「e-文藝館=湖(umi)」 論説 招待席

たかい ゆういち  作家 元日本文藝家協会理事長 
おおえ けんざぶろう  作家 ノーベル文学賞

掲載の論説は、東京新聞一九九九年平成十一年六月二十五日金曜日夕刊に出た新聞記事。書き手も読み手も、永く記憶すべきものと考え、「招待」させてもら う。 以下 は「聞き手・抄録 中村信也さん」の前書き。
 「作家・柳美里さんのデビュー小説「石に泳ぐ魚」(「新潮」一九九四年九月号)で登場人物のモデルとされた友人の女性が訴えていた訴訟で、東京地裁は二 十二日、プライバシー侵害を理由に日本で初めて小説作品の出版を禁じる判決を出した。今回の判決は表現の自由とプライバシー保護の間を調整する明確な基準 を示さずに、作家の良識と書かれる側への深い配慮を求める内容になっている。この判決から作家は何をくみ取ればよいのか。この訴訟のために陳述書を裁判所 に提出していた作家の高井有一さんに聞いた。また、作家の大江健三郎さんが提出していた陳述書の抄録を掲載し、一つの事例として、モデルとなる実在の人物 を 傷つけないために、大江さんがどのようにして書いてきたかを紹介する。「聞き手・中村信也」
 同紙面に大江健三郎氏の「感想」と題された陳述書の「抄録」には、以下の附記がある。「この『感想』と題された陳述書は、筆者の大江健三郎さんの許諾を 得て抄録の形で掲載しました。分量は全体の約半分です。登場人物のモデルとされた女性の名は、原文では本人のイニシャルで表記されていましたが、抄録では Aさんとしま した。」 さらにこの特集には編集部による「なぜ歩み寄れなかったか 裁判経過」という記事が添っているが、判決以降その後の経過等には当然触れ得ていな いので、ここでは割愛に及ぶとする。
 ちなみに同じこの問題には私も請われて関西と関東の両「産経新聞」に一文を寄せていた。併せて掲示させていただく。2011.8.22  (秦 恒平) 



インタビュー 高井有一さんに聞く

『石に泳ぐ魚』プライバシー訴訟


 表現は作家の要求に深く根ざしたもの
 簡単には妥協てせきぬ



 ──判決の感想は。

 一番不幸な結果となってしまったと思います。法廷で争えば、プライバシーの侵害か、表現の自由か、という二項対立になり、おそらく、どちらかを退けざる を得ません。どれだけ作者の意図が誠実で自分にとって必然性があるか、藝術作品として完成されているか──について、法廷で論じるのは難しいでしょう。こ の判決で、優れた文学作品が葬り去られてしまうのは大変残念です。

 
──自身でプライバシー問題にぶつかったことは。

 小説ではなく、事実に基づく評伝ですが、作家の立原正秋さんが死んだ後で書いた『立原正秋』(新潮社)は、立原さんが生涯隠してきた事実を暴いていま す。ご遺族から抗議を受けることを当然、考えざるを得ませんでした。あえて書いたのは、僕が立原さんに長いこと兄事し、敬愛の念をもち、魅力のある人物と 思っており、そこから生まれる表現が、悪意とは読まれないであろうと、自分なりに信じられたからです。抗議があれば受けて立つより仕方がないと思い、事前 に原稿を見せることはしませんでした。そのまま発表できたのは、僕の書いたものの趣旨が伝わったと同時に、ご遺族が忍耐されたという一面もあったと思いま す。

 
──柳さんは「この判決で、私小説はすべて訴えられて 敗訴する可能性がある」と主張しましたが。

 私小説だけでなく、小説の芯(し ん)には、モデルというか、面影を借りた人
や輪郭を借 りた事件が、当然あります。作品でプライバシーを侵害され、痛みを感じたと言われればそれまでです。この判決が、作者の筆を内面的に制約する可能性はあ る。僕は言論表現の自由を表面的に振り回した勝手な行為には、メディアだろうが作家だろうが同様に違和感をもちます。興味本位や売らんかなという姿勢を、 言論表現の自由に安易に結びつけて主張するのを支持しません。しかし、作家は世の常識に反してでも表現しなけれ
ばいけないという欲求をもつものです。

 
──大江さんは柳さんに何度でも書き直すことを勧めて いますが。

 修正は、ものを書く人間に果たして可能なのかどうか、やるべきかどうなのか、ということには随分、疑問をもちます。大江さんの場合は息子さんにかかわる ことがらについて最も良いと思われる解決方法を選ばれたのでしょう。
 モデルに了解を求めるのは、よほど注意深くないと、許される範囲内で書くという妥協になりかねません。それなら、むしろ書かない方がいいというのが僕の 考えだが、そうすると全面的に封じられる。表現の自由は作家の内心の欲求に深く根ざしたものなので、簡単に妥協できるものではありません。

 
──もの書きはリスクを背負っているわけですね。

 そうです。作家は危険な職業です。表現は本来、獨を含んでいる部分があります。文学は社会常識上の配慮 とぶつかることもある危険なものである、ということが今、忘れられている気がします。どんな場合に常識を侵すことが作家として許されるのか否かは基準がな く、一編一編で判断するしかないでしょう。人の痛みは多様ですから、善意で称揚したつもりでも不快に感じられてしまうことすらあるはずです。

