saku018


      宗遠日 乗

    闇に言い置く 私語の刻  



   平成十五年(2003)三月一日より三十一日まで。




  
宗 遠日乗 「十七」 



* 平成十五年(2003)三月一日 土

* 痛いほど冷える。西の棟に建日子が朝早やに来て、今まだ寝入っている。正午をとうに過ぎている。
 わたしも夜前は若い衆の「朝まで生テレビ」を、三時頃まで仕事しながら聴いていた。だが早くに凸版からの宅配に起こされ、責了の用意。そのあと二階で、 直木賞の結城昌治作『軍旗はためく下に』のなかの一編「司令官逃避」を校正している。フィリピンの日本敗兵の話で、克明に書かれている。書き方に趣向があ る。凄惨・悲惨な中に読ませる力があり、読み始めるとやめられない。つまり仕事が捗ってしまう感じ。残りはこれだけかなどと、続きの量を惜しげに確かめな がら校正している。

* 昨日の会議の折、事務局に届いていた会員岡本勝人氏の長大な「詩」作品を預かってきた。十一章ある。ディスクなので、校正出来ているならすぐ入稿して もいいのだが、そんなに長い長い、プリント原稿で数十枚もの「一編」の詩というのが、読んでみたく。「召兵」かと思うところが「招兵」とあったり少し気に なるが、とにかく読んでみたい。

* 朝まで生テレビ は、平均年齢が四十三とか四とか、若い人達をあつめて今の日本の置かれた世界状況を語らせていた。宮台某、宮崎某、なんとか某々と、 どうして若きインテリたちはこう、人相も話す口つきもわるいのだろうと思いつつ、ま、彼らの実の力は顔付きや口付きにあるわけではないから、耳だけ開い て、気を入れ、真面目に話を聴いていた。とんでもないことを云うというほど暴論はなく、学者は学者らしい、政治家は政治家らしい、評論家はまたそれなりの いろんな「情報」をもちながら、そこそこ、議論のためだけの議論とは思われない意見を闘わせ、久しぶりに身の入った討論と聴いた。そして眠くなり途中で退 散し寝床に入った。
 要するに「日本の国益」という一点に立てこもろうとすれば、イラクと北朝鮮とのわたしの謂う「ねじれ」に、みな認識が一致していて、すると、日本の取れ る姿勢は、「アメリカ」支持以外何が有りうるか、あり得ない、というところへ大勢が落ち着くのだった。
 北朝鮮の核暴発は回避したい、が、アメリカ支持からもたらされる、あらゆる意味での「事前・事後負担」やまた「テロ被害の恐れ」に対して、有効な対策を 全くもちえない「日本」ではある。テロ被害に対して、日本は、恐らく世界でも有数の脆弱国民であろうことは明らかで、もし東京のどこかで、イラクがらみ、 あるいはアルカイダがらみの小さなテロが一つ起きても、日本中は当然ながら震え上がり、世論はどこかへ雪崩現象(パニック)をうつに違いない。
 まさか有るまいと思っていることが、一つほんとに起きたとき、国も、国民も、何に対してどう踏ん張れるのか、そういう本気の議論も対策も、無いに等し い、政府にも国民にも、今。
 その点、まだしも北朝鮮に関しては、「米国サマサマ」を、とにかく頼みにしようとしている。そのあと、どうなる。そんなことは考えていない。ひたすら安 保条約をテコにして、「アメリカに頼む」というのが政府政策のようだし、国民もそれを暗黙に頼りにしている。
 これでは、大きくは何も動けないし、動くな動くなと小泉内閣は、ひたとアメリカの顔色だけを注視している。「朝まで」のイキのいい若き情報通たちの声 も、概ね「例外なく」そうであった。ウーン。
 問題はイラクを攻める攻めないであるより、日本にすれば北朝鮮脅威を凌がねばならない。安保では、日本が攻められたらアメリカは守るとしてあるが、アメ リカ本土がたとえ攻められても、日本には守る義務がない。そういう「片務協定」であることを、アメリカ国民の大方は知らないという。もしも知ったら、アメ リカ世論はどう動くか。日本を守るためになんでアメリカの兵隊が死なねばならんのか、放っておけ。北朝鮮とのことは近隣諸国で処置させればいいと云うとこ ろへ落ち着きかねない。その危険があるから、日本は動けない、動くなら、ひたすら「アメリカ」支持なのだと。
 田原総一朗司会のあの番組には、田原の現状認識に基本的に理解を示す「若い衆」以外は呼んでいない。もう少し別の意見もあるだろう、が、昨夜の人達は、 それらはみな「甘い」「誤解」だと、はなから相手にしないでいる。田原はいわは世論操作に近いセンスで、テレビを利用したのである。それが彼の愛国だとい う気だろう。
 日一日、困ってゆく、われわれは。硫黄島での、フィリピン戦場での、悲惨や無残とはまったくサマの変わった凄絶な凄惨を、やはりよく考慮しながら判断し たい。

* 息子とビデオをみながら、夕食。やわらかいステーキがあった。鶏肉とキノコと薄揚げの、だしの利いた炊き込みの飯もうまかった。ニュージーランドのワ インの最後の赤い一本を楽しんだ。
 食事の後機械の前へ戻って、しばらくしてふと気が付くと、背中のソファへ来て、あかいクッションを枕に、黒いマゴがぐっすり寝入っている。すっかりうち の子になりきり、寝起きもともにし、かけがえない存在として我々の日々に重きをなしている。可愛い。
 とても、ねむい。睡眠は短かかった、むりもない。校了もしたし、こころもちラクなのだから寝てもいいが。
 あたたかくなったら、見に行きたい個展が三越で、ある。創画会展も高島屋で、ある。

* 「丹波・蛇」を持って、京へ日帰り旅。今宮神社、千本釈迦堂(ミーハーでしょ?)と回り、北野天満宮へ。おいど、いやエライ失礼なコト言いました、お 土居、見てきました。アマカメラマンもおらん、静かななか、ほぉっと歩いて。ほんまええですなぁ(500円払ゥてんから、当たり前か)。梅の匂いに包まれ てきました。もう散り始めてますの。にわか雨か思たら、花びらですもん。
 今宮のあぶり餅、初体験。美味しいものと、京らしい空気に触れ、笑顔と力を得ました。  雀


* 三月二日 日

* 「青春短歌大学」が「湖の本」で「上巻」だけになっている。平凡社版の「俳句」部分を省いて一巻にした。「下巻」には、その俳句分ももとより、平凡社 版に収録した以降の短歌や俳句や詩を、新たに書き起こすつもりでいた。作品の数はかなり多くなる。たんに鑑賞だけなら作品の配列ができればすぐ書けてしま うが、学生達の解を盛り込みながら書く必要がある。その方が遙かに意味があるのはむろんだが、あの時代の資料を整理し参照するだけでも、たいへん手作業の 煩雑な仕事になるのも事実。とにかくも、上巻には取り上げていない虫食い作品を、ようやく機械に拾い上げた。大きなファイルに満杯の資料を、二三年分も背 後のソファに積み上げた。黒いマゴの休み場を奪ったことになる。
 教授期間の後半は、俳句も詩も短歌も、量質とも拮抗するように多数出題し、その余に井上靖の散文詩を毎時間にプリントして配布している。
「書く」こともかなりしてもらったが、こんなに「詩歌」を重く扱っていたのかと、少し我ながらおどろく。おもしろいのも、ある。

* 墓の(  )の男の(  )にねむりたや  時実 新子

* 川柳であるが、説明抜きに各漢字一字で穴埋めをさせた。なんでもないようで、奇抜な唸らせる感じがいろいろに入って、みなで、笑ってしまった。

* 夜は、ピアーズ・ブロスナンとソフィー・マルソーの映画「007」を観てしまった。ソフィー・マルソーが好き。悪役というか、クセのある役が今日も適 役だったし、美しかった。メル・ギブソン主演監督の「ブレイブ・ハート」でイングランド皇太子妃を演じていたときも、また「アンナ・カレーニナ」もよかっ たけれど、美しいことでは今夜のが光っていた。
 似たような表裏ある女を演じ分ける若い美しい女優には、ウィノナ・ライダーやショーン・ペンがいると思うが、気品ではソフィー・マルソーがいい。もっと 凄みに徹してセクシィな、となるとわたしは冷たく演じて熱い感じのシャロン・ストーンが好きである。いい女は善悪抜きに佳い。

*「蓬生」の巻の、常陸宮姫君の末摘花は美女ではないらしいが、すこし頑固にしかし光の再来を信じて、あばらやに待ちぬく気合いがとても佳い。わたしは昔 からこの女人がいやではない。化けて出るような六条御息所は、インテリの貴女ではあろうが苦手である。 

* 三月三日 月

* 歯医者に行く妻に便乗のていで、一緒に家を出た。そうでもないと、つい昼過ぎになり、めんどくさくなって、やめてしまう。有楽町線、練馬で妻は江古田 の方へのりかえ、わたしは銀座一丁目まで直通。
 日本橋でおり、一思案して、先ず三越の青木敏郎展、これが目当てであった。この画家の作風に興味がある。書きかけている長い小説「寂しくても」のために も、この画家の作品をどうかして纏めて観たいと願っていた。
 百パーセント賛成というのではないが、たいへんな技術の持ち主であり、画風からしてやや画壇では孤立を強いられるかも知れない、が、根はヨー ロッパの強い伝統を吸い上げよく学んで、いいかげんな余人の遠く及びがたいモノをもっている。
  影というものをどう考えているかが、も一つ、分かりにくい。コントラストでモノを掴んでいるが、それは何かしら辛い苦労からの「わかりいい 退避」であ り、より深く、陰翳と光線との底知れぬ葛藤にもっと力強く我から巻き込まれて欲しい。二つ、今のままでは文学で云う「モチーフ」の切なさとは異なる、ただ 対象物の按配の面白さを趣向して終わっている。そのためにどれも似た印象になる。ただし徹底写実・写真・写形の巧さは絶している。三つ、つまり趣向された モチーフ(写真対象)の按配におわるため、そのいわゆるモチーフが、どの繪の場合でも、たまたま「其処に置かれている」のであり、取り替えが簡単に可能な ように描かれてしまう。モノが画面に底知れず根を生やしていないと受け取れる。四つ、つまりは技術に繪が殉じている。作者の顔はみえてこない。作者の呻く ハートが鼓動していない。絵画は技術であるという意味のアーティザン(職人藝)で満足し、アート(藝術の感動)を、むしろ姿勢として断念または放棄してい る。観てとれる眼にはそれが観てとれる。
 画家と会場で、わたしとしては珍しく長時間対話し、珍しくわたしからの言葉をも率直に伝えた。青木氏は分かっているのである。そこが辛いところだ。

* 高島屋へ歩いて戻り、創画展の春季展(八階)と会員小品展(六階)を観た。これは無残なモノで、魂のふるえる繪の一点として無く、キタナイ、ヒドイ繪 ばっかり。橋田二朗さんが都合で出品できていないのに、むしろホッとしたほど、会場が粗雑な印象であった。春季展の受賞作三点も意味不明というしかなく、 僅かに石本正さんの裸婦と上村敦之の鳥の並んだ一面、大森運夫の繪ぐらい会釈してきた。岩本和夫もよくなかった。小島繁司もよくなかった。画家達、絵を観 る客をなめているのか。

* 高島屋のわきの美国屋という古い小さい小さいビル店にあがり、鰻を食べた。白雪一本。鰻も酒も佳いのは知っている。ところが今日は二階にいた女店員 が、若い方の店員を捕まえて終始店のやりかたについてのグチやタキツケに終始し、本も読めないで聞かされている始末、これには参った。なにしろ狭い店なの で防ぎようがない。おまけに相席になり、大きなマスクの鼻をならしたおばあちゃんで、ガクン。
 口直しもしたかったが、日和がよろしからず、雨雲に追われるようにまた銀座から有楽町線で保谷へ。その間、白雪が腹中で溶けたか、ぐっすり寝入ってしま い、あやうく保谷で乗り越すところだった。
 家までの十余分、かすかに雨足に追われたが滑り込んだ。

* 留守中に、ビデオをとっておいてくれた映画「ベストフレンズ」が、とても、面白かった。キャンディス・バーゲンとジャクリーヌ・ビセット。まだ子役と いえるメグ・ライアンまで。これはもう保存版で。
 まだ勤めていた頃にキャンディス・バーゲンの西部劇を新宿の劇場で観た。主役はジョン・ウエインではなかったか。女優の方が目に付いた。
 今日の映画のジャクリーヌ・ビセットはすてきな大人の女であった。しかも作中での純文学作家。キャンディス・バーゲンの方は売れっ子の読み物作家。それ が学校の頃からの運命的な文字通りのベストフレンズと来ている。お伽噺のようであるが興味を惹かれるのは、やはり「身内」もの、なのである、かなりピュア な。

* テレビタックルでも、田原の番組でも、久米宏の番組でも、その向こうで展開される世界情勢は煮詰まって、日本国内では、全くの手詰まり。だが、こうい う不条理の蠅たちは、わたしも含めて、透けたガラスの向こうへ飛ぼう飛ぼうと、頭からぶつかり続けガラスにむかい飛び続けているしかない。やめれば落ち る。飛びながらいい思案と活力を生んだ方が勝ちだ。

* そればかりでなく、明後日には総務省の官僚から、またもや個人情報保護法の政府修正案に関して説明を受けに兜町へ行かねばならない。ペンの意見書に対 し「誤解」を解きに来ると云うのだ。


* 三月四日 火

* 四海波静かにとは行かない、アメリカの偵察機に北朝鮮の戦闘機がスクランブルで過接近し、威嚇している。金正日の「喜び組」から追放された美女が、脱 北して、体験をにこやかに喋っている。拉致家族会の主な人がアメリカのアーリントン墓地に献花し、松井やイチローや野茂が大リーグの予備選で活躍し、リク ルートの主犯格が有罪になり、警察本部長が或る犯罪の被害者家族による裁判は金目当てだと失言している。刑務所の看守は囚人の肛門に高圧の消火水をぶちこ んで死なせ、法務省の矯正局長はそれしきは大臣にまで報告すべきコトとは考えないと胸を張る。議員秘書が逮捕され、イラクは査察への極度の粘りで時間稼ぎ に外交の腕前を発揮し、予算案は衆議院を通過した。
 なんとも騒々しいことだ。

* こんな中でも卓球の天才少女「福原愛」ちゃんを追っかけた二時間番組は、幾らかの清々しい感動を送ってきた。八百長では出来ないことをやっている人は 清々しい。背丈半分ほどのちっちゃい子に少し追い込まれて慌てた、元チャンピオンの小山チレが、辛勝したあとで、愛ちゃん愛チャンと騒ぎすぎだ、あんな程 度なら中国に千人はいると吐き捨て、ところがそれならと中国に遠征体験を重ねてきた愛チャンが、そのことに記者に触れられると、悠然と「千人連れてきて よ」と笑ったのがおもしろかった。

* 三日ほど留守にしていまして、うれしいメールを今、拝見しました。
 待賢門院璋子について書かれたもので、最初のショックは、先生のおっしゃるT先生の『椒庭秘抄 待賢門院璋子の生涯』でした。
 二番目のショックは『繪巻』でした。湖のご本ではじめて拝読しました。うつくしいうつくしい璋子を知りました。
 そして、小侍従を読むようになって、彼女の母小大進が花園左大臣家の女房であり、「久安百首」の作者にえらばれていることを知りました。 花園左大臣家 の女房も「久安百首」加えたいという崇徳院の意志を想像するのは、ちょっとたのしい気がいたします。
 たとえば新作歌舞伎にするとしたら、璋子にどの役者を当てましょう。有仁は、白河院は、鳥羽院は……。璋子に若き日の歌右衛門、有仁は現仁左衛門、白河 院は先代の仁左衛門、砂繪の爺は小伝次。秀太郎にも何か演ってほしい――。
 「祇園町の真ん中の崇徳院の廟」は、まだお詣りしたことがありません。白峰神宮には、寒い寒いときにまいりました。そのときでしたか、御霊神社にお詣り しましたのは。おくり名に「崇」の字のあるみかどは、みな、「祟り」を畏れられている、崇道天皇も崇峻天皇も……などとおもいながら。
 活字になっていない「承久の変」、拝見したうございます。『繪巻』のように定説を越え、そして、スケールはよほど大きなお作なのでしょう。
 ところで、崇徳院と同じ流され王ですけれど、後鳥羽・順徳両院には、怨霊伝説はないのでしょうか。おくり名に「崇」の字がありませんが。
 「鵺」で、誰も気づかなかった謎解きのヒントをひとつひとつ拾いあげて、くらり、定説をくつがえされましたけれど、「承久の変」も、そうした、読み手を 驚かすような発見をなさるのでしょうか。拝見の叶う日が早く来ますように。
 「鵺」は、何か、推理小説のよう。ごく、さりげなくこぼれていて小石のように見えるものが、じつは謎解きのたいせつな証拠のかけら。何気なく読んでいた ものが、まったく、様相を変えてたちあがる――。興奮したものでございました。
 あれこれ、かんがえていますと、また、京都にゆきたくなります。

* 「崇」だけでなく、謚号の「徳」にも、歴史的に問題があるようだとわたしは思ってきた。仁徳はいいが、聖徳から、孝徳、称徳、また文徳、崇徳、安徳、 顕徳(後鳥羽)、順徳天皇に、みな問題がある。この多くに、非運と非業死が絡んでいる。それかれ有ってか、江戸時代の改元で「正徳」時代ができるとき、幕 閣主流の新井白石と冷や飯を食っていた林家とに、烈しい議論があった。林家は「徳」字を避けよといい、白石は博識を駆使し徳川を背後にしてはねのけ、正徳 の治を実現した。文字に拘泥したというより、上代の人は文字に意義をおっかぶせたのであり、わたしは「文字占い」など一切信じない。

* 祇園町甲部の真ん中にある崇徳院御廟は、意外に知られていないし話題にされない。弥栄中学からものの三分も掛からない近くにあった。わたしはその不思 議に心惹かれて、『風の奏で』という建礼門院を書いた現代小説のヒロインの家を、その奥隣に設定した。懐かしい。 

* 今日は機械が再三再四フリーズして、そのつどとても面倒な思いをした。あるアドレスで大量の文章が届くと、そのあとにフリーズが頻発し、同時に大サイ ズの不明メールがひんぴんと来る。受信せず削除を重ね続けているが、去年の暮れから絶えない。インターネットの世界はややこしい。とにかくフリーズは困 る。


* 三月五日 水

* 一昨日来の機械のフリーズ頻発がなおらず、ソフトリセットも利かず、いちいち強制終了しているが、不安多し。汚染された不良メールを受けてしまった感 触。だが原因は分からない。いつ何時、全体に停頓無いし破損するか分からない。メール交信も安定しない。更新がとまったら、そういうこと。

* フィリピンでテロかと。いやだなあ。
 街頭で、マイクをむけて「いま、幸せですか」と聞いてまわっていた。思わず笑った。即答を強いれば、自分は不幸ですと応える人は少ない。幸福である事象 を「捜し」て応えるからだ。少し、己の闇におりて、独りでしばらく自問し自答しなければ答えは出ないし、また質問は、こう、すべきである。「いま、真実、 幸せですか」と。わたしの学生達がぐっと息をつまらせ考え込んだのは、この「真実」の二字にであった。
 この問いから、しかし、ほんとうに知らねばならぬコトは、不幸ということぬきに幸福はなく、逆もしかり。したがって幸不幸は表裏してつねに在るという認 識と、幸も不幸もそんなものはともに無いという認識との、どちらに行くかを迫られていること。
「かなふはよし。かなひたがるは悪しし」と利休は云った。幸福も不幸も、陥りやすいのは、とかく幸せ「がった」り、不幸せ「がった」りして、とらわれてし まうこと。「捜し」て応えているというのは、それである。それは「心」のなせるわざにすぎず、だが「心」はあまりに強い力をもった「諸悪の根元」であるか ら、そのような幸福も不幸も瞬時の投影、流れ走る白雲や黒雲をながめているに過ぎない。「有」情の境涯であり、それは、いつまでも変転する。変転しないの は、雲が覆い隠したその奥の、澄んで「無」窮の「空」だけ。

* がる、のは何かにつけて悲しい自己満足。かなふはよし。かなひたがるはあしし。

* 春の坂道   
 雨雪に降り籠められた日の翌朝、青い空が誘います。
 雨に霞む名張川に見惚れたあくる日、水音豊かな川に沿い、山ふところへ。雨上がり、雲一片もないトルコブルーの空。眩しさを増した日射し。時折吹く穏や かな春風。浄瑠璃寺は、まさに浄土。
 当尾の石仏をめぐり、岩船寺へ向かう山中、梅の花の元で、大和の眺望を楽しんでいると、鴬が鳴きました。初音です。二メートルを超える野生の蝋梅が、 七、八株まとまって、満開のところがありました。圧巻。その香りの強いこと。驚きました。
 そこから数メートル降りたところには、花芯の赤い蝋梅が同様に咲いていて、陽に透けた花の妖艶さに、言葉なくのけぞりました。
 加茂駅へ出て、笠置温泉(かささぎの湯、ですって)で疲れを癒し、きじ釜飯に舌鼓。
 木津川に沿って、伊賀上野を回って帰りました。   囀雀

* 当尾の里は、わたしの父祖の代々庄屋として在った地。いまも在る。生まれて三年あまり、祖父母や叔母叔父たちと尻枝という在に育った。

* 今朝読んだ小闇@TOKYOKの以下の一文に同感して笑ってしまった。しめくくりが、利いた。

* 理解されなくていいけれど 2003.3.4
 花粉症だ。今年は仕方なく病院へ行って検査をし、スギ花粉にアレルギー反応がありますと宣告され、処方された薬を飲んでいるので今のところまあなんとか 暮らしている。けれど日ごとに気温が上がり風の強い日が続けばもうやばいんじゃ、と気が気でない。 もはや信じ難いのだが世の中には花粉症ではない人もい る。そういう人のほうが多いようだ。もちろん私の周りにも花粉に鈍感な人はいて、明日の天気に花粉の飛散を憂う私をヘンナノという風に見る。
 「ああ、明日は花粉の量が『非常に多い』。誰か死ぬかもしれないよ」
 「大袈裟だなぁ」
 私はこれっぽっちも大袈裟なつもりはない。症状が重くなれば本当に命すら危ないのではないかと、いくらか本気で思っている。当然噛み付く。
 「そうなのかぁ。でも花粉症じゃないからその気持ちわからないよ」
 どこかで聞いたセリフだ。
 いつだったか食事の最中に、
 「生理だからつらいとか言われても、俺にはわかんないんだよなぁ」と言った人がいた。
 何を言うのだろうと思った。つらいと言ったのはもちろん私ではない。なのに当事者でない私に突然そういう話をすること、それから、自分の身には起こらな いことを、それを避けては通れない私に、「わかんない」と言ってしまうデリカシーのなさに唖然とした。
 そのひとも、花粉症持ちの気持ちがわからない、と断言していた。
 いずれにせよ、理解してくれとは言わないけれど、これは、頼む。「立場が違うから」わからないのなら、黙っていてくれ。私ですら「男はつらいよ」などと 聞かされても、グッとこらえている。
 

* 三月五日 つづき

* 総務省と内閣官房からの、局長・参事官・官僚を三人迎えて、言論表現・人権・電子メディア三委員会合同で話を聴き、質疑・討議があった。総務省の局長 が話し、内閣官房の参事官が話したところで、わたしは、もう話の底は、割れた・読めた、と感じた。質疑に入り、それこそプロ級の人である弁護士や評論家が 条文細部の解釈に関して烈しく挑み、しかし官僚は余裕綽々、解説し解答し、寄せ付けない。
 まる二年前にもこういう機会があり、立法・省庁側の彼らは、じつに熱心に立法趣旨を説いて倦まず、すごい熱意だと少なくもそれには感じ入った、が、その 際に縷々語られたなかで、彼らはほとんど一言も「電子メディア」に触れようとせず、討議に加わろうとした我々の側からも、ひたすら「報道」「著述」「出 版」のすべてに、単純に過去百余年の「紙の本・活字型」発想でのみ、発言していた。わたしは、あのとき、政府与党のこの法律を強行したい本音は、じつは 「インターネット上の個人情報」をこそ管理し将来にわたり抑え込みたいのであろうと指摘したが、返答ももらえないほどに話をかわされ、わたしの仲間達も、 わたしの指摘に何の共鳴も見せなかったのである。
 ところが、今日の官僚の発言と説明は、実は、はなから、ちらちらと「IT政府」の意向をかかげた、「電子メディア問題での法的運営」を語ろうとしてい た。だが巧妙にそれは表に出さずに、じつにお添えモノのように、しかしハッキリとチラツカセつづけていた。
 質疑はそういう点にお構いなく、法文の理解や解釈や運用の細部にいかにも専門家風に集中し、役人達は余裕たっぷりだった。議論にもならないし、どう斬り 込まれても「勝手に云うとい」といった感じで、つまり、わたしの実感で云うと、まるで土俵の外で相撲を取っているか、城攻めで云えば、攻め手はただばんば んとお濠の水に矢を射ているようだった。その限りでは、官僚は痛くも痒くもない。彼らの狙いは、(我々からすれば攻めるべき本丸は、本能寺は、)なにやら かにやらのドサクサまぎれに、インターネット個人情報を管理できる法的枠組みを、今の内に包括的に造っておくことにあるのではないか、と、わたしはしびれ をきらして、そう発言した。それは「誤解」ですと答えたモノの、官僚の顔には「本音はそれ」とベッタリ書かれていた。わたしは、そう睨んで動かなかった。

* 常日頃は特別会話のない日弁連の梓沢弁護士が、隣席にいて、紅潮した顔付きで「秦さんが、正解ですよ」と頷いてくれていた。
 個人情報保護法のターゲットは、電子個人情報の包括的管理法へと向かっている。だから、なるべく基本的なことは解説も定義もしないでいるのだと思う。
 梓沢氏も定義を示せとつっかかっていたが、「著述」の定義といっても、今や、原稿用紙にペンで書く著述と、機械的に電子化する著述があり、性質を全く異 にしている。それを前者の慣習のママに法的に包括して、何でも出来るような法律を造られては、電子化社会の未来を法の施行者の好き勝手に、著述者が無制約 に縛られかねなくなるのである。
 おなじことは、「出版」にも言えるし「言論表現」にも言えるのである。
 ところが、発想の根は古いタイプの伝統的出版や言論表現に置き、しかしターゲットとしては、二十一世紀以降のウエブサイトにおける電子化された「著述・ 報道・出版・表現」の全部を緩やかに包括的に一網打尽に管理できるように狙い定めているのだ、と、これがわたしの根本の「理解」なのである。
 だが、今回もまた、こういうことをハッキリ公言し指摘したのは、結局、わたしが独りだけであった。
 今後の経過がこれを明らかにして行くだろう。役人達が、現在までの多くのトラヴルや係争の事例を挙げてきた九割近くが、すべて電子メディア上のトラブル であること、いろいろ議論されていた細部とは気遠いほど、まさに問題は「電子メディア」でこそ起きているのである。

* 当然ながら、困ったことに、電子メディア上のトラブルに、的確に法的に対応するだけの技術面からの用意が、政府省庁にもてんで出来ていない。判例もま だ無いに等しい。だから、そんなわたしの指摘するような「意図」は無い、持てないと、ニゲるのは簡単なのである。現に、電子メディアの問題には「個別法が べつに必要」だとまで、とほうもない重大な発言を参事官はわたしのつっこみに対し口走っていたが、それだから逆に、この「個人情報保護法」では電子メディ アに関するトラヴルを枠外に置いておくわけになど、行かないのである。むしろ、いまのうちに、漠然と網を掛けておいて、のちのちの取り締まりや管理に便宜 をはかる狙いで、包括的に曖昧立法を完遂しておきたいのである。
 たいへんな陽動作戦を「公」が策している、従来型の報道や表現ではない、最後の狙いは個人や団体の発するインターネット情報だとは、そもそもこれらの法 律が問題になり出したときから、わたしは、言い続けてきた。二年前の「言論」シンポジウムでも、フロアから指摘した。
 なかなか、今今の文化人達はそういうことを云わない。「活字基盤」の出版・著述・表現・報道に縋り付いた発想でしか、ものが云えない。「電子化型」の出 版・著述・表現・報道と、前者とが、性質も技法もメディアも全く違うことに気が付かない顔でしゃべっている。なんという遅れた硬い頭だろうと、わたしはい つも呆れるのである。

* ま、うまくカタヅケテヤッタと官僚達は悠々と引き揚げたろう。われわれとしては云うだけは云ったぞとなど、とても云えたものではない、どこか本質的に 問題の中心からズレているのである。「包括」法はいけないと抗議しながら、本当の包括は、活字型と電子化型の性質の違いを無視して、この法が、一つっきり の「出版・著述・表現・報道」として法制度をどさくさに急いでいる点にあるのに、気付こうとしないで居る、それこそが問題なのに。

* 電子メディア委員会が、こういう難しい時代へ向けて、どう、アクティヴに進んでくれるか、正直のところ、心配でならない。

* 秦建日子脚本の「最後の弁護人」八回目を観た。完成度は今日のが一番ではなかろうか。竜雷太というベテランに助けられて、アンサンブル自然ないいドラ マになった。特別の感銘があるわけではない、特別に意外な展開でも巧妙なアリバイでもない、ただドラマの文法に格別の破綻をみせなかった点、うまい作で あった。俺が犯人だが、捕まえられるものかという練達の弁護士の挑戦が、陽動作戦であるのはすぐ分かるので、田島令子の顔一つでバレているのだけれど、仰 々しくやらなかったから、夫婦のあわれが出たと言えば出ていた。だが、そういう妻女の病状にたいして弁護士の情人の出方に、知性も人間味もなく、こんなく だらん女にとりつかれていた弁護士風情かと、シラケさせるところが誤算だろう。あれぐらいな男なら、あんな安い女にかかずらわないと思いたいところだが。 ま、そういうものでもないかな、男と女は。ワインの持ち出し方など、わたしはそうは説得されなかった。安い手をつかうなと眉をひそめた。
 だが、まあ、よかった、コレまでの中では纏まっていた。

* 今夜、この機械はかつてないほど画面がめまぐるしく制御不能に迷走し、三度も連続で凍り付いて冷や汗をかいた。しかし長く書いていた私語も消え失せて いなくて、助かった。どうなってんだろう。


* 三月六日 木

* 朝っぱらから、意外でもないが、面白くもない電話が来た。次期日本ペンクラブ会長候補の「多数派工作」である。誰それが、すでに昨年末以来多数派工作 で、電話をかけまくっている、けしからぬコトでという電話の趣旨は、それ自体、似た手口であり、猿の尻嗤いのようなもの。
「けしからぬ」とされている名前と方法にも確かに驚かされるが、実非は知れない、しかし有りそうなことだ。それを電話で告げてきた人が、またべつの思惑 を、熱心にわたしに向かい持ちかけるのも、よほど、どうかしている。あっちの名前もこっちで挙げられている名前にも驚かないが、なんだか「この電話」に陽 動作戦のような気味も感じ取れる。挙げられている名前の当人は、まさかこんな電話がじゃかじゃか出ているとは、ご存じあるまい、そうあって欲しいものだ、 と思いたいが。
 電話の主は、しきりに、秦さんにもし意中があるなら聴きたいと。「無い」と。十七日の候補選には「白紙」で出て、みなさんの意見に聴くべきは聴くが、そ れまではあえて予備的に考えは持たない、と。

