「e-文藝館=湖(umi)」 詞華集

みずき やさぶろう    詩人   この人の経歴その他を何も知らない。例会の席でペンクラブの見知らぬ女性会員に託され、この優れた一編の詩稿に日の目をあたえ記念し保存しても らえまいかと。深い理由も背景も聴くことは出来ず、永く手もとで電子化したまま保管していたが、読み返してみて、ここに敢えて掲載しておく気になった。感 じ取れたから。 09・05・28   (秦 恒平).  



幻冬抄
     幻冬抄     木水彌三郎



冬といふ字がすきだった
むかしのひとを 冬とよんだ

石の閨に 髪をきよめ
青いこめかみの すなほな冬は

まづしい朝餐の皿のふちに
きらめく氷のかけらをかざり

いつもあたらしいパセリのかはりに
いつもあたらしい哀しみを ひと茎そへた

愛ゆゑに しろく燃え
その傷ゆゑに ふかく燃えつつ
雪の暗い夜 去(い)ってしまった。

冬といふ字が好きだった
紫水晶からきりとった その文字が

はじめの流離を 冬とよび
終りの流離を 冬とよんだ

しらぬ土地の
荒れはてた渚に住みついて

海霧(がす)にまかれた渡り鳥の
冷えたつばさを あたためながら

冬は やつれたそのうしろに
波斯(ペルシャ)藍のさびしさを にじませ

ある日は 佇ちつくすその素足に
ひくい残照の わづかな燠を散らした

冬といふ 深い韻(ひびき)がすきだった
Huyu...Huyu...Who... you...?

天のふるい刑場からもれてくる うす明りを
だまって 無辜の掌にうけとめ

春をまつ しあはせに ひびわれ
はるを待つ ふしあはせに くだける

薄ら氷の 真夜中のみじかい叫び
いったい おまへは誰なのか

白樺のわかい樹液が 冴えた木肌を
夜目にするどく みがくとき

森の奥のみみづくのおそれにも似た
Hu..yo.. Hu...yu...Who are you...?

冬といふ字がすきだった
昔のゆめを 冬とよんだ

匂はぬ霜を 肩になすり
石の閨に 赤い燭涙 こぼして去(い)った

あの冬はいま どこに居るのか
をさないこめかみの 一途な冬は

けふも 透きとほる喪の笛ふいて
凍った虹を 地の果に呼んでゐるのか

ひとつの傷にいつか耐へ
ひとつの愛にいつか老いつつ
夜の天の刑場の あたらしい雪を待つのか…