招待席

きむら あけぼの 小説家 1872.3.3 - 1890.10.19 兵庫県に生まれる。明治開化期の著名な牛鍋屋「いろは」当主の娘で東京高等女学校を卒業後、十六歳で母とともに「いろは」の一店を 経営の傍ら小説に筆を染め明治二十二年(1889)「読売新聞」に処女作『婦女の鑑』を連載し、相次いで四編を書きながら十八歳のうら若さを惜しまれ病没 した。 掲載作は、雅俗折衷の一見人情本の筆致ながら、男に捧げる女の操でなく、妻と、夫が結婚前の愛人との信実かけた操という拵えに、海外留学を願って 洋風開化思想に志あった「女史」曙の個性が突起していて、さらなる再評価が期待される。 (秦 恒平)





     (みさを)く らべ    木村 曙



   心ありて風のにほはす梅のそのまづ鶯の問はずやあるべき

 
香り来る、花のたよりに皆人の、はるばると問ふ梅の園、いづれおとらぬにぎはひに、人の心も興ずめり、茲(こゝ)ハ都に程近き、亀井戸村に其名さへ、老松 (おいまつ)と聴(きこ)へたる、みやび造りの料理店(みせ)、離れ座敷の庭先に、あじろのかきをやりちがへ、思はせぶりなかくれみの、しよんぼりと立つ 枝折戸(しをりど)ぎは、いく千代かけてちぎりけん、こけむす石の燈籠に、障子のなきハあかしをバ、ともさぬ物と覚えられぬ、漸(やゝ)暮れかゝる夕まぐ れ、いづれよりか入(い)りたりけん、くるひながらに庭先を、あらす小犬の声きゝつけ、
 《あれ又ぶちが
と声高(こわだか)に、叱れどどこか愛らしき、声音(こわね)と共にあく障子火影(ほかげ)にほんのり二人の姿、
 あれ御らうじましあのすばしこい事ハ
 《せツかく楽しく遊んでゐるもの捨(すて)て置てやれバよいに
 《ほんにさうで御座りましたな
と云(いふ)と諸共(もろとも)見かはす顔、ぱツといろざす薄もみぢ、
 《ほんに私ハうかうかと戴きすぎたと見えかツかと致してまゐりました
 《まだそんなに呑(のみ)もせずと……どれも一ツついでもらはう
と猪口(ちよく)さし出(いだ)す手をおさへ
 《若旦那様あなたその様(やう)にめし上ツても宜(よろ)しう御座いますか
 《まだ二合にも足らぬ酒別に障りになりもしまい
 《お障りにさへなりませずバなんぼめし上りましても宜しう御座いますが……もし若旦那様あなたハなんぞお心にすまぬ事でも出来ましたかお顔色と云ひいつ になくおすごしになる御様子と云ひどうも不審でなりませぬとてもお力になれるきづかひハ御座りませぬがおかまいなくバお気晴しにどうぞおきかせ下さいませ ぬか
と問へども何(なん)の答へもなく、腕こまねきて思案のさま、一(ひ)としほ、心さわがれて
 《もしお聴かせなされてハ被下(くだされ)ませぬか
とひざ進ませて一心に、まもりつめたる有様を、見るに此方(こなた)もあはれに思ひ、
 《其様(そのやう)に血相かへて聴く程の事でもない大層らしく考へ込んでつひ云はなかツたのがわるかツた実ハ今日ぎりおまへにハ音信(おとづれ)をたつ も知れぬ故(ゆゑ)心計(ばか)りのいとまごひをしに来たからそれでつひ云ひ出し兼ねてふさいだのさ……実にいま迄ハあとさきも考へぬ事をしてをツてそれ が為めおまへに迄気の毒な思ひをしなけれバならないのもみんな自身のつゝしみのないからの事是だけハ只(たゞ)平あやまりにあやまるより外(ほか)ハない 腹も立(たと)ふが心中(しんちゆう)を察してゆるして下さい
と聴てはツとハ思へども、元より其身(そのみ)のいたづらから、かくなりゆきしことなれバ、今更何と悔(く)ゆるともかへらぬ事とかれこれを、恨みつらみ て彼(か)の人の、心を悪(あ)しくせん事ハ、好ましからずと心をなほし、
 《大ていおさツし申ましたそれハ何よりおめでたい事共にお祝ひ申まする
と云ひし計(ばか)りに其後(そののち)ハ、さすがに迫る胸の中(うち)、察しハすれどなまじいに、やさしき言(ことば)かけもせバ、却(かへツ)て後 (のち)の思ひをバ、ましもやせんとゑみをつくり、
 《そう事もなげに云ふて呉(くれ)れバわしも何より心嬉しい此事さへ云ふてしまヘバもう気にかゝる事ハないもう日もたつぷりと暮れた様子一(ひ)とまづ 帰る事としませう
 《一とまづならバまたいつかお出での時をたのしみに待くらしもいたしませうが只今お別れ申上れバお目にもかゝれず私もお目にかゝらうとも存じませぬ故 (ゆゑ)……
とあとハ何やら口の中(うち)、思はぬ罪を作りしと、心に詫びて立上り、
 《サアも何も云ふて呉れるなもうわしハ帰るから
とそろへし下駄をはきかけしが、さすがふびんと振廻(ふりかへ)れバ、此方(こなた)も同じ園の梅、にほはす風にさそはれて我を忘れてきなく鶯。


