招待席
かじい もとじろう 小説家 1901.2.17 - 1932.3.24
大阪市西区に生まれる。 三十二歳で夭折の天才として、透徹した表現力が讃歎されてきた。 秀作群の中から三編を選んだ。世界に持ち出せる日本の代表的な
文章家といえよう。 (秦 恒平)
檸檬・蒼穹・闇の絵巻
梶井 基次郎
檸檬
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)へつけてゐた。焦燥(せうさう)と云はうか、嫌悪と云はうか──酒を飲んだあとに宿酔(ふつかゑひ)
があるやうに、酒を毎日飲んでゐると宿酔に相当した時期がやつて来る。それが来たのだ。これはちよつといけなかつた。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけ
ないのではない。また脊を焼くやうな借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の
一節も辛抱がならなくなつた。蓄音器を聴かせて貰ひにわざわざ出かけて行つても、最初の二、三小節で不意に立ち上つてしまひたくなる。何かが私を居堪らず
させるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けてゐた。
何故(なぜ)だか其頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えてゐる。風景にしても壊れかかつた街だとか、その街にしても他所他所
(よそよそ)しい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあつたりがらくた(4字に、傍点)が転(ころが)してあつたりむさくるしい部屋が覗
いてゐたりする裏通りが好きであつた。雨や風が蝕(むしば)んでやがて土に帰ってしまふ、と云つたやうな趣きのある街で、土塀が崩れてゐたり家並が傾きか
かつてゐたり──勢ひのいいのは植物だけで、時とすると吃驚(びつくり)させるやうな向日葵(ひまはり)があつたりカンナが咲いてゐたりする。
時どき私はそんな路を歩きながら、不図(ふと)、其処(そこ)が京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか──そのやうな市へ今自分が来て
ゐるのだ──といふ錯覚を起さうと努める。私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないやうな市へ行つてしまひたかつた。第一に安静。がらんとし
た旅館の一室。清浄な蒲団。匂ひのいい蚊帳(かや)と糊のよくきいた浴衣(ゆかた)、其処で一月程何も思はず横になりたい。希(ねが)はくは此処が何時の
間にかその市になってゐるのだったら。──錯覚がやうやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。何のことはない、私の錯覚と壊
れかかった街との二重写しである。そして私その中に現実の私自身を見失ふのを楽しんだ。
私はまたあの花火といふ奴が好きになつた。花火そのものは第二段として、あの安つぽい絵具で赤や紫や黄や青や、様ざまの縞模様(しまもやう)を持つた花
火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火といふのは一つづつ輪になつてゐて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆(そそ)つ
た。
それからまた、びいどろ(4字に、傍点)と云ふ色硝子(いろガラス)で鯛(たひ)や花を打出してあるおはじきが好きになつたし、南京玉が好きになつた。
またそれを嘗(な)めて見るのが私にとつて何ともいへない享楽だつたのだ。あのびいどろの味程幽(かす)かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを
口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなつて落魄(おちぶ)れた私に蘇つてくる故(せゐ)だらうか、全くあの味には幽かな爽
かな何となく詩美と云つたやうな味覚が漂つて来る。
察しはつくだらうが私にはまるで金がなかつた。とは云へそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰める為には贅沢(ぜいたく)といふことが
必要であつた。二銭や三銭のもの──と云つて贅沢なもの。美しいもの──と云つて無気力な私の触角に寧(むし)ろ媚(こ)びて来るもの。──さう云つたも
