「e-文藝館=湖(umi)」 人
と思想
ばば
かずお 1920・8・8ー2009・8 東京都に生まれる。勲三等。小児科医 日本大学名誉教授・病院長 学術会議会員 日本新生児学会会長等を
歴任。 人格豊かですばらしい臨床医であり研究者。日本に未熟児保育、新生児研究と臨床、出生前小児医学の礎を築かれた。小児科学の研究業績多数。 編集
者は、医学書院に編集者として在勤十五年を通じて馬場先生に実に多くをお教え頂いたばかりか、東大助教授でおいでの時、文学部研修室書庫での徒然草の勉強
のために「人物保証」の紹介状も戴いた。作家生活に入って以降もさまざまに励まして頂いた。しかも昨夏、静かに静かに人知れずご生涯を閉じられた。「百済
観音」様という名で思慕する人もいた。 掲載作は、平成二十年(2008)四月十日東京医学社刊『花を育てるように ─小児科医の思い』よりお許し願って
抄出。この表題こそは馬場先生の金言であり思想であった。 (秦 恒平)
花を育てるように 抄
馬場 一雄
はじめて母となる人へ
子どもたちがそれぞれに成長して、巣立っていった今となって、いちぼん悔やまれるのは、子どもたちの成長と生活の記録を残しておかなかったことです。
西田幾多郎博士が何かの折に、あしたストーブにくべられる一筋の藁にも、それ相応の来歴があり、想い出があるはずだと述べられたことばを想い起こしま
す。ささやかなわが家にも、小さなわが子にも、それなりの歴史や想い出があるはずです。
これらの歴史や想い出を、ごく簡単にでもよいから書きとめておいたら、巣立っていく子どもたちへの、何よりの贈り物になったはずなのですが、記録を怠っ
たばかりに、今となって悔いが残ります。
けれども、よくよく考えてみると、子どもたちの成長の記録を残さなかったのは、われわれ両親の怠惰のせいばかりではなく、その日その日の出来事をメモし
たり、過去をふり返ったりする余裕が、時間的にも、気分的にもなかったことも原因のひとつと思われます。
現在、子どもを育てている若い母親にしても、炊事や洗濯が電化され、時間的には多少のゆとりが生じたとはいうものの、気持ちのうえでは、子どもにかかわ
る当面の問題をどう解決するか、将来の夢をどう実現するかというようなことで頭がいっぱいで、とても過去をふり返る余裕などはないというのが実情かも知れ
ません。
それはともかく、子どもを持つ親は誰でも、何とかして可愛いわが子を、健康で明るく賢い人間に育て上げたいと願っていると思います。
それでは一体、どうすればよい子が育つでしょうか。
言うまでもなく、この問いに対して、こうすればよいというような、ただひとつの答えを出すことは不可能だと思います。子どもたちの持って生まれた素質
も、子どもたちの生活環境も、それぞれ違っていますし、また、これらの条件がたとえ同じであったとしても、正しい育児の方法はひとつだけとは限らないから
です。
しかし、大ざっぱな見方をすると、育児というものは、花を作るのに似ており、少なくとも、育児の基本的態度を花作りから学ぶことができるように思えてな
りません。
花作りが教えてくれる最初の教訓は、いくら園芸の達人でも、ばらの木にカトレアの花を咲かせたり、カーネーションの茎に矢車草の花を開かせたりすること
はできないという点です。
草花にたくさんの種類があって、色も姿も開花の時期も千差万別であるように、子どもたちにも、それぞれに違った素質が与えられていて、育児にも花作りと
同じような限界があります。ただ、草花については、種や苗の段階で、これはばらの苗、これは矢車草の種と見分けがつきますから、それぞれに適した育て方を
すればよいわけですが、子どもの場合は、小さい時代にその子の才能を見分けることは困難ですから、この点に問題は残りますが、それにしても、育児に限界の
あることを意識していれば、子どもの将来に過大な期待をかけて、子どもたちを不幸に追いこむことだけは防げるはずです。
言い方を換えれば、どうやって他をしのぐ傑出人を育てるかを考えるのではなしに、その子が持って生まれた才能を最大限に発揮させるには、どうしたらよい
かを考えるべきであると思います。
花作りから学ぶ二番目の教訓は、無理をしないで自然に育てるということだと思います。どんな草花も、氷雪や暴風雨からは守ってやらなければなりません
