「e-文藝館=湖(umi)」 小 説室 投稿

せきひろゆき  1964.2.25生まれ。 栃木県小山市i在住。掲載作は、久しい闘病生活の中で書かれている。著書に文芸社との共同出版で「夢幻空花なる思索の螺旋階段」がある。編輯者は、この作 をまだ読み終えていない、つまり読みこなせていない。第一章までであるためか、作因を読み切れていないためか、判断を留保しながらも、あえてこの作を読者 の前に呈して反応を得たいと願う。投稿されたま まの姿で掲載に踏み切る。本文には手が入っていい書き損じ等も見受けられるが、そういうことも含めてこの作の表現しようと模索または藻掻いている姿勢に読 者は直に正面衝突してもらいたい。そうするに堪えた内面を、観念として、思惟思想して保有しているかもしれない可能性に編輯者は賭けてみたい。 (秦 恒平)





      審問官――第一章  喫茶店まで

           積 緋露雪



 

 彼は絶えず――断罪せよ――といふ内部の告発の声に悩まされ続けてゐたらしい。
 彼が何か行動を起こさうとすると必ず内部で呟く者がゐる。
 ――断罪せよ! 
 彼は己の存在自体に懐疑的であつた、といふよりも、自己の存在を自殺以外の方法で此の世から葬り去る事ばかり考へてゐたやうであった。
 ――両親の死を看取つたなら即座に此の世を去らう。それが私の唯一の贖罪の方法だ……
 彼には主体なる者の存在がそもそも許せなかつたらしい。彼をさうさせた原因はしかし判然としなかつた。彼は埴谷雄高が名付けた奇妙な病気――黙狂――を 患つてゐたのは間違ひない。
 彼はいつも無言、つまり《黙狂者》であつた。
 ――俺は……
といつて彼は不意に黙り込んでしまふ。
 しかし、彼は学生時代が終わらうとしてゐた或る日、忽然と猛烈に語り始め積極的に行動し始めたのであつた。彼を忽然とさう変へた原因もまた判然としなか つたのである。
 彼は大学を卒業すると二十四時間休む間のないことで学生の間で有名だつたある会社に自ら進んで就職したのである。
 風の噂によると彼は猛然と二十四時間休むことなく働き続けたらしい。しかし、当然の結果、彼は心身ともに病に罹つてしまつたらしいのである。その後某精 神病院に入院してゐるらしいのであつた。
 ――自同律の不快どころの話ではないな。『断罪せよ』と私の内部で何時も告発する者がゐるが、かうなると自同律の嫌悪、故に吾は自同律の破壊を試みた が……、人間は何て羸弱な生き物なのか……唯病気になつただけではないか、くっ。自己が自己破壊を試みた挙句、唯病気になつただけ……へっ、可笑しなもん だ。だがしかし、俺も死に至る病にやつと罹れたぜ、へっ。両親も昨年相次いで亡くなつたからもう自己弾劾を実行出来るな……
  彼の死は何とも奇妙な死であつたらしい。にやりと突然笑い出した途端に息を引取つたらしいのである。
 ――断罪せよ、お前をだ。其の存在自体が既に罪なのだ……


 主体弾劾者の手記 

 にやりと笑つた途端、不意にこの世を去つた彼の葬儀に参列した時、亡くなつた彼の妹さんから彼が私に残したものだといふ一冊の大学Noteを渡されたの である。英語と科学を除いて勿論彼は終生縦書きを貫いたのでそのNoteの表紙にそのNoteが縦書きで使ふことを断言するやうに『主体、主体を弾劾すべ し』と筆書きされてあつたのである。
 その手記は次の一文から始まつてゐた。

 ――吾、吾を断罪す。故に吾、吾を破壊する――
 これは君への遺言だ。すまんが私は先に逝く。これが私の望む生だつたのだ。私はこれで満足なのだ……
 君もご存知の「雪」といふ女性が私の前に現はれた時に私は《自死》しなければならないと自覚してしまつたのだ……。
 自分で言ふのも何だが……、私は皆に『美男子』と言はれてゐたので美男子だつたのだらう。良くRock BandのU2の作品『WAR』のジャケットのCover写真の少年(俳優:ピーター・ロワン)に似てゐると言はれてゐたが、ご存知のやうに私は変人だつ たのでそれ程多くの女性にもてたとは言へないが、生命を生む性である女性の一部はどうしても私の存在が「母性」を擽(くすぐ)るのだらう、彼女らは私を抛 つて置けず無理矢理――この言ひ方は彼女らに失礼だがね――私の世話をし出したのは君もご存知の通りだ。
 しかし、私に関わつた全ての女性たちは私が変はらないと悟つて私の元から離れて行つた。雪もその一人だつたのかもしれないが……
 私は雪と出会つた頃には埴谷雄高がいふ人間の二つの自由――子を産まないことと自殺することの自由――の内、自殺の仕方ばかり考へてゐたが、私には人 間の自由は無いとも自覚してゐたので自殺してはならないとは心の奥底では思つてゐたけれども、画家のヴァン・ゴッホの死に方には一種の憧れがあつたのは事 実だ。自殺を決行して死に損なひ確か三日ぐらゐ生きた筈だが、私もヴァン・ゴッホが死す迄の三日間の苦悩と苦痛を味はふことばかりその頃は夢想してゐたの だ。それに自殺は地獄行きだから死しても尚未来永劫『私』であり続けるなんて御免被るといつたことも私が自殺しなかつた理由の一つだ。
 今は亡き母親がよく言つてゐたが、私は既に赤子の時から変はつてゐたさうだ。或る一点を凝視し始めたならば乳を吸ふ事は勿論、排泄物で汚れたおむつを換 へるのも頑として拒んださうだ。ふっ、私は生まれついて食欲よりも凝視欲とでも言つたら良いのか、見ることの欲望が食欲より――つまりそこには性欲も含ん でゐるが――優つてゐたらしい。赤子の時より既にある種の偏執狂だつたのだ。君が私を『黙狂者』と呼んだのは見事だつたよ。今思ふとその通りだつたのかも しれない。
 そんな時だ、雪に出会つてしまつたのは……

 私が何故Televisionを殆ど見ず、街中を歩く時伏目になるのかを君はご存知の筈だが……私には他人の死相が見えてしまふのだ。街中で恋人と一緒 に何やら話してゐて快濶に哄笑してゐる若人に死相が見える……体の不自由なご主人と歓談しながらにこにこと微笑み車椅子を押してゐるそのご婦人に死相が見 える……Televisionで笑顔を見せてゐるTalentに死相が見える等々、君にも想像は付く筈だがこの瞬間の何とも名状し難い気分……これは如何 ともし難いのだ。
 それが嫌で私はTelevisionを見ず、伏目で歩くのだ。
 そんな私が馥郁たる仄かな香りに誘はれて大学構内の欅を見た時、その木蔭のBenchで彼女、雪が何かの本を読んでゐるのを目にしたのが私が雪を初めて 見た瞬間だつた。
 その一瞥の刹那、私は雪が過去に男に嬲られ陵辱されたその場面が私の脳裡を掠めたのである。そんなことは今まで無かつたことであつたが雪を見た刹那だけ そんな不思議なことが起こつたのであつた。
 その時から私は雪が欅の木の下に座つてゐないかとその欅の前を通る度に雪を探すやうになつたのだ。
 君もさうだつたと思ふが、私は大学時代、深夜、黙考するか本を読み漁るか、または真夜中の街を逍遥したりしては朝になつてから眠りに就き夕刻近くに目覚 めるといふ自堕落な日々を送つてゐたが、君とその仲間に会ふために夕刻に大学にはほぼ毎日通ふといふ今思ふと不思議な日々を過ごしてゐた訳だ。
 話は前後するが、今は攝願(せつぐわん)といふ名の尼僧になつてゐる雪の男子禁制の修行期間は疾うに終はつてゐる筈だから、雪、否、攝願さんに私の死を 必ず伝へてくれ給へ。これは私の君への遺言だ。お願ひする。多分、攝願さんは私の死を聞いて歓喜と哀切の入り混じつた何とも言へない涙を流してくれる筈だ から……
 さうさう、それに君の愛犬「てつ」こと「哲学者」が死んださうだな。さぞや大往生だつたのだらう。君は知つてゐるかもしれないが、私は「てつ」に一度会 つてゐるのだ。君の母親が
 ――家(うち)にとんでもなく利口な犬がゐるから一度見に来て
と、私の今は亡き母親に何か事ある毎に言つてゐたのを私が聞いて私は「てつ」を見に君の家に或る日の夕刻訪ねたのだが、生憎、君はその日に限つて不在で君 の母親の案内で「てつ」に会つたのだよ。
 「てつ」は凄かつた……。夕日の茜色に染まった夕空の元、「てつ」の柴赤色の毛が黄金(こがね)色に輝き、辺りは荘厳な雰囲気に蔽われてゐた。その瞬 間、 私にとつて「てつ」は「弥勒」になつたのさ。私を見ても「てつ」こと「弥勒」は警戒しないので君の母親は私と「弥勒」の二人きりにしてくれた。それはそれ は有難かつた。暫く「弥勒」の美しさに見蕩れてゐると「弥勒」が突然、私に
 ――うぁぁお〜んわぅわぅあぅ
と、何か私に一言話し掛けたのである。私にはそれが『諸行無常』と聞こえてしまつたのだ……。
 今でもあの神々しい「弥勒」の荘厳な美しさが瞼の裏に焼き付いてゐる……。彼の世で「弥勒」に会へるのが楽しみさ……。

 さて、話を雪のことに戻さう。
 或る初夏の夕刻、君と一緒にあの欅の前を歩いてゐると雪がBenchに座つていつものやうに何かの本を呼んでゐた。
 君は多分解ってゐた筈だが、私が私であるといふ自同律を嫌悪する私は性に対してもその通りだつたのだ。思春期を迎へ夢精が始まり、まあ、それは《自然》 の ことだから何とか自身を納得させたが自慰行為は幻滅しか私に齎さなかった。射精の瞬間の《快楽》がいけないのだ。その《快楽》は私に嘔吐を反射的に齎すも のでしかなかつた……。
 君は「xの0乗 = 1」《(x > 0):0より大きい数の 0 乗は 1 となる》といふことは知ってゐるね。私はこの時自同律の嫌悪を超克するには《死》しかないと確信してしまつたのだ。0乗の零が一回転に見え、即ち私にとっ てそれは現世での《一生》に見えてしまつたのだ。生命は死の瞬間確率1になる。つまり、1=1といふ自同律が《死》で完結するのだ。これで自同律の嫌悪は 終はる……。
 ――はっ。
 …………
 …………
 ところで、雪を除いて過去に私を一方的に愛してしまつた女性たちは或る時期を過ぎると必ず私に性行為を求めて来たので私は《義務》でそれら全てに応じた が、性行為が終はると《女の香り》が私を反射的に嘔吐させる引き金になつてしまつたのだ。勿論、私は同性愛者ではない。だから、尚更いけないのだ。
 或る 時、私が射精した瞬間、女性の顔面に嘔吐してしつったのを最後に、私は女性との性行為もしくは性交渉をきつぱりと已めてしまつた……。
 また雪を除いての話だが、それに《女体》の醜悪さはどうしようもなかつた。彼女たちは彼女自身の《脳内》に棲む《自身の姿》をDietなどと称しながら 自 身の身体で体現する《快楽》が自同律の《快楽》だと知つてゐた筈だが、私の嘔吐を見ながらも已めはしなかつたのだ。結局彼女たちの理想の体型は痩せぎすの 《男の身体》に《女性》の性的象徴、例へば乳房を、しかもそれが豊満だと尚更良いのだが、そんな《不自然な》体型を《女体》と称して私に見せ付けたのだ。 これが醜悪でないならば何が醜悪なのか……。
 そこに雪が現はれたのだ。
 私が欅の木蔭のBenchにゐた雪を見つけた時、反射的に私の足は雪に向かつて歩き始めてしまつた。その時、雪は読んでゐた本から目を上げ私を一瞥する と 私の全てを一瞬にして理解したやうに可愛らしい微笑を顔に浮かべ私を彼女の《全存在》で受け入れてくれたのだ。君にはこの時の雪と私の間で通じ合ひ、それ をお互ひ一瞬で理解したと認識出来てしまつたと多分お互ひ同士感じた筈である奇妙な感覚は多分理解不能だと思ふが《奇跡的に》それがその時起こつてしまつ たのだ。
 吾ながら今もってその時の事は不思議でならないがね……
 君は私が《黙狂者》だと認識してゐたので君は多分私と雪との関係をこれまた一瞬で理解したのだらうね、君は駆け出して私より先に雪に声を掛けたね。あの 時 は有難う。
 ――君、何の本を読んでゐるの?
 ――William Blake(ヰリアム・ブレイク)よ。
 ――それは丁度いい。良かったならなんだけど、これから僕たちBlakeの《THERE IS NO NATURAL RELIGION》と《ALL RELIGIONS ARE ONE〜The Voice of one crying in the Wilderness〜》をネタにして男ばかりだけど……飲み会みたいなSalonみたいな真似事をしようとしてゐるので……君もよかつたら来ないかい?
 ――……ええ、いいわよ。
 ――本当、 じゃあ、僕らと一緒に行かう。
 雪は君と会話してゐる間もずっと私を見て微笑んでゐたのは君も覚えているだらう。その時私には雪が尼僧の像と二重写しで見えてしまつてゐたのだ……。

William Blake著

《THERE IS NO NATURAL RELIGION》
[a]
   The Argument. Man has no notion of moral fitness but from
Education. Naturally he is only a natural organ subject to
Sense.
  I  Man cannot naturally Percieve. but through his natural or
bodily organs.
  II  Man by his reasoning power. can only compare & judge of
what he has already perciev'd.
  III  From a perception of only 3 senses or 3 elements none
could deduce a fourth or fifth
  IV  None could have other than natural or organic thoughts if
he had none but organic perceptions
  V  Mans desires are limited by his perceptions. none can desire
what he has not perciev'd
  VI  The desires & perceptions of man untaught by any thing but
organs of sense, must be limited to objects of sense.
  Conclusion. If it were not for the Poetic or Prophetic character
the Philosophic & Experimental woud soon be at the ratio of all
things & stand still unable to do other than repeat the same dull
round over again
[b]
  I  Mans perceptions are not bounded by organs of perception. he
percieves more than sense (tho' ever so acute) can discover.
  II  Reason or the ratio of all we have already known. is not
the same that it shall be when we know more.
  [III lacking]
  IV  The bounded is loathed by its possessor.  The same dull
round even of a univer[s]e would soon become a mill with
complicated wheels.
  V  If the many become the same as the few, when possess'd,
More! More! is the cry of a mistaken soul, less than All cannot
satisfy Man.
  VI  If any could desire what he is incapable of possessing,
despair must be his eternal lot.
  VII The desire of Man being Infinite the possession is Infinite
& himself Infinite
     Application.   He who sees the Infinite in all things sees
God.  He who sees the Ratio only sees himself only.
Therefore God becomes as we are, that we may be as he is
《ALL RELIGIONS ARE ONE》
〔The Voice of one cryng in the Wilderness〕
  The Argument    As the true method of knowledge is experiment
the true faculty of knowing must be the faculty which experiences.
This faculty I treat of.
  PRINCIPLE 1st  That the Poetic Genius is the true Man. and that
the body or outward form of Man is derived from the Poetic Genius.
Likewise that the forms of all things are derived from their Genius.
which by the Ancients was call'd an Angel & Spirit & Demon.
  PRINCIPLE 2d  As all men are alike in outward form, So (and with
the same infinite variety) all are alike in the Poetic Genius
  PRINCIPLE 3d  No man can think write or speak from his heart, but
he must intend truth. Thus all sects of Philosophy are from the Poetic
Genius adapted to the weaknesses of every individual
  PRINCIPLE 4.  As none by traveling over known lands can find out
the unknown.  So from already acquired knowledge Man could not ac-
quire more. therefore an universal Poetic Genius exists
  PRINCIPLE. 5. The Religions of all Nations are derived from each
Nations different reception of the Poetic Genius which is every where
call'd the Spirit of Prophecy.
  PRINCIPLE 6   The Jewish & Christian Testaments are An original
derivation from the Poetic Genius. this is necessary from the
confined nature of bodily sensation
  PRINCIPLE 7th  As all men are alike (tho' infinitely various) So
all Religions & as all similars have one source
  The true Man is the source he being the Poetic Genius

(出典:PENGUIN CLASSICS版 「WILLIAM BLAKE――THE COMPLETE POEMS」より頁75〜77)


William Blake著

《THERE IS NO NATURAL RELIGION》の拙訳

「如何なる自然宗教も在り得ない」
[a]
論証。人間は教育を除く如何なるものからも道徳の適合性に関する概念を持ち得ない。本来人間は感覚に従属する単なる自然器官である。
 一 人間は本来知覚する事が出来ない。自身の自然乃至身体器官を通さずしては。
 二 人間は自身の推理力によつては。単に自身が後天的に理解(知覚)した事を比較乃至判断出来るのみである。
 三 単に三つの感覚乃至三つの要素のみで構築した知覚から如何なる人間も第四の乃至第五の知覚を演繹出来なかつた。
 四 仮に人間が器官による知覚の外一切を持たないなら如何なる人間も自然乃至器官による思惟形式以外持ち得る筈もない。
 五 人間の希求は自身の知覚によつて限られる。如何なる人間も自身が知覚し得ないものを希求することは出来ない。
 六 感覚器官以外では如何なる事象も知り得ぬ人間の希求及び知覚は感覚(客体)の対象に対して制限されなければならない。
 結語。 仮に詩的乃至預言的な表現が此の世に存在しないならば、哲学的及び試論による表現は即ち全事象の数学的比率となり、及び陰鬱な単一反復回転運動 を繰 り返す以外不可能故に立ち尽す(停止する)のみである。
[b]
 一 人間の知覚は認識機構によつて制限されない。人間の感覚(どれ程鋭敏であらうとも)が見出す以上のことを知覚(認識)する。
 二 推論乃至吾吾が後天的に認識した全事象の数学的比率は。吾吾が更に多く認識すると想定された存在と同じであることはない。
 三 欠落
 四 枠付けは枠付けした者に忌避される。宇宙の陰鬱な反復回転運動でさへ、即ち車輪複合体たる水車小屋に変容するであらう。
 五 仮に多様が単純に還元されると看做す場合、そしてそれに取り憑かれたとき、もつと ! もつと ! は迷妄なる魂の叫びであり、直ちに全事象は人間を満足させる。
 六 仮に如何なる人間も自身で持ち得ないものを希求することが出来るとするなら、絶望こそ人間の永劫に亙つて与へられし運命であるに違ひない。
 七 人間の希求が無尽蔵なら、それを持ち得るといふことは無限であり自身もまた無限である。
 応用。 全事象に無限を見るものは神を知る。単に数学的比率しか見えぬものは自己しか知り得ない。
 それ故、神は吾吾が存在する限り存在し、即ち吾吾は神が存在する限り存在するのであらう。


《ALL RELIGIONS ARE ONE》の拙訳

「全ての宗教は一つである」
荒野の一嘆き声
論証。真の認識法が試みであるなら、真の認識力は経験の能力でなければならない。この能力について論ず。
 第一原理 詩的霊性が人間の本質である。及び人間の肉体乃至外観の様相は詩的霊性から派生する。同様に全存在物の形相はそれら自身の霊性から派生する。 古 代の人々はそれを天使及び霊魂及び霊性と呼んだ。
 第二原理 全人類が形相に於いて同等であるなら、即ちそのことはまた(及び等しく無限なる多様性を持つならば)全人類は詩的霊性に於いても同等である。
 第三原理 如何なるものも自身の心の深奥から思考し乃至書き乃至話すことは出来ないが、しかし人間は真理へ向かはなければならない。何故なら哲学の全学 派 は全個人の羸弱さに応じた詩的霊性から派生したものである。
 第四原理 既知の領域を見回したところで如何なるものも未知を見出すことは出来ない。即ち後天的に得た認識から人間はそれ以上獲得出来なかった。故に全 宇 宙型詩的霊性は存在する。
 第五原理 あらゆる民族の各宗教はあらゆる場所で預言の霊性と呼ばれる詩的霊性を各民族が多様に感受したことから派生する。
 第六原理 ユダヤ教徒及び基督教徒の聖書は詩的霊性から本源的に派生したものである。このことは肉体的感覚の限界性から必然である。
 第七原理 全人類は同一(無限の多様性が見えてゐるにも拘はらず)である故に、全宗教及び全宗教的類似物は一つの本源を持つ。
 真の人間は自身が詩的霊性であることの源である。