のが自然私を慰めるのだ。
生活がまだ蝕(むしば)まれてゐなかつた以前私の好きであつた所は、例へば丸善であつた。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落(しやれ)た切子細
工や典雅なロココ趣味の浮模様を持つた琥珀(こはく)色や翡翠(ひすゐ)色の香水壜。煙管(きせる)、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時
間も費すことがあつた。そして結局一等いい鉛筆を一本買ふ位の贅沢をするのだつた。然し此処ももう其頃の私にとつては重くるしい場所に過ぎなかつた。書
籍、学生、勘定台、これらはみな借金取の亡霊のやうに私には見えるのだつた。
ある朝──其頃私は甲の友達から乙の友達へといふ風に友達の下宿を転々として暮してゐたのだが──友達が学校へ出てしまつたあとの空虚な空気のなかにぽ
つねんと一人取残された。私はまた其処から彷徨(さまよ)ひ出なければならなかつた。何かが私を追ひたてる。そして街から街へ、先に云つたやうな裏通りを
歩いたり、駄菓子屋の前で立留つたり、乾物屋の乾蝦(ほしえび)や棒鱈(ぼうだら)や湯葉(ゆば)を眺めたり、たうとう私は二条の方へ寺町を下(さが)
り、其処の果物屋で足を留めた。此処でちよつと其の果物屋を紹介したいのだが、其の果物屋は私の知つてゐた範囲で最も好きな店であつた。其処は決して立派
な店ではなかつたのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物は可成(かなり)勾配の急な台の上に並べてあつて、その台といふのも古びた黒い
漆塗(うるしぬ)りの板だつたやうに思へる。何か華やかな美しい音楽の快速調(アッレグロ)の流れが、見る人を石に化したといふゴルゴンの鬼面──的なも
のを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まつたといふ風に果物は並んでゐる。青物もやはり奥へゆけばゆく程堆高(うづたか)く積まれて
ゐる。──実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴しかつた。それから水に漬けてある豆だとか慈姑(くわゐ)だとか。
また其処の家の美しいのは夜だつた。寺町通は一体に賑かな通りで──と云つて感じは東京や大阪よりはずつと澄んでゐるが飾窓(かざりまど)の光がおびた
だしく街路へ流れ出てゐる。それがどうした訳かその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接してゐる街角になつてゐるので、暗いのは
当然であつたが、その隣家が寺町通にある家にも拘らず暗かつたのが瞭然(はつきり)しない。然し其の家が暗くなかつたら、あんなにも私を誘惑するには至ら
なかつたと思ふ。もう一つは其の家の打ち出した廂(ひさし)なのだが、その廂が眼深(まぶか)に冠つた帽子の廂のやうに──これは形容といふよりも、「お
や、あそこの店は帽子の廂をやけに下げてゐるぞ」と思はせる程なので、廂の上はこれも真暗なのだ。さう周囲が真暗なため、店頭に点(つ)けられた幾つもの
電けんらん燈が驟雨(しうう)のやうに浴せかける絢爛(けんらん)は、周囲の何者にも奪はれることなく、肆(ほしいまま)にも美しい眺めが照し出されてゐ
るのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒(らせんぼう)をきりきり眼の中へ刺し込んで来る往来に立つて、また近所にある鎰屋(かぎや)の二階の硝子窓をすかして眺
めた此の果物店の眺め程、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だつた。
その日私は何時になくその店で買物をした。といふのはその店には珍らしい檸檬(れもん)が出てゐたのだ。檸檬など極(ご)くありふれてゐる。が其の店と
いふのも見すぼらしくはないまでもただあたりまへの八百屋に過ぎなかつたので、それまであまり見かけたことはなかつた。一体私はあの檸檬が好きだ。レモン
ヱロウの絵具をチューブから搾り出して固めたやうなあの単純な色も、それからあの丈(たけ)の詰つた紡錘(ばうすゐ)形の恰好(かつかう)も。結局私はそ
れを一つだけ買ふことにした。それからの私は何処へどう歩いたのだらう。私は長い間街を歩いてゐた。始終私の心を圧(をさ)へつけてゐた不吉な塊がそれを