が、それ以外は、太陽の光を浴び、雨の水を吸収して、すこやかに育ち、美しい花を開かせます。
草花の種類によって、陽あたりを好むもの、湿った土が適しているものなど、それぞれの個性はありますが、だからといって手をかけ過ぎるのも考えもので、
ことに、枝をためたり、根をいじめたりというやり方は、盆栽ならいざ知らず、花作りには、むしろ有害であることのほうが多いでしょう。
子どもたちにもそれぞれの個性はありますが、誰もがたくましい生命力を持っていますから、個性を受けいれ自然の生命力を信じて、自由に自然に育て上げた
いものと思います。
しかし、いくら「自然に」とはいっても、全くの放りっぱなしで、雑草のようにはびこらせろというのではありません。雑草は、あたりかまわず根を張って、
他人の迷惑などおかまいなしですが、人に愛される草花は、花壇なり植木鉢なり、与えられた場所で、時にはひっそりと、また、時には華やかに咲いています。
こんな花を咲かせるためには、不要なわき芽を摘み取ったり、添え木をしたりすることも必要かも知れません。
子育てもこれと同じで、社会のルールを守り、誰からも愛される子どもを育て上げるには、多少の世話やきやしつけが必要です。
そのなかでも特に大切なのは、危険なことと道徳的に許せないことを、小さい時からはっきり禁止するしつけだと思います。この二つの点だけをしっかり守れ
ば、あとは自然に、のびのびと育てるのがよいと思います。
花作りが教えてくれる三番目の教訓は、いくら自然に育てることが大切だとはいっても、外部から与えなければならないものもあるという点です。植物にとっ
ては、十分な日光や水が必要でしょうし、豊かな栄養を肥料として与えることも大切でしょう。
それでは、子どもたちにとって、日光や水や肥料に相当するものは何でしょう。それは、父親や母親の豊かな愛情であります。
世の中には、放っておいても子どもは育つと思っている人があります。たしかに、この考え方にも真理は含まれているとは思われますが、もし、よい子を育て
ようと考えるならば、放っておいたのでは駄目で、日光や水や肥料が美しい花を咲かせるための必須の条件であるように、豊かな愛情をそそいでこそよい子が育
つのだと思います。豊かな愛情が親子のふれ合いの中で自然に子どもに伝えられ、これが程よい刺激となって知恵づきが促進され、安定した明るい性格が作られ
てゆくと考えられるからです。
反対に、豊かな愛情さえあれば、たとえ衣食は貧しくても、また、育児の技術は多少拙劣であっても、そんなことは問題ではありません。人間は貧しい時のほ
うがむしろ純粋であり得るような気がしますし、器用ではなくても、素朴で暖かいふれ合いこそ、子どもにとって大切だと思われるからです。
こう考えてみると、育児というものは決して難しいものではないはずですが、それでも、具体的な細かい事柄の処理となると、自信を持って実行することがで
きずに、何となく不安になったり、左右のどちらを選ぶべきかを迷ったりする場合もあると思います。しかし、そういった迷いや疑問に対する正解は、実は、た
だひとつとは限らぬ場合が大部分です。
育児のやり方は、ちょうど、登山道のように、たくさんあるのが普通です。たとえば富士山に登るにしても、五つも六つも登山道があり、そのどれを選んで
も、同じ富士山頂に到達します。
育児についても全く同様で、右の道を行ったほうがよいという考えの人もあり、左のコースを選ぶべきだという意見が出たりもしますが、どちらの道を選んで
も、結局は同じ目的地に達するというのが普通です。
肝心なことは、一度は右の道を選んでおきながら、途中で気持ちが変わって左のコースを選びなおすというような、つまらぬまわり道をしないことだと思いま
す。
そんなわけで、はじめての赤ちゃんを育てる若いママたちも、不安な気持ちで子どもに接したり、育児を苦労と思ったりする必要は全くないと考えます。不安
や苦痛を感じながら子どもを育てたのでは、ほんとうのよい子は育たないと思います。
すでにたくさんの子どもを育て上げた婦人が、育児は楽しむべきものだと言いました。たしかに、その心がけがなければ、よい子は育たないと思います。よく
かみしめるべきことばだと思いました。
最後に、若いパパに向かっても、ひとこと言わせていただきたいと思います。