* そうはいえ予備的に何も考えていないわけではない。考えているのは、ペン憲章にきちんと沿える意見の人であって欲しいこと、文学的に優れた業績の人、 過去六年の理事会体験に照らして諸々の判断に誤りの無いないし少ない人、前向きに意欲ありペンの主宰に力の注げる人、である。

* 昨日、会議に引き続き、べつのことで、人と食事をした。はじめて入る、ま、上等な居酒屋で、「八海山」が旨かった。相手の人はまだそのあとに、べつの 仕事があった。世の中は忙しいなと感心した。ああわたしは今、ほんとに悠々としているなと思った。酒がうまかった。

* 操觚者(そうこしゃ)ということばがある。「觚」は、文字を書き込むための木簡・木札で、紙以前に紙の役をした木材片。それを専ら手にしたのが操觚者 で、つまり文章を書く行為や書く人の意味である。携帯メールやパソコンのスクリーンがいま「觚」の役をしているとすれば、いまの日本は、一億操觚者時代で ある。むろん、書く文字や文章によりピンからキリがある。
 中野重治に、「作家か、文学者か」という一文がある。わたしは、まったく代弁されているという実感を持つ。

* 文学をやろうとは思つていたが、私のなかで「文学」は小説を書くこととは少しばかりちがつていた。
 私にしても、「文学者」というのを文学の学者のことだとは思つていなかつたが、小説書きというのよりは範囲のひろいもの、性質のややちがつたものとして 考えていた。考えていたといえば言い過ぎになるが、もうすこし操觚者流といつたような気味を含んだものとしてそれを自分に受けとつていた。(略)私は「作 家」というよりも「文学者」として生きたいと思い思いしながら来てしまつたようにまずまず思う。
 (略)
 専門の詩人、専門の小説家、また専門の学者を私は尊重するが、またそういうタイプの人たちがうらやましくてたまらぬ瞬間があるが、ほかにしようもなく、 私のような混合型、混雑型のものもあつていいようにも私は大いに思う。そうして、そう思つてしまえば或る種のよろこびもないではない。

* 知られているように、中野重治は短歌を作り詩を書き小説を書いた。何より数多く評論や批評やエッセイを書いたが、書き方は無造作で題の示すように走り 書きやノートや覚え書きや雑談ですらあった。それがまた極めて俊英かつ尖鋭であった。
 じつは中野の云うような例えば「専門の小説家」つまり小説だけを書いていた人は、優れた書き手では、ありそうで、ごく少ない。無いに近い。尾崎紅葉ら硯 友社系の作家たちはどうか、鴎外も漱石も露伴も藤村も鏡花も花袋も潤一郎も、小説だけを書いていたわけでなく、他のジャンルをしっかり手がけて、跡をのこ している。ただ、意識に於いてどうかとなると、中野重治流の意識や自覚は、やはり特異であるだろう。今挙げた中でも藤村や鏡花や潤一郎や、また川端も三島 も、操觚者流ではなかったと思う。かなりに専門の小説家であった。中野の敬愛した鴎外もそうだが、むしろ志賀直哉などに操觚者流があったかも知れない、直 哉は書いたものが小説として読まれようが随筆として読まれようが拘泥しないとすら明言した。
 わたしは直哉のように融通無碍ではない。小説は小説、戯曲は戯曲、短歌は短歌、エッセイはエッセイである、この闇に言い置く「私語」も、私語として、何 れも、文藝・文学と心得ている。操觚者でありうれば幸せで、蔵は建たないものと、はなからそういう追求は見捨てている。

* 唐木順三先生が、中野重治に思い遺された文学者としての期待がいかに大きかったかを知ったとき、感銘を受けた。中野さんは唐木先生の告別式に身動きも せずおられたのを思い出す。最近もだれであったか、中野重治へのいわば思慕の情を吐露しているのを読んだ、おお、そうだ山口瞳の「男性自身」に書かれてい て驚いた。
 操觚者流は、必ずしも日本的伝統では、孤立した存在ではない。江戸時代にはむしろ掃いて捨てるほどもいた。ピンからキリまでといったことを、もう一度確 認しながら、あたりを見回すと、電子メディアのなかで、ピンをめざしたのもキリで甘えているのも、まさに一億操觚者列島の観があるのを、どう評価するか、 後生の歴史家は忙しいことだろう。

* 源氏物語の音読は、「蓬生」も「関屋」も通り過ぎた。明石から都に戻り、いわば未精算の過去に光源氏は結びをつけてゆく。冷泉天皇を即位させ藤壷は安 堵した。御代があらたまり伊勢から娘斎宮とともに都還りした六条御息所を光は見舞い遺言を受けて、前斎宮の後見をする。朧月夜尚侍ともそれなりの結論が出 ている。花散る里、末摘花、そして尼になった空蝉も光の庇護で此の後を生きて行くだろう。そして明石では後の后がねの大事な宝物のような娘が生まれてい る。明石母子を都に迎え取る日も近づこうとしている。
 これからはいよいよ光の好敵手は、亡き妻葵上の兄であるかつての藤中将になってゆく。冷泉帝の後宮から、争いは始まる。皇家と藤家の葛藤、そのシンボル は「絵合」だ。

* 歴史は、大仏開眼と遣唐使を、事細かに教えられている。これが済むと、いよいよ「みごもりの湖」に書いた孝謙女帝と恵美押勝の、いや、史上に謎めいて 活動した「東子」といわれた不思議な美少女の時節が来る。

* 深夜まで、スキャンなどして。そして、ちいさな「私語」を闇に聴いて。一日が終わる。フリーズは、ファイル数が厖大なために起きるかも知れないと教 わったので、一太郎の八百数十抱えていたファィルをMOに移しておいて、三分の一ほどに減らしてみた。


* 三月七日 金

* 新「平和論」時代が来ている。  一部でか、もっと普通にか、わたしには読めない。が、北朝鮮の「核」廃棄に関して、アメリカはこれを断念した上で、 その「核」行使を封じ込めるように政策を「限定」したとの情報を、テレビが伝えていた。筑紫哲也の番組であった。特別のコメントはしていなかった。
 いま、ポーカーフェイスで、実は綱引きに熱中しているのが「日米」でもあることは、少し注意していれば見える。北朝鮮の「核」がある以上、国際・国内 「世論」がどうあろうと、政府与党は金縛りにあっていて、言えること・出来ることは一つだけ、アメリカの機嫌を損じない、こと。しかし露わに追従の姿勢と 観られまい為に、何と云われようと「沈黙が金」を演じているし、アメリカもこれに一定の評価をして、時にリップサービスは返してくる。訪米した北朝鮮拉致 被害家族への歓待などもそれだが、一方では、北朝鮮の「核」保有は仕方有るまい、「持たせておいて使わせない」ようにしようなどという、日本政府ないし国 民の肝をひやさせる情報も、ほぼ意図的に発信している。
 そして云うまでもないが、日本を完璧に支配するためには、後者の選択肢でもアメリカは平気なのである。その方が本音に近いのだ、北朝鮮に恐怖している限 り、日本はアメリカの言いなりになる。
 北朝鮮の「核」力の評価はなおマチマチなのは悩ましい限りだが、過小評価しタカを括るのが危険なのはいうまでもない。最悪の事態に対応できる対策が必要 なのは、人事のあらゆる場面に云える。それなくして「道はひらけ」ないと説いた本が、敗戦後に流行った。わたしも読んで影響されている。

* 山口瞳の「卑怯者の弁」を校正し入稿した。おそろしく時宜にかなった掲載になる。ピタリだというのでなく、エッセイの書かれた時機が昭和五十五年、イ ラ・イラ戦争の頃であり、いましも平成十五年、二十余年を経て、世界情勢は、西に米英のイラク撃滅攻撃が一触即発、「反戦」の日増しに声高く、東では、北 朝鮮の「核」脅威に揺れて「有事」の思いに日本は困惑もし怯えてもいる。まさかでは済まなくなり、対岸の火事では全くなくなっている。
 もう若い人は知るまい、清水幾太郎という、はではでしい「平和論」者の声高に日本中をアジッテいた時機が永かった。
 平和論ならけっこうではないか、と。ところが彼の国家平和論は、明瞭な再軍備・軍事依存の均衡平和論なのであった。一言で言えば、平和とは戦争していな い状態、その状態は各国軍事力の均衡・緊張で辛うじて保たれている状態の意味であり、国家を愛するなら、平和のために力で備えねば成らず、国民はそれに意 欲的に挺身すべきだというのである。
 この清水の論に反対する声は、敗戦から年数を経ないうちは、なおさら、いとも燃えやすく沸き立った。山口瞳の「反戦」の、論も、情も、じつによく分か る。情味に優って訴えてくる。心ある者は、みな、こういう山口の論調で反戦を訴え続けてきて、実はいましも少しも変わらないのである。
 では清水は完敗かというと、悩ましいことに、彼は平和を「有事」の緊張・均衡状態ととらえて、「反戦」であるよりも「有事の平和」を論策していたと言え る。少なくも清水が現在も存命であったなら、見たことかと大声で政府与党を煽っていたかも知れない。
 そんな必要もなく、先日の朝まで生テレビに登場していた、まさに清水が山口たち戦前・戦中派を切って棄てて大いに期待した、戦後派のうるさ型論者たち は、こぞって清水の期待にまさに応えて喋っていた。
「反戦」の真情なら、断然山口瞳に票が寄るだろう。「有事」の議論となると、むしろあの頃よりも現状にあって清水は公然と胸を張るのではないか。
 山口瞳は大岡昇平の『俘虜記』にならって、自分はまたもし戦争ともなるなら、「撃つ側でなく断然撃たれる側に立つ」と明言している。さて、撃たれるとは 鉄砲に撃たれるだけではない、占領され支配され、もっと危うい目もみるということである。
 具体的にいま北朝鮮の核攻撃と侵攻と占領支配を前提にし、日本人の何人が「撃たれる側に立つ」「敵を撃たない」という「平和・反戦」に手を挙げるか。四 半世紀前と違い、そういう事態が、あながち仮定・架空の空想ではなく、眼前に迫っている。
 山口と清水の論は、あの時と少しも変わりなく「反戦」と「有事」との衝突を分母にして、分子に「平和」の二字を据えている。少し乱暴に要約したけれど、 まず、間違いはあるまい。「有事に堪えて反戦」可能な「平和」論が、新たに強力にどう起きうるか。
 校正していて、何度も何度も立ち止まり、唸った。「闇」の向こうへ問いかけたい。あなたは、自分の心中をどう読みますかと。

*「湖の本」発送用意も七割がた出来てきた。月の前半はいくらか息をつきながらやって行ける。後半は、理事会があり、そして発送があり、京都へも。おまけ にウイーンの甥が一時帰国するので泊めてくれないかと電話してきた。狭い我が家では例のないことで、発送のさなかでもあり、すこし、弱る。
 

* 三月八日 土

* 安保理の報告と演説を聴いていて、寝るのがおそくなりました。あけがた、寝入りばな、に猫に一度起こされて、また寝たものの安眠できず。こめかみに軽 い痛み有り。
 蜂の巣のように、心・身、いろいろに、わんわんと、騒ぎ立とうと。ペンの仕事にしても、なおこの先、時間をやりくりしながら相変わらず忙しいことでしょ う。ですが、公私に義務感も習慣性もあえてもたず、流れにまかせて逆らわないだけのこと。何か一つにだけ向かう贅沢が許されていない以上、一つ一つから、 いちばんここちよい「もの・こと」を受けとれるようにとノホホンと願っています。限られた僅かな残り時間になにが出来るか。何が受けとれるか。一つと限ら れたら一つをどう選ぶか。自然に定まるところを受け容れるつもりです。あれもこれもという年齢では無くなっていますから。

* 担当当局の査察報告は、予想した以上に明快でイラクの姿勢を評価し、戦闘行為に入る非を示唆していた。独・仏・露・中の、また米の演説を聴いた。やは り仏外相の論調が米英批判としても明確で、思慮ありと聞こえた。米パウエル演説はかなり苦しい。これでなお強行空爆などあれば、米英にどんな理が、また利 が有るだろうと思いつつ、深夜床に就いた。

* フジテレビの土曜の番組に出ている猪瀬直樹とテリー伊藤とやらの発言は、あまり明晰に聴き取れず、ことに猪瀬クンは鼻声の早口で、しかも自身の意見と 言うよりも、なにかしら別の立場の代弁か瀬踏みのようなアイマイさがあり、宜しくない。おお流石にと思わせることをこの頃殆ど発言していない。フジの或る 色濃い「立場」に、追従するような逸れているような曖昧さ。魅力がない。彼は文筆の論議の方が冴える。談話は、はっきり言って、声が大きく強引なほどは、 うまくない、むしろド下手である。テレビには向いていない。
 もう程なく「ペン電子文藝館」に山口瞳の「卑怯者の弁」が掲載される。いままさに「北朝鮮からの短距離ミサイル」が日本列島に降り注ぐことを仮に予想し ながら、冷静に、これをもう一度二度もよく読み、自分の立場を定めたい、少なくも検討したい、またそうして欲しいと、思う。
 ありとあるマスコミで、だれが山口瞳のように話し、だれが清水幾太郎のように話しているか、テレビや新聞で、いちいち数え上げてみると、今の「日本」の 状況が分かってくる。状況に対する対策は、だが、なかなか見えにくい。
 核弾頭はたとえ装備されていなくても、北朝鮮からのミサイルが来る確率は、「東京と周辺」では低いといえず、もし何処であれ一発でもドカンと来れば、戦 争も平和もないその瞬間に相当な死者が出る。死ぬのは自分や自分の家族ではない、誰か何処かよその人であるとは、言えないのである。この仮想の現実の前 で、モノを見るしかない。危険きわまりない賭け事に日本は迫られている。

* メールありがとうございます。やはり一番うれしいです。
 菊村到『硫黄島』を読みました。戦争を思い出し、「硫黄島玉砕」のニュースを思い出しました。「小国民」は「本土決戦」で負けたら男はみんな殺される、 という話を信じていました。戦場を経験し、戦友を失った元兵士のひと達は「・・自分が仕合わせになったり楽しい思いをしたりすることが・・できない」とい うのは、今でも聞く折りがあります。黙って聞いています。そして「ご苦労様でした」と頭をさげています。
 「電子文藝館」五百でも千でも続くようにと、ごむりの無いようにと、勝手ながら願っています。
 春が来るといいですね。どうかお大事にしてください。  千葉県

* 人間を二つに類別せよと強いた日の学生達の反応は、実り多かった。
 なかで、これは成年に限る類別だろうが、「大人になれない子供、子供にもかえれる大人」というのがあり、面白いなと教えられた。かなりのことが謂えてい る。他にも唸らせる理解が相当数あった。これとはちがうけれど、今朝読んだ「小闇」の私語は、「若さと幼さ」を語っていて、差は「意識の有無」だと言う。

* 若さと幼さは何が違うか。切り方はいろいろあるだろうが、私は意識の有無がそれらを分けていると思う。
 善悪は別にして、成人式や卒業式で何かやらかすのも、「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」りするのもそうだろう。酔って大声を上げながら夜明けの幹線道路を渡るのも、夜の2時に思い立って海を見に行くのも、そうだ。
 意識があれば、それは若さの現れ。それがなくただ「したいからする」なら幼い。  以下略

* 言うまでもなく「意識」は双方に有る。「気持ち」も双方に有る。「同じことをしても、もうこれで最後かもしれない、という気持ち」は、『細雪』で京の 春の花見に酔う蒔岡家を持ち出すまでもなく、無常の風に吹かれた、もう若くない大人や老境に、古来屡々訪れる「気持ち」であるから、上の「定義」からは 「老・若」の差異が見分けられなくなる。単に「幼稚と自覚(ないし分別)の」差を語っていると取れる。敷衍して、「大人になれない子供」同然の大人も、 「幼さ」に数えなくては、やや、意味をなさない。つまり「意識の有無」とは、いわゆる理性有る「自覚」の有無を謂っているように取れる。語彙がアイマイに 選ばれている。
 老境に進むにつれ、幼さも若さもますます大きな「輝く」価値に思われるが、それとて一瞬にして「愚劣」の代名詞になりかねない。どの世代にも、幼にも、 若にも、壮にも、老にも、いつまでも輝いた可能性と無残な自己閉塞がついてまわる。ただそういう「型・枠」のある認識にとらわれればとらわれるほど、本性 の青空は、思考の雲により無意味に暗くされることも、根の深みでよく分かっていたい。マインドの力量は世を覆うほど莫大だが、また諸悪の根元であること も、然り。たちかえり、「意識」よりはるかに「無意識」が貴いとも思えることは、ブッダフッドの基であろうか。

* アメリカの大地に根付いて百十一メートルも聳えたジャイアント・セコイヤや、荒蕪の砂漠に四千年も生きた樹木などの途方もない映像を観ていた。そのそ びえ立つ梢まで根から水分をあげてなお生きている。なんという……。アメリカの初期の大統領がそのような西武の大地自然を買いたいと申し入れたときに、イ ンデアンの長老が答えたという書簡の文言を、最後に聴いて息が詰まった。智慧のことばであった、詩であり箴言であった。もう一度読みたいし聴きたい。「買 える」ものだと考えていた文明の代表者と、どうして空や山や大地や風や水を「買えるのか」と問い返す、人間の声。

* 夕食前からのワインのせいかひどく眠い。今夜ははやくやすみ、明日に備えよう、歯の奥の方から浮き上がってくるような気持ち悪さ。
 いま新聞の書評依頼があったが、即座に断った。

* と、言いながら、『青春短歌大学』下巻を書き下ろし始めた。平凡社刊は大方上巻に収めたが、本以降、退官までの出題作品が、上巻分を上回る量残ってい た。学生の中で早く纏めてという注文も聞いてきた。放っておくには惜しい材料であり「下巻」を用意しておいたのへ、やっと手をつけた。
 短歌だけではない、下巻にはかなりの俳句その他詩や歌謡も加わりバラエティが楽しめる。作品の配列に少し工夫をと思っていたのも、およその方針は立っ た。なるべく自在に語り継いで行こう。慌てることはない。

* 国史で、正倉院の珍宝や建築について学んだ。大仏開眼、遣唐使、正倉院。天平の華ではある。正倉院から逸失したもののなかで、王羲之・王献之父子の真 跡が惜しまれる。それにしても厖大な量の史料であり珍宝であり文物である。聖武天皇の崩御を悼んで光明皇后や孝謙天皇が数次にわたり施入された聖武天皇居 合いの遺品というから驚く。渡来の珍しいモノに混じり、てっきり渡来と見えて精巧に日本で真似て出来た逸品の多いことにも驚く。
 日唐往来でいえば鑑真和上の渡来は、特筆の文化的な大事件であったが、その実現に、硬骨の気概をみせて秘かに自船に和上達をかくまいのせた大伴古麻呂 は、また唐朝廷での外国使節席次をめぐって、新羅の下位にたつを嫌って面をおかして抗議し入れ替わったという。新羅は日本への朝貢国であったが、日本か新 羅の下位にあったことは事実無かったからである。
 渤海という満州辺に位置した国があり、日本は渤海との国交にかなり意を用いて使節の往来もやや頻繁であった。これは、新羅をはさんで中国流の遠交近攻の 外交をしていたとも読めるらしい。同じ意味から日本は、新羅を跳び越えて高句麗つまり今の北朝鮮との間に親交をはかった時期もあったのである。新羅はとか く唐とよくくっついたし、唐の力をかりて新羅は百済と日本に勝ち、半島に覇を唱え得た。
 じりじりと読み進んでいる、欠かさずに。

* だがわたしを本当につかんではなさない真の魅力は、バグワン・シュリ・ラジニーシである。
 

* 三月九日 日

* 睡眠障害で新幹線の運転手が寝入ったのにはビックリしたが、わたしも一頃睡眠中に息を止めてしまうと、妻を困らせたことがあった。今はそういうことは 無いらしいが。家にいて、仕事なかばや食事のあとに睡魔に襲われることが増えている。十分睡眠していない反動に違いなく、昨夜も小林保治氏より贈られてき た平安期の説話ぬきがきのような、それもエッチな話題ばかりえらんだ「仰天」ものの本を、かるく呆れながら読んでいて、夜が更けた。
 著者に、随分昔に、説話からの「本」ならお書きになれるでしょうと勧めたことがある。その実現にしても、温厚な著者が売らんかなの編集者にうまく乗せら れた気味があり、著者のために心から惜しみたい。
 碩学の研究余滴のような本は、ほんの一例だが、原田憲雄にも本間久雄にも春名好重にも目崎徳衛にも今井源衛にも角田文衛にも高田衛にも中西進にも、あ る。小松茂美にも萩谷朴にも、ある。もっともっと、ある。わたしはそれらの心からの愛読者である。

* 同じ昨日に、信州の加島祥造氏から漢詩とその翻訳詩と著者の文人画との、渾然一体の一冊を頂戴した。著者は英文学者であるが、老子の未読者としても知 られ、さきの小林保治氏とおなじ早稲田の先生であったが、今は信州伊那谷に独居しながら時折山を下りてきていろんな世俗にも関わっておられる。この本は、 なかみこそまるで異なるが、さきの田島征三・征彦兄弟の絵入り往復書簡と対峙しうる、風興美しい一冊になっている。たのしみに読もうとこれも枕元にある。

* 川本三郎『郊外の文学誌』は、いま本当に脂ののった著者のしごとで、先にも贈られた『林芙美子の昭和』につぐ気持ちの佳い本である。この人は評論家と いうより文章の佳い文学者である。
 栗田勇氏からは『生きる知恵を学ぶ』と題した、一遍、最澄、世阿弥、白隠、良寛、利休、芭蕉といった人達を論じた本が贈られてきている。ちょっと題がお もく、この老境にいて少しシンドイが、世阿弥、利休、芭蕉という中世観にかかわる三人のことは読んでおこうと思う。
 いま宗教者には気が向かない。ブッシュとフセインの対立がいわば邪教戦争のようなものとはハッキリしている。悪しき「抱き柱」に抱きついた見苦しい姿を 日々に見せつけられているこの頃、宗派にも宗団にも宗祖にも興味はトンと湧かない。
 ま、禅か。

*「鱧と水仙」という、夏と冬にでる歌人達の同人誌を久しく貰っているが、今回の号は歌人と俳人とが一組ずつ対向して、一首の著名歌をめぐり議論してい る。「歌合」の変形で、ディベートである。行司役を坪内稔典氏が引き受けている。これは面白そう。

* 偏頭痛と歯の浮き痛みに、終日悩みながら、気が付くともう深夜の一時半だ。明日に出掛ける予定がないと、心からくつろいで何か彼にかして楽しんでい る。また「007」も観たが、今夜のボンド役ロッド・スタイガー?には男の色気無く、平凡に終わった。


* 三月十日 月

* 眼が冴え、一睡も出来ず朝の七時に床を出た。機械が三度四度と凍り付き、ソフトリセットも利かず繰り返し強制的にリセットをつづけていて、不安、不 安。画面が開くところまでは行くので、開いたところで機械から一時間ほど離れ、レジューム状態から再開させて、とりあえず今、稼働中。不安、不安。矢印が 凍結するだけでなく、矢印が縦棒になり、ビクともしない。そうなると万策尽きて強制的にリセットするしかないが、じれったい。組み立てた機械だけにこうい うとき、何か指示してくれる手引きがない。途方に暮れる。ノートンもマカフィーも別段ウイルス汚染の警告はしていない。わたしの展開にたとえ問題があるに しても見当がつかない。

* 眠れぬママにも、暗闇の中に静かにしていた。そして何か、わかってきた。今頃そんなことをと、嗤われようが。
 澄んでムラのない「闇」が在った。「私」を指摘できる何一つも闇に見いだせない。比喩的には途方もない「空=闇」だけ。だが、何も「無い」のではなかっ た。そういう私の「意識」が在った。意識を可能にしているのであろう私の「呼吸」もまぎれもなかった。闇にも在るのはつまり「呼吸している、意識」それが 「生・命」なのだ。空なる闇に「私の生命」が呼吸し意識しているが、同化できる肉体は一切感じられない。このまま呼吸が止まり意識が果てれば「死ぬ」の だ。呼吸と意識とでは、呼吸がより起原の「生・命」なのだろう、意識の失せた時は「半死ないし仮死」なのだろう。
 この意識とは、思考のことではない。ただ「命」に気付いている、「生」を感触している。闇の中では、空の中では、私はただ透明な無垢の実存である。自己 同一化の便宜のために肉体を感じ思考を受け容れているのは、いわば投影された虚の像影なのだろう。肉体も思考もなんら「私」ではなく、そういう意味の 「私」など無いのである。
「命」のシンボルまたは源基は「呼吸」だといえば、分かり切ったことをと誰もが嗤うかも知れないが、無限の闇に溶け込んでなお意識を持して在る、とは、つ まり「呼吸している」ということだと、明瞭に、やっとわたしは実感できてきた。「命とは呼吸している意識」なんだ……。もう一度確認しておくが、意識とは 思考ではない。生を感触している無垢の「実存」のことだ。

* そんなことを思っていて、眠りを失したのだろうか。眠れなくても少しも不安ではない。機械が凍るともっと困る。迷惑する。さしあたり機械的に進んでい る仕事が多いからだ。
 DELLか何ぞに買い換えるべき時期ではないかと声が届いている。馴染んだディスプレイで、操作的に慣れてきた組み立て機械だけに、できれば仲良く付き 合って行きたいが。

* さすがに今日は茫然と疲労している。たぶん来週はめいっぱい発送仕事になる。まだ用意が全部は出来ない。いちばん混雑しているときに甥が来るというの も、ついぞないことで、対応に少し追われそう。今月は、後半がてんやわんやである。


* 三月十一日 火

* ペン事務局宛にメールが入って、いわゆる誤植・誤記・脱漏等を機械的に処理できるソフトを心がけているが、「ペン電子文藝館」にも該当する誤記等を散 見すると報せて下さった。思いの外に数少なくほっとしたが、指摘された一々を点検しはじめて、すぐ、大事なことに気が付いた。
 明らかな「間違い」は少なく、例えば、谷崎や織田作之助の作品に「応待」とあるのは「応対」の誤記であるとしてある。これは「接待」「歓待」が「接対」 「歓対」では、それこそ誤記であるように、もともと「応対」の方が「応待」の誤記に近かったのである。谷崎潤一郎も織田作之助も正しく書いている。わたし も応対と応待は使い分けるか、どちらかなら「応待」でないと気持ちが良くない。
 これに類する指摘が幾つもしてあり、「文藝の表現」を歴史的に扱っている「ペン電子文藝館」としては機械的には従いかねる。
 またこういう例もあった。或る歌人がこう歌っている。
  桜花あるかなきかの風に散る孤立無縁<孤立無援>をかがやきながら
 カッコ内が正しいと訂正してあり、普通はそうであるが、一首の理解からすれば、作者はことさらに「無縁」としているのが、よく分かる。文学・文藝という 表現の場では、必ずしも世上の通用通りに行かない特殊な例も、また伝統に基づいた正確な知識も、意図的な誤用や工夫すらも現れるのである。この語彙はこう と作者の気持ちを無視して機械的に一律に統一できない、してはならない場合が少なくないのである。文学の表現や表記は、時代と作者の「原作」になるべく従 うのが当然だ。機械上の例えば「置換」機能などで、一律に、ばっと換えてしまえない表現の微妙に、あらためて気付かせて貰った有り難いメールであった。 「ペン電子文藝館」としてはこういう人に、中で手伝って欲しいものだ。

*  お見舞い   頭痛、歯痛などのご不調ご案じ申し上げております。
 先生と私の母はほぼ同年配ですが、母も風邪をひいて治るとすぐ歯が痛くなる、花粉症が出て、蕁麻疹が出る、五十肩も腰痛も眩暈も白内障も腎臓も高血圧 も……など次々にもぐら叩きのように何か出てきております。若い時分から丈夫な人ではありませんでしたが、年を重ねるにつれあちこちガタがきていると嘆い ています。娘としては病気がないという健康体を望めなくても、とにかく対症療法をしながら、低空飛行や片肺飛行でいいから一日でも長く飛び続けてほしいと 願うばかりです。
 私は、今週末にお稽古しております地唄舞の発表会がございます。発表会といいましても、舞台にのるのではなく、某料亭のお座敷で踊るのですが観客が近い ので悪戦苦闘中です。家族に、下手さに衝撃を受けないよう、驚かないようにと申しましたところ、「大丈夫、みんなで他人のふりして観てるから」と言われて しまいました。他人のふりをするくらいなら、観にこなくてもよさそうなものですが、「世の中には下手を観るという楽しみもある」のだそうです。本当に悪趣 味な人たちだと憤慨して、ポーズを決めた姿はきれいよと先生に褒められたと言うと、「つまり踊っていないときはきれいということね」と結論づけられまし た。
 こうまで言われたのですから、せめて本番では着物姿だけでも美しくと念入りにお化粧して、弱りめの母や仕事疲れの夫やお気楽娘に大いに笑いを提供しよう ではないかと開き直っています。
 先生の「闇」の記述を拝見していまして、先日モダンバレエに夢中の知人が、面白いことを言っていたのを思い出しました。二万回くらい練習して本番を迎え ると、突然音も聞こえなくなり、客席も照明も舞台装置も見えなくなる瞬間があるそうです。そのとき時間はとまり自分という存在も消えてなくなり、ただ「踊 り」だけがあるそうなのです。自分が「空」になる境地というのは地唄舞の人にもあるようで、長くお稽古されている方から、一瞬すべてがなくなることがある と伺ったことがあります。(私の練習量では無理な境地のようですが……。)洋の東西を問わず、ダンサーに共通する至福のときなのかもしれません。
 前述の知人は、ダンサーとは観客が未来永劫いなくても、たった一人でも、踊らざるを得ないから踊る人と言っていました。作家というのも、書かざるを得な いから書く人間でしょうか。
 今日歩いていましたら、風のなかにふわっとやさしい花の匂いが漂ってきて、春が近いことを感じ、それだけですっかり有頂天になりました。どうぞご無理な さらず急がれず、もぐら叩きなさりながら、ゆったりお過ごしくださいますことを願ってやみません。
 追伸  先生はお母様のことなどおありで睡眠薬はお嫌いでしょうが、先生くらいのご年齢ですと睡眠薬を使われる方がとても多いようです。(母もその友人 も幸いぼけることなく常用しています。)お医者さまによりますと、年をとると眠れないことの害の方が睡眠薬の害よりずっと大きいそうでございます。もう自 力で眠ろうと頑張る必要はないということなのでしょう。ですから就寝前にはうんと退屈なものをお読みになるか、さもなければお好きな本を堪能なさって、時 には睡眠薬ですとんと眠ってしまわれたら如何かと……。私は苦しくて眠れぬ夜が続くと時々お世話になります。