 以上、当時のMemoのまま――表現が稚拙で誤訳ばかりであるが――ここに書き記しておく。当時の雰囲気が香つてくるのでね。
 さて、君に話し掛けられても私を微笑みながらじつと見続けてゐた雪の顔は、目はフランツ・カフカかエゴン・シーレのSelf-portraitの眼光鋭 い 眼つきに一見見えるがよくよく見ると雪の目は柔和そのものであつた。
 君も雪の行動が奇妙な点には気が付いてゐた筈だが雪は未だ《男》に対して無意識に感じてしまふ恐怖心をあの時点の自身ではどうしやうもなく、雪は《男》 を 目にすると雪の内部に棲む《雪自体》がぶるぶると震へ出し雪の内部の内部の内部の奥底に《雪自体》が身を竦めて《男》が去るのをじつと堪へ忍ぶといつた状 態で雪は君の顔を一切見ず君と話をしてゐたんだよ。
 その点雪は私に対しては何の恐怖心も感じなかつたのだらう、つまり、雪にとつて私は最早《男》ではなく人畜無害の《男》のやうな存在、しかも
 ――この人の人生はもう長くない……
と、多分だが、私を一瞥した瞬間全的に私といふ存在を雪は理解してしまつたと、そんな雪を私は雪の様子からこれまた全的に雪を理解してしまつたのだ。
 と思ふ間も無く私の右手は雪の頭を撫でる様に不意に雪の頭に置かれたが、雪は何の拒否反応も起こさずこれまた全的に私の行為を受け入れてくれたのだ。
 さて、君も薄薄気付いてゐた筈だが、私が何故《黙狂者》となつてしまつたかを。それは私の生い先がもう短いといふこととも関係してゐたのだらうが、私が 一 度何かを語り出さうと口を開けた瞬間、我先に我先にと無数の言葉が同時に私の口から飛び出やうと一斉に口から無数の言葉が飛び出してしまふからなのだ。私 の内部の《未来》は既に無きに等しいので私の内部の《未来》には時系列的な秩序が在る筈もなく、つまり、私の《未来》は既に無いが故に《渾沌》としてゐた のだ。私が口を開き何かを語り出さうとしたその瞬間に最早全ては語り尽くされてしまつてゐて《他者》にはそれが《無言》に聞こえるだけなのだ。つまり、 《無=無限》といふ奇妙な現象が私の身に降りかかつてゐたのだ。
 君は私が雪の頭にそつと手を置いた時私が口を開いたのを眼にしただらう。多分、雪はこれまた全的に私の無音の《言葉》を全て理解した筈だ。君はあの時気 を 利かせてくれて黙つて私と雪との不思議な《会話》を見守つてくれたが、仮に心といふものが生命体の如き物で傷付きそれを自己治癒する能力があるとするなら ば、雪の心はざつくりとKnifeで抉られあの時点でも未だ雪の心のその傷からはどくどくと哀しい色の血が流れたままで《男》に理不尽に陵辱された傷口が 塞がり切れてゐなかつたのだ。それが私には見えてしまつたので《手当て》の為に雪の頭にそつと手を置いたのだ。
 それにしても雪の髪は烏の濡れ羽色――君は烏の黒色の羽の美しさは知つてゐるだらう。虹色を纏つたあの烏の羽の黒色ほど美しい黒色は無い――といふ表現 が 一番ぴつたりな美しさを持ち、またその美しさは見事な輝きを放つてゐた。
 さて、君はあの瞬間雪の柔和な目から恐怖の色がすうつと消えたのが解つたかい。
 雪の目から恐怖の色がすうつと消えたと思つた瞬間、私は眩暈に襲われたのだ。
 ――どさっ。
 あの時、先づ、目の前の全てが真つ白な霧の中に消え入るやうに世界は白一色になり、私は腰が抜けたやうにその場に倒れたね。意識は終始はつきりしてゐ た。 君と雪が突然の出来事に驚いて私に駆け寄つたが、私は軽く左手を挙げて
 ――大丈夫。
といふ合図を送つたので君と雪は私が回復するするまでその場で見守り続けてくれたが、あの時は私の身体に一切触れずにゐて見守つてくれて有難う。私が他人 に身体を勝手に触られるのを一番嫌つてゐる事は君は知つてゐる筈だから………。
 あの時の芝の青臭い匂ひと熊蝉の鳴き声は今でも忘れない。
 私が眩暈で倒れた時に感覚が異常に研ぎ澄まされた感じは今思ひ返しても不思議だな……。私は私の身に何が起きてゐるのか明瞭過ぎるほどはっきりとあの時 の 事を憶えてゐるよ。
それでも眼前が、世界全体が、濃霧に包まれたやうに真っ白になったのは一瞬で、直ぐに深い深い漆黒の闇が世界を蔽ったのだ。つまり、最早私はその時外界は 見えなくなってゐたのだ。
するとだ、漆黒の闇の中に金色(こんじき)の釈迦如来像が現はれるとともに深い深い漆黒の闇に蔽はれた私の視界の周縁に勾玉の形をした光雲――これは光の 微粒子が雲の如く集まってゐたから光雲と名付ける――が現はれ、左目は時計回りに、右目は反時計回りにその光雲がぐるぐると周り出したのだ。
そして、その金色の釈迦如来像がちらりと微笑むと不意と消え世界は一瞬にして透明の世界に変化(へんげ)した……。
その薄ら寒い透明な世界に目を凝らしてゐると突然業火が眼前に出現した。それは正に血の色をした業火だった。
その間中、例の光雲は視界の周縁をずっと廻り続けてゐたよ。
私が悟ったのはその時だ。自分の死をそれ以前は未だ何処となく他人事のやうに感じてもゐたのだらう、まだ己の死に対して覚悟は正直言って出来てゐなかっ た、が、私が渇望してゐた《死》が直ぐ其処まで来ているなんて……私はその時何とも名状し難い《幸福》――未だ嘗て多分私は幸福を経験したことがないと思 ふ――に包まれたのだ。
――くっくっくっ。
私は眩暈で芝の上にぶっ倒れてゐる間《幸福》に包まれて内心、哄笑してゐたのだ。
しかし、業火は私が眩暈から醒め立ち上がっても目の奥に張り付いて……今も見えてしまうのだ。
さう、時間にしてそれは一分位の事だったよね。私は不図眩暈から醒め何事もなかったかのやうに立ち上がったのは。君と雪は何だかほっとしたのか笑ってゐた ね。その時君は初めて雪と目が合った筈だが、君の目には雪はどのやうに映ったんだい? 
私には雪はその時既に尼僧に見えたのだ……。
眩暈から何事もなかったやうにすっくと立ち上がった私を見て君と雪は初めて見詰め合って互ひに安堵感から不図笑顔が零れたが、その時の雪の横顔は……今更 だが……美しかった。雪は何処となくグイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」の薄倖の美女を髣髴とさせるのだが、しかし、凛として鮮明な雪の 横顔の輪郭は彼女が既に《吾が道ここに定まれり》といった強い意志を強烈に表はしてゐたのである。
―大丈夫?
と雪が声を掛けたが私は一度頷いた切り茜色の夕空をじっと凝視する外なかった……。
何故か――。
君は多分解らなかっただらうが――後程雪には解ってゐたのが明らかになるが――私には或る異変が起きてゐたのだ。血の色の業火が目に張り付いたことは言っ たが、もう一つ私の視界の周縁を勾玉模様の小さな光雲が、大概は一つ、時計回りにゆっくりと回ってゐることである。
人間の体は殆ど水分で出来てゐることと此処が北半球といふことを考慮すると時計回りの回転は上昇気流、つまり、私の視界から何かが――多分それは魂魄に違 ひない――が放出し続けてゐることを意味してゐたのである……。
勾玉模様の光雲が見えるのは大概は一つと言ったが、時にそれが二つであったり三つであったり四つであったりと日によって見える数が違ってゐた。それは私の 想像だが、死者の魂と言ったらよいのか……星がその死を迎えるとき大爆発を起こして色色なものを外部に放出するが、人の死もまた星の死と同じで人が死の瞬 間例へば魂魄は大爆発を起こし外部に発散する……。それが此の世に未だ《生きる屍》となって杭の如く存在する私をしてカルマン渦が発生し、それが私の視界 の周縁に捉へられるのだ。だから多分、その光雲は一つは私の魂魄でその他は死んだばかりの死者の魂魄の欠片に違ひない……私はさう解釈してしまったの だ……。
さて、君と雪と私はSalonの真似事が行はれる喫茶店に向け歩き出した。その途中に古本屋街を通らなければならないのだが、君は気を利かせてくれたのだ らう、その日に限って古本屋には寄らず、私と雪を二人きりにしてくれたね。有難う。
私は先づ馴染みの古本屋で白水社版の「キルケゴール全集」全巻を注文しそれから雪とぶらぶらと古本屋を巡り始めたのだった。
古本屋との遣り取りはいつも筆談だったので馴染みの古本屋の主人は多分今でも私のことを聾唖者だと思ってゐるに違ひない。それにそこの古本屋の主人は何か と私には親切でその日も「キルケゴール全集」を注文するとどれでも好きな本を一冊おまけしてくれるといふので私は、埴谷雄高の「死霊(しれい)」を凌駕す るべく書き出したはいいが、書き出しの筆致の迷ひや逡巡等が取り繕ひもせずに直截的に書き記された現代小説の傑作の一つ、武田泰淳の「富士」の初版本を選 んだのである。「富士」を読む時は私は何時もブラームスの「交響曲第1番 ハ短調 op.68」を聴く。どちらも作品を書き連ねることに対する迷ひや逡巡等がよく似てゐると思はないかい? それに泰淳さんは盟友の椎名麟三が洗礼を受け基 督者になった時、埴谷雄高が椎名を誹(そし)った事と純真無垢といふのか天衣無縫といふのか埴谷雄高曰く「女ムイシュキン公爵」たる泰淳夫人で著名な随筆 家の百合子夫人に対する埴谷雄高の好意への多分「嫉妬」を死すまで根に持ってゐた節があるが、そこがまた武田泰淳の魅力でもある……
さて、雪はSalonの真似事が開かれてゐた喫茶店に着くまで終始私の右に並んで歩き、左手で私の右手首を少し強く握り締めたままであった。
馴染みの古本屋を出たとき、東の空には毒々しいほど赤々とした満月の月が地平から上り始めてゐたが、その満月の「赤」が私の目に張り付いた業火の色に似て ゐたのである。
――成程……この業火の色は《西方浄土》の日輪の色を映したものか……
雪が私の右手首を少し強く握り締めてゐたのは多分理不尽な陵辱を受けた「男」に対する恐怖といふよりも
――今暫くは逝かないで。
といふ私に対する切願が込められてゐたやうに私は確信してゐる。唯、私は女性に対しては無頓着なので雪のしたいやうにさせ、雪に為されるがまま夕闇の古本 屋街を二人で漫ろ歩きを始めたのであった。
当然、私は伏目であった。雪は私の右手首を握って私を巧く《操縦》してくれたのである。雪は私を捕まへてないと何処か、つまり《彼の世》へ行ってしまふと 直感的に感じてゐたのは間違ひない。
――今は未だ逝かないで……。

ここで話が横道に逸れる私の《死後の世界》について預言しておかう。
私が死して後、私のゐない此の世の様こそ私の《死後の世界》の様相を映してゐると考へておくれ。君や嘗ての雪、即ち攝願やSalonの仲間を初め、私のゐ ない此の世がまあまあ過し易ければ私は極楽浄土にゐるし、此の世が地獄の有様だとすれば私も地獄に堕ちたと思ってくれ給へ。私のゐない此の世の有様こそ私 の《死後の世界》に外ならないのさ。
まあ、それはそれとして、私の死後、君達は、特に攝願、つまり俗名でいふところの雪は彼女が出家するまでに私が施した、例へば雪の為されるがまま私が何の 抵抗もせずそれに無言で従ったことは、雪の《男》に対する憎しみやそれに伴ふ底知れぬ苦悩といふ雪の内部でばっくりと傷口の開いた《心の裂傷》を縫合しそ の傷に軟膏薬を塗布して治療する意図があってのことで、雪も癒された筈だが、といふのも幾ら《生きる屍》に成り下がったとはいへ、私も生物学的には《男》 そのものだからね。
そして、雪は出家し攝願と為った訳だが、攝願が尼僧でゐる間は《禊の時間》に過ぎない。攝願の内部の《心の裂傷》が癒えその傷の《瘡(かさ)蓋(ぶた)》 が剥がれ落ちると攝願の《禊の時間》は終はりを告げる。私も君もSalonの仲間も知ってゐる「男」に攝願は惚れ、攝願は何もかも捨ててその「男」の元へ 身を寄せる筈だ。再び雪に戻るのさ。「男」は「男」で雪に逢った時からずっと惚れてゐた。 そこで雪はその「男」の子を身ごもり「母」になる。雪の第一子 は男の子で雪はその子に私の名を付ける。勿論、雪の「男」も大賛成さ。まあ、これ以上は話さない方がいいので黙って彼の世に持って行くよ。
さて、そこで君にお願ひがある。雪は寺を出た後、その罪悪感に悶絶する程苦悩し続けることになるが君は雪の良き理解者となって雪の「愚痴」の聞き役になっ てくれ給へ。お願いする。さうすることで君達に起こるであらう艱難辛苦も乗り越へられ私も浄土で安らげるといふものさ。重ね重ね宜しく頼むよ。
話を戻さう。
ところで、古本屋街を漫ろ歩きしてゐた私と雪との間には雪がぽつりぽつりと一方的に私に話す以外殆ど会話は無かった。
沈黙。Salonの仲間とは違った心地よさが雪との間の沈黙にはあったのだ。互ひが互ひを藁をも縋る思ひで「必要」としてゐたことははっきりとしてゐたの で、多分、雪と私の間には――他人はそれを《宿命》とか《運命》とか呼ぶが――互ひに一瞥した瞬間に途轍もなく太い《絆》で結ばれてしまったのは確か だ……。
――ねえ、この古本屋さんに入りましょう。
少し強めに雪に握られた右手首を通して雪の心の声が聞こえて来たのであった……。
その古本屋は雪の馴染みの古本屋だった。少し強めに握られてゐた私の右手首から不意に雪は手を放し、雪にはお目当ての本の在り処が解ってゐたのだらう、私 を古本屋の入り口に残したまま一目散に其方に向かって歩を進めたのであった。
その古本屋は東洋の思想、哲学、宗教、神話等々の専門の古本屋だった。
雪に取り残された私はその古本屋内の仏典の本棚に向かってゆるりゆるりと歩を進めたのであった。
私は唐三藏法師玄奘譯(たうさんざうほふしげんじやうやく)の般(はん)若(にゃ)波(は)羅(ら)蜜(みっ)多(た)心(しん)經(ぎやう)がその時ど うした訳か無性に読みたくなったのであった。
「觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不摯s減。
是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。
無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。
以無所得故。菩提薩。依般若波羅蜜多故。心無c礙。無c礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。
三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真實不[・フ。
ェ株ハ若波羅蜜多咒即ェ鎌コH
帝帝 般羅帝 般羅僧帝菩提僧莎訶
般若波羅蜜多心經」

訓み下し

「觀自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまへり。
舎利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなはちこれ空、空はこれすなはち色なり。受想行識もまたまたかくのごとし。
舎利子、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減ぜず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も 鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もな く、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。得る所なきを以ての故に。菩提薩は、般若波羅蜜多に依るが故に 心にc礙(けいげ)なし。c礙なきが故に、恐怖あることなく、一切のZ・|夢想を遠離し涅槃を究竟す。三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅 三藐三(あのくたらさんみやくさん)菩提(ぼだい)を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無 等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。故に般若波羅蜜多の咒を説く。すなはち咒を説いて曰はく、
羯諦(ぎやてい) 羯諦(ぎやてい) 波羅羯諦(はらぎやてい) 波羅僧羯諦(はらそうぎやてい) 菩提娑婆訶(ぼじそはか)
般若心經」

……くわんじざいぼさつ ぎやうじんはんにやはらみつたじ せうけんごうんかいくう どいちさいくやく……と、真言を頭蓋内で読誦(どくじゅ)しようとし たが、「觀自在菩薩」の文字を見ると最早私の視線は「觀自在菩薩」から全く放れず「觀自在菩薩」の文字をなにゆゑかじっと凝視したままなのであった。
――觀自在菩薩……何て好い姿をした文字だ……くわんじざいぼさつ……音の響きも好い……何て美しい言葉だ……
不図気付くと私の目に張り付いてゐた業火が私の視界の隅に身を潜めてゐるではないか。目玉をぎょろりと出来得る限り回転させるとやっと視界の境に業火が見 えるではないか。
――これも……《觀自在菩薩》……といふ文字の……御蔭か……
私はゆっくりと目を閉ぢ、瞼が完全に閉ぢられた瞬間に姿を現はす勾玉模様の光雲と業火を見つつ胸奥で何度も何度も……《觀自在菩薩》……と唱へたのであっ た。
暫くすると雪が私を見つけて私の右肩をぽんと叩くのであった。
――これ、どう?
雪が私に見せたのは陰陽五行説の陰陽魚太極図であった。
――あなたの目には、今、勾玉が棲み付いてゐる筈よ。何故だかあなたのことが解ってしまふのよ。それに業火もね、うふっ。
雪が微笑んだ顔は何か不思議な力を秘めてゐるやうで、雪が微笑んだ瞬間辺りは一瞬にして《幸福》に包まれてしまったのであった。
――あなたには陰陽魚太極図の意味が解るわね。さう、《宇宙》よ。……わたし、哲学を、それも西洋哲学を専攻してゐるのだけども……西洋哲学の《論理》が 今は虚しくてしやうがないの。……特に弁証法がね……虚しいのよ。……私の勝手な自己流の解釈だけれども……正反===>合が何だか自己充足の権化 のやうな気がして気色悪いのよ。西洋の哲学者……特にヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)が自己陶酔したNarcist(ナルシスト)に思へてしやうがないの……西洋哲学専攻者としては失格ね、うふっ。
君も知ってゐるやうに私は筆談するとき《つまり》と先づ書き出さないと筆が全く進まないのは知ってゐるね。この時もさうだったのさ。私は常時携帯してゐる B五版の雑記帳とPenを取り出して雪と筆談を始めたのであった。
*******つまり、ヘーゲルには、つまり、陰陽魚太極図の目玉模様が、つまり、陰中の陽と、つまり、陽中の陰が、つまり、無いんだよ。つまり、それで 君は、つまり、ヰリアム・ブレイクを、つまり、読んでゐたんだね。
――さう……。
君にも教えておかう。雪は直感的に何故私が《つまり》を連発するのか解ったが、私の当時の思考は堂々巡りだったのさ。或る言葉を書き出すときその言葉を頭 蓋内から取り出すには一度思考を頭蓋内で堂々巡りをさせないと駄目だったのだ。ストークスの定理は知ってゐるね。私の思考はストークスの定理を地で行って ゐたのさ。
*******つまり、キェルケゴールも、つまり、読むと善い。つまり、陰陽魚太極図は、つまり、その後でも、つまり、善い。つまり、僕が、つまり、さっ き、つまり、「キルケゴール全集」を、つまり、買ったから、つまり、僕が、つまり、読んだら、つまり、君に、つまり、あげるよ。
――有難う。でも、借りるだけね、うふっ。
*******つまり、君は、つまり、知ってゐるかな、つまり、渦は、つまり、未だ数式では、つまり、物理数学的に、つまり、記述、つまり、出来ないこと を ?
――えっ ! 知らないわ。さうなの……
雪は終始愉快なやうであった。即ち、私が愉快であったのである。他者は自己の鏡である。雪が愉快だといふことは取りも直さず私が愉快だったことが雪に映っ てゐただけのことに違ひない……
*******つまり、渦の紋様が、つまり、古の昔から存在してゐて、つまり、しかもそれが、つまり、人類共通の、つまり、紋様だったことは、つまり、 知ってゐるね。
――ええ。アイヌの方々の衣装を見ただけでも自明のことよ。日本は、勿論、唐草紋様は特に世界共通の渦紋様だわ。……それが物理数学的に未だ数式で記述で きないって事が不思議でならないわ。
*******つまり、そこなんだ、つまり、問題は。つまり、僕の、つまり、直感だけれども、つまり、渦を、つまり、数式とかで記述するには、つまり、∞ の次元が、つまり、自在に、数式で、つまり、操れないと、つまり、記述できないと、つまり、思へて仕方がない……。
――∞の次元? ねえ、それは何の事?
*******つまり、此の世は、つまり、アインシュタインのやうに、つまり、四次元であるといふのが、つまり、一般的だが、つまり、君は、つまり、特異 点を知ってゐるね。つまり、人類が、つまり、未だ渦を、つまり、物理数学的な数式で、つまり、記述できないことが、つまり、この世界を、つまり、量子論と 相対論とを、つまり、統一できない、つまり、根本原因だと、つまり、その歪が、つまり、特異点として、つまり、現れて、つまり、人類は特異点の問題を、つ まり、姑息な手段で、つまり、成るべく触れずに、つまり、取り繕って、つまり、何事か、つまり、世界が物理数学で、つまり、記述できると、つまり、錯覚し てゐたい、つまり、穴凹だらけの地面を見て、つまり、《この土地はまっ平らな土地だねえ》と、つまり、錯覚してゐるに、つまり、過ぎないのさ。
――えっ? もっと解りやすくお願い。
*******つまり、僕の直感だけれども、つまり、渦は、つまり、四次元以上、つまり、∞次元の、つまり、四次元での、つまり、仮の姿に、つまり、過ぎ ない。そして、つまり、渦は、つまり、此の世の結び目、つまり、四次元時空間を、つまり、宇宙としてk~げてゐる、つまり、結節に違ひないのだ。
――つまり、銀河の事ね。パスカルじゃないけれど、二つの無限の中間点が……渦といふ事ね。そして、人間もまた……渦といふことね。
*******さう。
――うふ。
*******つまり、渦が、つまり、物理数学的に記述できるといふことは、つまり、《無限》の仮面が、つまり、剥がれる、つまり、時さ。そして、つま り、人類は、つまり、此処に至って漸く本当の《無限》に、つまり、出遭ふのさ……
――本当の《無限》?
*******つまり、人類が、つまり、無限大を、つまり、∞といふ《象徴》で、つまり、封印したことが、つまり、間違ひの元凶だったのさ。しかし、∞と いふ、つまり、象徴記号が、つまり、なかったならば、つまり、科学の発展は、つまり、もっともっとゆっくり進んだに違ひない……つまり、ねえ、君、人類 は、つまり、得体の知れぬものに、つまり、《仮面》なり、《象徴記号》なり、《名前》なり、つまり、付けられずに、つまり、堪へられる、つまり、生き物だ らうか?
――さうね……《心》がその典型ね。きっと無理ね。
――……。
――ねえ、うふ、《得体の知れぬ》あなたは、形而上で呼吸をしてゐる《不思議》な生き物ね……。ドストエフスキイ曰く、あなたは《紙で出来た人間》の眷属 なの、えへ。
*******さうかもね、へへ。つまり、《魂の渇望型》の、つまり、生き物さ。さて、……その、つまり、陰陽魚太極図だけれども、つまり、僕の勝手な、 つまり、解釈だけれども、つまり、東洋、つまり、特に日本は、つまり、陰陽===>太極で論証する、つまり、弁証法に比べたら、つまり、曖昧模糊と した論証だけれども、つまり、しかし、陰陽===>太極で思考する方が、つまり、深遠だと思ふ。
――さうね。さうかもしれないわ。
*******君は、つまり、今、つまり、道元と親鸞に、つまり、心酔してゐるね? 
――さう……。キェルケゴールの「あれか、これか」だったかしら、アブラハムとその子イサクについての基督者の姿勢が書かれてゐた筈だけれども……私…… 《論理》を超えた《言葉》を……今……渇望してゐるの。それが道元と親鸞なのよ。《神》無き仏教に惹かれるの。それに、私、神が傍若無人を人間に働く「ヨ ブ記」が大嫌い! 
*******でも、つまり、ブレイクもキェルケゴールも、つまり、「ヨブ記」に耽溺してゐた筈だが……。
――さうね、基督者にとっては「ヨブ記」はある意味、信仰の《踏み絵》ね。確か、ドストエフスキイもさうだった筈だわ。
*******つまり、砂漠の地で生まれた、つまり、ユダヤ教、基督教、回教、何れも、つまり、《自然》といふ名の《神》は、つまり、皆、つまり、悪意に 満ちてゐなければならなかったのさ。つまり、彼らは、つまり、それ程過酷な自然環境の地で生きなければならなかったのさ。
――うふ。それで世界は《秩序立って》ゐたのね。だから、私には虚しい《論理》と《科学》が発展したのね。
*******さう、つまり、《理不尽》にね……。
――さうなの、西洋の《論理》は《理不尽》なのよ。
*******Credo,quia absurdum、つまり、君は、つまり、《不合理故に吾信ず》といふ、つまり、箴言を知ってゐるね。つまり、確か、アウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354年11月13日 - 430年8月28日)の言葉だったと思ふが、否、つまり、この前に、つまり、君は、つまり、此の世に《秩序》があると思ふかい?
――ええ、勿論あるわ。
*******へっへ。つまり、此の世に、つまり、《秩序》があるのに、つまり、君は、つまり、西洋の《論理》は、つまり、《理不尽》といふ。つまり、君 の《論理》に、つまり、《矛盾》がないかい? 
――うふ、《矛盾》はないわよ、天邪鬼さん。だって此の世の《秩序》がそもそも《理不尽》なのだもの、うふ。
*******つまり、《真理》若しくは《摂理》といふ名の、つまり、《神》の御業を、つまり、把握したいが為に人間は、つまり、哲学から、つまり、始 まって、そして、つまり、数学やら物理やらを、つまり、派生させ、つまり、《真理》の追究に、つまり、邁進して来たが、つまり、君はどう思ふかな、つま り、哲学者や数学者や物理学者等に、つまり、定理、公理、法則等が、つまり、此の世に厳然と、つまり、存在すると、つまり、君達は言ふが、つまり、では、 その、つまり、定理やら公理やら法則やらは、つまり、何故、如何して、つまり、存在するのかを、つまり、彼らに尋ねると、さて、つまり、彼らは何と答える か?
――さうね、多分、解らないと答へるでしょうね。
*******つまり、其処さ。つまり、彼等は言外で、つまり、《神》の存在を、つまり、認めてゐるのさ。更に言へば、つまり、彼等は全て、つまり、一神 教の《神》が此の世を創世したと深奥では、つまり、信じてゐるのさ。
――さう、それが私の言ふ《理不尽》の根本なのよ。幾何学等を発展させたエジプトやギリシア、そして零を発見したインド、更にニュートンやライプニッツに 比肩するほどの独自の和算を発展させた日本、これら全て多神教よ。
*******つまり、ギリシアを始め、つまり、欧州に原始基督教が布教した頃は、つまり、土着の信仰も許容してゐた筈なのだが、つまり、私の勝手な考え だけれども、つまり、欧州の土地が、つまり、石畳で蔽はれるのと機を一にして、多分、つまり、一神教の圧制が、つまり、始まったと思ふ。つまり、これは、 つまり、人間の性だが、つまり、《単純明快》が《美的感覚》と、つまり、結び付いてゐる、つまり、一神教の圧制は、つまり、必然なのさ。
――さうかもしれないわね……。
*******つまり、話は一気に飛躍するけれども、つまり、無性生殖の単細胞から有性生殖の多細胞へと、つまり、生物が、つまり、進化したことと、つま り、《単純明快》が《美的感覚》と結び付く人間の性と、つまり、関係してゐるのさ。
――えっ。どうして? 
*******つまり、君には酷な話になるが、つまり、君は既に、つまり、独りで立ち上って、つまり、何かを《決心》してゐるから、つまり、直截的に言ふ よ。つまり、特に人間だが、つまり、君は、つまり、一つの卵子が作られる、つまり、過程は知ってゐるね? 
――ええ、多くの卵細胞から卵子に成れるのはたった一つ。後は卵胞閉鎖で自ら死滅して行くのよ。それを今ではApoptosis(アポトーシス)と名付け て生物学者は何か新発見をしたかのやうにしたり顔で馬鹿みたいに《歓喜》してゐるわ。
*******つまり、君は、何故卵子は一つなのか、つまり、君の考えを、つまり、聞かせてくれないか。
――えっ! 何故? そんな事これまで考えもしなかったわ。御免なさい。私、それが《自然》で当然のことだとしか思ってゐなかったわ。何か理由でもある の? 
*******つまり、これは私の独断だが、つまり、遺伝子には《諦念》或いは《断念》といふ情報が組み込まれてゐる、つまり、私はそれを《断念遺伝子》 と勝手に名付けてゐるが、つまり、生き物は《断念》、これは詩人の、つまり、石原吉郎に影響されたんだが、つまり、生物は《断念》を、つまり、《宿命》付 けられてゐる。つまり、《断念》無しに、つまり、此の世の《秩序》は在りっこ無いんだ。
――《断念》……ね。うふ、一つの卵子には無数の死滅した卵子成れざる卵子達の《怨念》が負わされてゐるのかしら?
*******へへ。つまり、僕の独断で言へば、つまり、負ってゐる。つまり、自ら死滅した卵子達の、つまり、死の大海に、つまり、たった一つの卵子が浮 かぶ。つまり、そのたった一つの卵子は、つまり、死滅した無数の卵子達の《怨念》を、つまり、負はなければならない《宿命》なのさ。
――すると、ねえ、……。
*******精子だね。さう、つまり、受精はたった一つの卵子とたった一つの精子のみしか出来ない、つまり、受精はそもそも、つまり、無数の《死》をそ の存在の前提で背負わされてゐる。つまり、無数に女性の、つまり、膣内に放出された、つまり、精子達は女性の体内で《死滅》して行く。つまり、僕や君が、 つまり、此の世に存在する前提に、つまり、既に無数の《死》が、つまり、厳然と存在してゐる。
――さう……ね。……ちょっと待って。ねえ、何故人間は全ての卵子と全ての……精子……を受精させないの。受精以前に自ら《断念》して死滅する必然なんて 何処にも無いわ。
*******さうだね。つまり、其処なんだよ、此の世に《秩序》がある《理由》が。つまり、人間もまた、つまり、魚類や昆虫等々と、つまり、一緒に、つ まり、他の生物の《餌》になる前提で、つまり、無数の受精卵が、つまり、胎内に、つまり、《断念》せず存在してても良い筈なんだ。しかしだ、つまり、現実 はさうは成ってゐない。つまり、DNAはどの生物も、つまり、その組成物質のたんぱく質は、つまり、《同じ》にも拘はらず、ある生物は、つまり、他の生物 の《餌》となるために、つまり、《死滅》せず無数の受精卵が存在し、つまり、また、ある生物は《餌》とならないために、つまり、特に人間は、つまり、無数 の《死》の大海に、つまり、たった一つの受精卵を存在させる。へへ、つまり、此の世の《秩序》は、つまり、《不合理》だね。
――それって《神》の気紛れかしら。ええっと、Credo……何だったかしら? 
*******Credo,quia absurdum。つまり、《不合理故に吾信ず》。
――それそれ。ねえ、《秩序》は《不合理》の異名なの? 
*******いや、つまり、僕が思うに、つまり、《秩序》は《不合理》を、つまり、許容しなければならない。つまり、何故だと思う? 
――さうね、《秩序》が《合理》であるとすると、う〜ん、そっか、その《社会》には《合理》しか有り得ない。さうすると《主体》は《不自由》ね。
*******さう。つまり、《人類》より遥かに進化してゐる、つまり、昆虫、中でも、つまり、蜂や蟻を考えてごらん。
――御免なさい。私、昆虫は余り詳しくないの。
*******つまり、蟻を例にすると、つまり、蟻は大きな群れを作って、つまり、集団で生活してゐるね。つまり、蟻は、つまり、《社会性昆虫》と言われ てゐる。ところで、つまり、君、蟻に《脳》は、つまり、有ると思ふかい? 
――えっ、さうね、有るんじゃないの。
*******さう、つまり、昆虫にも、つまり、《脳》はある。つまり、さうじゃなきゃ、つまり、此の世は、つまり、《昆虫天国》になる筈はない。それ じゃ、君、つまり、蟻は《思考》すると思ふかい? 
――えっ、それは、う〜ん、解らないわ。
*******つまり、蟻が、つまり、《思考》するかどうかは、つまり、これからの研究に待たなければならないんだが、つまり、仮に蟻が《思考》するとし て、つまり、蟻は血縁の社会だが、つまり、さうすると、何故、つまり、蟻の社会には、つまり、働き蟻による《内訌》や《叛乱》や《謀反》が、つまり、起こ らないのだらうかね。
――う〜ん、……《自由》の問題かしら? 
*******さうだね、つまり、《自由》の問題になるのかもしれないね。そこで、つまり、君、蟻の社会は《合理的》だよね。つまり、そこでだ、つまり、 蟻のやうに《合理的》な、つまり、それも、つまり、《合理》をとことん突き詰めたやうな、つまり、《秩序》が《合理》そのものの《社会》で、つまり、《思 考》する、つまり、《主体》の《自由》は、つまり、《許容》されると思ふかい? 
――さうね。《主体》の《自由》は無きに等しいわね。それは正に《洗脳社会》だわ。《主体》は皆全て《洗脳》された《自由》無き、考へただけでもぞっとす る程気色悪い、寒気がする社会ね。ねえ、さうすると、《秩序》はそもそも《不合理》だとして、う〜ん、《秩序》が《不合理》であればある程、《主体》の 《自由》は保障されるといふことかしら? 
*******つまり、それも《按配》だね。つまり、君、《渾沌》に《自由》はあるかい? 
――うふ、《渾沌》には《自由》しかないわ。だって《秩序》が無いんだもの。でも、《主体》はその《渾沌》の《自由》に潰されるわね。《破滅》のみね、 《渾沌》にあるのは。そして、うふ、《渾沌》から《秩序》が生まれる……。うふ、パスカル風に言ふと《二つの〈渾沌〉の中間点が〈秩序〉》……ね。不思議 ね。
*******君、その陰陽魚太極図が、つまり、《渾沌》から《秩序》が、つまり、生まれる瞬間の《象徴》だよ。つまり、《人間は思考する葦である》。つ まり、人間は《渾沌》も《秩序》も、つまり、《思考》出来る《自由》がある。だけども、つまり、この《自由》が、つまり、曲者なんだよ。ねえ、君、つま り、そもそも人間は、つまり、《自由》を持ち堪へるに十分な、つまり、《存在》だと思ふかい? 
――えっ、自由か……、それが私には解らないのよ。そうね、例へば、主君の死に殉じて自ら殉死する人々、一遍上人は禁じてゐたにも拘はらず一遍上人の死に 殉じて入水(じゅすい)した僧や癩者達、そして《死の自由》の狂信者としてドストエフスキイの作品《悪霊》に登場するキリーロフ等々、何れも《何か》の 《殉死》だけれども……う〜ん……《自由》の問題を考へると私は如何しても《死の自由》に行き着いちゃうの……。どれも極端だけどもね。
ここで私は雪に『一寸』といふ合図を右手で送って鞄から或るMemo帳を取り出してバクーニンが草稿を書きネチャーエフが補足したといはれてゐる『革命家 の教義問答』を雪に読ませたのであった。その内容はかうだ。
【革命家は既に死刑を宣告された者である。彼は個人的な興味も個人的な感情も持たない。彼自身の名さへ持たない。彼は唯一つの観念を持ってゐる。革命がそ れである。彼はこの教養ある世界のあらゆる法律、あらゆる道徳律と断絶してゐる。彼がその世界の一部である如くに振舞ひながらその世界の中で生活するの は、唯只管その世界をより的確に破壊するがためである。この世界の中の全ての事物は等しく彼にとって憎むべきものでなければならない。彼は冷ややかでなけ ればならない。彼は常に死ぬ用意をしてゐなければならない。彼は苦痛に耐へる訓練をしてゐなければならない。そして、自己内部のあらゆる感情を圧殺するた め絶えず備へてゐなければならない。彼の目的を妨げる怖れのある時は名誉の感情さへ含めて、彼は唯その目的に貢献する者のみに友情を感じて差支へない。彼 はより低い能力を持った革命家達を唯消費すべきところの資本と看做さねばならない。もし同志が危難に陥った時は、その運命は彼の有益性と、彼を救ふために 必要な革命勢力の消費度によって決定されねばならない。支配する側については、革命家はその構成員を、その個人の悪しき性質によってではなく、革命の大義 に害悪を齎す様様な度合に応じて、区分しなければならない。最も危険なものは直ちに除かれねばならない。けれども、そこには次のやうな他の部類に属する者 がゐる。その或る者は、放任されたままでゐる限り、怖るべき所業を敢行し民衆を昂奮せしめることによって革命の利益を促進し、また或る者は、恐喝と脅迫に よって大義の目的に役に立ち利用され得るのである。自由主義者の部門は、彼等の方針に一致するかの如く彼等を信じしめ、それによって、こちらの方針をもま た容れることを妥協せしめながら、彼等を利用せねばならない。他の急進主義者については、多くの場合彼等を完全に破滅せしめる行動に駆り立てねばならな い。そして、稀な場合、それが彼等を革命家に仕立てあげるのである。革命家の唯一の目標は手を使う労働者達の自由と幸福であるが、この事態が唯全は全破壊 的な、全人民の革命によってのみ成し遂げられることを考慮して、革命家は全力を傾倒して人民がついに忍耐心を失うに至るだらうところの全ての悪行を推し進 めなければならない。ロシア人は、西欧諸国において一般化してゐる革命の古典的な形態、つまり、財産に対し、また、所謂文明と道徳による伝統的な社会秩序 に対して常に足踏みし、そして国家を唯別の国家によって置き換へてゐるところの革命の古典的形態を断乎として拒絶しなければならない。ロシアの革命家は国 家を、その全伝統、全制度、全階級とともに、根こそぎに廃絶しなければならない。かかるが故に、革命を醸成するGroupは人民に対して如何なる政治的組 織をも上から押し付けやうと試みないであらう。未来社会の組織は、疑ひもなく、人民自体の中から生まれる。吾々の事業は唯恐怖すべき、完璧な、全般的な、 無慈悲な破壊を為すことにある。そして、この目的のため、大衆の頑固に反抗する諸部分を結合せしめるばかりでなく、ロシアにおける唯一の真実な革命家であ るところの法の保護を失へる全ての者達の不屈な集団を団結せしめばならない。】(埴谷雄高著「埴谷雄高ドストエフスキイ全論集」【講談社】の参照)
*******どう? つまり、これもまた《自由》の一形態だが……。
――ネチャーエフが《悪霊》のスタヴローギンやピョートル・ヴェルホーヴェンスキイのModelだとは知ってゐたけれども『革命家の教義問答』を読むのは 今日初めて……。
******つまり、《自由》は冷徹非道性を必ず備へてゐなければ、つまり、それは《自由》として取り上げるに値しない……つまり、《自由》は、つまり、 そもそも《残虐非道》なものに違ひない……と思ふけれども、つまり、君は、如何思ふ? 
――さうね、《自由》《平等》《友愛》を掲げ、神をその玉座から引き摺り落とし《理性》が神の玉座に座ったフランス革命が好例ね。ブレイクもフランス革命 における人間の愚劣さを「The French Revolution」として著してゐるけれども、人間が《自由》のど真中に抛り出されると如何に《愚劣》か……さうよね、あなたの言ふ通りかもしれない わ……、人間は《自由》を持ち堪へられないのかもしれないわね。
*******つまり、人間はどうあっても《下等動物》でしかなく、つまり、その《宿命》から逃れられない《大馬鹿者》であるといふ自覚がなければ、つま り、結局《縄張り》争いの坩堝に自ら進んで身を投じ、つまり、最後は無惨な《殺し合ひ》に終始する《愚劣》な生き物といふことを自覚しなければ、つまり、 人間にとって《自由》は《他者を殺す自由》に摩り替はってしまふ外ない。つまり、レーニンがネチャーエフを認め、つまり、『革命家の教義問答』をも認めて ゐたことは有名な話だけれども、つまり、レーニンが最も自身の後継者にしてはならないとしてゐたスターリンがソヴィエトを引き継ぎ、つまり、《大粛清》を 行ったのも人間が《自由》に抛り出された末に辿り着く《宿命》、つまり、《自由》に堪へ切れずに人間内部に《自然発生》する《猜疑心》の虜になるといふ 《宿命》、つまり、即ち《他者を殺す自由》が人間に最も相応しい《自由》といふことを証明してゐる。つまり、人類史をみれば、つまり、《自由》が《他者を 殺す自由》でしかない事例は枚挙に暇がない。つまり、《他者を殺す自由》以外は全て排除、つまり、《自由》は《自由》に《抹殺》されてしまふ。
――そこでだけど、ねえ、《自殺する自由》はどう?  
――……。
――やっぱり、あなたも考へてゐるのね、《自殺する自由》を……。
*******つまり、《何か》を《生かす》以外、つまり、《自殺》は地獄行きさ。つまり、卵子と精子の例じゃないけれど、つまり、《壱》のみ生き延びさ せるための《自死》以外、つまり、《自殺》は、つまり、地獄行きだ。
――どうして《自殺》は地獄行きなの? 
*******つまり、例へば、僕も君も、つまり、一つの受精卵から子宮内で十月十日の間、つまり、全生物史を辿るやうに全生物に変態した末に人間に成る が、つまり、その一つの受精卵の誕生の一方で、つまり、《自死》した数多の卵子と女性の体内で死滅した数多の精子の《怨念》を、つまり、《背負はされて》 此の世に誕生した訳だが、つまり、《自殺》はその死滅した、つまり、卵子達と精子達が許さず、そして、つまり、生き残った奴が《自由》に《自殺》した場 合、つまり、此の世に誕生する事無く死滅させられた卵子達と精子達が、つまり、《自殺》した奴を地獄に送るのさ。更に《生者》が《自殺》するまで食料とし て喰らはれて来たこれまた数多の《他の生物達》の《怨念》も含めて、つまり、あらゆる《生者》は生まれた時から《死者》の数多の《怨念》を背負ってゐるか ら、つまり、《自殺の自由》を《生者》が行使した場合、つまり、地獄行きは《必然》なのさ。
――それでね、《他者》が存在するのは……。人間は独りでは《自由》を持ち堪へられない、故に《他者》が存在する、うふ。
*******さう、そして、つまり、未だ出現されざる未出現の《未来人》を必ず《未来》に出現させる為にも、つまり、《現在》に《生》を享けた人間は、 つまり、与へられた《生》を全うしなければならない。つまり、その為には人間は数多の《他者》と共に生きねばならない。
――ねえ、さうすると、人間は《自由》とどう関はれば良いと思ふ? 
*******正直言ふと、つまり、僕にはそれは解らないんだよ。つまり、阿修羅の如き《自由》……、君はどう思ふ? 
――さうね、人間は分を弁えるしかないんじゃないかしら……、うふ、私にもこの《残虐非道》な阿修羅の如き《自由》に対しての人間の振舞ひ方は解らないわ ね、うふ。だって、《自由》を自在に操れるのは《神様》以外在り得ないもの。ねえ、さうでしょ、うふ。
…………
…………
君もさう思ふだらうが、雪の微笑みは何時見ても純真無垢な美しさに満ち溢れてゐたが、この時の雪の微笑みも『これぞ純真無垢!』といふやうな飛び切りの純 真無垢な美しさに包まれてゐて私は心地好かったのである……。

