アンリ・バルビュス 『砲火』 (田辺貞之助・訳) より
最終章「夜明け」の後半から最後まで、抄出
「おれは知らねえ」と、予言者のような重々しい(塹壕に埋められた誰か兵士の=)声がいう。
「もしも戦争精神がおしつぶされなけりゃ、いつの時代にも戦争が絶えねえだろう」
「ちげえねえ……ちげえねえ!」
「戦わなけりゃ駄目だ!」と、僕らが眼をさましてから、ずーっと泥のなかにめいりこんで固くなっていた身体から、しゃがれた声がどなる。「戦わなけりゃな
たらねえ」そして、その身体が重そうに寝がえりをうつ。「おれらのもっているものを全部、力も、命も、心も、生活も、おれらに残っているあらゆる喜びも、
みんなささげなけりゃならねえ! 今のような(塹壕に埋もれたまるで=)囚人の生活も、両手で受けとるんだ。一切を耐えしのぶんだ。いま世界を支配してい
る不正も、眼のまえに見る汚ならしいいやなことも――一切合財、戦争にうちこんで、敵を征服するんだ! だが、こういう犠牲が必要なのは」と、ぶざまな男
は、もう一度寝返りをうって、絶望的につけくわえる。「ひとつの国のためではなく、人類の進歩のためだ。ひとつの国が相手ではなく、世の中の間違いを相手
にして戦うからなんだ」
「戦争をぶっ殺すんだ」と、最初にしゃべったものがいう。「ドイツ(秦注・この小説ではフランス兵がドイツ兵と熾烈に戦闘している。)の腹のなかにある戦争をぶっ殺すんだ!」
「とにかく」と、木の芽のようにそこへ根をおろしてすわっている連中のひとりがいった。「とにかく、なぜ前進しなけりゃならねえか分りかけてきたぞ」
「それでも」と、今度はしゃがんでいた猟兵がつぶやく。「それとはちがった考えをもって戦ってる奴らがいるぜ。若い連中で、人間らしい考えなんか鼻もひっ
かけねえ奴らに会ったことがある。奴らに大事なのは、国の問題だけだ。ほかのことはなんにも考えねえ。戦争は祖国同士の問題なんだ。めいめい自分の祖国を
光らせることだけさ。だから、そういう連中はよく戦ったよ、一生懸命に」
「お前のいう連中は若いんだ。まだ年がいかねえんだから、大目に見てやらにゃなるめえ」
「自分のやってることをよく知らねえでも、立派にやれるからなあ」
「まったく人間は馬鹿だよ! こりゃいくらいってもいいすぎることがねえ!」
「気違いじみた愛国主義者は蛆虫だ……」と、影のような男が不機嫌にいう。
彼らは、まるで手さぐりで歩いていくように、何度も繰りかえした。
「戦争をぶち殺さなけりゃならねえ。戦争を!」
僕らのうちの一人、泥のよろいに肩をはさまれた男が、首も動かさずにいう。
「そんなことはみんな駄法螺だ。こう考えようとああ考えようと、それがなにになるんだ。勝たなけりゃならねえんだ。結局、それだけよ」
だが、ほかのものはさがしはじめていた。現在のことよりもずっと向うを知りたい、見たいと思っていた。自分らの心のなかに知恵と意志の光を生みだそうとして、わくわくしていた。ばらばらの確信が頭のなかで渦をまき、唇からとりとめのない確信のかけらがとびだす。
「そりゃもちろんだ……そうだ……だが物事を見なけりゃならねえ……おい、いつも結果をみなけりゃ駄目だぜ」
「結果! この戦争で勝つことさ」と、その境界石のような男がつっかかる。「それが結果じゃねえのか」
二人の男が同時に答える。
「ちがうぞ!」
*
そのとき、にぶい音がおこった。叫び声が僕らのまわりで噴きあがり、僕らはぎくっとした。
僕らがなにも知らずに背中をもたせていた丘から、粘土の皮が一面にはがれて、僕らのまんなかに、両足をのばしてすわっている死骸をむきだしにしたのだ。
土くずれが丘の上にたまっていた濁水の関をきって、水が滝のように死骸の上に流れおち、見ているまえで死骸を洗った。
みんなが叫んだ。
「真黒な顔をしてるなあ!」
「この顔はなんだろう?」と、誰かが声をはずませてきいた。
元気な連中ががまがえるのようにそのまわりに輪になる。土くずれでむきだしになった壁のなかに、薄浮彫のようにあらわれた顔は眼もあてられなかった。
