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     宗遠日乗 
   
    
闇に言い置く  私語の刻 

    
   

  平成十四年(2002年)七月一日から九月末日まで。 三ヶ月
 



 
  宗遠日乗 「十三」

 
    

* 平成十四年(2002年)七月一日 月

* からだに痛みがあり寝にくかった。黒いマゴに起こされて外へ出してやり、そのまま起きて、辻井喬氏に預けられ た二作から「亡妻の昼前」をスキャンした。「ペン電子文藝館」の読者を勝手に想像し推定するわけに行かない。だが、秦の兵馬俑壙に匹敵する遺跡を偶然発見 した或る中国男性の人生を批評した、題材からして読者の知的好奇心にふれてくるかも知れぬもう一つの「発見者」は、わたしには、やや文学的にたわいなく、 ただ粗筋を読んだように感じられた。そうは言っていけないのかも知れない、この作品は、他の二十人ほどと一緒に或る年度の「文学選集」に採られているのだ が、わたしは、この手の看板はあまり信用していない。
 自分で読み比べ、「亡妻の昼前」は地味であるが筆致に深みあり、胸に残る思いが「発見者」より良いと思ったので、こち らを掲載することにした。審査でなく、二本から選べという辻井氏の指示に従ったにすぎない。「発見者」には興味は惹かれても感銘は受けない。批評としても 軽い。自分の選択にわたしは自信を持つ。

* やっとこさで伊吹和子さんの長大なスキャンを終えた。これは識字率も宜しくなく、校正にずいぶん手間取りそう であるが、川端康成を語り、しかも伊吹さんは谷崎潤一郎によって編集者に仕立てられた京都人でもある。わたしもお世話になっている。スキャンこそうんざり したが、校正しながら川端と谷崎の世界に、二人の素顔に触れうるのは願ってもない。

* 武田麟太郎「一の酉」織田作之助「蛍」島木健作「黒猫」田畑修一郎「鳥羽家の子供」などを「招待席」に招じた い。島木赤彦、若山牧水、また長塚節も。

* お身体、健やかですか?
 今し方ホームページを見て驚きました。29日、土曜日わたしは友人と久し振りの京都を楽しんでおりました。近代美術館 のカンデインスキー展を見て、花見小路で釜飯のやや遅い昼食をとり、前日金曜日に高島屋であなたが見たという三浦景生さんの作品も見ました。6月中にい らっしゃるらしいことは書かれておりましたが・・近いところに「存在」していた偶然を、振り返って深く感じています。
 つかさんと建日子さんの出会い、面白く読みました。
 「ハマ」と「マチ」の意識のズレ、(これはシンボリックな譬えと受け取れば、)わたしの街でもありますよ。ハマのひと は荒いからとよく聞きます・・ただしこれは階層的なものでしょうか? とにもかくにも経済的なことと限らず、さまざまに考えさせられます。
 講演録も読みました。知識人、哲学、日本の近代の歩み・・軽い話であるはずなく・・けれども避けられない今日的な問題 に繋がっていますね。高史明さんの講演もよいものでした。先週、外出の際の文庫本・・電車の中で読むのです・・に、ルース・ベネデイクトの『菊と刀』を読 返していましたので、比較しながら興味深くホームページの文章が読めました。
 新しい月が始まりました。梅雨空が続いていますが、どうぞ良い日々をお過ごし下さい。

* もうよほど前になるがやはり妻と京都に行き、錦を歩いて錦天満宮の境内で牛の頭など撫でていたらしいのを、た またま東京の読者に見られていた、らしい。のちに、あそこにいらしたでしょうと聞かれて、日数を数えれば間違いないようであった。そういうことがあるもの だ。一日違えば三浦景生さんの展覧会で鉢合わせしていたかも知れぬ。
 

* 七月一日 つづき

* 水無月の名越の祓えに茅の輪をくぐった、この私のためにもと聴くと、うち捨てておけない。厳粛である。

* 二十九日のことでございます。通りかかったお宮さんに、みどりうつくしく大きな茅の輪がしつらえられていまし た。
 水無月祓には一日、早かったのですが、「水無月の夏越の祓へするひとは千歳のいのち延ぶといふなり」と唱えながら、 しっとり雨に濡れている茅の輪をくぐりました。秦先生の分でございますと、神さまに申しあげて、先生の分もくぐらせていただきました。
 お具合、よろしくなられたようでございますが、おたいせつになさいますよう。
 いらっしゃった永観堂、青もみじがうつくしくて、と、うかがいますと、そのみどりが映っている見返り阿弥陀さまのおん 顔がおもわれます。あり得ないことでしょうに。
『なよたけのかぐやひめ』を読み始めて、すぐ、音読すべき、と、おもい、最初から声で読みました。うつくしくて、めりは りがあって、読むのがとても心地ようございました。
 読み終って、ほうとしています。
 わたくしが最初に読んだ「かぐやひめ」は、五人の求婚者のところが省略されていました。帝も求婚者としてではなく、姫 を連れてゆかれぬよう、武士を派遣した、地上の王者という役割にとどまっていたように覚えています。築地塀の上に弓に矢をつがえた武者が描かれていて、か ぐやひめは、さあ、どう描かれていましたやら。
『竹取物語』は、ずっとあとになってからでした。それから加藤道夫の『なよたけ』、そして今、『なよたけのかぐやひ め』。
 これから、「竹取翁なごりの茶を點つる記」を、やはり、音読しようとおもいます。
 擬古文というのでしょうか、うつくしいうつくしい、やまとことば。
『源氏物語繪巻』に、侍女の読む物語を聞きながら繪を見ている浮舟を描いたものがありましたが、浮舟の聞いていたのも、 こうしたうつくしいやまとことばだったのでしよう。彼女が、見、聴いていたのは、『竹取物語』だったのかも知れない――。
 水無月三十日は母の命日でした。ベランダに咲かせた紅花と、終りちかくて色も薄く花もちいさい都忘れを手向けました。
 先生がベッドの母君のお写真をご覧になるのを避けられたお気持ちを、お思い申しております。わたくしは母の衰え、壊れ てゆくさまを、見ざるを得ない立場におりました。生命維持装置というのでしょうか、幾本かの管を抜きたい、抜いて苦しみを終らせてやりたいとおもいつつ、 とうとうそれもせず、不徹底なことでございました。
 齋藤史先生には、ご容態がかんばしくないとうかがってからは、お目にかかるのを差し控えました。逝かれる三ヶ月前にお 逢いした折の、薄化粧をしていらっしゃって、おうつくしかった姿を心にとどめておきたい――。わがままをとおしました。悔いはありません。
 先生の母君へのお思いとは、べつ、較ぶべくもなく、また、較べられるものでもありませんが、お母さまのお写真のお話か ら、思い出したことども、ずらずらとつらねてしまいました。
 湿度がたかくてすっきりしない日でございます。お風邪のあと、お大事にお過ごしなされますよう。

* 「竹取翁なごりの茶会記」は、いわば戯文の一種であるが、本気で古文で書き表してある。そういう逸文の伝来し 消滅しかけていたのを、かろうじて平成の「秦のつねひら」が写しとどめたという趣向になっている。源氏より少し後れ、讃岐典侍日記よりは溯るかという辺り の言葉遣いを試みたが、それはともかく、古文になじまない読者には気の毒であったし、ラクに読める人には好評をえているようだ。いちように「はたさんらし い」とか「はたさんならでは」と言ってくださるが、語法や句法に見る人が見れば滑稽な過ちも混じっているだろう、そういうことも教わりたいものである。
 それとても、ただ技術的な興味から書いたモノではない。やはり竹取物語への情愛がさせた戯れ書きであろうか。

* このところは、まして、毎日『なよたけのかぐやひめ』への全国からの払い込みが届く。それがまた作者への数多 い親書の山を成すので、お金のことなどより、わたしはそれが楽しみである。そのなかに、「遠い遠いあなた」という「掌説」にふれて、目にピカッときた一通 があった。この掌説は以前掌説集に別の題で入れていた。だからというわけではなく、しかも、これだけは「この木なからましかば」と覚えました、と。徒然草 の言葉であり、昔、高校へ入って、国語ですぐ習った。記憶にある人も多かろう。風情のいい山里のとある家の庭にみごとに実のなる大きな木が生えていて、あ あいなと思うと、根回りが人を寄せ付けず、厳しくかこってある。興ざめしたのである。「この木なからましかば」と兼好さんは吐き捨てていた。この授業を聴 いたその時間のこともありありと覚えている。
「遠い遠いあなた」だけが「かぐやひめ」を描いて峻烈なのである。姫は天上の「ひとでなし」として永劫牢のなかにあり、 地球の男を待っている。そんなものすごいことを僅か計四枚、前半有り後半ある掌説にしてある。だれかが、これから一編の小説が書けるなどと言っていたが、 もう書けるだけは書き切ったと思っている。これを入れると「ぶちこわしじゃなあ」と思いつつ、しかしこの一冊に「かぐやひめ」原稿を皆入れておこうと欲を だした。それが咎められた。参りました。
 咎めてきたのは、京都の新制中学時代、一年下に転入してきた女子で、高校も一緒だったが、わたしの一年後に、東大に受 かったと聞いていた。本郷台の医学書院に勤めていた頃、この人と、東大構内でパタッと出逢ったことが一度あった。中学時代には口もきいたことのない人だっ たが、こっちは上級生で生徒会長なんぞしていたし、向こうは「天才」だという噂の主ゆえ、双方で覚えていたのである。彼女はまだ院にでもいたのだろう。
 湖の本には、創刊以来激励し支援してもらってきた。フランス語等の翻訳書が何冊かあり上手なエッセイも書く人である。 そういう人の「この木なからましかば」は、真っ向を打たせてしかも快いものであった。

* そしてやはり今日、メールボックスに投げ込まれてきた数多くの詩編は、またもう独りの知性の、いや軋むほど鋭 い感性の、燃えるまぼろしを握りしめた呼び声・うめき声である。今度のこれらは、炎あかく澄んで、よく燃え立っている。推敲もほぼできている。
全部は「e-文庫・湖」におさめた。
 詩の整いはこの人の思いにはあるまい。生きることも整わないのに、なんで詩が整いでありえようか、と。
                                 
* 蒸し暑き夜が続いています。風邪気味だとのこと、少しはよくなられたご様子に安堵しながらも、天候不順の折りのこと ゆえ、くれぐれもご用心。
 青葉の京都はいいですね。紅葉よりも好きですよ。
 休日も時間的に旅行が無理な最近は、映画を観ることが多くなりました。先週のお休みには「アイ・アム・サム」を観てき ました。
 知的障害を持つサムと娘の、お互いを求め合う愛と、思いやりの心。周りの人間関係にも変化をもたらす純粋なサムの愛。 障害を持つがゆえに偏見の目で見られる本人たちのことを、哀れみや同情心を持たずに観ることができたことを嬉しく思いました。少しの怒りはありましたけれ どね。最後のハッピーエンドまで涙をボロボロこぼして観ていました。「花籠」によい水が満たせました。
 今日、久しぶりに寄った本屋さんで「ミマン」を見つけました。虫食い短歌の前ページに、徳島のことが掲載されていまし たね。紹介されていた蓮の花は本当にダイナミックですよ。背丈を越すほどの茎丈と、その葉の上に揺れる花。早朝に、一面の蓮田にピンクの花びらが開く様は 見事! というしかないのです。残念ながら、今はそういう風景を目にすることのない生活になってしまいましたけれど。懐かしい思いで紙面を見ていました。
 出題されていた、短歌。雑踏の中で見つけた「わが子」の顔は、少年の面影を残しながらも、もう一人前の凛々しい顔をし ていたのかな?
 話は変わりますが、最近、ようやく「月」様のホームページを拝見することができるようになりました。というのも、六月 の四日からネットへの接続が出来なくなっていたのです。原因はいまだに分かりませんが、たぶん環境の悪さからのものと思われます。ヤフーのADSLでの接 続でしたが、不通の問い合わせにもメール使用とのことで、携帯電話では無理なこともあり、解約をしてNTTへ変更を申し込みましたが、その時の説明では、 限界が4〜5で、わが家は4,5のギリギリの位置にあるらしく、「接続しても途中で通じなくなることもあるのでその旨了解しておいてください」とのこと。 ヤフーも回線はNTTを使用していましたから、原因がそれであれば同じことの繰り返しになりますものね。
 現在はケーブルテレビで、インターネットへの接続をしています。
 

* 七月二日 火

* 会議に兜町のペン新館へ出向く直前だが。
 今夜のフジテレビ十時十五分(以降は毎週十時始まり)で、秦建日子が単独担当の脚本を書く連続ドラマ「天体観測」がス タートする。昨日人に読者のメールで教わり、今日さきほどテレビの予告で、他の新スタート二本とならんで内容を紹介された。失礼ながら他の二本は、ちらと 場面をみただけで願い下げのクチだが、「天体観測」には小雪という若い女優が出てきて話してくれた内容、また写真の何枚かをみたかぎり落ち着いた「空気」 が感じられ、ウンこれなら建日子らしいな、建日子らしい題材のようであるなと好感をもった。原作モノであるのかどうかも知らないが、彼の思いが素直に出せ る設定のようであり、わるくフザケないで落ち着いた若い生活を感じ考えさせるドラマになればいいと期待をかけて、ここに触れておく。

* 会議は普通に終わった。「ペン電子文藝館」では、一つ二つ技術的なことがわかった気がしたが、まだ確かめてい ない。山田座長の方から電メ研として具体的な二つの提案があり、それに沿って話し合った。八月もやろうと決まった。おいおいにわたしの電子メディア委員長 も譲って、山田氏に働きよい環境にしたい。

* 六時に終えて、今日も和食で酒を楽しんできた。建日子の「天体観測」を宣伝すると、店の美しい人が、すばらし い、すばらしいと感激して、家に電話してビデオを頼んでおきますなどと言う。うまくスタートしてくれるといいなと思いつつ、帰宅。
 

* 七月二日 つづき

* フジテレビの連続ドラマ「天体観測」の初回は、期待を裏切らず落ち着いて静かに展開した。騒がしくないのがい い。「生きた空気」がドラマを終始流れていた。当然そうあるべきでいて、こういうことは、めったに無い。ことさらに品下がる「騒ぎ演技」を客が喜ぶものと 決めてかかった、フザケ芝居がたいていだ。わたしは殊にそれが、嫌い。
 ドラマが、質的な自然さと、濃度を持った「空気」とともに推移していれば、見ていられる。そうでないと、ただ軽薄なツ クリモノだ。
 青春と青春後期を描こうとしている。大学一年生たちの思いつきで始めた「天体観測」サークルに寄った七人の仲間たち が、卒業して数年後に再開する。あたりまえに皆が幾重にも折り重なる記憶とその後の歩み・環境をもっている。設定は、普通のもので、特異さは特にないが、 それが成功していて、あまり無理がない。しかも今日ただいまの現在進行形であるのも見やすい。ことに私からすれば、東工大の学生諸君の中でも一番ながい付 き合いは、新任の年に入学してきた人たちで、そういう諸君の顔も思い浮かべる。今夜も、ぜひ逢いたいとメールをくれた丸山君、柳君たちの学年だ。建日子の ドラマは、ほぼ今の柳君や丸山君の時点を書いているのであるから、私としては、馴染みの深い群像だということになる。一作家教授なりに、彼等のことはかな り知っている、外も内側も。興味深いのである、建日子が自分より半世代あまり若いその辺の青春や青春後期をどう描くか。
 建日子は、早大在学の学生としては、学業や学問的には問題にもならない怠け者のようであったが、そのかわり、かなりワ ルク遊び回っていたのがこのドラマに役に立ってくるだろう。そういうのの生かせる、つまり「実感」のもてる・だせる題材を書いたらどうかね、と、よく苦言 を呈してきた。人殺しドラマなんて、実感では書けないし、書くだけの腕は出来ていない。それにおよそ意味がない。わたしの目からは悉く失敗か不出来かなの も無理ない。
 だが今度の題材は、いかにも建日子にふさわしい。ふっくらとした彼の美点が、すこしあわれに甘くでてくるのではない か。息子はわたしのようなワルではない。心優しいストーリーが展開するのではないか、それも、今回は適していると思う。大まじめに書いてみればいいと思 う。
 初めて、いろいろな意味で「安心」できて、悦んでいる。親バカであるが。

* 秦先生 是非お会いしたく。
 いよいよ暑くなってきました。
 役所の7月は大きな人事異動の時期。私のところも替わる予定で、新体制で落ち着くまでは、バタバタとした日々が続く事 と思います。
 さて、柳とも相談をしたのですが、是非、先生とお会いして色々とお話を、と思っております。ついては、調整役を柳に仰 せつかりましたので、先生のご予定を確認させて頂きたくメールを出しております。
 やはり、土曜日の方がそれぞれ落ち着いて過ごせるので良いかと思いますが、7月の何れかの土曜日でいかがでしょうか。 これらの日であれば、今のところ私も柳も大丈夫です。
 場所は、3人の住まい等を考えると吉祥寺か、あるいは新宿かと思っておりますが、いずれにしてもどこか良いお店がある のであれば、何処へでも出て行こう、という気でおります。もしお任せ頂けるのであれば、私と柳で良いお店を探してみます。
 取り急ぎ、ご予定の方を先に、と思っております。よろしくお願い致します。丸山

* よろこんでいる。どこへ連れてゆこうか。

* 伊吹さんの「川端康成 瞳の伝説」の校正を初めて、編集者時代を思い出す。医学と文学では大違いにしても。おもしろい。そして、これは、おのづから昨今の編集衰退時代に一石を投 じることになる筈だが、いやもう「前世紀の遺物」と珍重されて終わるのかも知れない。せつない。
 

* 七月三日 水

* 伊吹さんの「川端康成」をだいぶ校正した。純然の批評とちがい、編集者として近侍した人の回想であり、礼節と 情愛が先行し自ずとそれが長短をなすのは致し方ない。大きな作家のごく身の傍まで近づける面白さ興味深さがあるにしても、賛美的に終始するのとつき合うの だから、かなりこちらは受け身になる。反り身になる。編集者の書いた作家との日々の回顧は数多くあるが、野原一夫さんの太宰治のもの、小島喜久江さんの檀 一雄のもの、伊吹和子さんの谷崎潤一郎とその家庭のものなどが近年は評判であったろうか。作家論風であるようで、そうではない。まして作品論としては手薄 な感想に流れがちに思えたものだ。筆を曲げているとは思わないし、伊吹さんの場合はことに京都の人のたくまざる仮借のなさがちらちらとよそ事の方で光り、 源氏物語など、こういう古御達の口でもの語られていたのだろうなと思い当たるおかしみ、これは有って佳いのであるが、わたしが『神と玩具との間 昭和初年 の谷崎潤一郎と三人の妻たち』を書き下ろしたときに、資料以外には用いず、一人として濃い関係者や登場人物には執筆前の接触を避けた、そうして筆の自在を 確保した、丁度その避けた理由のようなものが、編集者による評伝の場合は、避けようがない。好く知っている利点と、知っていると思うための筆の重さや薄さ が、避けられていない。そういう感じが、読んでいて残る。

* 捜して捜して見つからずに困惑していた資料がやっと物の下の方から拾い出せて、これで、三省堂の仕事に弾みが つくだろう。こう身の回りがモノの山というより山なみになってしまうと、容易に踏破できない。

* 三田誠広氏にもらった『角王』というシリーズものの、最初巻を読んでみた。敦賀の地名の起源に置かれている漂 来の神人、額に異形の角あるミマキ皇子を主人公に、これが崇神天皇となる設定の神話的物語で、文章はブッキラボーなほど簡潔で読みやすく、しかし読みやす いも難いもない、たわいない、字で書いた劇画的「おはなし」である。背後にある日本書紀や古事記やその他の文献や神統記的知識をほぼ十分にもち、ことに近 江のそれには親近感と調べた体験もあるから、そういう背景を浅く滑ってゆく爽快感で読み進み読み終えるのは簡単であった。知識のない人は、いろんな名前に 躓き続けるかも知れないし前後の境目を見失うと混乱するだろう。二冊目も贈られてきたら、わたしはすぐまた読むだろう。こういうシリーズは、一冊目より二 冊目三冊目がより面白くなるということが不思議に少ない。そこを三田君がどう切り抜けるのか腕前を楽しみに見たい。

* 西鶴の好色五人女。お夏清十郎、樽屋おせん、おさん茂右衛門、お七吉三郎、おまん源五兵衛。これは、しっかり した女たちの物語である。心の自由で、掟の不自由に挑発的に挑戦してゆく魅力的な生き生きした女達が書かれている。作者による潤色がよく生きていて、実録 はもっとアッサリした端的な悲劇だったに違いない。
 だが、さて。これは西鶴作品として名高いけれど、確証は極めて弱い。西鶴その人の影は甚だ薄い。森銑三先生は、生前、 言葉を尽くして西鶴の真作と確実に信じられるのは、浮世草子では「好色一代男」がただ一つ、他はことごとく怪しいと熱くも論証されていた。森説はほとんど 学界の受け入れるところでないが、「一代男」を読んで直ぐ「五人女」に転じたとき、しばらく、わたしは、これが同一の筆とは思いにくかったことを書き留め ておく。むろん、あ、この辺は西鶴らしいなと、つまり「一代男」の筆付きに近いなと思うこともままあったが、ひどくかけ離れて感じたことの多かったのが事 実。
 ま、そんなことは専門家に委せるが、と言いたいが専門家というのは存外だか当然だか甚だ保守的で、森先生の説のような おそろしい議論には近づこうともしない。真っ向から反論した例も知らない。しかし森銑三著作集のなかでも、このことに関して森先生は堂々の大論を収録され ている。ただの無視では済むまいに、全く放り出したまま、一人として真正面からぶち当たろうとしない専門家達。どうした、どうした。お高くとまっていると は、それであろう。お高いどころか、碩学の胸を大いに借りて力を尽くしたが良かろう。

* 日立の重役、最後は日立セミコンデバイスの鑑査役まで勤めて、とうどう会社生活から引退した友人が、『鑑査役 短信』なるプリントの冊子を送ってきてくれた。以前に、「なにか書けよ」と奨めておいたが、やはり立場上か、わたしのように「闇に言い置く 私語」ではなく、企業内の公的な言葉を取りまとめたようだ。自然と、情報や資料や数字での判断や見解や見識が書かれる。そうか、彼の持ち前の読書等から得 た知識を介して、彼の思いがやや重々しく公的な出で立ちで出てくるのは、やむを得ないだろう。だが次回は「私語」による述懐や意見や思索を読ませて欲しい と返事を送った。
 彼とは、弥栄中学から日吉ヶ丘高校まで一緒、大学も専攻も別々だったが、後年に東京で再会、他の友人達とともに何度も 旧交を温めた。その中には昭和石油の社長になったのも、原子力関係の大きな組織で上の方までまだ勤めているのも、いる。片岡我当のような大きな歌舞伎俳優 もいる。
 これらの新制中学仲間十人足らずで、「文藝春秋」同期生たちのグラビア頁に写真を撮られたことがある。祇園さん、八坂 神社の境内に並んでいい写真になったし、新制中学の同期だけで、よく顔ぶれがこう揃いましたねえと感心してもらったりした。
 みな少しずつ役員生活からもリタイアして行く。わたしは、理事や選者や委員からはいつリタイアしても構わないが、それ 以後もいつまででも、仕事の出来るうちはして今までどおりしてゆくだろう。幸福なのか、それだけシンドイ仕事なのか。
 

* 七月四日 木

* 先生から勧められた中村光夫「知識階級」を読みました。
 大変、心動かされました。
 勧めてくれた先生に心から感謝しております。

* 東工大の卒業生からの端的な挨拶である。嬉しい。若き社会の新知識人たちに、ぜひ読んで置いて欲しい、かなら ず何かをもたらすであろうと思う論考で、しかも読みやすい。中村先生の奥様がこれをとご希望になったことに深く頷いている。有り難いこと。

* 岩波茂雄の「読書子に寄す」は岩波文庫創刊の宣言であり、誰が仮に起草しようとも岩波茂雄その人の出版人とし ての理想と意思の結晶した、歴史的な大文章として、ぜひ新たな目で読み直してもらえるといい。加えて「回顧三十年」は、絶筆ともなって中断したままの談話 筆記であるが、本人が熱心に手を入れて成ったという述懐の長文である。ここに、出版人として唯一文化勲章を受けたことがあまりに当然自然な、理想的実践者 のほぼ公人としての全部が語られている。

 ( )品あり 岩波文庫「阿部一族」 

という六林夫の秀句の虫食いを、東工大の教室で埋めてもらったとき、断然多かったのが「気品あり」であった。原作 は「遺品あり」である。戦死した兵の遺品に岩波文庫の森鴎外作『阿部一族』があった。それだけの、しかし巨大な衝撃波を秘めた世界一短い戦争文学である。 だが大方が「気品あり」としたところに一つには鴎外作品の、また岩波文庫への畏敬の念が生きている。東工大では「阿部一族」が鴎外作とまでは分かる学生 も、たいていは読んでいない。なかみは知らない。だからこの「気品」は岩波文庫により多く感触されていたと読んでいいだろう。その根元のところを、岩波茂 雄は「回顧三十年」に語り尽くしている。同時にそれが、はからずも近時の出版と出版人への痛烈無比の批判とすら成っていることに、頷き、共感する人は多か ろう。
 こういう人がもっと各社にいたら、そしていい出版をしていたらと、慨嘆久しくする。

* この岩波茂雄の文章をわたしに提供されたのは、電子メディア委員会の、中川五郎委員である。中川さんは寺田寅 彦の『喫煙四十年』をもたらし、高木卓の『歌と門の盾』をもたらされた。有り難い同僚である。

* 島木健作『黒猫』がおもしろかった。我が家の黒いマゴは華奢な少年だが、島木健作が最晩年のむなしかった闘病 の床から接していた黒猫は、雄偉にして堂々、諂うことも音をあげることもない。時は昭和十九年から敗戦の二十年へかけてで、作者はこの黒猫をとおして、時 代と人間の脆弱と汚濁とを見据えていたのだろう。その筆致は正確で、感傷的でなく、志賀直哉の『城の崎にて』に文学の姿勢として近似している。のちの尾崎 一雄の『虫のいろいろ』もそうか。優れた文章の持つ落ち着いた静かさも深さもあり、懐かしく読み返した。

* 若くして逝った立原道造の詩集『萱草に寄す』『暁と夕の詩』もぜひ「招待席」に入れたい。確実に七月中に、 「ペン電子文藝館」の収録展示は百六十人に達するだろう。これこそが、日本ペンクラブだから出来る文学活動である。わたしの思いには早くから「データベー ス日本文学者の年譜と業績」が用意されていて、理事会でも一応発言してあるが、完備したデータベースを備え持ってこその、世界的な文学団体だと思う。こう いう発想が必要なのだ、百年二百年の礎石としても。
 

* 七月五日 金

* 昼に連続モノの、お気に入りの「ニキータ」を。この極限状態を過酷な任務に生きるしかないニキータの、張りつ めた綱の上の演技が、たとえ作られた物語とはいえ、いつも胸に残る。夜はエディ・マーフィの「ネゴシエーター」がけっこう面白く、ヒロインの黒人がとって も可愛くて参った。そして「ER」だ、どうするとこんなドラマが撮せるのか、この映画を観るときだけは、現場に行ってみたい。
 遊んで暮らしたのではない、これらの時間、日本の古代から幕末に至る詞華集の全部を読み、目指すモノを拾い出し続けて いた。映画を片目と片耳で聴きながら、優れた日本の和歌俳諧の主要作品の全部を読んで点検した。感銘を受けた。

* 「天体観測」は、昔の「夏物語」風のドタバタの軽いドラマ(これがさんまと大竹しのぶを結びました)でなく、 (私は観ていませんが)むしろ評判のよかった長瀬智也主演の「白線流し」の系統で、建日子さんの脚本がしっかりしていて、これからが楽しみです。
 テレビ局とは企業であるだけに恐ろしい処で、視聴率が低いと、ストーリーを変えて、予定より少ないクール数に打ち切る ケースも間々あるらしい。尤も視聴率を稼いだ折には、スポンサーからハワイ旅行のご褒美が末端の裏方にまであったのを聴いています。不景気な昨今ではどう ですか。
 日曜日のNHKで放映の、お好きなミポリン(実は私も、昔から歌手でなく女優としてのフアンです)が、ベストセラー小 説「アルケミスト」の世界を追体験して、スペイン、モロッコ、エジプトへと旅する番組がありますよ。

* 岩波茂雄、近松秋江、島木健作、辻井喬らの作品を明日には入稿出来る。いずれも起稿し校正した。とても気持ち の佳い読書、感銘を得た読書であった。
 

* 七月六日 土

* とうどう伊吹和子さんの長い『川端康成 瞳の伝説』を読み終えた。これは川端さんを書いたこと以上に、ひところの編集者が、いかに作家と協働していたかを証言する、その面で貴重な文献の一つにな るだろう。その意味で面白くも興味津々でもある回想録である。川端康成がとても美しく優しく書かれている。氏の晩年の憔悴と荒廃を伝える他の幾つかの証言 も目にしてきた。それらからすると伊吹さんの川端晩年の像は無垢に穏やかに光り輝いている。誤解をおそれずに言えば、作家と編集者の双方に信頼と愛とがあ る。校正という作業をしていたので時間がかかったが、ただ読み通すには読みやすいものである。伊吹さんを幾らか存じ上げている。私としては谷崎先生との縁 で近づきを得ていた伊吹さんであったが、谷崎家とはいろんな屈折もあり、ただ安らかな日々ではなかったろうが、川端康成の担当編集者としてはこの上なく幸 せな人の一人であったと心和む。

* 山本健吉さんの遺された詞華集から、或る目的で沢山の和歌や俳句をこの機械に書き写した。全体のまだ半分しか 出来ていないが、和歌や俳諧のすぐれたものに触れ直すのはこころよいものだ。優れた日本の固有の藝術である重みが、とどこおりなく胸におちて理解できるし 鑑賞できる。

* 田中康夫長野県知事の県議会による不信任決議は、数で押し切った暴挙と思われる。この知事に至らぬ所の有るの は目に見えているが、基本の考えは、極めて明快に正しい方向へ向いている。それは田中真紀子前外相の場合と同じ事で、こういう政治家を国民は育ててゆくこ とに希望を繋ぎたかった。よってたかって押しつぶしているのは、自民党型の古い政治屋感覚という以外にない。議会に不信任された田中氏が、県民に再度支持 されて当選して欲しい。

* 「郵政」の法の落としどころをみると、なんだこんなことかと、総理の一里塚発言もぶざまな照れ隠しのようにし か聞こえない。もし功ありとせんか、この煽るで有事法、個人情報保護法、人権擁護法など札付きの悪法が審議未了になりそうなことか。
 

* 七月六日 つづき

* 送られてくる会員の原稿が十分に校正されていないのに、悩まされる。よく読み返していないのだ。詩歌作品の場 合はとくに「読み」に気をつけねば「うた」の調べも崩れる。特殊な言葉づかいをしているときは、ルビをふって読者を助けて欲しい。日本の熟語には正読法が 無い。一例が「大山」も「おおやま」か「だいせん」かは作者にしか分からない。まして当て字にあて送りがながしてあると、誤記なのかどうかも読者には分か らない。「嘆ち」とあると、推察して「かこち」だろうかと想ってみても、漢字にその意味は無いのである。たぶん「嘆き」の誤記だと想うが、勝手に変えられ ない。すると問い合わせに余分の時間と労力と費用がかかる。
 事務局で、会員から原稿を送ると言ってきたら、「どうか、もう一度念のため校正してから、お送り下さいますよう」と、 一言念を入れてくれるだけでも助かるのだが。これまでも、ずいぶん委員会の中で苦労している。何度も言うが、作者の責任だしそのまま載せてしまえという考 え方もあるが、「ペン電子文藝館」は日本ペンクラブの仕事なのである。及ぶ限りは正確な原稿を送り出すのが当たり前である。当たり前はシンドイものであ る。

* 鳴り物入りで前宣伝した「東京物語」を見た。松たか子に惹かれてである。この若い女優は底光のしたホンモノの 魅力である。期待に背かなかった。八千草薫と宇津井健の東京へ出てくる尾道の老両親も思ったより無難にやってくれた。野田高梧の脚本、小津安二郎の名作 だった。それには及ぶべくもない、何よりもカメラワークが凡庸で、演出もあまりに平凡。脚本にも、平凡の非凡がない。室井滋は騒がしい。人間の騒がしいの は性格であり構わないが、演技としてもっと静かな騒がしさも可能な筈である。他も、可もなく不可にちかい。味わいがない。ミス・キャスト。そして母の卒去 と遺骸の前での愁嘆場は、これはどんなふうにやっても泣かせるわけで、ドラマの力ではない。
 かつては原節子の嫁、柳智衆の舅、姑はふたしかだが東山千栄子ではなかったか。これは言うまでもない感動作であった。 それを実現したのは脇役達のちからでもあった。主役だけでドラマは成り立つものでない。鳴り物入りで見せようなら、もっと適役を脇に揃えるべきだった。 チョイ役で手伝っていた竹中なんぞに、一度長男役を渋く演じさせてみたかった。

* こういう「生活ドラマ」が増えて欲しい。もう「人殺しドラマ」は飽き飽きしている、数を減らして欲しい。「人 殺し」ものと分かると、わたしは直ちに見るのをやめることにしている。
 

* 七月七日 日 七夕

* 「東京物語」私も観ていましたが、途中で寝てしまいました。リメイクは総じてオリジナルを越す事なく、あの時 代だからこそ、小津安次郎の描く世界、子供達から見放され、唯一、絆も少ない次男の嫁の優しさに救われて故郷に帰る老夫婦の心情が汲み取れるので、あの話 を現代に置き換える事自体に、無理があります。私達が今、親を身近に看る、もしくは同居の慣習の最後の年代にあり、端的に言えば、縦型家族制度の崩壊を自 認出来る世代の最初だと、最近友人ともよく話題にします。あの話が現代に対しギャップがあり、違和感があるのです。

* この読者の感想は適切で、体験者世代の苦々しさも感じ取れる。たしかに現代では、昨日放映の「東京物語」ふう の子供世代の在りようこそが一般で、日頃は親のことなど構ってもいない。松たか子のようなお嫁さんを泪のでるほど憧れた老夫婦が多かったろう、我が家でも 「ああいう嫁さんがいたらなあ」とは苦笑いしたものの、現実には松たか子やまして往年の原節子ふうのお嫁さんは、もはやお伽噺でしかない。「縦型家族制度 の崩壊を(身を以て)自認出来る世代の最初」が我々だというこのメールの主の自覚は厳粛である。わたしなど、ずっとずっと早くから横型社会、親子よりも夫 婦が軸の社会こそ今は自然だと言い暮らし実践してきた。それでいて、親たちのことをアタマから見放したことは無かった。十分ではないのを気の毒に思いなが ら、私も妻も、親たちに意識の、体力の、多くを傾け続けた。
 今はそうは行かない。娘は、不幸な婚家の事情から、十余年、親に顔も見せていない。息子は三十四歳すぎて妻子もない。 構わないではないか、とは思う、が、幸せな親であったかどうかは、歳月とともに疑いを深めるであろう。そして諦めをもつだろう。
 
* 原節子、そして柳智衆・東山千栄子の昔には、観客もまたこの親をあわれみ、この嫁に嘆美の思いをもち、幸いにうちで はそんなことになっていないと思える家庭が多かったのだろう、だからヒットした。いや内心に迫る不安がひたひたと現実味を帯びていた、だからヒットしたの だ。だが、今はこんな例ばかり見聞くようになっている。その一半の理由には、親世代の夫婦仲の不安定が指摘出来るだろう。宇津井健・八千草薫のような穏や かに仲のいい老夫婦が世に満ちあふれているわけでない。あれすらもお伽噺めくと自嘲している夫婦や親子があまりに多くなった。子の世代だけが責められてい いのではない。

* 原節子は最も早くにわたしの愛した人であった。映画など観られる日々ではなかったが、ナショナルか日立かどこだか、父の電器屋には企業から届くカラーのポ スターという恩恵があり、狭い店の中に原節子の美しい笑顔がよく見られた。街へでれば化粧品の店などにも原節子は健康な美貌、最高の美貌を惜しげもなく中 学生のわたしに向けてくれていた。気品、清潔、健康、端正。最も望ましい女の魅力の全部をこの女優は持っていた。魅力的な女優はたくさんその後に見てきた が、原節子の美徳とはおおむね逸れていた。美しいが下品であったり、可愛いが端正ではなかったり、気品は感じられても弱かったりした。さきの八千草薫など は佳い方であった。松たか子でも、魅力は十分で品もいいが、原節子ほど美しくはない。その意味で、遠くまだ及ばないけれど澤口靖子をわたしは原節子以来か なあと期待している。
「お嬢さんに乾杯」「山の音」「麦秋」「秋日和」「東京物語」 なつかしい。

* 夥しい数の和歌や俳諧を書き抜いてみた。目的があって、それに添ったものを選んだが、そのついでに、目的に 添ってはいないがビックリするほど美しい、面白い、唸ってしまうような和歌にも俳諧にもたくさん出逢う。千ではきかない。いいなあ、こういう伝統とこうい う名歌秀句を魂の糧としてもっているのだ、いいなあとつくづく思う。よく選ばれた詞華集を、みなが母子手帳や年金手帳ほども大事に身の傍に愛蔵し所持する ようだと、どんなにいいだろう。

* 妻は、わたしが、病気でないのに連日一歩も外へ出歩かない生活になってはいけないと言っている。同感だ。だ が、このままだと、どれほど気を配って活性を身内に送り込んでも、ほぼボランティアの忙しさが、わたし自身を立ち枯れさせかねない危険は在る。幸い「文字 コード委員会」から解放されているし、電メ研座長も山田健太氏に請うて、委ねた。すぐ割愛しても差し支えないのは文藝家協会の知的所有権委員で、「公貸権 基金声明」なども、委員会は開かぬまま理事会レベルで勝手にトコトコ事が運ばれている。それなら有名無実である。
 いまわたしに課されているのは、ペンの理事、電子メディア委員長、電子文藝館主幹、言論表現委員、そして京都美術文化 賞の財団理事と賞の選者。このうち電子メディア委員長は、出来れば直ぐにも山田氏に譲った方が、彼も仕事がしやすい。そのためには理事も退いた方がいいの なら、そうしたい。わたしの意思一つで山田氏に理事を譲るわけにも行かない、そこがもどかしい。
 家に引きこもり切るのはたしかに良くないだろう、が、自身を「忙殺」するのも愚かしい。投票する会員の意思もあり、自 分一人で進退できないところもあるが、悩ましく、来春までをああもしこうもして模索してゆくことになる。
 

* 七月八日 月

* 言論表現委員会。猪瀬委員長大忙しで五時半過ぎには終えた。九月の図書館問題でのシンポジウムのパネラーな ど、そそくさと決めて。七人もが各界から出るとなると、例によって散漫・放漫のおそれ少なからず、司会の手腕でかなり変わるだろう。シンポジウムというも のに、わたしも何度か参加しているが、お祭りでこそあれ、さて、何がそこから生まれ出たという結果の見えにくいものである。やっています、やりました、と いうだけに終わることが多い。

* 一目散にクラブに入り、独り、ゆっくり洋酒をたのしみながら、うまいサイコロステーキとクラブサンドイッチ。 そしてコーヒー。あれでスタンドの電気がもうすこし明るいと読書しやすいのだが。ヘネシーを二杯、ブラントンと山崎を各一杯、むろんいつものようにダブル のストレート。サントリーの山崎を置いてみたが12年ものでも実に柔らかくうまい。堪能した。
 四月の年度替わりでメムバーに、クラブからワインが一本サービスされた、それを家に持ち帰った。洋酒のボトルは分けて 独りでものめるけれど、ワインはあけたら飲んでしまうしかなく、しかし、独りで一本飲むのではツマラナイからと、包んで貰った。

* アメリカの懐かしい友達から、また東京へ出てきた時の河田町新婚新居のアパートの大家さん、そこのお嬢さんか ら、メールが届いた。まだ小さかったお嬢さんの子供達がもうとうに大学も卒業している。「キョウコちゃん」などと呼ぶどころか、うかうかするともうおばあ ちゃんになっていかねない。参るなあ。

* 建日子が隣へ帰ってきて一心に「書いて」いるらしい。まだ顔も見ていないが、プロデューサーの顔色をうかがい うかがい、大変なプレッシャーらしい。

* ラボ教育センターの三沢氏から「なよたけのかぐやひめ」の注文が入った。絵本、希望者には特別に販売するよう だ。

* 建日子と一時間半ほど歓談。また仕事に戻っていった。遅くまでやる気か。スケジュールと進度とを聞いている と、余裕をもって書き続けるのは容易でないだろう。身体を労って、ねばりづよくやって欲しい。保谷に帰ると安心するのか、つい寝てしまうようだ。

* 長野の田中知事は、議会の解散は避けて自身が「失職・立候補再選」を考えるのではないか。すると任期は新たに 四年になり、議員達はちかぢかに任期切れとなり、定員減の状態になる。本音は知事の手で議会も解散され再選任期延長を策した、そういう不信任可決であった ろう。田中康夫ならそんな思惑に肩すかしする演戯力があるだろう。それを期待。

* 石原都知事の「作家としては格がちがうよ」という冗談とも思われない発言は、片腹痛い。たかが石原慎太郎、人 に向かって格がなどといえる作家だとわたしは思ったことがない。田中康夫と比べて俺の方がと腹の中で思っている文には構わない。まともな物ツクリほど腹で は皆そう思っているだろうし、それは当たり前であるが、あんな風に口にしたときから、格も品もいたく下がっている。バカなヤツだ。
 

* 七月九日 火

* 六月初めの「本とコンピュータ」夏号、図書館小特集に、編集部で「著作権の確立を図書館ととともに考えたい」 と表題した一文を、請われて、出した。図書館側の人達からは歓迎されていた。
 わたしは、ペンの言論表現委員会が最初にこの問題に火をつけた「ペン声明」議論のときから、終始この考えで、「図書館 の不見識」をアタマごなしになじり決めつける声明、それも「新古書店」問題といっしょくたの扱いはおかしいと、著作者側の姿勢にいちまつ気はずかしい増上 慢すら感じていた。そして数日の内には中日・東京新聞の特集にも、公貸権に触れて、六月下旬に渡して置いたわたしの原稿が載るだろう。
 昨日の言論表現委員会で猪瀬氏が配った、週刊誌連載中の「ニュースの考古学」(七月四日号)では、彼もまた、「図書館 と著作者が連帯して『公貸権』を」と、やっと、まともな方向・見当をつかんだ記事を書いている。これは上のわたしの新聞原稿と自然連帯した発言であり、し かし、「公貸権」にしても、西欧制度の受け売り・直輸入では、基盤にある「図書館」の歴史的な素質の差異や制度的なものの差異を無視した「思いつき」の浅 さで躓いてしまうだろう、そうではなく、日本の図書館活動と通底した理解のもとに「協働」してよい日本タイプの公貸権を試作してゆく姿勢が必要と、私は、 みている。考えている。
 明治維新の頃の何が何でも西欧制度のうわべの「知識」だけ直輸入に似たことを、この時節早まってやると、まとまる道筋 もふさぎかねない。考えが浅い。知識で動く運動はたいがい軽薄で推進力に欠ける。宇治川の先陣争いは不要で、落ち着いた協働のなかで、戦略的に方角を見失 わない方がいい。
 その意味では、倉卒に企画したシンポジウムが本当に最善の策であろうかと疑うこともある。むろん、それもよい。しかし 連動して、むしろ「連絡協議会」を、ペン・文芸家協会・図書館団体との間に定期的にもち、課題を持ち寄り具体的な議論をつめて文科省や文化庁に提示できる よう進めてゆくことも、いやその方が、遙かに大事。その意味では、先日文藝家協会が単独でちょこっと出した「基金」設立要望書など、なんであんなに功を急 ぐのだろうと、スタンドプレーのようで苦々しかった。協会・ペン・図書館が連名で具体案も添えられるほどの用意で提出しても、遅すぎることはないのだ。
 いったい、協会・ペンの会員のどれだけが「公貸権」について知っているか、説明を受けてきたか。事実上ゼロである。長 い客車を置き去りに機関車だけがプープーと独走してみて何になるかと思う。シンポジウムなど、とかく発想が、客寄せパンダの首を揃えただけの散漫な意見陳 述で終わり、アトへ続いてゆく具体的な実効など、たいていの場合無いに等しい。お祭りのあとは、野となれ山となれで、忘れられてしまうのである。

* 熱帯夜の余波もなく七時間、子供並に熟睡して早めに眼が覚めました。寝相も子供並でーす。
 今朝は蒸していますが、もう洗濯も終わり、道端にてんてんと散らばった深紅のばらの花びらの掃除、鉢の水遣りも終えま した。手早く雑務を済ませて、後の時間をゆっくりと自分のものにするのが好きです。
 最近のアメリカの映画やドラマをみて気がつくのですが、アカデミー女優賞をとったハル・ベリーを筆頭に、はっとする様 な美人の黒人女優が増えて、市民権を得ていますね。混血で、うまく優性のDNAが出てきたような。内容は相変わらず有色人種差別が下敷きになっているのが 多いですが。
 今、BSで多分イギリスのTVドラマだと思いますが、「紅はこべ」が始まりました。あれは子供の頃、ペラペラの汚い紙 の本で、心をときめかせて何度も何度も夢心地で読んだ本です。パーシー卿なんて夢想の男性像でしたし、その時に、ドーバー海峡がフランスとイギリスに横た わると、地図がしっかり頭に入ったと、懐かしんでいます。あちらのドラマは作りがしっかりしていてます。ジェラリュード・バリュデユの「モンテ クリスト 伯」なんて、とても面白かったし。
 なんだかとりとめもなく。

* とりとめの有る無しは別にして、気持ちの佳い寝覚めから一仕事のアトに、こういうメールをいろんな知人や仲間 達に同報で送っているような主婦・老主婦が増えている。新風俗といえようか。黒人女優の美しさにしびれることがたしかに増えて、わたしも楽しんでいる。名 前はめったに覚えられないが。
 わたしはBSは敬遠して受け入れていない、が、「紅はこべ」とは。記憶から完全に消えていたものが、深海からのたより のように浮き上がってくる。明らかにアレは小学校の六年生頃に本を借りて熱中した。

* チャットや掲示板はわたしには縁のないインターネット・ゾーンだが、どんな按配であるかは知っている。また秦 建日子のホームページ掲示板では幾らか投書を読んでいる。それにしても彼等投書者は、なんであんなに、ひらひら、ヘラヘラした照れたような浮かれたような ハシャギそこねたような物言いが好きなのだろう。あんな言葉づかいでは、自分自身を相当手ひどく裏切っている自覚や意識に、内心で傷つくのではないかと心 配するほど、チョー軽薄だ。そんな中にも、極めて稀に篤実な冷静な日本語でしっかりした意見が、感想が、書き込まれているのを見ると、その落差が、何から 生まれているのだろうと考えてしまう。そして建日子の仕事が、軽い軽い浮いた声援にこそささえられているのだと、もし、したら、ウーンと唸ってしまう。そ れでいいのか、それでは困るのか。わたしの問題ではないからよけいなお節介は無用だが、日本語と表現の未来を考えるときは、気になる。大いになる。

* 朝、駅前の交差点を、おおあくびをしながら大急ぎで渡っている若者に出逢いました。思わず振り向いて、何とも うらやましかったです。できるうちは、世のため人のため半分くらいは自分のために頑張ろうとは思っておりまが、疲れます。自分の体のことなぞ何も考えずに 遮二無二働いていた頃がなつかしいです。
『元気に老い、自然に死ぬ』やっと終わりまで行きました。「むずかしいよなぁ」と、こういうのがわかる人は、ほっといて いいんじゃないのかなぁ、と思いました。何でもいいから、今ここで、少しでも効く『抱き柱』を抱かせてあげたい人がたくさん居るのに、悲しいです。もいっ ぺん読んでみようと思っています。『──跋にかえて』を読んでいて、「あれぇ!?」と恐縮してしまいました。
 ついでにもうひとつ。お陰様で『高史明:真実のいのちを深く見つめる 』などを読ませて頂き、一度やってみたかったことを始めました。東京大空襲で、隅田川は『死者またも浮く慟哭の黒き川 宗内数雄「句集隠りく」鎮魂』だっ たそうです。わたしの家も焼けました。昭和のおじさんは「平成納経」と名づけました。どこまでできますか、恒沙を拾うようにやっています。平家の人達は大 変だったろうなと思います。
 毎日本当にご苦労様です。毎日々々元気を貰って感謝しています。暑くなりました。『外へ出歩かないような生活 』賛成です。お大事にしてください。
 

* 七月九日 つづき

* 「抱き柱」というのは、わたしの造語である。信心の信仰宗教は、要するに人心に「抱き柱」をあてがってきたと いうのが、私の理解である。神や仏がそうであり、鰯の頭もそうである。壮大な神学や宗学、教典がその柱の周囲に積み上げられる。「南無阿弥陀仏」の一声で もいいという法然や親鸞の教えはもっとも徹底した易行の、しかしこれも簡明な「抱き柱」である。保証は、抱いて縋っての安心だけである。理屈は抜きであ る。天国や地獄を信じよといわれてもどうにもならない。
 わたしは法然や親鸞にまぢかな柱を、久しく抱いていた。抱こうとしていた。もっとさまざまな柱は用意されているが、要 するに信心の強度や純度がなければ役には立たない。そもそもそんなものが役に立つだろうかと思い始めたのは、バグワン・シュリ・ラジニーシの徹して「禅」 に同じい死生観に感銘し始めてからだ。わたしは、いつしれず「抱き柱は抱かない」日々に入ってきた。自分がひとかけの浪がしらのように在ることを思い、一 瞬の後には大きな海と一つになっているだろうと思う。虚無的にものを投げてしまうのでなく、自分が真実何であるのか、そう思うその自分という意識も落とし てしまったときに、何で在るのか。そういうことを、「分別」でではなく、知る瞬間がくるであろうと「待つ」姿勢すらなく、待っている。
 だが、多くの人は「抱き柱」が欲しい。信心はうすくても形だけでもほしがる。そんな人に「抱き柱はいらない」というわ たしの姿勢は、途方に暮れてしまう別次元の観ががあったかなと案じていた。正直に書いたが、誰にでも勧めたいというお節介の気持ちはない。わたし自身の思 いなのであった。

* メグ・ライアンの「フレンチ・キス」を妻がとって置いたビデオで見た。少しお色気のラヴ・コメディーだ、楽し く見た。いやみのない女優である。男役のケビン・クラインもティモシー・ハツトンもさほどではないが。
 それより、武田麟太郎の「一の酉」をスキャンしながらDVDで聴いていた、チャールズ・ロートンの、と言うよりも、ブ レンダ・デ・バンジーとジョン・ミルズの演じる傑作「ホブスンの婿選び」が、途中までみて仕事の方は済んだが、面白かった。靴商店の店主の娘と、雇われて 地下室で仕事をしている靴職人との結婚戦略である。19世紀のランカシャー地方の物語で、商人は本来の語義でのブルジョア、職人はプロレタリアで、階層と しての深い切れ目が間に横たわっている。それを越えて、オールドミスぎりぎりの娘は生来の才覚で売り手と経営のセンスをもち、木訥で無学な職人は抜群の技 量を手にしている。二人は協力して旧弊で横柄な紳士顔の父親と、巧みな条件闘争をくりひろげ、勝ちをおさめてゆくのである。

* 夕刊に、図書館の人が、主張を展開している。予想通りの内容で目新しくもなく、みな、もっともな話ばかり。明 日は出版者が図書館との関わりを語り、明後日にわたしが著作者からの話をする。これまでは、わたしの意見など、著作者仲間では極端な少数意見で、わたしが 話そうとしても誰も聴く耳持たぬほどであったが、やっと、わたしの論調にちかいところへ出てきて、偶然とはいえ、著作者の権利侵害説・図書館攻撃の先鋒で あった猪瀬氏でも「著作者と図書館」が協力してという意見を述べるようになってきた。明日の出版者が誰がどんな記事を書いているか、期待したい。わたしの 意見の根本には出版批判があるので。

* 涼をもとめて  子供の頃、氷河というのはただ白いものだと思っていました。大人になってスイスで初めてほん ものの氷河を見たときに、白さの奥から濃厚なブルーがにじみ出ているのを知り感動をおぼえました。地球の歴史を刻んできた氷河のなかに、広大な海があり空 があるような印象がしたのです。純粋な氷河ほど青いのだと教えてくれたひとがいました。
 酷暑の予感がひたひたと迫りますこの頃ですが、あの青い氷河を思い出すたびに心があらわれ清々しさが甦ります。
 先日「e-文庫・湖」に掲載してくださいました芹沢光治良にかかわる講演は、友人に送りましたところとても喜ばれまし た。ありがとうございます。
 川端康成についてのご講演も読ませていただきました。私が以前から川端康成の作品について漠然と感じていたものをお教 えいただいたようで、大変面白うございました。
 昔彫刻家の高田博厚が川端康成の肖像をつくったことを回想して、こんなことを言っていました。
「川端康成、ごつい顔でしょう、目も。顔がごついんだけど、中からくる力が弱いんで閉口したんです。非常に弱いですね、 中からくるものは」
 私が川端文学に感じるある種のもどかしさはこんなところにもあるのかもしれません。なんて美しいひとだろうと近づいて いくとたしかに美しいのですが、触れるとなぜか淡雪のように溶けてしまう。私にとって川端文学はそんな女性でした。ですから迫るよりは眺めるだけでいいと 感じ続けて、熱い読者にはなれませんでした。私の感性が川端美学を理解し愛好するほど繊細でないとお叱りを受けそうですが……。それでも先生の静かな語り 口を読むうちに、私の川端文学への接しかたも少しは許されるような気がしてまいりました。
 お暑さのなかでも、先生のお心のなかにはきっと清らかで涼しい歌や句がたくさんおありのことでしょう。どうぞお身体の ほうは、くれぐれもご無理なさいませんように。

* 夕風や水青鷺の脛をうつ  蕪村
  夏河を越すうれしさよ手に草履  蕪村
  石も木も眼にひかるあつさかな  去来
  是ほどの三味線暑し膝の上  来山
  おほた子に髪なぶらるる暑サ哉  園女

* 彫刻家高田博厚の川端洞察がおもしろい。

* 建日子のドラマの二回目を一緒に見た。無難であったが、二回目なりの求心的な一つの「劇」が、輪郭濃く、ほし いところだと思った。たださえ七人、八人にひろがるのであるから、身内感覚とともに求心的な核になって爆発する印象的な事件。今回も上司のセクハラにとも なう一つの事件はあったのであるが、もう一突き深く痛く刺し込まれた疼く劇性があってよかったか。さもないと仲良しが感傷的に仲良しがっているという風に 「閉じこもり印象」がでてしまう。独りしか乗れない船に七人で乗ってきたような身内感覚は、現代の渇望であるから訴える力はある。それだけに散漫なこまぎ れにだけは陥らぬように。一回ごとのたたき込む主題性をもつといい。建日子にモーパッサンの凄い苦みを求めにくいとしても、菊池寛の短編がかかえているよ うな明確な主題性、訴えを、一回一回持ってみてもいいか。散漫なままテンポを失したら全部瓦解する。
 

* 七月十日 水

* 夜中、土砂降りの本降りであったが、もう雨音はしていない。朝一番には一応メールを開くが、この一月ほど、降 るように素性知れないメールが来る。例外なく、すこしでも「分からない」「あやしい」「広告だ」と思うものは開かずに、即削除している。知人の名だとみえ てもアドレスが違っていたりする。アドレス帳で確かめると不正なのが分かることも何度か。みな削除する。ウイルス防止ソフトで万全とは思わないが、かなり 助けられている実感もある。

* 台風がどんな様子でどの辺に停滞しているか。今日は、だが、福田透氏が演出の芝居を楽しみにして出かけた。だ が、山本周五郎原作・福田透脚色の劇団昴公演「幽霊貸し屋」は、なんでこれが今、芝居として必要なのと、ワケの分からないものであった。一柳みるの「ノッ た幽霊」はなかなの見せものであったけれど、終始、で、これは何なのという煮えない不審のママ、終幕。七月夏場の怪談、さりとて怖くも涼しくも何ともな かった。ガッサカリして、六本木の俳優座劇場から一直線に帰ってきた。

* 今夜半から明日朝へ掛けての台風関東直撃が無事で通り過ぎるのを願う。
 

* 七月十一日 木

* インターネットが何故か使用できなくなっている。メールも使えないし、インターネットエキスプローラもネット スケープも出てこない。おそらくこのホームページの転送も利かないであろう、なぜだか分からない。困ったが、対応に頭が働かない。一太郎で原稿は書けるか ら、その点はどうにかなるものの、メールでの諸連絡が完全に利かない。なぜだか分からない。今朝一番に開いてからだ。

* 終日、機械は元へ戻らない。私語も、此処へ書き込めはするが、転送できない。メールは一切利かない。要するに 機械がワープロ機能しか果たさない。インターネットとして用をなさなくなった。

* 武田麟太郎の「一の酉」を起稿し校正した。無駄のない文章で浅草の飲み屋の男女が活写されているが、上司小剣 の「鱧の皮」にくらべれば味わいは薄い。

* このまま忽焉とわたしのホームページ活動を終熄するという誘惑にも、少し心惹かれている。生活がべらぼうに変 わるだろう。極めて不便にもなるが、ラクにもなるだろう。さびしくなるだろうが、身軽にもなるだろう。それに「私語」自体はこうして書き置くことができき る。ま、今は思案のほかである。「電メ研」や「ペン電子文藝館」のこともあるし。

* 確認は出来ないが、ニフティが。ADSLに関連して設定方式を勝手に変え、しかし、それが私には何のことか分 からぬママになっていたのが、影響しているのではなかろうか。私はルータの設定など一指もふれぬまま業者に任せたから。またニフティの云うようなログパス ワードなど届いていないのだから。
 

* 七月十二日 金

* 機械のではなく、ADSLのルータに何か新設定を必要とするらしいのだが、今まで使えているのだからわたしの 機械では問題なしと、そのままにしていたのが咎められているのかも知れない。一度一度IDとログインパスワードを請求されると云うが、そんな新しいパス ワードなど受け取ったこともない。
 問題は、イーアクセスという会社へメールするにも、メールが使えない。これでは話にならない。電話は全く通じない。

* そんな中で「ペン電子文藝館」の原稿が六本も用意できた。武田麟太郎、織田作之助、伊吹和子、高橋光義、出口 孤城、鶴文乃。小説、随筆、短歌・俳句、児童文学。事務局に、掲載された作者・筆者の生年順一覧を作ってもらっているが。そのつど補充して行けるものにし てほしい。

* 一八五九年の坪内逍遙を筆頭に、鴎外・四迷・漱石・紅葉・露伴・子規・蘆花・透谷と続いて、十九世紀人が四十 九人。そして梶井基次郎が二十世紀の劈頭に位置し、偶然ながら一九五九年生まれの詩人がいまのところ一番若い。生年順は必ずしも文筆家として活躍し始めた 遅速とは連動していない。若くして出、遅くに登場した人もいる。それでも、なかなか興味深い。

* 子機をネットワークから切り離し、ニフティーマネーシャーを電話回線にセットし直して、かろうじてメールをカ バーした。インターネットはまだ動きが取れない。

* 評判ばかり聞くので、どんなものかと、映画「スターウォーズ」の第一回を見た。特に面白いということはなかっ た、特殊撮影のスピード感に惹かれるぐらいか、迫力からすればシガニー・ウィーバー主演の「エイリアン」?だったかの方が凄い。映画の最後の方で、やはり 「ER」に乗り換えた。正解であった。これは、よかった。

* セビリヤにいた河村浩一君がイタリア一ヶ月の旅を楽しんだ後、今度はマドリッドに住むという。底抜けに健康で 楽しそうな、元気な勉強ぶりのようである。
 明日は、丸山宏司、柳博通君と逢う。楽しみだ。
 

* 七月十三日 土

* 状況は変わらない。インターネットに繋がらない点では同じだが、それ以外は、それ以前と変わらない。子機を ネットワークから離し、電話回線でつないでメールやインターネットを回復したものの、当然ながら遅くて重くて、メモリ不足の警告はひっきりなしだから、ロ クな作業はできない。外向きのホームページ活動は、余儀なく停止する。
 一太郎などのワープロ機能に問題はない。「ペン電子文藝館」の紀行と初校段階は可能。ただし仮サイトで、キーマン(主 幹)として指示をだす作業には影響が出る。

* 卒業生の丸山・柳君と新宿で逢った。朝から飲食を節して、歓談に備えた。美しい人の気持ちよく迎えてくれる店 で食事し、歓談し、ついでうまい酒の飲める別店に移って、さらに歓談。いちばん気のおけない二人と、いちばん心の開ける店で、時間の経つのを忘れていた。 ほどよく別れることも若い人を相手のときには大事なこと。で、大江戸線に一人乗り、きもちよく寝てしまい、光が丘まで行きました。目がさめ、尾崎紅葉の 「金色夜叉」岩波文庫を読み始めたのが、どんどん読めそう。先入見を持ってしまっていたが、「金色夜叉」の文章は流石に秀逸であり、これだけ冴えた堅固な 文章で書かれた小説が通俗であるわけがない。それに気が付いた。

* 西鶴は「好色一代女」に。平行して森銑三先生の西鶴論を読んでいる。森先生の西鶴論が、まともに学界で論議さ れていないらしい実情に、つよい不満がある。森先生は、西鶴の真作と謂える浮世草子は「一代男」ただ一作で、他の西鶴作品とされている全ての浮世草子は、 西鷺ないし団水の作に西鶴が「編輯」の手を加えたものと断定されていた。その論考にほぼ一冊の著述をあえてされている、が、西鶴学者の誰もが、ただ口先で 否定するのみで、本格の反論も追究も推考もしていない。不満である。こんど、「一代男」を読んで感嘆し、「五人女」を経て「一代女」に読み進み、ますます 森銑三先生の論証につよく説得されている。西鶴で飯を食っている学者からすれば、西鶴の真作は「一代男」が一つだけで、他は「参考作品」というのでは堪ら ないであろうが、否定するなら学問的にきちんとして欲しい。無視するだけでは、読者は困るのである。
 

* 七月十四日 日

* 機械の状況はなにも変わらない。心不全か肺不全かのまま稼働している按配で、手を打とうという元気がない。世 の中から少しリタイアした気分にすらなり、それはそれでいいとして、それならそれで、その気分を他へうまく使いたい。

* 前夜、柳君に、小説を書いてくださいとやられて来た。何を言うても言い訳に聞こえるだろうと思いながら言い訳 していた。柳君は「楽しむ」というきもちを大事にしていると言っていた。これは今のわたしの気持ちにつよく触れてくる。
 

* 七月十五日 月

* 午後、理事会で、「住民基本台帳ネット」の実施を控えて、ペンクラブは何も反応しなくてよいのかと提議した。 デンシメディア委員の中では、加藤弘一氏など随分早くから難儀な問題だと話題提供されていた。が、言論表現委員会でも理事会でも、一度も話題にされてこな かった。大事な問題だと思うがと発言してみたら、おどろいたことに、俄に、憂慮すべき深刻な問題であり至急にペンクラブとして声明を出したい、下案を電子 メディア委員会(電メ研)として極力早く提出して欲しい、と。言論表現委員会との協働も望ましく、電メ研座長(副委員長)山田健太氏に連絡した。「住基 ネット」は複雑怪奇にして恐怖に値する悪政策であり、早くから私は、総務省の旧内務省化に繋がる国民情報「収奪と管理の政策」だと此処にも書き続けてきた が、取り組みは、例の人権報道三法のかげになっていて、大幅に後れていた。わたしが、電メ研を山田氏に委ねないと大きく道を誤るか後れてしまうと判断した のも、こういう事態を思っていたからである。

* 「ペン電子文藝館」の方は何の問題もなく、次年度方針も承認された。

* 国際ペンの会長夫妻が晩の懇親会に参加され歓迎した。歓迎のために、或る会員夫妻が、薩摩琵琶と筑前琵琶の合 奏で、源氏物語の「胡蝶」の巻に取材した曲を合奏した。だが、これはご当人達にもたしかめたことだが、本来「語り物」の伴奏楽器である琵琶が、三味線のよ うにジャンジャン弾かれ、また詞も、語りとはとても謂えず、歌いに歌われたので、ま、とても琵琶曲としては聴いたこともない当世風のアレンジ、いわばまが い物であった。伝統芸能企画の堀上謙氏のような会員がいるのだから、もうすこしホンモノでもって歓迎したかった。衝に当たっている理事がものを知らなさす ぎる。文学にしても芸能にしても歴史にしても、なんだか薄い浅い見聞の上で、粗略で率爾なこと平気でやっている。日本ペンクラブが、「これが日本です」と 持ち出すのなら、今少し慎重に大切に願いたい。「知らぬが仏」とは謂え、気恥ずかしい。

* その別の一例が、シンポジウムや講演会で、テーマに即して、「質的」にずしりとした内容にするよりも、客が寄 るかどうかと、中味のない客寄せパンダばかり使って、おまけに金をとろうとろうと算段している。だいたいが、いつも同じ手近な顔ぶれ、仲間内の顔ぶれで やっつけている。適切な人選とは思われない例が多い。
 今日も或る委員会で、堺市の「堺」を主題にしたシンポジウムの報告があったが、その報告を聴き顔ぶれを見て、中西進氏 の講演は別格としても、わたしなら、聴きに行く気の毛頭起きないパネラーたちで、驚いた。堺とは、あの堺である。しかも中世学の一人として、茶の湯や禅に 触れうる一人として、国際貿易に関わる一人として、地誌的に「サカヒ」の何たるかに触れうる一人として、パネラーに入っていない。なにも今更歴史学をやる 必要はないが、堺とは「境」なのであり、そういう根から咲かせてきた堺の「文化」が、未来向けに面白く適切に語れなくて、何の「堺」のシンポジウムだろう と、うすら寒い思いがした。もう少し実のあるものを「日本ペンクラブ」の自負と責任で公開するならとにかく、何とかしてシンポジウムや講演で、聴衆から代 金を取る算段ばかり先立てている。どことなくインテリジェンスの感じられない、お安い集団だなあとしばしば思ってしまう。いつもそう思わせられる。いばっ て言うのではない。実感だ。

* そこそこに歓迎会は失礼して、クラブで野村敏晴君とゆっくり歓談。彼の会社で作った『舞踊』がとうどう出版に なった、そのお祝いをしたようなものである、写真が主で、森田拾史郎撮影。それに多田富雄氏と私が巻頭に文章を寄せている。遙か昔の原稿であり、野村君は だいぶ苦労した。「ヘネシー」をからにし、「ブラントン」と「山崎」を、二人とも終始生のママで。わるく酔いもせずに、気持ちよく十時過ぎに地下鉄で別れ た。
 

* 七月十六日 火

* 台風とまともに重なり、ご招待の帝劇ミュージカルを失礼した。だが、やがて台風一過の空になるだろう。

* 町田市立図書館の守谷信二氏から手紙をもらった。中日・東京新聞の特集の第一陣を書いていた人で、その立場か ら、最後に書いた私の文章への懇切な謝辞で、恐縮した。ま、そのように私の発言に頷いて喜んでくださるなら、わたしとしても有り難い。もう言い古したこと を繰り返した気がしていたので、記者からも、あれでよかったと言われていても少し気にしていた。
 図書館に関して「本とコンピュータ」と「東京新聞」とに書いたことになる。これからさらにシンポジウムなどで論議が広 がればいいが。一つの姿勢として、ここに私見を開陳しておく。

