招待席




   檢閲官  谷崎潤一郎




「や、大變お待たせしました。───あなたがKさんでいらつしやいますか。御名はかねてから承知して居ります。」
さう云つて、T檢閲官は警視廰の役人にしてはひどく如才のない態度を示しつゝ慇懃に會釋をした。Kはちよつと面喰つた。文藝の取り締りをする役人と云へ ば、恐ろしく高慢な、頑迷不逞な人間だらうと豫期して居たのに、一瞥したところ、思つたよりは物の道理の分りさうな人柄に見える。役人と云つても下廻りの 巡査や警部ではなく、何とか課長と云ふ要職に居るのであり、兎に角十年ほど前に赤門を出た法學士であるから、満更無法なことを云ひもしなからう、
───と、彼はいくらか安心した。
「御多忙のところをわざわざお出を願つて甚だ恐縮でした。
───
檢閲官はKがもぐもぐとロ籠つて居る間に直ぐと濶達な辯 舌で言葉をつゞけた。
「しかし、かうして作者自身にお目に懸ることが出來たのは何より好都合です。まあ此處だけの話ですが打ち明けたとこを云ひますと、私は眞面目な藝術に對し ては十分な尊敬を拂ひ、成るべく野暮な干渉をしたくないと云ふ考へでしてね、殊にあなたのお書きになる物は平素から愛讀して居る方なのですから、今度の事 も能ふ限りあなた方の御便宜を計つて上げたいと思つて居るやうな譯なんです。で、それにはどうしても一度あなたにお會ひした方がいゝ。お目に懸つて、お互 に腹藏のない意見を交換して、理解し合つて置く方がいゝと、そんな考へがあつたもんですからそれで御足労を願つたのです。若しも此れが、………あの『初 戀』と云ふ脚本が普通の興行師の手にかゝつ て、歌舞伎とか新富とか云ふ劇場で営利的に興行されるものなら、私の方では初めから妥協の餘地はないのです。しかし、今度の芝居は普通の興行とは意味が違 ふ。此れを演ずる俳優も在來の役者たちとは違つて、教養のある新しい劇團の人々であり、全然営利と云ふ事を離れて僅に五日間の興行であるし、見に來人たち も木挽町や淺草とは客種を異にして居る。所謂インテリジェント・フイウが相手である。………」
檢閲官はそこで言葉を區切つて薄笑ひを洩した、───多分、インテリジェント・フイウと云ふ文句を想ひ出してうまく使ふことが出 來たのが、得意だつたのであらう。
「………われわれと雖も、それだけのことは認めて居るのです。それを認めて居ればこそ、あなた方の純藝術的の立ち場を尊重すればこそ、かうしてあなたに來 て頂いて、何等かの妥協點を發見したいと望んで居る次第なのです。どうか此の點は豫め御承知置きを願つて、私の方でもあなた方の立ち場を諒とする代りに、 あなたの方でも、私どもの苦衷を察して頂きたいのですな。」
「いや、いろいろお骨折りで有り難うございました。仰しやることはよく分りました。私の方でも今になつて上演を中止する譯にも行きませんのですから、妥協 の道があるものなら妥協したいと思つて居ります。そこで、あの脚本のどの部分が、どう云ふ意味で不都合なのか、それをもう一度明瞭に指摘して下さることは 出來ないでせうか。」
「サア、其の點です。其點が頗る面倒なのです。今話したやうな次第で、あの脚本は厳格なる意味から云へば根本の思想からして許可し難いものになつて居る。
