「e-文藝館=湖 (umi)」 論説・意見

☆  大学の研究者が言わないような類の「科学」の話  「仁」    08.10.11  以下は、編輯者が東工大教授を務めていた頃の一学生「仁」くんから届いた「挨拶」に発しています。(あえて全て仮名にします。率直で 忌憚ない発言を求めるために。但し編輯者へは、と言うより秦 恒平宛にはみなさん何方であるか明かされています。)「挨拶」とはどちらの字も「強く押す
意 味です。私の学生諸君は教室でも教授室でもいつも私の挨拶を食らっては押し返して書き続け語り続けていたのです。
 「仁」君の挨拶は、此度は、いわば私という編輯者を結節点にして他のかつての同窓生やまた広い世間の研究者や科学者に投げかけられたものと理解して、此 のホームページの私の「生活と意見 闇に言い置く私語の刻」を願わくは四通八達の交差点に利用しようと思いました。日録のこと故、日が経つと討論の全容が 一望しにくくなりますので、最初から予定したとおり、この「e-文藝館=湖(umi)」「論説・意見」室に、一括順次掲載することにしました。
 どなたでも、自由に割り込んでご発言下さい。ついでながら、「e-文藝館=湖(umi)」の全容にもお目を向けて下さいますと本望です。(秦 恒平)



 ☆ 討論 


 ☆ 大学の研究者が言わないような類の

   「科学」の話
      「仁」     08.10.11



 〜はじめに〜
 最近ノーベル賞の発表が続いておりますが,感慨深いものがあります.(秦)先生もご存知のとおり,僕は 10 年以上自分の web ページを持ち駄文を掲載し続けてきました.しかし,企業の研究員という立場上,研究そのもの,あるいは研究をとりまく科学技術環境については,なかなか 思ったことを書けません.企業の研究員が研究所外で研究について語るためには,弊社では「所外発表申請」なるものの決裁を必要とします.そこで,今日は自 社グループの看板を背負った研究員としてではなく,先生の教えをいただいた一東工大OBとして,日本の科学技術について思うことを述べたいと思います.
 基本的に,この文は文字通り「闇に言い置く」つもりで書きましたが,もし先生のご判断で他の方の参考になる部分を感じられましたら転載ください.話の内 容上,第三者がこれをご覧になったとして僕個人を特定するのは難しくないでしょうが,あくまで筆名による個人的な意見だと受け止めていただけたらと思いま す.

 ■ 大学の研究者が言わないような類の科学の話
 〜今年のノーベル化学賞と海洋天然物化学〜

 今年のノーベル化学賞受賞者が GFP の下村氏になって,ここ名古屋の報道は大変なことになっている.今年は 2002 年度に続いて物理学賞,化学賞の日本人ダブル受賞となったが,さらに,物理学賞は名古屋大学出身の小林・益川氏が受賞,化学賞は助手〜助教授時代に名古屋 大学におられた下村氏が受賞されたからである.自分は名古屋大学に在籍したことはないが,毎年トライボロジーの分子理論を教えに行かせていただいている非 常勤講師として何となく嬉しい.
 ハーバード「雄」 さんが 「mixi」 にて詳細に解説されているように,下村氏の受賞理由はオワンクラゲにおける GFP 系の発見であるが,もともと海洋生物の発光系としてはウミホタルなどのルシフェリン-ルシフェラーゼ系が 1917 年から知られており,このルシフェリンを結晶化した (すなわち分子構造が詳細にわかる) 人として下村氏は有名であった.
 こんなことを,現在は民間の研究所で「摩擦」を研究している僕が書けるのは,人生最初の自然科学研究を行った分野が海洋天然物化学だったからだ.
 海の生き物は様々な特殊な分子を活用して生活している.トラフグのテトラドトキシンのような毒や,タコの墨,配偶者そのものや精子などを誘因する様々な フェロモンの類,エネルギーを得たり光を感知したりするための色素,そして,発光する物質だ.
 現代の分子生物学では,生命にとって最も重要な分子とは,タンパク質,核酸,糖,脂質であると習う.それぞれの構造,機能,代謝などを習うだけで大学を 卒業した気分になり,お腹がいっぱいになってしまうわけだが,海洋天然物化学が扱うような特殊な分子は,これらとは毛色が違う.いってみれば,生命という ロールプレイイングゲームで体験する物語における,ストーリーの主流からはそれている「特殊アイテム」である.それがなければゲームをクリア出来ないくら い絶対必要というわけではない.しかし,敵をやっつける強烈な毒であったり,光ったりして,その分子の関わる現象自体が不思議であり,また,テトラドトキ シンの分子構造を眺めたときに、「どうしてこんな形をしているのだろう」と感じるような,ほれぼれするような姿をそれぞれの分子はしていたりして,興味が 尽きない.
 そんな海洋天然物化学と僕が関わったのは, 4 回目の大学一年生のときだった. 1 回目,2 回目の大学一年生のときは,そもそも大学に入ることが出来ていなかった.いわゆる浪人という奴である.仕方がないから,雑誌を通して知った早稲田大学の SS 先生に現代詩を送りつづけて,添削していただいていた.
 3 回目の年は,ようやく大学に入って上京したが,首都東京そのものと,そこで出会った人々に圧倒されている間に一年が過ぎてしまった.いわゆる留年だ.文学 の教授として来られた秦先生と出会ったのも,この頃だと思う.文学青年崩れの僕からみて,秦先生のお話,講義,著作,すべてが新鮮だった.東工大でこんな 真正面から文学的な先生に出会えるとは思わなかった.
 留年の理由は,フランス語を落としたことが理由であるが,そもそも「ランボー全詩」を愛読するにも原著ではなく粟津則夫訳であったのが敗因であった.た だし,当時のルールで,規定の専門科目の講義の単位をまとめて 2 年分とれば 、3 年目は 2 年分の学生実験だけで済むから留年は解消できると聞いて,せっせと講義には出た.しかし,父親を亡くして経済的に自活していた僕が大学で学びつづける理由 は,基本的には講義を聞きにきたのではなく,研究をしにきたからだった.早く研究がしたかった.普通の人は卒業研究をする年齢でもある.
 ということで,勝手に研究をはじめることにした.指導教官として,大学入学前からお世話になっていた HM 先生にお願いして,研究テーマを与えていただいた.それは,マボヤの表皮から付着忌避物質を抽出して物質を同定する,という海洋天然物化学のテーマだっ た.
 HM 先生の研究室は海洋天然物化学ではなく,分子発生学を看板にしていた.もう少し細かくは,精子が卵にたどりついて受精する際に相手を自分の仲間だと認識す る「先体反応」という難しい現象だった.扱っていた実験動物としては,イトマキヒトデとマボヤと,アフリカツメガエルが中心だった.海の生き物であるヒト デとホヤは三浦半島や三陸などに採取しにいって,海水で満たした水槽に入れておくのだが,この水槽がどこの鮮魚店よりも高性能で,新鮮に実験動物を生かし ておける素晴らしい装置である.水槽の中のホヤやヒトデは,どれだけ見ていても飽きないものだ.
 HM 先生もマボヤを何百匹も眺めている間に,あることに気がついた.
 マボヤはソフトクリームのような形状をしている.クリームの部分は,赤紫色の柔らかいイボに包まれた半球に口と肛門に相当する穴が突き出ており,外の海 水を出し入れしている.下半分のコーンに相当する部分は,岩などに固着するために黄色くザラザラした円錐形だ.
 マボヤは誕生したときの幼生のときは,おたまじゃくしのように泳ぐ.しばらく泳ぐと,固着して,そのままその場所で成長する.大人になると,立派なソフ トクリームの形になる.岩などにへばりついているため,コーンの部分には,フジツボやムラサキイガイなどの似たような生き方をする貝類も自分より大きなホ ヤの体に固着している.
 HM 先生の発見は,他の固着生物はコーンの部分には固着するが,クリームの部分には固着しない,ということだった.
 僕が何か実験をさせてもらえませんか,と 、HM 先生の研究室を訪ねたときに与えられたテーマが,
 「なぜ他の生き物はクリームの部分に固着しないのか」というものだった.マボヤの表皮は原因となる忌避物質を含んでいるから,というのがもう一歩踏み込 んだ推察だった.そういう物質があるならば,ホヤは天然の防御物質を持っているといえる.すると,その物質を濃縮して船の底に塗ったら,現状において固着 生物をつけないために使われている有機スズ系の塗料の代替になる環境負荷の低い材料になるのではないか,というのが工学的にみた着眼点であった.
 これは面白い,と思って,さっそく実験をはじめた.成分を取り出すためには,有機溶媒などを選んでホヤの皮を浸して成分を抽出して,次に溶媒を揮発させ て成分を濃縮する,という作業を繰り返す.今度は,水と有機溶媒などの二成分系で分離することもできる.
 ともかく,そうして選び出した物質に,固着生物が最初に固体表面に付着することを嫌がらせる忌避活性があるかを調べなければならない.この作業をアッセ イというが,その方法を文献調査すると,ターゲット物質を塗ったシャーレにフジツボの幼生を放し,一晩ほど経過した後に何匹固着しているかを調べる,とい うのがあった.しかし,フジツボの幼生を採取できる季節は限られていたので実験開始当初は入手できなかった.
 そこで,ムラサキイガイがどうやって固着するか,というのを観察した.海水を浸したシャーレにムラサキイガイを置いて,ルーペの下で,どう行動するか眺 めるのである.すると,
 (1) イガイは最初に足を出して,シャーレ表面をなめるように調査する.
 (2) 固着しようと思ったら糸を数本出す.
 (3) その数本の糸を殻の中に引っ込めることによって, シャーレの面に対して垂直に起き上がる.
 (4) さらに多くの糸を出して,安定に表面に付着する.
という、 4 つの過程を必ず経るということがわかった.
 気に入らない表面だと,(2)までは行うが,(3)の過程に入らないこともわかった.
 さらに,(3)の過程に入る時間は平均15分弱ほどだということもわかった.すなわち,15分待って,(3)の過程に入るかどうかをみたら,付着忌避活 性があるかどうかを判定できる.
 これが,僕の生み出した新しいバイオアッセイ法であった.この方法なら,フジツボの幼生が手に入らなくても良いし,従来よりもはるかに短い 15 分ほどで判定できる.
 アッセイ法さえ確立したら,あとは調べていくだけである.その中で,何十種類もの成分を分離していったが, HM 先生はタンパク質が怪しいと述べた.僕は,もっと単純に赤色の濃い画分の方が忌避活性が高い気がした.しかし,赤色の元であるカロチノイドに忌避活性があ ることはこれまで報告されていなかった.その頃に読んだ本のなかでバイブルに近い位置づけにあったものは,
 『化学総説 25 海洋天然物化学』日本化学会編,学会出版セン ター(1979)
であった.
  この本には一通りの海洋天然物の分子構造が示されていた.さらに,この本の冒頭で全体の概論を書かれていたのが,今年のノーベル化学賞の下村先生のボスで ある平田義正教授であった.
 ともかく,カロチノイドでも様々な分子が載っており,眺めているだけでも楽しくなった.本にはきれいな分子構造が載っているが,それを特定するために は,様々な機器で分析を行わなければならない.ただ,これに関して東工大には、一流の装置が揃っていた.このために必要な NMR,FT-IR,などの装置の勉強を次ぎにはじめた.
 そうこうしている間に,ある国立の研究所のチームが南洋で何百種類の生物を採取して,そこから忌避活性の高いものを選び出すという研究の結果を示した. そのなかで,一番高い活性を示したものが Halocynthiaxanthine というカロチノイドだった.「ホヤの赤」という意味である.
 研究による敗北の悔しさを噛み締めたのは,それがはじめてだった.大学入試に落ちたときよりもショックであった.
 しかし,研究についていろいろなことを学んだ.研究テーマの設定のしかた.実験計画の組み立て方.得られたデータの解釈からストーリー全体に位置づける ことまで.助手の CM 先生には手取り足取り実験について教えていただいた.もう一人の助手の MM 先生をはじめとするほかの研究室の皆様にも,最初は教授の連れてきた落第生のことを嫌だったとは思うのだが,親切に教えてくださった.イタリアから来た研 究者の一家と横浜まで阪神戦を見に行く,といった研究室の様々な行事にも誘っていただいた.研究室を訪問された,細胞接着物質を発見してノーベル賞候補で ある TM 先生についても,その研究が面白いからと質問をしている間に,実は実家の同じ通りの出身だということを知って驚いたりした.研究は,人間がやるんだという ことを理解した.
 そもそも,HM 先生の専門は発生学であり,付着忌避活性は主流のテーマからは遠い.しかし,先生がすぐに課題を与えてくれたということは,常日頃からあらゆることを研究 テーマにしてやろうと興味の目を張り巡らしているということだと思った.
 実際,HM 先生は動物学会などにおいて出会った様々な研究者に大事な着想を惜しげもなく与えることで有名であり,ファンが大変多い人であった.さらに,その後に出 会った分子生物学者の誰よりも, HM 先生は博物学者的であった.すなわち,学問が生物学や地学などに細分化される前の,ダーウィンや南方熊楠などの往年の大博物学者が活躍していた時代の研究 者のように,世界の不思議について何にでも興味を持っておられた.
 大学の生物系の教員には,こういう博物学者的な人が一定数必要である.しかし,どうも減少しているように思えるのだ.無駄な勉強を無駄と恐れずに重ねて いって,森羅万象に対して臨機応変に対応できる人物というか.大学には,ある一定の「無駄」のバッファーがなければ,学生にしても臨機応変に対応できなく なってしまう.
 僕が現在研究しているトライボロジーという分野は,物質の界面における摩擦や摩耗の起源について探求する理学的側面と,潤滑油や添加剤,しゅう動材料, コーティングなどを開発する工学的側面とを持つが,大学には正式に学べるコースがない.東工大にも,化学工学の MM 先生や機械工学の NT 先生という有名な教授がおられるが,研究室に配属されるまでいわゆるトライボロジーは学べない.しかも,そこで学べるのは,誤解をおそれずにいえば,既存 の確立した潤滑油添加剤の化学や流体潤滑理論の延長であり,僕がスーパーコンピュータを用いて行っているような統計力学や分子理論を駆使した研究について は,まだ手をつけはじめた段階といえるので,研究者個人が手探りで行うしかない.
 しかし,ホヤの海洋天然物化学の研究を通して必死に学んだ有機分析の知識のお陰で,卑近な例でいえば,理論屋であるにも関わらず表面分析の実験的な論文 の査読を行うことができるし,もっと全般的には「界面」の問題について既存の学問から離れた着眼点から考え始めるきっかけとなったともいえる.
 科学は,何が役に立つかわからない.だからこそ,大学には無駄が必要だと思う.
 産業界に身をおくと,理学部出身で活躍している人が意外に多いことに気づく.それも,生物系だったり理論物理だったり,およそ機械工学や電気工学などと は関係のない分野だったりする.日本が科学技術において世界に伍していけるのは,そういう無駄な勉強をした人々が産業界で活躍しているからだということ を,是非心の隅にとどめておいていただきたい.
 そういう人材を輩出するためには,繰り返すが大学では無駄な研究が必要であり,理学部にも存在意義があるといえる.


■ 大学の研究者が言わないような類の科学の話
  〜今年のノーベル物理学賞と日本の基礎研究〜

今年のノーベル物理学賞受賞者は南部,小林,益川の 3 氏と決まって最初の興奮が日本におとずれた.この 3 氏とも,素粒子物理学では避けては通れない理論を提唱した人物であり,ノーベル賞受賞は当然ということらしい.素粒子物理学そのものはあまり良く理解して いないので,学術的にこれ以上突っ込んだ話はできないが,益川氏の受賞直後のインタビューなどを見ていて、わずかに心にひっかかった点から,今日の話を書 きたい.
 益川氏は,受賞がうれしいかと質問されて,自分が予測した 6 種類の素粒子のうち最後のものが数年前に実験的に確認されたので,それを越える喜びはない.ノーベル賞受賞というのは社会的なお祭りだ,と答えられた.
 ノーベル賞は社会的なお祭り,これほど簡潔にノーベル賞の本質を言い表した言い方も珍しい.
 確かにそうだ.これは祭りなのだが,祭りであるからこそ,祭りのご神体である受賞者本人には関係ないかもしれないが,周囲の人間にとっては重要である. 先ほど,素粒子物理学は判らないと書いたが,素粒子物理学の理論の研究者というのは元そうだった人も含めて何人も知っている.
 少し話が個人的なものに飛ぶが,僕はマボヤについての最初の研究を HM 研究室でさせていただいたあと,分子生物学に飽きた.
 なぜかというと,ものすごく簡単にいうと,分子生物学とは生命現象を司る分子をひたすら特定していく学問だからである.遺伝子は核酸である,ある酵素は こういうアミノ酸配列のたんぱく質である,この酵素を活性化する補酵素はこういう分子である,といった感じに「特定」していく.
 ある生命現象を司る分子を特定できれば,たとえば薬を開発することはできる.特定の化合物が不足していたら,それを補えばいい,という単純な話だ.
 しかし,これは生命という物語において登場人物を特定する作業にすぎないのではないか,と思ったのだ.ドラえもんという物語があったとして,このお話は ドラえもん,のび太,ジャイアン,スネ夫,しずかちゃん,から主に構成されますよ,と告げられたとする.のび太はかくかくしかじかの性格で,ドラえもんは そののび太を助けるために未来から派遣された存在です,といった感じに多少詳細に告げられたとする.これではドラえもんの面白さの何割もわかったことには ならないのは明白だ.登場人物を特定しなければ物語ははじまらないが,物語そのものではない.少なくとも個人的にはそう思ったのだった.
 のび太はこういうことをジャイアンにされて,ドラえもんにこういうふうに泣きついて,といったことを,見たい.これは,生物物理学の話だ. Ca2+イオン濃度がこのように振動するから粘菌変形体糸が自励振動を行い,粘菌全体が餌の方に移動する,といったことを TY 先生のもとで研究したのが卒業研究 (本年度イグノーベル賞を受賞された北大の中垣俊之氏と同じ分野である).
 しかし,粘菌変形体糸一つとってみても有機化学を学んだ身からすると,それを一本の糸と近似するにはどうも複雑すぎる.もう少し簡単な系はないか,とい うことで一本の DNA 分子の周囲のイオンの雲 (イオン雰囲気) の動きを KK 先生のもとで研究したのが東大の大学院時代であった.
 あとから考えると,マボヤの研究をさせてもらった HM 先生の研究室がもっとも有力な研究室であった.先生は学会長など重要な役職を歴任されているし, OB も立派な研究者になった方が多い.何より資金もあった.
 卒業研究を行った TY 先生の研究室は,お金がなかった.これは,先生個人の責任というより生物物理では良くあることである.しかし,たとえば顕微鏡像の動画をとるにしても,我 々のように 1 秒30コマの通常のビデオで解析するのと, 1 秒に何千何万コマも撮れる装置とでは,研究内容も異なってくる.試薬を入れるエッペンドルフチューブ一つをとっても, HM 研では当然使い捨てであったが,TY 研では洗って再使用するのを見て驚いた.こういう経済状況の割には,TY 研究室の研究室の先輩方は良く工夫をして研究し,現在に至るまで活躍されていると思う.ともかく,同じ大学の同じ学科でも「経済格差」は存在し,これは東 大駒場の大学院にいっても同じであった.
 そこで,自分が独立するときのことを考えて,理論屋に転職しようと思った.学部 4 年生の時点では計算機シミュレーションはさっぱり知らなかったが,計算機シミュレーションを主体とする研究室を受験した.理論屋ならば,どんな僻地の貧乏 な学校の教員になっても単身で研究を続行できる.
 しかし落ち着いて考えたらわかるように,生体分子の理論屋になる,ということは,理学部の物理学科などを出た理論物理の本道の人々と仕事がバッティング するということだ.しかも悪いことに,理論物理の研究業界の最大の特徴は,博士号をとっても研究職になかなか就けないということなのだ.たとえば,10 人が博士号をとったとしても,パーマネントの研究者にすぐ就けるのは 1 人いるかいないかであり,何度かポスドクを経験したあとでも 2-3 人の人しか研究者にはなれない.この惨状はもともとの出身である理学部の生物系の出身者にいおいても同じであるから,不思議に思わなかった.
 しかし,トライボロジーのような機械工学の場合は違う. 10 人が博士号をとったら,9 人はすぐにパーマネントの研究職につける.生物や物理の諸君,驚くなかれ.これは調べたらすぐにわかる.もちろん,パーマネントの研究職の中には生物や物 理の諸君が嫌う企業研究者も含まれているが,ともあれ,自分が博士課程で行った研究の続きを生涯継続できるのだ.
 話を僕のキャリアに戻すと,結局,生物の物理学で学位をとるという最悪の選択をした者が選ぶことができた進路は,ポスドクになるか,研究をやめるか,と いうことだった.
 僕はポスドクになって人生を消耗するのが嫌だった.この制度は間違っていると思う.中央官庁で常勤職員として働いている妻もいるので,ポスドクとして渡 米することは考えなかった.そこで,どんな僻地の小さな学校でも構わないからとパーマネントの教員の公募に応募しつづけたが,結局どこにも通らなかった. 中央の大学で大型計算機を駆使して役に立たなさそうな基礎研究をしたコネのない若者は、小さな学校では嫌われる.これは,就職活動当初は冗談だろうと思っ ていたが,学位取得後何年にもわたって採用活動などを通じて実際に論文数が 1 報だけであっても高等専門学校の教員に採用されるという地方国立大学出身者の事例を複数目撃すると,そう思われてならない.
 小さな学校では何よりも協調性を期待される.自分でいうのも何だが,自分では協調性はあると思う.周囲が実験屋ばかりの研究室で孤立しがちな理論屋とし て楽しく仕事をさせていただいているし,学会の研究会の幹事などを通じて同業者の方々にも楽しんでいただけていると思う.仕事場でもその周囲でも,若い人 々の進路や悩みの相談窓口にもなっている.当時の願いとしては,小さな学校で,水泳部の顧問をやりたかった.しかし,僕の公募に際しての申請書類はどうも 履歴書そのものが偉そうに見えるのではないかと思うのだ.東大や東工大の教員になるには実力が不足していて,小さな学校では拒否される.ともかく,もう一 つのやりたかったことである出版業に携わることになった.
 やっと,「素粒子物理学の理論の研究者というのは何人も知っている.」という話に戻ることができた.理工系専門書籍の出版社に入社したのだが,ここには 理論物理や数学が専門だった人が大変多い.自分の所属した第二編集部 (といっても部員は 10 名にも満たないが) の部長は,旧帝大の理学部物理学科で素粒子物理学の理論で博士課程まで進まれた人だ.他にも,その隣の部長も理論物理だったし,ヒラ社員にもいた.もちろ ん,大学院から今に至るまで理論物理 (正確には理論物理化学) に片足を置いているから,理論物理のポスドクや教員の方々には散々お世話になっており,ポスドクになった後,消息を絶ったという人も沢山みてきた.
 益川氏の言う「ノーベル賞は社会的なお祭り」という言葉を聞いて最初に実感したのは,益川氏のような一人の素粒子理論のヒーローを生み出した背後につみ あがる無数の研究者の屍の姿であった.ノーベル賞は,彼らを慰霊するお祭りでもあるのではないか.オリンピックでも何でも,勝者に対して「皆様のおかげで 勝てました」と言わせるマスコミの姿勢が批判されることがある.
 たしかに,この言い方が定着するのは変だ.しかし,本人が慰霊の言葉を言わなくてもいいかもしれないが,この祭りをきっかけに,誰かが指摘しなければな らないことだと思う.
 このことを現在の職場である研究所で話すと,「でも,この受賞が理工系離れを食い止める一つのきっかけになれば,とも先生は語っておられたよ」と言われ る.たしかにインタビューでその言葉も聞いた.
 この言葉尻に噛み付くわけではないが,産業界に身をおく者として,この点については少々補足したい.
 物理や生物にどっぷりと浸かっていると忘れがちになるが,国がスポンサーになって基礎研究を行うかどうかは,国の文化的土壌と経済力に左右される.極端 なことをいえば,科学技術に軸足を置いた加工貿易国であっても,応用研究だけで国の経済を成立させることは可能である.実際に,韓国と台湾はそういう国で ある.日本の人口は 1 億 3 千万人であるが, GDP の 3 割は直接製造業によっており,残りの第 3 次産業にしても電化製品や自動車などの貿易黒字を生み出す製造業をサポートするために存在しているといっても大きく間違ってはいない.人口は日本よりは少 ない韓国や台湾の経済も,ほぼ同様の構造である.理系ノーベル賞受賞者の数で基礎力を測るのは異論があるかもしれないが,韓国はまだおらず,台湾は一人で ある.これらの国における基礎研究の実力については,トムソン社の論文引用数のデータなどを見ても判るだろう.
 日本は,韓国と台湾のような戦略をとっても構わないのに,好き好んで基礎科学をやっている.しかも,これは第一回ノーベル賞に北里柴三郎が幻の受賞者と なったことからもわかるように,明治時代以来の伝統だ.日本がそういう特殊な国だということを指摘したおきたい.欧米だってそうだろう,と反論されるかも しれないが,欧米は科学発祥の地である.我々が付き合う必然性はないともいえる.
 この日本における基礎科学の特異性を踏まえてこそ,秦先生のページ(闇に言い置く私語の刻)における、
  ☆ ちょっと一休み 2008年06月05日20:10  司
という「司」さんの意見が納得できると思う.
 注意深く述べておくが,基礎科学は人類の科学文明的な発展にとっては当然ながら必須である.しかし,それはアメリカに任せておけばよいという極論だって 可能である.ただ乗りしているわけではない.アメリカには第二次大戦前後にユダヤ人をはじめとする欧州全体からの大量の頭脳流入があり,共産圏の崩壊後に 東欧からの大量の頭脳流入があって,今のアメリカの基礎科学がある.ここ 20 年ほどは中国からの流入も激しい.アメリカは世界の頭脳を集めているのだから,その成果を世界に還元するのは理にかなっている.
 それ以外の応用科学だけの後進国は,「国家国民のための研究」を文字通り行えば良いのである.
 司さんの意見に対する、
  ☆ 研究者と研究と国民と 2008年06月19日08:26 ハーバード 雄
 「雄」さんの意見も,基礎科学研究の現場にいる人としてはもっともな主張だと思う.研究者にとっては,実験し論文を書くことまでが本当の仕事なのであっ て,広報活動をするのは別のプロに任せるべき仕事であるが自分達も努力していた,という指摘はもっともだと思うし,ポスドク問題についても正しく書かれて いる.
 ただ,揚げ足をとるようだが,数点指摘しておきたいことがある.
 > 「自分の研究」と「国家国民のための研究」と、はたして区別がつくだろうか? という点。
 これは,内心がどうあろうが、国立研究教育機関の従業員は「国家国民のための研究」をやっていると,看板だけは絶対に掲げておくべきだと思う.たとえば 産総研の常勤研究者を一人雇用するのには設備投資も含めて大体 5000 万円のコストをかけているという資料をみたことがあるが,こうした基礎研究を行う研究機関に出資しているのは間違いなく「国民」なのである.科学的発見の 伝承経路についてサッカーの例を挙げておられた.これは,その通りと思う.ただ,たとえば国が特定のスポーツに出資する理由はオリンピックの種目であるか らであり,たとえば多分最近はオリンピックの種目ではないカバディの天才がいたとしても,国からの支援が得られないのは必然だと思う.
 要するに,誰がパトロンであるか,というパトロン意識を研究者が持つのは給与所得者として最低限の常識だと思う.自分が国から給料を貰えるのは,海洋天 然物化学でも素粒子物理学でも結構だが,何か特定の「国民が期待する科学分野」の研究を行っている人だからなのだ.
 このパトロン意識という問題をあえて指摘した上で,「国民が期待する科学分野」の選定方法について考えたい.
 「雄」さんは、
 > しかし、その価値判断は、傲慢とも取れるだろうが、どうか研究者にお任せいただきたい。
と書かれているが,僕は研究者だけに任せるのには反対である.
 基本的に,研究の価値は,研究業績の発表の場であるジャーナルの格によって,科学者同士の間で判断が下される.つまらないと同業者に判断された成果は, ジャーナルにアクセプトされない.
 したがって,ある研究グループの外部評価基準に特定のジャーナルへの掲載数を用いるのは,国民というパトロン側としては自然であり,これは本来研究者同 士の価値観に基づいているわけだから,一義的には「研究者にお任せ」しているといえる.
 ただ,これだけでは足りないと思う.たとえば,素粒子物理のジャーナルとして有名なものに Physical Review C があるが,この Phys. Rev. C に掲載されるクオリティだからといって,無制限の数の研究者に素粒子物理の研究に国は出資できない.素粒子物理の研究の必要性そのものを国が,ひいては国 民が理解している必要がある.繰り返すが,日本であえて素粒子物理の研究をする必然性が必ずしもないからだ.
 日本は,湯川からはじまる素粒子物理の伝統があり,日本での研究は大変な貢献をしていると聞く.しかし,その素晴らしさを嫌というほど国民に説明しなけ ればいけない.
 これは,研究者個人もさることながら,研究機関の事務系,さらには中央官庁,マスコミ,啓蒙機関が必死になって取り組むべき問題である.僕が学位取得後 にバスの運転手にならずに出版社の編集者になったのは,この視点があったからだ.短い期間だったが,物理学辞典の編集にも携わった.物理学を面白がる人が 増えたら,出版社も食べていけるし,常勤研究者を一人でも多く雇えるようになる.
 日本には素粒子物理を面白がる伝統がある.ブルーバックスの南部氏の著作を 2 万部増し刷りしたと聞く. 2 万部というのは,たとえば初版,第 2 刷 … と 20 年間で達成したとしても,出版社にとっては神のごとき偉業だ.それを,たった一週間で成し遂げたのである.それだけ「祭り」の参加者がいるということであ る.パトロンへの啓蒙とは,こうした全体の話だと思うのだ.だから,上で素粒子理論の博士は 10 人中 1 人程度しか常勤研究職につけないという話を書いたが,そうならなかった人々は,官庁,マスコミ,そのほかの啓蒙機関に活路を求めるべきである.このような ことを可能にするためにも,たとえば官庁の採用年齢制限を引き上げる必要がある.
 あとは,研究者の人生設計のコーディネーターを用意する必要がある.
 若手研究者には,不思議なくらい自分の人生設計を考えることに絶望している人が多い.自分にはどうにもならない力が作用しているように感じるからだろう か.
 あとは,研究者はスポーツ選手であるかのような傲慢な思想を持っている人が多い.とくに,パーマネントの職を得た大学理学系の教員にはそういう人が多 い.こういう人々からすると,研究とは修行であり,スポーツ選手と同様に勝つか負けるかの厳しい戦いであり,負けたら何も残らない,と考えている.もしス ポーツ選手のようであったら,成功したら何億円も報酬がもらえて当然ではないか.
 基礎科学は儲かる商売ではない.儲かるのは技術 (発明考案) であって,科学そのものではない.そして,論文を書く人以外に,教育を行う人,研究を技術的にサポートする人,研究環境の整備という側面からサポートする 人,など様々な役割が必要なのであるから,そうした立場に研究経験者がなるべきなのだ.僕の兄はボストンの MGH に留学していたが,そのときの大家さんは学位を持った編集者だった.日本には学位を持った書籍編集者は大変少ない.要するに,科学の周辺産業に携わる人々 の学歴が低学歴だ.理学系は人材が豊富なのだから,プレーヤーにならなかった人々に用意できる職種は多いと思う.こうしたことを,自分はスポーツの勝者だ と思っている大学教員が弟子に指導するのは,困難であろう.そこで,コーディネーター的な仕事が重要となる.
 冒頭の益川氏の「ノーベル賞は社会的なお祭り」という話に戻ると,この祭りを通して,素粒子をはじめとする日本の基礎科学の現状を説明して,国民に理解 を得られるような活動が行われるきっかけになってもらったらと思う.
 素粒子物理は日本において重要なお家芸である.今後とも発展させなければならない.しかし,産業に直接役に立つものではない.だから,学位取得者全員に 研究職を用意することは出来ないにしろ,少しでも研究経験が役に立つ職を用意するようにすべきである.
 この話の 1 にも書いたように,僕自身の現在の研究に理学系で学んだ一見無駄な学問が役に立っている.では,僕自身の現在の研究が国民の役に立っているかというと自信 を持って立っているとは言えないが,少なくとも役に立つ方角に向いている,ということはいえる.こんなものは一例にすぎないが,基礎科学の周辺業界を活性 化させる必要があるといいたかった.


