招待席
さんゆうてい えんちょう 落語家 1839.4.1 - 1900.8.11
江戸(東京都)湯島に生まれる。 大圓朝と謳われた噺の名人で、自ら原典を工夫して創作口演した「牡丹燈籠」等は話体の文藝として完成の域にあり、近代文
学真の嚆矢である二葉亭四迷の「浮雲」の文体も、坪内逍遙の勧めで、「牡丹灯籠」を参考にしたとさえ伝えられている。 此処には、文久元年(1861)に
創作された長編「怪談牡丹燈籠」の端緒(いとぐち)二回分を掲載する。
(秦 恒平)
牡丹燈籠
三遊亭 圓朝
怪談牡丹燈籠第壱編
三遊亭圓朝演述
若林カン藏筆記
第壱回
兇漢泥酔挑争闘 けうかんでいすゐしてそうたうをいどむ
壮士憤怒醸禍本 そうしふんどしてくわほんをかもす
寛保(くわんぽう)三年の四月十一日、まだ東京(とうけい)を江戸と申しました頃、湯島天神の社にて聖徳太子の御祭礼を執行(いたし)まして、その時大
層参詣の人が出て群衆(ぐんじゆ)雑踏を極めました。茲(こゝ)に本郷三丁目に藤村屋新兵衛といふ刀剣商(かたなや)が御座いまして、その店頭(みせさ
き)には善美商品(よきしろもの)が陳列(ならべ)てある所を、通行(とほり)かゝりました一人のお侍は、年齢(としのころ)二十一二とも覚しく、膚色
(いろ)饗(あく)までも白く、眉毛秀で、目元キリヽツとして少し癇癖(かんしやく)もちと見え、鬢(びん)の毛をグーツと釣揚げて結はせ、立派なお羽織
に、結構なお袴を着け、雪駄(せつた)を穿(は)いて前に立ち、背後(うしろ)に浅黄(あさぎ)の法被(はつぴ)に梵天帯(ぼんてんおび)を結(し)め、
真鍮巻(しんちうまき)の木刀を佩(さ)したる仲間(ちうげん)が従(つきそ)ひ、此藤新(ふじしん)の店頭(みせさき)へ立寄りて腰を掛け、陳列(なら
べ)てある刀類(かたな)を通覧(ながめ)て、
侍「亭主や、其処の黒糸だか紺糸だか識別(しれ)んが、彼(あ)の黒い色の刀ネ(つか)に南蛮鉄の鍔(つば)が附いた刀は誠に善さゝうな品だナ。鳥渡
(ちよつと)御見せ。
亭主「ヘイヘイ、コリヤお茶を差上げな。今日は天神の御祭礼で大層に人が出ましたから、必然(さだめし)街道(わうらい)は塵埃(ほこり)で嘸(さぞ)
お困り遊ばしましたろう。 と刀の塵を払ひつゝ、 亭主「此品(これ)は少々装飾(こしらへ)が破損(やれ)て居りまする。
侍「成程すこし破損(やれ)て居るナ。
亭主「ヘイ中身(なかご)は随分御用ひに成りまする。ヘイ、御自佩料(おさしれう)に成されても御用(おま)に適(あ)ひまする。お鉄信(なかご)もお
刀質(しよう)も慥(たしか)にお堅牢(かたい)お品で御座いまして。 と言ひながら、 亭主「ヘイ御覧遊ばしませ。 と差出すを、侍は手に取て見ました
が、旧時(まへ)には通例(よく)御侍様が刀剣(かたな)を買収(めす)時は、刀剣商(かたなや)の店頭(みせさき)で抜刀(ひきぬい)て見て入(いら)
ツしやいましたが、あれは危険(あぶない)ことで、もしお侍が気でも狂(ちが)ひまして抜き刀(み)を振り舞はされたら、真個(ほんとう)に剣呑(けんの
ん)ではありませんか。今此お侍も真正(ほんとう)に刀剣(かたな)を鑒定(みる)お方ですから、先づ中身(なかご)の反張工合(そりぐあひ)から焼曇
(をち)の有無(ありなし)より、差表差裏(さしおもてさしうら)、ぼうし尖(さき)何や彼(か)や吟味いたしまするは、流石(さすが)に御旗下(おはた
もと)の殿様の事ゆへ、通常(なみなみ)の者とは違ひます。
侍「頓(とん)だ良応(よさそう)な物、拙者の鑒定(かんてい)する所では備前物の様に思はれるが如何(どう)ぢやナ。