   こゑハせで身をのみ焦す螢こそいふよりまさる思ひなるらん


夏の夜(よ)の、月ハさえてもさえやらぬ、心の中(うち)のもやくやを、たれに語らんすべもなく只うつうつとねやの中(うち)、漸(やゝ)消え残る燈(と もしび)を、かい立(たて)ながらくりかへす、文字ハ定かに見えねども、をりをりよする眉ぎはの、波に憂(う)しとハ知られたり、よそをはゞかる口の中 (うち)
 《心ならぬ此(この)書状……我夫(わがつま)が御容体(ごようだい)如何(いか)に渡らせ玉ふにやをさなき頃より親々が云ひなづけして二人(ふたあ り)の、成人日(ひとゝなるひ)を楽しみて互に障りなき様にと、心に心つけ玉ひし、其の甲斐さへもあなうれし、来(きた)る五月(さつき)の始めにハ、め でとう縁を組ませんと、のたまひたりし其の日より、一(ひ)ト日(ひ)をまつハ千秋の思ひハ同じくおはさんなれバ、わづかな病にさへぎられ、伉儷(かうれ い)の期を延バせよと、のたまふ事ハよもあらじ、さすれバ手足もきかぬまで、いたうやみつき玉ひしか、若(も)しさもあらバ舅姑御(しうとご)が、来 (こ)よと迎(むかひ)の御文(おんふみ)もあるべきものをさもなきハ、親しくしてもどこやらに、隔て心のある故か……否々(いないな)、諸事に拙(つ た)なき妾(わらは)より、彼方をしたふ心根に、引くらべしハ心のおごり、よくよく思(おもひ)めぐらせバ、身ハ片田舎に人となり父の導き母様(はゝさ ま)の、教によりてやうやうと、女子(をなご)の道ハ知る物の、才拙くて夫(それ)さへも、全(まツた)ふハをさめ得ず彼方(かなた)ハ都に育ち玉ひ、見 聞(みきゝ)も広く其上に、まだ年若くましませど、才ある故に人々に持囃(もてはや)され玉(たまふ)とハ、都にゆきしひとの言(ことば)、何一つとて彼 (か)の人に、ふさはしからぬ妾(わらは)をバ、いつ迄思ひ居玉ふべき、若しやこ度(たび)の御病気ハ、いつわりにてハあらざるか、妾(わらは)をいとひ 玉ひての、延期とあらバ其様(そのやう)に、あから様にのたまふともはしなく恨みハなさぬもの、いツそ父上母公(はゝさま)に、こひて今より都へ行き、事 の様子を問ひ申て、しぎによツてハ我心定めんものかさるにても、此身ばかりが云ひしとて、舅姑御(しうとご)のやすやすと、うけがひハしたまはじ、こハ如 何(いかゞ)してよからんと、さすがをとめの