■ 大学の研究者が言わないような類の科学の話
  〜企業で基礎研究を行うということ〜

  現在は出版社をやめて,企業研究所で研究者として生活している.このきっかけは些細なもので,ある日,化学物理の若手研究者のメーリングリストを見ていた ら,「トライボロジーの分子シミュレーションを用いた研究を行う人を募集」という記事を見つけたからだ.メールの差出人は,誰でも知っている有名メーカー のグループ会社の基礎研究所であった.そのメールを見た時点では,トライボロジーなる学問が存在すること自体を知らなかった.しかし,統計力学に詳しい人 を求めており,トライボロジーの経験を問わない,ということであったので興味をひいた.分子シミュレーションについては大学院で用いた研究手法であり、僕 は,一応得意であった.
 早速,グーグルで「トライボロジー」と検索すると,「日本トライボロジー学会」なるものが存在することを知った.トライボロジーとは摩擦・摩耗・潤滑に ついての科学と技術であり,「τριβω (こする)」というギリシア語を語源とし, 1966 年に作られた言葉だ.日本トライボロジー学会は古くは「日本潤滑学会」と称していた.これなら少々わかった気になる.
 ともかく,学会がある.しかも,ある年度の学会誌の特集号で「トライボロジーと分子シミュレーション」の特集号があった.これは早速読まねばならない, ということで,採用担当者にメールを送った.最初の質問として「この公募の内定者はいますか?」というものを送った.研究者の公募には,コネで内定者が決 まっているのに形だけ公募を行うというものが多すぎる.そうではない,ということだったので,名古屋までいって面接を受けることにした.
 購入した学会誌の解説記事を読みながら研究所を訪問すると,現在の上司にあたる人が迎えてくれた.早速,「今は某大学でこういう研究をしている人たちと 共同研究をしている」といって,分子動力学の画像を見せてくれた.まさに,数時間前に新幹線の中で読んでいた学会誌の解説記事のグループだった.「知って ますか?」ときかれて「知っています」と答えた.嘘ではなかったが,言うべきことを全て言ったわけではない.それからは,話がトントン拍子に進んで,内定 をもらえた.
 企業での研究の詳細は書けない.大変残念なことだ.大学で研究をしている人たちのブログなどを読んでいて,もっとも羨ましく思うのは,この部分である. 我々の研究グループは研究資金もそれなりに潤沢であり,研究テーマについても比較的自由である.とくに文科省のプロジェクトを通じて行っている研究につい ては全くの基礎研究であり知的好奇心を満足させる.研究テーマの設定がどれくらい自由かというと,文科省のプロジェクトの申請書類を通るくらいの自由度 だ.つまり,大学等の研究者と同じレベルの足かせ,パトロンに対する説明責任を負っている.現在もっと「摩擦とは何か」という物質論の根源に迫るさらに基 礎的な研究も開始しており,既に所外発表をしているのでここに書けるわけだが,ここまで萌芽的な研究には国家プロジェクトの予算すら当初は下りないだろ う.
 逆にいうと,現場の裁量で研究テーマを管理している.だから,大学にいるときと同じように,新しい知見が刺激するし,海外を含めた研究機関から次々と訪 問者があったり,逆に自分が海外にいったりと,研究者同士で交流しているので,そういう出会いについても書きたいことが山ほどある.しかし,「発見したこ と」でもって商売をしている我々としては,ブログにそうしたことを書くことは,発見しかけたものについて書くことであり,企業としてはなかなか許容できな いことである.
 しかし,これだけは言えるということは,我々は運が良いこともあって,基礎科学のトップジャーナルを狙えるような研究を行う環境下にある.実際に,現在 の研究所長は Science 誌のファーストを有している金属の科学の常識をかえた研究者でもある. 1000 人ほどの従業員の中で研究者が 7 割ほどで,学位取得者が半数弱であるが,全員がこのようなもろな基礎研究を行っているわけではない.
 そういう企業で研究をさせてもらっている身として,「雄」さんの、
  > 基礎研究を民間の研究機関で行うことは可能だろうか? これまでの歴史からいっ
  > て、ほぼ不可能であると思われる。実際、そのような趣旨から作られた三菱化
  > 学生命研究所は、2010年3月に閉鎖されることが最近決まった。

という書き方には,若干の抵抗を感じる.
 アカデミックの立場の人は,研究所が閉鎖されることをもって「基礎研究はできない」という根拠にされがちである.もっと大きな例では,最近勢いを失った アメリカのベル研究所の例がある.しかし,本来の判断基準にされるべきは,研究所がアクティブであった期間の実績である.組織が改変されるのは別に企業に 限ったことではなく,あらゆる組織には寿命があって,国立の組織は企業に比べると寿命が長いというだけのことではないか.三菱の L 研は,東工大の長津田キャンパスから近くにあって有名であったので,良く話題にのぼる.「雄」さんのように、「だから企業では研究ができない」という論拠 にされた例も他の人から聞いたこともある.そう言われたときに,正面きって「いや,僕の研究は基礎研究です. Nature に載ったこの論文をどうぞ」と言えたら簡単なのだが,そんな簡単に成果は出ない.
 ただ,これは企業研究否定のテンプレートにはならないことをご理解いただきたい.
 とくに,僕の大学院時代の分野である高分子科学については,高分子科学というジャンルそのものを作ったノーベル物理学賞受賞者の Flory がデュポンなどの企業研究所で主要な研究を行っていることから,企業に対するこうした偏見が少ない.あるいは,分子シミュレーション屋としては,液晶など に使える粗視化分子間相互作用の研究者である Gay-Berene や,シリコンなどの共有結合性の半導体を計算するときの最もポピュラーな手法を提案した Tersoff など, IBM の研究者たちの恩恵抜きには仕事が進まない.
 こうしてみると,僕の挙げた名前の多くは物理・化学としては物性論であり,生物学や素粒子物理などは確かに企業での研究は難しい場合が多いだろう.した がって,「企業で基礎研究をしにくい」のは生物学や素粒子物理についてはその通りだと思う.さらに,アメリカではともかく,日本ではバイオテクノロジーは 未だに産業ではない.河合塾の研究員が,「子供達の間では最近は理工系とくにバイオ系の人気が高まっている」と述べていて,なんと愚かなことと思った.バ イオで食えるのは,医師や薬剤師などの免許関係の職業である.これは,テレビ局が許認可事業であり行政に守られているから,テレビ局員の給料が高いのと全 く同じ構図である.このことと,博士号以外に何の資格も得られない東工大の生命理工学研究科のバイオ研究とは全くの別物だと思った方がいいくらいだ.
 日本が戦後長らく得意としてきているのは,機械と電気のいわゆる「機電系」である.これらには,間違いなくバックとなる産業がある.博士号を取得した 10 人のうち 9 人は研究職につける分野だ.
 一方で,生物工学というものは,化学,製薬,化粧品,食品の一部には寄与しているが,機電系に比べると圧倒的に市場規模は小さい.日本の製薬会社は業界 再編が進んでいるが,その主たる理由は日本の製薬メーカーは全部が合体しても欧米のトップメーカーに勝てないからだ.これは,偏見抜きの事実である.
 問題は,そのことを学生達は知っているかということだ.良く,「理工離れ」といわれる.これは,機電系を中心とした工学部の人気低下である.あるいは, それを支える高等専門学校などの人気の相対的な低下とみてもいいだろう.産業の空洞化は確かに進んでいるが,これらは基本的に機電系と化学工学といった 「正常な理系」の問題である.
 一方で,「ポスドク問題」があるが,これは主として理論物理とバイオ系など「異常な理系」の問題である.理論物理にもバイオにも,後背地たる産業がない のだから,これは当たり前のことなのだ.この分野間のねじれについては,あまり指摘がないのが不思議である.この区別は,研究者のコスト意識 (パトロン意識) とともに是非持つべき視点だと思う.
 「正常な理系」においては,企業の研究開発者が浮かばれない,ということは実際のところあまりない.給料は悪くない.いわゆる文系よりも大企業に就職し やすい.大阪大学の助教授が,毎日新聞社の調査を用いて「阪大出身者について理系よりも文系の方が 5000 万円生涯所得が多い」という文章を商業誌に書いていたが,「正常な理系」に限っていえば格差が出る根拠がないと思う.実際に,東工大の同期で博士課程に進 学した者を除けば生活に困るような人はほとんど居ないし,東工大や東大以外の大学では吹き荒れていた就職氷河期の嵐も存在しなかった.生命理工学部です ら,修士で切り上げていれば大丈夫だった.
 やはり,問題は「異常な理系」の側だと思われる.
 ただし,サブプライムローン問題の起源のように,「正常な理系はお買い得」といって「異常な理系」と区別して切り離して「売る」わけにはいかない.国家 として日本の力の根源は,科学技術力,もっといえば製品レベルの応用科学的な産物であるが,その応用科学が強い理由は,「自前の基礎科学」が存在するから だ.「自前の基礎科学」と「異常な理系」とは,ほぼ重なる.だから,「異常な理系」は,国家が保護しなければならない.
 上の基礎科学に,「自前の」とつけたが,これは日本の産業文化の特色と強く関係している.機械,電気といった分野に関わらず,日本のメーカーの研究者は 日本人が大半である.これは,欧米の標準からみたら常識ではなくてある意味異常なことである.欧米の学会に現れる研究者の国籍は,実に様々である.とく に,アメリカについては,いかにも WASP な人というのは少数派なのではないかと思うほどである.研究室の PI (主席研究者) に相当する人々の白人率は高いが,それ以外の実働部隊については世界選抜チームといった感じである.ヨーロッパだけでなく,中国,インド,中近東など実に 多様な背景の人々と出会える.これは,大学,国立研究機関,民間企業の区別なく,そうである.アメリカを代表する企業のアメリカの研究所を訪問しても,出 てくる人々はいわゆるアメリカ人ばかりではない.
 ひとくちに中国系といっても,何代も前からの移民の子孫,台湾や香港系の人,それから中華人民共和国の人,顔つきこそ似ているが,会話をしていても意識 がまるで違う.いろんな人がいて,しかも元気だ.
 翻って,日本の企業はといえば,21 世紀になるというのに日本人ばかりで研究をしている.アメリカの西海岸にいくと特に強く感じるが,日本人の良くいえば上品,悪くいえば引っ込み思案な性格 で,アグレッシブな中国系の人々に良く対抗できるものだと思う.ともかく,日本人は基本的には地味に自分達の内輪でものづくりを行うことを得意としている ようなのだ.要するに人材についても「自前」なのだ.そうであるからこそ,基礎研究も「自前」でなければ,外国に伍していけないと思う.
 卑近な例でいえば,上に物理学辞典を編集したことがあると書いたが,物理学辞典の著者は錚々たる「異常な理系」側の先生方だ.しかし,英語でない言語 で,このレベルの物理学辞典を編纂できる国というのは大変限られている.多分,フランス語,ドイツ語,ロシア語だけであろう.
 日本の技術者は日本語で考える.これを低レベルというなかれ.母国語でものを考えるということは,デカルト以来の実学たる自然科学の本質の一つであるの だ.
 僕が就職して一番悩んだことは,日本語論文の投稿を上司に勧められたことだった.僕が専門としていた高分子の理論物理化学の分野では, J. Phys. Chem. B や,あるいは J. Chem. Phys. といったジャーナルが日常的に投稿する先の雑誌であり,せっかくの研究成果を日本語論文誌に投稿するということは,ある意味屈辱的なことだった.しかし, 日本の学会誌に投稿した論文によって学会賞を得られたら,名誉になる.社内で今の基礎研究の業務を続けるには,都合の良い話であった.
 ちなみに,トライボロジーを専門とする国の研究機関の研究室でさえ分子シミュレーションに軸足を置いた研究をすることは気づかなかった.それを,僕のボ スは「今なら業界をリードできる」ということで,僕を採用して研究をはじめさせてくれたのだった.
 会社に入って研究成果がではじめ,そろそろ論文にまとめようと思っていた頃,ふと科学者としての原点に立ち返って、原典を読もうと思い,デカルトの「方 法序説」を読んだ
 .そこには,意外なことが書いてあった.
 まず,デカルトが「方法序説」を書いたのは,哲学者のためではなく技術者のためだったということだ.デカルトといったら哲学だし,実際に手にした岩波文 庫も哲学者が訳したものだが,実はこの本には「私は哲学のことは良くわからない」と三行ほど哲学について言及しているだけである.この「序説」自体は,の ちに続く膨大な分量の光学や気象学といった実学を説明するための序論なのである.さらに,デカルトはフランス語でこの本を書いた.その理由は,実際の観測 を行う現場の技術者は、当時の学術上の公用語であるラテン語を読むのに苦労するだろうから,ということであった.
 これは母国語である日本語で,科学技術について書くことの意味を知った瞬間であった.もちろん弊害もある.日本でもっとも力を入れている科学技術の分野 は,理論物理や生物学ではなくて,機械工学や電気電子技術である.しかし,トムソン社のランキングなどを見ても,日本の機電系の科学技術力は評価の対象外 となっている.なぜかというと,日本では機械工学や電気工学については国内の和文雑誌が主要な研究業績の発表の場となっており,国際的な還元ができていな いのだ.
 最近,このことが問題となって,機械系の学会でも次々と英文雑誌が創刊されている.自然の流れだとは思うが,企業研究所の中で活躍している科学者は実は 有名大学の大学院出身者ばかりではないこと,たとえば高専や短大を出た人たちであっても革新的な技術を開発して基礎研究に貢献しているという事実を知る者 として,複雑な心境である.
 次に,企業研究者としての僕のささやかな試みについて,書いておきたい.
 秦先生は,日本の問題の多くは「世襲」であると述べておられる.僕もそのとおりだと思う.大学院の頃に自分の分野であった高分子科学については,東大, 東工大,農工大などの有力な教授のいる研究室での研究ばかりがクローズアップされていた.同じ東大であっても,僕のいた KK 先生の研究室は業界の主流ではなかったため,国内の研究会などで声をかけられて発表する機会も,なかなかなかった.そのため,道場破りのようなつもりで, 他の研究室の人たちと交流させていただいた.これは大変良い勉強となった.
 しかし,悲しい思いをすることもある.博士課程を無事に修了して,とある国立研究所の「公募」の面接にいったことがある.その研究所に早くついたため, 食堂で一人でコーヒーを飲んでいたら,公募をかけていた当該研究室の研究者とリクルートスーツを着込んだ若者とが談笑して歩いていくのをみた.面接前から 採用対象者が決まっていたのであった.
 自分が新人研究者の採用担当となったときに,一度やりたかったことは,この「研究者の世襲」を打破するということだった.トライボロジーという学問にお いて,僕自身はソフトマターの研究者であった.ソフトマターとは,コロイドやゲルといった柔らかい物質である.固体界面の物理学については,もっと得意な 人がいるであろう.ということで,僕自身がひっかかった物理や化学の若手研究者のメーリングリストに,応募の文面を載せた.固体物理の理論は先に述べた 「異常な理系」の一分野であるので,有能な人材が必ずひっかかると思っていた.
 合計 10 名以上の人々が来ていただいたが,中でも目をひいたのは,現在の我々の研究室の最若手の KS 君である.彼は,高校からある国立大学に飛び入学するという制度の一期生であった.多くの仲間が東大や MIT などの大学院に進む中,愚直にも入学した大学の博士課程に進んだ.しかし,研究テーマとしては理論計算の研究室に飽き足らず,理化学研究所の実験屋の研究 室にもぐりこんだ.こんな研究人生があるとは知らなかった,完全なる「公募」であった.
 公募で来てもらった彼にとっても,僕にとっても,我々のグループで研究を行うということは,専門分野を大きくかえることになる.そこで研究者にとって重 要となってくるのは,「ストーリーの連続性」だと思う.研究の出来不出来はストーリーの出来不出来であると,単体の研究ごとに言われているが,研究者の人 生においても,ストーリーは重要である.僕にとってのストーリーとは,大学院から現在にいたるまで一貫して「界面における分子集団のダイナミクス」を追求 しているということである.
 大学院の頃は,溶液中の高分子電解質という巨大なイオン (DNA イオン) の周囲の低分子イオンが階層構造を形成するというものだった.電池などでみられる電気二重層と,ほぼ同じものである.現在は,固体表面の油のようなやわら かい物質の挙動を研究している.やわらかい物質,すなわちソフトマターの界面というものは,生命が誕生した物質的な現場そのものでもある.「外」と「内」 とにわかれたときに,生命と非生命からなる外界,という区分ができたのであり,これらの系は統計熱力学的には, van der Waals,水素結合,長距離クーロンという 3 つの力に支配された分子集団の系だとみることができる.油,水,塩は,それぞれの支配力を象徴する物質である.これらの系について,大型計算機を用いて解 析を行っている.したがって,僕の内なるテーマは「界面における分子集団のダイナミクス」に加えて「ソフトマター」「計算機シミュレーション」というもの が加わる.
 「DNA」と「潤滑油」というと,一見全く別のものに思われるが,このように内なるテーマ,すなわち研究者としてのストーリーの連続性を確保すると,安 心して新しい領域に切り込める.
 現在の仕事内容からみた東工大の教育の特色についても,何点か付け加えておきたい.
 東工大の教育のユニークな点は,バイオ系であっても物理学や化学といった基礎科目を大事にすることである.東大の場合は,バイオ系である理科2類に入学 するためには物理,化学,生物,地学の 4 科目から 2 科目を受験したら良い.したがって,物理学を避けて大学に入ることが可能である.一方で,東工大は物理,化学が必須である.これは大変良いことだと思う. 現在であっても,自然科学の基盤になっているのは物理学であるためだ.さらに,生命理工学部では,半分が理学部の生物系や生物物理系,残り半分は化学工学 系の教員でカリキュラムを組んでいる.化学工学には応用物理的な観点が随所で必要となっている.たとえば,比熱,熱力学の応用という観点から「ヒヨコがポ カポカ暖かいのは何故か」という具体的な問題を熱力学的に解かされたりした.あるいは,化学工学ではプラントの設計などもしなければならないから,管を流 れる流体についての知識が必要である.そこで,流体力学の基本的な概念であるレイノルズ数といったものも学ぶ.トライボロジーの研究にはこれは大事であ る.たとえば,「サメ肌の水着の原理を機械のしゅう動面に適用できないの?」といった質問に対しては,水着と一般的な機械部品のしゅう動面とではレイノル ズ数が違うということを指摘したら良い.熱力学と流体力学は,機械工学における「四力学」の二つである.残りは機械力学と材料力学であるが,前者は教養の 力学の発展である.後者は剛体の力学であるから,僕は大学院で半屈曲性の高分子の問題として学んだ.
 大学ではいろんなことに目移りして留年したりして,ひどい卒業生だと思うのだが,今になって思うと,大変良い教育を受けてきたのだと思う.要するに,先 にドラえもんのたとえ話を用いたように「生命という物語の登場人物を確定していく作業」である分子生物学の王道とは,少々観点の異なる教育を東工大では受 けることができる.この傾向は,同じ生命理工学部でも理学系よりも工学系の方が強いとは思うが,通常のバイオ系の人材よりも,全般的に「つぶし」が利くの である.
 以上のような感じで,ぼんやりと「ノーベル賞」を眺めつつも,我々は民間研究所で研究を行っている.基礎研究の成果は,人類の発展に役に立つはずであ る.そういう意味で,良く考えるのが「ヨーゼフ・ハイドン」という作曲家である.
 ハイドンは,エステルハージ家の一従業員として作曲し,そして,彼の同時代の誰もなし得なかった弦楽四重奏や交響曲といったジャンルの確立という業績を 残した.ハイドンの「皇帝」という曲は,ドイツの国歌になっている.しかし僕がそれよりも好きなのは,2 曲のチェロ協奏曲である.ともかく,ハイドンの交響曲は,人類の宝だといって誰も異論はなかろう.
 ここから学べることといえば,たとえ一私企業の従業員であっても,人類への貢献は可能だということである.ハイドンのパトロンはエステルハージ侯であっ た.僕が働いている企業も個人の名前が冠されている企業であるが,そのトップにいる人は,万博の会長として環境問題について考えを述べたり,科学技術への 根本的な貢献を願っている.我々は,彼の願望に答えられるように,頑張って研究するのみであると考えている.

 以上で,小論を終わらせていただくことにするが,自分でも気づかないような問題点をあらわしている気もする.直接お気づきになったら,それでもいいし, 秦先生を通して何かお気づきになった点があったら,指摘していただきたい. 