――断罪せよ。
例へば澱んだ溝川(どぶがわ)の底に堆積した微生物の死骸等のへどろが腐敗して其処からMethane Gas(メタン・ガス)等がぷくりぷくりと水面に浮いてくるやうに私の頭蓋内の深奥からぷくりぷくりと浮き上がっては私の胸奥で呟く者がゐたのは君もご存 知の通りだ。
――お前自身をお前の手で断罪せよ。
これが其奴の口癖だった。
多分、私が思ひ描いた私自身の《吾》といふ表象が時々刻々と次々に私自身が脱皮するが如くに死んで行き、その表象の死屍累々たる遺骸が深海に降る海雪 (Marine snow)のやうに私の頭蓋内の深奥に降り積もり、それがへどろとなって腐敗Gasを発生させ、その気泡の如きものが私の意識内に浮かび上がっては破裂し
――断罪せよ。
となると私は勝手に考へてゐたが、雪との出会ひが私をしてそれを実行する時が直ぐ其処に迫ってゐることを自覚しないわけにはいかなかったのだ。今にして思 へば雪との出会ひは私が私自身を断罪するその《触媒》であったのだらうとしか思へないのだった……。
勿論、私の頭蓋内の深奥には深海生物の如き妄想の権化と化したGrotesque(グロテスク)な異形の《吾》達がうようよと棲息してゐた筈だが、其奴等 も私が余りにも私自身の表象を創っては壊しを繰り返すので意識下に沈んで来た《私》の表象どもの遺骸を喰らふのに倦み疲れ果てて仕舞ってゐたのは間違ひな い……。
多分、其の時の私の頭蓋内の深奥には私が創った表象の死骸が堆く積み上がる一方だったのだ。
――断罪せよ。
…………
…………
さて、私はSalonで読書会がもう始まってゐるのでSalonに行かうと雪に言付けして其の古本屋を出やうとすると、雪が
――一寸待ってて。二三冊所望の本を買ってくるから。
と言ったので私は軽く頷き其の古本屋の出口で待つことにしたのであった。
外はAsphaltとConcreteから発散する熱と人いきれの不快な暑気に満ちてゐて、其の中、淡い黄色を帯びた優しい白色の満月の月光が降り注ぐ、 何とも名状し難い胸騒ぎを誘ふ摩訶不思議な世界へと変貌してゐた。東の夜空を見上げると美麗な満月がゆるりと昇って、満月は、暑気による陽炎に揺れてゐた が、私は『今夜は何人の人が誕生し、そして何人の人が亡くなるのか』等とぼんやりと生死について思ひを巡らせずにはゐられなかったのである。満月の夜は必 ずさうであった。私にとって月は生物の生死の間を揺れ動く弥次郎兵衛のやうな存在で、且、生物の生死を司るある種創造と破壊の神、シヴァ神のやうな存在に 思へたのである。
と、其の時ぽんと私の左肩を軽く叩き
――お待たせ。
と、雪が声を掛けたのであった。私は左を向いて雪の瞳を一瞥して不意に歩き出した途端、雪は私の右手首を今度は軽く握って
――もう、待ってよ、うふ。
と私に純真無垢な微笑を送って寄越したのであった。しかし、私は其のまま歩を進めたのである。
――もう、うふ。
と、雪は私の右側にぴたりと並んで歩き出したのであった。
袖触れ合ふも他生の縁。私は相変はらず伏目で歩いてゐたが、私の右手首を少し強めに握った雪が私を握った左手で私の歩行の進行を見事に操るので、私は内心
――阿吽の呼吸 。
等と思ひながら密かに愉悦を感じざるを得なかったのである。そして、私と雪が相並んで睦まじさうにゆったりと二人の時間を味はひながら歩く姿を、私達の傍 らを通り過ぎる人達が興味津々の好奇の目を向けてゐる、その多少悪意の籠もった視線の数々を感じながら、私は、この私達の傍らを好奇の目を向けて通り過ぎ る彼らもまた他生の何処かで会ってゐる筈だと内心で哄笑しながら
――さて、彼等の他生の縁(えにし)は人としてなのだらうか。
等と揶揄してみては更に内心で哄笑するのであった。
それはまさしくゆったりとした歩行であった。
不意に雪を一瞥すると雪は例の純真無垢な微笑を返すのである。雪もまたこのゆったりとした歩行に何かしらの愉悦を感じてゐたのは間違ひない。
男女が二人相並んで歩くといふ行為は考へると不思議極まりない、ある種奇蹟の出来事のやうな錯覚に陥る。偶然にも同時代に生を享け、偶然にも互ひに出会へ る場所に居合はせ、互ひに何かしら惹かれあふものをお互ひに感じ、そして、互ひに見えない絆を確信し相並んで歩く……、これは互ひに出会ふして出会ってし まった運命といふ必然の為せる業なのかもしれない……。
私は雪に微笑みかけ、雪もそれに答へて微笑み返す……。人の縁(えにし)とは誠に不思議である。
そして、ゆったりとした歩行は続くのであった。
と不意に私と他生の縁を持った人間がこの瞬間に此の世を去ったのであらう、私の視界の周縁に光雲が出現し、左目は時計回りで、右目は反時計回りでその光雲 が旋回し始めたのであった。そのまま雪を見ると
――……また誰か亡くなったのね……。あなたの目、何となく渦模様が浮かんでゐる気がするの……不思議ねえ……何となくあなたの異変が解ってしまふの。
私は軽く頷くと都会の人工の灯りが漏れ出て明るい夜空に目を向け
――諸行無常。
といふ言葉を胸奥に飲み込むのであった。すると、雪が
――諸行無常。
と溜息混じりにぽつりと呟いたのである。私が振り返ると雪は何とも名状し難い悲哀の籠もった不思議な微笑を私に返したのであった。
君も多分不思議に思ってゐるだらう。何故月の盈虚がこれ程生物の生死、また、地震の生起に深く関はってゐるのかを。人間で言へば新月と満月の日が出生する 赤子と死に行く人間の数が他の日に比べて多いといふのは、私の思ふところ仄かな仄かな重力の差異が人間の運命を大きく左右する、つまり、仮に《運命次元》 なるものが存在し、重力の仄かな仄かな差異がその《運命次元》を発生させまた消滅させる契機になってゐるとすると、物理学者は重力の謎を考へれば考へるほ ど迷路乃至は袋小路に入り込み、多分、生物の運命を左右し重力と相互作用する新たな粒子の存在を考へないと《世界》を説明出来ない筈のやうな気がするの だ。
――へっ、重力は此の世の謎のまま人類の滅亡まで其の謎解きは出来ない。何故ならば、重力に関して主体は観測者では有り得ないのだ。
等と私は時々内心で哄笑して見るのだが……。多分、重力は物理数学の域を超えた何やら占星術のやうな怪しげな、例へばその《値》を数式に表はすと数式を書 いた本人の運命が左右されるといった超物理数学が出来なければ重力の謎は解けない気がする。
今のところアインシュタインがその道を開いた重力場の理論は主体とは無関係に研究が進んでゐる筈だが、また、人間は重力を簡単に一言で《重力》と片付けて ゐるが、私が思ふに《重力》を構成するのは∞の量子若しくは次元に違ひない……。さうすると当然これまで主体は観測者といふ《特権的》な存在で《世界》乃 至《宇宙》乃至《素粒子》を扱って来たが、こと重力に関しては主体はその観測者といふ《特権》を剥奪されて重力といふ物理現象に飲み込まれ、翻弄される、 つまり、主体がモルモットのやうになる以外に重力の説明は不可能だと思ふのだ。
ねえ、君。それにしても月は不思議な存在だね。ブレイクもアイルランドの詩人、イェーツも月の盈虚を題材にOccult(オカルト)めいて幻想的な詩のや うな、思索書のやうなものを著はしてゐるが、月は人間を神秘に誘ふものなのかもしれないね。
多分、君も考へたことはあるだらう。もし月が存在してゐなかったならば生物史はどうなってゐたかを。まあ、それは人類が地球外の、例へば月や火星で生活す るやうになれば重力乃至月がどれ程生物の生死に深く関はってゐるのか明らかになる筈だから……。
ねえ、君、私も多分満月の日に死ぬ筈だから左記の括弧に私の死亡した日時を記して送れ。お願いする。
(追記。此の手記の作者は某年某月某日の満月の夜が明けた午前十時四十分四十秒に態態死の直前女性の看護師を病室に呼びにやりと笑って死去する。)
…………
…………
さて、何とも名状し難い悲哀の籠もった不思議な微笑を私に返した雪に私は優しく微笑みかけて東の空に昇り行く満月を指差し雪と二人、暫くその場に立ち止 まって仄かに黄色を帯びた優しくも神秘的な月光を投げ掛ける満月を見続けてゐたのであった。
――ねえ、月は生と死の懸け橋なのかしら……
と雪が呟いたので私は軽く頷き雪と私の二人並んだ月光による影に目をやった。雪もまた二人の影を見て
――何て神秘的なんでしょう、月光の影は……。
とぽつりと呟いたのであった。と不意に再び私の視界の周縁に光雲が一つ旋回を始めたのであった。
私は雪を銀杏の街路樹の下に誘ひPocketから煙草の箱を取り出して先づは雪に勧めたのであった。といふのも雪は《男》に陵辱されてから、多分、煙草を 喫むやうになったと信じて全く疑はなかったのである。実際、雪は私が差し出した国産煙草で最も強いのは頭がくらくらするからと言って自分の煙草を鞄から取 り出して一本極々当然といった自然な仕種で銜へたのである。
君は自殺してしまったフォーク歌手、西岡恭蔵の「プカプカ」といふ名曲を知ってゐるかな。
  1971(S.46)年、西岡恭蔵さんの自作自演曲だが
  Creditは
象狂象 作詞/作曲   西岡恭蔵 唄    JASRAC作品コード072-1643-2
一 俺のあん娘(こ)は たばこが好きで
  いつも プカプカプカ
  身体(からだ)に悪いから 止(や)めなって言っても
  いつも プカプカプカ
  遠い空から 降ってくるっていう
  幸せってやつが あたいにわかるまで
  あたい たばこ 止めないわ 
  プカプカプカプカプカ
二 俺のあん娘(こ)は スウィングが好きで
  いつも ドゥビドゥビドゥ
  下手くそな歌は 止(や)めなって言っても
  いつも ドゥビドゥビドゥ
  あんたが あたいの どうでもいい歌を
  涙流して わかってくれるまで
  あたい 歌は 止めないわ 
  ドゥドゥビドゥビドゥビドゥ
三 俺のあん娘(こ)は おとこが好きで
  いつも ムーーーーーー
  俺のことなんか ほったらかして
  いつも ムーーーーーー
  あんたが あたいの 寝た男たちと
  夜が 明けるまで お酒飲めるまで
  あたい おとこ 止めないわ ムーーーーーーーー
四 俺のあん娘(こ)は 占いが好きで
  トランプ スタスタスタ
  よしなっていうのに おいらを占う
  おいら あした死ぬそうな
  あたいの 占いが ピタリと当たるまで
  あんたと あたいの 死ねるときがわかるまで
  あたい 占い 止めないわ トランプ 
  スタスタスタ

