招待席
よさの
あきこ 歌人 1878〜1942 大阪府堺市生まれ。作歌は『乱れ髪』(明治三十四年=1901)以降、五万首をこえる。 此処に掲載の詩編は、名高い
「君死にたまふこと勿れ」が明治三十七年(1904)九月「明星」初出。忠君愛国の日露戦争時代に果然反響を巻き起こしたが、毅然として退くことなかった
晶子反戦の真意は、「あきびと=商人」の自立心とともに、今にして露堂々と受け取れる。 (秦 恒平)
あゝをとうとよ戰ひに
君死にたまふこと勿れ
與謝野 晶子
(旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)
あゝをとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事か
君知るべきやあきびとの
家のおきてに無かりけり
君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみづからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ
あゝをとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され家を守(も)り
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髪(が)はまさりけり
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を
君わするるや思へるや
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ
──「明星」明治三十七年九月号──