宗遠日乗
2001年=平成十三年元旦より、同三月末日まで。
闇に言い置く 私語の刻
* 平成十三年(西暦2001年) 新二十一世紀 元旦
月
* 萬 福聚来
大いなるものしづしづと揺れうごきはたと静まりなにごとも無し
ご平安を心より祈ります。 湖umiの本 秦 恒平
* 心暖かに、帰ってきた建日子と三人で祝
いの蛤汁、人参と大根の紅白の膾、叩き牛蒡などで大晦日の夕餉を戴き、
夜分には、恒例の海老天麩羅で年越し蕎麦を祝った。結局は片づかなかった歳末であったが、それでよしと。
建日子は、目前に迫られたドラマの脚本
書きに追い立てられ、せっせとキイを叩いていた。文字どおり「叩き台だね」と、見ていて笑えた。「シッケイな」と息子は苦笑いしながら、本番になれば何
がどうなることやらと。キムタクと松たか子の連続ドラマ「ヒーロー」でも、途中の一回を引き受けていると言う。二月には、つかこうへいが育てたという出来
ると噂の男優を芯に、
舞台公演を打つらしく、自分のホームページに予告を出していた。
* 賑やかなカウント・ダウンを選んで、テレビ画面の溢れ返る若い人たちと声を揃えるようにして、新世紀を迎えた。 手を拍った。心幼いしぐさだけれど、そんな幼い日から、この瞬間を迎えられるだろうかと心待ちにした。ある時はあり得ないような、ある時は虚しいよ うな心地でぼんやり待っていたが、好奇心一つからも事なく迎え取ってみたいと、兄(=北澤恒彦)に死なれ、今年に入ってから強く内心に思うようになった。 すると、間断 なく、無理なのではないかという、謂れない不安がさざ波のように影のように襲った。さながらに、なにかが身内ふかく揺れ動くようであった。
* ああよかったと、その瞬間わたしは声を放って拍手したが、当然のように妻も息子も対照的に冷静であった。 おれはヘンなのかなあと感じた。ヘンな一生を、もう暫くは生かしてもらえるのだと思うと有り難い。わたしの喩えで謂うと、「二學期終了」である。 当分は、すこし長めに、そうだ七十と言わなくても六十八ぐらいまでは「冬休み・正月休み」をもらおうと思う。
* そんなことを言いながらも、仕事が待っている。よそで待たれている仕事の他に、「e-文藝館・湖umi」や
「e-
版・湖の本」にも取り組めば、相当な仕事量が山積みのままわたしの手の及ぶのを待っている。世間へ出て売文業をするのが即ち「作家」稼業なのだとは、も
う、幸い
考えなくて済む境涯なので、心ゆく自分の「仕事」を、好きの限りして行きたい。
今年のいちばんの難問は、つまり、「書く」「創
る」「読む」仕事以外の、いわば「外」仕事の取捨ということになろう。
いろいろ焦れるものはあるが、無用に拘泥しないで、お役が「済め」ばそれが別のまた好機になるようにすればよく、「続けよ」ということなら、それもまた及
ぶ限り真面目に努めるということで、あとは、からだとの相談と素直に考えている。ま、そんなところか。
* もう一つは冊子版「湖の本」をいつまで 続けるかというのも、問題なので。あと五十冊以上分も代金を前払い してくれている、びっくりするような読者もある。出来ないかといえば、要するにわたしの体力・気力だけの問題で、その程度の冊数はまだ加算して行ける。だ が、石のように「本」は物理的に重る。だんだん多部数を扱うのが腕力や腰力の点で辛くなってきている。どう作業停止の潮時をつかむか も、わたしに課された難題の一つ。楽しみにして下さる読者からの絶えない声援に、ただ励まされるという以上の生き甲斐も感じている。よく努め ようと思う。
* もっと大事なのは、朝日子たちとのことだろうと心配してくれる人がいるが、健康で平安にあれと祈るだけでよ い。
* さ、初夢を。いや、夢見の殊にいつもひどいわたしは、せめて新世紀初寝の旅を、夢を見ないで過ごしたい。
*
* ゆっくり、寝た。
* 十一時に、三人と黒いマゴとで、静か に、和やかに、元日の雑煮を祝った。朝日子たちも、落ち着いた佳いお正月 を迎えているようにと、言い合って。妻と息子に三種類の紅茶セットを贈り、建日子にはヴァレンチンの黄金(きん)のライター、カフスボタン、ボールペンの セットを やった。これぐらい今の彼に似合わない贈り物はなかろうなと気の毒に思いながら。
* 暮れまぎわに京都から贈っていただいた、彫 刻家清水九兵衛さん作の、「お茶碗作りはこれを最後にします」という「七 代目六兵衛」の名残り、記念の黒茶碗を、わたしはわたしのために棚に飾った。すこし以前に頂戴していた、紅をふくんで艶に白いお茶碗となら べる と、好一対。九兵衛さんならではの現代味の横溢した造形、非凡な美しさ。両碗とも、お茶の翠いろ が、新たな春を想わせるようにしみじみとよく映って佳い。嬉しい。
* 三人で、ちかくの天神社に、恒例の初詣。 うららかに残りなく澄み切った二十一世紀晴れで、気持ちい い。
* どっさりと第一便、三百通ちかい年賀状が
もう届いていた。そしてこの器械にも、メールでの賀詞がたくさん入っ
ている。年賀状にも、年々に新たにメールアドレスを記載したのが増えている。わたしは「元旦」とほぼ時をともにして、この冒頭に掲げたままの述懐一首を以
て、端的な電子賀状を三百人近くに一斉に発信した。九割九分届いたよ
うだが、なかには、制限しているのだろう、受け付けないサーバも数人分あったようだ。
それにしてもBCC発信、同文同送の威力におどろき、また感謝する。
ところが、添付で、「スッゴイ」年賀を贈ってくれたという「ファイル」が、開けると数字や記号でしか読めなかったり
し、がっかり。簡単に読み戻せる操作があるのだろうが。まだまだ、至りません、わたしは。
* させることもなく、穏やかに、静かに元日は過ぎて行く。九十分もすれば、もう二日だ。妻のお煮染めが、旨かっ
た。
建日子が愛猫「グー」を五反田のマンションから連れてきていて、グーとマゴとが微
妙に「位」を取り対峙するのも面白い。息子がグーを抱き、妻がマゴを抱いた
のを、写真に撮った。
年賀状の返礼はつとめてご勘弁いただくことにした。原則、「湖の本」の届いている方には失礼することに。
* 階下から、息子がビデオで持参の「傑作」外国映画を観ようと、誘いがかかった。
* 一月二日 火
* おう、まだ「二日のうち」だと思うぐらい、この正月は、気分がゆっくりしている。よけいな身構えなしに、ある
がままに迎えてしまったお正月であり、気がついてみると、欠かしたことのない正月の「掛物」替えもしていない。居間は、秋以来の「柿」の繪だ、もっとも
この繪は季節の違和感を感じさせない「実存的」な柿で、奥深い混沌とした空気の向こうに実四つが、しづと沈透(しづ)いて落ち着いている。気に入ってい
る。
玄関には会津八一書の「学規」が
かかり、ワキには、贈られてくる小学館版新版の日本古典文学全集が、第一期分から、第
二期配本分の途中まで、二段に重ねて、もう百巻を越している。美人女優の澤口靖子が
贈ってくれた美しいモノトーンの顔写真が、額入りで春の来客を迎えている。だ
れが見えても、「美しいですね」と褒める。
もう以前に、歯医者で読者の杉内なほみさんに貰った、手作りの、何というのか草花の造形が、粋な黒い額に小さく入って
いて、これが何年経っても色あせず綺麗なので、玄関に、學規のよこに掛けてある。
みんな、いつもの通りだ。だが、ご近所から戴き物の花々が、これも姫路
の陶藝家永田隆子さんに戴いた、大きなあっさり金銀彩の壺に、溢れるように豊かに生けてある。かりっとした焼き上がりの、粋な壺だ。わたしの骨壺にと頼ん
で創ってもらったのである、花は、妻が、自前の流儀で好きに生けているが、それが佳い。
今年は、門松も立てていない。
手洗いにも、欠かしたことのない花が、この正月、入っていない。素朴な繪の初期伊万里出土の小瓶や、ブルガリア産の洒
落
た壺が置かれ、それが、そのまま「花」に代わっている。
居間の広めの壁には、例年、裏千家のいまの家元が若書きの「珠」か、岸連山の富士松原の墨絵を掛けるのだが、省略し
て、ふだんと変わらず小面(こおもて)を掛けたまま。四六判古典文学全集や志賀直哉全集その他で低い書棚は本がはみ出そうに並んでしまい、天棚にまで何冊
も。その上座に、和顔愛語の「十二面観世音小像」が立ち、台座近くを、東南アジア製だというちいさな陶象が護っている。いつものままだ。茶名の「宗遠」二
字
を濃い藍の上に黄金で刻した額が部屋の中央に高くおさまって在るのも、いつものまま。
* 年賀状のほとんどが印刷物で、念入りに工夫したものは数えるほどもない。おまけに今年は干支が巳で、やたら出 てくるのが、ぞっとしない。メール便の賀詞が格別に多くなったのも時代である。数十枚はハガキで手書きし返礼した、が、メールの使える人には、同文同送、 あっという間に大勢に送れた、「e-OLD」にはラクであった。
☆ あらたまの
香
新しい年、新しい世紀になりました。おすこやかに、佳き年でありますようにと、お祈り申しあげます。また、今年も佳い
お話を、湖のお部屋でお聴かせいただけますよう、おねがい申しあげます。
友人が「第九」のコーラスのバスのパートに出るから聴きに来てというので、何か、お定まりという感じですが、大歳の夜
を、「第九」を聴きにゆき、今、帰ってきたところでございます。
こちらに力がないとき、ベートーベンはちょっとつらいのですが、さいわいにあまり、重厚という感じでない演奏でしたの
で助かりました。
筑波はさきほどから、ぽつぽつ雨が落ちてきて、あたたかなしっとりした空気が快く、心静かにあたらしい年を迎えること
ができました。
これから、『源氏物語』を亡きひとたちといっしょに読んで、寝ることにいたします。なかなかはかどらず、やっと、「須
磨」の冬の夜の物思いのところでございます。わたくしは『源氏物語』の冬に、とても心惹かれます。小侍従にも、冬に佳いうたが多いものですから、小侍従
は、『源氏物語』のよい読み手であったかなどと、想像したりしています。
湖のお部屋に、「お身体に楽をさせて」というお便りを寄せられた方がいらっしゃいました。ご健康のことで、きついこと
をおっしゃったおひともいらっしゃいました。わたくしも同じ思い。どうぞどうぞ、おたいせつになさって、ご無理をなされませぬよう。
あらたまのとしのはじめのよごとのつもりが、まあ、くだくだと。ワインの酔いが残っているようでございます。お許し
を。
佳い年でありますように。
☆ 迎春
静かで平安な新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
イタリアのミラノも、新しい世紀に遭遇する晴れやかさに満ちています。
イタリア語でおめでとうは、
auguri。街のあちらこちらでこの言葉を、イルミネーションで、はり紙で、目にします。残り雪のある商店街を歩いていましたら、前方から来た若い女性
が、店のなかにいて声の届かない人に、大きく口をあけて「あ・う・ぐ・り」と形にし、楽しそうに手を振りました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
☆ 一陽来復
新しい世紀を機にまことの萬象維新を庶幾う。
☆ あけましておめでとうございます。
湖の本エッセイ21、124ページ志賀直哉のこと同感。
志賀直哉はソシュールの言語学でいう parole(個人的な言葉)を
lanngue(民族や国に固有の言語体系)にまで高めた人、いまはlanngueもなければ、paroleもないめちゃめちゃな状態になっています。
個人的希望としては、私は秦さんには、今年はいい短篇をひとつ書いて欲しいと思っています。川端康成賞だって、むかし
永井龍男さんが『秋』でおとりになった頃とくらべて、ひどくレベルが落ちている。ご健筆を祈ります。
☆ 新世紀を迎えて
昨夜、研究室で秦さんの短歌のメールを読みました。
確かに新年は静かに何事もなかったかのようにおとずれました。"大いなるもの"も、きっと訪れ来ていると思います。
今年は卒業、就職、そして留学と、私にとって大きな転機となる年です。あせらず、大きな気持ちでこの新しい年を迎えた
いと思います。
ただし、修士論文の締め切りまで後わずか! ちょっとあせっています・・・
秦さんも、ますますのご健闘、お祈りいたします。
☆ ファン
[湖の本]創刊からのお付き合いでないのが残念ですが、十数年の間、届くご本の「私語の刻」で、その時々の、お考えや
ご生活を垣間見ながら、お作を読んできて、本当によかった。作品世界も、お人柄も。充実が深まり、現実が濃厚にありながら、透明感が増して。変化はして
も、変質してはいない、秦さんの、魅力的な世界に、十数年経って、ようやく気が付きました。「It's
a wonderful world」
評価の定まってしまった過去の人ではない作家秦さんのファンは、今、ともに、ここで、同じ時を生きて、毎日、互いの息
を感じているのが、心身に大きな宝物。
今年も、これからも、解らないながら、読み続ける(それしかできない)ファンでいます。
☆ 元旦は寝正月
花籠
ゆっくり目覚め、遅めのお雑煮をいただき、一息ついているところへ、今年が年男の二男が、お年玉を持って新年の挨拶に
来てくれました。専門学校を卒業して就職した翌年のお正月から、彼はこの母にお年玉をくれ続けています。息子にもらうお年玉、なんて嬉しいものなんでしょ
う!ぷっくら膨らんだポチ袋に、 の優しさがいっぱい込められていて、母冥利につきます。
「おばあちゃんはな、お年寄りやし、もう仕事もしてないから、お年玉をあげような」。
長男と二男がまだ幼い頃、お正月に実家に行く時は、少ないお小遣いを貯めたなかから、祖母へお年玉をあげようと子供た
ちに提案していました。五百円にも満たないお年玉でしたが、母(祖母)はとてもうれしそうに、大事に懐に入れていました。
子供心にもうれしい出来事として記憶されていたのかもしれないと、手にあるポチ袋を眺めながら、二十年も昔のことを懐
かしく思い出しています。
出かけることもなく、夕刻に三男が帰宅するまで「寝正月」の元旦となりました。
四日からの仕事に向けて、今日からは体も始動させねばね。なにをいっても体が資本ですものね。元気に過ごせるように自
己管理は重要課題ですよ。ご自愛なされてくださいませね。
☆ 賀正
理
正月休みということで、今夜はちょっとお喋りします。
湖の本の最新刊、学ぶところ多く、特に「書かで言ふぞ」には、のけぞりました。毎晩、受験勉強を片づけた後で「生活と
意見」を覗いています。むうッと唸ったり、ええッと驚いたり、あァーと感動したり。時々ぶわっと長い文章が載っていると、ずるずる睡眠時間が削られてしま
いますが、さすがにナポレオンほどではありません。寧ろ身体がウズウズしてくるぐらいです。今はじっくり我慢して、あと二ヶ月のマラソンに全力を注ごうと
思います。
先日、八重洲の大きな本屋に行きました。大学の下見に行った帰り、新幹線の乗り継ぎに東京駅で降りて。カルチャー
ショックを受けました。新潟では如何せん読みたい本が手に入らなくて、街に一軒しかない古書店でさんざん買いあさったけれど、まだ足りません。京都では、
古本屋などもきっと僕の街なんかよりはずっと充実していることでしょう。大学の正門から時計台を見上げて、俺はこの学び舎に通うんだと自分に言い聞かせま
した。
そうそう、同志社大学が地下鉄駅のすぐ近くにあって、たたずまいの品の佳さに思わず声を上げました。秦さんが迪子さん
と出逢った頃とは装いを異にしていたのかもしれませんが、幸田康之と品部迪子と、そして絵屋菊子と槙子と、魅力溢れるキャストに相応しい舞台だなと納得し
ました。
それにしても昨年は競馬がつまらなくて、却って受験生にはよかったかもしれません。今年は名馬と名手が演出する素晴ら
しい興奮を、淀のターフにこっそり忍び込んで味わいたいものです。さて、これからいつものように覗きにいきますね。春には桜が咲いたと報告できるように頑
張ります。秦さんも「湖」の開拓に励んでください。迪子さんともども、お身体には気をつけて。
* 「貼り付け」というパソコン機能のすばやさの、何と嬉しいことか。機械は「機械的」だというが、郵便葉書の年 賀状 の方が、概して機械的であった。いま一部分書き写させてもらったこれらほど、気持ちをのせてハガキの年賀状を書くのは難しい。おそらくは、機械で書く方が 素直になれ、容易なのではないか、書き過ぎてしまうオソレがあるほどだ。
* もう、今年の「仕事」にかかっている。
* 「惣墓制」といって、数
村で一つの墓地を共有していた時代が長かった。惣墓をとりかこむ村々を「墓郷(はかごう)」と
呼んでいた。墓地に住み、葬と死骸の世話をしていた「三昧聖(さんまいひじり)」は、伝統的に税負担を免ぜられた除地に住み、諸役負担もおおかた免ぜられ
てい
て、かわりに、墓郷全域の葬祭実務を担当した。そういう「聖」が、一惣墓を、多くて数人でまかなっていた。村方や領主方と三昧聖たちとのあいだで、税や役
の負
担分担問題で、近世もすすむにつれ繰り返し紛争が起き、個々の聖たちの孤立無援は覆いようもないのだったが、そのつど、三昧聖たちは一種の「産別労働組
合」の
ような結集と組織化の動きに出て、大和国では、東大寺青龍院を本山に頼み、その権威下に、伝統の権益を確保すべくかなり強烈な団結力を働らかせていた。一
国内の三昧聖組織は、大きく畿内連合体へも拡大的に動いた。
こういうことは、現代の学究たちの地道な研究成果に拠らぬ限り、われわれには分かってこないが、解き明かされて行く
と、わたしなど、そういう動きのあったろうことも朧ろに感じていた、さもあろうな、と納得できるものがある。
近世の身分的周縁を研究した叢書が、六巻。読書
が、たまらなく刺激的に興味をそそる。もっと早くに読みたかった。
* 映画「グラン・ブルー」を
もう一度見た。確信をもてた、自分の見方でいいと。
身勝手な男が、愛情ふかい今しも子まで宿した女を捨てて、自殺行為に出た映画だというのは、浅く見れば現象的にはその
ようであるが、ちがうと思う。海という自然の深い美しさを、人の愛とともに、親和的にとらえたロマンチックな愛のストーリーに過ぎないとも、思わない。
海から生まれて陸に育ったものが、根源の海に
帰って行く、むしろ神話にちかい畏れを描いている。地上的なものは、女が
やがて男の子を産むことに象徴されている。日本の神話のさかさまで、男たちが、父と友と己れとが海へ深く深く帰ってゆく。いるかに象徴された深海のイデア
ルな「身内たち」の実在が、誠実に信じられている。海に深く入って行けば、もう、上
(地上)に戻って行く「理由がない」という畏れに満ちた言葉には、また
根源の憧れの秘められてあるのが、わたしには分かる。わたしにも、そういう思いが深く在る、昔から。
「戻る理由がない」という主人公の述懐は、あら
ゆる世俗の論理を破砕してしまう力をもっている。それが分かる。
* 海はすごい。水はすごい。そのすごみを少しも見ぬまま「水」をテーマのシンポジウムなどが、現世・地上の理屈
だけでもたれていたりするのを聴くと、読むと、逆に、「戻る理由がない」というこの映画の男たちの「憧れ」の強さ、「断念」の深さが分かる。
* 日蓮の、われはセンダラ=漁労賤民の子という
微妙な表白に関連して、曖昧にあまりに多くが語られてきたが、ここで
も、水・海にかかわる日蓮の根の思いに届いた議論は、ほとんど聴いたことがない。すべて陸上の論理なのである。
* 一月三日 水
* 風が出てきた。五反田に戻る息子の車に同乗してどこかまで出ようかなと思ったが、やめた。明け方からのきつい 腰痛で気分がすぐれない。食って呑んでになっていたのを、もう、うち切る。
* 年賀状がまたたくさん届いて返礼を書いていた。メールのアドレスを新たに添えてくる人が多い。七十近い人の賀 状に、きちんとした横文字でアドレスが書き添えてあると、頼もしい。e-OLDの進出だなあと思う。そして、メールのいいところは「個と個」での対話であ り、閑吟集ふうに謂うと、闇の「籠」である。浮き名がまったく洩れないと謂う望みはないが、それでも「籠がな、籠がな。浮き名漏らさぬ籠がな、なう」と昔 の人の謡っていたのが、ひょっとしてこの「メール交信」の意味かとも取れる。
* ペンの理事会での、まあ、無用なわたしのガンバリを、だが激励する賀状も同じ理事仲間から届いて、恐縮し、し かし、少しほっとしてもいる。
* 三ヶ日も、ようやく夕景。腰痛に少し耐えて、…いやいや、いけない。今日一日ぐらいは無為徒食、いや徒食もい けない。からだを横たえて、やすんでしまおうか。元日から新聞も見ていない。グールドのゴールドベルク変奏曲が静かに鳴っている。なんて佳いピアノだろ う。
* 外気が氷点下10℃まで下がり、どうも肺の辺りがすぅーっとして気分悪いので、昨夜は、家から5分の丘の上に
ある「緑の湯」という温泉に行きました。温泉といっても、銭湯に毛の生えたようなものですが、800円で、露天風呂もあり、ちょっとしたお出掛け気分が味
わえます。
夜の9時前でしたが、たいそう混み合っていまして、北海道ですからさしずめ、ジャガイモを洗っているような状況とでも
言いましょうか・・・。少しだけ鉱物の匂いのする湯船につかって、のびのびと手足を伸ばしました。辺りは濛々とした湯気に包まれ、湯船と洗い場の境界も定
かではないところに、人型のシルエットがぼぉと浮かんでは消え、湯船の中には黒い胸像のようなものが、あちこちに朧気に点在しています。そういう夢の中の
ような空間に長い時間を過ごし、とてもよく暖まって、お湯をでました。
脱衣場で体を乾かしてロッカーに戻ると、あったはずの小銭がない!!
早速現実の世界に引き戻されました。湯上がりの裸体でロッカーを開けてタオルを出し、脱衣場へ行って戻るまで、ほんの
一二分です。いいカモだなぁ、油断したなぁ、すっごい手並みだなぁ、とんだお年玉だなぁ、いろいろ考えつつ、ロッカールームを後に出来たのも、貴重品を持
たず車のキーが無事だったせいでしょう。
「緑の湯」には、番台の奥に休憩コーナーがあって、ソファー、テレビ、ゲーム機、自販機、あんま機などなどが狭いとこ
ろに並び、売店では、紙蓋付きのコーヒー牛乳などを売っていたりして、これはもしかして、意図的にレトロな雰囲気を演出しているのかな、と思ってしまいま
す。私は小銭を盗られて100円しかなかったので、飲みたかった紙蓋付きのコーヒー牛乳が飲めませんでしたが、100円で飲めるものを捜し、紙コップのカ
ルピスを飲みました。カルピスを飲むなんて、小学校以来でした。火照った体に冷たいカルピスが美味でした。
駐車場に戻り、車を運転しながら丘を下っても、ぼーっとした気分が抜けなかったのは、湯に漬かりすぎたためか、レトロ
な雰囲気にあてられてしまったものか、どちらだったのでしょう。
面白い年明けになりました。 maokat
* お気に入りのサンドラ・ブロック主演「インターネット」を見ていたが、根気がなく、痛い腰で湯はいけないかな
と思いつつ、肩も痛いので、一時しのぎに、わたしの方は我が家の湯船に漬かった。温まったが、あとが湯冷めで固まるのであまり意味がない。寝床へ逃げ込む
しかないようだ。
* 一月四日 木
* 冊子本「秦恒平・湖(うみ)の本」がどんなふうに編輯されているか、なるべく実物に近いモデルとして、最新刊 のエッセイ21『日本語にっぽん事情』を、ホームページ「湖の本エッセイ」第7頁に掲載した。目次から跋に至る全頁を校閲済みであるが、もとより、軽装で 表紙も美しいA5版「冊子本」縦組みで読まれることをお薦めする、どんなに読みやすいか知れない。また旅のお伴にも最適と喜ばれつづけて来た。新しい、次 の通算第66巻をいましも編輯中である。
* 昨年暮れに何度かにわたり加藤弘一さんにメールで示唆されてきたことが、もう大きな問題としてわれわれの研究 会でも話題になろうとしている。わたしにはまだ的確な解説はおぼつかないので、加藤さんに戴いたメールの要点を再び掲げ、廣く話題にして貰いたいと思う。 文字コード委員会でも当然取り上げると石崎委員長の言質をもらっている。
* 文字コードについては、もう発言しないことにしたのですが、見過ごしにできない事態が進行しているようです。
1999年の「住民基本台帳法改正」で、全国オンライン化が決まりましたが、自治省は「独自文字コード」でやるという
のです。
漏れ聞くところによりますと、工技院側は自治省に対し、JIS未収録文字の提供を申しいれたところ、拒否されたそうで
す。
これが事実だとすれば、短期的には「大きな利権」が生まれるでしょう。
市町村の庁舎のコンピュータは「自治省仕様の特別なコンピュータ」にならざるをえません。郵便局やコンビニでも住民票
をとりよせるようなシステムが検討されているようですが、これもみんな自治省独自仕様の特別なコンピュータになります。
怖いのは、「JISコードの不備が国民総背番号制の口実に」なることです。
たとえば、間もなく入試シーズンですが、いずれ、受験申し込みはインターネット経由でおこなうようになるでしょう。通
信制の学校では、スクーリングの代わりに、インターネット授業を認めるというようなことも検討されているらしいです。
学校だけでなく、民間をふくめて、あらゆる分野で、個人を「アイデンティファイ」する必要が生まれてくるでしょう。
もし、「住民基本台帳が自治省文字コードで運営される」となると、「自治省文字コードでしか、住所氏名を表記できない
人」が当然出てくるわけで、それを口実に、住民票番号の使用が強制されるようになると思われます。これは見過ごしにできない事態ではないかと思います。
(詳しくは加藤弘一著『電脳社会の日本語』32〜6頁を参照されたい。秦)
憂慮すべき事態と考え、メールを差し上げました。
重要な問題なので、もうすこしおつきあいください。
前便では、入試のオンライン出願とインターネット通信教育を例にしましたが、住所氏名の正確な表記は「医療分野」でも
必要です。
カルテを電子的に管理するためには、正確に住所氏名をしなければなりません。インターネットを使った遠隔医療もそうで
す。
ネットワーク社会ではありとあらゆる局面で、「住所氏名の正確な表記が必要」になります。
しかし、現在のJISコードでは表記できない方々がいます。主に人名異体字のためです。
2000年に施行されたJIS第3水準、第4水準では、ネットワーク社会に対応するために、1997年に鳴り物入りで
制定した包摂規準を変更し、「徳」や「隆」の正字を追加しました。「徳」、「隆」の正字は、ご存じのように、横棒が一本多いのですが、1997年改正では
通用字体の「徳」、「隆」と包摂し、同じ文字としてあつかうことになっていました。どうしても正字の方が使いたければ、フォント指定方式でやれというわけ
です。
しかし、正字の「徳」、「隆」は康煕別形字として人名用漢字表で使用が認められています。内閣告示ですから、当然、戸
籍の届出に使うことができます。Windows外字にもはいっているくらいで、現実的なニーズがあります。
そこで、(JISの)工技院側は、面子を捨てて包摂規準を変更し、通用字体とは別の文字として、正字の「徳」、「隆」
を追加しわけです。
もっとも、「徳」、「隆」は内閣告示が根拠になっているので入りましたが、法務省通達で使用が認められている「梯子
高」などは、2000年の改正では落ちました。その意味で、依然として、現在のJISコードには不備があり、住所氏名をカバーしきれていません。
すべての日本人の住所氏名を表記するのに、どういう文字が必要かというデータは、自治省が、すでに握っています。
「住民基本台帳の電子化が完了」しているからです。
「JISにない文字」については、これまで「外字」を作って対応してきました。
従来は、自治体(人口のすくない自治体ではグループ化)ごとに作られた「第三セクター方式」のコンピュータ・センター
で、それぞればらばらに外字を作っていたのです。「JISコードを基本としつつも、自治体ごとにばらばらの文字コードを使っているに等しい」のです。
住民基本台帳を「全国オンライン化」するとなると、「すべての自治体で共通の文字コードを使わなければ」なりません。
そうしないと、東京から他県の住民票を請求しただけで、文字化けが発生します。
そうならないためには、JISに、住民基本台帳で使われているすべての人名漢字、地名漢字を入れればいいのですが、自
治省側は、住民基本台帳用文字コードをJISとは別に作り、しかも「独占しようとしている」ようなのです。
もしそうなると、将来にわたって、「自治省仕様以外のコンピュータでは住所氏名を正確に表記できないケース」が生じま
す。電子学籍簿や電子カルテで、個人をアイデンティファイするには、自治省が管掌する「住民票番号」を使わなければならなくなります。「国民総背番号制が
強制」されてしまいます。
前便で書きましたように、「大きな利権」が生まれるだけではなく、ネットワーク社会の首根っこが自治省におさえこまれ
ることになります。
* つぶさに読めば読むほど、「自治省文字コード」の独占的な通行は、知らぬ間に既成事実化させるにはあまりに危 険なものを含んでいる。すでに「自治省」の在りようには日経新聞などで問題提起が続けられているようだが、関心を持って欲しい。
* 十二月ペン理事会で、近い将来に大きく警戒を要するのは、一つは徴兵制復活、もう一つは華族の復活だと発言し
ても、だれも「華族」の文字に思い及ばず「家族制度」としか取らなかったのでハナシが混乱した。「勲章」を欲しがり、また爵位への憧れを隠し得ない連中
は、根強くはびこっている。
今ひとつわたしが大きな恐れを持って忌避しているのは「内務省」の復活であり、「自治省」はそれへの最短距離にいる。
内務省というのは明治以降の日本の行政、弾圧行政の巣窟であったし、その権力の莫大で強圧的であったことはたいていではなかった。大久保利通や井上馨いら
いの伝統がついこの戦時中まで世の中を跋扈していた。敗戦で真っ先に解体させられたのは当然至極のあれは好処置であったが、「内務省」「内務大臣」への憧
れを持っていない自民党の代議士が何人いるだろうか、疑問である。
上の「国民総背番号制」が現実化するときは「内務省」復活の現実化へ近づくときである。そういうことを、忘れないでい
たいのである。
* 一月四日 つづき
* よく今日も働いた、稼ぎ働きではないけれど。歯が痛いし、肩も腰も痛いが、仕事がはかどると、なにがなし、 ほっとしている。沢山スキャンし、たくさん校正した。メールの往来も多かった。
* 三ヶ日は白味噌の京の雑煮で、昔はおそろしく朝早くに祝ったが、我が家も以前は早めにしていたが、今ではゆっ
くり朝寝し昼近くに祝っていて、今年も例外ではなかった。おかげで落ち着くのである。
味噌雑煮が好きだ。
四日は、昔から、午に焼いた餅の澄まし雑煮を祝う。これも好きだ。七日は七草の粥に小餅が入り、これが大好き。野菜が
嫌いだったのに七草粥だけは粥が旨くて、「あっさり」という美味を覚えた。十五日は小豆粥の雑煮で、小餅の小豆色にこなれた味が佳い。これも好き。よほど
餅が好きと見え、菓子でも餅菓子が好きで、道明寺のように餅米の舌触りのあるのが大好き。甘いものはみな好きだったが、餅の味わいもなによりである。
* 「ことしもよろしくおねがいいたします」というだけのメール年賀状は面白くない。年に一度ほどパーティーで立 ち話すらろくにしないのに。そんなことを言うが、妻の造ってくれるワープロで手製の賀状にも同じ文句があったかな。しかしわたしはそれだけで済ませたりし ない。自筆でなにかを必ず書いている。署名もしている。やっぱり六七十人ほどには返礼した。もうハガキの残りがない。湖の本の届けてある人たちにはほとん ど失礼した。
* 風が出ている。今夜も真っ黒な可愛いマゴと寝よう。
* 一月五日 金
* はたと静まり何ごとも無く普通の日々がもう始まっている。よく晴れて気持ちがいい。飛行機の爆音が、遠く、の どかに。足の爪先まで冷え込む。むかし、女子学生がニュージーランド土産にくれた、わたしの背丈より長いふかふか幅広のマフラーで首筋を巻き、毛皮の沓を はき、それでも、足首から膝下へ金属に触れるような冷えが絡んでいる。温風機が部屋の気温に効くようなので夜は使っているが、考えるまでもなく、今、使っ ていいわけだ。
* 用があって、はちきれそうな大きな深いダンボール箱から、初出原稿のコピー数枚を探しているうち、こんなもの が見つかった。「週刊朝日」に連載されていた広告頁「私の夢ホテル」66のために書いた署名原稿だ。
* 戻らなくても、いい…
和食の店が地下にある。水が落ち鴛鴦(おし)が泳ぐ池に面した窓ぎわでも、出来たらここでと定(き)めた席がある。い
い時に来たとみえ、おいおい客が入る。この席では、きまって同じことを想いながら盃をあげ、じっと、池の向うへ視線を奪われる。池の向うは巌畳(がんじょ
う)に石を積んで壁にし、石積みのいたる所から潔(いさぎよ)く水が落ちている。巌壁の外は
*
川、その川水を引き上げ瀧に落として池を満たしているらしい、そんな事は何でもない。ああ、今日も…。今夜も、灯が…。十何メートルあるか、席から真横に
池の向う、畳何枚もの巨きな巌(いわお)の壁を絶えまなく水がなめている。ところどころ細かな瀧になっている。しかも巌とも見えず巌の面(おもて)にほん
のりと白い障子窓が浮かび上がって、障子の内に灯が入っている。
種は知れてある、食堂の奥まった畳敷きに障子の隔てがしてあって、その灯(あか)り障子が窓越しに水の上を渡ってうの
巌に映るのだ…が、詮索無用。ただふしぎに水の上へ閉じた小窓の灯を見つめるうち、…あの部屋へ行きたい、行ってみたい、池を渡ってあの床(ゆか)しい障
子の奥へ人の名をそっと呼んでみたい、二度とこの世へ戻れなくても…行きたい、と、恋いこがれてくる。恋いこがれ、酒をたくさん呑む。音という音が消え失
せ、落ちる水と、静かに灯の入った一度も明かない障子窓の、ほのかな白、だけが…。
そんな…夢の酒を、ひとり楽しめるホテルが、佳い。
* 最後の一行は不要だ。上出来の文ではない、が、この憧れ心地は、まざまざと思い出せる。京の鴨川べりのホテ
ル・フジタ、地下和食の店での何度も繰り返した体験だ。外のくらい夜の窓ガラスには、これに似た別世界がよく浮かび出る。妻と箱根ホテル小涌園のレストラ
ンで食べていたときも、名古屋城ホテルで食べていたときにも、窓の外の夜闇に、得も言われずほの浮かび上がる他界が見えて、あっちの世界へ移動したいと、
言い合ったかひとりで想っていたかは忘れたが、目がそちらへそちらへ向いていたのは懐かしいほど思い出せる。
映画「グラン・ブルー」の男達の、深海に潜って行けばもう地上へ「戻る理由がない」と言っていたあの気持ちが痛いよう
に分かるのは、こういう下地が自分にあるからだとも分かっている。むろん「戻る理由」の在る、理由をしかと持った世界をわたしは今も身に抱いているからそ
れはまだ「夢」なのだが、それが無くなってしまったら、「戻る理由がない」現世へ戻ろうとなどしないだろうなと予感している。大事なのは、むろん「戻る理
由」である。
* エッセイの第四頁に、外国語に翻訳された作品を書きこむことにし、手始めに「NOH=能」を掲載してみた。スキャン
に難航した。読みとりがわるく、校正に、はなから書き込みと変わらないほど手間と時間とがかかったが、ちょっと面白い作業であった。訳者にお礼申し上げ
る。
* 一月六日 土
* 午後、今年初めての外出。まず毎日新聞記者と一時間半ほど、「e-文庫・湖」の話をした。漫然とあれこれ話し
たので、どんな記事になるのか見当がつかない。そういうことは、ま、任せていいだろうと思う。感じのいいインタビュアーで、わたしは、対話をただ楽しんで
いた気分。ペンの理事会で、いつも後の記者席にみえている人であった。
池袋もメトロポリタンホテルも、なにやら正月らしく人の往来に元気があった。三連休だとか、知らなかった。
* 続いて、院卒の元女子学生と同じところで逢い、東武の「美濃吉」に移動して、ゆっくり、食べて、呑んで、いろ
んな話を楽しんだ。口数の少ない静かな人なのでわたし一人が話していたようなものだが、それはそれで、何の問題もなく、とても寛いだ気分になれた。京料理
に、彼女は白いワインを、わたしは赤と、それから日本酒を少々。パソコン誌の専門記者であり教わることも多かったけれど、他方、わたしの気持ちには、この
人に、また新しい可能性をそろそろ開拓して貰えるのではないかという、内心の希望的観測ないし期待があり、やや激励したい動機を抱いていた。過剰にならな
い程度にそういう話もした。
教室の頃はいつも十時か十時半方角に席をしめていて、大きな階段教室でも、視線のまっすぐ来る学生だった。よぶんな飾
りのない真っ直ぐな「挨拶」の書ける人だった。教室では腰掛けているので勝手に小柄な人と見ていたが、じつはすらりと、わたしほどの背丈のある、たいへん
スタイルのいい女性で、勤務三年を経て都会的ないいセンスのインテリジェンスを感じさせてくれる。
シグマリオンの実物をみせてもらい、使い勝手も教わって、まず、これが欲しくなった。二月過ぎて新しいパソコンを買う
ときには、御一緒しましょうと、応援を約束してもくれた。こころづよい。
美濃吉の正月料理は今ひとつで、気の毒だった。口直しに、もういちどメトロポリタンに戻ってお茶をのんだ。
同じ有楽町線の小竹向原で別れ、わたしは直通で保谷にもどった。
インタビューも気持ちよく済み、若い友だちとのデートもかなり長時間和やかに楽しんだ。やはり東工大にいた夫君は、今
日は会社に出勤であった。彼もホームページなどは専門家で、知恵を借りたり助言して貰えそうなのが有り難い。
* 年賀状がまだまだ届く。あまり元気そうでないメールの人も何人かいて、気になる。気や心を病んでいるか病み掛 けている人というのは、決して少なくない昨今である。世紀末も通り過ぎたこと、なんとか明るく願いたい。北海道へ旅した三十前の女性読者から自筆でホテル の便箋何枚にもびっしりと旅の思いを綴ってきた手紙が、読み応えのあるいいものだった。ほそいペンで、海辺の風景が細密に描かれた一枚も入っていて、いか にも心落ち着いて優しい佳い旅に想われた。繪の巧い人はいいなと羨ましい。
* この正月三日に、だが、わたしも、ボールペンで繪を一枚描いてみたのである。階下の机のまえに坐ると、澤口靖
子のデビューして余り間もない頃の初々しい顔写真が掛かっている、それを、ふと、描き写してみたくなり、裏白の紙をもちだして、まず額髪のきわの線から描
いていった。たいがいなら投げ出すだろうに、何となく何となく描きすすんで、当人が見たら必ず泣き出すのではないかと想う気の毒な顔になって行ったけれ
ど、諦めずに、顔かたちも、髪も、襟元から肩先から胸元まで、ざっと描いてしまったのだから、我ながら、えらいぞと思った。この前に「繪」らしきものを描
いたのは、五十年も昔、新制中学での図画の時間にであり、以来、繪を描くなんて、大嫌いな茄子を口にするか、おそろしい蛇に目をむけるか、と変わりないほ
どあり得ぬ仕儀であった。それなのに、曲がりなりに一心に描いたのだから、びっくりした。妻もびっくりした。日付を書き入れて署名しろと言った。澤口靖子
は承知しないと思うので、ただの「女の繪」と思うことにし、2001年1月3日と、日付だけを書いたが、やはりこれは処分する気でいる。ふしぎと、味わっ
たことのない、だが、いい気分であった。靖子ちゃんに感謝している。またトライするかも知れない。
* 一月七日 日
* 昨日もらった長い手紙は、また読み返して、いいものだった。とりとめないようで、書くべきはいろいろに書いて
あり、旅情をよく感じさせた。女の一人旅というだけではない、最近に父母に死なれ・死なせた思いに重ねて、我が身を励ましている、見直している感じが気持
ちよく出せていて、巧みでも達者でもないにせよ、述懐がそのままの文藝を成していると感じられた。「e-文庫・湖」の紀行頁に書き写してみたい、お許しを
得て。
* 二月歌舞伎座昼夜の券が我當の番頭さんから速達で届いた。嬉しくて、そわそわする。初春昼興行はもうすぐ。新三津五
郎の「喜撰」、そして玉三郎を楽しみにしたい。
十四日には梅若万紀夫の「翁」に行く。三番叟はだれが演じてくれるか、元気を貰い受け、清まはって来たい。
十六日は、俳優座の「十二夜」がひさしぶり。ミュージカル仕立てらしく、楽しみ。そのうちに京都へも。美術展の開幕に
顔を出すだけだから気軽なものだが、去年はひどい風邪を持ち帰ってしまった。あの風邪のさなか帝劇の楽屋で「いちばん綺麗な」澤口靖子と話し、ならんで写
真に撮られてきたのだった、もう一年になるのだ。
* 一月七日 つづき
* 夕方から、雪もよいに急激に冷えてきた。それでも妻の誘いで、近所に最近出来たイタリア料理の店へ歩いて出掛 けた。ちょっとわが保谷の田舎とは思えない綺麗なつくりの静かな店で、ワインの品揃えがなかなか、料理もきちっとしたコースで出る、こういう店が保谷に欲 しいなと願っていた通りの、佳い店であった。気の毒なほどすいていて、客はわれわれだけ。ウェイトレスが可愛く行儀よく愛想がいい。猪瀬直樹が「ぜひ読ん で」と年賀状にまで書いてきた『黒船の世紀』や、また好評嘖々の彼の『ピカレスク=太宰治』を話の種に、のんびりと温かく、食事してきた。赤のグラスワイ ンを二種類もらったが、ことに一つが旨くて、つい三度もおかわりしてしまった。パンも旨かった。パンの旨い店は安心だ。
* また新しい、「Serpent : from Representation to Shared
Awareness and
Results」をスキャンしはじめた。文字がこれは大きく、読みとりが宜しくて、校正がはかどるだけでなく、英文を読む楽しみも味わえる。
版権も著作権も期限切れで、なかなかの読み物が幾らもあるのは当然だが、そういうもので、復活させたい珍しいものも
「e-文庫・湖umi」に入れて行く。いまも、一つ佳いものを見つけだし、スキャンをはじめた。旧仮名遣いで正字の原稿を読むのもまた頗る楽しい。
* 例の近世社会の身分的周縁者たちの「叢書」第一冊を、面白く、本を傍線で真っ赤に汚してしまうほど夢中で読み 上げた。「神道者・神子・祭礼奉仕人・三昧聖・道場主・虚無僧・陰陽師」などの巻だったが、どれも、目から鱗の落ちるほど納得させられた。虚無僧のことな ど、ほんとうによく知らなかったことが分かり、そのことに感動してしまった。中世では「薦僧」でしかなかった存在が、禅の普化宗から、江戸時代中頃には 「侍慈宗」化し、武士身分に特権的に変貌して行く。幕府行政とも巧みに切り結びながら、盛んに、私利にちかい権益の質と量を却って広げて行く不思議な成り 行きと、ついには、村方庶民の知恵と団結と、(寺社奉行所ならぬ)勘定奉行所の力とで、衰退への道へぐいぐい押し戻されて行く経緯など、小説のように面白 い。町方役人などの手では、あの「法閑」といわれるかぶりものを脱がせることは許されてなかった。武芸をつねに心がけ、懐剣小刀の類は身に帯びていなけれ ばならなかった、など、あの侘びしげな「薦僧」身分から、町人や農民を排除しつつ、そのような武士身分に準じた独占権益を謳歌し得る「団体」にまで組織を 成しあげていった、人と時代との不思議さに驚いてしまう。そういう際に、伝来の権益を保障する旨の「文書」が偽造されて行く、それが、幕府行政をまんまと 縛る形になるのも、面白い。むかしに読みいたく刺激されまた教えられた、いわゆる「河原巻物」の類が、いかに周縁身分の者たちに大事にされていたかが、よ く理解できる。周縁庶民が差別を受けつつ、じつによく団結して、時代と社会とのなかで人知を尽くしていわば一種の闘争を継続しているのにも、感銘を受けず におれない。同時に、「本所」と謂われる存在の意義にも驚かされる。神道者の吉田家、白川家、三昧聖の東大寺龍松院、陰陽師の土御門家などである。江戸時 代物を書いたり創ったりする人が、こういうきめ細かな研究成果に拠らないでは、誠実を疑われることになるだろう。
* ペンの会員の相原精次氏から、今度は「文覚」に関わる一書を贈られた。文覚はふしぎな存在であり、その混沌と した実像に迫るのに、近代の彫刻家荻原守衛の代表作「文覚」の謎を追求しつつ推測が深められる。面白い「考察の対象」が、とだえもなく現れて世の識者を刺 激するわけだ、読んで行こうと思う。
* すでに大勢の方から反響があったと思いますが、テレビの週刊ブックレヴューで、次週、「湖の本」が取り上げら
れますね。とても良いことだと思います。マスメディアの影響は大きいですから、どのような波紋なのか興味があります。もっとも、発送の手作業の範囲を超え
るようだと、これまた問題でしょうし・・いずれにしても、どなたが取り上げたのでしょうか?
秦さんはご存知なのでしょうか。次週が待ち遠しいかぎりです。そういうときに限って見過ごしてしまいがちですから、よほど気をつけたいと考えています。
竹内(整一)さんへの賀状にも書いたことなのですが、以前飲んだ際に、「秦さんにいいと知ってもらえる仕事を、一緒に
やりましょう」と言われ、共感したことを覚えています。いずれそういう共同作業ができるといいですね、と。
今年は、もうすこしキーボードに向かう時間をとりたいと思います。お会いできるのを楽しみにしております。
* この番組は、まったく見たことも聞いたこともなく、どこでどう見るのかも知らない。『日本語にっぽん事情』の
巻を取り上げるのか、「湖の本」シリーズとして取り上げるのか、それも知らない。本屋さんに本のない本を取り上げるのはどうなのかなと、わたしの方で心配
している。わたしのところにも、もともと、そんなに多く在庫の在るわけもなく、「マスメディアの影響」がアタマの上をどう無事に通り抜けて行ってくれる
か、だ。わたしは、ただ、佇んでいる。息子へのメールのついでに、たぶん、BSだろうけれどと伝えたが、もしそうなら、わたしの家では見られない。BSを
見られるようにするのは簡単だが、映画の魅力に引きずられ、仕事や外出にしわ寄せの行くのは努めて避けたく、そういう誘惑には、乗らぬようにしている。一
頃は、息抜きに、器械で碁や麻雀も楽しんだが、いまは全くその気もなくソフトも削除してしまい、忘れ果てている。
しかし、昨日白澤さんに聞いたが、彼女の使っているソニーの器械だと、テレビがそのまま映るのだと。そういうことを聞
くと、つい、それもいいなと思ってしまう。映画の映せるパソコンの話などを耳にすると、耳がピンと立ってしまう。さしあたり、早く、シグマリオンを買いた
い、買うぞと、息子に伝えてみた、が。
急務は、だが、「e-文庫」の増頁なのだ。どうも怖くて、まだ自力で手が出せずにいる。
* 一月八日 月 成人の日
* 建日子が三十三歳になった。わたしが太宰賞をもらって表舞台に立ったのが満三十三歳半の桜桃忌だった。書き始
めて七年、私家版を四冊造っていた。東大保健学科の木下安子先生から五百円のお祝いを頂戴した、それだけだった。私家版とはそういうものだ、150冊ない
し300冊を製本してもらった、医学書院に出入りの印刷所に。最初の一冊はガリ版だった。シナリオを二作入れていた。その次からが小説集で、最初の一冊に
は歌集「少年」を巻頭に収めた。三冊目まではペンネーム「菅原万佐」名義で出した。四冊目「清経入水」は、もう雑誌「新潮」の依頼を受けていた時期のもの
だが、そっちの話が容易に煮えないので勝手に本にし、気の遠くなるような偉い人にばかり送ったのが、まわりまわって筑摩書房「展望」での太宰賞最終候補に
ねじ込んで貰えていた。人の運というのは不思議なもので、この時もわたしが自分の意志で応募したことではなかったし、後年の東京工業大学教授に就任したの
も、まったくあずかり知らぬ世間できまっていた人事だった。要するに、無心にであれ、人の認めてくれる仕事をし続けていることが運のめぐりになってくる。
何もしないでうまい夢だけみていてもダメだ。
建日子は、もうこの年齢までに、曲がりなりにもまともに木戸銭を戴いて、劇作・演出の舞台を一ダースほど重ねている
し、テレビドラマ脚本を、単発や連続でもう相当回数放映してもらっている。わたしより遙かに早いスタートに恵まれてきた、ただ、まだ質的充実をみせた作品
は、舞台で一つか二つか、テレビでは無いに等しい、このうるさい父親の眼には。これからだと思う。
幸い従兄弟に、小説や評論の黒川創が、これまた、うんと早くから好スタートを切って走っている。競争の必要はないけれ
ど、刺激的な好環境にあるのは、創にしてもそうなのだ。若い人たちに真摯に努めて欲しいし、見守っていたい。間違いなく、創は、次の芥川賞候補に挙げられ
ることだろう。期待している。
* ほら貝の加藤弘一さんから、内容たっぷりの佳いファイルを贈っていただいた。連載の「作家事典」で横光利一の プロフィールなどが丁寧に書かれていて、また佳い映画作品の紹介などあって、感心した。「メールマガジン」と銘打たれてある。マガジンとはこういうものな んだナと思う。わたしの意図していたのは、やはり、「e-文庫=archives」なのだと納得する。送ってもらったその「メールマガジン・ほら貝」に は、これまでも、これからはいよいよ、注目し対処しなければならぬ「自治省独自文字コード」関連のとても旨く纏められた巻頭記事もあり、できればエッセイ としても読まれたいので「文庫・湖」に頂戴できないかとお願いしている。
* 大阪松竹座での「ちょいのせ」が評判で、扇雀のお染に、なんと我當の息子の進之介が久松役と。お誘いという か、誘惑というか、が、複数でかかってきている。京都へのついでに見てきたいが、去年、この松竹座でもらってきた風邪がとてつもなく執拗で猛烈であったの を思い出すと、二の足を踏まずにおれない。歌舞伎座の大和屋襲名を一月二月と続けて観るのだから、と、虫を、ぐっと抑えている。
* この数日夜の十二時になると、妻に、強引に器械の前から剥ぎ取るように離されてしまう。もっとも、それから本
を読み出すのでたいして違いはないのだが、昨夜は叢書の第二巻めから、「庄屋」と「八王子千人同心」とを読んだのがタメになった。引き続いて猪瀬直樹君の
『黒船の世紀』を、これがまた読ませる面白さで、すっかり夜更かしした。直樹さん、たしかに、うまい。自在に勢いよく話題をぶんまわし、飽きさせないのが
えらい。こういう本のそばにあるうちは、精神衛生が維持しやすい。味のいいお薬である。彼は長野県の人と、本の後の方をみて知った。彼には長野の知事を
やってもらうより、書く方を期待する。田中康夫君は、知事が向いている。前からそう思っていた。石原慎太郎は、少なからず図に乗って最近はイチビッテい
る。憲法に誠実な態度をとらない首長を民主主義社会で持ち上げる気にはなれない。アメリカの大統領就任の宣誓でも、なによりの誓いは「憲法」へのものだ。
石原のいまの姿勢は、イチビッタ太陽族の頃から一寸の前進もないガキ大将の小児性マルダシではないか。
* 一月八日 つづき
* 大阪の谷崎学者三島佑一氏から「『細雪』の船場ことば」を贈られた。三島さんは生粋の船場育ちであり、これま
でも大阪や関西に取材された谷崎作品を、きめこまかに検討してこられた。この考察はただに谷崎の作品論というばかりでなく、「地の言葉」なるものへの愛着
に満ちた視線の深さを感じさせる。そこに読み甲斐がある。
また石田波郷の、また瀧井孝作の謙虚な弟子である俳人奥田杏牛さんが、「自撰五十句 芋の露」を下さった。奥田さんは
いま「安良多麻」を主宰されている。瀧井先生への思い出をなかに、久しいご縁である。
ともに「e-文庫」に掲載を終えた。
* 一月九日 火
* 滑るように日が経って行く。
* インシュリンの注射針を、二の腕の、血管というより神経にでも刺してしまったのではないか、コリコリとした痛 部がはっきり意識され、そうっと服の上からふれるだけでも、左肩から指先へまで、電気の帯のように猛烈な痛みが走り、しばらく鎮まらない。腕の上げ下げ、 キイを敲くのには何も支障は無いのに。
* 湖の本の通算第66巻を入稿した。肩の荷が、ひとまず少し軽くなった。
* 夕刊で、黒川創が芥川賞候補に挙げられたのを見た。必ずこうなる日を待っていた。文運を祈る。兄は喜んでいる だろうか。 それよりも、われわれの実父母が冥土できっと嬉しがっているだろう。
* 電話で許可をとり、「e-文庫・湖umi」第8頁に、紀行文として、村上泰子さんの「サロマ湖から」を掲載し た。湖の本の読者。東京の保育園に勤務。一度だけ、もう十数年まえに、フードピア金沢の宴席で挨拶したことがあり、以来逢わないが、文通は繰り返しあっ た。今度の手紙は、孤心・孤愁を抱いての「旅」なる意味を、淡々とした筆致の奥に静かに置いていて、優れた文藝価値を感じさせる。「紀行」のもっとも純な る述懐に富んでいて、とりとめなさに、もののあはれがにじみ出ている。細いペンで描いた、ホテルの窓からの清楚で巧みなサロマ湖眺望画を、うまく誌面に取 り込めないのが、残念。こういう才能と境涯を生きる読者が、わが「湖の本」には数えきれずおられると感じている。十五年の、六十五巻のお付き合いである、 そういう実感が親類づきあいより深く食い込んでいる。
* E-文庫の増頁作業に難航。教わってもなかなか難しい。辛抱よく粘るしかない。
* 一月十日 水
* 例の叢書の「文化・芸能」巻の総説を読み、ついで「鉢叩き」の考察を読んで、あまりの面白さに興奮してしま
い、夢の中でまで、いろんなことを思い続けていた。中世の鉢叩きから近世後期の鉢叩きまでには、大きな、行儀や容態の変遷がある。空也寺の、「本山」とし
て果たした、或いは利用された、したたかな意義というものがある。踊り念仏から茶筅づくりへ、また踊躍念仏へ、そして各国に「末派」を組織し一大集団を形
作って行くに当たり、いかに幕府行政や朝廷公家社会の伝統権威を取り込もうと努力してきたか、等が、ありありと実証されて行く、面白さ。
「鉢叩き」に興味を覚えたのは、与謝蕪村に幾つも優れた繪や句があり、わたしは、ひそかに、彼の母方出自に、この鉢叩き
末派とみられる丹後の「鉢(屋)」が関係してものと読んできたからだ。そのことは、『古典愛読』にも『風の奏で』でも、また『あやつり春風馬堤曲』その他
小論小文でも繰り返し触れてきたが、昨夜読んだ論文は、蕪村には微塵も触れていないし、論考の有り様からしてそれは自然なのだが、なおかつ、わたしの蕪村
考察をもかなり力強く支持してくれていたのである。
わたしが、蕪村周辺に「鉢」(「茶筅」などとも)を感じた最初は、彼の「根」の出自に触れている母を追善の「花摘」連
句中に、「母びとは藤原うぢ也」という一句があったからだ。伊勢物語にからめた述懐なのは言うまでもないが、この「藤原」とは、地域によって独特の意義を
与えられている呼称であって、転じて「藤内」の呼称にも繋がり、(蕪村に即して謂うのでこうなるが、もともとは「藤内」を意識した「藤原うじ」なのであろ
う、と。)これは「十無い=八=鉢」と読まれてきた独特の文脈に絡められているのである。蕪村は、母方の出自にこの微妙に古典的な「藤原氏」を置くこと
で、「藤内」から「鉢(屋)」への道筋を自ら告白的に示していた、と、わたしは今でもそう読んでいる。それかあらぬか、蕪村の「鉢叩き」の繪も句もきわめ
て優れており、あたかも自画像の深まりをもっている。
そういう読みを、わたしは或る確信を持って示し続けてきたものの、そういう指摘も推測も、他の研究者や識者から聞くこ
とはかつて一度も無かった。当然ながらわたしの推理に触れて「是非」した議論もなかった、が、今回読んだ「鉢叩き」論考は、かなり、わたしには有力な議論
の足固めを得られた気がしてならぬ。それだけでも興奮して眠れなかった、無理もないのである。
* 近世の初めに、公家から末賤にいたる「職業」や「芸能」を分類した、みごとな事典がある、が、それらの裾野の 民を、近世社会に視点を据えつつ歴史的に後追いしてくれるような仕事は、これまで、雑誌論文をひろく渉猟する以外に簡単には読めなかった。もう柳田民俗学 のような査察だけでは、とても、実情には迫れなくなっているのである。柳田学のレベルから深く細かく知りたいと願っていたのが、今回吉川弘文館の「周縁」 叢書は満たしてくれる。門外漢には有り難い学恩である。どうしても中世どまりで、研究や言及の勢いが近世にはいると落ちると思えてならなかったが、あらた まった。何といっても近世に、江戸時代までに及ばなくては、歴史研究が現代をぢかに裨益することは難しいのである。
* 英文の、わたしの「蛇」論を今スキャンし校閲している。これも「周縁」叢書の趣意に繋がっている。
* バグワンの「ボーディーダルマ」も欠かさず読んでいるが、じつに、感じ入る。文庫を増頁できたら、版元の「め るくまーる社」の許可を得て、バグワンを抄記・紹介したい気持ちに駆られる。廣く読まれねば、もったいない。
* 夜通しひどい降りだったのが、きれいに晴れて、やや気温も持ち直しているか。早朝は、胴震いのする寒さであっ
たが。
* 一月十日 つづき
* 年賀状の住所をアウトルックのアドレス帳に詳細に入れていった。昨夜からはじめて、五分の一か六分の一ぐら い。面倒な作業だけれど、やってしまえば、あとあとは便利になる。一人一人とすこし向き合う感じなのも、人によるけれど、総じて悪くない気分である。十日 ほどかけ、タバコのかわりに書き取って行く。
* 雑誌「本とコンピュータ」が届いて、さっきから鶴見俊輔さんの対談を読み始めた。対談というのは、切り結んで いないとちっとも面白くない。一人がもう一人への相槌、是認的な相槌ばかりでは対談の意味がない。
* 初春の阿波路を走る
県内十三郡市のチームが健脚を競う、徳島駅伝。箱根駅伝も素晴らしいデットヒートを見せてくれましたが、こちらもそれ
に負けないものですのよ。なんていったって、阿波路を三日間をかけて駆け抜けるのですから。最終日はラジオで完全実況中継をしてくれましたので、仕事をし
ながら楽しむことができました。
オリンピック出場の犬伏孝行選手や、箱根駅伝に出場していた選手たちの顔もあり、沿道の応援にも力が入っていました。
長丁場になるこの駅伝では、同じ選手が異なる区間を再度走ることもあります。今年は犬伏選手が出身地の麻植郡コース
と、アンカー直前のコースの二回を走り、おおいに沸きました。もちろん総合優勝は麻植郡チームでしたが、なんと、郡部の優勝は、一九六一年の第七回大会以
来、四十年ぶりとのことでした。
中学生の区間や女子の区間が特別にもうけられていて、親子や姉妹、兄弟で出場ということも。今回の出場選手たちの中に
は、都道府県対抗女子駅伝の選抜選手もいて、期待がおおいにもてそうです。弘山晴美さんや市橋有里さんたちを目標に、さらなる飛躍を誓う彼女たちの活躍を
祈りたいと思います。
明日には雪模様になりそうな東京だそうです。寒気にはご用心ご用心!御身ご大切に、暖かくなされてお過ごしくださいま
せ。
* 二三日前に読んだメールだが、しっかり日々に働きながらの、この共感、楽しみよう。無用の議論のための議論で はない。人が生き生きと生活している、それが美しい。
* 光について莫大な知識をもっていても、暗闇は照らせない。われわれの人生は暗闇なのである、概して。そんな中
で知識の切り売りのようなことばかりしているインテリでは、我が身一つも癒すことはできず照らすこともできない、ということを、わたしは痛感している。哲
学も宗教も科学も、真に照らす光は放っていない、光の知識をひけらかしてばかりいる。それでは間に合わないと、わたしは思って、じっと自分の身内を、その
闇をのぞき込んでいる。かなしいかな、わたしは、まだまだ闇そのものでしかない。自ら発光していない。なにも分かっていない。手を引いてくれているのはバ
グワンだけである。
ビトゲンシュタインは、その自らの哲学を、要するにそんなものは何の役にも立たないと確認するために築き上げたに等し
い、体系的な哲学など、哲学学など、真の悟りの前にはただの有害な壁にすぎないが、そう「悟る」に至るに必要な存在ではあった、と言っている、そうだ。真
偽は確かめないが、真実だと思う。話題を切り口だけで何となく面白げに、高尚に、また洒落て、どんなに座談してみてもそれは光ではない。いわば光について
話しているだけだ。
* 一月十一日 木
* 朝いちばんに佳いメールが三つ入っていた。
* 朝の月
今朝、起きたら月夜でした。満月です。日の出は 7:01。
明るくなってみると、車も家も、屋根が真っ白になっています。霜かしら。
朝御飯の、茹で卵の殻が、珍しくつるりとむけました。福で明けた朝です。
* プラスに。
hatakさん。 やっつけ仕事を終えて、帰宅する前にちょっと書いていきます。
村上泰子さんの「サロマ湖から」読みました。
北海道の冬の天候を「今日の天気は、パイ生地のようにグレーの雲が重なった下に、水色のクリームが一層はさまっている
という風。」とは。住んでいるだけによく分かり、唸りました。その後の、「ざくざく」もパイに効いているし。
さらに、「哀しみは時が癒すと言いますが、悲しみは心の底に静かにしずんでいるだけで、また雨が降ったり風が吹いたり
木の葉が落ちれば、池の水のように悲しみ色に戻ってしまいます。」には、今澱が沈んで行きつつあるところだけに、こういう表現が良くできるなぁと感心しま
した。
いろいろな人の文章を読むのは楽しいですね。次に何がでてくるのか、楽しみにです。
台湾に申請していた特許が受理されました。漢字ばかりの特許証が送られてきました。
特許→専利、ウイルス→病毒、知的所有権?→智慧財産。なんとなく類推できます。
日中は幾日かぶりに気温がプラスになり、雪が解けて水たまりが出来ました。今はまたかちんかちんに凍ってしまいました
が・・・。これから、その上を車で、スケートのように滑って帰ります。 maokat
* そして、小森健太朗さんにいただいた次のメールが嬉しかった。
* 十日の「私語の刻」で紹介されているウィトゲンシュタインの言葉は、バグワンが『究極の旅』で言及していた発
言によるものかと存じます。元の出典は、『論理哲学論考』の末尾の箇所ですね。引用してみます。
「わたくしを理解する読者は、わたくしの書物を通りぬけ、その上に立ち、それを見おろす高みに達したとき、ついにその
無意味なことを悟るにいたる。まさにかかる方便によって、わたくしの書物は解明をおこなおうとする。(読者は、いうなれば、梯子を登りきったのち、それを
投げ捨てなければならない)」(坂井秀寿訳・法政大学出版局『論理哲学論考』199-200頁)
* これをバグワンは、バグワンらしく深く読んで端的に引き、わたしはわたしの思いを添えて読みとっていたことに
なる。
* 一月十一日 つづき
* 歌舞伎座。十代目三津五郎襲名初春興行。真中央の六列目。遠めがねの必要、全然なかった。定式幕に替わり、艶
やかな祝い熨斗の幕に「十代目坂東三津五郎」の名も晴れ晴れと大きく。
お目当ての「寿式三番叟」が断然の佳さ。羽左衛門の翁、菊五郎の千歳、そして団十郎の三番叟。当代、これ以外に考えよ
うのない顔ぶれで、清々しいかぎりであった。能舞台の翁や三番叟にくらべると遊び心が先立つけれど、羽は老いて尊げに、菊は艶に清潔に、団十郎は若々しく
も美しく、黒い尉殿と素面の成田屋とを冴え冴え演じ分けて、凛々しかった。嬉しく、清まはった。成田屋贔屓の妻は、「いとしいほど可愛らしく舞ってくれ
た」と大満足も、褒め過ぎと思われない三番叟であった。
「熊谷陣屋」は、高麗屋。女房相模の雀右衛門が姿形よく、じつに正しい歌舞伎。藤の方の福助は悪声が気になったが、演
じるにつれて落ち着き、敦盛母らしい格と若さが出た。宗十郎が病気休演で田之助の義経は気の毒だった。弥陀六は左團次で、今ひとつ芝居が静かに乗らなく
て、まだまだの宗清だなと思った。彼はそれより「御所五郎藏」の敵役の方がはるかに柄も生き、面白かった。一つには、橘屋で観たかつての弥陀六の枯れた凄
みが目に残っていて、左團次ではそこまでやれなくても致し方ない。
さて熊谷の幸四郎だが、前半の口跡にねばりが出て明晰を欠き、それで損をした。そういうことになるのは、いつも言うこ
とだが、彼は「歌舞伎」をやるよりも「演技」を考え過ぎるので、実情というヤツを役柄に乗せよう乗せようと演じてしまうから、かえって熊谷がせせこましく
情に迫って、情に流れてしまうのである。大柄に悠々と演じても自然に哀れはにじみでる役なのであり、泣くまい泣くまいとしても泣かされてしまう芝居だけ
に、幸四郎には、もっと大きく剛毅に直実をやってほしかった。父親たる哀れが勝ち、子をすら殺してしまう武家の辛さと哀れがかすれ散ってしまうのは、この
大歌舞伎の味をこぢんまりと薄めてしまいかねない。幸四郎が好きなので言うのである。
* さて、襲名の演目は「喜撰」で。新三津五郎は、八十助のままでなら、もっと鮮やかに気楽に踊って喝采をえただ ろう。すこし家賃高いか、緊張か、踊りが重い。権高く美しい限りの玉三郎に、きれいに踊りを食われていたのが、ま、致し方ないが気の毒だった。仕方ないと ころもある、大和屋の藝は、ひとつは舞踊、ひとつはワキ役である。華やかな襲名舞台の最初から頭を剃った坊主役で出てこなくてはならないのが、出しものと しても気の毒なのである。以前の仁左衛門なら、熊谷も、助六も、伊左衛門も、松王丸も、つまりどんな主役も演じられ、華やかな上に華やかだが、三津五郎で はそれが利かない。所化に大勢が出て応援してくれても、それだけの人数を従えて舞台を盛り上げる大きさを、もともと要求されてはいない役者で、家で、気の 毒を繰り返すようだが、その通りであった。大事に至らなかったが玉三郎の櫛がからりと落ちたのは珍しいことだった。そこはソツのない仕草で玉さん、綺麗に 通り過ぎたけれども。
* キリの芝居は菊五郎の「御所五郎藏」で、言うこと無しの粋な歌舞伎。左團次が憎体をしぶく抑えてそれなりに立
派な敵役をみせた。芝翫の立女形が、この舞台では、大きなしどころ無く気の毒千万、気が入った芝居とはとても見えなかった。むしろ菊之助の若々しく美しい
女形姿が、見栄えもし口跡も美しく、この若手、観るたびにみごとに育っているから頼もしい。
肝心要の「十代目」は、菊と左の喧嘩仲裁役に、一幕にちょいと出だけの、しかも降るようにゾメキの景気が寄らねばいけ
ない場面でも、役者が間を外しかねないほど、声がかからない。なんともなんとも気の毒千万であった。しかも二幕には顔も出ないちょい役なのである、もう少
し人気の元八十助のためにも、初春開幕、昼の部の演目を工夫してやれなかったかと、松竹のお偉方に、大和屋にかわって苦情を言いたい。
* とまあ、そんな按配であった。一つには、終始、左の肩から二の腕に掛けて津波のように痛みが寄せてくるので、
思わず呻くこともしばしばの悪条件。それで芝居を見損じたとは、だが、思わない。
銀座元木屋で、大安売りしていたセーターを、わたし用に二着買い、一丁目の「銀座アスター」で、久しぶりに中華料理を
食べた。料理以上に、加飯紹興酒と、妻に睨まれながら追加したマオタイのグラスが、断然旨かった。マオタイという酒はなんと旨いのだろう。「クラブ」へは
寄らず、明治屋で大好きなブルーチーズばかりを三種類ほど買い、有楽町線で保谷へまっすぐ。駅の近くの、この頃気に入りの「ペルト」で、熱いモカを飲んで
から家に帰った。
二月は昼夜襲名興行を観る。昼の部は前から四列、花道の真傍という好位置で、我當にも逢える。そして「襲名口上」のあ
る夜の部は、中央のとても観よい席が取れている。親友で歌舞伎学者の倉持光雄氏は天井桟敷からの観劇にも味があるという説だが、もう目のよくないわたした
ちには、やはり落ち着いてよく舞台の見える、見渡せる席がうれしい。あえて贅沢をいうのである。
* 日曜には、梅若万紀夫の翁と野村万作の三番叟を、こんどは能舞台で観る。去年は萬斎の三番叟が、よさそうで、
さほどでなく、案外だった。今年は父親の名手万作だ、期待している。すかあっと清まはりたい。
* 一月十二日 金
* やっと、E-文庫・湖の増頁に、また、一歩前進した。もう少しだと思う。聞いて聞いてやってみて、出来てみる
と、昔、上京して間もなく、医科歯科大學病院の前で、お茶の水駅はどこと人に尋ねたのと似たことをやっていたのが、分かる。だが、分からなければ目の前の
ものも見えない。見えていても分からない。そんな初歩的なことで、手を引いて、我が手をそれへ添えて、これですよ、こうと教えてもらえるのは、本当に有り
難い嬉しいことである。なさけないが、そうまでされて、やっと呑み込めるのである。愚かではあるが、愚かな間は致し方もなく愚かなのである。
自分で自分のマニュアルを作っておくより無いようだ。
八頁しかなかった文庫を二十頁にふやし、別に作業頁を一つ用意した。それで書き込みの重くなるのを避けようという、体
験からの工夫なのだが、巧く行くだろうか。
さしあたり、「戯曲・シナリオ」の頁と、「時事・言論」の頁を設けたいし、ほかにも、思案していることがある。いい原
稿やいい発言を、闇の彼方の世界へ送り出せるのを単純によしとしているのである。難しい功罪はいまは考えていない。
* こんな親切なメールも貰った、が、正直のところ、後の半分以上は、何を言われているのか、どうしていいのか、
意味もよく分からない。いかに呑み込みのわるい機械音痴かと、我ながら呆れて情けないが、また人に教わり教わり、良くして行くよりあるまい。
「ところで、『私語の刻』ですが、ホームページのつくりというか体裁として、少々見づらい点があり、次の二点は改善され
た方がよいのでは、と思うところがあります。
一つは──
過去の「私語の刻」を、時間順に読もうとしますと、今の並び順では、5⇒2⇒3⇒4⇒6⇒7⇒1になりますが、これは
時間順に(1は別にして、)並べておいた方が見やすいと思います。
もう一つは──
各ページに、一日ごとに「ブックマーク」が張ってあると便利で助かるのですが。それがあれば、他のページから秦さんの
「私語の刻」にリンクをはるときに、秦さんの○月×日の記述によれば として、目当ての日に飛ぶことができます。目次代わりにも便利で総覧しやすくなりま
す。いわば、見出しごと(節ごと)にしおりをつける機能です。
ホームページ制作にお使いのソフトは存じませんが、「ブックマーク」という機能はついていると思いますので、是非お試
しください。
* 察してもらえるだろうが、こんなありさまだからこそ、わたしの日々は刺激的に新しい。お顔こそ見ないが、繰り 返し交信している内に、なんだか年来の友のような気分になれる。もっとも、半面、手書きで返事の必要なそれが、ついつい後回しになるのは、これぞデジタ ル・デバイドで、気を付けているが、ついお留守になる。
* 猪瀬直樹氏の『黒船の世紀』は叙事の手法が面白く、その面白さが中だるむと退屈してしまう。日米戦争のなぜ起 こるに至るか、必然とも偶然とも、故意とも偶発とも、ともかくややこしいあれこれの事象を、巧みに日本側から、米国側から、二筋のモノをどこかで一筋に束 ねてはバサバサ料理して行く。包丁の冴えを問うのは難儀だが、包丁をつかう腕力はわほどのもので、見物していて、はらはらしながら感心させられる。なにし ろ鰻よりもよほど相手は大きくて難儀な「時代と民族」という生き物であるが、この著者、慌てるということがない。上手い下手など度外視して、変なもの言い を敢えてすれば、「乱暴なほど悠然と」料理する。脱線して、油も平気で売る。その油の売り方まで自信たっぷりなので、ついつい安心して読んでいる、と、そ のうちにまためっぽう味善う面白くなってくる。つまり、かなりあちこち綻びて見えるのに、ざくざくと包み込んで行く風呂敷型の把握で、そのかわり、叙述は 勝手気ままに自在。むりやりに系統だって格好をつけないから、肩は凝らない。それは有り難い。調査は十二分、飾り立てず事柄をこまかに具体的に書いてくれ るので、信頼感も臨在感も豊かである。しかしまだ半分近いという段階では、どこへ連れて行かれるのかもよく分かっていない。
* 「伊勢大神楽」のことを例の叢書で読んでいる。かちっとした論考であり、資料の扱いも的確で簡潔、この獅子舞
を軸にした「太夫村」などの人たちの、言語に絶して忙しい「回檀」の旅から旅の一年間など、息をのんでしまう。伊勢太神楽と近江国との縁の濃さに触れてあ
り、それが滋賀県愛知郡の能登川辺に及んでいると、わが生母の里でもあり、思わずふうんと感じ入る。近江と伊勢とには縁組している家が多いと感じていた
が。山本という伊勢側の大事な姓と、佐々木という近江側の姓とが、微妙に交錯しているらしいのも、この論文に教わって、目新しい。日々に楽しみが尽きな
い。
* 一月十三日 土
* 新刊の『大塚布見子選集』第七巻から、巻頭の「短歌雑感」数編を「e-文庫・湖」にどうぞと著者のお許しを得
たので、三編を抄録した。現代のある種の短歌へつきつけた匕首である。書かれた年次はもう二十年も昔だが、発言の意義は古びていない、それが悲しいぞと思
う思いもわたしにあった。どれも、以前に熟読した文章なのである。手をうって頷いた文章なのである。大塚さんほどストレートにポレミックな論客はいないよ
うだ、歌壇には。敬服して、目につく限り大塚歌論は読んできた。
言葉の理解や「表現」の意義について、わたしも、『日本語にっぽん事情』だけでなく、繰り返し発言し続けてきているか
ら、大塚さんの言説に大きく手を拍って賛同する面と、わたしならばと思うところも無いではない。それでも大塚さんと論争せずに気の済まないところは少な
く、それより、応援したり声援したりしてきた趣旨が多かった。
いうまでもない、大塚さんがいつも激しく攻め立ててきた馬場あき子にも山中智恵子にも、わたしは久しい友情を持ってき
たし、じつは、ふたりを公に推奨・推薦したこともある。おなじことは岡井隆にもいえる。
だが、また、大塚さんの歌論の明晰に本質を得て揺るぎないことにも、久しく共感し続け、いまも共感している、それもま
た事実である。だから、わたしがその双方の言説や表現をわたしなりに踏まえてものを言えば、明らかに、かなりコウヘイな線が出てくるのかも知れない、た
だ、今、そんなことを手がけたい気が少しもない。
明らかに、「e-文庫・湖」は開け放たれた佳い場所なのであるから、どうか、ここで、議論を白熱させてもらえれば、嬉
しい。呼び出し役をしてもよく、少なくも行司役は公平に出来るだろうと思う。ともあれ、すこぶる読んでわかりいい大塚さんのエッセイを、第三頁の冒頭で、
読んでみて欲しい。
* 一月十四日 日
* 毎日新聞に「e-文庫・湖umi」のインタビュー記事が出たらしい、昨晩、思いがけない、京都新門前時代に同
じ隣組だった「うどん高砂屋」の長女「ひろチャン」の電話をもらった。わたしより三つ上で、五十年ちかく無縁だった人だが、新聞の顔写真に、子どもの頃の
面影がある、懐かしくてと、若々しい声音であった。七十にもう近づいて幸せな家庭人らしく屈託が無い。驚いたことに東京の品川辺に暮らしていると。京都の
市井の人が東京に来ている例はごく少ないのだ、わたしの知る限り。
きょうだいの多い家だった。一人子のわたしにはかなり眩しい圧力団体であった、なにしろ六人もいて、国民学校当時、生
徒数の至って少ない町内で、四人も同じ学校へ通った時期もある。「ひろチャン」はその年上の姉にあたる人で、話せば話すほど、さすがにわれわれにしか通じ
ない話題も多く、懐かしかった。六人のうち二人男の子がもう亡くなっていると聞き、声を喪った。胸に堪えた。
毎日夕刊の記事はまだ見ていない、が、記者の電話では、わたしのURLの「?」が「-」に間違っているという。そうい
うことも、ちっとも気にならなくなっている。
* 昨晩には、湖の本最新刊がBSテレビで紹介されたはずだが、うちでは見られないので、これもヨソゴトのようで しかない。
* 雪景色の朝 お目覚めいかがですか。
子供の頃、水道が凍って、大慌てで、ヤカンの汲みおき水を沸かし、走り回る朝が、何度もありましたわ。
今は、朝の氷も風物詩程度に、快適な生活になりましたが、それでも毎年、霜焼けになりますの。
今週は、可燃・不燃ゴミに加え、空びん・空缶、スプレー缶、古新聞・古雑誌・段ボール、布製品と、毎朝テンテコマイ。
着飾ったおばさま方と、今一番興味ある事について、お喋りしていた時、旅行、宝石、ファッション、お芝居などと華やか
な中に、最後まで黙っていた婦人が、周囲から尋ねられ、「私
? ゴミ。」と答えたのを覚えています。7年前の事。囀雀
* 沢村宗十郎の死を嘆いて、歌舞伎を観るのがもういやになりそうと言ってきた人の、日毎の、こういう、短いが具
体的な事と風情とに富んだ雁信を、わたしは楽しんでいる。概念的にでなく、経験的にものごとに目を向け心を向けて暮らしている人の生き生きした視野があ
る。これも一種の「徒然草」なのであり、纏めて並べてみれば、とてもいいものに成っているだろうと思う。当人も気づいていないこれは一つの才能なのであ
る、へんに意識しない方がいいが。
* 一月十四日 つづき
* 松濤の観世能楽堂へ一時前に入った。此処まで来ると静かだ。
渋谷の日曜はたいへんな雑踏、広い路上を利してパフォーマンスの若者グループが盛んに藝を披露している。人だかりがし
ている。わたしには、食べるにせよ観るにせよ休息するにせよ、もうとても的の絞りにくい喧しい街になってしまっている、渋谷は。手も足も出ぬ間に草臥れて
しまう、騒がしくて。
* 万紀夫と万作の「翁」三番叟は、期待以上の立派な舞台で心豊かに満足した。翁は、直面の出から位高く穏やかに
美しくて、万紀夫の充実感が溢れていた。謡も朗々とよろしく、面をつけてからの「今日のご祈祷なり」もめでたく嬉しく、まさに清まはる気持ちよさにひたっ
た。万作の三番叟は、期待感と彼の高齢との持ち合いが気がかりであったが、熱演で、揉みの段も「黒い尉殿」になっての鈴の段の舞も小気味よく、また、確か
な気合いと安定とで、しみじみ見入っておれた。万作の舞台ともほんとうに久しいが、元気に気分のよく出た狂言舞を今なお見せてくれる。おもわず、ほろっと
目頭へ来そうになるほどここちよい三番叟であった。伊藤嘉章の千歳も凛々しくかった。ただ面箱の少年が、掌の指をおしろげて箱を捧げ持って出てきたのが行
儀悪くみえ、厳粛さに欠ける気がしたが、如何。
それにしても、なんと「能」とは畏しい藝であろう。能の「翁」からみれば、歌舞伎の「寿式三番叟」ほど整って行儀正し
い舞台ですら、見せ物の楽しさに溢れているのだと思えてしまう。能の「翁」は、そういう見せ物では微塵もなく、まさしく寿祝であり祈祷であり、自然の息吹
をふきかけられる神秘の有り難さを感じる。だから鈴をふって丁寧に大気を、大地を清める仕草に、種まきのもどきであるといったあまり露骨な解釈はしない方
がいい。鈴をふる、鈴がすずしく鳴る、そうする一瞬一瞬に、ものみなが祝われ清められ、天下太平と国土安穏という、寿福増長と皆楽成就という、万歳楽とい
う、祈願が籠められる。それが肝心の要だ。
神能の番数も多いが、それらは「脇」能ともいわれる。「翁」の脇に神々が配された世界なのである、能の世界は。日本の
自然はと言い替えてもいい。
* 気持ちがよかったので、その脇能の「高砂」が次に続いていたけれど、失礼し、能楽堂を辞してきた。新世紀、正 月のなかばに、ほぼ例年「翁」の舞台へ招いてくれる梅若家に感謝している。婦人の修子さんにも挨拶してきた。お正月らしく、かなりの入りで賑わっていた。 東工大出の若い夫婦にも券をあげてあったが、来ていたのかどうか、分からなかった。能は、知った人と隣り合ってはみないものである。窮屈に気にしあっては 気楽に居眠りもできない。好きに好きな場所で夫婦で見て下さいと言って置いた。今日の「翁」ならば、観て置いて欲しかったが。
* 渋谷は遠慮し、しかし時間的に三時前では新宿も銀座も半端な気がしたから、池袋に戻って、久々に、そう十一ヶ 月ぶりに、パルコ「船橋屋」の新しくなったカウンターで、天麩羅を食べ「笹一」を飲んだ。となりに七十だという和服の会社経営者さんがしきりに話しかけて くれて、賑やかな食事になった。店で「烏賊」を揚げさせれば一番かと思う職人の前に席を選んだが、やはり烏賊をとてもうまく揚げた。これだけは、明らかに 職人の腕により、うまいへたがある。ほめたら、我意を得たように顔をほころばせ頷いていた。わたしは「笹一」を、お隣りは「久保田」を飲んでいた。
* 買おうかどうしようかと思っていたドコモの「シグマリオン」は、不具合のため回収していると、渋谷のビッグカ
メラで聞いた。店頭から姿を消していた。池袋のさくらやには置いてあった。不具合があるのではと尋ねると、あるという。それなのに売っているのはどんなも
のか。がっかりした。キイの感じはそんなに使いにくいほど小さなものではなかったが、やめた方がいいという声も熱心に掛かっていた。今となれば急かなくて
よかったということか。
* 一月十五日 月
* 一月は理事会休会。昼に小豆粥の雑煮を祝った。いつものように善哉も煮た。甘さは抑えたが、昔からの楽しみで
ある。子どもも孫もいないけれど、木の椀で、小豆の粒をホツホツと舌に転がしながら、雑煮も戴いたし、あいに、善哉も賞味。お正月が通り過ぎて行くなあと
いう一抹の感慨がある。
ことしは、お正月らしい飾りはなにもしなかった。清水六兵衛さんに頂戴した白茶碗、黒茶碗の一対をならべ、日々眺めて
いたのが心新たにいつも清々しい見ものであった。身に余る頂戴物であった。
* 理事会が休みだと、こんなにもと思うぐらい、気がラクだ。言論表現委員会もお休みなのである、今月は。だが電 メ研は休まない。休んでいられない、出来れば任期中にまとめてみたい用件がある。この分野の用件は、追いかけようもないほど日毎に先へ先へつぎつぎに疾走 して行くマラソンランナーたちのようであり、わたしなど、名前ばっかり電メ研座長など名乗っていても、テレビでよくみるランナーのわきを沿道で駆けている ああいう市民と同じことをやっているに過ぎない。それでも、たとえばペンクラブの一般会員や理事達の大方にくらべれば、いろんな情報を手に入れ、少しずつ 咀嚼しているのは確かなので、それを、いい形で会員達に手渡せればいいがなと願っている。その用意を研究会のみなさんにお願いしている。メーリングリスト で日々の討議も重ねている。
* シグマリオンは不具合で回収中と渋谷のビッグカメラで聞いたが、不具合分の回収とは別に、新規出荷分はもうそ れも解消しているから大丈夫ですよと教えられた。キイの大きさは、実物でみて、小さいけれど使えなくはないと感じている。短文には佳いが、秦さんのように 長文を書くにはどうかなという声も届いている。ま、旅先であれ、そう長文を纏めて書くかどうか。ひとつには備忘のメモ、それも文章表現での「即座の記録」 につかうだろうと思う。むかし、旅には小さいマイクを持ち歩いて、感想や属目を吹き込んで帰った。『北の時代』では大いに役に立った。だが、吹き込んだモ ノを、紙やノートや原稿用紙に書き起こすのは大変な労作であった。その代わりが、シグマリオンのような軽そうな器械で出来れば、旅先でマイク替わりに便利 に使えるかも知れない。画面が明るいかどうか、カラーまではのぞまないにしても、バックライトが十分明るくないと目につらい。使い疲れる。むかし東芝ワー プロのモノクロ器械が、信じられないほど画面が暗く、アタマに来て東芝製品から離れてしまった、それも、ワープロをやめてパソコンへと熱望した一動機だっ た。目が大事なので、画面の暗いのとフォント表示のあんまり小さいのは、辛い。
* だが、それよりなにより「e-文庫・湖」の増頁が完了しないことには。すでに、なにもかも出来ているかのよう でありながら、自分で自分のホームページを出してみて、増頁したファイルを開こうとしても、Not Found The requested object does not exist on this server. The link you followed is either outdated, inaccurate, or the server has been instructed not to let you have it. Please inform the site administrator of the referring page.と出てくるだけ。英語は読めるけれど、対して成すべき手順が把めていないのだから、愚かしいハナシである。もういちど、学生君達にいろいろ貰っ ている「教科書メール」をよく読み直し、最初から、やり直すしかない。
* 病院から盗まれた赤ちゃんが見つかったのは、よかった。筋弛緩剤を点滴投与して殺人を繰り返した准看護士犯罪
の場合もそうだが、病院管理者の責任こそ、重い。単に道義的な責任だけでは済まない、薬剤管理や新生児室管理の杜撰は生命への暴力に直結するのであり、殺
人をも誘発する。現に起きている。
教室での「いじめが自殺を招いた」のに対する、いじめた生徒と家庭、学校の管理者や担任教師に「有罪」と判決の出たの
も評価したい。
* テレビのニュースキャスターたちが顔を並べて、青少年の環境保護を「口実」にした言論報道への、政権による抑
圧指向に厳重抗議する動きをニュース報道していたが、あっけないほど中味のない報道で、気がもめた。いま、かき消されがちな「人権」を厚く保護したいとの
善意
! の意向を利して、端的に言えば政治家や大企業家達への「不正追及」取材などを、あわよくばついでに抑圧したい
!
