招待席
なかざと かいざん 小説家 1885 - 1944
大長編『大菩薩峠』により大衆小説の藝術的達成に腐心し成就したとされ、国民文学を意図した雄壮稀有の作者であった。掲載作は、昭和二年(1927)に書
下され同年刊の『千年樫の下にて』に収録。 (秦 恒平)
愛染明王
(あいぜんみょうおう) 中里 介山
紀伊国(きいのくに)那智の滝愛染明王(あいぜんみょうおう)のお堂を、ある日の夕方、一人の歳若き出家がおとずれた。
「頼みます那智の滝本の愛染堂はこちらでございましょうか、ある人に途中で逢い那智へ参らば愛染堂の堂守(どうもり)をたずねよと申し聞かされましたこと
故に、突然ではございますが斯(こ)うして訪れ申しました」
「はゝあ那智の滝本の愛染堂と申せば先ずこれより外にはござりませぬ、してその堂守をたずねて参ったとあれば別人ならぬやつがれが御応対をするより術(す
べ)はござりませぬ、兎も角もお通り下さい」
と答えたけれども声のみあって人はまだ現れない。
「では御免下されましょう」
愛染堂の縁によって草鞋(わらじ)の紐を解きかけた時、ふと仰いだ真黒な杉の木立の間に山桜が咲いている。
「ほう美事な桜が咲いて居ります、那智の御山には滝津瀬の音と杉の木立ばかりと心得ましたらば、やはり桜が咲いて居りますな」
草鞋を解きながら、うっとりと山桜に見とれている。
「それは時が来れば花も咲く鳥もうたいますわな、ただ陽春の時の来ることが人里よりおそくして花の齢(よわい)の世間のものよりは幾分か長いには長いらし
いです」
「御無礼を致します」
若い僧は裾(すそ)を払って縁に上って来たが、事の体(てい)が甚だ謙抑柔和にして、しかも、どこやら折目のかどの取れないのが、出家をして幾らも経たな
い前身の、多分は弓矢取った面影(おもかげ)を忍ばせるのである。
堂守には簡単な挨拶だけで先ず明王の御前に向ってこの若い出家は極めて鄭重な礼拝をしてから、さて、堂守の部屋の炉(ろ)の前に相対して笈(おい)を据え
て置いて、自分は少し真向を避けて、いんぎんに座った。
「遠慮なく、もそっと前へ進んで炉縁におつきなさい、花は咲いたとは云いながら朝夕はなかなか寒いです」
「有難うございます、さて、承りましたところでは、あなたは、長いこと此堂にお住居(すまい)だそうですが、わたくしが旅でお聞き申しましたのは、ついこ
の一カ月ほど前のことです、那智へ行ったならば愛染明主の御前に、わが心血を残して置いたと斯様(かよう)に申すものがあります、それを目的(めあて)で
はありませんが御当所へ参詣して見れば、おのずと、それが先ず第一の念頭にかかるのでございまして、不動尊へも急がず千手堂へも御挨拶をする以前にこちら
へ訪れ申しました次第です、それは別儀ではございません、去(さ)んぬる年の冬のことこの那智の滝に三七日(みなぬか)打たれて人目を驚ろかす程の荒行を
とげた出家が一人あった筈でございます、その僧が……」
「お待ち下さい、では、あたたは文覚(もんがく)様から聞いておいでになりましたか、つい、一カ月ほど前に那智へ詣でたら愛染明王のお堂を訪(とぶ)らえ
と、あなたに教えたのは文覚様でございましたか」
「そうです、その文覚です、彼から教えられて当御堂を目的(めあて)に今日こうして参詣いたしました」
「それはそれは、して見れば、あなたは以前からあの文覚様とお知合でいらせられますかな、それとも俗縁のゆかりでもおありなされてかな、ただしはまた至り
得たところの、たまたまの御縁でそれをお聞きになりましたか」
「左様彼とわたくしとは深い縁があります、恐らくそれは七生までもつながる縁でしょう、彼をこの那智の滝に押し込んだものの一人が私でありとすれば、私を
して斯(か)く漂々の旅に無限の悲しみの道を歩かせているのは彼の仕業です、彼と我との間は仇であって、同時に親友です、逆縁であってまたそこから順縁が
起っているのです、わたくしは彼を憎むことが出来ません」
と云って若い僧は珠数を左の手に持ち添えた。
「わかりました、憎むことが出来ないで、その人に、ゆかりのあるあとを徐(しず)かに訪ねてお出でになる、あたたの面影をその当座から、やつがれは思い浮
べて居りました、つまり、あなたのお出でになることを心待ちに待っていたようなものです」
「では彼(か)の文覚から、われ等身の上をお聞きになられたと見えますな、それで、どうやら、お近づき早々、生面のお方とは、わたくしに思われなかったの
