saku024-1

 
    宗遠日乗

       闇に言い置く 私語の刻


     平成十五年(2003)九月一日より九月末日まで





  宗遠日乗  「二十三」



* 九月一日 月

* 男子リレーは、四百も千六百もあっさり負けて、世界陸上は終わった。いやもう終わってくれて良かった、眠いのも通り越した。牧南恭子作『帰らざる故 国』の続きを読み進んで、さ、寝ようと思い、いやいや「源氏物語」とバグワンはやはり読みたいと思い、台所で読んだ。明石の尼君、明石の上、出産の明石女 御、それに遙かな明石入道もふくめての深い遠い因果譚が始まるところで、一段落が長い。物語的に面白く、しかも重視せざるをえないところ。ことにわたしの ように、源氏物語にも「水」神の深い先導や誘導があると読んでいるものには、住吉を祭っている明石の一族が絡んだ物語の展開には、注目してしまう。
 バグワンは、『存在の詩』がやがて終えてゆく。この一冊は、ことにバグワンの基本の基本を語ろうとする姿勢がうかがわれ、それは受けとるこっちの勝手読 みとはいえ、有り難い。

* 大原委員、和泉委員の文藝館作品の校正が入っていて、それも処理し、山石氏に転送。「タマルの死」も「したゆく水」も本館に送れるようになってきた。

* 郵便局が月曜の今朝からあくので、最後の発送分を運び込む。それでなんとか終了。なんでこんな苦労をするかと思うが、おかげで新しい仕事も、本の形で 読者に読んでもらえる。藤村に学んだわが「緑陰叢書」のようなものである。このことをハッキリ言えたのは有り難かった。

* 発送の仕事は終わりましたか? 残暑は如何でしょうか? 関西は毎日厳 しい暑さです。八月下旬伊勢などに行ってきました。僅かの日数でしたが、久しぶりの五十鈴川、伊勢うどんや手こね寿司、夏の海など汗だくになりながらも楽 しみましたよ。
 器械本体の不調に加えて、ADSLの故障のために接続が極めて不安定な状況になって、やっと昨日直してもらいました。八月の「私語」などやっ と読めました。器械は再び、いずれ点検修理に出さなければなりません。が、今日は とりあえずほっとしています。
  HPで、さまざまな方とメールされている状況のお忙しさ、そして勿論お仕事を思えば・・やはり根拠地である、あなたのお部屋に暮す、そのことの大事さ、大 切さを思います。
 わたしは根無し草の自分をいかんせん、外から見れば堅実な「主婦」A子わたしは、風立ちぬ、いざいきめやも、風に誘われてふらふらしたい。決して浮いた 気分ではありませんが。でも、怪我なきよう、静かにと、あなたは。

* イーデス・ハンソンさんが、NHK大阪のインタビュー番組に出てらっしゃって、「山が好き」「紅茶が好き」…の前に、「◯より牛が好き」と、字幕。
 司会の葛西アナが「さて、何でしょう」といたずらっぽい笑みを浮かべて、「正解は」
 「虎より牛が好き」。
 「ほんまは、もう(大阪ドームに)、行ってなあかんねん。4時半に入れてくれはるの(試合開始は6時)」
 関西ならでは、ですわねぇ。

* タイガースよりも近鉄バッファローが贔屓ということ。「関西」女性もいろいろ、である。


* 九月一日 つづき

* 妻に、この一月ほど、軽い神経系統らしい違和があり、今朝近くの病院にとりあえず相談に行ったところ、頭部等には全く問題なく、ただ、かつてない程度 に血圧が高い(160程度)と注意されて、ゆるやかな降圧剤が処方された。脳神経系統に異常がなかったのはよかったが、従来130前後の血圧だつたから、 用心に越したことはない。じつは、わたしなどもう数ヶ月、聖路加で計ると150台に上がっている。以前は120から130台でむしろ低血圧気味であったの に。食生活が響いているのかも知れない。
 ま、原因らしき症状が推測されたのはよかった。

* 午前中に、神坂次郎さんの『元禄御畳奉行の日記』中公新書版全十章の初章・三章を起稿し校閲し入稿した。ラフに書いてあるが、ラフは神坂さんの藝であ り、これは、面白い仕事である。とにかく、これぐらいフツーの侍がいてそこそこの出世もしていた事実が、おもしろい。
 武家の奥方といえば、テレビ劇の時代物では貞淑、凛然、従順の代名詞といった風情に統一されてある。そんなものと、常識になってしまいかけている。しか しこのノンフィクションの主人公、尾張藩御畳奉行、知行百石、役料四十俵の朝日文左衛門が、二度娶った妻が、二人が二人とも、ただの悋気妻ではない、咆哮 し叫喚し格闘し罵倒する「悪妬」妻で、文左衛門は終始ちいさくなり辟易している。こういう日常をさらりと提出してあるだけでも、眼の鱗の何枚もを挽き毟り 得た喜びがある。
 武芸稽古のいいかげんさについても、俸禄や交際についても、ことに家督相続とお目見え獲得までの疲労困憊の体なども、武士の「浮き世」と「憂き世」が活 写されている。またも一本電子文藝館に良樹を植えることが出来る。

* 世界陸上にまともに付き合ったための昼夜逆転は「極め」がついて、今日は午後二時頃から九時前まで寝ていた。夢の中で、鴎外と漱石に同じ場所で会い、 漱石先生とコンピュータについて話し合った。おもしろかった。

* テレビタックルが北朝鮮問題を。ハマコーが邪魔で五月蠅すぎるようでもあり、彼がかきまぜるから議論が白熱するとも言えて。北朝鮮の云う「一つ一つ」 「段階を踏んで」説に安易に乗ってはなるまい。此処はじりじりと黙ってしめつけながら、「無条件で」五人の子供や夫をとりもどすこと。間違っても拉致問題 に終止符を「打」ってはいけないし、さらには誘拐拉致犯人に一人十億円などと囁かれる身代金を払って取り返すというような醜態は、絶対に演じてはならな い。

* 長月になりました。もと学生の皆様の「今様であった姿」が「虫食い」でほのぼのと想像できます。真面目な学生時代でしょうか。高校の国語、文学を読む 時間もなく塾へ通ったのでしょうか。こんな裏話を、自分の不器用さを棚にあげ、闇を楽しんでいます。
 窪田空穂短歌の虫食いはわかりました。「片思い」の澄み切った深さ。なかなか人生で気付きません。
 両手と勝手。両手を広げる方。両手を広げて見る。
 なにか教室の空気が蝉とともに夏を惜しむというのでしょうか。感謝です。  川崎e-OLD

* 「e-文庫・湖(umi)」小説欄に吉田優子さんの第三作「夢の途中」を掲載した。だいぶ力を入れて推敲を重ねてもらい、見違えるほど手堅い興趣ある 作品に成ったと思う。三十前後の人と想われるので、佐和雪子さんたちと同世代であろう、意欲も努力もある人で、慎重に一つのベースの上へ自己世界の表現を 続けている。大勢の読者に恵まれるよう前途を祝いたい。甘い人でも作でも、ない。
 さて、此処をどう上へ突き破って、作者の満足が読者のファシネートな嬉しさや満足へ豊かに美しく膨らんで行くか、だろう。


* 九月二日 火

* 夜前、牧南恭子作『帰らざる故国』上下二巻の大作を読み終えた。電子文藝館の同僚委員である。その分量に胸をおされ、また出だしにもやや脚の重さを感 じていたので、はじめのうち読みなずみ時間がかかった、が、いつしかに引きこまれた。下巻も半ば過ぎて残り頁の少ないのを心惜しむ気にすらなった。

* 昨明け方にとうどう読み終えました。この際は、作者を存じ上げていることが、終始プラスに働きました。あなたを思い浮かべ思い浮かべ、いろんな表現や 語法や認識や判断に対して、具体的に、フーン、こうなんだ、ふーんこう考えるんだ、ふーんこう調べてこうなんだなどと興趣を覚えました。のめりこんで細部 にまで想像力が働いていて、それが均衡を得ていることに感心しました。
 危機的な状況が繰り返しあらわれ、そこで筆が浮つかずに事柄と場面に密着してよくものを見て(想像して)書かれてあることに力量を覚えました。
 題は、 『満州 帰らざる故国』と端的に出された方が文献として記憶されやすいのではありませんか。
 徹底的に推敲しておかれると、あとあとへ遺せる最良の代表作になるでしょう。
 ありがとうございました。敬意を表します。 秦生

* 湖の本「青春短歌大学下」ありがとうございます。読書尚友、忘れかけている楽しみも戻していただいております。いま能弁を求めず、短詩の一字穴埋め は、沈思のすえの回答、沈黙の心地よさをいざないます。バーの片隅での独酌に似た。多謝。老年短歌大学生。

* 遅くも明日には、届くべき(湖の本エッセイ29)はみな届いていると思う。一つ、また通過した。

* 新涼  遅れてきた猛暑に降参。9月、9月、と呪文をかけたら、朝の空に、うろこ雲。風が払って碧天に、始業の鐘が響きます。
 名張の旧い商店が、次々ギャラリーになっていきます。
 この間、写真展をしていた店が、「伊賀焼新作」と看板を変えていたので、ちょっと覗いてみました。

* この人のメールは常に「短章」で、具体的に鮮明、達人の域にある。その地に自分も脚を置いたような風情に見舞われる。風たちぬ、いざ生きめやも。

* フラナガンという人の「モダン・アート」(原書)は学生の頃からの愛読書だった、図版多く記述は具体的であった。中にマチスのデッサンがあり、大好き だった。袖無しのブラウス姿で安楽椅子に身を傾けてこっちを見ている女性であった、二の腕、スカートのお尻のまるみ、そして瞳。魅惑の線の味わい。豊麗の 印象は、また清潔でもあった。
 全くの白地に黒い線で描かれているので複写は簡単だった。だが、やはり本の中でいちばん綺麗な線が出ていた。昔の「写真」版だから、大きくコピーすると 写真版独特の線があらわれ印象を濁す。
 スキャナーで再現した写真で、時に再現が出来なくなってしまうものがあり、今まで諦めていたが、「自在眼フライト」というソフトで扱うと写真が現れてく れる。気が付かなかった。一つずつ覚えて行くものだなあと思う。わたしなど、パソコン教室風のところへ行ってみても、一日と辛抱できないだろう。
 むかしむかし父に強制されて夏休みいっぱい大阪門真のナショナル(松下)工場へ出掛けテレビジョンの講習を受けたが、徹底して何も頭に入らなかった。ひ たすら苦行であった。

* 北原白秋の詩を「白金之独楽」「畑の祭」というあいつぐ二詩集より選んで入稿した。

* 明治女流の木村曙にかねて興味があった。牛鍋屋のいわばチェーン店「いろは」の娘で、西洋語にも通じ鹿鳴館にもはなやかに参加し、若くして作品を新聞 連載などしながら、わずか十八歳で死んだ才媛である。為永春水らの戯作の尾も、意図してひきながら、思想的には、ことに女性の社会的位置取りについては当 時として格別の自覚を有していた。
 また水野仙子、伊東英子のような僅かながら記憶に値する作品を遺していた人達にも光りを当て、「ペン電子文藝館」に招待席を用意したい。
 泉鏡花の第二作はいっそ苦労してでも戯曲『海神別荘』をとりあげてみたい。岩波の選集で寺田透がしている解説を読み返していると、非常に物足りない。深 層の本質に触れた鏡花評価とは想いにくい所がある。なぜか無性に鏡花を「論じ」てもいいなという気持になってくるので困る。そういうことは、もうしないで いたい。

* 新たに相当な大人の女性が、「草闇」と自ら名乗って、九月一日から日々の「私語」を書き始めたと云ってきた。最初は、叢=草むらがいかに好きかを語 り、二回目は俵万智の「勝手に赤い畑のトマト」の歌に触れている。
 率直に云って二つとも練れていない。勝手に赤いなど、もっと滴るような切り口の味わいが、年の劫で有ってもいいのではないか。叢にしても、千坪の別荘の そのままの草むらや草花の話では、あまりにありのままになり、読み手は自分の問題へ繋いで行けない。「私語」だから繋がらなくてもいいといえるが、そうで はない。ましてホームページに公開して行くことになれば、いかに「草の闇に言い置く」「私語」にしても何かしら訴求して行く発語の勢いがないと、自己満足 の日記に終わってしまう。
 若い「小闇」たちは、あれで幾らか我が身の血を流して書いている。だから衝撃がある。
 草は、花や幹や根とどうちがうのか。民草といい草莽といい、また博物学や薬学へ道をのべた本草ともいう。いろんな草むらが日本列島にも海外にもひろがっ ている。子供の頃からの「好き」から、大人になり老境にすらさしかかってその好きがどう育ったり変わったりしたか、そういう壮大な基点や起点や気転が、も のの始めにバンと出ると、連載のつよい位取りがが出来たかも知れない。
 「私語」をただの私語に終わらせない年の劫を大いに期待したい。これはおそるおそる手探りでやるより、天下に我一人と想ってやることだ。「言い置く」に 値する瞬間風速を期待したい。

* ご無沙汰しましたお元気ですか。9月になってしまいました。
 休みを取って、いろんな用をしました。7月の末から暑い盛りのヨーロッパにいましたが。
 帰ってきて、本(青春短歌大学下巻)に接して、アノころを懐かしみました。未だに、ライオンは、余計なことを言ったと恥じています。きっと寂しかったの ですねアノころ。今は寂しさも、透き通るようなさみしさになったと思います。
 今年は、涼しいいいところは東京だったのかもしれません。たくさんお話ができるといいのに、と。

* 寂しい人もさみしい人も、少なくない。まして秋へむかえば。
    蝉なかず なぜなかないか なかないか。  遠 


* 九月二日 つづき

* こんばんは。「e-文庫・湖(umi)」掲載(小説「夢の途中」)ありがとうございました。そして、メール文の改行では、お手数をおかけいたしまし た。
 物語と文章の魅力について考えています。
 魅力を感じる作品が、以前とは変わりつつあり、混沌としています。そのもやもやが、物語の突き抜けない弱さとして表れてしまっているのかなと思いまし た。強い把握と気迫が必要ですね。
 佐和雪子さんの「黒体照射」と、バルセロナの方の書かれたものに、共感をおぼえることが多いです。
 特に、ご両親についての文章は、わたしが自分で書いたように錯覚することがあります。同世代という親しみも感じています。お二人共、優秀な方なのでしょ うね。
 湖の本の新刊が届きました。ありがとうございます。はじめの方を読んでいます。原作どおりにいくつか虫食い部分を埋められたので、今ちょっとごきげんで す。
 奥さまのお体、大切にしてくださいね。おやすみなさい。 吉田優子

* <<本が届いて学生に戻る九月二日。>>     梨 2003.9.2   小闇@TOKYO
 実家から梨が届いた。らしい。留守にしていたので、ポストには「ご不在連絡票」が入れられていた。今住んでいる建物には、宅配ボックスがある。そこに入 れておいてくれれば、今日のうちにひとつ剥いて食べられたのに。そう思いながら靴を脱ぐ。
 留守番電話にメッセージがあると、ボタンが点滅している。再生。宅配便の「セールスドライバー」からものだ。曰く、果物なのでボックスには入れませんで した。お客様がご希望なら、ボックスに入れます。お手数ですが、ご連絡ください。
 久しぶりに丁寧な口調の、さわやかな、若い男性の声を聞いた。
 雑誌などでよく、ホテルとかエアライン、メーカーのサポートに関する、ランキング記事を見るが、「全体」や「平均」で評価されるサービスの質は、個別に はなかなか実感できないことが多い。集合体のイメージは、そのごく一部でしかない、私とその集合体の接点で決まるからだ。
 人間も同じ。私など割と露骨に嫌われることもある。もちろん私の性根や言動に負うところも大きいだろうが、最近は、それはその嫌うひととのインタフェー スに問題があるんだなと、悠長に考えている。そこを頑張って解消すべく努力するか、まいっかと放置するかで、そのひとに対する私自身の気持ちが量れる。
 そういうわけで私は、SとTのパソコン、Nの引っ越し部門には良い印象を持っていない。逆の人も多いだろう。広島のタクシーは高く評価している。それか ら、ヤマト運輸も。これまた、逆の人も多いだろう。
 明日朝一番に、ボックスに入れてくださいと連絡をしようと思う。そのセールスドライバーに会ってみたい気もするが、きっと、会わないくらいがちょうどい い。とりあえず明日は梨が食べられる。それで良しとしたい。

* ちょっとした「こころ」論議が続いている。漱石の小説ではない。心、のハナシ。
 その人は、確信的な「心」大切の信仰心をもっている。わたしの「心」不信が容認出来ない。容認などしたくない。自分の「心」を愛し、信頼しているらし い。
 わたしは何度も書くように、心はアテにならない、時々刻々変容し変貌して果てしなく、一つ間違うとそんな心に惑い、ただもう、うろうろしてしまうことが 多いと感じている。それはお前の心が定まっていないからであると云われれば、その通りで、心の鍛錬も改造も、じつに難しい。わたしは人によって傷つけられ た覚えよりも、自身の心によってしばしば戸惑い傷つきさえしたという思いが、子供の頃からつよい。
 できれば「心に頼る」よりも、心など「無いもの」かのようにし、心に振り回されまいと、ついつとめる。心は、「お前は逃げるのか」と咎めてくるが、そう いう心ほど、はなはだ危険なトリックを仕掛けてくる。心を落とさずに、心を蜘蛛の糸のように「他」へ絡みかけ寄りかかれ、それが「安心」というものだと途 方もないことを指示してくる。自身を喪っても、心そのものに成れと教えてくる。もっともっともっと願え、願望せよと司令してくる。
 心にもじつはいろんな心があり、一概に云えないのだが、人を凝り固まらせたり、ひっきりなしに分裂的に悩ましたり攻撃的に他に向かわせる点で、諸悪の根 源じみるとわたしは理解して、もう久しい。ほんとうは、心のことなどあまり考えたくないのが本心である。無心に近く、静かな心でいたいが、そのためには自 身を「心の餌食」にしてはならぬと想うのである。
 しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの(   )食となさず
                             石川不二子
 すぐれた姿勢だと思ったし、学生たちにもそれを伝えた。
 喜怒哀楽や情熱や執着や努力が、心というものを離れた仕方では不可能なのか。それをわたしは考えてきた。
 心はすぐ、目の前のそれが善か悪か、好きか嫌いか、大か小か、欲しいのか欲しくないのか、などと「対立」させ、「選べ選べ」と教えてくる。その騒がしい 拘泥りが、人を、静かな心からむげに遠ざけてしまう。
 心をめぐる論議は、かなり、しんどい。


* 九月三日 水

* 藤村作『夜明け前』を読み始めた。たとえ一日二日でも木曽へ行った思いののこっているうちに、この大作に、敬愛を添え、慌てず騒がず読み親しみたいと 思い立った。その前に馬籠の記念館でもらって帰った冊子にすべて眼を通した。

* 何年前になるだろう、ある画家の絵を買った。魚が二尾の絵だった。「動かなければ出逢えない」と字が書いてあった。言葉にも惹かれた。
 だが、あれ以来のわたしは、変わっていった。
「動かなければ出逢えない」というのは、幾分の真実である。若い日々には、ことにそうであった。
 出逢うと云うことが、大切で大事で、人生を決することもしばしば有るのはホントウのこととして、今のわたしは、もうそういう境には自ら居ない自覚があ る。つまり「動かなければ」とは思わない、いや願わないのである。
 鏡は、自らは動かない。真澄の鏡は、来るものは残りなく選ばず何でもクリヤに映す。往くものへは何の思いものこさない、拭ったように。そのようでありた いと、理想が、転移したのをわたしは感じている。往昔への記憶がうせたわけでなく、懐かしむ気持はむしろ今後にも深まるだろうが、「既往」であることは否 まないし、そのためにはもう動くまいと思っている。それは、「今・此処」の問題ではない。
 鏡である自分が、おそろしいほど多くを現に映している自覚はある。日常の生活、文学の世界、闇をへだててかわす声や言葉。社会生活。無理不自然はつとめ て避けながら、鏡に映るモノ・コト・ヒトはおろそかにしていない、わたしは十分心楽しんでいる、が、手にあまれば落とすのに躊躇すまい。手に余るものは、 おそらく不要なのだと思う。
 生きるということ自体、「無理をすること」だと考えている人も有る、たとえ「不自然に」でも。
 そうかも知れない、わたしも若い頃はそう感じていた気がする。
 だが、もう少なくも十年来、わたしはべつの境に身を動かした。無理や不自然をわたしが犯していない意味ではない。そんな達人ではない、が、そうではなく 在りたい・在ろうとしている、ということ。
「動かなくても出逢える」もののあるのが信じられるようになっている。「動いて」得たものは「選択した」ものである。選択するという分別が働いていた。だ がその分別が、ひとを消耗させる。静かな心を失わせる。鏡のように受け容れて鏡のように離れたい。なによりもそのことを、「分別する心」をはなれて、楽し みたい。それが苦痛や煩労や狂奔のようにひとめに映ろうとも、気にせず楽しみたい。無理不自然をまぬがれる魔法は、その辺にひそんでいる。

* 率直に云うが、わたしは、分かっているのではない。じっと瞑目したときの闇の深さが明るむ嬉しさを、待っているだけである。

* ありがとうございました。また楽しみが増えました。
 数年前に図書館で本を探していて、偶然『青春短歌大学』(平凡社)を見つけ、面白くて、そのまま読んでしまいました。今度はゆっくり楽しめます。
 ご無沙汰していますが、元気です。ホームページを読むと秦さんとお話ししたような気分になってしまいます。以前の印象のままに今もエネルギッシュでい らっしゃるようにお見受けします。私は相変わらずその正反対で、何事にもまずは後込みして輪の外から眺めているという気質はなかなか変えることができませ ん。
 先日「満州」という文字が目にとまりました。実は私、満州生まれの引揚者なのです。当時三歳だった私には何の記憶も残っていませんが、他の人よりは多少 複雑な思いのあるところです。
 この夏の天候では紅葉はどうでしょうか。さわやかな風が待ち遠しいです。
 奥様によろしくお伝えくださいませ。  千葉県

* このメールの人の名前だけは、久しく記憶にあるのに、住所録にもむかしから有るのに、じつは何も思い出せずに、ただ懐かしい気持がしている。メールを かわしはじめて、この人のメールはいつもわたしを静かな気分にするのだが、どうしてもいつの頃に出逢っていたかが思い出せない。会社の頃の同僚かしらんと も思うが、わたしはだいたい会社勤めのころの同僚とはつねに距離をおいていた。小説が書きたくて、時間が、金の粒のように大事だったから。満州はおろか、 「以前の印象」も「奥様に」というのも見当もつかない。読者とは、このようにわたしには懐かしい身内である。こういう人達といっしょにこの歳まで歩いてき た。わたしは、そういう作家だ。

* NHK収録の日が迫ってきた。役に立てようとは思えない。半年以上も、小一年も昔から頼まれて、もう引き延ばせなくなった。頼んできた人が「湖の本」 のいい読者では断れない。藤村講演も同じだった。まる二年、辞退してそれ以上は出来なかった。
 今度は俳句。俳句ほど難しい文藝はないと思っている。作者でもないし良い読者でも広い深い読者でもない。恥をかきに出るようなものだ。そして口をひらく と、どんな剣呑なことを口走るかしれない。

* 番組の詳細を依頼者で選者でもある寺井谷子さんからメールで親切に伝えられた。わたしにも一句といわれても、困る。短歌でさえ今は作らないのだから。
 局の司会担当者からもようやく電話が来た。こまごましたことを電話でというのは無理、間違いも起きやすい。メールでの往来にして欲しいと申し入れる。む かしは、企画段階の文書で、わりと番組の大要がはやく局から伝えられ、時には会って詳しく説明も希望もあり、当日には迎えもあった。なにもかも簡素にとい うか粗略になっている。


* 九月三日 つづき

* 中西進氏の「漂泊=海の彼方」を入稿した。ずうっと以前に戴いていた単行本の中の一章を、抄出。十分な長さもあり論旨は面白く、良い一樹がまた植わっ た。
 校正していて、初校した妻も通読したわたしも、口を揃えて話題にしたのが、例えば浦島が海宮にいた「一年」が、陸なる故国では「三百年」に相当したとい う、その「時間の評価」で、中西さんは、地上時間の「三百分の一」の短い時間しか持たない海世界だと、二度も云われている。わたしたちは、従前からむしろ その逆に、地上よりも「三百倍」もの時間をもった海の国と感じてきた。
 おなじことを言っているとも云えるが、おそろしくも本質的な差異だとも云える。いま、その是非を此処では語らないが、わたしが泉鏡花の掲載第二作に戯曲 『海神別荘』を敢えて選ぼうとしている根底の思いにも、この中西時間と秦時間の意識差、評価差が絡んでくるだろう。泉鏡花を俄かに「論じ」てみたい衝動を もったのも、無意識にこれが絡まっていたようだ。
 今一つは、わたしは、終始鏡花世界と限らず日本の神話の根底に、水神・海神=龍・蛇を置いていることは、知る人は知ってくれている。「蛇」を主題に鏡花 を語った講演録もとうに活字になっている。中西さんの論説には、きわどいところでこの視点が回避されている。触れられていない。それもわたしは、批評的に 観ている。

* 見当はまるで別のことだが、ホオリ=ヤマサチヒコが海に往くときに海路を教えてくれた神が、「マナシカツマ」という乗り舟をも訓えている。これは中西 さんも云うように目のつんだ「編んだ籠」なりの舟の謂いであるが、この「籠」の、意識下に遙かに遙かに言い伝えられた一例として、わたしは、『閑吟集』の なかの「籠がな 籠がな 浮き名もらさぬ 籠がななう」という籠のあることに気付く。そしてわたしは、この閑吟集の「籠」は、利休の小間の「茶室」に等し かろうという講演をしたこともある。横浜関内で、亡くなった山本健吉先生と同じ場所で話したのだった。
 連想は放恣に流れることもあるが、真実への洞察に繋がることもある。中西論説を校正しながら、いろいろに連想を楽しむことが出来た。

* もう一つを挙げておこうか。「治養す」という語彙が出てくる。「ひだす」と読む。意義は漢字が示していて、神秘の領域にも行き通うことの可能な養育、 療育の意味になる。しかも「水」の神秘に触れている。謂うまでもなく「ひたす」ことの威力が推察されている。清らかな神水に禊ぎし身を浸すことの不思議に かかわる。
『冬祭り』という長い新聞小説の最後の方で、今暫し此の世に止まりたい切なる情けと願いをもって、山道をひた走りとある泉に身を「ひたし」て、辛うじて夫 との、父との現世での愛を確かめ得た母と娘とを書いたことがある。水に「ひたす」ことの是が非にも必要であった世界の、異界の、愛すべき女達を、である。

* 神話の世界、平成の現世界とは無縁であるなどというのんきなことは、じつは、謂っていられない。不思議のフラグメントはきらきらと輝くようにしていた るところに散らばっていて、見える眼には畏ろしくも魅力的にも生き続けている。中西さんの論説は、「ペン電子文藝館」のような尖端の場において、なお示唆 に富んでとても(現代的な)興趣にも溢れているのである。

*  土砂降り  近くに雷も落ちたよう、これで涼しく眠れそうです。
 お昼は「歌行燈」で。泉鏡花の小説に因んだこのお店は関西風味の饂飩、蕎麦がメインのお店。記憶では確か桑名にゆかりの小説。違ったかしら。豊川稲荷の 辺りが関西風の薄味と関東の濃い味の分岐点と聞いたこともあるので、其処は関西風味だと。ふすまに小説とおぼしき断片が毛筆で書かれています。
「竈」を読めない人もいて、私は「円髷」は読めても『串戯』で躓き、早大出の元国語の教師の友人も読めなかった。なんて読むのでしょうか。分からないと気 色悪いので教えてください。漱石を始め、明治の文豪の小説は、若い人には古典といわれて久しいですが、あの「寝白粉」も丁寧なルビがなければ意味は汲み取 れてもすらっとは読めないし、やはり古典に入るのでしょう。但しまだ読み終わっていません。
 日差しを避ける意味もあって、ちょっと気になる映画「永遠のマリアカラス」を観てきました。平日のお昼というのに、中老女性で満席。シニアサービスのお 陰。
 オナシスと離婚、ケネデイー夫人ジャッキーと再婚の新聞記事をフアイルして、心の動揺のある彼女を、すべてフイクション、創作の域で、最盛期の美声を聴 かせて、登場させています。1977年(私は丁度四十歳、そんなものに関心を持てる年ではなかった。)の日本公演では本人曰く、荒れた声で惨状を呈してト ラウマになり、それを最後に舞台には立たなかったとか。外人には弱い日本人は、それを聴き分ける観客も少なく、ブラボーの連発の大盛況だったらしい。
 フイクションとは聴いていたけれど、少し知っていたカラスの歌手になるまでの生い立ちなどより、こんな趣向のストーリーが面白かったし、劇中映画の「カ ルメン」も。スパニッシュダンスも好きなアリアも聴けてよかった。カルメンは全曲どれも好き。亡くなる寸前の53歳の頃をフイクションに、でした。