といふ歌詞なんだが私は雪の或る一面をこの「プカプカ」の女性に重ねてゐたのだ。想像するに難くないが、雪は普段は対人、特に《男》に対する無意識の恐怖 心の所為で、例へば過呼吸等緊張の余り呼吸が乱れてゐる筈で、煙草の一服による深々とした呼吸が雪を一時でも弛緩し呼吸を調へるのだ。さうでなければ雪が 純真無垢な微笑を浮かべられる筈はない。あの時期の雪にとって煙草は生きるのに不可欠なものだったのさ。
一方で私だが、私にとって煙草はソクラテスが毒杯を飲み干して理不尽な死刑を敢行した、或いは詩人のランボーの詩の中に「毒杯を呷る」といふやうな一節が あった気がするが、私にとって煙草を喫むのは《生》を実感する為の毒なのだ。私には毒無しには一時も生きられない程、既にあの時から追い詰められてゐたの さ。《生きる屍》として何とか私が生きてゐたのは何を措いても煙草があったからなのさ。飯は食はずとも煙草さへ喫めればそれで満足だったのだ。今も病院で 私は強い煙草を喫んでゐる。最早終末期の私には何も禁じる物なんかありはしない。へっ――。
私は一本目の煙草を喫めるだけ喫めるぎりぎりまでしみったらしく喫むと間髪を置かず二本目を取り出し一本目の燃えさしで二本目に火を点け、身体全体に煙草 の煙が行き渡るやうに深々と一服したのであった。雪は私のその仕種を見ながら
――うふ、あなたは本物のNicotine(ニコチン)中毒ね、うふ。
と微笑みながら私が銜へた煙草の火の強弱の変化と私の表情を凝視めるのであった。そんな雪を何とも愛おしく思ひながら私は私で雪に微笑み返すのであった。 勿論、この時の煙草は格別美味かったのは申すまでもない。
――ねえ、あなたをこれまで生かして来たのはその煙草と、それと、うふ、お酒ね。それも日本酒ね、うふ。
と正に正鵠を射たことを雪が言ったので私は更に微笑んで軽く頷いたのである。
――ふう〜う。
とまた一服する。すると私に生気が宿る不思議な快感が私の身体全体に走る。と、また
――ふう〜う。
と一服する。その私の様が雪には可笑しくて仕様がないらしく
――うふうふうふ。
と私を見ながら飛び切りの笑顔を見せるのであった。すると、雪は偶然にも
――煙草とお酒があなたの鎮静剤なのね。
と言ったのであった。
ねえ、君。君は「鎮静剤」といふ詩を知ってゐるかな。高田渡も歌ってゐるがね。

  「鎮静剤」
 マリー・ローランサン

 退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
 不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
 病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
 捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
 よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
 追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
 死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。

 訳:堀口大學
 詩集「月下の一群」より

といふ詩なんだが。自分で言ふのもなんだが、私にぴったりの詩だね。堀口大學の訳詩の《女》を《私》に換へると、へっ、私自身の事だぜ、へっ――。
――鎮静剤か……。
成程、雪の言ふ通り《死に至る病》に魅入られた私には《生》に帰属する為に一方で煙草といふ《毒》を喫んで《死》を心行くまで満喫する振りをしながらも私 の内部に眠ってゐる臆病者の《私》を無理矢理にでも揺り起こし、煙草を喫む度に《死》へと一歩近づくと思ふ事で《私》が今生きてゐるといふ実感に直結して しまふこの倒錯した或る種の快感――これは自分でも苦笑するしかない私の悪癖なのだ――が途端に不快に変はるその瞬間の虚を衝いて、私は一瞬にして《死》 に臆する《私》に変容するのかもしれない。さうして《死》を止揚して遮二無二《生》にしがみつく臆病者の《私》は煙草を喫むといふ事に対する悲哀をも煙草 の煙と共に喫み込み、内心で
――くっくっくっ。
と苦笑しながらこの《死》をこよなく愛しながらも《生》にしがみつく臆病者の《私》をせせら笑ひ侮蔑することで《生》に留まる《私》を許し、やっとの事で 私はその《私》を許容してゐるのかもしれないのだ。
――鎮静剤……。
これは多分、私が《私》を受け入れる為の不愉快極まりない《苦痛》を鎮静する《麻酔薬》なのだ。《死》へ近づきつつ《死》を意識しながら、やっとの事で 《生》を実感できるこの既に全身が《麻痺》してしまってゐる馬鹿者である私には自虐が快楽なのかもしれない。ふっ、自身を蔑み罵ることでしか《吾》を発見 出来ない私って、ねえ、君、或る種、能天気な馬鹿者で
――勝手にしろ!
と面罵したくなるどう仕様もない生き物だろ。へっへっへっ。何しろ私の究極の目標は自意識の壊死、つまりは《私》の徹底的なる破壊、それに尽きるのさ。  そこで
――甘ったれるな! ちゃんと生きてもいないくせに!
といふ君の罵倒が聞こえるが……、そこでだ、君に質問するよ。
――ちゃんと生きるってどういふ事だい?
後々解ると思ふが私は普通の会社員の一生分の《労働》は既に働いたぜ。ふっ、その所為で今は死を待つのみの身に堕してしまったが……。それでもちゃんと生 きるといふ事は解らず仕舞ひだ。そもそも私には他の生物を食料として殺戮し、それを喰らひながら生を保つだけの《価値》があったのだらうか。私の結論を先 に言ふとその《価値》は徹頭徹尾私には無いといふことに尽きるね。
――人身御供。
私の望みは私が生きる為に絶命し私に喰はれた生き物たち全てに対しての生贄としての人身御供なのかもしれないと今感じてゐるよ。
ねえ、君。君は胸を張って
――俺はちゃんと生きてゐる!
と言へるかい? もしも
――俺はちゃんと生きてゐる!
と、胸を張って言へる能天気な御仁が此の世に存在してゐるならば、その御仁に会ってみたいものだ。そして、その御仁に
――大馬鹿者が!
と罵倒する権利がある人生を私は送ったつもりだが……、これは虚しいことだね、君。もう止すよ。
…………
…………
――ふう〜う。
と、また私は煙草を喫み煙を吐き出しながら、何とも悲哀に満ちた《生》を謳歌するのであった。
――ふう〜う。
――本当に煙草が好きなのね、あなたみたいに煙草を美味しさうに吸ふ人、私、初めて見たわ。うふ、筋金入りのNicotine(ニコチン)中毒ね、ふふ。
と既に自身の煙草はとっくに吸ひ終はってゐた雪は私が煙草を喫む毎に生気が漲る様でも敏感に感じたのかほっとしたやうなにこやかな微笑みを浮かべては私を 見続けてゐるのであった。私はと言へば照れ笑ひを軽く浮かべて雪に微笑み返すのである。さうさ、二人に会話はゐらなかったのだ。顔の表情だけで二人には十 分であった。
君も知っての通り、私にとって必要不可欠なものは煙草と日本酒と水とたっぷりと砂糖が入った甘くて濃い珈琲、そして、本であった。私の当時の生活費は以上 が殆どで食費は日本酒と砂糖を除けば本当に僅少であった。Instant(インスタント)食品やJunk food(ジャンクフード)の類は一切口にする ことは無く、今もってその味を私は知らない。
ねえ、君。私の嗜好品は全て鎮静か興奮かの刺激物だといふ事がはっきりしてゐるだらう。それは、私の思考が当時、一度思考が始まると止め処無く堂堂巡りを 繰り返し《狂気》へ一気に踏み出すのを鎮静するのに煙草は必需品だったのだ。煙草を一服し煙草の煙を吐き出すのと一緒に私は《狂気》へ一気に驀進する思考 の堂堂巡りも吐き出すのさ。そして、不図吾に帰ると私の内部に独り残された吾を発見し《正気》を取り戻すのだ。古に言ふ《魂が憧(あくが)れ出る》状態が 私の思考の堂堂巡りだった。私が思考を始めると吾は唯《思考の化け物》と化して心此処に在らずといった状態に陥ってしまふのさ。これも一種の狂気と言へば 狂気に違ひないが、この思考が堂堂巡りを始めてしまふ私の悪癖は矯正の仕様がない持って生まれた天稟の《狂気》だったのかもしれない……。
《死》へと近づく哀惜と歓喜が入り混じったこの屈折した感情と共に煙草を喫み、そして、私の頭蓋内で《狂気》のとぐろを巻きその《摩擦熱》で火照った頭の 《狂気》の熱を煙草の煙と一緒に吐き出し吾に帰る愚行をせずには、詰まる所、私は《狂気》と《正気》の間の峻険の崖っぷちに築かれたインカ道の如きか細き 境に留まる術を知らなかったのだ。何故と言って、私は当時、《狂気》へ投身することは《私》に対する敗北と考へてゐた節があって、それは《狂気》へ行きっ ぱなしだと苦悩は消えるだらうがね、しかし、それでは全く破壊されずに《狂気》として残った全きの生来の《私》が《私》のまま《狂気》といふ《極楽》で存 在することが私には許せなかったのだ。《狂気》と《正気》とに跨り続けることが唯一私に残された《生》の道だったのさ。
…………
…………
其の時の朗らかに私に微笑み続ける薄化粧をした雪の美貌は満月の月光に映え神秘的でしかもとてもとても美しかった……。
と不意にまた一つの光雲が私の視界の周縁を旋回したのである。私は煙草によって人心地付いたのと、また光雲が視界の周縁を廻るのを見てしまった私を敏感に 察知しそれに呼応する雪の哀しい表情が見たくなかったのでゆっくりと瞼を閉ぢたのであった。瞼裡に拡がる闇の世界の周縁を数個の光雲が相変はらず離合集散 しながら左に旋回するものと右に旋回するものとに分かれぐるりぐるりと私の視界の周縁を廻ってゐた。
――死者達の託けか……、それとも埴谷雄高曰く、《精神のリレー》か……。
勿論死んで逝く者達は生者に何かしら託して死んで逝くのだらう。私の瞼裡の闇には次々と様々な表象が浮かんでは消え浮かんでは消えして、それは死者達の頭 蓋内の闇に明滅したであらう数多の思念が私の瞼裡の闇に明滅してゐるのだらうかと考へながらも
――それにしても何故私なのか?
と疑問に思ふのであるが、しかし、一方で
――死者共の思念を繋ぎ紡ぐのがどうやら私の使命らしい。
と妙に納得してゐる自分を見出しては内心で苦笑するのであった。
と不意に金色の仏像が瞼裡の闇の虚空に浮かび上がったのである。
――ふう〜う。
とそこで間をおくやうに煙草を一服し、もしやと思ひ私は目玉を裏返すやうに瞼を閉ぢたままぐるりと目玉を回転してみると、果たせるかな、血色に燃え立つ光 背の如き業火の炎は私の内部で未だ轟轟と燃え盛ってをり、再び目玉をぐるりと回転させて元に戻すと未だ金色の仏像――それは大日如来に思へた――が闇の中 空に浮かび上がって何やら語り掛けてゐたのであるが、未熟な私にはそれを聞き取る術が無く静寂のみが瞼裡の闇の世界に拡がるばかりであった。
と忽然と
――存在とは何ぞや。
といふ誰とも知れぬ声が何処からともなく聞こえて来たのであった。
――生とは何ぞや。
とまた誰とも知れぬ声が聞こえ
――そもそも私とは何ぞや。
とまた誰とも知れぬ声が聞こえた。と、そこで忽然と金色の仏像は闇の中に消えたのである。
これが幻聴としてもどうやら彼の世に逝くには自身の存在論を誰しも吐露しなければならないらしい。ふっふっ。
すると突然、左右に旋回してゐた数個の光雲が無数の小さな小さな小さな光点に分裂離散しすうっと瞼裡の闇全体に拡がったのである。すると突然
――何が私なのだ!
と誰とも知れぬ泣き叫ぶ声が脳裡を過ったのである。そこで漫然と瞼裡に拡がってゐた無数の光点はその叫び声を合図に何かの輪郭を瞼裡に仄かに輝きを放ち浮 かび上がらせるやうに誰とも知れぬ面識の無い他人の顔の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせたのであった。私は一瞬ぎょっとしたが、それも束の間で、
――うう……。
とも
――ああ……。
とも判別し難い声成らざる奇怪な嗚咽の如き《声》を、瞼裡に浮かび上がったその顔の持ち主が発してゐるのに気付いたのであった。
――ふう〜う。
と、この現前で起きてゐる意味を解かうとしてか再び無意識に私は煙草を一服し、そして、意味も無くそこで瞼をゆっくりと開け月光に映える雪の顔をまじまじ と凝視したのである。
――何?
と雪は微笑んだ、が、直ぐ様私の身に起こってゐる事を直覚した雪は
――また……誰かが亡くなったのね……、大丈夫?
といふ雪に私は軽く頷き満月が南中へ向かって昇り行く奇妙に明るい夜空を見上げてから再び瞼を閉ぢたのであった。果たせるかな、瞼裡の闇の虚空には相変は らず誰とも知れぬ面識の無い他人の顔の輪郭がぼんやりと輝きを放って浮かんでをり、私は最早声に成らざる嗚咽の如き奇妙奇天烈なその《声》にじっと耳を澄 ませるしかなかったのであった……。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
と閉ぢられた瞼裡の闇の虚空に仄かに輝きながらその輪郭を浮かび上がらせた私と全く面識のない赤の他人のその顔貌の持ち主の彼の人は、咆哮とも慟哭とも嗚 咽とも歓喜の雄叫びとも、または断末魔とも解らぬたった一声を心の底から思いっ切り叫びたいのであらうが、既にその彼の人は恒常の《現在》といふ時間の流 れに飛び乗って、つまり、彼の人にとっては時間が全く流れぬ彼の世へと既に旅立ってしまった故に、凝固したままぴくりとも動かぬ自身、つまり、《x0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1》のxたる《主体》は0乗たる《死》といふ現象により《完全なる一》たる《存在体》へと変化した故に最早その一声すら上げられぬまま《完全なる一》たる 《存在体》として凝固してしまった自身に対して観念せざるを得ないことを自覚させる永遠の黙考の中に沈潜してしまった彼の人は、音若しくは声ならざる音未 満の
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
といふ《声》を発してゐるのであった。それを例へてみれば超新星爆発後にエックス線など通常では観測されない電磁波などを発する星の死骸に似てゐた。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
瞼裡の闇の虚空に仄かに浮かび上がった彼の人は、さて、《完全なる一》たる《存在体》に封印されてその頭蓋内の闇の虚空に何を思ひつつ彼岸へ旅立ったのだ らうか。彼の人は死と共に《完全なる一》たる《存在体》に己が成り果せた事を束の間でも自覚し、歓喜したのであらうか。多分、その瞬間に彼の人は全てを 悟った筈である。だが、それでも納得できない彼の人は
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
と《声》ならざる《声》を発せざるを得ない底知れぬ哀しさの中に封印され凝固してしまったのであらうか。私は彼の人に
――存在とは何ぞや。
等等問ふてみたが答えは全て
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
であった。多分、彼の人は既に《完全なる一》たる《存在体》から堕して腐敗といふ《完全なる一》たる《存在体》の崩壊へと歩を進めてしまったのであらう。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
は彼の人の崩壊の《音》成らざる《音》なのかもしれない。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
と、不意に瞼裡の闇の虚空に仄かに浮かび上がった彼の人の顔貌はゆらりゆらりと揺らぎ始め私の視線の先に忽然とゆるりと時計回りに旋回する渦の中心が現れ たのであった。
――これがもしや中有なのか。
私の瞼裡に仄かに浮かび上がった彼の人の顔貌はそこでゆるりとゆるりと渦の動きのままに旋回し始めたのであった。
――ふう〜う。
私は何故かそこで煙草を一服したのである。正直なところ
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
といふ《音》成らざるその《声》は悲痛極まりなく私には煙草でも喫まなければ最早堪えられなかったのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
私はゆっくりと瞼を開け雪の純真無垢な顔を見ずにはゐられなかったのである。雪は全てを既に了解してゐたのかにこっと私に微笑み掛け
――存分にその苦悩を味はひ尽くしなさい。それがあなたの安寧の為よ。
と私に無言で語り掛けてゐた。
私は雪の頬笑みを見てほっとしたのか軽く微笑み再び瞼を閉ぢたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
瞼裡に仄かに輝き浮かぶ瞑目した全く面識のない赤の他人の彼の人は、ゆるりと瞼裡全体が渦を巻き始めたときに口元が仄かに微笑んだやうに見えたのはもしか すると私の気の所為かもしれぬが、しかし、それを見た刹那彼の人は地獄ではなく極楽への道を許されたのだと思った。
――それにしてもこの瞼裡の光景は私の脳が勝手に私に見せる幻視なのか……。
と、そんな疑問も浮かぶには浮かんだが
――へっ、幻視でも何でもいいじゃないか。
と更に私の意識は瞼裡の影の虚空に引き込まれて行くのであった。さう、私もまた、瞼裡の渦にそれとは知らずに巻き込まれてゐたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
それにしても中有は彼の人以外ゐないところから徹底的に孤独でなければならぬ場らしい。瞑目した彼の人は、さて、この孤独の中で何を思ふのか。既に死の直 前には自身の人生全体が走馬灯の如く思ひ出された筈である。
――そもさん。
――説破。
と、彼の人は自己の内部に、否、魂の内部に沈潜しながらその大いなる《死》の揺籃に揺られながら既に《物体》と化した自己を離れ《存在自体》若しくはカン ト曰く《物自体》と化して自問自答する底知れぬ黙考の黙考の黙考の深い闇の中に蹲りながら《存在》といふ得体の知れぬ何かを引っQdんで物珍しげにまじま じと眺め味はひ、そして、その感触を魂全体で堪能してゐるのであらうか……。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
その証拠が瞼裡の影の闇の虚空に仄暗く浮かび上がる彼の人の顔貌の輪郭なのではないか……と思ひながら私はまた煙草を
――ふう〜う。
と、喫むのであった。すると、私は何やら名状し難い懊悩のやうな感覚に包まれたかと思ふと源氏物語の世界の魂が憧(あくが)れ出るが如くに私の自意識の一 部が凄まじい苦痛と共に千切れるやうに瞼裡の闇の虚空に憧れ出たのである。私もまた其の刹那
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
と、呻き声に成らぬ声を私の内部で発したが、しかし、それは言ふなれば私といふ《眼球体》――それはフランスの象徴主義の画家、オディロン・ルドンの作品 「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」(1882年)のやうなものであった筈である――がその闇の虚空へと飛翔を始めた不思議な不思議な感覚であった。 何もかもがその闇の虚空では自在であったのだ。私の思ふが儘、その《眼球体》と化した私は自在に虚空内を飛び回れるのである。それはそれは摩訶不思議な感 覚であった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
《眼球体》と化した私は瞑目して深い深い黙考の黙考の黙考の中に沈潜してしまった彼の人にぴたりと寄り添ひ今更ながらまじまじと彼の人の顔貌を凝視したの であった……。
ねえ、君。人間とは《存在》といふ魔物に囚はれる虜囚たる事を宿命付けられた哀れな生き物だね。もし仮に正覚もせずに《存在》に無頓着なそれこそ能天気な 輩がゐたら、さういふ輩には哀れな微笑みを送ってやるしかないね。何故って、さういふ輩は既に自身を馬鹿者として積極的に肯定した阿呆に違ひないからさ。 先づ、自身の存在を全肯定出来る事自体が馬鹿の証さ。そいつ等の話を聞いて御覧。薄っぺらな内容に終始して、そのくせ小心者ときたならば、もう目も当てら れないね。そういふ輩は愚劣極まりなく醜悪さ。私はそいつ等の放つ悪臭――勿論、これは幻臭だがね――に堪へられず、いつも反吐を吐いてゐたがね。
ねえ、君、そもそも《存在》とは何ぞや。いつ何時も、さう、睡眠中に夢を見てゐる時さへ、自身の《存在》に懐疑の眼を向けざるを得ない《私》といふ《存 在》はそもそも何ぞや。吾と己に《ずれ》が生じる故に《生存》といふ変容に身を置ける原動力になってゐるのは当然として、さて、其処に介在する《時間》と いふこれまた魔物の流れに取り残され絶えず《現在》に身を置かざるを得ないこの《私》とはそもそも何ぞや。つまりは、身体の細胞Levelで考へてみる と、身体を形成してゐる数十兆もの細胞群は分裂、増殖、そしてApoptosis(アポトーシス)を繰り返して何とか《私》を存続させてゐるが、この絶え ず変容する《私》は過去の《私》に未練たらたらで現在の変容する未完の《私》をどうあっても《私》として受け入れなければならない宿命を背負ってゐて、も しもそれを拒否したならば《私》は死ねない細胞たる癌化するしかない哀れな《存在》でしかない……。するとだ、生物は絶えず不死たる癌細胞への憧憬を抱い てゐて、不死たる《私》でありたいと心奥では渇望してゐるに違ひないのさ。つまりは神。近代までは人間はそんな傲岸不遜な考へを断念しひた隠して来たが、 現代に至ってはその恥知らずな神たらうとする邪悪な欲望を隠しもしない侮蔑すべき《存在》に成り下がってしまったが、しかし、それが《存在》の癌化に過ぎ ない事が次第に明らかになるにつれ、人間は現在無明の真っ只中に放り出されて、唯漫然と生きてゐる――それでも「私は懸命に生きてゐる」と猛り狂う輩もゐ らうが、それは馬鹿のする事さ――結果、現世利益が至上命題の如く欲望の赴くままに生き、そして漫然と死すのみの無機物――ねえ、君、無機物さへも己の消 滅にじっと堪へながら自身を我慢しながら存在してゐるのさ――以下の生き物でしかない……。その挙句が過去への憧憬となって未来は全く人間の思考の埒外に 置かれる事になってしまったが、さて、そこで現在がどん詰まりに気付いて慌てて未来に思いを馳せてみると人類は絶滅するしかないことが闡明になってゐて、 さてさて、現在、人類は滅亡に恐れをなして右往左往してゐるのが現状さ。
自同律の不快。人類は先づ生の根源たるこの自同律の不快に立ち戻ってパスカルの言ふ通り激烈なる自己憎悪から出直さなければならないと思ふが、君はどう思 ふ? 倒木更新。未だ出現せざる未来人を出現させるためにも現在生きてゐる者は必ず死ななければならない事を自覚して倹しく生きるのが当然だらう。へっ。 文明の進歩なんぞ糞喰らへ、だ。人類は人力以上の力で作られたものは全て人の手に負えぬまやかし物である事に早く気付くべきさ……。へっ。ねえ、君。一例 だが、科学技術が現在のやうに発展した現代最高の文明の粋を結集して、茅葺屋根の古民家以上に自然に馴染んだ家を、つまり、朽ちるにつれてきちんと自然に 帰る家が作れると思ふかい? 無理だらう……へっ。
…………
…………
《眼球体》と化した私の意識は中有の中に飛び出し私の瞼裡に仄かに輝き浮かぶ誰とも知れぬ赤の他人の彼の人の顔貌をまじまじと凝視したが、すると彼の人は 消え入りさうな自身の横たはる身体を私の眼前に現はしたのであった……。
――しゅぱっ。
雪がもう一本煙草に火を点けたやうだ。
――はあ〜あ、美味しい。
私は雪のその心地良ささうな微笑んだ顔が見たくて《眼球体》の吾から瞬時に私に戻りゆっくりと瞼を開け、雪の顔を見たのであった。
――うふ。私ももう一本吸っちゃった。あ〜あ、何て美味しいのかしら。……どう? 死者の旅立ちは。
私はおどけた顔をして首を横に振って見せた。
――そう。三途の川を超へた者皆、その道程は艱難辛苦に違ひないけど……そして彼岸から先の極楽までの道のりが辛いのは簡単に損像できるけど……実際…… さうなのね?
私は雪の問ひに軽く頷き煙草を美味さうに喫む雪の満足げな顔につい見蕩れてしまふのであったが、その雪の顔は美しく美貌といふ言葉がぴったりと来るのであ る。その顔の輪郭が絶妙でこれまた満月の月光に映えるのであった。
そして、私は雪の美貌を映す満月の光に誘はれるやうに南中へ昇り行く仄かに蒼白いその慈愛と神秘に満ちた月光を網膜に焼き付けるやうにじっと満月を凝視し 続けたのであった。
――科学的には太陽光の反射光に過ぎないこの月光といふものの神秘性は……生き物全てに最早その様にしか感じられないやうに天稟として先験的に具へられて しまったものなのかもしれぬ……。
――ふう〜う。
私は煙草を身体全体にその紫煙が行き渡るやうに深々とした呼吸で喫みながら暫く月光を凝視した後にゆるりと瞼を閉ぢたのであった……。
その網膜に焼き付けられたらしい月光の残像が瞼裡の闇の虚空にうらうらと浮かび上がり、あの全く面識のない赤の他人の彼の人の仄かに輝きを放つが今にもそ の虚空の闇の中に消え入りさうなその死体へ変化し横たわったままの体躯は、ゆるりと渦を巻く瞼裡の闇の虚空にAurora(オーロラ)の如く残る月光のう らうらと明滅する残像に溶け入っては己の《存在》を更に主張するやうに自身の姿の輪郭を月光の残像から孤立すべく、月光の残像の明滅する周期とは明らかに 違ふ周期でこれまた仄かに瞼裡の闇の虚空に明滅しながら月光の残像の中で蛍の淡い光の如くに輝くのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
私は再び瞼裡の闇の虚空の渦に飲み込まれるやうに自意識の一部が千切れ《眼球体》となる狂ほしい苦痛の呻きを胸奥で叫び、とはいへひょいっと《眼球体》と なった私は渦巻く瞼裡の虚空に投身するのであったが、最早瞼を閉ぢると眼前で渦巻く瞼裡の闇の虚空に吸い込まれるのは避けやうもないらしい。
それにしてもこの眼前に拡がる瞼裡の渦捲く闇の虚空は一体何なのであらうか。
――中有。
とはいへ、其処が中有とは今もって信じられ難く懐疑の眼でしか見られずに、しかも《眼球体》となって瞼裡の渦捲く闇の虚空に《存在》するこの私の状態は、 さて、一体なんなのであらうか……。
唯、《眼球体》の私は自在であった。例へてみれば、そのAuroraの如き月光の残像の中に飛び込めば其処は眩いばかりの光しか見えない《陽》の世界であ り、一度月光の残像から飛び出ると彼の人の闇の中に消え入りさうな体躯が闇の虚空にぽつねんと浮かび上がるのが見える《陰》の世界であった。そして、《眼 球体》の私は多分月光の残像の中では陽中の陰となり、月光の残像から飛び出ると《眼球体》の私は陰中の陽となり、其処は陰陽魚太極図そっくりの構図に違ひ ないとしか思へなかったのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
相変はらず彼の人は声ならざる声をずうっと発し続けたままであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
――もしや、この眼前の全く面識のない赤の他人の彼の人は……、もしや、恍惚の中に陶酔してゐるのかもしれぬ……。
《眼球体》と化した私は眼前に横たはる彼の人をまじまじと凝視しながら不意に何故かしらさう思ったのであった。否、実のところ、さう思はずにはゐられな かったのである。これは実際のところ私の願望の反映に過ぎないのかもしれないが、しかし、生き物が死すれば
――皆善し!
として自殺を除いて全ての死したものが恍惚の陶酔の中になければならないとしか私にはその当時思へなかったのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
この絶えず彼の人から発せられてゐる音ならざる苦悶の呻き声は、もしかすると歓喜の絶頂の中で輻射されてゐる慈悲深き盧遮那の輝きにも似た歓喜の雄叫びな のかもしれぬと思へなくもないのである。否、寧ろさう考へたほうが自然なやうな気がするのである。自殺を除いて死すもの全て
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
と、ハイゼンベルクの不確性原理から解放された完全なる《一》たる己を己に見出し歓喜の雄叫びを上げて吾が生と死に祝杯を捧げてゐるに違ひない。生きてゐ る間は生老病死に苛まれ底なく出口なき苦悶の中でもがき苦しみやっとのことで未完の生を繋いで来たに違ひない生者達は死してやっと安寧を手にするに違ひな いのだ。ところでそれはまた死の瞬間の刹那のことでその後の中有を経て極楽浄土へ至るこれまた空前絶後の苦悶の道程を歩一歩と這い蹲るが如くに前進しなけ ればならないのかもしれない来世といふ《未来》に向かふ巨大な巨大な巨大な苦難の果てといふ事からも一瞬、解放されてゐるに違ひない……。と、不意に《眼 球体》と化してゐた私は吾の自意識と合一して、私はゆっくりと瞼を開けたのであった。そして、私は雪の美しい相貌を全く見向きもせず天空で皓皓と青白く淡 き輝きを放つ満月を暫く凝視するのであった。この一連の動作は全く無意識のことである。ところが、瞼を開けても最早私の視界から彼の人の明滅する体躯の輪 郭は去ることがなく、満月の輝きの中でも見えるのであった。
――ふう〜う。
と私は煙草を一服し月に向かって何故か煙草の煙を吐き出したのであった。煙草の煙で更に淡い輝きになった月はそれはそれで何とも名状し難い風情があった。 と、不意に私の胸奥でぼそっと呟くものがあった。
――月とすっぽん。
私はその呟きを合図にそれまでの時間の移ろひを断ち切るやうにMemo帳を取り出し雪と再び筆談を始めたのであった。
*******つまり、自由を追い求めるならば、つまり、月とすっぽん程の、つまり、激烈な貧富の格差は、つまり、《多様性》の、つまり、現はれとして、 つまり、吾々は、つまり、それを甘受しなければならないと思ふが、つまり、君はどう思ふ?
と、全く脈絡もなく視界の彼の人を抛り出してとっさに雪に書いて見せたのであった。満月の月光の下ではMemo帳に書いた文字ははっきりと見えるのであ る。すると雪は美しく微笑んで、しかし、何やら思案するやうに
――う〜む。難しい問題ね。あなたの言ふ通りなのは間違いないわ。しかしね、社会の底辺に追いやられた人々はその《多様性》といふ《自由》を持ち堪へられ ないわ……、多分ね。でも……、残酷な言い方かもしれないけれども《自由》を尊ぶならばあなたの言ふ月とすっぽん程の格差といふ《多様性》は受け入れるし かないわね……。
と切り出したのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
――ふう〜う。
と私は煙草を一服するとその吸い殻を携帯灰皿にぽいっと投げ入れたのであった。
*******つまり、《自由》に身を委ねると、つまり、現状は、つまり、嘗ての、つまりね、Pyramid(ピラミッド)型の階級社会にすら程遠い、つ まり、一握りの大富豪と、つまり、殆ど全ての貧乏人の、つまり、大地に屹立した、つまり、峻険なる山のやうな、つまり、階級社会となるのは必然だと思ふか い?
――そうね、《自由》の下ならば一世代位の期間はさういふ階級社会が続くと思ふけれども、でも……、峻険な山が風化するやうにPyramid型の階級社会 が長期に亙る《自然》の近似ならば三世代の間位に峻厳な山からPyramid型へと階級の形が移行する筈よ、多分ね、うふ。
と、雪は私との筆談が楽しいのか愛らしい微笑みを浮かべ次に何を私が書くのか興味津津に私の手のPen先をじっと凝視するのであった。
*******すると、つまり、さうすると現在貧乏人は、つまり、一生貧乏人かい?
――……さうね。一握りの《成功者》を除くと殆ど全て貧乏人は貧乏人のまま一生を終へるわね……残念ながら……。士農工商のやうなPyramid型の或る 種平安な階級社会が《自然》に形作られるには最低三世代は掛かる筈よ。だって、貧乏人が《職人》といふ他者と取り換へ不能な一廉の人間になるには最低三世 代のそれはそれは血の滲むやうな大変な苦労が必要だわ……。
*******それじゃね、つまり、市民といへば聞こえは良いが、つまり、単刀直入に言って市民といふ貧乏人は、つまり、士農工商の何れかの階級の《職 人》に、つまり、三世代掛かってなるんだね?
――う〜ん、……さうね、多分。だって、現在生きてゐる人類の多くは貧困に喘いでゐて、その貧困から脱出する術すら未だに見つけられずにゐるじゃない。人 間が社会に寄生して生きる外ない生き物で、しかもそれが《自由》の下ならば、人類の現状がそのままこの国の社会にも反映され、そして《自然》は必ずさう仕 向ける筈よ。《自由》が《自由》を束縛するのよ、皮肉ね。あなたもさう思うでしょ、一握りの先進国が富を独占してゐる世界の現状が《自然》ならば、この国 の社会もそれを反映した《自然》な世界の縮図にならなければ神は不公平だと。つまり……この国の国民の殆ども貧困に陥らないとその社会は嘘よ。
雪はさう言ふと不意に満月を見上げ
――ふう〜う。
と煙草を一服したのであった。
…………
…………
社会に不満を持つのは舌足らずな思考をする青年の取り柄だが、当時の彼女もまた当然若かったのである。ねえ、君、攝願と比丘尼になった今の雪の考へをもう 一度聞いてみたいがね。
…………
…………
*******ねえ、つまり、多様性は、つまり、さうすると、どうなる?
私は満月を見上げる雪の肩をぽんと叩き筆談を続けたのである。
――Paradigm(パラダイム)変換が必要ね。市場原理による《自由》な資本主義にたかって生きるならば一握りの大富豪とその他殆ど全ての貧乏人とい ふ《多様》に富んだ階級構造は受け入れるしかないわね。でも、擬似かもしれないけれども封建制度の復古等等、Paradigm変換は必ず訪れるわ。峻険な 山が風化するやうにね。
*******でも、君、つまり、峻険な山が、つまり、風化してPyramidのやうになったとしても、つまり、その社会は活力が減衰してゐないかい?
――さうね、あなたの言ふ通りね、でも、地球を《自然》の典型と見るならば、或る日突然地殻変動が起きてヒマラヤの山々のやうな大地に峻険と屹立する途轍 もなく高い山が再び此の世に出現する筈よ。それがParadigm変換じゃない? 
と言ふと
――ふう〜う。
と、雪は煙草を一服したのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
相変はらず私とは全く面識のない赤の他人の彼の人は私の視界で明滅しながら音ならざる声を上げ続けてゐるのであった。
*******つまり、峻険なる富の山を築いた、つまり、大富豪は、その富の山の途轍もない高さ故に、つまり、エベレストの頂上では生き物が生きられない やうに、つまり、大富豪もまた、つまり、富の山の頂上では、つまり、生きられないとは思はないかい? 
――ふう〜う。
と、雪は煙草を一喫みしながら何やら思案に耽るのであった。
――……さうねえ……マチュピチュの遺跡のやうに……《生者》より輿に乗って祀られる木乃伊と化した《死者》の人数が多い……生死の顛倒した、それこそ宗 教色の強いものに変化しないと……峻険なる富の山では人間は生きられないわね……。それにしてもあなたの考え方って面白いのね、うふっ。
*******つまり、するとだ、個人崇拝、つまり、それも死者に対する個人崇拝といふ化け物が、つまり、此の世に跋扈し始める。つまり、さうなると、気 色の悪い赤の他人であるその死んだ者に対する個人崇拝が、つまり、人間が生来持つ宗教に対する尊崇の念と結びついて、つまり、巨大な富の山を築いた死んだ 者への個人崇拝といふ気色の悪い尊崇が、つまり、峻険なる山型の階級社会を何世代にも亙って固着させ、つまり、貧乏人は末代までも貧乏人じゃないかい?  つまり、例へば、キリストの磔刑像に平伏す基督者達は、その教会の教皇が絶大な権力と富とを保持してゐるのも畏れてゐる、つまり、象徴として一生貧乏だっ たキリストの磔刑像を教会内に安置してゐるが、つまり、しかしだ、基督者達を統べてゐるのは絶大な権力を今も保持してゐる教会であり、つまり、その頂点の 教皇だといふことは、つまり、周知の事実だね。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
その瞬間、私の視界から去らうとしない赤の他人の彼の人がゆらりと動き私を凝視するやうに真正面を向いた。そして、相も変はらずに
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
と音ならざる声を瞑目しながら発し続けてゐた。
――不思議ねえ。ねえ、人間って倒錯したものを好んで崇拝する生き物なのかしら? 
*******さうだね、つまり、貧富が顛倒したキリストに象徴されるやうに《欲望》が剥き出しのままでは、つまり、人間は認めたくないんじゃないのか な。つまり、そこに己の卑俗さが露はになるからね。つまり、そもそも人間は自己対峙が苦手な馬鹿な生き物なのは間違ひない……。しかし、つまり、己が卑俗 であるが故に《高貴》なものを倒錯した形で崇拝せざるを得ない馬鹿な生き物が、つまり、人間かもしれない。
――何だかまるで建築家のガウディが重力を考慮して逆様にぶら下げた建築物の模型みたいね。
*******つまり、天地が倒錯したものこそ《自然》なのかもしれないね。つまり、所詮人間は重力からは逃れられない哀れな生き物に過ぎないからね。上 方を向く垂直軸の不自然さに気付いたガウディは天地を顛倒し建築物を重力に《自然》な形でぶら下げてみた……。つまり……天地の逆転の中に或る真実が隠さ れてゐるのかもしれない……。つまり、人間はあらゆるものに対してそれが《剥き出し》のままだと自然と嫌悪するやうに創られてゐるのかもしれないね。
私は再び煙草を一本取り出しそれに火を点け一服したのであった。
―ふう〜う。
――木って不思議ねえ。
と、雪がぽつりと呟いた。
私は雪がぽつりと呟いたその一言に全く同意見であった。私と雪は二人で煙草を
――ふう〜う。
と一服しながら互いの顔を見合い、そして互ひににこりと微笑んだのであった。
*******ねえ、君。つまり、アメリカの杉の仲間の、つまり、巨大セコイアといふ、つまり、巨樹を知ってゐるかい? 
雪は私のMemo帳を覗き込むと
――ええ、もう何千年も生きて百メートルにならうといふ木でしょう。それがどうしたの? 
*******ねえ、つまり、毛細管現象は知ってゐるかい? 
――ええ、知っているわ。それで? 
*******毛細管現象や葉からの、つまり、水分の蒸発による木の内外の圧力差など、つまり、木が水を吸ひ上げるのは、つまり、科学的な説明では数十 メートルが限界なんだ。つまり、しかし、巨大セコイアに限らず、つまり、木は巨樹になると数十メートル以上にまで、つまり、成長する。何故だと思ふ? 
――うふっ、木の《気》かしら、えへっ。
*******ふむ、さうかもしれない。つまり、僕が思ふに木は、つまり、維管束から幹まで全て、つまり、螺旋状の仕組みなんじゃないかと思ふんだ。つま り、一本の木は渦巻く《気》の中心で、つまり、その目に見えない摩訶不思議な力で、つまり、科学を超へて垂直に地に屹立する。ねえ、君。つまり、先に言っ たが、つまり、科学はまだ渦を説明出来ない。つまり、円運動をやっと直線運動に変換するストークスの定理止まりなんだ。つまり、人間は未だ螺旋の何たるか を、つまり、知らない。つまり、木は人間の知を超へてしまってゐる。つまり、また渦の問題になったね、へっ。
私は雪の何とも不思議さうな顔を見て微笑み更に続けたのであった。
*******ねえ、君。つまり、江戸の町が《の》の字といふ《渦》を巻いてゐるのは知ってゐるね? 
――ええ、山手線がその好例よ。
*******つまり、人間が《水》の亜種ならば《の》の字の渦は天から《気》が絶えず降り注ぐ回転の方向をしてゐる。つまり、低気圧の渦が上昇気流の渦 ならば、つまり、《の》の字の渦は、言ふなれば下降気流の回転方向を示してゐる。つまり、さうすると、江戸の町は絶えず天からの目に見えぬ加護を受けてゐ たのさ。そこでだ、つまり、江戸時代の階級が渦状の階級社会ならば、つまり、天下無敵の階級社会だったに違ひないのだ。
――ふう〜う。
と私は煙草を一喫みした。
――ねえ、江戸時代の人々は現代人より創造的で豊かな暮らしをしてゐたのかもしれないわね。すると、《自由》の御旗の下の現代の一握りの大富豪と殆ど全て の貧乏人といふ峻険なる山型の階級社会は、うふっ、息苦しいわね。
――ふう〜う。
私は煙草をまた一喫みしながら更なる思案に耽るのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
と、その時、私の視界に張り付いた彼の人の瞑目した顔は相変はらず私に正面を向けて音ならざる声を唸り上げながら何やら不気味にさへ見える微笑をちらりと 浮かべ忽然とその大口を開けたのであった。それにしても死は物全てに平等に訪れるが、さて、例へば視点を変へて速度をベクトルvで表した

