恒平さん
視点の異なる人たちの意見が二つ三
つ加わるだけで、どんどん話が面白くなってきますね。ど
んな反応が聞こえてくるか、毎日興味津々「闇」を開きました。他人に期待しておきながら自分はだんまりを決め込んでいる、いつもの「mixi」の無愛想さ
では、ちょっと済まされないものを感じますが、自分の考えが口を突いてくるほど纏まらないのも正直なところです。相変わらず、一度に入ってくる情報があま
りに多いのですよ、「仁」さんの話には。
東工大は出たけれど、科学や研究者の話になる
と途方に暮れます。バイト以外の私の就いた職は、
バイクのサスペンションを製造する日系企業の即席通訳と、現在の事務職。仕事が人生の中心なら、私の七年半の大学生活は、まるまる「無駄」と言えるかもし
れませんし、大学の学問を最重要視するなら、私は人生の挫折者と言えるかもしれません。が、私はそのどちらとも思っていない。
私にも、東工大を出て例えば証券会社に勤める人に、東工大を出た意味を問うた時期があり、「工業大学は出たけれど・・・」と自らを嘲笑する時期もありま
したが、三年前受けた企業の面接で、学歴と職歴の不協和音を指摘された時、いつの間にか、東工大を出て証券会社に勤めたっていいんじゃないか、と考えてい
る自分に気がつきました。「無駄」を許容できるようになったんですね。
「仁」さんも昔は、根底では「無駄」な雑学の推進者でありながら、常に人生への悲観を口にしている学生でしたから、若手研究者が《不思議なくらい自分の
人生設計を考えることに絶望している》のは、それだけ余裕がないからなのではないでしょうか。みんなどこかで「無駄だって必要」と思っているに違いないのです。それを確信もっ
て公言できるのは、無駄も報われることを知っている、自分の
「今」を肯定できる人なのかもしれません。
「国家国民のための研究」
以前これについて書かれていた「司」さんには申
し訳ないのですが、これを聞いて私が連想したのは、「軍国国家の秘密研究機関で生物兵器を開発している研究者たち」でした。「国家国民のため」という言葉
は、分かりやすいようですが、とても分かりにくい。みんなそれぞれ様々な方向を向いて生きているのに、この言葉によって、突然一括りにされ一方向に向かっ
て前進しているような錯覚を覚えさせられるのです。
その実、どの方向に向かっているか分からない。友人を見て、同僚を見て、家族を見て、自分の周りを見回して、果たして私たち、そんなに同じ方向を仰いで
いるでしょうか。自分のためになることが妻のためにならなかったり、同僚の利益が自分に不利益を生んだり、良かれと思ったことが相手を怒らせたり、世の中
そんなことだらけだと思うのですが。
この言い様にひっかかる理由は、もう一つ、私の仕
事上の経験が関わっているからかもしれません。今は裏方の仕事に移りましたが、4年前まで、海外で盗難にあった人や、お金の足りなくなってしまった人をア
テンドする職にいました。呆然として日本の住所も思い出せない人、憮然としたまま一点を見つめている人、わなわな震えて泣き出す人、やり場のない怒
りをぶつけてくる人、色々な人がいました。その中に数は少ないのですが、威張り散らす人がいました。自分は被害者だから、困っているから、何から何までお
膳立てしてくれて、出費も代りに被ってくれるのが当たり前と思う人。自分のやるべきことはむろんやらずに、何でも他人に責任を押しつける準備があるので
す。そういう人の決まって口にする言葉が、「日本国民が困ってい
るのに」でした。
この言葉、実際言われてみるまで気づかなかったのですが、会話の途中で突然言われると、本当にびっくりするものです。そして面白いことに、私は今でも覚
えているのですが、「日本国民が困っているのに」
というセリフのもとにお金を借りに来た4人のうち、4人全員が、二年経っても三年経ってもその返済をしていない。彼らの借りたお金こそ「日本国民」の税金
なのに。
「司」さんは恐らく、私の見た人たちとまた対極
にいる人々を見て、「国家国民のため」という言葉が口を突いてきたのだと思います。ただ「国
家国民のため」という言葉は、もっともらしく聞こえて、実は責任や目的を
明らかにしたくない人たちに利用されやすい言葉でもあることを、意識していたい。
自分のやっていることが税金で賄われていることに気付くことは、とても大事なことです。その上で、基礎研究など「国家国民」に囚われずに研究してもよい
のではないか、ボストンの「雄」さんのような研究者に任せてもよいのではないか、と私は思っています。 「雄」さんの《しかし、その価値判断は、傲慢と
も取れるだろうが、どうか研究者にお任せいただきたい。》に、私は彼の研究に対する強い覚悟と責任を感じるのです。
科学や研究とは随分反れた話になってしまいまし
た。
毎晩時間切れで、気が急いたりもして、もう一つ
書きたいこともあったのですけれど、今回はこの辺で。
金木犀や吾亦紅の話を聞くと、日本がとりわけ懐かしくなります。先週は
母から「秋刀魚一匹78円」の話など聞き、遠くの秋をますます感じています。恒平さん、迪子さん、どうかくれぐれもお大事にお過ごしください。 京
ですから、みづうみの私語に登場する科学者の皆様が私にはとても新
鮮でした。やっぱりいたではありませんか。文化、教養高き理系の頼もしき学者さんたちが。見るべきことを見て、批判すべきことを批判して、将来の展望も希
望も創ることのできる上、良い文章がお書きになれる。素晴らしいです。益々意見活発にこれからも活躍していただきたいものです。チンプンカンプンながらご
研究を応援しています。
思い切り、科学討論内容とずれましたが、とりあえず登場した役者さんたちが大好きというつたない感想申しあげました。
* この読者がわたしの謂う「理系夫人」であるかどうか、どういうエリアの方か、何一つ、知らない。「討論」にエールを戴けて、感謝。ご病人
をどうぞお大切に。
* 十月二十五日 土
* 「科学・研究」討論に特許庁の「敬」くんが加わってきてくれた。深度のある思索を明晰な文章にしてあいさつ出来る学生君であった。今回も、言を切する
ことなく輪郭美しく適確に発言してくれている。藝術、藝術家にまでおもいをひろけでくれているのが有り難い。
教授室で、よく日暮れまで二人で話した。いろんな相談も受けた。フルートの名曲をいくつもテープに編輯してくれたのわ、いまでも大事にしている。
あわやわたしの勤務した医学書院の後輩編集者になりかけ、わたしは賛成しなかった。今の職場のことは何も分からないけれども「敬」くんにふさわしいと勝
手に思っている。結婚にも立ちあえたし、一年の英国留学も見送った。頼もしい人で、想像以上に庁内でもえらくなっている気がする。まだささやかながらこの
人「茶の湯」びとでもある。自称「親ばか」の夢中のパパさんでもある。だいたい東工大卒業生の父親くんたちはそのようである。
☆ 討論に 敬
(前略) 私は、来年の3月頃からまた、3年ほど海外赴任の予定となり、ここ半年くらいで、一応の仕事ができる程度にフランス語を習得しなけ
ればならな
くなってしまい、四苦八苦しているところです。お茶は、細々とですが続けています。いつかどこかのタイミングで、もっと本格的にも取り組んでみたいと思う
