「e-文藝館=湖(umi)」 招
待席
なかむら みつお 文藝批評家・小説家・劇作家 1911.2.5 -
1988.7.12 東京下谷に生まれる。第六代日本ペンクラブ会長 文化功労者 藝術院会員 『風俗小説論』『志賀直哉論』「谷崎潤一郎
論』『正宗白鳥
論』『想像力について』等々の傑出した業績で批評の世界に大きな足跡をのこされた。掲載作は、昭
和二十一年二月に発表された。大尾に置かれた二葉亭四迷が二十歳の「文學」によせた昂然の理想に、一切の趣意を読み取りたい。
(秦 恒平)
蒲團と浮雲 中村 光夫
さきごろ、久しぶりで田山花袋の「蒲團」を積み返した。以前にこの自然派の代表作を讀み、それについて未熟な感想を誌したの
は、もうかれこれ十年も昔で、その時分はまだ學生か學を出たてかであつた僕も、今ではこの小説の主人公──または作者──とほ
ぼ同じ年頃である。そのせゐか前に気付かなかつたところに意外な興味を覚えたり、作者がこの小説を書いた手付きも判つきり見えるやうで面白かつた。
しかしそれはこの小説の藝術としての出来榮えに感心したといふ意味ではない。
花袋は普通自然主義の代表作家とされてゐる。だがこれは良い意味で云へるとともに、また悪い意味でもさう云へるのではなからう
か。彼はこの流派の最も果敢な開拓者であり熱烈に粘り強く之を援護した闘士であると同時に、その小説は所謂自然派の欠陥を誰より一番露骨に表はしてゐるの
ではなからうか?
我國の自然主義の弱点は、その運動がいはば當時の文壇を根柢から革新し、かつ我國の近代小説の根本観念をつくリあげたと云つてよいほど文學史上に大きな
意義を持つに拘らず、その作品に今日も新しい古典として、讀者に親しまれ続けるものがほとんどないといふことであるが、その中でも花袋の小説は時の力の浸
蝕を誰より一番ひどく蒙つてゐる。
彼自身も晩年の感想に、「何が恐ろしいと云つて、時ほど恐ろしいものはない」と云つてゐるが、この徴候はすでに彼の生前に現は
れてゐたのみでなく、その死後にいたつて益々甚だしい。一口に云へば今日彼の小説ぐらゐ人気のない小説はない。
あへて一般讀者の多寡を問はなくとも、今日専門の文學者のなかでどれだけの人が彼の全集を蔵書のうちに数へてゐるであらうか。更にその幾分の一がそれを
讀み返すであらうか。彼の文學的生命は現代では──滅びてゐないまでも──全く埋没されてゐると云つても決して過言でない。
或る意味では鴎外や漱石を眼下に見くだし、少なくも彼等と同等以上の作者たることを堅く自負した彼の生前の気魄を想ふとき、僕
等は彼の作品の蒙つたこの悲惨な忘却を前にして、或る無常を感ぜずにゐられない。
しかし更に進んで考へれげ、この惨酷な事態の成行自體のうちに、我國の近代文学の性格の根柢に対する、ひとつの大きな暗示が含まれてゐるのではなからう
か。
むろん文學者が生前その作品に抱く自信ほど當てにならぬものはない。多くの作家の持つ目信は単に世間から与へられる名声の反射にすぎない。だから作者の
骨が墓の中でまだ枯れぬうちにその作品の花が凋れてしまふのは、文學の世界では有勝ちのことである。
そして明治以来我國の経て来た世相の激しい推移、思想の慌しい変遷は、花袋の言葉を借りれば、「どんな好いものでも古くしてしまふ」歳月の働きにおそら
く十倍の力を与へてゐるであらう。しかし彼の小説が今日陥つてゐる悲運は果してかういふ一般論だけで片付く問題であらうか。彼が後世から受けた冷遇を僕等
は他の群小作家の運命と同一視してよいのであらうか。
誰が何と云はうと、花袋は終生文學を眞摯に熱愛して変らなかった稀有の作家である。そして正宗氏の云ふやうに、「素質が乏しか
つたためか、自己の経験、自己の夢想を渾然たる藝術として表現し得なかつた」にせよ、少なくも「誠実と根気と體力とによつて、自
己の感得したものを、兎に角文字を通じて現はすことを得た」人であつた。
