招待席

おぐり ふうよう  明治の小説家  尾崎紅葉の愛弟子  此の掲載作は作者の力量を示す一代の代表作の一と謂いうるとともに、その題材の扱いや表現に、今日の認 識よりして異様に不穏当な遺憾極まるもののあることは覆いがたい。編輯者はこれをつよく憎むと同時に、此の作に見せている作者文藝の才に愕き惜しむ思いも 深い。読者は心してコレを取捨されたい。作者の意識認識は愚劣である。しかも文藝の結晶度はすぐれて堅い。

 (秦 恒平)  




   寝白粉       小栗 風葉


          一

 留湯(とめゆ)一切(いつせつ)御断(おことわり)申候、小町湯(こまちゆ)の夕暮の門を忙しげに出行く女あり。艶やかなる髪の濃く見事なるを、小さき 島田髷(わげ)の密(ひそか)に娘装(むすめづくり)、紫紺の半襟に縞繻子の帯、良(やゝ)古りたる縮緬の帯揚の飛々(とびとび)ながら紅(べに)の入り たる、疎(あら)き三本格子の黄も濁れる八丈の書生羽織を裾長に着たる、年に比べていづれか若やかならぬはなし。見たる所二十五六の秋も稍(やゝ)深く、 水涸(がれ)に闌(すが)れし朝顔も有繁(さすが)に麗しきは暁の濡色、長湯に熱(のぼ)せし顔の瑩々(てらてら)と露の滴る如く、目鼻立揃ひて、生際 (はえぎは)良(やゝ)乱れたれども、画きたるやうの三日月の眉も捨てたものならぬ容貌(かほかたち)。藝者にては固(も)とより無く、茶屋女にしても野 夫(やぼ)なり。矢場女か、月縛(つきしばり)の妾か、此(この)年歯(とし)にして此扮装(つくり)、よもや堅気(かたぎ)にはあるまじ。
 傍目(わきめ)も振らぬ急足(いそぎあし)に裾も翩々(はらはら)と、そんじよ其所(そこら)の電信に附きて曲らむとする時、お桂(けい)、長いではな いか、と擦違様(すれちがいざま)に声懸けられて振返れば、手拭片手に兄の宗太郎。年歯(とし)こそ三歳許(みつつばかり)も違ひたれ、争はれぬは同じ胎 (はら)より梅と杏(すもゝ)の容貌(おもざし)肖(に)たれど、身装(みなり)は太(いた)くも変(かはり)胡麻柄の丈(たけ)短く、襟の縒(よ)れた る綿結城(めんゆふき)の袷羽織(あはせばおり)を着て、松坂縞の布子(ぬのこ)に、角帯(かくおび)、前垂懸(がけ)の飽まで実躰(じつてい)なり。あ ら、兄様(にいさん)もお湯に? と訊ぬるを、内には小僧一人店番の不用心なれば、蚤(はや)く帰らぬか、と言捨(いひずて)に急ぎて是も小町湯に入り ぬ。
 折から夕飯時の少時(しばし)客の絶間、男湯は我独占(ひとりじめ)の湯槽(ゆぶね)に踏反返(ふんぞりかへ)りて、何(どう)も謂はれぬ心地、南無阿 弥陀仏と燗徳利を浸(つ)けたるやうに、身動もせで沈める隣の女湯には、前(さき)より二人掛合(かけあひ)の饒舌(しやべり)続けにて、何と御内儀様 (おかみさん)、今帰りました娘は如何(どう)で御在(ござ)んす。最(も)う彼是(かれこれ)三十にもなりませうかとあれば、彼是どころか、速(と)う に三十で御在んしよ、と癇走りたる声の早口に、彼(あれ)は銀杏屋(いてふや)の萬年娘とて名代な者。真(ほん)の事、私は那(あの)銀杏屋が未だ芝に居 たのを存じて在(を)りますが、其頃最う好い娘盛(ざかり)。それから麻布、霊岸島、麹町、両国と経歴(へめぐ)つて、今の天神前に煙草店を出してからも 彼是二年近く、毎(いつ)も赤々と九谷焼の化物のやうな装(なり)して、工手間(ぐでま)の懸つた漆泥(しつくひ)細工で節分の豆数を隠さうとしても、隠 されぬは寄る年波、傍へ寄つて見ますると、小皺の間へ溜つた白粉の黒く染着(しみつ)いて、手垢の附いた白縮緬見るやうな、と笑へば此方(こなた)も笑ひ て、左(と)も右(かく)も那(あの)年歯(とし)で、娘姿も異変(ひよん)なものと皆まで云はせず、其は姨様(をばさん)が見慣れぬ故(せゐ)、大神宮 様の御国などにては些(ちつと)も稀(めづら)しう御在んせぬ。其証拠には三十振袖、四十島田と伊勢音頭にも御在りまする、と是で一廉(ひとかど)洒落て 退(の)けたる意(つもり)か、又も一度に高笑(たかわらひ)。
 聞愁(きゝづら)き妹の噂に宗太郎は長くもあらぬ湯に逆上(のぼ)せ、折節入来る客の見識らぬ男にまで顔覗かるゝ心地して、人知らぬ冷汗に湯冷(ゆざ め)の嚔(くしやみ)も誰(た)が噂よりと、着物も匆々(そこそこ)に引被(ひつか)けて我家に馳帰(はせかへ)りぬ。店には小僧一人仔然(ぽつねん)と 座れるを訝(いぶか)しく、お桂は? と問へば、二階にと聞きけるまゝ、階子段昇行く足音にも気着かず、出窓の下なる鏡台の前に、妹は大肌脱(ぬぎ)の夕 化粧に余念は無かりけり。
 梅は老樹(おいき)も花を忘れず、幾歳(いくつ)になるも女は修飾(みだしなみ)、鏡と操(みさほ)は一生捨てられぬものながら、最早寝るばかりなる身 に然(さ)りとは無用の化粧三昧(ざんまい)、恁(かゝ)ればこそ、仇(あだ)も怨(うらみ)も無き他(ひと)にまで彼是の沙汰もせらるゝなれ。姿を資本 (もとで)の売色の輩(やから)なればいざ、素人(しろうと)の色作る事にのみ浮身を窶(やつ)すは、兄の目にも余りて、苦り切りたる気色をお桂は腑に落 ちねど、有繋(さすが)に心尤(とが)むる両肌(もろはだ)を慌てゝ押隠し、大層蚤(はや)い御帰来(おかへり)と居住(ゐずまひ)を正(なほ)しぬ。お 桂よ、私(わし)も這麼言(こんなこと)云ひたくはなけれど、余り世間の口が懊悩(うるさ)ければ、と聞きし女湯の陰言(かげごと)を語りて、強(あな が)ち紅白粉を捨てよとにはあらねど、花の梢も夏は青葉に、女も二十(はたち)過ぎての娘装(むすめづくり)は可厭(いや)なもの。島田も最う年明(ねん あけ)にしたらば如何(どう)だ、と日頃の兄ならぬ怨言(いやみ)の辞(ことば)に、お桂は前(さき)より溢るゝばかりに涙を漾(たゝへ)つゝ、口惜しげ に其顔を打目戊(うちまも)りしが、私とても何時が何時まで、這麼(こんな)島田など結うてゐたくは御在んせぬ、と身を顫はして泣伏したり。