* こういうメールの、書かれた内容はもとよりだが、書き方・文章や表現にわたしはいつも誰にでも目を向けている。メールでも、しかとした人それぞれの文 体的特色が出るから、たとえ署名をはずして何処の何方とは分からぬようにしておきつつ、わたし自身は歳月を経てその署名のないメールを読んでも、内容に助 けられ、文章からもすぐ何方のものと見極めがつく。文体は指紋のようなものと謂うが、たしかにそうなのである。
「闇」というわたしの「私語の刻」のキーワードが、いろいろに吟味されて行くのが頼もしくも面白い。ダンス(を観るの)が好きで、こういう証言にも頷く。 なにとなく、ああ春が来るなあと感じさせてもらった。


* 三月十一日 つづき

* 終日、名簿を確認しながら封袋に宛名シールを貼り込み、一つ一つ全部に、さらに宛名を確認しながら、本に挟み込みの必要なものを、予備的に差し込んで 行くという作業をしていた。本当の発送までに完璧に用意をしておくので、送り出す方がこの頃ではラクになり、幾重もの用意の方に、途方もなく時間と労力を かけている。

* 作業していてもわざとテレビはつけておいたり、ビデオを映していたりする。ハリソン・フォードの「逃亡者」を、また、聴いていた。
 報道番組も努めて聴いている。イラク攻撃はどうなるか、筑紫哲也がドイツの少年少女たちに取材して、日本とのコントラストを際立たせていたのは、いい狙 いであった。
 イラクだけではない。株価の暴落。
 含み損・含み益というへんな幽霊と付き合って動きの取れない経済にとって、三月決算はどうなるのかと、よそながら心配する。潜水艦が潜水深度の限界をさ らに海底近くまで沈みこみ、艦体はめりめり音を立て、艦内いたるところで溢水している、そういう状況ではないか、日本丸は。
 小泉首相にも失望の連続だが、さりとて、青木や古賀や野中や亀井らの幽霊どもに、もそもそと画策して回られるのは、もっと不愉快だ。
 こんなときに、民主党も共産党も、も一つ燃えてこない。共産党など、すこしは「政権をとろう」という姿勢だけでも見せたらどうだ。他党を刺激する効果は あるだろう。もっともこんな時に党利党略政治屋どもにかきまわされるのは困る。思い切った誠実な若手たちの「蛮勇」政府へ切り替わらないものか。
「政党政治」というのが、もう古くさいともいえる。山折哲雄さんとの対談で、老年の政治的エネルギーの結集は不可能ではないだろう、参議院の代わりに、拒 否権をもった各界代表の「老議院」がいいではないかと提案しておいたが、自民の社民のというのでなく、十年一世代で区切られた年齢党を、三十代、四十代、 五十代、六十代以上でつくってみてはどうか。現在の圧倒的な「政党離れ」現象をみても、今日の既成政党が「諸悪の根源」なのを、国民は熟知しているのだ。 いつまでも明治以来の政党政治にしがみつくことはあるまいに。

* 川の中で大人たちが「タマ」ちゃんとやらを網で追いまわす図というのも、いただけない。朝青龍が新横綱の三日でもう土をつけたのも、物足りない。大き な大きな福祉のハコものを、千円札三枚でおつりの来る捨て値で国が投げ売りするというのも、唖然。ああ、イヤだ。

* 「日本の歴史」で読んだ正倉院は、なにもかも興味深かった。計り知れぬ文化史の宝庫、よくぞ大過なく今日に生き延びてくれた。天皇や皇后の持ち物だけ ではない、下層の官僚や民衆レベルのモノまでが莫大に揃っている。注目されるのは、たとえば消耗品であり現に使用されていた履き物のような品物にも、他の 時代に比べ、途方もなく細かに美しい手がかかっていて、手を抜いていない、ことだ。誰が造ったかとなれば、内蔵寮などに隷属していた人たちであろうが、現 場を拘束していた政治手腕の「凄み」も想像しないと割り切れないほど不思議である。
 そして藤原仲麻呂=恵美押勝の恣な台頭・専制そして無残な破滅。ことに彼が勝野の濱から幾程もない湖水のなかで石村石楯(イワレノイワタテ)に斬られて 死ぬ哀れは、ここをのがれる一人の美少女とともに、長編「みごもりの湖」の一つのハイライトであった。みぶるいがするほど、なつかしい。京都の博物館でこ の男の供養した経と出逢ったのが強烈な創作の動機になった。天与とはアレであった。

* そして、源氏物語はやがて、明石の祖母尼、母、姫の三世代が、祖父入道との生き別れを覚悟して、ようやく、都近く、松風清き嵐山のあたりに移ってく る。

* 一つ、心から残念なことを書き記しておかねばならない、遠い北陸へ移り住んだ一人の友が、音もなく行方知れなくなってしまったこと。


* 三月十二日 水

* すばらしいお天気だが、機械の機嫌はわるく、異常な事態。
 まずバックアップ頼みの綱の子機が、突如「Invalid system disk」となり、OSに繋がらない。「Replace the disk, and then press key」というから、起動ディスクを1と2と指定通りに入れて、それでも回復しない。普通の、なにでもないディスクを入れよと謂うのでもない。また、ディ スククラッシュか。機械はあまりに古く、容量小さく、買い換えも考えていたが、当面是に附属しているスキャナーと外付けディスクとプリンターが、配線上、 使用できない。スキャナーが使えないと、「ペン電子文藝館」は仕事にならない。
 一方親機の方、ダマシダマシやっているが、例えばデスクトップのバックの色が勝手に翠色から濃紺に変わってしまった。しかも上の方に、前はなかった横書 き英字で「マイクロソフトウインドウズ」のロゴが細く出て、クリックするとUPDATE-MICROSOFT INTERNET EXPLORERの画面が出る。これを半端にわたしがいじくったのがイタズラしているのだろうか。昨夜機械を仕舞おうとしたが、セットプログラムを終了し てくださいと繰り返し言われ、何事とも知れず、途中のアプリケーションは一つもなかったので、リセットしてしまった。
 子機が危ないとなると、薄氷をふむ心地。「これが機械さ」といささか匙をなげている。ホームページの更新が途絶え、メールもお互いに届かぬようであれ ば、機械が全面不能と推定されたい。

* 建日子が深夜に来て、昼前、また仕事へ飛んでいった。

* 新しい本の一部抜きが届いた。冊了。届くのが明日明後日ということはないだろう、来週の仕事か。月曜はペンの会議だし、火曜からの仕事かも。今日は街 へ出たくもあったが、もう午後三時。やれやれ。発送のための用事が残っている。

* 暮れに気に入って買った白地に薄紅色の暈しのあるシクラメン、約三ヶ月間よく花をつけてくれました。連日寒い寒いとはいえ、さすがに窓辺の三月の暖か い日差しに、今日あたりは勢いが無くなり、45°程にたらりと傾いています。たった千円ぽっきりの鉢なのに永らく楽しみました。   埼玉県

* 今夜の秦建日子脚本「最後の弁護人」は、きれいに纏まり、クオリティでは、ここまで九回の最良作か。出だしも、結びから予告編へも、上手であった。タ イトルバックにとても恵まれている。
 こういう番組では「犯人無罪」が自然の前提。その思いが底にあるから、これでどうして無罪なのかと、観客は考えざるを得ない。現場での少年達の暴行は作 り話とは思われないから、それでなお無罪となると、通報者ないしは別の殺意ある真犯人の時間ずれの犯行を疑うのは、ペリイ・メイスンこのかた、いろいろ似 た本をわたしも読んでいて当然察しが着く。被害者女性の聞き込み現場で同席の課長が突っ立った瞬間、こいつが絡むなとすぐ分かる。まして殺人現場が視野的 な盲点にあると示唆されると、一気に全貌が見えてしまう。なぜそんな場所に課長が先ず来て隠れていたかの説明が欲しくなる。説明は、無かったと思わないが 手薄であり、ま、その辺が唯一弱点であった。だが、その他では、少年の性格も出ていた。上司と部下の女との関わりよう、情けないけれどあんなところかと見 えた。
 純名理紗という配役に少し愕いた、意外性が利いた。今日の昼間にも、彼女と高島兄とのコマーシャルをみながら、純名理紗のようなのが、あれで日本的な下 ぶくら美人の原型だろうねと妻と話していたばかり、その晩に本人が建日子の番組で殺人犯で出てくるとは思わなかった。はじめ純名だと気付かなかった。彼女 は帝劇で「細雪」のこいさんを演じて地唄舞を見せてくれた。スサノオに救われる出雲八重垣の櫛稲田姫とは純名理紗のああいう顔だったろうと、わたしは、出 雲神魂神社の壁画をよく思い出すのである。
 ま、建日子はよくやったと、いい気分だった。ウドウ事務所の連中のかみ合いがたいへん宜しい。楽しい。ロバの須藤理彩には、何かにつけ点の辛いうるさい わたしも、殆ど手放しで満足している。ケチをつけるスキが無い。サルの翼クンもさまになってきた。
 そして来週最終回の「結び」ようが楽しみだ。あんなに早々と帰らず、いっしょに観て行けたら、めったになく、面と向かい息子を褒めてやれたのに。

* ドラマをみながら、妻が差し入れの「初孫」という純米の酒を、四国から戴いた、うまいてんぷらを肴に。てんぷらとあるが、上等のはんぺん、いやかまぼ こ、である。

* 身近な人に死なれたと、読者の家族から、また、しらせがあった。兄が自殺したと。つらいことを思い出した。明らかにイタズラの兄のアドレスでのメール も、しばらく来ない。それよりも甥の恒=黒川創は、いったいどうしてるのだろう、毎度本を送っても音沙汰が何もない。兄の遺著が出来たのかどうかもフッツ リ報せてこない。そんなに忙しいのだろうか。ウインから帰ってくる弟の猛も、兄のトコロに泊まるようでもない。


* 三月十三日 木

* 前触れ無く「湖の本」の通算七十四巻めが出来てきて、慌てて受け入れた。用意がもう少し、いやまだ気を使うかなりが残っているので、実際には明後日か らの発送になる。おもしろく読んで貰えるといいが。

* 日本の歴史が第四巻「平安京」に入った。筆者は北山茂夫。一冊平均が小さい活字での四五○頁ほどある。二十数巻、先は長いが、きっと読み通すだろう。 読むのは苦にならない、視力さえ助けてくれるならば。啓蒙書ではあるが、記述は、研究成果をはばひろく汲み取りながら準専門書に近いほど本腰を入れて書か れている。一巻ずつを、名の通った良い学者が自分で書き下ろしてくれているのが宜敷く、各巻競演の体で興深く、力が入る。学風が人柄に溶け合い、記述は個 性的である。啓蒙の一般書であるのを利して、部分的に筆者も興にのるべきは乗ってくれている。楽しく、読みやすくなる。
 平安京への第一歩から不安な怨念の渦が巻き始める。わたしは、長い間、井上内親王つまり光仁天皇の妻であった皇后の、また皇太子の、異様な最期に関心を 抱いてきた。それが作品として実現しないで、別の「みごもりの湖」に成った。根の遠い深いことを、わたしの読者は分かってくださるだろう。
 不思議なモノというか、書きたいメインのものを「攻め」ているうち、それを逸れて副産物がモノになる。そういう創作の不思議を、何度か体験した。「清経 入水」も「風の奏で」も「初恋」も、じつは承久の変を書こうとしていたすべて本命・本願を逸れての「副産物」ばかりであった。文字のママの副産物とは言う まいが、太い根から新しい根を別に張っていった。創作の面白さ、である。
 だからこそ、わたしは、注文されて「これ」を書けと言われても、単純には従わなかった。まるで別の、しかし必然の緊張から新作が形をなして行くこともあ るのを、ビビビと感じるからだ。書きたいモノを書きたいように書きたい、路線を決められるのはイヤだというのが、私の本音で、これでは出版主導の作家には なれないし、ならない、ということである。損な性格であるが、トクもしている。むりに書かされた作品がわたしには無いのである。

* 空はあかるい。ことしは、花粉で眼をやられることが、初めて、自覚的にすくない。飲み薬と目薬とが効いている。かわりに鼻はときどき猛烈にやられる。 これは多少辛抱が利く。
 さ、階下で仕事を続ける。

* 階下で手仕事をしながら、加山雄三・星由利子の昔の若大将映画を、観るとも聴くともなくいたが、たわいなさに、しまいに大声で失笑してしまった。柏戸 と豊山が千秋楽の相撲をとっている時代で、わたしもまだ青春の名残を生きていた。それにしてもへたくそな俳優達で、わずかに青大将役田中邦衛だけが、演技 派として「北の国から」で名をあげた。星由利子は当時東宝の秘蔵っ子であったが、演技は先ず素人なみであった。テレビに出ない女優としてながく粘っていた が、こまかな芝居の出来ないことでは今もテレビ出演していて、がっかりさせる。東宝で並んでいた濱美枝よりも女の子としてはわたしは好きであったが、要す るに科白(身動きと発語)が、ともに下手なのである。
 口直しに、「ベストフレンズ」で、ジャクリーヌ・ビセットとキャンディス・バーゲンを楽しみながら、さらに一仕事前へ進めよう。
 たった今、群馬の読者から電話が来て、湖の本の間が開いているが元気にしているのかと。有り難く、恐縮。少し早く送れるかと思ったが、たしかに三ヶ月以 上、間があいた。

* 結婚して四十四年になる。わたしの東工大の学生達は、ほぼ三十前後、その間にすぽりとはまって、泳げるほどだ。年を取ったものだ、結婚も早かった。囲 碁でいえば結婚と就職で目が二つ、つまり「死なない」と思っていたから、安心して貧乏も平気だったし、勤めながらよく勉強した。学校や大学時代の勉強とは 断然ちがう、そこに或る「欲」があった。意欲だ。絶対に会社勤めの現状から抜け出したい願望があった。家庭という基盤と、生活資金の確保で買えたのは果た して何であったか。安心して打ち込める「若さ」という時間であった。十年十五年先ということを遠いとも不安定とも思わずに済む力が、心身に溢れていたか ら、たとえ、ひらかなや漢字の一字ずつでもいい、毎日毎日書き継いで書き継いで必ず「もの」になると思うことができた。
 今すぐ、今年に、来年になどという無茶は考えなかったし、ジタバタとは投稿したり応募したり仲間を求めたりしなかった。釣り糸を黙って垂れ、ただ佳い餌 は、自分で心して創らねばならなかった。そして針はあてずっぽーに投げた。針はわたしも知らぬ波の下を流れていたのだ。
 まず雑誌「新潮」という大物が餌を噛んでくれた。ついで思いも寄らぬ遠い瀬から、今度は筑摩書房の「太宰賞」が泳ぎ寄り、餌を食ってくれた。投稿も応募 もせず、同人誌も体験せず、わたしは作家になった。結婚して丁度十年目であった。
 三十四年経った。まだ少しわたしの学生達より長生きだ。おもしろい人生であったが、なにも晩景を早足になる必要はない。電子の杖は愛用しているが、ま だ、ホンモノの杖の必要はない。

* 日々、新生活と結婚式の準備にかなりの時間と神経を使ってしまいます。いろいろ調べたり、考えたり、手続をしたり・・・新しく家庭を作るためには、や るべきことが一杯あるのですね。と、今さらながらに思っています。適当に流してしまっても、何とかなるのでしょうけれど、どうせなら、ひとつひとつちゃん と受け止めながら進めて行きたいです。
 今週ようやく招待状が刷り上がってきましたので、来週には発送させて頂きます。
 つきましては、披露宴でご挨拶を頂戴できませんでしょうか。
 遠いところをご足労頂きます上に、わがままで恐縮してしまいますが、いかがでしょうか?
 それでは、季節の変わり目、くれぐれも体調崩されたりなさいませんように。

* 華燭。いい返辞をしたい。

* 八月の藤村講演に演題をという催促には、俄に肩が張る。

* 嬉しい春を待つ人たちも、重い悲しみを抱いている人達も、それぞれの春だが、イラクの国民を思うと、堪らない気になる。フセインという独裁政権にわた しは一片の共感も持たない、潰れてほしいと思う気持ちが強い。それがイラク国民のためならば、少々の荒療治でも。しかしアメリカにこの地域で横暴は許すま い。アメリカは、トチ狂っている。ブッシュも、支持する大勢も。
 アメリカのリップサービスに鬼の首を手にしたように、拉致被害家族たちが猛然と外務省に噛みついた図は、すこし可笑しく、すこし薬が効きすぎた。それに しても川口外相の冷え切った官僚感覚は、或る意味で逸品である。触れたモノの全てに風邪をひかせそうな温度の低い表情をしている。


* 三月十四日 金

* 秦さん 快くお引き受けいただき、ありがとうございます!
 披露宴の細かい内容は、まだ準備をはじめたばかりで固まっていませんが、お話頂きます前後の状況など、はっきりしてきましたら、ご連絡させて頂きます。
 > 木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな 前田夕暮
 ええ、本当になかなか遠くもあるかなという感じです。そのためか、いまだに明確な実感は持てていません。ですが、結婚式の準備が進み、新居が段々と形に なってくる、その過程の中で、少しずつ少しずつ、何かが蓄積されている感覚はありますが。
 ぜひ4月中にでも、久々にお会いして、ご紹介などさせて頂きたいです。

* 今朝に何より嬉しくふさわしいメール。そして「小闇」の声を聴いて。
 今朝は七時に起きた。歌舞伎座の昼が予約してある。染五郎の「操り三番叟」、そして仁左衛門、玉三郎らの大作「浮舟」とは、懐かしい。結びに、夫婦して 大好きな「勧進帳」が松本幸四郎と中村富十郎。義経は誰であったか。

* 株価の七千円攻防ないし割れすら予想されて底知れず怖ろしいと、わたしのあまり好もしくは感じていない経済評論家の二人が、テレビで語気をはげまして いた。背後に現れる与党内の声は、橋本、古賀、野中、亀井。これでは、堪らない。小泉の、どんな成算あってやら、政策変換なんてありえません、換えません という断言の方に期待をかけたくなるから不思議。
 一つには、実体経済にいわゆる幽霊なみの株価「含み損」なるものがどんな意味をもつのかを、この際、外野席というより場外にいて勉強させて貰う。含み損 は決算のさいには帳簿上では大きく響くだろう、が、そんな損も得も、もともと無い物のように処理して、実態成績の余分なプラス(マイナス)アルファとして 扱えないものか。素人は、つい、そういうことを思い、口にもする。経済学のいろはも知らないで言うのだから無視してくれていいが、それだけのことで済んで 流れて行くのなら、そうと分かる機会ならば、いちど体験してみればいい。株価は下がる、しかし経済の基盤はしっかりしている、などということはあり得ない のか。わたしには分からないが、竹中平蔵大臣の口ぶりにはそういう気味もうかがえる。


* 三月十四日 つづき

* いきなりカップ酒「大関」を客席に持ち込み、「松壽操り三番叟」の後見高麗蔵が、市川染五郎演ずる操り人形を、シャンと舞台に立たせたところで、染五 郎人形と眼を見合わせるように、乾杯した。前から四列目中央、役者の息づかいも聞こえそう。
 染五郎には、まだ器用に人形を演じる流れるリズムも、幅もない。もしこれが坂東三津五郎ならと、ちと想像するだけで、落差は分かる。が、若い力でしっか りやるから好もしい。鈴を振り出して、どんどん盛り上げていった。二十分間の演目だが、清まはって目出度い。初手に三番叟と分かっていたから、それも、 「松壽」は秦の父戒名の院号であるのもこころよく、今日、我々の結婚四十四年目を祝うよすがにと、松嶋屋に席を頼んだ。

* その松嶋屋片岡仁左衛門がそれは美しい薫大納言を演じ、匂宮に中村屋の中村勘九郎、浮舟は大和屋坂東玉三郎。これはもう当代右に出るモノのない配役 で、ピシャリ。北条秀司の脚色は現代語の科白で、それがかえって古くさく感じさせる難はあるのだが、随所に確かな原典解釈が見え、わるくないどころか、新 作としては見応えがある。
 随一適役の勘九郎が、珠を磨いた美しい若い匂宮で、天真いや天性爛漫の色好みをシャンシャン楽しんでやるのだから、つられて、しんねりむっつりの薫も、 揺らぐ女の浮舟も、みごと際立ってくる。むしろ帝劇むきの芝居なのだが、適役の千両役者が揃い踏みすると、舞台がかくもがっちりと表現力を得るから、たい したものである。松嶋屋の秀太郎が浮舟生母の中将を演じた、これがまた適役というより妙演で、多情で浮薄な女親のフィロソフィーをねっちりと如才なく見せ てくれる。この中将の血が浮舟に流れ込んでいるというのは当然として、わたしは原作を何度も読んでいて、中将を、そこまでとは悪く読んでこなかった。その くせ、宇治八宮がかつてこの女房に手を付けて浮舟を孕ませてしまったとき、そのまま宇治の邸から強いて外へ押し出した、その非情さをやや冷たく感じていた のだが、脚色者北条秀司のこのような解釈があると、少なくも宇治八宮に中将に対するある種の悔いと厭悪があって無理がない。また浮舟が、お馬に乗って馳せ ることすら喜んだ田舎育ち、おきゃんで純真な少女であった境涯から、匂宮本妻である異母姉の中君を頼って都へ上ってきた成り行きや、性格の理解にも、お、 という面白みが感じられる。わたしは、いわばそんなおきゃんな浮舟像は、ついぞもっていなかったのである。
 そもそも今日の歌舞伎座を五幕して飾った「浮舟」という芝居は、煮つめていえば、こうだと脚色は謂う。女は心を込めて愛してやれば、からだの結びつきな ど二の次でよいという薫大納言の「考え」と、女は一度からだで結ばれれば、いかなる心よりもそれが身に深く刻まれてしまうものだという浮舟母の中将の「考 え」との対立。中将の「考え」は、つまりまた、匂宮の、なりふり構わず女のからだに手をつけてこそ男の真情は発露できるという「考え」にひたっと重なって いる。こういう薫と匂との女浮舟をはさんだ心か体かの対決に、悩んだ浮舟はうつし心をうしない宇治川に身をなげる。それほど悩み悲しむのである。心から愛 し愛されている薫は、浮舟のからだに容易に手もを触れぬうちに、匂宮は生母の手引きをえて一気に女を犯し、女のからだを魅了してしまう。
 どちらが愛か、どちらが女の胸をとらえるか、舞台は浮舟入水をほのめかしつつ幕を閉じていた。
 源氏物語では、なおこの後に「夢の浮橋」にいたる後日の物語がつづく。浮舟は生きながらえて小野の里に潜んでいる。それと察知して薫大将に耳打ちしてや るのは、匂宮の母明石中宮であり、この宮と薫とは、戸籍上は光源氏の長女と次男に当たっている。薫はすぐさま確かめに人を小野へやり、しかし浮舟は、とも かくも薫の元へ戻るとは言わないのである。
 仁左衛門の卓越した役者としての魅力を、今日のにえきらない悲しみの薫役はよくあらわして、秀逸であった。その点、源氏物語の本筋としてはきわめて大切 な結び目に位置する匂の妻の宇治中君を演じた中村魁春に、生彩がなかったのは残念だった。これは脚色者にそれほどの認識がなかったためだと思う。

* 幕間に「吉兆」で、春爛漫のうまい和食。冷酒が身にしみた。わずか三十分の幕間に食べてしまうのはあわただしくも勿体ないが、それがひとしおの味を添 えるのかも知れない。吉兆店は壁に掛けた絵も清方はじめ大方よろしく、上品な食堂で、歌舞伎座というと、此処での幕間も楽しみにきっと加えたくなる。

* 何と云っても、予想と期待通りに、第一等の劇的感銘は、ご贔屓高麗屋松本幸四郎の「勧進帳」だった。富樫は天王寺屋中村富十郎、当代では最高の富樫で あり、言うまでもない弁慶は高麗屋の看板藝である。「ラマンチャの男」や「アマデウス」や「王様と私」など外の舞台での活躍が目立つ幸四郎ではあるが、や はり弁慶は少なくも当代極上の実のある大きな弁慶で、しっとり泣かせた。義経は、今月出ずっぱりの息子染五郎が、ま、無難に勤めたし、大谷友右衛門や松本 錦吾ら四天王の型と緊迫度がすこぶる美しくきまって見事であったのも、嬉しかった。勧進帳の成否は、四天王役の充実如何で往々左右されてしまう。団十郎、 吉右衛門、松緑らの弁慶を近年つづけて見ているが、幸四郎のそれは「大人」の弁慶であった、ウーンと満足させた。飛び六方で幕へ消えて行く弁慶の後ろ姿を 追うようにして歌舞伎座の外へ出たのが、四時すぎ。

* 花粉が舞い、こういう日の百貨店は、じつに花粉函である。外を歩くことにし、「天賞堂」で時計の電池を替えてもらい、「セキネ」で少しお洒落な春の コートとシャツを妻に買った。「セキネ」は四十八年前に開店したという。四十二、三年前に、友人の家でのパーティーに着てゆく妻の純白の服を、わたしは貯 金をはたいて此の店で選んだことがある。今日は二度目、なんと古い付き合いではないか。
 日比谷のホテルに入り、「セゾン」の濃厚なフランス料理。ソムリエの選んだ赤ワインで乾杯した。四十四年前、二人で新宿区役所に結婚届けに行き、証人に なってくれた会社の人事課長と一年先輩社員(大学の同窓)にお礼の出来たのが、たしか二三足の靴下であったと思う。一九五九年。月給はしばらくのあいだ初 任給の八割支給で、九千六百円。そのうち五千円がアパートの家賃。一日の食費が二人で八十円しか使えなかった。平気だった。
 五階のクラブに上がり、ウイスキーを少し楽しみ、アイスクリームで口を冷やしてから、銀座一丁目までゆるゆる散歩して有楽町線に乗った。快速であったた めあやうく乗り越すところだった。家では黒いマゴが、手の舞い足のふむところなしいう喜びようで迎えてくれた。

* 明日から湖の本通算七十四巻めの発送。


* 三月十四日 続きの続き

* 委員会の同僚委員である高橋茅香子さんから、すばらしいメールを貰ったので、ここに書き写します。読まれた方はどうかどんどん転送し吹聴してください ますよう、とりわけてこれは女性へのメーッセージです。

* アメリカ先住民女性の声明「平和のモカシン」

★下記はグローバルピースキャンペーンの国際版MLに書き込まれたものです。ニューヨーク州北部にある先住民の連合体「イロコイ連邦」は1000年近く母 系制の民主社会を営んできて、18世紀の合州国建国で指南役を務め、いまでもアメリカ国内の準独立国です。
[イロコイ連邦については、J・ウェザーフォード『アメリカ先住民の貢献』(パピルス)、P・アンダーウッド+星川『小さな国の大いなる知恵』(翔泳社) などを参照。「モカシン」は柔らかい動物の皮でつくる履きやすい靴。]

  ▼▼▼▼▼▼▼ 引用はじめ ▼▼▼▼▼▼▼

        「平和のモカシン」

  モカシンづくりの人びと、戦争を止める人びとへ
  世界中の女たちによる共同行動の呼びかけ
  私たちには戦争をやめさせる力がある!

「男たちが戦争に行くには、その前に女たちがモカシンをつくってやらなければいけない」――私の先祖の伝統では、戦争に行く男たちのために女たちがモカシ ンをつくる習わしでした。女たちが戦争を望まないときは、モカシンをつくりませんでした。

 私の先祖はホーデノショーニー連邦に属していました。ヨーロッパ人はそれをイロコイ6部族連合と呼びました。遠い昔、一族がむごたらしい戦争と暴力に苦 しんでいたとき、ピースメーカーと呼ばれる改革者が「大いなる平和の法」をもたらしてくれました。アメリカ上院は、私たちの平和の法が合州国憲法の手本に なったことを認めています(1987年12月2日/両院同一決議76号)。ひるがえって、合州国憲法は国連憲章のモデルになりました。私たちの平和の法は 近代国際法の基盤なのです。アメリカ人は私たちの法や慣行を取り入れたものの、それらをよく理解していませんでした。

 私たちの先祖は、民衆協議会における話し合いで共同体の紛争を解決することにより、すべての男女の自主独立を認めました。私たちの伝統では、あらゆる討 議にさいして次の3点を心にとめることになっています。
  1.平和――平和はあらゆる代償を払って守るべきこと。
  2.道義――7世代後の必要を考慮に入れ、道徳的に正しい決定をすべきこと。
  3.力――人びとの力は、すべての男女の平等な自主独立を含めて維持されるべきこと。
 国と国とのあいだの紛争も、外交努力と合意によって解決されました。戦争、ないし武力の行使は、最後の最後の手段でした。またそうなった場合にも、敵の 女性と子どもには手を出さない定めでした。

 私たちの先祖はこれまでずっと、好き嫌いはさておき、他の国々の異なる習慣や法律や暮らしぶりを尊重してきました。互いに共存するための合意を見出す努 力をしたのです。ですから、私たちは現在の紛争についても身を引いて、関与しませんでした。けれども、もう事態は傍観していられる一線を超えたと思いま す。罪もない生命や母なる大地が危険にさらされようとしています。この地球の女性として、また世話役として、私たちは声を上げる決意をしました。

 私たちの先祖から伝わる法によれば、北米の大地は女性たちに授けられたものです。戦争か平和かという重大な決定には、人間の半分をなす女性、生命を産む 者であり、大地を培(つちか)う者である女性の関与が不可欠でした。

 私たちはいま、不要な戦争を行なおうとしています。私たちには自分たちの力を善きことのために使う義務があります。私たちは全人類に、この大切な真実を 思い出してもらおうと決意しました。戦争は女たちの支持なしには起こりえません。私たちは世界中の女たちに、一歩前へ踏み出し、すべての男たち、あらゆる 人間の産みの親として、地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、しかるべき責任を果たすことを呼びかけます。

 私たち女性は出産の痛みと苦しみを知っています。わが子が死ねば深い喪失感を抱きます。これを理解するからこそ、私たちは生命の破壊をストップするため に行動しないわけにいかないのです。子どもたちを苦しませてはなりません。私たち自身の子どもはもちろん、私たちと意見の合わない人の子どもも同じです。 私たちは、あらゆる個人がもつ、この地球上に生きる神聖にして冒すべからざる権利を尊重します。

 全世界の女たち、そして私たちを支えてくれる男たちに呼びかけます。前へ踏み出し、この狂気を止めましょう。

 イラクへの開戦決定がなされれば、何千人もの罪もない男女と子どもたちに死をもたらすでしょう。この戦争は、国民の意見も聞かず、女性の意見も聞かず に、ほぼ男たちだけで決めたことです。それらの男たちにも祖母があり、母があり、妻があり、ガールフレンドがあり、愛人があり、姉妹があり、娘があり、姪 があり、孫娘があり、乳母があるはずです。

 私たちは、そういう女たち全員に、男たちへの圧力をかけるよう呼びかけます。ブッシュ大統領やパウエル国務長官、ラムズフェルド国防長官、ブレア首相 (イギリス)、フセイン大統領、クレティエン首相(カナダ)、シャロン首相(イスラエル)、パレスチナの人も北朝鮮の人も含め、いま世界を破壊しようとし ている男たちに圧力をかけるのです。女たちよ、自分の身近な男たちを正気に戻しなさい!