* 「ジョウダン」また「フザケ」る とも。
 マリアカラスは、映画「エレクトラ」が印象に残っている。荒涼としたギリシァであった。

* ペンクラブの会員でもある宮田智恵子さんの小説本を贈られて、その巻頭作「橋のむこうに」を読んだ。隣家の兄弟と姉妹。少年から中年過ぎるまでのほの かな慕情の交錯がたくみに書けていた。さ、もう一押し、それが何であるだろうと思いつつ読み終えた。好感をもった。ここまでは書ける。小説になっている。 しかし、その上をさらに吹き募っていく魅力の瞬間風速も欲しい。


* 九月四日 木

* 朝に
 涼しい日になりました。
 初秋
 ことばが、香って
 美しい日になりました。
 蝉の声も止み
 朝はしずかに明けました。
 きょうもお元気で。外出にはお気をつけて

* 朝一番に開いた次のメールは、照れてしまいそうなお褒めの言葉であったけれど、わたしの不十分な意図をよく汲んでも下さっている。感謝にたえない。

* 青春短歌大学     昨日湖の本エッセイ『青春短歌大学』下巻を頂戴しました。ゆっくり学生さんの解答と比べながら読もうと思っておりましたのに、 読みはじめたらやめられなくて一気に読み終えてしまいました。
 夜も更けておりましたが、身体の奥からふつふつと底力が湧いてくるような感動をおぼえました。読書の興奮で、とても寝つけそうにありませんでしたので、 少しばかりお酒を呑んでから休みました。何に感動したのか布団の中で転々としながら考えて、夢もたくさん見ました。
 私が心打たれましたのは、おそらく先生の中に熱く燃える文藝への愛であり、若い世代への希望の眼差しであったように思います。『青春短歌大学』はこれか らの若い世代がずっと読みついでいく必読の書にちがいございません。
 まずこれだけの素晴らしい詩、短歌、俳句が集められていることが驚きです。膨大な作品の中から若者向けの美酒を選びぬくという厳しい表現行為に私は圧倒 されてしまいました。しかもその困難な作業を先生は心から愛されただろうと想像しました。
 選ばれたものは私の知っているような有名な歌句から、触れると血が噴き出すもの、心和むものまでじつに多彩な佳い作品の数々です。注意深く吟味され、し かも先生の鑑賞の手引きが鮮やかでみごとなのです。
 目にあでやかに静かである(大初日海はなれんとして揺らぐ 上村占魚)
 知的な趣向とみえて、よく生きた人の最期をしずかに頌えた秀逸(「畢」、猶「華」の面影宿すかな 吉野弘)
 戦死という殉死の意義が痛烈に問われた、世界でも最も短い反戦詩といえる(遺品あり岩波文庫「阿部一族」 鈴木六林男)
 少し例をあげましても、いかに優れて簡潔な批評か明らかですし、詩歌のように美しい日本語表現になっています。私は秦先生に導かれて、日本の優れた詩歌 の旅人となり、この、世にも美しい旅に酔うことができました。
 先生が『青春短歌大学』でなさろうとしたことは、日本の詩歌を、若者のみずみずしい心に直接届けること、そして彼等の人生に新しい色を加えることだった のでございましょう。先生の「学生諸君の内奥を、真実挑発し刺激する」ことはきっと成功なさいました。
 工学部のキャンパスは私の知る限りにおいてどこか実験室の索漠とした雰囲気が漂います。先生の授業を受けた生徒さんたちは灰色の映像の世界から生き生き した彩色の世界に飛び込んだような衝撃を受けたであろうと思われてなりません。先生は多くの学生さんの視野をさっと拡げてしまわれました。
 さらに、『青春短歌大学』は私のような中年読者の胸をも疼かせ滾らせてくれました。この中の詩歌は十代、二十代の新鮮な感性で触れるだけではあまりに勿 体ないものです。私も大学生の頃にこんな授業が受けられたらよかったのにと羨ましくなりましたが、当時の私には理解も実感もできなかったろう多くの歌句と 先生の解釈は「猫に小判」であったにちがいありません。
 私が二十代であったら、切々と胸に迫ることはなかったであろうという歌句はたとえば次のようなものです。
  雪女郎おそろし父の恋恐ろし 中村草田男
  捨てかねる人をも身をもえにしだの茂み地に付しなほ花咲くに      斉藤史
 東工大で先生の授業を受けられた学生さんには、この本を是非繰り返し読んでほしいと思いました。学生さんたちが、先生の本当の大きさ凄さをわかるのはこ れから四十代、五十代、六十代になってからだろうと推察しつつ、私も先生の『青春短歌大学』などのご本とともに少しでも成長してゆけたらと願っておりま す。
 「彼や彼女たちの未来が楽しみなために、一年でもわたしは長生きがしたい」というお言葉にある先生の身にしみる人間愛に、私は胸が熱くなりました。「教 えるということは希望をともに語ること」という言葉のように、先生は若い魂と希望をともに語ることのできる数少ないかたです。
 『青春短歌大学』は久しぶりの感動的な読書となりました。ありがとうございました。
 あとがきにペンクラブ電子文藝館の事業を、「良い樹を一本一本植えて行く」仕事と表現されていますが、この荒れ地に一つ一つ希望を植えて行く地道な営為 を「知の巨人」の仕事と言わずして何と言えばよろしいのでしょう。
 「知の巨人」というのは立花隆さんによく使われる形容ですが、本当の知性というのは立花隆さんのような難しいことを理解し説明する能力のことでしょう か。先生のように、明日を担う世代を励まし希望を与えることこそ真の知性だと私は捉えています。ですから、私は秦先生のような方こそ「知の巨人」と言う表 現にふさわしいと思うのです。(きっと先生はそんなことはないとご謙遜なさいますでしょうが。)
 相変わらず長いメールになってしまい申しわけございません。どのような「知の巨人」にも大切なのはお身体でございます。どうか奥様ともども水分などしっ かり摂られて、血流よく血圧をコントロールされてお過ごしくださいませ。先生のお住まいでは雷雨の影響はございましたでしょうか?    品川

* ことばを強められているぶんを謙虚になだめれば、私の思いによく触れてもらっている。嬉しいと思う。この嬉しさを友に、今日は妻と歌舞伎座の昼の部 へ。クラスメートの片岡我當を声援してやりたくて。


* 九月四日 つづき

* 妻もわたしも、いささか雨後の蒸し暑さに疲れながら、木挽町へ。
 松島屋我當の番頭さんと入り口で暫く話す。わたしからの話題は子息進之介のこと。人の倅の心配をしてもはじまらないが、我當のためにも、進之介にもっと 本気で頑張って欲しいのが、わたしの願い。
 我當は「河内山宗俊」で松江の家老職高木小左衛門を、律儀に、すこし悲壮感を漂わせ力演していた。茫洋としてゆっくり大きく演じる仕方もあろう。初役。 父先代仁左衛門に倣っていたらしい。
 梅玉の松江侯はそこそこに格を守って、無体な殿様なのだが下品にしなかったのは流石といっておく、正解だろう。片岡芦燕の重役北村大膳はどこかで実悪の 河内山と張り合わなくてはいけないのに、とんと吉右衛門に位負けして、おたおたと、憎さげもないのには失望した。あれでは花道から吉右衛門風の大喝「ばか め」が勿体ないぐらい。
 歌昇の近習頭はこの人らしいおちついて律儀な好演。物語の芯にいる芝雀のおそのが、終始俯かされて美貌を見せないのはわたしなどには物足りない。あたら 女形ではないか、男の顔ばかりあれこれと動いても、そこは女形が活躍してこそ。序幕で吉之丞のとびきり品の良い老女が見られたとはいえ、このところ脂の のった芝雀の美形をもっともっと堪能したかった。
 さて初代中村吉右衛門の年回忌公演ということで、二代目(孫)吉右衛門が昼は河内山、夜は俊寛を演じる。俊寛はきついので今度は昼だけにしての河内山宗 俊は、手に入っているのでゆうゆうと、少し悠々過ぎるほどに、演っていた。このところ吉右衛門の藝には、悠々がときどき軽みに過ぎてかすれる時もある。う まいものだが、テレビの捕物帖では貫禄になるところが、舞台で薄れやかすれにならないように願いたい。宗俊が緋の衣の偽使僧になっているとき、耳にも朱を 刷いているのに驚いた。妻は、宗俊が酒飲みで酒焼けしているのではないか、それも偽使僧である表現ではないかと云う。なるほど。
 ともあれ、よくよく知られているほどにはこの狂言、大味なもので感動はしない。悪が強きを挫いて弱きを助けたように見える痛快さに拍手するのだが、その 実はそれもこれも山吹色の小判に欲心、悪はあくまで悪なのであり、前金が百両、成功報酬が百両の金が出なければ河内山宗俊、指一本も動かさず、三文の値打 ちの木刀で五十両の金を貸せとゆする男である。そういう裏表の、法界坊ならぬお数寄屋坊主の河内山である、どううまく演じたにしても胸はふるえない。

* では今日のお目当ては。これはもう、富十郎の僧に雀右衛門の祇園のお梶がからむ舞踊「喜撰」と、父芝翫の業平が子の福助扮する小野小町にいどむ舞踊 「業平」で、当代の踊り手としては、まあまあ、よう揃えたもの、組み合わせたもの、サービス満点。
 ことに富十郎の喜撰法師は、襲名公演でみせた坂東三津五郎のそれより、十倍も二十倍もうまかった。あのときはすこし落胆した「喜撰」が、今日は、胸の芯 までとろけそうにおもしろい所作を見せた。魅せた。さもあろう、雀右衛門がみごとに付き合っての名人富十郎悠々の踊りなのである、ため息が出るほどうま く、陶然と、楽しんだ。
 芝翫と福助は宮廷内の踊りである。初役だという芝翫業平の一人舞いを、小町の福助が目も放たずに見ていたのが心嬉しく、福助はまた一段大きく思われた。 いちばん佳い頃の尾上梅幸のように美しかった。
 この踊り二つが、中幕。

* 一番目は「毛谷村」で、梅玉と時蔵。加賀屋歌江が姑の役。終始出語りの浄瑠璃風で、気の良い、人情敦い六助を、梅玉が好感豊かにみせた。かつての冷徹 一途の二枚目梅玉では、ありえなかったような柔らかに力のよく抜けた好漢六助ぶりで、感心した。大顔の時蔵が大力美貌の女房を気を入れて演じ、執拗にから みにくる左十次郎抜擢の忍びを、やすやすと手玉にとる風情はたいへんけっこうであった。おっとりとした浄瑠璃劇である。

* 十月の藝術祭参加公演も松島屋に「通し」で頼んでおき、日差し厳しい銀座から結局地下鉄に逃れて池袋西武に移動、「たん熊北店」で、名も懐かしい弁当 「祇園」の夕食後に、妻にちょっと洒落たティシャツ一枚を見つけて買い、そのまま帰宅した。蒸し暑さに、一日、かるい気疲れがしていたので、クラブへは寄 らず帰った。
             

* 九月四日 つづきの続き

* 帰宅一番の喜びは、「ペン電子文藝館」へ阿川弘之さんから自筆のお手紙。湖の本への謝辞だけでなく、「電子関係のことは、さっぱり分らないのですが、 私の旧作が何かお役に立ったらどうか御意のままお使ひ下さい。御礼を兼ねて右のみ申し上げます 不一」と。「秦恒平様  阿川弘之」と。
 嬉しい。よかった。すぐれた作家から率先このように申し出て下さる心づよさ、云い尽くせない。疲れもとんでしまう。
 阿川さんの小説で、いちばん早く感銘深く出逢っていた「年年歳歳」が、欲しいなあと内心切望していた。そしてまた阿川さんは、志賀直哉の最後のお弟子で あり瀧井孝作先生とも親しくされていた。何となしにひとりで内心心親しい人と想ってきた。ひとしおの喜びである。すぐ、作品をスキャンしたい。

* 江戸川乱歩の著作権者からも、「『押絵と旅する男』ご掲載いただく件大変名誉なことと存じます。どうかご使用下さい」と許諾のハガキを頂戴した。感謝 感謝。

* 川柳の名手時実新子さんからも葉書が来ていた。「(   )入れも楽しみつつ、おもしろくて、秋近き夜長を短く過ごし、本日、いささか寝不足です」と。それだけではない、「尾崎喜八の『妻に』は、キライです。虫 くいの"徳"も埋められませなんだ。こんな妻にだけはなりたくないと、一気に眠りました」と。
 破顔一笑。喜八の詩は四聯にわたって長く、どうかなと首をひねりながら、井上靖の詩とならべて読ませたものだが、東工大の男子学生たちにこの「妻に」 は、ヤケに評判良かった。但し、「こういう妻になりたくないわけではないが、こういう妻を求めている男とは、結婚したくない」という女子学生の声の有った のも、わたしの本は忘れず書き添えている。時実さんの「キライです」は端的だが、この学生のコメントにもわたしは感じ入った。興味の湧く人は、ぜひ尾崎喜 八の詩を読んでください。

* 昔「群像」の鬼編集長大久保房男さんは、「早速埋めてみましたが正解率極めて悪く、知つてゐる作者のはどうにか当りました。今年没後五十年のわが師迢 空先生のがあればもつと率がよかつたのにと口惜しくて考へました。才能がないのがよくわかりました」と、慨嘆の体でご挨拶下さった。
 中西進さんも「おもしろくて次々とやってみました。小学生に万葉を教えており、(   )形式です。効果抜群」とも。中西さんが「なるほど」と頷いた短歌の一つに、島田修三作のこんなのがある。
   清き(   )女なんぞと歌ふ一首ありさういふモノがゐることはゐる
 これにただ一人も「少」女と虫食いを補う学生が無かった。大方が「美女」で、それに迫って「処女」が多かった。ウーム。原作は「乙女」で、これまたごく 少数派であった。
 講談社出版部長であった天野敬子さんも、ハガキを下さり、「詩歌的想像力を刺激されながら楽しく読みました。学生諸君の想像力には端倪すべからざるもの あり、『上』に引き続き堪能しました」と。嬉しい。
 長い封書の手紙等でも、また払込用紙の通信欄にも、作品をだすつど沢山な便りが届く。それがわたしの有り難い「追い風」になり、覆いがちな目の前の雲や 霧を払ってくれる。

* hatakさん  湖の本札幌へ届きました。早速読んで、「フムフム」と楽しんでいます。
「私は秦先生に導かれて、日本の優れた詩歌の旅人となり、この、世にも美しい旅に酔うことができました。」に、私も強く共感します。「導かれる旅」に。
 高校生の時、たまたま開いた「朝日ジャーナル」の『洛東巷談』で秦さんに出会わなかったら、私の人生も彩りに欠けていただろうなと思うからです。先月は 『ゲド戦記』を夢中で読みました。こんな本に出会えると、「十牛図」の牛になって、文学の世界を牽かれて歩いている気がしてきます。いやいや牛は私ではな く、あるいは秦さんが、『湖の本』という布を角に引きかけて善光寺へ導く観音の牛か。
「先生の授業を受けた生徒さんたちは灰色の映像の世界から生き生きした彩色の世界に飛び込んだような衝撃を受けたであろうと思われてなりません。」
 理系の学生さんならずともきっと衝撃を受け、後々(の人生で)それがジワジワと効いてくると、実感します。むしろ、索漠とした実験室内の金属片や遺伝子 断片に、色鮮やかな可能性を見ることができる東工大生だから、なおさら感受性が高いのではないかと。
 札幌は空気が澄んで、夕方、街は欧州色に染まります。
 残暑くれぐれもお大切に。  maokat

* わたしなど、やっとこさ「牛の足跡」らしきを見つけたかと半信半疑の頼りない段階にいる。だから、どうしても、ダボラをふいて暮らしている気持になる し、イヤにもなる。だが、だからどうすればいいのか。「今・此処」にいて、奈落へ脚を踏み出し踏み出しして進以外に道はない。道とは未知のことであろうか ら。

* 「わたしのことをもっと分かって欲しい」といった物言いを、ときどき聞いたり読んだりする。なるほどそういう気持を相手に対してもつ場合もある。こと に多年親しんだ人の場合にはそういう思いが、必要、という要件のかたちで出てくる。
 だが、たいていの場合、「わかる」というここと自体をアイマイでウサンくさいことにわたしは感じているから、自分のことも、そんなに簡単に「分かられ て」たまるかというほどの気持も持っている。自分にも分かりかねる自分を、そうそう人さまに分かられては叶わないではないか。それにもかかわらず、人は 「分かろう」「分かりたい」と思うものなのだろうか。「絵が分かる」という普通の物言いがいかにアイマイで、タマネギの皮をむくようなものだと講演したこ ともある。

* 京(風)の食品等を宅配するカタログの九月号をパラパラめくっていると、昭和六年のインクラインの写真が目に止まりました。まだ三十石船が台車に乗っ て動いています。お弁当持ちで見物人が集まったとか。その横をパンタグラフの付いた京津電車が走っています。ここは電車が走ってたんやで、と父からしばし ば聴いていたのを、確認出来たわけです。戦前までは、蹴上げからは三条通りを通らずにこのコースで、仁王門に出たとか。瓢亭の塀越しに鬱蒼とした樹木が見 えるのは、今も変らない景色でしょう。
 秦さんの処からは少し遠方になりますが、このインクラインは少し足を延ばしたいい遊び場でした。
 ところで、疎水の何処で泳ぎましたか。私など河童連中は、その少し下流、渓流橋との間に架けられた人は通れない鉄橋のアーチのてっぺんから立ちとびをし て、向こう岸まで流されながら泳いだり、底まで垂直に潜り琵琶湖から流れてきた蜆を取ったりしていました。大らかでしょう。中学二年頃まで泳いだのかし ら。
 「かやくご飯」でしたか、「いろご飯」でしたか。今カタログで見ていて思い出しました、栄養のバランスが取れた「いろご飯」を何倍もお替りをして、生長 した気がします。母は多忙だったのか、相当いい加減だったのか、いつも出し雑魚が入ったままでしたが。美味しかった。

* 我が家では「かやくご飯」と謂った。やっぱり味取りの出し雑魚がそのまま飯によく残っていた。出汁の出尽くしたような雑魚も、捨てては成らない貴重な 栄養源であった時代だったろう。この中学のクラスメートは、女の子ながらあの深い疏水の急流に鉄橋の高いところから飛び込んでいたという。疏水ではときど き学童の水死もあった。
 わたしは、他校区をまだ通り抜けてもそこへ泳ぎに行きたいほど熱心ではなかったが、男友達と数人で、あの平安神宮の朱の大鳥居前の橋の上から飛び込んだ りした記憶が二、三回は有る。田中勉君、西村明男君、團彦太郎君らと今も交際が続いている。


* 九月五日 金

* 「青春短歌大学(下)」をお送りいただき、ありがとうございました。早速通勤の電車の中で読みました。当時のことを懐かしく思い出しました。
 穴埋めも、今改めてやってみると、あの時は、たぶんこう入れたけど、今なら違う一字を入れるなぁとか、やはりいろいろ考えさせられます。環境の変化、心 境の変化、いろいろな変化があったんだと思います。もちろん変わらない部分は全く変わらないのですが(笑)。
 本の最後に、アーシュラ・K・ ル・グィンのことに触れておられましたが、私も、高校時代の恩師に「闇の左手」を薦められて読んだのを思い出しました。当時私は、かなりのカルチャー ショックを受けました。
  来週末から10日間ほどスペインに旅行に行くことになっているのですが、そのとき、往復の飛行機が乗り換えも含めると実に40時間近くかかることから、 持って行く本を考えており、グィンの本ならばと考え、一冊買って持って行くことにしました。
 私の方は、先日少しメールに書きましたスペイン文化を普及させるNPO活動の方、何とか順調に進んでおり、8月末に設立総会も開催することができまし た。まだまだ始まったばかりですが、楽しくやっております。
 先日行いました料理講習会の模様など、ホームページに載せましたので、お暇なときにでも、ご覧いただければ幸いです。
 9月に入り、8月までの冷夏が嘘のように暑い日々が続いております、お身体には十分気を付けて下さい。
 スペイン文化交流センターサラマンカ代表 河村浩一 
 HP:http://www.h7.dion.ne.jp/~npo_sal/

* 文字通りおいしいトマト栽培を研究し、成果をご馳走してくれた卒業生でもある。合気道のチャンピオンで、「幸福」を追わぬも卑怯のひとつと答えた数少 ない、ほぼ唯一人の解答者であった。現実と理想とに架橋する意欲をいつももっている。
 ホームページも開いてみたが、なるほどなるほど。着着とやっている。バルセロナの小闇はいま欧州の夏休み中で旅しているが、帰宅したらこのサイトをのぞ いて上げて欲しい。

* 愛情表現 2003.9.4     小闇@TOKYO
 「あ、そうだ。見なくていいの?」「何?」「阪神戦。今日は中継してるよ」「見なくていい」「何で」「今日は負けてるから」。
 阪神タイガースのファンではなく、『強い』阪神タイガースのファン。これまでの十数年間は、シーズンのごく一部だけ、生活の中にプロ野球が入り込んでい たという。
 合理的だ。
 強いお父さんが好き、優しいお母さんが好き。いつも明るい彼が好き、笑みを絶やさない彼女が好き。知らないことなんてない先生が好き、親切でさわやかな 先輩が好き。
 対象がひとの場合、一度好きになったなら、強くなくなっても優しくなくなっても、私はずっと好きでいる。ときに暗くても、塞いでいても。意外と無知で も、横柄で執念深くても。
 その対象を、真実、好きなら。
 たとえ、ダメになって、腐ってぐずぐずに崩れても、手を差し伸べたり言葉をかけたりもしない代わりに、そばでずっとその様を見ている。
 それが、冷酷無比で強情で、なかなか好きと口にしない、私なりの愛情表現。

* 愛情というと金魚すくいのアレのようにべちゃべちゃに濡らして、表現過多になり破いてしまうのが、普通。その方がそれらしいと好んでいる人が、この小 闇型よりはるかに多いだろう。どっちが愛情深いかは別の問題。

* 糧
 「言ってた本、あったから買ってきたよ」。主人が差し出す本に、ぎょっ。
 「そうよね。福音館書店だものねぇ」。
 茨木のり子、大岡信、川崎洋、岸田衿子、谷川俊太郎の5人が編者。福音館書店。それだけで購入を決めた「おーいぽぽんた」は、ケースに入った、立派過ぎ るほど固い装幀でした。弱ったなァ…。
 湖の本は、いつもテーブルの上に何冊か乗っていて、つまみ食いのチョコレートやビスケットと同じ扱いを受けています。出かけるときには、必ず鞄に入れま す。ハンカチや、飴玉と同じように。日用の、たべものですもの。
 但し、その分、背はやけています。ふりがなを書き、線を引き、書き込みも、ドッグイヤーもあって、あまり綺麗ではありません。鞄の取り出しやすい位置 に、ぽいと無造作に入れられ、雨に遇ったりもします。吊り革を掴んだまま、片手でめくって読んだり、結構、無茶もやるので、傷んでいます。
 「これ、読んでみて」と、出かけた先で気軽にプレゼントして、貰った方も気兼せずに済みます。
 読みやすく、書き込みやすく、折りやすい(ゴメンナサイ)大きさ、重さ、紙質。本当によく考えられています。有り難いこと。感謝しています。

* こちらこそ感謝しています。

* 本ですか、雑誌ですかと聞かれる。雑誌という編集でないのは、見れば分かる。本ですかという問いにはいつもこんな簡素なつくりでという疑問符ないし軽 侮がこもっている。少しでも安く、少しでも軽く、少しでも多くの内容がこめられるように慎重に決定した版型なのに。
 どんな鞄にもすうっと滑り込ませられるように、と。外装で人の値踏みをして憚らない世間を歩かせるには、瀟洒に過ぎるのかと、多少憂わしいのはいつもの こと。だから、こういうメールにはしんから励まされる。国際的な彫刻家清水九兵衛さんも、軽くて薄くて旅の友に最適といわれる。そうあって欲しいと願って いる。分かって欲しいのはこういうことだ。それはわたしの、命の部分に触れている。

* 阿川弘之作「年年歳歳」をスキャンし、校正中。また木村曙作「操くらべ」若松賤子「おもひで」も、水野仙子「神楽阪の半襟」も伊東英子「凍った唇」も スキャンした。その間にヴィクトリア・ムローヴァのバイオリンで、チャイコフスキーの協奏曲ニ長調、シベリウスの同じくニ短調を聴きに聴いていた。いま最 も愛している名盤の一つで、二枚あり、もう一枚は、パガニーニの第一番ニ短調と、ヴュータンの第五番イ短調。これが鳴っている内は単調なスキャン作業が苦 にならない。いつのまにか済んでしまう。
 明治の女流四人の作品校正も、昭和の阿川作品の校正も、とっても楽しみ。良い仕事、珍しい面白い仕事に出逢うのが楽しみでないわけがない。この五人をク リアしたら、次には、洋画家で谷崎作「蓼食ふ虫」に挿絵を描いた小出楢重のユニークな随筆をぜひ「招待」したいと思う。泉鏡花の戯曲「海神別荘」も、むろ ん。
 胸のふくらむような仕事だ、どれもみな。

* 浅草寺境内、平成中村座公演の昼夜通しの座席も、昨夜中村扇雀丈の厚意で無事にとれた。勘九郎がすごい力の入れようらしい、楽しみ楽しみ。重陽の佳日 には、明治座で三田佳子、平幹二朗、桂三枝に中村扇雀が加わってのエンタテイメント劇がある。また劇団昴はテネシー・ウィリアムスの芝居を、俳優座の稽古 場ではチェーホフの「ワーニャ伯父さん」をやる。浅井奈穂子のピアノリサイタルも、大学の友の女優原知佐子が平家物語を読む会もある。十月藝術祭参加歌舞 伎座も昼夜ともに楽しみ。九月十月は、寸暇ないほど楽しみがつづく。ひょっとすると京都でのペンクラブの大会にも往くか行けるかするかも知れない。
 そんな中に指し挟まっているNHKでの出演は、任ではないととはっきり分かつて居るので、やや苦にしている。

* 藤村の「夜明け前」着々前進、いまがわたしにして「読み頃」だと思う。ゆっくりと来年の春までかけて読もうと思う。「日本の歴史」もゆっくりだが進ん でいる。源氏物語は明石の一家に光源氏も身をよせて、不思議の縁が確認されている。とても気分の深まるところだ。
 バグワンは「存在の詩」がもうすぐ終わる。音読と黙読とを別の本で同時に続けたい気持に抗しかねている。

* 木村曙「操くらべ」を校正し、紹介を書いて入稿した。十八歳で死ぬ前年の作品で、三日間「讀賣新聞」に連載している。大好評であった前作の長編「婦女 の鑑」も讀賣に連載している。十六歳で母とともにチェーン店牛鍋の「いろは」第十店経営を父親から任されていた。曙は海外留学を切望していたが果たさな かった。洋装のすばらしく似合う凛々しい少女であった。うら若くして死んだが、その作品には、同時期の樋口一葉のような芸術的な人間彫琢はないが、女子の 生き方に対する「社会性」の視点が最初からハッキリ出ている。やはり少し先に飛び出した三宅花圃のものよりも、そういう点で、批評的な姿勢が評価できる。

* 郵便を出しに行った帰りに酒類のスーパーで、安売りの龍山花彫つまり紹興酒を一本さげて帰り、なんだか夕食前からほぼ飲んでしまった。どうも口いやし くていけない。さすがに日本酒の一升瓶を一度にはあけてしまわないが、ワインや中国酒はあけると飲んでしまう。
 糖尿病、よくならないなあ。
 体重だけは、かすかながら針が下向きで、この傾向を守りたい。


* 九月六日 土

* 阿川弘之さんの「年年歳歳」を校正し入稿した。昭和二十一年九月「世界」に初出の文壇処女作として知られる。海軍の副官から敗戦復員、原爆に壊滅した 故郷広島に、帰る家も大切な親や親族もすべて世にあるまいと覚悟して下車する作者その人の、美しいまでに初々しい、胸にしみる佳作で、はじめて読んだ昔に 感嘆した。好題でもあり、忘れかね、ながく胸に置いていた。阿川さんに戴くならこの作品と思っていた。あらわな反戦でも反核でもない、しかし今の読者もこ の作品に触れたときには、おのづと戦争の痛みや核爆弾の無残さを思わずにはおれない。声高に言うだけが反戦でも反核でもない、土に水のしみいるように静か に自然に温かく書かれたこの作品のような訴求力もあるのである。何度も目頭を熱くぬらしながら再読、幸せな読書であった。

* 水野仙子の「神楽阪の半襟」はまことに可憐な秀作、感じ入った。小栗風葉に見出された地方の文学少女で、田山花袋に師事し、しかし師に結婚に反対され て離れ、貧窮の巷に愛ある夫婦生活を送る。その一端をしみじみと書き起こして惹きつける短編には、自然主義的な作風から、人間心理を読みこむほうへ作風も 動いて、いつしれず有島武郎の文学に深く嵌っていこうとした作者の志向がよくうかがえる。この作者、三十二歳にして、貧と病と妻の座の重きに屈するように 惜しくも死んだ。「神楽阪」と書いてある神楽坂風景には、わたしたち夫婦も、甘い新婚のむかしの貧しい記憶を懐かしく重ねることができる。「青鞜」社員で もあった水野のすがやかな秀作である。これも入稿。