* 図書館と著作者──見当を違えずに (東京新聞七月十一日)
 図書館が急に問題になった一つのきっかけは、昨年日本ペンクラブが、「新古書店と図書館」を横並びに、その営業、その 複本購入が、本を売れなくし著作者の権利を侵していると抗議した「声明」であったろう。声明を起案した言論表現委員会に私も属していて、しかし私は慎重で あった。「実情」把握の精度が懸念された。著作者団体が、十分な判断に足る調査もなく情報も得ないまま、図書館活動に対し、著作者の「権利」意識だけを先 立てて突如噛みつくのは、むしろ「或る方角へ協働」してゆかねばならぬ両者の在りように、すこし配慮が足りなくはないかと。
 著作権は守りたい。西欧に行われている「公共貸与権」にならい、図書館での本の貸し出しに公的基金から著作者へ給付が あるなど、実現するものなら望ましいし、最近、文藝家協会が、文科省・文化庁に宛てて要望書を出したのは、一里塚として歓迎できる。
 これに日本ペンクラブも、図書館側も連帯しての要望であったら、もっと訴及力は増したであろう。
「或る方角へ協働」が必要になると書いたのは、このことだ。無用の先陣争いに陥らず、より「大きな強い声」にすべきで あった。
「協会」と「ペン」には少なくも二千人の文筆家が結集しているが、いったいそんな「公貸権」を、会員のどれだけが識って いるか。ペンの言論表現委員会に「初輸入」されて一年と経ないほやほやの新知見であり、海外での運営事情や数値を精査したわけでもない。私は文藝家協会の 知的所有権委員でもあるが、右の「公貸権」と基金化の要望について委員会審議は尽されたろうか。多数会員は、これが何事とも、容易に意味も理解しかねるだ ろう。長い客車を置き去りに、機関車だけがせっかちに走り出している。
 図書館側では、「公共貸与権」など「日本の現状を考えると、まだ議論する段階じゃない」という声が高い。その理由に直 ちに納得しないまでも、「議論する段階」へ辿り着くためにも、著作者は図書館との「協働」を大切に図らねば、めざす「目的」のはるか手前で、無用の混乱や 葛藤を強いられてしまう。逆説めくが、権利の確立へ向かうのに、利益ばかり前面に考えていては、対策の構造化へ大づかみもできず具体策ももてない。誰とど う手を繋いで、どこへどう働きかけるか、少なくも図書館問題での著作権を「公貸権」がらみに意図していながら、図書館事情を置き去りに、文藝家協会やペン クラブが単独でどう声を挙げて駈け出してみても、事は、こじれこそすれ、纏まりようがない。
 そもそも西欧の図書館は、資金の限り「言語文化財」を蒐集するところから肇まり、日本の公共図書館は、「そこへ行けば 誰でも本が読める、借りられる」場所だった。市民社会における図書館活動の意義も手法も、彼と我とはよほど制度も含め実状を異にしており、「公貸権」の短 絡輸入だけを急いでも、みそ汁にミルクを注ぐような、性急なとんちんかんに陥るおそれがある。その辺の咀嚼が委員会段階で尽くされていない。多数の文筆家 へ、深切な問題点の提示も浸透も図られていない。
 いったいどれほどの人数の文筆家が、図書館に対し著作権上の損害・被害の気持ちと実例をもっているのか。出版側はどう か。説得力ある数値の裏付けを伴った情報公開は、いっこう為されぬまま、すこし居丈高に図書館からの情報公開を迫ってきた。著作者の一人としても、これが いい姿勢だとは考えにくい。率直に言うが、出版主導から受ける不利や不当と、図書館から受ける被害とを比較して、弱い立場の多くの文筆家は遙かに重く前者 に泣いてきた。現に原稿料は今もあてがい扶持ではないか。著作権の料率や配分はどうか。出版契約内容は適切か。本はなかなか出ず、出てもすぐに絶版ではな いか。
 戦後日本の図書館活動がどう歩んできたか。国民がどう利用してきたか。まだ、どのように不十分か。今、声高に図書館に 迫って何かしら要求している我々著作者は、そのへんに、深切な視野と視線をどう持ってきたのだろうと、気恥ずかしくなることもある。著作者側の思いと、市 民の要請に応じたい図書館の貧寒な実情との、この葛藤。打開の「話し合い」は、始まってまだ無いに等しく不十分である。このまま双方で、自分たちの思いだ けを頑固に言い募りあっていては、先の文藝家協会の要望など、反古と化してしまうだろう。

* 「本とコンピュータ」の方はディスクが今すぐには探し出せない。

* 九月歌舞伎座の案内が来ている。昼が綺堂の「佐々木高綱」と円朝の「牡丹灯籠」の通し。前の方へ我当が出る。 夜は四本、「籠釣瓶」がある。雀右衛門の八橋に、これも我当がつき合っている。夜はもう一つ座頭格で我当が時平を演じる。吉右衛門や梅玉や魁春らがでる。 楽しみ。
 

* 七月十六日 つづき

* 秦建日子脚本の「天体観測」三回目を見た。よくも、あしくも、マイルド。連続ものとはいえ、一時間の読み切り として、魅力的な主題が、芯の人物に焦点を結んで活発に活動しなくてはいけない。胸にしみるいい台詞や、人間的にいい思いや動きは概念として伝わってくる ものの、一人一人の主要登場人物の頭を、まんべんなく平均的に順々に撫でて廻っているようでは、挨拶ばかり多くて劇的にダイナミックな勢いは出ない。「劇 的」とはどういうことか、福田恆存さんや木下順二さんら演劇界の大作者に優れた論著がある、すこしは勉強もしたがよかろうと思う。無駄な、なくてもいい カットが多すぎるのは演出家のせいとも謂えるが、やはり脚本で削ぎ取って置かねば。ま、わるくはないが、よくもない。三回目ともなれば、全体の筋の発動に 手に汗握らせる工夫が必要だろう。
 小説は、原則として一人で書くが、脚本なんかは苦しいときは人に喋りまくって人の発想も頂戴してゆかねば。三回目をみ てハッキリわかるのは、時間に追われて余裕がないので、場面を人間でたらい回しにして繋いでいること。そのために全体がフラットになる。いいセリフもある ので終盤に少し救われたものの、力感不足。一回一回に、作品に焦げ付き焼き付けたような強烈な印象の主題を持って欲しい。
 

* 七月十七日 水

* 緊急の要件は「住基ネット」実施前に日本ペンクラブとしての「憂慮声明」を用意することであり、電メ研座長の 山田健太氏に素案の起草を依頼。

* 立原道造の「萱草に寄す」「暁と夕の詩」二つの詩集を起稿校正した。わずか二十四歳、東京大学の建築科を卒業 した昭和十二年にこのソネットの多い美しい詩集を遺して亡くなっている。在学中には辰野金吾賞という建築の賞をなんと三年連続で受賞するほどの才能であ り、詩は十八歳から本格に始めている。室生犀星、堀辰雄に師事している。リルケを思わせる深くからわき出てくるような詩情は哀情とリズムに富んでいて、あ あこれが詩であるなあと静かに感動させてくれる。「ペン電子文藝館」の「招待席」にまた一つの秀作が加わる。道造の場合は、これら二つの詩集は全詩作とい うに等しい。
 加賀乙彦氏から「招待席」に北条民雄「いのちの初夜」をと、プリントが送られてきた。また理事の高田宏氏も声を掛けて 置いた作品「山へ帰った猫」がやはりプリントで届いた。他にも田畑修一郎「鳥羽家の子供」黒島傳治「豚群」が用意してある。
 とにかくわたしの目下の意図は「招待席」の充実で、会員の出稿意欲を刺激し、なによりも会員として恥ずかしくない自負 に満ちた仕事を出して貰うことである。物故会員の場合は、まだおおかた著作権継承者がおられるので、何らかの交渉が必要になる。そう簡単には行かないの で、著作権の切れている文学史の先達に、まず多く登場してもらう。

* 役員理事も含めて現会員作品は、ディスクにして出して貰うのが約束である。出来ない場合は、委員会でアルバイ トに依頼し実費負担をしてもらうと内規にしてある。しかし現実に、起稿の作業を引き受けてくれる委員はいないし、引き受けて貰っても時間がかかる。出稿者 は出したら二三日で掲載されるぐらいに思い催促してくる人もある。私の家でのように可及的速やかに仕事をしても、とてもそうは早く出来ないし、業者に送っ てからも念校や常識校正に時間をかけている。本や手書き原稿の一から全部書き起こしてあげねばならない作品も、何点もあった。老人は手書きで送ってくる。 仕方なく私がキイを叩いて原稿にする。校正もする。家内にも手伝って貰う。「ペン電子文藝館」がりっぱなものに育ってゆくためにはと思うから。お礼の品を 送られると辟易する。ものによっては、頂戴しておくこともあるが、私自身はこれをアルバイトになんかしてはいないのだから、余計な気は遣わないで欲しい。

* 国際ペン会長のスペイン語による自作詩二編も、緊急に「招待席」にと業者の方へ入稿した。和訳は後日のことと し、オメロ・アリジス氏夫妻が滞日中にプリントアウトして献呈することに。「十三歳の自画像」「五十四歳の自画像」と題されている。

* 台風一過で、午後からでも一人で出ようかと思っていた。妻は友達と音楽会に夜まで珍しく出かけている。それで も邪魔くさく、立原道造の詩に満たされていた。

* バグワン・シュリ・ラジニーシ
 秦恒平様 はじめてお手紙をだします。昨年より「闇に言い置く」を読んでいます。バグワン を検索中に先生のページに 出会いました。
 僕は、昭和11年生まれ、技術分野で会社を定年、文学青年のまま現在に至っている人間です。電子計算機開発の企業世界 卒業です。
 太宰、花田清輝、鶴見俊輔、奥野健男、などの各位の書き物を読み、「京大学派」が西ならば、東は「東工大自由人」の感 があると日頃感じてきました。
 昭和58年買って読まなかったバグワンを、60過ぎて、読みました。
 人間の「業」を人間自身が「昇華」しようとする「傲慢」を、彼の「話」に老荘思想の如く魅かれながら感じます。
 オーム教と比較されたこともあるそうですが、バグワンは「自信」にあふれ、例えば、太宰の「壊れそうな花びら」に通じ るところは無い。
 一月に一度でも先生のバグワン随想 といいますか、チラリと・・・バグワンについての書き置くの「行」を期待したいの ですが。お疲れ、ご多忙の毎日をかえりみず失礼のメールですが、バグワンの話を聞きたい。失礼の段 謝です。

* メールを有り難う存じます。同世代の方からバグワンに触れて頂いたのは珍しく嬉しく存じます。
 もう十年ほどには成りましょうか、一夜も欠かさず、バグワンの言葉を私自身の声に置き換えて、少しずつ少しずつ聴き入 り、繰り返し繰り返しいささかも躓くことなく聴き入っています。「存在の詩」「般若心経」「十牛図」「道・老子」「一休」「達磨」その他、手に入れたもの を順繰りに。私が読み、妻もこの頃近くで聴いています。
 オームなどとの関係は、絶無と思います。いささか語彙的な模倣はしたかもしれませんが。
 バグワンは透徹していますし、私は、つとめて彼を、知解し分別しない、したがって変に信仰することもない。何かを「解 釈」するために読んではいません。安心のためにという方があたっています。バグワンに抱きつくことはしていません。一緒に呼吸しています。
 私にならってバグワンを読み始めた人はごく稀で、あまりつづいていないようです。そんなものでしょう。怖がっている人 もいましたね。私は「喜んで」います。
 二十年ほど前、大学生の娘が、仲間と騒いで読み始めていたとき、私は一瞥もしませんでした。娘もやがてバグワンの何冊 かに埃をかぶせて、物置に放り込んだまま嫁ぎました。偶然にみつけて、あの頃、娘達はなににかぶれていたのだろうという好奇心から開いてみました。すぐ、 これはと感じました。そして、座右のバイブルとなり、友となり、手放していません。バグワンは、やっと二十歳になる娘には無理だったろうと感じました。哲 学として知解してしまえば、それだけのもので終わりますから。
 嫁いだ娘の、父親達に呉れた大きな贈り物になりました。
 私語の刻に、ときどき触れますが、「説明」してはいけないと思い、ふみこんだことは言わないでいます。
 また話しましょう。お元気で。
 わたしは若い人達と仲良くしていますが、殆どが東工大の卒業生です。徹して理科ダメ人間でしたのに、有り難いことで す。コンピュータを使えるように教えて貰いました。いまもなお。

* 灘と吉野 雨もよいの朝。予報も前夜とは変わり、涼しくなりそうで、出かけてみようと支度をし始めたら、すさ まじい雨になりました。落雷で近鉄京都線の信号が故障したそうで、祇園(何必館)でなく、兵庫県立美術館の華岳を見てきました。
 真新しいビルの並ぶ新しい街に、かすかに潮の匂いが漂ってきます。海岸に建つ美術館には、六甲の山並みと、灘の海を、 それぞれ眺めることのできるデッキがありました。華岳も、建物も、よかったですよ。
 帰りは道頓堀の松竹座で、松緑・雀右衛門・仁左の「吉野山」を幕見。楽しかったけれど、すこし張り切り過ぎて、バテま した。囀雀
 

* 七月十八日 木

* 加賀乙彦氏と高田宏氏から届いたプリントをスキャナーに掛けようとしたら、本からいきなり見開きでコピーして あり、ぞんざいに歪んでいて、全くスキャンが利かない、全頁が化けてしまい、書き直すより無い。仕方なく、プリントを一頁ずつに切り離し、一頁ずつ、行が 機械に対してまっすぐ入るよう、妻がカットしてくれた。当然ながら二倍の作業量になるが、書き写すよりはいい。大幅に作業は遅れる。二人にワケを書いて手 紙にした。「ペン電子文藝館」は、こういう難儀を乗り越えて充実しているのだが、当然のように委員会のボランティアで動いているのである。

* 加賀乙彦 様 高田 宏 様
 前略「ペン電子文藝館」に同時に作品コピーをお届け下さり、ご手数をかけました。ところがお二方からのプリントに同じ 問題があり、恐縮ながら「同文」でお知らせいたします。
 プリントをすぐスキャナーに掛けようとしました、が、コピーが「見開き」でとられ、全体に無造作に写されています。つ まりペイパーに対して文字行が斜めに歪んでいます。分厚い単行本からコピーを見開きでとりますと、どうしても厚みに蹴られて、左右の頁の行が、少なからず 平行を失し、全体にイビツに捩れます。
 スキャナーでは、機械に対し「行まっすぐの位置取り」を必須条件にします。歪んでいると、文字認識は著しく正確を失 い、途方もないデタラメ記号に化けます。全文を、手で書き直すのと全く同じハメに陥ります。実は、余儀なく、全文を私が打ち直した例もこれまでに五人ほど ありました。どんなに時間のかかる厄介な作業かお分かりと思います。
 で、お二方の原稿への対策ですが、プリントの見開きを「一頁ずつ」二分割に切り離します。さらに各頁の行文を、機械に 対しまっすぐに、紙の裏から「よく行を睨んで」設置しながら、スキャンしてゆくしかありません。単純に二倍ないしそれ以上の手数を要します。(一頁分をス キャンしてディスクにおさめてゆくのに、約三分ほどかかります。)
 ついでながら、そのあと、その識字率良くても八割程度のスキャン原稿を、原作原稿に基づき逐一校正(私と家内とで一度 ずつ)してゆきます。高田さんの100枚足らずの原稿で、業者へ入稿までに、およそ私どもの手元作業が、正味20時間以上かかります。(そして業者に入稿 後、先方作業を経て「仮サイト」に掲示し、そこで私から指名の委員が、一作宛て二人ずつ、「念校」します。そしてキーマンの私から細かく業者に訂正の指示 をし、やっと「本館」に掲示展観されています。現在までに掲載されている全てが、そのようにして発信されています。)
 ご理解頂きたくて書いていますが、プリントを一頁ずつに切り離し、場合により行が正確にまっすぐなるよう拡大再コピー して行くしかありませんので、掲載までに、相当な時間のかかることを、ご承知下さいませんか。現在も会員その他からの数本のスキャン待ち原稿を抱えていま す。作業はすべて併行してしてゆきますが。
 理事では猪瀬直樹氏と米原万里さんの二人が、よく校正できた原稿を、フロッピーディスクとプリントとで、「規定通り」 に出稿してくれました。これだと右から左へ、すぐ、正確に掲載まで運びます。現会員でもかなりの人はこうして送ってきますが、但し「本人の原稿校正」の不 十分なのにはほとほと泣かされます。
 アルバイトを使えばと思われるでしょうが、とてもとても。アルバイト料だけで、半年に百五十作品掲載してきて、単純に 数百万円にはなりましょう。そんなバカな予算はどこにもありません。しかしです、猪瀬・米原氏式の出稿なら、費用は限りなくゼロに近く、この「落差」に、 現今の機械事情が介在します。原則は「フロッピーディスクで出稿」となっていても、出来ない人の方が圧倒的に多いし、「招待席」「物故会員」は全員、機械 での出稿は不可能ですから、つまりは、殆ど私が自力で起稿しています。他の委員にはいつも稼働できるスキャナーが無く、みなお忙しいので時間もどうしても かかってしまうのです。むしろ必要な機器類を予算内で備えさせて欲しいのです。
「ペン電子文藝館」は、もう多くの読者を得ていますし、たとえ読者など一人も無くても、日本ペンクラブないし近代日本文 学の「質」的存在をアピールする「データベース」として「展示場」として「読書室」として、ぜひ維持してゆきたいものだと思います。
 とんだ長広舌でごめんなさい。こういう事を有力な役員・理事として、ぜひ念頭に置いてくださり、バックアップして頂き たく、と。「ペン電子文藝館」秦生

* 理事達にこそ理解を求め、支援してもらわねばならない。当然である。

* 湯船の中で、去年の今頃に書かれていた、梅原猛氏の、題は正確でないが「穴の中の哲学者ムツゴロウの独白」の ような、小説だかエッセイだか、本人は小説のつもりだろうが、なんとも恐れ入ったモノの第一回を、たまたま見つけて、読んだ。いわば「我が輩はムツゴロウ である」式の戯作である。
 悪いが、おそまつ。「新潮」前編集長の坂本忠雄氏が話されていた「純文学の説」からしても、とても文学とは呼べないだ らけた文章で、それでいて、夏目漱石の「我が輩は猫である」を同輩のように批評していたりする。「雲泥」の差という以外になく、どちらが雲で泥かは言うま でもない。梅原さんの体調のわるさが禍したのだろうと贔屓目に想像しておくが、あたまから「文学」が分かっていないのでもあろうか。「猛然の非小説」と、 昔に、批評したそのままの私の批評が、いやになるほど当てはまるのだ、今も猶。こまったものだ。
 この程度の思想的な見解を、この程度の藝のない戯文にするぐらいなら、まっとうな普通語で、至誠を面にあらわし切々と 環境問題を正面から説いてもらいたかった。こういう駄作が「新潮」巻頭に麗々しく出て、「すぐ本になります」と予告されているのだから、現代日本文学もワ リを喰っているというしかない。
 そういえば、クローンを題材にした梅原狂言の噂も聞いている。見ていないので、もちあげる人の言葉も貶す人の言葉も是 非できないが、堀上謙氏らの「新・能楽ジャーナル」で痛烈に酷評していた文章には、わたしも流石に全面的には頷けない誤解が混じっていた。いた、と思って いた。だが、諫早のムツゴロウ問題の「文学的」把握と表現が、こうもお粗末では、クローン狂言の酷評にも理があるのかも知れないなと、心配するのである。

* 黒川創の小説はまた芥川賞に届かなかった。新聞に報道された前日に、人から候補に入っていると聞いた。今回は 無理だと思っていた。枚数の多い作品が求心力を欠いて、拡散ぎみ。ぐいぐいとひきこまれて読んで行けなかった。前よりも、前の前よりも、作品がラフだっ た。もっと短く、百枚かせいぜい百五十枚までで迫力に富んだうまい小説が読みたい。めげずに奮起して欲しい。

* 電メ研座長山田健太氏から「住基ネット」に関する声明文案が届いたので、慎重に文面を整えてペン執行部に ファックス出来るよう用意し、事務局へ案文をもう送った。メーリングリストで、電子メディア委員会委員各位にも伝えた。この作業で、気が付いたら、もう三 時半。
 

* 七月十九日 金

* 「三年ぶり」に歯医者へ。この小一年も真正面の歯が一本ぐらついたままであった。だましだましつき合ってきた が、なんだか二本も抜くそうだ。いやだな。

* やけくそというわけではないが、大江戸線を利用し新宿方面へ出て、また濁り酒などをのんできた。

* 帰ると、加賀さんからディスクを用意して送り直しますとファックスを戴いていた。恐縮、しかし助かる。

* 住基ネット実施に反対の声明文案について、山田電メ研座長より、たいへん立派な文章になりましたと謝辞がが 入っていた。恐縮。執行部役員、言論表現委員会の猪瀬委員長、人権委員会の関川委員長等に案文がファックスされた由、事務局からも報告が来ていた。

* 眠い。「ER」を見たら、今夜ははやく寝よう。それまでに黒島傳治の「豚群」を読んでしまおう。

* 電話で、布谷君があす午後に来て、機械を見てくれるという。

* 「ER」は面白いし、すばらしい。事件が事件をはらんで事件を産んで行く。事件は人間が作りだす。人間が事件 の経過によって激しく変動してゆく。それがドラマだ。わたしは決して「ER」のような現場を知っているわけでないが、医学の臨床雑誌や研究書を作っていた し、医師達の、ナースたちの顔や声や感情や理性を外部の人よりは見知ってきた。だから、というほど豪語はできないけれど、「ER」の凄まじさがやや肌身に 近く感じ取れる。医学生ルーシーの死を描く回がトバされて、その次回分が今夜放映されていた。何らかの「危険」に対する配慮があったと思うし、適切な配慮 であったろうと思う。「ER」は、いろんな事件を背負った、しかも特定できないいろんな人間が、きわどい場所にまで入り込めてしまうそういう危険ゾーンで ある。ドラマはみごとにその危険と献身とを伝えてくれるだけでなく、人間の内面をえぐり出してくれる。感心する。テレビを見始めて何十年になるか、連続ド ラマでは、過去にも佳い作品に出逢ったが、「ER」が、総合的にみてナンバー・ワン。秀作として印象に残っているものも、刺激的であったのも、概して海外 のものが多く思い出されるのは、何故だろう。
 

* 七月二十日 土

* 午後、布谷智君が来てくれて、ついに親子機械のネットワーク機能を完成、その状態で子機連結のスキャナーやプ リンターの「同時使用」も、全部可能にしてくれた。これで、布谷君が組み立てで親機を設置してくれて以来、はじめて、二つの機械環境が一体化した。すばら しい。
 あとは、引き続いて「ぺると」と森中隆志氏の助力を得て、ホームページをますます活用しやすいモノに仕立てたい。「e -文庫・湖」を「ペン電子文藝館」方式の組み立てにし、さらに「私語の刻」を一ヶ月単位で検索可能なように作り替えてゆきたい。

* 二時半に来て布谷君は数時間奮闘してくれた。それから一緒に保谷を出て、街で夕食し、歓談三時間。二人で、好 きに落ち着いて話せるコーナーがうまい具合にあてがわれ、酒も焼酎も、しみいるうまさで満足した。嬉しかった。
 布谷君とは、彼が自らもう退官まぢかいわたしの教授室に現れてくれていなければ、ご縁はなかったろう。彼は、わたしに 或る希望をかけて、ものごとを説きに来てくれたのだ、それは今で言う「環境問題」に触れていた。耳を傾けた。やがて別れたが、退官後にも幸い連絡が取れて いた。彼は息子の芝居を見に来てくれ、その時同窓の友人田中孝介君を紹介してくれた。田中君が、先ずわたしの保谷の家に来て、わたしのパソコンにあっとい う間にホームページを建立してくれた。今のホームページの基盤は田中君が確立してくれた。
 その後、布谷君は様々のホームページ再構築を工夫してくれた。彼の手で大きく我がサイトは「格好」よくなっていった し、機能を多彩に付け加えてくれた。そして、遂に布谷君自身の手で親機を組み立てて子機との間にネットワーク可能の環境を生み出してくれた。今日はそれ が、いわば完成した記念日となった。感謝の極みで、嬉しい。少々のご馳走をしたぐらいではとてもとても追いつかない。

* 大学で教授や助教授がセクハラしていたという一橋大学等での事件報道を聞くと、うんざりする。幾らかの減俸や 戒告ですむことではない、愚かなことをやっている。大学教授と女子学生とが「恋」に落ちても構わない。しかし地位利用のセクハラなんてとんでもない。地位 を退いて「恋」をするならまだしも、地位を利用されては学生は堪ったモノではない。自分でも驚くほど大勢の女子学生とわたしは仲良くしてきたが、そういう バカな真似はしなかった。みんながわたしの娘であったし、息子であったし、そして友人だった。
 石原慎太郎が母校のこの事件にふれて、「近頃の女は怖くなった」と放言した由を伝聞したが、なんとトンチンカンなのだ ろう。

* 立原道造の詩集二つと黒島傳治の小説とを、おそわったばかりの「ファイル」送信した。こんなこともなかなかわ たしは覚えていなかった。「PDF」も「アクロバット」抜きで読めるとも読めぬとも知らなかった。人よ、わたしがパソコンを「駆使」しているなどと、ゆ め、言い給うな。キイを叩くのもたいていは「一指」でやっている。「手二つ」使っているときも我流で済ましている。
 

* 七月二十一日 日

* 六時、寝覚めのいい朝、久しぶりだ。
 三十分ほど黒いマゴと顔を合わせて話していた。ロシアン・ブルーという猫は小顔で尾が長く、気品あり、闘争心もつよい と、妻はテレビの解説で知り、マゴはピッタリだという。その系統だろうという。黒一色だから表情の全部が、小さい顔の眼に、瞳に、集約されている。しなや かに細身で、大きく太くは成ってゆかない。手や指を噛ませてやると柔らかく噛んで満足するのか、とても穏やかに馴染む。妻にはことに、わたしにも、親愛 感・信頼感をみせ、しばしばアイサツにくる。幾つかのわれわれの言葉を覚え、こまかに反応するし、外で遊ぼうと呼びに来る。妻など、ご近所をいっしょに散 歩してやっている。後になり先になり、ものかげに隠れ、そして疾駆して追いつき追い越してゆく。小鳥をよく捕まえて見せに来るのは、得意なのだろうか。

* 炭火と黄金  しばらく前のことです。友人から「田之助さんが人間国宝よ!」とメールがあり、あわてて新聞を 広げました。
  なかに截金の若い女性の名があって、雀はあの場面が脳裏にぱぁっと広がり、読んでいるときと同様、息を止めました。呼吸をしている炭火の赤。それに応えて 動く黄金。汗だくの少女。まなざし。 すぐにメールしたかったのですが、うまく言えなくて断念。そして、ご本を捜そうとして「あれ?」。タイトルが出てこないンですよォ。何冊も引っ張り出し て、広げてと、いつも通り、ひと騒ぎになりました。「畜生塚」。読んでからまたメールします。

* 祇園祭を筆頭に、各地の夏祭りが知らされてくる。梅雨あけ、真夏。勤めに出なくていい身には、夏の活気はわる いものではない。アスファルトの道を喘ぐように熱気を呼吸しながら、濡れた褌を白い布袋にずしっと提げながら、疏水べりを、武徳会の水泳から家へ歩いた小 学生の昔の、真夏。草いきれの赤土道を、山から山へ、なにとなく物陰からの生き物をおそれおそれながら、借りていた農家へ帰っていった、丹波の山奥の真 夏。

* 布谷です。昨日はごちそうさまでした。
 ネットワーク(ADSL)復旧が最優先事項だったのに、既に修復済みだったので、あまりお役に立つことは無かったです ね。
 にもかかわらず、夕食ばかりか お土産まで持たせていただいて…(^_^;)。
 忘れないように本日の作業内容をまとめますと、
 ?NEC Lavie にNETBEUIというソフト(プロトコル)を導入
   → UMIとLavieがつながる
 ?NEC Lavie で使っていなかった赤外線や通信ポート(COM1)を停止
   → スキャナがADSL接続時でも使える
 ?UMIからNEC Lavieにつながれたプリンタを使用できるようにする。
   → 但し、UMIから印刷するにはNEC Lavieに電源が入っていることが必要
 ?UMIのシステム・バックアップを取ってCD=Rに焼く
   → 今後、何かあっても安心(でも何も無い方がベスト)。
となっています。今日の作業によって何か不具合が発生していましたら、またお知らせください。

* 有り難う。そのほかにも、幾つか操作を教わった。一太郎のファィルで立原道造と黒島傳治の詩集と小説をATC に昨夜のうちに送ったのも。うまく送れていたなら、これからディスクでの郵送をいちいちしなくても済みそうだ。
 

* 七月二十一日 つづき

* 「ミマン」の出題のために、身の丈にあまるほど歌集、句集、歌誌、句誌を積んでいるが、少なくも数万作もある だろう。そんな中から毎月ひとつずつの短歌と俳句を選び出す。だから、しょっちゅう読んでいる、さもないと咄嗟に選べない。選んだのを、カードに書き出し ておくようにしてきた。面倒な、しかし必要な作業で、それをサボルと、選んだ作品がどこにあるか探し直すのは途方もなく大変なのである。ことに出題の時は 「作者」の名前を出さない。出さないまま、もし作品の在処を見失えば、記憶していなければ、探しようが無くなる。むろん一度もそんなヘマはしてこなかった のに、今回解答の送られてきた俳句の方の作者が分からない。カードにし忘れていた。作は出題してあるのでわかるが、原本の行方がつかめず、作者名が分から ないのでは、運動場で針一本探すような次第で、脂汗をたらして、かりかりして探しに探したが見つからない。往生した。へとへとに疲れ、頭の中がパン屑のよ うになり、立ったまま座ったまま寝入ってしまうほど。
 それでも、見つけだした。半日で足りなかった。原稿も書いた。だがボケてしまっていて、同じ人に同じ中味のメールを二 回書いたり三回送ったり、我ながら手に負えなかった。

* このところ、目的があって、古今集の和歌を全部通読し、山本健吉氏の撰になる詞華集二巻を全部読み、さらに近 世俳諧、川柳を全集で、全部通読して必要なモノを選んでいった。近世の俳人だけで百五十人ほど、その代表作を読んでゆくのは想像以上に楽しかったし、川柳 は、俳諧ほど分かり良くないだけに注を参考にしいしい、グスグスと笑い続けていた。そしてやはり和歌がわたしは好きだと分かった。
 これらから必要な作をすべて機械で書き出して行く。べらぼうな作業量で、保存すれば良い資料には成るのだが、汗が噴き 出す。日本の詩歌とは、百人一首の遊びこのかた、ずっぷり漬かってきた。物語など、和歌があればこそひとしお面白い。また芭蕉や蕪村のいない日本の近世な んて、どれだけ侘びしいだろうと思う。
 ときどき、もう残り少ない人生に、そんなに読書してどうなるのと、不届きなことも思うが、昔は、読書して何かの役に立 てようという欲が確かにあった。今は、もう役立てる仕事もないが、そのかわり楽しめることでは、純然、楽しめる。それが有り難く時を忘れる。視力だけが心 配。

* 愛読者と編集者  パソコンの復旧おめでとうございました。わが家にも三台のパソコンがございますが、たいて いどれか一台が思うように動いてくれなくて、家族の誰かが交代でなぜだろうと頭を抱えております。便利とはいえ、パソコンは私には今だ得体のしれない機械 です。
 先日お送りいただきました「川端康成 瞳の伝説」は、寂しい色調におおわれていました。とくに終章では川端康成という 素晴らしい作家を喪失した哀しみが切々と胸に迫り、思わず涙が溢れてしまいました。
 ただ、追悼のエッセイとしては、ある種きれいごとに終始してしまったような物足りなさを感じています。色々理由を考え まして、たぶん筆者の伊吹和子さんが、本音ではなく、有能な編集者の立場に徹して書かれたからだろうと想像しました。
 私は純文学の編集者という職業をよく知らないのですが、作家のような病的な個性とうまく距離をとっていかねば身が持た ないのではないかと思います。不用意に愛読者として近づけば、渦に巻き込まれて大火傷してしまったにちがいありません。私が伊吹さんのように間近に川端康 成に接していれば、とくに三島由紀夫事件のあとで自殺されるのではないかと毎日不安でいたたまれなかったような気がいたします。谷崎潤一郎や川端康成との 純文学黄金期の編集者であった伊吹さんの職業人としての幸福を思う反面、ものを書く人間とものを書かずにサポートする人間の違いなど考えさせられました。 編集者から作家になったかたは多いですが、編集者にとどまることを選んだかたの証言として「瞳の伝説」は私には大変興味深いものでした。プレゼントに心よ りお礼申し上げます。
 それから最後に編集者ではない愛読者として、秦先生にひとつお願いがございます。
 どうか入浴しながらの読書はおやめください。絶対にいけません。入浴中の事故で毎年どれだけ多くのかたが命を落とされ るかご存じでしょうか。湯船にどっぷりつかる日本の入浴習慣では、血圧の変動が大きく、倒れたときには溺死ということもあり得ますしそういう実例も聞いて おります。昨日まで大丈夫なことでも、今日は危ないのです。とくに年齢を重ねるにつれて、入浴は命がけと思われたほうがよいそうでございます。ご家族のか たのいないときのお一人の入浴もお避けになりますように。
 こういうのをいらぬお節介というのでしょうが、一読者の偏愛と杞憂と笑ってお許しくださいませ。

* 叱られてしまった。あまり行儀よくもないので、気にしていたし、何といっても光源が十分でないので目を気づ かっていた、が、その余のからだへの悪影響は思案の外にあった。むしろ良かろうと思っていた。
 わたしは何もしないで放心から無心へなかなか入って行きにくい人である。作業に没頭している方が無心にちかい安心の境 地にいやすい。その点、わたしが苦手としてきたのは、ひとつは散髪。一時間拘束されてしまうのがイヤ。それと、ぼやっと入浴する時間。で、散髪屋ではこの 頃はあっという間に寝入る事にしているし、浴室では本を読むか、何か数多い一連の何かを数え上げている。その間は落ち着いて、他の雑事をみな忘れている。 赤穂浪士のなかで、何右衛門、何左衛門と名乗っていた何人が思い出せるかとか、外国映画の題名を思い出せる限り数え上げるとか。そういうのを限界までやっ ていると殆ど無念無想みたいな安定感を得ている。何もしないでハダカで湯船に拘束されているだけの時間はあまり楽しくない。家の浴室なんて、温泉の大浴場 とちがい窮屈でしようがない。
 しかし、浴室でひっくり返るのも賢いことではない。ご注意に従うとしよう。

* 伊吹さんほど豪華に幸せな文藝編集者は珍しいが、ご苦労も察するにあまりがある。川端康成について書かれたモ ノは、ずいぶん読んでいるから、伊吹証言をそのままそれだけで受け取るようなことはないが、伊吹さんの気持ちは分かる。谷崎潤一郎の方は、多少とも私自身 が深入りして書いたり調べたりしてきたから、伊吹さん一人思いの「われよりほかに」を、尊重もし斟酌もし、ま、距離も置いてきた。川端に関しては、わたし にそれほどの動機がないので、気楽に読んでいる。ことに川端の晩年を彼女は接し見守っていたのだが、同じ晩年の証言では、まるっきり違った内容と色合いの 仰天するような証言もすでに幾つも出ている、それを知った上で、伊吹さんのモノは伊吹さんのモノとして丁寧に受け入れたのである。長編なので校正にも時間 がかかったが、もう今日明日にも「ペン電子文藝館」の仮サイトで委員間の校正段階に入る。

* あれれ、まだ十時ぐらいと思っていたのに、もう午前一時をまわっている。よほど今日はわたしは変調だった。
 

* 七月二十二日 月

* 快調に仕事のハカを行かせた。いま田畑修一郎の代表作をスキャンから起稿、ヘッドを付けた。三省堂の方も一つ の山が越せた。覚えたての、(まだうろ覚えだが、)ファイルで送稿しておく。
「ペン電子文藝館」も順調に作品が次々に仮サイトへ出され、本館へも移行展示されている。高田宏氏の原稿は、やはりプリ ントを二分割し、妻の手でまっすぐ裁断し直して貰ったのをスキャナーに掛けてみる。原本を送ってもらったが、貴重本のようであり、傷めない方がいい。北条 民雄は加賀乙彦氏の方でディスクの手配がされるような通知なので待ってみる。遅くなりそうなら高田氏のと同じ方法でスキャンする。プリントはもう妻が調え てくれている。

* 器械の復旧ができたようで、安心致しました。
 古今集など読まれているようですが・・和歌集を読むことは、心洗われる貴重な時を過ごされていること、疑いなし! 換 え難い時間だと思います。わたしは、歌詠みはできませんが、数少ない手持ちの和歌の本の中で、久保田淳、川村晃生偏の『合本、八代集』を時折ぱらぱらと拾 い読みしています。散漫ながら散漫な楽しみ方もあるものです。西行や定家なども・・。和歌には「酔える」楽しみがあります。ぐずぐず情緒に流される危険に も陥りやすいですが、それをも好き好んで楽しんでいる時があります。
 ホームページのメールで、お風呂のことを書かれていましたが、夏、熱いお風呂に入ることはわたしには思い付きません。 寒い時期と比べて血管の収縮など比較的心配することは少ないでしょう、けれど、やはりさまざまに健康に関しては慎重に過ごした方がいいと思います。
 梅雨が明けて・・あまり梅雨らしくない梅雨だった気がしますが・・梅雨明けのカーンと暑いなかを、祇園の山鉾が巡行す るのを見るのが好きです。でも、今年は雨にたたられました。あの朝は寒冷前線通過で激しい雨風、そして雷に目を醒まされました。四条河原町での鉾の「辻回 し」が楽しみで、なんと言われてもこれは例年の欠かせない楽しみ。日々を時折彩る小さな楽しみと、旅行が出来るいくらかの支えがあれば、恐らく他の多くの ものは望みません・・。自分の心の中は別として。
 何の変化もなく? 日々が過ぎていますが、あと一週間で娘が帰ってきます。昨年のテロ以降、ビザの申請条件がかなり厳 しくなって、娘が通っているような小さな規模の学校、語学校でも滞在期間は一年までなど・・ビザが取れない状況で滞在を続けたくないという彼女の意見と、 一応技術の基礎は身につけたということが重なって、今回はイタリアを引き上げ、日本に戻るのを決心したようです。帰ってきても、当地では仕事のあるはずが なく、今後どうしていくのか、わたしも考えてしまいます・・。が、将来のことは将来に。今しばしは、娘の帰ってくるのを楽しみに暮らしています。
 
* 何時間もかかる県外から必ず祇園祭のあの鉾の「辻回し」を見に来るなんて、京都の者には考えられない元気さだ。わた しでも、梅雨明け、あの暑い暑い日照りの中の「辻回し」など、三度と見たことはない。祭礼はむしろめったに見ないというあたり、兼好法師の弟子筋である。
『合本・八代集』とは佳い蔵書。いま私が頂戴し続けている大古典全集に、惜しいことに『古代和歌集』が欠けている。古今 と新古今、それに和漢朗詠集は入っているが、八代集からのせめて選集が欲しかった、一冊か二冊にして。『国歌大観』は字が小さく本が重く、扱いにくいし読 みにくい。
 世の中には、いろんな人がいて、生き生きと暮らしているのが分かる。

* 南の旅人より  こんにちは。さすが九州、半端でなく暑い日々です。いや、「暑い」よりは「熱い」のかもしれ ません。じりじり肌を焼かれるような熱気は、新潟にはなかった気がします。
 先週、祗園山笠のお祭りを見にいきました。御輿をかついで街の真ん中を突っ走る男たちの、まさしく熱気。いいものを見 せてもらいました。
 大学はもう夏休みです。入学してからの3ヶ月、とにかく新鮮でした。高校のころまでは周りに人がいるのが当たり前だっ たけれど、浪人の1年間はほとんど人がいなかった。浪人したことで、たくさんの友人知人と接していられる今を、楽しめるだけ楽しもうと思えるようになりま した。
 春に手紙で東京へ行きたいと書きましたが、まだ早いかなという気でいます。それよりも、今は九州のことを知りたい気持 ちが強いのです。北九州の小倉ではちょうど夏競馬ですし、久留米に住む友人からもぜひ遊びに来てと言われています。8月は2週間ほど新潟へ帰ります。東京 行きのことは、秋の試験が終わってからまた考え直すつもりです。
 読書は法律関係がもっぱらで、文学から少し遠ざかっていました。最近はひさびさに古井由吉を読んでいます。当分は法律 の本を中心にするつもりですが、そろそろ「ペン電子文藝館」からいくつかプリントアウトしようと思っています。
 建日子さんの「天体観測」、3回目を見てみました。秦さんのおっしゃるとおり、マイルドはいいのだけれど、どうも表面 を撫でるばかりでパンチ不足だなあという印象です。登場人物が多すぎるのはもう変えられないから、1回で無理に全員を出そうとせず、焦点を絞って描いたほ うがいいと思います。
 ホームページが停止しかけたと知ったときは、どうなることかと心配でした。復活どころか、今まで以上に機能しはじめた とのこと。ほっとしました。
 それでは、迪子さんともども、お元気でいてください。
 追伸 「なよたけのかぐやひめ」、とても勉強になりました。文学部の女友達が手にとっておもしろそうねと興味を示して いました。彼女にプレゼントしたいので、もう1冊送っていただけませんか。よろしくお願いします。

* この学生君も元気旺盛。嬉しくなる。出逢う(といってもメールだけで、顔を合わせたことはない。私の場合は、 九割九分が、自然、そうである。)たびに、新しい息吹を伝えてくる。活気だ。
 

* 七月二十三日 火

* 夕方、兜町の会議室に入り、言論・人権の合同委員会で、住基ネット反対の緊急声明案文を検討して貰った。案じ ていたように、個人情報保護法案とのからみで、その成立を前提にした住基ネットの早急な実施反対では、個人情報保護法成立を是認すると誤解されかねないと いう議論が出、事実、われわれは個人情報保護法への反対声明を再三出し続けてきたのであるから、そこに齟齬を生じてはいけないという気持ちは私にもあっ た。長時間、意見が輻輳してなかなか纏めにくかったものの、反対の緊急声明には意見は強く一致していたので、案文の訂正をはかるべく収拾して、山田電メ研 座長が持ち帰り、今夜のうちにも私の所へ届くのを、よく読んでから役員会に挙げることに決した。その山田再起草文の届くのを待っている。

* ペンの各委員会や理事会に出ていても、なおかつ、個人情報保護法に対して、全面拒絶の反対説と、そういう法律 は必要なのだが、現法案では極めて不十分だから反対という説とが、微妙に混在している。市民感情で誰が推量するにも、もし真実、最善の形で個人情報が「保 護」される法律が制定されるのに、反対の人は無いだろう。だが「保護」の美名において実は「管理・拘束・支配」される法律ではかなわない。私は、事の最初 から、この後者の意見であった。山田座長にもそのような観点があるように、今度の原案に察しられたので、わたしは、あえてその線をそのまま活かした案文に 拵えた。だが、それでは、下手をするとペンクラブが現在進行形の個人情報保護法案に、条件付き賛成意見を与えてしまいかねないとの憂慮にも、配慮すべきは 自然の勢いであり、山田健太氏がどういう風に討議を整理してきてくれるか、待っている。やがて十一時半になる。

* 会議の後、日比谷クラブに入り、軽く食事し、「山崎」を飲みながら、「住基ネット」関連の資料を読みふけって いた。もう帰ろうかなと思ったときに、隣席のメムバーから、「住基ネット」のことで声を掛けられた。ザ・クラブで、相客から声が掛かったのは初めてのこ と、喜んで話題にのっかり、歓談。キャノンに勤務する技術・法律関連の人であった。
 八時半、急いで別れて出、一目散に帰ったが、池袋ではきわどく電車の便を間違え、少し遅れた。車中、外では強い通り雨 があったらしく、保谷ではタクシーの屋根も窓も雨滴を置いて光らせていた。雨はやんでいた。かろうじて、建日子の「天体観測」第四回に間に合った。

* 今夜が、これまでではいちばん「劇」性をもって筋が運ばれ、場面により厳しい呼吸も優しい台詞も聴き取れた。 およそ一人物に事件の焦点をしぼりながら、他の人物たちがまずまず自然に揺れ動き続けたので、四十分ぐらい経過した頃に、おやまだ二十分も残ってると、満 足感があった。先日来たときに、建日子はこの家の隣棟で、今回分の為にウンウン唸っていた。一緒に三回目をみて、こんなふうに七人八人の役者の頭を順に 「いい子いい子」して撫でて廻ってては、フラットになるだけでヤバイぜと、少し酷評した。それが少し利いたのなら嬉しいが。現に今夜のは、手法的に著しく 改善されていたと思う。最後の方の、女のナレーションだけは、今回の女性脚本協力者の書いた詞のような気がした、が。
 建日子の書いた台本で、殺しドラマでないもので、はじめて「言葉」のしっかりした或る意味「曲者」が登場した。これは 初めてとすら謂える。そして、そのためにドラマに渋味が出た。これも初めてではないか。

* 田畑修一郎の「鳥羽家の子供」は昭和十三年の芥川賞有力候補作であった。落ち着いた私小説系作品で、こういう 小説はこういうふうに書くのだという、手本のように堅実で余裕のある筆致。そしてやすやすと読ませる。まさに純文学。

* 親しいある作家が、時代小説の長編を送ってきてくれた。無駄のない清潔な文章で、かつ読みやすいことは無類。 だが、いくらすらすら読めても、歯ごたえがない。時代物のこれは決定的な弱みで、まともに踏み込んで行けない、要するに「お話」に終始している。どうひっ くり返しても歴史小説という風格にも欠けている。この文章力で現代小説が書けたらいいのにと、余計なお節介だが思い思い本を途中で置いた。

* ところが岩波文庫の「金色夜叉」は、ウン、凄い物だ。読み始め、読み進み、今日も電車で読み続けてきたが、巻 を追って面白い。云うまでもないが文章の紅葉。一字一句として推敲できる隙間がない。完璧な文章といえるものの書けた大家の、紅葉は、最右翼である。じつ はそれが紅葉の短所ともなったろうことを、かつて私は論じたことがあるが、完璧の魅力はやはり大なる魅力と云わざるをえない。構想力と趣向のうまさ。現代 の読書人には明治二十年代の凝った擬古文は読みにくかろうが、それなりに自然で説得力に富んだ構想を展開させてゆく。通俗? とんでもない。「純文学」の大作だと云う説に賛同してもいい。なにしろ面白い。あれれと思う間に分厚い本の半分を通り越している、エライ! 尾崎紅葉の筆力が、エライ!

* 午前二時まで待ったが、山田座長案が届かない。あすのことにしよう。
 

* 七月二十四日 水

* 田中真紀子元外相への政治倫理審査会の質疑を聴いていて、田中氏側の不備も察しられるが、根本に於いて、事の 次第の偽善的な形式主義にわたしはウンザリしている。ハッキリ言って、くだらないことに時間と金を費やして、いわば魔女裁判をやっている。これが政治だと は思わない。鈴木宗男などの問題とは質も程度も天文学的数値差で、問題にならない。問題にするなら田中真紀子だけでなく、もっと大勢がいろいろに問題にさ れねばならない。田中真紀子ほどの政治家の政治生命をただ扼殺することが国会の痛快事になっているとしか、私には見えない。
 一国民としては、田中真紀子に政治家として活躍させたくこそあれ、偽善的な口実でこんな無駄にちかいことは、やって欲 しくない。不備あり、厳重注意し改善せよ。それだけで済ませて問題ない程度のことと私は考えている。ただの「いじめ」に類する。辻元清美のようにあきらめ ず、反撃にも掛かってくれて良いとわたしは田中真紀子を、気持ち、応援している。
 

* 七月二十四日 つづき

* 夕方まで待っても山田氏のメールが入らないので、逡巡しているとタイミングを失う怖れもあると判断し、昨日の 討論を念頭に、先にわたしの起草した電子メディア委員会案を、下記のように、より強く簡潔に修正して、ペンの役員執行部に「緊急声明」案として送った。

* 住民基本台帳ネットワークの実施に強く反対する緊急声明
 小泉内閣は、「住民基本台帳ネットワーク(以下、住基ネット)」の実施を、予定通り強行する姿勢を鮮明にした。日本ペ ンクラブは、以下に述べる重大な危惧と憂慮により、「住基ネット」の実施に強く反対する。
 首相自らが不備を認めるように、住基ネットは、セキュリティー面のみならず、文字コード等のシステム上の問題、国民総 背番号制に繋がるプライバシーと市民生活の自由の蹂躙等、容認しがたい大きな問題を抱えている。殊にネットワークに関わる関係各所から、地方自治体作成の 住民個人情報が、防御不能のまま全面的に漏洩・流布する怖れはまことに深刻で、また防衛庁リスト作成事件で明白なように、行政側の管理能力・意識にも、国 民として黙過し難い異様な欠陥が多々ある。現在国会に上程されている「行政機関個人情報保護法案」も上記の問題点を到底解決し得ず、むしろ廃案が至当と考 える。
 そもそも「住民基本台帳改正法」成立時に、時の小渕首相は国会答弁で、個人情報保護のための法整備は、いわゆる住基 ネット稼働の当然の「前提条件」であると繰り返し明言していた。この政府「公約」をすら不当に無視し、国民多数の理解を全く得ていない住基ネットを「とり あえずスタート」させようとする小泉内閣の姿勢は、良識にもとり、国民の自由と安全を著しく脅かす意図に出たものと強く強く非難せざるをえない。
 重ねて日本ペンクラブは、これが将来に大きな禍根を残すことを憂慮し、「住基ネット」稼働の凍結を、ひいては法自体の 廃案を厳に要求する。
       二○○二年七月二十 * 日    会長名  (電子メディア委員会電メ研・案文)

* 「鳥羽家の子供」は佳い作品であった。覚えたてのファイルを使ってもう入稿した。高田宏氏の「山へ帰った猫」 も北条民雄の「いのちの初夜」も、結局受け取っていたコピーを見開きから各頁に断裁し、断裁線を文章の行と平行に調えてさらにカットし、それをスキャンし 原稿にした。不十分だと思うが校正はやっと可能になった。

* 毎日暑くて、どうにかなってしまいそうですが、いかがお過ごしですか。この暑さは9月まで続くのでしょうね。 長い夏を前にして、げんなりしてしまいます。
「なよたけのかぐやひめ」は、勉強になりました。秦さんの作品からは、多くの知識を得ることができます。そこから、わた し自身の世界をひろげたいと、いつも想っています。
「ペン電子文藝館」のお仕事についての秦さんの「私語」を読んでいますと、ひろく、アナログからデジタルへの移行の煩雑 さについて考えます。わたしの仕事も似たようなところがあります。これまで使用してきた、いわゆる「版下」を、デジタルなものに変えて行く作業は、オペ レータの根気にかかっています。一般企業にPCの普及し出した数年前、楽になる、だの、人を減らせる、だのという声をよく耳にしましたが、そんなことはあ りませんね。結局、要求されることが増え、仕事量は変わらないか、これまで以上だな、というのが実感です。
 わたしの身を置いているDTP業界の末端でも、無知・無理解が甚だしくあります。現時点において、PCで作業すること の利便が実感できるのは、”データの汎用性”のみです。それさえも、周囲に環境が浸透して、はじめて発生するものですが。
「電子文藝館」、ご苦労の多いことと存じます。ともあれ、北条民雄の「いのちの初夜」をたのしみにしています。
 昨日は、「天体観測」(秦建日子脚本)を、はじめて観ました。過去にあった青春群像ドラマの数々を憶い出しながら、そ して、自分自身の25歳に想いを馳せながら。
 率直な感想は、暗いなあ、です。輪になって、皆、沈鬱な表情でしたね。世相を写しているのでしょうか。
 仲間といえば、わたしの場合大学時代のサークルメンバーです。が、ドラマのように、ああしょっちゅう顔をあわせること はできません。関東近郊に住んでいる者だけ、集まっても、年に1、2回です。ですから、集まると、飽かず語ります。呵々と賑やかな酒宴になります。個々に 抱えている問題はあるでしょうが、ぐっと飲み込んで、楽しく過ごします。
 そんな友人たちから届く手紙や電子メールの文面に、呻きのようなものの読み取れることがあります。辛い、苦しい、と書 いてあるわけではありませんが、たわいない近況報告として見過ごせない何かがあります。共鳴するわたしの中のものが、そう解釈させているのかもしれませ ん。でも、きっと皆、一人で闘っている。わたしは彼らに「洪水のように 大きく、烈しく、 生きなくてもいい。」と、言ってあげたくなります。「白き石のおもてのように醒めてあれ。」と、半ば自分自身に言いきかせながら。
 秦さんの「私語」で、井上靖の詩「愛する人に」を知り、わたしはほんとうに救われたのです。
 それでは、暑気にやられぬよう、お気をつけください。

* なぜか、えらく食欲があり、うまいものが食べたい、なにがいいかななどと想っている。京都の玉村咏氏が越前の 肴をいろいろ贈ってきてくれた。山口からは清酒「獺祭」が三本届いた。これはもう飲まずにおれなくて、仕事の間・間に、ちょくちょく、と。
 さすがに外出は皮膚を焦がすようで蒸すようで、着替えるのからして面倒でひるむけれど、そういう時にわざと週一の歯医 者通いを決めたのは、出て、そのついでに楽しめることは楽しもう算段。だが麻酔の抜歯の入歯のと続いては、勘定が違いそう。
 

* 七月二十五日 木

* 小中陽太郎氏や同僚委員の加藤弘一氏、村山精二委員らから、早速賛成、支持の声が届いた。加藤さんのホーム ページに載っているつぎのような情報は、「住基ネット」実施がいかに危険で無意味かを知らせてくれる。お許しを得て、紹介しておく。加藤弘一さんの筆にな る。

* 秦委員長の緊急声明案に賛成します。
 一昨日のTBS「ニュース23」で、IT化先進自治体である四日市市のあきれた実態が紹介されました。ご覧になった方 もいらっしゃるかと思いますが、このまま住基ネットが稼働したらどうなるかという
例として、ご参考までにうちのページに書いた内容を以下に転載します。加藤弘一
-------
 いくつかの自治体では国民総背番号制を先取りして、住民の個人情報の一元管理を実現しているが、7月22日のTBS 「ニュース23」で紹介された四日市市の事件は、やはり、というものだった(以下、記憶で書く)。
 四日市市ではかねてから、市役所の職員がおもしろ半分に住民の個人情報をのぞき見しているという噂があったという。あ る男性が、自分の年収を知人が知っていたことに驚き、市の情報公開条例を使って、自分の個人情報の閲覧履歴を請求したところ、10年間に200件以上の閲 覧があったが、その内のすくなくとも50件以上は、必要性の認められない不可解な閲覧だった(老人の家族がいないにもかかわらず、老人福祉課の端末から税 額(年収がわかる)を閲覧するなど)。
 その男性は、50件以上にのぼる不可解な閲覧について、誰が何のために閲覧したのか、情報公開を求めたところ、四日市 市側は不明という答えしかよこさなかった。
 個人情報にアクセスするためには職員IDカードによる認証が必要で、当然、職員名は特定できるはずだが、実際は、認証 後、トイレで席を離れるなどして、他の職員が端末を使える状態になっており、本当にそのIDの職員が不正閲覧したかどうかはわからないので、個人名は公開 できないというのだ(もし、他の職員によるなりすましがあったとするなら、それだけでも大問題のはずだが)。
 説明をもとめられた四日市市長は「職員がのぞき見しているんでしょうなぁ」と、TVカメラの前でこぼしていたが、四日 市市は情報公開条例で閲覧履歴を請求できるようになっていたから、たまたまのぞき見が発覚したにすぎない。
 住基ネットはいつ、誰が自分の個人情報にアクセスしたかという閲覧履歴すら残らない欠陥システムであり、このまま利用 範囲を拡大しようというのはあまりにも危険である。

* 住基ネット実施に手ぐすね引いて、あたかもコンクールのように、ハッカーたちはハッキングの腕前を見せようと しているとか、そんな声も聞く。ありそうなことで、また実に簡単に可能になるだろう。国会も、田中真紀子「裁判」にひとかどの政治倫理を高揚しているよう な偽善的無駄で無能を粉飾するよりも、真の政治的道義心を、このような悪政への怖れに振り向け、真剣に討議を重ねるべきだろう。
 各自治体が、住基ネット実施に反対し参加を見合わせれば、制度自体はぼろぼろになってくる。私の地元西東京市も、市長 一人が決断してくれれば、市会はこれにすでに懸念を表明しているのだから、態度が決められる。政令都市の大きいところが、一つ二つ不参加の手をあげてくれ れば、制度自体が無意味化してくる。
 この八月実施はいわば助走の開始、一年後に本格化という目算であるらしいが、この一年といわず半年、三ヶ月で、こんな むちゃくちゃなネットを、ぼろぼろの有名無実な破れ網に持ってゆかないと、一人一人の財布の中の、小銭の枚数までお上に掴まれかねない。何が起こるか分か らない。

* 『モンテクリスト伯』を読んで怖かったのは、善良な船乗りエドモン・ダンテスの運命を狂わせたのが、いわば彼 の「冤罪裁判記録」にたった一行書かれた、裁判官ヴィルフォールによる偽りの「危険人物、永く収監の必要あり」という走り書きであった。裁判官は、それに より、身内に及ぶ危害をダンテスに肩代わりさせたのだ。ダンテスの普通の市民的幸福は一切を奪われ重罪監獄のどん底へたたき込まれた。ダンテスには、何故 そんなことになったかも絶対に知りようがなかった。たとえ知りえても、訂正出来なかった。
「住基ネット」の国民総背番号制への進行は、これに類した底知れない苦患を、普通の市民生活に持ち込んでくる。その怖れ が濃い。なにが運命をくるわせてしまうか、加害者すらも気付かないでいることに成ろう、おそろしく無責任な運営と秘密漏洩と悪用が横行するだろう。全国津 津浦々で、四日市の役所内でこそこそとなされてきた、個人の秘密の盗み見が、あらぬ噂の種を無限にまきちらすだろう。だれが、その責任をとれるのか。
 こういうことを阻止できる政治家の力量こそが問われている。田中真紀子の相対的には小さな、しかも議員達の中で類例・ 類犯の多いに違いない過失責任を、トクトクとあげつらっているヒマに、本格の政治をやれと云いたい。経済、人権、環境、福祉。どれをとっても日本も世界 も、昨日まで以上に深刻な危機に瀕しているではないか。

* 立原道造の詩を読み、「金色夜叉」や「鳥羽家の子供」に誘い込まれて他を忘れているとき、少なくも自分が或る 落ち着いた地盤の「他界」に憩っていることが分かる。覚めたあとで思い知らされる。悩み多く、物思いがちな人々よ。「ペン電子文藝館」の秀作に憩い給え。
 

* 七月二十五日 つづき

* 三好徹副会長のもとで住基ネット声明の文章がさらに書き換えられ、検討が進んでいる。わたしの希望は、新聞等 が全文掲載して報じてくれる程度に簡潔であること、格調ある文面でペンらしい品位を持って欲しいこと、抽象的にならないこと。以上だ。執行部に一任してあ る。

* 理事の高田宏氏作「ヤマへ帰った猫」の、妻がしてくれた初校のあとを、読み始めた。話し言葉で平易に語られて いるが、さらりとした淡々調が、しいて「調子をとっている」ようでやや気になる。猫の話、面白くなってほしい。そういえばやはり理事の一人の新井満氏は、 犬との物語だった。

* 今日も出かけなかった、どこへも。玉村さんにもらった、きすやサヨリや鯛のささ漬けを肴に、獺の気分で「獺 祭」を飲んだ。
 明日は、なんだか知らないが「麻酔する」と医者に予告されている。二時ぐらいまで喋れないらしいから、食べられもすま い。そんなときは、観るものも冴えないからまっすぐ帰ってこよう。真夏。どこかへ行きたいが。このごろテレビで佳い映画もない。
 

* 七月二十六日 金

* 麻酔薬を二度ほど注射されて、昼前には解放されたが食事できず、家に帰った。高田宏さんの「山へ帰った猫」を 読み終えて、ファイルで入稿。小動物を扱った作品が物故作家の島木健作「黒豚」黒島傳治「豚群」という戦前作家と、現在の新井満理事の犬の「函館」高田宏 理事の「山へ帰った猫」と揃った。組み合わせて読者がめいめい「小説合せ」を楽しまれるのも良い。

* 事務局からの電子メディア委員会メーリングリストで、執行部役員間で決定した「反対声明文」が通達された。ど んな討議と経緯とが有ったのかは、一任したこととて、何も知らない。すでに政府、各党、報道関係に送られていると。

* 「住民基本台帳ネットワークシステム」の強行に対する抗議声明
 小泉内閣は、「住民基本台帳ネットワークシステム」(以下、住基ネット)の実施を、予定通り強行する姿勢を鮮明にし た。日本ペンクラブは、以下に述べる重大な危惧と憂慮により、住基ネットの実施に強く反対する。
 小泉首相自らが不備を認めるように、住基ネットは、セキュリティー面のみならず、国民総背番号制に繋がるプライバシー 侵害や市民生活の自由の蹂躙等、容認しがたい大きな問題を抱えている。殊にネットワークに関わる関係各方面から、地方自治体作成の住民個人情報が、防禦不 能のまま全面的に漏洩・流出する怖れはまことに深刻で、また防衛庁リスト作成事件で露呈されたように、行政側の管理能力・意識にも、国民として黙過し難い 異様な欠陥が放置されたままである。現在国会に上程されているいわゆる「個人情報保護法案」も上記の問題点を到底解決し得ず、むしろ廃案が至当と考える。
 もともと「住民基本台帳改正法」成立時に、時の小渕恵三首相は国会答弁で、個人情報保護のための法整備は、いわゆる住 基ネット稼働の当然の「前提条件」であると繰り返し明言していた。この政府「公約」をすら不当に無視し、国民多数の理解を全く得ていない住基ネットを「と りあえずスタート」させようとする小泉内閣の姿勢は、国民の自由と安全を著しく脅かす意図に出たものと強く強く非難せざるをえない。
 日本ペンクラブは、住基ネットの強行が将来に重大な禍根を残すであろうことを重ねて警告し、その実施の延期および「国 民の一人一人に網をかぶせる」(法案作成者の発言)これらの法自体の廃棄を強く強く要求する。
  2002年7月26日   社団法人 日本ペンクラブ 会長 梅原 猛

* 強く強く、強く強くと二度重ねているあたりに、憂慮と抗議の強さが出ているものと思おう。
 本文から「文字コード」の文字が削除されているが、「住基ネット」のアキレス腱は、加藤弘一氏がはやくから熱を籠めて 示唆し警告しているように、「文字コード」の途方もない現状の不備に在る。文字コードに関わっていない者には、まだまだ理解不能なのだが、文字コードの専 門家達は、また支配官庁の関係者だけは識っていて、へたをすると、この一穴から千里の長堤も壊滅するかと不安を抱いている。情報処理学会の文字コード委員 会は、二期を経て、表面解散し、「日本ペンクラブ」を代表していた私にも「解任」の謝状がつい先日正式に届いている。だが文筆団体からの雑音を排して、あ る種の政治目的のために別途の文字コード問題が議題化されてゆくことは必定であろう。どこまで目が届くかは分からないが、加藤氏らのウォッチに期待してい たい。

* 「ペン電子文藝館」は繰り返し書いているように「起稿」から「校了・掲載」までに段階的にたいへんな労力をか けている。勢い委員に最終の「念校・常識校正」をお願いして事を運んでいる。ある委員の云われるように、たしかにこれは「お金にならない」作業だけれど、 また、こんな事でなければ読まない作品に必然読む機会が出来て、それが有り難くもある、と。若い頃に愛読した作家や作品に再会する喜びを云う人もある。わ たしは、今のところ殆ど全部の作を起稿し、校正しているので、その思いはひとしお濃く抱いている。「本読み」と小さい頃から云われ、親に「極道」だと顰蹙 された。本が好きだった。いちばん嬉しい仕事が出来て幸せでしょうと、妻に冷やかされている。その通りである、名作秀作傑作に再会したいし、新たに出逢い たい。

* 「染め」を話題の京都での対談速記録が届いた。この手入れで汗が出る。三省堂の書き下ろしが終盤の纏めに来て いる。これも一気に片づけねば。そして湖の本の次回新刊の編輯に掛からねばならぬ時期が来ている。幸い八月は会合が少ない。それにしてもこの二階の機械部 屋の冷房は利いているのかな。やがて今日も過ぎて行く時刻なのに、「蒸し揚げ」られているよう。

* 二三日前から、理由は分からないが左のアキレス腱が、歩くと痛い。少しビッコを引いて歩いている。思い当たる ことが何もない。手足の先のかるいジンジン感は、もう一年以上も昔からあるけれど。そういえば、ふくらはぎがひどく堅く冷え、痛んでいたときがあった。終 日硬くてくらつく椅子生活、良くないのかな。

* 明日は娘朝日子の誕生日だ。四十二歳か。三十代の初め頃までの朝日子しか知らない。元気でいてくれるように心 より祈る。孫達も。孫の人数は二人から増えているのだろうか。どんなに大きく成ったろう。建日子の「天体観測」など、観ているのだろうか。ある日、孫娘や す香や、みゆ希達から、メールが届けばどんなに妻は喜ぶだろう。わたしも。われわれのことは、記憶にもないかも知れないが。
 

* 七月二十七日 土

* 朝一番、誕生日を迎えた朝日子の健康と幸福を祈って、妻と赤飯を祝った。

* 東京は猛暑。札幌もちょっぴり夏模様です。短い夏を惜しむように、週末は花火大会が。遠くに音を聞いておりま す。
 湖の本「なよたけのかぐやひめ」。頂いてから、少し物狂いになりまして、どうしても跡見をしたく、一月かかって跡見に 行って参りました。hatakさんのご趣向とはすこし異なるかも知れませんが、私にはこんな会であってほしいのです。
 明日からは泊まりで夏の学会。40分の講演もあります。
 相変わらずご多忙な様子。歯を大切に、ご自愛下さい。maokat

* 「竹ノ幻想」という文章が届いた。この人のこと、かっちり書けている。が、スパッと本丸へとびこむような大胆 なカット、または倒置法があってもいい。経時的に順繰りにものごとを踏んでゆくと、その説明で、本当に書きたいことが出てくるまでに余分な手間暇がかか る。せっかちな読者はそれを待っては呉れないで、投げ出す怖れがある。
 わたしは「竹取物語」のモチーフに、愛しい娘または少女に死なれた人の鎮魂の願いがあったろうと推論して、それを「な よたけのかぐやひめ」の底荷に入れた。maokatさんは、打てば響いて、そこへまっすぐ反応し、「竹ノ幻想」を書かれたらしい。「e-文庫・湖」15頁 へ掲載した。

* 打てば響く人もいる、打てども響かない人もいる。

* 昨夜、尾崎紅葉の『金色夜叉』を読み上げた。こんなに面白い小説であったかとすっかり見直した。未完だという が、これで十分だと思った、紅葉の意図していたほぼ全容はもう書かれていて、これ以上は要らない。文章は完全無欠。筋の変転、趣向の妙の自然さ。会話する 明治男女の意外にリアルな実感の豊かさ。そして「金と恋」という題材を扱ったユニークな近代感覚。漱石の『こころ』は金と恋に触れた問題作だが、『金色夜 叉』ははるか先だって、より根本からおめず臆せず書ききり、遺憾がない。明治文学の名作の一点と賞してすこしも可笑しくないと、新ためて尾崎紅葉を仰ぎ見 る気になった。これも「ペン電子文藝館」のおかげである。
 

* 七月二十七日 つづき

* 小学館古典の「うつほ物語」第三最終巻が贈られてきた。待ちわびていた。
 物語の基調には、神秘の琵琶の音楽的奇跡が一貫している。宮廷絵巻が繰り広げられて一見多数の人物が平版に錯綜するよ うであるが、貫いているのは、俊蔭、俊蔭女、仲忠、仲忠女という四代が身に負う「音楽=琵琶の天才」が奏でるめでたさ。しいていえば、そのわきに宮廷・朝 廷における太い主筋のようにして、東宮妃藤壺所生の皇子立坊という「国譲」物語もある。物語の大団円は、だが「国譲」についで、琵琶の秘伝がはなやかに厳 かに、幼い姫に世襲伝授される「楼の上」でこそ大きく終える。それで物語は首尾相応する。
 源氏物語を例外に、この小学館古典全集で、長編三巻もの「つくり物語」は、他に、馬琴の「近世説美少年録」があるだけ だ。久しく「うつほ物語」が読みたかった。「落窪物語」「浜松中納言物語」「夜の寝覚」「狭衣物語」「堤中納言物語」「住吉物語」「とりかへばや」「松浦 宮物語」など、渇くように求めていた物語の大方を、再読、また初めて読むことが出来たこの全集に、わたしは、ほとほと感謝している。のこるは、もう三巻の 配本のみ。