 女たちよ、自分の力を思い出しなさい。自分の責任を思い出しなさい。
 だれもが自分なりの力をもっています。私たちはみな、自分のもつ力を善きことのために使わなければなりません。

 私たちは戦争を止めなければなりません。
 私たちは平和を守らなければなりません。
 私たちはモカシンをしまっておかなくてはなりません。

    カーンティネタ・ホーン(Kahn-Tineta Horn)  モホーク族の母にして祖母

[原注]このメッセージは、ホーデノショーニー(イロコイ連邦の自称)モホーク族の女性長老から発せられました。彼女の言葉は真実で善きものです。私はこ のような平和な一族の血を引くことを誇りに思います。このメッセージは私にメールで届きましたが、どんどん転送してください。この賢女のすべての祈りと、 一族のための働きに感謝します。
    ホワイト・アウル/亀の島にて  whiteowl@turtle-island.org (翻訳:星川 淳)


* 三月十五日 土

* 人に向かって話しかける言葉は、手紙やメールはともかく、こういう場所では容易に出ない。なにかを人に向かって言うと、大概過度になるか過少になる。 媚びるようになる。だからわたしは「闇」に「言い置く」のである。自分で自分に言い聞かせるように書く。人が読もうが読むまいが、それは闇の彼方の人様の ご都合と思っている。その方が率直になれるし、へんな諂い心や「かなひたがる」悪しき言葉をむり出ししなくて済む。また見えを切ったり、飾ったりしなくて 済む。

* ときたま、あまり家庭内のプライベートなことは読みたくないという声を聴く。めったには無いが。わたしには筋ちがいな話で、物書きとしても私人として も、「闇に言い置く独り言」である。故なく腹ふくるるは健康によくないから、吐瀉しているというと話がキタナイけれど。それでよい。
 ある、この業界の新人から、ものを書かせてもらうのは有り難いが、編集者の注文が多く、とどのつまりは「よいもの」でなくても「売れるもの」をと強いら れる、秦さんもそうでしたかと電話口で聞かれた。ざあっと思い起こして、そう露骨なことは言われたことはないが、時代が進むに連れて、暗にそんな声を囁き 続けられた気はしていた。幸い、それまでに相当量の仕事は積んでいたので、それ以上そういう無理な注文は避けて通る気だった。避けられなければ身を引いて も惜しくなかった。売れる物が書きたいと思って文学を愛したワケではなかったからである。
 わたしの基本は、わたし自身で読みたいほどのものを、人が書いてくれればよし、叶わぬなら自分で書いて読もうというものだ。これでは大衆的な物書きにな るわけがなく、そんなものには一度も成りたいと考えたことがない。
「偏屈」というあだなを小さい頃から貰っていた。自分ではそうは思わないが、人の思う分にはご勝手にと。それでやってこれたのだから、幸せ者だ。不徳ナレ ドモ孤立セズに済んでいる。

* さ、発送。ウイーンから帰国の甥が、用事の都合で鎌倉に宿を取ったと電話あり、作業に集中できるのが有り難い。出来た者はともあれかくもあれ、送り出 さないと意味がない。

* 作業しながらデンゼル・ワシントン、メグ・ライアン、マット・トーマスらの「戦場の勇気」を聴いていた。これぞ指さすように前の湾岸戦争に取材した戦 争映画で、一つ間違えるとアメリカ軍のファイトを称えるかのようであるが、兵士は死に、司令部や政治家はかれらの奮闘を栄誉がらみの自己宣伝に供してい て、戦争批判の映画とみていいだろう。
 米英西三国は何としてでもイラクでの戦争へもちこみ、しかもそれを平和のためにと称したがっている。平和は戦争で購うものだと、あしき平和論者のブッ シュや国防長官は、オカルトふうの狂信に、眼を血走らせて、ウズウズしている。オウム真理教のポアやテロとどう違うのか。

* 終日の作業で肩も凝り歯も疼いている。晩には、またシャロン・ストーンのセクシーなミステリーを聴きながら、荷造りを進めた。もうこれまでと打ち切っ たとき、ほとほと、疲れていた。家の中にいても花粉を感じ続けた。


* 三月十六日 日

* 米英の、むろんイラクもそうだが、彼等のふりまく戦争ムードにしらけきり、ふりまわされ、毎日がイヤな気分、ウンザリだ。それでいて、平然と、人権の 何のと正義面して他国を非難するアメリカ。イヤですなあ。

* 美しいものに触れたいと思う。京都、華岳、桜、そればかりではない、有り難いことに美しいものもひとも、まだ世の中に溢れている。なぜ眼や気持をそち らに向けないか。飯の種ではないからか。見えないからか。

* トム・ハンクスの名画「グリーンマイル」を聴きながら、泣きながら、作業をはかどらせて、さて、まだ済まない。

* 明日はペンクラブの新理事会、引き続き、現理事会。駆け引きのあるらしい少しゴタツクおそれの会議になりそうで、気が重い。理事再任そのものが、そも そも気が重い。もっともっともっとヒマになりたい。とにかく、つつがなく電子メディア委員会を、(私としては)山田健太現電メ研座長の手に引き継ぎたい、 それだけを願っているが。
 二つの会議の後、久しぶりに「みらくる会」に出る。会場の名がなんと「ハレム」ときた。少し呑んでくる。

* 子機が破損し、子機に繋がっているスキャナーもプリンターも使えない。不便この上ない。明日の会議・会合と発送を無事終えてから対策したい。

* 美しいものにと朝書いていたら、たまたま、ちらと見た晩の大河ドラマ「宮本武蔵」で、蓮華王院の果たし合いに出る武蔵に、吉野太夫や光悦母子が。「美 しいもの」の尊さは、武芸に凝り硬まった修羅場より、どれほど佳いモノかしれないと無茶者のタケゾウ相手に口説いていた。小泉キョンキョンが、すこし所帯 じみた吉野太夫を演じていた。母親孝行の光悦の母を淡路恵子が渋からく演じていた。


* 三月十七日 月

* 雨の中、郵便局へ走って。八割方の発送が済んだ。今日は一時の会議に、もう小一時間のうちに出掛ける。

* 米英西三国会談の結果は、国連決議抜き、イラク攻撃に「勝手に突入」と決着したかのようで、フランスの査察三十日期限に短縮案も、アメリカは拒否し た。いずれは歴史が裁くことになるが、人類が、この先の「歴史」なるものを保てるかどうかが、危ぶまれる。非情な近未来社会を描いたいくつものSF小説 が、少しずつリアルに思い出せてくる。
「モカシン」の教えは、「七世代」のちの子孫までをせめて考慮し、ものごとを決する事が大事というが、ブッシュやブレアはどうか。フセインはどうか。わた しは、どうか。

* 一時からの会議では、選挙された新理事三十人のうち、出席二十六人で新会長候補を選出した。梅原猛氏はこの三期を終えて、リタイアしたいと先ず表明さ れた。氏の体調と年齢を思えば自然な意志決定であると思い、あえて四選をわたしも要請しなかった。
 わたしの気持では、ともあれ、「予備選」ふうに投票して上位二名に絞り、その二名から、新会長としての抱負や意欲を聴き質疑にも応じて貰い、その上で 「本選」として正式投票に付して欲しかった。さもなければ、その人の「考え」の何一つ聴かずにドサクサに決めてしまうことになるからだ。
 ましてあからさまな「多数派工作」が、少なくも二筋はわたしのような者の耳にも入って来ている。そういう不明朗感を払拭するためにも、予備投票で上位二 名の、「実の思いを実の言葉で」知りたかった。
 しかし、投票前に大勢は決していたのではないか。簡単に、わたしの耳にも電話で吹き込まれていた人が、井上ひさし氏が、一回で過半数に達し、もっと早く から別の多数派工作で「電話を掛けまくっている」とされていた人は、加賀乙彦氏は、惨敗した。わたしは、加賀さんが、ある人をして電話戦術に早くから打っ て出ていたという「事実」を、知らない。聞かされたときも、まさかと思った。思いたかった。また、井上ひさし氏の名前も、井上氏のあずかり知らぬ間に都合 良く「祭り上げ」られていたものと想像している。井上さんが予め関知しているとは、「まさか」と、信じなかった。信じたくなかった。
 しかし、加賀さんの場合、「ある人」をして電話を「かけまくらせているんだよ」とされていたその「ある人」とは、いかにもそれをやりそうな人に思えたの で、さもあらんかと思わざるを得ず、イヤだなと感じた。それは事実だ。
 一方、そういう話をさも「情報」として電話口から私に吹き込んできた人物も、いい加減浮薄ないかがわしい口ぶりであったから、その電話情報が、いわば陋 劣な中傷である可能性も否定し切れなかった。だから、そんな電話口の勧誘には乗らないことにすぐさま決めていた。
 わたしは、投票にあたり、会長選挙からいち早く「降りた」と聞かされていた人に、三好徹氏に、わざと「死に票」を投じた。どうあろうと、誰が大差で勝つ かは事前に感じ取れたし、実はわたしは、その人が、井上ひさし氏が、会長候補になることにははなから個人的に賛成なのであった。だが、電話してきた手合い の多数派工作には乗せられたくなく、わざと「捨て票」を投じた。三好票は二票だった。結果は、分かっていた。三好氏が「降り」ていると誰も知らなかった ら、もっと多い何倍もの得票があったはずだ。
 日本ペンクラブのような団体にも、人事の暗流渦巻くことを、如実に私は識った。不思議はないのであろう、理事に派閥作りに似た動きのあるのは前にも書い た。わたしは、そういうことは「好かん」のである。
 誰かを担ぐ、それがその人を心から信頼してというならいいが、その結果が、例えば執行部内での自己保身などにつながるなら、なんてイヤな空気だろうと思 う。
 そういうことなら、わたしの思っていたように、先ず予備選挙して、上位二名が意思表明し抱負と意欲を語り、それを聴いてから、もう一度「本選」した方が どんなに清潔か知れはしない。

* 固有名詞は書かない積もりであった。何故なら井上ひさし氏は「会長候補」に選任されただけで、総会で承認されたわけではない、まだ。従って候補選びの 理事会が「秘密会」であった趣旨をふめば、新聞記者の入る次の通常理事会では、その件に、ことに井上ひさし氏が候補に選任されたことなどに、司会者は触れ るべきではなかったと思う。司会役の小中陽太郎専務理事が、ぺらぺらと喋るのに、わたしは呆れた。駟も舌に及ばず。もう制止のしようもなかった。総会承認 を得ないうちに専務理事の口から会長人事が世間向けに公表され、新聞記事となって井上ひさし「会長」決定と報じられてしまうだろう。それは総会へのあしき 干渉であり侮辱になる。
 小中氏は、電話もそうだが、少し口も身動きも、軽すぎる。思慮に欠けている。井上氏も迷惑ではないかと怖れる。あえて「闇に言い置く」ことにした。

* 一時間のアキ時間を利用して、秋葉原駅で来週の京都行ききっぷを買ってきた。

* 三時から通常理事会。一時からの理事会では私の臨席にいた加賀乙彦氏が、三時からの会には欠席。出席予定のはずであったが。そんなに落胆されたのであ ろうか。
 加賀さんと代わって、関西からの小田実氏と隣同士になった。兄の北澤も懇意であった人である、いろいろ話した。
 イラク開戦に反対の声明文が用意されていたが、小田さんは梅原さんに、この声明を持参して小泉首相に会ってこい、それがあなたの最期の仕事だと会長にね じ込み、迫力満点だった。声明さえ発して居れば済むワケじゃない。型にはまらないセンスでいえば、小田さんの言うのがもっともなのである。しかし、みん な、各の立場で型にはまり、新鮮な発想が出来ない。

* 五時過ぎたので失礼し、帝国ホテルにより、先夜忘れていたアメックスカードをクラブで受けとり、外苑前の「ハーレム」という店での「みらくる会」に出 てきた。会主の大国真彦先生と暫く隣席で話すことも出来た。
 なにしろ此の「うまいものを喰う会」では、わたしとは縁の遠い畑の人ばかりで、容易に馴染めない。大国さんのほかには知った人はごく少なく、今夜はごく 少ないそれらの人が殆ど来ていなかった。大国さんと話すぐらいしかなかった。
 トルコ料理は、はっきり言って不味い。ただ、南アフリカから輸入のワインがすこぶるうまく、わたしは、料理には手をあまりつけず、ワインだけを重ね重ね 楽しんできた。

* もう、こんなメールを貰っていた。まことに照れくさいほどであるが、こういう声や言葉にも励まされながら生きて行かねば、萎えて行くばかりでも困ると 思い、わがための自賛のつもりで書き込んでおく。
 むかし「慈子」書き下ろしていたとき、兼好自賛七条から話をほぐしていった。ある注釈書は、自賛は自慢ではないとし、人がほめてくれてよいところを褒め てくれないのでするのが自賛だとあり、苦笑したことがある。褒めて貰っているのを麗々しく書き込む必要は無いのだが、ま、気の弱りそうなときには、嬉しく て、と。

* 本日湖の本エッセイ『東工大「作家」教授の幸福』を頂戴しました。ありがとうございました。昨年末に単行本を購入して読んだ記憶も新しいのですが、早 速また面白く読み直しております。私が大学生の頃にオーケストラの活動を通して交流のあった多くの東工大生の、優秀ですこし翳があって、誠実なのに不器用 でシャイだったことなど思い出しまして、なつかしく時にほろりとしています。
 私はずっと先生の小説世界に心酔してまいりましたが、先生の息づかいや眼差しがよりなまなかたちで感じられるエッセイなどの文章にも魅了されてまいりま した。小説も、「私語の刻」の日記のようなエッセイのような文章も、私には貴重な財産で、どちらか一方だけを選ぶということはできません。
 先日の私語の刻で、先生は中野重治のことに触れられ、「操觚者」でありうれば幸せと書いていらっしゃいました。私は先生のお仕事の領域の広さ、質の高さ にただもう圧倒されておりましたが、エッセイ、評論、ホームページの私語の刻、ペンクラブの電子文藝館の創設など、すべてが先生の渾身の作品なのですね。 そしてそのどれもが極上
の文藝作品、藝術作品であることは疑いようもございません。私は秦恒平という文学者にめぐり合えた幸福をこれからも日々かみしめてゆくでしょう。湖の本を 積み重ねてゆくたびに、ありがとうこざいますと、先生だけでなく神さまにも感謝しています。
 さて、話はかわりまして、お気にかけていただきました地唄舞の発表会ですが、15日に無事終わりました。もともと、最後まで間違えずに踊れればという志 の低さで臨みまして、何とか目標達成です。地唄舞の先生が「わからなくなってしまったら武原はんになったつもりで、ポーズとってじっとしてて」と言われた のでそのつもりで踊ったのがよかったのでしょう。意外なことに、家族には他人のふりをされることもなく好評でした。家族に極端に地唄舞を観る目がないの と、お座敷に牡丹色の着物が映えた効果かもしれません。
 会のおやつは青山にあります菊屋の、自然薯をすりおろして作った皮にたっぷり餡のつまった大きめのお饅頭をいただき、踊りのあとには料亭の季節のお料理 の数々を堪能しました。* * 座のオーナーの方の料亭ですが、デザートに出たお汁粉が小豆の甘味まで感じる繊細な美味しさでした。
  しかし、この会の話題は少しも甘くなく、アメリカの戦争と北朝鮮のミサイルのことでした。六十代、七十代の地唄舞を愛する市井の物静かなおばあさま方が、 かんかんです。
「アメリカは戦後処理なんて楽天的に考えてるみたいだけど、そんなに都合よくすぐ終わるとは思えない」
「あの大東亜戦争だって日本は一週間でアメリカに勝つつもりではじめたんだから」
「ブッシュさんは自分の子供が戦争に行かないから」など、怒ること怒ること。ブッシュ大統領もよくよく戦争をはじめる愚かしさを考えていただきたいもので す。もうどうにもならないのでしょうが……。
 世界情勢の混沌にうんざりしつつ、今日はひととき、先生の若い魂への優しさや静かに温かい想いにふれる喜びを味わわせていただきました。発送のお疲れな ど出ませんように、ご自愛くださいませ。近いうちに桜も咲きますでしょう。

* 話題がゆったりうねって変わって行く呼吸が楽しく、「武原はんになったつもりで、ポーズとってじっとしてて」は、なんとも面白い。先生の、じつにうま い口説きようである。
 それから食べ物の話がうまそうで。わたしが今日元気だからか、なんだかわたしも食べたくなった。
 そして「おばあさま方」の戦争にかんかんも頼もしい。
 そういえば、今日の理事会に「平和のモカシン」資料を配付して共感を得たいと思ったが、なんと、「これはいいねえ」と共感を示したのは小田実氏がただ一 人であったのにはガッカリした。女性作家委員会などが、いち早く反応してくれていいアピールだと思ったのだが。

* なかなか会えない女友達が、南座へ芝居見物に来るというので、京へ。
 人気の夜の部「源氏物語」だと思ったら、昼のみどりを見て帰ると言います。
「よーじやと辻利でお土産を買いたいから、『保名』抜けるわ。代わりにどう?」
「もゥらい!」。
幕開きの「扇屋熊谷」(團十郎、菊之助)が終わる12時半まで空きました。彼女へのお礼に、鞍馬口通りのわらびもちを買い、すぐ近くの蕎麦やが11時半に 開くのを待って、おひる。
 朝から、冷たい雨。菜種梅雨かしら。
「保名」は奴が出る型でした。
 買い物を済ませた彼女とタッチ交代。そのあと「紅長」(菊五郎)の間、こちらは、上賀茂、下鴨の両宮で瀬音を聞き、四条の菊水へ舞い戻って終演を待ちま した。舞妓さんを乗せた人力車が、雨上がりの四条通を何台も通ります。花灯路の宣伝だそうです。
「何時の新幹線?」
「指定は取ってないわ」。
 八坂さんの門を潜り、公園を突っ切り、大鐘楼、安養寺、辨財天、長楽寺。ねねの道の賑わいに、二人同時に、無言のまま、大谷参道を右折。
 タクシーを拾い、駅で、右の新幹線乗り場、左の近鉄乗り場へと別れて、帰りました。

* わたしには、こういう楽しみの一部始終がわかる気がする。なにもかも、どこもかしこも、懐かしい。

* 高史明さんが原稿を下さった。「e-文庫・湖(umi)」へ掲載したつもりがうまく出来ない。少し間を開けると、手順手続きを忘れてしまう。書いてお けばいいのに、今に今にと思ううち忘れてしまい、困惑。やれやれ。
 それにしても、プリンタもスキャナも利かないのでは、話にならない。模様替えをして、外付けのハードを親機に付け直したいが配線がいろいろで、先ず模様 替えをしっかり考えてから機械会の移動をしなくては。
 すべて発送を終えてからか。今週は、何も予定がない。来週は京都行きをはじめ、おお忙しである。


* 三月十八日 火

* 米英は国連決議をボイコットして、戦争に踏み切ると声明した。やがてブッシュ大統領が、人類の破滅を予告するかのような、歴史的演説をはじめる。人間 の叡智などというものは、反古紙のように干からびて紙屑籠に投げ捨てられる。午後には小泉総理が率先米英に追随支持の声明をするらしい。昨日のペン声明も わずかなところで間に合ったような出し遅れのような微妙なモノになった。
 ペンの声明は、米英に戦争行為に出ないよう求め、イラクへもしかるべき誠意を求め、日本政府には安易な米英追随をするなと求めている。日本政府への要請 が主になっているのは当然で自然なことだ。ただ声明として出すだけでなく、梅原現会長が小泉総理との会談を申し入れて手渡して来いというのが、小田実氏の 提案であった。梅原さんは三好副会長と協議し、ともあれ官邸に申し入れるつもりと答えていた。実現はしないだろう、が、するかも知れない。小泉氏がなにか しら利用価値があると思えば、である。

* そのとき、わたしは、一つの心構えとして、この声明文を梅原さんが総理に手渡したその即座に、「日本ペンクラブでは、日米安全保障条約=日米同盟につ いてどう考えておいでか」と反問されたとして、やはりそれにも即座に答えられる用意は必要でないかと、その種の議論の不足を指摘した。
 この声明は対イラク問題で、日米安保とは触れ合わないが、北朝鮮の核脅威を一方に体感している日本列島事情と絡めると、別事とも言ってられない、その辺 を政府与党は言い立てるであろう。それに反応する用意は、やはり我々にも必要だわたしは考えている。
 しかし、小田氏も三好氏も、今はともかく「この声明はこの声明」で「的を絞って」おいていいのだ、と。
 むろん、それでいいのだが、わたしは、やはり、かぼそい芽生えのような一声明を、氷山の一角かのように海面下で支える、深い洞察や議論がなくては済まな いであろうと堅く思っている。床屋政談なみになって済むのは、いわばわたしのような者のレベルまでで、「日本ペンクラブ」ほどの大きな思想団体が、腰の据 わった思想基盤と情勢判断を持たなくては、やはり困るのである。
 イラク問題はあまりに痛ましい。その一方、悪の枢軸として気脈を通じ合った北朝鮮のこの近い将来の出方は、十二分に警戒していなくては成らない。政府の 苦慮もわたしはいくらか分かる気がしている。

* ブッシュ演説は、自国民への立場説明と言い訳に過ぎず、それ以上の説得力の全くないおそまつな、破廉恥なといいたい、ヒドイものであった。自分勝手に 「ドクトリン」を設定しておき、それに従うのだから歴史的にも合法性があるとは、バカにしている。国連を尊重すると言いつつ国連憲章にも国際法にも悖る違 反行為の自己正当化演説でしかなかった。
 一方イラク首脳の存在や行為を、容認する気もわたしには全く無い。アメリカが事後占領などしないと保証するなら、イラク国民の手による国家再建が国際的 に保証されるのなら、わたしはフセイン父子の国外退去こそ望ましい最期の選択肢だと思っている。だが、アメリカのその辺の節度については全く信用できな い。アメリカは何が何でも「占領し支配し」たいのだ、石油利権ともろともに。
 フセイン個人が悪魔的な暴虐独裁者であることは疑わない。しかし今やアメリカという国がそのまま悪魔のように暴力を世界に対しふるおうとしている、それ を憎む。

* それに次いでの小泉首相記者会見の貧相さ。国民への説明責任をほとんど果たさぬママの誠意に乏しいもので、ゲンナリした。

* 思った通り、新聞は、井上ひさし「会長」を日本ペンクラブが選任したと報じている。総会承認の意義が失われてしまった。

* 「湖の本」届きました。
 秦先生:  ご無沙汰いたしておりますが、お変わりございませんか? 私は2月末に質の悪い風邪(お腹にきてしまいました)にかかりましたが、元気にし ています。
 昨日、手元に「湖の本」が届きました。あの授業の内容ではありませんか! 授業風景を思い出しました。とても懐かしいです。しかも、自分の書いた文章が 載っていて、何だか恥ずかしいような…。その文章の中身については、今も考え方は変わらないかな? 多分、これからもずっと変わらないと思います。不思議 と。近いうちに送金しますので、お待ち下さい。
 先日、弓道の昇段審査を受けて、参段を取得しました。ずっと昇段審査をサボっていた(何と、10年も!)のですが、義父も弓道をやり、しかも私と同じ段 位だったので、一緒に受けることにしたのです。結果は、私だけが合格してしまったのですが、義父は「しっかり練習して、次回受けるよ」とやる気満々です。 親子3人(義父、主人、私)に加え、主人の親戚の子も昨年から同じ道場に通っているのです。それぞれ、いい刺激になって精進できればいいな、と思います。
 まだ寒い日が続きますが、家のすぐ傍でウグイスの鳴く声を耳にしました。春が近付いているのを、肌で感じながら生活しています。暖かくなったら、近所に ある多摩川のサイクリングコースを主人とサイクリングしようか、などと考えています。
 先生も、どうぞご自愛下さいませ。それでは、また。

* お舅さんとお嫁さんとが弓道の腕前を生き生きと仲良くきそっているなんて、なんと羨ましい。なんと微笑ましい。なんと健康なことだろう。専業主婦では ない、東工大で博士になり大学の先生である。清々しい人であった、むかしから。嬉しい便り。

* 小闇@TOKYOの今朝の「私語」も、見当違いかも知れないが、新しい湖の本を手にしての述懐であるかも知れない。卒業して、数年ないし以上。一人一 人に共有されていそうなトコロを巧みに書いている、のかも知れない。

* 記憶の栞 2003.3.17
 ついさっきまでのことなのに、とても昔のことのような気がする。
 良い小説の読後感と似ている。全編は茫漠としているが、栞をおいたページのシーンや言葉は一文字一文字を覚えている。全体としては途切れ途切れで、ディ テールはリアル。夢だったのではないかと思うほどに。

 カーテンコール、改札、終電。古い地図、空き店舗、学割、グレーと赤のリバーシル、あるいは茶色とマスタードの。冷蔵庫の杏仁豆腐、水の入ったグラスと 錠剤。あたたかい静寂。昔の写真、ピアスの穴。光、凍った湖、造り酒屋、コーヒー。行列、新しい地図、胃薬。暗闇に点在するテールランプ雨に煙って。目 薬。
 それでも返す返す記憶を洗い、反復し、自分の居場所を確かめる。

 起動。メールのチェック。電話をメモに。駅ビルのパン、自動販売機のグレープフルーツジュース。メールの返事、あれやこれや。打ち合わせ。ぐっとこらえ る、我慢する。何枚かのA4用紙。カラーペン。自分ひとりでできることできないこと。メモ出し。電話。二進も三進も行かないけれど。明日の地図。呼び出さ れる。言葉の強さと誰かを信じたいと思う気持ちの弱さ。

 書き出しても書き出しても、部分でしかない。たくさんのことがあって、そのすべてを事実として受け入れるだけの容量がない。遠い記憶は近いそれによって 上書きされる。消えはしないが薄れる。
 忘れてゆくことが、今、怖い。    小闇

* 忘れていっていいのだと思う。忘れたものが、また別の表情を湛えて蘇ってきたときに、新たな自分との対話が生まれる。だいじなことは、げんきであるこ と。幸福を追わぬも卑怯のひとつ、と。

* さて、おかげで、ほぼ発送は一段落へ漕ぎ着けた。あとはパラパラと補充的な作業で済む。通算七十四巻、なんとか無事に刊行した。

* プリンタが使えないと、とてつもなく不便で動きが取れない。で、子機から切り離して親機に繋いだ。インストールは正しく完了して、さてテスト印刷を試 みると、「LPT1:への書き込みエラー。プリンタ(HP Desk Jet 970Cシリーズ)。プリンタの準備が出来ていません。電源が入ってオンラインになっているか確認して下さい」と来る。プリンタには通電の青ランプが付い ている。子機とは断絶しているが、もともと親子がネットワークで、その子機にプリンタは附属していた。切り離したのが悪いのか。親機に接続した際に、なに か新たな設定手順が必要なのか。コードの挿し方が間違っているのか、電源を入れる順番が間違っているのか。大騒ぎで模様替えなどした揚げ句なので、なんと か、成功させたいが。文藝館の仕事がストップしてしまう。

* その後を心配していた卒業生が、昔のまま晴れやかな声音で電話をくれた。ほっと一安心。向こうでもコンピュータの具合がうまくなく、「秦さんの声が聴 きたくて」と電話がきたのだ。しばらく話した。湖の本はまだ届いていなかった。

* 故三原誠の秀作「たたかい」を「ペン電子文藝館」反戦室に招待した。こういうレベルの作品をどんどん選びたいものである。

* 小闇@バルセロナの「南蛮(イスパニア)言葉」が面白かった。
  echar una cana al aire / エチャール ウナ カナ アル アイレ
 「白髪(cana)を空へ向けて捨てる(echar)」と、どんな気分がするだろう。年を忘れて、若返った気分? さて、その時にすることと言え ば、、、「(異性と)羽目をはずして遊ぶ」。これがこの句の意味になるが、若者には使われないらしい、……と。
 なかなか、どうしてハメは外せないもんです。それにわたしは「白髪を空へ向けて捨てたい」ほどは白髪を早くから気にしてこなかった。女の人は、決してそ うでないらしい。バルセロナの小闇も、白髪にはショックを隠せないと書いている。

* そよ風が運ぶ   
 先日、大宇陀町のいい最中にであいました。
 昨日、TVで「第三の男」を見ました。
 そして、今日、ご本が届きました。
 どれも、材料が吟味され、手間も暇もかけた餡が、たっぷりと大きな皮に詰まっていて、あっさりとして、しっかり甘くて、それでいてくどくなくて、後味が 良いの。
 ペンが、何かとお忙しそう、と案じておりました。ご本嬉しくいただきました。
 彼岸というのに、肌寒い日が続きます。お疲れの出ませんよう、ご自愛ください。これからも、いいお仕事ができますこと、心よりお祈りいたします。


* 三月十九日 水

* 世界中が大騒ぎ。或る面からすると、第二次大戦勃発の頃に匹敵するか、ワールドワイドな点ではそれ以上か。ブッシュの時代錯誤な「神がかり確信犯」も 大迷惑なら、誘発したイラク独裁者のあまりに「神も仏もあるものか」式確信犯も大迷惑。どんな「悪意の算術」が有ってか、いずれにしても今回はフランスの 抵抗に一縷、理性の存在を感じ取っていたい。フランスの外交をわたしは世界史的にも安心などしていないけれど。
 小泉首相の声明は、明白に、国民に対し不親切な、ハートの温みの感じられないものであった。「北朝鮮」のことは国民はみな分かっているのだから、同じな ら、もっと早くからそれを明言のうえで、国民のより多く一致した理解を政府は謙遜に懇望すべきであった。「私」のための「公」であるという理解が根から欠 けていて、「公・私」をますます乖離させている。そんなことでは「有事の危険」に国民のバックアップが得にくいだけでなく、国民の安全など守りようもなく なるだろう。

* ペンの理事会で、「安保条約絡み」に日本の置かれている現状で、われわれはそれをどう只今「腹に据えておくか」と発言した際、今は、そういう状況では ない、ひたすらイラク攻撃の是非こそが主題であり、北朝鮮のことは別だという意見が押し切った。別は別で、いいのであるが、われわれの声明はまさにイラク 問題に限定したものではあった、が、その翌日には、首相に梅原会長が会うも会わぬも、はやブッシュ演説、小泉声明が出ていたのである。首相も官房長官も、 「北朝鮮」を念頭において、安保同盟国としての米支持「選択」である旨を、言葉少なくであるが明言していたのである。麻生政調会長も十六日の田原番組で、 もっとハッキリ「北朝鮮」を念頭に入れて日米関係を考慮せざるを得ないし、さすれば日本の取れる選択肢は米国支持に落ち着くしかないではないかと当たり前 のように語っていた。もっと前の「朝まで生テレビ」に参集した四十代識者たちの討論でも、それ以外の特異な意見は出てこなかったとすら覚えている。
 つまり問題の所在は関係者にも国民にも明々白々なのであり、それを意図的にどう「脇へ」よけてみようとも、どうにもならない。形式論になるだけである。
 それならばこそ、よけい小泉首相は諄々とその辺を言葉を選んで国民に説明すればよいのである。
 もはや是や非の問題でなく、日本の今置かれている現状は、或る具体的な脅威に対し、手も足も出ない状態に居る。議論の余地なくである。その認識を欠い て、遠い「よそ」へ限定したパフォーマンス(声明やデモ)だけでは、少なくも日本の近未来(明日にも明後日にも起きかねない)脅威には、何の役にも立って こない。単眼(イラク)では済まない現状、日本こそ今は複眼(イラク・北朝鮮)以上の「視野注意」を欠かすわけには行かないはずだ。世界の事件は、今こそ 「連動」している。あっちはあっち、こっちはこっちといった狭い考えではみすみす「視野」を喪失する。外交的に処置できる範囲は北朝鮮を相手でもアメリカ を加えても、アジア情勢を見回しても、最後のところでは日本は「自力で」身を守らざるを得ないことになるだろう。わたしはアメリカを信用していない、アメ リカは極めて危険な段階で日本の安全を「回避」しつれなく「日和見」るだろう予想している。だから心配しているのである。

