招待席

えどがわ らんぽ   小説家  1894 - 1965 三重県に生まれる。 海外の推理小説の研究や紹介につとめ、また谷崎潤一郎の推理作「途上」等に刺激されて、我が国にいわゆる「探偵小説」とい う推理の新ジャンルを確立。『江戸川乱歩推理文庫』は全六十五巻に及ぶ。筆名がエドガー・アラン・ポーに依るように、乱歩の作にはどこか耽美の憂愁がつき まとい、大正から昭和初年の時代の雰囲気をも微妙に写し取っている。 掲載作は、「新青年」大正十四年(1925)一月号初出、乱歩の名と共に有名な名探 偵明智小五郎が登場し、冒頭の方で先に謂う谷崎の『途上』を語り手と二人で絶賛している。 (秦 恒平)





   D 坂 の殺人事件


      江戸川乱歩




   (上) 事実 

 それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中ほどにある、白梅軒という、行きつけの喫茶店で、冷しコーヒーを啜っていた。当 時私は、学校を出たばかりで、まだこれという職業もなく、下宿にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽きると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用の かからぬ喫茶店廻りをやるくらいが、毎日の日課だった。この白梅軒というのは、
下宿屋から近くもあり、どこへ散歩するにも必ずその前を
通るような位置にあったので、したがって、いちば んよく出入りするわけであったが、私という男は悪い癖で、喫茶店にはいるとどうも長尻になる。それに、元来食欲のない少ない方なの で、ひとつは嚢中の乏しいせいもあってだが、洋食ひと皿 注文するでなく、安いコーヒを二杯も三杯もお代りして、一時間も二時間もじっとしているのだ。そうかといって、別段、ウエートレスにおぼしめしがあったり、からかったりするわ けでもない。まあ下宿よりなんとなく派手で居心地がいいのだろう。私はその晩も例によって、一杯の冷しコーヒーを十分もかかって飲みながら、いつもの往来に面したテーブルに陣取って、ボンヤリ窓のそとをながめていた。
 さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形の名所だったところで、狭かった通りが市区改正で取り拡げられ、何間道路とかいう大通りになって間も なくだから、まだ大通りの両側にところどころ空地などもあって、今よりはずっと淋しかった時分の話だ。大通りを越して白梅軒のちょうど真向こうに、一軒の 古本屋がある。実は私は先ほどから、そこの店先をながめていたのだ。みすぽ゛らしい

場末の古本屋で、別段ながめるほどの景色でもないのだが、 私にはちょっと特別の興味があった。というのは、私が近頃この白梅軒で知合いになった一人の妙な男があっ て、名前は明智小五郎というのだが、話をしているといかにも変り者で、それが頭がよさそうで、私の惚れ込んだことには、探偵小説好きなのだが、その男の幼 馴染の女が、今ではこの古本屋の女房になっているということを、この前、彼から聞いていたからだった。二、三度本を買って覚えているところによれば、この古本屋の細君というのがなかなかの美人で、どこがど うというではないが、なんとなく官能的に男をひきつけるようなところがあるのだ。彼女は夜はいつでも店番をしているのだから、今晩もいるに違いないと、店 じゅうを、といっても二間半間口の手狭な店だけれど、探してみたが、誰もいない、いずれそのうちに出てくるのだろうと、私はじっと眼で待っていたものだ。
 だが、女房はなかなか出てこないので、いい加減面倒臭くなって、隣の時計屋へと眼を移そうとしている時であった。私は ふと、店と奥の間との境に閉めてある障子の戸が、ピッシャリしまるのを見た──その障子は専門家の方では無双と称するもので、普通、紙をはるべき中央の部 分が、こまかい縦の二重の格子になっていて、一つの格子の幅が五分ぐらいで、それが開閉できるようになっているのだ──ハテ変なこともあるものだ。古本屋 などというものは、万引きされやすい商売だから、たとえ店に番をしていなくても、奥に人がいて、障子のすき間などから、じっと見張っているものなのに、そ のすき見の箇所を塞いでしまうとはおかしい。寒い時分ならともかく、九月になったばかりのこんな蒸し暑い晩だのに、第一障子そのものが閉めきってあるのか らして変だ。そんなふうにいろいろ考えてみると、古本屋の奥の間になにごとかありそうで、私は眼を移す気になれなかった。
 古本屋の細君といえば、ある時、この喫茶店のウェートレスたちが、妙な噂をしているのを聞いたことがある。なんでも、銭湯で出会うおかみさんや娘さんた ちの棚おろしのつづきらしかったが、「古本屋のおかみさんは、あんなきれいな人だけれど、はだかになると、からだじゅう傷だらけだ。たたかれたり抓られた りした痕に違いないわ。別に夫婦仲か悪くもないようだのに、おかしいわねえ」する
と別の女がそれを受けてしゃべるのだ。「あの並びのソバ屋の旭屋のおかみさんだって、よく傷をしているわ。あれもどうも叩かれた傷に違いないわ」……で、 この噂話が何を意味するか、私は深くも気に留めないで、ただ亭主が邪慳なのだろうぐらいに考えたことだが、読者諸君、それがなかなかそうではなかったの だ。このちょっとした事柄が、この物語全体に大きな関係を持っていたことが、後に
なってわかったのである。
 それはともかく、私はそうして三十分ほども同じところを見結めていた。虫が知らすとでもいうのか、なんだかこう、傍見(よそみ)をしているすきに何事か 起こりそうで、どうもほかへ眼が向けられなかったのだ。その時、先ほどちょっと名前の出た明智小五郎が、いつもの荒い棒縞の浴衣を着て、変に肩を振る歩き 方で、窓のそとを通りかかった。彼は私に気づくと会釈をして中へはいってきたが、冷しコーヒーを命じておいて、私と同じように窓の方を向いて、私の隣に腰 かけた。そして、私が一つところを見詰めているのに気づくと、彼はその私の視線をたどって、同じく向こうの古本屋をながめた。しかし、不思議なことには、 彼もまた、いかにも興味ありげに、少しも眼をそらさないで、その方を凝視し出したのである。
 私たちは、そうして、申し合わせたように同じ場所をながめながら、いろいろむだ話を取りかわした。その時、私たちのあいだにどんな話題が話されたか、今 ではもう忘れてもいるし、それに、この物語にはあまり関係のないことだから、略するけれど、それが、犯罪や探偵に関したものであったことは確かだ。試みに 見本をひとつ取り出してみると、
 「絶対に発見されない犯罪というものは不可能でしょうか。僕はずいぶん可能性があると思うのですがね。たとえば、谷崎潤一郎の『途上』ですね。ああした 犯罪はまず発見されることはありませんよ。もっとも、あの小説では、探偵が発見したことになってますけれど、あれは作者のすばらしい想像力が作り出したこ とですからね」と明智。
 「いや、僕はそうは思いませんよ。実際問題としてならともかく、理論的にいって、探偵のできない犯罪なんてありませんよ。ただ、現在の誓察に『途上』に 出てくるような偉い探偵がいないだけですよ」と私。