警視廰の立場から云へば何處が惡いと云ふよりも筋の全體が惡いと謂はなければなら ない。で、此際あれを許可すると云ふことが既に私共の方針に反して居る。ですからあの脚本に對する私共の態度には初めから矛盾があるのです。政府としては 成るべくあれをやらしたくない。併し全然上演を禁止するのはあれだけの藝術に對して忍び難い───此二ツの考へが
ある爲に、自然と私共の態度は不徹底になるのです。けれども其不徹底は畢竟あなたの藝術を尊重するのですから、どうか我々の苦衷をお察し願ひたいのです ナ。さうしてあなたの方でも藝術上の多少の不徹底は我慢して頂いて出來るだけ我々の方針に背かないやうに、
───どうせ背いて居るものであるが、その背いて居る程度を能ふ限り少くして頂くやうに、つまり我々が眼をつぶつて見逃すことが出來る點 に迄引下げて頂くやうにお顔ひする。マアそれより外に此脚本を生かす方法はないのです。さう云ふ譯で、あな
たは今惡い所を明瞭に指摘せよと仰しやつたが、明瞭に指摘すれば總てが惡くなるのですから、警察の眼から見て表面上我慢の出來ない點だけを指摘する、といふことに止めて措きませう。
───之だけの事は誤解を防ぐ爲め豫めお斷り申して置きます。」
「成程
───では僕の方でも豫ろ態度を明かにして置きま せう。既に斯うしてお招きに預つて此處へ出頭した位ですから、僕の方には勿論妥協の餘地はあるのです、唯問題は妥協の程度なのです、あの脚本のアイデアが 効果を弱められる程度の訂正ならば己むを得ないとして、其アイデアに背馳するやうな訂正なら到底承諾する譯に行きません。どうか此點は前以てお含み置きを 願ひます。」
「御尤もです、そこはお察しして居りますが根本思想には觸れないで、枝葉の文句だけを直して戴く。
─── けれどもですな、藝術上の作品に於て、思想と文句とは切放すことが出來ないでせう、一つ一つの文句の影に は必ず思想が潜んで居るでせう? (此處でも彼 は得意らしく微笑みながら)夫れは私だつて承知して居ますし、隨分無理な註文なのですが、今仰しやつたやうな根本思想には背馳しないで、其の効果(エフェ クト)を弱める程度の改正ですな、それをどうか、思ひ切つて弱め過ぎる點まで直して頂くことになるかも知れません。」
「宜うございます。まア兎も角も仰しやつて下さい。」
「そこで、第一幕目第一場、第二場、
───こゝ迄はこれ で差支ありません。第三場になつて、と書きに斯う云ふ文句があります な、『お才、風呂から上り、長襦袢の儘で座敷に這入り鏡臺の前に坐る』………此(長 襦袢の儘で)を消して頂きたいのです。」
「すると、長襦袢の上へ何かもう一枚着せたなら何うでせう?」
「さア
───一枚か、成るべくなら二枚、多い程結構です よ。」
「ぢや、二枚ぐらゐ着せてもよござんす。」
「さうして頂けば申分はありません。
───それからと、 その五六行先のところに『襦袢の上より女の膝を抑へていつまでも抓つて居る』といふと 書きがありますな、───此れもーつ消し ていたゞきたいものです。」
「成る程、
───しかし此れを消すと、此の次ぎにある 『抓るならたんとお抓りよ』と云ふ臺辭の方も何とかしなければならない譯ですな。」
 「さうです、まあさう云ふ事になります。」
「抓ると云ふことがどうしていけないのでせうか。」
「どうしてと云つて、つまりあんまり濃艶過ぎますから。
───長襦袢がいけないのも矢張り同じ理由なのです。」
「濃艶過ぎる? 
