古典の、こころとからだ 2002.10書き下ろし
古典の、こころとからだ
和歌・歌謡のこころ言葉 = 俳諧・川柳のからだ言葉
秦 恒平
古事記や万葉集の時代、「からだ言葉」は熟していない。
胸といい乳といい腕といい、ただ肢体の名がそのまま出てくる。
「からだ」の各所が遠慮なく直視さ
れている。
「蛆たかりとろろぎ」いる腐乱死体すら直叙される。
恋愛や愛欲にも、そのままの「からだ」が直叙される。
「からだ」が隠喩の材料に意外なほど使
われないのである。
一方で「こころ」の苦悩や歓喜は、恋の場面で、生活の場面で、多彩に「こころ言葉」と熟して活躍している。
当然のように「からだ」はリ
アルに、「こころ」はサイコロジカルに、少し距離をおいて対峙していたようである。
平安時代にはいると、古今集にも源氏物語にも、露骨な身体部分名の直叙は水の引くように影をひそめ、ほとんど「身」の一字で総称されて、「心」と対にな
る。
「からだ」は卑下されたか、ときどき露骨に性的な隠語はあらわれるものの、ことに文字表現において肉体の直視はむしろ忌避されてしまう。
「身と心」と。
これはことに和歌のような短い表現には便利な把握で、そうでなくても「心身」は、いまも常用語になっている。腹、首、目鼻口、尻の肘の爪の
と言っているかぎり、端的に「心」と一対には並べにくいが、「心・身」となると、無縁の一対どころか、緊密に連携・連帯した何かであると、いやでも納得で
きる。
「心身の発見」と呼んでよいこの認識は、ほとんど最上等の哲学とさえ成る。
紫式部も和泉式部も西行も、中世歌謡の作者たちも、また芭蕉ら近世の俳人
たちも、みな「身と心」の兼ねあいに、折りあいに、また齟齬や違和に、身を揉むように心を悩ませていた。現代人の日々の悩みとて例外であるわけがない。
一方江戸時代に入って、俳諧や川柳が市民の声と言葉を喚起しはじめると、爆発したように「からだ言葉」が日々活躍し始める。
自分や他人の「からだ」がま
た目に入ってきて、それも上古の人のそれとは違っていた。
「からだ」が「からだ」から氾濫したようにはみ出て、べつのとは言わないが、もっともっと豊かな
「表現」を獲得していったのである。
むろん俳諧や川柳にも「こころ言葉」は多彩に豊富である。和歌や歌謡にも、圧倒的数多くは「身」であるが、「朝顔」「人目」「眉ごもり」「面影」等の「か
らだ言葉」は効果的に生きている。
ここでは、大きく対比し和歌と歌謡から「こころことば」を、俳諧と川柳から「からだ言葉」を、目に付くままに拾って、古
典を代表させてみた。
和歌・歌謡のこころ言葉 = 俳諧・川柳のからだ言葉
「心・身」 かずならぬ心に身をばまかせねど
身にしたがふは心なりけり 紫式部
「心・身」 心から心にものを思はせて
身を苦しむるわが身なりけり 西行
稀に見る哲学を内蔵している二首を先ず併記してみた。
「心」と「身」と。古代の人はこう対置し、統一し、しかも、やや、もてあましてもいた。
心が身で身が心というような、統制のつかない微妙な関与と反発との隙間を縫い取るように、われわれは生きている。暮らしている。心だけ、身だけで、喜怒
哀楽はしていない。
しかもなお紫式部ははっきりと「身にしたがふは心」と呻くほどに認めている。
西行も心任せにすれば「身を苦しむる」と嘆いている。
「身」に「心」をしっかと繋ぐこと。「心」を、「具体」の連関において働かせてしか、「身」の安堵つまりは「安心」もないとの認識であったのか。
興味ふかい詮索の余地が、ここに、在る。
「心・身」 野ざらしを心に風のしむ身かな 芭蕉
「身・心」 身から出た錆は心の吹出物 古川柳
昔の詩歌に「からだ」という語彙を見いだすのは至難で、記憶にも無いほど。繰り返して云うが、ほとんど全部が「身」と用いて、「心」に対置されている。
芭蕉の「野ざらし紀行」巻頭をかざる句は、紫式部や、ことに西行いらいの風興にしたがい、しかも悲壮ないし風狂の味わいがあえて強調されている。季節の
「あはれ」「もののあはれ」を身内にしみじみと覚えて、もの冷(すさ)まじき境涯に心身一統の己れを自覚している。
