「e-文藝館=湖(umi)」招待席

あさい とよこ  大正十三年(1924)石川県金沢市に生まれる。浅井敏郎夫人。平成二十年(2008)三月八日東京都小金井市で逝去。俳誌「秋」系に学んで  作句歴約二十年。遺句集を夫君の文集『菊を作る人 私の文章修行』の巻末に読み、感銘を得たまま許可を得て約二百句から五十余句を選し、招待席に置く。総 題も編輯者が撰した。美しいまでのご夫婦であった。 (秦 恒平)




  浅井豊子句集  菊師



ほめ言葉背で聞いてゐる菊師かな   平成六年

木のうろに落葉舞ひ込む城のあと

口笛の坂下りてゆくおぼろの夜       平成七年

夕ざくら悼む言葉は口の中

遅れ来し法事の客や紫荊(はなずおう)

河骨を観る雨傘の二つ三つ

父の忌の胸浸す悔い春さむし
   平成八年
                                  
梅咲かぬ異国に在りし月日かな

雪しまく汚染の海の沖冥し        平成九年

荒梅雨や受話器の底の訃の予感

蔵の窓明け放たれて鳥渡る

抱き上げて乳歯の光る四温の日        平成十年

朧夜のおのが足音通夜がへり

聖誕劇どの子も衣裳引きずりて    平成十一年

雪吊りや百貫の縄使ひ切る

子の留守に柚子とかぼちやを置いて来し

花こぶし遠まわりして試歩伸ばす

冬凪の舳倉島(へくらじま)向く海女の墓 

サキソフォンの音撥ね返す冬木立     平成十二年

見覚えの夏帽子ゆく橋の上

三代の町医の門の鯉のぼり         平成十三年

口あけて子供の埴輪赤とんぼ

小春日の桶に身じろぐ浅蜊かな

みづからの老は思はじ鍋の席

鳥雲に牛首紬の青深し          平成十四年

何ごともなき明け暮の木の芽和(あえ)

春火桶折りをりかざす塗師(ぬし)の指     平成十五年

旅終る夕日の中の蜆舟

庭石の芯まで通り冬の雨          平 成十六年

月明り臥す父の髭伸びて居り

あかつきの蜩(ひぐらし)夢の母癒えて

八十の眉描き足せり初鏡          平成十七年

ふるさとよ晝も灯ともす雪の底

痛みなき今朝の目覚めや山笑ふ

老眼鏡栞代りに春ねむし

動く子を目で追うている花疲れ

葛切りの言葉少なき老夫婦

風鈴のつきあひ淡き隣家かな

座布団のひとつ埋まらぬ法事かな

探梅の一服せよと石ひとつ          平 成十八年

通院の道の幾とせ藪椿

新宿のビルの灯うるむ梅雨の月

冷え切つて夜半の喪服を畳みけり

下駄の雪落とすたしかに母の音

新涼や肩書のなき夫(つま)とゐて

臥す人の聞き分けてをり虫時雨

野菊咲く道どこまでも浄瑠璃寺

数へ日の父母の位牌を拭き清む

なずな粥支へ合ひたる幾月日          平 成十九年

水仙を活ける指先ぬくめつつ

一握りの浅蜊にて足る朝の膳

あかつきの熊蝉の声旅終る

分け合ひし一房の葡萄はるかな日

山茶花をほめる人声垣の外

鉢巻の似合ふ親方雪囲ひ


              *     *

 
 家内が昨年(平成二十年)の三月八日にこの世を去りました。あと五十日生きてくれれば結婚六十年の記念日を迎えをことが出来たのですが、残念なことをし た。

 病院の規定で、入院も三か月を経過しているし、ここを出て介護ホームに移る段取りをしていた三月の初めのこと。家内は真剣な顔をして、
 「私はもうリハビリをしないことに決めました。私の身体はもう変ってしまって何をやっても無駄なのです」と言い始めた。
 「何を言ってるのよ。医者は一生懸命になって貴女をよくしようとして努力しているのだよ」と私は言ったが、家内はそれっきりリハビリをやめてしまった。
 三月六日に私が病院を訪ねると真剣な顔をして「私は死にます」と言い出した。
 「何を言うのよ」とたしなめると、
 「長いこと大変お世話になり有難うございました。本当に感謝しております。貴方と結婚出来てよかったと思っております」と言われて、初めて家内が最後の 別れを告げていることが分かった。
 家内は自分の体力、気力をふりしぼり力一杯頑張ってきたが、これが限界であることを先刻知っていたのだ。それを察知出来ない私に、もどかしさを感じてい ただろうが、私を一言も責めないで先に旅立つのかと思うと、家内が不憫でならなかった。家内は五十五年前に肺結核を患って心身ともに人知れず苦労してい た。その結果、今日まで生きてこれた幸せを共に語りあってはきたものの、私の理解が不十分であったことを、この時になって知った自分が情けなくなった。
 家内はそれから二日後、三月八日に息をひきとった。
                 
 家内は二十年余り俳句を作っていた。茅花(
つばな)会 と申し、石原八束先生の「秋」の同人の方が先生で。家内は毎月の例会に、喜んで出席していたが、亡くなる三年ぐらい前から体力がなくなって欠席投句を続け ていた。今度この本を出すに当って、家内の俳句も一緒に入れたいと思い、三百句ほど有ったなかから私が二百句ほど選んでみた。
 「何を勝手に出すぎたことをしたのですか」と生きていたら、家内は云うだろうが、この本を見たら多分喜んでくれるのではないかとも思う。   
(浅井敏郎)