* 故福田恆存先生の夫人から、「青春短歌大学」上下各五冊送って欲しいと注文があった。このようにして、いつも支援して頂く。有難いことである。


* 九月七日 日

* 六時半に起きてしまった。又寝すると、昼になりかねない。
 夢にしきりに「夜明け前」馬籠宿の風景がみえたり人の物言いが聞こえてきたりした。少しずつしか読まないが、作品の文体が夢に入ってくる。そういう体験 はこれまで、露伴や鴎外の作品でも味わった。

* 起きてすぐ、伊東英子作「凍った唇」を校正しはじめ、校正し終えた。この人は、作家ともいえないのかも。島崎藤村の個人誌「処女地」にのみ僅かの小説 と随筆類をのこした、いわば寄稿家にとどまり、没年も知られていない。だが、あえて取り上げた此の小説は、ながく記念に値するすぐれた筆力と表現とで、身 内のぞくぞくする感銘をもたらす。肉身の自在を喪い廃人状態のまま高座にあがったという、実在の噺家柳屋小せんをモデルに、その衰亡の末期を、みごと文学 的に捉えて行く。小せん死後の心もち蛇足めくのは惜しいが、死に至るまでの描写や表現のみごとな彫り込みに、しばしば嘆声をもらした。もはやわずかな篤学 に記憶されるほかは湮滅作家としか謂いよう無いこういう書き手の、今に見る新鮮でたしかな文学的資質。
 これに比べて、今日いわゆる通俗読物大家たちの筆致の、浮薄なほどのあらけなさ、安易さはどうだろう。伊東英子のようなこういう隠れた書き手たちの実力 を、はかなく忘れ去ってしまいたくない。

* 早起きのついでに、泉鏡花の戯曲「海神別荘」をスキャンした。総ルビのため、スキャンはかなり混乱しているが、念のためあたまのところを校正し始める と、もうはや海底世界に引き込まれて行く。文学の言葉の魔力的な誘いが風のように奔ってくる。

* 思いがけずこの歳になって「文学」漬けの毎日だわと妻はわらう。わたしひとりの校正では目が行き届かないと思うとき、妻に手伝って貰っている。何の稼 ぎもなく、日々、「ペン電子文藝館」のボランティアで送り迎えている。こういう生活になるとは予想しないで来たが、妻にはともあれ、わたしにはこんな贅沢 な思うままの暮らしは無かったのかもしれない。

* チャイコフスキーに、バイオリン協奏曲はたしか一作しかない。ニ長調35だ。スイスのクラレンスで療養中に一月ほどで作曲されたスラヴ情緒の濃い、か つ華麗な技巧の傑作とされている。ヴィクトリア・ムローヴァがこれをダイナミックに演奏すると、わたしのからだ中が「音楽」になってしまう。単調な繰り返 し作業になるスキャンのときは、これが魔術的にわたしを虜にしてくれるので、作業の退屈はけしとんでいる。五十頁もある戯曲をいつのまにかスキャンし終え ていた。

* 今日の日曜など、ほんとはすこし眼を休めに外歩きしてきて良かったのだが。やはりそうもせず、若松賤子の「おもひで」を校正し入稿した。シュワルツ ネッガーの映画も途中でビデオ撮りは妻に頼んで二階に上がった。

* 与謝野源氏・中間報告2
 秦先生、 「青春短歌大学 下」は、上下の穴埋め、ほぼ解き終えました。これから本文に入ります。
 昔講義では、ほとんど正解してなかったような気がします。最近まで、俳句、短歌はよくわからない、という苦手意識があって、当時も、問題を解くのに、ず いぶん肩に力が入っていたように記憶しております。特別な一字をうめこまなければ! みたいな感じで。今回は、どれほど正解しているのか、楽しみです。
 源氏物語は、「東屋」です。実は、中巻を手に入れる前に、先に下巻があったので、待ちきれなく、浮舟のでてくる「東屋」から「夢の浮橋」まで先に読んで いました。しかし、中の君の妊娠、匂の宮が六の君と結婚、中の君が寂しさから薫に気持ちが傾いたことで、いよいよ恋心を抑えきれなくなってきた薫、中の君 の出産、薫の二ノ宮との結婚、そういう前置きがあると、東屋から先だけ読んだときとは面白さが違います。
 また、浮舟の母が、最初はずいぶんと自分たちの身分に引け目を感じて謙遜していたふうなのが、少将が常陸守の実の娘に鞍替えって侮辱されたのをきっかけ に、自分と中の君の母とも親戚関係であったのに、なぜ自分の娘はこのような侮辱を受けなければならないのか、と、中の君に近づいていったことなども、リア リティがあって面白いです。
 この8月から、フラメンコ・ギターを習い始めました。中学生のころ、クラシック・ギターをやっていたのですが、15年ブランクがあります。今はギターの 練習をしているときが、一番楽しいです。
 最近は、また、少しずつ前向きに活動的になってきました。ちょうど、大学に入学したときと同じような感じです。(螺旋、でしょうか。)時間を見つけて、 本を読み、思ったことを書きとめ、ギターの練習もし、気がつくとちょっと無理をしていて、頭痛や微熱、ということもあります。もっとうまく時間をやりくり しないと、と思う今日この頃です。もう31歳ですが、そろそろ一人暮らしをしようとも思っています。
 それでは、また、次回まで。先生もお体をお大事に、お願いします。

* 「一人暮らし」と来ると一人に一つの別の影の立つことが有り、女性の一人暮らし願望には、少しハラハラする。怪我のない満ち足りた自立の日々が来ます ように。


* 九月八日 月

* 黒いマゴに起こされ、七時半に床を離れた。ながらく強度の鬱病でひっこんでいた俳優の高島忠夫が、快復し、「イェイ」と昔ながら(とは行かないが)指 を立ててアイサツ。家族力をあわせて根気よく見守りつづけ励まし続け知恵を絞って今日に辿り着いたという。感動した。鬱は、われわれ老境が最も落ちこみや すく最もおそれねばならない難病。わたしの実兄恒彦の場合は他に病気もあったにせよ、やはり鬱の進行が覚悟の自決に奔らせたのだろうと思う。
 おのれを無用の存在と思いそれが悩ましくなるのは、知識人のおちこみやすい弱点であろう。じつは、無用の存在に成ることこそ人間の理想という境地もあ る。一種治療的意義も汲んだ境涯であったろうが、ほんとうにその通りだとわたしは思う。一気には到達できないにせよ、段階をふんで少しずつ己れを「無用 化」してゆくことは出来る。現に実践している。もうここ一年二年前からわたしは「稼げない・稼がない」暮らしをしている。しかも持ち出しの多いボランティ アに打ち込んでいる。伊達や酔狂でできない「無用の用の己れ」を楽しんでいる。かつがつ楽しめるのは、つまり働くべきときに働きまた働かせてもらえたから である。ほんの少し、足るがままでよろしく、多く慾はかかなかった。
 それでも鬱の心配はないなどと油断はしていない。こいつ、すばしこく稲妻のように身内に食い込む。知っている。すばやく対処しないと身内にいついてしま う。
 無用の用をいかすこと、それに鬱退治のなにかコツがありそうな気がしている。

* お久しぶりです  今晩わ。
 実は6月9日に、お姑さんが亡くなられました。初盆も過ぎ、納骨も無事済ませました。
 で、昔の友達が、会いに来て呉れました。久し振りにゆっくりと時間が過ぎ、西池先生、秦さん(ホームページ)の近況など・・・話が盛り上がり、残暑も忘 れ楽しい終日でした。

* 戦後の新制中学のクラスメート。数年前からパソコンをはじめたらしく、ときおり、写真のフアイルなど届く。まだなかなか他の友達はインターネットにも 手がとどかないでいるらしい。この人をキイ局にして、わたしのホームページが故郷でときには話題にされているということか、電子の杖の余徳である。女の人 で、われわれの歳になりお姑さんを見送るというのが、どんな感慨のものか、わたしの妻には「姑」という作品がある。妻は舅、義理ある叔母、姑と、いずれも 九十過ぎた老親を三人も見送った。その感慨が凝って一つの作品になったのが、「e-文庫・湖(umi)」におさめてある「姑」で。
「で、昔の友達が、会いに来て呉れました。久し振りにゆっくりと時間が過ぎ、」など、感じが伝わってくる。平安を祈りたい。

* なんとなく眼精疲労ぎみに眼がかすんでいる。まだ八時半。かるい朝飯を食べにおりる。
  ここ何年のわたしの日々を律しているのは、血糖値を計ること。インシュリン注射はもう慣れきって、ときどき忘れもするが、問題は血糖値、それを計るという こと。けさは、125。聖路加では、この数字を食事前の正常値上限としている。学会ではもう少し厳しく110としているが、聖路加はゆるやかに眺めてくれ る。なのに、なかなかそれが守りきれない。なにしろ郵便局へ行くと、帰りに酒類スーパーで中国の安酒など一本二本と買って帰る。悪癖。

* 先日、TVで、神田伯龍さんの「河内山」を聞いて、木挽町の配役を思っておりました。又五郎さん、お元気かしら。舞台姿拝見したいわ。
 文楽の切符が手に入りましたので、思いきってお江戸へ。
 お仕事がはかどり、こころ充るお時間を過ごされますよう。くれぐれも、ご自愛をお願いいたします。

* 歌舞伎座での又五郎は、ちいさく品の良いおじいさんになり、口跡もちいさく痩せていたが、それでも佳い役所で「河内山」序幕おさえの老人はわるくな かった。なにしろ初代吉右衛門に仕えていた梨園の生き字引のような役者。舞台に出てくるだけで味になる。この人と、何かのパーティのおりにしばらく立ち話 したことがある。役者とのそういう際の立ち話は、お人がまた別様に美しくにじみ出て興有るもの。歌舞伎の又五郎、狂言の萬(万蔵の頃)、新劇の仲代達也、 浜畑賢吉、映画の田村高廣、能の友枝昭世など。また女優では吉永小百合、沢口靖子、香野百合子など。

* 能登の羽咋にある釋迢空のお墓にお詣りしてきました。以前、お詣りしたときは、松林の中、という感じでしたが、松は枯れたのでしょうか、なくなってい ました。垣ひとつ結われていず、壇が築いてあるわけでもないお墓です。迢空のたましひのさびしさが、そのまま、お墓にあらわれているようなお墓です。
 墓石の脇に並んで、石の高さまで身体をかがめますと、砂丘の上にほそく日本海がながめられます。このたびは、曇っていて、さだかにはみえませんでした が、以前、まいりましたときは、ブルーブラックのリボンのような海が見えて、ふいI悲しくなり泣けてしまいました。このお墓にねむっているおふたりは、こ の海を見ながら、何を思い、何を語ろうておいでかと、思ったりいたしました。
 羽咋から、八尾に行き、風の盆を見、金沢へもどって縁者のところへ行ったりなどして、今、帰ってきました。
 留守の間に「湖の本」が届けられていました。ありがとうございます。
 また、中西進先生の「海の彼方」を「ペン電子文藝館」にとりあげたというメールも拝見しました。『漂泊』は、以前、読んだことがございます。再読、い え、再々読になりますか。
 『青春短歌大学』下巻を横目でちらちら見ながらキイを打っております。
 
* 南島に戦死した春洋さんと「ふたり」の折口信夫の墓がそんなであると知り、うたた心寒くも、いやその方が「ふたり」には寧ろ睦まじくていいのだとも、 想われる。「海の彼方」を語らってられるかも知れぬ。

* 「湖の本」をお送りいただき、ありがとうございました。
 すごく面白いですね。こういう授業もあるのか、と思います。「誠之助の死」などは別にして、試みればほとんどペケで、改めて自分の文学音痴を思い知らさ れました。 朝日新聞社

* 女性の作品を「電子文藝館」に次々と紹介してくださるので、とても嬉しく思っています。どんどん開いて読まないと、あっという間に増えているので、と にかく敬服しています。
 さわやかな秋の日であれば、何をいただいてもおいしく思ってしまう私ですが、それでもやはり栗が一番。栗ご飯が最高です。
 娘が2、3日京都に行っていたとかで、明日、道明寺を届けてくれるそうですが、これは京都らしいお菓子なのでしょうか。
 「私語の刻」を読ませていただいて、平成中村座はやはり昼夜いらっしゃるとのこと拝読。私は電話発売の日、お話中ばかりでついにかからず、歌舞伎座の売 り出しの朝1時間半並んで、やっと買いました。気まぐれに行くだけの素人観客ですから、それでちっとも構わないのです。楽しみにしています。   勝鬨橋

* 猿蟹合戦だったろうか、囲炉裏の栗がかっとはじけて猿をやっつけたのではなかったか。「栗」というのはわたしの頭の中では、たいそうな褒め言葉で、好 きな人を喩えるときにわたしはなぜか「栗の」ような人と出てくる。自然で硬質で木質の柔らかみや温かみもあり、知性的な感じを持っている。そして、火の中 で熱くつよくはじける感じ。
 口の中でむちゃむちゃとモノを言う人より、くりくりと明晰に温かくはなす人が好きだ。真っ白いなかにほの黄色い栗の実の飯。真っ白いなかにさみどりの豆 ご飯、真っ白いなかに青のにおう七草粥。みな好きだ。
 道明寺という菓子にかかわって、河内の道明寺のことを、大昔に随筆に書いたことがある。どこかの新聞であった。もともと餅が大好き、餅菓子が大好き。そ のなかでも「道明寺」といわれる菓子はお米のつぶつぶ感が口触りに優しくて、ひとしお好きであるが、名前からして菅公ゆかりのあのお寺がかかわっているの だと想っている。優雅に柔らかみの美味しい餅菓子として、品のいいものである。


* 九月八日 つづき

* お元気でいらっしゃいますでしょうか。ご報告がありましてメールしております。
 とうとう私もお母さんになれる日が近づいてきました。5ヶ月になれば大抵大丈夫ということでご報告いたします。研究室にはまだ連絡していないのですが、 秦先生には先にお話しておきたくてメールいたしました。
 予定日は2月14日、バレンタインデーです。
 会社は12月半ばまで出社し、その後産休、育休、と取る予定です。
 今から本当に楽しみで、日一日とお腹が大きくなってくるのを確認するのが日課となっています。夫婦ともども待望の赤ちゃんなので、大事にしたいと思って います。
 まずはご報告まで・・・。

* こういう知らせが重なってきていい年頃を、わたしの親愛なる卒業生たちは歩んでいる。あんまり遅くなると別の心配もあるし、しかし出産にはむかしは問 題にされなかった現代的に微妙なことも絡んでくる。だから、わたしの口から進んで話題にすることはない。それだけに、こうして心もはずむように知らせがあ ると、顔色も晴れるほど嬉しい。ご夫婦ともにわたしは知っている。佳いお子さんが必ず出来ると信頼できる。おめでとう。そして、お大事に。

* 友人である二人の画家から手紙が届いた。一人はこまごまと近況を。もう一人は、「・・・今日 遅くなりましたがあのあじさいの絵をお送りしました。  お気に召してくださると嬉しいのですが・・・それと別便にて 熨斗がわりもお送りいたしました。 美味しいお菓子をひとに教えられ、ぜひ召し上っていただ ければと・・・・押し付けがましく・・・お送りいたしました」と。佳い絵なのである、優美に。部屋をかざるのに小一年待つことになるが、来年に心優しい楽 しみが出来たというもの。

* 宮田智恵子さんの作品集から一編「ペン電子文藝館」にいかがと電話ですすめた。とても悦んでもらえた。ペン会員であり、わたしの久しい読者でありまた 会員でもある詩人中川肇氏にすすめられて、私に、作品集を贈ってこられたという。そんなことは聴いていたかも知れないが忘れていた。作品がよかったので、 奨めた。わたしの「隠沼」や掌説集がとても好きだと言われる。理解者と言わねばならぬ。 


* 九月九日 火

* 今日一番の喜びは、瀧井孝作先生の著作権相続者である小町谷新子さんより、先生の名作「結婚まで」の電子文藝館展示を許可して頂いたこと。先生の、近 代指折りの名品が「無限抱擁」であるのは衆目の一致するところだが、かなりの長編であり、短編でなら、籤とらずで「結婚まで」と確信してきた。こころよく ご承認いただけて勇躍という心地である。志賀直哉の「邦子」瀧井孝作の「結婚まで」阿川弘之の「年年歳歳」とならべば、なにか直系三代とでも想いたい力強 い作者と、作品。感激。すぐ、作品をスキャンする。尾崎一雄、網野菊、島村利正といった作家達の名前が胸に浮かんでくる、お願いしやすくなった。俳人の奥 田杏牛さんの作品はもう掲載しているが、この人は燃え立つほどの瀧井先生の崇拝者である。

* 俳優の浜畑賢吉さんや野村万作夫人の野村若葉子さんが、日本ペンクラブ入会の意向を伝えて下さっている。万作さんもご一緒に推薦したい、どうぞと奨め ている。ま、入ってどうという目立った利点は無いのだから、最初は真面目に勧めても、ワル強いは決してしないことにしている。本人の気持ちが、やはり第 一。

* 明治座へは日比谷線の人形町から歩いた。人形町は、ペンクラブのある茅場町から一駅、気に入っている下町である。すこし劇場入りのまえに散策、ただ、 今日の東京の暑さはしたたか身にこたえ、けだるかった。しのだ寿司の総本店で弁当を買っていった。芝居のはねたあとの人形町が楽しみであった。
 明治座は綺麗な劇場。成駒屋(扇雀丈)の番頭さんに、まず次の平成中村座公演、昼夜通しの切符各二枚を受けとり支払いを済ませる。発売が始まっても容易 に手に入らないと聞いており、有り難いこと。
 今日の芝居は、映画の三田佳子が座長格、平幹二朗と桂三枝が、そして中村扇雀が脇をかためた「日本橋物語」。他に、二宮さよ子など。可もなく不可もない 明治座芝居で、帝劇芝居より、なお軽いかもしれない。あまり軽い芝居は、観ていて、かえって疲労する。興奮で発散することがないから、なにかが身内にたま る。なにが率爾ということなく、平幹が真面目に芝居を起こしていたし、三枝にしてもわるふざけなく芝居してみせた。扇雀にいたっては、きりりと男役で、し かも珍しい創作舞踊を洋楽で演じ、相応に楽しませてくれた。二宮さよ子に至っては熱演であった。
 三田佳子は、映画女優としてもあまりよく知らない。テレビで医者などやっていたのを記憶している。この人の出世作は、たぶん水上勉原作の「越前竹人形」 や「五番町夕霧楼」ではなかったか。今日の芝居では、演技実力の程を察しるのは難しかった。なにかしら調子づいた芝居の作り方で、戸惑いがのこり、可とも 不可とも馴染みきらなかった。
 物語はそこそこ作ってあったけれど、感動作とはほど遠い、段取り芝居であった。

* 四時前にはね、外はぎとぎとする暑さ。どっと疲れが出たので、無理せず銀座にもどり、銀座でも無理せず池袋にもどって、やはり体力には食べて熱源を と、パルコの上へあがって多年馴染みの「船橋屋」で天麩羅にした。天麩羅ほど当たりはずれのない食べ物は少ない。甲州の「笹一」をコップに二杯。妻もやっ と元気を回復、心地よい酔いのまま保谷まで電車で寝て帰った。タクシーもつかわず、ゆっくり歩いた。
 半日の楽しみ、そこそこのものであった。前から四列めの花道に近い通路際という最良の席で、グラスの必要もなかった。有り難かった。

* 涼しくなってほしい。週末の電メ研から、来週はテレビの収録も含め、木曜を除いて月曜から日曜まで、会議など、外出の用事がつまっている。卒業生の二 組から逢いましょうとお誘いがある。こちらから声を掛けたい、掛けねばならない先も三つ四つできかない。不義理だなあと嘆息しながら、やはりからだと相談 しなければいけないし。建日子からは、数日愛猫のグーを預かってくれないかと頼んできた。
 十月からの十回連続ドラマ、無事に書き上げたらしい。よく頑張った。

* 野中広務が政界引退を公言し、反小泉総裁選に捨て身で取り組むという姿勢を見せた。率直にいえば、「負け」の受け容れと。 
 いちばん願わしいのは、小泉がたとえば亀井に負け、亀井が総選挙に惨敗し、民主党政権が出来、自民党が引っ込むという筋書きなのであるが、それでも亀井 に政権が渡るのでは酷すぎる。亀井は政治家として言葉も見識も軽すぎ、いかがわしい。小泉は一面で危険きわまりない好戦・保守派とみられる宰相だが、ある 種の節度も信念も持っていて、亀井より好もしいところが確かに有る。小泉にかわり、菅直人が内閣を組織できるなら、わたしは躊躇なく小泉を見限る。彼は日 本国と国民のためにはあまりに危険すぎるものを、いつも平然と持っている。


* 九月十日 水

* 瀧井先生の「結婚まで」をスキャン、気がはずむ。著作権者の小町谷さんに、また阿川弘之さんに、「ペン電子文藝館」として、お礼を書いた。「湖の本」 に、新井満氏、吉永みち子さん、朝日の藤森研氏からも手紙がきていた。

* 同僚委員今川英子さんの資料提供で、おかげで忘れられがちな女性作家数人に光をあて得た。いずれも資料からスキャンし校正し入稿するまでの一連作業 は、原稿を手元に盛った私がするしかない。水野仙子といい伊東英子といい、読み込みは新鮮であった。木村曙もそうだった。高い志をもちながら曙は十八で、 仙子は三十二で死に、伊東英子など没年不詳。有名は有名なりのこともあるにせよ、多くを僥倖に得ただけという場合もある。無名には無名の理由があるが、多 くは才能に理由があるより、貧や性別や時代からの圧が、不運が、そうさせた場合も多い。

* 寺井谷子さんの選した十二句が届いた。その中から、一、二、三席と、わたしにも選べと。まいったね。

* 「歌ッて、何?」と、短歌を主にして歌なるモノを論じた一冊が「湖の本エッセイ」31に有る。だが、俳句のことにはあまり手を出さず口も出さずに来 た。「沖」「秋」「鷹」「阿羅多麻」「琅かん」等々、句誌もよく見ているが。「俳句ッて、何」と問われて、わたしに何が言えるだろう。十二句、徹底して批 評してみよう。

* 自民総裁候補の誰も、あれほど問題になった「外務省改革」について語らない。反小泉候補は、道路公団の居直り総裁への判断を一人も語らない。だれも金 正日政権の否定・否認こそ北朝鮮政策の基本であるべきことを語らない。憲法の何を改正したいのかを語らない。反小泉三候補は、小泉政治を批判しつつ、その 批判の的である一つ一つを自分はどうするか、全く語らない。有事についても非核三原則についても自分のスタンスを少しも語らない。
 野党連合政権へ、自民は政権を一度移動すべきである。総裁選に負けたとき小泉は、自らの手で国会解散でなく、むしろ野党に選挙管理内閣を委ねて総辞職す べきである。むかしの国会では、そういうことも有った。

* ビデオ映画でもちょっと、はつってから、もう寝ようかと思っているところで、面白いのに出会った。待っていたということか。こういう「情報」はまち がってもわたしからは出ない。

* 表記 2003.9.10   小闇@TOKYO
 かつて一世を風靡したものに、「ポスペ」おっと「ポストペット」というものがある。ピンクの熊がメールを運ぶ、というキュートでキャッチーなソフトで、 99年から2000年にかけて、無味乾燥と思われがちだった電子メールの世界に、若い女性を巻き込んだとされている。販売元はソニーコミュニケーション ネットワーク、略してソネット。
 その業界では有名な話だが、ソネットは「ポスペ」という呼称を認めていない。少なくとも全盛期当時は認めていなかった。曰く、「どなたが言い出したのか 分かりませんが、弊社としてはポストペット、と表記していただきたく」。
 「ポストペット」6文字、「ポスペ」3文字。所詮略せて三文字程度だが、文字の制約の大きい見出しなどではこれが非常に効く。これをトットト取って詰め られればなあ、と思っても、ダメなものはダメなんである。
 そう信じていたのに。今日乗った地下鉄に、携帯電話で使えるポストペットの広告があった。一番目立つキャッチは「ケポスペ」。言わずもがな、ケータイポ ストペットの略である。
 ダメって言っておいて自分たちでやるなよなあ。うーん、これも時代のせいなのか。
 思い出すのは、六本木に本社のある外資系。今でこそ「日本IBM」だが、しばらくは「日本アイ・ビー・エム」であった。右手小指が担うこの「・(中 黒)」が、どうも入力のペースを乱していた。文字や打鍵の数の問題も、もちろんある。
 なぜ日本IBMではなくて日本アイ・ビー・エムであったか。そう書くことが、その会社の希望であったからだ。そしてそれが「日本IBM」に変更されたの も、同じ理由。いい悪いではない。なんなんだろうねぇという話。逆じゃなくて良かった、という程度の。登記上は日本アイ・ビー・エムでも、「表記」という のはそんなもんだ。
 日本電気を略して日電とせず、「NEC」と書くのも、そんなもんだ。
 ついでに、「捨ててはいけない三社」というのもある。
 「捨てる」というのは、文字を小さく表記することで、具体的にはヤユヨをャュョと書くことだ。捨ててはいけない三社は、「キヤノン、シヤチハタ、キユー ピー。」断じて「キャノン、シャチハタ、キューピー」ではない。それが社名だからだ。厳然たる日本語の固有名詞を間違えるのは、「ポスペ」や「日本 IBM」のような舶来語の省略に伴う話とはちょっと、レベルが違う。
 ところが結構、これを間違っている印刷物もある。カメラ雑誌や料理雑誌でも、だ。最近はその間違いが向こうから目に飛び込んできて、自分が間違えたかの ように胸が苦しくなってしまう。

* 面白いでしょ。


* 九月十一日 木

* 散髪をすませ、ほっとした。気が付けばテレビの収録まで他に日がなかった。ボサボサの頭で顔をだすところであった。収録なのか生放送なのかも頭に入っ ていない。気が入っていなくて、我ながら困る。せめて散髪だけでもしておかないとワルい。

* 立原正秋さんのご遺族から、代表作であり精神私小説の極北ともおもう『冬のかたみに』を「どうぞ」と、電子文藝館掲載のお許しがいただけた。嬉しい。
 立原さんには、顔を合わせて長く話した記憶は一度も無いのに、私的にたくさんな思い出がある。一つ一つが懐かしい、有り難い、佳い思い出ばかりである。
 そんな中でもごく些細な一つをあげれば、「鳩サブレ」という菓子がある。名前は知っていたと思うが、初めて食してうまいなと嬉しかった。立原さんの贈り 物であった。書評した礼に届いた。書評など茶飯事にしていたから、そんな返礼の有ったことにわたしはビックリしたが、鳩サブレの美味にもおどろいた。
 立原さんからの食品は、菓子でも、魚の干物でも、とびきりウマイのが常であった。あの人は、そういう生活面にもほんとうに力の入った稀有の人であった。 そんな立原さんの代表作は、わたしは『冬のかたみに』だと感じている。わたしも妻も、あの小説を読んでいたとき立原正秋に「最も近く」いたし「最も愛し」 ていたと思う。『冬のかたみに』が貰えたよと妻に云うと、一瞬絶句して「ほんとう」と声が出た。わたしもだ。
 手紙を下さったのは娘さんの、幹さん。初めて書き下ろしの小説を本にされたのも一緒に頂戴した。瀧井孝作先生の娘さん小町谷新子さんも著書有り絵も描か れる。お目にかかったことはない。

* 小闇の面白さに打鍵です。 若い人、教養があり肩で風を切って歩いた「誇り」が、実にいいと感じるメールを読みました。
 「年年歳歳」阿川弘之著、「歳々年々」安岡章太郎著。
 二人の方が「志賀直哉論」を書いている。安岡氏は若い年ごろに、阿川さんは1994年の「志賀直哉」。二人とも健在である。嬉しい。
 新鮮な話題の「闇」に、メールです。感謝です。  神奈川県

* 瀧井孝作『結婚まで』の校正を終えた。志賀直哉一家との身内のように溶け合った日々が、京都の粟田口ないし山科で送られていた、その当時の記念碑作で ある。瀧井先生に初めて出会う人達の感想を、微笑で先取りし、楽しみながら、読了。一言して、無駄な、無くても済むことは一切云わないし書かない。それが 独特の「悪文の名文」になる。刀で木を彫り込んでゆくような文体に、言い難い魅力が光る。

* 昨日と今日と、二日つづきに昼下がりのパニック映画を、三倍速で録画した。むかしに「大統領を作る男たち」だったか、をビデオ撮りしたことがあり、今 もときどき観なおして損をした気がしないが、今度のも大過なくリアルに画面を連鎖し構築していて、わるくなかった。一人も名前を知った俳優の出てないのが よかった。キム・ノヴァクによく似た金髪の女優の名前がわからぬままで、惜しい。もう一人のローン・ローリーは普通の印象でしかなかったが。

* あすは、電子メディア委員会だが。この残暑厳しい中で、関西からもわざわざの参加は、ま、ムリなはなし。遠方の人は、メーリングリストを有効に用いて 討議に加わって貰えれば、可。そうではなかろうか。そのためにも、東京近県の委員を増員して、少なくともいつも五人から七人での会議が成り立つようにした 方がいい、と、山田健太委員長に進言してある。


