「e-文藝館=湖(umi)」 

みやした ゆずる  島崎藤村研究家  詩人  昭和九年(1934)神奈川県鎌倉市に生まれ、やがて東京都に転じて成人。ながく学研の編集者として活躍のかたわ ら島崎藤村研究に志を傾け、定年後も。久しいお付き合いで、秦も数々お世話になった。 掲載作は、文字どおりの題名のままであり、詩人入魂至誠の境涯といえる。 2016.07.27 掲載 (秦 恒平)





 『一冊の詩集』に代えて  1
                      

                        宮下 襄



  亡き友Mへ

いつも君は一冊の詩集を残して死にたいと言っていた。そして一冊の詩集も残さずに死んでしまった。「一冊の詩集」? そんな言葉に私は何度うっとおしい気持ちになったり嫉妬したりしたことか。
あれから何年たったか。その間に私たちは疎遠になり君は死に、何の目標も見当たらない私は毎日の生業に自分を追い込み、同じように一冊の詩集も残すことは なかった。それよりはむしろ何度も身辺から、書き散らして来たものを見苦しいと思って捨ててきた。そしていつのまにかいくつもの年齢の坂もこえていた。
未練というものは誰にでもあるものか。その後私は筺底から捨て忘れたノートを見つけることになるが(それはさらに未練なことに捨て切れずに残してあったというべきだろう)、そうなると昔書いたものの影をもとめて、みっともなくもあっちこっちをひっかきまわすようになった。
ここにあるのはそうして集めたものだ。その当時そのままというわけではない。いくつかのの断片はふくらまし、描線に手を加え色もぬったが、半分はその当時 そのままのものだ。また今もそれほど変わっていないと思わずにいられない。君は、そんなものはもういい、どうでもいいと思うだろうか。それとも例のように 辛辣によみ、寛大な言葉を重ねるだろうか。それはどちらでもよい。君の眼を思いながら自分の為に残すのだから。
君の詩もひとつあった。
君が学窓をでて一時をつとめた地方の高校の図書館だよりに残されたものだ。こんなものを書いたといって、はにかみながら私にくれた、そのときの君を忘れは しない。君はいまでも「折れた木」だけを見つめているのか。「百千鳥の酔い痴れる」所にばかり眼を向けようとしているのか。「全てのものの中でガラス玉こ そが最も美しい」と信じているのか。それは私には分からない。ただ私にとっても風景はいつも不安定に歪んでいた。そして最後に、この詩を掲げることは許し てくれるだろう。「書く」ということはやはり、「自分の為に」ということと同時に、読んでくれる人に手を差し伸べることだから。


   城と海と
                            舛田 睦雄

いま折れる
私の眼に見えない風景のなかの
いちばん美しい木が 
私を目に見えない天使たちに分らせていたあの一本の木が

こんな詩句と共に青葉の五月も逝った。
樹液に酔い痴れた葉群のリズムに心を満たし、初まろうとする酷暑の夏への重い期待を抱きしめるような一日とてもなく。夜毎に、拡散しようとする心をあちこ ちの感覚の隘路から引きはがし、見えざる城への凝視へ導こうとする。朝が来る。昨夜、私は、「百千鳥の酔い痴れる」所へ至りえなかった。新しい一日の豊富 な感受が、昨日のそれをみがくことを許さない。海はそうした私の営みを間断なく遠まきに伴奏した。「伴奏」というのが正確だろう。私の営みとそれが充実感 をもって一つのものとなったことはないのだから。傾いたコップの中の水の不安定さを失うことはなかったのだから。
併し、海は既に私にとって風景ではなくなった。私は飛行家の弟子であると言う詩人の、全てのものの中でガラス玉こそが最も美しい、という言葉を信ずるだろう。遠い城のための一本の陵線を引くために海の曲線の無限の繰返しと競争しながら。
 


  T 1960年   


 六・一九

花のめぐり、星のめぐり、時のめぐり、すべては生まれ、すべてはたえる、
虚無から虚無へ、虚無から虚無へ、
すべてはとだえ、すべては生まれ、とだえ、生まれ、まわる、まわる、
時のめぐり、星のめぐり、花のめぐり、
あゝ馬鹿な、なんて馬鹿な
そう思う、その日々に