握つた瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たと見えて、私は街の上で非常に幸福であつた。あんなに執拗(しつこ)かつた憂欝が、そんなものの一顆(くわ)で
紛らされる──或ひは不審なことが、逆説的な本当であつた。それにしても心といふ奴は何といふ不可思議な奴だらう。
その檸檬の冷たさはたとへやうもなくよかつた。その頃私は肺尖を悪くしてゐていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかす為に手の握り
合ひなどをして見るのだが、私の掌が誰のよりも熱かつた。その熱い故だつたのだらう、握つてゐる掌から身内に浸み透つてゆくやうなその冷たさは快いものだ
つた。
私は何度も何度もその果実を鼻に持つて行つては嗅いで見た。それの産地だといふカリフォルニヤが想像に上つて来る。漢文で習つた「売柑者之言」の中に書
いてあつた「鼻を撲(う)つ」といふ言葉が断(き)れぎれに浮んで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸込めば、つひぞ胸一杯に呼吸したことの
なかつた私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇つて来て何だか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずつと昔からこればかり探してゐたのだと云ひ度くなつた程私にしつくりしたなんて私は不思議に思へる──そ
れがあの頃のことなんだから。
私はもう往来を軽やかな昂奮(かうふん)に弾(はず)んで、一種誇りかな気持さへ感じながら、美的装束をして街を闊歩(くわつぽ)した詩人のことなど思
ひ浮べては歩いてゐた。汚れた手拭の上へ載せて見たりマントの上へあてがつて見たりして色の反映を量(はか)つたり、またこんなことを思つたり、
──つまりは此の重さなんだな。──
その重さこそ常づね私が尋ねあぐんでゐたもので、疑ひもなくこの重さは総(すべ)ての善いもの総ての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思
ひあがつた諧謔心(かいぎやくしん)からそんな馬鹿げたことを考へて見たり──何がさて私は幸福だつたのだ。
何処をどう歩いたのだらう、私が最後に立つたのは丸善の前だつた。平常あんなに避けてゐた丸善が其の時の私には易やすと入れるやうに思へた。
「今日は一つ入つて見てやらう」そして私はづかづか入つて行つた。
然しどうしたことだらう、私の心を充(みた)してゐた幸福な感情は段々逃げて行つた。香水の壜にも煙管(きせる)にも私の心はのしかかつてはゆかなかつ
た。憂欝が立て罩(こ)めて来る、私は歩き廻つた疲労が出て来たのだと思つた。私は画本の棚の前へ行つて見た。画集の重たいのを取り出すのさへ常に増して
力が要るな!
と思つた。然し私は一冊づつ抜き出しては見る、そし開けては見るのだが、克明にはぐつてゆく気持は更に湧いて来ない。然(しか)も呪(のろ)はれたことに
はまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでゐて一度バラバラとやつて見なくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなつて其処へ置いて
しまふ。以前の位置へ戻すことさへ出来ない。私は幾度もそれを繰返した。たうとうおしまひには日頃から大好きだつたアングルの橙色(だいだいいろ)の重い
本まで尚一層の堪へ難さのために置いてしまつた。──何といふ呪はれたことだ。手の筋肉に疲労が残つてゐる。私は憂欝になつてしまつて、自分が抜いたまま
積み重ねた本の群を眺めてゐた。
以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだらう。一枚一枚に眼を晒(さら)し終つて後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐは
ない気持を、私は以前には好んで味つてゐたものであつた。……
「あ、さうださうだ」その時私は袂(たもと)の中の檸檬を憶ひ出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試して見たら。「さうだ」
私にまた先程の軽やかな昂奮が帰つて来た。私は手当り次第に積みあげ、また慌(あわただ)しく潰(つぶ)し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつ
け加へたり、取去つたりした。奇怪な幻想的な城が、その度に赤くなつたり青くなつたりした。