 ざっとこういったふうなのだ。だが、ある瞬間、二人は言い合わせたように、ふとだまり込んでしまった。さっきから、話しながら眼をそらさないでいた向こ うの古本屋に、ある面白い事件が発生していたのだ。
 「君も気づいているようですね」
と私がささやくと、彼は即座に答えた。
 「本泥棒でしょう。どうも変ですね。僕もここへはいってきた時から、見ていたんですよ。これで四人目ですね」
 「君が来てからまだ三十分にもなりませんが、三十分に四人も。少しおかしいですね。僕は君の来る前からあすこを見ていたんですよ。一時間ほど前にね、あ の障子があるでしょう。あれの格子のようになったところが、しまるのを見たんですが、それからずっと注意していたのです」
 「うちの人が出て行ったのじゃないのですか」
 「それが、あの障子は一度もひらかないのですよ。出て行ったとすれば裏口からでしょうが……三十分も人がいないなんて、確かに変ですよ。どうです、行っ てみようじゃありませんか」
 「そうですね。うちの中には別状がないとしても、そとで何かあったのかもしれませんからね」
 私はこれが犯罪事件ででもあってくれれば面白いがと思いながら、喫茶店を出た。明智とても同じ思いに違いなかった。彼も少なからず興奮しているのだ。
 古本屋は、よくある型で、店は全体土間になっていて、正面と左右に天井まで届くような本棚を取り付け、その腰のところが本を並べるための台になってい る。土間の中央には、島のように、これも本を並べたり積み上げたりするための、長方形の台がおいてある。そして、正面の本棚の右の方が三尺ばかりあいてい て奥の部屋との通路になり、先にいった一枚の障子が立ててある。いつもは、この障子の前の半畳ほどの畳敷きのところに、主人か細君がチョコンとすわって番 をしているのだ。
 明智と私とは、この畳敷きのところまで行って、大声に叫んでみたけれど、なんの返事もない。はたして誰もいないらしい。私は障子を少しあけて、奥の間を 覗いてみると、中は電燈が消えてまっ暗だが、どうやら人間らしいものが、部屋の隅に倒れている様子だ。不審に思ってもう一度声をかけたが、返事をしない。
 「構わない、上がってみようじゃありませんか」
 そこで、二人はドカドカと奥の間へ上がり込んで行った。明智の手で電燈のスイッチがひねられた。そのとたん、私たちは同時に「アッ」と声を立てた。明か るくなった部屋の片隅に、女の死体が横たわっていたからだ。
 「ここの細君ですね」やっと私がいった。「首を絞められているようじゃありませんか」
 明智はそばへ寄って、死骸を調べていたが、
 「とても蘇生の見込みはありませんよ。早く馨察へ知らせなきゃ。僕、公衆電話まで行ってきましょう。君、番をしててください。近所へはまだ知らせない方 がいいでしょう。手掛りを消してしまってはいけないから」
 彼はこう命令的に言い残して、半丁ばかりのところにある公衆電話へ飛んで行った。
 平常から、犯罪だ探偵だと、議論だけはなかなか一人前にやってのける私だが、さて実際にぶっつかったのははじめてだ。手のつけようがない。私は、ただ、 まじまじと部屋の様子をながめているほかはなかった。
 部屋はひと間きりの六畳で、奥の方は、右一間は幅の狭い縁側をへだてて、二坪ばかりの庭と便所があり、庭の向こうは板塀になっている──夏のことで、あ けっぱなしだから、すっかり、見通しなのだ──左半間はひらき戸で、その奥に二畳敷きほどの板の間があり、裏口に接して狭い流し場が見え、裏口の腰高障子 は閉まっている。向かって右側は、四枚の襖になっていて、中は二階への階段と物入れ場になっているらしい。ごくありふれた安長屋の間取りだ。死骸は、左側 の壁寄りに、店の間の方を頭にして倒れている。私は、なるべく兇行当時の模様を乱すまいとして、一つは気味もわるかったので、死骸のそばへ近寄らないよう にしていた。でも、狭い部屋のことだから、見まいとしても、自然その方に眼が行くのだ。女は荒い中形模様の浴衣を着て、ほとんど仰向きに倒れている。しか し、着物が膝の上の方までまくれて、腿がむき出しになっているくらいで、別に抵抗した様子はない。首のところは、よくはわからぬが、どうやら、絞められた 痕が紫色になっているらしい。
 表の大通りには往来が絶えない。声高に話し合って、カラカラと日和下駄を引きずって行くのや、酒に酔って流行歌をどなって行くのや、しごく天下泰平なこ とだ。そして障子ひとえの家の中には、一人の女が惨殺されて横たわっている。なんという皮肉だろう。私は妙な気持になって、呆然とたたずんでいた。
 「すぐくるそうですよ」
 明智が息をきって帰ってきた。
 「あ、そう」
 私はなんだか口をきくのも大儀になっていた。二人は長いあいだ、ひとことも言わないで顔を見合わせていた。
 間もなく、一人の制服の警官が背広の男と連れだってやってきた。制服の方は、後で知ったのだが、K警察署の司法主任で、もう一人は、その顔つきや持物で もわかるように同じ署に属する警察医だった。私たちは司法主任に、最初からの事情を大略説明した。そして私はこうつけ加えた。
 「この明智君が喫茶店へはいってきた時、偶然時計を見たのですが、ちょうど八時半でしたから、この障子の格子が閉まったのは、おそらく八時頃だったと思 います。その時はたしか中にも電燈がついていました。ですから、少なくとも八時頃には、誰か生きた人間がこの部屋にいたことは明らかです」
 司法主任が私たちの陳述を聞き取って、手帳に書き留めているあいだに、警察医は一応死体の検診を済ませていた。彼は私たちの言葉のとぎれるのを待って いった。
 「絞殺ですね。手でやられたのです。これごらんなさい。この紫色になっているのが指の痕ですよ。それから、この出血しているのは、爪があたった箇所で す。拇指の痕が頸の右側についているのを見ると、右手でやったものですね。そうですね。おそらく死後一時間以上はたっていないでしょう。しかし、むろん蘇 生の見込みはありません」
 「上から押さえつけられたのですね」司法主任が考え考え言った。「しかし、それにしても、抵抗した様子がないが……おそらく非常に急激にやったのでしょ うね、ひどい力で」
 それから、彼は私たちの方を向いて、この家の主人はどうしたのだと尋ねた。だが、むろん、私たちが知っているはずはない。そこで、明智は気をきかして、 隣家の時計屋の主人を呼んできた。
 司法主任と時計屋の問答は大体次のようなものだった。
 「主人はどこへ行っているのかね」
 「ここの主は、毎晩古本の夜店を出しに参りますんで、いつも十二時頃でなきゃ帰って参りません」
 「どこへ夜店を出すんだね」
 「よく上野の広小路へ参りますようですが、今晩はどこへ出しましたか、どうも手前にはわかりかねます」
 「一時間ばかり前に、何か物音を聞かなかったかね」
 「物音と申しますと」
 「きまっているじゃないか。この女が殺される時の叫び声とか、格闘の音とか‥‥‥」
 「別段これという物音も聞きませんようでございましたが」
 そうこうするうちに、近所の人たちが聞き伝えて集まってきたのと、通りすがりの野次馬で、古本屋の表は一杯の人だかりになった。その中に、もう一方の隣 家の足袋屋のおかみさんがいて、時計屋に応援した。そして、彼女も、何も物音を聞かなかったと申し立てた。
 このあいだに、近所の人たちは、協議の上、古本屋の主人のところへ使を走らせた様子だった。
