招待席

かさはら よしみつ 京都精華大学名誉教授 思想家。掲載作は、『田中正造とその時代』第四号(通巻第一四号、昭和五八年七月、青山館)所収の拙論「新井 奥邃の父母神信仰」を修正・改稿したもの。幕末から明治・大正時代を一隅を照らして生きた希有の思想家の根本思想にふれて極めて貴重な論究であり紹介であ り、刮目して読むに値する。永島忠重の奥邃略伝とあわせ、ぜひ今日の読書人の精神にうったえたい。 (秦 恒平)






     新井奥邃の父母神思想       笠原 芳光




   

 新井奥邃(あらい・おうすい)は思想家である。それも異端の思想家である。
 いままで奥邃は一般には知られていなかったが、少数の人びとからは人格者、隠者、聖者として尊敬されてきた。その理由は主としてこの人の生きかたにあっ た。奥邃新井常之進は弘化三年(一八四六年)に仙台の士族の家に生まれ、儒学を修めたのち、函館に渡り、ギリシヤ正教のロシア人宣教師ニコライ (Nicolai)から、初めてキリスト教を知らされた。やがて与えられた米国留学の機会に、聖書を学びたいと言ったところ、森有礼からキリスト教神秘主 義者T・L・ハリス(Thomas Lake Harris)を紹介され、その営む宗教共同体新生兄弟社(The Brotherhood of the New Life)に参加すること二十八年に及んだ。帰国して巣鴨に謙和舎を作り、青年と起居を共にし、また乞われて男女有志に道を説き、大正十一年(一九二二 年)に亡くなるまで、生涯、世に隠れつつ清貧と単身に甘んじた。
 しかし、奥邃がすぐれていたのは、その人格と人生だけではない。むしろ、その信仰と思想において独自のものを持っていたといわねばならない。奥邃はプロ テスタントのキリスト者である。しかし、その信仰理解は極めて異端的なものであった。ここで異端というのは邪説という意味ではない。それは正統に対応する 語で、少数者のものであり、非権力、反体制的で、主体的な思想を意味している。
 奥邃は神の概念に関して、少くとも日本においては唯一といってもよい父母神、すなわち神は父であるとともに母でもあるという信仰と思想を有していたので ある。従来、奥邃に関する紹介や研究のほとんどは、その伝記的事実、倫理的思想、社会的影響についての論であった。しかし奥邃にとってもっとも重要と考え られるのは、それがこの国において、まったく特異であるという意味で父母神思想といわねばならない。
 小論では、その奥邃の父母神思想について管見ではあるが、知りえたこと、考えたところをのべてみたい。それは日本のキリスト教思想史の上で、いな広く一 般の思想史において大きな特色をもつと思われるからである。


   一 父母神とはなにか

 ところで父母神とはなんだろうか。奥邃の父母神信仰について考えるに先だって、父母神思想の歴史とでもいったものをのべてみたい。
 およそ人間が神を考え、また信ずるに当って、それを人間になぞらえるという場合が少なくない。神の擬人化であり、人格神という思想である。これを歴史の 立場から客観的にいえば人間が自己にあわせてつくったのが神であるといってよいだろう。しかし信仰の立場からいえば、逆に神が自らに肖せてつくったのが人 間であるということになる。
 たとえば『旧約聖書」、これはのちのキリスト教における呼称で、本来のユダヤ教の側からいえば『聖書』であるが、その冒頭の書「創世記」の第一章第二六 節の前半に「神いひ給ひけるは我儕(われら)に象りて我儕の像のごとくに我儕人を造り」とあるとおりである。このような人間の形をした神はギリシャ神話で あれ、日本の古典であれ、洋の東西を
問わず、多くみられる思想である。
 そしてまた、そのような人格神は人間が子供を生むように、さまざまなものをつくり、生む。そのなかには当然、人間の創造も含まれている。「創世記」によ れば神は天地万物をつくったのち、最後に人間をつくったとある。このような観点から神は人間の父親のように子供をつくる存在であるとされる。「創世記」の 神は原語のヘブライ語ではヤハウエと呼ばれているが、そのヤハウエは父なる神であるというのが、ユダヤ教やキリスト教の神観念の一つの姿になっている。し かし「創世記」では神は父であって、母とは呼ばれていない。父と母とでは生むことに関与する周りするのはおなじだが父は生ませるもととなり、母はそれに よって生む。比喩的にいえば始原的な創造と無始無終の連続的生産の相違といえよう。イスラエル民族はきびしい砂漠的風土で移動的な牧畜を主たる文化にした 家父長制社会であったという歴史が、神を父とする宗教思想をつくったと考えられる。