やつとそれが出来上つた。そして軽く跳(をど)りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据ゑつけた。そしてそれは上出来だつた。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひつそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまつて、カーンと冴えかへつてゐる。私は埃(ほこり)
つぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張してゐるやうな気がした。私はしばらくそれを眺めてゐた。
不意に第二のアイディアが起つた。その奇妙なたくらみは寧(むし)ろ私をぎよつとさせた。
──それをそのままにしておいて私は、何喰はぬ顔をして外へ出る。──
私は変にくすぐつたい気持がした。「出て行かうかなあ。さうだ出て行かう」そして私はすたすた出て行つた。
変にくすぐつたい気持が街の上の私を微笑(ほほゑ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善
が美術の棚を中心として大爆発をするのだつたらどんなに面白いだらう。
私はこ想像を熱心に追求した。「さうしたらあの気詰りな丸善も粉葉(こつぱ)みぢんだらう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩(いろど)つてゐる京極を下(さが)つて行つた。
──大正十四年
(1925)一月同人誌「青空」に初出──
蒼穹
ある晩春の午後、私は村の街道に沿つた土堤(どて)の上で日を浴びてゐた。空にはながらく動かないでゐる巨(おほ)きな雲があつた。その雲はその地球に
面した側に藤紫色をした陰翳(いんえい)を持つてゐた。そしてその厖大(ばうだい)な容積やその藤紫色をした陰翳はなにかしら茫漠(ばうばく)とした悲哀
をその雲に感じさせた。
私の坐つてゐるところはこの村でも一番広いとされてゐる平地の縁(へり)に当つてゐた。山と渓(たに)とがその大方の眺めであるこの村では、どこを眺め
るにも勾配のついた地勢でないものはなかつた。風景は絶えず重力の法則に脅(おびや)かされてゐた。そのうへ光と影の移り変りは渓間にゐる人に始終慌(あ
わただ)しい感情を与へてゐた。さうした村のなかでは、渓間からは高く一日日の当るこの平地の眺めほど心を休めるものはなかつた。私にとつてはその終日日
に倦(あ)いた眺めが悲しいまでノスタルヂックだつた。Lotus-eaterの住んでゐるといふ何時も午後ばかりの国──それが私には想像された。
雲はその平地の向ふの果(はて)である雑木山の上に横たはつてゐた。雑木山では絶えず杜鵑(ほととぎす)が鳴いてゐた。その麓に水車が光つてゐるばかり
で、眼に見えて動くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡つてゐる野山には静かな懶(ものう)さばかりが感じられた。そして雲はなにかさうした安逸の非
運を悲しんでゐるかのやうに思はれるのだつた。
私は眼を渓の方の眺めへ移した。私の眼の下ではこの半島の中心の山彙(さんゐ)からわけ出て来た二つの渓が落合つてゐた。二つの渓の間へ楔子(くさび)
のやうに立つてゐる山と、前方を屏風(びやうぶ)のやうに塞いでゐる山との間には、一つの渓をその上流へかけて十二単衣(ひとへ)のやうな山褶(やまひ
だ)が交互に重なつてゐた。そしてその涯(はて)には一本の巨大な枯木をその巓(いただき)に持つてゐる、そしてそのために殊更感情を高めて見える一つの
山が聳(そび)えてゐた。日は毎日二つの渓を渡つてその山へ落ちてゆくのだつたが、午後早い日は今やつと一つの渓を渡つたばかりで、渓と渓との間に立つて
ゐる山の此方側が死のやうな影に安らつてゐるのが殊更眼立つてゐた。三月の半ば頃私はよく山を蔽つた杉林から山火事のやうな煙が起るのを見た。それは日の
よくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸ひする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であつた。しかし今既に受精を終つた杉林の上には褐色がかつた落ちつき
が出来てゐた。瓦斯(ガス)体のやうな若芽に煙つてゐた欅(けやき)や楢(なら)の緑にももう初夏らしい落ちつきがあつた。闌(た)けた若葉が各々影を持
ち瓦斯体のやうな夢はもうなかつた。ただ渓間にむくむくと茂つてゐる椎(しひ)の樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたやうになつてゐた。