友よ、行くのか
この一時を
友よ、行くのか
この一時の怒りの時を

樹々はうまれ、樹々は帰る、花はうまれ、花は帰る
永久にくりかえす時のめぐりよ
うまれ、帰り、帰り、うまれ、帰り、うまれ、うまれ帰って、
とこしえに、とこしえに、変わることなく、めぐる虚無、めぐる虚無
あゝ、このむなしさの、どこまでいくのか、どこにいくのか
そう思う、その日々に

友よ、行くのか
この一時を
友よ、行くのか
やはり、行くのか



 その朝

その朝
傍らのジープのなかで
父はむくんだ黄いろい顔をして睡りつづけた
だらしなく口の端から涎を垂らして……
幾晩の攻防のさなか
押し寄せてうねる群衆のなかに
父は
息子の顔もみたと思った
父は黙って
彼らとむきあっていた
息子と同じ若い部下を
血走った目ではげまし叱咤し
自らも
ひるむ心をふるいたたせた
時間は永遠に思われた
しかし父は立ちつづけ
かたく拳をにぎりつづけた
たぎりたつ憎しみが彼の心を頑健にした

官邸のまわりに
薔薇の花が散っていた
群衆は潮のように去ってしまった
折れたプラカードや紙片や棒切れ
泥まみれの靴やむしりとられた六月の枝……
その中に薔薇の花も散っていた
父は何も見ず
精根つきはて
傍らのジープのなかで
昏々とねむっていた



   U 1960年前後〜1970年


 青い空

私の頭の上に青い空がある
高く悲しい
青い空がある

それはいつのことだったか
あの空の上に
私が不意に
きらきらと光る美しい都を発見したのは

異国風の尖塔や水晶製の宮殿が
そびえている
私の夢の結晶のように
風と光りの中に
ただようようにそびえている

みつめていると実体を失い輪郭だけになり
やがてかききえていくほどにもろく
かぎりない奥底に
錯覚のようにゆらいでいる

それ以来 私は
あの空に上っていく
消えようとするほどに小さく
恍惚として上っていく
イカルスが翔び
地に墜ちて死んだ
父の悲しみも思わず



 秋の記憶

死んだ秋の蚊がスタンドの下に
きのうのままの形で硬直している
ほこりまみれの部屋に深まる夜は
風も落ちて
たださらさらという限りない夜の河の流れ
家々の灯も消えた
今日は警鐘の音もしない
劇は止み やさしさのおとずれるとき
担うものも多くはあるまい、と
多分、安らかな眠りに落ちる人々の心のなかに
わたしはためらいがちに愛の手をのばしてみる



 梅雨の庭

晴れやらぬ梅雨どきのわが家の庭
つる草がからみつく草むらがあった
その中は風も通らず
日光の恵みにもそむき
草の茎もなま白くひよわに育った
それでも酸漿は
青臭い小さな実をつけるが
葉はあわれにも虫に食われ
葉脈あらわにしとどにぬれて
肌にふれると
微熱病患者の全身に悪寒がはしった
粉のように羽虫がとび
葉裏には
青い保護色の蛾の幼虫が
ひっそりと隠れすみ
なぜか粗い剛毛の一匹の蝿が
これは化石のように動かず
偏平な足長蜘蛛は
はりつくようにひそむのであった

私のなかの空洞
ここには夏は
永遠におとずれることなく
世をすねた虫たちは眼をふさぎ
憂鬱な
隠微な夢を紡いでいる



 死は……

死はわたしを慰めるでもなく
わたしを不安におとしめるのでもなく
わたしのそばに静かに横たわっていた
山陰の集落
村々は 畑のなかに
あるときは山峡の切り開いたわずかな土地に
入江の波の水際に
かならず一群の墓地をかかえているのであった
早春の日のたわむれのもとに
それらは
死の存在を主張するのでもなく
人々に不安を強いるのでもなく
桃の木の爛漫とした花盛りの下に
ひともとの楠の大木の木陰に
波が洗う廃船のかたわらに
ただ昔から
よりそい存在するかのようであった
すぎゆく汽車の窓
村々は
疑うことなく
横たわる祖先のなきがらの横に
静かに静かに生きているようであった