メタフィジカル(形而上的)で、つま
り、読者は容易には至り難い。
そこへ行くと川柳は、フィジカルに心身相関のメカニズムを、ずばりと、つかんでいる。遅疑逡巡がなく、まるで精神身体医学の標語である。患者自身の病識
とも、納得ともいえる。
この納得、心身のせめぎ合いに「身悶え」た古人の日々より、かなりラクであるかも。
*
「心を開く」 ひさかたの月夜を清み梅の花
心開けて我が念ほゆる君 紀小鹿女郎
「心に持つ」 あしひきの山路越えむとする君を
心に持ちて安けくもなし 狭野茅上娘子
澄みわたる月夜に馥郁の梅香。胸いっぱいに念じて待てば、恋しいあの人の影が、そのそこに立って見える。もう心の内に宿っている。
「心を開く」とは閉ざ
していないのである。受け入れるのである。受け入れの用意が調っているのである。明け渡して「心待ち」に待つのである、何かの到来を。「心行く」嬉しさに
溢れている。恋は苦しいものと自覚していた万葉女人にはむしろ珍しい紀小鹿女郎の歌声である。
狭野茅上娘子の歌は、開け放ち得ずに、むしろしかと「心に抱
き・持ち・保っ」て、いっそ堪えるように恋しい人の路上の安全を祈っている。無事に来て欲しいのか、無事に帰って欲しいのか、いましも山路を越えてゆくで
あろうその人の無量の重みを「心に持」ち、愛ゆえに女は「心ふるへ」ている。「気がおけない。」「心を開」いて安心しておれないほど好きな人と一体なの
だ。
「我背子」 我ガせこが夜着ほす弥生丗日哉 伊藤 信徳
「お身」 殿様にお身といはれし我がいもと 古川柳
古来なぜか、夫は、愛する男は、「我背子」と書かれる。「我背子が来べき宵なり」「我背子に吾が恋ひをれば」「吾背子が朝明の形よく見ずて今日の間を恋
ひくらすかも」などと。昔は通い婚が背景。近世信徳の句は、あす四月一日の衣更に備えた妻の思い。吾妹子と対で「妹背」とも書く。夫とは、恋しい男とは、
背から大きくおおうように庇い護ってくれる存在なのか。それとも大きな、まだ背に負ってやりたい我が子なみなのか。ハハハ
川柳の方は、落語「妾馬」の世界。「腰元」奉公に出た妹が寵愛されて御側室に、そしてお世取りでも孕むとなれば、殿様からももう名前の呼びつけではな
い。「お身」と呼ばれ、家中からも「お身お大切に」てなことになる。
「身」は、重宝な「からだ言葉」の筆頭格。「身が身なら心のままにあらうもの」の嘆息
とは逆の、ほろ苦い「目出度」さ。
*
「浅き心」 安積香山影さへ見ゆる山の井の
浅き心を吾が思はなくに 作者不詳
「心の闇」 かきくらす心の闇にまどひにき
夢うつつとは世人さだめよ 在原業平
こんなに「深い心」で愛しているのに、と。あさか山も山の井も、「吾が思はなくに」も、歌一首すべて「浅き(恋)心」を否定のために、美しく配置されて
い
る。心が、浅いとか深いとか、あたかも湛えた水のように彷彿とされている。水は自然に流れ、逝き、また走り、また淀む。古人はそのように自然のたたずまい
からも心の「かたち・すがた・いとなみ」を類推しながら「自身」を律していたのである。
だが、律しきれない「心の闇」に「心を秘め」「心を隠し」て、韜晦の生きにさすらう業平のような恋の逢瀬をも、人は、時に、さまよう。伊勢の斎宮との禁
断の愛欲を「世ひと」の裁きにすべて委ねたと見える、このしたたかな業平の「心根」に伊勢物語の魅力はかがやく。「心底」を露わすようでいて、どうしてど
うして行方も知らぬ恋の道である。
「神の顔」 猶見たし花に明行神の顔 松尾芭蕉
「手のうへ」 手のうへにかなしく消ゆる蛍かな 向井 去来
「仏はつねにいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬあかつきに ほのかに夢に見えたまふ」と。
だが芭蕉の見たい神は、葛城の神様。醜貌を恥じ
て夜の間だけ仕事をなさる。花は春のあけぼのに、しかし一言主の神様は入れ替わるように姿を隠されるのだ、ひょっとして「花の顔ばせ」ではあるまいか、一
度でも佳いお目もじしたい。
句の背後にはひと夜をあつくなじんだ初花の女神が隠れているのかも。