* 九月十二日 金

* 初孫のやす香が十七歳の誕生日を、朝一番、赤飯で妻と祝った。いちばん娘らしいこの十年を、同じ東京に暮らしていながら顔を合わすことが許されていな い。惜しい十余年であることは、やす香やみゆ希にもそう、われわれ祖父母にはましてそうである。
 ま、こんな非道も、世間にはいくらも有るのだろう。たぶん世間並みをやっているわけだと、わがことながら仕方なく「眺めて」いるのである。娘や孫達が、 せめて健康でいてくれればいい。

  捨てかぬる人をも身をもえにしだの茂み地に伏しなほ花咲くに   斎藤 史

* 夫が妻を語っている、という建前で、筆者=作者である妻自身が自分自身を語っている、つもり、らしい文章を何度か読んでいる。もってまわった趣向が自 然なつよさで胸に届いてくるまでには至っていない。やや過剰に情況が攪拌されて届くから、読み手には、書き手が意図しているほどすらりと届いているわけで はない。戯画化は、むずかしいものである。

* あまりの残暑厳しさに電子メディア委員会は人が寄らず、流会となった。今日の戸外のギラギラと眩しいこと暑いことは、言語道断。
 暑さのせいではないが、昨夜は三時間余を眠っただけで、六時には物音で目が覚めてしまった。もう一度寝入るのも面倒で起きて、妻と赤飯を祝ったのであ る。私の留守に、妻は十余年来、初めて娘と電話でしばらく話すことができたという。二人のためにとても良いことであった。母と娘とのあいだに、表向きであ れ裏側でであれストレスが緩和されるなら、まちがいなく良いことである。「親不孝をしていて申し訳ありません」とすぐに朝日子は母にアイサツしたという。

* 瀧井先生の『結婚まで』は、妻も通読して、細部までともあれよく点検して、入稿した。
 ついで泉鏡花『海神別荘』立原正秋『冬のかたみに』小出楢重『漫談・閑談・雑談』そして宮田智恵子会員、崎村裕会員の小説を起稿し入稿してゆく。
『冬のかたみに』は三章の、密度濃い大作。まず第一部「幼年時代」から着手する。立原さん畢生の秀作である、心して取り組みたい。

* 毎日パソコンでみています。とても楽しんでいます。有難うございます。 毎日毎日です。
 一水会展 私は賞をめざしているのではないのです。ただ、先生が、この2年位前から注目してくださっているのを肌で感じていましたので・・・取り上げて くださったのが嬉しかったのです。斬新で色使いが美しいと・・・でも芯がない・・・デッサンがよわく奥のものが伝わってこない・・・とおっしゃられます。 ご批評いただきたいのですが・・・・自分で反省いたします。ごきげんよう。

* とほうもなく眠い。月火水金日とみな外出の予定が立っている。この残暑、消耗の覚悟しなくては。眠れるときに眠っておく。


* 九月十二日 つづき

* もうやすもうと思っているところへ、図書館関係の人で従来も何度か私宛にメールを寄越す人の、下記のようなのが届いた。あまりヘンなので、私信とはい え参考資料の「引用」として引き合いに出し、わたしの返信を書き添えておく。

* 三田誠広くんの本について   三田誠広くんの『図書館への私の提言』(剄草書房)をお読みになったでしょうか。正直に言ってとてもびっくりする内容 です。
 まず、図書館の貸出による被害や複本問題をいうのですが、この本のどこにも、その実証がありません。これでは、論理の基盤がありません。
 しかも、驚くことに、いくつかのところ(89、163)で純文学以外の小説を文学とは認めない文学観を示しています。推理小説はどうやら文学ではないよ うです。そう考えるのは、勿論個人の自由です。だが、そうした文学観を公言する人が文芸家協会の常務理事では少々問題があるのではありませんか。
 これは、私たちの問題ではありませんが、あまりにひどいと思わざるを得ません。一度、善処された方がいいのではないかと思います。  指田文夫

* 指田文夫さん  秦
 三田誠広さんの『図書館への私の提言』(剄草書房)は読んでいません。
 純文学(厳密には純文学とは私小説のことという文学史的な狭義の流れもあります。藝術的な文学の意味に広義に理解する習いもあります。私もそうです。) 以外の小説を、文学的に高く評価しない文学観の持ち主なら、三田さんに限らず文学史的に総覧して、夥しい人数にのぼるでしょう。むしろ、三田さんがそうい うハイな文学観の持ち主なのかどうか、わたしはよく識りません。
 推理小説などは、「文学」というより「読み物」という考え方の人は大勢いますよ、この世間には。それも一概に境界は定められませんが。そしてそう考える のは勿論あなたの云うように「個人の自由」です。ましてそうした文学観を公言する人が文藝家協会の常務理事であっても、何の問題も無いと思います。むろん そうでない読み物作家が重い役員であっても、何の問題もありません。みな、それぞれの信念と手法に従い等しく「創作」しているのですから。
  これは、あなたの問題ではないと、あなたは書いている。そのあなたが、「あまりにひどい」という理由など、全く
見つかりませんし、此の私に「善処せよ」とはどういう意味なのか不可解で、まったく余計なお節介です。図書館の関係者がこういう「文学」にかかわる内容 で、私にあやふやにものを云ってくるのは、不見識過ぎませんか。
 私は、本心から図書館周辺の当今の問題を心配している一人ですが、こういう変梃な攻勢をかけられるのは笑止の極みです。

* 最近「本とコンピュータ」に原稿を書いていた図書館関係者など、すぐれてよく事態を把握し、説得力があった。そういう人もいる一方で、たとえば上の人 は、例えば三田氏や猪瀬直樹氏をつかまえて呼び捨てで私信の中で罵倒してくる。行儀を知らない人である。

* こんな中で、また猪瀬言論表現委員会は図書館との対決姿勢のシンポジウムを計画しようとしている。話し合うのは大切だが、「あの問題」も「この問題」 もムリにひっくるめて「この際一気に」的な論法から勘定高いだけの結論を急ごうとするようでは、無用の気勢をあげて亀裂と確執を深くするに止まるだろう。 心配だ。
 さきの指田氏の最初に云っている、「図書館の貸出による被害や複本問題」で、「この本のどこにも、その実証がありません。これでは、論理の基盤がありま せん。」などは、残念ながら論議の当初からかなり事実に近く、わたしは、もっぱらその一点からも著作者側が今少し冷静に事実に対応しなくてはいけないだろ うと云ってきた。それとともに、やはり文藝家協会でもペンクラブでも、それぞれのどの程度の会員がどう考えているか困っているかいないかのせめてアンケー トでも実施すべきだろう。委員レベルと会員レベルでは、かなり問題点の把握の強さが違うのである。この辺の問題、著作者と図書館とがお互いに功名心にから れて決起しないでほしい。向かうべき相手がちがうのである。
 そして「読者」「利用者」の意見も謙虚に聴くべきである。図書館は無料貸本屋では無いはずである。


* 九月十三日 土

* 立原正秋作『冬のかたみに』の第一章「幼年時代」を朝飯前にスキャンした。四時間ほど寝て六時前にパチリと眼があき、そのまま起床。アシュケナージの 「月光」ホロヴィッツの「熱情」「悲愴」を聴きながら、この三曲の間に、きっちり一章分のスキャンを終えた。
 校正にも少し手を付けてみたが、初めて読んだ日々の感銘が、胸に清水の盛り上がってくるように甦り湧いてくる。立原さんはいろんな作品を数多く書いた流 行作家、読み物作家の最たる一人であったけれど、根に、純文学の清冽を抱いていた。ことに『冬のかたみに』は、底知れぬ湖水の深さを思わせて哀情を湛えた 作品であり、この名品を、「ペン電子文藝館」に「どうぞ」とご遺族より戴けたのが喜ばしい。嬉しい。少しく作業は苦労だけれど、全三章とも掲載させていた だこうと思う。

* 立原の『冬のかたみに』が私を揺り動かすのは、立原正秋が渾身のフィクションを「私小説の極北」かのように精神と美の問題として書こうとしている、そ の「本気」の、清明かつ深刻なところ。だから、わたしはこの作品を、立原正秋のあえて「私小説」として読むことで、彼と同じ「島」に立ちたい。この作品こ そ彼の優れた文学精神の光彩美しい結晶だと思っている。彼の虚構したかも知れない年譜などとは無関係に、立派なこれは「文学作品」なのである、表現も把握 も。

* 立原世界から階下に降りて、朝食の間に自民総裁四候補をまじえた噺家文珍司会の討論会を聴いていたが、気の晴れる聞き物でも見ものでもなかった。憲法 九条は全員が改正意見であった。争点の一つに年金制度があったが、福祉をわきへわきへ疎外してきた政策のわるいツケがまわってきたのであり、制度の立ち枯 れがもう其処に見えているとすら言える。小泉総理のかなりな楽観論は、あまいのではないか。他の三候補にも名案はなく、消費税の増税で賄い乗り切ろうとい うのだろうが。このままでは誰も持っている金を使いたいとは思うまい。デフレ克服ないし追放をいう論者もあるが、インフレよりデフレの低物価のままでいい という国民は、本音として多いのではあるまいか。我が家でも、インフレはまったく歓迎していない。スパイラルしない程度にはデフレ傾向の現況に大きな不満 はない。

* NHK俳壇の台本が届いた。文壇すらなくなったという人のいる時代に、国民文学である俳句や短歌を、NHKが率先して狭い「壇」に祭り上げて、ぬるま 湯のような番組へ閉じこめている現状は、何という時代遅れだろうかと思う。いまもって月並み俳句や短歌の、遠い昔の句会や歌会と同じやり方で、この句、こ の歌「いただきます」てな調子で点を入れ合っているなど、これはもうNHKの見識が錆び付いているとしか云いようがない。俳句を作る短歌を作る輪の中の、 壇の上の人達だけの、擬似専有感覚に、このゆたかな表現形式を無反省に預けてしまっている。
 ちがうだろう。俳句や短歌は、そんなものを作ろうと思ったこともないような広い国民層をもまきこんでゆける表現であり、創作行為なのである。活気をよび こむ工夫が必要である。
 わたしのいわば創始した短歌や俳句の虫食い創作は、そういう工夫のなかで既に或る程度の成果をあげた一つだと思う。
 秦の父は、日頃は短歌や俳句に何の気のある人でもなかったのに、正月になると、祝い膳の箸紙に、なんだか歌らしき俳句らしきものをひねり出して披露する ような洒落気ももっていた。短歌や俳句はそういうものとして国民の文藝たり得てきた。「壇」の専有にするのはもともと発想の向きが逆なのである。
 かつて馬場あき子さんに頼まれて「歌壇」に出たときも、同じことを感じていた。今度は寺井谷子さんに請われて「俳壇」に顔を出すけれど、それはそれとし て、NHKのこの番組製作のセンスにも態度にも、わたしは、賛成していない。かなり時代錯誤だと思っている。
 ま、仕方がない。録画のための心用意にかかろうか。

* 9.11     女友達に頼まれ、CSで吉右衛門の「渡海屋・大物浦」を録画して休んだ昨夜、夢を見ました。渡海屋の、開け放した座敷に立って眺めているのは、船ではなく て、崩れてゆく真っ白なビル。爆風で飛んできた金色の仏像を、鋸を持った男が、鎔かすのだと言って、頭部を割りました。
 昨日は、海士が海中で見つけた観音を祀ったという、浅草寺と似た縁起のお寺を、愛知県海部郡に訪ねたのです。名古屋から津島行きの電車に乗って、甚目寺 へ。西枇杷島町を通りました。
 東海豪雨は、3年前。9.11でしたのよ。
 甚目寺町から長久手へ。
 近代日本画ばかりの、小さな美術館へがあります。
 おとめが、紅葉の下に膝をついている松園の絵に、「娘深雪」を思い、札を見ると、同じ製作年でした。1階から2階…矢印は、中庭に面したラウンジへ降り る階段を示しています。浅い角度で曲がる階段の、踊り場に、桔梗が揺れていました。
 展示の最後は、安田靭彦の画。
 長久手辺りには、たくさんの池がありますが、猫ケ洞池と、猫洞商店街へ行ってみました。弓用具専門店、茶道具・古美術店、老舗の和菓子店などあって、楽 しかったです。

* ことがらの背後へ自分は隠して、属目を、体験を、印象をただ具体的に書いて旅の風情を伝えてくる。こういう筆致がいちばん読み手の共感や追体験を誘 う。自分自身を飾ろうなどすると、すぐみえみえに、なにもかも臭くしまうものだ。わたしがこの人のメールをコレクトするのは、追体験が自然に出来るから。 なんという、わたしは不精者だろう。いながらにして、旅なんて。

* 映画「英雄の条件」は、トミー・リー・ジョーンズとサミュエル・ジャクソンという強豪俳優の顔合わせで煮つめてゆく軍事裁判劇で、興味深い流れをみせ てくれた。イェーメン大使館に襲いかかる民衆テロから大使一家を救出した海兵隊を指揮していた大佐が、攻撃されつづける危険から隊を守るべく応戦と攻撃を 命じ、武装した民衆の多くを殺傷してしまう。国際問題化をおそれた米政府と軍とは大佐をみせしめに罰して窮地を脱しようと画策するが、大佐とともにベトナ ムで言語に絶する死闘を闘い合った先輩退役大佐の弁護活動により、ほぼ真相を追究し得て無罪をかちとる。イエーメン民衆が少女に至るまで武器を持ち烈しく 大使館を射撃していたのを示す重要な証拠物件のビデオを、故意に破棄していた大統領補佐官が逆に失脚してゆく。
 きわどい話題であるが、裁判劇の面白さを限度いっぱいの劇的状況下で展開し、二時間を堪能させた。
 映画は面白い。映画のいいところは、映画藝術の手法自体によって、文学におけるような藝術文学と通俗読み物とのような対立評価が必要でないこと。あくま で映画的にのみ評価できるので、これは藝術、これは通俗というような対立ではなく、要するによく出来た映画か、へたなつまらない面白くもない映画か、だけ の違いになる。


* 九月十四日 日

* 六時半に起き、もう少しと、また横になったら十時前まで。そのまま田原総一朗の番組を見ていたが、反小泉の三候補は団栗の背比べで、このままだと小泉 内閣の交替はありえそうもない。小泉批判は大いにケッコウだが、批判した項目の一つ一つに、だから自分はこれはこう、あれはああすると自分の方策が出せな いのでは、いたって弱い。争点にたいし具体的に新提案して競ってくれない、甚だ食い足りない。菅と小泉の対決が望まれる。

* 明日からの一週間、次の日曜日まで、せめて気候的に少し涼しくあってほしい。木曜の他は出ずっぱりになる、体力が欲しい。
 私の顔をみると、だれも元気そうだと言ってくれるが、四肢は痛く痺れているし、違和を感じている箇所は全身にいっぱい。睡眠も足りていない。
 それでいて、一つ一つの仕事や用事をしていると、つい、時のたつのも忘れている。出ずっぱりといっても、気に染まぬことは何も無いのである。しかし疲労 は容赦なく蓄積してゆく。
 そんな中でもやはり芝居が楽しみだ。今月の梅玉・時蔵の毛谷村も、あの富十郎・雀右衛門の喜撰も芝翫・福助の業平も、反芻するように瞼に嬉しく浮かんで くる。明治座の「日本橋物語」ですら平幹の馬の脚が思い出され、けっこう懐かしい。まだこれから劇団昴の洋ものがある。「花粉熱」これは期待できる。三十 か一日には原知佐子から招待の「平家物語」の読劇がある。この頃此の「読む」芝居企画が多い。俳優座の稽古場でやった井上ひさし原作の「不忠臣蔵」もそう だった。同じ稽古場で、今度は「ワーニャ伯父さん」をやる。チェーホフの芝居で一番劇的に面白いのではなかろうか。今度のは妻は辞退したので一人で見にゆ く。そして十月は、歌舞伎座が藝術祭参加の昼夜興行、出し物もけっこうであり、松嶋屋からもう座席取りそろえて送ってきた。我當は、夜の金閣寺に勇ましい 役で出演する。堂々と見せて欲しい。そしてお目当ては、浅草寺境内の平成中村座が昼夜。「骨寄せ岩藤」などを勘九郎がどんなにめざましく魅せてくれるか、 翫雀ら若手の同じ興行を南座で見たのがまだ頭にある。楽しみなことだ。
 いつまでも、からだはもつまい。いまのうちに楽しめることは楽しんでおきたいと俗欲も出ている。

* 反動でかもしれない、人と逢うといったことが減っている、というより、すっかり腰がひけている。モノ・コトに付き合うよりも、ヒトと付き合う方がエネ ルギーを要するのは当たり前だろうが、それに見合うワクワやドキドキがあまり期待出来ない。と言うより、たとえ有ってもそういうワクワクやドキドキがさら に疲れを深くする。
 いま、立原幹さんの小説も読んでいる。ヒロインは、室生寺の釈迦如来に魅了されている若い女性。日々に自身の視力をうしないつつある不安と、甘美なほど の釈迦如来像への傾倒とが、ないまぜに書かれている。わたしには、それほど超俗の欲望はないけれど、要するにわたしを魅了して已まない、仏ならぬそんな人 との出逢いが、所詮はもう望めない気分なのかも知れない。いやいや、まだまだ分からないけれど。
 逢いたい人がいつでも有る……のを、元気さや若い気力の象徴のように自分に言い聞かせてきたが、それは今も事実だが、さて誰とと思い至るときに、だんだ んと大勢有ったそのシルエットの一つ一つが魅力の輪郭を溶かしはじめている。いっそ頭の中で逢っていればいいではないかと、これは断念というに近い老いの 自覚なのだろう。作品に書いた人は作品の中で永遠に若い。ものの譬えにも還暦の現実の慈子より、作品の中で実在の慈子の方がわたしには貴い。一種の衰弱な のかも知れぬと自戒はするが。


* 九月十四日 つづき

* お返事ありがとうございます。
 お腹の子は順調に、何の問題も無くすくすくと育っております。ちょうど先生がお返事を出してくださった日に5ヶ月検診に夫と共に行ってまいりましたとこ ろ、足まで伸ばすと17cmくらいまで育っていると言われました。一ヶ月前には数センチだったのに、もうそんなに育っているとは驚きでした。
 会社で毎日顔を合わせている人たちからは、妊娠したころから私の表情が柔らかくなったと言われました。本人はあまり意識していなかったですし、今鏡を見 てもさっぱり分からないのですが、何か私の気持ちの中でも変化があるのでしょうね。
 でも、本当に待ち遠しく、毎日膨れてくるお腹を観察しては一人微笑んでいます。傍から見たら変な人なのでしょうけど、嬉しいのですから仕方が無いですよ ね。
 実家の父も、報告したときには特に嬉しそうでもなかったのですが行きつけの飲み屋などでは、孫が出来ると皆に自慢していたようです。そんな話を聞くと、 余計に心弾むものです。
 秦先生にも祝福のお言葉をいただき、私の心もますます弾んでばかりです。
 また新しい命が誕生しましたら、必ずご連絡申し上げます。
 最近は残暑が厳しく、体調を崩される方も多いと伺っております。先生もお体にお気をつけて、お過ごしくださいませ。

* 文字通りこの通りに此の母親は思っている、と、わたしには分かる。教室の頃の、また結婚披露宴の日の、笑顔が、嬉しいように眼に浮かんでくる。
 こんな、まともなことに、おそらく一種(意想外の)驚きを感じる人の多そうな現代ではあるが、明らかにこういう若い人も、いやこういう若い人達が、たし かに実在してしかも元気に力ある社会生活を築き上げている。何となく対極の生活感覚の人の方が多い昨今に思われるけれど、一概なことは決して言えない。 どっちもが現実である。
 怪我無くすばらしいお子さんに恵まれますよう、心より願う。家庭も、そして社会生活も研究生活も、みごとに、これまでのように元気に経営してほしい。

* 校正室に数本の作品があがり、分担した委員十数氏から、通読した、チェックメールが、わたしのところへ集中して届く。どの作品の何頁何行目の、ここは こうではないか…。わたしは原典にあたって、指摘の通りであるとか、ないとか、訂正して欲しいとか、そのママにとか、一つ一つ決着し、業者に伝達し訂正し てもらう。
 今、神坂次郎原稿での校正往来では、数十から百にも及ぶ疑点が指摘され、それが過剰な、不要な、指摘であれ、必要な要訂正の指摘であれ、みな一々原作に 当たって、決着しなくてはならない。作品から指摘の当該箇所を見つけ出すのにもとても時間がかかり、中には指摘自体への異論・反論さえ要する場合がある。 「篠つくあめ」という表現は「篠をつく雨」ではないか、「ふっつりと」は「ぷっつりと」ではないか、など出て来ると、わたしも迷ってしまう。「篠つく」で 普通ではないか、原作もそうなっている、が、辞書にあたるとちゃんと「篠をつく」と出ている。頭をかかえるが、原稿のママニと決める。
 こういうことを、えんえんと、かつ必ずし遂げねば成らず、瞬くうちに何時間かかかっている。
 だが、これは誰かが是非にもやらねば何とも成らない、大事な関門防衛で、手抜きしたらサマにならなくなる。
 では誰が。これは誰が見ても、私がやる以外に道がない。副委員長が四人いても、そもそも点検する底本原稿が手元にない限り絶対に決着できない。原稿(プ リント・ディスク)は常にわたしの手元にしかないのが普通だから、どうにもならない。郵送などしていられない。
 が、たまたま「御畳奉行」などは、刊行責任編集者だった青田吉正氏が委員会にいる。彼は本を持っているからことこまかに指摘が出来る。なら、こういう場 合青田委員にすべて一任して進行したいのはヤマヤマだが、彼は現役の出版社員であり、メールですら週末に一度開けるだけだというぐらい忙しい。わたしはそ れを知っている。委せることはたとえ出来ても、気の毒で出来ないのである。
 とにかく、めちゃくちゃ疲れてしまった。眼も肩も腫れ上がっている。水曜日の録画にはせめてまともな顔で出たいものだ。


* 九月十五日 月 敬老の日

* 朝一番の定期便で、東京の小闇から、例の清酒「成政」が贈られてきた。「敬老」の祝日にとどくよう手配してくれたのか、感謝。ここのところ手元に日本 酒がきれていた。秋は日本酒が似合う。
 同じ小闇が書いているのが、きのうわたしの書いていた気分に、かすかに呼応している気がする。チェッカーズだの「星屑のステージ」だのわたしには見当も つかないけれど、「C」への思いは分かる、気がする。このようにして過去は保存されつつ、しかし余儀なく記憶から薄れてゆく。
  竹馬やいろはにほへとちりぢりに 久保田万太郎。 往時渺茫。

* undo 2003.9.14   小闇@tokyo
 今はもう、どこで暮らしているか判らない、でも、小学校時代の親友を挙げろと言われたら、彼女しかいないというひとがいる。仮にCとする。C とは家も近く、登校時も学校でもべったりで、毎日一緒に帰っていた。遠回りして通る幹線道路はトラックの行き来がひっきりなく、Cと私は縦一列になって歩 く。お互いの声はほとんど聞こえない。それでも私たちがその道を帰ったのは、その音が、実は都合が良かったからだ。
 大きな声で、歌っていた。「星屑のステージ」を覚えている。チェッカーズの歌だ。確か私たちは、小学校六年生だった。
 学校ではチェッカーズが大流行していて、Cも私もそのブームには乗れずにいた。が、シングルはすべてソラで歌えたし、アルバムも、テープにダビングした ものをどこかから手に入れていた。
 Cは中学に入る直前にその街からいなくなり、一年と半年遅れて、私もその幹線道路から遠く離れた。それ以来一度も会っていない、歩いていない。だからこ うやって、あの頃も楽しかったと振り返ることができる。
 そのチェッカーズが、また私の視界に入ってきた。「暴露本」を書いた元メンバーはもうひとりの元メンバーとトークショーをし、それ以外の元メンバー、た だしメインボーカルを除く、は、バンドを結成する。らしい。
 彼らには彼らでなにか深い思いがあるのかも知れないが、やり直しはうまくいかない。やり直せるくらいなら、終わるわけがない。終わったものは終わったも のとして、触れない。
 アルト・ハイデルベルグがなぜ美しい物語であるか。要はそういういことなのだ。私は、Cの今に興味はあるが、知らないままでいい。本当に、知りたくな い。

*「今・此処」がだいじだ。

* カンカン照りの、夏雲高い日盛りに頭も額も焼かれる思いで、保谷の道を駅へ歩いた。千石の三百人劇場へ一時半、ピタリ開場。妻とわたしに、とても見や すい良い席が用意されていて、暑ささえひっこめば、快適なコンディション。映画「私生活」などでも知られたノエル・カワード作、三百人劇場総帥の福田逸 訳、そしてRADA(英国王立演劇アカデミー)のニコラス・バーターが演出の「花粉熱」は、予期以上、とても面白かった。新劇の演出と演技とを堪能し、舞 台の終幕をこころもち惜しむほど、二時間半が充実した。昴、俳優座、青年劇場、円、PFDなどから俳優女優が寄り寄りの意欲公演という性格で、舞台づくり に、結束したつよみがよく出ていた。RADAイン東京10周年記念公演。九人の出演者にだれが主役ということのない完全な競演・共演、これがうまく行っ て、一人一人が力演し、しかもアンサンブルまさにナイス。褒めるなら皆を褒めたい。磯部万沙子、米倉紀之子、桜典子、一谷真由美それに井出みな子ら女優が 颯爽と芝居し、森一、塩山誠司、櫻井久直、海浩気ら男優は、やわらかに女の意気を吸収していた。舞台装置はすこしチャチに薄かったけれど。
 中流家庭の、夫は小説家、妻はもと人気女優、そして姉娘・弟息子。一家は異様な混乱のままつよく結束した、すべてが芝居がかりの、お話にならない徹底的 なジコチュウ家庭。なにかしら、とてつもない価値観で夫婦親子は結ばれている。狂気とも、みごとな生気とも、いえる。そんな四人家族の家へ、週末、四人の それぞれの招待客たちがやってきた。ドラマはそこから始まる。そして最後に、卵の黄身と白身とをわけたように、家族四人の時空間と、来客四人のそれとが引 き分けられて、客たちは一家を否定的に見捨てて家から脱走してゆく、が、この四人家族はそれにすら気が付かず、客のことなど問題外に忘れ果てたかのよう に、ひたすら彼等家族同士の関心事で一つの卓を親密に囲んでいる。お互いに「毒」を煮詰め合っている家庭でありながら、他人の「清き声」になど耳も傾けな いでおれる、おっそろしいような暮らしである。
 喜劇的なつくりが効果を持ち、相当笑わせられる。客は思わず吹き出したり声を放って呆れ笑ったりする。それらの反応もまた劇的に組み込まれた必然のドラ マのようですらある。客も共演している。

* こういう実のある舞台に遭遇すると、新劇の醍醐味だと素直に嬉しくなる。

* 劇場前の「お綱寿司」で自慢のいなり寿司を十個買い、有楽町の「きく川」へ鰻をたべに地下鉄三田線でまっすぐ。ところが休み。それではと日比谷の「東 天紅」まで歩き、中華料理で満腹。フェンチュウとラオチュウ。店は閑散としてわれわれで借り切ったよう。
 また有楽町へ戻り、すいた有楽町線でぐっすり居眠りのママ、一路保谷に帰った。
 今週のまず第一日は楽しいみもので、ケッコウ。

* 残暑お元気で   ブラジルより
 ご無沙汰しています、筆不精の**です。
 東工大を卒業なさるんですね。
 けじめをつけるということでしょうか。
 うーん、喜んでいいやら、哀しいやら・・・確かに、我々先生の弟子達は、とうの昔に卒業していますし。
 そういえば、私の妹もとうとう4年生になり、研究室で忙しく過ごしているようです。(兄妹で保谷に訪れた)あれからもう4年も経つんですね。
 私はというと、とうとう念願の「飛行機の開発」に携われそうです。
 ちょっと嬉しく日々をすごしています。
 本当は今日、骨折した話も書きたいのですが、大分文が乱れているので、次の機会にします。
 先生も益々お元気でご活躍ください。

* 骨折とは気になるが。念願のいよいよ実現するというのが、嬉しい限り。


* 九月十六日 火

* 立って待つ、居て待つ、臥して待つ…嫦娥に、赤い泣きぼくろ。
 応挙展初日、朝刊で、NHKの俳句番組に眉村卓とあるのが目にとまり、チャンネルを合わせました。
 番組の最後に、講師のセンセイが子規の句を紹介なさいました。お生まれになったのも、亡くなったのも、9月なのですね。
 「糸瓜と木魚」を読んでは、長考。 風も清(す)んできました。

*「糸瓜と木魚」(湖の本4)は、正岡子規と浅井忠とを書いた、わたしの小説、二人はお互いに句と画の先生同士で、知己であった。浅井忠は日本の油絵に大 きな基盤を成した明治の巨人の一人。
 さらりと、こういうメールが朝一番に届いている。うまい茶を淹れてもらったような清爽感。有り難し。

* 右に、ギクッと響く底深い頭痛。睡眠不足か。今日は午後、久しぶりのペン理事会。晩は例会。そして明日午後にはテレビの収録。
 むかし、茶会などへ出て行く叔母がよく嘆いていた、彼岸前ほど着て出るものの難しい季はないと。NHKは、放映は秋、秋の恰好で出てくるよう求めてい る。やれやれ。

* ほら貝の加藤弘一さんから沢山な電子メディア情報をもらっているが、大量すぎて、簡単に転載もしかねる。しかし世界も日本も、なにとも言えずややこし く動いている。
 自民総裁は小泉にほぼ決まってしまった。或る意味最悪の選択であるが、民主(自由)党の奮起を願う。せめて拮抗して欲しい、ぜひとも。菅と小沢は毎日の ようにテレビと街頭に顔を出してアピールした方がいい。総選挙戦はもう始まっている。


* 九月十六日 つづき

* 理事会へ出掛ける前から右偏頭痛ひどく、辟易。ときどき、ギクッと噛みつかれたように、跳び上がりそうに、痛む。痛いっぱなしではなく、間欠泉のよう に小さく鋭く噴き上げる。口を利くのも息をのむのもいやになる。初めてのことでなく、疲れが溜まると、時折これが来る。しばらくの間は直らないがいつか失 せている。そしてぽかりとまた来る。

* 理事会は、電メ研の責任者の頃とちがい、文藝館は簡明に報告できる。どれだけ掲載されたか実況を紙で提出しておけば済む。論より証拠で、名前と作品と がずらりと並べば付け加えて云うことはほとんど無い。

*「会員であろうが無かろうが、秦さんが、是はいいものと判断すればどんどん掲載していっていいんだよ」という発言まで三好徹氏らから出たのは、大きなこ とだ。「佳い作品が集まる」という「そのこと」が大事なのだと分かって貰えてきたということである。ここまで来れば、まさしくそういうことなのである。

* 例会は失礼して帰ることにした。ところが、こともあれ保谷駅近くで西武線が脱線という大事故。不通。これはと、有楽町線を池袋の一つ手前東池袋で下車 し、タクシーをつかまえた。川越街道をどの辺か、大谷口迄あたりは快調だったが、その先が大渋滞。狭い間の道へはいったところがにっちもさっちも行かなく なり、結局二時間半もかかって辛うじて帰宅。脱線した電車がそのまま立ち往生しているのも横目で見てきた。
 これで明日の放送局への交通手段がなくなり、急遽、迎え車がくることになった。今まで数十度もNHKに通ったがいつも迎えがあった。迎えがあると車の中 でひととおり落ち着いた気持ちで行ける。暑さの心配も要らない。これは助かるのである。

* 頭痛がとれないのは睡眠不足もあると思う。十一時前だが、もう今夜は機械の前から立ち去るとしよう。階下には、明早朝から車で小旅行に出るという息子 が来ている。

* 正月に藝能花舞台でわたしの「細雪 松の段」を舞った花柳春が、三越名人会で、また「松の段」を舞うという通知があった。

* 「お、ひ、さ」と、三井文庫の「雪松図」に挨拶。
 金刀比羅宮の障屏画には「ごぶさたしております」とお辞儀をしました。
 風を感じ、音を聴き、異世界の空を飛び、飛沫を浴び、寒さに身をすくめ、のどかな空気を感じ、………
 そして、うふふぅと、山門の雪景色の写真を大伸ばしに貼った最後の展示室に入った途端、気分が悪くなりました。
 大乗寺の三部屋を、障壁画だけ、再現してみせているのです。音も光も、縁側や畳の感触も、季節の湿気も温度も、流れている気も、寺への旅路もなく、…… 応挙の画だけ、掠って。 悪趣味!

