こういう虫食い短歌には、いまの大学生、らくに漢字を入れてくる。まして同じ一字をといえば、七割見当が、原作どおり「恋」と入れる。恋は青春のメインテーマ、東工大生ほど時間に追われてよく勉強する学生たちでも、マメに恋をしている。恋を求め恋に飢え、もう恋はあきらめている者もいる。入学式がコワかったと漏らす女子がいるくらい、今でも優に十倍以上の男子大学だから、内でも、また外でも出会いの機会が比較的少ない。
だが、ほんとうに「恋」なのだろうかと、ふと訝しむときがあった。彼らの恋のボキャブラリィは「告白」「付き合う」「別れる」の三つで、恋というより「性的付き合い」に他ならないから、ボヤのように燃えついては消え、また飛び火もして行く。学生がいわば無常感を感じとる機会として「恋」は機能し、「はかないですよ」などと嘆いてくる。恋愛と結婚は、同じ地平に虹をかけていない。
極端な例でいうと、ある女子学生は結婚を「経済学」に譬えて、男性のメリットをなるべく数字に置き換え優勢な総合値をもった男と「お見合い」でしか結婚しないが、恋は結婚までの性的な「オアシス」として満喫したいと、真面目に答えている。
「結婚を学問分野に強いて譬えるなら、あなたにとって、結婚は、**学か」と聞くと、たちどころに七十種以上もの「学問」が登場し、数百の学生の「結婚」観が提出されてくる。一、二を紹介する。いずれも現に授業を耳に聴きつつ、考えて、書いている。
*「建築学」 まず材料力学。相手、自分をよく知って、どれだけ強いのか、どういう性質を持っていてどう使えば最適なのか分析しないと、一緒になんか暮らせないでしょう。知らないほうが良いこともありますが。次いでそれをどう組むのか、構造力学です。どこまで大きく高くして行けるのか、結婚の成功もそれにかかっているでしょう。また建築設備学。家も家庭も快適でなければならず、環境設備学とも言います。夫婦の暮らしにも大切なことです。建築史も関わりますね。結婚ということの歴史的な理解もさりながら、互いのここに至る背後や基盤を知り合うことは大切な手順です。いよいよ建築計画が物を言い始めます。将来への覚悟を定め不安材料は解消すべきです。そして意匠・デザイン。味のある豊かな生活に、変化もなければ長続きしません、これが難しいです。他が必ずしも参考になるかどうか。こういう検討があって初めて、製図が始まります。他にも建築心理学、建築人間工学なども関わります。それらをみな頭に入れて製図します。綿密に図面上で計画します。状況・条件が調ったところで施工します。しかし結婚という建築はどの段階で完成するのでしょう。と、まあ計画大事と言いましても、実際は勢いや感情=勘定でやっちゃうんじゃないでしょうかね。 (男子)
*「有機化学」に限った事ではないが、「反応」は一つの物質だけでは殆ど起こらない。大部分「或るもの」と反応して新たな物質をつくり出す。反応する「或るもの」も様々で、生成物は「それ」によって大きく異なる。結婚も同じで、元々在る物質を自分とし「或るもの」を異性であるとすると、そのパートナーによって人生は大きく変わってしまう。人生、いろんな人と出会うことで自分が成長し変化して行くのも同じだ。また「或るもの」が同じであっても、触媒や温度、pH等によって反応が起こらなかったり、まるで違うものが出来たりもする。これは環境ー例えばセックスの相性等ーによって離婚に至ったり裕福に暮らせたりするのと似ている。 (男子)
こういうのを、どっと何百人もが提出して行く。仕事も忘れて読んでしまう。「恋」にはへんにおどおどした学生諸君が、「結婚」となると、なんとハツラツと我が田に水を引くことだろう。しかも思わずかなり真剣な実感を交えていることも、疑うわけにいかない。自分の実感と言葉で、既成の学問への理解や批評もしぜん露出してくる。結婚という未知ではあるが近未来の重い現実にもかなり真面目に身構えている。故郷へ帰れば身近には、もう結婚し、子供まであって「稼いでいる」友人がいたりする。そういう現実に想像以上に学生は厳粛な視線を送っている。「親の金」に頼っている学生身分のアキレス腱が見える。
とにかくも、恋よりは「結婚」観の方が、はるかに堅実に落ち着いている。東工大生は将来の「仕事」に希望も自負もよほど具体的にもっているので、後顧の憂いなき「家庭」に対する願望が、特徴的に、強いのだろう。
ただそういう願望と、例えば学生のうちに好きな人との「同棲」を体験しておきたいといった「性」付きルームメイト志向とが、やすやすと共存もしている現実でも、ある。異性の「同居人」との生活を、ごく日常感覚でさらりさらりと話してくれる学生を、幾組も知っている。
むろん「性」の結果があわや妊娠の心配と化し、青くなったり赤くなったりの学生が、一年生にもいる。子供をおろしてしまった、つらい、死にたいと打明けて来る女子もいる。それには実は驚かない。が、私のような道草教授とちがう十年二十年もの同僚教授たちが、「まさか…」と絶句のあげく、学生にカツガレているんじゃないですかと宣まうのに、驚いた。そういうセンセイほど、今の学生は何を考えているのやら、さっぱり分からないと匙を投げている。それどころか、現代の学生は何も考えていない、幼稚だ、バカですよと来ると、どう割引きしても、危険だと思う。
四年間に、そんな学生に三万五千枚の「泥」を吐かせ、一心に読んで応えてきた私には分かるが、何を考えているのやらと嘆かれている学生たちの殆どが、内なる思いを発信したくて機会を、聞き手を、渇くように求めている。そういう青春に、「自分の言葉」を見つけさせ、「実感」をせめて書いて表現させ、噴出させてみたかった。個性的な研究や創造の発想も構想も、そこから得させたいではないか。遠回りのように見えて、もっとも健全な文学教授の「道」の一筋がそこに望めるのではなかろうかと思ってきた。