亭主「ヘイ至適(よい)お鑒定(めきゝ)で入(いら)ツしやいまするナ。恐入ました。仰(おほせ)の通り私共同業(なかま)の者も天正助定(てんせうす
けさだ)であらうとの評判で御座いますが、惜哉(おしいこと)には何分無銘にて残念で御座います。
侍「御亭主や、此品(これ)は幾許価(どのくらい)するナ。
亭主「ヘイ、ありがたう存じます。お二価(かけね)は申上ませんが、只今も申します通り銘さへ御座いますれば多分の価直(ねうち)も御座いますが、無銘
の所で金拾枚で御座い升(ます)。
待「なに拾両とか、些(ちつ)と不廉(たかい)様だナ。七枚半には減価(まか)らんかへ。
亭主「どう致しまして何分夫(それ)では損が参りましてヘイ、倒々(なかなか)もちましてヘイ。 と頻(しきり)に侍と亭主と刀の価直(ねだん)の掛引
きを致して居りますと、背後(うしろ)の方(かた)で通り掛りの酔漢(よつぱらい)が、此侍の仲間(ちうげん)を捕へて、 「ヤイ何を為(し)やァがる。
と云ひながら蹌踉々々(ひよろひよろ)とよろけて撲地(はた)と臀餅(しりもち)を搗(つ)き、漸く起身(おきあがり)て額で睚(にら)み、突然(いき
なり)鉄拳(げんこつ)を振ひ丁々と打たれて、仲間は酒の科(とが)と堪忍して逆はず、大地に手を突き首(かうべ)を下げて、頻りに詫びても酔漢(よつぱ
らい)は耳にも聴(か)けず猛り狂ふて、尚も仲間を連繋居(なぐりを)るを、侍は且(と)見れば我僕(けらい)の藤助(とうすけ)だから驚きまして、酔漢
(よつぱらい)に対(むか)ひ揖(ゑしやく)をなし、
侍「何を家来めが無調法を致しましたか存じませんが、当人に成り代り私がお謝罪(わび)申上ます。何卒(なにとぞ)御勘辮を。
酔夫「ナニ此奴(こいつ)は其方の家来だと、怪しからん無礼な奴、武士の供をするなら主人の傍に小さく成て居(を)るが当然、然るに何だ天水桶から三尺
も往来へ出這(でしや)ばり、通行の妨げをして拙者(せつしや)を衝突(つきあた)らせたから、止(やむ)を得ず打擲(ちようちやく)致した。
侍「何も弁(わきま)へぬもので御座いますれば偏(ひとへ)に御勘弁を、拙者(てまへ)成り代りてお詫を申上ます。
酔夫「今此処(このところ)で拙者(てまへ)がよろけた処(とこ)をトーンと突衝(つきあたつ)たから、犬でもあるかと思へば此下郎(このげろう)めが
居(をつ)て、地べたへ膝を突かせ、見なさる通り是れ此様に衣類を泥塗(どろだらけ)に致した。無礼な奴だから打擲致したが如何(いかゞ)致した。拙者の
存分に致すから此処(こゝ)へお出しなさい。
侍「如斯(このとほ)り何も訳の解らんもの。犬同様のもので御座いますから、何卒御勘弁下されませ。
酔「コリヤ面白い。初て承(うけたま)はツた。侍が犬の供を召連れて歩行(あるく)といふ法はあるまい。犬同様のものなら拙者(てまへ)申受けて帰り、
万木鼈(まちん)でも食はして遣(や)らう。何程詫びても了簡(りやうけん)は成りません。コレ家来の無調法を主人が詫ぶるならば、大地へ両手を突き、重
々恐入たと首(かうべ)を地上(つち)に叩き着けて謝罪(わび)をするこそ然るべきに、何だ片手に刀剣(かたな)のこいぐち(=王ヘンに奉)を切て居なが
ら謝罪(わび)をする抔(など)とは侍の法にあるまひ。何だ汝(てまへ)は拙者を斬る気か。
侍「イヤ是は拙者(てまへ)が此刀屋で買収(かひとろう)と存じまして只今鉄信(なかご)を鑒(み)て居(をり)ました処へ此騒擾(このさわ)ぎに取敢
へず罷出(まかりいで)ましたので。
酔「エーイ其は買(かふ)とも買はんとも貴殿(あなた)の御勝手ぢや。 と罵るを侍は頻(しきり)にその酔狂を勧解(なだめ)て居ると、往来の人々は
「ソリヤ喧嘩だ危険(あぶない)ぞ。
「ナニ喧嘩だとエ。