───それぢやもう一歩進めて伺ひます が、濃艶過ぎるのがどうしていけないのでせうか。」
「濃艶過ぎると、男女の劣情を挑發することになるから、成るべく其の邊はあつさりと願ひたいんです。」
「困りましたなあ、此處ンところはどうしても濃艶でなけりやならない場面なんですがなあ。僕としては、お言葉に従つて長襦袢の方を譲歩したんですから、此 處はこのくらゐで我慢して貰へないでせうか? 抓るにしたつて長襦袢の上からぢかに 抓るのぢやなく、その上へ着物を二枚も着ることになつたんだから、格別濃艶過ぎることもないだらうと思ひますがね。」
「いや、どうもちつと濃艶過ぎますよ。」
「ぢや、と書きからも
臺 辭からも抓ると云ふ文句を抜いてしまつて、舞臺の上でそつと爲種に現すだけは見逃して貰へますまいか。」
「どうも困りますな、
───どうも………。」
「しかし抓るくらゐなことは在來の芝居にいくらも許されてゐるぢやありませんか。」
「そりやないこともありますまいが、其處がむづかしいところなんです。何の芝居には斯う云ふ爲種が許されて居る、それだのに此の芝居に限つて其の爲種を禁 止する法はない。
───私どもはよくさう云つて攻撃され ます。けれども私どもの禁止するのは其の爲種にあるのではなく爲種が代表して居る其の場面の空氣にあるのです。『抓る』と云ふ動作それ自身は勿論濃艶なも のでもなし、男女の劣情を挑發するものぢやありません。だから場合に依つたらいくら抓つても差し支へない場面もあるでせう。殊に幼稚な舊劇や新派の芝居な どは、神経の粗い、線の太いものなのだから『抓る』と云ふ爲種があつてもそれほど目立たない場合が多い。しかしあなた方の書かれる戯曲はさうは行きません よ。ちよいとした臺 辭と書きにも鋭い 神經が行き亙つて居るのだから、『抓る』と云ふことが非常に力強い刺戟を持つことになるのです。此れは私のやうな素人が講釋するまでもなく、あなたの方が ずつとよく御承知だらうと思ひます。要するに、『抓る』にしろ『接吻』するにしろ、動作其の物が悪いのではなく、或る一つの脚本に就いて其の場合の感じが 主になるのです。或る爲種が、或る脚本では劣情を挑發する場合があり、或る脚本では全くさうでない場合もありませう。」
「すると此の脚本の此の場面は劣情を挑發するから悪いと云ふことになるのですな。」
「いや、誤解をなすつちや困ります。あなたの脚本が劣情を挑發する、
───さう云ふ云ひ方をすると、ちよつと穏かでないやうに聞えますが、私の意味はさうぢやないのです。もともと劣情を挑發されるのは見物 の方が悪いので、脚本の罪ではない。あなたの書かれた物は立派な藝術品ではあるが、しかしどんな立派な物でも、藝術の何たるやを解しない多くの観客に取つ て、それが劣情を起させる場合がないと限りますまい。私の云ふのはさう云ふ意味なので、つまり此の脚本の此の場面は、理解のない民衆に誤解され易いと申す のです。」
「でも、あなたは先、此の芝居の見物は普通の芝居とは客種が違ふ。所謂インテリジェント・フイウが見に來るのだと仰しやつたぢやないでせうか。」
「それはさうです、それはさうですけれど、
───それも やはり程度問題です。インテリジェント・フイウと云つても、眞に藝術を理解する者は極めて少い、甚だ失禮な申分ですが、あなたの此の芝居を見て、ほんたう に純なる藝術的感興を與へられるものは、恐らく観客中の一割か二割に過ぎないでせう、その他の連中は、口には『藝術々々』と云ひながら實は生囓りの文學青 年が多いので、彼等があなたの作物に惹き付けられるのは、其の中にある高尚な藝術的感興を味ふためではなく、其處に描かれた一種の變態性慾に不健全な興味 を唆られる爲めなのです、───あなたはどうお考へにな るか知れないが、あなたの崇拝者の十中の八九までは、さう云ふ分らずやの手あひに違ひないと私は信じます。彼等はあなたの書かれるものが濃艶でありさへす れば常に喝采します。あなたの描があまり濃艶過ぎる爲 めに、彼等はそれに依つて卑しい快感を挑發されながら、その快感が即ち藝術的快感だと思ひ込んで居ます。で、さう云ふ連中が多い間は、つまり藝術に對する 社會一般の眼がもう少し高級にならない間は、いかに立派な藝術品でも其れが却て害毒を流す場合があり得ると思ひます。成る程眞に藝術を理解する少数の人士 に取つては、此の脚本がどんなに濃艶過ぎたところが弊害はないでせう、しかし、政府が興行物の取り締りをする目的は、少数の人士の利益の爲めよりは、多数 人の利益にあるのですから、どうか此の點を考へて頂きたい。兎に角もう少し社會が發達して來なければ、此の脚本はまだまだ程度が高過ぎますな。」