でございましょう、何分宜(よろ)しく願います」
「何となくお懐かしさに堪えられない気持が致します、さあ、ずっと、打ち寛(くつろ)いで炉辺へお寄り下さいまし、今宵(こよい)は焚火(たきび)を致し
て夜もすがら語り明かそうではありませんか……語りながら鍋にかけた粟の、話と共に熟し行くのを待つと致しましよう」
堂守と旅の僧と世塵を離れたとは言いながら血の気の多い盛りの歳の春の夜をば愛染明王堂守の炉辺に相対して語り明かそうとする。
「昔より今に至るまで、彼人(あのひと)ほどの荒行(あらぎょう)を成し遂げたものはありませぬ、前代未聞というのが掛値なしの文字通りです、永年この那
智の滝の主とまで云われる今裸形の老人までが舌を捲(ま)いていますから、その他の行者も修験者(しゅげんじゃ)も、その話をして、ただ身の毛をよだてる
だけなのです、天然の力に対しての人間の抵抗力もあそこまで行けるものかとの実際の修行の極度をあの人が見せて呉れました。信念の力が超生理にわたるとい
うことを俗人ばらにまで呑み込めるようにして呉れたのがあの人の道力です、それだけで那智滝は歴劫(れきこう)不思議の上にまた一つの新たなる力を加えま
した、それは、滝を守る我々共までが一つの面目として、ひそかに語るところのものです」
「わたくしは、その事を、彼自身の口から聞きもせず、わたくしも敢て聞こうとはせず、彼とも好んで語ろうとはしなかったのですが此処へ来る途中、道俗の
者、事に触れては皆その事の噂です、自然わたくしの耳にもその事が熟しています。或は、聞いたところが事実を誇張しているかも知れません、併し、彼として
は、そうありそうな事で、わたくしに取っては、寧(むし)ろ驚異ではなくて悲痛です、彼の道力を彼の為に泣くより外はありませんでした」
「いゝえ路傍の人の語る処は必ずしも誇張ではありますまい、凡(およ)そ世には話ほどに聞いてならない事と話より大きく信ぜねばならぬことがあります。文
覚様の修行は、その後のものに属するのです、やつがれが此処でそれを繰返したとても、やはりあなたが今まで道路でお聞きになったところに敢えて加えるもの
があるべしとも思われませぬ、物語の順序として、それを再び繰り返してお耳に入れなければなりますまい、彼の人が滝本へ参りましたのは十二月十日余りのこ
とです、雪は那智の谷をうずめていました。大滝を残して天地は静かです、谷の梢(こずえ)も真白になっていました。峰の嵐が剣のように吹き来って垂氷(た
るひ)の巌を突切るのです、その時に彼の人は、ひたひたと滝壷に下り立って首際まで水につかり高らかに慈救呪(じくじゅ)を唱え出してから殆んど五日まで
の間はその滝壷で、あの人の呪文の響きが聞えました、そうして、たしか五日目にとうとう聞えなくなりました。それから間もなくこの前の流れへ、あの人の屍
骸(しがい)が流れついたものです、そこで滝を守る我々が大騒ぎをして彼方(あちら)の堂こちらの事務所から人を呼び集めて介抱にかかったものです、五日
も抛(ほう)って置いて、なぜ、それまでになってから騒ぐのだと、お咎(とが)めもありましょうかなれど、我々としてはどこまでも修行をなさるお方の意志
を尊重しなければなりません。真剣の修行者に向って姑息こそく)の同情は禁物ですから如何なる荒行なりとも本人にその意志あって遥々(はるばる)この天下
第一と称せられた那智の滝まで行(ぎょう)にお出でになるほどの人には敢えて意見や制止を加えないのが我々の不文の律であり礼儀であります、ただ、あの慈
救(じく)の呪(じゅ)の、のうまくさんまんだあがたとい糸の如く細くとも、それが聞えている間は我々は干渉を致さないことになっていますし、また修業の
当人も自らの道力のほどの限度を験(ため)し得た以上は、この滝壷に屍骸をうずめるのが目的ではありませんから、それぞれ相当の時分にはお滝から出て参る
ものです、然るに、あの人の呪文の声が五日間ほど続いて絶えなかった、その事だけに何をいうにも肉身の人間です、五日というのに堪えきれず息絶えてここま
で押し流された修行者の志を勇ましいとも哀れとも思いまして我々は打ち寄って藁火(わらび)を焚(た)いて兎も角もと、あぶって見ますと定業(じょうご