    二

 破鍋(われなべ)にも綴蓋(とぢぶた)とやら、況(まし)て容色(きりやう)十人並に勝(すぐ)れて、春は此一枝に騷がれし花も、やうやう散方(ちりが た)の三十近くまで定まる縁無くて、夏もはや実を結ぶべき頃を仍(なほ)独身(ひとりみ)の徒臥(いたづらぶし)、女の身にしては命も縮むばかりの憂目 (うきめ)なるべし。固(もと)より姑、小姑に不満(いや)は謂はず、唯似合はしき縁なればと苛(いらだ)つにつけ、売物の花やかに粧(かざ)り立てゝ、 年歯(とし)より五歳六歳(いつゝむつ)、若いと云はるゝを着物一枚出来たより嬉しく、今年二十六と云ふに厚化粧の島田髷、日髪(ひがみ)、日風呂、寝白 粉、何の何の好(すき)で為(す)るにはあらず、年歯(とし)ほどに扮(つく)れば二度目か、と二の足踏まるゝが口惜ければなり。
 其を承知の兄までが不便(ふびん)と思うてはくれず、然(さ)りとは怨言(いやみ)らしい事言はるゝからには、然(さ)らでも煩(うるさ)き世間の蔭 言、然こそは口に税の出ぬまゝに、萬年新造(しんぞ)の、人魚娘の、と恩も怨も無き者の悪口も愁(つら)し。左右(とかく)は此姿だに世に曝さねば、口惜 き沙汰も為(せ)られで済む事なりと、それよりお桂は昼を隠れて薄黯(うすぐら)き奥の一間に垂籠(たれこ)め、人目を恥ぢて店にも出でず。風邪気にも欠 かさゞりし湯にさへ弗(ふつ)と行かずなりて、台所事の外は一日を唯鬱々と暮らせば、生得(しやうとく)の蓮葉(はすは)も遽(にはか)に陰気なる吐息の 外は、物云ふでもなく、日増(ひまし)に顔の光澤(つや)失せて、姿次第に羸(やつ)れ行きけり。
 病めるにもあらねば、枕に就くにはあらず。設令(たとひ)又僅に悩ましき所あるにもせよ、此切迫(おしつま)りたる師走半(なかば)の忙しさに、我のみ 春の来れるやうに楽寝もならねば、お桂は畳紙(たたう)を啓(ひら)きて、嬉しからぬ春の支度も兄のやら、小僧のやら、色々溜りたる仕事を取出しては見れ ど、例の頭(かしら)重く、心結ぼれて針の運(はこび)も大義なり。強ひて務むれど、直(すぐ)に根(こん)尽きて、慵(ものう)げに縁の障子を啓けば、 猫の額ほどなる庭も有繋(さすが)に末枯(うらがれ)の色、庇間(ひあはひ)を洩来る月影に一株の石蕗(つわぶき)吾淋しう咲初(さきそ)めし傍に、宗太 郎が縁日にて求めし山茶花の、根や附(つ)かで、半開の一輪散際(ちりぎは)待たで凋(しぼ)み行く哀(あはれ)さの、我身の上に寄(つま)されて漫 (そゞろ)悲しき四辺(あたり)の静なるにつけて、世間の忙しきは囂々(がやがや)と手に取る如く、煤掃の音、餅搗の響、町には車の轟(とよめき)、喇叭 (らつぱ)の声、物売の太鼓の音も聞えて、折から大小柱暦売、来年の御重宝(ごちやうはふ)、と声高(こわだか)に店頭(みせさき)を呼び過ぎぬ。
 聞(きく)とr(ひとし)くお桂は胸など刳(えぐ)らるゝやうに覚えて、此上に又一歳(ひとつ)迎(と)らねばならぬとは、唉(あゝ)! 嫌なことか な、と情無き涙溢(こぼ)るゝ時、お桂お桂と呼ばれて、あいあいと走出れば、店頭に一輌(だい)の車を停めて、慇懃に兄と挨拶する丸髷の女あり。誰ぞと見 れば己が朋輩娘の荒物屋のお清(きよ)、持つて生れし不容色(ぶきりやう)に縁遠くて、未だ此頃まで我とr(ひと)しき萬年新造にてありけるが、少時(し ばし)見ぬ間に思も寄らぬ内儀扮(づくり)の勿体らしう、御機嫌宜(よろ)しう御在りまするか、私も先月始、交番前の升屋(ますや)と謂ふ砂糖屋へ片附き まして、其れ是やで太(いか)い御無沙汰、御変も御在りませぬか、未だ何(いづれ)へも御出でなされませぬか。所夫(やど)はかねがね御兄様とは御相識 (おちかづき)の由にて、蔭ながら貴方の事も存じてをりますれば、何卒従前(これまで)通り御心易う、御閑(おひま)の折り些(ち)と御出で下されませ、 と昔ながらに能く喋れど、何処やら以前と変りて容躰振(ようだいぶり)たる口上の憎さ。何時も手拭地の浴衣着て、金棒曳(かなぼうひき)廻りし昔の嗷々 (がらがら)調子の下作(げさく)なりしも、人の女房となれば恁(かう)もお高くなるものか。途次(とほりすがら)に御無沙汰の御詫とは偽(いつはり)、 大方其丸髷見せに来たりしにやあらむ。二言目には所夫(やど)が所夫(やど)がも気障(きざ)なり。
 妬(ねた)さ羨しさに、お桂は浅ましき僻(ひがみ)を起して、碌々挨拶も為ずに奥へ引込めば、恁(かう)した筈では無かりしお清の、吊詞(くやみ)の間 違ひしたやうに、告別(いとまごひ)も匆々(そこそこ)にして帰行きけり。何の弁別(わきまへ)も無き小娘ならば知らず、万事を承知したる妹の余りなる挙 止(しうち)に、宗太郎は客の帰るを待ちかねてお桂の傍に行き、然(さ)りとは女にあるまじき不愛相を責むるを、如何(いつか)な耳には入れず、這麼(こ んな)恥かしい目に遭ふも身の定まらぬ故。那麼(あんな)者にまで馬鹿にされるが口惜しい口惜しい、と埒も無く泣立つるに、宗太郎も一度は其邪推を呆れし が、是も不縁故の僻(ひがみ)と思へばなかなか可哀(いぢら)しく、頓(とみ)に辞(ことば)も無かりし間(ひま)にお桂は涙片手に衝(つ)と起ちて、二 階に又多時(しばらく)泣きたりしが、やうやう涙を払ひし面(かほ)を鏡台の前に白粉して、水に映れる雨後の月の淋しき姿に頷き、其まゝ夜着引被(ひきか づ)きて打臥せしが、それよりやうやう枕に親しくなりて、身に恙(つゝが)無き日とては稀にぞなりける。