 


の時間Δtの極限値、つまり、零――ねえ、君、この数式は考えやうによっては物凄く《死》を記号で観念化した代物だと思はないかい? へっ――と看做すと 《死者》はベクトルΔxといふ∞の速度で動いてゐると看做せるじゃないか。主体が《観測者》といふ《世界=外=存在》とハイデガー風に看做せば物理学とは そもそも《死》の学問じゃないかい? ふっ。さて、そこで《死》も物理法則に従ふならば《死者》はアインシュタインの相対論から此の世のものは《死》も含 めて光速度を超へられないとすると《死者》は光速度で動いてゐることになる。……不図思ったのだが∞とは光の光速度の事で《死》の異名なのかもしれな い……。そして、へっ、光が美しいものならば《死》もまた美しいものに違ひない。ふっ、私ももう直ぐ光といふ美しい《死》へ旅立つがね、へっ。ちぇっ、ま あ、私のことはそれとして、速度を時間で微分すると加速度が出現するが、この私の論法で行くと加速度とは差し詰め《霊魂》の動きを表現したものに違ひな い。その時、私の視界に張り付いた彼の人の《魂》も
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
と音ならざる声を唸り上げながら彼方此方に彷徨してゐたに違ひない。《死》の学問たる物理学が此の世を巧く表してゐるならば私の視界に張り付いた私と全く 赤の他人の彼の人が蛍の如く私の視界内で渦巻きながら明滅してゐたのは物理学的に見て正鵠を射てゐたのだ。つまり、《死者》とその《魂》は《光》に変化 (へんげ)した何物かなのだ。つまり、光が電磁波の一種なのだから《死者》とその《魂》は各人固有の波長をもった電磁波の一種なのかもしれない……。ま あ、それはそれとして、天地左右の知れぬ何処の方角に向って私の視界に張り付いた彼の人は向かってゐたのかと考えると西方浄土といふ言葉があるから差し詰 め《西方》へ向け出立したに違ひないのかもしれない……。さて、重さあるものは相対論より決して光速度には至れないが、《死者》に変化したものは《重さ》 から《解脱》して、さて、此の世の物理法則の束縛から逸脱してしまふ何物なのかなのだ。其処で出会うのが多分無限大の∞なのだ。私も直ぐに∞に出会へる ぜ……へっ。
…………
…………
――ねえ、この銀杏も《気》の渦を巻いて私たちを今その渦に巻き込んでゐるのかしら? ふう〜う。
と、雪が私たちが筆談をしてゐた木蔭であるところの銀杏を撫で擦り煙草を一服しながらまた呟いたのであった。
*******ねえ、つまり、死後も階級は、つまり、存在するのだらうか? 
――ふう〜う。
と、私も煙草を一服しながら雪に訊ねたのであった。
――勿論、極楽浄土といふんだから当然あるでしょう。でも、……彼の世に階級があったとしても彼の世のもの全て自己充足して、それこそ極楽の境地にゐるか ら……階級なんて考へがそもそも無意味なんじゃないかしら。
*******すると、つまり、《光》は自己充足した、つまり、自身に全きに充足してしまって自己に満ち足りた、つまり、至高の完全に自己同一した、つま り、自同律の快楽の極致に安住する存在なのかな? 
――うふ。私、物理学にはそんなに詳しくないから何とも言へないけれど、でも……此の世の全ては《存在》しただけで既に自己に不満足な《存在》として存在 する外ないんじゃないかしら……。じゃないと《時間》は移ろはないんじゃない? 《光》もそれは免れないと思ふけれど、どう? 
雪は舗装道路を走る自動車が通る度に巻き起こる風に揺れる銀杏の葉葉に目をやりながら訊ねたのであった。私は仄かに微笑んで
*******ねえ、つまり、《光》が此の世と彼の世の、つまり、此の世と彼の世の間隙を縫ふ、つまり、代物だと看做すと、ねえ、君、つまり、《光》は此 の世の法則にも従ふが、一方、彼の世の法則にも、つまり、従ってゐるんじゃないかと私は思ふんだが、どう思ふ? つまり、《光》が此の世と彼の世の懸け橋 になってゐるんじゃないかと思ふんだけれども……、どう思ふ? 
雪は風に揺らめく銀杏の葉葉を見つめながら、否、葉葉から零れる満月の明かりを見つめながら
――さうね……、あなたの言ふ通り《光》が此の世の限界速度だとしたならば……、うふっ、《光》はもしかすると死者達の彼の世へ出立する為の跳躍台なのか もね、うふっ。
銀杏の葉葉から零れる月光の斑な明かりが雪の面に奇妙に美しい不思議な陰影を与へて雪の面で揺れてゐた。
*******彼の世への跳躍台? ねえ、君、つまり、それは面白い。つまり、此の世の物理法則に従ふならば、つまり、《光》を跳躍台にして死者が彼の世 へ跳躍しても相対論に従へば光速度であることには変はりがない……ふむ。
と、私は思案に耽り始めたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
ゆっくりとゆっくりと時計回りに彼の人は渦巻きながらも面は私に向けたまま私の視界の中で相も変はらず仄かに明滅してゐたのであった。この視界に張り付い た彼の人もまた、《光》を跳躍台にして彼の世へ出立したのだらうか……。不意に月光の明かりが見たくなって私は頭を擡げ満月に見入ったのであった。この月 光も彼の世への跳躍台なのか……等等うつらうつらと考へながら私はゆっくりと瞼を閉ぢて暫く黙想に耽ったのであった。
――ふう〜う。
その時間は私と雪との間には互ひに煙草を喫む息の音がするのみで、互ひに《生》と《死》について黙想してゐるのが以心伝心で解り合ふ不思議な沈黙の時間が 流れるばかりであった。
――ふう〜う。ねえ、もう行かなきゃ駄目じゃないの? 
と、雪が二人の間に流れてゐた心地良い沈黙を破ってさう私に訪ねたのであった。私はゆっくりと瞼を開けてこくりと頷くとMemo帳を閉ぢ、煙草を最後に一 喫みした後、携帯灰皿に煙草をぽいっと投げいれ徐に歩を進めたのであった。
――もう、待って。
と、雪は小走りに私の右側に肩を並べそっと私の右手首を軽く握ったのであった。私は当然の事、伏目で歩きながらも、しかし、《生》と《死》、そして《光》 といふ彼の世への跳躍台といふ観念に捉へられたまま思考の堂々巡りを始めてしまってゐたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
歩道は会社帰りの人や学生等で大分混雑してゐたが、私と雪は肩を並べてその人いきれの人波に流されるままに歩き始めたのであった。しかし、伏目で歩く外な かった私はそれらの雑踏の足しか見なかったのである。雪も何か考へ込んでゐるやうで暫くは黙ってゐた。と、不意に再び光雲が私の視界に飛び込んで来たので あった。その光雲もまた私の視界の周縁を時計回りにぐるりと一回りすると、不意に消えたのであった。と、その刹那、私の視界の中の赤の他人の彼の人は、そ れまでばっくりと開けてゐた大口を閉ぢ、その面を彼方の方へくるりと向け、彼の人はゆっくりとゆっくりと旋回しながら虚空の何処かへ飛翔を始めたのであ る。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
彼の人は相変はらず声ならざる音を唸り上げてゐた。
――《生者》と《死者》と《光》といふ跳躍台か……。
私の思考は出口無き袋小路に迷ひ込んでゐた。
『《存在》とは《生者》ばかりの《もの》ではなく……《死者》もまた《存在》する……か……さて……《生者》から《死者》へと三途の川を渡った《もの》 は……さて……中有で苦悶しながら《死者》の頭蓋内の闇で《生》の時代が走馬燈の如く何度も何度も駆け巡る中……さて……《死者》は自ら《生者》であった 頃の《吾》を弾劾するのであらうか……ふっ……《光》といふ彼の世への跳躍台に……さて……《死者》の何割が乗れるのであらうか……《死者》もまた《人 間》であった以上……それは必ず《吾》によって弾劾される人生を送った筈だ……ふっ……ふっふっふっ……《人間》は全知全能の《神》ではないのだから…… 《吾》は必ず《吾》に弾劾される筈だ……しかし……《死者》の頭蓋内の闇が……《死者》にとって既に《光》の世界に……つまり……《闇即ち光》と……《生 者》が闇に見えるものが《光》と認識される以外に《死者》にとって術がないとすると……ちぇっ……そもそも《光》とは何なのだ! 』
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
私は私の視界に張り付いた彼の人を凝視するばかりであった。最早私の自意識から《意識》が千切れて苦悶の末に私の意識が《眼球体》となることはなかった が、私は彼の人の顔貌をじっと凝視しては
『貴様は既に光か!』 
と、詰問を投げ掛けるのであった。
『《死者》が既に《光》の世界の住人ならばだ……地獄もまた《光》の世界なのか……《光》にも陰陽があって陰は地獄……陽は浄土なのか……ふっ……さうな ら……ちぇっ、そもそも《光》が進むとは自由落下と同じ事なのか……さうすると……自由落下を飛翔と感じるか……奈落への落下と感じるかは本人の意識次第 じゃないか……《吾》が《吾》を弾劾して……ふっ……後は閻魔大王に身を委ねるのみ……馬鹿らしい……《吾》は徹頭徹尾《吾》によって弾劾し尽くされなけ ればならぬ! ……さて……光速度が今のところ有限であるといふことは……此の世……即ち此の宇宙が有限の《閉ぢた》宇宙であることのなによりの証左では ないのか……現在考へられてゐる此の膨脹宇宙が無限大に向かって膨脹してゐるとすると……光速度も……もしかすると定数なんぞではなく無限大の速度に向 かって加速してゐるのかもしれないじゃないか……特異点……例へば一割る零は無限大に向かって発散する……またBlack hole(ブラックホール)の 中には特異点が存在する……さうか! この宇宙にblack holeが蒸発せずに存在する限りに措いてのみ《光》は存在するのではないか……特異点では 因果律は破綻する……ふむ……此の天の川銀河の中心にあるといはれてゐる巨大black hole……吾吾生物はこの因果律が破綻してゐる特異点の周縁に へばり付いて漸く漸く辛ふじて《存在》する……つまり際どい因果律の下に《存在》する……ふむ……はてもしかすると特異点若しくはblack holeが 存在する限りに措いてしか吾吾も存在しない……つまり特異点とは《神》の異名ではないのか!』
『もしかすると……物体が存在するとその内部に特異点が隠されているのかも知れぬ……特異点を覆ひ包む形でしか《もの》皆全て存在出来ないとしたなら…… 因果律も自同律も絶えず破綻の危機に瀕してゐるのかもしれぬ……自同律の不快……これは《存在》の罠でもあり…《存在》を《存在》たらしめてゐる秘儀なの かも知れぬ……すると……中有へ出立した《死者》は自身を徹底的に……ふっ……それは底無しに違ひないが……弾劾する宿命を負ってゐるに違ひない……弾劾 に弾劾を重ねた末に残った自身の残滓を更に鞭打って弾劾する宿命……此の世に《存在》してしまった《もの》全てが負ってゐるこの宿命を貫徹した《もの》の み……未だ未出現の《存在》に出現を促す権利……其処に《魂》若しくは《精神》のRelay(リレー)が辛ふじて辛ふじて行はれるか? ……ふっ…… 《魂》若しくは《精神》のRelayは……しかし……必ず行はなければならぬのかもしれぬ……此の世にひと度《存在》してしまった《もの》は……先達の 《魂》若しくは《精神》を受け取った上で辛ふじて……《存在》に堪へられるのかもしれぬ……未知なる《もの》への変容……此の世に存在してしまった《も の》は《死》を受容し……未来に出現する《もの》へその席を譲る……其処に因縁は生じるのか? ……《死》によって因果律は破綻するのか? ……しか し……破綻した因縁は再び別の此の世に出現してしまった《もの》に託されるのか? さうだとして……ふっ……不連続の連続性……矛盾は《存在》した《も の》には必然のものだが……矛盾を抱へ込まざるを得ない《存在》してしまった《もの》は……しかし……自己を責め苛むことで……もしかすると馬鹿げた自己 慰撫をしてゐるだけかもしれぬではないか……自同律の不快と言ひながら実際のところ其処でこの上ない自己愛撫といふ悦楽を味はってゐるのかもしれぬ……自 虐が快楽へと変容してしまったならば……最早その自己内部に引き籠って外界に一歩たりとも出ない……自己憎悪が最高の自慰行為……か……
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
――彼の人も今中有で自己に対して弾劾に弾劾を重ねて倒錯した至高の悦楽の境地にゐるのか……この悦楽はまた……地獄の責苦に等しいか……極限……苦悩と 快楽の堺に……《死者》は辛ふじて佇立し……其処で杳として知れぬ漠たる自身といふ茫洋なる面と全的に対峙するか……自身が自身によって滅び尽くされる懊 悩を味はひ尽くす以外……《私》は《私》を脱皮出来ぬかもしれぬ……《私》以外の何かへの変容……幽冥への出立……は……《私》が《私》であってはならぬ のか……解脱……か……《死》してのみ《私》が《私》を超克するこの《存在》め! ……《存在》よ……呪はれるがよい! ……へっ……へっへっへっ…… 《私》が《私》を呪縛だけじゃないか……だが……しかし……《存在》する《もの》……この《私》から遁れられぬ!』 
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
『それでも……《私》は《私》を超克しようともがき続ける……しか……ない……へっ……何とも不自由極まりない! ……そして《死》からも逃れられぬ…… 《存在》とは何と呪はれた《存在》なのだ! へっ! と自身の《存在》を嘲笑ったところで矢張り《私》は《存在》する……くっくっくっ……そもそも《私》 は《私》であることを望んでゐるのか? ……《私》……この面妖なる《もの》……ちぇっ……心臓は相変はらず鼓動してゐるぜ! 
……ふむ……常に伸縮せずにはゐられぬ……否……鼓動するように命ぜられてゐるこの心臓は……真の自身を知ってゐるのか……へっ……真の自身て何だ? ま あよい……しかし絶えずその姿を変容させるこの心臓は……その鼓動を停止した時に初めて己の何たるかを知るのか……それまでは絶えざる変容を強要され る……哀れなる哉……吾が心の臓! ……動くことがそもそも《私》を《私》ならざる《もの》へと動かす原動力ではないか……若しくは時が移ろふことがそも そも《私》を《私》ならざる《もの》へと誘ふ魔手なのではないか……ちぇっ……下らぬ……そもそも《私》が《私》と呼んでゐる《もの》は《私》にはなり得 るか……《私》は無数の異形の《私》の《存在》を前にして《私》に戸惑ふ……か……《私》の異形は無数に《存在》しやがる……けっけっけつ……例へばこの 《私》が意識すればたちどころに全て実現する魔法を手にしたとして……満ち足りるのは最初の一瞬だけに決まってる……寝てゐるだけで全てが実現してしまふ 世界なんぞ直ぐに飽き飽きするに決まってゐる……謂はば《私》は《脳体》へと変容してしまふのさ……それは植物状態の人間と何も変はらぬ……すると《私》 は《私》の《存在》を滅することを願ひたちどころに此の世から消える……意識の窮極の願ひは自ら滅することに行き着くのが道理さ……しかし……《脳体》は 《存在》か……』
ねえ、君、不思議だね。道行く人々は私の視界にその足下の存在を残し、その殆どの者とは今後永劫に出会ふことはない筈さ。袖振り合ふも多生の縁とはいひ 条、今生ではこの道行く人々の殆どと最早行き交ふことは未来永劫ある筈もない。この見知らぬ者だらけが存在する此の世の不思議。ところがこれら見知らぬ者 達も顔を持ってゐる。それぞれが《考へる》人間として今生に面をもって存在する。そして、彼等もまた《私》以外の《私》にならうと懊悩し、もがき苦しみ存 在する。不思議極まりないね。全ての《生者》は未完成の存在としてしか此の世にゐられぬ。不思議だね。しかも《死》がその完成形といふ訳でもない。全ては 謎のまま滅する。此の世は謎だらけじゃないか。物質の窮極の根源から大宇宙まで、謎、謎、謎、謎、謎だらけだ。ねえ、君、《存在》がそれぞれ特異点を隠し 持ってゐるとしたなら特異点は無数の《面》を持って此の世に存在してゐるね。人間の《面》は特異点の顔貌のひとつに違ひないね。へっ。特異点だからこそ無 数の《面》を持ち得るのさ。己にもまた特異点が隠されてゐる筈さ。だから、此の世の謎に堪へ得るのさ。へっ、此の世の謎の探究者達は此の世の謎を《論理》 の網で搦め取らう手練手管の限りを尽くしてゐるが、へっ、謎はその論理の網の目をひょいっと摺り抜ける。だから論理の言説は何か《ずれ》てゐて誤謬の塊の やうな自己満足此処にいたりといった《形骸》にしか感じられない。ねえ、君、そもそも論理は謎を容れる容器足り得るのかね。どうも私には謎が論理を容れる 容器に思へて仕方がない……。謎がその尻尾をちらりとでも現はすと論理はそれだけで右往左往し
――新発見だ! 
と喜び勇んで論理はその触手を伸ばせるだけ伸ばして何とか謎のその面を搦め取るが、へっ、謎はといふと既にその面を変へて気が向いたらまたちらりと別の面 を現はす。多分、論理は特異点と渦を真正面から論理的に記述出来ない内は謎がちらりと現はす面に振り回されっぱなしさ。《存在》は特異点を隠し持ち、渦を 巻いてゐるに違ひない。私にはどうしてもさう思はれて仕方がないのさ。論理自体が渦を巻かない限り謎は謎のまま論理を嘲笑ってゐるぜ、へっ。
…………
…………
不意に私の視界は真っ暗になった。私と雪は神社兼公園となってゐる鎮守の森の蔭の中に飛び込んだのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
彼の人は鎮守の森の蔭に入って視界が真っ暗になった途端、その輝きを増したのであった。街燈が灯ってゐる場所までの数十秒の間、この歩道を歩く人波は皆、 闇の中に消えその《存在》の気配のみを際立たせて自らの《存在》を《他》に知らしめる外なかったのである。闇に埋もれた《存在》。途端に気配が蠢き出す闇 の中、私は何とも名状し難い心地良さを感じてゐた。私は、それまで内部に息を潜めて蹲ってゐた内部の《私》がさうしたやうに、ゆっくりと頭を擡げ正面を じっと見据ゑたのであった。前方数十メートル先の街燈の木漏れ日で幽かに照らされた人波の影の群れが其処には動いてゐた以外、全ては闇であった。見知らぬ 他人の顔が闇に埋もれて見えないことの心地良さは私にとっては格別であった。それは闇の中で自身の面から解放された奇妙な歓喜に満ちた、とはいへ
――《私》は何処? 《私》は何処? 
と突然盲(めし)ひた人がそれまで目の前で見えてゐた《もの》を見失って手探りで《もの》、若しくはそれは《私》かもしれぬが、その《もの》を探す不安に も満ちた、さもなくば、《他》を《敵》と看做してひたすら自己防衛に身を窮する以外ない哀れな自身の身の上を噛み締めなければならぬ何とも名状し難い屈辱 感に満ちた、解放と不安と緊迫とが奇妙に入り混じった不思議な時空間であった。闇の中の人波の影の山がのっそりと動いてゐた。それは再び視覚で自身を自己 認識出来る光の下への遁走なのか? 否、それは自己が闇と溶け合って兆す《無限》といふ観念と自身が全的に対峙しなければならぬ恐怖からの遁走といふべき ものであったに違ひない。若しくはそれは自意識が闇に溶けてしまひ再び自己なる《もの》が再構築出来ぬのではないかといふ不安からの遁走に違ひなかったの であった。闇の中の人波は等しく皆怯へてゐるやうに私には感じられたのである。その感覚が何とも私には心地良かったのであった……。
この闇と通じた何処かの遠くの闇の中で己の巨大な巨大な重力場を持ち切れずに《他》に変容すべく絶えず《他》の物体を取り込まずにはゐられず更に更に肥大 化する己の重力場に己自身がその重力で圧し潰され軋み行くBlack hole(ブラックホール)のその中心部の、自己であることに堪へ切れずに発され伝 播する断末魔のやうな、しかし、自己の宿命に敢然と背き自らに叛旗を翻しそこで上げられるblack hole自身の勝鬨のやうな、さもなくば自己が闇に 溶暗することで肥大化に肥大化を続けざるを得ぬ自己の宿命に抗すべく何かへの変容を渇望せずにはゐられない自己なるものへの不信感が渦巻くやうな闇に一歩 足を踏み入れると、闇の中では自己が自己であることを保留される不思議な状態に置かれることに一時も我慢がならず自己を自己として確定する光の存在を渇望 する女々しい自己をじっと我慢しそれを噛み締めるしかない闇の中で、《存在》は、『吾、吾ならざる吾へ』と独りごちて自己に蹲る不愉快を振り払ふべく自己 の内部ですっくと立ち上がるべきなのだ。自己の溶暗を誘ふ闇と自己が自己であるべきといふせめぎ合ひ。闇の中では《存在》に潜む特異点が己の顔を求めて蠢 き始めるのだ。それまで光の下では顔といふ象徴によって封印されてゐた特異点がその封印を解かれて解き放たれる。闇の中では何処も彼処も《存在》の本性と いふ名の特異点が剥き出しになり、その大口を開け牙を剥き出しにする。この欲望の渦巻く闇、そして、《存在》の匿名性が奔流となって渦巻く闇。私も人の子 である。闇に一歩足を踏み入れると闇の中ではこの本性といふ名の阿修羅の如き特異点の渦巻く奔流に一瞬怯むが、それ以上に感じられる解放感が私には心地良 かったのである。私の内部に隠されてあった特異点もまたその毒々しい牙を剥き出しにするのだ。無限大へ発散せずにはゐられぬ特異点を《存在》はその内部に 秘めてゐる故に、闇が誘ふ《無限》と感応するに違ひない。しかし、一方では私は闇が誘ふ《無限》を怖がってじっと内部で蹲り頑なに自身を保身することに執 着する自身を発見するのであるが、しかし、もう一方ではきっと目を見開き眼前の闇に対峙し《無限》を持ち切らうとその場に屹立する自身もまた内部で見出す のであった。とはいへ、《無限》は《無限》に対峙することは決してなく《無限》と《無限》は一つに重なり合ひ渾然一体となって巨大な巨大な巨大な一つの 《無限》が出現するのみである。私はこの闇の中で《無限》に溶暗し私の内部に秘められてゐるであらう阿修羅の如き特異点がその頭をむくりと擡げ何やら思案 に耽り、闇の中でその《存在》の姿形を留保されてゐる森羅万象に思ひを馳せその《物自体》の影にでも触れようと企んでゐる小賢しさに苦笑するのであった。
――ふっ。
確かに物自体は闇の中にしかその影を現はさぬであらう。しかし、闇は私の如何なる表象も出現させてしまふ《場》であった。私が何かを思考すればたちどころ にその表象は私の眼前に呼び出されることになる。闇の中で蠢く気配共。気配もまた何かの表象を纏って闇の中にその気配を現はす。それは魂が《存在》から憧 (あくが)れ出ることなのであらうか……。パンドラの匣は闇の中で常に開けられてゐるのかもしれぬ。魑魅魍魎と化した気配共が跋扈するこの闇の中で《存 在》のもとには《希望》なんぞは残される筈もなく、パンドラの匣に残されてゐるのは現代では《絶望》である。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
彼の人はゆっくりとゆっくりと螺旋を描きながら何処とも知れぬ何処かへ向け飛翔を相変はらず続けてゐた。彼の人はこの闇の中にあってもその姿形を変へるこ となく徹頭徹尾彼の人であり続けたのであった。
闇。闇は《無限》を強要し、其処に卑近な日常の情景から大宇宙の諸相までぶち込む《場》であった。闇の中では過去と未来が綯い交ぜになって不気味な《も の》を眼前に据ゑるのだ。悪魔に魂を売るのも闇の中では私の選択次第である。ふっ。この解放感! 私はある種の陶酔感の中にあったに違ひなかった。《も の》皆全て闇の中に身を潜め己の妄想に身を委ねる。それはこれまで自身を束縛して来た《存在》からの束の間の解放であった。《存在》と夢想の乖離。しか し、《存在》はそれすらも許容してしまふ程に懐が深い。《存在》からの開放なんぞは無駄な足掻きなのかもしれぬ。闇の中の妄想と気配の蠢きの中にあっても 《存在》は泰然自若としてゐやがる。ちぇっ。何とも口惜しい。しかしながら《存在》無くしては妄想も気配もその存在根拠を失い此の世に存在出来ないのは自 明の理であった。
『お前は何者だ!』 
ねえ、君、闇の中では闇に誰もがかう詰問されてゐるに違ひない。へっへっへっ。人間は本当のところでは自問自答は嫌ひな筈さ。己の不甲斐なさと全的に対峙 するこの自問自答の時間は苦痛以外の何物でもない筈さ。それはつまり自問する己に対して己は決して答へを語らず、また語れないこの苦痛に堪へなければなら ないからね。それに加へて問ひを発する方も己に止めを刺す問ひを多分死ぬまで一語たりとも発することはないに違ひない。そもそも《生者》は甘ちゃんだから ね。へっへっへっ。甘ちゃんじゃないと《生者》は一時も生きられない。へっへっへっへっ。それは死の恐怖か? 否、誰しも己の異形の顔を死ぬまで決して見 たくないのさ。醜い己! 《生者》は生きてゐることそのこと自体が醜いことを厭といふ程知り尽くしてゐるからね。君もさう思ふだろ? それでも《生者》は 自問自答せずにはゐられない。可笑しな話さ。
…………
…………
闇といふ自身の存在を一瞬でも怯ます中で人皆疑心暗鬼の中に放り込まれてゐる筈であったが、私はこの闇の中といふ奇妙な解放感の中で、尚も光といふ彼の世 への跳躍台といふことの周りを思考は堂々巡りを重ねてゐたのであった。
『……相対論によれば物体は光に還元できる。つまり物体は《もの》として存在しながらも一方ではQdみどころのないEnergie(エネルギー)にも還元 できる……もし《もの》がEnergieとして解放されれば……へっ……光だ! ……この闇の歩道を歩く人波全ても光の集積体と看做せるじゃないか!  ……だが……《生者》として此の世に《存在》する限り光への解放はあり得ず死すまで人間として……つまり……《もの》として存在することを宿命付けられ てゐる……光といふ彼の世への跳躍台か……成程それは《生者》としての《もの》からの解放なのかもしれない……』
と、不意に歩道は仄かに明るくなり満月の月光の下へ出たのであった。
『……確かに《もの》は闇の中でも仮令見えずとも《もの》として《存在》するに違ひないが……しかし……《もの》が光に還元可能なEnergie体ならば だ……《もの》は全て意識……へっ……意識もまたEnergie体ならばだ……《もの》皆全て意識を持たないか? 馬鹿げてゐるかな……否……此の世に存 在する《もの》全てに意識がある筈だ……死はそのEnergie体としての意識の解放……つまり……光への解放ではないのか?』 
遂に歩道は神社兼公園の鎮守の森の蔭の闇から抜け街燈が照らし出す明かりの下に出たのであった。雪は相変はらず何かを黙考してゐるやうで、私の右手首を軽 く優しく握ったまま何も喋らずに俯いて歩いてゐた。私はといふと他人の死相が見たくないばかりに明かりの下に出た刹那、また視線を足元に置き伏目となった のである。
『……それにしても《光》と《闇》は共に夙に不思議なものだな……ちぇっ……《もの》皆全て再び光の下で私(わたくし)し出したぜ……吾が吾を見つけて一 息ついてゐるみたいな雰囲気が漂ふこの時空間に拡がる安堵感は一体何なんだらう……それ程までに私が私であることが、一方で不愉快極まりないながらももう 一方では私を安心させるとは……《存在》のこの奇妙奇天烈さめ!』
その時丁度T字路に来たところであったので、私はSalonに行く前にどうしてももう一軒画集専門の古本屋に寄りたかったのでそのT字路を右手に曲ったの であった。
――何処かまだ寄るの? 