「いや、僕は、そんなに程度が高いとは思ひません。僕にしたつて今の社會に生きて居る人間なんですから、その人間の書く物がそんなに世間からかけ離れて居 る筈はないでせう。」
「ところがさうは行きませんよ。何と云ってもあなたは天成の藝術家です。あなたのやうな人間が世間にさう澤山は居ないのです。
───やはりかう云ふ場面を見ると、劣情を起す人間が多いのです。」
「ちよつと伺ひます。あなたは先から、劣情を起す起すと仰しやるが、一體あなた御自身はどうなのでせうか? あなたが此の脚本を讀んで劣情を起すが故に、 多數の人士もきつと起すに違ひないと、さうお考へになるのでせうか。」
「あはゝゝゝ、そいつはちつと手嚴しいお尋ねですな。
───私は此れでも少しは藝術が分るつもりです。私自身は決して劣情なんか起しやしません。」
「藝術が分るから劣情は起さない、
───そんな理窟は、 僕はないと思ひますがね。」
「はゝあー」
檢閲官は頗る意外な顔つきをして、
「と仰しやると、あなたの脚本は劣情を起させるのを目的にして書かれたのですか?」
「いや、さうぢやありません。僕はそんなことを云やしません。僕の脚本は飽く迄も藝術の爲めに書かれたものです。けれども、藝術品であるが故に其れを讀む 者が劣情を起すべきでないと云ふ理窟は、成り立たないと申すのです。あなたは今、此の場面は濃艶過ぎるが故に、藝術の分らない観客には劣情を起させる嫌ひがあると仰しやった。しかし此の場面 がもともと男女の痴情を描寫したものである以上、藝術の分る者にでも劣情を起させるのは當然でなければなりません。若し劣情を起させない者があるとすれ ば、それはその者が藝術をポ袋衛モ理解しないからではなく、寧ろその者が人間でないからです。或は又、此の場面を寫し出した作者の筆の力が、まだ十分でな いからだとも云へませう。男女の痴情を寫しながら、それを讀者に感じさせないやうな作品は、藝術的にも決して優れたものとは云はれないだらうと思ふので す。」
「それぢやあなたは、失禮ながら世間の文學青年と同じやうに、藝術と色情とを全然同一のものと考へて居らつしやるんですな。」
「藝術は藝術、色情は色情、云ふまでもなく此の二つは全く別です。けれども藝術は此の世の中の凡ての物を材料にします。色情も藝術の材料にはなります。さ うして其れが材料となつた場合には、その作品が與へる藝術的感興と云ふものも、色情 を通しての感興でなければなりません。なぜかと云ふのは、色情も亦此の世の中での眞理の一つですからな。さうして眞理のある所には必ず眞の 感情があり、眞の感情のある所には、必ず其の奥に藝術があるのですからな。」
「お説ではありますが、わたしは藝術と云ふものは、人間を此の世の中の苦患から救つてくれるものだと考へて居ります。さう云ふ働きがあればこそ、藝術は宗 教と共に貴いものだと信じて居ります。
───いや、こん なことを専門家の前でしやべつたりすると、頭が古いと云つて笑はれるかも知れませんが、私は學生時代に沙翁だのミルトンだのと云ふ古典文學を習つて來たせ ゐか、未だに古い考へが抜けないのです。さうして、古いにもせよ此の考へは近代の藝術にあてはめても差支ないやうに思はれるのです。此の考へから行くと、 色情を起させるやうなものは藝術の皮を被つたにせ藝術で、たとへ色情 を取り扱つても色情を忘れさせるところに藝術の値打ちがある、其處が藝術の有り難いところでなければならない。残念ながら今の藝術家には此の見識が缺けて 居るやうに見えますが それでは甚だ心細い─── と、まあ餘計なお世話でもそんなことが云ひたくなるのです。」
「今日の藝術家に見識が足りない、
