東工大余話 1

             

*東工大生とのキツーい「アイサツ=問答」集 1

*友よ。きみの「挨拶」が、出ているかも。
 

*現在、書き込まれている内容

 まえがき  
 『青春有情』  「序」  「恋」 「結婚」 「さびしいか」 「愛」 「嘘」 「仮面」 「人間」 「脳死・死刑・自殺」 「頭脳・心臓と、こころ」  「嫉妬」  「父へ」 「親」  「親と子」 「家の墓」 「大人の判断」 「もう一人の自分へ」  「日本観」  「孤・病・兵・貧」  「後悔」  「絶対は在るか」  「恥」 「不安」 「損」  「性」  「政治」  「誇れる国」  「無題の感想」  「跋」

 

  
  
 
  * まえがき

  * 国立東京工業大学工学部「文学」教授として、工学部・理学部・生命理工学部の一年生・二年生・三年生対象にそれぞれの講座を開いたのは、もう何年も前のことだが、昨日のことのようにありありと記憶している。ちなみに、先頃亡くなられた江藤淳教授の直接の後任人事であった。教壇に立つことちょうど四年で六十歳の定年退官になるのを、端から念頭に、引き受けた。四年なら、もつだろうと思った。無事もったかどうかはともかく、九十分ずつの講演を週に三回ずつ休み無く続けるのに等しく、講義の用意も経験もなどあるわけもない「作家」教授であったから、工夫を凝らし、ただただ親切に学生に接する以外の手だては無かった。その四年間のことはすでに『青春短歌大学』や『東工大「作家」教授の幸福』(いずれも平凡社刊)『日本語にっぽん事情』(創知社刊)にも書き著わしているが、しかもなお三万五千枚にも及ぶ学生諸君が自ら書いて私に提出した述懐・意見・主張・悲喜こもごもの文章は、むざむざ手元で眠っている。
 いまどきの学生は、青年は、何も語らない、語るほどのものを持ってもいないと、就任の頃にいやほど聞かされて、私はいたく内心に反発した。そんなことの有ろうわけがないと思った。思えば、四年掛けてその反証の山を、学生諸君の言葉で、文章で、築き上げた。毎時間、突然の「質問」に必ず書いて答えて提出して行かせた、講義とは別に、である。われわれは、これを「問答」と同意義の「挨・拶」と謂っていた。ともに強く押す意義である。
 「問答有情」とでも題したい青春の発言・証言を、ただの回顧とはちがう積極的な気持ちで、私は、ぜひ、ここに記録しておきたい。
  なにぶん、しまい込んだ山ほどの資料・材料を掘り起こすようにして進める仕事になる、順不同は今はやむをえない。
           
        平成十一年十一月三日  文化の日    秦 恒平
 
 

  

 青 春 有 情  東工大生諸君との日々

 ー序ー

  いきなり、こんな現代短歌を読んでもらおう。

  読むときは自然に読めど書くときは考へさせられる水( )・木耳   吉野 昌夫

 一字分あけてある。それへ、漢字一字をいれてほしい。
 七八0人の学生のうち、「くらげ・きくらげ」と読み、したがって「母」と正しく文字を宛てたのは、二九人。
 「木耳」を、「きくらげ」と、先ず読めるかどうかが、鍵になる。それで、「くらげ」の出てくる道がつく。
 だが、「くらげ」と察しはついても、「水母」と書けない者もいる。「水月」と書いて「くらげ」のつもりの者もいた、「海月」なら「くらげ」と訓むのだけれども。
 おもしろい歌である。解説つきで鑑賞するほどの問題は無さそうに見える。けれど、「工学部(文学)教授」としては、この吉野さんの歌、けっこう、活用が利く。

 漢字に頼った日本語の読み書きには、幸か不幸か、いわゆる「正書法」も「正読法」も、ない。「くらげ」は、「水母」と書き、「海月」と書いても通用することになっていて、どっちも「宛て字」である。それを、ぜひ「くらげ」と訓ませるというのも、これも「宛て読み」である。「すいぼ」「かいげつ」と読むほうが、文字本来からすれば自然のようでいて、だが、読み書きの世間では「当然」のこととされていないのである。
 そこで、講義初めの学期初めに、学生諸君に、フリガナつきの氏名を提出してもらってあったので、名前や姓の「訓み」にもからめて、漢字を「読み・書き」の、難儀に厄介な「日本事情」について、ぜひ、思い当たってもらうことにした。「文学」の授業の、まさに序の口である。

 日本の「姓」「名」くらい、正しく、ということは、つまり本人がそう読んでほしい・書いてほしいと思っているとおりには、という意味であるが、読まれない・書かれない例は、すくないだろう。もっとも「ギョエテとは俺のことかとゲテ言い」という川柳もあったが。
 姓や名前を「いちども、まともに読まれ・呼ばれたことがありません」と不服な学生が、大教室に、かなりの人数いる。「だれもまともに読めないことに、いっそ満足感をおぼえます」と、ヤケっパチのような者もいる。むりも無い。
 敬称は略と願って、たとえば「要子=やすこ」「誠士=さとし」「章成=あきまさ」「慈子=やすこ・あつこ」「薫太=しげお」「賢稔=まさとし」「勇行=たけゆき」「敢=たけし」クンらは、ふりがな無しでは、たしかに、そのとおりには読んでもらいにくかろう。わたしでも、鎌倉時代の摂政関白なみに「ツネヒラ」さんと名前を呼ばれたこと、一再ならずある。親は、だが、「こうへい」クンの積もりであった。なのに兄恒彦は「つねひこ」さんだった。ちぐはぐな親たちであった。
 とは言え、みな、それなりによく考えられたいい名前であり、現在自分の名前に満足していないと「挨拶」を返してきた学生は、ゼロに近かった。それどころか、親たちが考えに考えて付けてくれた名前は、よっぽど風変わりでも、みな「有り難い」「嬉しい」「気に入っている」と答え、占い屋や姓名判断の本に頼ったり、電話帳などを参考にして、よさそうなのを適当に選ばれたような者は、稀ではあり、しかもご機嫌ななめなのである。
 名前でこうであるから、苗字になればもっと読めないのがある。けれど、もう多く言う必要もない。
 それより、この人の世にあっての、「名」の不思議ということを話してみる。相手は「名」門の東京工業大学という、わたしのような理数音痴の文学初老には見当もつかぬ頭の持ち主たちであり、本学に「合格」と「入学」とを、即「名誉」と現に感じている学生諸君のことに多いのも、直接に、ひとりひとり聞いて、、確かめて、つとに承知であるから、「名」の字の、洋の東西・古今におよんで時に神秘的ですらある現実・事実の重みについて話してみることは、いいイントロになる。有名・無名・汚名・名声・不名誉・名を上げる・名を汚す・名折れ・名乗り・呼び名・いみ名・おくり名・渾名等々から、「名」に表裏する「実」の意味にまで、話して興味深いことは、いっぱいある。「名」の神秘を書いたアーュラ・ル・グゥインの名作『ゲド戦記』の、魔法の世界の根に横たわる「名」の威力など引き合いに出せば、分かりはかなり早い。

 だが、一つの話題に長い時間をさくことは、しない。学年の前半期だけでも、都合20時間ほどは話せるのだから、定めた講義テーマはテーマとしても、良い意味で話題をとりとめなく散らした方がいい。専攻専門科目でなく、ただ単位目当てになりやすい一般教育の講義ほど、学生の集中力を、一見とりとめなげに「取り留め」る工夫が特に必要なのである。
 まして、わたしの学生諸君は、いまも「名」の話を聞きながら、一方で今日出題の詩歌一字埋めも思案の最中だし、今日提題の「挨拶」にもこたえようと、たかだか短冊箋ほどの約束の用紙にむかって、内心の「泥」も吐いている最中なのである。
 いわば咄嗟の詩人にもなり、自分の言葉で自分を表現もし、しかも、本題の「授業」にも耳傾けている。「たいへんです」とボヤきながら、ソレで「心を開放されよう」と願って、おおかた休みなく、授業に出てくる。「楽しい」のでもある。さもなければ、定員二六二名の本学一の大階段教室に、平均して五七0名の学生が毎時間溢れるなんてことは、ない。かなりの人数が立ったままで、聴き、かつ考え、自分の文章つまり「挨拶」を書きつづけている。
「挨拶」という、奇妙な課題のことに触れておかねばならない。
 「挨拶」とは、つまり、問答である。禅問答も挨拶という。こっちは「挨(お)して出る」から、そっちは「拶(お)し返せ」と。さも答えにくそうな事を無遠慮に尋ねるが、率直に返事してもらいたい。返事の仕ッぷりと、詩歌の一字分虫食いを埋めるのと、その二つを、毎時間、当日の授業内容がらみに提題しては、その解答結果の累算で、採点評価する。期末試験もしない,学期内に何度かレポートを課することも、しない。たださえ専門の学問に忙しい東工大各学部の学生諸君に、「文学」「芸術」「文化」の学習で余分の時間を奪おうなど、少なくもわたしは、毛頭思わないのである。授業内容で足りるように話題は工夫する気だし、一分たりとも、授業時間外に学生諸君の時間は奪わない。余分の時間があれば自分の専攻のためか、遊びや楽しみにつかいなさい。わたしのためには一週に九十分くれれば充分、九十分が過ぎれば来週までこの授業のことは忘れていなさい。忘れたようで忘れられないような授業にするのが、わたしの仕事だ。
 そのかわり、時間内には耳も手も頭も働かせて、幾色にも、楽しんでもらいたい。ただし漫然と出席だけしていても、1回1点しかあげない。15回皆勤でも15点。及第の60点には、とても到達しない。つまりは気をいれて休まず参加せよと言ってある。

 もう一つ、言い添えておきたい。
 わたしの授業では、冒頭に『井上靖全詩集』からえらんだ散文詩を、一つ二つ、必ずコピーして配り、朗読して、聴いてもらっている。時間はじめのザワつきを静める目的が大きいが、井上さんの詩は、一年二年と読んでもらいまた聴いてもらって、それで十分だという強い思いが最初からわたしにはあった。井上さんの世界は孤心をはらんで沈毅であり、青春を蔵して詩心は清新に弾んでいる。学生たちのかなり多くが、二年間、なかには三年連続わたしの授業に出る人もいるから、多い人は、百以上もおのずと「靖の詩」を読むことになり、確信しているが、これは知らず知らず若者の心の糧になる。きっと、なる。亡き井上先生への、ひそかなわが供養でもある。

 さてメインの授業ーー大学の他の先生は「講義」と呼んでいるが、わたしは学者でも研究者でもないのだから、そんな口はばったいことは言わないーーでは、何を話しているのか。 
 一年生ー半期ーの大教室では、理工系の学生たちのために、大袈裟にいえば、わたしの持ちえている限りの「文学・文化」的な所有から、日替わりのメニューで「いろんな」話題を、かなり自在に、エッセイ風に話している。それが最もわたしの持ち味であるやも知れず、わたしが東工大教授に就任するという話を聞いて、「ユニークな」「一種の名人事」だと励まして下さった各界の方々は、たぶん、そういうかたちでわたしが東工大生に触れてゆくことに意義を認めてくださったと想像できる。
 小説だけでなく、ずいぶん多くの批評やエッセイを書きこんできた異色を利して授業を組み立てて行くことは、つまりは、それしか、わたしに出来ることはあまり無いということでもあった。
 二年生には「文学概論」という課業を求められていたが、「概論」は勝手に取り外してしまった。東工大の優秀な学生たちに、「文学・学」を授ける意義を、わたしは、あまり実感できない。それよりも文学に、興味と愛とをもって欲しい。そのためには先ず自分自身とよく自問し、自答してもらわねばならない。哲学してもらわなければならない。作品の本文をていねいに読んで、「読む」ということがどんなに楽しいか、また難しいかを悟ってもらわなければならない。二年生は、おおかた学年のなかばに成人する年齢にあたっている。子供から大人への、少年から青年への、微妙な過渡期にさしかかっている。しかも、「数学や化学や物理の本なら、苦もなくらくらくと読めるし読んで来ましたが、小説というものを、かつて一冊も読みとおした覚えがありません」といった学生も、少なからずいる。だからこそ、それではよろしからずと自覚の上で、てわたしの授業を申告しているのである。そんな学生たちに、「文学」の概論や方法論の講義が、どんな意味や効果をもつだろう。
 わたしは徹して漱石と潤一郎の小説を材料に選びつつ、「鑑賞」という学生諸君の暗に忌避しそうな方向を外し逸らして、理詰め大好き人間たちにあえて「論証」を求めて挑みかかるという道を選んだ。鑑賞にたとえそっぽを向いても、論証を求められてニゲを打つのでは、わが東工大生としてはコケンにかかわろう。
 そこで例えば漱石の『こころ』を先ずとりあげた。この作品は教科書への採用度のたかい作であり、おおかたの学生はすくなくも粗筋くらいは承知している。それを利して、いきなり、作中で自殺した「先生」の未亡人「静」と「私」なる青年とは、「先生」自殺後に結婚に至るであろうことを、または、それの否定を、本文に即して正確に「論証せよ」という課題のもとに、漱石文学についていろんな話題をとりあげながら、挨拶というメッセージを通して「論証」や「読み」の成って来るのを待つというやりかたを、わたしは発明した。
 「まさか」という読み筋をつきつけておき、「論破」をせまるというやり方で、結果的には「作品」を、こまやかに深く繰り返し読むところへ誘導するのである。そしてその一方で、作品にからんだ大事な課題、例えば『こころ』でいうなら、金、恋、友、嫉妬、信頼と裏切り、自殺、夫婦、幸不幸、孤独、親子、親族等々について、容赦なく「挨拶」を挑みかけて、それらについて「書いて考える」ということを強いてみたのである。
 潤一郎の文学についても同様である。
 『春琴抄』『蘆刈』『夢の浮橋』など、「論証」をいどむに恰好のアヤのある作品に不足せず、漱石にも潤一郎にも、多年親炙してきて、課題の取扱いには自信がある。詩も短歌も小説も、結局は渾然とひとつに溶け合って、そして「挨拶」にこと欠くどころか、学生諸君の日々の関心に、悩みや呻きにじかに触れ合ってゆくのである。

 東工大教授と迎えられた、わたしはこんな講座を担当してきた。
 一年生対象には総合講義の名目で、前半期だけ、日替わりのメニューで日本と日本文化との、とりわけ隠されがちな論点を拾いあげ、単なる知識におわらせず、「考え続けられる」話題として、問題点を指摘ないし提示する時間に宛てている。結果として十数種、大教室での「講義録」が出来ている。
 二年生には通年で、やはり大教室で「文学」を、三年生には小人数・通年の総合講義をテーマ(花と風、中世の職人像、知と美の日本史、日本的な信仰など)を毎期ごとに選びかえて行っている。

 以下に繰り広げるのは、だが、それらの「講義録」ではない。学生たちとの「挨拶」を主にし、彼らの「言葉と表現」から多くをあらためて良く聴き取りたいのである。     一九九四年 春      工学部「文学」教授   秦 恒平
        
 
 

   恋 ー恋は**ですー

 漱石作『こころ』の「先生」は、「私」に向かって二度ほども言い放つ、「恋は罪悪ですよ」と。また「神聖ですよ」とも。
 わたしの「文学」の教室では漱石と潤一郎とが大事に取り上げられるのは、わたしを知っている人ならすぐ納得されるだろう。
 漱石の場合は『三四郎』にはじまって『こころ』を一つの達成とみる作品群を大事に考え、層々と積み重ねられ塗り重ねられてきた意図や表現の類似点・相似点、また伏線的なものを読み取り、そして自問し自答してもらうことにして来た。
 潤一郎の場合は「芸術家」の人生と作品の相関をベースに、ずばり「性」の問題と小説の構造的美観を「読み」解くこととを大事に考えて来た。
 ま、それはそうとして、「恋」ほど学生諸君の日々を悩ましくもやや雑然と彩っているものは無い。それならそれで彼らなりの言葉で、どれくらい「恋は**ですよ」と断言できるものか、ぜひ聴いてみたいではないか。
「罪悪」と「神聖」とはもう登録済みだから他の表現で謂うようにと、それだけの条件をつけた。所見も求めておいたが、ここでは所見までは紹介できない。なぜなら、たぶん10項目程度にまとまるだろうと予想していたのに、驚くなかれ三百通りではきかない多彩な「表現」に遭遇してしまったのだ。
 参った。
 感心した。
 さすが「恋」ともなると、学生諸君の一人一人が自己流の「恋の託宣」を秘め持っている、この現実。これは重い。説明も解釈も措くしかない。「恋は**ですよ」は省き、「**」の箇所だけ、分別もなにもなくただ列挙してみる。玉石混交などということも許されない、「恋は神聖」なのだから。だから、笑ってもいけない。

* 「恋は、** に相当の言葉のうしろの数字は、挙げた学生の人数である。 

盲目40・大変11・病気9・忍耐9・活力(源)8・生きもの6・本能6・魔法6・人生6・不思議6・苦悩5・戦闘(戦争)5・罪悪5・魔薬(麻薬)5・心花5・若さ4・難しいもの4・自然(なもの)4・駆引4・分からん4・憧れ4・迷路4・一瞬4・永遠3・無限3・悩み3・水もの3・必然3・偶然3・春風3・大切3・束縛3・財産3・孤独3・切ない3・純粋3・青春3・詐欺3・冒険3・水色3・いいもの3・幻想3・革命3・暗闇3・果実2・悪魔2・お天気2・事故2・混沌2・鏡2・狂気2・残酷2・運命2・苦痛2・やすらぎ2・不可解なもの2・試練2・生命2・最高2・つらい2・戦い2・魔物2・危険2・奪うもの2・賭け2・神聖2・夢2・創造2・思い2・楽しい2・真心2・自分勝手2・変2・義務2・秘密2・栄養2・パワー2・無情2・博打2・快感2

(以下順不同に、各1) 情熱・不明・中日ドラゴンズ・突然・生きてること・非情・変換・空虚・電車・出会い・未経験・積木・COME ON・片思い・最も幸せなもの・興奮・唐突・ガン・理屈じゃないン・気紛れ・賭事・変態・欲求・想像・自己主張・自慰・直観・涙また涙・一喜一憂・楽しみ・はずみ・真剣・宿題・狡猾・花・いい・初心・小岩・片道・我慢・宇宙・精神力・一生・歓喜・感動・文学・雷・競争・季節・犠牲・喜と苦の輪廻・悩みの種・信号・素敵・虚言・心の糧・河口・楽勝・白昼夢・勝負・理想・苦楽・難物・思いやり・ベンゼンのスルホン化・余韻・積極・気合・簡単・訣別・印象・一寸先は闇・想い出・成り行き・性欲・勇気・芸術・覚悟・楽しそうなもの・はかない・錯覚・必要・無常・呪文・縁がない・粘りつく重い液体・心の酒・不毛・H 0にMn0 を入れOを発生する反応・見つけたいもの・コンピューター・プログラム・愛憎・胃炎・真実・恋にだけは通用しない力・偽善・記念・泥棒・夢幻・まだ・しない方がいい・三面鏡・生長・音楽・動力・将棋・必修・あいまい・相互作用・フィーリング(感覚)・侵略・勉強・善悪・姿見・雪・雲影・不変・若返りの薬・心・炎・短大・七草・天命・芽感・寄席・興奮剤・悲哀・受験・なすがまま・もやもや・どうにもならん・道草・天国・その次ぎ・遭難・放棄できない我慢・薬味・不治の病・元気の素・心の生理現象・超ブラックコーヒー・人を輝かせるもの・熱演・迷夢・砂漠・宗教・故意・無いものねだり・愉快なもの・きらめき・経験・天文・幻影・付録・たるい・自己表現・光明・勘違い・強い執着・気楽・支配者・早い者勝ち・桜花・時を早める・突然・波・自分を変えるもの・本音・策謀・禁物・旅人・様々・「変」と間違え易いもの・愚か・風邪・無縁・夢物語・双刃の剣・難しいみたい・いつのまにかに…・奥の深いもの・純な感じ・一方通行・一言で言えない・隷属・面倒・愛・独占欲・誤解・青空・毛針・嘘のつきあい・変革・未練・インスピレーション・有限・邪魔・枯れ木・エネルギー源・苦悩の日々の連続・生き甲斐・二人でするもの・山あり谷あり・盛り上がり・心の葛藤・邪道・希望・火傷・台風・虚無・発作・ 分岐路・偽り・台本のない演劇・良いンじゃない・裏腹・波乱・重荷・瀬戸有希子さん・成長・葛藤・優先・挫折・幸福・極楽・美学・全て・正義・オロナミンC・変化・苦行・共鳴・贅沢・ゆるすこと・誠実・直進的なもの・はかない・空気・磁石・お金・野球・燃焼・悩ませ喜ばせ悲しませるもの・心痛・疲れるもの・つ(釣)れないもの・心の支え・宝物・信仰・迷惑・不安定・千差万別・未知の世界・愛へのステップ……ですよ」となる。

 雄弁な「恋愛論」は、古典的なスタンダールのものをはじめ沢山あるが、雑然としてこれだけ列挙してみると、もう「恋の定義」など、するのが面倒な、無用なものに思われる。個々の感性と体験とを尊重し、似たものも、強いては纏めてしまわなかった。
「心花」は、当時流行りのコマ・ソングの題らしい。
「小岩」や某「短大」辺りには、思し召しの相手がいるというのだろう。誰それと、大教室に入り交りの固有名詞の出てくるのは、直接的で、公表しかねるのが、お気の毒。
「芽感」が分かりにくい、性的な感触なのか。性的な「恋」の印象、かなり濃厚に察しられる。体験のうんと進行している者あり、テンとして奥手な者もいる。憧れて待っている者もいる。
 化学的な表現になるとわたしの理解は届きにくく、慣れない器械で表記もままならないが、そうなると、ついエッチなことを言っておるらしいぞと疑ってしまう。初老不満のひがみである。
「寄席」とか「七草」というのは、いろいろあるという意味か。「野球」は先が読めないのか、目下野球に恋していると言いたいか。
「迷夢」など、そのまま恋の小説の題にしたくなる。「毛針」とは辣腕の感じでこわい。二十歳前後の学生たち、なかなか「分かっている」「知っている」と認めざるをえない。
「同棲」に憧れるだけでなく、現実に「異性の同居人」と暮らしている学生を、幾組も知っている。わたしには隠そうとしないし、進んでその日々を話してくれる、ただし、「挨拶」というメッセージを通してだが。大学の首脳や同僚教授たちに、本学にも同棲者はけっこういるんですよと話しても、「まさか」と信じない。わたしが学生に「おちょくられて」いるのではと嗤う人さえいた。思えば専門の教師の大半は、せいぜい数十人単位の学生しか知らない。二年半でのべ三千人以上と直接に対話しつづけてきたわたしの比ではないのだ。ちなみに、わたしを「東工大の神父」のようだと表現した学生がいた。信じられないほど、率直に本音で本当のことをみな書いて告白していると保証してくれたのだ。
 学生たちは、嬉しいにつけ悲しいにつけ「恋」について、いつも、語りかけたがっている。それは、通常の挨拶のほかに、唐突にメッセージに書き添えられてくるので、纏めては拾い出しにくいが、それだけに、その時その時の待ったなしの声であり言葉である。とくに、好きな人に「告白」して「思い」を届け遂げたときは、手放しで「人生最高」の感激と歓喜とを、まこと、あらわに告げてくる。「彼女」にはかたく口止めされているので仲間の学生たちには話せないのだが、言いたくて言いたくて堪らないと「秦さん」にだけ告げてくる感動の場面など、じつに雄弁に詳細に描写される。音楽もあり、車の中であり、雨もふり、海岸でもある。筆に初々しい爆発感があり、こっちまで上気してくる。嬉しいものである。つづくといいなと、祝福してしまう。
 学生の恋を、わたしは、むろん受け入れている。まじめな恋ならば、たとえ成らずともものの本の何十冊にもあたる痛切な学習になる。性行為についても、もう、押し止められる時代ではなく、ただ、子供だけはうかとつくるなよと言っておく。それとワルい病気には絶対に注意しなければならないとも。但し、それは男子学生に言うことで、女子学生には、極力慎重に、言われるままに心弱くは身を許さぬようにと言う。ちぐはぐな感じだが、わたしにも出来るその辺が限界だと思っている。

「友」を求める声は、切ないほど、数多い。が、「友」にも、もはや「無性の友」と「有性の友」との、事実上の混在が出来上がっている。学生たちが「付き合う」という言葉を用いている時、ほぼ「性関係」が前提である。またかなりの率で「性的交際」が実践されている。かつての少数派は、確実に今は多数派と変わっている現実に応じて学生を理解していないと、教師は滑稽な時代錯誤に陥り、ますます学生との間の亀裂が増すであろうことを、大学当局はよく心得ていた方がいい。
「付き合い」はじつに、しかし、はかないとも見えている。
「夢」のように「永遠」の「幸福」に酔っていた学生の恋が、半年ももたずに「別れました」と来る例、けっこう、多い。いや続いているほうが珍しいのではないかと思われるくらい、「付き合って」いた二人が急に「付き合いをやめ」てしまう。こうなると「恋」「恋愛」の実質が、甚だ危ういものになる。「恋」の能力を欠いていて、だから「付き合う」という言葉で「あとくされ」なくしようとしている感じである。「離れる」予感に傷付かないために「付き合い」をし、そして「付き合うのをやめ」ている。「恋」不在で「付き合い」ながら、恋していると思いたがっている。 
 そうかと思えばもう「結婚」を口にしているカップルも、いるのである。
 どっちにしても、慌てるなよ、急ぎ過ぎるなよ、と言いたくなる例もある。
 教授室にかなりの学生が話しに、休みに、相談に来る。来始めると馴染んで、何度でも来てくれる。常連が出来て行く。相談の半分は「恋」というより「付き合い」の悩みである。あとの半分は大学に「適性」「不適性」の悩みである。裏返せば孤独なのである。いくらかは「家庭的な」悩みをただ聴いて欲しくて来る者もいる。
 わたしは、どんな学生とも、ゆっくり話す。歓迎して話し合う。それ自体が作家であるわたしへの「教授報酬」であることをね有り難く自覚している。「取材ですね」と言われれば頭を低くし、否定はしない。学生の「恋」や「付き合いの悩み」を聴いていると、時に頬笑ましく、時には、自分も、いくつになっても恋をしたいなと、つくづく思う。
 
 
 