 いっぽう緑地帯、定住的な農耕文化、母系制社会の宗教はおおむね神を母としている。しかし、イスラエルはもともとカナン原住民の土地であり、彼等は農耕 民族で、たとえばバールと呼ばれた生産の神を信仰していた。イスラエル民族はこのカナン原住民の土地に侵入し、彼等を征服してユダヤ教を創始したのであ る。
 また牧畜文化の宗教はおおむね一神教や唯一神教であり、農耕文化のそれは概して多神教であるが、「創世記」の神に関する記述には、神をあらわす語に複数 形が用いられている部分もある。古代における一神と多神の混淆、未分化を示すものといえよう。それはさきに引いた第一章第二六節に神が自らを「われら」と 呼んでいるところにもあらわれている。そこでは父としての神と、母としての神の区別もまた厳密ではなかったのではないかと考えられる。
 その「創世記」のつぎの記述、すなわち第一章第二七節には「神その像の如くに人を創造(つくり)たまへり。即ち神の像の如くに之を造り、之を男と女に創 造(つくり)たまへり」とある。ここから考えると、神が人間を自己の姿のように創造して、それが男と女であったというのなら、神の姿もまた男と女であり、 人間をつくったのだから、それは父と母であるということになる。これは父なる神という正統主義のキリスト教の神理解を根本からゆるがす問題ではないだろう か。
 ちなみに「創世記」は単一の史料から成立しているのではなく、三種類の史料によるといわれ、この部分は祭司史料という、紀元前五世紀の比較的新しいもの である。神が人間をつくる話にも史料を異にして二種類の物語が記されているのである。
 一般によく知られている「創世記」の男女創造の物語は、神がまず男をつくり、ついで男の肋骨から女をつくったという話であろう。これは第二章第二二、二 三節にあり、そこには「エホバ神アダムより取りたる肋骨を以て女を成(つく)り、之をアダムの所に携(つれ)きたりたまへり。アダム言けるは此こそわが骨 の骨、わが肉の肉なれ。此は男より取たる者なれば、之を女と名づくべし」とある。この部分は神の名にヤハウエ、旧表記ではヱホバ、が用いられているよう に、ヤハウエ史料と呼ばれ、前九世紀のものといわれる。さきの祭司史料では男と女が神の像として同時につくられており、そこに男女の差別はないが、このヤ ハウエ史料は男性優位であるといえよう。これには当時の社会環境が影響していると考えられる。
 ヤハウエ史料のこの部分には男女神、父母神思想はあらわれていないが、そのつぎの第二四節には「是故に人は其父母を離れ、其妻に好合(あ)ひ二人一体と なるべし」とあるところは注目に価する。よく知られているようにアダムはのちにエバを妻とするのであるが、それなら「其父母」とはだれかということになる と、二人をつくった神というほかはないだろう。そうすると神は父であるだけでなく、母でもあるということになり、まさに父母神の思想があらわれてくる。
 にもかかわらずユダヤ教においても、またそこから派生したキリスト教においても、父なる神が正統思想となって、その後の教義が形成されてきた。しかしな がらこの父母神は異端的思想として歴史の底流、あるいは暗渠をかすかに流れてきたといってよい。そのあらわれの一つがグノーシスにおける男女神思想であ る。グノーシスとは知識を意味する語で、二世妃にあらわれた混淆宗教的な異端のキリスト教であり、史的存在としてのイエスを否定し、神やキリストの霊知を 重んじて、霊知主義とか覚知主義などと訳されている。
 たとえば一九四六年にエジプトのナグ・ハマディで発見されたコプト語のグノーシス文書の一種で、『新約聖書』の外典の一つとされる「トマスによる福音 書」第二二条には、「イエス彼等に言ひたまふ。汝等二を一となし、内を外となし、上を下となさば、また汝等男と女を一つのものとなし、そのことによりて男 がもはや男ならず、女がもはや女ならぬごとくなさば、一つの目に代りて一つの目をつくり、一つの足に代りて一つの足をつくり、一つの像に代りて一つの像を つくるとき、汝等<神ノ国に>入ることを得ん」とある。すこし意味がわかりにくいが、神の国における男女一体を説いているのである。