* 建日子の「天体観測」が新聞のドラマ時評の大きい欄で、他の一作とならべて取り上げられていた。まじめな行き 方が、相応に評価されていると読めた。ドラマは、脚本だけではない。演出も演技も撮影も。だから、良くても「俺の力」とは言えない、当然だ。だが、全体の 行き方が、ワルノリや軽いノリに流されずにいるうちに評価、少なくもまともに評判され始めているのは、脚本の手柄であろう、けっこうなことだ。このドラマ なら、この叔父さんの仕事を、姪のやす香には、せめて見せてやってくれるといいが。
 

* 七月二十八日 日

* 「昨日」の隅田川川開きの花火に誘ってもらいながら、「今日」だとメールを読み違えたために、気付いたときは 七時半、間に合わなくて、惜しいことをした。残念無念。ぼやっとメールを読み間違えた。

* 外出したい気持ちと、仕事を前に進めるとそれだけ気もからだもがラクになるという勘定がこの二三日せめぎあ い、結局機械の前に居座ってしまうと、あっという間に何時間か経ち、出て行くのが億劫になる。自発的に遊びに出るのと、目前の仕事の山を崩して行くのとで は、後者で溜飲をさげるほうが実際ラクなので、具体的に人に誘い出されない限り、なかなか腰が上がらない。
 今日もさんざ迷いながら、思いがけない形で仕事が形を得て行くと、よしよしと引っ張られ、たちまち夕過ぎてしまった。 だが、何としてもうまいものが食べたく、近所の「ケケ・デプレ」の西洋料理で、晩の食事。佳い店で、勉強した料理を量もたっぷり食べさせる。デキャンタの 赤ワインも、デザートも、エスプレッソも旨かった。

* で、すぐまた機械の前に居る。

* 夕方、筑紫哲也と田原総一朗と猪瀬直樹が、黴の生えたような往年の全学連や日本赤軍などの「総括」をしてい た。少し暢気すぎる気がした。
 これだけ顔を揃えるなら、今今の問題、目睫に迫った「住基ネット」などについて警鐘を乱打して欲しかった。市民や学生 の政治的エネルギーを萎縮させ沈滞させ消滅させたのは、往年の学生運動から社会に出てたちまち「転向」し、マスコミにはびこり根ざし、かつての運動基盤に 逆に圧力を加え続け根絶やしにしてしまった、彼等の同類たちマスコミ貴族だという思いを、わたしは捨てていない。戦前戦中にも「転向」者は多かった。戦後 数十年の現在にも、大きな顔した「転向」貴族がいっぱいいる。もう五十年たてば、校正の眼識者は、戦前戦時の「転向」と戦後数十年の「転向」現象とを一連 で論評し批評することだろう。

* 妻が北条民雄の「いのちの初夜」を初校し、感激している。よかった。そういう作品が増えていって欲しい。

* さるすべりが赤々と燃えて、せみしぐれがじーんと響いています。こんな季節になっていたのですね。お元気です か。
 住民基本台帳の問題は、個人のプライバシーを侵害する上でも、個人の安全を脅かす上でも、大きな危惧を感じています。
 今でさえ銀行の個人情報やNTTの個人情報などが、流出しています。想像を絶するような悪用をする人たちがいくらでも 出てくるでしょう。小泉内閣は、比較的高い支持率を保持しながら、実は日本を大きく変えている恐ろしい内閣のような気がします。
 歴史の流れは、数十年たって初めて見えてくるのでしょうが、現在、渦中にいると見えにくいのが怖いのです。
 今日はまた一週間分の元気をためられるよう、静かな休日をもう少し味わいます。
 

* 七月二十九日 月

* 新しい湖の本を一冊分、ファイルにして電送入稿した。スキャナーとメールとワープロソフトのおかげで、快適に 作業が進んだ。ちょっと面白い、読みやすいが持ち重りのする一冊になるのではないか。

* 少しずつだが仕事が前へ進むと、それが気の薬になる。運動不足ではあるが、意識して食を細めにしているのでか らだは辛くなく、体重も増えていない。頑張ればもう少し下げられるだろうが、強いてはしない。食欲の方を大事にしている。

* 昨夜の映画「テス」がジィーンと身内に籠もっている。岩波文庫の赤い帯で、どれだけ多く「テス」という題をみ てきたろう。それでいて買わなかった、読まずに来た。めぐりあわせが無かった。NHK名作映画で「テス」をと番組で知ると、だが、何を措いても観たかっ た。観てよかった。そんな風になって行くのだろうと先行きは概ね推察できたけれど、終始画面の静かなのがよかった、写真のしみいるように美しいにも心奪わ れた。惨憺たる物語だが、ヒロインの無垢と純な愛の深さにカタルシスがあった。救われる嬉しさすらあった。

* 就寝前に、バグワンは別格として、「うつほ物語」と西鶴の「一代女」を並列で読んでいる。床につくまでは、北 条民雄の「いのちの初夜」の校正。これが真実胸を打つ作品で、ぜひこれをと推薦してくれた加賀乙彦氏に感謝する。川端康成が絶賛し即座に文学界賞が授けら れたのも、むべなるかなと手を拍ちたい。佳い作品に出会って一字一句を丁寧に拾い取るように読んでゆく幸せには、言葉もない。

* 日本ペンクラブの電子メール使用会員が四百人に近づいている。まだ五人に一人に足りないが、電子メディア委員 会を発足させた頃の三倍強に達している。インターネット使用者も増え、ホームページを開いている人も増えているだろう。最初にアンケートをとって意識調査 してから満四年は経過し、様変わりは進んでいる。

* まだ、わたしが、パソコンのパの字も知らなかった頃、まだ「紙の本だけ」の時代のもう末期症状が見えていた頃 に、湖の本をわずか五冊ほどを出した頃に、芸術至上主義学会に招かれて、「マスコミと文学」という講演をしている。当然にも一方通行の「紙の本」出版だけ で「マスコミ」問題を抉るように論じている。パソコンやインターネットの双方向性、ホームページを基盤にした文芸活動の可能などに、おくびほども触れてい ない。つまり話す私も聴く会衆も、全然知らなかった、そんな可能性は。その意味で講演は大きな限界を抱き込んでいる。だから今更役に立たないかというと、 むしろその頃よりもその講演内容には、或る徹した歴史的な「証言」性とともに、今の今のマスコミの在り様をそばに置いて読み返すと、当時の誰もが気付かな かったような「先見」性も持ち得ているのだった、びっくりした。二十年近くを経過して、湖の本は今度で通算七十二巻めになる。今なお維持し得て、しかもわ たしのホームページには全巻がすでに電子化もされている。それだけを見ても、「時代は激変した」と言えるし、いわば激変の浪にわたしは当時すでに身を任せ ようとしていた、こうなってゆくであろうと本能的に察知し身構えていた。そこへ東工大教授就任という呼びかけが届いたのだ。おもしろい人生であった。
 大学で研究費というものを貰うと、一番に、とうに使い慣れていたワープロをもう一台と、初体験のパソコンとを、ためら い無く買った。パソコン登場。時代の波がひたひたとわたしを揺すっていたと、今にして痛感する。
 
* 先日の「住基ネット」声明は、あのまま、誰に宛ててもいいものにしてある。少し文面を加えて、ペンは、何らかの工夫 で、地方自治体の首長宛てに梅原猛名義の要望書を送ってはどうだろう。例えば要望書と声明とを全会員に郵送し、会員に、それぞれの自治体首長に自費郵送し て貰うのである。重複しても構わない。
 これは、その気なら、出来るのことではないか。
 

* 七月三十日 火

*  北条民雄「いのちの初夜」を初校して、業者へファィルで送った。ズシーンと胸へ来た。立派な作品である。
 ハンセン氏病のことは、久しい歴史的な不幸な経緯を越えて、最近に漸く一つの解決、打開の道がひらかれた。とはいうも のの、この作品の衝撃度は常識を超えている。加賀乙彦氏の強い推賞と出稿とに感謝しながら、一抹、ためらいが無かったとは言わない。しかし文学の達成度は 申し分なく、初校した妻も「ペン電子文藝館」の中でもえり抜きの感銘作と疑わなかった。わたしもだ。うまいへたではない。まっすぐ突き刺すように書ききっ て、やすく妥協していない、文学として。掲載したい。読んでほしい。じっと眼を閉じて感じて欲しいと、わたしは決意して入稿した。

* 秦建日子脚本の五回目の「天体観測」を見た。やはり、出演者を順繰りに転がしながら前へ送る書き方だったが、 人物に馴染んできているので、引き込まれた。三十分ごろからあとへ、十分時間的に濃度をもっていた。少しずつ主になる駒を置き換え組み替えてゆく気らし い、そこに太い筋があらわれれば、いい。甘くしないで、真面目にもの思わせる路線でいい、視聴率は飛躍しないかも知れないが、観る人の胸にモチーフが記憶 されるような作品に成ってゆくといいなと思う。ちょっと親父の点、甘い嫌いはあるが。

* 彼の世間では火曜サスペンスが横綱級だという。何かの代名詞のように言われてきたのは知っている。その「火サ ス」をいきなり書かせてもらったことで彼は幸運を得たが、火曜サスペンスを自分の気持ちで離れたことでも、転機をつかんだ。転機が幸運に傾くのか不運に傾 くのか結論はまだまだ出まいが。「天体観測」へ突き当たったのはよかったなと思う。真面目で、前向きなのは、佳いではないか、ワルノリやコロシよりも。あ まり時代の流行りではない、苦しい道ではあるが。だが、それならそれで、ナミの何倍も他に侵されないモノを蓄え続けねば。

* 福沢諭吉の「学問のすすめ」初編を「招待席」に入れたい。岩野泡鳴作品も入れたい。

* 福島瑞穂事務所とメールの連絡がとれるようになった。福島さんの原稿も欲しいと思っている。向こうでも、どう ぞと承知している。対談もいいが、相手方への著作権の配慮が過度に必要では、やりにくい。よく思案して。

* 謙虚でいることはじつに難しい。その努力自体に謙虚に背くものがあり、そんな反省自体、謙虚でない。分別しな がら謙虚にとは、撞着である。そもそも、なる・なれる、ようなことじゃない。謙虚など、自身の課題ですらなく、それは他者からの受け取りかたに過ぎない。 反対に、傲慢になる・陥るのはいともたやすい。他者の受け方をまつまでもなく、自分で容易に分かる、自分が傲慢かどうかは。
 わたしはこの先、当分の間、悩ましく自身の傲慢と向き合わねばならない。その際の大きなテーマは、第一に「抱き柱はい らない」ということになる。抱き柱に執着してはならぬというわたしの今の思いが、時に自身の傲慢からと感じることが、全く無いというと嘘になる。だが、今 はそれがごく軽微なのも本当だ。神仏の前に謙虚でないと言われるだろうが、そうだとも思っていないのである。待っている。待っているのだ、首を横に振り払 い振り払い分別を振り払いながら、わたしは待つのだ、………        
 

* 七月三十一日 水

* 国会が終わった。福島瑞穂事務所から、真面目なメルマガが送られてきた。たいへん真面目で、起きてしまったこ との総括報告としては、よく纏まっている。だが、大方は報道されている観測を出ていない。「今日からもっともっと多くの人に呼びかけて、法案の問題点を共 有し、有事法制などを潰したい!」「がんばりたい」と希望の言葉はあるが、どうすれば「潰」せるのかは、何も書かれていない。遺憾なことに野党には殆ど何 も出来ないことを国民はイヤほど知っているだけに、かけ声だけでは、いささかも励まされない、これでいいのか、智慧はあるのか、空景気かと、ちょっと首を 傾げた。八月早々に実施の住基ネットについて、ちらとも触れていないなんて、大いに首を傾げる。「転載歓迎」とあるので、今日の日付の冒頭部分を書き込ん でみる。
 それにしても、最悪の小泉内閣だ。こんなに釣瓶落としのように国民生活を、戦前の内務省型抑圧へと落とし込んだ内閣 は、敗戦以来、一つもなかった。なににダマサレているのか。九割近い指示を与えて暴走を許した国民のあやまちも、悔いてあまりある大失錯であった。

* ==== Mizuho Office ==========================================
       福 島 瑞 穂 の 国 会 大 あ ば れ
        2002/07/31号
=============================================================
◆154通常国会とは何だったのか

 今日、7月31日で154通常国会が終了しました.何のための延長だったのかさっぱりわかりません。健康保険法 改悪案と郵政公社化法案を成功させるためだけに延長したとしか言いようがありません。
 今国会は、有事法制三法案、個人情報保護法案、人権擁護法案、健康保険法改悪案、心神喪失者処置法案など、悪法てんこ 盛りでした。
 私は、154通常国会は、戦後の国会の中でも最もひどいものの一つと考えます。有事法制は、山崎拓自民党幹事長が言う 通り戦時法制そのものです。戦時法制はまさに平和憲法に真っ向から衝突します。平和憲法を真正面から否定する有事法制を提出した小泉内閣を許すことは
できません。
 個人情報保護法案、人権擁護法案といった、国民の監視を強めたり、メディア規制をする法案の提出も、今までの政府の態 度から大きく踏み込んだものです。
 今国会の危機は、立憲主義、「法の支配」が破壊されていっていることです。有事法制三法案の提出もさることながら、福 田官房長官が非核三原則の見直しの発言をし、衆議院の憲法調査会では、ある自民
党の衆議院議員が「徴兵制も合憲である」と発言しました。これまでの内閣の見解ですら徴兵制は違反だというものであった のに・・・。こうした状況に、ある国会の職員は「戦後の国会での議論が紙クズになってしまった」と嘆いていました。「法の支配」が踏みにじられつつあるこ とに強い危機感を持っています。
 今国会で、健康保険法改悪案が与党単独で強行採決されたことに、怒りを感じています。ただ、今国会において、有事法制 三法案・個人情報保護法・心神喪失者処遇法案などが成立しなかったことは、やはり
国民の多くの人たちの声と活動によるものだと考えています。
 「がんばって!」という声にどれだけ励まされたかわかりません。
 閉会中に、水面下で法案の「修正」などの話がなされ、10月初旬に開かれるであろう秋の臨時国会で、一気に数の論理で 「強行採決」ということになりかねません。そうならないために、今日からもっともっと多くの人に呼びかけて、法案の問題点を共有し、有事法制などを潰した い! と考えています。
 雇用の拡大をどうしていくのかという経済政策、地方分権、公共事業透明化法案などの策定、天下り防止、男女平等政策、 難民政策、人権救済のための第三者機関の設置(現行の人権擁護法ではなく)などの人権政策でも、秋はがんばりたいと考えています。

* いささか苦言を呈した。

* お知らせ等 感謝します。いくつもの感想があります。福島さんにというより、事務所宛に申し上げておきます。
 「福島瑞穂国会大あばれ」  一読して「乱闘国会」を思い出させます。ノリが軽く、週刊誌の見出しか、ワイドショー番 組の売り込みのようです。大人のセンスではない。もし電車の吊り広告に「福島瑞穂国会大あばれ」と出ていて、痛快に感じる人もいるでしょうが、少ないので は。これは、贔屓目の内輪にだけ通用させているセンスで、単純に子どもっぽく、幹事長議員の重量感を殺していないでしょうか。
 三十一日づけ「報告」を読んでいて、すぐ気になったのは、「健康保険法改悪案と郵政公社化法案を成功させるためだけに 延長したとしか言いようがありません。」の「成功させるため」など、言葉の使い方が杜撰です。「成功」には達成感と満足が自然にともないます、語感とし て。否定の評価を伝えたいとき
に「成功」などといってしまうと、何を考えているのかと戸惑います。「政治」では言葉の誤用が大きな退却になりかねない のでは。
 私などが本当に欲しいのは、こういう「感想」の伝達でなく、どうすれば福島瑞穂や社民党を、われわれが手伝えるのか、 力になれるのか、どう動いたらよいのか、動いて欲しいのか、の「道案内」というか、文字通りの「導びき」であり、「提案」であります。この程度の只の「後 追い感想」なら、わざわざ読まなくても、我が家も含め、かなり市民の多くがとうに共有しています。
 こういう道・方法・手段があるのではないか、皆さんこう動いてくれると議員として働きやすい、あばれやすい、実はこん な有効な「手」がまだあるのですよという、示唆に富んだ、活動に繋がる「要望込み」の発言や檄が欲しいところ。しかし大方が、起きてしまったことの、後追 いの慨嘆やグチで、これでは、例えば、私などの持つ切歯扼腕の感想と、何も変わり有りません。
 もっと起こりうる、先、近い先、の問題点へ照準を合わせた「手の打ち方」で、さすがという聡明な「手だて」を見せて欲 しい。
 ま、こんな雑音でも良ければ、申し上げたいことはたくさん持っています。
 暑いです。お大事に。ともあれ、一息入れて、すぐまたの活躍を期待しています。

* 奈良の友人から桃と葡萄がたくさん贈られてきた。高校で同級だった秀才の妹さんで、わたしの率いていた茶道部 にも入っていた。今は湖の本を買ってくれている。家が松伯美術館に近く、招待状の大方を使ってもらっている。高校を出てから四条縄手西の銀行の窓口にい て、父のお使いで窓口まで出かけると顔を見ていた。あの頃から会ったことがないが、兄貴もともども、懐かしい。兄妹の、上のお姉さんにも、続けて湖の本を 買ってもらっている。有り難いこと。

* 鶴来の銘酒万歳楽のなかでも、杜氏が心を込めて作ってくれた一本を、自然食品の幾色ものうまい漬け物をさかな に、夕刻前、しみじみ酔った。なんでこう酒がうまいのだろう。

* 玉村咏氏との対談速記録の手入れに、予想通りの苦戦を強いられている。よく話してくれていて本音はストレート に出ているのだが、寸が短い。創作者はこれでいいのかもと思う一方、こう守りが堅くていいのかなとも危惧する。手入れの段階で、少しでもより彼の意見や姿 勢が誤解なく伝わるようにしてあげないと、危ないというほどの気持ちに悩まされている。

* 暑さに負けるのか、考えたりしたりすることが、くたくた疲れで中断する。そういうときは、一つのことを永く続 けてしたり考えたりするのはあきらめ、かわりに、いくつもの用事を次から次へ回してゆく。
 機械の前にいるかぎり、わたしの作業や着手を待っている用事は、数え切れない。そんな大げさなと言われるかも知れない が、例えば「電子版・湖の本」のファイル一つを開いても、七十巻以上のわたしの作品達がみな「校正」を待っている。「e-文庫・湖」の編輯もある。なによ り創作がある。期限を切られた依頼の仕事もある。調べたい仕事もある。
 日本人男性の平均寿命は少し伸びて、世界一になったそうだけれど、その平均年齢まで、わたしの場合もう十二年間しか 残っていない。この機械の中でわたしからの「呼び出し」を待っている「仕事」達の全部が、あます十二年で仕上がるなんて、ほぼ絶対に無理であろう。仕上 がっている作品の「校正」などは、もう人に委ねるしかない、なさるべき新しい別の仕事達のためにも。
 コンピュータは、思えば思うほど、ある種、アブナイ機械である。囚われてしまうとロクなことはない。しかし便利である のもまちがいない。便利の中で「溶解」してゆく人間性の在ることをよく覚悟していないと、防衛していないと、てっきり人間も又「機械の顔と言葉」しか、も てないハメになる。滑稽な機械地獄に此の世はなってしまう。「ペン電子文藝館」で初めて出逢いまた久しぶりに再会している多くの「文学・文藝」が、少なく も、わたしを潤してくれる。バランスしてくれる。有り難い。

* 昨夜、明治の初期作品集を開いていた。仮名垣魯文の戯文や成島柳北の漢文の「柳橋新誌」や、三遊亭円朝の「怪 談牡丹燈籠」や黙阿弥の戯曲等々が入っていた。
 その中の山本勘蔵の毒婦物の小説を読み出した。昔の新聞には読切や連載で、侠客物や毒婦物の読物がよく掲載され、読者 に大いに受けていた。わたしは、子どもの頃に、どういう縁が在ってか、「佑天吉松」だの何だの原版の切り抜き集成のかたちで、そんな講釈小説を、一時立て 続けに読みふけったことがある。山本勘蔵の「夜嵐阿衣」もその手の物で。あああ、こういうところから近代日本文学は歩み出したのかと、改めて、うたた感慨 を催した。
 とんとん読める。講釈のようで、どこかで七五調になったり、世話に砕けたり、小さい活字がずんずん読めるのだが、だん だんその品位の低さに染まりそうな「いやけ」がさしてくる。本を伏せて、次いで「うつほ物語」へ移ると、ほっとする。清水で心身を洗うような心地がする。

* 今日テレビで東大の船曳教授の話を耳で聴きながら、目は菊池寛の「わが文藝陣」を面白く読んでいた。菊池寛の 明快さに比べると船曳氏の話には、惹きつける面白い正しさがあまり感じられなかった。耳で聴いている方が目で追っているものに負けて影が薄くなるようでは 困る。大教室がよそみや私語で騒がしくなるとき、いっぺんにシーンと注意を惹きつける技術のようなものを、いくらか身につけた。講演していても、それは自 然に出来る。耳は目より、と思ってきた。菊池寛の文章と論旨のつよさが、だが、今日は東大の論客を追いやった。



* 八月一日 木

* 福澤諭吉の「学問のすすめ」初編を起稿し校正した。「此度余輩の故郷中津に学校を開くに付、学問の趣意を記して旧く交りたる同郷の友人へ示さんがため 一冊を綴りしかば、或人これを見て云く、この冊子を独り中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せば其益も亦広かるべしとの勧に由り、乃ち慶應義塾の活 字版を以てこれを摺り、同志の一覧に供ふるなり。 明治四年未(1871)十二月 (明治五年二月出版)」という「端書」がある。全十七編に及び、「合 本」時の「序」はこう書き起こされている。

*「本編は余が読書の余暇随時に記す所にして、明治五年二月第一編を初として同九年十一月第十七編を以て終り、発兌(はつだ)の全数、今日に至るまで凡 (およそ)七十萬冊にして、其中(そのうち)初編は二十萬冊に下らず。之に加るに前年は版権の法厳ならずして偽版の流行盛(さかん)なりしことなれば、其 数も亦十数萬なる可(べ)し。仮に初編の眞偽版本を合して二十二萬冊とすれば、之を日本の人口三千五百萬に比例して、国民百六十名の中一名は必ず此書を読 たる者なり。古來稀有の発兌にして、亦以て文学の急進の大勢を見るに足る可し。」

* 「ペン電子文藝館」では「招待席」に限り、少しく著者の紹介を詳しくし、これまで、一人残らず私(秦恒平)が主幹たる責任をもって書いてきた。在任中 は今後もそう在るだろう。だが、およそペンクラブの「会員」であった・ある「書き手」には、逆に、及ぶ限り簡素な「定型」による紹介にとどめ、一切或る種 の主観的評価や解説に流れるのを厳戒してきた。「会員は平等」という「ペン電子文藝館」の原則を守るためである。しかし「招待席」の筆者には「招く」とい う儀礼と招くに値する「理由」が紹介されて佳いのではないか。それにより読者は多くを納得されるであろう。

*「福澤 諭吉 ふくざわ ゆきち 思想家 1834.12.12(陽暦1835.1.10) - 1901.2.3  大阪玉江橋北詰中津藩蔵屋敷内に生まれる。 慶應義塾創始者。名実ともに近代日本の知識人の先駆者として、時代思潮を「実学」「良識」に集約し啓蒙鼓吹し た。掲載作については「序」「端書」が委細を尽くしている。目を射る「文学」の二字の福澤において意義するものも、その限界も、正確に受け止めたい。此処 には最も有名な明治四年(1871)執筆五年出版の「初編」を挙げ、「目次」により「合本」の全容を示しおく。」

* 福澤は天保五年に生まれている。「ペン電子文藝館」の著者の中で、少なくも今のところ最年長(というのも妙だが)者である。「学問のすすめ」を読んで いると、舌を巻く感嘆と、思わず唸ってしまう、余儀ない時代の限界の露わさに突き当たる。これぞ近代日本の「知識階級」の名実ともに先駆した第一人者の啓 蒙というものであろう。逍遙や鴎外や漱石や透谷よりももう一世代も二世代も早く現れて、その点に意義があったと中村光夫先生は説かれていた。その通りであ る。この初編はたかだか三十枚に足りない短編ではあるが、雄に大作の重みがある。そして読めば読むほど、今日の政府・政権は多くを国民に対して誤っている と言わざるを得ない。あるいは、福沢諭吉は政治と政権の行方を甘く見たか。
 多くは後者と観るかも知れない、が、そうだとすれば、今日の、いや福澤以後の明治、大正、昭和、平成の多くの政府や政治家が、国民への誠意を欠いてい た、政治の理想を先ず彼等が放棄したのだと言い換えた方が正確であろうと私は考える。

* 「公」と「私」の関係について、福澤の説くところはなお微妙に多くの留保を残しているが、わたしは、「私の私」を第一義に護ろうとしない「公」など あってはならぬ、少なくもそんな「公」が「私」に過剰に抑圧的に犠牲を強いる資格は断じてないという思想の持ち主である。つよく言えば「私」には「公」に 背くことの赦される場合があるが、「公」は「私」の為に背いてはならない。それは赦されない。人倫の平和を大切に思うならば、それが至当である。滅私奉公 ではない、公は私の幸福に奉仕すべき存在でなければ存在意義がない。国民に番号を付して罪人のようにその「私」の権利と「生活」を根から管理支配しようと する政府などは、不要である。わたしの怖れ繰り返し言及してきた「旧内務省」政治の復活を、心から懼れねばならなかったのに、学校での歴史教育は、縄文や 弥生を語るに懇切でも、近代日本の、「反・学問のすすめ」型政治の実体を、少しも教える時間と姿勢をもたない。異邦の人に創氏改名を強いたよりも徹底的 に、日本政府は国民をこれから番号で引き回そうというのである。

* 「ザ・ロック」というショーン・コネリーとニコラス・ケージのアクション映画をビデオで観た。とてつもない筋書きは筋書きとして、フォーサイスの原作 は概して大いに読ませる面白いものであるが、この映画は原作よりもずっと魅せてくれる。魅せ・見せ続けて呉れる。ビデオは仕事の合間に本を読み継ぐように 何回かに分けてみていることが多いが、この映画は席を立たせない。

* さて、久米宏の番組が「住基ネット」をどう論じてくれるかを、聴きに行こう。わたしにも、一つ、日本ペンクラブ内で出来るし、した方がよいと思う方策 があるのだが。  

* 八月二日 金

* 一時間二十五分も、歯の治療台に仰向いていた。参った。六日と九日にも。参る。

* すさまじい雨に降られ、雷も雹も。そして池袋駅まで戻って左アキレス腱が痛みはじめ、とても普通に歩けなくなった。保谷ではやや小降り、しかしタク シーにはえんえんと行列。しかたなく、幸い夏の雨で冷たくなく、「ぺると」で中休みしてから、左足を庇い庇いひきずって雨の中をぬれて帰宅。

* 住基ネット緊急アピールの一案 秦  ペンクラブはすでに会長名の声明を出しました。これは「広く」どこへ、だれへ、も通用する声明です。
 そこで、  新たに、自治体(県市区町村)首長宛ての(加藤委員案を組み入れたもの)ないし簡潔な、参加見合わせの「緊急要請文」を起草して、会長名の 声明に添え、これを、日本ペンクラブの全会員に至急郵送し、各会員の意思と名により、各自の自治体首長宛て発信(郵送ないし持参)してもらう。
 全国自治体全部へ事務局からとなると作業が大変ですが、各会員が自分の地元のとなれば、訴求力も直接感つよく倍加します。当然網羅は出来ず偏りますが、 それは所属会員分布の実情なのですから、それでいい。むろん地域による重複も差し支えなく、一個人の申し入れでなく「日本ペンクラブ」の声明と意思表示に なるのですから、相応の訴求力が見込めます。
 これは、いかが。どなたでも、この二枚目の「首長」宛て要望文案を簡潔に(出来ればペン声明の末尾余白に収まるほど)起草してくださる方ありませんか。 (秦は、あいにく、これからすぐ予約の医者に通いますので。)
 それを添えて小中専務理事に伝達したいと思いますが。

* 留守中に、加藤委員が一文を出してくれていた。私個人は簡潔で、誠実な一考を促す文面だけでもいいと思っていたが、問題点はよく出されているので、あ えて此処に書き込ませてもらう。

* 住基ネット緊急アピール案 加藤@ほら貝です。僭越ながら、案を作ってみました。
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 住民基本台帳ネットワークには、氏名と生年月日のみで個人の住所が特定できたり、住所と姓によって検索することで、同居家族の情報を入手できるなどの過 剰な検索機能をもつことが判明した。通常の機能として、このような強力な検索機能が存在することは、個人情報の用途外使用と不正収集を容易にするだ
けでなく、セキュリティ的にも重大な問題をはらんでいる。市町村が責任を負う個人データを、県レベル・全国レベルのコンピュータに保存するシステム構成に なっているのも、この過剰な検索機能を実現するためである。
 本来、住民票の広域交付や本人確認用途には、このような強力な検索機能は必要なく、国民監視の道具と断定せざるをえない。
 また、個人情報の閲覧履歴(アクセスログ)を本人に開示する体制が整っていない点にも重大な危惧をおぼえる。
 日本ペンクラブは先の会長声明の通り、あくまで住民基本台帳ネットワークの廃止を求めるものであるが、緊急措置として、全国自治体に以下の措置が講じら れるまで、住民基本台帳ネットワークへの接続を停止するか、住民基本台帳ネットワークの使用の自粛を要請する。

* 一方、小中専務理事からは、「多くの理事が夏休みにはいっていまして、わたしの見通しではあらたな対応は無理と存じます。せっかく会長声明が出たの で、これを活用して、関係会員がご自分の責任で、これをコピーして首長に働きかけていただいてはどうでしょう」と、返事があった。
 あいにくの八月で、たぶん、こういう返事しか受け取れまいと覚悟していた。事務局も夏休みに入るという。大きな組織にはそれなりに動き出すのが無理な事 情がある、ということだ。「諒解」と小中氏に返信し、加藤委員にも委員会としてもペンクラブとしても動けそうにないと伝えた。
 願わくは、さきの声明文をせめて各会員が自身の意思で活用して欲しいが、所詮現実的とは思われない。かくて、市民や国民や「私」は、「公」の強硬な支配 の前に、敗北に敗北を重ねて行くのだ、が。

* 福沢諭吉の「学問のすすめ」を「ペン電子文藝館」に入稿した。

* されば今より後は日本国中の人民に、生れながら其身に附たる位などと申すは先づなき姿にて、唯其人の才徳と其居処とに由て位もあるものなり。譬へば政 府の官吏を粗略にせざるは当然の事なれども、こは其人の身の貴きにあらず、其人の才徳を以て其役義を勤め、国民のために貴き国法を取扱ふがゆゑにこれを貴 ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道に御茶壼の通行せしは、皆人の知る所なり。其外御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往 來の旅人も路を避る等、都(すべ)て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝやうに見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌ひながら又 自然に其仕来(しきたり)に慣れ、上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟是等は皆法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、唯徒(いたづら) に政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威と云ふものなり。

* 「徒(いたづら)に政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威と云ふもの」を、どれほど小泉内閣は積み上げてき たかを思うべきである。

* 岩野泡鳴の「醜婦」も入稿した。正宗白鳥は、この作者の代表作とされる五大連作に「悲惨なる滑稽」の辞を呈し、大杉栄は泡鳴を「偉大なる馬鹿だ」と呼 んだが、むろん的確な讃辞でもあった。「悲痛の哲理」を説いた岩野泡鳴は、今後に大きな再評価をまつ大作家の一人と目される。「文章世界」大正二年 (1913)十二月号初出の掲載作にも、時代に刻印を打たれ時代に置き去りにされて行く一人の女の「悲惨な滑稽」は、躍如としている。

* こちらも、お江戸同様、雷雨で大変でした。
 さて、降って湧いたような「新札」の話。ペイオフ対策でタンス預金にしている旧札を吐き出させる魂胆やて、誰かが言ゥてました。
 経済効果て、あほちゃうかぁ。それやったら、紀伊國屋文左衛門か、尾張宗春公の肖像にしたらどないやのン?
 

* 八月二日 つづき

* 殺人時効の直前に逮捕された福田和子の実録ドラマが、大竹しのぶ主演で、二時間。みごとなドラマツルギーで、杉村春子の再来を思わせる大竹の、絶妙な 変わり身の演技もさることながら、息もつかせぬ場面の積み上げだけで運んでゆく「劇」的迫力は、簡潔で、必要以外の一切を殺しきった短い台詞と、全員の静 かにリアルな声音とで、修羅場というものの大方が表へ出ない、迫真の修羅そのものを見せつける手法。ひたひたと緊迫の度を高めた。これほどみごとな「創作 ドラマ」には、めったなことで出会えない。この前では、日本製視聴率追いドラマのすべてが、くさいくさいつくりものであることを、逆に見せつけた。殺さず に、騒がず叫ばずに、笑いをとらずに、音楽をかきたてなくても、クオリティーの高い、真面目で迫力にも魅力にも富んだ、空気の濃いドラマは書けるのだ、作 れるのだ。これを、どれほど秦建日子に話してきたことか。

* 引き続いての「緊急治療室 ER」の、これまたすさまじいまでの迫真と、切実な「劇」のみごとさ。

* 今日はいろいろあったけれど、何もかもふっとばす、二つのテレビ夜ドラマに、満足した。
 

* 八月三日 土

* 左アキレス腱の痛みと歩行の軽い苦痛を考慮して、予定されていた野村敏晴氏招待の会合を失礼させて貰うことにした。日本舞踊家達の華やいだ出版記念の パーティだが、ま、巻頭に原稿を寄せたという程度で、たいしたお役にも立っていない。

* 電子メディア委員会のメーリングリストで、山田健太さんと加藤弘一さんのいい意味で「対極」の意見がふたつ出そろい、森秀樹さんの意見も出て、住基 ネットへの考え方に一つの弁証法的な前進基盤が見えた気がしている。
 山田さんの判断など、なかなか、こう深く広く平静には誰もが持ちにくいが、これが大切だろうと思う。わたしなどが言う横町のご隠居政談とちがい、視野が あり、また他への示唆がある。加藤さんらの具体的な指摘と、こういう視野とが、次の運動へ展開してゆくことをこそ考えねばならないだろう。
 今は誰もがこの問題に突き当たっているので、山田さんには許して頂いて、その考え方も、加藤さんの不審も、より広く「闇」の奥へと伝えたい。許されよ。

* 「住基ネット」を考えながら「スローフード」のことに思いをはせています。
 加藤さんの思いがなかなか広く共有されないことの理由を、小生(山田氏)なりに考えると、
1)実害が見えない。
2)すでに個人情報は国に把握されている。
3)便利になることを否定する必要はない。
といったことだと思います。
 確かに、すでに今回ネット上に掲載される情報のほとんど統べては、すでにコンピュータ管理されている情報ばかりで、しかも、Nシステムほか、それ以外の 監視システムによって、私たちの生活は厳しく「監視」されている状況が現存します。
 ならばネットが始まっても、新たな問題はないんじゃないの・・という感想があるような気がします。
 さらに、国が示す「バラ色の生活」・・・その内実は、パスポート申請が自宅できるとか、住民票の申請が24時間OKといった、たわいもない内容だと思い ますが・・・がまっているのであれば、それも悪くないんじゃないか、といった感想もあるような気がします。
 そうした、プライバシーをのぞかれていることへの慣れ、効率的な生活への淡いあこがれ、がある限りは、なかなか反対の声は広がらない気がしています。
 そこで、最初に書いたように「スローフード運動」のような、現在のコンピュータ社会に対するアンチテーゼのような「新たな文化提唱」が必要だと思うので す。
 少なくとも、20年前から進歩しない「国民総背番号正反対」運動では、政府の「IT戦略」(電子政府構想)には対抗できないのではないでしょうか。

* 時間的に無理だろうとは思っていましたが、まったく反応がなかったことに釈然としないものを感じています。
 氏名と誕生日だけわかれば、目当ての人物の個人情報が一瞬で出てきたり、氏名と大雑把な住所だけから個人が特定できたり、住所と氏名だけわかれば、同居 家族の個人情報がずらずらっと出てくるシステムに、疑問をお持ちにならないのでしょうか?
 よその自治体から住民票をとったり、国家試験に住民票を添付しなくていいだけの用途なら、完全な住所・氏名・生年月日の三つを入力して、はじめて個人 データにアクセスできるような仕組で十分です。
 それなのに、なぜ、ああいう強力な検索機能があるのか、ということです。みなさんはこれを変だと思わないのでしょうか?
 住基ネット関係の報道は「一昨年」来、注意してきたつもりですが、このあたりの具体的な情報は、わたし(加藤氏)の目にした範囲では報じられていませ ん。地方自治情報センターに取材しても、まったく埒があきませんでした。
 唯一の例外が、昨夜のニュースステーションですが、小さなあつかいで、あっという間に、次にいってしまいました。
 住基ネットの危険性の半分以上が「検索機能」にあり、「検索機能に制限を設けることが可能」だということに、なぜ気がついてくれないのか。
 ここでこぼしても詮ないことですが、本当に不思議でならないのです。

* 横浜市が個人の選択を許容したという。一つの方法であり、実施されれば政府・総務省の考えているネットはボロボロになる。石原慎太郎が、ネット実施に 反対の自治体は法律違反であり厳罰せよなどと、またしても図に乗った傲慢なことを放言している。法律違反というなら、完全な保護法のないうちはネットは実 施しないと決めているネット法の規定また政府公約に先ず背いているのが総務大臣ではないか。
 ただし此処がアキレス腱であり、これを金科玉条にしていると、秋に保護法が強硬成立されてしまうと、反対の、筋が立ちにくくなる。
 私は、個人的にはやはり背番号による国民の根こそぎ管理には反対で、ネット法自体の廃棄が望ましいと考えている。たんに便宜と言うだけなら、手は他にも ある。緊急の課題と、山田氏のいわれる一種のスローな文化論とのかねあい、それこそが緊急の課題か。いまや評論だけしていていい問題でなく、対処しなくて はならないはずだから。

* メルアドを変えて以来、迷惑メールがぱったりとなくなってやれやれと思ったら、今度はワン切りです。昨日は、契約解除など規制に乗り出したとニュース でアナウンサーが言っている真ッ最中に鳴ったンですよ。
 お作のなかに、ふたりだけに分かるベルの鳴らし方というのがありましたでしょう。風情がありましたわねぇ。

* ワンギリ犯罪は、一種のサイバーテロを成し、かつ示唆し導いている。これまた明らかに電子メディア問題なのだが、われわれのペン電メ研では、すべての 電子メディア問題に対応しようとはしない。出来るわけが無く、国際ペン憲章に即して、平和と言論表現の自由にかかわる問題を優先させる。だが、こんなワン ギリ犯罪が、一瞬に様変わりしてペンの問題になることもあり得るのが、電子メディア問題の底知れぬ微妙さ、目は離せない。山田健太座長の采配に信頼し期待 している。
 

* 八月三日 つづき

* 福澤諭吉につづき、中江兆民「君民共治之説」岡倉天心「美術上の急務」そして河東碧梧桐「季感に就いて」をスキャナーで起稿し、校正し、入稿した。
 兆民と天心は、優れて大きな思想家であった。碧梧桐は虚子とともに、正岡子規を受けた近代俳句の二つの山脈における一方の巨峰であった。優れた人が大勢 いたのだ、この時代の人は幸せなことに人気とか宣伝とかというマスコミュニーケーションの虚飾と無縁に地力で活躍した。時代がそういう意味からも彼等に幸 いしていた。
 今のわれわれの時代から、兆民や天心のように生き残れるどれだけの人がいるかと思うと心細い。もっとも兆民も天心も関係ない、知らないと云う人もいるの である。いずれはみな忘れ果てられてしまうのであろうが、「ペン電子文藝館」の取り上げる彼等の文章や創作は、今読んでみても鮮やかに呼吸していて驚かさ れる。兆民の言葉に聴こう。

* 「英国の政治を看よ、其名称其形態並(ひとへ)に厳然たる立君政治に非ず乎(や)、然れども其実に就て之を考ふるとき毫(がう)も独裁専制の迹(あ と)あること無く、其宰相は則ち国王の指命する所なりと雖(いへ)ども、然れども要するに議院輿望(よばう)の属する所の外(ほか)に取ること能(あた) はず、究境挙国人民の公選する所にして、北米聯邦人民の大統領を選すると異なること無し。其法律は則ち挙国人民の代員の討論議定する所にして、固(もと) より二三有司の得て出入(しゆつにう)する所に非ざるなり。是は則ち宰相を選する者は人民なり、之を執行せしむれば、則ち行政立法の権並(ひとへ)に皆人 民の共有物なり、其君主の如きは特に人民をして立法行政二権の間に居て之れが和解調停を為さしむるに過ぎざるのみ、官として夫れ然り、是を以て共有ならざ るは無く、省庁として共有ならざるは無し、」と。

* こういう議論が明治十四年に、もう、されている。おそらく、天皇制を温存したままの立憲共和制を考慮した論であろう、明治憲法にも政体の選択にも感化 していつたであろうし、この敗戦後の新憲法と民主主義にも繋がっている。この民主共和の流れをたいせつにし、天皇制に対しても静穏な姿勢が必要になる。

* 天心は、明治四十一年の日本の美術界を見渡しながら、明治四十五年の大博覧会を控えて、今便乗して国立の大美術館建設が必要だと説いている。それが、 上野の国立東京博物館、以前の帝室博物館として実現し、森鴎外も、館長を務めたのである。

* 碧梧桐は「季感に就いて」こんな推移を鑑賞上から指摘し解説してくれる。
   *
 元日や神代のことも思はるゝ   守 武
では、まだ一般民族性の自然感を出てゐないやうです。
 元日や一系の天子不二の山   鳴 雪
が、大衆に享(う)け容れられるのも、一般民族性に訴へる程度であるからだと思ひます。併(しか)しながら、
 元日や畳の上の米俵   北 枝
になると、大分俳人的敏感性が働かなければ会得出来ないものがあります。畳の上に積まれた米俵に、言ひ知れぬ悦びと、豊かさと、めでたさと、美しさと言つ た複雑なショックをうける。それは今日の生活を迂闊に鈍感に見過してゐる者には、むしろ不可思議な世界であります。又たそれが厳粛なといつていゝ元日感を 象徴するものとなるといふのも、この作者の持つ、いや俳人的詩人の持つ敏感のゆゑでもあります。一方から言へば、元日といふ季感が、俳人的敏感によつて、 深められ、又た微妙化されて行くのであります。
 元日や草の戸ごしの麦畑   召 波
になると、更に一層俳人化いや詩人化されたものになつて行きます。季節と言ひ、米俵と言ひ、或(ある)めでたさと豊かさは、農家の経験のある人には、同感 されるものが多分にありますが、我家のほとりにある麦畑のほのかな青さ、そこに元日らしい悦びと新たさを感ずる心持は、或特種な感受性の動きであつて、一 般民族性とは、可なりにかけ離れたものになります。それを普通に詩人的敏感性ともいふのであります。

* 一部分を引いただけであり、論旨はさらに展開するが、さすがに適切な鑑識である。こういう文章や趣旨に出逢い続けている楽しさは、かなりなもので、つ い時を忘れる。気に入らない仕事は、ついつい後回しになる。

* 四国の花籠さんから、はやくも「夏ばて」気味の人にと、見るからに美しい牛肉がたっぷり贈られてきた。美味しい間に戴こうと、感謝し、食卓に上るのを 待っている。夏ばてはしていないが、心気疲労はなくもない。すべき仕事が有るからだ、が、なかなか乗れない。

* かすかに発赤し腫大しているかに見えるアキレス腱の痛みは、冷やすと高じ、むしろ入浴するととても和らぐ。機械に貼り付いた椅子の生活と冷房での脚の 冷えとが慢性的に響いているのだろう。対策している。

* もう何十年戴いている「茶道の研究」で、湖の本の読者の生方貴重氏と谷村玲子さんが、それぞれ、これも頂戴している著書「利休の逸話と徒然草」「井伊 直弼 修養としての茶の湯」により茶道文化学術賞を受賞されているのを見つけた。二冊とも受賞して至当な優れた著作であった。前者は平易な口調で話しかける書き 方ながら奥行きがあり、谷村さんの井伊直弼論は見事な研究成果で感心していた。湖の本は、こういう人達によっても支えられてきたのである。才能に優れた読 者が数えられないほどで、生形さんは推薦して日本ペンクラブに入ってもらっている。

* 米子工業高専の助教授をしている平沢信一君からは、筑摩の「国語通信」に載った芥川「羅生門」論に添えて久しぶりに手紙をもらった。早稲田の文芸科に いた人で、一年下に角田光代がいた。文芸科の人とも数人今もおつき合いがあり、湖の本を支えてもらっている。東工大の学生君達より何年か以前からのご縁 だ、そういえば、そうだ、湖の本を創刊した一九八六年から二年間、わたしは早大文芸科の小説ゼミを手伝ったのだった、二年で勘弁してもらった。平沢君は一 度二度わたしの作品論も書いてくれている。

* そういえば原善君と、ちょっとご無沙汰だ。作新短大から上武大教授へ転進して、さらに今度は東京に帰れるようですと朗報も届いていたのだが。実現した のだろうか、それなら報せてくれそうなものだが。相変わらずチョー多忙なのであろう、今でも。目をむくほどアチコチかけもして講義に駈け廻っているのだろ うか、健康で、元気でいるといいが。

* 深夜に建日子が帰って来るという。花籠さんの牛肉を明日のお昼に三人で戴こう。
 

* 八月四日 日

* 寝苦しかった。夢を見ないで眠っていたことは、無いというに近いほど、執拗にいろんな夢を常に見る。疲れる。目覚めるとほぼ完全に即座に忘れてしまう し、夢に過大な意味づけをする愚には陥っていないが、見ないで済めば有り難い。就寝前にしたたかに読書する習いの有る間は、無理か。
 西鶴の「一代女」は、作者が真実誰であるかは別として、「一代男」とはまたひと味ちがった傑作であることを疑わない。編から編へ、流れは首尾よしとは言 えないが、その話その話ごとに生きている話者一代女の一種吹っ切れた個性いや人間のおもしろみは捨てがたい。瞬時に、ある敬意をすら覚えて話に聴き入って いる自分に気付く。話していることは徹底的に性と、性の風俗なのであるが、偽りというものを感じさせない清爽感とともに深まってくる「あはれ」に、美しさ が有る。

* 朝ばやのテレビで、竹村健一や亀井静香らが車座になった座談会のようなものを聞いていたが、日本人の「恥」意識などを語り、亀井は「偽善」をいい、竹 村は今後に遺すべきは「天皇教」という宗教だろうといい、聞くに堪えない意図的な話のもって行き方で、取り巻いている連中も、有名な脳の学者を初め異論も 述べられない曖昧な弱々しさ。気色わるい番組であった。「偽善」というなら、こういう場所でそれを説く亀井のような存在にこそ、偽善の恥ずかしさを自ら分 かっていて貰いたい。人から云われたくないことを率先して口にし、免罪符を自己発行している風であった。「恥」といって、ギャルたちの放埒な言動を写真に 写したりしていても、いわば恥以前の風俗をとらえている。恥ずかしい風俗というのは、あれほど温良そうであった古き良き時代にすらも、それなりに同時代発 生は免れなかった。ほんとうの「恥」とは、やはり亀井や竹村がテンとして恥じないで、天皇教をあわよくばまたこの日本に持ち込もうとしたり、黒に近い灰色 の寝業師であるとおそらく世評を自身も承知していながら、平然と立ち技得意のような顔で、恥と偽善を説くところに在る。

* 加藤弘一同僚委員の声に聴きたい。

* (山田健太氏の)
> 20年前から進歩しない「国民総背番号正反対」運動では政府の「IT戦略」(電子政府構想)には対抗できないのではないでしょうか。
 これはまったく同感です。
 最近になって気がついたので、えらそうなことはいえませんが、「牛は10桁、人間は11桁」なんていうことをいっているうちに、強力すぎる検索機能がつ いてしまったわけです。
 住基ネット不参加を決めた自治体が、県や都、国に送信したデータの抹消を求めたのに、無視されているという状況がありますが、なぜ、市町村に責任のある 住基データを、都道府県や国にわたさなければならなかったかといえば、強力な「検索機能」を実現するためです。
 検索機能に制限を設け、完全な住所と生年月日を入力しなければいけなくしたりすれば、本人確認業務の能率が著しく低下し、住基ネットで毎年200億円の 省力化ができるという総務省の主張は崩れ、住基ネットはまったく採算のあわないものであることが明白になってしまう。
「検索機能をどこまで許すか」を「争点」にしていれば、もっと実のある議論ができたのでないかと、残念に思っています。
 本格稼働まで一年あるとはいっても、「牛は10桁、人間は11桁」的な感情的反発だけでは、押し流されていくだけでしょう。

*「加藤さんのおかげで、いろいろに問題点が絞れてゆくのが有り難いです、で、では、何が出来るのか、しなくてはならないか、へ、的が絞れて行けるように なるのが希望です。でないと、評論に終わりますからね」というのが、わたしの思い。九日の電メ研で良い討議ができるといいが。

* この「私語の刻」に、過去どれほど繰り返し書いたことか、個人情報「保護」法とはいうが、真の政府官僚たちの狙いは、根こそぎ個人情報の政府「収奪と 管理」だとわたしはこの法案が話題になりかけた頃から、言論委員会でも言い続けた。その筋の政治的情報を収集する能力はないから、むろん、推量と直観の物 言いでしかないが、終始、その直観は正確であったと思う。その通りに一切が動いている。ことに、去年「今、表現が危ない」と言論委員会が主催したシンポジ ウムでも、パネラーたちの誰もがいわば「紙の本」時代の延長基盤ですべて論説していたのに対し、司会者指名でフロアからわたしは発言して、個人情報保護= 収奪法の大きな狙いは、「市民の情報を IT レベルから管理し、究極はインターネット環境での個人の表現の自由をもぎ取れるように画策していると見るべきだろう、一部官僚や政治家筋には正確にそれを 示唆しているように見受けられる」と指摘した。それは、実に実に当時ほぼ一顧もされないままに過ぎてしまった発言であったけれど、やはり事態はその方向へ 推移し、政府政権の狙いはまさに「 IT 政府」の現出にありとして動いている。その戦略のデータベースとして「住基ネット」の何が何でも強引に実施をはかっている。
 今、マスコミその他で「取り組み」が遅きに失したと反省しきりに見受けるけれど、その通りだけれど、そうなった大きな理由は、例えばペンの者達にしてか ら、相変わらず「紙の本」型の発想で表現や報道を考えるに過ぎて、いっこうに「電子メディア」「ITスペース」における政府の遠距離作戦に気付こうとしな かったのが原因であった。
 言論委員会でも理事会でも「電子メディア」問題となると、無縁のよそごとのように関心が薄かったし、私の率いる電子メディア委員会には、それらの問題や 観測をダイナミックに運動化できる能力を欠いていた。加藤委員のような人を措けば、わたしも含めて、この問題での素人集団であった。わたしのように、時代 をその視野視点から見ている、そう発言する、人が殆ど一人も居なかった。
 加藤さんから「住基ネット」がたいへんな荷物になると警告されていたのは、間違いなくずいぶん以前から、まだ彼が委員会に入る前からであった。何とかと 思っても、思うばかりで、どう働けば道が付くか、例えば桜井良子氏のようには誰も動けないまま、今日に至っていた。電メ研に有能な新座長を迎えるか、いっ そ委員会を解散してしまうかと思いあぐねたのはそれ故であった。
 

* 八月四日 つづき

* 住基ネット問題での意見交換がわれわれの「電メ研」でも進んでいる。一委員会で出来ることではないが、ペンクラブでは、大方、問題は委員会から理事会 に挙げる原則で、緊急の場合には執行部役員達が問題を下へおろしてくる、または、事後報告がある。委員会活動を基本にしているから、世の中の動きに対応し て、なるべく遺漏無く問題を理事会に整理して報告することが求められているのである。何か一つに二つに集中して作り上げていく継続事業と並立して、視野広 くペンとして関心せざるを得ないものについては、ともあれ報告するのが委員会の在りよう。どう取り上げるかは理事会ないし役員会が決定する。

* 「電子メディア」それは、いわば今日の世界と人事とのすべてに否応なく「関連」している。それほどの委員会であり、他のどの委員会よりも触れる世界は 広いし、複雑である。だから網羅的には何も出来ない、的を絞るという態度と、視野は広く問題には敏感にという姿勢とを、双方持たねばならない。片方では役 に立たない。

* そういうことを押さえた上で、次の加藤委員の報告は、やはり委員会だけで私有していたくない。

* 住基ネットの検索機能 加藤@ほら貝です。
 やっと住基ネットの検索機能について書いてあるページを発見しました。
  http://www.jj-souko.com/elocalgov/contents/c1011.html#tebiki
 驚きました。
 氏名と生年月日だけで検索できる(現住所が突きとめられる)ことは既報のとおりですが、生年月日が曖昧でもいいのです。
  加藤虎之助 大正10年夏
 これで加藤氏の住民票が出てくるのです。
現住所がわかれば、
  加藤 京都市東山区古門前三好町5番地の1

で、家族全員のデータが出てきます。
 こんな滅茶苦茶な機能があるのに、なぜ問題になっていないのか。信じられないことばかりです。

* これがどれほどヒドイことかについては、人により感想が別れるのかも知れないが、今は、こういう「事実」のたとえ列挙的な整理であっても、大勢に報せ たいと思う。

* 玉村咏氏との対談速記録に手を加えて財団事務局に送り返した。一つ済ませた、まだ、この先でのさらなる整理が必要だが。
 一つの結末として、「ミマン」連載は年内で終えることに決まった。まる四年も関わっていたので、そろそろいいのではないかと私も考えていた。面白い仕事 とはいえ、いつまでも続けていてよいことではない。有り難いことに、此処の身の傍に山と積んだ短歌や俳句の雑誌、また歌集や句集を、ともかく仕舞ってしま える。狭いところに積まれていると、通りがかりに本の角ではだかの脚を何度切り裂かれたか知れない。本の角は痛い。まして山と積まれた本は石の塊のように 重いから、スパッと肌が切れる。あと二回分を書かねばならないが、編集室の指示通りに余裕をもって結びとしたい。

* もう、そう言ううちにも「湖の本」の新しい初校ゲラが届くだろう。また一気に気ぜわしくなる。

* 前夜の内に隣に来ていた建日子と、昼と晩と、一緒に食事した。戴いた牛肉がそれはいい肉で、いたく満足した。建日子は車もあるせいかあまり飲まない が、日比谷のザ・クラブで呉れた赤いワインをあけた。
 

* 八月五日 月

* 新制中学の昔から、「湖の本」の今日まで、変わりなくご恩にあずかった担任の先生が昨日亡くなった。故西池先生とは親しく莫逆の友であられた橋田二朗 先生からお知らせがあった。
 癌。けわしい病状と闘いながら、悠々自適の菜園を楽しまれていた。菜園は橋田先生の鳴滝のお宅の敷地内に作られていて、西池先生は町中から楽しみに楽し みにお通いであった。先生は、わたしなどの数学の先生であられた昔から、由緒ある菅大臣神社の宮司さんであった。むかしとお変わりなく、五月人形の大将さ んのように端正な方であった。寂しい極みである。

* 今もすぐ手の届くところに、昭和二十六年(1951)春、弥栄中学を卒業の時、帳面に書いてくださった言葉が、ある。

* 知る事と行う事は別のものであって、決して別のものであつてはならない。
 又、
 君は馬鹿正直だと云われても 要領のよい男だとは云われないように。
  在校中の活躍を感謝します。     西池 季昭

* 五十一年が過ぎている。五十一年のうちのいつごろからか、わたしは、先生のお言葉に一路遵ってきたと思う。もうちょっと如才なくやってくれたら、もっ と売れる作家になっていただろうにと、何度、これまで云われてきたか知れないが、そうはせず、思うままに険しい道を選び通して、妥協しなかった。わたしに は要領のいい能率的に手早い実務化の素質はあるのである。生徒会でも、学業でも、就職すれば編集者としても、いつも後れは取らずに来た。最近で云えば「ペ ン電子文藝館」も、人も驚くほど速やかに実務的に立ち上げて、ほぼ不動のものに仕上げた。開館して十月にもならない。
 だが、そんなことは、或る意味でわたしには、末梢事である。大事なのは、思想的・信条的に容易くは崩れないこと。世俗的にそれでトクをしたことは一つも なかっただろう、たいへんなソンは数々してきたようだが、だが、さばさばした心持ちで、いつもいる。自由にいる。そういうことを、わたしは西池先生の卒業 の際のお言葉に、肝に銘じてきたのだ。今にしてしみじみそれが懐かしく有り難い。馬鹿正直なところも律儀に正直なところも、平然と不正直なところも、あ る。わたしは善人でもお人好しでもない。それでも、先生に示されたおよそその道を逸れては来なかった。

* かなりアキレス腱が痛むけれど、たとえお焼香だけでもと、今日、苦労して永く並んで明後日の新幹線の切符を買った。明日は抜歯がある。明後日の早朝に 立てばご葬儀に間に合う。もう久しく葬儀というのに立ち会っていないが、今度は別だ。そして日帰りする。すぐ医者があり電メ研もある。

* 住基ネットは今日稼働をはじめたが、大臣や官房長官のいう順調な稼働開始であったとはとても言えないだろう。筑紫哲也の番組で桜井良子が静かに論破し ていたのが実情であろう、闘いが始まったというねばり強い姿勢で問題点をつとめて正確に掘り起こして広く報せ、また動いてゆきたい。

* 根のところでは、わたしには末梢事であること、変わりはない。生死の問題ではない。だが、人は幾重かの層を出入りして生きている。或る層に出れば、 「ペン電子文藝館」も「住基ネット」も「著作権」も、精魂込めて立ち向かうべき日々の課題。だが、一瞬に抛って別の層に沈み入らねば済まぬ場合がある、そ の時は、その時と、心に決めている。夢の世だからといえど、夢なら夢なりに誠は誠とせねばならぬことがある。馬鹿かどうか、別としても正直に直視すべきは せねばと思う。

* 夕過ぎて、卒業生の一人と約束して逢い、涼しいいい店で、心地よい、親切の行き届いた和食を食べた。ゆっくりと、いろいろ、歓談してきた。冷酒の「天 狗舞」を四度も替え、美しい店の人にも何度も何度もお酌してもらい、ご機嫌であった。上尾君も勤めて五年だという。責任という二字をもう重く背負ってゆく ときだ、大人だ。そのように見受けられた。同じ東工大で勉強した人も、一人一人に会ったり話したりすると、進路はじつにバラエティーに富み、さすがにと思 うほど堅実に歩んでいる。
 今日便りを貰った人は二人めの赤ちゃんを七月三十日に出産したと、いかにも幸せにおっとりと心優しく暮らしている。そういう人もいるけれど、大方は社会 に出て、それぞれの地歩を男女の別なく占めている。老境へゆっくり身を沈めてゆく者にも、それはとても良い刺激であり希望である。
 昨日は一日息子が家で仕事していた。連ドラは、好調に好評を得て、新聞などもむしろ成功例に取り上げている。真面目にやってマットウに評価されだしてい るのだとすれば、いいことだ。
 若い人達にきもちよく席を明け渡しながら、じじむさくならずに、楽しんで過ごしてゆきたいなと思い思い帰宅した。

* 牧野信一「父を売る子」を入稿した。伊藤左千夫の明治期短歌をわたしが自身で抄している。「糸瓜と木魚」を書いた頃に、左千夫の短歌は熱中して読んだ ものだ。
 そうそう三田誠広氏から例の古代史劇画風読み物の第二巻が贈られてきた。心待ちにしていたのである、実は。第二巻は「活目王 いくめのおおきみ」である。この時代にとにかくも心を遊ばせるのは、日々の悪しきニューズに塵労のヨゴレを呻いているよりは、どれほどか霊気に富むこと か。バグワン、そして「うつほ物語」「好色一代女」の横にも奥にも読みたい本がわたしを呼んでいる。何を生活から落として、何をのこすか。潮時はもうまぢ かに来ている。ひらめくように、だが、いま、「モンテクリスト伯」が読みたいなあと。いやはや。  
 

* 八月六日 火

* 「バルセロナの娘より」懐かしいメールが届いた。昨晩逢った「息子達」の一人からも。

* スペインという国の家庭的風習に、週末の過ごし方に、馴れてゆきつつも馴染みきれないまま、いわばお嫁さんの立場で夫の両親と、はからずも臨時の同居 期間に入っている。夫との住まいの内装工事のために。様子がわかりよく書けていて、はらはらもし、ちょっと微笑ましくもあり、「娘」奮闘中である。

* さて、先ほど触れたマンション改装工事の話です。
 話が出てから決まるまであっという間でしたが、これは私にとって、また大きな飛躍、新たな覚悟でした。確かに、改装を必要とするほどバス、キッチンは古 汚いものでしたが、全改装ということは、今後もそこに長くいる心積もりがある、ということです。4年前スペインに暮らす覚悟でやって来たものの、今思うと それは「来る覚悟」であり、「居る覚悟」ではなかった。どこか、バルセロナに長く住み続ける事実を、受け入れたくなかった自分がいました。今ようやく、バ ルセロナの暮らしを前提に、地についた一歩を踏み出したのかもしれず、少し複雑な心境です。
 ところで、4月に開始するはずだった工事は、この7月にようやく始まり、8月いっぱいは休暇の時期なのでストップです。スペイン風に焦らないことも、覚 えてきています。
 仕事の方ですが、一言では言い尽くせません。憤りと失望の連続と言えばそうかもしれません。それでも反面教師というのでしょうか、そこから汲み取れるも ののあることは救いです。ただ、ここに長くいれば、人間が腐ってしまうことは、ほぼ確かな気がしています。外務省の役人に限らず、公務員の多くが、なぜこ うも役立たずで無愛想になっていくのか、そのワケが本当によくよくわかるのです(現地職員は公務員でもありませんが)。永久就職と言われ、みなの憧れの勤 務ですが、身の引き際が大切だと、よくよく心しております。
 本当は、いくらでも触れたいことがあるのですが、それはまた今度お逢いしたときにでも。9月下旬から10月上旬にかけて、夫と帰国します。今回は、ぜひ 夫同伴でお逢いしましょう。言葉を超えて伝わるものに期待して。
 恒平さんの「私語の刻」欠かしません。湖文庫の「ドイツエレジー」、感じ方こそ異なったものの、彼女の述懐があまりに身近に感じられて、思わず私まで、 ほろ苦い懐かしさを感じたものでした。「ペン電子文藝館」も素晴らしい。遠藤周作の「白い人」は凄かった。一昔前までなら、顔をしかめて終わりそうだった この作品を、すごいと思った自分にも、正直びっくりしました。石川達三「蒼氓」は、南米移民たちと仕事上関わりを持っていなかったら、未だに別世界のこと のようにしか感じられなかっただろう、と思え、今さらながら何も知らなかった自分を恥じました。北条民雄の「いのちの初夜」も。  バルセロナの娘より

* 四年前を思い出す。「来る(行く)覚悟」で「居る覚悟」ではなかったのだと気付き、今は「居着く覚悟」が出来てゆくようだと。聡い言葉である。

* 秦さん  今晩はどうも有り難うございました。お久しぶりのはずでしたが、そういう感じせず、とてもくつろいだ楽しい時間を過ごさせていただきまし た。料理もとても美味しかったですし。
 とくに黄身梅肉につけた鱧は最高でした! 鱧はサッパリしてるので、醤油と梅肉だけだと、ひと味足りない気がしていたのですが。
 30を目前にして、仕事もなんとか軌道に乗り始め、知らないことを学ぶのに忙殺されていた日々より、これからの生活や仕事のことを考える時間が増えてい ます。それなりの手応えも充実感もあるのですが、このままの日々を重ね続けるだけでは、遠からず限界が来そうな感じです。このご時世に贅沢かも知れません が。
 まだまだ蒸し暑い日が続きそうですが、どうぞお体をご大切に!