  結 婚 ー結婚とは「* *学」であるー

 まだ二十歳前後の学生にも、結婚は、現実味をもって近づきつつある課題のようである。
時機至らずという年齢には相違ないが、具体的に身辺に迫っていることはたいていが認めている。結婚はおろか子持ちですらある高校時代の友人を語る学生などは、かなり厳粛味を帯びた事件であると自覚している。
 自身のことでなくても、きょうだい・いとこらの例、ことに両親の結婚生活ないし夫婦生活から「結婚」という人生の一大課題に相応の見解や感想、希望や不安をもっているのは、むしろ自明で当然のこと、もっていない方が不自然で、心おさないとも言える。
 具体的に体験したからものが言える、その逆では言えないと、いちおう尤もらしい理由で述懐や表白を避ける学生は、どんな提題の場合にも、いる。そういう屁理屈は通らない年齢にわたしの学生たちはもう達している。体験しなければものの言えないような、ものの考えられないような成人では心許無い。対応ということが、ともあれ出来る、それを求めるのがけっして無理とはいえない「東工大生」だと、無意識にもおおかたの学生は心得ているから、つよい「挨拶」にも応じてくれるのである。まして「結婚」について何も考えられずに二十代を生きて行くわけにはいかない。
 結婚できるだろうか、相手に出会えるだろうかと、とくに男子諸君は真剣である。なにしろ圧倒的に男子学生が多く、かつては十六倍とも聞いた。いまでもとても十倍ではきかない、ただもう男、男、男のキャンパスである。出会いに不利は否めず、熾烈なものがある。学生の少なくも九割前後が大学院にすすむ東工大は、もともと「大学院大学」の性格が濃い。やがて公式に大学院大学へ発展するであろう体制も着々すすんでいる。そうなればますます結婚相手との出会いを学内でだけ求めるのは難事となろう。しかし誰もがそこを打開する妙手をもっているわけではないから、必要以上か以下かはべつとして、かなりの不安が潜勢・先行している現実は、だれがカヴァーするのかは断定できないが、大きな大きな問題であるには相違ない。
 さて「結婚をどう考えるか」などという質問では食い付いてもらえないだろう。ことに東工大の学生は、いくらか「理」にからめ、かつ興味ももちやすくて一種の気負い心・競い心をかきたてられないと乗ってこない。だから「挨拶」なのだ、挨拶にはもともと挑んで押す・押し返すという意義がある。

* 「結婚」を学問分野に譬えるなら、あなたにとって、結婚は「**」学か。

* 「数学」 しかも世界中に理解できる人は数人しかいないという超高等な数学。
  ?全然現実にうつす気がない。(私)
  ?超難解で、一問が一生の問題。(公)
  ?一箇所ミスると芋づる式。
ってところでしょうか。?は私見です。現実味ないうえ結婚する気がないんですね。結婚とは社会制度の一つです。しなくて幸せになる人もいるし、できなくても欠陥人間みたいに扱うのは変だと思います。社会制度はその社会のためにあるもので、個人のためにのみあるわけではないのですから、そうも制度にこだわったりしばられたりする必要はない!自分が幸せになればいい。結婚して幸せになれるならすればいい。
 だから、とりあえず数式のように紙面から現実へ応用できるかもしれないが、そんなことしなくても生活できるといえばできる。結婚=男女という公式があっても代入する値が違うので、答も、千差万別である。
 一時期流行った歌に、「私にはスタートだった、あなたにはゴールでも」という、妻が夫にむかって云う歌詞があります。これは結構女の人にも多いのですが、「結婚さえすれば幸せは無条件に増える」と思ってる人がやたらにいる。嘘だ…と思うことこのうえない。「無条件なら幸せは減る」んじゃないでしょうか。親との関係を考えればわかるように、生活パターンがそっくりでさえ、衝突します。
 結婚に限らず、人間関係の安定は、「あなたと私は理解しあえない」と理解する努力が土台になくては始まりません。そしてそれは忘れやすいから、努力して憶えなくてはいけないと思います。たとえ相手が誰であれ、まずそのことを理解してくれる人じゃなくては、私は絶対結婚しないでしょう。結婚は「正しい」ことじゃない。現に古代じゃ一夫多妻があった。単に「制度」なのだ。皆、一度、結婚が唯一の男女間の愛情の成果だと考えるのをやめてみよう、きっと何か変わるから。(私、SFファンなもので。SFって、結婚は必須アイテムじゃないんですよね。その存在すら忘れていること多くて、私もそうなんです。実は) ル・グゥインの『闇の左手』はよいですよ。 (女子)

* 「天文学」 先生は1992QB1というものをご存知だろうか。今年(平成五年)の3月に、「ネイチュァー」という雑誌で発表された、冥王星のさらに外側で太陽を回る小惑星である。冥王星の発見から数十年たって、また太陽系が拡がったのである。
 このちっぽけな星くずも、冥王星や太陽と互いに力を及ぼしあって動いている。そして太陽系も銀河系の中をゆっくりとーー時速で表わすと「超高速」なのだがーー動いている。これらの動きはすべて必然であり、おこった事はすべて数字で説明できる。しかし、過去から未来を予測できても、断言はできない。さらに新しい発見があれば、今までの 事実がすっかり変わる。一万年と言っていたものが百万年になっても、不思議はない。
 結婚も、似てはいまいか。
 当事者同士の意志とは言うが、実際には大勢の人間関係の中での必然として、出会い、魅かれ、愛し合う。後からそれを説明できても、予測はできない。決意さえ、何かあれば変わってしまう。まるで手に負えない。さらに、天文学は決して完成しない、真上に 空がある限り。結婚も、結ばれた後の生活まで考えるならやはり一生終わらないだろう。オリオン座のペテルギウスは太陽の550倍である。幼い頃知ったこの数字をなぜか忘れられずにいる。これが何年後かに5万5千倍に改められたとしても、僕はオリオン座に憧れ続けるだろう。ちょうど、ペテルギウスを教えてくれた幼ななじみに憧れるように…。 (男子)
 

 この男女二人のメッセージだけでも、いろんなふうに二十歳の結婚観についてものが言えるだろう。女性は『ゲド戦記』の著者であるすぐれた現代作家「ル・グゥイン」に触れ、男性は「幼ななじみ」へ今なお憧れる気持ちを伝えている。この辺にも曰く言いがたい教壇のわたしと一人一人の学生とにだけ分かりあえる「内緒ばなし」のようなタッチが出ている。「数学」に譬え「天文学」に譬えて「結婚」を考えているそのスタンスの微妙な差異と重なりにも、また紛れない東工大生の選択や判断や,背後の意識がうかがえる。ともにかすかに結婚への不安を漂わせつつ、女性は厳しく、男性は出会いを静かに求めている。
 

* 「文学」(座右の一書を選ぶような意味で。) 読書も結婚も作品や相手は自分である程度選ぶことができるし、自分で選んだ「作・人」とは大切に接することだろう。じっくり選べば、じっくり付き合えるだろう。しかし装丁や文体、外見や物言いを毛嫌いしてあっさり見捨てることも、逆に、装丁や外見で雑に選んで内容を問わなかったため傷ついたり不快になったりすることもあろう。他方、作品も人も自分で選ぶとは限らない。親や友人先輩から勧められ、世間体のため適当に良いといわれるものを選んでしまうかも知れない。個人の好みによりそれぞれの対象を選んでしまうことの多い点でも、結婚と読書とは似ているが、より良いものやより普遍的に良いものの存在も否定されない。結局自分は自分でじっくりと他人の意見に惑わされること無く、大切な作品・よい人を見付け、生涯大事な伴侶として守り、また支えられたいものである。 (男子)
 

 より良い、より好きな本に出会えば。この学生の準え方から「離婚」「再婚」の理屈も導き出せるようで、おもしろい。
 

*「建築学」 まず材料力学。相手、自分をよく知って、どれだけ強いのか、どういう性質を持っていてどう使えば最適なのか分析しないと、一緒になんか暮らせないでしょう。知らない方が良いこともありますが。
 次いでそれをどう組むのか、構造力学です。どこまで大きく高くして行けるのか、結婚の成功もそれにかかっているでしょう。
 また建築設備学。家も家庭も快適でなければならず、環境設備学ともいいます。夫婦の暮らしにも大切なことです。建築史も関わりますね。結婚ということの歴史的な理解もさりながら、互いのここに至る背後や基盤を知り合うことは大切な手順です。
 いよいよ建築計画が物を言い始めます。将来への覚悟を定め不安材料は解消すべきです。そして意匠・デザイン。味わいある豊かな生活に、変化もなければ、長続きしません、これが難しいです。
 他が必ずしも参考になるかどうか。こういう検討があって初めて、製図がはじまります。 他にも建築心理学、建築人間工学なども関わります。それらをみな頭にいれて製図します。綿密に図面上で計画します。そして種種の状況・条件が調った所で施工します。
 しかし結婚という建築はどの段階で完成するのでしょう。と、まあ計画大事と言いましても、実際は勢いや感情でやっちゃうのではないでしょうかね。 (男子)
 

 また断って置くが、これは宿題でなく、授業が始まるとすぐ挨拶の題が示され、授業が済むと提出して行くのであり、提題はいつも突然で、準備はできない、みな咄嗟に書いている。言うべきことを、つまり学生は自分の言葉で確かに持っている。だからこうして書けるのである、授業の本題を聴きながら。「ながら」勉強は受験戦線に勝ち抜いてきた彼らの特技と言える。そこに、言葉はわるいが、教授はつけ込んでいる。
  次もなかなかの説得力である。

* 「有機化学」  に、限ったことではないが、「反応」は一つの物質だけでは殆ど起こらない。大部分「あるもの」と反応して、新たな物質をつくり出す。その反応する「あるもの」も様々で、生成物は「それ」によって大きく異なる。結婚も同じで、もともと在る物質を自分とし「あるもの」を異性であるとすると、そのパートナーによって人生は大きく変わってしまう。人生、いろんな人と出会うことで自分が成長し変化して行くのも同じだ。
 また、「あるもの」が同じであっても触媒や温度、pH等によって反応が起こらなかったり、まるで違うものが出来たりもする。これは環境ーー例えば金銭やセックスの相性等ーーによって離婚に至ったり裕福に暮らせたりするのと似ている。 (男子)

* 「数学」 結婚とはただ単に愛し合う男女の唯一の定型とは言えない。その背後には社会的・経済的な無数の制約条件がある筈だ。ただ条件の根底には少なくとも愛情が在るはずである。愛情は結婚成立の十分条件の一端を成している。結婚して二人で成し遂げねばならない問題も多数ある。しかし問題解決に可能な方法や条件を見付け出すのは、夫婦二人だけとは限らない。解決に導く要件の数も、ケースバイケースではあるが、それらの変数の数だけ適する条件を選ばないと真の解決は難しい。こうしたn元n次方程式をつくりあげることで、ある一つの解が出てくるのでは? そうして出来たn個の解の集合が幸福を形成するのではないだろうか。即ち、結婚とは、二人でもしくは家庭で「幸福」という命題に関して、与えられた十分条件に基づいて、無数の解(必要条件)を発見しようとする学問(=数学)と言えよう。  (男子)
 

 数学落第教授には頭が痺れるが、分かって来そうな気もしている。
 こんな挨拶は一つの知的遊戯で、実感はないのだ、無意味だという非難もありえよう。だが二十歳の学生の何が「実感」かに性急な結論の必要はない。これは自分の言葉と思い出の、少なくも不誠実ではない「反応」であり、反応の「機会」を捉えてのそれ自体体験であり自問自答なのである。彼らは小さな結び目を生んで、そしてまた先へ歩んで行く。結び目を自分で結んでみることは、大切では無かろうか。
 

* 「経済学」である。 その相手といることがどれだけ自分にとって利益となるか、相手の将来性はどうであるか、それだけで無くその相手の性格・容姿・知性・センスなどを、すべて或る数字に置き換え、合計の高い人が、結婚相手として最適といえる。またその価値は一刻一刻と変化して行く。恋愛と結婚とは全く別のものであると考えているので、結婚相手はお見合いで決めるつもりである。その方が冷静に判断できそうだと考えるからである。恋愛感情は長く続かないので計算には入れない方がよい。 (女子)
 

 凄い!多くの未婚男性ロマンティストは、書き写してシカと頭に入れておくことだ。
 

* 「経営学」 結婚は、二人の幸せの「最大化」を願うものではないでしょうか。好きな人と一緒になってもいろいろ大変なのかも知れないけれど、それは幸せになる努力を行っているからだと思います。「利益」を「幸せ」に置き換え、「苦労」は「最適解を求めている」つまり経営学ですね。
 ただいま少し個人的な感想を言うと、結婚は「雑学」とか「体育」というイメージがあります。つまり結婚って「何でもアリ」だし、協力・チームワーク(家族)などが必要だと思う。ちなみに、「経営工学」はなんとなくセンスがあっておもしろい学問ですよ。 (男子)

* 「化学」 男と女という分子が反応して新しい物質をつくるわけだが、その分子も活性なものや不活性なものがあり、よく反応するものや単体でも存在できるものもある。また新しく出来た物質にも、何かの刺激ですぐ分解するものや、かなりの強い刺激にも耐えて分解しないものがある。自分と最も強い化学結合のできる人を探すのが結婚の本当の要件だと思う。 (男子)

* 「工学」 けっして「理学」ではない。理学は物事のなりたつ過程・原理を重視するのに対し、工学ではその結果・応用が重視される。結婚は過程がいかに幸せであっても結果として離婚に至る人もいれば、逆の人もいる。ましてや人を好きになるのに原理など存在しないと思う。存在するとしても解析は不可能である。ただここで言う結果は、離婚しない限りはその一方が死亡する瞬間まで分からないと思う。いつも喧嘩ばかりしていた夫婦だって、その一方の臨終に直面して互いに「あぁやっぱりこの人と結婚して良かった」と思えた夫婦ならば、結果は間違いなく良かったと言えるのではないか。結婚とはこの結果を出すことにあるのではなかろうか。過程は結果から見ればちっぽけなものにしか思えない。だから結婚は「工学」だ。 (男子)

* 「音楽」 ハーモニーですね。調和がとれていい音が出せてる状態が「幸せ」ってものでしょう。たとえ相手が哀しいときにも、それに合わせて曲を奏でることができる、それが「愛」だと思うわけです。二人で力を合わせて一つのものをつくりあげる。一人一人が勝手なことをしていれば、うまくいくものもうまくいかないでしょう。私は結婚とはそういうものだと思うわけです。ただ相性の悪い楽器もあるでしょう。 (男子)

* 「医学」 なぜなら結婚を「手術」に譬えた場合、手術は成功して幸せになることも失敗することも、さらには心に傷をうけ後遺症となることも、あるからです。また、溢れるほど先人の手段(恋愛、結婚など…)に関する実例の情報があるにもかかわらず、自分の結果は、実際にやってみないと分からない。他の学問では実験に失敗したところで、せいぜい機器がこわれる程度でしょう。 (男子)

* 「農学」 同じ「つくり出す」でも工学のそれとちがうのは、つくったものに命があることだ。必ずしも子供だけをそう言うのではない。二人の心、精神面に生まれた変化にも命があると思える。それらは決して無機質なものではない。一人歩きができるようなものだと思う。そのようなものを扱うのは農学だと考えた。逆に離婚はなにかと考えると、農学にも工学にもなりうる。場合にもよるが必ずしも破壊行為ではないと思う。離婚に依って新しいものが出来上がる可能性もある。それに命があるかないかは状況によるだろう。 (男子)

* 「語学」 結婚当初は初めての事ばかりなので、覚えることが多いでしょう。日常的なことも相手のことも。語学も最初はとりあえず単語を覚えるでしょう。或る程度慣れたら今までの知識の応用になります。でも例えば語学で、文脈により単語の意味を変えて行かねばならないように、その場その場に合わせて対応の仕方がちがいます。また「語学を極めた人」というのは存在し得ないと思います、結婚と同じように。かなりレベルが高くなると、もうどちらが正しいかとも分からなくなるでしょう。「違うのと違うやろか?」 (男子)
 

 参りました。「違うのと違うやろか」は日本語を語る秦サンのお得意のセリフなのだ。それにしても「恋」をさせるとおどおどした学生諸君が、なんとハツラツとわが田に水を引くことだ。ぜんぶ紹介できないのが残念で、おもしろいのをいっぱい拾いかねているのは確実。東工大だなぁと頷かせるものが多い。文系の学生ではとうてい出てこない学問に、適切そうに譬えられてあって、なかなか教えられる。なんだかちょっと安心したりする。
 仕方がない、どんな学問に譬えられたか、どんな学問に多く譬えられたか、列挙しておこう。たしか「97」学種ほどもあったと覚えている。即ち、
「心理学 31人」「文学 17人」「経済学 15人」「社会学・社会工学・社会心理学 15人」「哲学・超自然哲学 14人」「数学・数理学 11人」「化学・有機化学 10人」「建築学・地質学・建築心理学 10人」「芸術・美術・音楽・美学 9人」「人間学 9人」「天文学 8人」などが多い方で、あと、統計学・確率統計学・確率学、医学、応用人生学・人生実験、歴史学、生物学、法学、物理学、工学、トポロジー、雑学、語学、政治学、宗教学、倫理学、家政・生活学、社会人間学、人間関係学、精神分析学、経営学、遺伝学、生化学、生態学、などが複数でつづく。1票というのも変だが、一人だけが挙げた多数の中には、珍な学問?も混じっているけれども、それでも、論理学、教育学、考古学、体育学、文献学、制御学、道徳学、人類学、農学、量子力学、動物学、情報学、理論物理学、耐久学、気象学、機械工学、分析化学、行動学、振動学、カオス工学、設計学、宇宙学等々、もっともそうな学問で「結婚」が巧みに譬えられている。いずれも一目、何を言いそうか分かるものが多く、しかし解釈をぜひ聞いてみたいのも沢山有る。
「強いて譬えれば」と、強って、尋ねてある。むろん「強いて」するしかない道理だが、この断りをしておかないと、アホくさくて、こんなには応じてくれなかったろう。「強いて」とねじ込まれ、「仕方ないナ」「考えてみるか」となれば、あとは東工大の学生諸君、本気で考えはじめる。これもまた一種の「論証」「論考」「論策」の課題と化し、知的関心と化合するのである。
 むろん、これらの論や観をあまり過剰にとらえてはならない。何といっても「強いて譬えて」いるのだから。しかも思わずかなり真剣な実感を混じえていることも、やはり、疑うわけに行かない。自分の感想と言葉とで、既成の「学問」への理解や関心も露出してくる。「結婚」という、未知ではあるが近未来の重い現実にも身構えている。そこに何か読み取りうるものが、有れば有るとは言えるだろう。「結婚」にも「学問」にもみな予想以上に真面目な視線を送っているのである。
 
 
 

  さびしいか

「さびしい」気持ちの表記には「淋しい」「寂しい」が普通につかわれる。「寞」も「寥」もある、が、たとえば夏目漱石であれば「寒しい」とも書いている。漱石文学の「宛て字」には、それだけで一課題たるを失わないーー無造作で、工夫とも趣向とも見えるがやはり無造作なーー特色がある。それでも教室で素材にしている『こころ』の場合など、この「寒しい」は「さむしい」でも「さびしい」でもありつつ、無視しがたい「表現」となっている。学生諸君もそれは心得ている。
 だから、「さびしいか」という唐突そうな問いにも応じる心用意ができている。(黒板には便宜に「寂しいか」と書いて示した。)
 
そうはいえ、普通われわれは面と向かって「さびしいか」とはあまり聞かれないし、自問自答にもあまり馴染む問い掛けではない。いくらか虚を突かれた気分で、だから素直に顧みて、率直に答えてもらいたかった。
「寂」には、しづかにひっそりと人声をきかぬ、ないしは、むなしい、また、死ぬといった字義が含まれ、「淋」には、水をそそぐ、水のしたたる、また、長雨の意味がある。さらに「寞」にもしづかでひっそりの意味があり、「寥」にもむなしくて、しづかで、うつろに奥深く、ひろい語意がある。「さびしい」ときはおよそこうした感じを複雑にもつわけで、心寒い、寒々として孤独な思いもしたたかに感じる。「孤独」「孤立」といった実感には、むしろ「寒しい」と書く方があたって来るから無視できない。「さびしいか」と問われるのは、つまり「孤独」や「孤立」に陥ってはいないかと問う意味も確かにあるからだ、いや、殆どその意味だからだ。
 言い換えれば漱石の『こころ』は、孤寂・孤立という人間本然の「苦」に直面し、それと葛藤し苦悩し、しかもそこから脱却して人生に「新しい命を宿す」希望を、若い人に与え訓える小説だとさえ言える。そうでなければ、そうそう人を深く永くひきつける力はもたない。
 ところで、この「さびしいか」との問いに、この日、もう一つの問いを咄嗟に重ねてみた。有意に連絡するとも思わなかったけれど、聞いてみたい衝動があった。即ちわれわれの「一生」を、通例の一学年度(四月一日から翌年の三月三十一日まで)と譬えたとき、二十歳前後の青春期にある学生諸君一人一人が、実感において、「今、何学期の何月何日ころを生きていると自覚しているか」と。だが、これは無理に答えなくてもいいと、付け加えた。答えた人数は、だから、少なめになっている。
 この、もう一つの問いの結果を、ほぼ明かしておこう。
 四月が9人、五月が30人、六月が41人、七月が38人、八月が30人、九月が9人。六、七月を高い峰に、きれいに山なりに裾を分けている。そして十月が5人、十一月が1人、十二月に4人、年を越えた一月に1人、さらには年度を越えて二年めの五月一日とした者が1人いた。
 各人とも月単位に大雑把に答えた者はなく、一番人数の集まった「六月」を例にあげると、一、二、三、初め、六、七、八、九、十、十二、十四、十五、中旬、十七、十九、二十、二十二、二十三、二十五、三十日と、じつに小刻みだった。四月一日、三日、十日といった若い時点をあげている者もいた。
 自分の過去二十年間の歩みを評価しつつ、現在時点を年度初日の「四月一日」というのは、「これからの人生」という謙虚とも意気軒昂とも読める表現だろう。四月五月とする学生には元気な声がひびく。
 六月には「梅雨」の感じを加味した声が混じって来るし、八月には「夏休み中」という、この際判断に微妙なものの混じる自覚がある。
 九月十月十一月などというと、生き急いでいるような、やや悄沈したような、「さびしい」愚痴もかなり混じる。ちなみに私は、あと二年で六十歳定年だから、学生の三倍も年寄りなのだが、実感的希望、希望的実感としては、定年で大学をやめる当日を即ち「文化の日」つまり十一月三日、まだ二学期を半分ほど残しているようでありたいと、そういうふうに話すと、概ね是とし諒とするようなざわめきが沸いた。
 わたしの実感では二十歳の学生諸君が、もうすでに八月とは早すぎる、七月でも早い、そんなに慌てないでと言いたいのであった。
 必ずしも、この反応と「さびしいか」という問いへの反応とは連動していない。「さびしくない」と強く答えた者が23%、「さびしい」と答えた者が77%という割合は、双方が、またさっきの山なりに、きちんと釣り合って分布していた。
 

* 今日、先生が黒板に「寂しいか」と書かれたとき、思わず、どきっとさせられた。昔は本をよく読んでいたが、最近はあまり読まなくなっていた。しかし昨年の総合講義で漱石の『夢十夜』を読み、本年前期授業で『こころ』が取り上げられて本屋で何となく買って以来、八月からいままで、いろいろな漱石の本を読み、自分の中に新しい世界が広がって行くような、新鮮な気持ちになることがある。形容できるものでなく疑問の形でである。特に『行人』の中の一郎の心を考えることが最近多い。僕自身、人といろんなことを話して意志が疎通していると思っていても、それは「情報」であり「真意」ではないさみしさを常々感じる。
 結局人は自分の中の世界をあたため、外には「つきあい」用の自分を用意している気がする。自分の自己を守る方法であるかもしれないが、僕はそこからも社会自体への悲壮感をもたざるをえない。一郎の「君と僕とはどこまでが通じあっているのだろう」といった苦悩にふれると、彼の心に僕の一部と共通したもののあることを切に思う。本当の自分を相手に理解されないさみしさを持ちつつも、本当の自分は出したくない矛盾が僕にはさみしいし、これからも重荷になると思う。 現在の自分の位置は、7月23日。 (男子)

* 前期のあの人数からすれば少しは落ち着いた教室になるかと期待したが、そうは問屋は卸さなかった。私語したり漫画を読んでいたり他のレポートを書いていたり、前とそうは変わらない。しかし彼等のメッセージ(挨拶)は、いつも誰のもすばらしい。彼等は授業に真面目に対応しているのだけれども、互いにアホを演じて、まじめだの暗いだのという評判をとらないように努めているのだ。そうして周囲と馴れ合いつつ、内心ではまじめにいろいろ深く考えている。常に、自分の本当のところは、或る歯止めで外へ漏れないよう、漏らさないようにしている。そして、そんな気をつかわずありのまま接しあえる相手を探しているのだ。秦サンの読んでくれる学生のメッセージを聞いていると、それが分かる。みな寂しいのである。この人口密集著しい東京で、ありのまま接しられる相手と出会うのはむずかしい。 自分の現在は、 8月3日。 (男子)
 

 顧みて他を語るかのように、内心を見せている。これも二十歳の知性の一特徴である。
 

* 普段の生活の中で寂しいと感じる事はない。しかし、昔、「あるとき」だけ、とても寂しくなった。中学2年の夏、海で友達と素潜りをして貝(アワビ、サザエ)を取っていたときのこと。夢中になって沖の方へ方へと潜っているうち、いつか友達とはぐれ1人ぼっちになっていた。深くて足のつかない所で、周りを見れば黒々とした岩場に取り囲まれていて、陸の方が見えなかった。誰の声も聞こえず岩場に打ちつける波の音がとても恐ろしく思えた。ガーンというようなショックに襲われた。「海と比較して、なんて自分は小さく弱いものなんだろう。」僕は急いで陸の方へむかって泳いだ。そのとき求めていたのは、「人の声」である。ただ「人の声」が聞きたくて大急ぎで泳いだ。このときほど自分が弱くさみしく感じられたことはない。 自分の現在は、5月末、だろう。これから院試、次いで就職などと続く人生の6月雨季を迎える。そして結婚するころは7,8月だ!
そのあとは冬へ、死へ、と向かうのみ。 (男子)

* 寂しい。先ず、月並みだが彼女のできないのが非常に寂しい。かなり痛い。たえず求めているわけではないが、ふとした時にとても寂しくなる。べつにSexを望むのではなく、街のアベックなどの楽しそうにしているのに憧れを感じる。(まぁ悶々とすることもあるが。)
 しかしこのような異性への寂しさ以上にずっと気になるのは、同性に対してだ。自分には親友と呼べる友達がいるのだろうか。これを考えると寂しいどころか、こわい。悲観論者ではあるが性格は明るい方で、むかしから遊び友達やふざけ友達にはこと欠かなかった。しかしクラスでも変わればそれっきりになった。大学生になって、昔の友達はと周りを見ても、ほとんどいない。なんで交流がつづかなかったのか分からない。自分を正当化して、「ばか話ならともかく、価値観のちがう者とは無理だ」などと考えたりしていたのだ、今思うと自分を何サマのつもりでいたかと悔やまれる。
 幸いこの大学へ入って、周りに気の合う沢山な友達がいる。ほんとうに大事にしたいと思いつつ、また、気がつけば一人も残っていなかったりするかと先のことを予想すると、寂しいどころか、こわいのだ。彼女ができないのだって、自分から求めていかないから、努力がたりないから、かも知れないのだ。それなのに悲観的になって努力の前に諦めていたかも知れない。これからだ。 自分の現在は、6月10日。 (男子)

