「e-文藝館=湖(umi)」 

みやした ゆずる  島崎藤村研究家  詩人  昭和九年(1934)神奈川県鎌倉市に生まれ、やがて東京都に転じて成人。ながく学研の編集者として活躍のかたわ ら島崎藤村研究に志を傾け、定年後も。久しいお付き合いで、秦も数々お世話になった。 掲載作は、文字どおりの題名のままであり、詩人入魂至誠の境涯といえる。  2016.07.29掲載  (秦 恒平)





  『一冊の詩集』に代えて 2
 


                   宮下 襄



     雪女・あなたのことを……



 雪女

夢の中で雪女にあったことがある

音もなく雪が降っている
山も野も白く埋まり
私はなぜか山中の孤つ屋に独りいて
炉の火をたやすまいとけんめいに榾をくべている
焔は高くもえあがり
小屋の壁を赤々と照らすが
その焔には熱はなく
小屋は氷室のように冷えている
私は火がほしかった
あたたかく燃える赤い火がほしかったが
寒さは加わるばかりで いつか私は炉のそばで丸くなって震えている
するとこごえる私の上に
どこから来たのか、血の気のない青白い女の顔がのぞきこむのだ
なぜか唇だけが赤かった
「私は誰?」 
女が聞く
吐く息が氷をまき私の顔もみるみる凍った
女はこうもいう
「お前をつれにきた いっしょにおいで」
私はあらがい叫ぼうとするが
声はすこしもでなかった
女の周りを雪片が渦を巻いて舞っている
女は氷の彫像のようにすきとおり
女の顔は
つりあがった細い目も形のよい鼻も唇も
いつかさしこむ月光に
(そう 月夜なのだ)
皓々と光りかがやいた
火は消えていた
女はまたいった
「いっしょにおいで
いっしょに来るのだよ、さあ」
そういって女は
いらだたしげに戸口に立って私をまねいた
母だった
今は両耳まで口が裂け
目はつりあがり金色に妖しく光った
真っ白な髪が蛇のように踊った
母は私を包むように袖をひろげ
薄気味悪くにっと笑った

目がさめた
雪は戸の隙間から吹き込み
私の布団を半ば覆っていた
戦いに負けたあとの
貧しい時代だった
その後母は九十三まで生きた
母の命が天に帰った日
針のような白髪の下の母の顔に
私は私をさそった雪女の顔を見ていた
口を半ば開いた母の顔は
般若のようにけわしく
すべての人を拒んでいた



 あなたのことを

あなたのことを
思いつづけているわけではないのに
あなたはいつも
空にいて私をみている
母よ
それはあなたがまだ健やかで
力あふれていたころの顔であり
あるときは永遠に
目を閉じたあとの
かたくなな沈黙の顔である
あるときは
ほほえみながら私をみている
あたたかな顔であり
あるときは
遠い彼方をみている
力ないさびしげな顔である
白々とした骨となって
石の下に眠る人よ
高いケヤキの木の葉も落ち
北からの小鳥ももう去って行った
空はつめたく
氷をふくんだ光がみち
北国の父祖の地の
山すそのあなたの墓には
もう山おろしの風が吹き
白い雪が舞うだろう
ぬくもりのまだ手に残る
あなたの骨を残して
親不孝の息子たちの
訪れることもまれなあなたの墓に
今朝
山から来た小鳥が凍って
死んでいたと
ふるさとの便りが
伝えてくれた

あなたのことを
思いつづけているわけではないのに
あなたは今日も
あの空にいる
埋もれた埴輪のように
暗い地層の下
咆哮する吹雪の森のどよめきを遠くに
目を閉じた小鳥を懐に
蒼ざめた氷のねむりを眠っている




  人さらい



  一 人さらい

母はよく人さらいの話をした
嘘をつくと人さらいが来てね……
そんな言い方をした
姉と私はその度に息をのんで母を見つめた
その頃 本当に人さらいはいた
夕方の 薄暗い路地をひとりで帰ると
あやしいかげはいつも
私の様子をうかがっていた
強盗も泥棒もいた
夜が来て北風の鳴る頃には
板戸のきしるたびごとに
私は しのびよる人の気配を感じた
おそくなった叔母など、女客を駅まで送って帰るような時
私も母も 真っ暗な衛戍病院の脇の小道を 
いつも息をつめて 小走りに走って通った 
昼でも暗く たくさんの樹木がしげり ひまらや杉の巨木が黒々と塀に添って
聳えるここには、どこかから必ず誰かの目が我々をみつめていた



