詞華集
お
かもと
かつひと 詩人 1954.7.20 埼玉県に生まれる。 この長編詩は、平成二十五年(2013)四月九日、「e-文藝館=湖(umi)」のために寄稿
された雄大な新稿。お預かりしながら、編輯者の生憎の闘病渦中に機械の操作法を見失い、半年間の試行錯誤で漸く掲示にこぎ着けたという申し訳ない次第。そ
れはさておき、これまた日本の近代詩を代表する大作
の一つと、編輯者は敬服し感謝している。(秦 恒平)
ここにひとつの世界が幕を下ろして、
別の世界が生まれる
岡本 勝人
1.プロローグーケルトの地から光がさす
フェノロサが法隆寺の救世観音をみたのは
いつのことだったろう
夫人からパウンドが能の草稿をあずかり
パウンドからイェイツが能をしったのは
一九一三年の冬
今から百年もむかしのことである
われわれはたましいで生きている
アイルランドの海の彼方には
不老の黄泉の国があるという
『鷹の井戸』では老人と若者が仮面をつけた
ケルトの薄明が亡霊の世界におりてくる
井戸のそこで不死の水をもとめた笛の音が
誕生と死とこの世の愛と苦しみを輪舞させる
われわれはからだで生きている
このような時代では
老人も若者も能を舞う亡霊である
だから詩と劇に友の霊をさがしてみよう
外ではケルトの白鳥が波のさった水に映る
恋人の顔にみいっている
暖炉では炎が原初の生命を吹きかえす
イェイツが神話に読むものは
妖精が歌う癒しの断章である
われわれはことばで生きている
ケルトの古歌がこの世の山川草木に吹く
いくつもの光がたましいとなって海へかえっていく
2.月と足うらのラプソディ
(1)
ふだんは気にもとめない足うらは脳のように複雑で
いくつものつぼがある
つぼの位置はほぼ左右で対称だけれども
左にだけにあるのが心臓と肝臓のつぼだ
詩作放棄後のランボーは
「風の足裏をした男」と言われた
月が裸になると、足が裸になる
白い足裏が、湯にひたされる
詩のミューズが変幻して、湯河原の足湯につかる
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」は
道元禅師の歌である
京都の洛東に道元の碑がたっている
いまだ年齢としては若い道元だったが
病気のために山をおりて移動すると、京都が終焉の地となった
日蓮も寒い冬の山のうえで
体を温めるために少量の酒を飲んだ
春になれば門前の大きな桜が満開になるのだが
山をおりて移動し、歩きつかれて洗足池のふもとの庵で休んだ
ちかくの資産者の小部屋で
柱に寄りかかるとそこが終焉の地となった
脳と足裏が密約をはたす
はたしてわたしたちの人生はどこまで歩いていけるのだろうか
ひとは立って歩けるうちが生である、と僧形は語る
頭のてっぺんからつま先までの心身の総体が
心というものであると、僧形は語る
新幹線の窓からみる東海道の宿場の玄関で
足湯につかるかつての旅人たちは
富士を無意識に思い描くにちがいない
富岡鉄斎が八十五歳で描いた「浮島原晴景図」の色紙を手に入れた
酒井抱一の描いた「富士図」の色紙も買った
姫路城主の孫に生をうけた抱一は
西本願寺の文如上人により剃髪し、尾形光琳に私淑した
「富士図」は静嘉堂所蔵の「手鑑帖」の小品のひとつである
「かくれ里」を歩く白洲正子は
日本の風土では、神は天にいるのではなく
山川草木のなかに充満しているのだから
ひたすらにそのなかにわけいって歩くのだと書いた
都会では、灰色のビルの狭い路地を歩くばかりだが
現代という時代にあっても
生は食と歩行が基本であると、僧形は語る
(2)
『神統記』を書いたヘシオドスに『労働と日々』がある
現代の訳では『仕事と日』だ
詩人の「仕事と日」とは、ミューズを喜ばせることである
かつてティタンの神々とオリュンポスの神々の
十年もつづいた永い戦争があった
灰褐色の大地と葡萄と無花果の国との争いだった
永かった戦争が終り
大神ゼウスは、記憶の女神ムネモシュネを妻にすると、詩歌の女神たち(ムウサイ)が誕生した
クレイオーは英雄詩を
ウーラニアは天文詩を
メルポメネーは悲劇を
タリアーは喜劇を
テルプシコレーは合唱詩を
エラトーは恋愛詩を
カリオペーは悲劇を
エウテルペーは流行歌を
ポリュムニアは舞踏を意味したが
叙事詩人たちは、いつもムウサイへの呼びかけで、歌いはじめる
鷲になったゼウスにさらわれた、トロイアのガニュメーデースよ
永遠の若さと美に輝く少年だった
9.11と3.11以後の転形期の時代であれば
姿麗しい少年よ、大衆酒場で、ひとびとのために、なみなみと酒を注いでおくれ
かわりに父は、黄金の葡萄と風のように速い白馬を得るだろう
ホメロスが、西欧最初の物語を語りはじめる
叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』だ
ギリシアとトロイのあいだに十年つづいた
神と神と、人と人とが争う神話である
彼はラプソードスの口承をまとめた盲目の吟遊詩人だった
竪琴を弾く楽人(アオイドス)よ、叙事詩を語れ
白銀の靴をはいた女神テティスは
海の神ペレウスとともに敵の軍勢を撃ち破ると
獅子の肝をもったアキレスを生んだ
母親は息子を不死の泉につけたが
つまんだ踵だけは不死身にはならなかった
人の声で話す名馬クサントスよ
もっとおおきな声で予告しないといけなかった
パリスの放った矢が
アキレスの踵を射抜いたではないか
英雄アキレスの足が変幻して
落日の炎のトロイアに
虹がかかる
青い多島海と白壁の家々のかなた
女流詩人サッポーの足裏に夕陽が照り映える
ナポリの考古学博物館にサッポーの肖像といわれる絵があった
月の耳元はいそがない夕星の恋の歌を
ひっそりと聞いているばかりだ
叙事詩『イリアス』には
実は木馬もラオコーンも書かれてはいない
木馬の計によってトロイアが陥落する物語は、外伝『イリオス落城』だった
オデュッセウスよ
きみはいそいで故郷イタケへ帰らなければならない