───そりやさう云ふ こともあるでせう。しかし話が此處まで進んで來れば僕も正直なことを云ひますが、藝術を取り締る役人の方も、少くとも藝術家と同じ程度に見識が足りなくは ないでせうか。あなたは、外の多くの役人と違つて自分だけは藝術が分るつもりで居らつしやる───斯う云つては甚だ無遠慮ですが、兎に角口先では分つたやうなことを仰しやる。藝術と云ふものは人間を此の世の苦しみから救ふもの で、宗教と同じに貴いと云ふこと、───それは成るほど 眞理には違ひありません。たゞ問題は、その言葉が果してほんたうにあなた方に理解されて居るかどうかです。言葉だけならそんなことは誰でも云ひます。殊に あなた方のやうな役人に限つて───なまじつか藝術のお 分りになる役人に限つて、それを勿體らしくお聞かせになります。───どうか失禮な云ひ方をお許し下さい。───あなたは今、色情を感じさせるやうなものはにせ藝 術で、それを忘れさせるところに眞の藝術の値打があると仰しやつた、無論さう云ふ藝術もあることはあるでせう。けれどもわれわれが色情を取り扱ふ場合に は、古典文學のやうに上面から描寫するだけでは我慢が出來ないで、人間の心の奥にある性慾を根掘葉掘して、その苦しみを描き出さなければ満足しないので す。われわれが藝術に依つて救はれるとすれば、それは苦しみを忘れてでなく飽迄も苦しみを通してです。藝術の究極の目的は一つであるにしろ、此處が古典文 學と近代文學との異るところです。若しわれわれが古典文學の糟粕ばかり舐めて居たら、藝術が進歩しないばかりでなく、人間全體が進歩しないことになりま す。あなたと僕とは立ち場が違ふとは云ふものの、あなたにしても現代の社會に生きて居らつしやる以上は、近代文學の精神を汲んで頂かなけりやならない譯で すな。」
「さあ、さう仰しやられるとどうも頭が古いと云ふことに相場がきまつてしまひましたね。
───ですが、古いのは今更仕方がありませんから、まあ我慢して頂くとして、何にしても役人としての私の註文を聽いて下さることは出來な いでせうか。」
「そりや御註文とあれば出來るだけの譲歩をすることは、先程も申した通りです。たゞあなたが、今の藝術家は分らず屋だ、己の方が藝術は分ると云ふやうなこ とを仰しやつたので、ちよつと抗議を申し込んだ次第なのです。何處までも役人として取り締ると仰しやるなら、それに服從するより外仕方がありません。」
「いやはや、飛んだところで油を絞られました。ぢや、もう何も云はずに、此處は一つ改めて下さい。劣情を起させる
───のが藝術としては差支ないかも分りませんが、當局としては捨てて置く譯に行 きませんから。」
「承知しました。長襦袢の上へもう一二枚着物を着せて、抓ると云ふ爲種を止せばいゝんですね。」
「えゝさうです。
───第一幕はそれでいゝんですが、第 二幕は大分手を入れて貰はなけりやなりませんな。第三場の物干の會話の後半、第五十ぺエヂ以下三ぺエヂだけは是非とも全部書き直して頂きたいんです。」
「全部書き直すんですか、どう云ふ風に?」
「つまりその、何です、お才と云ふ女が男とぐるになつて信太郎と云ふ 少年を殺す
───それがいけないんですな。だから此處で殺す相談をするのを、何とか別の事に直して貰ひたいんです。」
「それぢや第四場の殺し場の方も直さなけりやならなくなりますな。」
「えゝ、まあさうなるでせう。第三場以下大詰めまで全部訂正することになるでせう。」
「すると、文句を直すばかりでなく、筋を取り換へろと仰しやるやうなものですね。」
「どうもお気の毒ですが、殺すと云ふのは餘り残酷過ぎますから。」
「先は
り濃艶過ぎて、今度は餘り残酷過ぎる、───しかし残酷過ぎなけりや此の脚本は面白くないんです。此の少年は是非とも此 處で殺されなけりやいけないんです。之れが此の脚本の根本思想に重大な関係があるところです。」
「それは私にも分つて居ます。」
「分つておいでなら、此處はどうか見遁して下さい。此れを取り換へちや何にもなりません。あなたは脚本の根本思想には觸れないと仰しやつたぢやありません か。」
「ですから、根本思想には觸れない範囲で訂正する道はないものでせうか?