     三

 正月七日夕景より、柳外居(りうぐわいきよ)に於て都々一(どゞいつ)糸入(いといり)運座(うんざ)相催し候付(そろにつき)、万障一排して交番所前 の升屋に参会したる嬉遊連(きいうれん)の連中、梅亭莟升(ばいていがんしよう)を一座の宗匠に、春狐(しゆんこ)、秋狸(しうり)の徒(てあひ)二十余 人、中に岸廼舎柳(きしのややなぎ)といふは銀杏屋宗太郎が表徳(へうとく)なり。花に鳴く鴬、水に住む蛙、此男にも此隠藝ありて、日頃算盤(そろばん) 片手の慰に、初手は浮気で中度(ちゆうと)は何とやら、一生の道楽を此二十六字に留むれば、所好(すき)こそ物の上手に掛調(かけてう)の名人とて、毎 (いつ)の勝負附(つけ)にも小結(こむすび)を下らず。達者なる割には嘘字の少き所より、今日も名誉の執筆(しゆひつ)に選まれて、好かぬ女の思差(お もひざし)、然(さ)りとは難有迷惑(ありがためいわく)と呟(こぼ)しながらも、三絃(いと)の、景(けい)のと独り忙(せ)はしげに立廻れり。
 時刻となれば、宗匠文台に着きて、題も出でぬ。軈(やが)て〆切間近となれども、何とかしけむ三絃(いと)は来らず。宗太郎のは清記(せいき)の筆を控 へて、切腹場の判官の末だか未だかと催促。主(あるじ)の柳外居も故々(わざわざ)皆を招きながら、此不躰裁(ぶていさい)を初舞台の力弥(りきや)、他 目(よそめ)にも気の毒なるばかり狼狽(とち)りて頼み置きける横町の端唄(はうた)の師匠の許(もと)へ幾度の早打(はやうち)を出しけるに、遽(には か)に外されぬ用事起りて出懸けたれば、御気の毒ながらとの断(ことわり)なり。然れど半(なかば)は之を目的(あて)に参会したる三絃(いと)をば、今 更抜(ぬき)には為(さ)れず、所為(せむ)無きまゝ宗太郎を呼出して、今宵の始末を打明けたる上、豫々(かねがね)清(きよ)からも聞及びたるお桂様 (さん)の三味線、何卒手前の当惑をお助けなさると思召して、今夜披講の間(うち)だけ御願ひ申せませぬか、と主が余儀無き頼を辞(いな)まむやうもな く、左(と)も右(かく)もとて妹を呼びに行きぬ。
 東風(こち)吹くや、然れば名も無き草も萌出る春を外(よそ)に、我身一人を冬に垂籠めてのみあればこそ、恁(か)くは気も朽ち、胸も結ぼるゝなれ。偶 (たま)には衆中(ひとなか)に出て笑ひもし、騒ぎも為たらむには沈勝(しづみがち)なる心も自ら引立ちて、躰の為にも良からむ、と宗太郎が強(た)つて の勧誘(すゝめ)に、お桂は進まぬ心を励まして、卒然(いざさ)らば乱れたる髪を撫附け、糸織の小袖にフラネルを重ねて、米琉(よねりう)の書生羽織に海 老茶の短紐(ひも)、心地勝れぬ身にも例の化粧は忘れず。喩(い)はゞ野分の後の女郎花、久しき悩に闌(すが)れながらも仍(なほ)露けき姿の妖■(=女 ヘンに堯、なよなよ)と、そんじよそれ者(しや)の風情あり。
 青葉に交る花の一輪、座中の目は言合はせたるやうに我にのみ注ぎて、真面(まとも)に照附(てりつ)くる燈火も眩き宗匠の次席に、お桂は曠(はれ)がま しくも、三味線膝にして待間(まつま)程無く開巻(かいくわん)となれば、声自慢の一亭三升(いつていさんしよう)が披講にぞ選まれたる。此男俗名を三之 助とて、新道(しんみち)に名代の料理屋伊豆勘の弟息子、門前の小僧は習はぬ経を嫁も持たずに、今年三十一といふに、仍(なほ)女で食ふ気の不量見者(ふ れうけんもの)。唐桟(とうざん)の薄綿入に更紗縮緬の下着を重ね、黒繻子(くろじゆす)の帯細仕立にして、白琥珀に彩色絵の裏地是見よがしに羽織を脱捨 て、一膝動出(ゆるぎい)でゝ、半開(はんびらき)の扇を口の辺(ほとり)に翳(かざ)しつゝ、三光(さんくわう)の奥抜(おくぬき)一々唄上(うたひあ ぐ)る調子の少しく甲高(かんだか)なると、異(おつ)に転(ころが)すが可厭(いや)ながら、生得(うまれえ)ての美音は一座の耳を傾けて、喝采々々 (やんややんや)。
 折から宗匠にも急用出来て、宅より迎の来りければ、本意(ほい)無くも今宵は此一順にて切上ぐる事となりぬ。奇亭薫楠子(きていくんなんし)といふ男が 歳旦詠込の、宝舟して二日の枕、逢うて嬉しき夢始(ゆめはじめ)と謂ふを落巻(らくくわん)に、三光、五客まで景品出でゝ散会したる迹(あと)には、親し き間の宗太郎と三之助の二人のみ残りしが、此家(このや)の花嫁お清が例の大丸髷は、然(さ)らでも心地勝れぬお桂の気色に障りて、面白からぬまゝに、頼 まれし役目の済むと與(とも)に告別(いとまごひ)も匆々(そこそこ)に立たむとせしを、主夫婦は固(もと)より、今宵初見(しよけん)の三之助まで辞を 尽して曳留むるに、有繋(さすが)に素気(すげ)無くは払ひかねて躊躇(ためら)ふを、那様(あのやう)に仰有(おつしや)る事ゆゑ、最(も)少し御邪魔 して、一緒に帰れとの兄の辞(ことば)に、今は是非無く旧(もと)の座に復(かへ)れば、はや酒肴(さけさかな)出でぬ。
 主夫婦も如才なけれど、殊に女に懸けては倥(ぬかり)無き三之助の勧(すゝめ)上手に、お桂は生来の下戸にも似合はず、此男に差さるゝ盃の何とやら受け ずには措かれず、同じ酌なれども、此男に注がれし酒は口附ける気にもなりて、何時か紅梅一枝の微酔(ほろゑひ)、漫然(うかうか)時の移るも覚えざりし を、兄に促されて今更に暇告ぐるが惜しく、心遺(のこ)して立帰る途次(みちすがら)も、何かに附けて三之助の噂。それ気に障(さ)へてや、急に不興気 (げ)なる宗太郎の返辞もせざりしが、我家の門を入り際(ぎは)、那(あの)男には誰も一寸惚(ぼれ)して後悔するのさ。