う)ならぬ命は争われぬものです、駄目だと思ってしたものが忽(たちま)ちに息を吹き返したから、またしても我々の間の驚異で、呆(あき)れているうちに
彼の人は大の眼(まなこ)を見開いて介抱している我々をはったと睨(ね)まえながら、やあ、我はこの滝に三七日打たれて慈救の三落叉(さんらくしゃ)を充
てようと思う大願あるものを数えて見ると今日で纔(わず)かに五日ではないか、まだ七日も過ぎないのに誰に頼まれて何者が此処へ引き上げたのだ、斯う云っ
て我々を叱り飛ばすのですから思わず身の毛をよだてましたよ、我々が身の毛をよだてて物をも云わずにいる間に彼の人は立って、もとの滝壷へ急いで、そこへ
再び身を投げてしまいました」
「成程身を投げたのです、投げたのに相違ありません」
旅の僧は幾度か頷いた。
「それから後の事は文覚様が大願を果されて後、みずから人に語られたお説です、第二日目には八人の童子が来てあの方の左右の手を取って引き上げようとなさ
るのを散々に抓(つか)み合って上らず、第三日にまたも息絶えてはかなくなりました、その時は鬢(びん)ずらゆひたる天童が二人滝の上から下りなされて世
にも温かい香(かぐわ)しい手をもて、あの方の頂上からはじめて、手足の爪先手裏に至るまで撫(な)で下しなされた処から、あの方が夢心地になって再び息
を吹きましたその時は、さすがの剛腹我慢者もおのずから有難さに打たれて如何なる人にてましませば斯(か)くは憐れみ給うとおだやかにたずねたそうです、
天童の答えて曰(いわ)く我はこれ大聖不動明王の御使に金伽羅(こんから)、勢多迦(せいたか)という二童子なり文覚無上の願を起し幽冥の行を企つ行きて
力を合せよと、明王の勅(みことのり)によって来れるなり、夢心地にその言葉を聞くと持って生れた気象がむらむらと起り出して声を怒らしさては明王は何処
にましますぞと、滝の上を見上げる時に都率天(とそつてん)にと答うる声があって雲井遥かに昂(あが)らせ給うあとを文覚殿、掌(て)を合せて伏し拝み大
歓喜の涙を流しつつ滝壷に帰ると、その後は吹き来る風も身に沁(し)まず落ち来る水も湯のようで三七日の大願を滞りなく済ませて那智の千日籠りにうつりま
した、不動尊御来迎(ごらいごう)のことは我等凡眼には何とも申上げようがありません、落ち来る水を湯の如き心得で三七日の荒行を済ました有様は、私共が
目(ま)のあたり見ての保証でございます」
「加賀の白山から越中の立山へ向う途中わたくしは彼に逢いました、その時に、かりそめの物語ながら那智へ行かば愛染堂に立ち寄れ、そこに、わが心血を残し
て置いたと彼が云いました、彼が心血を濺(そそ)いで、のこして置くところのもの、あながちに那智の愛染堂とのみは限るまいが、そう云われて見ると何
(ど)れよりも、なつかしいものがある、さりとて、ここへ来たからとてわたくしは敢えて文覚になろうて彼が荒行のあとを学ぼうとは思いませぬ、また、那智
に千日籠り大峰三度、葛城高野(かつらきこうや)二度、高野、粉河、金峰山、白山、立山と彼があとを追って修練の道をたどろうと云うのでもない、彼は魂を
追いわれは影を追うのです」
僧が騒がないので堂守もしんみりとして、
「あなたの仰有(おっしゃ)ることは、いじらしいほど物静かです、文覚荒行のお話をして上げても、あなたは一向に誇張せられません、多くの人に起る驚異の
心があなたの胸には一向に湧き起らないようです、あの方の強盛な道力と比べて、それがまた、やつがれに取っては一の驚異のようにお見受け申します、目をつ
ぶっていると存在を忘れてしまうほどに、あなたは静かです、この炉に焚く煙よりも淡いものです」
「仰有る通り彼は燃ゆる火です、わたくしは、その燃ゆる火よりのぼる淡煙微燻(たんえんびくん)のたぐいかも知れません、そうです彼の燃ゆる火は那智の大
滝も消すこと能(あた)わざるほどに炎々たるものでありました、彼に触るるものは皆焼かれます、あゝその燃ゆる火の為に焼かるる自分も他の者も不幸です、
ただ、焼くこと能わざる、その火よりのがれる煙のみが幸なのかも知れません、有るか無きかの、わたくし共が寧ろ熱火につつまれて到る処で輾転する彼よりも
幸なのかも知れません、わたくしが思うのに世人が驚く彼の荒行というようなものは何でもないことです、それに驚く人は軽業(かるわざ)の剣渡りや演劇の血
の雨に驚く人です、驚かし得たとて何でもありません、驚き得たとても何でもありません、文覚にあっては左様な演劇者の沙汰ではないのです、彼は那智の滝壷