* 今、此処を大切にしながら、少し向こう先へも目配りして、足取り確かに。安心して見ていられる。ぜひ良い家庭も培ってほしい。この秋には茶会で濃茶手 前をする予定と。茶杓を削ってみようかとも。理工系の難しい特許申請の審査をしている人である。そういえば札幌のMAOKATさんも優れた生物病理学の研 究者で、茶の湯のたしなみは深い。

* 医者からの帰り、光化学スモッグの警報が出ていた。燃えさかるような夏空の下を、左脚、すこし痛いのをひきずって、汗すらたちまち蒸発させながら帰っ てきた。明日は、京都に。今月末には父の命日も。
 

* 八月六日 つづき

* ああ、フツーのドラマにしちゃいけない、テンポ上げて。その場その場で酔わないで。そんなことを思いながら「天体観測」の五回目だか六回目だかを観 た。田畑智子がひまわりの絵をもらう場面は、少し外されて、不覚にも涙を流した。ま、先の展開も読めてきているし、それなりに、わるいとは思わなかった が、スローに暗めないで。フツーのドラマに希釈されてゆくと、つらいものがある。
 写真がいいように思った。
 どの俳優もわるくない、女がいい。しかし、ドラマの中で自殺未遂しそうな心を病んでいる役の女優が、始まる少し前のコマーシャルだか何かで、アッケラカ ンとご機嫌の笑顔でおしゃれについて話していたのは興ざめした。芯にいる三人の女優は、佳い。好感をもっている。

* 三省堂からも、凸版からも、ゲラがそろって出てきた。ウーン。
 

* 八月七日 水

* 弔辞
 西池季昭先生。私の、今、此処に在りますのは、先生にお別れする皆様の哀しみを、代表して、お伝えするためではありません。ただひとえに、私一人の悲し さ寂しさを、申し上げずにおれないからです。
 先生を、弥栄新制中学の教室にはじめてお迎えしたのは、一九四九年、昭和二十四年、「数学」の時間でした。
 つたない印象で申しあげれば、生まれて初めて、ともに生きて行ける、若々しい優れた「大人の人」に出会った! という感嘆でした。五月になると飾る、五月人形の「大将」さんのように、「立派なセンセやなあ」と云う、嬉しい、心のときめきでした。
 次の年には、先生ご担任の三年五組になり、身も心も、ピーンと引き締まって嬉しかったのを、昨日のことのように思い起こします。お若かった。それはそれ は、光るようにお若かった。しかも先生は、私どもの思いには、いつも揺るぎなく、確かな大人であられました。落ち着いて、端正で、先生と一緒にいられれば 「絶対に安心」という気持ちでした。
 先生は、終始一貫して、人間的に、人間の尊厳を第一に、私たち生徒を、真表てに受け止めて、愛してくださいました。多弁ではなく、黙ったまま、よく一人 一人を、クラスだけでなく学年の全部にわたって、見守っていてくださるのが、日頃の言葉のはしばしから窺え知れて、それゆえに私などは、軽率に奔りがちな 身を、気持ちを、自身で律する習いを得たように思います。学校でだけでなく、夏にはお家で勉強させてくださいました。初めて解析の初歩を習いました日の、 夢中の緊張ぶりが思い出されます。何度も、瀬田川へ泳ぎにも連れて行って下さいましたね。あの頃の仲間達と逢うつど、きっと話題にしては先生のご健勝を願 い続けてきましたのに。
 弥栄中学を卒業の時に、先生は、「在学中の活躍を感謝します」と、私の記念帖に書いてくださいました。先生のクラスから立候補して私は生徒会長を務めて いましたし、かなり賑やかに日頃大きな顔もしていたことでしょう、きっと。そういう私を、また、先生は、「秦は孤独を愛することも知っているから」と、批 評されたことがあります。そういう見方をしてくださった方は、弥栄中学の頃、親友達にすら一人も無かったでしょう、私は、驚きました。私は、ひとり短歌を つくり始め、そしてひそかに人を想っていました。
 卒業の記念帖に、「贈る言葉」として西池先生、あなたは、こう書いて下さいました。記念帖は、今でも、書斎の、すぐ手の届くところに、いつでも見られる ように置いてあるのですが。
 先生は私に、こうおっしゃった。二つ、あります。
「知る事と行う事は別のものであつて、決して別のものであつてはならない。」「又、君は馬鹿正直だと云われても、要領のよい男だとは云われないように。」
 先生は決して、「知行合一」といったお定まりの言い方はなさらなかった。「知る事と行う事は別のものであつて、決して別のものであつてはならない。」
 この美しい簡潔な物言いこそ、先生の、「お人」そのものでした。私は、永く永く、今日まで、この戒めに、心底推服して生きて参りました。知るだけでも、 行うだけでも、弱い。そうなのですね、先生。
 そして、「君は馬鹿正直だと云われても、要領のよい男だとは云われないように」という、ご教訓は、前のにも増して、以来五十年の、私の人生を、文字通り 導き戒めるお教えとなりました。如才なく此の世を生きることを、わたしは、あのときから、捨てにかかったのです。今も尚、捨て続けています。
 それはそれは、いろんなことを試みて生きてきました。先生は、その大方を、昔のままに、ずうっと、ずうっと、ずうっと見守っていてくださいました。それ どころか、私の著書を買い続けて下さるなど、惜しみなく、莫大なご援助さえしてくださり、一言も、批評がましいことは口にされないまま、お目にかかれば、 あの目で、優しい目で、いつも大きく「ああ」と、声に出して頷いてくださいました。私もたいてい、黙って頭をさげていただけですが。先生。有り難うござい ました。嬉しゅうございました。
 あなたは、ただ「西池先生」というだけの先生では、なかったのです。まさしく本来の「先生」という二字は、あなたそのものでありました、私たちには。そ れは、そればかりは、ご来席の多くの皆様の「思い」と、まこと、「一つ」であるに違いない、と、信じられます。
 心より感謝をささげ、やがて、いつかまたの「西池教室」に加えて戴けるのを楽しみに、励みに、 私どもは、生ける限りを今一段も二段も努めてまいります、お教え頂いた「人間の誇り」を、大切に、そして、自由に。
 どうぞ、西池季昭先生。今からこそ、おすこやかに、おやすらかに、と、私は、心の底より、先生の永遠のご平安を、お祈り申し上げます。さようなら、と。 とんでもない。これからも、いつまでも、ご一緒に私は居ります。どうぞ、見ていてください。じっと見ていてくださいますように。
  平成十四年八月七日 元弥栄中学三年五組 作家  秦恒平  六十六歳

* カナダの田中勉君から。

* 鎮魂の記
  恒平さん  日課の水泳から帰宅したばかりです。西池季昭先生ご逝去の報に接し、その昔の懐かしい思い出がふつふつと湧き上がってくる思いでおります。 父、母、兄、姉、友人 そして師、異国にあって、一人として臨終を看取ることなく、見送りさえ叶わなかった身を悲しく思います。
 自分の人生に大事なかかわりを持つ、今は亡きその人の思い出を語ることは故人への供養にもなるだろうと、以下を書き記します。
 西池先生との出会いは昭和24年4月。丸刈り頭の中学2年坊主が担任教諭として迎えたのは見るからに若々しい新任の先生でした。級友も担任教諭も代わる 新学年には新しい期待に胸ふくらむ軽い興奮があるものですが、この年は、畏敬すべき兄貴といったルーキーの先生を迎えて、さあ、これからどんな1年が展開 するのだろうかとワクワクするような春だったのを覚えています。クラス仲間にはテルさんこと西村明男や福盛勉がおりました。
 理由の知れない組替えで、2学期になると私は給田緑先生のクラスに入ることになりましたが、その後卒業に至るまで、私は西洞院の菅大臣神社によく出入り したものです。
 なかなかの読書家とみえて、先生の書庫には古今の名作が並んでおり、その中から立派な布張り装丁の「漱石全集」や石川達三の「日蔭の村」などを借り受 け、後生大事にうちへ持ち帰ったりしたものです。
 弥栄中学で過ごした3年間を中心にした戦後の京の青春自伝を自分自身のために書き残しておきたいという突き上げる衝動のようなものはあるのですが、なか なか手に染まず・・・。
 先生に最後にお目にかかったのは9年前でした。ご自宅にお訪ねし、奥さんにもお会いしました。先生は私同様晩婚でしたから、末っ子さんはまだ学生だった かの記憶があります。
 訪問の目的のひとつはその頃私が手がけていた浜大津市とナイヤガラのある都市との姉妹都市提携に助力をお願いすることでした。当時先生の末弟季節(すえ とき)氏は滋賀県教育長の要職にあり、そのコネクションで大津市との縁結びを、というのが私の狙いでした。
 季節氏は53年の昔、まだ堀川高校生でしたが、よくあの琵琶湖瀬田の和船遊びに付き合ってくれた”おにいさん”で、その後京大に進学、野球部でレギュ ラーのキャッチャーをつとめ関西六大学リーグで鳴らしたスポーツマンでした。
 9年前の西池先生との再会でも、もちろんその頃の話が出ました。舟遊びの帰りに夢中で獲った瀬田の蜆貝にも話が及びました。「ああ、あれなあ・・・もう 絶滅してもうたで・・・」 
 浅瀬の湖底にもう蜆貝の姿を見ることはないでしょうが、その昔、青春前期の懐かしい夢を紡いだ琵琶湖の思い出ばかりは今も消えることはないのです。 つ とむ

* 十時の「のぞみ」に乗り、四時九分の「のぞみ」で帰ってきた。神式の葬儀で、正面の遺影も菅大臣神社名誉宮司の礼装であった。

* 橋田二朗先生夫妻や宮崎伸子先生にお目に掛かった。千総の役員から引退の西村肇君や、卒業以来という谷本優君らにも。ご出棺を見送って、その脚で京都 駅にかけこみ、帰ってきた。弔辞など、ほんとうに読みたくはない。「がんがん照り光化学スモッグ」の熱暑。行き帰りとも眠りもせず、「湖の本」の校正をし ていた。あれやこれや、疲れた。
 池袋パルコの船橋屋でひさしぶりに天麩羅をたくさん食べて「笹一」を二合飲んでから帰宅。左アキレス腱の痛みは差し引きしながら、無くならない。今夜は はやく休みたい。

* 11桁と称する「番号」らしき通知が市役所から届いていた。妻や息子には、まだ。このまま送り返す気で居る。
 

* 八月八日 木

* 揺れ揺れて底知れない倦怠感が全身をとらえている。体調がはずまない。鼓舞するものがない。前夜、三田誠広作「活目王=イクメノオオキミ」を読んでし まった。出てくるカタカナの名前の大方が古事記等でこっちの頭に入っているから、ストーリーを追うのも問題がない。予備知識なしにこれだけ名前が多く出る と混乱するかも知れないが、巧みに事は運ばれていて、昨日一日、それも京都から東京へ戻る途中のもう小田原を過ぎた辺からページを初めて開いての読了とい うのは、読ませたということである。文字で書いた漫画か劇画のような印象は変わらないが、それなりに三田氏はサービスのいい仕事を見せていると言っていい だろう。次巻も贈られてきたらすぐ読むだろう。

* 本二冊分の校正が、重ぅく肩にのしかかっている。明日は歯医者。四時から電メ研。光化学スモッグのなかで、四時間を家には帰らず、都心で待機。その時 に校正の仕事をと。クラブがいいかも知れない。

*「伊藤左千夫短歌抄」を起稿し校正を終えた。生涯作品の全般をまばらに、晩年を密に選んだ。年少の正岡子規に全人的に傾倒して、後に続いた島木赤彦や斎 藤茂吉に師の大いさを確かに手渡した、熱い血のこの情深き詩人がわたしは好きである。


* 八月九日 金

* 朝から晩まで外へ出ている日、かなり気が重い。明日からはやや「夏休み」っぽくなるかどうか。少し気が滅入っているように思う。黒い影のようによく分 からないプレッシャーが感じられる。血糖値がこの頃は120前後のグレーゾーンに。100前後の正常値をかなりの期間維持していたのだが。ま、運動はしな いで酒をくらっていては仕方有るまい。

* 嬉しいお便りを戴いている。励まされている。

* 「ペン電子文藝館」は本当にありがたい事です。北条民雄「いのちの初夜」、書いた人も偉いですが、それを世に出した人も偉いと思いますし、またそれを こうして電子の文藝として読ませてくれた人も偉い! と思います。全編そうですが、「人間ではありませんよ。生命です。」の一言にずしんとしております。(「僕にもう少し文学的な才能があつたらと歯ぎしりす るのですよ」)感謝御礼申し上げます。
 秦恒平「知識人の言葉と責任─今、なぜ、芹沢光治良作『死者との対話』が大切か」+ 中村光夫「知識階級」をまとめて拝読しました。出来る人がそうでない人に何をしたらいいのか、を、さぐっている現場の者にも、力を貰えたように思います。 重ねて御礼申し上げます。
 暑い時は外に出るのは止めましょう。どうかお大切に。
 

* 八月九日 つづき

* 日本の民主主義が、今日死んだ。田中真紀子は自決衆議院議員を辞職した。何かが、おかしい。

* 江古田二丁目でバスに急いで左アキレス腱をさらに痛めた。終日、脚をひきずって歩いた。

* がんがん照り、兜町での電メ研に、委員九人が集まった。よかった。よい会議ができたと思う。

* 無一物という焼酎をのみながら、湖の本の校正に何時知れず没頭していた。いやなことを忘れたかった。美しい人のお酌で二度三度。くつろぐ。

* こういう時代になった。日の丸・君が代の法制化、盗聴法、個人情報保護=収奪法、有事法、住基ネット実施。そして目の前に、小泉純一郎、石原慎太郎と いった、国民のことはお留守の権力政治家たち。
 わたしは、平均年齢であと十二年の人生だが、こうした悪法に縛られ、子や孫の世代は、二十年、三十年後には、番号でがんじがらみにされ、ほとんど自己の 自由と尊厳に責任の持てない、奴隷紳士や淑女となっているのではないか、心配だ。

* 「終わらせて」いい潮時がきたようだ。赤坂城を、立ち退くか。

* メールを沢山戴いていたが、気落ちして返事する元気もない。明日からは、しばらく休むことができる。逢いたい人は、いる。だが暑いときは出歩かないで と言われている。

* 『源氏物語』は、光源氏が、つぎつぎ、たいせつなひとに死なれてゆく物語――先生にうかがったことばでしたでしょうか。それが身にしみ、しみじみ納得 されるこのごろでございます。おさびしくしていらっしゃいましょう。おからだのお具合のあまりよろしくないごようすも気遣わしうございます。
 平塚らいてうの生涯を描いた記録映画の自主上映計画があり、それに首をつっこんでしまい、忙しいやら落ちつかぬやら。
 らいてうという人、そして彼女を描いたこの映画にも、疑問・不満がないわけではありませんが、この映画を多くの人に観ていただきたいとおもっています。 どうこう申しましても、日本の女性解放運動の嚆矢は 彼女によって放たれたのですから。それなのに、「らいてうって誰」という人も少なくないありさまですので。
 もうひとつ、映画のことを。
 池袋の新文藝坐でパゾリーニの、ギリシア悲劇を素材とした映画、それも二本立ての上映がありました。それを知ったのが最終日のお昼ごろ、どうしても観た かったので、あわてて出かけ、最終上映にかろうじて間に合いました。
 堪能しましたと申したいところですが、パゾリーニの毒に消耗してしまいました。そもそも、ギリシア悲劇、それもパゾリーニ監督のを二本つづけて観るなん て、無茶なことでございました。
 先生はシルヴァーナ・マンガーノという女優さん、お好きでしょうか。オイディプスを描いた「アポロンの地獄」のヒロイン、イオカステに扮していました。 ぞっとするようなうつくしさでした。眉を剃り落としていました。目が強調されるとともに、妖しさも感じられました。
 最近の時代劇で、既婚女性を演じる女優さんたち、おはぐろはもちろん、眉を落としていないことをおもいました。
 昨日は立秋、まあ、どこに秋が、と呆れるような一日でございました。けれど、今朝、めずらしく早起きしてベランダに出てみましたら、あ、風が軽くなって いる、ほんの少ぅしだけれど。
 春はひかりから、秋は風からって、ほんとうでございますね。今の時間、もういつもの暑さになってしまいましたけれど。
 11桁の番号、まだ届いていませんが、来ましたら、受取り拒否ということができないかと、かんがえています。
 と、暑苦しい話になってしまいました。暑さ疲れも溜まって来るころでございます。おたいせつにお過ごしなされますよう。

* シルヴァーナ・マンガーノ。凄みの妖気と美貌。今の気持ちには刺激が強い。美しい人に出逢いたくて、暑いほこりっぽい東京をさまようことであるが、わ たしは、今は、ひたすら心優しい人と出逢いたい。ひらつからいてうは、久米正雄の「破船」のヒロインであるが、むしろ夏目漱石「虞美人草」の藤尾として印 象づけられている。「三四郎」の美禰子のようにも印象づけられている。アンコンシァス・ヒポクリシー。実像的には、これではらいてうにやや気の毒なところ と、褒めすぎのところとある。伝記も読んでいて関心をもった女丈夫である、が、これまた刺激が強い。
 女性運動のさらに早い段階での先覚者としては、中島湘烟と福田英子が忘れがたい。ことに湘烟女史の生涯には気凛の清質と高邁、そして劇的な旋律感が感じ られて、心を惹かれる。景山英子はこの湘烟に刺激されて世に出てきた闘士であった。藝術的には樋口一葉があり上村松園があり、与謝野晶子も続いたし他にも いたではあろう、が、女権拡張と女性解放への先鞭はというと、わたしは、たちどころに、いまあげた二人の存在についで、らいてうら青鞜の人達を思う。そし て後の宮本百合子。
     
* 十一谷義三郎「静物」のコピーを用意した。
 三遊亭円朝の「怪談牡丹燈籠」の出だし二回もコピーした。円朝。落語ではないかと言うなかれ、話体の文藝として定評ある完成品である。二葉亭四迷が「浮 雲」を書こうというとき、どんな語り口にしようかと迷っていた。坪内逍遙は大円朝の牡丹燈籠を参考にしてはと勧めている。四迷は遵ったのである。尾崎紅葉 の「金色夜叉」にも、牡丹灯籠の「呼吸」が、少なくも会話に生かされている気が、私にはする。言うまでもない「浮雲」こそ、日本近代文学の真の嚆矢である が、下敷きに円朝の「語り」が横たわっていたかと想像するのは愉快である。「ペン電子文藝館」に「招待」する最も早期の物語文藝が「怪談牡丹灯籠」となる であろう、この面白さ。

* いろいろ沢山世のため人のため、ほんとうにご苦労様です。でも、「揺れ揺れて・・倦怠感・・」はやはり注意信号ですから、どでーっと横になるのがいい と思います。
 九十九里へ地引網でとれた魚とか野菜とかを貰いに行ってきました。行き帰り、もう稲穂が出ていました。老人ホームにも盆踊りがありました。早く涼しくな るといいですね。一番に、いろいろお大事にしてください。

* 感謝。

* さ、静かにバグワンを声に出して少し読み、またまた「うつほ物語」の世界に沈み込もう。貴公子たちの降るほどの求愛をことごとく黙殺して東宮に入内し た「あて宮」を最初のうち好きになれなかったが、東宮妃になってからの彼女には豊かな光彩と魅力が添い、仲忠、実忠らとの交際には胸に火のともるようなや すらかさを覚えたりする。「国譲」中巻を読み進んでいるが、この古典の大作は、もう今から再読をぜひにと刺激してやまない。

* こんなことを私語していて、すこし、胸の芯もやわらいだようだ。

* 留守の内に、京都の橋田二朗先生から電話をいただき、妻が長時間お話を聴いた。五十年の上を越す莫逆の友、先生よりすこしお若かった西池先生に先立た れた胸の窪みは深いようだ、よく分かる。お気の毒に思う。
 

* 八月十日 土

* 知識は「地図」と同じで、地図は決してその場所でも自然でも都邑でもない。その人でも仕事でも作品でもない。事件でも事実でもない。或る程度の便利さ はあるが、錯覚してあげく失うものに比べれば、知識には、害の方がはるかに多いかも。
 知識人が「知識」をどう棄てられるか、最大の難題であり、たいていの人は其処へも思い至らないで暢気に知識誇りをしたまま死に至るだろうが、知識のむな しさをつくづく知り、自覚し、しかも容易に棄てきれない知識人の苦痛と恐怖は、莫大である。知識があるために、透徹した理解に妨げばかりが生じ、安心が得 られない。「間に合う」だろうかという怖れが、ひたひたと寄ってくる。それは意図して迎えるものでも、つかみ取れる安心でもない。はっと、いつか来る、も う来ていたことに気付く、そして思わず大笑いしてしまう。そうありたい。

* いわれない安心を金で売る似非宗教家。情けない。

* 「うつほ物語」の「国譲」上・中を、だあっと一気に読んでしまい、熱心さに自分で驚いている。が、おもしろくて、やめられない。譲位、登臨、立坊。そ して後宮。平安宮廷の「政治」とはこれであったと言えるほどの大事だが、さらに源氏と藤原氏が蜘蛛の糸のように人脈を絡め合い、外戚たるアドヴァンテージ を競い合う。艶であり優美であり、しかも人間的なのである。この「うつほ」に比べれば、「源氏」の方がはるかに取り澄まして絵巻のようである。
 この物語は、最初は俊蔭の南海漂流と琵琶の神秘、俊蔭女と子仲忠との不遇な大木の「うつほ」暮らしなど、伝奇的に始まって稀有の面白さだったが、源正頼 家の繁栄と息女の一人「あて宮」への途方もない求婚ラッシュの辺では、だいぶ退屈した。ところが配本の二巻目に入ってからは、また、うって変わって物語が ダイナミックな人間模様を美しく描き初め、あれれというまに、すっかり魅力にとりつかれた。三巻目の配本をとても待ちこがれた。いまその三巻目もたちまち 半分以上読み進み、眠気もとんでしまう。西鶴の「一代女」もついワキに置いてしまわせるのだから、わたしの好みもあるが、ホンモノである。
 いやなことばかりの現世平成の汚濁にまみれた一日を、せめて就寝前に、古典の生気・精彩で清まはることの出来るのが有り難い。
 

* 八月十一日 日

* 「お宝鑑定団」の値の付き方が、何と無く、実の価値よりも、あるいは相場よりも高価に寄りすぎていないだろうか。市場価値をむやみに釣り上げることは して欲しくない。
 楽茶碗が四枚持ち出されていた。画面越しに見ても正確に判断が付いた。鑑定はほぼ妥当、通販で三千五百円で買った白楽をもちだしていたのに、五万円と評 価されたのも、三万円でいい気はするが、それはそれで掘り出しに類するわるくない姿と色をしていて、買ったおじさん、目は高かったと言えよう。
 ホンモノは二枚、紛れもなかったし、箱書きも間違いない。見覚えがある。わたしも楽は了入、旦入、宗入、慶入、もっと溯った一入などを所持している。す べて千家ないし楽家の筋の確かな箱書きが附いている。別家筋の佳い茶碗もある。わたしは茶碗が、造形として好きなのである。だが、惜しいことにわたしの手 元で、今、それら茶碗は死蔵されているだけで、何の値打ちもない。「お宝」ですらないし、番組に持参する気など毛頭無い。以前は取り出してせめて飾って手 に取り、そのまま茶をたてて飲んだりしていたが、家が狭くなる一方で危なくて置いておけない。
 それにしても、そもそも、あのような無際限な「公開」番組で、「この箱書き」があるので「プラス百万円」といった、安易な公言を聴かされるのは、とても 不愉快。モノの値打ちにはいろいろの角度があり、ことに付加価値の大きな茶道具ではあるが、あんなことを公言されて、結局箱書きする家元筋を利するばか り、不当にものの値段を吊り上げることで虚飾してしまう。なにか「為にする」気がありはせぬかとイヤな気がする。
 だいたい美術的な価値を、価額に換算して「お宝」にしてしまう、それだけでも、この番組には罪深いものが無くはないのだし、なんだ、二百五十万円のうち の、百万円はあの箱に書かれた字の値段かという、つい出てしまうであろう一般の感想には、ひどく純真の思いを歪めてしまう毒が混じる。その結果、箱と箱書 だけはほんものだが、中身はとんでもないガラクタというのも実は出回る。
 この世間に触れて五十年、いろんなものを、わたしですら見てきた。
 ものを愛する気持ちならまだしも、付加価値の途方もなく権威的で強圧的な定着へ、世間の物持ちをあおり立てないで欲しい。鑑定士の諸先生が率先その辺に は節度をみせて欲しい。投機の対象に美術骨董が当然のように扱われ出した歴史は遠く溯るけれど、願わくは、「いい仕事してますねえ」の嘆賞が、どこのどの ところかを、もっと美しく楽しませて貰いたい。

* 十一谷義三郎の「静物」と圓朝の「牡丹燈籠」とを交互に校正しているが、噺家の圓朝が一八三九年生まれ、新感覚派の十一谷が一八九七年生まれ。六十年 足らずで、こう「日本語」での語り口が動いてきたのかと、感慨しきり。二つとも面白い。
 昨日は大正四年生まれの菊地良江さんの自選短歌百五十首をスキャンし校正していたが、歌の佳いのに感心した。さすがに結社で選者格のベテランは、歌の一 首一首で人生を彫琢してきた気概が、措辞ににじみ出る。わたしより二十歳も年長の人が、日本ペンクラブ入りして、すぐに生涯の制作から百五十を撰して届け られる。それが「ペン電子文藝館」により、世界に公開発信されて、残る。

* 小説だけでもやがて百もの作品を入稿し掲載させてきた。その作業に熱中していて、わたしの気持ちの奥の方にあるのは、やはり露骨に云えば「勝負」でも あるのだと気付く。言い方は露わすぎるが、作品は作者の全的表現であり、出来れば、ああこれには負けたなとは思いたくない。他の人にも易々書けるようなも のを書いていては恥ずかしい。文学史的に、自分の文学に存在理由が言えるだろうか、独自性を言えるだろうか。やはり、そういう思いを云わず語らず下に抱い て、一本一本「校正」している。この場合具体的には自分の出稿作「清経入水」と比べて…これは、それは、あれはと、かなり真剣に考える。味わいの淡い作も 濃い作もある。軽妙なのもある。重厚なのもある。むろん敬愛すべき秀作を選んでいるつもりだが、ああ、みな、いろいろだ、個性的だと思う一方、わいてくる 自負の念もある。それに励まされて、進みたい前方の道なき道も見えてくる。
 はっきり云って、この仕事も、来年三月の任期切れまでで、わたしのなし得ることは、ほぼ程過ぎているだろう。人が変わった方がいい。わたしが退けば、と たんに館が閉鎖されるというのは困るが、日本ペンクラブの誇りはそうはさせまいと思う。インターネットで検索してみると、「電子文藝館」「電子文芸館」 「ペン電子文藝館」「日本ペンクラブ電子文藝館」など表記はバラつくが、いろんな検索名で、もう相当数三百近い記事が拾い出せるし、「電子化読書室」とし ての評価はもう定着している。ともあれ全力で、せめて、二百人を越せるだけ越して掲載・展示し、それまでに、心行くまで他流試合を続けておきたい。「清経 入水」を沈め去るほどの作品には、幸か不幸か、一つも出逢っていない。
 
 
* 八月十二日 月

* 十一谷義三郎「静物」を入稿した。佳作ではあったがハッスルするものがなく、かすかに時代の古びも感じさせた。新婚生活のギクシャクを倦怠感(けだる さ)とともに、文字で描いた静物画のように表している。「いのちの初夜」とはちがう。「蒼氓」とも「白い人」とも「清貧の書」ともちがう。

* 大圓朝の「牡丹燈籠」端緒の二回分だけを書き抜いてみた。これはもう、これなりに仕上がっている。それに、カランコロンの幽霊だけのはなしではない、 長大な因縁噺である。九月の歌舞伎座が通しでやる。楽しみにしている。

* 田中真紀子の潰しを「惜しい」と小沢一郎、さすがに見ている。もし何かがあったとして九年前の微罪を得意げに追及して辞職させた議員達は、はたして田 中真紀子を葬った墓の上に、田中真紀子以上のどれほど大きい政治的業績を建立できるというのか。いつか恥じ入るであろう、その己がしたり顔を。真紀子氏が が家庭や事務所の中でどうあろうと、国民には縁遠いよそごとであり、期待していたのは「外務省改革」であり、「新立法」であり、「真の政治の鼓吹」であっ た。外務省を揺すぶり立てて鈴木宗男という黒い狸を燻りだして見せただけでも凄い力であったし、場面場面で示した政治的発言も見識も民主主義の大筋に添っ て、私心のないものであった。桝添なにがしといったクチサキ男の私心満々のパフォーマンスなどとは天地の差があり、綺麗であった。

* 多くの識者ヅラが、父角栄の「偉大」さに比べてものを言いたがるが、笑止なことと思う。わたしは角栄によって日本がよくなった面より、列島改造のバラ マキ金権政治を増長してバブルへ導いた罪と汚職構造の方が遙かに悪いと思っている。裁判による彼の有罪に微塵の異存ももたなかったし、今もそうだ。彼の 「人心掌握」を今更褒めちぎっているが、恥ずかしくはないのか。バラマキ金づくの人心掌握など悪しき支配そのものであり、あの鈴木宗男の政治屋手法はまさ に角栄型への追随そのものであったではないか。まかり間違えば橋本龍太郎の失政内閣をもう一度もたらし、鈴木宗男外務大臣が売国的外交の蔭で、強圧と金権 の人心掌握をほしいままにしたであろう危うい国の危機をすくい上げたのは、そして小泉内閣を実現し得たのは、田中真紀子の絶妙の政治判断であった。圧倒的 優位にいた橋本内閣再現を粉砕したのは田中真紀子であった。だからこそ、小泉・福田・山崎らは嫉妬のあまり彼女のスカートを踏むだけでなく脱がす程の陰険 ないやがらせで、恩を讐で返し、また橋本派も挙って田中真紀子潰しに狂奔した。小泉などは怖くなかったのだ。
 それほどの存在であった田中真紀子をもっと政治的に働かせたかった、「惜しい」と云ったのが、政界で一人二人のわずかに小沢一郎ぐらいだというところ に、日本の政治家や政界の質の悪さがよく出ている。首でも取ったつもりの民主党の愚な若手議員も、いわば、イチローにビーンボールを投げて斃したのと同じ ことをしたのにまだ気付いていない。秘書への給料配分、問題がかりにあったとして、それが比較において何だというか。一人のイエスの現れて、だれがこの女 に石を打てるかと問いもしなかった永田町の偽善ぶりに驚く。鈴木宗男の悪と田中真紀子の軽率とをひとしなみに見てトクトクたる議会の馬鹿者たちを、わたし は嗤う。
 

* 八月十三日 火

* 「恐怖」というものが無ければ。だが、人間は恐怖する生き物であり、だから希望を持ったり絶望したり、努力したり怠けたり、する。祈ったりする。善行 に励んだり悪徳に走ったりする。「恐怖」の最たる最終のものが「死」であるのは、確実。死への恐怖のない人に、上に上げたような分別も無分別もまったく必 要がない。ありのままに生きて死んで行くだろう。ありのままに自然に湧くようにして出来る「感応」の行為は、なにかの分別・無分別という「恐怖」や「過去 来の知識」に催されてする「反応」の行為とは、まるで「べつ」ものだとバグワンは云う。
 たいがいのことを、われわれはリクツをつけてしようとする。これはコレコレだからいいことだ、わるいことだ、と。またコレは神仏の嘉されることだからし よう、これは他人がどう思うか不安だからよそう、などと。心=マインドはそのように分別をつけるが、それらの分別の至り附くところは、得体知れぬものへの 「恐怖」であり、しかし真に恐怖すべきものの真実在るかどうかをすら、人はほんとうは何も知らない。ただ怯えている。

* 鉱物・金属も疲労することは飛行機の事故などで周知である。組織体も構造体も疲労する。罅が入る。寺田寅彦は人体の罅を研究課題にした。人体にも罅が 入ると寅彦先生に教わったときは、子供心に驚きながら納得した。納得できると思った。心も疲労してひび割れる。心を病んでいる人、心の疲れ切った人の多い ことには驚くし、自分でもやすやすと心萎れさせてしまう。心は頼りにならないし、リクツをつけて無理に頼りにするのは愚かなことだと思う。
 心とはすこし距離をおいて、すこし冷淡に、平静に付き合った方が佳い。心の教育だのというのを聞くと、何をこの人は根拠に云うのだろうと軽薄さに驚いて しまう。心や愛は、或る意味からは害悪であり障碍であると釈迦は断定している。疲労した心、罅の入った心に無理な負荷をかけて「頑張る」愚かさに気が付き たい。「無心」とはそれは真っ逆様の奔命にすぎない。
 

* 八月十三日 つづき

* 建日子の「天体観測」の今夜分は、よく動いた。批評させるヒマを与えず、批評を力で引きずって走るだけの勢いがあった。それでいて安く妥協したシーン はつくらなかった。よしよし。

* 「牡丹燈籠」を入稿した。ちょっと以下に列挙してみる。
 御祭礼を執行(いたし)まして、  刀剣商(かたなや)  店頭(みせさき)  善美商品(よきしろもの)  陳列(ならべ)てある所  通行(とほり)かゝり  年齢(としのころ)二十一二  膚色(いろ)饗(あく)までも白く、 背後(うしろ)に  従(つき そ)ひ、 刀類(かたな)を通覧(ながめ)て、 識別(しれ)んが、  鳥渡(ちよつと)御見せ。  必然(さだめし)街道(わうらい)は塵埃(ほこり)で   此品(これ)は少々装飾(こしらへ)が破損(やれ)て居り   中身(なかご)は随分   御自佩料(おさしれう)   御用(おま)に適(あ)ひます  お鉄信(なかご)もお刀質(しよう)も慥(たしか)にお堅牢(かたい)お品で  旧時(まへ)には通例(よく)  刀剣(かたな)を買収(めす)時  抜 刀(ひきぬい)て  あれは危険(あぶない)こと  抜き刀(み)  真個(ほんとう)に剣呑(けんのん)  真正(ほんとう)に刀剣(かたな)を鑒定 (みる)お方  反張工合(そりぐあひ)から焼曇(をち)の有無(ありなし)より、 流石(さすが)  通常(なみなみ)の者  良応(よさそう)な物、   (どう)ぢやナ。  至適(よい)お鑒定(めきゝ)で  同業(なかま)の者  惜哉(おしいこと)に  幾許価(どのくらい)するナ。  お二価 (かけね)は  不廉(たかい)様だナ。  減価(まか)らんかへ。  倒々(なかなか)もちまして  価直(ねだん)の掛引き  酔漢(よつぱらい) が、 蹌踉々々(ひよろひよろ)とよろけて撲地(はた)と  漸く起身(おきあがり)て  突然(いきなり)鉄拳(げんこつ)を振ひ

* はてしなく、こういう読み(ルビ)と漢字の表記が続く。起稿するには途方もなく煩わしいが、また実に興味深い。圓朝の口述は読みの方が先で、筆記の際 に漢字をあてたものに相違なく、普通の場合の逆を行くことで読みやすくなる。社会教育としてもこの漢字と読みとの合奏は効果があったろう、おのずと字を覚 え意味を感じ取れる。これは日本語の独特の表現効果であり、明治の作家達は、逍遙も鴎外も紅葉も露伴も一葉も鏡花も、漱石でも、この効果を効果的に多用し て文章表現にハバをもたせていた。わたしは、このことに、何度も触れてきた。最近も「ずいひつ」の依頼原稿で触れた。
 昔の原稿はこういうのが多くて、子どもの頃にもこうした総ルビの妙味に助けられ、いろんな詞や文字を面白く覚えた。

* 島木赤彦、新居格、若山牧水の起稿を始めた。

* 運動不足による体調の故障は覆いがたくなってきたようだ。全身が痛み始めている。冷房がその上塗りをする。

* インタネットで、妻の兄の保富庚午を検索したら、八件出てきたが、ほぼ全部が彼の訳詩「大きな古時計」関連で、熱心に褒めている記事が二つあり、妻は 喜んでいた。兄の生前にはいろいろとあった兄妹であるが、もう記憶は薄れていて、そして訳詩という作品が生き延びている。作品というのはそういうものだ。 小説には、歌のようなポピュラリティーはないが、やはり作品の方が長生きをしてくれるといいなと思う。ほんのすこしだけ。そして、なにもかもが埋没するの だ。

* 朝の話題に戻れば、「私」などというものは、無いのだ。在ると思っているのが夢であり錯覚であり、夢や錯覚を事実在るものとしてしがみつくから「恐 怖」が生まれて何かにしがみつこうとする。抱ける柱が欲しくなる。
 「湖の本」も、「ペン電子文藝館」も、作家も理事も選者も、可笑しくなるほどバーチャルなイリュージョンに過ぎない。楽しんで打ち込んではいるが、打ち 込んでいること自体が無意味なことだとも知れている。無意味なことが、それだから、無意味でないとも言える。
 

* 八月十四日 水

* お盆。我が家ではなにもしない。位牌棚の前を往来のつど、心持ち丁寧に会釈している。

* ペンの阿部政雄氏から、伝えられている米国のイラク強襲の動向に批判の声と理由とが長文で届いている。氏は中東に詳しい人のようである。言われている ことは、一々頷ける。要点だけでも書き込んでおきたい、転載歓迎とある。

* アメリカのイラク攻撃をみんなの力で阻止しよう。 アラブ問題の阿部政雄です。
 今、アメリカは、鳴り物入りで、イラク攻撃を叫んでいます。しかし、この大義名分のない対イラク軍事行動は国際的に支持されていません。
 いかにアメリカの軍需産業と巨大石油資本の営業部を務めるブッシュ政権が焦りに焦っても、軍事行動に踏み切れるかどうか、大いに疑問です。犯罪的に他国 の内政に干渉するアメリカの自己中心主義に(ユニラテリズム)は、諸国民の力で、何としてでも止めさせなければなりません。
 何としてでも、何とか日本を引きずりこもうというのが「有事法制の大きな狙い」である以上、このイラクへの軍事行動に日本が参戦することは、日本の将来 を破滅に導くことになると力説したい。
 アメリカは、今度こそ、小泉首相が「アメリカに全面協力」を表明しているのをもっけの幸いに、イラク攻撃の経費もしこたま上納させ、また今度こそ、日本 の自衛隊(正確には他衛隊)を何かの形で参加させ、日本もやはり帝国主義国家に過ぎないという実証を、中東アラブ諸国民の前にさらけ出させようとしてして いるのです。
 アメリカの戦略は、イラク攻撃への日本の参加により、「手の汚れていなかった日本」を「アラブの血で汚れた国」としてアラブの歴史に記録させ、これまで の親日感情を反日感情に切り替えさせ、伝統的に欧米諸国の市場であったこの地域から、日本を追い出してしまおうという、どす黒い戦略がイラク攻撃の中に セットされていることを知るべきです。
 結論として言いたいのは、アメリカのイラク攻撃には、日本の経済的破滅、アメリカへの従属化促進が込められており、この意味から、決して海の彼方の問題 ではなく、日本人の命運がかかっているのです。 この意味からも大義なきイラク攻撃は阻止しなければなりません。阻止に成功することは平和と民衆勢力の大 きな跳躍台になることでしょう。
 他国に干渉し大量殺戮兵器を降り注いでぼろもうけをし、破壊し尽くされた国土の復旧や犠牲者の手当は、日本などアメリカ衛星国に任せるという、得手勝手 なアメリカの政策を糾弾しましょう。 私たちも、世界支配を目論む勢力に対抗しうる平和のための戦略を構築しましょう。(転載大歓迎・阿部政雄)

* およそこういうことだろうとは、日本国民の多くがすでに察しているが、動いているわけではない。

* 動く、とは、どういうことだろう。長崎の高校生達が、核への抗議の「一万人署名」に立ち上がり、数次にわたり活動して、着々と成果をあげ、活動を後輩 に引き継ぎ、国連にもちこんでいた。テレビレポートを、最近見た。卒業した生徒は大学生となり、めいめいの大学に運動をおし拡げていた。熱いもののこみあ げるのを感じた。
 動く。その原動力は「学生」こそが持ちうる。そう思う。あの高校生たちに有るエネルギーが、大学や社会に浸透してゆかねば、いかにものの見えた老人たち が声をふりしぼっても、老人力の組織されていない今日では、たんに横町のご隠居政談にとどまるだろう。
「一万人」ぐらいの署名で何が動くかと冷笑している若者や大人もいた。だが実際は、もう遙かにそんな数字を越えている。そして問題は数字だけでは、ない。 「百万人」「千万人」に成ってゆきうる、国際的にもなって行きうる最初の「一万人」いや「百人」「千人」だったと信じられるし、その一つ一つの数字が帯び る「意志」に意義がある。これは、太平洋の水をスプーンですくって干す徒労行為とは、ちがう。少年多聞丸のあの楠木正成が、村の大人や子ども達に教えたと いう、大きな釣り鐘を小指一本でも必ず動かせるという、そっちの動きである。炒り豆からも芽が出るという動きである。だが「動き」は、若い力が核に成らね ば続かない。
 秦建日子の描く青春ドラマ「天体観測」の友情は、七人八人の「身内」感情の純化と発現から、どこかへ「動いて」ゆこうというのだろう。が、まだまだ彼等 のエネルギーが、政治的なそれへふくらんでゆく意図や可能性など、ちっとも感じさせない。自分と自分たちとの「関係」のなかで、擬似家庭・擬似家族ふうに お互いに身をまもり、心を養おうとはしている。それは或る爆発力を秘めた本質志向の一発現ではあるが、だが、今のところ彼等は、すこしも、まだ、悪しき 「公」と対峙し「私」の生気を、それへ向けて打ち放つ意識も気概も責任感も示していない。その意味で、やはりこれはある種の擬似「ホームドラマ」擬似「私 小説」の域を出ていない。一隅を照らして懸命であり誠実ではあるが、時代が「動く」という意味では、非生産的で純情そうな「友情ゴッコ」の域にある。その 域内のモノとしては、よくやっている。好感が持てる。
 だが、このままで、何か強い「批評」に成りうるのだろうか。
 高校生で出来たことが、大学ではうすれ去り、社会人になるともうそれどころでなく日々に奔命を強いられ、フツーに慣れて小さく人間もしぼみかねない。こ こが大事だが、実は、そうさせ、そう仕向けている「力」「黒い力」が現存しているのに、それへ鋭い視線と意識が届かないのである、若い人達の多くがそうす る気持ちを放棄してしまっている。すぐ諦める。棄権する。その状況こそが、ともすれば鈴木宗男などの暗躍を恣にゆるす、うまい汁の土壌となっている。「天 体観測」の若者たちは、気付いているか。作者はどうか。
 

* 八月十五日 木

* 炎天下を隣のひばりヶ丘駅まで用足しに、二人で出た。銀行の用は簡単にすみ、ちかくの「ビストロ」でランチを食べてきた。それが目当てであったし、ス テーキもポテトサラダも旨かった。自家製のよもぎパンもママレードも。妻のとったソーセージをすこしへつったが、これが旨いので、すこしヒガンだほど。小 さい小さい瓶の赤いワインを二人で分けた。いや、大方をわたしが呑んだ。最後がホットコーヒーだとよかったのに。
 茄子のスープには閉口したが。夏はどの店でもやたら茄子をつかう。心知った馴染みの店だと茄子ははずしてくれるけれど。「茄子はダメ」というと、きっと 誰にでも何処ででもわらわれる。しようがない。少年時代をひきずっているのだ、茄子は煮たのは論外、焼いたのも、味噌のも、揚げたのも、全然受け付けな い。漬け物だけは食べられる。他のたいていのものは、ピーマンでも唐辛子でもカボチャでもニンジンでもまあまあ食べられるようになったが、茄子は金輪際い や。

* 新感覚派の一画に身を置いていた新居格の評論を拾い上げたものの、とてつもない悪文で、書き殴った感じ。こういうものが、文学全集にとられてある。 「文藝と時代感覚」と、題も狙いもわるくないのだが、頭でっかちの文学青年が気だけで走り書きしたような、さほど妙味のないもので落胆。この人は「物故会 員」で、作品は掲載せねばならない。「招待席」になら採らない。そういう作品も混じってくる、それは当然でもあり余儀ないことである。
 

* 八月十五日 つづき

* 若山牧水の歌集『別離』は彼の生涯のうちで最も華々しい好評に包まれたもの、二十六歳での第三歌集である。牧水の歌集をわたしは、新制中学三年のうち に岩波文庫で買った。白秋詩集とともに、愛読した。茂吉の自選歌集『朝の蛍』を古本で手にした時は高校生になっていた。
 今日、「別離」上巻をスキャンした。相当な歌数になるが、国民的な愛誦歌も含んで、一つ一つの歌がいとおしいほど懐かしい。「略紹介」にこう書いた。
「わかやま ぼくすい 歌人 1885.8.24 - 1928.9.17    純情、浪漫、憧憬、人生、哀愁そして旅情、酒。じつに「新風」そのものであった。多くの愛唱歌を抱き込んだ「別離」は東雲堂より明治四十三年(1910) 四月刊行の第三歌集で、非常な好評を博した。歌人は時に二十六歳。上巻の大半を収録」と。この校正は、量的にたいへんだけれど、歌をよむ醍醐味に恵まれ る。

* 暑さがするのだろう、上気したような、湯気の中で呼吸しているような按配で、しかし、気分わるいのではないが。何が何だか分からないが、手当たり次第 に幾つかインストールしてしまい、それが是か非か、へんに機械が賑やかになっている。障りすぎると危険だ。しかし知らない部分があると触ってみたい。機械 のほうが勝手に走るように動いていた。止めようがないし、希望も持ちたいし。ネットスケープの7.0というのを取り込んだらしい。今までは4.6とかその 辺であった。やたら画面が賑やかになっている。よくなるのか、不都合なのかも分からない。

* 今晩は、大文字。瞼の裏に火の色が見える。西池先生のことを想っている、いま。
 

* 八月十六日 金

* 牧水の短歌をまなんでわたしは多くの「言葉」を覚えた、「身につけた」ことが、校正していてまざまざと思い出せる。わが歌集「少年」にもっとも色濃く かげを落としているのは若山牧水であったと、いまにしてしみじみと懐かしい。「幾山河越えさり行ば寂しさの終(はて)なむ国ぞけふも旅ゆく」などの歌に出 逢った感動は当時のままにいまも胸に在る。「白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ」とも。牧水にたっぷり漬かってから、茂吉に出逢った。 茂吉に出会えてよかった。茂吉の『万葉秀歌』も愛読し耽読した。だが、すべての出発点にあったのはやはり和歌であり、百人一首の恩恵があまりに深い。呪縛 だとは思わない。
 人は、老いて、すこしずつ去ってゆく。もう、そういうことに驚いて心をひどく傷めることはしなくなりつつあるが、古典は、かわりなく胸の内で新しい。

* 本が読みたい、本が読みたいと、六年生頃から高校生ごろのわたしはいつも飢えていた。本を貸してくれる人は鬼やお化けでも歓迎だった。
 いま、その飢えを好むままに満たせている。人は多くいまや気軽に旅に出るし海外へも出て行く。いくらか羨ましいが、行くかと誘われるとかなり煩わしい。 独りで行く気はせず、他人とは気疲れがする。体調の整わない妻とは一泊か二泊が限度で、いまは黒いマゴが足どめする。読書は次善の旅行であり、作品が優れ ていると次善どころか、ありふれた観光の旅よりも深いよろこびや感動をもたらしてくれる。なによりも過去世へもとんで行ける。現世に多くの希望をもってい ないわたしには、そういうタイムトリップがまた新鮮で嬉しい。

* 「うつほ物語」はいよいよ大団円の「楼の上」上下巻に入った。この大作は、長編性をよく生かして悠揚迫らず、しかも巧緻に組み立ててあり、あて宮と父 正頼の左大臣家と、仲忠と母俊蔭女の右大臣家とが、大きく豊かに均衡をえながら朝廷の綺羅と琵琶にまつわる神秘とが面白く物語られてきた。平安物語は、わ たしには、かけがえのない「お宝」に感じられる。
 

* 八月十七日 土

* 「女ありき、われと共に安房(あは)の渚に渡りぬ、われその傍(かたは)らにありて夜も昼も断えず歌ふ、明治四十年早春。」この一連の牧水短歌にどん なに陶酔し憧憬したろう、読んだわたしは十五六歳で、歌った頃の牧水は二十三歳だった。海も濱もあまり縁のない京の町中で育っていたし、或る意味では非常 に遠慮深いタチでもあったから、牧水のこの無垢にして赤裸々な恋愛の賛歌にして悲歌にして陶酔の歌声には、心底驚いたし、動かされたのであった。

ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま

接吻(くちづ)くるわれらがまへにあをあをと海ながれたり神よいづこに

山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君

いつとなうわが肩の上にひとの手のかかれるがあり春の海見ゆ

声あげてわれ泣く海の濃(こ)みどりの底に声ゆけつれなき耳に

わだつみの白昼(ひる)のうしほの濃みどりに額(ぬか)うちひたし君恋ひ泣かむ

忍びかに白鳥(しらとり)啼けりあまりにも凪ぎはてし海を怨(ゑん)ずるがごと

君笑めば海はにほへり春の日の八百潮(やほじほ)どもはうちひそみつつ

そして又、

このごろの寂しきひとに強ひむとて葡萄の酒をもとめ来にけり

松透きて海見ゆる窓のまひる日にやすらに睡る人の髪吸ふ

闇冷えぬいやがうへにも砂冷えぬ渚(なぎさ)に臥して黒き海聴く

闇の夜の浪うちぎはの明るきにうづくまりゐて蒼海(あをうみ)を見る

空の日に浸(し)みかも響く青青と海鳴るあはれ青き海鳴る

海を見て世にみなし児のわが性(さが)は涙わりなしほほゑみて泣く

白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海の青にも染まずただよふ

かなしげに星は降るなり恋ふる子等こよひはじめて添寝しにける

* ほとんど驚愕した。与謝野晶子の「みだれ髪」には反撥していたものが、牧水短歌ではみごとに開放された。胸を押し開かれ、少年は目を瞠いていた。あの 鼓動の高まりと少し気はづかしかったこと。初めて読んだ、初めて知った、そういう感動だったのを思い出す。あの少年の気持ちが、しかし、いまも胸の内に在 る。わたしはまだ憧れて胸うちふるえる事が出来る。

* 田中孝介君と新宿で和食を食べた。ゆっくりと、心行くまで歓談した。すっきりと、また背が高くなったかと思うほど立派に成人していた。もう少年ではな い、しっかりした青年の顔と姿で、二十代の後半を佳境に向かっている様子が、物言いの端々に窺われ、頼もしかった。ストレスに立ち向かって、いま占めてい る場所と仕事にしっかり踏み込んでいる自覚をもっている。彼の年頃でいちばん心行く嬉しいことは、ちょっと荷の重いほどの仕事をし遂げたぞという瞬間であ ろう、それがあって自信を持ち人にも真向き合って言葉や思いを交わし合える。田中君はほとんど無口に近い少年であったけれど、今晩など、よく、たくさん、 自分自身の気持ちも話してくれた。かなり幅広く話題を転じていっても気合いのとぎれることがなく、コンピュータのプロではあるが、絵画の前衛性や理論的な 冒険について触れても、耳を貸してくれた。

* 絵の画面の未開拓なのが二つあると思ってきた。無設定球体の全表面、そして闇、である。闇の方は、だが、ネオンや花火ですこしだけだが試みられてい る、まだまだ極めて不十分で不安定で未熟であるが。球表面絵画は、理論的にも克服出来ていない。実作品は、神のツクリ給いし地球以外には、十分なモノは出 来ていない。三十年ほど前に「芸術生活」に論考を発表以来、追試例もきかない。
 しかし、無条件無設定の球体を、いまコンピュータのなかに創作して、無限定空間に浮かばせること、その全部を眺めうる位置を設置設営すること、も、不可 能ではない筈だ。そういう球体を用意して、その全表面を「分割しない一画面」とした一つの絵画作品を、「CG」作品として創作し鑑賞させることがもし出来 ると、絵画は、新たな表現の場をもつことになる。これは単に闇を画面にして絵画を描くのとは異なる試みである。あくまでも、完全な凸面である「球体の全表 面」を活かせるかどうかだ、球面には上下左右がなく、遠近法の効かない面の性質を帯びている。平面と球表面とは面の性質が全然異なっているのである。
 そんな話をして、だいぶ、田中君をそそのかしてみた。父上が画家でもあるのを知っているし、かれと一緒に西洋美術館に入ったときの絵画への向かい方をそ れとなく見ていたからである。
 とにもかくにも、料理も佳いが、話している方が楽しかった。よかった。東工大の卒業生諸君は、こういう話をわたしにいつも機嫌良くさせてくれる。なんと いう「秦さん孝行」な人達だろう。田中君は、だが、お酒がだめ。お店の美しい人も、わたしに、たくさんは召し上がるなといってお酌してくれるので、少なく した。
 大江戸線の都庁前で田中君は本郷三丁目の方へ乗り換えた。九時だった。楽しかった。

* 電車の行き帰りに、三省堂からのゲラを読んだ。この仕事が、わたしの最期の稼ぎ仕事になるだろう。この本が出たところで、状態としては受賞前の私家版 時代とまったく同じ文筆無収入のところへ戻る。収入を求めての文学生活は、たぶん、完結するだろう。今も小さな幾つかの原稿依頼が来ているが、引き受けな いつもりでいる。そんな中で「湖の本」がいつまで続けられるか、赤坂城は撤退し、さらに千早城に籠もってべつの戦略をたてる時機をはかる、そのタイミング を、自然につかみたい。平均寿命がのこすところ十二年とわかったので、必要もない苦労でよけいな時間を費やす愚は避け、ああ楽しかったと思って人生を終え たい。
 昔から、わたしのような「性本来怠け者」はいないと内心深く自覚していた、それが、ゆっくり復活してきただけのことだ。いままで、わたしを怠け者だと 言った人は、いなかったと思う。自分でも、怠けては来なかった。しかし、もっと大事なことで力を使えとは、この数年、ときどき言われてきた。気にしていな いことは、ない。しかし、残年をどう使うかは、やはり自分の気持ちで自然にしたい。

* 家族がなければ、わたしは怠け者の本性をさらけ出していたかも知れぬ。妻子を安心させたい、子どもたちを励ましたい、と、夢中で生きてきた。妻にはわ たしが居る。娘は去り、息子はたぶん、もう独り立ちしてやって行けるところへ来たと思う。やっと、いま、わたしは息をついて、安心して怠けることができ る。

* それはそうとして、秦建日子に聞いてみたいが、「天体観測」の彼等は、総選挙には投票してきたのかしらん。11桁の番号を背負って、ブライバシーもお 上に管理されるだろうことなどに、めいめいの意見をもっているのかしらん。読んだ本や観てきた映画や芝居について、また国際社会やテロや戦争の危険につい て、まるで蔭でも語り合われている印象がない。気配もない。誰と誰とがもっとといったメロドラマ次元でばかりでなく、ほんの少し、ほんのもう少しでも、短 い短いセリフからでも、彼等の知性や思想にふれた片鱗をみせてくれると、作品は、より豊かにしっかりしてくる気がしているが、どんなものか。
 ばかにするわけではないが、尊敬もしないが、テレビ関係のホームページなどに入っている「天体観測」むけの投書を少し覗いてみると、まるで「金色夜叉」 の昔このかた、新聞や雑誌の投書欄に満載されていたという、(わたしは、国民学校の三年生まで母や叔母の婦人倶楽部などで、そういう実例を、子ども心に呆 れながら、覚えこむほど読んでいたのだが、)誰様と誰様の運命はいかに成り行くのでございましょう、誰様と誰様とをぜひぜひ結び合わせて下さいまし、私は 心底あの邪悪な方を憎みます、誰子様を苦境からお救い下さるよう茶断ちして祈っておりますの、作者の先生様、どうぞお聞き届け下さいませ、なんどという類 の「現代版」ばっかりなのに、驚嘆また呆嘆してしまう。「そんなことをやっているのですよ、我々は」と、ま、関係者は口では平然と笑い飛ばすであろうし、 それはそれで「商い」ではあるだろう。
 心配なのは、作り手のことではない。こういう投書ヤングたちの選挙権行使や基本的人権意識のことである。こういう若者達の、投書までして熱しているこの エネルギーは、一体どのような性質の社会的なちからになるのだろう。
 それとても、「若山牧水の二十六歳と同じさ」と言えるのかどうか。言える気もするし、言えない気もする。すくなくも、用い得ている日本語の「質」がまる でちがっている。「天体観測」の若者達の年齢は、今日逢って話し合ってきた東工大卒業生と追っつかっつであるが、作者はかなりよくこの年齢に迫ってはい る。だが、この欄の最初に書いたような不審を、わたしは、捨てきれない。まして、夭折した詩人立原道造の「詩」の美しさや優しさや深さを思い返すと、なぜ か、息をのむ。「たちはら みちぞう 詩人  1914.7.30 - 1939.3.29  東京日本橋に生まれる。 室生犀星、堀辰雄に師事し十八歳頃から本格的に詩作を始め、東京帝大建築科に進んで三年連続辰野金吾(建築)賞を受けた。ソネッ ト形式の作を多く試み、昭和十二年(1937)卒業後の五月と十二月に二つの詩集を刊行、美しい遺作となる。 中原中也賞。 享年二十四歳。」
 こういう天才と比較してくれるなと普通は言うであろう、が、青春の真の誇りは、じつはそう思っていても、そんな風には口にしないで、踏ん張るのである。 ドラマの人物に自分を一体化させ一喜一憂している、そんなヒマの本当はまるで無いのが「青春」であった。そう、わたしは思っている。
 

* 八月十八日 日

* 広島・長崎両市長の、アメリカ国政府の独善に対する決然とした抗議を含む平和宣言は、目の覚めるこころよさであった。国民はみな私的には思い口にして きたことであるけれど。それに対する小泉総理の、「市長の個人的な意見でしょ、それは自由ですよ」という感想には、呆れる以外にない。彼はそうして身をま もっているだけだ、共感をうっかり表明すれば、次にはアメリカに対し同じ事を言わねばならない日本の総理大臣だが、彼はそのまえに「アメリカの家来・家 人」であることに栄誉とすら感じて、大統領ブッシュにひしと寄り添いたがっているのだから。一刻も早い小泉退陣を望んでいる。実現の望みはうすいが、超党 派で土井たか子内閣をつくってもらいたい。他に無いから困ってしまう。菅直人はどうするのか。

* 若山牧水歌集「別離上巻」と現会員の時代小説とを入稿した。

* 夜前眠れなくて、今日は終日眠い。

* さて、私の所へも住民票コードが市役所から送られてきました。『私語の刻』で紹介されていた加藤弘一氏の情報がなければ、なにがなんだか分からず開封 しているところです。四日市の様な例が容易に想像でき、このまま黙っていてはいかんなぁと思っています。
 沖縄の基地関係のメーリングリスト・keystoneに、[住基ネット「中止請求」のマニュアル]という情報が流れていましたので、ご存じかも知れませ んがお送りします。転載可となっております。5の住民票コードの削除請求を検討してみようかと考えています。 maokat

* 住基ネット「中止請求」のマニュアル
【概要】 「中止請求」とは個人情報保護条例によって保障された自己情報コントロール権の一つです。通常、条例では個人情報の外部提供・オンライン結合が 原則禁止とされています。市区町村による住基ネットへの本人確認情報の提供が、これに抵触するとして本人が市区町村長に対して中止を求めるものです。「中 止請求」があった場合、自治体は30日以内にその可否を決定しなければなりません。
 また、請求者が決定に不満がある場合には、その取消しを求める不服申立てや裁判もできます。本人確認の必要があるため、原則として郵送、FAX、e- mailによる請求は認められないので、役所の個人情報担当課で必要事項を記入し請求書を提出します。
【具体的方法】
 1 個人情報保護条例の有無を確認する。
 まずはお住まいの自治体に個人情報保護条例があるかどうかを確認してください。総務省調査によれば、昨年4月1日現在、全自治体の約60%にあたる 1994団体で(一部事務組合12を含む)で個人情報保護条例が制定されています。マニュアル(手書き)処理を含むすべての個人情報を対象とした新しいタ イプの条例と、コンピュータ処理情報だけを対象とした古いタイプの条例とがありますが、いずれのタイプでも住基ネットの個人情報は対象になります。
 2 「中止請求」または「是正の申出」の有無を確認する。
 次に条例の中に「中止請求」があるかどうかを確かめてください。個人情報保護条例の有無を自治体に問い合わせたときに、ついでに聞いてみましょう。前記 の総務省調査によれば、710団体が「中止請求」を定めています。例規集や個人情報保護制度のコーナーのあるHP(ホームページ)を参照したり、図書館に ある例規集で調べることもできます。
 もし「中止請求」の規定がなくても、かわりに是正の申出が定められている場合があります。その場合は、是正の申出という形で本人確認情報の提供の中止を 求めることができます。ただし、是正の申出は権利として認められたものではないので、通常は不服申立や裁判などの権利救済制度を利用できません。
 3 請求または申出をする。
 個人情報保護条例があり、その中に「中止請求」または「是正の申出」の規定があれば、役所・役場に行って個人情報保護担当課をたずねてください。そこ に、請求書または申出書が置いてあります。請求書または申出書には住所、氏名等のほか、対象となる個人情報として「住基ネットに係る本人確認情報(住所、 氏名、生年月日、性別、住民票コードほか)」を、中止または是正を求める内容としては「住基ネットへの提供」を該当欄に記入します。記入にあたっては担当 課職員がていねいに説明してくれるはずなので、わからないことがあったら、その場でたずねましょう。なお、本人確認のため、提出の際に免許証や健康保険証 などの身分証明証の提示が必要です。
 4 決定・回答に不満ならば不服申立てをする。
 「中止請求」または「是正の申出」に対する自治体の決定・回答は30日以内に行われます。国が「選択制」を認めていないことから、住基ネットへの提供を 中止しないとの決定・回答が出る可能性が大です。しかし、これに不満であれば不服申立や裁判を起こすことができます。とりわけ不服申立は簡易迅速な権利救 済制度であり、誰でも気軽にできます(しかも無料!)。こうした機会を通じて、住基ネットについての不安や不満をうったえていくことも大切です。なお、審 査するのは自治体ではなく個人情報保護審査会等の第三者機関なので、請求自体は認められなくても主張に理解を示してくれる答申が出ることも期待できます。
 5 住民票コードについては「削除請求」も可能。
 本人確認情報の提供の中止に加えて、住民票コードの付与(付番)を拒否したいときは、個人情報保護条例に基づく「削除請求」も可能です。
 これは、自治体が事務に必要な範囲を越えて保有・収集したときなどに当該個人情報の削除を本人が求めるものです。住民票コードは通常の事務に不要である として、住民票コードという個人情報の削除を求めるのです。やり方は「中止請求」または「是正の申出」とほぼ同じです。なお、前記の総務省調査によれば、 制定団体の約80%にあたる1679団体で規定しているので、「中止請求」または「是正の申出」のかわりに「削除請求」するのも一案です。
【呼びかけ】 「選択制」を導入する横浜市を除いて、本人に対する説明と同意を欠いたまま「住基ネット」はスタートしてしまいました。高度情報化社会とい われる現代では、プライバシーは「私生活上の秘密を他人に知られたくない」という消極的な意味にとどまらず、自己に関する情報の流れをコントロールすると いう積極的な意味で理解されています。住基ネットによるプライバシー(自己情報コントロール権)侵害に対して、私たち市民が唯一「NO」といえる方法が 「中止請求」または「是正の申出」です。他人に守ってもらうのではなく、自分で守ることがプライバシーの基本です。沈黙は同意とみなされます。住基ネット に「NOの意思表示」をしたい人は、ぜひ自らの権利を行使してください。
 マニュアルの参考資料もお送りします。意識して中庸の条例を選んでいます。使えるようなら、どうぞ
  ■「中止請求」の例。
 高崎市個人情報保護条例
 第18条 何人も、第12条第1項又は第13条第1項の規定によらないで自己情報の目的外利用又は外部提供がされているときは、当該目的外利用又は外部 提供の中止を請求することができる。
 ■「是正の申出」の例
相模原市個人情報保護条例
  第24条第1項 何人も、実施機関が行う自己の個人情報の取扱いが不適正であると認めるときは、当該個人情報の取扱いの是正(事実の誤りの訂正を除く。以 下この条において同じ。)を申し出ることができる。
 ■「削除請求」の例
 千代田区個人情報保護条例
 (自己情報削除請求権)
 第21条 区民等は、実施機関が第6条、第7条又は第8条第1項の規定に違反して自己情報を収集していると認めるときは、実施機関に対し、当該自己情報 の削除の請求(以下「削除請求」という。)をすることができる。
 2 区民等は、実施機関が第17条の規定に違反して自己情報を電子計算組織に記録していると認めるときは、実施機関に対し、削除請求をすることができ る。
 ■個人情報保護条例のリンクがあるサイト
 全国条例データベース(鹿児島大学法文学部)http://joreimaster.leh.kagoshima-u.ac.jp/


* 八月十九日 月

* 住基ネット いやな番号は届いています。当市では個人情報保護条例を制定していると記載しています。
 どちらかと言えば永くリスクを背負う若い人(大学生等)が積極的に立ち上がらなければならないのに、幼児化、政治離れした大半の若者は、ヤワで、念頭に 何もありません。これがどうしようもない日本の現実です。

* この老いても元気な母親の言われるとおりである。
 先日の電メ研で、住基ネットの討議をしたときに、むしろ若い世代に属する人から、一つの叩き台として、ほんとうに今が今、どんな「実害」がこの実施から 生じるかという提題があった。
 わたしは、それ自体の検討は検討であるけれど、「今が今」どころか、本格実施の来年までの一年間は、いやその後も当分の間は、政府や行政は、意図して本 気で実害の露呈を防ぐに決まっていると発言した。政権の賢さ狡さはいつもそういう具合に発揮されるものだ、「なんだ、心配したほどではなかった」という 「安心」の世論づくりの出来た頃からが、いちばん拡大解釈や拡大運営の危険期に入る。どれほどの個人情報を一網打尽に手に入れ続けるかの「手順」「手続 き」はその間に用意されて、番号だけでなく、常時携帯のカード一枚分に、誕生から今日までの細大漏らさずが、記録されて、つねにその提示が義務づけられる ような、徹底した国民一人一人の管理と拘束とが実現してゆくであろう、そういう実例が韓国では進んできた。ある意味では、便利な、しかし或る広い反面では 徹底的に「掴まれ」た社会生活が、奴隷のように強いられる。その意図は明白に既に動いている。「法」を相手にするときは、そういう先々への悪しき拡大悪運 用ををこそ、よくよく察知して反対すべきは躊躇なく反対しなければならない。よく未来を見越して、ながいスパンで、いわば孫子の時代にそれが悪くフル稼働 したときの「実害」を洞察し、だから今、未然に防止し抑制する気持ちが大切なのである、と発言した。
 「法」のような半永久措置の場合は、そういう聡い判断が特に大切なので、そこでイージイに、今は何でもないなどと流していると、気が付いたときは鼻毛の かずまで読まれてにっちもさっちも行かなくなる。
 あの敗戦の「おかげ」で、随分多く古き悪しきものをかなぐりすて、新しい建設が可能になった。新憲法の基本の理念などは最たるモノであった。
 このまま行くと、また戦争の惨禍に泣いて打ちひしがれる体験を通過しないと、かなぐりすてられないような悪法が、雨後の竹の子のようににょきにょきと生 え続けようとしている。おそろしいことだ。わたしの人生はもうそう永くはもたない。だが子や孫達の時代を本気でおそれる。へんなものを手渡さないで置く、 せめてそれが年寄りの責任ではないか。
 便利ですよ、なにも今実害が無いじゃないですかと、反対している人はヒステリックですよと、言い続けている人たちもいる。政権にある者達のいやらしさを 知らないか、自分はそっち側だから大丈夫と安心しているかのどつちかだ。

* もう今は昔になるが、盗聴法が持ち出されたとき、ペンの言論表現委員に新しく入ってきた猪瀬直樹氏と、激しくやりあったことがある。彼は後には「反対 声明」をつくる責任者の委員長になり、熱心であったが、最初のうちは、通信傍受は必要で外国にも例は多いし、あげく、「大丈夫だって。秦さんはやられやし ないんだから」と大いに慰撫してくれたものだ、だが、わたしは怒った。自分は関わりないと安心するそういう層の考え方に便乗して、悪法は、いつも、まんま と悪運用を拡大してゆくのであり、「おれは関係ない、大丈夫」という意識自体に、政権への無意識の卑屈なスリ寄りが出てしまう。そう言って怒った。「今は 実害がない」という見方にはまっていると、とんでもない所へ陥る。日本の「公」はいつもそうして日本の「私」をハメてきた。ハメようとしてきた。そして気 が付いたときは蟻地獄の底で、国民という「私」は、呻吟し去勢され支配を受けてきた。軍と内務省(=総務省)の支配したわずか数十年前までの日本がそうで あった。しかも敗戦後、だんだん、その昔へ戻ってゆきたい本音を、保守政権は隠してすらこなかった。このところの小渕・小泉政権の露骨なことはどうだろ う。

* わたしの場合はあまり適例ではない、たいてい独りの世界を経営していたいたから。学校時代で心身に刻みの深いのは中学三年間くらいで、たとえば大学 は、同じ専攻の妻と四十何年も暮らしているのだから、その余はごく普通につきあっているだけで、友人達とも容易に逢えるわけではない。過去のよりも、いつ も今の知り合いや出逢いを大事にしてきたから、それもわたしはあまりべったりとは付き合わないから、ま、さらさらとしている。冷淡ですらある。「天体観 測」の七人のように、同じ大学で四年を過ごし、卒業しても奇跡的に近くに暮らし、ひっきりなしに携帯電話を鳴らし、職場や私室にまで訪ねあいという、あん な「奇跡」的な相互熱愛には、、だから愕く。ま、ドラマの勝手にすぎない、そういう設定が都合がいいということだろう、それでも構わない。
 だが、「どちらかと言えば(政権や法律から)永くリスクを背負う若い人(大学生等)が積極的に立ち上がらなければならないのに、幼児化、政治離れした大 半の若者は、ヤワで、念頭に何もありません。これがどうしようもない日本の現実です」という母親からの慨嘆を、彼等はどう聞くか。聞く耳は無用か。大人達 は多くそこに若い人の選択を見たい気がある。
 色気になにより価値を置きたい年代であるのは、百も千もわたしは承知し、生身で覚えている。男はとくにそうかと思う。だが、七人、八人の全部がそうでな くても、会話や態度の片鱗に、日々色気ざかりの価値観を相対化する「おや」と目の光り耳のそばだつものが、現れ出ても佳いだろう。そもそも彼等の年頃、自 分の行く末を思って、今の今を自己批評するのにわたしは精一杯だった。すでに家庭を持ち、小説が書きたかった。国会へのデモにも参加し組合運動にも仕事に も不熱心ではなかった。
 ドラマの一人の青年は、この危機の時世の零細企業との付き合いに若きコンサルタントとして辛苦している。いい表現だと思う。後輩一人との協働にかすかな 責任も帯びて働いている。また犯罪社会と紙一重のうしろ暗い蠢動があり、ひとりの青年は自らその蟻地獄に身を投じて、友人の苦境を救っている。それもい い、リアリティーはある。だからそれでいいじゃないか、それで上等だよという気があるから、新聞でも幾分かは好評である。だが、そうかなあと思っている大 人の批判の投書も新聞には出てくる。まじめに友情しているけれど、視野狭窄はないかと。彼等は果たして選挙に行くのだろうかと、少なくもその一点にわたし は確信が持てない。選挙なんか、とは、だが言われたくないのである。