政治屋根性の立法が、一つまた一つと用意され、成立の順番を待っている。青少年の環境保護というのも、名前は結構そうだが、実はかなりいかがわしい狙いを
隠したその一つなのである。
ただ、そういうことを政治屋達に言わせぬ為には、「言論表現報道の自由と権利」の真のありようについて、関係者達が実
効ある反省と対策の姿勢を具体的に提出しなければならないが、それがまた、繪に描いたほどの空念仏のような按配で、だから、自由と権利の前に無責任になに
をやっても許されるのかという市民の批判や善意の批判を浴びてしまうのだ。チャタレイ夫人を血祭りに上げたり、谷崎の『鍵』に作家までがイチャモンをつけ
た、あのようなくだらぬ「俗論」が取り鎮めようもなく渦巻く前に、表現者も報道人もきちっとした見識を示して自分の手に自分たちの「正しいハンドル」をに
ぎらねばいけない。小児ポルノには反対だが、商品化と販売の自由は確保したいなどといった手前勝手な権利の主張が、もうこれ以上横行しないために、ペンク
ラブも文芸家協会も、テレビなども、それぞれに「言論と表現と報道の自由と権利」とはいったい「何」なのか、真剣な「業界内討論」を重ね、姿勢を示すべき
だろう。派手な身振りで一握りのキャスターたちが、高い壇の上からのパフォーマンスだけでは、ただ売名行為に過ぎず終わる怖れもある。そういうことの好き
な人たちがメディアを私物的に使用し、世にときめいているだけでは、しゃれにもならない。
* KSDの目に余る横行の路辺に、しきりに「ものつくり大學」なる大學の、建築途中の建物や「四月開校」の文字
が、テレビに映っている。これは何なのか。大學というからは、しかも四月にはスタートというからには、学長以下の教授スタッフも用意されているのだろう、
誰が名前を並べているのか知りたい。「理事会」や「評議員会」の構成メンバーは情報公開してあるのだろうか。設立意図と、KSD関係者達の悪しき底意や下
心との、連繋や影響力について、報道機関や野党の妥当な追及を待ちたい。
* 一月十六日 火
* 明け方、かつてなく鮮明に、死んだ兄恒彦と夢で逢った。大きな駅の広やかな改札外で、わたし(たち)を待ち迎
えていた。満面の笑顔であった上に、格好がおかしかった。上下ともアロハというよりも、赤い大きな縞柄のパジャマみたいなものを着ていた。おうと、互いに
歩み寄りさしだす手のふれるあたりで、うち切られたように夢の外へ出た。夢がさめた、というより、放送中の映像がはたと途切れたみたいだった。あまり鮮明
な兄であったことにわたしが感嘆、いや驚嘆しすぎて、夢を、壊したのかも知れない。指折り数えても、死んだこの兄と、生まれて共に一つ屋根の下に暮らした
記憶が一度も無い。長く別れ別れに成人し、大人になってからも、この兄と、坐って長時間話しあったのは、食事したのは、ただ一度。あとは、五、六回の立ち
話しかない。まともに顔も長く見た覚えがないのだから、今朝がたの夢中の兄ほど鮮明に兄と出逢ったのは初めてだ。それで驚いた。出会いがしらの兄のポーズ
は、京都新聞の宮本実氏が送ってくれた新聞紙面に、出町の商店の表でカメラへ視線を送っていた兄と全く同じだった。わたしはその写真の兄が好きだった、だ
から夢に甦ったのだろう、だが服装はちがう。赤っぽい縞のアロハ・パジャマにも吃驚した。
夢覚めて、なんで兄があんなに笑顔でと反射的に考え、今日が、息子黒川創の芥川賞選考の日だと思い当たった。
兄は喜んでいる。そう分かったような気がして、兄のためにも創のためにも嬉しかった。文運を、遠くでわたしも祈ってや
りたい。
* 覚えがあるが、あの賞候補になるのは重苦しいものである。昔のわたしはむろんサラリーマンで仕事のある日で あったし、家の方へは記者さんたちの電話など入っていたらしいが、わたしは取材仕事にかこつけ夕方から社を抜け出して、だれとも話さずに済む場所へひそん で、酒をのんで本を読んでいた。やり過ごした、いや、遁走したのである。正直のところ、わたしの場合は、そんなうまい話のあるはずがないというのが、偽り ない気持ちだったから、結果には驚かなかったし、落胆というほど深刻な気分では無かった。なにしろ「新潮」でケチのつき続けた作品を、クソと思って「展 望」にまわしたら即掲載されて即芥川賞候補という経緯の作品だった。割り切った話で足して二で割れば五十点の作品だった。そう思えば済んだ。瀧井孝作、永 井龍男の二先生が、はっきり評もつけて推薦され、吉行淳之介氏も自身との作風のちがいを指摘されていた、それだけでも有り難い、十分満たされた結果であっ た。だが、どっちにしても選考当日は鬱陶しい。創がどんな気分でいるか分からないが、期待している。あの重苦しい気分がわたしにまで甦ってくるのは正直か なわないが、兄もそんな気持ちで夢に出てきたのかなと思うと、兄のほんとの気持ちは分からないけれど、いい結果になればいいなと思う。そして、そんなこと も早くさっさと忘れたいものだ。
* 黒川本人にそんな気はないにしても、わたしからは、バトンをうけとってくれたランナーのような気がしているの
は、これは隠しようもない。若冲といい、還来神社のことといい、作風といい、わたしにはみな「覚え」のある、心したしい話材であり書きぶりなのである。そ
ういうところから歩みだして行く甥を、ながく、出発以前の勉強開始の地点からずっと見つめ見守ってきた。それだけはまさにその通りなのだから、わたしもや
はり気が揉めて仕方がない。
今日は幸い俳優座の芝居があり、めったになく一人で行くので、芝居のはねた後、すこし酒でも飲もうかな。あんな兄に逢
えただけでも、けさは、不思議な気分である。
* 夢で兄にあったとき、わたしは、一人ではなかった。なにか大勢の会合がホテルのようなところであり、会合が果
ててからバスかタクシーかのような乗り物で移動していたよな、その時にも一人でなかったような残感がある、が、場面は錯綜していて誰とも分からない。イヤ
に壮大な自然景観とも対峙していたようであり、家屋の中や外であったり、乗り物であったり、する。最後に「駅構内」の広い場所へエスカレーターですうっと
上がって、パアッと兄に当面した。わたしのやや後に大人の女性の影が感じられたが、誰か分からない。わたしの妻ではなかった。ひょっとして兄夫人であった
か、それも実感は全くない。
* 一月十六日 つづき
* 俳優座の「十二夜」は、水準の出来で、音楽劇に脚色演出されていたのが、相応に成功していた。なみの演出で
は、あまりにハナシは知りすぎている。妻はそれで今回遠慮したが、わたしはミュージカル仕立てという「演出」に期待を掛けた。今ひとつは俳優達の代替わり
が、新鮮な仕上がりを見せるかも知れないと予想した。二つの予想は概ね裏切られなかった。
俳優座はこのところ新人を主に演目を決めてきた感があり、それには余儀ない賭けの要素もあろう。観客の年齢層が、今日
もそうであったが、わたしも含めて、余りに高い。高過ぎる。若い客がほとんどいない。若い観劇客が世間に存在しないどころではない、小劇場へ行けば若さで
むんむんして、かなりの公演が満員だという。ところが、そういう客たちは、俳優座ときくと顔をしかめるのである。さもあろう。必ずしも俳優座のせいではな
い、若い観客の好みにもまた未熟や偏狭はあるのだから。
だが、このままでいいわけがない。それかあらぬか、若い俳優達にのびのび芝居をさせ、若い客をとりこみたいのであろ
う、俳優座としては。大事な姿勢で大事な意気込みだとわたしは思う。思うけれど、まだ効果はあまり出ていない。「十二夜」の若い恋愛劇を、甘い科白と歌と
でけっこう盛り上げてはいて、だが、観客が、いまだに仲代や加藤剛の、あるいはもっと以前のオールド俳優座スターたちへの思い出を熱く抱いたような客ばか
りなのである、奇妙な、アンバランス
!!
若尾哲平と堀越大史とが、馴染みの、まぁ、ベテラン。わたしは彼らが新人の頃からの俳優座の客であるから、代替わりの
実感がひしひし来る。そしてさすがに彼らは巧くなっている。ことに堀越の悠々と懐深いマルヴォーリオ役には感じ入った。たいした役者ぶりであった。道化
フェステの須田真魚が、多才で、いいダンス(身動き)をする。器用貧乏にならなければ味のいい役者になるだろう。
ひとつ気になった。ハッピーエンドの場面で、縄付きに拘束されているアントーニオが、縄付きのまま奥へ引っ立てられて
行き、それに見向きもしないで、双子の妹ヴァイオラも兄セバスチャンもお互いの愛する相手と、ただ浮き浮き結婚式に臨む演出は、これは後味が悪すぎる。縄
付きアントーニオは、その前の場面で、男装の「女ヴァイオラ」とは知らず、面倒をみてきた「男セバスチャン」だと思い込み、その薄情な背信・忘恩をなじっ
ていただけに、せめて舞台の上でその嫌みを解消して置かねば成らないはずである。簡単に出来ることではないか。気がわるくて、わたしは拍手を惜しんだ。た
だ堀越君の名演には感謝の拍手をして帰ってきた。
* 大江戸線が、俳優座劇場の真ん前に出口を開いていたのにはびっくりした。われわれが、街へ出るきまりの場所の 一つが、俳優座。ほとんど例外なく三十年近く妻と二人で芝居を観に行くのが常だから、今日は「奥さんは」と制作の山崎菊雄君が本気で心配してくれた。それ ほどの場所へ、大江戸線のおかげでだいぶ時間短く、乗り換え少なく出掛けられるのは有り難い。早く着いて、裏の「枡よし」でちょいと摘んで、飲んで、から 開演を待った。補助席が出る好況、これは珍しい。景気がいい。
* 芝居の後にも寿司で、ゆっくり、少し飲んだ。飲み足りない気分を保谷へ戻ってから「フィレンツェ」へ寄り、先 日堪能の赤ワインを、もう一度、少し味わって帰った。留守に、九十過ぎの押し掛け弟子さんが、「e-文庫・湖」に小説の掲載されたのを喜び、乾杯用にと ビール券を送ってきてくれていた。あちこちに頼み回って、わたしのホームページにどうやら辿り着けたらしい、めでたいこと。
* 中西進さんから、会長か理事長かをされている全国大學国語国文学会のシンポジウムに、「創作者」の立場からパ
ネラーとして出てくれないかと、わざわざの電話を戴いた。「IT革命は国文学研究の(質)をどう変えるか」と。ウヘェという感じだが、理事会は大賛成だと
いうのでは、引き下がれない。いろんな学者の顔が忽ちに思い浮かぶのである。役には立つまいが、学者でも研究者でもないのだから、気楽な野次馬役をさせて
もらおう。中西さんに誘われて生まれて初めてテレビという場所に出、「梁塵秘抄」について新間進一、馬場あき子と四人で話した。以来久しいお付き合いであ
り、今もペンの理事会で隣り合うことが多い。俳優座といい中西さんといい、みな三十年の作家活動からのご縁である。大事に思っている。
* あすから関西へ、二日。菱岩の弁当をお土産にと頼まれている。美術展の開幕式に参加するだけの気楽な旅。骨を休めて
くる。なに、いつもいつも骨休めしているようなものだが。手に入った「秦氏研究会」の会報十五号分の論文と、猪瀬直樹『黒船の世紀』後半と、「近世の身分
的周縁」論の一冊を、鞄に入れて行く。さ、これから荷造り。
* 一月十七日 水
* 明朝の、京都美術文化賞受賞者作品展覧会の開幕のために、選者の一人として参加すべく、今日、京都に帰る。
* いまでも、やはり京都へは「帰る」という気分であり、しかし東京へも「帰る」という気分しか今は無い。現住の
東京都保谷市が、来週から、正式に「西東京市」とかわり、田無市と合併する。たいそうな名前になったものだが、「ひばりヶ丘市」などより明快で大柄で、や
や照れるが、慣れてくればわるくないだろう。わたしの住所表示は、市名だけの変更で、郵便番号なども変わらない。
* 一月十八日 木
* 昨日の出がけに凸版の構成が出たので、後半のゲラを持って出、「のぞみ」のなかで、あらかたを読んだ。
* 京の二日は、天候に恵まれた。トンボ返しに帰ってきた。
昨日は、七条の博物館常設展をゆっくり堪能した。弥生時代のすばらしく雄大な瓶の、胴の張りの揺るぎない豊かさ確かさ
強さに、立ちつくす。こんな確かなものが二千年も前に作られていたのか、これでは後々の作者は堪ったものでない。英知に満ちた巨きな人間に出逢ったようで
あった。この一つに出逢い魅せられただけでも、京都に来た甲斐があった。こぶりの、緑釉というより若草色した骨壺の、何度観ても飽きの来ない清潔な美しさ
にも魅された。崇福寺の塔心礎から発見された、金銀銅そして緑瑠璃の舎利容器や、鉄の無文銭などとも久しぶりに対面した。小説『秘色』のいわば主人公のよ
うな出土品だ、あの小説を書いていた真っ最中に、わたしの芥川賞選考はあった、三十年近く前に。黒川創は今回残念だったが、また奮発すればよい。
こういういわば考古品以外では、初見ではない、鎌倉期だろうか「神鹿」二頭の、写実というより「理想」的な体躯、その
柔媚な線の美に驚嘆したり、倶生神たちの畏さにかるく身震いしたり。ロダン「考える人」のいる冬晴れの博物館構内から、東山の青さも目にしみて懐かしく。
書にも絵巻にも、印象深い優品逸品がいくつもあったが、この博物館のことだ、あたりまえ。なみの美術展でがっくりする
ぐらいなら、博物館の常設へ行くのが、何もかも揃えてよく選ばれてあり、必ず満たされる。
* 夕食にマオタイをのみ、それで酔って、さっさと寝入ってしまった。気づいたら夜中の二時で、次に気づいたら朝
の七時だった。
堺町、三条通りに近い「イノダ本店」がすっかり改装されていた。砂糖ぬきのミルクコーヒーを楽しみ、そして京都文化博
物館の会場へ。京都美術文化賞の十三回目の受賞者展で、テレビカメラなどの前で、受賞の三人、それに梅原猛氏らとともに選者の一人として開幕のテープカッ
ト。白い手袋などさせられるのは、落ち着きのわるいものである。
* さっき帰ってきました。いい展覧会でした。
日本画の堂本元次、きりがねの江里佐代子、写真の井上隆雄の受賞者三人に、彫刻の清水九兵衛、日本画の石本正、染色の
三浦景生三選者も賛助出品していました。堂本さんの中国の風景に取材した灰色を基調にした大作数点は見応えがありました。小品は、今ひとつでした。江里さ
んは、わたしが推しました。期待通りに美しいものを並べてくれました。伝統の技法で新しい分野へ切り込んで行く真摯な姿勢は、はやくに、(この人をまだ知
らなかった昔に、)小説『畜生塚』で期待していたものでした。ご主人が仏師で、夫婦相和し、いい仕事を続けています。写真の井上さんもわたしが推しまし
た。木を主題にした写真はじつにみごとな芸術品でした。現在だけを決定的瞬間で切り取る写真が、そうではなく、過去を呼び未来を引き込んだ「息づく現在」
となって、時間も空間も、一枚一枚の写真の中で生き生きと増殖し呼吸しているのを感じました。すてきでした。
* 堺町から三条通を河原町へ出た。河原町のそぞろ歩きの途中、洒落て落ち着いたデザインの、グレーのニット・ア
ンサンブルを店頭で見つけ、荷物になるのに衝動買いした。わるくない買い物だった。あまり食欲もなかったので、昼飯代わりに、永楽屋のウインドウでみつけ
た拳二つほどもある大ぼた餅に惹かれ、ふらふらと喫茶室に上がって注文した。煎茶とそのぼた餅の昼飯、堪能した。コーヒーも飲んだ。
書店の海南堂が、二十世紀末で閉店したと、おろしたシャッターに挨拶を貼り出していたのには、胸つかれた。わたしが新
刊の本屋というのに出入りし始めた、新制中学以来の馴染みの店。店の真ん前に市電の停留所があり、そこから電車で馬町の方へ帰って行く人を、この書店で立
ち読みしながら認めては、胸をときめかせたりしたのも遙か昔の思い出だ。青春の灯の一つがふっと消えた。寂しかった。
四条の橋の上から、晴れて遠い北山の霞んだ柔らかい灰色の、波うつ静かさを、繪をみるように愛おしみ、ながめてきた。
なぜか、きょうは比叡山や東山でなく、北山へ目を吸い取られた。
縄手から白川ぞいを東行、柳の枝とかすかな翠とが、冬の風にさやさや鳴る。白川の水が少なかった。閑散としていた。そ
ういえば、今度の京都は総じて閑散としていた。車もすいすい走った。
辰巳稲荷から抜け路地を通って、注文して置いた弁当を「菱岩」で買って出た。西之町を縄手へ、縄手から古門前へはい
り、母校有済校の、陽ざしの中にひっそりかんとした校庭を、しばらく、その辺に腰掛けて眺めた。思文閣本店のギャラリーを覗き、また何必館にも顔だけ覗か
せ、八坂神社には、石段下で柏手打って遙拝するだけにした。弥栄中学の校庭も覗いてきた。校長室前から職員室前のくらい廊下を通りぬけ、むかしの茶室の前
をそろそろ歩いて、変わったような変わっていないような母校のたたずまいを深呼吸した。 校門前からタクシーに。正月の今時分がいちばん閑散としてます
と、運転手はわたしが旅上手かのように世辞をつかったが、わたしの手柄ではない。
* 美術展の会場で係りから受け取ってきた「菱岩」対談の再校ゲラにも、帰りの「のぞみ」でみな目を通し、『黒船
の世紀』を半分過ぎまで読み進めている内に、もう東京だった。端倪すべからざる猪瀬直樹の著述であるが、いささか燥しい。語り手の「ぼく」が張り扇をつか
い過ぎる。弁慶と牛若丸のチャンバラを、猪瀬くんは一人芝居で二役演じているみたいに、大わらわに語っている。ところどころで退屈する。また持ち直して、
面白くなる。その交替がなんともせわしない読み物であるが、そこが面白いのでもある。
空腹で帰り着いた。
「菱岩」特製の弁当と、ニットの服に妻が喜んだのは言うまでもない。さて留守中に何事もなかったし、また普通の日々を送
り迎えて行く。もう目前、電メ研の会議が始まる。任期内に、もう二度か、三度か。心のこりなく果てたい。
* 一月十九日 金
* 英文の講演録 The Serpent : (from Representation to Shared Awareness and Results) = 蛇を、エッセイの四頁に収録した。アジア・太平洋ペン国際会議での演説である。もういちど念入りに校閲の必要があるが、「英文」に対し助言が戴ければ幸で ある。
* 殺伐としたいやなニュースが相変わらず続く。だが、KSDの汚い金による政界賄賂汚染の工作に関しては、就中 徹底的な追及が願わしい。「ものつくり大學」とは何なのか、小渕前首相は施政方針演説でもはっきりその名をあげている。額賀の、村上のと、あやしげな名前 が、KSD関連で、マスコミにはとうからちらほらどころでなく取りざたされている。優れた趣旨と内容をほんとうに持てる大學として期待に副えるというのな ら、関係者の中から、KSDに関係してきた、利得を得てきた全員を、腐った腸をぬくように綺麗に排除してから発足して欲しい。
* 長田渚左さんが、佐高信氏らとともに『日本語にっぽん事情』をBSテレビのブックレビューで親切に紹介してく れている番組ビデオを、友人に送ってもらい初めて観た。うまく問題点や力点に、三人の評者も、司会の木野花さんも、正確に触れてくれていて、著者として有 り難かった。書店に置いてないので視聴者からの注文は数冊に止まっているが、それは構わない。拾う神があって親切に拾ってもらえたことが嬉しい。城景都氏 の表紙絵がとても美しく見えたのもよかったが、わたしの顔写真がブラウン管いっぱいに映ったのには閉口した。
* 毎日新聞のインタビュー掲載紙も今日届いた。
* 久しぶりに初見の大型活劇映画「エア・フォース・ワン」を観た。ハリソン・フォードはやや神経質に唇をゆがめ
るところなど、そうご贔屓ではないが、演じる映画には相応の筋が通っているので、数を観てきた方だ。「逃亡者」や、ジャック・ライアンものは、いつもそこ
そこ魅せられているが、今夜の、米大統領が専用機をハイジャックされ、妻子を守り抜くためにも機内で最後まで奮闘努力する姿は、いかにもアメリカものらし
い。不幸にして日本はこういう理想的に強い首相を持っていない。理想のかけらもなく党利党略を恣にし、政治権力を、国民抑圧のためにしか用いようとしない
政治屋を飼っている日本国民の不幸は、目に余るものがある。悲しいとも何とも言いようがない。理想のために悪を敢えてするのならまだしも、利欲のためにし
か権力を行使しない。
こういうもの言いを、現実家は、たんにわたしの不平不満の故にと説明したがるであろうが、わたしは、土岐善麿のこんな
歌を大切に思い、胸にいつも抱いている。
とかくして不平なくなる弱さをばひそかに怖る、秋のちまたに。
人の世の不平をわれにをしへつるかれ今あらずひとりわが悲し
あとの歌の「かれ」とは、石川啄木のことである。わたしは、善人でありたいなどと自分を特別に拘束したりしな
い。ことに、「公」に対し、その無能と暴虐を批判すべくする悪ならば、世の「私」たちに甚大な迷惑を及ぼすわけでない悪ならば、あえて避けて歩もうとは
思っていない。「公」の「私」を侵す犯罪のあまりに増長していることをこそ憎め、「私」がそのような「公」に小さな弓を引くことを悪だとは少しも考えてい
ない。
* 一月二十日 土
* 「ものつくり大學」を検索して、http:
//www.monotsukuri.net/annai/annai.htm
というサイトを開いてみた。基本理念の頁には、施政方針演説で故小渕総理が「ものつくり大學」に積極的に触れたと挙げている。その演説の草稿づくりには、
KSDと密着しているという現在の額賀大臣が深く関与していた筈と報じられ、大臣辞任の見込みとか。自民党内、また額賀の属する橋本派でも、国民に「言い
わけ」の仕様がないと、もう額賀切り捨ての線が太くなっているという。贈収賄の疑惑が、さきに逮捕された代議士に次いで表に出て来るのだろうか。
「ものつくり大學」には製造技能工芸学科と建設技能工芸学科があり、すでに三十人以上の教員予定者の名前が挙がってい
る。
「学校法人 国際技能工芸機構」として発足しており、会長も理事長や理事も監事も顔ぶれが揃っている。会長は豊田章一
郎経団連名誉会長で、理事長に清水傳雄という勤労者リフレッシュ事業振興財団理事長なる人が就任する。どういう人物か。
「ものつくり大學」総長には、「国際日本文化研究センター顧問・哲学者・文化勲章受章者」の梅原猛氏が、すでに顔写真
を出し、挨拶を書いている。学長には、前の横浜国立大学学長で建築家の野村東太氏が、やはり挨拶を書いている。
* 趣旨を読む限り立派であり、また教員関係者の顔ぶれも、概ねすこぶる堅実に見えている。むろん、趣旨を立派に掲げる
ぐらいいと易いわけで、ものの喩えが「自由民主」の党という「趣旨」のわるかろうワケはない、だが、永年やってきたことは口先だけで、ずいぶん「自由民
主」を圧殺しようとしてきた党でもあると見受ける。
要するに、この立派な「趣旨」のかげに、毒の根となって隠れている「KSD」の政界工作と野望と不正が現に在って、ま
だ根絶のめども立っていないのが、問題なのだ。立派な趣旨が、巨悪の隠れ蓑の役をしてはなるまい、実質関係者はそうはならぬと理想を持しているだろう、そ
れは信頼するが、政治的な巨悪というのが、そういう誠意の善意を踏み台に、したい放題のひどいことを平然とやる、すでにやっている、という事実・現実が、
問題になるのだ。
なにかしら、ちらと小耳にはさんで案じていたのだが、やはり梅原氏は「総長」を引き受けている。そういえば、そういう
ことを話していたな、書いてもいたかなと、思う。ほんとうに優れて大切なことなら、やって欲しい。けれど、やすい色気でへんな思惑に乗せられ、名前を利用
されるだけの立場には立って欲しくないと、梅原さんのために切に願う。 なぜ「ものつくり大學」は「国立」ではないのか。一「私立」大學の設立に、時の首
相が施政方針演説で応援するような例が、かつて、あったろうか。あまりに巨額の金を国がいちはなだって出すというようなことは、穏当で妥当なのだろうか。
大學設立の趣旨が素晴らしいからと、逃げ口上も逃げ道も用意されているのだろうが、実質は「KSDと自民党との不正な金銭的癒着」を覆い隠す、建前の旗じ
るしに「ものつくり大學」が利用されているだけかも知れない。当初は佐渡に設立としていたのを、あっという間に埼玉の行田に変更した、そこへも今度逮捕さ
れた議員や親分の村上議員がねっとりと絡んでいる。「立派な趣旨」がたとえ建っていようとも、だから、KSD不正とは無関係ですといって済むことかどう
か。かりも「教育」施設の問題である。
梅原氏が総長を引き受けるについては、十分思慮されたに相違ないと思うし、しかしKSDのことは知らなかったわけでも
あるまいと思う。日本ペンクラブで、ともに理事会を構成している立場からも、やはり、いま、このような成り行きにある諸問題に関連しのて所感は、ぜひ聴き
たいと思う。彼でなければといった場所とは、地位とは、わたしにはあまり思えないのだが、それは問題外。真実いい仕事なら積極的にして戴きたいと思う。
* だが国立大学ではない。いわば一私企業としての大學設立なのである。そのような施設設立に、これほど過大に国 と政府と党とが関わっている、その理由がよく分からない。ほんとうに実効が期待できるのか。要するに、KSDの暗躍をますます容易にする隠れ蓑にされてし まう大學であっては、国民の一人として堪らない。今はまだ大きな疑問符を付けておきたい。
* ともあれ、KSD問題は追及の手をゆるめないで、司直の健闘を、こういう際にこそぜひ願いたい。
* 冷える。椅子に腰掛けた、ちょうど脚の上へ寒気が重い板のように乗っかってくる。
* 一月二十日 つづき
* フィリッピンがまた国民の決起とデモとで現職大統領を「失職」に追い込んだ。国民によるクーデターとでも言え
そうで、剣呑でもあり民主主義が沸騰しているとも言える。
日本では、現在のKSD問題といい、外交機密費の私物化といい、蜥蜴の尻尾切りのような按配に、なしくずしに臭いもの
に蓋がされ沈静化して行きかねない成り行きだが、そんなことでいいのか。民主党大会での鳩山党首の弾劾演説など、まるでぬるま湯での鼻歌程度のものでしか
なく、風邪をひきそう。民主党は速やかに、もう一度党首役を菅に戻し、横溝一派は党を出て謙虚に社民党に戻り、憲法の擁護と確保につとめながら、労働戦線
を再構築すべきときだ。すっきりした勢力として、野党各党は白熱のための体温を緊急に取り戻すべきだ。
こういう時に、共産党が相変わらずの「共産党」であるために、世直しの主導権がもてない。中国の歴史にとらわれること
なく、思い切って「国民党」とでも名乗りを変え野党の芯になって活躍する俊敏な姿勢をとらねば、現共産党は永遠に大きくは立ち上がれない。この硬直した軟
体動物のような頑迷さが、本気で国民の支持しきれないネックなのであるが、理解できぬらしい。
* 名古屋方面の或る国文学者とのメールのやりとりで、辣腕刑事のように作家の真相に迫る猪瀬直樹評判の「太宰治
=ピカレスク」のことを話し合った。猪瀬氏は太宰文学を論じていない。一人の男としての人間太宰を、ついでに人間井伏鱒二を厳しく毟って赤裸にしてみせ
た。そういうことの出来た猪瀬直樹には、文壇や作家へのいわれない遠慮が、はなからかなぐり捨てられていた。そういう立場と姿勢とで作家論をやった人は少
ないので、そこに強烈なメリツトがあった。新しい方法であり姿勢であったし、しかもよく徹していた。太宰や井伏に、また文壇におもねったり遠慮したりする
必要が、彼には無い。ほんとは誰にも無いのだが、みな、妙に腰が引けた議論をして、礼儀をまもったような気になっている。国文学者としては驚かれたであろ
うが、この人は、メールの中で小林秀雄の、つぎのような、あたりまえな言葉を想起されていた。
「小林秀雄が昔、『文学など屁でもないという世界があるのだ』と言い、また、『作家はサラリーマンなどとは違うなどと
力んでいい理由が何処にある』等々と語っていたことを思い出します。(猪瀬氏が)高級な言葉でなく言い放っているところが大事な気がします」と。
* その通りなのだ。「文学など屁でもない」と思っている世間はじつに広いのである。外の世界へも深切に目配りし、自由
に生きていれば、こんなことは簡単に分かることで、作家達や批評家達の井の中の殿様蛙のように世間知らずに反っくり返っている姿を滑稽に眺めてきた思い
は、もう、実に久しい。賞などを取り立ての若い作家達にしばらくのあいだそういう臭みがぷんぷんするのもおかしいものだが、とくに若い女作家が凄いが、い
い年をした物書きにも、「作家はサラリーマンなどとは違う」と必要以上に「力んで」いるだけの人がいる。うようよいる。そういうのは、立場への自尊心に過
ぎない、なかみは伴っていない。小林秀雄の上の言葉は、まことにその通りなので、よく思いに秘め置きながら、しかも、自分の仕事により深く打ち込んで行か
ねばならないだろう。
* 一月二十一日 日
* 田原総一朗の朝の番組で「KSD」問題を追及していた。「ものつくり大學」についても、突っ込んだ経緯の説明
があり、政府、労働省、自民党と古関KSDとの悪辣な関わり合いが、ほぼ浮き彫りされていた。
「ものつくり大學」の挙げている「趣旨」は、わたしの目にも堅実で妥当である。だが、趣旨を謳っている真の母胎が
「KSD」であることも不動の事実であり、その政治的な巨悪志向は、かなり正確に、すでに世上に曝露されてある。「理想の趣旨=文飾」と、それを掲げてい
る真の「担当母胎の悪しき志向」とは、どう「切り離せ」るのか。問題はそれだ。切り離せない以上は、立派な趣旨で、まんまと「悪に荷担」するような撞着に
陥りかねない。KSDへのおそろしいほどの「天下り実態」一つをとっても、古関某と労働省との人脈に絡んだ「KSD=ものつくり大學」という流れが、見え
見えではないか。
加えて、佐渡から埼玉・行田へという俄かな「立地変更」で、地元政治家と金の結びつきとが、もう出ているのではない
か。また、それほど必要な大學ならば、国がそんなに補助金が出せるというのならば、「国立」でやるという方向性も検討さるべきではなかったのか。梅原さん
は、その辺でどんな意見を述べ、今はどう考えているのか聴いてみたい。
すべては、あやしげなKSD、いまや断定的にあやしいKSDの「根」に、何もかもが絡みついている。「趣旨」は立派な
のだからと澄まして涼しい顔をしておれる段階ではなく、一刻も早く「KSD」支配からの完全無欠な「絶縁」を、その対応を、具体的に大學関係者は誠意を
持って急ぐべきだと思う。そういうことについても、今や梅原総長は公に発言すべき立場ではなかろうか。
* 理想的な趣旨が見たければ「自由民主党」の綱領を読むが宜しい。いかに趣旨は現実に泥足で踏まれ続けているかのみご
とな実例がある。その自民党がそのKSDをバックアップしているのである、何をか言わん。
* 一月二十二日 月
* ようやく「The SERPENT」全文を校正しおえて、先ず「エッセイ選 4」に掲載できた。グローバルな視野から「蛇」の問題に対し文化史的・社会的かつ国際的に関心が振り向けられるようにと、アジア・太平洋国際ペン会議に提 示した演説原稿の英語訳である。批判を得たい。他に「能」「庭」と題した短い論考の翻訳稿も掲載してある。
* 「与えられた役目を淡々と行うのみ」などと大臣額賀は綺麗そうに言っていたが、とんでもない勘違いである。彼 は「役目」を森首相から任命された大臣職と心得てそういうことを平然と言うのであるが、彼に最初に国民が与えた役目は「代議士=国会議員」である。国民の 負託に先ず背いている。「役目」の誤解甚だしい。
* ブッシュ大統領もアロヨ大統領も、先ず、「憲法」を守ると誓約し、そして「神」の前に国家国民への庇護を祈っ ている。日本では、首相も閣僚も与党も都知事も日本国憲法への「不信」を先ず語る。不幸な国民、不実な政治家。
* 映画「エアフォース・ワン」をもう一度見た。家族と理想と正義のために米国の大統領が、テロにハイジャックさ れた大統領専用機の中で一人闘い抜いて克つ。もとより作り話でしか無いが、こういう事件が絶対起こり得ないとは言えないし、そういうときに、このような大 統領をもって「再選に値する理想の人」とする意図で創られた映画なのは、全くのところ間違いないだろう。こういう映画がマジで成り立つ基盤もアメリカは 持っているわけだ、日本でこのような理想的な総理大臣映画など、たとえ作り物語としても発想され得ないのは明白だ、あまりにもリアリティーの基盤が崩壊し すぎている。十人の内八人以上が支持していない総理大臣とその内閣にわれわれは餌を呉れているのだ、なんというひどいマンガだろう。
* わたしのアタマと、この器械とが、いま、もっとも乖離している気がする。豆粒のような似顔絵も大きく元へ戻せ
ないし、「e-文庫・湖」の増頁がもう一歩まで来ていて、きちんと教わっているのに恐くて手が出ないし、「マイクロソフト・アウトルック」のアドレスブッ
クからはどんなに試みてもメールが受発信できないし、教わりながら出来ないでいることが、多すぎる。手が縮んで、やろうという気になれない。困ったもの
だ。
* 一月二十三日 火
* つかこうへい氏が、朝刊の連載記事に、弟子「秦建日子」について親切に書いてくれていると、妻に言われ、床を
出た。
建日子はよく自覚し、少なくも師匠の期待に応えて、勉強せねばなるまい。二月七日からの公演、稽古はうまく進んでいる
だろうか。
* 似顔絵の豆粒、林君にこうせよと教わっていたものの、「どこで」こうせよなのか分からずにいた。加藤弘一さん が「表示」「ソース」という指示を下さり、これこれの箇所を削除するようにと、林君と同じことを教えられた。やっと、その箇所に到達した。が、反転させて 削除しようとしたが、消えてくれない。また頓挫した。お茶の水橋の上にいてお茶の水駅が目に入らないでいるようなことを、わたしは、やっているのに違いな い。しかし、盲目的にいじくりまわせばロクなことにならないのもイヤほど体験しているので、撤退。すぐそばでプリンターの緑とオレンジのランプが三つ、間 断なく点滅したままである。これを何とかするのが先だが、慌てるとまた器械を壊してしまう。現にすぐそばには以前のエプソンの大きなプリンタが破損し、虚 しく場所をふさいで腐っている。やれやれ。
* 経済財政の大臣額賀某が「政府と与党にこれ以上の迷惑を掛けないために」と辞表を出した。やめる連中の常套句 で、国民への謝罪では全くない。こういうのを聴かされるたびにゲンナリ・ゲッソリする。昨夜、バグワンに、鏡というモノは、美人は喜んで映すけれど醜い男 は嫌って映さないといったことは一切しないと、話された。この話はむろん今の話題とはまるで別ごとを説かれていたのだが、それでもなお、額賀だの村上だの 古関だのといった連中のことなど映さなくても済む鏡のこともふと渇望されてしまうほど、いやだ。いやな気分だ。自分は彼らとは違うと思うからではない、自 分の中にも、あの連中とひょっとして同じ要素がひそんでいなくもないと想像されて、気が滅入るのである。だからといって遁世遁走していいものではない。だ がもし、いま、深い深い海の底へやすらかに誘うものがあり、誘われて行ってしまえば、「戻る理由がない」と或いは思うことだろう。戻る理由が、ない。戻る 理由が、ない。
* 今朝嬉しいことも有った。心したしいペン会員のお一人からメールをもらった。気分直しに、ここに書き写させて いただこう、嬉しかった。
* 『親指のマリア』とくと楽しませていただきました。
とても一言では形容しがたく、いずれ、感想を。闇の中から浮かび上がる心象のマリア像を、網膜に焼き付けました。父
(パードレ)のおよび(親指)をはみだす、あおの聖衣は、間違いなく、シチリアの母(マードレ)なるアズッロ(紺碧と藍)の海と直感しました。
殉教の章「彼は、見た目はぼろぼろに衰えながら、胸の底の一点だけは清々しく洗いあげて、ほうっと芯から明るんだ長助
の目に心ひかれた。魂にも色がある。その色が似ているからか、容貌も体格もまるで別でいてヨワンと長助に通いあうもの、優しい感じ、があった。」
美しい、じつに美しい「生まれ清まはる」ような、はっと胸をうつ言葉です。白石、ヨワン、長助のトリニダードを、読み
ての私に仮託、具現した一瞬かと、錯覚したほどです。
時代考証はもとより、正確、懇切丁寧で、歴史観・歴史認識、東西の文明交流など、作者と種々のテーマを有難く共有する
ことができました。
今冬はことのほか冷えます。御身大切に。
次は『最上徳内』を読んでみます。
* 『親指のマリア』は、実際に読んで下さった方からは、概して、こういう読後感を得て満足していただいている。
立場的な信仰を固守しているたとえばカソリックの人からは、またプロテスタントの人からは、一部不承の声も聞いたけれど、わたしの造形した新井白石、シ
ドッチ神父の「魂の色」を重ね合わせた東西の知性と精神の対話に、かつて見なかった批評を読みとって下さった人も少なくなかった。例えば京都の清水九兵衛
さんは世界的な彫刻家だが、顔が合うとよく言われる、「ぼくは『親指のマリア』が好きですよ、よかったなあ」と。
残念ながら、だが、わたしの読者達は「いい読者」であるがゆえに、数多いとは言えない。数多い読者を得られないのは作
品の責任であるという議論の建て方の有るのも承知しているから、わたしは、黙って、今のような生き方を続けているのである。それでも、こうした嬉しい朝に
も恵まれるのである。
* やはり、いじくるしかないので、プリンターをああもこうもいじくっているうち、カートリッジホルダーが器械の
中央に出てきてくれ、急いでインクを取り替えた。点滅がやみ、緑のランプ一つが静かに光っている。ほっとした。これで昼飯に階下へ降りて行ける。
* 一月二十三日 つづき
* 苦心してメールを自力で開通させた、届いていますかと初の連絡があった。メール開通は、けっして易しいもので なく、わたしもニフティーマネージャーは使い慣れているが、BIGLOBE Mail は悉く失敗したまま、むだにアドレスを抱えている。ようやったなあと、他人事ながら感激してしまう。
* ものつくり大學には、85億もの国費を、曖昧な経緯で支出し、外交機密費と内閣機密費とを、併せて、やはりそ
れほどの巨額な税金を、支払い明細も残すことなく政府は使いまくっている。派閥の論理だけで大臣が就任したり辞任したり、国民の方へ政治の顔は全く向いて
いない。このボケナス内閣には、仮にも元宰相の任を帯びた体験者が二人もいて、しかも政治の理想を口にも姿勢にも態度にも示せず、ただ政権内にあることに
恋々として、返り咲きを厚かましく狙っている。国民への義務感もない、政治の理想(ステーツマンシップ)もない、この蒟蒻男たちめ。
この怒りを、どうにかして組織できないものか。国会を取り巻いて岸内閣を追い込んだあの国民的なエネルギーは、どこへ
行ったのか。土井たか子は、なぜ、巷に立って国民の中に身を投じ、党の活力を復元しようと努めないのか。鳩山由紀夫のあの低体温ではとても熱い世直しなど
出来ない。一刻も早く菅直人に場所を譲って大事を委嘱するのが、正解ではないのか。菅もそう働きかけるべき絶対の時機ではないのか。森喜朗のいくぶん捨て
鉢な居直り方は、史上最悪・最醜悪の末路の反吐をまき散らす。このような自民党に義理立てしなければならぬ国民であっていいのだろうか。
* 林君に、いま、教わったとおりにした。「私語の刻」冒頭の似顔絵は、復活した!!
一歩、前に出た。次は「e-文庫・湖」の増頁だ。
* 一月二十四日 水
* 目の前に、年賀状として届いたある歌人からの、風景写真がある。ながく洋画家浅井忠の「写生」を論じている人 で、風景はグレーの河畔。浅井は此処で生涯の名作といいたい洗濯場その他のすばらしい繪を描き遺している。河畔のこういう風景は、自然な河川でなら、日本 の中ででもいくらも挙げられるだろう、どう眺めても日本の風景に甚だまぢかい、優しく繊細な植生に縁取られた川の流れが撮影されているに過ぎない、のに、 眼をとらえて放さない。
* これは画家の鈴木奈緒さんからの賀状で、お手の物の能の女のスケッチに、濃淡で紅いろが施してある。「西王 母」で、三千年に一度実るという桃の花を、祝福のために捧げ持っている。これも、佳い。
* 昨日も、テレビで、高齢期への夫婦の性生活について特集番組があった。このごろ、ちょくちょく似たような特集
を組んでいるが、その一方で、若めの夫婦達のスケジュール・セックスや、セックスレス夫婦のことも特集している。
たまたま目にするこういう番組を見ていて、全く視野から落ちこぼれている観点のあることにわたしは気づいている。
セックスは、いろんな程度と容態とをもっている。性交という行為の回数や頻度のことさらに語られていることが多いけれ
ど、もし、性的夫婦関係を老齢・高齢化社会での本質的な福祉意義とからめ、また相互愛の意義に絡めて問題にしているのなら、それら番組関係者の発言や感想
からは、さらに重大な、次のような「視野」の「落ち」ていることを、わたしは指摘したい。
肉体は老化して行く。機能が落ちるだけではない、やむを得ず老朽と醜悪化を強いられる。人間の美意識は、美の感受と批
評能力は、老人とても、わが肉体の老化ほどは急速・急激には減退しないから、まず、ほとほと自分のからだが醜く汚く衰えつつある事実に、ゲンリしなくては
ならぬ。自分のものは致し方もない、が、老人夫婦の場合、わが妻やわが夫の肉体的醜化にも、いやでも当面しなくてはならない、そこのところが、先の特集番
組などでは忘れられている、イヤ気づかれてもいないのである。
老夫婦で性的肉体交渉が頻繁に有るという方が稀有な事例になるのは、致し方はない。そういうものである。ただ、それに
つれ、いわば「はだか」の付き合いというものも欠落してゆく。しぜん伴侶の肉体に「目で」ふれることも乏しく稀に成り行くにつれて、まれに目に触れたその
「老化し醜化したはだか」への驚きが、やがて美的な「厭悪感」に転じて、思わず「互いに目を背けてしまう」ような成り行きになれば、、さて、どうなるか。
この延長線上では、自然当然に夫婦間の親切ないし深切な介護交換に心理面から支障が起きるだろう。互いに肌に手を触れ目を触れた介護の交換が望みにくく
成って行くであろう。夫婦と雖ももう互いの「はだか」から目を背けたくなるほど離れ合ってしまっていたのでは、その愛情も、服を着ている場合に限ることに
なってくる。
そんなバカなと思うのは迂闊であり、人間はいやおうもなく習慣に支配されているから、馴染めばいくらも馴染み、だが一
度疎遠になったものと馴染み直すには、たいへんな心理的壁をまた努力して越えねばならない。まして、そこに「醜化」という美意識に逆らう要素が加速的に加
わると、アタマは理性的になろうとしても、「眼の厭悪」や「情の嫌悪」というやつが、土石流のように理性を押し流し排除してしまうのに抵抗できない。
中年や初老の夫婦で、互いの下着を汚いと感じ、同じ洗濯機で洗濯したくないなどという話を聴くが、あれには、「離れ行
く性生活の疎さ」がわるく響いているのだろう。「はだか」の付き合いが親密で緊密である夫婦に、そういう忌避の働きようは、まさか無いであろう。一つ墓に
入りたくないのも、それか。
性交だけが性生活ではない。
要するに「はだか」を許し合い、互いにその老化や醜化を許し合えるものなら、それこそが、まずは「最低限守り合われね
ばならぬ、老夫婦の性生活」というものである。それでこそ、互いに「下の世話」もできる。少なくも愛の基盤ができる。互いの恥ずかしい「はだか」から、あ
あッと目を背けなくても済む。そういう「接触」をもっともっと大切にと、福祉や健康の関係者は大事に世に言い広めておかないと、多くの老夫婦たちが「相互
介護の時代」に安らかな気持ちで入って行けなくなる。ちょっとばかり堪らないけれども、老夫婦ほど、あっさりと一緒の入浴習慣をもつぐらいがいいのではな
いか。夫婦生活イコール性交などと考えた老人の性特集は、どこか過剰である。
*
古典文学全集は何種類も出ているし、いまも立派な編成の長大に及ぶ刊行を、毎回戴いていて、途方もなく大きな楽しみなのだが、一つ、ふしぎなことがある。
和歌集である。万葉、古今、新古今は籤とらずで入る。そして中世和歌集も近世和歌集も入る。だが、何と言っても和歌の黄金時代は、古今から新古今への八代
集、つまり平安時代のはずだが、古今につぎ、新古今に先立つ、後撰、拾遺、後拾遺、金葉、詞花、千載集をせめて平安和歌集としてでも一巻、何故入れないの
だろうか。和漢朗詠集があり、物語和歌があり、秀歌撰としての歌論集もあるのだからとは言えるが、歴史的には勅撰和歌集からの経時的選歌集があれば佳いの
になという思い、禁じがたい。わたしは後撰から後拾遺への和歌史にも、金葉ごろからの和歌の変貌にも、興味をもっている。百巻を越す大全集に「欲しい一
巻」であるが、残り二十冊ほどの予定には結局洩れているのが残念だ。
* 一月二十四日 つづき
* 「近世の身分的周縁」叢書の、纏めのシンポジウムを面白く読んでいる。歴史学の論文は、文学の論文よりも専門
的なのを沢山読んできたと思うので、研究者達の細部にわたる発言も、難解と言うよりも興味深く、かなり理解できる。この叢書では、近世の専門家達の結集で
成っているが、もともとわたしの関心は、ながく、近世以前に培われてきた。近世には臆病でなかなか入って行かれなかった、が、それでも、白石や最上徳内
や、蕪村・秋成などを介して接触しては来た。そして「周縁」存在への強い関心を持ち続けてきたことも、少しも隠していない。上からでなく、裾野や周縁から
時代を読みたいと思い続けてきたからこそ、ちくま少年図書館のために『日本史との出会い』も書いた。
そして、わたしの中で、歴史の基底部によこたわる、結局は、死と死者と死骸を介して、社会の構造を理解し時代の変容や
文化意志の推移を読もうという思いの強かったことに気づく。人間の基本の分業が、いわば死骸との距離差により決定されてきたという高度に比喩的な、しかし
比喩に止まらない根底の理解が有れば、相当に物わかりが、よく、深く、早くなるように思ってきた。
* 士農工商などという一つ覚えから、全面的に脱却しないと時代も社会も分業も見えてこない。そんな簡単で簡明な 社会ではなかった、近世は。そんな区分から洩れこぼれたおそろしく広範囲な人と職と集団とが実在していた。
* 風邪をひいていますと謂うメールが増えてきている、怖いぞ怖いぞ。この寒いのに国内の小さな旅に出て行くとい
う人の便りを読むと、それが仕事では仕方ないが、人様の分まで今はふっと億劫に感じてしまう。
* 一月二十五日 木
* 名古屋大學の鈴木名誉教授から、新世紀早々のエッセイ二編をと、贈っていただいた。「e-文庫・湖」の第5頁 に掲載した。記憶も新しい、あの『軽気球』の訳者である。あれは学生の昔のお勉強の成果、これは傘寿の先生日々悠々の記である。
* 明日の電メ研、あまりの問題山積に気が重い。司会して、取りまとめるなど、どうすれば出来るだろう。
* 安い輸入衣料品を、買う雀ですが、アジアンブームの刺繍や手編みに、肌も、心も、チクッときますの。
最近まで日本女性は、織・染・編・縫などの手仕事に携わり、楽しみ、反面、忙殺されてもきました。
今は、アジアの女性が、安い賃金で作る手仕事品を、現金を稼いで買っています。
流行が終わったら、飽きたら、多分簡単に捨てられるモノに、[手のぬくもり]
[人のあたたかさ]などの言葉がついて、売られる事に、身をよじる雀ですわ。
フェアー・トレードはまだまだ少数。
雀自身、日常にあった多くの手仕事を、次々にやめて、[買う]
生活をしています。囀雀
* いい指摘ではなかろうか。
話はちがうが、不法入国し不法就労して手入れに遭い、収容される外国人たちが跡を絶たない。わたしは、このケースには
厳しい取り締まりを常に望んでいる。だがその一方では、合法的な入国や就労には寛大でありたいと。麻薬や暴力犯罪の害悪を帯同してきがちな不法入国は、徹
底的に水際で取り締まらない限り、この島国の生活、安寧を脅かされつづけるであろう。
だが、もう一つ、ぜひに注目の集まるのを期待したい事実がある。それは、違法入国者たちを収容する「施設」内での、日
本側管理関係者たちによる、目に余る暴虐・虐待の事実の頻々と国外に伝えられて、アムネスティなどの国際団体では、しきりに警告や抗議を重ねていること
だ。だが、その割りに世間には知られていない。
こういう「施設」が、じつは、国の施設でなく民間私営のものであることも、問題を陰湿にしている。暴虐私立精神病院
の、鉄格子内での患者虐待にさも似ているのである。目にも言葉にもあまる陰惨な残虐行為が日常的であるとすら、人権団体の証言を介して洩れ伝わってくる。
入国の違法は違法であり速やかに本国に送還すべきであるが、送還されるのはまだしも、いかがわしく鎖された施設の裏で
無道な虐待行為が日本人の手で繰り返されていて、良い道理が、ない。身の毛もよだち、恥ずかしい。
世界的にも同じ様な残虐はなされていると、アムネスティ等は、つとに具体的に報じている。女性達がレイプされている事
例も海外では珍しくないという。日本ではどうなのか。管轄する法務省は、こういう疑惑ないし事実に対し、どのような人権配慮の定見と対策とをもっているの
か。国会議員は、こういうことをこそ、国会で質問したり問題にすべきだろう。
折しも、外務省の一役人が、唖然とする巨額の国費私物化に奔命していたことがバレている。一役人を、蜥蜴の尻尾切りに
犠牲にして追及を逃れよう算段も、外務省・内閣官房は早や画策しているのであろう、もとより一役人の問題ではない。そもそも何十億という機密費は、すべて
が不当とはいわぬまでも、少なくも内部的には使途明細をだれかが責任もって把握しているべきだろう。官房長官の部屋には、その機密費をたっぷり入れた金庫
があり、しかも歴代内閣で、総辞職に際して金庫の中をかっさらって行かなかった官房長官だか首相だかは、只の一例もなかったと証言する人まで有るのには、
もう、なにをか言わんや、暗澹とし絶望感にとらわれる。
虐待といえば、これまた実の母親や父親達が、いとけない赤ちゃんを、踏むの、蹴るの、殴るのして虐待死させている
ニュースが相次ぐ。どうなっているのと、問うも虚しい。
世直しどころか、こういう状況に目もくれず、われらの総理大臣は野球選手を官邸に迎えてバットを素振りしてみせ上機嫌
だったという。連夜連夜の待合い梯子だという。どうなっているのだ、この国は。いちばんの悪人集団は、こういう巨悪の親玉を、国民の十人に八人以上がイヤ
だと嫌い見捨てている「三振空振り無能の宰相」を、見て見ぬ振りして機密費なんぞのお裾分けにあずかり、さも「我が世の春」を決め込んで何ひとつしようと
しない、自民党、与党、の代議士達だというしかない。
* 一月二十五日 つづき
* とって置いたはずの、電メ研メーリングリストの内容が、読むだけでプリントできていないことに気づき、昨年末 の分からプリントしただけで、えらい嵩になった。ここのところ、かなり有効に活用され、情報や資料や意見の交換が多かった。明日の会議開始までにこれらを 順に通読しておかないといけない。たいへんな量である、が、これに沿って会議するのがいちばん有効だろう。チャットふうの私的なメーリングリストには参加 していない。そういうグループもいっぱいあるが。電メ研のと文字コード委員会のとだけでも、厖大な交信量になっている。便利といえば便利だし、かなり騒が しいものでもある。一般には、仕事のメールと私的なメールとどっちが多いのか分からないが、わたしの場合はどっちも多く、私的なのは楽しみにし、仕事のは 役立てている。
* 血圧の上がりそうに政府与党に怒るからか、なだめるように四国からメールがきた。ありがとう。
* 月様
今日は一日、冷たい雨が降り続いていますよ。風邪のウィルスが苦手する湿度のあるのはありがたいけれど、肌寒いのは…
ン?
用心、用心、ご用心。先手必勝とばかりに、転ばぬ先の杖ならぬ葛根湯のお世話になりながら、どうにか今年はまだ風邪の
洗礼は受けずに過ごせています。寒中見舞いにお肉を少しばかりお送りいたしました。風邪につけこまれないように、力を蓄えてくださいね。
朝、テレビで放映されていた、中国の旧正月の祝い事を見ながら、お正月を旧暦でお祝いしていたのは、いつのころまで
だったかなあと、思いだしていました。(小学校の中学年かな?)