     四

 始終曇勝(がち)に打沈みたるお桂の、殊に此四五日は頭重く、胸悪く、心地勝れずとて一間に籠りたるまゝ、何思ふとしも無く物思はしげに嘆息(ためい き)洩して、血の所為(せゐ)にやあらむ。三度の飯も唯膳に向ふばかり、箸採るも懶(ものう)げに見えけるを、不思議や不断塩辛と同一(ひとつ)に見るも 胸悪しとまで嫌へる升屋のお清の、今朝店頭(みせさき)より一言云遺(いゝお)きて返りけるより、何をいそいそ(=口ヘンに喜、々)変れる挙止(そぶり) のさても、如何なる風や拭ひ行きけむ、朧なりける春の月の急に色さへ勝れて見えぬ。糠よ、石鹸(シヤボン)よ、と久しく風呂にも入らざりし躰を念入に磨け る間に、永き日脚も傾きて、五時を打つと與(とも)に、黄昏(たそがれ)を咲く夕顔のほのぼのと白う塗りし後、やうやう夕餉(ゆふげ)の支度に取懸りぬ。
 軈(やが)て長火鉢の傍に同胞(きやうだい)毎(いつも)の取膳、宗太郎は茶でも気に入らぬか、常に無くむつつり(弗ヘンに色、然)として、苦々しげに 妹の姿を眺めて在りしが、嬌飾込(めかしこ)むで何処へ? と訊ねぬ。何処へと謂ふて、兄様(にいさん)は三之助様の運座へは御出(おい)でなさらぬの?  と却て不審の面色(おももち)にて、是非今夜の三絃(いと)をと故々(わざわざ)お清様(さん)の御使、いづれ兄様もお出なさる事と思うて、私も承知し て置いて今更参らでは、先方(さき)様へは左(と)も右(かく)お清様に済まねば、と弁疎(いひわけ)がましき辞(ことば)を冷(ひやゝか)に打笑つて、 お前が所好(すき)で行くものを無理に留めはせねど、私は止(よし)にする、と匆々に箸措きて宗太郎は起ちけり。
 今宵に限りて不興気なる兄の心を酌みかね、日頃は随分我儘なるお桂も有繋(さすが)に出難くて、今更仇(あだ)なる身刷(みじまひ)を口惜しく、独(ひ とり)むしやくしや(=草カンムリに紛、と蘊)しながら小僧の膳拵(ぜんごしらへ)する時、店頭に訪(おとな)ふ女の声の聞えぬ。設(もし)やと思ひて馳 出(はせいづ)れば、おゝお桂様、貴方の御出が余り遅い故、と案の如くお清が迎に来れるなりけり。最(も)う運座も始まりまして、三之助様を始皆様(みな さん)の甚太(いか)いお待兼、御都合好くば直(すぐ)御支度なされまし。宗太郎様(さん)、貴方も御一緒に、と言ふを機(しほ)にお桂は二階へ駈上り て、着物を着替へ、鏡台の前に手早く顔を修(なほ)して、急遽(いそいそ)引返したる店頭に木履(ぼくり)を穿きながら、兄様は? と振返れば、唯むつか しげ(=三水ヘンに且、と色)に頭を掉(ふ)りたり。
 過(すぎ)し七草の晩、柳外居にて催せし運座とは太(いた)く異りて、人数も主の三之助升屋の夫婦を合せて、少(わづか)に七人。宗匠も無く、執筆(し ゆひつ)も無く、文台の代(かはり)に酒肴を置きて、一座大部分酔も回りたる様子なりしが、お桂の来れるより申訳ばかりに袋廻(ふくろまわし)を一順行ひ ぬ。判は互撰に、二点以上の唄を詠主(よみぬし)自ら唄上(うたひあ)げて、三絃はお桂とお清と交替(かたみがはり)に弾きけり。
 風流と亡者(ほとけ)の伽は宵のもの、と一同十時を打つを合図に打連れて帰りけるが、お桂のみは曳留められて、更に鮨など振舞はれし後、やうやう告別 (いとまごひ)したるは十一時近く、夜更けて女の独行(ひとりあるき)は物騒(ぶつさう)なれば、と故々(わさわざ)提灯点(つ)けてお気の毒な、辞(こ とわ)れども肯かぬに是非無く、女中に送られて我家に帰れば、店ははや戸締まり固く鎖(とざさ)れたり。毎(いつ)も我の帰るまでは潜口(くゞり)も其 まゝに、小僧を寝かしても待受けて在(ゐ)る兄の、訝しきは今宵の早寝。我を閉出(しめだ)さう心か、然(さ)りとては強顔(つれな)き為方(しかた)を 恨の拳に力入りて、思はず手暴(てあら)に打叩けば、不意に内より戸を引啓(ひきあ)けて、騒々しいではないか、自分の所好(すき)で晩くまで遊むで来な がら、と突慳貪(つゝけんどん)に窘(たしな)むる宗太郎の息は、例にも無く熟柿(づくし)のやうに臭かりき。