一とすぢに夫のことをおもひつめ末ハみだるゝをだまきの、いとも果敢(はか)なきことどもを、思ひまはすぞ無理ならぬ、となりの室(へや)にふし居たる、 侍女のお玉ハかくぞとも、こゝろ付かねバ真夜中頃、ふと目を醒(さま)し、坐敷の火影(ほかげ)に驚かされ、早(はや)夜明しかとあたりを見れど、窓より さし入る日影もなし、さてハ又もや嬢君(ひめぎみ)の、思ひにくしてろくろくに、いねも得やらず居玉ふなるか、かくてハ終(つひ)に御身の上に、恙(つゝ が)もあらんさりとてハ、おそばをまもる我身の不かく、まづともかくも心をバ、なぐさめ申あげなんと、主(しゆう)を思ひのたのもしく、そと起上りてきぬ をかへ、しはぶきすれバ座敷にハ、ひろげし文をおし隠し、ありあふ草紙(さうし)取り上げて、余念もなげに打眺めぬ、お玉ハ襖おしひらき、ていちやうに手 をつきて、
 《こハ嬢君(ひめぎみ)にハ、まだいね玉はではおはせしか、かく真夜中過迄も、いね玉はでハ御身の為めに、必らず悪(あ)しふ候ぞ、父母公(ぎみ)の見 玉はゞ、又如何様(いかやう)に案じ玉はん思(おぼ)しめし煩(わづら)はさるゝ事も、さはにてハおはさんなれど、何ごとも父母公の、御計(おはか)らひ にまかし玉ひて、一人きなきなおぼされな、嬢君(ひめぎみ)のむづかり玉ひてハ、妾(わらは)迄が心ぐるしく、かなしふおぼえ候ぞ、努(ゆめ)思ひ煩らひ 玉ひそ、夜(よ)あくる迄ハ一と休み、やすみ玉ふひまもあり、まづいね玉へよ
とかたへなる、みだれ箱をバ引寄(ひきよす)れバ、嬢(ひめ)ハ是非なく立上り、衣(きぬ)かゆるさへ力なく、猶ももつるゝ乱れ髪、心の中(うち)になで つけて、
 《どふぞ母公(ぎみ)へ、今夜の事ハお耳へ入れず置きてたべ、卿(おんみ)のまめやかなる言葉にて、早(はや)胸ハとけたれバ心安ふいねてよ
と、きぬ打(うち)かづけバ安堵なし、
 《さらバおやすみあれかし、
と言(ことば)を跡におのが室(へや)、下(さが)りしあとハしんとして、早一と言も声ハせで、思ひに身をば、こがすほたる火。

 
   風さわぎむら雲まよふ夕にもわするゝまなくわすられぬ君


いつしかに、萩の下露ぬれ初(そ)めて、楽しくすだく鈴虫の、宿をあらしてあともなき、野分(のわけ)の朝の心地しつ、恋する人をまつ虫の、音(ね)にの みなけど甲斐もなく、思ひますほの篠すゝき、互のきゞくかはらずとも、此の世の縁(えにし)きりぎりす、はかなき身ぞといたづらに、人を思ひに身もやせ て、力なくなくよりかゝる、れんじのそとに影しげく、松の木(こ)の間(ま)をもる月も、心と共におぼろなり、折柄さツとふく風に、つれて聞ゆる人声ハし のびやかなる男の声、我名をよぶハ心得ずと、よくよく聴(きけ)バこハいかに、朝夕恋ひし其人の、茲(こゝ)に我身のあるぞとも知るよしなきにおとのふ ハ、心のまよひさもなくバ、狐狸のわざなるか、それかあらぬかと計(ばか)りに、ためらふ処へ案内(あない)もなく、入(い)り来し人の顔見るより、あツ と計(ばか)りの打驚(うちおどろ)き、二た足三足タヂタヂと、物さへ云はで引下(ひきさが)り、どツとすわりて茫然たり、此方(こなた)ハさこそと近く より、