*現在の自分は、半分過ぎて、10月1日。40歳くらいで、未練たっぷり死ぬのが理想。 さて「寂しい」という単語は内に喪失感を含んでいると思います。ということは、もともと何かを持っていないと、けっして寂しくはならないんですよね。でも誰かの気持ちを失ったというのは多分に主観的なものです。すると私が寂しいと思ったときがその対象を失くしたとき、となると思いませんか? 逆ではないのです。私はある人たち(親ではない)が私にむけてくれる愛情を失いたくないし、その人たちに私がむけるいる愛情も失いたくはないのです。そして失くならないことも知っているのです。だから寂しいとは思うまい、と、歯(心)をくいしばるのです。でも、どうしても、どうしても「返して」と思ってしまったりします。これがホントに「さびしい」ということなのでしょうか。 (女子)
 

 メッセージにはこのあと、「オフレコ」の指示があって、ウーンと唸るような苦しい三角関係の事実が、さらっとした、明るいほどの筆致で告白されていた。
 

* 寂しいとは思わない。正確にはそう思うことを避けている。人の中で独りいるから寂しいので、ふだんから独りでいれば、寂しいも何もない。人と傷付け合うから寂しいのであって、表面的に付き合っていれば、互いに無傷でいられる。そうやって中学から高校にかけて嫌われることも殆どなく平穏平和に過ごした。現在もおおかたそうである。
 去年の三月十日、私は東工大の第*類に、「あんたはいらないよ」と言われてしまった。急遽後期試験を受けた数日後、ラジオにビートルズの「レット・イット・ビー」が流れた。泣けた。すでに高校の門は出てしまっていた。誰とも話す機会がなく、先日までの夢が 殆ど立ち消えとなった頃のことだ。人と狭く浅く付き合い、一人でずっと生きる・生き られると強がっていた結果、自分から独りになってしまったと気づいた寂しさ。大学に 入ってからは、「ある人」に会えない日にも、寂しさに似た気持ちに陥る。見かけた時、話した後、は、よりその気分が強まる。あえて寂しさとは呼ぶまい。私は周囲から取り残されたのではない、勝手にはみ出しているのだ。その前提が崩れたら、そのまま倒れそうな気がする。 自分の現在は、9月27日。来る冬は闘いのイメージ。これから本当の自分が始まる。 (男子)

* 表面上はそう寂しくはない。しかし、心にすきまがあり、こんな生き方でいいのかと思うと寂しくなる。目的なしにその日その日を空しく見送っている。受け身で消極的。そして「独りぼっち」のイメージ。ところがこの頃は、友達などと一緒のときにも寂しいと思う。自分の本音を話せる人が少ししかいない。しかも深い付き合いを自分の方で避けているのだ、自分の世界つまり殻にとじこもりたがるのだ。自分から寂しくなろうとしているようなものだ。そしてそれを慰められたがっている。健康な生き方とは思われない。それが寂しい。 自分の現在は、7月20日ごろ。卒業して、仕事をもち生きがいをもつ頃が本当の夏、夏まっ盛りであろう。 (男子)

* 僕は生まれてからこのかた非常に消極的で、友達をつくるのにも、誰かから声をかけられて友達になってもらうという受動的な人間で在り続けています。そして寂しさを紛らわす為か、友達になった人にいつもついてまわり、いつも一緒に行動するということを中学のころまでしていました。幸い嫌われもしませんでした。しかし高校に入り目的をもって行動する人達のまえでは、僕は全く相手にされませんでした。はじめて垣間見た厳しい大人の世界のようでした。それからでした、目的を求めて悩み、寂しくてならなかった。
 結局、大学の進路選択に目的を定めて頑張りました。今また大学の中で目的を見失い、価値観をともにする友達にも出会えずに、寂しいです。自信を持って日々を迎えられないかぎりこの寂しさからは抜け出せない。これでも頑張って精進しているつもりです。自分の現在は、だから、 4月1日、一切が始まったところです。 (男子)

* 「寂しいのにはもう慣れたから」と、よく口にしています。夜、下宿の部屋に帰って灯りをつけ(一人暮らしです、)テレビかCDをかける。音がないと、ふと何か感じてしまう。しかし寂しいのには「もう慣れた」なんて、決してそんなことは無いのです。口では強がっていますが心は求めています。求めているのが何かも分かっている気がしますが、どうしようもありません。「愛すべき人のいない人生は、さびしいものです。」 今、6月19日。梅雨の 真っ只中。 (男子)

* 私の姉は海が大好きだという。私は山や湖のほうが好きだ。姉は湖は寂しいという。分かるけれども海も寂しく、また嬉しくも空しくもある。私の好きな伊藤若冲の浜辺に貝のころがっている絵をみていると、潮風とともに死臭のようなものも漂うようで、寂しいのやら嬉しいのやら空しいのやら分からなくなって興奮してしまう。 今、7月1日。 (男子)

* 自分をとても寂しい人間だと考えています。寂しいと感じるとき、よく詩や短歌をつくります。自分をかなり正直に表現できるからですが、ただ、私の技術がそれを阻みます。 現在、梅雨のまだ明けていない、7月2日。 (男子)

* 浪人時代はとても寂しかった。活発だった高校の頃との落差がきつくてまいってしまった。しかも胸の病気で入院し、あせりもあったが寂しさでいっぱいだった。仲間でありライバルである友人たちの存在のいかに大事かを思い知った。きのう秋晴れの奥多摩の山に行ってきました。どんなに晴れていても秋の山には寂しいものがあります。何度歩いても慣れるということはありませんが、独りで思いにふけるのにこれほどふさわしい季節も世界もありません。落ち葉を音をたてて踏み、秋の陽ざしを浴びながら歩きます。ふだんの自分を見つめ直したり壮快な気分にもなりますが、寂しさや不安も影のようにつきまといます。それでもいつのまにか力がわいても来ます。先生にも山登りをおすすめします。 自分の現在は、6月初め。梅雨の前の新緑。 (男子)

* 寂しくはない。僕は自分が根本的に孤独であることを弁えている。一人でいることに苦痛を感じない。それに今も昔にも多くの友人とかけがえない親友とがいる。強いて寂しかった事を捜すなら、自分の一部であった親友の一人を失った時だ。あの気持ちは二度と味わいたくない。それと自分の心がある種の「守り」に入っていると感じるとき、自分に対して寂しさを覚える。 現在は、5月3日。 (男子)
 

 みなが、この学生のようであればいいと思うし、いや、寂しいと思うのもごく自然だなとも思う。元気な二十歳前後の青春がかくもブルーであることを、だが、おそらく多くの大人たちは察しえていないのではないか。「さびしい」「孤独」は、だが、現在の学生たちの大半というより大勢を成している心情いや真情である。この現実に目をそむけることは出来ない。ちょっと弱いという感じもしなくはない。しかしまた「孤独」は人類を蝕みつづけた一種の歴史的な業でもあり、ことに社会の在り様が、こと繁くなりになり勝る現代、一見賑々しいようでいて孤心の重さに悩み苦しむ人は、なにも学生にかぎらず多いはずである。寂しくない人は、どこか「鈍い」のではないかとすら言う学生もいたが、そういう言い方で負担に耐えているのだとも眺められる。おそらく、現代の芸術表現の「さびしさ」は、辛い、根本の底荷であるようだ。
 学生の寂しさにも、しかし、「むなしい、空虚、孤立感」を訴えるものと、「独り暮らし、帰路がさびしい、孤独感」を訴えるのとでは、すこし色合いがちがう。
「親友がいない」「浅い付き合いばかり」「理解されていない」「必要とされていない」「相手にされない」「仲間入りできない」「恋人がいない」「昔の友達から遠くなった」「家庭が淋しい」「一家がばらばら」「学業の行き詰まり」「目標がない」「なんとなく、ふっと、襲われるように、さびしい」「将来への不安から」「存在そのものから」「季節から」「寒ざむと」「心通わない」「人の冷たさ」「誤解」「気弱な性格」「踏み込めない」「わるく同調してしまう」「わるく騒いでしまう」「仮面の己れが寂しい」などという個々の訴えにも、また、それぞれの孤立・孤独のこまかな差異が感じ取れる。
 同時に、これらを通じて、まだ本当に成熟していない若さもどこか感じ取れる。具体的なようで具体的とばかりは言えないのが「さびしさ」につきまとう感情だろうが、また、まだなにもしでかしてはいない人生のトバ口にいる者の「さびしさ」のようでもある。
 一方、三割に満たないけれども「さびしくない」と断言する学生たちの声も、しっかり聴き留めておく必要がある。
「良き友」「良き家族」「寂しさを糧にして努力して来た満足」「時に孤独になりたいとすら思う日常」「忙しい」「暇がない」「充実している」「都会慣れしてマヒ感覚」「精一杯の毎日」「愛してくれる人がいる」「好きな運動・趣味」「やってやるという気力」「彼氏」「しっかりしないとという自覚」「部活動」「さびしいと、思いたくない・感じたくない」「恋人いないのも気楽」「やり甲斐あれば」「寂しいという意味が知れない」「いつでも時間を共有できる人あり」「自分には当て嵌まらない感情」「独りになるという時がない」「独りが好き」「打ち込める事がある」「現状に満足」「おおくを望まない」「力一杯、NO!と答えられる」「寂しいなんて、むやみに口にしたくない」「要するに慣れ」「醒めた人間にいつか成っていて、つまらないが、寂しくも楽しくもない」「悲しい・残念という気持ちはあっても、寂しいとは思っていない」「今、最高に楽しい」等々。
 これはまた率直に頷ける声ばかりで、なかには首をかしげたいのも有るけれども、出来ればこっちの人数が逆転していて欲しいと願わないではない。いや願いたい。しかし願ってもそれは無理なのだという実感に、しっかりと、わたし自身もとらわれているから処置ない感じである。
 漱石の『こころ』ほど「死に至る」孤独ではないらしいのが幸いだけれど、孤独よりも「孤立」になやんでいる学生の言葉にふれるつど、「きみだけじゃ無い。きみの隣の人もその隣の隣の隣の、みんな似たようなことを考えて、寂しがっている。手を出しあいなさい。それで癒される程度の寂しさかもしれないのだよ」と思う。それを教室でも言う。それを互いに分かって欲しいので、わたしは、苦痛をこらえてでも一週間の間に莫大で厖大な「挨拶」のメッセージをことごとく読み、評価し、整理して、そして次の授業時間には先ずみなに「伝えて」いるのだ。それが知りたくて・聞きたくて、学生諸君はわたしの授業に出てくるのだ。それでも「文学」の授業なのかと笑う人は、「文学」を、「文学」の心根を、知らない人である。
 
   
 

   愛 ー今、真実、何を愛しているかー

 Pity is Loveを訳して、「可哀相だた惚れたってことよ」と喝破したのは『三四郎』に登場の与次郎氏だった。
「好いた惚れたは若いうち」とはだれの言葉か知らないが、まこと「若い」「青春」につきもの、それも不気味に憑きものと書いてみたいほどの「好き」も「惚れた」も日常茶飯事になっている。翻訳すると「恋」か…恋とも恋愛ともいえない「付き合い」にしか過ぎない感じもあり、そうなると必ずしも「愛」がぜひ必要というのでない人間関係、我ながらいささかギョッとする思いで表現するなら「性的誘惑」のちからに先導されたような「付き合い」様が、つまり「好き」「惚れた」の内実を成している事例が多いように、ま、若い人たちの世界が垣間見られることがある。
 むろん「愛」には古今東西いろんな説が成されている。「性愛」も愛なら「聖愛」もある。性が介在しない異性間の愛情なら、簡単に「プラトニック」という言葉を若い人たちは用いるか、そんな言葉すら忘れ去られていて、そういうのを「無性愛」そうでないのを「有性愛」と称しかねないほど、そして前者はなかなか成り立っても維持しにくいものだとも「明らめ」切っている気味もある。わたしほどの年配の親たちなら、とうてい信じきれないだろう。それも、もはや、愛ぬきの「有性関係」「有性付き合い」ということを、大学の一年生ぐらいなら、カッコつけとしてでも「常識」化してきている。おどろく気にもならないほどである。
 ただ、「愛無き」ことへの、かなりの、まだ、ためらいやうしろめたさが有るらしいことも否定できない。
 その証拠かのように、「今、真実、何を愛しているか」と問うてみると、たちまちグッと詰まる。
「真実」という限定と「愛」の字とが化合して、目に見えない縄となり、金縛りに思考を渋滞させ、いささか反省も内省も強いられるらしい。あげく、「好きなもの」「気にいっているもの」「欲しいもの」「執着しているもの」は幾らもあるが、そしてそれに「愛」の気持ちは無前提に参加していると思いこんでいたけれども、さて「真実愛しているか」となると、そんなものは「無いようだ」、これからも「有るのだろうか」と、愕然とする。もっと広げていえば、自分が、なにも、だれも「愛していない」らしい、のに、自分だけはだれかに「愛されている」と思うのではムシがいいという険しい「現実」に気付いている。それから真剣に考えだすわけである。そして行き着くところ「自分、自身」を愛している例が、ざわざわと増えて来る。
 

* 愛することと憎むことは紙一重の気がする。憎しみを超えることができ、その対象を許すことができたとき、本当の愛に成ると思う。その意味では先生のよくいわれる「両親」特に父への感情が、これに他ならない。幼い頃、父は絶対だった。中学の頃、自分が成長してゆくにつれ、父の欠点がゆるせなかった。高校に入り、一人前の男としての扱いを受け、大人同士の話しができるにつれ、許す気持ちを抱いた。いまでは素直に尊敬しているし、目標でありつづけている。ただ、これを「真実の愛」と呼べるのかどうか、分からない。わたとは愛だと信じているのである、が。 (男子)
 

「十七にして親をゆるせ」と教えられたという、ある学生が高校時代の先生の「一言」を、教室でみなに伝えると、どよめきがあった。反応が、こういう文章になって届いたわけである。
「愛」は、いちばん素直に家族へ向かい易く、現在の同世代へは、同学の仲間には、親愛をささげあえる「親友」はべつとして、その余は「心安い」「気安い」けれどもむしろ愛とはやや遠ざかった「知り合い」になっている。真実の愛となると、ふしぎに過去の、高校・中学の仲間へむかいやすいのは、懐かしい気持ち、目下しのぎを削りあう必要のない相手という点で、当然でもありやや値引きして見なければならないだろう。
 わたし一人の感想かも知れないが、「親友」と「恋人」とが、やや大学生の心情において対立している。愛は、親友に対しより多く深く捧げられ求められて、恋人にはむしろ独占したい信頼性がつよく求められている。不安は、友によりも恋人に対して動きやすく、「はかない」という心配を抱きこみながら、嫉妬の気持ちにも悩みながら、日々に、相互気象図を書き替え書き替え一喜一憂している。親友とは比較的長く、恋人とは比較的短い。そこに、結婚に至るまでの不安が生まれている、とくに男性の、女性にたいする期待と不安・不信とが渦巻いている。
 

* 今、真実、何を愛しているか。月並みですが家族や友人です。秦さんは、どんな時に「私はこの人を愛している」と実感しますか? 私は、例えば、私がなにか美しい物に出会って感動し、「あぁOOと一緒にこれを見たいな」と思うとき、それから、OOのためにお土産などを買ってうきうきしている自分に気付いた、そいう時です。こんな単純で自然な気持ちに「愛」を感じませんか? (女子)
 
* 私が今愛しているのは、大学に入学して日々精神的に自立し、大人に成って行く「自分」を、である。両親は私の小さい頃から、勉強さえすればあとは何をしようと許すという教育をしてきた。結果として正解だったとは思うが、でも、いろんな意味で自分は躾けられていないなぁと思っていた。大学に入ってそれを補えているのは、大きい。親のほうでも、子供だった私がしっかり大人に成って行くのを感じてくれているようである。私もなんだか大人になって行く気がしている。そして自分のこの状態を愛しているというか、気に入っている。 (女子)

* 今私が愛しているものは「なにも無い」と思います。「愛している」ということばを深く考えずにあげるとしたら、高校時代の友人達でしょうが。でも過ぎゆきしものは、所詮は遠ざかります。私にとって、対人関係にあっての感情とは反応しあうものであるから、です。「愛している」という言葉に、私は、「無償の愛」「与える愛」といった、必ずしも相手からの反応によらないといった、イメージがあります。今の私には、ただ愛を「与える」だけという存在はありません。親でさえ、彼らが私に愛情をもたなくなったことを感じたら、私は彼らに対する愛情を打ち消そうとするでしょう。一方的に想っているのはつらいことで、それは、私にすれば防衛手段であるのです。 (女子)

* 私は、父が借金を残し蒸発してから、高校一、二年のあいだ、すべての人をうらみ、にくみました。その二年間は友人にさえ心を閉ざし、好きな部活もやめ、ただ生きているという生活でした。三年のときに、ある女性、高校受験に失敗し行きたくもない高校にいっている友人の女性に会ったとき、なぜか心がふるえ、人をうらんだ自分が消え去りました。その女性を愛するようになりました。今は信じあえる友人もでき、だれでもとはいかないが、人嫌いでなくなりました。その女性を愛しつづけています。 (男子)

* 私は今ある女性に恋しています。でも愛してはいません。なぜなら、愛するには相手とのもっと深い「意志」の交換が必要だと思うからです。でも私には愛している人はいます。それは家族、そして親友です。家族と親友とは私の心の支えであり安らぎです。自分が相手を愛するということは、相手も必ず自分のことを愛してくれていることだと思います。そして愛するということは、また、その相手の事を、自分の生きている限り見つめてあげることだと思います。
 私は今まで、まさに自分が権力をにぎり支配してこそ、初めて「公」のために何かができると、心のどこかで思ってきた。そのような考えをしてはいけないと思いながら、どこかでそう考えてきた。秦さんの「公と私」「私の私」の話を聞いて、ハッとしました。どう言葉で表せばよいか今はわからないけれど、「私」についてじっくり考えてみようと思います。 (男子)
 

 わが国の一人称はあんまり多彩すぎて、そこから錯覚も生じることが多いが、なにより「私」が、いつも自分自身のことだけをさすような錯覚から、「公」と対等の「私」という理念を見失い、滅私奉公のような錯誤を旗印におしたてる歴史的なバカもやって来た。「私」の幸福と充実と自由とのために、「公」という社会的な仕組みが必要なのである。「公」を育て守るというのも、それに仕える意味では、むろん無い。「私」のために「公」が機能し奉仕するのでなければ何の民主主義か。そういった話をわたしはしたのである。
 「愛」には、公と私との間に成り立つものも、ある。親が子を守り育て、子が親を守りいたわる、それに似た愛であり、そんな「私の私」を見失い、「公」を「権力」としてのみ飼育してはならない。わたしはそう考えている。その考えが根本に在る。
 この学生だけでなく、「私の私」の話題には、いい、つよい反応があった。これも『こころ』の「私」(「先生」も遺書では「私」と名乗っている)について考えていた授業の流れからきた話題であった。
 

* 今、真実愛しているものは、おそらく無いと思う。両親を、愛していないとはとても答えられるものではない、が、真実かと問われると、真実の前では首をたてには振りにくい。今愛しているものは無いが、強く求めているのは「安らぎ」と「女」である。前者には現代では頷かぬ人はいまい。後者の「女(異性)」には、はっきりそう言うのはためらう人があると思うけれど、内心は、半分の人が納得してくれると思う。「愛する」と言えるのは、人間として成長した者だけだと思う。 (男子)
 

 ( )の最もむごき部分はたれもたれもこのうつし世に言ひ遺さざり   東 淳子

 この短歌に欠いた冒頭の漢字一字は「愛」だが、また、それ以外では「生」でも「死」でも「恋」でも「命」でもよく響いてこないほど、「愛」のけわしさや深さをよく暗示しえているのだが、二十歳前後の学生のほとんどは「愛」といれることが出来ず、「恋」と補い、またはもっと別の文字を持って来た。わたしは、この歌人に電話して聞いてみた。「愛です。それ以外は考えられない」との言下の反応だった。恋は瞬時に経験できるが、愛は体験に刻みこまれてやっと「意味」を察しえられるというくらい、苦痛にみちて豊かな感情である。一般の物言いとはちがうかも知れないが、恋は傷つくことなく享楽される道ももっているが、愛は傷そのものであるかも知れない。
「愛する」と言えるのは、人間として成長した者だけだと思うというこの男子学生の言葉は、本人が思っている以上に重い。
 

* ぼくは女好きです。そしてまあ、平均的なスケベだと思います。ときどきいわゆる「好きな人」が出来ます。そしていつも疑問に思います、「オレはこの女を愛しているのか」と。今、僕の友人の一人に女性がいます。美人で頭のよい人です。僕はこの人を尊敬しています。そして愛しています。一年以上も逢っていないし顔を思い浮かべてもはっきりしない。でも僕は彼女を愛しています。美人だからでも頭が良いからでもありません。彼女の存在そのものが、心に直接教えてくれたからだと思います。 (男子)
 

 せつないが胸にのこるメッセージであった。
 

* 好きなものは沢山ある。友ダチ、親など。でも愛と呼べるのかどうか。「愛」に偏見があるのかもしれない。愛とは一途なもの、とても重たいもの、そう私の中で定義されている。私はあまり自分の心をさらけ出さない。とても仲良くなって深刻な話もできる仲 になっても、自分を全部なんて出せない。それはその友ダチを信用していない、つまり 愛が無いことになってしまうのだろうか。私は愛を知らずに愛を欲しているのかもしれ ない。
 私は親に冷たく当たる。その中で、親の私に対する愛を捜しているようなときもある。一方で私は愛をとても重たいものに思うから、拒みたいと思うときもある。結局私は今、何も愛してはいないようだ。淋しいことだがそう思う。 (女子)

* 今何を愛しているのか分かりません。今日の挨拶はとても難しい。愛するとは対象を無条件に心に迎え入れることのような気がします。そうなら私は家族を、今の自分の生活を、友達を、自然を、その他あらゆる自分の周りの世界を愛していることになりそうです。私の両親は、私が3歳のときに別れました。それから16年、一度も父に会ったことがありません。私の父はオーケストラの一員でテレビに映ったりします。実は明日、父のオーケストラを聴きに行くんです。何が何でも会って話をしてきます。私は今、自分がここにこうしていることを思うだけで父を尊敬し、いとおしく思うことができます。16年会わなかったのにこんなことが言えるのはおかしいでしょうか。父がどんな人であっても心からいとおしく思えるんです。 (男子)

* 秦さんの問題はいつもたいへん考えさせられます。愛のこともこの頃少し疑問に思っているのです。今私には恋人がいますが、本当に愛しているのでしょうか。人間は(特に自分は)淋しがり屋であるので、心を支えてくれる人がいるとつい頼ってしまうのです。でも、それは愛かなぁ。絶対違いますよね。
 今言えるのは、自分は自分しか愛していないことです。自分勝手なようでもこれが事実です。かわいいのです、自分が。人を好きになるのも、自分を好きになってほしいからです。自分が可愛いからこそ自分の向上もはかれます。私はまだ自分以外の対象を真実愛せるほど成長していません。最終的には「愛する」真義を知りたい、知れるなら本当に幸福だと思います。 (女子)
 

 書き写しながら、いま、なぜか、わたしは涙ぐんでいる。
 
 
 
 

   嘘 ーなぜ嘘をつくかー

 他の動物が嘘をつくかどうか知らない。嘘とはいいにくいけれど、猫と長年暮らして観ていると、けっこう人間を、わざとはぐらかしているかと見える態度がある。そういえば擬態という目くらましが鳥や獣にはある。しかし嘘という言葉で説明できることだかどうか。
 羽衣の天女の曰く「偽りは人間にあり」で、嘘をつくのは少なくも人間の常態のように思われる。嘘をついたことがないという科白がなによりの嘘だという巷説もある。
 そこで学生諸君に「嘘をついたことがあるか」などと問う愚は避ける。失礼ながらみんな嘘とはなじんでいるものと既定の事実にしたうえで、「なぜ、嘘をつくか」と問うてみた。
 「嘘」は避け難い。と言うことは「嘘」にも大義名分とまでは行かなくても、そこそこに「働き」があって、働かせ方により人それぞれの論理や判断や個性が表れるのではないか。その辺を科学者(の卵などというと東工大の二十歳は、機嫌がわるい。科学者のつもりでいる学生が、少なくも半分くらいはいる。)は、どう自覚しているか。
 小説というのは所詮は「嘘」だと軽く考える人もあり、それゆえに重くみている人もある。小説家は「嘘」には、少なくも事実でない創作、フィクション、架空のはなしには、関心を寄せざるをえない。見ようによればいかに上手に「嘘が書けるか」が小説家の才能ともされている。文体・文章の創造力が無くては話も話にならない筈ではあるが、俗な読み物になればその辺の本末は簡単に転倒してしまいがちになる。文学と「嘘」との関連は深く考えても浅く眺めても、ぬきさしならぬものを持っている。「文学」「文学的」な授業で「嘘」について考えてみる必要は、さすがに皆心得ているから、挨拶にも率直に応じてくれたようである。
 

* 私は嘘が嫌いだ。真実があまりに人を傷つける時であっても、嘘は嫌いである。嘘をつく時、自分の存在の確証を少しずつ削られる気がするからである。それでも人はぬるま湯的な幸せのために、嘘をつく。「自分の利益」のため、「他人を守る優しさ」のため、色々な理由のために嘘をつくが、すべては「妥協」である。妥協というぬるま湯の幸せより、本物の満足を求める強さが欲しい。 (男子)

* 「嘘」にもいろいろ種類がある。でも、どれも「自分のため」に嘘をつくのだと思う。人を傷つける嘘は感心しないが、「嘘」の必要な場合もたしかにあり、否定できない。そもそも、例えば親や親友やただの遊び友達などからみて、自分の像に微妙にズレがあるというのも、「嘘」が露われていると言える。自分にもどんな自分が真実なのか分からないし、すべて嘘とも真実とも言える。嘘とは真実でないものだろうが、真実とは何か、だれも知らないでいるような気がする。嘘も方便とはいうけれど、だれよりも自分自身に対して嘘はつきたくない。 (男子)
 

 真実と事実のちがいを、わたしのような文士は気にかける。事実に執着して真実を見失うという事例は、実際にも、歴史的にもあまりに多くて、そこに価値観の岐れが生じて来る。実像と虚像との微妙な評価の差も生じて来る。学生諸君はまだ事実と真実との見分けにそう思い至っている風でない。同じように、「自分」についても思い惑っている人が多いが、これは大人とて同然であろう。
 ある学生が「自分」を四つに分けて、
 一、自分にも他人にも見えている「自分」
 二、自分にだけ見えて他人には見えていない「自分」
 三、他人にだけ見えていて、自分には見えていない「自分」
 四、他人にも自分にも見えていない「自分」
とし、大切なのは「四」の自分であり、そこに発見と開発、つまり成長の可能性を認めようとしていた。孫引きなのかも知れないが、この分類からは教えられるものがたくさん在ってよい。なかなか「自分」というのが難儀な存在であって、この四つともが本当に存在しないのではないかと、ふと思われたりするとき、かるい失神ににた戸惑いを覚える。「ほんとうの自分」「もう一人(以上)の自分」「嘘の自分」「仮面を被っている自分」など、さまざまに「自分」を考えそして「他人(他者)」を考えてみる。余計な自意識の増殖をとがめる立場も承知のうえで、しかし、相対的にも特定的にもやはり「自分」を見据えて自由である精神を、若い学生諸君にも、わたし自身も、もって欲しい・持ちたいと願うのである。「嘘」を問うのもそのためである。
 