と雪が尋ねたので私は軽く頷いたのであった。この道は人影も疎らで先程の人波の人いきれから私は解放されたやうに感じて、ゆっくりと深呼吸をしてから正面 をきっと見据ゑたのである。
――あっ、画集専門の古本屋さんね?
と、雪が尋ねたのでこれまた私は軽く頷いたのであった。
其処は洋の東西を問はず多分古本屋の主人の頭蓋内の闇に明滅する心象風景に呼応してしまった絵画やこれまた古本屋の主人の魂に決定的な印象を与へてしまっ た画集の数々等がこれまた古本屋の主人の魂の有様を映すやうに雑然と置かれてゐた、何やら古本屋の主人の頭蓋内にある或る部屋の中に迷ひ込んだやうな一種 独特の雰囲気を醸し出した古本屋であった。それを更に例へて言ってみれば、古本屋の主人の頭蓋内に形作られてゐた迷宮都市が画集によって再現されてゐると いったやうな、人間誰しも持ってゐるに違ひない或る種の風狂さが直截表はれてゐる、古本屋の主人の独特の性質が紡ぎ出した独自の世界観に彩られた古本屋で あった。私がその古本屋を最初に訪れたのは、「あっ、こんな所にも古本屋がある」と何気なくであったが、しかし、その古本屋の店内に一歩足を踏み入れた刹 那、私の魂は鷲掴みにされすっかり魅了されてしまったのは言ふまでもなく、途端にその古本屋は私の時間が許す限り必ず訪れないと気が済まない場所になって しまったのであった。
私と雪はその古本屋に入るや否や私は雪を放っておいてヴァン・ゴッホとウィリアム・ブレイクと長谷川等伯と伊藤若冲の画集を棚から取り出し渦巻く夜空が異 様なゴッホの「星月夜」と「天帝」とも呼ばれてゐる雲上の老ひた男が片手を地に向けCompass状に二筋の閃光が放たれる「絶対者」と幽玄至極な等伯の 「松林図屏風」と極彩色が凄まじい若冲の「鶏之図」を左から順番に平積みの雑誌等の上に拡げ並べて雪に見せたのであった。
――何? 何か意味があるでしょ! 
と雪が訊ねたので私は即座にMemo帳を取り出しかう雪に切り出したのである。
*******つまり、この四作品を左から眺めていって、つまり、何か気が付かないかい? 
――そうねえ……ちょっと待ってね。
と雪は四枚の絵に見入るのであった。雪の腕組みをしたその物腰は傍から見てゐると見惚れる程に優麗で雪の心の美しさが自然と表はれてゐたやうにしか見えな かったのである。蛍光燈の明かりの下で改めて見る雪は実際に美しかったのであった。
――それにしてもこの四作品は凄いはねえ。
と雪は嘆息したのであった。そうである。この四人の作品は何れ劣らず傑作ばかりであった。雪が嘆息するのも無理からぬ話であった。
――う〜ん、私には翌解らないわ。唯、何れの作品も凄いといふことだけは解るけどもね。
*******つまり、先づ、ゴッホの「星月夜」だけど、つまり、これは主観の世界かい? つまり、それとも客観の世界かい? 
――さうねえ、徹底した主観の世界だとは思ふんだけども……。
*******つまり、さうだとすると、つまり、ゴッホは敬虔な基督者だけれども、つまり、この作品の創造主は神だと思ふかい? つまり、それともゴッホ 本人だと思ふかい? 
――えっ! いきなりの質問ね。多分だけれどもね、この作品の創造主はきっと神よ。さうに違ひないわ。じゃないとゴッホがこの絵を描き上げる前に滅んでゐ るじゃない! 
*******さうだね。つまり、この作品の世界の創造主は、つまり、ゴッホじゃなく、つまり、矢張り神だと僕も思ふ。けれども、つまり、この渦巻く夜空 は、つまり、どうしたことだらう? 
――ゴッホには此の世の真理が朧げながら見えてしまってゐたんじゃないかしら……。かはいさうに! 
*******つまり、此の世の真理に、つまり、朧げながらも触れてしまふことを、つまり、君もかはいさうだと、つまり、哀しいことだと思ふのかい? 
――ええ、私はさう思ふの。といふよりもさう思へて仕方無いのよ。自分でもそれが何故だか解らないんだけれども、此の世の正覚者は全て大悲哀を背負ってゐ るとしか思へないのよ。何故だか自分では解かんないんだけどもね、うふふ。
*******すると君は、つまり、このゴッホの作品は哀しい作品に、つまり、思へるんだね。
――ええ。
*******つまり、僕もそれには、つまり、同感だ。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
――なぜかしらねえ? 此の世に存在すること自体が悲哀だと思ってしまふの。私の悪い癖ね。でも、悲哀が存在の原質の一つだと思うのよ。
*******つまり、この絵は途轍もない切迫感が迫って来るよね。つまり、この絵はこの世界を創った創造主への、つまり、ゴッホなりの問ひ、つまり、そ れもゴッホの全存在をかけての、つまり、痛切な問ひだったんじゃないかと思ふんだがどうだい? 
――問ひねえ……。其処には自身の存在に対する疑念が含まれてゐたのかしら。
*******しかし、つまり、ゴッホには、つまり、夜空がこのやうにしかみえなかったんだらう。つまり、其処までゴッホは追い込まれてゐた。つまり、其 処には底知れぬ諦念があった筈だよ。
――諦念? 何に対する諦念? 
*******つまり、自身の存在に対する諦念! つまり、多分、ゴッホは己の存在を呪ってゐた筈だ。つまり、生涯でたった一枚の絵しか売れなかったゴッ ホが、つまり、それでも創作活動を続けた、つまり、その途轍もない原動力は、つまり、己の存在に対する、つまり、呪詛以外あり得なかったんじゃないかな。 つまり、そんな己を存在させた、つまり、神への問ひしか、つまり、最早、つまり、ゴッホには残ってゐなかったに違ひない。
――その問ひは懊悩に懊悩を重ねた末の最後の一縷の望みを此の世に繋ぎ止めるための呻きに近かったんじゃないかしら? 
*******つまり、それでも神に、つまり、問はずにはゐられなかったゴッホは、つまり、途轍もなく哀しい存在だね。つまり、荒涼としたゴッホの内界 を、つまり、神にぶつけてみて、つまり、神の答へ、つまり、このが「星月夜」だったんじゃないかと思ふ。つまり、夜空で渦巻く、つまり、月や星々は、つま り、ゴッホの存在を映したものに違ひないと思ふがね。つまり、渦を巻くことで、つまり、辛ふじて存在が存在を、つまり、保てたんじゃないかな。
――渦は中心を持つわね。きっとゴッホは存在の中心を創造主たる神に問ふたのね。己が存在に中心はあるのかと。渦を巻く以外には最早存在はゴッホにとって 瓦解したものだったんじゃないかしら。吾は此の世に存在するに値する存在であったのかと。ゴッホの全存在をかけての問ひだった気がしないでもないわね。
*******つまり、無限大、∞。つまり、ゴッホもまた、つまり、無限大といふものに、つまり、直感的に触れてしまったのかもしれぬ。
――唐突に何? 無限大って、あのさっきの無限大次元だったかしら。その無限大次元の無限大? 
*******さう。つまり、神の問題を突き詰めると、つまり、どうあっても、つまり、無限大に行き着いてしまふのが自然の摂理さ。つまり、実際に夜空を 渦巻くやうにしか描けなかったゴッホもまた、つまり、無限大に触れてしまったに違ひない。
――無限大に触れるって? 
*******つまり、一般に時空間は四次元として誰しも認識してゐるから、つまり、仮に無限大次元でしか認識出来ないとすれば、つまり、つまり、ゴッホ の「星月夜」のやうな世界が、つまり、描かれるしかない。つまり、世界はさうとしかあり得ないんだ、多分、ゴッホにとっては特に。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
赤の他人の彼の人は相変はらずゆっくりと渦を描きながら私の視界の中の何処とも知れぬ何処かへと飛翔を続けてゐたのであった……。
――ねえ、無限大次元では全てが渦に収束するのかしら? 
*******さうだね。つまり、僕個人の考へではさうとしか考へられない。つまり、全ての存在物は渦へと収束する。
――じゃあ、世界を無限大次元で忠実に描写すると正にゴッホの「星月夜」のやうにしかならないってことね。
*******さう! 
――何となくだけどあなたが言ってゐる無限大次元が解ったやうな気がするわ。
*******さうか。つまり、無限は神に通じてゐるのさ。
ここで私はブレイクの絵を指差し雪に見るやうに促したのであった。
*******つまり、無限が神に通じる事が、つまり、このブレイクの絵で逆説的にではあるが、つまり、具現化されてゐると思ふが君はどう思ふ?
――う〜ん、何をおいてもこの絵は峻厳な絵ね。この絵は「Europe a Prophecy(ヨーロッパ 一つの預言)」の口絵になってゐる絵でしょ。
*******さう。つまり、かうしてブレイクは無理矢理にでも無限なるものを封印せざるを得なかったのかもしれぬ。
――無限を封印? この絵は無限の具現じゃないの? 
*******つまり、この絵に限らないんだけれども、つまり、無限は球状の火の玉に封印され、つまり、人間なるものが存在するこの世界の開闢が宣告され てゐるやうにも見えるけどね。
――世界の創造ね。
*******つまり、この絵には人間存在の業が集約されてゐる。つまり、ブレイクはどうあってもこの世界の謎を、つまり、何としても解き明かし、つま り、認識し尽くしたかったに違ひない。つまり、その結果として、つまり、必然としてブレイクは世界創造の神話的な物語風の詩を書かざるを得なかったのさ。 つまり、此の世は封印された無限の上に築かれた泡沫の夢さ。
――この絵が泡沫の夢? う〜ん、さうかもしれないわね。此の世が泡沫の夢であるが故にこの峻厳な絵で世界の開闢を刻印したのね。
*******さうかもね。つまり、ブレイクにとって無限の封印を解いて世界の開闢を宣告するにはこの絵のやうな、つまり、神話的な人格の具現でしか表現 できなかった。つまり、それは神とも呼ぶべき存在の創出さ。つまり、初めに神ありき。つまり、基督教が支配する世界では全てが神から始まってゐる。
――さうね……。でもそれって結局のところは主体のごり押しに終始するんじゃないかしら。
*******さう、つまり、神は主体の理想から一歩も抜け出られない。つまり、それが神の物語たる神話であらうが預言であらうが聖書であらうが、つま り、主体自らの手で徹頭徹尾書き記さずにはゐられない。つまり、それは詰まる所、つまり、神に託けて主体がしゃしゃり出ずにはゐられない哀しい存在なん だ、つまり、主体はね。つまり、主体は世界の中心に存在することになる。しかし、これは、つまり、ある意味主体に苦悩しか齎さない。つまり、無がないこと の不自由さとでも言ったらいいのかな。つまり、それは主体の暴走を絶対存在を創造することで主体自ら呪縛する外ない。つまり、其処にはそれはそれは深い深 い懊悩が隠されてゐる筈さ。つまり、そこにもし神といふ存在がなかったならば、つまり、主体は救はれない。つまり、徹頭徹尾主体が主体の主人といふこと は、つまり、それはある意味地獄絵図だ。つまり、それを見ないための基督の磔刑像さ。そして、つまり、其処に残されるのは自堕落な憐れな自己が現出するの みさ。ふっ、つまり、自己実現出来たらそれで仕舞ひのちっぽけな主体が其処に存在するだけだ。つまり、これは矮小化されてはゐるが、つまり、他力にも通じ るところがあるんだが、絶対の神の思し召しによるといふ絶対的な神に抱かれ高みに昇る信仰がなければ、つまり、主体は主体を超克なんぞ出来やしない。
――他力? 基督教にも他力の要素はあると思ふの? 
 私は其処で軽く頷いたのであった。
*******つまり、其処には大いなる矛盾があるんだが、つまり、彼等は一方で絶対の神への信仰を抱きながら、つまり、一方で主体絶対主義といったら良 いのか、つまり、地上の王は主体なんだ。つまり、それは懊悩以外齎さない。つまり、無を、無といふ無限を認めない不自由極まりない存在として、つまり、主 体は此の世に存在しなければならない。つまり、それは哀れだよ。
――哀れ? 
*******さう、哀れさ。つまり、其処で他力のやうに絶対の神に身を委ね、つまり、一時の平安を得てゐるのさ。つまり、これは哀れとしか言いやうがな い。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
 私は暫く口を噤み瞼を閉ぢて瞼裡の虚空と赤の他人の彼の人を凝視したのであった。
*******つまり、基督に全てをおっ被せて、自身は平安の安息の中に安らぐ矛盾を矛盾と気付かずに、つまり、主体絶対主義の下に生きる。つまり、僕か らするとそんな生き方は哀れ以外の何物でもない。
――でも、平安が得られるのであれば、それはそれで幸福なんじゃないかしら。
*******さうだね。つまり、神に抱かれての平安は、つまり、それはそれで幸福だ。しかし、このブレイクの絵に平安はあるかな? 
――これっぽっちもないやうに見えるけれど……。
*******つまり、恐怖を感じないかい? つまり、胸に突き刺さる恐怖を? 
――う〜ん、さうね、さう言はれればこの絵は恐怖を掻き立てるかもしれないわね。
*******つまり、恐怖がなければ主体は、つまり、増長する馬鹿な生き物だ。つまり、主体が主体を統治する装置として、つまり、恐怖は必須の条件さ。 つまり、多分、ブレイクには、つまり、平安はなかったんじゃないかな。
――どうしてさう思ふの? 
*******つまり、ブレイクにとって自身は、つまり、度し難い、何とも名状し難い存在だったやうな気がするのさ。何となくだけどもね。
――弁証法ではどうしようもないものをブレイクは見てしまったやうな気がするの。
*******つまり、無限さ。
――無限ね……。
*******つまり、ブレイクにとっては初めに無限ありきのやうな気がするんだ。つまり、先づは無限を何としても鎮めないことには一歩も主体は前に進め ない。つまり、有限が無限に退治する苦悩――これはどうしようもない! 
――有限が無限に退治する苦悩? 
*******さう。つまり、主体はどう足掻いても有限だ。つまり、初めにLogos(ロゴス)があってしまふ西洋において、ブレイクは、つまり、自身の 身の置き所がなかったんじゃないかな。つまり、だから、ブレイクの作品は絵巻物のやうに言葉と絵が混在してゐる。つまり、ブレイクにとってはさういふ形式 しか取りやうがなかった。
――さうね。私もさう思ふわ。
*******つまり、絵に無限を閉ぢ込める。しかし
と、私はここでMemo帳から目を上げ、表向きはぼんやりと本棚の画集群の背表紙を眺めながらも内部に拡がってゐる虚空を凝視し、暫く沈思黙考したので あった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
暫くすると雪が
――渾沌……。陰陽魚太極図……。ブレイクの無限を閉ぢ込めた火の玉の卵殻の形をした絵は陰陽魚太極図に通じてないかしら? 
と言ったので、私は軽く頷いたのであった。そして私は蛍光燈の明かりをぼんやりと眺めながら無限について思ひを巡らせたのであった。
…………
…………
ねえ、君。無限について思ひを巡らすなんて愚かな事だね。
 例へば
――無限とは何ぞや。
と自問自答したところで何にも出て来やしない。無限は無限のまま相変はらず有限の主体をせせら笑ってゐる。しかしだ。有限の主体はそれでも無限を問はざる を得ない哀しい生き物だ。
 尚も
――無限とは何ぞや。
と主体は自問自答を敢へてするしかない。哀しいね……。
…………
…………
 私はブレイクの絵を一瞥しては瞼を閉ぢ、そして、陰陽魚太極図を脳裡に思ひ浮かべては黙考を繰り返すのであった。雪もまた暫く何かに思ひを巡らし沈思黙 考してゐるのである。
 すると不意に私の頭蓋内の闇の中に
――人は麺麭(ぱん)のみに生きるに非ず……。
といふ声が厳かに響き渡ったのであったのである。私はゆっくりと瞼を開けブレイクの絵を凝視したのであった。
――人は麺麭のみに生きるに非ず……。
…………
…………
 ねえ、君。確かに人は麺麭のみに生きるに非ずだね。これは間違ひない。だって、人は自身の生に何か理由付けしないとこれっぽっちも生きてゐられやしない じゃないか。
――私は何の為に生きる? 
 この言葉が世界に満ち満ちてゐる。誰しもが自分の人生について何かしらの思ひを馳せ
――私は何の為に生き存在してゐるのか? 
と、絶えず自問自答してゐる。麺麭を得るのにきゅうきゅうとしてゐる生活はそれはそれで物凄く充実してゐる人生に違ひないが、しかし、ひと度
――私は何の為に生きてゐる? 
といふ陥穽に捉へられるともう其処から一歩も身動き取れなくなってしまふ。その満たされることのない自身の難問を解かうと或る者はそれを信仰に求め、或る 者はそれを物欲に転換して心なる不思議なものを満たさうとするが、詰まる所、正覚でもしない限り、その答へは見つからない。それは死んでも尚解らないまま だ。
 ねえ、君。そもそも心は満たされるものなのだらうか。麺麭が十二分に得られたからといって心はちっとも満たされることはない。そこで手っ取り早く《他 者》をひっ捕まへて《自己》を満たさうとするが、しかし、《他者》もまた満たされぬ心を持つ宿命にあるので、傍から見るとどうしても《自己》と《他者》は 傷を舐め合ってゐるやうな奇妙な状態に置かれることになる。それは《他者》に対して非礼な振舞ひだ。それは《自己》を満たすためにのみに《他者》を利用し てゐるだけだからね。
――人は麺麭のみに生きるに非ず……。
 ねえ、君。君はこれをどう思ふ? 私は前にも言ったが、己を己に喰はれる食物以下の下等な生き物だと看做してゐるが、しかし、それでも今の無為な唯死を 待つのみの日々を送ってゐると、やはり
――人は麺麭のみに生きるに非ず……。
といふ難問と向き合はざるを得ない。多分、これは生に対するある種の免罪符なのかもしれないがね、しかし、どうあってもこの難問には向かひ合はざるを得な いのだ。多分、それに対する答へはないだらうがね。しかしだ、人一人此の世に生きたのだ。この事実は消せない筈だ。へっ、だが、私には胸を張って
――俺は生きた! 
と言へやしない。どうしても言へないのだ。何故だらうね? 君には解かるかい? この口惜しさが! 
…………
…………
――さうか。ブレイクはこの作品といふものを此の世に残した御蔭で今生きてゐる私は既に死んで久しいブレイクの何かに触れたやうな気にさせてくれる。有難 いことだ。
等と、私は思ひながらブレイクの絵を凝視してゐたのであった。
――人は麺麭のみに生きるに非ず。そして、人は死後も何らかの形で生を繋げる! このブレイクの作品が好例じゃないか! これは複製だけれどもブレイクの 手によって作り上げられた作品が今を生きる私の眼前にあって、私はそれを鑑賞出来るじゃないか。ブレイクの詩がブレイクの死後であっても今を生きる私に読 めるじゃないか! 此の世にひと度存在してしまったものは何であらうがその死後もその存在の証を何らかの形で残す。《精神のRelay(リレー)》!  はっはっ。
等と思ひながら尚も私は感慨深げにブレイクの絵を凝視するのであった。
すると
――ねえ、ブレイクにとって無限って何だったのかしら? 
と、不意に雪が訊ねたのであった。
*******つまり、存在の淵源にして究極の目標だったんじゃないかな。つまり、ブレイクは無限を渇望せざるを得なかった。つまり、それを宿命と名付け るんだったならばだ、つまり、宿命としか言ひやうがない。実際のところは、僕には良く解らないんだけれどもね。
――さうね。私も実のところ良く解らないの。えへっ。でも、ブレイクの絵には魂を衝き動かす衝迫力といふのか、何か不思議な力を感じるわ。
*******さうだね。
と、Memo帳から目を離し、私はブレイクの絵を凝視するのであった。
――……何なのだらうか……。この時代をいとも簡単に飛び越えてしまふ力の源は! 
と思ひながら私はゆっくりと瞼を閉ぢるのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
 赤の他人の彼の人は相変はらず何処とも知れぬ何処かへと向かってゆっくりと旋回しながら虚空を飛翔してゐたのであった。彼の人もまたブレイクと同じやう に死んでも尚、生者の魂を衝き動かさざるを得ない何ものかを此の世に残して死んで逝ったのだらうか……。
*******つまり、ゴッホもブレイクも主体が持つただならぬ狂気といふのか、つまり、表現せざるを得なかった魂の叫びのやうなものが全的に表現されて ゐる。それと較べると、つまり、この長谷川等伯の絵はどうだね?
――う〜ん、さうね、何となくだけれども無私な感じがするわ。ゴッホやブレイクとはある意味正反対の対極に位置するやうな気がするの。でも、この松林図は 等伯の心象風景よね。……人間て……不思議ね。
*******この絵は、つまり、徹頭徹尾等伯の主観だね。すると、ゴッホやブレイクと等伯の違ひは何だと思ふ? 
――う〜ん、難しい質問ね。うふっ、それが解かってゐれば大学者になってゐるわよ、うふっ。でもEgo(エゴ)と滅私の違ひじゃないかしら? いや、違ふ わね……。
と言ったきり雪は口を噤んで等伯の絵を凝視するのであった。その蛍光燈の明かりで隈どられた雪の横顔は尚更何とも言へずに美しかったのである。
――この寂寞とした静寂さは何なのかしら……。
と雪の口から感嘆の言葉が漏れ出たのであった。
*******つまり、無常の恒常といふのかな、これは。
――無常の恒常? 面白い表現ね。さうね。この絵には無常なるが故の恒常が描かれてゐるのかもしれないわね。
*******つまり、こんな言葉は無いんだけれども敢へて言へば、つまり、等伯は勿論、若冲もさうなんだけれども、心鏡の絵だね。
――心鏡? どういふ事? 
*******つまり、字義そのまま、心の鏡といふ事だよ。
――心の鏡……ね、さうね、正に心の鏡ね。心鏡か……。
と、その時、不意に私の視界の周縁を小さな黒い影がふわりと横切ったので、私は思はず眼を上げその影の方を見ると、蛍光燈の明かりに誘はれて店内に一匹の 蛾が迷ひ込んでゐたのであった。
《――飛んで燈に入る夏の虫――》。
――ねえ、この絵に見入ってゐると自分の心が映るのね。不思議ね。等伯はどうしてこんな絵が描けたんだらう……。不思議……。
 私はにやりと少し微笑んでから首を横に振って解からないといふ合図を雪に送ったのであった。
――不思議ね……。
*******ねえ、この絵を見てゐると、どうあっても等伯の人生に思いが馳せないかい? 
――さうね……、この境地に至るにはそれはそれは言葉では言い尽くせない途轍もなくとんでもない人生を歩んで来たのは間違ひないわね。
*******つまり、確かに等伯の人生は不幸そのものだったね。それが、つまり、この松林図に昇華されてゐる気がする――。
――息子は亡くしてゐるし、右手も不自由になったし……。等伯の人生はその画業に反して不幸そのものね……。
*******でも、つまり、等伯の人生なんぞ何も知らなくてもこの松林図は、つまり、何か透徹した凄味がちらりと垣間見えてしまふと思はないか? つま り、見る人の魂を串刺しにしてしまふ凄味が。つまり、この松林図を描かずにはゐられなかった等伯の思ひは如何ばかりであったか――。つまり、この松林図は 徹頭徹尾己の為にのみに描かれてゐるやうな気がするんだ。しかし、それが無私になる。つまり、これを東洋的だといふ一言では片付かない何かがこの絵には秘 められてゐる。つまり、何と言ったら良いのか――、無我の境地、しかもそれは徹頭徹尾己に拘り続けた末に幽かに垣間見えたかもしれない無我の境地――。何 なのか、この松林図は! 
――さうね。この絵は見る者の魂をぎゃふんと言はせる何か迫力があるわね。無私なるが故に見る者には敵はない何か突き詰めた思ひが迫って来るわね。ゴッホ やブレイクと違って直截的ではないけれども後からじわじわと迫って来る主観なるものの物凄さがこの絵には宿ってしまってゐるわね。
*******つまり、生者の前に厳然と立ちはだかる巨大な壁。つまり。「どうだ、この絵の前では身動ぎもできぬであらう」といった等伯の声が聞こえて来 るやうだ。つまり、「さあ、この絵を乗り越えられるんだったなら乗り越えてみるんだな、へっ」というやうな等伯の声が聞こえて来さうな気がする。つまり、 この絵はもしかすると現在を生きる生者にとっての《躓きの石》なんじゃないかな。敢へて言へば先達が残した作品はそれが何であらうとそれを超へようとする 現代にとっての《躓きの石》でしかないのかもしれぬ――。しかし、それらを知ってしまった以上、つまり、現代人はそれらを超克せねば気が済まぬ宿命を負は される。否、負はなければならない。つまり、さうじゃなければ先達に失礼だと思ふんだが、君はどう思ふ? 
――さうすると……、あなたは先づ第一に過去の先達の作品の否定から現代人は始めるといふことを言ひたいのかしら? 
*******否、それは違ふ。つまり、先達の作品を認めた上で、それ以上のものを成し遂げる努力といふのか、絶望といふ茨の道を歩まざるを得ない。つま り、人類も歴史を持つ以上、先達に負けず劣らぬ何ものかを創造する宿命を負ってゐる。
――宿命ね……。それは宿命なのかしら? 過去を超克しようなどと思はなければ、それはそれで何の事はないんじゃないの? 
*******それはさうだけれども、しかし、つまり、眼前に人間の業なる途轍もなく物凄いものがあって、つまり、それに睨まれたとしたならば、その人間 は尻尾をまいて逃げて、それで仕舞ひで済むと思ふかい? 
――さあ、解らないわ。
*******つまり、敗北感と屈辱の中で人間は一生を平気で過ごせるものなのだらうか? 人間といふ存在の業がそれを許すと思ふかい? 
――さうね、中にはそれで済んじゃう人間もゐると思ふけれども、多数は何くそっとそれに立ち向かふのが人間じゃないかしら? 
*******つまり、僕も君もゴッホに、ブレイクに、東伯に、若冲に今睨まれてゐるんだぜ。さあ、どうする? 
――うふっ。
*******つまり、人間、この度し難い存在めが! 
――うふっ。
*******つまり、時代を超えて生き延びた人類の遺産の如き古典といふ傑作の数々を前に、怯まずにくっと前を向いて倦まず弛まず現在を生きるのは、さ て、困った事に、つまり、如何ともし難く、度し難い状況を生きる事に等しい。つまり、堂々巡りになってしまふが、そもそも存在とは何ぞや? 
――うふっ。あなたはその存在をどう思ふのかしら? 
*******つまり、それが良く解からないんだよ。
――うふっ、解からないから生きてゐるんでしょ? 多分生者であれば正覚者以外誰も解からない筈よ。
*******つまり、それでも生者は問はずにはゐられない。そこで、つまり、この若冲の鶏の極彩色の絵だ。君はどう思ふ? 
――さうね。無心の絵のやうな気がするわ。
と、雪が言ふのを聞きながら私は若冲の絵を凝視するのであった。
 成程、若冲のこの鶏の絵は無心の絵に違ひない。しかし、この絵には魂魄が宿ってしまったやうな不気味な存在感が漂ってゐる。それは存在といふものの不気 味そのものであった。若冲はカントのいふ物自体にそれとは知らずに触れようとしてゐたのであらうか。この妖気すら発するこの鶏の絵は、一体全体どうしたこ とであらうか……。
*******この絵はドストエフスキイ曰くところの魂のRealism(リアリズム)がないかい? 
――さうね、魂のRealismね……。さうね、物自体が持つ存在の不気味さが漂ふ何とも表現し難い絵ね。
*******物自体の不気味さ? 実は僕もさう思ってこの絵を眺めてゐたんだ。やはり君もさう思ふか――。
――さう。ブレイクの「The Tyger」(「虎」)にも通じるわね。