「応(おゝ)サ対手(あいて)は侍だ。
「夫れは剣呑(けんのん)だナ。 と云ふを又一人が
「なんでゲスネー。
「左様サ、刀劔(かたな)を買ふとか買はないとかの間違ださうです。彼(あ)の泥酔(よつぱらつ)て居(を)る侍が初め刀劔に価(ね)を附けたが、高価
(たかく)て買はれないで居る処へ、此方(こちら)の若い侍が又其刀劔に価を附けた処から酔漢(よつぱらい)は怒り出し、自己(おれ)の買はうとしたもの
を自己(おれ)に無沙汰で価を附けたとか何んとかの間違ひらしい。 と云へば又一人が
「なにさ左様(さう)ぢやアありませんヨ。あれは犬の間違ひだアネ。自己(おれ)の家(うち)の犬に万木鼈(まちん)を喰はせたから、その代りの犬を与
(わた)せ。又た万木鼈を喰せて殺そうとかいふのですが、犬の間違ひは往時(むかし)から能くありますヨ。白井権八抔(なんど)も矢張(やつぱり)犬の喧
嘩から彼(あん)な騒動に成たのですからネー。 と云へば又傍に居る人が
「ナニサ其様(そんな)訳ぢやアない。彼(あ)の二人は叔父姪(をい)の間柄で、彼の眞赤に泥酔(よつぱらつ)て居(を)るのは叔父さんで、若い奇麗な人
が姪(をい)だそうだ。姪が叔父に小遣銭(こづかひぜに)を呉れないと云ふ処からの喧嘩だ。 と云へば、又側に居る人は
「ナーニ彼(あ)れは金着切(きんちやくきり)だ。 抔(など)と往来の人々は口に任せて種々(いろいろ)の評判を致して居る中(うち)に、一人の男が申
ますは
「彼(あ)の酔漢(よつぱらひ)は、丸山本妙寺中屋敷に住む人で元は小出(こいで)様の御家臣(ごけらい)であつたが、身持が悪く、酒色に耽(ふ)けり、
折々は抜刀抔(すつぱぬきなど)して人を恐嚇(おどか)し乱暴を働いて市中を横行(おうぎやう)し、或時は料理屋へ揚(あが)り込み、充分酒肉(さけさか
な)に腹を肥らし、勘定は本妙寺仲屋敷へ取りに来いと、横柄に喰倒し飲倒してあるく黒川孝藏と言ふ悪侍ですから、年の若い方の人は見込(みこま)れて結局
(つまり)酒でも買はせられるのでせうヨ。
「左様(さう)ですか。並大体のものなら斬て仕舞ますが、彼(あの)若い方はどうも病身の容体(やう)だから斬れまいネー。
「何あれは劔術を知らないのだらう。侍が剣術を知(しら)なければ腰抜けだ。 抔(など)と私語(さゝやく)言葉がチラチラ若き侍の耳底(みゝ)に達(は
い)るから、グツと発怒(こみあげ)癇癖に障(さは)り、満面朱を注いだる如くになり、額に青筋を顕(あらは)し、奮然(きつと)詰め寄り、
侍「是程までにお詫びを申しても御勘弁なさりませぬか。
酔漢「クドイ、見れば立派な御侍、御直参(ごじきさん)か何(いづ)れの御藩中かは知らないがお葉打枯(うちか)らした浪人と侮り失礼至極、愈(いよい
よ)勘弁がならなければどふする。 と云ひさま、かアツトと痰を彼(か)の若侍の面上(かほ)に唾(は)き付けましたゆゑ、流石に勘弁強き若侍も、今は早
や怒気一度に面(かほ)に顯はれ、
侍「汝(おのれ)下手(したで)に出れば附上(つけあが)り、益々募る罵詈(ばり)暴行、武士たるものゝ面上に痰を唾(は)き附(つけ)るとは不届な
奴、勘弁が出来なけれぼ如斯(かう)する。 といひながら今刀屋で見て居た備前物の刀ネ(つか)に手が掛るが速いか、スラリと引抜き、酔漢(よつぱらひ)
の鼻の先へ閃(ぴかツ)と出したから、傍観者(けんぶつ)は驚き慌て、弱さうな男だからまだ抜刀(ひツこぬき)は仕(しま)ひと思たに、閃々(ぴかぴか)
といツたから、ホラ抜たと木の葉の風に遇(あひ)たる如く四方八方にばらばらと散乱し、町々の木戸を閉ぢ、路次を締め切り、商店(あきんど)は皆戸を締