  二 古い社

いま私が住む家の近くに古い小さな社がある
その社のそばを通るとき、私はよく幼い頃の母の話を思い出す
社は昔ながらの古い田舎家の裏山に 人気なくひっそりと建っている
うす暗い路地を通って石の鳥居をくぐると、すりきれた急な石段が続いて
両側から鬱蒼と木々がおおいかぶさっていた
いつも陽があたらずひんやりと湿って 酸い腐葉の土の匂いがした
私はその場所がすきだった
いかにも秘密めいたあやしい雰囲気もあった
欅や楠、白樫の古木のかげに 粗末な不動明王の石像や摩滅した夜叉像の祠が
あり その周りを熊笹の小やぶや羊歯の葉が埋め、いつからか手入れもされな
くなった雑多な庭木が 背丈をこえる繁みをつくっていた  あじさいの花が浮
かぶ頃には、闇は暗く秘密めいて いっそう沈みこむように思えた
それでも年に一度 夏や秋の祭りの頃になると路地から石段の両側には 町の
商店の名の入った提灯がつるされ 夜にはその路地はぽっと明るみ 昼間とは
ちがったはなやいだ世界に見えた
私はそこにも何かがいるように思った
耳をすませばたしかになにかのざわめきが聞こえてきた
私が行くとざわめきは止み 薄暗い繁みも祠も石像も石段も その奥にひそむ
目に見えないものたちと一緒に息をのんで 私をうかがっているように思えた
私はその中に昔のように人さらいもいて私を見ているような気がした
神隠しという言葉もあった 今でも選ばれた子供たちは 透き通った闇の向こ
うに神隠しのように消えていくのか

夕闇が濃くなるころ
今でもここでは蝙蝠が飛ぶ
明るい往来から来る人が
ぼうっと路地の闇にとけてしまう
子供を呼ぶ母親の声が
どこからか聞こえてくる



    三 女たち

秋になるとお社を包む小さな森は黄葉して明るくそまる
遠くの小道から森をみると 森はさんさんとそそぐ秋の日にあたたかく光り輝
き 日が落ちるにつれて冷たく沈んでいった 空だけはいつまでも高く広く 
異国に向かう飛行機の白い航跡を紅く染めている そして いつか私は 私の
人さらいのほかにも 何人もの女の人の面影を その空の中に想い浮かべてい

江戸や明治の頃の姐さんとでもいいたいその人たちは 白い襟足をみせながら
さりげなく私を見ている 切れ長の目で 流し目で私をうかがうようなときも
あれば 上目づかいに私をさぐるようなときもあった あるときは目も鼻もな
くただの白いぼんやりした顔のようでもあり あるときは三味や蓆を抱え よ
ごれた被りの端を口に含んで ためすように私を見ていた
私はその女たちをどこかで見たことがある
古い挿絵の一齣一齣にその女たちが住んでいた
誰もいない参道の杉並木に 暗い森の稲荷の祠に 蔵屋敷の裏の河岸に 行灯
のほかげに 暗い橋のたもとに
女たちはいつも孤独にたたずんでいた
あるときは二階の格子窓にもたれて
疲れたように街を見ている

私の女たち
物語に住む
路地裏の
日翳の優しい人たちの
どぶ板をふむ下駄の音がきこえる
七輪をあおぐうちわの音もきこえてくる
私の母の声も聞こえる



 サーカス

敗戦の年、私は江戸時代の遺構を残して有名なKという町
で、叔母に連れられてサーカスを観に行ったことがある。
私はそれまでサーカスを観たことはなかったが、もっと小
さい頃に、毎月の少年雑誌の連載読物で、サーカスにさら
われてきた少年少女の物語を読んだことはある。
二人は鬼のような団長の鞭や、意地の悪い団長の妻の目を
逃れ、手を取り合ってサーカスを脱け出すのだ。野を越え
山を越え、また川を越えて、追っ手を逃れた二人はとうと
う美しい町を見下ろす山の上までたどりつくのだ。その山
の下に、父母の住む町が静かに暖かく光っている。
二人がその後どうなったのか、私には記憶もない。二人が
いつどこで、どのようにさらわれてきたのか、どうして二
人は、二人の両親がその町に住んでいるとわかったのか、
今から思えば、判然とするものは何もなかったが、挿絵に
描かれた二人の顔が私の心に残っている。山の上から暖か
な町を見下ろす二人の表情は、やっとたどりついた幸福の
歓びに光り輝いていた。
私のサーカスには、そんな子供達の悲しい身の上がいつも
ひそんでいた。それは、当時軍記物や戦争物と並んで好ん
で読んだ母恋いや父恋いの物語のひとつでもあった。だが
一方では、サーカスのにぎやかな楽隊の行進や沸き立つ歓
声は、書物の中の世界ではあったにしても、どんなに晴れ
やかに私の心をそそったことか。
金銀の縫い取りをした衣裳は星のように照明に輝いていた。
猛獣づかいの見事な鞭さばきはため息をよび、喝采をよん
でいた。道化は陽気に、一輪乗りの若者は敏捷に、魔術師
はあやし気な呪文をとなえ、空中ブランコや綱渡りの芸人
は豆粒のようにはるかに高く、団長や道化が口上を述べる
たびにドームはどっと沸き立っていた。……