 これらのグノーシス文書を解説したエレーヌ・ペイゲルス(Elaine Pagels)の『ナグハマディ写本』〔荒井献・湯本和子訳、白水社、昭和五七年)には、「グノーシス派の資料は、神を記述するのに性的表象を絶えず用い ている」「これらの文書の多くは一元的・男性神を記述する代わりに、神を男性と女性の両要素を包含する二者一組の存在として述べている」とある。また正統 派のヒッポリュトス(Hippolytos)の文書には、グノーシス派に「父よ、汝から。母よ、汝によりて。不死なる二つの御名、神的存在の御両親、天と 人に住まはれ給ふ、大いなる御名の汝よ」という明瞭な父母神思想があることを異端とみなして批判しているところがあるという紹介がなされている。
 このようなグノーシス思想に対し、深層心理学のC・G・ユング (Carl Gustav Yung)は少なからぬ関心を寄せている。ユングはキリスト教に対し、評価と批判の両面を持っているといわれるが、異端的キリスト教のなかからも、神に関 する新しい理解を得ようとしていた。ユングはたとえば『元型論』(原題。Von den Wurzeln des Bewustseins)「意識の根元から」林道義訳、紀伊国屋書店、昭和五七年)のなかで、アニマすなわち魂の自然な元型は、シジギー、すなわち対をな す男女の神々としてあらわれるといい、それは未開人の神話やグノーシスの思想や中国の古典にあるとしている。そして、このシジギーがどこにでも見られると いうことは、男と女がどこにでもいるようなものだといっている。
 その後、ユング派といわれる研究者の間から男女両性具有の神こそが、新しい宗教の真理であると明言する人もあらわれている。米国の女流心理学者のジュー ン・シンガー(June Singer)は、その著『男女両性具有──性意識の新しい理論を求めて』(Androgyny:Towards a New Theory of Sexuality 全二冊、藤瀬恭子訳、人文書院、昭和五七年)のなかで、つぎのようにいっている。ちなみに男女両性具有とは、男女両性器の具有を意味 する、いわゆる半陰陽ではなく、男女両性が調和しあった人格や、その状態をさす言葉として、ここでは用いられている。
 「男女両性具有的一神教が、西欧世界にとって新しく選ばれるべき宗教であると、私には思われる。男女両性具有的一神教とは<〈一なる神>の 承認であり、その中には<世界両親>が含まれている。<世界両親〉を包含し<聖なる本質>に満ちたものとして<神 >が想起されるなら、新たな文化神話、<一の中の二>が存在することになるだろう。そうすればわれわれの周辺にあふれている堕落と分断 を生じた典型的な抗争(分割)の主題に代り、愛(結合)の主題によって特徴づけられた神話が、広くゆきわたることになるであろう」


   二 T・L・ハリスおよびシェーカー教

 このように男女両性具有神や父母神は古代から存在している神観であると同時に、きわめて今日的、さらには未来的な思想といってよい。
 近代の人である新井奥邃が、この父母神信仰を有していたことはおどろくべきことである。いったい奥邃はどこから、この思想を学んだのだろうか。さらに奥 邃の父母神信仰の内実はどのようなものであったのか、その特色はなんであったかについて考えてみたい。
 奥邃が初めて接したキリスト教は前述のように函館におけるギリシャ正教であった。ギリシャ正教は土着的、神秘的、儀式的などの特徴をもっているが、そこ に男女神や父母神といった思想はない。奥邃はまず、その神秘主義に興味を持ったのであろう。その後・渡米してT・L・ハリスに出会い、信仰にまで導かれ た。奥邃の父母神の思想はハリスの影響によるものと考えられる。
 もっとも、その前にハリスが傾倒していたE・スエーデンボルグ(Emanuel Swedenbolg)に父母神思想があったかどうかが問題になるだろう。スエーデンボルグは、一八世紀のスエーデンの神秘思想家であり、『聖書』を直 接、神の言葉とみなし、霊魂不滅を説き、三位一体、原罪、信仰義認などの教義は否定して、『天界の秘儀』『真のキリスト教』などを著わしている。しかし、 その主要な著作を通読しても、直接、父母神をあらわす思想は見出せない。ハリスはスエーデンボルグから、ただ神秘主義の影響を受けたものと考えられる。
 そこでハリスが奥邃の父母神信仰の源泉であろうということになる。T・L・ハリスという人物は、あまり知られていないと思うので、その人と思想を概観し ておきたい。そのために一九六三年版の『米国大百科事典』第一三巻(Encyclopedia Americana Vol.13,1963)の記述を引用しよう。