去来の句は、ただ手の上ではない、目のあたりに今しも我が手からこぼれるように見喪う、愛しい者の、人の、はかない命がある。「手にする」「手につか
む」「手に入れる」のは、いかにも確かさの保証のようで、ところが、その「手からもれ」「手の届かない」ところへ「手もなく」失せてゆくものが、ある。す
べてはそうと、人は、識らされている。
*
「心の花」 色見えでうつろふものは世の中の
人の心の花にぞありける 小野小町
「心にかなふ」 とことはにあはれあはれは尽くすとも
心にかなふものか命は 和泉式部
人の心は色佳く咲く自然の花のようには目に見えないが、その花の衰えて散りゆくように、男と女の「心に咲く花」も、いつ知れずうつろい色さめる。それば
か
りか、咲く花はひとたび散ってもまた咲く春のおとずれが待たれるのに、「心の花」は一度失せれば二度とは咲かずにあたらあだ花となり、よその花になってし
まう。
それもよし、うつろう可能が、「心を解き放ち」「心を遊ばせる」とも謂える。
「和泉式部の花心」と謡曲に謡われたように和泉は、大方の「浅き心」の
男の「口舌」にくらべれば、「あはれあはれ」を尽くし「命かけ」て色を好んだ、色佳い大輪の花であった。「心にかなふ」ほどの恋には、あまりに人の命は短
い。式部の嘆きには「和泉式部日記」のいとおしい二人の恋人、兄弟皇子の姿が「あはれあはれ」に刻印されているのだろう。
「心にかなはぬ」のが世の常なの
だ。
「雛の鼻」 たらちねの抓までありや雛の鼻 与謝蕪村
「手鞠」 汁鍋に手鞠はね込む笑ひかな 夏目成美
雛の鼻がひくいと。母親は高くなれよと、つまんではやらなかったのかと。それだけのことではない。雛の鼻が低いのではない。それだけでは「からだ言葉」で
はない。「身の傍」の「目の前」の少女を、いとおしく、からかっているのだ、蕪村は少女大好きのじいさまであった。雛のように無垢な時節の少女のちいさな
鼻を、ちょと摘みたいのが、蕪村老。「抓む」という身動きと字遣いに色気がある。
成美の句にも少女がいる。少女のまだあどけない「手」が見える。いたずら少年だと「投げ込む」になるが「はね込む」という粗相に少女の咄嗟の可愛い泣き
顔も見えてくる。あまり可愛くて大人達はむしろ祝福の「笑ひ」を少女のために献じている。「まあ、ご馳走さま」とでも両親は声をあげただろう。
「手鞠」の
手を想像力を尽くして透視したい。
*
「心沈む」 奥山のいはがき沼に木の葉落ちて
沈める心人知るらめや 源実朝
「心強い」 憂き人よわれにもさらば教へなむ
あはれも知らぬこころづよさを 藤原為子
鎌倉の将軍であるゆえに、奥山の磐垣沼の底深く人知れず木の葉の沈むように、「心沈む」ことはあったろう。人は容易に分かってくれない。歌はすべて「沈
む」にかかる譬え話であり、しかし「心沈む」先は、「心の底」や「心の闇」や「心の襞」であるのだろう。
沈んで来る心と受け入れる心と、木の葉や小石かの
ような「物」の感じの心と、奥山の人も通わぬ古沼のような「場」の感じの心とが、ともに把握されていたのである。
為子の方は当たり散らしている。冷淡で薄情な男に、それほどわたしを悲しがらせて平気な、「あはれ」も知らない鈍感で過酷な「こころづよさ」に、どうす
ればわたしもなれるの、教えて頂戴と。
「心強い」は「心丈夫」な頼もしい意味によく用いるが、このブチ切れた女歌のような「こころづよさ」の用例は珍し
い。
心は強くも弱くも在る不思議さ。
「尻声」 びいと啼尻声悲し鹿の声 松尾芭蕉
「息を殺す」 我息を殺さずいつか寝足る程 古川柳
日光の奥山に泊まった日の、夕過ぎてゆくころに近くの牧場を散歩していて、芭蕉の句のままの思いを実感したことがある。「尻声」は珍しい「からだ言
葉」で、むろん屁のことではない。すこし後引くまま、かすかに尻をはねて打ち切れてしまう。鹿は雄も雌もそう啼くのかどうか知らないが、「声きくときぞ秋
はかなしき」と古来謳われた鹿の声は、ふつう妻を求めた雄鹿のものと相場が決まっている。山のしじまから打ち出すように遠く近く響く「尻声」の「びい」
「びい」が耳にある。