                 ーーーーーー*ー*ーーーーーー


☆ 秦 先生 メールありがとうございます。  光
 大学に席を置く私にとっては、気になるタイトルであったので早速読ませていただきました。
 今回、「ポレミーク」という言葉を初めて拝見しました。便利な世の中で、広辞苑には載っていませんでしたが、web上では「論争的、議論性」とカッコ書 きがありました。
 今回のテーマでもある「科学研究」の世界では、ディスカッション(討論)が仕事のようなものです。
 とてもこれだけの長さと量の論説には及びませんが、1時間の講演に対して質問で手を挙げるくらいのことはさせていただけたらと思い、メールを返信させて いただくことにしました。
   * * *
 私の思う「研究者」とは、"科学"を操る職人集団である、というものです。
 「作家」が文字を操る職人集団、というのと同じだと思っています(違っていたらすみません)。
 ここでいう"科学"というのは、「自然に対する思考方法の一つ」という意味で私は使っています。
 そう言う意味では、"科学"はもちろん万能ではないし他にも方法はあるとは思いますが、現時点でパワフルであることは認めてあげてもいいと思います。
 さて、「作家」の先生がいつもいつも文学賞をとるような「作品」を書いているわけではないのと同じように、研究者もいつもいつもノーベル賞をとるような 研究をしているわけではありません。
 内容も、目的に応じて研究しているわけで、大学であれば大学での、企業であれば企業での、個人であれば趣味での研究をしていると思います。
 もちろん、「ただ」では研究はできませんから、それぞれにスポンサーがいるわけです(資本主義だから?)。
 スポンサーは、国民であったり、個人であったり、もしかしたら人類かもしれません。
 大学だからといって、なんでも研究をやっていい訳ではありません(そんなことない、とお叱りをうけるかもしれませんが)。大学の目的の一つは、教育だと 思っています。
 大学が基礎研究をして企業が基礎研究してはいけない、という議論は少し乱暴で、目的は何か、で基礎研究をやるかやらないかが決まるのではないかと思いま す。
 大学で基礎研究が多いのは、「教育」の上ではいろいろと都合がいいからだと思います。
 "科学"を操る職人集団は、それぞれの立場でそれぞれの目的のもと、「仕事」として研究を行っているものと思います。
 そうした研究活動の結果の中から、ノーベル賞が与えられます。
 ノーベル賞は、(理想的には全人類からの)研究結果に対する感謝の表れだと思っています。
 例えば、偶然発見されたとされる抗生物質は、どれだけの人々から感謝されたことでしょう。
 ノーベル賞をとりたい、というよりノーベル賞をとれるような研究をしたい、というのが多くの研究者の気持ちではないでしょうか(私だけかもしれません が)。
 世間がノーベル賞をお祭り騒ぎにしている現実は、科学の恩恵と世間の意識の乖離の現れであって、人類側の立場としては少々寂しさも感じますが、研究者側 の立場としては感謝を強要するのも奥ゆかしくないと思うと仕方がないことかなと思ってしまいます。
 本論説に、ノーベル賞受賞者はヒーローで背後には無数の研究者の屍の姿があり、彼らを慰霊するお祭りがノーベル賞祭りである、趣旨のことが述べられてい ました。
 ヒーローの背後に目を向けるという筆者の主張に私は同意見ですが、おそらくここで言うところの研究者達は自分のことを屍とは思っていませんし慰霊なんて やめてくれ、と言うと思います。
 サッカーの試合でシュートを決めた選手がMVPに選ばれたからといって他のポジションの選手が屍だとは思わないのと同じように、研究は決して一人で完結 するものではないことを知っているからです。
 本論説では「基礎研究=無駄だけど必要なことです」との論旨と感じました。「大学では無駄=基礎研究は必要」とも。
 私も、本質的な部分で筆者の言わんとしていることに同意です。
 研究には、無駄がつきものです。いや、無駄がない方が不自然です。
 私は、実験で失敗する学生に野球の話をします。
 イチローだって、打率3割だよ。だからといって、10打席のうち7打席は無駄かというとそんなことはない。その打席がなければ、ヒットもなかったから。 ましてや凡人の我々は10のうち、うまくいくのが1か2あれば御の字だ。
 同じことは、10人の研究者がいたら1人か2人はいい結果を出すかもしれない、とも言えます。
 大学では、別に「無駄」だと思って研究しているわけではないのですが、教育的に将来の研究者には『研究には必要な「無駄」がつきものだ』ということを身 をもって体験してもらうようにしています。
 研究室のゼミで、すばらしい結果の論文を読んでいても学生に、この論文を書くのにどれほどの「無駄」実験があるか想像できるか、聞きます。
 我々研究者が気をつけなければいけないのは、無駄以前の「なんちゃって研究もどき」にならないように、質の高い「無駄」かもしれない研究を目指さなくて はいけないことなのです。
 大学とか企業とかに係わらず、"科学"を操る職人集団として。
    * * *
 「押し返し」になっているかどうかはわかりませんが、「四通八達のための交叉点」という言葉に対する賛同の意思表示として書きました。


* 同じく卒業生ではありますが、この方はわたくしともそう年の違わないほどの大先輩さん。パソコンが不具合になると、泣きついて助けて頂くこともしばし ば。ペンクラブに入っていただいた。

 ☆ 秦先生  理@神戸です。
 なかなかの長文、一度読んだくらいではコメントもできないので、もう一度読んでみました。大学卒業後の職場も経験も違いますが、感じたことを書きまし た。

 第一部を要約すれば、研究には無駄が必要という主張である。そうかも知れないが、浪人して大学入学した場合など、卒業後に就職した勤務先で同期との年齢 差があるにも関わらず、賃金や待遇において同じあるから、意識の上で微妙に影響があるはず。できることなら同期と同じ年齢であることが、社会生活上好まし いと思います。

 第二部は、大手企業に在職した経験があり、またここ十数年大学の非常勤講師を務めている立場からすれば非常に興味が持てました。
  > 若手研究者には,不思議なくらい自分の人生設計を考えることに絶望している人が多い.自分にはどうにもならない力が作用しているように感じ るからだろうか.
 研究者に限らず、大学を卒業しても正社員としての職に就けない若者が増加しているのが今のわが国の雇用の現状である。大企業と言えども正社員の数を減ら し臨時の派遣で済ます使い捨ての時代である。まじめに勉強をし、まじめに働けば普通の生活ができるという百年二百年先を見据えた政府の雇用の施策が望まれ るが、これに絶望しているのではないだろうか。
  > あとは,研究者はスポーツ選手であるかのような傲慢な思想を持っている人が多い.とくに,パーマネントの職を得た大学理学系の教員にはそう いう人が多い.
 これには強く同感します。いくら経験があろうとも実力があろうとも博士号がなければ助手(助教?)にもなれない。人に金をかけなければならないのに、経 費節減で誰もやりたがらない教育は安上がりな非常勤に任せる。自分達は研究に没頭したいのが本音と感じます。
  > 論文を書く人以外に,教育を行う人,研究を技術的にサポートする人,研究環境の整備という側面からサポートする人,など様々 な役割が必要なのであるから,そうした立場に研究経験者がなるべきなのだ.
 様様な人が支えあって世の中は動いて行きますね。そういう役割にお金を支払うということがあれば、もっと仕事は増え雇用状態も改善されるでしょう。

 第三部も結局は雇用問題と言うことだと思います。「仁」さんは、たまたま企業の研究所に就職が叶ってハッピーでしたね。
  > 研究者の公募には,コネで内定者が決まっているのに形だけ公募を行うというものが多すぎる.
 大分県の教員採用問題をもし出さなくとも、古くから存在している慣例ですね。根絶は難しいものの一つでしょう。
  > 良く,「理工離れ」といわれる.これは,機電系を中心とした工学部の人気低下である.あるいは,それを支える高等専門学校な どの人気の相対的な低下とみてもいいだろう.
 ある高等専門学校の教育に非常勤で関わっていますが、人気低下に伴い入学する学生の質の低下が顕著で、本末転倒なのであるが、学習意欲を高めるために大 学への編入を奨励している事実があります。大学の理工系学部には高専卒業生を受け入れる枠があり、同じ学力だとして普通高校から進学するより入りやすい側 面もあります。

 結論として、基礎分野のノーベル賞は、この国に住む国民の一人として嬉しいことです。
 しかし、その研究で国民を幸せにできるかといえばノーです。百年二百年先を見据えて、若者が将来に希望を持って生活できるような仕事を創出すること、ま じめに勉強をすれば正規の職に就け、報われるような世の中の出現です。そのような社会の創出に役立つ科学技術に力を注いでいる人こそ報われるべきです。


* もうお一人、ペンの同僚でわたしより幾らか若い詩人、しかし理系企業で研究色の濃そうな責任有る立場を守ってこられたのではと推察している友人から も。

 ☆ 秦 恒平様   精
 ご無沙汰いたしております。
 おもしろい「論説文」を紹介していただいてありがとうございました。
 学問の分野と、実業の世界での研究者との間で揺れ動く筆者の素直な気持ちが読み取れて、久しぶりに爽やかな興奮に包まれています。
 大学での研究分野の違いによる研究者への扱いの違いは、私たち、工場技術者にも漏れ伺ってきたことですが、その実態を見せ付けられたように思います。お そらく書かれているようなことが本当なのでしょうね。
 筆者は現在のところ企業の研究者として満足できる生活を営んでいるようですが、その反面として「無駄な研究」への言及もあり、その態度は立派だと思いま す。それを理解しようともしない研究者が意外に多いというのが私の認識でもありましたので、よくぞ言ってくれたと思っています。
 自分の例で恐縮ですが、私は大学も出ず、工場の技術屋として会社人生を締めくくりました。今は違いますけど、私が高卒で入社した1968年当時は、大卒 は京大・東大・東工大・阪大・北大といった、当時の国立1期だけという陣容でした。その彼らの実験助手として勤務し始めたのですが、人による違いもありま すけど、おおむね人間的にも優れた人たちが多く、科学的なアプローチを教わりながら人間としての生き方も教わったように思います。この論説文は、当時の上 司たちの話を聴いているようで、懐かしい思いにも捉われました。
 しかし、私にとってのそんな恵まれた環境の中でも、ある違和感が常に付き纏っていて、それは退職した今でも変わりません。彼らの会社における最終目標は 何かというと、管理職・役員への道だったように思うのです。もちろん、中にはそういう道を目指さずに研究職一本を望んで、そのためフェローという役員待遇 の職も出来たりしましたが、それは極一部の人たちでしかありませんでした。多くの大卒技術者は管理職・役員への道を望み、そのため、直接利益の挙がる研 究、認められやすい研究へと走っていたように思います。申すまでもなく企業は研究だけをやる場ではなく、利益追求が課題ですから当然でしょうが、その過程 で有能な人材が多く淘汰されてきたのも、また事実と云えましょう。もったいないことです。
 私は実験助手から、最終的には立場上は彼らと対等の地位になりましたが、仕事の内容には苦心しました。彼らは上述のように目立つ研究をやっていますの で、同じ土俵に上ることは考えず、仮に同じ土俵に上っても勝てる機会は少ないと思って、ニッチ(隙間)を狙いました。主たる研究と研究の狭間にある研究と いうものは多く存在しているもので、それを拾い集めるというハイエナのようなものです。しかし、それをやりながらコーディネーターの必要性を痛感し、そん なところにも活路を見出して行きました。筆者は、規模の違いこそあれ、そんな私の生き方と近いものを持っているように感じました。
 この論文は、秦さんのおっしゃるように論説室に掲載したいですね。
 科学論文としても研究者のエッセイとしても面白いものです。理系・文系などという狭いジャンル分けを越えた佳品だと思います。


* 十月十三日 月 つづき

  ☆ 秦先生  仁
 先生にお送りさせていただいた後,大変恥ずかしくなり,一旦は撤回しようとまで思いましたが,先生直々に掲載してくださり,他の皆様からの応答もいただ けて,書かせていただいて良かったのかもと思い直しております.
 先生のお書きになられているように,皆様,さすがここの読者,いや連歌の連衆のような方々であり,様々な世代,お立場からの見方をうかがい知る大変勉強 になり,かつ励まされます.

 「光」さん:
 母校の先生ということで,ご活躍を期待いたします.
 無駄の重要性について教えられているということ,素敵だと思いますし,「教育」のための「基礎研究」という側面,なるほどと思いました.
 ご存知とは思いますが,昨今は産学連携ということで,大学にも産業的な出口が見えるようにとの圧力が強まっているかと思います.
 しかし大学教育は,あくまでも最低限の条件として,現時点までに出来上がっている学問体系の習得・伝授であって欲しいと思うのです.
 どっちが企業なのだ,と思うような応用研究はいらないと思います.
 「屍」については,説明不足ですみません.僕の言いたかった「屍」とは,
 文字通り研究をやめて,アクティブな研究者から見ると存在していない人たちのことです.現役であり続けるかぎり,祈られたり回顧される必要はありませ ん.
 たとえばボストンの「雄」さんが先日述べておられたように,ノーベル賞シュートのアシスト的な仕事をした研究者がバスの運転手をしている,そういう 「屍」です.
 僕自身も,何度も「屍」になっています.学部の同窓からも,卒研での生物物理の先輩からも,大学院の高分子の人々からも,研究者としては居ないものと同 然です.
 でも,つい先日,2 年前に投稿した論文を,この分野の大先生が引用してくれているのを確認しました.ああ,つながった.そういう瞬間は,グランドに出てプレーしているのだと 実感します.
 日本の現代詩で「荒地派」という一派があり,彼らの詩は観念が強くて自分にとって親しみやすいというものではないのですが,第二次大戦で多くの同僚,詩 人を亡くしたという思いの上に作品があります.
 研究者の「屍」について考えると,荒地派の田村隆一さんの詩などをなぜか思い出します.

 「理」さん:
 「雇用問題」とのご指摘.普段仕事で書く文章はもう幾分かは論理的なのに,おぼろげな雑文を書いてしまい,と思っていましたので,隠れたテーマを良くぞ 発見していただいたという気持ちです.
 恥ずかしながら僕も数年前まで,自分の育った愛知県の管理教育的な風土が許せませんでした.朝早くに学校に来ること,規律を守らせること,など.
 しかし,産業の少ない県を旅して,あるいは子供の世代を育てることを考えて,この地方が何故一見窮屈な文化を持っているのかに気づきました.
 「雇用問題」は最重要といって良い問題なのだと思います.
 第一部の同期同年齢の原則はもっともで,自分自身などは既に通常の出世を諦めているという意味では不健全です.ただ,最近は 30 代半ば世代の就職氷河期の人材不足を埋めるための中途採用や,優秀な外国人の正規雇用化などで,従来型の組織が流動化していて,やるべき時 (チャンス) にやる,といったスタンスで仕事をするのが良いのかもしれません.ともかく、
  > まじめに勉強をすれば正規の職に就け、報われるような世の中の出現です。
は,全くそのとおりだと思います.
 高専についてですが,次の「精」さんへの文章とも関係しますが,毎年新人を受け入れている実感からいうとハイレベルを維持しているように思うのですが, 実際は独法化の影響などもあるのでしょうか.

 「精」さん:
 僕の会社では研究員系と技師系という区分がありますが,いわゆる欧米の研究者とテクニシャンという関係とは少々異なり,互いの入れ替えが比較的自由であ り,古き良き日本企業風土がギリギリ守られています.たとえば先輩にもともと技師系の方で,稼働中のエンジンの中を観測する世界唯一の技術を開発し,定年 退職後,別メーカーに役員待遇で迎えられた方がいますが,「精」さんのお話を伺っていて,その先輩を思い出します.
 上記の区分でいうと研究員系の人たちが,いわゆる出世を望むがために研究テーマにひずみができる,という指摘は重く受け止めたいと思います.
 現在の会社は正確には工場を持たない非メーカーですので,出世したとしても幸か不幸か研究の現場からは出られません.事務方や特許関係に移動して研究を 降りるという選択肢はあります.役員の人々でも,解放後,嬉々として実験をされたりしています.このことと,ご指摘の点との関係については,長い時間をか けて検討すべき問題のような気がいたします.
 やはり,まとまりがなくて申し訳ありません.
 現時点では様々なひずみがありますが,現役組は退場組を,正規職員は非正規職員を,生者は死者を,せめて想像することができたらと思いました.

 お忙しい中で度々長文をお送りしまして,申し訳ありません.
 日に日に涼しくなっておりますので,ご就寝の際は暖かく,ということでお願いいたします.


* 十月十四日 火

* 今朝一番に、心親しい人のメールを受け取った。お忙しい日常の時間を割いてもらい恐縮。この人は「仁」くんや「光」くんより、たぶん一世代以上年長の 植物学研究者であり、学会等をはせまわり、国内の大学で教授相当の指導もされている。執心出精の茶の湯びとでもあり、エッセイも小説も書かれる。それ以上 の詳しいことは知らない、じつはお目にかかったこともないが、久しい読者である。

 ☆ 長文になってしまいましたが、「仁」さんへお返事です。  maokat
 1
 はじめに、「仁」さんにこれだけ長文の論考を書かせた、ノーベル賞二部門日本人受賞のインパクトを感じました。一部の方を除いて、理系の研究者にはいい 文章を書ける方があまりいないので、「仁」さんおっしゃるとおり、科学の啓蒙活動の一環として、今後もわかりやすく美しい文章で科学を語って頂けたらなぁ と思います。
 さて、私は基礎科学とは対極にある、応用科学の、さらに現場に最も近いところで研究をしている立場ですので、Scienceというよりも、自分ではむし ろ科学技術に近い仕事をしていると思っています。しかし、そんな現場に近い職場でも、これまで一連のノーベル賞の話題で取り上げられているPCRや、 GFPを使った実験をしていますので、基礎科学の恩恵に充分与っているものです。
 「仁」さんの書かれたことは、立場や分野は違いますが、良く理解でき、また、そうだそうだと頷く点が多くありました。特に、第2部の中に興味を惹く部分 がありましたので、いくつか、言及してみたいと思います。
 まず、日本の科学史に触れた部分があります。
 「日本は,韓国と台湾のような戦略をとっても構わないのに,好き好んで基礎科学をやっている.しかも,これは第一回ノーベル賞に北里柴三郎が幻の受賞者 となったことからもわかるように,明治時代以来の伝統だ.日本がそういう特殊な国だということを指摘しておきたい.欧米だってそうだろう,と反論されるか もしれないが,欧米は科学発祥の地である.我々が付き合う必然性はないともいえ
る.」
 では、なぜ科学発祥の地でない日本は、明治以来好き好んで基礎科学をやってきたのでしょうか? その特殊性はどこから来るのか、さらに一歩踏み込んで、 そこを考察してほしいと思います。明治の前には鎖国中の江戸があるのですが、この特殊性の源は、江戸時代にあるのかな? とあてずっぽうに考えたりするの ですが。
 次に、「国立研究教育機関の従業員は「国家国民のための研究」をやっている」「誰がパトロンであるか,というパトロン意識を研究者が持つのは給与所得者 として最低限の常識だと思う.」「このパトロン意識という問題をあえて指摘した上で,「国民が期待する科学分野」の選定方法について」、ボストンの「雄」 さんの、「その価値判断は、傲慢とも取れるだろうが、どうか研究者にお任せいただきたい」に反論する形で、「僕は研究者だけに任せるのには反対である」と いっておられます。論点は、この後続いて、「研究をする必然性」を「嫌というほど国民に説明しなければいけない」と移って、研究者は研究をするばかりでは なく、(パトロンである)国民に研究の必然性を説明する義務がある、と強調されています。
 研究者個人にも、そして研究機関でも、その姿勢自体は、とても大切なことです。私の属している産業省の独法でも、広報啓蒙活動に力を入れてきています。 しかし、その実態は大変お粗末な物で、広報担当の部署を設けて、素人を配置するだけです。この後、仁さんが述べておられるとおり、「研究者になれなかった 人々」の活路としても、啓蒙機関が重要と思います。それと同時に、広報活動に
はプロがいるのですから、そういう人材を組織の中に取り込むか、うまい形で連携して、プロの手で売り込んでもらう必要があると思っています。
 いずれにせよ、相応の予算が伴う話ですから、本当に広報が必要だったら、思い切った予算措置をして、プロの手で広報をした方が、素人が拙いやり方で予算 を浪費するよりも、よっぽど効果的だと思います。研究機関と広告機関との間に立って連携をはかる人材も必要で、これも現場がほしいけれどもなかなか手に入 らない人材です。
 最後に、「研究者はスポーツ選手であるかのような傲慢な思想を持っている人が多い.とくに,パーマネントの職を得た大学理学系の教員にはそういう人が多 い.こういう人々からすると,研究とは修行であり,スポーツ選手と同様に勝つか負けるかの厳しい戦いであり,負けたら何も残らない,と考えている」という 部分があって、個人的には、この部分に最も興味を覚えました。
 ここで、ひとまず「仁」さんの論考への感想を終え、次は、上の文章に触発された私自身のことについて書きたいと思います。色々刺激的な話題を提供してく れた「仁」さんと、話を振ってくださった秦さんにはお礼申し上げます。

 2
 「仁」さんの論考を読んで、研究者としての自分の立ち位置をもう一度見直すことになりましたので、ここからは、それについて書いて置きたいと思います。
 主には「研究者はスポーツ選手」というところに反応したのですが、それは最後に述べるとして、その前に、私が属している元国立研究機関の独法の現状と、 「誰がパトロンであるのか」「パトロンである国民」について、言及したいと思います。
 まず、独法(独立行政法人)という組織について。これは、サッチャー首相時代に、イギリスがやった政府のスリム化をそっくりまねしたもので、それまで、 国立の試験研究機関であったものを、政府から切り離し、独立した別法人にするというものです。橋本・小渕内閣で独法化への流れができ、産業省の試験研究機 関は、2001年から独立行政法人となりました。続いて2004年から国立大学も法人
化され、「国立大学法人」という矛盾を孕んだ名称の法人が誕生しました。
 さて、もともと産業省の国立研究機関で行っていた研究は、「民間では採算があわないが国民のために必要なので国が行うべき課題」でした。しかし、独法は 「民間では採算があわない課題」をやるものの「自分で儲けて食べていかなくてはならない」組織です。また、法律に基づいて、年毎に数%の予算が削減されま す。独法が生き残りをかけて金儲けをし始めると、産業界からは「民業圧迫」
「公共の組織にそぐわない」と反発が来て、「儲かることは民間で」となります。つまり、独法はそのままいても予算が小さくなってゆき、頑張って金儲けをす れば民間組織に持って行かれてしまうので、わかりやすくいえば、「潰すための組織」になっているということです。
 では、そういった組織の中で、研究者は誰のために研究をしているのでしょうか? ここからは、「誰がパトロンであるのか」「パトロンである国民」の話に なります。結果からいうと、独法の研究者は「かつては」「パトロンである国民」のために研究をしていたと思いますが、現在パトロンは、残念ながら国民では ありません。独法のパトロンは主管官庁です。独法は5年ごとに組織や研究内容の見直しがあるのですが、2期目ぐらいから、私たち末端の研究者の目にも、 「旦那」が誰であるのかがはっきりしてきました。一番わかりやすいのは、省が持つ研究プロジェクトが、研究者からの提案型でなく、省の部局からの課題設定 型になったことです。つまり、「旦那」は、国民ではなく、行政省なのです。ここで、行政が、国民の代弁者であれば、独法の研究者は、間接的に「パトロンで ある国民」のために仕事をしていることになるのですが、私の経験からみると、行政に発言力があるのは、国民ではなく、産業界と政治家です。
 例えばこんなことがありました。私がやっていたある研究の結果が、産業界にとってあまり歓迎できない結果だったことがありました。もともとは、産業界か らの強い要望があって、所管官庁が緊急予算をつけてくれ、独法機関の長からの特命で緊急的に始めた研究でしたが、その結果は、「旦那」の「旦那」の産業界 には困った結果だったことから「旦那」の所管官庁は掌を返すように予算を打ち
切り、独法内でも「今後この研究には予算をつけない」と決まりました。
 この一事で、独法研究者の「旦那」が誰であるのか、明白になりました。そして、私が思うに、この研究は「国民」ないし「国家」にとっては、きわめて重要 で、先の先を見据えて、すぐに手を打っておかなければいけないものだったのです。
 もう一つ例をあげます。昨年の年末に議員立法である法律が成立しました。それについての研究は私が所属する独法で行われていたため、今年から急遽その研 究を始めざるを得ないことになったのです。そこまではいいのですが、この研究内容というのが、失礼ながら「政治家の人気取り」としか思えない内容で、政治 家のパフォーマンスのために、しぶしぶ研究をやらされる担当研究者は、哀れとしかいえません。
 最後にもう一つ。原油価格が高騰すると、必ず降ってくる研究課題があります。オイルショックの際にも、80年代にも、そして去年からも、代替エネルギー に関する緊急予算が沢山つきました。これ自体は、悪くありません。しかし、これまでの経緯を見ていると、この手の予算は、原油価格が落ち着くと、すぐに消 えてなくなります。本当に国が代替エネルギーの研究を大切と思うのだったら、原油価格が少し下がって当面やりくりできるようになったからといって、研究予 算を止めるべきではないはずです。研究者としても、このテーマでがんばっても、「のど元過ぎればなんとやら」で予算が切られるとわかっていれば、この課題 をライフワークにはしづらくなります。結局お茶を濁すような研究で、バブルな研究予算を浪費することになります。
 私がここでいいたいのは、行政を動かせる立場にある人は、目先のことに左右されず、長期的な目で、研究予算を配分してほしいということです。理想的に は、「パトロンである国民」がそうあってほしいのですが、現実は、国民はパトロンではなく、また、世論=国民のご意向はマスコミによって大きく振れてしま います。

 3
 では最後に「研究者はスポーツ選手」について。
 「仁」さんの「研究者はスポーツ選手であるかのような傲慢な思想を持っている人が多い.とくに,パーマネントの職を得た大学理学系の教員にはそういう人 が多い.こういう人々からすると,研究とは修行であり,スポーツ選手と同様に勝つか負けるかの厳しい戦いであり,負けたら何も残らない,と考えている.も しスポーツ選手のようであったら,成功したら何億円も報酬がもらえて当然ではない
か.」というところ、頷ける部分もあるのですが、私自身をいえば、ちょっと違うなという感じがしました。多分多くの研究者は、報酬の多寡を主眼に研究をし ているわけではないので、それにも関わらず、スポーツ選手のような修行をし、勝ち負けに拘る研究者は不思議としかいいようがありません。
 私の場合は、もうちょっと変かも知れませんが、「研究とは修行であり」という部分は大いに当たっていて、さらには「研究とは密室の祈りである」という言 葉が、感覚的に最もしっくり来るのです。この言葉は村上華岳の「藝術とは密室の祈りである」という言葉を改変したものですが、ある意味研究と藝術の共通性 を物語っているように思えます。この仕事を二十年以上していて、私のような研究者であっても、ごくごくまれに、これまで誰も知らなかった自然の摂理のほん の少しの隙間を、ちらりと垣間見る瞬間があります。この感覚は、多分、藝術家が精進の末に体感できる感覚に非常に似ているような気がします。
 藝術の方へ話が飛んだついでにもう少し。私は趣味で茶の湯をやっているのですが、茶の湯というものは、ありとあらゆる藝術を包括しています。工藝に例を とっても、茶人一人いても何もできず、さまざまな工藝家のサポート無くしては成り立たない藝能といえるでしょう。茶道具を作る工藝家を「職家」といいま す。茶道の家元にはこのような職家の集団が何百年も前から付き従っていて、彼らの技能無くしては、茶道の道統は成り立っていかないのです。
 どうも私は、科学の総体をこのように捉えているのかも知れません。私の研究など全体の中にあっては、取るに足らないものですが、できれば職家さんのよう に、その小さな研究無くしては困る、というような小さな場(ニッチ)を得たいと思っているのです。そして、職家さんの表に出ない生き方にも惹かれます。そ こには無言の自信が感じられます。表に出てわぁわぁいわずとも、作るものをみ
れば、一目瞭然だろう、わかるひとにはわかる、という強い自信です。
 まぁ、こういう自信は未だ湧いてこないのですが、そういうことを考えながら、不安定な組織の中でも、深夜の実験室で、一人過ごしているわけです。


* 感謝。感謝。

* 相次いで、二人の女性研究者からも、所感が届いている。多忙の中で反応して下さり、感謝します。二人とも印象深い優しい学生たちで、信じがたいほど優 秀、聡明だった。二人とも早くから大学人になっている。届いた順に、メールを紹介する。


 ☆ 秦先生、こんにちは。  百合
 百合です。メールありがとうございました。
 実は、ノーベル物理学賞の小林先生は私の高校の大先輩なのです。(研究内容が全く違うものでしたので、面識は全くありませんが…)
 素粒子物理学は基本の「き」も知らないような状態ですが、以前お二人の理論が実験で証明されたというニュースは鮮明に覚えています。
 また、化学賞については、主人が海洋微生物を扱っている関係で、説明してもらいました。
 いずれも、非常に有意義な研究だと思います。
 化学賞といえば、N先生(あまり伏せ字になってませんが)はとある分科会での挨拶において、
 「こんな役にも立たない研究をしている人が、これほど沢山いて驚いた」
と述べたそうです。立派な方ですね。
 さて、ざっと「仁」さんの文章を読ませていただきました。
  >  研究者はスポーツ選手であるかのような傲慢な思想を持っている人が
  >  多い.とくに,パーマネントの職を得た大学理学系の教員にはそういう
  >  人が多い.