 旅 T

私がかえってゆくという
廃道のわだちのあとをたどり
私がかえってゆくという
この旅のはじ多き日々

見かえれば 早朝の霧の渦はれ
はるかはるか 登りつめた視界の下に
草原のうるむような明るい五月は
かっこうの声にもうずもり

名も知らぬ卑しき野草踏み
私は うちふるえる一本の白樺の木にすら
死ねという
あの哀しい声をきいた

雲を木を草を
愛するということの
その優しさにこもるわが羞恥
私がそむき 私がすてさってきたものたちの

死ねという
森陰に 私が扼殺するわが母の記憶よ
忘恩の礫を投げ
逃亡の唄 くちずさみ
それは一瞬のこと
生々しき血痕のしみたこの土地土地に
祝福されざる私の旅の日々。



 旅 U

わが見しものは
草原に骨となりしなまぐさき蛇の死骸
にじみでる脂 地に染みをつくり
蜂の死骸 数匹 かたわらにちらばってありぬ

わが見しものは
陽のとおらぬ森陰の 湿地に育ちし羊歯の植物
あわれ胞子は まなこなく
光なき闇から闇をまさぐりゆかん

わが見しものは
風化せし落葉松の森
立ち枯れし森
鋭き梢、白々と骨の如く
見下ろせばわが街
廃墟の如くひろがり
病める六月の水蒸気の下に
影の如く

わが見しものは
ぶなの木影
芽吹きやさしき落葉松の芽
哀れなるみやまざくら
かすかにさきし影
さるおがせ風になびき
かけさりし兎の影
地に這いし這松もつき
赤く灼けし岩の堆積



 反歌
   すぎてのち
   むかしをふりかえりたるおとこのうた

まなかいになれはあれども
なれはすでにわれには遠し
耳をすませば
風はいまも
太古のままに吹いておるらん
滑落する岩石の音は
谷底に反響しわれをまねかん
熱き日に灼けし岩稜の匂い
昔日のままわが手に残る




 草原に埋もり

草原に埋もり
聴いたことのない風の種類を数え
青い茎の間にゆれる空と雲を見上げていると
やがて
はねとんでは消えていくバッタや横ばい
時には隠者のようなカマキリも
私の仲間になるだろう

至福の時間は
いつも夢だ
夢を食べる動物がゆったりすぎて
草が揺れるが
孤独な愉悦とはそれ自体汚れた罪の匂いがすると
身をちぢめる殻の中で思うだろう

ほう
それにしても
清浄な時間は一つの徳だ
世を逃げだしたと
時には語り
割然と開ける世界へ行こうよ



 博物館

ここは南国の火の山に近い博物館で
私がそこになんのためにまぎれこんでいったのか
とにかく私が歩むと音たててきしる階段をのぼり
かびのにおいする標本室にはいっていった
〈物〉というのはなるほどおかしなものだ
ホルマリン漬けの
数々のぐろてすくな
爬虫類の
標本が
これは うらめしげな眼というのだろうか
脱色した白い変種の見本のように
色のない 白子の陳列
街角にさらされた骨よりもいやしく
あわれにも犯されたものたち
あかに汚れた大小の標本びんのなかに
手足をつっぱり
胴体をひんまげ
生きたままに閉じ込められ
宙をにらみ
そのまま永遠に存在の色を奪われ
ああ
ここは南国の火の山に近い博物館で
訪れる人もまれな 町の中の とある空虚
外に出れば 火の山の明るい
青くかがやく空の下に
びんの中に閉じこめられた
色のない色の
蛇・蛙・かめ・
ブヨブヨとして薬液にうき 
のろわれた胎児のように
宙をにらんで
わおん わおん