へ飛び込んで死にました。死に場処を天下第一の那智の滝に求めた彼の心情が、しおらしくわたくしはただ涙がこぼれます、恐らく彼は、ここへ来る時もここを
去る時も泣いていたでしょう、おさえがたない涙を、定めてこの愛染堂の床の上へ那智の大滝の水の量ほども流して立ち去ったろうと、ただ、それのみが懐かし
くて彼の行き去りしあとを、とぶらおうとて来たようなものです」
「それを、あたたのお口からお聞き致しますと――愛染明王の御前にひざまずいて、彼(あ)の方が申しますには、明王のお姿が、おれには、美しい人の面影に
見えてならぬと申しました、あちらの柱の下に正身の座を構えて夜を明かし、明くる東雲(しののめ)には必ず御眼の末に露のあとがありました、ああ、ゆうべ
もまた、夢を見たわい、三七日の滝も、千日の参籠も、ついにこの夢ばかりを拭い去ることは出来ぬわい、愛染明王の血のような赤身が、おれの眼には乳のよう
な軟肌(やわはだ)に見えてならぬわい、貪瞋痴(とんじんち)を見破る三眼が芙蓉(ふよう)のまなじりに見ゆるわい、獅子(しし)の冠が指を染めるほどの
黒髪に見ゆる見ゆる、堂守殿、筆を貸し給え、おのが眼に見ゆる愛染明王の姿を絵に描いて見しょうとあって、あの文覚様が筆を執って絵像(えすがた)をお描
きになりました、それを拝見すると一たび笑む時は国を傾けるほどの美しい人の姿です、その絵姿に賛して俗名遠藤武者盛遠(ぞくみょう・えんどうむしゃもり
とお)之(これ)を認(したた)むとしるし一枚を取って明王の御前にそなえ、一枚を取って自ら笈(おい)の中へ入れて旅立たれました、よそ目にはこれ等も
物狂わしい仕業でございます、彼は色相の愛惜に責められて此処(ここ)に来りこの処を去るに臨んでまた色相の愛惜を荷うて帰る、憐れむべき愚者よと、ある
修業者はそれをあざ笑いました」
「その愚かしい稚気が寧(むし)ろ賢者の羨(うらや)みであることを知らないのが憐れです、愛するものを愛するとして憚(はばか)らぬ彼を誰が憎むことが
出来よう、それ故に、実は袈裟(けさ)も彼を愛していたのだろう。憎むべくして憎めないのが彼です」
「あゝ承っている、やつがれ自らも、どなたに同情してよいか、わからなくなっています、文覚様が描き残して行った彼(あ)の絵姿を御覧に入れましょうか、
それとも、左様なものを御覧になるのは却(かえ)って妄執の一つを加える所以(ゆえん)とやらでございましょうならば遠慮致します」
「見せていただきましょう、よし、彼が燃ゆるような心血を注いで描いたものとしても今のわたくしは虚心平気をもって、それを見ることが出来るのです」
「も早や燈明(とうみょう)の時刻でござりますな、先ずやつがれが受け持ちの燈明を点ずべき処へ一々燈明を点じ了(おわ)ってから、粟(あわ)もどうやら
熟したようです、斯うして鍋を卸(お)ろして置いて、その間に鉄瓶をかけます、火が燃え尽きそうでこざりましたら、それなる薪を折りくべていただきましょ
う」
「承知致しました」
堂守は油壷を取って立ち上がった。滝より落つる流れに両分して、あちらには不動堂こちらには愛染堂がある、彼の受持は流れをこちらにして愛染堂より大門
への方面であった。
堂守が炉辺から消え去ったかと思うと愛染明王の前の壇が遽(にわ)かに明るくなった。この堂までぼんやりと余光がとどいて彼方の旛蓋(ばんがい)の下は
火の燃えるように赤い。その赤い光の半ばは三眼六臂の愛染明王の真赤な五体が燈明の光と相うつるのであった、燈明を捧げた堂守は、また去ってそこにはいな
いのである「彼の柱の下」と堂守が指した処、俗名遠藤武者盛遠が夜もすがらそこで正身の座を構え明かしたという柱の下を若い僧は余念なく打ち見やると、
「ここへ来よ」と呼ぶ声がする。
「此処で沢山です」
若い僧は夢心地で答えた。
それにしても燈明を点(とも)しに行った堂守の帰ることがおそい、出て行く時の口ぶりではさまで遠くもあるまいに、それに比べて帰ることのおそい、併
(しか)し不思議な堂守ではある。彼は盛遠と可なりの内面にまで立ち入っての話し相手であったらしい。そうかと思えば全然その人の心事を知らないげな口吻
もある。自分に対してもその通りで渡辺渡(わたる)と知って迎えたのか、そうではないか、この辺もよくわからない、併し話していればおのずから話せる相手