 
* 八月十九日 つづき

* 霧が降るように気持ちが冷え込む。
 何をしに毎朝起きてくるのだろうと、ほとほと苦笑いされることがある。
 今朝は痛烈な右足ふくらはぎ攣縮に大声で悲鳴をあげて目覚めた。とっさに足指を反るのか曲げるのか分からず、第一手が足指へ届かない。妻を呼び立てた が、うろうろして、ふくらはぎを撫でさすってくれたが、撫でてさすって軽快するようなこむら返りではない。声を放ち、脂汗をかいた。あんな痛い思いをする なら、寝入ったまま目が覚めない方がいい。
 一瞬の好機にすうっとこの世から消えてしまえるなら、どんなにいいだろうと思う。
 もう昔だが、本を読んでいたら、あるえらい坊さんの失敗譚が出ていた。坊さん、崖の下に庵を結んで行い澄ましていたが、天災で崖崩れし瞬時に庵もろとも 生き埋めにされた。坊さんは、かつがつ救い出されたが浮かぬ顔して喜ばない。弟子達が聞くと、あのとき自分は南無観世音と祈った、それで現世利益の観音様 は救い出して下さった。あの瞬時に南無阿弥陀仏と唱えていれば西方浄土に迎えられたであろうにと不服顔だったというのである。
 これを読んだとき、面白い話だと思った。死は一瞬の好機、坊さんはそれを逃した。だが助かったのなら素直に喜べばよかろうと、今のわたしは、思う。へん な坊主だなと思う。
 それにしても、この坊さんは、そういう瞬時に自身の無理なはからいでなく出会えたのだから、ほんとうは無類の幸運に接していたのだ。自分から走る電車の 下に飛びこんだり、ひどい薬を飲んだり、どこかにぶら下がったりは、好機でも何でもない。ただの負けである。負けでも構わないから、と、思うときがいちば ん、人間、危ない。
 自殺した兄は、昔に死んでいた母が、つまりわたしの生母であるが、自殺であったと死ぬ日まで考えていたようだ。そういうことを彼は人から聞いていた。わ れわれは三人とも、まるでばらばらに生きていて、お互いの日々とは甚だ疎遠であった。だからよく事情は分からないが、母の最期の時期を知っていた若い同志 社の神学生、のちに牧師になった人は、「自殺だなんて」とわたしに顔色をあらためて話してくれた。聞きように由れば、だが、母の自殺を否定したのか、キリ スト者として否認した物言いなのか、今にしてちょっと分かりにくい。兄の方が確信していた、わたしは、どっちでも仕方ないと思ってきた。「十字架に流した まひし血しぶきの一滴となりて生きたかりしに」というのが母の辞世歌であった。母は、身動きのならない大怪我以来の重症であったように聞いている。死ぬ少 し前に友人の助力を得て、一冊の歌と文の本をかろうじて出版にこぎ着けた。覚悟していたのだろう。
 それにしても自殺には、いたましい無理が感じられる。母にも兄にも、妻の父親にも、それを感じる。自分の気持ちに冷たい霧が降ってくるとき、わたしは、 心して、そこから身をもぎ放して逃れようとする。もっと放埒に、もっと無頼に生きたいと願うことにしている。バグワンに多く深く聴き続けているのが、わた しを救い出してくれる。

* 久しぶりに文藝春秋の寺田氏と電話でしばらく話した。かかってきたので手を止めて話した。

* 河竹黙阿弥の散切もの「島鵆月白波」の第一幕だけを招待しようと思う。江戸の作者が明治に生き延びて散切りの、つまり髷ではなく散髪した男達を登場さ せた、いわば時代の交点を証言している一つの代表作だ。全編はあまりに長いし、また台本の表記がすべてオイコミという読みにくさなので、圓朝の話でも工夫 したように、会話に改行をつけて行こうと思う。これで、黙阿弥、綺堂、菊池寛、福田恆存と戯曲の歴史が出来る。もう一段若い井上ひさし氏らの戯曲が早く欲 しいが。
 歌人長塚節の有名な最晩年の「鍼の如く」全部と、歌人古泉千樫のエッセイ、も用意しようとしている。会員であるとか無かったとかは、本質的には大問題で はないし、ことに、創設以前の会員になろうにも成れずに亡くなっていた優れた文学者には、やはりペン前史を築いて貰った感謝と敬意で迎え入れたい。そして 現会員に奮い立って自負自選の力作を出して欲しいのである。

* 今日一人の会員が、昨日今日に作った短歌と俳句とを二十首ずつ手書き原稿で送ってこられた。ほんとうは小説が書きたいのですと手紙に。会員に成ったと きのPかEかNか、まずは歌人なら短歌を俳人なら俳句を、小説家には小説が欲しいのである、それで会員になったのだから。また詩歌は一人百ないし百五十ほ ども集めて自選してもらうことで、会員の人生や境涯が反映するのを望んでいる。そういう約束が出来ている。審査はしないが、出稿の約束は約束として遵守願 いたいと事務局から連絡して貰った。

* NETSCAPE7.0をインストールして、まだ格合いはよくつかめないが、たまたまぶつかって無料提供という映画「白夜を越えて」というグランプリ 作品を通して観た。少しコマ落とし気味にキクキクした画面の流れで、画面も暗かったが、双子の姉妹の数奇な成長と、その一人の寂しい回想であったから、画 面の遠くくらくぼやけた味わいがマッチしていて、けっこう胸にしみた。なぜだか、マイクを入れると、ニュースなど音声の入った画面が見られるし、音楽も聴 ける。いよいよパソコンが内部で膨張しているのが分かる。インターネットでサーフィンをはじめると、まさしく電子の杖でどこへでも飛んで行けてしまうか ら、これは怖いことである。

 
* 八月二十日 火

* 夜前、おそくからNHK特集で、世にいう「台湾沖海戦」の、虚構されていた幻の戦果の仔細を、ほとほと言葉も喪って、観た。赫々の大勝利として大戦末 期に国を挙げて「嘉尚(勅語の表現)」し、「手の舞い足の踏むところを知らなかった(当時大本営の僚官の回想)」乾坤一擲の大空襲作戦だったが、事実上、 戦果はゼロに等しく、数百機を駆り出した友軍機はほぼ全て帰還しなかった。米側の調査では、巡洋艦二隻に幾らかの損害を与えた程度の、三次にわたる我が方 の空襲の成果だった。だが、わずかな帰還兵士と鹿屋海軍基地と大本営海軍部との、ずるずるとひきずりこまれた「虚構の合作」によって、なんと、敵空母だけ でも轟撃沈十一隻、撃破八隻、戦艦その他も無数、という愕くべき「大本営発表」に結果した。
 そのような虚報は、だが、すぐさま、無傷に姿をみせた米空母その他の大艦隊の存在により、実は消散してしかるべきであったのに、これを海軍は一切握りつ ぶし、むろん国民にも、また「競争」関係の陸軍にも、まして首相にも天皇にも、一切知らせなかった。天皇は勅語を発して海軍の成果を嘉し、首相小磯国昭は 起死回生の大戦果を国民の前に出て高らかに祝った。
 その結果として、陸軍参謀本部等は、敵空母の影響を安心して度外視し、レイテ島への友軍集結、有利な大決戦と大勝利を信じて強行し、悲惨に殲滅されてし まった。敗戦への道のりは決定的に縮まったのである。
 この海軍の大戦果に疑問を感じた将校は、実は海軍部にもいた。だが、口にし主張できる空気ではなかった。また、たまたま鹿児島の鹿屋基地に立ち寄ってい た陸軍の大本営参謀は、この戦果報告はおかしいと感じて大本営陸軍部に電報していたが、握りつぶされていた。戦果にケチを付け得ない空気があった。フィ リッピンを護っていた山下奉文将軍は、その陸軍参謀の話をじかに聞いて、敵空母の全滅など到底信じられないと、陸軍地上勢力のレイテ島集結作戦につよく反 対したというが、南方総司令の寺内元帥はこれを一蹴した。海軍の大戦果に、陸軍も負けていられるかという、それだけでの強行であった。致命的勢力である敵 空母は「すべて健在」との情報が、海軍の握りつぶしで、陸軍には全く伝えられていなかった。
 大本営とは、天皇直属の戦時下最高参謀中枢で、陸軍参謀本部と海軍軍令部とから参謀が送り込まれていた。だが、終始一貫、海軍は海軍の、陸軍は陸軍の情 報を、相手側に伝えようとしないで敗戦時に及んだという。敵が米英軍である前に、日本の海軍と陸軍とが戦争し合っていたようなものだ。同じ日本語が通じ合 わなかったのだ、国の運命を左右した軍の最高機能にあって、これであった。

* 日本の運命は、こういう大本営や軍部に握られていた。そして、人間はこういうことをしでかす生き物だと思わずに居られない。最大危機の「有時」にし て、こうだった。小泉内閣が海軍だとすれば党内抵抗派は陸軍かもしれない。危なくて、何をしでかすか知れたものではない。
 いざという時に、「それは、違う」せめて「それは違うのと違うやろか」と立ち上がって言えなくてはいけないのだが、アメリカでは、反戦の姿勢を見せただ けで、学校から追放されかけた学童があり、テロ撲滅戦争に反対した一議員は孤立を余儀なくされている。横浜市議会では、二人の女性議員が議会場での日の丸 掲揚に反対し、意見陳述したいという要請を悉くはねつけられた挙げ句、現に議会から除名されている。世の中で価値ある存在として、いわゆる少数意見にも耳 を傾けるという習慣が、聡く賢く定着しなければいけないのに、こういう日本だ。

* 幻の大戦果にさわぐ気持ちを、バグワンと、「うつほ物語」で静めるのに、明け方まで。そして、目が覚めたとき、恥ずかしながら午まえであった。いくつ もメールが来ていた。

* 日差しは強いですが、いい天候です。朝からよく動きました。
 先ほど「私語」を読みました。日にちを置くと多い活字を読むのに時間が掛かります。
 痛みは如何ですか。相当の痛みだったのね。同病で、痛みよく分かります。過度でも、適度な運動が足りなくても、なりますね。足の親指をくるくる回しても らうと、治まる効果はあります。失明後の父などは、毎日欠かさず柱を持って何千回もの駆け足をして運動不足を回避していました。カッコわるいなんて思わな ければ、ドラマや映画を観ながら、簡単なラジオ体操の類でも効果はあるのだけれど。

* 当地は台風のむしろ恩恵とも言えるような、涼しい風が吹いています。二週間通しの出勤となったお盆期間が終わり、例年のように、二日連休を楽しんでい ます。
 足のこむらがえりは、もしかすると冷えからきているのではありませんか?
 昨年の夏から、下半身(両足)の筋肉がそんな状態になりはじめました。身動きもならず、「痛い!痛い!」のうめき声をあげながら、痛みの和らぐのを待つ しかない状態が続いていました。病院で弛緩剤をいただいて服用。
 そんな話をしていると、「冷えると、よくなるんよね。」とアドバイスしてくださる人もいました。
「ああ、そうなんだ」と、原因らしきものが判明した? ことで安心感が持て、兆候が出始めると、マッサージをして温め、なだめてはお風呂へ。今ではお薬も 必要なくなりましたけれど、初めてこの痛みに襲われたときには、先々のことを思い、とても不安になりました。加齢による体の変化を見落とさないようにせね ばと、心しています。
 暑い夏の、汗がひくときに体温を奪われての冷えは、気持ちいい感じがしますが、結構、芯まで冷えていて、要注意ですよ。 ご無理なさらずに、どうぞ御身 お大切に、ご自愛なされてくださいませ。

* まちがいなく、この「冷え過ぎ」症候群であろうと思う。肩の痛むのも、ちょうど背後の高みからクーラーの風が吹き付け続けているせいだろうし、冷気が 下へ下へ溜まってアキレス腱が硬化した痛みだったと思われる。あかく炎症ぎみですらあったので冷湿布したのは逆で、冬の長靴下を昼夜つけて、浴室でもよく 患部に熱湯をかけたり入浴したりして、ずいぶん軽快している。
 以前、電車に乗り吊革をもっている肩へ、真上からの冷房風があたるつど、びりびりと痛んだことがよくあった。冷房は怖いという実感がありながら、同じ事 を繰り返してきたのだから、愚なものである。
 こういうメールも、納涼感に満ちている。どんな暮らしをしているのだろうと不思議だが、つまりこんな暮らしをしているのだろう。

* お江戸の3日間で外食は8回。そのうちの半分は、ふたりで摂りました。ひとりよりずっと健全で、しかも、おいしい食事になりますもの。それぞれ違う女 友達が相手でしたが、ほとんどの人が、気になる今時の言葉の話をするのです。TVやラジオでムムム…と思う時はありますが、普段聞いているのが、関西弁や 伊賀弁ですから、彼女たちのイライラに少し驚きました。身近に接する人が使うと、余計に不快感を感じるのでしょうか。6月に俳優座劇場で行われた「ら抜き の殺意」最終公演も、相変わらず満員だったそうです。
 昨日は台風の影響か、涼しい日でしたから、ひさびさにオーブンを点け、お江戸で遊んでくれた女友達にお礼のケーキを焼きました。今回は、餡入りの和風ス ポンジケーキです。
「貝のひもが好きな、変な子だったのよ」と笑って彼女は言います。
「わぁ、リッチ! 私は、たくわんのシッポが好きだったもの」と答えると、彼女は
「かまぼこ、卵焼き、カステラ…端っこってなぜかおいしいものね」ふふ、と微笑んで。
 ケーキを贈るとき、いつも端を切り落としています。味見の意味もありますが、あれもカリッとしておいしいンですよ。パンのみみも大好き。

* こういう人が、時には時事問題でシャープな喝を入れてくるから面白い。すくなくもこの囀雀(わたしが謹呈したあだ名)さんのメールは、具体的である点 に最良の美点がある。メールが文藝の性格をもちうるとすれば、わたしがもらう数多いメールのなかで、この人の「囀り」は傑出した特色を発揮している。しか しまあ、どういう暮らしをしているのやら。ひょっとしてわたしと同年輩のジイサンが創作しているのではないかなどと勘ぐると、インターネットという時空間 の奇態さが実感できる。まさか。

* 汗を流して隣家の書庫で、重い本を山のように動かし整頓してきた。玄関に運び込まれたままの未整理本が邪魔になってきたので。ついでに、息子にも貸し ている書斎を、わたしもいつでも使えるように、息子のもちこんで積み上げた、雑然たるダンボールや紙袋の一山二山を息子の部屋へ移動した。五反田のマン ションから遠慮会釈なくこっちへ持ち込んだまま、整頓も処分もしないものだから、置いたら置きっぱなしなものだから、おまけに同居人の衣類まで持ち込んで あるのだから、堪ったものではない。たださえものに塞がれて狭く、気持ちの落ち着ける場所が家のどこにもない上へ、我が家を都合のいい物置かのようにし て、自分たちの不要品を運び込んでくるものだから、共用を承知した書斎が、まるでゴミ捨て場と化している。すぐとなりにはもともと息子の、余裕のある自室 があるのに。
 おかげで、少し運動したことになる。

* 魯迅、小泉八雲、ケーベルなどの外国人文学者の「招待席」も用意したい。斎藤緑雨、高山樗牛にも「招待席」を用意したい。明治の女流で、中島湘烟、若 松賤子はぜひ。他にも清水紫琴、小金井喜美子、田沢稲舟、瀬沼荷葉、北田薄氷らがいるが、作品を再点検してから決める。
 

* 八月二十日 つづき 

* 昨日小林秀雄について、安岡章太郎氏と粟津則雄氏との対談を読んでいた。読み終えていないが、興味深かった。粟津さんが京大生の頃に、小林さんに来て もらい小人数で話を聴いた。熱心に聴いた。酒になってまた話を聴いた。一晩では残り惜しくて堪らず、もう一晩飲みたいとせがんだら、いいよと、もう一晩飲 んで話を聴いた。そういうことも話されていた。
 心に飢えを抱いた若者達は、機会をえれば縋り付くように偉い人の、尊敬する人の、話を聴こうとした。そして質問した。された方もよく答えた。
 芹沢光治良の「死者との対話」もそうだ。やがて人間魚雷「回天」に搭乗し自爆の決死行に出撃してゆくような学徒兵らは、必死の願いをこめて「哲学」に安 心を求めたが、世界に誇るという我が国の哲学者の日本語は、何一つ生死の悩みに答えてくれない、チンプンカンプン以外のなにものでもなかった。彼等は悔し 泣きしながら、時代に追い立てられて戦場へ散っていった。戦後の青年達も、同じことを訴えて、哲学「学」の先生に迫って、かの西田(幾多郎)哲学の弟子に 迫って、哲学言語の効果のなさに対し鋭く非難した。彼等は死ぬか生きるかの瀬戸際で「問い」かけ、答えは哲学からも宗教からも得られなかった。だが彼等は 「問いたい」思いに駆られていた。
 粟津さん達もその世代であった。わたしよりも半世代ほど先輩になるか。
 息子の書いているドラマを観ていると、そこに小林秀雄や芹沢光治良のような大人はまったく影もささない。先輩すら一人も出てこない。なにもかも仲間内で 処置しようとしている。
 わたしの息子は早大法科の四年間に出逢った、只一人の尊敬し敬愛し感化された教師などいなかった、いない、と断言する。彼等の氏名すらほとんど記憶にな いという。事実彼の口から早稲田で教わった先生の良くも悪しくも「評判」を、一度としてきいたことがない。称賛も批判も一切一度もない。一つには息子自身 の至らぬところも有る。が、彼にも、尊敬ないし敬愛した作家や音楽家や劇作家や脚本家達はいる。それは聞いている、それとなく。つかこうへいなど、終生の 恩人・恩師であるだろう。
 だが、例えば早稲田は天下に聞こえた演劇博物館のある大学だが、彼は、一度としてそんな場所に足を向けたことすらないのではないか。彼は、能にも歌舞伎 にも人形にも、近松や南北や黙阿弥にも、いや井上ひさし以前の劇作家達の誰にもほとんど関心がない。知識もない。必要ないとすら云い、それで、やってい る、やっていけると、そう思っている。彼等は「問わない」のではないが、「問うに足る」大人達がいない、少ないとは思っているのだろう。
 若い人達の生き方が、昔のママではない如実なこういう表れに、わたしは、ただもう、じいっと目を向けているだけだ。

* 「天体観測」のつづきを見た。ま、ほぼ予想通りの筋書きで事が推移している。そこは三十数年人一倍観てきた親だから、作の手の内など、いろいろ想像したり 推定したりできるのが、人とはちがう面白さ。例えば知也といったか、彼の部屋の天井に星がきらめいている。あんなにどでかい星ではないが、現にいまわたし のキーを叩いている部屋の天井一面に、ちいさな銀色の星たちが、なかなか巧みに配置し貼り付けてある。中学の頃か、高校に進んでいたろうか、いやこの部屋 を建日子が占領していたのなら大学生であったかも知れないが、留守番をさせて親が留守しているうちに、ガールフレンドと二人で貼った「作品」だ、新しいう ちは電灯を消すと一面に発光した。
 あっちこっちに微笑ましく想いあたるあれやこれやが、作者なりの思い入れであろう、適切に使われている。想えば息子は多彩な生活をしていたといえるらし い、そしてそれを今しも必死に役立てている。

* 恩田英明氏の短歌百五十首を読み、不審箇所を問い合わせている。
 長塚節の最晩年の写生歌「鍼の如く」全部をスキャンし校正に入った。伊藤左千夫が抒情情熱の歌人なら長塚節は冷静な観察の歌人である。左千夫の小説「野 菊の墓」「分配」と節の小説「土」わくらべても分かる。
 古泉千樫のエッセイも、河竹黙阿弥の歌舞伎台本も妻にプリントを頼み、スキャンも終えた。
 

* 八月二十一日 水

* 古泉千樫のエッセイを校正していて、ああこれでは歌人に気の毒だ、一代の短歌から抄出してあげたいと思い、作業を中断した。長塚節の「鍼の如く」は、 一つの達成としてはやくから繰り返し愛読してきた。できるだけ原型通りに再現しようと、これも校正に手がかかるが、わたし自身、いわず語らずに恩恵を受け てきた歌人である。少々手数の苦労なら、避けまい。
 河竹黙阿弥の校正こそ、ほとほと手こずるだろうと思うが、意欲をもっている。近代の小説らしい小説、四迷の「浮雲」の前で助走していてくれたのが、演劇 や噺であったことの再認識を、形の上でしかとしておきたい。同時に、黙阿弥に始まる近代演劇史の筋道として、綺堂、菊池寛、福田恆存につぐ人と作品とを早 く定めたく、モリエールの翻案でもある創作性の強いしかももとは義太夫の台本として書かれた井上ひさし作「金壺眼恋達引」がもらえまいかと、今日遠回しに (義妹の米原万里さんを介して)打診してみた。返事は無いが。
 若松賤子訳の「いなッく、あーでん物語」瀬沼夏葉訳の「六号室」など女流の優れた翻訳の仕事が目立っている。女性作家の仕事を樋口一葉だけでなく、草創 期文学から数点「招待」するのは当然の礼であろう。

* 夜前というより明け方までかけて、大作「うつほ物語」を読了した。ウン、これは満足満足。とっても嬉しい。骨の太い名作であった。源氏物語は、ふとん 着て寝たる姿の東山めいてなだらかに整った姿の山並みだが、「うつほ物語」は嵯峨とした北山の奥深い風情を負いつつ、リアルに華やかである。俊蔭女と仲忠 ほど理想的な母子像は珍しい。それに仲忠女があり亡き俊蔭がいる。四代にわたって琵琶の神秘に護られた天才。この金無垢の一筋を囲んでの大勢の人模様が、 なかなか賑やかにリアルなのが面白かった。
 この全集には入っていないが笠間書院の厚意で中世物語の何冊もを貰っている、これからはそれを読んでみたいし、腰を入れて西鶴も読み進みたい。

* こんな言葉を伝えてきてくれた人がいた。ただ、ありがとう、とだけを言うにとどめた。

* 最近は、喉元まで政治のいやなニュースが詰まっている上に、年頃の女性が相次いで無惨に殺されるニュースに、気分が悪くなり、先生ならずとも気分が鬱 々とされているかたが多いことと存じます。私の友人は精神衛生に悪いので「ベッカムと愛子さまのニュース以外は見ないことにした」と言いました。私もその 話に思わず笑いながら同感でした。イギリスの美形や丸々太った可愛い赤ちゃん、それにつけ加えて多摩川のアザラシ、行方不明のタマちゃんくらいしか映像で 見たいものがないなんて溜め息まじりの日々でございます。
 「常人は黙していても許される。しかし作家が沈黙するのは嘘を言うことになる」
 これはノーベル文学賞を受賞したチェコの詩人サイフェルトの信念だったそうです。私はサイフェルトの回想記しか読んだことがないのですが、その解説を読 みますと、政権に抵抗を続け八十歳でもチェコ政府の強要にたてついて、心臓発作をおこし入院。1986年八十四歳で亡くなったときの葬儀も国葬でこそあり ましたが、警察の厳しい監視下で行なわれたとあります。
 生涯のほとんどをチェコの不幸な弾圧の時代に生きて、なお希望を失わず精神の自由を守りぬいた文学者は、遠い異国にいる秦先生のお身内のひとりかもしれ ません。どの時代、どこの国においても、真実の作家というのは金輪際幸福な世渡りなどできない人種なのでしょう。しかしその栄光は作品として残っていきま す。先生はもっとも美しい日本語を書く文学者のおひとりです。どうぞ読者の喜びのためにますます書き続けてくださいますように。生意気な物言いとは存じま すが、どうしてもお伝えしたくて……。
 暑さのなかにも急に秋の気配が滲んできました。くれぐれもご無理なさいませんように。

* 鞭撻をうけたものと心より感謝して、心身を毅く持したい。わたしなどは、はるかに不甲斐ない者の一人でしかないが。

* 夕食後に、ひょこっと戸棚から出てきたシモーヌ・シニョレとローレンス・ハーヴェイの「年上の女」をまるまる観てしまった。初めてではないが、新鮮に ひきこまれた。シモーヌ・シニョレが見事な演技。ローレンスの役は虫ずの走る青年でありながら、年上のフランス人教師アリスの愛により愛に目覚めてゆくプ ロセスを、しかもアリスを裏切って令嬢との結婚へ駆け込んで後戻りしないところにも、出自の根の悲しみが光り、見捨てられない悲劇がよく書けていた。ズッ シーンと胸に残るモノクロームの名画であった。


* 八月二十二日 木

* 「ミマン」の原稿をさっと書いて電送した。あと二回で終わる。湖の本25の跋文校正ゲラが出たので、これも即座に読んで手入れし、要再校で返送した。

* 渋谷松濤の観世能楽堂で梅若研能会があり、新万三郎が「実盛」だか「松風」だかを舞う予定なので、夏場ではあり空いているだろう、ぜひ行きたいと思っ ていたが、きわどい時間帯で原稿と校正とに追われたため、シャワーも浴びていられない時間になってしまい、結局時計を見るともう開演時間。おまけに、出か けると言ってあったのでわたしに夕食がなく、仕方なく、三省堂の校正ゲラを鞄に入れて、ちょっと「ぺると」に寄り頂き物の「葡萄」をあげてから、その足で 街へ出た。足の向くままに夕食の出来る店にはいって、店の明るいのを幸い、ゆっくり落ち着いてゲラを読みに読んで九時まで。少しは酒にも手を出して、美し い人にお酌などしてもらって、気持ちよく、予定の初校を全部終えてきた。いつでも、三省堂に戻せる。
 この本には、これからもう三分の一量ほどの、かなり事務的な作業、気骨の折れる作業が残っている。担当の伊藤氏にすこし協力してもらってかたづけるより ない。

* ここ当分は、湖の本の読者に謝辞を一人一人書いてゆく、手も掛かり気もつかう仕事が待っている。負担にならぬようにするには、少しも早くとりついて、 毎日少しずつでも進めるのがいい。九月の初めに歌舞伎座通しを予定し切符も届いているので、それまでに肩の凝る作業をあらかた進めておきたい。

* 黒川創と妹街子が、亡き父親北沢恒彦(わたしの実兄)の遺業の一部を、本にして出すらしい。そういうことには、表向きも裏向きもわたしは関わっていな い。創ら子ども達が、力合わせてすればいいと思うから。兄の表の生活とわたしはほんとうに無縁だった。なにも知らないと同じで、今になれば何が知りたいと も、もう思わない。記憶の中にある兄、それで十分。出た本が、彼を敬愛していた人達の手にやすらかに伝わるのを望んでいる。『家の別れ』一冊と他に何冊か 兄に貰った著述が手元にあり、かなりの手紙も蔵われてある。それでわたしは足りている。

* ほんとうは、兄の書いた文章を、たとえ私宛の、私に語りかけた手紙だけでもいい、「e-文庫・湖」の第一頁に、少しでもいい入れたかった。この「文 庫」は兄追悼の気持ちで立ち上げた。だが、間際になって、息子の黒川創(北沢恒)から、「著作権」が絡むのでと断られてしまった。わたしに宛てられた兄の 手紙も、著作権は未亡人と遺児三人にあるという。いちいち断るのはあまり面倒なので断念し、肝心の兄の文章は「e-文庫・湖」に何一つ載せ得ていない。湖 の本20の『死から死へ』に、兄からの最期の時期のメールを編修して掲げたのが、創に断られるより以前のことで、まかり通っている。ずっと以前に単行本の 中で往復文書に仕立てたものもあるが。
 で、余儀なく、兄について書かれた文章を、代わりに、よそから戴いてある。兄の自決は1999年もう晩秋であった。前世紀の人で終わった。死んだ人は生 き返らないんだ、と、つくづく思う。


* 八月二十三日 金

* 夏も終わり初冠雪  いましがた、帰りがけに外の寒暖計を見ると、針は13度を指していました。夕のニュースでは黒岳に初雪と。観測史上最も早い初冠 雪だそうです。朝夕にはストーブの試運転。夏も終わりました。
  昼休みに区役所へ行き、住民票コードの葉書を返却。戸籍係には相談窓口もなく、カウンターでの立ち話でした。
「住民票コードの削除請求をしたいのですが」
「それは法律で定められたものですからできません」
「ではこの葉書の受け取り拒否はできますか?」
「できますよ。いただきましょう。ごくろうさまでした」
 図書館で本を返すような簡単さに、少し拍子抜け。

* 住基ネットのことは、これから一年の間の「粘り勝負」になるだろう。「公」も、陰険な報復をはかったりせず、冷静に「私=国民」の動向や意思表明に、 謙虚であって欲しい。

* 四本も抜歯された。むむむ。しこたま麻酔針も刺された。痛みはなかったが出血はかなり。いやでもおうでも、目の前に人生二学期の終了が迫ってきた。い や正月休みが終わるのか。

* 長塚節、古泉千樫、そして黙阿弥。少しずつ、起稿したり校正したり。

* 湖の本新刊の再校が出そろった。発送用意にひたひたと迫られる。「美術京都」対談の再校もメールで届いたがファイルが開けない、いっそ、ほっとした。 週明けまで間がもてる。三省堂にも初校ゲラを返送。この打ち合わせが週明けにあるだろう。夏休みももう残り少なく、九月にはまた奔走が始まる。

* 小林秀雄と三木清の対談がすばらしい。安岡さんと粟津さんの対談は、間接に小林秀雄を語っているが、三木清との対談では、小林秀雄がみずから語ってい る。だいじなことを語っている。あらためて触れたい。


* 八月二十四日 土

* 古泉千樫短歌抄を入稿。

* 一両日前に田島征彦氏から『ピコちゃんを食べた』という楽しい絵入りの「労作」エッセイを戴いた。田島氏は双子の弟の田島征三氏とともに、自身の「祇 園祭」や「じごくのそうべえ」などで世界的な場と名声を得ている版画家・絵本作家だ。むかし朝日ジャーナルに『洛東巷談』を連載したとき、挿絵を担当して 貰い、一度二度ならず会っている。口丹波に二千坪もの土地を得て米や野菜を収穫し小動物を飼育しながらの久しい制作活動だった。一口には言えない不思議に 面白い人である。すっごく面白い人という点では、田島征彦と島尾伸三とがわたしの胸の中では双璧。島尾氏にとは、「ミセス」での『蘇我殿幻想』の旅に終始 写真撮影を担当して貰った。淡い交わりながら、この二人とは、それぞれに心知った気安い親しみがある。だから仕事から離れてもう忘れるほど遠い以前から会 わないのに、二人ともとご縁が生きている。
 田島さんは、本の見返しに、手書きでわたしの名前も入れて絵を描いてくれている。手紙も書いて添えてくれている。エッセイはみんな書き写したくなるほど おもしろい。
 田島さんは鶏や兎や鳩や七面鳥や豚などを可愛がって飼っている。そして機会あれば、屠って、家族や友人達と食べている。「舌のとろけそうな美味」に歓声 を発している。これは俗人には出来ないが、至り深い感謝の生活である。「土に鍬をうちおろし 絵本のことを考える。鶏の羽をむしりながら 命を慈しみ 感 謝する」と、帯にある。

* ビデオにとってもらった「北の国から 記憶」前半を聴きながら、やっと名簿の「あ」行読者に挨拶を書いた。これに集中しないと万事が停滞する。「北の国から」には泣かされる。佳い場面を繋いだ ものだから、初見の際の記憶も加わって、耳でだけでも思わず声を放ちそうに泣かされる。感傷的だからではない、ドラマに無理がなく必然の力があるからだ。 父親と離婚が成り立って東京へ帰って行く母親を、妹娘の幼いほたるは駅にも見送らない、が、汽車の走り出した川沿いにいて、ひとり必死に駈けて母との別れ を惜しむ。それは母との最期の別れでもあったのだ。ほたる役の中島朋子も、母親役の石田あゆみも絶品で、ただ泣かされるが、ここで泣かされるのは幾らかは キマリである。
 友達のショウキチを複雑な気持ちでサッポロへ見送ってから、息子のジュンは父親と妹とに、ラーメン屋で、せつせつと自己批判の告白をする。それはいい、 ジュンのうまいこと、この役のために生まれてきた役者かと思えるし、父親役の昔の「あお大将」田中邦衛もそうだ。だが、ドラマは親子の中でだけでなく、 ラーメン屋の若いぶっきらぼうで不機嫌な女との間に、言葉すくなに盛り上がる。女は、親子の機微になんか関わっていられない、早く店を閉めて、家に帰りた い。そして軋轢は自然に起きてくる。そのドラマの自然必然に力強く効果的なことは、初見の時から、ことに印象に残っていた。ああいううまいドラマづくりに も泣かされるのだ。ラーメン屋の女は、あの短いが緊迫して充実した一場面のゆえに決して忘れない。

* こういうドラマがすでに何度も書かれ、もう一回たけで終わると聞いている。どんなに良くても、多の作者の書くこれの二番煎じは、つまらない。また新し い必然の、毅然として深い効果あるドラマが、他の誰かにより制作されねばならない。やってほしい。

* また階下に降り、挨拶書きを始める。

* ポール・ニューマンとジェシカ・タンディーに、ブルース・ウィルスとあれはメラニー・グリフィスのようにみたが佳い顔ぶれの付き合っている佳い映画 を、聴き、ながら仕事をしていた。一時間ほどして妻がニュース番組を見に来たので中断し、やがて二階に戻って長塚節「鍼の如く」を校正し、また黙阿弥の歌 舞伎狂言を校正していた。

* 左千夫、節、千樫とアララギ系の短歌をたくさん読んで、節の写生には、以前からすこし感じていたが、なにか、型が先行していて情感に疎いもののあるの を感じた。島木赤彦は選歌に難渋するほど歌集も歌数も多いので、正岡子規と同じく、逸らして、エッセイを採ったが、期待しているのは実は中村憲吉の写生歌 である。だがこれも対象が多すぎる。正岡子規は、いざ採ろうとすると、人口に膾炙したとっても佳い歌と、凡なのとの落差がはげしく、選びきれなかった。
 黙阿弥の歌舞伎台本には一切句読点がない、改行がない、総ルビに近く、起稿はじつに煩雑。それに原本のママでは若い読者といわず歌舞伎慣れない人にはと ても状況も察して貰えまいから、せめて会話は、話し手ごとに改行し、ト書きにも適当に句読点を入れている。原稿の改変であるといえばその通りだが、「読ま れる」ことを考慮すれば余儀ないこと、その代わり一字一句の変更もしていない、電子化不可能の文字以外は。黙阿弥はさほど難しい字は使っていないが、その かわり「厶(ござ)り升(ます)」ふうのものがしきりに出てくる。
 もっとも三宅花圃の「藪の鶯」のような明治初期の女学生や書生の会話ときたら、今の若者が読めば逆におかしがって「逆流行」しそうな珍奇なもの。作者が 珍奇に書いているのでなく、ごく気を入れて写実的にやっている、そこが底知れずおかしくも面白い。

* だいたい、勉強のために小説を読んだりしない。調べる目的で論文や参考書にあたることは、以前は山ほどしたが、それはそれなりの目的が具体的にあるか らするので、今では論文も研究も小説も、わたしは、ただ楽しいから読んでいる。この読み方の方が気分はいい。知識が欲しくて読む真似はしない。どうせ忘れ てしまう。忘れるものを覚えようとするのは気の毒である。身内を通過して行くその喉ごしのうまさのようなのが楽しめれば、読書は最高で、のど元を過ぎて行 けばいずれは排泄されるか知らぬうちに身になっている。

* きのう池袋でも保谷の書店でも、岩波文庫で「モンテ・クリスト伯」が手に入らなかった。岩波文庫が置いてあってもすこしだけ。参った。このところ仕事 をしたり、ものを喰ったりしている最中にも、ふいっ、ふいっとエドモン・ダンテスがわたしを呼ぶのである。我が家には昔の新潮社世界文学全集で上下二冊本 があるが、二段組みの字もいたんでいて読みにくい。軽い文庫本で、できれば山内義雄の訳で読みたい。簡単に手にはいるとタカをくくっていたが、そうでない ようだ。困った。

* かき氷  この雨が上がると、また夏の気温が戻ってくるようですが、それも日中だけでしょう。数日前は暁の寒さに目が覚め、眠い目をこすりながら押し 入れに這い寄って、肌掛け布団を出しました。
 昨日はくしゃみの朝でした。
 郵便局へ行くと、ふみの日のサービス中。今月はかき氷ですって。若い局員さんが、ガリガリと手回しの器械で、氷を削っています。かけているのは、子雀が 食べていた頃と変わらないシロップ。懐かしさに思わず手を伸ばしましたが、おいしくないンですよォ。涼しさのせいかしら。それとも、子供のこころを失くし てしまったから?

* 昼夜通しの楽しさをひさしぶりに味わいました。毎年開催されている、神戸の「東西落語名人選」に初めて行ってみました。初めてのくせに欲張って、昼夜 通し。1時から9時過ぎまで落語浸けで、しかも、ツレの女友達に急な仕事が入ったため、雀は一羽で。
 昼夜あるときは、ネタが変わるのですね。口も回るようになり、熱演の続く夜の部を見ながら、なンだか昼のお客は損してるわァ ! と思いました。
 文枝さんは「胴乱の幸助」そして夜のトリは「天王寺詣」で、いつもはなさらない、覗きからくり入りでした。

* わたしにだけ語りかけてくるのかどうか、こういうメールは、タバコを吸わないわたしには、恰好の「かき氷」なみの休息になる。もっとも歯の弱かったわ たしは「かき氷」は昔から苦手。
 見えるように、想像を誘うように、そしてガラがわるくなく、文章に節度も品もある。おそらく、書いている当人はそういうことに気付いていないだろうが。


* 八月二十五日 日

* 長塚節の「鍼の如く」全部を起稿し初校した。念のためもう一度通読してから入稿したい。二階へ上がり階下へ降り、その場その場でそこにある作業を進行 させている。起稿校正にしても、短歌に倦めば歌舞伎の台本を読み、また短歌に返る。すこし疲れて歯がかすかに痛む。

* 晩、十二チャンネルの「漫才ベスト10」を聴きながら作業した。西川やすし・きよしの漫才を意図的に芯に構成した番組だった。意表に出たコンビも現れ て、それなりに納得した。五位と一位とをやすし・きよしで占めたのだから、他は八組。漏れていた中でも、懐かしいのは大勢いた。
 かつがつエンタツ・アチャコ時代から、漫才を聴いている。ミスわかさ・島きよしなどというのを覚えている。みやこ蝶々・南都雄二もしっかり記憶にある。 いとし・こいし、ダイマル・ラケット、秋田Aスケ・Bスケ、若井ハンジ・ケンジや、チック・タック、そして、りーがる千太・万吉や、地下鉄をどうやって地 下に入れたかと笑わした夫婦漫才もいた。若手ではもっといっぱいいる。紳介・竜介や紅葉まんじゅうの二人も印象にある。爆ける魅力が漫才にはある。その中 でも西川やすしはよくはじけた。若死には惜しかった。

* 斎藤緑雨という辛口批評の元祖が居た。存命の昔は鴎外や紅葉・露伴らと並び称された批評家で、ぴりりとした小説も書いた。この人の「わたし舟」は、こ れこそ「凄い」という言葉遣いの当たった短編である。近時、人の思いの荒廃かつ無惨な、すさまじいニュースが多くてうんざりさせるが、明治の早くにこんな 凄い母親が書かれていた。ごく短い作品だが息を呑ませる。ごく短い数枚の小説だが「招待」したい。


* 八月二十六日 月

* 長塚節「鍼の如く」斎藤緑雨「わたし舟・小唄」高山樗牛「一葉女史の『たけくらべ』を読みて」を起稿校正し入稿した。みな若くして死んでいる。
 高山樗牛は二十六歳で第二高等学校教授になっている。実績を高くは評価しにくいやや上滑りな美文家の「美的生活」論者であったが、鴎外との論争でもあと にひかず、文字通り一世を風靡する勢いを持した。夏目漱石とたしか大学で同期の人だが、樗牛が文壇に牛耳を採っていた頃の漱石は全く無名であった。しかし 漱石は「なんの、高山の林公が」と歯牙に掛けていなかったという。樗牛の通称は林次郎だった。
 秦の祖父、樗牛より二歳上の祖父鶴吉はわたしに多くの古典籍を遺してくれたが、その中にけっこうな数「美文典範」や「美文の粋」といった本が混じってい た。いかな私も「美文」には馴染めなかった、が、たしかにこれが大流行したことがあったようだ、高山樗牛の存在がそこで大きかったのか。『滝口入道』など 有名で、一読はしているが再読は遠慮してきた

* 斎藤緑雨の「わたし舟」は読ませる。唸らせる。全文べた書きなので、慣れない読者には堪るまい。作者の短い地の文と、船頭と女との対話。大方は女が話 しているが、少し船頭が合いの手を入れている。そこで改行して置いたので、誰でも読める。添えて置いたいくつかの小唄も佳い。

* 魯迅と古泉八雲も用意した。また明治期を代表するといって言い過ぎでない歴史小説の佳編、人によれば名作とも謳う石橋忍月の「惟任日向守」も用意し た。忍月は懐かしい故山本健吉先生の父上である。山本さんというと殊に詩歌の読みで多大の恩恵をうけた大先達だが、それとともに思い出してはくすっと来る 話がある。井上靖先生と仲良く、よく中国へ行かれたが、向こうで自分の名を呼ばれるときの発音が「シェンボン・ゲンジイ」なのがイヤだね、あんたはいいな 「チン・ハンピン」か、と。井上さんはたしか「チンシェン・チン」だった。斯う並べると「秦」という姓は向こうでは大きいし、古い。この「CHIN」が 「CHINA」の国名に今も成っている。
 それでもわたしは、あまり中国が今は好きでない。秦始皇帝も、雄大な一面は認めるけれど、あんな馬鹿げた人馬俑の大墓壙を見てからはイヤな奴という思い を棄て得ない。


* 八月二十七日 火

* ミマンの連載が終了とは本当に残念です。ふつうのファッション誌になってしまいそうですね。
 「北の国から」はテーマの音楽を聞いただけで涙腺がじーんと震えますね。じゅんとほたるが幼かったころ、どうしてこんなに自然でひたむきな演技が出来る のかしらと、驚くように見入ったものです。じゅんとほたるの人生はその後も決して順調なものではなく、いつも哀しみが根底を流れていますが、かつて4年ほ ど住んだ北の国の美しい自然や生活と重ね合わせながら、いつもこのドラマにひきいられています。
 日々人間関係の渦の中に巻き込まれながら、泳ぎ続けています。手足を休めると溺れてしまいますから。 
 お元気でお過ごしくださいますよう。

* 夏休みも過ぎて行く印象のメール。「日々人間関係の渦の中に巻き込まれながら、泳ぎ続けています。手足を休めると溺れてしまいますから」と聞くと、カ ミュの「不条理」を思わずにいられない。「シジフォスの神話」の中に、透明なガラスに突き当たり向こうをめざして飛び続けねばならない、飛ばねば落ちてし まう蠅の話だったか、を、高校生の時に読み、この比喩は理解できた気がしたものだ。以来、自分がそのような「蠅」の一匹であり続けてきた気がする。
 だが、どうだろう。飛ぶことをやめてみたら。泳ぐことをやめてみたら。本当に地に落ち、本当に溺れるのだろうか。いまのわたしは、飛ぶことをあえてやめ た「蠅」に近い。そうあろうとしている。「ペン電子文藝館」で、なんで遮二無二頑張るんだろうと思っている人もいるかも知れないが、頑張ってガラスに額を こすりつけ飛び続けているのでは、ない。飛ぶことなんか止めたから、楽しめているに過ぎない。どうでもいいことばかりの中から楽しめることを楽しんでいる に過ぎない。もっと楽しいことが出来たら、「ペン電子文藝館」も弊履の如く顧みないかも。「ペン電子文藝館」の値打ちがなくなるのではない。わたしが変わ るのだ。


* 八月二十七日 つづき

* 秦建日子脚本の「天体観測」もう九回目を観た。演出のせいかどうか、前半の六割程度がいくらかテンポ崩れで、ギクシャクと流れがわるかった。おいお い、間が延びてるよと声を掛けたかった。しかし、内縁関係の妊娠出産問題が、恭一の母とユリとに二重に出て、さらに突然出現の実父との対面という、ま、此 のわたしには覚えのある場面が出てきたりして、後半の三割四割の所は引き込まれた。
 タケシの会社でのサイバー犯罪めく動きにも興味をもたずにおれない、どういう陥穽がタケシに仕掛けられ、どう這い上がれるのか、七人八人の中でいちばん 陰翳もあり興味を持って観ているのはこのタケシ君なので、電子メディア問題にどんな切り口を作者がみせてくれられるものか、残り少ない先が楽しみだ。
 アンマリドマザーについては、実を云うと「秦サンには隠し子がいるのじゃないですか」と本気で人に言わしめようとばかり、不思議な小説を幾つか書いてき た覚えがあるので、むろん関心はあるが、体験的にはやはり実の親たち、生母と実父とのことで、ちいさい頃からわたしは揉まれてきた。生母の出現を厭悪して ガンとして受け入れない少年・青年時代をもち、あげく、死なれていた。そして小説では「母」ものも書いた。だが「母」なる観念は愛したが、生母を愛したと は到底言えなかった。実父の如きは徹底して拒み続けた。会いたいという働きかけは母からも父からも執拗なほど続いたが、わたしにその必要はなかった。
 母はさきに死に、父はわたしの書く「母」ものを読んでいた。二人の親を共にしていた兄とも、わたしは四十半ばまで、いくら会おうと云ってきても会わな かった。必要がなかった。「必要」が生じてからは、兄とは交際したが、兄の子の恒=黒川創と顔を合わせていた方が遙かに数多い。それでも、やはりわたしの 方に「必要」が出来て実父とも会った。妻子を除いたあらゆる肉親の中で、いちばん最後に、一度だけ父と川崎の小さな寿司屋で寿司を食い、異母妹夫婦のマン ションに連れられた。
 あの日の記憶はくっきり隈なくとは言えないが、印象は鮮明に残っている。今日の恭一クンのように、あんな簡単なものではなかった。わたしの父は父親がっ て、少しカサにかかってきそうなのを、終始冷淡なほど気持ち突き放し気味に、最後まで「あなた」はという風にしか喋らなかった。懐かしくも嬉しくも有り難 くもなかった。行儀はわるくしなかったが、それが他人行儀ということなのは承知していた。父を喜ばせたい気持ちは湧いてこなかった。まして「おとうさん」 などと云いはしないで別れた。次にあったときは父は死に顔であった。死なれてみれば取り返しは附かないが、何を取り返したいのか、そういう実体は無かった ようだ。感傷はあったが、生母の時と同じく急速に過ぎていった。あんなに親しまなかった秦の親たちの方へ、今は思いははるかに濃いし、深い。それが自然だ と思っている。
 
* 恭一クンに皮肉をいうわけではないが、あの父親役は、正装した紳士の顔であらわれて、他人行儀であった。それを節度というか演技というかは別として、 もしも彼がホームレスのようでいても、あんなふうに受け容れて来たろうか。第一、あの段階で恭一を煩わしてまで遠くへ呼びつけて逢いたがる父親の心理が、 読み切れない。彼には、あの恰好であの「顔」の利く現状なら、恭一と同年齢に近い異母きょうだい達との「家庭」もあるはずだが、それが捨象されたままの出 会いなど、嘘くさい。親子だからこそ感じる激しい生理的反感──子供の頃にわたしは養家へ押し掛けてくる生母にも、また実父にも、どうしようもない生理的 な厭悪を禁じがたかった。どうだっていいじゃないか、そんなもの、居ても居なくてもたいした問題じゃない。わたしの「身内」思想はそうして生まれ、そうし て小説を書かずに済まなくなった。

* あと三回で終わるとき、わたしたちは、わたしも妻もの意味だが、息子の初の渾身作・力作との別れを寂しく感じるだろう。ともあれ、建日子が頑張ったと いう思いを嬉しく思えるのは、なんだかとても矛盾し撞着した父親の感想のようだが、これまた実感だ。高名の木登りは、木から下りるまぎわになって気を付け よと子方に注意するそうだが、わたしは、そういう人ではない。いつ最期を迎えるか知れない命であるから、いつも、現在只今の「言葉」を遺しておく。そして やがて現在只今の「沈黙」でコトが足りる親子になれるかどうか、それは分からないが、そうありたいと願っている。

* 魯迅の「藤野先生」を入稿した。わたしはこれを随筆ではない「小説」の「招待席」に確信をもって送り込む。
 小泉八雲の大作「文学と人生」の冒頭を占める「文学と世論」は優れた啓蒙=講義である。あの時代に、早くも文学の社会的な性格に適切にふれて呉れてい る。これも明日には送り込めるだろう。そして内田魯庵の「文学一斑」の総論も大いに楽しみにしている。

* 昨日も書いたが、高山樗牛は二十六歳で第二高等学校教授に任命されていた。内田魯庵の「文学一斑」は大部の文学概論であるが、功なり名遂げての著述で はない、満二十四歳、大学在学中に書いていて、しかもこの著述はその後の日本文学の世界に、相応の生命を保ち続け感化してきたのである。明治の文学者達 が、いや明治と限らず大正も昭和初期も、いかに優れた文学者達の短命であったことか、「ペン電子文藝館」に招待席を設けてもっぱら声をかけ続けていると、 しみじみと、つくづくとそれが分かる。文学が青春の事業かのようなほぼ百年が有った。
 そして必然、例えば連続ドラマ「天体観測」の彼や彼女たちの年齢を思うと、親子ほども違うようで、同年輩なのだ、一葉、啄木、樗牛も節も牧水も夕暮も、 また晶子でも。短絡の比較はできない、社会的な制度や条件が余りにちがうのだから。だが、だが、だが。



* 八月二十日 火

* 夜前、おそくからNHK特集で、世にいう「台湾沖海戦」の、虚構されていた幻の戦果の仔細を、ほとほと言葉も喪って、観た。赫々の大勝利として大戦末 期に国を挙げて「嘉尚(勅語の表現)」し、「手の舞い足の踏むところを知らなかった(当時大本営の僚官の回想)」乾坤一擲の大空襲作戦だったが、事実上、 戦果はゼロに等しく、数百機を駆り出した友軍機はほぼ全て帰還しなかった。米側の調査では、巡洋艦二隻に幾らかの損害を与えた程度の、三次にわたる我が方 の空襲の成果だった。だが、わずかな帰還兵士と鹿屋海軍基地と大本営海軍部との、ずるずるとひきずりこまれた「虚構の合作」によって、なんと、敵空母だけ でも轟撃沈十一隻、撃破八隻、戦艦その他も無数、という愕くべき「大本営発表」に結果した。
 そのような虚報は、だが、すぐさま、無傷に姿をみせた米空母その他の大艦隊の存在により、実は消散してしかるべきであったのに、これを海軍は一切握りつ ぶし、むろん国民にも、また「競争」関係の陸軍にも、まして首相にも天皇にも、一切知らせなかった。天皇は勅語を発して海軍の成果を嘉し、首相小磯国昭は 起死回生の大戦果を国民の前に出て高らかに祝った。
 その結果として、陸軍参謀本部等は、敵空母の影響を安心して度外視し、レイテ島への友軍集結、有利な大決戦と大勝利を信じて強行し、悲惨に殲滅されてし まった。敗戦への道のりは決定的に縮まったのである。
 この海軍の大戦果に疑問を感じた将校は、実は海軍部にもいた。だが、口にし主張できる空気ではなかった。また、たまたま鹿児島の鹿屋基地に立ち寄ってい た陸軍の大本営参謀は、この戦果報告はおかしいと感じて大本営陸軍部に電報していたが、握りつぶされていた。戦果にケチを付け得ない空気があった。フィ リッピンを護っていた山下奉文将軍は、その陸軍参謀の話をじかに聞いて、敵空母の全滅など到底信じられないと、陸軍地上勢力のレイテ島集結作戦につよく反 対したというが、南方総司令の寺内元帥はこれを一蹴した。海軍の大戦果に、陸軍も負けていられるかという、それだけでの強行であった。致命的勢力である敵 空母は「すべて健在」との情報が、海軍の握りつぶしで、陸軍には全く伝えられていなかった。
 大本営とは、天皇直属の戦時下最高参謀中枢で、陸軍参謀本部と海軍軍令部とから参謀が送り込まれていた。だが、終始一貫、海軍は海軍の、陸軍は陸軍の情 報を、相手側に伝えようとしないで敗戦時に及んだという。敵が米英軍である前に、日本の海軍と陸軍とが戦争し合っていたようなものだ。同じ日本語が通じ合 わなかったのだ、国の運命を左右した軍の最高機能にあって、これであった。

* 日本の運命は、こういう大本営や軍部に握られていた。そして、人間はこういうことをしでかす生き物だと思わずに居られない。最大危機の「有時」にし て、こうだった。小泉内閣が海軍だとすれば党内抵抗派は陸軍かもしれない。危なくて、何をしでかすか知れたものではない。
 いざという時に、「それは、違う」せめて「それは違うのと違うやろか」と立ち上がって言えなくてはいけないのだが、アメリカでは、反戦の姿勢を見せただ けで、学校から追放されかけた学童があり、テロ撲滅戦争に反対した一議員は孤立を余儀なくされている。横浜市議会では、二人の女性議員が議会場での日の丸 掲揚に反対し、意見陳述したいという要請を悉くはねつけられた挙げ句、現に議会から除名されている。世の中で価値ある存在として、いわゆる少数意見にも耳 を傾けるという習慣が、聡く賢く定着しなければいけないのに、こういう日本だ。

* 幻の大戦果にさわぐ気持ちを、バグワンと、「うつほ物語」で静めるのに、明け方まで。そして、目が覚めたとき、恥ずかしながら午まえであった。いくつ もメールが来ていた。

* 日差しは強いですが、いい天候です。朝からよく動きました。
 先ほど「私語」を読みました。日にちを置くと多い活字を読むのに時間が掛かります。
 痛みは如何ですか。相当の痛みだったのね。同病で、痛みよく分かります。過度でも、適度な運動が足りなくても、なりますね。足の親指をくるくる回しても らうと、治まる効果はあります。失明後の父などは、毎日欠かさず柱を持って何千回もの駆け足をして運動不足を回避していました。カッコわるいなんて思わな ければ、ドラマや映画を観ながら、簡単なラジオ体操の類でも効果はあるのだけれど。

* 当地は台風のむしろ恩恵とも言えるような、涼しい風が吹いています。二週間通しの出勤となったお盆期間が終わり、例年のように、二日連休を楽しんでい ます。
 足のこむらがえりは、もしかすると冷えからきているのではありませんか?
 昨年の夏から、下半身(両足)の筋肉がそんな状態になりはじめました。身動きもならず、「痛い!痛い!」のうめき声をあげながら、痛みの和らぐのを待つ しかない状態が続いていました。病院で弛緩剤をいただいて服用。
 そんな話をしていると、「冷えると、よくなるんよね。」とアドバイスしてくださる人もいました。
「ああ、そうなんだ」と、原因らしきものが判明した? ことで安心感が持て、兆候が出始めると、マッサージをして温め、なだめてはお風呂へ。今ではお薬も 必要なくなりましたけれど、初めてこの痛みに襲われたときには、先々のことを思い、とても不安になりました。加齢による体の変化を見落とさないようにせね ばと、心しています。
 暑い夏の、汗がひくときに体温を奪われての冷えは、気持ちいい感じがしますが、結構、芯まで冷えていて、要注意ですよ。 ご無理なさらずに、どうぞ御身 お大切に、ご自愛なされてくださいませ。

* まちがいなく、この「冷え過ぎ」症候群であろうと思う。肩の痛むのも、ちょうど背後の高みからクーラーの風が吹き付け続けているせいだろうし、冷気が 下へ下へ溜まってアキレス腱が硬化した痛みだったと思われる。あかく炎症ぎみですらあったので冷湿布したのは逆で、冬の長靴下を昼夜つけて、浴室でもよく 患部に熱湯をかけたり入浴したりして、ずいぶん軽快している。
 以前、電車に乗り吊革をもっている肩へ、真上からの冷房風があたるつど、びりびりと痛んだことがよくあった。冷房は怖いという実感がありながら、同じ事 を繰り返してきたのだから、愚なものである。
 こういうメールも、納涼感に満ちている。どんな暮らしをしているのだろうと不思議だが、つまりこんな暮らしをしているのだろう。

* お江戸の3日間で外食は8回。そのうちの半分は、ふたりで摂りました。ひとりよりずっと健全で、しかも、おいしい食事になりますもの。それぞれ違う女 友達が相手でしたが、ほとんどの人が、気になる今時の言葉の話をするのです。TVやラジオでムムム…と思う時はありますが、普段聞いているのが、関西弁や 伊賀弁ですから、彼女たちのイライラに少し驚きました。身近に接する人が使うと、余計に不快感を感じるのでしょうか。6月に俳優座劇場で行われた「ら抜き の殺意」最終公演も、相変わらず満員だったそうです。
 昨日は台風の影響か、涼しい日でしたから、ひさびさにオーブンを点け、お江戸で遊んでくれた女友達にお礼のケーキを焼きました。今回は、餡入りの和風ス ポンジケーキです。
「貝のひもが好きな、変な子だったのよ」と笑って彼女は言います。
「わぁ、リッチ! 私は、たくわんのシッポが好きだったもの」と答えると、彼女は
「かまぼこ、卵焼き、カステラ…端っこってなぜかおいしいものね」ふふ、と微笑んで。
 ケーキを贈るとき、いつも端を切り落としています。味見の意味もありますが、あれもカリッとしておいしいンですよ。パンのみみも大好き。

* こういう人が、時には時事問題でシャープな喝を入れてくるから面白い。すくなくもこの囀雀(わたしが謹呈したあだ名)さんのメールは、具体的である点 に最良の美点がある。メールが文藝の性格をもちうるとすれば、わたしがもらう数多いメールのなかで、この人の「囀り」は傑出した特色を発揮している。しか しまあ、どういう暮らしをしているのやら。ひょっとしてわたしと同年輩のジイサンが創作しているのではないかなどと勘ぐると、インターネットという時空間 の奇態さが実感できる。まさか。

* 汗を流して隣家の書庫で、重い本を山のように動かし整頓してきた。玄関に運び込まれたままの未整理本が邪魔になってきたので。ついでに、息子にも貸し ている書斎を、わたしもいつでも使えるように、息子のもちこんで積み上げた、雑然たるダンボールや紙袋の一山二山を息子の部屋へ移動した。五反田のマン ションから遠慮会釈なくこっちへ持ち込んだまま、整頓も処分もしないものだから、置いたら置きっぱなしなものだから、おまけに同居人の衣類まで持ち込んで あるのだから、堪ったものではない。たださえものに塞がれて狭く、気持ちの落ち着ける場所が家のどこにもない上へ、我が家を都合のいい物置かのようにし て、自分たちの不要品を運び込んでくるものだから、共用を承知した書斎が、まるでゴミ捨て場と化している。すぐとなりにはもともと息子の、余裕のある自室 があるのに。
 おかげで、少し運動したことになる。

* 魯迅、小泉八雲、ケーベルなどの外国人文学者の「招待席」も用意したい。斎藤緑雨、高山樗牛にも「招待席」を用意したい。明治の女流で、中島湘烟、若 松賤子はぜひ。他にも清水紫琴、小金井喜美子、田沢稲舟、瀬沼荷葉、北田薄氷らがいるが、作品を再点検してから決める。
 

* 八月二十日 つづき 

* 昨日小林秀雄について、安岡章太郎氏と粟津則雄氏との対談を読んでいた。読み終えていないが、興味深かった。粟津さんが京大生の頃に、小林さんに来て もらい小人数で話を聴いた。熱心に聴いた。酒になってまた話を聴いた。一晩では残り惜しくて堪らず、もう一晩飲みたいとせがんだら、いいよと、もう一晩飲 んで話を聴いた。そういうことも話されていた。
 心に飢えを抱いた若者達は、機会をえれば縋り付くように偉い人の、尊敬する人の、話を聴こうとした。そして質問した。された方もよく答えた。
 芹沢光治良の「死者との対話」もそうだ。やがて人間魚雷「回天」に搭乗し自爆の決死行に出撃してゆくような学徒兵らは、必死の願いをこめて「哲学」に安 心を求めたが、世界に誇るという我が国の哲学者の日本語は、何一つ生死の悩みに答えてくれない、チンプンカンプン以外のなにものでもなかった。彼等は悔し 泣きしながら、時代に追い立てられて戦場へ散っていった。戦後の青年達も、同じことを訴えて、哲学「学」の先生に迫って、かの西田(幾多郎)哲学の弟子に 迫って、哲学言語の効果のなさに対し鋭く非難した。彼等は死ぬか生きるかの瀬戸際で「問い」かけ、答えは哲学からも宗教からも得られなかった。だが彼等は 「問いたい」思いに駆られていた。
 粟津さん達もその世代であった。わたしよりも半世代ほど先輩になるか。
 息子の書いているドラマを観ていると、そこに小林秀雄や芹沢光治良のような大人はまったく影もささない。先輩すら一人も出てこない。なにもかも仲間内で 処置しようとしている。
 わたしの息子は早大法科の四年間に出逢った、只一人の尊敬し敬愛し感化された教師などいなかった、いない、と断言する。彼等の氏名すらほとんど記憶にな いという。事実彼の口から早稲田で教わった先生の良くも悪しくも「評判」を、一度としてきいたことがない。称賛も批判も一切一度もない。一つには息子自身 の至らぬところも有る。が、彼にも、尊敬ないし敬愛した作家や音楽家や劇作家や脚本家達はいる。それは聞いている、それとなく。つかこうへいなど、終生の 恩人・恩師であるだろう。
 だが、例えば早稲田は天下に聞こえた演劇博物館のある大学だが、彼は、一度としてそんな場所に足を向けたことすらないのではないか。彼は、能にも歌舞伎 にも人形にも、近松や南北や黙阿弥にも、いや井上ひさし以前の劇作家達の誰にもほとんど関心がない。知識もない。必要ないとすら云い、それで、やってい る、やっていけると、そう思っている。彼等は「問わない」のではないが、「問うに足る」大人達がいない、少ないとは思っているのだろう。
 若い人達の生き方が、昔のママではない如実なこういう表れに、わたしは、ただもう、じいっと目を向けているだけだ。

* 「天体観測」のつづきを見た。ま、ほぼ予想通りの筋書きで事が推移している。そこは三十数年人一倍観てきた親だから、作の手の内など、いろいろ想像したり 推定したりできるのが、人とはちがう面白さ。例えば知也といったか、彼の部屋の天井に星がきらめいている。あんなにどでかい星ではないが、現にいまわたし のキーを叩いている部屋の天井一面に、ちいさな銀色の星たちが、なかなか巧みに配置し貼り付けてある。中学の頃か、高校に進んでいたろうか、いやこの部屋 を建日子が占領していたのなら大学生であったかも知れないが、留守番をさせて親が留守しているうちに、ガールフレンドと二人で貼った「作品」だ、新しいう ちは電灯を消すと一面に発光した。
 あっちこっちに微笑ましく想いあたるあれやこれやが、作者なりの思い入れであろう、適切に使われている。想えば息子は多彩な生活をしていたといえるらし い、そしてそれを今しも必死に役立てている。

* 恩田英明氏の短歌百五十首を読み、不審箇所を問い合わせている。
 長塚節の最晩年の写生歌「鍼の如く」全部をスキャンし校正に入った。伊藤左千夫が抒情情熱の歌人なら長塚節は冷静な観察の歌人である。左千夫の小説「野 菊の墓」「分配」と節の小説「土」わくらべても分かる。
 古泉千樫のエッセイも、河竹黙阿弥の歌舞伎台本も妻にプリントを頼み、スキャンも終えた。
 

* 八月二十一日 水

* 古泉千樫のエッセイを校正していて、ああこれでは歌人に気の毒だ、一代の短歌から抄出してあげたいと思い、作業を中断した。長塚節の「鍼の如く」は、 一つの達成としてはやくから繰り返し愛読してきた。できるだけ原型通りに再現しようと、これも校正に手がかかるが、わたし自身、いわず語らずに恩恵を受け てきた歌人である。少々手数の苦労なら、避けまい。
 河竹黙阿弥の校正こそ、ほとほと手こずるだろうと思うが、意欲をもっている。近代の小説らしい小説、四迷の「浮雲」の前で助走していてくれたのが、演劇 や噺であったことの再認識を、形の上でしかとしておきたい。同時に、黙阿弥に始まる近代演劇史の筋道として、綺堂、菊池寛、福田恆存につぐ人と作品とを早 く定めたく、モリエールの翻案でもある創作性の強いしかももとは義太夫の台本として書かれた井上ひさし作「金壺眼恋達引」がもらえまいかと、今日遠回しに (義妹の米原万里さんを介して)打診してみた。返事は無いが。
 若松賤子訳の「いなッく、あーでん物語」瀬沼夏葉訳の「六号室」など女流の優れた翻訳の仕事が目立っている。女性作家の仕事を樋口一葉だけでなく、草創 期文学から数点「招待」するのは当然の礼であろう。

* 夜前というより明け方までかけて、大作「うつほ物語」を読了した。ウン、これは満足満足。とっても嬉しい。骨の太い名作であった。源氏物語は、ふとん 着て寝たる姿の東山めいてなだらかに整った姿の山並みだが、「うつほ物語」は嵯峨とした北山の奥深い風情を負いつつ、リアルに華やかである。俊蔭女と仲忠 ほど理想的な母子像は珍しい。それに仲忠女があり亡き俊蔭がいる。四代にわたって琵琶の神秘に護られた天才。この金無垢の一筋を囲んでの大勢の人模様が、 なかなか賑やかにリアルなのが面白かった。
 この全集には入っていないが笠間書院の厚意で中世物語の何冊もを貰っている、これからはそれを読んでみたいし、腰を入れて西鶴も読み進みたい。

* こんな言葉を伝えてきてくれた人がいた。ただ、ありがとう、とだけを言うにとどめた。

* 最近は、喉元まで政治のいやなニュースが詰まっている上に、年頃の女性が相次いで無惨に殺されるニュースに、気分が悪くなり、先生ならずとも気分が鬱 々とされているかたが多いことと存じます。私の友人は精神衛生に悪いので「ベッカムと愛子さまのニュース以外は見ないことにした」と言いました。私もその 話に思わず笑いながら同感でした。イギリスの美形や丸々太った可愛い赤ちゃん、それにつけ加えて多摩川のアザラシ、行方不明のタマちゃんくらいしか映像で 見たいものがないなんて溜め息まじりの日々でございます。
 「常人は黙していても許される。しかし作家が沈黙するのは嘘を言うことになる」
 これはノーベル文学賞を受賞したチェコの詩人サイフェルトの信念だったそうです。私はサイフェルトの回想記しか読んだことがないのですが、その解説を読 みますと、政権に抵抗を続け八十歳でもチェコ政府の強要にたてついて、心臓発作をおこし入院。1986年八十四歳で亡くなったときの葬儀も国葬でこそあり ましたが、警察の厳しい監視下で行なわれたとあります。
 生涯のほとんどをチェコの不幸な弾圧の時代に生きて、なお希望を失わず精神の自由を守りぬいた文学者は、遠い異国にいる秦先生のお身内のひとりかもしれ ません。どの時代、どこの国においても、真実の作家というのは金輪際幸福な世渡りなどできない人種なのでしょう。しかしその栄光は作品として残っていきま す。先生はもっとも美しい日本語を書く文学者のおひとりです。どうぞ読者の喜びのためにますます書き続けてくださいますように。生意気な物言いとは存じま すが、どうしてもお伝えしたくて……。
 暑さのなかにも急に秋の気配が滲んできました。くれぐれもご無理なさいませんように。

