当、つまりは三十個。一日一つ消費したら師走はすぐそこ。結構な量だ。
今の実家には、十四歳から数年間住んだ。二階の北東の角が私の部屋で、東には比較的大きな、北には小さな窓がついていた。窓から見えるのは畑とその向こ
うに民家で、引っ越した当初はずいぶん田舎に来てしまったなと思っていた。その気持ちはその後もずっと変っていない。
父が誰にも言わずに西側に空いていた土地も買ったのは、家が建ってまもなくだったと思う。すぐ隣に家が建つのが嫌だったからと説明したが家族の誰も納得
しなかった。特に何に使うわけでもないその空間は、母によってすぐ畑と化した。
初めは葉物が中心だったが、苗をもらったのを機に果物にも手を出した。それがキウイだった。木としての成長は早かったが、実はなかなかならない。オスと
メスが必要だった。母は、取り付かれたようにキウイ生産計画に邁進していた。
翌年、あまるほどの実がなった。母に呼ばれて庭に下りた私の目に映ったのは、たわわ、を百科事典で引けば、そこにはこんな写真が掲載されているに違いな
いと、そう思わせる景色だった。それいらい、需要を上回る供給が続いている。
白子のりの箱に整然と詰められ、送られてきたキウイにはそういう背景がある。ありがたくいただく。問題は、キウイを食べると胃が痛くなることだ。キウイ
に含まれるアクチニジン酵素が、おそらく体質的にダメ。同じ酵素を持つパパイヤ、パイナップルもダメ。実家が南国でなくて良かった。
* 佳いエッセイだ、間然するところ無くおもしろく書けていて、はこぶ足取りが重くない。うまい。
* 十月三十日 木
* 午後二時、千石の三百人劇場。テネシー・ウイリアムズが二十六歳の処女作(この筆名での)である、「ナイチンゲールでなく」を観た。
いわば獄門島というか、三千五百人もの犯罪者を収容した監獄島の話で、残虐非道の監獄所長役が、かつてロックンロールの花形歌手であった藤木孝、これは
実に適役、とてもよく演じていた。
一つのストーリイが有ると言うより、ひたすらに無残な監獄内の話に終始するのだが、重厚な舞台装置と的確な照明転換で場面を素早く移動させ、重量感豊か
にシビアな舞台が三時間つづいて、力に煽られ息も継げなかった。つよい力作であった。なにのカタルシスも無げであったけれど、演劇としての効果は烈しく、
明快で、終始全身で惹きつけられた。佳い舞台だった。
* 三日間の出ずっぱり。前週の週末からすると五日間になるアレコレの楽しみで、楽しみは楽しみながら、さすがに疲労も溜まっていた。妻もよくこの三日間
をもちこたえてくれた。
帰りは五時過ぎになっていたから、巣鴨の寿司「蛇の目」で、うまい肴と寿司とをゆっくり楽しんで、ほっこりと息を吐くようにして帰宅した。
これで二日間は休息できる。
* 夜前、床の中から、右脚の外側付け根真横が痛く、歩行にたいした不自由はないものの痛みでまいった。いまは、腰掛けても居て何でもない、が、立つと痛
む。今夜こそは今夜のうちに床に就こう。
* 十月三十一日 金
* 先週以来、木、金、土曜日そして月、火、水、木曜日と出づめであった。こんな事は近年に珍しい。回り合わせというもので、今朝は一度起きて、またうと
うと、うとうととよく寝た。腰の痛みも少し和らいでいる。
* 漱石の「こころ」であった、先生と私とが散歩に出て、広い植木屋の庭中へ入り込んで休息しおしゃべりをする場面がある。わたしの脚色では、此の場面
で、二人に大事な会話をさせている。原作にもあったが、こういう静かなところにいると静かな心になりますねと私が云い、それから「こころ」の話になる。会
話は微妙な問題に触れていって、先生が私に念を押されて応える。なんでも遺産か財産か金のはなしであった。先生ははなから悪い人間はいない、人間を悪くす
るのは金だとか何とかいい、あまりの「簡単」さに若い私が鼻白むと、先生は即座に逆襲して、さも心、心ときみは言うが、そのきみの心が、じつに簡単に騒い
だり乱れたり変心したりするじゃないかと窘める。
漱石は「心」の頼りなさをよく分かっていたのである。
心だ心だと騒がしいほど心をタテにとる人がいるものだが、そういう人に限って、いわば変心躁鬱の度合い甚だしく、感情の平静が保てない。その上、わるい
ことに、そのようにバタバタする心をもっていることが、さも純真で素直で自身を刻々誠実に偽っていないのだと錯覚している。浅瀬をはしる水はせいせいとし
て清いようであるが、さわがしく落ち着かない。よくもあしくも軽薄軽躁である。流れも見えぬ深い淵瀬の静謐がない。そして大事な物を見失うのである。喪失
してゆく。
* すさまじい直しの量の再校原稿が会員から届いた。読んでみると、まだ数十カ所の疑問点が残っている。その全てはもう私自身で手を入れて直してもいいも
のと思われるので、長い小説原稿を一通り目を通して最終的に掲載すると決心した。気になるところはまだ残るであろうが、それはそれで一作品として自律の範
