招待席
もり おうがい 小説家 1862 -
1922 島根県に生まれる。東京帝大医学部卒業後陸軍軍医となり、ドイツ留学。軍医総監を経て帝室博物館長兼図書頭として生涯を終えた。公務の傍ら訳詩
集『於母影』以降、詩、戯曲、小説、評論および翻訳、さらに晩年には『渋江抽斎』等前人未到の史伝物への道も開いた。 掲載作は、明治四十三年
(1910)「新潮」十一月号初出、鴎外には心持ちめずらしい静かな色気の美しい女ことばに魅力がある。(いまなお安定した環境で漢字が再現できず、遺憾
であるが「鴎外」としておく。) (秦 恒平)
身上話
森 鴎外
御勉強。」
障子の外から、小声で云ふのである。
「誰だ。音をさせないで梯(はしご)を登つて、廊下を歩いて来るなんて怪しい奴だな。」
「わたくし。」
障子が二三寸開いて、貧血な顔の切目の長い目が覗く。微笑んでゐる口の薄赤い唇の奥から、真つ白い細く揃つた歯がかゞやく。
「なんだ。誰かと思つたら、花か。もう手紙の代筆は真平だ。」
「あら。いくらの事だつて、毎日手紙を出しはしませんわ。」
「毎日出すとも、一時間に一本づゝ出すともするが好い。己(おれ)はもう書かないと云ふのだ。」
「ひどい事を仰(おつし)やるのね。たつた一遍しきや書いて下さらない癖に。」
「一遍で沢山だ。」
「そんなにお厭なの。」
「厭も好きもないのだ。まあ、這入つて障子をしめて貰ひたいものだな。こなひだぢゆうのやうに暑い時は好いが、もうそろそろ寒くなつたのに、そこから覗
いてゐられては協(かな)はない。」
「さあ、這入りました。」
ついと這入つて、片膝衝いて障子を締める。
輪の太い銀杏返しに、光沢(つや)消しの銀の丈長の根掛(ねがけ)をして、翡翠の釵(かんざし)を挿してゐる。素肌に着たセルの横縞は背が高いからの好
みか。帯は紺の唐繻子(とうしゆす)と縞お召との腹合せである。
浪の音がする。涼しくはなつても、まだ夏なので、暮れてから暫くは、雨戸も締めてないのである。
花は机の向うに来て据わつた。
「又電気を低くして入(い)らつしやるのね。」
「この儘にして置けば好いのに、毎日天井の処まで吊るし上げるもんだから、日が暮れれば卸(おろ)さなくてはならない。面倒で為様(しやう)がありやあ
しない。」
「はいはい。さやうなら、あしたからは足で蹴爪衝(けつまづ)くやうな処に卸して置きます。」
「蹴爪衝きやあそゝつかしいのだ。泊つてゐる奴が皆なまけものだから、電燈といふものは天井に吊るし上げて置くものだと思つてゐるのだ。卸さなくちや
あ、横文字の本なんぞは読まりやあしない。」
「えゝえゝ。お客様もなまけもので、わたくし共もなまけものでございますよ。」「なまけものだとも。辻村に遣る手紙の事ばかし考へてゐるのだ。」
「おや、名前なんぞを覚えておしまひなすつて、まあ、いやだ。」
「覚えなくつて。なんでも覚える。お前なんぞには分からないが、博聞彊記(はくぶんきようき)といふのだ。」
「英語なんぞおよしなさいよ。ねえ、あなた、けふは遣りませんけど、又そのうち書いて下さいますでせうね。男の手でなくちやあ、遣られないのですか
ら。」
「いやだ。」
「なぜでせう。」右の手の指尖(ゆびさき)で、左の袂の尖を撮(つま)んで、首を右に傾けて、ちよいと圭一の顔を覗く。かういふ目の要求を拒絶するの
は、なかなか容易な事ではない。
「なぜだといふのか。書かない理由が聞きたいといふのだな。うん。言つて聞せよう。先づ僕の書いた手紙が辻村辰五郎といふ奴、失敬、辻村辰五郎といふ先
生の処へ行くのだな。そこでその辰五郎先生がそれを読む。読むと、何か考へるのだな。僕は先生を知らないから、何を考へるか分からない。併し手紙を出した
お前の事を考へる丈は慥(たし)かだ。お前のその美しい、意気な姿を想像する。そこで先生は独りものだか、細君があるか、それも知らないが、仮に細君があ