 これは、私も思っていたことです。
 よく「勝者」という言葉を口にする研究者は多いです。近ごろは若手でパーマネントに就けた研究者にも多いので困りものです。
 これまでに「あり得ない」「何かの間違いだ」「絵空事だ」と却下された学術論文が、後になって正しいことが証明された例(さらにはノーベル賞に至った 例)がいくつもあります。
 要するに、専門家などと偉そうなことを言っても、この程度なのですよ。
 ただ、「研究」と言える代物を提供できる大学が非常に限られていることも、悲しいことですが事実です。
 確かに、日本には理系の専門知識を生かせる職業が極端に少ないですね。
 理系離れはますます進んでいますし、ここで打開策を打ち出せないと、大変なことになりそうです(もうすでになっていますが)。


 ☆ ご連絡ありがとうございました. 悠
 大変興味深く,お察しの通り,自分を省みる機会となり,今,すっきりしない気持ちでいます.
 これまで,それぞれの環境でそれぞれのやり方があり,それを探りながら,あまり自分から大きなアクションを起こさずに過ごしてきました.
 もちろんそういうやり方に不甲斐なさを感じてはいるのですが,日々の雑用に没頭し,問題意識と向き合うことを避けてきたと思います.そうせざるを得ない かのように.
 今はちょうど来年度の科研費の応募書類を作っているところです.
 身につまされながらも,ここ(=東大)でのやり方を強く意識しながら準備しています.
 こんな毎日です.うまく考えを漏らし伝えられないのですが..
 それでは.また.


* 期待していた人からも。わたしの新制中学・高校ころの友人の夫人、年齢もちかい。京大に学んで、繪も文章も美しくかかれる。夫君は原子力関係の大きな 責任者の地位にあり、なお貢献されている。


 ☆ 秦恒平さま   藤
 またしばらくご無沙汰をしていました。お陰様でつつがなく日を送っております。
  ☆ 大学の研究者が言わないような類の「科学」の話
 早速拝読しました。
 研究者にあこがれ、大学院へ進んだものの、すぐにそのコースから降りてしまった私などは、「屍」以前のチリ・ホコリくらいの存在なのでのこのこと皆様の ディスカッションに参加など出来ないのですが、興味は津々とある分野なので、以下はいつものような秦さまと私のあいだのお喋り、思い出話の類とお読み下さ いませ。

 私は父から「何の役に立つかわからない研究が、突然脚光をあびることがある」とか、「なんとはなしに見逃していた現象が、実は大きな発見の糸口であっ た」とか、地味な努力や根気が大切と聞いて育ったのですが、それよりもまず、やはり、研究者には「常識にとらわれない目(感性)」と「独創性」が必要だと 思っています。
 私には研究者に必要な常識にとらわれない目・独創性が欠けていることに気付きました。
 あこがれはしたものの、適性を欠いていた点では、私にとって研究者も宝塚スターも同じだったのかもしれません。
 基礎研究が大切なこと、一見無用に見える研究の大切さはいうまでもありません。昨今は大学などの研究にも予算に対する成果主義が及んでいるようで心配で す。
 私の大学院入学式の時、総長(解剖学者)は挨拶の中で、「大学院は学問が好きで好きでたまらない人の来るところ」とおっしゃいました(私はちょっとあせ りました)。
 研究者になるのも、結局は「研究が好きで好きでたならない」からで、それがどれだけ(すぐに)役に立つとか、賞がもらえそうとか、
出世して良いポストに着けそうとか、どれだけお金になるかとかは、「目的ではない」というストイックな考え方があります。
 誰しも少しの野心くらいあって当たり前だし、あってかまわないと思います。
 第一それなりの経済的な基盤が確保されなくては研究どころではありません。だから充分な研究費とポストが用意されることは必要です。
 しかし外から見れば、中には自己満足的な研究者がいないとも言えず、そのあたりのバランスをどうとるかが難しかろうと感じています。
 ところで「仁」さんは、研究的な仕事を辞めたら「屍」と書いて居られますが、そこまで言わなくても良いのではないかなあ----と私は思います。
 「研究者って、そないなえらそうなもんやろか」という気持ちがあります。
 たとえ研究者から離れて別の仕事についていたとしても、世の中は大概そのような(研究的でない)仕事で支えられているのですから。
 「どちらもあり」で良いのではないでしょうか。
 学生の頃はみんな「研究者」にあこがれたものです。
 卒業から50年近くたち約四十名のクラスメートは(数名の物故者を除いて)仲良く70才を過ぎました。
 望み通り大学で研究者として業績をあげた人も、海外で活躍した人も、研究所を率いた人も、企業の役員や社長になった人も、
まるで別分野へ行った人も、家庭で子育てに励んだ女子も、みんな一緒に毎秋一泊旅行を楽しんでいます。
 「役に立つ研究」「役に立たない研究」が簡単に見分けられないように、人生も、どのコースが一番良かったかなんて、もうどうでも良い気がします。
 幸せなことに私たちの卒後50年は、真面目に努力すれば報われる時代でした。
 もちろん報われ方に大小はありましたが、みんな家庭を持ち、家を持ち、車も持ち、子どもをしっかりと教育出来ました。
 今は将来に展望が持てない時代、といわれています。
 私たちは出だしが”ないないづくし”の大貧乏時代でしたから、ささやかな事にも達成感、満足感が持てました。
 生活には高望みしせず、仕事の成果に喜びを見いだしていた気がします。そうやってやっと手に入れた(一応)豊かな生活の中で育った子ども世代がそれ以上 の達成感、満足感を得るために、将来の展望が見えないとは皮肉ですね。

 話がそれて行きますが、秦さんや私が学生の頃、出町橋畔に「江崎さん」とみんなが呼んでいたダンス教習所があったのをご存じでしょう?
 同志社と京大の中間点だったから両大学の学生が出入りしていて、同志社の友人に教えられて、私も短い間でしたが通っていました。
 このダンスの先生(すなわち江崎玲於奈氏の母上)と私はなんだかウマがあって、組み合ってダンスを教わりながらたわいなくお喋りしていました。
 練習場は普通の住宅の二階で、一階は先生のプライベートスペース、ここがまるで片づいていなくて、中央には描きかけの人物像の油絵が。(後に新制作協会 の所属と知りました)
 トイレをお借りしたのですが、家の構造は京のうなぎの寝床、ごちゃごちゃの中の奥の細道をやっと厠にたどりつきました。
 この先生はまことに風変わり、発想が奇抜、個性的。母の知り合いの取り澄ましたおばさま方に辟易していた若い私には、「こんな自由な女の生き方もあるの だ!」と衝撃的でした。
 それから数年後、ご子息のノーベル賞受賞を知り、「ああ、あの母にして、エザキダイオードのアイディア、ノーベル賞!」と、妙に納得したものです。
 そして大いに影響を受けた私は、個性的な母となって息子を育てようと志したのでありますが、部屋の片づかないところと、ごちゃごちゃの中で油絵を描くと ころだけは達成したものの、息子は単なる変わり者、東工大を出て某電気メーカーに(平凡に)勤務しています。
 では今日のおしゃべりはこれくらいで。
 このところ京都に行く機会が無く、秦さまの京旅行のお話しその場をイメージしながら楽しく読ませていただきました。
 2008/10/14     


* 「人間味」と謂う。そういう味のある人たちとの此の世だと思えるときが「幸福」なのであり、藤江夫人のこういう達意の文面にふれていると、日々の不快 を静かに溶かされる。藤江さんに限らない、「仁」くんをはじめこうして何人もの人と或る特定の話題を介してふれ合う幸福をわたしは、かなり手前勝手に喫し ている。不徳も極まった男だが、こういう時に心豊かに孤ではない有り難さを頂戴する。


* 十月十五日 水

* マイミクの「瑛」さんからも一文いただいた。わたしより心もちお若いe-OLDながら、矍鑠、登山と長路の散策を常に楽しまれ、文学藝術にも心を寄せ ていつも発言されているが、機械工学のみちを 歩んでこられたとは、この一文で確かに承った。感謝。


 ☆ 秦 恒平様   瑛
  「大学の研究者が言わないような類の「科学」の話 」の「仁」さんの論説を、ある感動を持って読みました。久し振りの日本人科学者のノーベル賞受賞のニュースで、湯川秀樹、朝永振一郎、福井謙一各氏の受賞 の時代を思い出し、ノーベル賞受賞の系譜へ思いを馳せていたときだけに深く印象に残ります。今回の「話」で研究者の世界を具体的に垣間見ることが出来まし た。
 僕は機械工学を学び電子計算機という名前が生まれた時代から「初期パソコン」の時代まで産業界で製造、設計、電子計算機のソフトウェア開発畑を歩いてき た一応技術屋の卒業生ですが、研究を仕事にされている方々の「論考」を読み感銘を受けた一人です。正鵠を得た理解にはほど遠いのも恐れずに、思いつくまま の読後感を書きます。

 研究者の幸運はどんな師につくか、研究課題を寝食を忘れるほど魅力あるものにしていく熱意をどう作っていくか、研究材料(マボヤ)との時間の経過を忘れ る親密な交流の日々、研究結果の発表の遅速による挫折感の話は身につまされました。
  ひところNHKで放映された「プロジェクトX」などの製品開発物語とは派手さが違えども、開発海洋天然物化学を専攻されて研究に精魂つくす体験談は、産業 界の機械・電機系技術分野とは違った「厳しい孤独との葛藤」があるように思います。
 いい意味でも悪い意味でも多士済々のつわもの集団の中でもまれながら仕事の一部を担当するのとは違って、研究部門での仕事は自己の能力、たとえば「個人 力」が要求され、文学者、作家、藝術家を連想いたします。

 研究が役に立つかどうかという問題ですが日本が高度経済成長という高速道路へ乗り出した昭和50年(1975)に大手町の経団連会館で「組織と文化」と いう演題で、文化人類学者の梅棹忠夫が講演した。毎月一回の経団連クラブの昼食会に呼ばれたときのことで講演内容が後日「中央公論経営問題」昭和55年秋 季号に「武と文」という題で記載された。梅棹忠夫は学者(大学教授を代表とした人文系も理数系も含めて)は「無為徒食の徒」だという。氏は「学問には役に たつものと立たないものがある」とも言っているが、そんなことがはたして前もってわかるのかどうかは、やはり疑問ではないか。
 それほど人間は賢い動物ではないと謙虚なままが人間楽であると僕は思ってきた。いつも達観してきたほど自信はないが自分の思考能力を超える問題にあうと 「役に立たなくてもよいぞ」と一休みした。気がついたら大過なく定年を迎えていた。
 「論考」の後半では理論物理学の話、デカルト、ハイドンの話など多くの示唆に富むお話が紹介されました。僕なりに理論物理学の系譜を素人門外漢ながら考 えてみますと、どうもノーベル賞を受賞した博士達が誰を「師」としていたか、しているかにふと思いが行く。素粒子の世界、目に見えない世界を構想しながら 湯川秀樹は「老荘の哲学」と遊んでいたと思う。氏の著書にも荘子の「混沌」がでてくる。湯川秀樹のその時代の周辺には、日本に量子力学の拠点を作ることに 尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた仁科芳雄(にしな よしお、1890年〜 1951年)が居た。
 仁科は湯川秀樹、朝永振一郎らの後のノーベル賞受賞者たちを育て上げた。湯川、朝永とともに日本の素粒子物理学をリードしたもう一人に、仁科の理化学研 究所に籍を置いた元名古屋大学教授の坂田 昌一(1911年〜 1970年)がおり、多くの弟子を育てたのである。
 坂田昌一は坂田学派と呼ばれる多数の弟子を育て、2008年ノーベル物理学賞を受賞した小林誠さん、益川敏英さんへとつながる。ノーベル受賞者の皆さん が、「日本の現代物理学の父」とも呼ばれている仁科へと繋がっているのは研究者の精神的風土・文化または気質のDNAが共通したところがあると考えても良 いのではないか。
 研究にしても社会の仕組みにしても指数関数的に進歩した「コンピュータという道具」にすべてが依存する世界になってきている。どこかが「故障」すると世 界が止まるほど機械、装置に依存している。発明・発見の成果は恐ろしいものでうまく使いこなせないところが出てくるのが人間だとも考えられる。そのことを 故糸川英夫は「世界の三悪人フランシス・ベーコンとデカルトとニュートン」が作った西洋文明だと著書に書いた。「知は力なり」の信条を持つデカルトが『論 説』で紹介されていたように、より多くの人が理解しやすいように公用語であるラテン語ではなくフランス語で「方法序説」を書いたことがなんとなくわかる気 がしました。
 最後に、エンジニアの世界は最初は「ソリスト」になることから仕事を覚え、素質があるなら「指揮者」へと変貌していくのがこの世界では期待されているよ うに思いますがどうでしょうか。
 研究の仕組みの改善、政策その他課題は多いが、学問するなら役に立たない学問の方を僕はえらびたい。「論考」があらためて色々と「考えるヒント」をあた えてくれました。ありがとうございました。   2008年10月15日 

* 思いがけず東工大に教授として就職することがなかったら、わたしの日録にこんな話題がこんなふうに登場することは無かったろう。就任した期間は辞令の 上では六十歳定年までの四年半でしかなかったが、以来十四年、わたしは幸いにこの世界とこんなふうに繋がったままでいられる。単純に喜んでいる。

* 「仁」くんが一石を投じてきたとき、この問題は想像以上に厳しく、いままさに働き盛りのわが卒業生諸君から感想や反応を急いで求めることは難しいと咄 嗟に感じた。
 年配の関係者からはお声が届くに違いないと思った。
 現在、わたしの学生諸君からは、発言者をのぞき、共通して今しも大学で教職にあり指導者的な立場にある三人(女性二人)からだけ声が届いている。企業で 研究職にある人たちにも強い感想があるだろうが、それを適切に言葉に置き換えるのは容易でないのだろう。此処にも一つの「現実」が透けて見えるといえば言 い過ぎか。


* 十月十六日 木

* 来て欲しい人の声が届いている。東工大の教授室で歓談の頃から、この人の意志は明瞭で爽快ですらあった。古美術や古文献をあつかうときに不可欠な 「糊」の研究成果はみごとだった。母としても妻としても、その日常はたびたび此処に送られてきてわたしや妻を楽しませてくれる。

 ☆ ホームページでの討論、拝見しています。     馨
  秦先生
 ようやく晴れてきて、気分も少し晴れやかになる心持ちです。
 先生のホームページ、拝見しています。
 「仁」さんの問題提起、私もいろいろと思いは巡るのですが、私自身をふりかえれば、いろいろな意味で発言する権利がないように感じて、あえてお送りする のを控えました。
 発言する権利がない、に少し説明を付け加えれば、私という人間が能力以上に恵まれ過ぎているという点に尽きます。
 理系の大学に進学していながら、修士では歴史学の手法を学び、しかも学部・修士の双方の知識をまさに必要とする(生かせる)職種に就き、まだ博士号を とってもいないのに研究職として働くことが出来ていることです。独法で、比較的資金にも分析機器など設備にも恵まれていますし、今の研究スタンスだと学部 の専門のように深夜まで研究室にこもらなくとも成果が出るという時間的自由もあります。にもかかわらず、特許を取ったりメディアに取り上げられたり、と成 果にまで恵まれている。
 さらに言えば、定職に就いている夫がいるため、いざとなれば仕事を辞めるという逃げ道すら用意されているのです。そして、上司が通常では考えられないく らい育児に理解があり、三度の育休をすべて1年以上与えてくれて、その分の仕事をひっかぶってくれました。
 こんな私が研究者としての問題提起に足を突っ込むのは、あまりにも思い上がりではないか、とモジモジしているのが本当のところです。
 ただ、「maokat」さんのお書きになられたの中の、「独法(=独立法人のことか)」というものが帰納的に先細りになってお取り潰しに収束する、とい う記載は瞠目しました。研究で採算を取れ、ただし取った分だけ予算は減らす、という我が職場でのお上のお達しについてはもう何年も前から胸につかえていた のですが、最終目的が研究所解体、と示されれば深く納得します。
  その独法の中では、テーマ設定については確かに強い束縛があります。ハーバードの「雄」さんの文章にも発言者「仁」さんの文章にもテーマ設定という問題提 起が含まれていますし、これは研究者として切実な部分であると思います。ただ、このあたりも卑怯で流されやすい私は、ごまかして暮らしてしまっています。 お上が決めてくるテーマ設定の中をそっと探索して自分の興味の持てる題材を探し出して研究対象とする,という逃げ方をしています。自分の能力がこれこれで なければ生かせない、というほどに私は自分の存在が大きなものとは感じていないこともあり、正面切って対立するよりも、一見、受け入れたような形の中で、 静かに自分が楽しめ、人様の役にもどこかで立ってくれるような部分を見いだしていけばいい、という子どものような態度を取ってしまっています。世の中、 じっと様子を見ていれば必ずこの手の隙間が浮かび上がってくるものですし。このあたりが、京都の知人に「あなたは京都の飛び地」と言われる所以かも知れま せん。
 研究者としては明確な目的意識があるべきなのでしょうが、私は自分自身が組織の、家庭の、歯車になることが苦痛でなく、その与えられた環境の中でひそや かに自分が楽しめればよいという程度に利己的です。能力相応以上に恵まれた人間だけがもつ傲慢さなのかもしれません。(もちろん、日々の仕事の中では小さ な怒りを持たない日の方が珍しいくらいですが、社会というものがいろいろな価値観で出来ている以上、当然という程度の怒りですんでいます。)
 修士の時の恩師は歴史学に数値分析を持ち込んだ先生で、統計的に見た数字からくっきりと歴史的事実が浮かび上がってくるという鮮やかな研究をされていま した。この成果を授業で話された時、東大の数値計算系出身者が「先生の話は非常に面白かったのですが、これを外挿(ママ)してこれから起きることを予測し たりとかそういう提言はしないのですか」と素朴に、でも少し非難をこめて尋ね
たことがありました。そのとき、先生は「面白い以外に何があるんですか(何が必要なんですか)」と返事をしたのが鮮烈な記憶となっています。
 この先生に習ったこと、そして私の父が研究者であり「世の中、何がためになるかなどはわからない。自分が興味を持てることを着実に進めれば道が開ける」 という考えの持ち主であったこと、などが私の考えをさらに裏打ちしているかもしれません。
 つまり、私は研究を通してスポーツ的な功名を得るという発想を教えられずにこの年まで来てしまい、しかも「食う」手段として研究をやり続けなければなら ない、という現実的なモチベーションすら持たない状況に身を置いています。それでもやはり、研究を続けているのは、研究を通じて新しいことを発見した時の ワクワク感、それを論文や学会で発表したときの達成感、成果を周りから有用だと理解して頂いた時の嬉しさ、などを素朴に楽しんでいるからだと思います。
 ただ、こういうものを「素朴に」のみ楽しめる私の状況はあまりにも恵まれ過ぎていて、そんな私が研究者としての葛藤などについて言うのはおこがましい、 というのが正直なところです。
      ☆
 研究の話はこのあたりで。また少し歌をお送りします。
 歌を作るのは、日々を通り過ぎずにメモ書き程度にでも記憶にとどめたいという気持ちからはじまりました。子ども達の写真を撮る代わりに作っているよう な。
 と、書いて気がつきましたが、このあたりにも文学を志すといった向上心などなく自分の便宜を優先してしまう私の性格が出てしまっていますね。

 いつの日にも思い出づらめ半刻も月みる吾子を抱きゐしこの夜と  (十三夜の月見)
 湯上がりの桜貝色子の耳に砂粒をのこし連休行きぬ
 兄の積木の倒さるる音に泣く赤子(あこ)よ ゆめにも砲弾(たま)の音をな聞きそ

 古典は読むばかりで文法をきちんと覚えたことがない(あ、このあたりも努力ギライの性格が…)もので、韻律がいい加減になっている自覚はあるのです
 が、どう直してよいかわからず…。
 歌を作る、と先生に申し上げた以上と思い、短歌のための基礎的な文法の本を読み始めたりしていますが、おかしい言葉遣いがあればご指摘頂ければとても嬉 しく存じます。(下手な歌をあまり公にしないで下さいましね。)
 またしても長いメールとなりました。
 こういうメールを受け取って頂ける先生のいる幸せを、しみじみと噛みしめています。
 先生、くれぐれもお大事にされて下さい。

* わたしの就任した頃東工大学生の男女比は、13:1ないし11:1と聞いていた。その数少ない女性達にみな、男子を凌ぐ気力があり優秀であった。「女 ばか」どころか、それが頗る楽しかった。
 現在、研究という場を離れていても理系の高い教育を受けてきた人たちが、(家庭を含む)さまざまな持ち場で果たせる「科学」性についても「仁」くんは発 言してくれている。歌を作り詩を書いて、科学編集者としても佳い仕事をしている女性を二人知っている。その声も、届いてこないだろうか。阪大にいるすこし 若い女性研究員からも。


* 十月十七日 金

 ☆ 
よろしければ…  笠 e-OLD千葉
 
秦さんへ  ご無沙汰しております。ほぼお元気そうで何よりと桜の中の秦さんを眺めています。
 『‥「科学」の話』のメールを戴き恐縮です。『e-文庫・湖(umi)』の当初、場違いのおじさんにもお誘いを受け困惑したのを思い出します。連日第一 線の方々のご意見が行き交い、工学部というのはすごいなあと拝見しています。殆ど分かっていないおじさんは黙っていればいいではないかと思っていたのです が、ことによると、どなたかこの『闇に言い置く』の「週間こどもニュース」的な解説 をしてくるかもしれないと考えました。
 無駄と云えば世の中の殆どは無駄だと思うことがありますが、それがあるのはきっと何かわけがありそうですからそれでいいの
だと思います。ロールプレイングゲームは来春「ドラゴンクエスト\」が出るので楽しみです。やはり場違いでごめんなさい。急に涼しくなって来ました。どう かくれぐれもお大事にしてください。 拝


* 十月十八日 土


 ☆ 科学の話ではありませんが。 京 バルセロナ

 恒平さん
  視点の異なる人たちの意見が二つ三 つ加わるだけで、どんどん話が面白くなってきますね。ど んな反応が聞こえてくるか、毎日興味津々「闇」を開きました。他人に期待しておきながら自分はだんまりを決め込んでいる、いつもの「mixi」の無愛想さ では、ちょっと済まされないものを感じますが、自分の考えが口を突いてくるほど纏まらないのも正直なところです。相変わらず、一度に入ってくる情報があま りに多いのですよ、「仁」さんの話には。
  東工大は出たけれど、科学や研究者の話になる と途方に暮れます。バイト以外の私の就いた職は、 バイクのサスペンションを製造する日系企業の即席通訳と、現在の事務職。仕事が人生の中心なら、私の七年半の大学生活は、まるまる「無駄」と言えるかもし れませんし、大学の学問を最重要視するなら、私は人生の挫折者と言えるかもしれません。が、私はそのどちらとも思っていない。
 私にも、東工大を出て例えば証券会社に勤める人に、東工大を出た意味を問うた時期があり、「工業大学は出たけれど・・・」と自らを嘲笑する時期もありま したが、三年前受けた企業の面接で、学歴と職歴の不協和音を指摘された時、いつの間にか、東工大を出て証券会社に勤めたっていいんじゃないか、と考えてい る自分に気がつきました。「無駄」を許容できるようになったんですね。
 「仁」さんも昔は、根底では「無駄」な雑学の推進者でありながら、常に人生への悲観を口にしている学生でしたから、若手研究者が《不思議なくらい自分の 人生設計を考えることに絶望している》のは、それだけ余裕がないか
らなのではないでしょうか。みんなどこかで「無駄だって必要」と思っているに違いないのです。それを確信もっ て公言できるのは、無駄も報われることを知っている、自分の 「今」を肯定できる人なのかもしれません。
 
  「国家国民のための研究」
 以前これについて書かれていた「司」さんには申 し訳ないのですが、これを聞いて私が連想したのは、「軍国国家の秘密研究機関で生物兵器を開発している研究者たち」でした。「国家国民のため」という言葉 は、分かりやすいようですが、とても分かりにくい。みんなそれぞれ様々な方向を向いて生きているのに、この言葉によって、突然一括りにされ一方向に向かっ て前進しているような錯覚を覚えさせられるのです。
 その実、どの方向に向かっているか分からない。友人を見て、同僚を見て、家族を見て、自分の周りを見回して、果たして私たち、そんなに同じ方向を仰いで いるでしょうか。自分のためになることが妻のためにならなかったり、同僚の利益が自分に不利益を生んだり、良かれと思ったことが相手を怒らせたり、世の中 そんなことだらけだと思うのですが。
 この言い様にひっかかる理由は、もう一つ、私の仕 事上の経験が関わっているからかもしれません。今は裏方の仕事に移りましたが、4年前まで、海外で盗難にあった人や、お金の足りなくなってしまった人をア テンドする職にいました。呆然として日本の住所も思い出せない人、憮然としたまま一点を見つめている人、わなわな震えて泣き出す人、やり場のない怒 りをぶつけてくる人、色々な人がいました。その中に数は少ないのですが、威張り散らす人がいました。自分は被害者だから、困っているから、何から何までお 膳立てしてくれて、出費も代りに被ってくれるのが当たり前と思う人。自分のやるべきことはむろんやらずに、何でも他人に責任を押しつける準備があるので す。そういう人の決まって口にする言葉が、「日本国民が困ってい るのに」でした。
 この言葉、実際言われてみるまで気づかなかったのですが、会話の途中で突然言われると、本当にびっくりするものです。そして面白いことに、私は今でも覚 えているのですが、「日本国民が困っているのに」 というセリフのもとにお金を借りに来た4人のうち、4人全員が、二年経っても三年経ってもその返済をしていない。彼らの借りたお金こそ「日本国民」の税金 なのに。
 「司」さんは恐らく、私の見た人たちとまた対極 にいる人々を見て、「国家国民のため」という言葉が口を突いてきたのだと思います。ただ「国 家国民のため」という言葉は、もっともらしく聞こえて、実は責任や目的を 明らかにしたくない人たちに利用されやすい言葉でもあることを、意識していたい。
 自分のやっていることが税金で賄われていることに気付くことは、とても大事なことです。その上で、基礎研究など「国家国民」に囚われずに研究してもよい のではないか、ボストンの「雄」さんのような研究者に任せてもよいのではないか、と私は思っています。  「雄」さんの《しかし、その価値判断は、傲慢と も取れるだろうが、どうか研究者にお任せいただきたい。》に、私は彼の研究に対する強い覚悟と責任を感じるのです。
 