 砂浜

町中の川にそって海に出た
雨もよいの南国の海岸
わたしは灰色に続く砂浜を歩いていた
陰鬱な松林は これはどこまで続くのだろう
たれこめた雲と地平のはざまに
先細りに消えていた
波は単調に元気なく
とろんとした音をたてていた
それにしてもなぜなのだろう
ここは妙に蟹の脱け殻の多いところで
わたしのあしもとのあちらこちらに……
と見ると やがて砂浜全体がびっしりと
白黄色の脂肪色をした蟹の脱け殻に埋まっていた
生臭き匂いたちこめ
うちすてられた海草の腐臭もまじり
銀蝿がとびたち
壊れた漁船の板も崩れ……
鋏も脚も満足な脱け殻を踏みつけると
それは砂の中にいったんもぐり
次の瞬間、靴底に乾いた音たてて割れるのであった
ぬるぬるの体液も残る脱け殻を踏むときは
それはぶよぶよの生き物を踏みにじるような猥雑な感触が全身を走り
ついで鋏や脚の関節の砕ける音が乾いた直截な音をたて
最後に胴体のつぶれる音がぐしゃりと
背筋から脳天に電気のように走るのであった
わたしは硬直し
迷い込んだ砂浜に当惑してたちすくむのだった

ああ
ここは妙に蟹の脱け殻の多いところで
いったいそれはなぜなのか
わたしは陰気にこの砂浜を後にするが
ふと墓場さながらの砂浜に
月の夜にぞろぞろと無数の蟹が海から湧きあがり
月光に照らされながら脱皮をはじめるという想念が生まれるのだった
するとこの砂浜一面を埋めつくす蟹の群れが見えるのだった
緩慢にびちびちと口から泡をふき
その音は蟹の呟きのようにもきこえ
やがて音もとまり
生臭い静寂がつつみ
波は退屈げに
海もどんよりと
風落ちて
ただ月の光だけ皎々と
古い衣装を脱ぐ蟹の群れを荘厳に包むのだった



 桜

桜は
よごれた味気ない色をした花だと考えていた
花びらも色褪せてみえ
葉桜のころの旺盛な繁殖の勢いに比べて
つまらない花だと決めていた
生意気なころだった
散り際の美しさとか薄命な花とか
万朶とか散華とか
大人たちの喝采がうとましく
私はただ反発のための反発を繰り返していたにすぎなかったが
そのほかにも私には
不気味に新緑が繁茂する有り様に
少年あるいは青年期の特有の興味もあった
私はそのころ十五歳だった
なによりも私は
都会の貧しい哀れな桜しか見たことはなかった
しかし軽薄な年齢もすぐに終わった
私はあるとき
私の軽薄な考えなどまったく意味なくおもえる光景を体で感じた
桜は 山一面の桜は
匂いのない情欲のように咲き乱れていた
なぜにこうも私の官能を刺激するのか
花の下に立つと
辺りはこの世ならぬ薄明につつまれ
花は無尽蔵の波のようにゆれて
花びらも無限に降りそそいだ
淡い花びらはしっとりと粘りつくような触感で
私の指先からはなれなかった
冷たい肉感は
憧れていた白い女人の体に思えた
そしてその花びらが
全山一面に咲きあふれ私をおおった
かすかな花の匂いも私をさそった
桜は
あふれる官能をつつましく包んだ成熟した人の姿に思えた
その後私は
桜の花を見るたびに
私の想像の幸福に酔った
しかしあるとき(まだ周囲も凍った早春のころ)
私はまた違う眼でこの樹木をながめた
裸の枝には
冬の間に用意された花蕾が
まるで病的なコブのように異様にふくらんでつらなっていた
空をすかして
蕾は日一日と大きくなっていった
いやまさる皮膚の病いのように
ぐろてすくであり無気味であった
樹木にもある欲望が噴き出るようで
私には
肉瘤という字を当てるのがふさわしいようにも思えた
私は植物にも訪れる生殖の季節の印しと思った
そして
自分たちの生殖器や生殖の営みが
衣服の下のとざされた暗い世界から
外光の中へあからさまにさらされていくように思えた