* 子供のころ嘘をついて父親になぐられた経験はだれにでもあると思う。僕の場合もそうだった。嘘ということで最近考えるのは、嘘をつかれた側の気持ちだ。嘘にも軽い重いがあるが、それを嘘をつく側からだけいうのはおかしい。嘘をつく側は大なり小なり自分の立場を守ろう・保守しようとしている。つかれる側は、傷つくばかりではないにせよ、人間性をある種勝手に侵犯されていることになる。嘘がバレなければつかれた側は傷つかないことがあるにせよ、だまされている事実は消えない。嘘をつかない人はいないとよく言われるが、言い換えれば人を裏切らない人はいないという意味だ。あまりに悲観的な見方だろうか。自分のアイデンティティーを侵害されないように嘘をつくという言い方で、すこしでも「嘘」の意義を明るくすることが出来るだろうか、うーん。嘘を肯定したいのではない。人間性を育てる一方法としての「嘘」がありうるかと考えている。うまく言えなかったが、嘘は自己防衛の一手段として認めざるをえないが、信頼を裏切っている事実は消えないと思っている。 (男子)

* 僕が嘘をついた回数を数えたら指が千本ぐらい必要です。週に一度ぐらいのペースです。僕は嘘には三種類あると思います。一つ、ついてもつかなくてもいい冗談まじりの嘘。二つ、相手の事を考えてつく方便の嘘。三つ、自分の事しか考えない汚い嘘。多分、嘘をつかないと誰かが傷つくので嘘をつくことが多いのでしょうが、それでもやはりだれかが傷ついている事実は消えません。 (男子)

* 年がら年中嘘ばかりついています。ことに両親に対しては嘘のヨロイで身を固めている状態です。物心つくまえから、父親からは「嘘だけはつくな」と育てられたはずなのに。おかげ様でかなり統一された嘘がつけるようになりました。なぜ嘘をつくか。とりあえず「恥かしいから」というのが言い訳です。なにをやっても親に怒られるんじゃないかという意識が幼い頃から絶えませんでした。(確かに人に言えない悪いこともかなりしていたが。)だからこそ嘘で固めるようになったと思います。でも、これって言い訳ですよね。恥かしいというのも一理あります。自分は八方美人的なところがあるから(自称)。それよりも根底にあるのは自分の行動に自信がないからですよね。自分自身に自信がないからですよね。つまり自分には勇気がないからですよね。勇気があれば自分の言動を堂々と表現するだろうし、だれかに否定されてもそれをくつがえす努力をするだろう。(だから)私は嘘をつく(のかな)。 (男子)

* 嘘をついている時の自分が好きだ。感情を押し殺して血の流れる音を聞きながら、自分でないもう一人の自分が発する言葉を聞いている時、ふと、自分がだれなのか判らなくなるようなふしぎな感覚をもつ。嘘をつくのは容易ではない。本気で無ければ、自分を自分でだませなければ嘘はつけない。私は自分の正体を知るのが怖い。これが自分の姿だと理解したくない。いろいろな自分でいたい。だから自分をだますために、時々、嘘をつく。 (男子)

* 嘘をつくのは割りに合わない。大きな理由は二つある。一、嘘をつき通した時の利益よりもバレた時の損の方が大きい場合が多い。大きな嘘であればあるほど失う信用も大きい。二、苦労が大きい。完璧な嘘には頭をつかう。簡単な嘘はバレるのが怖くて気疲れする。しかし嘘がまったく無くなっては世の中は面白くなくなる。どこか不自然なものになる。嘘をついたりつかれたりしながら鍛えられ育てられる、ものが見えてゆくという面もある。それも文化である。 (男子)
 

 一人一人の心に占める「嘘」の重みというか意義というか、微妙にちがった色合いをみせながら確固として実在し、あたかも一人一人を占拠している。「嘘」を排除したいという気持ちをもつ者もあるが、排除はならぬ相手として共存を考え、ことは「文化」の問題であるとまで敷衍している者もいる。
 

* 人は弱いから嘘をつく。嘘をつかないと人に嫌われてしまう、人に見放されてしまう。そんな時人は弱いから、一人では生きられないから嘘をつく。嘘をつかねばならない原因が自分にあると分かっていても、また、嘘をつく心苦しさ、うしろめたさが分かっていても、それは自分が自分に嫌われるだけ、人にはバレないかぎり嫌われないので、嫌われたくない一心で、人は弱いから嘘をつく。一つ嘘をつくとそれをごまかすために又嘘をつかなくてはならなくなり、そこで正体をバラす勇気も持てないので、その場しのぎの安堵感にひそむ巨大なリスクには目をとじ、人は弱いから、嘘をつく。なんて人間て悲しい生き物なんだろう。なにより悲しいのは、嘘をつく悲しさに気付いていない人のいる事、気付いていても嘘をつかずにおれない事、自分もその一人である事、だ。乱筆乱文読みにくいことでしょうが、けっこうマジに書きました。 (男子)

* 嘘にもそれなりに理由のある場合もある。全く差し障りのない嘘、意味の無い(軽い)嘘もある。誰かを傷付けたり他人に重い迷惑をかける嘘はよくないぐらいは多くの者は分かっていて同感だが、どんな場合にも嘘が罪悪かとなると、そうは思わない。私はサリンジャーの『らい麦畑でつかまえて』が大好きだが、自称嘘つきの主人公ホールデンのつく嘘などは、私に言わせれば「ユーモア」に類して「センス」がいい。嘘を上手に楽しくつける「センス」もあっていいし、大切だと思う。 (女子)

* 「嘘」という漢字を考えると、口にして虚しいとあるが、必ずしもそうは考えない。自分の利益や貪欲のために、また自分が追い詰められて苦し紛れにつく嘘は、良心に突きささって虚しいかぎりだけれど、一方、真実を相手に伝えると傷付いてしまうときにつく嘘は、不可でも虚しいことでもない。容赦もなく真実を相手に伝える人間は悪人である。嘘は人と人とが関わり合い、相手の心と自分の心とを働き合わせながら演じるゲーム中の一つの手段だと言えよう。つまり人は利己心のためにも嘘をつき、慈悲心のためにも嘘をつく。動物は行動でだますことはできるが、言葉で嘘がつけない。嘘は人間ゆえの業ではないであろうか。 (男子)

* なぜウソをつくか。先ず、ウソをつくことへの罪悪感を とし、ウソがばれる確率(あ くまで推測にすぎない)を とする。そして、ウソのばれた際のリスクを   ),またウソがばれなかった際の利点・利益を          )とすると、 人はこれらの要素の数値を瞬時に、もしくは時間をかけて決定し、そして  なら、ウソをつくのであると思う。ただし多くの場合において、上の式が成り立つのはウソをつく前のみであるということを、私は(おそらく全ての人が)経験的に知っている。実際に、  が予想以上に大きかったり、ウソをついた後に急激に  が増大する。しかし、それでも人が繰り返しウソをつくのは、ウソをつく直前の推測による  の値が、実際の  の値よりも極端に大きくみつもられたり、  の値が極端に小さくみつもられたりするからである。 
 異端な方法ではありましょうが、このような非数学的なことがらに数式をあてはめて考えてみるのも、けっこう楽しいものです。 (男子)
 

 面白いと思いつつも「数式」とやらがそもそも読めず分からず、これぞ東工大生と喜ぶ一方、へどもどして、とにかく教室で紹介した。「罪悪感を  とし」で、すでに教室中は爆笑、私一人が苦笑。学生の批評のなかに、この式だけでは、「ウソも方便」が説明できないというのがあった。分からなくて書けない数式は想像して貰うしかない。
 

* 嘘は自分と相手との相対的な関係に関係している。ときには相手との関係が円滑になることもあれば、ならないときもある。自分に対して損か得かという問題もおなじである。自分の内には絶対の尺度というものが存在せず、必ず相手との相対評価でしかないからである。 (男子)
 

 ほぼ落ち着くところへ感想が落ち着いている。「嘘」「嘘をつく」なんて関係ないよというような嘘つきはいなかった。よろしくはないと考えている人数はむろん多数を占めているのだが、その実感度はひくく、よろしくはないままに、「嘘」の意義や働きを無難にどうすれば容認できるのかを、それこそ人間関係の相対のなかで思案しているという体である。
 
 
 

  仮 面 「仮面を被る時・外す時」はどんな時かー

「さびしさ」を感じながら、しかも自分を率直に表現しないで身構えているという学生が多かった。だからよけい寂しくなっているのだ。いまさら何故そんな仮面をかぶるのかと尋ねて見ても始まらない。いっそ、「仮面を被る時・外す時」はどんな時かと聞いてみた方が早い。
 

* マスクはいつも被っていると思う。場面によっていろいろなマスクをつけかえている。マスクをつけていないのは、寝るときだけ。 (男子)
 

 これが大勢をやや誇張ぎみに代表する声であった。真っ向から反対の声もあった。
 大事なのは、「仮面」をただ「マスク」と見ないで、「ペルソナ=パーソン=人間」の線から、どう理解しているかを知ることだ。「見掛け」という仮面の存在は「見露わし」という「劇」を伴う。水戸黄門の商人姿も大石内蔵助のだだら遊びも小碓命の女装も、そうである。強さを隠した「見掛け」と「見露わし」の劇がどんなに日本人に受けるかは、芝居や時代劇をみているとよく分かる。
 いま問題にする仮面は、だが、そういうのとは違う。余儀なく被って何かを隠し、何かから隠れる仮面である。強い仮面ではなく、むしろかなり弱い仮面の話になりやすい。
 

* たしかに我々はいつも仮面をかぶって生きている。便利だからであるが、外す勇気はない。仮面のしたに強いものを持っていないからだ。しかもそれ以上にどんな身を隠すものを重ねたとて、たいしたことは何も出来ない。頬かむりしてヘルメットをかぶって、帝国主義粉砕と叫んで、皇居へひょろひょろのロケット弾をうちこむのが関の山だ。そんな分際が知れているから、強い仮面の水戸黄門や遠山錦サンに人気がでるのだ。誰しも強い本体と強い仮面とが欲しいのだ。 (男子)

* 我々は好むと好まざるにかかわらず、自覚するとしないとに関係なく、仮面を被る。被らされる。これを「ペルソナ」という。考えようによれば、自分はもっともっと仮面を被るべきであったのだ。社会に生きる者にとって、その「場」にふさわしい仮面を被ることは必要の範囲内にある。統率者にはそれらしい威厳の仮面が必要だし、それを必要としているのは統率する者よりも、統率されたい者の方かも知れない。
 この私は意識していつも「アウトサイダー」のペルソナ(役)につきたがる。どうしてかよく分からないが、ヘッセの『荒野の狼』の感化か、ニーチェを読んだからかも知れない。本当のところは自分が本来アウトサイダーではないからかも知れない。異端者を装わなければ私と言う存在が埋没して消えてしまうのを恐れているからかも知れないのだ。最近の私の心には、しばしば「Hammer」という言葉が浮かぶ。だがその鉄槌を誰がどこにおろすのかは分からない。私の捻くれた心を直そうと振り下ろされるのか、世の中の矛盾にむけられるのか、まだその暗示が私には解けない。 (男子)

* 人と少々難しい話(人生論とか恋愛論)をする時、よほど気の合った友とか親友とかでないかぎり、自分の本当の考えは語れない。向こうの話に口を揃えるか、心にもないいい話をして、相手に、「どうだ」と見せ付けたりする。これが仮面を被る時だ。仮面を被らずに人と話すなんて自分には出来ない。自分の全部をさらけ出して話せる相手など身の回りにはいない。親友や恋人にもそうは出来ない。せめて恋人ぐらいとはと思うが、出来ない。 (男子)

* 仮面を被った自分をうまく演じられているかとなると、自信がない。むしろそう出来る人が羨ましいとさえ思う。そういう術に長けている人が「大人」なのだろう。気の合わない人とは仮面を被るが、全面的に合わない相手には仮面など被らない。もともとそんな相手は避けてしまう。
 いちばん仮面を被るのは、自分のことを好きではないらしい相手に対してで、何とか気に入ってもらおうとしてしまう。要するに八方美人なのだが、嘘の自分を演じようとする時点で、負けなのだと思う。冷静に考えれば、気に入られたければよけいに本当の自分を出して向かうべきなのだ。だがいざとなると嘘を演じて、自分から泥沼に入ってしまう。羨むべきは仮面上手の人ではなく、素直に自分自身でありうる人なのに。中途半端にしか生きられない。情けない。 (男子)

* 私の被る仮面はたった一つ。「****(実名)」という仮面です。能面が一つでいろんな表情を表すように、鋳型は一つ。場面に合わせてその性格づけが変化するだけの一つのマスクです。
 きっと、仮面の陰から覗く素顔は、隠れているから素顔なのです。仮面が一つで、そこに変化を見出だすからこそ、その変化を創り出す「本当の自分」があると考えるのだと思います。もし、仮面をとっかえひっかえして変化を創るのなら、下地はただの球でもいいはずですから。
 それに、もし真っ暗な何もない空間に自分しか存在しないとしたら。自分という意識に対峙する「自分」という表情しか見出だせないとしたら。それは「仮面」といえるのでしょうか? だけど「素顔」であるとも言えないんじゃないでしょうか? 素顔も仮面もたった一つしかなく変化もなかったら、私たちには分からないことです。周囲に影響されて表情が変わるのを仮面だとするのは、何か変わらないものがあるような気がするからです。
 私は素顔が(成長とかいうのは別として)変化しないもの、仮面が変化するものと考えるのです。私は今、何となく人間であることを好きだけど、重たくも感じているのです。仮面の下の素顔は、心というものの無い物質かも知れない。変化のない「無」かも知れない。私は今、体験し得ぬ、ただ物質であることを強く望んでいるのです。 (女子)

* 僕には仮面という概念がありません。自分の見せるさまざまな顔の全てが本物の自分なのです。僕は他の人よりもいろいろな面を見せますし、見せない自分も人より多いのではないかと(少し自惚れもあるかも知れないが)思っています。それが全て統合(あるいは共存)して、僕という人間を作っているのではないでしょうか。それが大いに意外性をもっていたり感心させられるものだったりすると、その人が魅力的だということなのではないか。最近多面的に生きるというのをテーマにしていますし、今はそれが人の魅力だと思っています。 (男子)

* 考えてみると、人と接する時は毎時毎分毎秒マスクを被っている気がする。自信がない、自分が好きでない、ことから来ているのかも。
 うーん、自分って悲観論者なのかなぁ。なんだかいつも自分はマイナスのようにばかり考えている。前回の「寂しいか」の返事に「寂しくない」と答えた人が信じられない。心のどこかに「寂しさ」は在るべきではないのか。『こころ』は好きな物語ですが、そこまで深くは読んでいなかった! もう一度(と言わず二度も三度も読み直そうと思っています。 (男子)

* どの自分が素顔の自分だか分からない。どの自分も自分も別々の仮面をつけているにすぎないのではないか。はっきり仮面と意識するのは、高校時代の友人と現状報告をし合うときだ、今のさみしい自分は決して見せず、相変わらず沢山の友人に囲まれ、恋人のいる昔の自分をそのままに演じている。今ふっと思ったのだが、実は仮面を被っている自分がほんとうの自分、つまり、ウソつきで見栄っぱりでさみしさを悟られるのを恐れ、「虚」で固められた自分が本当の自分なのではあるまいか。僕は、常に仮面を被っている。 (男子)

* この世にはどうにもならない、あきらめてしまわなければならないものが存在すると思います。もしかしたらその人が弱いだけの話かも知れないけれど、それでも、どうにもならないってことは在ると思います。そんなとき仮面を被りたい。心で哭いているけど顔で笑っていたい。そんな情けない自分を隠したい。そう思います。けれども、この仮面はもう脱いだつもりでいます。仮面をつけた人は、仮面をつけた人としかつきあえない。人から真に愛されはしないのです。 (男子)
 

 一年を通じていろんなことを質問したが、この「仮面を被る時」というのは、意外に感じたほど反応が強かった。「自分」や「自身」を問うことは誰しもの常だけれど、その問い方はかならずしも一定しない。「仮面」という二字は意外に「二十歳の青春」の的を射ていたようで、書き込みの密度も量も多く、嬉しい悲鳴をあげた。どれもこれもそうだけれど、特に今回などは書かれた全部を公開したい気がする、が、とても紙数がゆるさない。
 「仮面」は偽善か虚偽か。そんなことも、若い人には真剣な問いになる。意識の変化をすべて仮面とみている者も多い。そういうことだと「服装」についても感想が出ていいのだが、面白いことに、只の一人も「衣装」を問題にした学生がいなかったのは印象的だった。それでいて「ペルソナ」の語意でもある「役」「役になる」「役を演ずる」ということを仮面と心得ている学生は少なくは無かった。仮面をわるいことと否認する者も、だから少なくて、むしろ「素顔」なるものが本当に存在するかどうかを疑う者のかなり多いのも、この問題を、よく考えていたということになろうか。「役になる」と闘志が沸く、気が入るという考え方もあるのだ。
 仮面ウツ病的な悩みをもらす者も、少数ながら、いた。『三四郎』を引きながら「無意識の偽善」と「仮面」との関わりを考え、『こころ』の主要五人物の「仮面度」を問うてみると、興味深く考察して返してくる学生も何人もいた。
 仮面を無数に付け替え付け替えしていると考える者は、素顔を、その「面台」かのようにのっぺらぼうのものに思うらしく、そうして「ペルソナ」の理解へ辿り着いて行くようでもあった。
 「人間=ペルソナ」はどこに在るのか。意識の表にさざなみのようにか、内なる実体としてか。仮面は人の弱さなのか賢さなのか強さなのか、または狡猾なのか的確な対応なのか、素顔と仮面とのどっちがより人間的な真実を表すのか。
 正解は、無い。心理学や倫理学や精神医学からは正解らしきものがあるのかも知れないが、それが学生の心を満たすかどうかは分からない。考える、惑う、悩む、突き当たる。彼等にいちばん有効な希望は、同じ問題を同じ仲間たちは、同じ世代は、どう考えているのか「知りたい」ということであろう。それだけで、かなりの人数が、安心するのである。刺激されるのである。
 

* 仮面を被っていない時はありません。人の心の難しさを知り人の心の裏を読むようになるにつれ、仮面は堅い殻に変わり、ガッチリとロックされ、誰に対しても開くことは出来なくなってしまいました。開いてもいいなと思う人が現れても、すぐ疑ってしまうような事が起こります。仮面は堅い肉となって食い込みます。仮面を外すときは、もう二度とその人とは会うことが無いと確認できる時だけです。 (男子)

* 自分は、残念ながら仮面を被れるほど強く器用な人間ではない。緊張した時も恐怖を感じた時も、仮面を被ってうまく対応することなど出来ない。ひきつって変形した顔を見せているに過ぎない。仮面を被れる人は、かなりの人生経験を積んだ人であると思う。人間は、そう簡単に仮面を被れるほど強いものではないはずである。 (男子)

* 相手に合わせて仮面を付け替えている私にとって、仮面は生活必需品なのである。仮面をはずせば自分は何も残っていないだろう。空気すらない真空の状態なのではないか。きっと仮面をはずすことはないだろう、外す勇気もなく、外される恐ろしさも限りなく大きい。仮面こそが私の真相なのだろうと思う。 (男子)

* 人間の孤寂には、本質的なものと、現代特有の仮面による社会的なものと、2種類あるように思う。仮面をかぶらずに居れる人は数少ない。 (男子)

* いつ頃からか、自分の表情・感情に仮面をかけてしまっているのに気付き、愕然とした。表情に仮面をかけることで、顔はくらいものを含み、感情に仮面をかけることで、真剣に考えるということをしなくなっていました。それに気付いた今、一生懸命改善したいと頑張っていますが、たまったツケの大きいのを痛感しています。 (男子)
 
* 最近けっこう素顔で生きてます。元気です。感情を出して、人前で泣いたり我が儘放題に生きています。私はずっと(小・中生時代)一所懸命背伸びして、冷血鉄仮面(笑)みたいに別の人格つくって生きてきました。プライドのかたまり。やっと今は息ができるようになりました。仮面は息苦しいです、綺麗で強いけど。どうせ仮面の下で泣くなら、仮面を外して泣いても同じことです。最近、気づきましたが、もしかすると私は素顔でも十分いい奴かもしれません。自分では、大好き。(笑)素顔で勝負! 風が気持ちいいです。でも仮面の時期が長すぎて、私が仮面に似てきちゃったみたい。(笑) (女子)

* 人間関係というのは仮面と仮面とのこすれ合いに他ならない。仮面を幾重にも被るのは不安と自己保護である。僕自身を考えれば、どんなに親しい人が現れても、最後の一枚の仮面を剥がしてみせることは、一生、ない。理解とは衝突である。人間は本来動物的本能的な存在なのであって、理性をもつことが既に「いつわり」の仮面なのである。理解とは衝突なのである。悲しいが諦めている。 (男子)

* 仮面を悪だとは考えない。理想という仮面を自分に対して被るのは、忠実な生き方だとさえ考えている。仮面を被るのを、なにかウソのように見るのはおかしい。本当は自分自身に素直になることなのだ。 (男子)

* いつでも仮面を被っている。知性ある生物として生まれて来た以上しょうがないことだ。自分をケイベツする可能性のある人間の前では、二重に仮面を被る。取れない・外せない仮面が「素顔」と化しつつある。 (男子)

* 夢の中でさえ、なにやら「自然な反応」をしていないくらいだから、仮面でないのは夢も見ずに眠っている時だけかも。仮面の自分と素顔の自分との区別がつかないほど、仮面が素顔になっている。「在りのままに生きている」という人は自分自身をどう認識しているのだろう。 (女子)

* 僕は他人との間に2枚の壁を立てている。
 外側から1枚めは自分で崩す壁だ。この人とは友達になれるかなと思って、他人だった人に声をけたりする。この壁を崩すのはそう難しくない。
 2枚めの壁は、相手と自分とでいっしょに崩す壁だ。よほどの人とでないと崩せない壁だ。壁の在る間は、つまり仮面の付き合いだと思っている。壁を隔てずに話せる人は、今2人しかいない。僕はクライでしょうか。 (男子)

* そもそも人間に仮面など在るのでしょうか。そんな便利な物は無いと思います。「仮面を被る」と言う、その「仮面を被る」こと自体が「その人」そのものなのです。隠したつもりでも何も隠せるものではない。むしろその人を固有化するのに役立っているのだと思います。矛盾するようですが、「仮面を被る」ような行為自体は否認しません。人から見れば、自分も、まんまと「仮面を被って」いるのでしょう、意識したことはめったに有りませんが。本当は仮面の何たるかをよく分からないで、「仮面なんて無い」と浅薄なことを言っているのかも知れません。いずれにせよ、どんな顔を見せようとも、それが自分なんだと、そう思っています。 (男子)
 

 かなりこの学生君の「仮面観」にわたし自身も共鳴できる。創作者は、創作している作中人物を自身の「仮面」だと思うことは、むしろ少ない。感じるのであれば、それは自分自身としてである場合が多い、男であれ女であれ、生者であれ死者であれ、また実在の人であれ架空の人であれ。いや物であれ、生き物であれ。
 それにしても学生諸君の「仮面」の悩み、なかなか深い。「自分」「もう一人の自分」そして「嘘」や「不安」や「孤独」や「友」の問題がみな関わっているのだ。だから『こころ』のような作品に、大方の学生諸君は自然に「自分」の問題が手探りできるというわけである。
 
 
 

   人 間 ー人間を二つの型に、強いて分けよー 附・「内と外」

 二十歳前後ともなれば、相応に人を見ている。わけても「位」一字から最も関心のもてる熟語を挙げよといえば、優位でも地位でもなく「位置関係」とあげて自他の相関、他者からの視線、他人の存在をもっとも気にしている学生たちである。むしろ我より他人を見て気にして生きてきたようなところが、ある。ある、と当人たちが繰り返しうったえているのである。それならばそういう観察・考察・批評を具体的に問うてみるという手がある。昔から、人間を二つないし三つの典型ないし類型に分かついわば知的遊戯があった、ハムレット型に対するドンキホーテ型とか。
 そこで、これまたキツい挨拶を強いるわけだが、「人間」を二つの型に分けてみよ、それも日本人に限定してもいいがなるべく普遍的に適用の可能なように、と出題した。他者ないし自身をも含めた「人間」を、どの辺まで見極めたり批評したり洞察したり出来ているか。むろん所見も付してもらったが、けっこう、面白い観察例が出たように思う。説明は抜きに、先ず、これならばと思われた「人間」観を列挙してみよう。
  *
「姉(兄)型の人、妹(弟)型の人」「積極的な人、消極的な人」「飾る人、飾らぬ人」「理系の人、文系の人」「他人本位の人、自分本位の人」「知っている人、知らない人」「孤立する人、協調する人」「強い人、弱い人」「大人と子供」「明るい側にいて陽の目をみてそれを当然としてきた人、舞台裏にひっそり生きてでしゃばる器でないものと半ば諦めて生きてきた人」「夢を追っている人、夢のない人」「子供にも帰れる大人、大人にはなれない子供」「気の合う人、合わない人」「いいやつ、いやなやつ」「男と女」「自分と他人」「richとpoor」「独りで生きたい人、他人といっしょに生きたい人」「先鋭と民衆」「凹型の人、凸型の人」「真面目な人、不真面目な人」「論理的な人、感情先行型の人」「ウソつき、大ウソつき」「悩みを表に出す人、隠す人」「笑顔のいい人、笑えない人」「自分に厳しい人、甘い人」「馬鹿な人、バカな人」「政治家とボランティア」「外面を評価する人、内面を評価する人」「深く付き合える人、間をおきたい人」「損な人、得な人」「型どおりの人、はみ出す人」「群れる人、群れない人」「我ひとりの人、他を顧みる人」「管理者(使う人)、一般人(使われる人)」「自分に似た人、相入れない人」「被害を与える人、利をもたらす人」「入れようとする人、出そうとする人」「厄介を背負いこむ人、うまく逃げる人」「他者と一致したい人、他者より優れたい人」「自分を評価している人、できない人」「つくる人、たべる人」「要領のいい人、わるい人」「結果の出せる人、出せない人」「感動できる人、感動しない人」「知人と他人」「長いものには巻かれようとする人、巻かれたくない人」「直感型と理性型」「流される人、流されない人」「生があるから死があるという人、死があるから生があるという人」「生まれつき幸せな人、幸せになるために努力しなければならない人」「意志強い人、弱い人」「自分が他人とちがうことを知った人、知ったふりの人」「人間が強い人、弱い人」「何かが出来ると思っている人、平凡に生きて行くだけと思っている人」「北人(先進国の人)と南人(発展途上国の人)」「人の身になれる人、我ひとりの人」「明るい人、暗い人」「腹のたつヤツ、腹のたたないヤツ、腹もたたないヤツ」「表むきの人、裏のある人」「友人を大切にする人、恋人一途の人」「意見のある人、考えのない人」「楽しめる人、楽しめない人」「ラクな道を行く人、好んでつらい道へ向かう人」「大人らしい人、子供じみた人」「自分を責める人、他人を責める人」「運命は所与と思いしたがう人、努力して切り開くものと考える人」「好きな人、嫌いな人」「ひとり在る人、人と在る人」「アツクなれる人、サメテいる人」「機械的な冷ややかな人、人間的な温かい人」「矛盾に耐えている人、割り切りたい人」「生き生きした人、死んだような人」「親しい人、あかの他人」「自分より勝った人、劣った人」「精神的に対等もしくは下位の人、優れて上位の人」「気楽に考える人、難しく考える人」「感じのいい人、気色のわるい人」「秩序志向の人、混沌志向の人、中立志向の人」「凡人と奇人」「(他人を参考分析してアイデアをつくる)右脳人間、(自分の頭でアイデアを生み出せる)左脳人間」「叱る人、甘やかす人」「博愛の人、利己の人」「ジャン・バルジャンとジャベル」「(クールで禁欲・理性的な)シャーロック・ホームズと(熱血情熱の感情的な)アルセーヌ・ルパン」「ジキルとハイド」「本音の人、建て前の人」「自信のある人、無い人」「内向きの人、外向きの人」「尊敬できる人、侮る人」「やる気の人、やらない人」「丈たかい人、気の低い人」