「この顔! 顔じゃねえ!」
顔のあるべき場所に髪の毛があった。
そこで、すわっているように見えたその死骸が、身体を裏がえしにまげ、へし折られているのに気がつく。
僕らは固唾をのんで、そのばらばらになった死体の見せている真直ぐな背やだらりと垂れてうしろへまがっている腕や、どろどろの地面へ爪先で立っている、長くのびた足などをながめた。
すると、この怖しい形で眠っている男に刺戟されて、また議論がはじまった。
「ちがう! 勝つことは結果にはならねえ。おれたちが征服しなければならねえのは、奴らじゃなくて、戦争だ」
「それじゃ、お前は戦争と縁を切らなけりゃならねえってことが分らねえのか。いつかまたはじめなけりゃならねえなら、今までやったことは水の泡じゃねえか。よく考えてみろ、水の泡になるんだぞ。二年、三年、またはそれ以上も、無駄な殺しあいをしたことになるんだぞ」
*
「ああ! もしもおれたちの苦しんできたことが、この大きな不幸の終りでねえとすると、――おれは生きていてえんだ。女房も、子供らもいる
し、そいつらのすんでいる家もあるし、後の暮しについても考えているんでなあ――だが、もしもそうなら、おれは死んだ方がいい」
「おれは死ぬんだ」と、ちょうどそのとき、この言葉の木魂のようにバラヂの隣りのものがいった。きっと(自分自身の抉られた=)腹の傷を見たに違いない。「だが、子供らのことを思うと、死にきれねえなあ」
「おれは」と、向うでつぶやくものがあった。「死んでもいいと思ってるが、それはかえって子供らがいるからなんだ。おれは死のうとしている。だから、自分のいうことはよく分ってる積りだ、が、《子供らは平和に暮せるだろう。あいつらは》と思ってるんだ」
「おれは死なねえかも知れねえ」と、別のものが、死を宣告された連中のまえですら、おさえがたい希望に身をふるわせながらいう。「だが、おれは苦しむだろ
う。それを、おれは、<困ったことだ>とも思い、≪結構だ≫とも思うんだ。もしも苦しむことが何かの役にたつと分ったら、もっと苦しんでも苦にならねえだ
ろう!」
「それじゃ、戦役がすんでも戦わなけりゃならねえのか」
「そうだ、多分な」
「お前はもっと戦争がしてえのか、お前は?」
「うん、もう金輪際戦争がしたくねえから、戦おうってんだ!」と、誰かがうめく。
「戦争たって、外国人とするんじゃねえんだろうな」
「多分、そうだろう」
一段とはげしい風が吹いてきて、僕らの眼をとざし、息をつまらせた。その風が吹きすぎ、突風が、ところどころで、泥まみれの残骸をつかんでゆすぶった
り、一軍の墓場のように長々と口を開いている塹壕の水を掻き立てたりしながら逃げて行くのを見送ると、みんなはまたしゃべりだした。
「結局のところ、戦争の偉大と悲惨をつくりだすものはなんだね?」
「民衆の偉大さだ」
「だが、民衆ていやあ、おれたちだぜ」
こういった男は僕の方を見て、眼できいた。
「そうだ」と、僕は答えた。「そうだよ、君。そのとおりだ! 戦争は僕らをつかわなけりゃできない。僕らは戦争の材料だ。戦争は一兵卒の肉体とたましいだ
けで成りたっている。死骸の山と血の河をこしらえるのは僕らだ。――あんまり人数が多いために、ひとりひとりの姿は眼にもつかず、いってることも聞えな
い、僕らみんななんだ。からっぽにされた町やぶちこわされた村は、僕らのこしらえた沙漠だ。そうだ。戦争は僕らみんななんだ、僕ら全体なんだ」
「そうだ、そのとおりだ。戦争とは民衆なんだ。民衆がいななけりゃ、遠くからどなりあうだけで、なんにも起らねえだろう。だが、戦争をするしねえをきめるのは、民衆ではねえ。戦争を指導するのはおえら方だ」
「民衆はいま自分らを指導するおえら方をなくそうとして戦っているんだ。今度の戦争はフランス大革命のつづきだ」
「そういうわけなら、おれたちはプロシャ人(=敵として闘っているドイツ人)のためにも骨を折っているのか?」
「そうだ」と、あわれな行倒れのひとりがいう。「そのつもりでいなけりゃならねえ」