* 応挙展のレポート、この違和感、その場にいるように分かる。気の毒!


* 九月十七日 水

* 息子が、旅の間預かってと、愛猫グーを家に置いていった、六時過ぎには自動車で出掛けた。さ、我が家には、ちいさいが精悍な黒いマゴがいて、おとなし いが大兵肥満のグーがいる。この川中島ならぬグー・マゴ合戦が起きないように仲裁役をしてやらねばならない。仲良く願いたい。
 二階でグーの物音がすると、わたしの横で寝ていたマゴが、ガバと起きて部屋の高いところに跳び上がり、臨戦態勢。宥めて起きて、そのままもう又寝しない 事にした。
 ゆうべ寝しなに封印切って「成政」を片口で二杯傾けた。おかげで今朝の血糖値は、180、よろしくない。

* 立原幹さんの書き下ろし長編『空花乱墜(くうげらんつい)』を読み終えた。題は禅偈の一句である。懐かしいほどに立原正秋を思い起こさせる。しかも正 秋にまさる静かな落ち着きと哀情にあふれている。かつてこのような文学にはあまり触れてきた記憶がない。この人にだけ描けたかと思われるオリジナルが感じ られ、読後の印象は寂び寂ととした佳いものであった。他の作があるなら読んでみたいと感じた。
 一つには父上の『冬のかたみに』を一字一句追って校正している真っ最中、併行して読んだという稀有の情況も読書を律したかしれないが、とても気持いいも のに触れたという淡泊ながら深い思いはいまも胸にあり、有り難い。

* 惜身命 2003.9.16   小闇@tokyo
 「歌舞伎町アンダーグラウンド」を読んでいる。東京湾で遺体となって見つかったフリーランスライターが書いたものだ。amazonでも売り上げトップを 独走中。本は売れないのではなく、売れるタイミングを逃しているだけではないか。
 その死と著書との因果関係は明らかでない。おそらくずっと判らないままだ。誰かが言っているように、命をかけた仕事だったのかも知れない。もちろん、だ からといって殺されていいわけではない。
 仕事は人生の一部で、わりと中心近くに位置していて、最近思うにそれなりに素敵なものだ。うまく進めば嬉しいし、何かあれば、ほかではないほどのストレ スを受ける。
 けれどたぶん、捨てられる。今すぐに仕事のない生活は考えられないし経済的環境が許さないが、究極の岐路に立ったら、あっさり捨てると思う。例えば、仕 事を捨てないと殺される、と相成った場合など。
 そういう意味で、惜身命。明日死んでもいい、とは思ってはいるけれど、何かに殺されるのはまっぴらだ。そう、たかだか仕事なんかで。

* 貴乃花が大関か横綱かになったとき、協会の使者にした挨拶が「不惜身命」土俵を努めるという決意表明であった。で、すぐその週のうちにも、事に当たる に、あなたは「不惜身命」か「惜身命」かと学生諸君にアイサツを入れた。どちらが、どんな理由から、多かったとこの「私語」の読者は思われるだろう。
 この小闇の今日のエッセイがその記憶とも触れているのは明らかだろう。
 わたしは、小学校の五、六年生から叔母の稽古場で茶の湯の門前小僧となり、新制中学の茶道部では、もう部員の稽古の指導を任されていたし、高校では茶道 部の運営をすべて任されていた。その高校か大学の初め頃に、わたしは生まれてはじめて原稿料に相当するお金を、裏千家の雑誌「淡交」にもらっている。学校 茶道といった主題でのエッセイの募集があり、応じて賞金を受けとったのである。「を(惜・愛)しみごころ」といったことを書いたとおもうが、同時に「たか が茶の湯」とも書いたかも知れない。
 少なくもわたしは茶道部のおなじ年代の部員達に、茶の湯よりも大事な何かに遭遇したとき「をしみごころ」と「たかが茶の湯」棄ててしまえることも大切だ ろうと話していたように思う。それでよく裏千家の懸賞に当選したと思うが、もっと後年には「淡交」に連載のエッセイのなかで、「たかが茶道具」と書いて、 それを書き直せ撤回せよと編集部のさんざんな注文を聴かされた覚えがある。
 「たかだか仕事」と小闇は三十の若さで書いている、が、わたしも、この思いは本当に早くからいつも胸の奥に抱いていた。太宰治賞を受けて、最も早くわた しが書いて筐底に秘め置いた(今も在る)のは、「作家、さよなら」という、既にして文壇への訣別の辞であった。そういう思いをあえて胸にしたまま、わたし はその後の作家生活へ入っていった。
 わたしの云うことと小闇の云うこととはズレているかも知れない、すぐさま同じとは云えまいけれど、少なくもわたしは、一所懸命というところを超えた気持 で、懸命に人生を努めてきた。よりだいじなものが見つかったときには棄てて良いと思いつつ茶の湯を習い、同じ思いで、文学・文藝にも邁進した。わたしが文 学・文藝を愛していることはわたし自身が疑いもしないが、それでも同じに、今も思っている。

*  脱線事故   昨日は琵琶湖、名古屋と事故のたて続けの大きなニュースで、最後に西武線の事故で驚いて、会議から無事に帰宅できるかな、地図を見て新宿線 田無からタクシーに乗ればいいな等、思いつつ。
 お疲れが溜まっているように見受けます。睡眠時間を充分にとって体調を整えてください。いつも、いつも案じています。お大事に。
 最近の暑さのせいか、夜はテレビをつけたまま、早々にソフアーであられもなく眠りこけてしまいます。醜態。
 でも、長時間睡眠を取って今朝もはつらつ、これから楽しい運動で大汗をかいてきます。  千葉県

*『冬のかたみに』第一章の、ほぼ三分の二を校正した。一字一句一行と文章を追っていて、こんなに幸せな思いに浸れるというのは、何であろうか。哀切、清 明。美しい作品である。この世界は韓国、大邱に近い、無量寺。つい最近北朝鮮の美女軍団とやらがもてはやされたユニバーシヤード開催地の近くである。いま 北朝鮮がらみに朝鮮半島に対しては必ずしも親和的とばかり言えないムードが日本にはあるが、朝鮮文化の高尚かつ幽邃なことはまた格別のものがあり、その方 面への視野も塞がれてしまうのは惜しいことである。立原さんのこの小説は、おそらく韓国文化の深部に体験的な視線をよく刺し込んだモノと思われる。高貴な 印象が惜しみなく書かれてある。 


* 九月十七日 つづき

* 渋谷のNHKまで、迎えの車でぐっすり寝ていった。ついてからも暫く眠かった。
 例により、化粧、打ち合わせ、リハーサル、本番。
 成るように成った。
 番組としてアレで良かったのかどうか、私には分からない。リハーサルで、わたしとして言いたいことは全部言い、本番では時間的にも半分以上、いやもっと 端折った。それは致し方ない仕儀で何とも思わない。時間がゆるせば一句一句にもっと委曲を尽くした批評は可能で、その用意はしていたけれど、そんなことは 無理な話。可も不可もなく終えてきた。三十分に盛りだくさんすぎるのだ。六句ほどに厳選し、批評に時間を掛けた方がいい。投稿者に媚びなくていいのでは。
 寺井さんとNHK出版のお誘いで、渋谷道玄坂上のエクセルホテルでそのあとご馳走になった。歓談、意を尽くせてよかった。食べ物もたいへんおいしかっ た。お酒もタップリ頂戴した。収録の場を飾っていた秋の花花をお土産にもらって帰った。
 送りの車では青梅街道の関町三丁目までゆっくり眠り、そこから北へ折れた。

* 木曽講演とテレビ出演と、気の重かった用事は終え、これで秋も晴れ晴れ、かろがろと送り迎えられる。
 とにかく、ゆっくり眠ろう。

 
* 九月十八日 木

* たくさん美味しいお酒をご馳走になって帰ったからか、ざっと後始末をつけたあと、ふっと黒いマゴの相手をしながら、そのままぐっすり寝入ってしまい、 今、八時前、目が覚めた。機械も開いたままだった。昨日は行き帰りの自動車で寝て過ごし、帰ってからもいつもの倍ほど寝たので、すこしスッキリしている。 このまま、頭痛がおさまってくれれば有り難い。

* 貰って帰った秋の花花を小分けして妻が美しくあちこちに置いた。家中がにわかに秋色に染まった。

* 人は人のことを、ほんとうに知らない、知ろうとしないで、自分の思いのままにならないと嘆くものだ。しかもその「自分」のことだって、実はよく知らな い、分かっていない。そのこと自体が、分かっていない。雲の足場に幻覚の城を建てているようなものか。
 堅実に把握しないと、なにもかも表現は、ただもう泡のように頼り無い。無反省に「こころ」を信奉している人に、晴雨ただならぬ空模様のように、それが現 れる。
 頭脳と心臓。この語に「こころ」とルビをふるなら、どっちにふるか。四の五のいわず、あえてどっちかを選んで見て、そしてなぜか、考えてみたい。

*「真実の行方」という映画を妻にビデオとりしておいてもらった。それを今日、二度見た。リチャード・ギアが弁護士、彼とワケありの検事がローラ・リ ニー。司教が私室で惨殺される。司教につかえている若者が現場から逃げ出し、血まみれのママにつかまる。州の検察局は被告の死刑を絶対の前提にローラを担 当検事に任命し、リチャードは一文の金ももたない被告アーロンを弁護する。
 アーロンは殺害現場にいたけれど、自分だけではなかった気がすると犯行を否定する一方、殺害現場で「時間がとまり」つまり失神状態になり何も記憶がな い、司教は親も同然の恩人であり殺すわけがない、と言う。
 映画は弁護と検察との双方丁々発止の応酬のなかで、被告自身のなかに驚くべき多重人格の発現が認められてくる。アーロンは、どこからどうみても、どうき いても、あどけないほど善意善良のにじみ出る好青年なのだが、彼の内部にロイという別の狂暴な若者があらわれでてくる。その出現は思わずのけぞるほどの衝 撃を与えるが、さらに事件の内奥に、殺された司教がみずから監督して、アーロンと彼の愛しているリンダという少女と、同じく司教に仕えている若者の三人に 陰惨なセックスプレイを演じさせてテープに取っていたことが明るみに出てくる。検察を統べている責任者はそれをもみ消すためにも被告死刑を早急に実現させ たいのが本音であったが、ローラはそれに反撥し、弁護士側の証拠ビデオを検事として自ら用い被告訊問に当たったが、その訊問に触発されてアーロンの内部か らロイが烈しく立ち上がり、法廷でローラ検事の首をあわやへし折るほどの暴行をはたらく。心理分析の専門家も多重人格を確認し体験もし、裁判はこのままで はアーロンの犯行としてはとても殺人が問えない混乱に陥り、結果として弁護側勝利で裁判は停止となる。
 そこからが、凄いのだった。だれもがアーロンの中にロイが隠れていてそれが現れて殺人したと判定した。ところが、裁判も停止と決まった最後の最期にな り、アーロンがロイを抱き込んでいたのではなく、実は巧妙にロイがアーロンを演じきっていたのであると弁護士の前に暴露されてしまう。暴露し嘲笑するのは うってかわったロイ当人であった。アーロンという善良で内気な少年は存在していなかったのである。

* 巧緻に組み立てた、まことにみごとな映画の勝利であった。間然するところ無く、優秀な弁護士も検事も医師もこぞってアーロンを、放免救助すべき被告と して法廷から病院へ送ることに貢献しながら、それをロイにより嘲笑されてしまう結果になる。犯人役のアーロンならぬロイを演じた俳優の名前を知らないが演 技賞ものであった、二度目をみて実に多くの仕掛けがよく見え、堪能した。
「緊急救命治療センター=ER」に出ずっぱりだった好感の持てる女優が、弁護士助手としてたいへんソツない佳い演技であったのも、よかった。黒人の女性裁 判長、面談中にロイにすごまれる女性医師など印象的に働いた役がめだち、初見、いい映画にぶつかったものだ。

* 今日一日に、四人もの「ペン電子文藝館」出稿者があり、うちの二人分はすぐ入稿した。一人は一昨日理事会のあと直談判した若い理事のひとり、今野勉氏 の、小説。もう一人は詩人の詩。出口孤城氏の俳句百句は手書き原稿であり、書き起こさねばならない。

* 明日は「ペン電子文藝館」の委員会。さ、この残暑。どれほどの顔が揃うか分からないが。


* 九月十九日 金

* すこし躰をうごかすと、花がある、実がある、草がある。秋がある。いろんな花器が大小動員されている。唐物の唐銅(からかね)にコスモスなどが咲い て、見る人がみればビックリするような場所に平然と置かれていたりする。それでいい、その場をかがやかせている。
 機械を使っていて、機械のそば、とはわたし自身のそば、に生け花を置きにくいのが残念である。ものの多すぎるのもさりながら、何と云っても水のこぼれる 事故を用心してしまう。少し離れた壁や柱に備前の小筒を掛けるが、視線よりあまり高くなるのは花のために気の毒。花は、振り仰ぐ木の花もあるが、草花は、 やはり目よりひくく咲かせてあげたい。

* 親  2003.09.18  小闇@バルセロナ 
 不幸な死があった。それを、直接告げられるために、かけつけてきた親。電話口の押し殺した声は、平静を保とうと怒って聞こえた。聞くほうは辛かった。
 親は飛んできた。急いでも急がなくてもその事実は変えようがないのに、やはり飛んできた。きっと、少しでも早く着けば、それだけ時間を遡れるかもしれな いと思って。 
 当たり前かもしれないけれど、当たり前だろうか。仕事で親の葬儀にも出られなかった、という話を聞く。それが、もし自分の子供だったら。きっと何も考え ず、でも何を置いても飛んで行くに違いない。それが「親」、愛情とか義務とかいう言葉では説明のできない、これが「親」なんだ、と思った。
 こんな時、よりによって阿川弘之著「年年歳歳」を読んだ。死んだと諦めていた息子の生還に、こらえてもこらえても溢れる、老いた両親の涙。
 はるか海を越えて来たこの親の涙を、別の涙に換えられなかったのがつらい。

* おしまいの一行が、「別の涙」が、今少し適切だともっと訴求力が出て分かりよい。「はるか海を越えて来たこの親の涙」が、もし阿川弘之作の作中の親の 嬉し涙を謂うのであれば。
 この小闇は「ペン電子文藝館」の新掲載分をよく読んでくれている。阿川さんの作品で校正していた私もこらえきれず涙したのは、やはり此の「親の涙」の場 面だった。

* このところ、ひときわ興味深い作品をつぎつぎに載せている。原民喜「廃墟から」、岡本かの子「食魔」、森本哲郎「戦争と人間」、江戸川乱歩「押絵と旅 する男」、中原中也「詩選」、郡虎彦「タマルの死」、中西進「漂泊=海の彼方」、水野仙子「神楽阪の半襟」、阿川弘之「年年歳最」、伊東英子「凍った 唇」、そしてやがて瀧井孝作「結婚まで」、立原正秋「冬のかたみに=幼年時代」、それに泉鏡花の戯曲「海神別荘」が来る。掲載時期を少しさかのぼれば、枚 挙にいとまがない。由岐しげ子「本の話」、猪瀬直樹「元号に賭ける」林芙美子「晩菊」など、力作がずいぶん出た。いつのまにか三百七、八十に達しつつあ る。試験期の掲載から数えると、満二年が、もう過ぎた。第三年度の新作も受付始めればもっと増えてくる。
 国内外の読者に、一日一作とは行くまいが、そのように読んで貰っても、もう、まる一年分は欠けることなく用意されてある。日本ペンクラブはいろんな活動 をしているが、多くはプロパガンダの催しであり、声明や抗議活動である。だが、純然文学・文藝に根ざした「電子文藝館」という文学活動もしている。どうか 見てまたご吹聴ご支援願いたい。
 作者は「現会員」「物故会員」そして「招待席」に分かれている。理事会での発言を汲んで行くなら、館長であるわたしの認識や判断で、これは良しと思う人 や作品は躊躇なく取り込んでいった方がいい、という所まで来ている。頼もしい限りであり、その際、有名だから、という物差しをわたしは使わない。むしろ知 名度は無いが優れた作品を誠実に書き継いでいた人の感銘作は、むしろ拾い上げたい。自薦他薦を拒まない。ただし厳格に誠実に読ませて戴く。

* 玄関外への訪問者との対話に、新しい音声と写真のツールを用いるらしく、階下で電器屋さんが工事しているようだ。
 同業の誰に聴いても、いたずら・無言電話がくると聞く。我が家でもひところよく有ったが、最近でもたまに有る。だが新しいツールでは、掛けてきた相手の 電話番号が分かる(ことが多い)。同時に録音できる装置も出来ている。ま、いたちごっこのようになりがちらしいが、便利が頼もしいか、アテにならないか。 機械のおもしろい時代とも、機械がコトをややこしくしているとも、謂える。 
 

* 九月十九日 つづき

*『日本の歴史』が、蓮如から山城の国一気へ来て俄然興奮度が高まってくる。この辺こそ「中世」そのものと思いたい。
 保谷から有楽町でおり、帝劇地下モールで時間調整に珈琲とドーナツ一つをセルフサービスで。歴史を読んで読んで、時計と相談して日比谷線に乗り、ペン へ。いつも一番乗りが、今日は高橋副委員長をお待たせしていた。
 十一か二人といういい人数、高橋さんのうまいとりなしで、会議は終始和やかに歓談風にすすみ、二時間がむしろ瞬く間に流れた。言論委員会や電メ研のよう に厖大な尖端の情報量のまえにため息つきながら、真剣な討議であけくれる委員会ではない。純然、電子文藝館に掲載した、また新たに掲載したい人や作品につ いて、また校正のうまい方法について意見交換をすればほぼ足りている。

* 桐生悠々や夢野久作の候補原稿が出揃ったし、現会員の新しい原稿も加わった。候補作品を読んで決めることになる。

* 少しみなに遅れてペンを出た。久しぶり、夏の間はつい遠のいていたが「美しい人」の顔を見に行った。冷酒、京都の「松竹梅」で小懐石。朱ペンを手に、 ずうっと『日本の歴史』を読み進み、読む合間に食事していた。店が明るくて眼の負担にならず、客も少なくて静かだったから、だれに遠慮もなく文字通り耽読 した。

* 親鸞から数代あとの蓮如は、いろんな大きな点で異なった宗教人であり、その大きな差異を乗り越えた太い共通点が又蓮如の、また本願寺派の魅力になる。 同じ浄土真宗とはいいながら、親鸞以降の異端化ははげしく、高田派や仏光寺派の真宗は、寺も教団ももたず、弟子ではなく総てを同朋として受け容れて上下の 隔てなくひたすら民衆の救済に当たった親鸞の信仰からすれば、すさまじいまで異端の度がすすみ、むしろそれにより旧仏教勢力との妥協もなり信徒の受けもよ くて、親鸞直系の本願寺派=無碍光派は零細と衰弱を極めていた。蓮如は、決然異端と闘い、また旧仏教からの弾圧にも抵抗し、みごとな中世的組織者の天性を 発揮する。近江の堅田に、越前の吉崎に、大阪に、京都の山科にと根拠地を移動させつつ、親鸞等には考えられなかった、本山・末寺・道場=講、寄合を組織す ることで、教線を広大に伸張していった。異端とも闘ったが守護勢力や國人達とも武力的に闘った。その一方で親鸞以来の庶民救済に徹した信仰の本質を、蓮如 ならではといわれるユニークな現実認識のもとで、守りきった。
 むろんこんなことでは、とても言い足りていない。彼は途方もない巨人でありカリスマでありながら、謙遜な善意に溢れた指導者であり組織者であり信仰者で あった。王道為本といった、スローガンをも戦略的にすらりとかかげながら、中世乱妨の世界を堅剛にいきぬいて、譲らなかった。
 だが、門徒たちは、そんな蓮如をなお超えて、時代の気運と共に強硬に成育した。一向一揆化した。真宗の教えは念仏であり、傷ましいまで圧迫されてきた庶 民農民に死後の安寧を確保し確信させたからは、その安心の信仰を現実に圧迫し脅迫するあらゆる勢力の前に、死もおそれず抵抗したのは当然の帰結であった。 蓮如もそれを抑えられなかったのである。

* 本願寺王国の樹立も一向一揆も奥深く甚だ中世的であるが、それ以上にまた興味津々、眼をむいて立ち向かわねば済まないのは、多くの土一揆・徳政一揆の 域をはるかに質的にも超えた「山城国一揆」であった。ただの抵抗や経済闘争ではない。守護勢力はおろか幕府勢力からも断然独立し、徴税権も警察・裁判権も をいわば国民会議により運営し、他からの侵入も容喙も断然許さない「独立国」形成の意欲が、実現していったことには、しんそこ驚かずにおれない。

* 「美しい人」はべつの受け持ちの場所で忙しかったが、はじめに料理と酒とをはこびだしてくれて、数分にこにこといろんな話をきかせてくれた。そして帰 るときに、また見送りに出てくれた。建日子の連続ドラマ『共犯者』の予告にも気が付いていて、話題になった。ペンからは少し疲れ気味にとぼとぼと来たが、 おかげで元気回復し、帰りの混んだ電車ではまるで座れなかったけれど、保谷に着くまでしゃんとしていた。ビタミン・オールの「美しい人」である。

* こんばんは。暑い日が続いていますが、体調はいかがですか。わたしは毎晩遅くまで映画を観てしまって、ちょっと寝不足です。
 私語の刻で映画「真実の行方」に触れていらしたので、たまらずメールしました。わたしも観ました。四度目か五度目です。
 アーロンを演じていたのはエドワード・ノートンです。彼はあれが映画初出演だったそうです。秦さんのおっしゃるように、演技賞ものでした。実際に、いく つか映画賞を受賞していました。オーディションで、彼は既に東ケンタッキー訛りを身につけていたそうです。彼が、ロイの人格に豹変したとき、あるスタッフ は「殺される」と思ったそうです。「遺される子供は夫に育ててもらわねば」と。エドワード・ノートンの気迫が窺えるエピソードです。
 その後出演した映画で、彼はハスラーだったり、不眠症の二重人格者だったり、スキンヘッドでマッチョのネオナチだったり、恋する青年だったり、まあ、い ろんな顔を見せてくれて、飽きません。サスペンスである「真実の行方」の成功は、エドワード・ノートンが映画界において無名で、観る者に先入観を与えな かったことに因っています。ですから、秦さんがエドワード・ノートンをご存知なかったというのは、最も望ましい状態で映画をご覧になったということになり ます。キャラクターアクターとして定着した今の彼を知っていては、堪能できたかどうか・・・。
 彼に対する最初の関心は、彼が日本語を話すということでした。「世界中がアイラブユー」というウディ・アレンのミュージカル映画を、ずっと前に観たこと がありましたが、彼も映画も、あまり印象に残らなかったのに、今年、「レッド・ドラゴン」の宣伝のため来日していた彼が、インタビューの中で日本語を話し ているのをまず観て、単純なわたしは嬉しくなってしまいました(十年くらい前、大阪で仕事をしていたことがあるのだそうです)。「ファイトクラブ」では、 エドワード・ノートン演じるエリート会社員が、出張中に自分の住む高級マンションの部屋を何者かに爆破されたのをきっかけに、解放されたように物や地位へ の執着を捨て、危険な友人と共にファイトクラブなる地下組織のリーダーになってゆくという、物語はあくまで軽快なブラックコメディでした。殴り合って血を 流すファイトクラブという組織の登場するこの映画の前宣伝を知っていたので、辛くなったら途中でやめようと思いながら観はじめたのですが、生理的嫌悪を超 えて惹き込まれました。ショウウインドウに陳列された高級パソコンを破壊したり、”廃油を畑の肥にしましょう”と壁に大きくペインティングしたりする行為 は、利益を生むことを最善とする、資本主義社会における物質至上主義への批判だと観てとれました。秦さんの「e-文庫・湖(umi)」にある、高史明さん の「いのちの声がきこえますか」を思い出しました。1+1=2であるということを追求し過ぎたための、現代の病理を描いていると。殴り合い
は厭ですが、その非生産性は、痛い痛い批評になり得ていると思いました。エドワード・ノートンだからこそのリアリティだったと思います。
 今夜は、昨晩ビデオに録画した「リオ・ブラボー」を観ます。
 電子文藝館も訪れています。岡本かの子の「食魔」を読みはじめたところです。
 それでは、またメールしますね。くれぐれも、お体を大切になさってください。  群馬県

* 若い人が、自分の好きなものに、この場合映画や俳優に視線をむけて、話さずに居れない言葉で勢いよく話してくれる。へんな屈折も気取りもなく、真向き に健康に話している。シャワーをあびるような佳い心持ちがする。そして、ふーんと感心してしまう。エドワード・ノートン。その名前と演技とが、こうしてま たわたし自身の財産になるのだ。
たしかに映画「真実の行方」で特筆されねばならないのは、エドワード・ノートンであり、スターであるリチャード・ギアでもローラ・リニーでもなかったの だ。

* いつもメールの主とは、こういう具合に具体的に共感し合いたい。それにしても、吹き替えで聞き覚えていた主役の名前をアーロンともロイとも覚えられず にいた。頭が、ボロの網のようになっている。やれやれ。

* こぬかあめ   彼岸に入るというのに、厳しい残暑が、昼も夜もなかなか去りません。
 ごく静かに、降り始めました。細い細い雨です。
「或春の日暮です。唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。」
 そうそう、こうだったわ、と手を拍ち、「杜子春」を音読。今のTVやラジオから聞こえてくるお喋りの、半分ほどのスピードに、自然と、なります。そうし て、息ふかく、「ことば」になって、胸にしみます。
 お仕事がすすみますように。おん身くれぐれもお大切に。

* なるほど。芥川の「杜子春」を音読するのに早口はとても似合わない。似合う似合わないの問題でなく、自然と落ち着いた口調に恵まれるという、そこがた いせつだ。ゆっくり喋ればそれでいいのではない、静かな落ち着きと深みとが大切だ。