 処刑

「明日、処刑がある」
どこからともなく伝わってきた声を聞いた
次の日の朝早く
わたしは
刑場のある城の広場にむかった
黒い頭巾とマントに身をつつみ
黙然と城に急いだ
外はまだ灰色におおわれ
赤黒い一本の朝焼け雲が城の上に光っていた
きのう降った雪が凍って
わたしの木靴はカチカチと鳴り
痺れる寒気に手も凍った
村人も同じように
凍ったあちこちの小径をつたい
黙々と集まって来た
城の前に足をとめ
聳える塔を見上げて立った
朝焼けは消えることなく
不吉な血の色のまま冷たく光った

時がすぎた
塔の上に黒い旗がするするとのぼった
わたしたちは息をのみ
それをながめた
空気がこおり
すすり泣きの声も
しばらくして止んだ
だれにともなく頭を下げて
こみあげるものに耐えながら
わたしたちはもと来た径を戻っていった



 今日も私は

今日も私は
隣町でおこった学生達の暴動を見に
坂上の広場に行った
私ばかりでなく
坂上のこの住宅地には暴動はかっこうの話題を投げ
人々は坂上に集まって
さながら夜の遠見の火事のように
坂の下を見下ろすのだった
坂の下は町
教会のクルスもきらりと光り
密集した家々のガラスも陽をうけてかがやき
わずかな森にかこまれた池のむこうに
今日もいつものように
ひるがえる何本もの赤旗
私たちはだまってみつめるのであった
戦いはたけなわのようであった
一方には中世の歩兵のような異形な兵士の一団
濃紺の軍装を身にまとい楯をかまえ警棒をふりかざし
一方には思い思いの覆面の
貧相な学生達の奇妙なヘルメットが統一もなくばらばらに飛び出し、
入り交じり散じ
砂ぼこりが鎮まると後には
倒れた兵士が青虫のようにぴくぴくと痙攣しているのだった
まったくいつものように
どよめきも叫喚も時折風にのって我が耳にとどき
日の光をきらきらうけて
声なき黙劇
石のつぶてが弧をえがいて
降り注ぐ水柱が陽光にきらめき
それともこれは
遠い記憶にわきあがる小学校の運動会か
万国旗が風になびき
ピストルの音がはじけ
歓声がわいて風にのり
赤も青も白も黄も
走る走る運動会か
あろうはずがないそんなことが
何度かの小競り合いを終えると
どちらともなくぐったりと腰を下ろして
休憩の時間に入るのだった
やがて日暮れて
夜が濃密におとずれると
篝火は赤々とこの坂上からも見えるのだった
どこかで花火も上がっている
誰が吹くのか
フリュートの音も聞こえてくる

いつもそうだった
光まばゆく胸はわきたった
私は心の中で思うのだった
いつの日かわが足下にも暴動の炎燃え立ち
わが心をも燃えたたしめよと
だが私は
私がそのようになり得るなどと信じたこともなかった
私はまた思うのだった
暴動の火は明日にもわが町を包むのだろうか
すると次のような返事もあった
いやいやあろうはずがない
この堅固なあすふぁるとの道につけいる何があるというのだ
そのうえ私には
学生への同情も政府軍への共感もどちらもなかった
ただ奇妙な倦怠をいやすために
この場所に来、この黙劇を見た
そしてまた両者はともども
この遠巻きの観客に何の関心も示さなかった
そこは一つの別世界であった
私の国でも町でもなかった
特に時折
町ですれちがう覆面の彼らは
よごれた覆面をとりはずすこともなく
我らには無関心にだまってすぎた
我らは遂に彼らの縁なき衆生だった
私もついに
彼らに親しみをおぼえたことは一度もなかった
私はいつか見ることになれてしまった
見るという行為に意味があるなら
私はそして坂上の広場に集まる住人は
眺めることによって浮上する喜びをひたかくしひたかくし
坂下の事柄の経過と展開に愚かな批評家の目をはせながら
かたいあすふぁるとの感触を忘れるかのようでもあった
しかしそんな言い訳も束の間の囈言にすぎない
意思なき行為はやがて惰性になって
光り輝いた光景も
通りすがりの景色の一つになるだろう

