saku010
 

      宗遠日乗


   
2001 年 平成十三年七月一日より九月三十日まで




   宗遠日乗 「九」

     闇に言い置く   私語の刻 
 

 

* 平成十三年(2000)七月一日 日

* 七月朝一番に。

* 昨夜、どうして政治討論を面白く聴けたのか、あな たの、出席者が「自分の仕事として発言している」で、そうなんだと、納得しました。体験上での旧体制の与党への批判、又は展望に実感が籠もっていて、聴か せてくれたのでしょう。
 最近は、内部から暴かれて具体的に知る悪習慣、悪体質に、国民はただただ呆れて、批判の 眼を向けていますが、少し若返って、剪定された、風通しのよい政治をと、期待を持って見守るしかないのですね。
 若者達、政治家をミーハー的に見ないで、政治にもっと関心を持って欲しいですね。  読 者

* 「無明」は、そのままを全て掲載なさいましたの? あとがきを読まなくても、かなり参ってらした様子が窺えて胸が潰れましたわ。モヤモヤ、イライラ、ヘトヘト、ドロドロを、多分、正直にお書きになってらっ しゃる。
 ですが、迸った、馬を思わせる荒々しい力任せの官能が、若々しくて、魅力的でしたの。 coolに洗練され、美的に抑制された、力強い陽のエロスと、深いところに沈んでいる、野性的な、整理しきれない陰の情熱とが相まっての、秦さんのセク シィさに、改めて惹かれ、「だからこそ」と目指してらっしゃる世界も、強く迫りましたの  読者。

* わたしの「掌説」が何編に達しているか百には間が 有ろうけれど、かなりな数にはなっている。眉村卓氏が「日課」として三枚以上であったか書き続けているのをいつも貰っているが、一読して、お互いにまるで ちがう世界をちがう手法で描いている。わたしは表現の文藝・藝術を心がけており、一字一句も、ゆるがせに置いていないつもりだ、すさまじい内容も、放埒な 書 き方はしていない。その辺を見ていてくれる有り難い読者に感謝したい。ただのお話を書いてはいない、わたしの掌説は、ずいぶんわたし自身の「索引」を成し ていると、自分で思い当たることがある。

* 夢から覚めては何のこっちゃというものだが、夢見 ているうちは我ながら面白い面白いと夢に興奮していた。なんでも、「仁の風景」と題された大小相似の風景画を自分で描き、上下に並べてみると素晴らしく奥 行きふかい一つの景色になったので、大喜びして画中の人といっしょに繪の中へ飛び込んで行った。なぜ「仁の風景」で、なぜ描いたのかも分からないが、ふし ぎに嬉しい珍しい夢であった。だが、こう醒めて書いてみると、あとはかもない。バグワンは、このとらわれ多い生の現実を、醒めてみれば、ただ呆れるほどは かない夢なのだと、なぜ「気付かない」かと繰り返し言う。気付きはじめている。
 その先である。人生が虚仮とハッキリ気付いて、どう、自身の本性を知るか。
 

* 七月一日 つづき

* お能とお謡  いつのまにかお祭になりました お 能を題名にするほどなにも知りませんのに お能を見ながら、舞っている人が恒平さんなのか、隣で眠っている人が舞人の仮りの姿なのか、眠っている恒平さん の夢の中に本当の舞人がいるのだろうか などと思ってみたりしていました  河村先生に仕舞を習っていた友人はとてもじようずで何度も見せてもらいました  薪能にも何度か行きました お謡は元日に本家で鶴亀を聞くのが恒例でした 母からほんの少し、学校でもほんの少し習いましたが長続きしませんでした そ んな私でもラジオ屋さんのおじさんのお謡が聞こえてくると じょうずやなあ 舞台にいる人みたいやなあ といつも思いました 

* テレビでも観ていたか。こどものころに御姫さんの ように憧れていた上級生が、いまは東京の近郊から、こうしてメールをくれる。お祭りとは、むろん京の祇園会のこと、神輿洗いがはじまったであろう。なんだ か、うとうとと夢のようにあわい印象の文面が、しみじみ懐かしい。「ラジオ屋さんのおじさん」とはわたしの父のことで、父は謡曲ができた。能舞台に素人な がら地謡にかり出されたりしていた。この人は、父の妹であるわたしの叔母に茶と花を習っていた社中で、長年お稽古に通ってきていたから、父の謡を、茶室で もれ聴いてもいただろう。優に五十年は逢っていない優しい優しい人だが、いまは、メールで心やすく話し合える。おもしろい時節である。

*  賀茂川の夕涼み なんて、お好みではないですか。こう暑いと、三条や四条の橋の上の夕涼み、どちらかと言えば、通りすがりの四条大橋での涼風が、とてもと ても懐かしく。あのあたりから、白川沿いに歩いて家に帰るのが、程よい散歩道だったなあと。祇園祭の神事が始まったとのニュースを観たので、ふと京の夢へ さそいました。だからと言って今は、夏の京都は用事のない限り、行く気がないけれど。

* これも懐かしい幼なじみの、東京近郊で暮らしてい る人からの「帰山情」である。夏は、懐旧のおもいをひとしお誘うのであろう。 
 五十年になるが、四条の橋の上に歩をやすめ、川面をのぞき、北山や比叡山をながめ、南 座、菊水、東華菜館、そして床のならぶ先斗町へ視線を送っていた、あの体感へ立ち返ることはいとたやすい。あっというまに、あそこへ帰れる。好きだった女 の子たちが次から次から次から何人も何人も姿をみせて横に立つ。何の違和感もない。思い出は全てが静かにいまも光る宝である。手にもつ必要のない宝であ る。

* 野呂芳男氏らの雑誌「黎明」で、近時の福音書研究 にかかわる対談などを読み、いたく刺激を受けた。四福音書の書かれた年代が一頃の通説からかなり訂正されて、紀元七十年から九十年ごろまで多くとも三十年 もない期間に集中して成立していると、最近の研究は一致してきたらしい。宗教史研究の縦糸と横糸といった見地なども、比較宗教的に、とても示唆に富む。イ エスの理解と把握とにも、相当な葛藤が、国際的に学界に渦巻いているらしいのも耳新しく興味深い。イエスを人間的にみるか、神話の仮構とみるか、どのよう な言葉と教えとがイエスその人にまで遡れるのか、けだし聖書ほど精緻に研究の進んだ文献はないのだから、だからかえってさまざまな認識が錯綜しうる。
 一方にバグワン・シュリ・ラジニーシの徹した禅的な理解に深く帰依しながら、基督教神学 の討議にも触れていると、不思議に性格と系統との異なる音楽を交響楽のように聴いている心地がしてくる。

* その一方で、角田文衛博士の、たとえば絶大な独裁 を誇り得た「白河法皇」の豪奢な生涯や、平泉奥州と京都との関わりの中で、あの牛若丸義経がどのように二度奥州に下り得たかなどを、周到な研究成果に支持 されて読み進める面白さにも限りがない。たいがいなことは、イヤでも忘れてしまえる。

* 幾つも時代小説を読んだ。なかで神西清「雪の宿 り」が、意欲的に応仁の劫火を語り極めて、力作であった。メジャーな作家ではなかったが、豊かに澄んだ資質をもった、優れた藝術家であった。その気力の横 溢した作で、敬意を覚えた。かなりの語りで、必ずしもすいすいは読みにくいが、臨場感をはらんで、概念に逸れてゆかぬ描写に力が漲っていた。
 神西清に比べると、海音寺潮五郎「極楽急行」も久生十蘭「鈴木主水」も山本周五郎「裏木 戸はあいている」も、説話の焼き直しであったり、芝居話や人情話の時代物であったり、いずれも下品さはないが、凛とした位のない、要するにお話にすぎず、 何の感銘も受けなかった、受けられなかった。直木賞を受けていたり拒絶していたりするのだが、こういうのでは所詮は通俗読み物の優という以上に出ず、文学 作品とはとても呼べない。林芙美子の「羽柴秀吉」など全くの駄作で、ねらい方としては正宗白鳥の「本能寺の信長」の続編のような題材であり似た扱いだが、 雑文の域を出ない、ひどいシロモノ。
 まだ続々と並んでいる「歴史小説の世紀」戦後傑作短編55選だが、「歴史小説」に値する ものは稀有で、殆どすべてが時代読み物でしかない。看板に大いつわりである。テレビドラマの水戸黄門や大岡越前を歴史劇と呼びますか。「阿部一族」ぐらい が歴史ドラマであり、森鴎外の原作も歴史小説であるが、今ここに挙げたようなものは、神西清の作は措くとも、他は悉く暴れん坊将軍や必殺仕置き人などの並 びで、さすがにあんなにはひどくない文芸とはいえ、低俗の範疇に入って一歩も出ていない。ただの時代娯楽読み物を、「歴史小説」呼ばわりはどうかやめても らいたい、かりにも「新潮」ほどの臨時増刊に。

 
* 七月二日 月

* 大学受験をめざしている少年の、どこか、ほっこりと、うっとりと、「夜更かし」のメールが、心懐かしく届いて いた。朝一番に聴く「こんばんわ」 である。

* こんばんは。 けぇろけろ、遠くで蛙が鳴いています。少し淋しそう。
 6月は雨がよく降りました。ですが、意外と梅雨時の蒸し暑さには悩まされず。
 僕はちょっと異常なくらいの痩せ型で、半袖の服がやや苦手なので、この時期もけっこう長袖でねばります。今年の初夏は思ったより涼しく、気持ちよく過ご せました。そろそろ暑さは本腰を据えてきそうです。上着を買う時は、おとなしく半
袖の服を選ぶことにします。
 今夜はちょっと蒸しますが、夏らしい夜気も静かにやってきています。
 夜気は、昔から好きです。夏休みになると、夜でもふらっと外に出ることがよくあります。幼い頃に住んでいた田舎町の夏祭りを、懐かしく思い出します。
 家族で祭りに遊んだ記憶はありません。よく可愛がってもらっていた近所の女の人に手を引かれて、ただもう歩き回ってばかりいたのを、よく憶えています。
 その田舎町に、家の墓があります。父と母はお盆にお参りに行くようですが、僕はちょっと都合が合わなそうです。残暑の頃に軽い一人旅で行ってこようかな と母に話しました。母も頷いていました。

 片づけるものを早めに片づけて、「情熱大陸」を見ました。諏訪内晶子さん。僕はクラシック音楽をとんと理解でき ないので、彼女を「好き」とは言え ませんが、心から「尊敬」しています。素晴らしい演奏で、世界中の人々を魅了してほしい。
 僕は「音楽好き」ではありません。ただ、或るロックバンドを、心底「愛して」いるだけです。文学でも美術でもない、はたから見ればただの俗なる「ジャパ ニーズ・ポップス」ですが、僕にとっては何にも替えがたい真の「藝術」です。

 ひさびさに秦さんの小説を読み返していました。
 秦さんの小説は、とにかく疲れます。よくよく腰を据えてとりかからないと、文脈をあっというまに見失ってしまう。30分も経つと、僕の集中力はいっぱい いっぱいになります。
 ですが、のめりこみすぎないので、かえってけじめはつくとも言える。たとえば石川淳の長編などを読み始めると、まさしく虜になってしまい、これはこれで 大変な思いをします。20分と時間を決めて本を読み、風呂に入り、そして眠りに就く。読書は僕の生活には大切なものですが、「今」は最優先すべきことでは ないので、よくよく気をつけながら付き合っています。
 「絵巻」から始めて、短編をいくつか読み継ぎ、「ディアコノス」で息を呑みました。ちょっと間を置いて、この半月ほどは「慈子」「罪はわが前に」「みご もりの湖」の黄金コース(と勝手に名づけています)を辿り、昨夜読み切りました。
 自分でも呆れるくらい、何度も何度も同じ場面で涙がぽろぽろこぼれました。「みごもりの湖」の最後を読み終えて、思わず「ありがとうございました」と呟 きました。素晴らしい作品を読む悦び、幸せに、感謝しました。
 特に「みごもりの湖」は、前にもメールで書いたと思いますが、文句なく秦さんの最高傑作、日本現代文学の名作です。難解さも群を抜いており、そこがまた かえってそそられますね。秦さんの思うツボでしょうか。
 短編・中編では「初恋」と「或る雲隠れ考」を「清経入水」なみによく読んでいたのですが、今回あらためて感じ入ったのは、「青井戸」「隠沼」、それから 「祗園の子」の「義子」、そして「華厳」と「絵巻」。
 「華厳」は、冒頭のシーンからもう眼が霞んで、読み終えるのに一苦労でした。「絵巻」の方は、ヒロインがとても素敵で、こちらは涙よりも鱗が落ちる思い です。珠玉の短編群の中で、「華厳」と「絵巻」は、秦さんの<美しい小説>の間違いない双璧です。華岳も松園も好きですが、楊徳領と藤原璋子 の名前も、忘れずにいたい。
 黄金コースの三作では、いつもヒロインよりも迪子さんに肩を持ってしまいます。いや、ヒロインはもちろん魅力的なのですが…負けず劣らず、迪子さんも素 敵だなと。ヒロインの前に立ちはだかる迪子さんを、時に怕いとすら思います。
 すぐ傍にいる女性(ひと)の情念は、すごいものがありました。年上の人だったのですが…お酒が入ると、文字通り「豹変」しました。
 秦さんの小説に描かれる迪子さんを読むつど、この「情念」のことを考えます。
 慈子に向かって振り向こうとする…芳江さんからの電話を「お受けしたくないわ」とうったえる…槇子に「余呉の旅は、ありえなかった」と手紙を書く…ふっ と、怕くなります。
 そして、この<怕さ>を心底畏れる慈子や槇子に、胸をうたれます。たまらなく愛しくなります。頼りなく当尾の姿を探し求める慈子に、また、 幸田に「姉は、赤ちゃんを」と言葉を呑む槇子に。
 迪子さんの存在が、秦さんの小説にしびれるほどの魅力を添えていると思います。
 他にも書きたいことはいっぱいあるのですが、ちょっと多すぎて、まとまりません。ほどほどにしておかないと、とんでもない夜更かしをしてしまいそうなの で…。
 「生活と意見」、毎日読んでいます。ときどき「朝日子」の文字を眼にすると、ぐっと胸がつかえます。朝日子さん、どうしているのだろう…秦さんのもとへ 戻ってほしい、と余計なことを考えてしまいます。ごめんなさい。
 東京はものすごく暑かったと聞きます。季節の変わり目、体調など崩さぬよう、迪子さんともどもお元気でいてください。

* 作品を読んでくれる人とともに生きるのが「作者」である。著作権は言うまでもなく大事な大事な作者の権利に相 違ない。だが、こういう「いい読 者」より前に、先に、置くべきものだとは、「真の作者」なら考えない。
 読者の「顔」を知らない作者がふつうなのである、不思議なような、当然なような、ことだが。
 声高に著作権だけを突出して語るような作家は、出版してくれる出版・編集者の「顔」だけしか知らないし、知ろうとしていない。それが特徴だ。読者とは、 権利への対価を支払うべき、ただそれだけのための「人数」に過ぎないと、ただの「頭数」のように見ている。そういう作者ほど、作者とは、作品の出版を、出 版・編集に対し「許可する」存在だと胸を張り反り返る。著作権者なのだと鼻息の荒い若気の作家たちほど公然と息巻くが、ものがよく見えていない。作者に対 して出版を許可するのは「出版者」であり、作者はこの力関係を錯覚している。さよう錯覚させておくのが「編集者」の技量なのでもある。本本当の本性は、作 者とは出版の「非常勤雇い」に過ぎない。本を出させてやっているなどと思っていても、本当は、出してもらっている。出すも出さぬも、絶対権は出版の側が 握っている。作者も腹の芯では力関係が分かっているから、だから顔の見えない読者よりも、目の前の出版・編集の顔色のままに、傲然とまたは卑屈に、依存し 追従し、ただもう「売れる」ことでのみ恩と義理を返そうとする。まともな「いい読者」たちの顔を知っていたらとても恥ずかしくて出せない仕事も平気で書け る・出せるのは、「読まれる」ことより「売れる」ことを一義に、作者は雇い主に媚びて業界での延命をはかるしかないからだ。クレバーな読者の顔をなまじ 知ってしまうと、恥ずかしくなるから、知りたくないのだ。
 これが、バブルこのかたの、従来「紙の本」出版社会での基本の図であったし、この図を出版はそのまま「電子の本」時代へも持ち込みたいとかなり本気で取 り組んでいる。それに気付かない作者たちは、覚えたての「著作権」で権利意識をふりかざしながら、たとえば作者・読者・出版の構図が見えていない。電子の 本と紙の本との本質的な素性の違いにも理解がない。「本」と呼ぶ以上は単純に延長線上に並んでいる気でいる。世間知らずなことは百年前と変わらないのが物 書きだ。

* 読者の「顔」を知っている、現代では稀有なわたしは作者の一人だと思っている。出版の売り上げ増のために書く のでなく、知己である読者に恥ずか しくない文章や作品が書きたい。受賞いらい、いささかもその態度を、襟度を、崩さなかった。メールの少年のような、こういう「一人」「一人」のあるかぎ り、わたしは「作者」だ。このような読者と同列に、心して、わたしを育てまた認めてくださった諸先生の「顔」をも忘れない。優れた日本の古典の作者たち。 また漱石や藤村や鏡花や潤一郎、直哉や、荷風や康成や、太宰賞の各選者や瀧井孝作、永井龍男や、福田恆存や、下村寅太郎や、森銑三や、井上靖や、そういっ た人たちから「ノー」と首を横に振られるような「レベル」の仕事は、たとえ出来ても、しないのだ。わたしの「湖」は掌に載るほどの小ささだが、湖岸の景色 は美しく、湖水も深く冴えている。まさに「みごもりの湖」を、わたしは胸に抱いている。

* ウイーンから甥の一人が帰っていて、今夕にもちょっと顔を出すと言ってきている。何をしているかは問わない、 よく生きているだろうか。
 

* 七月二日 つづき

* 北澤猛と姉街子とが、京都から訪ねてきた。はじめ猛だけかと思っていたが、街子も行くと云いいっしょに出てき たらしい。宿は都内に取っていた。 それで、十一時までに帰した。七時前から、まことに満ち足りた会話の晩餐になった。街子もだいぶはんなり話せるように、話せなくても表情に大人の女のうる おいが見えるようになり、そして弟の猛は、舌を巻く勉強ぶりを雄弁に開陳してくれた。ヴィトゲンシュタインの哲学の特徴や性格を即座にあれほど長々と滞り なく話せる若者が、いま、日本中に何人いるだろうか、猛は哲学の徒でも文学の徒でもないのだ。ただ語学の才に突出したものを持っている。父恒彦の才をうけ ているのだろう。西欧文明とユダヤの問題を多角的に縷々語って倦まぬだけの蓄えも持っていて、哲学史や比較宗教への視野も相当ひろく身につけていた。その 未来線上に猛は「政治」を考えている気がした、彼自身がその方角へ身を動かしてゆくのではないかと。けっこうである。父親のある一面をこの弟息子は追って 行くのかもしれない。
 兄息子の黒川創(=恒)には心ゆくまで文学を追い深めて欲しいとわたしは願っている。「叔父さん叔母さん、長生きしてください」と、猛は、今夜、三度も 口にした。この子らの行く末を少しでも永く兄に代わって見届けてやりたい。
 姉も弟も飲める方なので、わたしも、付き合った。いや、ダシにして飲んだ。自分で純米の一升瓶と、大きな缶ビールを一ダースも買ってきたのだから、あま り心がけの良くない糖尿患者であった。よく太っている猛の血糖をはかって見たが正常値であった。人ごとの方は安心したが、自分のは恐くて計らなかった。
 

* 七月三日 火

* 朝の血糖値109で安心した。朝、70から110なら正常値、その上の126までがグレーゾーン、それより高 いと糖尿病と診断される。わたしは 大方が正常値で、前夜に外で飲食に精出してくると、やや高くなり時には123・4にもなるが、グレーゾーンを飛び上がることはこの半年以上、数えるほども ない。体重は最高時86キロあったが、今は77から78キロほど、これを何とか75安定にまでもって行きたい。血糖値よりもこの頃は体重を抑制する方に欲 が働いている。服がラクに着られるのが嬉しいのだから、たわいない満足である。しかし経済的にはこれはバカにならないトクである。

* 活躍している弁護士さんから手紙をもらった。趣意をかいつまんでぜひ紹介させてほしい。一概には言えないが、 こういう側面のあるのは明らかだと わたしも思う。図書館などの友人の声、聴きたいものだ。

* マンガ喫茶や図書館の多部数購入問題は、学生など若い人にききますと、関係著作者たちの認識はずれているそう です。これらの方法で利用する人 は、これらの方法がなくなれば自分でマンガや本を買うかといえば、全くそうではなく、買わない、読まない、となるだけだそうです。著作者は文化を云々する なら、普及するだけでも効果を認めるべし、そうでないと、印税ばかり問題にするエゴだと思われるよ──と。
 話は変わりますが、マスコミないし言論だけを守ろうとしてもだめで、人権機構構想全体を国民の視点で批判しなければと思っています。

* 再放送の猪瀬講座、横光利一から円本の話を聴いた。話の中身は彼のくれたテキストで分かっているが、話しぶり を聴いてみたかった。そう、こうい う風に穏やかにしかもメリハリよく話せるのだから、いつの会議の時も斯くあってくれると助かる。こういうふうには話せない男かと思っていたが、じつに温厚 にうまく話せるではないか、この能は、隠さなくていいのです。

* 円地文子「ますらお」は、題からすぐ察しられたが建部綾足「西山物語」上田秋成「死首の咲顔」の話で、老境秋 成の噴出する創作意欲に手をふれた 小説、さすがに円地さんの筆致は落ち着き、確かで、ゆるみたるみも、あまみくさみも微塵もない。きちんとした作品だ。これに先立った永井龍男「夕顔の棚」 は、永井先生の作とはいえどもあまりに手薄くて読むにも堪えなかったのは残念至極。とはいえ、「ますらお」とても秋成原作からすれば二番煎じに過ぎない、 それほどあの原作は凄いのである。

* 毎日HPを読むのが楽しみで。先生を身近に感じられます事が、又とても張り合いになっております。球体の客室 にそうっと私もお尋ね出来そうに思 います。
 思えば思うほど、読者の声を聞いてくださる作者はそうはいらっしゃらず、又読者の方も聞いて下さるとは思ってもおりませんでした。昭和も60年、初めて お返事を頂きました時の飛びあがるほどの興奮を思い出します。独自に大変な「湖の本」出版を続けられている強い意志に、並々ならぬおもいを改めて噛み締め ております。どうぞどうぞ末永くありますように!楽しみにしております。
「ディアコノス=寒いテラス」の巻を友人にプレゼントしたいのですが。近江生れ、京都育ち、横浜在住。感性の豊かな方でございます。一昨年は祇園会につれ ていっていただきました。
暑さのなか、どうぞ御からだおいといくださいませ。
 

* 七月三日 つづき

* 川嶋至教授の訃を伝える電話が、関口静雄教授子息の慈君から入った。昨日であったこと、密葬であったこと。関 口教授はおなじ昭和女子大の先生で ある。
 川嶋さんは、東工大へ私を招き入れた先輩教授であった。わたしより一年早い退官後は、昭和女子大に再就職されていた。先日のシンポジウムのおり、川嶋先 生はお元気かと大学の人に聞いた。もともと体調を損じておられたが、揺り戻し揺り戻し回復されていた。それほどお悪いとは聞えない、だが、ぼんやりとした 物言いで返事をされ、お元気だといいがなと思っていた。

* 人に死なれたときは、いつも、こういう気分である。はせ参じようが、葬儀に出ようが、取り返しつかない。おそ かれはやかれあとを追いかけてゆく ことになる。

* 古いおつき合いであった。ごく初期作品の書評をしていただいた。会うことは一度もなかったが、著書はほとんど 全部をお送りしていた。そして、あ の年の暑い夏に、突如電話を下さり、東工大の教授としてお迎えしたいのですがと。
 わたしは事実東工大などという大学を意識したこともなく、咄嗟に私立大学だと思ったくらい。ご存じないのですかと反問され、息子に電話のそばで、ちがう よ、おやじ、名門だよと囁かれて、びっくりした。昨日のことのように思い出せる。
 親切に親切にして戴いた。昭和女子大に再任されていて、翌春わたしがやめると、すぐ大学の人見記念講堂での公開講義に講師として呼んでくださり、わたし は、物議を醸していた渦中の漱石「心」論を、丁寧に、時間をかけて話すことが出来た。あの講演は、わたしには本当に大きなチャンスであった。講演録はたい へん役に立ち、多方面の支持も得てきた。すべて川嶋さんのお陰であった。

* 川嶋さんの学風は、骨が太かった。かなり硬い骨だった。私小説ないしは実名小説に対する精到な批評は、鋭い牙 も磨いていて、臆するところなかっ た。かなり、俗な反発も受けられたかも知れない、が、正当な批評精神に満ちていてわたしは敬服していた。問題の所在を見抜いた深い視線の差し込みに魅力の ある特異な学風であった。洒脱な硬骨であり、軽妙をそのまま辛辣に働かせて、いつも一抹のユーモアも湛えていた。
 あの東工大の四年ほどに、わたしは川嶋さんに冷たくされたことも、イヤな思いをさせられたことも、ただ一度もなかった、むしろ私の方がわがままにご迷惑 ばかりかけていた。ながい人生で親身に兄事できた同行の士、稀有の知己の一人であった。

* こと改まって、わたしは、川嶋さんにお礼すらろくに申し上げたことがない。温厚な森徹山の軸物「栗柿図」を、 手持ちの道具から選んで謹呈した が、川嶋さんはどっちかというと油絵の方がお好きであったろう。何度かご馳走になりながら、お返ししたこともない。
 正直なところ、川嶋さんに一年はやく辞められてからは、もう東工大にはながくおれない気分であった。気の支えを無くした心地であった。がっかりした。
 退官されてからは、そのわたしの講演の日に一年ぶりで再会して、それからは顔は合わせなかった。湖の本だけは欠かさず送っていた。身近に感じられる存在 であったから、会わないでいることが疎遠に、という気分は全くなかった。

* 寂しい。だが、どうしようもない。このままで、忘れられる人ではない。会わないままの日々が今まで通り過ぎて ゆくだけで、いつか、ひょこっと顔 が合い、心おきなくちっちゃい缶の缶ビールを、また教授室でご馳走になるだろう。忘れもしない。助手だった柳井さんに、助教授だった井口時男氏に、電話な どして逝去を告げたり話すこともできるのだが、そういうことの何も、わたしは、すまいと思う。わたしの川嶋至はわたしの川嶋至でしかありえない。それが懐 かしい。寂しい。

* 『ディアコノス=寒いテラス』の「妙子ちゃん」を念頭においた、そう、「詩」のようなもの、「詩」が、名乗り 無くメールで届いた。見捨てること はできなくて、そのまま「妙子」の名乗りにして「e-文庫・湖」第七頁に掲載して置いた。心を惹かれる方はその頁をひらいてみて下さい。
 

* 七月四日 水

* 久しぶりに文藝春秋の出版部長寺田英視氏の電話で、しばらく雑談した。明野潔氏もいっしょに、話しながら食事 しようと。三十年のつき合いにな る。「湖の本」生みの親の一人でもある。

* ビールや酒が届いてくる。ウーンと唸りながら、気分は豊かになる。青田吉正氏から、いい蕎麦がたくさん贈られ てきた。蕎麦の味がいくらか分かる ようになった。有り難い。

* 林晃平著『浦島伝説の研究』が、版元からやっと届いた。骨太の読書が楽しめる。

* 平林たい子「額田姫王」は、材料に薄味を施しただけの、読み物としても半端な凡庸な作物。「秘色」でしっかり 触れてきた時代であり人物たちであ るので、よけいにヒドサが見えた。「秘色」を書いたより前に、井上靖にもう長編『額田姫王』があった。わたしは読んでいなかったが、新潮社の池田雅延氏 が、はるかに「秘色」の方がいいですよと言ってくれたのを頬を暑くして聴いたのを覚えている。のちに井上さんの作を読んでみたが、途中で投げ出してしまっ た。池田さんは世辞を使っていたのではなかった。知名の作者の作品だから佳いなどと決めてかかるのは滑稽な事大主義である。たいがいのものは、よろしくな い。読んでいる「歴史小説の世紀」という大特集が如実に示している。まだ半分ほど読んだだけだが、谷崎潤一郎「小野篁妹に恋する事」のほか、せいぜい神西 清「雪の宿り」円地文子「ますらお」ぐらいしか、文学の域に達していない。しかし名前だけをみればびっくりするほど知名の作家が顔を揃えている。情けない 話である。歴史小説なんてものは殆ど見あたらない。現代より昔の人や時代に題材を得ているという、ただそれだけの似て非なるインチキ特集である。テレビド ラマの「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」を歴史ドラマだというのなら、それなみの歴史小説という定義を容認しないでもないが、途方もない軽薄な話である。
 

* 七月五日 木

* 今日は通盛、敦盛の能を観に行きますと、朝一番に、四国の人。『能の平家物語』もお供するらしく、写真「十 六」と舞台の「十六」とが交響するこ とかと、懐かしい。
 茹だっていないか、青空と山風とをそちらへ送りますと、伊勢の名張から。感謝。
 

* 七月五日 つづき

* 明治大正昭和三代天皇の頃の行幸行啓に即して、いかに、「見る」という行為を媒介に天皇制統治の実質が拡充さ れ浸透していったかを論証する、原 武史氏の研究は、「想像」を媒介に天皇制国家の基盤が築かれてきたとする在来の国家観への大きな訂正を含み、その限りにおいて明治天皇の行幸も敗戦後の昭 和天皇の全国巡幸も質の違いはなかったのだと説いている。そう読めるものを論旨が含んでいる。異論はない、が、もう一歩をすすめて、平成の天皇一家の場合 をみても、なお、同じなのか異質な要素が生じているかについて論考が有れば、わたしは知りたい。

* 京都議定書に関連して、四月の総会以前の理事会から、総会でも、理事会でも繰り返しペンとしても発声してはど うか、「環境」は梅原ペンが「核」 に並ぶほどの関心をよせる重要課題としてきたハズなのにと、提案するのだが、理事会も環境委員会も、沈黙を守っている。訝しい。小泉首相が米欧を歴訪して 示している現下の姿勢や表明は、それなりに納得しているが、この先は、踏み込んだ政治判断を強いられる。批准を避けて通り過ぎれば、小泉純一郎の評価は一 気に下がるだろう。理のあるところは、批准して議定書を発効させ、アメリカの態度を国際世論の中で煮詰めてゆく、炙り出してゆくしか無かろうからだ。「京 都」で日本が議長国として立ち上げた議定書だからと、身びいきで言うのではない。地球環境は明らかに異常を年々に強めている気がするから、言わずにおれな いのだ。

* 沖縄の地位協定にからんだ兵士逮捕の一件は、まだ宙につるされている。不平等条約いらいの不平等関係は日米を まだ蝕んでいる。法制上の手続きや 被疑者の人権上の問題はあるだろう、日本の警察の取り調べ方法が万全とは思っていないが、互いに法治国であり、日本の領土内で犯したと重大な疑いのある犯 罪に対し、日本の法制批判を口実にした自国人被疑者の引き渡し拒絶は、筋があまりに違う。速やかに「起訴」してしまうことも考慮し、ここは小泉・田中のコ ンビで、力の程を発揮して貰いたい、剛腕が本当にあるのなら、ここが発揮のしどころである。 

* 「フォーカス」が休刊、自然の勢いであろう。新鮮な訴求力をもち、一定のつよい役割も持った事実は消えない が、その力は陽性のものでなく、負を 負の力で暴いていた。それがプラスを導いた例を忘れてはならないが、マイナスのいやな感じも莫大に垂れ流した。耳汚れ眼汚れる感じがあった。一つには、こ れも電子本への時代へ移行してゆく余儀ない撤退とみていい。あれよりも遙かに程度の低いひどい内容が、デジタル時空間にはもう溢れていて、もはや何かがこ とさら暴かれるのでなく、何もかもが混在し併在している。

* 「花見酒」という落語がある。樽に入れた酒を前後ろで担いで納めに行く男二人が、途中で、酒の匂いに負け飲み たくて堪らない。売り物だから金を はらわなくちゃと、二百文もっていた後ろの男が、前の男に金をはらい飲む。すると前の男も飲みたい。いまもらった二百文を後ろの男に支払って飲む。繰り返 している内に酒はなくなり、さて金はやりとりしていた二百文のほかには何も残らない。バブル経済や株価の曖昧さのこれほど鮮やかな説明はないものだから、 よく「花見酒経済」などという。落語もバカにならない。
「あたま山」なんて噺は途方もなく不思議な幻想物語であり、しかもリアルなのである。わたしは、どれか変わった噺というなら、「あたま山」、こわい噺なら 「死に神」を挙げる。立川談志がご機嫌でオダをあげている深夜番組でも、「花見酒」「あたま山」を面白く話題にしていた。 

* 退官いらい初めて東工大の井口時男氏が電話をくれた。川嶋さんの訃報を彼は今朝知ったという。明日の晩に、助 手をしていた柳井さんと二人で奥さ んを訪ねますがと。お誘いであっただろう、が、わたしは、失礼すると告げた。なにを申し上げてもどんな顔をしても、両方でつらい。
 生前、ご夫婦で告別式はしないと申し合わせもされていたという。川嶋さんらしいと思うし、そうであったろうと察していた。こっちの気分をはるけるための 訪問にしてしまう結果になるのは、わたしの本意でなく、今がいまお慰めできるとは思えない。ただ、川嶋至という人を感じている、今も。温容も、かすれ声 も。笑い声も。ちょっと赤らみがちな頬も。
 

* 七月六日 金

* 「犬にどこまで日本語ができるか」という原稿執筆を促す手紙が会員対象に届いた。「日本ペンクラブ編アンソロ ジー」だとか、梅原猛会長と、編集 出版委員会の中西進委員長の名前で。
  アンソロジーは、たいてい「詞華集」と訳され、収録されるのは誉れ高いとされてきた。日本の「ペン」行為を代表する世界文藝の一環としては、あまりに珍な ねらいの「アンソロジー」ではないか、なんだかガックリ。愛犬とのコミュニケーション、それはけっこう。しかしなぁ、と、わたしは、やっぱりこんなペンク ラブのレベルにはガックリ。「厳正に審査」すると。本気なところがタマラナイ。

* いっそ日本中にさきがけ、新世紀にさきがけて、「日本ペンクラブ・電子文藝大賞」でも提案してみたら、どうな るだろう。鬼の首をとったように、 「それは売れない・稼ぎにならない」と叩かれるだろう。日本のペンは「金鍍金のペン」かと嗤われまいぞ。

* ぞくぞくと「e-文庫・湖」に寄稿がある。三百枚もの書き下ろし長編小説も届いてきた。さ、どんなものか。
 

* 七月六日 つづき

* 電メ研。「日本ペンクラブ・電子文藝館」について検討、構想の各部分を具体的に補強し、べつの発想を追加して いった。全会員の業績データベース も着実に積み上げて、日本ペン会員の実質的な名鑑と著作・著述を完備したい。このわたしの提案にも強い賛同の声が。研究会のなかでは声も言葉もが通じる が、理事会はどうか。

* かねがね気にしていることがある。会員になるためには、理事一人と会員一人以上の推薦が必要とされている。推 薦の発議は、理事が、理事会です る。わたしも、就任以来何人もの人を推薦してきた。推薦に値すると思ったからである。また、わたしの仕事柄、値すると思う人たちとのつき合いは、多方面 に、廣い。会員を増やしたいという要望がむかし執行部からも出た。こころみに、その時、こういう人なら推薦したいなと思った人名を書き上げたら、二百人ぐ らい有った、その挙には出ないで済ませたが。
 ところが、この推薦行為と、理事改選の選挙とが、どこかでジワリと絡んでくるのは、事実あり得ぬことでなく、もし「再選」効果を意図しつつ、特定の、な いし各理事が一種軽薄な「宣伝行為=推薦行為」をあえてするようになると、そういう悪慣行が、意識の有る無しを越えて定着してくると、結果としてそれが選 挙運動となり、得票数に陰気に結びつき、つまり理事改選に情実的にからみついて、そのために理事の「有意義な交代」が進まなくなるのではないか、顔ぶれが 「わるく陰湿に固定」してくるのではないか。わたしは、自分の意外な二選三選の事実ともからめて、どうも、よろしくない傾向がこの「会員推薦のからくり」 には纏い付いているなと、ずうっと感じてきた。
 じつは、これと関連するかと思われる「実話」を耳にした。或る役員理事が、自分の推薦で入会した会員たち数十名に囲まれて、毎年のように名目親睦会を繰 り返しているというのである。良いことではないか、という感想が有っても理解できぬでは、ない。しかし、これは、理事会の、ないしペンクラブの内部に、特 定個人理事の「支持派閥」「選挙母体」が形成されているのと、何ら変わりない。会員にして貰ったことを恩義と感じ、その推薦理事を半永久的に理事に推し続 けようとなれば、まさに「**派」総会のようなものが出来ているのと変わりがない。有志の親睦会ですよ、何がわるいかと開き直られれば、それも如才のない 「政治力」というものであろう、格別返事のしようもないし、これ以上口は挟まないが、気持ち悪い・薄気味のわるいイヤなことが麗々しくやられているものだ とは、少なくも「わたしは呆れている」と、此処に書いておく。やりそうな親分と子分でやっているという感じだ、今のペン理事会の空気にわたしのしばしば感 じてきた或る漠然とした違和感を、ああこれか、と説明がついたような「実話」であった。耳が汚れた。

* 少なくも今後も選挙により理事を選ぶ制度を続けるのなら、理事の再選に対して、ある程度の歯止めをかけて、少 なくも一期は引き下がらせる慣行な どを作るべきではないか。地位占拠に節度と止めどが無くなると、人間的に汚れてゆくことに繋がる。

* 委員会の帰路、しばらく、寄り道した。
 九十過ぎた、わたしへの自称「押し掛け弟子」の老女がいて、端倪すべからざる文才をもっている。短い小説だが「ぬくもり」一編を早くに「e-文庫・湖」 に掲載していて、文庫を取材してくれた「毎日新聞」の若い女記者さんが、その老女の作の若さとうまさに感嘆していた。その石久保豊さんが今入院していて、 病床から、かねて頼んであった自撰短歌を、かろうじて友人に書き出してもらい送ってきてくれたのである。この短歌百二十首を早く読み、早く選び、早く掲載 してあげたい。作品を落ち着いて読みたく、それは家の器械部屋よりは、外の、落ち着いた場所の方がいいと思っていた。で、森委員と別れてから、腰をすえ、 うまいものと佳い酒とでくつろぎ、じっくり短歌作品を読んできた。石久保さんが昔からの歌人であり、「潮音」に縁のあったらしいことも察している。夥しい 数もらっている手紙の中にも、折に触れて思わず小手を打ったり唸ったりするうまい短歌が自然に織り込まれている。歌をとお願いしていたのは、贔屓目でいう のではなかった。さすがに老境の、したたかに、おもしろい、良くできた歌作が並んでいて喜んだ。食事も、気持ちよく旨かった。給仕の人も、うっかり猪口を 転がしたりしたのに、とても優しかった。優しい人は、美しい。

* アメリカが暴行兵士の引き渡しにやっと応じたのは、ともあれ、よかった。田中真紀子に新しい大きな課題が一つ 増えた。機密費問題や外務省改革よ りも、地位協定改定を先にやれやれと必ずいうヤツがいるだろうが、どれもこれも甲乙なく頑張って欲しい。小泉首相が協定の改定よりは運用改善でなんとか今 後もと言いたげにもぐもぐやっていたのは戴けない。
 

* 七月七日 土

* 少年の昔から、三月や五月の節句ほどには七夕をよろこばなかった、わたしは。笹の葉にいろいろの短冊を掛ける あの装飾が、わたしの感受性を必ず しも単純な美的快感だけでは引きつけなかった、妙に怕かった。わたしの孤児感覚がお星様への願い事などという短冊遊びを拒絶していた。もう一つは、あまり 日本的に感じられなかった。和歌に星を詠ったものの比較的すくないことも、関係しているだろうか。

* 今日を男女の祝儀の日に選んでいる人たち、さぞ、多かろう、幸せな出逢いがたくさんあるといいと思う。

* 真に自己の実在=リアリティーに目覚め気づくことのない限り、生きてあること自体が夢で、実体はないと同じ と、ブッダは言う。その通りに違いな い。夢の一字はなにかしら美しい物事の代名詞めいて口にされてきたが、夢はたいてい悪夢か虚妄にすぎず、夢がほんとうに人間を良くした例は、よく吟味すれ ば絶無なのではないか。貪欲。瞋恚。愚癡。いずれはそこへ突き当たって、ただ醒める。安心は残らない。不安だけがのこり、目前に死が来ている。
 わたしも人後に落ちず夢を書いてきたが、夢を頼みにしたり美化して書いたことはないつもりだ、虚妄そのものと見つめて書いてきた。
 おもしろい、興味深い事実がある。日本の古典は多く夢を書いた。源氏物語はあれで実に少ないほうであるが、更級日記の著者は夢尽くしのように夢を書き込 み、浜松にも寝覚にも夢を印象深く多用している。他の物語もまた、概ね然り。
 ところが、夢の文字を一つも使わない有名な古典が「二つ」現存するのである。今は、明かさないが。

* 東京という都市には「女言葉」が地を払っていると指摘したメールがあり、そうかなあと意外に思っている。「東 京では女ことばそのものがもう消え てしまったのかもしれませんね。「そうですわ」とか「そうですかしら」とか「そうですの」なんて私が言うことを考えると、場違いなようで、とても使えませ ん」と。追いかけて、以下追加のメールも来た。言葉の問題であり、興味がある。どんな反応があるだろう。

* おそらく私たちの(五十歳)世代では、女ことばはほとんど使われなくなった気がします。子供たちの世代、それ よりもっと若い世代はさらにちがう ことばを使っています。発音も発声も「それ、どうぇー」というようになまっています。そういえば「そうだよ」「したよ」というもの言いを、子どものころ祖 母にたしなめられていたのをふと思い出しました。友だちとの間で「そうなのよ」「したのよ」という会話は不自然なものとなり、大人になっても友人同士「そ うですのよ」「しましたの」という会話は不自然なものとなっています。どちらかといえば上流階級と思われる美智子妃殿下ご学友や外交官夫人との会話も、 「どうしていらっしゃいます?」「忙しくて大変です」といった調子で、「どうしていらっしゃいますの?」「忙しくてたいへんですのよ」とはなりません。ど んな方が、どんな時に美しい東京の女ことばを話していらっしゃるのでしょうか。
 戦後、ぞんざいに話すことで戦前にあった階級をあえてなくしていった気もいたします。京ことばは今でも、話す人の立場、話す状況によって余りにもデリ ケートに使い分けがされていて、よそ者には到底使えないむずかしいことばですが、東京弁は地方ことばに凌駕されて、本当に美しいものが消えていく気もいた します。東京の中流家庭の女ことばは、母の世代でほとんど終わってしまったのかも知れません。今の私には、たとえばお隣の奥様と「暑くて嫌ですわねえ」 「庭の草取りをしようと思っていますのよ」などと、口に出すのも面はゆく、何か外国語を話す気がいたします。せめて「暑くて嫌ですね」「これから庭の草取 りでもしようかと思っています」とはきはきお話できるようにしたいと・・・。ことばを美しく話すためには、発音、語彙、表情などを大切にしていかなければ いけないのですね。さらに、何を伝えたいかと言うことに意識をきっぱり置くことも必要なのですね。はなし下手にとっては大きな課題です。

* 大きな流れでは異存ないが、不自然でなく美しく女言葉で話される女性が、いない・いなくなった、とは思わな い。そういう言葉の自然で美しい使い 手は何人も知っている。言葉は語彙そのものではないから、不自然と自覚して使えば不自然になり、自然に使う人には身に付いた素養ということになる。ことさ らに、「の」「のよ」の語尾を用いて上品がるのも可笑しいし、自然に出たときに自然に用いるのはわるいことでなく、そういう習いが東京から地を払って失せ ているとは思わない。『山の音』のお嫁さんの菊子のように美しく自然に話せる人の減っているのは、激減しているのは、確かでも、それでもなお、と、わたし は思っている。

* ペン役員理事を囲む派閥的な親睦会に関連して、すぐ、こんなメッセージが届いている。

* 亡父は、終始、目立たない宗教的・政治的世直し活動のなかで、「無銘道」を提唱し、個の修行者としてネームレ スをつらぬき、まわりのすすめにも かわらず、宗教集団が金儲けに堕することをおそれ、群れを好まず、「宗団」を立ち上げませんでした。これは、私の父への評価の一つであります。
 小生のいわば親爺のような存在の、元外交官のHさんは、今年85歳。退官されたあと、一切の天下りを断り、唯一、私がかかわっていた、非法人格・非営利 の文化団体の会長役をお引受けいただき、私財も投じられました。Hさんの現役当時からのあだ名は「頑鉄」(頑固一徹な無私の直言居士。鉄は名前の頭文字) だったそうです。こういう生き方も大好きです。
  これは、「組織の経営戦略」「もとより力をたのみとすることで、何らかの力を行使することにつながるか、つなげる群れの習性」といったこととは別の、「望 ましい組織のありようと、個々の組織とのスタンス」にもつながる個の好み(思想)の問題でありましょうが、組織は、まず「全体経営あっての組織」が現実の 命題。ただし、人事・組織の刷新なく、偏りがあり、政治力学に終始すれば、やがて力劣え、改変・解体されていくのは世の常でもあります。総意を反映するこ との難しさを克服する有効な手立ては、ひとりひとりの組織への積極的・実質的参加と、権利と義務の行使・履行しかありませんが、その前に、「まずミッショ ンありき」、かつ参加への均等な機会が与えれるようにするのが肝要です。

* 地位利用による地位確保の動きは健康でないと、わたしも考えたのである。ずっと考えてきたのである。そんなこ とは政党の派閥の親分のすること、 もし、文筆家が真似てどこがわるいと居直られれば、どうぞと答えて軽蔑するだけの話である。
 

* 七月七日 つづき

* 図書館勤務の友人から、こういう意見を聴きたかったと期待通りのメールが届けられた。ご迷惑にならぬよう配慮 しつつ、ぜひ、大勢の思いへも届け たい。

* 日本ペンクラブによる図書館への抗議声明は本当に残念でした。
 確かに、大都市圏の図書館の複本購入には、私たちから見ても、ちょっと度が過ぎるのではないかと思うようなところもあります。でもそれは、それぞれの図 書館が、それぞれの図書館の資料費や利用者からのリクエストを勘案しながら主体的に判断されておられることなのだから、他の自治体の図書館員が口をはさむ ことではないと思っています。住民代表である図書館協議会の方々(あるいは教育委員の皆さん)がもっと関心を持って論議されるべき問題だと思います。ご自 分たちの税金で、ご自分たちの「知る権利」の保障を図書館に付託されているのですから。
 ちなみに私の勤務する図書館の図書購入費は約2000万円ですが、複本については予約者の方を3カ月お待たせしない(1人の方が2週間借りられるとし て)というのを基準に、しかし最大7冊までと決めています。これが多いか少ないかは、それぞれの図書館の地域事情や図書購入費との兼ね合いによると思いま す。(私の勤める図書館では、移動図書館が市内37ヵ所のポイントを2週間おきに巡回し、50ヵ所以上の公民館や老人ホームなどに団体貸出の本を届けてい ますので、本来ならばベストセラーの本は80冊でも買って、すべてのサービスポイントの人に公平に読書の機会を提供して差し上げたいところなのです が・・・。本県の方々はたいへん奥ゆかしくて、リクエストの本がすぐに読めなくても、文句もおっしゃらず、自分の順番が来るのを待ってくださって・・・本 当に申し訳なく思うことが多々あります。
 日本ペンクラブの方々をはじめ、著作権者の方々に対しては、私個人としては保証金を払っていくことにやぶさかでありません。コピーの問題同様、財産権と しての著作権に関わることに対しては、図書館における資料の貸与には何らかの金銭的保障措置が講じられてもよいだろうと思っています。ビデオ映画について は、すでに保証金を支払っているのですから。
 ただ、ペンクラブの方々に申し上げたいのは、公共図書館は無料で、しかもリクエストに積極的に応えようという姿勢があって複本も購入しているからこそ、 これだけ利用が伸びているのであって、じゃあ図書館が複本を購入しなかったらこの利用者の方々がすべて書店に走って行ってその本を買われたかといえば、私 は疑問だと思います。むしろ、図書館は(特に書店のないような地域では)宣伝効果を高めるうえで大きな効果をあげていると思うのですが・・・。
 特に林望さんの本なんて、全国の図書館員が書誌学者としての林さんに親近感を覚えて、出る本、出る本、買い続けていったおかげであんなに知名度が上がっ たのに(と、私は推測しているのですが)、「文藝春秋」であんなこと書かれるものだから、今や総スカン。売上げも落ちているんじゃないでしょうか。(笑)
 それはともかく、図書館員の専門性を否定するような人事異動や民間委託、非常勤職員に依存した職員体制等によって、図書館員の選書能力が落ちていること は確かです。複本問題をあげつらうなら、同じように図書館司書の専門性や資料費の確保についても問題提起していただきたかったと思います。米百俵じゃない ですが、目先のことにとらわれて、もっと大切な「知る権利」や「表現の自由」、さらに言えば民主主義と地方自治の土台たる公共図書館の生命線ともいうべき 職員問題を見落としてしまわれたら、日本の文化そのものの危機を招くことになると思います。
 著作権料の問題だけでなく、もっともっと現実的な運営や政策の問題についても、作家の方々に、一緒に図書館の問題に取り組んでいただきたいと思います。 秦さんのような方がいてくださるのは、まことに心強いです。
 全国ネットで、意見交換や情報伝達の出来る図書館員のサイトというのは、個人レベルでは色々あるようですが、それぞれ個性が強すぎて私にはついて行きづ らいところがあります。明日から、高松で開かれる図書館問題研究会の全国大会に参加してきますので、面白いサイトがないか、各地の図書館員に聞いてみま す。

* 林望氏のことはともかく、平静な、確かな意見だとわたしは感じる。同感である。廣く知って貰っていい具体的な 問題提起も含まれる。こういう向こ う側の声を一つも聴取することなく、いきなり「憂慮」声明や「抗議」声明に走りすぎるのは、ある種近視眼的な、またエゴむきだしの「思い上がり」になりか ねない。少なくも図書館に関しては、ブックオフと切り離して、より落ち着いた理解のもとで物を言うべきだとわたしの発言しつづけてきた、理由である。

* ブックオフについても然り、実体や事実関係への把握が不十分なまま日本ペンは「憂慮」声明したのではないかと いう懸念が強まってくる。
 昨日の電メ研でも一部委員からはっきり観測されていたが、あれだけの物量が、「すべて」読者からの「売り」提供だけで揃うというのは、やはり「ありえな い」のではないか、いかにもピカピカの新品で高価な本が大量に、一つの店に揃っていたりするのは、年度末税対策から、裁断するよりは、安くてもとブックオ フへ版元が処分していると思われるし、違法ルートの横流しも無いとはとても言えないだろうと。
 さらに複雑な問題は、書店への被害影響の言われる反面で、小売り書店が、安くブックオフから数を買い入れ、「版元へ返品」用に宛てている例も現にある、 と。返品を調べると「ブックオフ」マークが入っていたりする、と。これは、厳しいしかし問題の多い利用法で、こういうことになると、著作権料の問題をとび こえた「別問題」が生じていると言わねばならない。

* 石久保豊さんの短歌八十八首を「e-文庫・湖」第七頁に掲載した。友人の手を経て届けられた百二十首から、病 い安かれと、わたしが八十八首を撰 した。石久保さんの齢は卒寿をとうに過ぎ越されているとだけ知っていて、その程度の知識ではあるが、母子のように親しく文通をつづけてそれも久しいのであ る。
 短歌は贔屓目なく優れていると思った、自筆の夥しい手紙と共に散文はたくさん見てきたが、短歌作品をこれだけ纏めて拝見したのは初めて。期待に違わぬ境 涯と表現とで、目頭の熱くなることも一度二度ではすまなかった。

* 現代の(東京の)女性言葉についての問題提起、とても興味があります。わたしのまわりには、とくに、年配のご婦人で美しい言葉を十分に残しておられる方も いらっしゃいます。四五十代でも人によっては。
 いわゆる日常丁寧語の境界・枠組みが不明瞭になったことが、「乱れてきた」「なくなってきた」原因の一つかも知れませんね。
 口語はもとより双方向ですから、一人で美しい言葉を守るのも至難ですが、(若いひとと同じように)けっこうTPOで遣い分けしているのでは、と思いま す。ただ、身近なお手本がないと、うまくいかないかもしれません。行儀作法と似て非なる、とも考えます。
 記憶にあった「話のネタ」を繰ってみました。ひとつのヒントとして。
 「「いいわ」「だめよ」の「わ」や「よ」は、文末の語に続けて、軽い詠嘆や念押しを表しますが、江戸時代以前では、一種の甘えの幼児語で、とくに、庶民 階級の子供に限られた。武士の子供には無縁であった。明治に入って、だいぶ変わってきたが、『吾輩は猫である』で、クシャミ先生の姪の雪江に「よくッてよ 知らないわ」と言わせたのは、女学生らしい感じを出そうと工夫したといわれる。」(毎日新聞社『話のネタ』PHP文庫。「「いいわ」の「わ」はどこからき たか。)

* 漱石の「よくってよ、知らないわ」は、京生まれの少年にもとても印象的であった。あれは『それから』の代助の 姪が連発すると思っていたが、 『猫』だったかなあ。言葉の折り目、物言いの折り目は、必ずしも語尾でも語彙でもない。文字通りの「態度」で決まってくる。語勢もものを言う、強すぎても 正しすぎても弱すぎても優しすぎても、じつは気持ちが悪い。自然であれば良い、時と場合と相手にとっても自分にとっても。ただ人によって物言いを変えすぎ るのは、所詮は変えきれるものでなく、不自然になって行く。だれにでもいつでも、ほぼ同じようにきちんとものを言うようにしているのがよい。物言いで親し さや位取りが変えられると思いすぎるのは、あまり感心しない。
 

* 七月八日 日

* こんな、手紙が届いていた。「妙子」と名乗ってある。わたしたちにとって、それは、いい了解である。「エッセ イ」の寄稿かのように迎えることも 不可能ではないが、さしあたり、ここへ入れておきたい。未知の知己である。

* 『死なれて・死なせて』 
 小さな宝物箱に、また一冊本が増えてしまい、苦しそうだ。
 何かもう少し大きな箱はないかな?と思い家の中をうろうろしている。
 その一冊の本が秦恒平さんの『死なれて・死なせて』のエッセイである。
 物を整理整頓出来ない私は大切なものも、すぐに無くしてしまう。情けない事に、毎日無くした物探しを、している。
 見るに見かねて、「本当に大切のものは、この箱の中にしまいなさい。」と、夫が黒い箱を私にくれた。私はそれを宝物箱と名づけ、力量のある作家が魂を 削って書いた、生きている本をしまっている。
 箱の中には聖書、太宰治単行本すべて、太宰治の写真集、ヘルマンヘッセ『車輪の下』、有島武郎『一房の葡萄』、夏目漱石『坊っちゃん』、『こころ』、秦 恒平『死なれて・死なせて』である。
 魂の宿っている本は、本を開いた瞬間に語り掛けてくる。本を読むと言うより、作者と読者の魂のキャッチボールをしている気分になる。
 おだやかな魂のふれあい…私は、生きている本を心から愛している。『死なれて・死なせて』も、私にとって生きている本である。
 このエッセイは私に、生きるものの生涯が、死なせてしまう側にもなるし、死なれる側にもなると優しく教えてくれた。そして二十歳で死んだ、従兄(お兄 ちゃん)のことを鮮明に想い出した。幼い時から白痴と呼ばれ、いじめられていじめられたあげく、二十歳の時に、シャボン玉のように、パチッと消え、この世 を去った。若くして死んだ事を、みな悲しみ「これからが人生だと言うのに、早すぎる。」と、言い涙していたことを覚えている。
 でも私は違った。死んだ従兄に手を合わせ、心の中で「お兄ちゃん、よかったね、やっと死ねたね…」「神様、どうかお兄ちゃんを安らかに眠らせてあげてく ださい…」と呪文のように何度も唱えた。
 私には解っていた。お兄ちゃんがこの世で「生きにくい草」だと…、影が薄すぎた。人間は動物。強者と弱者がいる。純真無垢な子供の世界でも、強者が自然 に嗅ぎ付けて、弱者をいじめる。いじめを見るたびに、残酷な動物の本能を感じる。
 小学生の頃、金魚が好きだった私は、大きな水槽に、たくさんの金魚を飼っていた。一匹だけ、どうも弱そうで影が薄いなーと感じていたら、やはり強者の金 魚にいつも突付かれ、どの金魚よりも早く死んでしまった。死んだ金魚の体には、無数に突付かれた跡があり、哀れな姿だった。その時初めて、幼いながら弱肉 強食に、うっすらと触れた。
 従兄は、二十年の人生は哀れに写ったかもしれないが、きっとそれだけではない…、友達が出来ずいじめられ続け、深すぎるほどの悲しみを知り、その悲しみ が在るからこそ、普通の人は感じないような些細な事にきっと喜び涙したこともあったのだろう…、あの時私は「早すぎる」と語った人たちは、この世を生きぬ く強い草で、きっと弱者の気持が理解できないのだと思った。無学で白痴と呼ばれ、人間関係では、必ずいじめに合ってしまう従兄が、これから先、どう生きて いけようか?遺書さえ、残すことも出来なかったのに…、二十年の人生で80年分くらいの心の傷を負ったに違いない。
 従兄と二度とあえなくなる悲しみはあったけど、この死は従兄にくれた神様の思いやりだと私は思った。これが私の中で一番心に残る、「死なれて死なせ」て である。
 生きるものの生涯において、必ず、加害者にもなり被害者にもなり、「死なれて死なせて」があると思います。この純で、弱者の従兄でさえ加害者になりう る。勉強が出来ないため親を悩ませ、悪い子にお金をせびられ、親の金をこそこそ盗んでいた。どれだけ親を心配させたことか…そのあげくあっさり死んでし まった。
 親や親族はもちろん「悲哀の仕事」をした。
 しかし、芸術には、「死なれて死なせて」がない…作家が死んでも、魂の宿った芸術は生き続けているからです。
 太宰治を読んだ時、本が魂を揺さぶることを肌で感じた。私の中で太宰は生きている。だって本が話しかけてくるんだから…
 太宰をもっと知りたくなり、野原一夫『回想、太宰治』を読んだ時、最後に太宰の死にざまがリアルに書かれてあった。私は、わんわん声を立てて泣き、そし て泣きじゃくった。今でも文章が生きているからこそ、太宰の死を完全に認めたくない…二度と、この本を読むまいと思い、ごみ箱に投げ捨てた。もう太宰に関 して調べるのはよそう。きっと書簡集や作家の研究書は絶対に死に着いて触れているだろう…二度と触れまい…私の中でこの作品たちが生きているのだからそれ でいい…。
 心底愛せる作品しか、私の宝物箱に、けっして入れない。
 秦さんの『死なれて・死なせて』は生きている本として宝物箱に入っています。これから何10回も何10回もこのエッセイを開くだろう…この本がぼろぼろ になっても…。
 生きている本との出会いをうれしく思っています。この作品との出会いの心の喜びを上手に伝えたいのですが、文章を余り書けない私はうまく伝えることが出 来ません。もどかしい思いです。秦さん本当にありがとう。   妙子

* 妙子さん、ありがとう。日々、生き生きと過ごしてください、思うさま。

* 話ことばは難しいです。私の場合、関西では関西の子どものことばで話し、東京に来て東京の子どもの少し乱暴な ことばに合わせることで早くなじみ ました。「ことばは、相手に合わせて話すもの」という幼児体験が作られてしまったようです。北関東の県できちんとしつけられて育った夫には、語感の違いで ずいぶん怒られました。東京の友人と「おはよう」といいかわしていたのを「おはようございます」でなければ失礼だ(確かにそうですね)、タクシーの運転手 さんに「ご苦労様でした」を不遜だ(それから「お疲れさまでした」と直しました)。一方、夫の家で「お母さま、めしあがりますか?」「私もいただいてよろ しいですか?」「そうさせていただきます」は、みな、丁寧過ぎて、へん。「お母さま、お食べになりますか?」「わたしも食べていいですか?」「そうしま す」でよい。夫の母からも「いただかせていただきますわ」と、からかわれました。20歳ころのことです。
 その後地方生活が長く、東京弁は「お高い」と言われて、少しずつ鳥取の「どうしんさっただか?」という敬語や、岐阜の土地ことば、北海道のまったく敬語 のないことば(しかも、「こんにちはァ」というと、もうリビングに、社宅のおむかいの奥さんが入り込んできているのです)、そして京都・・・(ここでは東 京弁を崩さなくてすみました。) 地方勤務の長い転勤族の妻は、東京弁を崩さなければとうてい近所づきあいがスムーズにできなかったのです。
 朝のテレビドラマが東京のときはほっとして、なまりのある(関西以外の)ときは、きくのも嫌でした。美しい東京弁を思い切り話したい・・・ という思い にかられて。
 相手によってことばをかえる ことが、自然になってしまったような気がします。
 ただし、仕事の縁の人で、岡山出の人が「よう げんきかあ?」といったとき、「うん、元気だよお」という東京の女性は「おう、のりが ええなあ」といわ れます、が、私は「ええ、元気ですよ」ときちんと話します。これが私の、その人との距離です。

* このメールで、この人は「相手によってことばを変えずにきちんと話せないわけではないのです」と結んでいる が、この一文がおもしろい。否定・否 認が三度連続して出てくる。日本語の「ねじれ」とでもいうか、読みとりがかなり難しい。
 しかし、挙げられている事例は具体的で示唆に富む。言葉で暮らしている人の世の「言」繁雑で神経を傷めがちな日々が巧まずして証言されている。人間の疲 労源がかなり高率で「ことば」にあることを察しさせてくれる。
 わたしは、インターネットの時代なればこそ、こういう事例の集散により日々の日本語事情が検討されてゆくのは大切なことに感じている。お許しを得て紹介 するのも、そういう役に立ちうる話材だと思うからで。言語体験に、転勤にともなう幅の出来ているのなど、一事例としてとても興味深いし教えられる。これだ けを読んでいれば、注意を与えた「夫」の指摘なども、適切に感じられる、が、生活の「場面」や「感情」には微妙なものがあり、はたからは簡単に論評できな い。葛藤も自然に言葉から生じてきそうなおそれを感じる。
 また、この人は「美しい東京言葉」を使いたいと言っているが、美しい東京言葉とは何か、そもそも、架空のものではないのだろうか、標準語のことだとすれ ば。江戸っ子の言葉は下町と山手でははっきり別物だった。階層によってもちがっていた。標準語は近代のツクリモノで、それが即ち美しいとみるのも妙なはな しかも知れない、いや、この辺はもっと議論のあるところと想像する。

* 暑い日が続きますが、お元気ですか?でもゆうべは、夜になって、ぐっと涼しくなりましたね。こちらは元気に過 ごしています。楽しく、それなりに 充実した毎日です。(職場全体では、かなり厳しい状況なのですが。。)ただ、社会人生活にも慣れてきたせいか、ともすると、日々がちょっと惰性になりがち かもしれません。
 送って頂きました「ディアコノス=寒いテラス」、興味深く拝読しました。人と人との出逢いは、一歩間違うと、やはり怖いものだな、という考えが頭に浮か びました。時には人を大きく変え、良い方へ導くことも有れば、時には人を破滅へ導いてしまうこともある。インターネットで出会った末の殺人事件などをみて も、いつもその裏腹な怖さを思っています。どんな人でも、その渦中に巻き込まれる可能性があるのだと、それも、被害者としてとは限らず、加害者としても。
 節子や彼女の家族の対応には、はがゆさを感じてしまいました。障害者と健常者との関係ゆえの難しさ、拒絶への罪悪感、後ろめたさは、確かにあるのでしょ う。ですが、それでも、やはり人間と人間とのことですし、相手が誰であれ、自分に照らしてどうしても許容できないことは、断固拒絶する正当な権利がある、 のではないでしょうか。その上でも、やりきれなさ、後ろめたさは付きまとうのでしょうけれども。
 きっと当時だと、合法的に妙子ちゃんの訪問を禁ずる手だてがなかったのでしょうね。今ならきっと、ストーカー防止法の適用がされそうです。
 読後かなしく、考えさせられる作品でした。
 またお時間のある時にぜひお会いしたいです!

* ストーカー防止? ちょっと、そこまでは、わたしは考えにくいけれど、これも歯がゆいところかな。難しさが強いてくるひとつの感想と見ておく。「読後かなしく、考えさせる作 品」であったなと作者も、ほぼ結論の感想だが、だが、問題点がそこへ置き去りというのでは、よくない。しかるべき関係者や学者や官僚にぜひ検討して貰いた い。その点、わたしの人間関係からも、読んで欲しい関係者にこの本が届いていないということはある。あの人に、あの機関や役所の誰に、こんな学者や評論家 に、と教えて頂ければ本を送りたい。
 

* 七月八日 つづき

* 山瀬ひとみ作・長編小説『ドイツエレジー』を、あえて「e-文庫・湖」の「作業頁」に仮掲載した。三百枚を越 す作でありながら、一つの文体で、 遅滞なく運んでいる。文章の書ける書き手で、あまりに書けるためのむしろマイナスが生まれていないかと案じてすらいる。
 文章が書けるというのは、とほうもないメリットである。問題・課題はそれが「小説」の文章として魅力をもって盛り上がってゆくか、ファシネーションの世 界を文体・文章で築いているか、だ。
 わたしは、この期待の持てる、すでに可能性をはらんだ長編を、厳しい読者の目に曝しながら一人歩きさせてみたくなった。読者に見られて、文学作品として の或る質感や表情を作品が帯びてくるか、硬く乾いてゆくか、そこが作者の闘いどころだと思われる。
 それにしても「読ませる」作になっている、すでに。レディーであるフォン・コンタ夫人の章など、独立しての一編たりえている、適切に改めて書き起こせ ば。
 どうぞ、読んでくださいと読者にお奨めしたい。いわば「ドイツ滞在記」かのようでいて、なかなか、そんな単純ではない。怕くもなってくる。作者の山瀬さ んが、この掲載に、踏み込んで応えて、さらに手を入れ続けられるのを期待している。こう早くに、これほどの長編がすらっと登場したのが不思議なほど、嬉し い。作者山瀬さんの実像などを、わたしは殆どなにも知らない。

* 通算68巻の入稿用意ができた。夕食に天神さんの前の洋食店に行き、ワインを。妻と、いろんな話題で話しなが ら、食べた。やすくて旨い。ご近所 の家族も見えていた。

* 昨日は石久保豊さんの短歌を選んだり書き込んだりのために、梅若の能を失礼した。体の方がむりに出かけるのを いやがる。自然のシグナルだと思う ことにし、手に負える仕事をどんどん片づけてゆくのが、結句身のためであろうか。しかし、明日は出かけねばならない、それも文字コード委員会と言論委員会 と引き続きの掛け持ちで、暑い都心を芝から乃木坂へ走らねばならない。それが済むと一週間なにの約束もない。

* 石久保短歌を収録して、詩歌の頁は三十五人に成ろうとしている。詩作品もふくめて短歌と俳句、すべてで千五百 作品に及んでいる。しかも、我なが らみごとな顔ぶれと作品とを、ほぼ選べていると思う。知名度ではない、わたしが信じてこの人ならばと思いお願いし、期待通りの実力がみごとに出そろってい る。そろそろ、この全部に好題を添え、ながく保存し公開しつづけたい。そして第二輯へ転じたい。第一輯を、器械が承知してくれるなら、切りよく、五十人の 詞華集としたいものだ。
 

* 七月九日 月

* 昨夜も三時に寝て、今朝は七時に起きている。夏疲労も溜まってゆくだろう。今日の会議が二つという掛け持ちも 過剰なので、どちらかを休みたい。 真昼間三時間の文字コード委員会、いつもは宿題が来るが今回は来ていないので、この方を休養にあてたい。

* 電メ研を創設したとき、わたしのアタマには、ホームページを開設のほかには、会員への技術的なノーハウの提供 サービスなどがあった。この三月に 配布した「電子出版契約の要点・注意点」はピッタリそういう配慮で生まれた一成果であったが、このごろは、もっとべつのことを考えている。電子メディアに よって、日本「PEN」クラブの「活動」といいうるどんなことが可能かと。
 金を稼ぎめあてのお安い出版企画は、それなりに別物として、電メ研の出来るのは、有用で有意義な壮大な「データベース」の充実がその一つではないかと思 う。すでに理事会に提案した「日本ペン・電子文藝館」は大きな構想であり、成熟成長してゆけば大きな文化資産に成る。さらには、現存全会員の「業績リス ト」を世界へ発信したい。これは日本文学や日本の文筆家団体にかかわる、実質的な「研究」の基礎資料となるもので、どんな会員がどれほどの仕事をしてきた か、しているかを世界に示すことが出来、ジャーナリスティックにも有用性は高い。研究の基盤はこういうデータベースによって整備されてゆくし、電子メディ アはそれを常に世界へ公開しておけるし、拡充が常に自在に可能である。わたしは、こういうことを考えている。
 ペンの執行部は、どんな理由もあげられずに無意味に「小」委員会としているけれど、これからは、電子メディアの活躍する時代であり、最も機動的な「大」 委員会の一つになってゆくだろう。
 さしあたり、「電子文藝館」がうまく始動し、これに広告収入が見込めるように育ててゆけば、専従職員を配置して日本ペンクラブの大きな看板にして行け る。わたしは十分可能だと信じている。その理由の一つに、わが「e-文庫・湖」の短期間での充実経験を挙げたい。
 文学文藝の愛好者が、何か読みたいなと思いつけば「電子文藝館」を開いて、好きな一編を読んでから一日を閉じる、そういうようでありたい。ほんとうのア ンソロジーである、貧相な発想ではない。

* 坂口安吾が美濃の斎藤道三を書いた「梟雄」は、尻切れの駄作だった。勢いに任せて書き殴っているが文藝の冴え のまるで感じられぬ跳ね上がった凡 作で終っていた。締め切りに追われ、材料をこなしてやっつけようとしていても、そんなことで読み手を惑わすことは出来ない。
 井上靖「聖者」は、書き込みの豊かなあくまで小説、説話的な遠い背後をもった西域の物語で、その限りではこの「歴史小説選」の中では、力作に属する。異 国種の作品ということでも珍品である。井上さんの小説としてことに上等とは言えない、かなり印象の黒い、つまりやたらに漢字と漢語との多さで紙面の黒く見 える重い小説になっている。これが「歴史小説」であるかという確信をわたしは語れない、古い昔に取材した想像力に富んだ物語には相違ない。初めて読んだ作 でなく、いい材料がやや重苦しく書かれて損をしているというか、すっきり抜け上がっていない印象は否めない。井上作品としては野暮な書きっぷりかなあとい う感じ。
 井上靖と「歴史小説」論争を展開して、やや有利にやっつけた感じだったのが、文壇勢力を二分したといわれる大岡昇平だが、ターゲットは井上の「蒼き狼」 だった。ターゲットをもって攻めれば、攻めの方が守りより有利なのは知れた話であるが、とにかく井上さんはかなり閉口されたように感じられる。
 その大岡さんの「高杉晋作」を読んだが、これは小説の名に全く値しない、高杉随想でしかない。文章も粗雑だし、理解にも資料にもとびぬけて小説の香気や 魅惑をもったものとは、とうてい言えない。評論としても手ぬるく、高杉の魅力も周辺事情の解説も凡庸なシロモノでがっかりした。なぁんだという落胆。少な くも此処では、小説家としては井上靖に高く軍配を揚げるしかない味気ない作品合わせであった。
 とびきり知名の、それだけの意味でなら一流作家を並べた特集だが、真に鑑賞に堪える作品の片手の指の数にも及ばないとは、ま、そういうものだと思わねば ならないだろう。名前で評価するのは明らかに間違いで、個々の作品を読んで真価を測定するしかないのが「読者」の作法である。
 

* 七月九日 つづき

* 言論表現委員会は、この季節にかかわらず、充実した会合であった。委員でもあり上智大教授でもある田島泰彦氏 から、法務省・人権擁護推進審議会 が法務大臣に提出した「人権救済制度の在り方について」の答申をめぐる、懇切な解説と講義を聴いた。一時間半、たいへん分かりいい、また、納得しやすいい い解説で、氏の正面に坐っていて、とくと聴き入った。
 いま、ここで講話の全容を取り纏めることはしないが、適切なレジメに基づいて要領よく問題点を浮き彫りにして貰い、いま、我々国民が国家権力の前で或る ねじれた人権観のもとに、とほうもない方角へ自身の人権を貢ぎのように差し出さされつつある事情が、よく見えてきた。世間は小泉人気で、なんとなく浮かれ ているけれど、「個人情報保護法」「人権救済機関の設置」「青少年社会環境対策基本法」など、うわべ美しげな法案の真意と運営とに隠された強烈な国家統制 意向の強化・強要は、民主主義の根幹を腐蝕しようとしている。事態はするすると、それら政権の意向をことごとく法的に成立する方へ動いていて、国民はほと んど気づいていない。マスコミも甚だ萎縮し、機能していない。
 どうなることか、どうする道が残っているか。かなり暗澹とした気分にもなった、が、会議そのものは生き生きと進んでそれなりの充実感があった。

* 「図書館」からは、ペン声明に対し抗議含みの会見申し入れが届いていた。図書館とは話し合い、協力して、問題 の打開や調整を考えた方がいいとわ たしは考えてきた。不十分な実態把握と偏見とで、決めつけるように図書館を非難するだけでは事は進展しない。長い目で見て、むしろ共同戦線下で著作権の問 題も展開するのが筋だと思う。猪瀬直樹のように「衆愚」図書館などと罵倒してみても何の解決にもならない。図書館の複本購入も、度の過ぎた一面が事実ある にしても、それが、全体に占めるパーセンテージなども、また図書館の置かれている地域別の側面、公私立の違い、中央と末端図書館の違いなどまで、やはりよ く見て判断した方が紳士的であろうと思う。図書館の利用者を、つまりは広義の読者層を著作者が敵視し蔑視してかかるなどは、論外の沙汰であろう。

* ブックオフ問題にしても、問題点と問題を生じている現象面との具体的な把握抜きに、性急に、漠然とものを言い 過ぎても、空振りに終る。誰に対し て何を言ってみたのか、曖昧なままに声明がただ出たのでは、つまらない。事実、ややつまらないことになっている。

* 物書きが、物書きであるが故に他を顧みて見下し気味に「文化」を語ったり「権利」をただ請求したりし過ぎる と、へたな兵法のような滑稽にも陥 る。自負も自信も大切だが、それは、それぞれの置かれている「場」での仕事の「質」において言うのならいいが、なんだか、舞い上がったように他をただ見下 しているのはどんなものかと、この間の協会の知的・流通委員会でも感じた。
 小林秀雄は言っていた、物書きがなんだかエライもののように口を利いているのをみるのは、かたはら痛いと。それぞれの立場にいて、だれもが唯我独尊にな りがちなのは、ま、いいとしても、誰もがそうであることを知っていることは大事なのである。敵対だけでなく協力も必要なときは進んでした方がいいが、なか なか、手を繋ぐことはしたがらないものだ、似非の知識人は。

* 珍しく言論委員会に関川夏央理事が参加、はじめて口をきいた。わたしの少年時代の短歌や東工大の虫食い短歌の ことが関川さんから話題にされ、 びっくりし、照れた。

* ひとり日比谷へ戻り、クラブで、ブラントンのボトルを飲み干し、シーバスリーガルとマーテルとを、交互に飲み ながら、山瀬ひとみさんの長編の読 みに没頭した。とても面白く、ぐんぐん引き込まれた。文章はほとんど手を添えたいと思うところなく、これにも驚嘆するが、観察と表現にもきらめく個性と洞 察のよろしさが照り合っていて、至るところで感心した。これで完成していると言えば言える完成度であり、しかし、工夫の生きる何かがある気もしている。と にかく読んでいて引き込まれ、先が読みたくなる作品に出会うとは、ウソのような幸運である。

* 「作業頁」が変なことになり、開けないことが分かったので、山瀬ひとみ作「ドイツエレジー」は急遽「e-文 庫・湖」の第十三頁に仮掲載した。
 

* 七月十日 火

* 昨深夜、山瀬ひとみ作の長編『ドイツエレジー』を読み切った。贔屓目にみるのでなく、一つの独立した作品とし て、とくべつ注文をつける余地もほ とんど無いほど、完成度高く仕上がっていると感心した。終章への盛り上がりは美しく、つよく、惑乱に近い感銘を受けた。手放しに褒めているのではない。し かるべき編集者に巧みに手をひかれれば、更に磨かれるだろうと思う、が、そういう人がこの時節にいてくれるだろうかと、そっちの方が心配だ。
 わたしは、これは立派に己れを主張して羞じない一種の傑作と認知したい。出だしの方で感じ、言い置いた問題など、解決されていいことだろうが、へたにい じくって、全体の均衡をむげに壊すのは、避けたくもある。語りは渋滞なく行っている。語り口に、調えていい逸脱や逸興がなくはない、ママへの手紙であるこ とを作者が忘れて評論へ走っている気味もときどき見受ける。それは、修正できる。そして、しいて小説と読むことも読ませることもなく、「文学」作品として のより完璧な完成が望ましい。
 むろん、だれもが私のように好意的に読むとは限らない。わたしは、語り手の感性にも知性にも頑強な個性=性格にも、それぞれの魅力を感じた。観察にも感 想にも鑑賞にも、それぞれに凡でないきらめきを嬉しく見てとった。それは、この種の文明論をかかえこんだ海外滞在記では、幾らも有りそうで、めったにお目 にかかれない、なかなか無い、要点=美点だと思う。この著者は、ドイツないしヨーロッパという「世界」の前で、たじろがずに己れを貫徹している。そうする ことで、享けるべき恵みも、深刻な被害も、しっかり受け、それらとの格闘を通してよく自己批評を遂げている。つまり自己救済されている。著者にすれば、真 に「書いてよかった」と思える作品だろう、読者のわたしも「読んでよかった」と感謝している。
 仮掲載ではなく、よろこんで「e-文庫・湖」の大収穫として本掲載に切り替える。第13頁に、置く。縦読みのソフトで、より読みやすくご覧ください。

* この三百枚を越すと思われる長編を、かく速やかに読んで掲載できたのは、フロッピーディスクで寄せられ、きち んとプリント原稿も付されていたか らであった。これを例えばスキャンし校正していたのでは、かなりの日数を要しただろう。この熱暑に、わたしはダウンしていただろう。プリントが有ってよ かった。持ち歩けたから。

* 暑くてたいへんだが、これから、蒲田の方まで、妻と、病院へお見舞いにでかける。
 

* 七月十日 つづき

* ほんとうに久しぶりに品川駅でおり、京浜東北線に乗り換えて大森まで。四十年前、妻が朝日子を妊娠前から出産 後も、東邦大学病院の内科、産科へ 通院し、わたしもよく付きあっていた頃、大森か蒲田で電車を降りていた。その頃の大森は貧相に陰気な駅前であったと思うが、予想通り、かなり晴れやかに様 変わりがしていた。森ヶ崎へのバスで終点の東京労災病院に、歌人の石久保豊さんを見舞った。いきなりであったので九十四歳の老女が顔を手でおおい身もだえ して、イヤダァ先生、イヤダァ先生と、叫んでは握手を求めて嬉しそうにしてくれた。明治四十年六月末の生まれだという。二度目の顔合わせだが、一度目はば りっと和服に身を固め、ボーイフレンドをしたがえて「秦文学研究会」に見えていた。十年ほど以前であるが、それでも八十歳すぎていたのだ。今日は整形外科 に入院中で、少しはさすがに老い込んでいたものの、気力も言葉もしっかりして、「女」の感じが失せてなかった。妻は初対面であった。
 瞬時の失神の内に転倒して腰を傷めたらしく、痛みも抜けていなくて、入院して一月半になるがまだ退院の見通しは立っていなかった。レントゲン撮影の予定 が告げられ、「ちょっと延ばせないのか」と石久保さんはそれは残念そうであったが、致し方なく、失礼して別れてきた。三十分ほどのお見舞いであった。会話 に支障の無かったのは幸いだが、事故でメガネをこわし、そのために字の読み書きができないとは、この文学老女には、ことにお気の毒であった。わたしが選ん だ八十八首歌も、自分で読めずに友人に読んで聴かせてもらったという。
 病院への途中、その八十八首をもう一度わたしは読み直してみたが、うち、七十首はひときわよく、その内のさらに二十首ほどは、二重丸をつけていい出来映 えであった。この「押し掛け弟子」は、ほんとうに力のある文学老女であり年季の入った本格の歌人なのであった。
 年齢が年齢であり、身動きがとれないとなると、残念ながら衰えは早まりかねない。この人とはどうでももう一度逢って置きたかった。妻も久しい電話などで のつき合いで、同じ気持ちであった。逢えて話せて、よかった。

* 有楽町へもどり、またも味をしめて「きく川」で鰻を食べた。「きゃべじん」キャベツもたっぷり。わたしのシャ ツを二枚買ってから日比谷の方へ映 画でもと歩いたが、見たい映画はなく、銀座をゆっくり歩いて、行き当たりにカフェ・ギャラリーに入って小憩、この店が藤田嗣治のすてきな小品を十数点、二 十点ちかくも店中に心憎く飾っていて、嗣治好きの二人で大いに楽しんだのは、儲けものであった。ああ欲しいと思う作品が何点も有った。銀座にはこういう店 がある。それで足も向き気も晴れる。きむらやでパン、明治屋でチーズを買い、有楽町線でわたしは寝て帰り、妻はわたしが鞄に入れていた山瀬ひとみ作品に読 みふけっていた。出がけは焦げそうに日差しの熱い外出だったが、保谷に着いた八時過ぎには幾分涼しい空気に落ち着いていた。こころもち妻は疲れていただろ うが、佳い半日の外出だった。

* 二三日前に、いいメールが来ていた。

* お元気ですか。毎日暑いですね。わたしの職場は冷房の効きが悪いので、冷房病の心配のない夏です。
 今日は玉三郎さんの舞踊公演に行ってきました。地唄の「雪」と長唄の「羽衣」、「鷺娘」でした。300人くらい入る劇場でした。地唄を踊るにはぎりぎり の規模だったのではないかと思います。わたしは後ろから二列目でしたから、地唄のときは遠めがねを使いました。
 何といっても「鷺娘」に期待していました。ビデオで幾度も見たはずなのに、泣けました。生の力はすごいですね。踊りとしては、しっとりした地唄や、長唄 といっても能がかりの「羽衣」に比べ、歌舞伎舞踊ならではの見るものを飽きさせない趣向に富んだ「鷺娘」は、うわべの派手さゆえに底の浅い感があるのでは ないかと思っていたのですが、どうして、からっと飛躍する世界が、見る側の解釈を自由にしてくれます。玉三郎さんも、雰囲気を大事に踊ってくれています。
 踊りを見ていて、わたしの「さぎむすめ」、最後のところをもうちょっと直したいなと思いました。話の中で路子が「鷺娘」を踊りますが、ほんとうは引き抜 きやぶっかえりのある演目を踊れるはずないし、そうとわかって書くならば、もっともっと幻想のリアリティーを突き詰めなければならないと思っています。で も、それを書いて伝えるには精進が足りません。いやはや、そうそう思うようにはならないものです。
 清潔な文章のことをいつも考えています。今はまだ実体がつかめません。いつか腑に落ちるときが来るのでしょうか。川端康成は通俗な内容を美しく書いてい るなと思っていましたが、改めて読んでみると、その文章はあまりお手本にならない気がしてきました。ガラス細工をつなぎあわせたような文章は、安易にこち らへ持って来ようとすると、ばりんと割れてしまいそうです。
「書くことは泥を吐くこと」、身にしみる言葉です。わたしはまだまだ泥を吐ききれていない。
 日本の少女がヘッセのもとに、いつもあなたがわたしを見てくれていると信じています、という手紙を送ったそうですが、わたしは秦さんに同じことを申し上 げます。1.7.8

* 河野仁昭氏に戴いたエッセイが、スキャン校正半ばで行方不明になっていたのを再発見した。いい原稿なのではや く校正を終えたい。
 

* 七月十一日 水

* 河野仁昭氏の深切で懇切な、愛情溢れたと感謝したい「秦恒平『初恋』」考を、氏の著書『京おんなの肖像』から お許しをえて「e-文庫・湖」第四 頁に掲載した。校正していて懐かしくなり、ほろりとした。この小説はわが小説世界、文学世界の臍の位置をしめているとすら謂える。河野氏は以前からそのよ うに観てか、繰り返し此の作品に親切に言及される。長編の、原作よりも長いかも知れない原善君の『初恋論』にもそれが感じられる。早く、このホームページ の電子版「湖の本」にも掲載したく、すでに勝田貞夫さんのご親切でスキャンは終えている。校正をすれば掲載できる。

* さっき階下へおりたら、アメリカ大リーグのオールスター試合開幕前の豪華な選手紹介が続いていて、両リーグを 通じてフアン投票数一位のイチロー も爽やかに登場していた。いつものように行者のように静かな面もちにも嬉しそうなリラックスの表情がうかんでいた。彼の活躍をこのように温かに見守ってく れるアメリカの人たちに感謝したい。日本人が相撲の高見山や小錦や曙や武蔵丸にしてきたどこか冷たい仕打ちとは、ちがっている。野球界でも、すぐれた外人 選手は何人もいたが、オールスター投票で惜しみなく一位に選ぶような気構えは日本人には希薄であった。国民性といえばそれまでだが、イチローや野茂や佐佐 木に注がれたフランクな支持には嬉しい思いをいつももつ。今年のイチローや佐佐木が期待に応えて活躍してくれることをやはり心から願っている、が、試合を 観ているよりは河野さんの論考を校正する方をえらんで、機械の前へもどってきた。ここが、わたしの場所なのだから。

* 花田清輝の戯作「伊勢氏家訓」を読んだ。応仁の乱のころに義政の幕府で暗躍した伊勢氏家法・家学の礼式に絡ん だ風刺的戯文であり、切れ味は今ひ とつで、心を動かす力に欠けていた。歴史小説でも何でもない、才子の閑文字であった。文壇という変な場所で変にちやほやされて忙しくしている内に、間に合 わせの仕事を連発して世にときめくけれども、よく読む厳しい読者からすればただの思い上がった「おふざけ」作品がいかに多いか、よく分かる。花田はなかな かの文学者であったから、この作品についてのみわたしは言うているが、秀作・傑作・名作がそうそうあるものではないという簡単な結論より前に、いわば佳作 ていどのものさえ、めったに有るものでないと認識せざるを得ない。それは、なぜか。読者の程度が低すぎるから書き手が図にのり、ごまかしで済ますのだとす れば、読者にもこれはよく考えて欲しい。わたしが、けっして数多くはないわが「湖の本」の読者に心から感謝して作品を提出しているのは、妥協のない「いい 読者」の多いことを知っているからである。一騎当千という言葉にはリアリティーが有る。

* 社会的弱者という武器
 例年より随分と早く、梅雨明けとか。ついこのまえに黒南風を見たばかりのような気がしますけれど。でも、これほどお天気つづきですと、改めて梅雨明けを 実感するにはあまりにも拍子抜けですね。
 「ディアコノス=寒いテラス」を、読ませて頂きました。最近、まとまった時間がなく、ようやく手にとることができ一気に読み上げてしまいました。もう山 ほどの御感想をお受けしていらっしゃると思いますが、最近私の身に起こったことも考えあわせて、余分かもしれませんが少し感想を送らせて頂きます。
 (中略)
 先生、人間、何が卑怯と言って「死ぬ」あるいは「殺す」というほど卑怯なことはないと思いませんか?「死ぬ」と言われて何もしなければ、「ひどい人」 「残酷な人」です。「死ぬ」とさえ言えば周りは言うことを聞いてくれます。こんな便利な台詞は他にないですよね。
 (中略)
 「妙子ちゃん」に甘く記事を書くマスコミに、私は現代のパラドックスを見ます。今、この時代、弱者であることは「武器」です。「弱者だから、何してもい い」が許される。この論理は、最近の痴漢ぬれぎぬでも現れていますね。社会的弱者であるはずの「女性」が訴えているのだからキミは犯人だ、と。これを逆手 にとって、サラリーマンを弄ぶ少女が増えているそうですが。
「妙子ちゃん」を最後にならなければつきはなせなかった「淡路」一家も「弱者の武器」による被害者なのでしょう。「妙子ちゃん」という社会的弱者、加えて 「死ぬ」「死のう」という脅し。これほどの脅威はありません。「強者」であることはそんなに罪ですか?私が「淡路」家の人間だったら、そうやって居直るで しょう。「強者」は「強者」であるために必死で戦って来た。少なくとも、私はそうでした。父も母も出戻りの姉も最近自殺しかけた姪も、みな鬱の我が家の中 で、唯一逃げ出さずに、そして病まずに残った唯一人でした。言うのも口幅ったいことですが、そうなるまでに、たくさん悩んだし、たくさん考えたし、たくさ ん泣いた。それのどこが悪い、と、今会ったら、私は姪に言い返してしまうかもしれません。
 もちろん、努力してもそうできない人もいます。「妙子ちゃん」も自分で望んで障害者に生まれたわけではないですから。姪も、豊かな感受性を持ちながらそ の制御の能力がない、という点で気の毒ではあるのです。
 だからと言って、無条件に「弱者」を受け入れていいものでしょうか。
 「社会的弱者」だから「言うことを聞いてあげねば」という論理がこのまま増長していけば、この国は、その論理によって自己崩壊を来たすでしょう。20年 も前に、福祉拡充がようやく言われはじめたばかりの頃に、このパラドックスに気づいていらした先生のご慧眼に心服しております。
 「弱者」がそれだけで力を持ち過ぎた現在、その規制を本気で考える時期なのではないでしょうか。それは、行政や法制度だけではなく、一人一人が、「弱 者」への距離を考えなければできないことのように思えます。「『強者』であることはそんなに悪か?」という口惜しさを持って生きて来ている人たちは少なく ないはず。現に、私の周りにもたくさんいますから。
 個人的には、まず最初に、マスコミ(某新聞や某テレビ局を中心に)にね「弱者」であるというだけで持ち上げる姿勢を改めてほしいですけど。この姿勢が改 まる、いえ、弱まるだけでも「淡路」家はあれほど悩み、苦しまなくてもよかったのではないでしょうか。
 長い長いメールとなってしまいました。暑さの上にお忙しくていらっしゃるところへ、さらに暑苦しいメールで失礼いたしました。前半の私の家の話は、読み 終わられましたら、単なる前ふりとしてどうぞお忘れ下さいませ。
 少しお疲れのご様子。どうぞ、お身体をおいとい下さいませ。

* (中略)した箇所にはプライベートな機微が書かれていたので省いたが、先日の「ストーカー防止法」発言とい い、このメールの表題といい、かなり 激しい。ウーンとのけぞって、しばし瞑目してしまうが、こういう側面も「ディアコノス=寒いテラス」が抱えていることは否めない、そこがつらいが着実に行 動しなければならぬ問題があるのを、ただ力で投げ出せるかどうか、一個人や位置家族で負いきれぬことはどうすればよいか、つんのめりそうに難しい。この メール、先日のメールと同年の元学生の中には、強度の鬱障害にくずおれてゆく友人、さほど、もともと親しかったとも謂えぬ友人の全生活を背負い込むような 情況にはまりこみ、私財もなげうち、しかし手に負えなくなっている人も、現に、いる。共倒れは避けたい、思い切って離れよ忘れよと助言するのは、助言だけ ならたやすいが、同じ社会に生きる者としては、それだけで済ませにくいから、途方に暮れる。「慧眼」などと言われると身の縮むばかりである。
 

* 七月十一日 つづき

* 何のストレスだか、軽い腹痛まで感じる。が、さしあたり、わたしに何の問題もないのである。ただ、もう静かで なく、世間の波も風も、あまりに刺 激的で、政治も事件も生活も、おもしろいといえばおもしろいでもあろうが、すこし神経を静かに休ませてやりたくなる。映画ででも楽しもうかと、ビデオに とっておいたつもりのお楽しみを開いてみると、操作ミスでとんでもない裏番組のドラマが入っていた。がっかり。後半だけを立ったまま見た黒澤明台本の「雨 あがり」は、わるくはないが、山本周五郎原作のなまぬるい善意ばっかりの上澄みドラマで、かえって根のところが癒されない。寺尾聡も宮崎美子もわるくな い、だがリアルに胸に落ちない人形ぶりに見えてならなかった。わたしがいらいらしていたからとも言えるが。ジョン・ウエインとロック・ハドソンの「大いな る男たち」の通俗なガッツのほうが、この身から遠いだけ、かえつて親しめる。これも、しかし見通すほどの魅力ではない。ジャック・レモンの「へんな夫婦」 は笑えるけれど、二言目には訴えてやるからな、名前を言えと紙切れに書き付ける主人公の騒がしさが、草臥れているときには鬱陶しい。