───私は決して根本思想を變更しろと申すのぢやありません。變更しないでも、そのエツフエクトを多少弱めるぐらゐな範囲で書き直すこと が出來さうに思はれますが。」
「と仰しやると、たとへばどんな工合にでせう。」
 「たとへばですね、信太郎を殺さないで単にかどはかすことにする、
───それぢや大分弱くはなりますが、さうしてもあなたの狙ひ所は外れては居ないでせう?」
「殺すのはいけないが、かどはかすのは差支ないんですね。」
「さうです、殺すのは餘り不道徳過ぎます。」
「しかしかどはかしたつて不道徳でないことはありません。どうせ不道徳を許して下さるなら、何方でも差支ないぢやありませんか。」
「それがやはり程度問題です。不徹底なやうですけれど、私としては少しでも惡の程度の弱い方を擇びたいのです。」
「また舊劇を引き合ひに出すやうですが、在來の芝居には、いくらも殺し揚があるぢやありませんか。」
「それはさうです、舊劇には随分残酷な場面があります。けれども茲(ここ)に一つ考へて下さらなけりやならないことは、どんな残酷な場面があつても、在來 の芝居では、結末に於いて善人が榮え悪人が亡びることになつて居ます。さう云ふ筋の芝居でなければ、警視廰では断じて残酷な場面を出させないのです。とこ ろが此の『初戀』の脚本は、大詰へ來て惡人がうまうまと成功することになつて居るでせう。戀に眼の眩んだ男女が、主人の息子を殺して首尾よく其の家を横領 してしまふ、
───其處で幕が下 りるんですから、此れはどうしても許す譯には行きません。『勸善懲惡の趣意に反せざる事』と云ふのが、取締規則の第一箇條にあるんですから。」
「ぢや、かどはかしにしたら勸善懲惡の趣意に合ふでせうか。」
「あなたはさう云ふ質問を度び度びなさるが、それは揚足取りと云ふものです。先程から口を酸くしてお斷りしてゐるやうに、どうせ此の事には矛盾があるのだ し、あなた御自身も其の矛盾を認めた上で妥協の談判を進めて居らつしやるんだから、一々そんなことを仰しやつたところで何もなりません。どうか誠意を以て 此方の精神を汲んで頂きたい。」
「僕は少しでも誠意を缺いで居る積りはありません。僕は何處までも眞面目です。眞面目なればこそ、そんな子供欺しのやうな、勸善懲惡などと云ふ文句がをか しくなるのです。」
「をかしくてもそれが規則なのだから仕方がないでせう。」
「仕方がないことはありません、現にあなた自身もをかしい規則だと感じて居らつしやればこそ、その規則に抵觸する僕の脚本をお許しになるのでせう。
───それだけの御好意があるなら、どうかもう一歩讓つて下さるやうにお願ひ申し たいのです、決して揚足を取るつもりぢやないんですが。」
「いや、いけません。殺すと云ふことは何ぼ何でもあんまりです。
勸善懲惡でなくて勸惡善善になつちまひま す。単にかどはかすだけにして置けば、其處に幾分の餘地がないでもありませんからな。芝居の上では惡人が榮えることになつては居るけれど、他日かどはかさ れた子供が現れて來て、惡人たちを亡ぼさないとも限らない、───此の芝居にはまだ續きがある、───と云ふやうな豫想が残りますからな。此の豫想を残して置くことが大事な條件です、さうすれば勸善懲惡の趣意に協つて居ないまでも、反しては居ないと云ふ強辯が成り立つので、 私としても許可するのに都合がいゝのです。」
「しかし、作者の狙ひどころはそんな豫想を残さない點にあるのです。あなたの仰しやるやうにすれば、脚本の根本思想はエツフエクトを弱められるどころでな く、全然蹂み躙られてしまひます。」
「あはゝゝゝ、
───そんなことはないでせう。それでも 信太郎と云ふ少年がお才を戀ひする心持ちは出て居るぢやありませんか。所謂『初戀』の気分は十分に理解されると思ひますがね。」
「いゝえ、とても出ては居ません。」