どこかで花火もあがっている
明日またこの坂上に来てみよう
景色は光り輝き
生き生きと私に訴えかけてくる
我らはいつも小さな暴動に夢を紡いで
蘇生する喜びの中にひたっているのだ
それとも景色は
灰色にわびしく縮んで
みすぼらしく疲れたものに変わるのか
それもよいではないか
そのとき私は
私も同じようにみすぼらしい疲れた風景の一員であることを
誰よりもよくしることの幸運をつかむだろう
夜はゆっくりふけてゆく
フリュートもまだ聞こえている


 
 さよならグッバイ

最終バスの赤い尾灯が
凍った夜に消えた
一段と深まる闇の底を
くつ音ばかりがひびくようだ
見上げると旧い農家の屋敷森が
黒々と夜空を区切る
(風がなき、時には光る星のまたたきもあった)
このようなとき
自分はいまひとりであることの幸福と寂寥を
実に深々と吸い込む
だれも私をさまたげることはない
私もだれをさまたげることはない
何びとの手もとどかぬ大いなるものにつつまれて
暗黒の闇の下に
一つの生命を終えようとする
闇も星もそういう私を声をださずにまっている
それは遠い記憶でもある
始源の水底に漂った存在のように、だ
光りなき海底に浮きつ沈みつ
うねりながれる無限の憂愁に
いつかめばえ またいつか
とけいるように消えていくのだ
ああその恍惚としたあふれる感情は何だ
遠い灯がまたたく
あたたかな橙の色は
いつのときにも変わらぬやさしさを語ってくれるが
まもなく私もここを立ち去るだろう
私自身が闇となって
この闇の中に帰っていくのだ
さよならグッバイ
また逢う日まで
にっこり笑って消えて行くのだ



 私をのせて
      ―新年の挨拶―

私をのせて
この星はまた長い一年の旅にでる
地球は青く美しかったと
空からの便りを届けた人はいたが
私たちはまだ
遠い部族の憎しみの夢すら
忘れていない
太古の森から
臆病気に草原をうかがった
いやしげな私の祖先よ
それは不思議ではない
出会うものがすべて敵だったその日々が
延々とわが血脈に流れようと
偶然が生んだ存在のあいまいを信じることはない
血をむさぼった
幾年代の人骨累々と埋まる
荒野に吹く風は腥く
なおその上に喜々としてあることの背理など
この星は語ることもなく
寡黙な自らの運命を回るが
せめて時には咆哮しもえたち
その陰鬱な思いを我らに伝えよ