* はっきり言って、私の頭には、すでに今、「現実の死傷」が予想されており、しかも、何の対策も取れていない。核弾頭を搭載した爆弾は、正確に東京ない し周辺を狙うであろうし、誤差はさほど大きくないだろう。なにしろ「西東京市」にわたしは住んでいて、よそに家は持っていない。どこへ逃れる条件も無い。 シェルターも持てない。最悪の事態、一発であの世へ行くものと、わたしは、今はごまかしなく予期している。そうなれば東京は無くなるだろう、むろん政府 も。私も妻も、息子や娘も、孫も、黒いマゴも。
 しばらく前までこれは空想であり得たが、今は「想定の範囲」内に現実化している。一人一人がまだそこまで考えたくないから、のんきそうな顔をして他事に まぎれているだけのこと。
 こういう予期に根ざした政治を、政策を、指導をすべきなのが小泉内閣なのだ。だがまだ「命の危険」など判断中止の内へ押し込められている。そう見える。 怒るなら、それをわれわれは怒り、批判したい。

* 今夜も冷え込んできました。(3月も後半なのに。。。)ご健康でいらっしゃいますことを いつもお祈りしています。今日 ”湖の本”が届きました。ありがとうございました。注文することを忘れていた私は少し不安。「私にも送っていただけるだろうか?」と。
 ”届いたー!” ほっとしました。
 つい二日前 恒例の総会茶会を済ませたばかり。立礼席の席主を何とか切り抜け。一息も二息もついて。これで遠ざかっていた「湖の本」もまた読めます。
『丹波:もらひ子:早春』の中の”秀樹くん”に、十分に楽しませていただきました。
 南東北の田舎育ちの私には”学校ほど面白いところ”はなかったのでした。どんなに熱が出ても はしかにかかっても 学校へ行きたくて泣いていた自分を思 い出してみたり。一学年240名の名前も顔も記憶の中にあり。よく駆け回って遊んだ昔と重ねて読みました。
 が ”秀樹くん”には何もかも敵いませぬ。”秀樹くん”より8〜9才ほど遅く生まれていても。交通も情報手段の乏しいあのころ。「京都や丹波」と「東 北」の”子どもたちの遊び”にさほどの違いのなかったことに驚かされ。うれしくもあり。冬は陽だまりで。暑い夏は海・川で。どんなところも子どもたちの遊 び場でした。そして今 わが家の近くの小さな公園にさえ「遊ぶ子ども」の一人といないを複雑な思いで見ている自分。
 京都は憧れ。何度でも訪ねて見たい街。そんなこともあってか ぐいぐい引き込まれて。”秀樹くん”の中学時代の頃からは 明らかに「京都」と「東北」は 異なり始めていくのです。文化・歴史の違いでしょうか。
 ひとり言を書いてしまいました。どうぞ ご自愛くださいますように。 愛知県

* ありがたい。
 ヒデキ でなく、フデキな少年だった、わたしは。どう不出来であろうともそれなりの過去が堆積されてある。それも我が命のあるあいだのことで、やがて誰 一人の記憶にも残りはすまいし、ハカナイとも今のわたしは思わない。すべて自己満足に過ぎぬとも苦笑される。せめて苦笑でなく、からりとした哄笑のなかで 終えて行ければと思うけれど。懐かしい昔がある。帰りたいか。いや。帰れないからこそ懐かしいのである。やはり「今・此処」をジタバタと見苦しく生きて行 くのがいいと、したい。

* 『東工大「作家」教授の幸福』、早速読ませていただきました。
 あまりの可笑しさに吸い込まれて、一気に読んでしまいました。工学部「文学」教授に就任の経緯が手にとるようにわかりました。S君の「信じられない話」 には吃驚仰天し、「恥の上塗り」には、失礼ながら笑いを堪えることができませんでした。
 また虫食いの字を当てはめる問題も楽しませていただきました。単行本100冊分におよぶ学生諸君のレポートを読むのは、さぞや大変であったと思われま す。
 理系の学生は、文芸に疎いと一般には思われていますが、そんなこともなく、この本を読めば二十歳前後の若者の皆同じように悩み寂しいということが、よく 分かります。私も、講師をしている女子大で、知識ばかり詰めこんでいましたが、来月からはもっと話を聞いてやらねばと反省しきりです。
 この本に書かれたことは授業の「導入部分」に過ぎないのでしょうが、教授室を開放し学生との交流が盛んであったこと、そして現在もそれの続いていること は、すばらしくも、羨ましくもあります。
 楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。
 東京工業大学の略称が、東京工大であったり東工大であったりしましたが、「東工大」に決まったようです。
 さて、大岡山の桜も、もうすぐですね。お楽しみ下さい。  兵庫県

* 東工大卒の、わたしの学生諸君よりも、大先輩。

* 布谷君電話をくれて、しかし、リモートコントロールでは、プリンタの親機への付け替えも成功せず、ただ、子機のハードディスクは壊れていないらしいと 分かった。これもその段階どまりで、真っ黒い画面に「Invalid System disk Replace the disk and then press any key」と出たまま、CD-ROMでも、起動ディスクを入れてみても快方に向かわない。「ペン電子文藝館」の起稿作業がストップしたまま。また子機を買い 換え、親機にフィットする新しいプリンタを買い込まねばならないか。買うのはいいが、ハードは場所を取るのでほとほと困る。

* 国会の党首討論でも、小泉首相の姿勢には柔軟な誠実さが無い。あれでは、アメリカ擁護以上の言葉が聞こえてこない。イラク非難の言葉にも生気なく、弁 解の語気だけが残る。
「自分には、日本国の国土と国民とを最終的に守る義務があり、今から近未来へかけて、どうすればそれが可能か、考えれば考えるほど、現に形作られてある日 米安保は、或る意味で救いや力であるとともに、難しい議論の的にも隘路にも成っている。しかしながら、今に差し迫って、それ以外に、それ以上の、有効な、 国土と国民を脅かす戦争の抑止力をわれわれは持っていない。北朝鮮に、一発といえども我が国へ向けてミサイルを発射させてはならない、その為にも現在は日 米同盟の基盤をつよめこそすれ、緩めるわけには行かないのです」と、率直にそうでも言ってくれれば、かなりの国民が、余儀なく頷くであろう。その上へ築い て行く議論なら有効であろうが、野党の質問に、あのようにしかアメリカ支持の真意が答えられないのでは、議論のための議論を単に勝負事のように競うだけの 無駄ごとになる。
 こういうときこそ、頭を謙遜に虚しくして、何が国益で国民益でもあるのかを考え、血の通ったハートフルな言葉を用いて欲しい。首相の血は冷たい。「家 庭」を空しくして平気で生きてきた人間の、異様な空洞が、言葉の中へ冷気を送り込んでいる。


* 三月十九日 つづき

* 今日は、佳い見ものに、三つ恵まれた。見た順番に。

* 午すぎに、少し休みたくて、妻と台所でメグ・ライアン、ケビン・クラインの「フレンチ・キス」を、けらけら笑いながら見た。航空機嫌いカナダ住まいの メグが、婚約している恋人の医者を、ひとりパリへ送り出したら、出先でフランス女にのぼせ上がられてしまい、意を決して急いで飛行機に乗ったものの、怖く て堪らない。隣席に、フランス男の盗人で、葡萄畑ツクリに夢を持ったケビンがすわり、メグの恐怖をあおりたてる。
 小洒落て、おかしくて、メグ・ライアンの愛らしいこと、この女優作品の最右翼に位置するのではないかと思えてしまう。パリにつくと、なんとジャン・レノ 演ずる刑事がケビンを待ちかまえている。彼は葡萄の苗木の根に捲いて隠して、盗品のすばらしいネクレスを、税関逃れにメグの鞄に忍ばせていたのである。
 どうという感動編でも何でもない。しかし、メグとケビンとの応酬が軽快で、写真は終始美しく、ときにはこういう映画が佳いなあと、しんから楽しんだので ある。メグ・ライアンでは「戦場の勇気」や「恋の予感」その他トム・ハンクスとの競演作が二つほど見ているが、楽しいことでは「フレンチ・キス」が一番か と再確認した。

* 夜十時からは、秦建日子脚本「最後の弁護士」の最終第十回を見た。仕上がりのいいことは、随一で、会話も裁判場面も写真もよかった。犯意を抱いて人を 呼び出し斬りつけた男が、斜面で滑り転げ、握ったナイフを自分のからだに突き立てた設定は、やや窮屈とはいえ、ことの最初に相手を傷つけるほどつよく斬り つけていたのだから、指は固まっていてナイフを手放せなかったことがありうる。ま、問題ないであろう。
 と、すると、ストーリイも展開も結末も巧みで遺憾なかった。十分安定し、プロの作品として推敲も十分利いていた。読み物としても、上等の短編小説に近い 仕上がりであった。おお、建日子も、とうどう早稲田大学「法」学部を卒業したなと思った。
 佳いところは、エンタテイメントとしての面白さを、やすいドタバタで示さず、弁護士と二人の助手や老人たちの優しい関わりの中で表現したところで、この 手の殺しモノとしては、出色・稀有の品の佳さにつながった。喜びたい。下品なモノなら、気の低い雑なものなら、飯など食わなくていいのだ、書いて欲しくな い。そういうガンコ者の父親を観衆の一人としてもった作者は、少なからず迷惑だろうが、もう少しの辛抱だ、許せ。さすがに苦労してきた甲斐のある味と腕前 が見えてきた。嬉しい。
 阿部寛の弁護士、予期したところを何倍も超えて力演し好演した。なにより楽しかったのは須藤理彩で、わたしはこの元気で安定した柄の大きい女優が、大い に大いに気に入った。

* さて今日の最大の感動は、建日子のドラマに引き続いての、NHKスペシャル「ひばりの時代」の第一回。
 船村徹と国井アナとの対話から静かに本編にはいって、「わたしは街の子」「悲しい口笛」「りんご追分」「悲しい酒」「港町十三番地」その他の、ひばり絶 唱名唱のかずかずにのせながら、日本の戦後を、貴重な写真と証言とでみごとに綴り上げていった時代検証は、今まで見た多くのひばり番組中の傑作であった。 懐かしいかぎりのわたしや妻たちの時代とひばりの時代とは、ぴたりと重なる。何を見ても聴いても、体験が、記憶が、ものの音や匂いや色や手触りや空気のざ わめきが、ありありと瞼に、いや全身に蘇るのである。
 ひばりの歌が、正真正銘の天才のものであることは、繰り返さない。彼女は楽譜がよく読めなかったそうだが、日本語は、精確に、美しく、底のところまで豊 かに読んだ詩的天才でもあった。よくもああ、グロテスクななりで、平凡な歌詞を、ああも豊かに輝かしく歌えたものだ。
 妻と出逢った頃に、好きな音楽家はと聞かれ「美空ひばり」と断言したのは、(妻は甚だシラケタと言うが、)わたしの自慢の一つである。妻もとうから断然 ひばりを賞賛してやまなくなっている。わたしたちは、美空ひばりの歌を、なによりまず「巧い」と感嘆してきた。が、巧いが故に感嘆させるだけでなく、彼女 の徹した野党性にもわたしは絶対的に共感した。彼女が、えらそうな政治家やえらそうな大企業の社長や富豪とはつきあわず、むしろ、ヤクザの大ボスに芯から 可愛がられていたりしたことを、わたしは肯定した。そういうひばりに、深い信頼をすら持ち続けていたのである。つまりそういう思い出のひばりと、わたしは 同じ時代を生きてきた。道は違い表現もちがう、が、どこかしら一条の信条において似通っていたのではないか。
 その川の流れのような「時代」が主役かのように番組が進み、また最後の、船村徹と国井アナとの収束の対話が聴かせた。わたしは、一時間の番組中、何度も 涙ぐんで感嘆の声と懐旧の声を放った。カタルシスであった。
 ひばりは、たぶんわたしより一つ半ほど若いのではなかったか。新制中学の一年生の頃に、ひばりが祇園白川辺に来ていると聞いて、わたしは、はだしで家を 飛び出し、人混みに割り込み、手の触れそうなところまでにじり寄って、美空ひばりなるモノをまじまじと見たのである。「ちっこい、黒いスズメみたいなやっ ちゃな」と思い、しかし、わたしはあの瞬間にひばりに恋したのかも知れない。
 明日、明後日と続くらしい。楽しみだ。

* ご本いただきました。
 三日ほど、茨城県北西部の、栃木県と境を接している山村に行っていました。
 古文書が読めるようになりたくて、筑波女子大学で一年間、その方面の勉強をしてきたのですが、その研修旅行というのに参加したのです。
 山地を西から東に流れる那珂川に沿うた、わずかな東西に細長い平地(といってもどこをあるいても坂道ばかりでした)の村に残っていた文書の一つで、享保 年間に藩から出された村の改革案。それを、三月がかりで読みました。
 これがたいへんなもので、そこに住む農民たちのためのものではなく、いかにしてこの寒村から年貢を多く取り立てるかという視点に立っての、臆面ないとし か言いようのないものでした。農事に精出せというのはともかく、日常の生活にまで立ち入って、何時に起きよ、酒は飲むな、質素・倹約をむねとすべし。婚礼 や葬式に人を呼ぶのはどの範囲まで、料理はしかじかと、事こまかに規定しているのです。年貢は何をおいても収めよ、収められぬのは心がけよろしからざるゆ え。そういう心がけよろしからざるは、つづまりは子や妻を売る羽目になる等々。
 その、かつて苛酷な藩政にあえいだ村の実地見学ということだったのですが、そこは、たいへんな過疎の村になっていました。人口五千人そこそこ、小学生は 五十人そこそこ。道で行き交う人もまばらで、その多くは年長けたひとたちでした。
 数少ない家々の大方は、かなりりっぱな、それも比較的新しくつくられたもののようで、一見、のどかで裕福な村のように見えますが、手入れのゆきとどかぬ 畠や、住むひとがいなくなって固く閉ざされたままの家が目につきました。
 建てられてから四百年経つという家を見せてもらいました。どこが、と、おもうほど、戸や窓はみんなアルミサッシ、天井や壁は合板の板張りになっていまし た。所々に残されている黒光する板戸や柱、手斧で削った太い梁などに、その古さがうかがわれるといった状態でした。
 子供はみんな都会に出て行き、独りでこの家に住んでいる八十歳の女あるじは、いい建物をだいなしにしたと言われるけれど、こうしなければ住んで行かれな い。天狗党探索のために槍であっちこっち突かれた天井の穴からは、天井裏のゴミが落ちてくるけれど、修繕するには莫大な費用がかかる。安物の合板を張った けれど、けっこうな出費となった、などと言っていました。
「わたしといっしょにこの建物もなくなるでしょう」と、べつにさびしそうでもなく、さばさばと言われましたが、古くて大きな建物を、もてあぐむところも あったのではないかとおもいました。
 封建時代には領主の飽くなき収奪に遭うて疲弊し、いままた、過疎の波に洗われて少しづつ、崩壊してゆく村。日本の処々方々にある村の姿なのでしょう。
 その過疎の村に、山を崩してダムが造られはじめていました。村のひとたちは、観光で村がにぎわうと期待し、工事車のために谷にいくつか架けられた橋を、 便利になると、とてもよろこんでいました。
 たぶん、どこにでもある安手の観光地が出現し、ほどなく飽かれることになるのでしょう。便利になるといっても、車が動かせるひとにとっての便利でしかな い――。
 うれしそうにしているご老人には言えないことでしたけれど、さびしい想像をしてしまいました。
 帰ってきましたら、ご本が届いていました。ありがとうございます。「一樹百穫」、一樹は見えてきますが、「百穫」は見えて来ません。不敏なことでして。
 旅のあいだ見なかった新聞にあった、ブッシュが48時間後に戦争を始めると宣言したという大見出しに、息をのみました。
 9.11は、ブッシュにとって、またとない奇貨であったという気がいたします。いつのまにかイラクを攻撃する権利があるような具合にもっていって。
 「彼の国は悪だ」と言われたら最後、大国の蹂躙のままということになるとは、おそろしいことになりました。先生のおっしゃるように『「現実の死傷」の予 想』が、今や予想でなくなってしまいました。
 この世にある難病、たとえばエイズやガンなどは治せなくても、人を多く、しかも的確に殺せる武器はどんどん発達?し、造られています。わたくしがそうし た難病に罹って死ぬ確率よりも、最新型の爆弾か化学兵器で殺される確率のほうが高くなりました。
 何ということもなく、
   しづかなるあかつきごとにみわたせばまだふかきよのゆめぞかなしき 
が、くちずさまれます。
 あしたは、サリン事件の日。あのとき、わたくしは歌舞伎座へ昼の部を観にゆこうとして、はっきりした説明もなく地下鉄が止められているのをいぶかしみ、 銀座の空をヘリコプターが幾機となく飛び交うているのを、いぶかしみながら、歌舞伎座に急いでいました。
 あれは、この世が壊れてゆく、その初めだったのでしょうか。 香 魚

* 一日の終わりにこういう佳いメールをもらった。興深く共感多く、そしてまたブッシュ的な現世の淵に引き込まれる悲しみも覚えた。


* 三月二十日 木

* 今、明け方の三時半。今日にもイラク空爆が始まるのだろうか。

* 新しい湖の本が届きました。ありがとうございます。はじめのところを読んでいます。
 学生さんたちは、ほぼわたしと同年代でしょう。「東工大『作家』教授の幸福」を手にしているわたしは、学生を終えてからかなり時を経てしまっています が、今ならこう書く、などと考えながら、秦さんの出題を眺めています。
 砂金。まさしくそうですね。「湖の本」からも、パソコンのモニター越しにも、きらきら光る粒を、わたしはいただきました。砂の中の輝きを、見出せる眼を 育てていきたいです。
 ホームページのエッセイ「青春有情」の、『学生たちの殆どが、内なる思いを発信したくて機会を、聞き手を、渇くように求めている。そういう青春に、「自 分の言葉」を見つけさせ、「実感」をせめて書いて表現させ、噴出させてみたかった』という文章に触れて、歓喜したことをおもい出しています。
 戦争の足音の、間近にきこえる状況を憂えています。
 アメリカの武力行使を、わたしは支持しません。世論調査では、70%以上の日本国民が支持していないようですが、国の代表は、その民意を反映していませ んね。北朝鮮の脅威を引き合いに出していますが、もし北朝鮮が何かしら日本に仕掛けてきても、今のアメリカを頼りにしたいとは思いません。「アメリカの武 力行使を支持する」と表明して、日本と中東との友好を打ち砕くより、「北朝鮮の砲筒は日本に向けられているけれど、拉致問題を全面的に解決するつもりだか ら、国民も覚悟してほしい」と言われた方が、どんなによかったか。
 ジャッキー・チェンという、わたしの好きな香港の俳優がいます。
 彼は「兵器の製造を止めることは、わたしにはできない。けれど、武器を造るのをよそう、武器を持たないようにしようと、意見を言うことはできる」と語っ ていました。志を持って生きよう、殺し合いのない平和な社会にしよう、自然を尊ぼう、そんなことを、彼は映画の中で臆面なく言ってのけます。監督をするよ うになってから二十余年、たゆまずそう主張しつづけるジャッキーの単純なまでの姿勢を、わたしは愛しています。
 ハリウッドはジャッキーを認めたというけれど、ジャッキーの何を見ていたのでしょう。ハリウッドの撮ってきた戦争をテーマにした映画の数々は、きれいご とだったのでしょうか。
 9.11直後、愛国心を煽る政府に、あまりに寄りすぎたと、ワシントンポスト、ニューヨークタイムスほか、主要なメディアの代表たちの反省しているシン ポジウムを、NHKで特集していました。ジャーナリズムは行政を監視していかなければならないと、決意を述べていた彼らは、どこへ行ってしまったのでしょ う。
 政府が言論に圧力をかける今のアメリカは、自由の国には見えません。   群馬県

* 次のメールは、もともとの発信者がわからないが、非英語圏からの呼びかけと思われる。WWW(世界大)に無数に展開している可能性もある。以下に署名 者を添えて届いたのも、その一つのネットか。送ってきたのは、わたしたちが、むかし新婚の部屋を借りたアパートの大家さんの娘さんで、今は教師だが、当時 はまだ可愛いおとなしい小学生だった。わたしも裾に署名を加える。心ある人はさらに先々へ転送して欲しい。

* ご無沙汰しております!下記のようなメールが送られてきました。よろしくお願いします。私も武力行使絶対反対です!  中野区
********************************
 突然ですが、貴重なお時間を拝借致します。下記のメールが友人から送られてきました。賛同される方は以下のメールをコピーし、署名欄にご署名のうえ、こ のメールをさらに広めて頂けると幸いです。署名が500人を越えた時点で国連本部及びホワイトハウスにメールしてください。
  usa@un.int
  president@whitehouse.gov

 Apparently, non-essential personnel is now being evacuated from the US embassies in the middle east.
  This means war is about to start.
  All it takes is 20% of us to CRY OUT AGAINST WAR, but the US government says our numbers are only 2%.
  US Congress has authorized the President of the US to go to war against Iraq.
  Please consider this an urgent request.
  UN Petition for Peace, Stand for Peace.
  Islam is not the Enemy.
  War is NOT the Answer.
  Today we are at a point of imbalance in the world and we are moving toward what may be the beginning of a
THIRD WORLD WAR. If you are against this possibility, the UN is gathering signatures in an effort to avoid a tragic world event.

**Please COPY (rather than Forward) this e-mail in a new message, sign at the end of the list, and send it to all the people whom you know. If you receive this list with more than 500 names signed, please send a copy of the
message to: usa@un.int <mailto:usa@un.int> and president@whitehouse.gov <mailto:president@whitehouse.gov>
  Even if you decide not to sign, please consider forwarding the petition on instead of eliminating it.

1) Suzanne Dathe, Grenoble, France
24) Anna BASSOLS, Barcelona, Catalonia
32) Monika Sie! genthaler, Bern, Switzerland
33) Mark Philp, Glasgow, Scotland
34) Tomas Andersson, Stockholm, Sweden
60) Andrew Harrison, New Zealand
65) Magnus Hjert, London, UK
67) Madeleine Stamvik, Hurley, UK
68) Susanne Nowlan, Vermont, USA
357) Haruyasu Kase, Japan
358) Kouhei Hata,Tokyo,Japan

* 世界中があたかも「世界戦争劇場」になるのは願い下げにしたい。テレビ等のマスコミが報道の名に借りて、ここを先途と「戦争劇場」風に問題を拡散し先 導しいたずらな興奮に誘い込むのは控えて欲しい。なにかしら、日本ではまだ「よそごと」「ひとごと」ふうに話の種ないし飯の種にしている。ほんとうは危険 が自分自身の身近に溢及んでもおかしくないのだから、より冷静でありたい。静かな声と言葉を送り合いたい。

* わたしの国史は、いま最澄と空海に到っている。この偉大な二人が、仏教者として開発した創造性や新展開ではむしろ貧弱であったこと、しかし、その理解 と展開、その事業的な大発展力という点では卓抜であったこと。北山茂夫氏のこの指摘は、かねてのわたしの感想と、しっかり重なる。仏教文化を背負った平安 初期の「政客」ですらあったように感じる。桓武天皇の政治には、坂上田村麻呂と、この最澄空海の登場がどんなに大きかったかを思う。

* そして明石で生まれた姫君が、紫上のてもとにひきとられたところを、夜前というより今暁に、こころよく音読した。巻は「薄雲」のはじめ。そして、やが て藤壺尼中宮の死が光を悲嘆に誘う。源氏物語の悲喜こもごもを運んで行く立体的な叙述の妙は素晴らしいというのほか無い。


* 三月二十日 つづき
 
* とうとう、戦争が始まってしまいました。
 独裁者の存在はゆるされるものではありませんが、われこそ「正義」と思いあがる独善も、他国を戦乱の巷と化して省みない神経の荒さも、これまた、ゆるさ れるものではありません。
 人間ひとりびとり――自国の兵士も含めて――が、ブッシュには見えていないのでしょう。わらったり泣いたり、本を読んだり、お菓子を焼いたり、恋人と抱 きあったりしている生きた人間が。
 彼の地は、いま、砂嵐の季節とか。砂嵐に天も地も暗い荒野に、わたしも立っている。火薬のにほひ、血のにほひが闇の彼方からただようてくる――。
  常に何処かに火のにほひするこの星に水打つごときこほろぎのこゑ  齋藤 史
 二〇〇〇年の年頭に発表されたうたです。  筑波

* 斎藤史のなんて佳い歌であろう。この下の句をわたしはいつも胸の一点に抱いている。

* 三原誠「たたかい」  秦様、いい小説を読ませていただきました。話もいいが、過不足なし、ペーソス、ユーモアもちりばめ、肩張らず、落としどころも 決まり、手並みいたく感服。こんな風に書けたら、書いてみたいと感じました。(イラク)開戦の晩に(反戦の)名品にふれた感慨、感動は深く、忘れえぬもの となりましょう。よくぞ見つけられた。感謝。

* 校正をお願いした同僚委員のメール、心嬉しく。良い作品なのである、ほんとうに。わたしの起稿にたくさんのミスがあり恥じ入るが、これを掲載できるの は欣快隠しがたい。
 一方、じつは困惑しているが、先日理事会で、その人から話題に出て桜井忠温「肉弾」のプリントが届いた。だが、これは「反戦」室に入れるにしても日露戦 争なのであり、それは構わないが、作品が反戦というより忠良なる陛下の兵士の、好戦とも謂うまいが全く戦闘的な烈しい作品なのであるから、とても「反戦」 作品とは扱えないとわたしは思うのだ。その副会長は、どうしてこんな作品を送ってこられたか真意が分からない。とても文学的に良い作品だという意味でなら いいのだが。「ペン電子文藝館」は好んで「戦争文学」わ集めようと決めたのではない、「反戦・反核」の気持からそういう名作や秀作を揃えたいと決めた。た だの「招待席」に良い作品として加えることにしたいが、それにしては総ルビで長い。全編は無理だろう。

* 現役学生クンの投稿に。

* 小説、ゆっくり読みました。これは、言わねばならんことが、山ほどある。わたしが文藝編集者の場にいて投稿されてきたこの作品をみれば、純文学として も読み物としても、即座に「没」です。その理由を挙げると、つまり山ほど有る。ま、いきなりサマになるということは、難しいのだから落胆しなくていいが、 自信作の積もりだったら冷たい水で顔を洗った方がよろしい。
 書かれてあること、これまた学生たちの書く小説では山ほど有る、ごく普通のありふれた中身です。それは構わない、それならそれなりの魅力を別のことで発 揮すればいい。一つは、文体と文章で。一つは、展開の妙で。一つは生
き生きとした情景や状況の表現で。一つは、読後に残る深い共感と余韻で。つまり作者ならではのモチーフで。そして、佳い題で。
 その、どの一つも及第していない。文章は無数に推敲の余地がある。
 展開は平凡な経時的報告で、小説としてはいちばんのポイントになる「合い鍵拒絶」の心理的生活的な面はなにも分からない、ただ彼が二度と来なくなったと いう意志表示だけ。
 これは、「あたし」という女の側からしかモノが書けない不自由さにより、彼の内心や行為に筆が使えないのだから、彼が喋らぬ以上は当然の結果です。ここ に語りの視点・立場という問題が出てくる。一人称の物語は、意外に難しいのです。これは物語なのです、作者が神の立場には立っていない。「あたし」の語り だけで終始してしかも面白く深くというのなら、もっと強烈な把握が必要です。
 冒頭に「列車」とある。「電車」ではない。アパートが車内から見えて、駅にも近いとある。例えば環状線内的な都会なのか、アパートのほかには田園的風景 の拡がる郊外電車の眺めなのか、新幹線列車の沿線なのか。一例が、こういうトコロも把握していないか表現されていないか、「列車」一語の語感に、責任が取 れていない。その他、此処でほんの半行一行あると情景が具体化して物語が生きるのにという描写が、たくさん落ちている。
 なにより、短編小説は、作者の動機からなにが感銘として、或いは問題として投げかけられてくるか、それはモノゴト的具体でも、カンジ的気分でもいいが、 つまり何を書いたの、ということ。むろん演説の必要もなく、つまりはそう
いうモノの何も無いことの表現でもいいけれど、作品であるからは、話が面白かった、話の筋はとくべつ面白くないけど作者の書き方に胸打つモノは有る、読ん で良かった、といったどれかが読者に届いて欲しい。上手だなというだけ
でもいい。
 このカタカナの題は、いまどきありふれて新鮮でないから、読み物としても惹かれないし、純文学にもなりにくい題です。題は、頭のはげるほど思案します、 書き手は。大事です。
 どっちかと言うと、これはとてもエンタテイメントでなく、私小説的独白です。それならそれで文学としての藝が大切。
 最後に重いこと、一つ。男性作者が「あたし」で書くには、「女」が見えていない。それはまずいきなりは無理です。男が「男」として物語ることを避けず、 そこで表現の技術を磨く方がいいかも。
 私は、私小説ふうにフィクションを書くことで作品にある種の安定したリアリティを確保したかった、書きかけた頃。だから妻子の名前は実名をあえて用い、 立場の揺れを防ぎました。妻子は迷惑したけれど。
 未熟な習作時代は、自分からあまりかけ離れると、ウソもまともに書けない。女の「あたし」にしてみたら、うまくフィクションになれる、という簡単なモノ ではないからです。新潮の昔の編集長は、筆名で書くことすら作品を弱くすると私に禁じました。ずばっとハダカになったと見せて思い切った別次元を創り出せ ということです。人からは、よくもあそこまでホントのことをと、言われるほどのウソが書けるには、それなりの仕掛けと覚悟が要るのです。「あたし」へ逸れ て斜に構えると、「あたし」の「あたし」らしさの表現にふりまわされ、他がみんなお留守になる。この作品はそうなっています。そしてごくありふれた普通の 若者の普通の付き合いと普通の別れとになっている。これでは感銘は残らない。真っ向から自分(の何か)を彫り込むように。私小説を書けという意味ではな い。
 というわけで、これはかなりマジメに胸におさめて欲しいし、落胆する必要は少しもない。いきなりは書けない。
 「付き合い」小説でもいいが、それは「恋愛」小説ではない。新世紀の恋愛小説が、どういう傑作をもたらすか、それを読んでから死にたいモノです。たとえ ばの話。

* イラク攻撃は午前中にも始められて、戦争状態に入った。「世界戦争劇場」かのように各局ともに興奮して喚き合っている。おかげで、「ひばりの時代」の 二回目が流されて延期。つまらなくて、機械の前に。『青春短歌大学』下巻を十数枚分書き進めた。授業の資料を読み返しながらの書き進めで、手が煩わしい。 しかし、我ながら佳い詩歌を選んでいるので、学生諸君の解答を見直しながら作品に思いを籠めて行くのは楽しい。何よりも心静かである。  
* 明日はお彼岸の中日で、お墓参りです。娘と一緒に、恒例の牡丹餅(春はこう呼びますね。猪の形に似ていて牡丹が語源とか)を、沢山作りました。お一つ どうぞ召し上がれ。