 そこへ、表に自動車が停まる音がして、数人の人がドヤドヤとはいってきた。それは警察からの急報で駈けつけた検事局の連中と、偶然同時に到着したK警察 署長、及び当時名探偵という噂の高かった小林刑事などの一行だ──むろんこれは後になってわかったことだ。というのは、私の友だちに一人の司法記者があっ て、それがこの事件の係りの小林刑事とごく懇意だったので、私は後日彼からいろいろと聞くことができたのだ。
──先着の司法主任は、この人たちの前で今までの模様を説明した。私たちも先の陳 述
をもう一度繰り返さねばならなかった。
 「表の戸を閉めましょう」
 突然、黒いアルパカの背広に白ズボンという、下廻りの会社員みたいな男が大声でどなって、さっさと戸を閉め出した。これが小林刑事だった。彼はこうして 野次馬を撃退しておいて、さて探偵にとりかかった。彼のやり方はいかにも傍若無人で、検事や署長などはまるで眼中にない様子だった。彼ははじめから終りま で一人で活動した。他の人たちはただ彼の敏捷な行動を傍観するためにやってきた見物人にすぎないように見えた。彼は第一に死体を調べた。頸のまわりは殊に 念入りにいじり廻していたが、
 「この指の痕には別に特徴がありません。つまり普通の人間が、右手で押さえつけたという以外になんの手がかりもありません」
と検事の方を見て言った。次に彼は一度死体をはだかにしてみると言い出した。そこで議会の秘密会みたいに、傍観者の私たちは、店の間へ追い出されねばなら なかった。だから、そのあいだにどういう発見があったか、よくわからないが、察するところ、彼らは死人のからだにたくさんの生傷のあることを注意したに違 いない。喫茶店のウェートレスの噂していたあれだ。
 やがて、この秘密会は解かれたけれど、私たちは奥の間にはいって行くのを遠慮して、例の店の間と奥との境の畳敷きのところから奥の方をのぞきこんでい た。幸いなことには、私たちは事件の発見者だったし、それに、あとから明智の指紋をとらねばならぬことになったために、最後まで追い出されずにすんだ。と いうよりは抑留されていたという方が正しいかもしれぬ。しかし小林刑事の活動は奥の間だけに限られていたわけではなく、屋内屋外の広い範囲にわたって行な われたのだから、ひとつところにじっとしていた私たちに、その捜査の模様がわかろうはずがないのだが、うまいぐあいに、検事が奥の間に陣取っていて、始終 ほとんど動かなかったので、刑事が出たりはいったりするごとに、一々捜査の結果を報告するのを、もれなく聞きとることができた。検事はその報告にもとづい て、調書の材料を書記に書きとめさせていた。
 まず、死体のあった奥の間の捜索が行なわれたが、遺留品も、足跡も、その他探偵の眼に触れる何物もなかった様子だった。ただひとつのものを除いては。
 「電燈のスイッチに指紋があります」黒いエボナイトのスイッチに何か白い粉をふりかけていた刑事がいった。
 「前後の事情から考えて、電燈を消したのは犯人に違いありません。しかし、これをつけたのはあなた方のうちどちらですか」
 明智が自分だと答えた。
 「そうですか。あとであなたの指紋をとらせてください。この電燈はさわらないようにして、このまま取りはずして持って行きましょう」
 それから、刑事は二階へ上がって行って、しばらく下りてこなかったが、下りてくるとすぐに裏口の路地を調べるのだと言って出て行ってしまった。それが十 分もかかったろうか。やがて、彼はまだついたままの懐中電燈を片手に、一人の男を連れて帰ってきた。それは汚れたクレップシャツにカーキ色のズボンという 服装で、四十ばかりの汚ない男だ。
 「足跡はまるでだめです」刑事が報告した。「この裏口の辺は、日当りがわるいせいか、ひどいぬかるみで、下駄の跡が滅多無性についているんだから、とて もわかりっこありません。ところで、この男ですが」と今連れてきた男を指さし「これは、この裏の路地を出たところの角に店を出していた、アイスクリーム屋 ですが、もし犯人が裏口から逃げたとすれば、路地は一方口なんですから、かならずこ
の男の眼についたはずです。君、もう一度私の訊ねることに答えてごらん」
 そこで、アイスクリーム屋と刑事の一問一答。
 「今晩八時前後に、この路地を出入したものはないかね」
 「一人もありません。日が暮れてからこっち、猫の子一匹通りません」アイスクリーム屋はなかなか要領よく答える。「私は長らくここへ店を出させてもらっ てますが、あすこは、ここのおかみさんたちも、夜分は滅多に通りません。何分あの足場のわるいところへもってきて、まっ暗なんですから」
 「君の店のお客で路地の中へはいったものはないかね」
 「それもございません。皆さん私の眼の前でアイスクリームを食べて、すぐ元の方へお帰りになりました。それはもう間違いはありません」
 さて、もしこのアイスクリーム屋の証言が信用すべきものだとすると、犯人はたとえこの家の裏口から逃げたとしても、その裏口からの唯一の通路である路地 は出なかったことになる。さればといって表の方から出なかったことも、私たちが白梅軒から見ていたのだから間違いはない。では彼は一体どうしたのであろ う。小林刑事の考えによれば、これは、犯人がこの路地を取りまいている裏おもて二
がわの長屋のどこかの家に潜伏しているか。それとも借家人のうちに犯人がいるのか、どちらかであろう。もっとも、二階から屋根伝いに逃げる道はあるけれ ど、二階をしらべたところによると、表の方の窓は取りつけの格子がはまっていて、少しも動かした様子はないのだし、裏の方の窓だって、この暑さで、どこの 家も二階は明けっぱなしで、中には物干で涼んでいる人もあるくらいだから、ここ
から逃げるのはちょっとむずかしいように思われる、というのだ。
 そこで臨検者たちのあいだに、ちょっと捜査方針についての協議がひらかれたが、結局、手分けをして近所を軒並みにしらべてみることになった。といって も、裏おもての長屋を合わせて十一軒しかないのだから、たいして面倒ではない。それと同時に、家の中も再度、縁の下から天井裏まで残るくまなく調べられ た。ところがその結果は、なんの得るところもなかったばかりでなく、かえって事情を困
難にしてしまったようにみえた。というのは、古本屋の一軒おいて隣の菓子屋の主人が、日暮れ時分からつい今しがたまで、屋上の物干へ出て尺八を吹いていた ことがわかったが、彼は初めからしまいまで、ちょうど古本屋の二階の窓の出来事を見のがすはずのないような位置に坐っていたのだ。
 読者諸君、事件はなかなか面白くなってきた。犯人は、どこからはいって、どこから逃げたのか、裏口からでもない、二階の窓からでもない、そして表からで はもちろんない。彼は最初から存在しなかったのか、それとも煙のように消えてしまったのか。不思議はそればかりではない。小林刑事が、検事の前に連れてき た二人の学生が、実に妙なことを申し立てたのだ。それは近所に間借りしている或る工業学校の生徒たちで、二人ともでたらめをいうような男とも見えぬが、そ れにもかかわらず、彼らの陳述はこの事件をますます不可解にするような性質のものだったのである。
 検事の質問に対して、彼らは大体左のように答えた。
 「僕は、ちょうど八時頃に、この古本屋の前に立って、そこの台にある雑誌をひらいて見ていたのです。すると、奥の方でなんだか物音がしたもんですから、 ふと眼を上げてこの障子の方を見ますと、障子は閉まっていましたけれど、この格子のようになったところがひらいていましたので、そのすき間に一人の男の 立っているのが見えました。しかし、私が眼を上げるのと、その男がこの格子を閉める