(しめ)る騒ぎにて街頭(まちなか)は寂寥(ひつそり)となりましたが、藤新(ふじしん)の亭主一人は逃路(にげば)を失ひ、木兎然(つくねん)として店
頭(みせさき)に端坐(すわつ)て居りました。
却説(さて)黒川孝藏は泥酔(よつぱらつ)ては居りますれども、酔者(なまよひ)本性違はずにて、彼(あ)の若侍の憤怒(けんまく)に恐怖(おそれ)を
なし、よろめきながら二十歩許(ばかり)逃逸(にげだ)すを、侍はおのれ卑怯なり。言行表裏(くちほどでもない)奴、武士が敵手(あひて)に背後(うし
ろ)を見せるとは天下の耻辱になる奴、旋(かへ)せ旋せと、雪駄穿(せつたばき)にて跡を追ひ蒐(か)ければ、孝藏は最早かなはじと思ひましてよろめ(=
足ヘンに遷)く足を踏み固(し)めて、一刀の破損ネ(やれづか)に手を掛けて此方(こなた)を振り向く処を、若侍は得たりと突進(ふみこ)みさま、エイと
一声肩先き深くプッツリと切込む。斬られて孝藏はアツト叫び片膝を突く処を進一進(のしかゝかり)、エイト左の肩より胸元へ切付けましたから、斜(はす)
に三箇(みツつ)に切(きら)れて何だか亀井戸の葛餅の様に成て仕舞ました。若侍は直(すぐ)と立派に止息(とゞめ)を刺して、血刀を振ひながら藤新の店
頭(みせさき)へ立帰りましたが、素(もと)より斬殺す了簡で御坐いましたから、些(ちつ)とも動ずる気色もなく、我(わが)下郎に対(むか)ひ、
侍「コレ藤助、其天水桶の水を此刀に注(か)けろ。 と命(いひつ)ければ、最前より戦慄(ふる)へて居りました藤助は、
藤「ヘイとんでもない事になりました。若し此事から大殿様の御名前でも出ます様の事が御坐いましては相済ません。元は皆私から始(はじまつ)た事、如何
(どう)致して宜敷(よろしう)御坐いませう。 と半分は死人の顔。
侍「イヤ左様に心配するには及ばぬ。市中を騒がす乱暴人、斬捨ても苦くない奴だ。憂慮(しんぱい)するな。 と下郎を慰めながら泰然として、呆氣(あツ
け)に取られたる藤新の亭主を呼び、
侍「コリヤ、御亭主や、此刀はこれ程切れやうとも思ひませんだつたが、中々斬れますナ。余程能(よ)く斬れる。 といへば亭主は慄へながら、
亭「否(いや)貴君様(あなたさま)の御手が冴(さへ)て居(を)るからで御坐います。
侍「否々(いやいや)、全く刃(はもの)がよい。どうぢやナ、七両貳分に負ても宜からうナ。 と言へば藤新は連累(かゝりあひ)を恐れ、「宜しう御坐い
ます。
侍「イやお前の店には決して迷惑は掛けません。兎に角此事を直ぐに自身番に届けなければならん。名刺(なふだ)を書くから一寸硯箱を貸して呉れろ。 と
云はれても、亭主は己の傍に硯箱のあるのも眼に入らず、慄へ声にて、「小僧や硯箱を持て来い。 と呼べど、家内の者は先きの騒ぎに何処(いづれ)へか逃げ
て仕まひ、一人も居りませんから、寂然(ひつそり)として応(へんじ)がなければ、
侍「御亭主、汝(おまへ)は流石に御渡世ネだけあつて此店を一寸も動かず、自若(じじやく)として御座るは感心な者だナ。
亭「否(いへ)ナニ御誉(ほ)めで恐入ります。先程から早腰が抜けて立てないので。
侍「硯箱はお前の側にあるぢやアないか。 と云はれて漸々(やうやう)心付き、硯箱を彼(かの)侍の前に差出すと、侍は硯箱の蓋を推開(おしひら)きて
筆を取り、スラスラと名前を飯島平太郎と書きをはり、自身番に届け置き、牛込の御邸へ御帰りに成りまして、此始末を、御親父(ごしんぷ)飯島平左衛門様に
御話を申上げましたれば、平左衛門様は能(よ)く切たと仰せありて、夫(それ)から直(すぐ)に御頭(おかしら)たる小林権太夫殿へ御届けに及びました
が、させる御咎めもなく、切り徳、切られ損となりました。
第貳回