 「ハリス、トーマス・レイク 米国神秘主義者。英国のフェニィ・ストラットフォードで一八二三年五月一五目に生れ、ニューヨーク州ニューヨークで一九〇 六年三月二三日に死んだ。両親は一八二八年頃、米国に移住し、ニューヨーク州ユティカに住み、ハリスはそこで成長した。ユニヴアーサリスト(宇宙神教徒) の牧師になり、ニューヨーク市の教会で牧会している間に神霊主義(Spilituualism)に深い関心を持ち、一八四八年に独立キリスト者集会 (Independent Christian Congregation)を結成した。ホラス・グリーリ(Horace  Greeley)はその会員であった。一八五〇年、妻の死後、ハリスはニューヨークに去った。この頃、恍惚状態に入り始め、長篇の神秘的な詩を口述した。 それらのなかには『星天の叙事詩』(一八五四年)、『朝の大地のライラック』(一八五五年)、『黄金時代のライラック』(一八五六年)がある。
 ハリスは一八五九年から六〇年まで英国で講義をし、米国に帰って、新生兄弟社をニューヨーク州ワセックに設立した。二年後にアノニアに、そして一八六七 年にエリーのサレムとして知られたブロクトンに移った。著名な英国の作家ロレンス・オリファント(Lawrence Oliphant)はその共同体のメンバーで、一八八一年の終焉まで大きく貢献した。その間、一八七五年にハリスはカリフォルニア州のサンタ・ローザに ファウンテン・グローブ(森の泉)と呼ばれる新しい共同体を設立した。一八九五年頃、三番目の妻と東部に帰り、死ぬまでニューヨーク市に隠棲した。その教 説はスエーデンボルグ主義、神霊主義、ユートピア社会主義、さらに自己の神秘説の混淆であった。後期の著作には『名人の知恵』(一八八四年)、『星の花』 (一八八七年)・『新生兄弟社−その事実、規則、方法、目的』(一八九一年)、『神の歌』(一九〇三年)などがある」
 ところでハリスの著書の内『新生兄弟社』だけを読むことができたが、そこには父母神、あるいはそれに類する思想に関する記述はなかった。しかしハリスを 論じたハーバート・W・シュナイダーとジョージ・ロートン(Herbert W.Schneider and Geoge Lawton)の共著『預言者と巡礼者−トーマス・レイク・ハリスとローレンス・オリファントの歴史、性的神秘主義とユートピア共同体の資料』〔A Prophet and a Pilgrim−Being the Incredible−History of Thomas Lake Harris and Lawrence Oliphant, their Sexual Mysticisms and Utopian Communities Amply Documented to Confound the Skeptic,  Columbia Unversity Press, 1942)によると、ハリスには父母神思想があったことが記されている。
 たとえば「主、二にして一」(the Lord : the Two-in-One)とか、「主、クリスタス、クリスタ」(The Lord Christus Christa)とか、「父母神」(Father-Mother)とか、「主、ジーザスおよびレディ・イエスサ」(The Lord Jesus and LadyYessa)といった表現をハリスがしているというのである。そのことは、未見ではあるがハリスの著書に、『主、二にして一なる、公表され、宣言 され、讃美された神」(The Lord : the Two-In-One. Decrared, Manifested、and Glorified,   Brotherhood of the New Life, 1876)とか、『一にして二なる神の宣言』(Declarations of the Divine One-Twain,  Privately Printed, 1882)などの著書があることからしても確かである。
 このようなハリスの父母神、あるいは男女としてのキリストやイエスという思想はどこからきたのだろうか。前述のように古代のグノーシスの異端的思想が地 下水のごとく歴史の底を流れてきたことの一つのあらわれと考えられる。工藤直太郎の「新井奥邃とキリスト教」(『春秋』昭和五十五年四月号、春秋社)は奥 邃の父母神思想にも言及している数少い文献であるが、そこでは奥邃の父母神思想はハリスからきているとのべている。そのなかに一四世紀の英国の修道女ジュ リアナ(Juliana of Norwichh)に「父母神は人の子すなわち子女にたいして、惟一の神であるから、惟一神であって二神ではない。三位一体の第三位にある聖霊を母神に含 めて、母神とその子の二位としたキリスト教観」があるという記述がある。さらに「この考え方は、原始的ユダヤ教から伝来したものである」とあるが、はたし てそうだろうか。ジュリアナにもグノーシスの影響があるのではないだろうか。