      あとがき
 
改めてみますと、今さらのように自分にはユーモアも軽みも、ゆったりとしたゆとりがなく、心楽しまざるところばかりがめだちます。「哄笑」という言葉がす きです。心から笑えるものをよく考えますが、私が書くとしつこく品下がりますので書けません。私の業のようなものでしょうか。
T・Uなどと子細らしく分けましたが、Tは、最も古いものだけにそのまま収めました。
「六・一九」など、政治的時代といわれた当時のことを重ねてみても貧しいものだと思います。政治参加とか社会的人間像とか、私共にも一九五〇年代から新し い人間の生き方として問われ続けました。独立の危機とか、民族の危機ということもそれに伴いました。私もそのよう言葉や戦後の民族主義、革命の幻影に振り 回されていました。(私の読書の出発は宮本百合子のような作品であり野間宏の『暗い絵』でした。ソ連の大祖国戦争当時の『若き親衛隊』など、いまどきどの ように読まれるのでしょう)
それでも一九五五年頃にはもうそういう問題を克服できたと思っていました。だから身近な学生運動に対してもかなり冷然と一線を隔すことになるのですが、一 九六〇年のこのときは、ラジオから刻々と流れる情報に動揺し冷静ではいられず、こんな詩を残すことになりました。東京郊外の家ではまだ夜空に輝く星がよく 見え、私は次の朝、渋谷の南平台に呆然と立つことになります。
そうはいっても、当時の私が、あの問題にどういう意見をもっていたのか、反対であり、批判的であったのかと問われれば、今も何ひとつ答えをもっていませ ん。私はいつもそのような事にうしろめたい気持ちを引きずって生きていましたが、賛成反対といっても、我々はすべてのことに是非の態度を決定できるほど賢 い存在でも万能でもないことをやがて知ることになります。
それではあの当時どうして、ということになりますが、あの渦は私を取り込むだけの強い力をもっていたのでしょうし、私もあの渦の中に一緒にいたかったのだ とも思います。取り残されるさびしさもあったのでしょう。そして南平台の前で疲れ果てて眠りこけている初老の機動隊員を見、へし折られ散らばる白いバラの 花を見たことになります。
いずれも、当時への懐かしさと私の原点の意味で掲げました。別に「ハガチー氏よ、来てくれるな/来て、この混乱にさらなる油を注いでくれるな」などという 悲鳴に似た文もどこかにあったはずですが、これもどこかに消えました。U以後はそれなりに読んでいただければと思いますが、「青い空」などは友人舛田睦雄 の「手」という詩と類似点があります。「手」は彼が大学の仏文の仲間と出していた同人誌にあったはずです。「うしろをふりむくと/手がある/……」そのよ うな言葉で始まり、空から巨大な「手」が彼をとらえようとしているシュールの絵を思わせる趣のもので、生の不安が切迫した感じでうたわれていました。その 同人誌もなくしました。しかし彼の「不安」に対して、山に惹かれた自分には「空」はいつも遠い憧れでした。「梅雨の庭」「秋の記憶」などとともに一九六〇 年前後の、学生時代のものかと思います。学生時代と申しましても、「梅雨の庭」「秋の記憶」もそうですが、その前の病身だった頃や、一人こもって受験勉強 をしていた頃からの折々の気持ちがいつの間にかこんな形になったのだと思います。
「旅」の詩は学生時代に登った山の回想ですが、もう山に行くこともなくなった社会人時代に、あふれだすままにノートしておいたものです。未完成に近いもの ですが、そのままにしました。「かえっていくところ」とか、伊東静雄のものでしょうか。当然、何人もの詩人の言葉があちこちにあるような気がします。「反 歌」などは誘われるままに今回書き足してみました。
「死は……」とか「博物館」とか「砂浜」は、会社の仕事で地方へゆく機会が何度もありましたが、いずれもそのときのものです。それが何処の土地であるかは ともかくとして、仕事が終わったあと私はよくこんな自分だけの時間を見つけてさまよいました。何ひとつ自分の屈託をはらすものはなかったように思います。 ノートには「やさしい土地の名前よ/この道は敦賀街道に通じている/反対のこの道は周山街道に通じている」というような私のすきな行もありましたが、まと まったものではありませんでした。
「今日も私は……」などは、底抜けに笑い出したくなるものを書きたかったのでしょうが、力足らずで混乱し自分に執しています。むしろ無気力で投げやりな気分が出ていればと思うのですがどんなものでしょう。
Vは比較的最近のものです。「さよならグッバイ」はまだ編集者の当時、夜業の帰りによくこんな気持ちを味わいました。まったく同じようなマンネリズムに省 く事を考えましたが、捨て難いところもありました。最後は、新年の挨拶です。新しい年には自分でもなにがしかの感慨に打たれるのですが、喜びの歌などは論 外で、いつのまにか、こんな形になってしまいます。「排悶」とかいう言葉はありますまいか。自分は案外悲憤慷慨派かと思うこともあります。
あと、あれはどうしたかなとか、思うものもありましたが、捨て去ったものはやはり捨て去ったものなのでしょう。もうこれから詩をつづる(あるいは詩のような言葉をつづる)ことも多くはないでしょう。すくなくともこのような気の重いものを書くことは少なくなるでしょう。
 今は 黙してゆかん
 何を また語るべき
と『北帰行』の詞を切に思うのですが、ただ過ぎ去った日々を、多くの信頼や誤解とともに生きてくれた人達へ、また、時折の回想に寛大な友たちに、いつものご無沙汰の挨拶のようにお送りします。お送りしたことが皆様にとって不愉快でなかったことを切に念じています。
                                                  宮下 襄