赤ちゃんのある若い男性のなかには、育児はもっばら母親の役目と決めこんで、赤ちゃんがどんなに泣こうが、病気になろうが、知らん顔の人がいるかと思う
と、授乳、おむつの取りかえはもちろんのこと、よごれ物の洗濯まで母親顔負けの保育パパもあります。
育児が、どちらかといえば母親の守備範囲に属する事柄であることは確かですし、日常のこまごまとした育児の仕事を手伝うことも、結構であるとは思いま
す。
しかし、どちらにしても、家庭の中で、育児に関して、父親が果たさなければならない務めがあることだけは肝に銘じておく必要があります。その務めという
のは、わが家に火の粉が降りかかり、妻子に危険が迫るような場合には、敢然とそれに立ち向かい、家庭の安全と平和を守るという仕事です。
このような父親があってこそ、母親は安心して子どもを育てることができるし、安定した暖かい母子のふれ合いは、やがて賢い明るい子を育てることにもつな
がっていくと思います。
子どもたちの心とからだには、いろいろな可能性が秘められています。のびのびとすこやかに育てて、美しく花開く日を待ちたいと思います。
父と母と子と
上村松園の作品、「夕暮」を上野の文展の会場で見たのは三十年以上も前のことになりますが、今でも、その構図や色彩のあらましを想い起こすことができま
す。半ば開いた障子戸から身を乗り出すようにして、薄明かりに針のめどをさがす女の姿が描かれていました。あまり豊かでない家庭の、すでに盛りを過ぎた年
配の女性ではありますが、姿かたちに美しさと気品とが溢れていました。しかし、これが、松園の心に残る母親のイメージを措いたものであるらしいことは、秦
恒平氏の短編「閏秀」を読むまでは全く気づきませんでした。
松園の母は二十六歳の若さで夫を失いながら、子どもの幸せのために再縁をことわり、女手ひとつに薬茶屋を切りまわして、二人の娘にそれぞれが望む道を歩
かせました。松園が、母に夫はいらない、子に父はなくともよいと信じて、自分も夫を持たぬ母となったのは、一生を寡婦で通した母の愛に殉じたものであると
作者は言っています。そして、松園は女の内にひそむ母性の神髄を描くことを願っていたともいわれています。とすれば、「夕暮」の女性もまた、母の姿であっ
たに違いありません。
「閨秀」は小説であって伝記ではありません。どこまでが史実で、どこまでが創作であるかは知りませんが、「子に父はなくともよい」という点は、ある意味
では真実だと思います。母親さえしっかりしていれば子どもは立派に育ちます。そういう実例は、われわれの身辺に幾らでもあります。
こうなると、父親ははなはだ影のうすい存在に見えますが、本当は、母親が安んじて子どもを育てることができるように、生活の基盤を支え、家庭に災害の火
の粉が降りかかるのを防ぐという大切な役割が父親にはあります。
大きなおむつ袋を抱えて、子どもを抱いた女房の後から、おずおず診察室に入って来る若い父親を見るたびに、あなたにはもっと大切な役目があるはずだと言
いたくなるのは筆者だけでしょうか。
児やらひ
お隣りの中国には、四羽のひなを持つ親鷲が、四つの海へ巣立つ子を、悲しみの声を上げて見送るという話が伝えられています。また、バイコフの「森の王」
には、虎の母親が、子どもが食事に夢中になっているすきを見てそっと行ってしまうことが書いてあります。日本の熊も、子ぐまが四歳になると、こわい顔をし
て咬みついて、子どもたちを追いはらいます。柳田国男が大藤ゆきの著書「児やらひ」に寄せた序文は、こんな話で始まっています。
「児やらひ」は子どもの尻を追いたたきながら育て上げることを意味する中国・四国地方の方言だということですが、柳田国男はこの文章を次のように続けてい
ます。「ヤラヒは少なくとも後から追い立て又突き出すことでありまして、ちょうど今日の教育というものの、前に立って引っ張って行こうとするのとは、まる
で正反対の方法であったと思われる」「人を成人にする大切な知識の中には、家では与えることの出来ぬものが実は幾つもあり
ました。そういう点については世間が教育し、又本人が自分の責任で修養したのであります。」「子供には別に彼等の時代があり、又彼等の生きぬかねばならぬ
人生があって、それはしばしば我々の想像を超越したものであり得るのであります。」「丈夫な逞しい、人にもたれかかろうとせぬ若者を育てて送り出すことは