かうした幸福が文學者にどれほど稀にしか与へられぬかは、文筆に携る者の誰しも知るところであらう。おそらく花袋は死に際して
自己の作家たる生涯を回顧して何等悔ゆるところなかつたに違ひない。そして彼の生前の自負がこの文學者たる心底からの幸福感の自然な流露であつたとした
ら、僕等はそれと対比して彼の作品が彼の死後陥つた不幸をどう理解したらよいのであるか。
僕等はここで彼の信じた意味での「文學」をいやでも疑はなくてはならない。彼はその終生の熱愛の対象から無残に欺かれた犠牲者ではないか。云ひかへれば
彼が身を以て信奉し実践した文學理論には、或る大きな誤算があつたのではなからうか。
文學を眞剣に愛する作家の常として、花袋は慌しい時代の潮流のなかに生きながら (またはその周囲の社會の風潮の慌しさの故に)作品の永遠の生命といふ
問題には深く心を労してゐた。そして「時の力」を正常に畏怖することを知った彼は、その制作態度の上では、あくまで「流行」を離れて「不易」に就くことを
求めた。
「人間の心の底まで入つて行くやうなもの、人間の魂をも動かさずには置かないやうなもの、いくら年月が経つても人間が矢張やつてゐるやうなもの、もつと
詳しく云へば不易なもの──その時だけ流行して時が経てばすぐ変つて行つてしまふやうなものでないもの、例へて見れば男女のこととか、心理的のこととか、
その作品の中にその時代が見えるばかりでなLに、生きた人間が覗かれて見えるやうなことだとか、さういふものを把んで書いた傑作は、いつまで経つても古く
ならないのではないか。」と彼は「近代の小説」 に云ふ。
そして「蒲團」は彼がかうした「第一義的」な態度を把んだ最初の記念碑とされてゐる。いはばこの一作は彼自身の将来のみでな
く、當時その周囲に群起した自然派の小説に或る明確な方向を与へたものであつた。
したがつて花袋の文學理論にもし誤算があつたとすれば、その種子はすべてこのなかに含まれてゐる筈である。この一篇の小説を判つきり讀めば、僕等はそこ
で単に花袋の文學のみでなく、當時の自然派小説の性格の根柢に触れ得るのである。
或る人が自然主義小説が今日の青年に迎へられぬ理由として、「ああいふ小説は自分で家賃と町會費を払つて見なければ解らないからだ」と云つたが、これは
確かにこの流派の一面の特色を判つきり把んだ言葉であらう。僕なども貧しい乍ら自分の家を持つてみて、以前に気付かなかつた自然派小説の味はひが解るやう
に思ふことも少なくないのであるが、ではかういふ小説が本當に世の大人の心を托するに足る文學であらうか。
たとへぼ「蒲團」に描かれた中年の恋が実際に世帯の苦労や浮気の味を知つた男達の「魂をも動かさずにはおかぬ」切実さで讀者に迫るものを持つてゐるであ
らうか。さうだとは信じられないのである。
この小説でまづ目立つのはそこに描かれた恋愛の内容の稀薄なのに比してそれを扱ふ作者の身振りの大袈裟すぎることである。主人公の「熱烈な」煩悶は或ひ
は眞剣なのかも知れないが、これを描きだす作者の態度は全く甘く良い気なものである。そして更によく見れば、かういふ風に作者に扱つてもらはねば小説にな
らない主人公の「煩悶」とは一體何であらうか。彼を動かしてゐるのは彼が西洋文學から得た或る恋愛の映像であるか、それとも実在の女に対する恋情であらう
か。それにさへこの主人公は反省を加へない。
彼はただツルゲエネフに酔つ払ふやうに、女が時々示す媚態に陶然とするだけである。そしてこの身勝手な陶酔をそのまま身辺の人間に押し通さうとする彼の
態度は、折角自分では眞剣なつもりでゐる彼の現実の心情に、或る空疎な観念臭を帯びさせずにはおかぬ。おそらく「蒲團」の恋愛ぐらゐ悪い意味で文學的な恋
愛はない。内容の空虚な獨り相撲はない。
だから多少とも実際の人生を知った讀者はかういふ小説を讀んで、ただ苦笑するほかはない。彼がここに見るのは人間の恋愛では
なく、むしろ文學者といふ特殊な人種の不思議な生態である。そしてただ文士といふものはいい気な商売だと呆れるだけであらう。