* それと関係が有るかも無いかもしれないが。今日の委員会で話題になった。話題にしたというのが正しいかも知れない、が、大原雄委員が持参された夢野久 作の作品の一つはいわゆる「かたりもの」で、そういう作品が夢野には多いとのことだった。
 久作に限らず、このところ初校してきた幾つもの作品で、その「かたりもの」にわたしは出逢っている。日本の文学史ではなにしろ物語の時代が長かったし、 平家物語も曽我物語も義経記も、語られた。謡曲にも語りの要素は濃いし、説教節も語りもの。お伽草紙も読み聞かせであり語り聞かせでもある。
 その意味でも、「ペン電子文藝館」の最先頭作家としてわたしが三遊亭圓朝を置いた、そして河竹黙阿弥の歌舞伎台本を置いたことは、決して奇矯でも何でも ない、むしろ正確な、意味と意義とがあったと思うのである。近代日本文学で、散文では二葉亭四迷の「浮雲」こそが嚆矢をなすが、二葉亭は此の現代小説の口 調を模索しつつ、三遊亭圓朝の「かたり」「はなし」を参考にしたということが知られている。
 清水紫琴の「したゆく水」も、若松賤子の「おもひで」も、木村曙の「操くらべ」も、また幸田露伴の「観画談」や江戸川乱歩の「押絵と旅する男」でも、や はり「かたり」の魅力と共に小説世界が築かれていたのである。

* もう一つ、わたしは提案してきた。「作者の作品」を中心に「ペン電子文藝館」は植林されているが、岩波茂雄の文章など編集者・出版人の文章も招待して いる。しかし数は少ない。明治以来の編集者や出版人の名前も、文章と共に一つの「流れ」として把握できるようにしようではないかと。
 この提案は、その場限りの者には出来ない魅力をもっているとわたしは信じる。ぜひ実現したい。瀧田樗陰や大橋新太郎のような人を明治期には思い出す。花 森安治や扇谷正造や池島信平や、坂本一亀も大久保房男氏も原田奈翁雄氏も忘れがたい。リタイアした新潮坂本忠雄氏らも。新聞記者では天声人語の歴代筆者達 や筆洗の亡き林伸太郎もなつかしい。淡交社の臼井さんも文化出版局の編集局長なども思い出せる。こういう人達があっての文学・文藝の歴史であったことを、 エディター会員を擁している日本ペンクラブが忘れていてはなるまい。
 これは必ず実現させる。


* 九月二十日 土

* 関東に、やや強いながい地震があり、自民党は、情けない鳴動のあとに鼠一匹をひりだした。小泉純一郎、圧勝。

* 気のはずむ何もない。二階で、ひたすら『冬のかたみに=幼年時代』を校正して過ごした。この仕事だけは目をさまさせてくれる。昼食の頃にメル・ギブソ ンの「ハート オブ ウーマン」とかいうつまらないビデオを見た。建日子達が休暇先の信州から帰ってきて、「真実の行方」を見てから五反田へ戻った。栃木 から今日送ってきて頂いた新米「こしひかり」の、半分十キロをみやげに持たせた。この新米、それはそれは、うまい。

* 京都市立美術館長内山武夫氏より、画家「秦テルオ展」の詳細大冊の図録を頂戴。有り難い。才能豊かな異色の画家は数えれば何人もいて、そのうち、結局 優れた一人一人がみな「異色」の人なのだと思えてくる。が、それでもなお「秦テルオ」は特異な一人として傑出している。同姓だが、血縁など何の関係もない けれど、注目せずに居れない業績をのこした画家で、痛切な個性は簡単な言葉ではとうてい説明しきれない。百聞は一見にしかずの最たる画風、内山さんは自筆 添え書きで、京都ででも東京練馬美術館ででも、ぜひ見て欲しいと。この展観企画には、星野画廊の桂三氏も旺盛に協力していただろう、星野氏のおかげでどれ ほど多くのいわば湮滅画家たちが、またの日の目をみてきたことか。幸い練馬での展覧会が京都展より先にあり、美術館は保谷から間近い。開催日が心待ちされ る。
 秦テルオの才能を高く認めて支援していた同時代画家たちには、土田麦僊、村上華岳ら国画創作協会の俊英たちがあり、京都を中心にした当時大正期画壇は、 ある意味で沸騰し充実しまた動揺もしていた。

* むかむかするほど、たまらなく眠い。あすは夕過ぎて音楽会、ピアノリサイタル。今夜から明日へ、少し休んでおかないといけない。

* 夕食もパスして宵寝した。九時、起きて機械をチェックし、必要なメールなどを受発信。それだけして、もう今夜は機械の電源を落とすことにしよう。心気 には張りがあるが体調には途絶えなくかすかに違和の細流がある。疲労なら疲労をしずめるしかない。

* 明石入道の数々の願を知り感銘をうけた光六条院は、妻子とともに住吉詣でしている。「若菜」下の巻。物語の音読は、少しもやすむことなく、漸々のうち に大きな大きな山場へさしかかっている。「読む」よろこびは深い。
 バグワンは、また「般若心経」を読み進んでいる。何度繰り返しても、日々に新鮮。それはわたし自身が日々に動いているから、だろう。
 藤村の『夜明け前』は、過去の読書を一新したように、情景・光景・風景のすみずみにまであの馬籠宿や近在の記憶が働いてくれ、一行一行の藤村の表現が、 生彩と実感に満たされ、おもしろい。ずいぶん渋々出掛けたのに、大きなお土産を貰っていたと気が付き、今更に感謝している。
 そして「日本の歴史」は、いよいよ「戦国大名」たちの時代に流れ込む。
 この四つの読書を軸にして、わたしの読書は「ペン電子文藝館」のおかげでますます多彩になっている。さしあたり昨日の委員会で預かってきた桐生悠々、夢 野久作の候補作品に目を通さねばならぬ。
 一樹また一樹の植林。わたしを今いちばん喜ばせるのは、それだ。

* こんな私ではあるが、用の有る無しにかかわらず、会おうと言ってくださる人は次々にあり、まず、今は殆ど全部の方に不義理している。思わずふうっと眼 をとじてしまうほど、そして機械の前で腰掛けたまま暫く意識を失っているほどの日々である。


* 九月二十一日 日

* 山崎幹事長を副総裁に棚上げし、安倍官房副長官を、当選三回の若い幹事長に抜擢したのは、小泉らしい得意の人事、やるものだと誰もが思っただろう。そ して政調に額賀、総務に留任の堀内。可も不可もない。
 そこまで知って、例の『冬のかたみに』第一章「幼年時代」を校正しおえて、妻にさらに通読しておいてもらうことにし、手書き原稿、出口孤城氏の百句を全 部機械に書き込んで、入稿。

* 颱風。雨は降っていたが風はまだ。暑くも寒くもない陽気にきちんとした服装が出来たのはむしろ幸いと、サントリー小ホールの浅井奈穂子ピアノリサイタ ルに、妻と出かけた。時間早くに家を出、駒込経由の南北線で溜池山王まで。
 全日空ホテル三階の「乾山」で、夕食は寿司。少し値は高いが、器は店の名前だけあって、まさか乾山ではないけれど佳いやきものを、どっしりした見映えで 出してくれる。タネも、値段だけあって文句ないものをうまく組み合わせて出してくれる。鯛も大とろも海老もアナゴもけっこう、巻物のセンスもいい。
 銀座で気楽な「福助」とくらべるとえらく贅沢な店の空気のようで、ところが、そうでもない。店の女たちの和服がしっくり着付け出来てなくて、化けの皮丸 見え。
 わたしの好きな「美しい人」など、数年前の初対面からこちら、店で揃いの和服姿しかわたしは知らないが、いつも清潔にきちっと着物を着ていて、質素なの に美しさの花になっている。和食の店の女性の和服がギクシャクしていては、とんだ艶消しで、自然、物の出し入れの行儀も行き届かない。食器の卓へ置き方一 つでも、その店の「位」はすぐ分かってしまう。
 しかし「乾山」の寿司は腹も空いていて、うまかった。酒も酒の燗も酒器もよかった。一人前六千円は量多くなくてケッコウであるが、椀に、蜆の赤だしでは 品がない。池袋「ほり川」ではもっと気の入った吸い物が出てくる。

* 小ホールでピアニスト父君の浅井敏郎氏夫妻に、招待を感謝しお祝いを申し上げる。もと新潮編集長坂本忠雄氏も夫妻で見えていた。この浅井リサイタルで は必ずのように出逢う。
 招待席は五列目の真中央、演奏者のまっすぐに見える絶好席。なにしろ雨で風のこと、ほどほどの軽装で出掛けていた、ま、そんなことは気にしないが。
 シューベルトの即興曲が二つ。ベートーベンの「熱情」。後半はムソルグスキーの「展覧会の絵」全曲。
 浅井さんはイタリアで音楽教授の学位をえたあと、モスクワで研鑽を積み、大きな地位と称号を得ている人だ。その音量の大きいというか、音のつよく深いこ とは、ピアノが豊かに鳴り響くことは、最大の長でありまた時には驚かされてしまう。その意味ではこの人の「熱情」や「悲愴」やまた「月光」の第三楽章など は似合っている。だが、今夜の「展覧会の絵」では、あの序曲は、画家の展覧会場へ入っていくムソルグスキー氏のいわば自画像音楽である筈だが、そしてわた しはムソルグスキーの風貌や体格を知らないけれども、鳴り響いた時には、元横綱曙太郎氏が登場したようにビックリした。
「月光」の出だしなども、巧みだが例えていえば「太字で書いた」月光曲に思われた。
 だが誰の曲か知らない、アンコールの小曲の、繊細にやわらかな美しい演奏には、魅惑された。うっとりさせてくれた。

* 演奏の始まる直前と、帰りに地下鉄銀座線に乗ってすぐ、二度も、妻の体調がぐっと下降し心配したが幸い持ち直し、無事帰宅できた。保谷駅前で雨中すぐ にタクシーに乗れたのも幸運だった。
 帰ると玄関に黒いマゴが嬉しそうに正座して出迎えた。しばらく彼は興奮して家中を縦横に疾風のように走っていた。

* 事多かった一週間をなんとか無事に乗り切った。金曜の糖尿診察まで、ともあれ休める。出るにも、好きに出られる。そして土曜は、万作・萬斎らの「靫 猿」に招待されている。前の名人万蔵と、万作と、あれは今の萬斎が小猿で「靫猿」を演じたのも、昔に、観た。別の組み合わせの「靫猿」も一度ならず観てい る。わたしは獣の出る藝は狂言でもサーカスでも猿牽の藝でもあまり好きになれない、「靫猿」ほどの重い大作も例外ではないが、ま、能でいえば「道成寺」な みの大事の藝。やはり、心して楽しみたい。

* 雨の中をお年寄りの手をひいて彼岸前の墓参に行ったというメールも。
 じつは、わたしも、今のうち、息子に伝えたり話したり相談しておいたりすべきことを、少しずつでも具体的にし続けてゆきたいと思い、息子にたとえ月に一 日でいい話せる時間を用意するように言ったところ。
 秦の親からは、係累も交際も少なかったしこれといい聞きそびれて困惑したほどのことは、ま、無かったけれど、わたしの場合は、よぎなく多方面との交際が あり、失礼があっては困る連絡先もある。弟の建日子に引き継いでおくしかない。建日子がきちんと結婚していれば嫁さ んに話しておく頼んでおくということも出来るのに、あいにく、それが出来ない。

* ベランダの斑入りのすすきの穂に、こまかなこまかな花がちらちらゆれています。可哀想に、吹き降りの雨には濡れても、朝露にしっとり濡れしほれること のない、わが家の秋草です。桔梗も吾亦紅、水引草、萩も。
『冬祭り』のかなしい女人たちのお墓の萩、水引草が思い出されます。
 秋の雨、ではなく、野分の雨と風、にわかな秋の訪れでしょうか。  筑波

* 九州の海胆、阿波の釘煮で、清酒「成政」がもう瓶に底一糎しか残っていない。


* 九月二十二日 月

* さあ今日こそはゆっくり寝ていたいと思っていたら、心ないイタズラ電話か間違い電話か、一声なんだか声がして、「あ、すみません」で、起こされてし まった。頭にきた。世の中は活動している朝八時、寝ていた方がおかしいけれど、それはわたしの勝手である。電話をつかう向こうも勝手である。が、自分勝手 な間違い(なのだろう)で迷惑を人にかけるな。心ない自分勝手である。

* で、起きてしまい、石原慎太郎なる一家のテレビ番組が目に耳に入って、またムカついた。自分勝手の代名詞のような男で、ま、小説家としてならそれでも いいが、政治家としては「危険」が服を着て歩いているような勝手者として見ていないと、国も国民も都民も大怪我をする。

* で、機械の前へ来て、昨夜買って帰った浅井奈穂子の去年のリサイタルCDを聴いている。モーツアルトの、「デュボールのメヌエットによる九つの変奏 曲」から入り、これがすこぶる美しく、機嫌がなおった。バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」がつづき、今はハイドンの「皇帝賛歌の主題による変奏曲」 が美しく鳴っている。
 このあとへ、ベートーベンの「熱情」そしてアンコール曲としてバッハのコラール「主よ、人の望みの喜びよ」が。
 さ、「熱情」がはじまった。ホロヴィッツの、またグレン・グールドの「熱情」を何十度聴いてきたことか。だが浅井はこの曲をまた一つの個性的な「熱情」 に弾ききる才能である。快調……。

* OH!人事 2003.9.21   小闇@TOKYO
 自民支持者ではないし民自連合に入れ込んでもいない。すべては結果次第。
 自民党の新しい幹事長はちょうど四十九歳。史上三番目に若い。これで総選挙は、少なくとも一審で負けた前幹事長よりは戦いやすい。
 見るべきところを見た人事だ。人材を見ての判断かどうかは、判らない。確実なのは、誰に向けた人事なのかを強烈にアピールしていることだ。
 自民党に所属する議員でも、自民党員でもない。その組織の外にいる、直接的な影響力を何も持たない、けれど命綱の端を握っている間接的な自分自身の支持 層に直接訴える。国会議事堂に落ちた雷を死んだ親分の喝だと言っているような爺さんは、もう、勝てなくて当然だ。
 例えば雑誌を作る場合。編集現場が耳を傾けるべきは読者の声だ。もちろん、読者の声と言っても、大きな声だけ聞いていては見誤る。
 もうね、社内政治とか派閥争いとか個人的趣味とか、そんなことやってる場合じゃないだろう。と、思うのだが。まあ、この辺りで止めておこう。
 そしてその当たり前の戦略がこれだけ大きなニュースとなる事実。何で自民党が変われて・・・。この辺りで止めておこう。ああこうやって硬直組織に不満を 持つひとは、織り込み済み承知で、どうしたって新幹事長体制に期待する。

* およそ代弁してくれている。借りておく。題が利いている。

* 立原正秋畢生の代表作といえる『冬のかたみに』から、先ず第一章「幼年時代」を入稿した。創作であり精神の自伝(に準じたもの)ともいえる、生まれず に置かなかった立原渾身の秀作である。ことに第一章がそうであろうと感じている。ご遺族のご厚意で「ペン電子文藝館」に収録できるのは、感謝かぎりない。
 わたしは、立原さんの厖大な作品群にこの一作が入っていなければ、『日本の庭』のような精神の美学的な述作以外にそう心を奪われる作品をもっていないか も知れぬ。ごく初期の「海」「海へ」などが好きであったが、芥川賞候補であった「薪能」「剣ケ崎」などですら、どこかに濁りが感じられ、愛読はしなかっ た。『日本の庭』はよろこんで書評したし立原さんも喜んで下さったようだが、書きたくないと、書評を断った短編集もある。そういう失礼も立原さんはよく許 してくださった。そして「小説を書きなさい」と叱咤激励して下さった。谷崎論『神と玩具との間』がよかったと、大和路の旅先からわざわざ言ってきて下さっ たこともある。
 なにしろ立原正秋さんが「畜生塚」を褒めてましたよと聞いたのが、最初の遠い触れあいで、直接は、「墨牡丹」だった、氏は村上華岳の絵が好きだった。華 岳を書いたことで、わたしは立原さんと、福田恆存先生という二人の大きな知己を得たのだった。
 立原さんの著書は以来ずうっと頂戴していたが、そんな中には先に謂う書評を断ったりしたのも有ったけれど、『冬のかたみに』に、その前の『幼年時代』に 出逢えたのは幸せであった。なによりそれは文学魂の硬質な結晶であった。とくに「幼年時代」は、凛々として、しかも立原さんらしい身振りの大きさが美しく 似合っていたと思う。四季自然や環境の表現の具象的に明晰な把握。感心して読んだが、一字一句をまた校正して読んで歎美の念を惜しまなかった。

* 井上靖先生の嗣子でも作家でもある井上修一さんの電話を、いま受けた。原稿依頼であると同時に「ペン電子文藝館」へ第二作、存分に随意に使用して下さ いと、ふみ夫人の意向を伝えてきて下さった。もう九十になられる。感謝に堪えない。
 そして伊豆湯が島の役場で出してきた冊子への、新たな原稿依頼もあった。修一氏もペンの会員である、出稿をお願いした。
 井上修一氏はたぶんわたしとほぼ同年では無かろうか。中国を旅している間に、夫人はわたしを息子のように思えると笑ってよく話されていた。たしか同い年 と聞いた気がして、いつも懐かしく感じていたが、出逢いはなかった。お嬢さん方とはパーティなどで挨拶を交わしたり手紙の往来も一度二度有った。


* 九月二十二日 続き

* 小泉改造内閣の顔ぶれがきまった。人事が好きな小泉流がほぼ貫かれ、露骨な妥協の色は見えていないが、やはり留任外務大臣を留任官房長官があやつり、 首相が黙認したり丸投げしたり派手に踊ったりする「外交」姿勢の残存は、いずれ問題を生じるだろう。
 石原国土交通大臣が電光石火に道路公団総裁を四の五のなく血祭りに上げたりすると、選挙向けには派手なパフォーマンスになる。石原に出来るかどうか、ぐ ずついていると民主党が立て直してくる。少しわたしはそれも期待しているが。
 麻生の総務大臣は、小泉改革にどんなブレーキになるか、麻生にすればブレーキをかけるか目をつむってでもアクセルを踏むか、彼自身の利害勘定が働いて、 苦しい口元がさらに歪むだろう。小泉にとっても、一つ間違うと獅子身中の虫を呼び込んだことになるが、麻生は「創氏改名」失言で手痛い傷を既に抱えてい る。そのため、どっち向きに我をはるかは難しい選択だろう。どっちみち信念でなく損得で道をきめる政治屋の一人だ。
 竹中平蔵のそのままの留任は、小泉総理にして当然の選択、わたしも、よかれあしかれそれは異存がない。ここへ来てまた元の杢阿弥なんてことはして欲しく なかった。
 小池百合子環境大臣は、思えば遙かな距離を渡り鳥の境涯だったが、彼女が12チャンネルでキャスターをしていた頃、我が家ではかなりの信頼を寄せ、好意 的に見ていた。ずいぶん脱いできた草鞋の数が、小池百合子をどう成長させてきたか、最近テレビタックルなどテレビ番組に出て話している話しぶりを、わたし は肯定気味に聴いてきた。期待したい。武市早苗や野田聖子なんかが顔を出すより、よほど力強い。浮かれずにやって欲しい。

* 菅・小沢民主党の褌を締め直した戦闘的なすばやい反撃姿勢に期待する。

* 夕食後に、たまらず宵寝した。朝早の迷惑電話がこたえた。

* 井上靖八代会長の第二作に、小説「猟銃」とも思ったが、何処ででも手に入る。第一詩集「北国」とそのあとがき、に、好きな拾遺詩編から二つほどを選ん でみようと思っている。
 桐生悠々の言説は、正直のところどれほど現代を刺激するか、歴史的な遺品的発言に終わっているようで、評価が難しい。思ったより文章に魅力うすく、硬 い。どう選ぼうか、迷っている。
 夢野久作の小説二編とも、凝っているが才気の産物を出ていない。江戸川乱歩のほんわかとした品のいい文体と構想にくらべ、才気そのものがすこしトゲトゲ しい。これはもう選んである。

* 同僚委員の和泉鮎子さんから歌誌「谺」を戴いて、崇徳院に関する連載の三回目を読んだ。崇徳院はいろんな側面から顔の見える大きな存在であり、骨太に 大胆に論説をつづけて欲しいと思った。崇徳院だけでなく、和泉さんの今月号発表の短歌もよく鳴り響いていて好ましい。「ペン電子文藝館」で常識校正を頼ん で、仮名遣いに至るまで最も克明に丁寧正確な指摘が返ってくる。委員会には現在五名の女性委員がいるが、高橋副委員長はじめわたしが自慢の人選で、それぞ れにとても頼もしい。

* その一人の今川英子さんは、林芙美子の精力的な研究・活動で知られた人だが、ある文学館の館報に「友情」と題した随筆を書いている。
 文中に、芙美子の言葉が引いてあり、林芙美子は「私の『作品』を愛してくれる人のなかにこそ本当の友人を求めたい」と語るか書くかしていた、とある。こ れは、まさにわたし自身の言葉でもあるかのように、痺れた。わたしの、「湖」という語のいわば原義のように感じた。
 子供の頃、仏壇の燈明に「美」を初めて感じた。また蓮の葉に野菜など供物の盛られるとき、蓮葉を清めの露をうつと、珠と光る露たちがきれいにころがって 忽ち葉の底に「湖」をなす、あの完璧な帰一の美しさに、声も出ないほど感銘をうけた。ひかる露の珠たち。一瞬に凝って湖をなす露の玉たち。「身内」という わたしの渇望の原義でも原点でもあったろう。「湖の本」の読者たちは、わたしには或る意味真の親族・血族にひとしい思いがある。私という鏡に無垢に映じて いる心親しい人達であり、どのような経緯が有ろうともひとたび鏡の前から立ち去った人は、もう私には何人(なんぴと)でもないと謂えるだろう。
 ある人が、「あなたは(特定の人よりも)不特定多数の方を愛する」と暗に非難の声を届けてきたけれど、それはわたしにとっての読者や学生達の意味を、 「身内」や友人たちの意味を識らない、識ろうとしない「他人」ないし「世間」からの考えなのである。

* スカート 2003.9.22  小闇@TOKYO
 私は、何と言えば良かったのだろう。
 今日、スカートを穿いて会社へ行った。一年振りか、それ以上か。普段はパンツである。慣れているから。パンツよりスカートを穿いていた時間が長かったの は、制服のあった中学校の三年間だけだ。
 朝から大変な攻撃を受けた。
  「どうしたの?今日はどうしてスカートなの?」
 私が男なら、今の社会常識に鑑みて、そう言われても仕方ないだろう。けれどそうではない。何と答えれば良いのだろう。
 「パンツを全部クリーニングに出してしまったので」「いやあ、たまには女らしくしても良いかなと思って」あたりが妥当か?  けれどまあ、正直、余計なお世話だ。スカート穿こうが化粧しようが、勝手じゃないか。
 どうにか攻撃第一波をクリアして外出し、重い荷物を提げて職場へ戻り、不毛な長い会議を終えて呆然とコピーをとっていたら、また声がかかった。
 「どうしたの?今日はどうしてスカートなの?」
 言ったのは職場で一番の仲良し。疲れていたことも手伝って、その発言は私をカチンとさせた。
 「どういう答えを期待して、そういうこと聞くわけ?」  ちょっと、余裕がなかった。
 一日繰り替えされた質問を最後に放った相手は、「不愉快になった」と言って帰った。
 あーあ。
 で、結局、私は何と言えば良かったのだろう。それ以前に、スカートを穿かなければ良かったのか?  良いじゃないか何を着たって。水着やパジャマで出社したわけではあるまいし。よし、今週はずっとスカート。今決めた。

* 小闇の表情まで目に見え、くすくす笑ってしまった。
 服装にわたしは神経質だろうか。どっちかといえば、無頓着でむちゃくちゃな方だ。
 高校のあいだ、わたしは丸坊主の頭をしていた。丸坊主は既にして珍しかった。京都の冬は寒い、まして日吉ヶ丘はまさに山腹でもあった。目の高さに西に東 寺の五重塔の相輪の頂があった。頭が寒いのでわたしは黒いマフラーをいつも頭に巻いていた。
 大学の早い時期に盲腸炎の手術をした。術創が縦に15センチ以上も残ったような移動盲腸で手術時間もながかった。そのあと暫く、気に入りの和服着流しで 教室に通いノートを取っていた。制服よりからだがラクであった。さすがに、そんな学生はキャンパスのどこにも一人もいなかったが、文学の教授にそういう人 が一人だけいた。高校の時の碩学岡見一雄先生は弊衣に編み上げ靴という途方もない僧侶先生であった。この太平記などの研究で学界を圧倒していた先生から、 わたしは古典は音読するとより美しく読めることを教わった。
 勤務した医学書院は、医者・医学者・看護学者を相手にする堅い会社であった。「先生」は看護婦さんと謂えども「絶対」で、鴎外研究の泰斗である長谷川泉 編集長からは、たとえ犬が西を向けば尾も「西」だという「先生」がいても、異論は腹の中にしまっておけと入社の前の面接で言われた。そういう会社ではあっ たけれど、そこへもやはりちょっとした病後の数日を、着物の着流しで出勤したことがあるし、冷房を節約していた時期、わたしは出社するとすぐさま短パンに 履き替えて車内仕事を涼しくしていた。部下であり、今ペンの同僚委員で助けて貰っている向山肇夫君は、あの短パンには仰天したとよく回想するけれど、暑け れば涼しいように過ごした方が能率がいいし、「先生」の来訪が有れば、また取材に出るときは普通にしていたのだから、人様の方が頭が堅いと思っていた。夏 は涼しく冬は暖かくと工夫するのが茶の湯だと利休は教えていたではないか。
 議会や大学の教室ににジーンズ姿が好くないなどと話題になるときも、そうかしらんとイヤな気がしていた。羽田孜総理が、短い袖の夏向き執務シャツでテレ ビに現れたとき、似合ってはいなかったが、発想は是、と感じた。
 衣服はおろそかにしていいわけでない。しかし囚われた衣服はおかしい。着ているもので人を見過ぎるヤツは嫌い。
 この小闇、笑わせてもくれる。ついサイトに誘われ、書いてないかなあと何度でもあけてしまう。
 そうそう、リードの部分に、「麻生新総務大臣! 就任会見で『IT、いわゆるフロッピー』はマズいですよ!」にも、笑ってしまった。麻生はともかく、前 の総務大臣が引っ込んだ人事には、しんそこホッとした。あれは喰えない危ない顔であった。


* 九月二十三日 火 秋分

* 六時半にスポッと目覚め、そのまま起きて、午前中をスキャンという根気仕事に掛けた。アシュケナージの「月光」ホロヴィッツの「熱情」「悲愴」が繰り 返し鳴り続いた。昨日は浅井奈穂子の「熱情」を三度聴いた。ホロヴィッツの名匠ぶりがいかにもと納得できる。午後にはグレン・グールドの「熱情」で作業を 続けよう。

* 十月四日にはペンの京都大会がある。すこしラクな時であり、行ってみたいなあという気がある。南禅寺畔のあの辺は、わたしには地元といえる近さで、な にもかも眼に映じて思い出せる。「のぞみ」に飛び乗れば直ぐ行けるし、中信に頼めば宿はとれるだろう。久しぶりに奈良あやめ池の松伯美術館、中野美術館、 また大和文華館などへ行ってみたいが。妻もいっしょなら躊躇しないのだが。ここのところ、すこし季節のかわりめに疲れぎみのようだ。

* 下谷竜泉寺町にある菩提寺でお墓参りをしてきました。鶯谷近辺はこじんまりとしたお寺が多くて、三々五々と墓参の人出、車も渋滞していました。いい日 和なので駅から十五分徒歩で往復です。
 鶯谷駅周辺はホテル街ですが、その一角以外は下町情緒豊かな庶民の町。迷路の様な車も入らない袋小路に数軒が軒を並べていたり、大抵の門口には植木や草 花の鉢が整然と置かれています。尤も大通りのビルが多くなりましたが。ある一角は下町の山の手と呼ばれて、豪邸が建つとか。多分林家三平一門宅あたりで しょう。
 九月も後十日。お月見の日、直植えから三本ばかり切ってもらった矢羽薄が、今や文字通りの枯尾花となりまし
た。それはそれで捨て難い風情を見せています。

* 我が家はお彼岸といえども、特別のことはしない。ふだんどおり位牌の前を少し腰低くして通るだけ。

* 新内閣が、より確信犯的な右傾国家主義内閣になっていることに、眼をそらしてはならない。梅原猛氏がペンの会長だった頃、小泉純一郎を、誰よりも「わ るい」総理だとよく批判していたが、同感する。憲法改訂、教育基本法改訂、有事法、個人情報法、住基法、自衛隊関連法等の推進など、どれをとっても国民的 な討議の頭越しに、どんどん反動的に進んでゆく。しかも彼への人気は高い。対抗できる政治家がいないからだ。日本の悲劇は確実に進行していて、国民の幸福 は腐蝕の度を深めている、急速に。