     五

 坊主(ばうず)、傾城、仲人口とて、是誰も瞞(の)せられ易きものに昔より言做(いひな)せど、媒人の私よりも却て貴方の方が能う御存知の三之助様(さ ん)、仮令(たとひ)墨を雪に言拵へて、誰も飛附きさうな旨い事ばかり並べ立てたとて詮(せん)無ければ、好きも悪(あし)きも打明けての御相談。什麼 (いかに)も三之助様は銭づかひの暴(あら)いが瑕(きづ)なれど、其も独身の気儘なる故なり。一度世帯持ちて、世渡の辛身(からみ)も身に沁みなば、如 何に宵越の銭はと江戸子(えどつこ)がる男も、自(おのづか)ら懐緊(しま)りて、後には女房の髪結銭にまで細(こまか)い穿鑿(せんさく)、米の値 (ね)を知りての上の無分別は出来ぬものなり。殊に三之助様も此度坂下に伊豆勘の支店(でみせ)を出して、是よりは身も前垂懸の堅気(かたぎ)に、飽くま で率直(ぢみち)に稼ぐ覚悟の由。人も一度は道楽して緊りたるは、水を潜りし炭の火持好きやうに、別けて酸いも甘いも噛嚼(かみわ)けたる男の、亭主に持 ちて肩身も広いといふものなり。又私の所のやうに姑小姑の係累(うるさき)は無く、親兄弟の小面倒なるもあらぬ独身(ひとりみ)の、年歯(とし)も丁度似 合(にあは)しき縁なれば、先方(さき)の執心を幸(さいはひ)、お桂様を御遣(おつかは)しなされては如何(どう)で御在りまする、と例のお清が薄い唇 を飜しての媒酌口(なかうどぐち)。宗太郎は始終苦り切りて左右(とかく)の返辞も無かりしが、何れにもせよ、当人の了簡を聞いた上ならでは、と曖昧にし て其場を濁さむとするを、此方(こなた)は透(すか)さず、それではお桂様さへ御承知なされば、貴方には御違存(ごいぞん)は御在んせぬかと問詰められ て、他目(よそめ)にも当惑の色は見えにけり。他人の私が要らぬ御世話なれど、お桂様も二十を越して、可惜(あたら)御容色(ごきりやう)を持腐(もちぐ さり)にお為(さ)せ申すは御可哀相では御座りませぬか、と口数多きは日頃の癖格別意(こゝろ)有りての辞(ことば)にもあらねど、宗太郎は何と邪推して やら思はず屹(き)と目を瞠(みは)りしが、遽(にはか)に色を変へて、二十を越さうと越すまいと、他人の貴方の御指図は受けませぬ。
 けんもほろゝの挨拶に、お清もむつ(=弗ヘンに色、然)として還りし迹に、宗太郎は身動(みじろぎ)もせで深く物思ふ気色なりしが、旋(やが)て便所に 行かむとする襖の蔭に妹の立姿、最前より爰(こゝ)に一部始終を立聞せしなるべし。涙含(なみだぐ)める目もて怨めしげに見返りしが、其まゝ顔見らるゝを 厭ふが如く、お桂と呼べど聞こえぬ風(ふり)して、慌忙(あわたゞ)しく駈上る階子段の足音は暴(あら)かりき。宗太郎も妹の不機嫌なる理由(わけ)は察 して、独(ひとり)切(せつ)なげに其後影をば見送りつ。何時まで経てども下来(おりく)る気勢(けはい)は無くて、午砲(どん)間近になれど仍(なほ) 午餉(ひるげ)の支度にも懸らざるに、今は捨措かれず、是非無く二階に昇りて見れば、額の辺まで掻巻引被(ひきかづ)きて、深く寝入りたるやうに打臥した り。お桂お桂、と呼べども呼べども答の無きに、枕頭(まくらもと)に行きて掻巻に手を懸けむとする時、始めて身を動かせしが、其儘衝(つい)と向面(むか ふむき)に寝返りけり。
 此(この)胸気(むねき)なる所為(しかた)を宗太郎は怒らむともせず、却て腫物などに触るものゝ如く、又例の僻(ひがみ)起して、私(わし)が意地悪 くお前の縁談を邪魔するやうに勘違ひしてくれては窮(こま)る。什麼(いかに)も三之助様(さん)は男振も好し、才覚も有り、萬事に抜目無くて、天晴(あ つぱれ)亭主に持つて恥かしからぬ男。殊に今日此頃のお前の挙止(そぶり)、私も知らぬで無ければ、此(こち)から無理に頼むでも添はせて與(や)りたい ものを、況(まし)て前方(むかふ)から那様(あのやう)に人橋(ひとはし)架けての申込、二(ふたつ)返辞で嫁(よめい)らして遣りたけれど、と切無き 顔を打背(うちそむ)けつ。