叔母と一緒に観たサーカスは暗く貧しかった。
小学校の校庭に設けられた汚れた天幕の下で道化は疲れは
てたように無気力で、獅子や熊の姿は見られず、犬の芸も
沸き上がる事なく終わってしまった。犬づかいの女の人は、
眉をしかめながら不機嫌に犬をしかっていた。薄幸な少年
少女はどこにも見えず、どこか気乗りのしない暗さや戸惑
いが芸人にも観客にもあった。
それでも最後に綱渡りがある時、私の胸は高鳴った。私は
首を伸ばして天井を仰ぎ続けた。そしてたちまち暗い気持
ちになってしまった。男の人はエッとかヤッとかいう掛け
声をかけながら、慎重に綱を渡って行った。音楽もなく照
明もなく、曇り空のしたの天幕はどんよりと暗かったが、
私が見たのは、頭の上の男の人がはいていた継ぎのあたっ
た黒いタイツだった。豆粒のようにはるかに高く、光り輝
く姿はどこにもなかった。生々しく垢じみて華やぐものは
どこにもなかった。
その後、人生の夢を一つ一つ潰やすたびに(あるいは人生
というものを考えようとするたびに)私はよくそのタイツ
のことを思い出した。継ぎのあたったあのタイツは人生を
皮肉るにはかっこうの素材であり、私はある作家のアフォ
リズムのように、このもろい夢の象徴を得々として喋った
りした。そんな小賢しい気持ちを恥じるようになるまでに
随分と長い時間も過ぎ、今ではもう私は、そのようなこと
を考えることはない。すでにとっくにこの世にいないあの
人たちは、当時、空腹をかかえてどんな思いで綱を渡ろう
としたのだろう。長い戦争の間、古びたタイツをどんなに
大切にとっておいたのだろう。もののない時代であった。
与えられる夢も貧しく、気乗りのしない観客の反応もどん
なにもどかしく思ったことか。私の失望などよりははるか
に切ない人生がそこにあるのだと私は思った。