そんな風景のうへを遊んでゐた私の眼は、二つの渓をへだてた杉山の上から青空の透いて見えるほど淡い雲が絶えず湧いて来るのを見たとき、不知不識(しら
ずしらず)そのなかへ吸ひ込まれて行つた。湧き出て来る雲は見る見る日に輝いた巨大な姿を空のなかへ拡げるのであつた。
それは一方からの尽きない生成とともにゆつくり旋回してゐた。また一方では捲きあがつて行つた縁(へり)が絶えず青空のなかへ消え込むのだつた。かうし
た雲の変化ほど見る人の心に云ひ知れぬ深い感情を喚び起すものはない。その変化を見極めようとする眼はいつもその尽きない生成と消滅のなかへ溺れ込んでし
まひ、ただそればかりを繰返してゐるうちに、不思議な恐怖に似た感情がだんだん胸へ昂(たか)まつて来る。その感情は喉(のど)を詰らせるやうになつて
来、身体からは平衡の感じがだんだん失はれて来、若しそんな状態が長く続けば、そのある極点から、自分の身体は奈落のやうなもののなかへ溶ちてゆくのでは
ないかと思はれる。それも花火に仕掛けられた紙人形のやうに、身体のあらゆる部分から力を失つて。──
私の眼はだんだん雲との距離を絶して、さう云つた感情のなかへ巻き込まれて行つた。そのとき私はふとある不思議な現象に眼をとめたのである。それは雲の
湧いて出るところが、影になつた杉山の直ぐ上からではなく、そこからかなりの距(へだた)りを持つたところにあつたことであつた。そこへ来てはじめて薄
(うつす)り見えはじめる。それから見る見る巨きな姿をあらはす。──
私は空のなかに見えない山のやうなものがあるのではないかといふやうな不思議な気持に捕へられた。そのとき私の、心をふとかすめたものがあつた。それは
この村でのある闇夜の経験であつた。
その夜私は提灯(ちやうちん)も持たないで闇の街道を歩いてゐた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈(ひ)が恰度(ちやうど)戸の
節穴から写る戸外の風景のやうに見えてゐる、大きな闇のなかであつた。街道へその家の燈が光を投げてゐる。そのなかへ突然姿をあらはした人影があつた。お
そらくそれは私と同じやうに提灯を持たないで歩いてゐた村人だつたのであらう。私は別にその人影を怪しいと思つたのではなかつた。しかし私はなんといふこ
となく凝(ぢ)つと、その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺めてゐたのである。その人影は背に負つた光をだんだん失ひながら消えて行つた。網膜だけの感じ
になり、闇のなかの想像になり──遂にはその想像もふつつり断ち切れてしまつた。そのとき私は『何処』といふもののない闇に微(かす)かな戦慄(せんり
つ)を感じた。その闇のなかへ同じやうな絶望的な.順序で消えてゆく私自身を想像し、云ひ知れぬ恐怖と情熱を覚えたのである。──
その記憶が私の心をかすめたとき、突然私は悟つた。雲が湧き立つては消えてゆく空のなかにあつたものは、見えない山のやうなものでもなく、不思議な岬
(みさき)のやうなものでもなく、なんといふ虚無!
白日の闇が満ち充ちてゐるのだといふことを。私の眼は一時に視力を弱めたかのやうに、私は大きな不幸を感じた。濃い藍色に煙りあがつたこの季節の空は、そ
のとき、見れば見るほどただ闇としか私には感覚出来なかつたのである。
──昭和三年(1928)三月「文藝都
市」に初出──
闇の絵巻
最近東京を騒がした有名な強盗が捕まつて語つたところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さへあれば何里でも走ることが出来るといふ。その
棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのださうである。
私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快な戦慄(せんりつ)を禁じることが出来なかつた。
闇! そのなかではわれわれは何を見ることも出来ない。より深い暗黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫つて来る。こんななかでは思考することさへ
出来ない。何が在るかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことが出来よう。勿論われわれは摺足(すりあし)でもして進むほかはないだらう。しかし