のですが、もっと先になってしまいそうです。
ぜひまたお会いできるとうれしいです。今は部署も異動したため、平日でもいつでも大丈夫です。
「科学・研究」討論、自分自身は研究からは遠く離れていますが、皆さんの議論を興味深く読ませて頂きました。専門家の方々の深い議論の中で、とてもまと
まった意見は述べられないのですが、特に「無駄」ということについては考えさせられましたので、思いつくままに少しだけ書いてみたいと思います。
「仁」さんのいわれる、大学や研究においては、目に見える成果に直結しないような「無駄」が必要というのも、至極もっともです。しかし一方で、「司」さ
んのように、「無駄」なことにお金を費やすくらいならば、今日明日の生活に困っている人達に使うべきという見方も、当然出てくるでしょう。今の日本では、
特に後者の視点を重視する圧力が、どんどんと強くなっていると感じています。もちろん、今日一日をどう乗り切ろうかという現実は、まさに目前に置かれてい
るため、力強い説得力持っています。家もなく食べるものにすら困っている時には、宇宙の成り立ちも、素粒子のありようも、それどころではないでしょうか
ら。
一行政庁である私の職場においても、元総理の「無駄ゼロ」のかけ声を待たずしても、「無駄」を省き、効率化を進めるという意識は、働き始めて以来、年々
強くなっています。800兆にも達するといわれる財政赤字が無くとも、国民からのお金で仕事をしている以上、当然無駄遣いは許されません。実際に効率化さ
れた点が多いのも事実です。しかし反面、即効性の効果の見えにくいことは、本来必要であるはずなのに、削られてしまいがちです。例えば職員に対する研修
は、職場として人を育てるために必須のものですが、研修の時間や機会を減らすことの影響が分かりにくいため、これは見方によっては、必要以上の研修を行
い、無駄遣いをしている、ということになってしまいます。
しかし、人を育てるためにお金を使うことは、果たして本当に「無駄」なのでしょうか。「雄」さんの書かれていた、「漁業・農業・林業」の語を使わせて頂
くならば、この例にとどまらず、今の効率化の流れの中で、「農業」的、「林業」的なものと、文字通り「無駄」なものとが、混同されて、切るべきでないもの
まで切られてしまっているケースが、かなり有ると感じています。しかもその影響は見えにくく、十年単位で段々と出てくるものであるため、気付いたときには
「森」が枯れ始めていたということにもなりかねません。
国立大学、国立研究所、国立病院、行政庁の業務の一部も、国自体が行う必要がない、または、より効率的に業務を行うためという名目により、独立行政法人
に移行されてきています。これも当初は、予算や人員の弾力的な運用が可能で、国と民間の長所を併せ持ったものになる、というようなことが言われていたと記
憶していますが、10年ほど経った今、「maokat」さんが書かれていたように、その正体が見えはじめています。事業は親元の官庁の監督下にありますの
で、自由には出来ませんし、予算も年々圧縮されていきます。民営化への圧力も加速度的に強くなってきています。結局のところ、人減らしのための方便であっ
たかとまで勘ぐりたくなる程です。大事なものまでまとめて切ってしまおうとするような側面が確かにあります。
ちょっと話がそれてしまいましたが、何が本当に「無駄」なことであるのかは、実は線引きが難しいにも関わらず、市場の真っ只中にある民間企業はもちろ
ん、現在は行政においても、短期的に形にならないもの≒無駄、と割り切ってしまっているやに見えます。そして、そのあおりを最も受けやすいのは、直ぐには
目に見える成果を出しにくい基礎研究や教育、そして恐らくは音楽や美術といった藝
術ではないでしょうか。それらはいずれも、非常に地道な下積みが必要で、「農業、林業」的な性格のものですが、簡単にモノになるものではない点で共通して
います。
社会の中で、どの位の「農業、林業」的なことが許容され得るのかは、社会情勢などに応じて、その時代時代を生きる人達が、それらをどのように捉えるのか
に左右されると思います。例えば今回のノーベル賞のニュースなどに触れると、やはり多くの人は、基礎研究は大事だなと思うでしょうし、そうすると、大学や
研究所で、巨額な研究予算を使うことに理解を示す人が増えることになるでしょう。
音楽でも、音楽家の育成にはお金がかかるでしょうが、その人の創り出す藝術に感動するとき、金勘定に対するシビアさは、かなり鳴りを潜めるものでしょう。
もちろん、お金をかければ必ず育成できるものでもなく、これも研究と同じでしょうか。
科学者にしても藝術家にしても、「maokat」さんの言われる、「密室の祈り」により、「こちら側」にはないものを、ある意味命がけで、「あちら側」
から持ち帰ってくる。その持ち帰ってくるもの、それは自然の摂理ともいえるのでしょうし、この世界そのものの根本、存在そのもの、といっても良いのかもし
れません。
そういったものを、科学や藝術といった、ある種の「言語」を使って、人間が理解しやすい形にしてくれる。そしてそれを、その他の人々は、あるものは賛嘆
を、あるものは感動をもって受け入れるでしょうし、あるものは黙殺するでしょう。詰まらない事をしていると非難することもあるでしょう。科学者や藝術家
は、そういった存在なのだと、自分は(かなり当てずっぽうに)推測しています。そして、科学者や藝術家たちを、現実において金銭的、社会的に支えるのは、
その他の受け取る側の人々であり、彼らにそっぽを向かれたとき、科学も藝術も、現実的に存在できなくなってしまいます。とはいっても、特に藝術家の場合、
歴史的には、そっぽを向かれることが多いため、パトロンのような存在が重要であったのでしょうけれども。
これだけ効率化が求められ、日本という国に余裕がなくなっている今、悲しいかな「祈り」自体の質は推し量ることが出来ないものであるため、科学者が、自
らの行っていることを、自分を支えている多くの人々に分かるように説明することが、不可欠になってきたのでしょう。科学者だけの役割とは思いませんが、い
くら文科省の役人が声を大にして説明しても、聞く耳を持って貰えないのが今の社会でしょうから。
断片的な考えばかりでうまくまとまりませんが、明日読み返すと恥ずかしくて送れなくなりそうで、なかなか集中した時間もとれませんので、ひとまず送って
しまいます。
だんだん寒くなってきましたので、くれぐれもお体を大切にお過ごし下さい。
* ありがと
う。
はからずも「敬」くんは、この討論に一つの「結び」の言葉を呉れたように思う。
そして今、またお一人の発言が加わった。医学者・医師の発言は来なかったけれど、看護士という立場から「科学・研究」への思いと視野とを培ってきた人だ、
聴かせて戴く。
☆ 研究・研究者へ看護士からの視線 珠
そろそろ‘まとめ’を、、という頃になってしまいましたが、遅ればせながら書いてみました。
私の立ち位置は、発言されてきた皆様とは少し違った現場。その中でも共通点
や、感じたことなど多くあり、まとめの苦手な私には脳裏で多くの言葉が浮かんでは消
えるという、意味深い楽しい10日間でした。
私は看護短大を卒業して看護師になり、大学病院でがん看護を中