 ──時代の変化も判決に影響していますね。

 アウトローという青葉がありますが、昔の私小説作家は、社会から脱落してしまうことで表現の自由を獲得しているという一面がありました。戦後とくに高度 成長以後は、作家はある種の社会的名士になってしまい、それによって新たに負わされた義務には、プラスマイナス両面ある。藝能にも文学にも、そういう矛盾 が本来あると思います。   (聞き手・中村信也)


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    感想   大江健三郎



 (前略)
 ……作品「石に泳ぐ魚」が、Aさんを傷つけ苦しみをあたえた時、柳さんは、自分の作品が、Aさんの不幸への直視、その乗り越えを表現するにあたって、ま ちがっていた、よく把握しえていなかった、ということを率直に認めねばならなかったと、私はおなじ作家として考えます。そこで、私ならどうするか? この 「石に泳ぐ魚」の完成稿を棄てて、もう一度、あるいはさらに書きなおすでしょう。
 その時、最初の、柳さんが現実の世界の体験でえた大切なイメージ、主題、つまり不幸を直視して乗り越える、という人間的な思想は、充分に表現され、しか も小説の世界の人間でない、この社会に生身で実在しているAさんを傷つけ苦しませるようなデテイルは決して必要でなくなっていることを、実力ある作家、柳 美里さんはさとっていたはずです。
 ところが柳さんは、もうひとつの引用によれば、<つまり何事に対しても、目を逸らさず、あるがままの自分と他者を正面からきちんと受け止めるこ と、それこそが私が在日韓国人として回避してきたことだった>といって、<私が彼女の顔について触れないことは、彼女を心の何処かで拒絶して いるのではないかという感覚、見て見ないふりをすることは相手を無視することであり、もし真の友人ならば決してしてはならない)と考えて、Aさんの顔の腫 瘍について書いた、といっています。
 柳さんがウソをついている、とは私は思いません。
しかし、いったんそのまま小説に書き、それがAさんを 傷つけ苦しめていると本人から告げられた以上、柳さんはその小説をあらためてもう一度、はっきり読みなおすべきではなかったでしょうか? それこそが、つまり何事に対しても、目を逸らさず、あるがままの自分と他者を正面からきちんと受けとめるこ と、ではなかったでしょうか?
 そして、それは苦しいことですが、作家としてもう一度自分の作品を書きなおしてみれば、あるいはさらに書きなおしてゆけば、本当の自己表現であり、かつ真の友人としての小説が書きあげられたはずです。それを私は、自分の家庭の障害 児を主題に、家庭内の
様ざまな批判を聞きつづけ、書きなおしつづけて、自分として本当に書きた
い仕事をつくることができた、こ の三十年の経験にたっていうのです。
 (中略)
 私は現実生活によってえた大切な主題を、文学の世界に再創造することを続けてきた作家のひとりとして、あえていえば先輩として、確実に才能のある若い作 家、柳美里さんに、「石に泳ぐ魚」を幾度でも書きなおして、この
現実社会にそれで傷つき苦しめられる人間 をつくらず、そのかわりに文学的幸福をあじわう多くの読者とあなた自身を確保されることを、心から期待しています。(以下略)  一九九六・七・十一
            
 付記
 一、右の文章で、私が書きなおすことの必要を申したのは、現実世界 の経験でえたものの内面化、文学化に、そ
の手続ききがつねに必要である、自分はそれをやってきた、という こ とに根ざしています。したがって、それは御都合主義の部分的変更を意味するもので
はないことがもとよりです。昨今の、差別用語の置きかえの慣行とはまったく別のものです。
 私の場合、光──
私の障害を持つ長男──の生活とそこにあらわれる内面を描く時、家内と娘という、光の側に立つ批判者の意見を幾度も聞いて、書きなお し、彼女らの積極的な賛成があるまで発表しません。たとえば、わたしのこれまでの最終の作品『燃えあがる緑の木』の第三部からは、光をめぐっての約百ペー ジが取り除かれて、私の書類ケースにしまわれたままです。それは彼女たちの賛成がえられなかったからで す。しかも私はそれが、言論の自由や芸術の自立の抑圧だとは思いません。私はいつかその百ページをさらに内面化、文学化して、妻たちと光にとって積極的な 意味のあるものに作りなおしえる、と信じているのです。それはもとより、私自身を現在の自分との連続性において作りかえることです。 (以下略)

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作者は、覚悟を決めよ 
       私 小説とプライバシー         
          産経新聞 平成十一年七月一日 木