* 鞭撻をうけたものと心より感謝して、心身を毅く持したい。わたしなどは、はるかに不甲斐ない者の一人でしかないが。

* 夕食後に、ひょこっと戸棚から出てきたシモーヌ・シニョレとローレンス・ハーヴェイの「年上の女」をまるまる観てしまった。初めてではないが、新鮮に ひきこまれた。シモーヌ・シニョレが見事な演技。ローレンスの役は虫ずの走る青年でありながら、年上のフランス人教師アリスの愛により愛に目覚めてゆくプ ロセスを、しかもアリスを裏切って令嬢との結婚へ駆け込んで後戻りしないところにも、出自の根の悲しみが光り、見捨てられない悲劇がよく書けていた。ズッ シーンと胸に残るモノクロームの名画であった。


* 八月二十二日 木

* 「ミマン」の原稿をさっと書いて電送した。あと二回で終わる。湖の本25の跋文校正ゲラが出たので、これも即座に読んで手入れし、要再校で返送した。

* 渋谷松濤の観世能楽堂で梅若研能会があり、新万三郎が「実盛」だか「松風」だかを舞う予定なので、夏場ではあり空いているだろう、ぜひ行きたいと思っ ていたが、きわどい時間帯で原稿と校正とに追われたため、シャワーも浴びていられない時間になってしまい、結局時計を見るともう開演時間。おまけに、出か けると言ってあったのでわたしに夕食がなく、仕方なく、三省堂の校正ゲラを鞄に入れて、ちょっと「ぺると」に寄り頂き物の「葡萄」をあげてから、その足で 街へ出た。足の向くままに夕食の出来る店にはいって、店の明るいのを幸い、ゆっくり落ち着いてゲラを読みに読んで九時まで。少しは酒にも手を出して、美し い人にお酌などしてもらって、気持ちよく、予定の初校を全部終えてきた。いつでも、三省堂に戻せる。
 この本には、これからもう三分の一量ほどの、かなり事務的な作業、気骨の折れる作業が残っている。担当の伊藤氏にすこし協力してもらってかたづけるより ない。

* ここ当分は、湖の本の読者に謝辞を一人一人書いてゆく、手も掛かり気もつかう仕事が待っている。負担にならぬようにするには、少しも早くとりついて、 毎日少しずつでも進めるのがいい。九月の初めに歌舞伎座通しを予定し切符も届いているので、それまでに肩の凝る作業をあらかた進めておきたい。

* 黒川創と妹街子が、亡き父親北沢恒彦(わたしの実兄)の遺業の一部を、本にして出すらしい。そういうことには、表向きも裏向きもわたしは関わっていな い。創ら子ども達が、力合わせてすればいいと思うから。兄の表の生活とわたしはほんとうに無縁だった。なにも知らないと同じで、今になれば何が知りたいと も、もう思わない。記憶の中にある兄、それで十分。出た本が、彼を敬愛していた人達の手にやすらかに伝わるのを望んでいる。『家の別れ』一冊と他に何冊か 兄に貰った著述が手元にあり、かなりの手紙も蔵われてある。それでわたしは足りている。

* ほんとうは、兄の書いた文章を、たとえ私宛の、私に語りかけた手紙だけでもいい、「e-文庫・湖」の第一頁に、少しでもいい入れたかった。この「文 庫」は兄追悼の気持ちで立ち上げた。だが、間際になって、息子の黒川創(北沢恒)から、「著作権」が絡むのでと断られてしまった。わたしに宛てられた兄の 手紙も、著作権は未亡人と遺児三人にあるという。いちいち断るのはあまり面倒なので断念し、肝心の兄の文章は「e-文庫・湖」に何一つ載せ得ていない。湖 の本20の『死から死へ』に、兄からの最期の時期のメールを編修して掲げたのが、創に断られるより以前のことで、まかり通っている。ずっと以前に単行本の 中で往復文書に仕立てたものもあるが。
 で、余儀なく、兄について書かれた文章を、代わりに、よそから戴いてある。兄の自決は1999年もう晩秋であった。前世紀の人で終わった。死んだ人は生 き返らないんだ、と、つくづく思う。


* 八月二十三日 金

* 夏も終わり初冠雪  いましがた、帰りがけに外の寒暖計を見ると、針は13度を指していました。夕のニュースでは黒岳に初雪と。観測史上最も早い初冠 雪だそうです。朝夕にはストーブの試運転。夏も終わりました。
  昼休みに区役所へ行き、住民票コードの葉書を返却。戸籍係には相談窓口もなく、カウンターでの立ち話でした。
「住民票コードの削除請求をしたいのですが」
「それは法律で定められたものですからできません」
「ではこの葉書の受け取り拒否はできますか?」
「できますよ。いただきましょう。ごくろうさまでした」
 図書館で本を返すような簡単さに、少し拍子抜け。

* 住基ネットのことは、これから一年の間の「粘り勝負」になるだろう。「公」も、陰険な報復をはかったりせず、冷静に「私=国民」の動向や意思表明に、 謙虚であって欲しい。

* 四本も抜歯された。むむむ。しこたま麻酔針も刺された。痛みはなかったが出血はかなり。いやでもおうでも、目の前に人生二学期の終了が迫ってきた。い や正月休みが終わるのか。

* 長塚節、古泉千樫、そして黙阿弥。少しずつ、起稿したり校正したり。

* 湖の本新刊の再校が出そろった。発送用意にひたひたと迫られる。「美術京都」対談の再校もメールで届いたがファイルが開けない、いっそ、ほっとした。 週明けまで間がもてる。三省堂にも初校ゲラを返送。この打ち合わせが週明けにあるだろう。夏休みももう残り少なく、九月にはまた奔走が始まる。

* 小林秀雄と三木清の対談がすばらしい。安岡さんと粟津さんの対談は、間接に小林秀雄を語っているが、三木清との対談では、小林秀雄がみずから語ってい る。だいじなことを語っている。あらためて触れたい。


* 八月二十四日 土

* 古泉千樫短歌抄を入稿。

* 一両日前に田島征彦氏から『ピコちゃんを食べた』という楽しい絵入りの「労作」エッセイを戴いた。田島氏は双子の弟の田島征三氏とともに、自身の「祇 園祭」や「じごくのそうべえ」などで世界的な場と名声を得ている版画家・絵本作家だ。むかし朝日ジャーナルに『洛東巷談』を連載したとき、挿絵を担当して 貰い、一度二度ならず会っている。口丹波に二千坪もの土地を得て米や野菜を収穫し小動物を飼育しながらの久しい制作活動だった。一口には言えない不思議に 面白い人である。すっごく面白い人という点では、田島征彦と島尾伸三とがわたしの胸の中では双璧。島尾氏にとは、「ミセス」での『蘇我殿幻想』の旅に終始 写真撮影を担当して貰った。淡い交わりながら、この二人とは、それぞれに心知った気安い親しみがある。だから仕事から離れてもう忘れるほど遠い以前から会 わないのに、二人ともとご縁が生きている。
 田島さんは、本の見返しに、手書きでわたしの名前も入れて絵を描いてくれている。手紙も書いて添えてくれている。エッセイはみんな書き写したくなるほど おもしろい。
 田島さんは鶏や兎や鳩や七面鳥や豚などを可愛がって飼っている。そして機会あれば、屠って、家族や友人達と食べている。「舌のとろけそうな美味」に歓声 を発している。これは俗人には出来ないが、至り深い感謝の生活である。「土に鍬をうちおろし 絵本のことを考える。鶏の羽をむしりながら 命を慈しみ 感 謝する」と、帯にある。

* ビデオにとってもらった「北の国から 記憶」前半を聴きながら、やっと名簿の「あ」行読者に挨拶を書いた。これに集中しないと万事が停滞する。「北の国から」には泣かされる。佳い場面を繋いだ ものだから、初見の際の記憶も加わって、耳でだけでも思わず声を放ちそうに泣かされる。感傷的だからではない、ドラマに無理がなく必然の力があるからだ。 父親と離婚が成り立って東京へ帰って行く母親を、妹娘の幼いほたるは駅にも見送らない、が、汽車の走り出した川沿いにいて、ひとり必死に駈けて母との別れ を惜しむ。それは母との最期の別れでもあったのだ。ほたる役の中島朋子も、母親役の石田あゆみも絶品で、ただ泣かされるが、ここで泣かされるのは幾らかは キマリである。
 友達のショウキチを複雑な気持ちでサッポロへ見送ってから、息子のジュンは父親と妹とに、ラーメン屋で、せつせつと自己批判の告白をする。それはいい、 ジュンのうまいこと、この役のために生まれてきた役者かと思えるし、父親役の昔の「あお大将」田中邦衛もそうだ。だが、ドラマは親子の中でだけでなく、 ラーメン屋の若いぶっきらぼうで不機嫌な女との間に、言葉すくなに盛り上がる。女は、親子の機微になんか関わっていられない、早く店を閉めて、家に帰りた い。そして軋轢は自然に起きてくる。そのドラマの自然必然に力強く効果的なことは、初見の時から、ことに印象に残っていた。ああいううまいドラマづくりに も泣かされるのだ。ラーメン屋の女は、あの短いが緊迫して充実した一場面のゆえに決して忘れない。

* こういうドラマがすでに何度も書かれ、もう一回たけで終わると聞いている。どんなに良くても、多の作者の書くこれの二番煎じは、つまらない。また新し い必然の、毅然として深い効果あるドラマが、他の誰かにより制作されねばならない。やってほしい。

* また階下に降り、挨拶書きを始める。

* ポール・ニューマンとジェシカ・タンディーに、ブルース・ウィルスとあれはメラニー・グリフィスのようにみたが佳い顔ぶれの付き合っている佳い映画 を、聴き、ながら仕事をしていた。一時間ほどして妻がニュース番組を見に来たので中断し、やがて二階に戻って長塚節「鍼の如く」を校正し、また黙阿弥の歌 舞伎狂言を校正していた。

* 左千夫、節、千樫とアララギ系の短歌をたくさん読んで、節の写生には、以前からすこし感じていたが、なにか、型が先行していて情感に疎いもののあるの を感じた。島木赤彦は選歌に難渋するほど歌集も歌数も多いので、正岡子規と同じく、逸らして、エッセイを採ったが、期待しているのは実は中村憲吉の写生歌 である。だがこれも対象が多すぎる。正岡子規は、いざ採ろうとすると、人口に膾炙したとっても佳い歌と、凡なのとの落差がはげしく、選びきれなかった。
 黙阿弥の歌舞伎台本には一切句読点がない、改行がない、総ルビに近く、起稿はじつに煩雑。それに原本のママでは若い読者といわず歌舞伎慣れない人にはと ても状況も察して貰えまいから、せめて会話は、話し手ごとに改行し、ト書きにも適当に句読点を入れている。原稿の改変であるといえばその通りだが、「読ま れる」ことを考慮すれば余儀ないこと、その代わり一字一句の変更もしていない、電子化不可能の文字以外は。黙阿弥はさほど難しい字は使っていないが、その かわり「厶(ござ)り升(ます)」ふうのものがしきりに出てくる。
 もっとも三宅花圃の「藪の鶯」のような明治初期の女学生や書生の会話ときたら、今の若者が読めば逆におかしがって「逆流行」しそうな珍奇なもの。作者が 珍奇に書いているのでなく、ごく気を入れて写実的にやっている、そこが底知れずおかしくも面白い。

* だいたい、勉強のために小説を読んだりしない。調べる目的で論文や参考書にあたることは、以前は山ほどしたが、それはそれなりの目的が具体的にあるか らするので、今では論文も研究も小説も、わたしは、ただ楽しいから読んでいる。この読み方の方が気分はいい。知識が欲しくて読む真似はしない。どうせ忘れ てしまう。忘れるものを覚えようとするのは気の毒である。身内を通過して行くその喉ごしのうまさのようなのが楽しめれば、読書は最高で、のど元を過ぎて行 けばいずれは排泄されるか知らぬうちに身になっている。

* きのう池袋でも保谷の書店でも、岩波文庫で「モンテ・クリスト伯」が手に入らなかった。岩波文庫が置いてあってもすこしだけ。参った。このところ仕事 をしたり、ものを喰ったりしている最中にも、ふいっ、ふいっとエドモン・ダンテスがわたしを呼ぶのである。我が家には昔の新潮社世界文学全集で上下二冊本 があるが、二段組みの字もいたんでいて読みにくい。軽い文庫本で、できれば山内義雄の訳で読みたい。簡単に手にはいるとタカをくくっていたが、そうでない ようだ。困った。

* かき氷  この雨が上がると、また夏の気温が戻ってくるようですが、それも日中だけでしょう。数日前は暁の寒さに目が覚め、眠い目をこすりながら押し 入れに這い寄って、肌掛け布団を出しました。
 昨日はくしゃみの朝でした。
 郵便局へ行くと、ふみの日のサービス中。今月はかき氷ですって。若い局員さんが、ガリガリと手回しの器械で、氷を削っています。かけているのは、子雀が 食べていた頃と変わらないシロップ。懐かしさに思わず手を伸ばしましたが、おいしくないンですよォ。涼しさのせいかしら。それとも、子供のこころを失くし てしまったから?

* 昼夜通しの楽しさをひさしぶりに味わいました。毎年開催されている、神戸の「東西落語名人選」に初めて行ってみました。初めてのくせに欲張って、昼夜 通し。1時から9時過ぎまで落語浸けで、しかも、ツレの女友達に急な仕事が入ったため、雀は一羽で。
 昼夜あるときは、ネタが変わるのですね。口も回るようになり、熱演の続く夜の部を見ながら、なンだか昼のお客は損してるわァ ! と思いました。
 文枝さんは「胴乱の幸助」そして夜のトリは「天王寺詣」で、いつもはなさらない、覗きからくり入りでした。

* わたしにだけ語りかけてくるのかどうか、こういうメールは、タバコを吸わないわたしには、恰好の「かき氷」なみの休息になる。もっとも歯の弱かったわ たしは「かき氷」は昔から苦手。
 見えるように、想像を誘うように、そしてガラがわるくなく、文章に節度も品もある。おそらく、書いている当人はそういうことに気付いていないだろうが。


* 八月二十五日 日

* 長塚節の「鍼の如く」全部を起稿し初校した。念のためもう一度通読してから入稿したい。二階へ上がり階下へ降り、その場その場でそこにある作業を進行 させている。起稿校正にしても、短歌に倦めば歌舞伎の台本を読み、また短歌に返る。すこし疲れて歯がかすかに痛む。

* 晩、十二チャンネルの「漫才ベスト10」を聴きながら作業した。西川やすし・きよしの漫才を意図的に芯に構成した番組だった。意表に出たコンビも現れ て、それなりに納得した。五位と一位とをやすし・きよしで占めたのだから、他は八組。漏れていた中でも、懐かしいのは大勢いた。
 かつがつエンタツ・アチャコ時代から、漫才を聴いている。ミスわかさ・島きよしなどというのを覚えている。みやこ蝶々・南都雄二もしっかり記憶にある。 いとし・こいし、ダイマル・ラケット、秋田Aスケ・Bスケ、若井ハンジ・ケンジや、チック・タック、そして、りーがる千太・万吉や、地下鉄をどうやって地 下に入れたかと笑わした夫婦漫才もいた。若手ではもっといっぱいいる。紳介・竜介や紅葉まんじゅうの二人も印象にある。爆ける魅力が漫才にはある。その中 でも西川やすしはよくはじけた。若死には惜しかった。

* 斎藤緑雨という辛口批評の元祖が居た。存命の昔は鴎外や紅葉・露伴らと並び称された批評家で、ぴりりとした小説も書いた。この人の「わたし舟」は、こ れこそ「凄い」という言葉遣いの当たった短編である。近時、人の思いの荒廃かつ無惨な、すさまじいニュースが多くてうんざりさせるが、明治の早くにこんな 凄い母親が書かれていた。ごく短い作品だが息を呑ませる。ごく短い数枚の小説だが「招待」したい。


* 八月二十六日 月

* 長塚節「鍼の如く」斎藤緑雨「わたし舟・小唄」高山樗牛「一葉女史の『たけくらべ』を読みて」を起稿校正し入稿した。みな若くして死んでいる。
 高山樗牛は二十六歳で第二高等学校教授になっている。実績を高くは評価しにくいやや上滑りな美文家の「美的生活」論者であったが、鴎外との論争でもあと にひかず、文字通り一世を風靡する勢いを持した。夏目漱石とたしか大学で同期の人だが、樗牛が文壇に牛耳を採っていた頃の漱石は全く無名であった。しかし 漱石は「なんの、高山の林公が」と歯牙に掛けていなかったという。樗牛の通称は林次郎だった。
 秦の祖父、樗牛より二歳上の祖父鶴吉はわたしに多くの古典籍を遺してくれたが、その中にけっこうな数「美文典範」や「美文の粋」といった本が混じってい た。いかな私も「美文」には馴染めなかった、が、たしかにこれが大流行したことがあったようだ、高山樗牛の存在がそこで大きかったのか。『滝口入道』など 有名で、一読はしているが再読は遠慮してきた

* 斎藤緑雨の「わたし舟」は読ませる。唸らせる。全文べた書きなので、慣れない読者には堪るまい。作者の短い地の文と、船頭と女との対話。大方は女が話 しているが、少し船頭が合いの手を入れている。そこで改行して置いたので、誰でも読める。添えて置いたいくつかの小唄も佳い。

* 魯迅と古泉八雲も用意した。また明治期を代表するといって言い過ぎでない歴史小説の佳編、人によれば名作とも謳う石橋忍月の「惟任日向守」も用意し た。忍月は懐かしい故山本健吉先生の父上である。山本さんというと殊に詩歌の読みで多大の恩恵をうけた大先達だが、それとともに思い出してはくすっと来る 話がある。井上靖先生と仲良く、よく中国へ行かれたが、向こうで自分の名を呼ばれるときの発音が「シェンボン・ゲンジイ」なのがイヤだね、あんたはいいな 「チン・ハンピン」か、と。井上さんはたしか「チンシェン・チン」だった。斯う並べると「秦」という姓は向こうでは大きいし、古い。この「CHIN」が 「CHINA」の国名に今も成っている。
 それでもわたしは、あまり中国が今は好きでない。秦始皇帝も、雄大な一面は認めるけれど、あんな馬鹿げた人馬俑の大墓壙を見てからはイヤな奴という思い を棄て得ない。


* 八月二十七日 火

* ミマンの連載が終了とは本当に残念です。ふつうのファッション誌になってしまいそうですね。
 「北の国から」はテーマの音楽を聞いただけで涙腺がじーんと震えますね。じゅんとほたるが幼かったころ、どうしてこんなに自然でひたむきな演技が出来る のかしらと、驚くように見入ったものです。じゅんとほたるの人生はその後も決して順調なものではなく、いつも哀しみが根底を流れていますが、かつて4年ほ ど住んだ北の国の美しい自然や生活と重ね合わせながら、いつもこのドラマにひきいられています。
 日々人間関係の渦の中に巻き込まれながら、泳ぎ続けています。手足を休めると溺れてしまいますから。 
 お元気でお過ごしくださいますよう。

* 夏休みも過ぎて行く印象のメール。「日々人間関係の渦の中に巻き込まれながら、泳ぎ続けています。手足を休めると溺れてしまいますから」と聞くと、カ ミュの「不条理」を思わずにいられない。「シジフォスの神話」の中に、透明なガラスに突き当たり向こうをめざして飛び続けねばならない、飛ばねば落ちてし まう蠅の話だったか、を、高校生の時に読み、この比喩は理解できた気がしたものだ。以来、自分がそのような「蠅」の一匹であり続けてきた気がする。
 だが、どうだろう。飛ぶことをやめてみたら。泳ぐことをやめてみたら。本当に地に落ち、本当に溺れるのだろうか。いまのわたしは、飛ぶことをあえてやめ た「蠅」に近い。そうあろうとしている。「ペン電子文藝館」で、なんで遮二無二頑張るんだろうと思っている人もいるかも知れないが、頑張ってガラスに額を こすりつけ飛び続けているのでは、ない。飛ぶことなんか止めたから、楽しめているに過ぎない。どうでもいいことばかりの中から楽しめることを楽しんでいる に過ぎない。もっと楽しいことが出来たら、「ペン電子文藝館」も弊履の如く顧みないかも。「ペン電子文藝館」の値打ちがなくなるのではない。わたしが変わ るのだ。


* 八月二十七日 つづき

* 秦建日子脚本の「天体観測」もう九回目を観た。演出のせいかどうか、前半の六割程度がいくらかテンポ崩れで、ギクシャクと流れがわるかった。おいお い、間が延びてるよと声を掛けたかった。しかし、内縁関係の妊娠出産問題が、恭一の母とユリとに二重に出て、さらに突然出現の実父との対面という、ま、此 のわたしには覚えのある場面が出てきたりして、後半の三割四割の所は引き込まれた。
 タケシの会社でのサイバー犯罪めく動きにも興味をもたずにおれない、どういう陥穽がタケシに仕掛けられ、どう這い上がれるのか、七人八人の中でいちばん 陰翳もあり興味を持って観ているのはこのタケシ君なので、電子メディア問題にどんな切り口を作者がみせてくれられるものか、残り少ない先が楽しみだ。
 アンマリドマザーについては、実を云うと「秦サンには隠し子がいるのじゃないですか」と本気で人に言わしめようとばかり、不思議な小説を幾つか書いてき た覚えがあるので、むろん関心はあるが、体験的にはやはり実の親たち、生母と実父とのことで、ちいさい頃からわたしは揉まれてきた。生母の出現を厭悪して ガンとして受け入れない少年・青年時代をもち、あげく、死なれていた。そして小説では「母」ものも書いた。だが「母」なる観念は愛したが、生母を愛したと は到底言えなかった。実父の如きは徹底して拒み続けた。会いたいという働きかけは母からも父からも執拗なほど続いたが、わたしにその必要はなかった。
 母はさきに死に、父はわたしの書く「母」ものを読んでいた。二人の親を共にしていた兄とも、わたしは四十半ばまで、いくら会おうと云ってきても会わな かった。必要がなかった。「必要」が生じてからは、兄とは交際したが、兄の子の恒=黒川創と顔を合わせていた方が遙かに数多い。それでも、やはりわたしの 方に「必要」が出来て実父とも会った。妻子を除いたあらゆる肉親の中で、いちばん最後に、一度だけ父と川崎の小さな寿司屋で寿司を食い、異母妹夫婦のマン ションに連れられた。
 あの日の記憶はくっきり隈なくとは言えないが、印象は鮮明に残っている。今日の恭一クンのように、あんな簡単なものではなかった。わたしの父は父親がっ て、少しカサにかかってきそうなのを、終始冷淡なほど気持ち突き放し気味に、最後まで「あなた」はという風にしか喋らなかった。懐かしくも嬉しくも有り難 くもなかった。行儀はわるくしなかったが、それが他人行儀ということなのは承知していた。父を喜ばせたい気持ちは湧いてこなかった。まして「おとうさん」 などと云いはしないで別れた。次にあったときは父は死に顔であった。死なれてみれば取り返しは附かないが、何を取り返したいのか、そういう実体は無かった ようだ。感傷はあったが、生母の時と同じく急速に過ぎていった。あんなに親しまなかった秦の親たちの方へ、今は思いははるかに濃いし、深い。それが自然だ と思っている。
 
* 恭一クンに皮肉をいうわけではないが、あの父親役は、正装した紳士の顔であらわれて、他人行儀であった。それを節度というか演技というかは別として、 もしも彼がホームレスのようでいても、あんなふうに受け容れて来たろうか。第一、あの段階で恭一を煩わしてまで遠くへ呼びつけて逢いたがる父親の心理が、 読み切れない。彼には、あの恰好であの「顔」の利く現状なら、恭一と同年齢に近い異母きょうだい達との「家庭」もあるはずだが、それが捨象されたままの出 会いなど、嘘くさい。親子だからこそ感じる激しい生理的反感──子供の頃にわたしは養家へ押し掛けてくる生母にも、また実父にも、どうしようもない生理的 な厭悪を禁じがたかった。どうだっていいじゃないか、そんなもの、居ても居なくてもたいした問題じゃない。わたしの「身内」思想はそうして生まれ、そうし て小説を書かずに済まなくなった。

* あと三回で終わるとき、わたしたちは、わたしも妻もの意味だが、息子の初の渾身作・力作との別れを寂しく感じるだろう。ともあれ、建日子が頑張ったと いう思いを嬉しく思えるのは、なんだかとても矛盾し撞着した父親の感想のようだが、これまた実感だ。高名の木登りは、木から下りるまぎわになって気を付け よと子方に注意するそうだが、わたしは、そういう人ではない。いつ最期を迎えるか知れない命であるから、いつも、現在只今の「言葉」を遺しておく。そして やがて現在只今の「沈黙」でコトが足りる親子になれるかどうか、それは分からないが、そうありたいと願っている。

* 魯迅の「藤野先生」を入稿した。わたしはこれを随筆ではない「小説」の「招待席」に確信をもって送り込む。
 小泉八雲の大作「文学と人生」の冒頭を占める「文学と世論」は優れた啓蒙=講義である。あの時代に、早くも文学の社会的な性格に適切にふれて呉れてい る。これも明日には送り込めるだろう。そして内田魯庵の「文学一斑」の総論も大いに楽しみにしている。

* 昨日も書いたが、高山樗牛は二十六歳で第二高等学校教授に任命されていた。内田魯庵の「文学一斑」は大部の文学概論であるが、功なり名遂げての著述で はない、満二十四歳、大学在学中に書いていて、しかもこの著述はその後の日本文学の世界に、相応の生命を保ち続け感化してきたのである。明治の文学者達 が、いや明治と限らず大正も昭和初期も、いかに優れた文学者達の短命であったことか、「ペン電子文藝館」に招待席を設けてもっぱら声をかけ続けていると、 しみじみと、つくづくとそれが分かる。文学が青春の事業かのようなほぼ百年が有った。
 そして必然、例えば連続ドラマ「天体観測」の彼や彼女たちの年齢を思うと、親子ほども違うようで、同年輩なのだ、一葉、啄木、樗牛も節も牧水も夕暮も、 また晶子でも。短絡の比較はできない、社会的な制度や条件が余りにちがうのだから。だが、だが、だが。


* 八月二十八日 水

* 小泉八雲『人生と文学』巻頭の「文学と世論」一編を起稿校正し入稿した。帝大での講義録である。八雲は自分の学生達が小説家や詩人になって行くのを期 待して講義したが、その「理由」が、この一編によってたいへんよく分かる。政治と文学というとなにかきなくさい対決を感じるが、小泉八雲が或る「政治的」 意図をもって此処で「文学」を語る意義は、実に明快で高邁ですらある。嬉しくなってくるほどだ。

* 小林秀雄を「近代文学」の同人たちが囲んでの座談会は、後輩の批評家や作家達が真摯に小林秀雄に順繰りに突き当たってゆくのが、胸を借りるようでかな り攻撃的、とても興味深い。小林秀雄も頑張って応じている。みな名うての人達の真剣勝負で、再読の価値がある。
 小林秀雄の娘さんの回想禄も、途中までだが興味深く読んでいる。

* あとがきだけが残ったが、表紙も本紙も「湖の本エッセイ25」を今日責了にした。


* 八月二十九日 木

* 秦の父がなくなって、まる十三年になる。昨日のことのように思われる。

* 日々精励の「ペン電子文藝館」が現在どれほどに成っているのかを、ここに書き置いてみたい。九月十七日の理事会までにさらに増えてゆくのは確実だが、 予定も含んで昨夜までで、こういう風になっている。「報告書」のスタイルのまま挙げておく。
 興味のある方、関心のある方は、どうぞ、このまま転載し吹聴し話題にして欲しい。

 無料公開 日本ペンクラブ電子文藝館  (2001.11.26開館)
         http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/
                                
    展観現況 (2002.9.17現在 予定180人超) 

* 日本ペンクラブ歴代13会長 ・現国際ペン会長

島崎藤村「嵐(小説)」  正宗白鳥「今年の秋(小説)」  志賀直哉「邦子(小説)」  川端康成「片腕(小説)」  芹澤光治良「死者との対話(小 説)」  中村光夫「知識階級(論考)」  石川達三「蒼氓第一部(小説)」  高橋健二「翻訳・ゲーテ格言集(翻訳)」  井上靖「道(小説)」  遠 藤周作「白い人(小説)」  大岡信「原子力潜水艦『ヲナガザメ』の性的な航海と自殺の唄(長詩及び英訳)」  尾崎秀樹「『惜別』前後─太宰治と魯迅 (論考)」  梅原猛=現会長・電子文藝館長「闇のパトス(論考)」   オメロ・アリジス国際ペン会長「十三歳の自画像・五十四歳の自画像(詩及び和訳)」

* 物故会員(1935年創設以降入会)

小説 徳田秋聲「或賣笑婦の話」  上司小剣「鱧の皮」  白柳秀湖「驛夫日記」  谷崎潤一郎「夢の浮橋」  岡本かの子「老妓抄」  吉川英治「べん がら炬燵」  横光利一「春は馬車に乗つて」  林芙美子「清貧の書」  高木卓「歌と門の盾」 
詩歌 土井晩翠「荒城の歌及び回想」  蒲原有明「智慧の相者は我を見て及び回想」  与謝野晶子「自撰・明治期短歌抄」  前田夕暮「歌集・収穫上巻」   石原八束「仮幻の詩(俳句)」
戯曲 岡本綺堂「近松半二の死」  福田恆存「堅塁奪取」
随筆 長谷川時雨「旧聞日本橋 抄」
論考 戸川秋骨「自然私観」  三木清「哲学ノート 抄」  加藤一夫「民衆は何処に在りや」  戸坂潤「認識論としての文藝学」  浅見淵「『細雪』の世界」  新居格「文藝と時代感覚(論考)」

* 招待席 日本近代文学の魁 (主として日本ペンクラブ1935創設以前・生年順)

河竹黙阿弥「島鵆月白浪 序幕(歌舞伎)」  三遊亭圓朝「牡丹燈籠 壱・貳回(怪談噺)」  福沢諭吉「学問のすゝめ 初編(論考)」  中江兆民「君民共治之説(論考)」  小泉八雲「文学と世論(講義)」  坪内逍遙「小説三派(評論)」  森鴎外「冬の王(翻訳)」   岡倉天心「美術上の急務(評論)」  中島湘烟「末期の日記(日記)」  二葉亭四迷「あひびき(翻訳)」  若松賤子「いなッく、あーでん物語(翻 訳)」  伊藤左千夫「伊藤左千夫短歌抄」  石橋忍月「惟任日向守(小説)」  夏目漱石「私の個人主義(講演)」  幸田露伴「幻談(小説)」  正 岡子規「萬葉集巻十六(評論)」  尾崎紅葉「金色夜叉第七・八章(小説)」  斎藤緑雨「わたし舟・小唄(小説)」  内田魯庵「文学一斑 総論(論考)」  徳冨蘆花「謀叛論(評論)」  北村透谷「各人心宮内の秘宮(論考)」  高山樗牛「一葉女史の『たけくらべ』を読みて(評論)」   国木田独歩「我は如何にして小説家となりしか(随筆)」  田山花袋「蒲団(小説)」  樋口一葉「わかれ道(小説)」  岩野泡鳴「醜婦(小説)」   与謝野鉄幹「誠之助の死(詩)」  河東碧梧桐「季感に就いて(評論)」  泉鏡花「龍潭譚(小説)」  近松秋江「黒髪(小説)」  島木赤彦「萬葉集 諸相(評論)」  薄田泣菫「ああ大和にしあらましかば(詩)」  有島武郎「An Incident(小説)」  寺田寅彦「喫煙四十年(随筆)」  長塚節「鍼の如く(短歌)」  永井荷風「花火(小説)」  岩波茂雄「読書子に寄 す・回顧三十年(評論)」  北原白秋「思ひ出 抄(詩)」  若山牧水「別離上巻(短歌)」  石川啄木「時代閉塞の現状(評論)」  古泉千樫「古泉千樫短歌抄」  萩原朔太郎「純情小曲集(詩)」   葛西善蔵「馬糞石(小説)」  菊池寛「父帰る(戯曲)」  芥川龍之介「或旧友へ送る手記(遺書)」  葉山嘉樹「淫売婦(小説)」  宮沢賢治 「手帳より(詩)」  牧野信一「父を売る子(小説)」  十一谷義三郎「静物(小説)」  黒島傳冶「豚群(小説)」  梶井基次郎「檸檬・蒼穹・闇の 絵巻(小説)」  田畑修一郎「鳥羽家の子供(小説)」  島木健作「黒猫(小説)」  武田麟太郎「一の酉(小説)」  中島敦「名人伝(小説)」    太宰治「桜桃(小説)」  織田作之助「蛍(小説)」   立原道造「萱草に寄す・暁と夕の詩(詩)」  北条民雄「いのちの初夜(小説)」

* 現理事・幹事   (全40余人。未出稿多し、出稿を待つ。)

伊藤桂一「雲と植物の世界(小説)」  辻井喬「亡妻の昼前」  加賀乙彦「フランドルの冬 抄(小説)」  三好徹「遠い聲(小説)」  阿刀田高「靴の行方(小説)」  秦恒平「清経入水(小説)」  神坂次郎「今日われ生きて在り(ノンフィ クション)」  猪瀬直樹「『黒い雨』と井伏鱒二の深層(論考)」  米原万里「或る通訳的な日常(随筆)」  眉村卓「トライチ(小説)」  倉橋羊村 「有時(俳句)」  新井満「函館(小説)」  高田宏「山へ帰った猫(児童文学)」

* 現会員   (約1900人。 出稿を期待。)

小説 木崎さと子「青桐」  久間十義「海で三番目につよいもの」  崎村裕「鉄の警棒」  武川滋郎「黒衣の人」  武井清「川中島合戦秘話」  倉持 正夫「塔のみえる町で」  畠山拓「水の神」   西垣通「N氏宅にてールイス・キャロルと思考機械」  筒井雪路「梔子の門」  豊田一郎「性と愛」  大久保智弘「海を刻む」  夫馬基彦「籠抜け」    神尾久義「ふるさとの少年」  佐佐木邦子「オシラ祭文」  川浪春香「妖妄譚」
児童文学 松田東「海洋少年団の秘宝」   尾辻紀子「チャプラからこんにちは」  鶴文乃「明日が来なかった子どもたち」
論考  長谷川泉「『阿部一族』論ー森鴎外の歴史小説」  井口哲郎「科学者の文藝ー中西悟堂・中谷宇吉郎・谷口吉郎」  川桐信彦「世界状況と芸術の啓示性」   加藤弘一「コスモスの智慧ー石川淳論」  大原雄「新世紀カゲキ歌舞伎」  篠原央憲「いろは歌の謎」  堀上謙「能狂言私観」  紀田順一郎「南方熊 楠」  志賀葉子「教育と戦争」  佐高信「遺書と弔辞」  宮内邦雄「民主主義の原点」  渡辺豊和「建築風景の再生」  権田萬治「記者クラブ制度改 革論」  秦澄美枝「二つの『高山右近』」  浅田康夫「川村三郎・横浜市会の新撰組生き残り」
詩歌 菊地良江「鼓打つ(短歌)」  米田律子「風のいろ(短歌)」  高橋光義「クレバスに立つ(短歌)」  篠塚純子「ただ一度こころ安らぎ(短 歌)」  和泉鮎子「果物のやうに(短歌)」  日吉那緒「色なき風(短歌)」   福島美恵子「幾春別(短歌)」  櫟原聡「歌の渚(短歌)」  恩田英明「燠(短歌)」  岩淵喜久子「蛍袋に灯をともす(俳句)」  出口孤城「稽 古(俳句)」  佐怒賀正美「四方のくちなは(俳句)」  森玲子「銀座(俳句)」  村山精二「特別な朝(詩)」  山中以都子「訣れまで(詩)」    紫圭子「春分点(詩)」   平塩清種「季節の詩情(詩)」   池田実「寓話(詩)」  牧田久未「世紀のつなぎめの飛行(詩)」  島秀生「生きてき た人よ(詩)」  山田岳「エピタフ=鎮魂碑(詩)」  速川美竹「微苦笑(川柳)」 
随筆  伊吹和子「川端康成 瞳の伝説」  渡辺通枝「道なかばの記」   竹田真砂子「言葉の華」  平林朋紀「北斗七星」  望月良夫「ある邂逅」  濱幸子「日本の文様」
翻訳 田才益夫「カレル・チャペックの闘争 抄」
広場 大原雄「テロと報復軍事行動の狭間で、何を見るべきか」  大林しげる「怒らねば」    阿部政雄「もう一度人類のルネサンスへ一歩踏み出そう」 

*次年度方針として、本館の「掲載満一年経過」出稿者の新たな「同分野の一作追加」が理事会で承認されています。 *「異分野の追加」は、編輯室より別途 に「依頼」された場合に限ります。

       (日本ペンクラブ電子メディア委員会 ぺン電子文藝館 報告)
                                      
* 現理事や現会員の出稿は本人意志にゆだねてあり、しかしディスク等での出稿規定ど、技術的な隘路もあり、急速に数が増えるとは観ていない。だが、ゆっ くりと水かさを増してくるはず。物故会員の場合は遺族・著作権継承者との折衝が必要で、これも技術的にお手伝いしながらゆっくり進めてゆく。技術的なお手 伝いはどうしても必要である。
「招待席」の充実は、ますます質的に拡大可能であり、主幹として、わたしは此処に当面充実の意欲をもっている。これが、そのまま、いわば「日本近代文学 史」の大要を成して行くからだ。 現在の会員達は(文藝家協会会員にしても同じであるが、)こういう先達の後進なのである。先達の切り開いた道を各自に歩 んでいる。その、どう歩んでいるか、会員各自の自己証明かのようにして、「ペン電子文藝館」は企画され、展開存続してゆく。理想が維持される限り、半永久 的な「読書室」として残ってゆく。
 いかに過去の人は勝れていたか、今をときめく人とはいえ、比較してどんなものかと、自然、眼識ある読書人ほど厳しい眼を向けるであろう。その厳しい批評 に応えてゆくこと、それが、現代の文藝・文学に大切なこととわたしは考えている。追随ではなく、新たな展開。それは、かりにも日本ペンクラブや日本文藝家 協会に「会員」として名を連ねている者の一つの励みでなくてはなるまい。虚名に甘えていられない。佳い「出稿」がますます待たれる。


* 八月二十九日 つづき

* 「わたし舟」ありがとうございます。縦書に直し、プリントさせていただきました。「凄い母親が書かれている」と洩らしておいででした。その通り、一息 に読まされました。
 こんな母親がいるのかというおどろきもさりながら、こうした面――闇とか悪とかでは言いあらわしきれぬどろどろした穢いもの――も持ち合わせているのが 人間なのかと、ふるえる思いがいたしました。 最後の「仰げば星出たり」に、同舟してこの一部始終を聞いた人物が長歎息しつつ天を仰いださまがおもわれま した。
 舞台は、母親の伝法な物言いから想像しますに、隅田川のどこかの渡しでございましょうか。梅若丸の母の渡ったあたりかなどと、想像もされます。
 犀星の養母ものに、同じような母親が描かれていたのを思い出します。「シャ」にする手間もかけず「モノ」や娼妓に養女たちを売りとばす。「ばくれん女」 と犀星が言っていました。
 『わたし舟』は実母のようですから、その、無惨というか凄みは、犀星の「ばくれん女」の比ではないとおもいました。
 「散らしは品に障る」の「散らし」がわからなくて、いま、手もとの辞典のたぐいにたずねています。
 それと、人間の凄さをわずかな字数を以て描ききったひとの、小唄。
 「作者の心の闇の深さが察しられる」とおっしゃってですけれど、『わたし舟』を読んだばかりの心には、ほっとするところもあって、いっしょに泣けるよう な気がいたします。
 「ペンは一本、箸は二本」と言ったのは、『わたし舟』の作者でしたでしょうか。

* 「散らし」はたぶん街娼というか、相手構わずの「見ず転」をでもいうのであろう。藝達者に、情緒纏綿の舞台で寸劇としてしみじみ演じさせてみたい。昔 の六代目菊五郎の母親に当時の三津五郎の船頭とか。花柳章太郎とか。藤間紫とか。

* 前田愛の「樋口一葉の時代」を持ち歩いて読んでいる。わたしの好きな岸田俊子の頃から書き起こされていて、頗る、おもしろい。下田歌子といった、もと もとはそうでなかったと思うが明治政府のぐちゃぐちゃの地獄に堕ちて汚辱にまみれた女のことも書かれ、一葉はその下田歌子の社中にいた。この社中には「藪 の鶯」を書いた三宅花圃がいて、一葉を刺激した。花圃は逍遙の「当世書生気質」をみて、これなら書けるわといわば「当世女学生気質」を書いたのだが、それ も「ペン電子文藝館」には取り入れたい。一葉は「藪の鶯」がお金になるのならと、まちがいなく原稿料だけが望みで書き始めた。華族の子女にまじってそうい う社会に屈辱をかみしめながら出入りしていた一葉が、そのような嫉視と憧憬と虚栄心から一切抜け出してしまえた時に、あの「おほつごもり」「にごりえ」 「たけくらべ」等の傑作が生まれ始めた。一葉の世界と緑雨の「わたし舟」とは膚接していたといえる。その実感が、今日一日、わたしの気分を少し重いものに していた。

* 歯医者から新宿へ出て濁り酒を二合呑み、八海山を少し呑み、焼酎の無一物を呑み、保谷の駅でビールを呑んだ、明日は診察日なのに。べつに何という理由 はなかった、ま、父の命日だという思いがあり、酒の飲めなかった秦の父にかわって呑んだというような理由にも成らないことを書き留める以外にない。夕食も 食べずにぐっすり寝た。目覚めて入浴。寅さんの映画は敬遠し、小林秀雄の戦時中の講演録を読んだ。小林さんに、名刺に「謹呈秦恒平様」と自筆の添ったのを 挟んで大著『本居宣長』を頂戴した。ふしぎなことだ、今頃、わたしは小林秀雄を読んでいる。

* 内田魯庵の「文学一斑」総論の校正を始めた。指を折り、数えてみると、この労作は魯庵がまだ不知庵と名乗っていた弱冠二十四歳の著述なのである、彼は 大学生であった。しかも、この著述はその後の文学者や文学青年達にかなり長く感化し得たのである。世に「評論時代」といわれるものを石橋忍月と共に招き寄 せたのが魯庵であった。
 小泉八雲は、「文学」としては、小説、物語そして詩を重視した。その国をしてほんとうに広く他国の人に親しみ敬愛せしめうるのは、いかなる概説でも案内 でも批評や論考でもない、間違いなく勝れた「文学」作品こそが、それだけが、国と国民とを正しく深くみごとに伝えうる、と云っている。その証拠の一つとし て、ロシアが、かつてヨーロッパでは人間の住む国と思われていなかった、その政府と軍隊に至ってはヨーロッパの「悪夢」以外のなにものでもなかった、の に、プーシキンがあらわれ、ツルゲーネフが登場し、トルストイ、ドストエフスキーが活躍するにいたって、ロシアの国と自然と国民の暮らしや感情は遺憾なく ヨーロッパの敬愛を集め得た、と。どれほどの国力と外交と概念的解説が積み重ねられようとも、天才の勝れた文学作品の一つにも匹敵し得ないと、八雲は『人 生と文学』の冒頭に力説していたのである。彼はそういう日本人の書き手が自分の教室から出ることを心から望んでいた。

* 小林秀雄は外国人には読まれない。川端康成は読まれるのである。だが、それはそれである。小林秀雄の意義をうしなわせるものではない。


* 八月三十日 金

*  残暑の夜に  もうすぐ秋というのに、暑さはしぶといですね。先日福岡に戻ってきました。元気にしています。
 2週間ほど新潟にいたのですが、人も街もあんまり懐かしくて、懐かしんでいるうちにこっちに戻ってしまったという感じ。父と母はもちろん、久しく会わず にいた友人たちも変わりなく元気で、楽しい2週間でした。
 いまは本当に「南の旅人」なんだなあという実感が、日々強まっています。九州の人、言葉、景色、どれをとっても新鮮そのものです。馴れることとは別に、 いまの新鮮な気持ちを大切にしていきたいと思います。
 電子文藝館、素晴らしい作品ばかりで…堪能しました。
 「死者との対話」「時代閉塞の現状」そして「知識階級」。これが本当の「歴史の勉強」だと思いました。「闇のパトス」もよかった、いまの梅原猛からは ちょっと想像のつかないおもしろさでした。
 「いのちの初夜」には息をのみました。読み終えたあとの気持ち、どう言葉で表現したらいいものか…ただ、秦さんがこの作品を選んでくださったことを、心 から感謝します。
 「遠い聲」にも圧倒されました。死刑囚を扱った小説はいくつか読みましたが、どれもこの作には及ばないと思います。
 ずっと読みたかった「夢の浮橋」もよかったけれど、「鱧の皮」と「醜婦」が新鮮でした。ぐんぐん惹き込まれました。最も印象に残ったのは、この2作かも しれません。
 また時間を見つけて、いろいろ読ませてもらいます。
 「天体観測」は見ています、が、両親は「見ていて疲れる」と、厳しい意見です。面白いと言って欠かさず見ている友人も何人かいます。ただ、建日子さんは 本当にあれで満足しているのかなあ…と、毎回思います。
 書きたいもの、少し進めました。が、いまは敢えて待っています。9月に試験があるのも理由のひとつですが、九州の地でもう少しがまんしてみます、どんな ものに出会えるかを。
 次の「湖の本」、楽しみにしています。ただ、身体には気をつけてください。迪子さんともども、どうかお元気で。

* 朝いちばんにこういうメールに触れると、顔一杯に心地よくシャワーを浴びるような嬉しさを覚える。すかっとした青春が感じられる。

* ♪届いた短い手紙…「結婚するって本当ですか」という歌がありました。初めて読んだときも、そして今回も、「結婚したかったわ」に「なんでェ?!」。
 違うのに。幸せになれないのに。
 今朝のラジオで、DJの「夏休み、最後まで残る宿題は?」という問いに、リスナーは、算数ドリル、工作、自由研究、日記、そして読書感想文と答えていき ます。頷く雀。
 奥付に1989年とありますから、最初に読んだ時、雀は26才でした。あの時も、そして今も、「秦さんらしい」と思う「畜生塚」。
 囀るのが難しい! 感想文に悩んだ子雀時代に戻ります。少しづつメールします。

* わたしの畜生塚は、小説らしい小説としては処女作にちかい。書いたのは1989年よりも二十数年むかしのことだ。わたし自身が三十になっていなかっ た。この囀雀さんの「畜生塚」感想は、この人自身をはからずも語っているのかも知れない。結婚しても「幸せになれないのに」と思っているらしい人は多い、 あまりにも。それは分かる、わたしにでも。そして、いろいろなリクツをつけてその状態とあらがっている。古くして新しい難問だ。


* 八月三十日 つづき

* 出がけに至急の校正や何かが舞い込んで、かなり気がせいて家を出た。一時半の予約診察だったが、勘をはたらかせて正午に病院に入った。検査を済ませ糖 尿外来に行くと、案の定がらがらで、すぐ先生の診察が受けられた。全く問題ないとのことで、簡単明瞭、必要な薬品や検査用品をもらっただけで、十二時半に は病院を出た。それはいいが、今年一番のがんがん照りに額も首筋も焦げそう、早々に地下鉄へ逃げ込み、有楽町で途中下車し、帝劇モールの例のご贔屓「きく 川」に入って、鰻。塩もみのキャベツ。そして菊正一合。前田愛さんの「樋口一葉の時代」と、今度の湖の本の跋文を、ゆっくり読んでゆっくり息を入れた。あ たりはずれのないご馳走で、満足するのは確実、こういう店を都内のあちこちに何軒も持っていると、どこででも楽しめる。戦時中の欠食児童は、どうにも食い 気ばかりは根強く残っていると見える。
 わたしは美食家ではない、好き嫌いももう偏食といっていいほどだったが、ま、とにもかくにも食事はまだ楽しめるのが嬉しい。ただしいつも糖尿病の顔は立 てるように気遣っている。病院へ行くたびに医師も看護婦も、ほとんど手放しでほめてくれる。

* 保谷へ戻ってから、「ぺると」に立ち寄り、若いマスターと住基ネットのことなど、話し合ってきた。

* 晩、「北の国から」の「記憶」編後編を見た。記憶に新しいところが、気持ちよくダイジェストされていて、やっぱりしたたか泣かされた。中島朋子の蛍の うまさときたらないし、宮沢りえのしゅうのいとしさは、この女優の多くの作品の中でもとびぬけてピュアに懐かしい。こんな魅力的な「女」像の構築出来るだ け、この女優は、ほんとうにすごい底力をもっている。きれいなだけではない。しかし中島朋子の蛍は、宮沢りえに負けてなどいない。それとショウキチ君の凛 々しくも寡黙にいい青年に育っていたことは、どうだろう。
 ドラマは、蛍とショウキチの結婚式で、そして父親とジュンとの二人の夜でほとんど大団円とみてもいいのだが、なおまた今度「次」が続くという。それで最 期の最後だという。いいドラマが観たいものだ。

* そして「ER」を観た。贅沢に心嬉しい二つのドラマであった。


* 八月三十一日 土

* メールで写真や図像を送ってくる人が増えているが、ひらいてみるとたわいなく、先方の思うほどは伝わってくるものが無い、なんじゃ、これはということ がママある。胸にしみいるほど美しいか、こちらの関心に突き刺さってくるモノがいい。美学の要諦だが、自分のいいと思うモノが人にもいいという保証はない のだ。個人的なモノは「闇に言い置く」にとどめた方が佳い。

* 怖れがあると隠す。秘める。秘め隠すことで不自由ながら安全を得たり、おそれから逃れ得たと思う。人が秘め隠しているモノなど、そんなにたいしたもの ではない。大概は家庭や家族の秘密というやつである。隠し秘めることを行儀作法にしているわけではない、何かをおそれているだけで、いわば体面であったり 体裁であったり。関係もない他人のそれを暴く必要など全く無いけれど、自分のそれは、まず大概は隠して置くほどの価値も意義もない。
 わたしは、自身に関するかなり多くを、ふつうなら生涯秘め隠すほどのことを、露悪的にではなく普通にもう公開してしまっているから、少なくもその件かの 件からは、実に自由になっている。
 抱き柱は要らないと云っているけれど、わたしがその境地に入っている意味では、やはり無くて、そうあるべきだと努めている階梯に在るにすぎない。それで も、やはり抱き柱に縋っている間は何かを懼れているのであり、怖れから逃げたいのであり、突き詰めればその怖れとは「死ぬるさだめ」であるだろう。だが何 に抱きついても、おそれは容易には失せないにちがいなく、と云うのも、不自由のままだからだ。
 自由は人間にとって恐怖に値する一種の刑罰だとサルトルの云うように、自由に堪えられるのはなみたいていでない。むしろ普通、人は自由でなんかありたく ないと思っている。安全そうな抱き柱のあるほうがいいのだ。抱き柱をすべて手放しても確乎として生きられれば、おそれなく死ねる自由に近づいている。自身 の自由を自身で認められる。だが、普通はそのような自由こそ、恐い。一切が自身の責任で生きるのだから。そんなことはなかなか可能なことではない。だが、 ブッダは、そうであろう。
 口ほどになく、抱き柱をみな棄て切れたとはとても言えない。だが棄てたいと、かなり堅く願っているし、努めている。両手ともに手ぶらのまま、歩いてゆき たい。歩きながら「待つ」のである。呵々と大笑いの出来る機を。

* 神雨霑灑。  吉野川川上、丹生川上神社上社の額に彫ってあるそうです。雨女としては、ぜひおまいりしたい神社です。
 今日も、尾鷲に雨の予報。名張もここ数日で随分降って、昨日などは、あっと思う間もなく、ばらばらッと大粒の雨。濡れ雀になりました。
「晨」という文字を思い出す今朝の空。虹が消えてゆきます。そちらは熱帯夜が続いているようですが、お体の調子はいかがですか。ご自愛のほどお祈りいたし ます。

* 日射  昼寝のあと、ひとしきり遊んできた子雀を迎えたのは、笊に盛られた、茹でたての枝豆や玉蜀黍。畳に差し込む日の翳る、こんな頃には、唐芋に変 わります。
 数年の芝居通いで、手拭が小さな箱いっぱいに溜まりました。この春の晩れ、全ておろして、毎日、台所で使っていますが、夕日を浴び、ぺったり座って、洗 濯したそれを畳んでいると、おしめを畳んでいる錯覚におちいります。バリバリとした手触りが、柔らかくなって、日射しが変わったことを知らせます。三日前 に、鈴虫の音を聞きました。目の前の田では、稲刈りが始まっています。

* 殺風景なこの「私語」のなかへ、こういう新鮮な景色が加わってくれると、われながらほっとする。

* 恋がうまくいかないので、自分の気持ちに締めくくりをつけるため、けりをつけるために彼女に逢うという。青年よ、止めた方がいい。恋はフェイドインで 始まり、もし終わるしかないなら、フェイドアウトが自然。少しでも懐かしい佳い記憶を大事にしておくためにも。

* ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、そしてキャサリン・ロスの「卒業」を楽しんで「聴き」ながら仕事した。さらにはメル・ギブソンとソ フィー・マルソーの「ブレイヴ・ハート」も感銘深く見直した。このような歴史映画が好きで。
「卒業」のキャサリン・ロスの感じよいこと、それにくらべてダスティン・ホフマンにはなかなか馴染めない。挿入されている音楽の楽しめるのも嬉しい作品 で。湖の本の発送用意の作業期にはこういうビデオ撮りしておいた海外映画がとても役に立ってくれる。仕事のお守りをしてくれる。

* 合間に、魯庵の「文学一斑」を校正している。なにしろ二十四歳の著作である。つまり二十四歳にもなれば、もう若輩ではなく、其の気なら堂々とした一人 前以上の仕事が出来るということ。気概と気勢に飛んだ筆致の中に、冷静な論理構築があり、勉強の成果とも魯庵その人の見識ともうかがえ、興味在る言説が積 み重ねられてゆく。われわれは「文学」「文学」といっているけれど、思えば不思議に奇妙な二字ではないか。魯庵はそのことを真っ先に取り上げて「文学」を 定義しようとしている。漱石が「文学論」の冒頭に算術のような数式めいた形で文学の定義を下したのは有名だが、魯庵のは、それよりもかなり早い時期に若く して思索されている。若いと云うことの輝きが、明治の文人達には溢れていた。今の五十六十の、それも文学よりの大人達よりも、はるかに文藻にも見識にも富 んでいた。

* やがて招待席に招き入れる中島湘烟いや岸田俊子は、京都の呉服屋の娘であったが、幼少来の天才少女で、数え十六歳で宮中に迎えられ昭憲皇后に「孟子」 を講じている。しかも三年後には宮廷を辞して、日本初の女権拡張の志士となり、各地に演説し、投獄もされて屈することなく、景山英子ら後進の女性達をすこ ぶる鼓舞激励したことは、女性解放運動の歴史に特筆される。二十歳を過ぎるか過ぎぬかの活躍であり、後には初代衆議院議長中島信行と結婚し、フエリス女学 院の初代の学監に就任し、しかも若くして亡くなったが、亡くなる数日前まで書かれていた日記の気丈にして平静なことは、舌を巻かせる。

 
* 九月一日 日

* 抱き柱は要らないというのが、わたしの、いわば主義や意向や姿勢であっては何の意味もなく、つまりその「考え」に、「志向や考慮」に囚われているわけ だから、自由でも何でもない。そこに間違いなく「わたし」が存在しているのだから、そんな状態はただの一つの「主張」の状態であり、主張そのものに抱きつ いている。それではいけない。

* 小泉総理の北朝鮮訪問の決断には一応の歓迎を惜しまない。だが、アメリカによる派遣特使に過ぎないのも明白で、一つ間違えば動きの取れないことにな る。根回しが効いていて小さな結果の一つ二つぐらいは持ち帰れるかも知れないが、日帰りの形ばかりの首脳会談からうかがえるのは、先方の困窮状態と、アメ リカの対イラク強硬姿勢に東洋での波風は困るというご都合、あくまでブッシュの忠臣たらんとする小泉のパフォーマンス、だけ。拉致された誰か一人でも連れ て帰るのに、北朝鮮は相当なおねだりを厚かましくしてくるだろうし、小泉をピョンヤンまで引きずり出した「国威発揚」を大いに国内に喧伝するだろう。対北 朝鮮奉聘使は、手みやげのタダ取られに終わるのではないかと総理のガンバリに期待したい。

* 映画「オペラ座の怪人」に、例によってしたたかに心を動かされながら、一気に作業を一山二山片づけた。あとは、封筒にハンコを押し、宛名ラベルを貼り 付けて、一つ一つに異なるアイサツを入れておく仕事、全国の大学研究室や各界への寄贈アイサツをプリントし、カットし、今回分の新しい寄贈先を思案する用 事が残っている。この仕事は商売にはならない、むしろ寄贈の形で文藝活動の実際を適切にひろく知らせることの方へ傾いている。原稿料や印税の収入が限りな くゼロに近づいていて、そのなかで、この事業を維持してゆくのは相当に厳しい。製本した分がかつがつ回収できればそれでいいのだが。

* 映画はテリー・ポロのクリスティーヌ役が人も歌唱も澄み切って美しく、好きなバート・ランカスターのキャリエール役が素晴らしいが、何と云っても仮面 の怪人への感情移入が深くて、もう十度以上観ているが胸を絞られる。数多いビデオの中で妻とわたしが一致して愛蔵の一番に選ぶのは「オペラ座の怪人」では あるまいか。夜に放映で観た「ノイズ」という映画にも、なにとはなくひきこまれていた。

* 何といっても一つ胸に落ちて歓迎したのは、長野県知事選挙での田中康夫前知事の圧勝で、当然の結果。対立候補があまりにたわいなさ過ぎた。女弁護士の 動きなど型どおりにしかも小さく縮こまった戦い方で、こんなのが万一当選すれば、県議会のオッサンたちに何をされるか分からないと、可哀想なほどであっ た。ま、至当な結果で、県議会はほんとうに愚かであった。さあ、かれらはどう責任を取るのか。


* 九月二日 月

* バグワンは、ブッダの言葉として「思考の被覆」ということを云う。これは荀子の「蔽」と同じ意味であろう。思考の被覆をとにかくこそげ落とすように、 はぎ取ってはぎ取って自由=無にと、バグワンは適切に語り続ける。荀子は「蔽」を、つまり心に覆い掛かる無数の襤褸を「解」つまり脱ぎ捨てねばと説く。怨 憎会苦。また嫉妬や怒り。さらには名誉欲や知識、見識の高慢。思考は、ものを分断し分割してかかる特性を持っている。さもなければ機能しない。それは犬で あると、他から分ける。それは正しいと、他から分ける。それは美味しいと、他から分ける。この分けることに秘められた習い性の「毒」に気が付かないと、人 間はただの「分別」くさい「分割屋」になり、ものごとを、分けて分けて分けて、分けきれない小ささの前で縮こまる。トータルにものに向かう、いやトータル のなかにとけ込むことが出来ない。むしろ常にそれに逆らい続けている。思考の被覆、蔽、はそうして雪の降りつむように「心」を不自然な純でないものにす る。ハートやソールが、思考機械のマインドに変質する。そして気にする、こだわる、惑い迷う。

* バグワンは、思考するなといったバカは云わない。思考は生きるための有用な機能であり道具である。手段である。機能や手段や道具に「使われるな」と云 うだけのことだ、たいへんなことだけど。道具はいつもそばに置いて、必要に応じて用いながら、それと悪しく一体化してしまわない。わきに、そばに、置いて おくように。思考が自然に生きて働いている者と、思考をウンウンと用い使って生きている者とは、べつのもの。拘束的な思考は過去から来る、規範や習慣や誤 解の形で。それに従っているだけで自分が自然に生きていると思いこむのは、とんだ見当違いだとバグワンは云う。そういう思いこみは、自分が自分で、呼吸な ら呼吸をコントロールしていると思う錯覚と同じだ。試みに息を止めていられるか。自分のもののようで、誰も自分の呼吸=命そのものを自由になど出来ない。 自分なんてものにとらわれて過大に過信しているところから、大きな間違いが歪み歪んで肥大し増殖する。

* ま、こんなことは、言葉にしてみても始まらないし、それが間違いのもとになる。なにも考えずに観じているものの有る、それでいいようだ。「なんじゃ い」と、さらりと思い棄てて、しかも静かに努めたい。楽しみたい。祝いたい。

* 今日は終日歌舞伎を観る。


* 九月二日 つづき

* 眩しくて額の焦げるような、だが初秋を感じさせもする日差しの下を歩いて、保谷駅まで。あとはもう歌舞伎座まで乗物を乗り継ぐだけで。

* 昼の部序幕の「佐々木高綱」は岡本綺堂の駄作。何一ついいところはなかった。これは作が悪い。そして通し狂言「怪異談牡丹燈籠」も、体温の低い、盛り 上がらない、締まりのない芝居で、吉右衛門も魁春も東蔵も各二役を器用によく頑張っていたし、梅玉の萩原新三郎も芦燕の志丈も、個々にはとくに悪いわけで はないが、大圓朝の口演からの「脚色」に熱気がない。冷え冷えと、スロー。これでは、木戸銭を返せといいたい。
 二日目で、利根川進氏、藤田洋氏、小田島氏ら顔なじみ、顔見知りの劇評家や記者達が大勢来ていたが、立ち話してもどうも芝居の評価はよくない、無理もな い。
 吉兆の昼飯だけがいつものように旨くて、昼飯の景品に歌舞伎をみたような気分。おまけに昼食の途中で前の仮の差歯がすぽりと抜けたのには仰天、急場は差 直して凌いだが。やれやれ。

* だが夜の部は、バラエティあり、そこそこ充実して、昼の憤懣をほぼ忘れさせてくれたのは有難かった。
 何より序幕で、わが友我當が、お家藝の「時平の七笑」を好演してくれたのが嬉しく、玄人受けの程は問題にしないとして、友人として大いに感激、盛大に拍 手を送った。
 菅原道真を謀叛の咎で宮廷から辱めて流罪にする場面へ、政敵藤原時平があらわれ、面を正し誠をみせて道真を庇う、が、謀叛の動かぬ証拠があらわれ救うに 手だてなく、道真は時平の温情に感激しながら流刑の途につき、立ち去る。見送る時平がひとり花道にのこり、そして笑い出す。舞台に戻り、冷笑、嘲笑、快 笑、哄笑、大笑。すべては時平の仕組んだ罠で道真は貶められていたのだった。幕が閉まってからも、舞台の奥でなお笑い止めない時平。
 芝居としてたいへんよく出来ており、役者冥利の面白い役。長大な通し狂言の途中一部を独立復活させたもので、我當の父や祖父仁左衛門がいい形に練り上げ た。最近は我當がほぼ一人で演じている。
 父親の我當はいいが、息子の進之介の判官代輝国は全く成っていない。せめて視線は定めてきょろつかないでもらいたい。行儀整わず観ていて可哀想なほど。 暗澹とする。

* 二つ目は芝翫の歌舞伎踊り、一人舞台の「年増」で、息をのみながらカップ酒も呑み、感嘆。文句なく感嘆。

* 三つ目は「籠釣瓶花街酔醒」で、雀右衛門の八つ橋は老齢で危ういが、台詞はじつに美しい。情感は過剰なほどで、花道での流し目はすこしくどいと感じ た。二代目吉右衛門のあばた面佐野次郎左衛門は、愛想づかしの場面と大詰めがよく盛り上がった。八つ橋の道中に魂をぬかれる場面で、観客から笑いが出るよ うではいけない。初代吉右衛門の恍惚と放心の芝居は神技であった。今の二代目は、器用な役者過ぎて、そこが三枚目になってしまうのはいけない。初代の舞台 では観客まで息を呑んで茫然としたものだ。
 我當の立花屋も魁春の女房も気持ちの佳い役をさらりと好演。とくに梅玉の栄之丞は何度も観ていて彼のはまり役だが、過去、今夜の程しっくりしたのは観ら れなかった。梅玉は父歌右衛門の没後、悠々と芝居にゆとりが出来てきて、実は嫌いだったのが、逆にだんだんこの頃好きになってきた。何といってもこの狂言 は骨格が出来ていて、繰り返し観ても飽きないのがえらい。特別上出来とは云わないが、昼の「牡丹燈籠」など比べものにならない面白さであった。満足した。 切れる籠釣瓶での殺しが、八つ橋と仲居一人の二人だけで切り上げたのも、すっきりと美しかった。大勢を切り倒し栄之丞まで切ってしまう普通の演出は、まさ しく大歌舞伎ではあるが、少し重い気分になる。どっちがいいとは判断しにくいが、今夜は、今夜のがすっきりした嬉しい後味だった。

* 大切りの、「女夫狐」が儲けもの、楽しかった。時蔵と梅玉の狐に、扇雀が楠正行を付き合った。弁内侍実は千枝狐の時蔵の、踊りの佳いのに、感心した。 お、こんなにうまかったかと。そして美しく。また又五郎実は塚本狐の梅玉も、鷹揚な立役の踊りで楽しませてくれた。初役であり、かなりしんどい所作やケレ ンのある踊りだが、苦もなく楽しんでいるように見え、あのやせぎすの神経質だった梅玉が、ふっくらと童顔にすら見え、綺麗なのにも感じ入った。芝居は忠信 狐の二番煎じなのだが、鼓の皮に張られた親狐を慕って雌雄の子狐が人としてあらわれ、鼓の持ち主正行にまみえる筋書きは、それだけで、ほろりとさせるもの が有る。
 サービスのいい四番目で、気持ちよく打ち出され、歌舞伎座を出たのが、九時過ぎ。夫婦して終日の芝居見物、いいものだ。
 車で日比谷へ。クラブで「山崎」をあけ、軽く夜食し、コーヒーも呑んでから、帰途に。そして今年の夏はひとまず終えた。秋本番に入る。

* たくさんメールが来ていた。郵便物も。


* 九月三日 火

* 内田魯庵の満二十四歳に出版した『文学一斑』の総論を、読み直して、入稿した。年齢的に云えば今なら遅めの卒論か、早めの修士論文の時期だが、そうい う目的で書かれたのではない、一文学者として本格の著作になっている。若々しいが未熟ではない。気概に富んで適切な論説がつづく。