心に14年勤務した後、現在は診療所で日常診療と健康相談などしています。いつの間
にか、ナースになる前より、なってからの人生の方が長くなりました。
「研究」というと、大学病院時代の医師たちを思い出します。
先生方の多くが学位をとる為に、診療の傍ら研究に没頭していました。若い頃は、「研究中で手が放せない」という医師に、患者さんが呼んでるのに、、と怒ったり、「研究だから」を医師は問答無用のように使うから困ると思ったものです。
ですが、段々年を重ねてゆくと、飲み会の後でも、「どうしても今夜研究の続きをしなくちゃいけないから、、」と研究室に戻ってゆく様子や、患者さんが先生を呼んでいて「研究中で、ちょっと待って」という時に、何とかしたいけれど行けない状況に苦しみを感じている様子が見えるようになりました。「研究」は、自分で計画して自律し進め
ていかなくてはいけない、とても難しい仕事だと思うようになりました。臨床で医療に
携わりながら同時に研究をされていると、優先度を試されるような場面も多く見え、研究内容は分からなくても、自己を律して臨むそういう「研究」をされる医師たちに、少し尊敬すら覚える
ようになりました。
その後、自分でも臨床研究に関わったり、文献も読むようになったので、以前のようには「研究」そのものにひれ伏すことは無くなりました。それでも未だ、私の知っている多くの人は多
分あの頃の私のように、研究内容は分からなくても、「研究者」というだけで「すごいですねぇ、、」「まぁご立派で」と言うことと思います。
そのなか、私は、「理解」ということの難しさを思います。どの方のご意見に
も大きく頷く部分はあって、社会の在り方、この国のゆくえを自分の場所から憂え、願
い、祈り、そして日々悩みながら実践されている姿を感じることができます。単に真面目、、とかではなく、迷いながら在る様子は
非常に人間らしく、研究内容は分からなくてもその一生懸命な姿勢に、私が採用
担当者なら合格点をつけるでしょう。研究内容の価値判断や国家国民のための研究、、私も国民の一人ですが多分いくら説明をされテレビ・新聞で読み聞きしたとしても、概要くらい分かった気になるだけで、そ
の価値判断などは到底出来ないでしょう。その時に何を見るか、、それは”人”そのも
のです。
今回のノー
ベル賞受賞の一連報道で受け取ったのは、受賞された先生
方の科学大好きなや
んちゃ坊主のような可愛い頑固さと、落ち着いた寡黙さと、はにかむ笑顔でした。お二人一緒に出られた番組で、もうちょっと研究についての説明を聞いてみた
いと思う一方で、キャスターはお二人がどのように一緒に研究されたかの様子を尋ねてゆきました。その質問で苦笑いされ「私は益川さんを研究していたわけではないので、、、」というお返事が、実は一番印象的でした。哀しいながら、キャスターは分
かっていたのでしょう、実際多くの人は何を見たいのか、知りたいのか。ここには多
分、「研究者」の求めたい「理解」と、国民の多くが知りたくて、そして理解できるこ
との「ギャップ」があります。
医療現場で、様々な年齢の、それこそ国会議員から役者、教育者、会社員や学
生さんなどと真っ向から関わってきて、40歳近くで心底分かったことは、「人はこん
なに分からないんだ」でした。
「理解」は言うまでもなく大事ですし、それがあって人は何か行動へと向かう
と考えていました。
ですが、どんなに説明しても理解に至らない、理解したように繕うだけという
ことは多くあります。誰だって利口に見えたいし、男性は特にプライドもあって「分からないように見せない」ことに上手です。説明の仕方など、こちらの技術
の問題として検討してばかりいたので、しばし呆然としたものです。
それからは、少し角度を変えて「理解してもらうのは難しい」をスタートラインにし、理解を求めるよりも、どうすればグラッとでも影響するこ
とができるか、、を考えて関わるようになりました。そのために、看護技術の勉強より、人が何をどうやって理解して動くか、それに影響
するのはどんな事かと、社会に目を向けるようになりました。そうすると、哀しいながら例えば医療者のどんな説明よりも、テレビでみ
の(もんた)さんが言った健康対策の方が人を動かしているのです。
何故でしょう。。。テレビだからではありませんでした。私がそこに見たのは、その
場にいる観客の「分からなさ」をよく分かったプロの技術でした。これには医療者は学
ぶべきところがあると思いました。「研究者」は知的な真面目な方達なので、こういった「人の心を手玉にとる」ような感じには嫌悪感を感じられるかもしれま
せん。
ただ現状でも、「研究者」として社会や人に何かしら理解してもらうために、多分皆さんの相手である「行政」「旦那」「パトロン」ひいては「国民」の理解を得ようと各個人で分析
したり、そして対策を個人的な努力でされていることと想像します。最近よく記事になるポスドクの就職問題や、
大学全入時代でのレベル低下などからも思うのですが、まずは、単に学位を持った人というのでなく、「研究」を主とする「研究者」専門職を、もっと社会に認知
させることが必要だと思います。
その認知には啓蒙・広報は当然大事で、そこで本当のプロを求めないと、社会
の多くの人の「分からなさ」を想像できぬまま、届かぬ球を投げて徒労ばかりということになってしまうでしょう。
今回多くの方が、研究に携われない方々へのセイフティーネットなどについて述べていらっしゃいましたが、今や、国に期待しても‘夢’‘幻’でしかないでしょう。また、理解はされても、遠い先を見る余裕はなく。
では、この時代、国に影響し行動させるものには何があるでしょうか。私には、集団の力、特に高齢者の力が大きいと思います。「研究」をされていた「研究者」は、定年後どうされるのでしょう。
先日アメリカ在住でノーベル賞を受賞された先生は、ご自宅に研究室がありました。そういう方も稀にはいらっしゃるのでしょうが、多くは定年で研究もお終いになるのではないのでしょうか。。。
もう既にあるのかもしれませんが、研究者は必ずどこかの研究室を経ていたは
ず、、それを辿って取りまとめ、人的資源として活用できるような機関、「研究者」が学会を越えて日本の「研
究者」としてある意味まとまって、国に科学の行く末を進言できる機関、そういった「研究者」のための「研究者」による機関が必要だと思います。高齢者に
なった「研究者」が鍵ではないでしょうか。相当の人脈や経験をお持ちのはずで、それをむざむざ思い出の彼方に仕舞われては勿体ないです。
研究計画書や、研究予算申請書などでの上手いアピールの仕方を苦手な人は、
学んでいる間に現役の研究時間は減ってしまいます。行政側にいた方や、予算を上手く
獲得してきた先生方は、高齢者になったら自分の組織の益でなく、国の科学者のこれからに寄与してくれるのではないかと思いたいのですが。。。まとまるのが
難しそうな「研究者」のイメージですが、まとまらねば衰退し、研究は外国で、、となっ
ていくように思えてなりません。高齢者になってきた「師」は、この国の良き伝統だった地道な仕事の仕方、育て方をご存知でしょう。その経験こそ大事な遺
産。子供は減ってゆくので、自ずと自国の研究者も減ることになるはずで、科学だけで