そんな広らかな山野でなく、江戸市民の長屋は板一枚の隔てで、夜の睦言も、隣家や隣室をはばかり「息を殺し」「声を殺し」て、ままならない。
「寝足るほ
ど」の一句に、「寝もやらず」何憚らず、一夜の愛欲に耽溺したい切望がため息になって籠められている。
*
「心痛し」 今朝の旦開(あさけ)鴈が音聞きつ春日山
黄葉(もみぢ)にけらしわが心痛し 穂積皇子
「心もしぬに」 暮月夜(ゆふづくよ)心もしぬに白露の
置くこの庭に蟋蟀鳴くも 湯原王
明けそめるころに雁の鳴き渡るのを聴いた。春日山も色づいたらしい。言い淀むようで叙景は印象鮮明。それへ、パチッと物の響くように「わが心痛し」が、
適切に、愛する人・しばらく逢わぬ人に訴える。季の深まりとともに燃え、「鴈が音」によそえても届けたい思い。愛。逢いたい愛。
「心(は)痛む」ものと、
どんな他の「こころ言葉」よりよく知っていたの万葉の昔人であった。
その「心」はまた季節のうつろいにも、「しおれ」また「しぬ」ものと繊細を極めて痛感
していたのも万葉人。「淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば」と人麿は大きな景色に「心もしぬに」と歌い、湯原王は月下の白露と蟋蟀の命に「心萎える」寂しみを歌
う。
「しぬに」はしおれ、しなび、しぬる語感を受けて
いる。
「月皓く死ぬべき虫の命哉」と、遠い昔、「心もしぬに」「心痛い」日々の心を私も抱いていた。
「手を組む」 人に似て猿も手を組む秋の風 松尾芭蕉
「目が行く」 はつ鴈や夜は目の行物の隅 炭太祇
「腕組み」はそのままでは「からだ言葉」ではないが、「手を組む」は協働し連帯する意味をもつ。芭蕉の句は「手短か」に解釈すれば、秋風に吹かれた孤
猿・
老猿の「腕組み」風情がおもしろい。だが一転して想えば、昔も今も猿の世間は人も「顔負け」に「手を組む」社会である。動物園の猿山はなくても、芭蕉属目
には群れた猿たちもあり、秋風に頬をなぶられ、ウーンと慨嘆する場面もあったかも。
「猿も腕組む」でない表現の隙間からちょっと「心を遊ばせ」てみた。
太
祇の句は、もう理屈抜き。この「夜は」はむろん寂びた秋夜であり、べつに何かを見つけた野でも探しているのでもない、ただただ翳り濃い物の隅、物の隈へ
「目が行く」のである、理屈抜きにそこに底知れぬ季節感の、繊細で、尖鋭で、的確な把握がある。俳諧の妙とはこれであろう。
電灯の暮らしではなかった。
*
「心にかなふ」 とどまらむ事は心にかなへ共
いかにかせまし秋のさそふを 藤原実方
「心の秋」 人の心の秋の初風 告げ顔の
軒端の荻も怨めし 室町小歌
都にいたい。心はそう望んでいても、あんなに秋が誘うものを、どうすればいいのか。そう言い置いて実方は遠く陸奥へ旅立つ。実は勅勘をうけ、朝廷から追
いやられるのである。
心に「かなう」とは、釦のホックがパチッと適うのに似ている。心と状況とがうまい具合に適合することは恒に望ましいが、現実は多く齟
齬して「心にかなわない」。余儀なくいろんな言い訳も強がりも必要になる、「秋のさそふを」などと。
秋は往々「飽き」に言寄せられ、実方卿、都の日々になんか飽いたよと力んでいる。
恋しい人に「心の秋(飽き)風」が吹きそめたのかしら、「告げ顔」に軒
端の荻のそよと揺れて、今宵もあの人は来てくれないの、と、室町の女は男心を飽きへ誘うらしき風のたよりか怨めしい。「心の秋」は、好き逢うふたりには、
いつも脅威で難敵である。
「身にしむ」 身にしみて大根からし秋の風 松尾芭蕉
「鳥肌」 鳥肌は比翼のまくら詞なり 古川柳
ただ大根が「身にしみて」からいという句ではない。痛いほどなにか「身にしむ」感慨が五体を疼かせている。大根のからさまでがそれを無性に触発し増幅
し、いよよ「身にしみ」るのだ。だからイヤだと嘆いているのでもない。受け入れているとも謂える。みをまかせて通り抜け吹き抜けて行くのを許しているとも
謂える。
芭蕉が「秋の風」と口にするときはそういう境涯の寒さに「身を曝し」ていることが多い。光源氏の須磨の秋風以来、「身にしみる」のは、風雅の資格