るとする。さうすると其細君がいやになるかも知れない。それから先きはどんなむづかしい事にでもなるのだな。」
「まあ、あなたは余つ程苦労性だわ。そんなに先きの先きまで考へた日には、わたくしなんぞ、とつくの昔死んでしまはなくちやあなりませんわ。」
「さうかなあ。女の事を丸で知らないもんだから、余計な心配をするかも知れないよ。」
「嘘ばつかし。いろいろおありなさるでせう。」
「なに、あるものか。第一色になるにはどんな工合でなるもんだか、知らないのだ。お前が辻村さんと深くなつた時の事が聞きたいものだな。」
「いやですわ。馬鹿らしいですもの。」
「いやかなあ。いやなら為方がない。話して聞せれば、手紙は幾らでも書いて遣るのだがな。」
「あら。書いて下すつて。そんなら話しますわ。」
「現金な奴だなあ。」
がらがらと雨戸を繰り出す音がする。無遠慮に、忙しさうに繰る。みしみしといふ足音が、圭一の部屋の近所まで聞えて来る。いつもの犢鼻揮(まはし)一つ
の上に、印半纏(しるしばんてん)をはおつた男が繰つてゐるのであらう。
花は急に立つて、部屋の入口の片隅に茶道具の置いてある処に行つて、茶碗をがちやがちや云はせる。
「もうお湯がありませんわ。一寸行つて持つて参ります。」
特別に大きい声をしたのである。
火鉢に掛けてあつた湯沸かしを持つて、障子を手荒く開けて、梯をばたばた降りて行つた。
圭一は机の上に開けてあつた洋書の読みさしたペエジに栞(しをり)の紐を挟んで、ぱたりと閉ぢた。そして傍の箱からトルコの紙巻を取つて、マツチを摩つ
て火を附けた。
暑い盛りに大原には来たので、洋服の外には浴帷子(ゆかた)しか持つてゐない。雨の跡が急に涼しくなつてから、頗(すこぶ)る閉口したが、幸にフランネ
ルのシヤツを持つてゐたので、それを浴帷子の下にきてゐる。
一夏潮風に吹かれて、褐色になつた顔に、楽しげな微笑を浮べてゐる。
圭一は生活の上には殆どピユリタンだと云つても好い。併し美しい女と話をするのは愉快である。殊に其女が面白い、何等かの疑問を持つてゐると思ふと、一
層愉快である。
大原に来てゐる間に、奥さんやお嬢さんを大勢見た。併し目に留まつたのは、女中の花である。料理屋を兼ねた、此宿屋には、二三日前まで西洋人が泊つてゐ
て、花は其部屋の受持であつたので、折々廊下で出合ふとき、一寸笑つて会釈をする位な事であつた。
その時から此女の蒼白い顔の目口の間に、人世の苦痛を嘗めた痕が深く刻まれてゐるやうなのが目に留まつてゐた。それで西洋人が立つた跡で、自分の部屋へ
花が来るやうになつたのを喜んだ。
それからは終始花を観察してゐる。
初め圭一は花の顔の表情を見て、余程怜悧な女だと思つてゐた。段々心易くなつて話をして見るのに、さうでもないらしい。大分お人好しの処がある。美し
い、締まつた顔が、其持主を実際より賢さうに見せるのである。
花は東京生れだと云つてゐる。詞にも訛(なまり)がない。併し爪外れは綺麗でも、好い人の落ちぶれたのではなくて、卑しい社会にたまたま美人が出来たも
のらしく思はれる。
圭一は花がどんな事を話すだらうと思つて、別に何故といふでもなく、其話が早く聞きたいやうな心持がしてゐる。そして花は本当の事を云ふだらうか、嘘を
衝くだらうかと、独りで心に問うて見る。圭一は女に就いての経験はないが、頗る鋭敏な触角を持つてゐて、いつの間にか、女は嘘を衝くものだといふ、動かす
べからざる鉄案を成就してゐる。花も嘘を衝くには違ひない。併しどれ丈嘘を衝くだらうか。嘘と誠との比例がどんなだらうか。その嘘がどんな嘘だらうかな
どゝ思ふのである。
雨戸を締めてから外はひつそりとして、鈍い、低い海の音に、清い、高い虫の声が交つて聞える。
梯に足音がする。優しい、軽い音である。青い脈の浮いてゐる、白い素足の、据わつたとき背後から見ると、踵と指の腹と指の根とが、板の間の土埃で薄墨色
に染まつてゐるのを思ひ出す。