のと、ほとんど同時でしたから、くわしいことはむろん分りませんが、でも帯のぐあいで男だったことは確かです」
 「で、男だったというほかに何か気づいた点はありませんか、背恰好とか、着物の柄とか」
 「見えたのは腰から下ですから背恰好はちょっとわかりませんが、着物は黒いものでした。ひょっとしたら、細かい縞か絣であったかもしれませんけれど、私 の眼には黒く見えました」
 「僕もこの友だちと一緒に本を見ていたんです」ともう一方の学生、「そして、同じように物音に気づいて同じように格子の閉まるのを見ました。ですが、そ の男は確かに白い着物を着ていました。縞も模様もない、白っぽい着物です」
 「それは変ではありませんか。君たちのうちどちらかが間違いでなけりゃ」
 「決して間違いではありません」
 「僕も嘘は言いません」
 この二人の学生の不思議な陳述は何を意味するか、敏感な読者はおそらくあることに気づかれたであろう。実は、私もそれに気づいたのだ。しかし、検事や警 察の人たちは、この点について、あまり深くは考えない様子だった。
 間もなく、死人の夫の古本屋が、知らせを聞いて帰ってきた。彼は古本屋らしくない、きゃしゃな若い男だったが、細君の死骸を見ると、気の弱い性質とみえ て、声こそ出さないけれど、涙をぼろぼろこぼしていた。小林刑事は彼が落ち着くのを待って、質問をはじめた。検事もロを添えた。だが、彼らの失望したこと には、主人は全然犯人の心当りがないというのだ。彼は「これに限って人様の怨み
を受けるようなものではございません」といって泣くのだ。それに、彼がいろいろ調べた結果、物とりの仕業でないことも確かめられた。そこで主人の経歴、細 君の身元その他のさまざまの取調べがあったけれど、それらは別段疑ぅべき点もなく、この話の筋に大して関係もないので、略することにする。最後に死人のか らだにある多くの生傷について刑事の質問があった。主人は非常に躊躇していた
が、やっと自分がつけたのだと答えた。ところが、その理由については、くどく訊ねられたにもかかわらず、ハッキリ答えることはできなかった。しかし、彼は その夜ずっと夜店を出していたことがわかっているのだから、たとえそれが虐待の傷痕だったとしても、殺害の疑いはかからぬはずだ。刑事もそう思ったのか、 深くは追究しなかった。
 そうして、その夜の取調べはひとまず終った。私たちは住所氏名などを書き留められ、明智は指紋をとられ、帰路についたのは、もう一時を過ぎていた。
 もし警察の捜索に手抜かりなく、また証人たちも嘘をいわなかったとすれば、これは実に不可解な事件であった。しかしあとで分ったところによると、翌日か ら引きつづいて行なわれた小林刑事のあらゆる取調べもなんの甲斐もなくて、事件は発生の当夜のまま少しだって発展しなかったのだ。証人たちはすべて信頼す るに足る人々だった。十一軒の長屋の住人にも疑うべきところはなかった。被害者の国許も取調べられたけれど、これまたなんの変ったこともない。少なくと も、小林刑事──彼は先にもいった通り、名探偵とうわさされている人だ──が、全力をつくして捜索した限りでは、この事件は全然不可解と結論するほかはな かった。これもあとで聞いたのだが、小林刑事が唯一の証拠品として、頼みをかけて持ち帰った例の電燈のスイッチにも、明智の指紋のほか何物も発見すること ができなかった。明智はあの際であわてていたせいか、そこにはたくさんの指紋が印せられていたが、すべて彼自身のものだった。おそらく、明智の指紋が犯人 のそれを消してしまったのだろうと、刑事は判断した。
 読者諸君、諸君はこの話を読んで、ポーの「モルグ街の殺人」やドイルの「スペックルド・バンド」を連想されはしないだろうか。つまり、この殺人事件の犯 人が、人間ではなくて、オランウータンだとか、印度の毒蛇だとかいうような種類のものだと想像されはしないだろうか。私も実はそれを考えたのだ。しかし、 東京のD坂あたりにそんなものがいるとも思われぬし、第一、障子のすき間から、男の姿を見たという証人があるのみならず、猿類などだったら、足跡の残らぬ はずはなく、また人眼にもついたわけだ。そして、死人の頸にあった指の痕も、まさに人間のそれだった。蛇がまきついたとて、あんな痕は残らぬ。
 それはともかく、明智と私とは、その夜帰途につきながら、非常に興奮していろいろと話し合ったものだ。一例をあげると、まあこんなふうなことを。
 君は、ポーの『ル・モルグ』やルルーの『黄色の部屋』などの材料になった、あのパリのRose Delacourt事件を知っているでしょう。百年以上たった今日でも、まだ謎として残っているあの不思議な殺人事件を。僕はあれを思い出したのですよ。 今夜の事件も犯人の立ち去った跡のないところは、どうやら、あれに似ているではありませんか」と明智。
 「そうですね。実に不思議ですね。よく、日本の建築では外国の探偵小説にあるような深刻な犯罪は起こらないなんていいますが、僕は決してそう じゃないと思いますよ、現にこうした事件もあるのですからね。僕はなんだか、できるかできないかわかりませんけれど、ひとつこの事件を探偵してみたいよう な気がしますよ」と私。
 そうして、私たちはある横町で別れを告げた。その時私は、横町をまがって彼一流の肩を振る歩き方で、さっさと帰って行く明智のうしろ姿が、その派手な棒 縞の浴衣によって、闇の中にくっきりと浮き出して見えたのが、なぜか深く私の印象に残った。


  (下) 推理 

 さて、殺人事件から十日ほどたった或る日、私は明智小五郎の宿を訪ねた。その十日のあいだに、明智と私とがこの事件に関して、何をなし、何を考え、そし て何を結論したか。読者は、それらを、この日、彼と私とのあいだに取りかわされた会話によって、充分察することができるであろう。
 それまで、明智とは喫茶店で顔を合わしていたばかりで、宿を訪ねるのは、その時がはじめてだったけれど、かねて所を聞いていたので、探すのに骨は折れな かった。私は、それらしい煙草屋の店先に立って、おかみさんに明智がいるかどうかを尋ねた。
 「ええ、いらっしゃいます。ちょっとお待ちください、今お呼びしますから」
 彼女はそういって、店先から見えている階段の上がり口まで行って、大声に明智を呼んだ。彼はこの家の二階に間借りしていたのだ。すると、「オー」と変な 返事をして、明智はミシミシと階段を下りてきたが、私を発見すると、驚いた顔をして「やあ、お上がりなさい」といった。私は彼の後に従って二階へ上がっ た。ところが、なにげなく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッとたまげてし
まった。部屋の様子があまりにも異様だったからだ。明智が変り者だということは知らぬではなかったけれど、これはまた変り過ぎていた。
 なんのことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。まん中のところに少し畳が見えるだけで、あとは本の山だ、四方の壁や襖にそって、下の方はほ とんど部屋いっぱいに、上の方ほど幅が狭くなって天井の近くまで、四方から書物の土手がせまっている。ほかの道具などは何もない。一体彼はこの部屋でどう して寝るのだろうと疑われるほどだ。第一、主客二人のすわるところもない。うっかり身動きしようものなら、たちまち本の土手くずれで、おしつぶされてしま うかもしれない。