国の為であって、同時に又彼等の安全なる道でもあります。そうして又これが古くからの約束では無かったかと思います。」
この文章が書かれたのは、大東亜戦争のさなかのことですから、時代の影響を無視することはできませんが、それにしても、筆者を含めて現代の親たちは、自
分の子どもを保護することばかり熱心で、場合によっては、突き離したり、追い立てたりすることも必要であることを忘れてはいないでしょうか。
不安な世相であるだけに、よくよく反省しなければならない点だと思います。
獅子奮迅
「獅子奮迅」ということばがあります。獅子が勢い激しくふるいたつ有様を表現した熟語であることは言うまでもありませんが、この文字を読み、このことばを
聞くと、不思議に父親を連想します。獲物を追って矢のように草原を走り、わが子の命をねらう外敵に必殺の一撃を加える雄獅子の姿は、人間社会の父親にもあ
てはまる理想像でしょう。しかし現実には子どもに対しては物わかりのよい父親、妻に対しては思いやりのある、やさしい夫が増えてきているように思われま
す。子どもが病院を訪れる際には、大きなおむつ袋や魔法瓶などを持って付き人の役割を果たし、家に帰れば買い出しから食事の仕度まで家事の主役を果たす父
親が少なくありません。
それはそれとして別に悪いことではないし、むしろ結構なことです。立派な態度と賞賛してもよいかも知れません。問題は、そのような点ばかりがすぐれてい
て、肝心の父親の守備範囲がおろそかになっていないかという点です。
獲物はどこまで追わねばなりません。どんなにつらくても、家族の衣食住を確保するのは父親の役目です。いかなる強敵にも勇ましく戦わなければなりませ
ん。家族にふりかかる災難には身を挺して立ち向かわなければなりません。それができた上で、余力を家事や育児の手伝いに費やすのはまことに結構なことで
す。
とは言うものの、筆者自身も決して勇ましい雄獅子ではありません。動物にたとえるならば、しっぽを巻いた負け犬か、鈍重なロバあたりが適当でしょう。せ
いぜいひいき目に見て、ライオンということにしてもらったとしても、疲れ果て、やせ衰えたよれよれのライオンです。しかし、たとえ負け犬であろうが、疲れ
たライオンであろうが、ありったけのカを振りしぼって、獅子奮迅の勢いを示すことができるはずです。それでこそ父親であるし、そのような父親があってこそ
良い子が育つのではないでしょうか。
手当て
太宰治賞の受賞者である作家の秦恒平氏が、手の文化史について雑談されたのを聞いたことがあります。手というものは、人間の生活の中で計り知れない大き
な役割を果たしています。どの宗教をみても、祈るときには必ず手を使います。合掌することもあり、両手を組み合わせる場合もあり、相手の手に自分の手を重
ねることもありますが、とにかく祈りには手を使います。
病気の手当てというのも、患部に文字通り手を当てがうことが、古い昔の病気の治療法であったことに由来することばだといわれています。
松がとれたばかりの一月八日、NHKの朝の番組で今年百一歳となられた清水寺貫主大西良慶氏のインタビューが放映され、その中で、再びこの手当てのこと
が語られるのを聞きました。手当てというのは患部に手を当てることで、頭が痛ければ頭に手を当て、お腹を痛がれば腹に手を当ててさするのが手当てです。こ
の場合大切なことは、手を当てる者と当てられる者の気持ちが通い合うことで、たとえば、お腹を痛がっている子どもの腹を母親がさすってやれば、当然気持ち
が通じますから、子どもの腹痛の半分は治ってしまいます。
病気の半分は気持ちで治るもので、残りの半分を治すのが医薬であるといわれています。
われわれ医療関係者にとっては、たいへん耳の痛い話です。薬を使ったり、手術をしたりすることには一生懸命でも、手当ての心を忘れてはいないでしょう
か。
別の言い方をすれば、精魂のこもった、したがって有効な手当てという点では、われわれはとうてい母親に及びません。
病気の時は健康の時以上に、子どもにとって母親の存在は重要な意味を持ちます。それは必ずしも、付きっきりで看病することを意味するものではありませ
ん。子どもの病状や病気の種類、年齢や性格、家庭の事情などによって母親の振る舞い方は一様ではありません。しかし、とにかく母親が心をこめて子どもの世
話をすることが子どもの心を安静にし、苦痛を和らげるのに役立つことだけは確かだと思います。