 科学や研究とは随分反れた話になってしまいまし た。
 毎晩時間切れで、気が急いたりもして、もう一つ 書きたいこともあったのですけれど、今回はこの辺で。
 金木犀や吾亦紅の話を聞くと、日本がとりわけ懐かしくなります。先週は 母から「秋刀魚一匹78円」の話など聞き、遠くの秋をますます感じています。恒平さん、迪子さん、どうかくれぐれもお大事にお過ごしください。 京


* 「笠」さんや「京」さんの声で、話題が少し広く寛いだ場へ動いた感じがする。科学とも研究とも自分はいまのところ関わっていないと感じる人も、畑ちが いと 感じる人も、「国民」「税金」ということになるととても無縁でない。そしてまた思いが湧くかも知れない。


* 十月二十一日 火

* 「科学・研究」討論に、さらに二人の論点が加わった。一人は行政官僚である「司」くん、一人は民間で異色を発揮している「皓」くん、の、それぞれに誠 実な、刺激的でもある発言が加わった。
 じつを言うと、ハーバードの「雄」くんからも長文の、よく纏まった所感が届いているのだけれども、わたしにも理解できる現在只今彼のために私的に微妙な 影響を 考慮し、あえてわたしはそれを掲載しない、少なくも当分時機を遅らせたいと判断した。当然、彼にもそれなりの配慮が適切に有ることと思っている。

* では二人の「挨拶」を聴きましょう。

 ☆ 
秦先生
 
HPでの議論、読ませて頂いています。  
 読むたびに、色々な事が頭をよぎり、なかなか整理することが難しく困っていました。
 何より、自分は東工大という恵まれた環境で学ばせては貰いましたが、常に周りの(勉強が出来るという安易な意味でない)色々な優秀な先輩や友人たちに 引っ張られながら、結果として今の職場でも働かせて頂けるという思いがあり、そういう私が何か言えるような事など・・・という思いが強くあったこともあり ます。(謙遜じゃありません! 本当にそう思ってい・・・)
 ただ、事実として今こういう仕事(=某省本庁・役職)をしている以上、責任として何らかのご挨拶をしなければいけないとも思い、一つの区切りとして私な りに自分の思いをまとめてみました。
 ここに書いていないことでも、もちろん私なりに思いの有る点は沢山ありましたが、あまり色々な事を書き始めると、自分でも何を書いているのかよく分から なくなってしまうので止めました。
 MIXIもあまり肩を張らずに気軽に少しづつ更新できるようにしたいと思っています。
 それでは、挨拶します。

 総じて、やっぱりなかなか私がしっくり来ないのは、「研究者(官民の別なく)の方々は、何のために研究をされているのでしょう?」という疑問にぶち当 たってしまうから、かも知れません。
 研究者の方の意見を聞いていると、「日本の科学技術力の向上」、「若者の理工離れの歯止め」という様な社会性のある話の一方で、「研究の先を越され た」、「研究予算が取れなかった」、「就職先が無い」という様な個々人の話題についても言及されることが多々あります。
 私にとっては、この辺が違和感の理由ではないのか、と勝手に解釈しています。誤解を恐れず言えば、プロスポーツ選手が「社会貢献の為に頑張っています」 と言っている様な感じかも知れません。もちろん、プロスポーツ選手の競技とは別の社会的な活動を色眼鏡で見ているわけではありません。
 研究者には、大まかに謂って次の様な方が居るんだろうなと
、私は、思っています。
 自分の研究が他人(ひと)のより秀でていたり、他人がやらない事であったりする事に「目的」を見いだす人と、
 人類の為に、社会の為に役立つ一つの行為として研究というものを進めている人と。
 いずれにしても、研究者自身がやりたいと思った事をやっていることに変わりは無いのでしょうが、「同じ結論」を導き出したとしても、前者の方は「その人 自身の成果」にこだわるのであって、後者の方は「誰の成果でも良いから」ということになるでしょうか。
 極端な例えであることは承知の上です。また、もちろんのこと、一人一人の研究者たちが、ほぼこの両面を持っている事がほとんどだと思っていますが、た だ、私の出会った研究者の方には、明らかに前者に軸足をおいている例が多かった様な気がします。そういう方達と色々なやりとりをした中で実感したのは、研 究者は総じてこの前者と後者の使い分け(意識の使い分け?)が下手だなぁという思いです。それが多いのです。
 研究予算の要求書の中で、たたき台は研究者自身で作る事例がありますが、それらを見ていると、明らかにどこか他でもやっていそうな研究内容と被(ダ ブ)っていることがあります。もし、何らか成果を世の中に出すのが目的であれば、他の研究者たちとも協力しながら、彼自身の役割(すなわち我が研究機関の 役割)として、これだけの効率的な投資をして欲しい(=予算をつけて欲しい)と、本来はそう書くべきなのですが、なかなか納得して貰えません。
 ほんの一例ですが。履歴書から見てその人のしてきた研究内容とは少し逸れるのを承知の上で、でも、こういう研究をしてくれませんか? と研究機関の人事 採用者が問いかけている、そういうことも、まま、有る。採用されたければ“やってみます”と答えてくれれば良いんですが・・・・研究実績や能力には全く問 題ない方でしたが、結局採用されずにどこかの大学研究室(どういう所属なのか分かりませんが・・・)に戻っていかれました。
 ウソをついて欲しいとまでは言いませんが、本当に研究を続けたいのかと思う事が結構ありました。
 研究者の世界には私も良く分からない部分が多いのですが、他の分野を例に考えれば、例えば(私の学んだ)「建築」の世界も似たようなものか知れません。
 世の中の為になると言って大層な設計をする人がいますし、地元の方々と何の儲けにもならないような街づくり協議会に、夜な夜な通ってきてくれる建築家も います。機械的な設計を沢山こなして生計を立てている人もいれば、貧しい生活をしながらもただ自分のやりたい建築だけを追い求め続けている人もいるでしょ う。
 ただ、建築の世界が、研究者の世界と違うのかなと思えるのは、そういった建築の専門家(設計や街づくりに建築士の仕事として取り組んでいる狭義の建築専 門家)を取り巻く人達にも、じつは建築を専門としている(していた?)人や理解している人がとても多いことかも知れません。様々な「広報」関係に携わって いる人のなかに、もともと建築に関わっていた人がいたりします。「行政」の世界にも建築出身者は沢山います。そういった人たちは、日常的には建築と無縁の 仕事をしていることも多いです。建築出身で、様々な方面で活躍されている方は沢山いますよね。
 私も思うのですが、大学での専門研究の内容は、今の日常に、ほぼ、なにも役だっていません。たぶん、他の方々も同じじゃないでしょうか。でも、やっぱり 建築なり、街が好きで、自分自身にはそういう才能は無かったけれど、世の中の素晴らしい建物や街は一生懸命PRしたいと思うし、そういう建物や街が増えて いって欲しいと思う気持ちは常にあります。とくべつコレという具体例があるわけでは無いのですが、色々な場面で“建築を職業とする人たち”を“建築を専門 としていた人間”として何とかフォローしてあげたいと思ってしまいます。恐らく、他の方々も同じではないかと思います。

 研究者、という定義はどういうものか分かりませんが、研究者に近い方を仮に「博士号取得者」とするならば、少なくとも行政の世界(研究機関などを除いた 狭義の意味での“行政”)には(科学技術系の(ただし、医学系は除きます))博士号を取得した方はほとんどいないように思います。
 国会議員にも、物理や化学で博士号を持った人が、いや、物理や化学を専門としていた人でさえ、どれくらいいるでしょうか。単に私が知らないだけであれ ば、大変失礼な話で申し訳ない限りなのですが、少なくとも私はそういった方々が、日常的に新聞や議会等で科学技術に関する話をしているのは、ほとんど聞い たことがありません。
 もちろん、議会や行政などの世界に飛び込まなくても。例えば、研究者の方々が様々なジャンルを飛び越えて、一団となって、
(継続 的に)何か社会的な活動やメッセージを発し続けている例って、あるのでしょうか。
 研究者の方々が世の中に全く役に立たない研究をしているとは思っていません。ただ、もっと研究者自身、もしくは研究者を支援する人たちが、例えばパトロ ンである国民の気持ちをグイッと掴み取るくらいの気持ち(気合い?)で色々な活動をし続けないと、“頑張って研究をしているから見て下さい”では、此処で も言われている様な問題はいっこう解決に向かわない様な気がします。
 なぜなら、少なくとも今の私の気持ちとしては、基礎研究の予算をつける位なら、もっと良い街や良い建物が日本の国に沢山できて欲しいと、そういう街や建 物で国民が生活できるようになって欲しいと、そう思うからです。

 自分の事を棚に上げて書いてしまいました。相当、自分の事に目をつぶって、書き進んでしまいました。恥ずかしい限りです。
 振り返って、自分はどうなのか?
 前に、マスコミの方と話をしたときに言われたことがあります。
 そんなに世の中の為になっているという自信があるなら、どんどん新聞やTVに出れば良いと。官僚がどれだけ良い仕事、世の中の為になる仕事をしているの か、新聞やTVを通してアピールすれば良いではないか、と。そういう希望があるなら俺に言ってくれ、と。
 いや、無理です・・・・って。
 そのくせ、自分たちの仕事を確保するための“色々な活動”には一生懸命です。
 新聞やTVに直接アピールする程では無いけれど、自分の中では「国民の為になっている」と思い、自分の担当事業の予算要求をしたり、事業をきちんと進め ない公共団体を叱ったり(!)・・・・・
 たまたま、行政というカテゴリーに属していること、建築というカテゴリーに属していること、そしてそういったカテゴリーが持つ社会的位置付けみたいなも のが後押ししてくれるから、私自身が何か動かなくても、自分は自分の思う様に仕事を進めているだけで前に進んでいく・・・みたいな。

 あぁあ、結局行き着くところはこういうところなんです。こうなると、これまで書いてきた内容が凄く上辺(うわべ)だけの様な気がしてきてしまい、後悔し 始めてしまいます。
 ただ、1つだけ(自分の事を棚に上げずに)言えることがあります。
 今回のノーベル賞に際して、官房長官が、「基礎科学こそ、国が戦略的に政策とすることも含めて、しっかりバックアップしなければいけない」と言っていま した。新聞紙上でもこういった論調は結構ありました。
 これは「違う」と私は思いました。
 新聞紙上で科学記者が言うのはいいです。科学技術担当の文科省の役人が言うのでもいいです。でも、国全体を見なければいけない官房長官の言う事じゃない んじゃないの? という気がします。
 例えば、この間大阪であった火災の様に、一晩1,500円で個室ビデオ店に泊まれる日が月に2,3回しかない人たちを目の前にしてそんな事が言えるかど うか。
 どこかの世間知らずの知事が「一晩200〜300円で泊まれる宿なんて山ほどある」って言ってましたが、そんな宿、有るわけ無いんですが、仮に、仮にで す、一晩200円だって毎日泊まれば月6,000円です。月に6,000円も出費出来ない位困窮している人たちが今の日本にどれだけ大勢いるのか。そうい う人たちが目の前に沢山いるなかで、「基礎科学こそ重要だから、税金をつかってバックアップしなければいけない」なんて、官房長官が断言したらいけないと 思います。
 予算が付くかどうかでポイントになるのは、施策の重要性ももちろんですが、「優先性」もとても重要です。なぜ今やらなければいけないのか、なぜ他の施策 より優先されるべきなのか。きちんと説明しきれていないかも知れませんが、要求説明資料を書くときなどには、私は、明日の食事に困っているような方たちを 思い浮かべながら、そういう人たちに面と向かっても説明できる事を書こうとします。
 税金から予算を貰って仕事をする、というのはこういう事だと私は思っています。
 少なくとも、研究予算には、こういう観点が無いと感じます。
 「研究には無駄が必要だ」と。実態は確かにそうかも知れません。でも、その無駄の為に使われた予算を、今日明日の食事に困っている人に、今日泊まるとこ ろに困っている人に使えれば、そういう人たちが半年でも、いや一日でも栄養のある食事、お風呂に入って布団で寝られる事ができる、という想像力さえあれ ば、きれい事として「無駄も必要だ」とは、少なくとも税金から給料を貰っている人は言えないはずです。
 物理学賞をとった益川教授がインタビューで「大変な予算を国民からいただいてやってきており、成果は還元しなければと思っている」と答えられているのを 聞いて、とてもとても嬉しく思いました。
 国民が一所懸命働いたお金を使って「研究」をやっているという、そういう気持ちのあるのが嬉しかった。たぶん、益川教授は「無駄が必要だ」とは、言わな いと、思います。
  
* 学生時代から「司」くんのことを秦教授は「栗」ちゃんと思っていた。人間さまを、「二」種類に分けてみてごらんと「挨拶」した日、学生諸君は山のよう に面白い二分別例を提出してくれた。感心した。わたしは、ときどき、一例として「栗」タイプの人と「柿」タイプの人がいるなあと考えている。栗の実と柿の 実との「実」の感じにそんな大差があろうとは思わないが、ちがうことはハッキリちがう。「司」くんの美点は「栗」ちゃんだと思ってきた。わたしは栗も柿も 大好きである。
 さてもう一人の「皓」くんは、挨拶の明晰な強手だった。合気道の全国チャンピオンでもあった。この人の結婚式にも、「司」くんのときも、わたしは招かれ た。

 ☆ 秦先生、先日はお電話にて失礼致しました。  皓
 お話いたしましたように、今月末に引越します。引越し先の住所は、(省略)です。よろしくお願いいたします。

 それにしても、盛り上がっていますね。遅ればせながら、東工大の卒業生として、「科学」については、あまり書けないのですが、私なりの視点で少々書かせ ていただこうかと思います。
 簡単に経歴を申し上げますと、私は、東工大の修士を出た後、企業で害虫駆除の研究をし、その後、スペインの文化を学ぶために一年スペインに滞在、そし て、現在は、製薬企業で医薬品の開発をしています。
 ほとんど前置きもなく「質問する」のもどうかとは思いましたが、冗長になるのは避けたかったので、質問からさせていただきたいと思います。
 さて、「あなたは誰ですか?」という問いに、「仁」さん、その他の方々は何と答えるのでしょうか?
 「科学者」なのでしょうか、「日本人」なのでしょうか。両方かもしれません。
 私も、両方かもしれませんが、その前にただの「人」だと思っています。
 私もかつては、ノーベル賞を受賞するような研究がしたいと思ったこともあります。科学者を目指す人なら、皆、一度や二度は思うことでしょう。しかし、今 考えるに、何のためにノーベル賞が欲しかったのか。地位や名誉だったのでしょうか。お金でしょうか。もしくは、ノーベル賞級の人の役に立つ仕事ができれば 良かったのでしょうか。日本国民のために、ノーベル賞を獲りたかったのでしょうか。どれも正解の一つかもしれませんし、別な考え方の方もいらっしゃるで しょう。
 「仁」さんは、科学をベースに書いていらっしゃる。だから、次のような文章になる。
  > 科学は,何が役に立つかわからない.だからこそ,大学には無駄が必要だと思う.
という意見に、私も賛成です。その通りです。科学の発展という観点で見れば、大学に無駄が必要という意見になるし、人間の成長という観点で見れば、他の方 々も言及しているように「人生にも無駄が必要」ということになるでしょう。
 私が問題かもしれない思うのは、この文章の前提となっている「科学の発展」という点です。
 発展しないよりは、発展した方が良いと言えるでしょうか。私が述べるまでも無く、科学の発展には、良い面ばかりではなく、負の面も多くあります。戦争に 使用する武器や原爆などは、まさしく負の部分でしょう。もちろん、科学の発展がなければ、こうしてメールやネットを通じて、遠い地球の反対側にいる人と、 簡便にコミュニケーションをとることは出来なかったわけで、科学の発展を全て否定するつもりも毛頭ありません。

 ただ、「人」として、生きていくのに、「現在の我々は幸せなのか」と問いかけたいのです。科学の発展によって、以前に較べれば、出産時の死亡率は低下し たかもしれません。その一方で、携帯電話を持ち、仕事に追い回され、うつ病を発症して自殺してしまう人は増えました。
 私は現在製薬メーカーで、医薬品の開発をしています(研究職ではありません)。製薬メーカーとして、新しい薬を世に送り出すことは、会社の利益にもつな がりますし、もちろん患者さんのためにもなります。その一方で、医療費は増大し、今までだったら亡くなっていた患者さんは長生きし、高齢化社会となり、年 金の財源に困ることになります。これに関しては、製薬メーカーの責任というよりは、政治の無策の方がはるかに悪いとは思いますが、科学にせよ、企業活動に せよ、良い面と悪い面は、常に表裏一体であるということだと思います。
 これ以上便利になる必要が、どこまであるのでしょうか。しかも何かを犠牲にしてまで。ゆったりとした暮らしができれば、それで良いと思っている人もいる のです。
 では何故、科学を発展させるのか。それは、新しいことをしないと、金を稼げないからではないでしょうか。研究者は、新しい研究をすることで、評価され、 金をもらう。企業は、新しいモノを作って、利益を上げる。それは、今の世の中がお金で回っているからです。一個人が生活していくためには、お金が必要で、 そのために、いろいろなことをしているだけなのではないでしょうか。もちろん、お金以外に知的好奇心を満たすためや、精神的充足のために、いろいろな活動 をする人もいます。お金以外のために活動することを趣味と呼び、お金のために活動することを仕事と言うのかもしれません。
 科学の研究というのは、ある意味趣味と仕事を両立させてくれる部分が多いところなのでしょう。しかし、結局は、国民のためとか、人の役に立つためとか 言っても、結局は「自分のため」というところに帰結するように思えて仕方ありません。そしてそれは、別に悪いことではないと思います。

 さきほど、私の仕事は医薬品の開発と書きましたが、確かに本業はそうです。でも、それ以外に、スペイン文化の普及活動として、NPO法人を設立し、活動 しています。スペインの文化や藝術、料理などをイベントを通じて一般の方に知っていただく活動です。これは、まさに趣味です。趣味が高じて、現在は、会社 でも、仕事の一環として、社員間のコミュニケーションを良くすることなどを目的として、社員を対象としたスペイン料理の講習会の開催もしています。これに ついては、趣味と仕事の両立ということになると思います。
 今更私が述べることではないかもしれませんが、製薬会社がどんな薬を開発するのかの意思決定の過程を少し考えて見ます。
 製薬会社によって、強い分野があるわけですが、研究の段階で、その強い分野の薬を開発しようとしても、なかなか思うようにはいきません。例えば、ガン関 連に強いA社の研究所でガンを標的にした薬を開発していたのに、薬効評価をしてみたら、うつ病に効く薬ができてしまった、というケースもあるわけです。さ て、うつ病に効くと分かったところで、それをA社で開発するという選択肢もありますが、うつ病に強いB社に開発権を譲渡するという選択肢もあります。その B社に譲渡した際に受け取ったお金で、ガンの画期的な薬を開発しているが、開発するだけの力のないベンチャー企業のC社を買収して、ガンの薬を開発する。 ただ、その一方で画期的な薬であっても、その病気の患者がわずかしかいない病気の場合、薬を開発しても、採算が合いません。だから企業は、そういった疾病 の薬は作りたがりません。
 そこで、オーファンドラッグ(希少疾病用医薬品)という制度があります。簡単に言うと「対象患者が5万人以下の、まれな疾患に用いる医薬品
」 のことで、オーファンドラッグの開発には、医薬品を開発する上で、 国から多少の優遇があります。とは言え、製薬メーカーとしては、対象患者が20万人くらいはいないと、利益がでないとも言われています。
 そうすると、単純に考えただけでも、5万人以上、20万人未満の患者の薬は、製薬会社は開発しないことになってしまうでしょう。そして、現実に、事業性 を評価して、そういった薬は開発されないことがほとんどだと思います。
 「企業」とはそういうところです。どんなに困っている患者さんがいたとしても、利益が見込めなければ、開発はしないことになるでしょう。
 科学の基礎研究の場合は、その研究をすることによって、どのくらいの人の役に立つのか、または儲かるのかということはほとんどの場合計算できないという ことなのではないでしょうか。計算できないから、有益とも無益とも言えず、無益かもしれないけど、もしかしたら有益かもしれないということで、研究をす る。そういった研究が1個や2個では、結果はでないかもしれないけど、何千、何万という研究があれば、一つくらいノーベル賞級の発見につながるのかもしれ ません。そこが、先程あげた製薬会社の例との大きな違いでしょう。
 でも、個々人としては、やっぱり「自分のため」に研究をしているのだと思います。それは、自分の意思で、その研究をしているのだから。
 「いや、これはスポンサーに押し付けられたから仕方なくやっている」というのであれば、辞めれば良い。辞められないのは、地位を守るため、お金のため、 結局自分のため。
 自らのポリシーを貫くために辞めるなら、それも自分のためだし、お金のために辞めないのも自分のためではないでしょうか。
 社会は人の集合体。その社会を構成する人は、それぞれ皆自分のために生きている。結局それだけで良いのではないか。そう思った次第です。科学という視点 からは、かなり脱線してしまいましたが、感じたまま書いてみました。
 乱文お許しください。

 一点重要なことを書き忘れていました。

 結論として、人がそれぞれ自分のために生きている社会である現実のようなことを書きましたが、「だからこそ、教育が大事」だということを書いておりませ んでした。
 皆が高い倫理観、平たく言えば「良心」を持っていなければ、酷い社会になってしまうということだと思います。そして、その酷い社会が現実のものとなりつ つあるのが、今の日本のような気がしています。
 小さい頃からの宗教教育・道徳教育など、そういった点をきちんとしなければ、さらに悪くなっていくことと思います。


* 乱文どころではない。教室で、いつもまっすぐわたしの方へ顔を向けていた「皓」くんの若い毅い表情が懐かしく思い出せる。

* 建築家の「創」くん、特許庁の「敬」くん、「竹」くん、商社の「松」くん、電機メーカーの「イチロー」くん、県警の「旗」く ん、編集・記者である「小闇」さん「謙」くん「遼」さんたち、塾経営の「昂」くんたち、藝大へ入った「叡」さんたちも、読んでくれているだろうか。
 この日記をさかのぼって全容を読み取るのは煩わしい。「e-文藝館=湖(umi)」の「論説」室を開いてもらえば、日を追っての討論が見えてくる。

   こんな「討論」に何の意味があろう、無用の遊びだと思う人もいて可笑しくない、が、そう思うにもまたただの「人」たる誠実は問われることだろう。


* 十月二十二日 水 つづき

* ハーバードの「雄」くんから、改めて討論に加わる長文での発言が届いた。出そろうべき人の声が揃ってきた。

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 ☆ 「仁」さんの文章に。  ハーバード「雄」
 秦先生,遅くなりましたが,「仁」さんの書かれた文章への僕の意見を述べさせて頂きます.僕は「仁」さんのおっしゃっていることは,それ程---少なく とも「仁」さんが差異を強調される程は---僕の意見と違っていないと思います.それは僕の言葉が足りなかったことも一因でしょう.この際,その誤解は解 いておきたいと思います.と同時に,「仁」さんのおっしゃることの全てに僕は賛成している訳でもありません.
  全てを記述することは不可能ですので,特に気になった点について書かせて頂こうと思います.大分長くなってしまいますが,長文お許し下さい.
 
 1.「屍」のためのセイフティーネットを
 
 まず初めにお断りしておきたいのですが,僕は研究を道半ばにして諦めた人のことを「屍」などという言葉で表現してはいません.「仁」さんは「mixi」 での僕の文章を引用されていないので,秦先生のホームページをご覧になった方の中には,ひょっとすると僕がそのような言葉を使ったかのように思われる方も おられるかもしれませんが,それは断じて違います.だいいち,某国立研究所の常勤研究職のポストを捨てて,現在海外でポスドクをするという不安定極まりな い道を選んだ僕は「屍」予備軍の最たる例です.仮に道半ばで研究の道を諦めることになったとしても,自分に対して「屍」などという言葉を使う気はさらさら ありません.
 
  以前僕は,「しかし,(何を研究すべきテーマとするか,)その価値判断は,傲慢とも取れるだろうが,どうか研究者にお任せいただきたい」と 書きまし た.これに対して「仁」さんは異を唱えておられます.しかし,「仁」さんの結論とされていることは,僕も概ね同意見です.これは,僕が「研究者に」お任せ 頂きたい,と手短に書いたことが良くなかったのであろうと思います.勿論,テーマの有用性を客観的に評価できる人が存在することは必要であり,研究者だけ がお互いのテーマを評価しあうことは,馴れ合いにも通じることでしょう.

 もう少し詳しく説明させて頂くならば,僕が言いたかったのは,何が真に重要な研究であり,何が研究に値しないのかを,「正しく」評価できる人間に価値判 断を委ねるべきであり,そのような人間のことを僕は以前の文章で「研究者」という言葉を用いて示したかったのです.
 
  例を挙げます.
 
  とある国会議員が,ショウジョウバエの分子生物学の研究を取り上げ,「蛆虫の研究などに国民の税金を使うのは無駄遣いだ」と発言したそうで す.極端な 意見ではあるかもしれませんが,同じように考える人も少なくないのではないでしょうか.そもそも,なんでまたショウジョウバエなんて研究するのか.気味が 悪い,と思われる方もおられることでしょう.少なくとも,ショウジョウバエの研究などにお金を使うくらいならば,その分を癌やアルツハイマーの研究に使っ てはもらえないだろうかと考える人は多いのではないでしょうか.しかし,大学で生物学を学んだ方ならば,ショウジョウバエがトーマス・ハント・モルガンに 端を発する遺伝学に古くから使われてきた,優れた実験動物モデルであることをご存知のはずですし,実際,癌遺伝子や神経系に重要な働きを持つ遺伝子の多く が,ショウジョウバエの遺伝学によって同定されました.或いは逆に,既に見つかっていながらその機能の分からなかった多くの遺伝子が,ショウジョウバエの 研究によって,その機能が明らかになった例も少なくありません.おそらく,国会で質問に立った議員は,これらのことを知らなかったのでしょう.
 
  今回ノーベル化学賞を受賞した下村博士の受賞理由は,クラゲの発光タンパク質を見つけたことです.しかし,もし下村博士がノーベル賞をもら わなかった 場合,この研究が有意義な研究であると判断できた日本国民は,果たして何割いたことでしょうか? おそらく,「ずいぶんと優雅な研究ですね」「無邪気な研 究ですね」などという評価は好意的なほうで,多くの方は「光る蛋白質なんて研究して何になるんですか?」「同じ税金を使うならば,クラゲなんかじゃなくて もっと有意義なことに使うべきではないですか?」と思われたかもしれません.しかし,生物学の研究者の間では,下村博士がノーベル賞をもらうであろうこと は,かなり前から話題になっていましたし,受賞は当然であると考えている研究者は多いと思います.それだけ,下村博士の発見は,現代の生物学を大きく変え たと言えますし,直接的には病気などの治療には結びつかないとしても,間接的には臨床研究にも大いに役立ったと思います.
 
  こうした価値判断を下すためには,国民の誰もがその「常識」を持つことは難しく,やはりある程度の専門的訓練を受けた者があたるべきでしょ う.ノーベ ル賞が与えられようと与えられまいと,その研究の真価を正しく理解し,評価できる人間が絶対に必要なのです.そういう意味で,僕は「研究者に」任せて頂き たいと書いたのです.
 