 一つや二つをとりあげて役に立ちそうもないものが、こう列挙してみると、学生諸君のけっこうな「人間」観察集となり、なかなか鋭く、そのまま活用できるものも少なくない。ぷっと吹きだし、しかしウンウンとうなづけるものも沢山ある。
 人間には「丈高い」つまり精神的に豊かに落ち着いて自身を卑しくしない人と、「気の低い」つまりなにかにつけ愚劣に騒がしい方へ方へ流されて恥じない人とを見分けるなど、尋常ではない。以来、例えばテレビ番組をみながら、番組や出演者をつい「気の低い」番組だなタレントだななどと感じてしまっていることもある。「知っている人、知らない人」にしても深読みの利くところがあるし、「子供にもかえれる大人・大人にはなれない子供」というのも、年齢を超えたところで「大人」を辛辣に見ている。

 * 人間を強いて2種類に分けるとすれば、姉(兄)型と妹(弟)型です。姉型は他人に頼られやすい人、面倒見の良い人です。妹型は他人に守ってもらう人、姉型の人に頼って生きている人です。クラスで旅行に行ったりすると、姉型の人がゴミすてから引率、チケットまで雑用をみな引き受け、妹型の人は楽しみながらついて行くというパターンが多いのです。姉型の人は自分は損をしていると思い、たまには他人に頼りたいと思うでしょうし、妹型の人は姉型の人のようにしっかりしたいと言います。私はいかにも姉型です。世話を焼かれた方がらくと分かっていて、ついつい自分でやってしまう。だから人にも頼られてしまう。
 他人を完全には信用していない自分の性根が露われているように思います。姉型の人は、自分を損だと思うまえに、妹型の人のように他人を受け入れているかどうかを胸に手をあてて考えてみるべきでしょう。 (女子2年)

* 私は「積極的な人間」と「消極的な人間」のふたつに分けてみたいと思います。近頃たまたまこの「積極的ー消極的」という言葉を考える機会があったからです。母が、祖母ー姑ーにある相談をもちかけられ、あまり肯定的でないった意見を述べたために、祖母に「あなたは消極的で困る」と言われたのです。どちらかといえば否定的な意味合いのある消極的という言葉で非難され、当然母は傷つきました。母は半分泣きながら私に「わたしってそんなに消極的?」と聞いてきました。母にそんなことを感じたことのない私は少々びっくりしました。母は控え目で特に目上の祖父母には常に一歩譲っていました。時には嫌な思いをしたこともあったようです。それでも母は耐えていました。そんな母を尊敬していますし、消極的とはすこしも思いません。祖母は人に対してものをずけずけと言ってしまう性格なので仕方ないのですが、控え目にしていた母を消極的と見ていたことはショックでした。
 ここでふと「何が消極的で何が積極的だろうか」と思ったのです。母みたいにおとなしくて控え目な人ではあれ、消極というマイナス要素の強い言葉で評価するのは問題があると思います。祖母の性格は母とは全く逆です。つまり積極的な人間と見られています。正直言って祖母はあまりに積極すぎ、あまり好きではないのですが、母に、私の性格は結構祖母に似ているとよく言われるのです。確かにおとなしい人を見るとひそかに「消極的な人だなぁ、もう少し自己主張したら」などと思っていますし、自分の性格を反省しつつも、積極・消極というのは実に難しい言葉なんだなぁと考えてしまいました。 (女子2年)
 

 女性の発言には、こうした具体的な生活の体験や観察からきたものが、男子学生よりも確実に数多い。
 

* 僕は、どのような人間なのか「知らない人」に会った時は、まずその人をずっと観察してしまう。癖になっている。人と接する時には「知らない」ことが大きな「壁」になる。「知っている人」に対しては行動を理解しようとするが、「知らない人」に対しては事実だけを見てその人のことを評価している。まるで「知らない」枠から「知っている」枠へ、人は移ってくるのだが、「知っている」にもいろんな区別がある。大きく見て、人間は自分にとって「知っている」か「知らない」かのどっちかに属していることは間違いない。 (男子2年)
 

 このわたしも、小さい時から、まず人間をこの学生のように分けて、親子の夫婦の兄弟のという以上に、根本の分類としてきた。「知らない人」を、さらに「まるで知らない世間」と「よく知らない他人」とに分けた。また「知っている人」については「知っているだけの他人」と「良く知っている他人」とに分けた。その上に「身内」という存在を置いた。親子とも夫婦とも親友とも呼び名ではきめられない、いわば「死んでからも一緒に暮らしたい人」こそ、真の「身内」と呼んだ。こういう観察や認識には、どうしても人それぞれの「根」の問題がかかわってくる。根を洗って考えてみる大切さに思い当たってもらえたかどうか。
 人間存在について漠然と考えることはあっても、こう改まって問われるようなことは、普通には無い。「この授業では人間の最も微妙な問題を、わざとのように突いて来られるのでしばしば困惑するが、それでも、普段考えもしないことを考えられるよい機会になっている」と、大勢が思ってくれているらしい。ただ考えればいいというわけではないが、自分の言葉を自分の奥から紡ぎ出す体験は、もっともっと豊富であっていい。
 さて、ここで関連して紹介するのがいちばんふさわしいと思う話題を二つ、追加しておく。やはり「人間」への視線による或る分け方になってくるが、わたしは、かつて二年間だけ、早稲田大学の文芸科へ「小説ゼミ」を手伝いに行っていた。専任の教授が留学中の留守番を頼まれたからで、ゼミとはいえ、ひたすら小説を書かせて批評するだけだったが、一人の学生の一つの作品をことによく覚えていた。「すわりんぼ」君と「ダンプ」君とが出てくる。
 すわりんぼ君は、いろんな階段の途中に、ひたすら、ただすわりこんで暮らす。追い払われても蔑まれても懲りることがない。それが人生だと考えている。ま、社会の少数派である。その独り言で小説ははじまり、次の場面でダンプ君が長距離運送のアルバイトから車を駆って東京へ朝早に帰って来る。働き者で先輩たちの受けもいい。その健康そうな青年の運転しながらの独り言がつづいて、やがて彼は空腹に気づき、時間もあるので道の向こうに店をあけているらしい朝飯屋へ寄ろうと思いつく。幸いうまくダンプを駐め、歩道橋を渡って行くのである。
 ダンプ君は朝の雲を背に階段を降りて行くと、中途にすわりこんでいる同世代らしいヤツを見つける。ヘンなやつ。「なにをしているの」と声をかけ「すわっている」という返事に奇妙な気がした、が、なんとはなく自分もそこへすわってみてもいいなと思う。すわりんぼ君のほうでも、ふっと場所をつくってダンプ君を迎え入れてもいい気になる。気と気が通ったのである、が、その瞬間ダンプ君は、なにげなくいま越えて来た歩道橋の上へ振り向いた。
 そこに、一つの「まッ黒い影」がじっと立ってこっちを見下ろしていた。
 その途端、ダンプ君はすわりんぼ君にむかって猛然と殴りかかり蹴りつける暴行に出た。夢中で乱暴をしつづけ、すわりんぼ君はぐったりとノビた。
 我に帰ったダンプ君が、はっと歩道橋の上へ振り向くと、もう「まっ黒い影」も形も消え失せ、ただあかねの春の雲だけが空にあったーーと、ま、そういう小説であった。
「すわりんぼ」君と「ダンプ」君と、それに「まっ黒い影」のこの話は、どこで話しても多大の感銘をよびおこす。ことに若い諸君には他人事ではない。反応は即座に来る。
 

* 僕自身はダンプ君だと思う。でも、すわりんぼ君になりたいダンプ君だと思う。まっ黒い影とは、数分前、すわりんぼ君を初めて見たとき立ちどまったダンプ君の影だと思う。 (男子)

* 黒い影とはダンプ君のみた幻だと思う。その幻は、ダンプ君のなかにある社会(外)からの目が象徴化したものではないのか…。

* ダンプ君は一生懸命に働くことに生き甲斐を見つけてきた。自分とは全く違い何もしないでいるすわりんぼ君と出会い、「すわりたいからすわっている」という、自分のかつて考えたこともない思考回路に刺激され、自分もすわってみたいと考える。ここで黒い影に見つめられ、殴る、蹴る。今まで生きてきた信条に一石を投じられ崩れそうになった時、黒い影、つまり自身の内部に在る弱さ(?)が自己防御を強いられ、すわりんぼ君つまり心の内なるそのようなべつの価値的な部分へ向かい、否定的に激しい反撃を行ったのだと思う。 (男子)

* 私はどちらかといえばダンプ君のような人間だと思う。そして私もすわりんぼ君と話したいと思うだろうが、そうする勇気もなく通り過ぎてしまうと思う。歩道橋の上の影は、ふだんの今までの自分で、その自分をこわされそうになったことに影によって気づき、ダンプ君はすわりんぼ君を殴ったと思う。自分がこわれたらどうなるか、未知のことに恐怖したのだと思う。 (女子)

* 私自身も「ダンプ」君だと思う。「まっ黒い影」は周囲の人の目(公)だと思う。この青年は私のように無意識にせよ他人の目や考えを気にする人だと思う。 (女子)
 

 意外なほど「まっ黒い影」をいわば世間の、社会の、体制の、強権の、無声の圧力というふうに見る学生がすくなく、自身の、内なる双面的なものの一面の反映と見ている。言い直せば概して自分は「ダンプ」君だと自己認識しているのである。
 わたしとしては、もう少し二つのタイプを並べて世に置き、その上でその双方の思いで「まっ黒い影」に対峙して欲しいという気持ちがあったし、今もある。
 これとも関連して、また、「内の人」と「外の人」つまり「内・外」というものの捉え方が、ずいぶん日本の社会や歴史に「問題」を生じてきたことを話したことがある。広くは「われわれ」と「かれら」との、過度のないし無意識の対立感覚である。
 いろんな例をあげて話した。例えば分かりよく、娘が国立の高校へ受験して入ったときに、幼稚園以来の「内部」に対して「外部」と呼ばれ、一時期くさっていた話。また息子は逆に中学から私立に入り、高校を受けて受かってきた新入学の連中を、自分らの「内」に対して「外」と呼んでいたことなどから、地域・組織・国際関係に至る多彩な「内外」関係を批評的に語ってみたのである。これまた反応がつよかった。

* 私も「内」と「外」とを使い分けている。秦さんの話を聞いて耳が痛かった。私の場合「内」は自分自身または家族である。友人である。時によっては家族に対しても「外」に対するように行動することもある。私は、第一印象とまったく違うと言われることもよくある。これは、私が初めて会う人を「外」として認識して一生懸命に自分を演出しているからかも知れない。「内」があるから「外」がある。自分の意識から「内」を取り除けば自然に「外」も無くなるだろう。でも私にとって、これはすごく怖いことだ。自分の中に「内」を作ることによって私は安心しているのだから。今までなんとも感じたことのなかった「内」と「外」の意識を気付かせて考えさせてもらって、嬉しかったです。 (女子)

* 私の高校では、私のような高校からの入学者を「外進」と呼んでいました。最初はやっぱり「内進」から嫌われました。だから秦さんのはなし、たいへん納得しました。 (女子)

* 今日の秦さんのお話は本当に頭に来る現実で、僕も某県私立高校に外部入学し、まるで我がもの顔でクラスを占める内部に腹が立ち、2週間ほど登校拒否したくらいです。
 ーーオレは人間が大嫌いだった。人間というものはすぐに群れたがるからな。ーー(K.
コバーン)これはつい先日自殺した僕の尊敬していた米の音楽家のラストインタビューの内容だが、彼は常に孤独を感じ、結婚しても最小単位の「家族」という境界線さえ引けずにもだえ苦しんだ。現在の「国」という単位から「家族」という単位まで、人類の歴史は常に外に対して境界線を引くことで成り立ってきた。しかもそれはあくまで主観的な境界線であり、内にはさらに無数の(そう、ダーツの的のような)境界線が存在する。これこそが人類の最も恥ずべき後悔の種でありながら、活かされてこなかった。戦争その他諸々の争いの引き金はいつも厳然と残され、最悪の事態をいつも招こうとしている。人類の争いは他ならぬいつも領土の奪い合いであり、その領土こそ「外」意識の所産なのだ。 (男子)
 

 ま、そこまで言えなくはない「問題」であろう、一概には言いにくいが。裏があって表も成り立ち、外のない内はない。公を無視して私は立ちにくく、私を無視した公は滅びるのである。滅ぼすべきなのである。

* 「妻に」という詩を読んで、僕は結婚していませんから実感できないところですが、妻というものに憧れが持てました。秦さんの今日の講義のなかに「内と外」についてのお話がありました。人間はよほどの人でないかぎり孤独を嫌い「我々と彼ら」という境界を作りたがる、と言われました。自分のことを見守り支えてくれる「妻」、そういう人がいて欲しいと僕は尾崎喜八の詩を読み、思いました。妻にかぎらず、友達や先生のなかにもそういう人がいてほしいと思いました。孤独な人間である私たちには「内」という概念が必要なのかも知れないと思えてきました。 (男子)
 

 この日の教室では、短歌から穴埋めの問題を出さず、いつものように井上靖の散文詩を一つと、あたかも詩合せの体に、尾崎喜八の詩から『妻に』というのを挙げ、そこに漢字一字の穴埋め問題を設定しておいた。ここにその詩は引用しないが、「徳」高き妻にささげた尾崎の詩には、男女をとわず、賛美と共感の声が殺到した。
 ここに難しい問題が露出してくる。この賛美は理想への賛美であり、しかも夫と妻とはかくありたいという賛美なのであるが、裏返しにいえばそのような堅実な夫と妻との結婚や家庭への、そもそも出発点になるはずの同世代異性へ、現実問題として信頼感がもてているのかどうか。その辺が心配といえば、たいへんに心配な点になる。
 お互いにこういう男はいない、こういう女はいないと思い合っているのでは、「付き合い」で終わる男女関係ばかりが盛んにくすぶって来るだろう。「人間」を見るといっても、若い人の場合は、もっとも大事な実例として「夫」や「妻」を見付ける目になってくる。どうも、学生諸君の露わには口にしない不安がそこへ暗に集中している気がしてならない。
 
 
 

  死刑 ・ 脳死 ・ 自殺

「強いてその重みに順位をつけ、かつ肯定(Y)するか否定(N)するかを明示し、内一項を挙げて所感を述べよ」とした。理由をとくに説明するまでもない。現代を自覚的に生きる者には避けて通れない、かつ「踏み絵」に似た問題である。
「すいません。もぐらせていただきました」と断って、或る医科大学の学生がメッセージをくれた。
 

* 1脳死(N)、2死刑(Y)、3自殺(N) 「脳死」について。これを「=死」と定める事については否認する。何をもって人の死とするかは文化、国民性の問題であると思うが、日本人は死者を、霊として存在するモノとの概念をもっているように思う。つまり日本人は死者を物としては見れないのである。ましてや脳死者の体はまだ温かく、それに触れることで家族はなお多くを感じとることが出来よう。死の認定をここで逸まれば、それは死後を大事に思うところ多い日本文化の否認にもつながって行く。
 また死の範囲を心臓死から脳死にまでひろげることは、臓器移植の問題とからみ危険な要素があると思う。死の認定が脳死からさらに安易に拡がる恐れも出来てくる。現に大脳死だけで死とみとめようという動きもある。強い立場の人々が弱い立場の人々に優先するという構図の縮図に死の認定ないし臓器問題が展開することはぜひ避けたい。死に向かう人の尊厳を軽んじてはならない。脳障害をもつ人や他の障害をもつ人達が、健康な人や、臓器移植すれば延命可能な人達に自身を捧げることが「美徳」として強いられかねないことになれば、さらなる人間差別へとつながり、恐ろしいことになると思う。他の命が救われるのと同時に多くの人が社会的に殺されて行く危険性にも、気づかねばならない。死とは、個人の人間としての存在が失われることであり、その受けとり方は人や文化によってかなり異なるにせよ、死が、生者の世界にさらなる差別や矛盾を作り出す口実となってはならない。 (男子)
 

 あのナチならば、そして医学の進んだ現在ならば、何を考えて人を殺戮するだろうかと思うと、この意見には耳を傾けたい重みがある。「教室へもぐりこんでくれて、有り難う」と言い添えておく。
 さて次の意見は異彩を放って雄弁である。「死」の問題は、想像以上に深く深く若い魂に食い入っている。それも、自分の思索と言葉とを命綱にして。
 

* 1自殺(Y)、2脳死(Y)、3死刑(N) 是非の判断は自分がその立場に立ったときどうしたいか、というだけの基準です。
 「自殺」について。最近「完全自殺マニュアル」という本が売れてます。私は即、買いました。「なぜ死んだらいけないのか」考えたことがあるか、という前書きがとても気に入りました。私がずっと考えていたことだからです。死ぬ方法を延々と教えてくれるこの本はそれだけで革命的です。脳死も関わって来ることですが、自分で死を選びとってはいけないという価値観が、生きることに対しても目をつぶってしまうことにつながると思います。死のない生はありません。ところが死を暗部にもちこむことによって、生の形をもわからなくするのです。生が無限につづくような錯覚を持つのです。ならばいっそ自殺を肯定して、「私は41歳に死ぬ」と決め、そこですばらしい死を迎えるための生、を一つの価値観として認めてくれないでしょうか。私はまだ死ぬのが怖いです。死にたいと思いつつ怖いです。この恐怖を克服するための、学んで、得て…という期間を20年位とみて、私は自分で死期を41ー45歳と決めています。実行に移せなくてもいいのです。問題は「死ぬ」と決めることなのです。死をはっきり見ることなのです。
「以下、死ぬことに対する私の考え方」です。死ぬことにより、私の身体は一時、世界になります。私と言うソフトウェアを持つ前は、父、母というソフトの動かすハードの一部だったこの肉体は、私が死ねば物質になります。私が欲した他者の完全なる理解を、同化という唯一の手段で肉体は手に入れるのです。(他者とは私以外のものです。)うらやましいです、私の体が。そしてまた、何かのソフトの動かす体にとりこまれ、新たな世界を手に入れるのでしょう。私は私しか知ることはできないのに、体は、私以外のものをこれまでも知っているし、これからも知っていくのです。あぁうらやましい。脳死になったら早く解放してあげてほしい。そのまま他人の理解(移植)に行くのも外界の理解に行くのもいいですが、いつまでも私にしばられるのはイヤでしょう。死とは、肉体の精神からの解放だと思うのです。(フツーは逆にいうけど。宗教とかでは。) (女子)

* 1死刑(N)、2脳死(Y)、3自殺(N) 「死刑」について。人の命は神に授けられたとも思わないが、少なくとも故意に人の手によって奪われていいものではない。自身の手(自殺)ですらそうなのだから、殺人や死刑は絶対に許されない。子供の頃に遊び心地でよく「死刑!」と叫んでいたのが恥ずかしく思われる。罪を犯せば罰は当然であるにせよ、人の命まで奪う力はだれにも与えられていない。罪びとの「自由」と「時間」とを奪って罰としては十分である。 (男子)
 

        1 位   2 位   3 位  不明   所感   計

 脳  Y    84    58    44           186
                         10  114     
 死  N    23    13     5            41
 

 自  Y    26    21    68           115
                         10   94
 殺  N    43    25    43           111
 

 死  Y    16    59    50           125 
                          8   80      
 刑  N    37    50    17           104 

  この集計は一年生の教室での結果である。
 重みからみれば、1位と2位とで合計すれば「脳死」が圧倒的に重い問題とみられ、「死刑」が次に、最後に「自殺」が続く。しかし所感では、「自殺」への言及が「死刑」を越える。「脳死」への関心の強さは、東工大だからとも言え、もっとも冷静に大事に言及されている。
 また是認と否認、肯定と否定という側面からみると、「脳死」の場合は断然是認・肯定が否認・否定を圧倒しているのに対し、「自殺」ではほぼ拮抗している。
 自殺を是認できると考えている人の方が僅かながら多いが、学生はこれを、ほぼ「死ぬ自由」という点からみて、突き放し気味に是認している。死にたいと思うものには思わせておく・思わせてやる、当人の勝手である、という姿勢である。生は死よりも難しく、自ら死ぬ者は敗北者だとも決め付けている。否定と肯定とが裏返しになっている。積極的な肯定は少なく、思弁的に「自殺」をあえて「生きる権利」の一つに数えて是認する者もいる。「死」の私性と社会性とがせめぎあってもいる。
「死刑」を是認する声のほうが否認する者よりも都合大勢いることは、どう読めばいいのだろうか。理性と感情とのここでも激しいせめぎあいが見える。被害者の立場にたって実感すれば、死刑反対論はきれいごとに見えるという容認説は、俗説に似て容易に克服できそうにない、といったところが私自身の感想になる。なんといっても、やや気遠いこと、という感じがあり、やや一般論や情報論ふうに流れている。
 三つとも大変重い大事な問題であり、これまでもしばしば考える機会があったし考え続けているという学生が多くて、心強く思われた。
 
 
 

   頭脳と心臓 ーどちらかに強いて「こころ」とふりがなをー

 「頭脳」と「心臓」と。そのどちらかに「こころ」と「ふりがな」を打って欲しい。そう「挨拶」してみた。
 授業の主なる話題に漱石作の『こころ』を取り上げているのは、毎年のことだが、言うまでもない、この作品には青年期の悩ましい問題が満載されている。金、恋、嫉妬、疑心暗鬼、信頼、裏切り、結婚、貧乏、下宿、故郷、親類、自殺、友情、夫婦、親子、母子家庭、大学、時代等々。
 これくらい学生たちと話しやすく問題を考え合いやすい小説は少なく、しかも八割がた、大なり小なりすでに読むか「あら筋」を知っている。
 「心」の問題は教室に充満している。己が心と自問自答の力も養うことなくて、何の「読書」ぞとしょっちゅう挑んであるから、上のような質問には、すでに応える姿勢ができている。まして東工大は自然科学の研究と教育の最も進んだ大学の一つであり、わるびれることなく、学生の多くが自分をその方面方面の「科学者」であると自任している。そういう学生にこういう出題をしてみること自体が、「工学部(文学)教授」には楽しみである。すこし意地悪く若い魂を「心見て」いる。

 楽しみを補充すべく、もう一つ、質問を加えてみた。
 自分でどっちかへ「ふりがな」するだけでなく、自分以外の東工大の学部学生たちが、どう答え、「頭脳」に「心臓」にの比率がおよそどれくらいに分かれるか、それも推量してみて欲しい、と。
 心臓死と脳死との「死の判定」問題には、東工大の学生たちは、さすがに関心が深い。他の教室でも話題にされているように聞こえていた。
 わたしは「頭脳=こころ」派が7割程度を占め、「心臓=こころ」派を数において凌駕するだろうと予想していた。じつは学生たちもほぼ同じ予想比を出してきた。1年、2年生とも、「頭脳=こころ」と考えている学生の方が断然多かろうと予測しており、3年生ともなると、実に99:1程の差がつくだろうと予測する学生もいたのである。
 結果は大違いであった。蓋を明ければ、1年生では真逆様の7:3で「心臓=こころ」派が多数を占め、2年生では6:4で、3年生になってだいぶ5:5に近づいたものの、それでも人数において、確実に、「心臓=こころ」派が「頭脳=こころ」派よりも多かった。
 この大学の「他」の大多数の学生たちは、きっと「頭脳」にこそ「こころ」は在ると考えているだろう、が、自分はちがう。自分は「心臓」に「こころ」が宿っていると考える・考えたい、という学生たちが明らかに多かったわけである。

 ある同僚教授はこれを聞いて「そんなにロマンチストが多いのかなぁ」と半ば慨嘆の風情がみえた。ある医師に聞かせると、「よかった、安心しました。いい反応ですね」と嬉しげだった。
 正直のところ、わたしも学生もこの結果には驚いた。学年がすすむにつれて「頭脳=こころ」派が確実に増えてきていることも含めて、これらの結果を、わたしは慌てて解釈したくない。出来ない。わたしの関心は、むしろこの結果を出した学生たちの、「表現」のほうへ向かう。以下、学年別に、代表的なそれぞれの発言を聞いてみたい。
 

* 自己評価の高い、あまりに高い人間の多い大学で、驚き呆れている。それはそれとして、例えば円周率はとか無理数の解とかいう情報が、身体のどこに浮かんでくるかとなると、普通の人は頭、それも前頭葉近辺に浮かんで来る筈である。前から怖そうな人が来たら「まずいぜ、避けて通ろう」という判断も頭(頭脳)に浮かぶだろう。一方、「胸が熱い」「胸につかえる」等の表現もある。おそらく感情が胸の方に下りてきたのだ。
 情報を提供したり判断する「こころ」は「頭脳」で、強いていえば感情の一部は「心臓」であろうか。他の学生たちも8.5:1.5で「頭脳」と考えていると思う。 (男子1年)

* 心が脳に在るのは当然である。人間が物を考えたり感動したり悲しく思ったり怒りを感じたりする、それら心の活動が全て脳で行われることは、生物学的に明らかである。私は、心臓は生体的な生を象徴し、脳は人間的な生を象徴していると考える。心は人が生きている証であり、人間を人間たらしめている。ゆえに「頭脳」と私は考える。全学では、5:2で「頭脳」が多い。 (男子1年)

