招待席

なつめ そうせき 
小説家   1867.1.5 - 1916.12.9 江戸(東京都)牛込馬場下横町に生まれる。現代に最も多く大きく感化を与えて文豪と呼ぶに値する一人である。
東京(江戸)牛込馬場下横町に生まれる。 掲載作は、明治二十八年(一八九五)二月二五日、愛媛県尋常中学校『保恵会雑誌』に寄稿掲載された三十歳に満た ないいわば「坊ちゃん」先生の気概と見識を示したもの。優に聴くべきものを備えている。 (秦 恒平)




      愚見教則        夏目漱石


   
 理事来(きた)って何か論説を書けといふ。余この頃脳中払底、諸子に示すべき事なし。しかし是非に書けとならば仕方なし、何か書くべし。 但し御世辞は嫌ひなり、時々は気に入らぬ事あるべし。また思ひ出す事をそのまま書き連ぬる故、箇条書の如くにて少しも面白かるまじ。但し文章は飴細工の如 きものなり。延ばせばいくらでも延る、その代りに正味は減るものと知るべし。

                         
  昔しの書生は、笈(きゅう)を負ひて四方に遊歴し、この人ならばと思ふ先生の許(もと)に落付く。故に先生を敬ふ事、父兄に過ぎたり。先生もまた弟子に対 する事、真の子の如し。これでなくては真の教育といふ事は出来ぬなり。今の書生は学校を旅屋の如く思ふ。金を出して暫らく逗留するに過ぎず、厭になればす ぐ宿を移す。かかる生徒に対する校長は、宿屋の主人の如く、教師は番頭丁稚(でつち)なり。主人たる校長すら、時には御客の機嫌を取らねばならず、いはん や番頭丁稚をや。薫陶所(どころ)か解雇されざるを以て幸福と思ふ位なり。生徒の増長し教員の下落するは当前(あたりまえ)の事なり。
 勉強せねば碌な者にはなれぬと覚悟すべし。余自ら勉強せず、しかも諸子に面するごとに、勉強せよ勉強せよといふ。諸子が余の如き愚物となるを恐るればな り。殷鑑遠からず勉旃(べんせん)勉旃。
 余は教育者に適せず、教育家の資格を有せざればなり。その不適当なる男が、糊口(ここう)の口を求めて、一番得やすきものは、教師の位地なり。これ現今 の日本に、真の教育家なきを示すと同時に、現今の書生は、似非(えせ)教育家でも御茶を濁して教授し得るといふ、悲しむべき事実を示すものなり。世の熱心 らしき教育家中にも、余と同感のもの沢山あるべし。真正なる教育家を作り出して、これらの偽物を追出すは、国家の責任なり。立派なる生徒となつて、かくの 如き先生には到底教師は出来ぬものと悟らしむるは、諸子の責任なり。余の教育場裏より放逐さるるときは、日本の教育が隆盛になりし時と思へ。
 月給の高下にて、教師の価値を定むる勿(なか)れ。月給は運不運にて、下落する事も騰貴する事もあるものなり。抱関撃柝(ほうかんげきたく)の輩(やか ら)時にあるいは公卿に優るの器を有す。これらの事は読本(とくほん)を読んでもわかる。ただわかつたばかりで実地に応用せねば、凡ての学問は徒労なり。 昼寐をしてゐる方がよし。
 教師は必ず生徒よりゑらきものにあらず、偶(たまたま)誤りを教ふる事なきを保せず。故に生徒は、どこまでも教師のいふ事に従ふべしとはいはず。服せざ る事は抗弁すべし。但し己れの非を知らば翻然として恐れ入るべし。この間一点の弁疎を容れず。己れの非を謝するの勇気はこれを遂げんとするの勇気に百倍 す。