十年という苦難の長い漂流をつづける帰国談
舞台は、われらが海、ウルトラマリンブルーの地中海だった
きみはカリュプソやセイレーンの誘惑にも負けなかった
老婆が「足洗いの場」で認知する秘密の足の傷こそ、本人の証明だった
叙事詩人よ、『オデュッセイア』の終章を語れ
イタケ人よ、
今は悲惨な戦いをやめ、
即刻引き分けて流血の惨事を避けよ。 (オデュッセイア 二十四章)
(3)
アイネーアースは、トロイアの街が炎となって陥落すると
新国家のトロイアをもとめて脱出した
彼は、美しいアプロディーテと英雄アンキセスから生まれたが
出国の混乱のなかで妻を見失った
父を背負い、息子の手を引き、わずかな兵とともに永い放浪の旅にでた
アイネーアースの足裏は、エグザイルとして海と島のうえにあった
ヴェルギリウスは、北イタリアのマントヴァ近くに生まれたが
ホメロスやヘシオドスやアレキサンドリア風の詩の影響をうけた
ヴェルギリウスに伴われて、ダンテも、「冥府行」に案内される
ダンテの足裏こそ、エグザイルの生活のなかで、『神曲』を書かせたのだ
『神曲』は、まことに生きた現実層とアナロジーだ
ヴェルギリウスは、アウグストゥスと同時代の『農耕歌』を書く詩人だった
晩年の死にいたる十一年間、ローマの『イリアス』といわれる『アイネーイス』を書く
「アイネーイス」は、「アエネーアースの歌」のことだ
フランスのクロード・ロランは生涯の多くをローマで過ごしたが
「アイネーアースのいるデロス島の海辺」(一六七二)という風景画が
ロンドンのナショナルギャラリーにある
アイネーアースの一行がデロス島に到着した
舞台は、われらの海、ウルトラマリンブルーの地中海だ
その後、シチリアからカルタゴへ、カルタゴからシチリアへと戻ると
愛する父を亡くした
思えば、すでに七年の放浪の歳月が流れていた
ようやくイタリアに上陸するが
地元の権力者と永い戦いがつづく
アキレスとへクトルの一騎打ちのように
アイネーアースと宿敵アルデア王トゥルヌスとの戦いによって、神話の時代は終る
新トロイアの「西の国」こそ、歴史上のローマのはじまりである
イタリアの歴史は、このローマからはじまる
老いたヴェルギリウスは「アエネーイス」の決定稿を決めえず
ひとりギリシアを旅することで物語を完成させようとした
帰国の途次、ブリンディシの海岸の宿で病に伏せていた
この街は、ローマからつづくアッピア街道の終着地である
詩人の末期にねがったものとはなんであったか
枕辺には、薔薇色の暁の女神が、姿をあらわす
白々と夜が明けるころ
薄明のなかで、叙事詩人はふたたびなにを語りはじめるのか
(4)
地下鉄日比谷線の駅をおりると
建築家伊東忠太が建てた築地本願寺の門前にでる
割腹自殺した三島由紀夫の葬儀は、このモダン建築の寺で営まれた
築地市場は、戸を閉ざしてとても静かだった
明日の準備のためだろうか
とおい無意識の奥から
岸から船が蒸気の音をさせて、波除神社にやってきた
渡しの人々のまもる熱い夏祭がひらかれるのももうすぐだ
月島へわたる重厚な鉄の塊の勝鬨橋は
ロシアという帝国との戦いに苦戦した
日本陸軍の戦勝記念として建てられたものだ
敵将クロパトキンの名前が日本国中を震えあがらせていた頃のことである
戦いの後、ロシアはどのように滅んだのだろうか
ナチスの帝国は、精鋭の機甲師団でヨーロッパ大陸の山林や野菜畑を蹂躙した
ロンドンの街に、爆撃機とミサイルを飛ばしたのは
記録ニュースや映画でみるばかりだが、その帝国もどのように滅んだのか
東洋のはずれの島々から国旗を掲げた輸送船で朝鮮半島や中国大陸へと赴いた
日本の帝国は、闘うための石油を失い、船と飛行機もなく、見事に物質がついえ去った
すべてが、その精神を高らかに叫ぼうとも、
不死身ではなかったのは
すべてに、アキレスの踵があったからだろうか
鎌倉の山のハイキングコースを歩きながら
眼下に街と相模の海をみている
空では雲と鳶がたわむれていた
地上では白とグレーのまだらなはとの群れが
機械仕掛けのように首をうごかしてまめをついばんでいるだろう
ロシア帝国の極東総司令官だったクロパトキンとあらそっていた頃のことである
「パト」を食ってしまえと、黄色い流線型のお菓子ができた
意識の足裏は
社に囲まれた八雲の参道を歩いていく
目黒の氷川神社には
稀典書と書かれた「日露戦没者の碑」が建っている
法被姿の三島由紀夫がとなりの街の熊野神社で
空をみあげながらみこしを担いだのはとおい昔のことだった
意識の足裏をなでるように
とおい記憶の奥から、風が吹いてくる
月島にしろい月がのぼると、島から船が渡ってくる
海から強い風が渡ってくるので
波除神社に参拝するひとびとの人影もまばらだった
月島のむこうに陽が落ちると、街には時代の灯があらわれる
舞台は、日本海でも、瀬戸内海でもなかった
ここは、われらが大川、幾分芥の浮かんだ隅田川である
月の光がしだいに川面に差しこんでくる
橋げたのむこうにみえる街に灯がともり
今年は月島の夏祭りにでかけてみよう
叙事詩人の記憶の奥には、ムウサイの声が吹いているではないか
3.風のたつレリギオ
(1)
小林秀雄夫妻は、編集者の郡司勝義氏と
勝浦から新宮をぬけて、那智の滝を参拝し、湯峰温泉に泊まっている
翌日は、車で十津川にそって走り
MSNCTYSTAddressŒÜžŠŽsAddressList29:“Þ―ÇŒ§ŒÜžŠŽs;五條市から奈良にはいる
夕刻には、猿沢池畔の「一宮」の料理屋に
保田與重郎と入江泰吉をまねいた
『本居宣長』の書評の御礼の席である
若き小林秀雄が借りた宿はいまもあるが使われていない
未完のベルグソン論『感想』を考慮して
「新潮」での連載をまとめるために
いままで書いたものに終章をくわえて完結させた
席上、保田與重郎は、
熊野から十津川ぞいにさかのぼる道を
阿弥陀さんの道と説明し
その逆に奈良から勝浦へぬけると
補陀落渡海の道になるとつけくわえた
同席した入江泰吉に