と人は受け入れてきた。
川柳の方はそんな風狂の寒さではない。寒くなくても「おお寒む」「ほら見て、鳥肌よ」は、今しも湯上がりのまま一つの寝床に滑り込んで、比翼の鳥と化し
愛欲の夢中に身をからませようという、いわばお熱い前置きの、つまり合図の、「枕ことば」だそうで。
*
「心にあまる」 思ふこと誰に残して眺めおかむ
心にあまる春のあけぼの 藤原定家
「心にうかぶ」 何となく過ぎ来し方のながめまで
心にうかぶ夕ぐれの空 後鳥羽院
定家の歌は、清少納言このかたの「春曙」のよろしさ・美しさを褒めそやしているが、じつは「身に添え」て、或る理想の女人の面影や感触を、まぢかに想い
描いているのだ。「あまる」とは溢れる意味でもあり、また「手にあまる」のと同じ、或るじれったい身もだえも伴っている。
定家は、いま春の曙を、もろとも
にここで眺め合い褒め合いたいと願うその人を、どうしようもなく、欠いている。「心にあまる」にはその不足感が読める。
後鳥羽院の御歌はなだらかで、実感に素直なところ、巧緻な定家よりは自然な西行がご贔屓の院の風情満点。「心にうかぶ」その心が、広大なうみかのように
広く大きく、つまり大洋のようにひろがる「夕ぐれの空」そのものに化している。
遠い過去からの次から次への記憶が、「ながめ」という一語に、具体的な映像
になって甦り「うかび」来る。
「目には青葉」 目には青葉山郭公はつ鰹 山口素堂
「目に立てる」 白菊の目に立て見る塵もなし 松尾芭蕉
人口に膾炙する、と、それは人みなの共通の記憶と化して生きて行く。「目には」の字余りの「は」がこの一句を、不動の箴にした。「春は曙」と
同じである。山郭公とはつ鰹のことは忘れても、もうだれも「目には青葉」という季節の嬉しさを忘れることが出来ない。「青葉」以外でありえない。
「目に立てる」は意思であり、「目立つ」は受け入れである。似た「からだ言葉」だが働きはちがう。
親愛した園女の亭に招かれての挨拶の句。「白菊の」「塵
もなし」に、凛然と名句のすがたがある。
句に現れない一枚の鏡を想像したい。鏡は女人の魂、面影の宿りである。「曇りなき鏡の上にゐる塵を目に立ててみる
世と思はばや」と歌った西行を念頭に、芭蕉は、属目の白菊に塵をおかぬ無垢の面輪を見定めた。「目に立てて」見たのだ。
*
「心まどはす」 聞きつとも聞かずともなく郭公
こころまどはすさ夜のひと声 伊勢大輔
「我が心」 うらやましや 我が心 夜ひる 君に離れぬ 室町小歌
心の内がハンドル不能の混雑状態になることは、日頃よく自覚している。乱れたり迷ったり千々に砕けたり。だが、心は自ずと「まどう」こともあり、他に
よって「まどはされる」こともある。
高嶺に咲いた美人や、目先の物慾・名誉心に撹乱されることもあれば、あ、聴いたのかな、空耳だったかなと、郭公の小夜
の一声に「心悩ませる」風雅もある。
心ほど「こころごころ」なものはない。そんななかで、「我が心」のことは俺はよく分かっていると嘯く人がいる。それがいちばん分からないと嘆く「心知
る」人もいる。
好きな人にどうしても逢えないが、「我が心」はひたっとあの人に寄り添って。あぁあ、羨ましいヤツ、と。「我が心」がじつは自分の所有とは
謂いえぬ機微をとらえて、ずばり「こころ言葉」に。
「寄辺なみ身をこそ遠く隔てつれ心は君が影となりにき」と古歌にも。
「眼にひかる」
石も木も眼にひかるあつさかな 向井去来
「目につく・鼻につく」 目に附きて鼻に付く事遠からず 古川柳
暑い寒いの表現が自ずから詩になる機微は、季節の風情を知る知らぬの機微でもある。涼しさを呼び込んで暑さをみせる句や歌が多い。暑さそのものをまざま
ざと感じさせる作は、むしろ少ない。
去来の句は珍しく、そして傑作である。暑い夏のいぶきを喉もやけそうに呼吸した者には、覚えがある。「まなこに光る」
という絶妙の把握に驚く。真実「石も木も」光る暑さ。不快なのではない。まさに炎える夏の容赦なさは、「心よい」とすら謂える。正確に「からだ言葉」か、
は微妙だが。