 狐疑する勿れ。蹰躇する勿れ。驀地に進め。一度び卑怯未練の癖をつくれば容易に去りがたし。墨を磨して一方に偏する時は、なかなか平(たいら)にならぬ ものなり。物は最初が肝要と心得よ。
 善人ばかりと思ふ勿れ。腹の立つ事多し。悪人のみと定むる勿れ。心安き事なし。
 人を崇拝する勿れ。人を軽蔑する勿れ。生れぬ先を思へ。死んだ後を考へよ。
 人を観(みれ)ばその肺肝を見よ。それが出来ずば手を下す事勿れ。水瓜(すいか)の善悪は叩いて知る。人の高下は胸裏の利刀を揮(ふる)つて真二(まぷ たつ)に割つて知れ。叩いた位で知れると思ふと、飛んだ怪我をする。
 多勢を恃(たの)んで一人を馬鹿にする勿れ。己れの無気力なるを天下に吹聴するに異ならず。かくの如き者は人間の糟(かす)なり。豆腐の糟は馬が喰ふ、 人間の糟は蝦夷松前の果へ行ても売れる事ではなし。
 自信重き時は、他人これを破り、自信薄き時は自らこれを破る。むしろ人に破らるるも自ら破る事勿れ。厭味を去れ。知らぬ事を知つたふりをしたり人の上げ 足を取ったり、嘲弄したり、冷評したり、するものは厭味が取れぬ故なり。人間自身のみならず、詩歌俳諧とも厭味みあるものに美くしきものはなし。
 教師に叱られたとて、己れの直打(ねうち)が下がれりと思ふ事なかれ。また褒められたとて、直打が上ったと、得意になる勿れ。鶴は飛んでも寐ても鶴な り。豚は吠(ほえ)ても呻(うな)つても豚なり。人の毀誉(きよ)にて変化するものは相場なり、直打(ねうち)にあらず。相場の高下を目的として世に処す る、これを才子といふ。直打を標準として事を行ふ、これを君子といふ。故に才子には栄達多く、君子は沈淪を意とせず。
 平時は処女の如くあれ。変時には脱兎の如くせよ。坐る時は大磐石(だいばんじゃく)の如くなるべし。但し処女も時には浮名を流し、脱兎稀には猟師の御土 産となり、大磐石も地震の折は転がる事ありと知れ。
 小智を用(もちう)る勿れ。権謀を逞(たくまし)ふする勿れ。二点の間の最捷径は直線と知れ。
 権謀を用ひざるべからざる場合には、己より馬鹿なる者に施せ。利慾に迷ふ者に施せ。毀誉に動かさるる者に施せ。情に脆き者に施せ。御祈祷でも呪詛でも山 の動いた例(ため)しはなし。一人前の人間が狐に胡魔化さるる事も、理学書に見ゑず。
 人を観よ。金時計を観る勿れ。洋服を観る勿れ。泥棒は我々より立派に出で立つものなり。
 威張る勿れ。諂(へつら)ふ勿れ。腕に覚えのなき者は、用心のため六尺棒を携へたがり、借金のあるものは酒を勧めて債主を胡魔化す事を勉む。皆己れに弱 味があればなり。徳あるものは威張らずとも人これを敬ひ、諂はずとも人これを愛す。太鼓の鳴るは空虚なるがためなり。女の御世辞のよきは腕力なきが故な り。
 妄(みだ)りに人を評する勿れ。かやうな人と心中に思ふてをればそれで済むなり。悪評にて見よ、口より出した事を、再び口へ入れんとした処が、その甲斐 なし。まして、又聞き噂などいふ、薄弱なる土台の上に、設けられたる批評をや。学問上の事に付ては、むやみに議論せず、人の攻撃に遇ひ、破綻をあらはすを 恐るればなり。人の身の上に付ては、尾に尾をつけて触れあるく、これ他人を傭ひて、間接に人を撲(う)ち敲(たた)くに異ならず。頼まれたる事なら是非な し。
 頼まれもせぬに、かかる事をなすは、酔興中の酔興なるものなり。
 馬鹿は百人寄つても馬鹿なり。味方が大勢なる故、己れの方が智慧ありと思ふは、了見違ひなり。牛は牛伴れ、馬は馬連れと申す。味方の多きは、時としてそ の馬鹿なるを証明しつつあることあり。これほど片腹痛きことなし。