自然の四季を愛で、宇宙の彼方の星めぐりに夢を馳せることができていたのも、旧暦に生きていた昔人の風流に習っていた
からでしょうね。桃の花の咲かぬ時季の雛祭り。七夕だって、天の川は見えないことが多いんだものね。なんだか味気ない気がしてなりませんのよ、新暦は。で
も破壊が進んでいる現在の自然環境では、サイクル自体に変調をきたしていることを見過ごしてはならないと思っています。
節分のころには寒さも一段と増すことでしょう。寒い辛抱はなさらず、暖かくお過ごしなされてくださいませ。ご用心、ご用心!ですよ。 花籠
* 有明海の海苔が全滅にちかいらしく、いまごろ政府も慌てている。見直しの対象からも外していた諫早での、この
自然からのリベンジというか、自然の惨殺状態というか、何をやっているんだろう、政治というヤツは。
* 一月二十六日 金
* 電メ研を、なんとか会議らしく進められて、ま、ほっとして、疲れた。頭の中が磁気嵐のようにざわついている。 帰りの地下鉄も、ぼやっとしているうち先に原宿方面がきたのでふらっと乗ったが、日比谷方面を待って、いっしょになった高橋さんと日比谷まで行ってよかっ たのだ。反対の明治神宮への電車に乗って、ほうっとしていたら、乗り越して代々木公園まで行ってしまった。急に空腹になり、新宿で降りて、和食で、すこし 酒をのんだ。周縁身分のシンポジウム討論を読みながら。やっと落ち着いた。大江戸線をつかって練馬経由で帰った。ロシアでかぶっていた毛の帽子がすてきに 温かくて、じろじろ見る人もあるが、無視して、まるでエスキモーの顔をして電車に乗ってきた。温かいに越したことはなく、格好のおしゃれなどあまり考えな い。じじむさい話だが。
* 二百数十人の方には、もうメールの同報で、下記の「宣伝」をした。ここにも書き込んでおく。
* 息子に「宣伝を」と頼まれましたまま、とりあえず、届いた「パンフレット」のマル写しで、お知らせ申し上げま す。相変わらずの事で、恐れ入ります。どうぞご吹聴下さい。お気が動きましたら、よろしく。テレビ仕事に追われ、一年ぶりぐらいの舞台公演になるようで す。 寒い季節です、お大切に。 秦 恒平
『pain』
つかこうへいが、チケット代たったの千円で断行し、大きな話題をさらった紀伊国屋劇場における「熱海殺人事件
ザ・ロンゲスト・スプリング」。
その伝説の舞台で、犯人・大山金太郎を快演し、一躍演劇界のスターダムにのしあがった山崎銀之丞。
そして、その「熱海殺人事件」千円公演のプロデュースを担当し、そのまま、つかこうへいの直弟子として劇作・演出家の道
を歩み始めた、秦建日子。
あれから、IO年。
今や、つかこうへい演劇のみならず、大劇場のプロデュース公演に、そしてTVの連続ドラマにと八面六臂の活躍を見せる山
崎銀之丞と、「タクラマカン」「地図」などの劇作・演出を、「ヒーロー」「編集王」「ショカツ」「はみだし刑事情熱系」など連続ドラマを連投する作・演出
家、シナリオライターとなった秦建日子とが、初めて舞台で「対決」します。
公演のタイトルは、『pain』。劇場は、「新宿・スペース107」。
たった200席足らずの小空間で、「山崎銀之丞」の華を、色気を、「秦建日子」の料理で、たっぷり味わっていただこうと
いう贅沢な企画です。
チケットは「チケットぴあ」にて、「1月22日より」発売。
どうか、皆様、お誘い合わせの上、ぜひご高覧ください。劇場にて、皆様のお越しをお待ちしております。
出演 山崎銀之丞 大森ヒロシ
本宮純子 田中恵理 築山万有美
安藤彰則 小谷欣也 せきよしあき 井上唯我 栄島
智 森 裕征
制作 小崎美加
公演 2001年 2月 7日(水)〜12日(月・祝)
時間 平日 19:30 土曜 14:00/19:30 日祝 13:00/18:00
劇場 新宿・スペース107 (JR新宿駅西口徒歩1分)
新宿区西新宿1-8-5α107 地下1階 03-3342-0107
代金 全席自由 前売・4,500円 当日・4,800円
チケットぴあ 03-5237-9999
お問い合わせ オフィス・ブルー 03-3494-8688
http://www.geocities.co.jp/HeartLand・Himawari/2036/
* 帰ってからメールを開くと、たくさんな返事をもらっていた。感謝します。わたくしに、寒中見舞いの、うまそう
な牛肉を沢山に戴いてもいた。ふしぎに、食欲は旺盛で衰えない。遠くから、ちゃんと見抜かれている。感謝。
* 一月二十七日 土
* 一日、校正に明け暮れた。一冊分の初校には精力がいる。句読点の一つでさえより良くと願うからだ。印刷所に渡 した原稿から、最低二度の校正でさらにずいぶん手が入る。すでに単行本として出版済みの作品にでもなおそれだけの気は入れる。推敲や添削はやりすぎて殺し てしまう恐ろしさと、やればやるほど良くなる不思議とが備わっている。添削や推敲は才能の大きな部分を占めていると気が付かないと、いつもザラザラしたや りっぱなしの仕事になってしまう。
* 推敲や添削、非常にきつい仕事である。単なる校正とは同日に語れない。その校正もまた大変な労作である。集中 し注意の限りを尽くさねばならず、それでも不注意にミスを残す。一度の校正で完璧というようなことは、本一冊分ともなればあり得ないと言える。わたしの 「湖の本」にも無数の誤植があるだろう。自分の書いた文章を自分で読んでは校正はダメなのだが、致し方ない。六十六巻めをやっているが、たいていの作家な ら、まず、この校正という作業でへたばるだろう。
* 千葉の勝田さんに、また、『閨秀』などのスキャン原稿を送っていただいた。
* お元気なご様子で何よりと喜んでおります。
息子さんのお知らせ、ありがとうございました。いつでしたか、秦建日子作『孫』をテレビで拝見した後、専門家のおやじ
さんは厳しいんだなぁと「私語の刻」を読んでおりました。『孫』の中で、車椅子に乗った息子が、いかりや長介の父親に向かって、「おやじ、ありがと・・」
と言った場面一つで、田舎のおじさんには充分満足でした。
『pain』を、見てみたいと思います。
創作シリーズ11、12、13、お送りします。一つ読んではホーッとし、すぐ次を読んではもったいないような気がし
て、ゆっくりやっています。それぞれに浸ることが出来、いいのですが、『閨秀』の中で、姉のこまが嫁ぐ日母にしがみついて「おおきにどしたな、お母ちゃん
おおきにどしたな」と繰返し泣いた場面が忘れられません。
『電脳社会の日本語』(加藤弘一著)読みました。著者に敬意を表します。e-old
には、益々わからなくなりましたが。
「身分的周縁シリーズ」手に入れました。神道者、神子、三昧聖・・面白いですね。素人にはすこしくどいですが、読んで
みる気になってます。
いつもいろいろ、本当にありがとうございます。
今年もご多忙と思いますが、くれぐれもお大事に、ご健勝をお祈りしております。
* こういうメールが貰えるようになっただけでも、パソコンに馴染んでよかったと素直に思う。「e-OLD」たち が「電子の杖」をついて、村中で楽しみあっている地方のニュースも今日テレビで見た。森内閣の「IT革命」政策など何事とも正体も意図も不明だが、「e- OLD」たちの「電子の杖」をなるべく軽く丈夫に使いやすくしてもらいたいと思う。
* 夕方、広末涼子と小林薫の映画「秘密」を、中途から見始めて、したたか泣かされてしまった。この映画は、出来
た頃のキャッチフレーズをみて、すぐ、ねらいを理解していた。広末はその当時早稲田通学問題であまり評判が良くなかったけれど、奇妙に気になる、好きにな
れないのに気になる女優であったため、さて、この子にこういう微妙な役が出来るのだろうか、出来るとして配役されているのなら、相当評価されている演技者
なんだなあと遠くで思っていた。好んで映画館へ見に行こうとは考えなかった。
最近、彼女が役所宏司とのビールのコマーシャルのなかで、泡の膨らむジョッキをみながら、「きれい。コマーシャルみた
い」と言うせりふのさりげない旨さに、感心していた。コマーシャル写真の中で、役所の手でうまくつがれたビールの琥珀色と泡とを、「コマーシャルみたい」
と口にして極めて自然というのは、たやすい芸当ではない。が、こともなく広末涼子は呟いていた。
その広末の「秘密」がテレビで見られるとは、思いがけなかった。
母娘で交通事故に遭い、母は死んだものの、生き延びた娘の肉体に魂として生き移り、娘の存在が実質失せて夫と暮らして
ゆくのである。見た目は娘のまま、妻の心と言葉をもって夫との生活をはじめるのだ、なかなか巧みな物語を、ベテラン小林と若い広末とは、悩ましくも緊密に
うまく演じていた。そして、不思議の日々は「現実」の前にいろいろに揺れ動く。
* 数年前に「死者たちの夏」といったか、同じ傾向の佳いドラマがあり、舞台でも、すまけい主演のやはり死者と生
者との交感の芝居が好評だった。
こういうのを見ると、わたしは、今昔の感を覚えざるをえない。幽明境を異にしながら、生者と死者とがおなじ次元おなじ
地平で心も暮らしもともにするという創作を、わたしは、現代の創作者としては、最も早くに肇めていた。『清経入水』で太宰賞をとったとき、このような作柄
の小説も舞台も、むろん真面目な文学や演劇としてはまるで世間に存在していなかった。「化け物小説」「妖怪小説」とも揶揄され、「秦氏は生の世界と死の世
界とを自在に往来できる人」と批評家奥野健男は書いた。たしかに「初恋」「北の時代」「冬祭り」「四度の瀧」「秋萩帖」「鷺」「修羅」そして多くの掌説作
品など、みな、尋常のリアリズム作品ではない。生者と死者とが緊密に共生しつつ物語は展開する。
わたしの世に出た頃はもとより、その後も十数年、めったにこの種の不思議を現実のなかへ普通感覚で持ち込んだ作柄に
は、お目にかかれなかった。わたしより以前でも、それこそ、泉鏡花にまで溯らないと、まともな仕事はなかった。そしてその前は、上田秋成か。
それからすれば、最近は、「秘密」のような作品は、むしろ趣向としてもそれが人気を得ている。バーチャル感覚に慣れた
とも言えるが、生死の感性に、不思議を許容する欲求が根ざしてきたとも言えようか。若い人たちの小劇場での舞台づくりにも、ごく自然にその傾向と表現とが
見えている。ひとつには「宇宙戦艦ヤマト」その他のSF感覚がその辺の間口を広げたと言えるが、だが、「秘密」や「死者たちの夏」などは、やはりそういう
ものではなく、むしろ、わたしの創作・作風の後続・展開だという感じがもてる。生と死との問題なのだから、モチーフ自体が。わたしは、何となくほっとし
て、そして感銘をうけるのだ、こういう作品に出逢うと。
* やがて、一つの肉体に娘の精神も戻って来始め、母と娘とが交替しながら、夫に、父に、相対する。ああ、娘が
戻ってきたと分かったときに、母であり妻である広末が、ひとこと「ウレシイ」と言う科白の、身に迫って、美しく、巧かったことは、あれは絶品であった。娘
が戻るということは、母の魂がついに永遠に逝くという事を意味する、それでいて「ウレシイ」と我が娘の復活に無心に口にする母の、深い優しさを、若い広末
が、こともなく深切に演じて揺るがなかった。どうも、わたしにはぴたっとこない敬遠ぎみの女優であるのだが、優秀な感性に触れ得た喜びは大きい。もう十年
も逢わない娘朝日子に、かすかに広末は似ているのである、だから、わたしはこの女優が少し気味わるいのであるが、それと、演技力や感性のよろしさとは、ま
るでべつである。いい映画、いい演技者に逢えたと、余韻を、しみじみ喜んでいる。
* 一月二十八日 日
* 早起きしたが、朝早くから、テレビで政権与党のあつかましい逃げ込み戦略正当化の弁明ばかり聞かされ、気分の わるいこと夥しい。明後日には定期診察、すこしリバウンド気味の体重につれて血糖値以外の数値は良くなかろうと思うと、これも我が身の咎といえ、気分はわ るい。そこを通り抜けないと、気は晴れない。難儀な初校は戻したので、徐々にまた発送の用意にかからねばならぬ。
* アタマが、機械向きに冴えていなくて、せっかく布谷君からも親切な指示を得ていながら、指示が実現できないで
いる。とんでもなく、ものを間違えてしまいそうな気がするのだ。一月も通り過ぎて行く。昨日、ようやく猪瀬直樹の大作『黒船の世紀』を読み終えた。趣向と
趣旨とはよく分かった。収拾のつかないほど枝葉がむっくりもじゃもじゃ繁茂した樹木を、なんとかして上へ上へ木登りしてゆくような苦労な、だが、面白い読
書であった。日米未来戦記というべき著述が海外にも国内にもこんなに永きにわたり夥しく出版されていた事実に、ほとんど気が付かずにいた。埒もない読み物
もあり、好戦的・扇動的なのもあり、厭戦的・戦争抑止的なのもあり、専門の軍人・参謀・指揮官も驚くような精緻に実証的かつ洞察に富んで事実現実をみごと
に先取りしたのもあり、繰り返すが、そういう本が、ペリーの黒船来航から太平洋戦争勃発の直前までに、日本でも米英でも、実に数多く出版されしばしばベス
トセラーになって、国の政策と軍事とを実際に動かす程の影響力を持っていた。猪瀬氏はそういう事実を、中でも優れた視野と展望と洞察の持ち主であった日本
人と英国人とを「彼我」に対置して、「戦争」がどう起きるのか、実際にどう起きたのかを、精力をこめて論証して行くのである。全体の印象はけっして整然と
したものでなく、包丁の使い方は荒い。ぶちこみの「やみ鍋」のようである、が、味はいい。うまい。食って満腹の満足とかすかな虚しさとはあるけれど、決し
て不味かった損したとは思わせない。
かなりの大作で、だからというのでもなく叙事の繁褥にへこたれるせいもあったが、読了にかなりの日数をかけた。だが、
投げだそうとは思わなかったのである。なるほど、戦争は、軍人たちのあしき欲望でだけ起こるわけでなく、思いのほか民衆の愚昧な興奮やマスコミの安易な無
責任や、それらをけしかけて変な世論を沸騰させたがる、さまざまな批評家達の手によっても引きずり出される厄介な「生き物」だという著者の意図は伝わって
きて印象に焼き付けられた。それに異存はもたない。
ラジオしかなかった時代でそれだったとして、今は、猪瀬氏も手玉に取っているテレビ時代であり、電脳ITの時代である
から、幕末明治大正昭和の昔よりもさらに安易に世論は誘導される。
こういう考えと批評とをもった猪瀬直樹のような存在がテレビでコメントしていてくれるから幾らか安心と言えるのか、そ
れ自体がなんだか知れず問題なのか、その結論は急ぐまいが、かつての「日米未来戦記」群の著者達によく似たテレビキャスターやコメンテーターがうようよと
繁茂している今日の情報社会は、これは安穏なのか剣呑なのかと、われわれノンテレビ派は、よほど賢明でなくてはならないというのが、大事なところだろう。
* ホームページは、わたしにすれば、大きな発信手段であり、表現意図を具体化できる広場の意味をもつ。だが、コ ンピュータにより発信ばかりするわけではない、受信受益の貴重な情報、いや、言い方を変えれば情報の吾なりの貴重化の作業がある。インターネットによる多 彩な、いや多彩でなくてもいいが、例えば、「オンライン」で出来る読書や検索・情報調達の有り難さが、ついてまわる。佳い表現のためにも、それが役立つ し、役立たせたい。インターネットで投資しよう、物の売り買いを使用という気もなく、見知らぬ人との出逢いを不自然な、いかがわしい手段で求めたい気もさ らさら無い。だが、せめて日本の大學の研究成果や、貴重な所蔵文書や、論文・論者のリストなどは、手に入れて、私の場合ならば、ま、素人の好奇心や知的欲 求をせいぜい楽しませ満たしてやりたい。もはや、そこから栄誉や功名につながるものなど望んでいない。いわば養生のためにそういう便宜に大いにあずかつて 喜びとしたい。
* けさは、京都大学電子図書館に入って、今昔物語を、図版と活字版とを同じ画面で左右対称にし、しばらく読んで いた。この図書館だけでもおそろしく楽しめる。同類のサイトは、当然ながら幾らも有る。隘路は、オンラインで読み続けるには電話代がかかるということで、 そこで、いまは盛んに「マイライン」を宣伝競争しているようだが、革命的にやすくなって欲しい。わたしは今のところ、電話線でも器械ソフトの面でも、まだ 何一つ工夫していないで、昔のままに目的のサイトへ素朴に訪問しているに過ぎない。そのうちに、より廉価で効率よい組み合わせや組立てが出来てくるだろ う。アドレスに、宝の山のようなサイトのURLを一つまた一つと追加して行くことが、発信だけでない受信面でのわたしの拡充に繋がって行く。浮かれない で、謙虚に役立てられるようにと願っている。この技術音痴・器械音痴のわたしがこんなことを言うのは厚顔も極まれりで人は嗤われるだろうが、存外真面目に 願っている。
* 黒いマゴが、寒いと、夜はいっしょに寝たがる。台所に閉じこめておけばひとり寝るのだが、スキを狙って、すば
やく寝室に駆け込み、布団の裾まで潜り込む。おとなしく熟睡しているけれど、早朝の決まった刻限には枕元へすうっと出て、それからはアタマで顔をつつき首
筋をつつき、耳をかみ、頬にかみついて、眠い大人を起こしに掛かる。噛みかたはやわらかいが、放っておくとだんだんきつく噛む。わたしのことは遊び相手な
いし喧嘩相手と心得ているらしく、とくに動く手先が気になると見えて、狙い澄ましてとびかかる。床から、わたしの顔の高さならラクに跳躍して、のばした腕
へ腕を巻いてくる。柔らかく握手もするようになってきた。
人間の言葉で口を利いてくれればなと思い、いやいや、それが出来ないから可愛いのだと、もう何度も何度も思ったこと
を、また思う。
* 福岡大学の卒業論文要約かなと思われる、留学生らしい名前の人の『春琴抄論』を読んだ。論旨は、とくに珍しい
ものではないが、落ち着いて叙述の性質を分析し解釈して、適切な運びの中で、いわばこの作品を介しての谷崎から読者への誘惑というか、挑発というか、独特
の「意図」のようなものを読みとらねばならないだろうと結論していた。火傷かどう起きたかは曖昧を曖昧のまますり抜けていたけれど、「賊」犯行のあり得ぬ
事は指摘し、佐助の加害ということには一顧も与えていない、と読めた。そのうえで、作者の作意を現実次元のさらに奥へ踏み込んで汲むとすれば、何が残って
いるかは、知れている。答えられることは一つしかない、春琴による、佐助への痛切な誘いと捨身の敢行、つまり「春琴自傷」である。
* 一月二十八日 つづき
* 「日本人の質問」というNHKテレビの番組に、「おじいさんの古時計」という米国製童謡の訳詞をめぐって、ク
イズの出題があった。その訳詞者保冨康午は妻の兄で、もう亡くなって十数年になる。よく太った写真が二度も画面に出て、懐かしかった。妻の方へ事前に知ら
せがあって、妻は親族の誰さん彼さんにだいぶ報せていた、放映が済むと電話が幾つもかかつて来た。
義兄は、若い頃、谷川俊太郎らと詩を書いていて、詩人になるはずだった。だが詩では食えず、父親のコネでシェル石油に
入り、広告などやっていたようだが、自然に放送の世界に接近して、ラジオや、テレビ初期からの「構成」とか「作詞」とかをやりはじめ、やがて脱サラして、
全く、放送や歌謡曲歌詞の世界に身を置くようになった。
わたしたちが結婚した昭和三十四年頃が、放送世界で義兄の働きの認められ始めた初期であったろうと思う。その頃の先輩
や同輩に前田武彦とか青島幸男らがいた。
あまりに急な早い死がやってきたとき、義兄は五十四歳だった。夜半に仕事を終えて一休みしたところで亡くなったと聞い
ていて、ときどき、それを思い出す。生きていたら、わたしはともかくも、息子は、かなり力に感じられただろうと、そうでなくても、惜しまれる若死にであっ
た。ひさびさに、テレビ画面でよく肥えたまるい顔を見て、その思いを新たにした。
例の訳詞は、おそらくは最もよく知られた代表作の一つであろう。
* 昨日の大雪は如何おすごしでいらっしゃいましたか。
私は吹きぶりの一番激しい時間帯に娘を連れて買い物に出かけていました。港区というのはやたらに坂の多い区で、大きな坂道を転げ落ちそうになりながら普段
の倍の時間もかかって、歩いていました。「きゃー雪が目に入っちゃう」などと騒いでいる娘を見ながら、もう十年以上昔、ドイツに住んでいたころをふと思い
出しました。
当時二歳の娘に下着やセーターを何枚も重ね着させて、帽子に、毛足の長いブーツまで履かせて万全の態勢で雪のなかに連
れ出した瞬間、娘は「お顔が寒い」と泣きじゃくったのです。お顔ばかりは服を着せるわけにもいかないので、娘をドイツの厳しい寒さに慣らすのには本当に苦
労しました。あのころは、泣きながらも母親の手をしっかり握りしめてけなげについてきていた娘が、今は生意気に、「帽子なんてダサいものはかぶらないか
ら」などと宣言し、「また荷物持ちなの?」と文句を言いつつ、ついてきます。それでも娘は雪のなかを歩くのが結構楽しそうに見えました。格好だけはおしゃ
れで大人にちかづいても、まだ充分子供なのだと感じて、私は少し幸福に浸りました。
* なんという温かい文章だろう、と、思わず書き込ませてもらった。顔も知らない読者だか、何十年来の人のように 心温かい。
* 今日は、すこし長いめの「あとがき」を書いた。
* 截金の江里さんから戴いた奈良「和久傳」の、笹に巻いた、蓮根の粉を蒸してあるのだろうか、舌にとろりと甘い
ういろうのような、ちまきのような菓子が、とても旨い。四国からの牛肉も、今日はすこし酢の味であっさりと湯に通して食べたのが、とても、よかった。そし
てとりどりのチョコレートの箱の蓋があいて、日に一粒ずつあれかこれかと選んで食べるのがストレス解消に何よりである、が、77キロに減っていた体重が、
正月の一月で、2キロほど跳ね上がっているのを如何にせん。ウン。
* 一月二十九日 月
* 福田恆存の『ホレイショー日記』をふいと手に取り、読み始めた。いや、引き込まれてしまった。これほどの知的
な創作を日本文学はもっていたのだ。当分器械の側に置いて読み進めよう、以前に同じ著者の戯曲『明智光秀』もそんなふうに読んだ。この恆存全集の最終巻
は、福田さんが特に編集者に命じて、購読中のわたしのために、この巻は著者寄贈で届けるようにはからわれた一巻だった。『キティ颱風』以下の福田戯曲がす
べて収められてあり、巻頭にこの『ホレイショー日記』が置いてある。わたしには、お宝の一冊なのである。
書庫へ入れば、この手のお宝がまだまだ在る。小林秀雄の謹呈宛名書きのある『本居宣長』も思いがけない頂戴本だった。
読み余している本がいっぱいまだある。元気でいたいと想うのはそういいう本の数々を思い出すときである。
* 「雁信」今年の分から、第二頁を使っている。いいメールをもらっているなと思う。何方の私信とは概ね分からな
いはずで、そう配慮しつつ、表現の温かさと巧みさとをそれぞれに汲んで悦んでいる。よく選んでいる。
* 一月三十日 火
* 二ヶ月ぶりに聖路加病院。時間予約に関わらず、いやもう、待つ待つ待つ。病院について、受付して、採血採尿、
そして待つこと二時間である。おかげで、「杣」の論文に真っ赤になるほど線を引いて読み耽った。木材を横切りにしか出来なかった鋸の時代には、檜のような
良材の柾目にそって斧か鑿かで縦に割りおろすしか板材などは作りにくかった。大鋸が発明されてやっと松のような木材を縦に割り切ることが出来、大鋸引き=
木挽きという専門業が成り立ってきた。それでも檜のような良材は、大鋸で引くより杣の手で割って材にする方が良かったという。
近畿の杣、木曾の杣、青森の杣。とても特色があり面白い。杣、木挽、大工の関係も面白い。
しかし待たされるのは、いやなものだ。しかも呼び込まれて、「いいですね。このまま行きましょう」と、処方箋をもら
い、次回の約束。それだけであるから、まさに三分で済む。
珍しく血圧が136もあった。いつもは110台なのに。血糖値は断然いい。今朝は81。昼食後で116。インシュリン
の助けなくてこれなら、ピンピンの健康正常値であり、とにかくこの値であるからドクターは安心してしまっているみたいだ。
* 天気よく、さほど冷え込みもせず。気を大きくして、帝劇下へ戻って香味屋で洋食、赤いワインを二盃飲んだ、 ゆっくりと。気分の良くなったところで、「クラブ」へ席をうつして、チーズでウイスキーを少し多めに楽しんだ。わたしは、ウイスキーはストレートでしか飲 まない。シーバスとバーボンとを交互に味わった。べつに酔いもしなかった。寒くなりすぎぬうちに丸の内線で帰った。
* 昨日、深夜に書庫の谷崎全集から、戯曲の入っている巻をぜんぶ抜き出した。『細雪』のころまでは、戯曲の創作
がある。明治から大正のうちは、ひっきりなしに戯曲が書かれている。明治四十三年の「新思潮」に相次いで書かれた「誕生」「象」を昨夜のうちに読んだ。東
大に在学中の、二十五歳前後の創作だが、その、何というか学殖豊富にして華麗な措辞、しかもデッサンはじつに安定して美しく、真実舌を巻いた。いまどき評
判の平野啓一郎クンのケバケバしい文飾が、いかに危ういデッサンで描かれた言葉繪に過ぎないかを、改めて思い較べさせられる。谷崎が中学の頃から既に神童
といわれ天才と謳われたのは果然当然で、感嘆のほかない。むろん、作者も胸を張って、それを、それだけを、まさに見せに見せている。読ませようとしてい
る。小説「刺青」や「少年」や「秘密」などにある深い怖れも、感銘も、戯曲の「誕生」「象」からは受け取れない。それでも、真実、その国語の魅力には引き
込まれる。また、谷崎がその若さですでに堪能するほど仕入れていた歌舞伎劇の魅力も伝ってくる。お手の物として、谷崎の素質そのものと化し、措辞の隅々に
まで溶け入っている。歌舞伎に馴染み、かなり適切に、ことこまかに批評し鑑賞することの、たぶん谷崎以上によく出来たと思われる志賀直哉は、それほどの歌
舞伎好きを、趣味以上にはほとんど文学的には生かそうとしなかった。
この機会に谷崎戯曲を一気呵成にみんな読み直してしまおうと思う。谷崎の「芝居気」は、大事な大事なキイワードであ
る。それが一つの持論である、わたしの。
* 一月三十一日 水
* 「恋を知る頃」「春の海辺」という大正二年と三年の谷崎戯曲を昨夜読んだ。
「恋を知る頃」には、悪女・毒婦ふうの少女と、その男の手代が出てくる。傑作小説「少年」と、この前後の「お艶殺し」
「お才と巳之助」などに通うモチーフで、不出来。
大店の旦那が妾に生ませたという、その実は別の男との中に出来た娘が、奉公の体で旦那の家にひきとられるのだが、娘は
お店の手代と出来ていて、常に逢いたさに生母をすてて本家に入り、本家のまだ幼い息子を幼い色に迷わせつつ、手代に殺させる。
通俗な無理筋で、お安い、が、ま、悪魔派谷崎の底の浅い正体曝露の体で、それが印象に残る。それだけの、「恋を知る
頃」。先日惜しくも亡くなった澤村宗十郎が演じ、そのいけずっぽい女ぶりを谷崎は大いに気に入っていた。
この作品は、後に「検閲官」という長編の対話もので、谷崎にははなはだ珍しい公権力との激しい抵抗を「芸術家」として
敢行している。良風美俗・勧善懲悪を旨とする検閲官からさんざん改作を強いられながら、谷崎の聡明なポレミークぶりが出ていた。谷崎はこの作中のような女
が好きだと公言していた。「悪」の美しさと強さを強調して存在を撃ったのが谷崎の大正期なのである。
「春の海辺」は、もっと、よくない。おもしろいはなしに、なるぞなるぞと持って回ったものの、おさまりがつかず、半端に
終わってしまう。振り上げた拳で、痒くもない頭を掻いてみたような失敗作。
* 妻の仕入れてきた芋焼酎が36度ぐらい、初めは芋の匂いであるが、濃厚に酔いを誘って旨い。午後中、留守番を いいことに、ちびちび、結局瓶の半分は飲んでしまった。おかげで、風邪気味かと怖れたのも飛んでくれた。
* 書きかけの長編『寂しくても』が、動けるのではないかと、また模索を始めた。かなりの改造を敢えてしなければ ならない、何年かけてでも粘れるだろうと、いつも身内に抱いている。これは、言うまでもない、かなりにわたしの問題なのだから。
* かすかに芯のところで頭痛がする。今夜ははやく床に入り、谷崎の戯曲を二つ三つと読み続けよう。つぎは「法成 寺物語」だ、短くない。
* 必要在って川端康成の「掌の小説」の一編か、「心中」というのを読んだ。捨てられた妻子のもとへ捨てて世間を
彷徨うらしき夫から繰り返して手紙が来る、おまえたちは物音をたてるな、その音が我が身に響くと。そして妻子が死ぬと、ふしぎに夫もならんで死んでいた
と。問題作として認知されてきた作らしい、が、わたしには、さほどのものだろうかという感想が湧いた。こういう不思議は、切羽詰まった感じは、わたしには
少しも珍しくなく、こういう材料をこう書くのであれば、もうすこし巧く書けていいではないか、寸が足りていない、釘がきちっと打てていないという気がし
た。
* 二月一日 木
* 小雨のなかを乃木坂へ。二ヶ月ぶりの言論表現委員会。大事な議題が満載の割りに、どれもこれも微妙に関連し 合っていて、頭の中でうまく整頓できない。そういうときは、話を聴いているに限る。口を利いてもとんちんかんを言ってしまうだけだ。猪瀬委員長は通であ る。「創」の篠田編集長も通である。弁護士の五十嵐二葉さんも通である。評論家の吉岡忍氏も、新聞の山田氏も権田氏も通である。不通なのはわたしだけであ る。わたしは、聴いて理解するしか、なかなか参加できないが、そういう人間もいないと、会議が通通になってしまう。通通が過ぎると厄介な不通になりかねな い機微がある。その機微の所でとんちんかんを発言するのがわたしの役目のようなものだ。気楽で楽しめるというては面々に叱られるかも知れないが。
* 四時から六時の会議なので、今日は六時開店の「ル・サンキエーム」に寄れた。カウンターで、二皿のオードブ ル、そして、なにかしら骨の付いた鳥の肉。パン。デザートとエスプレッソ。イタリアのとドイツのと赤ワインをグラスでもらい、もう一つ、飲んだことのない 変わり味のブランデー。ブルーチーズ。一つ一つ、いろんなことを言うのはもうめんどうくさい、とびきりどれもこれも美味く、堪能した。満ち、足りた。佳い 店だ。量はすこしずつだが、調理に気も手も入っている。一皿めのオードブルが殊によかった。乃木坂と縁が遠のいても、この店にだけでも出掛けてみたい気が する。
* 料理を食べワインを飲みパンをちぎりながら、谷崎戯曲の「恐怖時代」を読んでいた。ありとあらゆる登場人物が 尽く死んでしまうという、とんでもない時代劇である。歌舞伎である。谷崎が、盛んに世間向きにワルがっていた時期の、これでもかこれでもかという濃厚仕立 てのどぎつい造りだが、読んでいてちっとも怖ろしくも恐くもない。 しかしあの男前のいまの菊五郎が無表情に演じたりすれば、怖いかも。
* 昨夜は「法成寺物語」を読んだ。オスカー・ワイルドが作者の念頭にあったのだろう、今昔説話も反映しているよ
うだが、この、とても舞台にはこのまま乗せにくい長大な戯曲は、レーゼドラマとしては、いかにも谷崎ならではの個性を持ち得ていて、一種の傑作になってい
る。大柄で、身振りの大きいドラマであった、藤原道長や仏師定朝の登場する芝居らしい格の大きさが出ている。円熟した演劇言語というより、演劇言語にそれ
らしく作り立てた科白の一つ一つに谷崎の地が出ている。痩せた地ではない、甚だ豊満で華麗で、そして歌舞伎である。平安時代でも戦国時代でも江戸時代で
も、みんな歌舞伎の科白である。いいじゃないか歌舞伎でと谷崎の声が聞こえてくる。いいじゃないですか、と、わたしも、大負けで、賛同する。
「法成寺物語」の大きさを容認してしまうと、あの処女作というてよい王朝の「誕生」江戸半蔵門の「象」が、たいした作品
であったことに、またまた思い至る。永年馴染んでいるので、お馴染み甲斐に心したしくばかり思いかけているが、作家谷崎潤一郎は天才であったのだ、永井荷
風も正宗白鳥も川端康成も三島由紀夫も膝を折るようにして心からの讃辞を呈したことを思い出す。
戯曲ばかりを通して谷崎を抜き読みするのは初めてのことだ。
* 英国住まいの森嶋通夫博士から著書が贈られてきた。兄北澤恒彦の追悼の長い文章が入っている。朝日新聞社の雑
誌「論座」に連載されていたのが本になった。兄の部分を以前に紹介させてもらっている。感謝に堪えない。
* 二月二日 金
* 欧風料理の「サンキエーム」からメールが来た。大江戸線の六本木から店へ七分で着くと書いてあり、驚いてい る。ペンの会議室へ大江戸線で通えるかも知れない。いつも地下鉄乃木坂でおりて会議室まで七ないし十分歩いていると思う。池袋と原宿と二度乗り継いで行っ ているのが、練馬での乗り換え一度で済むのなら有り難い。
* 何の番組だか、昼ごろ、歌壇の将官や佐官級が一般の短歌を品評し顕彰している番組があった。推薦して、「じつ
に」とか「きわめて」とか強い言葉で褒めているいる短歌作品を読んでも、いっこうに感心できないことに驚いた。説明的な歌、ガサガサした歌、舌をかみそう
な歌、観念的な理屈の歌、要するに感動のまっすぐ伝わってこないへたな歌が、次から次に推され、褒められ、それでは作者より「玄人」を自認しているらしい
推薦者・選者の鑑賞眼の方を疑うしかなかった。
たとえば俵万智の褒めあげた作には、「コンビニが」「コンビニが」と二度出てくる。二度出るのは必要なら少しも構わな
い。しかし、「が」という助詞の用い方に歌人として何故疑問をもたないか。「が」は、格助詞の「の」にくらべて、いやしい、きたない、という語感を国語の
伝統ではもってきた。そしてその短歌では、「コンビニの」でむしろ正しい表現であった。事実、直ぐ次に登場して馬場あき子の推した短歌では、同様の第一句
にちゃんと「の」を用いていた。散文を書いていても、「が」と書いて、すぐ「の」の方がここではいいなと、書き直す例が多い。「が」は濁音の響きも感じわ
るく、必要なら必要だが、一音一音に心を入れるはずの歌人詩人にして、俵万智のような無神経なことでは、なるまいに。国語の先生ではなかったのか。いや、
国語審議会か何かの委員ではなかったのか。
* 腰から下が痛むように冷える。蒸気で暖房しているのだが効かない。外は晴れやかに明るいが。
* 手近に送られてきた歌集、句集、歌誌、句誌の山が、始末に困るほど幾つにも積んであり、器械を操作しながら合 間合間に手にしては読んでいる。わたしほどこの手の作品を丹念に読んでいる小説家は少ないにちがいない。付き合いきれないほど数多いから。そんな中から、 気に入った歌や句に出逢えると嬉しい。出来は悪くても印象に残りものを考えさせてくれたり感じさせてくれ作品もある。過度の引用はいやだが、いいもの、印 象的なものは、「e-文庫・湖umi」に随時に拾い上げて行くのも、送って下さった作者のためにもいいことだろうかと、今、ふっと思いついた。いやいや、 「ミマン」連載で出題しているうちは、そんなことをすると、自分の手元を窮屈にするだけかとたじろぐ、が、できないことではない。あれは虫食いに適切な一 字が無いと出せない難題だが、そういうことの出来なくて佳い作品もあるからだ。
* ソ連崩壊に関して、こんな歌が或る歌集にあった。気持ちは分かる、が、あるいは「短歌」での表現の限界をも感 じさせる。こんなに簡単にいわれては受け取れない、もっとややこしい感想が胸にあるだろう、一頃の大人なら誰にでも。
搾取して富まむ所業を罪悪と断ぜし思想はいさぎよかりき
人の理想かなへし国と言ひあひて恃みたりしが無力にほろぶ
しかし「戦陣回顧」しての次の作など、とても秀歌とは言えないけれど、届いてくる毅い何かはある、はっきりと。
直立し吸ひし煙草は恩賜とか味は格別のものにあらざりき
菊の紋の煙草恩賜と渡しやる人死なしむるなんぞたやすき
人間を神とまつるはなじまずと靖国神社参拝を問はれ答ふる 畔上 知時
さきの番組のような場合、わたしなら、この三首にも少し立ちどまりはしても、推さない。だが、ものは感じさせて くれる。そういう作品に出逢いたいと思うが、ただの概念ではいやだ。この場合など、これは実感だなとよく分かる。
楯などにされてたまるかその上に醜(しこ)はひどいとひそひそ言ひき
天皇は神にあらずと口ごもり部隊長に答へき二等兵われは
慰安所とは何かと問ひし少年兵帰隊し笑ふここちよかりきと
たはやすく鎮魂といふなたましひの鎮まるべきや蛆わかせ死して
侵略と言ひ敢へしばし黙したり戦ひ死にし友があはれに
営庭に集められ学生服に固まりぬかく兵とさるる思ひ惨めに
慰安婦にふれず戦地より還りしと言へば不具かと呆れられたり
毛一筋残さず爆死せしありき笑ひて戦争體験語るを憎む
こういう記憶に久しく堪えながら同じ作者に以下の短歌が出来てくると、読むわたしも、ほっと息を吐く。
とりし掌の温みは知れり年長くたづさひしもの妻の掌ぞこれ
家建てて移り住みきし九世帯それぞれに喪のことありて三十年
門過ぐる我にかならず吠えし犬この頃吠えずただよこたはる
畔上さんはかつてわたしの上司であった。上司としてよりも歌人としての畔上さんをわたしは敬愛していた、今も。 お元気でと心より祈る。歌集『時を知る故に』はお名前にからめた好題で、ほかにも印象的な歌、胸に残る歌がいくつも有った。いずれも「私史の玉」であり、 上に挙げたどれ一つもわたしは先の番組のような場面で安易には称揚しないだろう。「歌史の玉」とまではいい得ないのだ。
* こういう紹介をはじめたら、寸暇もなくなるだろうほどに、数多くの作品集に爪じるしを付けている。
* 二月二日 つづき
* 「e-文庫・湖umi」の増頁に九割がた成功、「作業頁」を含む12頁分が一気に増えた。嬉しい嬉しい。早速 第10頁に建日子の戯曲「タクラマカン」を、第11頁には英文原稿を入れてみた。
* ホームページ経由の冊子版「湖の本」の注文が、少しずつだが、有る。有り難い。
* 明日はフリーの編集者と新聞記者の父娘に久しぶりに逢う。「閨秀」を書いた頃からのお付き合いで、阿生ちゃん の生まれたのも、その頃だ。赤ちゃんの頃からの付き合いだ。自力で中日新聞記者に合格し、何年か愛知県で勤めていたのが、こっちの東京新聞へ転勤してき た。小さい頃から作文に秀でていた。総理大臣賞など取っている。早稲田時代にも先輩の建日子がびっくりするほど頑張っていたそうだ。どんなに成長したろう と、妻も楽しみにしている。
* 片岡我当の方から、三月歌舞伎の案内が来ている。沼津と石切梶原に。玉三郎は昼が鳥辺山で、夜は忠臣蔵の戸無
瀬初役。仁左の保名の夜か、勘九郎藤娘の昼か。幸四郎と雀右衛門の金閣寺も昼にある。今ひとつ、決め手に欠ける。
* 二月三日 土
* 午すこし前に、久しい馴染みの友人と池袋で会い、やがて友人の愛嬢も新聞社支局の仕事場からはせ参じてくれ て、何年ぶりかの昼食と歓談をゆっくり楽しんだ。和食の店が二つ満席で入りきれず、ホテルのイタリア料理にようやく席を得たが、残念なことに格別に味ない 店で、気の毒な思いをした。ワインはわるくなく、友人とわたしとでボトルを二本、きれいにあけてしまった。オードブルとデザートがセルフサービスで、いっ そこの二つで酒を飲むだけでいいと思ったほど、パスタも肉もまずかった。ま、それが目的ではなかったし、いろいろと話せて満足した。支局というのは、少な い人数で手分けし、かなりオール・ラウンドに飛び回らねばならない。車をとばして、広い埼玉県を駆け回っていると言うから、えらいものだ。就職試験に合格 したとき、わざわざ玄関まで報告に来てくれた。わがことのように悦んだものだ、わたしも妻も。もう五年目だという、転勤も一度経験してきたわけだ。近くへ 娘が帰ってきて父親はほんとうに嬉しそう、羨ましい。
* 別れて、すぐ、保谷へ、いやいや西東京市、へ帰った。「ぺると」で深炒りのコーヒーを飲んでから帰った。
* 昨日、役所宏司主演の「Shall we ダンス
?」を見た。妻は二度目でわたしは初めて。面白かった。気持ちのいい映画。周防監督はさらりと味わいある面白い映画を見せてくれる。わたしはダンス(舞
踊)をみるのが大好きなのだが、社交ダンスだけは毛嫌いしてきた。しかしこの映画の意図は健康で共感できたし、渡辺えり子にも芸達者の竹中直人にも、その
他ワキ役たち何人もの社交ダンスがそれぞれにとても巧くて、しんから楽しめた。「タマコ先生」役女優の姿勢も品もいい穏やかな初老感覚がよかった。お気に
入り原日出子の奥さん役も、静かで美しいと思った。こういう映画が造れるのだから、なにもことさらバイオレンスに傾きすぎることはないのになと感じた。北
野武や深作某氏のああいう映画に、しんそこは共鳴していないのである、どこかに、もっと人を励ます、感動させる映画を創れば良かろうに、才能が惜しいとさ
え思っているのである。
ヒロインの草刈民代といったか、もっとこの人のダンスを観たかった。その父親役が、出はすこしなのに、よく深く映画作
品のつくりに噛み合っていて、確かな印象を得た。出色の日本映画であった。
* 明日は、その日を待っていた観世榮夫の「定家」である、体力に障り無く榮夫さんの真骨頂を舞台に確認したいも
のだ。知り合いが大勢集まるだろう。友枝昭世でも梅若万紀夫でもない、俳優観世榮夫でもあり能役者の骨髄をもったシテでもある。恵美子夫人にも久々にお目
に掛かれるだろうか、折しもこの日ごろ、谷崎戯曲を読み進んでいる。恵美子さんに谷崎の血は流れていないはずだが、何となくわたしは、母上の松子さんより
も谷崎潤一郎をいつも恵美子さんに感じるのだ、シャイなところかな。
二時間の大曲、演じるシテもたいへんなら、見所のわたしも容易ではない。明日は、ちょっとした勝負になるだろう。
* 戯曲「恐怖時代」は、ほんとうに、みんな舞台で死んでしまった。死にざままで微細にト書きに指定してあり、く すりっと笑ってしまう。歌舞伎のお家騒動ものの趣向はみーんな使ってあるし、どんなに悪の権化のようであっても、はなはだ記号的な存在ばかりなのだ、が、 そうは言いながら谷崎の「人間理解」の下絵は透けて見えるし、ああこの役が今度はあの小説のあの人物へ化けて行くのだなと教えてくれもする。深刻感も恐怖 感もなく、しまいにいちばんのワルの男女まで、ワケが分からないが差し違えるように自殺してしまうなど、作の収拾はかなりいい加減なのも可笑しい。はっき り言って駄作なのであるが、谷崎作品には、駄作でありながら堂々と自信に溢れた大柄な魅力が備わっていて、そういう魅力にひかれて、若い頃から、活字に唇 をそえて美味の滴りを吸いたい実感をわたしは抱き続けてきた。「谷崎愛」とわたしが自称してきたのはそういう意味からである。駄作だからといって他のだれ にも書けない駄作を臆面もなく谷崎は差し出していたのだ、ことに大正時代には。それは、歌舞伎作品の魅力とつまり通底しているということである。歌舞伎も たいていは駄作なのだが、駄作にも惹かれてしまうのである。そこが大事の所である。
* 対話劇の「既婚者と離婚者」にいたっては、どうしようもない、谷崎のその場しのぎに読めるのだが、この大正六 年六月頃というと、千代子夫人と結婚し鮎子さんが生まれて、あげく「父となりて」という言いたい放題の悪魔主義的露悪のエッセイで世間を騒がせていた谷崎 の、あくどいほどの「離婚願望」を吐き出したかなり戦術性濃厚な「わざと」の作と言えるから、その後の小田原事件や、絶交した佐藤春夫との和解や、その佐 藤への「細君譲渡事件」そして昭和初年の谷崎瞠目の充実と飛翔までを見込めば見込むほど、これは問題作だと言わねばならないだろう。自立した一つの作品と しては、まことに厚顔で軽薄な、「よう言うわ」といった不出来なシロモノを出ない。だが、谷崎の作家生涯のある一点はしっかり鮮明に告白されている。した たかな戦略の効果を彼は着々得て行くのである。
* いま一つ、この三四日前に未知の人から牧野大誓作『天の安河の子』という童話ふうの小説を贈られているのが、
まだ読み通していないけれど、稀有の出逢いになるやもしれない予感がする。映画の「風のナウシカ」「もののけ姫」から受けるものの、なお原動力のような堅
固な迫力を備えていそうに、読み始めている。作者はもう随分以前に亡くなり、遺族による出版のように見受けるが、古事記世界を生かしながら、古事記も神話
も越えて出たはげしい葛藤と相克の叙事詩のようである。秦建日子の「タクラマカン」の、強烈な素地とすら見えてくる上下・強弱のせつない闘いが繰り広げら
れて行くらしい。
* 二月三日 つづき
* 石久保豊さん、九十過ぎの老女のエッセイ「重き存在」を「e-文庫・湖」のエッセイ欄に収めた。元気のいい、 しかも、心意気の粋な行文であり、触らずにそのまま頂戴した。
* 映画「Shall we ダンス ?」をビデオで、また前半見直した。渡辺・竹中のけれん味たっぷりの、しかしきちっと小気味よく踊れているダンスに、あらためて笑ったり泣いたりした。役 所も草刈も原もだれもかも心懐かしい。探偵役までがいい。残念なことに我が家では二人ともフアンのモックンが、映えないチョイ役なので惜しいが、よくみて いると草刈の父役とともに、きちっとモノを抑えている。アレはアレで成功している。
* 富士通の林丈雄君から、いま、緊急の電話。
* 建日子は、舞台とテレビに挟撃されて息もつけないありさまらしい。悪戦苦闘を繪に描きながらの二十五時間勤務
のようだが、からだは大切にと、祈る。
* 二月四日 日
* 林丈雄君に「編集」「置換」という手段を教わって、混線していた「e-文庫・湖」増頁案は予定どおりに無事決
着した。ほぼ三ヶ月近くかかった。どこかのところで、わたしが布谷智君の設定してくれた段取りを、間違えてか、イージィにか、不十分に実行してしまったの
だ、おっかなびっくりの退け腰のままわるく触って失敗していた。その修正が自力では結局出来なくて、林君の助言が解決へ導いてくれた。布谷君や林君の手引
きがなかったら出来なかった。
此処まで来ての問題は、「e-magazine」のと限らず、今後も絶対必要になる「各欄の増頁方法・手順」を、統一
して整備保管することには「失敗」したことだ。思い出し思い出し「箇条書き」にしておかねば、同じことを繰り返してしまうが、これが難しい。
* 容易に思い違いや記憶違いを看過していることに、ときどき気づく。shall we dance? を、平然と、shall you dance? と書いて暫くして気づく。「既婚者と離婚者」という戯曲の題を、対話している二人の名乗りのまま「法学士と文学士」と書いていたりする。老化現象といえば その通りだが、どこかに、どうでもいいだろうぐらいな居直りも進行している。これも老化の一つか。
* 谷崎戯曲の「鶯姫」「或る男の半日」を読んだ。
「鶯姫」は現代の女学校で、華族の女生徒と老国語教師とが、教師昼寝の夢の中で、鬼の案内で平安時代に誘い込まれ、老人
は鬼に身を変え、懸想していた姫を羅城門に奪い去ろうという、白昼夢ふうの奇怪談である。谷崎らしい趣向はしてあり、美女と野獣めくぬきさしならぬ好色趣
味も古典の知識も多彩に生かされているが、傑作と言うには程遠い。
谷崎は鏡花と異なり他界を書かない。書いてもせいぜいこういう「夢」の世界である。そういうことをまた思い出させた、
それだけの凡作。しかし、この凡作は、他の露骨なレーゼドラマから比較すれば、舞台に乗せてみると、演技も演出もし甲斐のある可塑性をもっていると、言え
なくない。ざくざくしているが、それが上演台本には必要なのだ。
「或る男の半日」は、もうむちゃくちゃな「或る作家の半日」で、露悪と嗜虐と自堕落をそのまま、しどけなく書き流して
ある。書き渋っている小説のかわりに、居直ったように戯曲の体裁にしているのだ、出来映えを考えないでするならその方が遙かにラクである。この戯曲では、
昭和六、七年の谷崎の家庭、妻と妻の妹と娘とがいて、引っ越しを繰り返し、妻子を疎んじ、白人の女を買うことにも熱心だった谷崎自身の日々の戯画化で、実
像にも限りなく近いといえる。その意味ではこの問題多き当時谷崎像の解説にはなっている。笑ってしまう駄作であるが、それ以上に笑ってしまう作中の生活で
ある。ある一握りの文士なる存在の、ある時期での実相に近いところがきわどく書き留められたと言えなくもない。この「自由」は、尊い自由ではない、顰蹙者
の我が儘な自由であり、だがそういう自由を駆使しながら、やはり時代に抵抗していた「無意識」もかいま見られる。一概に嗤いされないものがこびりついてい
る。作品が、作者の自覚とは無縁に、時勢というものに拘束されている。
* NHKの国会討論会を観ていて、聴いていて、政権与党の尾身自民、冬柴公明、野田保守の、相変わらずの厚かま
しい臭いものに臭いものを練って蓋にし居直るだけの、卑怯な自己弁護にほとほとうんざりした。野党との「対話」対論を逃げ切ってのもので、何が国会討論か
と思う。野党の諸君の、われわれと話し合って、議論しあって、その中で言うべきは言えというのは当然至極なのだ。尾身、野田。正義感の微塵も感じ取れな
い、なんていやな政治屋だろう。顔つきを見ているだけで、反吐が出そうだ。立場の相違と言うこともあるが、自由党の藤井代表は、いつも、とても話が分かり
よい。攻撃の菅と理論の藤井を兼ね備えた野党のリーダーがほしいものだ。
* 二月四日 つづき
* 観世榮夫の能「定家」のまえに、山本東次郎の狂言「鬼瓦」があった。短い狂言で、わるくない。ほのぼのと楽し める。東次郎は温和で品のいい狂言役者。難儀な公事に満足のゆく結果も得て、故国へも帰れるという、そんな晴れやかな気分での太郎冠者を供に連れた参詣 で、屋根の鬼瓦をみあげ、はしなくも故郷の妻の顔をなつかしく思いだして、泣き、かつ大笑する。総じて良かったが、ただ東次郎の、舞台の位置がはなはだ不 親切で、つねのワキ定座よりまだややうしろに下がって演じるため、見所によりワキ柱にあたってしまう。舞台に太郎冠者とただふたりで向き合ってする演技 に、なぜ、ああまで退がらねばならぬか納得できなかった。
* 能はたいした力演で、破綻なく二時間。シテは、ごく特異な風情で、定家卿愛執の蔦葛に巻き締められて苦しむ式
子内親王を演じきった。前シテの出など、へんに小さく見栄えしない感じで始まったが、すぐその理由を理解し納得した。能の様式によりかからず、榮夫はこの
女を、能舞台という「舞台」で、能のシテである内親王役を「配役された俳優」のように、謡い、かつ演舞していたのである。様式美とはほんの半間をはずした
「姿勢」を榮夫は敢えてとる。脚を意図的にわずかにひらいて立つので、からだは、美しく立つというより、そういう装束の女がありのままそこに立っているよ
うに見える。目の前のそこへ、なみの女が肉身を備えて現れ出で、自然に普通に動いているように見える、むろん能の約束を壊すことなく。
「能舞台」には、ふしぎに、能の人物たちを、すこし空気=空間に埋没気味に、やや空気の海に沈めはめ込んだ感じに見せ
てしまう「支配力」があるものだ。人物たちは、能舞台の空気=海中に描かれた「繪」のように浮遊感もって動いたり舞ったりするのが普通である。
榮夫は、それからすると、ちょっと異質の演技をした。能舞台をさように特殊化せず、ただ「舞台という背景=素地」に位
置付け、素地の上で立体的に俳優が「役」を演じているように「能」を舞った。空気を支配していたのは能舞台でなく、シテ役の俳優の体と動きだった。当たり
前のようで、そういう能舞台は、じつは、めったに見たことがない。榮夫の能はその意味で、能らしく自然な能でなくなり、能の場で能を活かして式子内親王の
心理劇・運命劇が独自に演じられていた。
成功していて、見応えがあった。後シテになってからも、榮夫の演技は深くこまやかで、充実し、微細な動きにも、能面の
表情にも説得力があり、十分見所の視線を奪いさって、最後に塚のうちで崩れ落ちるまで、ほとんどわたしを睡魔にさらわせたりしなかった。眠らせなかった。
寝入っている客は、つねよりずっと少なかったのである。
この「定家」という能は、僧の供養により有り難く解脱して救われるだけの終え方ではなく、救われを感謝しつつも愛欲無
残の苦渋にさらに身を任せ続けようともとの墓塚にうずくまってしまう、複雑な心理を描いている。榮夫が、なんで二時間にもなる大曲を敢えてしたかの動機
も、この謡曲のそういう現代文学に通う切実な味わいにあったろう。俳優の心をとらえる作なのである。ただ様式的に舞われるだけではにじみ出てこない「つら
さ」が、底によどんだ能なのだから。
大倉源次郎の小鼓がじつに美しくよく鳴った。亀井の大鼓も仙幸の笛も申し分なく、宝生閑のワキにも気が入っていた。地
謡も後見も間然するところなかった、というより、それらがすべて榮夫の演技に吸い取られたように、妙に際だたなくて済んでいた。主張のつよいシテであっ
た、観世榮夫では、ま、あたりまえで、能役者に加えて、もう一本べつの根性の通った演劇人である。その根性をやはり楽しみに行くのであり、彼の存在価値も
理由も結局はそこにある。
* 橋がかりをひいてゆくとき、息をのんで、じいっと堪えていた。だが、ばらばらと拍手がわいてしまい、ことにわ
たしの隣席の若い女性が、まるでスタンディング何とやらでもしたげに、ひときわの拍手をしてくれたために、気分は無残に壊され、白けた。シテに気の毒だっ
た。
能のはてたときに、拍手などぴりっともしないで終始するのは、見所から演者たちへの、最上の褒美なのだ。ぜひそう心得
てもらいたい。以前、友枝昭世の能が、水を打った静けさでことごとく終えた、あの時の感動の深さ、あの嬉しさ。能の始まるまぎわまで、とくとくと連れと
しゃべり続け、まだ橋がかりを帰って行くシテに、聴けよとばかり高々と柏手を打たれては堪ったものでない。それが当然の禮と心得違いの客が、まだ、多すぎ
る。
* 小山弘志氏にも堀上謙氏にも関弘子さんにも逢っていたが、緊急の電話を受けた元の学生イチロー君と恋人との、 俄かの約束があり、みな失礼した。新宿で若い人のこころよい話を聴いた。察したとおりにおめでたであった。わたしの妻の健康という問題があり、双方で仲人 役は遠慮をするが、式と披露宴のために力をかしてほしいとの依頼だった。よろこんで食事をご馳走し、乾杯し、歓談し、お土産に伊予柑を貰って、大江戸線で 帰宅した。
* さすがに、こころもちホッコリしていたので、夫婦ともお気に入りのトミー・リー・ジョーンズ主演の「追跡者」
をテレビで見た。ハリソン・フォードとやった「逃亡者」とどっちが先か知らないが、明かな姉妹編。しかし、終始好調のテンポで面白かった、いい骨休めに
なった。なんとなく林君達の余韻がここちよく胸に残っている。今日は嬉しい日になった。
わたしの学生たちの結婚情報、年毎にどんどん増えて行く。初めて東工大「文学」教授として教壇に立ったあの年に、初め
て学部に入学してきた学生が、もう妻を得て、着実に勤務先で地歩を固めていたりする。
* 二月五日 月
* 谷崎の「仮装会の後」は、対話劇とあり、演劇の舞台効果などは度外視して、そのかわり谷崎の当時の創作動機や
関心の露出した面白いものになっている。谷崎論者にはいちおう注目に値する。観念的にいえば「美と醜」との強弱関係に的をしぼり、醜悪の美につよい光を当
てて、真に美しいものは、単に美しいものにより、強烈に醜悪な者の強さに随うものだといった、当時の谷崎流フィロソフィーを露骨に披瀝している。仮装会で
美しいが上に美しく仮装して、主催の未亡人に接近をはかる三人の美青年紳士の、会の翌日の浮かぬ「対話」なのである。
彼らは仮装会でそれぞれしのぎをけずり、あわや美しき憧れの未亡人を手に入れ掛けながら、みな失敗に終わる。美しき好
色の未亡人を手に入れたのは、会なかばに乱暴狼藉の体に闖入してきた雲つくような醜悪な「青鬼」に扮した男であった。三人にはそれが誰かが分からないが、
常日頃人とも思わず見下していたボーイではないかと思い至り、呼び出して問いつめるのである。
なんとも醜い、まさに鬼瓦のような大男で、なぜあの華奢に美しい未亡人がこんな男にと、美青年達には合点がいかない。
しかしその鬼のような醜い大男は、醜さの美しさ強さということをあなた方は知らないのだと傲然と言い放ち、凱歌を奏するのだ。
大正時代のと限らず、谷崎の芸術を語る際にみおとしてはならない「言明劇」であると言っておく。
* 次いで「十五夜物語」も、珍しくこれは悪とか醜とかは露出していないで、一段と静かに深く大事な動機を戯曲に
している。浪人者のこころよい兄と妹との寺子屋暮らしが語られ、村の庄屋は男に、娘の婿になってくれと頼み込むが、丁重に断られる。男には吉原に身を売っ
ている妻がある。妻は男の母の病を治したい一心で貧のあまりに身売りしたのであり、その母はかいもなくもう死んでいた。兄妹は、妻の、兄嫁の、やがて切れ
る年季奉公を首を長くし愛情深く待ち望んでいるのだった。
そして妻は帰ってきた、が、心身ともにひだるく、妻の体調は思わしくない。魂では求めあい愛は深いと互いに分かってい
ながら、妻のからだは生ける骸のように朽ちていて、夫はそれがつらくやるせなく申し訳もなく物足りない。妹を十五夜のまつりの買い物に出した夫婦は、たが
いの思いを語り交わし、心では繋がれながら、このままではその心も変わって行くだろうと、死んであの世で、母の元で、もういちどやり直そうと心中してしま
う。妹は帰ってきて、置き去りにされたことを悲しんで烈しく泣くのである。
これは情景も風情も意図もしんみりと胸に届いて、優美ささえ感じさせる戯曲であった。舞台に載せることはそう難しくな
いだろう、中村雀右衛門が妻を演じたこともあったと思う。この劇では「心」と「体」との相克が、微妙に語られている。どっちの方が人間の愛と生活に必要か
と、優勢かと、単純に問題にしているのではない、が、そこを問いかけているのも確かで、作者はそれをまだ提示しかできないと思い、悲しい優しい夫婦の「心
中」という強引な手段でドラマを結んでしまう。強引とは言うが、読んでいて、そうなるだろう、それが二人の愛と幸福とのためには残された一つの道だろうな
と、予感してしまう程度に自然に運ばれている。一掬の涙の禁じがたいつくりであり、谷崎潤一郎が悪魔主義の旗色をゆっくり塗り替えつつあるなと思わせてく
れる。
この頃、千代子夫人と美しい義妹と谷崎の三角関係には、佐藤春夫や今東光や映画の男優なども加わって、谷崎家ははなは
だややこしい空気にとりつつまれて行こうとしている。「十五夜物語」には、ちらりちらりと谷崎の胸の内のある柔らかい弱さや窪みが透けて見えるようで惹か
れる。
* 江戸時代の「杣」という職を面白く勉強した。山林の樹木から一つの材木、一枚の柾の出来てわれわれの家に届く
までに、具体的に多くの階梯があり技術や工夫がある。道具も仕掛けもある。そして多くの人数がまさに手分けをしている。材木にそれがあるように、他にも無
数にそういう世間がある、山にも里にも浦にも川にも。そしてお互いにあまりよそのことは知らない。知らないどころか、互いに「へっとも思わない」でいる。
自分の関わっているそれだけで、世界というものが出来ている。
文学人間は、とかく文学様様の顔をしているし、演劇の人はその世間に没頭している。きれいな和服で日本舞踊や邦楽に夢
中の世間もあれば、社交ダンスの世間もある。政治家達は自分の立場しか考えないでいるし、テレビ屋は自分たちの天下だと力んでいる。会社は会社の狭く閉ざ
された世間であり、社長や重役が神様のようである。大學では学長や学部長やと、想像以上に小さく固まったケチな出世欲世間でしかなかった。
しかし、そんなひとつひとつの小さな世間にも、生産があり、価値が生まれ、階層は必要なものとされている。
あまりいろんなことを識ってしまうと、孤独に寒くなる。自由とは、その寒さに堪えて得られるものなのだろう。わたし
は、だが、自由でいたい。所有される存在ではいたくない。
* 二月五日 つづき
* 今夜九時のキムタクとマツタカの連続ドラマは、息子の脚本だとか。これは、見てみよう。このあいだキムタクの
べつのドラマを初めて途中から覗いてみて、うまいのに感心した。幸四郎の娘の松たか子は、足利義政の大河ドラマの初登場でびっくりし、つづく太閤記の淀殿
役で舌を巻いた。この存在感、たいした大物だよと予言してはばからなかった。食パンの広告一つでも印象づよい。
二人がどんな風に噛み合うのか、べらぼうな視聴率だそうで、秦建日子のプレッシャーも大きいだろう、視聴率なんかドス
ンと落ちても構わない、いいドラマがみたいものだが。
* 谷崎全集の第六巻が行方不明で箱の中がカラッポ。書庫の通路に、入りきらずにむやみに山積みされ場所ふさぎに
なっている中の、一山のいちばん底から発見救出、ひやりとした。何度も何度も整理に掛かり、しかし、一冊一冊みていると処分出来ない。大きい目の本棚が三
十本ほど入っている勘定の書庫だが、棚は満杯通路は通りにくい。書庫を溢れた本が、二軒の家の至る所に。どの辺に何がと覚えているだけでも我ながらエラ
かったが、それも怪しくなってきた、日に日に。もういいやと思ってしまう。整理するといっても、重すぎるのだ、本の移動や片づけは。
* 二月六日 火
* キムタクと松たか子は、期待に応えて光っていた。松たか子が逸材であることはこの世界で初めて一瞥して、すぐ
分かった。よく分かった。そういう「見抜き」には、多年かなり実績と自信がある。美しいからではない。俳優としての素質である。魅力である。その意味での
突出した美しさである。品位である。マツタカにはそれがあると咄嗟に感じて胸の鳴ったのを覚えている。歌手だかダンサーだかの木村拓哉は全然知らないが、
演技は、モノにはまれば、さらに佳い味わいが出せるだろう。
ドラマは、脚本も、とくに可不可はなかった。楽しんだけれど、ほめるところも無い。脚本家秦建日子は、担当を尋常にこ
なしたというところか。こんなメールがすぐ届いた。
* ただいまあ!
HEROを見たくて、急いで帰ってきました。
建日子さんの脚本だったんですね。しっとりと落ち着いてみることができました。このドラマのいいところは、死人がいな
いこと。殺伐としていなくて、人間性の機微に、妙に嬉しくなってしまうのですよ、私は。木村拓哉さんと松たか子さんのコンビもいいですね。彼の演技は自然
体で、しかも花(色気)がありますもの。見ているこちらもついニンマリしてしまい、われながら可笑しくなりますの。高視聴率だというのも肯けます。
牡丹鍋はとても美味しかったですよ。八丁味噌と胡麻の風味がよくきいていて、おなか一杯食べてしまいました。
イノシシ年生まれのあなたも、美味しいかも?
* 昨日初めて、ワケの分からない翻訳ソフトを当てずっぽうに使ってみた。試みに「NOH」の書き出し数行を入れ
て和文に「翻訳」させてみたら、まことに珍な訳文になって現れた。これは危ないと思い、「エッセイ」の頁と「e-文庫・湖」の翻訳頁に入れた英文に、い
ま、日本文の元原稿を副えたところだ。
実例を挙げる。ソフトが自前に改行したままの、訳文を後に示すと、下記のようになり、最後に原文を示してみる。
Mumbling ,"Oh, no(h) !"
one slides into a marvelous sleepiness, a beautiful
dream-like
state.
This is a time of ecstasy, either waking or sleeping.
The joy of the noh theater is that it is such a
pleasant
place to sleep.
Still, one wouldn't want to snore there or be forced
to hear a snorer.
The beauty of noh is made up of sensual, concrete
elements
brilliantly joined to conceptual and symbolic elements.
モグモグ言って、「ああ、no(h)!」
人は、素晴らしいsleepiness(美しい夢のような状態)にこっそり入る。
これはエクスタシーの一時である。そして、起きるか眠る。
noh劇場の喜びは、眠ることは楽しいそのような場所であるということである。
まだ、人はそこでいびきをかくか、snorerを聞くことを強制されたくない。
nohの美しさは、概念上で記号的な要素に輝いて連結される肉感的な、具体的な素子から成り立つ。
「オー、ノー」と眩きつつ偉大な睡魔に優美な夢をめぐまれる。至福のとき、である。覚めても至福、覚めなくても
至福。能楽堂の見所は至福の寝所でもあり得て、うれしい。ただ願わくは鼾はかきたくないし、鼾をきくのも、願いさげにしたい。
「能」の美しさは、じつに感覚的に具体的なところと、じつに観念的に記号的なところと、みごとに両面をそなえている。
* 役に立つとも、あまり立たないとも言える。
* 谷崎戯曲の「誕生」「象」に直ぐ続く初期作の「信西」を読み落としていた。これも同人誌「新思潮」時代の堂々
とした歴史劇である。谷崎戯曲のト書きの文章の美しいことは、かれの戯曲が「読む戯曲」であることを印象深く示唆している。この戯曲はおみごとと言える。
もっとも谷崎戯曲の大方の特徴であるが、エンディングが演劇的でなく、小説としてならいいが、舞台で見たら、ああ終わったという感慨や感動には恵まれま
い。それは、演劇台本としては難であるが、谷崎はあまり気にしていない。だから舞台に載せるとき、例えば小山内薫が「法成寺物語」を演出したとき、遠慮な
くそぎ落として台本らしく作り直し、谷崎は呆れながらも半ばは納得していたように記憶している。
「信西」は、平治物語などを的確に活かして、いきなり、逃げ込んだ山中の場面に始まり、無気味に光る運命の星のもと
で、けっこう説得的な進み方をする。まだ、この直後あたりから展開された谷崎らしいどぎつさも影うすく、典雅な絵巻を繰るような落ち着きがある。だが、読
んでいて惻々とせまる或る肉体的な「畏れ」を感じさせる点で、はっきりと谷崎の特質を見せているのである。永井荷風に絶讃されていきなり華々しい新進作家
として重きをなす直前に、既にして彼は小説家としても戯曲作者としても「文学的」に大成功を挙げていたのが分かる。この作ではことに「運命」の畏れを信西
自身の身体に及ばせ感じさせて、作劇の破綻はない。後の西光法師、あの清盛を小気味よく面罵して殺されて行く師光のような家来をさりげなく登場させたり、
端倪すべからざる蓄積をさらりと披露している。まだ明治期での作品であり、この作は「新思潮」でなく、他流試合の「昴」に公表していた。永井荷風との縁を
呼ぶ大きな契機の一つだったろうか。
* 大正六・七・八年を過ぎて行くと谷崎の家庭問題は深刻の度を増し、彼は小説でも戯曲でも現在の妻を殺すという
モチーフの作品を執拗に連発している。「途上」のような、江戸川乱歩をミステリーへ誘い込んだ傑作もあるが、「呪われた戯曲」という小説の中に戯曲をはら
んだ妻殺し作品などは、小説風の地の文よりも戯曲の部分が、独立してでも面白い。赤城の山に大人しい貞淑で無邪気な妻をつれこみ、谷へ突き落として殺す内
容の戯曲を書いた夫が、その現実そのまま妻を赤城に連れ込み、その現場でその戯曲を読んで聴かせ、戯曲のままに会話しながらついに突き落としてしまうので
ある。夫は戯曲の中の科白をそのまま喋り、畏れ始めた妻が哀訴する現在の言葉が、戯曲にはすでにほぼその通りに書き込まれてあるという、巧緻な、だがリア
リティーを少しも喪わないじつに心理的に的確な把握がされている。「呪われた戯曲」は小説として発表されているし、その通りの作品なのに、戯曲としても十
分読ませるという、谷崎の才能の凄みを十分証明している大正八年の問題作である。
ついで、「戯曲体小説」と角書きした「真夏の夜の恋」が中途で投げ出されたままになっている。傑作になりそうな気配は
ないが、或る執拗さが出ている。強者と弱者とを、あるいは悪意と善意とを対比的に書くことの、ことにこの頃に多かった谷崎だが、心友であり妻をはさんでの
恋敵でもある佐藤春夫と自分との「戯画的対比」も作者の脳裡で、もう間違いなく進行している。しかし半端に終え損ねたこの戯曲では、女優にした義妹セイ子
をはさんでの、今東光ないしは岡田時彦と自分との戯画的競合の方が、作意としてつよく動いているかも知れない。作品としては問題にならない。ずるずると会
話を書いて先を探っているのだが、うまく展開して行かないようである。
* ある人から預かったかなりの数の私編詩集を読んでみたが、うまく結晶していなくて、感じが薄い。かなりハイな 調子で書かれていて格調ありげなのだが、細部細部がざつにそれを裏切って、空疎になっている。なにもかもを言い過ぎて説明に終わって行く。
* 明日から息子の芝居が始まる。こんなメールを、ある人に送った。今度ばかりは、チラシ一枚送らずじまいのうち に初日が来る。あの方もこの方も、お知らせさえしないでしまったと、それを申し訳なく思っているが。
* 息子の公演。親が客あつめをしてやること自体過剰な応援でしたが、ま、駆け出しのうちは応援してやりたいと、
知り合いの方や学生達に、何年も、何回も、お出でを願ってきました。頼める方に「観客」になって戴けますかと頼んできたのであり、招待と謂うよりも、お願
いでした。義理で来てくれていた人も大勢あったでしょう。
今回は息子が自分でプロデュースしているようでもなく、もう、成功失敗も自前で味わえばいいことと、私からのお願い
は、今回一切やめました。正直のところ、お出でをお願いして日時を調整する百何十人との折衝に、私自身がほとほと草臥れたというわけです。
学生達も社会人になり、もう任せて下さいと言うてくれる人が多くなり、へんな偏りで、声をかけたりかけなかったりもい
けないので、一律、とりやめました。
永らくお忙しい中で観てやって下さり、感謝します。今回も観て下さるとのこと、恐れ入ります。息子もよろよろと独り立
ちしながら、頑張らねばなりません。わたしも体力的にとても劇場へ「日参」は出来ませんが、そうさせるほどの力作であればと心から希望しています。
* 共産党の女性議員、そして社民党の土井たか子議員の代表質問を聴いた。前者の質問は丁寧できめこまかく好感が
持てた。共産党はいい議員をかかえているなあと、質問のツボのよさに感心した。森首相の答弁はひたすらメモの棒読みで、退屈な美辞遁辞の連続。
土井さんの質問演説は、さすがの追及と展開で、与党三党のヤジを封じ込めて一々にもっともな批判と指摘と追及であっ
た。一日も早く恥を知って総理大臣を辞任するようにと最後にきめつけた勢いは、小気味よかった。萎縮しきって苦虫を噛みながら、どう嘲られても官僚メモの
棒読みに終始する総理大臣。にやにやとワケの分からない嗤いを議席で交わし合う自民幹事長と亀井総務会長の不潔な表情もときどき大写しになり、自民党政治
の腐臭をまさに体現した総理であり大臣席であり自民議席であった。どこをどうとっても、共産・社民の質問はすべて的をつき、国民もそう思いそう感じている
という点を、網羅しえていた。対する答弁はことごとく言い抜けに終始していた。
公明党から出ている厚生労働大臣の、KSD問題の綺麗な洗い出しに期待したい。
* 二月七日 水
* 秦建日子の第五話脚本を書いた「ヒーロー」は、五週連続視聴率30%台という新記録と、さらに過去最高の高視
聴率をあげたと各紙報じている由、メールや電話が朝から来ている。それ自体には驚かない。事前に、高視聴率が続くか続くかと、あれだけムーディに報道され
れば、テレビ人間達は、何ということなくてもそこへ気を寄せる。そういう世間なのだから、いわば「作為された自然の成り行き」という「心理」的な数字=:
結果に過ぎない。そんなことで、もし、自分の手柄のように思っては甚だ滑稽であるから、脚本家たるもの、気をゆるめて増長しないでもらいたい。幸い責任だ
けはやっと果たしたということである。
身贔屓がなくても、キムタクとマツタカのホンワカムードでなら、甘いフアンはとびつく。しかしあのドラマ自体は、まこ
とに底の浅い娯楽品である。殺しのないだけが見つけモノという程度の。比較して、広告スポンサーの動向に怯え、増頁問題でヤキモキしていた「編集王」の或
る回などの方が、現実の場面に苦く迫っていたと思う。
どっちにしても、言葉はワルイが、テレビドラマの浅くふやけた質の低さには、満足ゆく豊かな喜びは希薄も希薄、ただも
う消耗的なその場しのぎに近い仕事であることに変わりはない。
消耗的でなく、ドラマが真に劇的に人の胸を打つためには、作者や関係者たちは、もっといろんな意味で勉強し、「意識と
姿勢」を、そして「テクニック」も、深め正す以外にないが、「関係者たち」に望んでみても仕方のない現場的な現実があるだろう。これは、作者秦建日子に突
きつけて置くしかない課題であろう。満足するな、と。
* ある若い友人が、匿名で、公開の場で「日記」を書き続けている。このごろそれと知って、ときどき覗いている
が、才能のあるかもしれないと思う人が、淡い密度の、ため息のような文章で「空気抜き」をしているのだったら、惜しいなと思う。若い人にこそ、噴出の、爆
発の、その絶好機が必ず来る。その機のため、息を詰めてでも待機していなくてはならず、それは、あたかも、風船に息を吹き込み吹き込み堪えている時機でも
ある。その機がきたとき風船は大きく強く破裂する。炸裂する。ちいさな針で風船をチクチクと日ごと刺して空気抜きをしていては、生産的な、必然的な爆発も
噴出も、いつまでも来なくなる恐れがある。やり過ごさざるを得なくなる。
そういう同じ恐れは、この私にもある。わたしは、それを承知して、それに堪えて、ただの「空気抜き」「息抜き」には終
わらせない例えばホームページを、必死で運営しているつもりだ。成るか成らぬかはともかく、間断なく或る時機をわたしは息をつめて狙っている。この年齢で
もそうである。こんな私語を書いて「空気抜き」などしているワケでなく、自分に敢えてプレッシャーを掛けに掛けている。俗欲でも妙な意欲というのでもな
く、要するに生きているという覚悟だ。愚痴に自分を流し込みたくはない。
ものごとには、機がある。機を活かすには、気を張って、息をつめて、風船を、無傷で、がまんして膨らませ続けていなけ
ればならぬ。それがつらくて逃げ込むように空気抜きしていては、生きていること自体に空疎を招いてしまうかも知れない。わたしはそれを案じている、若い力
ある誰しものために。
* 谷崎の「蘇東坡」を読んだ。谷崎は一度だけ中国に旅している。その関連作はいくつかあり、これも、一つ。もっ
とも谷崎は「新思潮」の頃にもすでに緻密な短編の「麒麟」を書いている。中国には興味も知識も蓄えていた。だがあれほど憧れを書いて止まなかった西洋の地
は、ついに一度も谷崎は踏んでいない。かれの得ていた西洋は、本と映画と、通販カタログと、そして白い娼婦からのものだ。いや、原点にあった、祖父がひそ
かに信仰して祀っていた、白い肌のマリア像のことも忘れてはならぬ。
この「蘇東坡」はゆったりと楽しんで書いたらしい文人趣味と知識とに装飾されている。傑作でも秀作でもないが作品たる
美味は湛えて、愉快に出来ている。くつろいで、上品に大らかに書かれている。谷崎には珍しく、蘇東坡と毛澤民という男性二人に圧倒的な重点が掛かってい
て、女達は、ま、添え物である。これは、よほど谷崎としては珍しい力点の移動であり、気分が、とにかく心地よくいつもと変わっていたのだろう。
* 西鶴に『文反古』の一冊がある。さまざまな手紙を編成したという体を備えた創作である。書簡文芸そのものであ る。今日の「e-MAIL」から、そうういう文芸の生まれてくることをわたしは期待し注意している。
* トロン「超漢字3」を頂戴した。最新の完備品で有り難い。二月になれば新しい器械の買える環境らしく、大容量 器械を手に入れたら、トロンとウインドウズとに「分割」という手順を教わり、はやくこのOSを試みたい。こんなメールをもらっている。パーソナルメディア 社の気持ちを少しでもと、紹介しておく。
* 白点や歌記号、おどり字などを搭載しました。もっとも仮名合字や特定分野の記号類など、まだまだ不十分なとこ
ろがあります。
超漢字をお使いいただいて、搭載されていない文字などがありましたら、お手数ですがご連絡ください。TRONプロジェ
クトでは、「TRON文字収録センター」という機関を設け、文字の収集に努めています。
目下、超漢字のワープロで書いた文章を、そのままインターネットに掲載できるソフトを開発中です(Windowsなど
で読めない文字は、自動的に絵に変換されます)。秦様のような方にこそお使いいただきたいソフトです。完成しだいお送りします。
パソコンは、機械そのものに興味を持つ人も、その機械から生まれる文化を享受する人もいるという点で、しばしば自動車
に喩えられます。
しかし現在のパソコンは、文化を享受するためにまず構造に興味を持たなければいけないのが実際だと思います。これは、
パソコンが未成熟だということです。
私どもはパソコンを道具にしたいと考え、日々努力しています。超漢字をお使いいただき、率直なご意見をお伺いできれば
幸いです。(自動車と同じく、超漢字にも"必修の"操作方法や概念があります。使い
方で御悩みの際には、弊社サポート部までなんなりとご質問ください。 また、操作方法の講習会なども開いております。)
* 早めの夕食をすませ、建日子作・演出の初日「PAIN」を今夜は一人で観に行く。雨。地固まるか。妻は明日に
備えて待機休養。
* 二月七日 つづき
* 新宿での秦建日子作・演出の「PAIN」は、彼のこれまでの仕事では、最良の出来で、今回はじめて、才能を感
じさせた。これまでのは、どこかで、まだ、良くてもアマチュアの力作めいていたが、一皮むけたように思われる。苦情を述べたいところが、とくには無かっ
た。そんなことは、過去の仕事では無かった。テレビ仕事で、苦い泥水をしたたかに飲んできたらしい体験が、はっきり役立っている。それだけに。素人のある
種の品のよさが、玄人っぽく擦れて汚されて行く危険にも近づいたのだとも言えるから、そこは自覚し自戒して、そうならないように気をしっかり張っていて欲
しい。
山崎銀之丞の演技力は、きちっと格をまもって懐に余裕があり、妙な受けを狙ってごまかす必要のない確かさがあった。さ
すがであった。脚本が彼の力に支えられて盛り上がった箇所、脚本が演技者の先を切り開いて導いていた箇所、良い意味で両者がよく鎬をけずって競演しえてい
たのが良かった。
「PAIN」という題が、今回はたいへん利いていた。成功していた。こういう舞台に見なれている観客なら、把握しにく
いということはなかったであろう。ノンセンスに近い、とりとめない「場面」がスナップショットのように繰り返されるが、それが一つの批評にも筋の上でも活
かされていることに気が付けば、なかなか凝った組立であることに納得できるだろうと思う。
山崎と、もう一人「編集者」の役で友情出演してくれていた俳優大森ヒロシが、うまかった。この二人の噛み合わせだけで
舞台は成功していた。出し入れの演出がきびきびと無駄が無く、ああ巧くなったなあと思った。安心して観ていられた。
女優達は何人も出ていたが、主と副の男性二人に比しては、みな尋常で目立たなかった。それが、よかったのである。
築山万有美は難しい役所であって、大過なくともいえ、しかし、科白の深みの無さにこの女優の限界の見えるのが残念だっ
た。科白も、体の動きに詩的に美しい切れのよさの出てこないことも、大きな課題であろう。
舞台は、要するに脚本と主演と友情出演という三人の男のがっぷり三つ巴で十分構造が出来ていた。フーン、よくやったな
あと、この点の辛い人が、すこし嬉しい気分で雪の中を帰ってきて、赤いワインで妻とよろこんで乾杯した。
初日だからか、いくらか「動員」をかけたのか、すさまじい超満員であった。開幕が十五分以上も遅れたほど客が入り、通
路にも二列に小座布団敷きで客がならんだ。当日券の人たちはなかなか入れなくて往生していたようだ。
* 東工大出の、ひさしぶりに逢う米津麻紀さんが友人と一緒に来てくれていて、とても嬉しかった。林丈雄君らと同
じ総合Bの教室にいたすてきな美女で、東芝に勤め、なんだか掘り下げた難しそうな研究に従事している才媛である。大學の頃教授室にきてくれて、どんな研究
を今しているかを、とても分かりよく熱心に話してくれ、印象に深く残っていた。
弓道をやっていた。その仲間が三人でわたしの授業を二年続けて聴きに来ていた。池波正太郎の小説が好きで、その縁でだ
ろう、中村吉右衛門が好きだと言っていた。あの大學で歌舞伎役者の名前を口にする学生はさすがに珍しかった。もう七八年逢っていなかったが、メールは通じ
ていて、気持ちも親しく、遠くなったと思ったことはなかった。
それでも実際に顔を見ると、とてもとても嬉しかった。幸せそうであるのも、嬉しかった。
* 電メ研委員で、「朝日ウイークリイ」の編集長をされていた高橋茅香子さんも、友人と二人で来て下さっていた。 これも予期せぬことで、嬉しいことであった。妻の友人で湖の本をながく応援してくれている母娘も、仲良く来てくれていた。有り難いことである。
* とにかくもホッとした。おおぜいの方に観ていただきたい芝居に仕上がっていて、ホッとした。十二日まで。劇場 は、新宿SPACE107。今までは人数のわりと入る地下劇場である。
* 明日は、三津五郎襲名春歌舞伎を、妻と、昼夜通しで楽しむ。雪がやんでくれますように。
* 二月八日 木
* 歌舞伎座、坂東三津五郎襲名披露二月公演を昼夜通して観てきた。口上を含めて八つの舞台を、十一時から九時半
まで。一月と大違いで充実みちがえるばかり。
ただ、昼一番の「猩々」だけは振付に妙味とぼしく、名人富十郎としては大きく豊かに舞い遊べずじまいの、不燃焼感が
残った。ひとえに振付の咎であるが、今ひとつ感興をそいだのは中村松江の不出来。姿、顔かたちは、もともと嫌いでない女形の凛々しい男姿、わるかろう筈が
ない。だが所作に冴え無く、一月菊五郎の千歳とは大違い。この一番だけがつまらなかった。
つぎの「吃又」は中村吉右衛門と雀右衛門の夫婦、好演。前に別の役者で観た記憶に比しても格別面白く楽しめた。片岡芦
燕と中村吉之丞との師夫婦も、大谷友右衛門、中村歌昇のワキの締めも過不足無く、最後まで舞台がよく煮えた。吉右衛門の「土佐光起」の名乗りを与えられよ
ろこび勇んでの舞が、おおらかに余裕のある男舞で、うんうんと頷けた。拍手を惜しまない充実の一番、結構であった。
手洗い石の片面に己の画像を描くと、向こうの面にしみ通って画像が浮き出す。入木・入石道の奇跡であるが、そこのとこ
ろが際だつと舞台が甘く浅く白ける、のを、役者の芝居の方へ客をひきつけると、そんな奇跡のふしぎさがまんまと落ち着くのである。そこを吉と雀と芦燕と
で、うまく演じた。さすがに長けた役者の功である。
つづいて坂東玉三郎の十六夜、尾上菊五郎の清心、市川左團次の白蓮、尾上菊之助の若衆で、四場のお馴染み「十六夜清
心」は、以前にも菊五郎の清心、息子の菊之助の若衆で観ている。大きな芝居の前半で終わる舞台ながら、どの場面もしっとりと情緒にあふれて「江戸」への郷
愁を養われること、格別佳い味の舞台なのである。玉三郎のしびれるような美しさにはほとほといつ観ても感じ入る。多大の功徳、これに優るものはない。芝居
の纏まりよく、一人一人の役者にしどころが丁寧に配してあり、満足のゆく大見せ場集といえる。お富与三郎の源氏店の芝居よりもわたしは十六夜清心の、心中
に始まる「悪」への回心劇を面白いと思う。谷崎もこういう芝居に魅せられていたにちがいない。黙阿弥の佳い感覚が横溢した好舞台であった。前から四列め、
花道のほんのきわにいたので、どの役者たちの花道芝居も息づかいも聞き取りながら楽しめたが、玉三郎の美しさ、菊五郎の悪にめざめた怖ろしい目の輝きも、
すぐまぢかに。妻は、清心の引きの花道、「こわくて目をつぶってたわ」と。
さて、昼の部のキリは、お目当て十代目の「奴道成寺」で、これはもう文句無し。八十助以来魅力の大和屋らしい演目で、
一月の「喜撰」が緊張気味に期待ほどふくらまなかったのにくらべ、奴に戻ってのきびきびと軽妙、かつ、かすかな哀愁と秘めた恨み。すべて華々しく美しく
て、十分、新三津五郎及第点のお披露目であった。何と言っても道成寺ものは舞台が晴れ、音曲のことごとくが面白く、なぜ、これを一月襲名初名乗りの披露に
出さなかったかと惜しまれる。所化たちもみな若々しく、みずみずしく、色気ある若坊主達であった。花四天も映え、気分のいい変わり種の道成寺に、新三津五
郎の面目躍如として、堪能できた。彼の将来、ますます楽しみだ。
* おきまりの茜屋珈琲店で一服し、すぐ、また夜の部に入った。
* 夜の部幕開きが「女暫」は玉三郎初演のお楽しみ。「しばらく」の声から、花道へ出てのつらねの小気味よさ、一
睨の威力、荒事藝の華やかさ、すっきりといなせに粋な女巴の剛の者ぶりを、堪能した。それに加えて我が友片岡我当の蒲冠者範頼は、堂々の座頭、青隈の巨悪
の大役。口跡のいい我当が満場をひびかせて演じきったのは嬉しく、ほくほくした。秀太郎の義高も静かに華やいで美しい二枚目ぶり。福助の女鯰も今宵はしっ
とりと役のツボをおさえて情けあり。左團次、辰之助も憎まれ役の滑稽をきっぱり演じ、存在を見せた。幕外の花道へ出てからは、玉三郎に戻った巴と、座付き
の吉右衛門とで六方談義大笑いのやりとりに、満場満足、大喝采の幕切れ。歌舞伎のたのしさが胸のシンにまでしみ通る。
そして「襲名口上」は幹部と一門総出のご祝儀。人気役者達の素顔を楽しむことが出来るが、連日、ご苦労なことである。
次の「め組の喧嘩」では新三津五郎が辰五郎役、正直のところさほど期待していなかった。だがこれはわたしの浅慮であっ
た、十代目、なかなかの「カシラ」ぶりで、颯爽と喧嘩場までの長い芝居を、やすむまもなく元気に演じきって、儲けものだった。いい男だった。富十郎、左團
次の相撲取りがよく似合い、健闘相勤めた。菊五郎が最後のトメ男役で働き、中村時蔵の女房役も、辰之助らしい気っ風の纏持ちも気分良く、あんな派手でリア
ルな喧嘩場ははじめて観た。今月は客サービスが行き届いていて、一月のやや陰気な気の毒を、綺麗に帳消しにしてくれた。
大ギリは、一枚歯の高下駄でさらしを振りぬく新三津五郎家の藝の「越後獅子」がよかった。文字どおりの奮励努力、疲労
にうちかって踊りきった。踊りも、これはもう八十助以来の魅惑もので、文句のつけようがない。感謝また感激、よくやってくれた。昼夜の長丁場を退屈という
ことを知らずに堪能させて貰えた、これは片岡仁左衛門の襲名興行でもこうはなかなか行かなかった。夜の部は、中央前寄りに席を移して、舞台を大きく見渡し
佳い心もちであった。
ハネて外へ出ても、酷寒がむしろ心もち良かった。有楽町線までゆっくり歩いて、どこへも立ち寄らず地下鉄で一路保谷へ
帰った。
* テレビが、株式相場の一時一万三千円割れを話していた。縁のないことながら、危険な閾値を割り込んだのではな いかと、耳学問で心配している。アメリカの景気にも急激なバブル割れに似た下降の翳りが指摘されている。もう、森内閣では何一つ出来ないだけでなく、我々 の運命をただ狂わせて行くだけの疫病神内閣と成りおおせている。心ある自民議員はいないのか、声を挙げないのか、森やめよと。
* 機密費のことなど、KSDのことも、堪らない気分だ。ま、今夜は忘れて、三津五郎奮闘の「奴道成寺」や「め組
の辰五郎」や「越後獅子」の夢を見よう。大和屋、今日は颯爽としていた。玉三郎の「十六夜」「女暫」にも堪能した。玉三郎と三津五郎。それだけではない、
「女暫」の座頭格蒲冠者範頼役をみごとに勤めた友人片岡我当も特筆したい。いやいや、もう寝よう。
* 二月九日 金
* 今朝は日本晴れ。昨日のうちに建日子らの芝居への讃辞が幾つか寄せられていたのも有り難かった。久しぶりに北 海道からも。
* 立春過ぎて。しばらくご無沙汰しておりました。ご多分に洩れず風邪を引き、先週はついに仕事を一日休みまし
た。ウイルスの研究者が、なぜこれほど簡単に、我が身へウイルスの侵入を許してしまうのか。アカザ(Chenopodium
amaranticolor)という雑草がウイルスに罹りやすいため、よく実験に使いますが、今の私はまるで「動くアカザ」になった気分です。
札幌では雪祭りがはじまり、あいかわらず真冬日が続いています。節分の日に、風邪をおして茶の稽古に出かけ、お多福が
枡を持って鬼を追う「福来者有智(フクハウチ)」の軸を見、初釜に使った嶋台でたっぷりと濃茶をいただいて来たら、風邪が治りました。
立春の朝は、雪がやみ日が射しました。窓の外に雀のつがいがとまり、羽毛をいっぱいにふくらましてさえずるのを、ふく
ふくと聴きました。そういえば日も長くなったような。冬も折り返し点を超えたようです。
「弓をたしなみ、池波正太郎の小説が好きで、その縁でだろう、中村吉右衛門が好きだと言っていた。あの大學で歌舞伎役
者の名前を口にする学生はさすがに珍しかった」。池波氏の小説を地でいくような人がいるのですねぇ。池波正太郎を料理にたとえるなら、ざっくりと切ったふ
ろふき大根。藤沢周平は、きめのこまかい「かぶらむし」。どちらも冬の夜には暖まります。まおかっと
* 昨日はどうもありがとうございました。メールにて失礼致します。でも早くお礼を申し上げたくて・・。
お会いできて本当に嬉しかったです。
帰りにご挨拶をして帰ろうと思ったのですが、もうお帰りになった後でした。気が付かず、失礼を致しました。
受付でお世話になった女性にはお礼を申し上げたのですが建日子さんはお忙しそうでしたので、お邪魔をせずに帰って参り
ました。建日子さんにもよろしくお伝えくださいませ。
pain、良かったです。扱っている題材は重いものだったと思うのですが、それを感じさせすぎずに、でも考えさせると
いうような絶妙な運びに、”やられた!”という感じでした。
どう言えば的確に表現できるのかは分かりませんが、好きでした。また来ようね、と、2人で話をしました。とても魅力あ
るお芝居だったと思います。建日子さんの中に、秦先生の血が流れているのだなあ、と感じました。うまく言えないのですけど。
場面転換や台詞のテンポのよさもあって、1時間半のお芝居も長くは感じませんでした。良い席を取っていただいたお陰で
もあります。何から何まで本当にありがとうございました。先生がいらっしゃらなかったら入れなかったかもしれません。本当にいろいろとありがとうございま
した。また、お会いできる日を楽しみにしています。
昨日は会社の研修で随分落ち込んだりもしましたが、先生にお会いできたり、良いお芝居を見られたりで、心が落ち着きま
した。頑張ろうと言う気に改めてなりました。
たくさんの感謝を込めて。。。
P.S. 歌舞伎はいかがでしたか?