   鼠小僧 ― 少年の日の読書



  『鼠小僧 鼠小紋東君新形(はるのしんがた)』黙阿弥作
   
                     ― 少年の日の読書―

その本は今でも私の書棚の底にあった。ぼろぼろになった表紙を厚紙ではり直し、その上に活字をまねた四角な文字で「鼠小僧 鼠小紋東君新形」と丁寧にペン で書き、今までなぜか捨てようとは思わなかった。姉の本立てにあったこの文庫本を中学二年生の私が肩掛けかばんに入れて往復の車中で読んでいたのは、最初 は「鼠小僧」という題に瞠かれただけのことだった。歌舞伎などには何の知識も興味もなく、義賊鼠小僧が金貸しや悪徳大名の鼻をあかして、さっそうと活躍す る講談調の筋立てしか頭にはなかったのだが、もちろんそのようなものはどこにもなく、鼠小僧も稲葉幸蔵という聞き馴れない名前で、目立たない若隠居のよう な貌をして、占いを生業に町中に暮らしているのだった。
中学生には大して面白いはずのない世話狂言の、親子や姉弟や恋人の情愛やしがらみなどを、その上理解もできるはずのない廓や女衒の話などを、私が投げ出す こともなく読み続けたのは、私が人並み以上に大人びていたわけでもなく、また人より忍耐強かったためでもない。私は杉並の西荻窪の学校と世田谷の玉川の自 宅の往復の車中を、ただわけもなく活字に目を走らせているのがすきなのだった。ほかに本もない時代だった。しかしそうはいっても、私を引き付けた理由は あった。何よりも第一幕から登場してくる平岡権内とか駒田久六とか、芸者にふられた腹いせに悪事をたくらむ侍とか、彼らに加担して一儲けも二儲けもたくら むお熊婆とか(何と彼女は幸蔵の育ての親であったのだ)、卑しく底意地の悪い小悪党が、執念深い意趣返しや悪巧みで、無実の人に罪を着せ、悲嘆の底に突き 落としていくどこか暗い陰気な話が、妙に私を胸糞悪く腹立たしくさせるのだった。高木四郎次郎という清廉な武士も出てはくるが、その諫言もあらばこそ、奸 臣侫臣に囲まれた三浦兵部之介という殿様の馬鹿さ加減も救いようがなく、狂言の世界の事とはいえ、私は思うにまかせぬ人の世の歯痒さについついページを繰 るのだった。未熟な私の常識には、最後にはこういう悪党たちは必ずこらしめられるはずだという正義の期待も約束もあるのだが、ところがそれはそうはいかな い。庶民の嘆きはいつまでも続くのだった。
全五幕のその内容を詳しくたどるつもりはないが、この小悪党たちに付きまとわれた人々は、いつまでもいつまでも苦しむのである。私はどうしてこうも不幸な のだろうと思うのだった。どうしてこうも難儀をし、追い込まれ、悲嘆に暮れねばならないのだろう。役人はみんな私利私欲に走って役にはたたず、それでも稲 葉幸蔵が、平岡や駒田に金をだまし取られて返すにあてなく、心中寸前の新助お元を助けはするが、間抜けにも極印金とも気づかずに盗んだ金をほどこして、金 を受け取った新助お元の恋人どうしは、盗っ人の嫌疑で捕縛され、次から次へと悲運は重なり、見回りの辻番人与惣兵衛(実は水子のときに幸蔵を捨てた実父) は盗っ人の手引きをしたと縄を受け、孝行息子の与之助(実は幸蔵の弟)は父を助けようと他人の金に手を出し、若菜屋後家の美しいお高(幸蔵と好き会って勘 当されたお松の母)は不義密通の汚名まで着て与之助をかばったり、芸者お元の弟三吉は、牢に入った姉の代わりに、朝早くからのむき身売り、冷たい雪に凍え ながら、「むき身よう、むき身よう」と売って歩く健気さに、――このあわれさ、このかなしさに、――いつか何度も読むうちに、私は何でこんなに人々は、罪 もないのに悲しく苦しくあらねばならないのかと、ただただ無性に腹立たしく口惜しく、だんだんとのめりこみ、役にもたたぬ稲葉幸蔵をあきらめて、我が身が ターザンやスーパーマンであるならば、今たちどころに化身して、悪党輩をこらしめるのだがと、車中にいるのも忘れるのだった。
私の忍耐がきれて絶頂に達するのは最後の第五幕であった。
鎌倉の門注所の詮議の場に、理をつくして裁こうとする早瀬弥十郎という人もいるのだが、彼の裁きが手緩いと、早瀬に代わって石垣伴作という相役が現れてき てからだ。石垣は平岡権内の兄にあたる人らしく、新助とお元を厳しく責め立て、たとえば「小金ならぬ大枚百両、住所名前も知らざる者より貰ひしといふは不 審の第一、必定汝等金子に困り、稲毛の屋敷へ忍び入り、盗み取つたに相違あるまい」と決めつけ、「いえく、まつたく貰ひ受けましたに相違ござりませぬ」と 懸命に潔白を訴える新助の言葉を聞かばこそ、「いやく盗みをなしたに相違ない、聞けばこれなる芸者元を、三浦の藩中何某が執心なすを遺恨に思ひ、身受なす との噂を聞けば、必定刀の代金は身請の方へ振り向けて、盗みをなしてその穴をうめる所存であらうがな」とだんだんと底が見えてくるのだが、「その覚えはご ざりませぬ」と必死に訴える新助お元に、「だまらう、此奴が。じたい汝が何某を忌み嫌うてその様な、貧乏野郎に従ふ故、貧の盗みにお上へまで御苦労をかく るのだ、何故何某に従はぬのだ。心を改めきつと従へ、痴け者めが」ととうとう本性を現し、無理無体、要は一つ穴のむじなの同類、権内とつるんだ芝居にさす がに早瀬がさえぎって、「これなる新助が騙られし金の出所は、三浦の家中平岡権内殿、貴殿の御舎弟より出でたる金子、元をたゞさばそれからそれ」と――誰 に難儀がかかるやもしれぬぞと言われれば、白々として身を躱し、さらば今度はあらぬ盗みを白状させようと、割り竹もって打ちすえ打ちすえ、打って打って打 ちすえる拷問が、四ページにもわたって続くのだった。するとそこに、無実の人の思わぬ難儀、盗みしは自分と稲葉幸蔵が名乗り出て、人々の証しもたち、私も 安堵するのだが、今度は仁義を守る幸蔵に、慈悲も情けもあらばこそ、土足にかける石垣に、堪忍の緒を切った幸蔵が縄を抜けて見栄を切る。「盗賊ながら非道 をなさず、仁義を守る稲葉幸蔵、仮令縄目に逢はずとも、慈悲と情の撚縄を身にかけられるその時は、逃げられるとて逃げようか、邪(よこしま)非道の撚縄に て高手小手に縛るとも、慈悲と情のしまりがなければまつこの如く縄抜し」と縄を抜け、お上を向こうに立ち回ると、たまりにたまっていた私の忍耐もついに一 緒に切れるのだった。
そうだ、下劣な二本差し、侍の名にも値せぬ、お熊婆にもおとる奴、二本の刀を笠に着て、白を黒と言いくるめ、あくまで罪をなすりつけ、てんと恥じずにおさ まり返り、おのれの欲に目がくらみ、一家眷属我欲に生き、媚びるものには目を細め、弱きと見れば打ちたたき、丁髷裃その下に、汚いはらわた詰め隠し、よく もよくもいつまでも――たとえばこんな風に、私はわきあがる憤怒に興奮し、いつか鼠小僧と一緒になって、雪中の門注所脇水門の場の大立ち回りに夢中になる のだった。どうしてお前はわからぬのだ、前非を悔いて目覚めぬ奴はこうしてくれる、振り回す刀をたたき折り、逃げ叫ぶのを引っ捕らえ、後ろ手に縛りどんと 蹴り、つき転ばして泥をなめさせ、こりない奴を裸にむいて、木につるし、素裸にしてなお足らず、丁髷を切り耳をひっぱり、お前たちがやったように、竹で叩 き木刀で打ち、尻を打ち逆さにつるし、それでもまだ足らず、馬鹿大名も引っ捕らえ、三吉の苦労を少しは知れと、打ちすえ打ちすえ着物をはぎ、雪の松にしば りつけ、――
狂言のほうはさすがにそのような狂態を演じることなく、最後は早瀬弥十郎の花も実もあるはからいで幕がおり、私はほっとするのだが、気持ちは収まることもなく、醒めた後は何となく力が抜けて、放心したように、ゆれる電車に身をまかせているのだった。
それからも長い間、私はこの本をもって学校に行った。そして何度も夢中になって、その箇所を読み返した。幸蔵と一緒になって私は勧懲の幸福に酔い、報復の快感にひたった。私はその快感や陶酔を繰り返すためにこの本をいつまでも読みつづけた。