そこへ行くと川柳の方は、びしゃり「からだ言葉」ですか、句意は皮肉なもの。オッと、気をそそる女に出逢いました、「目につい」て、ねんごろ
に。こうなると、古茶の方がやがて「鼻につく」こと、案に違わずという観測。
もてない連中のやっかみ半分の観測だが、「からだ言葉」の隠語めいた活用見
事。
*
「人の心」 人ごころ移りはてぬる花の色に
昔ながらの山の名も憂し 後鳥羽院
「人の心」 よしや頼まじ 行く水の 早くも変はる人の心 室町小歌
隠岐に流された院は、都人から歌を送らせては歌を合わせ判を書いておられた。「昔ながら」とはとても行かない、院にはひとしお時勢も人もうってかわった
世の
中と成りはてていた。
送られた歌の中に、花の名所近江の「長等山」を詠じた作があったのであろう。小町の「花の色は」の古歌も念頭に、天武天皇に敗れた弘
文天皇悲劇の長等山のことも思われ、「人の心」は移り変わり頼みにならぬとの嘆息も久しい。
室町小歌は端的で簡潔、そしてたった一句の「行く水の」が利いて、じつに美しくすらある。「早くも変はる人の心」よ、「頼むものか」と。「心は頼れる
か」とは、この十五年、わたしが思案に思案してきた主題の一つであるが、「こころ言葉」の多彩に驚けば驚くほど否定的に傾いてゆく。
ドント
マインド。ドンマイ。「気儘」「心まかせ」は危うい。
「口上」 文もなく口上もなし粽五把 服部嵐雪
「骨が折れ」 女房からあやまらぬので骨が折れ 古川柳
この「口上」は前口上と同義の「口頭」でのアイサツである。歌舞伎役者襲名披露の「口上」はその大がかりなもので、そっちの方はアイサツの中味も藝のう
ちで、大向こうはなみの演目よりも大いに喜び迎えて、いわば「祝言」でもある。
「切り口上」というのもある。「腹に一物」あってツケツケやる。借金を頼み
こむ「口上」も断るための「口上」もある。かなり「口実」に近くなる。
そういうご大層ななにもなしに一握りのうまい粽をくれた有り難み、嵐雪の句、イキで
ある。
川柳の方は難儀に夫婦喧嘩の後がこじれている。はじめは男が剣幕であったのに、風向きが変わって、挙げた手を一つに合わせて亭主は謝ってもいい気だが、せ
め
て女房から先にと待って焦れている。
ところが女房、あやまらない。いやもう「骨の折れる」こと。
*
「心がへ」 心がへするものにもが片恋は
くるしきものと人に知らせむ 読人知らず
「乱れ心」 柳の絲の乱れ心 いつ忘れうぞ 寝乱れ髪の面影 室町小歌
肩こりの辛いとき、部分交換がきけばいいのにと思う。どんな患部にも出来たらどんなにいいだろう。
古今集の昔人は片恋に呻いて、「心換へ」できるならした
いと、あの憎い恋しい「人」にくるしさを吐きかけている。珍しい、まぎれもない「こころ言葉」だ。「するものにもが」というもたついた物言いに、「ええ
い、できるものなら、してやりたいわ」という「身もだえ」が受け取れる。
小歌は、この前に、「花の錦の下紐は 解けてなかなかよしなや」とある。身をまかせた女の嬉しい恥ずかしい悩ましさ。
掲出の後半は、男の、逢うて見た恋
の手放しのよろこびようと愛欲。「柳の絲の乱れ心」は、男女で唱和するところ。前後を恋のデュエットと聴くと、ひとしお官能的でうつくしい。
乱れることの
嬉しさ、心と髪と、面影。けっこう。
「腰ぬけ」 腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな 蕪村
「舌を出す」 睦言を聞て盗人舌を出し 古川柳
蕪村の句を、この妻は起居不自由の障害者だと解説する学者ばかりだが、アホくさい。蕪村はカタリの名手、写実を超えて創作した詩人。たいしたスケベイで
もあった。
この「腰ぬけ」が、官能と愛欲の極致から、今しもほっと蘇った、それゆえにひとしお「うつくしい(=美しい、愛しい)」よろめきの風情なのは言
うまでもない、だから寄り伏す「炬燵」が利く。濡れ場が目に見える。「腰が抜ける」のは臆病や卑怯からだけではない。
川柳の方は、むろん、覗き盗人。おかげで盗みもやすやす、思わず「舌を出す」目や耳法楽にもあずかっている。たまったものでないが、「睦言」であるのが救
いとも。