「そりや、あなたは作者だからさうお考へになるんです。假りに私が見物の地位に立つとすると、作者の狙ひ所は大凡感ぜられますよ。」
「あなたが作者の狙ひ所だと思つて居らつしやることと、私自身の狙ひ所とは恐らくは違つて居ます。私の方では、此の信太郎と云ふ少年が、戀する女の爲めに 甘んじて殺されるところが主眼なのです。殺された方が、大きな意味での
勸善懲惡にもなるんです。」
「それは詭辯ですよ。あなたの仰しやる意味は、子供の癖に女を戀するやうな人間は、殺された方がいゝと云ふんでせう。ですがそんな………」
「ちよつと、ちよつとお待ち下さい。折角ですがあなたの御推量は外れて居ますよ。僕の云ふのは、殺されて始めて此の少年の命は救はれる、
───と云ふんです。此の少年は善人ですから、懲されるより救はれなければなりま せん。」
「はゝそれはあなた方、
───文學者の立場からはさうも 言へませう、併し普通の道徳から言へば、十一二の子供が召使の女に戀して生命を捨てるなどといふのは不健全です。そんなことは確に不良少年です。警視廰と してはそんな傾向を取締らなけりやなりません。」
「警視廰としては、ですか?」
「さうです
───」
「ぢや人間としては、何うなりませうか?」
「人間としても、さうでなけりやなりますまい。一般の人間は普通の道徳に従ふのが當然ですから。」
「で、文學者としては差支ないと仰しやるのですな。」
「差支ないとも言ひませんが、文學の方は普通の道徳で律し難い事情もあるのですから、仕方がないでせう。」
「すると、文學著は人間の仲間へは入れられないといふ事になるんですね。」
「何もさうまで過激の言葉をお使ひにならんでも宜いでせう。文學者のうちには藝術家としては傑出してゐても、人間としては仲間に入(はい)れないやうな不 具(かたは)があり得る、といふ事だけは少くとも考へられます。それに又文學者の方にも『自分は藝術家だから』と云ふ誇りを持つてゐて、普通人間の仲間入 りをしたがらないのが多いぢやありませんか。」
「さうです、文學者は普通の人間の仲間入りはしたくはありません。けれども人間でないとは言はれません。普通の人間より一段高いか低いかはあなた方の判断 にお委せするとして、兎に角人間の仲間には入つて居る積りです。さうして矢張り人間として物を言つて居るのです。文學や藝術が人間の爲めに悪ければ文學者 の爲めにも良い筈はありません。
───あなたは頻りに警 視廰の立場からとか藝術家の立場からとか仰しやるやうですが、藝術が人間の爲めになるものなら、立場に依つてそんなに標準が異なる筈はない
ぢやありませんか。あなたにしても僕にしても、先づ第一に人間としての立場にゐなければ嘘だと思ひます。」
「失禮ながら、それは書生論といふものですよ。同じ人間であつても人に依つて天職も違へば夫々の方面があるのですから………」
「けれども、藝術はどの方面の人間にも必要なものぢやないでせうか。世の中には商業の何たるやを知らない人間もある、又法律や政治を解し得ない人間もあ る、だからと言つてそれ等の人は人間として値打を下げる譯ではない。ですが藝術を解せない人間は宗教を解せない人間と同じです、人間としての行き方を知ら ない、人間としては値打のない人間です。あなたは藝術を尊重するとか、藝術は宗教と共に尊いとか、それを口癖のやうに仰しやるが、僕の議論が書生論だとす ると、何處に藝術の尊厳があるんです。」
「まあ、まあ、さう急き込んでは
───。書生論と言つた のは間違つた議論だといふ意味ぢやないのです、それは勿論議論として正しいに違ひない、───實際にはどうも通用し兼ねると………」
「實際に通用しないなら、間違つた議論より尚惡うござんす。それに又正しい議論ならそれを手際に通用させるやうにするのが、政府の役人の勤めぢやないでせ うか。」
