招待席

きのした もくたろう  詩人  1885 - 1945   静岡県に生まれる。医学者である一方、明治四十一年(1908)北原白秋らと「パンの会」を起した耽美派の代表的詩人。独特の印象主義的手法や南蛮趣味や 江戸情緒は白秋らに影響を与え、戯曲も書いた。掲載作は明治四十三年(1910)「三田文学」七月号初出「食後の歌」及び大正八年(1919)刊の詩集 『食後の唄』に拠る。 (秦 恒平)





    食後の唄  抄   
木下 杢太郎



金粉酒


Eau-de-vie de Dantzick (オオ ド ヰイ ド ダンチック)
黄金(こがね)浮く酒、
おお五月(ごぐわつ)、五月、小酒盞(リケエルグラス)、
わが酒舗(バア)の彩色玻璃(ステエンドグラス)、
街にふる雨の紫。

をんなよ、酒舗(バア)の女、
そなたはもうセルを着たのか、
その薄い藍の縞を?
まつ白な牡丹の花、
触(さ)はるな、粉が散る、匂ひが散るぞ。

おお五月、五月、そなたの声は
あまい桐の花の下の竪笛(フリウト)の音色(ねいろ)、
若い黒猫の毛のやはらかさ、
おれの心を熔(と)かす日本(につぽん)の三味線。

Eau-de-vie de Dantzick (オオ ド ヰイ ド ダンチック)
五月だもの、五月だもの──
                         (Amerikaya-Barに於て)


両国


両国の橋の下へかかりや
大船(おほぶね)は檣(はしら)を倒すよ、
やあれそれ船頭が懸声(かけごえ)をするよ。
五月五日のしつとりと
肌に冷たき河の風、
四ツ目から来る早船の緩(ゆるや)かな艪拍子や、
牡丹を染めた袢纏(はんてん)の蝶々が波にもまるる。

灘の美酒、菊正宗、
薄玻璃(うすはり)の杯(さかづき)へなつかしい香(か)を盛つて
西洋料理(レストウラント)の二階から
ぼんやりとした入日空(いりひぞら)、
夢の国技館の円屋根(まるやね)こえて
遠く飛ぶ鳥の、夕鳥の影を見れば
なぜか心のみだるる。


珈琲


今しがた
啜(すす)つて置いた
MOKKA(モカ)のにほひがまだ何処(どこ)やらに
残りゐるゆゑうら悲(かな)し。
曇つた空に
時時は雨さへけぶる五月の夜の冷さに
黄いろくにじむ華(はな)電気、
酒宴のあとの雑談の
やや狂ほしき情操の、
さりとて別に是(これ)といふ故もなけれど
うら懐しく、
何となく古き恋など語らまほしく、
凝(じつ)として居るけだるさに、
当(あて)もなく見入れば白き食卓の
磁(じ)の花瓶(はながめ)にほのぼのと薄紅(うすくれなゐ)の牡丹の花。

珈琲(かふえ)、珈琲、苦い珈琲。