修羅場や痴話げんかでは、その隙に盗み稼ぎは出来たにしても、「舌」は半分がところしか「出」せまい。世の中の「世」とは、もともと色好む男女の
仲の意味。西鶴の一代男は、世之介。
*
「たぎつ心」 あしびきの山下水の木隠れて
たぎつ心を堰きぞかねつる 読人知らず
「さても心や」 あら何ともなの さても心や 室町小歌
心は静かではなかなかいない。奔騰する。奔走する。防ぎようなく、堰きとめられない。ひとつには「内心」「本心」を、外に自在に出せない、知って欲しい
人に分かってもらえない、からだ。「堰」くから「たぎつ」のである。
そういう「心」は、お定まり、「世心」つまり恋の悩みなのである。昔の人は「恋」をし
て、結果として愛欲相許す逢う恋に至った。悩ましいが風情があった。
「付き合う」という殺風景な言葉ひとつで恋を省略してセックスへ直行の昨今の「世」の
仲らい、「情けない」とは、これか。
「あら何ともなの さても心や」と爪弾きしたくなるが、この室町小歌は、この前に「恋の中川 うつかと渡るとて 袖を
濡らいた」という、いわば「ひと目惚れ」の嬉し恥ずかしい嬌声を聴かせている。
この「何ともなや」とは心配ない意味ではない。どうしようもない、のであ
る。
「女は髪」 蚊屋くぐる女は髪に罪深し 炭太祇
「身の垢」 身の垢は七十五日世に残り 古川柳
茶髪や短髪ではない、緑なす黒髪の魅力である、その黒髪を、蚊帳にはいるとて今しもはらりと長く解いてみせた。「今結うた髪が はらりと解けた いかさ
ま 心も誰そに解けた」という室町小歌もある。
こういう女の美しい風情に、代々男は魂を奪われ続けてきたのだと、わけしりの炭太祇が、「罪深し」とまで、
らしくもなく判決しているのが面白い。「女は顔」とも「女は脚」とも「女は肌」ともいわない、「女は髪」の選択に決定的な美学が生きる。
かくて男と女の世の中を生きていると、夢うつつのうちに人は死んでいった。いい噂もわるいうわさも七十五日。
娑婆の暮らしに「骨身にしみた」垢も匂いも、
善悪とりまぜていずれ綺麗さっぱりと七十五日もすれば、失せてしまう。七十五日までは、いろいろ有るさ。
*
「心一つ」 伊勢の海に釣する海人の泛子(うき)なれや
心ひとつを定めかねつる 読人知らず
「通ふ心」 文は遣りたし 詮方な 通ふ心の 物を言へかし 室町小歌
心は一つどころか千々にも砕ける。だが、往々にして「心ひとつ」の「我が心」と御している気でいる。わたしの「心一つ」ですよなどと、気儘に自在に分か
り切った気で「安心」し豪語もする。
ところが、どうして。あの水に浮かぶ浮子のように、ふらふらと、いつ知れず「人」の思うままにあやつられている。我が
物のはずの「心ひとつ」が、とんと、自分で決められない。「心」とはこういうもの。なのに二言目には免罪符か万能薬のように「心」を口にするうさんくさい
識者たち。
昔の人は、こうもいろいろに、さまざまに「頼りない心」を見つめて、人間とは、世の中とはと思案にくれていた。それが哲学というものだ。
好きな
好きなあの人に手紙も出せない、なさけない。「通ふ心」よ、告げて来ておくれ。「心は通ふ」との信頼の背後には、いろんな人生が。今では、ケータイとメー
ルが。
「肌へつく」 しみじみと子は肌へつくみぞれ哉 秋色
「耳をねぶる」 約束で耳をねぶるがきつい智恵 古川柳
寒くなる、くらくなる、霙が降る。降り籠められて家の中も「胸の内」も重い。そういう日は、もののあやめも見定めぬ幼い者が、ちいさな不安を抱きしめた
まま、とかく母親の胸に抱かれたがる。ひしと抱きついてくる。しがみつき顔を胸に埋めて離れない。
母と子との理屈抜きの一体感を季節の底でひたととらえた
佳句。「肌へつく」体感に母と子の本能的に身を守る自覚が生きている。
褒美はいらない、そのかわり好きなときにお耳に口を、と。
そして曽呂利は、ここぞというと、そろり君公の「耳をねぶる」。「告げ口」されているかと重臣ど
も気が気でなく、よしなにと、袖の下から、届け物の山ができたとさ。智恵とはいうが、「手」というもの。「手を使い」「手に入れる」「手だれ」の知恵者。