* この「私語」を十四日分まで文意や表記を整えて、「私語の刻24」に移した。それから、意を決して本の一冊分をぜんぶスキャンした、これは自分の用 に。以前、一冊をまるまるプリントにとっておいたので、スキャナーへ一頁ずつ差し替えるのがラクだった。それでもほぼ一日を要した。単行本から直か置きの スキャンならもっと手間がかかり、歪みも多く不正確になる。まるまる打ち直す頁も出る。面倒でも先ずプリントコピーを作るのが、急がば回れだ。それでも完 全な校正を要することは同じで、現在のスキャナーの能力では百パーセント正確な識字印字など不可能。それが九十九・九パーセント正確であったとて、残る ○・一パーセントの校正を省いていい訳でない。そこが、きつい。そこは守らねばならない。

* 御陰で今日わたしの機械部屋ではベートベンの三大ピアノコンチェルトが四壁にしみいるほど鳴り続けていた。月光・熱情・悲愴は、それほど聴いていて も、飽きない。名曲はすばらしい。グレン・グールドで聴き、ホロヴィッツで聴き、アシュケナージで聴き、浅井奈穂子で聴き続けた。これが同じ曲かと思うほ ど演奏者により印象が変わるのにも、今更に、おどろく。
 スキャン作業は全く機械的な作業なのだが、途切れ目なく流れ続けてちっとも手の抜けない作業であり、手順を間違えるとたいへん難儀なやり直しを強いられ る。四十回から五十回繰り返すのが限度で、少し中休みして手を止めないと、疲れて集中力を欠きミスが出かねない。一度ミスすると厄介千万。積み重ねた作業 分の全部をうっかり消去して泣いたことも何度もある。懲りてずいぶん慎重になったが、疲労には勝てない。
 いま私の手元でスキャンの必要な作業が、なお十件ほど溜まっている。苛立つとそれが負担になるので、なるべく軽く忘れている。肩凝り。バンザイすると骨 がきしんで、鳴る。


* 九月二十四日 水

* 心嬉しい初メールが舞い込んできた。あわやイタズラメールかと削除しかけたが、サイズが穏当なので開いてみたら、間違いのない、そして若々しいメール だった。ハンドルネームから猫の好きな乙女であるなと見当が付いた。

* 昨日あたりから、はっきり冷え込んで、九月彼岸過ぎとは思えない。
「からかねの筒に咲いたる曼珠沙華また吾亦紅白いコスモス」などと口をついて出る。家のうちに、秋色をたたえて草や花のいろいろが匂うのは佳いものだ。
 今朝は少し朝寝。出掛けたいがアテもない。雨もよいと聞いているが障子には明るい日があたっている。仕事にかかる。

* 妻の手元から鏡花の戯曲が校正途中で戻ってきた。いや、スキャンの成績が悪すぎて、全面新たに書き起こしているに等しい。書き直すなら書き直す気でス キャンの結果を諦めて棄ててしまった方が早そうな按配だが。
 それでも、原作の面白さには引き込まれてしまう。
 わだつみのいろこの宮に颯爽たる公子がいて、陸の美女を見初めている。女の父親は海の宝を身の代に寄越すなら娘を海に沈めようと欲望し、海底の公子は難 なく応ずる。夥しい漁獲や宝玉、珊瑚の類が、津浪のように陸に打ち上げられるが、海の世界からは「しずく」ほどのもの。彼等からすれば、糸一筋の針さきに 「釣」ということをしたり、海月の傘ほどな「網打ち」している人間達のけちくささは、問題外なのだ。

* この前、中西進氏の「海の彼方」を語る論説を読んでいて、海の國の時間が陸のそれの三百分の一のちいささと説かれていたのに対し、わたしは、妻もそう であったが、海の時間は陸の三百倍と読みたいものと、そんなことを「私語」したのもこの辺にかかわった感想であった。これは、また考えることがあるだろ う。

* で、娘の父は、美しい娘を財宝の身の代・人身御供に、海に沈めたのである。今日はその人間の娘である美しい花嫁が、いよいよ海宮に到着する日だ、公子 も侍女達も海の僧都も待ちかねている。花嫁の行列は厳めしくもはなやかに、いましも波をわけ海つ道(じ)をわけて近づいてくる。
 鏡花は「海」の、「水」の作家である。そのことが鏡花論者たちにまだまだ徹底していない。その意味では鏡花の戯曲、「天守物語」でも「夜叉が池」でもそ の他でもじつに多くを示唆しているが、ことにこの「海神別荘」に盛り込まれた鏡花の思想は注目に値し、また面白い傑作なのである。

*「湖の本」の新たな次巻の用意もはじめている。またひとふし変化をみせながら、読みやすい興味深いものを送り出せるだろう。手入れに二週間ほどかかるか も知れない。

* ご無沙汰しております。約10年くらい前に東工大生だった**と申します。**さんの結婚式の時にお会いしましたが、覚えていらっしゃいますか?
 今回は、東工大の授業の時に取り上げた短歌などの本を出すことになったとご連絡頂き、有り難う御座います。
あの楽しかった授業の内容が本になったのですね。是非読みたいと思います。私は上巻を持っていませんので、下巻と共に購入したいのですが、お願い出来ます か?上巻も購入可能な場合、その場合の振込み金額を連絡頂ければと思います。
 一つくらい、自分の書いたものが載っていれば、嬉しいなあと思います。が、どれが自分のものだったか覚えていないので、もし載っていて、どれが私が書い たものか判るようであれば、何か一つ教えて頂ければ幸いです。
 さて、ここで話は変わりますが、今は仕事の傍ら、ミュージカル劇団に入っております。11/21(金)〜23(日)に公演を実施するのですが、今回は雑 誌編集者を題材にしたものなので、もしかしたら先生にも楽しんで頂けるかもしれないと思いました。
 もしご都合がつくようであれば、観に来て頂ければと思いますので、差し障り無ければ、パンフレットなどを送付したいのですが、大丈夫でしょうか? 前向 きにご検討頂ければ助かります。
 話は長くなってしまいましたが、今回はこの辺で失礼します。最近、涼しくなってきましたので、体調にお気をつけ下さい。

* 教室での表情までよくよく覚えている。感じのいい女三「弓」士たちのひとりで、三人仲間ではいちばん口数少ない人で、声音は思い起こせない。だが、書 いていた字までわかる。あの大人しい人が大企業に研究職として籍をおいたまま、ミュージカルの劇団にもかかわっているというのが面白い。
 日置流だったと思うがこの三人は一緒に弓をやりながら、めずらしく全く同じ研究室に属していた。コンピュータで検索すれば、わたしの学生たちはほとんど 全員、大学時代の研究テーマや大学院の卒業論文題目がわかる。この三人の修士論文は、どう読んでみてもわたしの見当もつかない難しそうな題である。例えば 「MOCVD法によるZnO薄膜の微細組織の形成とその電気的特性への影響」という修士論文は、ちかぢかお母さんに成ろうという日を待っている人の研究 テーマだ。ひっくり返っても歯が立たない。歯の立たない世界が厳然としかも間近に在るということが、わたしにはいつも嬉しかった。それはわたしを謙遜にさ せるし、なんだか嬉しくなるのである。その難しいことを少しでもわたしに分かりそうに話してくれる学生達が好きだった。このミュージカル劇に誘ってくれて いる美女はといえば、「イオン照射によるガラスからの銀微粒子析出」なんてことを大学院でやっていたのだ。
 ところでわたし自身の卒論の題は「美的事態の認識機制」であった。

* 今夜は一段と眼がかすむだけでなく、鈍い痛みも。八時半だが、もうやすもうと思う。

* 朝に初めて届いたメールの人から、いままた「こんばんわ」と。学習院女子大学の四年生で、アルバイト先でわたしや妻ともう何度も出逢っているという可 愛い人である。「インターネットで検索しておりましたら、秦様のホームページに出会いまして、大変嬉しくなり、メールを送らせて頂きました。私は、本を読 むのが大好きなので、おすすめの本がございましたら、是非ご紹介して頂きたいと思います、よろしくお願い致します」などと朝には書いていた。朝は名前を読 んでもどんな人とはしかと思いあたらなかったが、晩のメールで先ず確実に見当がついた。歌舞伎座などのあと、立ち寄ると、おとなしくにこやかに面倒をみて くれる人達のひとりだ。絵にも芝居にも興味をもっていると。
 いろんなことがこの世間には有る。楽しいことも有る。
 そういえば、十一月の顔見世に、我當君が出る。「近江源氏先陣館」で、北条時政とか。十月の金閣寺では赤面の佐藤正清を演る。師走の京都南座では二役演 るらしいが、さ、京都まではどうか。 

* 雨の一日  急に気温が下がりました。お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。
 高村光太郎の「栄螺」が11/7から一般公開されるそうですわね。写真でみてもきれい。
 その記事の隣には、「安産利益の仏像盗難」の見出し。このところの仏像の盗難の多さはいったいどういうことでしょう。隣町でもありましたの。記事は、北 滋賀の西浅井町。「あざい」と、濁って読むのでしたね。

* さりげないが。わたしの関心にピタリと焦点が合ってくる。夕刊のニュウスで一番眼の光ったのが、高村光太郎の、とうとう見つけ出された彫刻作品「栄 螺」で、みるからに力作と分かるし、短歌も付いていて、夫人智恵子がらみとあるのも興味津々、わたしも機会あれば観てみたい。
 それもそれ、近時仏像盗難の噂が多いのはこれ何事ならんという問題提起にも、ふと心惹かれる。ほんとうに、これは何事なのであろうか。
 浅井を「あざい」と濁って読む話は、浅井忠を書いたわたしの小説「糸瓜と木魚」が記憶されてのこと。京都の植物園園長だった人の邸が、新門前の家の数軒 東にあり、「あざい」さんと呼んでいた。近江で信長に討たれた浅井長政が「あざい」と発音すべきだったか、今、それは確言できない。

* 或る時代小説を読んだ、が、中に、平気で「ライバル」だの「サロン」だの何だのと英語をつかって叙事されているのに、驚き呆れた。あまりに無雑作過ぎ ないかと思う。
「群像」の名編集長であった大久保房男氏がかつて歴史小説を全否定されていが、それが「時代小説=よみもの」の意味でなら、わたしも全面的に賛成である。 全部とは言わない、歴史文学としては鴎外や露伴の例もある。わたしにも「加賀少納言」や「親指のマリア」があり、大いに書き手に依るけれども、おおかた、 時代小説となると九割九分があまり安直でひどすぎる。テレビドラマの「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「大岡越前」「必殺仕置き人」といったものと変わらな い、やっつけ仕事があまりに多すぎる。

* いつぞやは、一読者に過ぎませんのに温かいご配慮をいただきまして感謝致しております。
 今年は 長梅雨・冷夏の後の猛烈な残暑でした。ここへ来て肌寒いほどの陽気に、夏物との入れ替えに慌てています。気温の変化の激しいこの頃 どうぞお体 をおいとい下さますよう。
 先週 名古屋能楽堂で観世流:能<通盛・葛城> 狂言<萩大名>を見てきました。
 その前の帰郷の車中 <能の平家物語>を何度も読み返していたのです。お陰さまで能:<通盛>を充分愉しむことができました。小宰相と通盛を見ながら <北の方>のことを考えてしまいます。
 萩大名は茂山千作氏:84才益々お元気で愛らしく演じていらっしやいました。
<来年の通し券>を申し込んでしまいました。
 そして昨日は能<砧・菊慈童> 狂言<佐渡狐>
 慈童を演じたのが8才の久田勘三郎君:凛々しくて 健気で かわいくて 充分魅了されました。茶掛けで見かける「福聚(寿)海無量」と、穆王が「福聚海 無量」を書いて慈童に持たせたことが、繋がりました。
 そういえば『修羅・七曜』:<海人>に出てくる”呉州赤絵珠取獅子鉢”が今年の<大師会茶会の菓子鉢に出ていたことも「茶道雑誌」で見つけました。こん なとき不思議に小躍りしてしまいます。
 点と点:少しずつ繋がっていくのがとても<うれしいこと>です。<電子の杖>が少しずつ私の視野を広げてくれます。感謝!   愛知県

* いくつになろうとも、生き生きしていると、生き生きした体験が加わってゆく。わたしの作品とのたまたまの出逢いが、すこしでもお役に立っているなら有 り難い。平泳ぎで、ゆっくり時の波を前へ泳いでいる人、日々に何かしらおどろきに眼をひらいている人、いいものだと思う。人生の全部をクロールや抜き手で 泳ぎ切るわけには行かない。生き急いでは居ませんかと云われると、首筋がヒヤリとする。


* 九月二十五日 木

* 朝からひどいスキャン校正に悩まされていた。そこへ、三越劇場から電話で、十月二十八日火曜昼十二時半から、「三越名人会」が、荻江節の「細雪 松の段」を上演すると。そういえば先日NHKの駒井氏から電話で依頼がきて、妻が聞いていた。 花柳春の一人舞らしい、佳い試みだ。この間、春と西川瑞扇とのせっかくの「松の段」を、会議とぶつかり見損ねている。久しぶり。今度は招待の機を逸すま い。
 十一月木挽町の顔見世は、夜の部に「近江源氏先陣館」が出る。播磨屋吉右衛門が、家の藝の佐々木盛綱。京屋雀右衛門、松嶋屋我當らが共演。昼は演目上割 愛して、こちら、は是非観たい。音羽屋菊五郎の所作がある。大切りに浪速の成駒屋が時蔵の小春を相手役に「心中天網島」河庄を観せてくれる。行かざらめや も。

* かるい偏頭痛は眼精疲労のたたりであろうか。午後、雨かも知れないが傘をさし濡れてこようと思う。アテもないが。何を見ても眼にこたえる。

* カウンター 2003.9.24   小闇@TOKYO
 いつも混んでいるその店のカウンターの奥は、焼き鳥の煙の吹き溜まりになっていて、十五分と座らないうちに髪にも服にもにおいがついた。嫌なわけではな く、むしろ楽しんでいた。溜まるのは煙だけでなく熱気もそうで、日が落ちても気温の下がらない街からそこへ逃げ込んでも、汗は噴き出すばかりだった。
 その店から足が遠のいて、しばらく。数週間の無沙汰。
 日中は二十度を超えるか超えないかの晩秋の気候で、夕方になって雨が降り出していた。車の流れは思っていたよりずっと速く、つまりこの数週間のうちに、 あれだけ途絶えることの無かった人波はどこかへ引いていて、後部座席から雨に叩かれる窓越しに見るネオンは、まるで知らない街だった。
 交差点の手前で降り、大粒の雨に横切って走る。寿司屋、中華料理屋、自動販売機、レンタルビデオ屋を過ぎて、カウンターの店。
 引き戸を開けて入った店内に、客は二人しかいない。静かな街と低温で響きあうように、店の中もまた静かだ。
 「降られたね」。
 でも、ほんの少しの距離なんですけどね。客の一人は、もうフリースを着ている。ビールを下さい。それと焼き鳥、つくねとレバー。どちらも塩で。あ、つく ねは二本にしてください。
 店の外、焼き鳥のコンロのその向こう、コンビニに出入りする人の姿がよく見える。提げられる袋の大きさ、形状で、中身が判る。500mlのペットボト ル、トイレットペーパー。パック詰めの寿司。牛乳、カップ麺、少し高級な。漫画週刊誌、シャンプー。100円のスナック菓子、夕刊紙。
 雨に滲む灯はコンロの熱で陽炎のように揺れる。うつらうつらと、酔って眺めた対岸の灯を思い出す。もう少し暑かった、同じような雨の夜。思えばその夜 も、すべてはこのカウンターから始まった。
 奥の席からは、雨脚は判らない。でも、そろそろ帰る時間。席を立つ。ありがとうね、と声がかかる。店を出て右へ。手にしたジャケットを鼻で確かめる。か すかに汗のにおいがする。

* テンポよく、よく具象的に見ていて軽率な観念に走らない。コラムエッセイとして、藝が利いている。
 これだけ書けると、では、小説も書けるか。
 それが難しい。小説は、場面をつくる道具立てや背景だけでは始まらない、人と人との葛藤や関係がしっかり魅力をもって動き出さないと、いつまでもエッセ イのままに終わる。エッセイから小説へ吶喊して行くのに、何が必要か。
 或る意味で「我」を捨てなくては成らないだろう。エッセイは「我」の味であるが、小説は、どれだけ「我を殺して」活かせるかである。「他」としたたかに 取り組まねばならない、「我」だけでドラマは生まれないからである。

* 女友達が、先日、子供と公園を散歩しているところを、不審な中年男性に後をつけられ、家へは帰れず、飛込んだ交番は無人で、半泣きに、そこから110 番していると、その男が「居ないの?」と入ってきたというのです。
 いただいた「逃げ羽も上手につかって」のアドバイスと併せ、震えた数日後、工事業者を装った男が、いきなりドアの鍵を開けようとしたのです。以来いまだ に一羽で家にいるのがこわくて、囀雀はびくびくしています。

* いやな時世だ。テレビのニュースや報道番組やバラエティを見ていて、また新聞の見出しを見ていて、晴れやかに気持ちよくなること、あまりに少ない。
 今日は桐生悠々を入稿し、夢野久作「悪魔祈祷書」をスキャンした。
 明日は病院。今は、ぐったり。九時過ぎ。

* アクターとして舞台に出ますので、もし良かったら観に来て下さい。 (といっても、まだ始めてから1年も経っていないので、まだまだですが・・・)後 日、チラシやチケットなど送付させて頂きますね。
 今回は、文芸雑誌、ファッション雑誌、ジャーナリズム系雑誌などを取り扱う雑誌編集者を舞台にした話です。
それぞれの部署で働く女性が様々な事情で、会社のお荷物部署である「第5編集部」へ左遷されてしまうのですが、そこで新しい雑誌を刊行し、各部員共々、や りがいなどを見つけて輝いていく、という話です。(詳細は、舞台をお楽しみに!)
 劇団オリジナルのミュージカルですが、今回は演出補佐として木島恭さん(はだしのゲンというミュージカル演出で有名な方らしいのですが、ご存知です か?)にお願いしています。
 私は、フリージャーナリストの役+その他大勢の複数の役をやります。主役ではありませんが、そこそこ舞台には出ています。ちょっとですが、ソロもあるの で、そんな私を観て頂けるだけでも、と思います。
 私の所属している劇団について簡単に紹介させて頂きますと、団名は「コーラス・シティ」といって、社会人で構成されています。何年か前には、「あした天 使になれ」といオリジナルミュージカルがNHK−BSで放映されたとか。
 どんなところか、まだ私もよく分かっていないのですが、劇団を創立した方(藤本洋さん)がいずみたくさんなどとお知り合いらしく、年2回の劇団定期公演 以外にも、環境問題の集会など各種イベントにも出演しています。(今週末はピースサンデーに出演します。)
 今年の5月にも公演を実施したのですが、そのときは木島恭さんに演出・脚本をお願いしました。
 劇団としては、来年20周年を迎え、その分については篠原久美子さんという脚本家に台本作成を依頼しています。
 ご子息も先生のようなお仕事をしているのですね!文藝一家!? 天体観測は私も観ていました(面白かったです)。是非「共犯者」は観せて頂きます。

* すこし宣伝になるだろうか。


* 九月二十六日 金

* 朝一仕事して、念のため長大なファイル一つをフロッピーディスクに保存しておいた。それからマウスを掃除したところ、中のこまかな装置をはじき飛ばし てしまい、修復不可能。まいった。

* 病院に行き、帰りに「さくらや」に寄り、教えられたマウスを買って帰った。これまではマウスの腹にゴムマリのようなものが廻転していたが、いまはちが うらしい。なんだか異界から侵入してきた宇宙船のように、腹に赤い電光が。すこしきもちわるい。しかもなかなかうまく繋がらなかった。布谷君にメールで泣 きを入れておいたりし、あれこれやっていたら、にっちもさっちも動かなかったのが、ふと動き出した。マウスのポインターが動かないかぎり、自作機械は全く にっちもさっちも行かないのである。
 どうして動きだし、どうしなくて動かなかったのか、今も分からない。今動いているのが、また電源を切ると次はダメかも知れぬと心配だが、今のうちに出来 ることを手早くしておく。

* 聖路加の成績はあまり芳しくなかった。ふうっと息をつき、急に、夢のま闇(くら)にこんこんと眠りたかった。

* 機械が無事でよかった。さんざ「さくらや」でマウス思案のあと、ちと食い意地が出、西武パルコ「船橋屋」に上がった。小指半分ほどの天麩羅松茸が出て おどろいた。


* 九月二十七日 土

* 寺井谷子選 視聴者入選12句 への ゲスト秦恒平の批評(2003.9.17 NHK俳壇収録分)を以下に掲げておく。僅か三十分に、番組内容が盛りだくさんで、結局どれ一つとて十分に話せず半端に終わってしまうのは、ことにこの番 組では予想できたので、収録前にメモしておいた。
 寺井さんの推薦句と、わたしのそれとが全く触れ合わなかったのは、「俳句」にせよ「短歌」にせよ評価や鑑賞がいかに主観的かの好例を提供している。ほん とうなら、その討議を二人で出来たら、よほど番組として質的に興味深かったろう。寺井さんがご意見を寄せて下さると嬉しいが。
 なにしろ批判はおろか、批評も避けて「無理しても褒めてあげて欲しい」というのでは、わたしには向かない。幾らでも褒めたいが、心にもないことは言えな い。
 今朝放映されていたらしいので、このメモも解禁とする。

12.馬屋には大型農機鳳仙花  
         鹿児島県喜入町 永野ちづ子さん  秦 第一席推薦
@ なんとなく大柄な俳味を感じさせる句。A 馬屋に馬がいなくて、馬より可愛いげの無い、しかしかなり働き者の、大型農機。 B そんな武骨な農家の風 情を彩って季節の花の色濃い鳳仙花が、豊穣の秋を思わせる。C 漢字ばかりだが、「うまやには」の柔らかな発語が生きて、D 「大型農機・鳳仙花」という 堅物と美形の取合わせを引き出したのはお手柄ではないか。

7.水郷にロケの一隊夕月夜
              高槻市 河本利一さん  秦 第二席推薦
@ 姿美しい句ではない、が、或る種の唐突感に、ふと「おかしみ=俳味」を覚える。
A 俳諧に根を発した俳句にとって、或いは「季語」以上に大切なのは、この「俳」の字が担い伝えてきた「俳味」の表現。B 俳句は、三句の「短い詩」であ ればいいのか。そうではあるまいと思っている。 C 蕪村に特に、近代の子規にも、「俳の妙味」が、魅力の芯にある。
D この句「水郷」という舞台が効果的。 E 夕深まり波きらめくなかで、何を撮影するのか朧ろにそれとも知れにくいけれど、多くの人影が動き、いろんな 声も行き交う。F すべて「夕月夜の薄明かり」に、刻一刻とシルエットになりゆき、幻想的ともなって、果ては昔風な狐や狸の「まどい」かのようにも想われ て来たりする。G それが現代的な「ロケの一隊」である点に、斬新な、把握と表現とがよく纏まった。 H ふとおかしく、なかなか美しく、時間の経過が、 夕月夜のなかに静かに賑わっているのが、佳い。

9.妹の負けず嫌いや鳳仙花
            奈良県平群町 谷川安子さん  秦 第三席推薦
@ 鳳仙花は、爪紅ともいうように、女の子の遊び草。 A 爪を赤く染めてみせて、どっちが綺麗と競い合ったろう、幼い日の姉妹。妹は、そんな昔にも、姉 に対しなかなか負けていなかった。 B その思い出が、今しもまた甦るほど生々しい大人の場面が、ふと姉妹の間に「葛藤の顔」を出しているとも読める。  C 「や」という切れ字に、幽かな舌打ちを聴いてみても面白い。 D 或いは、今は遠くにある(亡くなっているかも知れないし)そんな妹の、昔と今とを面 影も愛おしく思い出す姉の目に、今しも鳳仙花が、赤い。 E 句の姿もわるくなく、かすかに句の調子から、おかしみも、哀れも、受け取れる。 F ただ、 際だって個性的とは見えず、類句を見る「おそれ」もある。

11.温和しき孫が来て居る夕月夜
         福岡県宗像市 國安啓一さん   秦 佳作推薦
@ お祖父さんの、得も云われぬ嬉しさが、雰囲気よく出ている。 A「居る」という日本語=漢字の本来の意味、謙虚に膝を折ってひかえている意味が、「温 和しき」とうまく響き有って、「語感の正しさ」に感心するが、ひらかな表記なら尋常。

1.夕月夜一つ残れる砂の城        茅ヶ崎市 平野健夫さん
  @ 子供の遊びのこした砂浜の「砂の城」に夕月夜。 A 装置が出来すぎ。頭でつくりあげた「観念の臭い」がする。 B 「一つ」というわざとな物言 いが、それを感じさせる。 C わたしなら、「一つ」と気取らず、気張らず、むしろ「幾つ」というふうに大小・出来不出来、いろいろばらばらに見渡すこと で、逆に「幻想感」に現実の基盤を与えてみるが。

2.母のよな姉の命日鳳仙花        長野市 丸山祐司さん
  @「よな」という、寸足らずの「ような」が、何をどう把握したかが、適切に伝わってこない。 A 容貌が、性格が、家庭内の立場が、作者への接し方 が、「母のよう」だった「姉」としてみて、それら総てを「よな」で代弁させるのは、表現として弱い。 B また「母」その人は、句の中でどう働いているの か。 C 「命日」とあれば、母も姉も亡くなっていて、現在とはともに間があることになり、句の哀切が、遠々しい。D これが姉眼前の「命終」であるなら ば、鳳仙花の種が弾け散った感じにつながり、強い哀切感とともに「鳳仙花」が印象鮮やかになるけれど。

3.遠き日に触れて弾けし鳳仙花    
        長野県飯田市 竹下きよ子さん  選者第三席
@ 鳳仙花の種のはじけ飛ぶ生態に直接触れている句。 A それにしても表現が弱い。何を把握しているのか、把握が弱いので表現も弱いのである。 B  「遠き日」は、遠い昔の思い出に属する意味とも、遠い日当たりのなかで日光に射られたように赤い鳳仙花がぱっと種を散らしたとも(むりに読めば)読める。  C「遠き日に触れて」ではいたって意味が弱く、具体的な印象として訴求する力が無い。

4.夕月夜帰る漁船の舳に座り   三重県明和町 西口才助さん
  @ 耳で聴いて「舳 =へ」が、ひ弱い。  A座り か 座る か。 B 座 の主が作者なのか、 夕月夜の帰り船を、よそから遠望しているのか。 C 遠望なら、座影は、夕 闇を流れるシルエットとなり、座り とよそに眺めてもいい。D 作者が座っているなら、はきと、「座る」と主体化した方が句勢がつよい。帰る・座る と韻 も生き、漁=労働のアトの放心ぎみの「安座」感が出る。 E このママでは句の語調はやや乱雑、F 字配りも無雑作すぎる。 体言=名詞が三つも。ひらか なはたったの四字。見た目の美しさも考慮して欲しい。

5.逝きしとは応へなきこと鳳仙花  
       三重県菰野町 内田あさ子さん  選者第一席
@ AとはBである、すると、なぜ 鳳仙花なのか。 A 鳳仙花を、はかない死= 死別と、どう匂いづけしたのかが、分かりにくく、単にご都合に感じ取れる分、初・二句が「理」に落ちて聞こえ、美しく昇華されない。 B 詩歌の魅力に十 分は届いていない。 

6.仲よしの誰も来ぬ日よ鳳仙花      福知山市 植村太加成さん
  @ 大人から見て我が子の「仲良し」なのか、作者自身の「仲良し」なのか。 A自分=作者のでは、「仲良し」という甘い表現も、「鳳仙花」との組み合 わせも、まして作者が大人の男性なら、すらりとは受けいれにくい。 B 鳳仙花で爪など染め合って遊べる女友達が、今日はなかなかやって来なくて、心持ち 寂しげな「わが娘」を見ているなら、分かる。 C「誰も」そして「よ」のところに、句の、ゆるみと甘えが感じられる。 D 例えば、「や」「ぞ」などとの 「推敲」はされたろうか。 E 把握と表現に、徹したものが、やや欠けている。

8.夕月夜届く所に居て会えず
          兵庫県明石市 川木明光さん  選者第二席
  @ 思いあまり舌足らず。「届く所に居て」が不十分。 A 思慕の哀しみかと想われるが。 B「居て」と漢字にするのも。 B まだしも「近い所にい て」の方が素直か。「手」の届く所のつもりなのだろう、それなら「手が届きそうでいて逢へず」が率直な佳句になる。

10.夕月夜瀬戸に真白き警備艇      岡山市 大森哲也さん
  @ 「背戸」の海にならまだしも、「瀬戸」と書かれると、瀬戸内海があらわれて、かなり俯瞰遠望の印象となり、訴求力が淡くも、弱くも、うすくもな る。 A 夕月夜の下で、白い舟が白く見えるだろうか、むしろ黒ずみはしないか、これは自信ないが。

* NHK「俳壇」拝見しました。お元気そうなお姿もお声も嬉しくて、喜びに溢れております。男前も、変わらず。いえ、一段と輝いてらっしゃる。「うまや には」の響きに、あ、いいな、と私も思っておりました。お仕事すすみますように。お幸せをお祈りいたします。    奈良県