「まあ、まあさ、私の云ふことを少し落ち着いて聴いて下さい。こゝであなたと藝術論をしたところで始まらないし、あなた方は兎角議論が理想に馳せる嫌があ るから、
───いや、藝術家は理想に生きるのだからそれ も結構ではあるが、───先づ極めて卑近な例を取つてお 話ししませう。たとへば今も云ふ此の脚本の筋ですな、十一二歳の少年が召し使ひの女に戀ひして彼女の爲めに甘んじて命を捨てる、それはたしかに美しい空想 には違ひない。けれども、此の戯曲が美しければ美しいだけ、その美しさに酔はされて此の眞似をする少年が出來たらばどうでせうか。」



「さう云ふことをあなた方はよく云はれます。しかし、態と云ふものは畏て出来るものぢやありません。
況んや憩の蔑めに命晶てるほどのことが、ちよつと酢はされたくらゐで最られるものぢやないと息ひ
ます。」
「はんたうの雫はないまでもですな、二十前後の子供などは思想が固まつて居ないのですから、かりに
此の芝居を見て、ふとそんな束が起つで・蒜の出窓から大事な命を棒に振るやうな者がないとは限り
ますまいからね。御承知でもありませうが、昔ゲヱテのウェルテルス;ィデンが流行った時代には・歌
                                         はゃ
讐で釜の鳥めに自警る人間が大分警たと云ふ警私は聞いて管す。」
「その自殺した人たちは、ウェルテルの感化を受けたとは云へませう、ウェルテル晶んだが薦めに・一
席失態の悲しみを疎くしたのは事写せう。けれども等の失警のものまでが・ウェルテルの影警な
いことはたしかです。等の失警何鹿までも彼苦身の失警す。さうしてたまたまウェルテルに依っ
て失態に鹿する讐敦へられたまでです。此の脚本の警でも、若し此の主人公の雲郎の忍をする少
年があつたとすれば、それは農ではなく・その少年の胸に倍太郎と同じ初態の苦しみがあつたからで
す。」
500
   「それにして冬結果は同じきぢやないでせうか。その少年がほんたうの初態に悩んで居たにしても、此
    の芝屑古見なかつたら或は死なずに済んだかも知れない。」
     「死なずに済むことがい1事とは限つて屈ませんからね。」
一,−−−−一−l一l一l⊥
「ですが、まだ十一二の子供の癖に、 −  いや大人にしたつて同じですが、
・態の鳥めに死ぬと云
 ふのは決して喜ばしいことぢやありますまい。」
  「死ぬと云ふことは生きて居るよりはイヤなことです。けれども喜んで死ぬことが出来れば下らなく生き
 て居るよりは幸頑なことです。かう云ふと幼稚な中畢生の云ひ草のやうで、又書生論だと云って実はれる
 かも知れませんが、圃家の馬めや人類の薦めに尊んで死ぬ人間があれば、あなた方は偉大な人物として推
 稗するぢやありませんか。」
  「国家の烏めや人類の蔑めなら命を捨て1も惜しくはありません。寧ろさう云ふ際に捨てるべき命である
 から、態愛などの蔑めに安々と捨て1はならないと、われわれは考へるのです。」
  「国家の鳥めや人類の蔑めに命を捨てられるほどえらい人はめつたにありません。大概の人間は誰の薦め
 にも命を捨てずに下らなく生きて行きます。多くの凡人は、此の世の中の五十年か六十年の命より外に、
 永遠の命と云ふものがあることを知らないのです。内債以外に不朽の魂があることを知らないのです。若
 し凡人に、永遠の命 − 】不朽の魂が存在することを刺邪的にでも知らせるものがあるとすれば、それは
 たゞ態愛の力だけです。態愛は凡人に永久の番びを得させるたゞ一つのものです。−弓−多くの萄術が態
 愛を主題にするのはこの蔑めではないでせうか。人間に永久の喜びを輿へ、人間の魂を肉健以上に引き上
官 げるのが萄術の目的なのですから。」
閲 「…………」

  「あなたは、今の車術家には見識が足りないと仰しやる、しかしわれわれでも此れだけの考へは持って居