おそらくそこらの平凡な中年男が、小金でもできたため古女房に飽き足りず、藝者狂ひでもする気持の方が、花袋の美しい女弟子に対する「煩悶」より遥かに
眞剣であらう。彼等の心は、もし正直に告白さへできれば、「蒲團」よりずつと現実的な「人間の魂を動か
さずにはおかぬ」苦痛や歓びに溢れてゐる筈である。
所謂自然派の作家が、口では人生とか現実といふ言葉を唱へながら、その作品の実質から見れば、いづれも極めて素朴な(そしてかなり粗大な)観念家でな
かったかといふことを僕は以前から疑つてゐるのであるが、少なくもこの流派の開租と目される花袋の「蒲
團」は、そのもつとも露骨な例證と見てよいであらう。
この小説の主人公を動かしてゐるものは恋愛といふよりむしろ恋愛の観念であり、この観念的な恋愛が彼の心の裡で文學への或る観念的陶酔と区別できぬもの
であつたことはさきに述べた通りであるが、かういふ風に文學が恋愛の刺戟物として働き、または恋愛が文學を養分として育つといつた現象は、あへてこの場合
に限つたことではない。むしろ反対にかうした事件は、花袋以前にも、また花袋以後にも無数に繰返され、世の道徳家があまねく文學の害毒として認めるところ
であらう。
しかしこの場合に特殊なのは、作者がこの主人公の恋愛の眞の動力である或る文學的観念を全く無条件に頒つて、主人公と同じにこれに陶酔し乍ら筆を進めて
ゐることである。そしてもしこの陶酔がなかつたら、恐らくこの小説は書かれなかつたであらうと思はれる程、かうした文学的な獨り合点が作品の隅々まで露骨
にのさばつてゐる点に、「蒲團」の最も大きな欠陥が存するのではなからうか。
花袋の女弟子に対する愛着は結局彼の生活に大した罅を入らせなかった。彼はその単調な生活の表面を一時掻き乱した思ひ出を苦笑とともに葬ることも出来た
筈である。もしもハウプトマンやモウパッサンにかういふ恋愛を描いたお手本がなかつたとしたら、彼はこの「材料」のどこに長篇を書くほどの魅力を感じたで
あらうか。
おそらくここに「蒲團」が僕等に提出する眞の文學的問題があらう。僕がさきに花袋の文學理論に含まれた或る大きな誤算と云つた
のもこの点についてである。
作家が恋愛を描くには恋愛の経験が必要であるとともに、彼が現在この恋愛から醒めてゐることを必要とする。少なくも彼にとつて
制作といふ行為がその陶酔から覚醒する過程でなければ、その結果たる文學作品が讀者を動かす力を持たぬことは、誰しもが知る文學の原理であらう。
同様に、或る観念に酔つた男を描いた小説が文学作品として成功するためには──たとへその観念がどれほど興味あるものであらうと──まづ作者がその観念
的陶酔から醒めてゐることが必要である。すべて小説の文學作品としての完成の度合ひは、本質的に見ればこの主人公と作者との内的な距離によつて計られると
云つてもあへて過言でない。フロオペルは「ポヴアリイ夫人は私だ」と云つたと同じ正しさで「彼女は私でない」と云へた筈である。
だが不幸にして「蒲團」の場合、かうした作者と主人公との距離は全く零に等しかつた。作者はこの小説に描かれた恋愛からは或ひ
は醒めてゐたかも知れないが、その主人公と全く同じ観念に同じ度合ひに酔ってゐる。その結果これは観念を描いた小説でなく観念で描かれた小説になつてしま
つた。したがつてこの小説に共感するには、作者を酔はせたと同じ文學的観念に──すなはち自然派の小説論に──酔はされることを必要とする。
そしてこの、作者が気付かぬだけそれだけ露骨に現はれてゐる作品の観念性に「蒲團」の異常な成功とその急速な忘却の原因があるのではなからうか。この小
説の成功は、それが當時多くの作家の胸中に熟してゐた新しい文學の観念に、兎に角形を与へたためであつた。そして之が慌しく古びてしまつたのは、その事実
上の主人公である観念が古びたのである。いはば花袋はここで折角「不易」の題材を捉へながら、実際には「流行」の作品を造りあげてしまつたのである。