*今、真実愛しているものは、おそらく無いと思う。両親を、愛していないとはとても答えられるものではないが、真実かと問われると真実の前では首をたてには振りにくい。今愛しているものは無いが、強く求めているのは「安らぎ」と「女」である。現代、前者に頷かぬ人はいない。後者の「女(異性)」には、はっきりそう言うのはためらう人があると思うけれど、内心は、半分 の人が納得してくれると思う。「愛する」と言えるのは、人間として成長した者だけ だと思う。 (男子)
( )の最もむごき部分はたれもたれもこのうつし世に言ひ遺さざり 東淳子
入る一字は「愛」だが、生、死、恋、命などと答えてきても、愛とは入れてこない。二十歳の学生に「愛」は、いろんな意味でまだ難しく、けわしいのである。恋は傷つくことなく享楽される道ももっているが、愛は傷そのものであるかも知れない。「愛する」と言えるのは、人間として成長した者だけだというこの男子学生の言葉は、本人が思っている以上に重いのである。
*好きなものは沢山ある。友ダチ、親など。でも愛と呼べるのかどうか。「愛」に偏見あるのかもしれない。愛とは一途なもの、とても重たいもの、そう私の中で定義されている。私はあまり自分の心をさらけ出さない。とても親しくなり深刻な話ができる仲になっても、自分を全部なんて出せない。その友ダチを信用していない、つまり愛が無いことになってしまうのだろうか。愛を知らずに愛を欲しているのかもしれない。
私は親に冷たく当たる。その中で親の私に対する愛を捜しているような時もある。一方で私は親をとても重たいものに思うから、拒みたい時もある。結局私は今、何も愛してはいないようだ。淋しいことだ、が、そう思う。 (女子)
*私は、父が借金を残し蒸発してから、高校一、二年のあいだ、すべての人をうらみ、にくみました。その二年間は友人にさえ心を閉ざし、好きな部活もやめ、ただ生きているという生活でした。三年のときに、ある女性、高校受験に失敗し行きたくもない高校にいっている友人の女性に会ったとき、なぜか心がふるえ、人をうらんだ自分が消え去りました。その女性を愛するようになりました。今は信じあえる友人もでき、だれでもとはいかないが人嫌いでなくなりました。その女性を愛しつづけています。 (男子)
*秦さんの問題はいつもたいへん考えさせられます。愛のこともこの頃少し疑問に思っているのです。今私には恋人がいますが、本当に愛しているのでしょうか。人間(特に自分)は淋しがり屋であるので、心を支えてくれる人がいると、つい頼ってしまうのです。でもそれは愛かなぁ。絶対違いますよね。今言えるのは、自分は自分しか愛していないことです。自分勝手なようでもこれが事実です。かわいいのです、自分が。人を好きになるのも自分を好きになってほしいからです。自分が可愛いからこそ自分の向上もはかれます。私はまだ自分以外の対象を真実愛せるほど成長していません。最終的には「愛する」真実を知りたい、知れるなら本当に幸福だと思います。 (女子)
だが、この「自分」が自分ではよく分かっている気で、尻尾も掴めない。自分で自分が見えない袋小路で、学生諸君はうろうろと悩みだす。
*この冬は渋沢龍彦の世界にどっぷりつかっていたので、「大人の判断」と聞いたとたん、
パラケルススや、シュバリエ・デオンや、サドや、ジル・ド・レエ等、大人の判断が出来なかったため、みじめに死んでいった人々の事が頭をよぎった。大人の判断が出来ていればパラケルススが大言を吐くこともなかったろうし、デオンは女装しなかったろうし、サドもアナーキストを名乗らず、ジルも子供を犯さなかったろう。
「大人の判断」と芸術性とは相反するらしい。「判断」が理性の支配下にあるに対して
「アート」は狂気が司る。芸術家は理性という当局の目を盗んで狂気を走らせる、いわば自己崩壊的なアナーキストなのではないか。 (男子)
*判断にあたって、他人の気持や視線を過剰なくらい意識しているとき、それは「大人の判断」だと思う。「本当はこうしたいんだけど…」と自分の気持は決まっているのに、もう一人の理性的な「大人」の自分が「やめておけ」と言っている。世間体が気になりだしたらもう大人だと思う。そう考えると、最近の自分は大人だなぁとつくづく思う。そして周囲に「大人でない」判断をしている人を見ると、「大人気ない…」と思ってしまう。でもそれを自分で情けないとか、「大人になってしまった」と感傷的になることもない。忘れもしない去年の3月(東工大合格)に、「おかげさまで」という言葉の意味が心から分かった時から、子供のころイヤだと思っていたような大人ばかりではない、私は私の思っていたような大人にはなるまい、良い大人になりたいと思っているからです。私は今とても前向きな気持です。 (女子)
明確に内心や事情の語りきれている文章ではないが、「青春有情」の感は漂っている。毎週書いてもらっていると、どちらかというとクライ感じだった学生がだんだんに明るい心境へすすんで来るのが、またその逆も、よく見える。読み上げて励ましたり共に喜んだりしやすいし、他の学生にもその気分はよく反射していたと思う。他の学生が何を感じ考え、それをどう表現してくるか、お互いにそれこそ興味津々というのが教室の空気だった。