それは苦渋(くじふ)や不安や恐怖の感情で一ぱいになつた一歩だ。その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだらう。裸足
(はだし)で薊(あざみ)を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。
闇のなかでは、しかし、若(も)しわれわれがさうした意志を捨ててしまふなら、なんといふ深い安堵がわれわれを包んでくれるだらう。この感情を思ひ浮べ
るためには、われわれが都会で経験する停電を思ひ出して見ればいい。停電して部屋が真暗になつてしまふと、われわれは最初なんともいへない不快な気持にな
る。しかし一寸(ちよつと)気を変へて呑気(のんき)でゐてやれと思ふと同時に、その暗闘は電燈の下では味はふことの出来ない爽やかな安息に変化してしま
ふ。
深い闇のなかで味はふこの安息は一体なにを意味してゐるのだらう。今は誰の眼からも隠れてしまつた──今は巨大な闇と一如になつてしまつた──それがこ
の感情なのだらうか。
私はながい間ある山間の療養地に暮してゐた。私は其処で闇を愛することを覚えた。昼間は金毛の兎が遊んでゐるやうに見える谿向(たにむか)ふの枯萱山
(かれかややま)が、夜になると黒ぐろとした畏怖(ゐふ)に変つた。昼間気のつかなかつた樹木が異形(いぎやう)な姿を空に現はした。夜の外出には提灯
(ちやうちん)を持つてゆかなければならない。──月夜といふものは提灯の要らない夜といふことを意味するのだ。──かうした発見は都から不意に山間へ行
つたものの闇を知る第一階梯(かいてい)である。
私は好んで闇のなかへ出かけた。渓(たに)ぎはの大きな椎(しひ)の木の下に立つて遠い街道の孤独な電燈を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を眺め
るほど感傷的なものはないだらう。私はその光がはるばるやつて来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めてゐるのを知つた。またあるところでは渓の闇へ向つ
て一心に石を投げた。闇のなかには一本の柚(ゆず)の木があつたのである。石が葉を分けて戞々(かつかつ)と崖(がけ)へ当つた。ひとしきりすると闇のな
かからは芳烈な柚の匂が立騰(たちのぼ)つて来た。
かうしたことは療養地の身を噛むやうな孤独と切離せるものではない。あるときは岬の港町へゆく自動車に乗つて、わざと薄暮の峠へ私自身を遺棄させた。深
い渓谷が闇のなかへ沈むのを見た。夜が更けて来るにしたがつて黒い山々の尾根が古い地球の骨のやうに見えて来た。彼等は私のゐるのも知らないで話し出し
た。
「おい。何時まで俺達はこんなことをしてゐなきやならないんだ」
私はその療養地の一本の闇の街道を今も新しい印象で思ひ出す。それは渓の下流にあつた一軒の旅館から上流の私の旅館まで帰つて来る道であつた。渓に沿つ
て道は少し上りになつてゐる。三四町もあつたであらうか。その間には極(ご)く稀(まれ)にしか電燈がついてゐなかった。今でもその数が数へられるやうに
思ふ位だ。最初の電燈は旅館から街道へ出たところにあつた。夏はそれに虫がたくさん集つて来てゐた。一匹の青蛙がいつもそこにゐた。電燈の真下の電柱にい
つもぴたりと身をつけてゐるのである。暫らく見てゐると、その青蛙はきまつたやうに後足を変な風に曲げて、背中を掻く模(ま)ねをした。電燈から落ちて来
る小虫がひつつくのかもしれない。いかにも五月蠅(うるさ)さうにそれをやるのである。私はよくそれを眺めて立留つてゐた。いつも夜更けでいかにも静かな
眺めであつた。
しばらく行くと橋がある。その上に立つて渓の上流の方を眺めると、黒ぐろとした山が空の正面に立塞(たちふさ)がつてゐた。その中腹に一箇の電燈がつい
てゐて、その光がなんとなしに恐怖を呼び起した。.バアーンとシンバルを叩いたやうな感じである。私はその橋を渡るたびに私の眼がいつもなんとなくそれを
見るのを避けたがるのを感じてゐた。
くわうくわう
下流の方を眺めると、渓が瀬をなして轟々(くわうくわう)と激してゐた。瀬の色は闇のなかでも白い。それはまた尻つ尾のやうに細くなつて下流の闇のなか
へ消えてゆくのである。渓の岸には杉林のなかに炭焼小屋があつて、白い煙が切り立つた山の闇を匍ひ登つてゐた。その煙は時として街道の上へ重苦しく流れて
来た。だから街道は日によつてはその樹脂臭い匂ひや、また日によつては馬力の通つた昼間の匂ひを残してゐたりするのだつた。
橋を渡ると道は渓に沿つてのぼつてゆく。左は渓の崖。右は山の崖。行手に白い電燈がついてゐる。それはある旅館の裏門で、それまでの真直ぐな道である。