である……相当の手ごたえのある男である……これの前身も不思議でなければならぬ、と案じている処へ足音がした。
「幸い、泊り合せた旅のお方もおいでになります随分お心置きなされますな」
「はい有難うございます……お言葉に甘えまして」
若い僧はこの声にわが耳を引立てた、前のはたしかに堂守の声に相違なかったが、あとのは妙齢なると覚しき女の声であったから。
「おゝ、そなたは」
旅の僧即ち俗名渡辺源左衛門尉渡(げんざえもんのじょうわたる)は、堂守がつれて来た女人の姿を見ると、我を忘れて、そなたと呼びかけた。
「つい、其処(そこ)で逢いました女房衆でございますが、宿を麓(ふもと)へ取りまして、やはり、あなた様同様に、この愛染堂をたずねてお出でになりまし
た」
堂守が紹介したので、女は改めて渡の前に手をついて、
「旅の御僧様、初めましてお目にかかります……はるばると都から……この愛染明王の御前をたずねて参りましたもの、障(さわ)りの多い女人の身をおゆるし
下さいませ」
火にうつされた女の姿はこの上も無く美しかった、呆然(ぼうぜん)としていた旅の僧は、
「もしや、あなたの名は袈裟御前(けさごぜん)とはお呼びになりませんか」
無論、それはワザとたずねて見たのであるが、そのワザとも何かがあって、旅僧をしてそう云わなければ居られないもののようにしたのである。併し、女はそ
の唐突な尋ねぶりを異様にも感じなかったかして落着いて、
「いゝえ、わたしは袈裟御前ではございませぬ」
そうあるべき筈である。生年十六歳にして遠藤武者盛遠の手にかかって死んだ袈裟御前が、ここに来るべきいわれはないのである、その事は、ここの旅僧であ
り、また死んだ袈裟の夫であるこの源左衛門尉渡が何人(なんぴと)よりもよく知って居らねばならぬ筈である。
「そうでしょう、そうなければなりませぬ、それにゆかりのあるべきお人でもないに定(き)まっているが、さて」
旅僧は、詫(わ)ぶるでもなく、ひとり言でもなし、その言葉尻が淡い煙のように消えてしまう。
「けれども、わたくしを袈裟御前だと思召(おぼしめ)すならば、左様に思召し下されても一向、さしつかえはござりませぬ、わたくしは、申さば袈裟御前の魂
に惹(ひ)かされて、これまで参ったようなものでござりますから」
敢(あえ)て驚かぬ女は斯う云った、それで、淡い心持の旅僧は再び火にうつる女の面(かお)をつくづくと見て、
「あなたは袈裟御前の魂に引かされてこれまで参ったと申されましたか」
「左様でございます」
「あなたは、袈裟を知って居りましたか、若(も)しや、彼(あ)の女の友達ででもありましたか」
「いゝえ、袈裟御前と、わたくしとはお友達ではございませんでした、のみならず、親しくお目にかかった事さえも無いのでございます、袈裟御前がお亡くなり
になったのは、多分、今のわたくしと同じほどのお年であったことと存じますが、わたくしは、その時分はまだ、ほんの子供でございましたから、あの方の心に
いだいた苦しみに同情するの力さえ無いものでありました」
「それで、あなたは、袈裟の魂をどの辺に見て居られるのですか」
「はい、那智の愛染堂へ参らばそこに心血を残して置いたと、ある御僧様が教えて下さいました事故(ことゆえ)に、日頃、愛染の御堂をなつかしく、今宵とい
う今宵、漸(ようよ)う望みを遂げて斯様(かよう)に推参いたしました次第でございます」
「はて、那智の愛染堂に参らば、そこに心血を残して置いたと、ある僧がそなたに教えたと云いやるか……さらば、その僧の名を文覚(もんがく)とは云われな
かったか」
「はい、文覚様から承りました、それ故、わたくしは斯うして、たずねて参りました、たずねて参りますと、先ず、あなた様からお前の名は袈裟御前ではないか
と聞かれました時に、わたくしは嬉しゅうございました、その時に、わたくしの胸に、絶えて久しい春の血潮が湧きいでたようにうっとりと致しました」
「よく、わかりません、拙僧の申分が、突然であったせいか、あなたのお物語も前後を、もう少し事をわけて教えていただかないと、ただ、いたずらに拙僧はお
どろかされてしまいます」
「どうも失礼を申しました、実は、わたくしが何も申上げぬ先から、あなた様は、すべてを御承知の事と思いましたままに、はしたない申上げ様をしてお恥か
しゅう存じます」