* これはもうご贔屓筋の冗句(ジョーク)のようなもの。
 幾昔前はテレビに出るとなると気が騒いだが、今は、なるべくそんな機会はパスしたいとしか思わない。

* わたしの面白くないゴタクより、やはり小闇に、少し「私語の刻」を賑わわせて貰うほうがいい。小闇のホームページをわたしの他にどれほどの人数が見て いるか知らないが、カウントのかなりの割合はわたしであるかも知れない。とにかく読者は多い方がよかろうし、わたしの「私語」に「角度」もつくので、宣伝 のつもりであつかましく転載させて貰っている、ゆるせ。

* 定型 2003.9.25   小闇@tokyo
 会社で十二時間くらい働いてまっすぐ帰ってさっとシャワーを浴び、パソコンの前に座ってビールを飲みながらあちこち覗くのが、好きだ。どれかひとつでも 条件が欠けると、爽快感は目減りする。
 労働時間は十二時間くらいがちょうど良い。会議は嫌いだが、日に二回くらい短い打ち合わせがあると、それまでに手元の仕事にけりをつけようとするので、 結果として効率が上がる。それでも十時間くらいすると集中力が落ちてくるのが分かって、お腹が空いてきて、ゆっくりとクールダウンする。
 平日は湯船につからない。シャワーだけ。風呂につかるとリラックスしすぎてしまう。さっと浴びて「脱いだ」気持ちになるくらいでいい。
 パソコンの電源を入れ、メールを確認し、いったん机から離れて新聞を読む。で、捨てる。
 テレビはつけない。すぐ横にあるのでつけても良いし、むしろ情報収集のためにはつけたほうがいいと思うのだが、習慣である。
 ゆるゆるとサイトを巡回することもあるし、その前に自分の書き物をすることもある。仕事が忙しいときはたいてい、書き物が先。仕事の途中で、ああ、あれ を書こう、こんな風に、と、だいたいできあがっているからだ。
 そうでないときはあちこちを読みながら、なんとなく考えている。ビールは既にプルトップを起こしているが、ほとんど減っていない。
 で、帰宅して2時間くらい経つと、明日も俺はやるぜ、とか言いながら10メートル歩いてベッドにうつぶせてそのまま朝。

* おじいちゃん 2003.9.26   小闇@tokyo
 職場に、私が密かに必殺仕事人と呼ぶ上司がいる。仕事がはやくて優秀。私がこの仕事を続けるなら、ああなりたいと心底思う。ちょっと口べたなところも職 人っぽさを際だたせる。見ていると、特に女が苦手なようで奇妙なシンパシー。これで酒癖さえあそこまで悪くなければ、一生着いて行きたいと思うほどだ。
 今日、書いた文章をその仕事人にチェックして貰った。すぐに反応。私の職場では珍しいことだ。
 「あのさあ、最初の七十行、書き直して」。曰く、簡単なことを難しく書きすぎているという。なるほど、その通り。「もっとさあ、ちゃーっと、ぱぱぱっと 書いていいんだよ」。ちゃーっと、ぱぱぱっと。困る私。もっと困る仕事人。見つめ合うふたり。
 「だからさあ、話しかけるように書けばいいんだよ、ほら、おじいちゃんに説明するみたいにさあ」。
 バラバラバラバラっと、焼夷弾もかくやという勢いで目から鱗が落ちた。話しかけるように、おじいちゃんに説明するみたいに。「ああ、それならできるよう な気がします。すぐやります」。
 子供に説明するみたいに、と言わないあたりに好感が持てる。さすが不惑の独身男。と、思ったのだが。
 いざパソコンに向かうと、おじいちゃん、という言葉に触発され、父方の祖父でも母方の祖父でもなく、ごま塩頭でいつもニコニコしている、この手の話題に はちょっと疎い先生の顔が浮かぶ。茶化すつもりは毛頭なけれど、同軸ケーブル=光ファイバだったり、光学式マウスが「異界から侵入してきた宇宙船」だった りだもんなぁ。あの人に理解して貰えるように書くのか・・・。
 それは、例えば経済や文学を、私に判るように書けというのに等しく、ちゃーっとより書くよりも、ぱぱぱっとより書くよりも、ずっと難しい。というわけで 書き直しの手は止まったまま。本人はきっと気付いていないけれど、あの発言は、仕事人本日唯一の不覚。

* ついに「おじいちゃん」にされてしまった。


* 九月二十七日 つづき

* 国立能楽堂で、祖父野村万作が大名、大叔父万之介が太郎冠者、父萬斎が猿牽、萬斎の息子が小猿初舞台の、狂言「靫猿」を観てきた。この舞台は、脇柱か ら橋がかりの目付柱へ、舞台を斜め三角に二分した、前半分の三角地帯で大方の演技がなされる。それも斜線上へ、大名、太郎冠者、猿牽が直線に演技し、紐で 牽かれた小猿だけが、前方へ出て可憐に働く。舞台前半分の三角形斜辺がとても大事に構成されており、ま、狂言ではそういう構成が多いといえば多い。その斜 辺に当たる線のまっすぐ見通せる席は、だから、それなりにいと面白い。わたしの今日の招待席が、ちょうどそれに当たっていて、とても見やすくまた面白かっ た。楽しめた。
 靫猿は、無体に、大名が生きた子猿の生皮を靫の用にと強要する。観ようではいやな舞台なのだ、が、猿牽と猿の愁嘆に心ひかれて存外あっさり大名は要求を 引っ込める。喜んだ猿牽が小猿を舞わせて祝言し、大名は無邪気に小猿の舞いをめでて自ら猿まねし、ものなど沢山かずけ与えて、めでたく終える。今日の舞台 は、万作の柄であろう、嫌みがうすく無邪気な大名がむしろ強調されて、たいへん気分のいい「靫猿」になっていた。
 小猿がたいした身動きで、声こそまだ出ないが舞は猿らしく上手で、父親ゆずり、先が楽しみ。

* 安福健雄、大倉源次郎らの「安宅」素囃子が、気力満ちた演奏で、しんから楽しんだ。大鼓、小鼓、笛。それだけの合奏が寸分狂いなく「音楽」として完成 している。気持ちよく嬉しかった。囃子終えるとそのまますぐ「餅や」が舞台に登場して、珍しい狂言「業平」を萬斎、万作らが面白く演じてくれた。意地汚く て色好みの業平を、さすがに萬斎はめずらかに見せ、万作がここちよげに付き合っていた。
 野村万作家三代の狂言デーであり、能楽堂には竹下景子、壇ふみ、関根恵子などの顔もあり、ドナルド・キーン氏や小山弘志氏、堀上謙氏、松田存氏ら見知っ た顔が多かった。はんなりと佳い狂言会であった。

* どこへ寄る気もなく池袋に戻り、「さくらや」で昨日と同じ光学マウスをもう一つ買って帰った。

* 夢野久作の「悪魔祈祷書」を入稿。面白く引っ張って行くのだが、結び方は今ひとつ締まりなく、切れ味に乏しい。物足りない。が、これまた江戸川乱歩が 惹かれたという谷崎作の推理探偵もの「途上」の手法にちかく、なにとなく珍しいタチの小説ではあり、植林したい一つの樹相をしている。濃厚な味わいからす ると乱歩の「押絵と旅する男」の方がずっと佳い。ま、久作もわるくない。
 しかし、同じ珍しい世界へ踏み込むとなれば、鏡花の世界はケタちがいに奥深く想像力は天才の名にいかにもふさわしい。戯曲「海神別荘」のスキャンからの 起稿、だが、容易なことでない。

* 大河ドラマ「武蔵」の一の山場である巌流島での決闘を、ビデオで見た。ま、あんなところであろう。日生劇場の「海神別荘」で海の公子を玉三郎の美女と ともに颯爽と演じた市川新之助が、いつ知れずそこそこ佳い武蔵に成人していた。勝負が呆気ないのは仕方がない、その前後は一応の緊迫を演出し得ていたので はないか。
 この決闘はやや時代がおくれて江戸時代に入っていたが、わたしの「日本の歴史」は、北条早雲、武田信玄、上杉謙信、そして戦国大名へのし上がっていった 先代伊達政宗より以前の五代などを読み進んできて、予備知識あり、俄然読んで面白いところへ雪崩を打っている。やがて織田、松平(徳川)の登場になる。
 第百代天皇が南朝の後小松天皇なのは知られていて、足利義満の頃にあたる。後小松帝は一休の父かともいわれている。後小松のあと、後土御門、後花園、後 奈良、後柏原、正親町、後陽成、後水尾ときて、室町時代の中世はいつか近世に入る。
 室町の前半は守護大名の時代で、応仁文明の乱のあと、太田道灌を皮切りに北条早雲の登場から世は戦国大名の時代に移動する。天下布武の織田、天下統一の 豊臣秀吉も潰え死に、関ヶ原合戦の頃にやっと野心を鎮めた宮本武蔵の画業が世にのこり、稀有の著述の『五輪書』が書かれる。

* こんばんは。「私語の刻」で紹介されていた、元東工大院生さんの研究テーマ、面白かったです。
 こちらは、先日ある理系友人とのメールのやりとりの中に出てきた、セミナーの名前です。
 「ショウジョウバエ近縁種間における形態進化の分子発生学的基盤」
 「アブラムシにおける単為発生プロセスおよび内部共生系の起源」
 何だかさっぱりわからなくて、面白いです! それでは、おやすみなさい。 群馬県


* 九月二十八日 日

* 「崇徳院」へのおことば、ありがたくうけたまわりました。
 「骨太に、大胆に」という仰せ、むつかしうございますが、そう、あるべく、努力したいと存じます。
 怨霊として語られること多く、わたくしの興味も怨霊説話からでした。けれど、崇徳院のうた――まとまったうたとしては「久安百首」のみですが――を読む うち、歌人としての院を知らな過ぎたことに気づかされた次第でございます。
 あと、讃岐幽閉時代の院、それから院周辺のひとたちを書きたいとおもっています。
 うたにも、過分のおことばをいただき、疲れ果てていた心、よみがえる心地でございます。お医者さんも、落ちついてきましたねとおっしゃってでした。
 やっと、心落ちついてきました。くさぐさのお励ましに、御礼申しあげるのが遅れました御無礼、おゆるしくださいませ。
 高史明さまの「歎異抄」、ゆっくりゆっくり、水を飲むように拝読しています。水は、心に、全身に染みわたってゆくようでございます。ありがたいことに存 じます。   茨城県

* 思いがけずこの十日ほど、「古典」なるものの、おさらえ勉強をしている。「古典」というと辟易する人は多いが、古事記から蕪村や秋成まで、優に明治以 降の近代現代文学に匹敵していて、古典を見失うということは、日本文学史の半ばないしそれ以上を、はなから欠していることになる。
 なるほど、言葉も文法もかなづかいも異なっていて、容易でないといえば言える、が、じつは、そんなではないのである。そして一度馴染んでくると魅力横 溢、読書のよろこびが何倍にも増してくる。
 外国語ではない、同じ日本語であり、その時代時代の息吹は、いまも自分の口にし書いていることばや、また生活習慣や嘱目のうちに生きていて、そう縁遠い ことばかりではない。
 和歌や俳句の現代語訳なんてまがいものに頼ってはいけないが、散文は、もし優れた現代語訳があると分かれば、そこから入って良いのである。わたしのこと をいえば、百人一首の現代語訳などという愚なものとは付き合わなかったが、源氏物語は、与謝野晶子の優れた意訳から入って、谷崎源氏も愛して、本当によ かったと思う。
 いま崇徳院の話題があった。院の、あの、落語にもなっている「瀬をはやみ岩にせかるる瀧川のわれても末に逢はんとぞおもふ」など、どんなに現代語を駆使 して訳しても、和歌に隠され畳み込まれた妙味はついにとらえきれはない。その歌の「うた」たる調べに惹き込まれ、好きになるかどうかから、コトは、すべて 始まるのである。そして舌頭に千転万遍、意義をこえた妙味に惚れ込めば、知識は、必ずアトから来て、尻を背を優しく押してくれる。

* 一昨日、母親の助けを借り、女手で二人の子供を育てた女優の五十嵐めぐみの、LD(学習)障害、長男の生活を紹介したテレビ番組に触れました。昨夜は NHKの「鶴瓶」の番組で、宮崎の、同様の障害(この日本語はとげがありますが、)等を持つ成人の職業センターを紹介していました。
 長く養護教育の現場にいた身内、いまは退職して都下で子供らに工作、工芸を教え、かたわらヨガの瞑想道場を主宰していますが、彼から、キアヌ・リーブス がLD障害で台本がほぼ読めなくて暗記している、との話を聞いたのも思いだしました。身内の彼の長男も、かろうじて学校へは行きましたが、そのようであっ たかと。
 どちらかというと、心やメンタルの方ではなかった、それは後からついてきたのだ、と、少し気づくのが遅かった、でも重たいけど晴れた気分です。不足して いることを人はよく補い合い、分かち合うことが大事ですね。小さきもの、弱いものに人一倍、いや万倍あたたかいまなざしを向け、実践する楽しみを見つけ得 れば、と、晴れの気分です。お導きにいつも感謝しております。

* 「お導き」なんて、とんでもない、何もしていない。もさもさと「私語」しているに過ぎない。

* あさっては、久しぶり言論表現委員会。いま猪瀬直樹氏にもらった全作品集から彼の出世作と聞いている「ミカドの肖像」という大作を読み始めている。処 女作「天皇の影法師」は秀作であった。これはどうか。大宅賞作品である。まだ初めの数頁、楽しみに。犬猿の仲の佐高信氏がボロカスに評していたのは知って いる。それはそれ、わたしはわたしの思いで、よく読みたい。
 彼猪瀬氏は貸与権や公貸権問題にいま熱を入れていて、またシンポジウムを企画しようとしている。話し合うのはいいことであるが、性急に独走はしないよう 願いたい、わたしは先ずは貸与権を確実に法的に確保できる道をつけたらいいと思う。これは可能性は生じている。これと図書館における公貸権とを、似たもの の一番えかのように一斉にとは行きかねるだろう。
 またペンクラブという性格も、著作者という性格からも、たとえばマンガ家集団や推理作家集団の思惑に全体をひっかぶせて動きすぎないように願いたい。推 理作家集団の、本を新刊後数ヶ月の間、図書館はその新刊を置かず貸さずを約束せよなどという要求は、井上ひさし会長も明言していたが、明らかに行き過ぎて いる。こういうエクセントリックな方向へ日本ペンクラブがさもあらゆる著作者の総意かのように走り出すのは、迷惑なことである。賛成しかねる。とにかく落 ち着いて、利害だけを潜行させた露わな議論から、もう少し大人の配慮に富んだ話し合い前進へ持って行きたい。

* 同じ明後日と明々後日、日暮里のあるお寺で、観月で知られたお寺で、親友の女優原知佐子らが、平家物語をどうとかした催しをやる。どっちかの日にと招 かれている。原知佐子は「祇王」の母とじを演じるらしい。さ、月は、どんなか。三十日に行けるか十月一日か、久しぶりに顔を見にゆく。大学専攻の同窓で、 太宰賞の授賞式には花束贈呈の役に出てきてくれた、今では最も長い親交の一人である。息子のドラマにも一度出てくれた。

* 窓の障子がとても明るい。秋の色をしている。

* サイズのばかに大きい正体不明のメールがこのところまた盛んに飛び込んでくる。そんなのは正体不明のファイルを送り込んでくる不良メールに相違ない と、すべて水際で削除している。おかげで、真面目な、まともな、新しい知人のものも混じってしまうかも知れないが、機械が傷むのは避けたくそのリスクは諦 めている。題名できちんと伝わるよう配慮してあれば、むげに間違うことはない。


* 九月二十九日 月

* スペンサー・トレーシイとエリザベス・テーラーの、懐かしい映画「花嫁の父」を暫くぶりに観て、大いに笑い、そして最後にほろりと泣けた。何という美 しいいい娘だろう。いかついスペンサー・トレーシィの父親ぶりがたくまずして可笑しく、優しく、何といってもジョーン・ベネットが素晴らしい妻と母親とを 演じ分け、基調を成している。まず無条件にいつみても楽しめ、しかも映画的に堅固な組み立て。ビデオはとうの昔に永久保存ようにピンが欠いてある。

* 同僚委員の京都仏教大の三谷憲正教授から『オンドルと畳の國』という良い著作を頂戴した。いうまでもない韓国と日本。比較文化学的にも「試論」が何章 も展開されながら、その基調に、三谷さんの生活実感豊かな体験が生きている。それが強みになり、しかも偏していない。面白い。中の一章が「ペン電子文藝 館」に戴けるといいなと、お願いしているが、志賀直哉論を用意して頂いてもいるらしく、どっちでもいい楽しみである。

* 猪瀬直樹氏の『ミカドの肖像』がまた視野の展開に、意表をつく仕掛けがしてあり、一つ一つに驚かされる。
 たとえば、皇室専用駅としての原宿駅のことは、ま、知っているけれど、お召し列車がどういう微妙精妙なダイヤ処理により、厳しい制約にもしたがって走る のか、その裏作業などを辛辣に問いつめて行くことで、「みかど」の問題に迫るなど、すこぶる興味深い。敬服に値いする勉強家。独特の説得力に、性格的なあ る種圧力を加えて、ド機関車のように勢い猛に論述して行くところが、いい。面白い。

* この数日、息の長い根気仕事を辛抱よく続けているので、うまく気を散らしたり眼を休めたり、時間の配分には気を使っている。わたしは、いわゆる夏ばて するタチで、子供の頃から、真夏は大元気なままに、九月になると、きまってへこんだ。高校三年でも受験勉強がこれから正念場という九月に入り、肺浸潤を医 師に警告され、結果として受験放棄につながった。浪人はできず、推薦進学した。
 二三日、両脚が脚気かのように重く、いやな体調をけだるくひきずらせている。ああそうか、それならそれでどうぞと、そんな体調には逆らわずに、のそのそ と、しかし仕事をしつづけている。
 妻もすこしへばって階下でやすんでいるし、黒いマゴまで、わたしの背後のソファでずうっと熟睡している。

* 伊豆湯ヶ島町役場から、井上靖に関する寄附原稿を依頼してきた。数枚から二三十枚と。さ、何が書けるかな。
 藝術至上主義文藝学会からは、昨晩秋の学会講演録を、雑誌に欲しいと。これも寄附原稿である。

* 気にかかっていた手紙を三人に三通書いてしまい、とことこ歩いてポストに行った。メールで済む交信はいいが、郵便はついつい遅れがちになり、いけな い。まだ何人か返事や発信の不義理をしている。

* 「ペン電子文藝館」瀧井孝作の小説「結婚まで」を、読みました。いいですね。華美な文体や比喩とはかけ離れていても、じーんとくるものが、良い作品に はあるのですね。  神奈川

* 現会員には出稿にさいし完璧に文字校正し終えた原稿を提出するよう再三依頼してあるが、また、ものすごいほど、委員校正で疑点続出、続々出の時代物作 品が舞い込み、余儀なく校正杜撰で返却した。現会員の作品はディスクやファイルで届けば、信頼して、そのまま入稿している。それにしても、作者たるもの、 推敲ということをしないのだろうかと、姿勢の程が思いやられる。

* 雲たなびいて 明かりをつけたとき、ジャズトランペットのソロが、ラジオから流れてきました。
 稍寒の風に、一筋、金木犀の香り。蔓草の小さな朱い花が、一輪、細いうなじを風にまかせています。
 郵便受けには、クリスマスコンサートの案内が届いていました。
 きのう、「露の世」を読みました。   新潟県

* 夕方、近くの薬局へ聖路加処方のインスリンなどを受け取りに行った。空が高く明るく、大きな雲の峰が幾重にも赤い夕日に反映し彩を異にしているのが、 珍しい美しさ。たちどまり、何度も首をたかくあげて見惚れた。「一筋、金木犀の香り」をわたしも感じた。季節のかわりめを今日はまざまざと風の音におどろ き知った。あ、そうか「露の世」の時季なんだと、昔昔に書いた自分の作品を、自分も一人の読者のように思い出した。桔梗サン……。短いながらに、こういう 印象うるわしい、そしてこまやかに自然な、的確な、メールが嬉しい。


* 九月三十日 火

* Hello Hata-san,
 Just a note to let you know that we just saw you on the "NHK Haidan" television program.  You know that I had not seen you since the Kyoto Sanjo days long time ago, but I recognized your features of those days.  Now you look the distinguished scholarly gentlemen of the position you have achieved.  Hope to see you next month when we will be in Tokyo.  We will be in touch for the exact time and date.  Chiyoko also sends you greetings.
Edward Ikemiya

* 恐れ入ります。池宮夫妻は、京都三条河原町の朝日会館わきを、高瀬川まで入ったきわの洋館に、当時暮らしていた。夫人の姉上も同居し、その人が、叔母 の稽古場へお茶とお花の稽古に来ていた。わたしは大学生だった。
 この人達との交際は、わたしには何もかも新鮮だった。衝撃だった。憧憬の念ばかりを胸にし、わたしはおそるおそるこの池宮家によく出入りした。池宮氏は どこかしら京阪電車沿線の米軍施設に勤務していた。千代子夫人はよそでお茶を習っていた。自宅に畳の部屋をつくり炉も囲って稽古していたし、洋間に立礼式 の設えをして、席開きの茶会もしたのを、わたしは裏方で、いろいろ手も知恵も貸した。そういうことの出来る大学生として、役に立ててもらえた。
 その洋風の家は「李家(りのや)」さんという、知っている人は知っている或る名家のもちものだった。なにもかも私には珍しかった。
 そのころ、彼女たち姉妹は何が何でも、扇雀・鶴之助のアツアツのファンであった。武智歌舞伎の華やいでいた頃だ。その扇雀がいま鴈治郎で、遠からず坂田 藤十郎という上方歌舞伎創始期の大きな役者の名を襲ぐことになっているし、鶴之助はいまは中村富十郎、歌舞伎踊り最高の名人になっている。若い夫人との間 に、最近また新しい子供が出来たおめでたい限りの千両役者でもある。
 そうも思えば、わたしもまた久しく人生を歩んできたなあと思う。十月にも十一月にもその二人の芝居を木挽町歌舞伎座で妻と楽しむ。十月、当代の扇雀丈も 出る平成中村座の芝居も妻は楽しみにしている。妻との結婚にも、この池宮家の人達は小さからぬ役割をはたし、私たちの背中をそっと前へ押してくれた。
 池宮夫妻は今もお元気で、もう一人の親しかった年上の友達は、アメリカで亡くなってしまった、それが、かえずがえす哀しい。

* 夜前、あまりに眠くなり、夕食後に倒れ込むように寝た。一時間ほどして目覚め、二階の機械を処置すると降りて、またそのまま寝入ってしまい、明けの六 時少し前まで寝ていた。おかげで、すこし気もからだも軽くなり、そのまま起きて、源氏物語とバグワンとを音読、三谷憲正さんの「オンドルと畳の國」をも読 み継ぎながら、ひとりで簡単な朝食をとった。すぐまた仕事にも。
 朝早起きすると午前中が長く能率はとてもいい。まだ九時半だが、もうよほどのことが今日も出来ている。朝と午後に仕事して、疲れれば宵寝してでも翌朝早 く起きる習慣になるといい。ところが朝も早く夜もむちやに遅くまで、という暮らしが続いてきた。三時間ほどしか寝ない日は、ほとほと疲労がからだに積み重 なる実感だ。寝溜めは利かないと云うが、少なくも今日は気が爽やかで嬉しい。
 四時の会議に、二時半には家を出る。会議の心用意も、今日は少し必要だ。


* 九月三十日 つづき

* 米原万里さんが「青春短歌大学」下巻に、手紙を。長編小説を何十冊も読んだほど快いエネルギーをつかったと。働き盛りに忙しい人の時間を奪ったかと、 お気の毒、かつ感謝。
 もう久しい昔、モスクワの、トルストイ伯旧邸でもあるソ連作家同盟の食堂で初対面の頃と、この人、変わりなく健康で元気な美女である。はちきれている。 最近大宅壮一賞をもらったという、その本と、もう一冊を贈ってもらった。

* 同じ大宅賞を昔々にとった猪瀬直樹の「ミカドの肖像」が、面白い。その著者が主宰の委員会に久しぶりに出て、今日の会議は賑やかであった。
 ともあれ今度のシンポジウムのタイトルを、わたしの提案で、「作者・読者・図書館 ――公貸権を考える――」と決めた。議論していると、わたしはまるで図書館のために話しているかのようになる。それは何もわたしが図書館側に通じているか らではない。一人の著作者として、著作者側の言い分や姿勢や本音の中に、すんなり同調するにはどうも気恥かしいほどの独善や思い上がりを感じてしまうから だ。あんまりみっともなくないようにコトは計りたい。
 ハッキリしておくが、わたしは貸与権にかかわる法律の手直しは、一日も早く確定して欲しいと思う。二十年もそれ以上も法律上著作視野の権利規定を、宙ぶ らりにしてきたのだ、これは正して欲しいし、メドが立ってきている。
 しかし、いわゆる「公貸権」については、はっきり云うが、著作者側のふりかざしているモノは、憲法ではないが、明らかに海外事情の借り物から、半歩も出 ていない。現に著作者の誰一人も公貸権に関して本格に論文を発表していない。せいぜい新聞記事でのエッセイ程度であり、そこには漠然とした願望と理念らし きものが放言されているだけで、その実現への具体的な、数値も懇切に伴ったヴィジョンは、出ていないのである。むしろ図書館側の人達がこの点については説 得力のある原稿を、雑誌等に発表している。わるいことに、猪瀬氏も文藝家協会の三田氏も、それら関連の発表文献を、知らず、また当然のように読んでもいな い。そんなことで、どうまくし立てても、一方的な高圧的な言辞言説で終わってしまう。
 そんなこんなで、今日の会議では、終始、爆走しそうな成り行きにブレーキをかけて、論議を落ち着かせる役目を果たし続けた。浦和の常世田氏の議論や ジャーナリスト津野海太郎氏の言説を読んでいて、せめてこの程度までの説得の努力をしないまま、「著作者でござい」と肩で風切るつもりでも、それは片腹痛 くて気恥ずかしいのである。
 著作者vs図書館 という喧嘩腰から、その間へ「読者」という存在をともあれ題目として挟み得たのは、わたしも、奮闘し甲斐があった。とはいえ、読者を 心から大切に思わねばならぬ作者なのに、読者を下目に見てむしろ罵倒してしまう作者の多いことにも、わたしは、しんから驚き嘆く。読者をば、「読む人」で はなく「買う人」だと思っている・考えている書き手ほど、今のこの世間で時めいているのだ、嘆かわしい。ろくな文学が生まれてこないのも当然だ。

* それでもうまく六時で会が果てた。日比谷のクラブへ久しぶりに直行した。どうしても、藝術至上主義文藝学会での講演録ゲラを読み通し、早く返送した かった。とはいえ、百分近く話した講演録は、原稿用紙にすれば少なくも六十枚あまりある。纏まった時間に一気に通読するには、テーブルのある静かな場所が 欲しく、食べ物より酒のうまいのと、「美しい人」もその辺にちらちらしている方が、気が落ち着く。
 が、帝国ホテルのクラブは、残念ながらやや部屋の照明が暗い。小さい字のゲラには厳しい。だが何とも云えず今夜はうまい洋酒がほしかった。エスカルゴと 角切りのステーキ。インペリアルと山崎。静かだった。猫を十一匹も飼っているというあどけないほど可愛らしい人が、終始親切に世話をしてくれた。週日の此 処でのアルバイトが、今夜で最期とか。
 ウイスキーがストレートにうまかった。わたしは洋酒はオンザロックにもしない、必ず生のママのダヴルで飲む。バアで注文するダブルはけちくさくてイヤ だ。それで自分のボトルからゆったり注いでもらう。ずいぶん丁寧に「校正」できたと思う。が、読んでいるとこの講演、思い切った本音で喋っている。読む人 によっては怒りそうだなと笑いをかみ殺しながら、むろん、そのまま改めない。本音を見失ったらおしまいだ。
「なだ万」の稲庭うどんをとりよせ、腹をこしらえた。そして、コーヒー。立ち寄った甲斐があった。支配人が話しに来て、今日は上半期の最期の晩ですなどと 云う。九月三十日。では協力するかと笑って、ウイスキーの二瓶ともだいぶ減っているので、レミー・マルタンを追加し、次に来るときの楽しみに、口を開けず にきた。今度、わたしと此処へ付き合う人は、コニャックが有ります。
 帰りの電車の、丸の内線では三谷さんの「オンドルと畳の國」を読み、立ちっぱなしの西武線では「戦国時代」の領国支配の詳細を、おもしろく読み継いでき た。冷えてきた、寒い、というほどの声を、ちらほら車内や駅で耳にしたが、それが奇妙に聞こえるほどわたしはうまい酒の元気で、家に着くまでジャケットも 着ず、下は半袖シャツだった。ほかほかしていた。なにか鳥のようなものが、遠くから舞い戻ってきた感じ。

* さ、明日は午後一番に俳優座稽古場。「ワーニャ伯父さん」は、前からの楽しみ。本劇場では俳優座のも劇団昴のも観てきたが、狭い稽古場での濃密な演技 が楽しみ。そのあと、妻とデートして夕食し、一緒に観月の本行寺で平家物語を聴く。さ、どんなものやら。実相寺昭雄夫人である原知佐子の平家読みや、いか に。せっかくのお招きである、それも平家物語である。月は、どうか。秋冷えか。