* こういうとき、結局バグワンに聴き入ることになる。

* 三原誠作「白い鯉」を久しぶりに読んだ。昔に読んで感心した記憶があったが、痛切な印象は今回も同じで、ああ 佳い作品は感度と感銘とがちがうな あと嬉しかった。「歴史小説」の新潮社特集にいならぶ五十人の知名度はたいへんなものであり、三原誠という作家を記憶している人は同人「季節風」の人たち 以外にはごく身近なひとたちだけであろうが、作品のよさでは、さきの知名作家たちのどの作品にも負けない品質と文学の香気ないし光輝を発している。「有名 には細心に、無名には大胆に、」作を評価して、売られた名前に屈しない、つよい姿勢を読者は失うわけにゆかない。

* 帰国。 日本に戻ってきました。
 10日、朝7時フィレンツ発、ボローニャに立ち寄りウイーンへ。ここで5時間近く待ち日本へ、いつもながら長い道中で、帰ってくるまで前の日からほぼ2 日間、あまり眠っていません。家に辿り着いてさて、洗面所やそのほか、とにかくこれから掃除しないと・・眠いのですが。早速、ホームページの最近の文を読 みました。お元気そうで安心しました。

* 九月に、ペンの言論表現委員会と人権委員会とで合同のシンポジウム、「表現があぶない」というのをやるから、 わたしには、会場からの発言を頼む と、猪瀬委員長の要請がきた。「表現」一般に関してなら沢山言えることがあるが、いまの人権問題がらみで、若い連中に割り込んで、さて、わたしに何が発言 できるかどうか。ま、様子をみよう。ただの文学論ではないようだから。
 

* 七月十二日 木

* 松本清張「運慶」田宮虎彦「末期の水」は力作で、それぞれの感銘があった。田宮虎彦の作には惻々と迫る感動も あった。
 運慶の、父の弟子快慶に対する、あるいは快慶を通じての「批評」には、藝術家小説の根源の主題、古さと新しさ、自負と不安、伝統と現代といった重荷との 葛藤が、図式的なまでに取り上げられ、松本にはよくある話材を利用した問題提起、認識吐露、要するに小説で何かを「論じ」ている気味が濃厚にある。それが 手際よく成功して、し過ぎていて、かえって難と通俗を招いているともいえたが、面白く読ませた。
 田宮虎彦の作は、彼が他にも書いている奥州幕藩の末期のあわれで、この短編も、さながら森鴎外の「阿部一族」の流れをくむように、人と事とを小さく確か に積み上げ積み上げ、いわば無辜の下級武士の子女を迄巻き込んでの破滅の哀れを、冷酷なほど平静な筆で書き込んでゆく。感動を誘う。感動の底には、しか し、なにゆえの、誰ゆえの末期か、徳川幕府への最後の最期に忠誠をもって武家の誇りに殉じる、そんな「末期の水」だと知らしめての作者の批評が利いてい る。批評をわずかに体した或る妻女の一人も、真っ先に戦死して行くのである。
 谷崎は別格としても、神西清といい田宮虎彦といい、もう知らない人のほうがはるかに多い作家たちに、こういうみごとな力業の作品が残されている。
 田宮などは、存命中、知名度抜群の大人気作家であり国民文学の旗手であった。「絵本」「足摺岬」また「銀心中」また「落城」などの名作秀作を多く持って いて、わたしの大学生頃にはまぶしい存在であったが、なぜか、あっというまに声名が遠のいて、きわめて不遇になくなった。だが優れた作者の一人であった。 久しぶりに出会ったが、心を揺すられ嬉しかった。
 松本清張も或る意味で不遇に冷遇されていた。だが、好き嫌いをべつにしていえば、この人の仕事は、漱石、藤村、潤一郎たち文豪の雄をもってして手の届か なかった領域を耕した作者として、わたしは評価を惜しまない。ただ、清明なカタルシスを恵んでくれることの甚だ乏しい作風であるために、好んでは近づきに くい。気分の悪くなることの方が多いから。

* 昨晩、図書館問題研究会の全国大会(高松市)から帰りました。
 大会の全体会でも分科会でも、ペンクラブ声明のことは重要討議事項の一つで、急遽、それに対する図書館問題研究会からの声明を出すことになり ました。近日中に日本図書館協会を通じてペンクラブの事務局に提出すると思います。
 図書館問題研究会の事務局には、文藝家協会に対しても何らかのお願いをしておいたほうがよいと伝えました。そして、これを好機に、作家や編集者の方々と 懇談の機会をもったり、意見交換が出来るメーリングリストを立ち上げることも提案しておきました。私のほうでは、関西で著述家・編集者・書店・読者の方々 と図書館員とがつながりをもてる方策を模索したいと思っています。
 作家や出版社の方々だって、ただ自分たちの本が売れてお金が入りさえすればよいと考えている人ばかりではないはず。金銭のことよりもまず自分の表現活動 の場を守り、一人でも多くの読者にその機会を提供することに腐心していらっしゃる方もたくさんあるはずだと思います。そういう方々には、公共図書館が果た す役割の大切さや、公共図書館が「無料」であることの持つ意味も理解してもらえるはずだと信じています。
 取り急ぎ、大会で検討した素案を郵便でお送りします。(すみません、スキャナーを持ってないものですから。)事務局から成案が届いたら、またメール添付 で送ります。鳥取市民図書館司書 西尾肇

* 何といっても、お互いに話し合うことなく、いきなり声明で抗議というのは、国家権力など、または重大な人権侵 害などでならとにかく、粗忽に過ぎ ると感じていました。声明でお応えになることは、この際適切な措置と思います。 秦生

* 人権を大きく侵してくるのは、国の公権力であるのがふつうで、人権問題への取り組みは国家権力への抵抗運動と して成長してきたことを忘れてはい けない。だが、いつ知れず、国のほうから市民個々人の人権を「保護」の名目で規制したり統制したり管理しようとしてきているのが、また、その美しげな名目 に便乗して市民団体の中からもそれへ賛同し自身の人権の細い首をいっそう細く締め付けるのに手を貸そうとしているのが、目下の「人権」問題の奇妙に恐ろし い逆立ち情況のようである。国は、ある種の世論を前盾に立てて、人権を市民から取り上げてゆこうとし続けている。日弁連のような団体すらも、国権のための 盾の一枚になろうという時代だから、恐ろしい極みといえる。小泉人気に煽られている間にも、取り返しのつかない法律が矢継ぎ早に可決成立してゆく秋がくる ようである。

* 小泉で日本は変わるのかという「AERA」などの問いには、意味が薄い。小泉以外の自民党領袖では金輪際日本 は良くは変わらないと知っているか ら、小泉への期待人気が維持されているに過ぎない。参議院選挙で小泉が負けては元も子もないけれど、反小泉因子が増えれば、改革は自民内部で自滅のおそれ がある。
 方法は一つしかない。小泉改革へ抵抗勢力に属するとみられる自民党候補は「落とす」というキャンペーンである。参議院候補は派閥離脱の立候補が望ましい と小泉が言っていた真意がそこにあったことは疑いようがない。

* 機械の操作に負われていて、何となくあちこちにガタのきているのが放置してある。いろんなことを、この際、手 直ししたいのだが、ヒマもなく技術 も覚束なくて動けない。
 1 ホームページのファイルを、さらに大増強したいこと。ところが、教わった手順を、きれいに忘れている。どこかにマニュアルが出来ているの も見つけ直すのが大変。
 2 コンテンツの量が膨大になっているので、便宜な、検索の手段をと前から注文されているのに、手がついていない。
 3 「e-文庫・湖」そのものに、新しく表紙をつけ、自立独立した存在感を持たせてやりたいが、これは、わたしの手に負えない。
 4 写真や図版が出任せに消えたり出たり、勝手気ままになっている。写真類を出し入れする「手順」を性格に覚えて使いこなしたい。
 5 ホームページ容量を30MBに申請し受理されているはずだが、INDEX.HTMに入っている要領なのか、マイホームページの homepageやFFFTPにあらわれる全部が消費量なのかが分からない。後者だとすると30MBは優に突破しているのだが。
 6  二つの器械がネットワークになっていて、ホームページ内容は同時に転写されていて安心で有り難いが、その他にはメリットは何も無いのだろうか。今のとこ ろ、おや、こういうことも出来ているのかと思い当たった利点が無いのだが。プリンタもスキャナも外付けも、古い器械に付属していて、ネットワークを取り外 さないとスキャナも外付けも働かない。
 7  ファイルの各末尾に、はじめ、田中君はすべて「戻る」マークをつけてくれていたが、いつしれず、「戻る」機能はぜんぶ失せたままになっている。
 8 WZEDITORをインストールしないと、例えば勝田さんからメールで送られてきたスキャン原稿をファイルから展開できない。ところが、 新しい器械で何度試みてもWZEDITORをインストールしようとすると器械が凍り付いてしまう。今は仕方なく古い器械で開いて、CDに入れて新しい器械 に貼り付け直している。

* これら問題点をクリアして行くのはこの先容易ではないが、器械は使えている。新しい器械にすっかりといえるほ ど慣れてきた。

* この三つは、もし「日本ペン・電子文藝館」が発足すれば、直ちに必要な対策になる。会員の中で、こういう設営 や運営に自信のある人材を委員会に 迎えるか、新たに会員に推薦するか、それも大事なことだが。
 

* 七月十三日 金

* すでに財団日本図書館協会総務部長名の日本ペン声明に対する抗議の文書が事務局に届いているのを、言論表現委 員会の席で見てきた。つよく話し合 いを求めていると事務局員の話も聴いた。
 べつの、図書館問題研究会という全国組織の事務局長から、わたしのところへ、メールと要望が届いている。やはり話し合って、力を合わせて事に立ち向かい たいという申し入れであり、当然の姿勢とわたしは考えている。団体間で、ものごとを調べもせずいきなり声明で相手団体に筆誅を加えるなど、思い上がりに近 い。

* 公立図書館では、ベストセラーを多く購入するのは事実です。しかし、これは、競争のためでもなく、また、他に 必要な書籍の購入を圧迫するほど大 量に買うということではありません。
 そこで、図書館問題研究会では、全国大会で日本ペンクラブのアピールに対して見解をまとめました。これは、公立図書館の立場を理解していただき、お互い に著作権に関わる問題解決や図書館資料費の増額に取り組んで行こうというものです。
 まだ、この見解は当会のホームページにも載せていません。まず、ペンクラブの方にお会いし、直接、お渡しして、図書館の立場をご説明したいと思ったから です。
 今、出版が大変苦境に立っていることは私どもも理解しているつもりですが、ここで、図書館と出版界や著作者が対立するようなことになるのは、一種の仲間 われで、今後に禍根を残すと思うのです。お互いに対話の道を開きたいと思います。

* 常識的なまともな姿勢だと思う。話し合いの場を設定して欲しいとわたしへの希望も伝えられてきたが、ペンが先 に声明を公にしているのだから、ま ずは公に応答して、ペンはペンで再検討したうえで話し合った方がいい。一つには十六日の理事会以降、九月まで日本ペンは慣例として開店休業に入ってしま い、理事会も各委員会も開かれない。七月理事会は緊急に討議の出来る当面の機会である。今日中に正式に申し入れをし、文書を、ファックスでなりと送り込ま れるようにわたしは示唆した。理事会はもう週明けの月曜日である。
 図問研の文書も入手している。これは、廣く一般に流されていい内容のものであり、関わり合った者の考えで、ここにも掲載しておく。議論されてゆくこと が、何よりも望ましいことなのだから。

* 日本ペンクラブの「著作者の権利への理解を求める声明」について
 2001年6月15日、日本ペンクラブが「著作者の権利への理解を求める声明」を発表した。そこでは、公立図書館について、次のように言及されていた。
 「ところが最近、こうした著作者等の権利を侵害する動きが顕著になっており、日本ペンクラブは深い憂慮の念をいだいている。問題は、(中略)公立図書館 の貸し出し競争による同一本の大量購入、である。」
 「また、公立図書館の同一作品の大量購入は、利用者のニーズを理由としているが、実際には貸し出し回数を増やして成績を上げようとしているにすぎない。 そのことによって、かぎられた予算が圧迫され、公共図書館に求められる幅広い分野の書籍の提供という目的を阻害しているわけで、出版活動や著作権に対する 不見識を指摘せざるを得ない。」 
 貸出し競争との指摘であるが、公立図書館の意図は競争にはない。貸出しをつうじて「利用者のニーズ」に徹底的にこたえようとする公立図書館の姿勢が、競 争と捉えられるなら、それは誤解である。たとえば予約である。大量の予約が入るベストセラーもあるのは事実だが、大部分は、書店では手に入らないものも含 めた、幅広い分野の多様な本に対する予約である。どちらに対しても、確実にこたえるのが、現代の公立図書館の姿勢である。それが可能になったのは、戦後日 本の公立図書館が、資料提供をサービスの中心として発展してきたからであった。
 当研究会で1999年8月〜9月にかけて行われた調査サンプルによれば、1998年のベストセラー20点の購入費の資料費全体に占める比率がもっとも高 い図書館でも1%程度である。(『みんなの図書館』2000年3月号)。ベストセラーの大量購入によって、資料費が圧迫されているという事実も存在しな い。ベストセラーのみを購入する図書館は存在しない。ベストセラーの要求に確実にこたえている図書館は、同時に高度な専門書を含め幅広い蔵書構成を有して おり、それらに対する要求にもしっかりこたえている。
 また、同一作品の大量購入は、大人向けのいわゆるベストセラーにかぎられない。児童書や地域資料のきめ細やかな複本購入によって出版文化を支え、多くの 読者を育てているという側面もある。
 公立図書館のサービスは、むしろ、出版文化のショーウィンドウ的な役割を果たしている。書店もないような地域において、図書館は住民が本に触れることの できる貴重な場となっていることも指摘しておきたい。
 図書館は著作権者の敵ではない。共に、豊かな出版文化を創造していくパートナーであると、われわれは認識している。今後は、著作権者の権利と図書館利用 者の権利の双方を保障していくことをめざして、当研究会としても積極的に取り組んでいきたい。全自治体のおよそ半分におよぶ図書館未設置自治体の存在な ど、多くの問題を抱える図書館への理解を求めるとともに、共に、図書館設置促進と図書館資料費の増額に取り組みたい。
            2001年7月10日        図書館問題研究会第48回全国大会

* ここに挙げられている数字や事業意図などは、調べる気なら調べられたもので、わたしは、当然ながら実態をまず は調べたり問い合わせることから始 めよと、言論表現委員会でも理事会でも発言した。当たり前の話ではないか。文藝家協会の委員会ではいきなり声明のようなことは自制し得たが、ペンは明らか に先走った。それもブックオフとコミで「憂慮」声明など、とにかく言うだけは言うて置おこうといった安易な姿勢の産物で、根底に、「俺様の言うことだ」と 他を「衆愚」視してしまう態度があるのだ、「今の図書館は衆愚だよ、民主主義のはき違えだ」と委員長から真っ先に叫んでやまない「言論表現委員会」では、 委員の一人として困惑してしまう。国の権力支配には強く強く対抗したいが、手を携えうる可能性のある団体をバカ呼ばわりは恥ずかしい。同じ趣旨の発言が文 藝家協会の委員会でも一部委員から繰り返されていて、辟易し顰蹙した。猪瀬直樹でも中沢けいでも、まさにその「衆愚」とやらに育てられたのかも知れぬでは ないか。

* 檀一雄「」武田泰順「女賊の哲学」は、ともに歴史小説でも何でもない、が、面白く読めた。檀さんのは直木賞の 「石川五右衛門」なみに軽い読み物 だけれど、更級日記の竹芝寺の男と皇女の噺を扱っているのが懐かしい。わたしの高校時代からお気に入りの噺で、「竹芝寺縁起」という小説を、その頃よその 学級で出していた文芸雑誌に寄稿し掲載されている。一部は書き下ろしの長編『慈子』に組み入れてある。まるでちがう行き方であるだけに、懐かしい檀さんら しい味わいが面白く、そして、ぎらっと光る凄みもあるのだった。武田さんのは中国の「十三妹(シイサンメイ)」の解釈であり、とにかくも読まされる。何か があとに残る。二作とも完成度も磨きもない出来だが、卑しくはない。文学の香りがある。それが大事なのだ。

* 浜松中納言物語では、中納言最愛の吉野姫君が式部卿宮に奪い去られてしまう。必然あの浮舟や宇治中君のことを 思い出さされる。この二人の間に女 の子が生まれてくるのが、中納言が唐土で熱愛し子までなして別れてきた姫君の異父姉=唐后、の転生した女人なのである。薫君の愛した宇治大君をいやでも思 い出させる。苦労苦心の趣向であるが、この物語にはふしぎにそういう趣向が邪魔やイヤミにならず、懐かしい空気づくりに成功している。一つにはこの著者一 流の女人造形の品の善さと優しい魅力のゆえであろうと思われる。もう物語はヤマをみな越えてしまって五の巻は中納言の泣きの涙のようなものだが、ま、読み 終えたい、ゆっくりと、少しずつ。
 

* 七月十三日 つづき

* なんという暑さ。むかし、真夏といえども三十三度は猛烈で、三十四度は異常であった。今は、そんなのはザラ、 三十九度にも及んでいる。地球は異 常時に入っている。

* @NIFTYのADSL申し込みをした。

* 三原誠作「白い鯉」を「e-文庫・湖」の第二頁に掲載した。この作者は、多くの優れた作品を遺し、惜しくも平 成二年十月に亡くなった。「白い 鯉」は昭和三十年八月の「季節風」八号に発表された、三番目に若い時期の創作であるが、亡き平野謙が生前に注目していた凄絶かつ清澄、印象強烈の秀作で、 作者その人が終生抱いた故国の自然と季節とへのデーモニッシュな共感と哀情とが、凄みと哀しみとの優れた文学的表現を産んだ。三原さんは生涯に三冊の単行 本を出して逝った。昭和五十五年の『ぎしねらみ』から、芥川賞候補作にあげられた巻頭の「たたかい」を先に戴き、昭和五十六年の『愛は光うすく』からも、 巻頭の「白い鯉」を今日戴いた。三冊目の本は、昭和六十二年書き下ろしの長編『汝等きりしたんニ非ズ』で、郷土の隠れキリシタンを書いた迫力満点の力作で あった。わたしが、請われて序文を書いた。いまなお哀悼の思いに堪え得ない。
 

* 七月十四日 土

* 暑いより熱い日。階下のクーラーは来客のない限り、身体の為にと、午後四時頃から就寝までつける事にしていま す。
 昨日のあの熱気に負けまいと、まるで暑さの我慢大会の如く、変な処で頑張り、ほとぼり出る汗をシャワーで流し、扇風機の暑い風を受けながら、さすがに ショートキュロットでソファーに座り、久しぶりに読書とビデオ三昧の一日でした。夏場の家事は、早い時間に済ませておかないと、老年には堪えます。
 処で、夢は睡眠に浅くなった明け方に観るのでしょうか。この四、五日 はっきり覚えている佳い夢を観ます。醒めないでと想いたいほど。
 今日も暑くなります。フウーーー

* 愉快なメールではあるが、クーラーは適温で常用しないと、老体が、温度差や高温に負けて行く。家にいる限り は、生活の場だけでも早めに26度ぐ らいの常温に一日中設定して、安定してからだを労らないと、くたくたに疲労してしまう。医学常識からも、この朝昼にクーラーなしというのは、超高温季節に 自虐的にからだをいじめているのと同じだ。冷やしすぎは禁物だけれど、恒温状態がからだのために大切。クーラーがないとか、節約のつもりなら、別の話だけ れど。老年を大切にとなると、しなくてもいい我慢大会はしない方がいいのでは。

* 草も揺るがず。  暑中お見舞い申し上げます。
 秦さんのストレス性胃痛?の原因が、自分以外にあるというのも気になりますが、何という、国の、地球の喘ぎざまでしょうか。警鐘は鳴り続ける。どこへ漂 着するというのだろうか。ガイア号は。
 いまはただ暑さと鬱陶しさを避けて、沈思黙考したい、いや、心と頭を空っぽにしたい。緑陰で。
 秦さんの<バグワン>もずーっと先から気にかかっております。
 いま、ヘッセの『シッタルダ』の世界にいざなわれ、久方ぶりに深くゆっくり読んでおりますが、樹の下陰での瞑想に心を馳せる。 やはり、覚者(ブッダ) に触れ、近づくしかないのだろうか。暑さと鬱陶しさを払底、自覚・体得しうるのは。
 昨日は、朝から、金まみれの話、不景気な話ばかりで、うんざり気味。ランチは新宿角筈の中村屋で、熱くてちょっぴり辛いインドカリーを、夕餉は、近くの 冷房のきかない中華ソバヤで、熱いネギ中華に三斗の汗を流した。これ、ただ、先亡の夏バテ防止の智慧なり。インドカレーは、ことのほか夏の胃にやさしいと いう。夜は松田優作『それから』を鑑た。優作演じる代作(代助)の眼に、シッタルダの懊悩をほぼ完全にとらえることができた。
 明日は、五日市のログハウス・アシュラムで第三回目のヨガ・瞑想の伝授を受ける。アメリカで「和尚」に会ったこともある義弟のヨガは、呼吸法、瞑想をま ぶし、<抱っこしあって揺れている、双子の枇杷のように>やさしい、どこまでも無理がない。声は静謐、眼に濁りはない。
 いま、バグワンの目を見つめる。深い、深い、どこまでも深く(哀しく)大きい。バグワンの双眸は一点を見つめるかのようで、さにあらず。収斂にあらず。 収縮にあらず。青山を茫洋ととらえ離さない、達人の放散。
 壁にかけ、あかず朝の目礼を交す、ラマナ・マハリシの温容(写真)は、微笑みを絶やぬ。眼はどこまでも奥が深い。足裏は仏足のやわらかさを保つ。ホンモ ノの裸足のヨギやサドゥーの足裏は柔らかいという。
 クリシュナムルティの声はあくまでも静かで低く深い。
 タゴールの眸にも何かを感じる。ミラレパにも。
 2年前に教えを受けた、シュリシュリ・ラヴィシャンカルの眼にも吸い込まれそうになった。
 そろそろ、四十五年におよぶ、似非精神生活に答えを見出す時期かも知れない。子供のころから、断続的に真似事名を繰り返してきた、ヨガや瞑想や呼吸法 に、「形」を捨て、「中味」をとりださなくては。
 心底から、もの静かな「男たち」の語り口に耳を傾けたい。
 一つ年上の義弟は、「2時間のヨガや瞑想より、半時間のハンモックのまどろみの方が、ずっと心地いいでしょう」と静かに微笑んだ。明日もまた、ハンモッ クに揺られたい。かつて若き日の父が蓬莱島で揺られ揺られたように。
 シッダルタ・秦恒平は、57の夏に何を想い何を書いたのだろうか。いま、覚者へ近づいているのだろうか。孤独の行者として。
 私も何か書かなくては、そろそろ。
 御身大切に。また、どこかでお目にかかりましょう。一期一会もさらによし。
 平成13年、太陽暦・文月のある朝。57歳の一読者より。
 追伸:出版関連の人と話していたら、「街の本屋が、ブックオフで、見た目完璧な新本を半額以下で買ってきて、在庫扱いで返本しているのも、大いに問題 (つまり、出版・流通経路より、ブックオフ仕入の方が儲かる)。伝票も何もあったものではない」と嘆いておりました。

* 満五十六歳の十二月末誕生日に『死なれて・死なせて』を脱稿し、三月に出版し、四月からは東工大で「文学」教 授の教壇に立ち、以後四年を大岡山 で過ごした。バグワンに出逢ったのはその頃だったか。わたしは上のメールの人のようにいろんなインドの聖者たちのことを知らない。瞑想したこともヨガに接 したこともない。ただもうバグワンの言葉を、翻訳本という制約も承知の上で、繰り返し音読し続けてきたに過ぎない。いまや、とくに何かをバグワンに求めて 読んでいるのではない、理解しようとしているのでもない、義務でもなく渇望でもなく、無意義の帰依というべきか。

* インターネットの世界では、いろんな人と出会う。そして、おのがじし、生きている。いろんな個が在り、いろん な個の暮らしがあり、この時代なれ ばいろんな「痛み」がある。
 テレビで、二人の真面目そうな経済通の、構造改革に伴う「痛み」観測に対し、猪瀬直樹が「暗い話を煽るな」というのはまだ良いと思うけれど、「痛み」な んていうが何のこと、そんなのは無いでしょとは、ちょっと可笑しい。
 金持ち自民型庶民にはやりすごせる痛みかもしれないが、裾野の共産社民型庶民には、失業・減収・家庭のマスタープラン崩壊による破滅的「痛み」が、現実 に、恐怖をともないもう目前に迫っている。
 猪瀬氏の口癖になってきたが、「衆」を「愚」ときめつけてその貧や痛みに目を背けたまま、政権の「代弁人」のような立場に嬉しそうに身を置いて、「まる で政府答弁のつもり」とびっくりするような「消費税はあげませんよ」などという口走りは、とほうもない自己溶解に好漢猪瀬が陥りつつあると、見ていられな い。政治はひとにぎりの金満市民のためにするものではない、賢愚は問うまい「衆庶」という国民のために、してほしい。長野県知事に猪瀬直樹がはずれて田中 康夫が就任したことは、長野のため、日本のために幸福であった。
 

* 七月十四日 つづき

* 図書館に関連してこういうメールが入った。著書の二冊以上有る著作権者のお一人である。

* 神戸も暑いです。学期末で忙しくしておりました。
 さて、日本ペンクラブが「著作者の権利への理解を求める声明」を出したようですが、少し感想を。
 新古本のブックオフと図書館を同一視するのが、まずもって理解し難いです。
 私など最近本を出した者は、経験不足であるのかも知れませんし、また文芸作品とハウツウ本では差があることを考慮しても、図書館は著者の権利を侵害する というより、図書館問題研究会が指摘しているように、むしろショーウインドウ的役割を果たしていると思ってきました。
 読者はまず図書館で本に触れ、手元においておきたいとなれば多少の不便は承知で新規に購入してくれることに繋がると、そう思ってきました。だから、実際 WOPACで図書館の蔵書を検索して、北海道やその他の地方の図書館に備えてくれていることを発見した時には、正直嬉しかったです。また地元の兵庫県立図 書館から寄贈の要請があったときに
も、快く応じてきました。
 でも、執筆を生業とし、またその経験が長くなると「著作者の権利への理解を求める声明」のようになるのかなあと、そう感じております。
 図書館問題研究会の以下の提言には耳を傾けるべきと思います。
 「図書館は著作権者の敵ではない。共に、豊かな出版文化を創造していくパートナーであると、われわれは認識している。今後は、著作権者の権利と図書館利 用者の権利の双方を保障していくことをめざして、当研究会としても積極的に取り組んでいきたい。全自治体のおよそ半分におよぶ図書館未設置自治体の存在な ど、多くの問題を抱える図書館への理解を求めるとともに、共に、図書館設置促進と図書館資料費の増額に取り組みたい。」
 以上、執筆経験の浅い私の感想です。何かの参考になれば幸いです。この猛暑、ご自愛ください。

* これが常識ないし良識の線をなしている、現在の日本では。他国では著作権者への補償を図書館で義務化している 国もあり、それを趨勢とみる考え方 もあることは、ある。図書館関係者の中でそれを認めている人もいる。ただ、かりにそこへ向かうにしても、手順が有ろう。それは、話し合いなのである。ブッ クオフとコミでいきなり出会い頭に図書館を敵視しなぐりかかるなど、ペンも文藝家協会にしても、著作者団体の小児病的ヒステリーといわざるをえない。

* その次には、わたしのパソコンないしホーページに関して、親切な、なるほどと思う解説付きのメールを戴いた。 難しいけれど、分かるような箇所も ある。いささかパニックにも陥っている。また田中君や布谷君や林君のチエを借りなければ済むまいか。みな忙しくなっているからな。もう一度東工大に就職し ようかな。

* 7月12日の条、拝見しました。
> 1 ホームページのファイルを、さらに大増強したいこと。ところが、教わった手順を、
> 2 コンテンツの量が膨大になっているので、便宜な、検索の手段をと前から注文されて
> 3 「e-文庫・湖」そのものに、新しく表紙をつけ、自立独立した存在感を持たせてやり
> 4 写真や図版が出任せに消えたり出たり、勝手気ままになっている。写真類を出し入れ
> 7  ファイルの各末尾に、はじめ、田中君はすべて「戻る」マークをつけてくれていたが、
  以上、四点はホームページ作成にお使いになっているソフト(Netscape Composer)のリンクの設定がわかりにくいことが原因になっていると思います。
 「検索手段を」という読者の要望の背景には、一つ一つのページが大きすぎることがあると思いますが、大きくなってしまうのは、自由に新しいページを作 り、リンクできないからではないでしょうか。
 新しいページをリンクするのも、現在の目次とは別の「e-文庫・湖」の目次を作るのも、また写真や図版をページに貼りつけるのも、すべてファイルの関連 づけの問題に帰着します。Netscape Composerはファイルの関連づけが難しいようです。
 たとえば、冒頭の似顔絵ですと、画像の位置を

<img SRC="boku.GIF">

と指定すべきところが

<img SRC="file:////Nec lavienx lw/d/homepage/boku.GIF" LOWSRC="file:////Nec
lavienx lw/d/homepage/boku.GIF" NOSAVE BORDER=0 >

となっています。  また末尾の「戻る」は

<a href="index.htm">

と指定すべきところが

<a href="file:////Nec lavienx lw/d/homepage/index.htm">

になっています。
 専門用語で恐縮ですが、相対指定すべきところが絶対指定になっているのです。
 譬えで言いますと、「朝食前30分に血糖値を測る」が相対指定、「日本標準時7時30分に血糖値を測る」が絶対指定です。
 相対指定なら朝食時間がずれたり、ニューヨークやロンドンのような時差のあるところに旅行しても大丈夫ですが、絶対指定では必要なデータがえられないこ とになります。
 Netscape Composerは関連づけるファイルの位置を絶対指定で指定するために、秦さんがお使いのNECのマシンの中ではちゃんと画像が見えたり、目次に「戻 る」ことができても、Biglobeのサーバーに転送すると、画像が消えたり、目次に戻れなくなります。言わば、ニューヨークで日本標準時を使うようなも のです。
 絶対指定を相対指定に直しても、Netscape Composerで編集すると、相対指定が絶対指定に書き換えられてしまうよう
です。多分、Netscape Composerは、相対指定・絶対指定の違いがわかることを前提としたソフトなのでしょう。Netscape Composerは無料でついてくるおまけソフトですから、痒いところに手が届くというわけにはいかないのは仕方ないです。
 Netscape Composerをお使いになる限り、この問題はずっとつきまとうでしょう。
 この際、IBMホームページ・ビルダーのような、痒いところに手が届くことを売りにしている、初心者にもわかりやすいソフトを導入された方がよろしいの ではないでしょうか。一万円近くしますが、無駄にする時間のことを考えれば、結局は安あがりだと思います。

> 6  二つの器械がネットワークになっていて、ホームページ内容は同時に転写されていて

 特別な意味はないのではないかと思います。ひょっとしたら深い意図があるのかもしれませんが、こういうシステム はごく一般的だからです。
 プロやヘビー・ユーザーの場合、マシンは朝から晩まで、電源を入れっぱなしにしておくのが普通です。月曜の朝に立ちあげたら、金曜の夜まで電源を切らな い会社もすくなくありません。そういう感覚からいえば、LANでつないだコンピュータを、たいした意味がなくても、常時動かしておくのは、当たり前のこと です。
 データをバックアップするためでしたら、バックアップする時だけサブのマシンを立ちあげるとか、あるいは一台のマシンにハードディスクを二つ入れ、ミ ラーリングという方法で、常時同じ内容にしておくという手もあります。しかし、コンピュータのプロの感覚からすれば、二台のマシンを平行して動かしておく 方が自然のようです。
 このあたり、初心者の感覚との間にズレがあります。
 コンピュータは決まった使い方がないので、どうしても感覚のズレが生まれます。それも理系と文系、上級者と初心者、企業人と自宅ユーザーというように、 さまざまなズレが複合します。
 以前、Acrobatの説明の際に書こうかどうか迷ったのですが、Acrobatは企業では必要不可欠なソフトですが、物書きに必要なソフトではありま せん。
 企業の場合、どこにどんな見出しがあって、会社のロゴをどこに置くかかといった文書の体裁が重視されます。AcrobatはマシンがWindowsで あっても、マッキントッシュであっても、Unixであっても、常に同じ体裁で文書を表示することができるので、企業内の文書交換の手段としては、なくては ならないものになっています。
 しかし、物書きにとっては文書の体裁はどうでもいいわけで、Acrobatが必要になる場面はほとんどありません。Acrobat入稿に対応できる編集 部もないでしょう。
  Acrobatの購入を勧めた方は、よかれと思って勧めたのだと思いますが、企業人の感覚と物書きの感覚とのズレはいかんともしがたいものがあります。
  コンピュータに関してアドバイスを受ける場合は、感覚のズレがありうるのだということを意識された方がよいかと思います。

> @NIFTYのADSL申し込みをした。

  ADSLをお使いになるのでしたら、中村正三郎氏の「ウィルス伝染るんです」(廣済堂)をお読みになった方がよいと思います。セキュリティの常識につい て、非常にわかりやすく解説してあって、このくらいは知っておかないと、まずいでしょう。

* 親切懇切な解説で、わたしよりも的確に読みとれる読者が多いだろう、わたしは、いささかパニックに見舞われな がら、うーん、なんとかスルゾーと 思っている。感謝します。
 と、もう、べつの方角から親切な助言が届いてきた。

* html文書の中で、写真や目次の場所を指定します。その場所の指定がNECのパソコンの中を指してしまった ために、ホームページを訪問した人 には写真が見えなかったり、目次に戻れない現象が起こってますよとアドバイスされています。
 要は絶対指定とは、住所を含めた場所(位置)の指定方法である。一方、相対的とは自分を中心にした場所(位置)の指定方法です。ですから、前者はNEC のパソコン(住所)のなかの写真Aという表現、後者は単に写真Aという表現になります。
 更にNECのパソコンの中を指してしまうのは、Netscape Composerを使っているからで、IBMホームページ・ビルダーを導入されてはと提案されていますね。
 結論としては、住所になっている部分を外せばいいことになります。例えば、

<a href="file:////Nec lavienx lw/d/homepage/index.htm">

では、file:////Nec lavienx lw/d/homepage/ が余分に付いています。これを取って

<a href="index.html">  となればいいのです。ソフトを変えるというのも一つの方法ですが、私の経験ではIBMホームページ・ビル ダーでも、パソコンの中を指してしま
います。
 どのようなソフトがいいか、元学生君に相談されてもいいですね。でも皆さん自分が使っているのを推薦するでしょうね。
 ちなみに私は、Hyper EditというHTMLエデッタであるシェアウェア(気にいったらお金を払う)を使っています。このソフトのホームページは  http: //www.dicre.com/ です。
 秦先生のホームページに関しては、写真の1枚や2枚見えなくても、私は困りません。本文が読めればいいと思っています。
 また、目次に戻れない件についても、ブラウザの戻るボタンをクリックすれば元のページに戻れますので。
 なんだか解決にはなりませんが、とりあえず

* ウーン。

* 篠塚純子さんから第二歌集「音楽」が贈られてきた。以前に貰ってあったのが見つからず、お願いしてあった。
 たちまちに一読し、試みに八十五首を選んでみた。第一歌集「線描の魚」からだけではと思い、「音楽」もようやく手に入れた。あわせて五十首を、できれば 篠塚さんに自撰してもらいたい、が、大学教授のなにしろ「お忙しサン」だから、こっちでやってしまうことになりそう。感性も知性も、女っぽさも、また母親 としても、ひときわ優れた個性で、日本の古典や外国文学にも哲学にも趣味深い。歌以上にもとても佳い散文の書ける人であり、『古典の森のプロムナード』と いう優れて批評的なエッセイ集がある。話し相手としてこれ以上はないというほどの人だが、なにしろ忙しい、忙しい人である。
 

* 七月十五日 日

* 各党党首たちの議論もだいぶうまくなったなあと思う。フジテレビが小泉首相の代わりに山崎幹事長、他は党首が 出て具体的な課題討議をしていた。 竹村健一がさすがに党首ともなるとと持ち上げていたが、同感で、野党もよく押している。口の重い山崎は押されっぱなしに見えていた。参議院で小泉には負け させたくはないが、大勝ちはさせたくない。野党の健闘を願いたいし、わたしは野党のいずれかにと思っている。

* ホームページについての『親切懇切』な解説のメールを貰えて、本当にありがたい事ですね。試しに、「ページの ソース」(表示→ページのソース) を見てみたら、確かに『ご指摘』の通りになっていますね。HTML を知らないおじさんには、よくわかりませんが、秦さん『なんとかスルゾー』で直せましたか?わかってる人には何でもないことなのでしょうが、おじさんは辛 いですね。『東工大の方々』もお忙しいでしょうし、秦さんもお忙しそうですし。少し夏休みだあーってぇのがあるといいですね。ご健闘ご成就をお祈りしてお ります。猛暑にもくれぐれもお大事にしてください。

* 毎日、秦さんのHPを楽しみにしておりますが、専門文芸誌から全国紙?ジャーナルへ、個人商店からスーパー へ、タイトル、テーマ、品数増えつづ け、千客万来、インタラクティヴ傾向益々顕著、これを独力・一手引き受けでは、うれしい悲鳴を通り越して、と、いささか気がかりです。
 いかな、博覧強記、思想堅固、闊達自在、人間アーカイヴ秦恒平でも、おのがじし、身を処しうるかどうか。オープンな「場」について、「私語の刻」だけで はもう難しいかも知れませんね。ここはもともと「闇に言い置く」ひとりごとの頁だったはずかも知れませんし。
 秦さんのHPが繁盛する理由:
 1)動きがある(変化に富んだ話題が、早いテンポで展開する、つまり、回答の書き込みが早い)
 2)新しい(人はとかく「野次馬根性」が強く、新鮮な話題に飛びつく)
 3)身近に感じるものが並ぶ(自分(読者)に関係あるものが増えれば、当然、反応も増えていく)。ただし、落ち着いた感じの「e-文藝」への反応は少な く、もっぱら、ジャーナルな「私語の刻」に集中している。
 4)親近感を感じればこそ(もとより、秦氏独断の投げかけではあるが、共通性、普遍性が多いというか、掘り起こしているというか)
 5)具体的な内容(抽象的なモノより、日々のカレント・トピック、それも具体的な各論、総論が増えてきた)
 6)気がかりなもの(各人が抱えている問題や悩みが掘り起こされれば、当然、リアクションも増えていく)
 7)対立するもの(人は、結果のはっきりしているものより、拮抗しているものに興味を示す。寝た子を起こすこともよくあ
る)
 8)ユーモアのあるもの(楽しいもの、うれしいものには、ひとりでに興味がわく。硬軟とりまぜて)
 9)欲求に訴えている(話を聞いてくれる(聞き上手)、返事がある、というのは、相手の欲求を満たす度合いが強い)
 これ、「お客の心を開かせるセールス・トークの秘訣」なり(坂上肇『ひとをひきつけるセールス・トーク』より)。
 身近な「現代(作家)のスター不在」があるやも知れませんね。微風・順風をよしとせず?「風穴をあけつづける」作家・思想家は、「風通しをよくしたい」 と願う筋からあまたの支持を得、期待をになうことになりましょう。ひっきょう、結果のいかんにかかわらず、衆愚(そして、お客、弱者、善男善女)の代言者 となる。そしてスターともなりうる。「衆愚」とは片腹いたきことはなはだしくも、逆説的には、アテナイの民主主義を愚弄した暴言と思えばスッキリしましょ うか。
 好みで言うと、「古典」「文藝」「美学」の兄貴分たる秦さんには、その方面をきっちり確保し、続けてほしい。新芽を育む責任もありましょう。カレント・ トピックのインタラクティブな「場」については、二つ三つテーマ分けしてはいかがでしょうか。間口が広がっても、少し整理されましょう。そして、「闇に言 い置く」の「闇」が「あらゆるものをとりまき、呑みこむ闇」なら、これからも、「ぐつぐつ煮えたぎる大釜」の底を覗いてまいります。あとは、御身大事にと 願うばかりです。

* 自分自身をも含めて、わたしは、ただ「見て」いるだけである。つきつめれば、みな、どうでもいいことであり、 だから気負って抛つことも必要な く、ねばならぬことは何もない。興のあるうちはつづけ、尽きればやめる。もてあましているエネルギーを垂れ流しているとも言えるし、好き勝手に休憩してい るとも言えるし、これが一種の瞑想であり座禅であるとも言える。芯の一点にいれば存外に静かである。

* 和歌山の三宅貞雄氏に今、鮑をあしらった三種の酒肴を頂戴し、お礼も申し上げず機嫌良く朝酒をやってしまっ た。まだ十時過ぎである。あすは、ま たしてもペンの理事会。E-文藝館、図書館の問題、国立墓苑問題、いろいろ有る。低めの血圧が少し上がりそうだ。
 

* 七月十六日 月

* そぞろ気のさわぐのは、祇園会の宵宮のためか。今宵は四条は人出と囃子とで満たされる。

* ディアコノス、そして山瀬さんの作品、読みました。感想は改めて書きます。
 今日は祇園祭りに出かけます。まだ時差のせいか睡眠が不規則でつらく、眠れぬ夜が明けました。が、気力は充実しています。毎年、済ませないと落着かない ことがいくつかありますが、祇園祭りに行くこともその一つ。

* おだやかな休日を過ごせました。
 五日市のログハウスは、秋川渓流を眼下にのぞみ、真下のとなりやの斜面の敷地に、月見草が群生している。ぜいたくな借景。いえ、誰のものでもない自然。 人の手が加わらない山里の景観はいい。
  「月見草 はらりと地球 うらがえる」(鷹女)
 夕闇よせて、山の方の養沢に、蛍を見に行った。禅寺の境内から、川筋をおりて、蛍の二つ三つほのかに見える。待つこと楽し。
 寺では、静かな読経が続く。
  「すっときて ついと流るる ほたるかな」(舎羅)
 むかし、父親が蚊帳のなかに入れてくれた蛍が懐かしい。冷光が幽玄の涼味を運ぶ。
 でも、雨がほしい。夕立が恋しい。慈雨を待つ、干天の唐黍、トマト。実りも小ぶり。トンボが群れるまで、まだまだ。
「向日葵の 背を向くほどの いまの夏」(拙句)
 帰りしなの、粗びき蕎麦がうまかった。蕎麦麦酒の薬味のような刺激も喉にここちよい。
 帰宅すると、香港から帰化して商いをする友人から、「むかしは、7月にコートを着ていたよ」と電話があった。そんなこともあったかなあ。冷夏の記憶も薄 い。

* 寝坊して朝明けの一番に、すがすがしいメール。ゆうべも、深夜までつぎつぎにメールが来ていた。

* いろいろなこと  若い時はいろいろなことに関心をもちました 邦楽にはあまりご縁がありませんでしたが 子 供の頃から音楽は好きでした 20 代には労音に入会し 毎月有名人の演奏を聴いたり バレーを見たりしました 歌舞伎は兄によく連れてもらいました 松竹新喜劇も、文楽も好きでした お能 もそのうちにはいりますが回数は少なかったと思います スポーツは小学生時代は運動会が大好きでしたが他は努力して出来るものと出来ないものがあり最も出 来ないのが登り棒でした 水泳も好きでしたが、卓球は高校時代チーム戦の補欠で東京まで行きました
 お相撲は祖父の代からのフアンで 今も応援する力士がいます 野球は昔中日フアンでしたが 今は高校野球です 
 しかしこれらとはうらはらに 実は持久力のない虚弱児でした それなのに人並に頑張ろうとし続けたので いまでは全く虚弱おばあちゃんになりました そ して5年ほど前に大たい骨骨折、人工関節(左)の状態になってから 大方は夫の車で、一時間ほどの所だけ出かけます 京都へは気候のよい時の法事だけいき ます でも昔も今もいつも良い友に恵まれ 楽しめるものが沢山あり、心豊かに過ごせるのは幸です 5月はじめからの風邪が この頃やっと少し良くなってき たかの状態で ながく失礼していました 涼風一日千秋の思い切なるこの頃 どうぞお大切になさってくださいませ

* 午後は理事会に出かける。心涼しく済ませたいが。

* 関川夏央氏の歌集「少年」をさしあげたのへ佳い返事が届いているのが、嬉しく。
 昨日は終日、篠塚さんの歌集二冊に没頭していて、その余韻にあたまのなかが音楽になっている。こういうことも、一種の佳い栄養摂取である。 
 

* 七月十六日 つづき

* 日本ペン電子文藝館の構想と推進とが、理事会満場一致で承認議決された。どういうものか、わたしの構想をあら まし、ここに掲載して置きたい。

* 電メ研 提案   日本ペンクラブ「電子文藝館」構想 2001.7.16
 六月五日の研究会で討議の結果、以下のように提言する。  座長 秦 恒平
  「電メ研」は、日本ペンクラブによる「電子メディア活動」の一環として、PENの名に背かない文藝的・実質的な「ホームページ活用」に当たりたいと、具体 案の検討に入っている。会員による「日本ペンクラブ・電子文藝館」のホームページ上での創設である。

   以下、「電子文藝館」構想の大要を示したい。

 発想の原点には、日本ペンクラブが、思想は思想としても、本来文藝・文筆の団体であるというところへ足場を固め たい希望がある。さらにはまた、日 本ペンクラブ会員となっているいわゆる地方・遠隔地会員にも、会費負担に相応・平等の「何か」特典が有って然り、今のままではあまりに気の毒という思いが ある。「会員である」事実を、本来の「文藝・文筆」の面で実感できる、極めて経済的な「場」として、「ホームページ」を活用しない手はないのではないか。

  日本文藝家協会には、会員共同の「墓」地が用意され、希望者は、生前ないし没後に、夫妻の姓名と会員生涯の代表作名を一点刻み込んで、永く記念できるよう にしてある。だが莫大な費用もかかる。
 しかし、もし我々のホームページに適切に「電子文藝館」のファイルを設定し、そこに、会員自薦の各「一作・一編・一文」をジャンル別に掲載してゆく分に は、ほとんど何の費用もかからないで、直ちにみごとな「紙碑・紙墓」を実質的に実現できる。作品の差し替えも、随時、簡単に出来る。

 それのみか、アクセスする国民その他の、自由に常に閲覧できる優れて文化的な「場=電子文藝館」にも成る。人 は、具体的な作品と数行の略歴によ り、筆者がどのような文藝・文筆家であるかを即座に知ることが出来る。もし会員になれば「電子文藝館」に自作が掲載できるのだと分かってもらうのも、一つ のメリットと成ろう。

 即ちこの「電子文藝館」に作品の掲載されることは、そのまま自身が日本ペンクラブ会員たる事実を、世界にむけて 発信することになる。会員の一人一 人が「その気」になれば、すぐにも我々のホームページ上に「電子文藝館」は実現し、収容能力に不安は全く無く、維持経費は極めて軽微で済む。

 掲載は現存会員に限らない、遺族の許可や希望が有れば、過去の著名な会員の作品も適切なファイルを設けて、積極 的に収容した方がよい。さしあたり は、島崎藤村以下歴代会長の各一編を順に掲載できれば、極めて大きなアピールとなろう。不可能なことではない。電子メディア時代ならではの雄大構想にな る。

 会員の自薦作であるから審査は不要とする。すでに慎重審査を受けて入会を許可したプロフェショナルな会員である 以上、掲載作には筆者が自身で質的 に名誉と責任とを負えばよろしく、ただ作品の長さや量にだけ、一定の約束(例えば、一作限定、二百枚まで。短歌俳句は自撰五十、詩は適宜、とか)を設けれ ば済む。申し込みの順に適切に積み上げて行くのが公平な扱いになる。目次と検索索引は工夫できる。

 会長以下、役員・理事諸氏が率先作品を提供されれば、直ちに「呼び水」とも「評判」ともなり、寄稿希望者は漸次 増えてくるに違いない。一年で三百 人が集まれば、それだけで偉観をていするだろう。さらに「電子文藝館」が充実すれば、ここから「日本ペンクラブ」の質の高い選書・叢書すら出版して行ける 可能性も生まれる。
 なによりも、会員各自が「自信・自負の作品」を集積するのが趣旨であるから、文字通り「日本ペンクラブ」の価値ある「大主張」と成ろう。
 こういう本格・本来の事業が、文筆家団体の雄である「日本ペンクラブ」に是非必要ではないか。ホームページを活用すれば、簡単に、金もかからずに出来る のである。

 但し、原稿料も出さず掲載料も取らない。アクセス課金もしない。収益は一文もあげる気はないが、ないようが充実 してくれば企業広告をとれる可能性 は十分ありと見込んでいる。

 また重大な点であるが、電子メディアについてまわる著作権侵害の危険はある。この点は「覚悟の上で掲載作品を各 会員が自薦」することになる。作品 の差し替えはいつでも簡単に出来る。退会者の作品は、退会理由によりその時点で理事会審議する。

 寄稿は、原則としてデータファイルの形で担当者に送信して欲しい。少なくも手書き原稿は、事務的な手不足と煩雑 からも扱いかねる。最低限度、ス キャナーにかけられるプリント状態で寄稿してもらう。手間のかかるものほど、掲載に時間のかかるのはやむをえない。

 「日本ペンクラブ・電子文藝館」は、設営に、アトラクティヴな相当な技術的工夫を要するので、またファイル構成 や編成にも機械操作の技術をともな う編集実務を必要とするので、「電子メディア小委員会」が委員会内に「編成室」を組んで担当したい。日本ペンクラブの大きな財産に成るようにと期待してい る。

 なお「電子文藝館」の商標登録をすでに手配した。     以上    文責・秦

* 一部理事の声も上がっていたように、真実、軌道に乗り実現し成熟してゆけば「画期的な」事業となる。

* 八月六日に、日本ペンクラブ主催で、「戦争を考える」会合がプレスセンターでもたれることになった。「八月十 五日を考える」つまりは「靖国」問 題等について考える機会にしようと言うのであり、前回理事会での蝋山・力石・木島三氏の申し入れと私の提案が、こういうかたちで引き継がれることになっ た。あの理事会の後に、梅原会長から三好副会長にそのような催しで問題を引き継ぐようにと電話があったという。公開ではないが、蝋山氏らにも参加を呼びか けると言うことである。よかった。一つの前進である。

* 今日の問題は「図書館」のことである。驚いたことに、事務局は、少なくも図書館問題研究会から正式に送達され たであろう梅原会長宛の文書を、理 事会に配布すらしなかった。たんに言論表現委員会の猪瀬委員長による一方的な口頭報告がされ、それも、図問研や図書館協会側の「意見」や「考え方」が全く 理事一般には伝わらないままの、図書館非難だけが猪瀬氏により強行された。公平な議論は全く出来なかった。これは他団体からの要望や申し入れに対する非礼 と言うしかない。少なくも彼らがどんな要望や抗議をしてきたかは、彼らの「表現」で以て理事全員に知らされるべきである。こういうやり方は、この日本ペン クラブという団体が、世間の常識や礼儀を心得ていないか、たんに傲慢無礼かのどちらかである。執行部また特に事務局長には、外部への窓口としても、こうい うところで、もっと折り目正しい常識を発揮して貰いたい。恥ずかしいことだ。結局どうなったか。都合のいいところで猪瀬氏が連絡して話を聴くというのだ。 「話し合い」を求められているのに、一人で話を聴いてやるというあしらい方は、まこと日本ペンクラブとは「何さま」なのかと一理事としても恥じ入る。

* 延々一時間近くも超えてやっと理事会は散会した。蕎麦と酒とがほしくなり、三田線で巣鴨にもどって駅の近くの 蕎麦屋、わりといい蕎麦と天麩羅と を出す店があるので、そこで、天せいろと酒、鯡の甘露煮で、ゆっくりした気分にもどり帰宅。さ、また、好んでたいへんな仕事を引き受けてしまったが、なん とかなるであろうし、ならなくても、じつは、何でもない。なるようにしか成らないのであるから、ものごとは。
 

* 七月十七日 火

* 篠塚純子さんの二冊の歌集からわたしの選んだ計二百三首に、作者の諒解を得、「ただ一度こころ安らぎ」と総題 して、「e-文庫・湖」の第七頁詞 華集に掲載した。わたしは、これを或る歌物語または女日記のエッセンスとも読みとり、往昔の古典の成り立ちに理解の及ぶほどの興趣を覚えた。編輯者でな く、一人の小説家として渾身の想像力を働かせて一人の女の半生記を読みとってみた。貴重な経験をした。歌は、いずれも口先の技巧では出来ていない。呻き出 るような嘆息と憂鬱と危機感にあやうく彩られつつ、なお日々に生きて闘ってきた妻、母、女の息づかいが率直に、美しく、表現されている。

* 詞華集、じつに好調。

*  草花が涼風に揺れて、これからまだ本物の夏が来るの?
 信じられない程に、どんどん気温が上昇して、冷房の放熱が拍車をかける悪循環。人が作った地球環境に人が慌てふためいている。私は「バベルの塔」を想い 浮かべます。大半の人間は浅はかです。戦争もいやだけれど、これは文明と引き替えの恐ろしい危機です。

* まったく。
 

* 七月十七日 つづき

* 昨日の疲労が出たか、本を読んでいて三時間しか寝なかったためか、一日のうちに三時間ずつ二度もうたた寝して しまった。
 その間に沢山なメールが来ていたが、昨日理事会で半端になってしまった「図書館」問題で、図書館問題研究会から、また当面の折衝担当者である猪瀬直樹氏 からのものが、それぞれに重要で、それぞれに、より適切に返答したつもりである。猪瀬氏宛のものは、図書館側との話し合いに加わる予定という、篠田博之副 委員長にも同報で伝えて置いた。
(率直に意見交換できることは本当にいいことである。この「場」をわたしは、そういう意図でも「闇」へ開いている。誰でもが入ってこれる。ここでわたしの 発言していることは匿名ではない。言論表現そのものである。確認して置くが、日本ペンクラブの会議は「原則として公開」されている。そのことは昨日の理事 会席上でも発言されていたし、各報道機関が同席しているのである。)
 大きな全国的な組織団体が、建設的な話し合いから協力の歩調を取ってゆくなど、わたしにすれば、それこそが大事だと最初から言いつづけてきたのだった が、なによりも今は理事会から委託された形の「話し合い」を穏当に懇切に実現して貰いたい。ペンと図書館とが喧嘩など始めて、何のトクが有ろう。

* 以下に、繰り返して書いておく。

* 理事会のいちばんの不手際は、正式に会長宛てに送達された普通文書が、理事会で配布されず、したがって図書館 側がどういう考え方でいるのかをペ ンの理事たちが何ら知りようもないまま、論議の時間もなくすべて終えたことにある。たとえ時間はなくても、少なくも申し入れ文書は配布されるのが当然の配 慮であり、握りつぶした形になったのは情報非公開の最たるものであった。わたしのクレームは、その点に尽きている。カードは公平にきちんと配った上で議論 しないと、一方的な不公平なものになる。討議の場ではそれが、最もよろしくない。会議の席で猪瀬氏は、用意された誰かの図書館批判や非難の意見を二つほ ど、早口に読み上げていた。図書館側文書がみなに配布されていた上でなら問題ない意見陳述であるが、片方の口を全く封じたままのそれでは、紳士的とも、公 平ともとても言えない。一方的にぶん殴るような行為になってしまう。議論は公平な条件ですべきである。昨日の議題は、そもそも図書館側からペン声明に対し て反論が来た、抗議が来たというそのことにあったはずなのだから、それを公開しないまま猪瀬氏一人の演説では、有効な発言にならない。
 だれよりも、他との窓口であるペンの事務局長が、そういう点に適切に対応すべきであった。執行部も、組織として対等の他団体からの申し入れには、折り目 正しく対応しないと恥ずかしいのではないか。梅原会長宛に届いたまともな団体からのまともな申し入れには、少なくも、事務局長ないしは専務理事からきちん と会長名で返書ないし返答するのが礼儀であり、それが彼らの仕事ではないかと思う。おそらく、今日の段階では、まだそれすら意識にないのではないかと、ま るで不出来な子供に対するように、わたしは心配する。
 この前の蝋山・力石・木島三氏の正式申し入れに対しても、ペンは、ウンともスンとも返事すらしていなかった。わたしが、返事はしたのかと事務局に詰問し てやっと何かを言ったようなアンバイであった。日本ペンクラブは成熟した大人たちの団体として、こういう点での作法は、しっかりしていないといけない。
 そもそも問題は少なくも二つ有った。一つは、ブックオフと図書館とをコミに問題にしたことで、図書館ほど大きな組織と機能とを無用に刺激したのは、まず い、まちがっていると思ってきた。二つに、全国津々浦々にひろがる図書館活動の実態を、あらましでも数字的に把握することなく、頭ごなしに「不見識」とか 「成績」競争とかいった言辞で刺激したのも、決していいやり方とは思われない。著作権を尊重して欲しいという意向の提示にしては、無用にポレミークに過ぎ るのである。以前に、梅原会長直々の教育問題での声明文に、相手方に対し「文章拙劣」でない応答をせよなどと余計な挑発を弄していたのと選ぶところない、 不用意な表現であった。まずは話し合うか調べるか、それが当然の手続きで、いきなり声明で公に非難されては相手も当惑し、憮然としただろう。国権に対して はつよく出たいが、こういう相手とは紳士的に付き合う気が外交的にも必要の筈だ。それを適切に遺漏なく仕切るのが「専務理事」「事務局長」の職責ではない か。
 

* 七月十八日 水

* 昨日の祇園会にことよせ、南観音山の鉾町である百足屋町生れの優れた建築家であった、今は亡き小島敏郎の遺稿 から「善財童子さま」を「e-文 庫・湖」第二頁の創作欄に掲載した。もともと京ことばで書かれていたが、ひろい読者のことも考えてか標準語版も出来ていた。わたしには京ことばは有り難い が、相当な脚注を必要としているので、考えた末に標準語版にまず従った。この説話とも童話とも読まれうる創作が、作者の愛した祇園会の鉾とも深く結びつい ているのは言うまでもない。広大無辺の華厳経を要約しているとすらいえる結文の主人公である、善財童子は。その姿勢や思想には、大乗仏教の大乗的立場が、 たとえば同じ大乗であれ禅のそれとは対照的なところが興味深い。禅にきわめてちかいバグワンに日頃帰依しているわたしとしては、一種エキゾチックでもある 仏法であるけれど、そのわたしに「華厳」と題した自愛深い作品がある。新設の「日本ペン電子文藝館」にはこの作を載せて貰おうかとすら思案している。なに にしても、小島敏郎のすぐれた日本語の遺作を発信できることは、嬉しい。夫人、また叔父にあたる木島始氏のお許しもえており、いま少し遺稿集『森の精ホテ ルで』から選ばせて貰いたく思っている。

* 今日はやや涼しい日陰の昼下がりに、妻と、「アルジャーノンに花束を」を三百人劇場に観に出かける。
 

* 七月十八日 つづき

* 三百人劇場は今日も好調な公演をつづけて、「アルジャーノンに花束を」は、予期をうんと超えた佳い舞台だっ た。終盤へ、震えるほどの盛り上がり をみせた。満員の観客の拍手の熱かったこと、肌身にじんじんと堪えた。チャーリー役の、起用に応えて好演であったことも大きいが、いわば今回はこれまでの 定評あるベテランたちから新人へバトンタッチの舞台であった、それがいい方へ爆発して熱気となり纏まりとなり、そつのない演出と相まち、生き生きと「演 劇」が刺激をもちえた。泣くことはなかろうと予想していたのに、しっかり泣かされた。ウーンうまい、と、思った。終始理知的な組み立ての巧みな脚本であり また原作のねらいだが、他方では、わたしの「ディアコノス」とも微妙に接触濃い主題と進行とであり、たくさん考えさせられた。今すぐは消化仕切れないから 何も話さないが、舞台と自分の作品とが、頭の中で絡み合い絡み合い、かなりキツイ観劇であった。だが、優秀な舞台からはいつも確実に受け取れる芸術的な嬉 しさが、身内の輝いてくる喜びが、たっぷりと残った。
 劇場が涼しくて、満員なのに心地よくいられたのも有り難かった。妻の拍手も超級であった。わたしも手を高く挙げて拍手を惜しまなかった。

* その足で有楽町に出て、以前に入ってとても気に入った日比谷の東天紅で夕食。この店のコースは、それぞれに凡 でなく味が佳いのである。食欲をお さえる辛抱がなく、マオタイと紹興酒も楽しんだ。「クラブ」でのもう一杯はガンと禁じられたので、ゆっくり銀座を歩いて、通りがかりの店の奥にちらとわた しの見つけた洒落た妻のブラウスを一着買い、また和光の前で、医学書院の頃の友人一家とぱたっと出会ったりしてから、有楽町線にうまく坐れて、保谷まで悠 々うたたねしながら一気に帰った。夢で雨かなと思ったのも保谷では晴れていた。黒い猫が待ちわびていた。

* 劇場への途中、まるで、浦島太郎の物語で亀をいじめる子供らとそっくりの、ゆかた少女たちをみた。ちんちくり んに裾を高く上げた浴衣から、白い レースの下着がほんのすこしちらちらと見える。髪はちいさくリボンで絞って。おかしかったが、へんに似合ってもいて、よけい笑えたし感じ入りもした。

* さてこの夏は「電子文藝館」の立ち上げに踏み込んでゆくしかない情勢。幸せにも有力な有り難い助っ人の参加が 得られることとなった。確実に、こ の大事業に端緒を得て押し上げて行ける見込みが持ててきた。わたしには何も出来ないが、志だけは、しっかり注いでゆきたい。考えたり用意したり働きかけた りしなければならぬ仕事が、ざっと想ってみるだけで、山のようにある。熱いうちに熱く打ち込んで行くしか有るまい。これまた一つの大きな創作になるのだ、 委員全員の。
 

* 七月十九日 木

* 小泉殺しが画策されているのではないかと邪推したくなるほどの、過密で過重な選挙戦を小泉首相は「強いられ」 ている。石橋湛山、大平広芳、小渕 首相と、気の毒な「戦死」を観てきた。だが今の小泉さんの場合ほど暗にそれの願われている首相はいないのではないかと怖れるほど、いわゆる「抵抗」勢力 は、蔭に潜んで鳴りをしずめている。あの騒々しい亀井静香の顔も見なければ声も聞かないなんて、信じられないけっこうな、しかし薄気味の悪い事態である。 なんとかして高支持率を引き下げたいとマスコミも躍起に沈静化批判をくりひろげているが、さて、いま、小泉・田中・竹中・塩川・扇の内閣を挫折させてし まったら、誰と誰の内閣が国民に語りかけ、何を国民に仕掛けると言うのか。旧自民党という何枚舌もの蛸足政権へ戻ろうというのか、まさか。では、あの鳩山 クンの内閣、冗談でしょう。小沢一郎。もう黴が生えているじゃないですか。
 体力と気力を蓄積して、孤独に立ち返った暗闇の思索から、はじけるように京都議定書断固批准、外務省革新、みごとな予算、情報公開へ突き進んでもらいた い。わたしは、まだまだ、小泉内閣を(自民党をではない)応援している。ともあれ健康体でサミットを通過してきてもらいたい。参議院選挙はフツーに戦えば いいではないか。国民が審判したいのは衆議院選挙であり、解散権をうまく生かして党内の幽霊どもを跳梁させないことだ。

* 浜松中納言物語を、ご馳走を惜しみ惜しみ食べるように、読み終えた。巻五もとても深切によく書けていた。吉野 姫君をなかにした中納言と新東宮と の間柄も、こういうものなんかなあと感じ入るほどに微妙に書けていて、しかも、衰弱の極みにあって吉野姫君が、自分をかどわかし犯した式部卿宮=東宮にむ かい、「中納言を」と名指しで救済を希望するくだりは、王朝物語ではきわめて珍しい意思表示で、感銘深い。この辺、「夜の寝覚」のヒロインが、宮中で、無 体非道に寝室に侵入し犯そうとする帝に対し、終夜徹して抵抗し切って、そのさなかに、日頃は冷たく遠のけていた久しい恋人を思い浮かべ、ここで自分がくず おれては「あの人」がどう思うことかと帝を拒絶しぬく、あの感動の場面を、ありあり思い起こさせる。両作をともに「更級日記」著者の創作であろうと信じた いわたしの勘なのであるが、どんなものか。浜松中納言は、あんまり優柔で歯がゆい善人であるが、源氏の薫大将に対する「理解」が、このように造形され表現 されているのかと想像すると、微笑ましくもある。落窪、寝覚、浜松。いつも二番手に控え役を演じさせられてきた作品だが、わたしはこの三作を愛読書の高位 に置く。

* 配本の完了しない「うつほ」「狭衣」についてはものを言い切れないが、「寝覚」「浜松」ほどの女物語と優れた 女の魅力にふれてしまうと、いわば 男物語としかいいようのない「うつほ」など、いたって読みにくい。男たちが求愛し狂奔するヒロイン「あて宮」に、抱きしめたいほど女の魅力が彫まれていな いのだから、本尊不足の感、いまのところ否めない。
 男の書いたものに相違なくても「伊勢物語」という作品は、さすがに断然の魅力。
 歌物語というジャンルをわたしは大切な遺産であると思っている。現代でも試みられて佳いのではないか。もし作者篠塚純子さんが許可してくれるなら、わた しは「e-文庫」に収録した彼女の二つの歌集から、この歌人篠塚とはまるでべつの架空の女歌物語を、現代日本語で書き表してみたいほどだ。あの二百数首は あのままで小説を暗示し得ている。

* 猪瀬氏の再度のメールで、彼は、理事会に出るより以前に、「図問研」からの文書を目にしえていなかったのが分 かってきた。手続きのミスは、事が そんな簡単なことでなく、なにより事務局は、執行部会と理事全員とにコピーを配布=情報公開して、議題としても上程報告すべきであった、それを怠った。梅 原会長と理事会に宛てられた文書内容を、一言論表現委員会に下げ渡しておいて済むと考えたのが手違いであり、判断の薄さであった。フライを譲り合って受け 損なったのと同じだ、軽率なエラーである。

* 一時にどうっとメールが届いている。文藝館のものは、みな資料としてプリントアウトしたのを読むことにしてい る。画面では、自由に書き込みがで きない。

* 「寒いテラス」であなたが一番言いたかったことは、明確なようでもあり・・でも読者として断言しきれないとこ ろもあります。ぐんぐん読めて、登 場人物の設定など虚と現実をダブらせて、作者の掌中の手法。ホームページで既に多くの人が述べている感想はよくわかります。ストーカー行為こそ受けたこと はありませんが、知恵遅れ・・そう言って適切かどうか・・の子に頼られたこともあります、身近でダウン症や自閉症の子を抱えている人も知っています。妹は 大阪で養護学級や、精薄の学校で長年仕事してきました。昨年は高校生に突き倒されて怪我をしてかなりの期間仕事を休みました。が,今も頑張っています。
 誰もが引っかかるものを意識の中に持っている問題だと思います。あなたがそれを小説に書くキッカケは何だったのでしょうか?
 山瀬ひとみさんの「ドイツエレジー」の文章は、文学に入るのでしょうが、微妙?ただし言いたいことは良く分かります。私自身似た体験もあります。が、理 解の底がまだこれから、といった感もあります。ナチの問題はつらいし簡単に近付けない感じさえします。ドイツ人の潔癖さと一般的に言われますが、そんなに 単純に言い切れませんし・・。ドイツ語を学びながら、本当に今は遠ざかりました。ドイツ的なものが自分には合わないのかもしれません。
 説明が長すぎるとの編輯者の指摘も分かります。
 最後のIch liebe Dichの解釈、理解は、キリスト教徒でない私には保留せざるを得ません。キリストの言う「愛」はそれだけでもう理解に余りますし・・。信ずるにはある種 の飛躍を必要として、私には出来ません。宗教、信仰に対する姿勢はこれはあなたと同じです。バグワンにさえ一定の距離を置いている私です。中途半端な感想 ですが許して下さい。書きたいことを書ききれません。
 

* 七月十九日 つづき

* 今日になって、「猪瀬委員長の指示」で、事務局を通じ、二通の、他団体からの正式文書写しが、ファックスで家 に届いた。「コンピュータソフトウ エア著作権協会」からの一通については、今は触れない。宛名が「猪瀬直樹様」とだけあり、私信として送受信されているからだ。
 しかし、もう一通は、我々日本ペンクラブの「著作者の権利への理解を求める声明」に対する公式の返信であり、図書館問題研究会委員長「川越峰子」氏の名 で日本ペンクラブ会長「梅原猛様」に宛てられている。親書とならびに図問研の「第48回全国大会」の七月十日付決議に基づくペン声明への回答文が添えられ ている。先方事務局長の山重氏に事前にわたしの示唆したとおり、七月十三日中にはペンクラブに届いている。土日を経ての月曜十六日理事会で配布され検討さ れて欲しいという図問研の強い希望であった。わたしも、それがよいと考えていた。
 この文書が、どういう手違いか判断ミスかで、理事会には全く配布されないまま、ただ単に猪瀬委員長の口頭報告に基づき、八月に入ってから猪瀬氏が先方と 会うことにしようとの手順になった。肝心のものが配布されていない以上討議の方法もなかったわけだ。
 図問研ほど正式文書ではなかったのかも知れないが、もっと早くに、日本図書館協会からも、是非早く会って「話し合いたい」というものの来ているのを、言 論委員会の席で見ていたが、これも理事会には配布されなかったから、そうなった事情は事情として、理事一同は、これらについて全て知るよし無かった。
 図問研の文書は会長宛て親書であり、少なくも理事会当日に、梅原さんの内々のコメントでも聴ければよかったのだが、それも無かった。先方へは「拝見し た」とだけでも返事をするのが作法であろうと思う。そもそも梅原会長はこれを目に入れていたのだろうか、とても気になる。
 わたしは図書館団体と何の関係もない人間だが、ペン理事会の一員としてそう思う。わたしがいささかタッチすることになったのは、たまたま、ごく私的に図 書館勤務でメールのできる「読者」をもっていたからに過ぎない。

* 難しいことだ、が、社会的にも或る確かな立場を占めた団体には、団体間でも守るべき節度や態度というものが問 われる。当たり前の話である。個々 の文士がアバウトで無頓着なのは、ま、そんなもので良いだろうが、それを折り目正しくカバーするのが事務局の大きな役目であることを、せっかく世慣れたベ テランの秋尾氏が事務局長で入ったのだから、「大人」の判断ではからって欲しい。

* たいしたことのない潜水艦映画を見た。同じ俳優が飛行機の危機を救った映画も以前に見たことがある。

* 電子文藝館がらみに諸要件が一時期輻輳するのはやむをえない。それは覚悟している。覚悟しながら、執着はして いない、一所懸命やるけれど、思う ように進まぬ事はありうる。そんなとき、難しくは考えない、必ず不成功すら含めて成るように成って行くからだ。ことを急く必要はなく、ただ、何もしないで 放っておく空白だけは作らぬ方がいいのである、ものごとは。成し遂げたいのであれば。

* ことを複雑に複雑にして行かない方がいい、簡明にはじめて、精緻にしあげてゆけばよい。基盤は大きく深く作っ ておけば、建物は分かりいい構造か ら進化すればいいだろう。
 

* 七月二十日 金

* 海開きで明日から海は賑やかになりそうなので(夏休みになるでしょうし)、今日は友人と大洗に行ってみまし た。人も少なくて、曇っていて、日焼 けの心配もなくて好都合でした。駐車場もまだ無料でした。海の家も閑散としていました。明日からはこうは行かないだろうと思います。
 海水はかなり冷たくて、磯遊びして、「しったか」という貝を捕っていました。おいしい貝です。こんなところが女の所帯臭さでしょうか?波をかぶったのを きっかけに海に浸かってきました。

* 遠方からのこういう読者のメールに、気が晴れる。朝地震で、そのまま起きた。睡眠は三時間あまりか。地震はど うしようもない。どうしようもない ことは、在る。

* 昨日、文藝春秋の寺田さんの電話で、しばらく話した。先日にも電話をもらい、わたしが留守で妻が受けていた。 初めて我が家に見えて以来、三十年 ちかい。編集者と作家というより、身内のような気がわたしはしている。湖の本のこれほどの持続にもこの人の力添えが莫大に働いている。また新刊分の初校が 出てきた。今年の秋口は多忙になりそうだ。今日が国民の休日であることもとんと忘れていた。何の日 ? 分からない。

* 日本画家古山康雄氏が筆名「目(さっか)精二」で刊行された『異聞みにくいあひるの子』から、八編の創作散文 「花連歌」を戴き、「e-文庫・ 湖」第二頁に掲載した。独特のアンデルセン体験を書いた単行本表題はユニークな世界へ斬り込んで、なかなかの連作長編であり、その序章をと思ったが、巻末 のこの八編の散文がまた長歌に対する反歌のように不思議に美しい凄みの短編連作なので、これをとりあえず貰うことにした。ゴッホ外伝「クラシーナ・マリア の部屋」といった戯曲もものされている本物の才能である。久しい湖の本の、読者でもある。お目にかかったことは、まだ、ない。

* 目に見えて「創作=小説」欄が充実してきた。未知の読者との出逢いをさらにさらに願っている。佳い作品を送っ てきて欲しい。
 

* 七月二十日 つづき

* 一週間後に「電子文藝館」の初会合をもつ。どう成ってゆくかは委員の話し合いで見えてくるだろう。どう努力す るかである。成心なく、しかし具体 的にいい手順を探り取ってゆきたい。それまでに、会報へ出す原稿をつくる。

* ジェノヴァサミットの警備はものものしいが、NGOの暴れ方も尋常でない。田中外相はどうやら無難に帰国した ように思われる。外務省人事に締ま りをつけてしまうことだ、選挙運動よりも。小泉首相は健康の面でへたばらずに通過してくればいい。彼は京都議定書を最終判断では批准するだろう、タイミン グをはかっていると見ている。参議院選挙の直前に発言するか、ずっとおそく政局の揺れる夏以降、総裁選挙前に決めるだろう。ブッシュと心中する男ではない だろうから。彼の武器は解散だが、その前に有効に議定書批准を使おうとしているに違いない。

* イー・アクセスという会社からADSL設置のためのツールなどをもう送りつけてきた。中は見ていないが。さ て、ADSLにどれほどのメリットが 見込めるのか、どう使いこなして怪我をしないようにするか、またまた好んで難しい段階に入るようなとまどいもある。同じやるなら、より有利な設定が望まし いが。分からない。登録番号とともに「お申込みの回線は、NTT適合調査を通過いたしました」と、言ってきている。
 

* 七月二十一日 土

* 会報に送り込むための文案を書いてみた。事務局から指定された分量である。

*   日本ペンクラブ電子文藝館の創設:: 七月理事会で一致して承認された、「電メ研」提案「日本ペンクラブ電子文藝館」(初代館長は梅原猛会長)の構想をお 伝えする。手続き等の詳細は追ってお知らせする。
 発想は、?文藝・文筆の団体として、日本PEN全会員の自薦作と略歴を、適切なジャンルに分載し、インターネットで廣く国内と世界に発信したい、?全会 員の一人一人が地域差・分野別に関係なく、平等に、その「存在」を世界に示したい、以上の二点にある。
 地方・遠方の会員に、会費負担に見合う活動の「場」をぜひ提供したい気持ちが発想の根に在る。「会員である事実」を、本来の「文藝・文筆」の面で実感で きる経済的な「場」として、ワールドワイドな「ホームページ」を活用しない手はないと考えた。
 利点は、?日本ペンクラブが存続する限り、会員相互の実績を「文藝・文章」により半永久に遺し得る。?一会員に一作・一文と限定し例外は認めないが、掲 載一ヶ年を経た作品は、随時容易に別作品に差替えることが許される。?ウェブの立ち上げに軽微な経費を要する以外、維持・運用・拡充にも、「紙の本」刊行 や「会員の墓」建設に比し、問題にならぬほど全く経済的で、しかも簡単に、この秋にも「電子文藝館」は実現し、作品の発信を開始できる。?また、現存会員 にとどまらず、島崎藤村初代会長以降歴代会長をはじめ、物故会員の作品も掲載できる。その魅力と意義ははかり知れない。?加えてこの「アーカイブ=文藝 館」から、真に日本ペンクラブらしい作品叢書や選集が出版可能になる道もある。?高雅なデザインと便利な目次・検索法の設定により、文字通り莫大な文化財 的アーカイブとディスプレーが、質・量の両面に期待でき、しかも器械の収容量には何の不安もない。?原稿料はなく掲載料もなく、アクセス課金もしないが、 充実すれば、やがての広告掲載収入が十分見込める。?プロフェショナルな会員による自負・自薦の作・文章を審査はしない。責任も名誉も会員自身のものであ る。?外国語原稿もむろん可能である。?言うまでもなく学者・研究者の論考も充実したい。
  問題点も、二つある。?電子メディアの弊として、著作権が有効に守りきれないオソレがあり、それも覚悟して構想と意義とに賛同してもらわねばならない。? いわゆるエディター会員の為にも、最良の頁設定をよく考慮し工夫して不公平を排したい。
 寄稿は、?原則としてファイル化したものをディスクかメールで。?少なくも、原本ないし綺麗なコピープリントを。?手書き原稿は無理。?自薦作の量的限 界は百枚前後と予期しているが、詳細は後日にお伝えする。?自負・自愛の作をぜひお願いしたい。
 ウェブの立ち上げと以後の運営には「電メ研=文藝館」編輯室が当たる。寄稿のお願いには快くご協力下さい。以上   (電子メディア研究小委員会  委員長・理事 秦恒平)  (文中の丸数字が ? で出てしまうかも知れない。)

* 二十七日午後に初会議する。

* イーアクセスの下請けから連絡があり、ADSLの工事にはいるにつき使用器械の型式などを教えよと言うので、 「組み立て器」だと言うと、器械の 外へまでは工事可能だが、器械に機能しないかもしれないと言う。機能しないかも知れぬ工事などしても始まらないので、とにかくペンディングした。

* 大原富枝「菊女覚え書」は「おきく物語」なる古反古によって成したという仕立物で、刺激の薄い、可もなく不可 もなく面白くもない読み物であっ た。ただ巧みに運んであった、落ち着いた文章で。
 それにくらべ、田中英光作「桑名古庵」は、破れかぶれの悪文で、噛み散らしたように筋書きが吐き出されて行き、甚だ不行儀で下手な叙述であるなかに、あ われ、無残にすさまじいある一族一党の悲惨が焙り出され、息を呑まされる。作風といえばそれまでの放埒極まる作だが、巧みな大原作品よりも感銘がつよく残 る。胸ぐらを掴まれて揺すり立てられた感じで、後味はひどくわるい。それをしも迫力というなら認めてもいい。
 つづく杉浦明平作「秘事法門」がまた殺伐として悪辣無惨な作だが、これには田中作品に感じられない意図的な批評が看取できる、即ち北陸の中世を支配した 浄土門・念仏宗団に対する痛烈極まる否認と批判である。叙事ははじめのうち知的に統制されてなんだか考証もののように始まりながら、だんだん両手足を大車 輪にまわすような荒けない文章が炸裂するように、坊主たちの内部闘争のえげつなさが暴き出されてゆく。反吐の出そうな読後感だが、批判の筋はきっちり通っ ている。確信犯的に知的な作品だとすら言えて、これは歴史小説になっている。嬉しくはなかったが、よく書いたなあと感心もし評価した。共感すら、あった。 門徒の人は読みづらいであろうが、宗門なる団体のいやらしさがよく書けている。
 船山馨の「刺客の娘」はかなり気取った小説であった。池田屋で坂本竜馬を斬ったのが誰かという謎に対し、真犯人の娘が世上の通説の偽りであることを、か つての志士、いまは華族の田中光顕に訴え出てくる話である。小説はこう作るものというお手本のような手際で手練れであるが、感銘があるのでもなく、一場の 挿話、おはなしである。作家というのは或る円熟を意識し始めたとき、こういう、旨いけれどどうでもいい読み物を器用に幾つも書いてしまう。あまり名誉な結 果にはならない。

* 「うつほ物語」は人物が多く、だれが主人公であるのかが掴みきれない多焦点の作なので、興味を繋いでゆくのに 骨が折れる。そのかわり、直接話法 の会話劇のような場面が多出し、臨場感の効果が突出する。情緒纏綿といった女物語の行き方ではなくて可笑しいし、乾いた面白さになっている。

* 小泉総理のマガジンなんて読む筈がありません。読むのはあなたの「マガジン」です。
 山瀬さんの「ドイツエレジー」は途中までよんで、時間切れになりまだ残っています。読むのに時間がかかるので、改めてゆっくりと。興味があります。私が ドイツを、行きたい国の高位にあげないワケが、潜んでいそうです。
 ドイツ系の薬品会社にお勤めのご主人に同行して、当地のお宅に招かれた友人の話に依りますと、台所が汚れるので、自宅でのお食事接待はなく、レストラン へ行き、お宅では帰ってからお茶を戴くとか。隣家の台所にまで、汚れていますよと口をはさむとか。よく聴く話ですが、本当らしいです。イギリスと並んで、 美味しくないお料理は周知の事です。
 清潔、綺麗な町並みは悪くはないけれど、私には、旅行者としても、興味が湧かない国です。単なる偏見かもしれませんが。ドイツ人がイタリアに憧れるのが 分かる気がします。

* 電子文藝館  画期的なお仕事ですね。楽しみにしています。
 面接した20代に、「最近読んだ本は何ですか?」と聞いたら、「インターネットで何でも調べるので・・・最近は読んでいません」と。図書館はもちろん、 本屋にも足を運ばない本離れをした「e-young」たちが、文学の世界に入る一つの「門」にもなるかもしれませんね。
 「湖」文庫もますます充実していますね。最近の目精二さんの「花連歌」、すごみのある作品で、ひきこまれるように読みました。
 さるすべり むくげ のうぜんかずら が家に咲いていますが、今年は花が少ないようです。はなみずきが枯れそうになってきたので、あわてて朝晩水やりを しています。にっこうきすげとほととぎすを買ってきて、植えました。「花連歌」とはかけ離れた世界ですが・・・。

* 日本ペン電子文藝館が、本離れをした「e-young」たちの、文学の世界に近づく一つの「門」になるかも、 というこのメールは嬉しい。
 

* 七月二十二日 日

* 小泉首相と鳩山民主党党首の演説を聴いていた。小泉演説は断然うまい。演説というより口語で喋っている、話し かけるように語っている。中身も自 信のあることを自信のままに自然なメリハリで聴衆に届けとたたき込むように、しかし絶叫などしないで話している。あれは、うまい。ああいうふうに話せる政 治家は少ない、めったにいない、大方は棒読みに近い演説をする。鳩山の話の中身がよくない、低調だとは言わない、が、誰に向けて話しているのかと思うほど 語り口は単調に凹凸のない普通演説であり、聴く一人一人が俺に向かって話しているんだなとは感じない。小泉は、聴き手を特定したような突っ込んだインチ メートな話しぶりで、聴かされてしまう。鳩山のは誰かに向けて話しているなというよそごと感覚で聞こえている。小泉の勝ちは歴然としていて、そのことに複 雑な気分である。彼が勝つとは、最も好ましくない自民党が結局勝つことになり、小泉政治を利さないであろうと思うと、やり切れぬ気分になる。

* 引き続き田原総一朗の番組で各党幹事長の激論を見聞した。靖国問題が、はっきりと大きく取り上げられ、千鳥が 淵ないし国立墓苑の討論もあった。 靖国参拝に関しては小泉純一郎に間違いがあるのは明白であり、この一点では少なくも小泉を絶対に容認しないと五月末に此処に書いた頃は、まだ、国内はおろ か国際的にもこんなに激した状況ではなかった。力石氏らの提言を、わたしが日本ペンクラブ理事会に持ち込んだ頃から、問題は顕在化し、ペンが力石氏らに同 調を拒んだことが、かえって推進力になったかと思われるほど、各党からもまともな議論が顕在化してきた。昔からの懸案とはいえ、やはりタイミングというの は大きい。田原番組の討論は、いわば我々が八月六日に用意している話し合い集会の内容の先取りになっていた。

* ただ「戦争責任」の総括討議は、一見妥当のようでも、いわば、顧みて他者を責めることになりがちで、それな ら、限界はある。中国のよく用いる論 法の、一握りの責任を問うて、国民はその犠牲者という割り切りのよすぎる論理は、どうも気持ちがよくない。かといって論理を拡散されて国民全てが自責の念 を表明してみても、それも、大事なことを形骸化・空洞化させて終る気がする。「靖国」問題を具体的に清算してゆくことから、歩をすすめることをわたしは大 切だと思う。それに代る「場」は、極端なことをいえば、シンボリックな鎮魂と感謝との場でよく、遺骨遺品や氏名を必ずしも要しない。仰々しい石碑やオベリ スクでなくてもいい、建築でなくてもいい。すばらしい櫻の大樹でも、すばらしい巨松一樹だけでもいい、シンボルとして頭を下げに行ける場所と設備が出来れ ば、いい。日本の美学と信仰心からすれば、それで足りる「かのように」祀ればいいのである。祀ったつもりになればいいのである。戦没者御陵と名付けても構 わない。

* 例えば、高校時代の世界史は、何を習ったのか記憶になく、殆ど映画から、彼方の欧米を美化して憧れていまし た。その後は何十年間の子育て、貧し い生活に追われ、そんな事は頭の片隅にもなく、子供を午後三時に昼寝をするようにし向けて、テレビの「ヒッチコック劇場」を観る、至福の時空間でした。内 容は忘れてしまいましたが、オープニングの音楽は、今もウキウキと思い出せます。
 子育てしながら、学ぶ人はいますが、私には目先しかなかったようです。今になって悔やんでも後の祭。
 聖書にある「バベルの塔」 全能の神が、神の領分を侵そうとした人間への報いとして、国々の言語を統一しなかったとか。宗教、人種、言語、侵略、風習、 芸術、土地が繋がっている為のヨーロッパの複雑な歴史、こんなものに目覚めて注目したのは、そう遠くではありません。今、関心のある一つであるのは、確か です。
 脈絡なく、読みやすい物をボチボチと本を読んでいます。すぐに、眠くなりますが。
 
* 意識的に生きる、ものごとに「気づき」ながら生きる・生きようというこういう人が、ふえているのだろうか。減っているのだろうか。

* ご訂正有り難う。(コペンハーゲンの海と日本の海とを比較してはいけない。)正確にはそうです。比較するとき の基本でしょうね。対象を同程度に しないと比較にはなりませんから。感情の感覚での比較かしら?
 日本も他はしらないし、デンマークも広くて、それほど他に行っているわけではないし、正確にはコペンハーゲン近郊の海岸でいいのかな? それとロシアの 黒海やアゾフ海の水も海岸もきれいでした。ロシアには5度ほど行って滞在しているけれど、ドン川は澄んでなくて濁っていたので、泳がなかったわ。
 黒海やアゾフ海も静かできれいでした。一晩バスに乗って、山を越えていきましたね。途中は、空から見ると一本の線にしか見えない、巨大な街路樹で、延々 とその中を通っていきました。夜中、星だけが見える幻想的な広野をドライブしていきます。遠くに一点の明かりが見え出すと、それがだんだん近く大きくな り、やがて猛スピードですれ違っていきます。戦争の時はここを軍隊や戦車が行軍したのかと、変な想像をしていました。
 水がきれいと言うよりは海岸がきれいというのか、人が少ないというのか?日本にもマナーのきちんとした閑かな海水浴場はたくさんあるでしょう。でも、こ の近くにはないのです。
 国外でしらないうちに写っている、広い海岸でぼーっと海を見ている後ろ姿は、自分ではなく、何かの写真集のような感じに見えます。
 ホームページは見ております。いつもお仲間とたのしくお忙しそうで、と、拝見しております。私も今年の夏は元気です。仕事の間を縫ってぼんやりとしに、 ふらりとドライブしてきます。遠距離を考えているけれど人を誘うのはうるさいから一人で行きます。これで何かあるとみんなにびっくりされるでしょうが、私 はそれでいつでもいいのです。
 夏ばてしないで、お元気で、おいしいもの召し上がって!