 「どうも狭くっていけませんが、それに、座蒲団がないのです。すみませんが、やわらかそうな本の上へでもすわってください」
 私は書物の山に分け入って、やっとすわる場所を見つけたが、あまりのことに、しばらく、ぽんやりとその辺を見廻していた。
 私はかくも風変りな部屋のぬしである明智小五郎の人物について、ここで一応説明しておかねばなるまい。しかし、彼とは昨今のつき合いだから、彼がどうい う経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人生を送っているのか、というようなことは一切わからぬけれど、彼がこれという職業を持たぬ一種の遊民で あることは確かだ。しいていえは学究であろうか。だが、学究にしてもよほど風変
りな学究だ。いつか彼が「僕は人間を研究しているんですよ」と言ったことがあるが、そのとき私には、それが何を意味するのかわからなかった。ただ、わかっ ているのは、彼が犯罪や探偵について、なみなみならぬ興味と、おそるべき豊富な知識を持っていることだ。
 年は私と同じくらいで、二十五歳を越してはいまい。どちらかといえば痩せた方で、先にも言った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある。といっても、決して 豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な講釈師の神田伯竜を思い出させるような歩き方なのだ。伯竜といえば、明智は顔つきから 声音まで、彼にそっくりだ──伯竜を見たことのない読者は、諸君の知っているところの、いわゆる好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そしてもっとも 天才的な顔を想像するがよい──ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている、そして彼は人と話しているあいだにも、 指でそのモジャモジャになっている髪の毛を、さらにモジャモジャにするためのように引っ掻き廻すのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着 物によれよれの兵児帯を締めている。
 「よく訪ねてくれましたね。その後しばらく会いませんが、例のD坂の事件はどうです。警察の方ではまだ犯人の見込みがつかぬようではありませんか」
 明智は例の、頭を掻き廻しながら、ジロジロ私の顔をながめる。
 「実は僕、きょうはそのことで少し話があって来たんですがね」そこで私はどういうふうに切り出したものかと迷いながらはじめた。「僕はあれから、いろい ろ考えてみたんですよ。考えたばかりでなく、探偵のように実地の取調べもやったのですよ。そして、実はひとつの結論に達したのです。それを署にご報告しよ うと思って……」
 「ホウ。そいつはすてきですね。くわしく聞きたいものですね」
 私は、そういう彼の眼つきに、何がわかるものかというような、軽蔑と安心の色が浮かんでいるのを見のがさなかった。そして、それが私の逡巡している心を 激励した。私は勢いこんで話しはじめた。
 「僕の友だちに一人の新聞記者がありましてね、それが、例の事件の小林刑事というのと懇意なのです。で、僕はその新聞記者を通じて、警察の模様をくわし く知ることができましたが、警察ではどうも捜査方針が立たないらしいのです。むろん、いろいろやってはいるのですが、これはという見込みがつかぬのです。 あの例の電燈のスイッチですね。あれもだめなんです。あすこには、君の指紋だけしかついていないことがわかりました。警察の考えでは、多分君の指紋が犯人 の指紋を隠してしまったのだろうというのですよ。そういうわけで、警察が困っていることを知ったものですから、僕はいっそう熱心に調べてみる気になりまし た。そこで、僕が到達した結論というのは、どんなものだと思います。そして、それを警察へ訴える前に、君のところへ話しにきたのはなんのためだと思いま す。
 それはともかく、僕はあの事件のあった日から、或ることに気づいていたのですよ。君は覚えているでしょう。二人の学生が犯人らしい男の着物の色について は、まるで違った申立てをしたことをね。一人は黒だと言い、一人は白だと言うのです。いくら人間の眼が不確かだと言って、正反対の黒と白とを間違えるのは 変じゃないですか。警察ではあれをどんなふうに解釈したか知りませんが、僕は二人の陳述は両方とも間違いでないと思うのですよ。君、わかりますか。あれは ね、犯人が白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ──つまり、太い黒の棒縞の浴衣かなんかですね。よく宿屋の貸し浴衣にあるような──では、なぜそ れが一人にはまっ白に見え、もう一人にはまっ黒に見えたかといいますと、彼らは障子の格子のすき間から見たのですから、ちょうどその瞬間、一人の眼が格子 のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の眼が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍らしい偶然かもしれませ んが、決して不可能ではない。そして、この場合こう考えるよりほかに方法がないのです。
 さて、犯人の着物の縞柄はわかりましたが、これでは単に捜査範園が縮小されたというまでで、まだ確定的のものではありません。第二の論拠は、あの電燈の スイッチの指紋なんです。僕はさっき話した新聞記者の友だちの伝手で小林刑事に頼んでその指紋を──君の指紋ですよ──よくしらべさせてもらったのです。 その結果、いよいよ僕の考えていることが間違っていないのを確かめました。ところで君、硯があったら、ちょっと貸してくれませんか」
 そこで、私はひとつの実験をやって見せた。まず硯を借りると、私は右手の拇指に薄く墨をつけて懐中から取り出した半紙の上にひとつの指紋を捺した。それ から、その指紋の乾くのを持って、もう一度同じ指に墨をつけ、前の指紋の上から、今度は指の方向をかえて念入りにおさえつけた。すると、そこには互に交錯 した二重の指紋がハッキリあらわれた。
 「警察では、君の指紋が犯人の指紋の上に重なってそれを消してしまったのだと解釈しているのですが、しかしそれは今の実験でもわかる通り不可能なんです よ。いくら強く押したところで、指紋というものが線でできている以上、線と線とのあいだに、前の指紋の跡が残るはずです。もし前後の指紋がまったく同じも ので、捺し方まで寸分違わなかったとすれば、指紋の各線が一致しますから、あるいは後の指紋が先の指紋を隠してしまうこともできるでしょうが、そういうこ とはまずあり得ませんし、たとえそうだとしても、この場合結論は変らないのです。