「ちくしょう! とんでもねえ!」と、猟兵がうなった。
が、首をふって、あとはなにもいわなかった。
「おれたちのことだけやっていこう! ほかの国の奴らのことに口を出す必要はねえ」と、例の頑固屋が喧嘩腰でどなる。
「ううん、必要があるんだ……なぜって、お前はほかの国の奴らっていうが、結局は同じような連中なんだからなあ」
「いったい、なぜ、おれたちだけがいつもみんなの先に立って進まなけりゃならねえんだ?」
「そういうもんなんだ」と、ひとりの男がいう。そして、さっき口にした言葉をもう一度繰りかえす。「困ったことだし、また結構なことだ!」
「民衆ってのは、いまはゼロなんだが、全部にならなければいけねえんだ」と、このとき、今しがた僕に問いかけたものがいった。――彼は一世紀以上もまえか
ら言いふるされた言葉を、知らず知らず口にしたわけだが、ついにこの言葉に、いみじくも世界的な大きな意味を与えたのだ。
そして、地獄の苦しみから逃げてきたこの男は、泥かすのなかに四ん匐いになったまま、癩病やみのような顔をあげて、むさぼるように、自分の前を、無限の彼方を見つめた。
彼はいつまでも見つめていた。天の扉をひらこうとしていたのだ。
*
「民衆は、手をかえ品をかえて民衆を搾取する奴らの腹のうえへのって、肌と肌で理解しあわなけりゃならねえ。大衆はみんな理解しあわなけりゃならねえ」
「人間は結局平等にならなけりゃ駄目だ」
この降って湧いたような言葉は、僕らには救いのように思われた。
「平等か……そうだ……そうだ……正義とか、真理とか、偉大な思想はいくらもある。おれたちが固く信じ、まるで光明へすがりつくように、いつもそれへ心を引かれているものはたくさんある。だが、そういうものの筆頭は平等ってことだ」
「自由や友愛もあるぜ」
「だが、第一は平等だ!」
僕は彼らにいう。友愛なんて夢、だ、雲のように変りやすい感情だ。知らない人間を憎むことは人間性に反するが、知らない人間を愛することも同じように人
問性に反する。自由についても同様だ。人間が否応なしにばらばらに分裂している社会では、自由はあまりにも比較的なことだ。
だが、平等はいつも同じだ。自由や友愛は言葉だけのことだが、平等は一個の事実だ。平等、(もちろん社会的平等だ。なぜなら、個人の価値には大小の差が
あるが、めいめいは同じ程度で社会に参加しなければならないからだ。それが正義だ。ひとりひとりの人間の生命の価値には変りがないのだから)平等は人間の
偉大な公式だ。これは実に重大なことだ。個々の人間の権利の平等と大多数の神聖な意志という原則は完全無欠、絶対不可侵だ。――この原則はほんとに神聖な
力をもって、一切の進歩をもたらすだろう。第一にもたらすものは、あらゆる進歩の広大な坦坦たる基盤だ。それから正義による紛争の解決。これは正確に一般
的利益と同じことだと。
そこにいた庶民階級の連中は、以前の革命よりももっと大きな、まだ自分らにはなんだか分らない革命を垣間み、自分らがその口火となっていることや、その革命がすでに自分らの喉に湧きあがってきていることをさとると、口々に繰りかえした。
「平等だ!」
彼らはまずこの言葉をたどたどしくつぶやぎ、それから、やがて、いたるところにはっきりと読みとっている様子だ。――そして、この平等に触れた途端に崩
れさらない偏見や特権や不正は世の中に存在しないと分ったらしい。これは、この崇高な言葉は、一切への回答だ。彼らはこの平等という観念をいろいろの方面
から考えで、一点も非の打ちどころがないことを認める。そして、世の中には種々の弊害や悪習が眼もくらむばかりに燃えさかっていることに気がつく。
「平等たあ美しいな!」と、ひとりかいう。
「美しすぎて、真実でねえみてえだ!」と、別のものがいう。
だが、三番目の男がいった。
「平等ってことが美しいのは、真実だからだ。真実なことよりほかに、美しいことがあるものか! ………だが、平等が実現するのは、美しいから