* 魯庵、当時は不知庵主人と名乗っていたが、彼と同世代、むしろ一つ二つ年長世代の若者達の「天体観測」十回目を、いま観た。美冬の動きに少し過剰なギ クシャクを感じていた。トモヤ君のきわどい演説にも、とくべつ動かされるものはなかった。あの「反則」演説はわたしにはバカバカしかった。
 わたしも、あのようにして、一日のうちに突如「時の人」になり、各新聞に出、受賞発表の桜桃忌には七時のニュースにさえ名前を読まれていたそうだ。はで な記者会見もあった。だがあの受賞にも、強いて云えば反則に近いことがあった。わたしは応募して候補に挙げられていたのではない。知らないうちに知らない 人達の意向で作品が最終候補に差し込まれていた。わたし自身の反則でも異例の行為でもなかったが、何にせよ、わたしはそんなことには毫も斟酌しなかった。 人生は面白いなと思ったし、それまでの自分の意志と希望とはきっちり生かされていたからだ。
 トモヤの反則記録とて、あの深海での苦しい間際での朦朧とした逸脱行為であり、そんな反則自体も彼の体験としてはよく生きた。それでよろしい、マスコミ が勝手にもてはやしたのは、マスコミの意志でしかない。何を抗弁しても引っ込むようなマスコミではない。
 ことニュースになるものなら、是であれ非であれ、それはそれで食い物にして歓迎するのがマスコミというものだ。話し方次第とわたしが言うのは、そこであ る。その話し方にこそ、トモヤ君は「個性」を発揮すべきであった。あれでは人物が小さい。ハイヤーに乗せられて運ばれるトモヤが、既にして囚人かのようで あった。あれこそ自分の責任である。溌剌とした劇的展開とは言えない。
 それよりもタケシ君たちのペアに、心を惹かれる。ああいう詐欺がらみの犯罪蟻地獄は一つ間違えば「普通の市民」を手ひどくまきこむ。能力があればなおさ ら利用されて物騒だ。タケシとユリが、どう力強く乗り切って闘うかは、脚本家の腕の見せどころではないか。気になるといえば、そこだ。とんだ悲劇が来るの ではないか。何にしても安易にして欲しくない。
 恭一の前の上司、恭一の前の後輩、サトブーの夫。タケシたちを脅しに掛かる男。ああいう人達の心の内にこそ「天体観測」を支えるリアリティーの巣があ る。
 あの上司は恭一を意図して絞っていた。わたしでもああして部下を絞ったし、また絞られる立場にいた頃は、ガンとして頑張った。
 あの後輩のような薄いヤツは、どの社会にもいて、本人だけが気付かずに自分自身をじつは痛めつけている。ああいうのも、いる。そして、ああいうのと、ど う汚染されないよう距離をあけつつ必要に応じて付き合うかは、サラリーマンなら身につけるしかないテクニックである。
 ああいう夫は、いたるところにいる。じつはああいう妻もいたるところにいる。結婚とは、水を満杯にした器を二人で持ち上げて、幾山河をも越えて歩き続け ることだ。そのうちに余儀なく水はこぼれて減る。からにする夫婦もいる。ひどいのは、片方が手を放している。両方で放してしまっているのも、いる。
 サトブーの夫婦は、夫の方は、はじめから水盤を持とうともしていない、妻一人でウンウン言って運んできたようなものだ。ああいう夫はじつにリアリティー がある。むしろああいう妻の方が、かなり無理している。
 タケシを追い回して使ってきたあの男には、ドラマの最初から心惹かれていた。役者もいいが、ああいう存在はさながら「現代」である。善意を装った凶悪な 悪意。そのシステムがフルに活動したときの怖さ。「天体観測」が伝えている現代像のあれは最たるもので、比較すれば、若者達のいささかデレデレとしたドラ マは甘く、展望にも乏しく、無理に求心的に求心的にと仲間に仕立てられている。友人というのは、激しい遠心力で離れてゆくエネルギーも持ち合わねばならな いのに。
 ただ、ま、生真面目にやっているので救われる。それは裏返すと、観ていて「疲れる」ことでもある。疲れてもいいから、真面目にゴールを突き抜いて走って 貰いたい。「2002年9月」という再現実の時点を麗々しく示していたと思うが、それならば、彼等の関心に首相の訪北朝鮮、田中康夫の長野県知事圧勝など の影も差さない、差しようもないことが、ま、いいけれど、気にはなる。こういうこと、おまえたち「何、考えてんだ」と。躍起になって考え考えしているよう でいて、意外にそれがよく見えてこないドラマだ。

* それからすると斎藤緑雨の「わたし舟」は、ごくの短編小説だが、すごい。舞台を観ているように心から失せない。書いたときに著者は、「天体観測」のラ イター、秦建日子と同じ三十四歳だった。緑雨が文才を示したのは十二歳ごろであった。わたしの息子が初めて「思想の科学」に原稿を寄せたのもそのような年 ごろだったろう。緑雨は正直正太夫と名乗り、超絶の辛口批評家であった。「箸は二本、筆は一本」と言った。

* ついでながら今ひとつ加えておく。うら若き政客たりし岸田俊子が、皇后の侍講の地位を去り、決然決起して女性解放・女権拡張を江湖に訴え、演説会の華 として大評判であった頃の漢詩である。さきのものは、宮中に満十六歳で入っで二三年、明治の政治に激しい違和を感じた頃のものである。世は堯舜の聖代を言 祝ぐかのようでいながら、此の明治の御代のどこに堯舜の政治があり、どこに心楽しき堯舜の民の平安が見られるかと喝破している。二十歳以前の作である。
 次のは、前書きの通り。「学術演説会」とはいえ、女性の解放を凛々と説いたのが咎められての投獄であった。この時の詩編は数多いが、最初の一編を意訳し た。一八六三年に生まれて、初めて投獄されたのは丁度二十年後であった。

* 宮中読新聞有感 宮中に新聞を読みて感有り
宮中無一事   宮中 一事とて無く
終日笑語頻   終日 笑語頻りなり
錦衣満殿女   錦衣し殿に満てる女
窈窕麗於春      窈窕とし春より麗し
公宮宛仙境      公宮はあだかも仙境
杳々遠世塵      杳々と世塵を遠ざく
幸有日報在      幸いに日報在る在り
世事棋局新      世事も棋局も新たに
一読愁忽至   一読忽ち愁いは至り
再読涙霑巾      再読涙は巾を霑せり
廉士化為盗   廉士化して盗となり
富民変作貧      富民変じて貧となる
貧極還願死   貧極つて死なんとし
臨死又思親      死に臨みて親を思ふ
盛衰雖在命      盛衰は命なりと雖も
誰能不酸辛   誰かよく酸辛せざる
請看明治世   請ふ看よ明治の世は
不譲堯舜仁   堯舜の仁に譲らねど
怪此堯舜政      怪む此の堯舜の政に
未出堯舜民      堯舜の民未だ出ぬを

* 明治十六年十月十二日、学術演説会を滋賀県に開けるに、はしなく警察官吏の拘引するところとなり、留めて監獄中に送らる。斜雨柵に入り寒風骨をきる。 此の夕べ母は旅窓にあり、余は思ひ構へて夢見る無く、たまたま詩を賦す。

仮令吾如蠖曲身   たとへ吾れ蠖の如くに身を曲ぐも
胸間何屈此精神      胸間何ぞ此の精神を屈せんものぞ
雨声無是母親涙      雨声は是れ母親の涙には無くして
情殺獄中不寐人      獄中に不寐の吾が意志よ強かれと


* 九月四日 水

* さて何ということもない一日であった。「させることなし」と書かれた昔の日記記事をよくみるが、そんな次第。黙阿弥の芝居をこつこつと校正していた。 小学館古典の「室町物語草子」集が届き、あますところ「浄瑠璃」集と「漢詩」集の二冊だけ。また一つのエポックメーキングとなる。


* 九月五日 木

* 河竹黙阿弥の五幕狂言「島鵆月白波しまちどりつきのしらなみ」は明治十四年十一月に新富座で初演このかた、今でも舞台にかかる散切物の名作である。 「ペン電子文藝館」にはとてもこの大舞台の全部は採り上げきれないが、序幕だけでも、歌舞伎舞台をさながら髣髴させる。どういう風に台本が書かれたかを実 地に知り得て、面白かった。但し総ルビに近い物をやはり多くは生かさないと口語の台詞が読めないだろうし、ほとほと難渋したが、極力忠実にしたがった。た だ、ト書きも舞台づくりも台詞も全く追い込みの書き流しで、読み煩うために、せめて台詞は改行し、ト書きなどは字を小さくした。これで読みやすくなってい るし、読めば面白いことは請け合う。校正に、それは永く時間がかかった。今日は終日これにかかって、とにかくも初校を仕上げてしまった。

* 「ペン電子文藝館」招待席の最も古い早い作品として河竹黙阿弥の「島鵆月白波」が置かれ、福澤諭吉の「学問のすゝめ」が次ぎ、三遊亭圓朝の「怪異談牡 丹燈籠」が続いているのを、あるいは日本ペンクラブの会員にして、会員の故に、これを非難する人もあるかもしれない。近代日本文学はあくまでも二葉亭四迷 の「浮雲」や森鴎外の「舞姫」から始まったのだと思いたい人はいるかも知れない。それは頭が固すぎる。現に二葉亭は「浮雲」創作の参考に圓朝の「牡丹燈 籠」の語り口を勉強したのである。岡本綺堂や真山青果らの新歌舞伎は黙阿弥の狂言術が先に有って可能であったと言えるだろう。そして多くの知識人に伍して 自ら知識人だとしてきた多くの作家や創作者たちの先駆は、福沢諭吉に代表されている、間違いなく。

* 女性では何といっても樋口一葉を越ええた女作者は、少なくも明治にも大正にも一人も出なかった。だが華族社会に憧れまた惨めに屈辱を覚えていた一葉 が、断然「塵の中」の世界へ下降しながら確実に天才を開花させた精神的な基盤は、基盤とまで云わなくても端緒は、宮廷から牢獄へ、そして堅実な家庭へと、 意志と意識を毅然ともちつづけて階級を生き直し生き直しして若く死んだ中島湘烟の存在を忘れられない。また「いなっく、あーでん物語」や「小公子」などの 翻訳をわれわれに遺してくれた若松賤子のような才能にも感謝しなければならないだろう。

* 二日の晩以来、仮の差歯がぐらぐらとともすれば抜けて、食事が出来ない。間違いなく歯抜け爺になってしまったわけだ、今更なにをジタバタ出来ようか。 わたしの気持ちよりも体の方がさっさと店じまいを始めている。そう急ぐなよと苦笑し声もかけているが、ま、順調に行っているということではないか。


* 九月六日 金

* 五時半に目が覚めた。六時半までじっとしていたが、起きた。夜前夜中の雨が、また降り始め、今は本降り。午前には歯の治療に行く。

* 米国先遣特命大使かのように北朝鮮へ行く小泉首相に、早くもアメリカからの強い注文が出ている。日本国内では拉致問題、不審船の侵犯問題が大きく云わ れているが、アメリカは北朝鮮の核軍備の方に関心がある。本格には、やはりこれが未来の安寧に強く大きく影響する。成果の乏しいであろう事に小泉は今から 盛んに防御線を敷き、大局的に一歩でも進め得ればと云っている。それはそう、何かしら前向きの明るい道の開けることは期待したい。脚をひっぱる気はない。 うん、行って良かったなと思いたい。耳を澄まし相手の眼を覗き込んで、洞察してきて欲しい。
 なによりもこの危ういばかりの昨今の米政策への安易な追従から、首相と政府とは自由になって欲しい。広島や長崎市長の米批判を「個人の意見」に見捨てな いで、率先日本国の意見として立ち向かって欲しい。

* アフガンのテロの活溌な動きは不気味すぎる。ニューヨークの航空機テロ自爆から一年、世界状況は平静化したとは言えない。アフガニスタンへのあの執拗 に激しかった戦争行為、あれはまあ、何であったのだろう。

* 歯が入った。なんとなくガックリ疲れた。次回で一段落か。支払いに約五十万円を持参する。いま、土砂降り。

* 「北の国から」最終回の前編を見た。美しい写真だ。わたしの贔屓があるにしても、宮沢りえの「しゅう」と田中邦衛との湯殿の場面は身にしみるようで あった。それはそれとしても、内田有紀の存在感には瞠目した。わたしはこのタレントがコマーシャルなどに登場したときから、「大物」だと云っていた。この 素材を生かして使える佳いドラマや映画が必要だと云っていた。難しい役を陰翳をひきながら重く安定して魅力的に演じていた。蛍役の中島朋子もつらい所で懸 命の芝居をしていた。地井武男のラストにも泣かされた。ドラマとしては、特別の展開ではなかったが、明日を大いに期待させた。
 そして「ER」の残りを「少しだけ」やっと見られたが、勝れた磁器や陶器のみごとな破片を見るような感銘があった。ぜんぶ見たかった。

* 東大倫理学の竹内教授から久々に心嬉しいメールを貰っていた。

* 明日は「激論  図書館と著作者」のシンポジウムがある。内幸町のプレスセンターホール。


* 九月七日 土

* 二十一年かけたというドラマ「北の国から」が、完全に終えた。佳い終幕であった。佳い終幕へ、五郎も純も蛍も元気でこれてよかった。内田有紀を妻に、 嫁に迎えたのにも納得した。久しくたのしませてもらった、心から拍手を送りたい。同じ思いの人が日本中に多いことだろう。
 二昔あまり前、わたしは四十六歳になろうとしていた。思えば働き盛りであった。娘の朝日子は大学に入ろうとしていたろうか、息子の建日子は中学生になっ ていただろうか。いやもおうもなく、自分の人生と共にこのドラマも変遷してきた。多くの場面がくっきり印象に残っている。

* 今日の「激突 著作者vs図書館」などというシンポジウムの、ある種の毒々しさ・いやらしさの印象を、すっかりドラマに洗い流され、清々とした気持ちだ。清まはった。
 あのシンポジウムのなんという変なタイトルだろう、いまだに「VS」などと「対決」していていいのか。話し終えて、何一つ建設的に「明日へ」繋げてゆく 「運動体」としての意思表示も、方法論も、約束事も無く、つまりは、みんなが勝手にグチを云い合った。云いっぱなしで終わるのだ、いつもの伝だ、「ガス抜 き」をしたに過ぎない。
 創作・執筆や出版や図書館が、ますます「IT化」してゆくのは目に見えていて、それへの「展望」は、タダの一言も、誰の口からも、出なかった。だが、 「IT化」が確実に各現場を動かし続ければ、今日やった議論や意見の少なくも幾つもが、大きな影響を受け、変改を強いられてしまう。一人残らずその洞察を 欠いて喋っていただけでも、このシンポジウムは、ある種無責任に時代遅れの、個々の自己顕示を、少しも出ていない。
 もう一つ、誰からも出てこなかったのは、「世論」への洞察である。市民や読者や利用者の直接の声が全くシンポジウムからは聞こえない。
 図書館活動に関して、わたしは、今日の著作出版パネラーたちの云っていたのと同質・同傾向の「グチたらだら」など、「読者」からは聞いたことがない。こ のわたしは、実物の「読者」を、フルネーム住所付きの「読者」を持っている、かなり大勢。交流もある。クレバーな読者達である、誇らしいほどに。そういう 人達から、まだ今日の問題で「世論」が形成されるほどの容認や共感や同情の言葉を、著作者の一人であるわたしは、聞いたことがない。
 わたしは言論表現委員会でも提案したのだが、誰も聴く耳もたなかった、そもそも、今日のパネラーに、たった一人の「読者・市民代表」も出ていないのであ る。それでいて、「図書館と出版・著作」の議論なんていうのは、手前味噌もいいところで、無意味に近い屑感覚である。らちもなく客寄せパンダたちの自己主 張と自己満足の排泄の場にして、それで終えて済むことかと、半ば呆れた。
 茨城県からであったか、一女性図書館員が、きれいに纏め鋭く指摘していたが、本当にだいじなところの全部落っこちた、ただ言いたい放題の「著作者・大出 版」によるゴタクサに対して、わずか三人の図書館側パネラーが、むしろ健気に応戦していた。
 著作者「vs」図書館というのなら、そもそも同数のパネラーでなければフェアではない。司会者の猪瀬直樹を含めて七人と三人、しかも図書館への高圧的な 発言も暴発し、聞き苦しかった。図書館に多くを多角的に話して貰って、著作者が聴くというのが主催者として礼であろうに、呼びつけて横柄に叩くのでは恥ず かしい。おまけに日本の図書館活動は世界的に見て三流もいいとこだといった指摘は、事実で有る無しは知らないが、それなら日本の文学も似たようなものであ ると、いっそ言い返してくれてよかったほどだ。マンガや推理ものが、一時的に売れても急に売れなくなる事実まで、図書館の貸し出しのせいかのように云うの は、どうかしている。作品の低い質に対する無自覚や自己批評の欠如が手前勝手に無視されていると云われたら、どうするのか。
 発言内容では、全部が全部ではないが、三人の図書館側のもの言いに、七分以上の理があると、わたしは終始聴いていた。率直に何度も拍手を送った。
 著作者の側では、やはり井上ひさし氏の発言だけが、時宜に適し、具体的で分かりよかった。他は、ダメ。鼻の高いだけがヒクヒクと、いやらしかった。司会 も出過ぎて、フェアではなかった。
 で、「この先、どうするの」と聞きたかった。司会者も、「纏め役」とやらの俵万智も、そんなことにはお構いなく、やりました、終わりました、めでたしと いうだけのこと。

* 五時で猪瀬氏は退席し、その後篠田副委員長の司会で、一時間余も延長された。付き合いはしたが、解散後の打ち上げにまで出る気はしなかった。それどこ ろか厭ァな気分を少しもはやく散らしたく、日比谷クラブでコーヒーをのんだあと、有楽町まで歩いて、やはりまた「きく川」でうまい鰻を食い、菊正を二合の み、出がけに届いた三田誠広の例の神話シリーズ三冊目「ヤマトタケル」を読んだ。もっと美しい人のいる静かな店へ行きたかったが、八時からの「北の国か ら」を目当てにしていたので、足場のいい「きく川」での、間違いのない満足を選んだ。酒も鰻も吸物も漬物もうまく、三田君の本はまあどうみてもチャチなお 話に過ぎないけれど、それはダシにして、わたし自身の歴史体験へずんずん入り込んでは行けるので、たちまちにシンポジウムの印象は雲散霧消し、何の不快な 負担もなくなった。つまり、あんなのは、その程度のものであったのだ。

* 有楽町線を池袋で途中下車し、東武地下の「仙太郎」で餡たっぷりの大きな最中を一つ買い、ちょっと恥ずかしいが地下道を歩きながら、しばらくぶりに美 味しくかぶりついて来た。甘い餡がうまかった。保谷で「ぺると」に立ち寄り、苦い濃いコーヒーをたててもらった。

* 「北の国から」も終わり、昨日にはともあれ新しい歯が入り、やがて新しい「湖の本」の第七十二巻が出来てくる。
 この仕事を此処まで十六年半もやり遂げてきた体験は、「読者抜きの手前味噌」をならべた著作者達の無方針な「権利」意識とは、性根がちがう。三冊や四 冊、一年や二年で挫折した仕事ではないのだ。創作者の目から、読者という大事な質的存在が欠け落ちたまま、売れない、金にならないと口を揃えてチイパッパ には、しんから恐れ入る。
 そうではないだろう。本気でそう言うことが云いたいのなら、公貸権のことなども、宇治川の先陣争いのようなことでなく、どうすれば「with」で結ばれ て著作者や図書館が、真剣な意図の槍先を、どこのどいつへ向けて繰り出すかの具体的な「相談」に掛からねば、所詮意味は生じてこないのである。「グチのガ ス抜き」ばっかりやって、だれもが別々の通じ合わない言葉を使いながら、漠然と闘っている気で居る。愚かな話だ。
 陸軍は海軍にそっぽを向いて闘い、海軍は陸軍に必要な情報も隠蔽しながら戦争をしていて、まんまと負けた「台湾沖海戦大勝利の虚妄」を思い出す。なぜ、 せめて文藝家協会と日本ペンクラブとは、必要に応じた協働の体勢をとらないのか、信じられないほどだ。狭量そのものである、お互いに。

* 出掛けていった唯一の収穫は、井上ひさし氏の直接の承諾をえてきたこと、戯曲「金壺親父恋達引」を「ペン電子文藝館」に出してもらうと決めたこと。こ れで副会長は瀬戸内寂聴さん一人が残った。瀬戸内さんのもの幾つか見ているのだが、どうも作品が絞れない。

* 電子文藝館ますますいいです。小泉八雲:『文学と世論』 すごい気合いですね。あの講義を聞いたのは誰々だったのかと羨ましくなりました。岩波茂雄: 『読書子に寄す』、斎藤緑雨:『わたし舟』、岩野泡鳴:『醜婦』などなど、ほんとうに、こうして読めて良かったなあと感謝しております。
 それから今夜は「北の国から」を見ました。いいドラマですね。田中邦衛たちみんな一生懸命で良かったです。老人ホームに寝ているお年寄り達は、こういう ドラマや本にならなくても、同じように乃至はそれ以上の、人生の先輩戦士たちなんだな、と思いました。
 ひとのこと言えませんが、どうか、からだ中お大事にして下さい。 chiba e-old

* 「ペン電子文藝館」の招待席作品や著者は、一人一作に過ぎないけれど、普通ならほとんど全然出逢わないで終うしまうであろう作品を選ぶようにしてい る。文庫本で簡単に買えるようなのは避けている。それだけに、この「おぢさん」のように、出逢ってよかった、儲けものだった、と思っていただけるだろうと 思う、老若を問わず。へえ、こういう人達のこういう作品があったんだと新鮮に驚いて貰いたいと、その値打ちのある人たちなんだと、わたしは信じている。こ れは教養のために云うのでない、体験のために云うのである。

* 9月に入ってからの文章を読みました。忙しそう・・そして歯の治療が終わったようで、わたしさえホッと読ませていただきました。歯医者に行くのは本当 に嫌なものです・・できることなら、絶対に行きたくないところが歯医者、です。だから、本当によかったなと、思います。自分の歯と言えなくても、でもしっ かり噛んで食べて、元気に暮らしてくださいね。
 こちらも今日は雨が降り、やっと残暑の厳しさから解放された感じ、でもまだまだ・・やはり暑い。自分の中の軋みを感じながら夏が過ぎようとしています。 昨年9月11日のテロから一年、特集されている番組を見ています。

* ずいぶん広い範囲の大勢の人がこの「闇に言い置く 私語」わ聴きに来てくださっているらしい、その実感がある。
 それにしても「北の国から」で積み残しになった感のある、ゆきこ叔母さんの息子のダイスケが、どこの誰とも確認できないメルトモとの、あてどない恋に確 信して、かたくなに携帯電話のちいさなスクリーン世界とキーを叩く音とだけに沈没・没入しているサマは、凄かった。地獄のようだ。 


* 九月八日 日

* 夜、建日子が来た。書き上げたらしい、それならと取って置きのシチリアのワインを抜いて乾杯した。ソニーの、すてきにカッコいいデスクトップのパソコ ンを買ってきたのを、見せてくれた。わたしの持ち物のソフトなどをインストールしていたが、一段落のアトの疲労が溜まっている様子。早く、となりへ寝に 帰った。

* 仕事は毀誉褒貶が普通。そのことを措いていえば、息子は真面目な仕事をした、なんとか書き上げたという気分の良さでいるのだろう。もう過ぎたことは早 く忘れ、また深呼吸して、静かに次へ向かえばよい。前作模倣のマンネリにはならぬように。

* 中島湘烟の明治三十四年三月三十日からの日記を、書き込んで、校正している。病気はすでに軽くはなく、二月と経ずに三十九歳で死んでしまう。だが日記 の克明にして平然たる、男勝りに武士のようである。いや、気張ってなど少しも居ないのである。
 黙阿弥の歌舞伎台本は、とりあえず仮りに入稿した。


* 九月九日 月

* 建日子も一緒にみた映画「荒馬と女」に、魂を掴まれる心地がした。クラーク・ゲーブルもマリリン・モンローも、えもいわれぬ男と女の魅力を極限まで表 現し尽くし、常は好きでないモンゴメリー・クリフトまでがいとおしく切なかった。純文学の最良の達成のようで、菊池寛の主題小説ではないが、表現さるべき すべてが簡明簡潔かつ深々と把握されていて、モノクロームの魅力と相俟って、質実と鮮烈と、しかも美しさがコンデンスされていた。ジンジンと身内に今も映 画が鳴り響いている。有り難い。

* 今ひとつの感銘は、湘烟日記の校正作業。明治三十四年五月二十五日に三十九歳でなくなった湘烟は、死の五日前まで、端正に的確な感想に充ちた平静淡々 たる日記を書いていた。抽象的なものではない、生活者の耳目の生きた日記である。数多くの日記を読んできたが、子規と兆民との末期の絶筆日記に比して、上 を行く端然たるものとして昔に「新潮」欄に書いたことがある。ここ数日の楽しみはこの校正だが、だが明後日には新しい「湖の本」の発送が始まる。手際よく 送り出したい。こんな作業も、もうどれだけ続けられるか分からない。楽しみたい。

* 図書館の関係者から次々にメールが届いている。


* 九月十日 火

* 嵯峨厭離庵裏の藤原敏行君が、日本橋高島屋で日本画の個展を開いていて、惜しいことに画家はもう京都に帰っていたが、会議の前に見に行った。白い芙蓉 の絵と白い牡丹の絵が清潔に優美に描けていた。全体におとなしい。すこしおとなしすぎるかも知れない。技は十分あるのだから、父上の孚石さんの画境のよう に、また家の藝の嵯峨面のように遊んでみても欲しい。白川の枝垂れ柳を描いたのなど、細い石橋も見えていて懐かしかったが、いますこし別の描き方はなかっ たろうか。

* 空腹だったので食堂で久しぶりに五目のラーメンを食べたのがうまく、野菜は少し残して、つゆを美味しく吸いきった。花彫の紹興酒もすてきにうまかっ た。

* 高島屋からは歩いた。方角を間違えて八丁堀へ行ってしまい、しかし、間違いなしと見定めた道から、意外に早く日本ペンクラブに着いた。会議は、山田健 太座長の電メ研。なにとはなしに和やかに、アンケートの起案討議と住基ネットのことで、小一時間も時間が延びて終えた。次回は、四時からさらに一時間遅れ の、五時始まりとなった。気分良く、テキトーな店に入って晩飯を食った。酒は控えた。

* さてドラマ「天体観測」の十一回目は、終わる所で大失敗したと思う。
 タケシが、ワルと取引をして警察へ自首するまでは我慢してもいい、が、警察の前まで来て、背後から突如刺されてしまうという安易さには、ガッカリ。警察 の前はそれなりに人目も人通りもあるし、そんな路上で人を刺すようなプロの殺し屋はいない。素人の犯行であるが、しかも一刺しで倒しているのも安直だ。
 それどころでなくいい加減なのは、医者も半ば見放したほど重篤瀕死の患者が、一夜明けて、かろうじて意識をいくらか取り戻すまでは、ま、あり得たとしよ うが、その直後の患者の、明晰そうな認識や、信じがたい身体能力や、危険な脱治療行動は、医学的にあまりに信憑性がない。更にそればかりか、大学出のおり こうさんがあれだけ人数揃っていて、一人として、反射的に医師や看護婦を呼び立てないまま、ついに医師も看護婦も影すらあらわさないまま、金切り声に包ま れてタケシ絶命なんて成り行きは、あんまりリアリティーに欠けて馬鹿馬鹿しく、三文小説以下のダサイ場面となってしまった。
 金切り声の友情や心配は、なにより医療の原状回復に繋がらねばお話に成らない。医者や看護婦を欠いたまま、いくら友情や愛情を籠めて名前を呼んだとて、 絶対必要な医療上の処置を速やかに回復しなければ、前夜の医師の下した診断と憂慮とは無意味なムダごとになる。
 タケシに自殺の意志がもともとあったのなら、死にぞこねたと知って暴発したとも言えるが、それなら自首には行かず海辺の小屋で死んでいる。生死の境から わずかに意識を取り戻した患者の一時的な錯乱は錯乱としても、それならなおさら、真っ先に「お医者さーん」「看護婦サーン」と金切り声を揃え、誰かが部屋 から飛び出すのが緊急の一番適切な行為で、ただもうタケシの名を呼び立てていた彼等は、冷静を欠いて愚かというしかない。幾呼吸か遅れてサトブーが緊急ベ ルを鳴らしていたようだが、これがまたあの騒ぎで結局一人の看護婦もとんでこない。どんな病院なのだ、これは脚本家も演出家も、どうかしている、あまりに いい加減ではないか。
 つまり、こういう仕儀になる。殺人は、刺した犯人によっては「未遂」であった。殺人は身内そのものの友人達によって実現したのである。事実裁判では、刺 したのは致命傷ではなかったと判断されるだろう。「友の死」と題していたが、これは明らかに「友達による死ないし殺人」でしかない。何なんだ、これは。

* という次第で、いつのまにか、また何曜サスペンスばりの殺しドラマが、ユニークにも愚かな愛の殺人劇に変じてしまった。熱心に観ている大勢のいい試聴 者を、ナメてはいけない。

* タケシとユリとは、演技的にもだいたいずっと良かった。今夜はとくにユリが終始気の入った、気の抜けない芝居をしていた。タケシは前半さほどおもしろ からず、後半すこしセンチになって、ベッドでの錯乱がいちばんうまかった。ま、錯乱までは絶対にあり得ないわけでもないから、我慢した。
 建日子のハナシではテレビ屋サンは延々と「打ち合わせ」すると言うが、演出家も脚本家もチャランポランをやったのか、もの(治療室のシステム)を知らな いのか。むかし、「日本刀」を、刀匠が、まるで包丁か鋏でも打つように、たった一人でトンカチやっているドラマの場面を見せられダアッとなったが、今日の 「天体観測」の病室場面のデタラメは、先立つ「ナースのお仕事」のくだらないハチャメチャよりも、真面目なだけ救いが無い。


* 九月十日 つづき

* 事務局に聞いてみたら、先日のシンポジウムに、著作者(役員や委員以外)として参加していた人数は限りなくゼロに近かったという。「激突 著作者vs図書館」などという著作者からの触れ込み事態が、ほぼ虚像に等しかったことが看て取れる。全国の著作者のいったいどれだけが、「激突」しなけれ ばならぬほど図書館から被害を受けているというのか、と、わたしは繰り返し言ってきた。現にそれほどのシンポジウムに肝心の自称被害者がほとんど現れもし ていない。小出版社からは、図書館からの販売被害などという言いぐさも、大手出版社だけの独善的対応ではないかと、批判が、会場で出ていた。当然の発言だ とわたしは聞いた。
 わたしは故意に発言して、いわば「仲間内を裏切る利敵発言」をしているのではない。もっと冷静になれというのである。シンポジウムの問題の出し方に対し て、冷静に欠席不参加を決め込んだのは、被害者の立場から、加害者の図書館に噛みついたはずの「著作者」たちであった事実は、皮肉である。そんなせっぱ詰 まった問題意識が広く一般に著作者仲間に認められないではないか、だからこそ、冷静に協調し、「共通の相手」に対して戦略的な用意をする方へ話を持って行 かねばと、サンザン言ったり書いたりしてきたのだ、わたしは。
 もうシンポジウムまでしたんだから、やることは済んだ、これでおしまい、でいいのか。そんなことでは、要するに壇の上にあがって、司会者以下ご機嫌でし たというだけに過ぎない。ただの売名だ。


* 九月十一日 水

* 午前に届くはずの「湖の本エッセイ25」、二時になったが届かない。と思っていたところへ、運転手の電話があり、もう到着するだろう。午前中に「湘烟 日記」の校正もよく進み、別に物故会員長谷川巳之吉(第一書房創設者)の遺文、また新会員一人の俳句百句を入稿した。

* これから数日、力仕事になる。

* 夕刻過ぎて最初の発送。その後も「007」を耳に聞きながら、かなり頑張った。切り上げて、幾つものメールを読んだ。胸に残るものも有った。
 それからまた「湘烟日記」の校正を楽しみながら、終えた。楽しむというのは言葉づかいが宜しくない。なにしろ五日後に逝去した、三十九歳の日記である。 迫ってくるものがある。筆者自身よりも、こちらの方が筆者の死期を承知している。むろん当人も百も覚悟しているが、正確に何時のこととは分かっていない。 絶筆の日記は、こう結ばれてある。

 明治三十四年五月廿日 晴
 朝無端(はしなく)出納帳一見せねばならぬ事到着して序手(ついで)に算盤をはぢかねばならず。銀行の切手、役所の入要等二三事を為して、はやくも、ぐ んにやりとしてたのしみの部類は何ひとつ為す事なくして、此一日も過せり。
 昨朝美人の投身者ありとて、なかなかの評判なりき。美人の投身(みなげ)は殆ど熟字の如く、未曾(いまだかつて)て醜婦の身なげたる語を聞かぬもおか し。されど、多くは其美といふものが、死の因を為すに似たれば、矢張美人にやあらん醜婦なれば兎角(とかく)天下太平なり。
 わが幼時翠琴といふ十八九の婦人、美濃より京に来り、詩文の先生を訪ひ、われも一家を立てんの心組なり。其(その)號の奇麗なるに似付(につき)もせぬ 顔(かんば)せなり。漢学はたしかのものにて、詩も達者なりとの事なれど、何分みにくきが祟(たゝ)りを為して、誰も一臂(いつぴ)の力添へんといふもの なきのみならず。文人交際の心得なきものなりなどゝ、難くせ付て遂に京を放逐(はうちく)同様の待遇を為せり。醜美の関する所実に甚哉(はなはだしいか な)。    ──絶筆 五日後に逝去──

* 重度の肺結核ですでに呼吸困難に陥っており、しかも夫(中島信行号長城、貴族院議員男爵、第一回衆議院議員にして議長。自由民権の闘士であり、外交官 も勤めた。)亡きあとの主婦であり家長であった。
 わたしに息をのませる記事は、数日前、鳴き声を見舞いにと贈られていた京都からの河鹿の噂から、生け簀に静めてある故郷鴨川の「石」を語る言葉であっ た。湘烟=俊子岸田氏は京都の町中に育った人である。

十八日 雨
 昨夜はこゝちあしき程の暖気。此病客さへふらねるのみにて恰(あたか)も(=よし)といふわけなれば、地震にてはあらぬやと気遣ふもありしが、夜間雨声 枕に響きしが、朝来(てうらい)風もかはりて、屋後(おくご)の山窓(さんそう)戸に隔りて親しむを得ず。いづれの部屋も暗澹たり。けふは、書齋にゆき給 ふとも陰気なれば、筆硯を枕もとにもたらさばやと、品のいふに任かし、終日一室に閉居せり。いき切(ぎれ)はすこしもよき方に向はざれど、熱度は大に減 じ、八度に達するは稀れなるに至れり。食も幾分かすゝみ気味なり、唯ものいふ事の次第に苦しくなりゆくを覚ゆ。
 京都よりかじか日々なくやと問ひ来れり。故山(こざん)を離れし為か、主人の変りし為かよくなきしと、聞く程にはなかずやうなりし。されど、其音声の真 価は吾十分これを知れり。美音を藏(をさ)めてなかざるも却て趣あり。殊に多弁家のかなりやのあとなれば自(おのづか)ら妙、夜深く人定(さだまつ)て 後、七八語わが半眠半醒の耳にいる甚(はなはだ)あしからじ。このかじかに伴ふて来りし三四個の石、鴨川砂清く瀬浅きの辺より得しものなりと聞く。是尋常 一般のものなれど、吾にはこの尋常一般のものより涼夜(りやうや)虫を売る柳陰の景より東山三十六峰霞をこむ春の曙(あけぼの)緑竹声絶(たえ)て寒に凝 る冬の月、阿翁(あをう)と憩ひ、阿兄(あけい)と遊びし紅梅紫亭のおもかげ等生じ来りて坐(そゞ)ろに今昔の感に勝(た)へぬもおかし。

* ただの川底の石といえども、それが「鴨川砂清く瀬浅きの辺より得しものなりと聞」けば、連想と懐旧の情とは、旺然と湧くがごとくであったに違いない。 必ず女史は、中の小石を蓐中掌に包んで眼をとじていたことであろう。わたしでも、その期に及べばそのように京都を思うに相違ない。

* 今日のニューズの一つは、原善が、武蔵野女子大に四月から勤務という報で、ま、半年も経っての知らせではニュースでもあるまいが、ま、彼多年熱望に熱 望してきた東京の大学に籍ができたわけで、同慶にたえない。どんな地位で着任したのかも実は分からない。助教授で来たのか教授でか、言わないのである。何 にしても目出度い。なにしろ女子大のこと、無比の慎重と、格別の勉強を祈る。武蔵野女子大は、四半世紀も昔に、同じ保谷市内のこと専任教授としてぜひ通っ てくれないかと頼まれ、お断りした。同じ市内でありながら実は通うにひどく不便でもあった。

* 今もう一つ飛び込んできた電メ研の同僚委員加藤弘一さんのメールは、いろんな意味で興味深く、紹介させてもらう。

* 中国のGoogle禁止 加藤@ほら貝です。
 中国政府はサーチエンジンとして最も人気のあるGoogleへのアクセスを禁止し、別のサイトへ飛ばしているそうです。http: //www.zdnet.co.jp/news/0209/11/xert_china.html
 なんでこんな無茶なことをやっているかというと、Googleのキャッシュ機能のためです。
 ご存知のように、Googleにはキャッシュ機能があり、すでに削除されたページを読むことができますが、この機能を使うと、中国政府がアクセスを禁止 しているページも読めてしまうわけです。
 中国政府のインターネット検閲がGoogleのために尻抜けになっているので、Google自体の閲覧を禁止したという馬鹿みたいな話です。
 この手のグロテスクな話はこれからも起こるでしょう。

* 所詮はいたちごっこになる。国家的処置としてI T 環境に介入されることは避けたいという気持ちが強い。


* 九月十二日 木

* 終日の発送作業。途中に、ジュリア・ロバーツとヒュー・ハワードの「ノッティングヒルの恋人」を聴いていただけで、他には、させることなし。

* ニューヨークの航空機テロから一年、追悼行事が世界中で。ブッシュ大統領の演説も聴いた。
 テロは弱者の反抗であり、卑怯の殺傷である点は免れないが、何故のテロかは、誰もが一応も二応も考えねばならない。イラクに核攻撃の手段を持って欲しく はない。北朝鮮にもインドやパキスタンにも持って欲しくない。しかし、アメリカにも中国やソ連やフランスにも絶対持って欲しくない。誰かには許されて誰か には許さないという核保有大国の身勝手な理屈=エゴイズムには、芯から腹が立つ。
 あのテロが憎むべきは知れた話だが、その後のアメリカと同調者達の狂奔も、相当な逸脱であるまいか。戦争の名分故に広島や長崎の原爆が許されるなどと思 うこと自体に、今日の世界の混乱は根付いている。

* 今日特筆するとすれば、前夜、西鶴の「好色一代女」を読み上げたこと。「好色一代男」に匹敵し、一面優るとも劣らない魅力。時代と近世初期の都市生活 を背景に、女の性的生活や稼業を洗いざらい紹介しながら、性行為にいわば命をかけて掛け抜いた一人の「一代女」の、徹底した生涯を、たくまざるリアリ ティーで描き尽くしている。わたしが男であるからか、「一代男」のスケベーな性的体験記よりも、「一代女」が生涯掛けて歩んでみせた性行為実現の情況・環 境・職性などの驚くべく豊富なバラエティーそのものに、驚嘆。そして女の秘めている途方もない性欲。これは感動に値する。女は男以上に本質的に性的存在な のだと教えられた。この「一代女」に比較すれば、世の男どもは、たんにスケベーな弱虫に過ぎない。
 文学作品としても、西鶴の場合は「幅」が広いが、「一代男」「五人女」「一代女」を時間を掛けて丁寧に読み終えた体験量の豊富さ、表現の面白さに、さす がにと小手を打って感心した。いい読書であった。西鶴には恥ずかしながら初体面であった。


* 九月十三日 金

* まさか十三日の金曜日でカツイダのではないが、今日は朝の寝覚めからよくなかった。いろんな事が、こまごまとウマクなかった。ツイテないぞ今日はと、 朝から、なんだか覚悟を決めていた。覚悟に見合うほどひどかったわけではない、佳いこともあった。

* 歯の治療が終わった。三ヶ月かせめて半年ごとに来いと言われた。このまえは三年近く間をあけたようだ。歯がぐらつかなかったら、もつとサボっていただ ろう。四十万円ほどかかった。これは仕方がない。丁寧によく仕上げてもらった。
 西洋美術館でのウインスロップ・コレクションのレセプションまで三時間半も間があった。鶯谷の駅前の馴染んだ蕎麦屋にはいり、特製のソバガキで酒を飲み ながら、本の校正に余念無かった。そのうちに天麩羅とじで蕎麦が欲しくなり、また酒を頼んだ。この店は酒の徳利と猪口が染め付けで、なかなか佳いモノを出 す。
 蕎麦屋で酒というのが好きである。徳利が大きいのも、いやしいが、有り難い。それでも一時間あまりあまったので寛永寺の広い墓地の中を歩いたが、えらく 豪勢な大きな墓の多いのにビックリした。国立博物館をぐるりとひとまわりし、ついでに東洋館に入り、それから西洋美術館に三時に入った。
 バーン・ジョーンズやガヴリエル・ロセッティらのコレクションで、質はかなり佳い。絵は、人により好き嫌いがあるだろう。ギュスターヴ・モローがわたし は文句なく好きであり、ジョーンズやロセッティは、是々非々。丸谷才一氏と会った。他にも黙礼されたりしたが誰とも覚えがなかった。かなり完備した図録が おみやげに出て、これが目当てで出向いた。最近の図録はほとんど研究書ほどに詳細で大部。重い重い。レセプション会場で、赤いワインのグラスを三度ほど替 えた。

* 八時前に帰宅、九時半過ぎからデミー・ムーアの「G.I.ジェニー」をみていたが、悪くなかったが、中断して「E R」を観たのが正解、よかった。これで一日中のもやもやが吹き飛んだ。

* 立教大の田島泰彦教授から、さっそく新しい「湖の本」に懇篤のメールを戴いた。有り難いこと。


* 九月十四日 土

* 幸いに順調に発送作業はすすんでいる。

* 中島湘烟の日記は没前のちょうど一ヶ月分を摘録し終えた。スキャンを控えているのが、井上ひさしの戯曲、石橋忍月の歴史小説、若松賤子の翻訳小説、い ずれも分量がある。十七日の理事会までに「ペン電子文藝館」百八十人に、ごくわずか届かない。

* つよく勧められていたトム・ハンクス主演の「グリーンマイル」を観た。嗚咽になりそうなほど、感動。佳い映画があるものだ。トム・ハンクスの映画は 「プライベート・ライアン」も「フォレスト・ガンプ」も秀作だしメグ・ライアンとの共演ものもみな面白いが、こんなに重量感のある深い映画もあったのだ。
 死刑囚の話というのはたいていが堪らなく陰惨だが、この死刑囚監獄の物語は、たいへんな情況を、澄んだ印象のままに撮り切っていて、藝術の域に達してい た。心から感心した。スティーヴン・キングの原作であるから、オカルトということだろうが、オカルトは好きでないのだが、そんな感じはしなかった。むしろ 優れて宗教的であった。牧師などという存在を一切必要としていない画面によって、まさに宗教的にピュアな表現が試みられていた。立派である。トム・ハンク スにはいつも深く突き動かされ、快く驚かされる。
 電気椅子での死刑執行の場面を三度見せられた。やはり凄いと言うしかない。しかし、三好徹氏の小説「遠い声」は遙かに暗澹として険しい臨場感に富んだ作 品だった。アメリカ映画「グリーンマイル」は電気椅子で、日本の小説「遠い声」は絞首刑。どっちもどっちだと思う。

* ボディー・ラングェージやスキンシップが自然に交わされている西洋映画の男女や夫婦をみていると、ときに羨ましいほど嘆声を洩らしていることがある。 日本人はああいう真似が出来ないか、へたくそ。今日の映画にも二組の心優しい中年老年の夫婦が出ていた。

* 胸の芯のところで小さく光って揺れているものが感じられる。じいっと堪えているような感覚である。何だろう。


* 九月十五日 日

*  新刊の「湖の本エッセイ25=『私の私 他』」の跋文「私語の刻」を、思い有って此処へ、ことさら書き写しておきたい。賛否両論あろうかと。反論有れば、聴きたい。
 長い文脈の中でわたしの切に言いたかったところを先に抄しておく。念頭に置いて欲しいからだ。「わたし」と「私」とを正しく読み分けて欲しい。
 即ち、
 「私」にとって、法や規則など、破られるために存在しているとすら思うことがある。「私」は法や規則に本質的に縛られない立場を主権者として持ってい る。「国民による国民のための」法は、国民にはひとつの原則であるが、拘束はされていない。法を手直しする権利は「私」にある。法に対し、法から真に拘束 され、法を誓って遵守すべきは、本来「公」なのである。それが主権在民の本則だとわたしは考えている。それなのに、いつのまにか、法という法が、いつも 「政権による政権のための」ものになっているとしたら、憲法の根幹が崩れているというしかない。事実、この国の「公」を代表する総理大臣や東京都知事が、 率先して憲法軽視を「我が事」かのようにこれ努めている。ずいぶんヒドイ国に、日本国民は納税していることになる。 
  わたしたちの「私」が保護され擁護され幸福で安全で自由であらねば、何の「公」に存在の理由があろうか。国民という名の「私」をただもう支配し拘束し統制 し服従させようと躍起になってくる「公」を、何のために「私」は支える義務が有ろうか。

* 湖の本エッセイ25あとがき  ほんとうに「国民による国民のための」個人情報保護法なら、欲しい。ほんとうに「国民による国民のための」人権擁護法 も欲しい。どんな法律も、ほんとうに「国民による国民のための」法なら、法治国家に住む一人として遵守するにやぶさかではない。日本国憲法も、少なくも 「日本国民のための」憲法だと信じるので、誇りにこそ思え軽視する気などないのである、わたしは。
 アメリカでは、「憲法」に手を置いて重大な誓言をしている、大統領でも国民でも。恥ずかしいことに、例えば日本の総理大臣も東京都知事も、率先尊重し忠 実であるべき「憲法」を、時に公然と、平然と、侮蔑さえして得意げである。
  日本の法律は、往々にして、表題は美しく、内実は逆向きに作られてゆく。「保護」と称して実は露骨に「収奪・管理・統制」であろうとするのが、この秋にも 強硬可決のもくろまれている個人情報保護法案であり、関連した住民基本台帳ネット法である。人権の「擁護」と称する法案も、じつは「抑圧と統制」への底意 を秘めている。「公」という名のお上が、国民のものである「私」にのっぴきならぬ11桁の焼印をおしつけ、いずれは財布の中の小銭の枚数まで把握しようと いう、そんな法律づくりが、次から次へ小渕内閣、小泉内閣と続いてきた。どの法律も「政権による政権のための」立法であり、本音は「国民による国民のため の」とは逆に逆を重ねて行く。法の名前ばかりが「保護」の「擁護」のと一見もっともらしく美しいが、正体は、政権や与党政治屋の醜行や犯罪の「保護」「擁 護」に流れようとしている。鈴木宗男の事案のように自分も暴かれては堪らんという本音であろう。本音にとって邪魔なモノなら田中真紀子でも、辻元清美で も、スカートを後ろで踏むどころか、むりやり脱がしてしまうほど、露骨にあくどくなっている。
 聖人君子でもなく善人ですらないわたしは、一個人として無徳にちいさな悪も重ねてきていると思う。そんなわたしがいえば、おかしいであろうか、「私」に とって、法や規則など破られるために存在しているとすら思うことがある。「私」は法や規則に本質的に縛られない立場を主権者として持っている。「国民によ る国民のための」法は、国民にはひとつの原則であるが拘束はされていない。法を手直しする権利は「私」にある。法に対し、法から真に拘束され法を誓って遵 守すべきは、本来「公」なのである。それが主権在民の本則だとわたしは考えている。それなのに、いつのまにか、法という法が、いつも「政権による政権のた めの」ものになっているとしたら、憲法の根幹が崩れているというしかない。事実、もとへ戻るが、この国の「公」を代表する総理大臣や東京都知事が、率先し て憲法軽視を「我が事」かのようにこれ努めている。ずいぶんヒドイ国に、日本国民は納税していることになる。 
  わたしたちの「私」が保護され擁護され幸福で安全で自由であらねば、何の「公」に存在の理由があろうか。国民という名の「私」をただもう支配し拘束し統制 し服従させようと躍起になってくる「公」を、何のために「私」は支える義務が有ろうか。
 すべての立法に、法律の名に、「国民による国民のための」という小さな「角書き」を付けることをぜひ制度化したいという「夢」を私はながく持ってきた。 権力支配の露骨なこの法案は、この条文は、「国民による国民のための」という「主権在民」不動の前提に反しているではないかという抗議が有効にできるよう にしたいのだ。ど素人の意見で、弁護士達ですら冷笑するような夢想で希望であるが、それほど、日本の「私」は、今、全身麻痺に陥りつつある。そして政府の 中核には、やがて往年の「内務省」が復活し、徴兵が行われ、新華族等の特権化も再現されるだろう。「サイバーポリス」はハイテク駆使の憲兵隊と化して陰険 な思想統制と新しい「アカ」狩りを始めるだろう。学生はますます無力化し、労働者は結束をますます寸断され、知識人は自分自身を軽蔑しつつ「公」の代弁人 として卑屈に生き延びようとするだろう、いつかのように。
 
  今回の「湖の本」には、五つの「講演録」を選んだ。ひろくいえば文藝講演であるが、わたしの文藝講演は、竹取物語、源氏物語、枕草子、平家物語等の古典を 語り、谷崎潤一郎や夏目漱石の作品を語り、川端康成や泉鏡花を論じ、さらに短歌や和歌や歌謡について語ったモノが多かった。茶の湯や能や美術の講演も数え 切れない。だがこの五つの講演は、それらとは、少し毛色がちがっている。公や国や社会や歴史や制度に向かって、まっすぐ、強く発言している、そういうのを 選んでみた。
 三十数年の作家生活で、数十度のテレビ・ラジオ出演を除いても、講演というのを、苦手にかかわらず百度ほど引き受けている。対談や座談会より多い。
  一つには「話体」の文藝、文体、文章表現に比較的好奇心が有ったからで、「仕事」としてのこせるものの多いのにも惹かれた。だから講演の場合も、出たとこ 勝負に話してくるようなことは、しなかった。心用意はいつもきちんとし、おもしろおかしく笑って貰おうというようなサービスは二の次にした。                                       
『私の私』は、金沢市で国語の先生方に「院と女院」と題し平家物語について話した翌日、金沢大学付属高校の講堂で、高校生諸君を聴き手に、こころもち「敢 えて」ぶつけてみた講演であった。その頃、早大文芸科に請われて、学生たちの書いてくる小説を読んでいた。それがゼミであった。その作品にも少しふれなが ら、「手」「私」「外」という三つの言葉を順に関連させながら、やや挑発気味に話した。生徒諸君の優秀であるのが分かっていたから、安心して、まっすぐに モノを言った。
『マスコミと文学』は、芸術至上主義文芸学会に招かれてした講演で、いくらか歴史的な証言性のある内容になっている。なぜか。この時、まだコンピュータに 指一本ふれたことがなく、聴き手の学会員も同じだった。徹頭徹尾「紙の本」時代のマスコミと文学にのみ触れて、わたしの言説はかなり険しく厳しい。「紙の 本」時代の最末期へ移行しようという時節での、「マスコミ」批判は、すでに「湖の本」を五、六冊刊行していた者として、実感をともない切迫していた。やが て東京工業大学教授になる日など、夢の夢にも現れていなかった。
「紙の本」から「電子の本」への過渡期の曖昧さを、この講演は微塵も含んでいない。含みようがなかったのだ、それだけ、あの頃の「マスコミと文学」事情 が、けざやかに浮き上がっている。
 そのわたしが、今、日本ペンクラブの電子メデイア委員会を率い、「ペン電子文藝館」の主幹として、開館満一年を前に、二百に近い人と作品を日々に世界中 へ送り出し続けているのである、目を瞠るそのコントラストをも読み解き、ものを感じて戴ければと思う。
『蛇と公園』は、茨城大学での比較文学会東京部会に招かれての講演で、同趣旨で、アジア太平洋ペン国際会議へも提題し「差別」部会で演説した。東工大での 定年退官が近づいていた。「公園で撃たれし蛇の(  )意味さよ」という中村草田男の句から入っている。
「心は、頼れるか」は、群馬県立図書館での講演で、なにかといえば、世の無責任な識者たちが、安易に軽薄に「心」をふりまわす風潮への、あきたりぬ思いか ら話しはじめている。「心」にこそ生涯苦しめられた漱石の思いと共に、老境へ向かうわたしの、これは安心、無心への道程かとも。
 最後の『知識人の言葉と責任』は、「なぜ、今、芹沢光治良の『死者との対話』か」を、芹沢第五代ペン会長のご遺族や愛読者に問われて応えた講演で、同時 に、わたしが「ペン電子文藝館」に何んな思いで臨んできたかの吐露でもある。前半に『死者との対話』を、後半に第六代中村光夫会長の優れた論考『知識階 級』を連携させながら、この昨今の難儀に難儀な日本国にあって、それでも知識人として責任をもたざるを得ない者達の「言葉」の駆使について、つくづくと 語ってきた。今年六月の上旬であった。ホームページに掲載した此の講演録には、おどろくほど若い知性たちの反響があったことも付け加えておきたい。

 国会では、与党は与党にしか通じない言葉をあやつり野党もしかり。官僚は官僚同士で通じればいいという言葉で行政し、法律家の世間もまたしかり。哲学と 宗教はすっかり影うすく、善知識も大徳もたえて広い世間には聞こえてこない。言葉のちからが衰え、世間の壁を貫いて通れない。その弘通(ぐつう)性のない 衰弱を言いつくろうために「専門」という門があるのだとでも言いたげである。素人の耳に届かない専門の言葉に、どれほどの意味をもたせようというのか。そ こに独善の黴がはえて錆び付いたとき、えたりやおうと、権力は「私」を一網打尽に支配する。今が今、まさにその危険な時機ではないかと、わたしはこの一冊 を敢えて編んでみた。「湖の本」での、これも、新刊である。

 この数年に、小学館の厚意で贈りつづけられた日本古典文学全集の多くの巻を読み通してきた。もう二冊で九十巻近い浩瀚な全集も完結する。なかでも源氏物 語はもとより、竹取、伊勢、大和、平中、うつほ、落窪、堤中納言、また狭衣、浜松中納言、夜の寝覚、住吉、とりかへばや、松浦宮などの平安王朝の物語がど んなにわたしの日常をバランスしてくれたか計り知れない。
 また「ペン電子文藝館」のために読み続けた福沢諭吉以降、現在立原道造におよぶ優れた百余の先輩作家・文学者達の遺作にもどんなに励まされたことか。福 沢諭吉は一八三五年一月に生まれ、ちょうど百年後の十一月に日本ペンクラブは創設され、一月後にわたしは生を享けて、この師走には満六十七歳になる。どう みてもわたしは少年ではないが、どうみてもまだわたしの内側に少年が生きている。ホームページ「秦恒平の文学と生活」の表紙に、はじめ我が十七歳の「しか すがに寂びしきものを夕やけのそらに向かひて山下りにけり」を置こうと思い、結果は二十七歳の「うつつあらぬ何の想ひに耳の底の鳥はここだも鳴きしきるら む 」を置いて今日の思いをも代弁させた。
 いつまでたっても、いつまでたっても、どこかに未熟なこどものままであることを、半ば恥じらい、半ばは諦めて日々を過ごしている。いろんな意味でもう潮 時が来ている気はしている。斯く云う「私の私」もまた「公」の前に連戦連敗している。今秋以降わたしの文筆収入は、作家以前の限りなくゼロに近くなる。赤 坂城は、そろそろ撤退して新しい千早城に次の手だてを静かに考えて良いようである。

* 昨夜から中世「室町物語草子」集を開いて、お定まりの「文正草子」から。おめでたづくしで、昔は正月の読み初め用の定番であったそうな。平安物語と直 ちに比較などしてみても始まらない。文正の途中で、「和泉式部」の道命阿闍梨との母子相姦を読んだ。たわいもない。が、これらから展開された、柳田国男の 民俗学的和泉式部論など思い出された。御伽草子といわれるものの中にも、図抜けて伝奇的におもしろいものが幾つもある。そういうのを早く読み返してみた い。

* つくばの人から、山内義雄訳「モンテ・クリスト伯」の岩波文庫版が揃って手に入ったので送ってあげると連絡があり、楽しみに待っている。このごろ宅急 便があまり早くない。木曜日に渡した本がやっと日曜に届いている例がある。

*  湖  昨日届いています。作業終了お疲れ様。
 あちこちの部屋へ入る都度、何かの用事に手をとられて時間を費やしてしまいます。幸い動き易く、夏仕舞いに取り掛かリ始めました。
 今も私の戸棚で探し物をしながら、厚めの湖「死から死へ」が眼に入り、読みはじめて何十分か居座ってしまいました。栞には、メールはまだ(始めていない の)ですか、とあります。この頃は父も存命だったと思い思い、ぱらぱらとページをめくっていました。お兄様が亡くなられたと知り驚いたこと等、想い起こし ていました。
 「私語」は今日まで日数にすれば通算何日分になるのでしょうね。それに笑ったのは、外飲(アルコール)食の多い事。
 映画の処で立ち止まり。
 男優の名前を羅列。マリリン・モンローとクラーク・ゲイブルの「荒馬と女」が「美女と野獣」とあったのはご愛嬌。これはジャン・マレーでした。
 バート・ランカスターはお気に入りですね。未だ見終わっていない「終身犯」でとてもよく、「ニーベルングの裁判」もとてもいいし、いい役。本人も意外の ご指名だったというタイプ違いの「貴族の肖像」もよかった。
 話変って、監房もので「ショーシャンクの空に」は観ましたか。あれは「グリーンマイル」と並ぶ程の感動でした。夜中のBSで舞台「モンテクリスト伯」が あるのでセットします。とりとめもなく、おやすみなさい。


* 九月十六日 月

* 中島湘烟「漢詩と日記」井上ひさし「金壺親父恋達引」を相次いで入稿した。

*  一昨日、「アフガニスタン展」を観てきました。
 少女のころ、好きで好きでたいせつにしていたガンダーラの菩薩さまの写真がありました。きれいな口ひげをそなえていらっしゃって、少女のわたくしのあこ がれの対象でございました。もしかしたら、その菩薩さまに逢えるかとおもったのですが、日本にはいらっしゃいませんでした。けれど、東洋と西洋のたましい が出逢って出現したすばらしいほとけさま、それから、そこに生きていたひとびとに逢うことができました。
 高いところに安置されたほとけさまのおん眼にわが眼をあわせたくてしゃがんでいて、踏みつぶされそうになってしまいました。あんなところで蹲うのは、は た迷惑なことと反省しましたが、あの浄くてやさしいまなざしに見つめていただいたよろこびは、今もからだのなかで鳴っています。
 湖のご本、お届けくださいまして、ありがとうございます。「湖のお部屋」で、「私語の刻」をうかがっていましたので、この度はもう一度と、「私語の刻」 をまず、拝見いたしました。「治安維持法」という、さも、社会の安寧を目指したかの名をもつ法律のもとで行われた残虐非道を思い出したことでございまし た。
 最後の「赤坂城はそろそろ撤退して新しい千早城に次の手だてを……」、以前にも、洩らしていらっしゃったおことばですが、心にかかります。
「グリーンマイル」、わたくしは映画館で見たのですが、もう、死刑執行の場面で眼をつむり、耳をふさいでしまいました。それまでの感動も失せてしまい、へ とへとになって、客席のくらがりから出てきました。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画も、やはり、死刑執行場面を、これは「グリーンマイル」より もっと、くどく見せたものでしたが、これも、神経にこたえました。
 今日はこれから、映画上映サークルの仲間と、「山の郵便配達」の上映会を致しますので、出かけます。
 涼しくなって、少し、元気が出てきました。

* 「治安維持法」という美しい名前の残虐法のことを、日本人はもう歴史的な痕跡ほどに忘れてしまった。小林多喜二から田宮虎彦の「絵本」等に至るまでの 多くあの悪夢の時代の小説を、もういちど大勢の目の前にくりひろげて多くを考え直して貰いたいと思うが、一人では手が回らない。

* 電気椅子での死刑執行場面は、ことに意図的に悪執行官が手抜きしたためにひどいものだったが、不思議にわたしはじっと凝視していられた。映画の意図と 善意とが見えていたから。
 それよりもこの映画「グリーンマイル」に唯一人の牧師や神父も顔を出さず、主役のジョーからも自身の死刑執行に際し牧師との会見は不要と無視されていた こと、心ある主任執行官に立ち会い祈って貰えれば十分と握手を交わしていた、あのような取り扱いに意義深いものを感じていた。教団的な宗教の形式主義や偽 善への嫌悪感、宗教の根幹である「愛=慈悲」はもはや既成の集団宗教や聖職者には無いのだという断念の痛さ。それを、わたしは、一等厳しく感じ取った。誠 実な愛。それが主題であった。オカルトとは思わなかった。奇跡映画とも思わなかった。

* 明日小泉首相が北朝鮮へ。外交を人気取りの道具にせず、敢闘これ努めて来て欲しい。そして明日は久しぶりに日本ペンクラブの理事会。

* 今日は三連休の最後の日ですが、娘はアルバイトに出かけて・・一人の時間を楽しんでいます。昨日は赤穂の海に行って久しぶりに小豆島を眺めました。釣 りに付き合っていたら、真っ赤に顔がなりました。夏が終わろうとする今ごろになって、日焼けなど論外ですのに。魚は鯵やサヨリや黒鯛、鰯など・・穏やかす ぎる瀬戸の海ですが、たくさんの人が休日を海辺で過ごしていました。
 帰ってから久しぶりにゆったりお風呂に入って、マッサージやら、顔パックやら、そのせいか体がツルツル気持ちいいのですが・・ブルンブルンと贅肉は困っ たものです! また、「おもしろい人やね、あんた」と書かれてしまいそうですが、関西弁の微妙な語感をどう解釈したものやら・・恐いなあ!
 HPの文章の中で毎週「天体観測」に就いて書かれています。わたしはすべてではありませんが、途中からはずっと見ています。娘が好きな番組なのです。彼 女の場合はボストンの高校時代からの友達を頭において見ているようです。最終回が楽しみ。
 社会的な問題への観点が抜けていると、指摘されていましたが・・テレビという「制約」もあるでしょうし・・でも痛切なものも感じられます。いつかそんな ものが自然に滲み出てくることがあるのを期待しましょう。
 若い人が社会的、歴史的なことに無関心とは必ずしも言い切れないと、これはわたしの娘に限ってですが、思います。所謂「勉強」は嫌いな子でしたが、南ア などの人種差別のことから始まって、ナチスのことなども深刻に考えているのが分かります。寧ろ人間のあまりに暗い部分を見て欲しくないと、弱いエゴイス チックな母であるわたしは懸念もしますが、随分多くのことを彼女と話したり、本を薦めたりしています。
 日ごろのリズムが変ってしまった夏以来の生活です。娘が起きてくると、「おはよう、何食べる?」とわたしが聞くらしいのです・・無意識に言ってるんです ね。おかげでやや太りぎみと、ぼやかれています。考えてみると、食べさせることが主婦の大きな役割??・・必ずしもすべて肯定的な意味で、「主婦」という 職業?を思っているわけではありませんので、いささか複雑な気持ちになります。大いに反省もしています。
「小さな子ではないのですから遅く起きてきたら、食事など自分で準備しなさい。」
 これは当然で、いえそれ以上に自分の過去ほぼ三十年さえ異なった視点から見直さなければいけない部分があるということ、です・・優しいがいいとは限らな いでしょ?
 彼女は目下、暫くニューヨークに行きたい、その一心でアルバイトで飛行機代を稼いでいます。
 以前も書きましたが、殆ど詩を読んでいません。その関係の雑誌も読んでいません。ましてや「詩壇」にどんな人が云々も・・。新聞批評に稀に詩集に触れて いる時も、その本を注文して取り寄せない限り、ここでは手に入りません。だから、詩に関しては高校生並み・・。
 今度の湖の本「私の私」・・今日の午前に読んでいたのです・・の中で触れている啄木の全集を読んだのは、一回生の時。宮沢賢治なども若い頃から好きで す。朔太郎のいくつかの詩も、その他、そして「ペン電子文藝館」で送って下さった立原道造、彼の詩は中学からずっと好き。勿論、リルケも。それに連なるヤ コブセンやさまざまなフランス詩人の作品には、高校生の頃からかなり影響されました。ブレイクやエミリー・デイッキンソンやホーソンなどは英語と日本語 で。最近買ったのは「嵐が丘」の作者、エミリー・ブロンテの詩集。
 自然にゆっくり読んでいけばいいのでしょうが、何が「お薦め」ですか? 何も読まなくていいと思えるほどに不遜でも怠惰でもありませんが・・。図書館で 読める範囲で少し読んでみようと思っています。虚心で読んでみます。
 九十に近い母はすこし斑ボケの症状がみえるようになりました。この夏は転倒して怪我をしたりで大変でした。

* 時たまに届くこういう便りは、顔の見えない分、いろんな想像を働かせて読める。つい「おもしろい人やね、あんた」なんぞと失礼なことを呟いてしまう、 それも、おもしろい。

* あれこれ気にかかっている用事を、書き出しておかねばと、手近の紙にメモしてみたら、たちどころに二十ほども気がかりな用があった。一つ、いま、三省 堂の単行本のために「あとがき」を書いてファイルで送った。この本は、もう半分ほど最後の通読校正が済んでない、が、明後日には戻して欲しいと言われてい る。締め切りのとうに来ている小さい原稿が一つあるが、気乗りしない。まッ、いいか。ゆっくりやろう。


* 九月十七日 火

* 北朝鮮に拉致された十二人の八人がすでに死亡していたという結末。何度も予測していたことであった、こういう拉致問題が国際化してくれば、殺されると いったことも有りうるだろう、それが無いといいがと、我が家では何度も何度も話し合い憂慮していた。
 殺したかどうかは憶測を出ないけれど、むごい結末で、暗澹、言葉もない。しかも死亡した八人の死亡状況が皆目分からないと言うのでは、共同宣言の文書に も素直にはとても頷けない。出来合いの宣言文に盲目判ではないのか。
 小泉首相の選択が早まったか誤ったか正しかったかは、すぐさま言えないものの、死亡状況をもう少し確認するまで、押し返すほどの頑固さが欲しかった。ど うせ「作文」の報告しか向こうからは出ないであろうが、それでも「責任」を持って言わせてみたいし、また「拉致」の結果である以上は、遺族への補償は北朝 鮮が国家としてすべきであろう。その請求を、首相はしてきたのかどうか。
 死亡していたのが事実として、それを小泉氏に責任をかぶせるのは可笑しいが、それへの対応に毅然とした、また事理を尽くした姿勢は表明すべきであり、そ れをした上の共同宣言であるのか、そうは思われず、甚だ食い足りない。
 いろんなことのあった一日で、書きたいことも多いのだが、この一事に心しおれてどうにもならない。

* 秦の母の七回忌が来るので、京都行きの手配をした。新幹線の往きの切符ももう用意した。

* ペンの理事会があった。「環境と文学」「メディアと文学」だのという話題が出て、突っ込んだ疑問符を、ペタリと押してきた。詳しく語る今元気もない が、「環境」とは即ち「自然環境」だけではない。それどころか自然環境の破壊は、先ずは人為的・社会的な環境破壊の「結果」として起きてくるもので、その 原因である、人間の精神的な環境、都市風俗の環境、文明開発による機械環境、電子メディアによる環境変化等々に機敏な視線が及んでいない限り、それらのひ ずみ・しわ寄せの終着点かのような「自然環境」だけを問題にしているのは、ロマンティックすぎるのである。環境とは何か、その統一的・本質的な考慮や考察 も共通の認識もなく、ただ念仏のような「環境」「環境」では片腹痛いということだ。
「メディア」またしかり。電子メディアの出現はもう久しいことなのに、日本ペンクラブの理事会では、これがまだ理解すら十分されていない。二十一世紀の 「メディアと文学」を論じようとして、グローバルな電子メディアによる環境の変化に聊かも対応できていないのでは、どうしようもあるまいに、と。

* 三十分早く理事会を失礼して、五時開演の帝劇公演「残菊物語」を観に行った。支配人の厚意で、手持ちの券の席が、中央の前列、とても見よい席に替えら れ、妻と二人で、おそらく、帝劇のレパートリーの中で最良の、落ち着いた佳い舞台を堪能した。十朱幸代のお徳と市川右近の尾上菊之助。右近にはやや物足り ないところも感じたが、十朱は、後半へ掛けて深切によく場面を盛り上げ、佳い女ぶりであった。
 藤間紫が、流石の貫禄。江戸者の上方流れで、へんな大阪弁だが堂々と、決めるべきは最高によく決め、圧倒的。杉浦直樹の五代目菊五郎は、ま、少しこなれ ないなりに誠実に演じていた。
 帝劇の舞台ではめったになく、熱い涙が泉のように湧いた。心地よかった。

* 大急ぎで帰宅、ドラマ「天体観測」の最終回を見終えた。この感想は改めてとしよう、筑紫哲也の番組で北朝鮮でのことを聴き、なにもかもがっくりと来 て。
 機械の前に入ると、メールが二十通余も。返事すべきはしている内に、気分はますますめいってきた。すべて、あすのことにしよう。