* そして、この池波・播磨屋好きな人とはまたちがった方面で佳い感性を抱いている以前の女子学生が、わたしと
「ぜひ話したいことがあります」と懐かしい便りをくれていた。若い人たちのためにわたしが役立つのなら有り難いと思う。
* 二月九日 つづき
* 新宿の公演を、今夜は妻と出かけて、もう一度観てきた。爆発的な「動」性では、前作の、差別問題に挑んだ「タ
クラマカン」や生の讃歌に仕上げた「地図」の方が烈しかった。今度の芝居は一種の「芸術家小説」の範疇に属し、また「母もの小説」にも近いし、アンマリド
マザーとその子の悲劇だったとも言える。こういうふうに要約してしまうと、このわたし、脚本家からは父であるこの私自身のモチーフや自然に、かなり深く根
ざして発想されているように感じる知人や読者は多いかも知れない。すでに「建日子さんの中に、秦先生の血が流れているのだなあ、と感じました。うまく言え
ないのですけど
」という反応が出ている。
必ずしもいま要約したようにだけではわたしは観ていないが、たくさんなフラグメントを組み合わせながら、見る人の姿勢
によって受け取り方の違うであろう、かなり多彩なメッセージを送りだしていることは分かる。それだけの蓄積が作者に出来てきていたのだと認めよう。
* 夜の新宿を散策、めずらしいラーメンを食べてからJR経由で帰った。
* 二月十日 土
* 新宿で、博士課程をもう一年で了える男性と、古河電工で研究者生活をしている女性の、昔からの仲良しに会い、
昼食をともにし歓談のときを楽しんだ。彼は「物性論」を、彼女は「冷却」をと、ふたりともわたしの想像を絶した難しいことを研究している。どんないかめし
い男女かと思いそうだが、彼はシャイで、彼女はかぎりなく楚々として優しい。学部にいた頃から結婚を考えていたような二人で、もうあれから七年を通り過ぎ
て、彼のドクター卒業も間近になってきた。彼女の初給料で、神楽坂で三人で会い、甘いものをご馳走になってから、四年近くなる勘定か。
食事のあと、いっしょにSPACE107で息子の芝居を観た。招待したのではない、初日のペアと同じく、自費で券を
買っていてくれていたのである。相変わらず、通路に座布団敷きのお客もいっぱいの、大盛況。券を持っている人も、できるだけ早めに行って、整理券を取って
置いた方がいいようである。
* 三度めを観たが、安定していた。山崎銀之丞、大森ヒロシのシテとワキで芝居をがつちり締めている。その他は、
二人の邪魔をしない程度、演出のままにソツなく有効に動いている。母親役の田中恵理はあれ以外にない、その意味で役目を果たした静かな好演とみていい。
やはり問題は、築山万有美。邪魔まではしていないが、舞台の効果を一層挙げ得ているか、その貢献をしているかといえ
ば、ゆるい。ぬるい。科白が、終始上滑っている。あれでは工夫とは言えない。名優の第一条件は科白が豊かに深く彫琢されて、明晰なこと。ふしぎなほど、科
白の明晰な役者は、どう動いてもからだの切れが佳いのである。演劇は、本質的にはダンスである。動作ではない、所作である。科白もまた然り、地のままの
しゃべりでは、演劇言語にはならない。ほんとうに笑ってはいけない、笑い声すら科白なのである。
その辺の謙虚な勉強が深まらないと、築山は、タテの女優としても、うまいワキの女優としても今以上には成長できない。
女優を続けたいのなら、あまい一人合点・思い込みは捨てて、初心に立ち返り、体操と発声から新人なみにやり直した方がいい。
これまでの秦建日子の舞台は主役のない雑居混成部隊の芝居ばかりだった。それはそれで、いい。今回は、はっきりと主役
が立ち、この主役は力量あり、男の色気があり、安定して落ち着いた科白術があった。ワキ役の友情出演大森ヒロシは、主役に優に拮抗して緩急のおもしろみ
を、したたかに表現できる達者であった。わたしは、自分でも十数年編集者だったし、また編集者に面倒を見て貰ってきた作者・著者としても三十年を越えてい
る。この芝居ではカメラマンと編集者の付き合いが書かれているが、この編集者の、わたしの所謂「弁慶」ぶりは、体験的に評価しても、なかなかのもの。弁慶
は牛若丸を追いかけ回して、そして負けてやる。編集者は、強いようでいてうまく負けてやる、著者・作者に勝たせてやる、その勘どころを、どれほど掴んでい
るかで勝負を決める。しかも編集者たるもの、負けて遣ってばかりはいられず、牛若義経といえども斬り殺さねば済まないときに出合うのである。建日子が、い
つしれず、そういう現場から学び取り得ていたやはり下地に、我が家での四十年ちかい生活基盤が無意識にも置かれていたのかなと感じている。
かなり大勢の出演者達が、欣然と舞台を構成してくれているのに感じ入る。端役に至るまでがピーンとしていないと、いく
ら主役が良くても舞台は崩れる。その意味で、成功をおさめていると、ま、今は見ている。
* だが、今度の劇は、もうおおかた底の岩盤にがちんと当たってしまっていて、この先へは多くは、深くは展開しま い。その辺、前作の、「浜辺育ち」たちが「あっちの国」への脱出をめざして玉砕する「タクラマカン=サハラ」の方が、まだまだの可能性・可塑性を残してい ると言えるかも知れない。
* プレジデント社の青田吉正さんが義妹さんと見に来てくれていた。
* 大塚布見子さんの「自撰五十首・雪」を「e-文庫・湖」に頂戴した。
* 一太郎11をインストールした。当分は不慣れである。
* 二月十一日 日
* 昔の紀元節。粕汁が欲しくなるから不思議だ。好い酒粕が今年はまだ手に入らない。
* NHKの討論会で金融や景気の話をしていた。銀行や経団連などの代表ばかりで、消費者や老人の代表の入ってい ない勝手な顔触れたちが、金利ゼロがいいの老人には金を吐き出させようのと都合のいい話をしている。預金の金利が上がらない限り、大きな金をつかう安心基 盤はないも同然。銀行や大企業に都合のいい話ばかりだ。「老齢化社会」では、老人世代はただの「卒業生」ではない、大きな発言・実力世代である。その代表 者を入れないで時代の行方を読もうなどとは、迂闊にも厚かましい話である。
* 山折氏との「老い」の対談でも、わたしは、参議院の代わりに「老議院」をつくるべき時世であり時代であると提
言し強調していた。六十歳からの三十年は、とても卒業生気分で棚上げにされて済む年数ではない。金を使わせたい、が、棚上げして廃物扱いにもしておきた
い、なんてことは許されない。おやじ狩りどころか、どうやら実力は金とともに老人世代にあることに、だれよりも銀行屋どもが気づいている。だが、そうは欲
深どもの手に乗るまい、老人は白い目で政策と時世をにらみ据えるべきだ。
* 二月十一日 つづき
* だれもが「PAIN=痛み」を身に抱き呻いている。それを癒してくれる舞台とも、辛辣に気づかせる批評の舞台
とも、幾分、まだあまくニゲを打ち、問いつめを逸らしていなくはなかったが、一時間半の脚本に、アンマリドの母子、老親介護、不毛の愛と欲、身内の思い、
孤独と卑屈、虚妄のマスコミ、ロリコン雑誌とジャリタレ売買、無意味で空疎な日常、泣くことすら出来ず乾上がって意義なき日々の渇き、そういったものを
ひっくるめ、中軸を、創作者と編集者の葛藤、いわゆる「芸術家小説」のタッチで破綻なく纏めていた。いま一段このタッチで締めたかったが、母子ものの方へ
大きく逸れかけ、かろうじて持ち直してエンディングした。「渋い」という感想もあったが、あれでいいと思った。編集者の最後の出が利いていた。
山崎銀之丞のキレのいい男カメラマンの魅力ある色気に、友情出演大森ヒロシの端倪すべからざる編集者ぶりが、きちっと
噛み合った。しかし、「駆け込む」ことを「走り込む」と喋ったりしている。「走り込む」は、運動選手の練習や鍛錬にはつかうが、駆け込む意味への転用は耳
障りなものが残る。
田中恵理の母からセーターを受け取るシンボリックな場面での山崎の動きには、能の舞の、時間を練り上げて崩れないあの
「藝」と、同質のものを感じた。舞である。ああいう「時間」に堪えきって動く舞は、天性とともに錬磨・稽古がものを言う。酷なようだが、山崎が美しく所作
する意味では、女優の築山はひょいひょいと動作しか出来ていない。その露骨な表れは、例えば舞台を三歩移動するときも、ドシンドシンと足音を三つ数えるよ
うにして歩いてしまう。足音が客の耳に数を数えるように付いてしまう。四回観て四回とも同じである。身軽に舞えていないのだ、比喩的に謂えば。
* 母親は、最後にほとんど正気に返って息子との愛を修復確立して、またボケの他界へ戻ってゆく。子は母を、母は 子を、決定的に取り戻したのである、と、わたしは理解している。
* 遠く栃木から阿見拓男さんが見に来られていた。望月太左衛さんのお弟子さんもみえていた。林イチロー君もペア で来てくれていた。明日で千秋楽、明日行きますとも、今日の昼に行きました、「 涙が溢れました」とも、メールが届いている。夜も満員だった。
* 同僚にクシャミの兆候が出てきましたから、そろそろ苦手な花粉症の時期になりはじめたのではと、心配していま
す。対策は早めになさってくださいね。
「母」を書いてから、不思議と阿波弁が口をついて出るようになりました。こちらへ帰って十四年余りにもなるのだからと
いえばそれまでなのでしょうが、それでも、地元の人ではないでしょうと、おしゃべりの後でへんに確信?を持って言われていましたの。ふるい方言を思わず知
らず使っていて、「この意味わかる?」と。沖縄出身の店長の反応に笑いころげています。ああ、笑い皺が…。
今夕七時、教育テレビの「日本の言葉」で徳島県が。時間に間にあえば見ようと思っています。
「あるでないで?」 有るのか、無いのか、判断に苦しみそうな方言だけれど、京都にもよく似たニュアンスの言葉ってあ
りましたよね。
* 「あるでないで」は、おもしろい。「あるんじゃない ?」かナ。
* 二月十二日 月
* 院卒、建築の中野智行君が、好い文章の「北八ツから」を送ってきてくれた。短いけれど「三週間」かけたという のが嬉しい。よく推敲されている。すぐ「e-文庫・湖umi」の八頁に掲載した。
* 書いてみました。
こんにちわ。お元気でしょうか。最近は忙しくて、連休も返上です。残念ですが、お芝居もちょっと無理そうです。次ぎの
機会を楽しみにしてます。
ところで先日、ふりはた君と八ヶ岳にいってきました。以前から山に行くたびに、なんとかその山行で思ったこと、感動し
たことを表現できないかと考えていました。写真やスケッチ、版画など下手の横好きで、のそのそとやっています。ところが、ふと、実は文章が一番表現できる
んじゃないか?と最近思いだしました。
昔から作文とかはわりと好きでした。
しかしまとまった文章となるとほとんど書くことがありません。最近では学生時代の論文ぐらいです。
とにかく書いてみたくなったので先日の山行記をつくってみました。
書いてみて、なんて文章って難しいんだろう、と改めて思いました。これだけの文章で、かれこれ3週間ぐらい書き続けて
います。会社の昼休みとか残業の合間とかにこそこそ書いたりしてるのが、結構楽しかったです。
なんとかまとまってきたのですが、すこし誰かに見てもらいたくなってきました。そこでメールにして出した次第です。
とにかく素直に書こうと心掛けて書いたつもりです。よかったら感想をいただけないでしょうか。
* 「父上の友人猪瀬直樹です、今夜行きます」と建日子の方へメールがあったと知らせてきた。電メ研で甲府放送局
の倉持光雄氏も、今から観に行くと早朝にメールがあったという。こういうふうに励まされて、創作者は「謙虚」になって行き、そして「奮発」もして行くので
ある。そう、あらねばならぬ。
* 若者らしい演出によるオープニングに先ず引き込まれました。テンポの速いいくつかのショットが一つずつしっかりと決
まっていました。
売れっ子カメラマンと編集者のやりとり、これが実はとても微妙なニュアンスを含んでいたのですね。
「PAINを感じなければ、生きるのは楽だ」と言うせりふがありましたが、いつの間にか、私の心の奥底のPAINを
すっかりむき出しにされていました。
編集者の鈴木が自らの痛みを、山田一郎の稚拙そうな一枚の写真に見当てた感動から始まる二人の格闘。その痛みが強く強
くうずきました。人の心の痛みが優れた作品を通して初めて実感できるということ・・・・。
作品のモデルとなった「家族=妻願望」の女性は、話し方や動作など押しつけがましいと感じさせたのが、役どころとし
て、あれで、うまかったのだろうか…と思います。
実母の哀しみは余り伝わってきませんでした。
むしろ 待って 待って 待っていれば 必ず叶うことを楽しんでいるような、幸せなような・・・。狂ってしまって あ
ちらの世界にいる感じはよく出ていたと思います。
地雷を越えて母に近づけなかった山田はセーターを持ったときに、本当にぼろぼろ泣いていました。まるで秦さんの分身の
ように・・・。
待って 待って 待っていれば 必ず叶う……か。どうなのでしょうか。
編集者とカメラマンの絶妙なやり取りに本当に引きこまれ、PAINをむき出しにされて、ぼろぼろ泣いてしまい、外に出
ると喧騒の新宿はまだ真っ昼間でした。休日の思いがけない時間を本当に有り難うございました。
建日子さんの優れた感性や磨かれた才能がこれからもさらに良い作品を見せてくださるのを楽しみにしています。
* ありがとう。作中の「待つ」は、作品によって「偽り」のものと否定されているのですが、十一日の「私語」の最 後に二行ほど書き添えたように、母と子との間には、「待ち得て」回復し確立された「愛」が残ったのかなと読みとりたい気がしています。わたし自身はといえ ば、あのような生母への感傷はありません。もっと薄情で冷淡な乾いたもののままで永訣しました。
* まずまず、このようにして息子の活動ににぎやかな刺激を受けて親は楽しんでいる。それは君、暢気すぎないかと 言われもするだろうが、それでいいのだ。わたしからすれば、それらの全てもわたしの「生きて在る」ことに生まれた創作なのである。大事なのは、まさに、日 々生き生きとわたしが「生きて在る」という真実なのである。
* 春芝居というのは、やはり、睦月のうちのことでございましょう。いま話題のひきこもり症候群ではありません
が、春芝居も観ないで、二月になってしまいました。かくてはならじ、陰暦でしたら睦月のうち、明日、春芝居を観にまいります。演しものは、「Pain」で
ございます。
谷崎の「恐怖時代」、これもずっとずっと前、観ました。若衆姿の菊五郎が表情も変えず、というより、無表情で、つぎつ
ぎ人を殺めてゆくのが、こわいというより無気味でした。血をぬぐった刀に自分の顔をうつして髪を撫でつけたりして。
「十五夜物語」も、雀右衛門と梅玉、それに松江のを、これも十年くらい前でしょうか、観ました。雀右衛門の妻がとても
よかった。苦界に身を置いた女らしいくずれ、やつれと、われとわが身わが心にじれているさまが、ほんとうにあわれでした。月のひかりがよい感じに扱われて
いたのを、覚えています。たしか、観世栄夫の演出だったとおもいます。
帰ってから戯曲を読み、夫役は孝夫、妹役は、などとかんがえたりいたしました。「恐怖時代」のときは、戯曲を読もうな
どとおもいもしませんでした。忘れたいとさえおもいました。
今、文楽が国立劇場でかかっていますので、これも観たい、先生の観劇記を拝見しますと、今月の歌舞伎座も観たいとおも
いますし、きれいな絵にも逢いたい……。
いま、読んでいますのは、齋藤史先生の『風翩翻』。
「源氏」は、やっと「少女」でございます。秋好中宮や朝顔斎院への振舞いが、以前はとてもいやで納得できなかったので
すが、今、読み直してみますと、藤壺に死なれたあとのどうしようもない心のうつろを抱いての彷徨と、ふっと、なみだぐまれます。
亡きひとと読むご本に「源氏」を選んでよかったとおもいます。「源氏」とおもいましたきっかけは、先生の「桐壺更衣と
宇治中君」でした。
今晩は早寝でございます。あす、よい状態で、舞台に逢いとうございますから。 香魚
* 谷崎の戯曲ではないが、発禁を議題にした、芸術家と「検閲官」との長い対話を読んだ。谷崎の戯曲「恋を知る
頃」と思われる作品に対し、勧善懲悪と良風美俗の立場から改作を慇懃に強要する検察官と作者との、じつにねばり強い延々とした対決対話に終始していて、谷
崎潤一郎という書斎に居座った作者にしてはきわめて珍しく真正面から公権力の政治と見識との不足に刃向かっている貴重な仕事である。気力充実して、これは
戯作ではない大真面目に闘っている文学である。谷崎の明晰な知性とむかっ腹を立てていた感じが露出している。これを明らかに踏まえて、最近の人気劇作家三
谷幸喜が傑作喜劇を上演していたのをテレビで観ている。
つづく「或る調書の一節」も文字通り「対話」で、正確に、つづく代表作戯曲の一つ「愛すればこそ」のモチーフを、すは
だかに書き記している。背後に谷崎と妻千代子と佐藤春夫との小田原事件にいたる家庭内不和と葛藤とが濃い影になっている。女を作って妻をいじめぬき、善良
そのものの妻が泣けば泣くほど、それで夫は心が清く洗われるような気がしてならぬといった、とんでもない告白を執拗にくり返しているが、これこそが大正十
一年一月に発表した「愛すればこそ」の意義であり、「悪」のつよさと魅力と感化の力を徹底して書きながら、小田原事件により絶交した佐藤の影をセンチメン
タルな善人三好数馬に、板挟みの妻澄子の卑劣な悪人夫山田の位置に自身谷崎をあたかも据えたように、長い三幕戯曲は書かれたのである。むろん、「検閲官」
に対する痛烈な反噬の作であった。
* 谷崎の大正十年十一年は戯曲とシナリオの年で、豊富に多産されている。私生活の事件から巧みに離れつ即しつ脚 色してゆく天賦の才能がみごとである。
* 牧野大誓『天の安河の子』も読み終えた。こんな有り難いメールも今、届いていた。
* お芝居 昨日は、以前早めに出て整理券を、と知らせて戴いていましたので、はやく出掛けました。お陰で、二十
三番の若い番号をとり最高に佳い場所に座りました。
「PAIN」を一言で感想を表わすとしたら、センスのとてもよいお芝居でした。
同じテーマの寸劇が写真のフラッシュをたくように、幾つか組み込まれた形式を観たのは、初めての経験でした。多分この
試みはそうなのではと想いますが。流れに何の違和感も無かったのは、大したものです。
時々笑い声が上がりながらも、しっかりした台詞を一言も聞き漏らすまいとする二百人の観客が、一人しかいないのではな
いかと錯覚する程に、静かに舞台に集中していた気がしました。
二枚目の銀之丞さんは初めて観ましたが、迫力十分で、これは感激ものでした。終幕では、この俳優が溢れる涙で、歌舞伎
さながらの大見得をきるところでは、ホロリとさせられましたし、目を拭っていた観客もいたようです。
見ごたえがありました。
* 二月十二日 つづき
* つつがなく「PAIN」の新宿公演は終えた。千秋楽の晩、忙しい極みの猪瀬直樹氏がオフィスの人といっしょに
わざわざ見に来てくれた。
まず大過ない仕上がりであった、我が家のお祭り、無事果てて、ほっとして、劇場の近くの京王プラザホテル44階で、妻
とひっそりフランス料理で乾杯、打ち上げてきた。
* また、明日から日頃の普通日に戻る。
* 容量の乏しい機械に一太郎11を入れ、なんだか異様に機械がギスギスしている気がする。
* 二月十三日 火
* 仕事で書いている論文の推敲がだいぶ進み、投稿間近になってなってきた勢いに乗じ、中野(智行)さんの気持ち
の良い文章にも触発され、ずっと抱えていたテーマの一つを、この連休でまとめてみました。
この原稿を書きたかった最も大きな理由は、沖縄でお茶を習っている人たちが、(教えている先生の多くも)、茶道は戦後
になってようやく本土からやってきた外来文化で、本来沖縄とは無縁のものだと思ってしまっていることでした。
確かに、沖縄には京都のように利休さんが作った茶室もありませんし、九州のように古い流派も残ってはいません。そのせい
か、地域に根を張ったような安定感がなく、みんな何となく頼りない心持ちでお茶をしているように、私には見受けられました。できるだけ沢山の人に、少なく
とも17世紀の琉球に、忘筌のようないいお茶室があったことを知ってほしい、できればそれを復元して、胸を張って「沖縄自慢の茶室」で茶会をしてみたい、
そういう気持ちで書いてみたものです。
沖縄に十二年住んでいて、琉球文化の層の厚さ、沖縄学という学問の領域があることに驚きました。しかし、すべての分野
を網羅していると思われた沖縄学も、意外と手が回っていないところもあり、この原稿で扱ってみた琉球王朝の茶の湯に関しては、沖縄県立芸術大学の、文化受
容史が専門のホルスト・ヘンネマンさんというドイツ人教授が一人で、細々と研究をしている現状です。日本で茶の湯という文化が形作られていく過程で、琉球
を要にした交易ルートが果たした役割は大きく、物の流通と共に、茶の湯自体も、早くに琉球に招来されていたことはあまり知られていません。
今回は、琉球王朝の茶の湯自体には深く触れず、「御茶屋御殿」という建物にテーマを絞ってみました。機会があれば、琉
球王朝と千家のつながりを軸に、王朝の茶道文化についても書いてみたいと思います。
理系の学術論文と違って、文系の論考を書く場合は、ある程度テーマへの導入部として、落語のまくらのようなものがあっ
ていいのか、小見出しが必要か、重要なポイントを繰り返して強調してもいいのか(私はよくこのポイントのだめ押しをして、同じことを二度書くな、と上司に
怒られます)などわからないことばかりですが、我流のスタイルで書いてしまいました。謝辞、参考文献についても同様です。また、御茶屋御殿の周辺にある、
琉球文化の背景をどの程度書き込むべきかもよくわかりませんでした。
最も重要なのは、このテーマが、「e-文庫・湖umi」のカテゴリーに収まるものであるかどうかです。なんだか、『畜
生塚』に出てくる、「オトギヤロ」の香合の名誉挽回にムキになっている道具屋さんのようなことをしているのかなぁ、などと自信がなくなってきました。慣れ
ない分野の書き物はしない方がいいのかも知れませんが、あの道具屋さんと同様、御茶屋御殿の茶室については胸を張って世に出したいとフンガイしてもいるの
です。
いずれにせよ、まず秦さんに「琉球版忘筌」の存在を知っていただければ、とりあえずは満足です。よろしくご指導お願い
いたします。
* 善い論文であるだけでなく、貴重な言及で、専門家をすら裨益するもののように、わたしは、一読有り難いと思 い、すぐ「e-文庫・湖」の論考頁(四頁)に掲載を終えた。親しい淡交社の編集者にも読んでくれるように伝えたい。論考には上のメールも前書きとして添え たい。
* 新宿Space107
へ行って、「Pain」を観てきました。二重丸です。四十年ぶりで、若い人達のいい演劇集団を目の当たりにして、元演劇部員のおじさんはとてもうれしい気
分になれました。親切に気を使ってくれた入口のお兄さんも、会場整理のお姉さん達も、体に気を付けて頑張って欲しいと思いながら帰ってきました。
余計なことですが、機会があったら、母親役を、岸田今日子あたりにオールド・ジャパニーズ風にざっくり着物を着せて
やって貰うといいかなぁと思いました。惚けてる人と付き合っていて、それなりに風格を感じていますので。(今回のお母さんは、あれでいいと思いますが。)
ラーメンのおねえさんよかったですね。引っ込みが良かったです。(そばで見ていました。)・・みんな、元気をくれてあ
りがとう!です。
秋葉原のラオックスへ行って、「超漢字3」も見てきました。OCR
不能、現在使えている漢字以外は送信も無理(方法はあるようですが)のようなので、残念ですが、しかしOSとしては軽くて、ハイパーリンクで、日本製で、
魅力は十分、いじってみようかと思っています。去年の今頃は、縦書きもまだ出来なくて見合わせていました。さて、DOS/Vマシンを何にしようかと迷って
います。
梅は咲いていますが、まだまだ寒いです。くれぐれもお大事にしてください。
* 千葉の勝田貞夫さんも、来ていただいていたのにお目にかかれなかった、すれ違ったりしていたのかなあ。とにか くまさにアングラ、雑踏してどうにももみくちゃになるばかり。それが活気とも元気ともなるのだろうが。あれからすると、大劇場はひやあっとして寒いところ がある、歌舞伎座でも、俳優座でも。
* つくり手の心、エネルギイが、こちらにじかにひびいて来、登場人物のひとりびとりが抱えているPainが、忘
れていた、いえ、忘れたがっているわたくしのPainを、揺りうごかす。ちょっとつらい時間でした。けれど、こうした刺戟に身をさらすことは、必要なこと
でございましょう。
最初、大音響とはげしく動く光線に、終りまでこちらが持ちこたえられるかと不安になりましたが、それは導入部だけでし
た。その導入部に、数人の登場人物が、天井からの光の条をふりあおぐ感じで静止する瞬間がありました。うつくしく、かなしい絵、とおもいました。あれは、
あのドラマをシンボライズしたもの。あとになって、そうおもいました。
どんどん、もってゆかれました。
主人公の最後の長いモノローグ、役者の力量の問われるところでしょうか。もう少し、と、生意気なことを感じましたが、
照明が落とされたとたん、涙があふれました。
早く整理券を、とお教えいただきましたので、前日、電話でチケットの予約はしてあったのですが、早起きして、何と11
時20分に会場に着きました。16番。高いところをとおっしゃってでしたので、関係者席のすぐ前、それも中央からちょっと上手より、よい席が取れました。
佳い時間、佳い刺戟をありがとうございました。
階段まであふれて飾られゐる花のやつれてにほふ千秋楽けふは
あまり、おめでたいうたでなくて。
* 電メ研のための長い検討資料を、委員たちに助けられて作った。うまくすれば、これを四月総会までに会員に発送 して、わたしの役目を遂げたいものだが。
* 二月十三日 つづき
* 夜分、メールが十数通届いた。チョコレートを送りましたというのも。先日は沖縄の42度もある麦焼酎を贈ら
れ、痩せないなあと思いつつ数日で飲み干した。チョコレートも、あれば、嬉しく手を出す。よくよくの食い気人間である。
ある画家へひどく気がかりだった手紙の返事も送った。要三校のゲラも送り返し、校正の出そろうまでに本発送の準備もぬ
かりなく進めたい。息を詰めるようにして用意しないとはかどらない。一気に出来る作業でなく、根気よく何日も何日もかけて少しずつ運ばねば、はかどらな
い。十六日の電メ研会議がうまく行けば、それはそれでアトに仕事が続く。理事最後の役がうまく務まるといいが。
* 昨日の晩ビデオにとっておいた「風立ちぬ」を観た。田中裕子、宮沢りえ、田畑智子に、小林薫、加藤治子、米倉
斉加年という、信じられないほど藝達者な顔ぶれでは、見損ねるのがイヤだった。テンポのゆるさは、向田邦子原作ものの常でそれだけは辛抱ものだが、田中裕
子のうまさひとつでも必見のよろこびであった。宮沢りえも大の好きなら、田畑智子のおもしろい味わいは若手の中で出色で、いやもう、ドラマよりも演技陣の
競演におおいに満足し堪能した。うまいヤツはうまいなあという感想。杉村春子や音羽信子、観世榮夫らで、その前の時間にやっていたのより、田中裕子と小林
薫の夫婦、宮沢、田畑のその妹たちの芝居の方がよくできていた。等身大ドラマとしては、しっかり見せてすこし泣かされた。
* 二月十四日 水
* 神戸の芝田道さんから『DSLならできる超高速インターネット』という本をいただき、読み始めている。NTT
をマイラインにして、このADSLがどれだけわたしの仕事に有効になるのか、まだ見当はつかない。光ファイバーまでの数年をどんな技術革新が我が手元に届
いてくるのか。
昨日田中裕子や加藤治子たちのドラマを観ていながら、五徳を据えて炭火をおこした火鉢に思わず両手を出している図など
目にし、またいかにも昭和十年代の民家の外観や内装を観ていて、懐かしみながら、ああここには、インターネットはおろかテレビも無いのだと思っていた。
その一方で、昔に在って今は払底した美しいものの大きな一つに、「謙遜な人間味」を数えざるを得ないことにも寂しい思
いがした。あの母子家族の娘たちのような、あんな娘たちが、この世から消え失せていった。劇中のいちばん小さい末娘の田畑智子の役が、昭和十四五年のお茶
の水女学校の制服を着ていた。わたしは、まだ四五歳で、秦の家にもらはれて来て間もない時分だった。宮沢りえの次女役はもう出版社勤めをしていた。職業婦
人のハシリだった。いろいろあって、だが後年には四人の子の母親になったとナレーターは語っていた。この人たちの子女の時代までは、かろうじてまだ、昔
の、ほんとうに佳い意味の良風美俗を親たちから見習い得ていた。だが、悲しいかな我々の時代から、子女たちの躾が全面的に崩れてきた。我々が、親世代から
受け継いでかろうじて匂い程度は残していたものを、適切に、次世代によう手渡せなかった。そして、そういう世代が親世代になった今、親は子を、子は親を、
まるでもてあますようにして生きる混雑の時代が現出している。
以前に幸田露伴と娘と孫娘とのドラマを観た。露伴を演じていたのは森繁久弥だったと思うが、この記憶はどうか分からな
い。娘の幸田文の役をやはり田中裕子が、孫の玉青を新人のやはり田畑智子が演じて、しみじみとしたドラマであった。この家族にせよ、ドラマ「風立ちぬ」の
女家族にせよ、なにも上流社会の有り余る家庭ではないが、凛乎とした空気を日々の生活に呼吸していた。どちらにも、つらい、もやもやとした事件は有ったけ
れど、それらへの処し方に、しどけなさというものが無かった。
いま、インターネットを取り上げる、そのかわりに、ああいう家庭人たち、市井の人たちの、物静かに節度のある日々を日
本の国に返してあげると言われれば、わたしは躊躇しない。人間らしい、静かさと誇りとのある昔の気象を、世の中をあげて取り戻せるものならば、それを取り
戻したい。ホームページが無くても、メールが使えなくても。かまわない。
* アメリカの原潜の無謀きわまる急浮上で、海没した、日本の練習船の若い命。理非を越えてでも、そんな報知が有
れば眦を決して相手国への怒りを、それなりの「外交」という皿にのせて叩きつけるのが、国民の安全を預かる政府や政治家の仕事ではなかったのか。いちい
ち、おれに何が出来るものではない、司司でやるように言うだけだ、俺は今ブライベートの時間をつかつているのだと、ゴルフをやめなかった森喜朗。その物言
いが、憎い。
恥を知って職を去ると言うことが、昔は有ったものだが、絶えてそのような心地よい話は聞いたことがない。
* 何度もわたしは「国の犯罪」ということを、ここで書いた。日本の政府はいまや国民の安寧に対して、破廉恥なほ
どの犯罪的失政を重ねている。いちばんひどいのは、それを恥じるどころか、居直って、屁理屈の言い訳で我一人の地位の延命を計っていることだ。このまま行
けばテロが動かないかと恐れる。
今になって野中広務も青木某も、自分たちがどさくさに祭り上げた森の批判に転じている。批判は当然だが、恥知らずなこ
とだと嘆息する。国が率先して私たちに対して犯罪をあえてするなら、国民は国に対して合法的に犯罪者となってでも国を懲らさねばなるまい。方法はいくらも
有るだろう。
* 文字コード委員会から、正式に委員を委嘱するむねの通知が来た。日本ペンクラブから出向するという意味合いと
わたしは理解している。暫定的に受けておくという気持ちである。
* 二月十四日 つづき
* 国会での党首討論を聴いて、野党の追及の物足りなさも足りなさ過ぎるけれど、森総理の厚顔無恥なあまりな鈍器 ぶり、情けない憂鬱にこっちが落ち込んでしまった。亀井静香は横綱と十両の取り組みだと野党をあざ笑っていたが、あれぞ日本の毒物だ。2.26事件を省み たNHKの番組もみた。時勢の危機として、あのころが険しい極みであったことは否定できない、だが、今も、ひどいものだ。悪夢のようだ。
* こういうときに古典を読む。このところ平家物語にかなり関わっていたが、谷崎の戯曲にも時間を多く割いてき た。ずいぶん幕数の多い長いのも多く、はかどらない。いま、なぜか枕草子が読みたい。
* 京都博物館で観てきた強大な気迫の弥生時代の大瓶を、いますぐにも、もういちど観たい。 気の衰えを励まされたい。
* あすは、師走以来のペンの理事会。あの日は、梅原さん起草の声明文で、気が腐った。もう遙か過去のように思わ
れる、が、あすは何が待っているか。
* 二月十五日 木
* 昨夜、湯豆腐に地酒の夕食を摂っていると、パラパラと小さな音がし始めました。
今朝は雪景色。晴れ。空気が、気持ち良く冴えています。武蔵野はいかがですか。
雑誌で、筝曲「銀世界」が紹介されていました。
同じ色 重ね重ねて白妙の げに麗しや飛石に 草履の跡も面白く
そと打ち払ふ 数寄屋笠 待ちに待ちたる 鐘の音の 静かに響く四畳半
寒さ忘るる炭手前 つもる話も打ちとけて 茶の湯の友の冬籠り
豊かにもるる釜の煮え 開く小窓や庭先の 眺め尽きせぬ銀世界
お風邪など召しませんように。
* だれの新作か分からない、むかしのものに比べると、縁語掛詞の駆使のまったく無いいかにも今日的語彙による描 写に終始している。それでもこういう世界を、風情を庶幾している人たちが現にいる。わたしには分かる。その一方で、昨日の党首討論を報じている朝刊記事 に、不快を抑えがたいわたしもまた露わに此処に存在している。逃れがたい現実というのではない、逃れ去ってひとり心地よいという境地を求めてよいことと思 わない自分が在る。わたしは、それを我が悪しきマインドのさせることとは考えない。現実から、この巷から、走り去って山林抖籔の生活へのがれて何かが事果 てるわけでも解決するわけでも良くなるわけでもないと思うだけだ。落とすべきマインドは、そういう葛藤のさなかで落とさねばならないのだろう、と。
* 広い湖(umi)の読者から届いた声。ありがたく読みました。遠くへ投じた小石の波紋が岸まで戻ってきた、
そんな嬉しい気分です。
八年越しの論文、ついに今日投稿しました。ポストへ投函した途端、気が抜けてどっと疲れが出、午後はぼんやり。終業
後、職場からまっすぐ温泉(緑の湯)へ。今日は冷え込みは厳しかったものの天気は良く、日没を見ながらゆっくりと温泉にひたりました。
湯船に入って手足を伸ばすと、頭にはいろいろなことが浮かんでは消えていきます。「五時を過ぎてもまだ明るいなぁ。日
が長くなったんだ・・・。花を待つには早いけど、札幌の雪間草は蕾ぐらいついたかしら。家隆?さんが詠んだ雪間の草は、きっと低温で花芽分化したんだ
なぁ。そういえば、福寿草は雪の中で低温を感じて蕾がつくんだったっけ。反対に春菊は高温で花がつき、ミョウガは日が長くなると、オクラは日が短くなると
花芽ができる・・・一口に花が咲くといっても、その仕組みは植物によって千差万別。神秘的だなぁ・・・」と、とりとめもないことを考えているうちに、すっ
かり疲れもとれました。
明日は春の学会の講演原稿締め切り日。来週は会議で筑波です。 まおかっと
* 斯く在りたい。現実に翻弄され埋没し己れを見失って、あげく苦悶しなくてはならない時節というものも必ずあ
り、そこを通過するのをさけるのとは事実不可能である。わたしの元の学生君たちも、いままさに日々の塵労をこそ生き甲斐として働かねばならない時機にある
が、それにはそれで誠実に直面して、塵労じたいを生産的なものになし得る踏み込んだ工夫を、日々重ねてもらうしかない。逃げ出せ、捨てよとはわたしは言わ
ない。だが、どこか芯の一点に「清」ないし「静」なる価値ある空白を抱いていてほしいと思う。
放心のどこかで( )を使う音 時実新子
これぐらいな句なら記憶していられるだろう。入浴の時でも、手洗いのときでも、やっと床に入ったときでもい、ふ
うっとこんなふうに句を思い浮かべて、さてこの虫食いの一字はなどと考えてみるのもわるくない。
禅は梵音のままで、意義は「静慮」「清思」である。ないしはその慮も思をも落とした状態である。そういう状態を芯の一
点に人は抱え持ちながら、日頃気づかないまま怱忙に明け暮れる。よほど怠け者は知らず大方は明け暮れざるを得ないから明け暮れているのだが、この芯の一点
にふと立ち返れる瞬間を持ち得れば、どんなに穏やかに静かになれるだろう。『こころ』の「先生」は「静」という名の「奥さん」を愛しながら、ついにその
「静かな(無)心」を持ち得ずして自決した。漱石はそういう理屈だけは察していたから、他の者には「先生」「私」「K」などと名付けながら、三人の男がひ
としく愛した「お嬢さん=奥さん」にだけ「静」という美しく価値ある名前を付けていたのである、東洋の禅の、道の、遠い伝統を憧れるほどに意識しながら。
この人にはそれが役に立ちそうだと思うと、わたしは、大学の頃と同じに、上のような虫食いの詩歌を「清=静」のよすが
に呈題している。役に立っているかどうか分からないが。
* 晴れやかに正午が来た。午後には東京會舘の理事会と例会に出かけなければ。
* 二月十五日 つづき
* また、やってしまった。理事会の環境小委員会から、シンポジウムを開催したいと具申があった。去年は「水」に
ついてやった、今年は「山」についてやると。それは、かまわない。しかし、日本の「山」問題について、ほんとうに深い理解があってのことか、去年の「水」
と似たような顔ぶれで、あの程度の論題では、水準の低さは否めない。
ペンのシンポジウムだの何だのというお祭りの顔ぶれは、どうしてああも各委員会決まり切った顔ぶれなのか不思議だが、
それもかまわない。
だが、環境問題について金をつかって何かやろうというのに、どうして、今が今、あの「諫早の海苔問題」を素通りして
「山」なのか。「諫早」については、日本ペンは会長以下大勢の理事たちまで現地に乗り込み気勢を上げてきた大問題ではないか。それがきっかけで環境小委員
会も出来たのではないか。いま、日本の環境問題でもっともホットな話題は諫早であり、本当なら、とうに日本ペンは、再度の声明なり活動へ踏み込んでいるべ
き時期にある。それを素通りして、暢気で漠然とした「山事情」のシンポジウムだの、子供だましみたいな会員の「環境意識調査」だのとは、いったい何を考え
ているのかと、怒鳴ってしまった。いや怒鳴りはしないが、きついクレームをつけた。
ことわっておくが、わたしは「山」に途方もなく関心をもっている。山から海へとわたしの国土観も社会観も歴史観も連動
して、裏社会の深層に思いをもちつづけてきた。それはそれである。
ここで、いま、諫早問題をポカーンと素通りすると言うことは、これまで日本ペンの諫早声明など自体が、実意を欠いた、
その場限りのパフォーマンスか通過儀礼にすぎなかったということを暴露することになる。わたしの剣幕に一瞬シーンとしてしまい恐縮した。梅原さんが、何だ
かワケの分からないとりなしのようなことを、アタフタと口にして、大慌てで、諫早についても何かをやろうということになった。人権委員会だとかがやるのだ
というが、当然環境委員会の仕事だろう。辻井喬氏からも早いほうがいいと念押しが入った。はっきり言っておくが「平和」も「環境」も「女性」も、日本ペン
クラブの辞書にあるこれらの文字と語意とは軽薄で、いささかならずお祭り気分が勝っている。それにくらべれば「言論表現」は、脂汗を流し時代の沸騰に堪え
て思案も行動もしてきたように想われる。時代に取り組む姿勢は、猪瀬直樹委員長、この一年一年半、いい新委員も加えて、めざましいものがある。
* はっきり言っておきたいが、海苔問題が起きた、だから言ったではないか、ザマをみろといったようなシンポジウ ムはやめてもらいたい。水門を開けろ閉めろでもない。開けたら何がどう変わり、閉めたままなら今後どうなるのか、科学的な検討と推測との具体的な提示を主 にしつつ、政治の問題へ鋭く言及してゆく内容でありたく、むしろお膳立てはペンがしても、しっかりと論拠の立った議論を「専門家たちに」してもらいたい。
* 文字コード委員会に出てきてもらった村山副座長の報告を、理事会のアトで、資料とともに受け取った。
文字コード委員会の趨勢にも大きな様変わりがみえ、村山さんのはなしではあるが、「秦さん」のこれまでの発言趣旨や主
張に大きく沿ってゆく方向へ、委員会の討議全体が流れてゆくようだ、と。
例えば、標準化される漢字は、「所謂足し算方式」でこれまでは姑息的に必要が生じたら数を足してゆくやりかたを繰り返
してきた。この言葉を用いてわたしは、それは間違いではないかと言ってきた。必要なものは必要であったのだ、みんな必要なのだ。だが漢字に「みんな」とい
う網羅は事実問題としてあり得ない。よぎなく、これは無理、これは拾えない、これは辛抱しなければなるまいと、架空の「みんな」から仕方なく「引き算」し
て行きながらも、必要で可能な限り「みんな」を標準化してゆくべきであると、言い続けた。どう孤軍奮闘であろうとも、あざ笑われようとも、妥協せずこの原
則論を言い続けてきたが、この原則が、いまや本流になって行くようだと村山さんは報告してくれた。ふーん、がんばり抜いてよかったのかなあ、と、ちょっと
驚いた。
なにしろ、わたしが、文字コード委員会に出始めた頃は、たとえば孔子や釈迦の文献がそのまま再現できないようなパソコ
ンが、何のインフラかとわたしが言うと、おおかた失笑された。経済行為や工業的必要に応じられれば、文学表現や宗教や歴史などは二の次、三の次のこと、辛
抱してくださいと言わんばかりに、招かざる部外者発言のように受け取られた。ガンとして、わたしは、だが、「表現者」「人文研究者」の立場からの「使え
る」パソコン、役に立つ「文字コード」を言い続けた。どんな優秀な文字セットが出来ようと、世界中の、どこででも、だれでも、いかなる漢字や記号も双方向
で等質に使えて文字化けしない「環境」が器械に装置出来なければハナシにならんと言い続けてきた。そういう時節なのである。
* そんな次第で、出る気の無かった晩のペン例会にも出席し、いろんな会員の顔も見てきた。なにも食べず、赤いワ インばかりたっぷり三杯も飲んでしまった。東京會舘の向かいのビルで、来がけに見つけておいたダウンの上着の、「このさき用」のを買い、「クラブ」へも寄 らず一路保谷へ、そして駅で買ったパンを道々かじりながら、家へ。
* 一太郎11に、「プロフェショナル」という新しい機能が出来ていて、是に慣れて、使い勝手よく気持ちのいい文 章が書けるといいなと思っている。
* 中村扇雀から名古屋御園座四月の「小田原騒動」を誘ってきた。三月の歌舞伎座夜の玉三郎「道行旅路の嫁入」 仁・富・玉の「山科閑居」それに仁左の「保名」と、幸四郎、我当の出る「鳥辺山心中」も、観たいなあと言うていたのだが。
* 昨夜に、寄り道めくが谷崎の映画シナリオ、大正十年の「月光の囁き」と、翌年の「蛇性の淫」を読んだ。前者は
意味も効果も散漫な無理筋の作であった。こねまわしてあるが、面白みも散漫錯雑、作者が気負っているほどには何も迫ってこない駄作で失敗作と観た。上田秋
成原作を愚直なほどになぞった後者も、脚色の上のひねりもサビも利いていなくて拍子抜けした。もうちょっと大胆不敵な趣向で原作に谷崎が挑みかかっていい
だろうにと、意外に感じた。原作や原作者を尊重したとしても、これでは、原作を読んだ方がおもしろい。溝口健二の名作映画「雨月物語」の脚本は優れていた
なと、今更感嘆する。
* 二月十五日 つづきの続き
* 大事なことを書き漏らしていた。今日の理事会で、梅原会長は、執行部会では知らないが、少なくも我々理事に対
して、一言も「ものつくり大学」に関連した発言がなかった。体調を崩されてもいたよし、理事会の後半の後半ぐらいで退席され、会員との例会も欠席された。
初めてのことだ。
今日でなくてもよく、すでに機会はいくらでもあったはず、この政界をゆるがす大疑惑事件に梅原氏が絡みつかれているこ
とは事実なのであり、大学の「趣旨」がなにであれ、KSDの政界汚職のおおかたが「ものつくり大学」設立運動に関わっていたという事実の判明してきている
以上、その大学総長にすでに就任している以上は、ペンの会長として所感を明らかにし、なすべき批判は批判、弁解は弁解、主張は主張して、「哲学者」らしく
処された方がいいと、わたしは梅原氏のためにも希望してきたのである。まちがいなく議題の「その他」とあるところで、所感を述べ理解を求められるものと予
期していたが、それが無いまま退席された。
健康が第一である。お大事にと願っている。
それはそれとして、上の事実は、書き留めておく。「ものつくり大学」の「趣旨」がどう作文として素晴らしいものであろ
うと、設立に至る醜悪で底暗く底知れぬ策謀にまみれてしまっている「事実」「結果」は覆えない。免れ得ない。機関のなかにどれだけのKSD分子が今なお
入っているか、それをどう根こそぎ排除する気なのかといったことは、ハッキリ意見を述べてほしい。詭弁(ソフィスティケーション)はいけない。
* 二月十六日 金
* 昨夜、おそくに建日子が帰ってきた。夜更けの三時頃まで、公演の裏話など、四方山の話題で両親を楽しませてく
れた。ともあれ、ものを創り出す仕事に勤しんでいる息子との腹蔵のない会話には、時を忘れてしまう。
一夜時分の部屋でぐっすり寝て行き、朝昼兼帯に牛肉の食事を注文して、食べてから五反田へ戻って行った。
* 午後は、電メ研に。懸案の報告書をほぼ仕上げた。もう少し手を入れて、今期最後の三月理事会に提出すれば、と にかくも座長の任期を終えることが出来る。みなさんのご協力に感謝したい。どういうものを作ったかは、いずれこのホームページでも披露したい。
* 会を終わって、ほっこりした。わたしひとりが乃木坂駅へ戻り、家に電話したら昨夜の夜更かしで妻は疲れてい た。食事は外で済ませてきてというので、銀座かなとも思ったが、先に来た明治神宮への地下鉄にのり、山手線に乗り換えて新宿で下車、深切につくった肴三種 で日本酒をゆっくり飲んだ。ご飯の代わりに稲庭うどんをあっさりと。酒と食事の間に谷崎の戯曲「本牧夜話」「愛なき人々」を読み上げ、寒風に巻かれながら 大江戸線で練馬経由、帰った。きもちよく、くつろげた。
* 昨日の理事会で、三好徹副会長から、秦さんのホームページにあれをと、エッセイ集『旅の夢
異国の空』の巻頭に収められていた「わたしの『森
敦』」の一文を貰った。三好さんがわたしのホームページを見ておられたことにびっくりした。有り難い申し出にもびっくりした。感謝して、今晩、スキャン
し、校正して、たった今第三ページに掲載した。
言うまでもない芥川賞の「月山」で名高い文人である、森敦は。若かりし日から三好さんは、まだ無名であった森敦に親近
し傾倒されてきた。その思いの溢れる一文をもって没後の全集の一巻に寄せられたいわば「思慕と追悼」であり、忘れられてはならない森敦という豊かに清かっ
た孤峰への一つの道しるべとしても、ぜひ、目にとめていただきたいと願う。
* 森敦氏とは、杉本苑子さんと三人で、NHKラヂオで鼎談したことがある。日本の祖師たちについてで、わたし は、法然のことを未熟に口走っていた。遠い気恥ずかしい記憶である。お目にかかったのは、その一度だけであるが、非常に上等で美味に仕上がった干物の魚の ようなおじさんだと感じた。市井のいい匂いをてらわずにさらつと身にまといながら、奥深いことのさらさらと言える人であったと印象に残っている。太宰や檀 一雄とも近い人であったことは三好さんの文章にも出ている。太宰はわたしが新制中学生の早くに自殺しているが、檀さんとは太宰賞をもらったあと、何度か三 鷹のお寺での桜桃忌で会い、やわらかい親切な手で手を包まれた、気の和むいい思い出を持っている。そのためか、女優の檀ふみにも心親しい感じをもちつづけ てきた。ご縁というのは巡り巡ってくる。三好さんはそういった和の輪をさりげなくわたしの身内にも輪に仕上げて下さったようで、嬉しい。
* 「月刊ずいひつ」主宰の随筆家神尾久義氏からも、編輯者の眼鑑にかなうようなら採ってくださいと寄稿いただい
ている。明日にスキャンしたい。
* 二月十七日 土
* 三好徹氏の一文をさらに校正した。スキャン原稿はよく校正しないと魯魚のあやまりが多い。「e-文庫・湖」で 校正ミスに気づかれれば、どうかお教え願いたい。
* 新しい「湖の本」の三校が出そろって、凸版に追いまくられている。わたしも仕事は遅いほうではないが、凸版さ んも早い。妻はよく「いい勝負ね」とわらう。今回は完全に追い込まれている。
* 朝は雨風、午後は雪の、大荒れの一日でしたが、お変わりなくお過ごしでしたか。
鹿児島では、もう新ジャガの収穫が始まったらしいですが、我が家に届くのは、しわしわになったジャガ芋です。秋に収穫
した、そのまま、自然にしておくからです。しわしわの中にある窪みから、芽が出ていて、調理には手間がかかりますが、台所で感じる四季です。
しわしわのお芋は、味が濃くなって、ホクホクして、新ジャガとは、別のおいしさが好き。良い野菜は、生で堅く、火を通
すと柔らかいのだそうです。
* こういう柔らかい感じの便りに、ふっと気が和む。むだなことは、なにも書かれていなくて、すみずみまでホクホ クしている。
* 三好徹氏のエッセイ集『旅の夢 異国の空』をまた読み返していて、三好さんの方から言い出された巻頭の「わたしの『森 敦』」とともに、これは私の方からぜひ欲しい一文がそのすぐ次に掲載されていた。井上靖と大岡昇平との貴重な挿話的思い出の一編である。どうしてもご厚意 に甘えてこれも戴きたいと思い、事後承諾でお願いしようとすでに掲載してしまった。著作権の侵犯であり怒られるかも知れないが、これをぜひというわたしの 思いは諒承してくださると思う。それほどいいもので、はじめてこれを読んだときも今回も、目頭がじわっと濡れた。
* 谷崎全集の第八巻は少なく見ても三分の二が戯曲とシナリオである。大正十年を過ぎて十一年初の「愛すればこ
そ」から、映画台本「蛇性の淫」戯曲「永遠の偶像」「彼女の夫」「お国と五平」「本牧夜話」「愛なき人々」を経て、大正十二年初の「白狐の湯」の八編がな
らび、小説は「或る罪の動機」「奇怪な記録」「青い花」そして「アヱ・マリア」があるだけ。ただしあとの二作はこの期の問題作として記憶に値する。
この時期は小田原事件の直後にあたり、即ち妻の妹と深い仲にはまっていた谷崎は、いったん離縁して佐藤春夫に譲ろうと
していた妻千代を、土壇場で翻意して手放さなかった。千代を愛していた佐藤は谷崎の翻意に怒り絶交状態に入った。その後双方でこの事件を念頭に置いた創作
上の格闘が始まり、谷崎のこの頃の作品は大方のモチーフをこれに拠っている。きわめて露骨に人間関係などを現実になぞりつつ、だが、すべて微妙に脚色され
ていて、谷崎自身を悪に、佐藤を善人風の弱に設定したりしているが、「愛なき人々」では脚色そのものもどぎつくて、佐藤への攻撃は人身攻撃的に露骨で、自
身の役割も悪に徹したようでいてどこか戯画的に被虐的であり、作の姿勢には醒めて冷ややかなほどの視線が生きている。うわずっていない。ただ、むきだし
に、男も女も悪意や虐意をみせて、読んでいてもカタルシスに欠ける。うんざりする。
それぞれに無視しがたい証言をはらんでいるので、谷崎論のためには、大事な拠点になるが、戯曲ないし上演ということに
なると、「お国と五平」が谷崎戯曲のなかでも傑出して簡潔である。夫の敵討に出ている妻お国と従者五平、敵の友之丞の三人だけの心理劇がおもしろく絡まり
合って焦点を見いだしている。三者の気持ちにすべてに妥当な自然と不自然とが蔵されていて、悩ましくも納得が行く。小田原事件を谷崎が血肉として体験しよ
く対象化し得ていた、さすがにと賞賛したい作劇である。
「本牧夜話」は、脚色されたものだが、谷崎の白人趣味と本牧時代をまざまざと推察させる品のない風俗劇であり、凄まじい
という印象を与えながらも、印象に残る。千代夫人の位置が透けて見える。ここで、硫酸がつかわれて面貌の破壊がドラマを転換させてゆく働きをしている。遠
く「春琴抄」へ繋がってゆく感じがある。
この白人趣味が「白狐の湯」でも意味を持たされている。谷崎は他界へ行かない、せいぜい夢か狐憑きのところで現実に踏
みとどまる。谷崎潤一郎の秘密の色は「白」であり、それも「月光」に洗われた白にエロスをかきたてられる。それは、「少将滋幹の母」のクライマックスへも
反映している。このエロスが谷崎のほしいままなる「マリア信仰」と表裏している。この時期の大事な問題作である小説『アヱ・マリア』がそれを濃厚に示唆し
得ている。
「愛すればこそ」と「愛なき人々」は一双のやや冗長だけれど凄まじい内容の、この時期にあって無視できない戯曲であり、
主題的には前者の方に深く突き当たる重みがある。後者は諷意するところがどぎつく、作品の中にだけ印象がとどまりがたくて、つい佐藤春夫的な存在への顧慮
が読者側に働いてくるのが愉快でない。
「永遠の偶像」「彼女の夫」も露骨な私小説ふうの私戯曲で、あてつけがきつい。
谷崎潤一郎というと、小説の大家として文豪の名に恥じない存在なのは言うまでもないが、根が天才でありしかも神童とう
たわれた秀才でもあった。小説だけでなく、彼の批評力のあることは、若くして漱石の「門」「明暗」を論じたものにも知られ、論争では芥川を自殺へまで突き
放したほどの剛腕ぶりを示した。そういう力が戯曲の脚色にも浸透していたことは察知されて良かったのだが、主には佐藤春夫の作戦もあって『思想のない作
家』と遇され続けてきた。とんでもないはなしで、伊藤整がこれを逆転させて谷崎を論じ始めてくれたのは大きな収穫であった。
* 二月十八日 日
* 校正と発送の用意に明け暮れた。だが、午前の日曜美術館でモーリス・ユトリロの母スザンヌ・バラドンの絵の観 られたのには、感激した。つづいて聴いた田原総一朗番組での与党三党の幹事長たちには、ゲンナリした。
* 昨夜に、谷崎戯曲の「無明と愛染」を久しぶりに読んだ。高校へ入った年に、創元社から「谷崎潤一郎作品集」が
出て、わたしは昼飯代を食べずに貯めてこの新刊シリーズを楽しみに買い続けた。七巻ほどあったろうか。戯曲ではことに「無明と愛染」が好きで、本気で演出
ノートを書いたりした。また日記に「無明抄」という題をつけていたのもこの作品の感化であった。一乗寺の上人を佐藤慶の演じた映画も印象的であった。そう
はいえ、無明の太郎が三船敏郎であったような気がするだけで、かんじんの女優たちを覚えていない。なぜか、佐藤慶だけをねちっこく記憶している。不出来な
映画ではなかったが、なにしろ登場人物が四人だけ。どこか舞台劇の映画化という感じながら、わたしには、それが成功していると思われた。映画になって山奥
の荒れ寺の風情などが生きた。聖人と毒婦の対決である。毒婦が残酷に勝ったようでありながら、必ずしもそうとも言えない。無明太郎の妻は絶望して自害する
が、非道の太郎は無明から醒める。悪婦愛染は上人をたぶらかし死なせるが、その死に様には尊いものが無いとも言えぬ。小田原事件を越えてきて、もう克服し
てゆく気配の色濃い作であり、作品世界は完全に創造されよく自律している。「お国と五平」にならぶ簡潔で完成度の高い秀作である。もう谷崎は関西で暮らし
ていた。
つづく「腕角力」は、何ということもない駄作に属するが、読まされてしまう。それだけのものである。大正十五年には谷
崎と佐藤は和解する。その四五年後、細君譲渡という世間を瞠目させた取り決めが、二人の作家と一人の女性の合意によって実現する。
* 晩、「知ってるつもり」とかいう関口宏が司会の番組で「法然」を取り上げていた。さほどの「理解」を示したも
のとは見えず、常識的な「知識」の取り纏めに終始していた。大方の法然論は、みな、そうである。売れているという梅原猛氏の『法然の哀しみ』も、壮大な読
み物だが大差ない解説に終始している。それがいけないとは言わぬが、梅原さんも顔を出していた今夜のテレビ番組は、法然よりもよほど寸法の短い紹介番組で
あった。
法然の「南無阿弥陀仏」を、ただ鵜呑みに有り難がるので、かえって、そこでコツンとものが止まっている。行き止まりに
なっている。仕方がないから賛嘆しておくことで終わってしまう。「南無阿弥陀仏」という六字念仏とは何なのか。ほんとうにそれは有り難いものと、例えば、
今の我々は、どこまで、どう真実信仰しうるのか、そこの徹底を避けているから、悩ましい深みが見えてこない。
バグワンの言葉に、何年も欠かさず耳を傾け続けているわたしには、法然の南無阿弥陀仏にも、常識的な通念とはべつの受
け取り方が胸に宿っている。法然の易行とは、阿弥陀信仰を六字念仏に煮詰めて与えたことであるのは、一枚起請文によってもまことにその通りだが、事実は、
ただ我々に対し「安心」の「抱き柱」を提供したのではなかったか。
西方浄土も阿弥陀の本願も、仏教の創作にすぎない。法然がそんなことに気づいていないわけがない。法然の撰択本願の論
の建て方はおそろしく論理的であるが、根本に、証明不可能な「信」の仮設を据えている。そんな論理的「信」の設営でいっさいが保てるとは、法然は考えてい
なかったろう、が、簡明無比の「抱き柱」を与えて真に「安心」させるための基礎作業としては、そんな議論めいたところも経てこなければ、至り着いた「一枚
起請文」のリアリティが成り立ちにくい。「一枚起請文」の無比の簡潔は、世界の信仰のなかでも類のない、みごとにたやすい堅固な「抱き柱」を我々に授けた
いという「愛」に満ちていたのである。そんな「抱き柱」など無くても安心の成る者には、「南無阿弥陀仏」も必要のないことを、宗教者法然が知らぬわけはな
い。
* 法然を否認して言うのでは絶対にない。深く深く感謝して上のことをわたしは言うのである。この正月、菩提寺
「光明山」の寺報に書いた「わたしの信、念仏、法然」は、感謝に堪えないきもちを書いたものである。
* 二月十九日 月
* 予算委員会の質疑を聴きながら仕事を進めていると、眠くなる一方。こんなのが政治というものなのか。失策の追 求もむろん必要だが、予算の審議もしてほしい。失政の言い訳もしたいだろうが、予算の中身について意図も述べて欲しい。贈与としか考えようのないものを居 直って税金は払わないと、涼しい顔を総理大臣が自らする以上は、国民も極力それに右へ見習うべきであろう。
* 頭の中が政治の腐った空気で停滞しきっている。作業が単調で大量になると、こういう頭では集中するよりも退屈 してしまう。散歩にでも行くかな。風は吹いているが。
* 谷崎戯曲の「マンドリンをひく男」は、小品だが面白くできている。谷崎好みの仕上がりで、映像にも舞台にも成
り立つ作であるとともに、他の作とも共通した執拗なあるパタンを繰り返しながら、男女関係の錯綜に作者自身が舌なめずりしているような耽溺の気味が感じら
れる。
「金を借りにきた男」は、借金そのものが谷崎の半生にほとんど趣味的につきまとっていた体験であるだけに、同じ主題の
他の小説などもあり、作の手口が堂に入っている。常習犯の借金男の執拗に卑屈に狡猾に巧妙に結局は借りてゆく鉄面皮と、結局は貸してしまう側の不快感と
が、うんざりするほどねちっこく戯曲化されていて、愉快な気分は微塵もない。この不愉快にさせることも悪の魅力の一つに数えているかのように、大正時代の
谷崎は繰り返し不愉快作を愉快そうにたくさん書いている。病的にはいっそ不可能な創作であり、逆に谷崎の神経が不逞なほど強豪であることを示していると取
りたくなる。
大正十三年ごろの「白昼夢」は、歯医者が患者の令嬢を失神させて犯すという刺激的な白昼夢を装った、夢ともうつつとも
つかない露悪の作劇で、愉快なものではない。だが、こういう事態はだれしものかすかには想像したりしないでない秘めた欲望とも絡み合うので、谷崎は、そう
いう読者の心理を引きずり出すことにも愉快犯的な手腕を用いるのである。一種の芝居っ気であり、悪ぶった趣味でもある。
* 大正時代までの全戯曲をわたしは読み上げた。漏らしてはいないと思うが、何作あったか、数えてはいない。谷崎
の大正時代は戯曲作家時代であったともいえる。同時に、推理小説風のミステリーも谷崎はこの期に幾つも書いていて、「途上」のような秀作も幾つか含まれ
る。さらに重ねてこの期の谷崎は新興の映画に多大の興味と好尚をもち、映画会社に関係してシナリオを書き、制作にも踏み込んで家族を出演させ、それのみか
映画芸術にたいし理論的・趣味的・美学的な関心から貴重な論考や観察をふくむエッセイを幾つか書いているのである。
歌舞伎に培われた芝居好きと戯曲制作、西洋賛美の興味にもひかれた映画芸術への傾倒、そして趣向と犯罪と悪への傾斜を
示した推理的ミステリー小説・犯罪小説への猟奇的な興味。さらに悪の美と魅力と、それゆえの強さに対する根強い共感の露出傾向。
谷崎潤一郎の大正時代は、およそこういう特色をその制作面に示しているが、これを触発しまた裏打ちした強硬なモチーフ
に実生活・私生活における小田原事件へ高まってゆく妻の否定・妻殺しの願望・妻の妹への被虐的な愛と耽溺などを認めねばならない。ただ、谷崎のこの両面に
は、きわめて意図的・意識的な「演戯」性をも正しく見通さねば大きな間違いをしてしまうだろう。自然は芸術を模倣するというワイルド風の美学を盾にとって
谷崎は、西洋賛美とともに輸入していた性的倒錯の「新味」を演じ抜いて悪魔派の旗を揚げてみせることに或る勘定をつけていた。すべては「芝居っ気」に発し
た表面的な演戯性に根ざしている。この病的なほど悪を振りまいていた谷崎潤一郎その人は、根は、平凡なほどの健康者・健常者であった。それが、駄作をすら
豊かに見せる秘訣であり秘儀なのであった。
* 昭和期に入り根津松子との出会いを活用して大噴火した谷崎文学は、もう戯曲を表現のために必要としなかった。 昭和八年に最後の大作戯曲「顔世」を書いて後、ついに戯曲の筆は断たれたのである。いま、その「顔世」を読んでいる。
* 「昭和初年の谷崎潤一郎と三人の妻たち」と副題した、『神と玩具との間』(湖の本エッセイ 6.7.8巻) は、わたしの谷崎論の一つの太い柱である。女は神であるか玩具であるかだと、谷崎は『蓼喰ふ虫』の作中人物に語らせたが、谷崎は、妻とは、神にも玩具にも 使い道のないただの道具のようなものだと、大正四年に結婚し、すぐ「父となりて」直後に書いている。その妻を谷崎は生涯に三人もった。昭和初年は三人の妻 の交代期であった。その十年間に谷崎は真の文豪たる名作を次から次へと書いて一世を風靡した。谷崎を超え得た作家はまだ一人も出ていないとわたしは見てい る、あの夏目漱石でさえもと。
* 昨夜は、グランプリファイナル国際フィギュアスケートの「エキジビション」で、規定とはまた違った魅力をみせ
てくれたメダリストたちに、感激、感激でした。ジャンプに入る前のドキドキ感と、成功した時の演技と笑顔に、痺れっぱなしです。ほんとにこれって氷上な
の?シングル・ペア・ダンス。競技では危険なので禁止されている演技が組み込まれていたりするので、テレビにくぎ付けです。目を離すなんて、とてもとて
も、できませんの。
「新日曜美術館」 シュザンヌ・バラドンのデッサンは力強く、すばらしいですね。酔いどれ息子のユトリロを画家にして
しまうほどの強い信念も。あるがままを表現してしまうことも。モデルとしての体験と、画家の才能とが絡み合っていると。ロートレックやドガに見出された彼
女ですが、それがなくても、きっと彼女なら。
彼女の生きかた、信念の強さには敬服です。私もそうありたいなあ。 今日は少し暖かくて、病院や買物
に自転車を漕ぎました。気持ちいいですね。
最近、原付バイクは息子と共有になり、ときどき自転車で通勤も。本人は新車を欲しがっていますが、若者向けのバイクで
ないところがブレーキにもなるかなと、この母は、ねばっていますの。
* 清水房雄氏の歌集「旻天何人吟」を読んでいる。
脳梗塞も脳血栓も似たやうなものだ齢だと医の友言へり
一人一人老いては終りゆくすがた見つつ来りて吾老いにけり
年々の七月一日かなしみもやうやく淡くすぎし三十一年
すべなくて吾の居りとも殊更ぶとも見るらむかさまざまに人は
血のめぐり悪しきは曇り日のゆゑか吾はこのまず秋の曇り日
残念のいま何もなしと言へば嘘ただそれのみと言へばそれすら
結論を出さず処理せず終へし人それも一つの行き方として
雨の庭にはだしで逃げることも無くやみし地震に戸をとざしたり
斯かるをし母いましめし記憶あり記憶のままに夜ふけ爪を切る
何がなし肌さむくして起きいでぬ今日よりわれの七十八歳
今年あまた成りたる柿をよろこびてなほ佳き事のあるかとぞ待つ
頁を半ばもくってこんな歌に立ち止まってきた。老境の歌に相違はないが、生命力は毅然として在る。俳句の能村登 四郎さんをあわせ思い出す。今年はもう八十五か六になられる。器械を操作の途中にもこうして秀歌を拾い読めるのが歌集の嬉しいところ。若い頃よりもますま す短歌や俳句を読むのが好きになっている。しかし清水さんのような歌人と歌集とにいつも出会えるわけではない。
* ニュースステーションなど見に階下に降りるつもりであったが、結局器械の前を離れなかった。東工大のドクター
を終えた古澤宏幸君の旅行記と、日本随筆家協会を主宰する神尾久義氏の随筆とを「e-文庫・湖」に収めた。
* 二月二十日 火
* ぐうっと、息をためて、堪えている感じだ。仕事のこんでいるときは、いらだってみても何も解決しないと知って いる。じりじりと捗らせるより仕方がない。そのはかが行かないときは、つらいものだが、立ち止まっていてはもっとつらくなる。そういう時だ、今は。だが幸 い想像力というものがある。いいことを想像して楽しむことは、どんなに忙しいさなかにも不可能ではない。
* 昨夜、寝入る間際に吉原の里を書いた荷風の一文を読んだ。ああいうふうに懐かしく京都の昔をしみじみと書いた 文章がめったに手に入らない。
* 読んでいて、俗っぽい文章だなと思うことはよくあるが、それほどに感じていなくても、実際に書き写したり、そ の気で読み直していたりすると、ずいぶん甘いひどい文章だといまさらに驚くということはある。自分の、うっかり推敲もせずに書いたものにも感じてしまう。 これは情けない。書きっぱなしはいけない。すこし時間が遅れてもかまわないが推敲はしないといけない。この「私語」も、書いているときは忙しさに追われて 転換ミスもそのまま転送してしまっているが、必ず後日には読み直して、そこそに推敲をしている。もしかして更に「本」にする機会あらば、校了のまぎわまで 句読点一つまで少しでもよくと書き直し続ける、文章の生気や生彩を失わない限りまで。当たり前のことだ。
* 谷崎戯曲のノートが、大正時代末までで、随分な量になっていた。二十枚程度にまで縮めて纏めるのはかなり苦労 かも知れないが、それも今からの仕事になる。あれこれ数えてみるといやになるほど仕事がある。ただし金銭に置き換わる仕事はきわめて少ない。少なくしてい る。本を書き下ろさないかという話も今日届いていた。昔なら飛びついたろうが、おおかた頭にあるものの纏め仕事になりそうで新鮮な冒険は乏しげであり、さ ほど気持ちは動いていない。税金の申告時期だが、収入は一頃の三分の一ほどになっている。まだそんなに有るかといった気分だ。
* それよりも久しいご縁の歌人のお一人から、柔らかい、感じのいい久しぶりの便りをもらった。そういうことの方
が気が和む。
また、べつの人から京嵐山の嵐峡館に女ばかりの業界の寄り合いで出かけてくるという便りも一両日前にもらっていた。
「あらしやま嵐なふきそしら雪のこころ清(すず)しく舞ふやうに降れ」と、はなむけしたが雪は降らなかったようだ。
* 女ばかり六人で、冬の嵐山に行ってきました。
嵐峡館別館で、雪で遅れた札幌からの人の着くのを待って、宿までの船に乗りました。座席の四十人分もある屋根のついた
船でしたが、乗ったのは、私たちの一行と、一組のカップルだけで、「慈子たち」とは逆に、夕方の日差しののこる河を溯っていきました。
暖房のしっかりきいた船内から見ると、岸辺の木々の枝は真冬のきりっとした線条ではなくて、つのぐむ木の芽のやわらか
な、けぶったようなシルエットをうかべていました。 船着き場から降り、嵐峡館入口とある坂道を上がって、眼下にすぐ川の見える小さな部屋に案内されまし
た。「慈子たち」の向き合ったお部屋だったかもしれないし、そうではなかったかもしれません。飾り気のない和室でした。
会議の後の食事や、女風呂が、もうひとつだったのは、ここが団体の会議で使う宿ではなく、船に乗り合わせていた二人の
ように ひっそりと訪れるのに似つかわしい宿だからかもしれませんね。「慈子たち」の嵐峡館 があまりに鮮烈なイメージを残しているからかもしれません。
夜は連れだって来たそれぞれの女性たちのたどったドラマ、進行中のドラマなどを、夜更けまでたくさん聴きました。
・・・わたしは、もっぱら聴き役で。
朝食は本館で。
明治時代に建てられたという風情のあるつくりでした。
桜の花のころ、紅葉のころ、雪のころ、いつかまた訪れられますように。
* 嵐峡館は、京都でも高級な老舗の料亭ということになっている。もっとも、わたしも、宿の風情ほどは食べ物に感
心したことはない気がするし、泊まったこともないが、むかし、朝日子の小さかった頃に、新門前の母も誘って、妻や娘たちと食事に行き、美しい夏景色と嵐峡
の碧り濃い流れを楽しみながら、家族風呂でゆっくりしたことを思い出す。近年には息子とふたりでやはり食事に行った。静かな、静かすぎるほどの川上にあ
り、心寂しくも、懐かしくもある風情の宿であり、現代風なにぎやかなものは似合わない。建物も、昔ながらに古びて河瀬にまぢかい和室の小間の方が、わたし
は気に入っている。
来月にはまた京都で仕事がある。「慈子」が待っていてくれるかな。
* 二月二十一日 水
* 午後出かけようかと思っていたが、やはり家で作業を続けることにした。順調にいってもう一週間は発送のための 挨拶書きにかけねばならない。その他にも発送のために、搬入された本を置く場所をつくったり、まだ各大学研究室への寄贈の挨拶を書いてコピーしたり、いろ いろ用事が残っている。対談ゲラの最後の手入れものこっているし、今日にも催促されそうな約束原稿があり、次回原稿お願いというのがどさりと届く頃でもあ る。
* 谷崎戯曲の最後の大作「顔世」を昨夜読み上げた。五幕ある。それだけでも大作だが、ト書きの隅々、舞台設計ま
で気を入れて書いてある。舌なめずりするように絶世の美女で人妻である顔世つけねらう高師直の惑溺と暴悪とを書いている。舞台に実現したい意欲満々の作劇
であることは容易に理解できるが、作者の興奮しているほど見ていても興奮するかは分からない。顔世その人は、最後の最期に自害して果てた死骸としてしか登
場せず、終始チラリズムに徹している。陰翳礼讃の時代で谷崎の好みであるが、効果のほどは分かりかねる。ただ、例えば「法成寺物語」などに比べてもざっく
り書かれてあり、読む戯曲という以上に演出や演技のための台本の傾向がつよくなっている。よく書けているし、幕ごとに事態が移り動いて悲劇的に終え、顔世
のいわば聖性や超越的な美しさは感じられる。陵辱されなかった永遠の美を谷崎ははっきりすくい取っている。女への敬意と拝跪とがハッキリ出ているところ、
大正時代の谷崎とは大違いである。昭和八年は、『春琴抄』が書かれ『陰翳礼讃』の書かれた昭和初年の絶頂期であり、根津松子との同棲が公然と始まってい
る。すでに形ばかりの二人の結婚式が営まれる昭和十年一月には間がない。ついでに笑い話を添えて置くが、わたしは昭和十年十二月に生まれた。水上勉さん
が、筑摩の編集者に、秦さんは谷崎と松子さんの隠し子かいと小声の真顔で尋ねられたというのである。わたしの「谷崎愛」は、そんなナイショ話にまで熟して
いたかと思うと、正直、嬉しかったものだ。
谷崎は、「顔世」を最後に最期までもう戯曲は書かなかった。何故か、それも一つの解答があっていい課題の一つである。
* 出かけなかったので、仕事ははかどり、連載原稿もいまメールで送稿、発送作業の方もかろうじて標準の進行点へ追いついた。もう一週間気が抜けない。二月 が、三日も日数の少ないことに気がつき愕然。
* 御礼とお詫び 年の始めには結構なお歌をお送りくださいまして有り難うございました 昔 お正月を迎えた時の 感じを思い起こしたことでした 近ごろは息子宅の子育てヘルパーで行ったり戻ったりの日々にて落ち着く間のなく 御礼が今頃となりお詫び申し上げます 大好きな二月を留めておきたい此の頃です。
* わたしより幾つか年上のひと、まさに「e-OLD」である、それも最近にメールを使えるようになったおばあ
ちゃんである。叔母の茶室へ通い、いい茶の湯をほんとうによく心得た絵のような佳人であった。句読点をはぶいて、ゆったり書かれたメールの、ごく自然に
「子育てヘルパーで行ったり戻ったりの日々にて落ち着く間のなく」とある「間のなく」など、昔の語感と教養とが品よくあらわれている。今なら、百人の百人
まで「間がなく」と「が」を使うだろう。このメールでも分かるように、ほんとうに「が」でなくてはならない、そうあるしかない「が」は、意外に少ないもの
である。いつのまにか安易に「が」で語ってしまう。胸の痛いところである。
大好きな二月、とある。京都の二月は凍てて痛いほど寒かった。紀元節のころの寒さはなかった。またしてもあつい粕汁
に焦がれている。
* 二月二十二日 木
* もう長短七十編ほども「e-文庫・湖umi」は掲載している。創刊まだ三ヶ月とも経つまい。無名の高校少年や 九十過ぎた老婦人の作品から、極めて著名な学者や作家や詩歌人や随筆家の作品・文章までを載せている。そういう中にも湖の本の読者が多い。ながく出版し続 けていて、湖の本には読者としてだけでなく、極めて優れた書き手の多いことにわたしは早くから気づいていた。こういう方々の作品をひろく世界に提供したい という希望が「e-magazine湖」の動機にあった。そしてそれ以上に、新しい書き手に場所と読者の目とを提供したかった。ますます新人は世に出て来 にくくなるとは、再版問題などをかかえた出版世界に跼蹐しているわれわれの憂慮である。本が売れる売れないよりも、わたしは、若い新しい才能の登場に無法 な制約を与えて頭を押さえ込んでしまうことを恐れている。
* 「e-文庫・湖」は見られるとおり文芸文学として恥ずかしい水準の「場」では、ない。すばらしい書き手と読み 手とに恵まれている。胸を張っていい作品や文章を寄稿して欲しい。原稿料は出ないが掲載料も取らない。責任編輯者である「作家秦恒平」を頷かせることだけ が「資格」である。頷けないものは、採らない。何度も書き直してもらう。
* 暖かい一日だった。湖の本を、表紙などももろとも責了にもちこんだ。電メ研報告書も、とにかくも仕上げた。コ ラムも連載原稿も送った。仕事の山が三分の一は低くなったが、来週末には新たな書き下ろし本の仕事が来る。病院行きや会議が続いてゆく。
* あたら天才をもちながら手痛い挫折感に傷ついて遠く故郷へ帰ってゆこうという、数十年の友のあるのに、胸を痛 めてもいる。どうしていいのか分からない。
* よほど疲れているか、からだに力が湧かない。具合が悪いのではない。文字通りにいって精神が「退・屈」してい るのだろう。階下でもう一仕事して、すこし早く寝よう。
* 寝もしないで、気になっていた二つの用事を器械で済ませた。これで肩の荷がすこしまた降りた。
* 二月二十三日 金
* 神尾久義氏に戴いた「心に残る話」五編を「e-文庫・湖umi」第五頁に全文掲載し終えた。氏は日本随筆家協
会の主宰で「月刊ずいひつ」編集長である。もう久しく二十年近くもこの雑誌には、きまって新年号と六月号のあたまに、中国へご一緒した伊藤桂一氏とならん
で、エッセイを寄稿し続けてきた。そのご縁で日本ペンクラブにも推薦し入ってもらった。お目にかかったことは一度有ったか、まだか。よく覚えない。
三月中旬に送り出す新しい「湖の本」から、少しずつだが、こんな「依頼状」を挿し込もうと思って用意した。
* 「e -文庫・湖umi」に、ご寄稿お願い
昨年暮れに創刊の、電子文庫「湖」には、僅か三ヶ月で、七十編を越すさまざまなジャンルの文芸作品がすでに掲載され、
毎日新聞をはじめ各方面の注目を浴びて、順調に、多くの読者・識者に見守られています。
高校生の少年から九十過ぎた老婦人まで、また著名な学者・作家・詩歌人・随筆家等の、充実した文芸・文章・研究で、文
字どおり多彩な「e
-文庫・湖」を成しています。
どうぞ、ご参加下さいますように。
一つには「湖の本」を支えて下さる方々が、いい読み手であるだけでなく、いい書き手でもあられることを、十五年のお付
き合いでかなりよく存じ上げていました。
一つには、優れた文芸・文章を「e-文庫・湖」に満載することで、新世紀「電子文芸」の若い才能登場に呼び水となって
いただきたいのです。
どうぞ、ご寄稿下さいますように。
営利目的でなく「原稿料」は出せません。むろん「掲載料」も無用です。まさしく世界へ開かれた広大な電子の「広場」
に、お気に入りの、あるいはお心残りの過去のお作やご文章をお分かち下さいますよう、重ね重ねお願い申し上げます。
* 初期以来のご自撰の短歌・俳句(五十作品)を戴かせて下さい。
* 詩作品を数編、戴かせて下さい。
* エッセイ・紀行・講演録・論考・批評・評論を戴かせて下さい。
申し訳ありませんが、取捨・編集は、編輯者にお任せ下さい。(このお願いは湖の本読者の皆様へのものですが、他の方へ
のお願いにも使わせて戴きます。お許し下さい。)
「e-文庫・湖 umi」責任編輯 秦 恒平
* ホームページが現在どれほどの使用量になっているのか分からないが、現在、17MBの申請がしてあり、まだまだ余裕はあると思うが、新しい器械を手に入れ たら、30MB程度に増量したいと機会を待っている。もう新しい器械は各社売り出したのだろうか、買い時は来ているのだろうか。
* 昨夜、バグワンを読んだ後、もらっていた「三田文学」別冊特集で松本清張の『ある小倉日記伝』をひさびさに読 み直した。初読にちかい新鮮さであった。言うまでもない芥川賞受賞作であり、例えば今季の受賞作と比較してみたいなという気もした。読まずに憶測するのは まずいが、もっと神経質な入り組んだものでありそうな気がする。そう思わせるほど松本のこの作品は骨っぽく荒削りに叙事が運ばれて物語体である。描写より も叙事で押している。ざらっとした触感だが、どこにソツがあるのでもなく、渋滞なくどんどん書き進まれて破綻しない。ぐうっと押していって、くっと結んで いる。巧緻とか巧妙とかいう筆致でも結構でもないが、ザックリした文体が魅力になっている。この程度で芥川賞というのはよかったのかと思うあっけなさと、 だが、なかなかの創意で面白いと思う敬意とが交錯した。本気で今季の受賞作を読んでみたくなったが、その前に受賞を逸した甥の作品をそろそろ読んでやらね ばと思っている。題材が兄にも、その死にもあるであろうと分かっていたので、とても手が出せなかった。わたし自身の胸にあるべつの『もどろき』との当然の 抵触も気持ち的には避けていたかった。だが、そんなこだわりはもういいだろう。
* 今朝、黒い少年が、いつかはと懸念していた長押へ、ひらりとジャンプ、跳び移って得意満面、寝坊していないで
起きよとわたしを見下した。反射的にわたしは、「あ、よう見とこ!」と叫んでいた。それから、この物言いの甚だ懐かしく、久しくうち忘れていた京の物言い
であったことに気づいて、マゴの果敢な行動よりも、そっちへ思いがいった。 なにか宜しくないことを目にすると、ちらと身を退いて、「あ、よう見とこ、よ
う見とこ」と、大人でも子供でも幾分囃すように冗談っぽく大仰に口にした。後日の証人になるぞというぐらいに、かすかに威嚇も警告も不同意の表明をもして
いるのである。すっかり忘れきっていた。ふいと浮かんできた。「知ぃらんで、知ぃらんで」「見ぃつけた、見ぃつけた」「言うたんね、言うたんね」「あ、よ
う聴いとこ」などという、身の退き方もあった。こういうところに、京都人と京ことばと、また日本人と日本語との、そして処世の姿勢との、あまり感心できな
い陰湿な結託が見られて好きになれないが、好きになれないそれが咄嗟に自分の口をついて蘇ったりするところ、「言葉」暮らしのこわさである。
* 二月二十三日 つづき
* 本の出来予定が予想より一週間ほど遅くなり、その分、ぐっと気づまりがほぐれ、息をついている。少し散らかっ
ている、というよりも何が何でどれがどこにと分からないほど幾重にもものの積み重なった器械の周辺を片づけ初めてうまくはかどらず、ゲンナリしているとこ
ろへ、見透かしたように「エントロピー」を語るメールが届いた。東工大の頃から志をしっかり定めていた「文化財保護・修理」の畑で、とくに繊維や染色の研
究と実地の仕事をつづけてきた院卒女性である。歌舞伎や能の装束にも、また古代裂などにもつよい興味を抱いていると教授室で話してくれた。そういう方面に
なると武骨な理系男子たちは見当もつきかねてか、かなり揶揄的に攻め立てていたが、かるくかわして悠揚迫らぬ落ち着きぶりで、その対照に思わずわらえたの
を懐かしく覚えている。その場にいた男子学生たちとも、みな、今も付き合いがある。今での対比もおもしろいだろうが、今なら、彼女と彼ら、もう少し話題も
噛み合うことだろう。
いいメールなので、ゆるしてもらって、ぜひ書き込んでおきたい。
* ご無沙汰しております 秦先生。
ずいぶんと長い間ご無沙汰しておりました。ご無沙汰しておりましたものの、お送り頂いている「湖の本」やHPを読みな
がら、先生に、「あ、そうですよね」とか、「私はこう思いますが」とか話しかけているつもりになってしまい、なんだか直接にご連絡差し上げていないことを
忘れてしまい、こんなに長らく失礼してしまいました。
実は、昨年の師走に娘が生まれました。平成12年12月12日という、なんだか誂えたような誕生日ですが、予定日より
二週間遅れの出生でした。
仕事が三年目でようやく軌道に乗り、自分でも「仕事をしている」感じを掴みはじめたところだったので、残念には思った
のですが、思いきって1年間育児休業に入りました。できれば、近くの実家に預けて働き続けたいと思っておりますので、親の年を考えますと、そうそう出産を
遅くするわけにいかないなぁ、との思いもありましたので。
仕事は本当にやりがいがあり、主に文化財保存の有機物関係の業務です。地味でも、そのモノが「自分に語りかけてくれて
る」という実感は、感動的です。
もちろん寡黙な相手の場合もありますが、時折、饒舌に、「これこれの時期にね、こういう考えから、こういう風に、手を
入れた人がいるの」(修復履歴の検証をしていると、こういう感じになります。)と、話してくれる相手の時もあり、これが醍醐味となっています。
もちろん、モノだけの相手をしていればすむわけではなく、モノが文化財だけに、人との折衝やぶつかりが大きい職場でも
ありますが。
それでも今は毎日家にいて、家の窓から夕日の見られる幸せを、実感しております。
鎌倉に戻ってきて一年少し。
風にも春の匂いがし、空の湿度の含み方や飛んでくる鳥の姿などから、家の中でも四季の感じられる場所で子供を育てられ
る幸運を、感謝している毎日です。専業主婦も悪くないなと思いつつ、専業主婦をするのに少しばかり恐怖を抱きはじめている自分もいます。
先生は「エントロピー」という概念をご存知でしょうか?