じゃねえ。美しいことってものは一般に流通する力がねえ。愛と同じようだ。どうしても平等でなけりゃならねえってのは、平等が真実だからだ」
「とすると、民衆は正義をのぞみ、しかも力をもっているんだから、正義を実行しなければならねえ」
「もう実行はじめてるよ!」と、誰かがいう。
「物事がもうそういう方へ向いてるんだ」と、別のものが教える。
「あらゆる人間が平等になったら、どうしたって団結せずにはいめえな」
「空のしたで、三千万の人間がいやいやながらやっている、こんなひでえこと(=殺し合いの肉弾戦)は、もう起らなくなるさ」
それはほんとうだ。反対する余地、がない。どんな見せかけの議論でも、ごまかしの返答でも、<空のしたで、三千万の人間がいやいやながらやっている、こ
んなひでえことは、もう起らなくなるだろう>という言葉に対し刃向うことができるだろうか。僕は耳をかたむける。そして、苦悩の野に投げすてられた哀れな
男たちが口にする言葉の論理を追う。彼らの傷と苦痛とからほとばしる言葉、彼らから血潮のように流れだした言葉だ。
また、空がくもってきた。大きな雲が空を青くそめて、低くよろいのようにつつむ。上の空は、錫めっきのようににぶく光り、湿っぽい霧が空を掃くようにもうもうと流れて行く。あたりが暗くなる。また雨が降りだすのだろう。まだ嵐も長い長い苦悩も終りにならないのだ。
「<いったい、なぜ戦争なんかするんだ>と、考えてみるがいい」と、ひとりかいう。「なぜだか、そりゃ分らねえ。だが、誰のためにというなら、返事ができ
る。めいめいの国が毎日千五百人の若者のぴちぴち生きている肉を、戦争という偶像にささげて、思う存分に引っ裂かせているのは、ほんの数えられるくらいの
指導者たちの快楽のためなんだってことが、いやでもおうでも分るだろう。方々の国の民衆が戦闘隊形にならんで屠殺所へ歩いて行くのは、金筋をつけた階級が
プリンスなにがしっていう自分の名前を歴史に書きのこすためだし、奴らと同じ仲間の金満家の事業が繁昌してだ、使われている人間もふくふくになるし、店も
にぎやかになるためなんだ。だから、眼をあけてよく見れば、人間同士のへだたりはおれたちが考えているようなものではねえ。そんなあんちょこなへだたりな
んかじゃねえってことが分るだろう」
「おい、聞けよ!」と、誰かが急に話をさえぎる。
みんな口をとざす。遠くの方で大砲の音がする。すさまじい砲声が空気の層をゆすぶる。その遥かな力が泥にうずまった僕らの耳までつたわってきて、かすかにふるえる。一方、まわりでは、洪水が依然として地面をひたし、高みの土を徐々にくずしている。
「またはじまった……」
すると、僕らの一人がいう。
「ああ! なにもかも、こっちの気持はお構いなしで、やらされるんだ!」
運命の素晴しい傑作のように、この敗残の語り手たちのあいだではじまりかけていた対話体の悲劇に、早くも一沫の不安と躊躇がすべりこむ。いままた眼のま
えで際限もなくはじまろうとしているのは、単に苦痛や危険や風雨の猛威だけではない。それは、真理に対する物と人との敵対、特権の蓄積、無知、無関心、悪
意、専断、残忍な既成事実、それから頑迷無礼な集団と解きがたい序列である。
そして、暗中摸索する思考の夢が別のまぼろしへつづき、そこでは、永遠の敵意が過去の闇から出て、現在の闇のなかへあらわれ、修羅のちまたを現出するのだ。
*
ほら、やってくるぞ……世界を黒一色に塗りこめた雨雲のいただきへ、空にくっきりと浮かびだした影絵が見えるようだ。きらびやかに練りあるく騎馬の戦士
たちが――甲冑や飾綬や前立や王冠や剣をになった軍馬の一隊が……彼らはあざやかに、またはなやかに、燦然とかがやきながら、隙間のない武装も重だけに進
んでくる。手振り身振りも古くさい、この勇みたつ騎馬の行列は、さながらあくどい芝居の書割のように、空に根をおろした黒雲のなかにえがきだされる。
下界からながめている熱っぽい視線のうえに、ぬかるみの窪地や荒れはてた畑の泥をべっとりかぶった死体のうえに、この行列は地平線の四方から押しよせてきて、空の無限を押しのけ、青い深みをかくしてしまう。