熊野から奈良の杉山には日本人の霊がこもっていると
杉を撮るようにすすめたのもそのときである
ゲーテの父の家柄はそれほどではなかった
祖父は腕のよい仕立て屋であり
曽祖父は馬の金くつわを作る鍛治屋だった
先妻と死に別れた祖父が
旅館の娘と結婚する
この後妻のコルネイヤからゲーテの父は生れた
マイン河畔のフランクフルトに一家はすみつく
小林秀雄は、『観無量寿経』を愛読していたが
折口信夫が『死者の書』を発表すると
この作品が『観無量寿経』の世界をふまえていることにすぐ気がついた
『浄土三部経』(岩波文庫)の定本は『真宗聖教全書』のものであり
『大正新脩大蔵経』によって校合されている
『真宗聖教全書』を出版した会社は
小林秀雄の伯父清水精一郎の起こした出版社である
『大正新脩大蔵経』は大正一切経刊行会によるが
これも叔父の清水金右衛門がおおきくかかわった出版社だった
当時のライプチヒは小パリといわれた
アウアーバッハの酒蔵で放吟した若きゲーテは
そこでファウスト博士の原型に出会う
批評家ヘルダーとの邂逅はロマン派とリアリズムの詩の源流となった
ドレスデンにも旅をする
ルーブルにつぐ美術館に足しげくかよい
百点以上のイタリア・ルネッサンスの絵画と
ラファエロのシスティーナ礼拝堂の聖母マリア像や
レンブラントやルーベンスのオスターデとフランドルの美術品がならんでいた
背後の教会から鐘の声を聞く
ゲーテは無意識下に
イタリアへの旅路を準備していた
毎年、八月十五日の夜には、春日大社の万灯籠に灯がともされる
東大寺の大仏殿も灯をともし
庭にはおおくの四角い灯籠がともっていた
春日大社へと参詣するひとびとの列につらなりながら
うす暗いぼんやりした道を歩いたことがある
奈良公園には、夏の夕風が吹いていた
ふりかえると、高円山に、大文字が白くひかり輝いているではないか
奈良駅にむかいながら
あわくひかる文字のゆらめきに眼の芯がふれるようだ
翌日の十六日は、出町柳から京都の大文字焼きをみる
ゲーテは、ワイマール公国の大臣として政治、行政、外交に携わった
古い制度の廃止や貧民救済制度をつくっただけではない
土地改良や道路整備、鉱山の再建や軍隊の削減などの財政再建とつづく
だが、詩人のなかには、消しがたい南方への志向がある
すべての要職をなげすてて出奔した
一年九ヶ月の旅行から汎神論的古典主義者が誕生したのだ
ローマ、ナポリ、ポンペイ、シチリアへと
古代ギリシア・ローマの遺跡と造形芸術に魂をゆすぶられた
ヴェローナ、ヴィツェンツァ、ヴェネツィア、ローマでは
ルネッサンスそのものの絵画と出会った
シチリア滞在中の詩人は
『オデュッセイア』をよみ、「ファウスト」を書きつぐ
(2)
近鉄奈良線を大和西大寺で乗りかえると
まもなく電車は尼ケ辻の駅につく
右手は垂仁天皇陵だ
自転車に乗った若者たちが
風のなかを影絵のように移動する
電車の左手の窓に注意をしてみよう
唐招提寺の屋根と薬師寺の塔がみえてくる
窓から飛びこむ西の京の寺々
井上靖が京都大学の美学科へと転学し
「ヴァレリーの純粋詩」の卒論を出したのは、二十九歳の時である
後年、歴史小説を書くこの若き詩人は
奈良の地をころがるように歩いていた
空白期の詩人のカルテュラル・スタディーズは
奈良の歴史と寺を無意識の足裏でテクストとして読むことだった
『天平の甍』が発表されるのは、作家五十歳の時だった
ゲーテもギリシアを求めていた
時間は過去から現在へ
さらに未来へと、縦横にかけめぐる
越境する桃源郷のギリシアのアルカディアに
トロイのヘレネの神話がよみがえる
異空に移動するファウストは
世間に絶望し、働きつづける苦しみのなかで、盲目になった
オデュッセウスのように
セイレーンの誘惑にも負けずに生きのびた
だから、今夜のセイレーンよ
祭の楽しみをもりあげてほしい
ファウストよ
いずれにしてもわたしたちの人生の時間は、残りすくないのだ
健康な体うちに、ヴァルプルギスの夜を踊りたいものだ
(3)
唐招提寺の金堂は、平成の大修理をおえたばかりだ
薬師寺でも、創建当時の伽藍の再建へむけて
おおくの努力が重ねられてきた
ひかり輝く天平の古都
七世紀から八世紀に創建された寺々の西の京は
平城京の右京の一角、MSNCTYSTAddress奈良市AddressList29:奈良県奈良市;奈良市五条に位置していた
モダニズム革命や共産革命からみれば
若き和辻哲郎も亀井勝一郎も西の寺々と仏像に強く魅了され
別の道に足裏をむけることだった
時代は変化して反転した
この土地も鑑真や留学僧の越境が生んだ周縁に位置するトポスである
ギリシアの哲学者ターレスは
あらゆる生命の源泉に水の尊さをたたえる
この世にある地水火風の四大元素によって
みわたすかぎりの海面と
海岸を埋めつくす美男美女と海の妖怪とは
陸の大地と海の水に融けこんだ
すべては汎神論的合唱のなかに生成する
銀座で映画「ファウスト」を観た
あれはアイスランドで撮影された風景だった
大地の地殻も万有の水も空気も
そして物質となった身体と精神は
エーゲ海の火祭に融けこみ、受け入れられる
宋から帰った道元は、栄西の建仁寺を去ると
洛南の興聖寺に移動した
『正法眼蔵随門記』を残した懐奘は「興聖寺最初の首座」である
宇治川のせせらぎの音が背後に響いている
琴坂をのぼりきると中国風の門がみえてくる
大正時代「沙門道元」(和辻哲郎)の論文が
『日本精神史研究』に収められると
道元の名は一般に知られることになった
東福寺が天台・真言・禅の三宗を併存させる
道元は足裏の男となって
越前志比庄の谷深い周縁のトポスに越境し
波多野義重の所領地に、永平寺をひらく
畑のなかには
柿の老木があったはずだが
いまもその景色は同じようにあるのだろうか
電車の窓から
畑の中央にあった一本の柿を
あの時、疲れたわたしの右脳はあかずに眺めつづけていたのだ
「わたくしどもも、まことに、ひどい目にあっております!