この闇のなかでは何も考へない。それは行手の白い電燈と道のほんの僅かの勾配のためである。これは肉体に課せられた仕事を意味してゐる。目ざす白い電燈の
ところまでゆきつくと、いつも私は息切れがして往来の上で立留つた。呼吸困難。これはぢつとしてゐなければいけないのである。用事もないのに夜更けの満ち
に立つて盆槍(ぼんやり)畑を眺めてゐるやうな風をしてゐる。しばらくするとまた歩き出す。
街道はそこから右へ曲つてゐる。渓沿ひに大きな椎(しひ)の木がある。その木の闇は至つて巨大だ。その下に立つて見上げると、深い大きな洞窟のやうに見
える。梟(ふくろふ)の声がその奥にしてゐることがある。道の傍(かたは)らには小さな字(あざ)があつて、そこから射して来る光が、道の上に押被(おし
かぶ)さつた竹藪を白く光らせてゐる。竹といふものは樹木のなかで最も光に感じ易い。山のなかの所どころに簇(む)れ立つてゐる竹藪。彼等は闇のなかでも
そのありかをほの白く光らせる。
そこを過ぎると道は切り立つた崖を曲つて、突如ひろびろとした展望のなかへ出る。眼界といふものがかうも人の心を変へてしまふものだらうか。そこへ来る
と私はいつも今が今まで私の心を占めてゐた煮え切らない考へを振るひ落してしまつたやうに感じるのだ。私の心には新しい決意が生れて来る。秘(ひそ)やか
な情熱が静かに私を満たして来る。
この闇の風景は単純な力強い構成を持つてゐる。左手には渓の向ふを夜空を劃(くぎ)つて爬虫(はちゆう)の背のやうな尾根が蜿蜒(ゑんえん)と匍(は)
つてゐる。黒ぐろとした杉林がパノラマのやうに廻つて私の行手を深い闇で包んでしまつてゐる。その前景のなかへ、右手からも杉山が傾きかかる。この山に沿
つて街道がゆく。行手は如何(いかん)ともすることの出来ない闇である。この闇へ達するまでの距離は百米(メートル)余りもあらうか。その途中にたつた一
軒だけ人家があつて、楓(かへで)のやうな木が幻燈のやうに光を浴びてゐる。大きな闇の風景のなかでただそこだけがこんもり明るい。街道もその前では少し
明るくなつてゐる。しかし前方の闇はそのためになほ一層暗くなり街道を呑みこんでしまふ。
ある夜のこと、私は私の前を私と同じやうに提灯(ちやうちん)なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿
を現はしたのだつた。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいつて行つてしまつた。私はそれを一種異様な感動を持つて眺めてゐた。それは、あらはに云
つて見れば、「自分も暫らくすればあの男のやうに闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立つて見てゐればやはりあんな風に消えてゆくのであらう」といふ
感動なのであつたが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であつた。
その家の前を過ぎると、道は渓に沿つた杉林にさしかかる。右手は切り立つた崖である。それが闇のなかである。なんといふ暗い道だらう。そこは月夜でも暗
い。歩くにしたがつて暗さが増してゆく。不安が高まつて来る。それがある極点にまで達しようとするとき、突如ごおつといふ音が足下から起る。それは杉林の
切れ目だ。恰度(ちようど)真下に当る瀬の音がにはかにその切れ目から押寄せて来るのだ。その音は凄(すさ)まじい。気持にはある混乱が起つて来る。大工
とか左官とかさういつた連中が渓のなかで不可思議な酒盛をしてゐて、その高笑ひがワツハツハ、ワツハツハときこえて来るやうな気のすることがある。心が捩
(ね)ぢ切れさうになる。するとその途端、道の行手にパツと一箇の電燈が見える。闇はそこで終つたのだ。
もうそこからは私の部屋は近い。電燈の見えるところが崖の曲角で、そこを曲れば直ぐ私の旅館だ。電燈を見ながらゆく道は心易い。私は最後の安堵(あん
ど)とともにその道を歩いてゆく。しかし霧の夜がある。霧にかすんでしまつて電燈が遠くに見える。行つても行つてもそこまで行きつけないやうな不思議な気
持になるのだ。いつもの安堵が消えてしまふ。遠い遠い気持になる。
闇の風景はいつ見ても変らない。私はこの道を何度といふことなく歩いた。いつも同じ空想を繰返した。印象が心に刻みつけられてしまつた。街道の闇、闇よ
りも濃い樹木の闇の姿はいまも私の眼に残つてゐる。それを思ひ浮べるたびに、私は今ゐる都会のどこへ行つても電燈の光の流れてゐる夜を、薄つ汚なく思はな
いではゐられないのである。
──昭和五年(1930)九月『詩・
現実』第二冊に初出──