          六

 今更事新(あたらし)う言ふまでも無けれど、お前も私(わし)も世に在る効(かひ)無き穢多(ゑた)の同胞(きやうだい)! 御維新前までは夜盗(やた う)、野臥(のぶせり)よりも卑められて、人間並の交際(つきあひ)さへも出来ざりし身上(みのうへ)なり。今でこそ四姓の中に加へられて、人並に平民の 籍には入りながら、未だ世間では新の字を附けて、依然(やはり)人間の仲間では無いやうな待遇(あしらひ)。それは未矣(まだしも)の事なれど、一生御恩 は忘れませぬの、死なば諸共の、と如何にも堅さうな口を利いた奴までが、新平民と聞くが最期忽ち白い目して、傍へ寄るも身の汚辱(けがれ)、辞交すも外聞 を悪がりての愛想尽し。現にお前も知る通り、私は此の十年許(ばかり)の間に前後七度の縁談、或は纏懸(まとまりか)けて急に先方(さき)の気の変るもあ り、或は盃済むでから苦情の起るもあり、或は言争(ことばあらそひ)一つ為(せ)ざりしものゝ不意に遁出(にげだ)すもありしが、いづれも新平民といふの が破談の原因(もと)なり。然れば一度は同じ哀(あはれ)の穢多仲間より娶(もら)はむかとも思ひしが、恁(かく)ては旋(やが)て出来なむ子の、いづれ 又同じやうに新平(しんへい)よ、穢多よと疎(うと)まれて、一生修羅を燃すが不便さに、此様な神仏にまで見放されたる因果の血統(ちすぢ)を世に遺すま いと覚悟して、世間から退者(のけもの)に為(さ)るれば為れよ、人にも附合はず、附合うてもらはず、却つて一生独身の心安く、持つて生れし寿命を一日も 早く送越して、昨日も無ければ明日も無く、唯其日を夢のやうに暮せば可(よ)い、と此二三年脱然(すつかり)と諦めて退(の)けた。
 痴呆(ばか)か、不具(かたは)か、切(せ)めては容色(きりやう)でも悪からうなら、未だ諦めも付かうなれど、因果か、果報か、強(あなが)ち私(わ し)が肉親の慾目でもなく、他人の目にも十人並勝れて見ゆるお前の容(かたち)。穢多で無くば、新平で無くば、随分仕合(しあはせ)な所へ縁も有らうもの を、可哀や! 三十近くなるに身も固まらず、可惜(あたら)容色の衰へ行くを、傍に見る此兄が心の中は如何様(どのやう)なと想ふぞ! 殊にお前が年中鬱 々(ぶらぶら)と躰の良からぬのも、日倍(ひまし)に面(かほ)の光沢(つや)の失(うせ)行くのも、皆青春(としごろ)を独身(ひとりみ)で居る所為 (せい)と医者も云はるる。噫(あゝ)! 人の力で称(かな)ふものならば、私の命を縮めても、其忌(いま)はしい穢多の二字をお前の体から取除けて、一 日も早く好い亭主を持たせたい日頃の念願。固(もと)より今度の縁談に不承知な理(はず)は無く、又支度の要る事ならば、此身上(しんしやう)残らず払 (はた)いても嫁(よめい)らして遣りたけれど、情(なさけ)無いかな! お前は人並の交際(つきあひ)■(かな)はぬ穢多の娘。広い世界に唯一人の、女 房に来人(きて)も無き哀なる新平民の妹なり。今こそ何も知らざれ互の談(はなし)纏まりて、いよいよ與(や)る、娶(と)るの間際になれば、先方(さ き)も一生の大礼なれば、一応此方(こち)の血統(ちすぢ)から素性、身元まで細(こまか)に穿鑿(せんさく)するは定(ぢやう)なり。然(さ)るほどに 日輪の隈無く照し給ふ下に、髪毛(かみのけ)一条(ひとすじ)だも隠了(かくしおほ)さむとするは誤にて、此二十年不足(たらず)の間に、芝、麻布、京 橋、麹町と七八所(なゝやところ)も替へたれど、何所(いづく)にても少しく尻の暖まる頃には、誰言ふと無く隠せる素性を四隣(あたり)に知られて、例の 口毒(くちぎたな)く沙汰せらるゝが辛さに、つひぞ是まで一所に三年と住着(すみつ)きし例(ためし)無く、萍(うきくさ)の所定めず漂ふにても、実 (げ)にや障子に目ある世は、何時かは人に知らるゝものを、況(まし)てそれからそれへと穿鑿せられて怎(いか)で素性の知られずに済むべきや。又此忌は しき素性を知られて怎(いか)で此縁談の纏まるべきや。当人は左(と)もあれ、怎(いか)で身内の者の黙つて通すべきや。末遂げぬは目に見えたれば、憖 (なまじ)ひお前を喜ばせて、祝言間近のいよいよに又破談の憂目を見せうよりはと思ひ、且は恥づべき血統を用無きに洗はるゝが可厭(いや)さに、私も頷き たい首掉(ふ)つて、お清様(さん)の折角の親切も無にし、お前の落胆(ちからおとし)も知りつゝ辞(ことわ)つたが過失(あやまり)か。
 嗟乎(あゝあゝ)! 同じ人間に生を享けながら、何の因果で恁(かゝ)る口惜しい、恥かしい、生効(いきがひ)も無い、情無い目に遭ふ事か。人は生れな がらに恁(かか)る忌はしい穢(けがれ)の身に在るものか。あはれ此世に於て何一つ業(ごふ)を作りし覚(おぼえ)無き身を、何とて世間は恁(かう)も強 顔(つれな)く苛(さいな)むやら。設(もし)前世の罪業故とならば、其まゝ前世に如何様とも苦艱(くげん)を更(う)けて埒明けうものを、憖(なまじ) ひ此人界(にんがい)に曝して、罪も業も一切忘れて覚(おぼえ)無き身を然(さ)りとては非道の神や! 仏や! 切(せ)めて朧気なりとも前世の科(と が)を知るならば、又何とか観念の為(し)やうも有るべきに。子として親を恨むは勿体(もつたい)なけれど、生中(なまなか)恁(かか)る因果な身を生む で給はらずば、縦令(よし)又生まれしまでも、物心附かぬ間に一思に殺してなりと給はらば、あはれ今日の憂目も知らで済むべきに。恁(か)く人並の分別 (ふんべつ)附きたる上は、有繋(さすが)に我と我手に命を縮めもならず、産土神(うぶすなさま)にも空怖(そらおそろ)しく、草葉の蔭の両親(ふたお や)にも申訳無い心地して、是程までに苦しみながら仍(さて)も此の世に未練ありてか、毎(いつ)も間際に怯(おくれ)が出て、死ぬにも死なれぬとは原来 (さて)も如何なる因果ぞや。唯此上は不意に梁でも落ちて来るか、雷にでも打たれるかして、一思に殺されたいが日頃の願なれど、それさへ■(かな)はで、 今日まで生疵(なまきず)一つ受けもせず、去年の赤痢にも助かりしを思へば、よくよく業の滅せぬものか。人には犬猫の死屍(しがい)のやうに厭(きら)は れて、神仏にまで憎まれたる身の、憖(なまじ)ひ世間に交際(つきあひ)を求むればこそ、悲しい事、恨(うらめ)しい事、口惜しい事の数にも遭ふなれ。又 夫婦と謂へば如何にも楽しい、頼もしい者のやうには想はるれど、元来(もともと)他人の合せ物、存外離れ易くも脆いものにて、他(よそ)から見る程善くは 無い者なり。それよりは恁(かう)して同胞(きやうだい)同士水入らずに、人を便(たよ)らず唯二人、間和(なかよ)く一生を暮さうではないか、と事理 (こと)を分けたる兄の言分(いひぶん)も、一向(ひたぶる)恋に湍(はや)れる耳には入らで、お桂は正躰も泣伏したるまゝ頭を掉(ふり)て、仮令(たと ひ)汚れた血統(ちすじ)なりとて、今更私を、私を嫌ふやうな、那麼(そんな)水臭い三様(さんさま)では御在んせぬ。