なくこの国はやせ細ってゆきます。
まさに今、先の先をみすえられるのは、本当に分かる「研究者」しかいない
と、今回皆様の意見を拝読しながらつよく思いました。
科学技術の進歩に、通信技術の発展、社会や他国との付き合い方まで、今や‘働く’なかで求められることは非
常に多く、細い橋の上を何とかバランスをとって渡っているような感覚があります。
好きな事でさえ、仕事として続けていると嫌な物を引き寄せてしまい、うんざりします。「研究者」が日常に疲弊しては、良い発想は生まれないでしょう。どなたかも書かれて
いたように「研究者」は藝術家ともいえるでしょう。その自由柔軟な発想の遊びなくては、作品である「研究」は後世に残りません。残すために、その大事さをまず知っている「研究者」の皆様方の危機感に火を点けて、大きな炬火に
してほしいと思います。
昨年だったと思いますが、現在増えているメンタルヘルス疾患についての研究
会で、ある企業の調査報告を聞きました。仕事のモチベーションを左右する項目で、その企業の研究所とそれ以外な事業場で、はっきりとした違
いがありました。一般職ではほとんどの職場で‘裁量権’が重要でしたが、研究職では‘上司のサポート’が大事とはっきり出ていました。人は環境に影響され
ます。これは、ある研究所での結果にすぎませんが、研究者に良い研究(仕事)をしてもらうために大事にすべきことが何か、ある程度想像できます。単に、働
く人という括りではない配慮が必要でしょう。勤務時間や休日取得という一般的な物指
で「研究者」を見たら、「研究」など出来そうもなく。。。「研究者」が「研究」できるような配慮、望む働き方を、大学も企業も独法も本気で考える時期だと
思います。
日常研究では「個」を尊重し自己管理を任せる代わり、数年に一度、欧米のよ
うにサバティカルなどとしてまとめた休暇がとれるようにするなど必要ではないでしょ
うか。雇用されたから雇用者なのでなく、「研究者」という独特な職種だと、やはり社会に認識してもらう必要があると思います。そういった点で、私は看護と研究には、似た部分を感じます。
「看護師さんて何する人?」
これは答えやすそうで、とても難しい質問です。採血して、点滴したりして、病気の
人の身体を拭いたり、話を聞いたり、、これでは子供はキョトンとして魅力は伝わりません。看護師だからこそ出来ることは何か、、これをはっきり社会に伝えきれていないので、要らないという人はいない職業ですが、
そのわりには報酬にも結びつかず、忙しさ故、離れる人も後をたちません。
「研究」も、その仕事(成果)を評価して報酬を決めるのはとても難しいでしょう。
それでも、お金は後からついてくる、、と私は思いたい。成果と、その評価は一致しないのは仕方なく、でも大きな見返りではなくても、どなたかも書いていらっしゃったように、「わかる人にはわかる」と思うのです。お金は大事ですが、お金から物を見るせせこましさを覚えてしまうと、専門職として大切なことや物を感じる力は鈍ってしまうように思います。
40代も半ばになって社会の様々な問題を思うとき、それを変える役目は自分の世代にあることを否定しようもなく、30代には上の世代の人に表現していたことも、今は自分はそれに対して何をしてきたか、何が今できるだろうかと思うようになりました。専門職としてそれなり
に良い評価をもらいながら生きてきた自分として、毎日丁寧に仕事をする以外に、社会に対してきちんと役を果たしてきているだろうか、、と振り返ります。
「雄」さんが、「エリート意識」という言葉を使われたと多分同様に、私も以前から「選ばれしひと」という言い方で同じことを思ってきました。幸運や出逢
いに心から感謝し、今あることの不満よりも、その先をゆく義務があると感じます。こう思えるくらいに、私も偶然にこの狭い医療の世界でも幅広く豊かな人々と出逢い、恵まれた医療活動をすることができています。
そういうなか、そういうなかだからこそでしょうが、「私」の方を向いたらバ
チがあたる、誰かがみていて気がつくだろうと思います。それを保つ厳しさは、哀しきプロの孤独感といえるでしょうか。。
今回、多くの方が書かれたことは大変貴重で、私には自分のこの10年間の意識の変化を思うにつけ、それぞれの皆様の5年後、10年後の意見もまた同じよう
に聞いてみたいなと思うのでした。
「研究者」という方々の、その「研究」の微妙な隙間に対する感受性が高けれ
ば高いほど、自分の言葉で表現することにもこだわりがあるでしょう。研究をされている間はディスカッションや具体的な方法で進むでしょうが、それを論文にまとめるという段では、さ
ぞかし大変なことだろうと思いました。
そんな「研究者」の特性は感じながら、今回のノーベル賞が単に国民のお祭り
で収束するのでなく、この国の科学界にとって大きな転換点になってほしいと思い、
「基礎」と「応用」の違いも知らないままに、「漁業・農業・林業」という表現には嬉しくなって、思うところ長々と書かせて頂きました。
あぁそれにしても、研究者の皆様は頭の中に引き出しをお持ちで
すね。1、2、3とタイトルなど付けて書き分けてみたいと、心から思いました。これ
も、専門家の皆様のトレーニングされてきた成果であって、そこらの雑誌より楽しく読むに値するものでした。この「生活と意見 闇に言い置く私語」に討論の
始終を掲載して下さって、本当にありがとうございました。
寒くなってきますので、どうか、湖、おからだに気をつけてお過ごし下さい。くれぐれも、お大事に。 珠
* 想えば五十年近く前、わたしの日々は医学・看護学研究書の出版編集者として、日々お医者さんや公衆衛生マンや看護婦さん助産婦さん保健
婦さん達とお付き合いしていた。「珠」さんは当時のそういう人たちからは娘さんの世代に当たる。難しい勤務の日々であろうと想像する。一つ残念なのは、目
下の話題である医師不足や看護士の不足にも触れて貰いたかった。
* 最初の発言
者「仁」くんにも一応の「結び」文を求めておいたのが、いま、届いた。上の「敬」くんの一文だけはまだ目に入っていなかったものだが。
☆ 秦先生 仁
ここ数日は失礼いたしました.院生の頃から,自分の作った分子シミュレータ,「誰も知らなかった自然の摂理のほんの少しの隙間」を観るための道具,に番
号をふっていたのですが,今週はその通算 6 代目を作っておりました.「maokat」 さんのこの言い方,とても判る気がします.
理論屋の場合は,ついつい自分の作った道具に惚れこむあまりにモデルの方が自然よりも完璧だと思ってしまう刹那があります.ですので,自分の道具は非力
ではあるが「ほんの少しの隙間」を観ることができるかもしれないのだ,という姿勢を崩さないように自戒しています.
(討論に加わられた)皆様には,ただただ圧倒されていますので,今まで先生のこの「生活と意見 闇に言い置く私語」を拝見していたように,ただ拝読でき
ればと思っておりましたが,ボールを投げていただきましたので、書きたいと思います.
☆ 大学の研究者が言わないような類の科学の話
仁
〜まとめられないのでガイド〜
皆様から様々なご反響をいただいて,嬉しいと同時に,それぞれの立場からの真摯なご意見を拝見するにつれて,言い出しっぺの責任
のようなものも感じた.