普通「蒲團」は文学史の上から見て自然主義小説の典型であるとともに、作者自身にとつて「現実」または「生活」に目醒めた自己
革命の転機を劃するものとされてゐる。
しかし彼がここで実際に成就したのは、単なる文學上の覚醒であり、人間的な覚醒とは云へなかつた。或ひはこれまでと同じ文學の
夢の中でただ観点を変へただけであつた。
彼にとつて「蒲團」の制作はその文學的観念への陶酔から醒める機縁とならなかつたのみでなく、逆にこの小説の成功は、その未熟な同時に身勝手な文學の夢
を、終生破る機会を与へなかつた。そしてかうした外見上の幸福に、彼の作家として辿つた眞の不幸が根差さなかつたと誰が保證し得ようか。
僕は花袋が今日世間からもまた文學者からも受けてゐる待遇をすべて正しいとは思はない。しかし彼の作品を讀む度に、時の流れの下す審判の、人間の野心や
希望を全く無視した、恰も自然そのもののやうな冷酷な正當さについて考へないわけに行かないのである。
しかしこの古びた小説を今度讀み返して思ひがけない興味を感じたのは、その主人公の間抜けなほどの善良さである。そしてかうした無意識の裡に発揮される
主人公の気質の美しさに作者自身が全く気付いてゐない点に、この小説の歯痒さがあると云つてもよいと思はれた。だが、この単純な観念陶酔家が現実の人間と
接して醸し出す滑稽はたとへ作者の眼を逃れても(或ひはそれゆゑに却つて)讀者の眼は逃れられない。そしてこの点から見ると「蒲團」は少なくも素材の上で
二葉亭の「浮雲」と或る本質的な類似を示してゐるのである。
すなはちこの二つの小説は両者とも或る善良な観念家が現実の世界で演ずる喜劇を描いてゐる。そして双方の主人公の甘い空想や見當外れの期待などが、根本
に於て、その心の美しさの現はれであるところも全く同じである。むろんそこに明治二十年と四十年との世相の差異はあり、文三を動かす(といふより彼を縛
る)観念は結局或る古風な儒教倫理であり、「蒲團」の主人公を酔はせてゐるのは新輸入の西洋文學であるが、いづれにせよかうした表面の色彩の違ひは、それ
ぞれの観念の世界に生きる彼等の素朴な理想家たる性格を変へるものではない。そして彼等の誇高い無垢が実際の人間に触れて演ずる滑稽も双方ほとんど同工異
曲と云つてよいのである。
彼等にとつて人生で最も大切なものはその理想であり、恋愛すら彼等にとつてはかうした理想具現の機會としてしか映らない。彼等
が求めるのは相手の女性より、むしろその女性によつて満たさるべき彼等の恋愛の理想であり、それによる彼等の人生観の完成である。羞Lがりの癖に気難かし
く、極めて我儘な恋人である彼等が女性に要求するのは恋愛ではなく、いはば彼等自身の理想である。そしてこの理想の実現が自分には死活問題であるために、
彼等はかうした観念的恋愛が相手に与へる印象を計る余裕を持てず、その自分だけでは「眞剣」な恋愛が、向ふには歯痒い曖昧な態度としか映らぬことに気付か
ない。
だから彼等は、その大切な寶をいづれも結局無責任な押しの強い男に奪はれてしまふ。「浮雲」の昇も「蒲團」の田中もこの点で全
く同じ性格の代表者である。彼等は文三や時雄と違つてたとへ下劣な性根の持主であつても、少なくも女を女自身として愛して居り、
女よりも自分の観念を愛するやうな高潔なエゴイストからは期待できぬ満足を手軽に女に与へ得るのである。おそらく、恋人の頭のな
かに、何にせよ自分より大切なものがあることは、女性の本能の許さぬところであらう。いはば彼等の強味は文三や時雄のやうに廻りくどい観念の世界にまごつ
いてゐずに、初めから直截にこの本能にぶつかつて行つたことである。したがつて女の心が知らぬ間に彼等に移つたのは當然の成行と云へる。
文三や時雄の大きな過失は彼等がそれぞれの敬愛の対象に選んだ「新時代」の女の教養が、結局は男の気を引くために身に纏つた装飾であつたといふ平凡な事