閨門淫婦擅家政 けいもんにいんぷかせいをほしひまゝにす
別業佳人恋才子 べつさうにかじんさいしをしたふ
扨(さて)飯島平太郎様は、お年二十二の時きに兇漢(わるもの)を斬殺して毫(ちつと)も動ぜぬ剛氣の胆力で御座いましたれば、お加齢(としをとる)に
随ひ、ますます智恵が進みましたが、その後御親父様(ごしんぷさま)には死去(なくな)られ、平太郎様には御家督を御相続あそばし、御親父様の御名跡(ご
めうせき)を御継ぎ遊ばし、平左衛門と改名され、水道端(すゐどうばた)の三宅様と申し上げまする御旗下(おはたもと)から令室(おくさま)をお迎かへに
なりまして、程どなく御分娩(ごしゆつせう)のお女子(によし)をお露様と申し上げ、頗(すこ)ぶる御国色(ごきりやうよし)なれば、御両親は掌中(たな
そこ)の璧(たま)と愛で慈しみ、後とに御子供が出来ませず、一粒種ねの事なれば猶更に撫育(ひさう)される中(うち)、隙(ひま)ゆく烏兎(つきひ)に
関守(せきもり)なく、今年は早や嬢様は十六の春を迎へられ、お家も愈々(いよいよ)御繁昌で御座いましたが、盈(みつ)れば虧(かく)る世のならひ、令
室(おくさま)には不圖(ふと)した事が病根(もと)となり、遂に還らぬ旅路(たび)に赴かれました処、此令室(おくさま)のお属(つき)の人に、お国と
申す碑女(ぢよちう)が御座いまして嫖致(きりやう)人並に勝(すぐ)れ、殊に挙動周旋(たちゐとりまは)しに如才なければ、殿様にも独寝(ひとりね)の
閨房(ねや)淋しき処(とこ)から早晩(いつか)此お国にお手がつきお国は終(とうとう)御妾となり済(すま)しましたが、令室(おくさま)のない家(う
ち)のお妾なればお権勢(はぶり)も至極(ずんど)宜しい。然るにお嬢さまは此国を憎く思ひ、互に軋礫(すれずれ)になり、国々と呼び附けますると、お国
は又お嬢様に呼捨にさるるを厭に思ひ、お嬢様の事を悪(あし)きやう殿様に彼是と讒訴(つげぐち)をするので、嬢様と国との間(あひ)だ何んとなく和合
(おちつ)かず、然(さ)れば飯島様もこれを面倒な事に思ひまして柳島辺に或荘(れう)を購(か)ひ、嬢様にお米と申す女中を属(つ)けて、此荘(れう)
に別居させて置きましたが、抑(そも)飯島様の失策(あやまり)にて、是より御家の覆没(わるく)なる初めで御座います。
さて当年(そのとし)も暮れ、明れば嬢様は十七歳にお成(なり)あそばしました。茲(こゝ)に兼て飯島様へお出入のお医者に山本志丈と申す者が御座いま
す。此人一体は古方家(こはうか)ではありますれど、実はお幇間(たいこ)医者のお饒舌(しやべり)で、諸人救助(たすけ)のために匙を手に取らないと云
ふ人物で御座いますれば、通常(たいがい)の御医者なれば、一寸(ちよつと)紙入の中にもお丸薬か散薬(こぐすり)でも這入(はいつ)て居ますが、此志丈
の紙入の中には手品の種や百眼(ひやくまなこ)抔(など)が入れてある位なもので御座います。却説(さて)此医者の知己(ちかづき)で、根津の清水谷(し
みづだに)に田畑(でんばた)や貸長屋を持ち、その収納(あがり)で生計(くらし)を営(たて)て居る浪人の、萩原新三郎と申します者が有りまして、天資
(むまれつき)美男で、年は二十一歳なれども未だ妻をも娶(めと)らず、独身(ひとりみ)で消光(くら)す鰥(やもめ)に似ず、極鬱氣(ごくうちき)で御
座いますから、外出(そとで)も致さず閉居(とぢこも)り、鬱々と書見のみして居ります処へ、或日志丈が尋ねて参り、
志丈「今日は天気も宜しければ亀井戸の臥龍梅(ぐわりようばい)へ出掛け、その帰るさに僕の知己(ちかづき)飯島平左衛門の別荘へ立寄(たちより)ませ