創作とは血のにお いの確信犯
    柳美里さん出版差し止め判決をめぐって  
    産経新聞 平成十一年七月三日 土 

       秦 恒平


 三十年、書きたい小説だけを、書きたいように書いてきた。
 「書きたい」には動機がかかわり、「書きたいよう」には方法がかかわる。動機と方法とを、どれほどの文体と表現が支えるかで、作品が決まる。作の優れて いるかどうかが、決まる。扱う材料で決まるのではない。「小説」ほど、どんな材料でも受け入れるジャンルは珍しく、だから『モンテクリスト伯』も『新生』 も『城の崎にて』も『吾輩は猫である』も『変身』もありうる。問題になった柳美里の「石に泳ぐ魚」もありうる。柳作品がプライバシー侵害の判決を受けたこ とと、この小脱が、作者の動機と力量とで高い評価をうける作品に成ったこととは、明白に、別ごとである。動機と方法が強い力で作者に把握され、その成果で ある「表現」つまり作品が優れた結晶を遂げたことと、今度の裁判の結果とは、同じ次元にはない。短絡は避けたい。

 司法判断への一般論

 判決が示した判断は、私もふくめて、たぶん大半の市民や小説好きに支持されていると思う。電子メールで連絡の取れた友人たちで、判決の趣旨を支持しな かった者はただ一人もいなかった。ただし柳さんの小説を読んでいた人も一人もいなかったから、それらの意見は「一般論」になっている。私も同じだと断って おきたい。読者には読みたい小説を読む自由があり、世の中に、読まねばならない小説など一編もない。作者は、それを承知のうえで骨身を削って創作してい る。私小説であろうとなかろうと、小説を書くとは、ものを創るとは、そういう「覚悟」に支えられてでなければ出来ない。でたらめに出来るものを文学とはだ れも呼んでこなかった。
 柳作品だけの「特異例」であると、なんとか小さく囲い込もうとするのも違うだろう。一人の書き手としてこれを思うとき、問題は、そうは小さくない。

 汚辱の涙に満ちて

 日本ペンクラブの言論表現委員をほぼ十年つとめているが、その間に、読者・関係者からの苦情に背を衝かれ、支援を願い出てきた著者が何人かいた。それぞ れに対応したが、私の判断は、いつも、同業の作者支援より、被害の苦痛・苦情を現に持った側に傾けた。
 文学だから人を傷つけてもいいという道理は、どこにも無い。近代日本の文学史は、島崎藤村の頃からとみても、「書かれた」側の流した苦痛と汚辱の血と涙 に 満ちあふれている。そのけわしい不幸な事実と、そんな加害を敢えてしたとしか謂いようのない作品に名作、傑作、秀作も数多かったという事実とを、じつに悩 ましく、われわれは今思い出しているのではなかろうか。
 「ありもしないこと」を書いても傷つけ、「ありのまま」を書いても傷つける。「その人と分からぬように工夫すればいい」という意見はもっともで、聴かね ばならないが、文学の「動機」の深さは、そんな工夫で片づかない一面をもつ。小説が字義どおり「表現」であるということは、根底に「暴露」「直視」「剔 刔」の批評性ももっているのである。それとても悪や愚劣への非難からでなく、人の噂を楽しまずにいられなかった清少納言いらい昨今の「サッチー騒ぎ」に至 るまで、日本人は、「噂」と「ほんとのこと」つまり浅い事実の詮索に耽溺するのが、大好きという性癖もかかえている。「私小説」繁栄のそれが土壌であった のは疑いなく、一般に日本の小説がそういう難儀な素質を、よほど深いところに孕んでいる藝術であることは否定できない。
 えらそうなことを言ったが、現に私自身の表現により、傷ついた人は大勢いたにちがいない。重々配慮したとも言え、配慮そのものを敢えて排した時もある。 すべて「書かれた」人たちがじっと怺えてくれ、直接苦情を言ってこなかっただけで、噂では離婚にいたったかと耳にしている例もある。いたたまれず、真実つ らい。

 必要ない自己規制

 では、もう、書かないか。私は、書くべく命をうけてきた。おおよそ真面目な作家はそうであろうと思う。裁判の判決は判決として私は進んで支持したい。し かし私は書きたいことを、書きたいように書かずにはいないだろう。ものを書く者が動機と方法を殺し、表現を殺すことは出来ないし、そのような自己規制はす べきでない。人は傷つけてはいけない。傷つければ今回のような判決が待っており、その方向は、より厳しく広く重く拡大されて、創作者の前に、厚い高い当然 の壁になる。不当に傷ついた人は、ためらわず抗議すべきである。しかし作者に必要なのは、自己規制ではない。罰せられても「そう書く」かの覚悟であり、覚 悟のない者は去るしかない。どのように文学の方法か変わって行こうとも、人間と社会とを書くかぎりこの問題は色を変え形を変え、必ずついてくる。言えるの は「作者は、覚悟を決めよ」という自覚しかあるまい。
 この「書く覚悟」と、敬愛や慈心をでたらめに欠いた「暴露」「歪曲」の許されぬ罪とは、別ごとである。まったく別ごとである。藤村の名作『新生』は訴え られれば「石に泳ぐ魚」の比ではないだろう。しかし、現代や未来の藤村に対し「書くな」と言う気は無い。私自身に対しても無い。ぜひ必要と信じるなら「覚 悟」を決めて書くしかない。
 創作とは、えたい知れぬ「何か」へ向けた、血のにおいの「確信犯」なのである。きれいごとでは、ない。 (はた・こうへい)