* 三月二十一日 金 彼岸中日 快晴

* 快晴なれど、長閑そうに飛ぶ飛行機の遠い音も、なぜか忌々しい。戦争。早く終われ。昨夜もおそくまで国会があった。野党の質問と問詰に理があり、首相 の疲れ切った棒読み答弁のなかみは、悪く硬直して自己正当化に終始。困ったもの。

* 御本届きました。ありがとうございました。
 今日は用事で上野に出かけ、途中「米英、イラク攻撃」の号外を手渡されて、暗い気分で帰ったところ、郵便受けに御本を見つけました。以前新聞で東工大で の授業の記事を見て、「こんな授業を受けたいな」と思ったことを想い出しました。明日から楽しみです。
 かなり前ですが、平凡社で出された「秦恒平の百人一首」を本屋さんに注文したところ、絶版といわれてそのまま諦めていました。他に方法がありましたらお 教えください。
「最後の弁護人」が終わってしまいましたね。とても楽しみました。今風に言うと、私、推理劇オタクなのです。本も好きです。見るだけの側の人間として、創 る側の方の才能に感心し、憧れます。
「最後の弁護人」でひとつだけ気になったのはスタッフ・キャストの名前が見にくかったこと、私が親だったら怒りたくなります。
 もう一度お礼申し上げます。  市川市

* 幸いに「最後の弁護人」は総じて好評であった。その他の連続ドラマが、たいてい根無し草のようにふわふわした筋書き本位のツクリモノなのに比して、画 面の質(クオリティ)本位に「表現」に徹したのがよく、一つの「作品」としてだんだんに落ち着いて仕上がっていった。文学的に謂えば、推敲が利いた。「ム ダを省いてテンポを的確に、独特の映像化文法をもつこと」とよく本人に話してきたのが、それなりの成果をもった初の仕事になった。建日子のホームページ で、落ち着いて「総括と反省」をしていたが、その語調も、ようやくミーハー的未熟を抜け出そうとしている。観衆におもねったような、意を迎えた客寄せトー クばかりしていたが、三十半ばの「作家」の言葉とは読みづらかった。自分で自分と静かに語り合うのを、聞く人は聴き、読む人は読む。それでいいのではない か。彼が自分で自分を意識して「作家」と書いていたのを、はじめて読んだと思う。そこまで来れているかどうかは別として、自覚は必要であった。「どうせ」 型の言い訳はもう通らない。
 落ち着いて、マジメに。それだけで仕事はずいぶん良くなる。次の飛躍へはまたその時々の覚悟が出来てくるものだ、アセル必要はない。

* 老境をあるがまま自然に送り迎えていて、いったい「うきうきする」楽しみがあるのかと人に聞かれた。
 この尋ねてきた人は、もう此の世に残り少ないからこそ、「もっともっと」新しいことに触れて、識って、したいし、遊んで楽しみたいと言われる。旅も一人 旅なんて寂しくてつまらない、数人で連れて行けばこそ、はじけるように楽しいと。それでいいと思う。
 わたし自身は「もっともっと」とは、もう思わない。六十年の間に楽しみ身に帯びてきた同じものを、叶うなら、静かに繰り返し味わいたい。本も、だから、 新しいものをもっと読みたいというより、既に身に刻まれたものを、読み返して楽しみたい。残り少ないからこそで、退嬰的だとは考えない。繰り返しの新らみ を説く谷崎『藝談』に学んだ感化は、深い。
 今更に新しいもの・ごと、未体験のもの・ごとを、「もっともっと」と追ってみても、たいていは食べ散らかすような、浮いた薄いものになりかねない。い ま、源氏物語を、思い立って連夜音読しもう「薄雲」の巻まできているが、これが、どんなに「嬉しい」日々の楽しみになっているか、数重ねた源氏読みの体験 の中でも、とびきりである。積み重ねたものが有ればこそだろう、ま、それにばかり固執する気でなく、新しい好奇心もあるからインターネットにもペンの活動 にも打ち込んでいるが、基本は、「もっともっと」ではない。また「ひとり」をツマラヌとは考えていない。一人旅や一人酒はそれなりに心よく、二人酒も二人 旅もいい、が、それ以上は五月蠅くて叶わない。
「少しはお付き合いです。世の中それで潤滑に回転するのです。キラクとんびだと云われれば、ソレまでの事」と、そう覚悟のある人はそれでいいのである。
「育った家庭環境と想像力豊かなあなたならこその日常なのでしょう。強い人、言い換えればガンコな人、と言えば云えます」と。そうなのだろう。人、それぞ れでいい。「ある高名な女優さんは『生涯学ぶ』を座右の銘としている」とあって、それはエライことであるが、「学び方」も、人それぞれ。フィロソフィーは 誰にもあり、誰にもあるものは、それだけのもの、拘泥には及ばない。

* 布谷君来訪、午後いっぱいかけて親機にプリンタを接続稼働可能に、また子機のCドライブを通して部分的な不具合に対しOSという「命」を吹き込んでく れた。Cドライブが刷新されて失ったのは、ニフティサーブぐらいもので、主要なDドライブのそのままが生き残った。外付けもスキャナも新たに子機に設定し た。おかげで新しい機械を買いに秋葉原まで行かずに済んだ。夕飯に一緒に出たかったが、布谷君は秋葉原で買い物したいと、帰っていった。休みの日に遠方ま で、有り難いことであった。ほんとに有り難いことである。

* 「招待席・反戦室」三原誠『たたかい』を読みました。
 気が付いた起稿ミスの箇所は、すべて**さんのご指摘にはいっています。
 芥川賞候補だったのですね。とても面白く読みました。声高な糾弾よりも、このような作品の声の方が、はるかに心に訴えますね。しかもそこに人間本来の弱 さが哀切溢れる筆致で表されていて。

* 同僚委員の通読しての声である。三原さん、泉下で喜んでくださっていようか。もう、すぐ、「ペン電子文藝館」で読める。念のために、またアドレスを書 いておこう、無料公開である。「招待席」か「反戦・反核」室を開いて欲しい。
 http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/

* 本日、湖の本『東工大「文学」教授の幸福』を頂きました。どうも有難う存じます。
 早速少し読ませていただいたところですが、小生も*大にて教授をしていますので、大いに関心があります。
 実を申せば、だいぶ前、どこかの新聞紙上あるいは文芸誌かで、秦さんが東工大で授業の際、毎回短歌や俳句を一つ、漢字を虫食いにして出し、学生たちに考 えさせているという記事を読み、これはいい方法だと、小生もさっそく連句の授業(毎年1年かけて歌仙を巻く授業を持っています)で、「俳句クイズ」と称し て真似をさせていただき始め、すでに何年かになります。
 いわば無断盗用、家元に御挨拶もせずで、まことに失礼いたしました。おかげで、学生を俳諧に慣れさせる上で役立っており、授業の人気も地味ながら上々、 全国でも数少ない年間を通しての連句授業として定着しています。
 尤も小生の学生は1年に40人ほどで(ゼミは別にして)、秦さんの4年で5千人なぞとはけたがちがいますが。
 残りもこれからゆっくり拝読いたします。まずはお礼まで。      神奈川県

* いろんなことの渦巻いたように感じた一日だが、機械を良くしてもらったのでそう思うのだろう、自分ではさしたることもしていない。ほっこりと疲労感が ある。少し興奮したのだろうか。

* 光仁・桓武・平城の三代、嵯峨・淳和・仁明の三代。一続きでありながら、前者は政治的に天皇親政=平安王政を引き締めて力があったし、後者はその基盤 に文化の花をもたらし、やがての平安王朝へと道筋をのべた。しかもこの六代の特徴はまだ和風ではない、明白な唐風。和歌でなく漢詩。連綿のひらがなへはま だ遠く、三筆の真名=漢字文化であった。万葉集以降、古今以下の八代集和歌には親しんでも、この時代嵯峨天皇の好尚に応じて花咲いた文華秀麗集などの勅撰 漢詩集のことは忘れがちである。著しい唐風の模倣とはいえ、もう血肉と化し、美しい落ち着いた表現も多々見られて、今読み直してもとても懐かしい。嵯峨天 皇はもとより、小野岑守、菅原清公、また有智子内親王など。その周辺に大きな蔭をなして存在感のあった、空海。すべて古今和歌集以前の盛事であった。経国 の大業であった。
「日本の歴史」を面白く、身を入れて読み進んでいる。思えば秦の祖父か父のか、蔵書の中にあった質素なつくりの「日本国史」を、綴じ糸がバラバラになるま でわたしは愛読し耽読した。国民学校のまだ丹波への疎開以前だ、懐かしい。いままた、日本史に惹き込まれている。


* 三月二十二日 土

* 冷え込んで。遊びに出掛けたいと思ったが風邪を引きかねないので、断念。払い込みが好調に届き始め、心配したよりも今度の本が親しまれ楽しまれている のに安堵している。なにやら自分も「幸せ」に楽しくという通信欄の書き込みもたくさんあり、また、それと別に、わたしのホームページを日課の一つに組み入 れて「必ず読んでいます」という便りの多いのにも驚かされる。機械の故障でカウントが御破算になったのがもう何年も前であるが、あのころ、すでに一日に百 から百数十はアクセスがあり、僅かの間に数万になっていたから、引き続いてカウントしていたら、とうに十万どころではないだろうが、そういう数字に左右さ れるなんてイヤなことと思い、カウント続行の気持は捨てた。建日子が、けっこういろんな人が見ているからと、だから「お手柔らかに」と口にしたとき、ビッ クリした。彼の社会圏とわたしのとでは、ほとんど触れ合っていないのだから。ま、いい、わたしは「私語」しているだけのこと。

* こんばんは! 本が届きました。どうもありがとうございます。とても嬉しかったです。来週送金させていただきます。
 毎日、先生の文章を読ませて頂いていますよ、食事をとるごとく欠かせない大事な日課となっています。
 戦争の事で私も心が痛みます。二十一世紀こそ平和でいられると信じていたのに…。控えめではありますが、“行雲流水”で自分なりに主張しています。
 ところで、6月から琉球放送で中国語関連の番組を持つことになりました。皆様のお力を借りながら、精いっぱい頑張るつもりでおります。
 立春とはいえ、東京は寒い日がまだまだございますことでしょう、くれぐれもお体をお大事になさってくださいませ ! かしこ      沖縄

* 東工大の頃はまだたどたどしかった日本語が、こんなに、流れるように美しくなった。

* 「ひばりの時代」第二回が「哀愁波止場」を芯に放映され、懐旧の情をも圧倒するひばりの歌の魅力に、胸をつまらせた。歴史的な盛況であった沖縄公演を 全身でなつかしむ人達の中で、一人の女性が、インタビューに答えて話し終えた最後に、声にも成らない小声で、おそらく誰も聴き取れなかったろう低い声で、 「かわいそうに」と呟いたのにわたしは泣いた。むろん、ひばりの「夭折」とすら謂いたい若い死を嘆じたのであろう、わたしも同じ思いで、彼女にあらぬ薬剤 などをすすめた悪しき民間療法を憎むのである。
 今ひとつ、「哀愁波止場」ほか数々のひばりの名曲をつくった作曲家船村徹が、番組のおしまいに、美空ひばりに限っては、彼女の天才が歌唱力に有るは当然 としても、その上越す魅力は、「文学的に」言葉を読み込み「独自の世界を幻出させうる」天性の資質だ、天才の最たる秘密はそれだと言い切ったとき、感動し た。それは、何十年来わたしの力説し切言してきたひばり理解とピタリと重なっている。そうなのである、その通りなのである。ひばりが「夜の波止場にゃ誰も いない」と歌えば、みごとにその世界が幻となり目の前に現れる。どのような歌、中には実に程度の低い歌詞もいっぱいあるのに、ひばりは「言葉を読み込む」 天才で、それを歌に生かしてしまう。
 番組を見ていて、強いてわたしが、かくもあらばと深望みするのは、出てくる証言者たちのどの人もこの人も、いかにもひばり好きのうなづける人達ばかりで はあるけれど、実に意外な、意想外な、意表に出たひばり歌謡の心酔者も出てきて、ひばりを大いに語って欲しいのである。じつは、わたしなども、そういう一 人では無かろうか。「わたしだって話したい」という思いが、珍しくも、ひばりに限っては思い滾れるのである。
 ひばりちゃんは、わたしの「命」ですねと静かに言い切っている女性の声と表情に、わたしもまたほぼ同感していた。少なくもひばりと同じ時期を生きていた 巨人の長島にも映画の裕次郎にも、とてもそんな思いは持てない。そういうことの言えるのは、家族をおけば、美空ひばりと源氏物語だけではなかろうか、そし て京都か。

* 明日は暖かいと。桜も咲き進むだろうか。四月一日の三時五時に文藝春秋西館での「知的所有権委員会」に招集がかかった。委員長の三田君が例の延々と演 説しないでくれるといいが。夜桜の丁度宜しい頃かと思われるが、花見だけは、ひとりで人波に揉まれて歩くより、いい連れと手など繋いでそぞろ歩いてみたい もの。その前に、一泊とんぼ返しの京都行きがある。圓山の花はどうかしらん。来週は、電メ研も、定期診察もある。


* 三月二十三日 日

* ホームページの転送が途中でストップし、昨夜深夜にだいぶ苦労した。おそらく、アップロードの「量」的な限界に触れているのであろう、わずかだが入っ ていた写真図像類の殆どを削除して、パス。急遽40MBのところを60MBまで増量申請した。実際に37から8ほども使っていた。機械がやたら重かったの も、そのせいか。
 さし当たり「私語」が転送できて、よかった。やはりホームページは、開けば少しでも更新されていて新しい記事の読める方が、つい、気も向かうというも の。

* 好天で暖か。郵便局から先へ少し自転車で走ろうとしたが、昨日もそうだったが、すぐ息が上がって疲労する。信じられないほど体力が落ちている。
「保谷武蔵野」という、保谷には珍しく佳い中華料理の老舗があったのに、すっかり庭園もろとも更地になり、スカイラーク風のファストフードっぽい店舗に変 わるらしい、ガッカリし、よけい元気が失せてすぐ家に帰った。
 京都の平安高校が甲子園で山口県宇部のチームと対戦するというのを待って見始めたが、簡単に平安が勝ちそうで、中途でやめた。
 郵便局へ走る前にふとビデオでみはじめた、ルート・バウアーと大好きなミッシェル・ファィファー共演の、「レディ・ホーク」が佳い映画で、その感銘が、 どうやら今日のわたしの気分の、ベースになっているらしい。至純の恋愛映画。幻想的・浪漫的・神秘的な物語。邪悪な司教の横恋慕から呪いをかけられた美し い恋人同士が、女は、日の出とともに鷹にされ、男は、日没とともに狼にされ、人の姿ではほんの数瞬をしかお互いに認めあえない。鷹と狼とが力を尽くして呪 いを解こうと苦闘する中世物語が、静かな田園や林や城下町や、城内で繰り広げられる。どこからどうみても、これは、わたしの好み。「ダイハード」や「リー サルウェポン」のような活劇だけが好きなワケではない。愛蔵の一つで、永久保存用にビデオの爪も欠いてある。
 やはり心を洗われるのは佳い恋愛物で、有りそうでなかなか無いのも恋愛物。いまどき「恋愛」しているらしき若者も、聞いてみると「付き合っている」のが 多い。
 われわれ年寄りの「付き合い」とは、昔から近所づきあい友達付き合い親類付き合いのそれであったが、いまどき「付き合ってください」とは、ほぼ正確に 「性的関係になりましょう・なっている」の意味なのは、わたしが早稲田文藝科のセミで学生たちの小説をたくさん読んでいて分かったことだ、もう十六七年も 昔から、そういう気配が若い人間関係に浸透し始めていた。「つき合って下さい」「お友達から」という断りようが、交際の始めに使われるのも、性的関係への 容易な移行を前提にしている。全部が全部ではないが、しかし「付き合う」には、お互い其処までの覚悟をしているようだ。そして飽きたら「付き合うのをやめ た」仲になる。モトカレとかモトカノジョとか謂っている。みながみなではない、が、そうのようである。
 そういう時節だから、恋愛映画や恋愛小説の質のいい作品は、所詮、期待しにくい。「嵐が丘」「椿姫」「若きヴェルテルの悩み」「狭き門」「戦争と平和」 「復活」「谷間の百合」のような十九世紀風大恋愛はいまや容易でない。いまは「結婚できない症候群」の時代の前に「恋愛できない症候群」の時代なのだ。
 そこへ行くと、この「レディ・ホーク」はエッセンシャルな恋物語であり、しかしその表現には、これだけの神秘的世界を先ず設定する必要があった。
 日本の創作で、匹敵する恋愛物の大作・名作というと、どの分野でも、じつはとても寂しいものである。鴎外、藤村、漱石、谷崎、川端、思いつく限りの大作 家に、ほとんど至純な恋愛の大作品が無い。

* 50代の秦さんと、ティーンの学生さんは、陽光輝く春の日射しか、熱い炎のよう。まるでカツレツか天プラ。雀は、胃の辺りを押さえ、前屈みに心身とも に参りました。
 秋が好き、夕日が好き、水にひかれる雀が、調子を崩して、今はただもうその熱に圧倒され、いつよりも読めず、進めず。ご本を閉じてしまいました。
 いまは「もらひ子」の途中。しばらくほかのご本を道草(菜食)します。

* 話はまるで変わるが、日本の歴史を読んでいてキッパリしないのは、女性の名前の読み方。式子内親王をたいていのひとは「シキシ」内親王と読んでいる。 もちろん定家を「テイカ」とも読んでいるのは、「さだいえ」ではないと思ってではない。だが、式子内親王の場合は「シキシ」と読むのが正しくてそう読むべ きだとすら大勢が言う。常識だという。
 そうだろうか。わたしの「T 先生」である角田文衛博士は、それは間違いだ、そんなふうな読み方が「本来」ではあり得ないと力説され、わたしも、もともとそう思っている、でなければ、 藤原良房の娘明子、が「メイシ」ではなく、史料にも「アキラケイコ」であるというワケがない。明子は「アキラケイコ」でありながら、同時期の紀名虎の娘静 子は「セイシ」であるなど、おかしいではないか。
 平城天皇に愛された薬子は「ヤクシ」でなく「クスコ」「クスリコ」が正しいと思う。たしかに今どき、明子を「アキラケイコ」と難しく読みはしない、が 「メイシ」とはまして読まないだろう。だからこそ平安時代の順子でも彰子でも、今となれば正確なもともとの読みは付けにくいにせよ、やはり「ジュンシ」で も「ショウシ」でもなかった、たぶん「よりこ」「あきこ」などと読んだに相違ない。かりに明子を「メイシ」と称える場合が有るとしても、それは、定家卿を 「テイカ」と、父親俊成卿を「シュンゼイ」と呼ぶこともあるのに準じていると思う。清少納言の仕えた定子皇后も、時に便宜にないしは敬って「テイシ」であ ろうと、親たちはたぶん「サダコ」と名付けていたに相違ない。北条政子にしても、だれも「セイシ」とはいわない。建礼門院徳子も、「トクシ」でなくたぶん 「ノリコ」とか「ナルコ」とかが本来の名乗りだと思われる。藤原鎌足が妻に得た采女「安見子」でも、「ヤスミコ」と誰もが読んでいる。常識だといわれるも のが真に伝統であるなら、今でも美智子皇后は「ミチシ」雅子皇太子妃は「ガシ」でなければなるまいが。ばからしい。
 気になることを書き留めておく。

* ジョディー・フォスターの出世作「羊たちの沈黙」は見せる映画だったが、女優が交替しての後続作らしい今晩の「ハンニバル」も、前面に主役のアンソ ニー・ホプキンスが出て来て、わるくなかった。きもちわるいけれど。

* わたし自身の小説作品も、腰を据えて、ほぼ思うように輪郭を大きくしつつある。自分で読みたいから「読みたい」作品を書いている、そう言えるように仕 上げて行きたい。もう少し放っておいて欲しい。わたしは少しも急いでいない。


 * 三月二十四日 月

* 千葉の卒業生が、地元の清酒を二本贈ってきてくれた。絞る前の、自然に雫する酒を吟醸しており、フレッシュそのもの。くうっ、と、酔う。ありがとう。

* 暖かいが、花粉も。どこへも出ないで作品にかかっていた。イラク戦争は侵攻すさまじく、世界は劇場化している。凄まじいとはこういうこと。

* 待っていた「私語」がバルセロナから聞こえてきた。

* カタロニア国  2003.03.23
 戦争が始まってしまった。この日の来るのを予測しなかった人は、いなかったかもしれない。個人の無力さを痛感し、諦めに似た思いを抱いている人々も、ど れだけいるだろう。それでも、デモに繰り出すバルセロナ民衆の波は途切れていない。褪せないエネルギーに、正直、私は驚かされた。
 わずか27年前、スペインは40年間続いたフランコ独裁政治に幕を閉じた。
「(戦争反対などと言っている此処の人間は)独裁者の国に住んだことがないから、民主主義がどうってことかわかってない。」と批判した人もいたが、とんで もない、彼らの多くが独裁政治下を生きてきた。この戦争にまつわる出来事も、彼らの記憶に「あの時代」を強く呼び起こさせている気がする。
 フランコ時代、バルセロナを中心とした「カタロニア」地方は、彼らの言語「カタロニア語」を禁じられ、首都マドリッドの反逆児として、厳しい制裁を加え られ続けた。4分の1世紀を経て、その歴史は忘れ去られるどころか、カタロニアナショナリズムに姿を替えて育っている。
 今その「カタロニア州」では、スペイン政府与党と手を組むことの多い州政府与党「保守党」まで、戦争に反対を表明している。カタロニアが恥知らずのスペ イン傘下にいるなんてとんでもない、という思いと同時に、人々は新たなアスナールという独裁者到来に反発している。
 反戦を訴える人々の署名を見たら分かる。「バルセロナ」に続く国名に、「カタロニア」と書かれているものがどれほど多いことか。
 あるカタロニア人が呟いていた。あの独裁時代、我ら市民を憐れんで、我々を独裁政治から「解放」しようとした無法な外国がなくてよかった、と。
 
* この数日前、フランスに発したらしい反戦のメッセージに、私の所へとどくまてに四百人近くが署名していたが、気付いた人も多かろう、何人も何人ものス ペインの人たちが、「スペイン」という国名の代わりに「カタロニア」と書き込んでいたのを。バルセロナの「小闇」がそれに触れて一言「私語」無くてはなる まいにと期待していた。
 
* 言論表現委員会の同僚委員でもある吉岡忍氏からは、あらまし下記のような反戦の催しを呼びかけたメールが届いている。

* 【〈反戦と表現の自由〉大爆発! ピース・テント 悪法おだぶつ村】
日時 3月27日(木)〜30日(日)
場所 浄土宗「光源寺」(通称:駒込大観音)
呼びかけ 個人情報保護法案拒否!共同アピールの会http://bustersjapan.org/
主催 悪法おだぶつ村実行委員会
趣旨
 戦争が始まった。
 巨大な〈アメリカ帝国〉が、かつてみずからが裏で操っていた独裁小国イラクに襲いかかっている。
 たくさんの人間が死に、傷ついていく。
 気にくわなければ、圧倒的な軍事力で片をつける――ブッシュ政権のこの横暴に、私たちは反対する。
 小泉政権はアメリカの戦争政策を支持する、と言明した。
 私たちは〈帝国〉の〈パシリ〉となった小泉政権の無分別を強く批判する。
 電子テクノロジーを駆使して一人ひとりの人間を監視し、強制力を背景に危機を管理し、治安を維持する――この勢いが、日本でも強まっている。その手はじ めが「個人情報保護法案」と「住基ネット」だ。
 個人情報保護(修正)新法案は言う。「あなたには、行政機関にあるあなた自身の個人情報を管理する権利はない」「行政機関を監視する第三者機関は設置し ない」「民間の個人とNPOと企業は、他人の個人情報をある程度使っていれば、誰もが個人情報取扱事業者である」「あなたは、主務大臣(警察)の助言・勧 告・命令に従わなければならない」「従わなければ、懲役6カ月か罰金30万円に処す」
 これは、政府と行政が、住基ネットを中心に個々人の個人情報を一方的に管理・監視するということだ。
 これは、政府と行政が、パソコンやケータイを使って個人情報を扱っている個々人を監視・監督するということでもある。
 こんな法律ができてしまえば、表現の自由はなくなってしまう。
 民主主義は息絶える。
 グローバルな規模で、力ずくの無法がまかり通っている。
 この国でも、力ずくの悪法が国会を通ろうとしている。
 ふたつは、ひとつだ。
 一方が他方を規定し、他方が一方を補強する〈政治文化〉となって、世界と日本を覆い尽くそうとしている。私たちはこの現実を拒否する。私たちはこの現実 を押し返したい。
 では、具体的に、私たちは何をするか。
▼駒込大観音に巨大ドームテント+屋台を設置
▼個人情報保護(修正)新法案の廃棄を求めるハンスト
▼ブッシュ政権と小泉政権を徹底批判する大討論会
▼反戦と戦争即時停止を求める徹夜ティーチイン
▼北朝鮮問題を独自に考え抜く〈在日〉たちをまじえた論戦
▼住基ネットの危険を読み解き、引導を渡すシンポジウム
▼マスメディアの意地と臆病をえぐり出す記者・編集者全開無修正トーク
▼反戦と表現の自由を語り、歌い上げる各種のイベント
 などなど、である。

* イラク関係で「ほら貝」加藤弘一さんから情報が流れてきている。

* 加藤@ほら貝です。イラクがらみで、サイトの改竄があいついでいるそうです。アメリカ海軍のホームページまで被害にあっているというから、かなりの腕 前なのでしょう。反戦メッセージに入れ替えたり、ヒトラーや鉤十字の写真を貼りつけたりと、なかなか派手です。
 イスラエルではサイトの検閲をはじめたそうです。
 お約束のウィルスも登場しました。イラクの衛星写真だというタイトルで、ウィルス入りメールを送りつけるという手口だそうです。

*世界中この手の「情報」がどれほど飛び交っているか、まさに濃密で多彩な、毒もきつい蜘蛛の巣のように。
                   
* 美空ひばり番組「繁栄のなかの悲しい酒」で、ひばりの名曲を反復聴き、涙で眼が煮えた。この歌、スローにスローに引っ張ってひばりは歌う。きまって涙 も流す。けれども歌はビクとも揺るがない。どんな他の歌手でもあの真似が出来ない。藝である。


* 三月二十五日 火

* こんばんは、 **です。春うららの一日でした。気分がうきうきしてきますね。
 どういたしまして。千葉のお酒第二弾も喜んで頂いてうれしいです。
「福祝」とべつの、もう一本「上総掘り」は個性的な濃厚辛口です。かといって、きつい味がするわけではないです。どちらの方が先生の好みでしたでしょう か。
 上総掘りは深い井戸を掘るための技術で、良いお酒の源になっているそうです。干ばつの多い外国にも技術輸出されているそうです。大型機械を使わず掘ると ころが良いみたいです。
 またご連絡致します。

* 昨日の内に、少しずつ少しずつと言いつつ、ほぼ「福祝」を一本飲んでしまった。血糖値を案じたが、今朝、111は、理想値。「上総掘り」とはなにごと ならんと思っていた。東工大の卒業生であるなあ。感謝。京都から帰って、ゆっくり戴こう。

* 朝早く起きて、今日の分のバグワンと源氏物語を、読んだ。光源氏と冷泉天皇とが実の父子であることが、藤壺女院の死にあいついで、ひそかに帝に明かさ れる。告げるのは夜居の僧都。このことを知っているのは他には王命婦だけ。「薄雲」の巻は、小説としての結構を巧みに備え、物語世界の大切な一つの結節を 成している。そして面白い。この物語がいかに卓抜なわざと思いに支えられているか、いつまでたっても新鮮な輝きをむしろ増し続けるのは、叙述にゆるみとい やしさが無いからである。
 手垢の付いたきまり文句は、からだ言葉やこころ言葉のようで、頼りすぎると文章が其処から腐蝕し始める。それはお相撲で謂う「引く」「引いてしまう」 「引いて勝とうとする」悪習に似ている。通俗読み物はこの悪習に無反省であることで、程度の低さに媚びてしまう。引いて勝っても相撲は賞賛されないではな いか。

* 今朝のバグワンも、目の覚めるほど胸にしみることを語っていた。真実はメタファー(隠喩)でしか語れない。「のような」「かのように」と。其処で誤解 しては成らない。バラのようなと語られていても薔薇そのものではない。隠喩とは「月をさす指」なのだと。指は月ではない。月は指ではない。宗教は詩にちか く、詩は宗教のように歌い出される、メタファーとして。世上のたいていの詩はそうでなく、ただ説明しているかただ誤魔化している。それは「引いて」勝ち逃 げしたがる相撲のようだ。

* 春の雨。圓山の花は、咲き初めているだろうか。

* 京都まで、過去に例もないほどぐっすり眠っている内に、到着。
 京都も、傘のいるようないらぬ程度の春雨で、桜はどこもまだふくらんだ蕾を仄かに色づかせながら、開花はしていない。東山はしっとり濡れていた。
 京都駅の建物をわたしは新幹線のホームから眺める程度で、殆ど知らなかった。で、地下鉄で、少し中を歩きに行ってみた。かなり変わった建物であるが、昔 は京都駅というとそちらから入った七条口がたいへん立派に出来ていて、駅としては東京の八重洲口駅よりはるかに堂々と美しい。中は広すぎて歩きまわる気を 萎えさせた。佳いモノが出来たら、新しい物好きな京都市民が自慢にして訪れるだろうと思っていたように、旅人だけでなく京言葉の人も大勢歩いていた。デ パートもホテルもある。
 雨が止んでいたので、東本願寺の前を歩いて烏丸京都ホテルまで帰り、ちょっとうまい焼きそばで紹興酒を飲んで、入浴、眠くなったのでさっさと寝てしまっ た。夜中に二度ふっと醒めた。此処はどこだと寝惚けていた。


* 三月二十六日 水

* 七時過ぎに起きて新聞を二紙しっかり読み、朝食。鞄はホテルに預けておいて出た。
 タクシーで神泉苑に。歴史で「平安京」を読み進んでいて、何となく行ってみたくなったものの、平安初期には朝廷の行事を一手に引き受けるほどの広い大苑 池も、今は猫の額ほどにこぢんまりしている、それは知っていた。むかし、あれは「墨牡丹」を書いていた頃にちょっとのぞきに行った。荒れていた、凄いほ ど。
 今日は、総じて手入れ宜敷く見違えるほどこざっぱりと佳い園内であっ。家主然として料亭「平八」が寄り添うように諸事面倒を見ているらしい、けっこうな ことだ。朱に高く反った神橋も新しく、龍頭鷁首ふうの、なかで会食できる船まで池に浮かんでいた。
 神橋のほとりに恵方を向いて祈ると願いの叶うと託宣の小祠があり、また願いを堅くして此の橋を渡ると叶うとも書いてあった。抱き柱を抱かないわたしも、 こういうところで意地は張らない、妻を元気に娘や孫娘に逢わせてやりたいと願いながら、朱の反り橋を渡ってきた。
 広大だったという、その広大さは、二条城が大方を持って行ったといえば分かるだろう。二条城の濠や庭園等の美しさには、どこかしら神泉苑のよろしさが生 いのびているのである。タクシーを降りた二条通側から神泉苑を望むと背景に二条城の大きな樹木が波打ち見えて、さながらに往昔の神泉苑の景観を想像させる に足る。
 近くの二条陣屋をのぞいたが、「本日休業」と。此処は建造物として優に一見の価値があると思うが、専門の諸君の眼にはどうなのだろう。