「いゝえ、お詫びは尋ね方のなめげであった拙僧から申さねばならないのですが、一体文覚は何をあなたに教えました」
「文覚様から伺ったというよりも、わたくしが彼の上人(しょうにん)様に申上げた方が多かったのでございます。文覚様ほどに、よくわたくしの懺悔(さん
げ)をお聞き下された方はありませぬ、また、わたくしの懺悔を聞いていただくのに、あの上人様ほどのお方は無いのでございました、申さばおこがましゅうご
ざいますが、啐啄(そったく)同時と申すのが、この度の機縁ではないかと存じました」
「それならば、あなたは文覚に向って何を懺悔なさいましたか、春の夜永に、それを、拙僧にお聞かせ下さいますまいか」
「お尋ねなくとも申上げなければならないと思っていました、わたくしは五逆の罪を残らず犯して参りました、今は、まじろぎもせずに斯う申上げることが出来
るようになりましたのは、仏縁よりは寧(む)しろ魔縁にひかされているのかも知れません、憚(はばか)らず申上げます、わたくしは親を殺し夫を殺して来た
身の上のものでございます」
「はゝあ」
「愛するということも、愛されるということも、つまりは殺すことでございます、人を愛するのは自分の命をその人に捧げたいからであります、人より愛せらる
る時は、その人の命を取るか、そうでなければ、やはりその人に命を捧げなければなりません、恋というものの最後が死であることは、いずれ、あなた様にも充
分に御存知の筈の事と存じます」
「無事に愛し、無事に愛せらるるということは出来ないものか」
「それは出来ませぬ、わたくしは断じて斯様に申します、恋というものにはよき程ということはないものでございます、全く恋しないか、そうでなければ全部を
恋しなければならない筈のものでございます。全く与えてしまうか、そうでなければ全く奪ってしまわなければなりませぬ」
「あなたは、それを文覚に申しましたか、若し、そうでしたら、文覚は何と答えました」
「何とも、お答えになりませんでした、そうして、その時、お前は与えたか、或は奪うたかとお聞きになりました」
「どちらを答えました」
「はじめに与えて、後に奪うたと申しました、それだけではおわかりになりませんでしょう、今ぞ、恥を忘れてそれを白地(あからさま)に申上げますれば、わ
たくしは一つの誠を二つの人に分ちて与えていました、なお、言葉を改めて申しますと、わたくしは、夫を持ちながら他人を愛して居りました、そうして、一人
で二人の人を愛し得るものだと考えていました、なぜならば、わたくしは夫をも憎みはしないし、その人をも悪くは思っていなかったからでございます、それで
すから、罪ということの前には目をつぶって、わたくしは同時に二人を愛し、同時に二人から愛せられることで、息のつまるほどの苦しみに我を忘れていまし
た。それが三年というもの兎も角も無事につづいたのはつづいたのでございます、その間に、わたくしは罪のおののきを感じたことよりも、女性のおごりを感じ
たことの方が多いのでございました、けれども、三年の後に至って夫がその事をさとりました、彼はそれを知るにあたって劇(はげ)しい煩悶をしました、併し
その時分にはわたくしは寧ろ夫の煩悶を心地よしとするほどに度胸が定まっていたのでございます、一つは罪の当然の報いに、素直に首の座に直らねばならぬ責
(せめ)を疾(と)うから覚悟していたせいかも知れませんが一つは、夫がわたくしを殺し得ないことを知っていたからです、わたくしは、夫がそれを気取(け
ど)ってから後、自分ながら驚くほど澄み渡る心で、じっと夫の煩悶を見つめて居りました、彼が苦しがるのを平気でながめていました、なぜ、わたくしが左様
な残酷な心で、じっとして居られたかを、あなた様はお察し下さるでしょうと存じます、つまり、わたくしが夫を愛するよりも、夫がわたくしを愛する心が強
かったからです」
「強く愛することは奪うことだと、あなたは先刻お云いなすったようですが」
「どちらにも通用いたしましよう、わたくしの愛は二人に与えられるほどの分量を持っていましたのに、夫は、わたくし一人をしか愛することが出来ませんでし
た、それ故、夫はわたくしの前に苦しんで苦しみぬきました、彼は力一杯に苦しんでいましたけれど、私は冷静にながめて居ました」
「そうして、その結果として、あなたは良人に死を与えたのですか」
「夫に死を与えたのみではありません、愛していた人にも同じものを与えました、ある夜わたくしの夫は、わたくしの恋人を誘うて、これを殺し自分も殺されま