* 「頭脳」にルビをふります。「心臓」にはたしかに「心」の文字が含まれていますが、語感からしてただ臓器を表しているだけと感じます。「頭脳」とは考える所であり、思考と心とはほぼ同義に思われます。ただ心には思考だけでない感情的なものも入る分、多少ためらう気持ちもあります。私は、頭脳1に対して心臓2の程度に分かれると予想します。 (女子1年)

* 「心臓」とふりたい。頭脳のイメージは理性につながるから。「こころ」「理性」は相反するように思われる。なぜなら、社会の中で生きている私たちは「こころ」の言うままに生きられず、必ず理性で制限しなければならないから。理性とこころの両者をもってはじめて人間である。私は人間くさく生きたい。両方を生かしたい。とはいえ「心臓」 とするのにも少し抵抗がないといえば嘘になります。7:3で「心臓」(女子1年)
 

 出題自体にもともと「強いて」いる無理があり、それに対しどんな「抵抗」が現れるかにも興味があった。自分としては「身体」に「こころ」とふりがなをしたい。「こころ」は身体の全体をつかって感じたり表したりするものだからと、1年生の男子が付記していた。
 同じ意味で、「私」に「こころ」とふるのがいちばん正しいという学生もいた。私の求めていた本当の「こころ」は、むしろこういう異説のなかに在った。挨拶とは、強く押し強く押し返すこと。強いと強いとの間に摩擦で発光してくる何かを誘うのが、わたしの一番の願いであった。
 

* 「こころ」は人間を象徴している。その神秘的な不可解さは「こころ」による。「こころ」は武器にも薬にも何にでも変身する。心臓は「心の臓器」で、また人間の体の中心に在る。言うまでもなく人は頭で考えているけれど、それでも私は「こころ」は人間の 中心に在るとの思いを捨てられない。頭脳6:心臓4と予想します。 (女子1年)

*「こころ」は心臓にあると思う。自分が何かを感じる時、頭などは何も働いていない。鳥肌が立ってきたり心臓がドクッとしたり、頭で考えているのではなく、体が自然と反応している。でも、予想比は、頭脳7:心臓3です。 (女子1年)

* 頭脳と心臓とどちらが正直か、正直な方が「こころ」だと思う。どちらかといえば「心臓」を「こころ」と私は答える。が、やはりこころは「こころ」と表現するしかあるまい。頭脳は筋道を追って考え理解し、また、新しい事を思いついたりするのに使われる。つ まり根底に言語の入りこまない心があって、その上に言語の入りこむ頭脳があるのだ。私は「心臓」と答えるが、他の人は、9割が「頭脳」だろう。 (男子1年)

* 物事を考えるのは確かに頭脳であるが、精神は胸、およそ心臓のあたりに在ると考えられる。例えば一人でものを思っている時、私は何か胸のあたりから自分に向かって声を出している感じがする。「胸に手を当てて考えてみろ」とも言う。人間の心理とか精神というのは胸、心臓のあたりにあるのではないか。すなわち頭で考え心で話すといったように。その意味で「心臓」としたい。ただ私はこの心臓を身体の器官である医学 的な心臓というより、胸または身体の中心としてとらえている。6:4で「心臓」が多いだろう。 (男子1年)

* 「心臓」です。「頭脳」とすると「こころ」が上辺を装って造り上げられた感じがして、そんな「こころ」は信じられないし信じたくないからです。「心臓」は正直すぎるほど正直な感じを受けます。心臓の鼓動の力強さからは激しい感情を思いうかべます。そのような「こころ」同士なら、互いにぶつけ合ったり優しく包み合ったりすることで信頼を得られます。頭脳にはそれが期待できません。心臓7:頭脳3。 (男子1年)

* 「心臓」です。頭脳は現在のもつ過去や未来との関係を、普遍的体系的非個性的に問題にし、「こころ」ではその時その時が問題になる。「こころ」と「頭脳」とは対立したものとぼくは考えている。心臓7:頭脳3。 (男子1年)
 

 二百人余りのメッセージから抜いているので、予想比などは先の紹介どおりになっていないが、難しい問題だからか、確信して書くというより、じっと思案し、いくらか混乱しながら言葉を探しているように読める。頭脳でも心臓でもどっちにも言えるような文章も混じってくる。次に、2年生の四百人から拾ってみる。
 

* 頭脳の活動がすなわち「こころ」であろうと思う。人は内部外部から入ってくる様々な情報を、頭脳に存在する人それぞれの解析方法で処理し、結論を出したり大いに悩んで結論が出せなかったりする。人の「こころ」とはそれら活動の積み重ねであり、すなわちそれが「こころ」の深さ広さになる。 (男子2年)

* 「頭脳」である。心臓には喜び哀しみを生み出す機能はない。心の奥底とは頭脳の奥底であり、感極まって胸の痛くなるのも頭脳の働きが生み出している。「心」とは何か。人間の思考・行動を方向づける根底であると思う。楽しい気持ちのときは明るい思考で自然と笑顔になり、暗い行動はしなくなる。暗いきもちの時はその逆になる。心とは、頭で考え出すものではないが、頭脳の考える部分の奥底の部分に存在する。だから「心」を制御することは難しい。 (男子2年)
 

 仏教で説く末那識とか阿頼耶識などの認識にも手が届きそうな発想をしている。
 

* 「頭脳」に「こころ」とふりがなするのは、ためらいがある。ここ数年、私は感情というものを軽視してきた。非論理的・非科学的なくだらないものだと。そして論理とか現実とか理性などをより重要に考えてきた。数回しか会ったことのない祖母の亡くなった時、「悲しい」感情をむりに押し込めようとしたのもその結果だったろう。もう、そういうふうに考えるのは、いや、だ。確かに非科学的・非論理的かも知れないがそういう感情もこれからは大事にして行きたい。 (男子3年)

* 「心臓」はあくまで臓器であり、それに比べ「頭脳」とは人間がものを考える場所だ。強いていえば「頭脳」だろうが、頭脳=こころ、とはやはり思いにくい。「こころ」はものごとを感じるところだし、しかも純粋に感じるところだ。今の世の中の様々な、例えばにくしみ、プライドetcを除いた状況で。いわば生まれたての赤ん坊のときのように。生きていく中で周囲に影響されて人は変わって行くが、そういった関わりのないーー抵抗のないーー状況で物を受け止め感じる所、それが「こころ」だと思う。人間の根本の「感情」の巣である。ある意味で「こころ」はキケンな場所だとも思われる。人はそれをコントロールするために理性を駆使し感情を外に出して行く。それが頭脳の働きだ。 (女子2年)

* 現在は「頭脳」と考えています。つかもうとしてもつかみ切れないもの、雲のようなもの、のぞきたくてものぞきこめない底無し沼のようなもの、それが心です。その神秘性が宿るのは人間の中には頭脳以外に無いと思います。人間の心ほど素晴らしく恐ろしいものは無いと思う。私は建て前の人間だとよく人に言われます、正直、自分もそう感じています。心のおもむくままに行動したいと思いますが、孤立するのが怖くて勇気を出すことが出来ません。弱い自分だと思います。だからと言ってすべてをさらけ出す訳にはいきません。どの辺でバランスをとれば良いかわからない。心のまま行動できる友人がうらやましく、時にねたましくもあります。でも私は弱いながらも弱いなりの自分を愛しています。悪い人間だとは思いません。心にもたくさんのいいところがあって、ふとした偶然でそこにふれると、とても嬉しくなることがあります。捨てたものではないと思っています。 (女子2年)

* 私は「頭脳」だと思う。9:1程でこう考える仲間が多いと思う。心臓は血液中のガス交換を行う場所で、意志決定をする意味では「頭脳=こころ」だろう。ただこの3年間東工大で暮らしてみて、この学校では私も含めて「頭脳」を欠如・排除することを当然と考え、たんに「頭脳」を「ずのう」としてしか使っていない人間が多いのではなかろうか。秦先生の授業を私が選択した理由は、この疑問を解決するヒントを得たかったからです。本当は東工大だからこそ「頭脳=ずのう」に止まらない「頭脳=こころ」というセンスが必要なのではないでしょうか。 (男子3年)

* 頭脳も心臓も「こころ」ではないと思う。「生命」ではないか。生きているということが、「こころ」だと思う。強いてというならば、「頭脳」だが。 (男子2年)

* 現代では思考はすべて脳で行われているのは周知の事実ですが、一番「心」の表れるのは心臓ではないかと私は思うのです。英語のheartは心臓と心との意味ですし、喜怒哀楽などの感情の宿る心もheartです。知性理性の宿る心はmindで、魂の宿る心はsoulです。私は「こころ」と聞いて先ず感情的な心を最初に思い浮かべたようですし、頭脳とした人はmindのような心を思い浮かべたのでしょう。mindも大事です、が、やっぱり私はheartを大事にしたいです。一番heartを感じる時、それはむろん恋をしている時でしょう。好きな人に想いを伝える時の心臓がドキドキする、あるいは会っただけでもドキドキしてしまう、そんな体験はだれにもあると思います。そんな話を以前私よりも七八歳年上の人にしたことがあります。その人は最近そういうことがなくなったなぁと言うのです。年を取ると、つまり数年のうちにheartな心が少なくなってしまうのでしょうか。数年後もし今日と同じ質問をされたら「頭脳」の方になっているかも知れません。 (女子2年)

* 理性同様に感性も重く見たい。「頭脳」ではあまりに冷たい。「心臓」だ。(男子2年)

* 美しいものを見たとき、心臓に清い冷水が流れ込むような気がいつもする。美しいもの汚いものをまのあたりにするのは人が生きて行く上での糧だと思う。とするとそれらを感じる場所は生命の源、心臓であるのは間違いないことだ。ちなみに私は脳死という考えに賛成しない。 (男子2年)

* 人の心は生物学的には脳にあるんだろうと思う。脳について解明されていないことは多いが、脳の機能の停止した時をその人の死と考える事が多いようである。昔の人は魂が身体から抜けることで死ぬと考えた。非科学的かも知れないけれども合理的ではある。脳のどこそこの機能が…と考えるよりもわかりやすいし、死だけでなく生きている時間についての説明もしやすくなる。今私のもつ感情、見ているものは、みな脳による情報処理の結果であると考えるのは納得しにくい。そんな考え方をすると、この世界のすべてのことは、私の脳の情報処理によるもので、たんに想像の産物にすぎないかも知れないということになる。これは恐い考え方である。底がない。それより人の心が魂であるとすれば、もっと単純なことになる。こう考えた人頭がいい。魂はふつう心臓にあると考える。私は中学の時の文集に「恋風」と書かれた一文を忘れない。その冒頭に「君は僕の心臓の拡張・圧縮をままにした。」とあった。この「心臓」こそまさに「こころ」だと私は感じた。恋をするのは脳ではない、魂だと私は感じる。恋に狂う心、激怒する心、悲嘆する心、絶望する心。心は血液の流れをも支配し、全身を支配し、心こそが人であり、人のすべてなのだ。私はそういう意味をこめて心臓に「こころ」とふりがなをつけれたい。 (女子2年)
 

「色即是空・空即是色」といった認識とはだいぶ別の所から「世界」と「我」とが見詰められている。「想像の産物」なんかではない、実質ある自己と世界。若い魂ならではの強い肯定が、科学的であるよりもより人間的な「こころ」へ向かわせているのかも知れない。急いで読み切る必要もない。考え方はまた日々に動いてゆくのである、八方へ。
 3年生のクラスからもすこし抜きだしてみる。
 

* 「頭脳」である。心臓は内臓の一つで思考できない。頭脳は脳という臓器の「作用」である。「こころ」も作用を示すことばで、頭脳の働きにふさわしい。東工大では、心底は頭脳と思っていてもひねくれて心臓をとる者が多いだろう、半々くらいになるかも知れない。心の「イメージ」だが、思考よりは感情である。感情はその人の本質を担うし、簡単に心根は変わるものでもまた見えるものでもない。心を見せるというのは、戦場へ丸腰で立つようなものだ。心はいわば大事な蔵である。家(人)にとって大事なものが蔵われ、顔を知った人でも家へは入れても蔵には入れない。時に気前よく蔵の中から出してきて見せることはあるが、蔵の中のぜんぶを知らない以上はそれがその家・人にとってどれほど大事なものかどうかは分からない。貧しくなれば蔵の中のものを売りとばし、裕福な時は買ってきて蔵に収める。やはり頭脳である。 (男子3年)

* ロジカルな自然観とフィロソスな自然観のどっちを優位にみるかで変わる。人がただの蛋白質であるにかかわらず、生まれた以後に、以前には無い「こころ」という不思議なファクターが存在するのは確かです。これを外から来る物とするのは不条理ではないでしょう。そして人の生命の根源と今もされている(心臓死はそういうことでしょう)心臓へ、人が生まれた後「イデア」が注がれると考えるのは適切な気がします。私は、結果、「心臓」を「こころ」と見ます。 (男子3年)

* 8.5:1.5でさらりと頭脳をイメージする人が理系では多いと思う。新渡戸稲造氏は、切腹を「腹に何もないことの証明」つまり腹に心が在るという信仰によるものと『武士道』に述べている。最近の医学研究で腹部に神経節つまり小さな脳があると分かった。昔の武士は合理的だったのかも。そういえば脊髄にも同じことがいえる。バックボーンといい、背筋を正すともいっている。生命系の学部(生命理工学部)にいるせいか、「心とは思考」「考えるのは脳」したがって「心は脳に在る」と条件反射のように考えてしまう。ただ、心は脳ほどにもーー科学的にはーー分かっていない。つかみどころが少なすぎるからだ。ちょうど動物の夜の行動をサーチライトで照らして見るのと似ている。一番見たい所は、ライトの明るさの故に動物は見せてくれないのだ。 (男子3年)

* 心臓とする人が6割程度と予想する。私も「心臓」とする。こころとは自然に持って生まれた、人間を個人として存在せしめるもの、であると思う。表面上の飾りや、外からの評価や、偽りなどの脆い部分が全て取り去られて残る、本当のもの、真実のもの、揺るぎない強いもの。内からの、真髄そのもの、という意味も含め「心臓」を選んだ。これに対して「頭脳」は、より人工的で、外からの知識、外への見栄などがつめこまれた場。理性を学び取る場。こころは無意識を含めたもの、頭脳とは極めて意識的なもの。 (女子3年)

* 心の動きは胸に現れるとする表現が多い。heartが心と心臓とを意味しているのは、心臓が止まれば心も死ぬことを意味している。逆にいえば心が死ねば体は生きていない。生きるとはすなわち心が生きていることになる。「心臓」を「こころ」と、やはり考えるのが自然であろう。心の動きを血液にのせて体のすみずみにまで運び、体でその心の動きを表現する。また五感の働きを血液にのせて心臓に運びこむ。心は血の様子から自分の身のまわりの様子を知る。心の死んでしまっている人を、「血も涙もない」とか「冷血」などというのは、人のもつ「心のイメージ」がこういうものであったからだろう。 (男子3年)
 

 ちなみに「心臓」でも「頭脳」でもないこういう漢字に自分は「こころ」とふりがなをつけたいという語を挙げておこう。まさに「こころ・ごころ」というものである。
 魂、意識、生命、私、精神、意志、感情、思惟、体、全身、自身、理性、情。
 繰り返していうが、確信されてもう変わりッこない意見が出ているのではない。必ず近いうちに互いに逆のことを言わないでもないのだ。それが「こころ」であり、そこに、わたしが早くから言い続けてきた「からだ言葉」「こころ言葉」の具体的な造型・表現力の意義がある。人類にとって、「こころ」ほどいろんな角度から手まさぐって来た高貴で脆弱でしぶとい道具は無かった。しかも人により「イメージ」はあまりにさまざまであった。試みに「心変わり」「心構え」「心得」「心を砕く」「心温まる」「乱れ心」「得心」「心ばかり」「心のまま」「心が騒ぐ」「静かな心」等々の「こころ言葉」の数々を拾って思案してみよ。
 
 
 

   嫉 妬 ーなぜ嫉妬するか。どんなときに嫉妬するか。−

 なぜ嫉妬するか。どんな時に嫉妬するか。
 「嫉妬」は人間の業である。人間の描くドラマの主題は愛と死だとよくいわれるが、なかなか、嫉妬も負けていない。もっとも嫉妬も愛の変形である。そして神代の昔から神さまの世界にも嫉妬が渦巻いた。和が朝の天孫がせっかく得た妃の一夜孕みを疑ったのも、嫉妬だろう。ギリシア・ローマの神話だと神々の嫉妬の例はもっと多い。ましてや人間となれば、王や貴族にも、庶民にも、枚挙に暇ない。
 東工大の学生たちは、それなりに受験戦争を闘いぬき勝ちあがって来ている。その意味では人に嫉妬される側のようであるが、幸か不幸か人は、嫉妬することに苦しんでも嫉妬されていることには意外に鈍なところがあり、それには思い及ぶこと少なくして、やはり、猛烈に嫉妬に苦しんでいるのが一般である。
 嫉妬といえば、むろん男女異性の人間関係につきもののようで、それに相違ないが、それだけに止まるならまだラクなものだと、学生諸君ですら考えている。なんといっても、大人のドロドロした嫉妬の修羅を味わうには、基盤になる恋愛沙汰そのものの血の気が、現今の学生諸君には、奇妙なほど淡い。恋愛よりも「付き合い・遊び」にちかい線を、自己防衛の姿勢もぎりぎり保ちながら「恋」を戯れている例が多いから、嫉妬も失恋も別れも、さばさばとした例が予想以上に多そうに見受けられる。波打つように、「お別れラッシュ」が流行りの相をみせるかと思うと、告白と付き合い開始の兆しになんだか学内が色めき立っていたりもする。わたしほど大勢の学生を教室に迎えているとそれが見える。
 観ていると「嫉妬」の猛烈な苦痛を避けたくて、男子側の付き合い方に、腰がはなから引けていたりする。恥かしいのは、現在の恋人の気持ちを「信じていないこと」という告白が、わたしの手元に数集まってくるぐらいである。つまりは「恋」なるものが、信じられていないらしいのである。

 だが他方、ここは辛いところだが、互いの才能・学力・魅力・人徳等々に対する嫉妬心の交換は、選び抜かれ勝ち上がって来た学生たちだけに、内心、熾烈なのである。男女比が極端に開いて女子の少ない大学であり、恋愛の成立例が他のマンモス大学のように行かないのははっきりしている。だから男女問題での嫉妬も深くなるといえるが、実例は比較的少ないとも言えるのである。その方面の嫉妬事件がもともと乏しい環境なのだ。
 ところが秀才同士の自尊心に発した嫉妬は、日々のことである。1年生は、来年度からの「学科所属」をはげしく争っている。学科にも定員があり、人気の学科には希望があつまり、容赦ない競争になる。あぶれた人数は第二第三の志望へまわされ、これが2年生の新学年の明暗をくっきり分ける。学科所属に破れた苦痛や無念をうったえる学生は、信じられぬほど多い。せめて悔いの思いを「秦さん」ぐらいには愬えたいというわけか。心で泣いて、表向き耐えている。あえて留年して志望に再挑戦する学生もいるようである。
 嫉妬とは、渇望という欠陥部がどうあっても満たされず、腐蝕の度を増してゆく業苦であるが、比較され競い合う(幻影や錯覚であっても)他者の存在なしには成り立たない。誤解や曲解もともなう羨やみ、ひがみが、妬みの芽生える湿床となって、加速度的かつ自虐的に胸のうちに繁茂して行く。辛さに耐えかね時おり正気がもどり、その正気がまた自身を責める。暴発する者もいる。心身の平衡を失してしまう者もいる。感情を圧して殺してしまう者もいる。むろん嫉妬をエネルギーに換え、奮発する者・飛躍した者もいる。
 結果的には、意外とも思わないが、この奮発者が学生には、東工大の学生にはさすがに多いのである。嫉妬しないで済むわけは、もともと弱い普通の人間には無いし、破滅したくないなら、奮発して抜け出るしかない道理である。その道理は大勢の学生諸君がかなり心得ているように見える。
 

* 他者に満たしてほしい心の一部が満たされない時、恋愛でもそうだし、肉親や友人との間でも、往々にして嫉妬心の食い入ってくることがある。「私がこんなにあなたに心を向け与えているのに、何故あなたは何もくれないのか、悪意でも嫌気でもどんな感情でもいい、わたしに向けてくれるなら、我慢できる。けれど、私以外の他人にばかり気を取られ、私には何も与えてくれないなんて、辛すぎる。」悶々とこんな気持ちを反芻し耐えられなくなって心が出口を求めた時、自分の渇望しているものをやすやすと受け取っている他者に対し、歪んだ嫉妬心が噴出する。嫉妬とは激しいもので、裏には堪らない寂しさが張りついている。その寂しさが、じつは嫉妬の自暴自棄を必死に支えているのだと私は思っています。 (女子)

* 僕は人よりも嫉妬心が強いようです。彼女が他の男の人に目を向けているとき、楽しそうにお喋りしているのを見かけたときなど、特に強く感じます。彼女を他の男に奪われたくないからです。エゴイズムの表れだと思いますが、彼女を思っていればこそ嫉妬するのですから、逆にいえば自分の気持ちの確かめられる素晴らしい感情だとも思ってしまいます。 (男子)

* 私が嫉妬の気持ちをはっきり認識したのは、小学生の頃、友達が先生にほめられるのを見た時です。私は大体のことは人よりじょうずにできる子供だったけれど、それだけに自分の出来ない事をできる人に対して嫉妬する気持ちも大きかった。大人になるにつれて自分の才能だとか、容姿だとか、長所短所を少しずつ冷静に見られるようになってきて、嫉妬することも少なくなってきた。私は嫉妬しないのを大人らしい態度だと思い、嫉妬しないように心掛けている。しかし本当は嫉妬することが努力する始まりのようにも思う。 (女子)

* 嫉妬するのは自信がないからです。嫉妬している自分に気がつくと嫌な気分です。「もっと自信もてばいいじゃん」と自分に言います。嫉妬している自分はみにくいと思っています。
(挨拶の題と外れるようですが、)私は社会工学科に所属しています。主に都市計画や景観設計などを勉強します。他の、電気とか機械とかをやっている学科に比べると、人間に近い、人間が主体の勉強をしています。もともと人間に近い勉強がしたかったので、今やっていることはとても楽しいです。むろん実地に都市計画や景観設計の成されている場所、例えばニュータウンや河川敷などが親水性のある公園として整備されているところなどに行って見る必要があります。大学で単位を取るだけならその必要もありませんが、私は将来、景観デザイナーとかランドスケープ・アーキテクチュアといわれるような職業に就きたいので、いろんなところに実際に行ってでも学びたいと願っています。電車では限界があり、バイクの免許を取ることにしました。今まで体育の授業以外に運動をしたことがなく、運動神経の極端にわるい私にはかなり厳しいので、車のほうがいいかなと思いましたが、親に仕送りを増やしてもらったりせず自分でやりたかったので、安いバイクのほうにしました。バイクじゃないと実際買えないし。今はレポートとかも重なって練習が辛いけれど、あと2週間位だから、将来のために頑張ります。 (女子)
 

 この学生は後に大きな試験にパスして外国に留学していった。「自信」という言葉の内容を後段の意欲がしめしていると思われ、あえて紹介した。
 

* 私は非常に自分が大事です。体面も大事であるし、自分が中心にいないととても残念で、そうあろうとします。自分にその力がなく、もともと自分が中心にいられないと分かっている場合は、自分を上回る人を素直に認めます。そうでなく、自分のほうが能力においても相応しいと身勝手に思ったときは、自分より恵まれ優遇された立場や地位にあるその人を嫉妬します。また自分の全く知らない有名人に対しても、その人柄や人生も知らないでいて、やはり嫉妬してしまいます。それから考えますと、私は、私と他人とを比べ、しかも自己中心的に比較して、すこしでもその人が自分より劣っていると思ったとき、そしてその人が私より恵まれた何かを得ていたり注目を集めていたりするとき、私は嫉妬するのです。そうでないと自分の存在は意味無いものになってしまうからです。いつもその人たちより、なにかしら人間的にまた才能においても「上」であるというプライド(つくられたものだが)が、崩れてしまうからです。自分のしがみついているものが崩れようとしているとき、人は多く、嫉妬するのでありましょう。 (男子)
 

 覆面の述懐だからここまで書けるのか、そうでなくてもこの学生ははっきりこう表明するのかも知れないが、率直であり、またよく言い得ている。ひとかどの仕事をしてきた人なら、大なり小なりこのような心事から自在になり得ていたとは思われず、むしろ、このような嫉妬心を、さながら墓石の体に、自分の仕事そのものの重みで、押さえ込んでいるものだ。
 

* 人それぞれに力の限界があるから人は嫉妬する。ただの羨ましさでなくて嫉妬になるのは、手に入れたいものが、自分の能力や努力を超えた対象だと痛烈に思い知らされるからです。単に手に入らない悔しさだけでなく、限界を知らされてしまったやり切れない気持ち。その気持ちが自分の中だけでは消化できなくて、他人に対する嫉妬という形で表面に出さざるを得なくなるのです。 (女子)
 

 ほとんどの学生が、たぶん高校まではいつもクラスで、学校内で、トップクラスにいたと想われる。そういう学生が全国から集まって千何百人ともなれば、やむをえずここにまた順番が出来てしまう。上に上がいて、たとえ点数のようなアイマイな評価においてであれ、望まずして下位に甘んじる学生もできてしまう。「限界」の現実が表面的にではあれこう形成されてしまうと、かつてない自信喪失に悩んでしまう。入学して来たときは威勢のよかった元気者が、2年生になっての「挨拶」で再会してみると、心配なほどげっそり元気を失っている何人かを、毎年、識別できる。そしてその逆も歴然として実在する。それでも、「そろそろしっかりしてくれよ」と思っているうちに、めざましく元気回復、書いてくるものの内容がシャンと立ち直って来る例の多いのには、敬服してしまう。
 

* 好きな人、付き合っている人が、他の女の子を可愛いとか言ったのを耳にしてしまったとき、また自分の知らない他の女の子と遊びにいってしまったとき、嫉妬する。やり場のないつらい気持ちである。好きな人にも、その女の子にもぶつけられず、自分のうちにしか藏っておけないのが、嫉妬である。とてもつらい。しかも好きな相手を好きになればなるほど嫉妬は強くなる。私は恋をするとどうしてもその人しか見えなくなり、その人の一言一言やちょっとしたしぐさがとても気になり、全てがその人中心に回っているようになってしまう。独占欲が強いのである。嫉妬というと、どうしてもマイナスの感情という印象がある。出来るだけ隠したい。恋をするのは、つらい苦しいことだとつくづく思う。 (女子)