*大人の判断とわざわざ言う場合は「理詰めの選択」をすることだと思う。その責任も重くのしかかる。理詰めの基準は「安全」であろう。積み上げた定石に頼った、安全。だが失敗の可能性から敢えて何か「大きなもの」を拾い上げたいのも人の常である。いわゆるサクセスストーリーとは、あえて「感情的な選択」をして、たまたまうまく行った数少ないケースであり、自分の才能と運を信じ、安定した安全を捨てる覚悟なしには選べない道だ。だからこそ今までに無い何かが産み出せる。大人として生きるのに「大人の判断」の大切は言うまでもない。ただ何か新しい大きいものが掴みたければ、敢えて賭けに出る気概が必要だ。そしてそんな機会は、「大人の判断」が出来ればこそ、見つけも作り出せもする。 (男子)
*「今」の状態で最善を尽くそうとするのが大人の判断である。くだらない見栄から医学部でなく東工大を受験したことを後悔しているといって、もう一度センター試験を受け直し医学部をめざすことは、あまりに危険な賭になる。賭けるのも若い力だが、心幼い甘い考えでもある。それほどの覚悟があるなら、東工大生の今のままで最善を尽くす方が大人の判断だろう。 (男子)
*大人の判断とは、「どれだけ許せるか」だと思います。中学時分は社会や学校の不正にいらいらし、先生や親のしめつけで自分が失われそうで、あげく自分に対しても怒ってばかりいました。純粋な子供のままでいたいと思っていました。今は違います。経験も増え、いろんな立場の見方を覚えました。自分の意見は意見として、他の人にも異なった考えがあるだろうと聴く姿勢も持てます。他に対し攻撃的な思考はしなくなりました。向上だけでなく維持することも大切です。そこから産まれる判断は「守り」ですが、そこで固まってしまわずに、守りでも攻めでも判断するにしても、それ以外を許容する懐の深さ、それが「大人」という気がしています。 (女子)
数百人が一人として同じ表現をとらずに、「大人の判断」を複雑に、簡潔に書き示していた。その幾らかを吟味して欲しい。
「あえて賭けにでる必要も知った勇気」「正解の無い問題に挑み下しうる決断」「定石にしたがう」「優先順を見極める」「ベストよりベター」「就職・結婚など大きな事態に発揮されねばならぬ判断」「もう一人(以上)の自分を常に用意できていること」「常識にマッチする」「常識に流されない」「大事なことを先送り・やり過ごす」「折り合い上手」「自分を抑制して他者に配慮」「つまらぬ意地を張らない」「理論的で非感情的・社会的」「がまん」「自分を見失わない」「影響を考え責任が取れる」「計算ずくで利己的」「一歩引くことの出来る」「利己的なのに利他的に見せるラインを引ける」「欲に逆らい・いわゆる正義にも逆らい得る」「無難」「信号が赤でも(安全なら)渡ってしまう」そして「要するに自分勝手な」とも突き放してくる。
*病・兵・貧・孤の順。四項とも精神を壊してしまいそうで怖いが、兵は特に。兵として死ぬ怖さより、兵として殺すことを正義の名で納得してしまうであろう怖さ。嘘を嘘と知りつつホントにしてしまう怖さ。自分がそうはならないと自信のもてない怖さ。徴兵制になれば逃げます。 (男子)
*兵・病・貧・孤の順。「民主主義を守るために徴兵制は当然」というのはサッチャー女史の言葉だった。しかし軍隊とは統一の考えのもとに統一の行動をとり、平和と正義の名のもとに人を殺す集団だ。戦争になれば互いが己の正義をいい、敵を憎んで平和のために人を殺す。絶対に正しいと大勢の心がコントロールされれば、人は視界を狭くし狂的になる、それが怖い。私は自分自身であり続けたい、その先にたとえ孤独・孤立が待っているとしても。 (男子)
*兵・病・貧・孤の順。恐れている死を他人に強制する兵の原則にはくみしない。まして愛する人を戦地に送る怖さももとより、彼が人を殺すことで生き延びねばならないことが堪え難い。病気での余儀ない死には諦めがついても、兵と戦争は違う。我々より強い「力」の人の手で、私も、兵も、兵に殺される兵や人も、みな傷付く。あぁいや、いや。「兵」なんていやだ。 (女子)
国を愛する・守るという問題と兵隊・兵役という問題との関連は解き難い。もともと解ける問題ではない。愛する人に人を殺させたくないという意思と、目の前で愛する人を人に殺させるかという苦しい選択に、多くの民族が悩み苦しみぬいてきた。それでも兵役や軍隊を肯定是認する声はさすがに絶無であった。絶無はいい。しかし絶無を守るのなら、かえって常に常に戦争と平和の問題には腰を据えて関心深くなければならないだろう。平和ボケのまま腰を引いていて済む話ではない。政治がわるく絡めば、一朝にして徴兵・兵役復活へ拍車がかかる。拒みたい以上は、もっと真剣に「投票する誠意・熱意」が欲しいとわたしは二十歳の諸君に言いたいし、言った。
*孤・病・兵・貧の順。孤独は最も恐ろしい。話す相手がいないのは最も怖い。嬉しいことも辛いことも全て自分のうちに秘めていると、心が異常化してくる。心が傷むとあらゆる行動が自信のない迷い、恐怖心をもったものとなり、一日一日が暗くなる。内からの恐怖は、自信を蝕みつつ膨らんで行く。希望がもてなくて恐ろしい。 (男子)
*孤・病・兵・貧の順。人のいちばん脆いところが「孤独」だ。病気も看病してくれる人がいれば闘える。兵役も貧乏も、人とともに闘って克服しうる。孤独では何ごととも闘えない。自分は浪人時代から東京で独り暮らししている。その体験からもいちばん辛いのは、つける薬もなくどうしようもない苦しみの伴う「孤」だと思う。孤に耐えるよりも、孤でなくありたい。 (男子)
*孤・兵・病・貧の順。孤独の恐ろしいのは、世間が豊かだろうが平和だろうが、やって来ることです。一度孤独を感じた人を元に戻すのは容易でない。孤独に陥っている人は最悪の状態に在る。最悪の人はそれ以下にならないから、何をしでかすか分からない、希望のない人でもある。恐ろしい。体験的に断言する。 (男子)