した、二人の者は果し合って同時に命を落しましたが、その時も、わたくしの心は澄みきっていました」
「成程、それは明らかに、あなたの手を以て二人の男を殺したものです、あなたの手に血がついては居りませんか」
「どうぞ御覧下さい」
女は、この時、白魚のような手をのべて旅僧の前にさし出した、旅僧はじっとその手をながめていたが、
「血のあとはありません――」
「わたくしの手に血がついていないばかりに世間の人は、わたくしの罪を知りませんでした、併し、御僧様、もう一ぺん、わたくしの手を御覧下さいまし、世間
の人はその血を見ることが出来ないに致しましても、御出家のあなた様には、この血がおわかりにならぬ筈はございますまいと存じます」
「それではもう一度お見せ下さい」
旅僧は、榾火(ほたび)を明るくして、再びつくづくとその白魚の繊手(せんしゅ)を見直した。
「成程――」
何処と云って汚れの認められない女の手を、僧はややしばらく見ていたが、
「ここに血のあとがありますね」
僧は、細い爪先の一端に針でついたほどの紅を発見した。
「はい、よく御覧になりました」
女は惚(ほ)れ惚(ぼ)れとして自分ながら、その爪先に見入っていると、その血のあとが浸(にじ)んで来た蜘蛛(くも)のように足を張ってその浸(し)
みが見ているうちに大きくなって行くのであった。
「おゝ、その血が浸みますぞ」
「その儘(まま)にして置いて下さいませ」
血の浸むに任せていると、指の節々を浸み透った血は手の甲――手首――腕――と舞い上って来た。
「おゝおゝ蘇枋(すおう)のような血の色」
人の驚くのに遠慮なく血は白い腕のどこまでも食い入って行くのであった。
「袖を上げてごらんなさい」
女は袖をまくり上げると二つの腕のふくらかな雪のように真白な肉にぽたぽたと滴(したた)るばかりなる血潮が、ずんずんと上って行くのであった。
「おわかりになりましたか」
この女の全身が悉(ことごと)く血で真赤に染まってしまった時に、愛染明王の御前の燈明がばったりと消えた、それと云い合せたように炉の火も倒れたもの
のように光を失った。暗い処で見ると赤いと見ていた女の肉身はやっぱり暗も隠すことの出来ないほど白い。
「よく、わかりました」
旅の僧がうなずいた時に、
「お燈明が消えましたな、いや、消えたのではございません、光が衰え靡いたのでございます、少々、お待ち下さいませ、程なく以前の通りに明るくなりますで
ございます」
最前、旅僧に引き合せたままで、庫裡(くり)へかくれていた堂守が、この時紙燭をとぼしてそこへ出て来た、消えかかった炉の火に薪を加えると、以前の通
りの明るさになった。
この時、一方の炉辺に座を構えた堂守は、
「おゝ、あなた様は、よく似ていらっしゃいますなあ……」
と今に始めぬように女の姿を見直して云った。
「誰に似て居りますか」
「あの、愛染明王の御姿に」
「わたくしが、愛染明王様のお姿に似ているとおっしゃるのですか」
「斯うまで、よく似ておいでなさろうとは思いがけない事です、最初、燈籠の蔭でお見受け申した時は黄昏時(たそがれどき)であり、木立(こだち)の闇でご
ざいましたから」
「堂守様、あなたも、わたくしにわからない事をおっしゃいます」
「わからないのも御尤(ごもっと)もです、あなたはあそこの柱の下に正身の座を構えて、愛染明王のお姿がおれには美しい人の面影(おもかげ)に見えてなら
ぬわいと仰有った文覚様のことを御存知がないからです、あれで夜をお明かしになって、明くる東雲(しののめ)には必らず御眼の末に涙の露を宿し、あゝ、ゆ
うべもまた夢を見たわい、三七日(みなぬか)の滝も千口の参籠(さんろう)も、ついにこの夢ばかりを拭い去ることは出来ぬわいと仰有った時の事を御存知な
いからです、愛染明王の血のような赤身が、おれの眼には乳のような軟肌(やわはだ)に見えてならぬわい、貪瞋痴(とんじんち)を見破る三眼が芙蓉のまなじ
りに見ゆるわい、獅子の立髪(たてがみ)が指を染めるほどの黒髪に見ゆる見ゆる、堂守、筆を貸せ、おれが目に見ゆる愛染明王の姿を絵に描いて見しょうと
あって、あの文覚様が、筆を執って絵像(えすがた)にお描きなされた、その一枚を私が戴いて居ります、それを只今お見せ申しましょう」