  そうした任に当たるのにふさわしい人材は,研究を道半ばにして諦めた方の中にも少なからずいると僕は思います.研究を途中で断念せざるを得 なかったの は実力が足りなかったからではないのか,そういう人が価値判断に携わって良いのか,と思われる方もおられるでしょうが,僕はそんなことは無いと思います. 研究が上手くいくか否かは,本人の資質だけではなく,運に寄るところも大きいと思います.時代が早すぎても遅すぎても正当な評価を得ることは難しいでしょ うし,ちょっとしたボタンの掛け違いから,不本意な結果に終わることも少なくないのです.また,実験遂行能力は長けていなくとも,豊富な知識を有し,的確 な判断を下すことのできる人は数多くいます.いまや国立大学は全て独立法人化され,「maokat」さんのおっしゃるとおり,パトロンは行政庁なのでしょ うから,行政庁はそうした専門知識を有する職員を多く雇用すべきであると僕は考えます.そうした専門知・u梹ッ(化け文字ママ)に長けた人たちが個々の研 究を正当に判断することで,日本の科学研究をあるべき姿に導いていくことができるのではないかと考えています.そして,これが学位を取得しながら職にあぶ れている人たちのセイフティーネットとして働けばと思っています.これは,「仁」さんの意見とも概ね同じであろうと思います.そんなのは甘い考えだ,と おっしゃる方も多いでしょうし,それは僕も分かっています.しかし,こういう人たちは,もしその機会が与えられたならば,その能力を遺憾なく発揮し,期待 に充分応えられるだけの働きをするであろうことは,自信をもって申し上げることができます.
 
 もちろん行政庁だけにセイフティーネットを期待することは無理でしょう.ただでさえ公務員を減らそうという時世だというのに,むしろ増やすような提案で すので,現実的ではないでしょう.かといってメーカーなどに全てを委ねることも難しいでしょう.企業はえてして修士課程を修了した人材のリクルートには積 極的ですが,博士課程に進んだ者に対しては消極的だからです.これは,企業に入ってからの再教育がしにくいことと,博士号取得者に支払う給料が若干高めに なるからということが原因であろうと思われます.僕は,できれば出版社や新聞社,テレビ局などが,積極的にこれらの人たちを雇用してくれたら,と思ってい ます.この点も,「仁」さんの意見と同じであると僕は思っています.

 残念ながら,現在のマスコミの「科学」に対する理解度は決して高いとは言えないと僕は思います.中には優れた番組や書籍もあるのですが,期待を裏切られ ることが多いのが実情です.そこで,これらのレベルアップを図るべく,専門知識を有する人材を積極的に雇用して欲しいのです.
 
  僕自身,自分の行なった研究で二度ほど新聞に取り上げてもらったことがあります.記者会見を開き,自分の研究について説明し,質疑応答を行 なった上で 記事にしてもらう訳ですが,記者会見の後で電話での応対を求められることも少なくありません.そのような場合,記者と話していると,彼らが内容を理解して いないのは明らかでした.記者が自分で書いた記事を読み上げてから「これで良いか」と聞くのですが,自分で書いた記事を読みながら笑っていることさえあり ました.自分で読み上げている記事の内容が分からないから笑っているのです.何度訂正しても,「では,これでいいでしょうか?」と言って読み上げる文章 は,最初に読んだものと何も変わっていない.

何度か同じやり取りをした後で僕は気付きました.この記者は,内容を正すことを僕に求めているのではない.僕に「それでいいです」と言わせることで,ある 種の「お墨付き」が欲しいのだ.上司から「この記事は意味が分からない」と言われたときに備えて,「でも,これで良いと研究者本人が言っていました」と言 うための根拠が欲しいのだ,と気付いたのです.もう少し熱心な新聞記者の方は,その発見に至るまでのドラマに着目され,そこに焦点を当てて記事にしておら れました.
 
これはまた別のケースですが,ある論文の内容について解説を求められ,記者から取材を受けたことがあります.この記者は大変な才能の持ち主で,僕の話した 言葉を逐一,見事な文章に仕上げていかれました.出来上がった文章を僕が読み返しても,まさに完璧でした.しかし,記者自身は,その内容について理解して はいないようでした.つまり,この記者は,聞いた内容を文章化することについては大変な能力を持っておられるけれども,その内容を理解しているわけではな いのだと分かりました.作業が終わり,一息ついたところで記者の方と雑談をしたのですが,なんとその記者は,僕のところへ取材に来られる二日前まで南極で 生活しておられ,南極から環境についてのリポートをずっと書いていたのだということでした.ただでさえ細分化の進む科学の世界で,研究者どうしでさえ異分 野のことを理解するのは難しいのに,これでは内容が理解できないのも無理はありません.
 
国民の多くが科学に接するのは新聞でありテレビです.その記事を書いている記者自身が内容を理解していないのですから,どうして読者が理解できるでしょう か? 結果として科学は「良く分からない,難しいもの」というイメージが定着してしまうのだと僕は思います.本来,科学は楽しいものであり,わくわくする ものです.もし,そのことを的確に伝えることのできる人がマスコミに増えたなら,それは国民全体の科学に対する理解を深める上でも大いに役立つと思います し,そうした社会が実現できることは素晴らしいことだと僕は思います.
 
しかし現実には,マスコミにとって,科学は分かりにくいものであったほうが,むしろ好都合なのではないかという印象すら受けることがあります.実際,「科 学者」としてマスコミに登場し,コメンテーター的な役割を務める人の多くは,実際には科学者と呼ぶには程遠く,自身は何もしたことのない人である場合が少 なくないのです.そして,そうした人たちが逆に持てはやされる傾向があります.

彼らの文章はえてして難解であり,何を言っているのか分かりにくく,実際のところは何も言っていないものがほとんどなのですが,「読んでも,あるいは話を 聞いても分からない」ということが,却って彼らの「賢い」というイメージを読者に植えつける上では有効であり,負のスパイラルとなっています.本当は実名 を挙げて言いたい位ですが,やめておきます.こういう「知識人」の存在はマスコミにとって好都合であり,国民の科学に対する理解度を上げることなどは眼中 に無いのが,今のマスコミの本音であろうと僕は思っています.なんとか,この負のスパイラルを断ち切るためにも,専門知識を有する人が積極的にマスコミの 世界に取り込まれればと思います.
 
 2.漁業・農業・林業 〜企業で基礎科学研究は不可能か?

以前,研究を民間にゆだねてはどうか? という問いに対し,僕は次のように答えました.
 
「基礎研究を民間の研究機関で行うことは可能だろうか? これまでの歴史からいって,ほぼ不可能であると思われる.実際,そのような趣旨から作られた三菱 化学生命研究所は,2010年3月に閉鎖されることが最近決まった.」

これに対し,「仁」さんは異を唱えておられます.
 
  まず誤解されている可能性があるので申し上げておきますが,僕は企業でいかなる研究もできないと思っているわけではありません.僕は日本で もアメリカ でも,これまで数多くの企業研究者達と接してきました.彼らは総じて極めて優秀です.言い方を変えるならば,ダメだなと思われるような人が極めて少ないの です.これは,大学院修士課程を出てから,企業内で徹底的に教育されるためなのでしょう.そして,とくに大企業の場合はそうでしょうが,研究費も大学や公 的機関よりもはるかに潤沢です.おまけにお給料も企業の方が大学よりも圧倒的に多い.
 
  更にいえば,企業の多くが研究者を海外の大学に留学させています.彼らと話して驚いたのは,そのような場合,家賃は通常企業が全額負担する のであっ て,彼ら自身の給料から払うわけではないのだそうです.全てがそうではないですが,企業によっては出張時にはビジネスクラスの航空チケットが渡されるとこ ろも少なくありません.こちらで貧乏ポスドク暮らしをしている者としては,「なんだ,企業に行っても同じことができたんじゃないか.何故僕は企業に行かな かったのだろう」と思わないでもありません.特に,なけなしの貯金をはたいて航空チケットを買い,窮屈なエコノミークラスの座席に収まっている時など,な おさら恨めしく思います.飛行機の座席はともかくとして,企業研究者が恵まれていることは確かです.
 
しかも,企業で基礎研究とはいわなくても,もっと応用的研究に携わっている場合でも,やっていることそのものは大学での研究と大して変わらないことさえあ ります.むしろ大学の場合,自分で研究費を調達しなくてはなりませんし,その他細々とした事務手続きなどにも追われます.おまけに教育機関でもありますの で,実習があれば研究は中断せざるをえませんし,日常の大学院生の指導も大変な労力を要します.純粋に研究活動に打ち込むという意味では,むしろ企業の方 が恵まれているかもしれません.
 
しかし,あえて僕は三つの問題点を,企業での基礎研究に対して申し上げたいと思います.
 
一つは「上の意向」についてです.この「上の意向」如何で,個々の企業研究者の研究の方向性がガラリと変わってしまうのが企業の研究の大きな特徴であると 僕は感じています.勿論,大学などの公的研究機関でも,グラントが続かなくなったりして研究の方向性を変えざるを得ないことは往々にしてありますが,それ は研究者自身の責任でもありますし,規模を縮小したり,あるいは目先を少し変えるだけで,本質的には大きな方向転換をせずに済むことが多いと思うのです が,企業の場合は違います.その研究者がいかに優秀であっても,そしていかに多くの成果を挙げていたとしても,上が方針転換をすればそれに従わざるを得な いのです.

 僕はそうした例をこれまでいくつも見てきました.もしその研究者が,そうした状況を受け入れることのできる人ならば,企業での研究は悪くないと思いま す.与えられたテーマ・環境の中で自分の実力を出すことに生きがいを見つけることができる人ならば,たとえ大きく方向転換を迫られたとしても,それほど苦 痛を感じないに違いありません.しかし,少なくとも僕のような者には,それは耐え難いと思います.「何を研究するのか」は,僕にとっては「何故研究者とい う職業を選んだのか」とほぼ同義であり,自分がベストを尽くし,業績も挙げながら,抗いがたい「権力」によってそれを捻じ曲げられるのは,到底受け入れる ことはできません.そんなことならば,初めから研究者などという道を選ばなければ良かったと思うことでしょう.
 
 二つ目は,企業において,長期的展望に立つ研究を行うことは難しいと思われる点です.基礎科学研究には,大きく分けて漁業的な研究と農業的な 研究,そして林業的な研究があります.
 漁業的な研究とは,今日やればすぐに結果が出るというものです.
 農業的な研究は,種を蒔き,水や肥料を与え,数年後に結果が出ることが期待できるものです.
 それに対して,林業的な研究は,今木を植えたとしても,自分の世代に収穫を期待することはできません.自分の子供,孫の世代になって,ようやく実を結 ぶ,という性質のものです.
 
企業は利潤を追求するのが至上目的ですから,漁業的研究に多額の投資を行い,短期的に結果を出すことには積極的ですが,林業的な,長期的なビジョンに立っ た研究を行うことは難しいのではないかと僕は感じています.非常に安定した収益を上げている企業が,時々長期的ビジョンにたって純粋な基礎科学研究の研究 所をつくることがありますが,景気の影響を大きく受けるのも確かです.

 確かに,長く続くか否かよりも,そこで何がなされたかに注目すべきだというのは正しいかもしれませんが,逆に「長く続ける」ということには,それ自体が 意味を持つこともあるのです.特に林業的な視野を求められる研究の場合,次世代の人類のために今何ができるかを考えることは,利潤追求を主たる目的とする 企業では難しいと僕は感じています.
 
三つ目の問題は,守秘義務の問題です.「仁」さんご自身がおっしゃっているように,企業には守秘義務があります.大学などの公的機関における研究にも守秘 義務が無いわけではありませんが,それでも企業ほどシビアではないでしょう.しかし特に日本では,大学などの公的機関においてさえ,意見の交換に対して非 常に閉鎖的であると感じることがあります.
 
研究活動において,ディスカッションは極めて重要です.誰かと意見を交わすことによって,1+1が千にも万にもなるようなことは良くあることです.自分の 考えていることについて話すことで,思いも寄らなかったような発想を他人から得られることは少なくありません.他人のアドバイスをもらうだけで自分から何 も発信しないのでは,そうした態度はフェアとは思えませんし,第一,自分の得るもの自体が少なくなると思います.自分からボールを蹴りだしてこそ,相手が パスを返してくれるのです.
 
日本の研究室では,ライバルに対して自分達のやっていることを話すことに対して消極的,または否定的なラボも少なくないのですが,アメリカに来てみると, そうでもないことが分かります.勿論,彼らも全てを見せるわけではないのでしょうが,意外なほどオープンに重要なものを見せてくれることがあります.実 際,僕の所属しているラボには,来年から半年間,ライバルにあたるドイツの大物研究者がサバティカルとしてやってくることが決まりました.勿論,彼が来る ことを受け入れた以上,彼の見たいものを見ることを妨げることはできないでしょう.多くの重要なアイデアは流出するでしょうし,だからこそ彼もわざわざド イツから来て,半年間も滞在するのでしょう.しかしそれでも,彼とディスカッションすることに価値があると思うからこそ受け入れるわけです.そしてそれ以 上に,「科学は人類が共有すべきものであって,個人が囲い込んで利益を上げるのはアンフェアである」という認識を研究者達が強く持っているからなのでしょ う.したがって情報交換という行為そのものを拒絶する企業の体質は,基礎研究とは相容れないように僕には感じられます.
  
 3.能者多労
 
  「仁」さんの文章の中に,「研究者の中には自分があたかもスポーツ選手であるかのような傲慢な考えを持つ人々がある」とのくだりがありまし た.しかし 僕は,これは決して悪いことだとは思っていません.「スポーツ選手ほどの収入があるわけでもないのに」とも書かれていましたが,研究者が数億円だの数十億 円だのといった収入を手にするのは全く非現実的ですし,スポーツ選手といえども,そうした巨万の富を得ている人は,ごくわずかの人たちでしょう(ただし僕 は,そもそも野球を始めとする一部の種目のスポーツ選手の収入は高すぎると,かねがね思っていますが.いかに感動的であれ,ボールを打ったり投げたりする だけで何億円もの金が手に入るというのは馬鹿げていると思います).人は収入の多寡ではなく,何を成し遂げるかで真価が問われるべきであると僕は思ってい ます.
 
 勿論,全ての研究者がスターということがありえないでしょう.そして,そんな実力の無い人までが自身に対して過度に尊大になることは慎むべきだと思いま す.しかし,僕はある意味において,研究者がいい意味での「エリート意識」を持つべきだと思っています.僕自身,傍からみれば不安定な立場にあり,収入も 低く,未成熟な研究者かもしれませんが,その種の意識を持っています.
 
子供の頃,多くの野球少年が王や長嶋,ベーブルースらに憧れを持つように,僕はパスツールやコッホに憧れを持ち,彼らの伝記をむさぼるように読みました. いつか自分もこんな風に研究をしてみたいと思いましたし,父にせがんで安い顕微鏡を買ってもらったりもしました.しかし,僕の親戚には研究者はおろか,大 学に行った人すらわずかでしたから,自分が研究者になることなど夢のまた夢と思っていました.学校の成績も,数学や理科は文系科目に比較すると決して良く はなく,やはり自分には向いていないのかもしれないとも思いました.しかし,自分の得意なことではなく,自分の好きなことを職業にしようと考え,理系に進 むことにしました.

 研究室に入ってからも,実験は決して得意な方ではなく,手早く要領よく作業を進めることは苦手であり,修士課程の1年生の頃,研究者の道を諦めてまった く無縁の文系企業に就職しようかと真剣に考えていた時期があります.しかし,仮に企業に入ったところでそこで全てが上手くいくと限ったわけでもないのだか ら,それならば一度,博士課程で環境を変えてみて,自分の納得のいく環境でリスタートし,それでダメならば諦めればよいではないかと考え直しました.博士 課程で移った研究室でも辛い思いをしたことは何度もありますが,結果的には水が合ったのか,少しずつではありますが自分の頭で考えたことを,実際に手を動 かして実験で示すことができるようになっていきました.
 
博士課程でも決して華々しい成果を挙げることができたわけではなかったので,ポスドクを1年しただけで,学部生の頃から憧れ続けていた研究所に助教として 採用されるとは思いもしませんでした.教授とはまったく面識もコネもありませんでした.僕は教授を存じ上げていましたが,教授は当然僕のことなど知らず, 各方面にずいぶんと聞いて回ったようでした.新しくできた研究室ということもあって,研究者は僕も含めて3人しかおらず,一から研究室をセットアップしま したが,その4年後にはネイチャーやサイエンス,米科学アカデミー紀要といった一流雑誌に論文を発表できるラボになるなどとは想像だにしませんでした.そ して,アメリカに渡る留学助成金を得,今では以前から論文を読んで憧れていたボスの下で,思う存分好きな研究に打ち込んでいます.周囲にはノーベル賞を受 賞した研究者や,これから受賞するであろう人たちもたくさんおり,彼らと対等かつフランクにディスカッションする機会に恵まれています.日々の生活は決し て華々しいわけでもなく,全てがOKというわけではないでしょうが,それでも僕は充分ハッピーです.不安定な生活基盤その他の理由で,時としてひどく落ち 込むことは確かですが,それでも今のような生活を送れることを,僕は心から有難く思っています.
 
こうした研究生活を望んだとしても,全ての人がそれを手にすることができないであろうことを僕は理解しています.勿論,自分自身でできる限りの努力はして きたつもりですが,おそらく僕は恐ろしいほどラッキーだったのでしょう.そういう意味で僕は自分を,ある意味エリートであると思っています.偶然にせよ何 にせよ,そういう素晴らしい体験をさせてもらっているのだから,それを社会に還元するような行動をとるべきであり,自分にはその責任があると思っていま す.
 
常々思うのですが,特に日本では,「出る杭は打たれる」ではないですが,横並びでなくてはならないという考えが蔓延しているように思います.しかしその中 で,自分は他人に対して優れていると本心では考えている人も少なからず紛れ込んでいます.表面上あたかも横並びであるかのように振る舞うことは,自分を良 い人であると見せるための有効な手段だと考えてなのかもしれません.実際,日本では「普通」であることが一番暮らしやすいのです.しかし,本当はそうした 優れた能力を持ちながら「普通」であるフリをすることは,ある意味において自身の果たすべき責任を放棄しているのであり,卑怯だと僕は思います.民主主義 においては全ての人が平等であるべきなのでしょうが,しかし個々人の能力はそれぞれ異なるのは事実です.横並びになることが民主主義ではないのであって, 何かに秀でた人がいるならば,その人がリーダーシップを発揮して,あるべき方向へと社会を牽引していくことが,真の民主主義だと僕は考えます.

 勿論,これは科学の世界だけ(化け文字を推測)の問題ではなくて,全ての職種においていえることでしょう.この節の表題に用いた言葉は,大学生の頃,マ レーシアからの留学生に教わった言葉です.文字通り,能力のある者は労も多いのです.能力を与えられたことは素晴らしいことでもありますが,同時に多くの 責任を引き受けることにもなるのであり,決して楽なことではありません.しかし,そうすべきなのだと思います.
 
話を元に戻します.最初の節において,何を研究すべきで何がそれに値しないかは研究者自身に委ねるべきだという意味のことを書きました.ただし,研究者と いう言葉の中には,実際に研究している者だけを含むのではないことも書きました.しかし,同時に僕は狭義の「研究者」が決めるべきであるとも考えていま す.偶然か必然かはさておき,研究活動に携わることのできる研究者は,やはり選ばれた存在なのですから,その能力を発揮して,私欲に囚われず,将来の人類 がどういう社会を築くべきなのか,その中で研究者がどのようなテーマを追求すべきなのかを見極める必要があると思っています.
 
そのことを踏まえて再度「国家国民のための研究」という問題に言及したいと思います.今の日本の基礎科学研究は,明らかに「漁業的研究」に偏りつつありま す.これは科学技術政策を推進する上で強い権力を有している人物が,そうした研究を志向しているからであり,実際,世論もその方向性を支持していると思い ます.しかし僕は,これは非常に危険な傾向であると思っています.一見地味で,成果が上がっているのかどうかも分かりにくい「林業的研究」を今のうちから やっていかないと,いずれ森は枯れることでしょう.漁業的研究でさえ,乱獲を続ければ魚はいなくなってしまいます.僕らの次世代,さらにその次の世代に大 きな禍根を残すことになりかねません.だからこそ,今ここで一層,基礎研究の重要性を訴えたいのです.

 ちなみに韓国や台湾は応用研究しか行われていないと「仁」さんはおっしゃていましたが,僕はそうではないと思います.現に多くの韓国人,台湾人がアメリ カに来て基礎研究を行い,その成果を持って母国に帰るのを間近に見ています.またそれぞれの国でも,留学経験を持たずとも「ネイチャー」などの一流誌に論 文を発表する研究者が増えつつあります.韓国や台湾といった国々が応用研究にのみ国力を注いでいるように見えるのは,単にこれらの国々の政治的・経済的成 熟度の問題であると僕は思います.時が経てばいずれは基礎科学研究でも目覚しい成果を挙げるでしょう.
 
現実世界での研究者の生活は,決して華やかなものではないかもしれません.研究活動そのものも,僕が子供の頃読んだパスツールやコッホの世界とはかけ離れ ているようにも思います.しかし,それでも,やはり僕は研究者という道を選んでよかったと思っています.僕は自分のしている仕事が好きですし,今,多くの 人に理解されているかどうかは分かりませんが,いずれ必ず重要な研究になるだろうと思っています.だからこそ,次の世代を担うであろう子供達にも,科学の 楽しさ,素晴らしさをわかって欲しいと思います.
 
おそらく「憧れ」や「夢」は人類が進歩する上において欠かせない原動力であったと僕は思います.物質的に満たされなくとも,憧れを持ち,夢を追い続けるこ とで,人類は色々な可能性にチャレンジし,様々なものを生み出してきたのだと思います.
 
 全ての科学者がスターになることは無理かもしれません.しかし,多くの夢を与えるスポーツ選手達のように,科学者も子供達が憧れ,夢見る存在 であり続けて欲しいと僕は願っています。 

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* 十月二十三日 木

* わたしの謂う「理系(研究者の)夫人」の声が届いて喜んでいる。早速紹介する。

 ☆ お元気ですか。  鳶
 暫らく家を留守していましたので、HPを読む機会がありませんでした。
 ノーベル賞受賞のニュースから、さまざまな科学研究者に関する問題についての論議を読み、繰り返し読みました。が、私自身は科学関係には全くの門外漢 で、何を書いていいやら。
 研究者の裏方の立場から書くしかありません。
 夫は国立の研究所に勤めた後、現在は大学で物理を教えており、数年後に退官します。私自身は(京都大学=)文学部大学院に進んだ時に夫と知り合い二年後 に結婚。その頃は大学院に進むのは研究者になることを意味していたような時代でしたが、さまざまな事情があり、結果的には修士課程を終えて研究室から離れ てしまいました。ですから「藤」さんや「京」さんの書かれていることに大いに共感し、同時に複雑な感想をもちました。
 昔も今もドクター過程終了後、ポスドクの就職は困難で、30歳過ぎて就職が決まるまで、二十代すべて見事に「貧困」でした。私は子供を育てながら(保育 園などに預かってもらえなかったです)働きました。
 「藤」さんの言われる「第一それなりの経済的な基盤が確保されなくては研究どころではありません。だから充分な研究費とポストが用意されることは必要で す。」は身に沁みて感じます。
 「東工大は出たけれど、科学や研究者の話になると途方に暮れます。」と「京」さんは書かれています。昔から、そして恐らく現在でも私自身が潜在意識とし て執拗に持ち続けている思いに似ています。
 娘の年齢に近いバルセロナの「京」さんは、「仕事が人生の中心なら、私の七年半の大学生活は、まるまる「無駄」と言えるかもしれませんし、大学の学問を 最重要視するなら、私は人生の挫折者と言えるかもしれません。が、私はそのどちらとも思っていない。」と書いています。私がこの域に達するまでに、ずいぶ ん長い時間を歩いてきたように思います。
 受験する人を泊めてあげて、彼女は結局不合格で就職したのですが、その人から「国立の大学を卒業して、税金を使って、あなたは社会にそれを返していな い。」と批判されたことがあります。確かに私自身のいい加減さもあったかもしれませんが、それなりに懸命に生きてきました。繰り返し指摘する彼女とは数年 後に絶交してしまいました。苦い思い出です。
 いつでしたか、かなり最近のこと、「京」さんへのメッセージ・エールを読みました。そのような肯定の言葉を私は若い時期に欲しかった・・と、つくづく思 いました。(あなたはあなたの避けてはならない道を勇気を持って歩いてきたのです。引け目も無用、言い訳も無用です。秦9.23)と。
 学部の研究室でまず言われたことは・・研究者になるのは能ではない、「運、鈍、根」で乗りかけた舟が沈むまでと。
 運は、まあ大学も受かってここまできたし、鈍や根気は本質では鈍以外の何者でもないのに、早とちりのいい加減は危ないなあと思いつつ・・要するに能力は もちろん必要なのですが、そのほかの素質としても不適格だったのでしょう。それに「運」には経済的な条件も含まれていました・・。
 大学院に進みたいと話したとき 女子の先輩に即座に、「やめなさい、借金・・奨学金の借金が増えるだけ!」と言われて驚きました。殊に女子は就職口がな い。
 確かにあの頃女子の先輩を見ても、唯一研究所の助手を務めている一人だけで、その方は同年輩の方と比較すれば明らかに
冷遇といっていい状況にありました。なかなか夢はもてませんでした。単なる憧れだけで研究は成り立ちません。大学に残るなら女子大の家政科などの研究室に 残るほうが確実でしょ、と誰かが言いました。そこは女性が多い場所ですから。
 現在卒業者名簿などで辛うじて分かる範囲の知人を「研究室」に限ってみると、やはり明確な意識を持ち、結婚された相手も同業者の方・・。
 けれどもうこの年齢になってみるとそれぞれ退職したり、人生何を以って「勝者、敗者」など、それさえいきり立つこともありません。いきり立ちようがあり ません。
 研究が実験が大好きで、数式や物理の理論の式ほど綺麗で美しいものはないと今でも語る夫も、「雄」さんが書かれたように大学に移ってからは教育、大学内 の役職、雑事に、更に付属機関の役職も兼任し、多くの時間とエネルギーを使って携わってきました。退職
までの限られた数年をどう過ごすか、ため息も混じっています。学生がそのまま年とった、と表現できる、ある意味では潔いとも思われる日々でした。裏方とし ては静かに見守ることしかできません。
 「雄」さんが「何を研究するのか」は,僕にとっては「何故研究者という職業を選んだのか」とほぼ同義であり,自分がベストを尽くし,業績も挙げながら, 抗いがたい「権力」によってそれを捻じ曲げられるのは,到底受け入れることはできません」と語られる真摯な思いを痛切に受け止めます。
 独立法人、(と書きつつ、国公立と書くほうが私にはまだ分かりやすい? そして行政庁とある限り。やはり官ではないか・・)に所属し、あまりにささやか ながら、最近の深刻な経済状況も、企業に勤める方からすれば気楽な暮らしに甘んじていられる、この安定さ加減に複雑な気持ちです。
 最後に「皓」さんの大事な指摘 「だからこそ、教育が大事」・・・ 皆が高い倫理観、平たく言えば「良心」を持っていなければ、酷い社会になってしま う・・・その酷い社会が現実のものとなりつつあるのが、今の日本のような気がしています。
 小さい頃からの宗教教育・道徳教育など、そういった点をきちんとしなければ、さらに悪くなっていくことと思います。」
 インターネット上のさまざまな犯罪も、現在の金融危機を引き起こしている経済活動も、一定の倫理観をもっていれば、いくらかでも回避できたのではない か。実に甘い考え、本来人の性は悪なのだと、どんなに指摘されようが、やはり、だからこそ人間の智恵を信じ、単に国家の要請、国家に都合よい人間を作るた めではなく、人はよき人になるべく、たゆまない努力や教育が大切と思うのです。
 とりとめなく書きました。
 朝から記載を読みかえし、考えあぐねて、きわめて私的なことの羅列に終わること、お許しください。