まいにち、まいにち、節約につとめておりますが
まいにち、まいにち、出費はかさみ、
日ごとに新しい苦労の種が生れます。」(『ファウスト』)
第二部の冒頭からはじまる
ファウストが体験する社会的精神的な場に展開する
玉座の広間や遊園や暗い廊下での難解な問答は
宰相や従軍も体験して、難局を通過した
実行家の詩人ゲーテが実際に経験したことと関係がある
親鸞は配流先の越後から関東に移動すると
この地にとどまって『教行信証』を完成させた
大蔵経をもつ大社や古寺をたずねるために
稲田から鹿島神宮へ、また稲田から高田を経て
下野国河内郡の薬師寺へと移動して歩行した
そのころ、日本的な汎神論の世界に接近していたようだ
下野国の薬師寺は奈良の東大寺、筑紫の観音寺とともに
日本三戒壇として授戒をつかさどる寺である
薬師寺や新薬師寺とあわせて三薬師寺といわれた
政治の中心をはなれて戒師になって地方へ赴任する僧もいたが
鑑真といっしょに中国から越境した職人もいた
東大寺の戒壇で具足戒をうけ
唐招提寺の金堂を建設した胡人の如寶である
「お金にたかり
お金にしがみつくのよ、だれもかれも。」
とグレーチヒェンは黄金や宝石をのぞんで、瞳を輝かせた
「これからも永久にくりかえされましょう。」
とテッサリアの魔女エリクトーは、戦争を予言し、言葉を吐き出す
戦争も商売も海賊も
いくつもの顔をもつ人間存在の暴力的な実相にかかわるものだ
旅は日常から非日常へと
空間と時間のトポスを移動させ、時の外へと連れ出すのだから
ファウストも足裏の男になって時間の外へと歩み出よ
海のむこうでは、ヴェネツィアの広場で仮面舞踏会がにぎやかだ
ローマでは、コルソ通りの道辻の謝肉祭で若者が踊っている
黒いマスクがにあうねとささやく祝祭の時
知識の無力に失望し
書斎にあることが悲劇であることをしるファウストは
小さな町から出発して
人生からの回復と社会の再生をはたそうとする
人類と社会のために
ファウストは創造的活動にはいるのだ
(4)
唐招提寺の金堂の麗美な屋根や
唐様の鴟尾にも
エンタシスの円柱と
安置されている盧舎那仏座像や
千手観音像と薬師如来立像と同じように
唐招提寺の固有のイメージに薬師信仰や薬師菩薩の花がさく
御影堂の鑑真像は、弟子の忍基等によるものだが
それを守護するかのような障壁画と水墨画がある
東山魁夷の描いた「山雲」「涛声」の障壁画と
「揚州薫風」「桂林月宵」「黄山暁雲」の水墨画である
画家はかつて北欧と日本の古都を交互にたずねながら
内包するエネルギーにうながされるように空間を移動した
川端康成にすすめられると
変わりゆく京都の街を『京洛四季』に描いた
「自由の国に、自由の民と立ちたい」と
詩人ゲーテは、『ファウスト』の原稿に最後の手を入れた
死ぬ二ヶ月前のことである
前年の八月には、遺言とともに、全編を書きおえて、第二部に封印をしていた
それから、キッケルハーン山頂の狩猟小屋で
五十年前に刻んだ「旅人の夜の歌」の詩に再会する
「真に自由な土壌と大地の上に立ちたい」という若き日の文章を
「自由の国の、自由の民と立ちたい」とふたたび封印を解いて書きかえたのは
一八三二年一月のことだ
詩人ゲーテは、その年、八十三歳で亡くなる
創建当時の遺構である三重の東塔をよんだ
〈くさにねて
あふげばのきの
青空に
雀かつとぶ
薬師寺の塔〉や
水煙で横笛をもち、花をまき、飛翔する天人たちの
飛雲の透かし彫りをよんだ
〈すゐえんの
あまつおとめが
ころもでのも
ひまにもすめる
あきのそらかな〉にも
足裏の男になった会津八一の眼の精神がある
東院堂の聖観音の優美なたたずまいと
唐僧と親しげに唐語をかわす日本の僧たち
興福寺の東金堂の本尊は薬師如来である
猿沢の池の南にある元興寺の本尊も
薬師寺も唐招提寺も薬師如来を祀る
京都神護寺の本尊も薬師如来である
ひとびとのこころのなかにある等身大の願いとは
いまもむかしも病気平癒とかわらない
ゲーテは『詩と真実』や『イタリア紀行』の自伝文学を晩年まで書きついでいた
妻に先立たれた時、ネルヴァルから仏訳『ファウスト』が届いた
その直後のことだ
イタリアで息子アウグストが客死した
『ファウスト』では、百歳を生きたファウストの亡骸は
メフィストたちと天使たちとの争奪戦となった
人間として、光と闇の現象を生きるファウスト
グレートヒェンの女性的なるものの魂に導かれて
あらゆる人間くささを備えているがゆえに
救済されるところまで歩いていきたいのだ
もうすこし部屋を明るくと、詩人ゲーテは人生の最後にそう願った
かつて周縁にあったものが、中心となる
つぎの越境が、またあらたな中心を生んで
つぎからつぎへと周縁が立ちあらわれることを歴史の風景が実証する
越境しては、周縁の地に融和する、ひととひととの愛憎は
幸せと不幸せがつながり
きみとぼくがつながり
すべてはひとつにつながっているのだから
右も左もなく、あざなわれるようにひとつであることは事実だ
雑種的クレオールの文化の層も、縄文も弥生もひとつの風景のなかにあった
古代から現代への時間のうつろいは
空間の差異をつらねて、あたらしい中心と周縁を生成する
土地の精霊(ゲニウス・ロキ)が
歴史を思い出のようによびおこし
落葉林の原初的な粒子を生んで、未来にむかって流れている
針葉樹の移動する風景ばかりが、眼の精神を通過してゆく
ハイキングやサイクリングでは
照葉樹林の色と香が身体のなかに物質を刻む
春のたんぽぽがそよぐ
それはより確実な記憶へと変貌する
飛び散る綿帽子のような粒子にちがいない
きみはまだ歩きがたりないといわれて
多くの日々が過ぎたが
いまなお身体の歩行による巡礼はつづいている
アフリカのベドウィン(遊牧民)にはなれないが
移動する精神の変容だけが
経験の深みを身体論的な「場」へと実感させた
それはより全身体論的な知としての
言語の「場」へと実感させるものがある