 しかし、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチにその指紋が残っていなけれはなりません。僕はもしや警察では君の指紋の線と線とのあいだに残っ ている犯人の指紋を見おとしているのではないかと思って、自分で調べてみたのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、あのスイッチには、後にも先 にも、君の指紋が捺されているだけなのです──どうして古本屋の人たちの指紋が残っていなかったのか、それはよくわかりませんが、多分、あの部屋の電燈は つけっぱなしで、一度も消したことがないのでしょう。 〔文末の註(1)を見よ〕
 君、以上の事柄はいったい何を語っているでしょう。僕は、こういうふうに考えるのですよ。一人の太い棒縞の着物を着た男が──その男はたぶん死んだ女の 幼馴染で、失恋の恨みという動機なんかも考えられるわけですね──古本屋の主人が夜店を出すことを知っていて、その留守のあいだに女を襲ったのです。声を 立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男をよく知っていたに違いありません。で、まんまと目的をはたした男は、死骸の発見をおくらすため に、電燈を消して立ち去ったのです。しかし、この男はひとつの大きな手ぬかりをやっています。それはあの障子の格子のあいているのを知らなかったこと、そ して、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男はいったんそとへ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈 を消した時、スイッチに指紋が銭ったに違いないということです。これはどうしても消してしまわねばなりません。しかし、もう一度同じ方法で部屋の中へ忍び 込むのは危険です、そこで、男は一つの妙案を思いつきました。というのは自分が殺人事件の発見者になることです。そうすれば、少しの不自然もなく、自分の 手で電燈をつけて、以前の指紋に対する疑いをなくしてしまうことができるばかり
でなく、まさか、発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で警察のやり方を見ていたのです。大 胆にも証言さえしました。しかもその結果は彼の思うつぼだったのですよ。五日たっても十日たっても、誰も彼をとらえに来るものはなかったのですからね」
 この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。私は、おそらく話の中途で、何か変った表情をするか、言葉をはさむだろうと予期していた。ところ が、驚いたことには、彼の顔にはなんの表情もあらわれぬのだ。日頃から心を色にあらわさぬたちではあったけれど、あまり平気すぎる。彼は始終例の髪の毛を モジャモジャやりながら、だまりこんでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら、最後の点に話を進めた。
 「君はきっと、それじゃ、その犯人はどこからはいって、どこから逃げたかと反問するでしょう。確かにそれが明ら
かにならなければ、他のすべてのことがわかってもなんのかいもないのですからね。だが、遺憾ながら、それも僕が探り出したのですよ。あの晩の捜査の結果で は、全然犯人が出て行った形跡がないように見えました。しかし、殺人があった以上、犯人が出入りしなかったはずはないのですから、刑事の捜索にどこか抜け 目があったと考えるほかはありません。警察でもそれにはずいぶん苦心した様子ですが、不幸にして、彼らは、僕という一人の青年の推理力に及ばなかったので すよ。
 なあに、実に下らないことですが、僕はこう思ったのです。これほど警察が取調べているのだから、近所の人たちに疑うべき点はまずあるまい。もしそうだと すれば、犯人は何か、人の眼にふれても、それが犯人だとは気づかれぬような方法で逃げたのじゃないだろうか。そして、それを目撃した人はあっても、まるで 問題にしなかったのではなかろうかとね。つまり、人間の注意力の盲点──われわれの眼に盲点があると同じように、注意力にもそれがありますよ──を利用し て、手品使いが見物の眼の前で、大きな品物をわけもなく隠すように、自分自身を隠したのかもしれませんからね。そこで、僕が眼をつけたのはあの古本屋の一 軒おいて隣の旭屋というソバ屋です」
 古本屋の右へ時計屋、菓子屋と並び、左へ足袋屋、ソバ屋と並んでいるのだ。
 「僕はあすこへ行って、事件の夜八時頃に、手洗いを借りにきた男はないかと聞いてみたのです。あの旭屋は、君も知っているでしょうが、店から土間つづき で、裏木戸まで行けるようになっていて、その裏木戸のすぐそばに便所があるのですから、それを借りるように見せかけて、裏口から出て行って、また裏口から 戻ってくるのはわけはありませんからね──例のアイスクリーム屋は路地を出た角に店を出していたのですから、見つかるはずはありません──それに相手がソ バ屋ですから、手洗いを借りるということがきわめて自然なんです。聞けば、あの晩はおかみさんは不在で、主人だけが店の間にいたのだそうですから、おあつ らえ向きなんです。君、なんとすてきな思いつきではありませんか。
 調べてみると、果たして、ちょうどその時分に手洗いを借りた客があったのです。ただ、残念なことには、旭屋の主人は、その男の顔とか着物の縞柄なぞを少 しも覚えていないのですがね──僕は早速このことを例の友だちを通じて、小林刑事に知らせてやりましたよ。刑事は自分でもソバ屋を調べたようでしたが、そ れ以上には何もわからなかったのです……」
 私は少し言葉を切って、明智に発言の余裕を与えた。彼の立場は、この際なんとか一こといわないではいられぬはずだ。ところが、彼は相変らず頭を掻き廻し ながら、すましこんでいるではないか。私はこれまで、敬意を表する意味で間接法を用いていたのを、直接法に改めねばならなかった。
 君、明智君、僕のいう意味がわかるでしょう。動かぬ証拠が君を指さしているのですよ。白状すると、僕はまだ心の底では、どうしても君を疑う気にはなれな いのですが、こういうふうに証拠がそろっていては、どうも仕方がありません……僕は、もしやあの長屋の住人のうちに、太い棒縞の浴衣を持っている人がない かと思って、ずいぶん骨折って調べてみましたが、一人もありません。それももっと
もですよ。同じ棒縞の浴衣でも、あの格子に一致するような派手なのを着る人は珍らしいのですからね。それに、指紋のトリックにしても、手洗いを借りるとい うトリックにしても、実に巧妙で、君のような犯罪学着ででもなければ、ちょっとまねのできない芸当ですよ。それから、第一おかしいのは、君はあの死人の細 君と幼馴染だといっていながら、あの晩、細君の身元調べなんかあった時に、そば
で聞いていて、少しもそれを申し立てなかったではありませんか。
 さて、そうなると、唯一の頼みはアリバイの有無です。ところが、それもだめなんです。君は覚えてますか、あの晩帰り途で、白梅軒へ来るまで君がどこにい たかということを、僕が聞きましたね。君は、一時間ほど、その辺を散歩していたと答えたでしょう。たとえ君の散歩姿を見た人があったとしても、散歩の途中 で、ソバ屋の手洗いを借りるなどはありがちのことですからね。明智君、僕のいうこ
とが間違っていますか。どうです、もしできるなら君の弁明を聞きたいものですね」