簡単にいうと「乱雑さ」を表す概念で、エントロピーが大きいと乱雑さが大きいことになります。熱力学で、いかに効率よ
く熱を仕事に変換するかを追求する中で生まれた概念で、この概念を一躍普遍化した法則が、「エントロピーは増大する」というものです。つまり、放っておく
と乱雑さというのは大きくなっていくものであるぞ、というものです。私など、自分の部屋の散らかりようを考えると、えらく納得いきますが。
実は、この法則は閉じた系の中においてのみ有効なので、こういうたとえは厳密にはふさわしくないのです、が、この法則
がいかに人の心を掴んだかは、これを転用して、情報のエントロピー増大(内緒話は広がるのです)を計算する学問的分野の確立されてしまったことからもわか
ると思います。
前ふりが長くなりました。
ところで、広いキャベツ畑や大規模プランテーションは、一種類の作物しかないため、エントロピーは小さい状態にありま
すが、こういう畑は、とても病虫害に弱いそうです。そして雑木林のようなエントロピーの大きい植物群は、とても丈夫で変化に強い。
つまり、専業主婦にとして家にいると、精神状態はシンプルでとてもエントロピーの小さい状態になります。エントロピー
の小さい状態は、工業的には非常に望ましい状態で、そのものの有効活用をするために、いかにエントロピーを小さくするかを追求するのは、とても重要な課題
になっているくらいです。(部屋だって片付いている方がいいわけですし、雑種の畑より大規模プランテーションの方が便利だし、内緒話は内緒だから価値があ
る。)
ですが、この状態は外界からの影響に弱いわけです。
実際、家にいると些細なことにくよくよしやすくなり、この状態を続けていくには、かなり精神力が必要だなぁと痛感して
います。結局、専業主婦に憧れつつも(家で毎日夕日を見られるのは本当に魅力的)、自分は、外で働くくらいしか能がないのだろうなぁ、としみじみ思ってい
ます。
近況報告を書くつもりが、なんだか随分長く、まわりくどく、なってしまいました。
先生には、ついつい学生気分の甘えが出てしまうようです。無沙汰の失礼とともに、長文の失礼についてもお詫びいたしま
す。
季節の変わり目、どうぞご自愛下さいませ。
* こういうメールも在るので、ある。事務と取引と連絡とのためだけの器械では、もうなくなっている、パソコン
は。
毎時間、わたしの意地悪な突然の「挨拶」に応えて、せっせと教室で考えを書いていた昔を、さも思い出してくれたよう
な、いやいや、もっと和やかな美しいメールである。こういうメールを「書いて」みる、この自己表現や表明は、本来「文芸」の特質に繋がれている。これが文
芸なのである。もう少しで随筆作品になり、小説の一部にもなり、そんなことをしなくても、このまま文芸なのである。こういうメールをいろいろ集め束ねて西
鶴は、『西鶴文反古』という草子を、作品を、生み出している。
かならずしも悠々閑とはしていなくて、この人なりに日々の葛藤とも直面していることだろう、が、こういうメールを「書
いて」くれることで、何かが、静かに、内側で、堅固になったり溶けて流れたりする。それは分かる。こういうメールには「受け手」のあることも大事なので、
かつてないこの「双方向性」を、どんなに大勢がたのしんでいるかは、今日想像に余るものがある。嬉しいメールであった。お子さんの可愛い日々と、夕日の目
にしみて美しい平和な日々が目に見えてくる。それにしても、わたしの部屋の「エントロピー」を如何にせん。
* KSDで辞職した村上元参議院議員のやり口も、「ものつくり大学」の「金つくり」汚職ぶりも、米国原潜での日
米政府の態度や姿勢にも、もう、どういう気持ちでいていいのか、途方に暮れる。
* 二月二十四日 土
* いますぐ初出の場と年次は分からないが、筆者肩書に東京工業大学教授とあるから平成初年代のもので、「私のマ
インド・トゥデイ」と題した固定欄の最初に掲載されたことがコピーの頁数でわかる。わたしの「心・身」に対する基本の思いを述べている。だがこれを書いた
とき、バグワン・シュリ・ラジニーシにまだ出逢っていなかったのが、バグワンのつねに「落とせ」とつよく警告する「マインド」なる「欄」の名付けに少しも
反応していないことで分かる。しかも、「心」に対し戸惑いと疑念をすでにさしはさんで、「心」は「身・体」にたしかに繋いで置かねばと覚悟している。
この原稿、ここ数年、どこへ見失ったかなと捜していた。ふと、うまくプリントコピーが見つかったので、ここに採録し、
「e-文庫・湖」にも掲載しておきたい。
* 身にしたがう心 秦 恒平
「こころ」という言葉を詠みこんで「心」を詠じた和歌は数知れない。が、心ひとつで心の歌には、なかなか、成らない。
「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人(よひと)さだめよ」という業平の歌も、「色見えでうつろふものは世の
中の人の心の花にぞありける」という小町の歌にしても、「夢」「花」といったシンボルとの取り合わせで生きている。取合わせ抜きにさも絶対境めいて「心」
を純然抽出してみようと、どう「心見て」も、それで「心」が見えるものではない。
わたしの造語で恐れ入るが「こころ言葉」といえるような表現が、日本語にあって、日常にじつに多用されている。「心
根」とか「心配り」とか「心地」とか「下心」とか「心ばえ」とか「心掛け」とか「心得る」とか、際限がない。それらの「こころ言葉」をもし用いずに、同じ
趣意を伝えたりしなければならぬとなれば、どんなにかくどく、まわりくどく言葉を費やさねば済まないか、「心細い」はなしになる。
ところで、わずかに、こう拾ってみただけでも、じつに「日本語」感覚の把握している「心」には、根や底があったり、分
配できたり、地や構えがあったり、下や上になったり、映えたり掛けたり獲得したり出来るもののようである。さらには太くも細くも、広くも狭くもなるような
ものとして、「心」は、あたかも形ないし象を成しかつ備えて想われて来たことが分かる。
もとより「こころ言葉」は「こころ」にだけ熟してはいない。「気は心」というように「気」にも「魂」や「意」にも熟し
ていて、表現の多彩さ巧みさには「心奪われ」てしまうほどである。「気」には味あり色もあり、遠くも近くもなる。「魂」は消えたり入ったりする。「意」に
は内外があったり注げたりもする。こういう全部をひっくるめての「こころ言葉」であり、それ即ち「日本の心」の具体を、よく指し示している。この指示にし
たがわずに、ただ観念として「心」を語ろうとしても、かえって「心ない」ことになる。
いま「具体」とわたしは言ったが、もう一度和歌の話へもどってみると、じつは、「心」が「身」つまり「からだ」に取合
わせて意識されている時に、往々、おもしろい「心」観察が成っている。とりわけて天才の、内省的な胸に芽生えたこんな一首に、感じ入る。
かずならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり 紫式部
心から心にものを思はせて身を苦しむるわが身なりけり 西行
心が身で身が心というような、統制のつかない微妙な関与と反発との隙間を縫い取るように、われわれは生きてい
る。暮らしている。心だけ、身だけで、喜怒哀楽はしていない。しかもなお紫式部ははっきりと「身にしたがふは心」と呻くほどに認めている。西行も心任せに
すれば「身を苦しむる」と嘆いている。「身」に「心」をしっかと繋ぐこと。それは、「心」を、「具体」の連関においてのみ働かせてしか、「身」の安堵つま
りは「安心」もないとの認識であったのか。
興味ふかい詮索の余地が、ここに、在る。
* 明け方四時まで、「朝まで生テレビ」での「報道規制」問題討論を聴いた。これは問題点がかなり細かに追究され
て、出色の内容だった。国会議員が八代、世耕と比較的穏和な人物で、討論者にも大声を張り上げる無法者はなく、相変わらず司会の田原総一朗の元気が目立っ
ていたが、議論は終始理詰めに行われていて、日本ペンクラブの我が言論表現委員会からも猪瀬直樹委員長と服部孝章委員が発言、落ち着いて説得力があり、と
くに猪瀬氏がパネルも利用しながらポイントを着実に抑え、法と行政権による規制を持ち出している代議士やPTA代表たちの意向をチェックしていたのは頼も
しかった。冷静に依怙贔屓なく判断する人であれば、いま、法権力による報道内容の規制が、いかに報道の自由をわるく歪めるゆゆしい結果を招くかはよく理解
できたと思う。
一般参加の大学院生がじつにきちんと問題点をあげて、代議士にもPTA等にもメディアにも注文をつけていたが、司会者
がそれに評価も与えず挨拶もなく放置したのは傲慢であったといわれても仕方有るまい。その院生のいうように、メディアにも問題の多いこと、口先の自浄で実
績の見えにくいことは誰の目にも明らかなのであり、こういう余計な権力の介入を誘い出したのは、他でもない「言論表現」や「出版報道」の権利と自由を盾
に、謙虚と反省を欠きがちであったメディア自身の責任なのである。猛省と実践により権力の介入をはねのけるのでなければ、善意の市民をすら権力の側に押し
やって、準権力行使をすら意図させてしまう。日弁連のような団体が、人権擁護を理由に行政権行使の権限を求めているのが、まさにそれである。善意の団体の
善意は疑わないにしても、そのような善意だの趣旨だのに便乗し、簡単に悪意と貪欲で拡大解釈しながら踏みにじるのが政治家や政権であることは、「ものつく
り大学」が、現に、今、如実に示している。それでは、善意も佳い趣旨もそのまま「悪」の偽装機関に化けてしまう。
* 何度も言うが、いま、言論表現の自由とは、報道の自由とは、どういうものかを新たに討議し認識するとともに、
それを維持するに足る民間・民意主体のオンブズマンをオーソライズすることが急務だろう。政治家には、引っ込んでいてもらいたい。
* 二月二十四日 つづき
* めずらしいことだ、まる一週間どこへも出ず、家で仕事をしていられた。いくらか退屈してとろんとしている時も あったが、かなり気がかりな用をたくさん片づけられ有り難かった。もう二日、続く。三月はこうは行かない。
* 昨日の夜、名古屋の元学生君が電話をくれた。思わず二十分余も話し込んでしまい、後で気づいて気の毒をしたと 思った。二十八歳だという。仕事は仕事できっちりやっているが、休みを得ては、新しい出会いの何人もの友人たちと楽しく遊んでいるという。人によって言う も言わぬもよく考えているが、この人には、躊躇無く、堅実な家庭をもつことを心がけるよう、意識して、助言した。人によれば余計なお節介になる。人によれ ば必要な助言になる。
* 澤口靖子が途方もない汚いコマーシャルをやってくれるもので、胸が痛い。まったく、考え違いではないかと、そ ばについている軍師のアホウさに怒っている。もっとも税申告をすすめる広報にも出てきて、白い飾り気ないシャツ姿など美しい。こっちが澤口靖子なんだよと テレビに声をかけてしまう。
* もとNHKの七時のニュースを聴かせてくれた森田美由紀がまたテレビに復帰するという話を小耳にしたが、もう
始まっているのだろうか。あの人の声と名人藝のアナウンスを聴くと、心地が深くなり穏やかになる。最近は、NHK女性アナウンサーのアナウンスが、ハッキ
リ言ってひどくなっている。ベテランの桜井洋子などが相変わらず雌鶏が菜っぱを啄むような早口で、言葉をつぶしてしまっているのは聴いていて腹立たしい。
自分の喋りを彼女は謙虚に聞き直しているのだろうか、自覚があまりに足りない。
日本テレビの女子アナウンサーたちは、明らかに意識して、いい、正確なアナウンスを心がけているのが分かる。
* 三月に歌舞伎座のいい席が取れた。玉三郎また初役の戸無瀬の「道行」に嫁入りの娘は勘太郎。そして「山科閑
居」となる。仁左衛門の「保名」も楽しみ、どう見せるか。帝劇も招待してくれる、また浜木綿子。藤田まことが参加するという。笑わせてもらいましょう。
* 二月二十五日 日
* 寒い日だった。出る気がしなかった。いろんな用事を順繰りに前へ進めていった。高田欣一氏に長いメールをも らった。甥の事などに触れてあった。さしさわりがあってはいけないので、これ以上は言わない。
* また大河ドラマを見始めている。北条時宗に対しては可も不可もない、好きも嫌いもない、難しい戦後策を迫られ
たかなりシンドかった最後の得宗と思っている。北条家に対しては昔から冷淡だった。義時や泰時のような出来るヤツがいて、京都はだいぶ難儀した。頼朝より
も義時の方が京都はやりにくかった。彼らの力量をわたしは評価している。時頼になると、食えない。時宗にはとにかくも蒙古に対して卑屈に引き下がらなかっ
たのを感謝する気はある、その気持ち、小さくはない。なにしろ、派閥のこんぐらかって政治より政局好きな自民党よりも、なお難儀に暗闘していた当時の鎌倉
武士たちであり、禅の渡来というおおきなトピックスはあるが、鬱陶しい時代だった。わたしは、鎌倉時代を、室町時代ほども好きではない子供だった。わたし
の中世観は、大冊の『中世の美術と美学』三巻ほかを読まれたい。
大笠懸、小笠懸を演じていた。庶兄時輔と弟時宗とが競った。側室をあれは篠原涼子とかいった女優が演じて、そこそこに
力演していた。正室役は浅野温子で、合っているとも逸れているとも、微妙な役。それより原田美枝子の足利氏がさきざきに現れ出るだろうことが、不気味。こ
の女優は力がある。黒澤明の映画を思い出す。
* 十時から、映画「年上の女」を十分に楽しんだ。別のチャンネルで「レオン」もやつていたが、ビデオがとってあ るし、この名画は気分を落ち着かせていないとあまりにつらい。しかしシモーヌ・シニョレの「年上の女」も深く食い込んで、若いローレンス・ハーヴェイの青 年とともに、抉るように恋の深層を苦くつらく嘗めさせてくれた。佳い映画だったとはっきり言おう。黒白の字幕スーパーであり、得難いコレクションの一つに なった。わたしの最も好きでないタイプの男優ローレンス・ハーヴェイではあるが、卑屈になり切らぬ誇りと根の哀しみと純な涙とをみせ、堪能させる演技で あった。終えて、ぐっと乗り出して首肯いた。
* 二階へ上がってメールを開くと、こんな、遠く西の方からのメールが届いていた。
* そうか 魔法の粉だったのか。
昨夜七時半からのNHK TV、 新三津五郎をかこんでの歌舞伎入門的な番組の中で、水谷八重子が、玉三郎や母である
初代八重子のことをこう表現しているのをききました。
「あの人たちは、舞台に現れたとたん、観客の頭上に魔法の粉をふりかけるのだ。」
あまりにひとのほめそやすものはつい敬遠しがちな悪い性分でして、たまさかの歌舞伎見物にも玉三郎だけは避けていたの
ですが、仁左衛門の襲名興行だけは致し方もなく、(なにしろ朝から晩まで電話をかけつづけてようやく手に入れた切符でした。憧れの仁左衛門でした。)期待
に胸躍らせて舞台をみつめる私の眼に、揚巻に扮した玉三郎が登場したとたん、他の一切の人物がスーッと色あせ遠のいてゆきました。並んで立った白玉の福助
はいうまでもなく、お目当ての助六仁左衛門その人までもがーー。
それは呼吸するのを忘れるようなひとときでした。
したたかに酔わされました。
依怙地にそっぽを向いていた狭量を恥じると共に、天分、精進、華などの言葉でもとうてい言いつくせない、あの圧倒的な
魅力のことは、以来ずっと胸から消え去ることはありませんでしたが、なるほど「魔法の粉」だったのかと、妙に頷けるものがあったのです。
あの瞬間、私もまた玉三郎の魔法の粉を浴びて、しばし夢の世界をさまよっていたのでありましょう。そして、それこそ
が、客の舞台に求めるものでもあるのでしょう。
わかりきった芝居を、この役者ならどう演ずるか、どう楽しませてくれるかと期待に胸をときめかせて幕の開くのをじっと
まつーー。そういう想いは、何も芝居だけではなく、文芸でもと、けさの朝日紙上では、長谷川櫂氏の文章にも教えられました。
誰もが知っている題材をどう詠むかどう捌くかこそが、成否にかかわるのだ、と。
「この世界に新しいことなど一つもありはしない。何かを新しいと賛美するのは、その人が無知で傲慢なだけである。文芸
とはどれもそうした諦念の賜物だろう。」という文章を読みながら、三寒の日曜日を過ごしております。
* 今夜は頭が少し重いので、内容に触れては何も書かないが、隅から隅まで共感するし、よく分かるつもりだ。わた
しの方へ何を呼びかけようとしているのかも。感謝。
新三津五郎のこのテレビ番組は他にも感想を寄せてくれていた。
* NHKの土曜特集で「ようこそ歌舞伎の世界・華麗に襲名十代目坂東三津五郎」というのがあり、湯上りにゆっく
りと楽しみました。
初心者が親しむためには、贔屓の役者を持ち、その所作を楽しむことから始めては、と。一度来ていただければ、けっして
離さない。それだけの力量(演技力)は発揮している、と。
稽古の風景なども放映されていましたが、語る一言、一言が静かな口調のなかにも迫力があって、う?ん!と肯きながら目
の保養をさせてもらいました。
実物にはとうていお目にかかれないでしょうけれど、月様の観劇感をも重ね合わせて(テレビ内容だけではなく)楽しんで
います。お抱え専属案内人?をもっているって、なんて素敵。
* 谷崎の戯曲について書き始め、山折氏との対談ゲラの最後の分に目を通し始め、そして、昨夜はバグワンのあと、
贈られてきた古典全集の最新刊で近世の俳諧の最初期の作をくすくす笑いながら楽しんだ。俳諧とか俳優とかの俳の文字には滑稽な笑いに通じた軽妙な趣向のお
もしろさが籠められてある。今では俳人といわれる人がきわめて厳粛な詩人の代表になっている。どこか勘違いしている厳粛な狂言師に似ている。
とにかく山崎宗鑑から始まる芭蕉以前の俳諧に、想像以上に大きな才能の働いていたことを知り得たのは愉快であった。こ
のわたしの愉快は、「魔法の粉」や「文芸の諦念」に感じた人の、また「目の保養」を楽しんだ人の、共感と通い合っていないだろうか。
* 二月二十六日 月
* パソコンの「先生」田中孝介君の久々の声を電話で聴き、嬉しくて、二十分ほど話した。NTTコミュニケーショ
ンにいる。
どっちもが不服かも知れないけれど、わたしは西武の松坂投手が田中君に感じがよく似ていると思い、この思いにとても満足している。しなやかな長身で、いい
笑顔である。
電話とパソコン等の器械の連携環境が、いま、めまぐるしく動いている気がしているが、どう捌いて、よりよい環境下に両
方を用いてゆけばよいか、まだまだ「先生」について教わらねばならぬことは多い。
電話が嬉しくて長話したが、彼はまだ社にいたのかも知れず、気がつかぬことをしてしまった。申し訳ない。
* 今日もよく冷えた。明日は十一日ぶりに出かける。こんなに続けて家にいたのは、かつて無かったように思う。月 の前半に混んでいた。おかげで、発送の用意を始め、息がつけた。今夜こそはやく休もう。
* 日本ペンも参加して他団体と共催のシンポジウムが緊急に開かれる。「だれのためのメディアか」と。いいパネ ラーが揃っていて、最善の構え。だが、そこに「インターネット」という最新のメディアが抜けている。まだ、「メディア」感覚に当然に「インターネット」が 含まれるというところへ来ていないのが、識者たちの認識の現状で限界のようだが、それはもはや間違い感覚に近くないか。新聞雑誌、紙の本、またテレビ。そ れはそれで存続してゆくメディアだが、もうそれだけではない。
* 額賀前経済大臣が政治倫理審査会でKSD問題の弁明をしたという。だが一片の反省も感じられない疑惑全面否 定。現金の受け渡しについては、何の言い訳、詭弁というにも足りない、真っ向の居直りでしかなく、呆れる。鉄面皮。腐り果てた政権与党。
* 加えて、ついに出た亀井静香のこと。許永忠関連の数千万円を受け取った、その現場を見ていたと「法廷」での証
言が飛び出した。前から囁かれていたものの、明証である。亀井は否認するが、法廷での証言は、一つ誤れば偽証を問われるリスクを負っている。口先の否認と
は重みがちがう。
このところ自民党のなかでいちばんイチビッタことを得意げに吹きまくっていた顰蹙男の最たる一人であり、そろそろこの
大騒がしいホラ吹き男を、取り鎮めてお灸をすえたいものだ。
* 二月二十六日 月
* パソコンの「先生」田中孝介君の久々の声を電話で聴き、嬉しくて、二十分ほど話した。NTTコミュニケーショ
ンにいる。
どっちもが不服かも知れないけれど、わたしは西武の松坂投手が田中君に感じがよく似ていると思い、この思いにとても満足している。しなやかな長身で、いい
笑顔である。
電話とパソコン等の器械の連携環境が、いま、めまぐるしく動いている気がしているが、どう捌いて、よりよい環境下に両
方を用いてゆけばよいか、まだまだ「先生」について教わらねばならぬことは多い。
電話が嬉しくて長話したが、彼はまだ社にいたのかも知れず、気がつかぬことをしてしまった。申し訳ない。
* 今日もよく冷えた。明日は十一日ぶりに出かける。こんなに続けて家にいたのは、かつて無かったように思う。月 の前半に混んでいた。おかげで、発送の用意を始め、息がつけた。今夜こそはやく休もう。
* 日本ペンも参加して他団体と共催のシンポジウムが緊急に開かれる。「だれのためのメディアか」と。いいパネ ラーが揃っていて、最善の構え。だが、そこに「インターネット」という最新のメディアが抜けている。まだ、「メディア」感覚に当然に「インターネット」が 含まれるというところへ来ていないのが、識者たちの認識の現状で限界のようだが、それはもはや間違い感覚に近くないか。新聞雑誌、紙の本、またテレビ。そ れはそれで存続してゆくメディアだが、もうそれだけではない。
* 額賀前経済大臣が政治倫理審査会でKSD問題の弁明をしたという。だが一片の反省も感じられない疑惑全面否 定。現金の受け渡しについては、何の言い訳、詭弁というにも足りない、真っ向の居直りでしかなく、呆れる。鉄面皮。腐り果てた政権与党。
* 加えて、ついに出た亀井静香のこと。許永忠関連の数千万円を受け取った、その現場を見ていたと「法廷」での証
言が飛び出した。前から囁かれていたものの、明証である。亀井は否認するが、法廷での証言は、一つ誤れば偽証を問われるリスクを負っている。口先の否認と
は重みがちがう。
このところ自民党のなかでいちばんイチビッタことを得意げに吹きまくっていた顰蹙男の最たる一人であり、そろそろこの
大騒がしいホラ吹き男を、取り鎮めてお灸をすえたいものだ。
* 二月二十七日 火
* 今日いちばん嬉しくも驚きもしたのは、実の父方の年長の従兄より届いたメールであった。こんなタネあかしはど うかと思うけれど、あまり懐かしくて。
* 昭子、ひろ子姉妹から連絡をうけ、おじいさんの古時計についてのテレビ番組を拝見しました。娘と孫の一人の愛
唱歌で、私ですら多少は歌えるくらいです。一層の愛着を感じます。
ご子息のご活躍、まことに素晴らしいことで心からお慶び申し上げます。ただTV作品自体にはまだちゃんとお目にかかっ
ていません。普段老人くさい番組しか視聴しないためでしょう。そのうちには、ああこれかという発見に至ることでしょう。
少し古い話となりますが、小説「丹波」の中の記述が、ほぼ60年も昔の私の青少年期の、埋もれていた記憶を想い出させ
てくれました。
昭和16年(1941)の8月、私は当時中学5年生で、毎日高校受験準備で机にかじりついていましたが、暑い夏の一日
無性に歩き回りたくなり、朝早くから弁当と水筒だけを持って近郊ハイキングに出かけました。自宅周辺は歩き尽くしたと考え、高槻の次の摂津富田駅から、当
時摂津耶馬渓と宣伝されていた景勝地へと歩きました。
1?2時間も歩くと景勝の渓谷の終点に着きました。そこからすぐ帰るのでは今ひとつ歩き足りない。見ると未舗装ながら
道幅も平坦さもしっかりした立派な道がずっと北の方角へと続いています。
この道はどこに通じるのか、そこまでの距離(km)あるいは歩行所要時間、さらには途中の道路の状況などを道行く人、
路傍の人に尋ねても知らぬと言う人ばかり。
そこからずっと北上して山陰線のどこかの駅まで歩いて行けないか、途中で道が無くなったり、険しい山中に入ったり、選
択しにくい分岐点があるのではないか、などの情報が知りたいのですが、かみ合う応対をしてくれる人はいませんでした。
ままよとどんどん歩いてその内に良い人にめぐり会えるだろう期待したのですが、会う人もまばらで、また集落のような所
にも到達しなかったと思います。
歩いても歩いても前方道路状況はつかめません。そのうち午後の2時とか3時になりました。そこまでの所要時間から、そ
こからなら明るい中に出発点の摂津富田駅に引き返せます。これ以上進んだらもう前進あるのみ、イチかバチかでバチの場合は山中の野宿、暗夜の彷徨、あるい
はどこかの民家に救いを求めるしかない。当時の農村への食糧買い出しの横行の実状から、民家に軽々しく救いを求めるのはどうかと思いました。確かにこんな
事まで考えてイチかバチかはやめました。
引き返した地点がどこだったか、何か目印になるような物がなかったか、今では全く記憶がありません。
昭和16年の暮れには大東亜戦争も始まり、このことを私はすっかり忘れてしまっていました。小説「丹波」の中に記載さ
れた、「京都府南桑田郡椎名村字田布施」から「大阪府大槻市」へ通じるトラック道というのが、私が高槻方面から歩いていった道ではないかと想像していま
す。椎名村はその後大槻市に合併されたと記されており、私は椎名村のごく近くまで歩いていったのではないかと思います。
今私の持っている高槻市の地図は、最新のものではありませんが、その中にある地名と小説「丹波」の中の地名の対応は、
次のようで、良いでしょうか。
実名 亀岡 高槻 田能 樫田 中畑 外畑 杉生
小説 亀山 大槻 田布施 神田 本畑 遠畑 国木
上記の道も今は車が頻繁に往来するにぎやかな道に変容しているのではないかと思われますが、今一度歩いてみた
り、あるいは車で通ってみたい気もしています。
以上 御無音をお詫びして。 ますますのご健勝とご活躍を。
* なんだか、自分がそうしてハイキングしていたような懐かしさを覚えた。ズバリである。いちばん最初の「昭子 ひろ子姉妹」とは、わたしの異母妹たちで、川崎市に暮らしている。妻が自分の亡き兄保富庚午が、自作の訳歌詞で「日本人の質問」に登場するのを妹たちに報 せていたものか。
* 聖路加の診察は全く問題なく、月一度の定期診察が二月一度になった。血糖値も、なんとやら大事な値も安定して いいのである。こんなに毎回褒めてもらえる患者は少なかろう。
* 病院の前に、湖の本の装丁をしてくれた堤?子さんの出品しているグループ展を、日本橋で覗いて行った。例年よ
りも一段と佳い絵を描いていて安心した。一つ、玉上さんという人の作品が、あざやかに他に図抜けていた。画廊を探し回って汗をかいた甲斐があり、よかっ
た。予約の時間に間に合おうとタクシーで病院へ走った。
病院での首尾のいいのに気をよくして、いつもの通りに、特大の栗入り三笠を一つ買って歩きながら食べたり、足任せに地
下鉄に乗ったり電車に乗ったり、そして行き当たりの店で特大の「鰻重」をとり、大徳利で三合の酒を堪能してから、帰った。保谷では「ぺると」で頼まれてい
た深炒りコーヒーを買い、コーヒーを味わい、若い青年店主ときらくに暫時談笑してきた。きもちいい一日であった。
* 二月二十八日 水
* 午後、池袋で三省堂の伊藤雅昭氏と久しぶり、ほんとうに久しぶりに逢い、一時間ほど歓談し、新しい仕事のこと
でお互いに瀬踏みをした。
はやくも花粉に襲いかかられ、今日は朝から鼻がぐずつきだし、おいおい目が痒く瞼が重く、今も閉口している。眼鏡の上
から大きい素通しの眼鏡をかけ、マスク。
* 会談後に例の東武地下の「仙太郎」で最中をひとつ買い、食べながら、「さくらや」へ。
もう各社の新製品は売り出されたので、古い器械を効率よく買われるといいですよとメーカー筋から声が届いていた。新製品は、安定するまで不具合などが出や
すくむしろ慎重に避けたほうがいいとも。
で、売り場に小一時間も居座ったけれど、ワケが分からなくなるほど、たくさんのノートパソコンが並んでいる。お手上げ
で、むろん、素手で帰ってきた。
少なくも20Gほしい。メモリは多い方がいい。薄くてCDROMドライヴやFDDが別売りになっているのは避けたい。
画面はやたら大きくなくてよい。新しい器械をまたまた最初から設定したりコードを繋いだりするかと思うと、ゲンナリする。今の外付けのハード類をどうする
か、どこへどう二台の機械を並べるのか。いやもう、分からない分からない。
* それよりなにより今日一番の関心事は村上正邦元参議院議員の証人喚問。潔白だと言いつつ肝心の所は悉く証言法 を盾に、証言拒否へ逃げに逃げた。訴追されての不利を避けたのだから、語るに落ちている。そう見るしかないではないか。こういうのが「もののふ」のなんの と厚かましいにほどがある。議員の犯罪は法手続きだけの裁定ではない、道義的な政治責任の問題であり、「司直」と二言目にいうのは、其処のほうが詭弁での 逃げ道があると思っているからで、国民の心証は完全な真っ黒、のがれられる筋は無い。なさけないみものであった。幽霊党員のことを「籾殻党員」と村上の口 から聴かされて恐れ入った。そんな連中で「自民党」という党は成っているのであるらしい。
* この数日、わたしを喜ばせてくれるのは、「三田文学」が先年に特集した大冊の記念号。早くに貰っていながら、
なかなか手に出来なかった。森鴎外の「普請中」、泉鏡花の「朱日記」、久保田万太郎の「朝顔」、谷崎潤一郎の「飆風」、水上瀧太郎の「山の手の子」、そし
ていま永井荷風の「ある戯作者の死」を読んでいる。なんという豪華版、この調子で芥川も佐藤春夫も、そして三島由紀夫も出てくる。詩歌もエッセイもある。
さすがに文学の老舗である、「三田文学」は。私小説系のじみな作品の多かった「早稲田文学」とちがい、ずいぶん色彩豊かである。久保田、水上など、今では
読者も多くは無かろうが、素晴らしい筆致であり、世界は古めかしくなっているにかかわらず文体と文章に載せられてゆく嬉しさは限りない。魅惑たっぷりとい
える。百編をはるかに越す近代文学の秀作問題作がずらりと並んでいて壮観、ちょっと手放せない。
それらの世界に入っているときは、いやなことも忘れていられる。
そして、選ばれた歌集と句集のいいのを読む。和歌を読む。俳諧を読む。昨夜も三時半まで蕪村の句を楽しんでいた。海外
文学からはすっかり遠のいている。
* 三月一日 木
* 沢口靖子主演、岡本克己脚本の「目撃」をビデオで見た。殺人のある犯罪ものとしては、かなり等身大自然ドラマ
に近づけた脚本・演出そして演技で、なんの感動作でもなかったけれど佳作であった。靖子が、少しずつ水かさを増すように上手になっている。きんきんと声を
はらず、静かに落ち着いて話して、長丁場にも破綻を見せず、品位と美しさとを楽しませてくれた。「泣きの靖子」とあだなを呈したいほど上手に泣き顔がつく
れるようになり、科白の仕舞いについ唇をつぐむかたちがもう少し自然になれば、顔の藝はさらに観客にとどくだろう。顔立ちだけでなくスタイルがすばらし
い。どうして、こういう人が生まれたのだろうと、奇跡というのはあるのだなと思う。努力してうまくなって行くタチの人であるらしい、それは少しずつだが
はっきり見えてきている。あまり見たくはないが汚れ役にもいずれは激しく挑戦しなくてはならないだろう。
このドラマでは、榎木孝明一人はぎごちなく下手であったが、永島敏行の刑事役も、アパートのおばさんも、パチンコ屋の
オーナーも、犯人兄弟の兄貴も、殺される女もみな巧くて、たいした作品とは思わないのにとても画面が安定していた。一人として大声をはりあげて喋ったりし
ない。それが好感をもたせた。主役が大事にされながら作られているドラマだとよく分かり、身びいきで好感できた。こういう等身大の落ち着いたドラマを見せ
て欲しい。それとも思い切り趣向した様式性の濃い演出の効いたドラマ。
* これを書いている最中にウイーンから甥の北澤猛が電話をくれた。長生きしてくださいなどと言う。どういう日々
を送っているのか、ドイツ語と英語はうまくなりましたよとも言う。父親がよく語学の出来る人だったようだが、この甥にはその方の天才があるらしい、大学在
学中にもう外務省が買い上げていったくらいである。ドイツ語など大学に入って初めて出逢ったのにである。かなわない。
日本の神道や信仰について、ヨーロッパのそれとの体験的対比からも関心を深めているらしく、そういう話がしたくてはる
ばる電話をしてきたので、これという用向きがあったのではない。メールにしないで、電話で肉声を届けてくるところも一つの行き方である。たくさんたくさん
話したいと言う。とても元気だという。兄の「もどろき」は読んだそうだが感想は何も言わなかった。
* 日本ペンクラブから速達で「通知」が、昨日あった。まだ二月なのに。早すぎ、またしても虚をつかれた。
* 高橋由美子さんが小説「神楽岡」の続編「一本松」を送ってきた。ゆっくり読みたい。
* 三月二日 金
* 作業を追い込んで、ほぼ予定通りの所へ運んだ。いつ本が届いても送り出せる。搬入まで一週間の余裕ができ、助 かる。多少、ぼんやりとした気分にはまっている。寝る前には、よく選ばれた江戸の俳諧を、口当たりのいい薬湯でも呑むように読んでいる。芭蕉と蕪村と一茶 だけの江戸俳諧でないことが、よく分かる。一部に、さきの三人こそ江戸俳諧の傍流で、その余の大勢こそが基幹なのだという説も出ているという。そういう発 想も分からないでない。わたしには、そういう議論もたいした意義をなさないだけのこと。三人を欠いた俳諧のありえないと同時に、三人で言い尽くせないもの の在るのも事実なのだから。ああ好きだなと思う俳人が、三人のほかに何人もいる、それも事実なのだから。
* 平均株価が壊滅に近い下げ方をしている。日本は、いまや金縛りにあったように動けない。もはや罪は森という
「無知無能」の一総理にだけ在るのではない。火中の栗を拾う勇者のただ一人もいない自民党そのものが、日本を潰そうとしている。国が潰れるなどと、これま
で口にしてきた者も、まさかに今の今のように現実味と戦慄感とを帯びて身に迫る日の来ようとは、まさかと思っていたのではないか。今日にも森内閣は潰し
て、とにかくも建て直しに一刻を急ぎたいところだ。それなのに、今もって森は、「全知全能」を傾けて国政にあたる覚悟などと世迷言を口にしてにやついてい
る。恥知らずという他はない。
* いまウイーンの甥から、電話とファックスが入った。フアックスは、ロンドンかどこか、英国在住の経済学者森嶋通夫氏
に宛てた長い私信のコピーで、いろんなことが、いわば連鎖連想式に書かれてある。この子は父親の子らしく、かなり飛躍のある、よくいえば詩的直感に頼った
文章を書く。書かれてある内容は、かなり深い史的・思想的・国際的な現代論であり批評のようである。すぐには取り纏めたことは言えない。
言えるのは、どうも、かれはマインドに疲れた日々のようである。知的に旺盛に思索しているようだが、収拾がつかないほ
ど、手を広げているのかも知れない。ラクそうでなく、なんだか辛そうだ。一人の生活が負担なのかどうかは、分からないが。
* けさ、ある人から質問まじりのメールをもらい、答えたと言うほどではないが返事をした。
* おとといは花粉が舞い、昨日は雨、今雪が霧雨に。
MIND と
HEARTとは同義かな、英語のニュアンスは少し違うなとか、心を落すとは、執着しない事かな、と、二三日 これが頭を離れません。スポーツのゲーム中に
ミスをしたパートナーに、しばしば「ドンマイ」と言葉を掛け合いますね。
* ドンマイは、たぶん、ドント マインド
気に掛けるな、気にするなでしょうね。それが、深く謂えば心=マインド
を「落とす」意味とみてよく、たんにゲームでの失策やエラー程度でなく、「生」の全面において言われているのが、バグワンの教えです。マインドはコント
ロールでき、裏返せばつまりコントロールされてしまうものです。そこに、あらゆる「トラワレ」が、執着が、欲が、怒りが、妬みが、つけ入ってくる。おかげ
で、人間は安心の状態、無心の状態に入れぬまま、ジダバタともがき生きて、死んでゆく。
バグワンに出逢って、ほぼ七八年か、わたしは、とてもラクに、かなりラクになっています。気にしない、気にかけない。
そしてハートフルに生きられるように。聖典にとらわれなくなり、ことさらに祈らなくなったし、理屈よりも、感情よりも、それらを忘れる方へ方へ自然に意識
をふりむけて。
鏡は、自分から出向いていってものを映さない。しかし自分の前を通ってゆくものは、明瞭に映しとる。しかし何一つにも
とらわれず、所有しようともしない。去る者はきれいに忘れてしまい、気に掛けない。来るものはきれいに映して、そして、ただ見ている。
無心。マインドに毒されない、ハート。
知識、理屈、執着はマインドの特質、だからわたしは心=マインドこそ諸悪の根源だとおもい、その辺の理解浅いままに世
をあげて「心」とさえ言うていれば済むような、いいかげんなマスコミの宣伝や識者の煽動を信用しないで、眺めているのです。ドンマイ。
* 脳、頭脳はマインド=心の源泉であり、ここにのみ関わっていると、世界を知識と分析と理論でしか捉えようとし なくなり、それも、甚だ心理的にしかものをみなくなる。人間とは心理なりのような薄い人間観におさまってしまう。河合隼雄氏のような心理学者が率先して 「心」を世に広めた気がするが、他にも「脳」を大いに啓蒙宣伝した生理学者もいたと思う。ジャーナリストでは、筑紫哲也がなにかというと「心」をもちだす が、どんな意味で心を語るのかしかと立場を明かしていたことはない。二言目には「心」と言い出す人はうさんくさい、あるいは、甚だうすい。ことに仏教の方 の人がまことしやかに「心」が大事だと言い始めるとき、わたしは眉につばをつける。心を滅すること、心を落とすこと、無心ということを謂うのなら耳を傾け るが。子弟の教育には「心」が大切だと、まるで切り札のようにペンの理事会で梅原会長の口走られたときも、わたしは、即座にそんな軽率なことを謂うべきで は無かろう、見ようによれば「心こそ諸悪の根源ですよ。今の世の中の収拾のつかぬ曖昧さの原因に、そういう心の安易な横行がある」と抗議した。即座に瀬戸 内寂聴さんが「そのとおり。秦さんの言われるとおりですよ」と発言されて、なんだか、話はすべてぐずぐずになった。つい暫く前のことだ。
* 心をむげに謂う気はない。心にはどうしようもない苦しい限界があり、けっして人間の内奥の大事を簡単にゆだね
るわけには行かないのだと謂うことを、わたしはバグワンに学んでいつも胸に置いている。
* 三月三日 土
* いま、先月のメールを整理していて、ある配慮からためらったまま紹介せずじまいであった大事なメールの一つ を、やはり、書き込んで置かねばと思った。固有名詞を少し省いた。それが筆者に障ってはと顧慮しているうち日が経ってしまった。
* 春寒料峭の候、いかがお過ごしですか。ときどき「生活と意見」を拝読して、ときどき接近したところにいるなと
思っています。先日は秦さんが歌舞伎座にいかれたその3日後に、やはり襲名披露を見てきました。ただし夜の部だけですが、「め組の喧嘩」は思いのほか堪能
しました。歌舞伎はその昔は誰でもが楽しめる大衆演劇だったのだなと思いました。そういうものがだんだん少なくなってきています。
「生活と意見」を読みながら、ある危惧をおぼえておりました。こんなに何もかも書いてしまっていいものか。ただし、そ
れについては秦さんご自身が2月9日にある覚悟を述べておられますので、先刻ご承知のことと安堵いたしました。2月23日、「もどろき」を読んでみようか
とおっしゃっておられるのを、興深く読みました。
じつは、昨年の十一月末、あるひょんなきっかけから、某文芸誌の編集長に食事をご馳走になる機会があり、そのとき「も
どろき」の話をしました。この数ヶ月の雑誌の中でもっとも感動した作品として、私が取り上げたのですが、たぶんそれはお作を通して、あの作家が扱っている
題材について知っていたからかもしれません。バシュラールはともかく、ドナルド・キーンが戦争中に戦死した兵士の日記から、日本文学に近づいていったこと
を記した父の手紙を面白いと思いました。「日記・手紙・和歌」この三つの要素の上に、日本の文学は立っており、これを無視すれば、何も語れないからです。
ただし、この小説は題材から、いちぢるしく父の側に偏っていますが、実はキーは母なのではないか、と思いました。谷崎
潤一郎はいうに及ばず、志賀直哉ですら母恋いの文学で、これを無視すると、日本の文学は語れなくなるからです。また、一般に戦後の日本の教育がだめになっ
たのは、父親が不在なせいだ、と、きいたようなことをいう手合いが
いっぱいいますが、私は母親が母親でなくなったせいだと思っています。
そんなことを話しているうちに、秦さんのことになり、すでに黒川創君と秦さんのご関係を、むこうが知っていると思った
のに、何も知らないのでこれにはびっくりし、余計なことですが私が知るかぎりのことは話してしまいました。お許しください。
あの作品が芥川賞候補になったとき、私は多分受賞は「聖水」と「もどろき」だろうと勝手に決めていました。あのふたつ
が群を抜いている。しかしふたを開けてみると、「聖水」は取りましたが、「もどろき」の代わりに私がたったひとつ読み残した作品が入っていました。歌舞伎
座で、4時間ならぶ間(というのは私の券は新聞販売店の招待で、そのくらい並ばぬと切符がもらえぬからです)出たばかりの「文芸春秋」を買い、読み残した
受賞作と選考委員の選評を読みました。秦さんが「或る小倉日記伝」のことに触れて、芥川賞の受賞作を読んでみようかとおっしゃっているのをこれも興味を
もって読みました。読んだらぜひ「生活と意見」で感想をお聞かせください。
黒川創氏はおそらくもう一、二回候補になれば賞をとると思います。もう一作ぐらい読んだら、私も感想を述べるつもりで
す。
私がまったく買わなかった「熊の敷石」を推している選考委員とそうでない選考委員の顔ぶれを見ていたら、その人たちの
作風ではっきり色分けできるのに気がつきました。これは森敦がよく言っていた「密閉」ということを理解しているかどうかの違いなのです。どんなに小さな世
界でも、それが密閉された時全宇宙と等価になるというので、近代日本文学でもっとも密閉に成功した作品は「蓼喰ふ蟲」ではないかと私は思っているのです
が、そんなことを考えました。
例の書き物はここのところ、意識して休んでいます。言葉がほんとうに内から出なくなってきている危機感を持っていま
す。昨年の半ば過ぎからいろいろ付き合いが拡がってきてしまったためでしょう。気を取り直して、やっていきたいと思っています。(二月二十五日)
* わたしの日々については、とくべつ揺すられる思いもない。
読んでいない「もどろき」に関して謂えば、書かれてあるかどうか知らないが、死んだ兄に『家の別れ』という本があり、
兄がわたしにも触れてものを書いた最初にちかい仕事であったのだろうと思う。それすらもわたしは永らく気づいていなかった。つまり、すぐには読まなかった
のであったろう。その本の最初の方であったかに、洛北と言うよりも滋賀県にちかい遠い山中に「還来神社」のあることを兄は書いていて、わたしのように歴史
好きの小説家なら反応して当然の、むしろ兄の意図を逸れたところで関心をふくらませたものであった。その後、滋賀県滋賀里住まいの読者から、はからずも
「もどろき」さんに触れた手紙を貰い、以降、その人を介してわたしは京都市内の「還来神社」もふくめて主として歴史の側から資料を拾っていた。しかし熟す
るまでは書く気はなかった。なかなか面白い由緒や伝承をもっていた。もう兄の寄せていた関心とはよほど離れてわたしは頭の片隅でのべつの発酵を期待すると
もなく待っていたが、ま、当分は書くまいと思っていた。
「もどろき」さんをお書きよと、黒川が家に来たときに、それほど熱心に言ったとも思わないが唆したのは覚えている。創
は、わたしほどではないがかなりに飲める方だし、飲み過ぎるといかにも眠そうな目になるから、わたしの言うことをそうは覚えていまいとみえて、そうでもな
かった。いつも妻と話して感心してきたのは、創は、土が水を吸うように、その次か次に逢うと、まえに我が家で話していたことへの何らかの反応をもって訪れ
てくることだった。勧め甲斐のある男で、これが嬉しかったものだ。『冬祭り』でも書いた深草の若冲寺について話して、大きな集英社版の画集を貸してやれ
ば、たちまちにと言っていいほど関心を深めて、懇意の京都の画家徳力富吉郎への紹介状を書かせて会いに行ったりしていた。身を働かせることの的確にすばや
い方で、そういう青年を見ているのは嬉しいほど楽しかったものだ。歌舞伎を唆したのもわたしだった。美術だの古典芸能だのといったことでは、何の蓄えもな
い少年だったのが、ぐうっとそこへも進んでいった。本当に書きたい批評や評論の題材があるのなら、遠回りしてでもまずは小説家に成りなさい、その方が絶対
に効果があるよと体験的に何度も話して、気乗りのしないような煮え切らないことは口にしていたものの、瀬踏みをしていたのだろう、きっちりとその方へ歩い
て行った。「群像」に若冲を書いてきたときは、思わず妻と「やったぁ」と快哉の声をあげたものだ。
育った京都、伏見、家、自分の体験をほんとの「財産」にするように、そこへ一度は真向きにぶつかるがいいとも何度も唆
した。彼は少々どころか大いに困惑し当惑し迷惑もしたであろうが、私の気持ちには、かなり本気で、黒川にバトンを渡し、自分は好きにしたい意識が、いつも
あった。そういうわたしの気持ちにも、割り切れていないものは幾らも含まれていたが、またそう「思っていい」ものを、わたしは、もうその当時から、甥の
「文章」のよろしさに感じていた。「書ける子」だと信じていたので唆し甲斐が十分あったし、それだけのキャリアを少年時代から彼はたぶん父の薫陶や優れた
周囲の大人たちの刺激・期待により、培っていた。文章の才はあるのに娘朝日子には、従姉弟の恒(黒川創)ほど謙虚な意欲も努力も見られなかった。息子建日
子は演劇を創る方へ意欲的に出ていった。小説家の親の近くで小説ではどうも「ありがたくない」のだろう、よく分かっている。
ウイーンから電話してきた恒の弟猛は、「兄貴は、いま、叔父さんを敬して遠ざけとるんゃないかなあ」と、まんざら冗談
でなく言っていた。そうかも知れない、そうでないかも知れない、が、そうであっても当たり前の話である。よく分かる。下の甥は「叔父さん」と呼ぶが、黒川
は少年の昔から「秦さん」と呼んできた。「個と個とで」つき合おうという北沢恒彦の思いも深く、兄少年の方がさすがにナミの親族でも同族でもない意味をそ
れなりに分かっていた。血縁こそ致し方なく認識していても、戸籍の上では叔父でも甥でも全くないからである。その上におなじ創作・文学、それも通俗文学を
避けた路線にともに乗っているのだから、わたしがもし若い彼の立場でも、今となってはあまり「ありがたくない」だろうと思う。それでよいのである。あの松
篁画伯でも母松園の絵にまともに目を向け語り始めたのは壮年期にはいってからであった。
ともあれ「もどろき」は書かれたのである。作者がどう思おうとも、祖父も父親も作品をそれぞれに受け入れているだろう
し、わたしも、なんだか、肩の荷が一つ下りた。らくになった。わたしのことは気に掛けないで、ドンマイで、人が「感動作」と思ってくださる作品をどうか書
き続けて欲しい。受賞はしてもしなくても、である。
いままでのところ、少し口はばったく言わせてもらえば、作品の骨組み上の推敲が足りないため、不用意に長いだけでな
く、冗漫な細部での足踏みや詮索が煩わしく作品を殺している、若冲はそれで完全に失敗していた。私にも苦い自覚があるだけに、似たような「病気」で似たよ
うな患者にはなって欲しくない。それだけを言っておく。叔父さんとしてではない。一世間の批評家・文筆家「秦」からの批評である。もう、わたしと同じ道を
ついてきてはいけない。
* ことのついでに、わたしの器械に「メモ」してある「もどろき」の昔のことをここに書き込んでみよう。もう何年
も昔のもので、これを黒川創に送ってやったかどうかはしかと覚えないが、秘しておく気持ちは少しも持たなかった。
還来神社の祭神は藤原旅子とされている。この名前が「旅」と絡んで無事に「また還り来る」と脚色されたのであるらし
い、わたしは、そう思う。もう六年以上も昔からわたしの「もどろき」をめぐる読者との交信は重ねられていて、このような神社の実質については、著書に書い
ていた兄恒彦もなにも知らなかったことと思われる。以下は読者からの手紙に答えた手持ちの調べの「纏め」のようなものであった。お礼に送った本は、出たば
かりの『青春短期大学』であった。わたしはまだ東工大に教授室をもっていた。
* 前略 ごめんなさい。疲れていてねむいのですが、お手紙がおもしろく有り難いものでしたので、お返事をしな
いで寝るわけに行きません。長くは書けませんが。
旅子の父は百川ですが、母は、内大臣藤原良継の娘の諸姉(もろね)です。良継は光仁即位を参議百川とともに謀った人物
です。彼等の策謀を宮廷内で支えたのは百川の母であった久米連(くめのむらじ)若女(わかめ)です。諸姉と百川には少なくも娘が二人あり、姉が旅子、二つ
下の妹が産子(なりこ)です。姉が生来病弱なために妹がまず光仁天皇
の後宮に入り、後れてほぼ婚期を逸したほどの年齢で姉が光仁の子の桓武の妃として入内しています。そして妹は姉の遺子で
ある後の淳和天皇・大伴親王の養母となって養育し、そのために産子は異数の厚遇を朝廷に得ています。
注目すべきは若女で、この女人は藤原宇合の未亡人ですが、石上乙麻呂と密通して流罪に遭ったりしています。下級貴族の
娘ですがしたたかな策謀家で、百川らもこの母の手引きで動いていた形跡があります。ともあれこの女人の孫娘が、旅子と産子です。
畑丹波守というのが、ちょっとすぐには分かりません、これから探索しますが、当時の氏姓からすれば「秦」氏と見るほう
がリアリティーがあり、胸が騒ぎます。「蓮華夫人」が佳い名ですね、小説の題に生かしたい。
私は西院で生まれています。これもまた所縁ありげで、徐々に想像が渦巻いて行きます。
書き出すまでにこの想像を堪能するほど楽しむのがわたしの方法です。また耳よりのことあらば教えて下さい。
ちょっと妙な本が出来ました。お納め下さい、そしてすぐ本文を読まずに、等分は目次をにらんで正解を探って下さい。百
題ほどあります。何点とれますか。お元気で。 平成七年三月二十六日 午前二時過ぎ
* 単行本の十冊以上も、わたしは、まだスキャン原稿を校正しのこしている。校正は簡単なものでない。ホームページに差
し込むためには組み付けのうえで配慮しながらの作業になり、容易な仕業ではないが、むろん、放ってはおけない。莫大な時間がかかるので、かなりの重圧であ
るが、はかどれば、ホームページはさらにさらに充実するのは分かっている。やらねばならないとは分かり切っているので、プレッシャーに堪えている。校正術
にたけた仕事の正確な助手が欲しいと思う。
* 三月三日 つづき
* 夕過ぎて建日子が帰ってきた。夕食後に、彼が持参の、ロケットを天高くとばす高校生四少年のビデオ映画を観
た。長い題で、忘れた。いい映画で、妻と試写会に招かれた「リトル・ダンサー」とつくりが似ていた。背景に炭鉱のつかわれてあるのまでいっしょだった。今
夜のは、ちょっとハナシがうますぎるかなという気がした。
引き続いて向田邦子原案金子成人脚本の「風立ちぬ」をまた観た。田中裕子、小林薫、宮沢りえ、田端智子、加藤治子、米
倉斉加年らの、隙のない名演技に、三人で感嘆した。演出し、また脚本を書いている経験から息子は明らかに「玄人」として観ている。めったなことで、うまい
とは言わないのだが、このドラマの田中裕子たちには惜しみない評価を与えていた。原作も、大御所級の脚本も、久世光彦の演出すらも凌駕する演技。役者のう
まさが大方を決めてしまう。
だが、あのテレビ画面での同じうまさが舞台でも映えるかとなると、それは、またちがうだろう。其処ではまた別の芝居を
してうまみが出る。うまい役者の演技でなら映像も見たいし舞台も観たい。
* 零時半ごろ建日子は五反田へ戻っていった。息子の顔をみるとほうっとする。娘や孫たちとも話したいと思う。 きょうは雛の日であった。
* 雛の日
今日は娘の初節句です。明日から主人が海外出張で留守にするため、旧暦で祝うつもりで何も準備しておりませんでした
が、姉が小さなケーキを持って来てくれました。ケーキを前に、今晩はささやかなお祝いをします。
雛人形は、母の、昭和初期のものを譲ってもらえるとのことで、買わないつもりだったのですが、小さな事情が生じて、先
日デパートに買いに出かけました。
そこでつくづくと感じたことは、私のような貧乏人が目だけ肥えてしまうと(と、いうほど目利きでもないのです。商売柄
否応なく目につくことはついてしまう程度です)本当に哀しくなる、ということでした。
「衣装着のお雛様」と謂われる、いわゆる首師と衣装師の分かれたタイプのお顔は、今年のメイキャップの流行を反映して
か、なんと、お内裏様の下まつげがしっかりと描き込まれて、なんとも品のないものばかり。辛うじてこれならば、と思ったお内裏様も、紺地に白い兎の柄の着
物を着ているのです。空いた口のふさがらない私に、売り場の年輩の女
性は、 「江戸小紋ですのよ」。
なぜ、天子さまが江戸の、それも「小紋」など身につけねばならないのかっ、と頭に血が上りかけ、抑えるのに苦労しまし
た。まだまだ未熟な私です。
もう少しなんとかならないものか、と、呟く私は我ながら相当にイヤな客で、売り場の主任と思しき女性が代わりに出て来
て、
「今、原物はありませんが」
と言いながら、パンフレットで100万もするお雛様を見せてくれました。本当にものがよければ、一生ものですし、算段し
て清水の舞台から飛び下りてもよいがと覗き込んで、
「この塗りのところは、漆ですよね」
「いえ、カシューです」
カシューは、漆とよく似た成分を含んでいて代用漆として用いられていますが、写真をよく見ると、カシューにしても光り
方が妙なのです。言わない方がと思いつつ、口にどうしても歯止めがかからず、
「これ、カシュー100%じゃないですね、ウレタンが入っていますね」
ああ、自分が店員だったらこんな客には絶対に来て欲しくない。
そのときふと、横の写真に品のいい立ち雛があるのに気付き、その私の視線を感じたのか、店員も、
「あら、それよろしいんじゃないですか」
と勧めて下さり、私もこれなら100万出してもいいかもしれない、と思ったのですが、すかさず横から男性の店員が、
「お客さま、それは今年はもう売れてしまいました。ちなみにお値段は550万円でしたが」
もう何も言えずに、その場で一番品のいい木目込み人形を買って貧乏人は早々に退散いたしました。本当は木目込みでなく
て、衣装着のお人形がよかったのですが、ふっくらとしたその木目込みの引き目おたふく顔が、その場では一番うるわしく見えたのです。台は、もちろんウレタ
ン入りのカシューですが、お値段は薄給公務員にちょうどいい程度で
したし。
ところで、延々と書き連ねてきたのは、私の愚痴ではなく(そう思われても仕方ないですが、)こういう部分から、伝統や
文化が崩壊していくのでは、という懸念です。
子供は、自分の持ったものを基準にものを考えはじめます。ウレタン入りのカシュー塗りしか知らない子に、漆の質感を、
その魅力などを書いた文芸作品をよく鑑賞できるでしょうか。小紋を着るお内裏様を見て、西陣というロケーションに思いを馳せられるでしょうか。お台のすべ
てを漆で塗るのがコスト的に不可能なら、木地枠でいいではありませんか。そして、枠のほんの一部、熟練職人でなくても容易く塗れる部分に、中国産でもい
い、ほんものの漆を塗ることがどうして考えられないのでしょうか。
織りの着物が不可能なら、色無地でも、いい生地のものを着せればいいではありませんか。なぜ、品のない柄のそれも小紋
を着せなければならないのでしょうか。
私の仕事は、古いものを保存することですが、本当に保存しなければならないのは、もの自体ではなく、それを創りだす技
術なのではとの思いが、日々強まっております。ものだけを後生大事にしていても、今、それをもう創りだせなければ空しいなあ、と、並んでいた下まつげの長
いお内裏様に、なんとも言い様のない思いを抱きました。
伊勢などの「遷宮」という、あれは、技術のみの伝承の最たるものなのではないでしょうか。
そんな中で、一つの方向性を示してくれる事象にも出会いました。
先日、着物の展示会をやるので出てらっしゃいよ、と姉の友人が声をかけてくれたので、
「冷やかしだけになっちゃいますけど」
と、出かけました。毎日家にこもりきりの私のために、主人も子守りを引き受けてくれましたし、場所も自転車で5分ほどで
したので。会場が、近くとはいえ古い邸宅街の中に、昭和初期に建てられた能舞台まであるお屋敷、というのにも心惹かれたのは確かです。
そのお宅は、今はお年を召したおばあさまが、お手伝いさんと一緒に住んでいらっしゃるだけですが、昔は、お能ばかりで
なくこういう展示会も盛んに催されたそうです。ご親戚の方の「売ってマンションにしなさいよ」との言葉に耳を貸さず、死後には市に寄贈すると決めておいで
のおばあさまも、見事な方ですよね。
展示されていたのは京都の中堅作家の作品で、冷やかしで行った私でも丁重に扱って下さるあたり、「京都」を感じまし
た。文化財保存という仕事柄、京都の業者さん・・・という無骨な謂い方は似つかわしくありませんが、いわゆる「中京」との付き合いは多少ありまして、その
方も「京都」独特の、やわらかく、一見あたたかく、そして芯の骨太を感じる方でした。
作品について質問すると親切にいろいろ教えて下さり、少しも私に知識があるとみてとると、
「なんでそんなに知ってはるんですか」
と、こちらをいい気持ちにさせて下さり、私の勤め先などを知人から聞いて取ると、今度は、
「なんであの頃はああいうもの使いはじめたんですか」(これがやわらかな京言葉なので実に耳に気持ちよいのです)
と、接着剤について強烈な質問をぶつけてこられる、勉強熱心。久々に、「ああ、京都だ」と雰囲気を堪能しました。
少し話が脱線しました。
その方が、私の気に入った月下美人の訪問着を見ながら、こんな話をされたのです。
「十五で私の先生に弟子入りした時、先生に私は聞きました。『こんなに町で着物を着る人を見かけなくなっている今、着
物を作る意味はあるんでしょうか』と。先生は言われました、『家に畳の部屋のある限り、着物の廃れることはありません』」(京言葉を使われないように話し
て下さっているんですね。)
なるほどと深く相づちを打つと、
「でも、いまマンションには畳の部屋のないとこが多くなっているんです。」
「・・・・・」
「この訪問着も、正座の時でなくて、立っている時に美しいように考えたものなんです」
地紋は大きな変わり市松で、深い紫紺の中に大きな白い月下美人を染め出してあるものなのですが、この花が、膝より少し
下にある。正座をすると隠れてしまう位置ですが、立っていると白い足袋とのバランスが素晴らしくいい。
「着物も少しづつ変わっていかないと」
それはそれは微妙に心打たれる話でした。
でも、新しく変わる着物を支えているのは、鮮やかでしっかりとした色数の多い染めを、きちんとこなせる技術なのです。
そういう着物を、気骨ある女主人の住む古い家で展示する。文化財というのは美術品的な世界ですが、生活の中に溶け込んだこういう文化の伝承の仕方が、一番
エレガントな気がしてなりません。
「文化財保存」という言葉の、なんと曲のないことでしょうか。
随分と長くなってしまいました。またしても「えらい」メールですが、先生の「メールを下さい」のお言葉に甘えて出させ
て頂きます。今後とも、どうぞおつきあいいただければ幸いです。
* 書かれてあることに異存はない。意識して、ものごとにきっちり対っている。
注意してあげたいと思ったのは行文で、ことに、先日来触れている、「が」という助詞の無意識な多用で、文章のややがさ
つくのは推敲したいなと思った。例えば「私が」というふうにあったのを、何箇所か「私の」に改め、響きと格とを少しく静め正すように直してみた。一般に一
例で謂うなら、「先生が言われるには」と「先生のいわれるには」では、品格と敬意とに差をなしている。もっと大事なことは、「先生の」と敬意を秘めて静か
にでると、しぜん、アトへ「おっしゃるには」とゆかしい敬語までが導き出されてくるのである。その辺に、文章の自在と品との生まれ出る道がついている。そ
れへも意識を深くむけて、みやびな話題によりふさわしい表現をとすすめたい。気持ち一つで出来る書き手だと思うから、言い添えておくのである。
* 損
雛の宵は、雨降りになりそうです。予報画面には、雪ダルママークがあちこちに。寒くなりそう。お大切に。
昨夜の映画は、大好きな役者が、珍しくブルース・ウィリスを吹き替えていましたの。声を聴きたさに、ラスト40分程度
を見ましたが、思った通り声が似合わなかったわ。内容もつまらないし、映像の美も無い、小林恭二さんの声の聞けただけが、幸せ。睡眠時間が減った上に、心
のコップに、濁った絵の具が流されたわ。これを掃除するの、大変なんだから。
白酒は召されたか♪
主人は仕事の後、飲み会だそうで、雀は一羽。鮎正宗に塩せんべいと、ハードに飲んでおります。
作家A氏の、舞台朗読に相応しい作品の条件を書いた文章を読みました。
[そんなに、こ難しいこと ?