 ここで参考のために、ハリスの新生兄弟社に類似している宗教共同体の男女神思想についてのべておきたい。それはシェーカー教(Shakers)と呼ばれ る集団である。その資料として『経済論叢』(京都大学経済学会、第九二巻第二号・昭和三十八年八月、第四号・同年十月、第九三巻第二号・昭和三十九年二 月、第六号・同年六月)に掲載された穂積文雄の「シェーカーズ」を参照した。
 シェーカー教(Shakers)はクエーカー教(Quakers)の一派である。クエーカー教は一七世紀中期に英国国教会に反抗したジョージ・フォック ス(George Fox)によって創始された内面的なプロテスタンティズムであり、正式名称はフレンド派(Friends)であるが、祈りに際し、体をふるわす(クエー ク)ところから、この呼名がつけられた。シェーカー教も同様にふるわす(シェーク)に由来している。
 一八世紀の初めにクエーカー教に属していたジェームス・ワードレイ(JamesWardley)とその妻ジェーン(Jane)が、フランス人 預言者と称する人々の影響で、終末論的な信仰を体の震動によって表現して、シェーカーズと呼ばれるようになった。彼等は神の愛は震動(シェーキング)に よって始まったといい、キリストは最初、男性の形においてあらわれたが、つぎには女性の形であらわれると語った。そして世界は永遠の母性より放射されるキ リストにおける母なる霊によって成就されると説いた。これは男女神、父母神の思想といってよいだろう。
 一七三六年に生れたアン・リー(Ann Lee)という英国女性が不幸な結婚生活をへて、このシェーカー教に入信した。彼女はやがて「マザー」という名で呼ばれて、指導者になった。正統主義のキ リスト者から迫害を受けるようになったので、アンは八人の同志とともに一七七四年、英国を離れて、ニューヨークに到着した。そしてオーターブリートを根拠 地にしてシェーカー教を説いた。アンは一七八四年に死んだが、一七九二年に組織が確立され、その共同体は米国の西部にも拡がり、全国で十八箇所にもなっ た。
 その教義では、神は男女両性の一つの人格であるとされている。そしてキリストは聖霊であり、はじめイエスにおいて男性としてあらわれ、のちにアン・リー において女性としてあらわれたという。男女両性具有の唯一神だけでなく、イエスとアン・リーを男女として一対の存在と考えているのである。しかしイエスも アン・リーも礼拝の対象ではなく、敬愛の対象であり、三位一体、贖罪、復活などの教義は否定されている。
 シェーカー教はこのような宗教思想と独身制をはじめとする、きびしい禁欲的な規律のもとで私有否定の共同体生活をおこない、農業や手工業に従事し、とく に簡素で美的な家具をつくることによって知られるようになった。しかし資本主義の発展による圧迫と、独身制による後継者の減少のため、しだいに衰微し、二 〇世紀の半ばには消滅したといってよい状態になった。
 このシェーカー教の男女神思想がどこからきたか定かではないが、前述のグノーシスのように、歴史の底を流れている異端的キリスト教の一つの湧出といって よいだろう。T・L・ハリスの新生兄弟社もまた内面的なキリスト教によるユートピア共同体であり、シェーカー教ほどにはきびしい禁欲主義ではなかったとし ても、父母神や男女神のように共通するところは少なくない。
 ともあれ奥邃の父母神思想がハリスに由来することは明らかである。奥邃がハリスを敬慕していた様子は、奥邃の弟子永島忠重の 『新井奥邃先生』(奥邃広 録刊行会、昭和八年)に「ハリス翁が亜米利加に於て遠行されたのは一千九百二十二年であるから、其れは謙和舎新築後四年目の事である。先生は余りハリス翁 に就いて談された事は無いが、終りまで敬慕して居られた事は明らかである。偶々其の写実を取り出だして、机上に立て置かれたのを見た者もある」などとある ところから窺われる。


   三 新井奥邃の父母神思想

 ところで新井奥邃の著作から、その父母神思想に関する記述をとりだして考えてみたい。