いろいろなことを書いているので,自分でも結局一番何が言いたいのかが明瞭ではないのだが,そもそも書いたモチベーションは,「理」さんのご指摘どおり,企業側から基礎科学の現状を見たときの若手研究者の
「雇用問題」について,だといっていいと思う.この「雇用問題」については,一番有名なのは「ポスドク問題」であり,これについては,「笠」さんご指摘の「週間こどもニュース」的な解説としては wikipedia の「ポスドク問題」の欄のご一読をお勧めしたい.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%89%E3%
82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
皆様のご意見も含めてこの「雇用問題」を整理したいと思うのだが,どうも簡潔にまとめられない.ただ,皆様のご意見を読んでいただく際の指針を提案したい
と思う.
大別すると,(1) 社会の仕組みの問題, (2) 現場組織での問題,(3) 個人の気持ちの持ち方・姿勢,の 3
階層の問題が混在している,という観点から見たらいかがだろうか.たとえば,「基礎研究を評価するのは誰であるべきか」を例題に考える.
現状では旧国立研究所において「maokat」さんの言われるとお
り,政治家,産業界,所管官庁,といった外部者および当該独法機関の上層部の連携で,研究現場が不要に混乱するという実態があるという.
(1) 社会の仕組みという観点からは,僕や「雄」さん,「司」さんも
間接的に述べているように,セーフティーネット (研究経験者を社会の広い業界において採用する)
を産業界や所管官庁あるいはマスコミにまで広げて,これらの関係者がより深く基礎科学のあるべき姿を描けるように能力向上した上で,予算配分などを行うよ
うになるべきだと思われる.そうしてはじめて,「京」さんをはじめと
する「国民」という言葉を使うことにひっかかりを感じる方々も納得できるシステムになると思われる.
一方で,(2)
現場組織においては,そういう理想的な社会構造に変わることを待っているわけにもいかないから,運用上の工夫を重ねるべきであろう.これは,官にも学にも
属さない僕からは間接的にしか判らないことだが,たとえば有力大学に重点配分されている COE
予算によって,学科単位で混乱がおきているように見受けられるという問題がある.
COE
がとれたら,院生に旅費や給料を支給できるといった大きなメリットがある反面,自分の研究室の本来のテーマから大きくはずれる研究を実施せざるを得ないこ
とがある.現場の運用上の工夫として,院生には自分の研究室の本来あるべき研究テーマに沿ったストーリーを用意しつつ,COE
が掲げる目標に沿っているかのように物語を構築するといった努力が必要であろう.
当欄に参加されている他の皆様がもっと良い例を書かれているように思えるので,読み直していただきたい.たとえば,「光」さんはご自身の研究現場において基礎研究における無駄を学生に説くことに
よって広い意味での基礎研究への理解の形成に寄与されていると思う.
この問題について 、(3)
個人の気持ちの持ち方については,それぞれの立場において千差万別であるから,まとめるのは難しい.とくに,配偶者が研究者の方々や,科学技術と関連のな
い人生を歩まれている方々については,これが正解・正論だなどと言いようがないため,ただただ「なるほど」と伺うばかりである.
話はそれるが,東京工業大学は、東京職工学校という元の名が示す通り一義的には科学者・技術者を養成する大学であるため,それ以外の人生選択,典型的に
は思想家の吉本隆明氏や作曲家の倉本裕基氏のような人が出るのは想定の範囲外といって良かろう.政治家の菅直人氏などについては,たとえば中国の指導者は
理工系のテクノクラートが大変多いことを考えると,もう少し科学・技術に明るいところを見せて欲しいと思うが.ともかく,東工大という共通点を通して語る
ならば,科学・技術について語るのが妥当と思うが,秦先生の謂われる「理系夫人」については,ここでさらに深堀りするか別の機会にするかはともかく,語る
価値のある着眼点だと思う.
研究者の人生は「旅」になってしまうことが多い.僕の父も研究者であったため,母と他の家族に苦楽を与えたし,僕も現在妻に迷惑をかけている.これにつ
いては「百合」さん,「藤」さん,「馨」さん,「京」さん,「鳶」さん,「晨」さん,
沢山の論客がおられることを知って嬉しかった.
複数の人の思いが入り乱れたときに,「皓」さんの,結局心が大事で
ある (とまとめてしまって良いのか)
というご指摘を大切にすべきだと思う.本人だけではなく,家族をはじめとする周囲の人々の幸福のために,生きているのだと思う.本日後半ではとくに,偉そ
うなことを書く予定であるが,実は周囲の人々を幸福にできなくて,その一歩先の人を幸福にすることは難しいと考えている小心者である.しかし,心の問題は
一番難しい問題であるということは言うまでもないと思う.
皆様からいただいたご意見を整理することは難しいので,皆様の書かれていることが社会,現場組織,個人の三つの視点のどれかということに着目して読み直
していただくと,理解もしやすいのではないか,ということを言い出しっぺとして指摘させていただいた.
〜「雇用問題」について,付記(総括的な感想にかえて)〜
秦先生から「総括的な感想」をというボールを投げかけていただいて,うまく受け取られているか甚だ疑問であるのだが,自分の例を中心に書かせていただい
たパート 1〜3 にかえて,今度は自分の周囲を例にして,「雇用問題」にまつわる具体例をいくつか紹介したい.
職場では,毎年のように採用活動をしている.就職サービスの企業から送られてくるデータを見たり,会社説明会で学生さんにお話をさせていただいたり,大
学をリクルート目的で訪問したり,といった直接的なものから,企画させていただいている学会の研究会や,大学での集中講義,共同研究のための訪問などを通
じて院生の皆さんと対話することや,社内での若手との対話を通じて,仕事上,この「雇用問題」と向き合っている.
食事中もこの問題が話題になる. 30
代半ばの同年代の同業者に関しては,仕事上付き合う近接分野の研究者にはポスドクが大変多い.弊社内でも民間企業としては最大規模と思われる数の任期付研
究員が在職している.あるいは,昼食を食べる仲間には元東大や東北大の任期切れの助教がいたり,逆に社宅の同期が京大の助教になって出て行ったりして,任
期付助教の問題についても考えさせられる.
家族の不安も大きい.仕事を離れても,最近は友人や親戚の若手研究者がポスドクになる際に,その両親に,本人の希望の妥当性や将来展望を第三者的な立場
から説明するという機会が多い.「イスラエルの大学が良いので行きたいと言ってるが,息子は正気なのか」といったお母様の質問に答えたりしている.
プライベートな人生設計上の問題でもある.自分あるいは交際相手または配偶者が不安定な研究者であるために,生活面で,あるいは心理的に不安定になると
いうケースも多い.自分自身,5年近く東京-名古屋間で自費・自己都合・単身赴任の状態であったが,そういう遠距離結婚・恋愛をしている仲間も大変多い.
ポスドクでヨーロッパに赴任するに際して結婚して,現地で子供を作ったのは良いが,二つ目のポスドクに移るに際して妻を離縁したという知人の話などを聞く
と胸が痛む.