 《あゝよく茲(こゝ)にゐて呉れたな、
と云はれて始めて己(おのれ)にかへり、
 《あゝよく茲迄……
と取縋(とりすが)らんと為(な)したがるが、何思ひけん形をあらため、
 《どふしてあなたハ此処(このところ)へ、お尋ねなされて下さりました、日頃噂に聴(きい)た程の、見上げたお心とハ思はれませぬ、お別れ申す其(そ の)をりに、再びお目にかゝらうとハ存じませぬと申したを、無下(むげ)にお聴(きゝ)下さりましたか、一旦賎(いや)しいはしためを、つとめてハをりま したれど、心迄が其通り、賎しうなりハ致しませぬ、か様に申上ましたら、何(なん)ぞや是迄受けました、御恩を忘れてしまふたかと、おいかりも御座りませ うが、あの時受けた御恩の程ハ、たとへ如何(いか)なる事があツても、決して忘れハいたしませぬ、わすれねバこそ此様(このやう)に、むきつ気(け)にも 申まする、……お腹を立て下さりますな、……もし若旦那様、どうぞ今夜ハ此(この)まゝに、他(ほか)へやどりをお取り遊ばし、あすにもならバ一時(いち じ)も早く、東京へお帰り下さいまし、私(わたく)しの身に取りましてハ、其方がどの様に、うれしい事か知れませぬ、……逐立(おひたて)る様でハ御座り ますが、かうして二人御一所(ごいツしよ)に、入(いり)まじらずにをる事ハ、心がどうもすみませぬどうぞどうぞと、涙ながら、畳に顔をすり付けて、たの みつわびつひたすらに、帰るをうながす心の気(け)なげさ、こなたハいたく恥入りて、
 《若し御身(おんみ)にて非(あ)らざりせバ、我身ハくさりはてなんに、よくぞいけんを為(な)し呉れし、礼をのぶべき時もあらん、今日も此(この) まゝ別れんと、云ふかと見れバ忽(たちま)ちに、姿ハ見えず成りしかバ、今は人目もいとふべき、声をかぎりにふり立て、
 《数ならぬ身をあく迄に、なさけをかけて玉はる事有難しともゝつたいなしとも、心にハ一日(ひとひ)とて、忘れし時ハなき物を、たまたま尋ね玉ハりし、 お礼も申さず過分なる、異見立(いけんだて)せしはしたなさ、うわべハ何気(なにげ)なき様に、おほせられても心にハ、嘸(さぞ)恩義をも知らぬぞと、さ げすみ玉ひし事ならん、切なき情(なさけ)を打捨(うちすて)て、つれなく云ふもお身の上、大事と思ふ一(ひ)とすぢより、……他(ほか)に心ハ候ハず、 ゆるし玉へ、
と、斗(ばか)りにて、わツと斗(ばか)りになき立つる、声きゝつけて此家(このや)の老婆、
 《もしもし、夢でもごらんなされたか、……ひどうないて御座る様子、……お湯を一つめし上れと、
ゆり起されて目をひらき、
 《有難う存じます、……何だか妙な夢を見ました故(ゆゑ)それでないたので御座いませう、
と体(てい)よく前ハつくろへど、つくろひ兼(かね)る我が胸ハ、常に思(おもひ)の満ち満ちて、わするゝ間なくわすられぬ君、


