「e-文藝館=湖(umi)」 随感随想
のざわ りえ 看護師 寸暇を惜しむ勤務の中で執心出精の茶の湯ひと。手づから茶道具等の美しい仕覆をつくる。湖の本の読者でもあ
る。
逢いに、「山口 薫展」
野沢 利江
昨夜の冷たい雨は上がり、遠く雲間に青い空が見える。やり残した感のあることを、する貴重な日。パソコン作業などを済ませ、昼過ぎに家を出る。晴れてい
るものの、頬にあたる風はキリリと冷たい。
本日最終日の世田谷美術館「山口薫展」へ。京都の何必館から我家近くに来ているというのに、なかなか行けなかった。やさしい光に満ちた穏やかな絵、「お
ぼろ月に輪舞する子供達」に、久しぶり、逢いたかった。
この絵にはドキドキさせられてきた。ずっと以前、何必館で目にした時はほわっと温かい気持ちになって。絵の架かった一番奥のそこだけ、別な光の注ぐ明る
さを感じた。でも、絵の前から動けなくなったのは、別な絵だった。
それから数年後、紅葉の頃にお茶(茶の湯)のことで京都に出かけた。夜、祇園白川近くを歩いていたら、小さな店先のウインドウにこの絵を見た。ポスター
を額に入れたのだったが、どこかで見た懐かしさと、夜の路でそこだけ明るい感じがして足が止まった。先を行く友に急かされながら、目だけ何度もその小さな
窓を振り返った。そのまま想いだせず、いつの間にか忘れていた。
それから少し後のクリスマス頃、ある人とのメールのやり取りのなか、「こんな絵が似合うかも」という言葉と一緒にクリスマスプレゼントがファイル添付さ
れてきて、開けたら、この絵だった。息をのんだ。急に、数ヶ月前の小さな窓の明るさがよみがえり、今自分が何を見ているのか分からなくなった。待っていた
ものが、急に目の前にあった。贈ってくれたその人に、何必館の絵だと教えられ、以前見た時の様子も戻ってきた。それからは、京都へ行くといつも寄る何必館
に、その絵に逢いに寄った。
ここしばらく、逢ってなかった。今年の誕生日も近くなった頃、通勤の帰りに駅ビルの自動ドアを通ろうとしたらそこにその絵があった。思わず足が止まり、
そばに寄った。近くの世田谷美術館で山口薫展をするというポスターだった。
来てくれたんだ、そう思った。
きつい年だったから。絵の方から、来てくれたんだ、そう感じた。
それからの毎日、朝に夜に、そこにポスターは架かっていて、大丈夫だよと励ましてくれているようだった。誕生日もやり過ごし、その絵を目の頼りに往来す
るうちに、ある朝、別な絵になっていた。
近くにいるうちに、必ず逢いに……、と、思いながら、気づけば最終日。結局、またクリスマスプレゼントトのようなものか……歩きながら思わず笑ってい
た。自然の描く美しい葉の色を見ながら歩く。風は冷たいのに、寒桜は陽に向かって花をつける。逢える……。
こんなにたくさんの山口薫作品を見たのは初めてだった。戦前、戦中、戦後と、時代と絵との変遷がよく見えた。群馬県榛名への疎開中、農作業をしながら描
いていたらしく、このあたりから牛や馬、田畑のモチーフが多く現れる。そして終戦の頃、銃を描いた絵を満たす赤、紅、茜。何と様々な赤だろうか。怒りと
か、血とかいうイメージではない、美しい哀しさを感じる赤だった。そしてその後、削ぎ落とされるように、絵は具象から抽象に向かい、病をえてからの切な
い美しさには妖精のような透明な空気感すらある。
絶筆のその絵の少し前の作品「サラサラ粉雪ふる」音のない静かさは少し淋しそうで、それでもやさしさに満ちている。‘やさしい’という言葉はあまり好き
じゃないが、それはそれしか謂いようない、心温かくなる、やさしい絵。
赤の絵では「矢羽根飛ぶ」に魅せられた。織物のような微妙な息づかいのある赤、さまざま。空気を一緒に織ったのだろうか、色にふくよかさを感じる。モ
チーフは銃から矢羽根に変わり、具象から抽象化したけれど、奥行きある赤は時を経てそこに繋がったと想った。
「おぼろ月に輪舞する子供たち」では、紅い馬がいる。牛や馬のモチーフはどんどん変化して、この作品では馬を中心に抽象化してきている。そして山口薫が
若いときから好んだ菱形、田畑を抽象化した絵にもよく描かれている。
この絵の真ん中、子供たちの踊る中にある菱形めいた花壇を、私は花咲くお墓かな……と想っていたけれど、大地そのものなのかもしれない。
画家は、ちょっとお茶目な、愉しいところのある方だったらしい。小さな貝で作ったおもちゃや、ノートの走り書きなど、生活の楽しみ方に独特なやわらかさ
を感じる。扇子に風景をスケッチし、ペンで、「ポータブル手動式作風器
涼風おのずから湧く扇子かな 風と共に去る」と書いてある。暑い夏の陽が見えるようだ。
制作に行詰っていった山口は、ウィスキーと煎茶を交互に飲みながら過ごす日々だったという。胃がんになって手術、治療をしたのは女子医大だった。そして
60歳、女子医大で亡くなった。私はそのとき、五歳。それから十五年後に女子医大で働き、そして今、山口薫の絵に励まされる。不思議なこと。ささやかな
「点」が、後に「糸」に見える。いや、見たいのかもしれない。生きてみなきゃ、わからない。
世田谷美術館から、扉にクリスマスリースのかかる住宅街を歩いて、玉川高島屋へ。ずっと思いながら、ずく(=?)がなく後回しにしてきたこと、「眼鏡を
作りに」行く。老眼も始まったのか、とにかく見えない。目が疲れて痛くなる。こんな状態では、新年を迎えても先など見えまい……と、重い足を向ける。
検眼の小父さまは、さすがプロ! デパートなら、値引きはないけど人は揃えているかも……と思ったとおり、検眼しながら色々な話を聞くことができた。目
は体力と同じで、筋力という意味で男性の方が調節機能の落ちるのは遅いらしい。男女差というよりは、筋力差ということらしい。目の筋肉は今更鍛えるわけに
いかないから、眼鏡でよい調節を目指すしかない。結局、今まで矯正しなくて済んでいた乱視を矯正し、近眼の調整をしてもらった。そして新しく、レンズ゙下
部の方だけ少し近視を弱くいれておく、特殊レンズ゙にすることで初期老眼に対処することになった。遠近両用は未だちょっと……と思っていたので、この提案
は嬉しかった。眼鏡を外せば見えるんです……が、そのまま適ったようなもの。あとは出来上がるのを待つだけ。どう見えるか、楽しみ。
よく見えるようになった眼鏡をかけて、また来年も絵を見よう。これからは、信頼できる歯医者さんと、眼鏡調整師さんは、友、いえ杖かもしれない。大事に
しよう。