 奥邃の書簡は永島忠重による二冊の伝記『新井奥邃先生伝』(私家版、昭和四年)と 『新井奥邃先生』の双方に収録されているが、二冊とも明治四年(一八 七一年)五月四日、すなわちニューヨーク州ブロクトンのT・L・ハリスの共同体に入った直後に、仙台の友人笹川定吉に宛てたものを載せている。
 「己れを以て天父即我主ジイサス・クライストに献ぜし者新井ふかし書して日本在住の諸兄弟天父の愛中に入る者に達す」という書きだしで、神を「天父」と か、「父」と呼んでいる部分があり、末尾には「若し真実に帰しても正しからずとせば必ずクライストの宗旨にあらずクライストは一個真の父なるによる阿民」 とある。つまり、この時点ではまだ神を父とする正統主義的なキリスト教信仰を持っていたことがわかる。なお「新井ふかし」とあるのは、奥邃の号を用いる前 に、「邃(ふかし)」「幽邃」「邃道」などと記していたからである。
 この年の夏以後、奥邃は家族にも知友にも音信を絶ってしまう。明治十六年(一八八三年)五月に母が亡くなったことを、甥の新井一郎がサンフランシスコの 日本領事館気付で通知したところ、久しぶりに手紙がきた。しかし、この一郎宛の書簡には神の語はあるが、それには父とも父母とも記されていないので、この 時点で父母神信仰を有するようになっていたかどうかはわからない。
 奥邃の文章に父母神があらわれる最初は、現存の史料によると、さきの永島による二つの伝記の両方に掲載されている、詩人エドウィン・マアカム (Edwin Markham)宛、明治二十八年(一八九五年)五月の日付のある英文の手紙である。
 そこには「キリスー教は誠意と気力をともなう愛と情によって、他人をわれわれの仲間に引きこむことをはっきりと教えてくれる。それは在天の父母神 (the Father Mother in Heaven)の栄光のためである」とか、「キリストはわれわれに対し、部屋に入り、カーテンを引き、扉を閉め、手をあげ、膝をかがめ、深い息をしなが ら、神を見上げつつ、全能の父母神(the All-knowing Father Mother)に祈ることを教えた」などと書かれていて、父母神という語が明瞭に用いられている。ここから奥邃が滞米中に父母神という概念に接したことが わかる。
 奥邃の著作は『奥邃広録』全五巻(奥邃広録刊行会、昭和五年)にまとめられているが、そのなかに奥邃が在米末期の明治二十九年(一八九六年)に自ら印刷 発行した、英文『内なる祈りと断章』(Inward Prayer and Fragments)がある。そこに、たとえばつぎのような語句がなんどか用いられている。「二にして一、一にして二なる神よ」(O God the One-in-Twain, The Two-in-One)、「父母神よ」(Father-Mother)、「われらの母父」(Our Mother-Father)、「神なる男女」(the Divine Man-Woman)、「彼彼女」(HE-SHE)などといった表現である。
 これらは思想的な概念として漢字では、どのように表記すべきだろうか。「一而二神」「二而一神」「不一不二神」「父母神」「母父神」「男女神」といった 語をあてるほかはないだろう。T・L・ハリスの影響によるとともに、奥邃はこのような概念を「創世記」を根拠にして用いていると考えられる。というのは奥 邃が帰国後に日本語で記した父母神に関する数多くの記述のなかで、もっとも重要と思われる大正二年(一九一三年)刊行の『名実閑存』の冒頭に、こうあるか らである。
 「神は真実の人にして宇宙万有の父母神なり。神其肖像を造り、之を名づけて人と曰ふ。乃ち男、乃ち女、斯く人は本来神の肖像にして二而一なり。故に男女 各々本源より永遠の定倫ありて、其永倫に於て実に是れ人たり。乃ち神の肖像なり。故に各女自体は半人而己(のみ)。各男自体は半人而己。各男各女、神に於 て本源微妙に永倫なりと雖も、神明なる時の未だ其人に至らざる、未だ聖言に因りて永今の婚福を箇人に成さず。故に未だ之を成人と謂ふべからず」
 これは明らかに、さきにも言及した「創世記」第一章第二七節の「神その像の如くに人を創造(つくり)たまへり。即ち神の像の如くに之を造り、之を男と女 に創造たまへり」に拠っている。たしかに人間の男女が神の肖像であるなら、神もまた男女であり、父母であるというのは論理の当然というものであろう。