彼らはローマの軍団だ。そのうちには、戦争を賛美し、戦争を呼号する戦士や、世界的な奴隷制度で魔力にひとしい力をおびた者どもばかりではなく、あちこ
ちに、平伏する人類のうえへ傲然とつったった絶大な世襲の権力者もいる。そして、彼らは、一大打撃を与えるべき時期が来たと見ると、突如として正義の天秤
にのしかかるのである。しかも、意識するにしろせぬにしろ、波らのおそるべき特権に奉仕する群衆がいるのだ。
そのとき、陰気な悲劇的な語り手のひとりが、まるでこの光景を眼に見たように、手をさしのべながら叫ぶ。
「だが、《立派な人たちだ!》っていう奴らもいるぜ」
「《民族は憎みあうものだ!≫という奴らもいる」
「<わしは戦争で肥えふとるんだ。わしの腹は張りきってきたぞ>という奴らもいる」
「《戦争はいつもあったんだから、これからもあるぞ》という奴らもいる」
「〈おれは足の先より向うは見ねえんだ。だから、ほかの連中にも向うを見てもらいたくねえという奴らもいるぜ」
「〈子供はみんな赤や青の猿股を尻につけて生れて来たんだ>という奴らもいる」
「〈頭を下げげて、神を信じろ>という奴らもいるぜ」としゃがれた声がどなる。
*
ああ! 君たちのいうことは正しい。戦闘の無数のあわれな労働者たちよ、いまだ幸福をつくりだすには役立たないが、全能の力をもって、自分の手で大戦争
をやってのけようとしている諸君、ひとりひとりが苦悩の世界をになっている群衆よ、長い黒雲が悪魔のように乱れとぶ空のしたで、思考のくびきのもとに背を
かがめて物思いにふける諸君よ、そうだ、君たちのいうことは正しい。何もかも君らの考えに反して行われている。すべては、君らを度外視して、また君らがい
ま垣間みたように、そのまま正義と融合している君ら全体の大きな利益に反して行われている。――世の中では、サーベルを振りまわす奴らと、うまい汁を吸う
奴らと、不義不正の奴らばかりが幅をきかしている。
銀行家とか、大小の事業家とか、利益にきゅうきゅうとしている怪物ばかりだ。彼らは、よろいを着たように、それぞれの銀行や屋敷にもぐりこんで、戦争で
くっている。訳のわからない正義をひけらかして昂然と額をあげ、金庫のように無表情な顔をして、この戦争最中にもしごく安穏に暮している。
また、砲火のきらめかしいうちあいを讃美し、軍服の派手な色を見ると、女のようにうっとりしたり、喚声をあげたりする奴らがいる。軍楽隊に陶酔し、小さな盃のように民衆へそそがれる流行歌に夢中になる奴らがいる。眼のくらんだやから、精神薄弱者、狂信者、野蛮人がいる。
過去にもぐりこんで、昔の言葉しか口にしない奴ら、つまり保守主義者がいる。そういう連中は、過去の悪弊を永遠のものと考えて、それが法律的な力をもつ
ように信じ、死者に指導されることを望み、ぴちぴちと脈うつ情熱的な未来と進歩とを、幽霊や乳母のお伽話の支配に服従させようと努力している。
また、こういう連中にこびりついている坊主がいる。坊主どもは、世の中のあり方を変えまいとして、天国というモルヒネでわれわれを興奮させ麻痺させよう
としている。さらに、弁護士や、経済学者や、歴史家や、そのほか数えきれないほどの有象無象がいる。――その連中は学術用語で人の頭を混乱させ、民族と民
族のあいだには敵意があると主張する。が、近代国家は国境という抽象的な線のなかに勝手につくった地理的単位にしかすぎず、そこに住む人民は民族の人工的
な混淆にほかならないことを知らない。さらにまた彼らいかがわしい系図屋は、征服と略奪の野心のために、いつわりのしちむずかしい証明書や、空想的な貴族
の称号をでっちあげる。浅慮短見ということは、人間精神の病気だ。学者とは、多くの場合、物事の単純性を度外視し、公式や瑣末にとらわれて、全体を没却し
汚損する無知蒙味のやからだ。書物のなかからは、こまかしいことは教わるが、全般的のことは教わるものではない。