圭一の心臓が跳る。不意に来られたさつきとは違つて、花が次第に近づくと共に、鼓動は劇しくなるのである。恋だらうか。なに、恋なものか。これは期待の
興奮だと、圭一は自ら説明した。
「お静かですこと。」
声と一しよに、こん度は障子をすうと開ける。廊下に置いた台十能(だいじゆうのう)を取り入れる。
「独りで騒ぎやうもないからな。」
「今に下が賑かになりますわ。五番へ藝者が来ましたの。」
花の詞が切れないうちに、音締(ねじめ)の悪い三味線の音がする。
風炉(ふろ)に火を活けて、湯沸かしを掛けて、茶を入れる。例の足の裏が見える。
持て来た茶を、圭一は左の肘を机に衝いた儘で受け取つて、一口飲んで下に置いた。そして目で笑ひながら、そこに据わつた花の顔を見た。
「さあ聞かう。一体茶を飲ませて貰つたばかりでは、惚(のろ)け賃が少し足りないが。」
「惚けなもんですか。本当に地味なお話でございますの。わたくし本当に恥かしいわ。」
「幾つになる。」
「女に年なんぞを聞くのはハイカラでないといふぢやございませんか。」
「生利(なまぎき)な。西洋人に附いてゐたもんだから。どうも話を聞くといふものは骨の折れるもんだなあ。黙つてゐては果てしがない。辻村といふのはど
んな男だい。好男子だらうなあ。」
「あんな事を。なんにしろ、もう四十より五十の方へ、近いのですから。」
「ふん。そんならまあ、色の浅黒い、苦味走つたといふ風の男だらう。矢つ張ここで心易くなつたのかい。」
「えゝ。さうでございますの。わたくし思ひ切つてしやべつてしまひますわ。」「それが好い。それが好い。」
「あの初めの内は只当り前より善く気を附けてくれたり、ちよいとした反物(たんもの)なんぞを持て来てくれたりしましたの。似合ふやうなのを見立てた積
りだがなんと云つて、くれましたの。丁度其頃わたくしひどく困まつてゐまして、可笑しなお話ですが、着物も体に附けてゐるのしきやないのでせう。それが方
々摩(す)り切れて、お客様の前へ出る度に、気になつて気になつてならないのでせう。困ると智慧が出るものでございますのね。わたくしその摩り切れた処
を、皺の寄つたやうな工合に畳みましてね、糸で縫ひ附けて着てゐましたの。それもあんまり方々に出来て来ますと、ごまかし切れなくなつてしまはうぢやあご
ざいませんか。其頃つひ一しよになつてしまひましたの。色気も何もあつたものぢやあございません。わたくし只お金が欲しくつて欲しくつてなりませんでした
の。」
「うん。そりやあさうしたものだらう。それから段々可哀くなつたのだな。」
「あら、いやな。黙つて聞いて入らつしやいよ。本当に思つて見れば不思議でございますわ。いつでしたか、ふいと喧嘩をいたしましてね、何時だらうと云つ
て時計を出して見てゐるのを、わたくし引つたくつて畳の上へはふつて遣りましたの。さうすると硝子がこはれて針が一本折れたぢやあございませんか。わたく
しびつくり致したのを、悔やしいから知らぬ顔でゐますと、辻村さんはそれを拾つて見て、大さうおこつた様子で、こんなになつては、もう役に立ちやあしない
と云つて、行きなり庭へはふつてしまひましたの。それが不断いやになる程大事にしてゐる金(きん)かはなのでせう。かちやつと云つて、砂の上におつこつて
ぴかぴか光つてゐますの。わたくし悔やしくつて悔やしくつてならなかつた時だもんですから、拾ひに降りようともしないで、ぢいとして見てゐて遣りました
の。そしてお中(なか)の中では、辻村さんがどうするか知らと思つて考へてゐましたの。辻村さんは辻村さんで、大分長い間黙つて時計を見てゐましたの。余
つ程してから、辻村さんが拾つて来いとさう云ひますから、わたくし黙つて降りて拾つて来ましたの。それから其次の度に東京から来ましたとき、わたくし時計
をどうしたかと思つて見ますと、矢つ張持つてゐますの。幾らで直りましたのとさう云ふと、紙入(かみいれ)から服部の三十円の受取を出して見せるぢやあご