これが一般的な雇用問題と同じであるかどうか.「理」さんからご指
摘いただいたように,どんな職業であっても若い間は苦労がある.僕も 1990 年代をまるまる 20
代として過ごし,その間をフリーターとして自活した経験からみて,赤木智弘さんの「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
」に書かれているような,社会全体の雇用問題という背景があることは肌で理解しているつもりだ.コンビニのおにぎりを 100
円という低価格で食べられるのは,安い労働力のお陰だということはフリーターにとっては常識である.労働組合は通常正社員しか保護しないから,自分がはじ
めて労働組合員になったときに,「社会で本当に困っている人のために組合は何も機能していない」と心の底から主張したこともある.
しかし,ポスドクの問題は一般的な問題とは少々異なる.まず,景気の影響は受けるにせよ,「異常な理系」でない側の,機電系を代表とする「正常な理系」
の人々には雇用問題はそれほど深刻ではなかった.確かに,バブル崩壊以降に入社した大手企業の 30
代社員は手薄である.しかし,機電系の人々は大手から漏れても中小に就職できるといった,厚い雇用元の層が存在し続けている.
先日,東工大に社会人課程博士として在籍している僕の職場の先輩が,「ポスドク問題」を語る東大・東工大合同のセミナーに出席させられた.そのとき,全
体を仕切っていると思しき「異常な理系」側の人々の悲痛な主張と,僕の職場の先輩の属する化学工学という「正常な理系」側の人たちのテーブルにおける反応
とで,明らかな温度差があったそうだ.この理工系内部における状況および問題意識の乖離が第一点.
次の点は,中途半端に欧米を模倣して,大手の大学や国立研究機関から順番に任期付にしていったため,優秀な研究者ほど任期付職に就かざるを得ないという
状況となったこと.「藤」さん,「鳶」さんが
知っておられるであろう,伝統的な博士の就職難は人文・社会科学と,物理や生物学において昔から存在した.しかし,昔の研究者の場合は上から認められた順
番に,それなりのパーマネントのポストにつくことができた.僕の大学院の指導教官のさらに師匠は,戦後まもなく初期のフルブライト奨学金を得て渡米した
が,彼の時代は留学という名の在外研究 (定職を持っている人の国外研究)
であった.僕の父も,国立大学の常勤教官としてアメリカで研究していた.そうでない人は,副手といった本質的に臨時である職についていたため,本当の若手
の間しか大学にいられなかった.現在では,正規のキャリアとしてポスドクが位置づけられていて, 2 度も 3 度も任期付の職を経験するため,すぐに
30 代後半となる.給料は悪くない場合もあるが長期の身分保障がない.これがなければ,結婚もしにくいし,自宅を購入するローンも組めない.
このポスドク問題は「異常な理系」側の問題である.機電系を代表とする「正常な理系」においても,たとえば産総研や国立大助教のポストは最初はポスドク
であるように,アカデミックなポストは「異常な理系」と同様に任期付であり,一見一律にみえるが,ポストを失ったときのセーフティーネットの有無が,背景
に産業があるかどうかで全く異なる.このセーフティーネットの必要性については,「雄」
さんとほぼ同じ考えである.たとえば,新聞記者に研究経験のある人を入れる必要性など,全く同感である.
セーフティーネットを必要としているのは「異常な理系」であるということをもう少し掘り下げて考えてみると,「異常な理系」においては,人材の流れとし
てはアカデミックな側からそうでない側 (メーカー,非研究系公務員,マスコミなど)
への流れが形成されているといえる.するとこれは,アカデミックをやめる,あきらめる,といった経験を,多くの若手研究者が経験するということを意味す
る.このときに,どう自分の中で心を整理するかという「哲学」ともいうべき,心の問題が存在する.僕が前項
で提案した分類において,社会的にでもなく,現場組織の工夫としてでもなく,個人の問題として個々人が解決すべきと思っている問題はここである.僕自身が
「そのとき自分はどう考えたか」という実例を示したのが,最初の秦先生への手紙 (パート 1〜3)
であった.企業研究者としてハイドンのように基礎研究を行いたい,ということであった.
このとき,「屍」という言葉を使ったことに多くの方々からの反響があったことは,意外であった.
自分としては,狭義の研究者 (=定期的に原著論文を発表する者)
として生き続けたい,「屍」にならないようにしたい,ということを日々考えているので,自然に出てきた言葉なのだが,たしかに他人からいきなり「屍」と言
われたら衝撃を受ける.これは,新聞記者が「ブンヤ」,会社員が「リーマン」と自称するような,自分が言うときと他人に言われるときとで印象が違う言葉で
あろう.つまり,一義的には個人の心の問題である.
「瑛」さんが書かれたように,研究者はソリストから指揮者になる場
合が多く,そうなったら「屍」なのだろうか,といった高次元の問題もあるだろう.これは,産官学のいずれにおいても見られる過程である.教授や研究室長に
ならなければ思った通りの研究が出来ないにも関わらず,そのポストについたら研究が出来なくなるというジレンマも往々にしてある.これは良く判らないの
で,現段階では先輩方にお任せするとして,本稿では博士号を取得してから数年〜10数年程度の若手の問題に絞って考えたい.
大学院の後輩にあたる女性で,理論物理の本当に基礎的な問題に取り組んでいる博士課程の院生のエピソードがある.彼女は,博士課程がもうすぐ終わるのだ
が,ポスドクになることに不安があった.かといって,民間企業で使えるような研究テーマではなかったが,企業就職を考えていた.そのとき,瀬戸物
(陶磁器)
の博物館を訪れた.瀬戸物が躍進したのは,明治時代になって狩野派の画家が大量に失職し陶藝に分野を変更し藝術性を持ち込んだためであった,とそこには書
いてあった.ファインアートである理論物理から産業へ転身する自らを,黄昏の狩野派の画家になぞらえたわけだ.読者によって,いろいろ感想が異なるであろ
うエピソードだと思う.
他のケースをざっと紹介すると,大学院で生命の起源について生体高分子のシミュレーションを通して研究していたが,教職を経て,民間企業に任期付研究員
として転職したという人もいる.彼は,企業の人々に変わった視点から世界の見え方があることを示したいと言っている.
逆に,同じような生体高分子のシミュレーションの分野の研究者で,30
代半ばまで海外ポスドクを繰り返したあと旧帝大の准教授になったが,特に哲学的な思い入れはなくて,ただ面白いから解析しているのだ,ということを断言し
ている人もいる.彼の指導教官は人文学的な意味でユニークな発言で知られる人であるだけに,興味深い.
大学・大学院の同期の友人には,分子生物学で大学院を修了し学振特別研究員となり,高 IF の業績を連発しほどなく助手に採用されたが,30
代半ばの最近ビール会社に転職した人がいるが,彼は助手時代は自分が民間企業に行くことは全く考えていなかったと思う.
共同研究を通じて知り合った旧帝大の化学工学系の院生がいた.彼は,せっかく「正常な理系」である化学工学であったのに,僕の専門と同じ分子シミュレー
ションを選んだのが悪かったのか,我々の競合企業に入社後,ほどなく退社し,田舎に帰って塾講師をしているという.大変優秀な人であったのにその企業で能
力を活かせなかったのが残念だと思う.
何人かの例を挙げさせていただいたが,どの人も 20 代後半から 30 代にかけていろいろなことを考えざるを得ない立場だったと思われる.「雄」さんの言われる,いい意味での「エリート意識」,は素晴らしいと思う.こ
の意識を誰もが持っていても不思議はないと思われるが,その中の何人かは,途中でその意識を修正する必要があっただろう.