     七

  然(さ)らぬだに恋は若駒の勇み易きものなるに、小猫も狂ふ春の真中(まなか)を轡に責められ、おもがひ(=革ヘンに龍)に繋がれて、久しく徒(あだ)に のみ心を霞む野に走らせし挙句の、一度手綱を放るれば、山も見ず、水も見ず、我身をさへ忘れ果(はて)て、真一文字に心のまゝを狂ひ行くも理(ことわり) なるべし。
  お桂は今年二十六の春まで、然(さ)こそとのみ夢にさへ憧れし男の味を、茲(こゝ)に始めて覚えたる敵手(あいて)は折紙附の三之助、女に懸けては正宗の 斫味(きれあじ)、高が世間知らずの処女(うぶ)を悦ばすは七輪の火に氷を溶かすより容易(たやす)く、那(どう)も恁(かう)もならぬやうに為向(し む)くれば、此(この)甘味(うまみ)骨肉に沁みて、只管(ひたすら)渇きに渇ける喉(のど)を鳴らしつゝ、見苦しきまで熱上(のぼせあが)りしお桂は、 目も眛(く)れ、心も眩みて、命も是ゆゑには惜からず思へり。
  然れば鹿を追ふ猟夫(さつを)の獲物にのみ心奪(と)られて、己が血統(ちすじ)を顧る遑(いとま)無く、理(ことわり)迫(せめ)たる兄の誡(いまし め)も耳には入らで、却て我身の縁談妬ましさの邪魔立と僻(ひが)みて、一生を独身などゝは可厭(いや)な、可厭な、可厭な事かな! 兄様(にいさん)の やうに誰も嫁に来人(きて)が無ければ是非もなけれど、私には三様(さんさま)と謂ふ歴(れき)とした人の有るものを、今更其を捨てゝ、是までにさへ飽々 したる萬年娘に又此後も何十年、喩(たと)へば亭主の有るに飾(かざり)落すよりも愚なり。縦令(よし)や穢多(ゑた)の娘であらうと、非人の妹であらう と、今更私を袖に為(す)るやうな三様ならねば、と幾度か兄にも迫りしかど、如何(いつか)な聴入る氣色は無くて、やれ御娯(おたのしみ)な事の、御羨し いのと、却て悋気(りんき)らしき怨言(いやみ)をお桂は遂に怺(こら)へかねて、或夜宗太郎の風呂に出でし不在(るす)を窺ひ、羽織のみ着更へて男の許 (もと)へと遁(にげ)行きけり。
  二三日お桂様を御預り申しまする、と翌朝(あくるあした)三之助より一言の辞(ことわり)ありけるまゝ、幾度小僧を遣りしかど妹の帰らぬに、宗太郎の腹立 は一方ならず。蒶蘊(むしやくしや)して其夜も睡(ね)られぬまゝに飛起き、飲めもせぬ暴酒(やけざけ)を鯨飲(あふりつ)くれば、心倍(いよいよ)激し て、憎きは妹め! 因果は同じ哀の身と思へばこそ、憂(うき)も愁(つらき)も己(おの)が事に斟酌(くみわ)けて、不断有らむ限の與涙(ともなみだ)を 濺(そゝ)ぎやれる其情を思はゞ、一生独身と定めし我心の傷ましさをも推(すゐ)して、少しは氣毒とも思ふべきに。然(さ)りとは心無きお桂め、我への憚 (はゞかり)も無く、独(ひとり)面白さうに男狂(をとこぐるひ)するさへあるに、世界に唯孤独(ひとりぼち)の兄を捨てゝ、男の傍へ遁行くなどゝは、薄 情にも程は有れ、畜生め! 如何(どう)して與(く)れう、と齒切(はがみ)をしつゝ再び枕に就(つき)しが、夜毎に床を並べし姿の在らぬに何となく物足 らぬやうな心地して、何時までも眠就(ねつ)かれず。脳は酒に乱れて、捕捉難(とりとめもな)き妄念雲の如く湧出る中に、怪しくも己が一生の妻など寝奪 (ねと)られしやうなる心地して、妬さ、腹立しさの堪へ難く、瞋恚(しんい)の焔(ほむら)は胸を煽りて、我にもあらで家を飛出し、物狂ほしき心の闇を走 りて、程遠からぬ坂下の伊豆勘の出店を叩起しぬ。
  日頃より多くは口数利(き)かぬ男の、有繋(さすが)に言ひたき事の数々も大方胸に納めて、今朝より度々小僧を出しましても御返し下さらぬ故、手前が迎に 参りました。さあ、何卒妹を御出しなされて、と言ふ宗太郎の血相尋常(たゞ)ならず、殊に今宵は奇(めづら)しく酒気さへ帯びて、あはれ思切りたる事も為 (し)かぬまじき氣色を心許無く、猫に小鳥を迂濶(うくわ)と三之助も手放しかねて、今夜は大分晩(おそ)くもあれば、明日朝早く御送り申して、詳しい御 談(おはなし)も其折にと賺(すか)せば、御談も何も聞くには及びませぬ。大方お桂を女房にと仰有るので御在(ござ)りませうなれど、彼(あれ)は仔細あ つて上げられませぬ。はい、何と仰有つてもかなひませぬ。縦令(よし)や彼(あれ)が参らうと申しましても此兄が不承知、と真赤になりて桿立(いきりた) つも酒の上、と躰(てい)好く遇(あしら)ひて、如何(いつか)なお桂は出さゞりけり。宗太郎は愈(いよいよ)辞(ことば)を尽(つくし)て迫りしかど、 遂には聞くも懊悩(うるさ)げに空嘯(うそぶ)きて取合はざるに、此方(こなた)は最(いと)ど急(せき)込む胸を強ひて抑へて、殊更嘲ける如き冷(ひ やゝか)なる笑(ゑみ)を含み、貴方は何も御存知無い故、女房に與(く)れの何のと仰有るなれど、私等同胞(わしどもきやうだい)は新平(しんへい)で御 在んすぞ、血統(ちすじ)の汚れた穢多(ゑた)で御在んすぞ! さあ、それでも貴方はお桂を御曳止めなされまするか、と臆面も無く身の恥を打明して、其 (そ)はと呆るゝ三之助の顔を然(さ)もこそと見遣りつゝ、心地快(よ)げに高笑(たかわらひ)する様正気の沙汰とは見えざりけり。
 曩(さき)より襖の蔭に胸躍らせつゝ、始終の様子を立聴くお桂は、余りなる兄の為方(しかた)の腹立たしさに、我を忘れて衝(つ)と駆出でしが、矢庭に 宗太郎の膝に取着き、余(あんま)りな余(あんま)りな、兄様も余りで御在んす! と身を顫して泣伏したり。何方(どつち)が余りなか後で解る事、さあ世 話やかせずと直(すぐ)帰れ。さあ、お桂と肩に懸けたる兄の手を振りもぎ(=手偏に、也)りて、歸りませぬ、帰るは否(いや)で御在んす! 強(た)つて 連れて行かうとならば、寧(いつ)そ殺して殺して、と前後も忘れて狂氣の如く身を悶えぬ。
 三之助は穢多と聞きしより遽(にはか)に様子変りて、此中(このうち)にも独(ひとり)思案の腕組して在(ゐ)たりしが、旋(やが)て涙に正体無きお桂 を宥(なだ)めて次の間に連行き、余り兄様の云ふ事に逆うては後来(のちのち)の不為(ふため)なれば、左(と)も右(かく)今夜は一応帰つて見たらば甚 麼(どんな)もの? 其内に改めて此方(こち)から人を出して、屹(きつ)と貰受けずには置かぬ程にと言ふ。始は承引(うけひ)く気色も無かりしかど、辞 巧(ことばたくみ)に種々(さまざま)賺(すか)されて、お桂も遂に其気になりけむ、真(ほん)で御座んすか。那麼(そんな)巧い言仰有つて萬一御見捨て なさるが最期、私は、私は生きては居ませぬぞえ、と気遣はしげに見挙(みあぐ)れば、今更捨てるの捨てぬのと、未だ此男の実意が知れぬのか。さあ、涙を拭 いたり拭いたりと言ふ声して。


