「e-文藝館=湖(umi)」 詞 華集

おおおか まこと 詩人 第11代会長 1931.2.16 - 昭和六年 静岡県三島市に生まれる。朝日賞。この詩作は1984年12月季刊「へるめす」創刊号に初出、以後『ぬばたまの夜、天の掃除器せまってくる』岩 波書店に収録。




巻の四 
原子力潜水艦「ヲナガザメ」の性的な航海と自殺の唄


大岡 信



はじめは何の変哲もない
晴れわたつた四月なかばの火曜の朝だ
ボストンに近い海軍基地を
見送る家族の一人もなしに
静かに離れて旅に出る

  「グッド・ラック パパ
  海ノソコデクラシテクルノネ
  オネガヒダヨ トツテキテネ
  ユウレイセンノ ユウレイ タクサン
  チヤウチンアンカウノ フクロニクルンデ
  イイカイ パパ」

  「オーケイ チャーリー
  三月(みつき)たつたら 一インチ
  伸びてるんだぞ」

はじめは何の変哲もない
海の輝き
ちびどもの頬の輝き
十字架形の司令塔の輝き
SS(N)593
「ヲナガザメ」の胴の輝き

希望は帰投に
帰投は機構にかかつてゐるが
機構は希望に関与しない
いまはただ
「ヲナガザメ」は沈むのみ

手はじめに浅く
たんねんに海面を掘る
海の穴はたちまちふさがり
また開き
「ヲナガザメ」を興奮させる
海は光り
光は濡れ
「ヲナガザメ」は濡れて
海と接触をくりかへす

かれこそは
合衆国の性の亀頭
大陸棚から深海へむけて
強者だけが知る未知の恐怖の暗闇を
防禦本能の探照灯で照らしつつゆく
地獄の灯台

「ヲナガザメ」は
陸地に接することもなく
十万キロを航行する孤独な牡だ
かれは持つ、数千の精巧な耳を
胴体にひらく敏感な吸盤の類は
雑音の形態をたちどころに分析し
敵の形態に鋭敏に吸ひつく

かれは敵を求めつつ
敵との出会ひに恐怖する
発情期の牡だ
原子破壊のエネルギーが
かれの孤独な興奮を持続させ
限りない渇きをかきたて
海の神秘な膚の奥へ
しゃにむに突き進ませる

  海よ おお海
  身をひらくやはらかい牝のからだよ
  水底(みなそこ)に生ふる玉藻よ
  ぬばたまの夜霧ごもりに
  うちなびき 寄り寝してくれ
  おれの利(と)ごころ失せるまで
    おれの利ごころ失せるまで

ああ かくて
虫とり草のチロチロ揺れる舌が
大西洋の全海底で
いつせいにそよいでゐるのに
孤独な牡の「ヲナガザメ」は
揺りかごの赤ん坊の快さで
うつとりと揺すられて進む
虫とり草の舌の上へ

ふたたびは
太陽光を見ることのない
恍惚の瞬間めざして

   一九××年四月、ボストン沖合三百二十数キロ地点で沈没した原
   子力潜水艦「ヲナガザメ」の遭難について調査中の米海軍査問委
   員会は、護衛艦「ヒバリ」号の航海士ワトソン中尉の次のやうな
   証言を明らかにした。
   《午前九時十七分数秒すぎ、押しつぶしたやうなにぶい音響が聞
   こえた。その五分前、 「ヲナガザメ」は無電で「上ゲカヂとつて
      浮上の用意」と伝へてきた。 「ヒバリ」は水中電話によつて「付
      近海上船影なし、浮上オーケイ」と答へた。一分後、 「ヒバリ」
      は「サメ」に進路・方向、本艦との距離を問うたが、応答がなか
   つた。その後四回、「ヒバリ」艦長はマイクロフォンで、「大丈夫
   か」と呼びかけたが、応答はなかつた。さらに二分たつたとき、
   やっと「サメ」から連絡がきたが、聴取きはめて困難、わづかに
   「試験深度」の二語を聞きとれたのみ。その二語の前に二、三の
   単語があつたやうだ。つづいて耳は、かつて第二次大戦中に、船
   が魚雷で吹つとばされたあのときの震動と同じ響きを感じた。重
   苦しい、ドスンといふ音がした。
   「試験深度」といふ二語の前の、明瞭には聞きとれなかつた単語
   について、もしあへて言へと命令されるなら、それはたぶん、
   エクシーデイング
   「乗越えて」といふ語だつたと思ふ。しかし相手の口調は平静、
   あわてた様子はまつたくなかつた。それがふしぎに思はれる。
   「サメ」失跡は意図的に実行されたものではないかと、ふと想像
   して、あわてて打消すのであります》
   「ヲナガザメ」の沈没と全員死亡は、同艦のコルク片や白と黄色
   の手袋類の発見によつて確認された。沈没したと推定される海域
   は、水深二千五百メートル。海底に沈んだ場合、船体は水圧に抗
   しきれず、ペシヤンコになる。艦の原子炉部分は、あたかも大量
   の放射性物質を、潜水艦といふ容器に入れて深海に投棄したのと
   同じ状況になるわけだが、たとへ炉心部に核爆発が起きなかつた
   としても、その鋼鉄の隔壁は、寿命せいぜい二、三十年、徐々に腐
   つてしまふだらう。

百二十九人の死者たち
きみらは知つてゐたか
水は鋼鉄よりも暗くて重いと
「ヲナガザメ」の胎内で
押しひしやげられた深海のモルグ……

  あれから二十年余りが過ぎた

やぶ医者どもは地上にゐて
患者は大洋の棚の上
水深はいかに測れても
希望と絶望の温度差は測れなかつた

遠隔操縦されてるる
われらの時代の拷問装置に
子どもらの声がむなしく響く

  オネガヒダヨ トツテキテネ
  ユウレイセンノ ユウレイ
  タクサン