では,いつからいつまでこの「エリート意識」を持っていたらいいのだろうか.かつては,旧帝大クラスの助教になった時点で,まあ科学者として指導的立場
になるべきエリートとして自他ともに認識したら良かっただろう.上記の「狩野派」さんには,院生にしてはちょっと早いのではないかといった突っ込みも出来
ただろう.
現在では,明らかにエリートとして問題がないと思われるレベルの人から,あまりそうでない人まで,一斉に三十路をはるかに超えても決着のつかないレース
に参加するのが「異常な理系」の世界なのである.
これについて,僕自身がどう対処したかといったら,先に述べたように「ハイドン」を模範として,企業の役に立ちそうな分野を作り,基礎と応用との両者を
楽しめる企業の研究室に潜り込み,研究人生における自分のストーリーを修正はするが骨抜きにはしないと自戒しつつ,暮らしている.
他の皆さんはどうするのだろう.幸福感というのは個人個人によって異なるから,結局は個人で解決するしかない.そして,本欄に参加された多くの方々がヒ
ントを述べておられると思う.最終的には七十代になって「藤」さんの
述べておられるような境地に皆さんが達することができたらと願うばかりである.
企業で基礎研究は困難という「雄」さんのご指摘はもっともであり,
アカデミアに残ることができれば,そこが基礎研究に最も相応しい場所であることは言うまでもない.基礎科学が「林業」的であるべきだという指摘なども,大
いに賛同する.以下で述べる修正点を除けば,「雄」さんの
ご意見は全面的に同意するし,なるほどと新たに思う点が多かった.アカデミアで基礎研究を行うのが理想だというのは,そもそもの前提であるが,実際にはじ
めてみたら企業でも基礎研究が出来ないことはないという自分の実例を示すことによって,人生設計の変更を迫られた人々へのヒントとなったらと思って書いて
いる次第である.したがって,企業側の宣伝口調になることはお許しいただきたい.
まず,企業の守秘義務の問題について小さな修正をさせていただきたい.
僕が研究内容の詳細について書かないのは,この文章が秦先生のページとして残るからであって,直接会って会話をする分には書き物よりもはるかに我々は
オープンであることだけ指摘しておきたい.ディスカッションが重要なのは,応用も含めてあらゆる科学技術の研究において基本である.情報というものは,出
さなければ受け取れない.ディスカッションのためには,僕はアメリカにもヨーロッパにも行くし,逆に向こうから来られる研究者を迎えるためのシステムもあ
る.今でも自分の書いた論文の更に先の問題について,共同研究契約など結んでいない大学の先生と話し合っている.話が盛り上がらなければ共同研究も何もな
いわけだし.学会の委員会で会うごとにディスカスする先生もいる.要するに普通の研究者である.
また,大学や国立研究機関では研究ユニットごとに意外な壁の高さを感じることが多い.たとえば,隣の研究室と同じ高額な装置が二台別々に置いてあったり
する.民間企業の良いところは,効率化のためと称して,こうした壁が低いところである.気が向いたら,高額な装置を使う分析屋,モノをこするのが専門の実
験屋,分子よりオーダーのはるかに大きな連続体理論の解析屋,といった別部署の研究者といつでも情報交換できる文化がある.面白いテキストがあれば部署の
壁を越えて輪読も行うし,基礎的なアイディアを闘わせる会もある.これは「業務上のプライバシーがあるかどうか」ということと背反であるが,とりあえず日
本の企業文化の良い点だと指摘したい.
外部からみて守秘義務の問題が煩わしく見える理由は,真の意味での現場の研究者ではない,「情報の流通」を生業としている人々が企業には居るからであ
る.彼らにとっては,情報の不均衡が飯のタネになっている.しかし,彼らの存在は必要である.
もう一つ,僕の韓国と台湾は応用技術立国であるという意見についてであるが,「maokat」
さんからの宿題,「雄」さんからの反論もあるので考え
たい.
まず,韓国と台湾は現在はたしかに基礎研究にも優れた研究環境が整いつつあるが
(渡米者が多いのは全世界の特徴であるからさておき),非欧米で日本と並んで基礎科学の伝統があるインドのことを考えたら違いが一目瞭然かと思う.インド
には,ボース=アインシュタイン凝縮で有名なボースや,分光学で有名なラマン,あるいはタンパク質の立体構造についての基礎概念を提出したラマチャンドラ
ンなど,20 世紀のはじめから自国で学び自国で研究を行うノーベル賞級の研究者が多数存在した.
「maokat」さんの「この特殊性の源は、江戸時代にあるのか
な?」であるが,僕もそう思う.
以前,自分の祖先と同じ村で同じ名字の人々が,尾張藩の藩校である明倫堂において漢学と医学の教員を務めていたという古い本を見て,さらに調べた.その
創始者は有隣舎という私塾を開いており,これは藩校が出来るよりも前のことだと知った.他の藩の藩校の歴史をみても,藩中央の学校が出来るよりも前から私
塾が存在する例は多い.つまり,江戸時代には武士でも僧侶でもないのに田舎に私塾を開くという,自然発生的に学問を目指す人々がいた.
博物学の本を見ると,江戸の博物学は庶民レベルで相当浸透していたという.南米由来のトウモロコシの栽培は農民から農民に伝わったそうであるし,金魚や
朝顔といった珍奇な生物の品種改良については,武士の地域振興策から発展して町民に広がったものである.日本酒は低温発酵をはじめて利用したバイオテクノ
ロジーの産物であることは生命理工学部で習う.機械工学については,武器の製造は禁止されていたため,からくり人形として発展した.
中央集権ではなかったため,各藩が地域の自然を活かして独自に産業を興さなくてはならなかったという事情もあるのではないかと思う.
話がそれたので「雇用問題」に戻すと,「異常な理系」に従事している若手研究者は,その絶対数がアカデミックポストの正職員の何倍もあるため,いつか方
針転換しなければならない人が沢山いる.この問題について,社会,現場,個人の各層においてどう対応したら良いかについて考えたい,という話の続きをす
る.
社会レベルにおいては,既に述べたようにセーフティーネットを構築するべく,責任のある立場の人々には是非対応してもらいたいわけだが,若手の個人レベ
ルで微力ながら貢献できることもある.これまた卑近な例で申し訳ないが,学会や研究会の活用である.
上述したように,分子シミュレーションをトライボロジーに応用するという研究会を企画させていただいている.この会は,会員数は正規の委員で 50
名程度と小規模であるが,産官学のいろいろな立場の方々に参加いただいている.トライボロジーは潤滑の技術であり,これはダ・ヴィンチや産業革命以来,
もっと古くはエジプトのピラミッドを作るときから用いられているが,分子シミュレーションを用いた応用方法については,まだまだ基礎的な研究が必要であ
る.