 奥邃は、この父母神を一つの言葉、というよりも一つの文字で表現したいと考えた。そこで大正八年(一九一九年)に著わした『大和会読中』のなかに、新し い漢字を案出、使用している。それは「父母(=縦で一字)」とか「母父(=縦で一字)」という字である。そして「ちちはは」「ははちち」と仮名を振って読 ませている。漢字で書かれた、その部分を引用しておこう。
「父母神即母父神、一而二而二而一也。父神無不為主也。然而特主干外勢矣。母神同無不為主也。然而特主干内実矣。惟一神也」
 父母神は一にして二、二にして一であるが、父神はとくに外勢の主であり、母神はとくに内実の主であり、そして唯一の神である、といった意味である。これ は正統主義のキリスト教における三位一体説が、神は存在としては唯一であるが、そのペルソナは父と子と聖霊の三つとしてあらわれるというのと、論理として は同様である。そして外勢や内実は神の働きを指すものと考えられる。またこのほかにも「父母(横並びで一字)」や「母父(横並びで一字)」といった字も用 い、おなじく「ちちはは」「ははちち」と読ませている。
 なお漢文を引用したついでにいうと、奥邃の父母神思想の由来として、幼時から学んだ儒教や漢学のなかにも、やや類似する思想があることも考えられる。た とえば中村敬字の『敬天愛人説』からの孫引きであるが、「薜文清曰天地者吾父母也」とか、「魯恭昌曰万民者天之所生。天愛其所生、猶父母愛其子」といった 言葉である。これは天は父、地は母、万物はその子であるといった思想で、父母神と同一ではないにしても関連があるとも考えられる。
 つぎに奥邃は神を父母としただけではなく、キリストやイエスを男であるとともに女であるとしていることについてのべたい。この思想が現存する史料に初め てあらわれるのは、さきの英文『内なる祈りと断章』である。その一例をあげよう。
 「万物は主女クリスタ(the Lady Christa)を伴へる主クリスト(the Lord Christ)の火の息吹きにより、新たなる、また神聖なる発展を遂ぐ。その息吹きにて主と主女をつねにわれらが眼前にとどめん。そは彼等より動かさるる ことなからんためなり。げに息吹きに満ちたる愛と信あつき知恵もて、神、一にして二なる神(God, the Divine Two-in-One)をわれらに保たしめたまへ」
 また明治三十九年(一九〇六年)から四十四年(一九一一年)に書かれた『語録』のなかに、「此の磐石は根元、生命の生命なり、永遠の生命にして、是れ真 神基督の基督阿と偕にせらるる処なり。基督士基督阿は在天の父母也。真人たる真神なり」とある。この「基督士」は「クリスタス」と呼んで男性をあらわし、 「基督阿」は「クリスタ」と呼んで女性をあらわすことが、他の部分の表記から知られる。
 つまりキリストは本質においては男であるとともに女であるというのである。それは神にかたどってつくられた人間が男女であるなら、神は当然、男女であ り、父母であり、そして、その神の子であるキリストはやはり男女であるという論理であろう。
 またキリストは本質においては男女であるが、現実においては男であり、未来においては女としてあらわれるという意味のことが、『語録』のなかに「神は男 性なる基督となりて現じられたるも、まだ女性となりては此の世に現じられぬ」と記されている。
 ここでキリストといっているのは、歴史上の人物であるイエスの称号で、メシヤすなわち救世主を指すという厳密な意味ではなく、イエスとほぼ同義に使われ ているといってよいだろう。奥邃はさらに、そのイエスもまた同様に、男であり女であるという。たとえば『大和会読中』のなかで、「耶蘇士」「耶蘇阿」と表 記して、「エイサス」「エスア」と仮名を振っているところである。
 イエスは現実においてはエイサスであり、未来すなわち終末再臨以後においてはエスアとしてあらわされるというのである。これらはさきにのべたT・L・ハ リスの用語と同じであり、ハリスの影響が考えられる。またさきのシェーカー教において、アン・リーが女性としてのイエスであるというのと似ている。アン・ リーは歴史的人物であるが、シェーカー教では女性としてのイエスも彼女においてすでにあらわれ、男女としてのイエスの姿は成就されたというのであろう。
 このような父母・男女としての神、キリスト・イエスという宗教思想が奥邃にあったことは、そこから現実の社会問題に関して、当然、男女平等の思想が生み だされることになる。たとえば大正六年(一九一七年)に書かれた『難録、四』にはつぎのような記述がある。
 「夫れ男子は婦人の一半にして婦人は男子の一半なるも(一半の字此処に於て妥当)其生命の潜在力に於て、婦人は常に男子を先天的に指導す。男子は素朴に 主たり。其性也。婦人は、亦性に従って、内裏の実生命を統括す。此に於て亦主たり」