ざいませんか。一体辻村さんはけちだと云つては気の毒ですが、なかなかむだ遣ひなんぞをしない人でしてね、こんな所へ来てゐましても、わたくしに何か買つ
て来てくれる外には、これといふことはいたしませんの。それも精々十円位の物しきやくれないのでせう。それが三十円もむだに取られたのだと分かつたもんで
すから、わたくしひどく気の毒になりましたの。本当に済まないわねとさう云つたとき、ひとりでに涙がぽろぽろ翻(こぼ)れましたの。妙なものでございます
のね。其頃から他人でないやうな心持になりましたの。」
「うん。なる程ロシアなんぞも戦争をして、ひどい目に逢はせてから、中が好くなつたのだからな。」
「そんな事を。あなた交(まぜ)つ返すなんてお人が悪いわ。もう跡は話しませんわ。」
「あゝ。御免だ、御免だ。僕は交つ返した積りぢやないのだ。真面目にさう思つたのだ。」
花はにつこりした。三味線のがちやがちやいふ音に大勢の笑声が交つて聞える。
「ぢやあ話しますわ。」
「ひどく恩に被(き)せる奴だな。」
「そりやあ少しは恩に被て下すつても好(い)いわ。わたくし誰にだつてこんなお話を致すのぢやあないのですから。それからおと年の秋頃でございました。
割下水(わりげすゐ)のとこに内を借りてくれましてね、わたくしこちらを暇を取つて、東京に参つてゐましたの。母は苦労人ですから、喜んでくれましたが、
親爺は女中なら好い、妾(めかけ)なんぞになりやあがつてと云つて、ぷりぷりしてゐましたの。女中がなんの好いもんですかねえ。わたくしお婆あさんを一人
置いて、楽に暮してゐましてね、母がちよいちよい覗いて見てくれましたの。矢つ張内(うち)も本所なのですから。其頃わたくしの考へてゐた事と云つては、
辻村さんの奥さんがどうにかして見たいといふ事より外(ほか)ありませんでした。辻村さんには、つひまだ申しませんでしたが、最初から奥さんがございまし
たの。それがわたくし見たくて見たくてならなかつたのでございますよ。とうとう深川の辻村さんの内へ出掛けて行きましたの。不断の日には会社へ出て、お午
(ひる)まへなら、きつとゐないのが分かつてゐますから、さうですね、十一時過ぎでございましたらう。わたくし勝手の方へ覗いて、なんとかさんはこちらで
はございませんかと、好い加減な名を言つて聞いて見ましたの。さうすると、わたくしが一心に見たい見たいと思ふ念が届いたといふものでせうか、丁度奥さん
が台所でお肴を焼いてゐましたの。なんでも暮の大分寒い頃なのでございました。毛手柄(けてがら)の丸髷に、珊瑚珠(さんごだま)の根掛(ねがけ)をし
て、黒繻子(くろしゆす)の半衿を掛けた大島紬(おほしまつむぎ)の綿入の上へ、古くなつたお召(めし)の絆纏(はんてん)をはおつて、七釐(しちりん)
の前にしやがんでゐたのが、違ひますよと云つて、けぶたさうに蹙(しか)めた顔をこつちへ向けましたの。わたくしびつくりしましたわ。凄いやうな好(い)
い女だらうぢやあございませんか。藤鼠の無地の鶉縮緬(うづらちりめん)の衿の際(きわ)から、領足(えりあし)の長い、お人形さんの頸のやうな頸を、前
屈(かが)みに伸ばして振り向いた姿が、いつまでも目に附いてゐて、しやうがございませんでしたの。わたくし間(ま)が悪くなつたもんですから、追つ掛け
られるやうに逃げて帰りましたの。」
「別品を二人も占領してゐるなんて、ひどい奴だな。」
「全くわたくしのやうなものを、なんだつて世話をして置くのだらうと思ひましたの。それから去年のお正月には、二日の晩に一寸来てから、一週間ばかりも
音沙汰なしでゐるでせう。わたくしいろんな事が気になつて、お正月らしい心持はしませんでしたの。十日の日でした。前の日から雪が降つて大さう寒いのに、
母が来ましたからお雑烹(ざふに)を拵(こしら)へてゐると、そこへ郵便と云つて、手紙をはふり込んで行きましたの。見ると辻村さんの手でせう。それが書