う。イエサ君は一体鬱気(うちき)で御座(いらつ)しやるから婦女子にお掛念(こゝろがけ)なさいませんが、男子に取ては婦女子位楽(たのしみ)な者はな
いので、今申した飯島の別荘には婦人計(ばかり)で、夫(それ)は夫は余程別嬪(べつぴん)な嬢様に親切な忠義の女中と只二人ぎりですから、戯談(じやう
だん)でも申して来ませう。真個(ほんとう)に嬢様の別嬪を見る丈でも結構な位で、梅もよろしいが動きもしない口もきゝません。然(さ)れども婦人は口も
きくしサ動きもします。僕抔(など)は多淫(すけべい)の性(たち)だから余程女の方は宜敷(よろし)い。マア兎も角も来たまへ。 と誘(さそひ)出しま
して、二人打連れ臥龍梅へまゐり、帰路に飯島の別荘へ立寄り、
志丈「御免下さい。誠にお久濶(しばらく)。 と言ふ声聞き付け、
お米「誰何(どなた)さま、オヤ、よく入来(いらつしや)いました。
志丈「是はお米(よね)さん、其後(こののち)は遂にない存外の御無沙汰を致しました。嬢様にはお替りもなく、夫れは夫れは頂上々々、牛込から此処へ御
引き移りになりましてからは、何分にも遠方故、存じながら御無沙汰に成りまして誠に相済みません。
米「マー貴君(あなた)が久敷(ひさしく)御見えなさいませんから如何(どう)成すツたかと思て、毎度お噂を申して居(をり)ました。今日は那辺(どち
ら)へ。
志丈「今日は臥龍梅へ観梅(うめみ)に出掛ましたが、梅見れば方図(はうづ)がないといふ譬(たとへ)の通り、未(ま)だ厭(あき)たらず、御庭中(ご
ていちう)の梅花を拝見いたしたく参りました。
米「夫れは能(よ)く入(いらつ)しやいました。マア何卒(どうぞ)此方へお這入(はいり)あそばせ。 と庭の切戸を開き呉るれば、「然らば御免。 と
庭口へ通ると、お米は如才なく、
米「マア一服召(めし)あがりませ。今日は能く入(いらつ)しやつて下さいました。平日(ふだん)は妾(わたくし)と嬢様ばかりですから、淋(さむ)し
くツて困て居る所、誠に難有う御座います。
志丈「結搆な御住居(おすまゐ)でげすナ。さて萩原氏(うぢ)、今日君の御名吟は恐入ましたナ。何とか申ましたナ。エーと『烟草(たばこ)には燧火(す
りび)のむまし梅の中』とは感服々々。僕抔(など)の様な横着ものは出る句も矢張横着で『梅ほめて紛(まぎ)らかしけり門違ひ』かネ。君の様に書見計(ば
かり)して鬱々としてはいけませんヨ。先(さつ)きの残酒が此処にあるから一杯あがれヨ。何んですネ。厭です。それでは独(ひとり)で頂戴致します。 と
瓢箪を取出す所へお米出て来(きた)り、
米「どうも誠に久濶(しばら)く。
志丈「今日は嬢様に拝顔を得たく参りました。此処に居るは僕が極(ごく)の親友です。今日はお土産も何にも持参致しません。エヘヘ難有う御座います。是
は恐入ます。御菓子を、羊羹結搆、萩原君召上れヨ。 とお米が茶へ湯をさしに往(いつ)たあとを見おくり、「此処のうちは女ふたりぎりで、菓子抔(など)
は諸方(はうばう)から貰ても、喰ひ切れずに堆積(つみあ)げて置くものだから、皆(みんな)黴(かび)を生(はや)かして捨る位のものですから喫(く
ツ)てやるのが却(かへツ)て深切(しんせつ)ですから召上れヨ。実に此家(このうち)のお嬢様は天下にない美人です。今に出て入(いらつ)しやるから御
覧なさい。 とお饒舌(しやべり)をして居る処へ対(むか)ふの四畳半の小座敷から、飯島のお嬢さまお露様が人珍らしいから、障子の隙間より此方(こち
ら)を覗(のぞい)て見ると、志丈の傍に端坐(すわツ)て居るのは例の美男萩原新三郎にて、男ぶりと云ひ人品(ひとがら)といひ、花の顔(かんばせ)月の
眉、女子(をなご)にして見ま欲しき優男(やさをとこ)だから、ゾツと身に染(し)み如何(どう)した風の吹廻しで彼様(あんな)奇麗な殿御が此処へ来た