今でも私は、あの少年の日のような高ぶりを押さえかねることがある。もちろんあの日のように懲悪の快楽に酔うつもりはない。秘密めいた快楽に身を委ねると 同じように、それは忌むべきことである。何の喜びも生まれはしない。しかし表向きはそうではあっても、この狂言では三浦も平岡も駒田も石垣も、悪しき者は だれ一人罪に問われることはない。彼らはこりることなくこの世にはびこり、生き続けていくのだろう。だから少年の日に知った私の勧懲の幸福は、世にはびこ る者への、あまりの愚かさに耐え難いときの、あるいは巨悪を笠に着る者への、せめてもの内攻する感情であったのだろうが、それとは別に、そのときのどこか 病的な加虐や陶酔は、際限のない憎悪は、どこか秘密めいた性の衝動のようなおぞましい倒錯した感情でもあったのだろうか。そして今でも私はそうなのだろう か。


(注)新助お元と幸蔵の関係は作の筋書きの一つでしかありませんが、成り行きを簡単にまとめておきますと、芸者お元と刀屋新助の仲を妬んだ 平岡権内が、知り合いが菊一文字の刀を望んでいると新助から刀をあずかり代金の百両を預けていくのです。そこへ平岡と謀ったお熊婆が現れ、お前が私の百両 を盗んだと因縁をつけて奪っていきます。そして再び現れた平岡は剣相が悪いといわれたから刀は返すと言い、渡した百両の返却を求めるのです。結果、刀も百 両も奪われた新助お元は身を投げようとしますが、通り合わせた幸蔵が稲毛の屋敷に忍び込み盗んだ百両を二人に渡します。それが極印金であったがために、新 助お元、辻番人与惣兵衛へのあらぬ嫌疑を引き起こすのです。なお私の文中の三吉の健気なむき身売りの場面は今読むと作中にはありません。私の誤読から生じ ていますが、直すまでもないと昔の文のまま残しました。




    拾遺・十七歳……



 
  拾遺
   残された古いノートから



 一 僕の頭の中を

僕の頭の中を
青い瀬戸物の馬が駆ける
ガチャガチャと馬蹄を響かせて駆ける

僕の頭の中で
青い瀬戸物の馬が嘶く
戦場を駆け回るように狂って嘶く

瀬戸物の馬たちよ
時には広い牧場にあって
行く雲をまぶたにうつせ
遠い山なみを静かにうつせ



 二 夏

路傍に捨てられて赤錆びた鉄片のように
夏の葉も色あせ
歌を忘れて死んでしまった
風もなく
陽は燃え狂い
ものみなすべて
のたうち干からび
カサカサの蚯蚓になって
野の果てに果てる日を
燃える陽は
あわれとも思わず
わたしもまた
心のどこかで
その日が来るのを待っている



 三 南瓜(とうなす)

南瓜に黴が生え
原色の黴が生え
やがて
いつか真っ白な
ふさふさとした黴の繊維が
無数に繁殖して巣を作った
じめじめと湿った
なつかしい古家の台所
僕の頭の脳髄も
今ではもう あんな風に
梅雨時の黴の巣窟
実りない妄念に疲れ果て
今はすっかり駄目になって
新しい機械と交換しなければならなくなった――
雨、雨、雨、
雨が降る
重い腰をあげ町へ行こう
新しい南瓜を探しに行こう
店はどこも閉まっている



 四 病める日に
      
永久に去っていかないものがある
わたしの眼は夜行する眼となって
薄暗い洞穴の中に住みついたお前を見ている
お前が生活のほのかな明かりを灯すとき
わたしは発熱する
そしてお前をうらんだりする
お前の喜びはわたしの悲しみ
お前の活力はわたしの苦しみ
わたしの肉を食らって
お前は恋をする 子供を生む
お前は、お前を生み、拡充し、繁殖する
わたしは衰え、ぐったりとし、不快な寝汗をかく
わたしからもう永久にお前は去らないのなら
わたしもそのつもりで
胸の奥深くになるお前の音に耳を傾けていよう
そしてせめて
わたしは微笑み
お前の歓喜に対抗して
わたしの唇に小さな灯火をたやさぬようにしよう