* 九月十八日 水

* わざわざピョンヤンにまで一国の首相が出向いたところで、拉致した八人はとうに死亡とやっと初めて知らされる外交というのは、この問題に、いかに日本 政府が消極的で気がなかったかを、露骨に北朝鮮から嘲笑されたというに近い。このむごい結末には、はるかな昔とはいえ記憶から失せてなどいない「強制連 行」や「創氏改名」を強いた日本帝国の悪行が、裏打ちされている。少なくも朝鮮半島の人達は、われわれが拉致を言い募れば、その点を突きつけてくるだろ う。そこに、やりきれなさがある。
 小泉首相が八人死亡に絶句したのは、邪推ならあやまるが、遺族や国民の悲嘆を意識した絶句でなくて、それをピョンヤンで初めて突きつけられた面子のなさ にであったかも知れぬ。あの人には、そういう冷淡なところがある。「私」という根は細く、より「公」意識の強い人であり、当然だろう俺は総理大臣だと言い 放つような人でもある。広島長崎の市長達の言葉を、かるく「私的発言」と切って棄てられる人である。

* 表向きの外交「成果」はやはり有ったとみていい。しかし絵に描いた餅で終わる公算も高い。何の保証もない一片の共同コミュニケの前で、動かないのは八 人の死、そして唯一人も連れて帰れず、首相自身が拉致された唯一人の顔も見て来れなかった事実だけ、だ。次ぎに何が起こるのか、小泉さん、慌てないでと言 うておく。

* 山内義雄訳の「モンテ・クリスト伯」岩波文庫が七冊、無事に、パリッとして届いた。有り難い。嬉しい。ずいぶん久しく願ってきた、手軽にもてる本を。

* 夕食後にトム・ハンクスの「グリーンマイル」を観てまたしても、突き動かされた。

* 「エッセイ25」、昨日届き、早速「私語の刻」、ついで今「知識人の言葉と責任」を拝読しているところです。
 芹沢光治良さんの『死者との対話』は読んだことがなかったのですが、とても引きつけられる内容です。他の文章も順に読んでいくつもりです。どうも有難う ございました。
 また、秦さんのこのような「湖の本」シリーズの試み、とても貴重で刺激されました。これからは商業出版に頼ることなく、物書きが自らこうしていくべきか もしれないと感じました。 小生も検討して見るつもりです。

* メールを下さり感謝します。ご関心にお応えしておきたいと思います。
 私の湖の本は、七十二巻、十六年半になりますが、ポイントは、フルネーム住所付きの読者を事前に大勢確保していること、全国規模で継続購買読者が得られ ていること、出し続けるに足る作品をバラエティー豊かに大量に持っていること、読者が歓迎し支持しつづけてくれること、再刊だけでなく新刊も出し続けうる こと、何よりも家族の協力が得られること、でした。
 これで蔵を建てることは考えられません、が、出血がヒドクてはとても維持し続けられなかったでしょう。経費は確実に九割九分回収しないと、とても多年は 続けられません。読者の支持が有れば、経費は回収できます。次回分刊行経費さえ回収確保できれば、作品の有る限り続くわけです。これで儲けたいという気は なく、所詮無理なこと。
 この仕事で有り難いのは、自著の在庫をいつでも確保できて、購入の要望が有れば即日送り出せることです。
 手間もいろいろに掛かりますが、編集者・製作者としての能力が、絶対必要です。楽な仕事ではありません。断念の多い仕事です。赤坂城に籠もるほどの覚悟 が必要です。

* 先程『戯曲・こころ』を読了いたしました。うならされました。今も心の中で、うなっております。
 静の「本心」はKにあった、という読みは全く思いもよりませんでした。もしそうだったとすると、その再来とも思える「私」に静が心ひかれるという流れ は、自然に感じられます。
 また静のKへの接近も「技巧」ではなく「本心」だったとすれば、先生の「遺書」を公開することに静が同意するのも、うなずけてきます。
 ただ、むしろ積極的に静を「私」に託すのだとすれば、なぜ先生は「遺書」を静にだけは見せるなと言ったのか、がやはり気になります。秦先生のお説では、 「せめてものただの歯止め、最後の愚痴」ということになるかと思いますが。
 また、先生の変化の原因がKの変死にあるとすると、自分の責任だけはなくなると言った、静の「私」への発言はどう位置づくことになるのかも気になりま す。
 何ともぶしつけな読後感想になってしまいました。ご無礼をどうぞお許し下さい。これらは自分自身の宿題として、また頭を冷やして考え直したいと存じま す。

* 議論の深まることを期待したい。

* 年頃の娘が十二時を過ぎても帰宅せず、母親は不安で落ち着かず寝るに寝られず、ところが大抵娘ときたら、街はまだ宵の口よ、お付き合いなんだから、な んて自転車かタクシーでノホホンと帰宅する、顔を見れば瞬時に胸のつかえが消える、数え切れないほど経験しました。
 当時の拉致事件は生々しく記憶にあり、二十五、六年もの永きを待ちに待った結果が、半数以上の死亡も腑に落ちず、死因も分からず、これ程無残に、肉親の 方々の嘆きは如何ばかりかと、貰い泣きをしてしまいました。
 又ここに、一言で云えば、人間のエゴをみました。
 南北に分割された近くの国を憂いて、日本はそうならなくてよかった、と何十年も昔、中二の日記に記していたのを思い出しています。

* まことに、まことに。各局の報道を聴いたり観たりしているが、胸は落ち着かない。

*  北朝鮮に攫われてしまったひとたちのこと、ほんとうに酷くて理不尽で、と、どうことばを重ねても足りません。
 今朝の新聞に泣きくずれている老いた悲劇の父の写真が載っていました。このひと、この一家の不幸は、もちろん、北朝鮮の行為に起因するものですけれど、 日本政府の無能・怠慢が、それに拍車をかけたことも否めません。このたびの悲劇の責任の一半は、日本の政治屋、役人ばらにあります。
 彼らは自分以外の不幸や傷みに極めて鈍感というか、想像力がまったくはたらかない種族です。そして、無為無策にうち過ぎ、さしたる働きをしないのを是と する種族でもありましょう。でなかったら、四半世紀間も、他国に連れ去られたままの自国民を、ほったらかしにしておけるはずがありません。
 この国は、国民をたいせつにしない。つくづく、そうおもいます。
 拉致問題ばかりでなく、オームの被害者にも、神戸・三宅島の被災者にも、国はろくな救いの手をさしのべていません。
 オームの場合は、あの危険な集団があんなに巨大化しても、サリン事件が起こるまで、手をつかねて傍観していました。その結果の惨劇ですのに、誰一人責任 をとった人はいず、働けなくなった被害者は生活保護で、かつかつ生きている有様です。
 わたくしも、いつ、災害に遭って、助かったのはいのちひとつということになるかわかりません。原発事故で、心身ぼろぼろということになる可能性も低くは ありません。
 でもそのとき、この国の酷薄な政治・行政から、どれほどの救助が期待できましょう。ホームレスになってよろぼい歩き、のたれ死にするか、湖に死体となっ て浮かぶか。
 ゆうべは、睡眠剤の力を借りて、やっとねむりました。

* 「私」が自覚し、「私」の権利と尊厳を「公」に対して認知させ「私」に奉仕せしめる自覚的な努力が、真に必要なのである。これが本質的なことであり、 「滅私奉公」などとんでもない。

* 秦建日子作「天体観測」がつつがなく終了したことを、心から安堵し喜んでいる。リアリティーに欠けるところも多々ある、ご都合本位の製作ではあったけ れど、終始一貫して真面目に、ふざけない仕事であったことは評価してやりたい。不真面目にふざけた仕事の余りに多いテレビ業界であるが、心ある人はそれを 肯定はしていない。胸に響く真面目なドラマのまじめな言葉を望んでいる。「天体観測」が何をほんとうは言いたかったのか、もう少し時間をおいて納得したい が、途中降板も打ち切りもなく好評の内に十二回が終え得たこと、ほっとしている。おめでとうと言ってやりたい。
 わたしのように独りでやり遂げられる仕事ではない。局の意向があり、大将はプロデューサーである。俳優も演出家もいる。脚本書きの通せる自由は無いにひ としいだろう。そのなかで、とにかくあそこまで持っていったのだから、ご苦労さんであった。少し休んで、またいい仕事へ向き合って欲しい。
 オリジナルと、脚色と。それにもつともっと雑学を豊富に身につけて欲しいものだ、世間には物知りは多い。余りに浅はかに嗤われてしまうようなチャランポ ランは避けないと、やめないと、いけない。


* 九月十九日 木

* 埼玉県東部エリアの市町立図書館長を対象とした、研究協議会が開催されるという。各県でもこういう催しはあるだろう。関係者から、当日、著作権の今日 的課題について話しあう際の資料として、わたしの書いた文章「図書館と著作者──見当を違えずに (東京新聞七月十一日夕刊に掲載)」 を配布させて欲しいと依頼があった。お役に立つならどうぞ。

* ペンの理事会に、先日のシンポジウムのとりまとめ報告が提出されていた。篠田副委員長がまとめたものか、一読して、要点の無いものだと少しく失笑し た。日が経つにつれて益々思うが、あまり意味のない言いっ放しの、アトへコトの続いて行かないシンポジウムであった。建設性がまるでなかった、つまりガス 抜きだった。

* 図書館に関連した記事や所感は、ホームページ内の「生活と意見 私語の刻」にも繰り返し書き込んでいます、自由にお使い下さい。先日のペン主催シンポ ジウムのあった日や直後にも、繰り返し書いています。また雑誌「本トコンピュータ」などにも。
 運動が先へ先へ継続されて成果に繋がってゆくことを望んでいます。
 図書館や出版や執筆の「電子化」傾向に関連しても、洞察や考察が必要です、最大の環境変化として関わってくる筈ですから。
 図書館にも規模や意識に格差や温度差が有る以上に、「著作者」「出版社」と簡単に括られたこの内容にも、質において量において、甚だしい「落差」のある ことを、実体・実勢として認めないまま、一部の著作者や大出版社が居丈高に我勝手な権利意識をまき散らしているのは、仲間として気恥ずかしい思いでいま す。あの「激突 著作者vs図書館」と称するシンポジウム会場に、関係委員以外の「著作者」の殆ど参加していなかった事実・現実が、それを、雄弁に物語っています。

* NHKがなんだか難しそうな話題で取材したいという話。ま、話を聴いてからと。わたしのホームページを見て、「個人のホームページとは思えない充実振 りですね。たいへん参考になります」とメールを貰っている。

* ドナルド・キーン氏「第七十二巻に達したことに驚きました。大変なお仕事ですね」と。或る大手出版社の人から、「知識人として真向から事に処し責任を とられるご様子には感服いたしておりました。(今度の本で)その根を学びたいと思います。秦さんのホームページ、「ペン電子文藝館」よく覗いています。ご 労苦も多いことと存じますが、呉々もお身体お大事に」と。また同じく「弘通性のない衰弱を打破せんとされた五つの講演録と存じ上げましたが、これはなまな かな文士には出来ぬことと存じます」と。
 俳人の倉橋羊村氏からは「漱石の『心』の読み方など改めて教えられることが多く」と。
 松永伍一氏からは今回本の受け取りに添えて前回本の「なよたけのかぐやひめ」に「近ごろ、こんな豊かな読書はありませんでした」と懇ろに。
 永六輔氏からも。芹沢光治良ご息女の岡玲子さんや福田恆存先生の奥さんからは追加の注文があった。
 今度の講演集、反響がとても強い。 


* 九月十九日 つづき

* e-文庫・湖(umi)を開いてみて欲しい、著者別に、また小説、随筆等のジャンル別に、その作品へ到達できるよう、喫茶店「ぺると」主人が苦心して 新設定してくれた。まだ、わたしはうまく間違えずに運営できるか覚束ないが、習うより慣れろ。ここしばらく「ペン電子文藝館」にかかりきりであったが、わ たし自身の責任編輯マガジンにも、また力を入れてゆきたい。まだ、どういうふうになったかの実感ももてないほど、今晩のホヤホヤであるが、馴染んでゆきた い。

* 銀座 空也の最中が、何年ぶりかで手に入りました。大事に大事に、ひとつを半分に分け、午前と午後に食べています。
 包装も中身も変わンないなァと、何気なく「しおり」を手に取り、店の地図を見て唖然としました。周りが海外有名ブランドの店ばかりになってるンですも の。
 移転かしら、閉店かしら。
 銀座の一等地。同じ場所で、同じものを、常に商いとして続けるのは難しいことでしょう。
 あの通りのあの店に、いつもあれがある。そして買える。それが、どれほど貴重なことかと、気付かされました。
 湖の本が続くことを、心から熱望します。

* これはなかなか味なラブレターである。わたしも空也の最中大好きだが。「あの通りのあの店に、いつもあれがある。そして買える。それが、どれほど貴重 なことか」と来て、湖の本をやめないで続けよとは、少なからず胸が熱くなる。ありがとう。

* 『湖の本』をお送りいただきまして、ありがとうございました。一気に読みました。「私の私」は1989年の講演とのことですが、まさに今、議論にのぼ らせるべきことですね。住基ネットや、国会で立法されようとしている悪法の向こうに、「内」の人々の姿が見えます。今は「内」に居ると思っていても、いつ 「外」の立場になるかわからないのに、つまり、「内」なんて無いだろうと思うのですが。
 どの章も、時節にからんで、大いに共感をおぼえます。考えることはいろいろありすぎて、まとまりませんが、また日本の戦争をする事態は避けねばと、強く 思います。そんな危惧を抱いてしまうような方向へ、日本の政治は向いています。おまけにブッシュ政権の、世界に対する独善的な態度、どうかしていますね。
 日本と北朝鮮との会談にしても、中東で起こっている悲惨な戦いや、アメリカのイラクへの戦争準備にしても、懸念の問題ばかりです。地球環境の保護につい ての国際会議は遅々として進まないようですし、この先、世の中はどうなってしまうのだろうと不安になります。世界全体の、暗く被われている気がしてしまい ます。

* 北朝鮮に拉致されたと思われる人の健在な生活を伝える手紙などが、ニュースで流れたときに、こんなことが話題になって大丈夫なのかな、向こうで抹殺さ れてしまわないかなと案じたものであったが、本当にそういうことになっていたかと、疑いの濃厚な悲劇が現実になっている。子までなした男女二人の拉致邦人 が、その手紙から二ヶ月後の同日に死んでいたなんて、あまりに、むごい。

* スペインでの滞在もあと残すところ約1ヶ月となり、今までの滞在に関する報告書など、自分なりにまとめているところです。
 また、まだ食べていない料理や行っていない名所など、残された時間とお金でできる限り制覇しようと思っています。
 先日は、マドリード近郊のアランフェスという町へ観光に行って来ました。スペインの国鉄主催のイチゴ列車というツアー旅行だったので、なんと本物の蒸気 機関車に乗って、現地まで行き、列車の中では、イチゴのサービス付き(もちろん料金に込みでしょうが)で、面白かったです。
 アランフェスという街は、16世紀のフェリペ2世の時代に、王の避暑地として壮大な王宮が築かれたところで、その王宮なども見て参りました。川沿いに建 てられた王宮は、涼しげで、当時は王家の人々が船遊びを楽しんだようです。(もちろん今も観光船がしっかりそれをネタに商売をしていました。)なかなか良 いところでした。
 先生の方はいかがお過ごしでしょうか。東京も秋の気配が近付き、そろそろ肌寒くなってきているのではないかと思います。くれぐれも風邪などお召しになら ぬよう、お気を付けください。

* 美しい人の親切にしてくれた店で、愉快に送別の食事をしスペインへ送り出した東工大院の卒業生が、好きで好きでたまらないスペイン一年の修学旅行か ら、やがて帰ってくる。前途に幸あれと思いながら帰国を待とう。


* 九月二十日 金

* 新しいシステムの「e-文庫・湖」は、まだ理解が及ばず、どう造られてあるかよく分からないままである。ホームページの他のファイル、例えばこの「私 語の刻」などは何も変えていない。設定が変わったのは、「e-文庫・湖」だけ。

* 芹沢光治良作「死者との対話」に登場し、人間魚雷回天で死ぬ学生と友人であったという方から、秘話と思える、興味深いお手紙を戴いた。編集者として大 きい存在であった方である。
 回天は爆死でなく、戦闘練習中の事故で浮上できなかったという。戦後に引き上げられた艇から手記が発見されたとも。学生と師である芹沢さんとの間には、 微妙な時局観の差があった。志願して人間魚雷回天に搭乗するような純真無垢にして秀才ゆえのひたむきな学徒兵の行動と、軍や戦争に対して批判的な平和主義 者の芹沢さんと、には。そういう差異を超えて「死者との対話」は書かれていた。

* 今度の本には五つの講演録を入れたが、「私の私」「蛇と公園」「心は、頼れるか」「知識人の言葉と責任」の四つに、均等して共感の言葉が寄せられてく る。残る一つの「マスコミと文学」に関連しては、NHKが関心を寄せてきてくれるようだ。おそらくディジタルな著作権に関連しての取材があるだろう。
 講演というところでつなぎ目はありながら、前回の「なよたけのかぐやひめ」と今回の「私の私。知識人の言葉責任 他」は、変り映えして、新鮮に受け取られているようだ。

* 東工大の女子卒業生が、わがホームページの「看板を借り」まして、「闇に言い置く」というホームページをつくり、日々発信している。教室で虫食いに漢 字を補ってもらったなかの「幸福を追わぬも卑怯のひとつ」という大島氏の短歌や、また無くなった富小路禎子さんの短歌などを語っていたりする。もう久しく 顔は見ないが、まぢかに呼吸している心地がして嬉しい。

* その筋のつかんでいる拉致被害者の実数が、実は87人にものぼるという情報がある。今回と同じ比率(2/3)で「死亡」していたとすると、60名はす でに亡くなっているだろうとも。(しかし、そんなものではすまない気がする)という声も聞こえてくる。政局になるかも知れない。

* 矢張りまず最初に若い人が半数以上も死亡しているのを、誰もが不審に思い、いやな予感が的中しそうで、それでいてあちらから確答を得るのは、まず、無 いのではと予測されます。まあ、無い話でしょう。この不透明さはやりきれませんね。あちらの国もこちらの国も、同等に信頼の外にあります。
 この晴天を無駄にせず、大山の洗濯から始まり、布団干し、庭の手入れ、お風呂の大掃除と大童、それから彼岸の入りに備えて恒例お萩作りの準備で買出し、 今小豆を煮てあんこを作り終えたところ。
 私のこの手作りお萩、塩をちょっぴり効かせてあっさりしているせいか、皆に好評で、明朝にはもち米を炊いて、いっぱい、いっぱい作ります。
 食べたいでしょう。はい、お一つどうぞ。
 そして、お墓参りに行きます。

* 人々の日常生活って、おもしろいなと思う。平和であって欲しい、何と言おうとも。

* 「ER=救急治療室」が終わった。劇的な、すぐれて劇的なつらい終幕だった。このドラマの前ではおおかたのテレビドラマは影を薄くする。ほとんど一人 も知った俳優が居なかったので、それにも助けられ、リアリティーは緊密でクオリティーは上質であった。何れの日にか、続編が観たい。
 このドラマにはでたらめが無かった。それが長所で限界だとも言える。優れたでたらめというのもあり得て、面白いものだが、創るのは容易でない。不出来な でたらめほど興ざめするものはない。


* 九月二十一日 土

* 朝のフジテレビで平澤代議士らの話していた、北朝鮮との今後交渉についての意見は頷けた。やはり事理を尽くして確認手続きを着々踏んでゆくことで、北 朝鮮のウソや非道なデタラメを国際的にチェックしなければならない。同じ番組でのペンの僚友猪瀬直樹の発言は、何が言いたいのか曖昧模糊のまま、まるで小 泉代言人のような擁護的姿勢だけが露骨に伝わり、彼のためにトラない。こういうときは万人の耳にも思いにも、真っ直ぐ届く言葉を、正しく明晰に遣って欲し い。二回ほど喋っている話が二回とも口ごもってモゾモゾと締まりなく、ちと情けなかった。
「おかみ」の代言人になる必要はない。なってはいけない。自立した知識人としての、責任ある言葉を用いよと苦言を呈しておく。

* ただいま栗と格闘中。この時期、父は必ず、栗と新米を送って寄越します。今夜のお月見は、栗ごはんとまいりましょう。
 さて、スポンジが要らないファンデーションが発売されたというニュースに、どういう事? と思いましたら、イオンの働きを利用したスプレーで、顔に、む らなく均一に塗ることができるのだそうです。これからは、「塗る」から「吹き付ける」化粧へと、変わるかもしれません。
 「車の塗装技術にあるよ、それ」と主人。
 塗装! ま!  そンなもんでは、ありますけどねェ。

* こういう生き生きした日本語で話してほしいと言うことだ。
 日本語といえば先日、妻と、テレビを観ていて、いやアナウンスを聴いていて大笑いしてしまった。池袋のサンシャインシティーだったかへ、「世界中の犬と 猫とが集まりました」と話していたのだ、むろん犬猫展に、世界中からいろんなのが来ている意味とは分かるが、日本語で言うと、こうなるわけだ、これで通じ ると。
 揚げ足を取れば、というよりもし察しをつけなければ、「世界中の犬と猫とが集まりました」とは、誤解しようのない程、明瞭に言葉通りの意味になる。実現 すれば怖いほどの壮観だ。

* 先日妙な人から妙な電話が入った。思い起こせば以前にもそんなことがあった。母校である大学の同窓会役員なのであろうが、舌を噛みそうな英語名前の 「会」を開くので、ぜひ出席してくださいというのだ。つまりプロ野球でいえば名球会のようなものか、各界の知名人卒業生を一堂に会させたいと。
 そういうことは各大学で大なり小なりやっているでは有ろうけれど、気色の悪いはなしだ。そういう発想や実施から何が引き出せるのか知らない。しかし虚栄 心をくすぐるゾッとしない企画だと思う。舌を噛みそうな英語でなくて謂えばどうなるのか、「名士の会」か。気持ちが悪い。
 むかしある西国の大学助教授に夫が就任したと知らせてきて、当地では「名士」でございますのという嬉しそうな話があった。以来、ひそかにそのレディーを 「名士夫人」と内心呼んできた。ま、これなどは微笑ましく許容範囲にあるが、集まる当人達がおめず臆せず英称の「(名士)会」に集まるなんて、ガマンなら ない。マンガにもならない。

* 文学的には尊敬するが、政治・思想的には「とまどいを禁じ得ません」と、新しい湖の本をみて、高校時代の同期生から手紙が来た。講演「私の私」とか跋 文「私語の刻」とかがひっかかったのかも知れない。「心」を振り回す識者への嫌悪感をあらわにした講演「心は、頼れるか」もそうかもしれない。
 そもそもわたしは、誰の眼にも世間を狭く暮らしている、超級の少数派であるから、同様に感じている人はさぞ多かろうと思っている。

* 二三日前に覚えのないドメインで、題名が英語の挨拶、サイズをみると桁外れに長文と思われるメールが来たので、開かず、「英文題名のかなり長文らしい メールが届いていますが、どなたか分かりかね、開いていません。姓名と題名のあやふやなメールは用心して開かぬ事にしています」と、そのアドレスに問い合 わせた。返事が届いた。
「こちらからは、当該のmailは出していません。多分、outlook のアドレスにあるアドレスに勝手に mailを送りつけるタイプの「ウイルス」ではないでしょうか。なお、こちらはMSのIEとoutlookは使っておらず、Netscape4.6を使 い、貼付ファイルとhtmlメールの送受信はしないようにしています」とあり、署名欄のうしろに、
 ※「添付ファイル」や「html形式Mail」は読まずに廃棄します。ご了解ください。mailを送られる場合は,「text」形式でお送りください ──としてある。「html形式Mail」はたしかに煩わしい。
 こういういたずらは、やはり、あるのだ。以前は来るメールは自動的に受け取っていたが、今は未開封のかたちで受け取ることにし、開くには判断してから に。

* 返事してもらった先は、有機農業と環境問題に関するまじめなホームページをもっている人だった。

* 『湖の本』エッセイ25をありがとうございました。今回は「公や国や社会や歴史や制度に向かって、まっすぐ、強く発言している」ものを選んだと「私語 の刻」にありましたけれど、まさに時機を得たご出版と思いました。
 「私の私」高校生相手とは思えない、いや、高校生だからこそ敏感に感じ取ってもらえるという内容なのかもしれません。最後に高校生との質疑応答が載って いますが、これが高校生かと思わせるほどの質問内容で、こういう高校生を前に講演できた秦さんは幸せだったなと思います。
 この中で私が一番感動したのは「外」の章です。短歌結社や歌壇を例に出して、「外」の人間に歌壇内部のことは判るはずがないという非難に対し、痛烈に逆 批判していますが、これは、いわゆる詩壇にも通じる話で、詩壇の内外という観念を捨てないかぎり詩の復権はあり得ないと感じました。
 「マスコミと文学」1986年というと、私がPC8001かPC8801を扱っていた頃で、やっとオーディオテープに記録したワープロプログラムで文書 を書いていた時期ですから、一般に「電子の本」で出てくるはるか前のことで、現在の電子本の時代から見ると、確かに隔世の感がありますけれど、マスコミの 本質は変っていないなと思います。
 中に、泉鏡花の固定読者が500人だったという話が出てきますね。これには正直なところ驚きました。何万、何十万と売れる本がある現在を考えると、信じ られない数字ですが、案外そんなものなのかもしれません。詩集なんて500部も売れば立派な方です。そうか、500人を相手にすればいいのかと変な安心感 も覚えました。
 「蛇と公園」は夏目漱石の「心」の読み方が圧巻と思います。作品の裏にある登場人物の年齢を、時代背景から解明し、その視点から作品を読み直すという実 証的な手法に圧倒されます。そこから従来言われている作品鑑賞とは違う、深い感動が発生しました。読書とは何かまで考えさせられる講演録と思います。
 「心は、頼れるか」は、「からだ言葉・こころ言葉」に言及し、ここでも漱石の「心」を引用して、心とは何かを解き明かしていますが、漱石に即して言えば 「静かな心」が究極ではないか、それが主人公の奥さん「静」の名にも表出しているという視点は示唆に富んでいると思います。
 「知識人の言葉と責任」は、講演なさることを私も知っていました。しかし内容までは知りませんでしたから、どんな話だったかと興味津々でした。
 日本ペンクラブ電子文藝館にも載せた芹沢光治良の「死者との対話」を中心に話していて、人間魚雷回天で特攻に向う青年に、時の西田哲学が「死の覚悟」す らも伝えられなかったと続きますが、本質は知識人と国民と乖離でしょうか。国民を無学の者と見る知識人と、知識人を何の解決も示せない者と見る国民。この 乖離は現代にも通じていて、根の深い問題です。その根のひとつに前出「私と私」の外≠フ意識があると私は感じました。

* 懇篤に読んでさり有り難い。ま、タイミングを少し考えて、今、だなと思った。話すように書いて読んでもらうと、難しそうな議論が、ただ耳で聴くより も、またただ文章語で読むよりも、よく通るらしいのは、おもしろい。

* 詩人の作品を、何人か集中的に今日は選んでいた。野口米次郎と児玉花外とを入稿した。開館一年(十一月二十六日のペンの日)で、二百人・二百作には漕 ぎ着けたい。

* 新しくなった「E-文庫・湖」だが、現在ホームページの表紙から目次に入って、「e-Literary Magazine」「湖(umi)秦恒平編輯」の双方で、頁が先へ「開く」ように出来ているが、コンテンツに繋がっているのは「e-Literary Magazine」の方で、「湖(umi)秦恒平編輯」だと、現在内容一覧は現れるけれど、そこから作品へは行けないようになっている。ご留意願う。


* 九月二十二日 日

* 上田敏、木下杢太郎、伊良子清白の詩を、起稿・校正し、入稿した。

* 坐りんぼ君&ダンプ君、すごい短編だなァ! と嘆息。と、同時にジベタリアンが頭にちらつきます。ベンチでも、男性がハンカチを敷いて女性に勧める… ついこの間まで、青春ドラマにあったような気がしますが、昔話なのですね。
 斜面と段。これも考えさせられました。簡単に感想のことばが出ません。
 すわる、に因む話をひとつ。
 地方のホールかなにかで「三番叟」をするからと呼ばれた囃子方が、「床几出しといて」とホール関係者に言ったところ、当日、舞台中央で彼らを迎えたの は、縁台…。
 「三番叟」を見る度、思い出しては噴き出しそうになります。

* 坐りんぼ君とダンプ君、というのは講演「私の私」の最後の方に話している、或る早大文藝科学生の創作で、ゼミの段階でとりあげて、褒めた小説。
 この作品には繰り返し触れてきて、しかも作者の名前を忘れている。調べればすぐ分かる。今の作家角田光代と同じ教室であったか、一年上だったか、男子学 生であった。「斜面と段」もその作品に関連して触れていることで、ヘーゲルの世界観にかかわっている。
「坐りんぼ君」は、どこかしことなく階段ががあると座りこんで倦むことのない青年で、その当時はまだごくの少数派であったが、増えるだろうとわたしの予測 どおり、以降、大都市の至る所で、階段と限らない「ジベタリアン」がはびこっている。
 ポンと変わって三番叟の床几のハナシ、わたしも笑ってしまった。

* 竹内勝太郎、小熊秀雄、左川ちかの詩を、起稿し校正し、入稿した。

* 機械二台の前に、新しい回転椅子を妻がカタログで捜して買ってくれた。昨日届いたが、これが今までになくがっしりと堅固で坐り心地よく、しかも安定し て軽く廻ってくれるので大助かりしている。

* 明日は午後、NHKと会い、そのあと卒業生クンの一人と久しぶり急に会うことになった。明後日はこれも久しぶりに千葉の勝田おじさんと会う。
 そういえば二三日前に嬉しい絵葉書が北海道から届いた。わたしの退官後に退学していた元の学生クンが長く家に引っ込んでいたのが、また大学に通い始めた という。いま北海道を自転車で廻っていますと言う。以前にも一度流氷を見に来ましたと葉書を呉れたことがあるが、今度のは大学に通い始めたという朗報入り であった。彼とも出来れば早い内に一度逢いたい。

* 男性危機の時代ですね。強い引力を持つ男性が少なくなり、それに反して女性は強くなり、それでもその上を行く男性を求めるので、アンバランスになるよ うです。

* こんな犀利な断片を含むメールも来る。なるほど、これは謂えている。

* おまえ、こんなとこで何しとンねん?
  立っとンねん。
  立って何しとンねん?
  立って…立っとンねん。
 桂文枝の語る、一節だが、これは、強いのか、弱いのか。

* 必要で大事な小さなものを、落としたり棄てたりしていないのに、ふっと手拍子でしまった場所がわからず、三四日捜索しているが見つからない。いい気分 でない。


* 九月二十三日 月

* 膝に大怪我のあとをかえた貴乃花が、久しぶりの本場所で武蔵丸と、横綱同士千秋楽に優勝をかけて取り組んだ。こう書くだけで、気分がいい。武蔵丸が大 きな借りを返した。それもいい。貴乃花の黙々と意地を徹した気概にも共感した。

 名月や貴乃花負け武蔵丸  遠

* 鶯谷駅から坂をおり広道を越えて少し奥へ入ると、むかし小林保治氏に連れてもらった鶯泉楼とかいった中華料理の店がある。
 その先へ歩いてゆくと道が分かれるところに、風情のおもしろい何かの店があった。妻と散歩していたのはあのあたりの寺の、佳いと聞いていた藤の花を捜し ていたのだった。そして気まぐれに妻は眼鏡屋に入って、洒落たサングラスを買った。
 道の奥の方に何軒も寺があった。これはもっと昔だが筑摩書房の辰巳四郎氏に「根岸」へ行きましょうと寿司屋に連れてゆかれたのがこの界隈で、この辺が 「根岸」なんだと覚えたのも懐かしい。以来、わたしは鶯谷の少し向こう寄り、さきの中華料理の店あたりから先は「根岸」と覚えてきた。むろん地理にあたっ て確認したわけではないが。下谷とか根岸とかいろいろ耳にはしても、字では読んでも、正確には知らない。正岡子規のゆかりで、漠然と「根岸」にしてしまっ ている。
 もっと奥の方であったか、古い大きな鰻屋へも連れてゆかれたことがあった。夏祭だか、なんだか町内に夜祭りがあったときで、町なかの深い闇に、寄合場の 提燈が赤い色をしていたのが、遠い日の幻のようにとても懐かしく思い浮かべられる。あの辺にちょっと住んでみたい気もする。
 明日は勝田貞夫さんと鶯谷駅で出逢う約束。

* 湖の本、お送りいただきましてありがとうございました。日常のせわしなさにかまけて、お礼が遅れましたがいただいた本だけは即座に開いてしまっており ます。今回は小説でないせいか、なんとはなしに講議を受けていた時代を思い出しつつ読ませて頂いています。
 一昨日の中秋の名月は、残念ながら雲があっておぼろでしたね。
 1才9ヶ月になる娘は、2ヶ月ほど前から「おっきさま」を認識しはじめました。彼女が起きていられるのは、せいぜいで立待月くらいなので、大好きな 「おっきさま」に会えるのは月のうち半分くらいなのです。昼間に出ている月は、どうやら違うものにカテゴライズされているらしく。
 十五夜は、かわりに月の歌をたくさん歌って聞かせました。「出た出た月が」から「雨降りお月さま」「のんのんおつきさま」など。月を歌う歌は多いです ね。もう少し大きくなったら、おだんごや衣かつぎ、栗ご飯を一緒に作りながらの
お月見をしようと待ち構えているのですけれど。
 その一昨日に、どなたかが新聞に「アポロが月についてから誰もが月に夢を抱かなくなった。月なんて月並みだから。」というような内容を書いていらして、 ホンマになぁ、と、ここばかりは関東者の癖に関西言葉でうなずいていました。こうやって、科学によって少しずつ昔からの夢が保たれなくなっていくのかもし れませんね。もちろん、科学によって生まれた夢や救われた夢もあるのでしょうが。
 私など月を月並みにする作業の、恐らく先鞭をつけているに違いなく、私の今の研究のメインテーマは、漆ではなく糊なのです。(漆はものが持ち込まれると 否応無しに関わっているわけですが。)糊の方は、少しずつ趣味的に携わっていたのが、いつの間にかずるずると面白さのあまり深みにはまっております。
 表具をつける時に用いる少し変わった糊をご存知ですか。数年以上、普通の糊を腐らせておく・・・という。この糊、地酒のごとく各表具屋さんで作るのです けれど、実は何ができているのか、さっぱりこんとわかっていない。
 それで、少しいじりはじめたら、これが様々で面白い。糊の炊き方や保管環境で全く異なっていたり、完全に一致していたり。先日、理系の学会で一部を発表 したところ、ある食品企業の方にはその会社で開発した栄養剤用の物質に似ているかも、と言って頂いたり。
 でも、この糊、実は文化的側面も持っているのです。
 表具屋さんに、丁稚さんが弟子入りすると、最初の仕事の一つは毎日の糊炊きなのです。そんな中で大寒の日に糊を炊いて、仕込みをする。その糊が出来上が るのはだいたい10年後ですが、その頃職人としても一人前になって暖簾わけしていくのです。弟子に入った年に自分で炊いた糊を分けてもらって。
 こういう文化は、既にこの職人のサイクル自体にやや破綻の来ていることも確かなのですが、化学的にこの糊はこうですよ、ということでさらに後押ししてし まうかもしれないな、といくばくかの不安は胸によぎります。よぎるだけで、やめないのが、テーマにとりつかれている研究者の業なのですけれど。
 もっとも、日常の行政的依頼業務のほうが圧倒的に多い毎日では、このテーマも細々としか進んでいなわけでして。
 パンの焼ける匂いがしてきました。あと少しで蜂蜜の入ったパンが焼き上がる予定です。朝ご飯の準備をはじめます。
 またも長文のメールとなってしまいました。
 お体のほう、あまり無理なさらずに。今後の湖の本のためにも。
 追伸
 東工大で「位」を含む語を作らせたら「位置」が多かったとのこと。先生のご推察もかなり正鵠を射ているかと思いますが、もう一つ。理系のテクニカルター ムなのです、「位置」という言葉は。彼らにとって(私にとっても)「位置」はごくごくなじみの深い言葉です。
 追伸2
 相も変わらず下手な俳句です。お目汚しですが。
   蜻蛉や魔のささなくてひた語る
   六年過ぎ風立つ無言の刀自の家
   待ちわびた返事舞い込み麻を着て
   梅雨入りや十年過ぎしこと気付く

* 一つの「生活」がくっきりと「あいさつ」され「表現」されている。流れがあり、思いがある。動きがあり、センスがある。 
 「位置」ということば、また「位置関係」ということばが、理系のどういう馴染みのテクニカルタームか、もう少し具体的に聴きたい。なるほど、ありそうな ことに思われるが。


* 九月二十三日 つづき

* NHKの二人と池袋で会い、ディジタル時代の「著作権」問題を中心に、二時間半近いインタビューを受けた。弁護士会館で昨秋であったか講演したものが 「本」になるので、そのもう行き届いたゲラがちょうど手元にあった。ほとんど言い尽くしていると思ったので、そのコピーを上げた。ま、頭にあることをざっ とおさらいしたようなものだが、質問に応じて、かなり新たに頭の中で整頓され、新たに湧いて出た考えなども意外に多くあり、ちょっと我ながらびっくりし た。

* 引き続いて学生君と、同じ池袋の精養軒で、ビールとワインとでゆっくり話し合った。どうしてもというので、ご馳走になってしまった。

* あれは1969年の事件であったか、よど号のハイジャックを事実のインタビューに基づき再現ドラマ化したルポルタージュ番組をみた。引き込まれた。そ れにしても、あれは、ヘンだ。

* 中原中也の詩「盲目の秋」を起稿し入稿した。いい詩だと思った。朝のメール、夜の中也。いつのまにか二時だ。


* 九月二十四日 火

* 東大名誉教授福田歓一氏、前の西洋美術館館長高階秀爾氏から、講演集、とくに「知識人の言葉と責任」「蛇と公園」に関して、佳いお手紙を戴いた。
 福田さんは、先日の大久保房男さんとおなじく、「死者との対話」に登場の学生と友人であられ、強烈に亡き人を思い出されたという。懇切なおたよりてあっ た。高階さんは草田男や六林男俳句を通して、わたしの小説「冬祭り」にまで及び、これまた親切を極めていた。感謝。

* 千家元麿の「自分は見た 抄」を起稿し校正して入稿した。

* 天気晴朗。千葉の勝田貞夫さんとのデートは、思いがけない展開に。
 鶯谷駅のわきで、まず一献で蕎麦をたぐったのは予定通り。他に客なく、ひさびさの邂逅、ハナシもはずんで、店内静かでよかった。
 ところが三連休あとの火曜日は、お目当ての博物館が休館。西洋美術館も。で、余儀なく、しかしそれにも気は向いて、タクシーで浅草へ。合羽橋や菊屋橋の 辺を通って雷門へ。いいおじさんが二人で仲見世を通り、浅草寺にお参りしたあと、六区へ迂回して、牛肉の米久へ。
 途中、小芝居の劇場がちょうどはねて、役者達がみな路上に出、ご贔屓の帰るのへご挨拶という場面に出くわした。勝田さんは花形役者と握手。演芸ホールも 覗いたが、きわどく昼席がもう終わる頃で、夜席は始まると九時まで、これは断念した。太鼓の音がドン、ドンと二つ鳴って、二人で近江牛の老舗にあがる。古 びた店の内だが肉はうまい。
 さらに表通りを言問通りを越えて吉原の方に歩いていったが、不案内で、見当もつかないのと勝田さんの足腰も案じられ、ふりむきざまタクシーに乗り、地下 鉄日比谷線の入谷まで。そこで勝田さんと別れ、わたしは歩いて鶯谷駅まで元へ戻り、何処へも寄らずに帰宅した。

* 外出には、籤採らずむろん「モンテ・クリスト伯」を持って出る。誰しもそうであろうと思うが、エドモン・ダンテス時代とモンテ・クリスト伯時代は、色 彩を大きく異にし、ことに、エドモン・ダンテスがメルセデスとの幸福の絶頂から真っ逆様にシャトー・ディフの底知れぬ牢の闇に突き落とされる辺りは、辛く て読みづらい。ダングラールの悪の奸智にのせられ、従妹への恋と嫉妬に狂ったフェルナンがエドモンを密告するあたりも、イヤなら、新進の検事ヴィルフォー ルが保身のため、無実を承知でエドモン・ダンテスを非道に牢へ送るのもイヤなのである。
 むしろ牢に入って、牢内でファリヤ法師と出逢ったり脱獄したりする辺りからの方が、のめりこみやすい。まだ牢へ送られていないが、次ぎに読むときはその くだりになる。ダングラールやフェルナンの悪企みを察していた酔いどれカドルッスが、かなり明瞭に密告に至る事態を把捉していたのが、のちのち、大きく影 響する。もう読みやめることは出来ない。
 岩波文庫を手にしている心地よさは、そのまま少年時代のわくわくする読書欲を思い出させる。佳い装丁だ。


* 九月二十四日 つづき

* お変わりございませんか。湖の本をご送付いただき、ありがとうございました。毎回どのような作品を読ませていただけるか、とても楽しみなのですが、今 回の講演集も読みごたえのある充実した一冊でございました。今の時期にこの内容のご本を出された理由を、ひしひしと感じておりました。
「知識人の言葉と責任」は私語の刻でも読ませていただいておりましたが、「私の私」とともに、政治性のある力強いメッセージを受けとめました。愛する日本 の国への、心底からの憂いと批判に、震えるようでした。
 「マスコミと文学」のなかの、「文学」が文学らしくあればあるほど、ひょっとして「マス・セール」とは縁を持ちたくても持てない疎遠なものを本来抱き込 んでいるのかも知れない、という一文に、先生の姿勢の一端がうかがえました。先生はご自身を少数派に属するとお考えですが、まさに文学者が多数派に属する ことなどあり得ない話のように思います。世の中の大多数が好むと好まざるとにかかわらず、富と権力につかえるように動いているのに、真実の芸術家は一途に 精神の自由につかえるのですから、孤独は宿命のようなものかもしれません。しかし、だからこそ多くの、私のようなどっちつかずの平凡な人間は、芸術家に熱 い尊敬と憧れと共感を抱くのです。どうぞ今のまま、この世界の深さと美しさを思う存分自由に強く生きていかれますことを。
 話はかわりますが、以前先生にお話した母の本が仕上がりました。近いうちにお送りさせていただきたく存じます。
 9月に入りましてからも、相変わらず気の滅入るニュースばかり、その上急に涼しくなりまして、風邪をひいているかたが増えています。どうぞお身体大切に お過ごしくださいませ。
 うっすらと悲しみがはりついてどうしようもないとき、私は澄んだ秋風のなかでお気に入りの一冊に読み耽る、夢見心地のようなバレエのビデオに酔う、モー ツァルトの恋の音楽を涙ながらに聴く、この季節ならではの栗のお菓子、栗蒸し羊羹やモンブランの濃厚な甘さを味わう、そんなことで、ささやかな幸せを取り 戻しています。

* メールを下さるのは、言うまでもないわたしではない別の人であるが、ホームページの訪問客には、何処のどなたの文章とは分からぬまま転載させてもらう と、その内容が、そのままわたし自身の日々の生活に加わって、わたし一人では思い及ばないひろがりや厚みや楽しみに展開する。わたしは、そういうことを、 いつも考えている。わたし自身にも「うっすらと悲しみがはりついてどうしようもないとき」がある。だがわたし自身は本に読みふけることはあっても「夢見心 地のようなバレエのビデオに酔う、モーツァルトの恋の音楽を涙ながらに聴く、この季節ならではの栗のお菓子、栗蒸し羊羹やモンブランの濃厚な甘さを味わ う」わけではない。だが、それをこう書きうつしてみると、わたしの日々にそれが加わって、加わったものがそのまま読者のほうへ展開する。こういうメールの 人とも話し合っているわたしの日々が立ち現れる。わたしの言葉とわたしの行動だけでは漏れ落ちてしまうものが、わたしに付け加わって、生き始めるのだ。自 分のことだけを書いている日記では、こういう膨らみが出ない。小説という文学には、今謂う是に近い機能がある。だから読んでいて体験が増したように感じ る。
 わたしの脚は二本しかなく、動ける範囲は知れている。わたしの言葉もそうである。行為もそうである。思いもそうである。この「私語」のなかに他者の言葉 や行為が追加されながら、それもまたわたしの言葉や行為に連なってくると、少なくもわたしは、わたし自身ではなかったわたしを、わたしに対し付け加えられ る。これもまたコンピュータやインターネットの働きであるだろう。

* 「握手」をしてもらった芝居小屋は、むかし「安来節」をやっていた「木馬館」だと思います。また行ってみたくなりました。それにしても何も知らない本 籍だけ浅草にんげんで、恥ずかしい限りです。秦さんと歩けた鴬谷〜浅草は、ほんとに嬉しかったです。どうもありがとうございました。(これは「超漢字」 OSで送信しています。おかしかったらごめんなさい。)

* 佐藤惣之助、八木重吉、萩原恭次郎、山村暮鳥などを起稿。村山槐多、富永太郎、竹内勝太郎らを入稿した。集中して佳い詩人の詩を読んでいる。


* 九月二十五日 水

* 山村暮鳥、萩原恭次郎、佐藤惣之助、八木重吉を校正し入稿した。現会員松坂弘氏の短歌百五十首も、歌稿を点検して単純ミスを数カ所訂正の上、総題を付 しヘッドを付して入稿した。

* 東工大卒業生女子のホームページ「闇に言い置く」を読んでいたら、教室で出題した井上靖の詩「別離」にふれて書いていた。何年の昔だろう。そして、あ あもう一歩で、あなた短編小説が書けるよ、ここでこういうふうに立ち止まり書き置いて忘れてしまわないでと、独り言で、唆していた。
 詩はとても佳い詩なのである、そして読みは必ずしも易しくない。井上先生がこういう独り言の記事を読まれたら、喜ばれるだろう。

* スペインから夫とともに帰国した卒業生が、来月はじめに逢いたいという。通訳して貰わないとご主人とは話せない。ウーン、この出逢いを楽しむには無心 にならないとね。

* 民主党の党首選には心底からガッカリした。鳩山由紀夫では絶対に浮上しない党だと分かっていて、なんで、こうなの。これで小泉政権はますます安泰の度 を加えてしまう。彼の北朝鮮行きは、いくら問題がはらまれているにせよ、オリジナリティーを主張できる上に、厚い壁にぶさいくながら釘穴をこじ開けてき た。支持率がバカらしいほど上がったのを背景に、彼は政局を強気で乗り切るだろう。そこへ民主党だ、衰退への道を党員が愚かしく選んだ。自民党よりも活気 のない野党第一党の、なさけなさ。これは鳩山のというよりも、実は若手の判断ミスなのだ。菅直人で一度勢いを付け直してから、その次へ若手が出て行くべき であった。

* 今度の講演集は、予想以上に力強い支持を得ている。こういうのは危ないかなあと思わぬではなかったけれど、案外に、まともな支持や評価や注文を受けて いる。もっとも、それが文壇人からではないところが面白い。文壇外の錚々たる人から手紙が来る。またそういう読者達から来る。
 東工大の元の学生達にはけっこう幅広く送ってみた。彼等は文系の本には弱いからもともとアテにしにくいが、有り難いことに継続して購読してくれる人がず いぶん多く固定してきた。助けられている。ダメな人はてんでダメだけど。

* さすがに、秋。水かさのますようにスケジュールに、赤い予定の文字が増えてゆく。無意識に夏バテが来ているはず故、無理を重ねないよう気を付けたい。
 十月の半ばには母の七回忌に、京都へも。気が抜けない。首廻りが痛んでいる。肩こりだ。今夜はもう休息しようと思う。詩の起稿や入稿にガンバリ過ぎたか も。数えると、なんと一気に十四人も三四日のうちに入稿した。入稿前には、読んで丁寧に作品を選ぶ仕事があるので、あとさき、精神的にも重労働であった。

* 電車のなかです。お作は、何度も読まないと、わかりません。それでも、大きくて、広くて、深ァい湖の、その波打ち際をぴちゃぴちゃ叩いて、うわぁ〜っ て言ってるンだと思っています。
 わかンないンですよ、ほんッと。ですが、何年か経って読む、また、何度か続けざまに読む、辛い時に一気に読む…その都度、心が、しっかりごはんを食べた 感じになるのです。
 先達て、「畜生塚」を、一度、二度、三度、と、続けて読んでいるときの、楽しかったこと! わたくしでも分かる、音やリズムの心地好さ、言葉の美しさ。 何度読んでも、飽きません。

* 感謝。


* 九月二十六日 木

* 現会員矢部登氏の「結城信一の青春」が届いた。楽しみに、読んでから入稿する。今年の三月に初掲載の現会員から、早や第二作掲載の希望原稿が届いた が、これは約束事なので、掲載「満一年経過」の時点で受け付けることになる。「ペン電子文藝館」の全更新記録によると、昨年八月末日に、梅原猛会長の「闇 のパトス」のほかわたしの「清経入水」篠塚純子の短歌、村山精二の詩の四点がまず掲載されている。以下、更新記録に従ってゆく。

* エドモン・ダンテスはシャトー・ディフの深い闇の牢に投獄され、マルセーユの新進検事ヴィルフォールは、パリに急行し、直接国王に、エルバ島のナポレ オンが進出してくるのを報じ信任を得ている。序幕は終えた。これからは牢獄の中のドラマが始まるとともに、エドモンを陥れた連中のそれぞれの出世物語が始 まる。もう、とまらない。

* 疲れが重なり風邪引きなどに繋がらぬよう、用心が必要。九月末から十月三週まで、会議も含め厳しい日程。楽しみなのもあるが。
 或る大手新聞が、国語ブームと図書館問題に関連して、コメントの原稿をと言ってきている。次の湖の本のことももう視野に入れて用意せねばならない。


* 九月二十七日 金

* 業界で、自分の提案や業績がなかなか認められなくて気が滅入るといった、或る程度はもっともなグチを聞いた、メールで。評価されたい病の深刻なもの で、気持ちは百点を望んでいるみたいだが、支持率なんてモノは六十五点もあればたいしたもの、三十五点だって大いばりで内閣が成り立つ。思えば自分のこと で考えるなら、どうみたって二点か、せいぜい三点程度の支持率だとわかっているが、それでは威張った気分にはとてもなれないかというと、そうでもない。一 隅を照らす光度の問題なのである。
「評価されたい病は、あなたの持病で人間の持病です、毒性の強い病気です。自分のしている事なんて、自分の思っているほどタイシタことじゃないんだという 正しい自覚をもつべきです。うんとラクに生きられるし、事実、そういうものです。努力というのは、そこから初めて始まるのですよ」と応えたい。

* 同じ人から柳美里判決問題でわたしが反応していないが、と問うてこられた。

* 柳さんの件では、問題が発生したときに、すぐ「サンケイ新聞」に書いた考えが、そのまま今も。
 「書く」人間が、「書きたい」自分にむかい、「書く」のをやめよとは言うべきでない、だが、そのかわり法の下に有罪とされる「覚悟」は持て、と。
 むろんこの際の「書く」モノとは、「優れた作品」であるのが前提なのは、言うまでもありません。文学作品として卓越しているのなら、それは、作者よりも モデルよりも自由に長生きし、いつまでも人の胸を打つはずです。人を無用に傷つけてはいけない。が、「書く」べしと信じた作を「書かない」罪は、「書い た」罪よりも「書き手」にとって大罪なのです。それなら、牢屋に入る覚悟で「書け」ということです。人を傷つけたことを理屈で正当化しようと藻掻くのは考 え違い。

* このところ、寝入る前のバグワンは籤取らずだが、きまって室町物語草子を少しずつクツクツ笑いながら楽しんでいる。「文正草子」「御曹司島渡」「猿源 氏草子」「ものくさ太郎」「橋立の本地」「和泉式部」いずれも表現としては甚だ雑駁に出来た、まさに巷間の「オハナシ」でありながら、想像力の奔放とい い、展開の心理に裏打ちされた欲望や願望の人間くさいことといい、なまなましくてリアルな面をしっかり抱え込んでいる。けっこう面白い。夢のでたらめにち かいほど、場面変換もすさまじい。それでいて、伝統の知識などが巧みすぎるほど巧みに、しかもでたらめも承知でぶちまけられていて、笑わされる。三島由紀 夫が猿源氏で歌舞伎を書き起こした気持ちが、よく分かる。
 是まで読んだ全体を通じて、いかに庶民生活の中で「物知り」に価値が置かれていたかもよく分かる。モノを知っていればこそ窮地を逃れて出世の縁がつかめ ると、こればかりは根強く、どの作にも露出している。
 まだ一巻の三分の一ほどしか読んでいないが、主なモノは以前に岩波文庫で読み知っている。御伽草子から西鶴らの浮世草子へ繋がる文脈は、生き生きと太 い。

* バグワンは、もう幾めぐりの読み返しになるか、このごろは「十牛図」をとりあげたのを、すこしも変わりない新鮮な感銘に突き動かされて、読み進んでい る。このまえが「般若心経」そのまえが、さらにそのまえがと、バグワンに触れるわたしの旅は、十冊ほどの本を、終わり無き輪をつたい行くように繰り返し繰 り返しつづく。勉強心ではなく、薬を飲む気持ちでもなく、お経を読むのともちがう。無心にただもう、一夜に二三頁ずつ音読しわが耳に聴いている。バグワン の言葉は深く透徹している。出逢えてよかった。

* 白秋麾下の三羽鴉と謳われ室生犀星、萩原朔太郎とならんで名をはせた、大手拓次の詩を、没後の詩集「藍色の蟇」から選んで入稿した。著作権の切れてい る詩人で著名な仕事を残したもうおおかたは、招待席に招き入れたと思われる。小山内薫のエッセイ、岡本一平のエッセイを起稿した。中里介山の批評「内村鑑 三と木下尚江」は題に惹かれて読んでみたが失望して、中止。

* NHKスペシャル「知はだれのものか」という、主としてアメリカの著作権問題を扱った番組のビデオが送られてきた。見た。関心はある上にも、興味深い 内容だった。
 先日のインタビューでも、著作権年限について問われた。われわれの著作権は死後五十年の翌年から、一般社会の共有に開放される。パブリック・ドメインで ある。それは長いか短いか、と。
 わたしは、他人の既得権にも触れることだから、五十年より短くすべきだとは言わないが、たとえば七十年に延長といった考えには与しない。アメリカの憲法 では著作権は死後およそ十四五年が保証されていたのではなかったか。それはおそらく遺族の、殊に死なれて生き残った配偶者に酬いる意味であったろうし、至 当と考える。
 日本の死後五十年というのは、およそ孫世代に至るまでは、作者の肉親に恩恵を及ぼそうというものだろう、それで十二分だと思っている。現に私は曾孫の顔 も想像できない。想像も出来ない曾孫によりも、文化財としてもし歓迎してくれる人のいるかぎり、自分の著作が全く自由にパブリックドメインという思想に のっとり、廣く開放されて差し支えない、それが望ましいと考える。
 アメリカでは、ディズニーの著作権が限界に来ると、決まって国家的に著作権を大幅延長してきたが、憲法違反だと、現に法律問題が起きている。著作権が守 られることで遺族よりもむしろ特定の出版者や企業がひとり公開権と収益を独占しているような情況は、極めて不適切だし、政権へ不健全な献金がなされること で法がご都合主義に改正されるなど、あってはならないことと考える。

* しかしまたそうした論議の背景に、インターネット上の収拾のつかない無際限な複写や海賊版横行への当然の嫌悪感情の働くのも、また自然なことで、正直 なところ、機械技術の進展と、その上を越す侵蝕技術の開発は、いたちごっこと言うより、ほとんど防御不能かという気持ちにすでに誰もが陥っている。イン ターネットの世界で著作権が可能かという問いに、力強い肯定論は実在していないのである。
 不可能なものは、だから不要なのだと、無防備に両手をあげてしまっていいかどうか、そこへ行くと、わたしも、原則論としてそうではない、あらん限りの智 恵を尽くして新たな著作権法が必要だ、ねばり強く前向きでありたい、と考えている。
 そうはいいつつ、現に私は、インターネット上に発信している自作の経済的著作権を、ほとんど、望みようもないまま、望んでいない。著作人格権はむろん主 張するが、どうすれば守れるかと我が身に反問して、黙。難しい。

* 芸術至上主義文芸学会から、また講演に来てくれと今電話で打診があった。以前の講演「マスコミと文学」が今度の本に入った、あれ以来だ。あの頃はわた し自身、会員の人達も誰も、まだコンピュータに触っている一人も無かった。今は、わたしにして斯くの如きありさまである。話すことも随分変わるだろう。


* 九月二十八日 土

* 岡本一平のかの子追悼の一文「かの子の栞」を入稿した。それなりに夫らしい作家論を成していて、示唆に富む。矢部登さんの「結城信一の青春」もこのユ ニークな作家を思い起こさせるにたる力作。小山内薫の「千駄木の先生」は、森鴎外追悼の一文で、これも文壇の側面を伝えながら、近代文学史の一齣を成すで あろう。歌人松坂弘さんの優れた百五十首も入稿し、予定分も含めて、すでに展観現況は二百人を越した。庶幾した、開館満一年での人数と内容としては、申し 分なく成功。企画者として、また初年度主幹として私の役目は果たした。任期内に、もう五十人ほどの追加掲載を実現しておく。

* 同居人をつれ、夕過ぎて息子が来た。晩、四人で、「北の国から」最終回二週分を見た。向こうはテレビドラマの体験者で、こっちは物書きであり批評好き の愛好者。ぽつぽつと出る断片的な感想の交換で、ドラマがふくらんだりへこんだりする。
 四人とも、涙とはしっかり付き合っていた。息子の同居人は富良野塾にいたのである。事情通らしく、よく、ものが見えるだろう。
 わたしなどは、「北の国から」の全体が、いわば古いタイプの幾何学世界、ユークリッドの世界に譬えて、見える。一つの統一的な「結(ゆい)」の思想で、 かなりがっちり作り上げられている。前世紀的・伝統的・自然本位の結合社会がガンとして賛美され肯定され「変わらない」世界が、死後にも、夢見られてい る。そういう「遺言」が書かれてしまうほどだ。
 だが、最後の最後に、ぽっちりとただ一点、この変わらない古い世界観を脅かす、非ユークリッド幾何学的異質の異物がまじってくる。携帯電話だけを握りし めて、ひたすらメール交信してきたという「恋人」と、この富良野で「出逢うため」にだけ母親の元へ帰ってきた、ダイスケという少年。「その恋人」を実は見 たこともない。名前もハンドルネームだけだろう、むろん住所も年齢も性別も確認できていない。肉声も肉筆も知らない。しかも四六時中携帯電話をにぎりし め、発信しつづけ、受信をまち、そして「その人」が来るものと信じて待っている、母親とも他の誰とも交感・交流できずに。
 これは新世紀の病理とも生理とも謂える、機械化し都市化した乾燥しきった世界の申し子であり、当然に、このドラマの富良野人種には絶対に理解できない。 気が狂ったか、非常識か、何を思っているのかが絶対に彼等には分からない。そして仕方なく強引にでもユークリッドの定義でダイスケ君の世界を解釈し訓導し ようとするが、非ユークリッドの定理にもはや固着しているダイスケには、そんなのは「ダサイ」のだ、あんたらはなにも「ワカッテイナイ」「時代は変わって いるのに」と叫ばせてしまう。
 憤激した大人は、ダイスケをぶちのめし、携帯電話を水車のそこへ沈めてしまう。ダイスケは富良野から再び消え失せてゆく、母親にも行く先は告げないで。

* その描き方や演技のできばえは問わないが、作者は、かろうじて僅かに、此処に「北の国から」の二十一年とは異質な、新世紀世界の侵入を予感させてい る。そういう場面を用意しておいたのである。倉本聡その人の、それは、主題ではないだろう、が、慧敏に、そういう「ケイタイ少年」を最後に挿入しえたこと に、わたしは敬意を覚える。
 なぜなら、このダイスケのケータイは、無反省に多用に多用されていた「天体観測」での携帯メールとは対照的なまで、底知れず不気味に病的に見えているか らである。しかもそういう見方を、作者は、少年に「ダサイ」と言い放たせているのだ。「天体観測」の携帯電話は、まことに安直で無反省な日々のツール以外 のなにものでもなく、ツールへの批評も疑いも、その毒性への自覚も微塵も出ていなかったが、倉本聡は少なくも、この便利げな機械の「毒性」に、手の施しよ うもなく荒れてしまう富良野の大人達を描くことで、瞬間的ではあるが、痛烈な批評を最後に書き込んでおいたと謂えるだろう。
 だからわたしは敢えて言う。
 わたしの、そのような評価や感想に賛同したかしなかったかは別として、一人のテレビドラマ脚本家であろうとする息子秦建日子に、あの少年を、あのまま フォロゥして思わず納得させる新しい別のドラまを創ってみたら、いや、創れるものなら立派に創って見せてくれよ、と。あのダイスケ君は、あのママでどう 「ダサクなく」生きて行けるのだろうか。それは、いくらかは「二十一世紀の文明と生活」を予測することになるのではないか。これを倉本聡は自身への新課題 として挿入しておいたかも知れないが、むしろ秦建日子ら後進作者への、「やれるならやってみよ」との挑発のようにも思えるのである。
「明日のダイスケ」が、リアリティーをもって描けないようでは、所詮は「北の国から」型の世界=掌から、脱出できはしないだろう。

* 建日子と席をともにし、視線を一つの画面にむけながら、感想や意見を話し合えるのは、彼は迷惑かも知れないが、わたしは楽しい。いちばん楽しいことの 一つだと謂える。

* 真夜中の一時半にもなって、やはり忙しい日々らしく、車で戻って行った。私たちには心嬉しい休息であった。
 或る大学の図書館から、湖の本の既刊分を「全冊」揃えて送るようにと注文が入り、明日は荷造りをしなければ。素人にはこれが容易でないが、有り難い。売 れるのは嬉しいが、それ以上に「必要」として注文の来るのが嬉しい。年老いてゆくいつの日か、在庫のぜんぶ無くなる日が来て欲しい。家が狭い。
 

* 九月二十九日 日

* なんとなく寛いでいるのかも知れない。新島襄先生の「同志社設立の始末」を全集のキリスト教文学編から起稿している。東の福澤、西の新島と、教育の双 璧と称えられた。

* 明日で早くも九月尽。十月はあわただしい一月になりそうだ、が、漸次静かになるだろう。作家以前の生活へ戻れたら佳いなという気持ちが、だんだん出て きた。現実に作家以前のわたしは会社勤務があったが、そういう負担なしに、黙々と書いて読む暮らし。そして外へ出て憩う。隠居ではない、ほんとうの意味で アクティヴな日々だ。

* 我が家ではBSの誘惑に陥るまいと、テレビは時代物の古い機械。映画の情報は各所から届くが、わたしはタバコの代わり程度にしか観ないことにしてい る。

*  BS「華麗なる・・・」のタイトルシリーズで、キャロル・リード監督、チャールトン・ヘストン主演の「華麗なる激情」を観ました。
 これはサンピエトロ寺院のシステイーナ礼拝堂の天井画を彫刻家ミケランジェロが指名されての苦悩、依頼者ユリウス二世との葛藤を描いたもので、五百年 後、すっきりと修復されたフレスコ画を観てきた者としては興味深く、ベテラン監督だけにちゃちでない作りがよく、佳い映画でした。
 同時にアテナの学堂を描いていたラフアエロが、密かにその天井画を覗き、素晴らしい出来栄えに嫉妬した逸話なども以前に聴いた話で、これは事実かもしれ ない。サンピエトロ寺院で観たミケランジェロ23歳の彫像ピエタ、マリア様のお顔に魅せられたのを思い出して。
 何れの時代も自志を貫く創作者は素晴らしいと、思います。
 今秋は何人か知り合いがイタリアへ、イタリアへと旅行に出ます。せめて元気な間にローマ、フイレンツエ、二都市だけでも行って欲しいけれど。

* 日曜の今夜、わたしが独りで観ていたのは、ピアーズ・ブロスナン三流の「007」だった。あまりつまらなかったので、新島襄の歴史的な一文を校正し、入稿 した。


* 九月三十日 月

* 血糖値が高めかなあと気にしていたが、これで宜しいと。もう一つの何だか大事な計測値の方も、正常値に成ってきていて、良いのだそうである。ま、病院 側でそういう判断ならありがたいと思うことにして。
 雨もよいでうっとうしい天気ながら、有楽町で途中下車して「きく川」で菊正二合の鰻は最高、塩もみのきゃべつもたっぷり、ご機嫌であった。
 なにしろ「モンテ・クリスト伯」があるから、病院で待たされようが、悠々。全編の中でもわたしの一番好きなのは、シャトー・ディフの牢獄で、エドモンと ファリア法師が出逢うところから、脱獄し、そしてエドモンが孤島モンテクリストにひとり残って、ファリヤ法師に譲られた莫大で絶大な財宝に出逢うまで。そ こを今日は読み継いでいたのだから、雨も何でもない。
 高校時代にはじめて知って愛した、夢のような読書の日々を思い起こしつつ。
 印象深い人物の数多い物語だが、ファリア法師との出逢いには胸の震える感動があった。あの陰惨で孤独なシャトー・ディフの絶望が灼然と燃えるような希望 に変貌してゆく力強さにわたしは打たれた。今日読み返しても、嬉しかった。文庫の二巻目に入っている。

* 「モンテ・クリスト伯」のモチーフは何だろう。簡単に「復讐心」と謂えるかも知れない。猛然たる復讐の物語には違いない。しかしわたしは「希望」だと 思ってきた。この壮大を極めた全編の物語を結ぶことばは、「待て、而して希望せよ」ではなかったか。復讐はエドモン・ダンテスの強烈無比のモチーフだった が、待ちかつ希望してやまなかったのはファリア法師であった。作者のデュマには、たしか幾らか黒人の血が混じっていただろう、そういうのも創作のモチーフ に生かされていると思われる。黒人ではないが奴隷にされていた美女エデとともに、「復讐世界」から永遠に立ち去ってゆくエドモン・ダンテスは、愛して已ま なかった許嫁のメルセデスを、自身を密告により陥れたフェルナンの妻になっていたメルセデスを、受け容れることなく去ってゆくのだ。だが、去りゆくエドモ ンは、まさにそのとき、ファリア法師の魂の弟子であり愛子であった。

* 文学では「モチーフ=動機」を非常に重くみる。モチーフに突き動かされ、その内発し爆発する衝撃のつよさに、全身全霊を後押しされて、創作する、少な くも原則論をいうならば。モチーフが動かなければ、わたしなど、書く気もない。
 ところが絵画の人たちが「モチーフ」というとき、かなり我々とは意味が違っている。それを画家達と話しているうち気付くようになった。「家中モチーフだ らけで狭くなって」などと聞いて、意味不明で怪訝な思いをしばしばしたものだが、彼等は、自分の「気に入った対象物」そのものかのように「モチーフ」とい う。「海外の土産にモチーフを買ってきてもらった、それが気に入って絵に描いた」などと。ちょっと聞くと、滑稽な気がした。学校の図画室においてあった石 膏の像なども「モチーフ」なのだ、気に入った道具類も壁掛けや庭の花や雲や風景もモチーフなのだ。
 嫉妬、不倫の愛、生い立ちの孤独、貧窮、激しい憎悪、不正との闘い、死の怖れ、信仰、等々を、文学は「モチーフ=動機」と呼んできたのに。
 例えば小説家に「モチーフはなにですか」「花です」と答えられてはビックリする。そしてああ世阿弥のいうような「花」か「はんなり」する理想のような意 味かと、おそらく深読みしてしまうだろう。

* 「モンテクリスト伯」のような物語から、文学のモチーフはという大きな一例を教わったのだと、わたしは有り難く自覚している。漱石の「こころ」藤村の 「新生」潤一郎の「鍵」「刺青」また「嵐が丘」「狭き門」「若きヴェルテルの悩み」「赤と黒」「人形の家」「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「戦争と平 和」など、いずれも強烈なモチーフの力で表現され噴出している。全く同じようにゴーギャンを、セザンヌを、ゴッホを、またモンドリアンやモローや、またレ オナルドらを謂っていいものかどうかは、わたしの責任外のハナシだが、文学と、絵画など造形との、だいじな接点であり独自の分岐点があるのだろうか。