   あげまきにながき契をむすびこめおなじところによりも合はさ ん


山辺にも、野辺にも敷くやしろがねの、実(げ)にうるはしき雪気色いとゞ眺めも広庭の、池に遊びて愛らしき、おしのつがひのそれよりも、猶睦まじき若夫婦
 《実(げ)に月雪花ともてはやす程有りて、美(うる)はしき眺(ながめ)ならずや、
 《屋敷とちがひ、此処ハ、となれる家もはべらねバ、又一しほに候ぞかし、
 《あれ見よ、寒さ知らぬかあの様に、楽しう遊びて居る事ハ……それそれ、道太郎ハいづれへ行きしか、見せなバ定めてよろこぶならん、
 《道太郎ハ米事(よねごと)が、さきの頃に鳥見せんとて、離れの方(かた)へつれゆきはべりき、
云ひつゝあたり見廻して、夫のそばに膝すりよせ、
 《いつぞや夫(つま)のおほせも候ひしまゝに、今日(けふ)米(よね)をよびよせて、嫁入の事を進め候ひしが、一向に受引(うけひき)申さず、さまざま にまをせし処、操を破ぶるをおそれてと迄、申出(まをしいで)候ひし故(ゆゑ)、妾(わらは)も強ふるに強(しひ)兼ねて、其(その)まゝにもだし侍り ぬ、
と聴(きい)て此方(こなた)ハ何思ひけん、ハーとゝいきをつきしかど、妻ハ是に心付かずや、再び、小声に言(ことば)をつぎ
 《彼事(あれ)ハ下婢(はしため)にも似ず、心まめやかに見えしまゝ、老松(おいまつ)とやらん云ふ料理店(れうりや)より、主人(あるじ)に乞ひて連 れまゐりしが、妾(わらは)が見しにたがはずして、心まめなるのみならず、よみかきの道も暗からで、女子(をなご)の道にも総(すべ)て通じ、通常(なみ ひとゝほり)の教をバ、受けし者すらおさおさに、及ばぬ程にて侍るなれバ、道太郎を守らするにハ、誠に心安う候程に、永々(ながなが)妾(わらは)が手許 にさしおきたく、……いつぞや夫(つま)にハ、若(も)し嫁入の義を否(いや)と云はバ、ひま取らせよとのたまひしなれどそハ夫(つま)のお言(ことば) とも覚えはべらず、まげて彼ハ留め置き玉はれかし、
 《左迄(さまで)卿(おんみ)の心にかなひしならバ、心まかせに為(な)し玉へ、
 《それにて安堵なしはべり、
余念もあらず両人が語らひありし次の間に、ひそかにむせぶ女の声、聴くに不審と立上り、襖の方(かた)へとあゆみ行くを、夫(をツと)ハ何かあわたゞし く、
 《雪……雪
夫の声の耳に入(い)らずや、雪子ハ襖おし開けバ、外にハお米(よね)が正体なく、声も涙にひれふして、まろぶが如く室(へや)に入(い)り、
 《もし旦那様、……、道夫様、私(わた)しハ奥様へ、お顔向(むけ)がなりませぬ、
 《さ云ふハ奥が我等の事を、……
 《御存じあツてのお取計(とりはか)らひ、
と聴て今更面目も、ハツと計(ばか)りにさしうつむき更に言(ことば)も無かりけり、お米ハ少しく頭を上げ、
 《去る七月の廿五日天満宮のお帰りがけ奥様が老松へお寄り遊ばした其(それ)なりに私事(わたくしこと)ハ病気の為め体の労(つか)れに二階ハ廻らず座 敷をあづかツて居りましたがあなた様のお内方(うちかた)とハ存じもよらずお給事に出たが御縁と思ひの外(ほか)あとにて聴けバあのをりに次の室(へや) にてほうばい衆(しゆ)が私(わたく)しの病(やまひ)に附きもツたいないあなた様のお噂を申(まをし)たとやらそれをバお聴(きゝ)遊ばして不びんとお ぼしてのお計(はか)らひ有(あり)がたすぎてお恨(う)らめしいそれと知ツたらどの様にどなたがお進め遊バそうとも一旦誓ふた言(ことば)に向ひ決して 動きハいたしませぬ物……上ツて調度三日目にあなた様にお目どほりいたしました時の其苦(そのくるし)さ直(すぐ)におひまを願ふてハ奥様のおぼしめし如 何(いかゞ)と思ふたも浅どひ考へ一日二日とのびる中(うち)奥様ハ何やかと新参の様にもなくお目をかけて下さりますし道太郎様ハ追々と米(よね)よ米よ とおなつき遊ばし恩と愛とに引かされてようおいとまも願ひませなんだ……
 《あゝこれ米(よね)妾(わらは)が知らぬ顔せしハ悪(あし)かれとてにハあらぬぞかし夫(つま)のおためそなたの為め我(わが)心から引(ひき)くら べて思ひ過ごした妾(わらは)があやまり底意ありての事にハあらねバ夫(つま)にも必らず妾(わらは)をバさげすみて玉ふな
とさかしけれどもどこやらが、まだおぼこげにきこゆるハ、年のゆかぬ故(ゆゑ)なるべし、道夫ハたれし顔を上(あげ)
 《左迄(さまで)事実を知りながら只の一度もみぶりをバ見せぬもみんな卿(おんみ)がたしなみ何条我が下(さげ)すむべき我こそハ如何様(いかやう)に 心くさりししれ者と云ひけなさるゝも是非なきに卿等(おんみら)二人の赤心(まごゝろ)より人にも知られで過ぎし事礼のぶるべき様(やう)もなし過ぎ来 (こ)し事ハわびもせん此後共(このゝちとも)に我(わが)道夫を追々大事を取るに付け保佐をたのむハ妻なるぞ只(たゞ)をしきハ米(よね)が身の上かゝ る貞婦を只一人……
 《是もかくなる約定(やくじやう)にや……ア妾(わらは)さへあらなくバ……
 《左様な事ハ露程もおぼし召(めし)て下さりますな……勿体ない様でハ御座りますが私(わたくし)ハ道太郎様があの様にしとふて被下(くだされ)ます故 に我子(わがこ)の様に思はれましておひとゝなり遊ばすを待遠しう存じまする……勝手がましい申分ながらぶてうはふも御座りませうがあなたの御成長遊バす 迄おそバにお置き下さりませ
 《そなたさへよきならバ道太郎が事ハ云ふ迄ものう妾(わらは)が為めのかたうでに一生つとめて玉へかし
語るなかバへ道太郎、乳母(うば)におはれて室(へや)に来(きた)り、三人の顔をかはるがはる、見つゝしきりに笑みつくり、雪子の方(かた)に身をのり 出せバ、雪子ハ是をいだきとり、あやせバわらふ愛らしさに、三人ハいつか憂き事も、とけて楽しきあげまきの、いとより長き契(ちぎり)をバ、むすびこめた るいもとせに、つながる縁(えん)の主従(しゆうじゆう)が、心の程や如何(いか)ならん、


 初出: 『読売新聞』明22・10・6、7、8