 これは、男女はそれぞれのよき半身であり、その性質によって男は外、女は内に活動すべきであるが、ともに主体であり、主人であるというほどの意味であろ う。しかし進歩的、あるいは保守的であるだけの男女はともに誤っているという趣旨を大正二年(一九一三年)の『不求是求』につぎのように記している。
「今の世、『新しき女』と呼ぶ者あり。其性顛倒ならずや。又其『古を守る』と云ふ女性あり。其質固滞ならずや。並に楽園の来格するを害す。又男子にして 『新』を追ふものあり。自然を主とするものの如し。然れども彼等は、自然と不自然との間を根本に於て誤解せるにあらずや。保守の旧男に至りては、或は厳重 ならんも、亦皆天の時に逆ふなからずや」
 奥邃が男女平等ということをきわめて重視していたことは永島忠重の『奥邃先生の面影と談話及遺訓』(奥邃広録刊行会、昭和九年)のなかに、ある人が教会 内部の弊は改めようがないと歎いたのに対し、「男女平等と云ふ事がまだ徹底しないで何が解りますか。仮令如何に苦しくとも早く戦つて超脱しなければなりま せん」といったとあるところからも想像される。
 このような女性尊重の精神を奥邃が男尊女卑の傾向をもつ儒教から学んだとは考えられない。やはり二十八年間の米国滞在、とくに新生兄弟社での共同生活に おいて体得したのではないだろうか。そして、その精神の根底にあったものは、父母としての神、男女としてのイエスという信仰であった。


   結                 

 新井奥蓬はいまだ「知られざる思想家」であるが、いくつかの特色を持つ、稀な人物である。
 その特色には、名利に恬淡とした隠者の生涯を送ったこと、青年達に共同生活を通して多大無形の感化を与えたこと、非戦、財産共有、社会平等などの精神を 主張したこと、制度的、教義的なキリスト教を批判して、内面的な信仰に生きたことなどがあげられる。
 しかし、それらの特色のなかで最大のものは父母としての神、男女としてのイエスという思想を説き、自らそれを信じたことにあるといわねばならぬ。なぜな ら奥邃以前に、さらに以後にも、日本のキリスト者において、あるいは広く思想家といわれる人びとのなかに、このような父母神思想を唱えた人物を知らないか らである。
 キリスト教の神についての考えはあまりに父性的、権威的であるから、もう少し母性的な、やさしい神観がほしいと思っている人はあるだろう。カトリックの マリア崇拝や、プロテスタントでも説かれている「母なる教会」などという考えに、そのあらわれを見ることもできる。あるいは日本的なキリスト教として父な る神に母の要素を加えたいと考える者もいるだろう。しかし積極的に神は父であるとともに母であると説く者はだれもいない。
 だからこそ奥邃のこの父母神思想はとくに日本の思想として斬新、かつ大胆な立論といわねばならない。さらに、この主張は男女平等、ひいては人類協同の根 源的な理念として男女両性具有という思想が探究されている今日の世界に、一つの光を投げかけるものといっても過言ではあるまい。
 奥邃が生きた時代には、いまだこの思想に注目する人はなかった。そのことば奥邃が人格者、隠者、聖者としてだけ称讃されて、思想家として遇されることの なかった事実からもいえるだろう。奥邃の人物について語る人はいたけれど、その思想を論ずる人はほとんどいなかった。およそ奥邃が神という時には、それは 必ず父母神を意味したはずであるのに。それも父母神という明瞭な言葉を、その著述において、そしておそらく、その講義や談話において、しばしば説き、語っ たにもかかわらず。
 奥邃の同時代に、父母神という言葉や思想がなじみにくいものであっただけではない。これは正統的、伝統的、つまり普通のキリスト教の教義に対し、あまり にも反逆的で、異端的な信仰であったからである。それだけに今日の時代においても、キリスト教界には容易に受け入れられないものであろう。いや理解も与え られない、危険な思想であるはずである。
 奥邃は今日からみれば過去となり、昔となった幕末・明治・大正の人物である。にもかかわらず、現代を超えて、未来にはじめて、その真価が認められるよう な存在ではないだろうか。そこにこそ新井奥邃の面目がある。

 <付記>
 本論は『田中正造とその時代』第四号(通巻第一四号、昭和五八年七月、青山館)所収の拙論「新井奥邃の父母神信仰」を修正・改稿したものである。