と云って、堂守は、熟した粟の鍋を提げながら暗い所へ入ってしまったが、暫らくあって紙に包んだ一枚の巻物を持って出て来た。
「あの上人様の御目では愛染明王のお姿がこの通りに見えるそうでございます」
燈を引きよせて、巻かれた紙をするするとのべて見ると、それは荒法師の描いた明王の姿というに似気なく、一たび笑めば国を傾くる美しい人の姿が色もあざ
やかに描きなされてあった。
「南無阿弥陀仏」
旅の僧は珠数(じゅず)を払った。
「この方のお姿が、わたくしに似ていると仰有るのでございますか」
「そうです、恐らく、どなたが御覧になっても生きうつしと御覧になるより外はありますまい、これは、あなたの為にわざと『俗名遠藤武者盛遠認之』と銘をお
入れになったものかも知れません」
「那智の愛染堂にわが心血を残して置いたとおっしゃった文覚様のお言葉が思い合わされます、けれども、わたくしは自分の姿を見ようとして、わざわざこれへ
参ったのではございません」
「いゝえ、それです、それです」
珠数を払って、目をつぶっていた旅の僧がこの時、あわただしげに口をはさんだ。
「何がでございますか」
女は審(いぶ)かしい面(かお)を僧の方へ振り向ける、僧は一しきりしめやかになって、
「あなたは自分の姿をここへお見出しにお出でになったので、それを見出し得たあなたは無上の幸ではありませんか、拙僧は深くおよろこびを申上げたいと思い
ます」
「それでも、これは、わたくしの姿ではございませんもの」
「あなたでなければ誰です」
「愛染明王のお姿だとおっしゃったではございませんか」
「愛染明王のお姿は、あちらに御座あらせられる、御覧なさい、燈明が煌々として燃え上がる中に、あの威相逞(たくま)しい御姿をごらんなさい」
「けれども、文覚上人のお目には、あの愛染明王様のお姿が、このような女人の姿に見えたのだそうでございます、わたくしは、自分の姿をこの絵像の中に見出
し得たとは、どうしても思われませんのでございます、また、わたくしの那智へ参りましたのは、それを求め得んが為めではなかったと思って居ります、わたく
しには、まだ、ここへ参りました大きな理由(わけ)が別にあるように思われてなりません」
「それは何だと思召すのですか、何を求めに那智へ来たのですか」
「文覚上人の教えには、那智へ行って、その手を洗えと申されました、わたくしはこの血のついた手を那智の大滝に打たれて、洗い去る目的の為に那智へ参った
のでございます、那智の大滝でなければ、わたくしのこの血の汚れを洗い去る霊場はございますまいかと、それ故ここへ参りましたつもりなのでございます」
「併し、那智の大滝も、あなたの血を拭い去ることが出来なかったら、どうします……よく考えて見ますのに、あなたは血の汚れを知って、血のかがやきを知ら
ないようです、あなたはその真白い雪の肉身に、いまだ愛着を感じておいでなさるのではないか、寧(むし)ろ、その雪の肉身を血で汚しつくして、彼の愛染明
王の身色の大赤相にあやかりたいと御発心(ごほっしん)にはなりませんか、あなたの罪の血が時あって、全身を紅(あけ)に染めなすのを、拙僧はまざまざと
見せていただきました、それを洗い去ろうと苦心なさるあなたは飜(ひるがえ)って、常住不断その紅の血に染(し)みておいでになろうとは思いません
か。……」
「恐れ多いことでございます、愛染明王の大赤色の御相は罪の血の汚れではございますまい、わたくし風情の身にのぼる血の色は肉と罪とのけがれです」
「いゝえ……人は申します、愛染明王の身色の赤きは大悲の心が骨髄を砕き大慾の血涙が八万四千の毛孔より流れ出ずるが故に赤いのだと教えられていますが、
その大慈大悲こそ取りも直さず大愛慾と大貪染の心です……いや斯様(かよう)に解釈は申上げないが宜(よろ)しいと思います、やはり、あなたは那智の滝へ
お出でにならずとも、つい、ここで、あなたは自身のお姿を発見し得たことをお悦びになるが宜しいと思います」
「お待ち下さい、今まで、色々とお話を承りましたが、まだ、御僧様のお名前を承りませんでした、わたくしは、どうやらお懐かしさに堪えませぬ、お名前をお
明かし下さいますまいか」
「名乗るまでもございませぬ、わたくしが源左衛門の尉(じょう)渡辺渡です、袈裟の夫でありました、その人がわたくしです」
その翌日、その僧は、美しい女人をつれて愛染の堂を立ち出でた、その後、旅から旅、この男女は相離るることが無かった。