* 湖の本が満十五年で、その前にまだそれ以上の作家生活があり、わたしは読者を宝物のように、身内として大切に してきたから、久しい文通だけで も、顔など一度も見たことが無くても親しい友人や親族のような人がいっぱいある。秦さんはいいなあ、と、バカなことを言って羨ましがる人もいるが、魂の色 の自然に似ている・似てくる愛読者と作者とが、心を許し合うのはそれが本来の自然であり、こういう自然さとはまるでちがう感覚で、読者とは本の買い手とし か思わない作者ほど、極端な話、本を二度三度と読むなら二度三度の著作権料を支払えなどと言い出すのである。読んでくれる人は有りがたい存在であり、それ だけではない人生の同伴者でもあるのだ。そういう人との作品を通じての出逢い、それが読者と作者なのである。漱石という人はそういう読者に親切な作者で あった。
 

* 七月二十二日 つづき

* 文藝館のメーリングリストが活溌に働いているように思う。用件を限って話し合うには、いい手段であるが、否応 なく割り込まれるということも、あ る。ま、それは、適宜にして行くしかなく、便利であることに間違いはない。メールは、とにかく、機械の前でだけ処置出来る。「電子の杖」とはわれながら名 言であったなと思うほど、助かる。

* 大河ドラマ「時宗」で、兄時輔が討たれた、弟時宗に。最期はあわれに描かれた、渡辺篤郎は、陰翳のある人物を それらしく巧みにハートで演じた。 妻役の、ともさかりえも若手ではしっかりあわれに演じた方だ。この夫妻のおかげで、ドラマに幅がとれていた。宗尊親王という鎌倉の将軍崩れは、和歌一首を 詠じてかなり見苦しい立場から転落したが、彼を代表とした公家社会の描き方はあまりに図式的・概念的。もっと賢い集団として冷静に鎌倉幕府と対置すれば、 ドラマが本格化して行くのに、この稀有の題材、専守防衛、近隣有事、侵略と反撃といった国難主題の歴史題材が軽く薄くなるとしたら、京都が書けていないか らである。
 時宗役の和泉元弥も、ここまでは地の頼りなさと見栄えの素直さとで大過なくやってきたと言うておく。素材としてはわるくない役者なのだから、意識を厳し く地道に固めて、本職の狂言を、みんなが応援できるようによくよく勉強して欲しいものだ。
 今日の「時宗」は、ほろほろと泣かせた。

* 明朝でも良かったもですが。すぐに書きたくて。
 NHKを聴きながら、山瀬ひとみさんの「ドイツエレジー」を読みついでいましたが、また時間切れになり、さーと最後までどんな題材かと眼を通している と、なんと私が思った様に、この方もイタリアで、心を癒されているではないですか。私はゲーテがイタリア紀行で「君しるや南の国」と賛美したフレーズが頭 にあって今朝のメールを書いたのですが、矢張りそうだったのですね。
 ドイツ人然り、イギリス人も然り、「眺めのいい部屋」なんていう、フィレンツエへ長期のバカンス出発から始まるいいイギリス映画もあります。
 異常なお掃除好きも、台所を使いたがらないのも、流言ではない、と。

* 「e-文庫・湖」の作品を、オフラインにして、そのファイルだけをゆっくりスクロールしたり、縦読みソフトで 変換したりしながら「タダ読み」を 楽しんでくれる読者がちょくちょくとメールを下さる。書き手にも励み、わたしも嬉しい。
 

* 七月二十三日 月

* 上尾敬彦君としばらくぶりに会い、有楽町の「きく川」で鰻を食い、「クラブ」でブランデーを飲み歓談してき た。宵から晩というのになにしろ暑い のには参った。

* 文藝館の討議は盛り上がっているが、まだ、なかなか噛み合っていない。

* hatakさん 札幌も大暑で確かに暑いのですが、それでも東京の大暑に較べれば、涼やかなものです。
 論文も、実験も、何もかもが止まり、胸の中で、黒い糸を絡ませたりほぐしたりしながら日を過ごしていました。
 まだ心は上の空ですが、手は動き、文書を作ったり、ルーティンな仕事をこなしています。恩師の思い出を、先日文章にしました。この方は、先に亡くなられ た上司の指導教官でもあり、仲人でもあった人で、葬儀には札幌まで来られ、私と一緒に骨を拾ってきました。こういう巡り合わせは予想だにしませんでした。
 そちらは異常なほど暑く、南の方では潮位が高まっているそうです。例年の異常気象ですが、何事も無くと祈るばかりです。お大事に。お元気で。メールあり がとうございました。

*「聴松」という名の「泪の茶杓」
 一九八八年三月、茨城県つくば市の研究所の暗室で、私は上司のT室長と電子顕微鏡を使って植物ウイルスの観察をしていました。翌月に、私は沖縄県にある 日本最南端の研究所に一人で赴任、T室長は研究所を退いて大学へ移られることが決まっていて、仕事の始末や引っ越しの準備に慌ただしい毎日でしたが、真っ 暗な広い部屋で蛍光色の画像を見入っているときだけは、静寂な心地で研究に集中することができました。
 「君はお茶を習っているんだよね。お茶の道具は何が好きかね?」
 暗い部屋に突然、室長の声が響きました。私は口数の少ない室長がめずらしいと思いつつ、前年の冬、十日間ほど家元を訪れ、それまで魅力を覚えなかった茶 杓に、多彩な個性を発見し、深く魅せられたことを話しました。ひとしきり家元での稽古や、雪の京都の話をしましたが、観察が終わって暗室を出るなり、私は そんな話をしたことなどすっかり忘れて、また忙しく実験に取りかかりました。
 私が沖縄に、T室長が大学に赴く日が近づきました。春雨の降る土曜の午後、人気のない研究室で実験をしていた私に、荷物の整理をしていた室長が、「餞別 をあげよう」と、書棚の奥から小さな包みを出してきました。
 「君はこれから沖縄で、おそらく何度も壁に突き当たるだろう。それを一人で解決するのは、決して楽ではないが、そんな時には、まあこれでも見てがんばり なさい。」という言葉を聞きながら、包みを開けると、桐の小箱から先代家元の茶杓が現れました。中の詰筒には、太さの揃った特徴的な手で、「聴松」と、銘 が。
 T室長の母上は、岐阜で千家流をなさり家元の稽古にも通われていた方で、茶杓は、母上のお形見の品であったとい
うことを知ったのは、ずっと後のことです。お茶杓一本を胸に沖縄へ赴任した私は、十二年を過ごして札幌へ転勤しまし
た。T室長は東京大学を定年退官され、現在は茨城県で後進の指導に当たっておられます。お茶というものは、お茶席
の中にだけあるのではなくて、時として思わぬところから、忘れ得ぬ体験をさせてくれるものです。私は、一本のお茶杓あったがゆえに、仕事も稽古も続いてき たのかもしれないと、時々思っています。 maokat

* 今宵会ってきた上尾君もお茶を習い始めている。おや、この店には花が活けてないな、おや、ここには佳い繪がか けてあるな、この壁はこのままでは もったいないほど間が抜けているな、この掛け軸の字はなんと読むのかしら、などと自然に思いが行くようになれば茶が身近まで来ている。そういう気が働かな い内は、茶の湯とは英語のスペルを覚えるように点前作法の手順を覚えれば済むもののように思うものだ。MAOKATさんは、会ったことは一度もなくても、 きっと佳い茶を楽しめる人であろうと思う。
 

* 七月二十四日 火

* 暑い暑いというのもイヤになってきた。午前中すやすや寝て過ごした。それも避暑の一法である。郵便を受けに玄 関のドアをあけるだけで、熱気に煽 られる。異様だ。

* 週末あたりから、ほんの少しだけ気温が下がると予報官の話ですが、如何なものでしょう。草木は微動だにしませ ん。
 景気低迷で、デフレの傾向。百円均一の店、ユニクロ(あなたは行った事がないでしょう。それが、バカにした物じゃないのです)の繁盛する昨今ですが、程 々のお値段で、実用的でない、お洒落で、楽しい品物が、全く姿を消していました。生活に関係ないお店はどんどん姿を消していると我が家の情報通は言ってい ます。
 痛みの伴う改革が打ち出され、混沌として、先行き不安を抱えた昨日は株価が大きく下がり、地球上で現実に高揚しているのは、気温だけ。これまで生きてき て、どの時代が住みよかったかと問われれば、これまた返事に窮しますが、老いも若きも良かったと言える二十一世紀になるのでしょうか。

* こういう意識を、七十近い一主婦がもつ時代になっている。

* 昨日、鰻と酒とを肴に暫くぶりの対話を楽しんできた元の学生君は、公務員生活四年目のやがて二十九歳、独身。 まだ三十に一年余もあましている。 わたしは、その年、まだ作家ではなかった。やっと最初の私家版を作ろうとしていた、貧乏所帯に過ぎた出費であったが、娘一人を育てながら妻は一言も苦情な ど言わなかった。三十三歳半で受賞したとき、私家版をもう四冊出していた。
 以来東工大を六十歳で定年退官した時まで、その三十年の間に、わたしの第二時代=壮年期は在ったわけだ、そしてもう三十年をこれから生き延びねばならな いこの高齢化時代である。
 三十歳までの三十年は、わたしの場合は満たされた準備期であった。幸せであった。次の三十年間に比べれば蕾の少青年期であった。六十歳過ぎてこれからの 三十年は、ほんとうに苦しいと思う。壮年期の三十年間のように生きられるわけがない、少なくも生理的・肉体的に。社会的にも場は極端に狭められてゆく。
 だが捨てたものではないし、捨てていいわけのない三十年と感じている。六十年生きてきた蓄積は確実にあるのだから、まるで「べつの表情」をもった老境の アクティヴィティが不可能であろうわけがない。笑い話のようなものだが、成功による名誉や栄誉を求める気持ちが白煙のように失せ果てているだけでも、どん なに気はラクだろう。力をつくして、しかも結果を求めすぎない。そういう老境に入っている。双六を上がったのではない、上がらないのでもない、双六そのも のが失せたのだ。
 「分かる人には言わんかて分かるのぇ。分からん人にはなんぼ言うても分からへんの。」
 新制中学の昔に、一つ上の「姉」はこう教えてくれた。森毅のような碩学をも仰天させた、これは確かに達観でもあるが、ある種の危険思想でもあったとわた しは思っている。だが、概ね真実であったとも思う、六十五年を生きたわたしが今そう思うのである、ちょっと残念だが。
 そして、今、この言葉を幼稚にもじれば、「成るものは自然に成る。成らぬものは、どうあがいても成らない」と。問題点は、ある。ここだ。ことの成る成ら ぬを、どんな時点やどんな事象が、われわれに、いやわたしに対して告げてくるのか、だ。
 それを分かりも悟りもせず投げ出すのでは、愚かしく、それが分かるまでは、愚直に手を尽くして努めるべきであろう。
 同じことは、先の、「分かる人・分からぬ人」に関しても言えると思うのだ、だから中学三年生の少女に過ぎなかった「姉」の明快な断定を、わたしは幾らか 危険と感じつづけてきたのだが、その辺が、あんたは不徹底やと、もし幸いに顔の合う機会がこの人生に遺されて在れば、わたしは笑われるだろう、その人に。
 

* 七月二十四日 つづき

* 寒いテラス  『ディアコノス』、なんという重いテーマの作品を柔らかくお書きになったことか、という嘆息と ともに、即座には出せなかった読後 感をしたためさせていただきます。
 読んでいる間にふつふつと心に湧くのは、登場する誰彼に似た自分の知り合いであり、ああ同じだと思い当たる自分の体験です。読者の多くはそのように作品 に接することでしょう。その感覚が読後感をもっとも強く占めますが、この作品は、そのように読者に自己と重ね合わさせるものを非常に多く投げかけます。投 げかけられた読者は、自分の体験をもう一度体験し、さて、どうしよう、どう考えたらいいのだろう、と悩みます。その深さと広さを満々とたたえた、この作品 が、未発表であったということに肅然とした思いをもつのです。内容が時機にかなうかどうかということは、論じる必要はないでしょう。作者がお出しにならな かった、理由がなんであれ、その事実が、もうひとつの深さをこの作品に与えている気がします。
 社会における弱者とはだれで、強者とはだれなのか。弱者といわれる身体的、精神的に「欠陥」がある人にも「強さ」はあるのか。さまざまな問いを投げかけ られていますね。すごい作品だと思います。見事な人間設定がなされていると思います。もっとも印象深く残っているのは、

 「どうか妙子ちゃんを叱ってあげないで下さいましね」と何度も申しました。

という部分です。この部分で、淡路夫人と淡路一家と妙子ちゃんと妙子ちゃんの両親のありようがくっきりとわかりま す。作者はなんという言葉を書くの だろうと思いました。
 さて日本の社会は、いまどこまで成熟したでしょうか。たとえば身障者に石を投げるような残酷さはなくなったでしょう。でも身障者はお気の毒と考える段階 からは逸していず、一方で、身障者に十分な保護を与えてもいない、といったところでしょうか。
 知的あるいは身体的に障害のある人にはもっともっと保護を、そのうえで、身障者をかわいそうと思わず、まったく同等に、つまり身障者に危害を加えられた ら何の遠慮もなく反駁する社会をつくりたいと思うばかりです。
 どうかそういう論議をわかすうえでも、この作品が多くの人に読まれますように願っています。その意味では、いま世に問う御作品であると信じます。
 ここから先はお笑いぐさのこぼれ話です。私がたまに参加する人権を問う集会には、よく右翼の人たちが妨害にきます。このごろは手がこんでいて、一般人と 同じそぶりで一人また一人と会場にはいり、ある段階でひどい野次をとばして妨害します。そのなかに、車椅子の人がいることが最近、有名になりました。知ら ない主催者だと、車椅子ということで親切に押して会場にいれ、ゆったりとした場所をとってあげます。ところがその人が一番汚い言葉を投げ付けるのです。つ い親切にしてしまう、その度合いが試されている段階かもしれませんね、日本は。
 すごい御作品を読ませてくださってありがとうございました。これから娘にも廻すつもりです。

* 創作する人間には、独特の、至福に恵まれるときがある。

* 昔だと祇園会の後祭りの山巡幸があった。鉾ほど圧倒的な迫力ではないものの、物語的というか説話的というか、 いろんな伝承に飾られた各町内が自 慢の山車が出そろってくるのが、楽しい見ものであった。そして最後にりっぱな船鉾が通り抜けてゆくと、祭りすぎた或る寂寞の風が町にながれる。
 

* 七月二十五日 水

* 中国の陶外相の、小泉首相靖国参拝を「やめなさい」と言明した由言い放つテレビの報道はインパクトがあり、い ささかは不快であった。中国の言い 分には、敗戦処理の遠い昔からの問題が絡んでいて、妥当な根拠もたしかに在るのだ、わたしは小泉の無用な頑張りにいささかの共感ももたないが、ああいう放 言とも挑発とも優越ともつかぬ口調で捨て台詞めいて陶氏に言い放たれると、単純にムッとくる。
 陶氏とは古い間柄だといわねばなるまい、作家代表団の一人として井上靖団長のお誘いで中国に初めて旅したとき、中国側で終始日程に付き合って通訳に当 たったのが、若き日の今の陶外相だった。高飛車にものを言いかける只一人の通訳であった、他の何人かはごく温厚で控えめであったが。
 陶氏との会話で最も印象にやきついているのは、「先生、心は存在しません。そんなものは無いのです」という断言であった。大岡信氏と私とが終始同車して いたある日の移動の車中での陶氏から持ち出した唐突な話題であった。孔子が国をあげて批判されていた頃であったが、無神論とか唯物論とかいった話題とはと りにくく、文字どおりハートのない物言いだなとわたしは聴いていた。日本語には堪能な通訳であったが、議論する気にならなかった。「心」も実にいろいろで あり、わたしにしても「心=MIND」には批判を持たないわけでないのだから。

* 田中真紀子が何を考えながら陶外相に喋らせていたか知れないが、放っておけば何時間でも喋れる男である。小泉 の頑迷な頑張りにも真紀子外相はウ ンザリだろうが、真紀子節が湿っているのも間違いない、ポンと一言でも言い返してきて良かったのである、あの中国外相に。中国にはかなり日本国の金は行っ ているし、来て欲しくない密航・不逞・犯罪者の中国からの渡来も増えているのだ。
 ああまで中国が言ってくると、小泉は引っ込みがつかなくなった。ヘンな引っ込みもしにくくなった。居丈高な中国は好きでない。どうも心楽しまない。しか し小泉の愚行強行もとても褒められぬ。小泉にも田中にも、全く代りがいない日本の手づまりが辛い。

* ミマンに原稿を送った。比較的易しい出題であったかも知れないが、それとは無関係に、読者の胸をしたたかに揺 るがせ、いつもの倍も解答が来た。 感想も山ほど来て、応接に窮したほど。

 A あやとりのはじめはいつも( )にして小指にすくふ幼子の夢   三田村 章子

 B 父の掘る芋は無( )でありしかな  宮下 杏華

 次回の出題は、いかが。

 A なるようになりて相(  )の済みしかばふつふつと鮟鱇の肝を煮ており

 B 煮(  )や得心いかぬ事ばかり

* 「暑い暑いも聞き飽きて」と思っていたら、hatakさんから、タイミングよく「暑い暑いも言い飽きて」と メールありました。
 一昨夜の暑気払いの集いで、'You might on my head,today's hot fish' (言ふまいと思へど今日の暑さかな)の語呂合わせを披露したら、同年輩の誰も知りませんでした。昔からの駄洒落でしょうか。「煩悩」を何やら言いえて妙で すが。
 新宿御苑の森が、深夜、周囲90Mの範囲に2-3度の冷却気を放散しているという記事がありました。都会の木々や森もたいへんにご苦労なことですが、森 や植樹、街路樹群がもっともっと都会にあれば、とつくづく思います。
 むかし、山奥の雑木林を一山もらって、毎夏の緑陰生活を楽しんでおりました。やがて、養鶏場用地に売られ、そして、見返りに、東京郊外に、庭木もわずか な小さな家が一軒建ちました。元の山がその後どうなったか、雑木林が一つ無くなったことは確かです。そんなことが日本のいたるところで続いてきました。元 には戻りません。山には、手入れの行きとどかない、杉・檜の殖林の痕跡ばかりが目だちます。殖産、興産、開発の名のもとに、つい10年ぐらいまで日本の山 々から、川辺から、雑木林が消え続けていきました。世界では今でも伐採が進んでいます。その付けの一端の一端が、四十度の酷暑としたら? 
 木々や森との共生・共存は人間だけのものではありません。生きとし生けるもの、みな、今の日本(地球)は熱い、と感じているはずです。三年ぶりに来日し たインド人も、昨夜、電話口で、’Japan, very hot!’ と言っていました(インディアン嘘つかない)。
 ひとつだけ、確実に涼しくなる方法を。出かけるときに、麦わら帽子をかぶり、濡れタオルを首に巻くか、ランニングを濡らす。少しは持ちます。ただ、みん なががそうすると回りに熱が放散され、かえって暑くなるでしょう。
  みてくれも なりふりもなき 暑さかな
 子供の頃、都電にのると、ステテコ、団扇姿のオジサンも珍しくはなかった、ような。
 どなたか、納涼のメール、それも、懐かしい、縁台での夕涼みといった、日本の夏の涼味をお届けいただけないでしょうか。

* もの書きや出版・編集者が「環境」を語るなら、いちばんに日本の紙資本が外国でやり放題にやってきた製紙用森 林伐採の問題ではないのかと、日本 ペンの理事会で水をさしたことがある。諫早だけが環境問題ではないのだ、本や雑誌や新聞やマンガのために、どれだけの木を伐ってきたか、伐った分の補いを 日本の出版や新聞や物書きはどれだけ真剣に我が事として考えてきたか。日本の作家たちがその方面で発言してきたのを、わたしは知らない。そしてことは、 「京都議定書」へも関わってくるのだが。
 

* 七月二十五日 つづき

* 森林伐採について書いたところ、三年前に書かれていた森秀樹さんの以下の「一言」が送られてきた。わたしの失 念であった。

* 少々、頓珍漢な感想ですが、一言。  森 秀樹
 本と紙と自然保護について。あまり、こういう議論がありませんので。
 本日(三年以前のハナシです。)某大学の「先住民と環境保護」についてのセッションに参加しましたが、そこでは、ペルーほか南米の熱帯雨林の環境破壊の 報告がありました。毎年、(これは主に焼畑農業、伐採の結果ですが)、四国に相当する面積の密林が消滅しているというのです。今から10年以上前に、世界 の「熱帯雨林保護」の国際NGOに参加していましたが、問題のターゲットは、日本が圧倒的に伐採、輸入しているアジアの熱帯雨林の保護でした。今も状況は ほとんど改善されていないでしょう。
 そのころ、同会の一般説明会では毎回、こういう話が披露されました。「新聞の紙を少なくするだけで」、毎日数万本の木を切らずに済むと。紙などの資源と して、無尽蔵に木が切られ、そして、かなり再生されずに遺棄されている現実があります。リサイクルの実効はまだまだ十分ではありません。結果、地球の温暖 化が進んでいることもありましょう。
 返本率6割などとうわさされる出版の実情について、地球の「生きとし生けるものすべて」の大切な共有財産である「紙の資源」、「本と紙」(新聞や広告チ ラシなどの紙の媒体についても)を一考すべきではないでしょうか。紙に代わる本の情報媒体が発展するのであれば、百年大計の「地球規模の環境保護」を前向 きに検討すべきです。紙の消費を少なくする道も一考すべきでしょう。これは、「本が大きく変わる」「ゆくへ定めぬ本の道かな」とかいう、一種のセンチメン タリズムとは、一線を画す論議であると思います。情報の伝達は、文字を持たなかった時代から、常に「目に見えぬもの」が動いていたような気がしています。
 たまたま「紙」が伝達の使命を大きく担うようになった。それが今は「電子」にとってかわられるようになってきた、ということではないでしょうか。
 話がそれますが、著作者(ここではライター)の「著作権」についても今は、「紙に写された字」だけではなく、瞬時に地球をかけめぐる、目に見えない、不 眠不休の、多分枯渇しない資源による、極めて経済的で生産的な無体の存在が対象になりつつあると、認識すべきではないでしょうか。

* そう、確かにわれわれの電メ研はこういう認識から、遅々とした歩みを歩んできた。そのつもりでいる。
 

* 七月二十六日 木

* 「えらい暑おすな」「ほんまに暑おすな」「ほな、おきばりやして」「へえ、おおきに」と、こんな挨拶、まだ町 中で聴けるのでしょうね。母のよく 言っていたこの手の挨拶、記憶にあります。「おきばりやす」が単に「頑張ってください」かと思っていながら、この暑い時に、ナンで気張るのかと、何か違和 感がありました。先だって読んだ京都のお年寄り(あなたではありません)の言葉で納得。「お気を張って」の意味だったのですね。
 大体祇園祭の頃から旧暦お盆の頃までは高温多湿で、食中毒など、身体に気を張って暮らしていたのですね。
 そして又、母が毎年同じ事を言っていました。大文字のあたりからボチボチ涼風がたって、夜は楽になり始め、地蔵盆になったら、もう暑さも和らぐから、一 ケ月の辛抱や、と。
 京都の夏は暑いと私も含めて皆さん敬遠しますが、今や、日本列島の大半に有り難くないお株のお裾分けとなる昨今です。

* 気張っている毎日なのかも知れないが、気にしてはいない。電子文藝館のメールの往来は、元凶はわたしである が、かつてなく活溌に。今は仕方ない と、リストの皆さんには煩わしいだろうがご辛抱願っている。

* 「うつほ物語」の半ばをゆっくり読み進めている。これはストーリィに惹かれてどんどん読むという作品ではな い、半ばあたりは特に。出だしはすこ ぶる伝奇的に面白いのだが。東宮や貴族たちの異様に身を入れた「あて宮」への求愛・求婚がながくつづき、東宮に入内後の貴族たちの悲嘆ぶりがまた凄い。歌 など、いいところをつまんで掠めるように披露するのが女物語の方法なのに、男の書いている「うつほ」では、関係者全員の和歌をえんえんと並べる。直接話法 の戯曲的な会話羅列でことが進むところも多い。おまけに絵巻にするための絵指定の文もくっついている。平安時代の物語といえども、いろいろあるのだ。どれ もが源氏物語のようであるわけではない。

* 日々にいちばん心をとらえる読書は、やはりバグワン。一休の道歌を材料に「禅」を説いている。
 バグワンは禅=道の人である。慰安を与える宗教家ではない。自身をみつめて自我を離れ自我を落とすことを、抑制することのない真の自由を説いている。悟 れなどと謂わない、そんなことは忘れてしまえと言う。悟り=光明=enlightenmentを目標や願望の対象にしていては得られるわけがないと云う。 あたりまえだ。
 何一つを写していない無限大の澄んだ鏡を、身内に抱いている、抱いていたい。そんな鏡で自分はいたい、という、その希望すら捨てて持たぬように。そし て、目前に去来する多くを、クリアに写し、クリアに通り過ぎさせたい。鰻を食べ、人に逢い、眠り、読み、電子文藝館も実現し、喧嘩もし、一理屈もこね、文 章も書き、鼻くそもほじる。血糖値もはかる、インシュリンも注射する。メールで息子に話しかける。すべて、することはする、だが、することにすらとらわれ ないでいる。パソコンも昔の物語も、政治もバグワンも、ペンもパンも、ウンコもオシッコも、夢である。鏡を通り過ぎる影絵だ。ばかにもしない、それ以上の ものでもない。いいものもある、つまらぬものもある。だが、それ以上のものではない、みな影絵として失せてゆく。慰安にもならないが、恐怖にもならないよ うに。
 わたしが、光明など望む資格もないのは分かっている。一匹の野狐である。
 こんな狂歌があると西山松之助先生の本でみつけた昔、苦笑した。いまだに苦笑している。
   ある鳴らず無きまた鳴らずなまなかにすこしあるのがことことと鳴る

* 黒澤明の遺作台本だという映画「雨あがる」を、通して、ビデオで見直し感銘をうけた。なによりも写真がじつに 美しい。自然もよく人間も劣らずよ い。この映画を見て、テレビの時代もの、大岡越前やその他のしろものとどう違うかを考え直せば、わたしの謂う時代小説なるものの低俗と、そうでないものと の差へ、きちんと思い及ぶであろう。清々しく美しい雨から晴れへの自然劇であった。人間が、草や木や空の時間で静かに生きていた。ストーリイを賛美する気 は無いが、雨での川止めに宿にたむろする庶民の姿にも言葉にもリアルな美しさといえるものが、ごく自然に的確に描かれているのに感心した。寺尾聡の浪人剣 客、宮崎美子の奇妙にリアルな浪人の妻女、原田美恵子の抜群の夜鷹、松村達雄ら宿のものたちの存在感、そして三船敏郎の息子なのか、大名役三船史郎の朴訥 なおかしな真実感。みな心地よかった。人の善意をえがいているようで、そんなことは問題ではない。雨から晴れへのお天気とともに生きて動いてゆく日本人の 日常が、いやみなくスケッチされている美しい画面の深みに、酔う魅力があった。演出家や俳優たちの映画を作り上げている喜びがよく伝わってきた。まさに、 見直した。

* これから比べると、三浦綾子原作の「氷点」の下手さ加減には、げんなりした。浅野ゆう子のかびくささが鼻につ いて、どうにもならない。テレビ関 係者の意識の低さと考え違い。
 映画の人たちは、佳い映画を創ろうという意欲から仕事に入っているように見える、錯覚かも知れないが。
 テレビのドラマ関係者は、視聴率優先と、業界内での仲間褒めや足の引き合いという右顧左眄、スポンサーの鼻息うかがいという卑屈さ、などが悪循環して、 しみついた体臭をかかえこみ、覆いがたい低俗容認の臭みに溺れているように見える、錯覚かも知れないが。

* 明日の外出と電メ研。電子文藝館の初討議、小人数になるだろうが、せめて心涼しく済みますようにと願う。話題 がとりとめなく拡散したり、横道に 偏跛に突っ込みすぎないように願う。恐ろしい量の討論メールが溜まっている、かなりを自分で書いたのだが。目を通し直すだけでもたいへん。編集者・記者・ 出版者といわれる「E」会員の仕事をどう表現するかをよく考えて興味深いファイルを創りたいが。
 

* 七月二十七日 金

* 朝、赤飯で娘の誕生日を祝った。指折り数えて、娘が、朝日子が四十一歳になる。もう十年見ていない間に、保谷 の家のまわりも激変した。新しい廣 い道路が出来たりマンションが幾つも出来たり、ご近所もみな老齢化。朝日子や建日子らの子供の頃は、近所に子供の遊ぶ姿や声が絶えなかったのに、その子た ちがみな親になり、その子たちや連れ合いとよそに暮らしている。それでも、ときどき実家に帰ってきているが、朝日子には、その後に孫が増えているのかすら 分からない。いろいろと、困惑させたくないので、こちらから探すことも声をかけることもしないでいる。連れ合いが青山の、国際政経のもう教授にもなってい るのだから、生活に困ることはないだろう。健康にと祈って、母は「心身ともに」健康にと祈って、今年も両親で赤いご飯を遠くの娘のために祝った。

* 暑さはどうか、午後には乃木坂へ出かける。

* 昨夜はメラニー・グリフィス主演の、きびきびした演出の娯楽映画を妻と楽しんだ。ビデオにとって置いて、続け て二度見させるほど、テンポの小気 味よい、娯楽作としてはまず出来のいい方の映画だった。「雨あがる」とは同日に談じられない。芸術作品と娯楽見せ物との差異は厳然とどの畑にも実在する。

* 新しく贈られてきた古典全集の『沙石集』は待ちわびていた。無住の著わしたこの仏教説話集は、評価が微妙に分 かれてきた。一途に純で高度な内容 とは言えぬと軽く見る人の方が多く、その話藝だけが称賛されてきたふしがある。話藝はともかく、高く評価されないで来たまさにその部分に、じつは、自在に とらわれない宗教家のスピリッツをみようという考え方もある。今度の読書は、その辺をわたしなりに見極めるものになろうか。

* 何度も言うが、わたしにバグワンへの縁を結ばせたのは、嫁いでゆく娘が物置に仕舞って行って、もうそれ以前か ら久しく顧みなかった三冊の説法本 であった。三冊がその後にはわたしの意志で七冊にも八冊にもふえて、ほぼ十年近く、読まない日はないだろう。そのバグワンに帰依の現在からいえば、わたし は、無住の自在さにある種の共感を覚えているかも知れない、もう一度読み返して理解したい。少年の頃から、仏教の基督教のという区別にも、念仏の法華のと いった教派の差異にも、ほとんど心をとらわれてこなかった。だが信仰心というか宗教的なセンスは信じて手放さないで来た。比較的、法然・親鸞の至りついた ところを日本仏教の粋として感じ取ってきたが、それが仏陀の仏教からかなり遠く隔たり離れてきた甚だ特殊な変形であることも分かっている。宗教家の運動と してそれは少しも差し支えないことだ。ただ、法然・親鸞の教えは、基本的には慰安という名の安心の授与信仰である。抱き柱を抱かせて不安を取り除くものに 他ならない。仏陀その人の教えは、禅に伝えられている決定的な脱却、端的には「静かな心」という無心、心を落としきることで知るありのままの自身、その安 心。そういうことかと思われる。バグワンは、それを端的に示唆し、タオ=道を指し示しているが、それにすらとらわれるなと彼は言う。へんに「柱を抱くな」 といわれているように思う。未熟なままの考えである、わたしのは。ただ、ありのままに生きていたい。
 

* 七月二十七日 つづき

* 電子文藝館の初会合は、幸い、ここ数日にくらべれば格段に涼しくて、それだけでも大助かりした。会員推薦を先 に見込んでオブザーバーとして文藝 ホームページ「ほら貝」で知られた加藤弘一氏を招いた。村山精二、野村敏晴氏、牧野二郎し、森秀樹氏そして高橋茅香子さんに秋尾事務局長と安西事務局員が 参加、わたしが司会し、二時半から五時半まで、多角的に、しかしさほど散漫に流れず討議できた。叩き台になる基本の構想案を、会報用と討議用と二種類事前 に用意して置いた。ただのフリートーキングでは、どうにもならない。
 入れ物と入れるもの。入れ物は技術的な用意であり、加藤氏の参加で頼みの柱が立つ。会員のためには入れるものつまり原稿に関する細目等を会員に先ず報せ ねばならない。今日は入れるものの意見交換からはじめて、徐々に入れ物へ話題を動かし、ともに、あらましの話し合いができた。
 さらに八月と九月とに一度ずつ会議を重ねて、固められるところから固めてゆく。起一であり生二、次三を計ってゆく、無用のたるみを排して、気のあるうち に追い込んでゆくかないと、こういう生き物は勢いをうしないへたばってしまう。気がつけば形も溶けて崩れてしまっていたりする。慌て急がず、手綱はだらし なくゆるめないで行きたい。次回にはまた新しい別の委員からの声も聴けるだろう。声が出て気が揃う、それが必要なのだ。

* 「電子文藝館」という商標が登録できたのは幸いであった。

* 会議室を一人で最後に出ることになった。それならばと、湖の本の校正刷りを読みたくて持って出ていたのを幸 い、気の置けない、ものの旨い店を物 色して、落ち着いてゲラを読んだ、うまい料理で満たされた。すこし残っていた興奮もすっかり落として、自分の仕事に没頭できた。その店では、わたしが、そ ういう仕事か本を読むか、とにかくよそみもしないほど静かな客だと覚えていて、しやすいように仕事をさせてくれる。ときどき、酒をつぎに来てくれる人がい る。

* 雨にもふられず、機嫌良く帰宅、映画「ジョーズ」1 の、ど迫力を楽しんだ。

* 浅草の望月太左衛さんから、明日の川開きに花火をみにいらっしゃいとお誘いが来た。二、三年前にも一度出か け、火の祭典を満喫した。妻の体調が よければぜひ厚意に甘えて出かけたい。廣い屋上へ上がっての特等席なのだ、ご近所の人もお弟子さんたちも賑やかに集まる。今夜は早く寝よう。
 

* 七月二十八日 土

* 隅田川の花火を、上流の花火を、真正面に、なにの目障りもなくひろびろと目近に堪能してきた。なんという美し い、なんというはかない、なんとい う潔いものであるのか、花火とは。目尻にた涙のたまる思いすら何度もした。楽しかった。
 この前に同じ場所で花火を見たのは、江藤淳の自決からまもなくであった。その秋には実の兄を自決させてしまった。そんなことも思い出していたが、だが、 清酒「浦霞」や「沢の井」をたっぷりいただき、次から次へのご馳走をいただき、浅草の人情にきもちよく甘えながら、ただただ花火に嘆声をもらしつづけてき た。妻も、ひとしお嬉しそうであった。

* 帰りは上野駅までバスに乗り、池袋に戻った。

* めずらしく兄の娘、姪の街子が、わたしと妻とに便りをくれていた。先日、弟の猛と二人で訪れてきた日が楽し かったらしい、京都へ来たらぜひぜひ 声をかけてと。極端に寡黙な姪にしてはめずらしい。秦の父の十三回忌にかねて、兄の墓参りに街子に案内してもらおう、父の命日も迫ってきた。京都へぜひ法 事にと、妻はお寺に連絡している。どうも、これには、よそうよと言いにくい。

* テレビのコマーシャルを見ていたら、ベツドから転がり落ちた若い女の子が、ごろごろと冷蔵庫の前へころがっ て、中からペットボトルのお茶を取り だして飲んだ。かわいい子だ。また、負けないほどかわいい女の子が、床の上をごろごろ寝そべり、尺取り虫のようにうごめき、そしてなんとか「メー」かんと か「メー」と舌たるく喋っては「目薬」をさしている。
 わたしが、その女の子らの年頃だつた昔の女友だちを思い起こして、よっぽどのお転婆娘でもああはしていなかったなあと思う、ごくプライベートな場面で も。まして明治の女学生たちからすれば、信じられない図である。彼女らからいえば「はしたない」極みであろうが、いま、コマーシャルをみている若者はむろ ん、オジサンでも、はしたないなあと驚く気持ちもあるが、なんだかひどく娘らしい気もしているのだ、そういう行儀のわるさに。時代はひどく変っている。
 藤田まことが主演のドラマを見ていたら、ぐれていた女の子が藤田の店にひきとられ、少しずつ立ち直ってゆく。いい子だった。ところが、幾つだと人に聞か れて「十六」だと。わたしは、てっきり二十歳過ぎの大人のように見ていた。成熟していた。ドラマの中では大人の男を「釣って」稼いでいたような少女だった のだから、さもあろうけれど、わたしの十六のころの高一の女友だちを思い出せば、比較にもならないまさに少女ばかりだった、子供子供していた。時代は当然 のようにまるまる変っている。たんに「はしたない」ではすまない感じがある。
 「はしたない」という批評は、本来が、強制にちかい抑制・抑圧の批評語でもあるのだ。度を過ぎればじつに多くを殺してしまう。だが戦争に負けて、戦後社 会がよほど進行するまで「はしたない」という批評の毒はかなり効いた。それへの反抗と反撥とがどっと徹底してきた時点に、いまのわれわれは生きていて、必 ずしも絶対に是とも絶対に非とも言いにくい。例えば女の子たちがかなりはしたなくて、おかげでほっとしている気味は、わたしにもある。なんだかくつろぐか らである。
 二年前の花火の折りに、わかい娘たちの浴衣と厚底とガングロとに、わたしも妻も辟易した。ことしは厚底とガングロがほぼ消え失せて、浴衣はお義理にも けっこうではなかったけれど、顔のゆがむほどいやな恰好も見なかった。極めて少なかった。じつは、中毒していたのだろうが。
 ところで「はしたない」という語を、手近の辞典で調べても、通用の意味しか書いてなかった。語源に遡っていない。もっと詳しい辞典ではどうなのか。広辞 苑でも、意義はたくさん用例を添えてあげているが、「はしたなむ」という文語もひろっているが、「はしたない」語源は説明していない。浅草への電車の中 で、妻とだいぶ検討してみたが、うまく説明の付く語源の見当はなかなかつかなかった。着物の裾=端下に適切な裏打ちなどの処置が足りなくて、やたら裾のひ らひらひらめくのが「はしたない」のかなねとは、わたしの推測。

* ペンの同僚委員から、「日本ペンクラブは基本的に会員を増やしたいという方向にあるのでしょうか? それと も、そう簡単には会員にはなれません よ、というスタンスなのでしょうか? 「電子文藝館」を立ち上げるにあたって、この人の作品は入っているといいなあと思う作家で、まだペンクラブ会員でな い人は大勢います(この考え方自体、現在の会員を大切にするという姿勢とずれていることは承知のうえで)。また私の友人で、会員になっていない作家も多々 います。「電子文藝館」の目的を見失わないようにしつつ、もし日本ペンクラブが会員を増やすことを願っているのであれば、この企画が新会員獲得に大きな力 になると思うのですが、どうでしょうか」と、声をかけていただいた。
 当然入会されていて可笑しくない優れた書き手はまだいっぱいだ。そして、入って欲しいのですとペンクラブは積極的に働きかけて来た。だが、うまくいって いない。
 わたしは、或る程度は当然の結果だと思っている。
 入ってみても、税務指導などのある同業者組合的な文藝家協会とはちがい、ペンに入会しても、その恩恵=メリットがあまりにもうすいからだ。ことに大会に も月々の例会にも、全く、または殆ど出られない遠隔地会員からすれば、高い会費の只払い以外に、何一つといっていいほど報われなかった。わたしは、それを 理事会等で何度も何度も繰り返し言ってきたが、対策は無いに等しかった。せいぜい名刺に「日本ペンクラブ会員」と印刷できるだけのことだ。ある人は、ペン に入ると「原稿料が上がるのでしょう」と大真面目に質問したことがある、わたしは頭をかかえた。
 わたしが「電子文藝館」を発想し提唱し、いま実現に踏み出すことになった根の動機は、こういう遠隔地会員にも「会員」であることの実質存在証明の「場」 をつくりたかったのだ。島崎藤村や志賀直哉や川端康成と同じ自分もペンの会員であり、同列に電子文藝館に自薦作が掲載される、と、そういう思いをしたい人 にはしてもらいたいと思ったし、会員の基本のデータベースが実現するからだ。それが、大きな、一つだ。
 もう一つは、金稼ぎの名目に拘泥して、日本ペンクラブの名前で、なぜこんなものをと思う珍な出版事業に多くの力の用いられている現実に、それはそれでい いけれど、それとバランスするようなもっと本来の日本ペンクラブ会員らしい文藝・文筆の仕事を、作品を、思想を、世間にも世界にも見てもらおうよという望 みを捨てきれなかったからだ。

* 明日は参議院選挙だ。近来まれに見るむずかしい選挙を強いられているが、棄権はすまい。
 朝の番組で、猪瀬直樹氏は、わかい人たちに、投票に行くこと、それが何よりも大事と説いていた。ああいうことを言って欲しいのだ、嬉しかった。
 

* 七月二十九日 日

* 佐高信氏から『経済戦犯』日本をダメにした9人の罪状という本を贈られた。すぐ最初の三人、即ち宮沢喜一、橋 本龍太郎と亀井静香への「告発状」 を読んだが、佐高さんの論告に一点の疑義ももたなかった。宮沢、橋本という二人の失政と無能とが日本国をどれほどひどい目に遭わせてきたかについては、も う何年も何年も前にわたしは新聞に書いている。そして亀井静香がとても国民の受け入れうる政治家とは思われぬことを、わたしは繰り返し此処にも書き続けて きた。佐高さんの指摘は、指弾は、頷くことばかりでそれはと首をひねる只一点もない明快さである。

* 佐高氏の著書はもう二十三十冊は戴いているが、大方はこのての著書でありそこに彼の使命感がこもっている。そ れにしてもシンドイ仕事だなと時に 同情する。人を告発のものが多く、読んでみると、わたしの知らない人も多いが知っている人の場合は、大方全部が同感できたり共鳴できたりする。わたしとち がい理由もきれいに説明されているから、わたしにすれば、感じていることを裏打ちしてもらった気分になる。佐高氏の政治家や官僚や財界人へのそれら批評 を、わたしは、高い評価で称賛することにやぶさかでない。彼の言うことなら信じたいと思っている。
 だが、よほど気力のある時でないと読み出しにくい。平易な文章で論旨と証明は明快なので、難しくて読めないのではない。時には称賛集の本もあるのだが、 称賛も告発も表裏の批評であるから、つまりはかなりシンドイ読み物なのである、文学作品の批評や作家論とはちがうのだ。
 佐高信も文学にふれ作家にふれることはある。経済小説や同郷の時代物作家などが取り上げられ、正直のところわたしには興味もなく、知っている限りではほ とんど説得されないでいる。かなり贔屓目があるのではないか。文学に関しては、佐高氏とはよく角突き合わせている猪瀬直樹氏の例えば太宰治や井伏鱒二を容 赦なく追及した本や、また『日本国の研究』にしても『黒船の世紀』にしても、あらっぽいけれど、批評の根は太く読ませる魅力は(文芸の魅力ではないけれ ど)濃い。猪瀬氏の本からは、共感するにせよ疑問符をつけるにせよ、切実に自分に、自分の生き方に跳ね返ってくる課題性がある。佐高氏の糾弾は激越でしか も聴くべきものに充ちているが、へたをするとただ聴いている一方になる。書かれている対象を忌避する気持ちは増したり固められたりするけれど、なにも教わ らない。魂に人間の問題が残りそうで残っていない。妙なことを言うと、筆致にもののあはれが乏しい。もののあはれとは何か。この場合は、声高に語っている 筆者佐高信その人の、揺れ動いて陰翳に富んだ人となりや表情や心情が見えにくい意味だ。

* この人の世をあたかも「喋り場」と心得てときめいている人は多い。ときめかなくても、わたしだってその一人だ と言われればその気味もある、なに しろ「私語」しているのだ、これほども。
 だが、わたしの場合、最大の関心はあらゆるジャンルへの多彩な好奇心や関心をかるく超えて、ただ一つ「死」でしかなかった、子供の時から。あるいは「無 常」の思いでしかなかった。昨日も今日も明日もそうであり、その前では『経済戦犯』も『日本国の研究』も、大事に受け入れつつ、或る瞬間にはただの白い紙 切れと化して散り失せる。

* だが、わたしはこれから選挙に行く。棄権など思いもよらない。生と死と、どちらが分母でどちらが分子か。明ら かに死が分母である。この分母の値 をかぎりなくゼロに。すると……。
 

* 七月二十九日 つづき

* 投票率が低いらしい。難しい選択で、わたしも投票所でしばし唸った。だが投票してきた。小泉自民の圧勝の伝え られたことが、出足をにぶらせるで あろうことを察していたが、まさか前回を下回るかも知れぬ途中の報道には驚いた。またそれが与野党のいずれに利しているのかも的確に予測しにくい。

* 電子文藝館のプレステージが用意されているが、背景の色をどうするかと担当の加藤氏から提案があり、三色ほど の候補で投票をという提案もあっ た。わたしは、その候補色等の実際をあえてまだ見ていない。その前にわたしの考えをしっかり以下のように伝えておこうと思った。

* 本文の環境は、原則無色で。秦
 加藤さんの色見本など、何も拝見できていません、まだ。むしろ見る前に発言しておきたいのです。
 この際言われている背景の色が、文字作品の「掲載される頁」の背景のことなら、とにかくも「文字が読みやすく、気持ちの騒がないもの」にしたい。「文 字」より先に「色」が訴えてくるようなのは、イヤです。
 長い間、「本」の紙色が、およそ「オフホワイトに黒いインク」であったのと同じにとは、「地」が紙ではない液晶だから頑固には言いませんが、「原則は同 じ」で、色彩が主では断じてなく、心静かに「言語の意味・意義・表現を読みとる」ことが主です。力点はそちらに置いて欲しいと思います。
 「色彩」というのは、それだけで、ある「感情を伝染」しますが、文学作品の表現している内容や情趣と背馳する色は明らかにあります。線の意志的・精神的 なのに比して「色彩は瞞着」と村上華岳は言いましたが、少なくも色彩が軽薄な「騒音」「景気」を発していることは美術作品でもよくあり、また「色がつく」 「色メガネで見る」とも言います。
 大勢の個性的に多種多様な作品を扱います「文藝館の命は、作品・文章」です。ある種のお仕着せとして選ばれた色彩で、作品を「読む」まえから一種偏向し た雰囲気・景気を与えてしまわないよう、「つとめて普通の、視覚的に無意識でおれるほどの」ものにして欲しいと、わたしは強く望みます。
 個人の単行本なら、たとえ緑の紙を使おうと黄色であろうと自由ですが、藤村や川端の作品世界へ、読む前から色彩に影響され幻惑されながら入ってゆく・読 む、のはタマラナイ気がしますから。
 表紙や目次等のツキモノの部分なら、自在にデザインした方が楽しいですが、本文の背景は、精神的に「無色透明」=べつに純白の意味ではありませんが、そ れに近い方がありがたい。そう、あるべきかと一作者として実感しています。色紙に刷りましょうかなどと、百冊の本を出してきて出版社・編集者から言われた こともなく、言われたら作品を取り下げていたでしょう。少なくも小説や詩歌などの創作に対して、これは実作者の強い希望です。
 美術館の展示室の壁や背景も同じでしょう。背景が先になにかを訴えてきては、展示されている内容=美術品・文学作品にとっては迷惑です。少なくも邪魔に 感じます。純文学雑誌が挿絵を入れない伝統もそれです。誰のどんな作品にも偏しないで邪魔しないで読める「場」の条件は、比喩的に言って「色を付けない」 事であったはずです。
 れわれの「電子文藝館」は、世間に数多い企業PR誌でも、個人の趣味に薫染された個人ホームページでもない、ペン会員大勢が等条件で文芸・文章を陳列す るディスプレーであり、保存するアーカイブです。本文の環境には「遊び要素」は持ち込まず、単純明快、静謐を重んじたい。原則論です、これは、私の。
 大事な点なので、活溌に議論願います。表紙のデザインも。

* 本でも真っ白な紙に活字を刷ると読みにくい。地を読むのに純白はダメなのである。クリームとかオフホワイトと か言ってきた。液晶の真っ白は読み にくい。薄い灰色とか薄い鈍色=にびいろとか。この薄い黄色は普通文にはいいが、小説を読むには少し浮つくかもしれない。守るべき本筋は、背景の色でな く、その上に置かれる文字であり文の内容でありその「読み」であるということ。それだけは、ぜひ分かってもらいたい。
 

* 七月二十九日 つづきの続き

* 小泉人気で、橋本派が勝った。これで小泉は、勝たせてやったのは小泉だから、協力しないなら衆議院選挙では目 にもの見せるぞと、強く出るのだろ う、出られるか出られないかのせめぎあいで、内閣改造や党人事を迫る橋本派などに、どこまで折り目をつけて対応できるか、これからはかなり政局は動揺しそ うだ。
 国民の期待は、小泉丸は党内風波をおしわけて現体制をどこまで押して行けるかだ、波乱は保守党からくる。扇千景が議席を失い党首が野田のような男に変じ て入閣してきたりすれば、トロイの馬を抱えたアンバイになる。田中真紀子を総務省に動かしたり扇の首をきるようだと小泉内閣はばたばたと橋本派の寝技で一 本取られるだろう。
 

* 七月三十日 月

* 今日はADSLのために人が来てくれたが、送られてきていたUSBモデムは、ネットワークで二台を繋いである 機械には適合しないと分かり、帰っ てもらった。ルータモデムというのでないとダメらしい。素人を相手にするなら、もうすこし会社も説明してもらいたい。役に立たないモデムだけを抱えて、い つ、ADSLが使えるものやら皆目知れない。

* わたしの述懐に応えて、「自然に生きるのも、自然に死ぬのも本当に難しいです」と前置きしながら、朝に、こん なメールが。「参議院選、勿論棄権 はしませんでしたよ。でも、選ぶのが難しかった。人気投票かと錯覚される今回は、先行きの不安を大きく感じます。つまるところ、マジメに立ち向かう政治家 でも、先は読めないほど混乱の日本ですから。永年の垢を拭い取ろうという小泉総理の改革による痛みが、二、三年で治まる筈もなく、総理が替われば、この政 策も泡となるやも知れず。最近の日本では、そうならないとも限らないし」と。街頭でマイクを向けられている女性が、適切に意見や感想を即座に述べているの を、感心して見ていることがある。

* 私の夏は大体怠け者の夏、というパターンです。
 昨年ここに越してきて、油絵の教室もないし、あれもなしこれもなしと、どこにも参加しませんでした。今年は少しだけ積極的?に、自転車で出かけられる範 囲で可能なことをと、中国語と日本画の教室に行き始めました。それなりに楽しんでいます。毎週あるといいのですが。
 中国語は30年以上前、学生の頃を思い出しながら、ただし漢文ばかり読んでいただけに、とにかく耳で聴くこと、正しい発音が習得できるかどうかの二つ が、課題です。参加することにしたのは、講師が中国人の同じくらいの女性だったから。そして最近の中国の急激な変化に関心をもっているからです。
 日本画は、結局は絵を描くという行為自体油絵とも同じという、単純な言い訳をしながら、でも楽しんで出かけています。なんと薔薇を描いているのです が・・。
 それ以外は相変わらずの「読書」と、辞書と首引きのフランス語、イタリア語。
 外出する以外、ここではほとんど毎日人と顔を合わせることもありません。選挙期間中も選挙の車に行き合ったこともなく、夕方買い物に出かけても途中で人 に会うことも殆どありません。家の前に新しく家が建てられていて工事していますが、作業する数人の姿を見掛けるばかり。寂しいといえば寂しい・・。

* 「前向き」の、My life in summer だとある。「寂しいといえば寂しい・・」か。フーンと、言葉を喪う。日本も廣い。日本の女性もほんとうにいろいろだなあと思う。ひとしなみにどうやら言え ることは、芯は寂しそうだと。それは女も男も、だろう。東工大で若い数百の学生に「寂しいか」といきなり書いて答えさせたら、大方が「寂しい」自分に気づ いていますと応えてきた。あのときも愕いた。

* 今朝、黒川さんの「もどろき」を読み終えたところです。読みやすい文章だったので短時間で読み終えたのです が、お父様、お母様、お兄様に関する ことだけに、とても複雑な気持ちでした。あなたがこれまで書かれていないこと、お兄様との交渉、黒川さんの目を通して見たさまざまなこと、などなど。そし て同時に創作としての「読み方」をも頭の片隅に置きながら・・。
 p74の父の文章・・「だが、同時に生まれることはなべて不用意ではないのか・・私の社会主義も革命もこの決着のつかぬものの悲哀を排除しない。私たち はいかなるプログラム、いかなる歓喜の中にあっても無限に悲しい。」、それに続く父の活動と逮捕、p79のお母様の短歌、p80「私は幽霊となる道を選ん だ」・・活動を続けた人がなおそう書かずにはおれなかった、その意味の重さ、切実さ!・・、最後のp159のバシュラールからの焔の話、などが心に残りま した。

* 恒=黒川創は、元気にしているだろうか。
 

* 七月三十一日 火

* 電子文藝館の見本を制作するために、取り急ぎ現会長の著作集から「闇のパトス」をスキャンし、校正に入った。 島崎藤村からは「嵐」を採ろうかと 思う。
 梅原さんの「闇のパトス」は彼の原点であり、純真無垢の渾身の哲学である。弱冠二十五歳の院生時代のほとんど処女作であるが、梅原さん自身も言うよう に、ここに彼の後々の仕事、きついことを言えば昨今の仕事に希薄になっている梅原猛その人の哲学が懸命に語られている。ぜったいにこれは評論ではない、哲 学の論文であるが、なみの論文と違い、祖述もなく文献の引用羅列もない、ただもう若き梅原猛の言葉が暗闇をさぐりさぐり渦巻く。この方法は梅原さんのこれ までの生涯を貫いてきた。しかも、この「闇のパトス」の熱気と哲学とは復活されねばならない。哲学を欠いた評論に流れてはいけないと、失礼だが、わたしは 見ている。
 「闇のパトス」よりも知名度の高い論説・言説はむろん山のように積まれているが、わたしはあえて、これを選んでみた。見本である。梅原さんは、そんな若 書きをとしぶい顔をされるかどうか。そうは思わない。「闇」は梅原氏の哲学と人生と業績を引っ張ってきた松明のような一字なのである。それだけからも、こ の選択は、わたしの梅原猛批評であり、適切だと信じている。文脈が若い命に溢れている。

* 今年は花火も見ることなく過ぎてしまいました。例年になく暑い夏は、人員削減で、暑さも倍増です。体力負けし ないようにと思っていますけれど。
 久しぶりにテレビドラマ「救急病棟24時」を見ていました。
 「…しか、ない」ではなく、「…も、ある」という、可能性を含んだ言葉は好きです。このドラマでは手術に要する時間のことを言っていましたけれど。とて も気持ちが和みました。
 それがなんと、建日子さんの脚本だったのですから、驚いてしまいました。ご活躍なさっていらっしゃることを、なんだかわがことのように嬉しく思い、また そのような気持ちになれる不思議をも、喜んでいるわたしです。

* 秦建日子の脚本ドラマは、妻のとっておいたビデオで、あとで見た。アメリカ製の「ER」の足元にも寄れない演 出で演技で脚本であったが、もう、 そんな愚痴を日本のテレビドラマに言い続ける無駄はすまい。いいものをという志を摩滅と言うより、ハナから持つ気なく、きまった放映時間を埋めるのが第一 目的のような消耗品づくり、これはシンドイことだろう。しかしまた、そんな中でも「いいもの」を作ってきた人が伸び、また尊敬されてゆくのではないだろう か。建日子には、せめて年に一度ずつでも演劇に志と技とを燃焼させて欲しいが。

* スキャンしながら日本の歌をたくさん聴いた。なんでこんなにもの悲しい歌が多いのだろう。歌声に昔へ引き込ま れるのは、わるい気持ちではない が、すこし警戒したくもある。プラトンが理想の「国家」から音楽を追放しようとした気持ちが、いくらか分かる。音楽によって動揺するものを人は胸の奥に隠 している。人は、簡単に動揺する。

* メール語が、手紙より電話より対話より格別にブッキラボーに伝わりやすいとは、体験者の証言も多く、もはや学 説としても通説化していて、わたし も同感だ。だから、微妙に、表現にも語尾などにも気をつけているのだが、それでもメールで叱られた怒られたと感じる人は、ごくごくタマにだが、いる。なん で怒られるのかと理由を問われても、問われたこっちはキョトンとしてしまう。そういうことも、ある。

* 七月も行ってしまった。
 

私語の刻 闇に言い置く 2001年8月
 
 

* 八月一日 水

* 「闇のパトス」を興味深く読みつつ校正している。スキャンの識字率は本にもよるが、好調な箇所では好調でも、 ひどくなると全面に書き直しにな る。句読点の一つ一つにまで注意を要するので、全集で三十頁未満の作品校正に三日はかけてしまう、むろん、少しずつ継いでやるからだが。だが苦労は苦労と しても、それがいい原稿だと、読みは深くなり楽しくもある。書かれた年は梅原さんが二十五歳ころであるというから、わたしの今の息子よりもだいぶん若い。 しかし、なんという生一本な論旨の展開であろう、純真無垢の思想が呻いている。それが今も感動をよぶ力をもっている。首を傾げたり、ちょっと待ったと言い たい箇所が無いわけはないが、問題はそういうことでなく、語られていることと語り方とが一体となって迫ってくるそれが、まさに若き梅原さんの「哲学」であ り「肉声」だという、嬉しい刺激。処女作に後の全てが現れるかどうかはべつにしても、まぎれなくこの「闇のパトス」は、梅原猛という敗戦を体験してきた 「考える人」の戦後の出発を告げている。その後の多くの業績の遠い堅い基盤を証ししてもいる。いまこの基盤が「時の人」梅原猛をどう支えているのか、いな いのか。その批評はまたべつのものである。
 不安。無。希望。絶望。闇と光。こう並べればお定まりの単語の羅列と見る人もいようが、真剣に生きてきた者には、これらが青春をそこから動かしたもので あり、その後の人生にもいつも付きまとっていた、今も、というそれだと分かっている。わたしは、若い人たちに読んで欲しいと思っている。

* 小泉内閣内のまたぞろ角・福戦争はみるから苦々しく、今のところ福田官房長官の振舞に、わたしは異存をはさ む。「田中」への私怨で動いているよ うに見えるのは、むしろ官房長官である。外務大臣が近隣アジアの外交上の意向を念頭に首相に面をおかして諫言するのは本来の職責であり、それを「外部の」 人間が何を言うかといった表現で妨害している福田には、狭量さしかみえない。田中真紀子の人気にやっかんでいるに過ぎない。靖国問題に関しては少なくも、 田中外相に同調して小泉を諫める立場にあるのが現在の官房長官というものだ。駐米大使の人事その他、ことごとに田中外相を私的なと言いたいほど「目の敵」 にして、福田はケチな物言いを連発している。閣内で最も旧自民党的な体質と言辞とを露わにしているのが今の福田官房長官である。首をすげかえるなら、明ら かに国民の目からは福田の方だと言っておく。
 田中真紀子の外務省改革を中途半端に終らせるような「抵抗勢力」が、自民党の中だけでなく閣内にもあるとすれば、小泉内閣への支持や信頼は淡雪のように 溶けて流れて伝家の宝刀のつもりでいる小泉の解散権が痛烈なシッペ返しを国民から食うだろう。
 

* 八月一日 つづき

* 小泉純一郎への賛美はおろか警戒心を解いたことも一度も無かった。ただ、田中真紀子をかかえこんで、本当に自 民党を「こわしてでも」聖域無き大 改革をやる、自民党を変えてみせるという啖呵には、期待せざるを得ないほどひどい政党になりきっていた。分かりよくいえば、古く悪しき自民党を変えると は、つまり田中真紀子のような人材を起用して働かせるということであった。田中真紀子もそのために小泉総裁の実現に奮闘し、その後も奮闘している。彼女の 言動にはすみずみでやや至らない脱線は有るけれど、政治的な廣い大事な面では、言っている殆どが国民の、また良識の共感を買うに値するまっとうなことで あった。国益に対し非難すべき逸脱があったとは思えない。海外からも田中外相の資質に非難を浴びせた例を聞かない。田中真紀子を外務大臣にして活躍させ る、それほど従来の自民党内閣のイメージを一新した象徴的な事例はかつて無い。
 ところが、小泉は田中更迭も念頭に置いているという報道がある。閣内には田中の突出をひがみ羨む連中が多いであろう、さぞ。自民党内にはましてである。 小泉がこれに乗り、内閣の大きな新鮮な看板を下ろすのなら、小泉内閣がまたしても旧態依然の自民党的な選択へ崩落することを意味する。たださえ、わたしは 小泉純一郎の中曽根につながる政治資質に警戒を緩めていない。小泉がもし反動加速して、つまり反田中勢力=改革への抵抗勢力、に身売りしてゆくようなら、 彼のいう「改革」など信じないであろう。進んで彼の反対側にハッキリ身を置くだろう。他に人がいないと思えばこそ、そして田中真紀子を働かせている限り は、とにかく支持していようと考えていた。むろん選挙ではわたしは自民党に投票していない。田中という駿馬だか悍馬だかにきつい手綱をつけたり処置したり するようなら、小泉内閣そのものに希望をもうもたない。態度が悪すぎるからだ。靖国といいブッシュといい、根幹のところで「聖域」守保の小泉に、警戒をま すます強めている。きつく見守っている。
 メルマガだの息子の芸能界入りだのグッズだの何だのと、ひゃらひゃらした部分での小泉人気になど、わたしは、目もくれていない。大勢がどうっと駆け寄っ てゆくことに正しいものは、まず無いのである。大勢がどっと寄る、それこそは普通うさんくさくて低級なものの証拠でもある。

* 日本列島秦氏族史と銘打った『「秦王国」と後裔たち』という本が贈られてきた。高価な大冊である。目次の第四 章近畿地方の中には、「古代近江国 愛知郡は、小さな『秦王国』」とあり、なんとそのワキに「作家秦恒平家の家系」と見出しが出ていて、四頁ほどの記事になっている。わたしの小説から適宜に 推察したもので、家系といっても私自身が知らないし、亡くなった育ての父や叔母もほとんど何も知らなかったのだから、ま、編者に気の毒であったけれど、途 方もないことは書いてない。わたしの生母が愛知川にちかい神崎郡能登川の人であったことは確かであるが、父は南山城の当尾の別姓であり、秦氏とは、わたし が実の父母から離れて養育された京都市内の養家の姓である。この秦家は、滋賀県の水口宿から京都へ出てきたようだと、それぐらいしか分かっていない。水口 町には現在も数軒の秦さんが有る、らしい。
 わたしは、ご縁でもあるから、滋賀県の秦氏には多大の興味を持っている。かなりのことを知ってもいる。「みごもりの湖」を書きながらも、母なる近江湖国 の「秦」とは何であったろうと、夢のようによく想っていた。だがあの長篇にはいわゆる「愛知秦」のことは取り込まないで済ませた。鈴鹿の奥の木地屋伝承へ 迫っていった。
 いまも、なにもかも抛って近江に取材の悠久の歴史小説をまた書きたいという気がふつふつと沸いてくる。それを望んでくれる人の多いのもよく承知してい る。人の生は、しかし、流れている、蕩々と、かなり早く。流れに逆らって抜き手を切って遡ってゆくのが自然な行為とは、もう考えていない。成るように成っ て行くものだ。かりに読者の手には届かなくても、わたしの中ではたくさんな小説が、物語が、書き続けられていて、わたしはそれを常に常に楽しんでいる。
 刊行元の「秦氏史研究会 歴史調査研究所」も、編者の牧野登という人もまるで知らないが、ま、わたしには興味深い文献であり、感謝して、一冊別に注文す ることにした。

* とよた真帆、秋吉久美子の「愛するあまり」というサスペンスドラマを見た。三分の二の時間に縮め、畳み込むテ ンポをあげたらもっとよかったろ う、だが、佳い方であった、二人の女優が深切に演じてくれた。とよたに期待はしていなかったが、見直した。秋吉は昔からわたしのお気に入りで、なにかやっ てくれるだろうとドラマの進行を辛抱よく待っていたが、期待通りの顔と力を見せてくれた。秋吉久美子と原田美枝子とは、わたしが嘱望し続けて期待通りの道 を歩んでいる映画女優である。タレントの芝居とはちがうものを持っている。
 かなり等身大の、空気の感じられる画面を、いくつも見せた。おやすいドラマには相違ないが、原作ものだというのが脚色の強みになって、纏まりながら変化 も見せた。変化は大方予測がついた。その辺に安さがあるのは仕方がない。
 映像化される原作には、どこか、弱点がある。映像に文藝が媚びてしまうからだ、テレビ時代になってからの原作には、はなから映像にすり寄ったような計算 がしてある。それでは文学は衰弱する。

* 谷崎潤一郎は映画の魅力を最も早くに体得し実践した文学者であった。シナリオも書き、映画会社に関係し、家族 で映画出演し、いわくのある妻の妹 を女優にしていた。大正時代である。芝居も好きで戯曲を山ほど書いている。そんな谷崎の昭和期の傑作は、大方が映像性を豊かに表現して、たくさんな映画が 出来た。成功した映画も少なくない。
 志賀直哉のあの『暗夜行路』でも映画化されたが成功するはずがなかった。映像からすり寄ってきても歯の立たない文学性を志賀直哉は確立している。
 わたしは、何度も担当の編集者から「映画化権」がどうのというハナシをされた。だが頑固者のわたしはいつもハラのなかで、映画になどされてたまるか、で きるものならやってみろと想って小説を書いた。「清経入水」「秘色」「みごもりの湖」「初恋」「風の奏で」「冬祭り」「四度の瀧」「北の時代」「秋萩帖」 など、やれるものならやってみろと思っていた。安易に映像化させないことに「文学の文藝」を意識していた。もっとも、だから読むのにも難しいと言われたの かも。
 

* 八月二日 木

* 聖路加病院へは、妻とわたしとで常は別に通院しており、予約診察日もばらばら。ところが、はからずも今日はほ ぼ同時刻に予約時間も重なっている と、数日前に確認して笑ってしまった。病院通いまで一緒とはしまらないハナシだが、この偶然に、ながいあいだ意識すらなかったのも老化というものか。

* 幸い今日は昨日のような暑さではない曇り日。はやく目覚めて梅原さんの文章をじっくり校正し続けたりしてい た。
 一時期、「水底の歌」などしきりに梅原著書の書評がまわってきた。「隠された十字架」やその他の文庫本解説までまわってきた。あまり親切な読み手でも書 き手でもなかったか知れない。その当時の梅原氏の原稿は甚だ闘争的で、ときに乱暴、ときに傲然として無礼なほどであったから、一流の文章はもっと静かなも のだと不満をぶっつけたりした。だが噴出するマグマのようなものを氏が抱え持って、噴火しそうでしないと、胸苦しそうに胸を手で打ちながら話す姿も見知っ ていた。さすがにそういう時期を氏も通り過ぎてこられた。穏和になり、しかし、すこし普通の「評論家」になられた気味もある。
「闇のパトス」を逐字的に読んでいると、題のままの、身もだえのような勢いが感じられる。氏はみずから、当時この論文の評判がさんざんであったと回顧され ているが、さもあろうと思う。哲学でも美学でも、当時の論文ときたら砂利を噛むようなすさまじい文献解説ばかりであったし、それが論文書きの作法であっ た。わたしが大学院での美学におさらばしたのは、一つは恋の為でもあるが、もっと大きかった一つには美学哲学研究の日本語に耐え難かったからだ。「闇のパ トス」はとてもその点で当時のいわゆる論文ではない。「詩的ですらある散文」での感想とでも揶揄ないし罵倒されたのかも知れない。それを敢えてしていたと ころが梅原猛の「猛然文学」性というものである。「非小説」を書く「猛然文学」者というのが、長い間のわたしの梅原評であった。「闇のパトス」にもその趣 は濃厚で鮮烈だが、加えて「これが哲学」というものだと思わせる「私想から思索へ」の徹底が見受けられる。惑い無くそこへ踏み込んでいる。踏み込み方が純 真で無垢に感ぜられるところが、わたしがあの厖大な業績集を一点一作で代表させて「よし」と読み切っている理由である。

* 藤村のは迷っている。「嵐」「ある女の生涯」「分配」などの他に、「若菜集」などの詩をとりあげるか。だがわ たしには、尊敬する藤村は「小説 家」なのである。電子文藝館に「家」ではだが長篇過ぎる。

* 病院ではわたしの担当医に緊急の患者があり、長時間待たされて、ついに医者にはみてもらえず、看護婦から処方 箋や医薬を貰いうけるだけで、予定 よりはるかに遅い時間に解放された。始めての経験だった。妻は待ちくたびれた。
 結局夕方になっての昼飯を、銀座の三笠会館「秦淮春」で。マオタイと老酒に料理がよくあい、たいへん旨かった。銀座では一の贔屓のビヤホール「ピルゼ ン」が九月で取りつぶされるとか、東京へ初めて来て、初めて在京していた妻といっしょに来た店であり、名残を惜しみに寄った。すぐうしろの席に、もと講談 社の大村彦次郎氏、筑摩書房の中川美智子さんが、若い女性の書き手であろうか、と来合わせ、声をあげてお互いに久しぶりの対面をおどろき喜んだ。仕事の邪 魔はしないで、やがて別れ、わたしはDVDの「タイタニック」を買い、妻は明治屋でチーズなどを買って、一眠りしながら有楽町線で保谷まで帰った。喫茶店 「ぺると」で若い主人と暫くコンピュータ談義を楽しんでから家に帰った。
 国立博物館や根津美術館に観たいものがあるのだが、今日は行けなかった。

* とにかく小泉内閣の、報じられている首相と外相とのチグハグは、精神衛生にわるい。首相と官邸サイドの仕打ち には不明朗な、旧態依然の自民党の 不快さを感じる。そういうことからの脱却こそが小泉の旗印であったと思うのだが、清新な明朗さに欠けた陰湿なバッシングで内閣の「要」をとりはずしにか かっている。不愉快でならない。
 

* 八月三日 金

* 血糖値を少し心配したが、102。正常。自信があるのではないが、なんとなく、血糖値とはうまく付き合ってい るようだ。他の諸計数もむしろ良い 方向へ動いていると昨日の看護婦は話していた。「いいですねえ、うまくやってられますね」と。体重も減らないが増えない。

* 外出や通院にことよせての<美味美酒礼賛>、お薬がいやがりませんか。読んでいるほうは、<旨そうな>雰囲気 がよく伝わりうらやしくもあります が、御身大切に。
 家人が箱根の湯治から帰った翌夜、蒲鉾で知られる<小田原鈴廣>から新鮮な乾物が届いた。同封されていたPR誌の『ごとし』というタイトルに、「仕事 師」を連想した。何のことはない、すぐに気づいたのだが「如し」なのだ。思わず苦笑した。何だこりゃ、まさか夏ボケではあるまいし。
 言葉は活きているし生きている。とつおいつ、ゆきつもどりつ。言葉は使う人の連想をひきだし、心もようを素直に顕す。書き手の<こころおもひ><こころ まどひ>を正直に伝える。そして、読み手の<こしかた><いきざま>へ、あるがまま、出力、連結される。怖くもあり楽しくもある。
 秦さんの『闇のパトス』推挙の弁を読んでいても「のやうな」ことを覚えた。粗削りでもいい、腹の底から吐き出された言葉が、いっとう伝わる。読み手の 「哲学」(訳語の原義「智愛」ではなく、「こころおもひ」)を映し出せるかもしれぬ。修辞や隠喩は副次の媒介手段でもあろうか。

* ことばが、全く頼りにならないとまで思わないが、ことばは頼みすぎては危ういものだと、いつも思う。十分不十 分という意味でなら日本語と限ら ず、ことばが十分なものである道理がない。老子の鉄則、真理は決して語られ得ない、語られたときもはや真理ではない、というのは頷ける。禅は語らない。語 るにしてもあさっての方を向いて途方もないことを言う。バグワンも、真理は、比喩的に詩的にしか寓意できないから真理だといい、多くの寓意・寓話でわたし を愕かせてきた。
 だからこそ、明確に書けると庶幾して書かれた文学が、どこか説明過多に軽薄に流れたり生き苦しくなるのも、無理がない。説明し始めれば、説明に説明が要 るようになる。人の心理を説明しようとする文学もある。川端康成はそうだ、たえず心理を反省し解釈し説明してくれる。その手際に人は感心するのだが、うる さいなあと思うこともある。谷崎は、そんな必要があるかねと、春琴や佐助の心理などむりに書くことすらせず、事柄をきっちり書けば心理など書けてしまうも のだと言ったものだ。

* アルジャーノンに花束を
 7月の暑さは無茶苦茶でしたが、ここへ来てたまに涼しい日もあって一息ついております。ご様子はHPより拝察させていただき、お元気でなによりです。
 遅ればせながら「アルジャーノンに花束を」を観て参りました。
 7/17の「私語の刻」に批評のあったときから気になっていたのですが、その数日後、劇団の関係者から是非観てくださいとの連絡が私達ミュージカルの仲 間にありました。その方は私達(* *大学養護学校の卒業生を中心としたミュージカル公演活動)の舞台監督をして下さっていて、仲間なのです。お願いするようになったあとから分かったことな のですが、この方にも知的障害のあるご家族が居られるそうで、それもあって「アルジャーノンに花束を」へは格別の思い入れがあり、とても大切にしている作 品、と言ってられます。
 私は読書家ではないので「アルジャーノンに花束を」の原作は読んだことがなく、話のあらすじも知らなかったのです。観ていろいろの感想を持ち、いろいろ と考えさせられました。
 原作はかなり以前に書かれているにもかかわらず、むしろ当時以上に科学のあり方や、知的能力と情緒との関係などに現代的な問題提起をしていて、作者の慧 眼に感心しました。
 観劇後にアンケート記入を始めたら、唐突に私は息子がなつかしく、いとおしく、早く家に帰って会いたくなりました。
「ああ、彼は大丈夫、”彼のまま”で居てくれてる」ほっとしました。
 知的な能力を改善しようとする試みは絶えません。それは今やSFの世界を抜け出して、現実味を帯びています。
 医学(薬)や訓練である程度改善され知能が高くなったとしても、それは人為的なもの。普通の人はなにもしなくても初めからそのレベル。どこかで無理した 分ひずみが出るのをどうするか──これに近い問題(弊害)は現実に私の近くで起こっています。
 そこまでして知的能力にこだわる意味は何なのだろう? 知的障害のある子どもの親にいつも突きつけられている問題なのです。(私は最初からあまりこだ わっていない少数派でしたけれども。)
 毎日知的障害のある息子と暮らしていると(私はIQ嫌いなので、彼のIQ値を正確には知らないのですが、50以下であるのは確か。)テストで計れるよう な能力以外の大切なものを沢山教えられます。だからといって一般論としての知的能力の重要性を否定はしませんけれども。
 今原作を読んでいます。みなさんが読みにくいと言われる最初の文章も私は息子の文章や会話で慣れているのでお茶の子さいさいです。
 京都の夏を思い出しつつ──   2001/8/3

* 不十分な言語や文字をもちいて、あらまし、平静に適切に思いを伝えることの出来る言語生活こそ、与えられた嬉 しい恵みだと感じる。それも出来な い、なし難い人もいる。このお母さんの落ち着いた的確な物言いのかげに秘められた思いは、簡単に汲めるものではない。映画「レナードの朝」であったろう か、やはり似た主題で悲しい、いや野蛮なとすらわたしは感じたのだったが、経過を見せつけられた。つらいものだった。「なつかしく、いとおしく、早く家に 帰って会いたくなりました。『ああ、彼は大丈夫、”彼のまま”で居てくれてる』ほっとしました」と読んで、思わずぐっとこみ上げた。

* わたしの「私語」を聴いてから「アルジャーノンに花束を」を観てきたという人は他にもある。アクセスのカウン トを放棄してしまって以来、わたし のホームページが、どの程度の人数に読まれているのか、増えたのか減ったのかも皆目分からない。その意味では全くの「暗闇」へむかって日々に言葉を言い置 いているだけで、このようにして声を掛けてきて下さる方があるから、何かしら手応えになる。感触としては、わたしの言い置く声、放っていることばに耳を貸 していて下さる人はうんと増えている気がしている。
 その一方で、非常識に読みだしにくい過剰に重いファイル処理だと手厳しく非難する人も増えている。もっともな気もするが、リニューアルはわたしの手に負 えないし、このファイル形成は、作品や文章を大量に、全的に保管するという基本の目的にはかなり便利なのである。一つのファイルがせいぜい50KB限度だ などと言うていたら、長篇小説もバラバラに分割することになる。湖の本でいちばん分厚いのは、今までに『死から死へ』だが、600KB近くを、一ファイル 処理してある。
一度開いてもらえば、オフラインで全編、自由に読むなりコピーするなりしてもらえる。大量をオフラインで見てもらえるメリットをわたしは重く見ている。 「e-文庫・湖」の詞華集にはもう数十人の詩歌が入っているが、開いてオフラインにすれば、スクロール一つで好きに読んでもらえる。そして保管高率もあが る。開くのに時間がかかる、重い、と聞くが、なかなかあれもこれもと旨くは行かない、と言うより、わたしの手では、どうしようもないこういう組み立てに なっているのだし、それもわたしが最初に希望してそう作ってもらった。そのままを、「闇」へそっと放ち沈めている。言い置いている。その先のことはカウン トというマインド行為を幸便に落とし果てたため、もうわたしの手は及ばないのである。

* 田中真紀子外相には、粘れる限りを粘り抜き、言える限りを国民に向けて言い、最悪小泉にクビを切らせてから辞 めるのがいいと言いたい。その時が 小泉内閣瓦解の始まりになるであろう。幸いこの時節、われわれにも見えるものは見えている。田中真紀子を使い捨てに切り捨てたとき、解散権という小泉の宝 刀は錆びて、刃先を自身に向けるだけだ、それを自民党の抵抗勢力も待ち、野党も待っている。しかし小泉が倒れたからといって自民党が参議院でのように勝て るわけはなく、国民は一気に自民党そのものを潰したいと願うだろう。野党はそれを狙って閣内不一致で田中更迭へもちこむ作戦に出るのは自然の勢い、大いに やるがいい。小泉の内なるまやかしが露呈するか、やはり旧態依然の福田官房長官型自民党体質とはひと味違うのかは、これから分かる。
 扇千景の靖国参拝積極支持の発言にも、呆れている。もうこの女性は、大臣と党首の地位に執着した保身へと、押し流され、判断能力を欠いている。選挙戦の 最終日だか投票日であったか首相と扇国交相とが二人で食事したと聞いたとき、話題の中身が聞こえてくるようだった。落選しても大臣はクビにしないよ、首相 の仰せに何でも従いますわ。辛うじて当選したものの、その通りを演じている。総裁選挙の時、侮蔑的なまで辛辣に小泉批判をしていたのは扇千景であった。盗 聴法で、真っ逆様に意見を変えて羞じなかったかつての浜四津公明党指導者といい、裏切り落選した末廣マキ子前議員といい、女政治家の変節ぶりにも警戒しな いといけない。
 その点、田中真紀子は基本的に彼女らしい言説や信念を卑怯に変えたとみえる何も見せていない。早くから、田中真紀子を、小泉と自民党は使い捨てにすると 週刊誌等の見出しに大きい字が踊っていたが、あり得ることだとわたしも思った。それが現実化しているいま、野党は攻め口を見つけたと言える。自民党はここ から潰せるだろう。
 田中真紀子はとんだジャンヌ・ダルクになり磔けにされようとも、だれも薪に点火できないのではないか。いま、真紀子はもっと吠えてよいのだ。
 

* 八月四日 土

* 朝四時半まで靖国問題での討論を聴いていた。人間は奇妙な生き物だと思う、いささかの苦笑混じりに、すばらし いものだとも。単純な問題だともい えそうなこんな問題一つにも、真っ向反対の意見が互いにすり寄りもしない。最初から意見も姿勢も断固変える気がないのだから、相手の話を聴いて是々非々す る気はまるでないのだから、彼らにすればかなり不毛のお疲れでしかない。ただ我々の「参考」にはなる。

* 戦争責任は誰にもないかも知れない、誰にもあるかも知れない、つまり戦争責任を問うのは無意味だという、靖国 賛成側の意見には、愕いた。こうい う逃げ方があるから、「戦争責任を考える」会にしてしまうと「空しく」なるのではと、わたしはペンの理事会で言ってしまったが、それを思い出した。そして 「天皇」に話が及べば、靖国賛成側の顔がこわばって、はぐらかしてしまう。天皇の戦争責任に言及したのは、靖国反対側のなかでもただ一人であった。この辺 が奇妙すぎる。
 それについてわたしは思い出すことがある。これは、わたしより若い人は、体験的に知るよしない。もっと年上の人もその場にいなかった。「学童」にだけ記 憶にある体験だ。

* 「大詔奉戴日」というのがあった。毎月「八日」であった。「十二月八日」の真珠湾奇襲の日を「開戦」記念日と みて、天皇の「開戦の詔勅」を民草 が奉戴し戦意を涵養する大事な月例日であった。
 この日、わたしの通った国民学校=小学校(むろん例外でなく、どの学校でも大事の恒例であった。京都市内でも、疎開先の山村の国民学校でも。)では、全 校生徒が整列して運動場に道を開いて粛然と向き合い、整列し、その間を、フロックコートに正装した校長先生が、西下手からまっすぐ運動場の東正面に在る 「奉安殿」へ向かって、しずしずと歩み行く。奉安殿の扉を開き、中から天皇陛下の「御神影」と「勅語」とを盆の上にもちだし、高く捧げ持って、またしずし ずと戻ってゆき、講堂にに入って壇上に祭るのである。
 講堂に入った教員と生徒は、式次第にしたがい、君が代斉唱に始まり海ゆかば斉唱に終るまでを、校長による教育勅語の朗読と訓辞を聴き、黙祷し、バンザイ し、決まり切った手順をすべて費やして「大詔奉戴日」の趣意をいやが上に心身に刷り込むのだった。そしてまた運動場に整列した間だを厳かに校長は奉安殿に 御神影と勅語を返納する。生徒は直立不動の姿勢でその首尾を見守るのであった。
 ああ、それだけで済めばよかったが、我が校では、その次があった。また生徒は整列し、校門を出て、「歩調を取」ったり「軍歌」を歌ったりしながら、三十 分ほどの東山にある「護国神社」に参拝しなければならなかった。これが苦痛であった。
 「護国神社」とは何か。京都の護国神社は今はない。「京都神社」と戦後にすばやく名前を書き換えた。「護国神社」は京都だけでなく、全国にあった。謂う なれば靖国神社英霊の分祀神社であった。天平の昔に、奈良東大寺が全国国分寺の総国分寺であったように、「靖国神社」とは、そのような「総護国神社」でも あった。開戦の詔勅を「天皇」の発した畏き極みの「大詔奉戴日」にこそ、少国民=学童の粛々として参拝すべき神社として「護国神社」があった。全国の津津 浦浦にあった。だが、その大方は、敗戦後の僅かな期間に神社名を適宜に書き換えた。同時に、学校には必備で、厳然と遍在した「奉安殿」も、悉く潰された。 「御神影」も「勅語」も表向きすっかり姿を隠したのである。
  
* 靖国神社が、こういう神社として存在した歴史的事実は、だが敗戦後も体質を改めたわけでなく、今に存続している。天皇の大詔渙発により国際的な戦争は 正式に始められた。名目であれ真意であれ、少なくも天皇の勅語をその方向へ利用した政治判断が軍事的に行使されたのは否定できない。

* こういう体質を変えていない靖国神社であるから、じつは、A級戦犯を合祀しても何の不思議もなく、しかも彼ら は日本国の法律により「戦争犯罪 人」とされたことが只の一度も、只の一人もない。神社やその支持者たちの言う理屈は、この点では通っているのである。
 さらに分祀などということも、靖国と限らず神社神道の論理でいえば、ありえない。そんなことは少しでも「魂」に関する旧来日本の慣習的認識を知っていれ ば、議論しようもなく誰にも言い破れはしない。現に、靖国の魂は、津々浦々の護国神社に分かたれながら、魂そのものはいささかも変容せず減りも変質もしな いで、遍在してしまう。いみじくも言われていたように、蝋燭の火を無数の別の蝋燭にうつしてもどの焔も焔で変わりはない。神社の論理では今更A級分祀など 出来ようワケがないと言い張れる立場を固めている。これを合理的現代的別の論理で破ることは無理であり、鰯の頭も信心からというように、信心や信仰の芯を 理屈で突き抜くことは難しすぎる。現にオーム真理教に対しても、他の社会的倫理的側面からの糾弾は成功しているが、信仰の芯のところはほとんど手がつけら れないでいる。信仰とはそういうもので、その点から靖国神社をせめたてても論破は出来ないだろう。

* とはいえ、総理大臣小泉純一郎は即ち靖国神社代表ではないし、あってはならない憲法の規定もある。とすると、 もっとも明確に小泉と靖国の問題に ついて指摘しえていたのは、社民党の女性代議士辻元清美であった。国際的、政治的、社会的、法=憲法的に、きちんと意見を述べ、聴くべき内容は大方備えて いた。ただ若いからか、わたしのしてきたような「大詔奉戴日」の「護国神社」参拝、「御神影」奉安のような体験はもっていない。しかしわたしと同年の西尾 幹二にはその体験があるはずで、名目であれ何であれ、「戦争」がいかように国際的な事件として日本国側では成り立っていたか、よく承知の筈だ。西尾さんと も親しかったが、この問題や歴史教科書の問題で彼は大きくひずんでしまっている。
 靖国神社の「通」かのように話していた女性ジャーナリストの、「戦争責任」に関する、あまりに放漫で怠慢な曖昧発言と無思慮な態度などは、ただもうタメ にするだけの卑劣な議論だったと言うしかない。

* 「信仰」かの顔をして、そのじつ靖国の賛成側は、ひたすらに反動ナショナリズムの政治姿勢をアピールしている のであり、彼らが、敬虔な信徒とし て「神」を語ってなどいないことは、世俗じみた表情に露わであった。彼らの「信仰」的な物言いは、いわば論理の追及からにげこめるアジール=安全地帯の確 保なのである。このアジールは、論理で「鰯の頭も信心から」という理屈を論破できぬ限り、つねに有効で安全な逃げ込み場であり、ここへ入り込めば信心を盾 にする連中は、けっして立場を失わない。
 むろん靖国反対側は、信仰や信心とはべつの立場から、合理的に合理的にものを言おうとしている。いわく、法的・社会的・国際的・政治的。その論はすべて と言えるほど正当であるが、理性での討議には、どんな場合にも、信仰の場合のように「絶対」という拠点がない。賛成側がいつも安全な逃げ込み場を背に負っ たままで小理屈で応戦してくるのに対し、処置なしという苦りきりの出るのは当然に自然で、しかしながら、それは靖国賛成側の言い分が、正当であるなどとい う保証でも証明でも、全く「ない」のである。夢を見ただろう、その夢を話せと幾ら言われようが、夢など見ていないよと言い張られれば、他人からはどうにも 手が出ない。そういう「天狗裁き」という落語がある。「信仰」をもし擬装されて、霊だ魂だ感謝だなどと言い張られれば、反論の柱を四つ立てても五つ立てて も、つまり「論理」は歯が立たない。そんなことは太古以来の相場である。それに腹を立てて独裁者は大暴力で弾圧したり虐殺したが、それは行き過ぎだ。だ が、だからと言って、繰り返し言うが、それは「信心」名目の正しさや妥当さの証明にはならない。それをトクトクと言い張れば、われわれの社会はオーム真理 教の教祖や信者を、根のところでなんら糾弾出来なくなる。オームはいけないが靖国はいいのだという理屈は、その立場では言い得ても、信仰という廣い舞台で いえば、自己矛盾をきたすだろう。
 反対側の東大姜教授が、最初にも最後にも、小泉首相にむかい、理性的な「名誉ある撤退」で、いわば真の「徳」を国民に見せよと切実に忠告していたのは、 信仰の美名を装った政治的な運動に、論理的にどう迫ってみてもラチは明かない・仕方がない、ただ、人間には生きた深い智慧があるであろう、まして総理大臣 ではないか、法的にも、国際的にも、
社会的にも、政治的にも、明日へ進んでゆく国民の方向を誤らせないで欲しいという、じつに聡明な忠告であったとわたしは聴いた。

* だが番組終了直前の視聴者アンケートでは、約六割強が小泉の靖国参拝に賛成していた。小泉首相のここ数日の政 治姿勢や判断とも照らし合わせ、彼 の聡明な英断は期待しにくいなと、わたしは暗澹と五時頃に床に就いた。

* 近隣社会から「小父さん、小母さん」という存在価値が払底して失せ、むしろ信用ならないアブナイ小父さん小母 さんが出没して、人を困らせる。
 同様に「紳士」という言葉も死語と化して、ナンノコッチャというような仕儀になっている。紳士なんて、もともとわたしは気遠く感じて好きでなかったが、 紳士協定とか紳士の振舞ときいてイヤな思いは持たなかった。さもあろうと思っていた。新聞の報じる外務省川島事務次官が、今度の更迭までに真紀子大臣を目 の敵にし、もの蔭で打ちに打ってきた「手」は、汚い限り、非紳士的にあくどい陰険なものであったらしい。田中を働かせずに外務省の暗部を隠し、省益だけを 何としても守り抜こう、くさいものには蓋をして隠しきろう、それを暴くおそれのある大臣を何としても働かせまいという事に終始していたらしい。紳士の振舞 では断じてない。そういう彼を評価する向きも当然あろう、乱脈伏魔殿外務省の暴利暴益のおこぼれにあずかって来た政治家や官僚たちには、田中外相ほど目障 りなものはなかったはずだ。川島は頼もしいやり手と見えていただろう。
 気色のわるいことではないか、わるいことを隠しに隠して松尾某なる官僚独りの悪事にしおおせようと、シラを切り続けた前の河野外務大臣の糾弾を、誰もし ない。ひたすら現職の女大臣を嫉妬混じりにいじめにいじめ抜いて、今やサディスト集団のように外務族はいきり立ち、田中を叩こうとしている。小泉首相も見 ぬ振りしてかかろうとしている。何のことはない、自民党、永田町が、いまやイジメの対象を見つけた嬉しさで、イジメの見本を国民にも少年少女にも見せてい るわけだ、恥知らずに。
 ついこの間まで古い自民党をたたきつぶしてでも党の改革をなんて、イチビッテ、ハシャイデいた純ちゃんも、いつの間にか元の古巣の自民党総裁にいい気分 で納まろうとしている。納まってくれるなら、多数派の橋本派は青木や野中であくどい仕事もやりやすい。小泉ごとき、党内の数にものをいわせて舵取り、手玉 に取ればいいのだから。

* だんだん大河ドラマの「時宗」像に惹かれてきた。和泉元弥は上手な狂言役者でもうまい俳優でもないが、さすが に姿勢がいい。時代劇では、せめて この姿勢が守られないと少なくも武家や武士はむずかしい。渡辺篤郎の時輔役が終始上体をくねくねさせる異例の演技で逆に存在感をみせていたものの、あれは 渡辺の弱点欠点でもある。北大路欣也がテレビにデビューして間もないころに時宗を連続で演じていたのを、「胸の血潮に真っ赤に咲いた」と歌い出す主題歌も ろとも、よく覚えている。まだ医学書院で「看護学雑誌」の編集をしていたような、遠い昔だ。北大路は謝国明役で今夜も出ていたが、役者としてどんな今昔の 感慨をもっているだろう。テレビの演出も効果も天地ほどの差で進展している。

* 鳥越キャスターの番組にヤワラちゃん田村亮子がいい笑顔で出て、いい話を聴かせてくれた。この時節に彼女の健 闘と笑顔とは、掛け値なしの一服の 良薬である。感謝する。
 

* 八月五日 日

*田原総一朗の番組で田中真紀子外相を俎上に、例の慶大教授の草野某などが(田原の指摘したような)私的な嫌悪感 情も露わに外相の資質を疑ってい た。応援団長を自認していた平沢代議士すらむにゃむにゃとやっていた。
 翻って思うに、さきの河野洋平外相の資質はいかがであったか、これと比較して田中外相は河野外相に劣るのか勝るのか。河野は外務大臣の久しい歴任者であ る。それは資質と能力がさせた歴任であったのか。旧自民党的に好都合な資質を持っていたことだけが認められる。外交、外務省改革、国際性、国民への姿勢。 こう挙げて、河野が田中に勝る何があったというか。外務省改革において、彼は身を以て外務省機密費等の汚点を一松尾被告に押しつけて隠蔽すべく国民に対し てシラを切り続けた。真っ赤なウソであったことがハッキリしている、すでに。国民への姿勢において河野が一人の裏切り者であった事実は覆えないが、田中外 相の姿勢は、この点でじつにハッキリしている。今回の官邸主導の外務省人事は、ことを外交のためとしているが、外務省の伏魔殿たる実質がこれ以上漏れでな いようにくさいものに蓋をしたい自民党と外務省川島次官派の必死の策謀であることは明白である。へたをすると彼らも訴追の憂き目に遭いかねぬオソレがある のではないか。これは情報開示への険悪な反対姿勢であり、田中外務大臣の国民への奉仕の姿勢に対する小泉内閣と自民党との弾圧にほかならない。田中は小泉 に仕えるまえに、主権在民の民主主義にしたがい国民への義務と奉仕とを口にしてきた、その通りをやろうとしているに過ぎない。これがイヤなのである、それ をヤラれては堪らない勢力が、あまりに多いのである永田町には。そういうことと理解している。理解すべきだとわたしは考える。
 次ぎに、国際性であるが、これは、むしろ海外の評価は高く、はじめて話し合える外務大臣という声も聞こえ、少なくも田中外相をその資質において忌避した 外国からの声は届いていない。だだっ子のように見えるというのも、彼女がナミの政治家たちより人間的に素直に真正面から自分を表現できる美質と自信の表明 であろう。
 本丸の外交についてだが、原則大臣の手にある人事権を官邸が拘束し、人事その他の手足をもぎとっておいて外交をおろそかにしているなどというのは、あま りにご都合主義のただのイジメに過ぎない。河野洋平にならこういう事はしなかった。田中真紀子を水を得た魚にしたかったのが国民の願いだったとすれば、そ うはさせまいというのが官邸と自民党と外務官僚との包囲作戦である。これで外交をやれというのは、陰険ないじわる以外のなにものでもない。
 小泉内閣離れが私の中にキザしている。野党は徹底してここを衝き、田中外務大臣の辞職という突破口を勝ち取るべきだし、田中はけっして自身からは辞めず に、クビを小泉に切らせるのがいい。その時小泉は自分のクビにも刃を当てることになる。それを待っているのが古く悪しき自民党なのだが、その時が野党の勝 てる可能性ある衆議院選挙となろう。

* やっと娘のイベント(結婚式)から開放されました。安堵と共に良いお芝居を見たい「アルジャーノンに花束を」 を見ようと。
 盛大な拍手をされてきたと「私語の刻」 で読ませていただいてから、ずいぶん日が経っているようで心配しましたが、取り敢えず、三百人劇場へ問い合わせました。嬉しい事にまだ公演していました。 開場前に並び、補助席で見ることができました。楽日二日前でしたのに好評らしく、階段に座布団席も出ていました。
 チャーリイを演じた平田さんは静かに、超高知能を手に入れた青年の寂しさを訴えてくれました。「いろんな事を話せるようになったら友達ができるようにな ると思っていた」との言葉は、辛すぎるものがありました。母さんの悲しみを通して、チャーリイの置かれた立場が理解できます。日頃私の接している生徒たち のお母様の、悲しみや辛さがダブって見えてきます。
 原作が立派ですが、脚本演出が良くて、スピディな舞台運びで、一つ一つ自然体に心に響いて伝わってきました。良い舞台を紹介していただきありがとうござ いました。
 原作は昨年キイス文庫で読んで以来、心にひっかるものが有り、時折思い出して考えていました。そしてこの間の湖の本45『ディアコノス=寒いテラス』を 読んだときには、二つの作品が重なリ迫ってくるように感じて読んでいました。
 映画「レナードの朝」も、このアルジャーノンによく似たテーマでしたが、科学の発達にやりきれない思いがしたことを覚えています。
 もう一作、4.5年前でしょうか ジョディ・フォスター主演の映画「ネル」を見ました。記憶のあいまいなところも有りますが、周知の「アベロンの野生 児」をリメイクした作品だとの事でした。少年を社会復帰させる努力をしたイタール博士を映画では、医師が、野生に育った少女の言葉を理解し、心を通じ合わ せていくのです。我々の言葉を教え込むのでなく、文明社会に連れ戻すのでなく、彼女の純粋さに医師の方が心を開いていく。もとの美しい森や湖の自然に帰っ て生活をする事ができるようにする。その人、その人そのものを大切にしていくことができる社会が、本当の文明社会なのだろうと思わせられた映画でした。
「人並みでない」その事への強い拘りを持つことが、違う人に対しての差別を生み出し、我々と同化させる事が親切のように思い込んでしまいがちになるので す。
「アルジャーノンに花束を」も40年も前に発表された作品ですし、「レナードの朝」も「ネル」もずいぶん以前の作品です。アメリカでは前からこのようなこ とを、ともあれ論じあう事ができたのですね。日本でも、もっと多く「自然に」考え、話し合っていかなければならないことだと思います。
『ディアコノス』を仲間の先生たちに読んでもらい感想を聞きたいと思いながらも、人選で躊躇したりして、ぐずぐずしています。「自然に」が難しいのです。
 石原都知事は特殊学級を減らし、先生の配置を少なくするとの策を取りだしたとの事。障害児も普通学級で一緒に勉強できる事は良い事で、期待したいところ ですが、そのための何の思索=施策もなく、人員の増加も無いのでは、子どもたちがどうなるかは目に見えます。経済効率だけが先行していいのでしょうか。人 を大切にする事の、アメリカとは次元が余りに違いすぎると、貧困さに悲しくなります。
 まとまらない文ですが、舞台の余韻が消えないうちにメールさせていただきます。「私語の刻」を読ませていただき、世界を広く見、考える事もでき感謝して います。