のかと思ふと、カツと逆上(のぼせ)て耳朶(みゝたぼ)が火の如くカツと潮紅(まツか)になり、何となく間が悪くなりたれば、礑(はた)と障子を閉切り、
裡(うち)へ這入たが、障子の内では男の顔が見られないから、又密(そつ)と障子を明て庭の梅花(うめのはな)を眺める態(ふり)をしながら、チヨイチヨ
イと萩原の顔を見て又恥しくなり、障子の内へ這入るかと思へば又出て来る。出たり引込んだり引込んだり出たり、モヂモヂして居るのを志丈は発見(みつ)
け、
志丈「萩原君、君を嬢様が先刻(さツき)から熟々(しげしげ)と視て居りますヨ。梅の花を見る態(ふり)をして居ても、眼の球は全(まる)で此方(こち
ら)を見て居るヨ。今日は頓(とん)と君に蹴られたネ。 と言ながらお嬢様の方を顧(み)て「アレ又引込だ。アラ又出た。引込んだり出たり、出たり引込ん
だり、宛(まる)で鵜の水呑水呑(みづのみみづのみ)。 と噪(さわ)ぎ動揺(どよめ)いて居る処へ下女のお米出来(いできた)り「嬢様から一献(いつこ
ん)申し上げますが何も御座いません。真(ほん)の田舎料理で御座いますが、御緩(ごゆる)りと召上り相替らず貴所(あなた)のお諧謔(じやうだん)を伺
ひ度(たい)と被仰(おツしや)います。 と酒肴(さけさかな)を出だせば、
志丈「ドウモ恐入ましたナ。ヘイ是はお吸物誠に有難う御座います。先刻(さツき)から冷酒(れいし)は持参致して居りまするが、お燗酒(かんし)は又格
別、有難う御座います。何卒(どうぞ)嬢様にも入ッしやる様に今日は梅ぢやアない。実はお嬢様を、イヤナニ。
米「ホゝゝゝ只今左様申し上げましたが、御同伴(つれ)の御人(おかた)は御存じがないものですから間が悪いと被仰(おツしや)いますから、夫(それ)
ならお止(やめ)遊ばせと申し上げた処ろが、夫(それ)でも往(いツ)て見たいと被仰(おツしや)いますノ。
志丈「イヤ、此人(これ)は僕の真の知己(ちかづき)にて、竹馬(ちくば)の友と申しても宜しい位なもので、御遠慮には及びませぬ。何卒(どうぞ)一寸
嬢様に御目に掛り度(たく)ツて参りました。 と言ヘば、お米は頓(やが)て嬢様を伴(ともな)ひ来る。嬢様のお露様は恥かし気にお米の背後(うしろ)に
座ツて、口の中(うち)にて「志丈さん入ツしやいまし。 と云(いふ)たぎりで、お米が此方(こちら)へ来れば此方へ来り、彼方(あちら)へ行けば彼方へ
行き、始終女中の背後(うしろ)に計(ばか)り附着(くツつい)て居る。
志丈「存じながら御無沙汰に相成(あひなり)まして、何時(いつ)も御無事で、此人は僕の知己(ちかづき)にて萩原新三郎と申します独身者(ひとりも
の)で御座いますが、御近眤(おちかづき)の為め一寸お盃を頂戴いたさせませう。オヤ何だかこれでは御婚礼の三々九度(さかづき)の様で御座います。 と
少しも間断(だれま)なく幇助(とりま)きますと、嬢様は恥かしいが又嬉しく、萩原新三郎を横目にヂロヂロ見ない態(ふり)をしながら視て居りますと、気
があれば目も口程に物をいふと云ふ譬(たとへ)の通り、新三郎もお嬢様の艶容(やさすがた)に見惚れ、魂も天外に飛ぶ計(ばか)りです。
さうかうする間(うち)に夕景になり、燈明(あかり)がチラチラ点(つ)く時刻となりましたけれども、新三郎は一向に帰らうと云はないから、
志丈「大層に長座を致しました。サ御暇(おいとま)を致しませう。
米「なんですネ一志丈さん、貴所(あなた)は御同伴(おつれ)様もありますからマアよいぢやアありませんか、お泊(とまり)なさいナ。
新三「僕は宜しう御座います。泊(とまつ)て参(まゐつ)ても宜(よろ)しう御座います。