しかし,我々が研究会をはじめてからの数年の間にも,これを学んで学位を取得した人が出始めていたり,メーカーにおいても専門の研究開発者が採用された
りしている.分子シミュレーションは,同じシミュレーションという言葉がついても,機械工学や建築・土木などにおける構造計算や流体計算などの CAE
(計算工学)
と異なり,産業の基盤技術としては認知されていない.酒の席で,とある大手メーカーの研究所長から「分子シミュレーションは要らないんだよ」と厳しい言葉
をいただいたこともある.したがって,我々は異なる大学やメーカーといった立場を超えて,同業者同士で協調して,我々の技術の優位性,利便性を主張してい
かなくてはならない.個々の研究においてはライバルであっても,業界の振興は我々全体の死活問題であるから,仲間なのである.
「舟」という言葉を僕は好んでいる.この研究は何人乗りの舟であるか,といった話を研究チーム内で行う.より広くは,我々の舟にのって大学院を修了した
人が,大学に残ったりメーカーに入ったりして活躍したら,舟は立派な船となり,日本は沈没せずに済んで,世界は摩擦がゼロになってエネルギー問題から解放
される...
これは,きれいごとに聞こえるが,真剣にそう思っているし,多くの人々と利益が一致するので,誰彼構わず,この説を説いてまわっている.
もっとも,大学院生個人個人のレベルでは,我々の技術が現段階では本質的に「異常な理系」の側のものであるため,難しい問題も抱えている.たとえば機械
工学科に進んで卒業研究時に分子シミュレーションの研究室に配属されたとする.先生は,理学部物理学科的なマインドであったりする.すると,本物の物理屋
である競合者がひしめく「異常な理系」側の成功を想像しがちになる. Phys. Rev. Lett.
に何報載るかが偉さの基準であるし,修了後はポスドク街道に突き進む.機械工学の基本である四力学を授業レベルでしか理解せずに,かといって分子シミュ
レーション屋としても本物ではないという中途半端な状態だ.
こういう不幸な人が出現しないためにも,アカデミックではなく産業側に「船」を拡張しなければならないと思う.分子シミュレーションの隣接分野にバイオ
インフォマティクスという生物学と情報学を合わせた分野があるが,産業の芽が見える前にアカデミック側の臨時ポストを大量生産してしまったように見受けら
れる.産業側への拡張において説得力を持つためには,実績を出さねばならない.だから,僕が参加させていただいているような国のプロジェクトで得られた基
礎研究的な成果を,競合他社も含めた業界全体に啓蒙することは有意義であると考えている.すると,全体的に我々の技術を用いた開発事例が増える.
もちろん,先に研究をはじめた弊社がプライオリティを確保し続けるべく努力するわけであるが,結果として「船」は大きくなる.
と,まるで他人の役に立っているかのようなことを書いたが,これは自分の例としては,そういう理想をボヤっと持ちながら暮らしている,というだけのこと
である.
一方で,これに関連してアメリカの同業者で文字通り素晴らしい活動をされている方がおられるので紹介したい.
彼女は EY
さんという日系人の女性研究者であるが,三世であるため日本語は全く喋らない.数十年前にイエール大学を卒業した才媛で,全米で五本の指に入る大手企業系
の研究所に入り,トライボロジーの分野で論文も何十も書かれ,現在は著名な学術雑誌のエディターも務めておられる.その企業にはテニュア
(終身在職権)
制度があって,彼女は還暦を越えても研究を続けられるのだが,まだ仕事を続けている理由は研究をしたいからではない,研究は十分やった,という.
彼女が在職しているのは,研究や学術活動ともう一つ, 20
年ほど前から,地域の高校生の子供たちの中で貧しいが成績の良い子に,長い夏休みの間にその企業研究所で仕事を手伝ってもらって,給料を与えるという,ア
メリカ化学会のプログラムを推進しているから,なのだそうだ.その地域の高校は,全米でも有数の荒廃した地区にあり,学校に入るのにも金属探知機のゲート
をくぐって登校するという.当然,貧富の差が激しい.子供達が正当な労働の対価として得る給料は,その一家が半年一年暮らせるほどのものだという.
僕はせいぜい「同業者」という社会の拡張しか考えていないわけだが,彼女は,社会そのものに寄与しているのである.
さて,社会と個人との中間である現場組織における「雇用問題」への取り組みを書いていないのだが,これは現場のことであるだけに,例の守秘義務がある.
たとえば,あまり書きすぎて僕の上司がこれを見たら悲しむだろう.そこで,最後に,「舟」に関してハイドンの面白いエピソードがあるので紹介したい.
ハイドンはエステルハージ侯に,楽団員とともに雇われていた.ハイドンは,歴史的に大変重要である交響曲と弦楽四重奏曲という形式を完成させるという大
仕事をする傍ら,侯爵の愛好する「バリトン」という弦楽器のために何十曲もの「バリトン三重奏曲」を書いた.これは,最近になってレコーディングされてい
る膨大なハイドン作品群における最後の秘境である.この作品群によって侯爵はご満悦であったであろう.
一方で交響曲は,エステルハージ侯爵家の楽団員たちによって演奏される音楽であった.あるとき,侯爵の長期休暇に楽団員たちが付き合い,それが長くなり
すぎて不平がたまった.すると,ハイドンは最終楽章で楽団員が一人,また一人と帰っていくような交響曲を書いた.侯爵は楽団員たちの意思を読み取って,家
族のもとに戻る許可を与えたという.これが「告別」という名曲である.ハイドンは,パトロンのため,そして同僚たちのために働いて,「舟」を安定に存続さ
せ,結果として歴史的存在になった.
こうしたハイドンの生き方は,勤め人として細部に至るまで参考になる.まあ,彼は天才であるから別格であるといってしまえばおしまいであるが,我々には
天才の示した手法を参考にする自由はあると思う.
以上でありますが,相変わらず話が蛇行してしまって,本当にすみません.
今日はこれから,チェロのエキストラとしてお手伝いさせていただいている地域のオーケストラの定期演奏会のリハーサルと本番であります.
アリアーガ「幸福な奴隷」序曲,モーツアルトのピアノ協奏曲 20 番,メンデルスゾーンの「スコットランド交響曲」です.
アリアーガは,二十歳で夭逝したスペインの作曲家ですが,この作品は十四歳のときのものだそうです.穏やかな田園風景の描写から序曲ははじまります.
こんなふうに穏やかに暮らしたいものです. 仁
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* 感謝します。
いま、わたしは、何とも言えず嬉しく、誇らしくもある。わたしが東工大に勤めたのは、ユメにも予想しない「善意のイタズラ」のような事であったけれど、
一貫してそれをわたしが感謝し喜んできた思いの、まさしく「裏付け」をわたしは此処でこのように実現し得ている。問題意識にも表現力にも才能や人間性にも
溢れたこういう学生君たちが、とほうもなく大事な問題について、教室以来、卒業以来十数年の「体験」と「思索」を活かしてまた新たな「挨拶」をしてくれて
いる。節度と知性。しかもこういう諸君が今もわたしの「読者」として売れない先生を元気に支えていてくれているのだもの。そしてさらにそのまわりに、こう
いう若い人たちの発言に身を寄せて下さる先輩・大人の方たち。嬉しいという思いがあたりまえであろう。
まだまだ話題は尽きないだろうと思う、打ち切りにする必要もなく、このまま、「e-文藝館=湖(umi)」の「論考・討論」室に一纏めに置いたまま自然
の「補遺・補充」をも期待しよう。