「The Tyger」
Wlliam Blake著

Tyger Tyger. burning bright,
In the forests of the night;
What immortal hand or eye,
Could frame thy fearful symmetry?
In what distant deeps or skies.
Burnt the fire of thine eyes!
On what wings dare he aspire!
What the hand, dare sieze the fire?
And what shoulder, & what art,
Could twist the sinews of thy heart?
And when thy heart began to beat,
What dread hand? & what dread feet?
What the hammer? what the chain,
In what furnace was thy brain?
What the anvil? what dread grasp,
Dare its deadly terrors clasp!
When the stars threw down their spears
And water'd heaven with their tears:
Did he smile his work to see?
Did he who made the Lamb make thee?
Tyger, Tyger burning bright,
In the forests of the night:
What immortal hand or eye,
Dare frame thy fearful symmetry?


「虎」――拙訳
虎よ、虎よ、燃え上がる光輝、
その夜の森に;
如何なる不滅の手と眼が、
汝の震撼する程の均斉を造り得るのか?

どれ程の空空の震度若しくは高度まで。
汝の眼は燃え上がったか? 
如何なる程の迅速さを彼は敢へて熱望するか? 
如何なる手が、敢へてその炎を捉へるか? 

更に如何なる肩が、如何なる術が、
汝の心の臓の筋肉を捩ることが出来得るか? 
更に汝の心臓が拍動を始めた時、
如何なる恐ろしき手が? 如何なる恐ろしき足が? 
如何なる槌が? 如何なる鎖が? 
如何なる窯の中に汝の脳はあったか? 
如何なる鉄床が? 如何なるものが? 恐ろしき程に握るのか、
その死する程の恐怖を敢へて握るか! 

星星が自身の槍を投げ降ろした時
更に自身の涙で天を水浸しにした時;
彼は笑って自身の御業を観たか? 
子羊を作りし彼が汝を造ったか? 

虎よ、虎よ、燃え上がる光輝、
その夜の森に;
如何なる不滅の手と眼が、
汝の震撼する程の均斉を造り得るのか?

