「e-文藝館=湖(umi)」 詞華集

やまなか いとこ   詩人  
 1944年 愛知県に 生まれる。 日本ペンクラブ会員。 詩集「訣れまで」により、2001年度日本自費出版文化賞。「湖の本」がご縁の、もう久しい心親しい岐阜県在住の詩人 である。沈透くように清潔な詩の表現に柔らかい玉のひかりがある。  掲載の詩集は、砂子や書房より平成二十一年五月二日刊。三冊の詩集より十六編を心籠めて自編自愛の一冊。十六編を、少しずつ書き入れて行く。 (秦 恒平)




     水奏   
山中以都子



   桐の花    


 山すその火葬場に
 ひっそりと いま
 霊柩車が入ってゆく

 柩によりそうのは
 とおい日の
 わたしか

 はす池のほとり
 しんと空をさす
 桐の花
 
 父よ
 そちらからも
 みえますか



   いまほしいのは    


 なぐさめとか
 いたわりとか
 しったとか
 げきれいとか
 ──じゃなく

 そんな
 とりすましたものなんかじゃなく
 
 たったひとつ
 いまわたしがほしいのは
 てばなしのらいさん
 みもよもないほめことば
 かおあからめずにはきいておれない
 とてもしらふじゃいたたまれない
 むきだしのまっかなこころ
 ちぶさからほとばしる
 ひのことば

 かあさん
 あんなにわらったのに
 かあさん
 あんなににげまわったのに

 あんなにわたし
 めしいたあなたを
 べたべたのあなたのあいを
 あのころわたし
 あんなに あなたを
 あなたを
 かあさん……



   五月に


 父よ
 あなたの耳の底に
 小人たちの輪舞は
 いまも花を降らせるか

 ひとすじの煙となって
 たちのぼっていったあなたの
 かたく合わされたしろい指に
 奪われたままの叫びが
 しきりに背を刺す
 こんな夜には
 生まれたままの全身に
 しとどに濡れた
 ことばだけをまとい
 さえざえとあおい
 あなたの眼窩を泳ぐ魚となって
 なくしたものと
 得ることさえできなかったものの
 ひとつひとつのはるけさを
 いつまでも
 いつまでも
 巡りつづけていよう



     失くしたものは


   さくら吹雪に誘なわれて春の逝く日、きれぎれな眠り
 の岸に打ちよせられた夥しい花びら、そのひとつひとつ
 にくるまれた砕片。丹念に掬い集める指に絡みつく羞恥、
 たちのぼる悔い。やがて完成されたジグソーパズルのよ
 うに浮かびあがる青葉たちのありし日の姿、生まれたば
 かりのみどり児のような。 人目に触れることなく消えて
 いったあれは、わたしの意識の水面を束の間たゆたい沈
 んでいったものたちの、ついに結び得なかった映像、語
 り得なかった想い、いまも深いため息の奥の。
  届いた手紙の、行間を漂うかすかな気配に、薄い鼓膜
 を緊張させる午後、窓の外では猛猛しい驟雨、横なぐり
 の。葉裏を返して揉み合う樹樹の、冥い在り処を露にさ
 れたものたちの鋭い叫び、交錯する恐怖。飛沫を散らし
 て突っ切る翳を、片頬の隅に捉えながら、なおも硬直さ
 せる全身に、またしても聴こえてくるのは、生まれる前
 に死んでいったものたちの、声にならない声、言葉にな
 らない言葉、あの深いため息の奥の。



   雨のスケッチ


  幾日も降りつづいた雨のあとで、苔のように息をつめ、
 わたしのこころに生まれてきたものをそっといたわりな
 がら、なおも降りやまぬ雨脚をたどって、稜線を隠す重
 い雲へとさまよわせた視線をふいによぎって消えたのは、
 塒へ急ぐ鳥の翼だったろうか、それとも暁方の夢にしば
 しば訪れて、決まって背を向けて佇つひとの、はじめて
 見せたあれが噛みしめられた唇だったのか、もとより確
 かめられようはずもなく、ただ沁み透ってゆく目眩にも
 似た哀しみの、しずかにゆっくりとはぐくんでいるもの
 を、さらにやさしく庇いながら、せめてひそやかな決意
 へ実れと貧しい指を合わせる耳に、遠くでかすかに身じ
 ろぐもののけはいがする。



   水の中へ


  たちのぼるぞうげ色のもやはすこしずつ少しずつ濃さ
 をまし、たどる径はますます細くけれどもとぎれること
 はなく、水音だけがまるで飼い馴らされたけもののよう
 によりそって、わたしの眉のあたり扇状にさしだされた
 だいだい色の微光は、なまあたたかい舌でまたも執拗に
 くりかえす
 
──もうすぐですよ
  ためらいがちに踏みだす身体ごとかるがると抱きとら
 れて仰向けに流されてゆくただよってゆく、水の褥、波
 のゆりかご。
  空の蒼と水の青のとけあうあたり、あのなつかしい顔
 が静かにほほえんでいるのだが、名さえはやおもいだせ
 ず、やがておびただしい羽毛に瞼が、鼻孔が、唇がふさ
 がれおおいつくされ、しだいにうすれてゆく意識のきわ、
 とぎれとぎれにきこえてくるのは、すでにひとすじの光
 のなかに消えはてた顔の、歪んだ唇のいまわの声
 
──も・う・す・ぐ……



   雪、ひとひらの


 ──遠い日、山裾の小径の枯れた草むらに、小径により
 そうように流れていたやせた川面に、くぐりぬけた楓の
 トンネルのからみあった細い梢にもしんとひそやかに息
 づいていた哀しみにも似た、ひとひらの雪。苔むした墓
 石の文字の窪みに、ひざまずいて祈る髪に、うなじに、
 爪の先にもひとときとどまり消えがてに滑り落ちていっ
 たためいきにも似た、ひとひらの雪。動き始めた電車の
 窓ごしに手をふりながら遠ざかっていった黒いコートの
 肩先にあわあわとふるえていた啜り泣きにも似た、ひと
 ひらの雪。 
 ──きょう、ひとりの窓に舞う雪の地にさえ着けず消え
 はてるのを、あれがわたくし、あれこそがわたくし、と
 息を殺してみつめながら、空にただよふたまゆらを命傾
 けかがやけとさしのばす指をかすめて雪、ひとひらの。 



      そういえば

      煮凍を旦夕やひとり住    召波


 煮るか捨てるかってね
 魚は煮るのがいっとうまずいんだよ
 って いつも言ってたなあと
 思いおもい
 昼に鰈を煮て食べた

 窓ガラスのむこう
 残り少なくなった楓の葉が
 いちまい またいちまい
 散ってゆくのを眺めながら
 ああもうじき二回目の命日がくるなと
 こたつに頬杖ついているうち
 いつのまにか夕ぐれ
 
 ひとりのための食事のしたくにも
 このごろようやく慣れてはきたが
 今夜はなんだかものうくて
 うっすらと脂の浮いたこの煮こごりを
 鍋の底からとろりとすくって──

 そういえば
 煮魚には決して箸をつけなかったくせに
 煮こごりには目のない
 ほんとおかしなひとだった