* もしE-MAILでなかったら、この妻の親友は、こういう手紙をわたしにくれたかどうか。作家に手紙を書くな んて。どんなに大層なことと思って か、いやほど大勢から聞かされてきたが、メールは、ほぼこういう意味のない拘りを解消してくれる。そしてまた、こういう手紙を書いてみる、たとえ発信を躊 躇ってしなかったにしても、だがこれだけの自問自答はやはり貴重な体験をかたちづくるだろう。過去の何十年のうちに、手紙やハガキなど数えるほども書かな かった人が、メールを使い始めて、盛んに、嬉々として久しい友人たちと交信している例は、よく聞いている。人間は用事や用件だけの手紙よりも、話し合うよ うに書ければいいのにと思ってきたのだ、暗に。それが実現している。物事には表裏あり利害得失あるから賛美ばかりは出来ないが、胸の開く思いをしている人 の多いのは確かである。
 このメールをくれた我が家の友人が、学校の昔から作文や日記書きに精出していた人であったかどうか、わたしは知らない。たいがいは、そうではなかつた が、メールによりそういう力を開放されたと感じている。このメールも、過不足無く穏和な文章で言いたい限りは言われている。すばらしい。こういうメリット が、社会化し時代化してくれば、わたしは文藝の発芽が機械の上で可能になってくる機運を疑わないし、期待している。わたしが、いくらかは、いや大いにわら われながら平気でこの電子メディアに関わっているのは、大きな一つにそういう「歴史」の今萌芽期を読みとっているからだ。

* 「歴史」「歴史を書く」ことは、人間だけの、たぶん、行為であるだろう。歴史を書くことは、出来不出来や十分 不十分を度外視すれば誰にでも出来 るとすら言える行為である。克明な、克明でなくても、日記を書く、それだけで歴史記述に似たことをわれわれはしている。他人がそれを尊重するとは限らない だけのこと。尊重される歴史記述もあり知られざるそれもある。時間の経過を事柄が埋めてゆく、それが歴史だと比喩的に謂うことは不可能ではないが、そんな 簡単なものでないことを難しい歴史哲学は説いてきた。人間の歴史はといい、このプロジェクトの歴史的な経過はなどというとき、沿革の意味が歴史へ拡大され ている。歴史の記述が真正に客観的であることは不可能で、歴史を書くとは、選択し批評する意義である。前後の見境を批評的に誠実に見極める意志が歴史を書 かせる。歴史とは記述に限って謂えば主観的な所産であるが、その彼方に真の客観的な歴史があったと想うのは、想像にすぎない。それは歴史とは謂わない、た だの混沌とした時空間があるだけである。歴史は精神の中にしかない。
 だからこそ、本当に大事で難しいのは、しかし看過出来ないのは、「歴史を書く」ことより「歴史を読む」ことなのである。歴史を読む能力こそ、人間のもの であり、人生の、社会の、民族の、人類のための羅針盤を決定することになる。世の中にはゆがんだ意図を秘めてむりに「読ませ」ようとする歴史記述が多いこ とは知っていたい。いや、殆どの歴史記述の下心としてそれがある。その意味では歴史を読む行為も、また誠実を賭した選択であり批評なのであり、自分自身が 問われる行為なのである。書かれた歴史を非難したり評論したりも大切だが、自分自身を問うことを忘れていては本末転倒になる。

* 朝一番に「歴史」を語った難しそうなメールが届いていた。いい潮に、わたし自身の思いを書いた。

* 銀座で買ってきたDVD「タイタニック」を通して見た。予期以上に映画的な成功をおさめていて、満足した。海 難ものの映画はタイタニックを含め ていくつか見てきたが、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットのラヴストーリーを抱き込んだこの大作は、軽薄なドラマ性を抑制して、超豪華大 船沈没の現場を、リアルな画像で辛抱よく写し続け、かなり誠実な作り方を守っている。終盤へかかって感動を呼ぶ力を十分持ち得ていた。こみあげた。「ジャ ンヌダーク」は苦しい迄の精神的な緊迫を強いてきたが、「タイタニック」は映画技術の可能性を楽しませながら、メロドラマ表現に加えて積極的な映画ならで はのヴィジブルな大刺激を与えてくれた。劇場の大画面で見れば迫力はたいしたものであったろう。あまりの評判に敬遠してきたが、満足した。

* シルベスタ・スタローンとシャロン・ストーンとの午後の映画「スペシャリスト」を前の三分の一ほど階下で見て きた。これはビデオに取ってあり過 去に何度も何度も見ているから、途中で二階へ戻ってきた。スタローンの哀情に飛んだガッツも大好きだが、シャロン・ストーンの闘争心に隠された哀情にも心 を惹かれる。だいたい主要な彼女の映画はそういうキャラクターの魅力を生かして作られている。この映画でも「氷の微笑」でも。

* いまこの機械ではバックに「七夕さま」の童謡が流れている。この前には「ふじの山」が、そして次は「夏は来 ぬ」だ。「一月一日」も「さくら」も 「荒城の月」も「水師営の会見」も「鎌倉」も「箱根八里」も「コヒノボリ」も聴いてきた。今はもう「浜辺の歌」に変わっている。一気に子供の昔に帰れる。
 残念なことだが、童謡を懐かしく聴いているときまって早く死にたくなる。
 

* 八月六日 月

* 午後から、日本ペンクラブ会員有志その他での「戦争を考える会」がもたれる。靖国神社でなくせめて千鳥が淵を 拡充してという、蝋山道雄・力石定 一・木島始三氏の提案と、ペンクラブへの賛同要請を、わたしが理事会に取り次ぎ、声明の原案など提出提言していたのが、結果、形をかえてこのような集会の 実現に向かった。梅原会長、三好副会長のつよい意向と聞いている。むろんわたしも参加する。力石氏ら三氏も参会されると聞いている。

* 記者クラブの大会議室が満員だった。「議論」にはならなかった、大方の発言が同じ方角へ向いていて、只一人の 女性が、一国の指導者が靖国神社に 参拝してくださるのは遺族として嬉しいと、それだけが、唯一の異論であった。他は、個人的な体験を下地に、概ねわたしも同感のことばかりだった。ま、こん なことなら、日頃ペンクラブで発言の場のない会員に一人でも多く話して貰う方がいいと、話すなら話すことだけは用意していたが、挙手せず聴き手にまわっ た。わたしが話そうとしていたように話した人は、一人もいなかったから、発言して何かを一つ加えておいてもよかったが、この「私語」の場所もあることだ し、乏しい時間を他の人に譲る気持ちだった。

* 三好徹さんが司会し、辻井、加賀、梅原、井上、下重氏らがまず話したが、どれもいい話であった。梅原さんが時 に感極まって人の話を聴いていたよ うに見受けた。

* 会同した意義は十分あったと思うが、だが、あのままに終れば「ガス抜き」のようなことに終る。会報に纏められ るのは当然としても、もうすこしア クティヴに「外」へ向けて伝えるべきではないのか。あの足で梅原さんや三好さんや井上ひさしさんらが小泉首相に会合の趣意や意向を適切に伝えに行けたりす ればよかったが。
 小泉首相への風あたりの猛烈だったこと、世間での支持率とは大違いで、さんざんだった。梅原さんなど罵倒に近かった。田中真紀子の方がよっぽどマトモだ というのには、思わずニヤッときた。

* それにしても、物書きという人種はアクがつよい。いろんなタチの話し方でありながら、「我」は、出る出る。い ろんな「我」の持ち出し方にみな似 たところがあり、自己証明を競っている。毒気も、相当なもの。わたしも、そうなんだろうなと苦笑しながら毒気にアテられていた。定刻散会、わたしは、まっ さきに飛び出して日比谷の街へ駆け込んでいった。山折さんとの対談がゲラになって届いているのを読んだ。湖の本のゲラももっていた。チーズでワインをの み、それから越の寒梅で鮨を食った。うまいパン屋のパンを囓りながら、街をぶらついて、有楽町線で帰宅。

* 電子文藝館。………………
 

* 八月七日 火

* 難しい問題が殺到してくる。「e-文庫・湖」方式なら、簡明に出来るのだが。難しく難しくなって行く感じもし ている、が、作品はなるべく上質の 画面で届けたい。但し、大事に大事にしたいことがある。受け手の受け取り画面で文字化け等の不公平がけっして出ないように、発信側の独断強行は慎みたい。

* 秦建日子の新しいホームページを開いてみた。なぜ、「掲示板」が欲しいのだろう。掲示板で、そのホスト発信者 やホームページそのものの「調子」 が決まってしまう。必要なメールなら、わたしのホームページで分かるようにメールとしてきちんと入ってくる。わたしだけが読めば済むものは読み、披露して も意味のある表現や表出は許してもらって披露している。そのために闇に言い置く「私語」のある水準が保たれる。その調子で行くから、過去数年、万に達する 受信メールの中で、へんに不快なメールはたった一通だけ、二通と来たことがない。
 三十余歳。建日子には先輩に黒川創がいる。柳美里さんらとは同じ年輩だろう。アーサー・ビナードより年上、平野啓一郎君よりずっと上だろう。優れた世代 のライバルをも念頭に、公開する文章というものは、よほどの覚悟できっちり書くべきだ、自身の誠実と蓄積の全容を賭して。そうでない文章を意識もなく垂れ 流すのは、文筆で食って生きるものとして恥ずかしい。それは読者を下目に見ることに繋がるし、決してしてはいけない。それをやっていると、文章がただただ 軽薄に鉋屑のようになって行く。尊敬する最高の大人を一人でいい想い浮かべ、その人の前で顔を赤くしなくて済む文章(必ずしも中身のことではないが。)を 書く気で書き、また創った方がいい。
 わたしは、ウソではない、この場に書く文章の一行といえども、分かりよくいえば私を文章世界に送り込まれた、太宰治賞の選者たち、井伏鱒二、石川淳、臼 井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫先生らへの「答案」提出と同じ気持ちで常に書いている。瀧井孝作、永井龍男、福田恆存、井上靖、円地文子、小林秀 雄、和田芳恵、辻邦生ら各先生に顔をしかめさせるような文章(中身ではない)は書くまいとしている。こういう考え方には批判は在るかも知れないが、じだら くに流れない一番の方法であり、優れた読者の顔をいつも念頭に置いている。湖の本の「いい読者たち」をいつもいつも念頭に置いている。それがわたしを或る 意味で呪縛しているのだという論法も成り立つだろうが、そんなことを気にかけたこともない。
 電子画面だから軽薄で佳いと言うことにはならない。不特定大多数のテレビ芸能ふう若い人を相手に商売の宣伝をするのだから、と、それで済むように考えて いると、「ことば」が「表現」が、もう創作者の自在を失い、書けなくなってしまうのだ、本当に「表現」した文章が。それが言葉と文章の怖さだ。習作ほどの 気持ちもなく日々に安易な言葉を消費するのは、これからという若い人のためにはならない。やるなら、新鮮な血潮を絞るほどの文章をそこで創作すべきだと思 う。

* 「美空ひばり物語」というNHKテレビを観た。奈良岡朋子の「果たされなかった(旅の)約束」の話と、約束し てひばりの買い置いた、使われずに 真新しいままのこぶりな佳い旅行鞄とが、泣かせた。奈良岡の品のいい日本語と美しい大人の表情。ひばりを受け入れていた奈良岡も、奈良岡朋子に静かに親し み続けたひばりも、美しい。「一本の鉛筆」という、他の歌手がうたえばとてもサマにならない難しい歌を、ひばりはみごとに歌い上げ、胸をとどろかせた。 「悲しい酒」も文句なくおみごと。棺を覆うて定まるというが、ひばりの歌の多くが、今にして、どんなクサイ歌までが、彼女の生涯と照りあって、痛烈に意義 をもつ。ああそうだ、としか言いようがない。
 

* 八月八日 水

* 明け方というより、朝方に、隣に息子が帰っていて、ほぼ半日余も寝ていた。今は仕事をしているらしいが、今夜 中にまた五反田へ戻るとか。ホーム ページによると、連続もののドラマを数回分仕上げてパスしているとか、よその芝居の頼まれ演出で稽古中とか言っている。体重オーバーが心配だが、運転して いるせいもあり、もともと酒は飲まない。その方がいい。

* 電子文藝館は細かなところで問題や理解不足が溜まり、強烈にストレスも溜まってきた。開館までに用意しなくて はならぬ事が手元に幾つもある。表 紙の中かすぐ下かに「趣旨」を謳いたいと事務局長に頼まれている。梅原館長名で当然必要だが、下書きしなくてはならない、従来の紙の出版とは違う性質の 「日本ペンクラブ・電子文藝館」なのだから。島崎藤村の「嵐」はかなり長く、スキャンもたいへんだが、ルビがありオドリがあり正字であるから、校正にひど く時間がかかる。じつは、春秋社からの単行本一冊の校了校正を急がれているし、湖の本の初校もまだ半ばにあり、頼まれ原稿が三つほど締め切り間近い。息苦 しいほどだが、こういう時がどうしてもやって来る。しかし必ず通り過ぎてゆく。いまは堪えている。

* 田中外相を自民党は戒告処分した。あの群馬での選挙応援は、聴いて見ていて、たしかにオイオイという心配はし た、彼女のために。しかし選挙応援 なるもののもともとの曖昧さやいやらしさを逆に浮き彫りにし、田中は、むしろそれを腹の中で意図していたかも知れない。確信犯であったかもしれない。田中 には帰国直後の疲労も用事も山積していたころだ、プチ角福戦争をやっているさなかに、中曽根、小渕、福田と、曰く因縁の群馬県の他候補応援など、ほとほと イヤだったろうと同情もする。なんで群馬なんだとわたしは口に出したほどだ。田中真紀子に言い分はいっぱいあるだろう。セクハラとイジメとの男自民党の嫉 妬心とどさくさまぎれの戒告決定であったとは、かなり多くの国民は不愉快に感じている。わたしなど、もう、ほとほと小泉内閣の前途に希望を失いつつある。 靖国参拝を断念するかどうかに一縷の望みをもつだけだ。第一靖国問題でかく国内外を騒がしておいて、小泉純一郎はどんな政治をしているというのだ。具体的 な政治の言葉は少しも聞こえてこない。

* ジャンヌ・ダークを思い出す。
 ジャンヌは、イギリスに圧迫されてフランス皇帝になれないでいる皇太子を皇位につけようと獅子奮迅、イギリス軍を悩ませて遠く退かせ、皇太子に戴冠式を させてやる。田中真紀子が、とても首相になれそうにない小泉を懸命の支援で首相にしてやったのと同じである。ところが新フランス皇帝は、ジャンヌをもはや 使い捨てにイギリスの捕虜にさせ、イギリスは教会の裁判に委ねて魔女として火あぶりにしてしまうのだ。小泉が、もはや不要とばかり、抵抗勢力や党規委員会 という魔女裁判に田中真紀子を売り渡してにやにやしているのが、まさにこれである。絵に描いたような相似形。嗤ってしまう。

*  立秋  暦のうえでは秋。「暑中見舞い」は変かしらと思いつつ、この暑さですもの、まだ夏本番としか言いようがないですね。阿波踊りが終われば、吹く風に も少し秋を感じられる気がしてきます。さほど変わらない気温なのでしょうが、不思議とそう思ってしまうのですから、人の感覚っていいかげんなものかもしれ ません。でも、この「いいかげん」な感覚こそ、季節の移ろいを身近に感じるには大切なもののように、私は思っていますの。東京は少し気温が下がったようで すけれど、まだまだ暑さに油断なさいませぬよう、御身お大切に。お肉を少しばかりですが、暑気払いにどうぞ。   花籠

* ありがとう。風の音にもおどろかれぬる という気配ではまだないようですが、どなたも、お大事に。
 

* 八月八日 つづき

* 久米宏のニュースステーションが、地球規模の米軍事施設による徹底盗聴機構「エシュロン」を、初めて、かなり 纏めてレポートしていた。仕事を中 断してもテレビの前に坐った。つい先日、某紙夕刊に以下の記事が出ていた。

* 国際盗聴組織エシュロン   七月十五日本紙朝刊解説欄で、初めて、米国主導の通信傍受ネットワーク「エシュ ロン」が取り上げられた。いや、初 めてというのは当たらない。昨年八月の大波小波欄で「ハタ迷惑」氏は早くも「エシュロン、知っていますか」と警告を発していた。衝撃を受けたが、以来一年 間、新聞雑誌で追求される気配もなかった。とうどう、それが、出てきたことに改めて衝撃を感じている。
 当初は米軍事目的を主としたグローバルな大盗聴ネットであった。一年前にすでに、世界中のいわば、わたしでも、あなたでも、の電話・ファクス・メールが 傍受できること、その盗聴行為は、商業上の秘密採集から国際犯罪捜査情報の流通、要注意個人・公人の交信傍受等に及んで徹底網羅の可能なこと、が示唆され ていた。日本では米軍三沢基地にエシュロン設置の推測も、テレビ放映のなかで明白に言及されていた。
 それがさらに拡充され、現実に稼働しつつあるオソレが指摘されてきたのだ、本紙でも。個人情報保護法だの人権擁護法だのときれいな名前の、そのじつ極め て個人拘束目的の法が成立を急がれているが、はるかに輪をかけて危険なサイバーテロは、地球を、いや、われわれ個々人を陰険に覆い取ろうとしている。どう する。(大迷惑)

* まず確実に、じつは電子メディア研究委員会が、ひいては日本ペンクラブが声をあげねばならない、今や核になら ぶ大事な平和と人権の問題は、この 「エシュロン」と、それに繋がるグローバルな盗聴による情報収集を「是」としている多くの政権の姿勢なのである。わたしに言わせれば「電子文藝館」など は、ごく大人しい文筆家の営為。しかし「エシュロン」は、世界でのアメリカの一人勝ちを現実にしつつある、恐怖の世界制覇戦略であり、現実のものである。 ヨーロッパでは大騒ぎしているのだ。ところが日本国政府も、国民の個人情報奪取と管理のために「エシュロン」情報のおこぼれにあずかろうとしている、と見 られる。テレビは、重信房子逮捕の背後にもこれが働いたと解説していたが、田中真紀子外務大臣は「エシュロン」の存在自体「承知していない」などと国会で 答弁しているが、真実なら怠慢であるし、何かを隠しているのなら、極めて危険な崖から日本国民は突き落とされかけている。
 日本ペンで、これに関心を寄せてきたのは、これまで猪瀬直樹氏とわたしとだけで、ひそひそ話のレベルであった。だが、もう、そういう段階ではない。

* 必要あって、歌舞伎の舞台などで、ときおり花びらがひらひらひらと散り落ちる、とても佳いものだがあれは何と 謂うのか知りたく、歌舞伎通の友人 に甲府までメールで問い合わせた。

* お申し越しの件ですが、歌舞伎座に確認したところ、「散り花」というそうです。
 かっては、三角形、いまは、四角形の紙で作られた雪は、例えば梅川忠兵衛「新口村」などでは、舞台天井の「葡萄棚」に仕掛けられた数個の「雪籠」から落 ちてきます。
 これが、「金閣寺」になると、雪の替わりに、花弁形に造られた紙が落ちてきますが、その場合も、花弁を散らすのは、やはり、「雪籠」です。
 しかし、ときどき、舞台と関係なく雪や花弁が落ちてくることもあります。それは、前の演目で使用したものが、なにかの弾みで落ちてくるという場合もあり ます。

* こういうことに関心をもち、調べたり教わったり、こんなメールに接すると疲れも夢のように癒える。時ならずし て舞台へ紛れ落ちてくる「散り花」 のひらひらひらに、最も美しく空間化された日本の時間をわたしは見てしまう、そして遡って、あの、紀友則の名歌「ひさかたのひかりのどけき春の日にしづこ ころなく花のちるらむ」の、悠久と永遠の繪を思い起こす。

* 息子がさっき自分の車で五反田へ戻っていった。
 

* 八月九日 木

* 小泉首相は靖国参拝問題で追い込まれている。長崎原爆の日の記者会見では、とても以前のあの軽薄な鼻息ではあ りえなかった。おれは意見を変えな いが、与野党に、国民に、外国に、これほどの声があるのだから尊重して参拝をやめるというか、靖国参拝賛成の国民の声の方が多いからと強行するか、なにか 失笑をかうような姑息な他の手を使うと言い出すか。いずれを選んでも彼は国の内外の嘲笑を浴びるだろう。ずいぶん今までの総理とはべつものだと、今でもわ たしは感じている、が、靖国と、外相への態度の変えようと、それから息子の芸能界入り後押しのころから、小泉は愚にもつかぬ低調さに沈みかけてきた。

* あやしげに仕上がった例の「ものつくり大学」のことが、こそっとも話題にならない。ものつくりのすばらしい専 門家が生まれくることを願ってい る。職人藝の伝統に立つ東京工業大学に四年半奉職したのもご縁であるが、家のペンキ塗り一つでも今時の職人仕事に失望したことはある。東工大院卒「就職主 婦=母親」の次のメールが厳しい。

* たましいを研ぐ。 
 秦先生。8月に入り、暑さも少し休んでいるようで、しのぎやすい日が続いておりますが、いかがお過ごしですか。私もやや夏バテ気味でしたので、この涼し さで生き返る心持ちです。もっとも、立秋とは名ばかりのようで、週末にはまた暑さがぶり返すそうですけれど。
 一昨日、わが家のポストにちらしが入り、流しの砥ぎ屋さんが近所に来る、と言うことでしたので、かつお節削りの刃を持って出かけました。他の刃物につい ては、お世話になっている砥ぎ屋さんがあるのですが、そこは預ける日数が少し必要で、毎日使うかつお節削りはなかなか出せずにいたものですから、その場で 砥いでくれる流しの砥ぎ屋さんなら有り難い、と出かけたわけです。幼い頃は、こうした砥ぎ屋さんが時折来て、その場で砥石を使って鮮やかに砥いでくれたも のですが、最近は全く来てくれることはなくなっており、久しぶりだな、と思いつつ出かけたのです。 しかし結果は惨澹たるものでした。世間知らずな私は、 電動の砥ぎ機というものがあることなど知る由もなく、預けたとたんに発電機をまわしはじめた砥ぎ屋さんを訝しく思いつつ見ていたところ、なんと物凄い勢い で回転する円形の砥石様のもの(?)刃を当てているではありませんか。今さらやめてくれ、とは言えず、仕上がったかつおぶしの鉋と2本の包丁は、持ち主に とっては胃がきりきりするような状態になっていました。
 言うまでもないことですが、包丁が爽やかな切れ味を保つには、刃の端が鋭くなっているだけではなく、面が平滑になっている必要があります。電動の砥ぎ機 で、旋盤のように砥がれてしまった包丁は、刃こそ鋭いものの、刃の横面はムラになっているのが反射の加減でよくわかります。手で触って感じる程度ではない のですけれども。
 包丁というのはそもそも何層かの鋼で構成されていますが、この各層は反射率が異なり、故に平滑に砥ぎ上がった包丁は刃の際に内側の層が一直線にあらわれ て、すうっと一筋の縁がついたように仕上がるものなのです。ところが、今回砥ぎ上がった包丁は、これらの層がわらわらといった感じに現れており、見ただけ でも感覚的に、これは切れまい、と思わせるものになっているのです。
 この包丁で試しに胡瓜を切ったところ、案の定、刃はきれいに入るものの、滑りがどことなく悪く、するっと下までおとせない。もちろん、切れはするのです が、切りおろす際になんとなく軽い摩擦を感じるのです。気にする私が神経質すぎるのかもしれないのですけれど。
 胸の中をなんとも重く湿っぽいものが漂います。この砥ぎ屋さんが意図を持って、つまり、手軽に稼ごうとして刃物には悪いとわかっていながら、こういうこ とをしているのならまだ救われる気もするのです。ところが、この砥ぎ屋さんは親切な方で、かつお節削りの刃を乗せる台が、少し緩んでいるから、紙か何かを 噛ませた方がいい、とか、きれいにかくためには、かつお節を濡れぶきんで包むといい、とか、いろいろと教えてくれるのです。そこまで知っている人が、なぜ こんな砥ぎ方をするのか・・・最も、プロであるべき人が、そのプロフェッショナルをどぶに捨てるような方法で商売をしていて、本人は哀しくないのでしょう か。
 話はまだ続きがあるのです。家に帰ってきて、削り台からの刃の出方を調整しようと、木槌でこんこんやっていたところ、砥ぎ屋さんのいう通り、台の空き方 と刃の大きさが微妙にずれている。原因は、刃をおさめるべき場所の切り口が荒れているからでした。切り口は、恐らく3回にわけて台から引いたと思われ、そ の息継ぎ部分がそのまま荒れているのです。ほんの少しやすりをかければ、あるいはやすりをかけて減る分を計算して木を引けばよいだけですのに。このかつお 節削りを買った時は、結婚したばかり。一番お金がない時期で、お店の中から一番安いものを買ってきたのですが、値段の違いはこういう部分にあらわれるので しょう。安かろう悪かろう、は納得できるような気もしますが、やはり気鬱になるのは、こういう品を作った職人さんの心です。木材を扱うプロでありながら、 木の切り口の始末もしない・・・これは、料理人が鍋を洗わずにそのまま次の料理を仕込むようなものではないでしょうか。こんな作業は大した手間でもなく、 そしてプロならば「そうしないと気がすまない」というこだわりがあるはず。このような心の荒れ方は、私には全く理解できないものです。
 吉川英治の「宮本武蔵」に、「御たましい研ぎどころ」と看板を出す研屋が出てきますね。なまくら武士となまくら刀ばかりが増えている昨今の世があまりに もひどいので、自分は「刀」ではなく「御たましい」を研いでいるのだ、と敢えて看板を出している。職人さんというものは自分の領分にそのくらいプライドを 持っているのではないでしょうか。だからこそ、私は職人さんというものに昔からとても敬意を払い、払い過ぎるが故にそれが高じてかつて「東京職工学校」で あった大学に入り、今も職人さんと直接関わる仕事をする次第とまでなったのですけれども。
 職人さんだけでなく、プロというものは普く自分の持ち場に関して、譲れない自らの基準を持っているものだと思うのです。常に「たましいを研いで」いると でも言いましょうか。けれども、最近はそういう心の持ちようをしてくれるプロが少なくなっているのかもしれません。それがあまりにも哀しく、私の心を重く するので思わず、これこそが今の日本の病み方を表しているなどとまで感じてしまいます。
 お忙しい中、長いメールで失礼いたしました。天候がなかなか安定せず、夏風邪も流行っております。どうぞお身体をおいたわり下さいませ。

* 次は、家庭の六十過ぎたらしいいわゆる専業主婦のメールである。

* 腰痛  八、九年も前ですか、介護中の決して体重の軽くはなかった母を中腰で抱き上げようとして、初めて腰を 痛め、整形外科で検査を受けました が、診断は老化に依る椎間板のクッションの摩滅でした。骨密度の方は素晴らしいとお墨付きを戴きましたが。右腰は過労になると痛みます、が、ヘルニアでは ないので、手当としては熱をとる冷シップ以外になく、まあその程度のものなんでしょう。痛みの度合いにも依りますが、怖れて安静にしているよりも、筋肉を 作る為によく動く方がいいようです。これは膝痛にも言えます。
 姉妹三人+一人で参加の、北アルプス白馬方面の短いツアー旅行でしたが、それぞれの体力に合わせてトレッキングをして、楽しみました。まだまだ、多くの 高山植物が咲き乱れて、歓声を挙げました。腰痛で医者通いの老人の行動ではないですよね。分かっています。山の魅力はその比ではないのです。
 リフト、ロープウエイを乗り継ぎ、降りた処が標高千八百*米。午後の事もあり、蒼空には程遠かったけれど、ほぼ三千メートル級の幾つものピークを眼前に 望み、もう腰の痛みを忘れて、妹とガレ場の急坂をカモシカの如く、四十分ばかり登りつめて、神秘の八方池に辿り着きました。永年恋いこがれた池との出逢い です。感激で、このまま天空に吸い込まれてもいい、と、大仰な事を想いました。ウソではないのです。ちまちました雑念はすべて空に霧散しました。
 自然に帰す。
 人間すべて原点に戻れば、世の中の些細ないざこざは皆無でしょう。大自然はそう想わせます。
 主婦仲間と、紅葉の頃に再度訪れるプランもあります。

* 専業主婦と就職女性のバトルが、ときどき報じられる。そもそもの比較がアバウト過ぎる。
 専業主婦には、文字通り家計のやりくりと子育てとローンに追われて必死の専業女性がいると同時に、いわば家庭は安泰、ヒマもあり体力もあって、子育て準 卒業、亭主とのことは程々にという、旅に遊びに楽しくてたまらない「片業主婦」もびっくりするほど増えている。街にも観光地にも外国にも、そういう片業主 婦がどんどん出ている。仲間で群れて出ている。
 就職女性にも、未婚の人と就職主婦・母親との違いは大きい。後者の頑張りにはかなり血も涙も汗も滲んでいる。
 バトルすることも無かろうにとは思うものの、いまの時代、いちばんけっこうなのは「片業主婦」のように思えも見えもすると謂えば、言い過ぎだろうか。必 ずしもこれは批判でも非難でもない。厳しいところを通過してきた世代女性がボーナスを得ているのかも。昔には、少なくも絶無に近かった。けっこうなことで ある。

* 四国の若い「就職・母親主婦」から、暑気払いにと美しくも旨そうな牛肉がたっぷり贈られてきた。働いて汗のに じんだ贈り物である、ひとしお旨 い。感謝に堪えない。

* 昔のクラスメートが、多年の趣味を生かして一枚のCDを贈ってきてくれた。こんなメモがついていた。楽しいで はないか。楽しむ人は男性も楽しん でいる。感謝。

* 暑中お見舞い申し上げます。猛暑の毎日ですがいかがお過ごしでしょうか。私はカビ臭いレコードをパソコンで せっせとCDに化かして暑さを凌いで おります。
 月に何度かは河原町界隈に出掛けますが毎月2日曜日の1時からは四条木屋町上るニュー・トレッカビル2Fのメキシコ料理店「マリアッチ」での月例レコー ド・コンサートに出て二次会でテキーラを飲んでおります。
 7月に創立50年を迎える「京都中南米音楽研究会」のメンバーになって40年、よくもまぁ飽きずにと我ながら呆れております。
 アルゼンチンタンゴ狂徒ですが、きょうは手持ちの音源の中からラテン、フォルクーレ、フラメンコなど取り混ぜて一枚作ってみましたのでどうかご試聴くだ さい。市販の復刻盤CDと違い無修正のため針音やノイズが耳障りな曲が殆どですが録音年代に免じてお許しのほど。
 暑中見舞いのつもりが独断と偏見の選曲CDで却って酷暑に輪を掛けるのではといささか案じております。何はともあれ時節柄くれぐれもご自愛ください。不 一 2001年盛夏

* 臨場感に飛んだ、まさにライブ感覚の面白い盤である。聴きながら書き込んでいた。これがわたしの休息でもあ り、表現である。
 

* 八月十日 金

* 日本ペンクラブにはいろんな会員がいる、石原慎太郎都知事もいる。ペンで首相の靖国参拝反対声明を出せば組織 が割れてしまう、それを怖れたと、 先日の「戦争を考える会」で梅原会長は、六月理事会以降のペンの姿勢について、発言の冒頭に、説明だが弁明だかをした。もっともそうな言い逃れであり、そ んなことをいえば、二千人近い会員が一揃いに同じ意見をもつことなど、「一言堂」ではあるまいし、核問題、環境問題、人権問題、どの一つにしてもありえな い。石原であれ誰であれ、会長が本気で憂うることなら、勇断発議し、理事会で検討すべきであった。せっかくの「戦争を考える会」で、即座に何らかの決議文 を採択すべきであった。前列に居並んだ役員理事の全員が、同じ方角へむけた意見を熱く熱く述べていたではないか。あのままで終えてしまえばガス抜きに過ぎ ぬと、わたしが此処に書いたのは、それだ。
 今なお「虚心坦懐に熟慮」と鸚鵡のように繰り返している小泉首相は、参拝をやめられないだろう。だが、一人の面子とちいさな打算とが、アジア全域に子々 孫々にわたって語り継がれ醸成されてしまう根強い反日感情や反日キャンペーンの悪影響は、計り知れない。援助や外交でどんな親和策を注ぎ込んでみても、 たった一人の首相の愚かな裸の王様ぶりで、泡のように消え失せ、悪感情のるつぼだけが残る。国益になるわけがない。国際感覚に欠けた自民党代議士達にも呆 れてしまう。
 繰り返して言うが、A級戦犯の分祀など、靖国神社の作法ではありえない。そんなことをどう言ってみても実現しない。靖国神社の説得は無意味である。政治 家は、しかし、知性で正しく各般の問題に対処するのでなければ存在理由がない。この時代に、いつまで政治の場面で神懸かりの屁理屈をこねまわすのか。タメ にする議論でないと言うなら、一度、鏡に映してわが顔をみながら、やすみやすみバカを言うがよい。

* 秦先生、お久しぶりです。ホントにお久しぶりです。
 今日は上司の歓送迎会で一旦外に出てお酒を飲んで職場に帰ってきました。4月以降様々な、本当に様々な案件が転がり込んで来て、心の余裕無く過ごして参 りました。今日はお酒が入っているせいか、この様にホントに久し振りにメールを書く気分になっております。今日は、多少は早く家に帰れるでしょうかね。
 先生からは色々と期待されている事を知りつつ、また友人知人達からも色々と期待を受けている事は知りつつ、日々の生活に埋没してしまっています。“期待 されている”と思う事で自分を奮い立たせる日が何日も続きました。これが良いこととは決して思いませんが。
 『ディアコノス』読みました。靖国問題や教科書問題にも大きな関心を寄せています。小泉首相は、大丈夫でしょうか。やはり、私は田中大臣より扇大臣の方 が、信頼出来ると思います。
 世の中には様々な関心事があります。それら対して妻とは意見を闘わせますが、外に対して発せられません。妻も教育問題に大きな関心を持っています。日本 は大丈夫でしょうか。無性にこの仕事を放り出したい気分に捕らわれる時があります。
 何を偉そうに、と言わないで下さい。自分が居なくては、とでも思わないとまわりの人間と戦う事も出来ません。戦わなければ何も変わりません。でも、本当 に戦わなければいけないことの1%も戦っていない自分がここに居ます。
 愚痴になってしまいました。書きたい事の少しも書けていませんが、そろそろ終わりにします。こうやって時間が経って結局、何も言葉を発せずに引き出しに しまわれてしまう事柄がありますが、24時間という限られた時間の中で、社会生活を送るには仕方の無いこと、と割り切らざるを得ません。最後に“仕事で” 某業界紙に寄稿するべく書いた原稿を送らせて下さい。年末年始に新婚旅行に行ったイタリアの事を書いています。思いを風化させないうちに、と振り絞って書 いた一つです。
 以上です。酔っぱらいの文章で申し訳ありません。

* どうしてどうして、酔っていない時と同じか、それ以上に率直に、言葉がメリハリをもって紡ぎ出せている。あ あ、やっているなと嬉しくなる。希望 をもちたい。

   我よりも長く生きなむこの樹よと幹に触れつつたのしみて居り   斎藤 史

 残念なことにこの機械に、WZEDITOR.EXEのファイルが見あたらなくて、せっかくの旅の文が読めない。 幾度インストールしても、途中で機 械が凍り付いてしまう。

* 電子文藝館、すったもんだを反復しつつ、論考、小説、詩を試みに送り込んだ。山ほど取り決めなければならぬこ とが、ある。
 

* 八月十一日 土

* 「まちづくりの視点」と題して、こんな原稿が届いた。著者の了解を得て、「e-文庫・湖」のエッセイ欄にもら おうと思っている。

* だいぶ前になるが、機会に恵まれ、ローマの街を訪れた。学生時代に何度か、といっても二,三度、好んで足を運 んだ都市である。就職後初めての今 回の訪問でも、ローマは相変わらずローマであり、二千年の時を経てなお、生活に溶け込んで生き生きとした市街は健在であった。
 デコボコの道やまがりくねった道、(あれッ美空ひばりみたい。)見通しの悪い交差点に加え、段差だらけの歩道。それなりに贅沢したつもりの四つ星ホテル に泊まったのに、今にも止まりそうなエレベーター、そして重たい窓とドア。その一方で、寒空のもと、街には花が溢れ、行き交う人々の元気な声、街角の広場 に開かれたお祭りさわぎの市場に並ぶ色鮮やかな野菜の数々、どのどこの店先もの目をみはる美しい色使いなど、ローマを彩る色彩・空気・もの音の織りなす景 観のなにもかもが楽しくて、あっと言う間に(白状します、新婚の旅の)滞在期間は過ぎてしまっていた。
 もちろん日本にも、長い歴史の街や住人の旺盛な声溢れる街など、心惹かれる都市・市街は沢山ある。身近な日本の内だからこそ、興味も持ち理解も得たくて それらの街々を見てきたつもりだ。人の暮らしに添い寄りながらじっくりと熟成されたような街、四季に応じて景観も階調も静かに変えてゆく繊細な表情の街な ど。
 どちらが良いというわけでなく、だが、ローマの街と日本の街には根のところで大きな何かの違いがある。
 ローマ人(という概念があるのかどうかは別として・・)は、街に存在するむろん植物も、人工の建物でさえも“自然のもの”と見ているのではないだろう か。これが、私の辿り着いた結論である。ある土地や、そこに植生し生息する植物動物は、私たち日本人も“自然”として見ている。だが建物やそれに付属する もの、つまり人間の手が作り出したものは“自然”とは見ていない。
 ローマ人は家具や壁紙などのインテリアを替えることで、古い建物も自分のものに機能させている。単に壊れにくい建物だから、あるいは古い物を大切にして いる文化だから、と言えばそれまでかもしれないが、山さえ切り崩し、土地を意のままに造成することも厭わない日本人の私たちにしてみると、彼らとのこの違 いを、根本的な思想の違いと考えた方が、私には理解しやすい。
 日本では“親に貰った体を自分で傷つけるなんて”と批判する。ローマの人々には、土地も植生も、そして建物ですら全て神様から授かったもので、軽々しく 変更し変容することは、×では無いが、何でも○というわけでは無い。“神様に戴いたものを人間が傷つけるなんて”というわけだ。むろん手続き(どの様な手 続きかは分からないが)を踏んで、本当に必要なものだけを神から賜った土地の上に作らせて貰うという、厳かな、もしくは敬虔な思いがあれば話は別なのだろ う。
木々や緑が特段多いとも思わないが、イタリアの街を歩いていると、様々なモノに対するイタリア人のそんな思いが満ち溢れているようにしか思えない。
 省みて、我々にもこの思いがあるかと考えると、答えに窮してしまう。実際には、ただ政策的な意義や経済効率などを一生懸命説明しつつ、色々なものを作り また壊していはしないか。
 先日、以前に行って気に入ったレストランを久しぶりに訪れてみたら、更地になっていた。久しぶりとは言え三ヶ月ほどのことであった。レストランの潰れる のは経営の問題でもあろうから仕方無いとしても、建物まで壊さなくてもねぇ、と思う。この世に永遠に存在しうる何一つ無いのは百も承知の上だが、二千年の 時を経て未だ生き生きした街が世の中にはあると考えると、心強くあるのとともに、余りに早い街の変貌や改造には、どこか人の思いの軽さも感じざるを得な い。地に足をつけた謙虚な「まちづくり」をこそ、この(爛熟気味の)成熟社会は心がけて行くべきではないのか、という思いを強くした。

* いくらか見解を異にする人もあろうかと思うが、また一つの見解であろう。「日本の昔の建築でも、自然そのもの として建てられた例は、多いです よ。東洋や日本では、人間をすら自然の点景とながめ、自然に生まれて自然に帰ると思ってきたようです。自然=じねん、とは即ち死=帰る意味も持っていまし た。この辺はまたいつか話し合いましょう」と感謝の返事を送った。「ひきよせてむすべば柴の庵にてとくればもとの野はらなりけり」という慈圓の歌もある。 ただし、みな昔のこと。今日の都市の建築は、自分の設計図だけは熱心に作られていても、隣近所や道路・町並みとの調和を無視した醜悪な建設があまりに多 い。民度の低さと荒れとを露わにし過ぎている。

* 妻の友達がみえ、付き合って三人で近所のレストランに出掛けた。満腹した。

* 気味わるいといって映画「エイリアン」の怪物ほど気味わるい造形は少ない、絶無かもしれない。それなのに、1 から4まで全部見ている。進んで見 ている。シガニー・ウィーバー演じるリプリー役の強靱な闘争精神と不思議な断念の哀情に誘われるのかも知れない。それにしても今夜の「エイリアン4」の気 味わるさはこれまでの三作を凌いで徹底していた。それだけ、映画効果も凄みがあった。目を背けたい場面は幾らもあったが、見ていた。映画の魅力は底知れな い。ウィナノ・ライダーのような可憐なタイプの女優がロボットで出演していたのが目の救いであった。
 

* 八月十二日 日

* 光る秋  今朝の札幌は晴天。目が覚めて窓を開けたら、無数の光るものが飛んでいました。朝日を受け、南から 北へ、輝いていたものは、とんぼ。 すいすいではなく、流星のように、まっしぐらに、次から次へと、飛び去っていきました。
 夕刻。友人を送った帰りに、北の空を見ると、手稲山の稜線が金色に輝いて、刷いたような雲が茜色に。澄んだ景色に運転の手をとめてしばし見入りました。
 秋はきた、と感じました。
 立秋を過ぎ、関東はしのぎやすくなりましたか?お大事に。 maokat

* 小中専務理事 秋尾事務局長 殿
 小泉首相の「熟慮」中の今こそ、「靖国」問題で日本ペンは、「首相の靖国参拝」は、いかなる形ででも実施すべきでないと「緊急声明」し、態度を鮮明にす べきだと思います。執行部で緊急に善処して欲しいと正式に一理事として提案要請します。
 組織を割りたくないと、梅原会長は石原都知事の名をあげて躊躇の弁を先日の集会でも述べられたが、可笑しいのではないか。二千人近い会員の一致した意見 など、核でも環境でも人権でもあり得ようわけがなく、そこはその時点での役員・理事の多数意見でよいはず。「戦争を考える会」では、出席役員・理事の一人 として会長の靖国参拝反対意見に不同調の人はいなかった、その強固な事実を現時点では考慮すべきだと思います。十日の菊、六日のあやめにならぬようにと。     理事 秦 恒平

* 虚しいとは思うが、言うべき今の一言して伝えて置いた。

* 「このあたりに雨をみたのは、何日ぶりでしょうか。アメリカンブルーがいきいきと沢山の小花を付けています。 朝一番に、オハヨウと挨拶します」 と、夏の朝らしいアイサツが届いていた。我が家のテラスは幾十という大小の植木の鉢で真翠に溢れている。書庫の屋上にも雑多な植物が繁茂して、目のうるむ ような青に視野が包まれる。そのなかに書庫の正面カウンターがみえているのだが、ま、どうしようもない書物の乱雑な山に成ってしまい、装飾度はゼロ。書庫 へ入れば足の踏み場なく、奥へ通れない。書架の入れ替えはなかなかの重労働で一人では無理だが、妻を肉体労働させることは出来ない。息子は頼れない。で、 もう十年近く手が着かない。必要な本を的確に探し出せないから利用度もさがっている。どうにかしたいが。

* 「秦氏」の本は真面目に編纂されていて、たくさん教えられた。なにより、我が家の戸籍で秦の字は、デタラメ字 であろうと思ってきたほど、奇態な 漢字で、むろんわたしの機械ではどうしても見あたらないが、ところが、同じ字の秦さんが、九州にも東北にもいる。秦の父の根は滋賀県の水口と聞いているか ら近畿にもあったわけだ。秦氏は福岡、大阪、東京・神奈川にとても多い。
 源平藤橘と謂った四大氏であるが、藤原氏からは多くの佐藤、近藤、権藤、江藤、工藤等の藤原系の苗字が派生した。九条も近衛も鷹司も西園寺もみなそう だ。源平も橘でも同じであり、北条は平氏だが足利は源氏である。怪しげな由来のものもあり、徳川の源氏も豊臣の藤原氏も信じがたい。そういう意味で秦氏 は、上の四大氏も遠く及ばないほど多彩な苗字に分岐していることが、太田亮の「姓氏家系大事典」でも明言されている。秦氏は研究に値する古代氏族であっ た。
 今度の本では「秦氏」「秦家」に拘泥しているため、少しは触れられていても、多くは秦氏系の分布に関して割愛している。島津、和田、羽田、波多野、和田 その他無数の苗字に分かれていて、井出孫六氏も桜田淳子さんも、松本幸四郎家ももとは秦氏である。あなたも、こなたもね辿れば秦氏に行き当たる可能性はか なり高い。しかも全国に分散しているし、土木・鉱業・機織・醸造・造船・農耕・牧畜等多種類の産業を背負っている。領界なき「秦王国」があったと歴史家が いうのもむりはなく、北九州の東寄りは、また京都と近畿には、また関東にも、大きな拠点があった。国境のない王国であったと説かれている。
 わたしの興味を覚えているのは、古代末期から鎌倉時代へかけての、宮廷周辺の馬術・馬藝で勤仕していた秦氏たちである。徒然草その他の随筆や説話にこの 秦氏がよく出てくるし、「随身庭騎繪」という国宝の絵巻で馬に乗り馬を御しているほぼ全員が秦氏の名乗りで記入されている。観阿弥・世阿弥も秦氏、法然の 母方も秦氏、宇佐にも稲荷にも松尾
にも鴨にも、多くの古大社の宮司や神主に秦氏がびっくりするほど多い。
 わたしの実父は吉岡氏、生母は阿部氏で、つまりわたしは秦氏の血は受けていない養家の姓を継いでいるだけだが、阿部はどうだか、吉岡氏がはるか遡って秦 氏との縁の有無など、わたしは知らない、分からない。とにかく、とてもとても面白い世界が漠然と広がってくる。こんなに苗字の多い国は世界中に無いのだか ら、難儀だけれど、面白い。
 

* 八月十二日 つづき

* エドモントンの世界陸上、女子マラソンは、文字通りの死闘を制してリビア・シモンが大きな世界大会で初の金メ ダルを奪い取った。トラックに入っ てからの美しい速い走法に驚嘆し、惜しみなく栄誉に拍手を送った。終始競技をリードして二位に駆け込んだ土佐選手の力走も、優勝こそのがしたが見事であっ た。リビア・シモンはもう久しいおなじみの名選手。高橋尚子にオリンピックで破れたときの悔しさを圧倒的な自信と力とではらした。わたしも妻もこの選手が 好きである。土佐を応援したが、シモンが先へ出てスパートしたところからはシモンのために拍手し続けた。

* 田村亮子の世界柔道五連覇は世界に冠たる偉業であったし、世界陸上での男子ハンマー投げ室伏堂々の銀メダルと いい、男子二百ハードルの為末選手 の健闘良く銅メダルを獲得したトラック初の喜びといい、見応えのある結果が続いた。その一方で、男子棒高跳びブブカの姿、女子百、二百オッティーの姿の見 られなかったのは寂しい。時代はゆっくりゆっくり動いてゆく。若きに席を譲ってゆく。自然なことだ。

* 小中専務理事より、あの「戦争を考える会」には報道陣も多くはないが参加していたのだし、屋上屋は重ねないこ とにすると。報道陣が来ていたとは 気づけなかった。報道されたという噂も聞いたことがない。屋上屋ではねと苦笑した。
 

* 八月十三日 月

* 小泉首相は、今夕に靖国神社に参拝すると官房長官を通じ「熟慮」の結果を内外に伝えた。なぜ自身で語らないの か、気が知れない。八月十五日を避 けた。十三日に出掛けると変えた。これがどんな反響を呼ぶかも計り知れないが、とんだお騒がせであった。
 表向きの口実は口実として、真意の大方は、敗戦の八月十五日公式参拝により選挙に絡んでくれた遺族関係団体や、また靖国神社へアピールしたかったのだろ う、が、前倒しでその意義も狙いも半減した。十三日に日を替えても韓国は猛烈怒り、中国は威圧的に不快を表明。村山首相の侵略の見解をふまえ、日本が仕掛 けた戦争に反省の弁を盛り込んだのはともあれ是とするも、それをも帳消しに、小泉首相の姑息なかかる対応は、何が熟慮かと嗤いたいほど、政治家による「詭 弁の代表作」をまた一つ加えたに過ぎない。国益を損じた程度が前倒しで減じたとは少しも思われない。国民の、また他国の感じたところは、つまり失笑の侮り でしかあるまい。八方が不満を覚えていよう。
 だが、わたしは、十五日を最終的に避けてくれて良かったと思う。よほどの跳ね返り者でなければ、もう同じことは繰り返せまい、「総理大臣」としては。そ うあって欲しい。そういう熟慮であったのだと、もう、今夕の参拝にあまりモノは言うまい。それよりなにより、国立戦没者霊苑を推進して欲しい、靖国神社に 無関係に。
* 遺骨を必要としない。人名をモノに刻むこともない。日本の霊は寄り来るものとされてきたのだから、目を見はる巨大にすばらしい松の一樹をそそり立て植 え移して、厳かに、霊と祈念のよりしろ「かのように」想えばそれで宜しい、十分だ。他に何も要らない。鴎外先生ではないが、「かのやうに」みなで想えば宜 しい。それならば千鳥が淵のあの場所でいいではないか。「蔭祓い」の何のと失笑ものの裏話も聴かされたが、信じるにしても「かのように」の了解にすぎない のだ、それで清まはる「かのように」想うだけのこと、山や巖や樹を御神体「かのように」祭っておいて、それで軽率でも不敬でも邪法でもないのが、日本の心 性だ。神社だの宗派だの政治団体だのと組織がごみのように絡みつくからモノが汚れ始めるのである。
 靖国神社は、願わくは解消したいが、存続するのなら、あらゆる意味で日本国とは無関係に、一宗教法人のまま、遺族に護られればよい。

* 柴田錬三郎「無想正宗」は、例の眠狂四郎もの。採るにも言うにも足りない消耗的な読み物。中村真一郎「砕かれ た夢」は腰砕けの生硬な史談で、徳 川忠輝の最期を書くようでいて焦点散漫、年譜をただ舐めて済ませている。味付け雑駁で小説の魅力には遠く達していない。水上勉「天正の橋」は、よく知られ た精進川裁断橋欄干の銘文に取材して巧みに纏められた一編、堀尾茂助の戦死した嫡男かといわれる金助を、じつは叔父の息子であったと考証してゆく縦糸にそ い、不運な父子、かなしい母の思いを書いている。ファクトノベルであり、腕のある作者が気に入った「材料」に出逢ったとき見せる手腕である。文学の香気と は遠い読み物の最たる一例であるが。つまりは真の文学がストーリイではなく、いわば比類ない文品であることを、逆に教えてくれる。「天正の橋」と谷崎の 「小野篁妹に恋すること」を比べ読めば分かる。
 阿川弘之の「野藤」と名付けられた鷹と鷹匠との話は、事柄が具体的に適切に把握されていて、表現も確かな佳い作品であった。阿川さんにこういう作品のあ るのを知らなかった。鴎外に近いね歴史小説という品位をさも感じさせた。興味深い世界が文学として造形されていた。
 五味康祐「喪神」は、この手の作品群の傑作であり、通俗読み物の域を頭抜けた表現を得ていて、魅力に富む。昭和二十七年の芥川賞に選ばれてあることに異 存を覚えなかった。久しぶりに読み直して初読の昔の感銘がおおかた損なわれていないのをよろこんだ。松本清張の「ある小倉日記伝」とならんでの受賞だった が、ともに良い収穫であった。
 山田風太郎「みささぎ盗賊」は、器用に書かれたコケおどし気味の語り読み物で、それ以上でも以下でもない。語りでなく、品位ある散文でこれだけの中身が 静かに書けていれば、肌に粟したかもしれない。瀬戸内寂聴「ダッ妃のお百」(女ヘンに旦の字が再現できない。困ったことだ。)は文品低俗な読み物、他に言 葉もない。
 文品という言葉はわたしは昔から用いているが、あまり他では見ない。人品と比して読んで欲しく、わたしは「作品」にもそういう意味合いが本来あったと 思っている。作があり、その作に作品が有るか無いかはべつの批評であり、べつの価値観なのである。この読んでいる「戦後傑作短編50選」の「歴史小説」特 集のなかにも、作はたしかに五十有ろうとも、作品のある、文品のある文学は、寥々としているという事実を苦く苦く嘗めているわけだ、わたしは。池波正太郎 「看板」など、要するに文学の世界とは別の住人で、暇つぶしの読み物としてもあまりに低俗。娯楽としてもあまりに軽薄。こういうのが面白いと言われればそ れも理解するが、こんなものなら、たとえ書けても書かない。
 志賀直哉が「赤西蠣太」を書いたとき、同じ材料で同じ頃に寄席の講釈師が評判だった。だが直哉は、自分はあんな風になら「書かない」と断言していた。書 ければ何でもどのようにでも書くという書き手になんか、なりたくない。それが自分の手足を多少なり縛ることになろうとも。子母沢寛、海音寺潮五郎、久生十 蘭、山本周五郎、柴田錬三郎、山田風太郎、池波正太郎。みな通俗読み物の雄であるらしいが、偏見なく読み進めて、どれもみな文学作品とはほど遠い消耗品で しかなかったのは、残念なような当然のことのように思われる。べつものなのだ。
 娯楽。それはよい、その限りでなら。どれもこれもテレビドラマの「捕物帖」や「必殺もの」や「暴れん坊将軍」や「大岡越前」と選ぶところのない、ま、少 しは巧みな、娯楽作ばかりだ。
 

* 八月十三日 つづき

* 映画「釣バカ日誌」スペシャルをみた。三度目ぐらいか。それでも大笑いして、ほろりとした。理屈ぬきなのであ る。この映画の「ハマちゃん」「み ちこさん」夫婦の尊いのは、この二人をバグワンが徹して言っている「マインドを落とした人間」として描ききっているからだ。「スーさん」にはそれが分かっ ているから憧れているのだ、釣りがうまいからでも、愛想がいいからでもない。マインドという分別・思考・拘泥をこの主人公夫婦はほとんど持たない。ありの ままに自然なハートで行為し愛し生きている。「鈴木建設」の管理職達とくらべれば、明白。人がこの映画を愛するのは、気づかないでだろうがこの「どんまい =DO NOT MIND」夫婦の高貴さに惹かれているからだ、滑稽を嗤っているのでなく、逆に、この夫婦から嗤われているように「自分の寸足らずなマインドの日々」を内 心に恥じらうからだ。
 小泉純一郎の「熟慮」とはまさにその「嗤うべきマインド」の塊であった。「虚心坦懐」が聴いたら真っ赤になるほどマインドの固まりであった。人間として どっちが高貴であるか、あまりに明白である。
 

* 八月十四日 火

* 蒸し風呂に入るような二階へ、昼過ぎになって上がった。昼過ぎまで珍しく寝過ごした。むずかしい、夢を見てい た。
 神さまから、としておこう。人生の早い時期に、意味もなく、一つの小さなピンを貰った。八ミリ四方ほどの黒いつまみの画鋲のようだったが、それを服のど こかに刺してくれた。わたしは、ほとんど意識もしなかったし、身につけているとも忘れ果ててながく生きてきた。わたしの夢中の人生は、多彩で、波乱にも内 容にも運不運にも恵まれていた。その意味ではけっこう結構な歳月ではなかったか。しかも、その結構さに、わたしは好都合より不都合感を、清明よりは混濁 を、宥和よりは窮屈を、静かさよりは騒がしさをどうやら感じ始めていた。何なんだ、これは。
 そしてわたしは、初めて自分が身に帯びている黒いピンに目をとめ、それを抜いてみた。 すると、日々の暮らしが、多彩も波乱も運不運も落とし喪い、なん だが、ゆたゆたと有るとも無いともはっきりしないが、冴えないなりに晴れやかな、ものに追われないゆるやかに静かな時間空間にのんびりしていることに気が ついた。いくらか物足りなかった。で、黒いピンを刺し戻してみると、また、ものごとが忙しく回転し始めた。ワッサワッサと生きている自分へ戻っていた。 が、どうも、そんな騒がしさの底を流れている気分は、イイものではないのだった。いやな毒が感じられた。ピンをはずすと、みーんな忘れたように、ゆったり 暮らしていた。

* 「黒いピン」の夢だ。わたしは、まだ、黒いピンを捨ててしまえていない。ときどき抜いたりまた刺したりしてい る。それが恥ずかしいことに思われ る。黒いピンを抜き捨て去ってわたしは死ねるのだろうか。刺したまま死ぬまで生きるのだろうか。

* 昨日、大津の読者から、少し自分も関係した本ですと、原田憲雄著魅惑の詞人『李清照』を頂戴したが、これは碩 学によるもののみごとな名著である と疑わない。王国維による「中国の文学史を概括する名定義として廣く認められ」ているのが、井波陵一訳によると、以下の一文となる。
 「およそ一代には一代の文学がある。楚の騒、漢の賦、六朝の駢文、唐の詩、宋の詞、元の曲、どれも(その時代を代表する)一代の文学であり、のちの時代 がそのままひき継ぐことはできないものであった」と。
 李清照はその宋詞に卓越した第一人者といわれる女性であり、時期的には清少納言、和泉式部、そして式子内親王のちょうど間の時期をしめて活躍し、この日 本の誇る三女性の特色を兼ね備えた人であったと原田さんは説き起こされている。
「詞」とは日本で謂う歌詞に近く、主題は纏綿たる恋愛に材を得ることが多い。わたしも二冊の著書をもっているあの「梁塵秘抄」「閑吟集」などの内容と近い と想って見当はずれでなく、しかも巧緻な芸術性をもって宋という文化的に成熟し爛熟の気配もみせた大時代を代表したのである。この女流詞人はその宋詞の時 代を「婉約」の魅力により豊かに制したのである。
 原田さんの大著(朋友書店 6500円)は全巻、わたしに話しかけるように講話されている。耳を澄まして聴けば良く、詞はことごとく口語で訳されてい る。李清照の詞作全部が丁寧に克明に鑑賞されている。在野の、だが著名な碩学の手になるあくまでも学術的な検討を十分経た論著である、安心して読める。こ ういうプレゼントほど心の臓にふれて嬉しい物はない。読み進むのが楽しみで、かるく興奮している。

* さきの青山学院大学長であった内藤昭一さんから、今朝、照るように美しい甲斐の大桃十顆を頂戴していた。栃木 の読者からは二週つづきに、房実の 小さい、また大きい葡萄がたっぷり四箱も贈られてきた。その前には小ぶりの西瓜、特大の西瓜も続けて贈ってきて下さった。徳島の和牛もとびきり美味しく て、数日を夫婦で楽しんだ。息子もお相伴にあずかった。みな、湖の本のご縁。ありがたいことだ。

* 阿部真之助 阿部知二 青野季吉 有島生馬 芦田均 土井晩翠 土井光知 藤田嗣治 深尾須磨子 後藤末雄  原久一郎 長谷川巳之吉 長谷川如 是閑 長谷川時雨 林芙美子 林達夫 本多顕彰 堀口大学 細田民樹 藤森成吉 藤沢桓男 深田久弥 福田清人 舟橋聖一 飯島正 石川欣一 板垣鷹穂  伊藤整 岩田豊雄(獅子文六) 上司小剣 賀川豊彦 神近市子 片岡鉄兵 勝本清一郎 川端康成 川田順 川路柳虹 木村毅 岸田国士 北村喜八 小松清  小山清 今日出海 児島喜久雄 久保田万太郎 久米正雄 前田夕暮 正宗白鳥 三木清 村山知義 室生犀星 武者小路実篤 長田秀雄 中嶋健蔵 中村吉 蔵 中村星湖 名取洋之助 新居格 西脇順三郎 昇曙夢 野口米次郎 小川未明 岡田八千代 岡本かの子 岡本綺堂 大木惇夫 西条八十 佐佐木信綱 佐 藤春夫 里見? 芹沢光治良 島崎藤村 柴田勝衛 島中雄作 白柳秀湖 高浜虚子 谷川徹三 戸川秋骨 徳田秋声 徳永直 戸坂潤 豊島与志雄 鶴見祐輔  宇野浩二 和辻哲郎 山本実彦 山内義雄 横光利一 米川正夫 与謝野晶子 吉江喬松

* これはどういう顔ぶれか。日本ペンクラブに保存された最古の名簿のなかから、わたしにも分かる会員の名前を 拾ってみたもの。すばらしい顔ぶれが 並んでいる。二冊目三冊目となれば、さらに華々しいであろう。わたしは、こういう人々の遺作も電子文藝館に拾い上げたいと思っている。ケチなことは考えて いない「近代日本文学」と「文学者」とを揃えて世界に発信したい、それなのである。それも無償で誰にも読んで貰いたいのである。一人一作品などと限定して のことだが。こういう文学者がいたと、その人のためにも日本文学のためにも。上のうち、著作権の切れている人が初代会長の島崎藤村以下二十人ほどある。年 々に増えてゆく。
 こういう仕事も、「黒いピン」に刺激されてのことであろうかと承知しているが、こういう発想でこそわたしが少しでも役に立てるのなら、立っておこうと思 うのである。
 医学書院のころから書籍「企画」で働いた。ある年は、週に一度の企画会議に、一年中一度も休まず企画書を出し続け、多いときは二百枚を越す企画カードを もって、数百人の著者を一人で追いかけ回していた。医学や看護学は高度の研究書になると一冊に数十人の共著も多い。本に仕上げてゆくのは信じられないほど の力業であった。医学書院にわたしの残してきた単行本は、ウソのように数多かった。太宰賞を貰ったとき、鴎外や川端の優れた研究者として知られた医学書院 の長谷川泉編集長は、わたしを「A級のエディター」とインタビュアーに太鼓判を押してくれていた。今でも照れるが、嬉しくもあった。編集者の仕事がわたし はとても好きであった。もっとも、企画した本は研究書ばかりで、数は売れなかった。作家になってからも、幾度か出版社のために企画を提供したり、企画を手 伝ってあげた。こんな本が欲しいなあと思う、企画はそこが原点で、じつは、このやり方では売れる本は出来ないのである。譬えて謂えば、たくさん売れる通俗 読み物など「読みたいな、欲しいな」と思わないからである。

* 電子文藝館に関する電メ研のメーリングによる日々の意見交換は活溌だが、あまり先走ることもない。足元を見つ めて進みたい。今日わたしの送り出 したメールは、自戒のためにもここへ書き込んでおく。

* 只今は足元を  電子文藝館が、ペンの財源になるかどうかは、考えること自体が時期尚早で、今は、悲観的に予 測不能とむしろ考えていていいこと です。今から皮算用に走る必要はありません。目下は、ひたすら、無事に美しく「開館」することです。喜ばしきサイトを、豊かなコンテンツを、これは電メ研 全員の仕事であり、それも無償の仕事だということです。電子文藝館という発想も運営も、電メ研の非営利の仕事。将来財源になるならそれは結構なことぐらい に、事務局長の胸に今は預けて置くつもりです。事務局の能力も労力も、あまり今はアテにしない方が秋尾さんたちに親切です。「新館建設」という難事を事務 局は抱えていますから。
 ペン会員から電子文藝館へ何らかの寄付を募るようなことは一切致しません。
 電子文藝館が理事会で承認された一つのメリットは、他の事業に比して経済的に、つまり金があまりかからずに実現しそうだという点に有りました。電子メ ディアの工夫のしどころとして、金より頭を使えるだけ使おう、簡素・簡略な便法も生かそう、最初から金をかけて贅沢な完璧主義になど走らず、のちのち手間 をかけても、ゆるやかな時間的経過の中で、より良いリニューアルを重ねようというわけです。
 発案者の秦には、白状しますと、私の「e-文庫・湖」の立ち上げの際に、この「日本ペン電子文藝館」があったのです。自分のサイトで実験してみたいと。 少なくもコンテンツという面からは、行けると確信したので提案しました。基本的には、だから「e-文庫・湖」の「日本ペン版」が出来る、結局はそうなる、 それしかあり得ないだろうと予想しています。サイトの構造や使い勝手の工夫は別にしてですがね。
 秦の頭に、無事の「開館」には、基本が、二つ。
 万人がアクセスして、「差別も支障もなく適切に読めるサイト」、日本ペンが謙虚に、しかも誇りをもって世に送り出せる「優れた文藝・文章」の収集。
 余のことは、その先に自然に起きてくる問題で、その時の対処で足りると思っています。
 サイトの方で、倉持さんから、「化ける」という報告、これを気にしています。「化けない」ことを不動の原則に。また、ディスク等で原稿を受け取るとき、 その原稿に手を加えることは、よくよくでないと出来ません。一度校正を出すにしても。そのためにも、寄稿者全員に簡単に理解可能な「手順・方法」の提示が 前もって必要。ルビなど、うしろに括弧して入れるなど、簡単明瞭な指示がやはり統一可能で、有効ではないかと、今も思います。誰もが正確に、首をひねらず にすぐ出来ることですから。届いたディスクをすべて点検し、こちらで書き換えるなど、事実問題として不可能ですから。オドリも、「いろいろ」「たまたま」 でいいですよと事前に告げておく方が、やはり遙かに簡明です。寄稿者は、みな「機械の初心者」であるという認識をあえて「根」に置いておきたい。
 コンテンツの方ですが、著作権の切れた方の作品選びをしますので、スキャンと校正の出来る方、スキャンは出来ないが校正の出来る方、図書館等でコピーの 頼める方、ここ暫くの期間、幾つか担任していただくことになります。動き始めたいと思います。

* 「黒いピン」が刺さっているようだ、まだ。
 

* 八月十四日 つづき

* 元気でおります。
 恒平さん、 久しくメールが途絶えて心配をおかけしたようです。年齢相応の故障はありますが、ま、贅沢は言いますまい。いよいよペンショナーと呼ばれるようになりまし たが、身も口も達者な方だと思っています。5月から10月までの観光シーズンは、その口を生かして終日観光バスのマイクを握っています。ガイドは一種のエ ンタテイナーとでもいいますか、、、笑いをとりながら客をケムに巻くおしゃべりも楽しいもので、、、。その間を縫ってカナダの新聞と日本の雑誌への定期的 な寄稿といった、気楽なセミリタイヤメントなのです。
  ホームページは拝見していますから、恒平さんの近況はよく伝わっています。一方通行になってしまい、これも”片便り”というのでしょうか。湖の本も読ませ てもらっています。そのわりに読後感といった個人的な反応を書き送らないのは失礼な気もするのですが、それは32年の昔、太宰賞受賞のニュースを聞いたあ の時の感懐につながるのかもしれません。友人がいよいよ世に出て、文学のプロ、アマを問わず不特定多数の読者に恵まれた執筆生活に入る、、、失敬をかえり みずに言えば作家としての”巣立ち”だと思ったのです。もう自分などが見当はずれの批評を書き送らなくても、、、という気持ち。期待通りその才能が世に認 められ、旧友のひとりとして我が意を得た思いであったあの時のことが記憶に甦ります。現在はユニークな出版形態の中で”特定多数”のすばらしい読者の支持 を受ける数少ない幸せな作家だという認識です。
 2年前に初めてHPを開いてビックリ仰天の思いだったことが、一つあります。私の知る恒平さんは、常に時の流れに超然として”我が道をゆく”おもむきが あり、そんな世離れしたところに秦作品の特徴があるのだと解釈していたものですから、「生活と意見」のようにドロドロした時流に棹さす時評には「へえー」 という気がしたものです。いや、それがどうこうというのではありません。「フムフム」と頷きながら呼んでますからね。
 ところで、新首相の小泉さんとやらにも困ったものです(海外居住者にも選挙権がありますので、すこしは悪態をつく権利はあるでしょう)。靖国13日参拝 などと、足して2で割ったようなのはお笑い種です。強行か、止めるか2つに1つであるべきでしょうに、、、。
 わたしの岳父は57年経った今も南海トラック島沖の、みな底に眠ったままです。かりに遺骨が収容されても靖国の社とやらへは帰らないでしょう。実のとこ ろ、そんな神社が東京のどこにあるのかさえ私どもは知らないのです(知りたくもなし)。初めての子を宿した新妻を残して散った人の無念が晴れることはない でしょう。そのお社を肉親の霊の鎮まる所と信じる人達を誹謗する気はありませんが、遺族などという言葉でひとくくりにしないでほしいものです。

* 久々にカナダからの友の声を聴いた。

* 重大な新聞報道があった。警察庁が、全電子メール傍受の態勢に入るべく容易を始めているというのだ。ブラック リストというか、この人間は傍受対 象にしますと氏名を記載したものを渡されると、プロバイダは傍受機器をそのメーラーに合わせ取り付けるのだという。メールはプロバイダに入る直前で警察庁 の機器にすくい取られる仕組みだという。まさしくサイバーポリスの時代が始まろうとしている。NGO活動等の抑圧も考えているだろうが、国民生活への莫大 な大きさでの人権侵害が始まる、今に始まったことではないが。それもこれも盗聴法成立に伴う合法措置だと警察権力は身構えている。電子メディアに身を寄せ ている人達の猛然たる批判をまちたい。
 

* 八月十五日 水

* 電子文藝館の実験過程が沸騰している。いいことで、予期以上にモノが煮えている。もし、真夏ですから秋になっ てじっくり考えましょうと言ってい たら、これは流れていただろう。まだまだ危険性はあるにしても、関係者がこう踏み込んでいれば乗り越えて行けるだろう。やがて会報で全会員に告知される。 進水だ。委員会のほかにも小刻みに小さな打合会も必要に応じ重ねたい。勝負は長くて年内になろう。会長作品をはじめ、少なくも十人以上の作品で開館でき る。あとは、ゆっくりと雪の降り積むように増えてゆけばよい。
「秦さんの言われる「今の私のこの機械等でも『支障なく読みとれる電子文藝館』を志向します。同じそういう人が大勢いるものと仮定して、その代表者として も。無条件で読めること、という意味はそれです」という目的は、原則的で、極めて大事なことだと私も思います。大変でしょうが、是非、この目的を達成する 形で、「電子文藝館」を立ち上げたいと思います」という一委員の声を生かしながら進みたい。

* 大原雄さんのホームページの中の「双方向曲輪日記」に、きのう、次のような書き込みがあったのを、御諒解を得 て転載させて貰う。後段の問題に は、「秦さんも書いていらしゃいますが、この問題は、かなり、由々しいものだと思います。日本ペンクラブでも、きちんと対応すべき問題だと認識しています ので、私も声を出しておきます」とある。

* 8・14  けさは、曇り。甲府盆地も、周辺に山などなさそうに見える。朝刊各紙には、橋本龍太郎以来5年ぶ りの、現職総理の靖国神社参拝問題 の大見出しが踊る。小泉総理の判断や、談話、テレビのインタビューを見たり、聴いたりしたが、口跡で、はっきり言っている割には、内容が短絡的で、説明が 不充分。政教分離という司法判断でも違憲の疑いがあるような大事な問題だから、総理として、きちんと説明すべきではないか。個人の心情やメンツと原理的な 問題に対する考察のどちらが、大事か。マスコミの論調も、その点を突いている。この問題は、参拝の是非もあるが、一国の総理としての歴史認識と現状認識と いう問題なのではないか。政治家の「見識」こそが、問われている。
 きょうの新聞記事で気になったこと。警察庁が、通信傍受法に基づいて、電子メールの傍受装置を開発し、とりあえず、16台を全国の主要警察本部に配備す るという。プロバイダーのサーバーに届くメールは、すべてこの装置を通過する。国民のメールは、すべて傍受されることになる。信書の秘密もなにもあったも のではない。警察の運用としては、傍受対象者以外のメールは、傍受しないということだが・・・。プライベートに関わることは、メールを利用しないというこ とだ。
 
* 要点はこうだ、「全メール傍受可能 警察庁、専用装置=通信事業者貸与用仮メールボックス開発へ」と新聞は見出しをつけている。盗聴法成立後のいよい よ活用期に入ったわけだ。「傍受令状」に一度氏名を記載されれば、日常のメール内容はすべて「記録用のFDに自動複写」される。世界大盗聴システム「エ シュロン」といい、この「仮メールボックス」といい、憲兵以上のサイバーポリスの時代は明らかに始まろうとしている。電メ研、言論委、日本ペンとしても看 過できない。目を皿にし、関心を注ぎ適切に動きたい。絶対に気ままにこれをゆるしてはならない。
 同内容ながら警察庁の「全メールの傍受可能」の情報がとして、読者から、東京新聞の記事(8/14夕刊)も届いているのを再録する。

* 警察庁は14日までに、昨年8月に施行された通信傍受法に基づき、電子メールを傍受する専用の傍受装置を本年 度中に開発し、16台を主要警察本 部に配備することを決めた。装置が設置されるとプロバイダーのサーバーに届くメールはすべてこの装置を通過することになるが、同庁は「傍受対象者のメール のみを自動的に選び記録する。対象者以外のメールを傍受できない仕組みになっている」と説明している。(以上、リード)
 装置の名称は、「通信事業者貸与用仮メールボックス装置」(仮メールボックス)。傍受対象者が契約しているプロバイダーのサーバーが送受信するすべての 電子メールのうち、傍受令状に記載された対象者のアドレスに基づきメールを選び、記録用のフロッピーディスクに自動的にメールの内容を複写する。現行の傍 受システムは、警察がプロバイダーに依頼してサーバー内に傍受対象者のメールボックスをもう一つ作り、受信内容をプロバイダーから提供してもらう方法を 採っていた。
 新システムでは傍受対象以外のメールも傍受装置を通過することになる。警察庁は「仮メールボックスを取り付ける際には、傍受令状に記載された傍受期間を 設定、令状に記載されたアドレスを設定しなければ装置は作動しない。令状記載のアドレス以外のメールは傍受できない」としている。通信傍受法は組織的殺人 や薬物、銃器取引、集団密航の4種の犯罪捜査に限って、裁判所の傍受令状を基に捜査機関が電話やファックス、電子メールを傍受できる。昨年8月15日に施 行された。(以上)

* こういう施行細則は簡単に運用が拡大され、しかも事実確認がわれわれにはほぼ不可能な、真暗闇での処理にな る。
 

* 八月十五日 つづき

* 昨夜は、バグワンのあと、明け方近くまで、「秦氏」の本と、「李清照」と、もう一冊夫人の編集に成る「追悼米 田利昭」を読みふけって、ほとんど 寝そびれてしまった。寝入るために、その前夜につづき、能の曲名を数え始めた。前夜は103番を指折り数えた。ゆうべは90足らずまで思い出して寝入った らしい。
「秦氏」の移動移住の道筋がかなり具体的に読みとれる本で、それが興味深い。ゆうべは長野県の秦氏が、越後新潟県や土佐にまで及んで長曽我部氏に至ること や、近江との関連や、すてきに夢を誘う微妙な歴史的な軌跡に唸り続けていた。
「李清照」では、いま、詞史をおさらいしながら、詞の文学的な魅力やその有力な担い手について認識を新たにしている。この辺をしつかり耳に聴いておくこと は、李清照の魅惑に触れるための前運動として欠かせない。
 そして亡き人「米田利昭」へのモゥンニングワーク=悲哀の仕事の一冊。これが、予期以上に遺稿の論考部分が面白くて、やめられなかった、望外の収穫、有 り難い読書だった。
 なにげなく田山花袋の「『一兵卒』と啄木の日露戦争」から読み始めた、その「一兵卒」への視線の差し込み方がつよくて面白いなと、つぎに「歌くらべ『東 海の』」という啄木作の短歌に関する蘊蓄と珍解を読んだ。これも面白く、それならと、次の絶筆となった「論考『雨ニモマケズ』」を読んだ。自解を書かれる 前に亡くなったが、これまた相対立する谷川徹三と中村稔の論争の紹介その他が、興趣横溢、唸らされた。おしまいに「子規の自立─子規と芭蕉、『古池や』 『瓶にさす』『鶏頭の』」を興味津々読み終えた。みな、わたしの高く評価する句であり短歌であり、小説『糸瓜と木魚』にも大切に取り入れて私なりに作中で 論究してきた。
 おう、米田利昭とはこういう論客でもある歌人だったのかと認識をあらため、論文読みの好きなわたしは、失礼ながら短歌よりずっと面白いなあなどと思っ た。遺稿集とか追悼集というのはあまり読まれないのかも知れないが、わたしは努めて読むようにしている。近来、嶋中鵬二夫人の『編集から』が、また松尾聡 夫人らの『論文集』が優れて印象に残っていたが、米田夫人のによるこの本も、これほどわたしを寝入らせなかったのだから、たいへん優れた内容と言って良 い。無縁に過ごした歌人であったが、こうして遺稿追悼集を贈っていただき感謝する。

* とはいえ、暑さのせいもあるがひどく疲労している。仕方がない。しかし三日間酒を飲んでいない。血糖値も問題 ないし体重も増えていない。睡眠は 時間をずらして補うようにしている。「脅かすわけではありませんが、気持ち程には、無理は利かない身体の筈です。頭でっかちにならずに、くれぐれも体調に お気をつけて」と心配してくれるメールもあるが、この「頭でっかち」はどうなのだろう。身も蓋もない非難でかわしようもないが、自分は極力マインドで、思 弁や分別で、は生きていない、自分の為しているなにもかも、少なくもここ一年二年はみなハートから血を迸らすようにして生きてきたと思っていたが。甘いか も知れない。つもりは、そういうつもりなのだが。「黒いピン」をさしたままの仕事では、やはり頭でっかちの仕事なのだろう、か。妻はどう謂うだろう。

* 山折哲雄氏との対談集に跋文を書いて送った。「抱き柱はいらない」と。書いてドキッとしている。六十五年六 年、わたしがそんなことをはっきり書 いたのは、初めてだ。法然や親鸞を見捨てたと謂うことになるのか。なにかしら長篇『親指のマリア』を書きながらの新井白石に身を寄せていたときの気持ちに 近い。
 

* 八月十六日 木

* 早起きして。ああ今夜の京は、大文字やなと想った。亡くなった人をつぎつぎに思い出す。

* 私は黒いピンをはずすと 物足りないどころか 不安になります。落ち込みさえします。ゆったりとしたありのま まの世界に身を置くことができない のです。黒いピンを刺して 約束事 を果たし、課題 をこなし、役割 を演じる ゆっさゆっさとしたせわしない時間にいるときのほうが、気持ちが安定する のです。まさに マインド のかたまりですね。
 黒いピンを抜いて 静かにたゆとう世界に身を置いたときに 気持ちが楽になれるようになりたいのです。
 いつとはわかりませんが幼い頃 黒いピンをそっとつけられた思いがします。ああ、私の周りに何人も、黒いピンを、そうとはしらずにつけている人たちがい ます・・・。あなたのお話でそれに気づきました。黒いピンを 意識して時々はずしてみることにします。

* 思うままには取り外しできない、その存在に自覚的に気づきもしていない、のが「黒いピン」のようです。ある時 期まで、抜こうにも抜けないのが 「黒いピン」のようです。まして抜けたらかえって不安になる人には。しかし、あなたはとにかく一つの視点を持ったのではないでしょうか。ドンマイ (don't mind !)を呪文のようにとなえてでも、マインドまみれの多忙な日々を少しでも軽く明るくしたいもの。深い楽しみをもてることも大切かと。
 

* 八月十六日 つづき

* 梅原猛氏に少しながい手紙を書いた。文藝館の進行報告と依頼のことと、その他。
 次いで、これも少しながい「湖の本」のための跋文を書いたが、これは書き直すことになるだろう。
 気になっていた散髪に。盆休みかと案じていたのに、ずっと店は明いていたと。綺麗さっぱりしたのはいいが、夕食後に右脚に激しい痛みが来て、かなり苦し んだ。痛みに耐えて全身が疲労した。左の肩にもきつい痛みが派生し、脚もにぶく痛んでいるが、歩いて二階へ上がってこれた。明日になれば軽快しているだろ う。叔母の茶室このかたの懐かしい人が、「しばらく入院して、痛んでいる所を修復することになりました。いったんこのメールをクローズいたします。再開し たら又お遊びいたしましょう」と。七十は、この時節若いとすら言えるけれども、やはり人のことは心配だ。
 もうとっくに大文字の火は落ちている。父の十三回忌に行くのは、そういえば地蔵本の頃に重なる。盆踊りをしているところがあるだろうか。急に胸がおどっ てきた。
 

* 八月十七日 金

* お躯の変調、お案じ申しています。ご無理が積もり、夏の疲れも積もってのことでしょうか。どうぞ、おたいせつ に。
 わたくしの黒いピン、気づかせていただいて、抜いた、抜けたつもりでしたが、抜けていません。
 どうしてこんなに騒がしいのか、そう、おもっていました。どうして、いつも心落ち着かず、充足感がないのか、さびしいのか。そう、おもっていました。黒 いピンの存在に気づきもせず。
 子供のころ、乳歯がなかなか抜けなくて、歯医者さんに抜いてもらいました。麻酔注射をされ、それでも痛くて痛くて。
 黒いピンは独りで抜かねばなりません。耐えられますかどうか。
 今日、ひぐらしを聞きました。七階のわが部屋に、昨夜は、翅の先が茶色のとんぼが泊まってくれました。
 わが心の騒がしいのはわが心から。
 ヒットラーもどきの総理大臣や都知事の言動は、騒がしいでは済まされぬこと。隣り街にある私立学校は、例の歴史教科書の採用をきめました。

* 「黒いピン」をハッキリわたしの眼に見せて、奔走奔命している人が、疲労困憊している人が、心身消耗している 人が、何と多いことか。得意そうな 人も有れば悲しそうな人もいる。赤い羽根運動のときの比でなく、もう、わたしの眼には、われも含めてと敢えて言うが、無数に「黒いピン」を刺したまま、無 数に人の右往左往しているのが見えている。こんなに黒い世界であったとは。

* 山折さんとの対談の本のうしろに跋文を送ったなかで、わたしは、六十四年の分別にさからうことを書いた。全文 はまだ出せないが「抱き柱はいらな い」という題が一切を示している。わたしは抱き柱を求めていた。もっとも身に合ったそれが「南無阿弥陀仏」であったことは、『廬山』などの読者は分かって くださるだろう。
 法然や親鸞の教えを否認したのでも否定したのでもないが、有り難い易行の恩恵であると信じているが、鰯の頭と異ならないことも分かっている。いずれにし ても自身の外へ外へ何かを求めてみてもマジナイほどのことに終ってしまい、深い絶対の安心・無心はえられない。「黒いピン」を見知ったからは、外へでなく 我が内へ根源の痛みをみつめて生きるよりない。外にある柱に抱きついてはいられないと思った。この思いの前には、一切が無意味である。なによりも己が無意 味である。
 断って置くが、鬱の気味でこんなことを言うのではない。わたしの元気は、まぎれもない。

* テレビで市田ひろみという京おんなを、自身に語らせていた。わたしは前からこのはんなりした女性が好きで、機 会あらば雑誌「美術京都」の巻頭対 談にまねきたいなあと考えていた。むかし、浪花千恵子というすてきにうまい女優がいて、京おんなもしばしば演じていたが、どこかやはり大阪であった。市田 さんには、京おとこのわたしが、はっきり京おんなを感じる。とても懐かしい気がする。しかしあんなに洋風の若い顔で時代劇や現代の娼婦や悪女を演じていた 元女優とは知らなかった。着物やさんにしては、コマーシャルでも何でもえろう達者やなあと感心していた。

* 「雁信」と「編輯者から」を整理・掲載した。

* 庭の隅に 小さな野草園を作ろうとしています。小田急の各駅停車の乗り場の入り口に「野草」を取り扱っている お店があります。今日は「ほととぎ す」を二種類、「おみなえし」それから赤いききょうなど五種類ほど求めましたら、「あしたば」をおまけにそえてくれました。水をたっぷりとあげないと、こ の季節、なかなか根づいてくれないかもしれません。朝の仕事が増えました。田舎で育ったせいか、野の草や花に手を触れていると心和みます。もうひとつの小 さな花壇は紫サルビアと黄色い花、玄関の鉢植えも洋花なのですが・・・。
 昨日京都は五山の送り火。幼かった三人の娘達と昔 出町柳のあたりの賀茂川べりで眺めました。ただただ美しいもの・・・ と。今は、亡くなった人にとら われ過ぎないように、魂をそっとあの世に送り返す火なのかと・・・思います。
 

* 八月十八日 土

* 中国文学史での「詩」と「詞」とのちがいを理解するのは難しかった。教室でも「唐詩・宋詞・元曲」などと教え ては貰ったが、教科書にはもっぱら 李白や杜甫の詩がならんでいた。原田さんの「李清照」で、少しずつ詞の感じがくみ取れてきた。かなり複雑な表現上のルールがある。詩に平仄の法のあるのは 知識としては承知しているが、詞の平仄はさらに複雑微妙であるらしく、原音で原詞が読めないと理解できないが、原田さんの軽妙な日本語訳から察して読み進 むと、味わいが、添い寄るように身内に流れ込んでくる。七言絶句とか五言律詩とかとちがい、一句の字数がかなり自在に変化し、われわれの唱歌や歌謡曲の歌 詞に一番二番などとある、詞はその根源であったのか、謂わば一番二番というぐあいに聯になっている。すべてが恋愛詞ではなく、豪放に述懐したり自然描写し たものもあるが、総じて情緒纏綿の人情や恋情を個性的に表現している。オリジナルな例えば「小原節」とでもいった原詞ができると、さながら替え歌のていで 時代を超えて同じ「小原節」が出来てゆき、人気を博していたりする。作者は時の宰相であったり高官であったり碩学であったり大詩人であったりする。むしろ 大方が彼らの風流な余技かのように宋以前から作られていたのが、宋で大成する。魅惑の女流李清照はその大成者の最たる一人なのである。もともとは作曲され 謳われていた歌唱歌詞であったけれど、文藝の粋として発達し洗練されてゆく。
 今、蘇軾や王安石の詞を読み終えた。この二人は北宋での旧法と新法という大きな政策上の対立者としても知られ、政治的には蘇軾は敗れて都を逐われている が、ともに巨大な存在であった。すでに李清照は生まれている。読み進めてゆくのが毎夜就寝前の楽しみである。

* 米田利昭の遺稿は、昨夜は鴎外の戦陣での詩歌や、妻シゲへの手紙などを語ったエッセイを読んだ。駒沢女子短大 での最終講義は漱石の「吾輩は猫で ある」なのを最期の楽しみに残してある。鴎外という人はまことにフクザツな人物であった。仕方なく韜晦の二字を冠して分かってみたフリはするのだが、もっ と生得の性質なのではないか。自然の発露ではないか。そう想いたくなっている。

* 日本史ではことに、わたしは、人ないし人々の移動に興味がある。よく特殊な信仰をになって人が旅して彷徨して いた例は、中世に及んで聖や御師や 歩き巫女など毛坊主・濫僧のたぐいがいわれるが、もっと以前、上古ないし以前でのたとえば「秦氏」の全国的な移動分布の道筋、さらにさらに遡って水や海の 民がどのように列島の海辺から川を遡って山の民に変じていったか、などである。代表的なのは安曇の民。典型的な海の民でありながら山の民とも点在してい る。宗像は安曇にならぶ大水民・大海民で、「ムナカタ」とは「ウナカタ=海方」であるのは間違いない。そして全国に「ヤマカタ=山方」が存在する。山形や 山県になっている。「秦氏」もまた海にかかわる存在でなかったと言い切れぬ。「海=ワダ・ワタ・ハタ」の近縁は否みがたい。だがかなり根強く秦始皇帝と弓 月君やまた徐福伝説と関わり込んだ氏族伝承の多さも無視できない。秦氏の列島分布はまた日本国の帰化人政策とも関わっていた。政策的に分布定住を強いられ た展開と、その後の氏族や一族内での私的な移動の両面が、時期と時代を次いで想像される。『「秦王国」と始皇帝の末裔』」はなかなか面白い。この本のわた しなりの拡充は、老後探索の趣味として恰好の課題かも知れぬ。

* 歴史的にも、厖大な著述はのこしながら、出版という日の目をみなかった価値ある大業は、おどろくほど沢山あ り、いまも埋もれて、文献としての劣 化のおそれに瀕したり、すでに廃亡したりしている。紙の本のかたちで「出版できるだろうか」と、これが篤志の学者や創作者の無念の悩みであった。今は、ち がう。電子メディアにのこすことも公開することも出来る。あまりの便利さに、かえって追及の質が低く粗悪化することが心配される。だが、希望ももてる。
 このわたしの「闇に言い置く・私語の刻」など、紙の帳面に書き次ぐ日録であつたら、まず確実に埋もれたまませいぜい伴侶か子か孫までが読んでみようかと 思えばいい方だ。第一ひどい嵩になり保管も大変だ。だが、デジタル化してあるおかげで、またホームページで公開しているから、これでかなりの人の目にふ れ、口コミにものり、わたしの感想や生活は生きて動いてくれている。もの惜しみなく、わたしはわたしの感想や意見や着想までもここに書き込むことで「生き て」いると言える。
 歴史上の人物でパソコンを上げたいな、ホームページを作っていたらどうだったろうと思う人はあまりに多い。御堂関白記・権記・台記・玉葉・明月記などの 著者。徒然草、折り焚く柴の記、鶉籠などの著者。兼好でも永井荷風でもパソコンでなら、必然記事はより豊富に長めになったろうと想像される。彼らには紙と いう嵩のある金のかかる貴重な財を消費しているという自覚があった。そうそう長くは書けないことで文藝が光り磨かれた事実は大きいし、貴重である。わたし など、なにの遠慮もなく書くことで、まさに思いを「のべ」ている。短もあり長も必ずある。
 

* 八月十八日 つづき

* ADSLの二度目作業員が来てくれたが、またしても、こんどはハブとケーブルが用意できていないと言って、何 も出来ずに帰っていった。いま、布 谷君の組み立ててくれた機械と、もともとのNECノートとは、なんでも「チョク」で繋がれていて、ルータモデムを使って二台共にADSLが機能するために は、「チョク」をはずし、ハブとケーブル三本で新たに繋ぎ直してから設定しなくてはならんのだと言う。そんなことはわたしにはアタマから分からないし、予 測も出来ないし、どうにもならない。組み立て機械であるための悪条件なのか何だかも、わたしには分からない。分かっているのは、いつまでも出来上がらない ことであり、しかも開通による費用は支払わねばならないと言うことだ。やめてしまおうかと思ったが、もう一度我慢して、次の二十七日にもう一度来て貰うこ とにした。

* 早速神戸から。「今回はルータタイプのADSLモデムを持ってきたようですね。でも、何か不親切なようです。 韓国があれほどDSLが普及してい るのは国がモデムの取り付けまできちんと面倒をみているからだと何かの記事を読みました」と。「もう少しの我慢です。きっと、利便性が高まるはずですか ら」とも。

* 機械のことは全く難しい。しかし勉強しているヒマもなかなかとれない。パソコンのマニュアルや参考書を読むよ りは李清照やバグワンや古典や藤村 を読みたい。原稿を書きたい。一粒一粒の滴をためるようにしか機械の技術は覚えない。一つ覚えると前のを忘れる。それでいいと思っているから進歩しないの を嘆いたりしない。

*  もう、全快で元気モリモリですか。
 痛みの状態がどうなのかは、分かりませんが、一般的には、男性はお産の経験がないので、痛みに弱いと聴きます。経験のある私でも、脹ら脛が長時間(と 言っても数分らしい)攣れたときは、あまりの痛さに脂汗を出します。わりと頻繁にやってきます。マア、だましだまし付き合っています。
 昨日、桜木町の商店街をお買い物の自転車でサーと通り抜ける私を、大声で呼び止めてくれた人は、二十年も前にアルバイト先で一緒に働いていた十歳は若い 奥さん。その後二度ばかりスーパーなどで、彼女から見つけてくれて立ち話をしていますが、今回は五、六年ぶりの再会。
 自画自賛になりそうですが、私にとっては、とても嬉しい事なので、「ジコチュウ」の汚名返上の為にと・・・
 「あなた、よく分かったわね」から始まり、殆ど忘れかけている私に嬉々として話すので、聴いてみると、少し後輩だった彼女達にとても親切だったから、逢 えたのが嬉しくて、と、言ってくれるのです。寝耳に水とはこの事です。
 (余談ですが、昨日の夕刊に、「寝耳に水が入る」か、「寝耳に鉄砲水などの大きな音が聞こえる」か、語源の選択は難しいと結んだコラムがありました。)
 主婦向けに何時でも休めるメリットがあり、私は数年勤めましたが、半日でキャンセルする人もいた程に人使いの荒い、厳しい職場だったので、目立たない、 何気なくの心づかいがきっと好印象を与えて、親しんでくれたのでしょうね。横一列の女性ばかりが八割の仕事場では、良くも悪しくも多くを体験しました。
 ネ、見直してくださいネ。かわいいでしょう。
 このまま秋が来るかしら。まだ、無理ね。京都はそろそろ地蔵盆だから、涼風がたってると、身体が楽ですね。天然クーラーに勝るものなし。