 五 秋

空気が或る方向に動いている
風が・光が・音が
草が・枯れて
空気が或る方向に動いていく

飛鳥が 飛石のように真直に
黒い軌跡が
消えて
空気が黙って動いている

秋は乏しく
光乏しく
ひそかな戦慄にかすかにゆらぎ
サラサラサラと サラサラサラと
 或る方向に
  瞳を向けて
   ひとり行く
六 霊柩車
―努めて明るく童謡風に

霊柩車が通っていく
秋の光りにつつまれて
街道の切り通し
坂の上から坂下へ
金の飾りを光らせて

乗っているのはどこのだれ
母を亡くした子どもがひとり
妻を亡くした男がひとり
夕暮れ近き秋の陽の
黄金の色にほおを染め
野辺の送りの唄うたう
星になったと父さんに
教えてもらった母の歌

霊柩車がすぎていく
しずかに町に消えていく
秋の空気に溶けていく



 十七歳

晩夏の風が立ち
ゆっくり揺れるカーテンの向こうに
オレはよく
長柄の鎌を立ててあらわれる
ドクロの男を見たものだ
黒い僧衣にくるまったそいつは
だまってオレを見下ろしていた
仮面のような漂白された顔面の
暗くくぼんだ眼窩も鼻の穴も
無表情につめたく
僧衣からもれる手足の白い骨も
緩慢にオレが行くのを誘うようだった
汚れた乱杙歯が妙にユーモラスで
いくぶん物悲しい顔をしたそいつは
義務のようにやってきては
オレの夢のなかに何度もあらわれたが
やがてオレは
そいつが来るのを人知れず待つようになった
午さがりの一刻
古びた家の廊下に
祖母と母がひっそりと
滞った医療費の心配や
過ぎた夢を紡いでいる低い声を聞きながら
オレは体温計と氷枕を枕元に
うとうととまどろみ、めざめ
またまどろんでは
お前が来ているかカーテンの陰をのぞいたものだ

青桐の葉がバサッと落ちる
カーテンがゆれる
退屈気にオレが行くのを待っていたそいつと交わした音のない世界
いつかそいつは消えていった
ふとした気まぐれから
オレのロウソクは燃え続けることになり
そいつはオレのもとから消えたのだろうが
十七歳のオレは
そいつと一緒に
青い空からこぼれおちる
刻々の時間の
やわらかな
静かな優しい音だけを聞いていたのだ



 今日も雨が

今日も雨が降っている
重く暗く
時折明るんではまた閉ざされ
音なく小止みなく降っている
恋に悩む青年が
窓の外に
降り続く梅雨の雨を眺めながら
何とエステティッシュな季節だろうと
友人に書き送った手紙を読んだことがある
昨日も雨、今日も雨……と
パリの貧しい画学生が
石造りのアパルトで
孤独に耐えて書き綴る手記を読んだこともある
だが今日は
聡明な若者たちの
孤独な魂の劇とは別に
書いておきたいこともある
暗い空のすみずみから
森や田や草や木に
家々の屋根に
天地にすまうもろもろの神が降りて来て
黙々と大地を潤していると
灼ける太陽がくる前に
滋味深い古代の神は
みずらに結った
見慣れぬ古人の装いで
地にもぐり水を清め
土地を癒して
福々しい顔をなごませながら
しづかにどこかに帰って行くと

慈雨という言葉も
いつか私は忘れてしまった
暗く深く
雨が降る
ヤマボウシの白い花をぬらし
万目の草木をぬらし
葉末からしたたる滴も静か
出水の恐れは今はあるまい
空の気配をうかがいながら
ものたちは皆
音なくまどろみ
よみがえる時を待っている



 月の光の中を

  一
月の光の中を
君は歩いたことがあるか
林に入ると
月光は真昼日のように流れ落ち
冬の落ち葉の堆積を銀色にそめる
春の白木蓮は
神々しくも光り輝き
月は異形の
彼方の国の女神のごとく
皓々と
あますことなく
闇をそめる

月の光の中を
君は歩いたことがあるか
月光は
縞のように樹木をぬい
眼をあげてそれをたどれば
階梯となって彼方に昇る
かの国に宮もあるらむ
かの国に父祖もおるらむ
人々の嘆きをよそに
その昔帰りし高貴な人は
月宮の今いずこにおはす
光をたどりてそこに至れば
我はまた会うことを得む


  二
月の夜
高いベランダに出てはいけない
溢れ流れる光にさそわれ
わが友は
地に堕ちて
かなしく死んだ
宙に舞えると
さそう力は
魂魄だけに手をさしのべ
肉体は
汚物のごとく地へすてる
見上げれば
法悦のごとくさすらうものは
黄泉のものの
いずれも青白き夜叉ともなって
地にあるものをさそうばかり