 読者諸君、私がこういって詰めよった時、奇人明智小五郎は何をしたと思います。面目なさに俯伏してしまったとでも思いますか。どうしてどうして、彼はま るで意表外のやり方で、私の度胆をひしいだ。というのは、彼はいきなりゲラゲラと笑い出したのである。
 「いや失敬々々、決して笑うつもりはなかったのですが、君があまりにまじめだもんだから」明智は弁解するように言った。「君の考えはなかなか面白いです よ。僕は君のような友だちを見つけたことをうれしく思いますよ。しかし惜しいことには、君の推理はあまりに外面的で、そして物質的ですよ。たとえばです ね。僕とあの女との関係についても、君は僕たちがどんなふうな幼馴染だったかというこ
とを、内面的に心理的に調べてみましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。また現に彼女を恨んでいるかどうか。君にはそれくらいのことが推察 できなかったのですか。あの晩、なぜ彼女を知っていることをいわなかったか、そのわけは簡単ですよ。僕は何も参考になるような事柄を知らなかったので す……僕はまだ小学校へもはいらぬ時分に、彼女と別れたきりなのですからね」
 「では、たとえば指紋のことはどういうふうに考えたらいいのですか?」
 「君は、僕があれから何もしないでいたと思うのですか。僕もこれでなかなかやったのですよ。D坂は毎日のようにうろついていましたよ。ことに古本屋へは よく行きました。そして、主人をつかまえて、いろいろ探ったのです──細君を知っていたことはその時打ち明けたのですが、それがかえって話を聞き出す便宜 になりましたよ──君が新聞記者をつうじて警察の模様を知ったように、僕はあの古本屋の主人から、それを聞き出していたんです。今の指紋のことも、じきわ かりましたから、僕も妙だと思って調べてみたのですが、ハハハハ、笑い話ですよ。電球の線が切れていたのです。誰も消しやしなかったのですよ。僕がスイッ チをひねったために光が出たと思ったのは間違いで、あの時、あわてて電球を動かしたので、一度切れたタングステンがつながったのですよ。 〔文末の註(2)を見
よ〕
スイッチに僕の指紋しかなかったのはあたりまえなのです。あの晩、君は障子のすき間から電燈のついているのを見たといいましたね。と すれば、電球の切れたのは、そのあとですよ。古い電球は、どうもしないでも、ひとりでに切れることがありますからね。それから、犯人の着物の色のことです が、これは僕が説明するよりも……」
 彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだしてきた。
 「君、これを読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行ばかり読んでごらんなさ い」
 私は、彼の自信ありげな議論を聞いているうちに、だんだん私自身の失敗を意識しはじめていた。で、言われるままにその書物を受け取って、読んでみた。そ こには大体次のようなことが書いてあった。

 かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷において、真実を申し立てると宣誓した証人の一人は、問題の道路は全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今 一人の証人は、雨降りあげくで、道路はぬかるんでいたと証言した。一人は、問題の自動車は徐行していたと言い、他の一人は、あのように早く走っている自動 車を見たことがないと述べた。また、前者は、その村道には人が二、三人しかいなかったと言い、後者は、男や女や子供の通行人がたくさんあったと陳述した。 この二人の証人は共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、なんの利益があるはずもない人々であった。

 私がそれを読み終るのを待って明智はさらに本のページをくりながらいった。
 「これは実際あったことですが、今度は、この『証人の記憶』という章があるでしょう。その中ほどのところに、あらかじめ計画して実験した話があるのです よ。ちょうど着物の色のことが出てますから、面倒でしょうが、まあちょっと読んでごらんなさい」
 それは左のような記事であった。

 (前略)一例をあげるならば、一昨年(この書物の出版は一九二年)ゲッティンゲンにおいて、法律家、心理学者及び物理学者よりなる、或る学術 上の集会が催されたことがある。したがって、そこに集まったのはみな綿密な観察に熟練した人たちばかりであった。その町には、あたかもカーニヴァルのお祭 り騒ぎが演じられていたが、この学究的な会合の最中に、突然戸がひらかれて、けばけばしい衣裳をつけた一人の道化が狂気のように飛び込んできた。見ると、 その後から一人の黒人がピストルを持って追っかけてくるのだ。ホールのまん中で、彼らはかたみがわりに、おそろしい言葉をどなり合ったが、やがて、道化の 方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上におどりかかった、そしてボンとピストルの音がした。と、たちまち彼らは二人とも、かき消すように室を出て行って しまった。全
体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々はむろん非常に驚かされた。座長のほかには、誰一人、それらの言葉や動作が、あらかじめ予習されていたこと、 その光景が写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持ち出される問題だからというので、会員各自に正確な記録を書 くことを頼んだのは、ごく自然に見えた(中略、このあいだに、彼らの記録がいかに間違いにみちていたかを、パーセンテイジを示してしるしてある)。黒人が 頭に何もかぶっていなかったことを言いあてたのは四十人のうちでたった四人きりで、ほかの人たちは、中折帽子をかぶっていたと書いたものもあれば、シルク ハットだったと書くものもあるという有様だった。着物についても、ある者は赤だと言い、あるものは茶色だと言い、あるものは縞だと言い、あるものはコー ヒー色だと言い、その他さまざまの色合いが彼のために発明せられた。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣を着て、大きな赤のネクタイを結んでいた のである。(後略)

 「ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智ははじめた。「人間の観察や人間の記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にあるような学者た ちでさえ、服の色の見分けがつかなかったのです。私が、あの晩の学生たちも着物の色を思い違えたと考えるのが無理でしょうか。彼らは何物かを見たかもしれ ません。しかしその者は棒縞の着物なんか着ていなかったのです。むろん僕ではなかったのです。格子のすき間から棒縞の浴衣を思いついた君の着眼は、なかな か面白いには面白いですが、あまりおあつらえ向きすぎるじゃありませんか。少なくとも、そんな偶然の符合を信ずるよりは、君は、僕の潔白を信じてくれるわ けにはいかないでしょうか。さて最後に、ソバ屋の手洗いを借りた男のことですがね。この点は僕も君と同じ考えだったのです。どうも、あの旭屋のほかに犯人 の通路はないと思ったのです。で、僕もあすこへ行って調べてみましたが、その結果は、残念ながら君とは正反対の結論に達したのです。実際は手洗いを借りた 男なんてなかったのですよ」