* 「男性はお産の経験がないので、痛みに弱い」とは、言えているのかなあ。お見舞いのもらいようも、読者も、い ろいろだ。痛みは全身にしつこく 残って、大儀にだるいが、ちょっと元気をもらった心地。
 

* 八月十九日 日

* 就寝前の読書のしんがり四冊目に、とうとう婉約の詞人李清照に到達するまでの「前史」を通読した。原田憲雄さ んの巧みな趣向で、李清照による卓 抜の「詞論」にうまく沿うかたちで歴史が繙かれてゆく。この閨秀詞人は、原田さんによれば、じつに若く、二十歳前にこの「詞論」を成していたらしく、しか もその批評の正鵠を得て適切かつ辛辣なことは、引用されてあるその言句・文言ごとに、つよく頷くことができる。李清照の「批評」について原田さんの下して いる批評もまたみごとなもので、深く深く共感できる。すこし長いが引いて置く。文学を愛読するは、心して胸中に置きたい。曰く、

* 彼女(李清照)の育った家庭は、男も女もみな読書家でした。しかも当時の最高の知識人クラスだったのです。き かん気の彼女は、十五歳くらいまで に、家の人たちに劣らぬ読書家になっていました。われわれがいわゆるガリ勉によって手に入れるような知識ではなく、好きで好きでたまらずにする読書、従っ て彼女のなかでは、古典が感性となっていました。
優れたものと、そうでないものとは、詩であれ、散文であれ、舌にのせれば一滴の水でも、水道の水か井戸の水かが分かるように、判別されてしまうのです。そ のような感性は、批評の高い水準を自分の内部に持っていて、作品に対するとき、基準に達しないものは自然にふるい落としてしまいます。作者がどのような職 業のいかなる地位の人手あるか、などには関わりなく。
 つまり彼女の批評は、ジャーナリズムからは遠く、作品そのものの価値を問題とするのです。「詞論」における彼女の批評は、だから、詞の歴史のなかだけで 論じているのではなく、彼女に至るまでの中国文化全体を基盤として、新しい様式の詞がどれだけのことをそこで達成し得ているかを、論じているのです。これ こそ、二十一世紀になった今日でも、世界中のどこに出しても通る「批評」というものではないでしょうか。
 もちろん、彼女の下した判断が今日から見て全く訂正の要がない、などというのではありません。しかし、彼女の批評ほど本質的な普遍性を備える詩論は、中 国の詩話類にはそう多くありません。たいていは、ジャーナリズムに汚れているのです。わたしがここでジャーナリズムというのは、詞は詩や文よりも下級なも のであると初めから決めてかかる当時の文壇の常識にあぐらをかいた発言、詩人を論じるのにその家柄や官歴、文壇での地位等を問題にする態度、などわいうの です。

* 李清照が好きで好きでたまらず読んでいたのは、優れたいわゆる「古典」が主であった。通俗読み物では決してな かった。さもなくて一滴の水から、 水道水か井戸水かを味わい分けるような作品の優劣の批評や選別は出来ないのである。この少女はジャーナリズムの汚れた低俗に引き込まれていなかった。これ は、大事なことである。いまわれわれの文壇で行われている批評の大方は、出版ジャーナリズムに奉仕し迎合し、かなりに汚れている。大きな文筆家団体の年度 のアンソロジーが、見渡しての選別でなどあったためしなく、じつに商売寄り仲間寄りに偏っている。作品よりも作家のネームバリューや情実の関わりで成され ている批評や選抜や授賞が多い、多すぎるのである。
 かくて、李清照の「詞論」に沿いながら的確に、簡潔に「詞」の歴史が前史、黎明期を経、柳永、張先、晏殊、欧陽修らを前駆とする、蘇軾や王安石や晏幾 道、賀鋳、秦観、黄庭堅ら近時の大家・名家にまで至りつく。そして李清照自身が登場してくる。秦観の「千秋歳」を掲げておく。原田さんの訳である。「?」 の字は「苑」のヘンに「鳥」のツクリ。
 

水辺沙外        水べ 砂州のかなた
城郭春寒退       市街にも春の寒さはなくなった
花影乱         花かげ乱れ
鶯声砕         鶯の声がさざめく
飄零疎酒盞       おちぶれて酒うとましく
離別寛衣帯       別れてからは帯もゆるんだ
人不見         ひと見えず
碧雲暮合空相対     青雲の暮れてなびくを見つめるばかり

憶昔西池会       憶えば昔 西池の宴で
 ? 鷺同飛蓋      すぐれた人たちと共に遊んだ
携手処         そこに今
今誰在         誰がいようか
日辺清夢断       都への夢断たれ
鏡裏朱顔改       鏡の顔は変わり果てた
春去也         春は去り
飛紅万点愁如海     千万のくれない飛んで愁いはさながら海 

* 「淡雅清麗」「和婉醇正」などと評された秦観を李清照は「感情趣致に主眼をおき、知的裏付けに欠ける。たとえば貧しい家に育った美女が、あでやかにふっく らしていても、富貴な感じに乏しいようなもの」と評している。鋭いといわねばならぬ。
 いよいよ、その当人の詞に触れてゆく。まだ、頂戴した古賀晋さんにお礼も申し上げてないのは、恐縮。  
 

* 八月十九日 つづき

* おそろしく早起きして、いろんな用事を旅の前にとどんどん片づけてしまい、郵便物なども送り出せたので、思い 切って気になっていた「北野天神絵 巻」のいろいろを見に、昼前から上野の平成館へ行ってきた。比較的空いていた。天神さんはすごい底ぢからで、びっくりするほど豊穣に絵巻を産出されてい る。裕福なんだ。総じて仕事の丁寧なのにも、制作年度が近世期に多く及んでいることにも感心した。
 仏像にも、書跡にも数点印象ふかいものが在ったが、いまは時間がなく何も書かない。 本館へわたり、これまた丁寧にほぼ全室みてまわり、足の裏も痛く空 腹であったけれど、東洋館へも久しぶりで入ってきた。歩き疲れで足の裏まで痛くはあったが、いい気の保養になった。天気もほどよく、さほど汗もかかなかっ た。三館を一度にみんな歩きまわったのは初めてだ。
 精養軒でうまい昼飯を食い、赤のワインを二杯。

* あすから三日間、妻と小さな旅に。父の十三回忌も。その用意や、メールの始末で、書き込みの時間がなくなっ た。
 

* 八月二十日 月

* 西風が運ぶ浪速の37度。秋まで、彼岸へ避難して、仮死で、夏期を過ごしたい。西の暑さに耐えかねて、雪国育 ちの雀が飛んだ、先は西方、バケ 雀。ビル火災で、救援がそこまで見えているのに、熱さに堪えきれず窓から飛び降りる。その気持ちがわかります。ヒートアイランド大阪の熱を連れてくる西風 が原因らしいのですが、25度ー35度の日が殆ど休みなく、しかも今年は長丁場。熱中症にもなりかけましたし、西日本の暑さに降参、疲れた、眠い…。台風 の風になってきました。備えをしておかなければ。雀

* この悲鳴がただのユーモアではないほどの暑さらしい。異常だ。その西の方へ、父の十三回忌法事に今から出向 く。すぐ帰ってくる。黒いマゴ猫と家 の、無事を祈りながら。台風が来ている。だが、この分なら傘をささずに出掛けられる。
 

*  八月二十日 つづき

 * のぞみの二時間あまりで、電メ研のメール往来を読み直し始め、他委員のと、加藤弘一氏のと、わたしのと、に 三分して置いたうち、他委員のとわ たし自身のとをまず読み通し、朱線や書き込みを終えた。大変な量である。同量ほどの加藤氏のメールを次いで読むことに。

 * 河原町の京都ホテルにはいるとすぐ吉田にいる姪街子に電話して、北澤恒彦のお墓のあるお寺を教わる。ホテル の部屋の窓からおよそ見通せる、仁 王門通り近くに専称寺はあった。妻と歩いて行った。途中日蓮宗本山の一つである頂妙寺境内に入ってみた。風格のある大きなお寺だ、その門前で妻は花を買っ た。仁王門通りを歩いたのは初めてかも知れないが、この辺は京の東寺町で、たくさんな各宗派の寺が群集しているのは知っていたし、そういえば狂言の茂山千 作、千五郎の襲名式を取材しにこの辺へ来たなと思い出した。あるいはこのお寺ではなかったかなと思う、その真向かいに浄土宗専称寺はあった。
 墓がどの辺かは街子に聞いていて、「北澤」という同じ苗字の家のお墓がないかとも確かめていた。無いということだったが、妻が先ず見つけたのは、無いは ずの他の「北澤家」の墓であった。
 暗に予測していたが、その墓には、北澤式文という名前で水塔婆があげてあり、間違いなくこの式文氏は北澤六彦氏の子息で、たぶん元京大薬学部の教授、小 さいときにわたしのために子供用の自転車を譲ってくれた五つ六つ年かさの人、その当時は「ショウヘイち
ゃん」と呼ばれていた。父六彦氏はわたしの入学した頃の市立有済国民学校の教頭で、やがて校長としてよそへ転任して行った。わたしを、元京都府視学だった 祖父吉岡誠一郎との縁でであろう、始末に困っていた幼いわたしを秦家に「もらひ子」として世話をしたのが、この北澤六彦氏であり、その斡旋で、もともと 「吉岡」と名乗らねばならぬわたしが、国民学校時代を「秦」で通せた。秦と養子縁組の出来たのは新制中学入学の直前であったのだから。
 北澤六彦家は知恩院下、白川沿いにあって、奥さんは助産院をもっていた。長い間、何も知らぬままこの北澤家を親類のようなそうではないような、奇妙な気 分で眺めたり触れあったりしていた。いつしかに疎遠となり、しかし、気持ちの上では切れようのない不思議な家の一軒だった。
 実の兄が「北澤恒彦」ということを知った頃からは、ますます「北澤」が気になる名前になっていた。ショウヘイちゃんの北澤と、兄の貰われていった北澤と がどんな縁になるのか、なにも知らずじまいに今日まで来ていた。

* ああ、やっぱりなあと思った、兄恒彦やその養父北澤氏と同じ寺の墓地に、北澤六彦氏も眠っていた。だが、両家 の墓はやや離れて全く無関係らしく 存在し、庫裡で大黒さんに確かめても「遠い親戚やろかな」という具合であった。街子にもあとで確かめたが、何も知らないようだった。
 何十年ぶりかでわたしは北澤六彦・式文父子の名に、墓地で出会って、感慨深かった。
 
*  兄のほうも北澤家累代之墓とあり、夫人や恒、街子、猛らの名のある板卒塔婆が立っていなかったら、実感はもてなかっただろう。いや、不思議なほど兄の納骨 されているお墓にわたしは実感がもてなかったと告白しておく。花を立て、線香をあげ、水で墓石をあらい卒塔婆にも水を掛けたが、兄の存在感はとくに受けな かった。感じとれなかつた。子供達は三人ともしっかりやっていると思いますよ、よく育てましたねと声はかけたが、すこし照れた。それでも、わたしは、すこ し妻がうしろに下がっていた間に、水塔婆を墓石に立て、高唱十遍の念仏を一人であげた。おりしも大型台風が接近していたとはいえ、それまではなりを静めて いた林立する墓地中の卒塔婆が、まして目の前の兄や兄の養父の卒塔婆が、すさまじく震動して鳴り続けた。おやおやと思いながら、高声南無阿弥陀仏を十唱し 終えた。そして辞去した。
 専称寺は風情のある佳いお寺だった。我が家と同じ浄土宗であることも、親しめた。玄関の奥の奥庭が深々と見通せて、清い眺めであった。

* 仁王門通りを東へ出て、東山通り東北の角店で、生八つ橋でお茶をいただいた。すこし買い物をして、東の疏水べ りに立った。小鴨が群れていて、わ たしたちに餌をもとめて寄ってくる。買ってきた菓子のカステラ部分をちぎってやると、競うように二十も三十も寄ってきた。鳩まで沢山来て、笑ってしまっ た。
 観世会館の東から白川ぞいの道を、走り寄るように降り出した雨に、傘さして、ゆっくり歩いた。古門前から三条までの白川沿いも好きだが、三条の北、平安 神宮の大鳥居の足下までつづく家並みのかげの弓なりの白川道も、ひとしお風情の隠れ道である。
 三条へ出て、白川沿いにもとの北澤助産院のほうへと踏み込んだ、まぎわの家のショウウインドウに、それはみごとな島岡達夫の湯飲みが飾ってあるのに吸い 寄せられた。人間国宝の名品といえる美しさに、雨中立ちつくした。八万円は安いと思い、買えるだけは持っていたが、よした。そのようにして買ったりもらっ たりした逸品が、つい使われずにしまいこまれているのだから。ぐいのみにも、湯飲みに劣らぬ一品があったが、それも手にもたせてもらっただけで満足し、失 礼した。モノに執着し始めるとキリがなく、モノの行く末を思うと心細くなる。分かる人がもっていて愛用して欲しい。

* 雨が激しくなったので三条通白川橋から車で四条河原町へ走り、「ひさご寿司」に入って主人夫婦に歓迎された。 二階で「新作」の季節の献立で食事 した。河原町商店街のために原稿を書き、その用の顔写真をと頼まれていたのを、届けに寄ったのだ。
 この店は兄恒彦が中小企業経営診断士の資格で綿密に懇切に指導し、みごとに人気の店に大成功させたゆかりの店で、実のところ兄とただ一度食事をして話し たのが、この店でだった。わたしもこの店のためにコマーシヤルのまねごとのような短文を書いたことがあり、湖の本は全部買って貰っている。
 二階の客席に、広田多津の舞子図と堂本元次の風景がかけてある。二つとも佳い。ああ、こういう格の店になってきたなと嬉しかった。佳い絵をみきわめ、さ りげなく掛けてある店は、なにかがちがう。ひさご寿司にも老舗の風格が添ってきたかなあと、勉強家の夫妻の多年のガンバリにいつもながら気持ちよかった。 寿司はむろんおいしいし、やすい。流行るわけである。

* 手洗いの小窓からのぞくと裏が、お寺。そして裏寺町への抜け路地が出来ている。南隣りに大きな「ドーパ」店が 出来ている、ワキに、ひさご寿司と の間に、抜け路地が通ったのだ、妻とわたしは楽しんでその小径から裏寺町へ、そして新京極へ入り込んでいった。めったに歩かない新京極も、雨の日には傘が 要らない。台風が来て降り籠められるようなら映画を見るかと下調べの気分で新京極に入ったのだ。ここは、今々の商品で溢れた店々にまじり、錦天満宮だの誠 心院だの誓願時だの立江不動尊だのと、古いこぢんまりした寺社が違和感なく目に付いて、面白く、感じ入ってしまう。ふしぎとコスモポリティックな喫茶店の カウンターでエスプレッソなどのみながら表の道を見ていると、キャピキャピの若い女の子用の服をけばけばしく吊しているすぐわきに、「和泉式部」の名を書 いた誓願時墓地の入り口があいている。京都やなあと話しながら、いつになく妻が、「京都」という街の希代な底力を感じる感じると感心するのがおかしかっ た。
 六角ちかくの、センスのいいデザインと一品ものの店さきで、わたしは妻のために佳い服をまた見つけ、妻はよろこんで買った。旅の途中ですぐにも着られる 落ち着いて冴えたものであった。

* 三条通りをゆらゆらと大橋まで出て、雨のこやみに川をながめ、木屋町からホテルへ戻って行って、もう一軒、ホ テルの東隣の「Hill of Tara」というワインとビール店に入った。たまたま隣り合わせた老音楽家の青山マサオ氏と、ひととき歓談。八十何歳もの陽気な、かつて東京芸大の先生で あった。わたしはギネスをのみ、赤ワインをのみ、マリブのような甘い濃い南の酒も楽しんだ。雨がひどくなっていたが、宿はすぐとなりだ。
 なかなかの京の半日だった。部屋へ戻ると、目の下に、高瀬川一の舟入りわきに、小説に書いたことのある大きな庭が見下ろせる。鴨川や洛東の街の向こうに は東山三十六峰の濃いかげが、雨気にくろぐろとうるんでいる。台風は、四国と紀伊半島の南海上にいて、もうやがての本土上陸をテレビは繰り返し伝えてい た。
 
* 八月二十一日 火

* 起床、すぐ、テレビの台風ニュースを横目に、光明山常林寺に電話して、この台風しだいでは東京へ帰れないおそ れあり、できればお参りを今朝のう ちにとお願いして、十時前に、出町「萩の寺」に入った。
 雨のこぬまにお墓を清めて参り、本堂で、わたしと同年の住職と長男である若住職とにお経をあげていただく。わたしも妻も、唱和。我が家の法事にはよその だれも混じらない。混じるような親類も親戚もまったく無いわけでは無いが、九十過ぎて死んだ父や母を見知っている人はもう誰もいない。独身で通した叔母も 九十過ぎていた。叔母の社中が命日近くには参りに来てくれているようだが、いっしょになったことはない。いつも、我々夫婦でお寺に参り、住職たちと声を揃 えて読経する。明日の十一時の約束が、台風のため急遽今朝の十時になっても差し支えること、何もない。卒塔婆はちゃんと書いて貰っていた。若い住職がお墓 の前でも焼香し読経してくれた。萩の寺らしく、花はまだだが、前庭は溢れんばかりの緑の若葉に盛り上がっていた。しとどの露に、墓地と庫裡の往来のたびに 清々しく濡れた。
 おかしな檀家かもしれないが、受け入れて貰っている。時には頼まれて檀家たちの前で話したり、「光明」というお寺のパンフレットに原稿を書いたりもす る。

* 台風の影響が深刻になり、今日のうちに東京へ帰れれば帰ろうか、明後日にもその翌日にも大事な会議を控えてい るし、と、お寺から急いでホテルに 戻ったら、街子のファックスがフロントに届いていた。「おじさま、おばさま」と書いて、「十分でも逢いたい」と。昼ご飯においでと電話した。
 一時前に、ホテルの「入舟」で京料理を食べ、街子はいけるくちなのでと、姪をダシにして冷酒「玉の光」とワインを飲んだ。口の重かった街子が、すこし話 すようになり、父親が、恒彦がね「蟹が嫌い、形がこわい」と言う人であったなどと、面白い話も聞かせた。万里小路の家に仏壇は有るが、父の位牌は伏見に住 んでいる母親が持ち帰っているという話も耳にとまった。よく知らないが、兄生前は微妙な仲の夫婦のようであった。晩年は殆ど別居していたと聞いている。街 子の今一人で住んでいる家は、父と祖父との遺してくれた家、黒川創が小説「もどろき」に書いた家だ。恒彦は最晩年はここに老父と住み、老父の入院中に自決 した。熟考しての末であったことがわたしには分かる気がする。
 
* 部屋に三人で戻ってろいろ話しているうち、上賀茂神社を知らない行ってみたいと街子が言うので、すぐタクシーを雇って、雨の上賀茂へ賀茂川ぞいに走っ た。まだ、さほどひどい雨ではなかったが、しとどに降っていて緑はしたたる色佳さ。車を待たせておいて、参拝した。本殿のまえから御手洗川のすぐ上の方ま で足をはこび、木々に覆われて波打つようにいろいろに変化を見せている建物の屋根の美しさを、三人で見上げてきた。
 円通寺まで車をまわしてみたが、台風をおそれてか門をとざしていた。それでも京北の里から里へと小径を縫うてのドライヴは、雨の山も木も家も見ばえし て、静かに静かに目にしみた。
 宝ヶ池をとおって、また出町へ戻り、街子を家の前でおろした。街子は東京にいた頃の女友達が京都へ転勤してきたのを幸い、二人で暮らしていて、今日は自 分が炊事当番だと言うていた。雨もひどくなり台風の情報も気になるので、家に上がるのは「今度ね」と、そのまま別れてきた。そうはいえ、もう新幹線に乗っ て帰る時間じゃないかと、それならいっそ映画「釣りばか日誌」の新作でも見ようと三条河原町まで走らせたモノの、妻よりも妙にわたしの体調に疲労が滲みで ていて、余儀なくすぐホテルに戻った。
 そのまま、倒れ込むように、一人八時まで熟睡していたらしい。

* 台風は、超スローモーで、予報でなら、とうに東北地方へ抜けていそうだったのに、なんと、まだ和歌山に上陸の 何のというはなし、これでは明日の 新幹線は危ないなと本気で心配し始めながら、八時過ぎて、低カロリーが売り物のホテル内のレストランで晩の食事をした。ドライシェリーと渋みの赤ワインを 二種類グラスで飲んだから、食事のカロリーが低かったとはとても言えないが、旨かった。今夜半には京都は暴風雨とききながら、ま、明日は明日の風かと、テ レビもはやめにきりあげ、ぐっすり寝入った。
 

* 八月二十二日 水

* 新幹線はすべてが「各駅停車の自由席」で、「一時間にせいぜい二本」と報道されては、わたしはとにかく妻の体 力では強行して帰るわけに行かな い。もう一泊と考えたが、いまだに近畿地方を出てゆかない台風の鈍足ぶりだと、明日なら確実に帰れるとも安心できない。とりあえず、あすの会合の人たちに 帰れそうにないからと電話で伝えた、が、明後日の会議にはどうしても出なければならない、よし、いっそ台風を逸れた道から、台風の先まわりをして帰ろう と、朝食を済ますとすぐ京都駅へ出て、あっというまに金沢行きの特急雷鳥に飛び乗った。正午には金沢に着き、すぐ十二時九分発の特急北越五号に乗り換えて 長岡まで行き、ここで新幹線の「あさひ」に乗り換えた。自由席はいっぱいなので車掌に指定席をみつけてもらい、ラクに坐って、汽車旅をのーんびりと楽しみ ながら何のわずらいもなく東京まで帰れた。
 車中、加藤弘一氏のたくさんなメールにすべて目を通し直したし、うまい弁当も食った、缶ビールものんだ。ついでに笹巻寿司も食った。

* 長岡から越後湯沢までの、山々の蒸気が見映えして懐かしかった。「トンネルを抜けると、嵐だった」となるかと 予想していたら、嵐どころか、五時 着の東京へ近づくに連れてまぶしいほど明るく晴れていたから、びっくりした。のろい台風を出し抜いて、先まわりに何とか東京へ着こうと乗り継ぎに成功した のだったが、台風めもさるもの、暴風域をすうっと消してしまい、すり抜けるように東北の方へ抜けていったあとだった。新幹線に乗っていたら、だが、途中難 儀していたに違いなく、金沢経由の大回り道はラクであったこと一つとっても、窓外を楽しんだことでも、成功だった。のぞみの払い戻しも受け、保谷へは、六 時半過ぎに帰り着いた。

* 駅まで、建日子が車で迎えに来てくれた。マゴの面倒をみに、建日子は二度も保谷へ通って呉れていた。感謝。
 マゴが、わたしたちの帰宅に興奮して、甘えてばかりいた。がまんしていたものか、わたしたちの目の前で、砂に、それはそれはたくさんオシッコをした。マ ゴなりに気を張っていたのだ。建日子は仕事があるからと、お土産の晩飯を食べて八時に都心へ戻っていった。
 かくて、台風の京の旅は、結果恙なく満ち足りて終えた。
 うまくないのは、パソコンのマウスがまるで動いてくれず、仕方なく今も古いノートの方で書いてきたのである。マウスに噛みつかれるとは思わなかった。マ ウスが利かないとにっちもさっちも行かないのをしたたか思い知らされ、苦り切っている。
 

* 八月二十三日 木

* 親機が故障して使えなくなっている。子機で作業しているので、何となく気持ちまで不安定。メールを沢山親機に 貰っていたのは一応ざっと見たが、 それも今は読み直せない。メールは子機で最小限度の用事だけでつかい、余は、この「私語」で様子をつたえることにしたい。

* 梅原猛氏から「闇のパトス」について、あなたに万事任せますと、作品の選択に満足された旨の手紙が来ていた。

* 午後、ちいさな会合が一つあり、街へ出る。そして明日は電子文藝館のための電メ研。もう、わたしの生活は夏を 終え、秋本番に入ってゆく。湖の本 も再校が出そろってきた。
 

* 八月二十三日 つづき

* 暑い日が、出がけより帰りによけい蒸して、疲労した。ひとつには親機が故障の度をまし、マウスが使えないどこ ろか、電源すら入らなくなった。死 骸のように、うなり声も上げない。参った。大事の仕事をいろいろに展開しているところなので、復旧しないとダメージは大きすぎる。今はノートパソコンを 使っているが、容量の心配がいつもついて回る。よけいな心配はなげうち、明日の電メ研に備えて今夜はさっさと寝よう。
 

* 八月二十四日 金

* 真夏の電メ研、熱心な討議で時間を忘れて、一時間以上も超過した。今朝のうちに急いで用意して置いた取りまと めが役立ち、議論も相談もそこそこ ハカが行ったものの、フォーマットその他デジタル立ち上げへの作業は「まだまだ」だという。コンテンツの方の議論はかな進行した。具体的な出稿依頼段階へ 入って行かねばならない。間をあけず、ゆっくりゆっくり継続して前進をはかる。こういう仕事は、それだ。急いでも一気には動かない。
 帰途、旨い酒を、きもちよく少し飲んだ。

* 恐風  台風より怖く、秋風より寒い風、リストラ風が主人の首筋に吹きました。49才で出向したまま退職で す、53才で。よい声で囀れない雀の メールが続くかもしれませんが、聞いていて頂けますか。

* とうとう始まった、例の「痛み」というヤツが具体的に。

* 北澤さんのこと
 秦様、台風をかいくぐっての京都への往き来、お疲れさまでした。奥様との京都歩きに、後ろから私も付き従うような感じで「私語の刻」を読ませていただ き、楽しんでいたのですが、途中であらまあ……と。北澤式文さんの名前がでてきて驚きました。
「薬剤の北澤さん」としておぼえている先輩です。北澤さんとは研究室が異なったので、先の富士谷あつ子さんの夫・憲徳(元京都薬大教授)さんとのようにい つもお喋りしていたというようなことはないのですが、存じています。北澤さんは京大ではなく慶応の医学部の薬剤部が長く、そちらの教授でしたから、ずっ と、今も、東京(ご自宅は船橋市)です。きっとお盆にわざわざ墓参をなさったのでしょう。
 夫の兄が同じ薬学で、北澤さんの一年上で、いっとき慶応の薬剤にもいたことがあるので、恐らく親しいと思います。いろいろ不思議な縁で繋がっているもの ですね。
 数年前、大正製薬で結構偉くなっていた私達の同級生が肝臓癌で急死し、その葬儀が田無の護国寺であり、そのとき北澤さんをお久しぶりにお見かけいたしま した。まあ、そんなくらいのことで、どうということもないのですが。
 私はこのところずっと京都にご無沙汰して、お墓も参らず、申し訳ないと、西の方向いてあやまっています。7月12日の父の命日も、8月のお盆も、私の怪 しげなお経を家であげて勘弁して貰いました。でも正因寺の万年ご住職は「そうやっておうちの方がお参り下さるのが一番でございます」と言って下さるので有 り難いことです。
 大文字も過ぎ、高校野球も終わり、もう秋が近いと感じます。残暑の候、お身お大切にお過ごし下さいませ。お陰様で私達夫婦は元気にやっております。 2001/8/23

* こうやって、知らずにいたことが少しずつ知れてくる。そしてまた忘れさられて行き、息子達の代になれば茫々と した忘却どころのことでなく、なに もかも無かったことになっていよう。

* 二十一日、「天神さまの美術」を見にゆきました。駅から平成館までのわずかな距離でしたのに、ジーンズの裾が じっとり濡れてしまいました。しか し、不快な気分を忘れさせてくれるものが、ひしめいていました。地獄めぐりのおびただしいのに、だいぶ、消耗しましたけれど。
 こうした大勢のひとのあつまるところに出かけたのは、ほんとうに久しぶり、そう、歌右衛門の亡くなった雪月花の照りあった日以来でございます。少し、人 に酔うたようでした。
 帰り、なまあたたかい強い風と横降りの雨に、奇妙なかきたてられようをしました。
 元気を出して、もう少し、小侍従さんとのおつきあいを続けたい、深めたい。そうした気持ちになっていました。香魚

* 明日布谷君が来てくれる。機械復旧の成るのを切望している。新しく知ったアドレスなどもみな分からなくなって しまっている。  
 

* 八月二十五日 土

* 久しく「e-文庫・湖」の面倒をみているヒマもなかった。いくつもの寄稿を受けていてスキャンの必要な作が来 ているのに、手が回らなかった。無 理をすると草臥れてしまうのであえて見過ごしていたが、今、電メ研の僚友で詩人の村山精二さんの作品を掲載させてもらった。「詩歌=詞華集」は従来の第七 頁が量的に満了したので、第二輯を第十四頁に開いた。村山さんの「特別な朝」をその最初の作品に飾らせて戴く。
 おいおいに他の方の寄稿も掲載してゆく。

* 午後、IBMの布谷君が千葉からはるばる西東京まで訪れてくれ、親機の不具合を点検してくれた。結果的に、ウ インドウズ2000の不具合が判明 し、危険を慮り削除した。40Gのうち5Gを切り捨てたことで、ウインドウズ98を救った。初めて「今昔文字鏡」をインストールした。全ての作業に五時間 かけ、そのあと、妻も一緒に歓談の晩食を楽しんだ。九時過ぎ、保谷駅まで見送った。ありがとう、布谷君。

* 九月帝劇「鶴屋南北」の招待券が贈られてきた。いつもの後藤和己氏のご厚意である。この浅丘ルリ子の芝居は観 たかった。秦建日子の「PAIN」 に出てくれた山崎銀之丞君も出ている。藤間紫、長門裕之たち。去年の鏡花に負けない舞台が期待される。

* 梅若万三郎を、とうどう万紀夫が襲名すると挨拶状が来た。これで、わたしの万紀夫応援も庶幾の目的を遂げた。 どれほどあちこちで、万紀夫は万三 郎を襲うべきだ、また大化けしてくれるだろうと、書きまた話してきたか。楽屋で他人の鬘帯に手を出すという不祥事一つで、思わぬ遠い遠い回り道をしてきた 梅若万紀夫だが、その上を越す、藝の展開をここ十数年楽しませてくれたと思う。声援してやってほしい応援してやってほしいと、囁くように頼まれて以来もう 久しく久しい。義理堅くわたしは、応援し声援してきた。それに値する能役者だと思っていたからだ。ここのところ、ときどきぬるい舞台をみていても、忙しす ぎるのだろうと案じていた。襲名が実現すれば大きくなるだろう。どっちにしても、わたしは、肩の荷を下ろさせてもらう気分である。
 

* 八月二十六日 日

* 高田欣一氏の「小林秀雄雑感」を「e-文庫・湖」第三頁の文学的エッセイ欄に頂戴した。雑誌「ミマン」の連載 原稿を書き送った。

* 「李清照」を130頁まで読んだ。宋の略史と新旧派の政治的な抗争のなかで、旧法派の名家に生まれた李と、新 法派の名家に生まれた趙明誠との恋 愛結婚の経緯がおもしろい。まるで、ロミオとジュリエット。幸いに悲劇に至らず華燭をあげている。
 李清照の仕事はハイティーンにして歴史に残るほどの上質な達成を得ていて、それを念頭に置いていないと読みとりの遠近法をまちがえてしまう。唐の元結が つくり顔眞卿が書いて磨崖碑にしたいわ
ば玄宗皇帝と皇太子の治世を賛美した「中興頌の詩」がある。これに後に和した宋の張耒の詩が添っており、李清照は、元結の頌にも、張耒の和詩にも辛辣に応 じた批判詩、詞ではない詩、を二編残している。十八で結婚する以前の作とされている。
 彼女は真っ向から天子をも批判して、「通念や常識」に対し知性と思想からの反撃を果敢に、かつ美しい詩句をもって展開する。すかーっとする、が、若い女 性の身で、あの男尊女卑の古き時代の中国で、異様にめざましい表白である。それを許す文化が宋の時代の知識人・文人達の世間に在った、有りえたということ か。
 とにかくも清新な印象で読み進める本が手元にあるのは、堪らなく嬉しい。

* わが現代の選ばれた歴史小説はどうか。遠藤周作の「最後の殉教者」は維新のころの九州きりしたんの迫害を書い ている。きめのこまかい文章ではな い、ざらついた粗い生地のままのお話で、はなはだ感銘に乏しい。優れた作品を読んでいるというファシネートな嬉しさがまるでない。元に置かれた材料の祖述 にすこし小説風の加工がされている、それだけだ。遠藤周作の作にして、講談の種本のようなモノであるのに落胆した。池宮彰一郎の「清貧の福」は、さらに輪 をかけて正しく巧みに書かれた人情話か講釈の台本そのもの。あの大円生が声に出して読んでくれれば、聴かせるだろう、それでは小説の魅力とはいえない。お 話である。読み物である。司馬遼太郎の「侠客万助珍談」は、池宮のより下手に書かれたやはり講釈そのもので、前座藝に一席うかがうだけの通俗読み物。この 人は啓蒙思想家としては福沢諭吉以来といえば褒めすぎかも知れないが、小説はさっぱりうまくない。手荒い、安いモノが多い。文学で残る人ではなく、風化が 早いかも知れない。
 隆慶一郎の「柳枝の剣」は、五味康祐「喪神」なみに面白くうまく書かれて引き込まれる。藝としては、今挙げてきた誰の作よりも底光りしている。第一行か ら結びまでに、鳴って流れる音楽がある。作者の胸に文学の気が入っていると見ておく。文品がある。綱淵謙錠の「鬼」は、ものものしげでありながら、疎で 粗、つまらない話題でありつまらない表現である。途中退屈感がともない、読みやめかけた。この文章でこの題材では、いっそ書かれない方がマシである。
 次に読むのは三島由紀夫の「志賀寺上人の恋」だ、 谷崎の「小野篁妹に恋する事」の文品にどう迫れているか。期待しよう。

* ゆうべ読んでいたバグワンは、こう話していた。

* 多くの人が巻き込まれれば巻き込まれるほど、あなたはますます考える。「それには何かがあるにちがいない。こ んなにたくさんの人がそれに向かっ て殺到しているのだから、きっとそれには何かがある ! こんなに多くの人が間違っているはずがない」
 いつも憶えておきなさい。こんなに多くの人が正しいはずがない ! と。

* また、こうも話していた。

* 生は、どこでもないところからどこでもないところへの旅だ。しかしそれは "どこでもないところ nowhere" から "今ここ now here" への旅でもありうる。それが瞑想の何たるかだ。どこでもないところを "今ここ" に変えること。
 今(傍点)にあり、ここ(傍点)にあること……。と、突如として、あなたは時間から永遠のなかに転送されている。そうなったら生は消える。死は消える。 そのとき初めて、あなたは何があるかを知る。それを神と読んでもいい、ニルヴァーナと呼んでもいい──これらはすべて言葉だ──が、あなたはあるがままの それを知るに至る。そして、それを知ることは解放されること、いっさいの苦悶から、いっさいの苦悩から、いっさいの悪夢から解放されることだ。
 <今ここ>にあることは、目覚めてあることだ。どこか別のところにあることは、夢のなかにあることだ──。"いつかどこかは夢の一部だ。 <今ここ>は夢の一部ではなく、現実(リアリティー)、現実の一部、存在の一部だ。

* バグワンはこういうことを、一休禅師の、「たびはただうきものなるにふる里のそらにかへるをいとふはかなさ」 という道歌を大きな見出しにして 語ってくれていた。
 God is nowhere 神はどこにもいない を、無心の子供は、一瞬にして、 God is now here 神しゃまは、今、ここに、いましゅ と読み替えてしまうともバグワンは話すのである。
 

* 八月二十七日 月

* 大学受験生の若き友人から「夜更かし」のメールが来ていた。新潟にも秋が近づいているだろう。きびきびと、息 づかいの正しい散文になっている。 宇治十帖をつつがなく夢の浮橋にいたってください。そう、古典は声に出して読むのがいい。音読できるということは、言葉として受け入れ得ていることにな る。細部の語彙以上のものがしみこんでくる。娘朝日子の大学受験勉強をてつだって、古典を山と積みあげ、片端から少しずつでも音読させて聴いてやったこと が思い出される。「読める」それが「分かる」初めなのだとわたしは考えてきた。それで、わたしは今も多くの本を飽きることなく音読している。

* ひさびさに、夜更かしです。  めずらしく、涼しい一日でした。
 台風の影響か、週のはじめにけっこう雨が降りました。金・土は例によってかんかん照りでしたが、夏は少しずつ過ぎていくようです。
 今年は桃が美味しい。猛暑のおかげなんだそうで。あたりはずれのある果物ですが、今のところ裏切られていません。この暑さもちょっとは許してやれそうで す。
 勉強半分でもありますが、古典が面白くなってきました。「源氏物語」、今日「総角」に入ったところです。少しずつしか読めないので、「匂宮」から始めま した。とりあえず「夢の浮橋」まで、秋のうちに渡っておきたくて。
 音読で進めています。時間も負担もかかりますが、原文で読むことに馴れていないので、眼で字面を追うだけでは、どうも身が入らない。それでも岩波文庫版 は丁寧に主格目的格が示されているから、なんとか大意を汲み取れています。細かい部分はどうしてもわからなくて、そのまま読みきってしまいます。
 与謝野晶子訳で読んでいたのとは、やはり違いますね。なぜか情景が現代語訳よりも鮮明に浮かんでくるんです。それから、言葉の響き、文体の流れが本当に 美しい。秦さんの文章に近いものを感じます。
 古典に「親しむ」というにはまだまだですが、受験勉強だからといって身構える癖はなくなりました。少しシンドイ思いをしながら、楽しんでいます。
 晩年のエジソンは「発明は1%の才能と99%の努力である」と語ったそうです…このことについて、或る人がこんなことを言っていました。
 …自分は中学生の頃に英語の授業でその言葉を先生から教わった。その先生は、要するに努力が一番大切なんだというようなことを話していた。しかし、本当 に努力が何よりも大切なら、エジソンは「発明は100%の努力である」と言ったのではないか。なぜ「1%の才能」と敢えて言ったのか。…
 英語では、「1%の"inspiration"」と表現されていたそうです。それを、日本の人たちは「才能」あるいは「ひらめき」と訳してきた。
 …しかし、そもそも"inspire"という動詞は、「鼓舞する」という意味を持っている。つまり、この"inspiration"は、自分をかきたて るもの、動機、のことを言っているのではないか。確固たるモチベーションこそが、99%の努力にあと1%欠かせない、最も大切なものなんだと、エジソンは 言いたかったのではないか。…
 その人の話を聞きながら、これは秦さんのことだ、と僕は思っていました。
 少しずつですが、自分の触れたもの感じたこと、誰かの言葉、作品…いろいろな物事が繋がって、僕の中に何かを残していってくれます。その残ってくれた 「何か」を糧にして、僕も何かを残していきたい。
 またちょっと長くなってしまいましたね。
 本当はもっと書きたいし、もっとたくさん送りたいのだけれど…それは来年の話ですね。でも、去年よりは時間の使い方が上手くなったのかなと思います。
 僕も秦建日子さんの「救命病棟24時」見ましたよ。ドラマそのものを初回から見ているんですが、設定に自信があるのか、毎回脚本家を替えているようで す。(最近のテレビの中では)それなりのキャストが揃っているだけに、脚本によって出来に差のあるドラマです。建日子さんの回は、キャストを使い切れてい なかった印象を受けました。秦さんの戯曲「こころ」のような脚本を書ける人になってほしいなと思います。
 迪子さんともどもお元気でいてください。僕も頑張ります。

* めまぐるしく動き廻り、騒がしくじゃれ合うチビッコ ギャング達。ソフアーの部屋は遊びの陣地になってムチャ クチャ様代わりしています。健康に 育っていて、友達扱いのオババとしては何より嬉しい。少々疲れましたが、一晩ぐっすり休んで回復しました。こんなのを三人育てていた頃を懐かしく、想い出 します。
 息子は多忙で昨日の内に帰阪、台風は今日、葛飾区の嫁の実家へと去ります。
 今朝は、暖かい緑茶が懐かしく。
 もう秋。

* 六時半に今朝は起きて、血糖値を計ったあと、一番に、注文を受けていた「秘色」「みごもりの湖」三巻「冬祭 り」三巻を荷造りした。近江に故郷を もった横浜の読者から。湖国はわたしにも生母の故郷。「望郷」と識字しようとして一瞬「望」の字が書けず困惑した。
 前夜は、ビデオ撮りしていた映画「屋根の上のバイオリン弾き」の終わり一時間を観て、つづく芸能花舞台で懐かしい大川橋蔵の顔をすこしだけ見て、バグワ ンを読み、李清照の新婚の頃の詞をつくづく楽しみ、妻と寝ている黒いマゴをすこしからかい、二時半頃に寝た。
 
* 今朝は十時に、ADSL設置に業者が来てくれ、三度目の正直で、無事に終えた。インターネットがラクに早く見られる。このメリットがどう仕事や楽しみ に生かせるか。ほぼまる一ヶ月をかけて、ここへ辿り着いた。二台の機械のネットワークも有効になった。今日来てくれた杉本青年はテキパキと作業手早く適切 で、気持ちよかった。

* 作業中に、馬場一雄先生からすばらしい葡萄が贈られてきた。日大病院長なども退かれてずいぶんになる。この頃 はどういうお仕事をされているのだ ろう、学術会議になど出ておられるのだろうか。初めての「五つ子」を保育された頃から、いや、それよりも遙かな昔、まだ東大小児科で1500グラム以下の 未熟児保育例の一つもなかった頃からの、四十年ものお付き合いになる。日本の未熟児新生児学の歴史そのものである馬場先生の紹介状のおかげでわたしは「徒 然草」の勉強に東大国文学の書庫に入れてもらえた。そして「慈子」が出来た。恩師といえるお一人である。幾色ものすばらしい葡萄の房をずしりと手に持ち、 ひととき、感慨にふけった。

* やっと四月帝劇「細雪」の楽屋で撮った、澤口靖子との写真が出来てきた。それほど長くフィルムが写真機に入っ ていた。部屋の中であるしと、案じ ていたが、三枚とも、とにもかくにも澤口靖子がじつに美しく撮れていて、どうもわたしや妻は一緒でないほうがよかったが、ま、照れくさいほど嬉しいことで ある。この機械にもすでに彼女の写真は何枚も入っているが、ときどき、画面一杯にうつし出して見ている。煙草で休息よりよほど佳い。
 で、ADOBEを使って機械の中へ複写し終えた。

* 湖の本の三校を要請した。どうも行アキ指定がうまくいっていない。その間に、封筒にハンコをおし、宛名印刷し て貼り込み、挨拶の挿入紙を十種類 ほど用意してプリントコピーし、切断し、ひとり残らずに手書きで挨拶を書いて、宛名を張った封筒に間違いなく、支払い用紙と一緒に入れておく。そこまで出 来ていれば、本が出来れば、入れられる。前途はほど遠いが、待ったなしに手を付けてゆかねば。
 

* 八月二十七日 つづき

* 童謡詩人金子みすずを松たか子が演じるというので、ちょっと期待したが、脚本も演出も、松をとりまく役者達 も、あまりのたわいなさ、ぎごちなさ に投げ出した。石坂浩二の評判のわるい「水戸黄門」も、なるほどひどい。すぐ顔を背けた。
 それからすると、昼間に一時間分ほどビデオの最初から見掛けた「屋根の上のバイオリン弾き」はユダヤの人たちを印象深くレアリティーを失わないイデアル な描き方で、盛り上げている。先が楽しめる。

* 屋根の上の・・・は、森繁久弥がまだ溌剌としていた初演の舞台で観ています。「サンライズ、サンセット」の テーマ曲がすてきによかった。当時は ユダヤ人のこと、独特の風習、習慣を分かっていなくて、今いま観ればもう少しは理解できるかなと、テレビの放映はビデオに撮ってあります。すぐにも観たい し、楽しみです。
 今日は日本橋から銀座へ出て、ひとり、都内で一館封切りの「蝶の舌」を観てきました。気になって上映館へ行ってみると、運よく入れ替えの時間でした。吸 い込まれるように、シニア料金で観てきました。
 観たかった映画が観られて、今日は満足。映画館で一人で観るのは初体験かも。七十にして自立のハシリでしょうか。平日なのに、いい映画は大入りです。
 映画は、1936年のスペイン内乱が始まった時点で「END」マークになります。七、八歳位の男の子の精神的な成長を描いてゆくのですが、子供が主人公 なのに、しっかり成人向きの映画です。この世の儚いこと、人間のしょせんは孤独なこと、それに「蝶の舌」など自然の不思議。初めて教わる数々に導かれ、心 の繋がったかと思える老教師との微妙な交流。光美しい風景、情緒豊かなお話。ホノボノと、ほっこりと、穏やかに、時には、眼が潤み、共鳴しながら観ていま したのに、最後に母親から仕掛けられて発する少年のショッキングな言葉。その少年の顔のアップで終わります。
 その言葉は・・・
 スペイン内乱は重いテーマとしてたくさんな映画になっていますが、ピカソのゲルニカを識っている程度ではとてもとても不足ですね。
 
* 息せき切って書いたというメールで、漢字が黒々としている。なにかしら気分は伝わってくるが、いま、映画館へ足をはこぶ気にはちっともならない。映画 は好きだがテレビで足らせている。
 

* 八月二十八日 火

* 気がかりな用件を幾つも一気に片づけて、ADSLを利用して、ルーブル美術館へ潜り込んだりしてきた。オンラ インで放置しておけるのと、メール を繰り返し使ってもいいしつながりが早いので、精神衛生がすこぶる良い。時間をとられないように気をつけていないと、ますます機械の前にいる時間がながく なる。

* オンデマンド出版について、感想を求められた。感じていたとおりに返事してみたが、誤解に基づくトンチンカン であったかどうか。

*  まるで下請け  秦 恒平  
 ひとつには、書き手・読み手、双方の利用者が、「オンデマンド出版」というネーミングに語感上のとまどいを持ち、「我がもの」という親しい思いが持てな いでいるのでは。「オンデマンド」という日本語もないし、カタカナで書かれたこれは英語でもない。初めて見聞きしたとき、このままでは日本語の日本では、 成功しそうにないなと思った。
 やっていることは、出版と販売と、二面が截然と分かれている。
 出版面では、デジタル化のついでにサンプルの「紙の本」をまず見せている・作っている。その紙の本に似せて、注文に応じ即座に「簡易製本」して売ってい る。そう見えている。
 だが、双方の利用者に、どういうふっくらした「利」が生じるのかは、明瞭になかなか見えてこない。版元のうまみも含めて、どのサイドにも「利」の設定や 提示がハッキリしていないように、遠目には見てとれる。版元・書き手・読み手、三方とも「得ナシ」商売に見えるのは、わたしの誤解かも知れないが、したた るほどの魅惑がこの商法に、今のところ、感じ取れない。
 いわば「簡易出版・簡易注文・簡易製本」のすべてが、いわゆる「紙の本」時代の掌から、抜け出せないままの、デジタル利用なのだ。だが、利用が、大いに 活用といえるほどの活気に盛り上がって行かない。何故か。著作の提供者からも利はちいさく、注文する顧客には「本を手に入れたぞ」というほどの満足に遠い 製本であり、また中味の薄さ。
 この「薄み」の解消には、「大量」の広範囲なサンプル(著作)提供で、不特定「大多数」の客の関心を呼びこむ以外にないのだが、そんなキャパシティーを 今の今、どんな版元も、ちょっとやそっとでは持てないだろう。
 根のところで、「オンデマンド版元」に、書き手と読み手との「下請けサービス」といった姿勢が取られている。だが、多くの「デジタル出版」が旧・紙の本 出版社の下請け化しているナサケナイ現状と、これも軌を一にしているのかも知れない。デジタル時代の全く新しい「読書産業」を、形式・内容ともに堂々と工 夫豊に創出する気概と誠意こそが必要な時機と、わたしは、見ている。

* 失業率が異様に高くなってきた。それでもまだ転職可能と楽観している若い人たち、少なくない。甘いのではない かと心配する。高年齢者にはそんな 甘さはふっとんでいる。転職可能の幻想が薄れてきて、勤務先との関わりに閉塞感が増してくるとき、昔のサラリーマンに比べれば遙かに辛抱のない今の若い勤 務者には、つらい厳しい不安な時代がすでに来ている。崖っぷちに押し込まれつつある。子供をもった中年壮年の人たちの不安は、それどころでない。大学は出 たけれどという時代に、また、なっている。
 失業・就職難は、つらいことに、犯罪の培養基になり、世情不安は先行きどす黒く深まり続けるだろう。険悪な事件からの自己防衛が必須の心がけとなる。イ ンフレターゲット政策は見送られ、デフレスパイラルがぶきみに、錐もみのように進行し、社会の活力は下落してゆく。社会生活から一応上がり、しかも蓄えの ある高齢者にデフレ傾向は却って増収気味に楽な部分もあるだろうが、時代閉塞の状況下に、そんな老人達は金など使う気にならない。収入源とリストラの不安 に、ようやく「労働者」の団結という、忘れ去られていた国民的要請がわき起こる日が、また近づいている。土井たか子たちの社民党に、新機軸のちからづよい 政治運動を望むのはもうとても無理であろうが、奇貨おくべしとばかり情味にかけた大量リストラに走る大企業経営の脱倫理に対抗する、勤務階層の痛切な自覚 と活力が必要の上に必要になってくる。「起て飢えたる者よ」の歌声をまた耳にせざるをえないかどうか。小泉内閣は、本気なのだろうか。
 外務新次官の省益死守を使命と感じているような、反田中大臣の露骨な姿勢など、苦々しさに思わず政界からは顔を背けてしまいたくなるが、そうもならな い。
 死に行く身にはすべてが虚しい夢幻とはいえ、それを承知しきって、なお、生きることは抛たずに生きねばならぬ以上、大事な政治から目を背けようとは思わ ない。
 

* 八月二十九日 水

* オンデマンド出版について、メールが来ていた。たいへん教えられた。

* 「私語の刻」にある「オンデマンド出版」を拝見しました。「三方得なし」について一言。
 以前、オンデマンド印刷(オンデマンド出版も含まれる)の勉強会に少しかかわった経緯から、しいて「得」や「利」が奈辺にありやと考えれば、コピー機 メーカーだとは言えましょうか。
 彼らの側からすると、オンデマンド印刷・出版は、(時代の趨勢はあるものの)、少部数、短納期を旗印にした中小軽印刷会社、一般企業、出版社、プロダク ション向けの大型コピー機の大セールス戦略であります。オンデマンドの特徴は、旧来の大型印刷・製本機にかけなくても、ほどほどの見栄えで出来上がる軽印 刷であるということです。コピー機で本ができる、というキャッチなのです。重厚長大型の、足腰の重い印刷・出版が時代についていけなくなってきた、という ことでもありましょうか。
 でも、最近、この流行語(あえて流行語と言わせていただきますが)は少し色あせてきた感がありますね。オンデマンド出版の現況はよくわかりませんが、軽 便なオンデマンド印刷はかなりサービス網が増えてはいるものの、飽きっぽくて新しもの好きの消費者向けの、新しい合言葉(流行語)は、ADSLなどを含め た「ブロードバンド」にとって替わられたようです。
 オンデマンドが業者誘導の発想であるのに対して、ブロードバンドはユーザーの利便が最優先されていましす、出入力のコンセプトの違いもあります。ブロー ドバンドというのはつかみどころのない言葉ですが、自分のPC,ITシステムを超速で構築する、わかり易くいうと、各種端末でインターネットや情報入手を できるだけ早く広く便利に使えるようにする、ということです(通信料に反映する基本的な通信インフラの整備はままだまですが)。
 オンデマンド、ブロードバンドにしろ、米国からの輸入語、そして、仕掛けはいつも、ハード、OS、ソフトのメーカー、通信会社ですね。まず、モノを大量 に売る。仏に魂を入れる、遣い勝手をよくするかどうかは、かかって利用者にありましょう。書斎や茶の間でかなりのことが出来る時代がやってきました。これ は実にありがたいことです。
 でも、足るを知らぬココロの行く末、いつも便利で新しいモノに追いかけられる、急かされる、という怖れはありますね。置いてけぼりもかなわないなあ、と いうのが正直なところです。

* 加藤弘一さんが「施行一年目の盗聴法」と題した文章を、ホームページ「ほら貝」に書いておられる。誰しも見過 ごせない内容であり、お許しを願い 「私語」の列に加えさせていただこう。一人でも多く、目にし、考えてもらいたい。

* 「施行一年目の盗聴法」 加藤弘一
 盗聴法(通信傍受法)の話題はずっとマスコミから消えていた、が、施行1年目にあたる8月14日、新聞各紙は、警視庁が「通信事業者貸与用仮メールボッ クス装置」(仮メールボックス)と称する新システムを16台設置し、年内に稼働させようとしていると報じた。8月16日発売の週刊文春には、さらに詳しい 記事が掲載された。
 現行の盗聴システムは、盗聴対象者が加入しているプロバイダに、盗聴対象者のメールボックスの内容をフロッピーにコピーさせる仕組だが、これでは、プロ バイダのメール・サーバーを使っている対象者のメールしか盗み読みできない。
 専用線に費用のかかった数年前までなら、これでもどうにかなったが、最近はADSLやケーブルTVの普及で、月額数千円程度で自前のメール・サーバーを もつことができる。対象者自身が管理するメール・サーバーでは、現行方式では手も足も出ない。
 と、書いてもわからない人のために、思い切り単純化していうと、メール・サーバーとは郵便局、メール・ボックスとは私書箱のようなものである。
 これまでなら、(警察当局は、)郵便局に対象者の私書箱を見せろと要求すればよかったが、対象者自身が個人郵便局を開設したらお手上げである。対象者自 身にメールを読ませろと要求したのでは、盗み読みにならないからだ。
 そこで、郵便局から郵便局へ流れるすべての郵便物(データ)を、自動的に複写し、そのコピーを警察のコンピュータに送るようなシステムを動かすことにし たわけである。
 道路を走る自動車のナンバー・プレートを自動的に記録しデータベース化するNシステムが、いろいろ「成果」をあげているが、データを自動車に見立てれ ば、(このやり方は、)「インターネット版Nシステム」と言っていいだろう。
 当然、盗聴対象者以外の人のメールはもちろん、どんなWWWページを閲覧したかとか、サーチエンジンでどんな言葉を検索したかまで、全部、警察のコン ピュータに保存される。大容量の記録手段は急激に安価になっているから、無際限に蓄積できよう。
 何度も書いてきたことだが、電話の盗聴なら、手間・暇がかかり、データの蓄積・再利用はなかなか困難だが、電子データの場合は無際限に蓄積しても、一瞬 で検索できる。
 警察OBの興信所所長が、警察のデータを横流しした事件が次々と発覚したが、横どり電子データが蓄積されてくると、今後同様の不正がおこなわれるだろ う。ライバル企業がどんな研究をしているかといった、データをほしがるところは多いから、警察OBは大変な資金源を握ったことになる。
 メールの盗み読みを電話盗聴の延長で考えてはいけないのである。

* 日本ペンクラブ言論表現委員会で「盗聴法反対」を討議していたときも、再々口をはさんで、電子メディアでの盗 聴、ひいてはサイバーポリスの現実 に立ち上がりつつある脅威に対しても、せめて予防的に声明に書き加えたいと発言したものだが、言論表現委員会(猪瀬直樹委員長)ほど先端で活躍している委 員達でも、まだまだ電子メディアには冷淡で、話題は脇へ脇へ避けられていった。日本でも三沢基地内に一根拠を置いている米軍の世界的盗聴機構「エシュロ ン」のことも、わずかに猪瀬君が関心を持ち始めていただけで、誰もまだ知らなかった。だが、電話での盗聴に限度のあること、しかしインターネットを逆用し た電子通信盗聴があらいざらい徹底的に可能であること、どれほど厖大な量であろうと容易に検索をかけうること、その影響が産業にも政治にも科学にも甚大に 影響するぐらいは、このドンなわたしにも見通しは付くことであった。日本ペンクラブに「電子メディア研究会」を委員会として提案し立ち上げたときから、わ たしの「パソコン」遊びかのように冷ややかに揶揄的にみていた人は少なくなかったらしいが、時代の読めない人たちであったと言うしかない。
 コンピュータは、文筆創作者には「表現」の場と方法に影響してくるし、言語文化財の保存にも関わってくる。しかし、ペンの関心からいえば、それにも増し て、平和や人権を根底から脅かしたり、またそれに貢献し得たり、広大なちからで、影響してくる。サイバーポリスが、旧内務省や憲兵隊と同じか遙かに強大な 力をもって国民の権利を狭め抑え奪って来るであろう事は、もうすでに着々と法制化がすすんでいるのだ、具体的に。さらには、大規模なハッキングによるセ キュリティー破壊のサイバーテロが、人類の安寧を破滅的に脅かしうることも、映画やSFの絵空事でなく、現実の懼れとなってきている。機械のことなどいと もいとも暗いわたしが、笑止なことに電メ研の委員長になっているのは、そういう時代の読みでは、少しでも目が奥へ向こうへ走っていると自覚しているからで あり、こういう目が、日本ペンから欠けて落ちてしまうのは危険だと思うからだ。文字コード程度のことは、おいおいに前へ進んでゆくが、人権への脅威には闘 わねばならない。
 心底、もっと若い人に、この場を、適切に手渡したいと思う。だが、若い人には目の前に現実の仕事があり、それ自体が道半ばもいいところなので、気の毒で 無理が言いかけられない。やれやれ、仕方ないかと冷や汗を流している。
 

* 八月二十九日 つづき

* 三島由紀夫の「志賀寺上人の恋」は不出来にツマラナイ作であった。ペダンティックに気が逸っていて、文章がさ わがしく、観念的な議論にばかり作 の動機が吸収され、痩せた、乾いた、ざらざらの造花のような作品だ。谷崎は満開の花、川端は雨に打たれた花、三島文学は造花と、わたしは評してきたが、造 花のつまらなさがこの作品では露わであった。同じペダンティックでも、谷崎が大学時代に書いた「刺青」「麒麟」等にくらべて、三島の「志賀寺上人の恋」は 観念的な議論が作品の中で昇華されていない。消化不良の吐物のように美しくない。上人も御息所にも人間のふくらみがなく、美辞麗句と観念の傀儡になったま ま終えている。谷崎の玲瓏とした「小野篁妹に恋する事」に劣ること甚だしく、戯曲「無明と愛染」の域にもまだ遠い。「金閣寺」の作者にして、こういう若い ときがあったのかとむしろ懐かしくさえあった。

* ながく病床にある歌人冬道麻子が、手作りに近い小冊子の写真歌集を送ってきた。故郷にある三島大社の写真をも らって歌を書き添えたものだ。写真 はいろいろに鑑賞に堪える綺麗なものばかりだが、かんじんの冬道さんの短歌がいけない。これでは、わたしが中学の修学旅行でつくりまくった短歌習作とえら ぶところがないと、目を疑った。
 この歌人はなかなかどうして、高安国世の門下で、病床で苦心したいい歌集をもっている。わたしの詞華集でも作品を採ってきた。
 懐かしいからといって、写真を眺めながら写真や神社の解説のような歌をつくってはいけないだろう、拙劣空疎に陥るのは当然である。もともと紀行の詩歌に は練達の人でもろくなものがない。感動が他人には伝わって来ないのだ。まして写真で歌をつくるのは、写真で繪を創るのと同じく、よくない。絵葉書の説明に しかならないのである。百近くあるなかで、わたしの辛うじて選び得たのは
只一首。たった、それだけ。ダメなのと並べておく。
   恋人のそれぞれと来し夏祭り思い出としては切なすぎるが
   大社にて源氏再興祈願せし頼朝のかげ偲びつつゆく
 前のにはまだしも哀情が流れているが、後ろのは空疎な文字が定型を追いかけて置かれただけ。歌人と名乗るのなら、こんなお遊びではいけなかろう。自分自 身の「今」と向き合うべきだ。

* 電メ研の新しい仲間に迎えた加藤弘一氏に、新刊の『石川淳コスモスの知慧』をもらったのが、思いがけずと言う と失礼だが、明快ないい文章で書き はじめられていて、思わずぐんぐん引き寄せられている。石川先生は、わが太宰賞の生みの親のお一人、わすれたことがない。じつは、戦後の古本屋立ち読みの 雑誌で、新制中学時代に石川淳の小説たしか「鷹」を読んでいるのだから微笑ましい。何となく何かを感じた気がした。難解と見えて明晰に知的な作家であられ たと感じていたが、加藤さんの論調にも、はやそういう言辞がちらつくようで、しめしめと思い先を楽しみにしている。感謝。
 三田誠広氏にも『ウェスカの結婚式』をもらっている。「吉村昭氏絶賛の純文学連作小説集」と帯に麗々しい女流の新刊ももらって一頁めの書き出しの文章の 鈍さに、閉じてしまった。それでも巻頭の一作だけを読んでみたが、例えば故三原誠や、門脇照男、倉持正夫、大久保督子いった、湖の本でご縁の小説家達にく らべ、質が低すぎる。
 純文学は、血のにじむ推敲からはじめてもらいたい。

* そんなことを言いながら、この「私語」は、一度めは書きっぱなしである。後に読み直すと、転換ミスがぞろぞろ 出てきて恥ずかしい。

* お忙しいなかを 私のために 署名までしていただきまして感激です。昨日着きまして 私の時間に、『秘色』か らと、御本を開きました。書き出し の4月5日と読んだときの、私のひとりよがりなのですが、驚きというか、不思議さにまたまた舞いあがっています。私の誕生日なのです。
 崇福寺跡には 7年ぐらい前に どうしても行きたくて一人で行きました。そのあと古典の旅でもたずねました。思い出しながら読ませて頂きます。手元に電 子辞書をおきながらです。

* 一日の終りに、最近出逢った読者のメール。少しずつ湖の本を読み始めて、こんどは「秘色」「みごもりの湖」三 冊「冬祭り」三冊を買ってくれた。 近江京の崇福寺や近江神宮や堅田、五個荘の石馬寺や海津や永源寺、そして安曇川や比良。思い出すだけで五体に音楽が鳴り響き始める。いけないいけない、眠 れなくなる。

* いま届いたこんな深夜のメールも読んだ。

* 「闇」が好きです。闇の中に 深く深く漂うときに  私は すべてを取り去った私になり  闇の中でしか 聞こえないもの 見えないものを 感じます。
 ときどき 闇の世界に戻らないと 何かを失ってしまうような 不安にかられます。
 人は闇から 生まれ 闇に戻っていくものだからでしょうか。
 ADSL はまだよくわかりませんが、インターネットで囲碁の対局も楽しめるのでしょうか?電話代がかからないで インターネット サーフィンが楽しめ るようなものなのかと・・・想像しています。
 今、三島の「禁色」をはじめて読んでいます。ちょっと露骨で汚い感じです・・・。
 

* 八月三十日 木

* 「梅原猛と33人のアーチスト」というイベントが、展覧会が、各地の高島屋で開かれる。京都美術文化賞の選者 仲間である清水九兵衛さん、三浦景 生さん、また授賞した面屋庄甫さん、井上隆生さんからも相次いで案内が来ているし、井上さんからは佳い図録も頂戴した。石本正さんからも必ず届く。さすが に梅原さん、充実して新鮮な印象の、佳い33人を選ばれているし、一人一人への「寸観」というか紹介と称賛の弁がまた要領を得ている。それだけではない、 梅原猛という「哲学者」の「芸術家」観が具体的に良く読みとれて興味深く面白い。この企画、オーガナイザーとしての梅原さんの能力がよく出ている。見応え のある藝術家群像であり、京都ないし関西からの強烈な発信である。33人の3人はわれわれの仲間の選者であり、受賞者も何人も入っている。その筆頭は秋野 不矩。第一回の選考でわたしが真っ先に推した。以降のぼりつめて文化勲章まで。来野月乙、小清水漸、中野弘彦、野崎一良、服部峻昇、藤平伸、三尾公三、面 屋庄甫、吉原英雄、渡邊恂三など、思い出せる限りみな京都美術文化賞で選んだ作家であり、横尾忠則、前田常作、下保昭、山本容子などの人気作家も加わって いる。裏返せば梅原猛という元京都芸大学長の人脈であると同時に、氏の審美眼というか好みが表されていて興味津々の顔ぶれ。
 たとえば日本ペンクラブのような文筆家団体の人たちは、この方面の梅原さんには、具体的には、かなり疎い。こういう梅原猛の原点にあるのが、全著作から 確信をもってわたしの選んだ「闇のパトス」なのである。若い人に、青春に蹉跌しそうに苦しんでいる人たちに、読んでほしい。

* 印刷・出版の業界事情というのは、見えているようで、なまやさしくはない。いろんな通がいて、それぞれの観察 や認識をしている。わたしなどは、 ただ感想を述べているに過ぎないけれど、感想はいつも持っている。持たない方が気楽なこともあるのだが、持たされてしまうということもある。
「オンデマンド」に関して、森秀樹さんから観測と分析のメールを戴いた。これは優れて役立つ、大通の弁であるようだ、但し「オンデマンド」ないし「オンデ マンド印刷」に傾いている。「オンデマンド出版」という、現在ないし近未来の「出版」にかかわる「オンデマンド」は、現在のところは混迷しているのかもし れぬ。道が開けその道を歩んでいるという印象が乏しい。後ろにも前にも道がよく見えていないのかも知れない、それはわたしの感想である。森秀樹さんの「オ ンデマンド」説を以下に紹介する。

* オンデマンド出版について、秦さんのご意見はうなずけるものです。
 大雑把に書きますけれど、大きな(あるいは必然の)流れがあります。
 オンデマンドは、もとは、印刷世界で言われていたPOD(プリント・オンデマンド)から出た言葉で、元は、ITすべてに先行してきた米国の語。オンデマ ンド印刷、オンデマンド出版は、訳語ということです。
 大きな(あるいは必然の)流れというのは、21世紀を迎える数年前から始まったIT時代の幕開けに、すでに、生き残りをかけた印刷市場の戦いが始まって いた、ということです。出版社主導で、下請けと共同作業をする出版印刷も例外ではありません。
 いま、全国多くの中小印刷会社は(ぶらさがっている家内生産的な製本会社も)、必死に、生き残りをかけ、自前で、自宅で、街で、会社で、役所で、必要な ときに必要な量だけプリント、コピー(簡易製本を含む)できる=オンデマンド・プリント形態になれてきた顧客(ユーザー)にたいする、営業・販売戦略に取 り組んでいます。出版はやや別物ですが、印刷を中心にとらえれば、同床にあるといえましょう。
 オンデマンド印刷の市場は、「縫合市場」といわれるように、カウンタービジネス(米国資本のキンコーズなど)、複写業、印刷業、インハウス(企業が自前 で行うオンデマンド印刷・製本)、官公庁、学校群、と大きな棲みわけがありましたが、ここに、新たに、出版社、書店、取次ぎ店、人材派遣業などなどが、参 入してきております。
 大型コピー機メーカーの雄は、米国のゼロックス社(日本では、富士ゼッロクス社)で、一台、1千万〜2千万円台のオンデマンド処理(印刷・簡易製本。 データ処理)可能な大型コピー機を、すさまじい勢いで販売しております。日本のメーカーも手を変え、品を変え、競争に大変です。新製品開発・販売の連続 で、2〜3年で古くなるといわれる中古のオンデマンド用大型コピー機がだぶつきはじめております。
 いま、全国の中小印刷業は、数千万〜億単位で資本投下したオフセット印刷機のローンに苦しみ、その中から、少部数、短納期の「オンデマンド」の要求にこ たえられる、新しい(大型オフセット機より安い)大型コピー機の導入検討を迫られております。たとえば、いままで入っていた会社や役所などから、「必要な 部数だけ、早く安く納品してほしい。あとは、追加で、データを少し直して、いつでも印刷・製本できるようにしてほしい」と求められます。コストの高い大中 オフセット印刷機で印刷、そして製本を外注していては、間尺に合わないものの、泣き泣きコスト割れで受けているのです。
 従来のまとまった部数の受注でかろうじて単価をおさえてきた中小印刷業は、少部数、短納期に対応できない大中オフセット印刷機処理のコストパフォーマン スに悩んでいます。手間がかかりコストも高い大中オフセット印刷の需要が落ち込み、オンデマンドのニーズが増える一方。それに加え、自前でオンデマンド処 理できるユーザーが増えつつあるならば、どうしたらいいのか?といったところです。
 印刷業の泣き言を代弁するように聞こえるかも知れませんが、やはり、大きな流れとしては、オンデマンドでしょう。
 出版についても、大量に印刷・出版して単価を抑えてきたものの、無駄もかぎりなく多く、これからは、何らかの「オンデマンド」あるいは「電子出版」に漸 次移行せざるを得なくなると考えます。最大手印刷会社ならば、戦略的に、いかなるケースにも対応できる、つまり顧客を拾いまくる手立てがあります。むろ ん、オンデマンドも電子出版も、あるいはその先も読んで、対応を十分に進めております。
 オンデマンド出版については、大手の出版社といえども、大きなくくりでは、IT革命先行の大手印刷業、大手コピー機メーカーの戦略の中から脱して、単独 でことを進める体力はまだまだ持たないでしょう。その中で、出版社がコンテンツ業を死守するか、紙の出版にこだわり続けるか、先述した「縫合市場」あるい は「電子競争」に取り込まれるかは見えてきません。
 キーワードとして付け加えるなら、やはり「アウトソーシング」だと思います。リストラで失業者がちまたにあふれていく。企業はさらにスリム化を迫られ、 何らかの部分で低コストの外注をせざるを得ない、と考えます。その中にオンデマンドが含まれるかどうか?
 いまは、オンデマンドは「紙」への出力を対象にした「軽印刷・製本」の域を脱しておりませんが、その先に何があるか、来るか、なかなか読めないのが実状 でしょうか。
 

* 八月三十日 つづき

* 文藝家協会の税申告の方法が来春から変わるので、その講習会に、妻が文藝春秋西館まで出掛け、留守番をしてい た。家であれこれやっているうちに 四時過ぎになり、妻の電話に呼び出されて、池袋へ出掛けた。船橋屋の天麩羅へ久しぶりに行きましょうよというので、何ヶ月ぶりのことか、パルコの上へあ がった。
 甲州の笹一を三杯、妻の生ビールも少し横取りして、天麩羅のうまかったこと。妻もたいていは一つ二つ残すのに、美味しいと言い、よく食べた。わたしはき すと鱧とを追加し、食事もして、ウーン、満腹した。久しく来ないうちに店が新装されていて、職人達が病気の心配までしてくれた。相変わらず飲んで食うので 驚いていたかも知れない。

* 元気の出たところで「さくらや」へ行き、とうどう妻は自前のパソコンを買った。シャープのメビウス。重い荷物 はわたしが持って、そろそろと慎重 に家に運んだのを、いま、階下で始動させようと奮闘中だろう。わたしのノートパソコンよりよほど高級機で、メモリもハードディスクも申し分ない。こわいか ら、わたしは、あまり触らない。

* 池袋さくらやのすぐわきに、三階もあるシックな喫茶店のあるのに気づき、さくらやのあと、一休みしてきた。

* 税申告の講習会には、高井有一、吉村昭、阿刀田高、古山高麗雄ら百三十人も集まり、妻は文士達の質問やらお しゃべりやらに興味津々楽しんできた らしい。各社の編集者や新聞記者とはずいぶん大勢逢ってきたが、パーティーの席とはちがつた税のことなどで、作家達のみせる素顔がよほど面白かったらし い。ちょっと誰にでも体験できる刺激ではなく、そういうことでは、妻もずいぶんこれで世間は広い方であるだろう。税務なんてことは、わたしは苦手でどれも これも任せっぱなしにしてある。

* 触るも触らないも、メールの設定ひとつ、わたしは何の役にも立てないことが段々に判明し、面目ないはなしであ る。ゆっくり慎重に一月も欠けて機 械と戯れていれば、妻にもどうにかなるであろう。パソコンはなまやさしいものでない。一つには、わたしはNECの機械しか触ってこなかった。SHARPに 代ると、なんだか、ものの名前も位置もいろいろに違う。芝田道さんの本をみていたら、「アカウント」ひとつにも、五つも六つも別の呼び方がある。初心者は 堪らない。主要な用語ぐらい各社統一してはどうなのか。

* だがそんなことは、今日の私には何ほどのことでもない。しばらくぶりに小説の「寂しくても」の冒頭部を新たに 書き起こしてみた。この場所で小説 の文章を書くのは気持ちがいい。小説の冒頭部は最初から書けるときも、のちのちに書き加えることもある。源氏物語の桐壺から、いづれのおほんときにかと紫 式部は先ず書き起こしたのではない。あれはよほどの後に書き起こしている。学者の定説である。この長く長くなる小説がどこへ向いて結ばれてゆくのか、結ば れないのか、まだ作者にもつかめない。進行しているのである、いまも。わたしの中で。
 

* 八月三十一日 金

* 京都の新京極を妻と歩いて、錦天満宮をのぞき込んだりしていたのを、「e-文庫・湖umi」に小説を二本載せ ている高橋由美子さんが、そばで見 掛けていたらしい、驚いてのメールが来た。わたしのことは写真で知っていたと。普通なら似た人とぐらいで終るだろうが、「私語」に、その刻限、錦や新京極 にいたと書き込んであったので、間違いないと思われたのだろう。夫婦でなにを話し、なにをしていたことやら、冷や汗が出る。ま、旅の恥のたぐいであり、こ ういうことが、ときどき有るものである。こっちでも高橋さんを識っていたら、声を掛け合って楽しいひとときが持てたかと、惜しかった。
 この高橋さん、新しいまた作品を送ってきてくれたのが、その帰省中の京都からであったらしい。帰省といってもお互いに家はもう無くなって、ホテルずま い。ホテルまでは一緒でなかった。我々は河原町に、高橋さんは烏丸に。

* 電子文藝館の実験版が、かなりの体裁で出来てきた。表紙など、まだ仮定の、借り着のようなものだが、サンプル 作品に梅原会長の論考、わたしの小 説、他に詩と短歌作品を入れてみた。もう少し調えれば、開館のめどが立つ。熱いメーリングの意見交換で、加藤弘一氏の尽力からここまで辿り着いてきて、し かし、まだまだ慎重にすみずみまでフォーマットをかためねばならない。

* 妻のメールが再開された。いい機械だ。インターネットも使える。見たこともない機能が満載されていて、勿体な いほどだ。

* 四国の門脇照男氏の小説「風呂場の話」と「赤いたい」をスキャンした。いい作である。若年以来文学「執心出 精」という免許状などに出てくる文言 どおり、私より一世代上の練達の書き手で、太宰治や上林暁に私淑し師事していた人。校正して早く掲載したい。

* 高校時代の恩師上島史朗先生の文庫版歌集が贈られてきた。嬉しい。ながらく闘病のあいだに、仙骨のあらわれた 味わい「からし」と謂いたい、寸分 のゆるみない老境短歌が並んだ。米寿になられる。この先生の無言の批評を、爪印だけの批評を、毎週もらいつづけてわたしは高校時代に「少年」の短歌を作り つづけた。わが文学生涯にこの歌集の有ると無いとでは大きくバランスの支点が変わる。先生の御陰である。

  ひむがしに月のこりゐてあまぎらし丘のうへに吾は思惟すてかねつ

  笹原のゆるがふこゑのしづまりて木もれ日ひくく渓にとどけり

 泉涌寺、東福寺。高校二年の三学期であったか。

* 「タイタニック」を二夜連続で放映、最初の二時間あまりを今夜見た。氷山にあたり浸水し始め、ジャックは盗難 の容疑で監禁された。今夜のところ は、ま、よく出来た方のメロドラマだ。船首で、ヒロインのローズが羽根のように両腕をいっぱいにひろげ、タイタニック最期の夕焼けの海へ飛翔しようとする 姿は文句なく美しい。
ケイト・ウィンスレットの演じるローズは、新しい時代の女の要素を備え、だからこそ明日に生き残り、二十世紀を満喫できたそういうキャラクターとして、意 図して映画の中で創造されている、とは、妻の批評だが、そういう生き抜く生命力がたしかに感じ取れる。DVDの吹き替えに比べテレビでは、ややローズが蓮 葉に話すのも、いまいまのギャルたちにまで命脈を伝えた新しい女の魁ゆえとみれば、面白い。つばを飛ばす所など無意味には描かれていない。
 

* 九月一日 土

* 門脇照男氏の秀作「赤いたい」を「e-文庫・湖」第二頁の創作欄に掲載した。昭和二十四年の「文芸広場」に福 田清人氏に認められて掲載された作 者自愛のこの作は、前年、小説が書きたい一心で四国から上京した作者の、いわば処女作であった。第三頁に掲載した同じ門脇さんのエッセイ「上林暁」が、こ の上京の時期に重なっている。かすかに流れるユーモアとペーソスとは、門脇さんが仰ぎ見ていた太宰治からの薫染であろうか。上質の私小説である。「湖の 本」の久しい読者である。
 ひきつづき昭和四十年の「風呂場の話」をスキャン校正している。

* 日の経つことのはやいこと。東京大震災も遠く遠くなったようでも、忘れてはなるまい。まさかの災難を心して防 がねばならない。

* 日曜美術館のビデオテープを久しぶりに観ました。
 何年前でしょうか。我が家では最初のビデオデッキ β だけの頃です。「洛中洛外図の時代」のタイトルで、真野響子さんの司会です。ホウと声が出ます。 ほっぺからおとがいにかけて、ふくよかに揺れています。相当雑音が入りますが、これは永久保存版としましょう。冒頭祇園祭の場面から、なんとも郷愁を誘い ます。
 早朝、涼しくていい気持ちの処へ、テレビのニュースは今朝未明の歌舞伎町雑居ビル爆発火災を告げています。二十一人の死亡者が出る大事故です。西武新宿 線の新宿駅の傍、半年程前にも、その近辺のなんとか横町が全焼の大きな火災に出くわしていますが、何時ふりかかる事故とも言えず、新宿族としては、何やら 不気味です。

* 死者は四十数人に達しているとテレビは告げていた。
 

* 九月一日 つづき

* 帝劇の「鶴屋南北 悪の華」を観てきた。入り口で劇場支配人と顔があった。われわれの入場券を観て、もっと佳い席に替えましょうと、前から二列めであったのを、いわゆる「と ちり」の「ち」の真ん中にすぐ取り替えてくれた。恐縮しているうちに、パンフレットまで手渡されていた。
 ゆったりと、広い舞台がすばらしくよく見えた。感謝。

* 浅丘ルリ子は、帝劇で主演する定番女優陣でもダントツの役者で、客をけっして下目に見ない。真向から熱演して 見せてくれる。まえの「鏡花幻想」 もそうであったが、今夜の南北の女の造形には共感できた。深く吹っ切れた一種の「達人」とすら謂えて、善も悪もない、ありのままに生き生きと現在を生き、 危うくない、つよい女を魅力的に立派に演じていた。高貴の姫、恋に狂う尼僧、やくざものの女、品川の女郎、どこまで落ちていっても、むしろ逆に人間が安定 し強くなり、何事にもたじろがない。関わった者の全員が非業に死んでいったあとも、なるべくして生きのびて行くのだと、さらっとまた行方も知れず世の中へ 歩み出す。お家の宝の巻物一巻を失ったことから、大勢の運命ががらがらとまわりはじめるのだが、浅丘の演じる花子の前ひとりは、回転する車輪の芯のように 動じない。最後には、その大事な巻物を手中にしながら、お家の再興も忘れ果てて破り捨て、顧みない。
 一にも二にもそういう魅力有る女一人を描ききってよく見せてくれたのが、この芝居の大手柄なのであろう。マインドという分別をきれいに落としきって、現 在を、はしゃがず沈まず生きて行く、実存的な女。世相や世情は、南北の頃と現代とで似通っているのであり、それだけに、こういうとびぬけた女の存在を、今 の身の回りにさがしたくなるが、心を病み、とらわれてもの悲しい人たちばかりが目に付いている。
 浅丘ルリ子は、優れた主演女優であり、なにより意欲と姿勢とがいい。演じる限りは深く人に訴えうるものをと、いつも注文をつける女優です、感心します と、洩れ聞いている。さもあろう。客をナメていない。みて下さいという姿勢で、全力で舞台を創ろうとしている。そう出来る人ばかりでないことは、同じ帝劇 ものを何度も見せてもらってよく知っている。客に媚びることで客をナメているような、客を下目に見ているような演者が、たしかにいる。そんな主演者は、そ んな舞台は、不快だ。

* 今夜の舞台を、及第点へ力強く引っぱり上げていたのは、共演の藤間紫であった。この名うての藝達者が、渾身の 芝居をみせ、空疎になりかねない歌 舞伎仕立ての劇空間を、引き締めに引き締めた。紫なくして、もし浅丘だけでは、あの廣い舞台は残念ながらスカスカになる。事実、この二人のいない舞台の幅 が、三分の二なら、もっと鶴屋南北の味が濃縮され、凄みもにじみ出るのにと、何度か思ったものだ。そう思わせる理由の大半は、科白であった。
 科白の生きる役者が、浅丘と藤間紫のほかに、殆どいなかった。ただの地声でみな喋っている。
 どこがちがうか。浅丘と藤間紫の科白だけは、或る確かな旋律と波動とをもって、舞台の空気を、音楽のように刺激し、うねらせ、響かせ、引き締める。だ が、たとえば、準主役の多岐川裕美にしても永島敏行にしても、そういうふうに劇空間を科白で支配できない。願人坊主のような長門裕之は巧みに役をこなして いたが、新橋耐子は食い足りなかった。期待の山崎銀之丞は、大きな役をもらっていたが、大舞台ではひれが無かった。からだの動きは切れがよく、素質十分の 色気を感じたものの、鬘もあわず、剣術の出来る武士の歩き方ではなかった。

* とは謂え、舞台は成功して、持続する劇性を太く一貫させて退屈させずに、次へ次へと世の中を転変させて不自然 が余り無かった。脚本も演出も成功 していたし、音楽も今回はわるくなかった。幕切れへかけての盛り上がりは手応え確かで、浅丘ルリ子は、最期のひとり舞台もうわずることなく、力を見せて余 裕綽々結びきった。盛大に拍手が送れた。うん、よかった、よかった、帝劇さん、いつもこの水準の舞台を見せてよと言いたかった。

* 帝国ホテルのクラブに寄り、妻はもらってきたパンフレットを読み、わたしはブランデーを主に、箸を使ってサイ コロに切ったうまいステーキを口に しながら、上島先生の歌集をていねいに読み終えた。妻はシーバス・リーガルのうすい水割りと、フルーツの盛り合わせ。一時間ほど腰をおろし、息を調えてか ら今夜は丸の内線で池袋経由、帰宅した。家では映画「タイタニック」の録画が、ちょうど済んでいた。
 

* 九月二日 日

* 田原総一朗の番組に猪瀬直樹が出て、道路公団の一部事業の凍結等について、石原伸晃大臣と歩調を合わせ、若々 しい率直な発言をしていた。くわし い論評の出来るわたしではないが、いつもの猪瀬氏よりも静かに抑えて、しかも短い言葉で自信をまともに表明していたのは、聴いていて安心感がめばえ、ただ の評論ではない実践姿勢が前に出てとてもよかった。とにかくも旬の人であり、この時期に所を得て活躍してくれるのは、ペンと言論の仲間としても嬉しく喜ば しく、いつも自分の言葉で、自由人として語り遂げ、働き遂げてほしいと思う。
 彼は理想主義者ではない。見えている理想から目をそらすとは思わないが、「今」なら「何」が出来るのかをとても大事にする。そのために、観る人の視野に よればときに物足りない狭さや偏りを感じさせることもあるが、行政の場に近く影響力も持って在るときには、この彼の現実性が、政治の「マイナス暴走」をふ せぐいいブレーキの役もする。推進力にもなる。亀井静香のような無法則な乱暴者にも、負けない大声で退かずにおれる落ち着いた根性は、わたしから謂えば、 あれが「文学」のちからなのだ。文壇人とは謂えない猪瀬だが、それがいいのだ。調査と探訪に基づいた遠慮ない自由な活躍が、彼の真骨頂であり、亀井ごとき を怖れたりしないでやり合える。自由であることのよろしさ誇らしさから、多彩に発想し発言し、国民のための改革、自民政権のためではない改革に、力を致し てほしい。期待は大きい。好漢、健康に、自愛せよ。

* ほっこりと疲れているのは、昨日に比べて今日の蒸し暑さのせいか。
 

* 九月三日 月

* 台風以来、幸か不幸か、よく雨が降る。新宿雑居ビルの煙災害による四十四人もの死亡もすさまじい。しなくては ならない仕事ばかり有り、しかし、 からだがダラケている。わたしの、九月おきまりの夏バテだ。

* 昨深夜に上司小剣の「鱧の皮」を再読、質感豊かなリアリズムに、独特の生彩と生動があり、大阪弁の面白さにの せられた人物像のねばっこさと、そ れにもかかわらず不思議な軽妙感とに、とにかくも感銘を新たにした。まぎれもない文学作品であり、濃厚で、うまみが充溢。たれの利いた鰻とか鱧とかの味で あるが、お茶漬けも添っている。織田作之助とかをはじめ、似た作風をおもいつくことは出来るのだが、よく味わってみると、こういう腰の据わった文学は作之 助にない、もっと軽いし、わるくいえば上司作品のおっとりときめこまかな品位に及ばない。「電子文藝館」には、ぜひこれをもらおうと思い、編輯の高橋茅香 子さんを介して青空文庫版の本文を入手した。
 じつを言うと、わたしはこの作家の名の正しい読み方が確認し得ない。「じょうし」「うえつかさ」「かみつかさ」「うえじ」「かみじ」などと読める。 「じょうし・しょうけん」とばかり読んできたが、さてとなると、確かでない。わたしの手持ちの講談社版文学全集には、一箇所もふりがながない。
 志賀直哉の全集書簡には再々奈良の上司海雲という人が登場する。人名索引では「か」の項にある。小剣も奈良の生れで、家は手向山八幡の神主であった。海 雲とは一党であろうか年譜では「上司の丘」に住んだので上司氏を名乗ったらしい、もとは紀氏であったという。日本人の氏名の読みはほんとうに難儀。編集者 は、正しい読みを記銘しておくべきだろう。この作家の別の作品にもいろいろの趣味をおぼえているが、『U新聞年代記』という実名ものが面白い。
 著作権の切れている「鱧の皮」を、敬意を表して、「e-文庫・湖」創作欄に頂戴する。

* ペンの初代会長島崎藤村の『嵐』本文も青空文庫に拝借した。

* 歴史小説の方で、双璧のようにみられている永井路子と杉本苑子の作品を比べ読んだ。永井の「右京局小夜がた り」は源実朝を、杉本の「風ぐるま」 は、永代橋の崩れを書いている。作風がかなりちがう。永井さんは小説を利して史実を論じている点、わたしにもそのヘキがあり、分かる気がする。ただ、実朝 御台の乳母の目から幕府の内情と実朝暗殺に至る経緯を推察させているのだが、新しみも深みも感じられず、特別面白く教えられた何もなかった。これでは、語 りが成功していない。また、作の品位も低い。
 杉本さん「風ぐるま」の描写は、あまりな通俗読み物で、うまいなと所々軽い叙述に立ち止まりはするものの、芝居の書き割りか、人情話のハナシカ口調のよ うで、筋は端から割れているし、意外性も興奮もおしまいまで何もない。売文の仕事ゆえ書かずには済むまいが、ご苦労なことという気もする。いまのわたしな ら、これを書くぐらいなら昼寝していたい。
 上司小剣「鱧の皮」のようなこっくりと味わい豊かな文学に触れて、一方に読み物作家の読み物を読むと、知名度では今や小剣などめったに知る人すらいない が、文学の格はちがうなあと驚嘆してしまう。

* 追分に暑を避けて静養されている木島始氏より、お手紙を戴いた。なかには、わたしの為につくられたコラージュ 作品も含まれていた。いろんな広告 を用いて創られてある。じっと眺めている。この八月十五日の東京新聞夕刊に寄稿された「分け隔てない戦没者霊苑」の切り抜きも入っていて、「e-文庫・ 湖」第11頁の論説・提言に戴こうとスキャンしてみたが、新聞記事には囲みの題字や写真や見出しがあり、うまく原稿として取り出せない。短いものだし、そ のまま、わたしの手で書き込んだ。大事な提言であり、一読を願いたい。
 

* 九月三日 つづき

* 「e-文庫・湖」第二頁創作欄に、門脇照男作「風呂場の話」を掲載した。さきの「赤いたい」は昭和二十四年の 出世作であった。これは昭和四十年 「文芸広場」一月号に初出の、デビュー以来の作風をみごとに味好く煮詰めた、この作家人生半ばの代表作である。婿が舅を書いたこれほどの秀作をわたしは知 らない。極めつけの佳い私小説であり、懐には余裕があり、視線は行き届いている。柔らかな軽みも救いもある。
 以前に三原誠氏の「たたかい」を掲載した、あれもじつに佳いもので、この二つの作品の善さには、通底したものがある。地味だがひたすらに書いていて、余 裕があり、変な受けねらいが無い。大勢の作者をわたしは湖の本の読者にもってお付き合いしているが、他にも倉持正夫氏にしても武川磁郎氏にしても、みな、 本格の書き手で、作品をゆるがせにしていない。門脇さんの二作、三原さんの二作、廣い読者を得たいと編輯者は切望している。

* 電子文藝館、良い形になりそうですね。加藤さんのご苦労を多とします。
 メーリングリストでも書きましたが、「秦・加藤論争」は、とても大事なことだと思います。
 文藝館のお手伝いも、ままならず、電メ研の会合にも、なかなか出られず、すみません。
 8月は、20日の夜に東京に帰り、21日は、歌舞伎座で納涼歌舞伎の第1部、第2部(第2部は、妻と一緒)を拝見したところで、「台風11号が、甲府方 面にも近づいている、終夜放送をしたい」という放送部長の連絡を受け、急遽、21日の内に歌舞伎座から甲府に直行。局長が不在でしたので、そのまま、泊ま り込みで対応。雨に弱い甲府盆地(大小の河川と扇状地でできている)であり、台風11号が、速度の遅い、長時間雨を降らせるタイプの台風でしたので、テレ ビ・ラジオの放送のほかに、インターネット版災害報道も、甲府局としては、初めて実施しました。
 (大兄も、台風と京都で遭遇され、大変でしたね。でも、金沢廻りで帰郷などという優雅な旅も実現できて羨ましいです)
 さて、溜まっていた大兄のホームページの「私語の刻」を、失礼ながら駆け足で拝見していて気が付いたことを書きます。
 1)マウスの調子が悪い、動かないとのこと。なかのボールにゴミが付いていませんか。アルコールを含ませた脱脂綿でボールを綺麗にふき取ると、機嫌良く 回転してくれますよ。
 2)「私語の刻」の「8/8(つづき)」のところで、「散り花」についての、私のメールが引用されていましたが、「新口村」は、「梅川忠兵衛」で、「お 染久松」ではありません。「お染久松」は「野崎村」です。
  私も、息子も甲府の教習所を8月中に無事卒業(息子は、30日卒業)、私は、24日に免許証まで戴きました(夏休みの教習所は、息子のような年頃の男 女ばかりで、おじさんは、私一人でした)。
 老人夫婦が、過疎地に住む場合、買い物、診療所などに通うのに車は必要ですし、車がないと田舎では自立した生活ができないと言うことで、長年、車公害反 対の報道をしてきた立場上、免許証を取らないと言ってきたのに、節を曲げて免許証を取得しました。但し、車の使用は、地域限定で、生活に必要な最小限度に しようと思っています。
 では、拝眉の機会を楽しみにしております。  倉持光雄

* 倉持さんのメールは、わたしをいつも和ませてくれる。うわべはせかせか話す感じなのに、精神の息づかいが深く て穏やかなのである。倉持さんにく らべると、わたしなど、すさまじい内面生活で、精神的にやくざに生きている気がしてならない。氏は、副放送局長さんであるから、このまえの台風などの折り は激務であったにちがいない、歌舞伎好きの彼が舞台と奥さんとをひょっとして置き去りに、途中から甲府まで飛んで帰ったかと思うと、お気の毒だが、そうい うことまでも活気にして暮らしている人だ。もう長い長いお付き合いである。