* さて次はと思い、このまま西へむけば山陰線の二条駅だからと、ゆっくり歩いて、昔とはまるで面影の変わった新駅から、山陰線に乗って亀岡まで行ってみ た。トンネルが六つ、ちらちらと保津峡をのぞきこみ、さて亀岡駅を外へ出てみても、ちょっと疎開していた杉生までは時間的に無理と思われる。
 そのまま、また京都向きに電車に乗り直した。愛宕山寄りの低い山並みが敷妙えて幾重にも遠くながく霞みつつ、大空には雲がはるか高く立っていた。長閑な 田舎である。
 またも、六つのトンネルを抜けるつど濃い碧潭や岩を噛む清流をのぞきこみ、今度は嵯峨嵐山駅で下車。足任せに歩いて長慶天皇陵に参った。後醍醐、後村 上、長慶、後亀山、後小松とつづく南北朝時代の南朝の天皇さんである。この人だけが、このあたり歴代で、名乗りが桓武や文徳ふうに重々しいのはのは、その 理由もあることで。
 この界隈、出版健保の佳い保養所や国立学校の佳い宿泊施設がある。桂川の土手にとんとぶつかるところへ出て、やや右へ行くと国立学校のための施設「花の 家」があり、此処は庭の内をそぞろ歩いてもなかなかの設えに出来ている。臨川寺に入りたいと思ったのが、そんな結構そうな保養施設であった。
 渡月橋へ戻り、人力車のうるさい勧めをふりはらい、暫く橋にもたれて下流の桂川と上流の保津川とをぼうやりと気の遠くなる気分で眺めていた。臨川寺は門 を堅く閉ざしていた。
 琴聴橋にも立ち、「美空ひばり館」は遠慮し、銘菓の老舗「鼓月」の出店で京ぜんざいを食べた。よりによって昼飯代わりにぜんざいというのがわたしの病気 であるが、餅も小豆も甘みもキワだって良かった。満足して、天龍寺や嵯峨野には失礼し、ひなびた嵐電で太秦へ戻り、ひさびさに広隆寺を訪れた。
 清潔で簡素ないい境内で、いきなり講堂で平安初期の国宝阿弥陀如来と左右の脇侍を拝むことが出来た。念仏数十回、心地よくなる。向かって右脇侍のお地蔵 様がすばらしい。暖かい像である。
 本堂にもあがり、さらに霊宝殿へ入る。
 ま、此処ほど贅沢に平安初期の造像になる仏様や守護神の多数居並ぶ宝物館は少ない。本尊千手大観音を真ん中に素晴らしく丈高い立像の十一面千手観音、不 空羂索観音がまず圧倒的に有り難い。その向かい奥の正面には、太秦広隆寺の象徴である清楚きわまりない弥勒菩薩像、また泣き弥勒像を中央に安置して、左右 へ、鍵の手にずらりとならぶ御仏達のどの一つを拝んでも、まことに古代感覚豊かな造像ばかりで、贅沢という二字のいちばん良い意味で酔い心地になる。
 その中でも、秦河勝夫妻神像が佳い。すばらしい。森厳として、小像なのに深く大きい。座像の膝先がともに失せ落ちていてなお、欠損感がない。神像として みても肖像としてみても揺るぎない内面の把握が出来ていて、有り難い有り難いと感じた。
 十六歳の聖徳太子孝養像も充実し、桂宮院本尊の貫目を優に備えている。さらには定朝の弟子長勢作と伝える十二神將群像の、まぎれもない国宝の、渋い、力 満ちた輝き。
 さすがに秦氏の氏寺、太秦と尊称された古寺の貫禄であった。もう一度講堂の阿弥陀や地蔵に拝礼し念仏申してから、面影町の蛇塚は敬遠して、電車に飛び乗 り、四条大宮まで戻った。

* 大宮から、綾小路をぶらりぶらり東行、うって変わった晴天の暖気にうだりながら、荷物を預けた烏丸のホテルまで歩いた。ゆっくり手洗いをつかい、ロ ビーに出て、ぱたりと車椅子の伊吹和子さん(エッセイスト。むかし谷崎担当の中央公論社の編集者)に出逢った。京都で源氏物語の教室を開いているとは聴い ていた。転んで怪我してもう二ヶ月とか。そういえば、今から逢う清水九兵衛さんも転んで足を痛めたあとと聴いていた。
 もう東京へ帰る伊吹さんと別れ、三四十分、喫茶室でたっぷりコーヒーを飲みながら「平安京」のなかの一章を読んだ。律令制が崩れをはやめ、さながら過酷 な徴税吏と化した国司たち、それに対向して郡司や土豪達は、都の権門勢家に土地を寄進し臣従し隷属すらして税をのがれようとし、院宮家をはじめ権門勢家は ここぞと挙って不輸(無税)の荘園を増やして行く。そういう難儀な崩壊現象のなかで、わずかな良二千石と讃えられた良吏も皆無ではない。典型的な一人の藤 原保則、また菅原道真を、参議に抜擢して宇多天皇は関白基経死後の天皇親政に立つ。この天皇は藤原氏を外戚には持たずに一旦は臣下の列にいて登臨した天皇 であった。だが、政局の前途は険しい。この天皇、根は好色の遊び人であった。

* 二時前に京都中信本社に入り、例年の京都美術文化賞の選考会。洋画ではわたしの推薦者に授賞ときまり、彫刻と染織からも一人ずつ。日本画はやや今年は 希薄な感じがした。そこが面白いと言えるが、京都であるから「伝統」本位というわけでなく、かなり選考は「前衛」的に行く。彫刻という分野の名前ではある が、一般市民の感覚や常識からすると、これが彫刻なのというほど「抽象的な造形」がだいたい選ばれる。陶芸でも染織でも、前へぐっと踏み出していないとあ まり問題にされないのは、わたしは良いことだと思っている。中村宗哲のように、さながら京都の伝統のスポークスマンふうに活躍している人でも、それはそ れ、それだけではねと落ち着く。
 今年の彫刻は、メビウスの帯をさまざまに作り続けてきた人だと九兵衛さんの推薦。さ、それが、ただのヴァラエテイであるか一つ一つの創造的作品か。展覧 会がみものだ。

* 石本さんが例の奇妙な猥談風をはじめ、梅原さんがよろこんで唆し、みなで笑い合って、そして別れてきた。そのまま京都駅へ向かい、すぐのぞみに乗っ た。「美術京都」にピンチヒッターで渡した原稿が、はや校正刷りになっていたのを受けとってきた。車中で読み直し、校正を終えた。雑誌論考の執筆依頼が停 滞していて、そのうちに責任者が新任と交替した。下についている担当者が泣きついてきたので、すぐさまに、適当な書き置き原稿の五十枚ほどの物を、テキス トにして機械で送って置いたのが、たちまちゲラに成っていたのである。コンピュータは仕事が速い。


* 三月二十六日 つづき

* 三原誠の娘です。
 先程「日本ペンクラブ」のサイトにて父の作品をアップして頂いているのを拝見いたしました。母から秦さまが私が生まれる前の父の作品をアップしようとし てくださっているということは伺っており、毎日チェックしていたのです。
 母はもちろんPCはからっきし・・・ですが私はネットも毎日見ているのでここのところ、どきどきしながらPCに向かっていました。
 秦さまのお気持ちに深く感謝いたします。
 今回の戦争については私も人生初めて「?」という疑問符が拭いきれず自分なりの方法で意思表示をしています。
 父は生前「お前の子供の世代は知らんが、お前が生きている内には戦争があって欲しくない」と、自分勝手な(?)言葉を口にしていました。今、残念ながら 私も、父が目にすることもなかった私の子供も、戦争を目の当たりにする状況になってしまいました。
 そんな中でこの父の書籍になっていない作品を「日本ペンクラブ」のwebにアップして頂き、広く会ったこともない人に読んでもらえる機会を与えてくだ さったことは、今の私にとって生涯忘れられない事となるでしょう。これは決して父の名を売るとか作品としてとらえて欲しい・・・という感覚とは異なったも ので、亡くなった父と生きている私を繋ぐ一本の線のような気がします。最後まで精一杯生きたいと願い最善の治療を受けながら死んだ父の思いと、戦争によっ て不意に余儀なくされる他人による突然の「死」を思うとき、何か、出来ないの? というもどかしい私の思いを繋げてくれる線です。
 見た人、読んだ人がどう思うかは分からないし個人にゆだねたいと思いますが、遺族としては「こんな感情があったんだよ」と伝えられる場が今日あること を、亡くなった父にまっ先に報告したい気持ちでいっぱいです。まさかこんな形で自分の書いたのもがPC! を通じてあらわになるとは夢にも思っていないで しょう。
 差し支えなければ個人的にこのサイトリンクをさせて頂きたいと思います。私は自分自身のHPがあるわけではないのですが、あくまで個人的に。
 なんだか興奮して言いたいことだけ申し上げてしまいましたが、母はダメでも私は一応アドレスがありますので、上記の件ご承諾頂ければと思います。
 気温差の激しい季節柄、お身体ご自愛ください。

* よかった。どうぞ、よろしいように。「ペン電子文藝館」はいかようにも利用され吹聴して頂けると有り難い。この作品は校正した同僚委員からもたいへん 好評であった。少しでも誤植のない物にしたいと、わたしの気持ではまだ読み直している。

* 三原誠「たたかい」を読みました。歩調取レーで通り過ぎて行く桜木二等兵サンの頷いた顔とうしろ姿が目に見えます。まだ、涙がとまりません。この一編 の「招待」が叶ったこと、逢えたことに感謝いたします。ありがとうございました。
『東工大「作家」教授の幸福』も、毎日ポケットに入れて出かけています。幸福になるということは、えらいことだなあと、たいへんなことだなあと、それをの り越えた人がなれるのかなあと、少しづつ、だいじに読んでおります。もしおじさんもこの教室の隅にしゃがんでいたら、やはり「出席票」の裏に何か書きたく なったと思います。出そうかだすまいかまよいながら、幸福を追うひまはなかった人の病は なんて。
 秦さんの教室は、今でも、維摩の部屋のような、ほんとに一樹千穫〜萬穫ですね。一樹蔭一河流。感謝しております。
 どうも、かなりの速さで呆けていってるような気がしてなりませんが、頑張ってはいます。
 春遅し今年の桜間に合わず ゆうべも「人一生の卒業証書」を書いております。くれぐれもお大切に。 千葉県

* どんな卒業証書だろう、読ませて貰いたい。

* 留守に、いいメールが来ていて。よかった。


* 三月二十七日 木

* 心に残る言葉  2003.03.25    エレベーターから教授室に続く薄暗い廊下を、何度往復しただろう。灯りが点っていたから、その人がいる のは分かっていた。息を潜めて扉に耳を寄せる。胸の前まで上げた拳を扉すれすれに下してみる。その繰り返し。中の人は、その気配を感じてもおかしくはな かった。近づいてくる足音があれば、エレベータ脇のトイレに避難。深呼吸するにはふさわしくない臭いがした。
 その日は、そのまま帰った。
 ノックしたのは、その2週間後だっただろうか。その人は、私を静かに迎え入れてくれた。朝な夕な、独り語りかけてきた胸の内も、その人を前にすれば何一 つ話せなかった。いや、もう話す必要は感じなかった。
 私が悩みを抱えてやってきたことは、お分かりだったのだろう。その人は、不意にこう言った。「みんな、自分が一番大変だと思っているのですよ。」
 言われ方、言われる人によっては、ひどく憤慨したかもしれなかった。にもかかわらず、その人から発せられたその言葉は、私にとても静かに入ってきた。否 定の色も肯定の響きもなかったからだろうか。不思議だった。
 あれ以来、苦しいこと辛いことがある度に、この言葉を思い出す。人にはそれぞれ、その人の大変なことがある。自分より下を見て元気づけられるとか、共感 を覚えるとか言うのではない。この言葉を思い出すと、不思議に、大変と思っていたことが、それほど大変ではなく見えてくる。  バルセロナ

* この「教授」がわたしであったと、ハキとは言えない。こういう位置にわたしの研究室はあったけれど、大なり小なり広い学内では、あちこちで似たような ものだったろう。ゴマンと教授はいたのである。
 ここに書かれていることは、たとえ、どの教授がそう言ったにしても、「言葉そのまま」では通用しない。ものは言いようで、落胆もさせるし険悪にも成る。 きわどいところだ。が、「みんな、自分が一番大変だと思っているのですよ」というところは、誰にも有る。悪いのではない、あたりまえで、無理ないとすら言 えること。だからこの教授の「物言い」が、時に小さからぬ意味をもつ。卵の殻を、雛は内から親は外からつついてピタッと合うと、無事に殻がカラリと割れ る。難漢字が一字有るので書けないが、「ソッ啄同機」の会得である。狙ってできることではない、が、ちいさな親切心があればそれだけでも可能になる。
 人が人に親切であるなんて何でも無いようで、あまり、そうではないものだ。道を譲るぐらい出来ても、顔を見てものを言うのに不自然に親切がれば、もうそ れでオシマイなのである、容易とは思われない。今はカタロニアの心熱き女よ、えらいことを覚えているなあ。

* 今度の本はわざとつけた題であるが、何とも。中を読んでくれる人は、すぐさまその意味が受け取れるだろう、が、読まずに題だけみてウヘエッと投げ出し た人もいたことと思う。「東工大『作家』教授の幸福」と来たもんだ。この幸福は、だが、甘いものではなかったと思う、学生諸君には。生涯でこれほど露骨に 訊かれたくないことを聞かれ続けた日々は少ないだろうと思う。冗談にして逃げるわけに行かない聞かれようで、聞かれたままに即座に「書く」というのは、一 種の拷問であったろうと思う。上司や親では聞けない。わたしだから聞けたのだと思っている。

*故郷の「山」「川」の名前をあげ、今「故郷」とは何かを語れ。 *自身の「名前」について語れ。 *身にこたえて友人から受けた批評の一言を語れ。 * 身にしみて学校(大学は除く)の先生に言われた言葉を思い出せ。 *「別れ」体験を語れ。 *「父」へ。 *何なんだ、親子って。 *今、真実、何を愛し ているか。 *何を以て、真実、今、自己表現しているか。 *寂しいか。 *今、心の支えは在るか。 *真実、畏れるものは。 *不思議を受け容れるか。  *秘密をもつか。 *なぜ嘘をつくか。 *もう一人の自分へ。 *「位」の熟語一語を挙げて所感を。 *「式」の熟語一語を挙げて所感を。 *仮面を外 すとき。 *親に頼るか、子を頼るか。 *結婚と同棲 *死刑・脳死・自殺を重く思う順にし所感を述べよ。 *自由とは。 *(漱石作『こゝろ』の先生に 倣って)「恋は( ) (  )である。だが( ) ( )である」 *漠然とした不安について述べよ。 *人間のタイプを強いて一対(例・ハムレットとドンキホーテ)の語で示し、所 感を述べよ。 *何が恥かしいか。 *「日本」を示すと思う鍵漢字を三字挙げよ。 *何に嫉妬するか。 *セックスについて述べよ。 *絶対なものごとを 挙げよ。 *家の墓および墓参りについて述べよ。 *わけて逢いたい「  」先生。 *科学分野に「国宝」が在るか。 *清貧への所感を。 *「性」の重 み。 *いわゆる「不倫」愛に所感を。 *「参ったなあ」と思ったこと。 *自身を批評し、試みに、強いて百点法で自己採点せよ。 *「挨拶」について。 *今、政治に対し発言せよ。 *東工大 の「一般教育」を語れ。 *心に残っている「損と得」を語れ。 *他を責める我を語れ。 *報復したことがあるか。  *仮面をかぶる時は。 *結婚とは学問分野に譬えれば「 」学か。 *一生を一学年度と譬えた場合、あなたは現に何学期の何月何日頃を今生きているか。  *「脳死」「死刑」「自殺」の重みに順位をつけ、所感を述べよ。 *国を誇りに思う時は。 *嬉し涙・悔し涙を流した記憶を語れ。 *「心臓」と「頭脳」のどちらI「こころ」とふりがなせよ。何故か。また東工大の他の学生がどう選ぶか、比率で推測せよ。 *「心」とは何か。 *何から 自由になりたいか。何から自由になれずにいるか。 *生かされた後悔、生かせていない後悔。 *ちょっと「面白い話」を聴かせよ。 *話せるヤツ、また は、因縁のライバル。 *今「思う」ことを書け。 *いま「気になる」ことを書け。 *疑心暗鬼との闘い方。 *あなたは信頼されているか。 *あなた自 身の「原点」に自覚が有るか。 *自分の「顔」が見えているか。 *なぜ嫉妬するか。なにに嫉妬するか。 *兵役の義務化と私。 *何が楽しみか。 *心 残りでいる、もの・こと・人。 *Realityの訳語を一つだけ挙げよ。何によって・何を以て、感受しているか。 *「童貞」「処女」なる観念の重みを 評価せよ。 *自分に誠実とはどういうことか。あなたは誠実か。 *何があなたには「美しい」か。 *何でもいい、上手に「嘘」を書いてみよ。 *あなた の「去年今年貫く棒の如きもの」を書け。 *「生まれる=was born」根源の受け身の意義を問う。 *井上靖の詩『別離』によって、「間に合ってよかった」という、出会いと別れの運命を問う。 *「魔」とは何か。 *「チエ」に漢字を宛てよ、何故か。  *「風」の熟語を五つ選び、風を考えよ。 *「死後」を問う。 *「絶対」を問う。 *「祈り」を問う。 *生きているだから逃げては卑怯とぞ( ) ( )を追わぬも卑怯のひとつ この短歌の虫食いに漢字の熟語を補い、所感を述べよ。 *上の短歌に補われた多くの熟語回答例から、もう一度選び直し、所 感を述べよ。 *「劫初より作りいとなむ( )堂にわれも黄金の釘一つ打つ」という短歌に一字を補い、その「( )堂」とは何か。「黄金の釘」とは何かを 語れ。 *落語「粗忽長屋」を聴かせて、即、「自分」とは何か。 *「春」「秋」の風情を優劣せよ。 *今、何が、楽しいか。 *「血」について語れ。  *集中力・想像力・包容力・魅力。自身に自信ある順にならべ所感を記せ。 *「事実」とは何か。信じるか。 *「絵空事」は否認するか、容認するか。 * 「幸福」は人生の目的になるか。 *「惜身命」と「不惜身命」のどちらに共感するか。何故か。 *毎時間読んでいる井上靖散文詩の特色を三か条で記せ。  *五年後、新世紀の己れを語れ。 *今期言い残したことを書け。 *公園で撃たれし蛇の無( )味さよ この俳句の虫食いを補い、その解釈を示せ。 *命 は地球より重いか。 *命にかえて守るもの、有るか。 *喪った自信、獲た自信。 *仮面と素顔の関連を語れ。 *漱石作『こゝろ』で「先生」自殺のと き、先生、奥さん、私の年齢を挙げよ。 *漱石作『こゝろ』で「先生」自殺後の、未亡人と私との人間関係を推定せよ。 *目から鱗の落ちたこと。 * 「私」とは何か。 *あなたは卑怯か。  *自分が自分であることを、どう確認しているか。 *「情け」とはどういうものか。風情・同情・情熱のどれを、より大事な情けだと思うか。何故か。 * 「死ぬ」「死なれる」重みを不等記号で結べ。何故か。 *「本」を読む、とはどういうことか。 *漱石の「恋は罪悪、だが神聖」になぞらえて「金は(   )、だが(  )」である。何故か。 *あなたにとって「大人の判断」とは。 *踏絵を、踏むか。何故か。 *人の「品」とは、どんな価値か。あなたに 備わっているか。 *「自立」を語れ。  *むしって捨てたいほどの「逆鱗」があるか。 *性生活の、生活上健康な程度を、人生(10)に対し、どの水準に設定(予定・願望)したいか。何故か。   *「未清算の過去」があるか、どうするのか。 *「神」は、(人間に)必要か。 *罰は、当たるか。 *あなたの価値観とは、つまり、どういうものか。信 頼しているか。 *いい意味の、男の色気・女の色気を、どうとらえているか。 *二十一世紀は「 」の世紀か。何故か。 *みじかびのきゃぶりきとればす ぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ このコマーシャル短歌の宣伝している商品を推定せよ。 *秦さんに今期言い残したことを書け。 *「死後」は必 要か。 *命とは。命は地球より重いか。 *運命天命未知不可知を「数」と呼び、その「数」を見出す・拓く方法や意思を「算」ないし「易」と呼んだ東洋的 真意を推測せよ。 *迷信の意義、迷信とのあなたの付き合い方は。 *「情け」とは。「情けが仇」「情けは人の為ならず」「情け無用」のどの情けを重く見 ているか。 *「縁」とは。 *「不自然」は活かせるか。無価値か。 *「工」一字を考えよ。 *「花」の熟語を五つと、好ましき「花」を語れ。 * 「(  )品あり岩波文庫『阿部一族』」の上句の虫食いに一字を補い、かつ所見を述べよ。 *仮想敵を語れ。 *「父」とは。 *虚勢・嫉妬・高慢・猜疑・卑屈  自身の蝕まれていると思う順番に並べ替え、思いを述べよ。 *「常」一字を英語一語に翻訳し、日本語「常」の熟語を幾つか添えて、自己観照せよ。 *人生 は「旅」であろうか。 *第一原因として「神」を信ずるか。 *証拠・証明が無ければ信じないか。無くても信じられるとすれば何故か。 *直観は頼むに足 るか。勘・直感と直観とは同じか。例を添えて述べよ。 *日本のいわゆる「道」を考えよ。 *親は子を育ててきたと言うけれど(  )手に赤い畑のトマト一首の虫食いに一字を補い、作者(俵万智)の親子観を批評せよ。  *二十一世紀を語れ。 *最期に、秦さんに言い残したことを。

* 四年間。抜けているのも、年度により重ねて問うたのも多かろう。なんだ、くだらない、答えられるか、と思われては話にならなかった。クソッ、こんなこ と聞きやがって、書いてやらあと反撥してでも思ってもらう必要があった。いい挑発。それが教室から失せていては熱は発しないだろう、双方に。

* よく晴れて暖かいが、花粉が家の中にいても鼻へ眼へ押し寄せてくる。クスクス・カユカユで、堪らない。妻が聖路加、わたしも早くに出て街をうろつく気 がないではなかったが、これでは叶わない。それでも今夕は五時から電メ研がある。

* 電子メディア委員会、今日で最後とした。五時の会議に三時半に家を出て、七時まで。少し疲労する。昨日帰宅したら、アーシュラ・ル・グゥインの『ゲド 戦記』新たな第五巻が届いていたのを鞄に入れていた。
 最愛の本の一つで、わたしに西欧のこの手の本の扉をひらいてくれた。この本の第一巻を手にした頃、建日子がまだ小学生ではなかったか。彼は生まれて初め てか二番目ぐらいに、原稿と原稿料体験で「ゲド戦記」の感想を書いている。掲載されたのは「思想の科学」であった。
 ゲドに久しぶりに早く逢いたくて、大判の本を持って出た。会議の後、ひとり、和食の店に入り、ゆっくり読み始めて、堂々とした押し出しの発端に、わくわ くしている。「アースシー」の世界がなにやら不気味に、底というか、芯というか、内奥から脅かされている。もう魔力を持たない大賢人ゲドが、どのように働 くのだろう。
 今夜の店には美しい人もおらず、料理も少し量が味に勝っていて、胃にもたれたものの、店が静かで、本を読むのに明るく、むだに構われないのが有り難かっ た。
 あすは、わたしが聖路加の番で、昼過ぎの診察。もし大過がなければ、花とも思うものの、兜町界隈の今日は、僅か一分咲き程度。風ばかりしたたかに吹い た。暖かかった。

*「文語の苑」とか、文語文による交流のためのウェブサイトをと、六十人ちかい人が連名で、旗を振ってきた。いまどき、文語できちんとものの書ける人など 大勢いるとはとても思いにくい。六十人ほどの中には石原慎太郎やなんやかやと並んでいるが、はて、だれが書けるのだろうと思った。
 そもそもその「趣意書」が、文語の積もりらしいが、すこしマシな高校生なら書くぐらいの平凡そのもの。推して知るべし。
「それ文語文は、口語の俗に比すれば雅、冗長ならずして直截に、筆者が思考、感情を伝へ、しかも読む者をして筆者が心中の陰翳をも感得せしむ。
 然れども、文語の廃れて既に久し。近時の日本語文の冗長低俗なるを見るにつけ、往時の文語文に、達意にして雅趣ある文章少なからざりしを想ひ、これを後 世に伝ふるすべなきやを思ふ」などと、ある。この程度の文語ではきびきびした現代語の方がマシで、へたをすればアナクロに過ぎなくなる。
 文語で書く、もしや創作的に書くのであれば、各時代の文体を再現できる語感と研鑽が先ずは必要で、この趣意書冒頭のようなのは「雅」でも何でもない、蕪 雑至極の悪趣味に近い。
 藤原定家は『松浦宮物語』を書くにあたり、歌風において、上古のそれを稽古するほどの気持ももっていたやに推しうる。文語とは何ぞやと考えれば、いった い、どういう時代・時節の文章文体に習う気か、考慮が必要になる。

* 私の読者はご存じであるが、私に「竹取翁茶を點つる記」という戯文がある。雑誌「なごみ」に初出のものだが、文語で書くとすれば、主題と趣向に応じ、 その時代も髣髴としなければならず、さきの趣意書の如き書生の手紙の粗末なようなのとは同日に語れないのである。かすかに校正の疎いところも有るかも知れ ないが、御覧に入れる。読み仮名は途中までふってみたが、途中でやめたので、馴染まない人は読みにくいかも知れぬ。

* 竹取翁なごりの茶を點つる記

 いまはむかし竹取の翁の茶を點てしを、みづから誌せしといふあり。めづらしと人のまた書き写せるをみるに夢かとぞ思ふ。信じがたきものから、なつかしく あはれなれば、おのれまた書き写さんと乞へり。とぞ本に…とあるがわりなし。そも由あり。あなかしこ。
  平成乙亥 かむなつきの望のよる 無位 秦忌寸 恒平 写す