*******言ひ得て妙だ。本当にさうだね。つまり、ブレイクの「虎」だ。この異様さは――。
――でも、本来存在するとは異様なものなんじゃないかしら。異様だからこそ何人の心をQdんで離さないのよ、存在は……。
*******つまり、君も存在は異様だと思ふんだね。
――異様じゃなくて何故存在は存在できるのよ、うふっ。存在に魅せられたらもう存在から目が離せなくなるわね、この若冲のやうに。
*******つまり、これって特異点の不気味さなのかもしれない――。つまり、若冲の絵は客体に至極執着してゐるけれども、一方で自在感も感じられる。 つまり、この相反するものが絵として結実してゐるんだが、つまり、それを無限まで引き延ばすとどうあっても特異点の問題になる。つまり、若冲の絵から漂ふ 不気味な妖気は特異点の不気味な妖気に通じてゐる。君もさう思はないかい? 
――特異点の問題かどうかは解からないけれども、確かに若冲の絵には執着と自在の二つが混在してゐるわね。これって正に混沌の絵だわ。
*******つまり、それでもものだから姿形は保持してゐる。不思議だね。つまり、それは更に何処かしら滑稽ですらある。
――若冲の絵は客体と主体の戯れね。どちらも捕捉出来るやうに見えて不可解極まりない。不可解極まりないから最早其処から一時も目が離せなくなる。そし て、若冲はその不可解極まりないことをむしろ楽しんでゐるやうにも見えなくもない。
*******つまり、それは特異点の罠さ。つまり、若冲は直感的に特異点の不思議を感じ取ってしまったんじゃないかな。つまり、存在の不思議に魅せられ てしまった。そして、其処から一生抜け出せなくなってしまった。つまり、絵画三昧の人生だ。
――それにしても若冲の絵にはどう見ても厳格なる創造主はゐないわね……。
*******等伯の絵にもね。
私は若冲の絵を凝視しながら
――神は細部に宿る……。
等と思ひながら、鶏を写生すればする程、当の鶏なる存在はあっかんべえをして若冲の筆先から逃げ果せてしまふ存在に対する屈辱といふのか無力感といふの か、追っても追っても逃げ果せる存在といふ如何とも度し難い《もの》を、それでも追はずにはゐられない人間の業の哀しさが若冲の絵には漂ってゐるやうにも 思へるのであった。
*******つまり、絶対的な縦関係と相対的な横関係の違ひだね。
――えっ、何? さうか、絶対的と相対的な神関係か……。ゴッホとブレイクは神は絶対的な存在であるといふことが基本の世界認識の上での絵で、等伯と若冲 は神存在は主体と相対的にしか存在しない世界認識の結果、こんな絵が描けたのかもしれないわね……。
*******つまり、等伯と若冲の絵にも神若しくは仏は存在してゐると思ふかい? 
――う〜ん、神仏習合が等伯にも若冲にも当て嵌まるんだったならば、当然等伯にも若冲にも神仏は存在してゐた筈よ。特に若冲の絵は鶏といふかみといふ名の 存在と戯れてゐる感じがするわ。
*******鶏といふ神と戯れてゐるか――。でも、実際のところ、つまり、本当にさうだったのだらうか? 神との戯れでこんな奇想天外な絵が描けると思 ふかい? 
――さうね、戯れはおかしいわね。格闘ね。若冲は鶏といふ神と傲岸不遜にも徹底的に格闘してゐたのね……。
*******そして、己とも格闘してゐた。つまり、等伯も若冲も己とも格闘してゐたに違ひない。つまり、さうじゃなきゃこんな絵が描ける訳がないよ。つ まり、等伯と若冲の絵からは森羅万象に数多の神が宿ってゐる根本思想のやうなものが滲み出てゐるやうな気がする。つまり、何処にでも神や仏は存在してゐ る。つまり、勿論、己の中にもね。つまり、等伯も若冲もゴッホやブレイクと同じやうに絶えず神とは仏とは何ぞやと問ひ続けてゐたに違ひない。しかし、つま り、ゴッホやブレイクとは根本的に世界認識の仕方が違ってゐる為に、これ程凄い絵が描けたやうな気がするんだが、君はどう思ふ? 
――でも、ゴッホやブレイクと何処かでは繋がってゐると思ふの、等伯も若冲も……。それじゃなきゃゴッホが浮世絵に魅かれる筈はないわ。それにブレイクも 絵と文字が混在した東洋的な画風で絵を描きっこないもの。きっと彼等にも共通する普遍的なものは存在してゐたと思ふの。
*******つまり、それでもゴッホやブレイクの作品から受ける印象と等伯と若冲から受ける印象が全く違ってゐるのは何故だい? 
――さうね、やっぱり絶対的な神関係と相対的な神関係の違ひじゃないかしら? 
*******でも、つまり、四人とも神若しくは仏は存在してゐるね。つまり、それが共通点、つまり、普遍的なものなんじゃないかな。
――さう! そうね。絶対的と相対的といふ違ひはあるけれども四人ともに神または仏が世界に存在してゐた……。そして、その神ある世界に魅せられた故に絵 を描かざるを得なくなってしまったんだわ。つまり、如何ともし難い存在に魅入られてしまったんだわ。何としても自分の手でこの世界といふ何とも不可思議な 存在が数多存在してしまふこの世界といふものを一度握り潰してそして世界を再創造し直してみたかったんじゃないかしら。其処には神への対抗心もきっとあっ た筈よ。しかし、さすがは神ね。ゴッホもブレイクも等伯も若冲も簡単に一捻りされてしまって神若しくは仏性はその素顔を決して見せることはなかったのね。 それでも彼等はこの如何ともし難い世界と格闘せずにはゐられなかった。それは哀しい人間の業ね。
*******つまり、きっと彼等は絵を描くことで、つまり、自在感なるもののその片鱗を一度は味はってしまったやうな気がする。つまり、この自在感なる ものが曲者で、つまり、世界を思ひのままに描くことが出来る愉悦、つまり、絵を描くこと即ち世界の創造に無謀にも自在感なるものを味はってしまったことで 挑まざるを得なくなってしまった。つまり、其処には存在に対する恐怖なるものも必ず存在してゐて、つまり、頼れるのは己の技量のみ。そこでだ、彼等は神若 しくは仏性ある世界に一度は大敗北を喫する。其処ではつまり、自在感が徒となる。つまり、それは底無しの陥穽だ。どう足掻いてもその底無しの存在といふ陥 穽から抜け出せない。さうすると、つまり、己を全的に世界にぶつけてみるしかない。其処でますます世界に対峙するべく己の絵の世界に没頭して行くことにな る。其処は無明の闇さ。試行錯誤を何度も何度も繰り返して世界といふ不可思議な存在を吾が物にしようともがき苦しむことになる。つまり、それでも世界は知 らん顔だ。神も仏も一度たりともその素顔を明かさない。それでもこの手で世界といふ不可思議な存在を一度握り潰して再創造してみたくて仕様がない。困った ものだね、人間の業といふのは――。
――うふっ、どん詰まりのところでは結局、自身はあなたの言ふ鏡、世界を映す鏡になるしかなかったのね。つまり、心鏡ね。どう人間が足掻いても世界はその 断片しか見せてくれない。つくづく人間存在って哀れな存在ね……。
*******つまり、絵を描くことに没頭するといふ飽くことなき存在の探究、つまり、それは世界との対話と言っても良いのだが、つまり、心鏡に映る世界 は、果たしてその素顔の片鱗でも垣間見せたのだらうか? つまり、《物自体》はその尻尾をみせたのだらうか? 
――さうね、きっと最後まで見せることはなかったでしょうね。
*******そこでだ、つまり、パスカル風に言って此の世が無と無限の中間だとすると、例へば若冲は鶏の絵を描くことで無と無限の両極端を認識してし まったんじゃないかな。つまり、認識とまでは言はなくてもぼんやりにでも無と無限を垣間見てしまった――。それじゃないとこんな鶏の絵なんぞ描けっこない じゃないかと思ふんだけれども、君はどう思ふ? 
――さうね……。あなたのいふ特異点の問題のことね。
*******さう。つまり、詰まるところ特異点の問題だ。この度し難い特異点と対峙してしまった時、画家はたじろぎ怯むが、それでも眼前の存在を逃がさ ぬやうにじっと目を据ゑ世界を凝視する。この端倪すへからざる世界を。つまり、対象を凝視するしか術がないんだ。その時存在は無と無限との間を大振幅して 画家を嘲笑ってゐるに違ひない。つまり、揺れる存在――。無と無限の間を存在は自由に揺れる。つまり、画家たるものそれを睥睨して世界を描き始めなければ ならない。この時の苦悩は底知れぬ苦悩に違ひない筈だ。つまり、若冲の鶏でいふと若冲は鶏に神を、仏を、宇宙を見てしまった。神を、仏を、宇宙を描くこと の恐ろしさと言ったらありゃしない。それでも敢然とそれに対峙して若冲は鶏を描かざるを得なかった。つまり、これは何なんだらうね? 
――宇宙を見るか……。本当に何なのかしら? 人をして絵を、それもとんでもない絵を描かせるその原動力は……。
*******つまり、現代と違って彼等にはそれぞれ現代宇宙論では収拾のつかない個性的な宇宙が育まれてゐた筈だが、つまり、それ故彼等は知識に邪魔さ れない《生(なま)》の世界存在に出会ってゐる筈だ。つまり、それはそれは面白かったんじゃないだらうか。
――《生》の存在ではないでしょう? 彼等にも神や仏の知識は存在してゐた訳だから。唯科学的な知識は遠く現代人には及ばなかったが、それが幸はして科学 的な知識は邪魔しなかったのは確かね。それはむしろ幸福だったのかもしれないわね。
*******さう、其処なんだ。つまり、心鏡は科学的知識に集約される必要があるのだらうか? つまり、来科学的なことの中にこそ真実なるものは隠され てゐるんじゃないかな。それを心鏡は映す。
――でも、非科学的世界は渾沌の世界よ。
*******つまり、それで良いんじゃないかと思ふんだが、つまり、渾沌の中からしか新世界の再創造はあり得ない。
――陰陽魚太極図ね、うふっ。
*******さう、つまり、彼等は太極の状態を世界存在に見てしまったんじゃないかな。つまり、其処から《生》の世界なり存在なりがぬっと顔をちらりと 突き出したんだ。しかし、それは一瞬のことでその後は一度たりとも顔は現はさない。しかし、一度でも《生》の存在を見てしまった以上、つまり、それを探求 せずにはゐられなかった。
――それって探求なのかしら? ただ単にその《生》の世界なり存在なりを捕まへたいといふ人間の業でしかないんじゃないかしら。
といふ雪の言葉を聞くと私はゆっくりと瞼を閉ぢたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜
 赤の他人の彼の人は相変はらず音ならざる音を発しながら瞼裡の虚空の何処とも知れぬ何処かへとゆっくりと旋回しながら飛翔を続けてゐたのであった。
――……絵を描くことは渾沌に秩序を与へる行為に違ひない……しかし……私が存在してゐなくても世界は存在する……存在してしまふのだ! 
等と私は思考を巡らせたのであった。そして、私は雪に解からないと首を横に軽く振ってにやりと笑ひおどけて見せるのであった。
――さうね、解からないわね、うふっ。
*******つまり、度し難い己の存在に対する処し方が画家の絵にも反映される。つまり、心鏡だ。
――さうね。さうじゃないと画画の作品は時代を超へて残らないわね。何処までこの度し難い存在に肉薄したか、それが絵を見るものの魂を揺さぶるに違ひない わ。
*******さう、つまり、度し難い存在への肉薄だ。つまり、特異点への肉薄さ。つまり、無と無限の狭間で発散しようと隙をうかがってゐる存在といふ特 異点は、それでも無理矢理収束状態に一見馴致されてゐるやうに見えるが、しかし、存在といふものはそれで済まない。つまり、狂気ともいへる情熱は如何とも し難い。それに狂気がなければ絵など描けない筈だ。つまり、《生》の存在に対してしまったんだからね。つまり、狂気のみが存在を馴致する。
――狂気か……。狂気をもってしか存在には対せないのかもしれないわね。
*******つまり、狂気をもってしか《生》の存在には対峙出来ない。つまり、狂気なくして無と無限を見渡すことは不可能だ。つまり、無と無限を見渡さ ない限り画家は一枚も絵を描けない。さうしないと存在が姿形あるものに収束しないからね。
――でも……それって狂気なのかしら? 私には人間誰しも持ってゐる業にしか思へないのよ。無と無限を見渡す不可能性へ対する人間の業。不可能なるが故に 何としても成し遂げたい渇仰。だって人間誰しも無と無限の間に存在させられてゐるのよ。あらゆる存在物が姿形を持って存在させられてゐるのよ。哀しいけれ どもね。
*******其処なんだよ。つまり、存在は存在に我慢してゐるのだらうか? 
――さうね。多分、どんな存在も存在に我慢してゐる筈よ。さうじゃなきゃ変容は生じないわ。
*******変容――。つまり、存在は常に別の何かに変容したがってゐる。つまり、君の言ふことはさういふことかい? 
――う〜ん、どうかな。例へば諸行無常と恒常不変の狭間で存在はもがき苦悩してゐる。さうとしか思へないのよ。
*******不思議なものだね。つまり、存在は諦念として諸行無常を或る意味受け入れてゐるが、つまり、それでも或る意味存在は諸行無常には我慢がなら ぬ。つまり、外的要因で存在を変容させられることを何故か忌み嫌ってゐる。しかし、人間存在がどう足掻いても此の世は諸行無常だ。つまり、これは如何とも し難い。つまり、だから、存在は渋渋ながらも諸行無常に我慢してゐる。かといって恒常不変を心から望んでゐるかといふと、つまり、望んではゐるけれども本 心ではこれまた忌み嫌ってゐるとしか思へない。つまり、現状のまま恒常不変にでもなったなら此の世の終はりでとんでもないと感じてゐる。とはいへ、存在は 恒常不変なるものにある種の憧れさへ抱いてゐる。おかしなもんだね、存在といふこの我儘極まりない《存在》は! つまり、正覚者でない限り変な慾のやうな ものを人間存在は抱いてゐるから始末に負へない。つまり、その変な慾といふものを一言でいふと不可能事を此の世で成し遂げるといふどうしやうもない高望み のことだ。
――さう、不可能事なのよ! 何をおいても不可能事が第一なのよ! 存在した以上、不可能な事にばかり目が行くのよ。どうしてかしらね……。
*******つまり、それは自由の問題と絡んでゐるんじゃないかな。
――さうね、自由の問題ね。そもそも自由が不可能事を望んでゐるのよ。自己実現できてしまふ至極簡単な自由では我慢が出来ないのね、人間といふ存在は。欲 張りね! 
*******欲張りかもしれないけれども、つまり、しかし、不可能事に目が行かない存在といふのもどうかしてゐるぜ。つまり、現状に満足してゐたならば 其処に新たなものは何も生まれやしない。つまり、ゴッホにしろブレイクにしろ等伯にしろ若冲にしろ現状に満足してゐたならばこれっぽっちも絵なんぞ描きや しないし、ましてブレイクは詩なんぞ書きやしなかった。其処には自由もへったくれもありゃしない。つまり、其処には不可能を可能にするべく悪戦苦闘の軌跡 しか残ってゐない。つまり、諸行無常に抗ふ諸行無常と言ったらよいのか、つまり、不可能への絶えざる肉薄を諸行無常といふならば、つまり、諸行無常から恒 常不変な創造物が生まれる。つまり、諸行無常なくして恒常不変は無いんじゃないかといふ気がする。
――さうね。でも其処には絶えざる諸行無常への抗ひがあるのね。ああ、難しい! 
と、ここで雪が呻いたので私は軽く微笑まざるを得なかったのであった。
*******つまり、一方で断念といふものもある。
――断念ね……。
*******つまり、断念する自由。
――断念も自由か……。
*******つまり、何かを選べば何かを断念せざるを得ない。
――さうよね。何かを選べば何かを断念せざるを得ない。
*******つまり、断念するのにも身命を賭して断念する。さうでないと時代を超越する創作など出来やしない。君は身命を賭した選択といふものをしたこ とがあるかい? 
――う〜ん、あるといへばあるし、ないといへばないとしか言へないわね。西洋哲学を専攻したのは或る意味身命を賭した選択だった筈なんだけれども、今は東 洋思想にのめり込んでゐるこのざまだわ。
*******つまり、それは学びの途中だからだよ。つまり、何かを創作するには身命を賭して別の何かを断念する外ない。例へば、それは現世利益だったり するけれどもね。そのための途中の学びは取捨選択自由さ。何を学んだって構ひやしない。君もその時期が来たならば何かを断念して何かを身命を賭して選択す る時が必ず来る筈さ。つまり、身命を賭して何かを選択しなければならないのっぴきならない時期が必ず来る。
――……。
*******つまり、君も真剣に生きてゐるからね。
――うふっ、有難う。
*******それにしても、つまり、諸行無常は如何ともし難い宿命だと思わないかい? 
――宿命ね……。
*******僕は、つまり、主体は各々《個時空》、つまり、《個時空》は渦巻いてゐるものなんだが、その《個時空》を生きてゐると考へてゐるんだが
――《個時空》? 《個時空》って何?
*******簡単にいへば、つまり、《主体場》のことさ。
――《主体場》? 
*******さう。つまり、主体が置かれてゐる此の世の時空間は流れ移ろふものだらう。
――さうね、時は流れるとか時は移ろふとか言ふものね。
*******つまり、流れあるところには必ずカルマン渦が発生する筈だと僕は看做してゐる。
――カルマン渦? カルマン渦って? 
*******つまり、カルマンといふ人が発見したんだが、つまり、自然界で発生する渦全般のことだよ。つまり、台風がその一例だね。
――川面に生じる渦のこと? 
*******さう。つまり、例へば、川の流れが大いなる時間の流れだとすると其処に生じたカルマン渦の一つ一つが主体の《個時空》と看做せる。
――カルマン渦が《個時空》? まだピンとこないわね、うふっ。
*******つまり、つまり、君も物理学の初等は解かるよね。つまり、距離が時間に、時間が距離に変換出来ることを。
――ええ、解かるわ。
*******そして、つまり、主体と距離が生じるといふことはそれは主体から見ると過去に過ぎないことも解かるよね。
――ええ、夜空の星辰が何億年もの過去の姿だといふことなら知ってゐるわ。それと同じことね。
*******さう。つまり、主体と距離が生じることは、つまり、主体が現在と見做せば外界は全て過去といふことになる。その過去の、つまり、距離の拡が り方は主体を中心とした渦時空間を形成することになる。
――主体が現在とはどういふことかしら? 
*******つまり、《個時空》またはそれは《主体場》と呼んでもいいんだが、つまり、《個時空》の中心といふことさ。つまり、主体は主体から距離が零 だから、主体は現在といふだけのことさ。
――つまり、主体から主体は距離が無いから物理学的にいってただの現在ということなのかしら? 
*******つまり、《固有時》といふ考へ方は解かるかい? 
――《固有時》? 
*******つまり、僕と君はそれぞれ違った時間の流れをする時計を持ってゐるといふ考へ方は解かるかな? 
――相対的といふことね。時間の流れは全ての主体にとって同一ではなくて各々固有の時間が流れてゐるといふ、ええっと、相対論だったかしら、アインシュタ インの相対論の考へ方ね。さうでしょ。
*******さう。つまり、時間は相対的にしか存在しない。つまり、主体各人が各々固有の時間、つまり、《固有時》を持ってゐるといふことさ。そこで、 つまり、主体は主体から距離が零だから主体各々は全て固有の現在に存在する。もっと正確にいふと、主体の現在は主体の表皮のみであって、更にいへば主体の 内部は主体の未来になる。
――主体内部は未来といふこと? 
*******さう。つまり、主体内部は主体自体から距離が負だからただ単に計算上未来といふことになる。そして、主体存在の内部に中心があるといふこと は、つまり、主体の死を暗示してゐる。つまり、存在物は内部を持つことで自らの死を内包した存在としてしか此の世に存在出来ない。つまり、この考
へ方を総じて僕は《個時空》と名付けてゐる。
――すると、あなたにとって私はあなたの過去の世界に存在してゐるといふこと? 
*******さう。君は僕にとって過去の世界に存在してゐる。しかし、君と僕との距離が相対論で見ると無視できる程に小さいのでお互ひに全く同一の現在 にゐるやうに看做せてしまふけれども、正確にいへば僕の《個時空》では君は過去に存在してゐる。
――すると、私からするとあなたは私の過去に存在してゐるといふことね。何となくだけれども、あなたのいふ《個時空》または《主体場》といふ考へ方が解 かったやうな気がするけれども、まだまだピンとこないわね、うふっ。
*******つまり、それでいいんだよ。つまり、《個時空》といふ考へ方は僕特有の考へでしかなく一般化なんかされてゐないんだもの。つまり、誰も現在 が主体の表皮でしかなく、しかも存在するといふことは未来の死を内包してしまった宿命にあるなんて考へないもの。
――さうねえ。あなた独特の考へ方ね。その《個時空》といふ考へ方は……。
と、雪が言ったので私は軽く微笑みながら頷くのであった。
…………
…………
*******そこでだ。つまり、此の世に存在してしまった以上、誰も時間を止めることは出来ず、また、時間から逃げられない。つまり、諸行無常だ。つま り、僕はこの諸行無常こそ《個時空》の宿命だと看做してゐる。
――宿命か……。
*******つまり、大いなる時の流れの上に生じた主体といふカルマン渦の《個時空》は、大いなる時の流れから見ればほんの束の間しか存在出来ない。人 間でいへば高々百年位なものだ。
――あなたの言ふ大いなる時の流れって宇宙大の悠久の時で見た時の時の流れってことかしら? 
*******さう。つまり、主体といふ《個時空》は大いなる悠久の時の流れの上に生じた小さな小さなカルマン渦に過ぎない。つまり、その生滅は主体に とっては如何ともし難い。つまり、《個時空》の考へ方からすると大いなる悠久の時の流れの上に《個時空》といふカルマン渦が生じた時点で、そのカルマン渦 の寿命は既に決定されてしまってゐるに違ひないと思ふ。つまり、僕は決定論者ではないけれども、《個時空》は必ず死滅する。
――何か虚しいわね。
*******さうだね。しかし、この虚しさは、つまり、受容する外ない。つまり、僕は宇宙すら死滅する宿命を負ってゐると看做してゐる。つまり、どんな 《個時空》も死滅するといふ宿命からは遁れられない。
――だから、死滅する宿命に抗ふやうにして存在は不可能事たる恒常不変なるものを希求するのよ。
*******さうかもしれない。しかし、つまり、《個時空》が負ふ諸行無常は如何ともし難い。つまり、断念することから何事も始まるんじゃないかな、恒 常不変も。
――また断念ね……。
*******つまり、僕は物事を単純化することは嫌ひだから単純化する気はないんだけれども、何事も按配じゃないかな、主体の自由度は。つまり、大いな る悠久の時の流れを重要視すればそれは信仰生活に近い生活になるし、カルマン渦の小さく小さく渦巻くその渦を重要視すればそれは主体絶対主義ともいふべき 何とも摩訶不思議な生活になると思ふ。
――按配なのかしらね……、人生といふものは。
*******つまり、やっぱり、其処には断念が厳然と存在する。つまり、誰しも己の存在に対して、例へば他の人生は選べないなど、断念した上で、例へば 自由などと言ってゐるに違ひない。つまり、死の受容だ。つまり、己を死すべき宿命を負った存在として己を受容する外ない。それでも人間は日一日と生き長ら へる。つまり、死すべき宿命にありながら、否、むしろ死すべき存在だから尚更日一日と精一杯生きる。つまり、ここにはある断念が厳然としてあるに違ひな い。
――諸行無常ね。人間は諸行無常を受容しつつも、それに一見抗ふやうにして生きてゐる、否、生きざるを得ない。つまり、其処に断念があるとあなたはいふの ね……。
*******つまり、断念すればこそ、人間は時代を簡単に飛び越へる、例へばこのゴッホやブレイクや等伯や若冲のやうな創作物を作り果せる存在へと変容 する。しかもそれはちゃんと諸行無常の相の上に存在してゐる。つまり、これはそれだけで凄いことだよ。
と、その時、それまで蛍光燈の周りをひらひらと舞ってゐた一匹の蛾が雪の目の前を通り過ぎ私の眼前の本棚の画集にとまったのであった。
――きゃっ、何? 
 それはやや灰色っぽい色を帯びた地味な配色の蛾であった。
――何だ、蛾じゃない……。
 私は雪がその手で蛾を追い払ふのを制止させ、暫くその蛾をじっと凝視するのであった。その蛾は地味な配色ながらも誠に誠に愛らしい姿をしてゐた。私は無 類の虫好きなので虫であれば何でも凝視せずにはゐられなかったのであった。私は虫こそ此の世の存在物の中でも傑作の部類に入る存在物として看做してゐたの である。卵、幼虫、蛹、そして成虫と完全変態を行ふ蛾は正に此の世が生んだ傑作の一つに違ひなかった。この二つの複眼で蛾の方も私を凝視してゐたに違ひな かった。さて、蛾にとって私はどんな姿をした存在物として見えてゐるのであらうか。蛍光燈の明かりの下なので、多分、渦巻く奇怪な存在物として蛾には私が 見えてゐたのかもしれなかったが、それが解かる術は全くなかったのである。蛾の複眼は自然の眼の一つに違ひなかった。吾吾が自然を見るやうに自然もまたそ の眼をかっと見開いて吾吾を凝視してゐる感覚が私は幼少時から感じられて仕方がなかったのであった。
 私は蛾の複眼をじっと凝視するのであった。
 暫くすると私はどうしても蛾に手を差し出して蛾を掌に乗せたくて仕様がなかったのでそっと手を差し出すと蛾は安心しきってゐたのか全く逃げる素振りを見 せずにすんなりと私の掌の上に乗ったのであった。
――相当の虫好きなのね、うふっ。
と、雪が微笑みながら言ったので私も軽く微笑んで頷いたのであった。
 それにしても掌の蛾は美しかった。そして、その軽さと言ったらありゃしない程、それは計算し尽くされた軽さに違ひなかった。蛾を蔽ってゐる細い小さな毛 は気持ちが良いほど繊細であった。私は掌の蛾をまじまじと暫く眺めた後は、その古本屋の戸口へ向かって歩き出し、蛾を外に放してやったのである。
――本当に虫が好きなのね、うふっ。
と、雪が言ったので私は再び軽く微笑んで頷くのであった。
 若冲も私が蛾を見たやうに鶏を初め森羅万象をまじまじとみてゐたのかもしれなかった。多分、穴の開くほど凝視してゐたに違ひない。それじゃなきゃこんな べらぼうな絵なんか描きっこない筈である。
 私は雪に「行かう」と合図を送り、眼前に拡げられたゴッホとブレイクと等伯と若冲の画集を片付け、その中でブレイクの画集をその古本屋で買ったのであっ た。
 その古本屋の戸口で待ってゐた雪の肩を私はぽんと叩くとそのまま歩を進めたのであった。
――あっ、待って、もう。
と、雪は再びその左手で私の右手首を優しくだがしっかりと握って、再び二人相並んで都会の雑踏の中へと歩き出したのであった。相変はらず柔らかい白色の光 を帯びた満月は東の空に浮かんでゐた。月の出の頃のあの毒々しい赤色はすっかりと姿を消し、満月は柔和そのものであった。
 人いきれ。学生や会社帰りの会社員等に交じって私達もまたその人波の中に紛れ込んだのであった。相変はらず雪との間には何の会話もなかったが、それはそ れで心地良いものであった。
 と、不意にまた一つ私の視界の周縁に光雲が現はれたのであった。その光雲もまた私の視界の周縁をゆっくりと時計回りに巡り、不意に私の視界の中に消えた のであった。当然ながら伏目で歩いてゐた私は不図面を上げ満月をじっと見入るのであった。白色の淡い光を放ってゐる東の空の満月は相変はらず柔和で何やら 私に微笑みかけてゐるやうであった。
 私は再び伏目となって暫くは人波の中を歩き続けたのであった。さうかうするうちに目的の喫茶店の前に着いたのであった。私は雪をその喫茶店の前に連れ出 すと徐にその喫茶店の扉を開け皆が待ってゐる店内へ歩を踏み出したのであった。

第一章完