     八

 年歯(とし)は長(と)れども有繋(さすが)生娘(きむすめ)の初心(おぼこ)なり。人の情は石に宿れる朝露の、淡く、儚く、消易きものとも知らで、己 (おの)が切なる恋の身も焼くばかりなるに比べて、人も恁(かう)ぞと一図に思定めて、過し三之助が別(わかれ)の一言を便(たより)に辛(から)くも飛 立つ心を抑へつゝ、面白からぬ我家に辛抱して、待つ身は永き日の儚き鳥影にまで鼠啼(ねづなき)、所有人寄(あらゆるひとよせ)の呪(まじなひ)も効無 (かひな)く、約束の使は未矣習(おろかそよ)との便(たより)もあらざりけり。さては少しく苦になりて、萬一(もしや)を思ふ心の発(おこ)らぬにしも あらざれど、三様(さんさま)に限りてはと毎(いつ)も自ら打消しつ。然れど又男心は、と絶えぬ物思に唯仮初(かりそめ)の鬱憂病(ぶらぶらやまひ)は嵩 じて、遂には七情常無く、噯気、痙攣、神経痛を発し、知覚所々麻痺して、歇私的里球(ヘステリきゆ)の圧上(せりあがり)をさへ覚えけるに、医者は生殖器 病の反射的作用と、精神の感動より発りし歇私的里(ヘステリア)と診断せり。
 儚き一時の妬(ねたみ)より、強ひてもぎ(=手偏に、也)取り来りし花の次第に散り懸るを見ては、固(もと)より憎からぬ妹の今更不便になりて、宗太郎 は夜の目も寝ずに真心籠めたる介抱にも、怨(うらみ)は釈(と)けやらぬお桂の、兄の顔見るも苦々しく、辞(ことば)懸けて口を開かず。薬さへ兄の手より 薦むるは、眉を顰(ひそ)めて唇も附けざるを情無く、宗太郎は人知れず男泣に泣きにけり。所為(せむ)無くて小僧に薦めさすれば、素直に薬も服み、快く話 もして、待つは三之助の便(たより)、語るは皆其噂なるに、宗太郎は我ながら浅ましと知りつゝも、嫉妬の念は勃々(むらむら)と、揮身(そうみ)の血の一 時に沸返るやうに覚ゆる事ありき。
 精神感動の変化不定(ふじょう)にして、何の悲しともなく独(ひとり)涙に掻暮(かきく)れしお桂の、忽ち機嫌直りて、大切に左の薬指に穿めたる三之助 が紀念(かたみ)の指環を楽しげに弄びて、吻(す)ふやら、な(=口ヘンに占)むやら余念無き折から、少時(しばし)打絶えしお清の見舞に来りぬ、唯 (と)見れば有りし昔の姿も情無く窶果(やつれは)てたるお桂の、頬骨高く、頤(おとがひ)尖りて、細(こまか)き皮膚(きめ)の玉のやうなりし肌は、無 惨に肉落ち、骨立ちて、見る影も無く痩衰へながらも、可哀(いぢら)しや! 仍(さて)修飾(みだしなみ)は忘れず。綺麗に結へる例の島田は、鬘(かつ ら)を着けたるやうに一筋の乱毛(おくれげ)も無く、土色の面(かほ)に所斑(まだら)の厚化粧、枯柳(こりう)霜を粧(けは)ひて物凄くも哀なり。お清 も余りの体(てい)に呆れながら、真(ほん)に此御痩せなされた事は、と後の辞は無かりしに、お桂は眤(じ)と其面を目戊(まも)りて、何やら言出(いひ い)でむとしては躊躇(ためら)ふ気色なりしが、あの三之助様は? と思切りて訊ぬれば、お清は業々しく顔を皺めて、彼人(あのひと)にも真(ほん)に愛 相尽(あいそつか)しでござんす。前頃(さきごろ)も是非貴方をとの頼ゆゑ、私も御宅へ一二度其御相談に上りましたなれど、今思へば、那時(あのとき)御 談(おはなし)が纏らないで好い仕合(しあはせ)、此四五日前、隣の呉服屋の御内儀(ごないぎ)と駈落しまして、と聞くよりお桂は色を変へて、え? と乗 出せしが、あの三様が? と言ひも訖(をは)らで仰反(のけぞ)りたり。


     九

 楠の根のそれならねど、三之助の心は我とr(ひと)しく時経るまゝに彌(いや)堅く、縦令(よし)や一年半歳逢はねばとて、互の間に、微塵の変(へん) はあるまじ、お桂は娘気の一筋に思凝(おもひつ)めては疑はざりしに、あるべき事か? 主(ぬし)ある女と駈落と聞くより、人一倍に熱(のぼ)せたる身 の、宛然(さながら)奈落の底に突落されし如く、然(さ)らでも恋は闇の心倍(いよいよ)眛(くら)みて、世に在る効(かひ)も涙のみ尽きざりけり。妬ま しさに一度は憎くも思ひし宗太郎も、恁(かゝ)れば今更に不便の勝りて、一入(ひとしほ)真心を籠めての介抱、日頃お桂が信仰の清正公(せいしやうこう) にまで、密(ひそか)に平癒の願(ぐわん)をぞ懸けゝる。
 信心の功力(くりき)か、医薬の験(げん)か、左(と)にも右(かく)にも宗太郎が丹精の効(かひ)ありて、お桂は次第に旧(もと)の躰に復りぬ。やう やう心も静まると與に、如何に思断ちけむ、三之助の名は再び噫(おくび)にも出さずなりて、那程(あれほど)大切にせし紀念の指環さへ何方(いづかた)へ やら棄遣りて、さしもの恋も病中の一夢と覚(さめ)果てたる如くなりける。今まで思はざりける兄の親切も自らやうやう解りて、人の心は梢の花の移(うつ ろ)ひ易きを思ふにつけ、何時も変らぬは親肉(しんみ)の情、広い世間に頼もしきは実(げ)に実(げ)に兄を唯一人! 
 病後の疲に見苦しきまで薄くなりける髪も、旋(やが)て艶(あでや)かに、お桂は相も変らぬ島田髷の娘装(むすめづくり)なれど、是に懲りてや、儚き恋 は固(もと)より、再び夫を持たむとは思はざりき。宗太郎も亦女房の欲しさうなる顔もせで、互の睦じさは夫婦(めをと)かと疑はるゝばかりなるより、何事 も好くは云はぬ世間の根も無き浮名か、否(あらぬ)か、誰言ふとしも無く銀杏屋の同胞夫婦(きやうだいふうふ)と沙汰せられて、通(とほり)の小町湯、角 (かど)の浮世床、遍(あまね)く町内に此噂喧しければ、是や血統(ちすじ)の汚(けがれ)を吹聴せらるゝより一倍愁(つら)く、或夜窃(ひそか)に世帯 道具を二車(ふたくるま)に纏めて、遁ぐるが如く場末の唯在(とあ)ある裏町へ移転(ひきうつ)りぬ。屋号のみは何とやら取変へしが、変らぬは煙草の小売 商(こあきなひ)、今も仍独身の兄妹二人暮(ぐらし)なり。其後宗太郎は日増に沈勝(しづみがち)なるに引更へて、お桂は鬱々(ぶらぶら)病(わづら)ふ 事の絶えて無くなりければ、却て顔の光沢(つや)良く、肉緊りて姿一際(ひときは)見好げに、晩桜一枝(ばんおういつし)今も春方(はるべ)と匂ひける が、爰(こゝ)に一つ合点行かぬは乳首の色、腹の形(なり)も次第に異(をか)し、と風呂にて見し近所の女房等が陰言(かげごと)。抑(そも)誰が種にや あるらむ、あさまし。

         (明治二十九年九月)