 よにためしなき一会を、ゆめに見むとてするなり。かぐやひめ月夜に空たかく参(ま)うのぼりたまひて一とせすぎぬ。あかずこひし。月をがみて泣くことか ぎりなし。たよりありと聞けど、不二のやまは遠くけはしく、え行かず。都のほとり竹の林にのみあり経つつ、かしこき御めぐみ給(た)うばりて、くさぐさに 竹編みなどす。わが編む籠(こ)をみればかなし。かのきみ籠(こ)にいれ養ひつ。竹の節(よ)より取(と)うでしかゞやく御子なりしよ、あめつちがなか に、かくうるはしきは、ゆめ、おはせじ。かぎりありてこの御世に久しくまさずなりぬるも、うらめしけれど、ことわり無きにあらじかし。御みかどにもしたが ひたまはで、さすがに文などはかよはし給ひき。あてに、らうたきこともかぎりなく、翁、手をすりまもりゐたり。媼もほたほたと笑壷に入り手も足も舞ひまひ 抱きはぐゝみつ。いつしかに月いと明かき夜のさらぬ別れとはなりつる。血の涙もかひなし。をめきて空にわれもあがらんとすれど地に伏しただまろびつ。あひ たきを、かぐやひめ。いまひとめ逢ひたきを、いかにすべき。
 帝も忘れがたきよし言ひつづけたまふ。今宵しも、え忍びたまはで、かりの行幸(みゆき)にことよせ竹の宿(やどり)に駒とめたまふ。翁をうな、かしこみ 泣き、伏して下にゐる。
 みかど、近う召したまふ。いとふまでもなき時雨を、かこち顔に。あめやみぬ。月高し。かの君こよひ天降(あも)りて来ずやあらむ。宿直(とのゐ)つかま つれ、湯などもてこ。翁うちしはぶき、申す。このごろ茶といふものを得てさぶらひき。ねむたきわざを癒すにかひあり。御あやしみたまはであれよ、奇しきみ わざはかのかゞやく人の伝へ給(た)びたりき。時・世をこえ、思ふまま道具ども取合はせて、えし茶のいと甘(うま)きをすゝめたてまつらむ、かぐやひめか ならず参(ま)うでたまはむなどゝ、いと口疾(くちど)なり。みかど、ほゝゑみたまふ。
 さてとよ、さべき御しつらひのうちに招じ入れたてまつる。のどやかに、帝の御姿かたち、ねびまさりてうつくしくいます。まおもてのすこし高き壁に大きな る草(さう)の字を掛けたり。天地(あめつち)とよませたまふ。手は良寛なる清き僧の書けり。いと温和しく筆つけしものから、とぎれなく勢ひつく。いとよ し。天(あめ)なるかれも見たまふべし、地にあるはたゞ目守(まも)れり。良寛よく胸懐に日月を招けり。近ごろの貫之、この頃の道風朝臣にもおとらず。み かど、うれしとのたまふ、礼(いや)ありてかたじけなし。蓋を脇立てて、黄色き土の小壼に薫りたるは月のしづくとや、香りてかすかに家(や)ぬちを満たせ り。井戸香炉なり。塩笥(しほけ)の形(なり)したり。うかれめなれども歌のみちに二となき和泉式部が今ひとたびのとせちに嘆きけるをあはれみ、此世と銘 (な)のあるがなつかしく、みかど、われからさうの掌(て)につゝませ給ひ御ほゝをすりて此の世のほかの思ひ出になきたまふ。
 翁、厚畳(あつじょう)敷きたてまつり上座を帝にすゝめたてまつれども、今宵はさらであらむ、月せかいより参うでたまふらむかぐやひめに譲りて待ちまう けむ、ひときざみ下にゐむよと仰せたまふ。老い人らうなづき涙ぐむ。とのもの月かげ、いとまばゆし。浮かぶこゝちして仕(つか)うまつる人々翁が家をめぐ りありく。風落ち虫いたくすだく。雑仕(ざふし)の秋草あまた採りもて、口七寸(ななき)がほど懐ひろき竹籠に盛りたるを、香炉やゝかたよせつ、をうな抱 きとりて天地の字のかたはらに置く。名知らぬ花のさと色めくを。この籠はむかし竹取の翁手づから作りたるを。よくしたりとて帝、月代(つきしろ)とその籠 (こ)にいまし名づけたまふ。かぐやひめそのなかに生ひたち給ひし御形見なればなり。漆すこし刷きて、佗びたれど色よくいとなつかし。いとちひさかりし君 がらうたき御面影も、かへすかへすいとなつかし。
 やつれし板囲ひの風炉といふに、筒なりの古き釜をかけたり。天明(てんみやう)ときくもつきづきしき釜の胴には、野の残月をかすかに刻めり。後の世の大 将軍義政といへるが愛で用ひしよき釜と見ゆる、あはれ情け知るものかな。
 主はしやう客がかたへ風炉釜をちかよせ、秋冷えをふせげり。古き備前の名を青海とかや古き銅の色したる水指は、さも桶とみえて壁のかたへ翁出し置く。色 うるはしき水指など華やかにしなしたてまつるべく思うたまへども、佗びしき宿の風情となにも御覧じゆるさせ給へ、時の帝を迎へたてまつり、いと事そぎたる 薄茶たてまつる。麗しきも過ぐせば余波とぢ言痛たかりなむ。みな、かの姫君の光来をものの映えにせちに待ちたてまつらめ。御覧じたまはれよ、町の者の作り しこの黒き町蚤とかや、銘は再来と申して、千利休なる大導師のいと愛でられし器なるが、身にしみ色の栗に透きて形もこゝろよげにいといと情けあるはと、 翁、しづかに涙おさへて砧のきぬのやはらかきを畳みつ折りつ拭ひ清めをり。
 帝、翁の膝ちかき秘色の茶碗に御目とゞめたまふ。よによき色したり。はなびらのにほふごとく、うるめる碧なり。蓮臺に露けく咲ける花といひつべし。かほ どの品もちひ給ふは、帝をおきたてまつりて、かぐやひめならであるまじ。ゆめかと見ゆるがうつゝなるはと帝は手を畳につきたまふ。いさとよ、惜しきは疵あ り、さればぞ翁の手にも入りぬる。黒くちさき鎹もてつぎたるが、かへりて秋野の虫と見え、馬蝗絆などいひ比へて、うるはしきうへの景色を、世人いよゝ愛で たふとめり。翁よきものを手に入れたり。秘色はかぐやひめにふさはし、蝗は翁にふさはしと帝こゝちよくゑませたまふ。
 いま一わんは、何ぞ、誰がぞとゆかしくしたまふ。光悦といへる上手のつくれる、こはすくよかに気高き陶ものなり。不二と名づけけるが、二つ無きものと も、不二山ともきこゆる、いとをかし。かぐやひめのこし置かれし貴き薬など、天に返しまゐらすべしと富士が嶺に上げられしこと思ひ出だされ、帝しほたれ給 ふ。この国に二人無き身はこくわうなれば、不二の茶わんにて茶を給へ。よに雙びなきひそくは、姫にたまへ、めづらしと、帝はせちにかぐやひめを待たせたま ふ、御あはれなり。
 茶杓といふは、姫宗和と人のほむるが削りいでし、いとほそき竹へらなり。いとよくしたり、しぐれと謂ふめり。いまは雨明かれども降るもよしなど、をりに 合ひていふもいとをかし。むらやまに秋風さそはれいづらむかし、竹のはやしの戦ぐは。
 蓋置、竹ひき切りて。おきな讃岐のみやつこ麿なむ、竹取のをのこなるを。わざと中に節あるは、さむくなり行くをやゝに待つこゝろなり。おもてにツボツボ のしるし朱き漆にて描きおく、花ありといふべし。水こぼしには音よき金銅の細き筋きざめるを持ち出でたり。
 このときみかど、風炉の先にすゑし葉つきの竹いと青きまゝ割りて太きを、然りや、媼して、御身が上にひとつ隔てゝ置き直させたまふ。かぐやひめ、穢土の 人とひとゝころによもおはすまじ敬せむとて、ところ避り給ひしなり。おもひなしや月の光、いと冴えてありがたし。御こゝろの深きは天にかよへり。媼、ちさ き餅に添へて里のくだものをたてまつる。すゝきなど穂にいでゝ、天地もよほしさやげるを。釜の鳴りまつ風にゝて、しのびやかに炉の火あかし。人のこゑ、と 絶えたり。
 いかにぞや、おとなふものしなけれど、さと、ものうごきたる。ほのくらきなかにしろかねのいと薄くひろごり揺りて、天の楽きこゆるこゝちすれば、みか ど、隔ての竹に御身をすべらし給ひ、斯く、あはれこのおもひのたけのへだてなく逢ふ世てらせよきみがみ光とうめき出でたまふ。また、わがこひはたけのよご とにつきもせで忘るまもなく天をこがしぬ、と。あまりなるや。
 かぐやひめ、み姿をあらはしたまふ。なつかしう光りかゞやきたまふさま、いふもおろかなり。手づからへだての竹をおしやりたまひつ。みひかりのなごり慕 ひて月しろの都はなれて逢ふがうれしさと、髪いとうつくしくかたぶくまゝに御返し和したてまつる。翁媼を手まねぎ手をとらせたまひ、恩愛のきづなかたみに 涙しぼりて、たしかめたしかめし給ふ。あかずいと嬉しや。天地のよろこび竹取が家に悉つに占め、のこり無くぞみゆる。
 姫、礼あり。はぢかはしつつ秘色の御茶をいと清らにまづのみたまふ。帝、ひかへて居たまへり。ゐのこの餅いとうましときみは母にあまえ、はぢらひ給ふ。
 さて不二の茶碗の丈高う貴きを、かぐやひめ翁にかはり、帝の御ため、よに二つとあらざる御茶點てたてまつる。帝、姫のみ手にこぼれたる玉露とかや、口に 甘しと笑みふくませらる。月光屋に満てり、和敬足りてこゝろなごみぬ。清寂夜を深くす、哀情余りてなごり漸く尽きん。みだりに慕ふ勿れ、再来あるは天地自 然の慈愛ぞ。帝、光悦の茶碗をいたゞきて喫みたまふ。御薄茶といへど味はひふかし、かゝるもの地に満てらんことをと言祝ぎたまふぞ有り難き。
 かぐやひめは、いづれより取う出たまひし、合甫とかいへる謂れめでたき刷毛目の碗にて、取り返さむたまの逢ひを言よさし、重ねて帝に御茶すゝめ給ふ。て のうちの珠にと帝は恋慕やみがたくおはしませども、よく忍ばせたまひ、清らにひらきたる土目うるはしき御茶碗に、たふとき御口をつけてゐたまへり。翁に は、楽といへる家に伝へし面影なつかしやとて、うちしほれつつ姫は黒き茶碗に緑映えて御茶たてたまふ。媼も待ちかねゐたり。母ひとには鉢子とて、赤き絵の いと景色華やかにうつくしき唐物をたてまつると、色よくこゝろこまやかに御茶をすすめ孝養したまひき。翁も媼も、端により肩よせて畏まりをるものから、ま たも逢ひ見たてまつる嬉しさ、夢さめずあれと、たゞ目守りてすくみゐる。すこしばかり戸をかこはせ、いつしか帝も釜ちかく円座したまひつ。尽きぬものがた りあり。歌ども幾返りあれども、かぎりなければ、畏まり記さず。
 夜更けたり。時雨れしともなけれど、さすがに月かげ冴えてひえびえ見ゆるを、飛ぶ車まつまでもなし、なごりは尽きじみまからむ、みすこやかにといふ声し て、御光のみ、ほ、と匂ふばかりにて、正身は月のみそらにはやみ失せたまひぬらむ。あなと嘆けども、情けなしと泣けどもかひなし。帝は端に出でさせたまひ て、ただ、かぐやひめと呼ばはり給ひぬ。竹むらをとよもし、遠山に喬き一本松のあな影やとそびゆるまで、御声は響きぬ。まつとし聞かばいま帰り来むとうた へるは誰そ、こころにくし。松、松と心そらにつぶやかせ給ふ。老いしはただ膝つき天を仰ぎて声なし。風さそふ村雲、三五夜中の白玉を曇らする勿れ、かなら ず待つと、え耐えで満月をろがみ給へるを。翁も媼もひしと掌を合はす。
 あはれ、おほぞらにかぐやひめのみ歌、いと遠く澄みわたれり。
 逢はゞなほ逢はねばつらき人の世のなごりの秋は情けありけり、とぞ本に。

 とき、ところ、定めむに由なし。あるがまゝ写してやみぬる、とがめ給ふな。秦 恒平

* 会記と取り合わせについての解説は割愛しておく。
 どんな「苑」が出来るものか、勇気あってこれぞ「文語文」ですと、サイトに、誰が何を真っ先に掲載されるか、期待したい。日常の必要文をいまどき文語で 書いてみてもアナクロが過ぎる、やはり創作性のあるもの、文藝であるものが望ましく、意味もある。また似合う似合わぬもあるだろう。石原慎太郎の書く文 語・文藝、想像が付かない。


* 三月二十八日 金

* 聖路加は、体重をつとめて減らして下さい、血圧の高まり気味は様子をみましょう、他は問題なしと、簡単に解放して貰った。
 明石町の桜並木は、木により一分ともいえず、三分ぐらい咲いたのもあり。昨日ほど風もなく、けれど花粉は徐々に攻勢を加えてきた。
 有楽町の「きく川」で遅いというより、満を持した昼食、ゆっくり。例の如く鰻とキャベツと菊正。そして昨夜から『ゲド戦記』第五巻に夢中。これがあれば 外来で待たされようが電車が長かろうが問題とせず。不思議のフィロソフィカル(メタフィジックではなく)世界に、すぐさま没頭出来る。嬉しい嬉しい読書の 可能な作品。本の残り量の減り行くのをいつでも惜しそうに見る。

* うららかなので、丸ノ内線で本郷三丁目で降り、わたしの通勤していた昔からすると驚異的に様変わりした駅や本郷通りにびっくりしながら、めざす向丘の 光源寺まで、近かろうすぐだろうと思い思い、延々と散歩。おかげで、途中倫理学の東大竹内整一教授とパッタリ。また漱石が「猫」を書き、それ以前に鴎外も 住んだ住居跡を発見したり。ま、よく歩いた。
 吉岡忍らが主催の反戦テントを覗いてきた。この手の催しに多くは期待できないけれど、やらないよりはいい。お寺の境内にテントを張って、ちょうどその時 間は、各誌の編集長が、講談社元木氏の司会で順ぐりに喋っていた。
 二人目に、岩波「世界」の編集長が話した。編集とは「デフォルメ」ですと。もう少し翻訳して話して欲しいなと思った。取りようによれば「色眼鏡」で見る ことにもなる。「力点」を置く意味でもあろうか。それがたとえばアメリカは「傲慢」という評価に結びつくとして、人により「傲慢ではない」という意見や立 場がある場合、それは編集に反映させるのか排除するのか、それは「デフォルメ」とどう結ばれるのか、言語も姿勢もアイマイだなとわたしは聴いていて感じ た。
 編集者が「デフォルメ」という姿勢で読者に「力点」を押しつけるのか、とすると、読者自身の「判断」は「右にならえ」となるのか。読者を啓蒙するのが編 集者なのか。すると筆者からの議論は、編集者の「デフォルメ」という「色眼鏡」を通して発信されているのか。つまりは語義がクリアでなく、つまりは把握の 弱い表現のように感じられた。
 今は雑誌は天下国家を論じるときだと言うので、試みに、今、「一つ」だけと絞って、編集長として何が天下国家に大事な課題になるかと尋ねてみた。
 むかし我が家に原稿取りに通っていた「世界」の編集者は、そんな質問に言下に「教育」でしょうと言い、教育問題は言い古されて立ち往生している、わたし は「世襲」ということが、難儀な事態を今後の日本にもたらすだろうと指摘した。十六七年も昔の話だ。今や政界、学界、芸能界、企業。みな世襲で、血潮は混 濁し脆弱に貧血してきている。
 今日のテントの中の「世界」編集長は、わたしの質問にグズグスと前説を吐きながら、とどのつまり、「グローヴァリゼーション」ですね、と返辞してくれ た。
 おお、またしても外国語か。日本語では言えないのかね。そしてあまりに一般論で、視線が具体の深みへ差し込めていないんじやないか。
 こういうときの「デフォルメ」にしても「グローバリゼーション」にしても、「翻訳」によりいろいろに変わってくるし、結局は答えていないのと同じ、なん でもありの答えようになってしまう。厳しい「問一問」になっていない。
 わたしなら、そうだな「サイバー問題」だ、と答えたい。サイバーテロ、サイバーポリス、サイバー政治、サイバー犯罪。これからますます法律や規制や国際 問題がらみで大きな迷惑も利便も危険ももたらすだろう。
 編集者は、大見出しをいつも中見出し、小見出しに適切に素早く置き換える用意を持っていないといけないだろう。
 要するに、著者という「牛若丸」を、七つ道具で追いかけ回せるだけの力量有る弁慶のような編集者が必要なのだ。弁慶は、最後は牛若丸に勝たせてやる。弁 慶が自分を主役にしては洒落にもならず、行き詰まる。
 おれのやりかたで勝つと言い出す編集者は、危ない。強い可塑性と可能性のあるライターに「ここぞ・これぞ」という良い仕事をさせられる大力量の弁慶役が 務まらないから、いまの「編集」は貧弱になっているのだ。その反省がない。
 
* で、お寺の境内を退散。タクシーで東大赤門まで戻り、もとの会社の前を歩いて本郷三丁目で地下鉄に乗ると、すぐ「ゲド」の物語に入り込み、後楽園を通 過したあたりではもう「此の世」のことは忘却していた。なんという強力な文学世界であることか、ル・グゥインの作品は。とりわけて『ゲド戦記』はわたしは ノーベル賞に値すると思っている。それほど魅力が深く、分厚い。そして清明で静謐である。

* 闇を読み、つい筆をとります。
 東工大の学生は垣間見てものびのびしています。かぎられた学生かもしれませんが。
 秦教授の授業のアイサツを求める「題」の豪華絢爛たること。「題」を読むだけで学生の驚きと、自分を見つめる姿がほうふつとします。
 弁慶が「脇役であった」ことを知りました。
   義経の隠れし御堂や櫻哉                川崎市

* 知事選。石原慎太郎と樋口恵子と共産党候補。樋口恵子を推す声がメールで沢山届いている。妻も推している。政治力。都議会を動かせるかどうか。男ども に虐められて負けないこと。その辺だ。
 神奈川県知事に立ったという田嶋陽子。「何を考えてるんでしょうね」とマイクを握ってレポーターの呟く、引っ越しコマーシャル。あれだ。体育系でもな い、何かが足りん系だ。


* 三月二十九日 土

* 一気に春爛漫になって参りました。
 今回の湖の本『東工大「作家」教授の幸福』、楽しく読んでいます。自分が理系人間なので、学生さんの気持ちに共感できます。私もその教室に居たかったな あと、学生さんの幸福が妬ましい。
 それでかどうだか、以前に書いてそのままパソコンの中で、「習作」のタイトルをつけて保存していた文章を、急に秦さんに見ていただく決心がつき、この メールに添えさせていただきます(うまく届くかどうかわからないが)。秦さんの作品に触発され、自分の覚えている”京都”を記録したいと思いはしたのです が、私の書く文章は研究レポートみたいになってしまいます。とにかく読んでみて、ご感想をいただければうれしいです。

* 文章での表現はともかくとして、内容が面白い。土地勘がはたらくからであろうが、筆者の個性というか、性格が、蝸牛の角のように随所に出てくる。「自 分史のスケッチ」として、うまくすると、よく纏まるかも知れないが、表現に一々拘りつつ読むので、まだ全部とはいかない。

* 或る、凄惨なといいたいほどの人生を過ごした夫婦の物語を、このところ、頭に置いている。

* 妻は学校友達との久々の再会に、東京會舘にでかけ、その留守に建日子と同居人とがあらわれて、鮨を食ってからまた車でどこかへ消え失せた。妻が帰って こないとわたしでは自然な話題の用意がないのであろう、わたしも、同じだが。亡くなった秦の父や母とも、晩年は話題に窮したことも思い出される。息子とわ たしとだけなら、お互いに似た仕事をしているのだし、その気なら話の種は幾らもあるが。

* 頭があまり活溌でないのは、この三日の花粉のひどさゆえで。眼をくじり出したいほど。鼻もとめどなくクシャミか洟。眼の方がつらい。今年になって、こ んなにひどかったのは初めて。

* 思案に沈むのを一概に悪くは思わないが、「考える」だけでは仕方がない。それなら「考えない」方が清々しい。「考えている」のをよほど大事な価値ある ことに思っている人は多いが、そういうのの大方は「考えない方がマシ」なようである。身を働かせることをそうしてサボッテいる。下手な考え休むに似たり。 うまい批評である。
 およそ考える主題の中で無意味に愚の極であるのは、「人は何故生きるか」とか、「人生の意義は」とか。釈迦でもイエスでも、この手の問いには沈黙して決 して答えなかった。こんな、考えてもどんな答えが出るわけもないことを「考え」に「考え」て日々を空しくしてしまうなんて、なんてこったと思う。断然放擲 して、うまい茶でも一杯ゆっくり飲むがよろしい。生まれたからは生きればいいだけの話、意義は有れば有り、無くても有る。それだけのことだ。せっかくの 「今・此処」を休むに似た考えでムダにするには及ぶまい。
 今日、「思い切って改名」してみたという卒業生のメールが来た。秦さんは「よせ」と言ったけれども、と。生まれる前から本然の名前があるというのならと もかく、われわれの名前など、生まれてきたときには無かったし、与えられたときにも責任は無かった、選択も出来なかった。便宜に役立っているにすぎず、だ から換えてもよく換えなくてもよく、漢字の意義やら字画やらに意義を持たせようとしても、所詮はムダで無意味である。親の付けてくれた名前だと思い、親の 気持ちをくんでやるだけのことだ。「抱き柱」のなかでもひときわひよわい意義のかるいのが名前である。そんなことで日々の苦難をかわせるわけではない。そ れで気が一新されるわけもない。役者が襲名して化けるのとは少し違うのである。

*「考えのない人」は困りものだが、ある意味「考えすぎる」人はもっと困りもので、一番の困りものは「考えている自分」をそれゆえに高く評価している人。 無意味である。「なにも考えない」で平和に怪我無くいられる方が遙かに貴い。

* 少しずつ時間は減って行く。建日子とも朝日子とも、話し合っておきたいことが有るといえば有り、なにも無いようなもののようでもある。この厖大な「私 語」が「死後」の用をなすとは思わないが、あのときおやじはこんなことを思っていたと知るよすがにはなるだろう。書くとは、いつも遺言である。小説を書き 始めたころからそうであった。贅沢なムダごとである。この「私語」がわたしの「レイタースタイル(サイード)」に当たることだけは疑いがない。

* これも卒業生だが、こう書いている。「想い」が生きて言葉になっている。言葉が先ではないから、多少見えを切ったようであろうと、生き生きと生きるこ とが、美しく生きることも、出来る。「言葉」なんかに負けるなと若い人達に言いたい。あれだけ言葉を書かせておいたのも、真意はそこへ向かうのである。

* 哀しみの季節 2003.3.29   私が暮らす狭い範囲でも、申し合わせたように花が咲き始めた。梅、沈丁花、辛夷、蒲公英、百日紅、連翹、雪柳、山吹、名を知らないそのほか、たくさ ん。長距離列車で通学していた頃、3月下旬頃から車窓の景色が急に華やかになるのを見て、春の訪れということを実感したのが、つい数年前かのように思われ る。
 春。咲く花だけが私を喜ばせる。長く寒かった冬が終わり気温が上がり、新しい生活が始まり人に出会う。けれどそういう季節でしかないなら、春はとてつも なく哀しい。いつか「春」「秋」の風情を優劣せよという挑発にのったことがある。そこでそれまでぼんやりと抱いていた私の思いは、初めて文字になり、以来 一貫して変わらない。
 咲く花に慰められ、ようやく春を生き抜く勇気を持てる。おそらく多くの、いやいくらかのひとたちも、そうではないのか。見よあの桜の、私たちの哀しみを 精一杯引き受けたような気丈な白さを。   小闇TOKYO


* 三月三十日 つづき

* 鍋叩き  2003.03.29
 「皆さん、26日は22時から22時15分まで灯りを消し、鍋を叩いて抗議をしましょう。」
 カタロニア(スペイン)のメディアが呼びかける。
 22時、灯りを消してテラスに出る。我が家のテラスは、一辺約130mのロの字型建物の内側に面している。中央は、ロの字の内側に住む人々の、共有の空 間。
 トコトン、トコトン、トコトン、ドンドコ、カンカンカン、、、冗談に思えた「鍋叩き」が始まった、と思えば、もうあっちからこっちから。四方から放たれ た音は、横の、向かいの建物にぶつかり交わって、中央の空間にこだました。
 慌てて家の中に入る。手探りで、アルミの鍋蓋とシャベルを引っ張り出し、再びテラスへ。
 カンカンカン、ピピッピピッピッピー、トコトン、トコトン、タンタンタン。思い思いの音が響き渡る。一人一人が演奏者となり聴衆となり、中央の闇の舞台 に聞き入った。 
 鍋蓋を打つ手に疲れを感じながら、私は思わず涙ぐみ、同時に込み上げてくる笑いに体を揺らした。こんなデモがあるなんて。粗野で不真面目に見えたその表 現にこそ、人々の平和への願いの深さと自由さが表れていた。
 この日、ここの人のこういうところが好きだと思った。   小闇@バルセロナ
 
* いい「便り」ではないか。


* 三月三十一日 月

* 小闇@パルセロナの「鍋叩き」は快信で、しばらく興奮した。日本でも、大きな団地などで自治会がやるといいのに。デモに出て行くのよりはるかにからだ はラクで、参加しやすいし、一体感や連帯感も生まれよう。但しいささか迷惑する人もあろう、乱発は困る。バルセロナでは十五分間の間と限定しているが、十 分間でも十二分ではないか。

* 『ゲド戦記』第五巻をまた読み始めたが、やはり再読は必要なことだし、清水をのどに引き込むようにすてきに心地よくよく分かって読み取れる。
 むかしむかし、本を買ってなどもらえず人に借りてしか読書出来なかったおかげで、一度読み終えると、直ちにくるりと最初に戻ってもう一度読み返した習 慣、これで本の内容が身内に刻まれたのである。「読書」と謂うに値するのは、少なくも「再読」以降というわたしの持論は動かない。二度目を読むのが嬉しく て堪らないような本にこそ出逢いたいし、そう読まれるものを書きたいのだ。

* 小説を待望の声が読者からぱらぱら、ぱらぱらと「湖の本」の読者からも届きだしている。待ちきれないらしい。わたしは慌てない。

* 「e-文庫・湖(umi)」の「自分史のスケッチ」に、藤江もと子さんの「新宮川町五条」を掲載した。今一度だけ推敲をと頼んであるが、編輯者として ほぼ納得しているので、仮掲載した。藤江さんは生まれも育ちもいわゆる京おんなで、京都大学の理系を卒業後、わたしと中学高校の同期生藤江孝夫君の奥さん になった人。藤江君は原子力関係のとてもえらい人である。奥さんは福祉関連のボランティアなどでも活躍されていると聞いている。お目に掛かったことは一度 もないが、メールではよく話し合っている。

* 息子たちの来たとき、京の「おたべ」を土産にくれた。いわゆる銘菓「八つ橋」のヴァリエーションで好物である、が。妻の話だと、うちの息子は、もとも とのかりっと焼いた菓子「八つ橋」を、「そんなの有るのか、知らなかった」そうだ。
 柔らかくて餡入りの「おたべ」がもっぱら今は人気らしく、しかし、あの歯ごたえのする堅い「八つ橋」も、噛むにつれて佳い味わいなのだ、が。堅い「八つ 橋」がだんだん柔らかい「生八つ橋」に移行し、今では餡の「おたべ」に。飯よりお粥という好みに似ている。
 妻は息子に、業平東下りの「八橋」あの板橋、を、持ち出して銘菓の由来を教えたという。この頃は、たしかに包み紙などに杜若と八橋の繪が色刷りしてあ る。しかしもともとの、あのまるく背を盛り上げて焼いた、堅い「八つ橋」の形は、箏曲八橋検校に由来の「琴」の形を模したと、わたしは子供の頃から覚えて きた。
 ひょっとして今では「板橋」形の平たいのと、「琴」の形に盛り上げたのと、さらに「生」のがあり、「餡」のもある、ということか。時・世を経てモノは、 質も形も移り変わるということか。

* 国史は、いましも平新皇将門の、あっというまの壊滅を読み終えた。東の将門、西の純友。
 京の都を震撼した政治的な危機現象であったけれど、ひとり将門純友の「個性」に由来した反乱では決して無かった。実に久しく積み上がった律令制度の危殆 のなかで、暴虐暴戻を事とし、公と私の財を奪って豪富を成していた「国司」層の権勢に対する、在地の郡司・土豪・殷富百姓たちの烈しい抵抗。その顕著な衝 突と爆発から、後者の側に立って将門は動き、純友にも同様の動機が働いていた。彼等は、現在の国司ではないが国司の土着した後裔であるというところに、複 雑な綱引きが働いている。
 反乱自体は抑え込まれたが、それは都からの征討将軍によってでなく、同類の藤原秀郷や平貞盛らによってであった。また小野好古らによってであった。これ が結局は伴類や郎党を結集した「武門」の棟梁の生まれ出る契機とはなった。
 幸か不幸か将門には、新皇を名乗る「権威」の思いはありながら、政治の力量は皆無に等しかった。都の公家達にも政治の意欲はなかったけれど、天皇制の権 威は生きていて、たとえば官位を「懸賞」に同じ武門同士に相闘わせることで、危機を乗り切る狡さもや抜け目なさは強かに持っていた。時の摂政は藤原忠平、 これは兄時平とはちがい何もしないのを政治と心得た「寛厚」の人、あの「小倉山峰の紅葉葉こころあらば今ひとたびの行幸待たなむ」と歌った貞信公である。 天皇をあやつり公家をあやつり、怨霊まであやつって兄時平一族を死なせ続け、政権をわが一族一統に集中した。祖父で初の人臣摂政、藤原良房にじつに似てい る。悪辣を秘めた寛厚の大臣。
 平将門はこの忠平を奉侍していた根は一田舎武士に過ぎなかったのだ、結果として。
 だが北関東には将門を祀る祠が数多い。彼が反乱の底意と、支持した民衆の深い願望とには、通底する「公家政治への叛意」が生き続けていた。反体制のその 人気が「明神」将門に凝っており、「天神」道真の幽霊も、じつは将門の乱に一指を添えて蠢いたのであった。


 * 三月尽 つづき

*「春の雨。圓山の花は、咲き初めているだろうか」。数日前の「闇に言ひ置」かれたのにとらえられたといいましょうか、連想になずんでいたといいましょう か。
 「圓山の花」は、多くのひとには名所の花であり、幾多の文学、美術、藝能に描かれ、登場している花でもあります。
 けれど、先生には、まず、幼いころからの思い出に染められた花、と、いう気がいたします。その花が、花の樹が、また、文学や美術、藝能などに色濃く染め られてもいる――。神さまは、よいところに、おさな子秀樹の居場所を定められたものでございます。お作の数々をおもいますと、天の配剤ということをおもわ ずにはいられません。
「春の雨。圓山の花は、咲き初めているだろうか」に、籠められた思いのほどをおもうております。
 わが記憶と父や母から聞かされたのをかんがえあわせてみますと、わたくし、少なくとも十五、六回は家移りをしています。父親の転勤に従ってなどというも のではありません。父の放浪癖というにしては、ほとんどが東京都内をあちこちしていたようで、父母ともいない今になっては、居所の定まらなかった、あるい は定められなかった理由を知るすべもありません。
 そうした育ち方をした身には、わが成長とともに在った、ひと、本、がありません。

  頼政と名づけてともにあふぎたる樹ありき今もつむれば見ゆる

 こんなうたを詠んだことがあります。その樹とともに在ったのも、ほんの一時期でした。
 住んでいる建物ととなりの建物との間、樹にとって心地よい場所ではなさそうなところに山桜が一本、植えられています。日当りがよくないせいか、「はなび らおほきに」とはゆかず、花はちいさく色も淡くはかなげなのですが、「枝ほそくて」樹の姿のとてもうつくしくしい一本にも、いくひらか、はなびらがしろく ひかりはじめました。わたくしのお花見が始まります。

* 黒きマゴの我の湯舟で湯を飲めるただそれだけの嬉しさに笑む  遠

* イラクの、さらには極東のこの成り行きでは、いまは抑制され制御されている「核」の話題が、善くも悪しくも日本の国に沸き返ってくるだろう事を憂慮せ ずにおれない。
 中国は核を保有し、北朝鮮も事実上保有し、むろんロシアも保有し、少し離れてインドもパキスタンも保有している。政治という超弩級の「悪意の算術」を、 根が不出来な「人間」様が掌握している以上、怖ろしい予想ながら、極東に核爆弾の爆発することは必ず有るものとわたしは信じている。
 個人のレベルでは相応に働く人間の叡智が、集団や国の単位になると、少しも、と謂っていいほど働きはしない例を、現にまざまざとイラクの大地でわれわれ は日々に検証している。ああいうことの、この極東で永遠に抑止しうると夢想する方が、人間の心理的な弱点や油断によほど疎いと、口惜しいけれど予言せずに はおれない。
 問題は、そういう根元的な破滅の事態を、どう一日半日でもだましだまし抑止して日延べして行けるか、悲しいことに人の知恵がそんなことのために必死に使 われねばならなくなる。現に成っている。手もなく、我らの日本は「うろうろ」しているに過ぎない。
 理想的に謂えば、現在地球上で「当然」な顔をして核を保有「出来る」権利の持ち主のつもりでいる、いわゆるアメリカやロシアや中国をはじめとする「核保 有国」に対し「核廃絶と廃棄」を迫る地球規模の「闘争的要請」が組織されねばならないのだが、有効な「手はない」のだと、もう誰もが諦めているのではない か。その諦めの弱みを突いて、北朝鮮もインドもパキスタンも、強引に新たな「核の国」になり、既得権のように振る舞っている。この傾向は遺憾なことに増え 続けかねない。
 映画でだけ描かれてきた核の悲惨と壊滅の近未来が、まぢかに迫りつつあり、わたしたち夫婦の切望している「息子による孫」がもたらされずにいることにこ そ、じつは安堵しなければならぬのではないかと想像すると、フツフツと怒りが滾ってくる。
 黒きマゴよ、せめて我らとともにあれ、ともに最期の日まで。冗談じゃないぜ。
 苛立って謂うのではない、どうかして一度でも東京都があげてある日のある時刻に「鍋叩き」して意思表示を揃えてみたいと、今のわたしは、せめて願う。小 闇@バルセロナの昨日のメッセージを、出来れば心ある人々よ、無数のウェブに流して欲しい。

* 明日ははやエイプリル・フール。約束事は今夜の内に早くしておかねば。もう十五分しかない。明日は麹町で文藝家協会の委員会がある。さぞ疲れることだ ろう、帰りには花をみてあの界隈を歩いてから帰ろう、宵闇にまぎれて。五時ではまだ明るいか。

* 歌舞伎座の幕が開く。今月は近松根源の大芝居「国姓爺合戦」を猿之助の一統が通しで演じ、夜には我當も働く「大石最期の一日」などがある。通しで席が 取れている。楽しもう。
 今日、扇雀丈のはからいで、五月近松座の願ってもない佳い席が取れてきた。感謝。
 鴈治郎の大変化「関八州繋馬」が国立小劇場という濃密な舞台でとことん楽しめる。もう身の幸などということは、こんなことでしか購えないほど、なんだか 混然としている、世の中が。一筋の清冽なものが、つつっと心根の深くへ奔ってくるのを祈願している、そのためには、わたしも動かないと。