君よ
月の夜
高い窓に出てはいけない
熱なき鉱石の球体の
あまりにつめたくすんだ光が
君を彼岸につれていく
 

  どこにでもいる若者の

電車のなかの吊り広告に
君の写真がでている
どこにでもいる
若者の顔である
孤独に
青白く育った
どこにでもいた
若者の顔である
世を騒がせた
罪の報いに
まじりけのない幸せの
幼い日の写真すらさらされ
うつむきながら歩く
祖母の後ろ姿もあばかれ
父も母も
廃人に近く日々を泣き
君の姉たちは
幸せをすてて
身を隠した
団欒の家は
今は寒々と
好奇の目にさらされて
雨にぬれる

どこにでもいた
若者の顔である
陰気に面を伏せ
日の当らぬ
路地をえらんで歩いた
わたしの顔である


 もっと地球を

Doiさんが立っている
漆黒の宇宙に
Scottさんと立っている
宇宙服の銀色の向うに
地球が巨大にせり上がってくる
白いまだらの
青黒く光る球体が
大きく大きくせまってくる
映像が切れ
地球が途切れ
またDoiさんが立っている
Scottさんと立っている

もっと地球を見せてください
北の極から南の極まで
もっと地球を見せてください
青い海を
豊かな大地を
流れる大河を
乾き切った茶色の砂漠を
褶曲する山岳を
渦巻く雲を
もっと地球を見せてください
地雷はどこに埋まっていますか
誰がどこに
地雷の帯を作っていますか
もっと地球を見せてください
母をなくした子供たちを
死んだ子を抱く母の姿を
うずくまる老婆の姿を
手を失くした子供の姿を
足を失くした人の姿を
荒廃した村から村へ
逃れさまよう民の姿を
瓦礫と化した町の姿を
もっと地球を見せてください
もっと地球を見せてください

Doiさんが立っている
緩慢に腕を動かし
Scottさんと立っている
地球は消え空は黒く
船内の微笑がうつり
解説者の声が幸せなV字をうつす
もっと地球を見せてください
孤独な地球を見せてください



  皆様


「『一冊の詩集』に代えて」という詩文をお送りしたのは、一九九七年か八年でした。
それから二十年近く経ちました。当時、今後は書くことも多くはあるまいなどと恰
好よいことを述べましたが、前言を翻し、書き付けてあったものをまとめました。
三月で八十歳になりました。記念というより書き散らしてあるものを整理して身辺
きれいにしておきたかったのです。
WORDの記録を見ると、二〇〇三年前後に記録されていますが、「人さらい」とか
「鼠小僧」というものを、やはり一九九八年頃にノートしていた記憶があります。
当時、近くにある区の施設で、地域の方の文化活動のお手伝いをしていましたが、
夜の暇なときにノートを開いたりしていたからです。二〇〇二〜三年とは、ワープ
ロが市場からなくなり、止むをえずXPを求めて、ワープロの記録を移し換えてい
たころかもしれません。