しかも、そういう連中は、戦争はいやだと口でいいながら、戦争を永遠につづけさせるために全力をつくしている。彼らは国民的虚栄心をあおりたて、武力に
よる優越感を助長する。彼らはみんな自分の仕切りのなかで、「勇気と忠誠と才能とよい趣味を保持しているのはわしらだけだ」といっている。彼らは一国の偉
大さと富とを、国民を食いつくす病気のようなものに変えてしまっている。愛国心にしてからが、感情や芸術の領域にとどまっているかぎりは、家庭や郷土につ
いての感情とひとしく、尊敬すべきものであり、また神聖なものであるが、彼らはこれを、世界の状態と不均衡な、いたずらに空想的で永続性のない観念にして
しまう。この観念は、まるで癌のように、すべての活力をうばい、いたるところにひろがって、生命を押しつぶす。しかも、伝染性をもっているものだから、し
まいには、戦争の危機をまねいたり、国力を涸渇したり、武装平和の窒息状態におとしいれる。
彼らは讃美すべき道徳すら腐敗させてしまう。国家的というただひとことで、いかに多くの罪悪を美徳に変えたであろうか! 彼らは真理すらも変形させてし
まう。永遠の真理をすてて、一国家の真理におきかえる。だから、国家の数と同じだけの真理がうまれて、真の真理をゆがめ、捻じ殺してしまう。
こういう連中は≪わしがはじめたのじゃない、君だ!――いや、わしじゃない、君だ! ――君からはじめろ! ――いや、君からはじめろ!≫というよう
な、鼻もちならないほど滑稽な、子供じみた議論をつづけてぃる。君の頭上に、そうした騒ぎが聞えるだろう。だが、子供じみたといいながらも、これは世界の
大きな傷を永遠化するものだ。なぜなら、こういう議論をしているのが真の利害関係者ではなく、戦争を終らせようという意志のないものばかりだからだ。地上
に平和をもたらすことのできない、または欲しない奴らは、どういう理由にしろ、過去の状態にしがみついて、それに理窟を見出したり、理窟をひっつけたりす
るものは、誰でもみんな諸君の敵だ!
そういう奴らは諸君の敵だ。ここで諸君のあいだにころがっているドイツ兵がいまは敵であるのと同じことだ。――もっとも、このドイツ兵たちは見るもあわ
れにだまされて、愚鈍になった、まるで家畜のようなものだが、――とにかく、今いった奴らは、どこで生れ、どういう名を名乗り、どこの国の言葉で諸君をだ
まそうと、諸君の敵だ。天地のすみずみまで彼らをさがして、よく見ておけ。いたるところにいるんだから! そして、それが誰だか分ったら、永久に忘れずに
おきたまえ!
*
膝をついていた男が、両手を地面へついて身体をのりだし、番犬のように肩をゆすりながらうなった。
「奴らは<君は素晴しい英雄だった>というだろうが、おれはそういわれたくねえんだ。英雄だの、ずぬけた人間だの、偶像だの、そんなのはまっぴらだ!おれ
たちは人殺しだった。人殺しの仕事を正直にやってのけた。これからも、腕のつづくかぎり、この仕事をやるだろう。戦争をこらしめ、戦争の息の根をとめるに
は、この仕事をすることが偉大であり、重要だからだ。だが、人殺しの動作はいつでも恥すべきことだ――時には必要なこともあるが、やっぱりいつでも恥すべ
きことだ。そうだ、残酷な、疲れを知らない人殺し。おれたちはそれだったんだ。だが、おれがドイツ人を殺したからといって、立派な戦功をたてたなんて言っ
てもらいたくはねえ!」
「おれもそうだ」と、別のものがどなる。たとえ反駁しようとしても、誰にもできそうもなかったほど大きな声だった。「おれも、フランス人の命を救ったから
といって、そういわれたくはねえ! そんなことになりゃ、人命救助が立派なことだからといって、火事を讃美するのと同じじゃねえか」
「戦争の美しい半面を見せるってことは罪悪だよ、たとえ、そんな面があるとしても!」と、陰気な兵隊のひとりがつぶやく。
「そういうのはだな」と、最初の男がつづける。「お前の骨折を光栄という褒美でごまかし、また自分がなにもしなかったつぐないをするつもりなんだ。だが、