「孤独」を語らせれば学生諸君はほとんどがエキスパートである。孤独こそ過去から未来永劫、人間の心の業病かもしれない。漱石の『こころ』を熱心に語りうる資格は皆がもっている。明治の精神の何のよりも、もっと切実に間近にとぐろを巻いている「K」や「先生」や「奥さん」の孤独の厳しさを、学生と限らず、多くの読者は我が身に引き寄せて読み続けて来たのである。想像以上に東工大生の中にも神・仏や信仰・宗教へのアンビバレントな関心は高い。「神は必要か」と問えば、学年が高くなるほど「必要」と大半、いやもっと多くが答えて来る。
*病・兵・孤・貧の順。下宿しています。病気しても誰も何もしてくれません。「病」には孤独が含まれています。「死」も含まれています。いつ病気になるか知れない無茶な生活をしています。やめたら貧しくなってしまう。病気すれば働けなくなり貧しくなる。治療費もかかる。「病」には貧乏も絡んでいます。病気が怖い。 (男子)
*孤・病・兵・貧の順。心臓病をもっています。悪性のものではないが死にも繋がり、診断されてショックでした。自分の意思に反する意味で死刑と同質です。あと何年などと宣告されていれば耐えられたかどうか。今いちばん怖いのは両親が病気することです。最近友達の父君が亡くなった事もあり、かなり現実的に怖いです。この授業で考える問題は、すべてが深く繋がりあっていて、頭がパンクしそうです。 (男子)
同じ質問を同じ時期に息子にもしてみたら、社会人の三年生、言下に「病」と答えた。学生諸君の「病気」への不安は根深い。
そのわりに貧乏は何とでもなるという。タカをくくっているのか、そこが東工大生の病気か、日本の経済的基盤に奇妙な自負心を隠そうとしない。誰かの診断を得たいものだ。
*まだ若く実感がわかないせいかも知れないが、親にも子にも、物質的にも精神的にも頼りたくない。年老いて様々な面で弱くなった時は他人を頼まねばならないだろうが、想像するだけでも寂しいことだ。親に頼るか、子を頼むか。強いて言えば、親よりも、子に頼る方が自然で美しい。それも自分から頼まずとも子がすすんで助けてくれることが、あれば在るべき姿だと思うのだが…。親に頼ることはしたくない。勿論今までに充分に頼ってきているのだが、だからこそこれ以上物質的にも精神的にも頼りたくないのである。身近に、親や大人には頼らねば損のようにして生きている人物が存在するせいかも知れない。少な くとも自分はそうなりたくないと、いつも思 う。なさけない。 (男子)
「子を頼る方が(親に頼るのと比較すれば)自然で美しい」というのだ、はっとした。人間にだけ許された歴史を感じた。普通は逆のことを考える。皆が言う、親には余儀なくまた進んでも頼るけれど、我が子には頼りたくないと。だがこの男子学生のいう「自然」には、なにかしら数段練れた文化的で反語的な感触が、あった。「美しい」と言われると深く驚かされ、驚きに感銘もまじって来る。
そこまで断言していいのだろうか。肯定したい気が動くのは、私が「子を頼む」気をやや持ち初めているからか。とにかく教室がざわめくほど印象深い「挨拶」だった。
親に頼っていた頃は、いつもうしろめたい負担感があった。子を頼んでいると感じるような時、そこに、情けないというより嬉しい気分の在ることを自覚している。現実「頼っている」事情も実感もまだ無いから、嬉しさだけが味わえるということかも知れないが。 こんなことがあった。妻が体調を崩していて一緒に行けない京都への私用に、息子をつれて出掛けた時だ。用事は済ませて、めったになく二人で東山西山などをゆっくりと遊び歩いて午後もおそめに嵯峨の天龍寺に入った。夏だった。私はかなり草臥れていて、日陰涼しい堂の上の畳にいつか横たわって寝入ってしまった。さ、小一時間は寝ていただろう、目をさますと息子はそばの縁側にいて黙って庭を眺めていた。
あぁこの子に労られている…と思った。そういう年齢に私もなり、この子も成っているんだなと思った。もう少し前であれば、「お父さん、起きてよ、行こうよ」と、退屈のあまり起こされていただろう。その日は一言も声をかけずに寝たいだけ「おやじ」を寝かせてくれていた。嬉しくもあり、こころもち寂しくもあった。
父として幼き者は見上げ居りぬねがわくは 金色の( )子とうつれよ 佐佐木幸綱
予想より大勢の正解、「獅」子が入った。
さて次ぎの授業日、例の「自然で美しい」に、強烈な反論のあったのも、紹介しよう。
*子に頼るのは「自然」ですか。「反自然」でしょう。頼ることがいい悪い、人間社会でどうのこうのはともかく、自然・反自然にはうるさいですよ、私は。
遺伝学上の主流は個体の生存ではなく遺伝子の残ることをメインテーマに生物は在る、としています。子をかばって親が死ぬのも、その方が遺伝子は残りやすい、からだと。老化や死だって遺伝子を残すため、古い個体がいつまでもあると環境的に不利だから、という説すらあるくらいです。弱い者は淘汰されていく方が「自然」です。子供だけは利己的な遺伝子がかばいます。他種族は弱い個体を狙います。子供だって狙います。弱者は死ぬのです。種の遺伝子を残すためでもあります。それが自然の厳しさで美しさだと思います。 少なくとも、人間の生活上の美に「自然だ」という装飾をくっつけるのは冒涜という気がしてなりません。なにも美を自然しなくてもいいじゃないですか。「反自然だけど美しい」と認める強さを、人間特有のすごさだとしましょうよ。 (女子)
こういう学説がらみの挨拶が返ってくると、嬉しくなる。「反自然だけど美しい」と認める強さを人間のすごさと認識しよう…か、なるほど。この場合の「すごさ」は、字義通りの「凄い」よりも、有価値的にいわれているのだ。