* こういう「声」で、ぜひ全体にある揺らぎと均衡とを得ておきたかった。感謝します。

* 自覚や鋭い問題意識がないと、こういう討論にはなかなか口が出せない。こういう討論自体を否認するという意識すら優にあり得るだろう、但し発言するよ り何倍もの誠実な自問自答が必要であるのだが。
 「笠」老人が求めておられたように、そろそろ「全容の」の取り纏めた解説が欲しいところだが、それを誰かに求めることはこの際ムリである。わたしは呼び 出し役であり行司はできない。可能でたぶん有益であるのは、少し言い残したことがあるとでも再度の発言をもらうことがあれば、ぜひ。そして、こと面倒をお 願いするが、討論の提起役をはからずも引き受けてくれた「仁」くんの総括的な感想を貰っておきたいが、どんなものでしょうね。


 ☆
「科学」討論   晨
 面白く拝見させていただいています。計 算すればしょっちゅう一桁間違える極端な理数オンチのわたくしが口をはさむのはおこがましいので読み手に徹していますが、とりあえず一つ。
 
 私は内容をよく理解出来たとは言い難いのですが、日 本の科学の未来は明るいかもと、とても心強く嬉しく読んでいます。なぜなら、参加の皆様の理系知性プラス文系知性に惚れ惚れしているからです。
 自分の考えをこのようにわかりやすい明晰な文章で表現できる方々にパソコンマニュアルを書いていただけたら、どんなに多くの人が助かることでしょう。
 
 たまたま私の知っていた大学の先生、科学者とその卵 たち(東工大や東大工学部の一つの科)だけで、理系学者を語ることなどできませんが、その限られた範囲内で感じていたことはいくつかあります。
 まず、彼らは非常に能力の高い秀才集団で、人柄も好もしいのですが、欧米の工学部教授たちのような意味での知識人、教養人たるべき教育をどの時点におい ても受けていないようでした。専門以外の深い話はあまりできなかった。勉強に忙しすぎたのかもしれません。
 それから彼らのもう一つの特徴は政治指向が非常に保守的だったこと。カーター前大統領を破ってレーガン新大統領が誕生した時、多くの学生達が大喜びして いたのにちょっと驚いたことを憶えています。
 たとえばあの当時の文系東大生の場合、他国のこととはいえ、共和党支持と民主党支持は拮抗していたのではないでしょうか。私の卒業した大学も保守的な風 土ではかなりのものですが、それでもあそこまで共和党支持の学生が多いなんてことはあり得ませんでした。
 どんな政党を支持していても、科学者としての優劣に関係ないのは当たり前ですが、一抹の不安も抱きました。保守安定指向が研究においてプラスの面ばかり ではないでしょうし、権力側に動かされるだけの有能な歯車にはならないでね、とそんなことを、遥かに能力の劣る私如きは心配したものでした。
 ですから、みづうみの私語に登場する科学者の皆様が私にはとても新 鮮でした。やっぱりいたではありませんか。文化、教養高き理系の頼もしき学者さんたちが。見るべきことを見て、批判すべきことを批判して、将来の展望も希 望も創ることのできる上、良い文章がお書きになれる。素晴らしいです。益々意見活発にこれからも活躍していただきたいものです。チンプンカンプンながらご 研究を応援しています。
 思い切り、科学討論内容とずれましたが、とりあえず登場した役者さんたちが大好きというつたない感想申しあげました。
 
* この読者がわたしの謂う「理系夫人」であるかどうか、どういうエリアの方か、何一つ、知らない。「討論」にエールを戴けて、感謝。ご病人 をどうぞお大切に。


* 十月二十五日 土

* 「科学・研究」討論に特許庁の「敬」くんが加わってきてくれた。深度のある思索を明晰な文章にしてあいさつ出来る学生君であった。今回も、言を切する ことなく輪郭美しく適確に発言してくれている。藝術、藝術家にまでおもいをひろけでくれているのが有り難い。
 教授室で、よく日暮れまで二人で話した。いろんな相談も受けた。フルートの名曲をいくつもテープに編輯してくれたのわ、いまでも大事にしている。
 あわやわたしの勤務した医学書院の後輩編集者になりかけ、わたしは賛成しなかった。今の職場のことは何も分からないけれども「敬」くんにふさわしいと勝 手に思っている。結婚にも立ちあえたし、一年の英国留学も見送った。頼もしい人で、想像以上に庁内でもえらくなっている気がする。まだささやかながらこの 人「茶の湯」びとでもある。自称「親ばか」の夢中のパパさんでもある。だいたい東工大卒業生の父親くんたちはそのようである。

 ☆ 討論に    

 (前略) 私は、来年の3月頃からまた、3年ほど海外赴任の予定となり、ここ半年くらいで、一応の仕事ができる程度にフランス語を習得しなけ ればならな くなってしまい、四苦八苦しているところです。お茶は、細々とですが続けています。いつかどこかのタイミングで、もっと本格的にも取り組んでみたいと思う のですが、もっと先になってしまいそうです。
 ぜひまたお会いできるとうれしいです。今は部署も異動したため、平日でもいつでも大丈夫です。
 「科学・研究」討論、自分自身は研究からは遠く離れていますが、皆さんの議論を興味深く読ませて頂きました。専門家の方々の深い議論の中で、とてもまと まった意見は述べられないのですが、特に「無駄」ということについては考えさせられましたので、思いつくままに少しだけ書いてみたいと思います。
 「仁」さんのいわれる、大学や研究においては、目に見える成果に直結しないような「無駄」が必要というのも、至極もっともです。しかし一方で、「司」さ んのように、「無駄」なことにお金を費やすくらいならば、今日明日の生活に困っている人達に使うべきという見方も、当然出てくるでしょう。今の日本では、 特に後者の視点を重視する圧力が、どんどんと強くなっていると感じています。もちろん、今日一日をどう乗り切ろうかという現実は、まさに目前に置かれてい るため、力強い説得力持っています。家もなく食べるものにすら困っている時には、宇宙の成り立ちも、素粒子のありようも、それどころではないでしょうか ら。
 一行政庁である私の職場においても、元総理の「無駄ゼロ」のかけ声を待たずしても、「無駄」を省き、効率化を進めるという意識は、働き始めて以来、年々 強くなっています。800兆にも達するといわれる財政赤字が無くとも、国民からのお金で仕事をしている以上、当然無駄遣いは許されません。実際に効率化さ れた点が多いのも事実です。しかし反面、即効性の効果の見えにくいことは、本来必要であるはずなのに、削られてしまいがちです。例えば職員に対する研修 は、職場として人を育てるために必須のものですが、研修の時間や機会を減らすことの影響が分かりにくいため、これは見方によっては、必要以上の研修を行 い、無駄遣いをしている、ということになってしまいます。
 しかし、人を育てるためにお金を使うことは、果たして本当に「無駄」なのでしょうか。「雄」さんの書かれていた、「漁業・農業・林業」の語を使わせて頂 くならば、この例にとどまらず、今の効率化の流れの中で、「農業」的、「林業」的なものと、文字通り「無駄」なものとが、混同されて、切るべきでないもの まで切られてしまっているケースが、かなり有ると感じています。しかもその影響は見えにくく、十年単位で段々と出てくるものであるため、気付いたときには 「森」が枯れ始めていたということにもなりかねません。
 国立大学、国立研究所、国立病院、行政庁の業務の一部も、国自体が行う必要がない、または、より効率的に業務を行うためという名目により、独立行政法人 に移行されてきています。これも当初は、予算や人員の弾力的な運用が可能で、国と民間の長所を併せ持ったものになる、というようなことが言われていたと記 憶していますが、10年ほど経った今、「maokat」さんが書かれていたように、その正体が見えはじめています。事業は親元の官庁の監督下にありますの で、自由には出来ませんし、予算も年々圧縮されていきます。民営化への圧力も加速度的に強くなってきています。結局のところ、人減らしのための方便であっ たかとまで勘ぐりたくなる程です。大事なものまでまとめて切ってしまおうとするような側面が確かにあります。

 ちょっと話がそれてしまいましたが、何が本当に「無駄」なことであるのかは、実は線引きが難しいにも関わらず、市場の真っ只中にある民間企業はもちろ ん、現在は行政においても、短期的に形にならないもの≒無駄、と割り切ってしまっているやに見えます。そして、そのあおりを最も受けやすいのは、直ぐには 目に見える成果を出しにくい基礎研究や教育、そして恐らくは音楽や美術といった藝
術ではないでしょうか。それらはいずれも、非常に地道な下積みが必要で、「農業、林業」的な性格のものですが、簡単にモノになるものではない点で共通して います。
 社会の中で、どの位の「農業、林業」的なことが許容され得るのかは、社会情勢などに応じて、その時代時代を生きる人達が、それらをどのように捉えるのか に左右されると思います。例えば今回のノーベル賞のニュースなどに触れると、やはり多くの人は、基礎研究は大事だなと思うでしょうし、そうすると、大学や 研究所で、巨額な研究予算を使うことに理解を示す人が増えることになるでしょう。
音楽でも、音楽家の育成にはお金がかかるでしょうが、その人の創り出す藝術に感動するとき、金勘定に対するシビアさは、かなり鳴りを潜めるものでしょう。
 もちろん、お金をかければ必ず育成できるものでもなく、これも研究と同じでしょうか。
 科学者にしても藝術家にしても、「maokat」さんの言われる、「密室の祈り」により、「こちら側」にはないものを、ある意味命がけで、「あちら側」 から持ち帰ってくる。その持ち帰ってくるもの、それは自然の摂理ともいえるのでしょうし、この世界そのものの根本、存在そのもの、といっても良いのかもし れません。
 そういったものを、科学や藝術といった、ある種の「言語」を使って、人間が理解しやすい形にしてくれる。そしてそれを、その他の人々は、あるものは賛嘆 を、あるものは感動をもって受け入れるでしょうし、あるものは黙殺するでしょう。詰まらない事をしていると非難することもあるでしょう。科学者や藝術家 は、そういった存在なのだと、自分は(かなり当てずっぽうに)推測しています。そして、科学者や藝術家たちを、現実において金銭的、社会的に支えるのは、 その他の受け取る側の人々であり、彼らにそっぽを向かれたとき、科学も藝術も、現実的に存在できなくなってしまいます。とはいっても、特に藝術家の場合、 歴史的には、そっぽを向かれることが多いため、パトロンのような存在が重要であったのでしょうけれども。

 これだけ効率化が求められ、日本という国に余裕がなくなっている今、悲しいかな「祈り」自体の質は推し量ることが出来ないものであるため、科学者が、自 らの行っていることを、自分を支えている多くの人々に分かるように説明することが、不可欠になってきたのでしょう。科学者だけの役割とは思いませんが、い くら文科省の役人が声を大にして説明しても、聞く耳を持って貰えないのが今の社会でしょうから。
 断片的な考えばかりでうまくまとまりませんが、明日読み返すと恥ずかしくて送れなくなりそうで、なかなか集中した時間もとれませんので、ひとまず送って しまいます。
 だんだん寒くなってきましたので、くれぐれもお体を大切にお過ごし下さい。 

* ありがと う。 はからずも「敬」くんは、この討論に一つの「結び」の言葉を呉れたように思う。
  そして今、またお一人の発言が加わった。医学者・医師の発言は来なかったけれど、看護士という立場から「科学・研究」への思いと視野とを培ってきた人だ、 聴かせて戴く。

 ☆ 研究・研究者へ看護士からの視線  珠

 そろそろ‘まとめ’を、、という頃になってしまいましたが、遅ればせながら書いてみました。
 私の立ち位置は、発言されてきた皆様とは少し違った現場。その中でも共通点 や、感じたことなど多くあり、まとめの苦手な私には脳裏で多くの言葉が浮かんでは消 えるという、意味深い楽しい10日間でした。
  私は看護短大を卒業して看護師になり、大学病院でがん看護を中 心に14年勤務した後、現在は診療所で日常診療と健康相談などしています。いつの間 にか、ナースになる前より、なってからの人生の方が長くなりました。
 「研究」というと、大学病院時代の医師たちを
思い出します。
 先生方の多くが学位をとる為に、診療の傍ら研究に没頭していました。若い頃は、「研究中で手が放せない」という医師に、患者さんが呼んでるのに、、と怒ったり、「研究だから」を医師は問答無用のように使うから困ると思ったものです。
 
ですが、段々年を重ねてゆくと、飲み会の後でも、「どうしても今夜研究の続きをしなくちゃいけないから、、」と研究室に戻ってゆく様子や、患者さんが先生を呼んでいて「研究中で、ちょっと待って」という時に、何とかしたいけれど行けない状況に苦しみを感じている様子が見えるようになりました。「研究」は、自分で計画して自律し進め ていかなくてはいけない、とても難しい仕事だと思うようになりました。臨床で医療に 携わりながら同時に研究をされていると、優先度を試されるような場面も多く見え、研究内容は分からなくても、自己を律して臨むそういう「研究」をされる医師たちに、少し尊敬すら覚える ようになりました。
 その後、自分でも臨床研究に関わったり、文献も読むようになったので、以前のようには「研究」そのものにひれ伏すことは無くなりました。それでも未だ、私の知っている多くの人は多 分あの頃の私のように、研究内容は分からなくても、「研究者」というだけで「すごいですねぇ、、」「まぁご立派で」と言うことと思います。
 
 そのなか、私は、「理解」ということの難しさを思います。どの方のご意見に も大きく頷く部分はあって、社会の在り方、この国のゆくえを自分の場所から憂え、願 い、祈り、そして日々悩みながら実践されている姿を感じることができます。単に真面目、、とかではなく、迷いながら在る様子は
非常に人間らしく、研究内容は分からなくてもその一生懸命な姿勢に、私が採用 担当者なら合格点をつけるでしょう。研究内容の価値判断や国家国民のための研究、、私も国民の一人ですが多分いくら説明をされテレビ・新聞で読み聞きしたとしても、概要くらい分かった気になるだけで、そ の価値判断などは到底出来ないでしょう。その時に何を見るか、、それは”人”そのも のです。
 今回のノー ベル賞受賞の一連報道で受け取ったのは、受賞された先生 方の科学大好きなや んちゃ坊主のような可愛い頑固さと、落ち着いた寡黙さと、はにかむ笑顔でした。お二人一緒に出られた番組で、もうちょっと研究についての説明を聞いてみた いと思う一方で、キャスターはお二人がどのように一緒に研究されたかの様子を尋ねてゆきました。その質問で苦笑いされ「私は益川さんを研究していたわけではないので、、、」というお返事が、実は一番印象的でした。哀しいながら、キャスターは分 かっていたのでしょう、実際多くの人は何を見たいのか、知りたいのか。ここには多 分、「研究者」の求めたい「理解」と、国民の多くが知りたくて、そして理解できるこ との「ギャップ」があります。
 
 医療現場で、様々な年齢の、それこそ国会議員から役者、教育者、会社員や学 生さんなどと真っ向から関わってきて、40歳近くで心底分かったことは、「人はこん なに分からないんだ」でした。
 「理解」は言うまでもなく大事ですし、それがあって人は何か行動へと向かう と考えていました。
 ですが、どんなに説明しても理解に至らない、理解したように繕うだけという ことは多くあります。誰だって利口に見えたいし、男性は特にプライドもあって「分からないように見せない」ことに上手です。説明の仕方など、こちらの技術 の問題として検討してばかりいたので、しばし呆然としたものです。
 それからは、少し角度を変えて「理解してもらうのは難しい」をスタートラインにし、理解を求めるよりも、どうすればグラッとでも影響するこ とができるか、、を考えて関わるようになりました。そのために、看護技術の勉強より、人が何をどうやって理解して動くか、それに影響 するのはどんな事かと、社会に目を向けるようになりました。そうすると、哀しいながら例えば医療者のどんな説明よりも、テレビでみ の(もんた)さんが言った健康対策の方が人を動かしているのです。
 何故でしょう。。。
テレビだからではありませんでした。私がそこに見たのは、その 場にいる観客の「分からなさ」をよく分かったプロの技術でした。これには医療者は学 ぶべきところがあると思いました。「研究者」は知的な
真面目な方達なので、こういった「人の心を手玉にとる」ような感じには嫌悪感を感じられるかもしれま せん。
 ただ現状でも、「研究者」として社会や人に何かしら理解してもらうために、多分皆さんの相手である「行政」「旦那」「パトロン」ひいては「国民」の理解を得ようと各個人で分析 したり、そして対策を個人的な努力でされていることと想像します。最近よく記事になるポスドクの就職問題や、
大学全入時代でのレベル低下などからも思うのですが、まずは、単に学位を持った人というのでなく、「研究」を主とする「研究者」専門職を、もっと社会に認知 させることが必要だと思います。
 その認知には啓蒙・広報は当然大事で、そこで本当のプロを求めないと、社会 の多くの人の「分からなさ」を想像できぬまま、届かぬ球を投げて徒労ばかりということになってしまうでしょう。
 
 今回多くの方が、研究に携われない方々へのセイフティーネットなどについて述べていらっしゃいましたが、今や、国に期待しても‘夢’‘幻’でしかないでしょう。また、理解はされても、遠い先を見る余裕はなく。
 では、この時代、国に影響し行動させるものには何があるでしょうか。私には、集団の力、特に高齢者の力が大きいと思います。「研究」をされていた「研究者」は、定年後どうされるのでしょう。
 先日アメリカ在住でノーベル賞を受賞された先生は、ご自宅に研究室がありました。そういう方も稀にはいらっしゃるのでしょうが、多くは定年で研究もお終いになるのではないのでしょうか。。。
 もう既にあるのかもしれませんが、研究者は必ずどこかの研究室を経ていたは ず、、それを辿って取りまとめ、人的資源として活用できるような機関、「研究者」が学会を越えて日本の「研 究者」としてある意味まとまって、国に科学の行く末を進言できる機関、そういった「研究者」のための「研究者」による機関が必要だと思います。高齢者に なった「研究者」が鍵ではないでしょうか。相当の人脈や経験をお持ちのはずで、それをむざむざ思い出の彼方に仕舞われては勿体ないです。
 研究計画書や、研究予算申請書などでの上手いアピールの仕方を苦手な人は、 学んでいる間に現役の研究時間は減ってしまいます。行政側にいた方や、予算を上手く 獲得してきた先生方は、高齢者になったら自分の組織の益でなく、国の科学者のこれからに寄与してくれるのではないかと思いたいのですが。。。まとまるのが 難しそうな「研究者」のイメージですが、まとまらねば衰退し、研究は外国で、、となっ ていくように思えてなりません。高齢者になってきた「師」は、この国の良き伝統だった地道な仕事の仕方、育て方をご存知でしょう。その経験こそ大事な遺 産。子供は減ってゆくので、自ずと自国の研究者も減ることになるはずで、科学だけで なくこの国はやせ細ってゆきます。
 まさに今、先の先をみすえられるのは、本当に分かる「研究者」しかいない と、今回皆様の意見を拝読しながらつよく思いました。
 科学技術の進歩に、通信技術の発展、社会や他国との付き合い方まで、今や‘働く’なかで求められることは非 常に多く、細い橋の上を何とかバランスをとって渡っているような感覚があります。
 好きな事でさえ、仕事として続けていると嫌な物を引き寄せてしまい、うんざりします。「研究者」が日常に疲弊しては、良い発想は生まれないでしょう。どなたかも書かれて いたように「研究者」は藝術家ともいえるでしょう。その自由柔軟な発想の遊びなくては、作品である「研究」は後世に残りません。残すために、その大事さをまず知っている「研究者」の皆様方の危機感に火を点けて、大きな炬火に してほしいと思います。
 
 昨年だったと思いますが、現在増えているメンタルヘルス疾患についての研究 会で、ある企業の調査報告を聞きました。仕事のモチベーションを左右する項目で、その企業の研究所とそれ以外な事業場で、はっきりとした違 いがありました。一般職ではほとんどの職場で‘裁量権’が重要でしたが、研究職では‘上司のサポート’が大事とはっきり出ていました。人は環境に影響され ます。これは、ある研究所での結果にすぎませんが、研究者に良い研究(仕事)をしてもらうために大事にすべきことが何か、ある程度想像できます。単に、働 く人という括りではない配慮が必要でしょう。勤務時間や休日取得という一般的な物指 で「研究者」を見たら、「研究」など出来そうもなく。。。「研究者」が「研究」できるような配慮、望む働き方を、大学も企業も独法も本気で考える時期だと 思います。
 日常研究では「個」を尊重し自己管理を任せる代わり、数年に一度、欧米のよ うにサバティカルなどとしてまとめた休暇がとれるようにするなど必要ではないでしょ うか。雇用されたから雇用者なのでなく、「研究者」という独特な職種だと、やはり社会に認識してもらう必要があると思います。そういった点で、私は看護と研究には、似た部分を感じます。
 「看護師さんて何する人?」
 これは答えやすそうで、とても難しい
質問です。採血して、点滴したりして、病気の 人の身体を拭いたり、話を聞いたり、、これでは子供はキョトンとして魅力は伝わりません。看護師だからこそ出来ることは何か、、これをはっきり社会に伝えきれていないので、要らないという人はいない職業ですが、 そのわりには報酬にも結びつかず、忙しさ故、離れる人も後をたちません。
 「研究」も、
その仕事(成果)を評価して報酬を決めるのはとても難しいでしょう。 それでも、お金は後からついてくる、、と私は思いたい。成果と、その評価は一致しないのは仕方なく、でも大きな見返りではなくても、どなたかも書いていらっしゃったように、「わかる人にはわかる」と思うのです。お金は大事ですが、お金から物を見るせせこましさを覚えてしまうと、専門職として大切なことや物を感じる力は鈍ってしまうように思います。
 
 40代も半ばになって社会の様々な問題を思うとき、それを変える役目は自分の世代にあることを否定しようもなく、30代には上の世代の人に表現していたことも、今は自分はそれに対して何をしてきたか、何が今できるだろうかと思うようになりました。専門職としてそれなり に良い評価をもらいながら生きてきた自分として、毎日丁寧に仕事をする以外に、社会に対してきちんと役を果たしてきているだろうか、、と振り返ります。
 「雄」さんが、「エリート意識」という言葉を使われたと多分同様に、私も以前から「選ばれしひと」という言い方で同じことを思ってきました。幸運や出逢 いに心から感謝し、今あることの不満よりも、その先をゆく義務があると感じます。こう思えるくらいに、私も偶然に
この狭い医療の世界でも幅広く豊かな人々と出逢い、恵まれた医療活動をすることができています。
 そういうなか、そういうなかだからこそでしょうが、「私」の方を向いたらバ チがあたる、誰かがみていて気がつくだろうと思います。それを保つ厳しさは、哀しきプロの孤独感といえるでしょうか。。
 
今回、多くの方が書かれたことは大変貴重で、私には自分のこの10年間の意識の変化を思うにつけ、それぞれの皆様の5年後、10年後の意見もまた同じよう に聞いてみたいなと思うのでした。
 
 「研究者」という方々の、その「研究」の微妙な隙間に対する感受性が高けれ ば高いほど、自分の言葉で表現することにもこだわりがあるでしょう。研究をされている間はディスカッションや具体的な方法で進むでしょうが、それを論文にまとめるという段では、さ ぞかし大変なことだろうと思いました。
 そんな「研究者」の特性は感じながら、今回のノーベル賞が単に国民のお祭り で収束するのでなく、この国の科学界にとって大きな転換点になってほしいと思い、 「基礎」と「応用」の違いも知らないままに、「漁業・農業・林業」という表現には嬉しくなって、思うところ長々と書かせて頂きました。
  あぁそれにしても、研究者の皆様は頭の中に引き出しをお持ちで すね。1、2、3とタイトルなど付けて書き分けてみたいと、心から思いました。これ も、専門家の皆様のトレーニングされてきた成果であって、そこらの雑誌より楽しく読むに値するものでした。この「生活と意見 闇に言い置く私語」に討論の 始終を掲載して下さって、本当にありがとうございました。

 寒くなってきますので、どうか、湖、おからだに気をつけてお過ごし下さい。くれぐれも、お大事に。  

* 想えば五十年近く前、わたしの日々は医学・看護学研究書の出版編集者として、日々お医者さんや公衆衛生マンや看護婦さん助産婦さん保健 婦さん達とお付き合いしていた。「珠」さんは当時のそういう人たちからは娘さんの世代に当たる。難しい勤務の日々であろうと想像する。一つ残念なのは、目 下の話題である医師不足や看護士の不足にも触れて貰いたかった。

* 最初の発言 者「仁」くんにも一応の「結び」文を求めておいたのが、いま、届いた。上の「敬」くんの一文だけはまだ目に入っていなかったものだが。

 ☆ 秦先生   仁
 ここ数日は失礼いたしました.院生の頃から,自分の作った分子シミュレータ,「誰も知らなかった自然の摂理のほんの少しの隙間」を観るための道具,に番 号をふっていたのですが,今週はその通算 6 代目を作っておりました.「maokat」 さんのこの言い方,とても判る気がします.
 理論屋の場合は,ついつい自分の作った道具に惚れこむあまりにモデルの方が自然よりも完璧だと思ってしまう刹那があります.ですので,自分の道具は非力 ではあるが「ほんの少しの隙間」を観ることができるかもしれないのだ,という姿勢を崩さないように自戒しています.
 (討論に加わられた)皆様には,ただただ圧倒されていますので,今まで先生のこの「生活と意見 闇に言い置く私語」を拝見していたように,ただ拝読でき ればと思っておりましたが,ボールを投げていただきましたので、書きたいと思います.


 ☆ 大学の研究者が言わないような類の科学の話   仁

 〜まとめられないのでガイド〜

 皆様から様々なご反響をいただいて,嬉しいと同時に,それぞれの立場からの真摯なご意見を拝見するにつれて,言い出しっぺの責任 のようなものも感じた.

 いろいろなことを書いているので,自分でも結局一番何が言いたいのかが明瞭ではないのだが,そもそも書いたモチベーションは,「理」さんのご指摘どおり,企業側から基礎科学の現状を見たときの若手研究者の 「雇用問題」について,だといっていいと思う.この「雇用問題」については,一番有名なのは「ポスドク問題」であり,これについては,「笠」さんご指摘の「週間こどもニュース」的な解説としては wikipedia の「ポスドク問題」の欄のご一読をお勧めしたい.
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%89%E3% 82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC

皆様のご意見も含めてこの「雇用問題」を整理したいと思うのだが,どうも簡潔にまとめられない.ただ,皆様のご意見を読んでいただく際の指針を提案したい と思う.
 大別すると,(1) 社会の仕組みの問題, (2) 現場組織での問題,(3) 個人の気持ちの持ち方・姿勢,の 3 階層の問題が混在している,という観点から見たらいかがだろうか.たとえば,「基礎研究を評価するのは誰であるべきか」を例題に考える.

