招待席

たかはま きょし 俳人・作家 1874 - 1959  愛媛県松山市に生まれる。本名、清。正岡子規に師事し俳誌「ホトトギス」を託され生涯の発行人となり、近代俳句の祖として聳え立つ。夏目漱石に『吾輩は猫 である』を書かせたのも虚子であった。客観写生の花鳥諷詠を唱え存問の句にも深い達成を遂げている。厖大な遺作から心して抽いた。 (秦 恒平)





   高濱虚子名句抄   

     高濱 虚子




春雨の衣桁に重し恋衣

人病むやひたと来て鳴く壁の蝉

星落つる籬(まがき)の中や砧(きぬた)うつ

蓑虫の父よと鳴きて母もなし

遠山に日の当りたる枯野かな

大海のうしほはあれど旱(ひでり)かな

桐一葉日当りながら落ちにけり

金亀子擲(なげう)つ闇の深さかな

新涼の驚き貌(がほ)に来りけり

霜降れば霜を楯とす法の城

春風や闘志いだきて丘に立つ

草摘みし今日の野いたみ夜雨来る

年を以て巨人としたり歩み去る

一人(いちにん)の強者唯出よ秋の風

露の幹静かに蝉の歩き居り

葛城(かつらぎ)の神臠(みそな)はせ青き踏む

蛇逃げて我を見し眼の草に残る

天の川のもとに天智天皇と臣虚子と

能すみし面の衰へ暮の秋

冬帝先ず日をなげかけて駒ケ嶽

天日のうつりて暗し蝌蚪(かと)の水

白牡丹(はくぼたん)といふといへども紅ほのか

わだつみに物の命のくらげかな

咲き満ちてこぼるる花もなかりけり

流れ行く大根の葉の早さかな

石ころも露けきものの一つかな

もの言ひて露けき夜と覚えたり

紅梅の紅(こう)の通へる幹ならん

飛騨(ひだ)の生れ名はとうといふほととぎす

夕影は流るる藻にも濃かりけり

襟巻の狐の顔は別に在り

凍蝶の己が魂追うて飛ぶ

神にませばまこと美(うる)はし那智の瀧

川をみるバナナの皮は手より落ち

大空に羽子(はね)の白妙とどまれり

鴨の中の一つの鴨を見てゐたり

古綿子著(き)のみ著のまゝ鹿島立(かしまだち)

命かけて芋虫憎む女かな

目さむれば貴船の芒(すすき)生けてありぬ

たとふれば独楽(こま)のはぢける如くなり

へこみたる腹に臍あり水中(あた)り

颱風の名残の驟雨あまたゝび

冬日柔か冬木柔か何(いづ)れぞや

旗のごとなびく冬日をふと見たり

わが思ふまゝに孑孑(ぼうふら)うき沈み

一面に月の江口の舞台かな

もの置けばそこに生れぬ秋の蔭

背(せな)布団狆(ちん)に著せ紐長く持ち

春水をたゝけばいたく窪むなり

山々の男振り見よ甲斐の秋

鳩がゐて鳰の海とは昔より

手毬唄かなしきことをうつくしく

大寒の埃の如く人死ぬる

実朝忌由井の浪音今も高し

松の雨ついついと吸ひ蟻地獄

秋晴や心ゆるめば曇るべし

嘶(いなな)きてよき機嫌なり大根馬

懐手して論難に対しをり
       
夏潮の今退(ひ)く平家亡ぶ時も

示寂すといふ言葉あり朴散華

老いて尚君を宗とす子規忌かな

大根を水くしやくしやにして洗ふ

惨として驕らざるこの寒牡丹

一切の行蔵寒にある思ひ

金の輪の春の眠りにはひりけり

棟梁の材ばかりなり夏木立

悲しさはいつも酒気ある夜學の師

天地(あめつち)の間にほろと時雨かな

死ぬること風邪を引いてもいふ女

日をのせて浪たゆたへり海苔の海

花の寺末寺一念三千寺

ふるさとに防風摘みにと来し吾ぞ

いかなごにまず箸おろし母戀し

選集を選みしよりの山の秋

紅葉せるこの大木の男振り

白酒の紐の如くにつがれけり

ラジオよく聞こえ北佐久秋の晴

虹立ちて忽君の在る如し

春潮にたとひ艪櫂は重くとも

風多き小諸の春は住み憂かり

山国の蝶を荒しと思はずや

兵燹(へいせん)を逃れて山の月の庵(いほ)

敵といふもの今は無し秋の月

深秋といふことのあり人も亦

句を玉と暖めてをる炬燵かな

思ふこと書信に飛ばし冬籠

厳といふ字寒といふ字を身にひたと

節分や鬼もくすしも草の戸に

初蝶来(く)何色と問ふ黄と答ふ

我生(
わがせい)の今日の昼寐も一大事

秋灯や夫婦互に無き如く

裸子(はだかご)をひつさげ歩く温泉(ゆ)の廊下

わが懐(おも)ひ落葉の音も乱すなよ

生かなし晩涼に坐し居眠れる

莖右往左往菓子器のさくらんぼ

悔もなく誇もなくて子規忌かな

斯(かく)の如く経来(へきた)りしぞ子規祭る

蔓もどき情(なさけ)はもつれ易きかな

爛々と昼の星見え菌(きのこ)生え

造化又赤を好むや赤椿
          
海女とても陸(くが)こそよけれ桃の花

秋天にわれがぐんぐん ぐんぐんと

水飲むが如く柿食ふ酔のあと

大紅葉燃え上らんとしつゝあり

家持の妻戀舟か春の海

虚子一人銀河と共に西へ行く

西方の浄土は銀河落るところ
                
春潮や和寇の子孫汝(なれ)と我

老友の學習院長霜の菊

下萌の大磐石をもたげたる

闘志尚存して春の風を見る

彼一語我一語秋深みかも

舌少し曲り目出度し老の春

去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの

ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に

月を思ひ人を思ひて須磨にあり

暖き冬日あり甘き空気あり

草枯に真赤な汀子(ていこ)なりしかな

傲岸と人見るままに老の春

悪なれば色悪よけれ老の春

昼寝して覚めて乾坤新たなり

脱落し去り脱落し去り明(あけ)の春

明易(あけやす)や花鳥諷詠南無阿弥陀

我のみの菊日和とはゆめ思はじ

この池の生々流転蝌蚪の紐

蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな

打たんとてもの憂き蝿を只見たり

風生と死の話して涼しさよ

直線の堂曲線の春の山

風雅とは大きな言葉老の春

傷一つ翳一つなき初御空

春の山屍をうめて空しかり

独り句の推敲をして遅き日を