 事を成さんとならば、時と場合と相手と、この三者を見抜かざるべからず。その一を欠けば無論のこと、その百分一を欠くも、成功は覚束なし。但し事は、必 ず成功を目的として、揚ぐべきものと思ふべからず。成功を目的として、事を揚ぐるは、月給を取るために、学問すると同じことなり。
 人我を乗せんとせば、差支へなき限りは、乗せられてをるべし。いざといふ時に、痛く抛げ出すべし。敢て復讐といふにあらず、世のため人のためなり。小人 は利に喩(さと)る、己れに損の行くことと知れば、少しは悪事を働かぬやうになるなり。
 言ふ者は知らず、知るものは言はず。余慶な不慥(ふたし)かの事を喋々するほど、見苦しき事なし。いはんや毒舌をや。何事も控へ目にせよ。奥床しくせ よ。むやみに遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり。万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙(ふんし)に等し。
 損徳と善悪とを混ずる勿れ。軽薄と淡泊を混ずる勿れ。真率と浮跳とを混ずる勿れ。温厚と怯懦とを混ずる勿れ。磊落と粗暴とを混ずる勿れ。機に臨み変に応 じて、種々の性質を見(あら)はせ。一あつて二なき者は、上資にあらず。
 世に悪人ある以上は、喧嘩は免るべからず。社会が完全にならぬ間は、不平騒動はなか.るべからず。学校も生徒が騒動をすればこそ、漸々改良するなれ。無 事平穏は御目出度に相違なきも、時としては、憂ふべきの現象なり。かくいへばとて、決して諸子を教唆(きょうさ)するにあらず。むやみに乱暴されては甚だ 困る。
 命(めい)に安んずるものは君子なり。命を覆(くつがえ)すものは豪傑なり。命を怨む者は婦女なり。命を免れんとするものは小人なり。
 理想を高くせよ。敢て野心を大ならしめよとはいはず。理想なきものの言語動作を見よ、醜陋(しゅうろう)の極(きわみ)なり。理想低き者の挙止容儀を観 よ、美なる所なし。理想は見識より出づ、見識は学問より生ず。学問をして人間が上等にならぬ位なら、初から無学でゐる方がよし。
 欺かれて悪事をなす勿れ。それ愚を示す。喰はされて不善を行ふ勿れ。それ陋を証す。
 黙々たるが故に、訥弁と思ふ勿れ。拱手(きょうしゅ)するが故に、両腕なしと思ふ勿れ。笑ふが故に、癇癪なしと思ふ勿れ。名聞(みょうもん)に頓着せざ るが故に、聾(ろう)と思ふ勿れ。食を択ばざるが故に、口なしと思ふ勿れ。怒るが故に、忍耐なしと思ふ勿れ。
 人を屈せんと欲せば、先づ自ら屈せよ。人を殺さんと欲せば、先づ自ら死すべし。人を侮るは、自ら侮る所以なり。人を敗らんとするは、自ら敗る所以なり。 攻むる時は、韋駄天の如くなるべく、守るときは、不動の如くせよ。
 右の条々、ただ思ひ出(いづ)るままに書きつく。長く書けば際限なき故略す。必ずしも諸君に一読せよとは言はず。いはんや拳々服膺するをや。諸君今少 壮、人生中尤も愉快の時期に遭ふ。余の如き者の説に、耳を傾くるの遑(いとま)なし。しかし数年の後、校舎の生活をやめて突然俗界に出でたるとき、首(こ うべ)を回らして考一考せば、あるいは尤と思ふ事もあるべし。但しそれも保証はせず。

           明治二八、二、二五、愛媛県尋常中学校『保恵会雑誌』