秦さんのお作は、『七曜』をはじめ、心の中で朗読して、心底美しく、気分良く酔えるわ。]
と思いましたわ。
塩田ミチルさんが、お嬢さんをもらいたいと言う男性に、「同じ重さだけチョコレートをちょうだいね」と言ったほど、
チョコ好きなことも知りましたわ。
[銀座百点]を読みながら、今度、銀座を歩くのはいつかしらん、と、ウキウキ雀。お幸せに。良い夜を。
* ほめてもらって言うのではないが、やわらかに言葉が紡ぎ出されていて、独自の想世界をもった雀さんである。
* 三月四日 日
* 今日は天候の変化が激しく、雨も小休止でしょうか。曇って寒いですね。
朝から先ほどまで、トリプルAからダブルAに格下げされた日本国債と株価値下がりに関連の政治責任を追求したテレビに
釘づけでした。結局のところ、各専門家の話から光の見える展望もなく、カオスとはこんな状態をいうのでしょう。責任の擦り合い。
こんな「絵」 覚えていますか。
娘に話しましたら、即刻、これでしょうと図録を持ってきました。
やはりルーブルにあり、作者は不明、フオンテーヌブロー派、そんなに大きくない板絵です。なんとも面白い構図で、裸婦
なのに劇場の桟敷にいる貴婦人にも見え、無理して見れば、お風呂に入っているようにもみえます。一人が相手の乳首をつまんでいる図はなんとも滑稽なのです
が、二人共しごく真面目な表情でこちらを向いています。背景にはキ
チッとした服装の婦人が暖炉の傍で、縫い物をしているのです。こんな絵をみると芸術的評価は無視しても、作者のドラマを
推測させて印象に残ります。
夢の中?
* この絵、わたしも、なにかで観た記憶がある。深層意識のなにかでも読みとれる作品かも知れないが、それだけの 気もなく忘れていた。ドラマの「風立ちぬ」の幕開きで、三姉妹が布団蒸しのような巫山戯遊びをしながら互いの「胸」の大きさを話題に笑い転げているのを観 たときに、女ばかりの家ならこういうことも有るのだろうなと想像し、そのときに、ちらと此の絵のことを思い出していた。それを今思い出した。このメールの 人が、なんで、こんな絵のことを話題にしているのか分からないが、向こうは女性であるだけにドキリとしてしまう。オイオイという感じ、元気にしていますか と、なぜだか尋ねたい気がする。
* 石黒清介の歌集『桃の木』を余念無く読んでこの日を送った。
人の心をうつ生活歌がいつよりか軽蔑されつつ短歌おとろふ
その通りである。「心をうつ」ことのない語彙玩弄の歌がいたずらにもてはやされる。
夢に風夢に雨音かくまでも覚めてゐるのに覚め切れば夢 宮尾壽子『未央宮』
適量の毒と言葉に春愁を加へて君に稲妻送る
この手の歌を読むのは、知的遊戯の域をでない。「今慈円」の石黒さんの歌を読んでいると、さらさらとして快い音
楽を聴きながら日々に生きてあるよろしさに感謝したくなる。「どこがいいの、こんなの」と思う人がいても、とてもとても容易には真似得ないのである。
八十一になりたるわれは正月の雑煮の餅(もちひ)をたのしみて食ふ 平成九年
鯛焼の熱きひとつを公園の夜のくらきに入りて食ひけり
佐渡の海の春のわかめのにほひよき味噌汁を食ふ椀を重ねて
対岸の松の梢にとまりゐしからす羽ばたきてとびたちにけり
罅入りし岩垂直に立ち並ぶ向ひの岸に昼の日の射す
やはらかき越後の茄子の一夜漬なみだいづるごとわが食ひにけり
吹きとほす風をすずしみ新しき家の二階にひる寝すわれは
人身事故のためにとどまりゐし電車のろのろとして動きはじめぬ
尾を赤く曳きて夜空にのぼりたる最初の花火は静かに開く
ベッドのうへに体おこして聞きてをり雨のしづくは草にふるらし
廊をゆくひとのあゆみがカーテンの裾よりみゆるに我のたのしむ
音もなくしづかに朝の明けゆくをまなこ見ひらきみつめつつゐぬ
中庭に梅の古木と葉を垂れてしづまる桃の木と並びたり
昼寝よりさめたるときに葉を垂れて仏のごとく桃の木のたつ
ベッドの上にからだ起して温かき飯をぞくらふ熱のさがれば
夜の庭に鳴く虫の声病室の窓にあゆみより聞かむとしたり
夜ふかくわが起きいでて鳴く虫の声をあはれむ耳かたむけて
病院の食事の味の薄ければあるいは塩を振りかけて食ふ
散歩より戻りきたりてしばらくをベッドのへりに腰かくるなり
手の爪を切りたるついでに足のべて足の爪を切るベッドの上に
雨ふれば朝より寒き病室のベッドの上に足袋はくわれは
散歩よりかへりてくればあなうれしあたたかき栗飯が配れてゐき
寒き風吹けば散歩を取りやめてベッドの上に昼寝をぞする
蟷螂が硝子戸にきてとまりたり青きからだを逆さまにして
いのち死なず生きてかへりしわが家の二階の部屋より外を眺むる
菊の花の黄ににほへるをひと袋もとめぬひでて今宵食はむと
わが家の裏をたまたまとほるときもひるがへる物干台見ゆ
スタンドの電球の線の切れしかばあたらしき電球とかへてもらひぬ
駅前のポストまでゆく道のべに檀(まゆみ)は赤き花をつけたり
看護婦の見習の少女休日にあそびに来たり昼寝してゆけり
虫籠のなかの飛蝗(ばった)を幼子は我に見よといひ目の前におく
蚊屋吊草と狗尾草を道のべに引きぬきて来てコップに活けぬ
百日振りにいで来し会社にわが友の二人死にたる報せとどけり
明治生れの歌人の二人日をつぎて死にたることをわれのあはれむ
髪をうしろに靡けながらに口かたく噛みて走りくる上岡正枝は
国際千葉駅伝 女子一区
ルーマニアのルハイヌスをば追ひ抜きて一位の中国に迫りつつあり
二区田中めぐみ
中国の楊のうしろに迫りつつやうやくにして追ひ抜きにけり 三区高橋千恵美
うしろより追ひかけてくる中国をふりきり遠く引き離したり 四区大南敬美
一位にて襷を受けし松岡は最後ののぼりに今さしかかる 五区松岡理恵
独走態勢に入りて走れるランナーのうなじの汗がしたたりにけり 六区高橋尚子
ちから尽して走れるものの顔みればみなうつくしくがやくごとし
席を立ちてゆづりたまへばありがたく遠慮をせずに腰かくるなり
白百合の白き花弁(はなびら)汚しつつ黄の蕊(しべ)ながくのびいでにけり
肩寒く目ざめし夜半に肩までを布団ひきあげてふたたびねむる
すこしずつからだよくなりし健康をよろこびあへり朝の電話に
肩痛くなる前に止め朝々の五日がほどを年賀状書く
汚れたる眼鏡の玉に熱き息吹きかけてぬぐふ歳のをはりに
前を歩きてをりたるひとが立ちどまり不意に後を振りかへりたり
幸福に暮してゐんと思(も)ふのみにその人の名を思ひ出だせず
追風に背(せな)を押されてあゆむときたのしかりけりをさなごのごと
朝々に摘みて食(を)すといふ青き菜の二畝(ふたうね)ばかり風にそよげり
すこやかにからだ癒ゆればうれしけれ口つけて吸ふ葡萄一房
撞木にて撞かれし鐘はその胴をゆるく揺りつつ鳴りひびきけり 平成九年歳晩
一冊一年の歌集『桃の木』六七二首から、恣に書き抜いてみた。石黒清介第二十四歌集である。ここまで読んでき
て、こういうふうには、ものごとはなかなか見えるものでなく、まして、こういうふうにはなみの歌人には表現できないのである。だから力のない人ほど語彙を
玩弄して賢しらに陥る。石黒さんのこれは名人藝で、真似よとは言わない。石黒さんは大正五年生まれ、現役の会社社長である。幾首有るか数えていないが、書
き抜いた歌を自然と読み進めば、その日々と境涯とは悠々として見えてこよう。これ、禅と謂うべきか。
* 三月五日 月
* 風つよく、快晴。花粉散乱し大いに迷惑。石黒さんの歌集「桃の木」を読み通して、おもむくまま恣に書き抜いて みた。八十一歳の平成九年が正月から歳晩まで、みごとに見える。
* 出かけたいが、吹きすさむ風の声を聞いていると、日差しは晴れやかだが、目のかゆさ、鼻のぐずつきに、おそれ をなしてしまう。
* 阪森郁代さんの寄稿、自撰短歌五十首「バロック嫌ひ」を掲載した。若い頃に短歌賞を受賞している人で、当時引 き受けていた朝日新聞の「短歌時評」でわたしもとりあげた記憶がある。しばらく、湖の本の読者でもあった。会ったことはないが、久しいご縁である。塚本邦 雄の選をしている「玲瓏」を場に作歌していると聞いている。歌のスタイルは、むしろバロック風と観られるだろうか。最初の歌集の時期に、力ある表現の歌が ならんでいた。後年の歌は、すこし、しどけないのかも知れぬ。わたしの好みでいえば、であるが。
* かしこ・ごめんくださいませ
秦先生 「の」の用い方、お教え頂きましてありがとうございます。ほんの一文字ですのに、ずいぶんと文章がやわらかく
なりますね。こういうことを、ご指導いただける自分の幸せを感じております。以前のホームページでもこのことに触れていらっしゃいましたが、少しだけ「国
語の先生」の俵万智さんの言い分を肩代わりすれば、(個人的に思い入れの深い歌人ではないのですが。)確か、私の習った小学校の国語の授業では「主語を表
す助詞」には「は・が」が挙げられており、「の」は含まれていなかったように思います。また、翻訳調の学術論文では、原因と結果を明確にするために「が」
を多用する傾向もあります。ですので、学童期には教えられず、文章をものする人たちが多いインテリ層(?)では「が」が使われやすいために、「の」の存在
感が日本語の中でかなり希薄になってきているのではないでしょうか。自戒をこめて。
日本語のやわらかさについてもう少し連想すると、手紙で「かしこ」を書く時に、肩のあたりがやわらかくなります。
仕事上での手紙の末尾には性別を出さないように、との考えから「敬具」を書き記す常識がありますよね。キーボードで
「敬具」と打ち込むのではなく、「かしこ」と手書きで記す手紙を書く時は私個人の手紙であり、それがどんなに気張った内容であっても「かしこ」を書く時
に、背負うものが自分だけである身の軽さを感じます。
業務書簡は、たとえ添え状であっても肩の張る部分があります。
もう一つ、電話の最後の「ごめんくださいませ」も同じ優しさを持ちますね。職場では電話を「失礼いたします」と切りま
す。実は最近まで、個人の電話でも目上の方にはそう言っていました。
ですが、先日年輩の女性から電話を頂き、最後に「ごめんくださいませ」と声の聞こえた時、そのやわらかさに息を飲みま
した。
思えば、先生と同じ年齢の母は、道端で人と別れる時も「ごめんください」と言っていたように思えます。横にいて何度も
聞いていたはずなのに、学習能力の低い私は、他の方から直接にその言葉を向けていただくまで、全く身につかなかったようです。
「かしこ」
「ごめんくださいませ」
この二つは、女が個人に還るときにだけ用いることのできる、やわらかい言葉。この二つを用いることの小さいけれどあた
たかい感動は、本当はこうして文章に綴るよりも、短歌にでもすべきもののようでもありますね。もちろん、私にはその能力はないのですけれど。
風が強く吹き荒れていますが、光は力を持って春の訪れを告げています。本棚の上から私の手先を見つめていたミケ猫が膝
にのってきました。そろそろお昼ご飯の時間のようです。
この風の強さです。花粉症、ひどくならぬよう、お労り下さい。
* 反応の、はやいこと。遠くからの読者ではない。東工大のわたしの教室にいた、院卒の、いまはお母さんでもあ
る。
繰り返すが、「の」の使い方には伝統がある。昨日書き抜いていた石黒清介さんの歌では、この「の」が昔ながらに美しく
しばしば用いられているのに気のつく人も多かろう。「が」にも「は」にも、ときに必要以上の強調や特定の気分がつきまとう。もう一つは、昔の人の気をつけ
て発音していた「が」の発声が、ますます汚くむき出しになっているのも、気がかりである。昔の国民学校の教室では、しばしば「が」を優しく発声せよと練習
させられた。かすかに鼻音にしたのである。
* 熊井啓監督の『冤罪』試写会の招待が来た。同伴一人が可能なのだが、妻は遠慮するという。長野のサリン事件に 取材したエンターテイメントだと銘打ってある。わたしは、喜んで行く。劇団昴が、朝鮮の人たちと合同で「火計り」という芝居をする。妻はこれも遠慮すると いうので、一人でご招待にあずかる。火計りとは、焼物で、日本のものは焼成の火だけ、他は、土も造形も朝鮮出来、といった意味だと、むかし叔母に聞いた。 「火計り茶碗」の一枚が我が家にも遺っていると思う。
* 黒川創の「候補作」が新潮社で本になって、贈られてきた。雑誌で読んだ人が、本も買ってくれるといいが。装丁
は誰のものか、すこしパンチ弱い感じだ、二百枚で一冊にする時代なのだなあと、そんなことにも時節を感じる。
こないだまで高校生だった気のいまだにする甥が、もう四十に近づいている。わたしの娘は四十になっている。元気でいて
欲しい。きんさん、ぎんさんだけではない、久和ひとみのようなイキのいい女性が、四十半ばで死んでしまった。NHKテレビで日本語のことを話しあったこと
のある女優で演出家だった如月小春も、最近死んでしまった。若い人たちの健康を祈らずにおれない。
* 三月六日 火
* 『最上徳内=北の時代』、上巻読み終えました。
はなから、著者の誘導・誘惑にうなることしきり。膝をうち、ひとりごちするばかりで、とんと先へ進みません。あげく、
脱線につぐ脱線。時間をかけてじっくり賞鑑するしかありません。
まず、冒頭の導入部の巧みさに感心し、プロットの心地よさに先へ進みかけては、タイミングよく挿入されるエピソード・
アネクドートに引き戻され、ゆきつもどりつ、これは実にちぢに心を乱される「問題書」であります。
たとえば、楯岡(村山)は、むかし、体を鍛えていたころ、居合道の始祖・林崎甚助神社にお参りしたとか、友人の結婚式
に呼ばれて、筍狩りをしたとか、思い出が蘇ります。松前については、以前読みかけた明治期の地方(じかた)文書をひっぱりだすとか。
私淑する森銑三先生、太田直次郎とか、『傷寒論』がでれば、トクホン本舗の祖にして、現代中医研究家から評価を受けて
いる永田徳本の『傷寒論』に想いを馳せるとか、でるわでるわ、とつおいつ、縦横に楽しく思い悩んでおります。
誘導の主因は、飽かず「車窓」を楽しめる、駅弁を楽しめる鈍行の各駅停車、そして時に高速のタイムスリップの旅の企画
と旅程管理の面白さ。車中で靴をぬぎ痒いところをボリボリ掻ける、といった感じもたまりません。
もう一つ。誘導の手並みは、やはり、言文一致の「方法」の妙ではないかと、つらつら考えます。江戸の言葉が、庄内弁
が、まったく生きているようです。とくに、江戸弁がいい。そして、語り部(ナレーター)のいまようの憑依の語り口が。そして、この時代に、果たして「普通
語」(共通語)がどのようにありえたのか、あったのか。武家、公家、知識階級の共通語たる、主にリテラシイ(読み書き)を中心にした文語と、その延長線上
のフォーマルな口語というべき「みやこ言葉とそのボキャブラリ」とは別に、地方には地方の口語(いま、謂うところの方言)があり、江戸には江戸弁があり、
それが渾然と「はなしことばの日本語」を成していたのか?想像は尽きません。
中、下の巻に進む前に、一言感想を申し上げました。読後、あらためて一筆したためます。
まずは、「二人同行」の御案内方、御礼を。
ホームページの大字のフォント、だいぶ読みやすくなりました。拡充、慶賀に存じます。
* 最上徳内を、わたしは最も優れた日本人の一人と数えてきた。文藝・藝術の人をべつにすれば、徳川三百年のうち
にわたしの小説に書いた人物は、敬愛した人物は新井白石と最上徳内の二人。むろん書き方(方法)はまったくべつべつの二つの長編小説であるが、精神は、白
石から徳内へとしっかり繋いだ。日本の近代の幕開きに、この二人の果たした役割はすこぶる大きい。
最上徳内とわたしは、自在に連れ合って話し合って、むかしの蝦夷地をゆっくり旅して回る。そして日本の「北」の問題を
江戸時代と現代との両面から考え合いながら、わたしにはわたしの旅の恋などが展開してゆく。徳内さんには徳内さんの波乱に満ちた半生と、人語を絶した幕吏
初の蝦夷地・奥蝦夷探検の、その後に繰り返された蝦夷地政策における活躍があった。そういう、広大な問題を広大な北海道を舞台に書いていった。岩波書店の
雑誌「世界」にほぼ二年ほども書いたか。書かせてもらえたのは、ほんのわずかなキッカケからだった。寛容に企画にして貰った高本邦彦氏に今も深甚の感謝を
捧げている。大勢の人のご厚意に助けられた。その中には弥栄中学の昔からご縁の遠藤夫妻もおられた。早稲田大学図書館に勤務されていて、文献のことなどで
何度も助けていただいた。
* 徳内とわたしとは、しばしば自在に「部屋」と称する場所で出逢い話し合っている。徳内さんだけではない、その 「部屋」へ入って、わたしがふすまの向こうへ呼びかければ、後白河院であれ紫式部であれ、どなたでも気軽に姿現れてわたしと膝をつき合わせて話し相手をし てくださる。そういう「部屋」をわたしは持っている。わたしのほかには誰も入れない「部屋」である。上の小説はこの「部屋」から自在に時空を超えて出て広 がって行くのである。
* 秦恒平の世界を、『畜生塚』『慈子』『みごもりの湖』の系列でみてきた読者がいた。また『風の奏で』『親指の
マリア』『最上徳内』の系列で読み進めた読者もいた。その中間に『清経入水』『初恋』『冬祭り』『秋萩帖』『四度の瀧』などの幻想世界を愛してくれた読者
も多かった。もう一つ『閨秀』『墨牡丹』『糸瓜と木魚』『あやつり春風馬堤曲』などの藝術家小説があり、『廬山』『華厳』『加賀少納言』も加えうるかも知
れない。百には満たないが「掌説」世界もある。自伝的な『猿』『客愁』三部作や『罪はわが前に』や、実録の『迷走』三部作もあった。戯曲『こころ』もあっ
た。歌集『少年』も編んだ。なんだ、こんなものかと、主なところを数え上げて我ながらあっけなくも思うけれど、まずは力の限りの仕事をしてきたのだし、致
し方ない。
一作一作、ちがう方法を実験するようにわたしは書いてきた、それだけは満足している。方法的な意欲が失せたとき藝術家
はおしまいである。あとはうまみだけの惰性であり、惰性でするほどの仕事とは思っていない。創作とはいえないからだ。「創」という文字にはある攻撃的な武
器的な性格が籠められてある。創意を欠いた創作では撞着甚だしいといわねばならぬ。
* ゆうべ、黒川創『もどろき』を、単行本でやっと初めて読み始めた。はっきり言って、最初の「
1
」までだが、落胆した。いい文章の書けるヤツだとまともに褒めて置いたのに、その文章に魅力がない。ザクザクし、グサグサして。へんな演説も鼻につく。し
かし、長い作の最初の一章でサジを投げては、わたしも辛抱がなさ過ぎる。最後まで、ちゃんと読みたい。この先のあざやかな立ち直りを期待している。
* 三月六日 つづき
* キム・ノバックとジェームス・スチュアートという、おまけにジャック・レモンという、見逃せない映画「媚薬」
を楽しんだ。邦題はよくない。端的に「恋」のほうがよい。キム・ノバックの美しいこと、それだけで大満足。クローチェという美学者がいた。大学院の哲学研
究科に進んだときの園頼三先生のテキストがクローチェであった。クローチェはひたすらに美を研究した。真や善は考えなかった。なぜなら美しいものが真でな
いはずがなく、美しいものが善でなかろうはずがないから、安んじて美を研究したと言われている。そんなことは真についても謂えそうな気がするし、しばしば
極悪にはすごい美があらわれるではないかと一頃の谷崎なら言ったにちがいない。それはそれとしても、キム・ノバックの演じる魔女の美しいのには参ったし、
この魔女は悪女ではなく、恋の前にナイーヴであった。涙を流して魔力をうしないいい男のジェームズ・スチュアートと結ばれた。よくある話であるが、この映
画は純に美しく和やかに造られていて、ロマンチック・コメディーとして甚だ上質であった。お気に入りの二人を、一つのビデオでうまくコレクトできて満足。
エリザベス・テーラーとイングリットバーグマンとが頭の中で第一ランクの対になっている。その次にはいつもソフィア・
ローレンとキム・ノバックとが対になって思い出せる。キム・ノバックに、佳いときのシャロン・ストーンが似ている。キムのほうが遙かに美しいけれど。
* 篠塚純子の第一歌集『線描の魚』を、ひさしぶりに読み返している。むかし、この一冊を手にし目にしたときの驚
愕と感動を忘れない。歌集の体裁をえた小説のように読み込んだ。教養深き才媛は、高校で英語の先生をしていたが、和歌や古典にもふかく入っていて、蜻蛉日
記や和泉式部に傾倒し、歌誌に延々と連載していた。その短歌にも、和歌の匂いがしみこんでいて、砧に打ったような措辞で、しかも西欧文化の香気をも表現で
きた。表題にもそれは表れていた。東西の比較文化にも気を入れていたのではないか、しかも歌人の実生活は傷ついていた。
わたしはこの未知の歌人の新歌集にすっかり刺激されて、一編の幻想的な小説を書いた。その歌集の出版記念会によばれ、
はじめて口を利いた。
この歌集のよかった点は、巧みな編成にも認められた。一編の「物語」を成していた。堀辰雄のような、岸田国士のような
風情すらあった。一首一首がすばらしく巧みとか感動的とかというのでは、むしろ、なかった。その世界が、人その人のように呼吸していた。生身の哀しみと、
ある種インテリ女の傲りすらも感じさせる、ふしぎに香ぐわしい「女」の歌集だった。読み返していて、印象は今もかわらない。わたしと同年の篠塚さんは、い
まは大学教授になり国文学を研究している。昔ながらに「忙しいのがお好き」さんである。
* 三月七日 水
* はじめまして。 ホームページを愛読しています。毎日、膨大な量の更新と、またその文章の迫力に圧倒されてい
ます。
『こころ』の講義録が、とても印象に残りました。
また、日記の中で、表現のマグマを溜める必要性を述べられたときには、私自身のホームページをどうしようか、悩みまし
た。
『こころ』の講義録を読み、じっさいに『こころ』を再読したくなり、今朝読み終えて、ホームページに文章を綴りました
ので、お時間があるときに目を通していただけるとありがたいです。
なお、私は、少し前までの秦先生と同業者で、東京経済大学で教職課程を担当しています。新米で4年間終えたところで
す。『東工大「文学」教授の幸福』を読み、深み・厚みには遙かな差がありますが、私と同じ地平を見つめて、実践されている方が存在することに、喜びを覚え
ました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
秦先生の日記にありました小森健太朗さんは、大学院での私の一年先輩です。但し、私には、小森さんのような文才はあり
ませんが。
それでは、花粉症にお気をつけて。失礼いたしました。
* 短い感想だが、きっぱり書かれてあり、「e-文庫・湖」の第三頁に頂戴した。
* 私小説を書くのであれば、大胆と誠実とが数倍必要であり、その必要は、他者によりも、何より自分自身の表現に
即して重くあらねばならない。ある程度のハラをくくれば、他者に対して辛辣であったり深刻であったり軽妙であったりは難しくない。しかし、自分に対して厳
しく真実に迫ることは容易でない。過剰に自虐したり、強いて観察の「眼」とのみ化した気で圏外に遁れ出てしまう。容易い、が、誠実ではなく、小心である。
カミュの蠅のように透明なガラスに頭をすり羽をすり、飛べないガラスの彼方へ飛び続ける苦渋を永続する、そういう不条理な大胆さで、自分自身を表現しなけ
れば、私小説は不純に陥る。
黒川創の私小説は、祖父や妹や母や父や実の祖父母は適切にリアルに書いている。よく書いている。これを物語る「私」の
ハートは書こうとしていない。書かないのだ、という方法のようである。貫く棒のごときものとして「私」の斯く『書く意志』が、確かな表現と徹底を得ていな
い、まさにそこが、或るお洒落な感じを与えると同時に、読後に、さてこれという感銘をのこさない。
わたしたちには私的興味に助けられたり邪魔されたりするところがある、が、遠い場所で読んでくれる読者は、この「よそ
の家」の顛末にかかわる三代の心理の交錯に、どれほど心打たれるものか、見当がつかない。
自殺した父を目して、「父の死骸は」と書くことで、作者は、「私」の真相・真意を表現した気か、逆に鎧い隠して守って
いるのか、たんに不用意なのか、微妙なところだが、妻もわたしも、ドキッとした。わたしたちは、あまりに関わりが濃すぎる。正しそうな批評が出来ないと
思った。高田欣一氏のいわれるような「感動作」とは、わたしは特には感じなかった。作風が、散らかる感じに固定されてきたようだ。句読点を過剰にほどこし
た、きれぎれの短文節短文章は、ある軽い弾みと乾きとを作にもたらし、湿っぽさを吹きさらす効果になっているが、そんな効果の陰へも、ほんとうは書かれな
くてはならぬ「私」が逃げ込んでしまっているのかも知れぬ、という気がした。ちらちらと、した。だが、読みやすかった。
わたしたちだから分かり、わたしたちだから可笑しく、わたしたちだから悲しいところが有るだろう。わたしには、これ以
上は言えないし、言うのはよそうと思った。エッセイの筆致であり、筋とか物語とかの太く逞しく表立たないのが、『若冲の眼』『硫黄島』『もどろき』に共通
した特色となった。とりとめなげに短章・短説を連鎖させて行く。谷崎に学んだわたしは、その手法をとることはあっても、おおかた「ストーリィ」を書いてき
た。創は、ちがうようである。ストーリィをむしろ崩すようにして書いている。それが新しい感じ感覚になっている、と言えば、言えよう。
* 言論表現委員会に出かける。
* 湖の本をはじめる以前からではなかったか、四国香川県の作家門脇照男さんと、ずうっとお付き合いが続いてい
る。小説家であるが、最近、小説ではないいろいろなエッセイで編まれた本を贈ってもらった。昭和二十一年には二十歳前で国民学校の訓導になったというから
わたしより十ちかくも先輩に当たる。堅実な私小説を書かれ、はじめて著書を贈られていらい敬愛していた。ときどき東京へ古書店を探訪にみえていて、一度、
池袋で食事をいっしょにした。今度の本には、教員生活の思い出と共に、文学への志を抱き、東京で単身過ごしていた頃のことも書かれていて懐かしい。上林暁
を「先生」と呼んで訪問もしていた。簡潔できちつと勘所をおさえた達意の行文に敬意を覚えるだけでなく、思い出の記がおもしろい。こういう作家が日本列島
のひろくにおられることを、幸いにわたしは「湖の本」のおかげで良く知っているし、門脇さんだけでなく大勢お付き合いしている。湖の本を支えていただきな
がら、著書も頂戴する。こういう大勢を識らなければ、わたしは、「e-文庫・湖umi」を着想しなかつたろうと思う。
これからは、文学の新人には頭角をあらわしにくい難しい時代になりかねない形勢である。いろんな「場」が必要になる、
受け入れの。呼んでくれる読者のある「場」が。
門脇さんの思い出は、生きてきた時世を多く長く重ねているので、頷きも深い。
* さて、明日からはペンの言論表現委員会、電メ研、理事会、例会などと会議が続く。週をまたいで京都での美術文
化賞選考の会議もある。その間に、歌舞伎座も帝劇も三百人劇場もある。どうやら相変わり無い日々がまだまだ続くようだ。器械の前でだけ生きているわけには
行かないのである。よしとしなければならぬ。
* 三月七日 つづき
* すさまじい風に吹かれ、花粉に目も鼻もプンプン。怒りのぶつけようがない。西の方から黄砂の便り。
* 大陸からの便りはすごいです。今日は雪が降るかもしれないとの天気予報でしたのに。白い舞姫の姿はみえなく て、黄色いマントをひるがえした春告げの騎士団登場です。山も街も淡いセピア色に霞んでしまいました。天がこぼした少しの涙は、騎士たちの足跡をそこかし こに残していきました。遠来からの来訪者、黄砂。花の春、間近を喜びたいけれど、外に洗濯物が干せなくなってしまうの、ほんとにコマッタちゃんだわ。西東 京へはお伺いしたのかしら?
* 昨日、ぬくいな思たら、なンや今日はえらい冷えて。降るしよぉ。
今ぁ、ニュース見ててンけど、黄砂やってンてぇ? 小学生の頃なァ、グラウンドが空中ごと濁ったようになってンさ。
「中国から砂が渡ってくるんや」テ、センセ教えてくれてん。
[ひゃぁ、あんな遠くから、海越えて来ンねンなぁ]思て、教室の窓から、外、見ててん。家帰ったら、洗濯もンやり直して
ンやんか、おかはん。でもなァ、[うちら、大陸に向いとるンやな]テ、大きい気ィなったン覚えてますわ。
太田(大阪)府知事、まだ、あんな事言ゥとる、あほかいな。おなごにでけんことあんねんで。ようさん。
* 言論表現委員会、よく顔がそろった。ハッスルする猪瀬委員長の速射砲のようなコメントに刺激され、にぎやかに いろんな声が飛び交ったのは、けっこうであり、聞いていても楽しかった。わたしには、ありがたい教室で、この会議に出ていると時代の沸騰点に手をさしこん でいるような気分で、いろんなことを教わる。源氏物語だの能だの民俗学だの日本書紀だの茶の湯だのというのが、頭の中での最右方でいつもものを言っている が、最左方ではこの言論表現委員会や電メ研や文字コード委員会での議論や情報が活発にわたしを刺激している。老い行くわたしのためにこれは有り難い「幅」 であり、囚われずに自在に対応できれば生活の妙薬かもしれない、どっちも服用の限度をまちがえると毒になりかねないけれど。妻の言うように器械の前にただ 独りで引き籠もらないために、こういう外の役目にも、それを人からも望まれるうちはまともに取り組みつづけようと、今年は、もう、はらを決めている。言う ことは言い、することはし、退くときはさっさと退く。ありのままに在りたい。
* インシュリンと注射器とを持ち忘れて出かけたが、ままよと、会議のあと、サンキエームにより、マール酒とワイ ンとで、いつもの料理をゆっくり楽しみ、門脇照男氏の本をたっぷり読んだ。食べながら飲みながらの読書が、いつのまにかわたしの行儀のわるいスタイルに なってしまった。門脇さんの「田舎教師」の思い出は、よかった。いろんなこまごましたところで、ずいぶんわたしは門脇さんに似ているのにもビックリしてい る。
* 恵比寿で人身事故のため、山手線が不通。原宿から千代田線で日比谷へ逆戻りし、有楽町線で保谷帰った。明日は
電メ研。これから少し用意にかかる。もう十二時だが。
* 三月八日 木
* 晴れているが冷えて、花粉は鼻腔を吶喊してくる。厚いマスクも役に立たない。午後から晩への外出、平穏に済ま せたい、風邪も花粉も。幸い今年は流感がないにひとしくて有り難い。
* 昨日会議の果てたあと、猪瀬直樹が、鞄から文庫本『日本国の研究』を取り出し、読んでくれと。黒船のときも、 日米戦争未来記という意表に出た仕立てだった。この本も、題名はしばらくわきに置いておく、これも優れて意欲的な現代への斬り込みのように、先ず一瞥、想 像される。成心なく読み進めてみようと、幸い文庫なので今日からポケットに入れて外出する。批判もうけやすい出る杭のなかでも目立った才能だが、もっとも 活発な現代の一精神でたいへんな勉強家であることは、わたしにも快い刺激。元気をもらうという俗語がはやっているが、そういう気分も少なからず、有る。苦 いビタミン、効用をすなおに期待している。
* 先生、メールありがとうございました。文章の本当はわかりませんが、日頃、言葉づかいに気をつけるようなりま
した。話すことと囃すことは「仲間」と思い、ともに勉強してゆこうと思います。
〓京都にいくだけで、その空気にふれるだけで、時の流れがゆっくりになります。浅草ではできない新しく古風な囃子がで
きそうです。
〓いつもそうですが、建日子さんのお芝居を観せていただくと涙がでます。心の奥の方、人には言えない部分からだと思い
ます。今回もでした。冬と春の隙間、過去をもう一度考え直しました。今後の活動目前の私の背中をおす舞台でした。感謝です。
* 歌舞伎囃子の先代望月太左衛門の娘さん、当代の姉の太左衛さんのメール。エネルギッシュな公演活動で、邦楽の
世界に大きな場を占めている人。芸大の院を出て、講師も務めている。小柄なからだから底知れない「音」を噴出させる。もう久しい湖の本の継続読者でもあ
り、建日子の芝居にはいつもお弟子さんと見に来てくれる。今度は母上も連れて見えたという。ありがたい。京都でも教室をひらいているそうだ。本拠は浅草。
川開きの花火に呼んで貰ったこともある。
* 三月八日 つづき
* 乃木坂駅でいつもの坂道をくだらず、大江戸線六本木駅の自衛隊口まで歩いた。そこから時間をはかる感じに、ペ
ンクラブの会議室の方角へ歩いてみたら、ああっというまに着いてしまった。これなら練馬で大江戸線に乗れば直接六本木に着き、乗り換えが一つ助かる。
自衛隊の前を歩いているときに、へんな自動車に呼び止められた。一種の物売りであった。
* 電メ研、懸案の「報告書=電メ研メモ
1」を、今日、書き上げた。力及ばぬながらも、一つの形には成ったとおもう。議論の種にされたいものだ。
電子メディアと表現=著作者と電子メディア、といった方面へ研究会は今後進んでゆかねばならないだろう。よりペンクラ
ブらしい問題に直面してゆかねばならない、その一つに総務省コードの問題が大きいと確認しあった。これは、はっきりペンクラブの問題だと考えられる。その
ためには、議論に堪えられる資料や情報をあつめて頭に先ず入れて行かねばならない。文字コード委員会でも、これについてはよく話し合いながら学習したい。
* 駆けつけた帝劇の浜木綿子の芝居は、最低の愚作愚演でうんざりした。劇場内に花粉充満して目は痒く鼻はむずむ ずして話にならない。幕間にあわただしく香味屋で注射し夕食しただけ、フィナーレにも背をむけて、さっさと有楽町線で帰った。ひどく寒く、駅からタクシー をつかった。
* 芝居のくだらなさと打って変わって猪瀬君の『日本国の研究』は、「財政投融資」という名の日本政治の病巣と病 根へ、著者みずから潜り込むようにして、診断をくわえて行くまさにもの凄い本である。気分の良くなる読書とはとても期待できないが、メスのさばきに目を瞠 れるのではないか。目を背けて投げ出してしまえない性質の警世の書であるようだ。こういう本が、それなりの改善や対策に結びついてくれるのならいいのだ が、なかなか、言いたければ「勝手に言うとれ」といったタチのわるい居直り政治風土が出来上がっているかと思うと、つらい。評論家では限界がある。この著 者のような人材が、政治家に転向すれば、どういうプラスが生じうるのだろう。分からない。長野の田中康夫君のことも念頭にあるが、猪瀬君ならあの向う意気 で何が出来るだろうかと、ふと想像してしまう。
* こんなことを言うても信じられないだろうが、はるか昔に、わたしは匿名欄で大蔵省をやめ、財務と金融とに分け
よと書いている。夢物語としか思われない時代だった。ずっと昔の宮沢大蔵大臣と橋本大蔵大臣とが、日本の経済を破滅に追い込む失政の犯罪的責任者であると
も、橋本大臣在任の時に書いた。そういうことは、なにも、そう難しい発言であるとは思ってなかった。人がまともに耳を傾けてくれる時点でもなかった。素人
でも門外漢でも、市民は、いろいろに思ったり言ったりし続けたほうがいい。その姿勢があれば、たとえば猪瀬君のこの著書にも視線をそそいで読み進めること
が出来るが、政治に関心を失い続けていては、その盲目のうちにだいじなものを見失ってしまうことになる。
* 三月九日 金
* 目が痒くて痒くてお話にも何にもならない。こすればますますひどくなる。こすらずに堪えるのはきつい。堪らな い。
* 文芸春秋の芥川賞選評をはじめて読んだ。いろんな選者がきれぎれに触れているのを、わたしの「もどろき」批評 は、取り纏めて言えていたようだ。今回に関する限り、残念だが「もどろき」を採った批評より、切り棄てた選者の批評の方が信用できる。受賞作にはあまり興 味が湧かない。
* 昨深夜に建日子が隣へ帰っていた。今も仕事をしているらしい。
*
ソフィー・マルソーの「アンナ・カレーニナ」をビデオで観た。あの大作の映画化は容易なことではないが、凡庸の出来ではなかった。アンナにも、キティー役
の女優にも好感をもった。続いてみた「ある貴婦人の肖像」は、それ以上に魅力的によく描けていた。主役の女優がすてきによかった。
目がこんな按配では何もする気がしない。
* 三月十日 土
* 新しい本が届いた。きれいに出来あがった。発送にかかる。
* 昨日年長の従兄から、わが実父の昔の書簡を送ってもらった。内容は、わたしには殆ど意味すら分からない親族間
の内輪の感想で、その限りでは無縁にちかいが、父吉岡恒の謹直な書体また文体であることは間違いなく、肉筆のものなどわたしは殆ど一つも持たないのだか
ら、珍らかでもあり、有り難く頂戴した。
秦の母もものもちのいい人だったから、実父母や吉岡家からの通信物は保存されていただろうが、京都を引き払うときに悉
く処分されてきた。それはそれで、わるいことではなかった。
妻の兄の、詩人として出発した頃の作品などが未亡人のところでどうなっているのか、心配している。妻の母は短歌、父は
俳句をたしなんで、作品もあったようなことを聞いている。そういう「作品」には個人的に目を触れてみたい気がある。
* 夕方、恵比寿駅の中か近くかで、東工大の卒業生の一人が仲間とコンサートを開く。四時からという。発送の開始 日であることと、なによりも花粉の暴威におそれをなすどころか今もひどい発症で、失礼せざるを得ぬかも知れない。さて、発送の作業にとりかかる。
* 森喜朗の辞意表明をめぐる自民与党の茶番劇には、ただもう呆れるばかり。これが「日本」かと思うのも思われる のも堪らない。
* 終日荷造りし、一便を送り出した。申し訳ないが、子松君たちのコンサートへは行けなかった。晩も、シガニー・ ウィーバーの「エーリアン 3」を見つつ聴きつつ作業した。シリーズの最後になるのだろう、おそろしく映像は気持ち悪いのに、なぜかこのシリーズをわたしは評価してきた。前の二つ も、一度となく見ている。シガニー・ウィーバーはわたしの好みから逸れる女優なのだが、「エーリアン」シリーズに関する限り、これが逆の効果になるのか、 敢闘ぶりに驚嘆し共感するのである。映像の不気味さも、よく出来たものだという肯定に繋がっている。極限状況の設定こそ映画の最大の武器だが、徹底してい るところがいい。
* 発送も、妻が手伝ってくれなければ、三倍の時間と体力を要するだろう。だが、妻は疲れる。映画の時は、さきに
休んでいた。六月の桜桃忌で創刊から満十五年、おもえば二人三脚で遠くまできたものだ。今回が、創作とエッセイとの通算六十六巻め。日本中で自分の作品集
を六十六巻いつも在庫をかかえて読者の要望に応じられるような作家は一人としていないだろう。文庫本でも絶版のはやいことを誰も嘆いている、売れっ子です
らも。どこもかしこも「出版」は、変なのである。湖の本をはじめた十五年前に気づいていたことに、今頃やつと気づいてきた作家がいるのだ、驚いてしまう。
* 三月十一日 日
* 上村松篁氏の訃に接し、共同通信の依頼でただちに悼む記を寄せた。BSテレビでの長時間のインタビューをはじ
め、公私にわたり何度もお目にかかってきた。松園を小説に書いた「閨秀」の縁で、はじめてご夫妻のご挨拶を受けたのが、恩師園頼三先生ご葬送の日であっ
た。京都へかけつけた日であった。淳之氏の弟がわたしと同じ専攻にいて、園先生のお世話になっていた。
松篁さんの絵は、晩年の初期とでもいおうか丹頂の「鶴」の頃からが円熟期であり、さらに意欲的に「白い鷹」に挑まれて
いた頃、気迫も気品も最高であったと個人的に思っている。腰の低い懐かしい人であった。気稟の清質最も尊ぶべき芸術家至純の境地に達しておられたと、哀悼
とともに最大の尊敬を捧げる。
* 今日も終日発送作業と、送り出し。晩も、引き続き。午前、田原総一朗の番組では、致し方もなく石原都知事の歯 切れのいい論評に聴くしかない、他の国会議員の没人間的なうじうじした物言いに、ただ、落胆するばかり。保守党の野田幹事長というのは、なんてイヤな政治 屋だろう。このごろしきりに顔を出す自民党森派の高市なんとかという女議員も気色の悪い、人柄を感じさせない、いやな女ぶり。うんざり。
* そのせいか、作業の疲れか、歯の根が浮いて気分が悪い。仕方がない、こういうときは用事をひたすら先へ送り出 して肩の荷を下ろすしかないのだ。
* 勘九郎の「髪結新三」を玉三郎、芝翫、染五郎、それに富十郎、仁左衛門という豪華版で、テレビですっぽり楽し
んだ。円生の人情噺でしっかり頭に入っている芝居だ、悪党なのだがいなせに気っぷのいい髪結新三。それを我が家では大の贔屓の勘九郎がやるのだから、惚れ
惚れと大詰めまで堪能した。勘三郎や松緑の役だった。勘九郎にはまだ大悪の貫禄はないが、水際だってみよい美貌がある。口跡もある。仕事のアトでゆっくり
通して楽しめたのが、今日の収穫。
* 三月十二日 月
* 上村松篁さんの訃報を夕刊で知りました。一度もお会いしたことはございませんでした。奈良、松伯美術館のビデ
オの映像にお会いしただけのご縁ですが、絵にふれる機会は意外と多くありました。花鳥風月に描かれた、品格のある、柔らかく優しい絵でありながら、あの凛
とした「目」に惹かれていましたの。せつないですね。 ご冥福をお祈り申し
上げます。
* 門脇照男氏のおゆるしを得て、「上林暁」との出会いを書かれたエッセイを「e-文庫・湖」第三頁に掲載した。
* 今回の『能の平家物語・能
死生の藝』は、製本がきれいに出来ていて、煩うことなく能率良く送本作業をほぼ終え得た。本が綺麗に出来てくるとらくで、表紙の背筋が汚れたり歪んだり皺
よっていたりすると、一人一人の読者のために一冊一冊本を吟味しながら荷造りしなければならず、これには神経を痛めてしまう。職人の腕前なのか心がけなの
か分からないが、ときどき泣きたいほど出来の悪いことがあった。初期にはひどかった。今は凸版のお世話になっているが、その前の最初の四冊は、恵友社とい
う会社が印刷製本していた。だが、その製本の杜撰で乱暴なことは目を覆いたいほどであった。ほとほと泣かされ、堪りかねて、文藝春秋寺田英視氏厚意の紹介
で凸版印刷を頼むことにした。職人が自分の手仕事に誇りをもっていないとき、どんなものが出来上がってくるかをわたしはしみじみと体験してきた。
いま、凸版で面倒を見て貰っている人の親切は筆紙に尽くせず、維持継続のほんとうに大きな支えであった。心から感謝し
ている。仕事の速くて的確なことにもいつも敬意を覚えている。
創刊満十五年、通算第六十七巻を、どう編成するかを、もう早速考えねばならない。
* 今日は、さすがに疲れを感じている。そんな日、こんなメールに、気がふっと和む。
* 御無沙汰している間にすっかり春がやってきていました。時折意地の悪い寒気がやって来ては心身を引き締めて
いってくれますが、御身体は大丈夫でしょうか? 先日の静岡出張の朝は、自宅から見える家々の屋根が白く、息も凍っておりました。
湖の本を受取りました。いつもありがとうございます。ちょうど読みたいなぁ・・と思っていたところ。
今春は娘もいよいよ進学先を決めねばならず、さりとて希望どおりにはとうとう合格出来ませんでした。結局、去年と同じ
東京の大学をもう一度受験しなおして、いよいよ一人暮らしの運びとなりました。とうとう1年間予備校に通わせて、地元の大学の学費も払い続けた親バカを残
して行ってしまいます。ゆくものあれば来るものもあり、いつまでも寂しがっていることもないでしょうが。
2月3月はそんな事で おおわらわだったのです。28日、1日と上京し不動産屋巡りをしてきました。東京の、といって
も娘の学部は神奈川になるのですが、住宅事情は驚異的です。特にこの時期だからかどうか・・くたくたに疲れて最後の最後で決めたマンションは少し予算オー
バーでしたが、なんの要求もせず、私にお任せの娘には「せめてこのくらいは」という気持ちになってしまったようです。安全で健康にと、親の願いは何処も同
じでしょう。日本も安全とは言えなくなってしまいましたが。当地など、このところ毎日のように恐ろしい殺人事件の記事があり、とても嫌な気持ちになりま
す。
話はかわりますが、以前松江の近くに暮らしていた事もあって、小泉八雲が好きなんです。宍道湖に漁に出かける村びとた
ちが、昇ってくる朝日に柏手を打つ姿を見て、八雲は『美しい日本人』と表現しましたが、そんな『美しい日本人』を見かけることが少なくなりました。
それでも私的には、青年のはにかんだ微笑みや高齢者といわれる老婦人の立ち姿に『私的美しい日本人』を見つけることが
しばしばあって、優雅な気持ちになれる一時があります。そういう日は
◎ の日です。秦先生のお話にも『私的美しい日本人』が沢山出てきて・・それでご本を読むと
◎ の日になれるんです。
今日、愛犬と散歩に出かけましたら、産毛の木蓮が膨らみ、沈丁花が咲いていました。白木蓮、沈丁花、大好きな花です。
恥ずかしながら、娘がまだ幼い時に野中の白木蓮があんまり綺麗で花盗人をしようとしたことがあります。その時、幼い娘が半べそをかきながら「お母さん、や
めようよ?、とっても悪い事をしている気分がする」といって私を叱ってくれました。春になって木蓮を見る度に思い出しますが 彼女は憶えているかしらん。
そうそう、木蓮にはもう一つ、思い出が。小学校の参観日に、着物を着た母が木蓮の帯を絞めて来たのが子供心に誇らし
かったのを憶えています。家に帰ってすぐ衣桁に母の着物を見つけると、木蓮の帯を探したものです。
「私はこの花が大好きなの」
これが新しい帯を買った父への言訳でした。(まだ、母がおさげ髪で、体重を気にしていた頃のお話。)
母の実家にも大きな白木蓮の木があって、これがお婆さんの家の目印のようなものだったのですが、こちらは「花が咲いと
らん時は大きいばっかでしょうもない」という可哀想な理由で伐られてしまいました。一年中咲く花がよければ、造花で良いでしょうに。
まぁ、なんてだらだらと長いメールに! 湖の本の発送を終えてお庭の梅でもご覧になっておられるのだとよろしいのです
が、きっと忙しくお過ごしの事と思います。おゆるしくださいね。ご本ありがとうございました。
* こんにちわ。タイミングの良さに驚きましたわ。先程[湖の本]が届きました。明日、早朝(故郷)に発ちます
の。早速鞄に入れます。今回はややハードに、「迷走」(上下)を友に、と考えておりましたの。決心はもろくも春風に蕩けて、秦さんの能の世界を、亀井広
忠・大倉源次郎の、ハンサムな舞台姿を思いつつ、楽しみますわ。
「丹波」からの三部作も、読み返すと、以前と違う箇所が、心に語りかけてきます。「飲むほどに満足。そして、また、飲
める。」これは、昨晩飲んだ、[澤の井]のラベルに書かれたキャッチコピーですが、秦さんのお作も、同じですわ。お疲れが残りませんように。
* 森首相は辞意表明したのか、しないのかの、愚劣きわまりない茶番劇には、ただただ呆れる。これが教育に熱心な
神の国に謙譲な総理大事の本気の本音なのか。これをこそ欺瞞と言わずして何を言うか。総理も自民党幹部も恥という一字を完全に踏みにじっている。
* 三月十三日 火
* ちょっと急に一筆書きたくなりました。というのも、会社から帰ってテレビをつけていたところ、画面は見ていな
かったのですが,非常に共感する意見をおっしゃっている方がいました。
その方は、
? IT革命を米国の物真似で行うのではなく,真似るならその精神「率先して挑戦する」を真似よ。
?
ブロードバンド(高速インターネット回線)も良いが、それよりも前に,役所の書類のフォーマットを全てネットから引き出せるとか、漢字の問題といったこと
を先に行うべき。
? 日本は携帯電話を生かした「日本型IT革命」を行うべき。
というようなことをおっしゃっていました。あまりに興味深かったので最後に名前を見ると,その方こそ「坂村
健」さんでした。
それとは別にもう一つ、経済専門家のリチャード・クーさんが次のことをおっしゃっていました。
「バブルの時も今も、日本人の貯蓄率(給料から貯蓄に回す金額)は変わっていない、これはもう遺伝子に組み込まれてい
るとしか言いようがない」と。
その後、森首相の経済政策は間違っていない、もっと税金投入を行うべきだとも。
クーさんの「遺伝子発言」には共感しますが、仮に税金投入が必要だとするならば、もはや資本主義の限界,拡大再生産の
限界のような気すらします、(資本主義の権化のような会社に勤めていて何ですが)。株価もバブル以降最低を記録したとかニュースでは騒いでいますが、はっ
きり言って、実質とは乖離した雰囲気に左右されるだけの相場に何の価値があるのでしょうか?
(今日の12000円割れは、PCの心臓部CPUを作っているインテル社の業績が悪化したせいらしいですが、高々PCの一部に全経済を動かす力なんてあり
ません
!!)。
最後に。
仕事の方は来週末で落ち着きそうです。よろしければ、新しいノートPCの件も含め、いろいろお話しできれば、と思って
います。先生の24,25日のご都合はどうでしょうか?
それでは,花粉症お大事にしてください。
*
東大の坂村教授は電メ研に委員として加わってもらっている、太い頼みの綱。メールのもと学生君とは何度か話題にしたことがある。携帯電話のことは使ってい
ないので実感はないが、?のことは、とくにわたしには関心がある。文字コード委員会を舞台に漢字の問題も、総務省コードなども、議論を要する大事である。
ちょっと「書きたく」なる、そういう自覚や意識が、日々の埋没から生気を救い出す。わたしは聴き手としても、ここにい
る。こうして声と言葉を発してほしい。書ける返事は書くし、忙しくて返事を省くときでも必ず届いた声と言葉には耳も目も思いも寄せている。
* おはようございます。昨晩は返信を頂き嬉しかった。個対個のネット通信といっても多くの皆さんにお返事を出さ
れるのは大変なことでしょう。ありがとうございました。
昨日は湖の本と一緒に早々にベットにもぐりこんで、平家物語というギャラクシーの壮麗なきらめきを飛びながら見たよう
な気がしたところで、眠りというブラックホールの重力に落ちてしまったようです。日月の白拍子やら公達の群星の瞬き、能装束の海が花畑、といった素敵な夢
を観ていました。絵巻物の時間は横方向に流れますが、平家物語が星雲
であるという秦先生の作が、とてもとても気に入っています。
山中で年老いた白拍子にあうような、ゾッとする様な孤独で美しい時の堆積を感じます。静寂が闇ではなく光の渦のように
凄い力で押し寄せてくる・・まだ読み始めたばかりなのに。
私がこの本を手にしなければ知らなかった事、幻視していただけの世界が生き生きとして開けてきます。シンクロするって
きっとこんな感じなんでしょう!心地よく「水」を感じています。素敵なご本をありがとうございます。
> 東京へみえる機会がふえそうですね。
同じように慰めてくださいますね。
風花まで舞いました・・青森では雪虫、と言っていたように憶えています。御身体大事に。鍼灸をお薦めします。
アカウントネームが変った事 お気付きだったでしょうか。親しい人の勤める会社は、国内大手企業の中では社員の個人
メールを管理しない数少ない会社だそうです。私用メールチェックソフトは多く出ていて、利用している企業側の言い分はヘッドハンティングや機密漏洩の防止
だそうですが。以前から気になっていて、せめてアカウント名を・・と変えたところ『外人みたいでいい』と喜んでくれました。私のメールは漢字名で出てくる
ので、とても目立っていたようです。
* 『能の平家物語・能 死生の藝』の、どう受け入れられるかは少し好みに左右されるかも知れず案じているが、まずは、ほっとしている。それもそれ、末尾のアカウントネームのこ と、じつはわたしのが紛れもなく「秦恒平」と麗々しくどこへも届いているのではないかと、それでいいようなものだが、気にもしている。noname としている人もあるが、名無しというのも寒い感じなのでせめてhatak とでも替えたいのに、恥ずかしながら替え方を心得ていない。前から気にしながらそのままになっている。
* いましがた、三井建設とか三井不動産とか三井の社長や会長をしていた鬼沢正という人の電話を受けた。京都建仁 寺について書いた昔の文章を読んだらしく、しばらくあの界隈のことを話し合った。関連の何か書いたものがあるかと言われると、なんだかやたらとあるような 無いような。電話ではよく話がわからなかった。
* 妻に、明日の結婚の日の心祝いに、金のネックレスとイタリア製の絹のスカーフを。あすは、おそめの昼食の後、
歌舞伎座の夜を観る。我当も出る。玉三郎初役という忠臣蔵戸無瀬の二幕もある。仁左衛門の保名、幸四郎の鳥辺山もある。華やかではないが、しっとりと歌舞
伎の楽しめる出し物だ。散髪もしてきた。
* 三月十三日 つづき
* しばらくぶりの嬉しいメールをもらった。若い人のメールは若い人の楽しさがあり、同年輩の人からは、特別の波 長が琴線をゆるがしシンクロナイズしてくる。
* お元気にお忙しそうで、何よりとお慶び申し上げます。
いいご本が出来て、快調にお送りいただいて、受け取った人たちが、嬉しくて、楽しんで、こんないい話はありません。あ
りがとうございます。美しい製本をされている職人さんにも人のつながりを感じ、心より敬意を捧げます。
ご無沙汰致しておりますが、こちらはほぼ毎日ホームページを拝見して、ウム、ウム、ウーム、と勝手につながっているよ
うな気になっていて、ずるいかなぁと思ったりしています。
先日、友人に秦さんの話をしたら、読んでみたいというので、郵便為替で「湖の本-贈りもの」注文書をお送りします。
よろしくご高配ください。
創作シリーズ13、14、15、16.txt」送信します。
「みごもりの湖」ゆっくり読めました。
「少女」もいいです。ポケットにねじこんだ海老フライは、きっと、あの老いた犬と半分づつ食べながら、また何か話をし
たのだろうと、あの頃の本郷の町並みを思い浮かべました。
春になるのに、花粉には困ったものです。遠ざかっているのが一番ですが。
そのほかも、くれぐれもお大事にしてください。
* おんぶにダッコで、たくさんスキャンしていただきながら、わたしの時間が追われ追われで、校正が進行していな
い。落ち着いて読み直してゆきたいと、常に念頭に置いている。スキャンが苦手なので、ほんとうに勝田貞夫さんには助けられている。ありがとうございます。
* 三月十四日 水
* 晴れやかに目覚めた。暖かになりそうで心地よい。加藤克巳氏の歌集『樹液』を読み上げた。八十歳台の五百首。 よくいえば自由自在、きびしくいえば勝手気儘な放埒な「うた」声である。元気。
片丘に月落ちてゆくつかの間を遠い昔のごとく見ている
五十年いつしか過ぎて在りたるがありたるままに庭石はある
かの石に腰をおろして杖をつき顎すこし上げし父も今亡し
無明長夜をあるがままよと三日三晩眠りつづけて腹切開(きら)れたり
春の愁いのほどろほどろの降る雪のそこはかとなき悲しみである
照りかげる気多の神山すべり径(みち) しもととりかね妹が手をとる
とんとんと膝頭を叩いてぴくつかせ何を調べているのであるか
月はいま黄いろくまるくほのぼのと酔うがごとくに空のぼりゆく
庭隅の茗荷の芽をひとつとって来て三輪そうめんでもすするとするか
独り身もなかなか乙なものなどと言うてはみたがさみしいものだ
死せる妻の名しばしば呼びてわれとわがおろかしとあわれ空穂悲しき
わたしの好みで選んでみたこれらは、この歌集を代表していない。
神は各自の心にあるかないかだ ないものにはない あるものにはある
フォンタナの一閃 ああ 敢然とわが晩年がはじまるのである
* 老人は元気であらねばならぬ不幸な時代になってきている。衰えゆくものなどと思っていては老境三十年は地獄と 化する。加藤さんの「元気」は汲み取らねばならない。
* 個人情報保護法案が、どさくさに国会を通りそうな形勢で、ここに詳しくは書けないが由々しい言論統制の内容が
盛り込まれている。森総理が辞める辞めないどころの騒ぎではない、昭和十年代の統制時代へ逆さまに落ち込んでゆくような恐怖を与えるシロモノである。い
ま、緊急声明の案をペンの言論表現委員会は取り纏めた。時勢の悪化を、ただ経済や金融や景気のことだけだと思っていては危ない。もっともっと取り返しのつ
かない悪い時代へ逆戻りしつつあることに気づきたい。
* 三月十四日 つづき
* 一時過ぎに銀座「シェモア」で、時間をかけて食事した。前菜二皿、スープ、魚、肉、そしてデザート。申し分な
く期待した通りにうまかった。わたしは、うまくさえあれば料理がどうつくられていたとか、食材が何であったかなど気にしない、ワインと料理がうまくてリー
ズナブルな値段であれば何の文句もない。「シェモア」は、小粋なセンスのいい食堂であり、食べさせてくれる料理は、池波正太郎が町なかのフランス料理なら
「シエモア」と推していたとおりの、旨い、そして有り難いことに手頃な値段の、親しめる店である。問題は一つだけ、圧倒的に女性客ばかりで、ときどき気恥
ずかしい。今日は妻といっしょだったが、そういうペアの客は一組もなく、すべてが女性客のように見えた。わたしは壁の方を向いて席を取った。セーブルの焼
物などが瀟洒に飾られていて、こぢんまりと静かである。むろん、妻も満足し満腹であった。
改装の成った松屋をのぞき、銀座、東銀座をぐるりと歩いて、四時前に歌舞伎座前で昼の部のハネるのを待った。
*「とちり」の「り」の中央に席が取れていた。
* 幸四郎、時蔵、我当、弥十郎の「鳥辺山心中」は、思いの外に時蔵がうぶにお染を勤めた。我当は手慣れており、
幸四郎には役が軽い。この舞台はさほどに期待していなかったから、失望もなかった。三条大橋から比叡山を遠望の四条河原の光景が、ただ懐かしかった。
つぎの「保名」はひたすらに長身の美男子仁左衛門を堪能するだけの、舞踊とはいえたわいない、なかみのない男狂乱であ
り、期待に背かぬ仁左衛門は、大様に可も不可もない踊りを見せてくれたが、あまりに背が高くて恋にやつれて狂ったあわれなどは感じなかったが、妻は「美し
い」と初めてこの松嶋屋に高い拍手を送っていた。たしかにいい男前であった。三階の席か、新聞社のサービスで団体で入っていた客席で私語まじりのざわめき
が絶えず、仁左が可哀想であった。
で、彼の踊りであるが、わたしは、大様の美と言っておく。これは共感のこもった評価であり、踊れるとみている。むかし
孝夫の頃に玉三郎の夕霧に伊左衛門を演じたときに濃艶耽美の色模様をわかい仁左がしんみり魅せた記憶が生きている。これからも彼の歌舞伎踊りは注目してお
きたい。
* さ、次なる仮名手本忠臣蔵の八段目「道行旅路の花嫁」九段目「山科閑居」の二幕が断然楽しめた。二幕を通して
初役玉三郎の加古川本蔵妻戸無瀬を期待していたのはいうまでもなく、力演、力演、玉ならではの緊迫の芝居であったが、この母親を食うほどに勘太郎の娘小浪
が堪らない娘ぶり、圧倒的におもしろかった。以前に祖父芝翫の戸無瀬で勘太郎がこれを演じたときからみれば、もう舌を巻く初々しいうまさで、感嘆した。涙
が出て仕方なかった。勘九郎が由良之助妻の小石を丹念に付き合い、由良は富十郎が渋く仕上げていた。そして加古川本蔵は仁左衛門、これが力演ながら、もう
少し何とかならないかという疑問のある本蔵であった。悪かったのではない。あんな悪相で出てこなくてもと思ったのだ、かりにも現役の家老職である。虚無僧
にたとえ身をやつしていたにしても、由良之助とくらべどっちが浪人とみまがう窶れ顔なのは、よく分からない。妻の戸無瀬や娘小浪がじつにきちっと品格を
保って出ているのだからなおさら落差が気になった。私の気づかない理由があるのだろう。
ともあれ、この二幕はよかった。じわっと湧く涙が終始熱かった。こころよかった。
* もうどこへも寄らずに帰ってきた。
* 「個人情報保護法案」への緊急声明案は五十嵐二葉委員に猪瀬委員長が下案を依頼し、それを猪瀬氏が整理修訂し て、朝にファクスが来ていた。わたしは、問題ないものと賛成の返事をいれておいた。帰宅したところへ五十嵐さんの下案そのものが届けられ、委員長の整理は 整理しすぎではないか、大事な、省くべきでない箇所が省かれてしまっているのではないかと「再考」を促していた。なるほど、猪瀬氏は長すぎるとみたらしい し、五十嵐さんは長い短いではなく肝心の所を省いていると言っている。理事会提出は明日のことであり、できれば調整ははかりたいが、どうすればよいか。午 前中にどこまで連絡と調整が利くか心配だ。声明は短めに、しかし要点はなるべく具体的に盛り込みたい。両案を理事会で検討してもらって欲しいという五十嵐 さんの希望に、うまく副えるといいが。
* 昨日思いがけず、ポストに湖の本の届いているのを見つけました。前のメールで申し上げましたように、私は読書
によって家族を飢えさせる名人ですので、本の読み方に注意しています。とくに、秦先生のご本はいけません。ですから、湖の本はあえて継続して申し込みとい
うかたちは避けておりました。
先生の「私語の刻」で新しいご本を発送という記述を目にして、密かに「どんなご本かしら?」と羨ましくてしようがあり
ませんでした。昨年末お送りいただいた湖の本六冊は一度目を読み終わったところですし、秦先生のファンとしては新しい本を読みたいという欲求を抑えるのは
大変なことです。しかし、家庭の平和のために次の申し込みは五月の連休のころまで我慢しなくてはと思っておりました。
ところが、湖の本の新刊が届いたのですね。これは私の願望が先生の無意識に届いたのか? ただ先生のお間違えか、それ
とも先生の家庭崩壊の企みか?(笑)とにかく私は嬉しくてなりませんでした。『能の平家物語』という題名だけで、本の頁をめくった先に広がる世界が想像さ
れて、秦文学の世界に酔いしれる気分です。
「清い」と「静か」と、それが能の、また日本の美の真髄であると感じていた──。
本のはじめにあるたった一行の文に魅せられました。数年前にドイツ滞在時の経験をもとにして、三百枚ほどの書簡体小説
のような、エッセイのようなドイツ文化論を書いてみたことがあります。ドイツの姿を描くことで、同時に日本の姿も書けたらと、身のほど知らずにも思いまし
た。ドイツの一面を描くことはできたかもしれませんが、日本の真髄に言葉を届かせることは難しいのでした。それを先生の天才はひと言で見事に、美しく表現
なさってしまいます。ため息がでました。「清い」「清まはる」というのはたしかに、日本を日本たらしめる、得がたい美質です。ドイツは静寂の国ではありま
すが、それは「静か」とはずいぶん違います。ドイツの静寂の底にあるのは、硬質な、骨の髄まで人を蝕む孤独ですが、日本の「静か」はにじむようなやさし
い、さびしい色合いをしています。
先生のすべての作品のなかに「清い」「静か」な日本の美が流れていて、だからこそこんなにも私の心をひきつけるので
しょう。『能の平家物語』、この死なれ、死なせた人たちの不思議な稀有の世界に誘われていきたいと思います。
この度は、ご送本いただき本当にありがとうございました。
* ごめんなさい、ありがとうと、こころからの礼を言った。
湖の本の維持はきわめて難しい。代金の回収は二の次にしてもただただ送り続けていないと、決して自然に増えてゆくこと
はなく、やすやすと自然に減ってゆく。出版の継続とはそういうもので、こころを鬼にしてでも自前の些少の理屈をつけては、ひたすら撒くように送れる先へ
送ってきた。当然、おおかたは代金回収が出来ない、が、本はだれかの手と目とに触れたことであろうとそれだけに心を慰めて、いわばタダで随分な数を撒いて
きた。だが、だから十五年を維持できたのでもある。送ってくるなと叱られ怒られたことは数知れない。が、叱り怒った人が、そのまま長い年数の継続読者に
なって下さっている例も数え切れないのである。出逢いだと思う。叱られても怒られても、それが当然だと頭を下げつつ、しかし送れる先のあることをくじけず
に求め続けてきた。それなしにとても続く仕事ではなかった。「ごめんなさい、ありがとう」と心から申し上げる。
* 三月十五日 木
* 今期最後の日本ペンクラブ理事会があり、先だって会員の選挙で選抜された三十人の来期新理事候補による新会長
選出会議があった。来月の総会で承認を受けるまでは仮定のことである。わたしが中に入っていたことはまさに余儀ない事実であり、二月末までに内示があっ
た。そのときすでに日本ペンクラブを代表して、情報処理学会の文字コード専門委員会委員に委嘱されていたし、おこがましいが、この任務を日本ペンで引き受
けるとしたら、現状他ににわかに適当な人が見つからない。投げ出していい役割でなく、「表現者」「人文学研究者」からの発言と寄与とが期待されている時期
であり、これを放棄する気にはなれなかった。そのためには理事でいることが必要だろうと考えていた。
なにほどのこともない、中の者の思うほど日本ペンクラブが津々浦々で識られているわけではない、が、また幾ばくかの仕
事をしてもいる。わたしの日々の生活が、理事生活でスポイルされるのはいやだが、そうでなく在ることも気構えひとつで不可能でない頃合いを、四年つとめ
て、いくらか分かって来ている。如才なく付和雷同したり手をすりあわせたりして仲間に入っていようとは思わないが、少々嫌われようとも思ったことは発言し
て役に立てるだろうと、この地位にへたな理屈をつけて引き受けることにした。
* 今期最後の理事会では、次のような「電メ研メモ」を提出し異存無く承認されたので、全会員に配布し、また日本 ペンクラブのホームページにも掲載する。ひろく関心を喚起したいので、ここにも公開しておく。研究会の勉強をこう取り纏めることが出来て嬉しい。議論され て欲しい。
* 2001「電子出版契約の要点・注意点」に関する報告書
日本ペンクラブ電子メディア対応研究会
(内田保廣 紀田順一郎 倉持光雄 坂村健 城塚朋和 高橋茅香子
高畠二郎 中川五郎 西垣通 野村敏晴 牧野二郎 莫邦富 森秀樹
副座長・村山精二 座長・理事 秦恒平)
「出版」という私たちの職業にとって大きな関心事が、前世紀末このかた、電子メディアの拡充と浸透により深甚の
影響を受けてきたことは、ご承知の通りです。
影響の範囲も内容も日ごとに複雑の度を増し、当座の対策すら正確に示すことができません。時勢の速やかなことに驚くば
かりです。
しかし、手を拱いておれない「問題」は、もう目前に幾つも幾つもあります。中でも大きな一つが、従来の冊子本(紙の
本)出版とは、いろいろに事情を異にする電子本の「出版契約」問題です。草創期とも過渡期とも激しい流動期ともいえて、各所で各種の試行錯誤がばらばらに
進められている現状です。とても、ややこしい難問です。
しかし、そういう時期にこそ、よく押えて置かねば将来に悔いを残しかねない「要点」が在ろうと思います。今は事細かに
ものごとを決めつけても効果は望めませんが、おおまかにでも、アバウトにでも、この程度は心得ていた方がいいと思える範囲は、事柄は、指摘も示唆も出来る
かも知れません。しなければなるまいと考えます。
電子メディアに関心や関係をもちながら、なお多くは馴染んでいない会員にもご理解いただけるよう心がけながら、以下
に、「電子出版契約の要点・注意点」を、あらましを、パンフレットに取りまとめました。多くの不備は承知していますが、せめてここ暫くはお役に立つように
と願い、「電子メディア対応研究会」で討議を重ねた一報告書です。
(文責 座長 秦 恒平)
電子出版契約の要点・注意点
はじめに:電子出版と電子本の定義と仕分けについて
?. 電子出版の基本的な要点・注意点
1.冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く「別の物・事」と考えましょう。
2.「排他的独占権」の契約は努めて忌避しましょう。
3.電子本の著作権使用料(いわゆる印税率)は、十分注意して契約しましょう。
4.著作権使用年数(出版期間)は、現状では「短期」契約しましょう。
5.著作者人格権の確保を十分心がけましょう。
6.こういう差異にも、留意しましょう。
?. 通常書籍(冊子本=紙の本)出版契約に意図して含まれがちな、「電子本」出版契約の「要注意点」
1.電子出版への二次利用や排他的独占権契約に、安易に同意しないで下さい。
2.「原作」としての二次利用の「排他的独占権や優先権の設定」にも、安易に同意しないよう十分注意しましょう。
3.コピー(複写)に関する「注意点」を挙げてみます。
4.以下のような条文には、よく「注意」しましょう。
5.契約内容に納得できない場合の心構え。
おわりに:
はじめに:電子出版と電子本の定義と仕分けについて
* 電子出版には、大別して、
? CD方式=CD-ROM(ドーナツ型の円盤)による販売・購入方式。
?