平家物語の勇将知盛が一の谷で源氏に敗れ追われ、愛息知章の身代わりに救われて一人沖の船へのがれた話が、ふと、思い出された。
親が子を助けて死ぬのが自然であるのに、子に救われ子を死なせて、こう生きながらえて来た悲しさ恥ずかしさ、わらって欲しいと一同の前で泣き伏す知盛。まことに「討たれし平家の公達あはれ」であった。「自然で美しい」とも「不自然で美しい」とも心惑いつつ、感動したものだ。
人間の話は、なかなか遺伝子の説ひとつでは割り切りにくい。
*1脳死(N)2死刑(Y)3自殺(N) 「脳死」について。これを「=死」と定める事については否認する。何をもって人の死とするかは文化、国民性の問題。日本人は死者を、「霊」として存在するモノという概念をもっている。死者はただの「物」ではないのだ。まして脳死者の体はまだ温かく、家族にはなお多くを感じとることが出来よう。死の認定を軽々に逸まれば、死後を大事に感じてきた日本文化の根からの否認にもつながって行く。また死の範囲を脳死にまで軽々に拡げることは、臓器移植問題とからみ危険がある。死の認定が脳死からさらに安易に拡がる恐れは、大脳死だけでも死と認めようとの動きがすでにあることで分かる。強い立場の人々が弱い立場の人々に優先するという構図へ、死の認定ないし臓器問題が拡大することは、臓器売買目的の犯罪多発を防ぐためにも、ぜひ避けたい。死に向かう人の尊厳を軽んじてはならない。脳障害をもつ人や他の障害をもつ人達が、健康な人や、臓器移植すれば延命可能な人たちに自身を捧げることを「美徳」として強いられかねないハメになれば、さらなる人間差別へとつながり、恐ろしいことになる。他の命が救われるのと同時に、立場の弱い多くの人が社会的に殺され利用されて行く危険性に、気づかねばならない。死が、生者の世界にさらなる差別や矛盾を作り出す口実とされてはならない。 (男子)
あのナチならば、そして医学の進んだ現代ならば、何を目的に弱い立場の人を殺戮するであろうかと思うと、この意見、耳を傾けたい痛烈な重みがある。「教室へもぐりこんでくれて、ありがとう」と思わず呟いた。
嬉しいことに、時々、こういう飛び入りの他校生が混じってくれた。東工大の彼に誘われるらしく、常連のような彼女もいた。むろん虫食い短歌にも答え、提題にも答えて行く。 次のは東工大女子。異彩を放って雄弁である。「死」の問題は、想像以上に深く若い魂に食い入っている、それも自分の思索と言葉とを命綱にして。
*1自殺(Y)2脳死(Y)3死刑(N) 自分で死を選びとってはいけないという価値観が、生きることに対しても目をつぶってしまうことにつながると思います。死を暗部にもちこむことによって、生が無限に続くような錯覚を持つのです。いっそ自殺を肯定して、死をまっすぐ見て悔いなく生きて行きたい。「以下、死ぬことに対する私の考え方」です。死ぬことで私の身体は一時、世界になります。私というソフトウェアを持つ以前は、父、母というソフトの動かすハードの一部だったこの肉体は、私が死ねば物質になります。私が欲した他者の完全なる理解を、同化という唯一の手段で肉体は手に入れるのです。(他者とは私以外のものです。)そしてまた、何かのソフトの動かす体にとりこまれ、新たな世界を手に入れるのでしょう。羨ましいです、私の体が。私は、私をしか知ることができないのに、体は、私以外のものをこれまでにも知っているし、これからも知って行くのです。あぁうらやましい。脳死になったら早く解放してあげて欲しい。そのまま他人の理解(移植)に行くのも外界の理解に行くのもいいですが、いつまでも私にしばられているのはイヤでしょう。死とは、肉体の、精神からの解放だと思うのです。(フツーは逆にいうけど。宗教とかでは。) (女子)
精神と肉体。ソフトとハード。短命と永遠。こういうことは東工大だから「教われ」た。
*1死刑(N)2脳死(Y)3自殺(N) 「死刑」について。人の命は神に授けられたとも思わないが、少なくとも故意に人の手で奪われていいものではない。自身の手(自殺)ですらそうなのだから、殺人や死刑は絶対に許されない。子供の頃によく遊びの中で「死刑!」と叫んでいたのが恥ずかしく思われる。罪を犯せば罰は当然にせよ、人の命まで奪う=殺す役目はだれにも与えられていない。罪びとの「自由」と「時間」を奪えば、罰としては十分である。 (男子)
重みとしてみれば「脳死」に圧倒的に人数が集まり、「死刑」「自殺」が続く。しかし所感では「自殺」への発言が「死刑」を越える。
「脳死」への関心の強さは東工大だからとも言え、いちばん冷静に大事に言及されていた。
是認否認、肯定否定の側面からみると、「脳死」は、断然肯定が否定を圧倒している。「自殺」ではそれが拮抗し、ころもち是認派が多いが、「二十歳の青春」はこれを、ほぼ「死ぬ自由」という観点からみて、突き放し気味に許容している。死にたい者にはそう思わせておこう、当人の勝手さという態度で、否定と肯定が裏返しになっている。積極的な肯定は少ない。生は死よりも難しく、自ら死ぬ者を敗北者だと決めつける者も、思弁的に、「自殺」も敢えて「生き方の権利」の一つと数えて是認している者も、いた。「死」の、私性と社会性とがせめぎあっていて、頷きつつ、考えさせられた。
「死刑」では、是認の声のほうが否認のそれよりも、若干上まわったのを、どう読めばいいだろうか。理性と感情との、ここでも激しいせめぎあいが見えた。
被害者の立場にたって実感すれば、死刑反対論はきれいごとに見えるという容認説は、俗説に似て、しかも容易に論破されそうにないナ、といったところが私自身の感想になる。なんといっても、やや気遠いこと、という感じがあり、やや一般論や情報論に流れていたようだ。