囲内であろうとしたい。こういうとき、シッカリした筋書きのある小説の場合は、まだ助かる。たんに日記のように平板に羅列された原稿だと困惑甚だしい。そ
れでも、どうやら引っかかっていた会員作品の二三が動き始めた。
ともあれ基本は、作品である。会員自身の粗略は訂正して貰わねば困るが、作品の命を縮めてボツにしてしまうのは作品に気の毒だ。それがわたしの姿勢であ
る。会員の面倒は見ないが、作品の面倒はみようというのである。余計なことだと何処かから叱られそうな気もするが。
* 立松和平理事の原稿が事務局に届いた、と。有り難い。スキャンを向山委員に依頼した。理事の作品が充実して欲しいと痛感している。現会長前会長らを含
め現理事役員の原稿は十九人ほどが入っていて、梅原猛、井上ひさし、猪瀬直樹、荒井満氏ら、私もだが、二作を積んだ者もいる。歴代会長でも藤村、白鳥、靖
が、堂々とした二作を積んでいる。歴代会長の作は殆どみな私が選んできたので言うことは無い。四十人の理事のうちで、まだ出稿に至らない人が何人もある。
すでに出ている作品にも、正直やや手薄い印象の作が混じっていないではない。自負自愛の力作で、読者を喜ばせて欲しい。
* 大きな本の「夜明け前」が半ば過ぎてきたところで、気が付いた。大きな本が二冊で大作「夜明け前」なのであった。いやそうであろうと思う。
* 朝鮮半島からのいわば「依頼」に応じて日本は彼を併合したのであり侵略したわけでないといった口説を、新党でも創ろうかという政治家の一人が公にした
らしい。
タメにもする気の発言であったろうけれど、この問題には、かなり事実の経緯に微妙なところがあったのも確かなのである。明治初期の日朝関係には、政権政
府の乗り出しと別に、民間からの関与も幾重にも輻輳し、成功には至らなかったものの、ややこしい朝鮮救援の試みが、なされようとしては、潰えていた。必ず
しもその全てが侵略・侵寇の意図をもっていたわけでなく、「善意」とか「支援」とか謂って差し支えない動機も、よほど多めに動いていたのは事実であった。
いろんな国論が渦を巻きながら、結局は「併合」を是とするようなところへ滑り込んでいった。それこそが謀略であったかも知れない、判断は難しい、が、その
辺の一端をが三谷憲正著「オンドルと畳の國」は資料的によく書いている。この辺の歴史的な推移は、恰好の「勉強」の課題になるだろう。
* 「正倉院展」見てまいりました。
今夜は赤い月。もずが、鋭く一声鳴いて、ぽとり、どんぐりの落ちる音。
ご本、早速にありがとうございました。
宵迫る白毫寺は、萩もすっかり終わって人ひとりなく、古都が、しずまった水の底に在るように見えて、吹く風に、ゆら‥と、消えていってしまいそう。
ごきげんよく、お仕事がすすみますことを願っております。くれぐれも、ご無理は、なさいませんように。 大和
* 「スターリングラード」という、異色の力作映画をテレビで観た。ジュード・ロウ演じるソ連の国民的英雄狙撃手と、エド・ハリスが演じるドイツの貴族的
経歴を持つ天才狙撃手との凄い対決を描いた、ソ独攻防、戦争映画。
スターリングラードの死守はソ連に立ち直りの力をあたえ、ナチドイツは衰運に追い込まれた歴史的な戦場であったが、烈しい戦闘場面を、主旋律が縫い取る
ように二人のスナイパー(狙撃手)が、いわば国運を賭して互いに狙い合う。レーチェル・ワイズとジュード・ロウの、またソ連の政治将校ジョセフ・ワインズ
も割り込んだ恋のさや当ても息詰まる切なさで、ラブシーンは迫真の力をもった。
こういう佳い映画も有るのだ、感心した。多くの戦争映画の中でも、見応えある秀作の一つで、人間もシッカリ描かれ、異色の構図をもって光っていた。拍手
を惜しまない。
* 浪速の成駒屋から、師走の歌舞伎座公演の案内をもらった。芝翫、鴈治郎、されに団十郎、勘九郎、福助、左団次、扇雀らの一座で、お馴染みもいいとこ
ろ、芝翫と福助で「道行旅路の嫁入」とは、いまやむしろ異色の、大名題親子の嬉しい顔合わせ。「実盛物語」もあり「西郷と豚姫」があり、「太功記十段目」
が美しい顔ぶれ。橋之助、扇雀、左団次らの若い「素襖落」も思わずにやにやしてしまうし、ことに勘九郎、新之助、弥十郎、福助の「江戸みやげ狐狸狐狸ばな
し」はさぞ賑やかに楽しい大切りになるだろう。以前、芝翫富十郎という名人二人のを観たが、これは働き盛りの爆笑ものが期待できる。
ともあれ、すぐ、昼夜通しで予約した。明日からの十一月は、江戸歌舞伎は顔見世であり、師走は、少し息の抜ける楽しい出し物が組んである。
十一月は、早々に友枝昭世の「野宮」という美しいかぎりの大曲がある。観世栄夫の「清経」もある。歌舞伎顔見世は豪華版の夜の部を予約してあり、さらに
俳優座招待の力こぶの入った名作三舞台も月末に続く。嬉しいこと。十一月には「ペンの日」もある。