身体の座である精神の奥に熏習された無意識の粒子たち
いまにしても、あの「現在時の重要性」という声を背後にきくのだ
きみが旅路(レリギオ)をたどるのは
夢のなかではなく、確かな現実の層と実感のなかのできごとである
4.間奏ー或るひとつの世紀の墓標―二0一二年九月―
もしわたしが画家であるならば
ロンドンの美術館にある
パブで働く女性の絵のように
目の前でりんごをむいている
ひとりのきみを描くことができるだろう
しかしそれはかなうまい
なぜならばわたしは
詩人というやっかいな世界にいるからだ
フルーツポンチの器に
両手で白ワインを注ぎ込んでいる
切り刻むりんごとパイナップルに
黄金の液状の蜂蜜を混ぜ合わせるのだから
目の前の現象を言葉で写す詩人の技術には
あるがままのきみを描くしかない
薄暗い店のノイズにちかい騒がしい音楽も
ときにはクールなジャズのように響いてくるものだ
世界のいたるところに
透明な煙がながれこんだのだから
記憶の奥底の深い部分から
黄金の虹が立ちあがるにしても
わたしの意識のあずかりしらないことである
しかし故郷の映像は
蝙蝠たちが黒くかたまって群れ飛ぶUチューブも
烏たちが円を描いて騒がしく群れ飛ぶUチューブも
透明な煙が映像におよんでくると
飛翔の体系を拡散させて
ばらばらになってしまったようである
詩人の愛する故郷は
半島で買い求めた白地に薄赤の蓮を描いた陶器のように
本来遠くからさびしく眺めるだけの存在かもしれないが
ときおり脳裏のなかでは
触れたりなぜたりいじったりして
感触を伺うことはできるものの
故郷に生活する動物や植物は
失われた現在の寓意のなかで
死にむかう存在であることはまちがいがない
こんなに世界はひろがっているのに
生きるということが小さくなっている
わたしの世界も足元のほんの小さなところにあるのだが
世界の体系が生産されてからというもの
あるがままの肝心な点から離脱しつづけてきた
ひとびとの新たな生活がはじまると
ひとつの世界が幕を下ろして
別の世界が生まれくるようである
いま世界が一点に集中して
新しく雪化粧をする
蓮の咲く異国の陶器も
冬ぼたんの柵のなかで
一点の希望となってほしいものだ
というのも
知が組み換えられて世界が変化する時点にあって
いまこの杯をきみとかたむけるにしても
なみなみと酒を注ぐにしても
パブのなかでは同じく花瓶の花は散り咲き
酔いしれる人々の姿は
背を曲げ厚着をする永遠の姿であるのだから
5.早春のナポリ
(1)
あれはたしかヴェルギリウスが
ブリンディシで亡くなったころのことである
『牧歌』や『農耕詩』を書いた詩人だが
ラテン語の詩『アエネーイス』を推敲しなければならないという決意があった
十年をかけて書きついだ『アエネーイス』を実証するために
詩人の現地の旅はつづいた
石畳のうえで、詩人は革のサンダルをはいていたのだろうか
ネアポリスは、ギリシア人が建てたカンパーニャ地方の植民都市だった
そこは、詩人の館も墓所もあるナポリの港だった
石畳の港町に春は近づいていた
ブリンディシから遺骨がナポリに着く
早春のナポリ
その夕陽の海の色は
卵城からも新城からもみえ
ラピスラズリでつくる青の海
ソレント半島のむこう側にあるアマルフィの街も
いまではとてもしられる場所になった
海岸と丘陵の町に檸檬の白い花が咲きはじめた
オデュッセウスがゆききした青い地中海は
風に香り
プロチーダ島の浜辺では
映画になったイル・ポスティーノの店が長い昼休みをとっていた
港町の中心で、教会の鐘が鳴る
革の靴は、足裏を保護している
やがて夕暮れると浜辺の砂に足跡だけを残して去るのが運命だ
むこうの海岸の奥にみえるのは
クーマエという洞窟のある場所だった
アエネーアースは、カルタゴのディードとの愛をすてさり
イタリアの港へとむかい
ナポリのちかくのクーマエに上陸する
なんとしても父アンキセスに会いたい一心で
アポロンの神託をつげる巫女シビュラとともに
黄金の枝を折って洞窟の入り口からはいるのだ
シビュラはアポロンに愛されて
手に握れる砂粒の数ほどの年齢をもらったが
青春という時間をもらわなかったので
老いたまま蝉のようにちいさくなっていた
ヴェルギリウスは、ホメロスの『オデュッセイア』の冥界をさかのぼるようにして
『アエネーイス』の冥界へとはいる
ダンテは、そのヴェルギリウスとともに、『神曲』の冥界にはいる
ダンテと同時代人のボッカッチオはナポリで活動していた
宮廷での貴婦人との恋に身をやつしていたが
晩年になるとフィレンツェに移動し
聖ステファーノ教会でダンテの『神曲』を講じた
ボッカチオは何度もナポリを訪れた、そこにいるのはフィアンメッタ
終生ダンテはフィレンツェにもどれなかった、そこにいるのはベアトリーチェ
トゥルバドールたちは恋の歌をうたうのだが
早春は、ナポリの大地にはおりてはこない
春は、いまだ悲歌の空のかなたにある
(2)
「われもまたアルカディアに!」(Et
in Arcadia ego)と
ゲーテの『イタリア紀行』は
Auch ich in
Arkadien!のドイツ語のエピグラフではじまる
アルカディアの絵を描いたのは画家のプーサンである
三人の牧童と一人の少女が墓碑銘をみつめる絵だ
アルカディアとはギリシアの地名だが
牧歌的文学では「平和郷」を意味し
ヴェルギリウスも『牧歌』の詩に描いた地名だ
ゲーテは光と暗闇の南の町ナポリに着き
『オデュッセイア』の本を携えて船に乗り、シチリアへと渡る
ゲーテの革の靴は
ナポリに滞在するあいだに
何度もヴェズヴィオス火山にのぼった埃でよごれていた
考古学博物館から雨にぬれた石の道をくだる
ポンペイの南のスタビアで出土した「フローラ(花)」
緑と白と黄色で彩色された婦人と可憐な花の絵は
ナポリの考古学博物館の名品だ
詩人ダンテを顕彰して造られたダンテ広場には
街角のカフェからナポリジャズが流れていた