アクセス方式=版元へアクセス(接続)してユーザーの器械にコンテンツ(作品等)をダウンロード(取り込み)する課金・支払方式。
の二種類があります。つまり、同じく「電子本」と謂いつつ、?CD方式本には具体的な形があり、製作(在庫)部数も販売
前に認識できますが、?アクセス方式本では、物の形として存在せず、販売の数字は、アクセス購入(支払い)されて初めて表され得ます。
これは、基本的な大きな差異なので「注意」の必要があります。
今一つ大きな「仕分け」の注意点があります。
「出版」といえば、冊子本の場合、出版社と著作者とは「別の」存在でした。しかし電子出版と電子本の場合、さきの、?
CD方式本も、?アクセス方式本も、必ずしも「出版社」に委託して作らねばならないわけでなく、著作者(個人またはグループ)の器械に「ホームページ」等
を設け、そこに表出されたコンテンツ(作品)は、理論的にも実際にも、比較的容易に、上の二種類の「電子本」として、ユーザー(読者)の手に手渡す(販売
する)ことが可能なのです。すでに実践例も少なくありません。
この場合は「出版契約」問題は生じません。著作者と読者との間に「売買」の取り決めが適宜成されるか、無料提供される
か、だけです。無料で公開提供されている「電子出版=電子本」の、想像以上に数多いのも実状です。
* まず、電子出版とその契約、著作権をとりまく問題の全体像をつかんでいただきたく、できるだけ具体的なケーススタ
ディとして、対策の要点・注意点が、順次、項目別に列挙してあります。数多く各社各種の「電子出版契約書」を比較検討した内容です。
?. 電子出版の基本的な要点・注意点
1. 冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く「別の物・事」と考えましょう。
* 二次利用の形で、冊子本契約書に、別途「電子本」化を版元に一任するふうの文言が入っている契約書例があります。
電子メディアでの著作権が模索途上にある今日では、どちらも「本」の出版ということで「安易に混同」されがちですが、
質的にも技術的にも経済面でも「全く異質」と見られる「紙の本」と「電子の本」とを、どさくさに同一視した安易な契約・約束は、極力避け、両者には「明瞭
に一線を画して」おこうとお薦めします。「電子本」と「冊子本」とは「別契約」ということを大事な基本の認識としたいと提言します。
2.「排他的独占権」の契約は努めて忌避しましょう。
*
「排他的独占権」とは、著作者が、契約期間内に同じ作品を他社でも出版するのを禁じた出版社の意向です。初版部数への印税支払い等が約束された従来の冊子
本出版では、妥当な約束として定着していました。
* しかし電子出版の場合、殊に初版部数や最低保証部数の算出が全くできない
?アクセス方式の場合など、「排他的独占権」契約を結んでしまいますと、アクセス数が無く、従って収入が全く無くても、新たに他社での出版を試みる自由と
権利を失います。作品が無意味に埋没するおそれが生じます。初版製作部数を保証されない限り、事情は、?CD
方式でも同じです。
* 契約書条文に、「排他的独占権」という文言が書いてあるとは限りません。例えば、「甲(著者)は上記(電子出版)の
利用に関する権利につき、自ら行使し、あるいは第三者に対して許諾してはならない」などと謂った文言で抑えられている例もあり、注意して欲しいと思いま
す。
補足1:例えば契約有効期間が短く(半年ないし一年と)設定されている場合は、排他的独占権を出版社に与えても良いか
という考え方もありえます。言い替えれば、出版環境や条件に予期し得ない激変も予想できる電子メディア出版の場合は、「出版契約期間」を永くても「一年
間」に限定して対応するような姿勢が必要と思われます。冊子本時代の「三年ないし五年」といった長期契約はぜひ避けたいと考えます。また契約延長も、いわ
ば自動継続でなく、そのつど内容をより適切に「更改する姿勢」が必要と考えます。
補足
2:例えばA社が、甲の著作物を、?CD方式で出版したところ、契約に「排他的独占権」が明記されていないのを理由に、B社が、同内容の著作物をインター
ネット(?アクセス方式)を通じて重ねて売り出したため、競争の結果、A社のCDはまるで売れずA社は大損失を被ったという、こういった場合も無いとは言
えません。このためにも、「出版権」の期限を適切に短くし、その期限内の「排他的独占権」を容認するという妥協も考えられます。適切な期限の短さ(長さ)
は「半年ないし一年」が穏当かと考えられます。データベースでの原稿二次利用に関する日本文藝家協会と大手新聞社との契約も、目下は「一年」ごとに協議し
更改する約束になっています。
3. 電子本の著作権使用料(いわゆる印税率)は、十分注意して契約しましょう。
* 冊子本(紙の本)の場合、製本部数×定価の例えば10%というふうに著作権使用料が支払われましたが、電子本の、と
くに?アクセス方式の場合、こういう算定が事実上不可能です。
?CD方式の場合は、売り出されるCD-ROMに定価が付けられますので、冊子本にほぼ準じて考えることが可能です。紙の本では、製版組版製本その他倉庫
保管費や運送に至る諸経費がかかりますが、?CD方式の電子版だと、現在の技術では格段に製作経費は廉価に済み、いわゆる印税率に準ずる数字は、少なくも
数十%を求めても不当とは考えられません。
まして、?アクセス方式での配信の場合など、極端な場合、直接製作費はゼロにさえ近く、極めて安価に済むことも考えら
れます。著作者が、自身の作品を、電子メディア(通信・CD-ROM等のディスク)を用いて版元に提供した場合など、80%ないしそれ以上を支払われてい
いのではないかとまで、極論されるほどです。
これらは、「冊子本との大きな差異」として、ぜひ、著作権者は念頭に置いていていい「要点」です。
* 外国では、40%(あるいはそれ以上)の契約例も事実行われているようです。
* 日本では、版元による15%程度の著作権料提示が現にされている例があります、が、上の事情からも、不当に安過ぎる
と思われます。
* インターネット配信、つまり?アクセス方式での著作権料は、可能性として優に50%以上100%にも近い「当然権」
を著作者は持ちうると考えられますが、冊子本のいわゆる初版部数に相当する「算定基準」が把握できないという、難しい未解決の問題があります。
算定しやすい、?CD方式の出版をと希望するか、特に?アクセス方式の出版の場合は、最低保証部数契約に相当する「具
体的な交渉」が事前に成立していないと、「保証の見えない出来高払い」となり、経済的にごく不利・不安定な出版になりかねません。金額の多寡にもよります
が、契約内容の確定が難しいものになります。
補足1:最低保証部数(最低保証金額)の設定のある場合も、アクセス数や販売部数のその後の推移の「確認可能」な「取
り決め」が、ぜひ必要です。そうでないと、著作物の著作権が野放しに、行方知れずに他人手に渡ったままになる恐れも生じます。出版契約期間を短く限定し
て、更改時に、正確に、判断や判定を、契約を、し直す姿勢が必要です。
補足
2:直接経費・間接経費を問わず製作費不明で不審ののこる場合などは、著作権も、暫定使用料といった臨機の提案により、「更改交渉の余地」を残しておくこ
とが必要かと思われます。
補足
3:?アクセス方式の場合、ダウンロード(読者の取り込み)に対して精確な「課金」技法の確定していない場合、売上算出は「概ね不明」となります。契約に
際しその可否と確認とを怠っては、契約自体が無意味になります。売上が確認できる場合、売上額またはアクセス数に応じた「段階的」な著作権使用契約を結ぶ
ことも可能かどうか、考慮・交
渉に値します。例えば、売上げ100万円までは30%、101?200万円までは40%、201万円以上は50%など、
と。
補足 4:その月ごとの、または妥当な期間ごとの「売上報告義務」を契約事項に加えておくのも有効です。
補足
5:インターネット配信の場合、?アクセス方式の場合、個別の作品配信に対する流通・製作コストは、技術的には安いものですが、システムの設置・開発等に
要する初期費用や改善・改良・保守の経費には、各社の良識と姿勢でバラツキを生じます。
また経済利害だけでなく、どんな営業内容か (マンガ・図像出版と文芸・文字表現との比率など)
までよく見極めて折衝した方が、著作権者として賢明かと思われます。
4. 出版契約期間は、現状では「短期」契約にしましょう。
* 繰り返しますが、冊子本(紙の本)と異なり、電子メディア環境は、少なくもここ当分めまぐるしく変動して行くと思わ
れます。長期に固定的な出版契約はつとめて避け、こまめに短期更改の申合せを重ねましょう。半年ないし一年契約を目安にと、重ねてお薦めします。
* 電子出版では「排他的独占契約条項の無実化」を考慮し、契約期限が一年を越す場合など、「途中解約の可能条項」を設
けるようお薦めします。
5. 著作者人格権の確保を十分心がけましょう。
* 著作権者「氏名」の表示方法は、契約時に確認しましょう。
例えば「本著作物の電子出版利用における著作者表示の有無及び方法は、
乙(出版社)が任意に決定することができる」といった条文は、必ずチエックが必要です。著作者人
格権の放棄に直結の危険性が濃厚です。
電子出版の場合、とくに引用が膨大になる「編集もの」の場合など、引用部分にそれぞれの著作者氏名を表示するのが煩雑
なため、他の著作者と纏めて目立たぬ場所に単に一括表示されたりします。どれ・どの部分が自分の著作なのかが不明・行方不明になる怖れが頻々と生じます。
事前に「氏名表示方法を確認」し、よく納得して個々に合意・契約する必要があります。
* 著作品の「同一性保持」は、堅持しましょう。
例えば「甲(著作者)は本著作物の電子出版利用において、乙(出版社)またはユーザーが本著作物に修正・加工等の変更
を加えることを了承する」といった条
文には、厳重な注意とチェックが必要です。これを見のがしますと、自作とは全くべつものに変改・変形・歪曲された商品の、著作「責任者」になってしまいま
す。
6. こういう差異にも、留意しましょう。
* 電子出版を版元に委託する場合に、次の2種類は少なくも分けて考慮しましょう。
?二次電子化本:
すでに冊子本(紙の本)で出版された著作品、または雑誌・新聞等の文字媒体に公表済みの著作品を、「再度新たに電子出版する」場合。
?新電子化本: 冊子化や活字化を経ず、「最初段階から電子出版する」場合。
* ?二次電子化本の場合、冊子本の版元出版社または活字媒体版元との間に、
?-A:契約関係や版権等がなお継続・残存ないし留保されている場合と、
?-B:契約関係や版権はすでに消滅しており、相互に「元の版元」というある種の情誼
や認識だけの残っている場合、 が、あります。
?-Aの状況では、さまざまの問題が生じ、既成の契約事項かのように出版社の意向が押しつけられる危険性もあり、こ
こでも、「1.
冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く『別の物・事』と考え」て、「慎重に新契約」を結びましょう。
「冊子本」と「電子本」とでは、あまりに「出版」の姿形も手順も質・量・経済問題も異なるからで、安易に、何事にせよ
他者(出版・編集・担当者)に「一任」してしまうことは、著作権者の立場を自ら放棄することに繋がってしまうからです。この点に関しては、後でも、改めて
言及します。
?-Bの場合は、最初に、また繰り返し提言しましたように、「
冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く『別の物・事』と考え」て、以前の版元関係に拘束されることなく、自由に適当な版元を選んで「新規の契約」
をすべきです。
* 冊子本(紙の本)の新規出版契約に際しては、契約内容を「紙の本」だけに限定し、将来の二次利用や電子化に関する
「安易な事前の取り決め」を、(たとえ便利・好都合に思えても、電子メディア環境がもう少し安定し確定するまでは、)慎重に避けられるよう、つよくお薦め
します。「冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く『別の物・事』と考えましょう。」
?. 通常書籍(冊子本=紙の本)出版契約に意図して含まれがちな、
「電子本」出版契約の「要注意点」
1. 電子出版への二次利用や排他的独占権契約に、安易に同意しないで下さい。
* 「甲(著作者)は乙(出版社)に対し、本著作物の全部または相当部分を、あらゆる電子媒体により発行し、もしくは公
衆送信することに関し、乙が優先的に使用することを承諾する」といった趣旨の条文に従いますと、冊子本の著作権契約に無条件に電子本の契約権が取り込まれ
てしまうことになります。たとえ「具体的条件については、甲乙協議のうえ決定する」とあっても、電子出版は電子出版として別途の出版契約を必要に応じて交
わすこととし、簡明な分かりいい契約内容にしておきましょう。
* 著作物の将来を未然に安易に一任しますと、他社からのより有利ないし魅力ある電子出版の条件提示に、可能性を閉ざし
てしまうことになります。著作と著作権は、極力著作者の配慮下に「フリーハンド」に所持されるよう薦めます。
補足1:出版不況の中で、苦労して出版した版元が、二次利用を他社に持って行かれたくない気持ちの現われと解釈できる
条文例ですが、強引な「取り込み」「囲い込み」「ツバつけ」には相違なく、このような受諾を強要の契約条文で電子本著作権が冊子本契約の中へ未然に押さえ
込まれることは当然避けるべきです。著作者と版元との自然な信頼関係のもとに、電子本には電子本の「新規」契約がなされるべきで、自由競争の本来にもその
方が適っています。この烈しい流動期に、異質の本の出版権を一つの契約書に盛り込むことは、少なくも著作者には簡明でもなく、有利でもありません。著しい
不利と不自由に繋がりかねません。
補足2:作品を社のホームページ等へ無断で二次利用する出版社もあります。著作者がこれに慣れて油断していると、電子
出版も契約なしにで既成事実を作られてしまうことになりかねません。出版社の姿勢をホームページで確認しておくことも必要でしょう。
2. 「原作」としての二次利用の「排他的独占権や優先権の設定」にも、安易に同意しないよう十分注意しましょ
う。
* 他社からの映画化やアニメ、ゲーム化など提示・折衝の道が閉ざされます。
補足:二次利用について許諾契約を結ぶ場合、二次利用の著作権使用料も著作者の納得のゆく具体的な協議で決める必要
があります。
3. コピー(複写)に関する「注意点」を挙げてみます。
* この項には特に注目して下さい。こういう趣旨の条文をもった契約書に出会う場合、十分慎重に回避ないし拒絶しない
と、著作と著作権の将来を大きく拘束され侵害されてしまう恐れがあります。
一例として、「甲(著作者)は、本出版物の『版面』を利用する本著作物の複写(コピー)に係わる権利(公衆送信権を含
む)の管理を、乙(出版社)に委託する。乙はかかる権利の管理を、乙が指定する者に委託することができる。甲は乙が指定した者が、かかる権利の管理をその
規定において定めるところに従い、再委託することについても承諾する。」などと有ります場合、現在自分は「冊子本=紙の本」について契約しているつもり
が、同作品の、将来の「電子本化」についても、いわば身ぐるみ出版社の自由な処置(転売・販売。二次・三次利用等)に委託一任しますという契約になり、出
版の自由に関わる「選択肢の全てを放棄」するに等しい結果を招きます。
これは、「版面権」という名の、法的には今なお認知されていない架空の権利の名で、あたかも「版面使用料=著作権料」
かのように、電子出版と冊子出版との間で、著作権者をまるで棚上げの経済協約が成される「素地」を作り出します。この形で、著作者のあずかり知らぬ交渉の
もとに、いつの間にか自作が、冊子本出版社の自由裁量で、気ままに、どこかで、電子出版されて行き、気が付かないでいると著作権料も全く入らないという
「闇慣行」を生んで行きかねません。
この恐れは、すでに各社の契約書条文面に、密かに、かつ露骨に、拡がろうとしていて、ゆゆしい問題です。厳重注意を必
要とします。
* 例えば、(社)日本文芸著作権保護同盟の会員ならば、上記のような条文の契約書に署名すると「二重契約」になる恐れ
もあると、法の専門家からは、指摘されています。
4. 以下のような条文には、よく「注意」しましょう。
* 例えば「万一本著作物について、第三者からの権利の主張、異議、苦情、損害賠償請求等が生じた場合には、弁護士費用
を含めて、甲(著作者)の責任と負担においてこれを処理し、乙(出版社)にはいっさい迷惑、損害をかけないものとする。」といった趣旨の条文に出会うこと
があります。
かりにこれが著作物の内容に原因する「著作権侵害事件」や「人権侵害事件」にかかわる問題であったにしても、「出権」
を建てて出版を是認し推進した「版元」が、こうまで全面的に責任回避する姿勢には問題があり、著者と出版社との間にあるべき信頼関係が一方的・予防的に回
避されています。
ことに電子メディアにおける出版には、著作者と版元とで一致協力して当たらねばならぬ予想外の問題の出現も考えられる
のです。
* 「納入された収録媒体(ディスク等)に瑕疵が発見された場合には、甲(著作者)は乙(出版社)の選択に従い、甲の費
用をもって速やかに瑕疵のないものと交換、瑕疵の補修、または瑕疵の程度に応じた代金の減額に応じるものとする」というような取り決めは、いわゆる原稿授
受によって約束が成り立つ冊子本出版とは無関係な事項であり、仮にディスク等を原稿として渡す場合も、このように一方的に著作者にのみ経済負担がかからね
ばならない理由はありません。条項から外すようにお薦めします。
* 電子メディアの参入で、出版物の販売数量の把握は、将来ますます複雑に分かりにくくなって行きます。よく納得が行く
まで確認して契約することをお薦めします。
?
CD-ROM(ドーナツ型の円盤)による販売・購入方式=CD方式の場合、名目上は発行枚数を基準とするものの、試視聴用、見本用、寄贈用、販売促進のた
め等に配布され、乙(出版社)に利益の発生しないもの、流通過程での破損、汚損等の事由によって破棄処分となったもの、及び卸売店・小売店から返品された
ものは、すべて著作権料の対象から減殺するといった条項を鵜呑みにした場合、その確認等に著作者の判断はとても及びません。そのために曖昧な数字を一方的
に押しつけられる危険も生じます。「製造=販売=著作権料の対価数」を、極力分かりよく取り決める折衝・協議・契約をぜひお薦めします。
まして、?
版元へアクセス(接続)してユーザーの器械にコンテンツ(作品等)をダウンロード(取り込み)する課金・支払方式=アクセス方式の場合は、契約に際して、
法律家等の立ち会いと助言を求めるなども考慮しないと、まことに曖昧模糊とした取り決めにより著作者の権益を見失いかねません。十分注意しましょう。
補足:「試視聴用、見本用、寄贈用、販売促進のため等に配布され乙に利益が発生しないもの」を印税部数に計算するか否
かは意見の分かれるところではないかという議論もあります。冊子本の場合も電子本の場合も、要するに、よく「具体的に申し合わせ」るべきであり、一方的に
出版社の言いなりにならぬようお薦めします。
5. 契約内容に納得できない場合の心構え。
契約条文や項目に、不当・不審ないし曖昧で納得できない場合は、はっきり契約文からの「削除」を要求しましょう。
また安易に、投げ出すように「署名捺印」してしまわぬように。もう、そういう時代では無くなっています、ことに電子出
版の場合はあまりに危険です。「電子メール」上でのいわゆる「電子署名」にも厄介なトラブルを引き起こす可能性があり、十分注意し判断されるよう、お薦め
します。
おわりに
まだまだ不足している「要点」「注意点」の多いのを恐れますが、最小限度とご承知の上、機会ごとに目を通して下
さい。認識違いなどの指摘を受けることもありましょう。また、改めて、より適切なものを用意して行かね
ばなりません。
「緊急」の『電メ研メモ』とご承知下さい。会員各位におかれても、どうか、更なる討議の声をあげて下さるようお願いし、
期待します。
(2001年 3 月 作成)
* こういう具体的な「手引き」の、この分野では最初のものになったと思う。さらに適切なものに改訂増補を要する であろうこと、むろんである。上と同文を、このホームページの「雑輯 2」にも掲載保存しておく。
* 理事会議案で他に気になる大事なことが二三にとどまらなかったが、中でも、日本ペンクラブ新館建設問題は、座 礁している。だいたい、地下もある地上三四階のビルを、かりに建設費一億でと思えばはなから一億五千万用意して、さらにその一割ほどは加算される覚悟でか かるのが、家を建てる常識的な心構えというものであろう。わたしが、自分の家を建てるときは、そう考えて取り組む。設計した計画を、いいほうへ、いいほう へ充実させてゆくのはまだしも、わるくやすく計画を値引き後退させるなどは、いい不動産建設への気構えとしては、もともと粗雑で杜撰としかいいようがな い。見積もりを取ったら、当初予算の、おおきいところは1.7倍もして、二進も三進もゆかぬところへ早くも落ち込んでいる。会員の募金で金集めなどという のはドロ縄の最たるもので、皮算用に泣くよりは、賢明に計画を凍結して出直すのが本筋だろう。課金ならとにかく募金ではとうてい追いつくまい。登山途中の 天候激変、下山こそ聡明な対策なのである。常識である。諫早の水門どころではない。金のでどころは無いのだ。武士の商法と昔はいったものだが、根が世間知 らず頼りない文士の算盤である。いま出ているような数字から察して、強行すれば引くに引けない惨状を呈するであろう。見込み違いは明らかである。緊急を要 する問題であろうかと言いたい。
* 例会に出て、長谷川泉さんと話したり三好徹氏の井上靖との思い出話を聴いたりして、どこへも寄らず、いや目に
付いた来季用の上着を買い込み、有楽町線で保谷に戻った。例会の席ではワインばかり飲んでいたので空腹を覚え、「ぺると」でのコーヒーだけでは物足りず
ひっそり閑とした「フィレンツェ」で珍しい菜の花色のパスタをつくってもらい、入荷していた最高の赤ワインをグラスでいっぱいもらって、すこし温まって帰
宅。冷たい風が出て、昼間の暖かさと様変わりしていた。
* 三月十五日 つづき
* ご本をありがとうございます。
一度に読んでしまうのが惜しくて、一篇づつ、たのしみたのしみ拝読しました『能の平家物語』でございましたが、こたび
はもう一篇の「死生の藝」というタイトルに、と胸をつかれました。
「蝉丸・逆髪」、いつもながら先生の「読み」に、魂のどこかが、ざわめき、「清経」の「あああの清経に自分が化ってみ
たい」に、わたくしにもあった「化ってみたかった」ひとを久しぶりに思い出したりしました。恒平少年とは大ちがい、子ども子どもした焦がれの対象でござい
ましたが……。
二日ほど前、こちらは春の風花が舞いました。早春のひかりにきらめいて、ダイヤモンド・ダストという雪は、こんなかし
らと見とれました。
松篁さまが逝かれましたね。松柏美術館にゆきましたときのことを思い出します。 おさびしく、偲んでおいででございま
しょう。
木の芽どきは、気持ちがふらふらしがちで、しっかりしないと、歌舞伎座も、鑑真和上にも、逢いそびれてしまいそうで。
* hatakさん。 湖の本66巻、新住所の方へ無事到着しました。発送作業のお忙しいときに住所変更をして、
お手を煩わせてしまいましたね。
あとがき「私語の刻」で、一度は諦めたカラー版口絵写真、「十六」にしばらく見入りました。学会誌にカラー図版を一枚
載せると掲載料がいくら跳ね上るか経験しておりますので、大サービスにただただ感謝あるのみです。
三月三日『桃の節句』に、新築の四階へ転宅しました。窓からは職場が見え、古いサイロが見え、また札幌の街の灯も見え
ます。旧居の一階は半地下の駐車場でしたが、雪が積もると車が入らなくなって、雪かきに難儀しました。新居も同様な構造ですが、こちらは床が路面より僅か
に高く造られていて、どんなに雪が降っても車はスムーズに出し入れで
きます。一年暮らして雪に降られ、北の家造りの工夫を知りました。引越代が良い授業料になりました。
週末からフィリピンへ、調査に出かけます。ミンダナオ島の奥地へ入ります。夜灯があれば「能の平家物語」読んでみま
しょう。
maokat
* 「平家物語」は、誰にでも「自分にとっての『平家』」のある作品のような気がします。好みの人物、好みの逸
話、好みの台詞・・・目玉焼きの食べ方と同じで、誰でも一言は自分なりの意見を言いたくなる話ですね。
私個人としては、知盛のファンです。
「見るべきほどのものをば見つ」
この台詞は、読む本によって異なることが多いですね。「見るべきものは見つ」や「見るべきほどのものは見つ」など。浅
学のため、信頼すべきものがどれなのか存じませんが・・・人は、いつでもどんなときでも、「見るべきほどのもの」を「見」終えているような気がしてなりま
せん。人生に恵まれている私の感傷かもしれませんが。
毎日、「よく生きさせてもらった」という思いがどこかでたゆとうています。
先週あたりから、家の裏で鶯が鳴きはじめました。
まだきれいに「ほーほけきょ」と声が出ず「けきょ、ほけきょ」などとやっています。もうすぐ春本番ですね。わが家の食
卓にも、新若布やあおやぎなどが登場しています。
桜が咲けば、杉花粉も少しはおさまると思います。どうぞご自愛下さいませ。
* わたしなど、とても、まだまだなにほども見終えていない気がする。何も見終えられないで果ててしまいそうな気
がしている。
* 三月十六日 金
* 日本文藝家協会が、「書籍流通の健全化に求める提言」を出した。ことは再販制度の存廃にかかわる大きな問題であり、議論が必要だろう。「提言」の内容を以 下に引用する。わたしも協会の会員である。
* 現在、日本国内には十四億冊ともいわれる書籍が発行されておりますが、残念ながらそれらの書籍は求める読者の
手に渡っておりません。本が手に入らないという読者の嘆きは久しく耳にするところです。また書店も溢れる書籍を充分に処理することができません。 これら
の矛盾した状態はひとえに書籍流通機能の不全が呼び起こすところのものです。書籍流通機能の不全は文化の衰退を招くばかりか、人間精神の働きをも大きく疎
外しております。この状態を改善し書籍流通の機能を健全化するためには、これまでの流通システム全般を抜本的かっ大胆に例外なく見直す必要があります。
日本文勢家協会では以下の六点を提言いたします。
一、現状では再販制度は維持されるべきである。書籍流通全体の健全化、徹底的な見直しをし合理化すべきである。
その結果、再販制度に不合理があれば改善すべきである。
二、委託販売制の見直しと買い取り制など、商取引の多様化を促進する。
三、書籍の性格、部数などの条件に応じた流通システムの多様化を図る。
四、専門知識を持った書店社員、取り次ぎ社員の育成をする。
五、情報処理技術を使ったきめこまかい商品管理(例えば単品管理)を確立する。
六、書籍に関する市場情報の開示を進める。
平成十三年三月九日 日本文勢家協会理事長 高井有一
* 書籍流通の不健全に、いちはやく、十五年も前に気づいて「湖(うみ)の本」刊行に踏み切ったのが、わたしであった。
おかげで、わたしは取次や大手出版社の有形無形のいやがらせにきつい孤立を強いられてきたが、見る人は見ていて、近年になるに連れ、わたしの孤独な事業に
関心を持つ向きも増えてきた。本来なら文藝家協会などはもっともっと早くに「取次」「出版」の歪んだ権力機構に是正の働きかけをすべきであったが、理事役
員のおおかたがそれらに身ぐるみ取り込まれた「出版社の非常勤雇い」身分に甘んじていたのだから、どうなる道理も立たなかった。それからすれば、こういう
提言に達したことは、感慨深い。繰り返し言うてきたが、わたしが「湖の本」をはじめた気概といえば、鎌倉幕府の崩壊を遠くににらんだ楠木正成の赤坂の小城
に立てこもったような按配で、一年ともつまいと嘲笑された。なにも分かっていない講談社の或る編集者に「敵前逃亡」とすらいわれたこともあった。彼らは取
次と結託して流通そのものを悪しき視聴率なみに成敗してはばからなかった。成敗される側からは東販、日販は鎌倉悪幕府の手先である南北六波羅探題と私には
見えた。ゆさぶってやろうとわたしは腹を決めた。
以来十五年、まだ千早城へも退いていないが、南か北か六波羅探題の少なくも一つは衰弱しつつある。
* ま、それはそれとして、この協会の「提言」は無条件には首肯しがたい不出来な評論家風の曖昧さに満ちている。
歌は歌っているが、協会自身が何かをするという姿勢は示さずに、誰にだかもハキと分からない要望だけをしている。
先ず、誰に提言しているのか。それは一方的な期待なのか、協会はこういう事をすると約束しているようには読めないが、
あまりにノーテンキな他人任せの気楽なご託宣ではないかと、わたしは目を疑うのである。
結果として恐れるのは、再販制の撤廃路線へ文藝家協会は曖昧な物言いでではあるが一歩を踏み出してくれたと、公正取引
委員会などが喜ぶ結果になっていないかということだ。
* 昨日のペン理事会だけでなく、過去にも繰り返し繰り返しわたしは理事会に言ってきた、ペンと協会とが、協力し
て一つの基盤に立ち行動しなければ危うい課題が、年々に増えてきているのだから、幸か不幸か両方の理事を厚かましくも兼ねている理事たちは、その「良き紐
帯」として役立ってこそ「兼務」の意味があるのだと。梅原猛、加賀乙彦というペン会長も副会長も同時に協会の理事であり、黒井千次は協会の役員理事で、し
かもペンの理事である。それだけの働きをしないのなら本来兼務など意味がないであろう。わたしはペンの理事や委員を引き受け、協会でも委員を引き受けてい
て、いつも双方をまたいだ広域の視野で課題に対応するよう努めている。協会の事務局やまた委員会へも情報をもらいに行くし、ペンとしての意見も伝えてい
る。
協会はこういう提言をするのなら、たとえ事後でもいい、ペンクラブとの連絡協議会もあわせ提議すべきではないのか。わ
たしは、昨日の「電子メディア出版契約のパンフ」を、すぐ文藝家協会の事務局へも、わたしの属する知的所有権委員会の委員長へもメールで送り、さらなる検
討と改訂とを希望した。協力しあってこそが本来の、協会とペンとは「両輪」であり「両翼」なのである。
中沢けい氏の「再販制度反対」とも受け取られかねないような発言が、いきなり、文藝家協会の統一姿勢かと受け取られか
ねない形で公表されたりするのは、この難しい時期に際し軽率の感じを、猪瀬直樹氏にしてもわたしにしても持ったのは、むりではない。上のような、手だてを
欠いて責任を明示しない子供の作文のような提言で、どこを向いてだか、空手形のような見栄をいくら切ってみても、始まらないのである。
いっそ、再販問題について、今いちばんシビアに動いているペンの猪瀬直樹と、協会の中沢けいとで、公開の再販制度討論
会をしてみたらよかろう。
だれもが、本の売れる売れないで再販制度を是非しているが、才能有る新人が出て来にくくなるという点にも、もっと目を
向けたい。
* 三月十六日 つづき
* 続々と新刊の湖の本に手紙が届く。なかに、「悪筆家元」と朱印のあるはがきにおどろいた。小西甚一さんであ る。わたしの最も尊敬する碩学のお一人である。
* このたびは『平家物語』を基底とする御本なので、わたくしの「知つてゐながら通じなかつた」点を多く学ぶこと ができまして、狭い眼界を拡げていだきました。周知の事実を採りあげながらも、それらのもつ「本当の意味」へ掘り下げてゆかれる鮮やかさ──感歎のほかあ りません。
* こんなように言ってもらうと、かえって至らなさに身が縮む。杉本苑子さん、木島始氏、馬場一雄先生ら、また大
学の研究室や図書館からも手紙が来るし、払い込みをしていただく読者の通信にも、心嬉しいものがどっと溢れる。メールもとぎれなく届く。きのうはの晩に
は、亡き村上一郎の奥さんであった歌人小平栄美さんの電話ももらった。
木島始さん、病床に、とうかがい心配している。
* 花粉症如何ですか? 暖かくなったので恐らく悩まれてることと思います。が、あまりひどい状況でないことを願
うばかりです。
一昨日、本が届きました。15年を迎えようとしている!!15年、一口に言って納まらない、十分に重い歳月です。
3月もまた足早に過ぎようとしています。世の中のこと、あまたあれど・・そうですね、最近のニュースのなかではアフガ
ニスタンのバーミヤンの仏像破壊がわたしにとっては一番でした。実際に行ってもう見ることは叶わなくなってしまいましたが・・アフガニスタンは高校時代か
らご縁が、意識の上ですが、あった国。外国の勢力を追い出していよいよ国が落ち着いていくかと思えた時から、なんと一転して国内ゲリラ同士の争いへ・・・
その国の現在の状況は本当に辛いものがあります。宗教は人を救うといいながら、なんと人を傷付け、憎しみあわせるものでもあるか、と思います。イスラムの
教えの何が正当か、異端か・・は別として、自由について、女性の生き方をどう見るかにおいて・・わたしはタリバンの、イスラムの支配は嫌です。
先のメールでわたしは「ロマネスクに疲れたらしい」というような意味のことを書いたと思うのですが・・・そんな単純な
結論は出せるはずもなく、今月に入ってからの自分の迷いや疲れは、ひたすら「眠る」ことで宥めて暮らしてきました。もう少し元気が出たら、きっと勢いづい
て旅に出るでしょう! 但し、やはり桜を心いくまで楽しんでからです、そうしないと出発できません。
元気にお過ごし下さい。大切に。
* バーミヤンの仏像破壊はいやな話題だった。仏像だからではない、仏像自体は偶像に過ぎないから信仰の本来から は無くなってもべつに問題はないが、偶像といえどもその時代の人間の手と思いとのまさに「文化」の所産であるからは、消え失せれば取り返しつかなくなり、 後生の学びうるものが烏有に帰してしまう。野蛮なことだ。信仰が人を傷つけ合わせるとは、真実情けない。宗教性は必要だが、宗教は、まして宗団・宗派は不 要だと思ってきたし、バグワン・シュリ・ラジニーシも切言している。イスラムに関してもこのメールの人の思いにわたしは同調する。
* 久保田淳氏が桜を特集した「国文学」を送ってきて下さった。今度の京都ではまだ桜には早いが、四月の初め、和 歌山から朱心書肆の三宅貞雄氏の上京される頃には、東工大の桜をまた楽しめることだろう。
* 東洋女子短大の「ことばを考える会」編の『対話』を頂戴した。湖の本のいい読者である北田敬子さんが、巻頭 に、インターネットでことばを磨くと副題した「窓越しの対話」を書かれているのに、つよい興味を覚える。私の関心に極めて深く重なり合う。こういう考察が 生まれて来つつ、行きつつあるのは、当然であり必要なことだと思う。電メ研でもこの方面の討議を重ねてゆきたい。その趣旨からも、このホームページの「雁 信」の頁に選んで掲載させてもらっている電子メール数々の「表現」にも目を向けて欲しい。
* 石黒清介氏へお願いしたところ、快く、歌集「桃の木」からの選抄を許されたので、「e-文庫・湖」の第七頁に
掲載した。
* 三月十七日 土
* 「電子出版契約の要点・注意点」への感想に添えて、文藝家協会の「六提言」に、早速、理系の著述者から、こん な批評が入ってきた。
* ついでに日本文藝家協会の「書籍流通の健全化に求める提言」の感想です。
> 日本文勢家協会では以下の六点を提言いたします。
>一、現状では再販制度は維持されるべきである。書籍流通全体の健全化、
>徹底的な見直しをし合理化すべきである。その結果、再販制度に不合理があれば改善すべきである。
>二、委託販売制の見直しと買い取り制など、商取引の多様化を促進する。
>三、書籍の性格、部数などの条件に応じた流通システムの多様化を図る。
>四、専門知識を持った書店社員、取り次ぎ社員の育成をする。
>五、情報処理技術を使ったきめこまかい商品管理(例えば単品管理)を確立する。
>六、書籍に関する市場情報の開示を進める。
> 平成十三年三月九日 日本文勢家協会理事長 高井有一
?提言6つの各項目につき出てきた背景、説明がほとんどありません。
・提言の実行者が誰なのか、また実行者に誰がどのように依頼するのか、その方法論も含め具体的に見えません。
・提言を実行に移して、何がどう変わり、どのようないい点が読者にもたされるのか。やはり見えません。
* この「提言」では、この限りでは、こう読まれて仕方のない、あまりにアバウトなものである。
もう一方の感想は、畑によって、著作者と出版社の力関係がひどくちがい、出版社の言いなりに従わない限り仕事が来な
い、もらえないという事情がある。が、その点をわきにおけば、挙げられた点の殆どすべてに同感し共感するということであった。著作者の弱い点では文芸の畑
とて、じつは、全く同じことなのであるが。
「電子本の場合は、うまくすると出版社を介さずに書き手が個人で、あるいはグループで出版できるいうメリットがあり、そ
ういうふうに展開してゆく可能性にも期待したいものがあります。それが旧来出版社の尊大を抑えることになればとも期待しているのですが。また、電子本出版
社がたくさん出来てきていながら、従来の紙の本版元の下請け製作会社じみて、プライドや創意をもとうとしないのも、残念です」と返事を送った。
* 三月十七日 つづき
* 三百人劇場での日韓協同の「火計り」は価値ある公演であった。
秀吉の朝鮮出兵にさいして西国の諸大名が、かの地の陶工たちを多数拉致して領内に定住させ、一定の優遇と保護監禁のも
とに焼き物をつくらせ藩の財政を潤していたことは、史実として周知されている。九州には各地に有力な伝統の窯場があり、大方がこの朝鮮出兵を機縁にしてい
る。
薩摩の苗代川も最たるひとつであり、司馬遼太郎の短編「故旧忘じ難し」にも書かれている。わたしも平凡社の企画で九州
の全部の窯場を探訪して回った際、苗代川にも立ち寄って沈壽官とも語りあったし、佐市郎の見事な黒茶碗も買ってきたし、芝居の舞台にされていた竹やぶ美し
い玉山神社にも詣ってきた。ここで、島津の強制により、焼成の「火」以外は、すべて朝鮮の土、水、釉薬、蹴り轆轤等を用いて焼いた茶碗を、「火計り」と通
称してきた。これは深読みの利くまことに微妙な呼び名である。
舞台は、四百年にわたって故郷喪失と差別的な苦悶と苦渋をなめつつ、優れた黒薩摩、白薩摩の焼き物を守り伝えてきた
「苗代川」の歴史と現代と、この地に拉致される以前の韓国故地の現代人との交流・交感・幻想・懐旧などを、要領を得て大胆に適切に描き出してくれていた。
なによりも、誠実に舞台が盛り上がっていった。じわっと涙が湧き出て、流れつづけて尽きなかった。
一つには脚本を書いた日本人品川能正のうまさであり、一つには、小さな理解の一つ一つにも激しく対立して激論を繰り返
し、接点を白熱させてきたという日韓の演出・俳優たちの実意の成果であった。正直のところああ巧いなあなどと嘆声をもらす俳優は一人もいなかった。だがア
ンサンブルは濃密に、温かく体を成していた。
ああいいなあ、こういう協同はいいなあと、わたしの気持ちは美しいほど和んだ。日韓というと、とかく、そそけだつ違和
感に襲われやすい。ワールド・サッカーの日韓共催なんてできるのだろうか無事にと想っている両国人の多かろうことも察しているし、わたしも危ぶむものを
持っていた。だからこそ、この「火計り」の舞台が、舞台裏では火花を散らして激論しながら、質実で切迫したものに巧みに仕上がったのを見せてもらえると、
嬉しく安堵するのである。
島津への感情などに、いささか甘い妥協もみえなくはなかったが、拉致された人たちが玄界灘に揉まれて苦しむさなかにも
赤ちゃんの生まれ出るシーンにしても、玉山廟のコレガンサーをまつる祭礼の表現も、登り窯での窯焚きも、幻想場面も、難しいと予測していたいくつもの場面
場面を、ほう、うまくやるなと頷かせる工夫で見せ続けてくれた。このところ数年の劇団「昴」三百人劇場の高潮と充実とは、しっかり維持されていた。「怒り
の葡萄」も難しい舞台をみごとに見せた。「三人姉妹」や「ワーニャ伯父さん」のすばらしさも印象にやきついている。妻が遠慮したように、この「火計り」は
表現し難いであろうと実はわたしも危ぶんでいたが、きもちよく不安をかき消されたのは幸せであった。
* 寺田寅彦の随筆に出てくる福島屋という巣鴨駅前の餅菓子屋にふらふらと帰りに立ち寄って、インシュリンの注射 をして置いて、ワラビ餅とぜんざいの上に、餅菓子と煎茶とを注文してしまった。どうも「餅菓子」という表現に弱いのである。体重のリバウンドも恐れ有り。 花粉が早く消えてくれて、また自転車運動に取り組まねばいけない。
* 外務省の機密費なるものが、首相らの外遊時などに、どれほど放埒無惨に巨額無駄遣いの大盤振る舞いされつづけ てきたものか、社民党の辻元清美代議士がことこまかに摘発し追及していたが、余録にあずかってきた連中はへらへらと笑うだけで「やめよう」とは決して言わ ない。煮えくりかえるような疎ましさである。財政金融景気株価、なにをとっても壊滅状態の中で、自民党は、なにに狂奔しているか。機密費を好き放題に使い 続けられるような都合の良い首相を、わが派から出したい出したいと狂奔しているのである。国民も国の運命もお構いなしの腐臭ふんぷんのていたらく。こんな ひどい時期は戦後はじめてである。一にも二にも、密室での森かつぎを許した自民党の責任である。こういう時になると田中真紀子も石原伸輝も何の役にも立た ない。
* ゼロ金利へ舞い戻るという。しかし、なんでこんな簡単なことが分からないのだろう。
デフレスパイラルが進行すれば、惨憺たる日本の崩壊は加速度的に進む。これを防ぐには、ふんだんに積まれてある貯金・
預金が消費にまわされることだが、深刻なデフレスパイラルの目に見えている今、だれがそんなお人好しの金をつかうものか。まして、無利子預金を強いられな
がら。
少なくも預金金利はさげてはダメなのだ。貸付金利はゼロ金利にしようとも、預金金利は大胆不敵にむしろ上げるべきなの
だ。
経済学という学問が、いっこうに屁の突っ張りにもならない今、素人の一見むちゃくちゃな提案にも耳を貸してはどうか。
こんな時期に預金金利が出せるものかと、銀行に身贔屓の専門家たちはあざ笑って言うのだろうが、なに、どうせ株価が下
がって含み損で銀行は潰れ始めるのだ、それなら預金金利の出せない、つまり預金の顧客にまともに酬いられない銀行などどんどん潰れればいいのである。株主
に正当な配当の出来ない会社などどんどん潰れればいいのである。銀行はいい利息を払う、企業はいい配当を出す、本来の「客」に対するそれが彼らの誠意とい
うものである。それを基準に、根本に、商売を考えてこなかったから、バブルになり、バブルははじけた。日本の政府も銀行も企業も、国民という「客」のこと
をコケにしつづけてきた。責任は彼らにあるという原点に立ち返りたい。
いま、預金に無利子、株主に無配、これが間違いのもとなのだと知るべきであり、出来る銀行は、みな直ちに3-5パーセ
ントの預金年利で競争すればよい。それを払えばよい。払えるのである、その気なら。むろん、高い利息へ預金は移動集中して、ダメなところから潰れてゆく。
株主配当もしかり、また。
どっちみちダメ銀行は潰れダメ企業も潰れるというのなら、そのようにして、この土壇場で、本当に本当の、自由競争をす
ればよい、顧客・株主第一優先の。かなりの国民貯蓄のあるのは数字で知れているのだから、いま、かりに3-5パーセントの年利を約束する銀行が出れば、客
はそれを選択する。殺到するだろう。客が来て金が集まれば利息の支払いも可能になるだろうし、適切な金融も可能になろう。そうなれば、安心した客は、ある
程度まで利息に見合う消費へ金を使う気分になれる。
いまのような、国民という客をコケにした愚かしい政策では、出来ることなら誰もがみな、現金を耐火金庫に厳秘したくこ
そなれ、不安で不安で、これまで以上に金など使うものか。こんな簡単なことがなんで分からないのだろう。むろん専門家は失笑して幾つもべつの理屈をつべこ
べ言うだろうが、根本のところ、国民のための理屈をいうのであればよし、政権与党や胴欲な企業のための「ご用発言」しかできないのでは、話にならない。
* 「三田文学百年」特集の中で、中勘助の「漱石先生と私」という長いエッセイが、とほうもなく面白かった。漱石
を語った文章はいっぱいあるけれど、これほど個性的で飾り立てない、率直に辛くて温かい文章は類がない。『銀の匙』だけで中勘助は済むなどと想うのは間違
いである。漱石はこの作品を作者の理解する以上に高く評価したが、勘助はそういう漱石先生に辛辣なほど不審の視線を突き立てている。そして心から感謝もし
ている。
初めて私家版をだしたとき、わたしは、中勘助という作家へも送った。作家では他に谷崎と志賀直哉に送っていた。もう一
人いた、中河与一だった。中さんはきちんと受け取りの返事を下さった。中河さんは二度三度、話しに来なさいと誘われたが、遠慮が先に立ち行かなかった。志
賀直哉の自筆署名のハガキももらった。他に窪田空穂、三木露風に送って、二人ともきちんと返事が届いた。嬉しかった。来るわけがないと想っていた谷崎潤一
郎からはやはり返信は来なくて、それにも納得した。中勘助という人は、そういう人であった、わたしには。
* 三月十八日 日
* 東洋女子短大の北田敬子さんに戴いた、ことばを考える会共著の『対話』は興味深いインターネット考察で、読み
始めて、やめられない。北田さんの巻頭論文のわが「e-文庫・湖」への転載を許してもらえたので、早い時点でスキャンしたい。北田さんはロマンチックな詩
人でもあるが、この学術的な散文の的確で明晰に読みやすいことにも驚嘆している。一つには日々に感じていることで、分かりが早いとも言えるが。今朝一番に
もらった北田敬子さんのメールも、ぜひお許しを得てここに紹介したい、多く広く読まれて欲しい。私のことに触れた箇所よりも、インターネットやメールの
「表現」にかかわる箇所がことに大切だと思う。そして、それにふさわしい「工夫」のますます必要であるという点も。これは、大げさに言えば画期的なところ
に深く触れた「希望」のメールであり、引用されて佳い内容に富んでいる。
日々に幾つも内容のゆたかに佳いメールが届く。だが、問題も無いわけではない。自筆の手紙でも肉声の電話でもない電子
メールには、ワープロ書きの郵便とはまたちがった表現上の問題や事故も起きやすい。わたしは、それに興味を持つ。興味は尽きない。
* メールをありがとうございます。
随分のご無沙汰の上に、突然拙い本などお送りいたしましたご無礼をお詫び申し上げなくてはと思っておりましたのに、
「私語の刻」でも触れていただきましたこと、何と御礼申し上げたらよいでしょう。秦様の元には数々のご本が送られて来るに違いありません。見つけてお読み
下さったことに重ねて深く感謝いたします。
> 御本の巻頭論文、さっそく拝見しました。こういう検討がいろいろに始まってゆか
>ねばならぬ時期と考えていました。わたくしの電子メディア研究会でも、その方へ
>関心を振り向けようとしています。
秦様のご紹介下さる数々のメールを拝読しておりますと、メールそのものが貴重な作品である場合のとても多いことにあら
ためて驚きます。元学生さんとおぼしき若々しい文体、長く深く読書と思索を続けてこられたに違いない達意の文章、軽妙洒脱な含蓄ある短信など、「雁信」の
ページはおことば通りさまざまな表現のショーケースのようです。全く書き手のことを知らなくても、文が自ずと語る場合のいかに多いことか。それが手紙では
なくメールだから可能になったのではないかと思えてなりません。少なくともああして公開され、不特定多数の人々に共有されることで幾度も新たな命を与えら
れることになる文章は、インターネット時代の申し子といえましょう。「書簡集」として大仰な装丁を施され書店に並ばなくとも、余程多くの読み手との出会い
に恵まれるに違いありません。
皮肉なことに、最近メールのやり取りや日記、雑文などをそのまま活字にして出版する風潮も出始めています。私は店頭で
それらを立ち読みしますが、まず買うことはありません。紙の上に印字されたとたんに、オンラインではさぞ生き生きしていたであろうことばが、平坦な駄文の
羅列に見えることが多いからです。メールはいわば生きたままやり取りされる鮮魚のようなところがあります。こちらの海からそちらの海へ。あるいは湖から湖
へ。その泳ぐ様をモニター上で知らぬ者同士も自由に眺める贅沢をする。それが秦様の「雁信」のページと、私は感じております。
想像いたしますに、それでも公開されない文章の方がずっと多いのではないでしょうか。書かれた文脈を外れると意味をな
さないものや、プライバシーに関わることを多く含むものなど、個人から個人に手渡されて役目を全うするメールは数限りないと思います。そうして人の目に触
れずに幾千万の文章が、日々綴られラインを行き来していると思うだけ
でも圧倒されます。これまでも手紙の行き来は無数にありました。しかし、これほどまでに個人が自由に書く時代は嘗て無
かったのではないでしょうか。消えるには惜しい文章がネット上を行き交うとしたら、その実践の上に、表でひらく精華もあるはずと期待できるかも知れませ
ん。
「権威」が印刷され出版されるものだけを認知する時代は、そう長く続かないようにも思います。
> ホームページの試みも、いろんな方の電子メールをあえて取り纏めて公開させてい
>ただいているのも、いくらかはその資料を提示したいからで。どのように「表現」が
>質を変えるのか変えないのか、新しい書き手の登場にむすびつくものかどうかと、「e-
>文庫・湖umi」はいま呼び水・誘い水を一心に用意しています。
新聞紙上でも秦様の試みが取り上げられているのを拝読いたしました。高揚した面もちでその切り抜きを手渡してくれたの
は、パソコンともインターネットとも無縁の暮らしをしている私の母です。母は目が悪いので、今からモニターと格闘するのは無理でしょう。強いるつもりもあ
りません。私でさえ長くモニターばかり睨んでいると目がショボショボしてきて、頭痛にも襲われます。
やはり電子本の普及には、画面上での読みやすさが最大の課題ではないでしょうか。縦書きや、エキスバンドブック形式な
ど、様々な試みも進んでいますが、未だ幾つものステップを踏まないと読みやすい表示に辿り着かないのが少々辛いところです。
秦様のサイトにお伺いして私がいつも思うのも、この点です。誠に不躾な物言いをお許し願いたいのですが、「e-文庫・
湖」にある作品の配列、レイアウト、目次、リンクなどが、今少し整備されたら、読者はさらに増えるに違いありません。ウェッブデザインという分野と文学と
は、歩み寄り、手を携えて進んでいくものではないかと期待しております。私もこのことに関心とエネルギーを注ぎながら数年暮らしております。
ある長さを持って初めて意味をなし感興を呼ぶ文学特品に相応しい表示(アウトプット)を考案していくのは是非若い人々
の進出し開拓する分野として発展して欲しいものです。特に、女性はこの分野に適性を持つ人が多いように思います。私事になりますが、自分の個人サイトの
「新・三行日記」というものの背景画像を、私はあるときから小学六年生
の娘に任せてみました。毎月変わります。彼女は誰にも教わらずに体得した画像ソフトを自在に使いこなして、その月に相応
しい背景を提供してくれます。書き手である母親の注文にも耳を傾けて、工夫をしてくれます。彼女自身も自分のサイトの主催者ですから、親子とは言え私たち
は同志、あるいはライバルでもあります。この切磋琢磨を楽しみつつ、私は次の世代の動向に注目しているところです。
捨てたものではありません。比べるのは余りにもおこがましいと十分自覚しつつ、秦様がご子息の舞台に感じていらっしゃ
るであろうことに少し似ているかな、とも想像しております。
> あなたの巻頭論文などもこう新刊でなければすぐにも頂戴したいぐらいです。おゆ
>るしがあれば、嬉しいことです。
掲載して下さるのですか。(それとも私の読み違いでしょうか。)もし掲載していただけるのなら、光栄です。手元のテキ
ストファイルを整備し直し、近日中にメールに添付してお送りいたします。また、私自身のサイトにも同文の掲載を予定しておりましたが、それでも構わないで
しょうか。
ネット上に散らばる幾多のサイトが呼応し緩やかに連携を保ちつつ、新たな言語表現の地平を切り開いていくものなら、こ
の時代に生まれた幸運を祝ってもよいような気がして参ります。本日お送りいただきましたメッセージに強い励ましをいただきましたこと、あらためて深く御礼
申し上げます。
春未だ浅い日々、何卒ご自愛専一にお過ごし下さいませ。 北田敬子
* 湖の本の新刊お送りくださいましてありがとうございます。まだ読みはじめですが、興味深くて。
平家物語は、中学の古典の教科書にあった部分を読んだ程度ですが、傍系には多少なりとも触れていたと思います。
高校生のときに読んだ三島由紀夫の「近代能楽集」に確か「熊野」があって、同じ頃、NHKで歌舞伎の熊野を見ました。
当代の歌右衛門さんだったと思います。当時のわたしは物語の表面だけ受け止めていたなあと思い出しました。今は、というと、秦さんのエッセイの熊野のくだ
りを読んで、深く頷いた次第です。物語は見方によるなあと。
例えば「ローマの休日」。
秦さんも映画がお好きなようですが、わたしがこの映画を初めて見たのは中学二年生のときでした。友人から、見せてあげ
ると言われて。そのときわたしは「ローマの休日」はもちろん、オードリー・ヘップバーンさえも知りませんでした。なんだかわからない映画をむりやり見せら
れて、正直言って筋も頭に入りませんでした。しかし、人気のある映画ですので、テレビ放映も多く、何度か見ているうちに、今ではすかっりお気に入りの映画
のひとつとなっています。なぜ多くの人の支持を得ているのか理解できます。自分が変わっているせいなんだろうなと思います。
源氏と平氏の物語の全体を知らなくとも、源平の合戦にまつわるあれこれは、小さいときから絵本やドラマ、ときには教訓
めいた話の中で聞いたものです。牛若丸と弁慶、富士川の戦い、義経の八艘飛び、壇ノ浦の戦い、など、ぽつぽつと思い起こすことができます。
能は実はあまり興味を持てないでいますが、歌舞伎は好きで、そうなると、勧進帳をはじめ、義経千本桜、俊寛、熊谷陣
屋、船弁慶などありますから、平家物語はわたしにとってきっとおもしろい読み物になるのではと思います。古典を読むと、時代や習慣は違えども、人の気持ち
の変わらないのに感慨を覚えます。今回、秦さんのエッセイをよすがに平家物語を読んでみようと思いました。また、お能も然りです。
湖の本ですが、継続して購読したいと思います。過去のものも、リストを見て追々注文させていただこうと思っています。
* このようにして魂の色の似た人たちとの出逢いに恵まれる。湖が、すこしずつ広くも深くもなってゆく。本を出版 して売れることだけがわたしの「湖の本」ではない。魂の色の似た人に出逢いたいのである。それが創作者の「生きる」という意味であるのかと感じている。
* 今号は、なんと、能尽くし。うれしく楽しく拝読いたしました。
・女面について、小面のツレに恋をしてしまったとのお話。まさに私も同様の思いをした経験があります。「松風」で、妹
の村雨が新しい真白な小面で現われ、古い面をかけた姉に比べて、あまりに初々しく清らかでしたので、「ぼくなら妹をとるよ」などと不謹慎な思いをもって観
ていたような次第です。
・「清経」の「清」の字へのあこがれのことですが、今から10年ほど前、京都観世能楽堂で、清和師の「清経」を観たこ
とがありました。お幕から、音もなく、いと涼しげに出て来た時、思わず息をのみました。その袖から出た手の指先の、武士のそれではない、極めて貴族的な
ほっそりとした清い美しさにうたれたのでした。「清経は清和に限る」などと思って観ていました。
・今年の「翁」は、銕仙会でした。三番三は山本則直師。農耕的にどっしりとしていて、いかにも地の霊を鎮めるという重
心のしっかりかかった舞でした。うれしくて、思わず涙ぐんでしまったほどです。最近の若い狂言師の、気負いすぎてバッタのように飛び跳ねる鈴の段など論外
です。
・「玉鬘」は、ちゃん付けで呼びたいほど好きな人です。
・・・・などなど、秦先生のお好みのお話に、つい膝を乗り出してしまいました。おゆるしください。
「e-文庫」へのお誘い、誠にありがとうございます。拙作のうち、捨て難いと思う愛しい掌編がございます。ご批評のほ
どよろしくお願い申し上げます。
* 五月の文楽は「一谷嫩軍記」の通し。
花粉症は出ますか? お健やかにお過ごしでしょうか。
「十六」のお写真を見つめていると、暗がりで、刃をかざし、その光で、血の色が映える喉の白さを、のけぞらせて見てみ
たい気持ちになり、すぐ頁を繰ってしまうの。いけない大人の世界を覗き見た、思春期の胸の轟きが、痛みと共に蘇った気がしました。
明け方の波打ち際で、美しい彼に、覆い被さってくちづける、秦さんのお姿が浮かび、<自分の視線は、共犯の目
>と思うと、その官能に搦め捕られました。知ってしまった秘密のエロティシズムに、心は震え、これからそれを抱えて生きていくのですわ。
* どんな請求書が届くかと心配しているが、「十六」をカラーの口絵写真で駆け込むように付け足したのが、やはり
大勢の読者に喜ばれている。なにしろ「十六」は普通にみていれば肉付きの佳い少年の丸顔にすぎないのに、鈴木氏の撮影した、この角度でぜひ撮ってとわたし
の切望した写真は、凄艶な女そのものに変貌しているのだ、このメールの人
が興奮状態なのも分かる。
* 優れた歌人であり、新制中学時代の恩師でもある信ヶ原綾先生の自撰五十首「彼岸此岸」を「e-文庫・湖」の第
七頁に、また喜寿を迎えようという真岡市在住の随筆家渡辺通枝さんの随筆三編を新刊の『文箱』から頂戴し、第五頁にすでに掲載した。信ケ原先生の激情をは
らんで深沈たる短歌には、書き写しながら感歎したし、渡辺さんの淡々と澄み
切った境涯にも共感した。
* 三月十九日 月
* 山形の高橋光義さんの自撰五十首「茜さす」を今朝戴き、いま「e-文庫・湖」詩歌の頁に掲載した。しみじみと
佳い作がことに前半にならんで、感銘を受けた。昨日の信ヶ原綾先生の述懐といい、今高橋さんの五十首といい、ああこういう短歌がきちっと歌われ続ければ短
歌の命の緒はまだまだ丈夫だと、心嬉しく、一首ずつ書き写していった。
問題は小説である。力ある新人の登場が、力作が、期待される。小説は難しい。ほんとうに難しい。半端な妥協で作者を惑
わせてはいけないし、力づけたくもあるし。
* 風つよく花粉がきらきらと目に鼻に舞い込む。
* 高村元外相を担ごうという案は危険である。旧三木・河本派は弱小、あの海部元首相が旧田中・竹下派の思うまま にどんなに無惨に操られ投げ出されたかを思い出せばよい。傀儡の首相では困るのだ。橋本派の橋本・野中をはじめとして大きな派閥がどんな算盤をはじいてい るかは見え見えである。まだしも刷新に期待のもてるかも知れない小泉主動の加藤紘一、山崎拓らに何かの決意を求めたい。本来ならかかる政治空白には憲政の 常道にしたがい総辞職して野党にいったんゆだねて選挙というのが筋である。筋も、憲政の常道も、まったくの死語と化した今は、言うも虚しいだけか。
* ミンダナオから
hatakさん フィリピン・ミンダナオ島のダバオにいます。札幌を出る時は−10℃。ここは+30℃なので気温差40度です。体がびっくりしていま
す。
今朝は午前3時に起きてマニラから国内線に乗り、朝7時にダバオの空港に到着。それからすぐに調査を始めました。途中
昼食をはさんだだけで、午後7時まで、ずっと畑を回っていました。こうしてパソコンに向かっていても眠くて瞼がくっつきそうですが、メールを書いてから寝
ることにします。
調査を終えて山奥の畑から道なき道をジープで下ってくるころ、ちょうど日が沈んできました。空が紫色になり、太陽に暖
められていた大気が少し冷えて、あたりにうっすらと靄がかかりました。やがてすべてが黒いシルエットになりまし
た。闇を切り開いてジープがようやくコンクリートの道に出、街の光がぼんやりと見えてきた時の感じを、どのようにお伝えしたらいいでしょう。不思議な気持
ちでした。「郷愁」と言う言葉が最も近い感じだと思います。幼い頃の感覚が一瞬だけ強烈によみがえりました。街に戻るまでそんな心持ちでジープの窓から外
を眺めていました。路端の粗末な家の縁側に家族が揃って暗闇でモノクロのテレビを見ている光景、家に帰るところなのか真っ暗闇の中を歩いている人々、車の
ヘッドライトの先に浮かんでくるのはほんの一部の光景で、その向こうに広がる闇の大きさ深さを怖いほど感じました。昼間はどんなに太陽が輝いていようと
も、ミンダナオの夜はまだ闇が支配しているのです。
この感覚をどうしても今お伝えしておきたかったのです。これが北田敬子さんがご指摘された、「メールはいわば生きたま
まやり取りされる鮮魚」、メールの効能なのでしょう。
明日は6時に出発です。4時間のドライブをして、島を西海岸まで縦断します。
電話がつながりましたら、またメールします。 maokat
* もう寝ようと思うところでこういうメールを開くのは、嬉しくも心地やすらかなものである。
* 三月二十日 火
* 幸いに晴れて暖か。いつもより遅く出て、四時過ぎに京都へ入る。明朝十時から京都美術文化賞の選考会。済ませ てトンボ返しに東京へ戻り、夕方の、熊井啓監督作品「冤罪」試写会に。慌ただしいがそういう予定。
* 凍み渡り
おはようございます。「凍み渡り」とは、積雪の表面の凍った上を歩くことを言います。放射冷却の朝、またはしんしんと
冷え込む夜道を歩く時の、楽しい寄り道。新雪に足跡をつけることと並んで、子供の頃の(いえ大人になってもですわ)遊び。
土産物店に、新潟方言の番付手拭が出ていました。地方が違い、知らないものもありましたが、雀の両親でさえ懐かしが
る、古い言い回しを、いくつも思い出させてくれました。
今年は、苺の新品種ができて、只今売出中。「越後の苺、越後姫」といいます。「い」と「え」の区別できない越後人に
とっては、難しい早口言葉です。
* 囀雀さんのメールには字数制限があるようだ。だいたい、この程度で届く、いつも。制限の中で具体的なことを話
してくれている。ちょっとした徒然草のように話題が纏まり、掬すべき雅致を生む。最初はかなりあらっぽい、うるさいほどゾンザイな書き手であったのを、囀
雀などと雅号を献呈したり苦言を呈したりしているうち、メールに一種のスタイル=作風ができてきた。そり是非はともかく、大方は削除してしまうメールのな
かでも、保存しておきたいものの一つになっている。もし、纏めて番号でも付けて並べれば、想像以上に起伏に富んだ「平成雀文反古」が生まれるだろう。
* 三月二十日 つづき
* 往きは窓際の席でほとんど眠っているうち、四時過ぎに京都に着いた。持参のもの、なにも読めず。宿にはいると
すぐ、寺町御池の中信御池支店に新設のギャラリーで道端進氏の花の写真展をみて、近くの京都ホテル二階回廊で甲斐扶佐義氏の写真展もみた。甲斐氏のはやは
り面白かった。
常林寺を訪れて夕暮れの墓参りをし、墓前で般若心経をとなえ念仏数十遍。庫裡ですこし住職と話してから、とっぷり暮れ
た出町へ高野川と加茂川を渡り、橋際の弁天さんに詣ってから、甲斐氏のいる喫茶店「ほんやら洞」を尋ねて、注射してビールをのみ、甲斐氏と兄恒彦のことな
どを暫く話し合った。卒業式のあったらしい同志社の、もう人けのすっかり失せた暗いキャンパスをゆっくり烏丸まで抜け出て、四条のホテルに戻った。レスト
ランで、かなりけっこうなコースを赤のワインでゆっくり一人で食べ、ビールとワインとで酔ったものか、部屋へ戻るともうもう一度河原町の甲斐氏のやってい
るバー「八文字屋」まで行く元気がなくなり、東京へ電話を入れた後、そのままぐうっと寝入ってしまった。夜中に目が覚めたらテレビも電気もついていた。
* 甲斐氏の兄についての話ではいくつか覚えておきたいと思うことがあった。それを、今、ここには書けない。
* 三月二十一日 水
* 午前十時、梅原猛、小倉忠夫、石本正、清水九兵衛、三浦景生氏らと、京都美術文化賞の選考に入り、今年もつつ がなく三人の受賞者を選んだ。十四年めになる。受賞者をまだここで紹介は出来ない。五月に授賞式がある。その日に理事会がある。
* 昨日休日と気づかず、ポストに入らない郵便物を持って出てしまい、今日の会議の後京都の町を足任せに郵便局を
探し歩いたが、なかなか見つからずに、とうとう四条を河原町まで、河原町を三条まで、三条木屋町で瑞泉寺の豊臣秀次らの畜生塚に参り、先斗町を四条まで抜
け出て、四条大橋を渡り、結局勝手知った縄手の郵便局に荷をあずけた。
京都の花粉はあまりにもひどく、目も鼻もさんざん。それでも「浜作」のまえを通って「いづう」に行き、鯖寿司と鯛寿司
の盛り合わせで冷酒をゆっくり飲んだ。旨くて、汗もひいた。「いづう」の北隣にむかし「松湯」という銭湯があった。母に連れられてよく来た。ここは男湯が
女湯の三分の二ほどの広さしか無いという、いかにも祇園の花街の湯らしかった。「鷺湯」という銭湯も近くにあったが、もう、二つとも無い。そんなことを思
いながらの「いづう」であった。「盛京亭」で昔恋しいようなやきそばも食べたかったが堪えて、何必館に入った。
二階で村上華岳を観ていたら、なんと館主梶川芳友の息子だという背の高い芳明君に挨拶された。おどろいた。学芸員で娘
のいるのは知っていたが息子の存在は知らなかった。
その芳明君から、彼には末の叔母に当たる人の去年になくなっていたことを聴かされた。深い悲しみに囚われ、呆然とし
た。梶川の三人姉妹は、わたしに初めて真の身内という気持ちを刻印してくれたかけがえのない人たちであったが、私より二つ年下の貞子ちゃんは、ほんとうに
可愛い優しい妹であったのに。もう手の届かないところへ、行ってしまっていたのかと、わたしは芳明君の顔をほとんど睨んでいたかも知れない。
京都が、またいちだんと寂しい街の顔をした。どうしようもなく、ぽつぽつと歩いていた。ただ歩いていた、いつまでも。
帰りののぞみの時間が迫ってきて、どこかから車で京都駅へ走った。花粉のつらさも絶頂だった。
* 気を励ますか紛らわせるか、眠気はなくて、窓際の席で、持参のものを次々に読んでいった。鼻をかみ目薬をさ し、ペットボトルの茶をがぶがぶ飲んだ。
* 東京へ着くと、食べたかったカレーライスを食べて冷たいビールを小さなジョッキで飲んだ。どっちも旨かった。
銀座のル・テアトルで、熊井啓監督の映画「冤罪」の試写会にならび、はやめに佳い席がとれた。招待名簿に姓が「シン」と読んで記録されていたため一瞬ひ
やっとした。
映画は誠実な作りであったが大味でもあった。ま、これでいいと思った、いい作品であった。松本サリン事件の当時をあり
ありと思いだし苦痛も感じた。
あのとき、サリンということが報じられたとき、わたしは妻に言った。わたしの正直な勘でいえば、この犯罪が被疑者とし
て報じられている河野氏個人の犯罪でむしろあって欲しいと。これが、何か難儀で大がかりな組織的犯行であったら恐ろしいことになるから、と。恐れた方の勘
がやがて的中した。気の毒をきわめた被疑者の無実ははれたものの、惨状は広がりに広がっていった。世界が恐怖したとすら言えた。
大味であれ何であれ誠実にこういう映画が、あれからもう何年、こう出来たことはすばらしいことだと思った。寺尾聡の被
疑者、石橋蓮司の警部が、ことに石橋の演技が底光りしていた。二木てるみの最後の車いすの顔も、苦痛の演技も短いながら見応えがあった。
* 有楽町線で急いで帰った。メールが十数本来ていて、返事をしきれなかった。息子の、なんだか、お涙頂戴式の、
やすい殺しドラマが録画してあって、それを観ていて遅くなった。ドキュメンタリータッチの、刺激的なメッセージに富んだ、演技陣も揃った映画大作を観てき
た後では、消耗品めくテレビ量産ドラマは、我が子の脚本といえどつまらないの一言で済ますしかない。
* 三月二十二日 木
* 留守のうちにこの器械仕事の場を適当に模様替えされていて、かなり落ち着かない。
* 北田敬子さんの論文「窓越しの対話 インターネットでことばを磨く」を、「e-文庫・湖」の第11頁に、アップトゥデートな「論説・提言」の頁を新設して、掲載した。問題点を丁寧に取り纏め て考察も適切な、いま、最も必要な文章の一つであると思っている。広く読まれたいと願う。
* あたまがよく回転しない。鼻がくすぐったくぐずつき、瞼は重い。明日の文字コード委員会にせめてすっきりした アタマで出たいが。
* 文字コード委員会から「宿題」が出ていた。前回村山精二氏に代理で出てもらったので、もう一つ資料を読んでも 問われているところが的確につかめないので、見当違いかも知れないが、手探りでメーリングリストに送り込んで置いた。相変わらず素人考えを率直に言うしか ない。
* 相変わらずのトンチンカン、ご海容下さい。 今後も「表現者」「人文学の読者」という立場で発言させていただ
きます。
第2ステージまでの間に持ちましたのは、先ず、化け文字に出会うことの減った実感、及び撞着するようですが、相変わら
ず器械上ですうっとは再現できない漢字のいっぱい有った実感、です。ATOK14ほど、ま、ポピュラーなものを使っていて、文字皿で目当ての文字は嬉しい
ほど見つかるけれど、貼り付けてみると、情けなく「?」としか出ない漢字が山ほどあります。文字セットにいくら漢字を山盛りしてもらっても、小判が木の葉
に化けるみたいで役立てにくい。日々に、今も、それを不満として痛感しています。送信した場合、向こうでどう受信されているのか、気がかりは減っていませ
ん。
10646で康煕字典は殆ど全て、0213で地名・人名は殆ど入ったと聞いています。たくさんたくさんな漢字が、もう
十分なほど標準化のために採字されているこの事実と、器械上で、簡便な実用のために実装(と謂うのでしょうか)されていない事実との落差に、絵に描いた餅
を睨んで、相変わらず困惑しています。私の無知なのかも知れません。
難しい話も話で必要でしょうが、文字コードをもう与えられたか、与えられる予定になっているか、の漢字群を、「?」で
なく、一字でも多く、一日も早く、いつでも、だれでも、どこででも、どんな器械ででも、文字そのものとして「使える」ようにならないものかというのが、文
字コード問題の素人の、相変わらずの目下の希望です。前進して欲しいのはこれだというのが実感です。順序で謂えば、これが一番先です。
日常使用頻度の高い95%の漢字は、すでに実装されている感覚でいます。正確な数字ではありませんが。しかし図式的に
謂えば、その95%は、漢字全体の、よく見て1
%ほどかと思われます。10000字を仮にいま器械の上で自在に利用可能としても、残る99%、よほど少なく見積もって、99万字が、器械の内部ではまだ
行方不明であるわけです。
これだけの数の文字を、ひょいひょいと取り纏めようとすればするほど、作業は絶望的に投げやりな、無方針・無方法なも
のに陥るでしょう。大河の砂漠の底へ吸い込まれているのを汲み出そうというのですから。しかし、漢字文化と文化財の、未来にわたる享受と研究とにとって、
誰もこれを放擲して済むといえる権能はもたぬ以上、根気よく汲み出す作業と努力は、文字を拾い出しては文字コードを与え実装する必要は続くと謂うことで
す。
超漢字や文字鏡の、また多くの過去の字典の積み上げで、全体を百万字と仮定すれば、すでに十数パーセントほどは文字の
姿が見えています。おそらく、さらに15%も積み上がれば、つまり30万字、ぜんたいの70%水準まで引き算したあたりへ第1目処を置いて進むのが、しか
も途中に的確な通過目標を刻んで進むのか、甚だ上等の姿勢ではないかと考えます。
世代を越えて根気の要る仕事なのだと大きな腹をくくるのが、肝要の原則です。居催促めく取り込みを煽り立てるのは、む
しろ、ぶちこわしになりかねません。必要なのは、そのもう15%を、1%ずつでも減らしてゆくのだという気概と、何よりその方法ではないでしょうか。「コ
ンピュータ時代」の、これは国家的な、時世的な、器械上の大漢字編輯事業であり、一委員会の手作業でなどとても不可能、全国の国語と人文学系、各大学、研
究施設・研究者、ないしは各界表現者たちの、年度で節づけながら多年にわたる協力に期待し、委員会は、送り込まれる相当量の重複の予測される文字情報を
「束ねる」機関として長期に機能出来るよう国家的な対策を期待すべきだと思います。そのための知恵を絞り手
段を構えることが出来て関係省庁の理解と協力が得られる道、それを模索できないでしょうか。
何故かなら、一定短期間にむやみに集中して漢字を拾い上げてゆくなどという方法は適していないからです。どの文献・テ
キストのどの漢字が現に器械で使えないか、あるいは字典にも出ていないかは、それらに従事している人を通してしか見つかり難いものだと思うからです。