  過不足のないきっちりとした述懐であり、代弁されている思いの人は男女ともに多いと思われる。類似の文章がいっぱいある。
 

* 1、2年前まで、私は嫉妬なんて殆どしたことがなかった。でも実は私は嫉妬深い人間であった。一度手に入れたもの(愛)は手離せない。以前つき合っていた人が、だれか他の人と楽しそうに話しているのを見ると私は嫉妬していた。一度でも私を好きになってくれた人が段々離れて行くのはすごく淋しく、離れていくだけなら我慢できるかも知れないけれど、今、私の知らないところで他の人と楽しくやっているのかと思うと、ひどく嫉妬の念に苦しめられる。手に入れられなかった物や事は割にあっさりと諦めてしまうのだが、一度手に入れてしまったもの(それが私が望んで手に入れたものでなくても)には、諦めの気持ちが起きなかった。
 では何故嫉妬するのか。私の場合を考えてみると、自分のものであるか、ないか、その心の状態に原因がある。もちろん他人は自分の持ち物にならないと、冷静には、言える。でも、余りに仲がよくなってしまうと、その人が慕ってくるので、その人が自分の所有物(言い方は悪いが)のように思えてくる。それが嫉妬の念を生む土壌にになる。またその人(物)にだけ固執していても嫉妬が生まれる。バランスよく他のものごとにも目を向ければ、その人(物)の価値が下がるわけではないけれど、相対的に自分の心に占める割合を減らすことができる。それが必要なのだと思う。 (女子)
 

 よく読んでみると、これはズイブンな文章のようでもある。がっちり所有して手放さず、
しかも「相対的に自分の心に占める割合を減らす」ように「バランス」を考慮する…。どこか男の専制君主がやってきたことのようでもある。
 

* あんまり嫉妬はしたくありません。自分がみじめですものね。今日読んで下さった『海 辺』(井上靖の散文詩を必ず従業の最初に、コピーして配って、朗読している。)では、少年たちの「無意味にして無益なる闘争」に眩しさを感じ、その若さ、その青春に作者は「嫉妬」しています。もしかしたら本当に嫉妬したのはあるいは青春時代、遠い昔の、作者自身にであったかも知れませんね。嫉妬することで自分がもう青春にはほど遠い所にいると認識せざるを得なかった。青春のその繊細さ、ぜいたくさ、眩しさ。年を取っても「今が青春」と思える人もいるでしょう。そういう人は嫉妬したりしないんです。嫉妬を感じたとたん年老いた自分を認識しみじめになるのです。今年の6月、わたしはやっと20歳に成りました。秦さんから見ればまだまだ若いじゃないかと思われるでしょう。そんな私でも、まだ制服を着ていた頃自分のまわりを、時間はゆっくりと、あるいは信じられないくらいに早く流れていたこと、その繊細で、ぜいたくであったことに、どうしても嫉妬を感じないわけにはいきません。なぜなら私のおそらく最良であった時間を取り戻すことは出来ないからです。今の私は時間を惜しみ、面の皮を厚くし、自分の人生に言い訳をするようになりました。あの日、私は真っ直ぐ無限の日々へ歩いていたのに。自分の手に入らないものを持っている人に、それが過去の自分であっても、嫉妬します。世の中は手に入らないものばかりです。あぁ…あ。どうにもならないことなんて、どうでもいいこと。そう思えれば人生は楽です。(暑い中、おつかれさまでした。 ) (女子)
 

 扇風機に吹かれて目を閉じ、「しあわせ」と寝言を言っている尻尾の長い横寝のお猿さんが、紙のはしに、描いてある。溢れかえった階段教室には冷房の設備がない。六月末から七月へかけての授業は、学生も暑く、わたしも暑い。汗のなかを泳いでいる。そういうなかで、よく書けるものである。
 それにしても「嫉妬」は、若くてこそまだまだ輝きをもって意味深い。避け難いものならば、せめては敢然と闘ってほしい。
 
 
 
 

   父 へ ー父なるもの・父たることー

* 大学生になって初めて故郷を立って長春に向かう時でした。生まれて18年間、親を離れたことのなかった私の初めての旅立ちに父も母もすごく心配そうでした。母が「お金がなくなったらすぐ手紙を書いてね」とか「食べものに絶対ケチしないでねー」とか言うのにくらべて、父は無口に黙っていました。列車が間もなく来る時に、父が「ゆでたまごを買ってくるから」と一言を言い残し、広場の向こうへ走って行きました。広場が混雑していて、父の前へトラックが来た。そのトラックの前に立ちとまった父の背影(うしろ姿)が小さく、弱く見えました。その一瞬、なぜか涙が溢れてしまいました。私のことを愛して心配してくれている父に、「安心して下さい」と言いたかった! その時、親に安心させるように立派に強く生きていくようにと決心したのです。今でも父のそのうしろ姿が忘れられません。 (研究生 女子)
 

 夫君がドクターを修了直前の小さい子のある奥さんが、わたしのところで1年間だけ、主として漱石周辺の勉強をしていた。学部の授業にもよく出て来て、みんなと一緒に書いたり考えたりしていた。大学は中国で卒業していた。卒論には漱石の文学を書いたそうだ。
 東京へ単独で出て来て暮らしている学生たちの、ことに男子は、むろん女子も、お母さんには最敬礼にちかいのが、まず、一般的である。有り難みに日常の具体的なものがしみついている。
 そこへ行くとお父さんとは、アンビバレントなものがある。その辺を、引き出してみたかった。
 漱石作『こころ』の「私」が、しきりに「先生」と「父」とを比較している。中山明という若い歌人によれば「父島」という島は厳然と常に在り、しかし、息子も娘も、その島から遠ざかることも近寄ることもない距離をおいて、人生という海を航海したがっている。で、「父なるもの・父たること」について、問うてみた。
 

* 率直に言うと、我が家はどちらかといえば貧乏である。衣食住に困っていることはないが、私を私大に入れるとか下宿させるとかいうことになると、さっとお金を出せるほどではない。家も大きくないし、車も隣の家の400万円の新車と比べると見劣りする。私はその事を思うたび父を恨んでいた。父は「世の中にはもっと貧しい人もいるのだ」と言って今の状態に満足し、上を見ようとしない。私は内心、む「もっとばりばり働いてよ」と思っていた。
 その父が脱サラした。二年程前のことである。「上に命令されるばかりの仕事はもう嫌だ。自分なりに働きたい。働いてお金を稼げばいいってものではないんだ。」
 これから受験もあるのに、我が家はもう終いだと私は絶望的になった。しかし家族で父の仕事を助けているうちに、働く父を見るのははじめてだなあと思い、今までになく頼り甲斐のある人に感じた。父に対する私の憤りや恨みは完全に消えた。そして私は東工大に入学し、生まれて初めてバイトをしている。予備校のアルバイトである。友人は、時給も安いし時間も拘束されるし、家庭教師の方がいいよ」と、さんざんなことを言った。昔の私だったら割りのいいバイトにさっさと変えていただろう。しかし今の私は違う。「家庭教師は自分一人での孤独な仕事。私は、先輩がいて一年生がいて事務の人がいて、そういう中でわいわい仲よく仕事をするのが好きなの。」
 父に言いたい。「お父さんがあのとき今までいた会社を辞めた理由が分かってきたよ。働くってことは、ただお金をもらうことでも、肩書きをつけることでもないんだってことが…。自分のしたい楽しいと思う仕事をするのが一番幸せなんだよね。」
 ろくに口も利かず顔も合わせなかった父がだんだん身近に感じられて、とても嬉しい。 (女子)

* 「十七にして親を許せ」ですか。ぞくッとしました。だんだん父に対する目が厳しく冷たくなっている自分に、はっと気付いて。また自分の傲慢に気付いて。先日母が弟を叱っていた。そこへ父が帰って来て、「また同じことを言われてるのか、バカ野郎。何度言われたら分かるんだ、バカ野郎…」僕はそれを聞いて、帰ってくるなり叱られてしゅんとしている弟に、バカ野郎、バカ野郎とえらそうに言う父に腹が立ち、「バカ野郎しか言えねえのかよ。もうちょっと言い方を考えろよ、頭わるいんじゃねえのか。」父は黙った。僕は叱ってほしくなった。なぐってくれと思った。苦しかった。2日後、父に僕はあやまった。父の目を見れなかった。父はなにげない返事をした。父がどんなふうに考えていたか分からないが、つらい2日間だった。 (男子)

* 私にとっての父は、小学生の頃は絶対的なものだったのを覚えている。共に遊んでくれたり色々教えてくれたりしたけれど、さからえる人間ではなかった気がする。(暴君ともいえたかもしれない。)私が成長するにつれ、父も人間がかわった。よくなった。中学から高校にかけて、私は父を否定していた。(父親を認めなかった。)父は憎悪と軽蔑の対象だった。(その背景には、まあ、いろいろあった訳だが。)その反面父を尊敬していたと思う。父の中にある天才性を感じていた。しかし、それを否定した。2つの相異なる感情が心をうごき、憎悪etc.が勝った。人を好きになるより嫌うほうが楽だったからかもしれない。そのころ私は父とはほとんど話をしたことがない。話しかけられても、無視していた。自分が男なら、何度も、なぐりたい、と思ったことがあった。一度、父を挑発して、なぐりあいになりそうなこともあった。(母にとめられたが。)
 今は、私たちの間にそういう溝はない。父も、私もかわったし、私のそういう状態は、父には、けっこう痛切に感じられるらしかった。(母曰く。)それに、これは何のいい結果ももたらしはしない。父は決して大黒柱ではない。しかし、今思うと父親として失格ではなかったと思う。夫として失格であった。そこに様々な感情がうごめいていたのである。今、私は、憎悪より尊敬の念を持っていると思う。(軽蔑の念はまだ持っているかも。)しかし父親を尊敬するなんて、愚劣な事の1つだと思うが。どうであれ、私の成長の中に、大きな位置を占めたのは父であったことは確かだと思う。 (女子)

* 受験の済んだ今年の3月、東京へ出てくる前に父とキャッチボールをした。4、5年ぶりだった。その時、僕の思い切り投げた球を父は捕らずに避けた。同年代の中では非力な方の僕の球を「見えない」と言ったとき、どうすればいいのか迷ってしまった。「ドクターコースまで進むと、父の定年にひっかかるかも知れない」という事もその時初めて認識した。今まで父に対しては「おとなしい人だ」という思いだったが、それでも「強い父」を期待していたのだと気付いた。父とじっくり話し合ったことがないので、この夏あたり広島に帰った時、酒でもくみかわそうと思っている。 (男子)

* 父は好きです。本当に何でもできる。小さい頃から遊んでくれたし、料理も上手。父の考え方も私は大かた同意ができます。父は8割ぐらいは理想的な父であったし、今もそれは変わらないと思います。だんだん私が大人になって、父を父としてだけでなく1人の人間としてみる様になって、(母の人間としてのおろかさと比べて)ますます父が立派に見える様になりました。母の子供のような部分をどうしてあんなに寛大に許せるのか。とても父が大きく感じられます。父は昔の日本の父のように無口で家族を支えるタイプではありませんし、家族にバカにされて、すねてしまう事もありますが、父の事を自慢できる位、私は父が好きです。友達はみんな父親なんて別に好きじゃないと言いますが、私は父と仲良しです。でも普段は気付きませんが、最近父が急に老いたように感じる瞬間があり、そういう時は非常に心細くなります。今まで私の上から私を見下ろしていた父が、だんだん私より小さくなって消えてしまう様な恐怖を感じます。そんな時は父が死んでからの事etc.を考えてしまうけど、父が死んでも平気なように強くならなくてはいけないと思っています。「父。安心して死んで行けるようにするから、何も心配しないで、疲れたら死んでいいよ」と言える様になりたいです。 (女子)

* 別に感動させる話はありませんが、誠実なあの父に愛されていることが私は嬉しい。昔はケンカもしたし殴られたりしたけど、そのおかげで、いい父親と思えるようになった。祖父が頑固で、父はそれが嫌だったから、今、こうしていると思う。普段言えないので、ここで、父に、一言。「少しは尊敬もしているんだからね。」 (男子)

* 昨年の夏、ほんのささいなことがきっかけで父とけんかをしました。その日以来、私は父と口をきかなくなりました。父の顔すら見るのも嫌でした。父に話しかけられても、私は何も答えようとしませんでした。それから1か月後、この状態を見かねた母の仲介で、父と話しあうことになりました。父はかなり頑固な性格で、決して自分の言い分を崩そうとしません。私はそれを崩したくて、必死であれこれと父に言い返しました。その最後に、私は、思わず、こんなとんでもないことを言ってしまったのです。「お父さんは家にいても邪魔で、自分勝手なことばかり言って、私や母のペースをくずしているのだから、休日もゴルフにでも行ってしまった方がよっぽどマシだ」と。その言葉を聞いた瞬間、父は急にこれまで有った勢いがなくなり、力の抜けた様子で「おまえ、ひどいこと言うなあ」とぼそっと言いました。その時、私は久しぶりに父の姿をまじまじ見たのです。白髪はいっそうふえ、なんだかやつれたように見えました。どっと後悔の念が私の中にこみあげてきました。一か月にもわたって父と口をきかなかったことに何の意味があったのでしょうか。とても自分が恥ずかしかったのを覚えています。それ以来私と父はうまくいっていますが、まだまだ若いと思っていた父も、あと七、八年で定年になります。そして私もいずれは結婚などで父と別れて暮らすときが来るでしょう。父にはただ一人の娘である私にとって、将来の父の姿を考えると、ちょっと心配になってしまいます。 (女子)

* 僕の父は父親に早く死なれているので、僕に、「おまえはお父さんがいて幸せなんだぞ」とよく言います。小学生くらいまでは、父はなんでも知っていて、父のする事はなんでも正しい大きな存在でした。中学生、高校生の時は、父などというものは僕にとっては何をするにも障壁となり、敵でした。それは今でも変わりませんが、1?3年前から父が感情をあらわにするようになり、弱さを見せるようになったと感じています。先日も父と2人でお酒を飲む機会があったときも、酔っぱらいながら、「今日は楽しかったなあ」と何度も言いました。その時、(父親=祖父に早く死なれて)お手本の無いまま、父が父として悩みながら僕を育ててくれたのだと思い当たりました。今、僕はやっと父がいて幸せだったと感じはじめています。 (男子)
 

 読んでいて、感傷と笑われるだろうが、わたしは涙ぐんでいた。このお父さんの「今日は楽しかったなあ」が、しみじみと分かるからである。わたしの息子はもう社会に出ているが、まだ幼稚園だった昔から今まで、かわりなく息子の「存在」そのものにどんなに励まされ慰められてきただろう。そんなことを思うのも、わたしの「弱ってきている」証拠なのだとは分かっているが、わたし自身は、むかし、実の父のためにも育ての父のためにも、この学生のような、わが息子のような息子では全く無かった。それだけでもわたしは自分の人生を失敗であったと痛切に思う。
 

* 父よ。現世からあなたと語り合おう。酒をくみかわしながら明るく楽しく語り合おう。現世から天国。天国から現世。このすれ違いは人の若さと老いとのすれ違いである。ただただ、未来について語り合おう。私とひざをつめて語り合おう。生きるとは何かを。 (男子)

* 私はものごころついたときから、父よりも母のほうが好きでした。父は私にはとても優しい人です。それでも私は彼が好きではありませんでした。おそらく自分自身が嫌いな部分が、父に似ているからでしょう。ふだんは私の奥底に隠れている激しさや他人への批判やもののい方、それらが、彼から受けついだものだということが、苦いほどによく分かるのです。彼のそんな部分を見るたびに私は彼を不快に思ってしまうのです。けれどもこの春私は家を出ることで、心の中に少しの変化が生じました。一人になって、考えや生活が私の裁断一つにかかったことで、私は自分を支えているものが彼からの影響を多大に受けていることに気づきました。それらは彼が言ったことそのものであったり、全く反対のものであったりしますが、彼あってこそのものであるのは確かです。そのことにまだ多少の苦々しさを感じはするものの、今までの私と彼との歴史を感じさせられ、胸にくるものがあります。おそらく彼は私より先に死ぬことでしょう。私がそのとき何を思うかはよく分かりません。けれども、そのときこそ、私は彼にゆずられた全てのものを、苦さを感じることなく、誇りさえ感じられるときだと思います。 (女子)
 

 まるで、わたしの娘が語っているような錯覚にとらわれる。いやいや、それはわたしがまだ甘い。せめてこうであってくれればいいがと、願うにとどめよう。
 

* 私は父が嫌いでした。今は、そうではありません。酒を好み、ものに感動して涙など流す父。理不尽なことには心から怒る父。父への感謝をうまく表に出すことができません。近づきもせず遠のきもせず、一定の距離を保ったまま。それでもじっと見守ってくれている父です。父が好きです。 (男子)

* 自分が成長するにつれ「絶対なる父」は崩れ去っていった。父の言葉にも疑問を持つようになり、父がそんなに強い人間でないと感じるようになったとき、私は悲しいような、寂しいような気がした。そんなふうに私に思われている父がかわいそうになった。父にだって弱いところがあって当然だ、が、父には常に強くあってほしいのだ。せめて私には弱いところを見せてほしくない。 (男子)

* 少し前、母から、私のまだ小さかった頃の話を聞きました。父は最初は会社勤めをしていましたが、業界の不調もあり、数々の会社を転々として非常に苦しい生活だったそうです。あげく祖父のやっていた店を継ぎたいと申し出ましたが、祖父と揉めて、ずいぶんひどいことも言われたそうです。それでも父の努力で商売は好調に推移し、今では一戸建ての家も持てるようになりました。私の記憶にはそんな苦労を見せた父の姿はありません。私には見せたくなかったのです。ふだん陽気な父にそんな苦しい日々があったとは夢にも想像できなかった。私は父の雄大さをはじめて感じ、父が越えられるだろうかと思いました。越えたくも、越えられて欲しくなくも、あります。 (男子)

* 父の実家はとても複雑で、家中で裁判をやっている。親と子で。兄と弟で。兄と姉で。姉と弟で。父の実家には愛、家族愛などというものは存在しない。その裁判は今は20年以上にも及んでいる。私の生まれた頃から争っているのだ。その反動であろうか、父は私たち家族を非常に大切にする。我が家は3人家族なのだが、いつも一家で行動する。両親を私は一番に愛している。今、東工大でこんな楽しい思いをしていられるのも、父の教育への理解があってこそだ。裁判のせいで、父の親、つまり私の祖父母は私の父の溜めていたお金や家を取りあげ、会社までくびにしたのだ。父は私と母とをかかえて、ひとりで一円からお金をためて、30歳にして新入社員(再就職)となって、初めからやり直して来たのだ。どんなにつらかったろう。どんなにお金をかけて私をこの大学まで入れてくれたろう。父はよく私に、「自分のような思いはさせたくない」と言っていた。私を愛するあまり父は私の受験の終わるまで、自分の学歴さえ私に偽り生きてきたのだ。大学生になって、幾つもの父の苦しい過去を知った。父はその間も私に「苦しい」の一言も漏らさなかった。なんと偉大なのだろう。私はこの年になり初めて父を尊敬している。大学生になるまで、尊敬する人はと聞かれると、偽善で「両親」などと言っていたのだが、今では本当に尊敬している。 (女子)

* 父は船乗りなので私は人生の半分も父と一緒に生活してはいないし、これから先も一緒に暮らす機会は無さそうだ。そのせいかも知れない、私は父に嫌悪感など感じないが常に緊張する。幼い頃も休暇で帰ってくる父は、父という名の特別の客のような気がして、妹たちがするようには抱きついていけなかった。そういうふうに甘えるのはいけないんだという意識があった。あのときの父の気持ちはどんなだったろう…。今だに緊張は解けない。父と二人で話す時はとてもぎごちなく、かろうじて父にそれと感じさせないようにしている。なにかマニュアルに従って話しているようで、母とのようには喋れない。しかし父は変わりつつある。年を取り、単身赴任するようになり、父は以前ほど厳しくなくなった。娘の機嫌をとるようになった。自分から家族に溶け込もうとするようになった。そして私は父のそういう変化が分かるようになった。父と私の関係は、「これから」であると思う。 (女子)

* 子供の時、父は世界中で最も偉大な人でした。父を見る私の目にはいつも尊敬と畏怖の念がありました。父は私の行動や考えにいつも絶大な影響を与えました。そんな父を憎んだことも少なからずあります。いつも私の前を歩いていた父。しかし今は父への劣等感はかなり小さくなり、父の背中に手の届きそうなほど近づいているように感じられます。尊敬の念は残りましたが、畏怖の念は消え去りました。もはや完璧な支配者などではなく、欠点だって少なからずある一人の人間として見られるようになりました。将来父と私は完全に横に並んで歩くことになるのでしょうか。どんどん成長するにつれて変わって行く「父」とは何なんでしょうか。自分が父になったら分かるのかな。それでも分からないのかも。ともあれ「私」を一番よく知っている人間、それが「我が父」です。  (男子)
 

 「これから」という一語に、希望が光る。また、「我が父」と囲った気持ちが、びしっと胸に届く。まだまだ、ある。子供の病気に心を砕いた父親。死にかけてこどもにその命を必死で祈られた父親。学歴にこだわり、子供に「いい学校へ行ってくれ」と辛かった過去を切々と語る父親。まだまだ、ある。全部をここへ挙げたいいちばんいい文章がここに揃っている。嫌われ、憎まれ、敬遠され、疎まれ、敵にされ、壁にされ、無視され、それでも子供達は父親を見捨ててはいない。安心した。むろん甘い気持ちでは居られないのが父親である。峻烈な父批判もある。憎悪の的にもなっている。
 ただ、こういうことは、ある。
 半年たち一年たったところで、そういう過酷な父への言葉を、静かに訂正して来る学生も、事実、いるのである。だから、あえてそのテの過酷に過ぎる文章はここに拾わなかった。
 学部の一般教育でも、「知識」を授けるのは主たる目的であろう。しかし東京工業大学での「文学」の教師を引き受けたわたしは、文学の知識をあたえるのを第一の仕事とはしない。文学・芸術に接したとき、そこから人生を感じたり知ったり、また深く強く励まされたりできる為の、「自分の言葉」を紡ぎ出させることに力点をおいてきた。文学史なら読書でまかなえる。文学の研究方法は東工大の学生にほぼ無用である。篤志の者にはわたしの部屋のドアが開けてある。
 アカデミックに文学を概論し講義せよという、大学側のらしい、声が聞こえて来ないでもない。お望みに応じるのは容易である、が、くみしない。文学部でなら大事である。東工大でも数人になら可能だろう。わたしは、しかし、一人でも多くの「東工大」学生たちに、「文学」の面白さと、面白さの深さとを、己が感性と思索とにより発見し体験してほしいのだ。ただ五人や十人のために、作家生活の道草をくうのでは堪らない。わたしは、わたしにできる最善を学生たちのためにしたい。故郷や親や友人についてしばしば学生に考えさせようとするのも、自身の「根」に、とらわれることなく、だが枯らさないで欲しい、それが二十歳の「文学的青春」を豊かにすると思うからである。
 一読、なんと幼いのだろうと学生の手記を侮る人もあるかも知れないが、間違っている。これは高校生をやっと抜け出てきた世代の文章であり感慨である。述懐である。幼いのではない、真面目なのである。この素直さは、現代がもっとも大切に見失わないでいたい希少価値だと言っておく。
 
 
 

   親 ーどう思っているかー

 谷崎潤一郎が、佐藤春夫のもとで母親といっしょに暮らしていた娘の鮎子さんから、そのようにして暮らすについて約束の「送金」の滞っているのを、催促された。それへ返事して、

  難波江にあしからんとは思へどもいづこのうらもかりぞつくせる

という自作の小説「蘆刈」がらみの歌、一首を送った。「悪しからん」とは思うが、だけに引っ掛けてあるのでなく、「銭借らんとは」つまり借金してでも送りたいのだが、借り尽くして難儀していると応じている。事実かどうかは知らない、歌に余裕があり諧謔の気味もみえ、おもしろい。
 谷崎には、鮎子さんが生れてすぐ『父となりて』という、内容はまことに悪魔主義というか芸術至上主義というか、どぎついエッセイを発表し、特異な親子感覚をことさらに露出してみせた時期もあった、が、必ずしも冷たい父親ではなかった。そういったイキサツがらみに、名作『蘆刈』などを教室で縷々話していた頃の提題であり、そうでなくても、ことさらに「親子」のことは話題にし、関心をひくようにやや努めていた。
 大勢において二十歳の東工大生の「きょうだい仲」は、じつに親密である。きょうだいを知らずに求めつづけて育ったわたし、そして「きょうだいは他人の始まり」みたいな現実の例もたくさん知っているわたしには、これは、羨ましくも奇異にも思われる事実であったが、思えば学生諸君の年齢では、幸い両親健在がふつうであり、つまりは扇の要ががっちりしていて、だから「きょうだい仲」も破綻を生じていない事情が読める。
 それに比較して「親」ことに「父親」に対しては、必ずしも親和的一方とはいえない年齢相応の反発反感が見える。時に猛烈でさえある。しかしその近親憎悪そのものも揺れていて、年度の初めに凄いほど罵倒されていた同じ自分の父親へ向けて、沈静した言葉や感謝や理解の弁が、年度末になると、求めもしないのにメッセージされて来る例が、これまた、少なくないのである。
 それにつけ忘れられないのは、かつて小学校から中学・高校時代の先生からもらった「師の一言」を問うたときに、「十七にして親をゆるせ」という一言の有ったことだ。これには教室中が唸るように揺れた。分かるのだ、学生諸君に、その一言の厳しい意義が。すかさず、わたしは、窪田空穂の

 いまにして知りてかなしむ父母がわれにしまししその片おもひ

を挙げて、人みなが互いにかわす「片思い」の苦を告げた。強烈な訴求力を空穂の歌はもっていた。片思いを「する」苦しさを知っただけでは、自利・自覚の域を出ない。それも大切ではあるけれど、きつい片思いを、知らず知らず他人にさせていて気付かない、それへ気付いて対処できて、初めて利他・覚他の自覚に至る。言うはやすく容易ならぬ自覚なのである。

* 親子のはじまりは不思議、とても運命的な出会いだと思う。年を重ねてくるにつれその大きさ重さに気付くようになってきた。人として生きていくすべを教えてもらった、徐々に今のように造りあげてきてもらったことが、たとえようもなく大きい。その間でのさまざまに小さなあれこれ出来事の積み重ねがあって、離れ難い今の現実の親子の関係が出来てきたと思うと、有り難いと感じる。 (男子)

* 自分は一人子だからか、よく親から「親を踏み台にしてでも」と励まされる。そういうことの言えるのが親なのだと痛感する。しかし親からみて子に立派になって欲しいとねがう、それだけで親子なのではなく、子からみて親の役に立ちたい、生きているかぎり幸せにしたいとねがう、そういう相互の思いが働き合うのが親子なのだと思う。そしてそういう親子の気持ちが、血縁には結ばれていなくても互いに大勢にもちあえるといいのであるが。 (男子)