うしろの路地には古書店が軒をならべている
ナポリの町とヴェスヴィオスの山
紀元後まもない七九年に火山は爆発した
早春のナポリ
その夕陽の海の色は
卵城からも新城からもみえ
ラピスラズリでつくる青い海
ヴェスヴィオスとはラテン語で火の山のことである
朝のホテルから
昼の王宮から
夕方の新城から望む ヴェスヴィオス山とナポリ湾
かつて三千メートルもあった山は
大噴火のあと千二百八十一メートルほどになっていた
ところどころの丘や公園にあるのは
地中海松というこんもりとしたかさ松だった
松影はいつも町のなかにおなじような影絵をつくった
ゲーテも風の足裏の男だった
足裏を保護する革の靴は
いつも石畳におなじような足音を残した
移動する旅は、シチリア島をまわり、またナポリ港にもどってくる
(3)
ナポリ港は、ジェノヴァにつぐ港だ
スタンダールのナポリ滞在は
ほとんど音楽三昧の生活だった
市内には、多くの劇場がある
ウンベルト一世のガレリアの隣にあるサン・カルロ劇場
「わたしは出立する。
わたしはナポリのあらゆる街路から眺められる景色も
トレド街も忘れないだろう。
ここは、わたしの目には比類がなく、
世界中でいちばん美しい町である。」(スタンダール『イタリア紀行−一八七一年のローマ、ナポリ、フィレンツェ』)
王宮の前のプレビシート広場に集うのは
大晦日の夜の花火師たちと群集たちの人影
カフェ・ガンブリヌスは
かつてカルボナリ党の幹部がエスプレッソを飲みながら
革命を語りあった場所だ
カンパネッラは城に幽閉された
『太陽の都』を書くとスペイン人による支配から独立をくわだてる
ナポリの町こそ、太陽の都ということばがふさわしい
だが、夜の食事と酒のあとの倦怠は
やがて、朝の冷たい空気の倦怠にとけこみ
バロック的光と影となって、海の香りを運びこむ
石畳のうえを革の靴が歩く
足裏を保護するためには、貴婦人も硬い革の靴が必要だった
ベルニーニは、この町に生まれている
ローマのバルベリーニ広場の「トリトンの泉」や
ナヴォーナ広場の「四つの河の泉」を何回となくみたが
その製作者をよくしるひとはすくない
ローマの松並木のなかから
ゆっくりと朝の金色の太陽がのぼる
ボルゲーゼ公園のなかの細い道を
溝をさけながら、トチの実を踏んでのぼっていった
宮殿にはベルニーニの「アポロとダフネ」や「ダヴィデ」の繊細優美な彫刻があり
彫刻「アエネーアース、アンキセスとアスカニウス」も飾られていた
アエネーアースは、トロイア落城のときに
父アンキセスを背負い
息子アスカニウスの手を引いて、脱出する
片方の手では妻を見失うと、二度と会うことはなかった
水のナポリには
左に右にうねうねとつづくせまい街路がある
路上マーケットに陳列された赤ピーマンやトマトがならべられている
ピァッツァのナポリには
アパートの窓から流れてくるスパゲッティをゆでる音が響き
石畳に夜ふけてひびく足裏をつつむ革の靴とカンツォーネの音が鳴る
頭上高くには
階上どうしをつらねて吊るす洗濯物がみえ
地下空洞の廃墟に石切り場が残る
ローマのオベリスクのように
ナポリには広場に建つグーリアがある
ふたつの象徴的な搭状モニュメント
ウェルギリウスの最後の旅
人生をゆっくりとスローウォークするにしても
わたしたちの旅は途中で終わるのだ
だから途中であることをけっしておそれてはいけない
芸術だけが途中を忌避して完成をめざしている
いずれにしても、あなたたちはちいさな芸術家なのだ
そう ウェルギリウスは熱病に倒れ
ながい船旅で疲弊し
ブリンディシの港町にようやく上陸した
臨終のちかくにあった弟子は
ふたりとも美しい男性で
ひとりは哲学者になり
ひとりは詩人になった
朦朧とした死の床にあって
いまだ中途な作品「アエネーイス」の入った櫃を破棄するようにと求めた
アウグストゥス帝と弟子たちによって
「アエネーイス」は、かろうじて原型が保たれて、今日に至る
ヘルマン・ブロッホは
オーストリアに生まれたユダヤ人のために
ナチスに拘束された
ジェームズ・ジョイスたちによって救出され
ロンドンからニューヨークに逃げた
『ウェルギリウスの死』の散文による長編思想詩は
ウェルギリウスの死ぬ前の十八時間を
みずからの体験を描くように書いたものだ
ナポリの町から西にそれほど遠くないところに丘がある
その丘はトンネルのむこうにあるが
そこにあるのがウェルギリウスの墓である
若いときは政治も目指したようだが
領地のあったナポリに隠棲して詩を書いた
卵城には
歴史の光景の奥底に秘められた魔法のように
ウェルギリウスの部屋がある
詩人の墓も近くのトンネルにも
神秘な言い伝えが残されている
名馬をみ分けることができたウェルギリウスは
軍隊でも役に立った預言者的神秘主義者だった
ウェルギリウスの革の靴が、暗闇のなかを歩いていく
酒場を通って、無意識に導かれるように
移動して家に着くのは
薄明の無明の路を歩いてきた
わたしたちの人生だ
(4)
早春のナポリ
その夕陽の海の色は
ラピスラズリでつくる青い海
早春のナポリに祝祭的鉱物の花が咲く
カンパーニャ地方には
いまでもゴート族の子孫がすんでいて
スローフードを作っている
水牛のモッツァレッラチーズと
赤いトマトに
無農薬の白や緑の野菜
サンタガタ・デ・ゴーティエという深い渓谷の町だ
スローライフとはスローウォークすることだ
土地の歴史や文化を
いそがずにゆっくり学びなおす
いそぐ旅ではないと言い聞かせながらも
過度に忙しいポスト近代のブレーキを踏んで
わたしたちは生きいそぐことから離脱できるだろうか
旧市街をわけるスパッカ・ナポリに
サンセヴィーロ美術館のチャペルがある
石工サンマルティーノが造った「ヴェールに被われたキリスト」だ
十字架からおろされて横たわるイエスの神秘的で繊細な大理石像だが
バッハのマタイ受難曲がキリストの磔刑図で語られるように