留としてあるぢやあありませんか。つひ鼻の先きなのに郵便をよこすことは度々ありましたが、書留といふのは変だと思つて、わたくし胸がどきどきしました
の。でも母は気の附かない様子でしたから、余計な心配をさせたくないと思つて、わざと平気な顔をして、針箱の処へ持つて行つて、母の方へ背中を向けて、鋏
で封を開けて見ましたの。さうするとたつた四行か五行に、急にアメリカヘ行くことになつて、午後一時に横浜を立つ、留守中の費用に百円の手形を入れて置く
と書いてあつたもんですから、わたくしもう我慢がし切れなくなつて、おつ母(か)さん、大変と云つて、泣き出してしまひましたの。それから立つまでに是非
一度逢はなくちやあならないと云ふと、母が掛時計を見て、もう十一時を余つ程過ぎてゐるから、とても一時までに横浜へ行かりやあしないと云ひますの。わた
くしの方では妙に依怙地(いこじ)になつて、なんでも逢ひに行くと云つて、着てゐた綿入の上へコオトをはおつて、頭巾を被つて蝦蟇口(がまぐち)を帯の間
に挟んで、行きなり飛び出しさうにしましたの。逆(のぼ)せたせいか、其時はもう涙も何も出なくなつてゐましたの。母がまあ其手形をしまつてお置きと云つ
たので、わたくしやうやう気が附いて、手紙と一しよにくしやくしやにして、箪笥の鍵の掛かる処へ入れてゐると、母が云ふには、自分も一しよに行つて遣りた
いが、それでは内が無用心だから、お使に行つた婆あやが帰るまで、留守番をしてゐて、お雑烹を食べて帰るから、お前はなる丈気を附けて行つてお出(いで)
とさう云ひますの。わたくしは夢中で内を出て、人力で新橋まで行つて、汽車に乗りましたの。それから横浜のステンシヨで又車に乗つて桟橋へ駈け附けて、幌
(ほろ)を掛けた車から降りて見ますと、人が大勢桟橋をこつちへ帰つて来ますの。それなのにわたくしぼんやりして立つてゐますと、車夫がお車代をとさう云
ひますの。わたくしが蝦纂口からお足を出して遣るのを受け取つて、車夫は妙な顔をしてわたくしを見て、お見送りならもう駄目ですがとさう云つて、町の方へ
帰つて行く人に、車を勧めながら、行つてしまひましたの。わたくしやつぱりぼんやりして立つてゐましたの。もう桟橋はひつそりしてゐて、恐ろしく寒い風が
雪を頬つぺたへ吹き附けますの。わたくしなんともかとも云はれないやうな心持になつて、涙がぽろぼろ翻(こぼ)れましたの。」
その時の事が俤(おもかげ)にでも立つらしく、花はしばらく黙つてゐる。
「ひどい目に逢つたものだなあ」と、圭一は慰めるやうに云つた。
「それから帰つて見ますと、母は心配して帰らずにゐたもんですから、いろいろ相談しましたの。なんにしろ、いつ辻村さんが帰るか聞いて見るのが肝心だと
いふので、母が会社の人に聞き合せてくれましたが、早くて一年だと申しますの。夏頃までぼんやりして暮してゐましたが、手紙は来ず、ひどい面倒を見て、横
文字の上書きをして貰つて、手紙を遣つても、返事も来ないうちに、お金は段々なくなりますの。この塩梅(あんばい)では本当に一年で帰つて下すつても、そ
れまで凌(しの)いで行かれさうもないといふので、母にも相談をして、又こちらへ参ることにしましたの。」
「そこで辻村さんはいつ帰つたのだい。」
「先月帰りましたの。」
「それからまだ逢はないのかい。」
「ええ。なんと云つて遣つても来ませんの。行つて見ようかとも思ひますが、来てくれない位なら、行つたつて駄目かとも思ふもんですから。」
翡翠の釵(かんざし)を抜いて、顔を蹙(しか)めて頭を掻いてゐる。
下の座鋪(ざしき)で拳(けん)を打つ声がする。三味線の音に騒がしい笑声が交つて聞える。
「お花さん」と大声に、梯(はしご)の中程まで登つて呼ぶ女の声がする。
花は圭一の目を捜すやうにちよいと見た。そして「いやになつちまひますわ」と云つて、ついと起つて部屋を出た。
圭一は暫く跡を見送つて、何か考へてゐた。 (了)