三つとも大変重い大事な問題であり、これまでもしばしば考える機会があったし、考え続けているという学生が大勢いた。心強く感じた。
*私は非常に自分が大事です。体面も大事であるし、自分が中心にいないととても残念で、
そうあろうとします。自分にその力がなく、もともと自分が中心にいられないと分かっている場合は、自分を上回る人を素直に認めます。そうでなく自分のほうが能力においても相応しいと身勝手に思ったときは、自分より恵まれ優遇された立場や地位にあるその人を嫉妬します。また自分の全く知らない有名人に対しても、その人柄や人生も知らないでいて、やはり嫉妬してしまいます。それから考えますと、私は私と他人とを比べ、しかも自己中心的に比較して、すこしでもその人が自分より劣っていると思ったとき、そしてその人が私より恵まれた何かを得ていたり注目を集めていたりするとき、私は嫉妬するのです。そうでないと自分の存在は意味無いものになってしまうからです。いつもその人たちよりなにかしら人間的にも才能においても「上」であるというプライド(つくられたものだが)が、崩れてしまうからです。自分のしがみついているものが崩れようとしているとき、人は多く、嫉妬するのでありましょう。 (男子)
*人それぞれに力の限界があるから人は嫉妬する。ただの羨ましさでなくて嫉妬になるのは、手に入れたいものが、自分の能力や努力を超えた対象だと痛烈に思い知らされるからです。単に手に入らない悔しさだけでなく、限界を知らされてしまったやり切れない気持ち。その気持ちが自分の中だけでは消化できなくて、他人に対する嫉妬という形で表面に出さざるを得なくなるのです。 (女子)
*私が嫉妬の気持ちをはっきり認識したのは、小学生の頃、友達が先生にほめられるのを見た時です。私は大体のことは人よりじょうずに出来る子だったけれど、それだけに自分の出来ない事を出来る人に対して嫉妬する気持ちも大きかった。大人になるにつれて自分の才能だとか、容姿だとか、長所短所を少しずつ冷静にみられるようになってきて、嫉妬することも少なくなってきた。私は嫉妬しないのを大人らしい態度だと思い、そう心掛けています。しかし本当は嫉妬することが努力する始まりのようにも思う。 (女子)
学校は順番の社会として作られてある。上に上がいて、望まずして下位に突き落とされる学生も出来てしまう。「限界」の現実が表面的にではあれこう形成されてしまうと、かつてない自身喪失に悩んで落ち込んで行く。入学して来たときは威勢のよかった元気者が、二年生になって「挨拶」という名のメッセージのうえで再会してみると、心配なほどげっそり元気を失っている何人かを毎年識別できる。そしてその逆も歴然として実在する。それでも、そろそろ立ち直ってくれよと思っているうちに、めざましく元気回復、書いてくるものの内容がシャンとして来るのの多いのには、敬服してしまう。
とは言え、こういうことも言えるから、怖い。大概の提題への反応は、学部学生が院生になりまた社会へ出て行くと、それなりに変わってゆくし、変わらないまでも磨かれてゆく。今でも大勢の学生と話し合っていて、そう思う。
ところが、こと嫉妬のサマだけが、いっこう変わっていない。なるほど、二十歳でも六十になっても頑強に人の心を食い破るのが嫉妬か。
嫉妬するななんて言えない。せめて上手に己が嫉妬心に付き合えよと、我が身にも照らしてそっと、いつも、呟いて来たものだ。
*「自由」の意味が把握できていません。「自分の好きなことが出来ること」と考えれば、
単に好き勝手・自分勝手で終わり、人にも迷惑をかけるでしょう。先日、親に、帰宅時間の制限について苦情を言いました。「制限の範囲内で自由にやれることが大切だ」と言われました。ある程度の制限内でしたいことをする・できるのが「自由」なのでしょうか。制限で、したいことが妨げられるのなら、やはり束縛と感じます。「何」から私は自由になれていないか、制限を設けてくる家庭であり学校であり社会だと言いたい、けれど、それらが無くなれば「自由」になれるか。そうは思いません。みな無くしたら、私は何もないところにポツンと一人になってしまう。「自由」とは何か。そもそも、そこからが問題です、私には。 (女子)
およそこの女子学生の「問題」設定が他の学生の声も代弁している。この辺で立ち止まっている。次ぎの男子学生のような理解は、少数というより、ほとんど現れない。
*自由とはただ束縛に対する反義語なのか。満足や幸福といった言葉と同じに、自由の重みは自分を振り返ることでしか掴めない。いま自分は肉体的にたしかに自由だが、精神の自由も持っているか。法のもとに思想の自由は一応認められていても、その内実は薄いものである。英語に「リバティー」といわれる自由の思想がある。与えられた自由でなく「勝ち取った自由」を意味していると聞く。われわれがいま自由として感じ享受している自由はこういう自由でなくて、ただ気儘にできるという、束縛だけを嫌う自由だ。悪しき社会の常識に挑み闘う気持ちよりも、束縛を避けて否認しているだけの自由だ。感情的な自由である。消極的である。そんな生き方を続けたくない。(男子)
*僕は自由ではありません。生まれてからこの方、ずっと「親から」自由になれずにいます。僕が親のことを疎ましがっているように秦さんは思うかも知れません。その逆です。自由とは、僕の中である意味で「独り立ちする」という事です。ずっと僕を育ててくれて申し訳なく、とっても感謝しています。だから成るべく早く親には「僕から」自由になってほしいのです。それが僕の自由になるということであり、そして親の面倒を僕がちゃんと見るということにもなります。 (男子)