一朝一夕の仕事ではない。むやみと拾い出せるものでなく、極めて見つけにくいとも、しかも無数にあるとも、両方謂える
ことですから、簡単に短期間にどうにか成ると考える方がおかしい。短兵急に姑息な結果を求める前に、息の長い、持続の利く段取りを固めることです。
たいへんなようだけれど、第1ステージでも何度か言いましたが、基本的な文献や資料の一つ一つを、「これは大丈夫で
す」と点検し続ける作業から入ってゆくのが、急がばまわれだと思う。拾う文字の重複は出ても、確実で安心が利くし、施設や人の関心により、具体的に分担精
査を依頼しやすい。
作業に大事なのは、文字コードで無条件に現に再現できる文字例を、ユーザーのだれでも利用できるハンディな文字表にし
て配布普及し、さらに、実装はされていないが文字コードをすでに与えられている漢字についても、誰もが見やすい文字表を作って置かないと、ロスが多くなり
すぎます。これは日頃の実感です。
漢字を可能な限り全部文字コード化することは、出来るか出来ないかの問題ではない、成すべき国民的な事業なのであり、
出来ない理由付けなどはしなくて良い。出来るもの、成すべきものとして、さ、いつまでにかと、ここで居催促気味に煽るのは、繰り返しますが、「やらないで
おこう」と唆しているのと似たことになる。そう感じます。コンピューターの能力は百万漢字に堪えないというのなら話は別ですが。
日本の古典文芸、現代文芸、漢文日記・漢詩、古文書・抄物、祖師等の仏教著述、日本の正史、その他歴史的文献、代表的
な仏典、四書五経、代表的な中国史籍・詩文、中国朝鮮の人名・地名等にまず適切に大分けし、然るべく精査照合の「分担」の依頼できる道筋をつけてゆくこと
は強ち不可能ではないと思われますし、迂遠なようで最も基本的基礎的な精査の作業として、一度はこういう方法で通過しなくてはいけないものと、個人的には
想い続けてきたことを、繰り返しまた申し上げて、今回の答えに替えたいものです。まるで見当違いかも知れぬと懼れながら。この余は、思いつけば会議で申し
ます。
* 時間に追われてかえって、くどくなった。こんなことを問われているのではないのかも知れない。
* 三月二十二日 つづき
* ペン事務局より一通のファックス。新館建設に関するもの。容易に同意できる物でなく、強い危惧の念を念のため に小中専務理事及び事務局に返信しておく。成れば幸いであるが、そんなうまいハナシは普通は無い。成れば幸いである。成るように協力したい。
* 最近とみに思うことは「人はどうして生きているのか?」ということです。最近、僕は人生について深く考えま
す。
人は皆、どうして生きているのでしょうか。 生きていてもそれ自体が哀しいことではありませんか? なんで生きている
のか分からなくなります。 別に欲しいものなんてないし、あると言えば山奥に土地を買うことぐらいでしょうか。誰にも邪魔されず自給自足で暮らしたいと
思っています。 もう人生というものがなんのためにあるのかわからなくなっています。 お叱りを承知の上で先生にお聞きしたいです。「先生はなんのために
生きているのですか?」 教えてください。
* おおよそこういう趣旨のメールが飛び込んだ。東工大の学生でも卒業生でもない。あんまりけっこうな現実でもな いし、ある意味で誰もが一度も二度も突き当たってきたものだろうが、わたしは宗教家ではないので、こういう悩みから救済しなくてはなどと気負い立つことは ない。こういう質問には、はっきり言ってあまり動かされない。
* 今回の質問には、あまり関心がありません。その理由を言います。
「生きる意味」「なぜ生きるのか」と、若い人たちから何度も同じ質問を受けてきた気がしています。わたしも昔はそう
だったろうか。正直のところ、そういうふうにはあまり考えなかった。
あらゆる質問の中で、答えにくいというよりも、答える必要のない、答えるのが無意味にちかい質問が、これだと、わたし
は考えてきました。
日々を生きるのに意味などありません。意味を問うて、どんな答えがあると予測しているのか分からないが、どんな答えも
ありえて、だから、そんな答えに意味も意義も乏しいのです。人それぞれでしょう。人は意味を求め、意味が分かって生きているのではない。どう生きているか
で、人それぞれの意味が日々に垢のように生じているに過ぎません。そんな問いにわずらわされて四苦八苦するのはつまりません。相応の苦しみと、また相応の
自覚と努力とで永い歳月を日々生きてきたと思うし、その積み上げが、わたしの人生です。積み上げないうちから意味を求めても無意味です。たとえて謂えば、
相撲を取りもしないで、もし優勝したらどうしよう、いや、優勝できなかったらどうしようと夢想し危惧しているようなものです。小説など一行も書かない人
が、芥川賞を取ったらどうしよう、いや、取れなかったらどうしようと苦悶しているようなものです。へたをすれば、自分の怠け心をただ甘やかしたいために、
深刻げにそんなことを「問う」てみるだけのハナシになりかねない。どう問うても、出るはずのない答えなのだから。
「生きた」結果として優れた意味や価値の生じることは仮にあり得ても、日々を「生きる」こと自体に即意味のあろうわけ
はないのです。意味は、人が歩んで創るのです。人それぞれの器量と努力により創られる「意味」が、甚だしく質も量も異なって来ることも甚だ自然なことで
す。寿命もものを言うでしょう。そこに、終点の見えにくい道程がひらかれて在る。
山奥でひとり暮らしたいなら、暮らしてみればいい。それにも用意が、努力が要る。真剣にそれを努めればいいでしょう。
生きる意味を問うなんて、日を背に負うて、自分の影を踏もうとするぐらい、無意味です。わたしは、そう考えています。
よけいな詮索に煩わされずに、一期一会の気持ちで日々生きて行けば「意味」はあとからついてくるし、しかも、そんな意
味は、死ぬまで、死んでからでも、そうそう誰にも評価できるというものでない。だから無意味なのです、生きる意味がではなく、それを「問う」ことが。生き
てもいないで「問う」ことが。
以上です。無意味な「意味問い」に心労するのはおよしなさい。
* 死にたがっているような青年に、こんなブッキラボーな返事では突き放す感じでもあるが、「生きる理由」「生き
る意味」など問う意味がないと思っているわたしに、他に答えようはない。
* 三月二十二日 つづき
* ペン事務局より一通のファックス。新館建設に関するもの。容易に同意できる物でなく、強い危惧の念を念のため に小中専務理事及び事務局に返信しておく。成れば幸いであるが、そんなうまいハナシは普通は無い。成れば幸いである。成るように協力したい。
* 最近とみに思うことは「人はどうして生きているのか?」ということです。最近、僕は人生について深く考えま
す。
人は皆、どうして生きているのでしょうか。 生きていてもそれ自体が哀しいことではありませんか? なんで生きている
のか分からなくなります。 別に欲しいものなんてないし、あると言えば山奥に土地を買うことぐらいでしょうか。誰にも邪魔されず自給自足で暮らしたいと
思っています。 もう人生というものがなんのためにあるのかわからなくなっています。 お叱りを承知の上で先生にお聞きしたいです。「先生はなんのために
生きているのですか?」 教えてください。
* おおよそこういう趣旨のメールが飛び込んだ。東工大の学生でも卒業生でもない。あんまりけっこうな現実でもな いし、ある意味で誰もが一度も二度も突き当たってきたものだろうが、わたしは宗教家ではないので、こういう悩みから救済しなくてはなどと気負い立つことは ない。こういう質問には、はっきり言ってあまり動かされない。
* 今回の質問には、あまり関心がありません。その理由を言います。
「生きる意味」「なぜ生きるのか」と、若い人たちから何度も同じ質問を受けてきた気がしています。わたしも昔はそう
だったろうか。正直のところ、そういうふうにはあまり考えなかった。
あらゆる質問の中で、答えにくいというよりも、答える必要のない、答えるのが無意味にちかい質問が、これだと、わたし
は考えてきました。
日々を生きるのに意味などありません。意味を問うて、どんな答えがあると予測しているのか分からないが、どんな答えも
ありえて、だから、そんな答えに意味も意義も乏しいのです。人それぞれでしょう。人は意味を求め、意味が分かって生きているのではない。どう生きているか
で、人それぞれの意味が日々に垢のように生じているに過ぎません。そんな問いにわずらわされて四苦八苦するのはつまりません。相応の苦しみと、また相応の
自覚と努力とで永い歳月を日々生きてきたと思うし、その積み上げが、わたしの人生です。積み上げないうちから意味を求めても無意味です。たとえて謂えば、
相撲を取りもしないで、もし優勝したらどうしよう、いや、優勝できなかったらどうしようと夢想し危惧しているようなものです。小説など一行も書かない人
が、芥川賞を取ったらどうしよう、いや、取れなかったらどうしようと苦悶しているようなものです。へたをすれば、自分の怠け心をただ甘やかしたいために、
深刻げにそんなことを「問う」てみるだけのハナシになりかねない。どう問うても、出るはずのない答えなのだから。
「生きた」結果として優れた意味や価値の生じることは仮にあり得ても、日々を「生きる」こと自体に即意味のあろうわけ
はないのです。意味は、人が歩んで創るのです。人それぞれの器量と努力により創られる「意味」が、甚だしく質も量も異なって来ることも甚だ自然なことで
す。寿命もものを言うでしょう。そこに、終点の見えにくい道程がひらかれて在る。
山奥でひとり暮らしたいなら、暮らしてみればいい。それにも用意が、努力が要る。真剣にそれを努めればいいでしょう。
生きる意味を問うなんて、日を背に負うて、自分の影を踏もうとするぐらい、無意味です。わたしは、そう考えています。
よけいな詮索に煩わされずに、一期一会の気持ちで日々生きて行けば「意味」はあとからついてくるし、しかも、そんな意
味は、死ぬまで、死んでからでも、そうそう誰にも評価できるというものでない。だから無意味なのです、生きる意味がではなく、それを「問う」ことが。生き
てもいないで「問う」ことが。
以上です。無意味な「意味問い」に心労するのはおよしなさい。
* 死にたがっているような青年に、こんなブッキラボーな返事では突き放す感じでもあるが、「生きる理由」「生き
る意味」など問う意味がないと思っているわたしに、他に答えようはない。
* 三月二十三日 金
* 時間ぎりぎりに御成門の会議室に到着、第2ステージの第三回文字コード委員会。なんだか、第1ステージの時と あんまり変わっていない立場で、さぞ、ハタの人たちはまどろっこしいことだろう。理解の水準を平均化しないといけないだろうと「講習会」まで提案され、わ たしは喜んで受け入れた。なにしろこういう話題と世間とに飛び込んだのが最近のことで、言葉も使えずに外国に来たようなもの、仕方がない。そうはいうもの の、そんなことに拘泥しなければ、問題は漢字のこと、議論にならないわけではない。漢字を読んだり書いたりそれを使って表現したりは、たいていの委員より もずっと経験も考えもある。わたしは、すこしも苦にしていない。専門化した議論だけが議論になるとき、物事は小さくせせこましく固まりかねないものだ。や わらかく中にいて、頑固にもの言うことも避けないでいたいのである。
* 御成門から日比谷まで夕暮れ過ぎてゆっくり歩き、「クラブ」でうまい酒を少し呑んで寄稿された小説を読んでき た。帰りの電車では少し寝入った。
* 妹尾河童原作「少年H」の青春編を三時間ほど、妻と、しみじみ見た。泪あふれて。
* いま、妹尾河童原作の「少年H」を、妻と二人で見ていました。戦中戦後の旧制中学生の青春でした。いのちから がら戦火の下で必死に生きて、生き抜いた人も有れば、不幸不運に死んだ人もいました、生きたかったのに。意味があり理由があって生きるのではなく、生きた ことで意味を生みだしてゆく。そう受け入れて、元気に、ねばりづよく生きて欲しい。音楽なら、ベートーベンやモーツアルトやバッハを超えたろうかと思い、 文学なら、シェークスピアやトルストイやチェーホフを超えたろうかと思って、やすく妥協しないでねばりづよく進みましょう。この年で、わたしはまだ生きて きたと胸を張れない。きみは、まだ生き始めてもいないようなものです。いま絶望するなんて、投げ出すなんて、とんでもない。せめて五十年後に絶望するなら 仕方ないが。元気で。
* 続々とベテランからの「e-文庫・湖」寄稿の申し出がある。原稿も届いている。若い人にもぜひ頑張って欲し
い。
* 三月二十四日 土
* IBMの布谷智君と銀座三越で会い、帝劇地下モールの、鰻の「きく川」で早めの夕食をした。三つついた鰻の一
つを布谷君に献じて、わたしはビールを少し呑んだ。気持ちよく話せていい食事の後、日比谷の「クラブ」に行き、蒸留酒はだめだというのでメドックのワイン
を、二人で一本あけ、ゆっくり、いろんなことを話し合ってきた。
まだ二十五だという。わたしは、死んだ秦の母の享年までだとちょうど三十年生きねばならないのである。「老年」「老
境」が甚だしく永くなってしまった以上、それを衰老の時期だなどと謂うてはおれないのだと、つくづく思う。
* 環境問題でも、若い彼は学部にいた頃から意見のある人だった。諫早の問題なども話し合った。
* 今日も花粉はひどいめにわたしを会わせ続けた。来週は、ゆっくりする。頼まれ原稿を書き、寄稿を得た原稿の編
集に時間をとり、いろいろと片づけてしまいたい仕事がたくさん出来るようにと頼みにしている。
西の方で大きな地震があったとか、ひどいことになっていないといいが。
* お手間をおかけいたしました。
早速サイトを訪問いたしました。一つの項目を設けて掲載して下さったことに驚いております。文学作品の並ぶ中にあっ
て、いかにも堅物な文章ですが、居心地のよい部屋をあてがっていただいたようで、御礼申し上げます。いずれ同室に沢山お仲間が登場するであろうと、楽しみ
に待ちます。「メディア論」とやらは最近の流行だとか。私はただ、自分が日々繰り返すパソコンを通じての書く作業、そしてパソコンを通じての人との出会い
の「実感」を作文いたしました。お目に止まった幸運を心から喜んでおります。
段落の間を一行空けて下さいなどと、厚かましいお願いをいたしました。その願いも叶えて下さいまして、どうもありがと
うございます。URLは、無くても一向構いません。もし何かのことで興味を持って下さる方がおありになれば、きっとブラウザーの検索エンジンで探し当てて
下さるでしょう。キーワードは読み手が挙げて下さるはず。そのパズルのようなクイズのようなゲームのようなプロセスも、また興味深いものです。時々、思い
がけない方から、「サイトを見ました」とのお便りを頂きます。その方の興味と私のことばがどこかでカチリと合致することがあるのでしょう。特に海外から飛
び込むメールには「一体どの様にして?」と、このインターネットの仕組みの面白さを再認識させられます。もしもどこかにURLを入れて下さるのなら、私の
文章の末尾にでも
http://www.kitada.com/~keiko
とお書き添え下さい。この魔法の文字には思わぬ効用があります。
> むかし、あなたの詩をはじめてみてイタズラのフリをしましたね。
>あの、あなたの 詩を欲しいなと思いますが。
あれは「イタズラのフリ」だったのですか(笑)。大変印象深いイタズラでした。でも、あれらの詩が秦様のサイトに並ぶ
詩歌の列に加われるようなものでないことは、私自身が一番よく心得ているつもりです。
あの頃、私は表現したい思いだけに突き動かされて文を綴っておりました。パソコン・インターネット・ウェッブサイトと
いう「道具と場」を得て興奮していました。たまたま読んでくれた知人から、痛烈に批判され、何度ももう止めようと思いながら今日まで来ました。
私の工夫の一つは、「日記」であれ、「短歌」であれ、「これは英訳可能だろうか」と自分に問い、日英併記にすることで
す。海外の読者を求めているのでもあり、自分の書く日本語から「独りよがり」なところを削る意味もあります。その英語は単純なものですが、コンスタントに
読んでくれる友人もいて、ありがたく思っています。それにしても、「毎日書く」だけが文章修行であるというのも、進歩がないように思えることがあります。
もっと読書に時間とエネルギーを振り向けたいと思います。これもなかなか思うようには参りません。勉強いたします。
「書籍」が縁結びをしてくれたことに、やはり意味深いものを感じます。どうか御身お大切にお過ごし下さいませ。
* 「縁」とは嬉しい意味深い言葉である。
* 三月二十五日 日
* サンデープロジェクトで長野県知事田中康夫の話していた、少なくも話の中身は、論理は、明解で、抽象的でも観 念的でもなく、よく頷けた。少なくともと言ったのは、彼のああいう物言い、言い回し、またエロキューションを、小気味よくは感じない人もいるかもしれんな あと感じたまでで、ある。田中氏に比べ、先に現れた自民党筆頭副幹事長の野田聖子の物言いははるかに遠回しで防御的で暗い感じがした。首相の立候補者に先 立って組閣名簿の案を提出させるのを開かれた透明性の高い対処のように言うのなど、正気かと疑った。そんなことをすれば、解党的な出直しどころか、派閥へ のばらまき人事で票を集めたいだけの、大臣席に恋いこがれているようなアホウどものご機嫌取りに陥り、果敢な改革案をもった候補は数の前に潰されるだろ う。じつにいやらしい陰険な改革つぶしの意図は見え見えである。新鮮な若手の花のように自らも思っているらしい野田聖子の、若いにかかわらず反省の乏しい 古くさい自民体質には意外な失望を覚えた。これだから、首相候補に祭り上げて好きに操ってやろうという悪い男たちの餌食に成りかねないのだなと分かった。 ダメだ、この女は。
* 田中荘介氏の寄稿による一編の詩を「e-文庫・湖」に掲載した。上野重光氏の「四重奏」は、スキャン原稿の校 訂に手間取っている。かなづかいが、歴史的なのと現代のと、むちゃくちゃに混同使用されていて整頓しなければ成らず 、組み付けも能など、かなり複雑な作業なので。数十枚のスキャン作業には、かなり長時間かかる。そして一字ずつの校正が必要になる。メールで送られてくれ ば、原稿どおり校正ミスのおそれなく、素早く作業がはかどる。やってみて、パソコンの貼り付け機能に今更感謝したくなる。
* 「生きている」
やさしい春の雨です。
光の中、レンギョウの咲きこぼれている様も大好きですが、けむったような衣張山を遠景に、柳の新芽に雨のふる様も大好
きです。春眠暁を覚えず、とは縁がなく、春はいつでも早起きになります。もしかしたら、春になると冬眠から起き出す動物に近いのかもしれませんね。
あたたかな知らせも次々に舞い込みます。恋愛がうまくいきはじめた、赤ちゃんができた、結婚するよ・・・。幸せの知ら
せは、寒い日にシチューをお腹に入れたときのように、体の中から、私をあたためてくれます。シチューが人をあたためるのは、煮込んだ時間までも溶けこんで
いるからという話を聞いたことがあります。幸せの知らせも、それを培った時間を溶かしこんで舞い降りてくるのかもしれません。
先日の話題で、何のために生きるのか、について拝読しました。お答えが、私の思いに近いもので、なんだかとても安心し
てしまいました。
今ではタフなおばさんになりつつある私でも、繊細な思春期には「なんのために生きてるんだろう」なんて思ったこともあ
りました。そのころ、国語の教科書に谷川俊太郎の「いきる」という詩が載っていました。記憶が定かでないので「生きる」だったかもしれません。全てを覚え
てはいないのですが、生きていると出会う小さなほろほろとした日常をひとつひとつすくいあげていったものだったように思います。
その中の一行に「生きるとは 木もれびが明るいと思うこと」とあったように思います。
これを読んだとき、本当に木々の間から光がこぼれ落ちてきた気がして、「ああ、こういうものを拾い上げていくことが幸
せの一つなんだ」と思った記憶があります。
人間は「生きる」ものではなくて、「生きている」だけのもののように思います。
以前にお送りしたメールの中で、生意気にも、いつでも「見る」べきものは「見」た気がしてしまう、と書きましたが、
「この世」という壮麗なオーケストラに一員として加えてもらい、かつ、その奏でる音楽を毎日楽しませてもらっている身には、いつ「この世」のオーケストラ
からお払い箱になっても、「もう十分に楽しませてもらった」と感謝して立ち去っていかれる気がするのです。もちろん、私はこのオーケストラのすべてを理解
したわけでもなく、すべてを見せてもらったわけでもないのですが、お裾分けでも十二分すぎるほどすばらしかった、という気分です。
そして、そんな「この世」に立ち会わせてもらえたのは、「生きている」からだと思うのです。決して、能動的に「生き
る」からではなく、「生きている」から。
春というのは特に、人生のお買い得感を募らせる時期ですね。
この雨が花粉を洗い流してくれるといいのですが・・・。御多忙とのこと、先生には長生きしていただかないと流麗なオー
ケストラの構成が崩れてしまいます。どうぞ、ご自愛下さいませ。
* 日曜日。朝、目覚めて家事を済ませた後 テレビ朝日で、田中長野県知事の明快なお話に、一つ一つうなずきなが
ら聴き入っていました。「権限」を尽くして地方行政をあるべき方向に迅速に動かしているので、「権威」はいらない、と。拍手したい思いでした。
庭のゆきやなぎはほのしろい線をさまざまに交差させて揺れています。木蓮はもう白い花びらを惜しげもなく一面に散らし
てしまいました。また春が通り過ぎていくのかと、ぼんやり庭をながめています。
今日は安息日。少し家事をして、夕方は近くに住む母達と夕食しようかと思っています。
* 雨の日曜日 如何お過ごしですか?
急速に暖かくなったので、暖かいのは嬉しいのですが、逆に体調の狂いそうな感じがします。
昨日は中国、四国で地震。普段より長い揺れを感じました。神戸の時よりは、やや揺れは少なく物が倒れたりはしませんで
した。
梅、桃、桜をいっしょに楽しめるこの日々・・・最近お母さんを看取った友人と、泣き笑いしながら花を楽しもうと話して
います。年に一度日本に帰ってくる友人と会う約束もあり、この半月は忙しい・・。そして4月12日、シリアやヨルダンへの旅に出ます。
* 老いも若きも女性が豊かな言葉を持ち豊かそうな「時」を紡ぎつつ、憩いまた旅をしている。海外へという便り は、またうわさ話は、まず、ほとんどが女性のもので、男性は、会社の出張で海外へというハナシすらめったに聞かなくなっている。すこしもヒガム気はない が、「少年H」で、焼夷弾のふりそそぐ空爆を思い出し、闇市の騒音と国中の疲弊をうちひしがれるように思い出したあの半世紀昔と思い比べて、深い深い息を ついている。よかったという安堵と、不運に死んでいった戦陣への感謝と、また、いちまつ、こんな平和そうなままで、日本は、世界は、いつまでやれるのだろ うというそぞろ不安とが、心裏を交錯する。
* 豪華本『四度の瀧』をだしてくれた和歌山の三宅貞雄氏、週末に上京と。ひさびさに歓談できそう。四月には金沢
か
ら文学館の館長井口哲郎さんも国立劇場の「婦系図」へ、と。うまく出会いたい。
* 三月二十五日 つづき
* 昼に見たウィノナ・ライダーの「恋する人魚たち」が面白かった。名前のおぼえにくいこの初々しい思春期少女役
が純真にきれいで、ちいさい妹も、シェール演じる飛んでる母も、母の恋人になる背のひくい人のいいボブ・ホスキンスも、みな洒落た役を創っていた。もうけ
ものであった。
そして夜にみた、ジャン・トランティニャン、イヴ・モンタンやイレーヌ・パパスらの「Z」が、渋いけれど斬り込みの鋭
い、高度に批評的な思想映画であり、引きこまれた。
大河ドラマの北条時宗も、展開がよくなってきた。和泉元弥の時宗ははなはだまだ食い足りないが、伊東四郎、ピーター、
柳葉たち幕府の重臣連中がそこそこ固めていて、浅野温子、原田美枝子ら端倪すべからざる曲者女優もまだ働きそうであるし、北大路欣也たちの海外派も展開に
役立って来るだろう。楽しみに待ちたいのは禅と渡来の禅僧がどう登場してくるのか、だ。またご家人たちの層の分離や乖離がどう進んでゆくか、だ。
* ほら貝の加藤弘一氏から、メールで、電子メディアのいろんな問題点を、懇切に指摘してもらい、有り難い。もと もとわたしには荷の重いことばかりのある世間だけれど、文筆家の中からもだれかが接点を繋いでおかないといけないのだろうと、逃げ出さないように心がけて いる。教わった中にはわたしだけで利用しては惜しい、もつと大勢にも知られたい問題点・要点もある。
* 書籍の再販制は幸いに現状維持と結論された。この問題でも言論表現委員会を率いる猪瀬直樹氏は大活躍した。こ
の一年ほどの彼の言動は、以前よりも論理の的がしぼれておおきくは脱線せず、かなり強行・強引な前線突破は繰り返すものの、反動的な危険さは薄れて、安心
して攻撃力と活力に期待できるように成っている。ありがたい。梅原会長人事の最大の成功作として確乎とした成果を積んできたのが頼もしい。やかましいほど
怒鳴るけれど。それがちっとも恐ろしげに成らないので、眺めて楽しんでいるときもある。
ともあれ、再販制のことはなんとか成った。だが厄介な法案が成立をめざして目白押しに国会で出を待っている。これらに
も、ねばりづよく対応していないと、映画の「Z」みたいな国になってしまってからでは、どうにもならない。
* 能のことはまったく判りませんが、口絵の「十六」という能面の写真には驚かされました。能面の写真は何度か見
たことがあります。しかし、このような角度、照明での写真は記憶になく、なにかご本のただならぬ内容を暗示しているようで、一気に拝読しました。
平家物語とは、異本群のいわば総称であるというご指摘も興味深く思います。浅学の故でもありますが、平家物語はひとつ
とばかり思っていました。そういう文学・芸能を受け継ぐ下地がわが同胞にはあったのかと、改めて感じ入っている次第です。能・歌舞伎が延々と続いている今
日を考えれば、それは当然の見方かもしれませんが、それすらも忘れかけている現実の生活に恥じ入るばかりです。四十の手習いならぬ五十の手習いになります
が、ご本に刺激されて勉強してみようという気になっています。和歌もよく知らずに育った世代で、どこまで源平の世界を理解できるか心もとないところはあり
ますが、日本人の精神の故里も知らずにものの書けるわけがない、とも思うようになってきました。
* こういう便りをいただくと、嬉しい。
* 三月二十六日 月
* 上野重光氏の、狂言・浄瑠璃・能・小説を一気に仮にわたしが「四重奏」と名付け、「e-文庫・湖」第2頁に掲
載した。もっとも能「沈黙」はまだ本文の校閲ができていない。個人誌「晴巒」を刊行し、創作歴のながい、しかし、まだ若い作者なのではないかと想像してい
る。久しい湖の本の読者でもある。この四重奏はいわば上野さんの手の内をならべた感じで、どのように読者は読まれるだろうか。能、狂言、新内、茶の湯、焼
き物など、わたしの好みに極めて近接しているので照れくさくもあるが親しくもある。こういう作柄では、とかく作者の方が読者より先に舞って酔ってしまうこ
ともあり、その辺だけは心していたい。
英文の「TATAMI=畳」を「NOH=能』『NIWA=庭」についで第9頁に掲載した。もう一本「MAKU-NO-
UCHI-BENTO=幕の内弁当」も近いうちに掲載する。いずれも短いものだが適切な理解を示し得たと思っている。これらの原稿をかつて掲載した平凡社
刊の『日本を知る101章』は、便利な佳い本であった。
* 東工大の女性で、院生のあいだに、思い立って研究室から日々の短歌をわたしのもとへメールで送り続けた人がい
た。わたしも批評し続けていた。纏めてみると三百数十首にもなっていた。卒業し就職して中断していたが、また作歌しはじめたようだ、自分のホームページに
書き込み始めたと報せてきた。以前の作品もみな取り纏めて書き込んだようなので、読みなおしてみたい。
* いわゆる「紙の本」の読み続けて途中のもの、読もうと手近に控えてあるもの、も、枕元にどうんと積まれてある。意図
して調べ仕事に読んでいる本もある。器械の中でも、ひっきりなしに文字に目をさらしているし、テレビでは映画やドラマやニュース番組も見ている。比較的新
聞は見ていない、字の小さいのがイヤだから。
ただ、なにをしていても、いまや知識を蓄えたい気持ちはさらさら持たない。自然に覚えることは多いにしても、むしろ川
を自然に流れてゆく感覚でだけ文字の流れに心身をゆだねている。だから面白さへの共感も自然だし過剰な気張りはほとんど失せている。らくになっているなと
思うことがある。かえって、喜怒哀楽がすっとまっすぐ走る。
* 小説を書いて欲しいという声もむろん耳にするし、私自身、そんなわが声を身内に聞き入ることもある。
わたしは、いま、なによりも「生きていたい」ようである。生き生きと日々過ごしていたいらしいのである。ねばならぬ、
といった強制し強制される思いから、自在に自由でいたいらしいのである。幸い、それが、少なくも今は許されている。何の心配もなく、吾にも人にも迷惑にな
らず負担もかけずに。おまえは遊んでいるではないかと言われれば、そうなのである。わたしは今楽しんで遊んでいると自分で認めているし、それが生きる実感
になっている。しかし怠けていると謂った卑下も悔いも少しもない。孤独でもない。煩わしくも、ないと感じている。
* 三月二十六日 つづき
* 中央公論社社長で四年前になくなった嶋中鵬二氏の遺文集『日々編集』が夫人の手で編まれ私家版として贈られて
きた。モウンニングワークである。対談・鼎談も、また嶋中さんを哀悼する数氏の原稿も入っている。達意の文で折に触れて編集人、出版人として、また経営者
として、経営者の息子として、滞りのない筆致で多彩に書き語られてある。
夫人の「あとがき」も哀切である。嶋中さんとは一度だけ言葉をかわしたことがある。谷崎潤一郎が話題であったのは双方に
とって自然の成り行きであった。そのうちにまた会おうなどとリップサービスも頂戴した。大きそうな人であった。苦労もされたが、佳い時代の出版・編集も満
喫された人だ。その文章を通して、わたしもまた懐かしい昔の匂いを少し感傷的にかいでいる。
存命の頃に、小説集『閨秀』中公新書『古典愛読』を出してもらった。文芸誌「海」には谷崎論をはじめ小説も何本も載せ
てもらった。感謝している。
いろいろな人を見送った、こういうモウンニングワーク=悲哀の仕事としての「本」が、書架に、もう何冊になっているこ
とか。
* 単行本『対話』のなかで、「書かれる話し言葉 -インターネット上に見られる新しいコミュニケーションスタイ ル-」と題した西村由起子という人の論文を読んでいる。なかなか佳い。誕生する新しい対話表現の実例が面白い。少なくもわたしの交わしているインタラク ション・メールには殆ど現れてこない例ばかりなのも面白い。漢字で気分を説明したりしている。「独りでした・・・(泣) 」といったのが、たしかに掲示板などで見受けられる。擬態語・擬音語も。(クス)とか(プンプン)とか。わたしのところへは、六十すぎたお一人が、この手 の擬声語やツッコミをときどき挿入してこられる。気の若いおばあちゃんのようである。論文では、「斬新な表記方法」と評価してある一面もみえるが、陥りや すい「言葉の潰瘍化」現象とも謂える。わたしは避けている。
* 「四畳半襖乃下張」といういっとき世間を騒がせた謎の文章を、わたしは、コピーで、人にもらっている。東工大
の政治学教授がある日へへへと笑いながら呉れた。誰の作品とは分からずじまいにその猥褻表現が問題視されたのは、だが、「チャタレイ」裁判よりもずっと以
前であったような朧な記憶がある。跋には「昭和の二十一といふ年の春」の作とあり、これは敗戦の翌年であるが。
いまどき「チャタレイ夫人の恋人」を猥褻などと思う読者は一人もいないだろう、が、この作品はどんなものか。版権の所
在も知れず、試みに「e-文庫」に採録すると言ったら、身を乗り出す読者もあるのだろうか。この口調、この筆致、若い人には読めないかも知れない。
* 三月二十六日 つづきの続き
* 千葉県知事選挙で、無党派層にアピールした堂本暁子が綺麗に勝利した。わたしは、無理だろうと予測していたの で、驚いたし、嬉しかった。しかし政党もここまで見放されたのかと、日本の議会政治の現状に暗澹の思いも噛みしめた。どうなって行くのか。
* 今日、色々と考えたこと。
ご無沙汰しております。
今日、来年度予算が成立しました。私自身は、昨年6月くらいから、約10ヶ月間を経ての成立です。予備費や経済対策、
補正予算など色々紆余曲折がありましたが。
いずれにしても、予算が成立したことにはほっとしております。審議がしっかり行われたのか、とか、そんなに沢山のお金
を使って何をやるのか!等々付随する批判は幾らでもあるでしょうし、我々自身に正直に回答出来ない問いも多々あるのは事実です。
最近、特に思うのは、世の中には色々な事があるんだなぁ、という事です。良いこと(私が“良い”と思うこと)、悪いこ
と(私が“悪い”と思うこと)、どうでもよいこと(私が“どうでもいい”と思うこと)、一つの物事を中心に渦巻く周辺事項は、世の中の人の興味を掻き立て
るのに充分です。
物わかりが良いつもりも無いけれど、世の中で批判されている事(つまり新聞紙上で批判されていること)であっても、い
われのない批判を受けていて、かわいそうだなぁと思う事も多くあります。逆に、何でもっと批判しないのだろう、ということも。
情報の公開は、今後どんどん進んで行くでしょう。しかし、全ての情報を全て無色透明の状態で享受する事は100%あり
得ません。
私も含め、人々の心底からの“思い”がとても重要だと思います。誰であっても、そういった人々の心底からの“思い”
を、批判したり中傷したり無視したりすることは避けなければ、いけないと思います。そうでなければ、人々が“思い”を持つこと自体を、止めてしまうかもし
れないからです。悲しいかな、未だ我々の国では、このようにでもして、そもそもの“思い”を持つ行動自体を、暖かく保護してあげなければいけないのだと、
思います。
そういった意味で、独断的な行政は、人々のやる気を失わせるだけで無く、無用な対立と緊張を生み、効率的な行政を阻害
します。自らの“思い”は、まずその“思い”と反する“思い”を持つ人間に対して向けられるべきだと思います。そこでの対立は、“無用な”対立ではあり得
ないと思います。昔からやられている(?)根回しとは、正にこのことかもしれませんね。根回しも、公開でやれば、素晴らしい討論となる(かもしれない)で
しょう。
少しずつ、人々の“思い”が目に見える様になってきました。この動きはとても、とても大事にしなければいけないと思い
ます。そして、我々自身も自らの“思い”と他人の“思い”をぶつけ合い、新たな“思い”を作り上げる事に慣れなければいけないと思います。そのようにして
作り上げられた“思い”は、何よりもこの国、あるいは我々の町の行く末を託すのに充分な“思い”となっているはずです。
何を言っているのかよく分かりませんが、色々な情報が私の頭の中を駆けめぐって、こんな文章になってしまいました。予
算成立のけじめの文章を書くつもりだったのに・・・です。
思い出したように、こんなメールを先生に出したくなりました。先生の“思い”と反する部分もあるかと思います。
また、思い出したようにメールをさせて下さい。
それでは、お体に気を付けてお過ごし下さい。
* この青年からもらった幾つも幾つものメールの中でも、きわだってわたしを喜ばせた、今日の、このメール。そう
は、うまく行くまいなと懸念する部分も、むろんあるけれど、まっすぐにものを見て、感じて、少しも潤色せずに書いてくれている。噴出する自前の言葉をかな
り正確に用いている。そういうことのいかに難しいかを、わたしは幸か不幸か知っている。優れた青年たちの誰もがこのように語れるとは限らないのだ。おおか
たは、こうは書けないのだ。もっと深く迷い、何に迷っているのかすら、いつか見失って行くのだ、痛ましいほどに。
この彼も、迷っていなくはないし、日々の状況に戸惑い怒り悩んでいるはずだ、が、そういう自分自身がいつも自然に見え
た状態で生きられる人だ。
だが、そこで惑乱し悩乱してしまう人もいる。遙かに数多くが、そうなのだ。ものごとをまっすぐ深く見たりするなんて、
危険なのではないか、安易すぎないかと怯える人は、けっこう数多くいるのである。
このメールを肯定しようと否定的に読もうと人それぞれだが、彼の関心や姿勢はべつの次元にある。この青年国家公務員
は、学生の頃から、自分をつよく表現できただけでなく、自分と相反する考えや行動の人がいて、その人にとっては、自分が自分で感じているのと同じほどつよ
くその人自身の考えや行動に自負・自信を持っているだろうことに、いつも柔らかく理解を示していた。同時に相反するもの同士の話し合いが不可能だとも、決
して思わない、それを避けない強さがあった。そのころから、そうだとわたしはこの青年を見ていた。口にもしただろう。それは年ごとに定かになって、わたし
は、それがいつも嬉しく、頼もしかった。いつまでも、いつまでもと、今も夢見ている。
彼には記念すべき今日今夜のこの感想には、おそらく、想像以上にはげしい自分自身への「挨拶」が籠められてあるとわた
しは感じ、息をのんでいる。一日の終わりに、つよい、厳しい、しかし心優しいものに触れ得て、幸せだと特筆しておく。ありがとう。おやすみ。
* 三月二十七日 火
* 今度の西国の大地震では、火事の出なかったのが不幸中の幸いであった。瀬戸内海を震源に中国も四国も痛めつけ られた。おそろしい。
* 去年のペンの日の福引であたったアマリリスの鉢が、テーブルの上で、大輪の花を次々に咲かせている。せまい我 が家の中で、じつは、手洗いが落ち着く小部屋を成していて、この季節は、もちこまれた庭椿の赤い花枝でいっぱいになる。椿の花は崩れ落ちてからでも贅沢な ほど美しい。もったいなくて掌にうけて見入ってしまう。
* 黒いマゴが、テラスから一気に書庫のエプロンに、そして屋上庭園(は、チトたいへんな物言いだが、)へ、らく らく跳び上がって、引き留めようもなく好き勝手に「外遊」を楽しみに行ってしまう。食べたくなると、また夜はわれわれと一緒に寝るために、帰ってくる。掌 にも足りなかった仔猫が、雄大になっている。妻にはベタベタに甘える。妻がいないときはわたしにも盛んに甘える。
* 栃木の読者からおいしいお米ですと、三十キロちかくドーンと贈られてきた。たしかに、旨い。当分我が家ではパ ンというものを食べないことに決めた。パンには油分がどうしても入っていて、だから旨いし、だから血糖値にひびく。「あ・ウン」の呼吸といわれるぐらい、 油の節制と運動の励行とが糖尿病では大事。ところが、油が大好きで、面白くない運動などイヤだと来ている。炭水化物は、適切に、相当量は食べてくださいよ と看護婦さんに言われている。聞こえていったみたいにお米を大量に頂戴した。半年分はある。忝ない。
* 米田利昭という歌人が亡くなり、奥さんが、遺稿を本にして贈ってきて下さった。津田治子というハンセン氏病に 苦しんだ優れた歌人について長く連載されていた原稿を、纏められたもの。米田さんは生前から本にしたくて、亡くなってみると、「本」と書き添えた預金通帳 が出てきましたと奥さんはあとがきに書いていられる。「本」というのは、ものを書き創り命を削ってきた者には、それほどのものである。死なれたもののモウ ンニングワーク=悲哀の仕事は、この場合も、嶋中鵬二氏の奥さんの場合も切ない。
* 古典の栄花物語は、物語であるが歴史であり、歴史にしては物語であるけれど、だから面白いし、おまけに平安時
代の物語の中では一二をに読みやすい。わたしはそう感じている。女性の筆であるが、さっぱりとした人柄なのか、物言いが比較的ねじくれない。さらさらと直
に話が流れてくるので、戸惑いが少ない。大きな全集で三巻もあり、平家物語よりも長いが、長く感じない。
読み上げたら、次は、ウイーンの甥の猛がいましも読んでいるという、日本書紀を、全巻読み返してみようかと思う。
しかし、道長栄華の訪れ寄る頃には、次の配本で、浜松中納言物語が手にはいるという予告、渇望していた初読の物語だか
ら、それが先になろうか。たぶん、すぐに飛びついてしまうと思う。
この間まで俳諧・俳文を読んでいたのが、栄花物語へ行き、今度は日本書紀か浜松中納言かと、読書の向きがめちゃくちゃ
であるなと思われても仕方がない。だが、なんで今さら学習のために、系統だった読書をしなければなりませんか。死ぬまで勉強ですというのは、尊敬される最
もみごとな生き方であるらしいが、勉といい強といい、どっちみち頑張っていてあまり自然なことではないのだ。おのずと選別の利く体験をしてきたのだから、
残り惜しい時間のために、好みでない、程度の低いものは自然に避けるし、途方もない脱線はしていない。好きにしたいだけだ、こと読書に限らない。
* 三月二十八日 水
* 安部英氏のエイズ裁判に無罪宣告は意外で、驚かされた。判決理由にもよるが何を言っているか見当がつかぬでも ない。法廷技術に長けた弁護技術の勝利なのではないか。それにしても、という気持ちが残る。当然に控訴ということに成るだろう。被告の高齢は気になる。裁 判の全うされることが今後のためにも必要なのだが。またこれが、残る厚生省役人への判決に後味悪く気味悪く影響しないようでありたい。目が放せない。
* 高校の選抜野球をときどき覗いている。すっかり子ども達の画面として見える。結婚してからかなりの間は、子ど も達のゲームと思えないほど一体感があったものだ、あの感じが懐かしい。仙台育英の長崎海星にたいする終盤の逆転攻防は見応えがあった。
* 世に映画の種は尽きじとツクヅク思います。試写で観た映画「スターリングラード」は、全シーン、その地でのロ
シアとナチスドイツとの歴史に残る実質ドイツ敗退の壮烈な戦いで、狙撃の名手であるヒーローも、実在の人であったそうです。
最初から何か変だと思い、すぐ気付きました。アメリカの戦争映画は常にアメリカ兵が主役なのです。この映画はロシア兵
が主役です。時々錯覚しそうになりました、時代は少し変わったようです。対立の政治状況で、第二次大戦中の物も含めソ連を良しと描いた映画を観た記憶が、
私にはありません。
観客の大半を占めていた若い人の実感を聴いてみたかった。子どもの時ながら戦争の被害も多少受けた私など、悲惨な戦争
は未来永劫映画の中だけで結構だとツクヅク思いました。
「グラデイエイター」もビデオで観ました。さすがに今年のアカデミー賞を取るだけの観ごたえがあり、昔のハリウッド大
スペクタル映画「以上」の何かを彷彿させました。
* 映画好きな老人、少なくない。このメールは孫の二人いる、男性ではない、おばあちゃんである。
わたしなど、たまたま目の前のテレビにあれば、良ければ付き合い、いやなら途中でも逃げ出す程度でしかない。しかし、
映画は好きである。文藝では、「読み物」など読みたいととくべつ思わないのに、映画だと娯楽ものも歓迎している。新聞に「星三つ」の好評予告があると敬意
は表しているけれど、星数少なくビデオにとらなかったのが悔しいほど面白いものも幾らもある。批評家の誉めているもので退屈なもの、幾らもある。
* 「e-文庫・湖」の第2頁に、高橋由美子さんの創作を「森へ」を掲載した。二作目である。まだ、どこへ行き着 くか分からないが、何かがあり得るかと、待っている。いま、もう一人の人の投稿作も読んでいる。年齢的にも生活の状況も二人は似ているのかも知れない、二 人とも会ったことのない書き手だが。
* 加藤弘一さんにもらっている文字コード関連の長いメール、誰にも関心を持たれ深められていいパソコン世界の現
実の問題なので、お許しもえているので、項を改めて披露しておきたい。
* 三月二十八日 つづき
* 以下、加藤弘一さんからのメールを、許していただき掲載する。
* 余計なことかもしれませんが、3月22日の項目にお書きになったいくつかの点について、参考にしていただけれ
ばと思い、いささか愚見を書きます。
ATOK14の文字表に有るのに、貼りつけると「?」になる件ですが、これは文字を貼りつける側のソフトが、シフト
JISモードだからです。シフトJISモードでは、シフトJISにはない文字は「?」になります。
Windows98上でも、一応の知識があれば、ユニコードモードの文書を作成し、シフトJISにない文字を使うこと
ができますが、何もしないとシフトJISモードになってしまいます。
これは文字コードの問題というより、「Windows」の問題です。年内に出るという「WindowsXP」では、あ
る程度改善されるらしいです。
ただ、ホームページに限定すれば、実体参照方式を使うことで、シフトJISモードのページでも、シフトJISにない文
字が出せます。拙サイトの「作家事典」
http://www.horagai.com/www/who/
では、実体参照方式で人名を表記しています。
たとえば、森オウ外は、
森鷗外
とソースに書きこめば、正しい森オウ外になります。「鷗」という記号列がユニコードの「オウ」を
表しています。
(実体参照については、加藤弘一著『電脳社会の日本語』岩波新書の220-3ページをご覧ください)。
実体参照に対応していない旧型のブラウザでは、「?」になったり、「鷗」という記号列がそのま
ま表示されてしまいますが、拙サイトの場合、昨年11月時点で旧型ブラウザ利用者が
5% を切ったので、画像貼りこみ方式から実体参照方式に切替えました。
(新しいブラウザのインストールには、通常、雑誌付録のCD-ROMを使います。付録のCD-ROMには、
InternetExplorerとNetscapeの最新版が必ず入っています。きちんとしたインストーラーがついているので、市販ソフトと同じよう
に、数回マウスをクリックするだけで、簡単にインストールできます。拙サイトの来訪者を見ると、大きなバージョンアップがあると、三ヶ月程度で、大半の人
が新版に入れ換えています)。
ユニコード文字表で目当ての漢字の番号を見つけるのは大仕事ですし、煩雑な手順が必要なので、わたしは「今昔文字鏡」
で字を検索し、「形式を選択してコピー」の「Unicodeタグ(10進数)」で入力しています。「文字鏡」はよくできていて、常時立ちあげておけば、一
瞬で目当ての文字が見つかります。前に使ったことのある部首や漢字は履歴が残りますから、「コピー履歴」、「部品履歴」の一覧表からすぐに呼びだせます。
わたしの経験の範囲では、一万字を超えるような文字セットでは、文字表というような形でとうていは把握しきれません。
印刷物ではなく、「文字鏡」のよう検索ソフトが不可欠です。
* 文字コードの現状について、私見を書きます。
僻字に関しては、ISO 10646=ユニコードに、すべて入れるということで国際的合意ができていると思います。
「今昔文字鏡」や「GT書体」に収録されている漢字は、異体字を除けば、目下候補を募集中の「拡張C」で、網羅される
らしいです。
中国は継続的に簡体字を追加する必要があるということなので、「拡張C」が終わった後も、何年かおきに「拡張D」、
「拡張E」……と、ISO
10646の拡張がつづけられる可能性が高いでしょう。
「文字鏡」など、大規模文字セットに漏れた僻字については、今後の拡張にまかせておいてよいのではないでしょうか。
問題は異体字、特に住基ネットにからむ人名異体字です。
ISO
10646は当初、ユニコードに同調して、漢字統合の方針をとり、異体字収録を制限していましたが、『電脳社会の日本語』205〜7ページに書きましたよ
うに、日本側関係者のご尽力により、1999年11月に漢字統合を廃止し、ユニコード側も、これを了承したということです。若干、微妙な点があるようです
が、「拡張C」候補には相当数の異体字があがっているそうです。
必要な異体字がすべてはいるのならば、ISO
10646=ユニコードに反対する理由はありません。むしろ、国際的な情報交換の基盤として、積極的に普及を応援すべきだと考えます。
目下、求められているのは、日本として、どのような異体字の追加をIRGに提案すべきか、国内的な合意を醸成すること
ではないでしょうか。
ロードマップはわからないのですが、「拡張C」収録字までを含んだユニコードが、一般的なパソコンで使えるようになる
のは、2004〜6年頃ではないかと推測します(このあたりは文字コード委員会でご確認ください)。その時点で8〜9万字の漢字が普通のパソコンで当たり
前に使えるようになり、漢字コード問題は解決します。
(包摂規準のずれと、過去の無理な統合の後始末という問題はありますが、どちらも過渡的な問題でおさまりそうです。)
* さて、住基ネット(住民基本台帳ネットワーク)です。
住基ネットは、当初、代表的な人名異体字を収録した独自文字コードと、画像貼りつけを併用し、画像貼りつけを使う何
パーセントかの人は、氏名が端末から入力できず、住民票の交付を受けるには、住民票番号を使うしかないというとんでもない設計だったようです。
住民票番号が必要になるのは、画像貼りつけの人だけではありません。
電子政府構想では、政府関係のシステムは文字コードはユニコード、サーバーはUNIX、端末はWindowsでやるこ
とに決定していて、実際、その方向で着々と整備されています。もし、住基ネットだけ独自文字コードを使われたら、個人を特定するのに住民票番号を使うしか
なくなり、国民総背番号制に進まざるをえません。
最近、ある筋から情報をいただいたのですが、昨年12月に、あの設計では住基ネットは政治問題化するから、ユニコード
にすべきだと、自民党有力者に進言する人がいて、事態の重要さに気づいた有力者は、旧自治省系官僚を押さえこみ、住基ネットをユニコードでやるように方針
を転換させたということです(「有力者」といっても、次期総裁候補に名前があがっている人ではありません)。
これで最悪の事態はまぬがれたわけですが、住基ネットに必要な人名異体字がユニコードにはいらない状態がつづけば、ま
たぞろ、国民総背番号制に向かわざるをえません。
本当は、必要な異体字がすべてユニコードにはいるまで、住基ネットを凍結すべきですが、当面は外字としてあつかい、正
式にはいった時点で変換するという抜道があり、総務省はその方向で検討をすすめているらしいです。
「拡張C」の締切は今年の9月と聞いています。なんとかそれまでに、住基ネットの人名異体字を総務省に提供させ、日本
提案として、IRGに追加を申請する必要があるでしょう。時間はあまり残されていません。
以上、思うところを長々と書きました。参考にしていただければ、幸いです。
* とても理解の及びかねる部分も有れば、ああそうかと教わったり、先に希望をもったり案じたりの問題も含まれて ある。このように親切な手引きにあずかることに感謝している。
* 文字コード委員会でも他の場所でも、わたしは、たいてい発言者へまっすぐ顔を向けて、頷き頷き聴き入るように
している。しかし、話の分かっていない場合も少なくない。人はああ分かっているのだと想像するだろうが、そうでないことがママ有る。それはおかしいではな
いかと言われそうだが、分からないから横を向いてしまうと、それはもう完全なお手上げの放棄になる。自分で自分に分かろうという姿勢を棄てさせるともさら
に深い穴に落ち込むので、わたしは、わたしを分かる方向へ仕向けているのである。そうでなければ、わたしが電子メディアの世間で発言したり行動したりな
ど、もともと出来るわざではないのだ。
文字コード委員会で「講習会」しましょうといった提案もだから出てくるのであり、つまり、こいつを見放すわけには行か
ないなという親切なのだと、感謝しているのである。
* 三月二十八日 つづきの続き
* 歌人高橋幸子さんの自撰五十首を「ひともと芒」と題して、「e-文庫・湖」第七頁に掲載した。和歌や歌謡の味
わいを飄逸に、だがしっとりとした措辞の妙にのせて歌いだせる達人である。能の舞いや謡いに自身堪能な人で、連句も嗜まれる。湖の本でも、久しい有り難い
お付き合いである。
今日は、義妹の詩編と、短歌の冬道麻子さんからの私家集が、それぞれべつに届いている。
* 案の定、浜松中納言物語が届いた。嬉しくて堪らない。なにしろ古典に触れ始めて以来贔屓の更級日記著者による創作
か、といわれているのが一つは大好きな「夜の寝覚」で、もう一つがこの「浜松中納言物語」だ。しかも初めての出逢いだ。次は「うつほ物語」の第二巻が来る
という。日本書紀にとりつけるのはだいぶ先のことになりそうだ。ゆうべも遅くまで栄花物語にとりつかれ、夢にまでみてしまった。
* 東工大から花便りがあり、もう七分どころではない咲きようだとか。心誘われる。和歌山の三宅貞雄氏が明後日に
わたしに逢うために、わざわざ山形へ旅の前に東京に立ち寄られる。これはもう「花」をご馳走する以外にもてなしようがない。
* 三月二十九日 木
* 妻の妹黒澤琉美子から、亡き兄保富庚午を偲ぶ詩編二十余が送られてきた。兄にもらった筆名の「あぐり」で。七 編を選んで、これは、「e-文庫・湖」第一頁の追悼のなかに組み入れた。義妹は、気持ちの澄んだ詩を書き、巧みに繪も描く。詩も繪も、少し身贔屓していえ ば、素人ばなれがしている。
* いまウイーンの甥が電話してきて、昨日で三十になったという。三人の年長の友に囲まれてちいさな誕生会をして もらったという。ユダヤ系のインド人のために、「荒城の月」を訳して唱ってあげたという。その訳詩が欲しいというと照れてにげた。ラグビーもやっているら しい。彼が入っているウイーンの大学では、学生のほとんど女性だが、ラグビーをやっているのは体格旺盛な男ばかりで、元気なもんです、と。
* 雨。桜が落ちて仕舞わぬことを願う。義妹のいい詩を書き写していて、気分が静かになった。
* ペンクラブのメール会員に、電子本の出版契約に関する「要点・注意点」をペンのホームページに掲載したので見
て欲しいと、同報メールを事務局に頼んだ。メール会員が日増しに増えているはずだ。
YAHOOから、わたしのサイトを、わたしのために、どことかへ登録しましたと報せてきた。よく意味は分からないが、
ホームページ「秦恒平の文学と生活」を開いて満二年。何の宣伝も売り物もなしに、いつしかにアクセスが26000近くなってきた。右顧左眄せず、信じたま
まを愚直に続けてきたのが、よくもわるくもこのような現在へ導いてきたのだろう。
* 和泉鮎子さんの自撰五十首「十六」を、昨日の高橋幸子さんについで、今届いたメールから「e-文庫・湖」第七
頁のトップに入れた。たいへんみごとに撰歌されていて、読み応えがあった。
人によらず、ただもう届いた順番に積み足している。新しい寄稿が頁のいちばん前に来る。すでに二十人。 いずれ、この
詩歌の頁は、人もおどろく充実の詞華集「湖=umi」として識られるようになる。寄稿を予定してくれている人は跡を絶たずある。手元に、なお二三控えてい
る。
上野重光氏の創作「四重奏」の「能・沈黙」も、作者自身でテキストにして再信され、いま、所定の位置に他の三作ととも
に掲載した。力作である。能の表記法などおいおいに工夫してもう一段読みやすくしたい。
* 三月二十九日 つづき
* 東大の西垣通教授から岩波書店版『インターネットで日本語はどうなるか』が贈られてきた。
多言語情報処理や機械翻訳はどこまで進歩しているのか、と帯に書いてある。さしあたりそんな難しいことは、見当もつか
ない。「日本人にとって英語とは何か」も、興味はあるが当面パス。だが「コンピュータの可能性と課題」には目を通して置かねば。
わたしにも関わりのあるのは、「日本語はどうなるか」だ。ここでは、「インターネット多言語情報処理環境」と「ナショ
ナリズム対グローバリズムを超えて」が、論じられる。文字コード問題にも当然触れられるだろう。たぶん、分からず屋の文筆家発言はかなり窘められているか
も知れないが、或る程度は余儀ないことであり、或る程度は我々との関心のずれも読みとれるかも知れない。
世界語のなかで「日本語」の位置づけなど論じられているとしたら、そういう日本語の在りよう
べつに、わたしなどは、日々に「日本語」を用いての「表現」や、また東洋語の「再現」「研究」について、さらには、それ
につれて日本語の表現力にどんな質的影響がもたらされるであろうか、などに強い関心を覚えている。委員会等でのわたしの発言は、基本的にここを土俵にして
いた。
文筆家たちは、このコンピュータ世界ではひどくひどく出遅れた。いまなお大変に遅れている。知識もなく、やつとあとを
追い始めたとき、知識を持って先行していた人たちは、はるかな先まで走っていた。その人たちのコンピュータや文字問題を語る言語は、後続車からははや外国
語に等しいほど難しかった。だが、いや、だから、我々はあまりに出遅れた分をハンデにしながら、考えたり、語ったり、要請したりせずには済まなかった。い
やもう、その出遅れたるや、おそるべき程度に出遅れていたのであるし、それと同等に、先行していたコンピュータ知識人たちは、広義の日本語・東洋語文筆家
たちのことを、アタマから蚊帳の外に放り投げ過ぎていた。それは、ハッキリ言って勝手が過ぎたものと咎められて仕方ないとわたしは思っている。
あげく、あまりに狭い範囲での狭い実用のためのコンピュータ言語をあやうく固定化しかねない有様であった。「表現」の
微妙な価値など考えてもいなかったし、読書や研究を無視した「実用」だけの一人旅であった。「表現」と同行二人ではなかったのだ。
やっとそれに気づいた我々の側が、知識の不足は覆いがたい迄も、気のつく限りの故障を申し立て、希望し、大声を上げな
ければ、先行していた関係者は聴く耳すらあまり持ちたがらなかった。それはわたしが実感した事実だ。だから、早く言っておかねばならぬ事を、適切な言い方
すらわきまえ得ないまま、とにかく言って置く必要が是非あったから、文筆家のごく少ない人数は、誰彼なく、機会あるごとにいろいろ発言したし、その発言も
ばらばらで、矛盾も撞着も無知も失見当もあった。それが分からずに言うのでなく、分かっていた。わたしなど、何を言うときでも、己れの無知は承知の上だ、
だからトンチンカンを言っているだろうが、理解すればすぐ改めるからと、いつもいつも断り断り発言してきたものだ。
そういう段階を、われわれは、まだ抜け出てなどいない。わたしは、少なくも、抜け出ているとはよう言わない。だから
「講習会」ハイ有り難うと受けるのである。
西垣さんたちの議論は、とても深い。学問的であると謂えよう。それに学びながら、しかし、まだまだ日本語の文筆家もそ
の団体も、おめず、臆せず、希望を述べ意見を述べ故障を言いたて愚痴も言い立てて頑張るべきである。なにも、この十年、二十年で片づく問題とは思われない
のだから、現段階では知識人の厄介がる技術的な煩雑なども、電脳優秀人がうそのように解決してくれる時もあり得るのだから、専門家の前にあまり遠慮ばかり
してひれ伏すべき段階とは思わない。
器械で日本語や東洋語を読んだり書いたり、研究したり表現したり、そんなとんでもないことを始めたのは、つい昨日のこ
とで、結論じみた議論などなくも我々からは出せるわけがない。分かっていることは、このコンピュータは、しぶとい文明であり、インフラとしてかなり長期に
人類社会に生き延びる可能性をもつと思えることだ。今日の専門家の理解であれ、百年後には、子供の目にも子供以下に見られてしまうかも知れないほど、状況
は激しく変わるだろう。進むだろう。それぐらいのことを思いながら「言語」「日本語」「東洋語」の運命や力を永い永い距離でみるならば、今は目前のこぜり
あいも盛んにすればよく、また茫漠とした大きな空想に類する不経済な視野すらも持って良いだろう。
わたしは、そう考えている。
* 共立出版から「インターネット時代の文字コード」という編著も出て、文字コード委員会で購入を勧められた。お
そらく最善の解説と指導とが書かれ語られているであろう、が、こういう時期の一つの特徴として、問題を整理したい意向の中に、ある種の固定化や狭隘化、大
きな大きな文化的展望の欠落なども有って不思議はない気もしている。謙遜に勉強しながら、とかく専門家のそれゆえに陥りやすい盲目ということも有るのは、
どんな学問や専門の領域にもみうけることである。ことに言語や文字ともなれば、思いがけない文化的な視野と視点とが隠れているものである。それを懼れて、
専門家はとかく問題の範囲を絞ろう絞ろうとし、大事な指摘や関連問題などを、今はそれは無関係だと過度に排除したりする。それが「専門的」という意味だと
言わぬばかりに。だが、少なくも文字や言葉による理解や表現に関わることは、十の所を三十にも五十にも汲み取らねば済まぬこともある。例えば文字コード
も、そのごく限局された技術的な課題・話題に過ぎない。文筆家にとっては、「文字コード」をたとえ主題にしていても、それはいわば通路のようなもの、越え
ねばならない老の坂のようなもので、「表現」とか「研究」とかいう本能寺は、べつにある。それへのメリットを絶えず考慮していなければ済まないから、文字
コード問題にも関与するのである。そういう趣旨の「講習会」も、逆にしてあげねばいけないのかも知れない。怒られるかな。幸い、わたしたちの電メ研には、
西垣さんも坂村さんも委員として参加していただいている。しっかり学んでゆきたいし、ご指導をぜひ願いたい。
* 三月三十日 金
* 雨あがりの日差しが、きんいろに窓に光っている。花はどうだろうか。鴈治郎が坂田藤十郎に、勘九郎が中村勘三
郎に、と。病気をしないで、襲名興行まで元気でいたい。はんなりした芝居になるだろう。
外国用心の皇室接待の席をサボって寿司屋にいたという、森喜朗の行儀の悪いまさに総理怠業の非常識に、何よりその後の
居直りようの浅はかさに、グタッときた。そんなのとくらべれば、梨園の噂の方が気が和む。
以下のメールをもらっていた。朝から、気分がシャンとした。
* じれったい私の作品のために、大変御面倒をおかけし、心より御礼申し上げます。
中学生の時にビートルズに出会い、音楽に傾倒してから、30数年聞き続け、今も音楽を中心にしたお店で働いておりま
す。音楽は私にとってただの趣味ではなく、生き方そのものであり、また、はやり廃りとは関係なく、詩や音作りに思想や哲学を持ったものに惹かれてまいりま
した。そこがうまく書けないのですが。
私の若い頃は、人生の模範にしたい人が見当たりませんでした。芸術に貴賎があると思っている一部の中には、ろくに教育を受けていない4人の若者が(ビート
ルズ)大きな才能を持ち高い評価を受けていることに耐えられない人もいました。しかし彼等は、国を超え言語の壁を破り、世界中の若者を熱狂させ、あらゆる
決まりごとや権威主義を破壊しました。
作中のグレイトフル・デッドは、その詩がビートニクの流れを受け、オリジナリテイ溢れる音楽で多くの若者をやはり熱狂
させました。かれらの音楽からは、激しく鳴らせば強い気持ちが伝わるものではないと、むしろ研ぎすまされたやさしい音のほうが、ときには強い気持ちを伝え
ることができると、教えられました。音楽を集中して聴くことは、自分以外のすべてのものを見ることだとも。日本人のなかにはただのヒッピーバンドと捉える
人もいるようですが、かれらは多様な音楽的実験を試み、他のバンドに先駆けてインターネットで世界中のフアンに情報を発信していました。ほとんどのロック
が巨大音楽産業に飲み込まれて行く中、決して自分たちのやりかたを変えることなく全米ナンバー1ヒットも飛ばし、95年のリーダーの死をもって、30年の
活動に終止符をうちました。
音楽以外では、70年代の激しい時代のうねり、映画やアートに強い影響を受けました。
* 「森へ」の作者から、はじめて、こういう肉声を聴いた。これまでは普通のメールの往来と、ただ書かれたものを読んで
いただけ。此処に書かれた「音楽」事情などは、わたしの最も疎い領分で、作品を読んでいてもその音楽のことは、作の仮構なのかそういうレコードが実在する
のか分からなかった。正直のところ音楽のもつヴィジョン(音楽に対してへんな物言いだけれど、)はよく掴めなかった。作者の上の感想をナマで書き込むわけ
には行かなかったが。
とにかく新鮮な印象を、作に対し、作者に対し付け加え得たのは有り難い。「若い」主婦ではないとことわっているが、そ
れも知らない。わたしよりは、だいぶん若いのはたしかだろう。
上のメールからは、さすがに作中の少女とはべつの明晰な意識が感じ取れる。どのように作の世界が拡充し佳い映像を描き
出してゆくか楽しみたい。何が書きたいのか。その強い把握から深い美しい真実感に富んだ表現を期待したい。
「森へ」は、さらに新たに作者の手の入った新稿に入れ替えてある。
* 「仕事は遅いほうではない」というようなこと、おっしゃってでしたけれど、まあ、びっくりいたしました。さっ
そく、お目を通してくださり、身に過ぎたおことばを添えて、「のぞみ」並みの早さで、「e文庫-湖」に掲載してくださいました。うれしうございます。
「十六」という題に、はっと、胸をつかれ、そして、なんという佳い題をくだされたものかと、目頭があつくなりました。
永遠に十六歳であるおとうとへの何よりの賜りものでございます。
『修羅』の箱、そして、このたびの「湖」の扉の、あの「十六」、それから舞台の敦盛や経政をおもった、わが思いあが
り、おゆるしいただきとうございます。一所懸命生きた少年ということで。
幾箇所かに、ふりがなをつけてくださいましたお心配りも、かたじけないことでございます。
いま、「絵本」を、縦書きにしてプリントさせていただき、読んだところでございます。
「セキツイカリエス」ということばを、わたくしも少女のとき、知りました。長女であった母の末の弟、叔父さんというには若過ぎて、みき-おにいちゃんと呼
んでいましたが、それを病んでいました。『「世の中」というところ』へ出てゆく間なく、あの世というところへ行ってしまいました。
おとぎばなしめかせているけれど、こわれそうなうつくしさと浮游感、その裏にうっすら刷かれている酷薄。繊細な少女の
目がとらえた、かの日かの時かのところ。もう、地上のどこにもない──。
忘れていた記憶を呼びさまされ、わたくしが、亡きひとに捧げ得なかったことばのくさぐさに思いいたったりしました。は
ては、「小さな木の寝台」に少女のわたしがすわっていたり……。
かなしくてうつくしい刻を分かち与えていただきました。
ねむりにくい夜になりそう。しずかにおもうことにいたしまょう。この詩を、わが亡き人たちを。
* 三月三十日 つづく
* 三時半、お茶の水駅前で和歌山からの三宅貞雄氏と会い、花見は上野か千鳥が淵か東工大がいいかと聞くと、言下
に東工大へと。それならばと秋葉原経由、目黒経由、大岡山へ向かった。桜は九分から満開へという絶好の花見どき。本館前から、教授室のあったもとの建物へ
まわり、事務室で中村さん、高木さんという懐かしい事務室の顔をみたあと、緑が丘の方までゆっくり散策してきた。
今年は開花が小一週もはやめで、まだ入学式にもなっていない。学生たちの姿もほとんどなく、大学の花見ではかつて一度
もなかった、爛漫の桜並木のしたに人影の全然ないという静寂の花見が楽しめた。
新館の建設で魅惑のスロープがまったく殺されてしまい、青い芝生も美しく咲いた桜の木々もかた無し。淋しい限りであっ
た。
* シチューの「林」へまわり、久しぶりに、この店の、牛のほほ肉、牛たんのシチューを、わずかのビールで堪能し た。旨い店。三宅さん大満足の体に、わたしも嬉しく。
* 大岡山から三田線直通にのり日比谷へ戻ったころには、とっぷり宵闇が落ちていた。帝国ホテルの「クラブ」で、
ブラントンとシーバス・リーガルとを交互に、久方の歓談に時を忘れていた。酢漬けの鰊、サーモン、打ち上げには「なだ万」から稲庭うどんを取り寄せて、三
十年になる久しい読者との再会をこころから楽しんだ。
三宅さんは、あす、山形へ。山形までいっしょにと三宅さんは思っていたらしいが、それは遠慮した。今夜の泊まりは八重
洲のふじやホテル。近くまで送って、有楽町から帰ってきた。
* もう読み上げていた「猪瀬直樹」の署名と印まで押した文庫本「日本国の研究」を、愛書家の三宅さんに上げた。
とても喜んでくれた。すばらしい書庫を建てたという、そこで、大切にされるにちがいなく、著者も喜んでくれるだろう。愛蔵の前に、だが、読んでほしい本
だ。それも念を押した。
* 三月三十一日 土
* ブルブルブル。雪とは恐れ入った。寒い寒い。マウスをにぎった手が冷たい。ストーヴなんて仕舞ってしまった。 しまった! 三宅氏は、山形で震えあがっているだろうな。
* 詩人で写真家の中川肇氏の、美しい詩17編を写真詩集『かけがえのない』から選ばせてもらったのを、「e-文 庫・湖」第七頁に掲載した。一読感銘をえられるであろうと思う。目の覚める美しい詩的な写真を撮られ、それに詩が一つずつ添っている。写真がないと分から ないのは省き、詩だけでわたしの胸にしみじみしみた作品を選び採らせてもらった。おみごとである。
* こんにちは。いつも「湖の本」を楽しみにしております。北海道の*です。昨日エッセイ22が届きました。いつ
も見返しへの辞をいただき、有り難く、お礼申し上げます。
こちらはようやく春らしい風が吹くようになりましたが、まだまだ雪も多く、朝には気温が零下に下がります。桜が見られ
るのは5月下旬、それも色の薄い蝦夷寒桜(山桜)です。
御地では花見の盛りでしょうか。上野や墨田川沿いが賑わう様子と、青いテント住まいの人々との対比が思い浮かびます。
なかなかHPを拝見する機会を得られなかったのですが、ようやく辿り着きました。盛りだくさんにトップページが膨らん
で、どこから読み始めたら良いのか、少々迷ってしまいました。それにしても遠大な目標を掲げられたことと驚くばかりです。
私の住んでいる町は北海道でも一番の山奥、人口1,900人余と静かなところです。
古書店はおろか、雑誌でさえ購う事がままなりません。もっぱら通販と出張時の纏め買いの繰り返しです。最近はインター
ネットで色々な事を楽しむ事もできるようになりましたが、やはり活字は、画面ではなく、紙で読みたいというのが正直なところです。
「湖の本」も、書架の一隅にその存在を確かにして納まっています。本の背を眺めながら、こんな状況でも本を読むことの
できる幸せをしみじみと感じています。
これからは時折このHPを覗かせていただきます。
思いつくまま書きましたがお許しのほどを。ご自愛ください。
* 嬉しいメールだった。わたしの姓とおなじヨミの、珍しいご苗字の久しい読者で、なんとなし親戚のようにながく 感じてきた。そういう人の、はるばるのメールで、一気に近くなった。人口1900人!! うわあっと感じ入る。なんだか、ゆかしく、なつかしい。男性とし か、年齢もお仕事もなにも知らないできたが、日々の、季節のお便りを待ちたい。
* とうとう三月も終わりになりました。宿題が大変遅くなって申し訳ありません。たったこれだけのものを纏めるの
に一ヶ月近くもかかってしまいました。
纏めながら、高等学校で美術の専門教育として、如何してもしなければならないことは何か?を考えつづけていました。そして、やはり「写生だ」と思いまし
た。「観察し、忠実に写しとる」これを繰り返し行うことで「観る力を養い、造形の力を培う」ことが何より重要な基本だと言えそうです。大学でだって同じで
すね。
しかし、実際には毎日毎日写生の繰り返しをするのは退屈なものです。ここで秦さんがたびたびエッセイで言っておられる「一期一会」の精神が重要になるので
すね。
以下、学校の独立に至るまでの経過を書きましたが、わざわざ読んでいただくほどのものではないかと思いながら、宿題なので送ります。
* 京都の陶芸作家で、銅駝美術高校の校長先生であった、昔、一緒に平凡社のやきもの取材に九州の窯場を巡り歩い た江口滉さんが、「美術専門教育の高校」について、実体験にもとづき銅駝校の歴史的な沿革を書いてきて下さった。一二項の追加で、じつに貴重なすばらしい 資料になる。一気に興味津々、読んだ。いま追加をお願いのメールを送った。京都でやっている雑誌「美術京都」の論説原稿としてもぜひ欲しい。
* 日々に新鮮な刺激を受けることができる。わたしに、このインターネットが今もし無かったら、それはそれで別の 工夫もしているに違いないが、このホームページに満載されている多くが、つまり「無い」日々なのだと想像すると、やはり、おどろくのである。液晶の影のよ うな文字や映像でどんな実感に触れたものが得られるものか、などと、したり顔の人もいるけれど、そういう肩肘張った偏見は、お気の毒というしかない。イン ターネットのために、それだけが唯一の価値のように囚われたりしていない人間なら、これを生き生きと利用し活用することは、難なく、できるし、またそうい う者には、インターネッが無かったら無かったで、これまた別の活況が工夫し出せるのである。とらわれるから、感想が偏ってしまうのだ。