ごますりの「やり手」はどこにもいる。
「色なき心」 色もなき心を人に染めしより移ろはむとは思ほえなくに 紀貫之
「花心」
散らであれかし桜花 散れかし口と花心 室町小歌
純白純真だった心にあの人がいつか色濃く染みついて、もう生涯この色は抜けまいものをと、むしろ願ってさえいた。それなのに、またいつ知れず情熱は冷
め、花心の色も香も移ろいはてて褪めている。「我が心」ながら、なんとはかない。そんな日が来るとは思われなかった。
心とは、色に染むもの、また褪めるも
の。多情にして多恨、これ即ち無常か。 美しい桜にああ散らないでと願っても、小夜の嵐に余りに潔く散ってしまう。散って去って消え失せて欲しいのは、憎
いアン畜生のあだな「花心」であり実の無い「口車」の軽薄さなのだが、そっちは、「尻の重さ」でだだらに居座って、恥ずかしげも無い。
うまくいかない。ほ
んとうに、うまくいかない。
「へらず口」 あつき夜や江戸の小隅のへらず口 小林一茶
「知つた顔」 よびかけて知つた顔する茶屋女 古川柳
江戸も東京都も、無数の「小隅」が群集して成っている。一つ一つの小隅に人が群れ、「へらず口」の「口車」が空景気よくまわる。
人のうわさと「かげ口」
ほど楽しいことはない、やめられないと宣いしは、かの清少納言。床几が出たり出なくても、老若男女、暑い夏は戸外に涼を求めるしかなかった。
「口べらし」
はきつい、が、「へらず口」を叩く分には天下は太平だい。クーラーもテレビも家の中になかった。
川柳の方は、季節を問わない客引き・達引きの商売女。「手もなく」客を乗せねばならぬ。で、さも以前から「知った顔」かのように「あら、ちょいと」など
と声がかかる。女の愛嬌にひっかかる客もいる。
どの世間でも小隅でも、「顔」は世渡りの信用状。「いい顔」で「顔を利かせる」「顔役」がのさばる以上、
「顔つなぎ」にと奔走するヤツも多い。
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「心澄む」 行方なく月に心の澄みすみて
果てはいかにかならむとすらむ 西行
「情あれ」 ただ人は情あれ 槿の
花の上なる 露の世に 室町小歌
心は濁りやすいが澄みに澄む境地もある。とらわれの思いが無くなる。かがやく月に胸の底まで照らされて、自然の深みにむかい瞑目しているような時、そう
いう気分になれる。
だが、心のどこかに、吾が魂の緒を、思いの糸を、やはり一筋現世の何かに安心に繋いでおきたいようなふっと吾にもない未練の心細さが襲
う。「果て」の果てまで身を委ね、澄み澄みておれるものだろうか、と、こわくなる。
西行ほどの人だから、それが分かるのだろう、深いとまどいに尊いものが
感じられる。
心は、有るが常か、無心が到達なのか。あさがおの花の上の露ほど命をはかなく思えばこそ、「ただ人は情あれ」とお互いに願う。情の字を「こころ」と読ん
だ例は万葉集の昔から。「三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなも隠さふべしや」などと。
人よ情あれよ。
「胸涼し」 胸涼しきえをまつ期の水の淡 石田未得
「美しひ顔」 美しひ顔より嘘が見事也 古川柳
「未得」の名に似ず、ちと悟り得た句である。そこが、へんに怖ろしい。仏来迎を前に「消え(帰依)を待つ(末)期の水の淡(泡)」と、こう縁の語彙を巧み
に重ねられると、妙にギクリと来る。だが作者は、まぢかい臨終のときを迎えて「胸涼し」と言い切っている。
いいな、よかったなと見送りたい。草創期の江戸
の俳人で、芭蕉登場にすこし間がある。「風ならで誰かあぐべき柳髪」などと伊勢物語を軽妙に叙景にとりこむ俳味など、遠い昔のものになった。
川柳の「美し
ひ」というかなづかいも懐かしい。「美しひ顔して」といえば、ただ美貌を褒めてはいない。辛辣な「からだ言葉」である。「美しい顔」だから、よけいお返し
が辛辣になる。美人は薄命かどうか、しかし美貌が人徳を保証はしない。
あたら美人のゆえに「もの凄い」の悍婦が現れる。「美しひ顔より嘘が見事也」とは、
見切ったものだ。