* 上司小剣は「かみつかさ・しょうけん」と森秀樹さんから事典で調べて報せてもらえた。感謝。
 

* 九月四日 火

* 携帯電話をわたしは持たないから使用もしない。妻は持っていて外出時に携行しているが、その妻の電話に、頻々 とではないが、へんなメールが舞い 込んでくるらしい。
 読者のなかにも深甚の被害を受けている人がいて、例えば、と、そのままをこの機械へ転送してきてくれた。「ランダム配信の為、不要の方は削除して下さ い。お詫び致します」とあるが、ヒドイ。こんなのが、じゃんじゃん携帯電話にメールとして飛び込み、その受信代も支払うのでは堪ったものでない。家族だけ の受発信専用に設定し直したというが。(以下実例は略)

* 大失業時代にもう入っている。政府試算よりもはるかに高い指数で失業人口が急増している。失業に直面した人の 「痛み」から政策がスタートせず、 両者の距離があまりに隔たっていては、社会不安は物騒なものに歪んでゆくだろう。新宿雑居ビル火事も単純な失火ではなさそうだ。放火の疑いが濃くなってき たと。大量虐殺に相当するから捜査陣は必死で追うだろう。検挙にいたってほしい。こういうときに、あのサリン事件のようなことが企まれると途方もない混乱 になってしまう。

* 昨日、新宿のデパートを経由のついでに、たいした寄り道ではないので、あの惨事の場所に立ち寄りました。野次 馬と想わないでください。歓楽街の 事故とはいえ、四十四人の犠牲者には、自然と頭を下げ冥福を祈ってきました。それに、仕事とはいえ救助作業に携わった救急隊の方々の気持ち察するに余りあ ります。テレビの映像にあるように、外観はあの入り口のビニールシートを取れば、三日前に多くの命を奪ったビルとは思えないほど異常なく、それだけ煙がビ ル内を充満していた様子を想像させます。昔、赤坂のホテル ニュー ジャパンの火災の後、永らく放置されていて幾度も眼にしているあの大きな敷地の残骸、 それよりも犠牲者が多いなんて、修羅場の様子を想像するだけでも、肌に粟が立ちます。若い人達だけに、さぞかし無念だったでしょう。

* ま、繪に描いたような野次馬サンの一人としか思えないが、好奇心旺盛ということか。死者は気の毒であるが、尋 常な判断なら、出入りしないような 場所である。「無念」に相違なかったろう、無念だ、怖いとすら思うひまもなく死んでいったかと想像される。ほんとうに「無念」なのは、だが、そんな「若い 人達」の親やきょうだいではないのか。

* 浅丘ルリ子での公演がひょっとして有ったかも知れない、が、泉鏡花の「貧民倶楽部」を、彼女で舞台化したら凄 いだろうなと、いま、ふっと渇望し た。浅丘なら、「恋女房」でも、水谷八重子とはまた別の凄いものになるだろう。
 

* 九月四日 つづき

* コンピュータ・ウイルスのレッド・コードが暴威をふるいつつあること、被害が拡大しつつあることをテレビが報 じていた。ウインドウズの2000 を破壊しているらしい。95や98やMEは被害を受けていないらしい。わたしの機械の中の2000が、98とのネットワークではあるが、何にも使ってもい ないのに急に破損したのは、何であったのか。電メ研メンバーの中でもコンテンツがつぎつぎと消えてゆくと緊急信号を呉れた人がいる。
 こういう助言も研究会内部で得ている。役立てばいいので、ここへも書き込む。

* ウィルスにやられたら、フォーマットし直してシステムを全部入れ直さなくてはなりませんから、皆さん、くれぐ れもお気をつけください。
 ウィルスには潜伏期間があります。ワクチン・ソフトをお持ちの方は念のためにチェックしてください。お持ちでない方は、この機会に買っておいた方がよい と思います。
 なお、ウィルス感染はメールだけではありません。ADSLやケーブルTVをお使いの方は、ファイヤー・ウォールを設定していないと、或る方法でウィルス を送りこまれてしまいます。
 最近のワクチン・ソフトにはファイヤー・ウォールがついているものが多いですから、これからワクチン・ソフトをお買いになる方は、ファイヤー・ウォール がついてくることを確認された方がよいでしょう。

* こういう攻撃が、国対国、組織体組織で起こってくる可能性、なんてものではない、すでに現実に莫大に起こって いるし、増えようとしている。
 コンピュータに侵入という映画の中のスリルはおなじみだが、昔は、見ていてもおとぎ話のように思えていた。どうしてどうして、もはや現実の脅威にすでに なりきっている。もし疾走する新幹線の重要な制御装置の中へ悪意で侵入されたり、飛行機の操縦機構に侵入されたり、ダムの水量コントロールに侵入された り、巨大都市の送電機構に侵入されたり、こういうことは、あり得ないどころか、有りえて当然の世の中になってきている。わたしが前々から折に触れて口にし たり、ものに書いたりしている「サイバーテロリズム」である。或る意味では「核」攻撃にも匹敵する脅威と思われ、もし世界平和を本気で口にするのなら、こ の方面からの国際協定が急がれねばならぬ筈だが、これはおそらく各国の思惑により成り立つまい。超巨大盗聴機能「エシュロン」をかかえた米国、そのおこぼ れを期待している日本や英国が、本気で動くわけがない。
 こういう事態に、どのように、例えば日本ペンクラブは、国際ペンは、対応するのか。
 わたしが、日本ペンにこそ、いちはやく電子メディア対応の委員会が新設されねばと提唱したのは、単に表現や文献の為の文字コードや電子文藝館のためだけ ではなかった。もっともっと根底から、人権と平和を脅かしてくるサイバーテロやサイバーポリスの陰険な蠢動と破壊活動に対し、どう闘うかのともあれ拠点で ありたいと思ったからだ。その意味では、委員会に、もっとそういう意識の高い「戦士」や「闘士」が加わってほしいのだが。時代の前途を見据えたそういう若 い「闘う意識」に、この委員会を、いつか委ねたいのが、ほんとうは私の願いである、が。
 

* 九月五日 水

* なにごとも「馬耳東風」と言う人に、
   秋風や不称念仏馬の耳   遠

* 早起きし、必要に迫られて、電子版・湖の本の大増頁を試みたところ、あんなに手順が分からんと苦にしていたの に、じつにすらすらと十頁分増やせ てしまった。転送も終え、これで、勝田貞夫さんのご厚意によるスキャン原稿も、「未校正」ながら、どんどん書き込んでおける。増設の手順は、忘れないうち にと、ノートした。元気が出てきた。

* 昨深夜に、芹沢光治良「死者との対話」、岡本綺堂「近松半二の死」を読んだ。電子文藝館の掲載候補作としてで あるが、ともに、感動した。ことに 芹沢さんの「死者との対話」はこの作家の根の真面目を痛切に書いていて、驚嘆した。敬服した。哲学に対し鉄槌をふるいながら、知性の真に在るべき在りよう を示唆してあまさない。戦後の昭和二十三年に書かれている。これは、ぜひ欲しい。日本にも哲学者はいて、西田哲学はことに世界的なものとして喧しかった。 だが、なんという日本語であったかと、わたしなども、さじを投げて嘆いたものだ。芹沢さんの批判はさきの戦争の不幸に触れながら、ことばと表現についても 根源のことを適切に話されている。昔に読んだときよりも、はるかにさらに強い感銘を受けた。どなたが著作権者であるのか、そういう下調べが先ず急がれる が、ぜひにと願う。
 岡本綺堂の新歌舞伎戯曲は、上演された有名なものでなく、優れた内容なのにふしぎと上演の機会をえないままの「近松半二の死」に目星をつけてみた。期待 通りの、読んで静かな感銘作であった。長さも程良かった。著作権切れの岡本綺堂であり、スキャンしてみたい。
 

* 九月五日 つづき

* 長野に出張中の卒業生が、旅先からメールをくれた。

*  こんばんは。今、長野にいます。出張中(&仕事中)です。ここはずいぶんと寒いです。
 一月程前に、先生にメールを送った直後に、会社の事業改革の一貫で、ぼくの所属する課が潰れました。製品を10年間造り続けて行きましたが、最期はあっ という間。
 それから一月あまり、感慨にふけるわけでもなく、仕事があるようなないような、ぼんやりとした日々が過ぎて行きました。
 最近ようやく他課の支援が始まったと思ったら、またも連日深夜までの仕事の日々です。失笑。
 半月程まえ、通りすがりの本屋の店頭にあった、丸谷才一の「笹まくら」が目にとまり、読みました。徴兵忌避者、という、意外にも想像したことのなかった 言葉に興味を持ったからです。(タイトルにもひかれました。)
 作品が書かれたのは70年代、戦争が終って30年ちかく過ぎなのに、徴兵忌避者である主人公は、おびえ続け(という
よりおびえ始め)ていきます。そのことに驚きました。
 というよりも、、、戦争は、一人の人間の中で終ることがあるのだろうか?という疑問が沸きました。戦時中の体験(=殺人)を決して語ろうとしない元兵士 がいると聞きます。終らないのでしょう。
 昨今の騒動の背後にも、終らないからこそ、が有るのでしょうか。
 けれど、ぼくらの世代は傍観者以外にはなりえないのではないか、と、時々感じます。その無力感のようなものに不安を感じます。明日自分が火事で焼け死ぬ と決して想像せず不安にならない火事場の野次馬。
 ADSLですか。ネットワークの高速化・拡大化が目指すものは、「全体との一体化」なので、恐くて使う気にはなれません。(それこそコードレッドなどの ワームやエシュロン機関の格好の餌食です。)
 それから、先生のホームページは、確かに、巷のHPと比べたら不便ですが、先生が作られているのは、新聞記事のような単なるデータベースではないのです から、無理に変えることはないと思います。親切=コンビニ、ですよ。世の中がコンビニだらけになるとは思わないし、思いたくもありません。(新婚旅行で ヨーロッパ各国を周りましたが、本当に日本はコンビニが多すぎると思います。)
 ただ、先生が不便ならば、あるいは、先生がHPについて、展望を持っていれば、言ってもらえればアドバイスくらいはすぐにできます。
 HPは、基本的に会社に依らない言語(HTML)を使って書かれているので、実質的にはネットスケープのシェアのことなど心配は無用です。いつ何が起き てもいように、全ページを、ご自分のMOに保管することだけは、常にお忘れなく。そうすればいつ何時たとえniftyが潰れても、すぐに移管できます。 (保管用のMOは保管時以外は器械から外しておきましょう!最近の悪いウイルスは、器械に繋がっているディスク等も潰すことがあるので。)
(器械の話ならこれだけ熱弁振るえるんですが、それだけでは、情けない。)
 またメールします。それでは。

* 勤め初めて数年。予想以上に世情がけわしい。印象的なのが「無力感のようなものに不安を感じます」という「の ようなもの」だ。文章の問題として も実感としても「無力感に不安を感じます」のだろうと思うが、どうしても「のようなもの」と言いたい漠然感が近時世情に下這う気流らしい。
 よく読めばいろんな内容のある、若い人の気持ちの波動が伝わるメールである。芹沢光治良の「死者との対話」や梅原猛の「闇のパトス」が反射的に胸を押し てくる。前者には若い世代への愛と反省が、後者には若い当人のもがき苦しみが書かれていて胸の扉を激しく打つ。このメールの書き手にも読んで欲しい。

* 聴く耳のない馬に念仏を称える気はしない。聴く耳のためには語りたいし、自分も聴きたい。わたしが、高年齢対 照のカルチュアーセンターを引き受 けたくなく、喧しくて騒がしくても学生達には話したかったのは、若い彼らの方が明らかにじつは聴く耳を持っていたから、彼らの人生は今始まるから、であっ た。だが、若い人がみなものを聴こうとしているワケではなく、かなり早く耳をとじたがるようになる。と言うか、自分に都合のいい声を選り分けて受け入れる ようになる。先日、若い歌人の写真歌集にこの場で苦言を呈したが、今日、「褒めなかったのはあなただけで、大勢が褒めて評価してくれました」と手紙を送っ てきた。バグワンではないが、大勢がどっと均しなみに言うことは、どこか可笑しいというぐらいの気で、ただ一人の声にも耳をかす気がないと、自己満足にし かならない。自己批評。それが失せたり薄れたりしては、聴くべき耳はふさがるのである。
 

* 九月六日 木

* 夕刻、久々の言論表現委員会。今日はにぎやかにいろんな顔に出会うだろう。秋が始まる。ちょっと身構えるよう だが、秋の陣が始まる感じ。

* 秋が厭きの掛詞なんて、私の辞書にはありません。あの酷暑から解放されて、朝夕人並みの心地がして、夜は虫の 音と合奏する両のキーン、キーンの 耳鳴りにも挫けず深い眠りに誘われます。ゴクラク ゴクラク。
 数年前、お歳を忘れての過労から耳の病に罹り、後遺症として激しい耳鳴りに襲われました。暫くは不眠症、心身症に罹り奈落の底でした。処方は入眠剤の服 用以外にないのですから。
 ある日ある時、耳鼻科の女医先生のアドバイスを受けて、自分の気持ちを180度転換出来ました。耳鳴りは老化現象、その歳まで生きられたのは、ボーナ ス、神からのプレゼントと思いなさいと。
 発想の転換を身をもって経験しました。途切れず響く耳鳴りとは、今ではとても仲良しです。
 と、余談が長くなりましたが、余談つづきに、四季の中では一番いいな、秋。暑からず寒からず、収穫多く、新米、秋刀魚もよし、ずあい蟹のとれとれも美味 しく。空は高く、月見もいい。ススキもいい。紫の花がいい。氏神様の秋祭り、冬への梯、冬祭りが懐かしく、佳かった。
 夢の旅にも出たい。食欲も満たしたい。生きている証に。長生きのボーナスを戴きに。

* 折しもこの十月初め、山折哲雄氏との対談『元気に老い、自然に死ぬ』という、最も難しいことを題にした本が出 るので、新刊の「湖の本」に簡単な チラシを入れてくれと春秋社に頼まれた。このメールの七十近い読者など、さしづめ「元気に老い」の見本のような人か。「収穫多く、新米、秋刀魚もよし、ず あい蟹のとれとれも美味しく。空は高く、月見もいい。ススキもいい。紫の花がいい。氏神様の秋祭り」などと並べたところは、「村の鎮守の神様の」と唄って 育った世代のオールド・テイスト過ぎるけれど、はるかな郷愁にはつながる。だが私にはこの秋は、そうはノンキではない。しっかり黒いピンを刺されたまま奔 命奔走することになる。わるいことに、かなり心身の疲労が表に出ている。九月は、わたしには数十年、うすい垢に似た夏バテをだましだまし処理する月でもあ る。

* 優れた哲学者ベルグソンには唖者の娘さんがいた。ベルグソンはその唖の娘とも対話できるような言葉で、痛みに 耐えた愛で哲学していたのが偉大さ の所以であると、芹沢光治良は書いている。こんなことを、繰り返し書いている、戦死した教え子に呼びかけて。

* 実は、西田(幾太郎=「善の研究」などで世界的といわれた哲学者)博士ばかりでなく、僕や君をふくめてすべて の日本の知識人が、大衆を唖の娘に してゐたために、唖の娘に復讐されるやうな不幸な目にあつてゐることに、(敗戦により)おそまきながら気がついたのだ。学者や芸術家など、あらゆる知識人 が、現実からはなれ、現実に背を向け、凡俗を軽蔑して、自己の狭い専門を尚いこととして英雄的に感情を満足させてゐる間に、一般の大衆はもちろん、軍人も 政治家もかたはな唖の娘になつて、知識人の言葉も通じなくなつて、知識人を異邦人扱ひするところから、日本の悲劇も生じたが、知識人は復讐を受けるやうな 不幸にあつたのではなからうか。

 みんなで避けようとすれば避けられる不幸だつた。それに苦しめられながら、僕はあの唖の娘のことを思ひつづけ た。西田博士ばかりではなく、日本に は多くの善意を持つ偉い学者や芸術家や思想家がをらうが、この人々がみな仲間同志にしか通用しない言葉を使つて、仲間のために仕事をして来たので、日本人 は唖の娘としておきざりにされて、民度をたかめることもできなかつたが、これはさうした知識人の裏切りであつたと、最後に君にあつた日に憤つたのだつた。

 同じ言葉を使はないことは、いつか思想を同じくしないことになつて、外国人同志のやうな滑稽な悲劇が起きる原因 になる。  めいめいちがつた言葉 を使つていて、他の者を唖の娘扱ひしてゐたので、お互に意思が疎通しなかつた滑稽を暴露してゐる。

 敗戦後、民主主義といふことが流行してゐるが、すべての唖の娘が口をきき出して、しかも同じ言葉をどの方面に向 つても話すといふことでなければ、 民主主義も戦争中にいくつも掲げられた標語と同じことだらうと、僕は心配してゐる。
 君の世代の人々もすでに文学の世界で仕事をはじめたやうだ。立派な仕事をしてゐる者もあるが、みいちやんはあちやん、太郎くんはもちろん、大衆を唖の娘 としてうちすてて、やはり同じ仲間の言葉でしか物を書いてゐないやうだ。
 君は、長生きしていい仕事をするやうにと、回天で出撃する日遺言のやうに、僕に詞を送つてくれたが、そのいい仕事とは、唖の娘にもわかるやうに努力して 唖の娘の詞で書きながら、なほ芸術的な作品であると理解している。

 君は警告してゐる。  僕たちがまた唖の娘にそつぽを向けてゐたらば、僕達は崇高な精神に生きながらまた唖の娘 のつくるちがつた人間魚雷にのせら れて、死におくられることが必ずあることを。

* 揚げ足を取る人はとれるであろう。ファシズムだとさえ言う人もあるかも知れないし、芹沢文学の説明だと言う人 もありかねない。だが、素直に受け 取ればこれは傾聴に値してあまりある智慧の言葉であろう。わたしにも、耳に目に痛い言葉である。
 「いい仕事とは、唖の娘にもわかるやうに努力して唖の娘の詞で書きながら、なほ芸術的な作品である」とある。「唖の娘の詞で書きながら」の一句は省いて 欲しいと望むのが書き手の意地であり根であるとも謂えるから、これには異論も出ようが、「いい仕事とは、唖の娘にもわかるやうに努力して、なほ芸術的な作 品である」とは、だが確実に正しい。
 わたしの息子などにも分かりよく譬えれば、ドラマ「阿部一族」とドラマ「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」は、同日には語れず、芹沢さんの弁にきっちり値し ているのは前者なのである。その「阿部一族」を、高級すぎると久しく「オクラ」にしてきた(という)ところに、広い意味での客=唖の娘たちを下目に見た傲 慢さがあるのだろう。同じことは、現代物のドラマについても謂える。いいものは誰の目にも感動をあたえ、しかし、仲間ぼめ以外には誰もほめない消耗品の方 が圧倒的に多い。そういう凡百の消耗的なテレビドラマや読み物が、「唖の娘」の味方だなどと言ってもらっては、迷惑だ、唖の娘達を心から大事にしている仕 事などでは、けっして、ない。腹の中で、「おまえたちは所詮この程度の物をみて、読んで、楽しめ」と、下目に侮った仕事ばかりになっている。くらべてみれ ば、歴然としている。テレビを見ていると「腹が立つ」という唖の娘たちは世の中にあまりに多い事実を、謙遜に悟らねばなるまい。帝劇でいえば、浜木綿子の 舞台にその悪弊を感じるし、浅丘ルリ子の舞台には反対に誠実な努力を感じる。
 一例が西田哲学にだけ罪があるのでなく、現代では、軽薄と猥雑極まって、「なほ芸術的な作品」というにはあまりに程遠いものを垂れ流し、ただもう視聴率 を拝んで生きている作家達により、大きな害が生じている。新宿雑居ビル災害の根にも繋がっていると思う。しかし、野坂昭如やつかこうへいの優れた作品に は、題材の猥雑をはるかに凌ぐ人間と時代への洞察や愛がある。その辺の「人間」の深みの違いが大きく、秦建日子には、師匠つかさんのあとを今は、たとえ ジャンルは異なっても、謙虚に追えと言ってやりたい。言葉を大切にと言いたい。
 

* 九月六日 つづき

* 行きがけ渇くように欲しくて、池袋東武の「仙太郎」で、大きいおはぎを一つ買った。盗み食いのようなもので、 ひとしお旨い。乃木坂に着いて、少 し時間が有ったから、また堪らず、イタリアンの店で小さめの生ビールを一杯くいと流し込んだ。なんという口卑しいヤツかとぶつくさ言うもう一人のわたしを 軽く窘めて、バランス、バランスとワケの分からないことを呟きながら、四時前、日本ペンの事務局会議室に入った。ペンの会議では、糖尿病以来、わたしには 甘いものを出さないでいてくれたが、今日は、他の出席者と同じに金つばのような菓子が出て、これも美味しく食べてしまった。口福ということばがある。

* 図書館協会と図書館問題研究会から、少し時間をずらして来てもらい、両方から、昨今の図書館事情を聴き、また 著作権に関わる考え方を問いただ し、意見交換した。
 協会と研究会との話は、話し手のキャラクター程度の差はあっても、軌はほぼ一にしていて、猪瀬委員長や三田誠広など口やかましい猛者を相手に、一人ない し二人で、よく、分かりよく、話してくれたと思う。我々の考え方も、納得の行かぬところもあったろうが、聴き取ることはよく聴いて帰ってくれたと思う。
 所詮というか、わたしなど当然にと思うが、我々のペンクラブがいきなり叩きつけた問題を受け入れるには、日本の図書館は、気の毒なほど「質」的低劣環境 に喘いでいて、目の前の火の粉を払い払い、図書を扱っている。図問研など、よく勉強していて、視野だけは広く遠く持とうとしているし、話題への対応も明快 に素早かったが、ま、そこまでが精一杯なのだ。手も足りない、金もない、上や周囲の理解も乏しい。そこへ、さあやれ、ああやれ、こうやれと、他の団体、縁 の深い文筆家団体から高飛車に押し込まれても、理屈ではともかく、受け入れて日々の活動の中からさらに具体的に展開してゆく余力を持っていそうにない。し かもターゲットが、国や自治体や、法制度とあっては、とても生半可な態勢では及びもつくまい。その前進や解決には、ある種の社会的協力組織が出来、戦略的 に共闘するのでなければ、とてもわれわれが提示した問題の閾値は超えられまいと、わたしは、見ている。ただ評論したり議論したり問題を押しつけ合っている 内は、図書館のためにも、著作者のためにも、少しも、何も前進するものではない。
 今日の会合が、ある歴史的な発端となり、めざましい共同戦線とキャンペーンとが具体化されてゆかねば、つまりは体のいいガス抜きの会合というだけで、不 発不毛に終るであろう。
 猪瀬氏も委員会も、乗りかかった船であり、そもそも石を投じて少し痛い思いを先にさせたのは我々なのだから、このまま放り投げておくのでなく、いわば国 民運動に組織してゆかなくちゃ、要するに只の「口舌の徒」として終ることになる。そう思う。
 猪瀬氏のはなしだと、彼宛てに個別にたくさん図書館関係者から攻撃のメールが入ったとか。これは攻撃し合うのでなく共闘してゆく関係へもちこまねばお話 にならない。

* 十八日のシンポジウム「今、表現があぶない」の打ち合わせは、ほどほどにやっと出来た程度、それほど時間を図 書館問題のために割いた。終って七 時をだいぶまわっていた。昆布数の子のつきだし、烏賊と鯛と鮪の刺身、新松茸の土瓶蒸し、そして銀杏、筆生姜、簪揚げのついた鰆の焼き物。控えめに銚子は 二本に抑えて、うまい食事をしながら、雑誌「春秋」や雑誌「創」を読んできた。「創」の小泉首相特集がおもしろかった。

* 家に帰ったら、ドルフ・ラングレンのB級娯楽映画の途中だった。血しぶきのとぶこととぶこと。ヒロインの女優 はしかし最高にチャーミングであっ た。清潔にしてエロチックであった。これだなあと思う。

* 9日の日曜日は、地元の人たちと御坂山地(富士五湖地方と甲府盆地を区切る山塊)にある「節刀(せっとう)ヶ 岳」という1700メートルほどの 山に登ってきます。甲府盆地から見ると綺麗な三角錐の山頂が見える山で、天気が良ければ、登山途中で富士山が見えるはずです。10日の月曜日は、会議が、 いくつかある曜日で、身動きできません。
 さて、秦さんが、上司小剣の名前の読み方を知らなかったと知って、なにか微笑ましくなりました。「弘法も筆の誤り」という感じです。
 私は、高校生から大学生になる時期、60年代には、「大阪」をテーマにした小説を読みあさっていました。織田作之助、上司小剣、水上滝太郎など。ほかに も読みましたが、いまは、思い出せません。
 織田と上司は、新聞記者出身ではなかったでしょうか。織田の作品のうち、「青春の逆説」でしたか、あれは、新聞社の採用試験の場面があったような気がし ます。いま、手元に作品がないので、確認できませんが・・・・。新聞記者の印象は、作品の上だけだったでしょうか。水上滝太郎は、サラリーマン重役でした か。東京生まれで、出張だか、赴任だかの生活をテーマに「大阪」「大阪の宿」などという作品を書いています。
 藤本義一、田辺聖子、野坂昭如、和辻哲郎なども「関西」という括りで読んでいました。秦さんの作品も、そういう関係で読み出したのではないでしょうか。
 ですから、上司小剣は、若い頃から親しみがありました。それを、電子文藝館に入れて下さると聞いて、嬉しくなりました。
 NHKに入り、記者として、地方に赴任する際にも、「第一希望」を、大阪としたのも、そういう縁でした。そして、本当に大阪赴任となりました。大阪の4 年間の最初は、休日には、「織田作」の作品の舞台を訪れました。新世界、じゃんじゃん横丁、夕陽が丘など。やがて、京都、奈良、神戸など、大阪以外にも関 西の魅力に浸り、関西生活を楽しみました(その割には、大阪勤務は、4年間で終わり、東京の報道局社会部勤務となってしまいました。そして、警視庁の所轄 署廻り=いわゆる、「察廻り」時代に、ロッキード事件の発覚です。最若手の社会部記者たちは、田中角栄、小佐野賢治、児玉誉士夫宅などの張り番でした。大 阪時代の最後は、金大中事件関連、朴大統領狙撃事件関連などでした)。
 上司小剣の名前から、余計なことを想い出してしまいました。では、またの拝眉を愉しみに。

* こういうメールからも、ちょっとした短編映画を見る興趣をわたしは覚える。お勤めの人だから語弊があるかも知 れないが、自由人の佳い境涯がここ に在る。
 

* 九月七日 金

* 「李清照」を読み継いでいる。宋詞の面白さが、趣の佳さが、解説的には言いにくいけれど身内に浸透してきてい る。見ようによればかなり特殊な内 容の本であるが、退屈しない。著者原田憲雄氏の行き届いて親しみ深い麗筆の恩恵であろう。三田誠広君から「天神 菅原道真」という文庫本が贈られてきてい る。

* 昨日就寝前の読書は二時三時に及んだが、一休の道歌を説きながらのバグワンのことばに驚いた。わたしが、もの を書き出してこのかた、創作動機の 芯に置いてきた一つ、「島」の思想、とおなじことが語られていた。おッ、同じことを言っていると思わず口に出たほど。
 わたしは、言いつづけた。人の生まれるとは、広漠とした「世間の海」に無数に点在する「小島」に、孤独に立たされることだと。この小島は人一人の足を載 せるだけの広さしかない。二人は立てない。そして人は島から島へ孤独に堪えかねて呼び合っているが、絶対に島から島へ橋は架からないのだと。「自分=己 れ」とは、そういう孤立の存在であり、親もきょうだいも本質は「他人」なのだと。だが、そんな淋しさの恐怖に耐え難い人間は、愛を求めて他の島へ呼びかけ つづけていると。
 そして、或る瞬間から、自分一人でしか立てないそんな小島に、二人で、三人で、五人十人で一緒に立てていると実感できることが有る。受け入れ合えた、 愛。小島を分かち合ってともに立てる相手は、己に等しい、それが「身内」というものだと。親子だから身内、きょうだいだから身内、夫婦だから身内なのでは ない、「愛」があって一人しか立てぬ「島を、ともに分かち合えた同志」が、身内なのだと。だが、それは錯覚でもありうる。いや貴重な錯覚だというべきも の、愛は錯覚でもあるだろう、と、わたしは感じていて、だからこそ大事なのだと考え、感じてきた。
 昨夜、バグワンは、語っていた。(スワミ・アナンダ・モンジュさんの訳『一休道歌』に拠っている。以降、同じである。)

* ひとり来てひとりかへるも迷なり きたらず去らぬ道ををしへむ  一休禅師
 一休はどんな哲学も提起していない。これは彼のゆさぶりだ。それは、あらゆる人にショックを与える測り知れない美しさ、測り知れない可能性を持ってい る。
   ひとり来て一人かへるも──
 これは各時代を通じて、何度も何度も言われてきたことだ。宗教的な人々は口をそろえてこう言ってきた。「われわれはこの世に独り来て、独り去ってゆ く。」倶に在ることはすべて幻想だ。私たちが独りであり、その孤独がつらいがゆえに、まさにその倶に在るという観念が、願望が生まれてくる。私たちは自ら の孤独を「関係(=親子、夫婦、同胞、親類、師弟、友、同僚、同郷等)」のうちに紛らわしたい……。
 私たちが愛にひどく巻き込まれるのはそのためだ。ふつうあなたは、女性あるいは男性と恋に落ちたのは、彼女が美しかったり、彼がすてきだったりするから だと思う。それは真実ではない。実状はまったくちがう。あなたが恋に落ちたのは、あなたが独りではいられないからだ。美しい女性が手に入らなければ、あな たは醜いじょせいにだって恋をしただろう。だから、美しさが問題なのではない。もし、女性がまったく手に入らなければ、あなたはだんせいにだって恋をした だろう。したがって、女性が問題なのでもない。
 女性や男性と恋に落ちない者たちもいる。彼らは金に恋をする。彼らは金や権力幻想=パワートリップのなかへ入ってゆきはじめる。彼らは政治家になる。そ れもやはり自分の孤独を避けることだ。もしあなたが人を観察したら、もしあなたが自分自身を深く見守ったら、驚くだろう──。あなたの行動はすべてみな、 一つの原因に帰着しうる。あなたが孤独を恐れているということだ。その他のことはすべて口実にすぎない。ほんとうの理由は、あなたが自分は非常に孤独だと 気づいているということだ。  で、詩は役に立つ。音楽は役に立つ。スポーツは役に立つ。セックスは役に立つ。アルコールは役に立つ……。とにかく自分の 孤独を紛らわす何かが必要になる。孤独を忘れられる。これは魂のなかの疼きつづける棘だ。そしてあなたはその口実をあれへこれへと取り替え続ける。
 ちょっと自分の=マインドを見守るがいい。千とひとつの方法で、それはたった一つのことを試みている。「自分は独りだという事実をどうやって忘れよ う?」と。T.Sエリオットは詩に謂うている。
   私たちはみな、実は愛情深くもなく、愛される資格もないのだろうか?
   だとすれば、人は独りだ。
 もし愛が可能でなかったら、人は独りだ。愛はぜひとも実現可能なものに仕立てあげられねばならない。もしそれが不可能に近いなら、そのときには「幻想」 を生み出さねばならない──。自分の孤独を避ける必要があるからだ。
 独りのとき、あなたは恐れている。いいかね、恐怖は幽霊のせいで起こるのではない。あなたの孤独からやって来る。──幽霊はたんなるマインドの投影だ。 あなたはほんとうは自分の孤独が怖いのだ──。それが幽霊だ。突然あなたは自分自身に直面しなければならない。不意にあなたは自分のまったき空虚さ、孤独 を見なければならない。そして関わるすべはない。あなたは大声で叫びに叫びつづけてきたが、誰ひとり耳を貸す者はいない。あなたはこの寒々とした孤独の中 にいる。誰もあなたを抱きしめてはくれない。
 これが人間の恐怖、苦悶だ。もし愛が可能でないとしたら、そのときには人は独りだ。だからこそ愛はどうしても実現可能なものに仕立てあげられねばならな い。それは創りだされねばならない──たとえそれが偽りであろうとも、人は愛しつづけずにはいられない。さもなければ生きることは不可能になるからだ。
 そして、愛が偽りであるという事実に社会が行き当たると、いつも二つの状況が可能になる。

* そしてバグワンは、深くて怖いことを示唆する。
 それにしても、わたしは、バグワンと同じことを考え続けて書いてきたのだと思い当たる。所々のキイワードすらそっくり同じだ。そうだ、わたしの文学が、 主要な作品のいくつかに「幻想」を大胆に用いた根底の理由を、バグワンは正確に指摘しているのである。いま上武大学で先生をしている原善はわたしを論じた 著書をもち、しかもわたしの「幻想」性に早くから強い関心を示して論点の芯に据えているが、じつのところバグワンの指摘した「幻想」に至る必然には目が届 いていないと、作者としては思ってきた。だが彼のために弁護するなら、作者のわたしとても、かくも明快に意識していたかどうかと告白しなければなるまい。
 もう少し、バグワンの重大なと思われる講話の続きを聴きたい。

* ブッダたちは情報知識=インフォメーションには関心を示さない。彼らの関心は変容=トランスフォーメーション にある。あなたの世界は、すべて、 自分自身から逃避するための巨大な仕掛けだ。ブッダたちはあなたの仕掛けを破壊する。彼らはあなたをあなた自身に連れ戻す。
 ごく稀な、勇気ある人々のみが仏陀のような人に接触するのはそのためだ。波のマインドには我慢できない。仏陀のような人の<臨在>は耐え難 い。なぜ? なぜ人々は仏陀やキリストやツァラツストラや老子に激しく反撥したのだろう? 彼らはあなたに虚偽の悦楽、うその心地よさ、幻想のなかに生きる心安さを許さない人々だからだ。これらの人はあなたを容赦しない。彼らはあなたに真実に向 かうことを強いつづける人々だ。そして真実はぼんぞくにとっていつでも危険なものだからだ。
 体験すべき最初の真実は、人は独りだということ。体験する最初の真実は、愛は幻想(=錯覚、貴重な錯覚)だということだ。ちょっと考えてごらん。愛は幻 想だというその忌まわしさを思い浮かべてみるがいい。しかもあなたはその幻想を通してのみ生きてきた……。
 あなたは自分の両親を愛していた。あなたは自分の兄弟姉妹を愛していた。やがてあなたは、女性、あるいは男性と恋に落ちるようになる。あなたは、自分の 国、自分の教会、自分の宗教を愛している。そしてあなたは、自分の車やアイスクリームを愛している──そうしたことがいくつもある。あなたはこれらすべて の幻想(=夢・錯覚)のなかで生きている。
 ところが、ふと気づくと、あなたは裸であり、独りぼっちであり、いっさいの幻想は消えている。それは、痛む。

* この通りであると、少なくも「畜生塚」や「慈(あつ)子」や「蝶の皿」を、「清経入水」や「みごもりの湖」 を、そして「初恋」や「冬祭り」や 「四度の瀧」を書いた頃を通じてわたしは痛感してきた、今も。
 だが、バグワンとすこし違う認識が無いとも謂えず、それは大事なことかも知れない。「慈子」や「畜生塚」のなかで用いていたと思うし、請われれば答えて いたと思うが、わたしは「絵空事の真実」と謂い、「絵空事にこそ不壊(ふえ)の真実」を打ち立てることが出来ると書いたり話したりしていたのである。一切 が夢だから、早く醒めよ、そして真実の己と己の内深くで再会せよというのが、バグワンの忠告であり、じつは、ブッダたちの、また老子たちの教えである。そ ういう教えのもっている怖さを回避するために仏教や寺院や経典ができ、また基督教や教会が出来、道教への奇態な変質が起きた。バグワンはそれらに目もくれ るなと言いたげであり、わたしは彼に賛成だ。それらはその名を体した人の本来とは、ひどくかけ放たれた俗世の機構にすぎない。
 いま触れた点でのバグワンとわたしとの折り合いは、そう難儀な事とも思えていない。わたしは「幻想」を創作の方法として必然掘り起こしたときに、「夢の また夢」という醒め方から、絵空事の不壊の値に手を触れうると思っていたし、今もほぼそういう見当でいる。

* わたしが、ふとしたことからバグワンに出逢ったことは繰り返し「私語」してきた。もう何年、読誦しつづけてい ることか、しかし読んでも読んで も、聴いても聴いても、飽きて疎むという気持ちは湧かない。ますます理解がすすみ、嬉しい安堵や恐ろしい叱責を受け続けている。その核心にあたる機縁に、 昨夜はじめて手強く触れ得たのは幸福であった。
 

* 九月七日 つづき

* たださえ忙しいのに、今度は文字コード委員会の方からふりかかってくる火の粉を払わねばならない。このところ 文字コード委員会へあまり視線を振 り向けてられる余裕がなかった、が、今朝、メーリングのなかで、例えばNTTの千田昇一さんのこんなメールが飛び込んできた。長い文章の最後の方にあり、 それまでの議論は明快でよく分かるものだった。だが、こうなると、ちょっと困るのだった。
 「私は、例えば、文筆家の方々が、多様な文字を扱いたいという要望を持っていることは理解していますが、その文字の扱いにしても、出版物を出すまでの道 具としか見ていないのではないかと思っています。もし、出版物を出すまでの道具として情報処理機器をつかっているのだとすれば、情報処理機器の能力不足の 点は、従来の技術(手書き等)で補足していただくのがコスト的に有利なのではと思います。
 もし、文筆家の方々が、電子出版をお考えであれば、情報発信側だけの機能を検討するだけでなく、情報受信者となる読者の側にどの程度の価格の受信装置を もっていただくかを想定するのが、通信技術としては定石なのですが、この部分についての検討はしないまま、自分がほしいと思った機能は受信者は必ず持って いると思い込んでいるのではと危惧します。」

* これは事実認識に大いに違ったところがある。現に、私たちの今奮闘している電子文藝館の立ち上げに関しても、 その基本のフォーマットをきめるに ついて、発信者の我々の問題以上に、不特定大多数の受信機械の現状や近未来にどう対応するかを何よりも激しく議論もし苦慮し工夫している。「情報受信者と なる読者の側にどの程度の価格の受信装置をもっていただく」などという厚かましい希望は我々には持ちにくく、しかし「想定」して極力それに対応した発信を と考えている。当たり前の話ではないか。文筆家へのこの程度の認識で「危惧」されては堪らない。
 千田さんには余儀なく、こう返事をした。

* 千田さん 明快なご意見です。
 ただ最後に例えば「文筆家」云々の箇所には、誤解もあるやに感じましたので少し申し添えます。
 前々回の会議の席で申し上げ、小林幹事より「全面的に同意見」といわれたわたしの見解をご覧になっていないようです、この全文は長いので千田さんに直接 お送りし、ここのメーリングには繰り返しません。むろん文筆家全員の意見とは言いません、が、わたくしも文筆家であり、千田さんの非難されているような頑 迷な立場をのみ固執しているわけでないことをご理解願います。
 ことに、「紙の本にする前段階としてのみ機械を使っているのではないか、それなら手書きで補え」といわれるのは、認識不足の暴論です。
 私などは、紙の本への依存度をぐんと減らして、機械そのものを創作と執筆の「場」としています。ホームページをご覧下さい。18MBの文章をすでに書き 込み、何倍にも及ぶでしょう。こういう傾向は、私だけでなく文壇の内外でますます増してゆきます。
 またインターネットによる、小規模ながら堅実な準研究集団やサークルが出来ています、どんどんと。そういう際には、古典や仏典・外典、古文献の引用も双 方向通信でお互いに必要となりますが、文字で、記号で、苦労の多いことは察してくださらねばいけません。そういう場と傾向も、さらにさらに増えてゆくで しょう。
 インターネットがインフラ化してゆくというのは、ただ、経済や工業や情報の畑だけであっていいという考えでは、偏狭に過ぎます、むろん、いろんな工夫の 要ることですが。
 日本ペンクラブは、従来紙の本=著書二冊以上を入会審査の条件としていたのに加え、紙の本でなくても、電子化されて現に公表されている作品も、規定の条 件をクリアしたものは「著述」と認定すると正式決定しています。電子作品が市民権を与えられたのです。「出版」という言葉が、紙の本をだけをさしていた時 代は、過ぎつつあります。原稿用紙には書かない、機械に書く、「機械で出版」する人は、老いにも若きにも増えています。
 また現在日本ペンクラブは、島崎藤村初代会長から現在の梅原猛会長時代に至る、全会員の「紹介」とその主要作品の電子化による、「日本ペンクラブ電子文 藝館」を開館しようとしています。すでに実験段階で作品を掲載し、年内には少数のコンテンツからでも開館しはじめます。無料公開です。世界に持ち出せる日 本の文学・文芸のいわば代表作文化財を企図していますが、文字・記号で、多大の障害が現に予測され、どう乗り切ろうかと頭を悩ませています。「無い字は手 書きで済ませよ」と言われますか、千田さん。会員は小説家・詩人・随筆家だけでなく、いろんな難しーい研究者もいます。井上靖の「星の話」をぜひ入れたい となれば、思わず唸るのです。
 こういう文化面の事業にも、千田さん、ご理解いただきたい。無理とわがままを言うているとは思いませんが。
 結果として「ハ藤」「ソ藤」を例にした千田さんの提起に対し、文筆家の私個人は、2 の考えではないこと、ま、1 に近く、3 も分からぬではないがと言ったところです。これに関連した以前の見解は、部分的に、下記の通り。

 「包摂」という考え方を、原則として強く容認し、同じ意義と用字法をもち、あまりに偶然の書法=書き癖・筆癖・ 気まぐれ・誤記等で、形に変化こそ あれ本来「異字」度の希薄な異体=異形字は、賢明に包摂し、大胆に整理することで、大きく「引き算」する。将来にわたる原則的な大課題として、包摂による 引き算を敢行する。もの凄い数の、本来は同じ意義と用意の、ただ偶然の書字癖や写字癖や誤解にもとづく異形字・異体字・放恣な造字等が淘汰されるであろ う。これは、文字に対する「尊大・傲慢」とは、全くべつごとの、当たり前の処置である。なぜなら、伝えられた漢字の殆どは、「手書き」されてきた歴史・時 間が圧倒的に長く、「手書き」の偶発的な変容・変態・変形に一々重きを置くことの非合理なことは、自身日常の書字体験から推してあまりに明白だからであ る。
 当然次には、アイデンティティの名においてされる「氏名・地名」漢字における、あんまりな異形字・異体字は、これを整理し包摂するのを「原則」とし、 「引き算」を有効に進めるべきである。それには意識改革等を働きかける「現代の知恵とキャンペーン」とが相当の時間必要であろう。言うまでもなく、これら を原則として整理してゆく作業もまた、「尊大・傲慢」には当たらない。異民族による弾圧的な創氏改名は知らず、人間や家系のアイデンティティを、奇抜な漢 字使用の固守で計ろうなどと謂うミスチックな思想の方が改訂されてゆくべきである。わたしの姓字も戸籍謄本では現用の「秦」とはかなり奇妙に異なる字形で あるが、困るとは思わない。戸籍の方を直したいとすら考えている。「秦」は秦の文字形で活字社会では常用され、同じ一つの意義を広く認められている。それ でいいではないか、戸籍謄本どおりの字でないとアイデンティティが失せるなどと謂う、衰弱した思いは、わたしには、無い。拘泥しないで包摂に賛同してくれ る人の増えてゆくように、現代思潮を先導してゆく働きなどをこそ「文字コード委員会」も持つべきではないか。(四月九日) 以上 九月七日

* ところがこれで済まなかった。第一期の主導者であった棟上昭男氏が、割り込んできて、慇懃無礼に、文筆家ない し私に、敵意まるだしの揶揄を送っ てきた。「黙っていればよいものをと自分でも思いつつ,また一言感想です」と。「驚きました.秦さんがここまで踏み込んで発言されるようになるとは,正直 言って小生にとって予想外のことだったので,世の中も随分変ったという感じがしているのですが,これはもともと小生の思い違いか認識不足だったのでしょう か」と。以下長いのであるが、そして論旨において我々としても聴くべきものを含んでいないのではないが、どこかに文筆家達の発言や希望や主張を「うるさ い」「外野はひっこんでいろ」と言わんばかりの口吻があらわなのだ、特にこの人は第一期に参加した最初から「文筆家の文字表現」になど見向きもしないとい う印象であった。また、こっちも「文字コードって何?」といったていたらくであった。だが、文字コードのことは知らなくても、文字表現と文字の伝統につい ては、深い関心も体験の豊富さももっているのである。文筆家団体を代表して出ている限り、何とバカにされても、原則的に、言うべきことは一歩も譲らずに言 い続けてきたのが、この人にはよほど腹に据えかねていたのだろう。ところが、最近のわたしの総括的な「現状」認識に対して、委員会の幹事が、全面的に同 意・合意できるものですと言うところまで、わたしは出て行っていた。それを棟上さんは「世の中も随分変った」と言うらしいのだが、まさに「認識不足」なの である。何年か継続して一つ事に関わってきたものが、思考を集中し集約していくのは当然であり、しかも、わたしの意見は最初から変わっていないのである。 従来の「足し算」方式は、文字への思想や態度として姑息でおかしい、全体からの余儀ない「引き算」思想であることが望ましいと発言しつづけていた意味を、 「青天井」の「無際限要求」のと勝手にわるく翻訳して、嗤っていたのである。わたしの「引き算法」のことは、きちんと纏めて説明し、「全面的に合意でき る」理解とお墨付きを貰い、かえって私の方がびっくりしたことは、この「私語の刻」にも言い置いてある。

* どうも、もう、文筆家団体への義理は果たしたから、委員会から閉め出したいという意向のようにすらにおってく る。憶測に過ぎないが、千田さんの ような温厚な論者にも、先のような「危惧」のかたちで文筆家の参加は無理か無駄かのようなニュアンスでものを言われてしまう。
 だが、こうもわたしは観測している。かなり「瑣末」化してきている、つまり専門家だけの議論が、専門家だけの言葉で語られ合わねばならないだろうと言う 感じの委員会の流れのように。しかしここで専門家というのは当たらない。文字コードの標準化や経済効果の算定については専門家であろうけれど、漢字や表現 の専門家ではない。そういう方面の専門の人がほとんど参加していない。編集者も出版人もいない。作家はわたし一人しかいないし、詩人もいない。新聞の人が 一人か二人か。そういうところで「専門的」という意味は、極めて偏狭に偏ったものでしかありえず、そういうなかで、未来に及ぶ文字表現の死命を左右されて しまってはたいへん困るから、わたしは辛抱して、出てゆくのである。発言していなければ、文筆家達も賛成、となってしまうのは目に見えている。そういうと ころへ持ち込むために、癇癪をおこしてやめると言わせたいのかなと、邪推したくなる。現に、文芸家協会から出ていた作家委員たちは、みな引っ込んでしまっ た。その方が賢いと思う。だが、わたしは、理事会がもういいよと引き留めてくれるまでは、出られるだけ出ていよう、それも仕事だと諦めている。
 

* 九月八日 土

* 文字コード委員会の幹事たちから、改めてわたしの総括的な暫定理解に対し「全面同意」し、千田・棟上氏への反 論部分にも賛同の言が伝えられてき た。その上で、しかし他者(委員会多数)の価値観に否定的であり過ぎるのでは苦情が来た。返信を、念のために書き込んでおく。

* 一言だけ申しますが、他者の価値観に過剰に否定的でありながら、小林(幹事)さんたちからの全面同意が得られ るところまで、理解が纏まるという こと、可能だったでしょうか。皆さんのお話を、それなりに傾聴していたからではないのでしょうか。迎合はしないし、理解し切れぬ事を分かった顔はしないだ けの話です。
 初参加の頃のわたしを思い出されればと思います。文字コードに関して、百パーセントの無知識人でした、わたしは。外国語を聴いている按配だったのです。 それでも投げ出しはしなかった。
 もう一つは、文筆家団体をともあれ代表している立場なので、必ずしも私一人の理解でなく、表現者からの原則的希望を語らねばならず、ときには過剰なまで 反応しておき、また安易にウンウンとも承知して帰れない・言えない、ことは有るのです。当然ながら。私個人にすれば、どうでもいいことなのですが。

* 黒いピンをはっきり刺したまま暮らしている今、これしきのことは、仕方がない。しかし「私個人にすれば、どう でもいいことなので」ある。その意 味では、黒いピンを刺してやっさもっさやっているわたしは、わたしの幻影に過ぎない。黒いピンを抜いているわたしがわたしに見えてきているから、よけいそ う思う。だから黒いピンのときの何事も手を抜くか、ゆるがせにするか。それは、しない。バグワンにしたがえば、ヒマラヤに執着して汚い妄想に悩まされる愚 も、市場に執着して世の栄辱に翻弄される愚も、意識して超えて行けるように。「私個人」はそれを、期待もせず、ただ待っているだけの日々だ。だから、怒る し、食うし、飲むし、無頼も悪事すらも働くだろうが、そんなことは何でもない。

* 京都で妻と買ってきたマゴ猫への土産の、啼いて歩いて「グゥッ」と吠える子犬が、あまり可愛くて、もうマゴの 方は正体をみすかして見向かないの で、わたしが貰いうけ、いまこのキイを叩いているすぐ側に置いている。掌にのるほどの、すこし仰向きにわたしを見上げている黒いちいさい眼と鼻と、あかい 舌のさきとが、無垢に愛らしい。ピンと立てた尻尾まで、全身温かいベージュ色、淡い茶色をしている。名前をつけてやりたいが、まだ佳いのを思いつかない。 啼かせるとちとウルサイが、黙って見上げられていると嬉しくなる。

* 秋咲きのばらに隠れよ 睦みの絵    愛子
 夢うつつ あひを重ねて虫時雨

* メールに添えられた二つの句、シチュエーションは異なる別句と想像するが、十数句のなかで、ふと心をとられ た。前のは展覧会場ででもあろうか、 大きな画集をひらいてでも口をついて出そうな佳句である。
 

* 九月八日 つづき

* 山田太一の「再会」というドラマを午後にみた。だんだん太一さんの想が乾上がってきているのか。推敲しすぎて 白骨化し脂っ気のないまずい散文を 読んでいるように、セリフなど、聴いている口の中で、ボソボソと乾いた飯みたいにのどに障った。わるいとは言わない、凡百のドタバタとヤクザな芝居からす れば、上等だ。前夫の長塚京三も、男を作って出奔した前妻の倍賞美津子も、娘の石田ゆり子も、みな、まっとうな芝居を見せているのだ。ただ、この頃の太一 ドラマには、ミエは切りませんですよ、ね、という大ミエが、かなり臭く見えてくる。なんだか、たいへんそうな「母帰る」劇のようでいて、存外に常識の範囲 内で予想通りに安着陸、はらはらも、どきどきも、くすくすも、ない。ね、こういうのが人生っていうものですよと、ミエを切られた感じで、シラケルのであ る。ドカーンとしたものが故意に無い。

* 三浦朱門「冥府山水図」は、初読みの昔、かなり感心した。今度読んで、意外にバサバサと乾いた文章で書かれて いた描かれていたのだと、すこし目 の前がざらついた。かなりに頭でつくりあげたものだ。画と剣との違いを度外視していうなら、五味康祐の「喪神」はよく書けていたなと比較して思う。この歳 になり、ものも見えかけてくると、三浦のこの作はツクリモノであり、感動は薄いものだと分かる。再読にかけた期待はむくわれなかった。

* ケビン・コスナーの「ポストマン」はいい写真を撮っていたけれど、ストーリーとしてはあまりドキドキするもの ではなかった。最後もたわいないと いえばたわいない、強くない表現であった。近未来のバイオレンスでなら、メル・ギブソンの「マッド・マックス」の凄みがまさる。「ポストマン」にはやや牧 歌的な夢の入り込んでいるところ、いいとも味が薄いとも。ヒロインは美しかった。発送準備の作業をしながら聴いたり見たりしていたジャック・レモンの「お かしな夫婦」の方が、笑えた。この映画では、あまり美しくない「奥さん役」がいい。西洋の映画はわたしには煙草のかわりで、煙をふかすていどにしか観てい ないのだが、休息効果はある。

* 今、日付の変るというときに、息子の電話。少し話して母親に子機を譲った。メールでも送ったのだろう。若い者 は携帯の方が手っ取り早いのだろ う。
 

* 九月九日 日

* 重陽の佳節。ほとんど死語にひとしくなっている言葉を、実感もなくふと思い出した。今の暦では実感が湧けばお かしいのだけれど。新世紀初年の三 分の二が走り去っていることに、黙然と目をみはるのみ。

* 小泉内閣が何をやるか、やれるか。
 思えば現代には、政治をあげつらうだけで「食えて」「食って」いる世間や人の、なんと多いことか。新聞、雑誌、テレビ、然り。そこにたかるキャスター、 コメンテーター、評論家、記者、みな然り。学者もいる。タレントもいる。あげつらうだけで「実入り」があるから、昨日言っていたことを今日は別の意見に言 い換えていても、本人も周囲も平気、そんなことは気にもかけていない。つまりは「役」をこなしている。決して深い意味での政治への協力でも真の批判でもな くて、昔風の物言いでいえば、たいがい「にぎやかし」の「話題づくり」に終っている。それが「報道の使命」だなどと錯覚している。共通の特徴は「無責任」 「自分は棚に上げ」ておく手口になっている。いまや「政治」は彼らには稼げる「話題」に過ぎないのである。
 で、それでは何も出来ないと思う人が、進んで政治家の「手の者」に成って行く。権力を利して、思いを実現しようとする人達はいつの時代にもいて、優れた 人も少数いたし、おおかたは欲の方が先立っていた。下心があった。いきなり議員に成って行く者もいるし、成りたくて長い間右往し左往していた者もいる。ふ しぎなことに、そういう中からほんとうにいい政治家に育った人は少ない、というより思い当たらない。土井たか子や菅直人らは、また辻元清美なども、いい方 であるが、もっといて欲しい。石原慎太郎などは、教育の荒廃が日本をどうこうしたと慨嘆する口の先で、東京都内をつかわせ、カーチェイス映画の撮影で儲け たいとか、日本列島カジノ化で楽しい収益をなどと、ぶち上げている。立ち小便の自由化を称える口で、正座の行儀作法を必修科目にせよと言うているアンバイ だ。
 こういうふうにわたしが「私語」であげつらっても、むろん一文の稼ぎにもならないし、稼ぎたい気持ちは雫ほどもない。ほんとうは、ぜーんぶ落としてしま い、忘れ果てたい。悪寒に襲われる気分なのだが、これも「生きている税」のようなものと思う。

* 秋咲きのばらに隠れよ 睦みの絵    の、句に、ご本人から解説が届いた。ポンペイ展に行き、また現地へも旅した記憶など、有るらしい。

* 勉強したことも、ガイドの本を読んだ事もない、さして関心もなかったのです。興味を持つものが沢山有りすぎ て、別世界でした。メールの文章がわ りになるかと書いた内で、一句でもお目に留まるものがあったなんて、感激です。
 娼館の壁面を飾っているわりには、汚く醜い画ではなく、むしろ共感を呼ぶ、明るくおおらかな壁画です。絵は小さいです。その手の絵は好まない女の私に も、そんな場面をきらりと想像させました。ポンペイ当地でのそんな館の入り口に面して、道路に、文盲にも一目で分かるそれむき出しのモザイク画の看板があ り、照れ臭くて凝視は出来ないまでも、ホウと、ローマ時代のおおらかさを思い、印象深いものでした。
 当時の壁画はフレスコ画ではなかったのに、泥土に深くうもれて、酸化をまぬかれ、運よくタイムカプセルを抜け出て、当時の色そのままに観る事ができたの よと、友人に教わりました。

* 片業主婦はこうして優雅な見聞をこつこつと積み上げている。いいことである。できる人は、すればよい。できな かった時代があまりにも長かった。 やっとそういう時代なのだ。
 だが他方、倒産し自殺して行く世間もある。中学教師が、風俗産業を介して教え子たちの年ごろの少女を金で買い、手錠をかけ、走っている車から突き落とし て殺す。
 隠遁したいとは考えない。なにから、どう隠遁するのか、できるのか。しかし、いくつかの試みはできるだろう。一つは、この「私語の刻」をすとんと真如の 「闇」に落とし見喪い切ってしまうこと。これに懸けている時間と意欲とを、絵空事の世界へ自由に解き放ってやること。コンピューターを切り捨てること。退 蔵し、蓄えた本を読んで楽しみ、一冊ずつ捨てて行くこと、お金を大いに使って楽しむこと。黒いピンが刺さっている間は、言うは易く出来にくいのは分かって いる。しかし黒いピンを抜いてしまう日は来るだろう。出来れば抜いたそのあとに、元気に老いて行けるもう暫くの年数がのこればいいが。嬉しいが。

* つよい雨が風に当てられている。痛そうな音をたてている。台風へ向かって京都へ発ち、台風をのがれて北陸経由 で東京へ戻って、もう気の遠くなる ほど日が経った。電メ研のために帰ってきたのだったが、もう、次の電メ研が明日に迫っているのだから。

* 資料を整理していて、先日、言論委員会の席で誰かから配布されたなかに、馬場俊明という大学の先生の論説コ ピーのあったのを、念のため読んでみ た。と言うのも、会議の場で、一議にも及ばず関係者から、馬場氏の言説に対し、否認というより全否定の論外排除意見が出ていたので、ついそのままにしてい たのである。「公立図書館は出版文化の発展を支えている」と題されて「出版ニュース」に出ていたものだ。
 通読してみて、なぜ、あんなに、しかも公立図書館の問題を代表して背負って出て来た人達から、ああ全否定されねばならないのかが、迂闊にもわたしにはよ く読みとれなかった。落ち着いて事情を分析しながら、日本ペンクラブの「声明」などに対して論評している。わたしは、とりあえず判断を留保したまま、あの 日に出席してくれた図書館側の人に、どこが何故それほどこの論説はひどいのですかと、メールで質問することにした。

* 図書館は、同一本を「一冊」以上「買うな」と、猪瀬直樹氏も三田誠広氏も強調していた。書店で売れるべき本が 売れなくなるというのだ。
 それほど厳密に、いや機械的に、マイナスにばかり連動するものであろうか。存外プラスに連動する事例の方が多いかも知れないのである。図書館選定図書に なって、本が少し多く売れた話もある。
 「図書館に無いからといって書店で買うだろうとは、甘い期待ですよ、無ければ無いでいいんです、よっぽどでなきゃ買ったりするわけないですよ」と、若い 人達の声もある。「マンガ喫茶でマンガをむさぼり読むけれど、マンガ喫茶がなくなっても、だからマンガを買いに書店へ殺到したりなんてしませんよ」とも。 このドライな反応は、学生と付き合っていてよく分かる。これは家庭の主婦でも同じのようだ。図書館活動で、要望の多い二三冊の「複本」の用意は、よく選別 してあれば、現状、悪弊よりもニーズに応えるプラスの方が多いだろう。
 猪瀬氏も三田氏も「著作権」侵害だと、火を噴くように言う。わたしも著作権の擁護には大賛成だ。同時に、鬼の首を切る伝家の宝刀かのように、いまどき若 い作家達が「著作権」を叫ぶのも、じつはごくごく最近の目覚めなのであり、つい最近まで、そんな「卑しげな」ことは、口が裂けても言わぬ顔をしていたのが 大方の作家という人種なのであった。思わず失笑してしまう事実であり、嗤ってはいけないのだが、わたしなど、「何でえ、今ごろになって錦の御旗みたいに振 りやがって」という苦笑は禁じ得ない。
 わたしは、こう言い続け文壇を嗤ってきた。
 作家だけではないか、自分の売り物=原稿に売値がつけられず、買い手=出版社のお気持ちだけを戴いて、一言の苦情も言えなかった商人は、と。わたしがそ んな指摘をし始めたのは、作家達にあまりに著作権意識が低すぎると頑強に批評し始めたのは、もう三十年も昔からのこと、だ。三田君が芥川賞で出てきて、ど こかのバアで出会ったとき、わたしを「秦先生」と呼んだような時からだ。猪瀬君の名などまだ見たこともなかった。著作権に関しては、それほど古くから最も うるさかった作家の一人であった、わたしは。だから出版社にも困られた。「湖の本」へ動いた理由もむろんそれが関係している。
 そういう者の目で見て耳で聴いていると、逆に、すこし「教条的」過ぎる権利主張も、若い作家たちから出てくる。大きな過渡期なのにと思ってしまう。
 先日の会議で、耳を疑ったのは、文芸家協会の知的所有権委員会委員長でもある三田誠広が、「たとえ、たった一人だけ」であろうと、不当に著作権益を侵害 されるような事例があれば、「それは護らねば、阻止しなければ、ならんのですッ」と切言し、図書館の「複本購入」をほとんど面罵の勢いで責めていたこと。
 ウエエッと思った。「たった一人」の著作権益の不利に対し、これほどのことを文芸家協会は、文壇は、少なくもこれまでは「絶対に」言ってくれたりなどし なかった。わたしは、身を以てよくよく知っている。
 三田氏の大弁舌は、どれほどの使命感に裏打ちされてのものか、「そんなことキミ、言うて大丈夫なのかい」と制したいほど、つまり大袈裟であった。リアリ ティーのない原則論だった。牛刀をふるってメダカの目の摘出手術でもするような按配に聞えた。原則論としては、反対ではない。しかし、日本の図書館事情を どれほど調べて、知って、言うていることやらと、はらはらした。高校生頃の息子がよくこういう屁理屈で頑張ろうとしたものだ。作家の世間知らずというか、 それとも「作家はえらい」と上からものを言いたいのか。だが、作家も図書館も、だれもかれもボチボチなのである。
 だいいち、言うべきターゲットをとりこぼしている。言うべき相手は「公」であり、我々の間で位取りを競って大言壮語していても始まらない。現実主義の猪 瀬君など、ちょっと視野と立場を置き換え、団体と団体とがせめて手を携えて「公」を動かせるように発進し直して欲しい。その辺がわたしの希望である。
 わたしは、著作権主張の趣旨は趣旨としても、日本ペンのあの「声明」、あまり用意の行き届いた賢いものであったとは依然評価していない。同程度の声明 を、わたしも出席した文芸家協会の三田委員会では、とにかく出さずじまいに見送った。よかった。声明は、きちっと出さなければいけない。
 

* 九月九日 つづく

* わたしは二階の器械部屋で一日の大半をすごし、妻は自分の器械を仕事場にもちこんで、カードゲームに夢中。 もったいない!! 「e-OLD夫婦」の、平和な「コンピュータ別居」の日々が始まっている。
 十一時半。読書のベッドへ行こう、少し早いけれど、明日がある。
 

* 九月十日 月

* 台風の急接近により電メ研会議を中止と決め、連絡した。台風一過のあとに地をかためたい。

* 「罪はわが前に」「ある折臂翁」「秦恒平における美の原質 笠原伸夫」「事実と小説 対談林富士夫」「『罪は わが前に』をめぐって 対談笠原伸 夫」「作品の後に」(のスキャン分)です。ぼんやり暮らしてきたおじさんは、いっしょ懸命読みました。口はばったいですが、よく書かれました。書かれぬと ころを、ほんとによく書かれました。近江八幡へ貞子を送って行き、タクシーの中から見せて貰えた「姉さん」の姿は、おじさんにも見えました、ありがとうご ざいました。
 「ある折臂翁」は、西澤書店版『雲隠れの巻』に好きな「廬山」や「少女」達と載っているのを持ってます。も一度「少女」を読みました。
 バグワンを読んでるハタワンも読んでます。長くなるのでこれでおやすみなさい。いろいろご多忙のご様子、くれぐれもお大事にして下さい。

* ほろりとした。懐かしいメールは、ロサンゼルスからも届いた。

* 8日の『日本語にっぽん事情』(湖の本エッセイ21)ブックレビュウを観ました。
 元気そうな顔で写っていましたけれども、少し前の写真ですね。
 本は好評で良かったですね。
 10月に、また行きます。その時にお会いしましょう。
 飲みすぎないように。
 迪子さんによろしく。

* 黒いピンが身に疼くように痛む。今は、だが、抜けない。

* 「李清照」の人生は平穏ではなかった。稀有の夫婦であったけれど、夫は壮年の道半ばに早世した。金国に逐われ る北宋の末路とこの夫妻の転変とは 符節をきっかり合わせたように、東奔西走、つまりは金の脅威からの逃亡に明け暮れるようにして李清照は寡婦となる。その詞は、とみに哀切をきわめ、表現は 美しく磨きあげられ、胸にせまる。
 以前に、詩人「袁枚」の境涯に心を惹かれたが、むろん李清照は彼のような骨の髄までとろりと煮えて悟ったエピキュリアンではありえない。彼女の人生、ま だまだこの先があるようで、日に数頁ずつだが美しい詞とともに、原田さんの佳い講話を楽しんでいる。日々の救いであり癒しである。

* こんなメールも来ている。わたしの「黒いピン」の夢の話を念頭に、それとはなく、わたしに「椅子」をさし出し てくれているのだろう。あなたは 立ったままで長くいすぎますと。

* 何やら台風待ちの昨日今日、何があろうと自然には逆らえないと、ぼんやり空を仰いでいます。
 それでも、気候の落ち着いた頃には、恒例のミニ同期会を開くべく、電話やメールで連絡し合って、「元気に老い」の元気印といきたいもにです。何はともあ れ、旅行は気の置けない学友達とが、何より楽し。幸いメンバーにまだ脱落者はなく、この頃は一年一年を大事にと想うようになりました。
 十日ほど前の「天声人語」ですが、あまり似ているので、長いですが、そのまま送ります。

 以前、たまたま手に取った雑誌に、こんな母親の告白が出ていて驚いたことがある。彼女は、自分の子どもが可愛く ないという。好きになれないとい う、それどころか憎らしいとさえ思う、と。
 事件をめぐる談話というのではなく、日常生活でのことで、母親はそのことを悩んで、相談を持ちかけていた。虐待をはじめ、子供の受難が続いている。背後 には、先きの母親のような悩みが広くあるのだろうか。
 泣きやまない幼い子どもの話から始まるアランの『幸福論』を思い浮かべた。乳母は子どもの性格や好き嫌いなどいろいろ考えるが、そのうちピンを見つけて すべての原因はそこにあったことがわかる。
 名馬ブケフアロスを献上されたアレクサンドロス大王の話が続く。暴れ馬でだれも乗りこなすことができなかったが、大王はピンを見つけた。名馬は自分の影 におびえていた。大王は馬を太陽の方に向け、落ち着かせた。
 アランはこういう。「苛立ちだの、不機嫌だのは、往々にして、あまり長いあいだ立ちどうしでいたことから生ずる。そういう時には・・・・・・道理を説い たりせずに、椅子をさし出してやることだ。」
 そして、「人間の性格はこうだなどと言ってはならぬ。ピンをさがすことだ」
 このフランスの哲学者のように、できれば、実際的に考えたい。母親達に椅子をさし出してやるべきか、あるいは、どこかに刺さっているかもしれないピンを さがすのがいいか。 しかし、目に見えないピンがこの社会に刺さっていると、事態は容易ではない。

* すこし雑然としていて分かりにくくもある。どこの何からいきなり「ピン」になるのかが分かりにくい。が、言わ んとすることは察しがつく。

* 台風もまだその影響をみせずに、静かな秋の夜です。
 帰りに駅の売店で、小さな萩 紫式部 ふじばかまの苗を、ついつい求めてしまいました。帰りを急ぐ人でこみ合う電車の中で、ふじばかまの素朴な花を見つ めていると懐かしく 涙が出るほど優しい気持ちになれ心和みました。田園の思い出が心の底に眠っているのかも知れません。

* そうはいえ、もう十一時半、風雨強かるべしといった戸外の物音である。無事であれと。
 

* 九月十一日 火

* 今年の大型台風の脚ののろいこと、居座ったまま、いま、沛然と雨降りのさなか。風がどうなるか、雨も土砂災害 がこわいし、風は危険。「野分」の 野原はもう地を払ってめったに東京には実在しないが、こんな雅な名前では済まない大風の猛威に、日本列島はやられづめだ。

* 視力が急速に弱まっている。どのメガネもつぎつぎに効かない。危険信号。
 村上華岳は「よなげ」という言葉に着目していた。関西で「よなげや」とは、河川の土砂を淘げる仕事を謂ったのを、華岳は「世投げ」に転じて、なにもかも 出来るワケがないとしたら、淘汰して捨ててゆかねばならぬものがあると観た。明らかに、その必要、わたしにも急迫している。どう「よなげる」か。腹案はあ る。決心できないでいるが。

* 台風十五号は、大雨を降らして去りましたね。どうやら、雨漏りもなく無事でした。
 あちこち友人達からのメールは、「元気にいられる時間を大切にしたい」意味の一言が、どこかに入ります。身近に病人や怪我のある人がいると、身に沁み て。元気にしています。あなたも。
 台風通過の間、洋裁をしながらビデオに録った映画を二本みました。二度目でもやっぱり佳くて、感動の涙がまたジワーときました。映画ならではの物語の不 自然さはありますが、これは、これ。機会があったら是非、トム ロビンスとモーガン フリーマンの「ショーシャンクの空に」を。
 気がついたら台風が去って、ブラウスが一枚出来上がり。 

* いまどき「洋裁」なんて言葉が生きているのかと、なにやら「ミシン」の音まで聞え、年輩のほどの察しられる、 しかし若々しく書かれた屈託ない メールで、いまどき「e-OLD」の生活感覚が面白い。「気がついたら台風が去って、ブラウスが一枚出来上がり」とは、イキのいいこと。こんどの「湖の 本」発送には、十月刊行の対談『元気に老い、自然に死ぬ』のちらしを同封するが、この表題は間違っていないようだ。

* この夏、とくに六月と七月は大変な暑さが続きました。その息苦しいような熱と光のなかで、七月の終わりに私の 父の命も燃え尽きてしまいました。 昨年暮れに入院して以来七ヶ月あまりの闘病でしたが、最期はほんとうにあっけないものでした。
 父が亡くなりましてからは雑用に追われる毎日ですが、ふとした瞬間に父との思い出が甦り、自分でも予期していなかったほど大きな喪失感にうちのめされて います。父は何冊かの本を書いた人ですが、文学にはまるで無縁な人でした。そんな、ほとんど意識のない父の病床で、私は先生の『華厳』をよく読んでいまし た。心の通い合うことの少なかった父と娘ですが、それでも先生のご本のなかから父に一冊選ぶとしたら、この作品だと思っておりました。
 本日は湖の本の申し込みをお願いいたしたく。暑さのなかで先生に郵便局までご足労をおかけするのは恐縮でございましたが、少し涼しくなりましてお願いし やすくなりました。注文のなかの何冊かは友人へのプレゼントです。
創作シリーズ  1.清経入水  3.秘色・三輪山  12.閨秀・絵巻  21.四度の瀧・鷺  36.修羅.七曜  そして37.38.39.親指の マリア 
エッセイ  11.歌って、何! 
 以上の九冊です。おついでの折りによろしくお願い申し上げます。

* この切ないメールを読んでいて、脳裏をよぎるのは、今はむかし、東工大生たちに虫食いに漢字一字を補わせた、 こんな現代短歌だ。供養にもなるま いが、この人にも贈っておく。この人は父を看取り見送れて幸せであったともいえよう。完全に父を見失ったまま生き別れ死に別れた父と娘も世間には少なくな い。

女子(をみなご)の身になし難きことありて悲しき時は(  )を思ふも   松村あさ子
独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ(  )であること   岡井 隆
父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の(  )子とうつれよ   佐佐木幸綱
<(  )>島と云ふ島ありて遠ざかることも近づくこともなかりき   中山 明
思ふさま生きしと思ふ父の遺書に(  )き苦しみといふ語ありにき   清水 房雄
子を連れて来し夜店にて愕然とわれを(  )せし父と思えり   甲山 幸雄
亡き父をこの夜はおもふ(  )すほどのことなけれど酒など共にのみたし   井上 正一

* こういう後ろへ少し殺伐とするが、加藤弘一氏からこんなことを教わった。これは、私しておくよりも廣く知られ ていてよいことだと思うので、お許 しいただき、書き込んでおきたい。

* 独自ドメインで運営すると、アドレスから、使っているブラウザ、OSまで、アクセスログに自動的に記録されま す。
 個人を特定するつもりなら、クッキーという技術がありますが、拙サイトでは使っていません。しかし、企業サイトではクッキーはごく普通に使われています し、個人サイトでも意外なほど使われています。
 また、JavaScriptを切るとわかりますが、アクセスログのとれない間借りサイトでは、ログをとるためのスクリプトを動かしているところが非常に 多いです。
 ブラウザのツール→インターネット・オプション→セキュリティ→レベルのカスタマイズで、クッキーやJavaScriptを「ダイアローグを表示する」 に設定して、ネットサーフィンしてみるとわかりますが、とにかくあの手この手でアクセス情報を集めているサイトの多いことに驚かされます。(なお、 ActiveXはきわめて危険ですので、切っておくのが常識です)。
 拙サイトでは普段はレンタル・サーバー側の用意したレポートをながめるだけですが、電子文藝館の実験段階では部外者アクセスのチェックと、画像を大量に 貼りつけたページで、読みこみにどのくらい時間がかかるかを確認する必要があったので、ログを解析しました。
 インターネットの現状をご存知ないので、驚いたのだろうと思いますが、ネットサーフィンしたら、情報の垂れ流しと覚悟した方がいいです。

* 実を云うと、語義すらみながみなわたしには分かっていないけれど、なにやら、やはりと云うか当然と云うか、 ウームと唸ってしまうほど、インター ネット世界に対し、無常感をふと覚えてしまう。なんだか、イヤ気がさしてきた。
 先日、元の学生君がメールで、「ADSLですか。ネットワークの高速化・拡大化が目指すものは、『全体との一体化』なので、恐くて使う気にはなれませ ん。(それこそコードレッドなどのワームやエシュロン機関の格好の餌食です。)」と書いていて、ドッキリしたのだが、追い打ちを食った気分で、かなり滅 入っている。「ネットサーフィンしたら、情報の垂れ流しと覚悟した方がいいです」という加藤さんの警告、具体的にはどういうことか及びもつかないなりに、 たいへんなことだわいと嘆息してしまう。「闇に言い置く」なーんて気取っているけれど、「闇」でもなんでもない、真っ昼間のあからさまに、見えるところで はなにもかも素裸に見えてしまい、見られてしまっていると、そう心得ていなければ、  GOOD(グー)どころか「愚」の骨頂なのである。
 やれやれ、心いやしき盗み見世界の住人であるということか、パソコンで、インターネツトをいじくるとは。「サイト」の「サーフィン」のと格好いいことは 云っても、ウインドウからののぞき見であり、度を越した手合いは悪質な盗み見の快感にふけり出すのであろう、良い面も大きいが、いやな悪い面も多彩に多す ぎ根が深すぎる。
 

* 九月十一日 つづき

* 何という映像のすごさだろう。ニューヨク貿易センタービルの南北巨大二棟が、次々にテロリストの乗っ取ったら しい飛行機の激突を受けて炎上、崩 壊した。飛行機の激突だけで、100階以上もあるあれだけの超高層ビルが容易に全壊するとは考えられず、別途に入念な爆薬の仕掛けをうけていたとしか考え られない。それとも構造的に安価で脆弱なためか。「タワーリング・インフェルノ」の騒ぎではない、事実は映画よりも遙かに物凄い惨事であった。ホワイトハ ウスですら危険と、大統領はエアフォースワンからの命令を発しているという。副大統領もホワイトハウスを脱出したという。そのワシントンでは、ペンタゴン 国防総省へもテロ攻撃の自爆飛行機が激突し、大被害が出ている。じつに11機もの飛行機がハイジャックされ、各地で同時多発テロを敢行しているというの は、すさまじいという以外になく、こういうことも起こりうるのだと、新世紀の戦争事情に今更に舌を巻く。これはもう戦争状態に入ったと同じであろう、しか もこれは国と国との戦争ではない。姿なきゲリラと、世界一軍事強大国との戦闘になる。だがアメリカは、どこへ向けてどんな報復ないし逆襲をするのか。へた なことをやれば、第三次世界大戦になる。

* 私の六十六年の人生で、匹敵する大事件は、六歳の時の真珠湾、十歳の広島長崎原爆と敗戦だが、ともに、あまり に年幼く、しかも京都という戦火に もあわない街に、また山中にいたので、実感はあまり伴っていない。驚愕したと云うことでなら、ケネディ大統領が狙撃暗殺されたり、ソ連がロシアに変ったこ とだろう、が、リアルタイムでの今夜のあの自爆テロによるアメリカ攻撃ほど凄まじいものは、体験したことがない。現地の人の驚愕はいかばかりか。

* あまりにもアメリカの一人勝ち世界であることのひずみが、きしみが、何かをつんざいてしまった。厖大な人数の 犠牲者、おそらく万という数字の犠 牲者が出たであろう、邦人もかなり含まれるものと見ざるを得ない、哀悼に耐えない。
 その一方で、アメリカのブッシュ政権にも反省・猛省があっていいのではないか、願わくはブッシュ政権にもし退陣ということが法的に可能なら即刻退陣して もらいたいほど危険なことを、彼の政治はますます招きかねない。ゴアとの選挙戦で、あのような泥仕合が演じられて辛勝したときから、アメリカの運命には、 歯車の歯のこぼれのようなものが感じられ危惧された。

* 明日から、目が放せない。それどころか、日本国内にも危険な兆候が出てくるだろう。うろうろと不注意には振る 舞えない緊張感に、致し方なく日々 捉えられてゆくだろう。小泉内閣の今回対応は、是非はともあれ、およそ機敏であったと思う。事態にぜひ冷静に対処して欲しい。冷静に対処とは、アメリカの 暴発に追随しないこと、アメリカの乱暴な出方には是正の発言をも恐れてはならぬこと。国の運命を大きく左右するときであり、こういう時こそ日本の国益を考 えてもらいたい。それは、世界平和の均衡を賢明に考慮するということであり、アメリカに無批判に追随追従することではないのだと、よく分かっていて欲し い。

* とにかくも、凄いという言葉にぴったりの凄い悲劇をありありと見せつけられた。繰り返し見せつけられた。もう 終ったとも言えないのである。二十 一世紀は、国際社会の破滅の世紀になるかも知れない。
 

* 九月十二日 水

* 明け方まで報道を見聞きしていた。井田由美女性キャスターの読売テレビが、かなり的確なニュースの拾い方をし ているように感じた。筑紫哲也など が、舌のもつれたようにかえってうわずっていた。朝日が意外に取材の求心力のうすさを感じさせた。
 八時に起床、血糖値103は尋常。ニュースはもう反復期に入っていて、目新しいことは減っている。日本の株価が十七年ぶりに一万円を割ったが、政府には 口実が与えられたと皮肉なことも言える。

* こういう時、とびきり美しいものに触れたくなる。安田講堂での大学闘争で催涙ガスが本郷に溢れ流れたあの日、 祭礼の日のように群集で雑踏した本 郷通をはなれて、お茶の水、水道橋よりのビルの高くにある、静かでちいさな中国陶磁器の梅沢美術館に入り、荒んだ気持ちを和ませ静めたことを思い出す。

* 雨にぬれて初咲きの櫻をみた醍醐の三宝院、嵯峨の厭離庵に縁先をかりて持参の魔法瓶で茶を点て合ったこと、泉 涌寺来迎院の静寂、石山寺の多宝塔 を包んだ燃える紅葉、清閑寺御陵を揺るがしていた青嵐、永観堂の奥の奥ではたと出逢えたみかえり阿弥陀像、人一人のかげもない京都御所の白砂青松、曼殊院 の庭、円通寺の比叡、法界寺の阿弥陀像、白川の柳、渡月橋の夕暮れ。

* 声高に警告されるあまりにいろんなことがあり、だが、そんなことが何であろうという別の醒めた思いは、いつも わたしにはある。その気になれば、 わたしのこんなサイトなど、簡単にひねり潰せる悪意のテクニックの有ろうことは容易に察しられるが、潰せるのはサイトだけであり、わたし自身の心根には及 ばない。どっちみち私が死ねばいくら四の五のと言うてみたところで何の意味もなく廃墟と化す営為であり、ロマンチックな永遠など、少しもわたしは信じてい ない。ここで、わたしが、一応真面目にとかく論説したり表白したりすることも、根底では幻影の破片にすぎず、一種の生きている演戯であること、間違いなく 承知している。虚無的になっているわけでなく、はるかに大事なことに「気づいて」いるに過ぎない。その「気づき」からすれば、百万言の現世的な言も説も感 も想も、夢幻泡影だということである。夢を見ていると気づいたまま夢を続行させているのであり、夢が不真面目であるのではない。だが、いかに真面目であろ うと、夢は夢と知っている、気づいている、だけのことである。一瞬にそんなものの全部を投げ捨てられる。「なんじゃい」である。

* 中学の頃に、一学年下の女友達が、こう述懐した。複雑な家庭環境にいた子であり、それだけに、その言葉は忘れ がたく、今にしてますます鮮明に甦 る。
「あれもそれも、これもどれも、もう、むちゃくちゃにいろいろあるやろ。わかってくれるやろ。そゃけど、ある瞬間に、『それがなんじゃい』と思うときが有 んのぇ。すとんと一段沈んでしまうの、ごちゃごちゃから。いっぺん『なんじゃい』と思てしもたら、もう、なんでもないのん。あほらしぃほど、なにもかも、 なんでものうなるのぇ」と。
 わたしは後年、この「なんじゃい」を「風景」にしたのが、高花虚子の句「遠山に日のあたりたる枯野かな」ではあるまいかと思い当たった。以来、わたしの 中にも、「なんじゃい」という名の「他界」が、広やかに明るく静かに定着したのである。遠山に日のあたりたる枯野へ、いちど「すとん」と身を沈めれば、ハ イジャックもテロも、ましてやウイルスもくそも余計な幻影に過ぎない。要するにそれらは悪意の攻撃なのであり、されるままに「それが、なんじゃい」という 「本質的な反撃」がありうるのである。ペンクラブの、電子文藝館の、文字コードの、また湖の本だの、創作だの読書だの酒だの飯だの、ああだのこうだのとわ たしが頗る打ち込んでいられるのは、根底に、「なんじゃい」という「気づき」を身に抱いているからである。

* その「湖の本」新刊の発送用意も、よく頑張って、九割がた出来ている。本が届いても、メインの作業は出来る。
 カミュの「シジフォスの神話=不条理の哲学」を高校三年生の頃手にして、不条理の喩えに、シジフォスが巨石を坂の上にはこぶと、すぐさま神により転がし 落とされてしまい、また押し上げてはまたまた転がし落とされ、その果てない繰り返しのさまの挙げてあるのを、読んだ。また、向こうへ飛ぼうとしている蠅だ か虫だかが、透明なガラスに阻まれ、ガラスに突き当たったまま飛び続けようとしている、飛びやめれば落ちてしまう、のにも譬えられていたと思う。わたした ちのしていることは、大概これだが、「湖の本」など、可笑しいほどの好例である。へとへとになって飛び続けている、と謂うしかないが、それが「なんじゃ い」と思っている。この「なんじゃい」は意地でも負け惜しみでもまったく無い。

* 「無知は罪」という言葉を人のメールで読んだ。そうだろうか。「知らぬが仏」というのは、おそろしく尊い表明 でもある。半端な知識のほうが軽薄 な罪をおかしやすい。なまじな知は、知性に反する。そんなところへ落ち込むまい。
 

* 九月十三日 木

* えー!
 秦先生、こんばんは。
>で、疲れます。お大事に。わたしのホームページは、当分はこのままにしてお
>き、むしろ、どこかでそっと幕をひくことも、すこし頭にあります。 秦
 そうですか。
 ぼくは先生のHP…正確には、「生活と意見」をよく見ます。「見る」のはほぼ毎日。「読む」のは二日に一度くらい。
 読んで、そのまま頭の中で話をします。
 いまの生活の中で、例えば、丸谷才一の『笹まくら』を読んだ、ということは誰にも言えません。例の教科書について、意見を持っても、口にすることはあり ません。意見があるなんて誰にも言えません。ジャンルは違いますが、泉鏡花の名も口にすることはまずありません。
 何度思い返しても、誰かに「口を閉ざせ」と言われたわけでもないのに。
 でも、これは単に口を閉ざしているだけなんだと思っています。
 それでも、先生のHPを読んでいるときだけは、自分が気になっていることについて、会話ができます。
 幕をひかれたら残念です。

* 東京を過ぎた台風が、北にも訪れ、あとには深い秋を残していきました。
 心身とも消耗戦のような毎日。案じております。ご無理をなさいません様。
 南の友人から届いたメールには、「(沖縄の米軍拠点)嘉手納基地では、五段階ある警戒態勢のうち、湾岸戦争中にもなかった最高レベルの警備態勢「デルタ (D)」になっている」とありました。戦争状態です。「基地従業員といえども、日本人は嘉手納基地に入れない」とのこと。「有事」の際に沖縄県民は基地外 に置き去りにされるということが、はっきりした瞬間でした。
 先の台風に追われ、瀬戸内を旅しました。いつか文章をお送りいたします。どうかお元気で。

* 少し心配かけてしまったようだ。べつだんタナトスに親しんでいるのでも、囁き誘われているのでもない。たえず 相対化しながら、「枯野」におりて 佇んだり寝そべったりする時をもつ、それだけのこと。疲労は季節的に毎年のこと。
 しかし、自然なスローダウンに委ねるだけでない、意思にもとづいた「幕ひき」が、ほんとうに必要になれば躊躇しないだろう。とは謂え、「潮時」の判定に は、どんな理屈をつけても、多少の、いや多大のエゴイズムがつきまとうものだ。しかも、それにしても潮時というヤツ、度々何かにつけわれわれの人生を訪れ ていたのに、たいがいは見過ごしたり見送ったりして「後悔」の種になった。

* 勝田貞夫さんの絶大のご助力で、既刊の湖の本がつぎつぎとスキャン原稿になっている。未校正のまま一冊また一 冊とホームページに入っている分 の、「校正」を手伝いましょうという親切な親身な申し出も受けている。『慈子』は終始そのように読者の手で校正されて、とにかくも掲載しえたものだった、 あのころは、スキャンニングを知らなかったから、すべて手書きで書き込んでいたのだ、楽しく懐かしくもあったけれど。校正は骨の折れる仕事なので、簡単に お願いしますとは言えないが、申し入れは嬉しい。人を、だが、なるべく煩わせたくない。

* 一頃、「ものぐるひ」の考察に、継続して関心していた時期がある。「繰り返す」という行為のふしぎと論理とを 考えていた。自分が、もの狂いの度 を増しているか、もの狂いを忘れ果てているのか、この評価容易でないが、こんなメールが先日の台風さなかに来ていた。

* 午後になって、雨が横にしぶき、篁が身を揉むように揺れに揺れているのを見ているうちに、かきたてられてし まって、外に出ました。膝丈のジーン ズにスニーカー、骨が十六本ある頑丈な男物の傘という身拵えです。
 近くに公園通りといって、いくつかの公園をむすぶ遊歩道があります。公園はわりと木深く、遊歩道も森のなかのような雰囲気のする小径です。
 そこを、傘を風にもってゆかれぬように握りしめ、びしょぬれになってあるきました。風に揉みしだかれ、枝や葉をもぎとられている樹々のにほひ、ざわめ き。うらみ葛の葉が蒼ざめた白をひらめかせ、落ち散らばっている枝が道を走ってゆき、草むらは白いひかりを放って風に乱され――。
 桜が一本、根もとが折れたというか、根こぎにされたというか。生木のにほひを著く放っていましたから、倒れてからいくらもしていなかったでしょう。根も とはごつごつしていましたけれど、太幹はつやつやとしていて、おもわず撫でてしまいました。あはれでした。
 もう一本、松。三メートルかそこらのところから折れていました。折れ口がささくれだっていて、いかにも強い力にねじ伏せられたといった感じでした。
 人っ子一人通らない嵐の道をあるきながら、今、心臓発作か何かで、ここでふいに、命終るのもわるくないとおもいました。はげしい雨風に洗われて、なまぐ ささも失せましょう。あるじの手を離れた傘は、樹々にぶっつかったりしながら、森の奥へ、虚空へ飛び去る……。
 ところどころ、樹々のいたわりのないところに来ますと、立っていられないくらい。よろめいたり、傘もろとも風にさらわれそうになったりしました。
 小一時間、嵐の森をあるいて、ぐっしょり濡れとおりましたが、ふしぎな心地よさにひたされました。
 帰ってきて、紅茶を飲みながら、湖のお部屋をお訪ねしました。「野分」というおことばに、あ、「野分」だったと気づきました。
 野分のあとの夕日。藍色濃い富士山がながめられました。
 罹災した方をおもえば、こんなのんきなこと、申すべきではないとおもいましたが、樹々とともに嵐に巻かれ、濡れとおった感覚、昂りのおもむくまま、お話 し申しあげてしまいました。

* こういう真似をしてみたい人と、失笑する人とが、いることだろう。「心地よさ」よく分かる。危ないとも思う が、「生き生き」とは、こういう体験 であるのかも。

* さて。午後は、電メ研の、台風で延期されていた会議。いろんな議題で賑わうことだろう。電子文藝館の立ち上げ へ、ゆっくりと、しかし着実に前進 している。ツメのところへ歩み寄ろうとしている。さ、どうなるか。
 

* 九月十三日 つづき

* 最小限度の小人数会議になったが、必要な顔は揃っていて、順調に「電子文藝館」の会議ができた。三十分超過。 よほど前向きに煮詰まり、希望のも てる段取りが出来、感謝する。次回は十月五日金曜日。ゆっくりゆっくり、少しずつ階段を上ってきた。それでいい。

* 小雨であったが、ひとり、今夜も、刺身、土瓶蒸し、それにあなごの唐揚げを味わいながら、燗の酒、そして「ミ レニアムのイエス」という小冊子の イエス論を読んできた。久しぶりにイエスに逢う。
 おそろしく蒸し暑い半日であった。家に帰ったら、熊本の未知の人から「湖の本」の購入方法をメールで問い合わせが届いていた。送った本が届いたという メールも来ていた。

* 本日、お願いしておりました湖の本九冊を頂戴いたしました。お忙しいなか、一冊ずつにご署名までいただきまし てほんとうにありがとうございまし た。友人にプレゼントする本が惜しくなりそうです。
 また、私語の刻でお励ましの短歌をいただきましたこと、大変心慰められました。アメリカのテロで突然父親との別れを強いられた多くの方々のことを思いま しても、しずかに病床の父を看取ることのできましたことは大変幸せなことであったと思います。
 これからしばらくは先生のご本に埋没して、美しい時間を過ごしたいと思っております。

* ブッシュ大統領が、宣戦布告の戦争行為を国民に切言し、支持をもとめ実行を約束するのは、心情において少しは 分かる。国民も九割を超えて報復戦 を支持しているとか、その辺がアメリカだ。だがブッシュは、自分の立場をかなり窮屈に狭めてしまい、力づくの暴発に何としても走らねばならなくなる。それ も被害者アメリカ人の身になればむやみに非難否認は出来ない。
 しかし、日本の小泉総理が、ブッシュの要請が有れば、「何にでも協力する」と軽々しい口つきなのには、「危ない」懼れを禁じ得ない。元「朝日ウィーク リー」編集長の高橋茅香子さんも、今日の会議前に話しておられたが、ニューヨーク市長のジュリアーニ氏の事態に対処するに公正で冷静な発言にくらべて、日 本の総理の発言は、奇妙に薄くて軽い。
 わたしは、個人や私人のレベルでの或る種の報復心情には、いくらか理解の気持ちを事実もっている。だが国家という強大な公機関が、いわれない「報復」の 論理を無反省にふりまわす危険さは、はかりしれぬとも思っている。報復は第一義に当然という、この道理を逸れた道理は、やはり非難したい。国際司法裁判所 への提訴とか告発とかいった段取りを踏むなり、緊急の国連総会を要請するなり、軍事的な報復手段に突っ走るまえに、なすべき手順が有ろう。それが世界の警 察を以て任じている国の法的姿勢であってほしいし、基督教の考え方からも、ひたむきに報復一途を正当視して突っ走られるのは、かなりイヤな不快なものが残 る。なにかというと「リベンジ」当然の思潮を助長し、子供達の気持ちはますます荒んでゆくであろう事を、わたしは懸念している。まして無辜の民への無差別 攻撃はやめてもらいたい。と、なると、どう追いつめてゆくのか「犯人」を。誰かが話していたが、蚤を大砲でねらうような仕儀になりかねない。
 高橋さんは、アメリカの自重を求め、小泉総理に慎重をうながす「日本ペンクラブ」としての「緊急声明」が欲しいと言われる。同感である、が。月曜の理事 会でせめて話題になるといい、が。 

* やがて午前一時半、やっと、電メ研会議内容をとりまとめ、書面での理事会報告を書き上げた。開いてみたメール ボックスに、古い読者から、懐かし い旅の報告が。『みごもりの湖』で、ヒロインと時を分かち合った懐かしい懐かしい旅先の一つ。これは見過ごせなかった。

* 湖北に行ってまいりました。
 HPを必ず読む毎日、とても身近に感じて嬉しいのですが、どうぞお身体おいといくださいませ。そして夜更かしも余りなさいません様に。時にドキドキした り案じたりしております。
 この三日に、先生もご存じのお友達と電話でお話ししていますうちに、二人で、近江に行きたくなりまして、急に、八日九日と、たとえ一泊でもと、行くこと に決めました。
 『みごもりの湖』で知りました湖北菅浦の、隠れ里。今も裸足になって参拝するという須賀神社へ。その奥には淳仁天皇を祭るという船形古墳があるともいい ます。不便な所ですし、選んで、そこにだけ行くことにいたしました。
 湖面にへばりつくような小さな集落には、今も四足門が東西にあって、古さが残り、「惣の掟」が現代になお残っているかのようでした。一回り歩いても直ぐ に済んでしまうほどの小集落には、まるで時が止まったかのような静かなゆったりとしたものが流れて、お年寄りばかりが、縁台に座って楽しげにお話しをされ ていました。ぷかりぷかりとタイヤかゴムたらいの一人乗り船を湖面に浮かばせ、のんびりと糸をたらす人も。そぞろ歩いていましても、やはり何となくよそ者 という感じは拭えません。
 この夜は、二人して、神社隣の民宿泊まりでした。カランコロンと久々の下駄を履き、ひたひた打ち寄せる湖面のふちを歩いて、四足門外を十分ほどはなれた お風呂までの道行です。仙人草の花も咲き乱れ、不便さは忘れてゆったりした時の流れに、身も心も解き放たれていました。
 翌日は一日に四本というバスに乗って、木之本へ着きましたのが、午前十一時近く。お電話での連絡を入れておいて、菅山寺に入りました。道真公ゆかりのい ろいろの中に、お顔だけの古い十一面観音様が痛々しく、村の方々に大事に守られていました。胸にしみました。湖北にはこうして信心深い人達に守られておわ す観音様が多く、思いがけない出会いに恵まれます。
 もう一箇所気になっていました、小谷寺へ参りました。ここでも上品なお年を召したご婦人が二人客を待っていてくださいました。お前立ちの仏様を動かされ て、小さなお厨子を開いてくださると、十五から二十センチほどの、弥勒様、いいえこちらのお寺では如意輪観音様とのこと。渡来仏だそうで、ちょうど広隆寺 や中宮寺の半跏思惟像にも、そっくり。金銅製のそれは素晴らしく美しいお姿で、もう何も言えず、ただただ手を合わせて暫くは離れがたく心奪われておりまし た。ここには、他にも、あの茶々が父浅井長政を模して納めたと伝えます優しいお顔の小さな木像や、お市の方の念持佛という小さい愛染明王像が安置されてい て、とても佳いお寺さんでした。
 タクシーをここで返してしまっていまして、仕方なく河毛駅まで二十分というのを頼りに、途中道を間違えたりして四十分も歩いてしまいました。所々に気温 は32℃とかいう表示も目に付き、すこし恨めしく、風もない草むす道を黙々と歩いたのでした。
 近江でのひととき、いまは、別世界の中の事のように思い出されます。帰りまして翌日から大きな台風、そしてあのニューヨークのテロ騒ぎがつづいて、近江 湖北の旅が遠い夢に漂っている様です。
 長くなりました。どうぞお大事にお過ごし下さいませ。
 

* 九月十四日 金

* 睡眠が足りない。外向きの仕事は、なげやりにしておくと人も自分も迷惑してしまう。仕事を積んで溜めてしまう と、どこかでパニックに陥るだけ、 だから励むものの、かなり眠い。

* 秋雨前線に、今朝、初めてブルッと冷気を感じました。
 シニアクラスは六十歳以上なので、最高齢は何歳の方なんでしょうか。二ヶ月の夏休みが終わり、その間一度もプールへも海へも行かなかった程度の私のこ と、面倒で、面倒で、中止か続行か迷った末、マアもう少しヤッテミッカと気を取り直し、電車に乗って水泳教室に行きました。顔見知りの人達は、揃って元気 に顔を見せていました。お互い再会のご挨拶はオーバーに、
 「あなたも、無事に生きてたのネ」
 その間ワンポイントレッスンに通い、自称「腕を上げた」人もいました。差がつくヨ。全くの初歩から初めて、一年半、今は、型はともあれ二十五米をクロー ルで泳げるランクのコースにいます。何年も通ってそのコースの古顔らしい、高齢のご婦人の姿を見かけないのが、ふと気になりました。七十まぢかの手習い、 さて、私はいつまで続くやら。

* マスコミはテロの、報復のと、それ一色。お楽しみのご婦人方との落差はモーレツで、一瞬くらくらっとする。著 名な秋の展覧会に余裕で入選したと いう通知も届いている。同年輩の奥さんである。

* 憲法その他の法的制約のある日本が、米国の軍事的な大規模報復攻撃に直接加われる見込みはないのだし、しかも 「何でも協力する」と小泉総理は口 約束で胸を張ってしまった。自然当然にかなりな額の資金援助を要請されるのではないか、だが、これほどの「痛み」に耐えようとしている、すでに耐え難くい る国民の税金を、どういう名分で支出しようというのであろうか。金も出せ、しかし自衛隊にも闘わせよときたら、どうする気か。
 

* 九月十四日 つづき

* うっかりMS-DOSモードに切り替えてしまい、戻し方が分からなくて、支援を乞うた。折り返し的確な助言が 届き、簡単に直ったが、昔、医科歯 科大学の前の道でお茶の水駅を人に尋ねた、あのあっけなさを思い出した。コロンブスの卵か。だが、わけが分からないと、真っ暗闇の途方に暮れてしまう。よ かった、感謝。

* 今週、トルコから帰ってきました。
 帰ってから2日後に、イスタンブールで観光してきたその場所でテロがありました。死者も出ており、危ないところでした。各地でテロが続き物騒な世の中で す。
 小泉首相は威勢のいい事を言っていますが、どうなることかと心配しています。

* 勤務二年目の若い友人。危なかった、と、首をすくめている。五十過ぎの人からも。

* アメリカは何やら報復という名のもとに、世界中を巻き込む正義のための第三次世界大戦も辞さないような気がし ますね。恐ろしいことです。
 救出活動に軍隊が出動するわけでもなく、本当に全力を挙げているのかしらと、生き埋めになっている多くの人のことを思うと、はがゆい、つらい思いです。 原因究明や報復より、まず命の救出かと思うのですが・・・。
 混乱を防ぐためでしょう、アメリカは楽観的な表明をしていますが繁栄のシンボル 世界の経済の心臓部の破壊が、大恐慌の予兆でないことを祈っています。 実際に受けた損害とその保険金は天文学的な数字でしょうし、何日間も金融がまひ状態にあることが、はかり知れぬ影響を与えること必至なのではないでしょう か。
 日本は軍隊派遣に関してはアメリカの作った憲法のおかげでノーと言えるのでしょうが、大戦になれば沖縄を含めいろいろな意味で巻き込まれぬ筈はありませ ん。不気味な相手を最低限の犠牲で攻撃できればまだよいのですが、テロの影はアメリカ全土に、いやアメリカを支援するすべての国に襲ってくるのでは等と、 言い知れぬ不安を感じています。
 トゥ マッチだったのです。アメリカの繁栄は。
 不安 恐れは・・・でも突き詰めてみれば、平和な日々にもあり、戦火の中にもあり、世界の情勢がいかなる状況であっても所詮 私の気持ちの中にしかない ものかもしれないなどと思ったり・・・。こんな日はバグワンが心を鎮めてくれそうです。いま どうしていらっしゃいますか?