ぜんたいに「自分」への関心が強く、偏愛といいたいほどなのが、東工大の学生気質だった。それが大事な間際の「逃げ口上」にすらなりがちに感じられた。「自由」への感想にしても、政治的な自由、人権の自由、法的な自由への言及、また自由の歴史への関心、ほとんど出てこない。不思議なくらい「学生自治」「大学の自由」「教育を受ける自由の権利」についても発言してこない。東工大にはいつの頃からか学生の自治会がなく、私がびっくりしても、そのことに学生諸君のほうでびっくりしてしまうていたらくである。とくに男子学生の「自由」の自覚の質的に低調なことは、寒々しい程であった。
小さいといっては失礼だが、「自分」本位の穏やかに角立たない「自由」への姿勢と享受や不審がたっぷり提供され、私は、いささかならず心配でならない。時代を動かす力は、学生の「自由」への強烈な自覚と意欲であると信じたい私には、物足りない。
*電車に乗っていたりする時、例えば大学に着いたら誰にどんなふうに話そうと、独りで会話を組み立ててしまいます。そして筋書き通りに話してしまうことがよくある。もちろんそうで無い場合のほうが多いけれど、そんな具合に話を組み立てて用意する自分が嫌だと思います。大勢の前で話す時はそれでもいいが、友達とでさえ筋書きが出来てしまうとその通りにしか話せなくて、親しい人の前でも自分を「作って」しまう。嫌だと思う自分と組み立てている自分と、どちらが本物ということもないのでしょうが、その後者の自分から、何としても自由になりたい。 (女子)
「自由」は、蛍の光ほどにまだまだ頼りない。
*私はあと数か月で選挙権を得る。今度の選挙には間に合わないが、間に合ったとしても投票はしないだろう。自分が政治を動かす一員だという自覚がない。あと数か月でそういう意識をもつ自信がない。 (男子)
*私は政治が嫌いです。政治だけする人がいるというのが変だと思います。政治家なんていなくても何とかなるのじゃないでしょうか。いざ何か決めるときは皆で多数決にしてしまえばいいのに。順番で政治家になってもいいなと思います。 (男子)
*僕が政治に関心を全く無くしてしまったのは高2の頃だった。問題はすべて政治家にある。彼らは金の為だけに政治家になったとしか思われない。最近有名人が立候補し当選しているが、あんな政治に知識のない者たちに票を入れる有権者の気が知れない。 (男子)
政治への知性がすこしも感じられない。偏差値教育の中で愚民化政策がかくも顕著な効果をあげ、そしてこういう学生たちが近い将来に日本の中枢部に指導的な地位を得て行くかと思うと、その可能性、東工大という実力ある名門ゆえ十分あるだけに、寒くなる。柳田国男が、いい政治いい選挙の実現にいちばん大切なのは国語教育だ、いい判断力は立派に国語がつかえるかどうかで決まるのだと言っていた。東工大に最も不要なものに思われがちな「文」学こそ、広く科学や文化の真の「要」である重みを、大学当局はあまり分かっていなかった。
しかし、こんな幼稚な発言ばかりでは、ない。
*昨今の革新の衰退は認めざるを得ないが、今の状態で保守へ保守へと雪崩を打つのは恐ろしい。保守も革新もレッテルであったが、革新のたかがレッテルと一緒に、レッテルの陰で主張されていた「よきもの」まで葬り去られていいわけがない。反戦も平和も護憲も、日本人が大事に考えるべき政治的価値であり国民の基本的な立場だと僕は思う。「革新の時代は終わった」の声とともに安易に葬っていいものではない。真実は殺してはならない。イデオロギー論争が本当に終わったと言うよりも、僕は、経済理論闘争が終わったのだと思う。市場経済には賛成する。しかし自由と平和への問いは、護憲の信念とともに大事にしたい。 (男子)
*政治は人類社会の悲劇の源でもあります。政治がなければ人類社会は発展できません。政治的に対立の両方は社会と時代の車輪を動いています。しかし政治の争いは残酷であるため、いつも血と涙を伴っています。それに今日の社会からみれば、政治には少数政治家、政客の掌のおもちゃであるのは事実であります。民衆は政治の実質と核心には触ろうにも触れません。これは全人類の悲劇。ですから私は政治に対して、好きとも言え、嫌とも言えます。この矛盾は宇宙とともに共存していて、我々の宿命であります。 (留学生男子)
*日本の伝統的な美徳に「隠す」という文化があるけれど、これほどの情報化社会では情報をもっと「ひも解く」という開放の意欲が必要だと思います。暗闇の中にある今の政治に公開の光を注ぐことが、国民の目を見開かせることに繋がると思うのですが…。 (女子)
*明治大正昭和に架けられた橋を調べていくと、個々の橋は、コンセプトも業者も発注者も年代も全く違っているのに、現在から振り返って見ると、水の都市東京の、東京湾からの入り口としての「門」を形成している。僕は土木工学というものを、未来を意識した環境整備の学問であり、歴史(土木史)をさほど重くは見てこなかった。それが違っていた。過去の建造物とは全く異なる物を作ろうと意識しても、未来から見てしまえば歴史という大きな流れでくくられてしまうのだ。それが分かった。もっと歴史を学ばねばと思った。以上を踏まえて僕は7月11日に選挙に行かなきゃならない(大変だ)!! (男子)
*政治への視線は国家への客観視がなければ有効ではない。鉄のカーテンで固めていたソ連も、西欧の情報が入り始めて誤った自己の絶対視から脱し、自ら体制を崩壊させた。アメリカの自称正義も中身を見なければならない。パナマ侵攻ではノリエガを、湾岸ではフセインを一方的に悪者に染め上げての正義であったし、その実態は悪魔のようですらあったと言われている。アメリカの正義は概して利権で動く。パナマでは運河、湾岸では石油。ひどい話はその湾岸で日本は金まで出している。国は利益のためには偽りの正義を振り回すことを恥じない。こういう事実の客観視こそが政治への最初の参加を動機づける。目を背けないことが大切だ。 (男子)