書き散らしたものからいくつか、
「雪女・あなたのことを……」
「鼠小僧―少年の日の読書」
「拾遺・十七歳……」
とわけてみました。最初の「雪女」や「あなたのことを」は、決して幸せではなかっ
た母のことをかいたものです。読んでいただければ幸いです。
「鼠小僧」は今も忘れることのない少年期のあやしい読書経験です。今でもどう考
えるのがよいかわからない点もあります。悪しきものを懲らしめる空想に(むしろ
辱めることの喜びに)、どうしてあんなに興奮していたのか。昔、黒澤明の「七人の
侍」で、とらえた賊を囲んで罵り喚き、リンチを加えようといきり立つ農民たちを
志村喬たち侍が懸命に押しとどめているとき、家族を殺されて唯一人生き残ってい
た老婆が、まがった腰で鍬を引きずりながら近づいてくるシーンがありました。そ
の姿に侍たちも為すすべなく無言で背を向け、村人もまた呆然と見守るシーンでし
た。あんな感動とは似つかぬ病的な気持ちではないかと思うのですが、正邪を問わ
ず、憎悪とは相手をなぶりいたぶる嗜虐的な気持ちになるものだろうか、自分もま
たそうなのだろうか、子供の心にも(むしろ子供の心にこそ)こういうことがある
のだろうか、――そう思っているのです。もっと不穏な言葉も書かれていましたが
削除しました。今でも荒々しい粗暴な感情が湧きあがるのです。
「拾遺」は古い日記とか広告の裏に書き留めてあったものです。一々説明すること
もありませんが、重苦しいばかりも嫌なので、間奏曲風に小さなものを挿んでみた
のです。このうち「夏」とか「僕の頭の中で」など、最初に書いたものから言えば
身奇麗で余所行きの貌をしていますが、これは古いものを消したり足したりしてい
るうちにこんな形になっていたということです。あるがままに、四の五もなく自分
をさらしていたときが身に沁みますが、「生」のものに「形」を与えようとするのも
自分を越えようとすることかもしれない、と思います。
一つだけ書き添えますと、「僕の頭の中」を駆け回る「青い瀬戸物の馬」は、愛読し
たロープシンの『蒼ざめた馬』や『黒馬を見たり』からのものかと思いましたが、
(サヴィンコフ『テロリスト群像』などもありました)、その本を読んだのはもっと
後のことです。またそんな思想的な深遠な意味があったわけではなく、むしろ本立
てに転がってほこりをかぶっていた硝子や陶製の小さな置物が主人公だと思います。
足が折れたり青く塗られていたものもありました。悩ましい時期で、要は「僕の脳
髄は、無数の蠅の蛆虫がうごめくように、がらくたの瀬戸物の馬が駆けずり回った
り喚いたりしている」ということだけです。それでも最後の高原の馬の情景は、十
代の最後の頃に見た千曲川河畔の光景です。夕方、革の浅瀬で馬の親子が水を浴び
ていました。近づいてくる私達を見た親馬は一瞬警戒の目を向けましたが、すぐに
首を伸ばして、暮れていく山の方を振り返るのでした。そのしなやかな首筋――、
ゆっくりした長い時間でした。仔馬は足元で水を飲み続け、河原には川原撫子が咲
き乱れていました。晩夏といわれるころのことです。憂鬱派で、悲観的、自虐的な
気分がぴったりしていた頃、というだけでなく、「夏」の詩のように、やがて終末は
訪れるだろうという予感も、いつも私を取りまいていました。
そういう中で、どこか四季派のような「病める日に」は、そのまま「恢復」や「和
解」を願っていた正直な気持ちだと思います。「秋」の訪れも自分をそこに誘ってく
れるようです。「霊柩車」もそれに近いものです。当時住んでいた大田区の洗足池か
ら石川台周辺の中原街道の切通の坂をよく歩きました。振り返ると坂下に秋の日を
浴びて町が広がっています。時には丹沢の山々までが影のように望まれます。桐ヶ
谷の斎場を往来する霊柩車をよくこの坂道で見ました。式を終えた後の車なのでし
ょう。坂下の町に吸い込まれていくのです。静かな音楽を聴いているようでした。

書かずともよいことを書きました。
時間ばかりかかりました。お送りするのをためらっているうちに、いつか六月、七
月と過ぎ、八月ももう終わりです。目や耳を覆うような出来事ばかり、無慚な日ば
かりです。この夏もまた異様でした。天の悪意すら感じていました。そんなときに
内にこもった回想などと思いましたが、最初に述べたように身辺を整理しておきた
かったのです。世に問うなどという烏滸がましいものでもありません。未熟な部分
も多くありますが、残された時間もそうはありません。思い切っていつものように
ご無沙汰のご挨拶に代え、親しくして頂いた皆様にお送りします。ほかにいくつか
SOME of MY GRAFFITIなどという題で編んでみましたが断念しました。
ご気分が向いたときお読みください。一つでもお心にかなうものがあればうれしく
思います。ご不快なものがなければうれしく思います。遠慮なくご叱正くださいま
すよう。
 皆様のご健康を祈っています。

   二〇一四年八月                    宮下 襄


(追)
「月の光の中で」という詩には、もともと最初にこんな詩が置かれていました。

  沈丁花匂う春の宵
  言葉を知らずに私とお前は
  唇と唇を重ねて心を読んだ
  月光は白く輝き
  お前の髪を
  真昼のように明るく染めた
  それはまことに
  いかなる日であったのか
  年を経てお前はいつか
  白いものも混じる髪を
  赤く染めたが
  黒い瞳を昔のままに
  しずかに笑みを浮かべていると
  思っていた
  それは私のあやまりだった
  気づかぬうちにお前はいつか
  あの日のように言葉なく
  月の光満つあなたをめざし
  しずかにしずかに昇っていった

 ああ、わが愛
  かく恋うる日の何ぞ激しき

 この想像の裡での「妻」を恋うる歌には本歌のような作品があります。
 少年期の読書の一つですが、やはり姉の本立てにあったもので、大下宇陀児さんの
推理小説ではなかったかと思います。どこかの文庫本(創元? 春陽堂?)だったと
思いますが、その中・短編集の作品の一つでした。題名や詳しい内容は忘れました
し、確かめる時間も持てずにいますが、恐ろしい殺人事件を見てしまった聾唖の少
女が、不安や恐怖に戦きながら見たことを懸命に青年(少年?)に訴えるのです。
唇の形で言葉を読みとる読唇術というものだったと思います。沈丁花が匂う夜の月
の光の下で、青年が少女の唇から言葉を読み取っていくように覚えています。その
意味はわからぬままに、自分はずっとその情景の濃密さだけは忘れずにいました。
思い出すままにいつかこんな言葉を呟いていたということです。あの青年と少女が
共に携えて生きるようになり、年を経て、静かに別れる日を迎えるのではないか―
―。
 余分なことかと思いましたが書き添えておきます。どうぞ寛大なお心でお読みくだ
さい。