実に気付かぬことであつた。そしてこの彼等を惑はした観念の装飾が、本能の覚醒とともに安い鍍金のやうに剥げて行くのを眼前に眺めながら彼等は呆然として
為すところを知らないのである。
おそらく「浮雲」が當時の讀者の眼に世間知らずの書生でなければ出来ぬ理窟ぽい色恋と映つたやうに、花袋の「蒲團」も世の常識
ある大人から見ればお目出度い文士の恋愛にすぎまい。彼等の姿には彼等自身が「眞面目」であればあるほど何か滑稽になつてしまふものが含まれてゐるのであ
る。
しかしかうした彼等の世間的無知から来る滑稽や、その當然の酬いとして彼等の受ける悲しみに、何か嗤ひ切れぬものを感じるのは僕だけであらうか。観念の
喜劇は常に個性の悲劇と表裏する。そして彼等がたとへ幼稚であり、また甘くいい気な態度であらうとも、ともかく現実の試錬のうちに生かすことを希ふ理想
は、彼等の教養のすべてを賭したものであり、彼等の過誤はただ己れの心の無垢から人間を信じすぎただけである。
この点で花袋の「蒲團」は彼自身も思ひがけなかつた或る「不易」の問題に触れてゐる。しかし不幸にしてその扱ひ方は極めて不
完全なものであつた。
花袋は終生二葉亭の熱心な讃美者であり、自らその最も良い理解者と後継者を以て任じてゐた。彼等の間にはおそらく或る深い資質上の一致が存したのであ
る。
しかし「蒲團」と「浮雲」とでは前に述べたやうな同質の題材を扱つてゐても、之に対する作者の態度は全く正反対と云つてよい。
花袋は「蒲團」の主人公の滑稽さをまるで意識してゐないが、二葉亭は文三の演ずる滑稽に判つきり気付いて「浮雲」の筆を執つて
ゐる。
すなはち前に述べた作者と主人公との距離が──ともにそれが作者の血肉を分けた人物でありながら──「浮雲」の方が「蒲團」と
は比較にならぬほど大きいのである。魯庵は「浮雲」を「未完成の出来損ひ」と呼んだが、少なくも書上げられた部分について云へば
「浮雲」は「蒲團」よりずつと成熟した大人の文学なのである。しかも実際にこれを書いた作者の年齢はかうした作品の性格と全く逆
であつたことを思へば、僕等はここに花袋と二葉亭の歩んだ道の差異を判つきり見分け得るのではなからうか。
「二葉亭は『浮雲』に於て明治二十二三年代の日本の家庭を描き出さうと試みてゐた。あれで、もう少し深く入つて行く観察と、力と、
表現の方法とを持つてゐたならば、あの『浮雲』は日本の『断崖』となることが出来たであらうが、惜しいことには、模倣が過ぎて書
くべきところが十分に書けてゐず、入つて行くべきところが十分に入つて行けなかつた。それに作者の年齢もあゝいふものを書くには
やゝ若過ぎた。」(近代の小説)と花袋は云ふ。これは或る意味で正しい行届いた批評である。たしかに二葉亭が二十歳の青年の身で「浮雲」を書いたのは無謀
な企てであつたに違ひない。
しかしかういふ言葉を誌したとき、花袋は果して己れの文学的意図の正しさ故に文學放棄を強ひられた「浮雲」の作者の悲劇を十分に理解してゐたのであらう
か。また「蒲團」を機縁として彼が發見した新たな作家たる態度が、この先人の失敗の跡に較べればどれほど安易な道であつたかも果して深く顧みたであらう
か。
いづれにせよ、二葉亭が六十九年前に獨り攀ぢかけて顛落した文学の高峯は、今日なほ誰にも究められぬままなのではなからうか。
彼の後継者を以て自任した自然派の作家は、いはばその麓に住み心地よい家を建てたにすぎないのではなからうか。
「一枝の筆を執りて、國民の気質、風俗、志向を寫し、國家の大勢を描き、又は人間の活況を形容して、學者も道徳家も眼の届かぬ所に於て、眞理を探り出
し、以て自ら安心を求め、兼ねて衆人の世渡りの助けともならば豈に可ならずや」とは、彼が「浮雲」制作當時
の日記に誌した近代小説の理想である。
しかし不幸にして、この今日なほ新しさを失はぬ堂々たる文學の理想は、彼自身はもとより、彼以後の誰の手でも達成されたとは言
へないのである。