軍隊の光栄なんて、おれたちのような一兵卒にゃ、うそだよ。そりゃ二三人の人間のためのもんだ。そういうお歴々のほかには、兵隊の光栄なんかありゃしね
え。戦争のなかで美しく見えるものと同じように嘘だ。実際、兵隊のはらう犠牲は闇から闇へ葬られるものだ。攻撃の大きな波をつくる無数の兵隊たちには報酬
なんかねえ。ただ光栄という、怖しい影みたいなもののなかへとびこんで行くだけだ。彼らの名前さえ、まるで虫けらのような、あわれな小さな名前だもの、帳
面にのりゃしねえや」
「そんなことはどうでもいい」と、別のものが答える。「おれたちには、ほかに考えることがある」
「だが、今の話のようなことを」と、まるで眼もあてられない手で蔽いかくされているように、泥にまみれた顔がきれぎれにいう。「口にだすだけだって大変だ
ぜ。世間の奴らからのろわれて、火あぶりにされるだろう! 奴らは前立のまわりに宗教をでっちあげてるんだからなあ。ほんとの宗教と同じようにたちがわる
くて、くだらなくて、毒になる宗教をだ!」
その男は起きあがったかと思うと、どさりとたおれたが、また起きあがる。彼は泥のよろいのしたに負傷していて、地面に血が流れていた。彼はこういったとき、彼の大きく開いた眼が、世界の傷をなおすためにささげた血を、つくづくと地面のうえに見つめた。
*
みんなはひとりひとり起きあがる。風雨がますますはげしくなって、掘りかえされいためつけられた野原一帯に吹きおろしてくる。昼は夜の闇にとじこめられ
ている。黒雲の山脈の頂きに、十字架や軍旗や教会や王侯の宮殿や兵営などのどぎつい影絵ができ、そのまわりに、人間の群の不気味な形が次々と絶えずあらわ
れる。そして、それがもくもくとふえて行き、人間の数よりも少い星の光を掻き消してしまうように見える。――しかも、その亡霊たちは四方八方からこの窪地
へなだれこんでくる。そして、現実の人間たちが算をみだして投げだされ、麦粒のようになかば土に埋っているなかで、あちこちうごめきまわるように思われ
る。
まだ生きている戦友たちは、ついにみんな立ちあがった。彼らはくずれた地面のうえへかろうじて立ち、泥まみれの服にとじこめられ、奇妙な泥の棺桶にはま
りこみながら、無知そのもののように深い土のそとに、この世のものとも思われない単純さをつきたてる。そして、眼を、腕を、拳を、日の光と嵐のおちてくる
空へのばしながら、動きまわり、わめき叫ぶ。彼らはいまなおシラノやドン・キホーテさながらに、勝ちほこる亡霊へいどみかかっているのだ。
彼らの暗い姿がわびしくひかる荒野のうえに動き、元の塹壕のなかによどんでいるほのかな水面にうつるのが見える。塹壕は、見渡すかぎり雨にけぶる極地のように荒涼たる野面に、白々と水をたたえ、大地のはてしない空虚だけの住み家になっている。
だが、彼らの眼は開いている。彼らはさえぎるものもない物事の単純性を理解しはじめている。真理は彼らのうちに希望の曙光を走らせるばかりでなく、力と勇気とを回復させはじめている。
「奴らの話はもうたくさんだ」と、彼らのひとりが命令口調でいう。「奴らなんかどうにでもなれ。……問題は、おれたちだ! おれたち全部のことだ!」
庶民階級相互の理解、世界の民衆の奮起、粗野なまでに単純な信念……これ以外のことは、ほかのことは、過去、現在、未来を通じて、絶対にどうでもいいのだ。
ひとりの兵隊が、初めは細々とした声ながら次の文句をつけくわえる。
「もしも今度の戦争が進歩をひとあしでも前進させる、戦争のいろんな不幸や人殺しは大目に見てもいいだろう」
やがて、僕らがまた戦争をはじめるために、みんなのところへ帰ろうと支度をしているあいだに、僕らの頭のうえで、嵐にとじこめられた真黒な空が、ゆっく
り開きはじめる。二つの黒雲のかたまりのあいだから、静かな光が流れだし、その一筋の光は、まるで物思いにふけっているように、身をちぢめ、うら悲しく、
貧しげではあるが、ともかくも、太陽が存在することを証明している。
一九一五年十二月
アンリ・バルビュス作 田辺貞之助訳 『砲火』終章「夜明け」後半 了