 読者もすでに気づかれたであろうように、明智はこうして、証人の申立てを否定し、犯人の指紋を否定し、犯人の通路をさえ否定して、自分の無罪を証拠だて ようとしているが、しかしそれは同時に、犯罪そのものをも否定することになりはしないか。私は彼が何を考えているのか少しもわからなかった。
 「で、君には犯人の見当がついているのですか」
 「ついてますよ」彼は頭をモジャモジャやりながら答えた。「僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうにでもな るものですよ。いちばんいい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜くことです。だが、これは探偵自身の能力の問題ですがね。ともかく、僕は今度はそういう 方面に重きをおいてやってみましたよ。
 最初僕の注意をひいたのは、古本屋の細君のからだじゅうに生傷のあったことです。それから間もなく、僕はソバ屋の細君のからだにも同じような生傷がある ということを聞き込みました。これは君も知っているでしょう。しかし、彼女らの夫たちはそんな乱暴者でもなさそうです。古本屋にしても、ソバ屋にしても、 おとなしそうな物分りのいい男なんですからね。僕はなんとなく、そこに或る秘密が伏在しているのではないかと疑わないではいられなかったのです。で、僕は まず古本屋の主人をとらえて、彼の口からその秘密を探り出そうとしました。僕が死んだ細君の知合いだというので、彼もいくらか気を許していましたから、そ れは比較的らくにいきました。そして、ある変な事実を聞き出すことができたのです。ところが、今度はソバ屋の主人ですが、彼はああ見えてもなかなかしっか りした男ですから、探り出すのにかなり骨が折れましたよ。でも、僕はある方法によって、うまく成功したのです。
 君は、心理学上の連想診断法が、犯罪捜査の方面にも利用されはじめたのを知っているでしょう。たくさんの簡単な刺戟語を与えて、それに対する嫌疑者の観 念連合の遅速をはかる、あの方法です。しかし、あれは心理学者のいうように、犬だとか家だとか川だとか、簡単な刺戟語には限らないし、そしてまた、常にク ロノスコープの助けを借りる必要もないと、僕は思いますよ。連想診断のコツを悟ったものにとっては、そのような形式はたいして必要ではないのです。それが 証拠に、昔の名判官とか名探偵とかいわれた人は、心理学が今のように発達しない以前から、ただ彼らの天稟によって、知らずしらずのあいだにこの心理学的方 法を実行していたではありませんか。大岡越前守なども確かにその一人ですよ。小説でいえば、ポーの 『ル・モルグ』のはじめに、デュパンが友だちのからだ の動き方ひとつによって、その心に思っていることを言い当てるところがありますね。ドイルもそれをまねて、『レジデント・ペーシェント』の中で、ホームズ に同じような推理をやらせてますが、これらはみな、或る意味の連想診断ですからね。心理学者の色々な機械的方法は、ただこうした天稟の洞察力を持たぬ凡人 のために作られたものにすぎませんよ。話がわき道にはいりましたが、僕はソバ屋の主人にいろいろの話をしかけてみました。それもごくつまらない世間話を ね。そして、彼の心理的反応を研究したのです。し
かし、これは非常にデリケートな心理の問題で、それに可なり複難してますから、くわしいことはいずれゆっくり話すとして、ともかくその結果、僕はひとつの 確信に到達しました。つまり、犯人を見つけたのです。
 しかし、物質的な証拠というものがひとつもないのです。だから、警察に訴えるわけにもいきません。よし訴えてもおそらく取り上げてくれないでしょう。そ れに、僕が犯人を知りながら、手をつかねて見ているもう一つの理由は、この犯罪には少しも悪意がなかったという点です。変な言い方ですが、この殺人事件 は、犯人と被害者と同意の上で行なわれたのです。いや、ひょっとしたら被害者自身
の希望によって行なわれたのかもしれません」
 私はいろいろ想像をめぐらしてみたけれど、どうにも彼の考えていることがわかりかねた。私は自分の失敗を恥じることも忘れて、彼のこの奇怪な推理に耳を 傾けた。
 「で、僕の考えをいいますとね。殺人者は旭屋の主人なのです。彼は罪跡をくらますために、あんな手洗いを借りた男のことを言ったのですよ。いや、しか し、それは何も彼の創案でもなんでもない。われわれが悪いのです。君にしろ僕にしろ、そういう男がなかったかと、こちらから問いを構えて彼を教唆したよう なものですからね。それに、彼は僕たちを刑事かなんかと思い違えていたのです。では、
彼はなぜに殺人罪をおかしたか……僕はこの事件によって、うわべはきわめて何気なさそうなこの人生の裏面に、どんなに意外な陰惨な秘密が隠されているかと いうことを、まざまざと見せつけられたような気がします。それは実にあの悪夢の世界でしか見出すことのできないような種類のものだったのです。
 旭屋の主人というのは、マルキ・ド・サドの流れをくんだ、ひどい残虐色情者で、なんという運命のいたずらでしょう。一軒おいて隣に、女のマゾッホを発見 したのです。古本屋の細君は彼におとらぬ被虐色情者だったのです。そして、彼らは、そういう病者に特有の巧みさをもって、誰にも見つけられずに、姦通して いたのです──君、僕が合意の殺人だといった意味がわかるでしょう──彼らは、最近まではおのおの、そういう趣味を解しない夫や妻によって、その病的な欲 望を、かろうじてみたしていました。古本屋の細君にも、旭屋の細君にも、同じような生傷のあったのはその証拠です。しかし、彼らがそれに満足しなかったの はいうまでもありません。ですから眼と鼻の近所に、お互の探し求めている人間を発見した時、彼らのあいだに非常に敏速な了解の成立したことは想像にかたく な
いではありませんか。ところがその結果は、運命のいたずらが過ぎたのです。彼らの、パッシヴとアクティヴの力の合成によって、狂態が漸次倍加されて行きま した。そして、ついにあの夜、この、彼らとても決して願わなかった事件をひき起こしてしまったわけなのです……」
 私は、明智の異様な結論を聞いて、思わず身震いした。これはまあ、なんという事件だ!
 そこへ、下の煙草屋のおかみさんが、夕刊を持ってきた。明智はそれを受け取って、社会面を見ていたが、やがて、そっと溜息をついていった。
 「ああ、とうとう耐えきれなくなったと見えて、自首しましたよ。妙な偶然ですね。ちょうどそのことを話している時に、こんな報道に接するとは」
 私は彼の指さすところを見た。そこには小さい見出しで、十行ばかりソバ屋の主人が自首したことがしるされてあった。


 〔註、1〕 この小説の書かれた大正時代には、メー ターを取りつけない小さな家の電燈は、昼間は、電燈会社の 方で、変電所のスイッチを切って消燈したものである。
 〔註、2〕 当時の電球はタングステンの細い線を鼓の紐のように 張ったもので、一度切れても、また偶然つながることがよくあった。