モーツァルトのレクィエムはこの石像で語られてよい
結ばれた石工の結社の精神の繋がりに
解釈を変えてたがいに理解するメタファーがある
フリーメイソンだけの秘密の解読は
恍惚と秘儀をしめしているのだろうか
そこにエロス的秘密が横たわっているかはしるよしもない
これらの解釈と批評の通景のなかに
路地を下っていけ
濡れた石畳のうえを歩いて
風の足裏をした男をつつんだ革の靴よ
6.イェイツへの旅
この旅は
どこからはじまり
どこへとつづくのだろうか
わたしたちの生は
どこかしらの暗闇から生まれて
どこかしらのみしらぬ暗闇へと帰っていくにちがいない
暗闇と暗闇とのあいだには
明るみと暗さのプロセスがあるという
だから
この不可知の旅をおこなうにさいして
おなじように不可知な砂漠としての外洋へと
伝説のインガスよ いっしょに旅にでることにしよう
旅の僧は路傍にたたずみ
わずらいおおい現実の世界を厭っている
すると
仮面をつけた男が
いつものように語りだす
わたしはアラン島へはいったことがないが
海にそびえたつのは断崖の島影だった
アイルランドの西部スライゴーのちかくで
老いたイェイツが生涯もとめたものは
この世に生まれおちた結果による不条理からの
存在の統一を求めるものだ
イェイツは五0歳をすぎてようやくにして結婚した
モード・ゴンという運命の女性がいたからだ
最後のロマン主義者とも
アイルランドの民族主義者とも
「鷹の井戸」によって能の受容者ともいわれたのだが
ひとの世の苦しみと死と誹謗と有為転変から
ひととして生まれた若さと楽しみと
剛毅の住める不老国、西方浄土への旅を求めたといっていい
酒は口より入り
恋は目より入る、
われら老いかつ死ぬるまへに
たしかに知るべきはこれのみ。
われ杯を口に挙げ、
君を眺めて、嘆息す。(イェイツ「酒の歌」)
と、イェイツは歌うがね
ここは、アイルランドの海と崖ではないんだ
ドイツのハイデッガーの晩年のことだ
祖国ドイツの危機のなかで
ナチズムへの加担があり
ユダヤ系の弟子ハンナ・アーレントとつきあった
アーレントはヤスパースの弟子でもあったが
ヨーロッパ脱出後のニューヨークで『全体主義の起源』を書く
資本主義や社会主義のタームでは
ナチズムやファシズムも
そしてスターリニズムの全体主義は解明できないというのだ
老いた哲学者にとってアーレントの存在は
自身を写す鏡だったかのようだ
ハイデッガーはアーレントに会うと
きまってヘルダーリンの詩を語り
自分の詩を読んでは聴かせた
ハイデガーが傾倒したのはヘルダーリンの詩なんだ
自分の葬儀には
ヘルダーリンの詩の話をするようにと言い残して亡くなった
だからその日は
弟子によってヘルダーリンの話があって
子息はヘルダーリンの詩を朗読した
偉大なる歌はふたたび聞えねど
現代の歌にも強き喜びはあれー
退く波の下にまろびて
さざれ石岸に鳴る音。(イェイツ「十九世紀及びそののち」)
偉大なる歌とはギリシアの叙事詩のことなんだがね
ハイデッカーにとっても、帰るべき場所はギリシアだった
ドイツの国や人々にとって
ギリシアの文化が神話や彫刻や悲劇や哲学となって影響を与えていたのだが
それは北の国アイルランドも同じなんだ
ここで、目の前にひろがる光景は
アイルランドの海と崖ではないのだよ
京葉工業地帯の敷地に、海がはいりこんでいる
いつしか、その海辺に夕陽があたる風景がすきになっていた
ひとにたいする気持ちのような
スチームの暖かさやこころよい眠りのようにほっとする
近代の原初というものにであったというような印象だった
あちらの海岸では、風力発電の羽根がおだやかにまわっている
こちらの海では、船が岸に泊まったままだ
晴れた日には、遠く海のかなたに富士がみえるがね
ニューヨーク、聖パトリック教会に行列ができる
歌に歌われた五番外で、マリーを見つけたぜ
ダブリナーズよ
ここは、アイルランドからの移民が多い島だ
いったいなぜ
海辺に横たわる工場や倉庫の灰色の屋根をみながら
心がなぐさめられるというのだろうか
3.11以後、酒量が増えていぶかるわたしの心には
海からの風が、西にむかってそうささやいてくるようだった
そこには戦後というものが
象徴的な風景としてイメージされているからだろう
幼いころにテレビや映画館のスクリーンでかいまみた
白黒の映像から切り取られた写像のひとコマでもある
旅の僧は路傍にたたずみ
わずらい多い現実の世界を厭っている
すると
仮面をつけた男が
いつものように踊りだす
ここは、アイルランドの海と崖ではないのだ
晩年のハイデッガーが愛したのは
ヘルダーリンとともに、あのニーチェだった
ニーチェの散文詩『ツァラツゥストラはかく語りき』は
ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』の強い影響で書かれたものだ
宇宙や神との根源的一体性を歌うヘルダーリンは
資産家の婦人ズゼッテとの愛の証である
『ディオティーマ』を書いた
詩人にとっても、帰るべき場所は、ギリシアしかなかった
しかしながら旅からかえると
詩人がきいたのは、はやい彼女の死だった
ヘルダーリンの精神の断層は
その後深くひきさかれたまま
ながい薄明のなかに、たゆたいつづけることになる
ロンドンのユーストン駅から電車にのる
北への線路のさきには、アイルランド海峡があり
電車よ、船よ
ダブリンの街影はまじかだ
うす暗いパブでは
ダブリナーズの仲間が腕まくりをして
なまぬるい黒ビールを飲んでいる
港町スライゴーの近郊には
イェイツの愛したイニスフリイの湖島があるのだがね
初期のイェイツの優婉閑雅の詩は
老いたケルトの農夫からの聞き書きの民譚だった
やがてイェイツの詩は、「クール湖の白鳥」以後
無常観を歌う簡素枯淡の詩となった
ゲール語によるケルトの薄明と神話が老婆によって語られていたのだ