* ブッシュへの支持率が90パーセントを超えているという。アメリカの気持ちは分かるが、おそろしい。軽々に便 乗して報復への緊迫を他国が支持し たり煽ったりするのが、おそろしい。人がどっと押し寄せる、吾も吾もと。それだけで、そのこと自体のいかがわしさが暴露されているとバグワンは教える。

* 器械が安定して、とにもかくにも、ほっとしている、今は。疲労で右の耳の芯が痛む。もうやすもう。
 

* 九月十五日 土

* はやくに亡くなってしまった三原誠の奥さんに、遺著を二冊拝借していて、中から「たたかい」「白い鯉」の二編 を「e?文庫・湖」にすでに掲載し たが、どうしてもそのままに済ませない、これが三原誠をわたしの胸に刻み込んだという代表作の「ぎしねらみ」を、ぜひ読者に紹介したいと願って、かなり長 篇だがスキャンした。いま一字一句をていねいに校正しているが、校正しながら読む宜しさには、独特の嬉しさも横溢する。むろん優れた作品なればこそである が、こんなに水準の高い物語が、いわばひっそりと書かれ、ひっそりと出版され、とくべつ顕彰もされずにあわや忘れ果てられて行くのを、わたしは心から惜し まずにいられない。
 みながみなとは残念ながらとても言えないが、世間には、こういう優れた作者が、何人も隠れたまま、この世を去っていた。現存して静かに炎をあげながら書 いている人達も現にいる、幸いわたしは何人か識っている。
 そのなかでも「ぎしねらみ」の作者は優れた才能の持ち主であった。わたしより五歳年上の、作家としての経歴も優にわたしより先輩であった。手間取るス キャン作業にためらいながら、断念しきれず、忙しいさなかに粗原稿にしておいて、今、校正しているのだが、こういう作品で、わたしの「e?文庫・湖」の飾 れることを誇らしく思う。新しい世代のむろん新しい作品が欲しい、が、その一方で、忘れられてはならない、しかももうとても読める機会の遠のくか無くなっ てしまった秀作を、心して発掘し記念しておくことも、「e?文庫・湖」の役割であるかのようにわたしは考えている。やっと半分近く校正した、もうすぐ掲載 できる。
「静かに深い小説」の幾つも掘り出されてある「e?文庫・湖」にして行きたい、すでに、少しずつそうなっている。心疲れた日には、気の寄ったその一編だけ をワープロなり他のソフトに貼りつけて、プリントするなり、「T-TIME」で縦読みするなり、気持ちを憩わせてください。

* マイカルの倒産。
 何年か前、横浜本牧に時代の先端を行くようなマイカルタウンが出来た時、前身があのニチイとは、夢にも思いませんでした。
 京の三条通古川町入り口のあたり、誰だったか忘れましたが、東映の剣豪俳優のお屋敷か別宅跡に、衣料スーパーニチイが出来て、母などは四条まで出る程で もない買い物に重宝していました。古川町へ食料の買い出しの行き帰りに気軽に入れて、気軽に買えるお値段のお店だったのです。
 ごめんやすと、ガラス戸を開けて、一対一で応対されない気安さが、非常気に入ったらしいのです。お布団やシーツががこんなに安いと沢山買い込んだりして いていましたね。懐かしく思い出しながらも複雑な気持ちです。
 この倒産が、バブル景気のツケであるのはたしかで、やはり日本経済の行く先がどうなるのか、好転するのか、停滞するのか、もっと落ち込むのか目先さえも 見えず不安です。専門家の先生方でも、予測が当たらないらしいから。

* 具体的に書くと、文章は、こういうふうに過不足のない勢いをもつ。それがあると、抽象的な感想にも「感じ」が 添う。

* 遠山に日のあたりたる枯野かな という高浜虚子の句のことを書いた。黒いピンを抜いて、ときおりわたしは現世 の塵労からこの「枯野」に降りて いって、ひとり、佇んだり寝そべったり遠山に視線を送ったりして過ごす、と、書いた。
 塵労の一つ一つは、それなりに日々の暮らしに意義の重いものばかりで、くだらないとは言いにくいけれど、奔命奔走であることには違いなく、刺された黒い ピンのあまりな痛さに、ただ走りに走ってのがれようと、あれをやりこれをやり、もっともっとと果てしないのだと謂うことは、じつに明瞭なこと。
 そういう自分が、その塵労を「なんじゃい」と、すとんと落としてしまい、胸奥の「枯野」に憩うというのは、ある人からそれと指摘され、「秦さんに似合わ ない」「暗い」「もっと明るい気持ちを持たなくては」「枯野などと口にしない方がいい」と忠告されたような、本当にそれは此のわたしの「鬱」のシンボルな のであろうか。にわかに、直に応える気はない。
 ただ、この野の景色は、暗くない。ひろびろとした野の枯れ色は、草蒸してまばゆく照った真夏の青草原とはちがった、懐かしいほどの温かみと柔らかさとを 持っている。けむった遙かな遠山なみには柔らかに日があたっている。風あってよし、鳥がとんでもよし、野なかに一条の川波が光っていてもよい。どこにも暗 いものはなく、騒がしいものもない、清い静寂。胸の芯にゆるぎない一点の「静」は、優れた宗教家なら一人の例外もなくそこに人間存在の真実と本質を見定め てきた。仏陀も老子もイエスも、また荀子や荘子や、道元や一休も。暗いものも重苦しいものも騒がしいものも無い真実の風景。虚子がなにを見てなにを思って 書いた句であるかは知らない、が、此の句に出会ったときわたしは真実嬉しかった。あの瞬間には、たしかにわたしは、身に刺された黒いピンの果て知らぬ唆し からまぬがれていたと思う。
 わたしを「鬱」かと心配するその人は、「楽しみを自分で見つける努力をしています。生活にメリハリを付けたいのです。よく出かけるのもその一つです。な るべくストレスを溜めない生活を求めて」とメールに書いている。甚だ、良い。が、それもまた「黒いピン」に追い立てられた塵労のたぐいであるかも知れぬ。 いわば虚子の、またわたしの謂う「枯野」ではない、現世の「荒野」「荒原」の営みと一つものであるかも知れぬ。クリエーションとリクリエーションと、対照 して質的にもべつもののようにどう認めたがっても、所詮は同じ次元の場面の違い、痛みに脅かされ外向きに外向きにはねまわっている、「もっと」「もっと」 の欲望というものに過ぎない。「いいえ楽しみはちがう」と言われるだろうが、それも見ていると慣性化し、いつか義務のように繰り返して、やめるのが不安で やめられないだけの例は、少なくない。そういう営為のいかに苦痛であるか、虚しいかは、体験的にわたしも知っている。例えば「祈る」という、長い長いあい だ一日も欠かさなかった行為を、わたしがピタッやめたのは、繰り返し続けること自体に自由を奪われかけていると感じたからだ、そんな祈りに何の意味があろ う。
「静かな心」でいたい。それは、外向きにどんなに走り回っても得られはしない。自分の内側の深い芯のところにひろがっている「遠山に日のあたりたる枯野」 のようなところでしか出逢えないのではないか、「静かな心」には。
 そういうことを思うのが、つまり「鬱」なのだと言われるなら、否みようないが。

* 秋の長雨といいますが、残暑と雨が続きます。どうかお健やかに。
 先日、夕方過ぎて、ずいぶん蒸し暑くなったかと思うと、夜半バラバラと大きな雨音がし、たっぷり降りました。地震のおまけつきで、睡眠不足。
 翌日も、一時でしたが白いカーテンを天から一気に下ろしたような雨が降り、午後になってようやく止み間になりました。何気なく窓の外を見ますと、いつも と違う遠い山なみに霧が這っています。ひといろと見えていた景色は、いくつもの山が交互に重なってできたシルエットでした。日没を迎える時刻。まさか夕霧 ともいわないでしょう、けれど。

* 美しい表現をもっている。「曲輪文章」と題してあるのが、おもしろいではないか。名張の風景であり、また文楽 大好き「囀雀」さんの心象風景なの であろう。静かに、だがすこし、さわいでいる風情か。
 

* 九月十五日 つづき

* 近々にラスベガスの友人を訪ねてアメリカへ行こうと予定している人からの、こんなメールが飛び込んでいる。

* 聴いてください。この度(訪米訪問を)予定しているラスベガスの友人から、今回のテロに対するアメリカの「報 復」に関して、日本の協力が何も得 られないのはどういうことか。いつの時もそうだ・・・と、すごい剣幕で怒って来ています。日本国は憲法が許していない以上武力の提供こそ出来ないけれど、 これまでも、相当な資金援助をしてきたし、今回も出来るだけのことはすると小泉総理は言っていますと申しても、だめです。他の国は武力をだすのに・・・ と。アメリカの人は日本のことをこんな風に思っているのかと・・驚きました。

* わたしも少なからず驚くけれど、かなりアメリカでは広範囲な本音なのだろうとも想像する。その彼らの本音に、 やみくもに付き合う必要は無いと も、堅く考えている。双方にエゴイズムがある。地球上に「国」という国境と利害の単位を造ってしまった人類の、これは業である。国際平和は、表面でだけ、 だましだまし慣れ合って辛うじて成るもので、本音は、むきだしのエゴである。大国が小さな自国を善意で護ってくれるなどと考えていては甘過ぎよう。何かし らどこかに利得が生じない限り、大国の善意など最後的には幻想に過ぎない。小国はましてと言っておく。この危ない時期に、そういう本音をぶつけてくる先 へ、楽しげに遊びに行くのは考え物ではないか、わたしなら行かない。

* たまたま「文藝館」のため持ち出してい高浜虚子・河東碧梧桐の文学全集本を、ポンと開いたそこに、「遠山に」 と題した虚子の手記が、埋め草ふう に組み込んであった。わたしの読みや感想は感想として、句の作者はどんなことを言うているか、書き写してみる。

* 遠山に日の當りたる枯野かな   虚子
 自分の好きな自分の句である。
 どこかで見たことのある景色である。
 心の中では常に見る景色である。
 遠山が向ふにあつて、前が広漠たる枯野である。その枯野には日は當つてゐない。落莫とした景色である。
 唯、遠山に日が當つてをる。
 私はかういふ景色が好きである。
 わが人生は概ね日の當らぬ枯野の如きものであつてもよい。寧ろそれを希望する。たゞ遠山の端に日の當つてをる事によつて、心は平らかだ。
 烈日の輝きわたつてをる如き人世も好ましくない事はない。が、煩はしい。遠山の端に日の當つてをる静かな景色、それは私の望む人世である。  (昭和三 三・三・二二)

* どこに書かれたものか知らない、新聞俳句欄の囲み記事ほどの分量である。これを読んでいて、これと関係なく、 わたしがこのような景色を感じたと すれば、京阪か阪急かで大阪の方へ向かう車窓から、西の生駒山脈の方を眺めたようなものかなあと想われた。虚子がこれを書いたのは、ちょうどわたしが大学 を出て、大学院に進むことの決定されていた時に当たっている。句の作られたのはずっと以前のいつかであろう、しかと認識していない。
 この句にたいする憧れは、あるいは原作者よりもわたしの方が深いかも知れない。わたしには広漠の感はあっても落莫の感は微塵もなかったし、今もない。人 生を日の当たらぬ枯野の如きものといった喩え方をしようという気もなかったし、今もない。総じてわたしは、この景色に「人世」ではなく、人世から離れた、 一段も二段も深く沈んだ「別次元」を感じていたし、「日」は遠山にも、しかし枯野にも、ともにやわらかに落ちていた。目を遠くへはなてば、あああんな「遠 山にも」日が当たっているなあという、嬉しさであった。虚子は枯野をくらく、遠山のみを明るく眺めているようだが、わたしは、心身をとりまく一面の枯野 を、暖かな枯れ色にあたためている「日の光のあかるさ・やわらかさ」を感じて、感謝していた。
 虚子とわたしとが倶に享有している最大の価値は、心平らかに「静かな」ことだ。「寧ろそれを希望する」という虚子はすこし芝居がかるし、「それは私の望 む人世である」もミエを切っている。だが、「心の中では常に見る景色である。」「わたしはかういふ景色が好きである」と虚子は間違いなく思っていただろ う。この人も、したたかに黒いピンを運命に刺しこまれて、ともあれ奔命し奔走しながら、烈日のように輝いた大世俗の人であった。師の子規の「鶏頭の十四五 本もありぬべし」を、認めない人だった。
 わたしには、この「遠山」の一句を与えてくれて、有り難い人である。
 

* 九月十六日 日

* >私は彼(アメリカの友人)にいいました。 今回のこと(同時多発テロ)で、日本国もしっかりとした軍 隊をもたなければいけないのではな いかと・・・、主婦の私ですら痛切に思いました。

* この考え方に、直ちには、わたしは、従いません。
 しかも現実に日本は、世界でも有数の軍隊を非合法に保有しています。非合法であるというところに、じつは救われているのです。
 ブッシュは力んでいますが、見えない相手に挑む「戦争」はなかなか成功しないで、不幸な犠牲者だけが増えるでしょう。軍隊でなく、世界の「警察力」を ネットで駆使して、地道にテロリストを追いつめる方法を、地球規模で緻密に拡大すべきなのです。軍隊による軍事行動は、果てしない百年二百年それ以上の世 界戦争へわれわれの暮らしを投げ込むことになる。「痛切」の方角が、ちがうように私には想われる。
 「軍隊」に守られて描く「繪」書く「文学」を、わたしたちは望んでいるのですか、それは自己矛盾です。ピカソは、その思いを「ゲルニカ」で示しました。
 とは言え、対岸の火事ではなく、日本にも「有事」は予想できます。だから、暗黙に非合法軍隊の存置を容認しているのですが、事態を冷静に見ながら、国 は、国民は、平和的に聡明にいつもこのことを考えていなければ。平和ボケに浮かれていないで。
 国と国との友情には、根本では多くは頼れないだろうと思っています。

* 田村俊子の「誓言」が、とても刺激的に、文学的に面白かった。「木乃伊の口紅」は極めつけの代表作だが、語り 口に乗せられて行く快感では、「誓 言」が優っているかと思うほど。こじれた夫婦喧嘩の徹底した描き出し方に、女作者の地力の凄みを感じる。今読みついでいる歴史小説特集には、こういう凄み の現代文学に優る成果は、ほとんど無いと断言できる。歴史小説はつまらないと言われる、かつて大久保房男さんの説にこだわったことがあったが、大久保さん の説はおおかたの歴史小説にあてはまると、わたしも思う。人間の、人間関係の、真実のドラマが、葛藤が、歴史的な時間と背景に溶かし込まれ希薄にされてい るからだ。同じ風景画を描いていても、日本の風景でなく、珍しい外国風景を描いていると、それだけで何か一段点数を稼いでいると、画家本人まで錯覚してい るのと似ている。歴史小説は、古い時代に旅をしているつもりであり、作者がそれを無意味にどんなもんだと自慢にしている、いや何かの隠れ蓑を着込んだつも りでいる。かえって胸をうつドラマが薄味になる。田村俊子ほどの剛力で、本気になって書かれる夫婦の葛藤は、それ自体は犬も食わないものであれ、文学の気 迫と魅力は強くて深いのである。ゆすぶられる。

* 「李清照」の詞が、ますます佳い。一夜に一つ二つと読み継いでいるが、飽きるどころか惹き入れられて、ときに ほろりとする。あまり表現の美しさ 切なさに。
 

* 九月十七日 月

*  数日前、ニューヨークの事件をお話しになったあと、「こういう時、とびきり美しいものに触れたくなる」と おっしゃって、「初咲きの櫻をみた醍 醐の三宝院」をはじめ、いくつもの佳きものをあげておいででした。
 その、ひとつひとつをたどりながら、なぜかそれら佳きものがなつかしくおもわれてきました。わたくしも訪うたことのあるところがあったからではありませ ん。それらが、はや、失われたもののように感じられたからです。なみだぐんでしまいました。
 第三次(「だいさんじ」と打ちましたら「大惨事」と出ました)世界大戦ははじまろうとしているのでしょうか。現在は、すでに、地球の滅ぶ前夜なのでしょ うか。
 テロルは絶対によくない。わるい。ゆるされることではない。そう、わたくしもおもいます。
 けれど、テロルでない殺戮はよいのか、「正義」という名のもとに、おそらく地球上最大の富と武力をもつ国が、ベトナムで、中近東でおこなってきた度重な る大量殺戮は悪ではないのか、とも、おもいます。
 たまたま見ましたテレビで、どなたか、「これだけ追いつめられた人たちがいるのだということを改めておもった」というようなことをおっしゃっていまし た。力づくでねじ伏せられ、肉親や大切なひとたちを殺され、生活もたちゆかぬまでに蹂躙され尽くしたひとたちの怨嗟をおもいました。自分の命すら惜しくな いというところまで尖鋭化していった「追いつめられた人々」をおもいました。窮鼠猫を噛む挙に出ざるを得なかった心情をおもいました。
 繰り返しになりますが、テロルは悪、絶対にゆるされることではありません。
 けれど、為政者たちが、何のためらいもなく、そして威丈高に「報復」ということばを口にするのを聞いていて、さむくなりました。彼らからは、知性や理 性、叡智といったものが、かけらほども感じられません。まるで、中世の血に飢えた暴君のお化けがあらわれたよう――。そして、どこかで、死の商人がにんま り笑っている――。
 こんなことをかんがえていますと、小侍従の世界にもなかなか入ってゆけません。彼女も戦乱を体験しています。けれど、彼女はそれらをついに和歌として詠 まなかった。頼政の敗死も、忠度の討死も。

* イスラムの過激な原理主義で動く論理や感覚をわたしは理解しかねる。その側面でのアラブ・イスラムが西欧の歴 史と強力とで圧迫され、蚕食さえさ れ、そして大きな差別を受けながら利用され続けてきた結果としての、怨嗟、貧困、テロ容認の姿勢等に、気の毒なものを覚えるのも事実である。そこで、感傷 と柔弱とに陥ってはならないが。
 イスラムが分りにくいのは一つには不勉強なのであるが、東西と両極でものを考える近代の意識において、なかほどに位置しているアイマイな盲点として放置 してきたことも理由の一つに考慮される。
 では、アメリカのことは好く分かっているか、むろんノーである。とてもすきなところもあり、とても嫌いでいやなところも多い。いずれにしても、共感より は反感の方の重い国に、一年また一年変じてきたのがアメリカのようだ、わたしの中でも。
 上の心やさしいメールは、相当のところを衝いている。「死の商人」にぴしりと触れているのは確かである。

* こんな中で、今日午後のペンクラブ理事会がどんな議題で輻輳するか、期待したい。わたしは、会議時間の不足を 考慮し、書面報告にして置いた。ま た明後日晩には、言論表現委員会と人権委員会の共催で、シンポジウム「いま、表現があぶない」が開かれる。どんなタイトルにしようかと猪瀬委員長が聞くの で、こう応えたのがそのまま採用されたようだ、むろん通常創作的にいう「表現」ではない。個人情報保護法等の抑圧的な立法措置への対抗の意味をこめてい る。わたしも会場から少し発言することになるだろう。

* 「電子文藝館」が、「JAPAN  P.E.N  DIGITAL LIBRARY」と訳された。歴代会長の著作権継承者への出稿依頼状、同じく物故会員への依頼状も用意した。現会員からの出稿わ牽引するためには、こちら からの充実を図りたいのがわたしの願いである。

* 早めに出掛けようと思っていたが、気になるメールが二つ入っていた。この際、これは急ぎ紹介に値すると思い、 おゆるしを願って書き込んでおく。

* 日曜の「生活と意見」、この事件を契機に、日本が軍隊を持つべきだなんて言う人がいるんですか。まだ、パニッ クの渦中なんだと思います。
 最近、NHK教育で、再放送ですが、ロシアの、徴兵にゆれる若者たちのドキュメンタリーをやっていました。多くの青年が、徴兵され、チェチェンに送ら れ、文字通り無駄死にします。徴兵を拒んだ青年は、周囲から、「お前は国を守ろうとしないのか?」と糾弾されます。この言葉は、非常に恐ろしい。そして、 徴兵を拒んだ青年の、「敵は誰?」という疑問は圧殺されます。
 仮にラディン一味が今回の主犯だとして、彼らが殺されたとして、そしたら、もう二度と今回のような事件が起きないと思うのでしょうか? 「敵はラディン」で片づけられるのか。
 今回のような、数年がかりで自爆しようとする人々のテロは、先生もおっしゃってるように、軍隊でどうこうする筋合いの話ではないと思います。
 アフガニスタンの人々が、ソ連、タリバーンに続き、アメリカにも攻撃されることになるのは、あまりにも哀しすぎます。

* 一人の東工大卒業生の声である。声は、他にも、いろいろあろうと想う。「恐ろしい」「哀しすぎる」と、感情を 露わにした反応がほの見えている が、徴兵年齢に相当している若い人の声として、実感がある。聴く耳、欲しいと思う。
 もう一つのメールは、イスラムに触れている。これを、ゆっくり読み返したくて出掛ける時間を遅らせた。

* アラブやイスラムについて「論じる」ことは、到底出来ません。イスラムの宗教が何かも、私たちには、単に知識 としてさえ何も分かっていないに等 しい。無知は罪悪といわれても、それさえ責められようがない状況です。
 イスラムは解らないと私が決定的に感じたのは、イスラムの寺院に訪れた時でした。偶像を許さない、ある意味では潔い、潔ぎよすぎる神への垂直的な志向 だったと思います。それは垂直的志向いうより、隔絶された遥かな高さからの絶望的な拒否でもありました。少なくとも私にとっては。
 それは十分に予測出来たことでした。神の家・・教会、寺院はその宗教の象徴でもありますから、そこに足を踏み入れた時に感じられるものは、直感的なが ら、直感だからこそ、確信に近いものでした。良い悪いではなく、ただ平均的な一日本人、私の感想に過ぎないですが。
 あらゆるものに仏性、霊が宿ると、曖昧ながら私たちは自分の根を浸しています。私たち日本人は「唯一の神」を求めない民、それどころか、厳密な意味で は、ほぼ「無神論」の民。逆に、そこに柔軟性を獲得したと、おそらく「錯覚して」もいます。
 イスラムにもさまざまな宗派があり、イスラムの国といっても、その社会の在りようは異なりますが、現在問題になっているイスラム原理派の目指すものは、 明らかに反動的だと思います。・・に帰れ、・・に戻れ、と常に現れる動きは、その動機の純粋さは見過ごせないにもかかわらず、反動の種を内部深く抱え込ん でいます。イスラム原理派の説く社会の中で、女である私は生きたくありません。教育や仕事から遠ざけられることは、閉ざされた屈従の生を意味します。閉じ 込められ窒息して死にます。自由、リヴァテイもフリーダムも全て含めての「自由」を、出来る限り「広範な自由」が欲しいです。
 もちろん責任も伴います。許容性のない世界は、前進できません。
 今回の同時多発テロ以後、多くが語られ、論じられてきました。更に私が付け加えることなど、あるでしょうか?
 今も次々と新たなことが報道されています。
 追われたユダヤの民へ、イギリス帝国主義から「贈られた国家」イスラエル、そして「父祖の土地」を追われたパレスチナ・・・中東の憎しみの連鎖を破るこ と、それが不可能に近いのを痛感します。
 収奪され続けてきたさまざまな国の「文明国家」への憎悪、南北問題の深刻さ、「文明国家」内部の矛盾・・・こう書き連ねながら、今回の事態を暗澹たる気 持ちで受け止めます。
 テロ、野蛮な行為、いやこれは戦争だ、これに対しては戦う以外有り得ないのだという動き。国家とは、その領土、資源、人、財産を「守る」のが最大の任務 だということも十分に知りながら、アメリカの人たちの多くが、今、ブッシュ政権を支持し、数年にわたる戦争を支持していることに、危惧を感じます。彼らが 支持することの「必然」は半分は理解しながらも。
 テロを決して認めたくない。そして戦争も。憎しみの連鎖はさらにその連鎖を増殖していくだけです。悲しみの連鎖も忠実に影を添わせていくのです・・。
 私自身は高校生の時、アフガニスタンの人との交流から、アフガニスタンに特別な親近感を持ってきました。ハッダやバーミアンに行きたいと思い続けて、未 だ果たされない夢は夢のまま・・バーミアンの仏さまとはもう会えなくなってしまいました。カブール博物館の多くの仏像も既に破壊されたり、闇のルートから 売られてしまったと聞いています。ソ連軍撤退のあと、平和な国家建設が、ああやっとスタートするのだと感じた、あれも一瞬の夢でした。
 暗殺されたマスードを撮り続けてきた日本の写真家長倉弘海氏は今、何を感じておられるでしょうか。アフガニスタンの人と結婚してカブールに暮らした遙子 さん、個人的には全く面識こそありませんが、お会いしたい方の一人です。シリアやヨルダンの地方で、鉛筆やボールペンを欲しいと近寄ってきた少年少女のひ たすらな眼差し、都会で靴磨きさせてとやってくる少年たち、土産物を売る子供たちを思い起こしながら、怠惰な「お気楽主婦・・片業主婦」はいったい何を語 ればいいのでしょうか?
 アメリカの知人は、「ブッシュは狂ってる!」と言っていますが、彼は、自分がアメリカ社会の中で少数者であることを痛いほど分かっています。先の大統領 選挙の微妙な「天の定め」から、いったいアメリカは、世界は、何処に向かうのでしょうか。
 先の湾岸戦争直前、アメリカでは多くのホームレスの人を見掛けました。あの後、九十年代、IT産業に支えられて好況
を享受したアメリカがこれから直面する危機は、どのような道を辿るのでしょうか。
 アメリカの人たちの多様さ、柔軟さ。唯一の「世界の警察国家」である側面を非常に嫌悪しながら、同時に人々への親しみを込めて、私はあの不思議な国アメ リカを見続けたいと思っています。無力感の方が大きいですが、せめて目だけはしっかり見開いてものを見なければ!
 これは「論」ではありません。きわめて個人的な、とりあえずの、感想です。

* 前にもらったメールが、一通りのことに終っていたので、そこで投げ出さないで、もう少し本音が聴きたい、すこ し「論」じて欲しいと押し込んだの への、返事。感じの深い、優れた文章で、そういう文章の読めることをだけでも感謝し喜びとする、が、事態は陰鬱、根深く錯雑していて、おもわず天を仰いで しまう。小泉総理たちも、ノーテンキに軽々しく口を利かずに、人類の悲劇に対して謙遜に英知を発露してもらいたい。アメリカも日本も、反省・深省というこ とが先に立ってしかるべきなのに。
 

* 九月十七日 つづき

* 少し早く出たが残暑猛烈で、遠回りの元気なく、池袋さくらやで、プリンタのインクを三個買い、加藤弘一さんか ら薦められていたファイヤウォール のあるウイルスワクチンも買った。有楽町についてまだ一時間あったので、車中読み出して興ののっていた桂芳久さんの小説「深井女」を読み次ごうと、またし ても帝劇モールの「きく川」に入り、鰻重とキャベツとビール一本を頼んで、時間の許すかぎり、読みかつ美味しく食べた。客は私一人の小部屋で、静かだっ た。つい箸のとまっているほど、桂さんの遺作が面白かったが、まだ全部読めていない。ビールより酒の方がやはりよかったかな。れいしという冷えた木の実 が、歯にしみた。妻は大好きだが、わたしは、さほど賞味しない。鰻と塩もみのキャベツ。肝吸い。奈良漬け。けっこうであった。ほっこりして、帰りたくなっ たが。

* 理事会は、平和委員会や人権委員会の平和な金儲けばなしばかり多くて、けっこうであった。ほんとなら、いの一 番に、テロと報復の関連討議があっ てこそペンなのに。けっきょく、最後の最後にちょっぴり。役員会に対応を一任することになった。確かに難しい対応には違いない。
 話は、いとも分かりよい。テロは許せない。アメリカの気持ちは分かる。だけど報復の先はどうなるの。ここでストップする。むずむずするような割り切れな い撞着。だが、真実とはそういうものだ。きれいに割り切れるものに真実は宿っていない、それは真実の滓でしかない。撞着や矛盾があればこそ真実なのだ。人 は目を背けるわけにゆかないのである。

* 電子文藝館の報告は、すべて承認され、小中専務理事からは「小委員会」でなく「委員会」です、確認ですと告げ られてきた。小でも中でも大でも何 でもいいが、協力してくれている委員の気持ちを考えれば、すんなり委員会である方が私の肩の荷は軽くなる。

* 議論らしい議論は、言論表現委員会からの図書館問題での報告に関してだけ。やっとこさ、協調と地道なキャン ペーンの必要が分かり合えてきた。そ もそもは、いわば横面を張るような只の非難から始まったが、話し合いたいという表明が図書館側からあったというのも、じつは、あちら側の意思表示であり、 誠意であったのだ。それがなければ、では、どうなっていたか。意思疎通のない反感の投げ合いになっていたかもしれないのである。図書館側に著作権への意識 が足りないのは事実であるとしても皆無ではないし、彼らは彼らの壁に阻まれて苦戦しているのが事実だ。
 さて顧みて著作権者の著作権意識がどの程度のものか、この世間で何十年生きてきたわたしには、分かる。猪瀬直樹や三田誠広のようには尖鋭ではない。図書 館には「一著者一冊」以上の本は「買うな」という提案に、たとえば1900ペン会員のどれだけの人数が、正しく反応するだろう。中にはとんでもないと叫ぶ 人もあろう。明らかにそれでは、困るのだ。そういう物書きでは困るのだ。だが平均的な現実は、とてもそんな意識になっていない。時間をかけて、まず仲間内 へ、同時に社会へ、キャンペーンして行く辛抱がなければならない。自分と同じ水準でものを言わないからと、やみくもに軽蔑したり非難したりしても、児戯に 類してくる。一気呵成の可能な問題もあろう、が、たいていは歩一歩という問題なのである。人を鼻先でバカ扱いしすぎていると、それ自体がバカげて見えてく るから、ご用心。人は、人より、なにかにつけて、それほどはエラクなんかないものだ。

* 例会に出は出たが、顔なじみはいなかった、長谷川泉氏ぐらい。梅原会長に促されて、乾杯後の雑踏相手に「電子 文藝館」の宣伝を一席。そして、退 散した。帝国ホテルまでの距離が今夜は遠く感じられて、そのまま清瀬行きの有楽町線で一気に帰宅。桂氏と高橋昌男氏と坂上弘氏の鼎談「江藤淳の文学」を面 白く読みながら。
 メールをいくつも処理し、返事をすべきはし、理事会の纏めを書いて、メーリングリストで、仲間の委員に通知した。加藤弘一氏はめでたく今日の理事会で正 式に会員として入会を承認された。氏には、今日の文字コード委員会に代理で出てもらった。この人こそ最適任の文字コード委員会である。力強いこの仲間を、 わたしは、エッセイ会員でもあるが、新世紀にふさわしい「Digital Editor」でもあると、紹介して推薦の弁を述べた。
 まだ、あすが、ある。あすには、湖の本の通算68巻が出来てくると連絡があった。受け取ってからシンポジウム「いま、表現があぶない」に出掛ける。これ から、買ってきたワクチンをインストールする。
 

* 九月十七日 続きのつづき

* 公開される事業であり周知をはかるのもだいじであるので、今日の理事会で承認された「書面」報告を掲げておき たい。最初に、梅原猛会長・初代館 長による宣言。館の入り口に掲げられる宣言を、口調をやわらげて出稿依頼状の冒頭に掲げるべく用意したもの。この「電子文藝館」構想と実現の仕事も、また 一つの我が「創作」と考えている。

* 「日本ペンクラブ電子文藝館」を開設します。

 日本ペンクラブは国際的な文筆家団体であります。国際ペン憲章は、「藝術作品は、汎く人類の相続財産であり、あ らゆる場合に、特に戦時において、 国家的あるいは政治的な激情によって損われることなく保たれねばならない」とし、また「文藝著作物は、国民的な源に由来するものであるとしても、国境のな いものであり、政治的なあるいは国際的な紛糾にかかわりなく諸国間で共有する価値あるものたるべきである」とも宣言しています。核実験に反対し、環境問題 や人権問題につよく提議し、言論表現の自由を護ろうと闘うのも、その基盤には、会員の文学・文藝の「ちから」がなくてはならないでしょう。「ペンのちか ら」を信じ愛して、世界の平和と言論表現の自由のために尽くして行かねばと思います。
 今、日本ペンクラブは「ペンの日」を期して、ここに独自の「電子文藝館」を開設し、島崎藤村初代会長以来、あまた物故会員の優作を、また、二千人に及ぼ うとする現会員の自愛・自薦の作品ないし発言、加えて簡明な筆者紹介を、努めて網羅展観する事業を通じ、国内外に、メッセージを発信します。大きなご支持 をお願い申し上げます。 
    2001 年 仲秋 
                 日本ペンクラブ会長  梅原 猛

  日本ペンクラブ歴代会長著作権継承者の皆様にお願い申し上げます。

 別紙、梅原会長の「開館のことば」を受け、「日本ペンクラブ電子文藝館」実現へむけて、電子メディア研究委員会 が作業を始めました。ご支援をお願 い申し上げます。  (以下略)

* 「日本ペンクラブ電子文藝館」の概略  電メ研による理事会書面報告

 以下は、七月理事会決定以降、数次の会議を経た討議内容です。実験段階でのサイトも、入念にフォーマットを整 え、和文英文の梅原館長による開館宣 言、また初代会長島崎藤村の「嵐」、梅原現会長の「闇のパトス不安と絶望」、上司小剣の「鱧の皮」などの他にも、試験的に数点の展観作品を掲載していま す。索引も、幾重にもクロスオーバーした便利に
使いよい装置が仕上がり、即座に、めざす作者と作品へ画面を展開することが出来ます。用意ができ次第、会員向けに
公開し始めます。理事諸氏の率先出稿を希望します。
 梅原会長名および担当委員会からの、歴代会長・物故会員の著作権継承者に対する懇切な出稿依頼状も、用意しま
した。十一月「ペンの日」を期した「開館」は、恙なく実現の見通しが立っています。
         子メディア研究委員会 委員長 秦 恒平

 「日本ペンクラブ・ホームページ」の看板のもとに、「電子文藝館」と「広報」とが、別個に並び立ちます。相互に リンクして外向きには一体感をもた せた運営になります。

    以下、「電子文藝館」現在の概略を、順不同に書き上げて行きます。

 「日本ペンクラブ電子文藝館」  初代館長は梅原猛会長。「開館」に至る運営は電子メディア研究小委 員会=日本ペンクラブ電子文藝館編 輯室が担当し、事務局長が支援する。

 「トップページ」  文藝館の入口にふさわしいデザインにし、梅原館長の「文藝館宣言」を掲げる。別 に「英語版トップページ」を作り、 「文藝館宣言」の英訳を載せて、世界に対する日本ペンクラブの顔とする。「入口=背景画面」には日本字と英語との題字=看板を横書きに入れる。実現してい る。

 「会員名総覧」  現会員全氏名および物故会員全氏名と、ローマ字読み及びP.E.Nの区別を掲げた「日本ペン クラブ会員総覧」を用意し、簡明に 通覧可能にする。そのままで、近代文学史の一資料となる。住所電話肩書等は不要。容易に実現できる。

 「見出し」  氏名 題名 小見出し 筆者紹介 等は形を統一する。一任願う。

  「文字化け」  利用者(読者)の使い勝手をよく考慮し、文字化けしない画像文字も活用して文字が正確に読者に届くことを最優先する。なるべく作品に必要 な文字の使えるよう、わかりやすく解説した「表記法の手引」を用意し、また出稿に伴う問題点の事前周知にも適切な「パンフレット」を用意して、全会員に配 布する。主催側の独善を排し、展示改良へフォローし、リニューアルも覚悟の上で進める。

  「作品の質」  高いに越したことはなく、バーは高く設定したい。イージーなことは出来ないと会員諸氏に先ず思ってもらい、次の段階では、こういう中に並 びたいと思ってもらえるように。余儀なく一つには「ネームバリュー」であり、初代会長島崎藤村ほか、上質の出稿の期待できる「著作権切れ作者や物故会員」 作品を、古い会員名簿で物色したところ、錚々たる作者たちのみごとな作品が、多数、しかも容易に期待できる。現任理事諸氏の意欲的な出稿が特に待望され る。事務局は過去会員の名簿を提供して欲しい。
 作品審査はしないが、外国語原稿に限り、専門家の内容確認を委嘱する。是非には従ってもらう。

  「作品の分量」    編輯室ないし理事会で可とした現会員には、一人に「2」ジャンルを与える。詩人にして小説家とか、小説も随筆も書くとか、作家で批評家とか。その才能を一 作限定で殺さない。賑やかにしてゆくためにも少なくも当初は好配慮となろう。
 量は原則を示し、四百字(20x20)原稿用紙換算とする。
 「小説」 30枚から150枚以内。一作に原則限定。短編作品なら、100枚以内厳守で複数作、可。
 「戯曲・シナリオ」 150枚以内。一作に限定。
 「ノンフィクション」 30枚から150枚以内。一作に限定。
  「児童文学」 30枚から100枚以内。一作に限定。
 「評論・論考・研究」 30枚から100枚以内。一作に限定。
 「短詩型」 短歌・俳句・川柳は一行アキ組み、150作品(300行)に限定。総題希望。
  「詩」 300行(1行20字計算)以内。複数作、可。複数の場合、総題希望。
    「詩歌」作品は、努めて、生涯全作品からの精選を期待する。
 「随筆」 合わせて50枚以内。複数作、可。
 「翻訳」 各ジャンルに準じる。
 「外国語」原稿  原則として上に準じるが、内容の確認を含め判定を加える。
 「オピニオン」 出版人・編集者・報道人等広くエディターの、「テーマ」をもった発言の場とする。討論・論争に及んだ場合、複数回の発言可能。但し個人 間の私的紛争や誹謗に相当すると編輯室ないし理事会で判断した際は、掲載しないことがある。発言量は、年度内複数回で計50枚前後とする。P.E.Nなら ではの「Editor」発言に期待する。所属等を明示する。
 すべて質・量にわたり若干の配慮措置はありうる、が、編輯室ないし理事会の判定には従って貰う。

  「作品の提出」  適切な「出稿要領」の提供を用意している。
 原則として、入念に本人校正されたテキストファイルを、ディスク、またはE-Mailおよびプリントも添えて提出してもらう。但しWindowsの場 合、一太郎、MSワードでも可とする。原稿は、段落単位に、改行なしベタ打ちで提出してもらう。Macに関しては技術的に検討して改めて通知する。
 デジタル化の技術的に不可能な会員には、申し出があれば、出稿製作のため適当な「業者=アルバイト等」を紹介することもある。誤植は筆者本人の責任とす る。
 なお、図版、挿絵、表組み等は「原則として」不可。主に文字による文学・文藝・文筆作品を展示掲載する。但し編輯室ないし理事会が必要と認め、かつ MSWord、一太郎形式による提出に限り、特例として受けつける場合がある。版権のある画像については、必ず著者の責任において版権問題を事前に解決し ておく。展示後にトラブルを生じた際は、一時ないしその後、作品を撤去する。
 なお「外国語」作品は校正を必要としないファイル等による提出に限定し、専門家の内容確認を得る。是非には、従ってもらう。
 総じて、限られた人手で運営する電子文藝館であり、寄稿提出したら即座に掲載されると性急にならないで欲しい。なるべく速やかに正確に掲載する。

 「新入会会員の出稿」  理事会で入会を承認された新会員は、自薦作品を提出することを原則とし、義務づけた い。その能力の認められた者が入会を 承認されるのだから。

 「索引」  作品の題、作者・筆者氏名、ジャンル等から、複合的に構築する。
 当面約六万枚の原稿を収録、さらにほぼ無際限に拡大出来る。リンクと索引目次の完備により、支障なく随時・随意に手早く望む作品を選んで読むことが出来 る。

  「作品の掲載」  会長も現会員も物故会員も、目次や索引には明瞭に区別されるが、作品は、すべて索引に対応して展観される。作品は、並ばない。原則とし て、受付順に「ジャンル=小説・随筆等」別に掲載するが、すべて索引による単純乱載法を採用する。
 スキャン校正等の作業を要する場合掲載が遅れるのはやむをえない。不公平は排する。実掲載年月日を明記する。
 原稿料は支払わない。掲載料は取らない。利用者への課金行為も一切行わない。

 「歴代会長」  目次を別に立てて敬意を表する。作品のジャンルは問わない。目次面に特に立てるのは「歴代会 長」に限り、他は「物故会員」「現会 員」と、斉しく並立する。

  「作品の差し替え」  現会員の場合、最低一年掲載後には、別作品に差替えることが出来る。

  「作者略紹介」    氏名と英字によるフリガナ、P・.E・.N登録別、「小説家」「哲学者」「大学教員」「高校教諭」「新聞記者」「編集者」「随筆家」「評論家」」等の端的 具体的な名乗り。生年月日、出身府県、受賞歴一つ、作品初出、作品受賞歴、掲載年月日に限定する。顔写真など無用。作者による作品解説も無用。文化勲章・ 文学賞等の受賞は、主要な一つに限る。会員データベースの基底部を形成する。

  「著作権」  作品は著作権者に属し、電子文藝館は掲載のために無償で「場」を提供している。電子メディアにつきものの著作権被害には著作者として納得の うえ作品を提出してもらう。もとより明白な侵害行為には日本ペンクラブとしても著作者と共同して厳重に対応する。原則として著作権問題のクリアは原作者・ 原筆者に委ねる。
 著作権の切れている作者の作品は、「青空文庫」等の提供を受けることも出来る。日本ペンクラブとして挨拶と希望申し入れをすれば無料提供される。歓迎さ れている。

  「掲載の体裁」  作者名を先とし、略紹介が添い、そして作品が掲載される。作品は横書きで展示され、縦組みに換えて読むか横書きのまま読むかは、読者の 自由である。
 ジャンルによる一定の体裁を定め、作者や作品により差別することはしない。フォーマット=方式設定は、慎重に用意している。

  「原則運用」   当面は全てに「原則として」と限定することで、運用の融通も確保したい。原則設定と細目運用に関しては、電子メディア研究小委員会=日本ペンクラブ電子文 藝館編輯室の配慮に一任願いたい。よほど難問は理事会に諮る。なお、技術的な運営には従来通り業者の協力を得てゆきたく、経費的な手当は事務局長に委ね る。

 「開館と公開まで」    2001年の「ペンの日」を期して開館する。着実に進んでいる。技術的な推進等に就いては一任してほしい。協力出来るという会員には参加して欲しいが。

 「実現すると」  日本ペンクラブの名の下に、少なりとも全会員の文学・文藝・学問の成果が、自負・自撰の作品 とともに、世界に向け発信される。 将来的には、作品という実質を伴った全会員のいわば「人名索引」ともなり、「日本ペンクラブ・データベース」の一翼を「文学・文藝」そのもので実現するこ とになる。やがて第一歩を踏み出せる。

 以上、報告し、理事会承認を得た。
                原案作成2001年 9月 13日 電子メディア研究委員会
                        

* 九月十八日 火

* こほろぎ  かかわりの深いハワイ現地法人旅行社が扱うツーリストの、帰国便の始末がやっと済んだ。11日の 事件から1週間。先の予約キャンセ ルの痛手は相当に大きいし、見通しも暗い。
 昨夜は夜中の3時に目が覚め、何とはなしにFENを聴いた。ふだん、夜更けは音楽番組がほとんどだが、いまは語気の強いニュース、レポートと解説が、延 々と続く。何故かふだんより格別に聴き取りができている分、やや重たくなって、日本の民放DJに切り替えると、平和ボケの他愛無い話ばかりだった。
 ラジオを切って耳を済ますと、こほろぎが一心に鳴いていた。日曜の夜、奥多摩の温泉からの帰りしな、電車に一匹のこほろぎが無賃乗車していて、戻りは大 丈夫なのかと見ていたら、向かいの乗客の登山靴で片脚を踏まれ、足をひきずっていた。もう鳴きはしないだろう。
  一心に啼くこほろぎと一つ風呂   真下喜太郎
 胸がしめつけられたが、仕方ない。秦さんが紹介した虚子の「遠山に日の當りたる枯野かな」も哀しいけど、彼岸がある。
  もの置けばそこに生まれぬ秋の陰(かげ)   虚子
 予言のような惹起の陰影がただよう。
 帰宅後、米国の知人から回ってきた、朝10時にみんなして行う平和祈念のメッセージの代わりに、マタイ福音書の祈りの節句を心して三度繰り返した。今宵 はテレビも見ない、ラジオも聴かない。おねむになったら、お休み、グンナイ、グンナイ。

* アメリカのあれは「報復」ではない、「テロ撲滅」の闘いだと木元教子がテレビで熱心だった。言葉通りには、そ の通りであって欲しい。だが、それ ならば、今用意している予算の多くを投入してでも、グローバルに、この時こそ「警察行為」による操作と追及で輪を絞ってゆく、そして逮捕や一網打尽にいた る、迂遠なようでも的確な方法がなぜ採用されないかと思う。空爆にしても地上戦にしても、いつたいどこの何を狙うのか、狙えるのか。無辜の民のただとばっ ちりで命を落とす危険ばかり予想される愚策では、迷惑が大きい。「テロ撲滅」には賛成だ。結果としてテロリストたちは逃げ失せて、こおろぎのようにひ弱い 一般人ばかりが、踏みつぶすように殺される最悪の事態は避けてもらいたい。避けさせたい。日本の政治家はなぜそこから発想しないか。

* 話はかわりますが、アメリカの行方がますます不安になってきました。戦争に対するエネルギーがマグマのように たまっていて、今や爆発しそうな予 感。
 大戦はささいなことから始まった歴史があります。長期戦がいかに地球を破壊していくか、経済も 文化も 人の心も ぼろぼろにして、いくつかの映画に あったように、放射能に汚染されて廃墟と化した地球にならない保証がどこにありましょう。
 アメリカは戦争といえば自国外で行われるという錯覚を持っているのではないでしょうか。
 報復という言葉はきらいです。怨念 をもって仕返しをする という感じがして。
 株価が下がり、本当のパニックはこれから始まります。アメリカがくしゃみをしても風邪をひいた日本。食料の大部分を頼り、すでにいちごがないとか。タマ ネギも 大豆も ピーマンも・・・・みなアメリカから来ています。
 共に死ぬのは嫌です。大恐慌が起きる予感がします。
 今 何をしたらよいのか、きたるべき大パニックに向けて何を準備したらよいのか、大変なことが起きている恐ろしさを感じるのですが・・・
 仕事は順調です。今の所。少し自分のお金も蓄えさせてもらおうと思っています。今のうちに。それでしばらく食べられる 生活できる 蓄えをしておきま しょうか・・・・と。
 おいしいワインでも飲みたいですね。
 少し悲観的だったかもしれません このメール。

* その辺に渦巻いている尋常で多数の憂慮であり、けっして無意味ではない。「アメリカは戦争といえば自国外で行 われるという錯覚を持っているので はないでしょうか」という指摘は鋭い。今度の場合でも、またしてもニューヨークやワシントンへはよもやとタカをくくってもっぱら海外で「報復」撲滅」「戦 争」をやる気でいる。その海外に、日本も含まれていることを忘れるわけに行かない。

* 午前中に届くという本が、十一時過ぎて届かない。こういう待ち時間が落ち着かない。昨夜遅くに、インストール したオンラインのウイルススキャン と、パーソナル・ファイアウォールが、旨く機能してくれるといいが。
 

* 九月十八日 つづき

* 本が届かないので、待ち時間に、三原誠代表作の一つ「ぎしねらみ」を校了できた。「e?文庫・湖」の創作欄 「第二輯」の最初の掲載作として、感 謝して歓迎する。作者は、昭和五=1930年生れの小説家。すでに惜しくも亡くなっている。昭和五十五年七夕に上梓の単行本『ぎしねらみ』の表題作であ る。本のあとがきに三原は書いていた。「ぎしねらみ」は、作品の中でも書いたように、清流にだけ住まう魚である。自分が子どもの頃は、故郷のどんな流れに も見かけられたが、この頃では全く姿を消していると。二三尾捕えておいてくれと気楽に依頼したが、電話の向こうの甥は、「それは、言うなれば雲をつかむよ うなこつでござります」と返事したと。さらに三原は言う、「清流にしか住めぬ傲りの性ゆえに、いまは虚空のかなたの青さの中に、じっと泳ぎすましている一 尾のぎしねらみの性が、私にはたしかに見える」とも。
 三原誠がみずからを「ぎしねらみ」に擬していたかどうか、ここでは言及しないが、この作品は、どうしても「e-文庫・湖」に欲しかった。今も夫君の意を つぐように「湖の本」を支えてくださる節子夫人の厚意から、三原の「三」代表作=たたかい、白い鯉、ぎしねらみを得られたのは無上の喜び。研究者原善は、 自分の研究課題はメジャーの川端康成、マイナーの秦恒平と、日大の非常勤研究室のホームページに公言しているが、わたしもまた、おのが内に「ぎしねらみ」 をひしと抱いた、まさにマイナーの創作者であることに、亡き三原さんらと共に誇りを持ちたい。

* 四時過ぎて本が届いた。通算第68巻。わるくない出来だと思う。読者にも歓迎されればいいが。
 

* 九月十八日 続きのつづき

* シンポジウム「いま、表現があぶない」とは、何も句読点の打ち方とか、誤字・宛字がひどいとか、文章が下手す ぎるという問題ではない。正しくは 「いま、メディアがあぶない」というのが適切であった。メディア規制の問題に話題が絞られていた。だが、語られている「メディア」はおおかた従来の「紙」 メディアであり、新聞・雑誌・放送等が語られていたが、月の裏側のようにティジタル・メディアの問題は、どのパネラーも一応置き去りであった。新聞も雑誌 も放送も、みな、家庭の外のメディアであり、家庭に外から持ち込まれてくるメディアであるが、今では、家庭の中がら発信する「自分のメディア」としてのパ ソコンなどがあり、極めて個人的なものでありながら、インターネットを介して、或る意味では世界へ拡散し飛翔してゆくメディアの保有者なのである。そのメ ディアの問題を、そのメディアにおける表現の問題を、われわれはもはや忘れてはならず、在来メディアとの比較においても軽く見ては間違うだろう。

* 司会の猪瀬直樹から、会場発言を求められていて、おそらくパネラーとして壇上にいる皆が、この電子メディアに は触れないで議論するだろうと予測 されたので、わたしは、少し論点を逸らしたり冷ましたりしかねない懼れは感じながらも、あえて、次のような話をした。

* 言論・表現・人権をこのように話題にする際、従来の活字型表現からだけでなく、それ以上に差し迫った危険性も 帯びているインフラとして、イン ターネットにおけるデジタルな表現にも、身を寄せた注意と問題意識を持ってもらいたい。
 二十一世紀は、サイバーテロによる破壊戦争、及び、サイバーポリスによる、個人情報占拠・収奪の時代へ傾いています。もはや漢字が足りないとか、風俗が 乱れるとか以上に、大がかりに、国家間的な情報収奪、自国ないし自国の警察権力による、セキュリティーの侵犯傾向が、途方もなく強化されて行きます。
 すでに、米国の軍事的な必要に発した、地球規模もの根こそぎ大盗聴機構である「エシュロン」の情報収集が、日本の、三沢基地ですら、非公式の秘密裏に、 大々的に進められている事実は、誰にも否定できない。加えて、此の国の警察は、あの盗聴法に基づくデジタル通信情報の傍受と集積を、警察行為として実施す る姿勢と方法とを、もう、具体的にウムを言わさず、準備していると報じられています。
 実施された際の個人生活や企業活動、また思想的信条や調査活動に及ぼす制約、ないし抑圧・弾圧の危険は、計り知れない。
 今、ある人の書いた文章の中に適切に引用されています、元自治大臣・国家公安委員長の白川勝彦氏の発言に、傾聴すべきものがあると思うのです。少なくと もこの白川発言を、この場で、心新たに聴いておきたいと私は思います。白川氏はこう言っている。
「この法案の本当の狙いは、国中のコンピュータを管理下におくこと、なんです。パソコンを持つ人は、みんな個人情報取扱事業者になるから、『あなたのパソ コンから、個人情報が漏れているかも』と嫌疑をかけるだけで、警察はそのパソコンを持っていくことができる。 役人たちは、自分たちと無関係なところで、 インターネットが急膨張していくのが、怖いんです。彼らは、自分たちの手の届かないものごとが存在するのが、一番嫌いな人種です。そういう彼らが、なんと かインターネットを自分たちの手で管理し、取り締まる方法はないかと考え出したのが、この法律なんです」と。
 私は、日本ペンクラブの言論表現委員会で、この法律への反対姿勢を打ち出したその瞬間から、これは、個人情報「保護」どころか、コワモテの個人情報「支 配・収奪」法に化けて行く陰険な布石であると、何度か発言してきました。ある人の適切な指摘にありますように、「インターネット空間には、無数の個人情報 が飛び交い、瞬時に検索され、蓄積される。この法案が通れば、政府は、それを一元的に管理し、支配できることになる。政府に批判的な民間団体や個人も、容 易に取り締まることができる」と、まさしく、これが、ここが、大きな問題点であり、闘いを挑むなら、ここだというのが、日々に更新して、18MBというほ ど巨大なインターネットの文字サイトを展開しつづけている私の、ずうっとずうっと考え続けてきた要点です。

* 時間がゆるされるなら、具体的な話もしたいところだが、それは無理であった。猪瀬司会者のほか井上ひさし氏ら 五人のパネラーの発言は、概ね分か りよく、問題点をよく洗い出してくれて聴き応えがあつた。米原万里さんの話が、今ひとつ浸透していなかったと思う。この人はヤジはうまいが、マトモに話さ せると分りにくい。なかなかいいシンポジウムであり、時間がもう三十分あり、会場との討議も重ねられればと思うものの、ああいうものだろうなと、無事の終 了をよろこんだ。とは言え、この手の話題で、電子社会のメディアをはずして、なんだか昔の活字レベルでのメディア論議は、古くさいなあ、こんなことでいい のという気がしてならなかった。白川勝彦の指摘など、もっともっと聴く耳をもって聴いておそれ、対処を考えねば、うそではないか。
 会場から質問が出ていたのに、猪瀬氏らはなんだか、うにゃうにゃ返事していたが、「情報公開法」とは、市民の個人情報を「公」が管理して行くぞという布 石法に過ぎなかったし、「個人情報保護法」とは市民の個人情報を「公」が収奪して管理して拘束することを妥当化する布石法なのである、露骨に、あからさま に。それが、根本なのである、と、わたしは直観してきたが、事実は正しくそう動こうとしている。シンポジウムが、ただのガス抜き自己満足で終らぬようにす る、どういう戦略があるのか。考えねばならないのはそれであり、それなしでは、要するに「評論」しておしまいである。

* 関係者だけの、近所での打ち上げに出て、なんだか、最後まで腰を据えて飲んでしまった。やれやれ。
 

* 九月十九日 水

* 参議院予算委員会での質疑を、すこし聴いた。この内閣は危ない、小泉は危ないと思わずにいられない。どうすれ ば、どうすれば、どうすればと切言 することで、いかにも口つきは真剣そうであるが、問題提起ですらない内容のない空疎な答弁ばかり。アメリカの報復戦争へ、なんとか、どうかして、憲法解釈 をねじ曲げてでも、軍行動へ踏み出すチャンス=好機かのように、小泉内閣は浮き足立っている。戦争やテロに巻き込まれかねない国民の不安をそっちのけに、 ひたすらアメリカに気に入られたい、気に入られたいと腐心している。

* 新聞もテレビも、自前でニュースを取材し組み立てていない、どこかの官辺から提供ないし漏洩されてくる情報 を、クリティクなく、疑問ももたず に、これがニュースだと、ただもう垂れ流している。本当は報道しなければいけないニュアンスの微妙な報道が、きれいに淘汰されてしまい、いわば公の用意し たものだけで、マスコミの中味が満杯になっている。官邸筋発表・記者クラブ筋のニュースに隠れて、生きた報道が絞殺状態で表に露われてこないのだ、なかな か。ブッシュに八割九割の支持を米国民は与えているという報道は一律に為されているが、べつの調査ではほぼ逆転しそうなブッシュ批判もあるらしい、そのこ とは、きれいに割愛されている。偏り報道がまかり通って世論を操作しているのが不気味に怖い。

* 米国が勝手に始めようとしている戦争の、前線基地となる沖縄米海兵隊基地では、「18日午後、倉庫から水陸両 用戦車や軍用トレーラーなどが次々 と出されて整備され、長期遠征に備える兵士の姿が確認」「キャンプ・ハンセン内の都市型戦闘訓練施設では、数十人の海兵隊員が建物の影に潜む敵との遭遇を 想定し、実戦さながらの訓練を実施」「米本国以外では唯一の第三海兵遠征軍司令部が置かれる具志川市のキャンプ・コートニーでは、長期遠征に備えた装備袋 を携えた兵士の姿が多数見られた。通常は許されている基地従業員らの基地内売店への出入りが禁じられるなど、基地内は緊迫感が漂っている。」と、地元新聞 は伝えています。緊急時に自衛隊が米軍施設を守る法案が出されるとも。
 米軍が戦争を始め、日本は米軍施設の警備をする。じゃあ、基地の回りの日本人(沖縄県民)を守ってくれるのは誰?政府は、まず、米軍基地にテロ攻撃が発 生した場合、どのようにして自国民を守るかについてこそ協議を始めるべきなのに、首相は真っ先に米国に可能な限り協力すると言いました。この瞬間、沖縄県 民は、テロの標的になりました。しかし、首相は基地周辺の日本人のことなど全く考えていなかったでしょう。56年前に地上戦が行われた際、日本軍は沖縄県 民を全く守ってくれませんでした。今回もその状況は全く変わっていませんね。浮ついていないで、足下を見てほしいものです。
 タリバンの本拠地、アフガニスタンのカンダハールから脱出中に、国連難民高等弁務官カンダハール事務所の千田悦子さんという方が書いた手記に、こんな指 摘が。
 「何の捜査もしないうちから、一体何を根拠にこんなにも簡単に、パレスチナやオサマ・ビンラディンの名前を大々的に報道できるのだろうか。そしてこの軽 率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員の生命を脅かしていること を全く考慮していない。」「それでも、逃げる場所があり、明日避難の見通しの立っている我々外国人は良い。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられる というのだろうか?」「世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センターやハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から死 を悼み無念の想いをやり場の無い怒りと共に抱いているように、アフガニスタンにも、たくさんの一般市民が今回の事件に心を砕きながら住んでいる。アフガン の人々にも嘆き悲しむ家族の人々がいる。」「不運続きのアフガンの人々のことを考えると、心が本当に痛む。どうかこれ以上災難が続かないように、今はただ 祈っている。そしてこうして募る不満をただ紙にぶつけている。」
 結局被害を被るのは、人の死に心を痛めている、どこにも逃げられない市民です。これは戦争を仕掛ける側も、仕掛けられる側も、同じです。これから起こる であろう空爆で、メディアは麗々としたミサイルの軌跡を映し続けることでしょうが、その向こうで確実に人が死んでいることを忘れないつもりです。
 なんともやりきれない気分。長々と書いてしまいました。午後は、近左さんの襲名展を覗き、美しい蒔絵で心を洗ってくることにします。
 次台風が来ています。お大事に。

* 国内外で、無差別な報復軍事行動を厭わしいとみるグループ活動が報じられ始めている。声が運動に成長してゆく 段階の必要なこと、いうまでもな い。アフガニスタンの内部事情にも悲惨な抑圧や虐殺があり、さらに追い打ちに無差別攻撃を受ければ、庶民だけが潰される。日本政府には、日本国内で日本人 を何らかの暴力的侵害から先ず護るという義務がある。その姿勢、大いに向いている方角が違うのではないかと、国民への無責任さを感じてしまう。

* 栃木産のコシヒカリ米30キロが贈られてきた。新米である。さっそく賞味、断然ちがうのだ、じつにうまい。ご 飯だけで堪能するほど。自然と人工 の名産である。

* 発送作業しながら、午前にはシルベスタ・スタローンの「ロッキー ザ・ラスト」を、ビデオで、耳に聴きながら ちらちら観ていた。久しぶりだが、 シリーズの中でも好きな作。うまく作ったツクリモノであるが、スタローンのハートが、また妻子の役が適役で、うまく乗せられる。午後には、ビデオにとりな がら、ポール・ニューマン、メラニー・メグリフィス、ブルース・ウィリスそれにジェシカ・タンディという豪華なキャストの「ノーバディース・フール」を感 心して観た。渋い地味なつくりなのに、繰り返して観たくなる佳作で、どの役にも佳い味が出ていた。ポール・ニューマンのものでは一番佳いかも知れない。メ ラニー・グリフィスも幾つか観ているが、役の幅のある、美人ではないのに魅力を感じる女優で、忘れがたい。なんといってもジェシカ・タンディの実在感と落 ち着いた品位がいい。映画そのものがジェシカに贈られていた。もう亡くなったか。
 高校から大学の頃は断然日本映画の黄金期で、名作秀作がしのぎをけずって現われ、洋画などばからしいと思っていた。それが、すっかり日本映画は観なく なった。ときどき試写会に呼ばれるが、洋画のほうが胸にしみるもの多く、邦画は問題作だと認め得ても、今ひとつ深い体験になって残らないのは何故だろう。 「御法度」でも「冤罪」でも。大評判の宮崎監督作品のまんが映画など、わたしは信服したことは無い。「もののけひめ」でも、あざといつくりの、感傷的に浅 い啓蒙娯楽品としか受け取れないもので、材料のこなれはよくなかった。あんな程度でコロリとだまされるのかなあと、マンガ体験の質的な底の浅さに失望した のを覚えている。洋画に親しんでいるのは、無責任に、ただ娯楽と割り切って付き合っているだけのこと。いっそその方が、ほんものの佳いのに出逢うと、とて つもなく儲けたトクをしたという気になれる。

* さ、また発送作業に戻る。今日は、朝七時から始め、もう二度送り出して、このあと夜十時過ぎまでは頑張る。
 

* 九月十九日 つづき

* 蒸し暑い一日、まさに、ひねもす作業で、へへとへと。晩はしばらくぶりに「グランブルー」を見ながら、根気よ く手作業をつづけた。かなりはか どった。ジャン・ルネもいいが、主役の寡黙なのもいい。それに女優のロザンナ・アークェットが好きだ。見ているうちに次第に美しくなって行のがいい。切な く深く哀しいラストへ入ってゆくのが、胸をしめつける。どの人間よりも「いるか」たちが素晴らしく懐かしいのである。男女の愛以上に「いるか」との愛の方 が本質的にみえてしまうところにこの映画の堪らない誘惑がある。

* いま、下記のメールが入った。即座には気ぜわしくて処置しかねるので、ここに、そのまま転記しておきたい、と りあえず。賛同の人はこれをこのま ま実行してください。

* 皆様 Dear Friends,
 次のような要請が来ました。賛同いただけるかたは、ご協力ください。署名欄は最後にあります。  土井桂子
The following petition came via [Abolition-Japan] mailing list.  I'dappreciate your cooperation.  Keiko Doi

 生命のために団結?非暴力的制裁にYES!

 2001年9月11日にニューヨークとワシントンで起こったテロ行為はひどいものです。
 さらなる生命が奪われること、そして同じような悲劇が再び起こることを避けるために、私たちは関係する主要な指導者たちが非暴力的な制裁を選択すること を要求します。
 暴力は、暴力と恐怖をさらに増大させるだけです。恐怖はテロを引き起こします。私たちは、暴力を使って、現在世界を破壊している紛争を解決することはで きません。アメリカが爆弾を使って報復したら、私たちはどのようにしてさらなるテロ行為が起こるのを避けることができるでしょうか、結束しましょう! 私 たちの運命をその手に握っている指導者たちが、これ以上罪のない命を危険にさらすことにならないような解決法を見つけるように圧力をかけましょう。
 人間、そして私たち一人ひとりの中にある人間性は、この平和的な行動を通して地球的な結束を呼びかけます。私たちはそれを私たち自身のために、私たちの 家族のために、そして未来の世代のためにしなければいけません。
 この署名を広めましょう。国々が団結して非暴力的な解決法を選び、テロに打ち勝つために、行動しましょう。それは、私たち一人ひとりが生き残れるかどう かの問題なのです。

署名方法:

1.このメッセージをコピーする
2.あなたの名前と市を書く
3.このメッセージをあなたのアドレス帳にあるすべての人にメールする。
(「転送」しないでください。メッセージが長くなり過ぎないように、「コピー」して「貼り付け」てください。)
4.あなたの名前がリストの25番目に来たら、この署名をできるだけ早く。ジョージ・W.ブッシュ大統領に送ってください。
President George W. Bush: president@whitehouse.gov

同時にディック・チェニー副大統領と
Vice President Dick Cheney: vice.president@whitehouse.gov

ここへCCで送ってください。
<noviolence55@hotmail.com>

この署名にサインしない場合でも、他の人へこれを送ることで、この努力と非暴力へチャンスを与えてください。

生命と平和を保護する助けをありがとうございます。
 noviolence55@hotmail.com

私は、非暴力的な制裁を要求します:

以下英語版です。こちらを送信して下さい。家族の名前も書いていいですね。
25人めを書き終えた人がブッシュに送って下さい。素早くやりましょう。

UNITED FOR LIFE - YES TO NON-VIOLENT SANCTIONS !

The terrorist acts that took place in New York & Washington on Tuesday Septembre 11, 2001 are appalling.
To avoid that more lives be taken and that other similar tragic events happen again, we request that the main leaders concerned choose NON-VIOLENT sanctions.
Violence only leads to the escalation of violence and terror. Terror leads to terrorism. We cannot solve conflicts that currently ravage the world through the use of violence. If the United States retaliates by using bombs, how will we prevent further terrorist acts from happening?

Let's rally together! Let's pressure the leaders who hold our fate in their hands to find solutions that will not put other innocent lives in danger.
Humans, as well as the humanity found in each and everyone of us, call for a planetary solidarity via this peaceful action.
We must do it for ourselves, for our family, and for future generations.

Let's circulate this petition. Let's act so that countries unify and adopt a NON-VIOLENT solution that will overcome terrorism. It's a matter of survival for each and everyone of us.

HOW TO PROCEED?
1. copy this message
2. put your name and city
3. email this message to all the names in your address book (do not forward but copy & paste to avoid making this message too large)
4. If you are the 25th person on the list, send this petition ASAP to president George W. Bush at: president@whitehouse.gov with cc to vice-president Dick Cheney at: vice.president@whitehouse.gov and noviolence55@hotmail.com

In case you decide not to sign this petition, please give this effort as well as non-violence a chance by sending it to other people.

Thank you for helping preserve life and peace.
noviolence55@hotmail.com

I REQUEST NON-VIOLENT SANCTIONS:
ex Heiwa ichirou, Tokyo, Japan
1) Keiko Doi, Hiroshima, Japan
2) Yuichi HIda,Kobe, Japan
3) Masumi Nagai,Kobe,Japan
4) Kohei Hata, Tokyo, Japan
5)  (以下、略)
 

* 九月二十日 木

* 明らかにおかしい方向へ世界が総崩れの勢いで浮き足立っている。ガキ大将がこわくて、だれもがみな本音を隠し ている按配で、本音は、民衆のなか で動こうとしている。そういうものだ。ブッシュがだんだんヒトラーに見えてきた。
 むろん、彼はまともな敵を敵と指さしていると思う、わたしも。放っておくことは出来ないし、彼は相応に外交努力もしていると認める。だが、この先の展開 に堪えがたい悲劇の場面が、極めて不毛かつ悲惨な場面が、展開するおそれは拡大している。容易に効果の上がらない戦争が、報復の反復というかたちで百年二 百年もグローバルに残留継続するかも知れぬと思うと、まことにゾッとしない。

* そう思いつつ「グランブルー」の終末部を繰り返し二度見直した。ジャック・マイヨールの必然の最期、「わたし の愛を見定めてきて」とジャックを 自身の手で深海に送り込む妊娠している恋人ジョアンナ。ジャックを迎え取る「いるか」たちの幻影。「海に潜ると、上(現世)に戻る理由が見つからない」と ジャックは、心から愛している恋人に対し呟くように告げていた。一切がその一語にこもっている。「海」のかわりに譬えばわたしなら「遠山に日のあたりたる 枯野」と言うことも可能だ。海から「戻り」枯野から「戻る」とはどういうことか。ツインタワーへのハイジャック機の体当たりテロに付き合うことであり、報 復の世界戦略に付き合うことであり、あれであり、これであり、思えば思えば、どうでもいいことばかり。しかし、まだわたしは、帰ってくる。帰ってきてあれ もこれも降りかかる火の粉を払う。そんなゲームにまだ興じている自分のいることを知っている。視野には「黒いピン」がハッキリ見えていて、視線はそれをと らえ、黙認している、痛みと共に。

* 二本の酔芙蓉が今を盛りと花数多く、この曇り空、この時間でまだ純白のまま、酔えずに素面です。それも上品 に、姿美しく、見飽きず、和ませてく れます。昨日の名残のしぼみかけた花々が赤く色を添えています。はなやかな赤で終わる命がいいですね。人間もこうありたい。
 ところが花に見とれていたせいですか、朝から年寄りっぽい「忘れ」をして、落ち込んでいます。具体的には余りにも単純な事で、恥ずかしくて言えません が。年寄りだと自覚したくないですが、自覚させられました。ある一瞬、ある一刻が記憶の中から消えて真っ白になる自分が恐くなりました。

* こういう怖さとは、苦笑しながら、もうひっきりなしに付き合っている。今考えていたこともすぐ忘れる按配で、 ことに人の名が正確に覚えられな い。「はなやかな赤で終わる命がいいですね。人間もこうありたい」には、負ける。わたしの庶幾する末期は温かい枯野色である。

* 主要な大部分は今日中に送り出せる見通し。まだ、それでも、残り作業はかなりある。作業に戻る。
 

* 九月二十日 つづき

* 夕過ぎて、日本ペンクラブ会員で電メ研委員でもある高橋茅香子さん(元朝日新聞社)から、以下のご意見が届い た。単なる意見というより、正式の 申し入れと受け取り、すぐ、小中陽太郎専務理事と秋尾暢宏事務局長に、秦も同意し同調していると添えて日本ペンクラブの姿勢を鮮明にするよう提案要請し た。後世を誤らないためにも、緊急の臨時理事会がもたれていい重大案件ではないかと申し添えた。以下に私信の部分は省いて、「公式」の高橋意見をここへも 書き込む。同調され、また共感の輪をひろげようと思われる方は、それぞれに声を上げて欲しい。

* 日本ペンクラブ理事 秦 恒平様
 アメリカの報復宣言と日本政府の対応について、日本ペンクラブもなんらかの意思表示をするでしょうか。どうか武器よりペンをとることを強硬に主張してほ しいと思います。
 このテロ活動をブッシュ大統領は「戦争」だと言いましたが、これは「犯罪」以外のなにものでもないと思います。旧ユーゴやルワンダの国際刑事法廷が国連 によって設置されたように、中立国に国際刑事法廷を設置してテロの実行者や共犯者を裁くべきであり、報復攻撃は国際法違反です。アフガニスタンはアメリカ に対して宣戦布告していません。
 戦争になれば、それはアメリカが引き起こした戦争になり、それに日本が加担すれば、日本政府も国際法に違反することになります。友好国であれば米国政府 に対して良識ある行動を採るよう求めるべきです。
 「米国は善、正義、文明、民主主義と自由を代表しており、テロリストとそれをかくまう国家の悪、不正義、野蛮と闘って勝つ」というブッシュ大統領の宣言 は傲慢としか言えないと思います。
 日本は米国の戦争に白紙委任で協力するのではなく、まさに、平和憲法を国際的に適用する独自の姿勢を示してこそ、「国際社会で名誉ある地位を占める」こ とができるのではないでしょうか。
 ペンを持つ手に武器を握ることは決してできません。日本の若い世代に暴力には暴力をもって返せ、とは決して伝えたくありません。
       日本ペンクラブ会員 高橋茅香子

* こういう知性の声が澎湃と起こり世論に形成されてゆかないと、日本は、かつて来たとほうもない悲劇への道を、 またしても同じように辿らねばなら なくなる。「あの時にどうしてあれが防げなかったのだろう」と、過去のいろんな危機の時点をふりかえって、人はいろいろ嘆いたものだが、「今」は、まさに そういう「あの時」に相当している。それをわたしは痛切に感じて気分が悪くて堪らない。高橋委員の意見を熟読願いたい。意見も寄せて欲しい、少ない数では あれ、声と言葉が波紋の輪を拡げて行けるだろう。

* 今夕、わたしは、ある会合に出席すると伝えてあったらしく、百パーセント忘れ果てていて、今電話で、来ないの かと叱られた。会費を払えば一応済 む程度の会合であったのでよかったが、講演の講師など引き受けていたら、えらいことであった。今日も朝の七時からついさっきまで仕事をし続けていた。へと へとが度を加えて、仕事しながら、とろとろっと寝入りそうになる。
 

* 九月二十一日 金

* 小中陽太郎氏の返事があった。同じような声があちこちで上がっている。ペンとして、独自のどんな声明が可能か 模索しているが、と。高橋さんに、 そのまま転送した。

* 秦様、 ありがとうございました。お手をわずらわせました。小中専務理事の「賛同した」という意味がよくわかりませんが、私のもとへも20ほどの団体の声明文など が届いています。私は「戦争と女性への暴力」に反対するネットワークのメーリングリストにはいっているため、自ずからいろいろなメールが流れてくるようで す。いまは10月16日頃にブッシュ大統領が来日(20日から上海で開かれるAPECに出席する途中)するのを機に、さらに声が高まりつつあります。
 今朝のブッシュの議会演説を聞いていて気分がわるくなりました。正義と善をふりかざす顔は見たくないものですね。
 でも受け止めていただいて、ありがとうございました。ペンクラブが知性あふれる鋭い声明文を出してくれたら本当に嬉しいと思いますが。運動団体などとは ひと味違う、精神のこもった指針を読みたいと願いつつ。

* 「ペンクラブが知性あふれる鋭い声明文を出してくれたら本当に嬉しいと思いますが。運動団体などとはひと味違 う、精神のこもった指針を読みた い」とは、わたしたちの心からの願いであるが、虚しくされないように切望する。

* 今になってふっと気になる。あの新宿雑居ビルのおそらくは悪質な放火と見られる惨事、あれはテロではなかった ろうか。あの時から、念頭に、サリ ンまがいの、途方もない犯罪の一種ではなかったか、計画的な犯行ではなかったかという疑念が脳裏を去来したが。あれ以来、捜査が進んだとも聞かない、気に なる。

* 奮闘努力の甲斐あり、概ね発送の作業を終えた。みらくる会を完全に失念したために、一万四千円のペナルティー を支払った。だが、すこし肩の荷が 下りた。今回は本を運ぶのに、いつもより「重い」と感じた。本は重い、たしかに。妻のかなりの手助けで、能率があがった。

* アフガンの子ら  映像で見て、泣いてしまった。空爆や地上作戦が始まれば、やられるのはこういう子どもたち で、かんじんの敵にはなかなか遭遇 しないであろうと思うと、唸ってしまう。ほとほとイヤになります。テロリストは撲滅したい。しかし巻き添えは無くしたい。そんなことの不可能であるのを思 うにつけ、無力感に打ちのめされます。幸いいろんな声をわたしは聴くことが出来、その声の多くが自分と同じであることに励まされたり慰められたりするが、 問題はそれだけでは解決しない。構造改革の進まないことに小泉総理はいい口実をえたと、脱線に脱線を続けると思います。ブッシュも困りもの、小泉も輪をか けた困りものになってきました。

* 京都今出川ほんやら洞の甲斐扶佐義氏が写真集「STREETS OF KYOTO」を贈ってきてくれた。画家秋野不矩が京都市文化賞を受けた1979年に、ほんやら洞で祝する会があり、自作詩を朗読して祝っている亡兄北澤恒 彦の姿も写っている。甲斐さんは優れた写真による批評家である。その京都に肉薄した写真の一枚一枚は、本来そこに身を置いて育ってきていながらわたしの脱 ぎ捨ててきたような京都であり、生き生きとして迫力満点、懐かしいきわみのもの。今度はこの人と対談したい。

* 湖の本エッセイ23 『詩歌の体験 青春短歌大学』届きました。わくわくするほど楽しい本ですし、胸にじんとくるほど深い本ですね。ひとつひとつ味わっていきたいと思います。

* もう届き始めているらしい。かつての学生君たちは懐かしく思い出してくれるだろう か。多くの大人の読者 たちは、一筋縄で行かない手強い「問いつめ」に、紅潮しながら、詩と人生とを今更のように思案されることであろう。甘やかな題だが塩辛い問題提起であり、 しかも心洗われることと思う。取り上げた現代短歌の一つ一つを私は思いこめて選び、また問いかけている。自信があっても無くても、「試み」てほしい、それ は、語の本来の意味での「心見」になるであろう。
 

* 九月二十二日 土

* 元の学生君から、実感に溢れるメールが来た。父上はあの日、ホワイトハウス近く におられたという!! 若い知性たちのなかで、こういう「声」と「言葉」と願わくは「行動」がうねりを大きくしてくれますように。

* 秦さんこんばんは!急に肌寒くなってきましたね。お元気にお過ごしでしょうか。
 湖の本、届きました。ありがとうございます!
 しかし何とも、危ない雰囲気になってきました。
 我が家でも、テロ当日、父親がワシントンのホワイトハウス近くに出張しており、やはり直 後は連絡の取りようも なく、随分と心配しました。幸い先日、ようやく予約の取れた飛行機で帰ってきましたが。
 今晩(21日)のニュースステーションに、内閣官房副長官の安倍晋三氏が出ていました。 アメリカとの信頼関係 の下で、事実関係を確認する努力さえせず、法改正までして支援するという。しかも、犯罪者の証拠の提示をもとめて検討すべきではとの意見に対して、G8声 明や国連安保理決議に名を連ね、他の国は武力支援さえもしようとしている中で、もはやそのような議論はナンセンスといわんばかりの、既成事実を盾にして言 論を封じるかのような姿勢です。しかも、武力支援さえするという「他の国」も、アメリカに対して何らの証拠の提示も求めていないとか。
 一種の集団ヒステリーともいえそうな、一気に坂を転がり落ちてゆくかのような展開に、本 能的にも理性的にも、 非常に危険なものを感じてしまいます。
 もちろん、あのようなテロ行為は許されるものではありませんし、加担したものは断固とし て裁かれるべきと思い ます。
 しかし、ブッシュ大統領の振りかざす「限りなき正義」とやらには、どうしようもなく胡散 臭さを感じてしまいま すし、小泉首相の、アメリカ無条件支援の積極的姿勢にも、深い理念を感じるかわりに、国際社会でのプレゼンス向上のような意図が見え隠れします。
 それに、集結しつつあるらしい途方もない戦力は、一体どこへ向けられるのでしょう。当の 「容疑者」が、のうの うとアフガニスタンに居るとは、私などからみても考えにくい中で。アフガニスタンをスケープゴートにしてしまうのでしょうか。多くの平和と幸せを望む人た ちを巻き添えにして。
 もしそんなことを、日本が「支援」するのであれば、それは絶対に許されるべきではないで しょう。
 テロ撲滅の金科玉条に目くらましされて、それに向けての多少の犠牲はやむを得ないなどど なってしまっては、伝 え聞く戦争中の社会状況に、ひどく類似しているのではと心配されます。
 こんな中で、何が、出来るのでしょうね。
 事態の根本的解決には、つまりテロの根絶には、そもそもアメリカを中心とした市場主義経 済の生み出す勝者と敗 者、世界的に拡大する一方の貧富の格差、互いの文化に対する無理解などなど、いろんな歪みを無くすことが不可欠です。
 現実からは遠すぎて、めまいがしてきそうですけれど。でも、そうしたことを目指す「闘 い」(無論武力公使の意 ではありません。)であれば、長い時間がかかっても、どんなにか実り多いものになるでしょうに。多くの頭脳とお金と熱意を、武器や戦術や作戦などではな く、そうした方向へ向けさせることは出来ないものなのでしょうか。
 まずは、歪みなく現実と本質を見極めようと努めることだけは、と考えています。それだけ ではダメなのだ、とも 思うのですが。
 まだまだ、「(枯野から)帰って」来て下さいね!
 そういった姿勢にこそ、何より心励まされます。
 それではまた。お元気でお過ごし下さい。

* 小中さんに頼んでおいた、「ピープルズ・プラン」の、報復戦争と日本政府の対応 に反対する共同声明文 が送られてきた。このグループ活動について、わたしは、殆ど識らないが、同じ保谷でお名前は存じ上げている吉川勇一さんも加わって居られるらしい。この人 は、いわゆるベ平連で知られた市民活動を支えた一人でもあったと思う、わたしの亡くなった兄北澤恒彦もたぶん連帯していた仲間であったのだろうと思う。そ ういう「意思」を分かち合った人達のグループなのかと想像する、が、それは今は措く。大事なのは声明の内容であり、文はやや長いけれど、懇切と見て、わた しは、趣意に悉く賛同する。グループの外側からでもぜひ協力したいと思い、声明文をここに転載させてもらって、少しでも大勢に趣旨が伝わるようにと、吉川 さんにその旨をいまメールで伝えた。時間も惜しく、乱暴であるが今すぐ転載する。もしグループとして不都合があれば即時削除することにする。
 賛同者は、至急ピープルズ・プラン研究所 ppsg@jca.apc.org 宛てにメールで声を運ばれてはどうか。

* > 共同声明―米国のテロ報復戦争に反対し、日本政府の戦争支持の撤回を求める > 2001・9・18

 よびかけ
> 天野恵一(戦争協力を拒否し、有事立法に反対する全国FAX通信)
> 石崎暾子(草の実会)
> 大島孝一(キリスト者政治連盟)
> 太田昌国(民族問題研究者)
> 小笠原公子(日本キリスト教協議会平和・核問題委員会)
> 小倉利丸(ネットワーク反監視プロジェクト)
> 遠野はるひ(APWSL)
> 富山洋子(日本消費者連盟)
> 中山千夏(作家)
> 福富節男(市民の意見30の会・東京)
> 松井やより(VAWW‐NET・ジャパン)
> 水原博子(日本消費者連盟)
> 武藤一羊(ピープルズ・プラン研究所)
> 山口泰子(婦人民主クラブ)
> 山口幸夫(原子力資料情報室))
> 吉川勇一(市民の意見30の会・東京)
> (2001年9月18日現在)

>  9月11日、米国の経済・軍事中枢にたいして、何者かが、ハイジャックした旅客機を武器とする「道連れ自爆攻撃」を行い、大量の死と破壊をもたらした光 景を目の当たりにし、私たちは強い衝撃を受けました。数千にのぼる罪のない人びとが生命を奪われ、夥しい数の人びとが肉体と精神に深い傷を負いました。暴 力のない世界を求める私たちは、実行者の目的が何であれ、この行為を許すことはできません。私たちは、犠牲者とその遺族、縁者の方々に深い哀悼の意を表 し、傷ついた方々の回復を心から願うものです。
  だが私たちはいま、この事件への「報復」として米国が開始した対応にいっそ う大きい衝撃を受け、 深刻な危機感にとらわれています。
 ブッシュ大統領とその政府は、この攻撃をアメリカ合州国への「戦争行為」であると宣言 し、報復のために「テロ リスト」にたいして世界中を巻き込んだ「二一世紀最初の戦争」を発動すると決定したのです。今回の「アメリカへの攻撃」の実行主体をオサマ・ビン・ラディ ンの率いる「イスラム過激派」と特定した上で、全世界にちらばった「テロリスト・システム」を殲滅する本格的戦争を開始しつつあるのです。世界最大国家 が、国家でない敵に宣戦を布告したのです。
 ウオルフォウイッツ国防副長官は、テロリストとそれを庇護する国家にたいして軍事作戦を 行い、「テロ支援国家 を終結」させる(〔終結〕はNHKの訳語)ことがこの戦争の目的であると説明しました。
 大統領は「戦争は大規模かつ継続的なもの」になると言明し、フライシャー報道官は、「あ らゆる選択肢を排除し ない」と発表しました。
 アメ リカの上下両院は、大統領に対して「必要なすべての武力行使の権限」を与える決議を採択し、400億ドルの戦費支出を決めました。
 NATOは、同盟国が攻撃されたケースとして集団安保条項を適用し、この戦争に参戦を決 めました。
 ブッシュ大統領は、このアメリカの戦争に同盟国ばかりでなく、「国際社会」全体を巻き込 もうと懸命に努力を続 けています。
  戦争をもってテロに報復する、というのは異常な対応です。一般市民に対する このような大量殺戮 は、国際犯罪として、人道への罪を構成します。米国国内法とは別に、国連など国際社会が国際刑事法廷を設置して、その実行者や共犯者を国際法に基づいて公 正に訴追し、処罰すべきです。その手続きもなく、アメリカはすでに戦争状態に入りました。当面タリバン支配下のアフガニスタンへの軍事侵攻が差し迫ってい ますが、テロリスト壊滅という戦争目的からして戦場は特定されないのです。
  私たちは次のような理由からこの戦争に力を込めて反対し、ブッシュ政権がこ の戦争計画を即時廃棄 するよう要求します。
  第一に、この戦争が問題の解決をもたらすどころか、世界を暴力と憎しみの果 てしない応酬の連鎖に 引き入れることが確実だからです。なにより、国家の正規の軍事行動で、不定形のネットワークを根絶やしにすることなどは、事柄の性質上、不可能なことで す。テロを生み出す社会的土壌があるかぎり、一つの組織を壊滅させても次の組織が生まれるでしょう。そして9月11日の事件そのものが、今日の「先進国」 社会の傷つきやすさを、そしてそれをこの種の攻撃から完全に防衛することなど不可能であることを衝撃的に例示したのです。米国の報復戦争は、テロと無差別 な報復攻撃、そしてさらに規模を拡大したテロと報復攻撃という、いたずらに市民の犠牲のみを伴う出口の見えぬ泥沼の中に世界を引き入れることが予見されま す。それを防ぐためには世界社会の隅々まで、個人の自由とプライヴァシーを奪い民主主義を根底から破壊する完璧な監視システムを導入するしかないでしょ う。この方向への不吉な動きはいま急速に推進されています。
  第二に、報復を叫ぶ米国政府と世論のなかに私たちは恐るべき傲慢と憎悪の響 きを聞き取るからで す。「文明と野蛮」という植民地時代の露骨な図式が大手を振って復活しています。テロリストから「文明を守る」戦争(パウエル国務長官)、「悪にたいする 善の戦い」(ブッシュ大統領)が公言されています。アメリカからの報道はアラブ人への憎悪が掻き立てられている状況を伝えています。ヨーロッパの世論もこ の図式に当然のように同調しているかに見えます。文明をアメリカ・ヨーロッパと等値するこの傲慢さこそが、イスラム世界を傷つけ、のけものにし、ついにそ の中から敵対者を作り出すにいたったことの自覚は、そこには一片もないのです。
  「ショック、怒り、悲しみはいたるところに満ちている。だが、なぜ、人びと が、これほどの残虐行 為を、自分の生命を犠牲にして行うところまで追い詰められたか、あるいは、なぜ米国が、アラブやイスラム諸国だけでなく、途上国のいたるところで、これほ どひどく憎まれているのか、という認識はかけらほども存在しない」(シューマン・ミルン『ガーディアン』9月13日)。
  まさにこの認識の欠如にこそ、テロという絶望的な反抗形態が生み出される根 源があります。米国が これまで、ベトナム戦争や湾岸戦争で、南米やアジアの独裁政権援助で、スーダンや旧ユーゴ爆撃で、そして、何よりパレスチナを不法占領し続けるイスラエル を支援することで、直接、間接に今回の犠牲の何百倍、何千倍の数の非戦闘員の人命を奪ってきたことを世界の人びとは記憶しています。そして、現在アメリカ の権力的一極支配は、未曾有のものに達しています。米国は、途方もない貧富の格差や環境破壊を引き起こすグローバル化を世界の圧倒的多数の人びとに強権的 におしつける世界的な権力として振舞っています。とくにブッシュ政権は、「単独行動主義」(ユニラテラリズム)を公言して、地球温暖化や核拡散や国際刑事 裁判所や人種差別反対国際会議などさまざまな国際的取り決めを、「米国の国益」を振りかざして、つぎつぎと一方的に破壊してきました。
  このような米国に対して、世界中の民衆の中に怒りと批判が渦巻いています。米国自身が作り出したこのような世界状況こそが、今回の事件の歴史的な背景に なっているのです。この意味で、今回のテロで犠牲になった人びとは、米国政府の世界的な権力支配の犠牲者であると私たちは考えます。
  小泉首相はいち早く、「日本はアメリカの報復を全面的に支持する」と米国への無条件の忠誠を宣言して私たちを驚かせました。これを受けて、日本政府は、ア メリカの「報復戦争」にどのように自衛隊を参加させるかを脱法行為から法改正を含めて汲々として探し求めています。
 さらにこれを好機とみて、危機管理体制の強化、社会の軍事化を全面的に進めようとしてい ます。政府与党は、米 軍基地を守るための自衛隊法改悪を決定し、有事体制や治安出動を公言しています。
 国家主義的な勢力は、米国の報復戦争を、日米ガイドライン体制を発動して、米国の軍事行 動に協力する好機到来 と、戦争のできる国家への試運転を狙っています。
  私たちは、米国の報復戦争開始の前夜にあたって、日本のなすべきことはまっ たく逆の方向にあると 考えます。国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使を国際紛争を解決する手段として永久に放棄した日本ならば、日 本政府がなすべきことは、アメリカに武力行使を思いとどまらせ、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して問題解決の方策をさぐるよう堂々と、自信をもっ て、説得することでなければならないはずです。そして、今回の事態は、そのような方向のみが悲劇の再発を防ぐ道を切り開くことができることを強く示唆して いるのです。
  私たちは、日本政府に、日本国憲法の平和主義にしたがって、報復世界戦争と いうブッシュの計画へ の支持を取り消し、参加・協力を拒み、ブッシュ政権に、報復戦争を思いとどまるよう申し入れるよう要求します。
  私たちは、日本政府が、この戦争に便乗して、「戦争のできる一人前の国家」 として伸し上ろうなど という企てをはっきり棄てることを要求します。すなわち有事法制、米軍基地の防衛のための自衛隊法改定、ガイドライン関連法規の脱法的適用などを行わない よう要求します。
  私たちは、日本政府が、全世界で社会的緊張と軋轢を耐えがたいところまで高 めているグローバル化 政策を根本から再検討し、WTOその他グローバル化推進のための国際機関で地球的規模の社会的緊張、底辺の人びとの排除、自然の破壊などを和らげるための 方向転換を提案するよう要求します。
  民衆の安全が問題なら、この方向に歩むことが、アメリカの市民たち、日本列 島に住む人びとも含め て、世界の民衆の安全を高める唯一の道なのです。
  いまこそ暴力と憎悪の悪循環を断ち切らなければなりません。9月11日の悲 劇が、そのための出発 点になるのか、それとも悪循環の全世界的な拡大の引き金になるのか、それは、アメリカ合州国の目覚めた人びとも含めて、この戦争の勃発と拡大を阻止する国 境を越えたしっかりした結びつきを作り出し、それを力に変えていけるかどうかにかかっています。
  私たちは、悲しみに打ちのめされたニューヨークを始め米国の人びとの間か ら、「復讐でなく平和 を!」という声が次第に湧き上がっている知らせに励まされています。マンハッタンの惨禍を味わった多くの人びとは、衝撃と悲しみの中から、戦争とは何か、 爆撃とは何か、を身に引き付けて感じ取るなかで、圧倒的軍事力で復讐し、アメリカの怖さを見せつけるという姿勢が、悲しみをつぐなうにそぐわないと感じ始 めたようです。米国の平和運動や知識人の間から「報復戦争」に反対する声は次第に高まりつつあります。この声は世界のいたるところで高まりつつあります。
  私たちもこの声に加わり、報復戦争を止めさせ、テロを生まない世界をつくる ため、ともに行動しま しょう。

* 前夜、長時間かけて甲斐さんの写真集「京の町通り」を、一枚一枚、読み込むよう に鑑賞した。写真が技 術的に高度高質化してかえって難しくなっている風潮とは逸れて、甲斐さんは、あくまでスナップに徹することで、被写体の「生活感」を批評的に掘り起こして 伝えてくれる。写真技術ではなく写真の中味が深切に訴えてきて、面白く、ほろ苦くもほろ甘くもある。懐かしくて、おかしくて、おどろきに充ちていた。もう 何冊も彼の写真集は見せてもらっている。甲斐さんは兄北澤恒彦の盟友であった。

*  寒いですね。 季節の移ろい。長袖、お布団と、秋は毎年突如入り用となります。朝寝坊をしてしまいます。
 今朝観たメール「アフガンの子ら」そのまま私の気持ちです。
 昨日、国連大使黒柳徹子の生出演での映像を観ていました。アフガンには三年雨が降らない と言っていました。あ の荒涼とした土地も以前は緑豊かであったらしいです。やせ細り、眼だけが大きく飢餓の特徴を持つ乳児を見るにつけ、産児制限のすべ、知識もなく子供を産ま ねばならない女の人、産まれた乳児、歳端のいかない子供たちの軍事訓練と、眼をそむけてはいけないのに、そむけたくなります。近くは湾岸戦争、ベトナム戦 争そしてあの第二次大戦とエゴの巻き添えを食うのは、女、子供です。
 このたび、テロ人種とアメリカとの「確執」の知識は苦々しく世界中に伝わったことでしょ う。根の処の解決がな ければ、あくの強い人間のする事、エンドレスです。以前、南米の独裁者の二代に及ぶ復讐劇の映画を観た時、人の恐ろしさ、こだわりをひしひしと感じまし た。
 

* 九月二十二日 つづき

* ひとつ、とても嬉しいメールがありましたので、お気持ち休めに読んでいただきた く、お送りいたしま す。

 いつも貴重な情報をありがとうございます。みなさんの熱い思いが伝わり、とても勇 気づけられます。
 今日、友人が戦争反対のビラをまくと言っていたのでついていきました。四条通の京都外国 語大学のあたりでジョ ンレノン「イマジン」をバックミュージックに、ハンドマイクで「暴力では解決できない。このままでは日本もまきこまれてしまう。世界全面戦争をさけるため には平和憲法を守って、話し合いで解決を」という内容で、2人でかわりばんこに話しました。「ビラには小泉首相とブッシュ大統領の住所・電話・ファックス 番号がかいてあります。そこにあてて自宅や職場から平和の発信を」と呼びかけると、ほとんどの通行人が話をきいてくれている様子でした。ビラも積極的に受 け取ってくれ、車の中から「くださーい」と要求してくださった人もいました。警備員が近づいてきたので「やばいのかな」と思いきや、なんと丁寧におじぎし てくださいました。
 家に帰り夕刊を見ると艦隊がインド洋にむけて出発したとかかれていて、緊張しました。こ んなんではだめです。 マスコミがひどいから、街角の人は「なんで戦争しんなんねん。えらいこっちゃ。でも仕方ないのかな」と思っている人が多いという感触です。「仕方がない」 はずがないということをわかってもらい、みんなの声なき声を集めましょう!