志丈「夫(それ)ぢやア僕一人憎まれ者になるのだ。併(しか)し又斯様(かやう)な時は憎まれるのが却(かへつ)て深切に成るかも知れない。今日は先づ
是までとしておさらばおさらば。
新三「鳥渡(ちよつと)便所を拝借致したう御座います。
米「サア此方(こちら)へ入(いら)ツしやいませ。 と先に立て案内を致し、廊下伝ひに参り「此処が嬢様のお室(へや)で御座いますから、マアお這入
(はいり)遊ばして一服召上ツて入ツしやいまし。 新三郎は「難有う御座います。と云ひながら便場(ようば)へ這入ました。
米「お嬢様へ、彼(あの)お方が、出て入ツしやツたらばお冷水(ひや)を灌(かけ)てお上げ遊ばせ。お手拭は此処に御座います。 と新しい手拭を嬢様に
渡し置き、お米は此方(こちら)へ帰りながら、お嬢様が彼(あゝ)いふお方に水を灌(かけ)て上げたならば嘸(さぞ)お嬉しからう。彼(あ)のお方は余程
御意(ぎよい)に適(かなつ)た容子(やうす)。と独言をいひながら元の座敷へ帰りましたが、忠義も度を外(はず)すと却(かへつ)て不忠に陥(おち)
て、お米は決して主人に猥褻(みだら)な事をさせる積(つもり)ではないが、何時も嬢様は別にお楽みもなく、鬱(ふさ)いで計(ばか)り入ツしやるから、
斯(かう)いふ串戯(じやうだん)でもしたら少しはお気晴しになるだらうと思ひ、主人の為めを思つてしたので。
さて萩原は便所から出て参りますと、嬢様は恥かしいのが満胸(いつぱい)で只茫然(ぼんやり)としてお冷水(ひや)を灌(か)けませうとも何とも云は
ず、湯桶を両手に支(さゝ)へて居るを、新三郎は見て取り、
新三「是は恐入ます。憚(はゞか)りさま。 と両手を差伸べれば、お嬢様は恥かしいのが満胸(いつぱい)なれば、目も暗み、見当違ひの所へ水を灌(か
け)て居りますから、新三郎の手も彼方此方(あちらこちら)と追駆けて漸々(やうやう)手を洗ひ、嬢様が手拭をと差出(さしいだ)してもモヂモヂして居る
間(うち)、新三郎も此お嬢は真に美麗(うつくし)いものと思ひ詰めながら、ズツと手を出し手拭を取らうとすると、まだモヂモヂして居て放さないから、新
三郎も手拭の上から恐怖(こわごわ)ながらその手をジツと握りましたが、此手を握るのは誠に愛情の深いもので御座います。お嬢様は手を握られ赧顔(まつ
か)に成て、又その手を握り返して居る。此方(こちら)は山本志丈が新三郎が便所へ行き、余り手間取るを訝(いぶか)り
志丈「新三郎君は何処へ行かれました。サア帰(かへり)ませう。 と急(せ)き立てればお米は誤魔化し、
米「貴所(あなた)なんですネー。オや貴所のお頭顱(つむり)は閃々(ぴかぴか)赫燿(ひか)ツて参りましたヨ。
志丈「ナニサ夫(それ)は燈火(あかり)で見るから輝(ひか)るのですハネ、萩原氏(うぢ)萩原氏。 と呼立(よびたつ)れば、
米「なんですネー。宜(よう)御座いますヨー。貴所(あなた)はお嬢様のお気質(きだて)も御存じではありませんか。お貞操(かたい)から仔細はありま
せんヨ。 といふて居りまする処へ新三郎が漸々(やうやう)出(でて)来ましたから、
志丈「君那辺(どちら)に居ました。誘(いざ)帰りませう。左様なれば御暇(いとま)申します。今日は種々(いろいろ)御馳走に相成りました。難有う御
座います。
米「左様なら、今日ハマア誠にお匆々(そうそう)さま。左様なら。 と志丈新三郎の両人は打連れ立ちて還りましたが、還る時にお嬢様が新三郎に「貴君
(あなた)再(ま)た来て下さらなければ妾(わたくし)は死(しん)で仕舞ひますヨ。 と無量の情を含んで言はれた言葉が、新三郎の耳に残り、造次(しば
し)も忘れる暇はありませなんだ。
──以下・続く──