 現状では旧国立研究所において「maokat」さんの言われるとお り,政治家,産業界,所管官庁,といった外部者および当該独法機関の上層部の連携で,研究現場が不要に混乱するという実態があるという.
 (1)  社会の仕組みという観点からは,僕や「雄」さん,「司」さんも 間接的に述べているように,セーフティーネット (研究経験者を社会の広い業界において採用する) を産業界や所管官庁あるいはマスコミにまで広げて,これらの関係者がより深く基礎科学のあるべき姿を描けるように能力向上した上で,予算配分などを行うよ うになるべきだと思われる.そうしてはじめて,「京」さんをはじめと する「国民」という言葉を使うことにひっかかりを感じる方々も納得できるシステムになると思われる.
 一方で,(2)  現場組織においては,そういう理想的な社会構造に変わることを待っているわけにもいかないから,運用上の工夫を重ねるべきであろう.これは,官にも学にも 属さない僕からは間接的にしか判らないことだが,たとえば有力大学に重点配分されている COE 予算によって,学科単位で混乱がおきているように見受けられるという問題がある.
 COE がとれたら,院生に旅費や給料を支給できるといった大きなメリットがある反面,自分の研究室の本来のテーマから大きくはずれる研究を実施せざるを得ないこ とがある.現場の運用上の工夫として,院生には自分の研究室の本来あるべき研究テーマに沿ったストーリーを用意しつつ,COE が掲げる目標に沿っているかのように物語を構築するといった努力が必要であろう.
 当欄に参加されている他の皆様がもっと良い例を書かれているように思えるので,読み直していただきたい.たとえば,「光」さんはご自身の研究現場において基礎研究における無駄を学生に説くことに よって広い意味での基礎研究への理解の形成に寄与されていると思う.
 この問題について 、(3)  個人の気持ちの持ち方については,それぞれの立場において千差万別であるから,まとめるのは難しい.とくに,配偶者が研究者の方々や,科学技術と関連のな い人生を歩まれている方々については,これが正解・正論だなどと言いようがないため,ただただ「なるほど」と伺うばかりである.

 話はそれるが,東京工業大学は、東京職工学校という元の名が示す通り一義的には科学者・技術者を養成する大学であるため,それ以外の人生選択,典型的に は思想家の吉本隆明氏や作曲家の倉本裕基氏のような人が出るのは想定の範囲外といって良かろう.政治家の菅直人氏などについては,たとえば中国の指導者は 理工系のテクノクラートが大変多いことを考えると,もう少し科学・技術に明るいところを見せて欲しいと思うが.ともかく,東工大という共通点を通して語る ならば,科学・技術について語るのが妥当と思うが,秦先生の謂われる「理系夫人」については,ここでさらに深堀りするか別の機会にするかはともかく,語る 価値のある着眼点だと思う.
 研究者の人生は「旅」になってしまうことが多い.僕の父も研究者であったため,母と他の家族に苦楽を与えたし,僕も現在妻に迷惑をかけている.これにつ いては「百合」さん,「藤」さん,「馨」さん,「京」さん,「鳶」さん,「晨」さん, 沢山の論客がおられることを知って嬉しかった.
 複数の人の思いが入り乱れたときに,「皓」さんの,結局心が大事で ある (とまとめてしまって良いのか) というご指摘を大切にすべきだと思う.本人だけではなく,家族をはじめとする周囲の人々の幸福のために,生きているのだと思う.本日後半ではとくに,偉そ うなことを書く予定であるが,実は周囲の人々を幸福にできなくて,その一歩先の人を幸福にすることは難しいと考えている小心者である.しかし,心の問題は 一番難しい問題であるということは言うまでもないと思う.
 皆様からいただいたご意見を整理することは難しいので,皆様の書かれていることが社会,現場組織,個人の三つの視点のどれかということに着目して読み直 していただくと,理解もしやすいのではないか,ということを言い出しっぺとして指摘させていただいた.

 〜「雇用問題」について,付記(総括的な感想にかえて)〜

 秦先生から「総括的な感想」をというボールを投げかけていただいて,うまく受け取られているか甚だ疑問であるのだが,自分の例を中心に書かせていただい たパート 1〜3 にかえて,今度は自分の周囲を例にして,「雇用問題」にまつわる具体例をいくつか紹介したい.

 職場では,毎年のように採用活動をしている.就職サービスの企業から送られてくるデータを見たり,会社説明会で学生さんにお話をさせていただいたり,大 学をリクルート目的で訪問したり,といった直接的なものから,企画させていただいている学会の研究会や,大学での集中講義,共同研究のための訪問などを通 じて院生の皆さんと対話することや,社内での若手との対話を通じて,仕事上,この「雇用問題」と向き合っている.
 食事中もこの問題が話題になる. 30 代半ばの同年代の同業者に関しては,仕事上付き合う近接分野の研究者にはポスドクが大変多い.弊社内でも民間企業としては最大規模と思われる数の任期付研 究員が在職している.あるいは,昼食を食べる仲間には元東大や東北大の任期切れの助教がいたり,逆に社宅の同期が京大の助教になって出て行ったりして,任 期付助教の問題についても考えさせられる.
 家族の不安も大きい.仕事を離れても,最近は友人や親戚の若手研究者がポスドクになる際に,その両親に,本人の希望の妥当性や将来展望を第三者的な立場 から説明するという機会が多い.「イスラエルの大学が良いので行きたいと言ってるが,息子は正気なのか」といったお母様の質問に答えたりしている.
 プライベートな人生設計上の問題でもある.自分あるいは交際相手または配偶者が不安定な研究者であるために,生活面で,あるいは心理的に不安定になると いうケースも多い.自分自身,5年近く東京-名古屋間で自費・自己都合・単身赴任の状態であったが,そういう遠距離結婚・恋愛をしている仲間も大変多い. ポスドクでヨーロッパに赴任するに際して結婚して,現地で子供を作ったのは良いが,二つ目のポスドクに移るに際して妻を離縁したという知人の話などを聞く と胸が痛む.
 これが一般的な雇用問題と同じであるかどうか.「理」さんからご指 摘いただいたように,どんな職業であっても若い間は苦労がある.僕も 1990 年代をまるまる 20 代として過ごし,その間をフリーターとして自活した経験からみて,赤木智弘さんの「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。 」に書かれているような,社会全体の雇用問題という背景があることは肌で理解しているつもりだ.コンビニのおにぎりを 100 円という低価格で食べられるのは,安い労働力のお陰だということはフリーターにとっては常識である.労働組合は通常正社員しか保護しないから,自分がはじ めて労働組合員になったときに,「社会で本当に困っている人のために組合は何も機能していない」と心の底から主張したこともある.

 しかし,ポスドクの問題は一般的な問題とは少々異なる.まず,景気の影響は受けるにせよ,「異常な理系」でない側の,機電系を代表とする「正常な理系」 の人々には雇用問題はそれほど深刻ではなかった.確かに,バブル崩壊以降に入社した大手企業の 30 代社員は手薄である.しかし,機電系の人々は大手から漏れても中小に就職できるといった,厚い雇用元の層が存在し続けている.
 先日,東工大に社会人課程博士として在籍している僕の職場の先輩が,「ポスドク問題」を語る東大・東工大合同のセミナーに出席させられた.そのとき,全 体を仕切っていると思しき「異常な理系」側の人々の悲痛な主張と,僕の職場の先輩の属する化学工学という「正常な理系」側の人たちのテーブルにおける反応 とで,明らかな温度差があったそうだ.この理工系内部における状況および問題意識の乖離が第一点.

 次の点は,中途半端に欧米を模倣して,大手の大学や国立研究機関から順番に任期付にしていったため,優秀な研究者ほど任期付職に就かざるを得ないという 状況となったこと.「藤」さん,「鳶」さんが 知っておられるであろう,伝統的な博士の就職難は人文・社会科学と,物理や生物学において昔から存在した.しかし,昔の研究者の場合は上から認められた順 番に,それなりのパーマネントのポストにつくことができた.僕の大学院の指導教官のさらに師匠は,戦後まもなく初期のフルブライト奨学金を得て渡米した が,彼の時代は留学という名の在外研究 (定職を持っている人の国外研究) であった.僕の父も,国立大学の常勤教官としてアメリカで研究していた.そうでない人は,副手といった本質的に臨時である職についていたため,本当の若手 の間しか大学にいられなかった.現在では,正規のキャリアとしてポスドクが位置づけられていて, 2 度も 3 度も任期付の職を経験するため,すぐに 30 代後半となる.給料は悪くない場合もあるが長期の身分保障がない.これがなければ,結婚もしにくいし,自宅を購入するローンも組めない.

 このポスドク問題は「異常な理系」側の問題である.機電系を代表とする「正常な理系」においても,たとえば産総研や国立大助教のポストは最初はポスドク であるように,アカデミックなポストは「異常な理系」と同様に任期付であり,一見一律にみえるが,ポストを失ったときのセーフティーネットの有無が,背景 に産業があるかどうかで全く異なる.このセーフティーネットの必要性については,「雄」 さんとほぼ同じ考えである.たとえば,新聞記者に研究経験のある人を入れる必要性など,全く同感である.

 セーフティーネットを必要としているのは「異常な理系」であるということをもう少し掘り下げて考えてみると,「異常な理系」においては,人材の流れとし てはアカデミックな側からそうでない側 (メーカー,非研究系公務員,マスコミなど) への流れが形成されているといえる.するとこれは,アカデミックをやめる,あきらめる,といった経験を,多くの若手研究者が経験するということを意味す る.このときに,どう自分の中で心を整理するかという「哲学」ともいうべき,心の問題が存在する.僕が前項 で提案した分類において,社会的にでもなく,現場組織の工夫としてでもなく,個人の問題として個々人が解決すべきと思っている問題はここである.僕自身が 「そのとき自分はどう考えたか」という実例を示したのが,最初の秦先生への手紙 (パート 1〜3) であった.企業研究者としてハイドンのように基礎研究を行いたい,ということであった.

 このとき,「屍」という言葉を使ったことに多くの方々からの反響があったことは,意外であった.
 自分としては,狭義の研究者 (=定期的に原著論文を発表する者) として生き続けたい,「屍」にならないようにしたい,ということを日々考えているので,自然に出てきた言葉なのだが,たしかに他人からいきなり「屍」と言 われたら衝撃を受ける.これは,新聞記者が「ブンヤ」,会社員が「リーマン」と自称するような,自分が言うときと他人に言われるときとで印象が違う言葉で あろう.つまり,一義的には個人の心の問題である.
 「瑛」さんが書かれたように,研究者はソリストから指揮者になる場 合が多く,そうなったら「屍」なのだろうか,といった高次元の問題もあるだろう.これは,産官学のいずれにおいても見られる過程である.教授や研究室長に ならなければ思った通りの研究が出来ないにも関わらず,そのポストについたら研究が出来なくなるというジレンマも往々にしてある.これは良く判らないの で,現段階では先輩方にお任せするとして,本稿では博士号を取得してから数年〜10数年程度の若手の問題に絞って考えたい.
 大学院の後輩にあたる女性で,理論物理の本当に基礎的な問題に取り組んでいる博士課程の院生のエピソードがある.彼女は,博士課程がもうすぐ終わるのだ が,ポスドクになることに不安があった.かといって,民間企業で使えるような研究テーマではなかったが,企業就職を考えていた.そのとき,瀬戸物 (陶磁器) の博物館を訪れた.瀬戸物が躍進したのは,明治時代になって狩野派の画家が大量に失職し陶藝に分野を変更し藝術性を持ち込んだためであった,とそこには書 いてあった.ファインアートである理論物理から産業へ転身する自らを,黄昏の狩野派の画家になぞらえたわけだ.読者によって,いろいろ感想が異なるであろ うエピソードだと思う.
 他のケースをざっと紹介すると,大学院で生命の起源について生体高分子のシミュレーションを通して研究していたが,教職を経て,民間企業に任期付研究員 として転職したという人もいる.彼は,企業の人々に変わった視点から世界の見え方があることを示したいと言っている.
 逆に,同じような生体高分子のシミュレーションの分野の研究者で,30 代半ばまで海外ポスドクを繰り返したあと旧帝大の准教授になったが,特に哲学的な思い入れはなくて,ただ面白いから解析しているのだ,ということを断言し ている人もいる.彼の指導教官は人文学的な意味でユニークな発言で知られる人であるだけに,興味深い.
 大学・大学院の同期の友人には,分子生物学で大学院を修了し学振特別研究員となり,高 IF の業績を連発しほどなく助手に採用されたが,30 代半ばの最近ビール会社に転職した人がいるが,彼は助手時代は自分が民間企業に行くことは全く考えていなかったと思う.
 共同研究を通じて知り合った旧帝大の化学工学系の院生がいた.彼は,せっかく「正常な理系」である化学工学であったのに,僕の専門と同じ分子シミュレー ションを選んだのが悪かったのか,我々の競合企業に入社後,ほどなく退社し,田舎に帰って塾講師をしているという.大変優秀な人であったのにその企業で能 力を活かせなかったのが残念だと思う.
 何人かの例を挙げさせていただいたが,どの人も 20 代後半から 30 代にかけていろいろなことを考えざるを得ない立場だったと思われる.「雄」さんの言われる,いい意味での「エリート意識」,は素晴らしいと思う.こ の意識を誰もが持っていても不思議はないと思われるが,その中の何人かは,途中でその意識を修正する必要があっただろう.

 では,いつからいつまでこの「エリート意識」を持っていたらいいのだろうか.かつては,旧帝大クラスの助教になった時点で,まあ科学者として指導的立場 になるべきエリートとして自他ともに認識したら良かっただろう.上記の「狩野派」さんには,院生にしてはちょっと早いのではないかといった突っ込みも出来 ただろう.
 現在では,明らかにエリートとして問題がないと思われるレベルの人から,あまりそうでない人まで,一斉に三十路をはるかに超えても決着のつかないレース に参加するのが「異常な理系」の世界なのである.
 これについて,僕自身がどう対処したかといったら,先に述べたように「ハイドン」を模範として,企業の役に立ちそうな分野を作り,基礎と応用との両者を 楽しめる企業の研究室に潜り込み,研究人生における自分のストーリーを修正はするが骨抜きにはしないと自戒しつつ,暮らしている.
 他の皆さんはどうするのだろう.幸福感というのは個人個人によって異なるから,結局は個人で解決するしかない.そして,本欄に参加された多くの方々がヒ ントを述べておられると思う.最終的には七十代になって「藤」さんの 述べておられるような境地に皆さんが達することができたらと願うばかりである.

 企業で基礎研究は困難という「雄」さんのご指摘はもっともであり, アカデミアに残ることができれば,そこが基礎研究に最も相応しい場所であることは言うまでもない.基礎科学が「林業」的であるべきだという指摘なども,大 いに賛同する.以下で述べる修正点を除けば,「雄」さんの ご意見は全面的に同意するし,なるほどと新たに思う点が多かった.アカデミアで基礎研究を行うのが理想だというのは,そもそもの前提であるが,実際にはじ めてみたら企業でも基礎研究が出来ないことはないという自分の実例を示すことによって,人生設計の変更を迫られた人々へのヒントとなったらと思って書いて いる次第である.したがって,企業側の宣伝口調になることはお許しいただきたい.

 まず,企業の守秘義務の問題について小さな修正をさせていただきたい.
 僕が研究内容の詳細について書かないのは,この文章が秦先生のページとして残るからであって,直接会って会話をする分には書き物よりもはるかに我々は オープンであることだけ指摘しておきたい.ディスカッションが重要なのは,応用も含めてあらゆる科学技術の研究において基本である.情報というものは,出 さなければ受け取れない.ディスカッションのためには,僕はアメリカにもヨーロッパにも行くし,逆に向こうから来られる研究者を迎えるためのシステムもあ る.今でも自分の書いた論文の更に先の問題について,共同研究契約など結んでいない大学の先生と話し合っている.話が盛り上がらなければ共同研究も何もな いわけだし.学会の委員会で会うごとにディスカスする先生もいる.要するに普通の研究者である.
 また,大学や国立研究機関では研究ユニットごとに意外な壁の高さを感じることが多い.たとえば,隣の研究室と同じ高額な装置が二台別々に置いてあったり する.民間企業の良いところは,効率化のためと称して,こうした壁が低いところである.気が向いたら,高額な装置を使う分析屋,モノをこするのが専門の実 験屋,分子よりオーダーのはるかに大きな連続体理論の解析屋,といった別部署の研究者といつでも情報交換できる文化がある.面白いテキストがあれば部署の 壁を越えて輪読も行うし,基礎的なアイディアを闘わせる会もある.これは「業務上のプライバシーがあるかどうか」ということと背反であるが,とりあえず日 本の企業文化の良い点だと指摘したい.
 外部からみて守秘義務の問題が煩わしく見える理由は,真の意味での現場の研究者ではない,「情報の流通」を生業としている人々が企業には居るからであ る.彼らにとっては,情報の不均衡が飯のタネになっている.しかし,彼らの存在は必要である.

 もう一つ,僕の韓国と台湾は応用技術立国であるという意見についてであるが,「maokat」 さんからの宿題,「雄」さんからの反論もあるので考え たい.
 まず,韓国と台湾は現在はたしかに基礎研究にも優れた研究環境が整いつつあるが (渡米者が多いのは全世界の特徴であるからさておき),非欧米で日本と並んで基礎科学の伝統があるインドのことを考えたら違いが一目瞭然かと思う.インド には,ボース=アインシュタイン凝縮で有名なボースや,分光学で有名なラマン,あるいはタンパク質の立体構造についての基礎概念を提出したラマチャンドラ ンなど,20 世紀のはじめから自国で学び自国で研究を行うノーベル賞級の研究者が多数存在した.
 「maokat」さんの「この特殊性の源は、江戸時代にあるのか な?」であるが,僕もそう思う.
 以前,自分の祖先と同じ村で同じ名字の人々が,尾張藩の藩校である明倫堂において漢学と医学の教員を務めていたという古い本を見て,さらに調べた.その 創始者は有隣舎という私塾を開いており,これは藩校が出来るよりも前のことだと知った.他の藩の藩校の歴史をみても,藩中央の学校が出来るよりも前から私 塾が存在する例は多い.つまり,江戸時代には武士でも僧侶でもないのに田舎に私塾を開くという,自然発生的に学問を目指す人々がいた.
 博物学の本を見ると,江戸の博物学は庶民レベルで相当浸透していたという.南米由来のトウモロコシの栽培は農民から農民に伝わったそうであるし,金魚や 朝顔といった珍奇な生物の品種改良については,武士の地域振興策から発展して町民に広がったものである.日本酒は低温発酵をはじめて利用したバイオテクノ ロジーの産物であることは生命理工学部で習う.機械工学については,武器の製造は禁止されていたため,からくり人形として発展した.
 中央集権ではなかったため,各藩が地域の自然を活かして独自に産業を興さなくてはならなかったという事情もあるのではないかと思う.

 話がそれたので「雇用問題」に戻すと,「異常な理系」に従事している若手研究者は,その絶対数がアカデミックポストの正職員の何倍もあるため,いつか方 針転換しなければならない人が沢山いる.この問題について,社会,現場,個人の各層においてどう対応したら良いかについて考えたい,という話の続きをす る.
 社会レベルにおいては,既に述べたようにセーフティーネットを構築するべく,責任のある立場の人々には是非対応してもらいたいわけだが,若手の個人レベ ルで微力ながら貢献できることもある.これまた卑近な例で申し訳ないが,学会や研究会の活用である.
 上述したように,分子シミュレーションをトライボロジーに応用するという研究会を企画させていただいている.この会は,会員数は正規の委員で 50 名程度と小規模であるが,産官学のいろいろな立場の方々に参加いただいている.トライボロジーは潤滑の技術であり,これはダ・ヴィンチや産業革命以来, もっと古くはエジプトのピラミッドを作るときから用いられているが,分子シミュレーションを用いた応用方法については,まだまだ基礎的な研究が必要であ る.
 しかし,我々が研究会をはじめてからの数年の間にも,これを学んで学位を取得した人が出始めていたり,メーカーにおいても専門の研究開発者が採用された りしている.分子シミュレーションは,同じシミュレーションという言葉がついても,機械工学や建築・土木などにおける構造計算や流体計算などの CAE (計算工学) と異なり,産業の基盤技術としては認知されていない.酒の席で,とある大手メーカーの研究所長から「分子シミュレーションは要らないんだよ」と厳しい言葉 をいただいたこともある.したがって,我々は異なる大学やメーカーといった立場を超えて,同業者同士で協調して,我々の技術の優位性,利便性を主張してい かなくてはならない.個々の研究においてはライバルであっても,業界の振興は我々全体の死活問題であるから,仲間なのである.

 「舟」という言葉を僕は好んでいる.この研究は何人乗りの舟であるか,といった話を研究チーム内で行う.より広くは,我々の舟にのって大学院を修了した 人が,大学に残ったりメーカーに入ったりして活躍したら,舟は立派な船となり,日本は沈没せずに済んで,世界は摩擦がゼロになってエネルギー問題から解放 される...
 これは,きれいごとに聞こえるが,真剣にそう思っているし,多くの人々と利益が一致するので,誰彼構わず,この説を説いてまわっている.
 もっとも,大学院生個人個人のレベルでは,我々の技術が現段階では本質的に「異常な理系」の側のものであるため,難しい問題も抱えている.たとえば機械 工学科に進んで卒業研究時に分子シミュレーションの研究室に配属されたとする.先生は,理学部物理学科的なマインドであったりする.すると,本物の物理屋 である競合者がひしめく「異常な理系」側の成功を想像しがちになる. Phys. Rev. Lett. に何報載るかが偉さの基準であるし,修了後はポスドク街道に突き進む.機械工学の基本である四力学を授業レベルでしか理解せずに,かといって分子シミュ レーション屋としても本物ではないという中途半端な状態だ.
 こういう不幸な人が出現しないためにも,アカデミックではなく産業側に「船」を拡張しなければならないと思う.分子シミュレーションの隣接分野にバイオ インフォマティクスという生物学と情報学を合わせた分野があるが,産業の芽が見える前にアカデミック側の臨時ポストを大量生産してしまったように見受けら れる.産業側への拡張において説得力を持つためには,実績を出さねばならない.だから,僕が参加させていただいているような国のプロジェクトで得られた基 礎研究的な成果を,競合他社も含めた業界全体に啓蒙することは有意義であると考えている.すると,全体的に我々の技術を用いた開発事例が増える.
 もちろん,先に研究をはじめた弊社がプライオリティを確保し続けるべく努力するわけであるが,結果として「船」は大きくなる.
 と,まるで他人の役に立っているかのようなことを書いたが,これは自分の例としては,そういう理想をボヤっと持ちながら暮らしている,というだけのこと である.
 一方で,これに関連してアメリカの同業者で文字通り素晴らしい活動をされている方がおられるので紹介したい.
 彼女は EY さんという日系人の女性研究者であるが,三世であるため日本語は全く喋らない.数十年前にイエール大学を卒業した才媛で,全米で五本の指に入る大手企業系 の研究所に入り,トライボロジーの分野で論文も何十も書かれ,現在は著名な学術雑誌のエディターも務めておられる.その企業にはテニュア (終身在職権) 制度があって,彼女は還暦を越えても研究を続けられるのだが,まだ仕事を続けている理由は研究をしたいからではない,研究は十分やった,という.
 彼女が在職しているのは,研究や学術活動ともう一つ, 20 年ほど前から,地域の高校生の子供たちの中で貧しいが成績の良い子に,長い夏休みの間にその企業研究所で仕事を手伝ってもらって,給料を与えるという,ア メリカ化学会のプログラムを推進しているから,なのだそうだ.その地域の高校は,全米でも有数の荒廃した地区にあり,学校に入るのにも金属探知機のゲート をくぐって登校するという.当然,貧富の差が激しい.子供達が正当な労働の対価として得る給料は,その一家が半年一年暮らせるほどのものだという.
 僕はせいぜい「同業者」という社会の拡張しか考えていないわけだが,彼女は,社会そのものに寄与しているのである.

 さて,社会と個人との中間である現場組織における「雇用問題」への取り組みを書いていないのだが,これは現場のことであるだけに,例の守秘義務がある. たとえば,あまり書きすぎて僕の上司がこれを見たら悲しむだろう.そこで,最後に,「舟」に関してハイドンの面白いエピソードがあるので紹介したい.
 ハイドンはエステルハージ侯に,楽団員とともに雇われていた.ハイドンは,歴史的に大変重要である交響曲と弦楽四重奏曲という形式を完成させるという大 仕事をする傍ら,侯爵の愛好する「バリトン」という弦楽器のために何十曲もの「バリトン三重奏曲」を書いた.これは,最近になってレコーディングされてい る膨大なハイドン作品群における最後の秘境である.この作品群によって侯爵はご満悦であったであろう.
 一方で交響曲は,エステルハージ侯爵家の楽団員たちによって演奏される音楽であった.あるとき,侯爵の長期休暇に楽団員たちが付き合い,それが長くなり すぎて不平がたまった.すると,ハイドンは最終楽章で楽団員が一人,また一人と帰っていくような交響曲を書いた.侯爵は楽団員たちの意思を読み取って,家 族のもとに戻る許可を与えたという.これが「告別」という名曲である.ハイドンは,パトロンのため,そして同僚たちのために働いて,「舟」を安定に存続さ せ,結果として歴史的存在になった.
 こうしたハイドンの生き方は,勤め人として細部に至るまで参考になる.まあ,彼は天才であるから別格であるといってしまえばおしまいであるが,我々には 天才の示した手法を参考にする自由はあると思う.  

 以上でありますが,相変わらず話が蛇行してしまって,本当にすみません.
 今日はこれから,チェロのエキストラとしてお手伝いさせていただいている地域のオーケストラの定期演奏会のリハーサルと本番であります.
 アリアーガ「幸福な奴隷」序曲,モーツアルトのピアノ協奏曲 20 番,メンデルスゾーンの「スコットランド交響曲」です.
 アリアーガは,二十歳で夭逝したスペインの作曲家ですが,この作品は十四歳のときのものだそうです.穏やかな田園風景の描写から序曲ははじまります.
 こんなふうに穏やかに暮らしたいものです.  仁


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* 感謝します。
 いま、わたしは、何とも言えず嬉しく、誇らしくもある。わたしが東工大に勤めたのは、ユメにも予想しない「善意のイタズラ」のような事であったけれど、 一貫してそれをわたしが感謝し喜んできた思いの、まさしく「裏付け」をわたしは此処でこのように実現し得ている。問題意識にも表現力にも才能や人間性にも 溢れたこういう学生君たちが、とほうもなく大事な問題について、教室以来、卒業以来十数年の「体験」と「思索」を活かしてまた新たな「挨拶」をしてくれて いる。節度と知性。しかもこういう諸君が今もわたしの「読者」として売れない先生を元気に支えていてくれているのだもの。そしてさらにそのまわりに、こう いう若い人たちの発言に身を寄せて下さる先輩・大人の方たち。嬉しいという思いがあたりまえであろう。
 まだまだ話題は尽きないだろうと思う、打ち切りにする必要もなく、このまま、「e-文藝館=湖(umi)」の「論考・討論」室に一纏めに置いたまま自然 の「補遺・補充」をも期待しよう。