 本人の了解を得ていないので名前はとりましたが、京都に住む若い女性です。友達と たった二人で街頭にた つのが、たいしたものだと嬉しくなりました。  高橋茅香子

* ジョージ・W.ブッシュ大統領に。
President George W. Bush: president@whitehouse.gov
ディック・チェニー副大統領に。
Vice President Dick Cheney: vice.president@whitehouse.gov

* 暫くぶりに街歩きしてきた。飲み食べ歩きとも言える。久しぶりに中華料理を食べ た。マオタイがなく、 しかし、とても味の似た「郎」とかいう酒を置いた店で、これがマオタイなみに旨かったので、料理もとても旨かった。高い高いビルの高い高い階の店に上がっ てみた。テロの飛行機が当たってきたら怖いなと思いながら、遠く遠くに夕霞む富士のシルエットを眺めていた。夢心地で、庄司肇さんから送られてきた「千葉 文芸」を読んだ。佳い刺身で、もう少し、飲みたくてたまらなくなり、もう一軒に立ち寄って、日本酒を少量口に含んでから帰った。そういう贅沢が、すこぶる 幸せであった。何の用事もなしに、急に思い立って一人で出て時間を過ごした。しばらくぶりの休息であった。
 

* 九月二十三日 日

* 吉川勇一氏から連絡があった。「昨日までで、1200名以上の方の賛同が集まっているそうです。英訳も終わ り、アメリカの市民団体、平和活動家 などにもこれから送ります」と。一箇所で賛同署名を集めるのもいいが、それ以上に、インターネットを使える者は、アドレスを分かち合っている全ての友人に 貼り付けて送るということで、網を拡げるのがいい。そういう呼びかけをすべきだろう。運動を特定の仲間だけのものにしない開放性も必要だ。

* 「報道の自由を求める市民活動の会」とかいう名で秦野市辺の主婦が三人ないし数人で、もう随分長く活動してい て私は注目し声援もしてきた。この 会は、活動の純粋性?を守るためにだか、外部の人を入れず一線を画しながら、報告書や意見書をよく送ってきてくれる。最近の「個人情報保護法案」の場合な どになると、「保護」の二字に幻惑されてむしろ支持を考えていたが、だまされかけていたなどと報告している。この辺は、やはり視野と洞察とに限界を露呈し ているのであり、あんな法律の名前自体がめくらましの、だまくらかしであることは、ほとんど瞬時に見抜けるような活動性を蓄えてもらいたいと思う。市民運 動は、慎重に、しかし大胆虚心に連帯して輪を拡げてゆく度量無くしては大きく成功すまい。功をいそぐより、輪を大きくうねらせて世論を盛り上げることだ。

* 言論表現委員会の同僚委員である田島泰彦教授から「湖の本」新刊とわたしのホームページについて、嬉しいメー ルを戴き、恐縮した。少しずつ、少 しずつ、少しずつ、見て、分かってくださる方が増えてゆけばよい。うち明けた話「湖の本」の維持は厳しい。
 
* 雑誌「ミマン」に原稿を送った。

なるようになりて相(  )の済みしかばふつふつと鮟鱇の肝を煮ており  斎藤文子

煮(  )や得心いかぬ事ばかり  今井 圭子

 台所での物思いから詩が生まれている。さすが台所練達の女性読者たち、正解が多かった。

* 『青春短歌大学』拝受。すこぶる知的刺激のご本をありがとうございます。数編、クイズにチャレンジしました が、はずれもあって、それよりも「答 え」を先に見る、見たい心の急(せ)きように、いまの自分の魂のふらつきがある気がしております。
 テロが起きて、すぐ「報復やむなしと言っていたのに、いまはアフガンの子らが可哀そう、戦争はいけない、ってなあに」と、だいぶ年下の妻に一喝されまし た。妻は、はなから、暴力否定、戦争否定。ぐうの音もなし。反省しきり。乳飲み子としてかすかに体験した戦火の断片を、それも語り継がれただけのものを後 生大事にひきずってきたのは、何だったのか?
 それにしても、やりきれないのは、侵攻作戦のシミュレーションを得意げに熱っぽく語る評論家の多いこと。実戦経験のない、痛みを知らない彼らの発言に、 とてつもなく怖さを憶える。
 口先では何とでも言える。団体が出す声明もしかり。腹を据えて考え、何かをしなくてはならない。自戒を込めて。

* 「何かをしなくてはならない」と分かっていて何もできない、誰もかもの陥っているジレンマ、が、見え透いてい る。インターネット上で「声明」が まさにワールドワイドウェブとして広がることは、何かをするのに相当するだろう。これはよいと思えば、声明文を「同報」で自分の知人たちに飛ばすことだ、 その連鎖が大きなことをする。この「私語」にも、二つの「声明」を載せてある。コピーして貼り付けてメールして欲しい。

* 秋日和 なんて素晴らしいの。この穏やかな透明の蒼空。この天空をのんびりと仰ぎながらも、今世界を巻き込 み、始まろうとしている諸々が現実か と胸が痛くなります。
 友人からのお便り、海外でご主人の会議中に同時多発テロの報があり、その場にいたジャーナリストから、咄嗟に「日本人のしわざではないのか」と問いかけ られて、ビクリとしたとの事です。どこの国の、専門が何のジャーナリストかは分かりませんが、多分日本のパールハーバー奇襲攻撃が念頭にあったのではない かと、私は勝手に想像します、が、これは非常に頭に引っ掛かる言葉です。今、日本の立場を混沌と討論するテレビ放映を観ながらも、目的であるテロリストへ の攻撃がどんな風に変貌・変質していくのか、先知れずの感があります。

* 老若となく家庭の主婦たちが「発言」し始めている。政府の対応には疑義をもたずにおれず、すでに、自衛隊派遣 に賛成者は半数を割り込み、弾薬等 の輸送には三割ほどの賛成、六割以上の反対結果が報告されている。アメリカがいきり立つのは無理ないと思う、日本の国であんなことが起きていたら国民感情 はいかばかりかと、自然に思う。テロは撲滅したい、ぜひ。だが、次々のテロを誘発する「もぐら叩き」の撲滅ごっこでは、不安だけが残る。「元から断たね ば」の「元」とは何かをアメリカ人は、また同盟国と公言する日本政府は、よく考えるべきだろう。たとえば、終始アメリカの支持支援するイスラエルは、テロ はやらない国なのか、ほんとうに。報復という名のテロの常習国と言えるかも知れないのに、論議の対象外にされている。
 ま、わたしの実感では、いま、アメリカへ直接ものを言うのは、すこし遠すぎる気がする。小泉内閣に対して言わねばならぬ。世論で政権についた内閣であ る、世論を起こし拡げるために、インターネットを利用しない手はない。考え込んでいるときではない、メールの使える者なら誰にでも「出来ること」はあるの だ。
 それにしてももう少し簡潔な声明文が欲しい。

* いまこの器械でお気に入りのCDを聴きながら、書いていた。お気に入りなのだが、だが、なんとどの一曲一曲 が、もの哀しいメロディであり歌詞で あるのかと、少々腹も立ってくる。挙げてみようか、森繁久弥のうたう「城ヶ島の雨」小沢昭一の「美しき天然」美空ひばりの「出船」森繁久弥の「ゴンドラの 唄」鮫島有美子の「波浮の港」藤山一郎の「影を慕いて」美空ひばりの「国境の町」高峰三枝子の「湖畔の宿」島倉千代子の「誰か故郷を想わざる」小林旭の 「惜別の唄」近江俊郎の「山小舎の灯」伊藤久弥の「あざみの歌」藤山一郎の「長崎の鐘」岡本敦郎の「さくら貝の歌」美空ひばりの「白い花の咲く頃」二葉あ き子の「水色のワルツ」と並んだ。
 どれもこれも優秀な歌唱で、時代を超えて代表的な名曲というに近いが、まあ、なんとセンチメンタルなのだろう。わずかに、並木路子のうたいあげた「リン ゴの唄」と奈良光枝の「青い山脈」だけが、明るい。そして最後に、いま、美空ひばりの絶唱「川のながれのように」が流れている。これはセンチメンタルでは ない、しみじみと佳い、が、新たな奮起をもとめて刺激してくる歌ではない。わたしのように、もう店じまいをかなり考えながら日々をあくせくしつつ、一方で 生涯を顧みる視野も持っている者の胸には、しみてくる歌であり、歌声であり、歌詞であるというしかない。なんと懐かしい佳い歌だろう、美空ひばりの歌声 も。涙が頬を伝い始める。終った、静かに。
 

* 九月二十四日 月

* 世間は三連休であったらしい。わたしには郵便の来ない日が三日続いたというだけだが。とりたてて言うことの何 もない、珍しいような一日だった。 もっともテレビなど見ていると、アメリカへ下手な尻尾を振りに出掛けた日本の総理のことや、外務省の真紀子大臣蚊帳の外の「いじめ」の噂や、耳の汚れ目の 汚れるはなしばかりで。

* で、チャールズ・チャップリンの「モダン・タイムズ」「犬の生活」を昨日撮って置いたビデオで観た。子どもの 頃、チャップリンといえば、エンタ ツ・アチャコなみの滑稽屋なのだと思っていた。偉大さに感銘を覚えるようになったのは大人になってからだ、まぎれもない天才であり、演技者としても批評家 としても映画の製作者としても比類ない大才能である。スリラーのヒッチコックも楽しませる監督であったけれど、娯楽作の大家。チャップリンの仕事は時代と 渡り合い、ひるむことなく批評し抵抗して譲らない。しかもギスギスしない。弱者への慈悲の視線と姿勢がハッキリ出る。うたれ強い人間の、毅然とした明るさ と温かみとが、映画の表現に魅力的に沈んでいる。藝術家である、偉大な。今日は、それだけで嬉しい。
 

* 九月二十五日 火

* 深夜の読書中から体調不和、ときどき心臓につよい不安感が沸き立ち、今朝、寝覚めがよくなかった。『李清照』 を読み上げた。この大冊を戴いたと き、宋詞の鑑賞に付き合いきれるかどうかと一瞬思ったが、ほとんど、一日も欠かさず読み継いだ、少しずつ少しずつ。それがよかった。原作のすばらしさに加 え、何といっても著者原田憲雄氏の講話そのものが過不足なく美しくて、文藝の冴えに感嘆した。躊躇なく、野間文芸賞に推薦した、小説ではないが、「その 他」として。

* 徳田秋聲の「或売笑婦の話」を読んだ。佳かった。淡々と出始めて、どきりと終わり、大げさでないのに劇的であ り、純文学の優れた興趣をしっかり 表わし得ている。うまく「つくった」話なのだが、散文に妙味と落ち着きとがあり、作り話だけどと思いつつ、ふうんと唸らされる。佳い文学に触れた嬉しい気 持ちと、ほろ苦い生きる寂びしみとに胸打たれる。この胸打たれたのが響いたのだろうか。いまも、胸は安定しない。午後には美術館へなどと思っていたが、無 理か。晩には一つ日比谷で会合がある。朝日子の披露宴会場と同じ場所で、フクザツな気分。
  だが、こんな嬉しい便りもある。博士になった弓の射手さんである。

* さて、今回の湖の本はあの懐かしい「虫食い短歌」ではありませんか!嬉しくて、懐かしくて、主人にも読ませて います。「自分が学生の時にこの授 業があったら、きっと選択していたなぁ」などと申しておりました。(主人は私より6期先輩なのです。)
 現在は、二人で楽しく「補習」を受けているところです。講義料、近々納入いたします。一人分で恐縮ですが…。
 そういえば、この3月には* *さんも結婚して* *さんになりました。来年の1月には* *さんが結婚します。みな、名前が変わっても元気にしています。
 夏はあんなに暑かったのに、ちゃんと季節は巡って秋がやってくるのだなぁ、と感心しながら風邪を引きかけています。先生は、どうぞお気を付けくださいま せ。

* 『青春短歌大学』は殊に読みたかった、有り難いと、ペン理事の関川夏央氏、術後をおして、ハガキを。嬉しいこ と。馬場一雄先生、春名好重先生、 巖谷大四氏、坂本忠雄氏ら、もういろいろに有り難い返信が届き始めている。だが、中には九十四歳の石久保豊さんが静岡の病院でほぼ寝たきりの暮らしになっ た、「さようなら」と、切ない便り。笠原伸夫氏も七十で日大が定年と。七十定年とは、さぞシンドイことであったろう。私立大学は定年を長くして教授陣の 「名前」を引っ張り寄せているようだが、「大学」に活気と刺激の失せている大きな一原因でもあろう、実は。東工大は東大とともに唯二校だけ、六十歳定年 だった、わたしのいたあの頃は。たった四年の勤務だったが、十分だ。
 定年からもう六年近いが、メールで連絡が取れて気持ちの通うかつての学生が、今も七十人もいる。みな、娘や息子のようなもの、やがて孫たちの便りもます ます増えるだろう。

* 松坂市で、給食に牛肉を使うのをやめたそうです。肉で有名な松坂がと驚きました。雪印騒ぎから変わらないパ ニック。怖い、買わない、食べない、 ではなく、そういう考え方で口に入るものを作っている人こそ、怖い。草食動物を肉食にして、共食いさせる。それも市場に出せない病気の肉や骨を食べさせ て…。ペットに、そんな食事させますか。動物ではなくモノとしか思っていない。こんな事を考えついた人、賛同した人、作った人、売った人、使った人を救う 方が先決らしい。

* 皮肉な「救う」が利いている。囀雀さんの囀り、(或いは囀り雀の身近にいる呟き雀さんかも。)冴えている。

* 今は昔のはなしだが、ひとと歩いていて、路上に汚物があった。わたしは、黙ってひとを庇うように通り過ぎた。 通り過ぎたところでそのひとが、 「きたないわね」と言い、わたしは、黙っていてほしかった。きたないと聞いたばかりに、きたなさにまともに襲われた。言うて詮無いことは言わない方がい い。だが、それも、ものにより、ことにより、ひとによる。三猿で済まされぬこともある。言わずに済むことは言わない。潔い。ぜひ言いたいのなら黙らぬ方が いい。
 

* 九月二十五日 つづき

* 猪瀬直樹の出版記念会(励ます会)が帝国ホテルであるというので、行く気でいた。昼間から出て、上野辺をま わってと思案していたが、朝からの体 不調で昼間はとりやめ、晩には出てゆこうと思っていたが、心身大儀でとりやめた。帝国ホテルの光の間というのは、娘の結婚披露宴の会場だったところで、往 時に触れるのもイヤではあった。
 谷崎夫人も藤平春男氏も尾崎秀樹氏も森田久男先生も亡くなられた。
 離婚の経験のある谷崎夫人を新婦側主賓におくとは非常識なと、人に罵倒されたとき、正直のところわたしは虚をつか れ、じつにイヤな気がした。およそそのようなことは、考えたこともなかった。谷崎文学とわたしと、谷崎夫人と我が家と、の縁は知る人ぞ知る、深いものが あった。まして娘を孫のように愛して、自ら何度も身をはたらかせて朝日子を本人熱望のサントリー美術館学芸部に就職させてくださったのも谷崎夫人であっ た。離婚も再婚もそれが何だというのか、松子夫人あって昭和の谷崎は名作の山をつみ、二人は添い遂げて、夫君没後も夫人が谷崎文学のために奔命されたこと は、まさに知る人はよく知っている。
 よそう。

* 『青春短歌大学』ありがとうございました。ハードカバーでも持っていますが、湖の本で手にすると、また違った 思いがします。封を切り、「青春短 歌大学」の文字を見たときに、ああ、もうそんな昔のことなのか、と、思いました。
 本日の私語の刻に、
 言うて詮無いことは言わない方がいい。だが、それも、ものにより、ことにより、ひとによる。三猿で済まされぬこともある。言わずに済むことは言わない。 潔い。ぜひ言いたいのなら黙らぬ方がいい。
 とあるのを読みました。
 最近、同じことを考えていました。ビジネスの現場はわかりませんが、いまだ、多くのシーンでは沈黙は金であろうと思います。でも、伝えたいことは言葉に しなくてはならない。土曜に見た芝居のテーマは、「語られなくなった言葉」でした。それもあって、口に「する/しない」言葉について、少し考えていまし た。

* いろんな場所でいろんな人が、若い人はことにこの問題に立ち止まらされる。京都のものは、なるべく口は利く な、肝心なことほどものを言うなと、 暗黙に認め合っていて、わたしなどは、根からはみ出しものであった。「あんたは、非常識だ、口を慎しめ」と、婿殿をはじめ何度も言われてきたが、そういう 相手が、たいがい鼻持ちのならない俗物ばかりであったのがナサケナイのである。

* 『青春短歌大学』を読みふけりました。こういう素晴らしいものを読ませていただけることを嬉しく思います。あ りがとうございました。
 それにしても私はとても「短歌大学」の単位はいただけそうになく、ときに悔しくて、あーっと声をあげたりしました。井上靖さんの詩の音読といい、「表現 の完成」といい、なんという優れた授業をなさったのでしょう。また秦さんの解説がよくて、最後まで一気に(ではなく、実は穴が埋められなくてつっかえつっ かえ)読みました。
 面白い、ということのほかに、これしかない、という激しい一字が表れたときの肅然とした思い、これこそ詩人の魂だと感じる瞬間を幾度も経験できたのは本 当に望外の幸せでした。
 たとえば土岐善麿の「ひとりの(名)」。この強さ。(春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり)
 面白くて笑ってしまったのは、たとえば柏木茂の、「悔いなく(君)を愛してしまへり」。「人」や「妻」「友」で、秦さんが、「なにを考えているのか」と おっしゃるのがおかしくて。(雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり)
 日本語の奥の深さを改めて思うと同時に、言葉はたくさんあるようで、ときに、どうしてもこれでなくてはならないという場や状況があり、文学は、それを追 求するものでもあろうか、と感じました。

* 井上靖は、薄暮とか黄昏とかいう言葉より、夕暮れとか夕方という言葉が好きだと言い、そうも書いていた。その わりに井上さんは薄暮・黄昏ふうの 漢語もふんだんに駆使した小説家で詩人であった。「言葉はたくさんあるようで、ときに、どうしてもこれでなくてはならないという場や状況があり、文学は、 それを追求するものでもあろうか」が、その答えなのである。より適切な、出来る限りはもうそれ以外にない言葉の発見で、自分の表現を磨き上げてゆく営為。 通俗小説には決定的にそれの欠けた例が多く、よほどの大家の作品でも、殆どがいいかげんである。多くの読者がそれに気づかない。

* 『青春短歌大学』拝読しております。
 谷崎の娘の無心に応える歌が自作の「芦刈」よりも謡曲の「芦刈」をふまえているようで、その妙味に感心したり、毎日いろいろなところを開いては、クイズ を楽しむように考えております。
 人生の経験の中で、作者の心情をたどってゆけば、自然に解ける歌もあれば、それだけでは絶対に解けない歌もところどころにあり、そのたびに巖にぶち当っ たような気がします。
 (例) 起き出でて夜の便器を洗ふなり水冷えて人の( )を流せよ  斎藤史
 どうしても解けず、答を見てそうかと思い、再び「作者」の名を見て、この人ならば、と思いました。
 ゆっくりたのしませていただきます。
 

* 九月二十六日 水

* 松茸が採れ始め、すき焼きの季節になりました。名張のギフトに「松茸&伊賀牛」がありますが、今年は 狂牛病と聞いただけで牛肉を食べる 気がしなくなるンですって。
 一頭の病気の牛よりも、大規模経営(農・酪・漁)の中で行われている、病気が出ないようにする方法を聞くほうが、よほど食べる気が失せます。
 アメリカで農薬散布に待ったがかけられていますが、これで病気や害虫が発生して不作になれば、遺伝子操作が正当化されそう。薬品で燻蒸してても農薬漬け でもいい、大豆やとうもろこしを輸出してほしいと日本は言うことになるでしょうね。

* アメリカ映画は、原住民、軍事独裁者、共産主義、金儲けアジアと次々に敵を拵え、ヒーローを生んできました。
 「狂信者」相手にアメリカの完全勝利を描く今回のシナリオのラストシーンは、きっと大統領演説。10年前の失敗から、今回の敵は誰も反論できないテロに 設定し、種を蒔き攻撃させる。生中継の衝撃映像が世界の同情と感情の一致を簡単に短時間で得させ、国民の団結と大統領支持も一気に得ます。
 「悪い事は全てあいつがやったんだ。俺が退治したんだぞ!」と称賛を浴びたいアメリカは、「泣いた赤鬼」。
 アメリカこそが正義であり、力と言う。神の代理という気でいるのは、双方同じ。

* シビアな、剔りの利いた意見が次々にメールで届いている。

*  林芙美子という作家にはほとんど出会いがなかった。有名な『放浪記』もしらない。映画で「浮雲」を、「めし」を、観た記憶がある。なかみは忘れている。そ ういえば、最近「歴史小説」の特集で一つ読んだが、いいものではなかった。駄作であった。
 わたしが高校の頃に、林芙美子は亡くなった。源氏や谷崎や短歌に打ち込んでいた頃で、芙美子の死はよそごとだった。「清貧の書」「晩菊」の二編からえら んで電子文藝館にならべたい。著作権は切れている。

* 岡本かの子は幾つか読んで、それぞれに感じ取れた、評価できたという記憶がある。「川明り」「老妓抄」など、 優れていると思った。その辺で選び たい。著作権は切れている。

* 電子文藝館に、現会員から作品が入るのは、しばらく様子眺めをしてからになるだろう。現に活動している人は、 気疎いことであろう。物故会員から の優れた作品を入れ続けてゆくと、水準の高い近代日本文学のライブラリーになり、サンプル館になる。わたしは、心の底でそういうのをむしろ望んできたか ら、一つまた一つと可能なところから優作、秀作とともに優れた文学者の名前を文藝館に刻んで行きたい。雪の静かに降り積むように。いつか気がつくと真珠や 宝石の箱になっているように。

* 午後、俳優座の招き、今月は「坊っちゃん」を観に行く。以前に、浜畑賢吉らのミュージカルを楽しんだことがあ る。俳優座がどう演じるか。
 

* 九月二十六日 つづき

* 福田善之脚本・演出の俳優座公演「坊ちゃん」は、緊密な仕上がりに欠けた、駄作であった。あれやこれやと工夫 しているのに、一つ一つがこうるさ く、こまぎれのちゃちな印象で、ドラマが豊かにうねって流れない。盛り上がらない。俳優たちが元気に生き生きと演技すればするほど、その元気が、ストレー トに客席に浸透せず、客席には退屈感や、なんだこれはという、ばからしさや、あくびや、居眠りまで。
 今回に限って、俳優たちには、概ね文句のつけようがない。坊ちゃん役が、もうすこしセリフを隅々まで大切に発声してくれればと思うが、感じのいい青年 で。ああこの青年を「私」に、加藤剛が自らあの「心-わが愛」を演出してくれるといいのにと思っていた。加藤には演出の機会が有っていいのではないか、も う。
 村上博の「うらなり」がよかった。この俳優には、ぴたりの名作が与えられないものか、あまりに惜しい大きな素材。児玉泰次の「のだいこ」が乗って盛んに 囃していたし、武正の「赤シャツ」も、そこそこ。マドンナ役には、さほど光るものを感じなかったが、この舞台のために創られたという藝者「春奴」の早野か ほりが、例の如く可愛らしくはしゃいで見せた。松坂慶子のような魅力的な女優になって欲しい。
 とにかく俳優たちに文句はないが、福田の作と演出は、今回に限ってと言って置くけれど、おそまつであった。
 その理由は何であろうと考え、あとで、半藤一利との対談を読んでいて、これだと思った。福田は、なんとかこの芝居で、「坊ちゃん」文学に対する新解釈を 表現したいと腐心しすぎ、それに足をとられ、それの自画自賛で己れを見失い、舞台への貢献がストップしてしまった。文学の批評家・鑑賞家になってしまい、 戯曲が、こまぎれ場面の生硬なつぎはぎなら、演出には流露感も力動感もなく、お粗末な舞台転換の連続で、客を、少なくもわたしを(わたしの隣の男性客は天 井を仰いで寝入っていたが。)しらけさせ、退屈させた。
 盛んに、漱石の俳句を字幕で流して見せた、が、それらの俳句がまた佳いのだ。だが好ければ好いほど、舞台の方がまるでその俳句一つ一つの説明というか、 喩えが逆さまだがまるで「まんが」の吹き出しになってしまい、本末転倒。
 わるいところは沢山、好いところは少なく、坊ちゃんの荷物の中から嫂の衣裳を持ち出して、夏目漱石が松山中学に流れていった理由付けにしたあたりが、確 かに一つのアクセントになっていたが、それは、「漱石論」をやって演劇の「坊ちゃん」に利しただけの、漱石読者にはしらじらしい思いつきを出なかった。福 田の頭が、舞台や俳優よりも、漱石論や漱石文献の方を向いていては、ちぐはぐものの出来るのは無理がない。
 以前、浜畑賢吉らのミュージカルで「坊ちゃん」を観たときは、オペラセンターの中舞台が沸騰していた。今日のミュージカルでは、俳優たちが元気すぎるほ ど歌って踊っていたのに、それが「音楽」のよろこばしさを感じさせてくれず、ひどい騒がしさになってしまっていた。「音の楽」しさが客席へ美しく流れ込ま ずに、やたら騒がしく降りかかってきた。これも俳優たちの咎でなく、どこかに演出の不行届きがあったのであろうと、今日のわたしは不機嫌そのものであっ た。八回ほどあくびをかみ殺した。音のしない拍手しか出来なかった。

* 大江戸線で六本木へ入り、始まるまで劇場の裏の角店の喫茶店で、卵サンドイッチの昼飯。舞台がはねてからは、 日比谷線で日比谷に下車し、毎度の 「日比谷東天紅」で、早めの夕食。マオタイと花彫の紹興酒をゆっくり飲んだ。この店の中華料理は安心して食べられる。月餅を二つ買ったら、胡麻をふった クッキーを一袋おまけに呉れた。日比谷街に気をそそる映画もなく、帝国ホテルのクラブでそれ以上飲む気なく、丸の内線と西武線とで、さっさと保谷に帰っ た。地下鉄や西武線では、三原誠夫人に返却する本で、「愛は光うすく」という長篇を読み続け、ぜんぶ、読み上げてしまった。ついでに、写真入りの読みやす い「方丈記」を、すこぶる新鮮な気分で読み始めていた。そして、保谷では「ぺると」のコーヒーを一杯。

* from札幌・hatakさん
 先週は、前年より17日早く大雪山系に初冠雪、週末は峠にも雪が降りました。今日の札幌は快晴。空気の透明度が高く、スーッと陽が射しこんできます。モ ントリオール、エジンバラ、高緯度地域に位置する街は、ときおりこういう光景を見せてくれます。
 三連休も、実験植物の世話で遠出もままならず、札幌で過ごしていましたが、小さなお茶の会によばれ、一〇三歳立花大亀翁のほのぼのとした横ものに見入っ たり、峠越えのドライブで高原に半日を遊び、童心に還ったりしておりました。
 『青春短歌大学』を玄関先で開封し、ぱらぱら立ち読みしていたら、そのまま小一時間経ってしまいました。時を忘れる本ですね。あぶないあぶない・・・。
 湖の本、東工大の講義、このホームページ、そして電子文藝館。次から次へと湧きいずるアイディアと、それを実現される力にただ感嘆するばかり。オリジナ リティー・プライオリティーが命の研究者としては、何を食べたらこういう発想が出るのかな?と羨んでしまいます(美味しそうなメニューが闇に言い置かれて いることもありますが)。
 「大規模経営(農・酪・漁)の中で行われている、病気が出ないようにする方法を聞くほうが、よほど食べる気が失せます。アメリカで農薬散布に待ったがか けられていますが、これで病気や害虫が発生して不作になれば、遺伝子操作が正当化されそう。薬品で燻蒸してても農薬漬けでもいい、大豆やとうもろこしを輸 出してほしいと日本は言うことになるでしょうね。」との、ご意見。植物病理学研究者として傾聴しました。
 一番安全な食品はやはり国産ですが、一億人の胃袋を養う農家のほとんどが、高齢者。この足腰の弱さでは、ヨーロッパなどで制度化されている有機栽培など できません。農業も一番大切なのは人づくりなのですがねぇ・・・。
 お礼かたがた、近況お知らせしました。心臓に優しくしてあげてください。 maokat

* ありがとう。

* 野島善勝氏、佐伯彰一氏、鈴木栄先生らの便りがたくさん。中には、学部の頃からの恋をはぐくみ続けて、ちかぢ かの結婚をよろこばしく告げてきて くれた女性も。二人とも、よく知っている。二人ともに会っているし、二人とも湖の本を買ってくれている。「結婚したら湖の本は二人でシェアすることになり ますねえ」と書いている。けっこうですとも。結婚するときは必ず報せますと最後の授業の日のアイサツに書いてくれていた。
 

* 九月二十六日 つづきの続き

* 何かこの器械=親機に重大な事故が起きていると見える。インターネットエキスプローラが利かなくなり、子機の ノートでは、ネットワークがすべて 働かず、インターネットもメールも、また困ったことにホームページも使えなくなっている。子機は、かなりの機能を失っている感じ。ADSLが崩れている。 ネットワークしていない。原因はわたしには分からない。まだ親機はとにかくインターネットがネットスケープで使えているが、へたをすると、器械そのものが 壊滅状態に成るかも知れない。可能なかぎりMOに避難しておくが、メールや「闇に言い置く私語の刻」が途絶えたり消滅したときは、よくよくの事態に嵌って いるものと思って欲しい。Firewallは建てたつもりであったが、それでも何かに侵略されたのか、単に故障か。分からない。
 

* 九月二十七日 木

* この親機ひとつで、はらはらしながら作業中。器械が、スクリーンの向こう側で何を考えて、どうわたしのことを 眺めているのか、察しもつかぬ。器 械の思惑などすとんと落として、平静に現状を維持して続けて行けるように気を持ち直している。成るように成るものだ。

* 秦先生お元気でお過ごしでしょうか。私の方は、とうとうスペインへの修行を決意しました。
 8月末にやっと会社をやめ、現在は留学の手続きとスペイン語、スペイン文化、起業の知識などの勉強中です。
 渡西予定としては、11月3日成田発となっております。11月5日からスペイン語学校の授業が始まるので、まずはゆるゆると起業のネタを探してきます。
 計画は1年間で、最初の4ヶ月間はマドリードの西200kmほどにある地方都市サラマンカにて滞在、その後は南のアンダルシア地方のどこかの都市(おそ らくグラナダ、セビーリャ、マラガのどこか)に残りの期間滞在することになるでしょう。
 帰ってきてからは、見つかった起業のネタにもよりますが、共同経営者になる人間と、私の資産、知識、ノウハウなどにより、しばらくは関係企業に就職する 可能性が高いと思います。ま、人生どうなるか分かりません。だから楽しいわけですが。
 もし、秦先生がスペインに来る機会があれば、ご連絡ください。ホテルの予約と観光案内程度ならできるようになっていると思います。
 お身体にはくれぐれもお気を付け下さい。

* 生きているだから逃げては卑怯とぞ(  )(  )を追わぬも卑怯のひとつ  大島史洋  という出題に、東工大の、総じて千人ほどの解答のなかで、原作とはちがうが明晰に「自分」と書き込み、気持ちよ い挨拶を返してくれた院卒の元学生君。とても気持ちのいい青年だった。けれんなく自分自身を追って、人生の闘いへ鹿島立ち、幸あれと祈る。

* 秋らしくなったかと思いましたのに、ここ二・三日は、汗ばむほどです。そのせいかどうか、風邪が流行っている ようです。
 ご本ありがとうございました。虫食い短歌は愉しいけれど、難しくて、頭を悩ませては、う?ん…。
 狂牛病のニュースが毎日報道されて、お客様が激減し、状況は最悪に。不況に追い討ちをかけるような、現状がこのまま続けばどうなるのかと不安になります が、流れに身をまかせるしかないと。農水省などの確たる報道がなされて欲しいものです。いいかげんな調査、翻る事実に、人々の不安は増すばかり。きちんと 説明するとお客様は安心してくださるのですから。
 テロ関係にも、心配は膨らんでいます。二男はいま**の部隊で、調理関係の教育実習中です。修了すれば乗船勤務の可能性もあり、母としてはやはりね。希 望すれば、元の勤務先に復帰もできるらしいとのことで、「帰っておいで!」とコールしています。
  小泉発言に対する米国の思惑。日本の考えの甘さは今に始まったことではないけれど、巻き込まれれる渦の大きさを見落としているような気がしてなりません。
 機械の調子が悪いとのこと。大事にいたらねばよろしいのですが、そのことでお体に負担が増大するのではと、そのことが心配です。どうぞ、くれぐれもご無 理はなさいませぬように。

* 政治や政策が、まさしく一人一人の市民の日々に暗影を落としている。アメリカへの一将功成って、日本の市民に ただ万斛の涙を強いることなかれ。

* 「僕の味方しない奴はみんなテロだ」とか、無茶苦茶言って。でもそれが星条旗の波と「USA」の大合唱と、 90%の支持率になったンですもの ね。
 だいたい大統領選から胡散臭かったじゃない。支持されたくって「強いアメリカ」ってばかり言って、国際会議でわがまま勝手して。強くなければオトコじゃ ないなンて、今時ふッる?。お坊ちゃんの見栄とファザコンで戦争すンのよ。大統領の才能も器もないわ。
 「味方してくれたらお金をやる。いやだって言ったら苛めるからな」の、小学生並み。ワシントンへ駆け付けた順番と、何をしたかを細かく閻魔帳に書いとい て、後々、ねちッこォく苛めンのよぉ。呟雀

* この批評、まさに、しかり。新手の雀さんが増えたようで、批評合わせの様相、歓迎。囀、呟の両「雀」さん、二 人とも器械の都合で長く書けない。 そこが、またいい。器械には長く書いてしまうという悪しき誘いがあるから。

* 辞める辞めない辞められない=星野、野村、長嶋。
 おはようございます。昨夜は近鉄戦と中日戦をTV観戦。3点負けてる9回裏。ランナー2人、代打逆転サヨナラ満塁ホームラン、見ました! 近鉄ファンではないけれど、それまで中継を見ていたから、なおのこと感激。諦めない、前向きで元気で、最後は笑顔が弾ける、こういう生中継こそ見たいの よ。
 琴光喜の、優勝パレードの自粛。武蔵丸なら分かるけど、かわいそうだわ。車の上で撮影だけしたと聞いて、もっとかわいそう。愛知県出身力士の優勝は玉の 海以来、もし大関になれば、東海では双羽黒以来と報道され、なンか、前途暗そうで余計かわいそう。囀雀

* こっちの雀さんも、批評厳粛。同感。夏目漱石は、明治天皇の亡くなったとき、こどもたちと鎌倉の海へ遊びに 行っている。隅田川の花火が中止に なったり、音曲が停止になったり、それにも、余計な無慈悲だと日記に書いている。まして、琴光喜の嬉しい初優勝のパレードを自粛してアメリカ人が喜ぶとで も言うのか。過剰反応である。こういうところが、日本人はひ弱いというか、何というか。
 

* 九月二十七日 つづき

* 小泉総理は正義の闘士に没入気味の演戯ぶりだが、どう理屈をこねても間違った方角へ走っている。
 もしアメリカから、日本は「独自の立場で貢献してくれ」とでもいわれたら、ハッとして青ざめるようなアメリカべったりのことを、トクトクと演説してい る。日本の国民はみなが望んでいる、「日本らしい独自の協力の仕方」を選択して欲しいのだと。
 「ああ、あの国民の九割が支持を与えた内閣の時に、われわれの日本は悲劇の第二幕をあげていたのだ」と、後世は恐らく嘆くであろう。何故かなら、小泉の 姿勢は、挙げて「盟友ブッシュないしアメリカ」に忠実でこそあれ、日本の安全と国民の安寧は二の次にしているし、日本の憲法に対し、遵守と尊重の誠意をか なぐり捨てているから。
 言い換えれば、小泉とその仲間たちは、このテロ事件をして、奇貨おくべしとばかり、「憲法のねじ曲げ」と再度「軍国日本への、つまり靖国思想日本への、 強引な回れ右」を敢行する、絶好機としか見ていないのだから。小泉らの真意は、テロでもアメリカでもない、この際に、「戦争の出来る日本」へ立ち返ろうと いうのだ。同調している民主党の、国と国民とに対して犯そうとしている罪も大きい。

* もう一度、朝の「呟雀」さんのメールを読みたくなった。

* 「僕の味方しない奴はみんなテロだ」とか、無茶苦茶言って。でもそれが星条旗の波と「USA」の大合唱と、 90%の支持率になったンですもの ね。
 だいたい大統領選から胡散臭かったじゃない。支持されたくって「強いアメリカ」ってばかり言って、国際会議でわがまま勝手して。強くなければオトコじゃ ないなンて、今時ふッる?。お坊ちゃんの見栄とファザコンで戦争すンのよ。大統領の才能も器もないわ。
 「味方してくれたらお金をやる。いやだって言ったら苛めるからな」の、小学生並み。ワシントンへ駆け付けた順番と、何をしたかを細かく閻魔帳に書いとい て、後々、ねちッこォく苛めンのよぉ。

* そんなブッシュにキャンプ・デービッドで歓待されたのが、よほど嬉しかったか、小泉のあの尻尾を振った子犬の ような張り切りよう、知性も何も感 じられない。あれが正体かと、支持率はつるべ落としに落ちるであろう、わたしは、田中真紀子に辞めるなと言いたかったが、今は決然と外務大臣の地位を蹴る ときである。

* 『青春短歌大学』お送りいただきありがとうございました。ちょうど虫食い短歌の本が欲しいなあと思っていたと ころに届いた湖の本でした。秦さん の虫食い短歌のお蔭で、歌が身近なものになってきました。慌だしい毎日のさ中、立ち止まり、歌の空欄に入る語を思いめぐらして、切なかったり、悲しかった り、涙したり。
 今日が終わると、また明日。時の経つのは早く、わたしは相変わらずです。進歩のない自分から目をそらすことはできず、ちょっとずつでも前へ進もうと、沈 みがちな気持ちをなんとか奮い立たせています。歌が身にしみます。ゆっくり読んでいこうと思います。一語一語に向き合って。
 どうか、おからだを大切に。

* マイクロソフトの関連会社バウングローバル社から、英文和文の契約書を添えて、この、わたしの「ホームペー ジ」全体を、日本語研究のために全面 的に自由に使わせてもらえないかと申し出てきた。日本語を「CORPUS」として徹底的に解剖分解しながら、日本語の成り立つ語法や語彙の特徴を検討しよ うというらしいが、「CORPUS=屍体」とは、すさまじい。なるほど、そういう「ことば」をミンチにすりつぶすようにしながら言語の味を探ろうという材 料観的な方法論は成り立つであろうが、それにしても謂いも謂うたもので、驚いた。むろん文書をもっと丁寧に読んでみようと思っているし、仲間や専門家の意 見も聴こうと思うが、現段階の第一感でわたしは、一切「承諾しない」と返事してある。

* 林芙美子の「晩菊」と「清貧の書」のどっちを採ればいいか、迷っている。「晩菊」は題のようにしおらしいもの ではない、六十近い芸者崩れが昔の 男の一人と会っている、すさまじい心理の葛藤。文学的には優れているが、同じ女でも徳田秋聲の「或売笑婦の話」には落ち着いた冴えとリアリティーがある。 芙美子の「晩菊」はリアルであるが、胸を深く打つリアリティーはない。地獄繪のようである。「清貧の書」は夫婦もので、散文の緊密度では「晩菊」に劣るだ ろうが、あはれがある。あはれが感じられる。文学をもし「藝」の一点で測れば「晩菊」の肉薄は優れているが、もののあはれが微塵もないので、カタルシスも ない。そこに疑問が湧いてくる。材料が荒んでいるからではない。作者の心が荒んでいるのだ。もっと汚らしい話材ものでも、もののあはれが作品を質実に高め て深めるということはある。冴えて静かな光るものがある。林芙美子は「晩菊」で、それをどこかにかなぐり捨てている。それが凄いという人もいる。「凄い」 とは、心に鬼の蠢いて在るという意味だ。日常会話で「凄い」「凄い」というなと、昔、えらい人がきっちり指摘されていた。
 

* 九月二十八日 金

* 昨日、小学館古典の「近世説美少年録」最終巻が届き、読み始めて、ひどく夜更かししてしまった。眠りが浅く、 黒いマゴに足先を噛まれて起こさ れ、外へ出してやり、そのまま起きてしまった。
 一昨夜から息子が来て、昨夜のうちに戻っていった。どんな仕事をしているのやら、よく分からない。一頃より寡黙に、仕事に追われながらなかなか稔りを上 げるのに苦労している感じ。今度は、今度はと、仕事について次々を聞かれるのは、うるさくもありシンドクもあるのはこの親父に覚えあり、あまり聞くことは しない。
 ほんとうは、仕事をはなれて、今のうちにもう少し実のある話も、切ない話もしておきたいところだが、ま、男同士の親子でそういうことは、出来ないのが相 場と昔から決まっている。井上正一の「亡き父をこの夜はおもふ(話)すほどのことなけれど酒など共にのみたし」という短歌を初めて読んだとき、思わず天を 仰いだ。わたしは、実父とは生涯二面のみ、二度目は死に顔であった。養父は酒は飲めなかった。実のある話もあまりしないで過ぎた。十三回忌を迎えて、骨を 洗うようにいやなものは全部抜け去り、懐かしい気持ちだけが感謝とともにこみあげるが、いかんともしがたい。育ての母にも叔母にも、まったく同じ思いであ る。この器械のデスクトップに、京都の店先で、一歳にならないまるまるした建日子を祖父が椅子坐りの膝にのせ、祖母は脇にしゃがんでいるありありとよく撮 れたモノクローム写真を、いつでも大きく取り出せるようにしてある。父も母も息づかいまで聞えそうによく撮れている。ときどき、じいっと眺めている。
 上の、井上さんの短歌で、虫食いの文字に、「赦」すほどのことなけれど、と入れてきた学生が教室にいて、胸が早鐘のように打ったのを思い出す。何とい う……と思いつつ、こういう子心、あるのだろうな、いや、わたしでもと、複雑な気持ちに思い萎れたものであった。

* 器械の同じ場所に、昔の社宅のベランダで撮った、一つは稚い娘朝日子とうら若い妻との写真、もう一つは一歳頃 の息子建日子と妻との写真も置いて ある。その息子がもう三十三、娘は四十になってしまっている。女盛りの美しかろう娘の三十代を、わたしたち両親はついに一度も見てやれないで来た、同じ東 京都に暮らしながら。
 その代りに、これは断然娘よりも美しい「雪子」ほかの澤口靖子が五枚もデスクトップに隠してある。いつでも逢える。文章と違い、写真というのはなんと 手っ取り早いのだろう。若くて美しかった時代を変らず保存できる、それが映画の魅力と早くも大正半ばに谷崎先生は切言されていた。

* 器械では、選びだした佳い写真だけでなく、インターネットで検索すれば、じつに醜悪をきわめたポルノ写真も、 押し寄せる津波をあびるように、そ の気なら、見られる。そして、不思議なほど何の情動も覚えなくなっている自分に驚いてしまう。「きたねえな」と思いつつ、こういうのも「人間」の姿なんや なあ、赤裸々なんてものが、全部が全部美しいわけではない、秘めたり隠したりしておいた方がよっぽど値打ちものの赤裸々もあるのだと、イヤでも分かる。気 障なことをいえば「不浄観」を行じているようなものである。
 不浄観を、谷崎先生の名作『少将滋幹の母』の新聞連載の昔に、小倉遊亀の挿絵で、読み覚え、見覚えた。新制中学二年生であったか。若く美しい愛妻を権勢 の甥に奪い去られた老耄の公家が、世のはかなさを悟りたいと、日ごと三昧場で腐乱不浄の女の屍に眼をさらすのであった。インターネットのどぎついポルノ写 真は、わたしには、幸か不幸か「そんなもの」としか映らずに、てんで動じない。なんだか不浄観を成就しちまってるような、一抹ナサケナイ行者めく気分なの だが、あれらの猥褻物展示は、しかし、無くせるものなら無くした方が世の為だなという気は、確かにする。だが、無くなるどころか、悪貨は良貨を駆逐して、 増える一方だろう、ティジテルな映像画像のこれが弱点だと謂っていい。どぎつくどぎつくやって行く以外に訴求力はだんだん低下して行くからだ。エロとバイ オレンスとは、どうしてもそうなる。愚かな話だ。北野武の映画でも、もうそのドツボに嵌っていて、気の毒のようなものだ。
 そんなわたしでも、美しい女の裸像には心を惹かれる。蒐集に値するヌード写真があれば、恭しく保存したい気も無くはない。が、まず、インターネット提供 のアダルトものは、とてもとても、お話にならない乱痴気騒ぎ。ADSLなどの繋ぎっぱなしをいいことに、そんなところへ埋没するのは、愚でもあり危険でも ある。あんなのと付き合ってては、若い世代が恋ができず、「付き合う」という言い方の性的関係だけで消耗して行く性風俗の氾濫も無理がない。
 インターネットにも、まぎれなく暗部、恥部があり、困ったことに秘所に隠しておけない。谷崎先生の「陰翳礼讃」とは、もう無理な時代なのかと、ナサケナ イ。

* 小泉さんがアメリカへ呼び出され、見させられた現場と、被害者の家族。あれは、アメリカが見世物として利用し てるの。原爆ドームとは全然違うの よ。
「許せないッ!自衛隊は危険を伴ってでも」。
 思う壺よ。うそくさい熱血をうまく利用されちゃって。はっきり言って、あの瞬間、日米双方の政権政党、「待ってました!」。テロテロテロで、戦争ができ る、死の商人に儲けさせてやれる。おこぼれ頂戴。小泉総理の構造改革って、軍需景気期待の下心なですよ、大化けものです。で、留守宅では、高祖議員を辞め させ、オベッカ法案準備が一気に進んで。アメリカと日本で、「10年前にできなかったことがやれる!」って、嬉々として表舞台へ出てくるヤツらが大勢いる わ。靖国、靖国、靖国。

* おはようございます。昨日のNHK総合の「テントでセッションゲスト:澤村藤十郎」が、国会中継で放送されま せんでした。紀伊国屋の贔屓まで 「敵」にまわしたアメリカは、「多国籍軍で」って言わなくなったの、何で。単独でやれば、他国の上空通過や基地使用で機密を盗んでおいて、アメリカの機密 は漏らさずに、作戦実行も早いわ。11月末迄に勝つつもりじゃないかしら。テロ後の大量の失業者も個人消費の落ち込みも、クリスマスとアメリカの劇的勝利 でお化け景気になるだろ、なんてね。そして「兵糧責め」に凍結してるタリバン資金をみーんな没収すれば、軍事費用を他国や国民に頼らなくて済むのよね。う まい!!。

* 平成落首、これが、いまどき女性たちの逆巻く言論の自由。読みのシンラツ。
 

* 九月二十八日 つづき

* 何のせいだか分からないが、腰の落ちた綿のようにくたくたっと疲れている。今も転ぶように畳の上で二時間近く 寝入ってしまった。血糖値は高くな いし体重も安定している。その割に九月バテが今年は長いのが気になる。
 どのカレンダーも十月に変ろうとしている。去年の今ごろから、無事に新世紀が迎えられるかと妙に緊張していたのをおかしく思い出すが、一年がまるで三塁 に盗塁するように駆け抜けていった。おいおいちょっとゆっくりしろよ言いたいぐらい。

* 昨日今日の二日で、予定の三分の一近く、読者からの便りが来た。竹西寛子さんからも、白川正芳さんからも。九 大の今西祐一郎さんはメールで。人 によりいろんな出題歌を挙げて感想を書かれてある。それがいかにもその人らしいので嬉しくなり、うんうんと頷いている。冨小路禎子、前田夕暮、土岐善麿、 斎藤史、野地千鶴、清水房雄、畔上知時、柏木茂、谷崎潤一郎、大西民子らの作の挙げて語られていたのが面白い。

* 土佐へ出張していた人が、土佐から土佐鶴を送りましたよとメール。そういえば、ここしばらく家に日本酒が絶え ていた、意識して置かなかった。白 玉の歯にしむ土佐の清酒が届くとは、ありがたい。以前なら二日か三日で飲み干した一升瓶だが、せめて五日にのばして嬉しく楽しもう、糖尿人には明らかに毒 と承知しながら。

* 徳田秋聲作「或売笑婦の話」のスキャン稿を校正しているが、作業がうれしくなるほど、気持ちのいい作品で、清 涼剤を口に含み含みいる心地がす る。優れた作品というのは、散文それ自体の魅力で思いを深くも清くもしてくれる。もとより秋聲の散文は近代の諸作家のなかでも抜群なのだから当たり前であ るが、その抜群の魅力を味読するのが今日では容易でないかも知れない。酒のようなとも清水のようなとも謂わない。へんな言葉だが素水のような味わいなので ある。淡々として、薄くはない。水くさくない。水の味なのである、はっきりとした。その点では志賀直哉の散文よりも優れているところがある。直哉は表現の 意識がある。秋聲はそれにもとらわれない。叙事叙述に徹していて、それがだがなまじの表現よりも無駄なく的確で味わい深い。この作品では、名もない「売笑 婦」の人間が美しいまでよく書けている。胸が温まり、そして堪らなく寂しくもある。今日一日の塵労ににた疲れの癒えた気がする。

* 映画「リーサル・ウェポン4」をビデオ撮りしながら観ているとき、映画と関係なくなんだかわたしは哀しい、 引っ込んだ気持ちであった。映画は十 二分に面白かったのに。なのに、湯に入り、機械の前に戻り、秋聲を一字一句読んでいるうちに、そんな晴れ晴れするのがおかしい内容の小説なのに、わたしは 救い出されていた。ほとんど、黒いピンが抜けて温かい野に身を憩わせている気分になれていた。ほんものの藝術の徳というものか。
 

* 九月二十九日 土

* 観世栄夫の新作能を観に行く。韓国での公演の前公演のようである。強制連行の悲劇に取材しているという。栄夫 さんの意気ごみをじっと観てこよ う。

* 「近世説美少年録」は長大作。同じ古典全集で平家物語が全二巻、これは全三巻。出始めは壮大な神話的といえそ うに不可思議に活躍した物語であっ たが、しだいに講談調の世話ががったくだくだしい話になり、それが、まだ続いているから多少辟易ぎみに読み進んでいる。背景に、いや下敷きに、毛利元就と 陶晴賢との葛藤があるらしい、が、そこまでは行かずに、中断の長篇と謂うからタマラナイが、ま、読み終えてしまおう。作者馬琴の詞藻の、博大に豊饒である ことだけは、大いに大いに楽しめるので。

* 政府の有識者会議が、「高齢期を迎える団塊の世代が、社会への貢献を続けられるよう、自立支援を行うように」 と報告したらしいです。
 政府への貢献って、「医療費使わず、介護・施設の世話にならず、長々年金受け取らず、行政に迷惑かけず、消費はばんばん」って、事かしら? 肩たたきや リストラ停年がこんなに早く来ると、政府は思ってもなかったでしょ? 当事者はもっとそうよ。年金給付までがこう長くては、景気浮揚に協力したくてもできないの。団塊の世代に生まれた夫は、「人件費が安くて、素直で、体力が あった20?30代にもてはやされたほかは、たいてい迷惑がられてるよ」ですって。

* 知性の声というものでは、ないか。

 
 九月二十九日 つづき

* 多田富雄作、観世栄夫主演の新作能「望恨歌」は、栄夫の名演で光った舞台になった。いわば老女ものであるが、 栄夫さんは、このところ「檜垣」な ど老女を力充ちて演じてきた、延長上で、この哀しい朝鮮の老女をみごとに演じられた。
 新婚の愛妻をのこして九州に強制連行され、過酷な炭坑で死んでいた朝鮮人李東人の、愛妻に宛てた手紙が、同様に多く死んでいた人達の遺品の中からみつか り、彼らを供養の一寺を建立していた日本僧は、その手紙を、今も存命と伝え聞いた李東人の妻のもとへ海を越えて届けるのである。七十余、今も悲しみに堪え て夫を忘れがたい老女は、夫の自分に宛てた手紙をみて泣き伏す。そして、請われて恨(ハン)の舞を舞うのである。
 栄夫さんの老女は、みごとというほかない名演であった。彼と仲間たちはこの能を韓国で演じたいという望みを抱いている。ぜひ成功して欲しい。
 老女は、最後に、この恨み忘れまじと呻く。日本の僧はこの思い忘れまじと応える。思わず泣かせた。帰ってゆく僧を老女は袖を振って見送り、またもとの陋 屋に沈み込む。佳い能であった。
 こういう真実は、たとえば小泉総理の脳裏には生きているだろうかと強く強く疑わざるをえない。彼の、いろいろなこの度の反応や行為には、この李東人や、 死なれて老いて夫を今も愛し日本を恨んでいる老女らの、この哀切な愛の照り返しが、まったく感じられない。彼小泉純一郎は、個人・私人としての、人を、身 内を、切実にかつて愛した経験のまるで無い男なのではなかろうかと、疑っている。家庭を持ち得ない男、息子たちとでもあのようにしか、パフォーマンスの相 手としてしかつきあえない、奇態に不具的精神の持ち主。

* 能楽堂で、珍しく取り巻きの一人もいない馬場あき子と会い、開演前のしばらくを談笑できた。めずらしいことで あった。たいがい、いろんな人が彼 女を取り囲んでいるのだが。
 栄夫夫人の恵美子さんとも久しぶりに、すこし時間をとって挨拶が出来た。さすがに、すこし老けられたが、昔のままのシャイな、また丁寧なお人であった。 懐かしかった。谷崎松子さんのことも、胸の痛むほど懐かしく思い出された。

* 和食の店を訪れて、日本酒と、ワインと、今日新着の無一物という焼酎とを、少しずつ堪能した。刺身と土瓶蒸し と焼き物は、いつものわたしの好物 で。幸せなひとときであった。ここで「方丈記」を読み終えた。梅原猛さんと八代目清水六兵衛氏との対談も読んだ。「望恨歌」の謡曲台本も静かな気持ちでも う一度読み返した。

* 秦先生 「湖の本」お送りいただきまして、ありがとうございました。お礼が遅くなってしまいましたが、本の方 は到着直後の夜に、お気に入りのス プマンテをちびちびやりながら、最後まで飲み干して・・・ではなく、読み干してしまいました。ハードでも買わせて頂いたのですけれど、やはりあの手軽なし なやかさが、アルコールと相性抜群だったようです。
 授業では、見えなかったことが今さらながら見えてくる面白さをしみじみと味わわせて頂きました。あれから、もう9年も経つんですね。早いものです。
 実は今日、自分の誕生日で、いよいよ三十路を目前とすることになります。今まで淡々と年齢の階段を上がってきましたが、29というこの年で初めて年齢と いうものに感慨を覚えました。年を取ることが嫌だとも思いませんけれど、ただ、自分に責任を持たなければ、という年ではありますね。もう無闇に「知らな い」「できない」を叫べないな、と。歯を食いしばってでも知っているふり、できるふりをしなければならない場面も出てくるだろうな、と。

 雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり   柏木茂

 こういう瑞々しく若い歌を、昔は鮮やかに目に浮かぶ情景と共に好んでいました。それは、その時にはこういう情景 を自分のものとして手に入れること が可能であったからだ、と、いま再びこの歌に出会って思うのです。
 夫がいて、娘が生まれて、猫がいて。一生打ち込める仕事もある。今の自分は十分豊かな人生を与えられて、そして何よりあの頃よりも、人生を、自分でハン ドリングできるような感触も掴み始めている。いよいよ生きることの醍醐味を味わえる予感がしています。
 でも、この歌と再会して、確実にもう二度と手に入らないものを目の前におかれてしまった、という思いにとらわれました。「あつけらかん」とした「悔いの ない」愛は、二度と私の目の前には現れないでしょう。私の手持ちの愛は、もっと密度の高い、ときに持ち重りすらする、けれど大事な大事なものです。
 そして、もし万が一、今の愛が崩壊してしまって、もう一度夏の雲の下で恋愛することがあっても、それは「あつけらかん」とはしていないでしょう。今の手 持ちの愛の記憶がある限り。
 二度と出会えないものがある、という認識は、やはり29という自分の年を痛感するに十分でした。でも、そういうものがある、と認識することが、嫌なわけ では決してないのです。二度と会えないもの、二度と得られないものが存在する、という思いは人生を慎ましく、より豊かにするようにも感じるものですから。
 金木犀が香りはじめましたね。
 ロンドンにいる主人に、会社から緊急帰国命令が下りました。世の中は、日本にいて季節を楽しんでいられる私たちが感じているよりもずっと緊迫してきてい るようです。
 長い間かかってこんなに繊細な言葉や文化が築かれた日本の行き先が迷走しないよう、願わずにはいられません。
 先生も、お忙しいとは存じますが、どうぞおからだをおいたわり下さいませ。

* ありがとう。こういうメールが、わたしのホームページの、豊かな財産である。ここに、生きた言葉がある。こん なメールもいま飛び込んできた。

* ニューヨーク市長  同時多発テロ事件より以前に、最近のニューヨークの治安が現市長の働きで、大変よくなり 地下鉄にも安心して乗れる様になっ たらしいと、娘から聴いていました。ニューヨークは一度は覗いてみたい所でしたが、非常に犯罪の多い都市であるだけに怖れをなして敬遠していたのです。今 回のテロ事件で画面に頻繁に出る惨事もさることながら、あのごった煮のような都市を風通しよくした市長はと、ことあるごとに注目していました。
 昨日(28日)の夕刊の記事でほぼ明らかになり、そう多くもない活字から、グット胸に迫るものがありました。
 川村二郎の世間話 (週一のシリーズより抜粋しながら。)
 二十三日に東京で開かれた「米国テロ被害者追悼・お見舞いの会」をテレビで見て、楠本定平ニューヨーク日系人会会長の挨拶が心に残った。楠本さんはアメ リカ ミノルタ社名誉会長、大学の大先輩で、東京に見えるとよくご一緒する、と。
 いつもと変わらない穏やかさで、メモなしで淡々とした口調も、いつもと同じだった。しかし、ひとことひとことに、ニューヨークの惨事を体験した人だから こその重さと、そして暖かさがあった。
 昼夜兼行で捜索を続ける警察官と消防士、病をおして陣頭指揮にあたるニューヨークのジュリアーニ市長。楠本さんの言葉から情景が目に浮かび、何度も目頭 が熱くなった。楠本さんからその夜、市長の人となりを改めて聞いた。
 検事から市長になるとき、犯罪都市として悪名高かったニューヨークを安全な街にすると公約してその通りにしたこと。
警察官が殉職すると、残された家族と半日を過ごすこと。勇み足をした警察官が訴えられると、敢然と弁護すること。「彼は部下を信用してとことん守る男で す。警察官も消防士もそれを知っていますから、この人のためならと必死になるんです。意気に感じて働くのはアメリカ人も同じです。市長は間もなく任期が終 わり、待っているのは前立腺癌との闘いです。ニューヨークと市民のために一身をささげること以外、彼は考えていないでしょう。上に立つ者はどうあるべき か、教えられるところが多いですね。」
 楠本さんの言葉を聞きながら、「坂本龍馬の魅力をひとことでいうたら、私心のないことやろな」といった、司馬遼太郎さんの言葉を思い出していた。
 そう、結んでありました。今再び読みながらも、又、胸があつくなり、同じ地球にこんな人がいるんだと感動で目頭がうるみます。

* わたしの謂うのはこれだ、こういう身にしみる人間愛が、小泉総理の言動からは感じられないのである。心ないイ ンベーダーかのように。
 

* 九月三十日 日

* NHKでの政治討論会では、自衛隊の後方支援なる小泉独断一件について、どう考えても野党四党の考え方の方が まともに冷静であり、正しく、与党 の主張はばらばらで、例により、幹事長、詭弁能弁の野田保守も口ごもりの山崎自民も、右往左往で事態を粉塗するに過ぎないと聞えた。わずかに公明党の考え 方の中に誠意ある躊躇のほの見えていたのが印象に残る。テレビ朝日の田原番組は聴けなかった。

* 朝一番のメールが十一本。「電子文藝館」関連が五つで、責任上、すぐの応対が欠かせない。今、が大事の時機。 残る半数はプライベートだが、それ ぞれに、胸に届いて有り難いメールであった。中には、さあ、何年になるだろう、九年十年にもなるのではないか、東工大勤務の初めの頃に教授室へも顔を見せ てくれていた元の男子学生から、懐かしい長いメールが届いていた。じつはこの人のホームページをはからずも見つけてい。フルネームなく確認出来なかったも のの東工大での私にふれた文章が目に入った。で、わたしの方から、ひょっとしてあの「* *君」かしらんとメールを入れて置いたのである。
 当たりだった。この人のことは、よく記憶していたのである。ホームページも、髣髴とさせる面目を備えていたので、ほぼ確信があった。
 メールは、じつに読み応えのあるもので、かつ、イスラム問題にも適切に強く触れた内容であり、お許しを願って差し支えない範囲で、ここに書き込ませても らう。みなで共に考えて良い内容を含んでいる。

* 秦 先生 大変ご無沙汰しております。東工大の卒業生の* *です。大変ご無沙汰しております。このたびは,私のWebの掲示板に書き込みしてくださいまして、ありがとうございます。驚き、懐かしく思い、また、イ ンターネットの威力というものを切に感じました。先生におかれましても、ますます、ご健勝のご様子、嬉しく思います。
 実は、先生には文学的なものもさることながら、仕事面においても教えをいただいております。といいますのは、今年の春に駒場の東京大学の大学院を出たの ですが、はて仕事がない、研究職はない、という状況でした。そのとき、理工系の出版ならば、これまでの研究経験を活かせるのではないかと思い就職いたしま した。経験を活かせるから、というのは実は表向きの理由で、秦先生も、また私の尊敬している現代詩人の方々の多くも若い頃は編集者をしながら本を書かれて いた、というのがこの職業を選んだ第一の理由だったのです。狙いどおり、編集者の先輩方は思想的にユニークな方が多く、楽しく仕事させていただきました。 もっとも私の場合、小説や詩を書きたいというよりも、ものを考えたい、できれば自然科学の研究をやりながら考えたい、という思いが強く、結局、今年の九月 から* * * *研究所という基礎研究所で、物性理論を展開した摩擦の研究をはじめました。それでも、短い間でしたが出版社では、二冊の専門書を企画することができまし た。一時でも本作りの現場を知ることができたのは、先生のお陰と思っております。また、先生ご指摘の、出版業界の問題点についても、肌身に染みてわかりま した。この点につきましては、また機会がありますれば..。
 話が前後しますが、学部時代の私にとって、秦先生の講義を受けること、そして先生の研究室にお邪魔することは、特殊な、大変に貴重な体験でした。漱石の こと、谷崎のことをどれだけ理解できたかについては自信はないのですが、友人を交えていろいろなお話ができたのは、まさに一期一会、得がたい時間でありま した。先生が東工大にいらっしゃってはじめて、私にとって (多分、他の多くの学生にとってもでしょう、) 東工大が単なる専門学校ではなく、大学として存在したといっても過言ではないでしょう。朝に下宿で読んだ小説の著者と昼に対面し、茶道の話や「家畜人ヤ プー」の話をすることは、科学者になるために必須のことではないかもしれませんが、私が今の私になるためには必須でした。今ごろになって感謝の気持ちをお 伝えすることになり、申し訳なく思っております。
 私は三年半前に結婚しました。ときどき、研究室に一緒に伺っていたあの頃の友人たちは、どうしているのだろうと思います。
 ところで、今回のテロ問題、先生のご主張の一つ一つに頷いております。
 六年ほど前、半年間ほどイスラミックの施設でアラビア語を週二回、習っていたことがあります。サウジアラビアはお金持ちであり、かつ、お金の使い方を 知っているようで、なんと教科書代三千円以外は無料で教えてくれるのです。当時は代々木のモスクが改装中だったためか、その建物には東京中の様々な国籍の ムスリムの人たちが集まっておりました。どうして、イスラーム的なものに心ひかれたのかわかりません。基本的には、ラテン系の極まったような人たちである アラブ系の「ノリ」に魅了されたのでありますが、一方、政治、文化、すべてにおいてキリスト教的な考え方に支配されている (とくにクラシック音楽と自然科学をやっている関係から) 西洋文明を相対化したかったのだと思います。
 それはさておき、東京のムスリムの皆さんは、とても親切にしてくれました。別に新新宗教ではないし、宗教の専門家ではなく普通に暮らしている人たちです ので、冗談も通じるし下品な話にも応じてくれるのですが、その根底にこの私には希薄な、敬虔という態度がありました。私は幼稚園は北米のユダヤ教の幼稚園 に通っていまして、生まれて最初に祈るということを知ったのはヤハウェが相手なのですが、そのときの神聖な感覚を思い出しました。
 敬虔という言葉を軸に考えると、イスラームもユダヤもキリストも、とても似たもの同士だと思います。何が言いたいかと申しますと、今回のテロの問題は、 宗教の問題、ましてや「文明の衝突」などという妄想の世界に引きずりこんでは、東京のムスリムの皆さんのように普通に暮らしている人たちが大変迷惑するの ではいか、ということです。現に、アメリカのムスリムの皆さんには被害が出ているそうです。
 タリバーンの語源である「ターリブ」とは「学生」のことである、という知識は今ではすっかり有名になってしまいましたが、私の通っていたアラビア語学校 では、「アナターリブ (私は学生です)」などというように、習いはじめに出てくる基本用語です。タリバーンがアメリカにやられる、ということになったら、クルアーンを一度でも 読んだ人なら、 (アジアのムスリムはクルアーンを通して正統アラビア語を知る。) 「イスラームの同胞がやられる」という想いになることと思われます。そのささやかな気持ちを増幅して、宗教間の対立にしてしまっては、騒乱を望む人たちの 思う壺でしょう。
 それから、パキスタンなどの周辺イスラーム国における対米感情についてですが、湾岸戦争と同じことを繰り返すことになるでしょう。
 私は、アラビア語を習ったあと、エジプトを一ヶ月ほど旅行しました。在東京エジプト大使館勤務の友達が本国に帰ったので、遊びにいっただけなのですが、 湾岸戦争について、あるいはアラブ諸国の対米感情について、痛いほど知ることになりました。
 まず、エジプトは親米とされているのですが、エジプトの外交官たちは日本のようにアメリカに全てを依存するかのような感情は持っていません。イスラエル という西洋主導の人工国家がすぐ隣にあって、一時はシナイ半島を奪われたことからも容易に想像できます。彼らはね日本に対しては、明治維新をやりとげた立 派な国だという認識を示してくれました。エジプトでも同様の近代革命を起こそうとしたのですが、当時の宗主国イギリスに潰されたという経験があるからで しょうか。アメリカに対しては、日本は米で、農業国エジプトは麦で、市場開放を迫られている同様の立場であるという認識のようです。スーパー 301 条についてどう思うかと問われ、答えに窮しました。
 このような難しい話は外交官だからするのでしょうが、一般の人たちは、湾岸戦争で大きなダメージを受けているようでした。旅をしていて、一番親しくなっ たルクソールの青年は、湾岸戦争に従軍させられたそうです。エジプトは一万人出兵して、千人亡くなったそうです。これは凄い割合だと思います。同じ村の友 達が戦死したことを、その母親に伝えにいかねばならなかった、という話を聞いたときは、私も涙しました。彼らにとってみると、アメリカのせいで同じアラブ の同胞と闘う羽目になった、という認識です。同じことが今回も起こらなければ良いのですが。
 一方、日本に対しては上流階級とは別の意味で非常に良い印象を持っているようです。彼らの知っている日本語といえば、トヨタでありソニーであり、つまり 工業製品です。子供の頃に見たアニメーションに、「未来少年コナン」というのがありましたが、日本とは、そこに出てくる「インダストリア (工業国!)」というイメージでしょうか。政治に口を出してこないで、ひたすら壊れない機械をもたらす国、日本。
 もう一つ、今度、また西洋に対して戦争をはじめるなら、俺たちも加担してやるぞと激励されました。それではなんだか寂しい気がして、彼らに、名古屋特産 の味噌煮込みうどんを作ってあげました。気味悪そうに食べていましたが、感想を聞くと、「うまい」と言ってくれました。
 それはさておき、ある意味、日本は従来のままの工業国という役割以上の役割は、果たしてはいけないのではないかと思います。パキスタンやアフガニスタン の人たちの、現在の日本に対する感情は、以上に述べたエジプトの人たちの感情と大きく異なるようには思われません。
 逆にいうならば、現状では日本は仕方なくアメリカの弟分になっていると認識されている筈ですから、日本がイスラーム過激派のテロの標的になるとは考えに くいです。日本の国益を考えるなら、今回も、何もしないのが良いと思います。ベトナム戦争のときと同様、日本はアメリカ軍に基地を提供しているのですか ら、それ以上の何かをする必要はないはずです。当然、いかなる国の人に対してであれ、テロや戦争の犠牲になった人に対しては、最大の哀悼を示すのが人の道 でありますが。
 Web に転載されてある先生へのお手紙で、「強い国にならなくても良い」という意見がありましたが、まさにそのとおりだと思います。願わくば、湯豆腐などという 淡白な食べ物を愛する人びとが東の果てにいる、ということが、もう少し世界に知れても良いのではないかと思いますが。そういえば、「おしん」はアジア・ア ラブ各国で大人気だったそうですね。そういう国で良い、そういう国が良いと、思います。
 大好きなイスラームに係わることだからでしょうか、気がつけば秋の夜長に長々と書いてしまいました。
 先生も最近はとくに激務のようでありますが、お体には十分お気をつけください。

* 今時の大学生はと、わるい印象を持たれている人に、一概には言って欲しくないと、こういう秦サンへの久々の 「アイサツ」を読むと、思う。東工大 だからとは思いたくない。こういう言葉を若い人の内奥から引き出してくる誠意と愛とが教育の場にあれば、すこしも不可能ではない。こういう学生たちに教 わっていたのは私の方であった、より多く。

* 『青春短歌大学』をありがとうございます。このご本が出版されたとき、わたくしも秦教授から出された問題に、 一所懸命になってとりくんだもので ございました。ことばに対する感覚を問われ、語彙の貧しさを問われたご本でございました。
 けれど、せっかくの「湖の本」ですのに、目を傷めてしまって、まだ、拝見できません。
 目が痛いのでお医者さんにゆきましたら、左の目に傷があるとかで、読書もパソコンも控えるようにと、わたくしにとっては、無理難題でしかないことを言わ れてしまいました。「e文庫・湖」の三原誠作「ぎしねらみ」も、縦書きにしてプリントさせていただいてありますのに、これもおあずけです。『青春短歌大 学』も、以前、拝見したときを思い出しているだけで、もどかしくて。
 目を休めるために、冷たい水を含ませたコットンを目に乗せて横になったりしています。グレン・グールドのゴールドベルグを聴きながら。
 目を閉じていても、薄い墨流しのような、けむりのようなものが目先にちらついています。子供のときからそうでしたけれど、もしかしたら、わたくしには、 ものがちゃんと見えていないのかもしれない――。近視に乱視、それも左右の視力がたいそうちがうそうで、人間関係でも、自分の感情でも、バランスをとるの がへたなのは、この目のせいかもしれません。
 こんな状態ですのに、金沢に行く用があり、時間をつくって、鏡花記念館に行ってきました。
 うつくしい装幀のご本、紅葉の朱が入っている原稿、それから、鏡花自身の推敲のあとが、こまかに残っている原稿……。目の状態のよいときに見たうござい ました。
 記念館のすぐそば、「照葉狂言」の舞台になったお宮さんにお参りし、浅野川に出ました。先生もこの川面に目を放たれた――。街中の川ですのにきれいな川 を、しばらくながめていました。
 近代文学館にもゆきたかったのですが、時間がなくて。
 一閑張の箱を買いました。おいしいお菓子も買いました。
 帰ってきましたら、ベランダのすすきが、はらり、穂をほどいていました。そのうち、目もよくなりましょう。

* 早くよくなられるよう祈ります。わたしにもよそ事でなく、日に日に眼の状態のわるいのを自覚している。眼鏡を 替えれば済むのか、よくないことが 生じているのか。十月二日には聖路加で一年ぶりに眼科診察を受ける。それにしても、この「金沢」の懐かしいこと。そうそう鏡花の頼まれ原稿の締め切りが今 日までであった。書き上げて仕舞わなくては。

* いかがお過ごしですか。「爪切りもいけません」と旅行会社の人に言われてシンガポールへ発った主人からは、何 も言ってきません、一安心。
 で、出かけることにしましたの。月夜が続きましたが、潤んだ月になった夜、夢うつつに雨音を聞きました。明け方まで降ったようで、アスファルトがたっぷ りと濡れたままでしたわ。

 ♪雨降りお月さん 雲のかげ お嫁に行くときゃ誰とゆく 一人で唐傘さしてゆく

 お馬ではなく電車に揺られて。冬に旅した湖東ふたたび。秋もなお、趣き豊か。
 彦根で、A席最後の一枚を手に入れ「彦根城能」を堪能しました。「黒塚」(昭世)、先に「鐘の音」(万作)。ご贔屓の亀井広忠さんも出てらっしゃいまし たわ。
 彦根城でつく鐘の時刻に「鐘の音」が始まり、万作さんの声より先に本物の音。昼に城を見に行った時に聞こえてきて、歩いていくと鐘がありました。昔は係 の武士詰め所だったという聴鐘庵でお薄を頂き、眼下に広がる町並みと湖水輝く琵琶湖、向こう岸までの景色を楽しみました。風は微かで見事な晴天。観光地と は思えない程、どの店もおっとりとした人々がいて、どこを訪ねても秋草がさまざまに活けてありました。
  博物館へは昼間見学に行ったのですが、見学順路は能舞台楽屋の前を通っていました。スタッフがシテ方の部屋へ入るところだったので、ドキドキしました。舞 台に向かうドアも開けたままでしたので、幕の内側も見えました。200年前の能舞台を博物館の庭に移築復元したもので、松羽目も雰囲気があります。風も入 り蚊も飛んできます。席は正面中央最後列、といっても、とちりの「り」で一段高くなっていました。
 夜の公演なのでカラスが鳴き虫がすだくのが、「黒塚」に合っていました。闇も、といいたいところですが、ビデオ収録のためライトを煌々と点けていたのが 残念です。
 能は19:45に終わり、少し歩いて隣の大名庭園へ行きました。「虫の音+観月+庭園と城のライトアップ+箏曲演奏+野点」のイベントが21:00まで あると聞いて…。池には舟も出て、月が照ったり雲に隠れたり、照明効果抜群でした。
 お恥ずかしい事ですが、ちゃかぽんを知らずに彦根へ行きました。直弼公が柳が好きだったという事も知らずに。夜、庭園から埋木舎を通ってひとり歩く松並 木。お堀の水は静まり、空には月。玉男さんの遣う城明け渡しの由良之助のイメージ。歴史好きな父に話してみましょう。
 むっとして戻れば庭に柳かな  でしたかしら。 
 帰りは各駅停車の旅。彦根を出て、草津、柘植、亀山、津。ここで近鉄に乗り換えて、伊勢中川から名張へ。乗り換え5回。景色を見たり、考え事したり、 眠ったり、本を読んだり、吊り広告眺めたり、乗降客を観察したり。駅弁にお茶お菓子の電車の旅が大好きですの。今回は居眠りできませんわ。本数の少ない ローカル線。乗り越したら大変ですもの!
 甲賀辺りで雨になりました。少し肌寒い山懐の、いま、柘植駅ホームにいます。

* 携帯電話でのメールを何度か送ってこられたのを、繋いでみた。ひょっとして、いまどき、こういう時間を紡いで 織りなせる人が、いちばんの「達 人」なのかもしれないなあと、塵労の日々が、うそうそとイヤらしくなってくる。それには参る、が、塵労のまま超えてゆく魔法のあることも、朧にわたしは 知っている。

* SF小説の話でごめんなさい。病、老、死のない楽園が地上に実現した話。
 地球が養える人数が計算され、「生まれる」人はいないの。地上の世界だから自殺はできて、そういう人がいたら「生む」許可が出るのよ。
 やっぱり「生まれる」根本にあるのは、悲しみなんですわ。
 「生まれた」時代のネーミングがいろいろあるでしょう。サンパチ組の雀は、自称「化学物質人体実験世代」。

* なるほどね。「闇に言い置く 私語」が、さながらに織りなしている、私・秦恒平の文学と生活。生活はあるが、 文学はどうしたと声が飛んできそう であるが、ひょっとして、今、この「生活と意見」ほどの文学があるのだろうかなどとノーテンキに思っていたりする。

* 岡本かの子の「東海道五十三次」と「老妓抄」を読んだ。むろん目星をつけて選んで読んだのであり、二つとも優 れた作品、甚だ独自の思想に貫かれ た、いわばフィロソフィーのある文学作品であった。女性の文学でこう或る種形而上学的な思想の提示のあるものは、日本では稀有と言えるほど珍しいものだっ た、かつては。今の作品はあまり知らないから何も言わないが。そして風格と品位を保っていた。型破りに不思議な夫婦親子の日々を意識的に構築していた作家 として知られるが、そんな実像をぬきんでて、ことに晩年の秀作群には、しんとする魅力が備わっている。別格の風格がある。読んでいて、へんな文章と感じる スキがない。雑なものがない。手あかにまみれたものがない。単なる説明文がない。説明も時に応じて表現の効果を上げる役はするが、始めから仕舞まで説明の 連続のような小説も実は珍しくないのであり、つまり下手なのである。歴史小説と称するものにそれがひどく多い。

* 吉村昭の「コロリ」はへたな小説ではない。だが、これが小説の文章かしらんと思う叙事と説明の多い作品である ことに、わたしは何度も何度も何度 も立ち止まらされた。小説の文章とは美文の意味ではない。誤解されても困るが、泉鏡花も小説の文章なら、対極にある徳田秋聲の散文もみごとな小説の文章な のである。気韻生動と謂うが、小説の文章には読み手なら味わいとれるそれがある。吉村の「コロリ」にはストーリーを展開し前進させてゆく技量は感じられる が、小説の文章を嬉しく楽しませる魅力が無かった。そのために読後に読書体験がいささかも感銘として残らないのである。
 藤沢周平の「驟り雨」ときたら、凡俗という以上のなにの感想も湧かない、これなら落語の人情話で足りているというツマラナイ作物であった。
 次いで読んだ渋沢龍彦の「儒艮」は、もうすこし渾然とした美しい一編を期待したが、終始一貫頭だけでデッチあげた血潮の通わないツクリモノでしかなく、 文と謂い想といい、なんという不出来なものだろうと落胆を久しくした。高丘親王の天竺渡りや薬子の変など、古典世界に親しむ人間なら一度や二度は感情移入 している。その体験に徴していえば、渋沢は才人と聞いていたけれど、どこに才があるのか全く掴めなかった。鍍金のはげたレプリカのように味気なかった。こ んなものなら書かない方がマシである。さて、残るは六編。一つぐらいは、痺れさせて欲しいが。
 言って置くが、私には個々の作家への個人感情はない。たとえ谷崎でも川端でも駄作なら駄作という。現に御恩の深長な例えば井伏鱒二や石川淳や永井龍男の 作品にも、わたしはいささかも斟酌無く感想を述べている。

* どうしていらっしゃいますか?どんよりとした日曜日。
 むしょうに「黒いピン」を抜きたくて、庭に出ました。キンモクセイの香りが一面に漂っていて、胸の奥まですいこむと、ピンが少し抜けていく気持ちがしま した。雑草を抜いたり、お隣の家にあいさつしている木の枝を刈り込んだりしていますと、もう正午。
 今、天使の歌声 といわれるシャルロット チャーチという十代の若い歌手の、オペラのアリア集をきいています。透き通った声は、うるおいや情感にはかけ るのかもしれませんが、気持ちの底に淀んでいるどろどろしたものを、清冽な流れに変えてくれます。ちょうど能の笛の音のように。

* 一昨日、親しい人と少し話もしたく、時間を合わせて都内を歩きました。麻布十番は初めてでしたが、一度行けば もういいかな。
 乃木坂の地上は初めてで、廃業すると書かれていたレストランは何処かしらとキョロキョロして。六本木まで芋洗い坂を歩き、饂飩坂の案内柱を見て大笑い。 国文出のその人はむろんサラリと読めました。そそのかされて青山一丁目まで歩いていました。
 東京に移り住んだ時、坂の多さに驚きましたが、最初に覚えたのは通勤途中の渋谷道玄坂、宮益坂。菊坂は一葉、団子坂は鴎外、無縁坂はお玉さん、暗闇坂、 根津権現坂、谷中のさんさき坂、粋な神楽坂、馬場には漱石縁の夏目坂。二人で、まだまだ沢山の坂を踏破していますが、いつも目指して行くのではなく、ふら りと出逢ってきます。ちょっと都心の地図を覗いてみても、多くの単純な名の坂が眼に入り面白い。
 今、黒柳徹子さんの「アフガン訪問」を観ています。以前は一面のすいか畑だったと謂います。砂漠化した大地、犠牲を強いられる女、子供たちが悲惨です。

* 差し出し不明思い当たらない先からの、「とにかく見てください」というメールを開いたら一面の記号だけであ り、咄嗟に削除した。 「y0083m@」だった。必要も心当たりもある人は、文面は化けて読めなかったので、あしからず。
 

* 九月三十日 つづき

* 知り合い曰く「六十五歳を過ぎると、人間がくっと体力が落ちる」ということですので、失礼ながら御不調もある いは、お年のせいもあるのかと存じ ます。(ごめんなさい)サラリーマンでしたら、定年を過ぎてのんびり暮らしているところですのに、宿命で、とても激しい働きかたをなさっているようにお見 受けいたします。どうかご無理をなさらず、やさしい毎日をお過ごしくださいませ。
 新しくお送りいただきました『青春短歌大学』に、数日、夢中になっておりました。私の親族はほとんどが短歌か俳句を趣味にしてよく作っておりますが、私 はどちらもただの鑑賞者ですので、苦心惨憺いたしました。うまく言葉がはまるまでの謎解きは、時の経つのを忘れるほどで、挑戦しがいがありました。お選び になった短歌のなかで、私が昔から好きだった歌、「死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも 斎藤史」を見つけたときは嬉 しくて、得意な気がいたしました。ほんとうに素敵なご本をありがとうございました。
 十月の新刊『元気に老い、自然に死ぬ』も書店に注文したいと思っております。
 新しいもの、いくつか書いております。そのうちの一つは、七月に亡くなりました父への供養のために書きたいと思っています。絶世の美女と謳われ、その不 吉なまでの美しさゆえに、波乱にみちた人生を送らざるを得なかった私の祖母にあたる人のことを、今、色々調べているところです。
 少しまえに、お送りいただきました湖の本はまだ何冊もございますが、惜しみ惜しみ読んでいくつもりでございます。秋が深まるにつれて、読書の喜びも一入 です。今晩も雨の音を聴きながら、赤ワインを少々味わいつつ、『青春短歌大学』の劣等生を挽回とばかりに、『歌って、何!』を読むのは、私には至福のひと ときです。

* 少なからず照れてしまうが、作物が、読者のもとで歓迎されていると知るのは嬉しい。「年のせい」と言われても わたしはべつだん「失礼」を感じな い。「激しい働き方」をしているのは明白であり、そのことは自負するより羞じているが、拘泥しないで、激しかれと迫られれば激しく、静かにと内側から催す ものが在れば、したがうまでである。