*有権者国民の責任も免れない。「生活の保障があれば、面倒な政治になんぞ関わるものか」では、エサと引き替えに飼われた家畜と何の違いがあろう。政治へのいい参加は容易でないにしても、諦め投げ捨てては、歴史の濁流に飲み込まれてしまう。 (男子)
がんばれ、少数派…と言いたい。
* 毎日後悔しないで眠る日はありません。多くは目先のことにとらわれ、深い考えなしに起こした行動によるものです。そしてほとんど活かされていません。良かったと今でこそ評価できる後悔は浪人したことでしょうか。一年半程前に大学を中退し、試験まで三か月強しか無かったのに、一年浪人するのが嫌で私立大学を受験しました。結果は無論全敗で、最後に発表のあった大学に落ちたとき、家に帰ってからずっと泣き通しでした。あのときの挫折感、浪人中の目標に向かっての一途な頑張り、自分の内なる弱さを克服してゆく勇気などは、わたしにとって一生の財産になりましょう。もし浪人せずにこの憧れの大学に受かっていたら、今ほどの充実感はなかったでしょう。大きな後悔には活かし甲斐というものもあると思い、活かして行こうと思っています。 (女子)
*「活かせていない後悔」体験を三つあげます。一つめは中学のときです。僕は野球部で秋の新人戦で投手として初登板しました。エースではなかったのですが、前の試合でたまたま調子がよかったので先発メンバーになったのです。結果は初回に四球と安打で5失点、5回降板で4ー8で負けました。二つめも中学のときです。最後の大会でした。味方が4ー1から4ー4に追いつかれ、ノーアウト1、3塁でリリーフに入りました。その時も味方のエラーやタイムリーヒット等の3失点、結果も5ー7で負けました。そうした後悔をひきずって高校生となり野球から離れハンドボール部に入りました。自宅とは遠く離れた学校で部の友達とのつきあいも自然悪く、皆と一線を隔てていました。そして迎えた新人戦、こっちは二年生、相手は三年生でしたが、ゴールキーパーの堅守で6ー7と1点のビハインド、もう残り5分のことでした。こっちの攻撃で、僕がゲームの組み立て役のポジションに入りました。パスを回して相手の様子を見ている時、味方の一人が相手の背後にスルスルッと回ってフリーになっているのが見えました。それを見ながら僕は別の人にパスを流してしまいました。その時フリーになっていた人から誰にでも聞こえる大きな声で「バカ」と言われました。結果はそのまま1点差が守られて7ー8で負けました。それ以降なにか友達によそよそしさを感じ、あの一瞬で残りの2年間を、それまでは親しかった友人まで失いました。あのセイだけじゃ無かったでしょうが、ソレらが頭にあって僕の方から態度を硬くしてしまっていたのです。以上です。でも、人には「活かされない後悔」があっていいと思います。その分だけ何か心に一種の温度が保たれるのでは、ないでしょうか。 (男子)
*私は小さい頃からわがままで自己中心的だった。そのせいで中学のときに一時的にではあるが友達から仲間外れにされたことがある。全く口をきいてもらえずに大変辛い想いをした。そこでそれまでの自分の言動を「後悔」し「反省」して、以来、周りの人の事も考えるようになった。「活かされた後悔」であるかと思うが、その「後悔」と「反省」とが行く過ぎて、今では周りの人の目を気にし過ぎて自分を主張できなくなってしまった。それをまた「後悔」している。二つの「後悔」の間で身動きの自由がとれていない。結論としても中学時代の「後悔」は活かせていない気がする。 (女子)
*中学一年生の時に友人としたあるけんかは、その後の私の一面を決定してしまいました。
今思えばつまらないことから始まったけんかであったけれど、あのときほどに一つの言葉の重みを感じたことはない。言葉が人を傷つける武器であることをお互い十分知りながら、お互いをぐさぐさに傷つけあって、ぼろぼろになった。人が感情的になるという愚かさをこのときに知った。数か月後に、見かねた友人の仲裁で仲直りし、彼女とは今では離れ難い親友である。私はあの時に自分という人間の弱さのどん底を知って以来、人とけんかをしたことがない。もう何年も私はあのときの経験でずいぶん成長できたのだと思ってきたけれど、裏から見れば、人と、自分をさらけ出してつき合うことを少し恐れるようになってしまっていた気がする。活かせているといえるのか分からないけれど、あのときの後悔は私にとっては忘れ難い精神のこやしになっている。 (女子)
*後悔が活かされるか活かされないかは、その後悔の度合いによるでしょう。だれでも後悔はします。新たな進歩も後悔から生まれ出ることは多いでしょう。ただ後悔を後々までひきずることは、かえってマイナスになります。 (男子)
*あまり後悔した記憶はありません。言ってしまったことへの小さな悔いはありましても、
一晩寝れば忘れてしまいます。後悔を活かす、活かせないという考え方は、後ろ向きもしくは立ち止まった生き方に思われ、あまり好きではありません。 (女子)
「後悔」は無数にするというのも過度であり、まるでしないことも無いはずで、日々に、擦り潰すようにして忘れているのが普通だろう。深海からの泡のように忘れたころに後悔が心の表によみがえって来て、思わず「ムー」とか「アッアッ」とか声に出して喘いで、どこかの暗闇へ捩じもどしている時がある。わたしには、ある。後悔は「一種の体温のような」ものという一学生の表現に、なにか慰められた。