曇天の空をうつして、伝説のインガスを求めよといいたいね
けれども、イェイツにとっても、帰るべき場所は、ギリシアでありアイルランドだった
にび色の海の表層が、より荒い海とかさなる
皺だらけの老婆のこころに、海は荒涼として浮かびくる
わたしは電車から京葉地区のすさんだ海の色をみている
光り輝く太陽と青い空が
たしかに工場や倉庫の屋根のむこうにあったのだが
今は灰色の海と空がとてもにあうのだと
老いた身体はこのごろ感じている
旅の僧は路傍にたたずみ
わずらい多い現実の世界を厭っている
すると
仮面をつけた男が
いつものように笛と鼓を打ち鳴らす
夏の疲れがでて
身も心の芯もきしむような音のする朝だった
そのようなときには
とくにこのような灰色の海と空の色がにあう
南画の董其昌は
「万巻の書を読み 万里の道を行かずんば
画祖となるべからず」と書いた
だからいちどでいいのだ
さすらいの伝説のインガスの舟をかりて
不老不死の黄泉の国へとわたる長い道をでてみよう
はたして美と愛によって神とひとと諸物が融合した
そんな世界があるとは思わないがね
耳を澄ましてみれば
かつて訪れた秋深い信州路でさえ
路傍の石仏のとなりで、寺の鐘が鳴っていた
カンパニーレの音よ、響け
落ちてくるのは真っ赤な夕暮れだ
シングのアラン島はパリでイェイツに勧められて書くことになった
だからまだ経験されない島や半島をめざしてみよう
智の冒険、思考の冒険
イェイツは、インド思想を学んでいる
若き日には、ウィリアム・ブレークの全集を編纂した
寿岳文章は、仏教語を駆使して、ブレイクもダンテも邦訳した
欣求楽土にむけて、輪廻の船が海を走る
アイルランドの妖精たちは外洋になにものかをもとめながら
石ころだらけのこの不毛な土地にさえ
腰をおろして一息つくスペースがあると願うものだ
荒涼とした海よ
9.11以後のアメリカとイスラムを飲みこみ
3.11以後の東洋の一角のわたしたちを妖精の歌声にいざなってほしい
北方航路に
自己の探求がある
黒ビールと透明なキールの泡に
美と愛への嗜好がある
もののあわれを知るアイルランドでは
東洋の一角とおなじように
妖精国の王女が美しい青年を不老国につれていく
一杯の塩からいベーコンとジャガイモのスープは
旅のはじまりだ
だから
とりあえず
その終点の崖と海を
湖上の白鳥よ
翼を広げよ とびたとうではないか
7.エピローグーわたしは詩をかいていた
神田川の流れのうえに
桜の花びらがういている
花びらはしろい渦となって流れていた
渦は宇宙の神秘のコンプレックスだ
桜のうえに高架がみえる
コバルトの空をあかい電車がはしってゆく
I
will be with you again.
すみなれた都会の騒音から
いくつものカーヴをまがっては
車の中で眼をとじていた
雨空はひなびた骨董品のように空虚だった
古書店の主人は雑本を引き取り
小型トラックのエンジン音をかけると
目深に帽子をかぶって挨拶した
I
will begin
again.
沿道の赤いポスターがうずくまる
神楽舞で太鼓をたたくむすめたちよ
まつりのあとの月蝕のさびしさに
樹の下の鳥がほほをうめた
I
will be with you
again.
ハーレーダヴィッドソンにむれている
これもまた見知らぬ
中高年の影絵はものものしい
スノーボートの若者たちは空にとびあがっては
肋骨を鳴らしながら
坂道を解剖した
街灯のなかに彫刻された
遠景の救急車は
闇の砂漠のなかで
赤灯を点滅させるとことりとも動かない
シュプレヒコールのかわりに
アカペラのゴスペルで電燈の肩をゆすってみる
ときには不慣れなバスケットボールで
汗を飲むのもいい
夕闇が降りると
雛鳥たちがビルの空き地の池を渡る
ドッグランでは
フレンチブルドックとボストンテリアが
頬をたるませてつまづきかけた
星のふる夜はころんではいけません
飼い主たちが犬を追ってゆく
スカートの裾にリードがまといつく
漆黒の空が明かりを点滅させるビルの遠くにみえている
美しい月の透明なあかるさのとき
I
will begin again.
わたしは詩を書いていた
欲望の真夏の昼には
いきるためにダンス・マカブルたちも
ペットボトルをとりだしては何度も口にはこんだ
アイルランドの夏は透明な球のなかにある
蝸牛たちがギャロップするような
日常の風景を反復する
二十年ごとに建てかえられる国津神の式典に
現代ツーリズムの巡礼たちが
ビルの地下から出発した
ツインタワーのたつ新東京駅に
防災用の水タンクがつまれている
坂道のレンガのうえに
朝日がのぼっていく
だれもがとおる道は
だれもがうけいれられる海へと燃えていた
景気がさがってもアンティークははやると
骨董市の商人たちの願いが
公園にござをしいて未明から顔をまばたかせた
(坂を 坂をのぼってくる朝の身体の群れ)
光悦の弟子の加藤民平は
文政年間に淡路島で窯をひらいた
終い天神でも弘法さまの露天市でも
未明の暗いうちに懐中電灯のあかりで
掘り出し物を見つけるのはだれだ
(坂を 坂をくだってくる朝の身体の群れ)
あのシュルレアリストたちも
ほんとうは古美術がすきだった
セーヌの河岸の孤独な波音をききながら
工場労働にむかうシモーヌ・ヴェイユの疲弊した青春よ
ロンドンのアパートから石畳の道に身体を追放する
わたしは夜の窓辺で詩をかいていた
テレビの映像は
グリーンとしろの異国のユニホーム姿を映している
身体を放牧したサッカーは
ゴール前でボールを融解させた
守りも攻撃の姿態も
間髪いれずに同時だった
そんなとき
うつくしい言葉をもとめたフリューゲルホルンは
出発するほうがよいと夜空に虹の音をえがいた
街のネオンのなかで
絵に描かれたような
黄色く暮れたカフェがある
I will begin again.
I will be with you
again.
わたしは詩をかいていた
2013.2.23