* 親子とは、言ってしまえば「産む」「産まれる」の関係にしか過ぎない。植物ならば本当にそれだけで終わってしまうのだが、動物(人間)では、ちがう。「心」が存在し「愛情」があるのです。「親子」=「愛情」だと私は考えます。ただし恋人や友人への愛情とは全く違います、まさに「血」のつながりです。それにしても親から子へ、子から親への気持ちも違いますね、全く。親から離れてひとり暮らしをしてから初めて私は親の有り難みを自覚しましたが、以前は気にもしていなかった。これが親への愛情となるには、自分も子をもたなければ本当には分からない。その点、親から子への愛情は一生変わらないと思う。特に母親は子とは一心同体で、いつも、離れていても、無意識にも子の心配をしてくれています。そういうものなのです。 (男子)

* 親子の関係は子の成長にしたがい変わって行くものと思う。子の小さいうちは親は先生、子は生徒。しかしいずれ教師としての親は子にはうとましい存在になる。言葉をかわすたびに喧嘩になる。一種の喧嘩友達になる。そして私自身成人してから思うのですが、子が大人になるとお互いの人格を認め、私生活でのさまざまな悩みや将来の夢などを深く話し合える親友のような間柄になる。私は親子が親友のようであるのを、理想に思う。それでも親にしてみると、子はいつまでも子供であるらしく、20歳になった今でも、まだ3-10歳ぐらいの私の姿が目に浮かぶそうです。 (男子)

 
  親は子を育ててきたというけれど勝手に育つ畑のトマト  俵万智

 表記は原作を確認して訂正したい、短歌としてはこれで間違いなかったと思うが、この歌の「勝」の字を虫食いにして補わせると、俵さんの歌だからすでに「知って」いる者もいて、けっこう「勝手に育つ」と入れてくるのは多いのだが、一番多い解答例は「両手」や「片手」なのである。
 どう読んでいるのか。
 親は子を「育ててきた」「きた」というけれど、そうじゃない、「両手」ともに、または「片手」には、トマトなみの他の仕事や関心や興味に取られていたのだと、なんとも恨みがましい「解釈」がされているのである、これには参った。おいおいおい、と言いたかった。
 こういう未成熟も身勝手も依存心も、現代の学生、それもかなり知的に進んでいる学生に有ることを、見過ごしていられない。どんなに心温かい、また優秀そうな述懐であろうともこういう科白を裏に蔵していかねない、いや、いるのである。
 
 
 

  親と子 ー親を頼るか。子に頼るか。ー

 二者択一の問い掛けではなかった。親に頼るか・子に頼るか。
 「頼る」「頼む」とことさらに言うと、つい負の像から推察しがちだけれど、そういうものでもあるまい。信頼という言葉が価値をもっているように、根に人間関係の在りようが横たわっている。
 それにしても依存心が、一般に若い世代の心に、むしろ故意にとか、意図して意識してとか言いたいほど、昔よりも安易に巣くっていないかを、ふと危惧する気がわたしには在った。結婚して一人前の年齢もほど過ぎ、もう子供の親にさえなり、しかも世間では指導的・教育的な一流私大に教職をえていながら、妻の実家が、住居や生活費の提供・支援をしないという理由で、舅や姑相手に「姻戚関係」を続けるウマ味がないからと、「絶縁」を宣告に及ぶ、そんな「教育哲学」の先生も現に東京都心に実在する。親は、嫁にだした娘とも、ちいさい孫とも逢うことも出来ないという。傲慢さと依存心との恐ろしくも愚劣な実例である。
 人を、自然な態度や心情から頼り頼むことは、言うなれば望ましいことである。そういう気持ちや態度と、またそこから独り立って敢然と世に処して行く覚悟か大切なのも、言うまでもない。二十歳の学生諸君が、その辺にどんなバランス感覚をもっているか。
 すでに子供をもっている学生というのは、教室では確認できていない。無かっただろう。しかし、あわや中絶した流産したという告白が皆無では、実は、無かった。女友達のメンスが途絶えて「青く」なっている男子学生の悲鳴も何度も聴いている。中学高校の昔の友人がもう「親にむなっている例もあり、現に子供が無いことが、後半の問いに答えられない理由とはならない。親たちの自分に寄せている期待や不安も肌身に実感しているのである。自分の未来を想像し推測できる力も、もはや自然にもっていていい年齢である。
 こんな短歌を提出して虫食いに漢字をいれてもらった。

  父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の( )子とうつれよ 佐佐木幸綱

 予想より多数の、正解(獅)子が入った。父を強いものと見てきた学生と、父の昨今の弱りに寂しい思いをしている学生とが、両極から正解してきた。
 あんなに山登りに憎らしいほど自分の前を先へ先へ登っていた父が、この頃は荷物を子の自分にあずけて、しかも後ろから休み休み登ってくる、それを思うと「獅子」がすぐ分かった…と、教授室へ来てそんな述懐をして行く学生もいた。
「きみにそうして荷物をもってもらったりさ、先へ登ってゆくきみの後ろ姿を見たりさ、それがお父さんには嬉しくもあって、そうしているのかも知れないよ」などと、わたしは、ちょっぴり揺すぶってみたが、わたしにも、こんなこともあった。
 妻が体調を崩していて一緒に行けない京都への私用に、息子をつれて出掛けたときだ。用事はすませて、めったになく二人で東山西山などをゆっくりと遊び歩いて、午後もおそめに嵯峨の天龍寺へ入った。夏だった。わたしはかなり草臥れていて、日蔭涼しい堂の上の畳にいつか横たわり寝入ってしまった。さ、小一時間は寝ていただろうか、目を覚ますと、息子はそばの縁側にいて黙って庭を眺めていた。あぁこの子に劬られている…と思った。そういう年齢にわたしもなり、この子も成っているんだなと思った。
 もう少し前であれば、「お父さん、起きてよ、行こうよ」と、退屈のあまり起こされていただろう。その日は、一言も声をかけず、寝たいだけおやじを寝かせてくれていた。嬉しくもあり、こころもち寂しくもあった。
 宝もののように柱にピンでおしてある紙がある。小学校のよほど低学年の頃に、父の日かなにかの贈物に、学校で書いてきた、息子の筆の字だ。帳面のように開いた見開きに、「お父さんへ いつでも日の出づる人になっていて下さい。建日子」「おねがい 長生きして下さい」とある。
 息子ももうまともな社会人になっていて、しかもあの昔より今のほうが、この言葉に鞭撻される。
 

* 成長するにつれてたいていの子は親から離れるもの。それは一緒に行動しなくなるということでもあるし、心が離れるということでもある。しかし、親はいつまでも子どもと関わっていたいと思うものだと、自分の母親を見ていて思う。だから買物や旅行には必ず母はついてこようとするし、子は、それがものすごく恥かしいことに思える。小学生ならそれでもいいが、大人になっても親同伴は情けなく、そうしようとする親を憎みさえする。ところが一人暮しをしていて本当に困った時、僕がそれを打ち明けるのは、友達でも恋人でもなく、やはり親である。親が、必ず自分の「味方」唯一どんな時でも裏切らない存在であることを知っているからである。実際それによって解決しなくても(解決しないことの方が多いが、)解決策を探す勇気は出る。それを情けないとは思わない。独立心がないとか、甘えているとか、「子ども」であるとは思わない。(なにかにつけて親に判断を頼むのでは、甘えん坊の子どもであるが。)
 親を、そういう「頼れる人間」だと、いつまでも尊敬することは大切なこと、つまり「きづな」とはそういうもの。だから、先生のおっしゃる「頼る」という言葉がどういう含みかは分からないが、これからも親や兄弟を頼っていきたい。言い換えるなら「信頼」していきたい。それが真にあるべき家族の姿であると思う。最近そういうことが忘れられている。子は、親を「スプリング・ボード」にしか考えていないのではないか。
 次に、「子に頼る」か?
 僕も、おそらく子どもとはいつまでも「関わっていたい」と思うであろうが、頼ろうとは思わない。「子に頼る」とは、年をとって「子の世話になる」というイメージがある。子が親を信頼すべき尊敬すべき人物と考えるなら、親は実際そういう人物にならなければならない。世話になるような親ではそういう人物たる資格はない。だから子に頼らない。 (男子)
 

 かなり平均的な見方のように感じた。家族のいい感じの一体感に恵まれてきた学生の多いのは幸せなことであり、またそこから活力も生れうる。同時に狭く固まった「家」感覚へ流される危険性も無視できない。厳しい受験戦線を闘いぬいてきた学生たちだけあって、我一人だけで闘いきれない世間の荒波も多少は察知している。だから例えば「親を頼る」ということにも素直な姿勢、幾分は自然当然という姿勢になりやすい。その一方、「子に頼る」ような親にはならぬという者が圧倒して数多い。これには若さゆえの想像力不足もかかわっている気味がある。また「子に頼る」という意味を「親を頼る」意味から類推している気味もある。微妙な差異もあるはずなのだが。
 暗に「獅子」のような親を、いくらかの不安まじりに理想視し期待し祈願しているようで、子の親たるもの、いつまでもラクではない。
 

* 「頼る」とはどういうことなのか? depend依存する? この先は、親を、できる限り頼りたくない。それは親の負担になるからということでもなく、その見返りを期待されるのが困るからでもない。もうすこし、独立したいのだ。親という存在はどうしても、いつまでたっても自分より「上」の立場にいるので、対等な話ができにくい。独立したい。独り、にはこだわらない。対等にやれる人といっしょに、でも良い。親の元から独立したい。こう言うと、イコール結婚? と思われがちだけれど。そうではない…思っていることを伝えるのは難しい。
 子に頼るか。子にも頼りたくない。私の子には、私を頼ってほしくない。と、いうのは、突き放して育てるということではない。子がまだ私を頼っているうちはいいのだが、ある日、転機がやってきたなら、精神的に「他人」同士に近付きたい。子が私をいつまでも頼っていたなら、私も子を頼ってしまうようになるだろう。それは私の望むところではない。上下関係がからんでくる「頼る・頼られる」という考え方を、「親子」という単位にあてはめて、家庭内に持ち込みたくない。家の外ではいやという程の上下関係にとらわれて生きなければならないのだから、心休める場所としての家には、そういうものは、いらない。
 親子を考えるのは難しい。私がどちらの立場にいるにしろ、心を休めるために人に頼るというのは、私から見れば、筋違いの話だ。相手方には心優しい対等な同居人の姿を、求める。私も相手方からみて、そういう立場にありたい。 (女子)
 

 あるいは、やや「過度に」言っているのかも知れず、きわめて「実感に」ちかい発言であるかも知れない。東工大で暮しているからこういう風に考えるのだとは思わない。どこかで目にしたり耳にしたりした意見のように思われなくもないが、少なくとも男子学生にはあまり現れてこないタチの、強い意見、ではある。
 こんな歌を読んでもらい字を埋めてもらった。

  産みしより一時間ののち対面せるわが子はもすでに一人の( )人 篠塚 純子

 意外にこの出題は難しく、そうはあっさりと「他人」が出てこない。親と子とに「他人」という在りようを考えることが、もともと習慣としても無いからだ。この歌人の真意をただちに推測はしにくいのだが、わたしの読みでいえば、こういう強い発想は日本のようなタテ型・親子型発想の社会では珍しい。べつの機会に「親子型か、夫婦型か」と、生き方なり家庭観なり発想の型について問い掛けたが、六割を越す人数が「夫婦型」を志向すると答えていた。それにもかかわらず多くの他の「挨拶」に答えてもらうと、本音は「親子型」社会の確かな安定に基盤を求めるふうの感想が多めに感じとれるのは、わたしの読みちがいとも思われない。理想と現実というふうに置き換えて済むかもしれない。
 しかもこの短歌などの鑑賞を通じて、「家庭」「家族」「家」「親子」「夫婦」「友人」「恋人」などの名付けられた人間関係から、いま少し視点をかえた「世間」「他人」「身内」「自分」の問題へ思索を転じて行くと、例えば漱石の『こころ』などの読書体験もからんで、若い心のうちにかつて無かった、しみじみとした物思いの始まるさまも、「挨拶=問答」のメッセージに見えてくる。真の「身内とは何か」から、「そんな身内が欲しい」ところへ、彼等はもうとっくに、内心では、動いているからである。
 

* もう20歳を過ぎているのに、まだ親のすねをかじっているのは少々情けない気もするけど、大学に行くにはそれなりにお金もかかり、私に関しては、現役で国立大に入り高校も県立で塾もさほど行かなかったので、大学四年の間は「親に頼りたい」と思います。しかし、大学院に行くとなると、やっぱり親に悪いなという気になり、例えば院に行く前に、院を出たあとに入る会社を決めておけば、月十万円以上その会社からお金がもらえるという制度があるので、それを利用し、親に頼らないようにしたいとも思っている。しかし結婚となるとまたお金がかかるので、親にかなり頼らなければいけないと思います。私の親は自分たちが結婚して以来、毎年いくらかずつ親に、私の祖父母にお金を返済しているようなので、私もそうしたいです。とにかく結婚してからは「絶対に親に頼らない」ぐらいの気持ちで行き、どんどん親孝行したいです。また健康であれば「子には頼らず」生きていけます。
 ほとんど経済的なことを書きましたが、他の事は、人間関係を上手くやる上でもお互い頼り合わなければいけないと思います。 (男子)
 

 優に八割以上が大学院にすすむ大学である、東工大は。とは言え、裕福な家庭の子女ばかりが通学しているわけでなく、親も子もたいへんだなと思わせられる事例をたくさん聞いている。企業への予約就職に対する反対給付など、理工系の本学ならではの制度であり、けっこうとも問題有りとも言えるけれど、それは今は言わない。景気が冷え込めば企業も手を縮めるだろう。
 ともあれ大なり小なり、親との経済上の問題では、学生たちは相当思い悩んでいるのが事実である。一日三十時間ほしい、一週間問十日ほしいと呻くぐらい忙しい勉強に奔走していながら、アルバイトを欠かせない者の方が断然多い。おおかたは遊びと付合いのお金だが、下宿代、食費、なかには学費も自分で稼ぎ出していると告げている学生も、僅かながら、いる。「親を頼るか」問題は、望む望まぬにかかわらず差し迫った現実の問題であり、それと比べて「子に頼るか」の方は、まだまだ漠然としている。漠然とはしているが、ほぼ一致して「子に頼る」ことは子の迷惑になる、親として情けない、といった結論へ落ち着いている。
 ただ一人、親を頼るより、「子に頼る方が自然で美しい」という表現をした学生がいたのに注目した。
 

* まだ若く実感がわかないせいかも知れないが、親にも子にも、物質的にも精神的にも頼りたくない。恐らく自分が年老いて様々な面で弱者となった時に他人に頼らなければならない状況が生じるのだろうが、弱者になって初めて他人にすがるというのは、少し愚かな気もする。僕自身は他人には頼りたくないと考えているから、結局他人に頼らなければならなくなった時、言い様もないみじめさを感じるに違いない。強いて言えば、親に頼るよりも子に頼る方が自然で美しい。しかも自分から頼まずとも子がすすんで助けてくれることが、あれば、在るべき姿だと思うのだが…。いずれにしても親に頼ることはしたくない。勿論今まで充分に頼ってきているのだが、だからこそこれ以上物質的にも精神的にも頼りたくないのである。それは、身近に、親に頼り切って生きている人物が存在するせいかも知れない。少なくとも自分はそうなりたくないと、いつも思うのである。 (男子)
 

 「子に頼る方が(親に頼るのと比較すれば)自然で美しい」という提唱に、ふと、心をとらわれた。人間にだけ許された歴史を感じた。普通は逆のことを考える。だから皆、親には余儀なくまた進んで頼るけれども、子には頼りたくないと言う。この学生のいう「自然で」には、なにかしら数段練れた文化的で反語的な感触が、だが、ある。「美しい」と言われると深く驚かされ、驚きに感銘もまじって来る。そこまで断言していいのだろうか、だが肯定したい気が動いているのは、わたしが「子に頼る」気を少しもち初めているのか、だからか、そこは明言しにくいのだが、教室中がすこしざわめくほど印象深い「挨拶」であった。
 親に頼っていた頃はいつもうしろめたい負担感があった。子に頼っていると感じるようなとき、そこに情けないというより嬉しい気分の在ることをわたしは自覚している。「自然で美しい」のか、「自然で」と「美しい」とに微妙な切れ目はないのか。「頼っている」現実の事情も実感もまだ無いから、嬉しさだけが味わえるということかも知れないが。
 次ぎの時間に、この「自然で美しい」に、強烈な反論のあったのも紹介しよう。
 

* 子に頼るのは「自然」ですか。「反自然」でしょう。頼ることがいい悪い、人間社会でどうのこうのはともかくとして、自然・反自然には、うるさいですよ、私は。遺伝学上の主流は、個体の生存ではなく遺伝子の残ることをメインテーマに生物は在る、としています。子をかばって親が死ぬのも、その方が遺伝子は残りやすい、からだと。「老化・死」だって遺伝子を残すため、古い個体がいつまでもあると環境的に不利だから、という説すらあるくらいです。弱いものは淘汰されていく方が「自然」です。子供だけは利己的な遺伝子がかばいます。他種族は弱い個体を狙います。子供だって狙います。弱者は死ぬのです。種の遺伝子を残すためでもあります。それが自然の厳しさで美しさだと思います。少なくとも、人間の生活上の美に「自然だ」という装飾をくっつけるのは冒涜という気がしてなりません。別に美を自然視しなくていいじゃないですか。「反自然だけど美しい」と認める強さを、人間特有のすごさだとしましょうよ。 (女子)
 

 こういう「学説がらみ」に、理科落第のわたしは弱い。「反自然だけど美しい」と認める強さを人間の「すごさ」と認識しよう…か、なるほど。
 平家物語の勇将知盛が源氏に追われ、愛息知章の身代わりに救われて一人沖の御座船へのがれた話が思い出された。親が子を助けて死ぬのが自然であるのに、子に救われ子を喪ってこう命ながらえて来た悲しさ恥ずかしさ、笑ってほしいと泣き伏す知盛。「自然で美しい」とも「反自然で美しい」とも心惑いつつ、感動したものだ。「人間」の話は、なかなか「遺伝子」の説だけでは割り切りにくいようだ。
 ほんとにこの「問答」などは、提出された数百もの文章を一つのこらず紹介できたらいいのにと思う。まさに「有情」の声に満ちている。
  教授室にまで来て、親は院へ進むことに反対ではないし学費も出そうと言ってくれているが、心苦しくてと訴え相談に来る学生が何人かいた。そんなとき、気持ちよく親に頼れるのもきみの「生活力」というものではないですかと答えて、躊躇いを和らげてきた。むろん出来る努力はし、また誠実な感謝も大切だと思うけれど、親の気持ちはただ経費の面にだけ限定されているものではあるまい。甘えた依存心は恥ずかしいが、心から頭を垂れて感謝しつつ親に頼れる「ちから」も、きみの力なのさと。
 

* 一年半前、東京での一人暮しをはじめた。その時親に金銭面では絶対頼らないようにしようと決意した。親から物質的な援助を受けている間は心理的な面での自立は図れないと単純に考えたからである。実際今では家計は完全に独立しており、金と物の面では頼っていないと確信している。問題は心理面である。頼りたいと思うことは度々ある。しかし物の面で独立しているあまり、あまり頼りにしたくない、弱いところを見せたくないという思いが甘えを断っているように思う。悩み事も主に友人たちに話すし、長期間親とは顔を合わせないでいるから、共通の話題も少なくなっている。
 この調子でこれからも行くと、私は親には頼らないであろう。逆に親の立場に自分が立ったとき、このような考えを以てすれば「子に頼られない親」になりもしよう。実は、こんなことではとても寂しいのではないかと、只今、ふっと感じた。ひょっとするといま現在私の親たちも一抹の寂しさを抱いているのではなかろうか、とも。親からの自立は、私自身、親の束縛から逃れ、親にしても子の独立は、経済面を主に喜ばしいことであるから、万事に良いことであると感じていたのだが…、あるいはどこかで間違っていたのではないか。今度の正月帰省したときは、久しぶりに甘えてみようか。 (男子)
 

 まぎれなく「成長」して行く魂がある。一直線にはなにも行くものではなく、試行錯誤のなかで揉まれ揉まれ「ふっと感じ」ては軌道修正や軌道確認が成されつづける。こういう頼もしくも優しい文章に接していると、妻の実家が生活の面倒をみてくれないなら、「姻戚」であり続ける意味がない、姻戚と認めない、交際を絶つなどと言ってくる三十半ばの「学者婿」とは、いったい何なのだろうかと、よそながら、聞いて情けなくなる。
 

* 私は頼ることが嫌いです。何かをあてにして生きるということが嫌いです。まだ生きていることさえ知らない子供や、ボケてしまった親たちが、結果的に世話になるのは構わないのですが、例えば「仕事が見つからなかったら、親元で暮らすさ」とか、「老後は長男に面倒を見てもらおう」とか、少なくとも、自分の生き方としては許せません。自分の親が、もし、「将来よろしく」などと云ったら、その場で逆勘当(!)してしまうかもしれません。「冗談じゃない、たとえそうなっても、老人ホームにつっこんでくれていいわよ」と云う親だから、逆に、そうなったときは、「ま、しかたないな。精一杯、できるだけ世話しようか」と思えると思うのです。本音でなくていいのです。かっこつける、それが大事だと。
 私は表面をわりと重んじる方です。普段から甘えの思考を外に出していたら、甘えることでしか生きられなくなりそうじゃないですか。まして「頼る」のが一方的になってしまったら、それは片方の「重荷」になることでしょう。大部分の人にとって、関わらずにいられない相手、親と子ならば、「頼る」よりももっと、「大切にしあう」方がお互いに落ち着いて暮らせていいと思いませんか? 私という存在を「重荷」として相手に植えつけるような、そんな「頼る」ことなど、口にした時点で、まるで「あなたのことを大切に想う気持ちは無い」と告げているようで、嫌なのです。そんなこと口にしない、そのことで「あんたを愛してみせる。私のことも愛してみせて」と言いたい。友人、恋人とでも同じです。
 私は常々「独りで生きる。誰も頼らない」と宣言しています。だからもし私に「頼って」くる人がいたら、何だか、「あぁ、この人は私をきっと一生愛してくれない」と思ってしまうのです。届かないメッセージに、嫌になってしまうのです。幸い理解してくれる友だち、そんな「かっこつけ」を共有できる友だちが複数いて、親もけっこうアマノジャクな表現をする人間で、私は恵まれている、というよりは百万に一つの幸運を手にしているなと思います。「独りで生きる」と云うくらいに、私は、人間が好きですよ、ホントは。好きですとも。好いてみせますとも。 (女子)

* 「養ってもらう」という点では、学校を出て社会人になるまでは親を頼り、退職してから老後は子に頼って養ってもらうのが、一般的であり、私もきっとそうするだろう。「人生の先生」という点では、やはり親を頼ることが殆どだろう。これまでもいろいろ教えてもらったし、これからもきっと。ただ、親はいつまでもいるわけではないので、今のうちにいろいろなことを吸い取っておき、「養う」という点も含めて恩返しをしなければならないと感じる。又、自分が子を持っても、そのように思われる親になりたい。親からはなるべく「弱み」を見せて欲しくない。 (男子)
 

 どうしても男の方が一般的な考えにつきやすく、女の方はかなり個別的な思考傾向にあるのが面白い。たとえば「同棲」という例も、実は少なからず見え、意向はつよく潜在しているのは分かっているのだが、現に「同居」「同棲」していると何でもなく告げるのは女子で、男子からその種の告白はめったに入らない。女の青春は力づよくなっているなと思う。
 
 
 

   家の墓 ー家の墓とどう付き合うかー

 学生が、「家庭」でなく、「家」をどう考えているか、確かめる手はないかと考えていた。現在の家族に絡めて問いかければ、自然に、親または父なり母なりに焦点が行き、そしてきょうだいや親類ということに落ち着いて行く。つまり現在の自身を起点に、せいぜい横へないし以前へ思いが集まり、自分より以後の家系ないし家のことは視野に入ってこない。そこで「墓」を思い付いた。
「墓」ないし葬送は、人類はじまって以来の一大文化的複合である。つねづねは意識の表層から無意識に遠ざけられている主題であるが、面と向かってこれに対処しなければならない事態は、誰にでも訪れる。訪れるものと覚悟していなければならぬことである。人が人を葬り墓に納めて祭るということは、好むと好まざるにかかわらず「死なれ・死なせ」て生きて行く者には避け難いことであった、少なくとも昨今までは。
 ことに「墓」の問題は、墓地という地所確保の問題と絡んで現代の難儀な社会問題であり、今後は政策問題とすらなって行きそうなほど難しい条件を噛み込んでいる。こと改まって考えるなら、その辺のことは二十歳前後の学生諸君にも分かっているだろう。「家の墓とどう付き合ってきたか、どう今後も付き合って行くか」とともに、「墓参をどう受け入れているか」また「墓なるものの将来はどうなって行くか」を尋ねてみた。若い諸君には気のない疎い質問かなと心配したが、想像よりずっと緊密な応えが戻って来た。
 

* 父の実家は山形にあり、祖父母はそこに住んでいる。私の家は昔は庄内の地主をしていたため、先祖の墓や屋敷が山形にある。よって墓とどのように付き合うかは、いずれ私にも目の前にあらわれる問題である。小学生だった頃は田舎によく帰っていたし、その都度墓参りをした。生まれてから小学生の時まで、当然のようにそうしていた。しかし今は田舎かにはほとんど帰らず、墓がどんな状態なのかよく分からない。将来山形の家や墓をどうするか、きちんと保持するに越したことはないが、きっとそうもいかないだろう。それらを失ったら、これから生まれて来るだろう私の子や孫らに、私の体験した田舎というものを残してやれなくなる。私の経験上墓参りなどの田舎での体験はとても重要で、幼き日の思い出の多くを占める。墓は昔の人と今の人そして未来の人を繋ぎ、心でお互いの事を感じ合える不思議な力がある。 (男子)

* 母は「自分が死んだら灰にして海に流してくれ」と言う。墓などはいらないから、私の手で大島行きの連絡船で地に返してほしいと言った。子孫といっても見知らぬ者に祭られても仕方がないし、死んでまでしがらみに縛られたくないと言った。動物が地に返るように人間もそうであるのだから。墓とは、滞った人の念である。生き残った者の念であり、死んでいった者の念である。その念の力は重すぎて、人はどこかの地にその思いを預けるだろう。またその念ははかなくもあるので、どこかの地にその思いをおさめるのだろう。亡くしてしまった人を思うのは辛い。忘れるのも辛い。日常にこんな思いを抱えるのは切ないだろう。母は自分が死んだ後、私が母を忘れようと忘れまいと自由なのだと言う。形なきものになって自然の流れに帰るのだと。それを聴く私の心は複雑だが、私の愛した彼女が望むようにしよう。心に墓標を据え、ただ、それが朽ち果てようと永遠に残ろうと、見つめつづけよう。 (女子)
 

 男の墓、女の墓。ここに挙げたふたつの思いは対照的にそれぞれに重い。まぎれもなく学生の書いたものを見ていて、「墓」にこそ、「男の立場と女の立場の差」のようなものが絡んでくるだと言うことを、教えられた。男は墓をかなりの意味で確保し、女はどこの墓に入るのかで揺れている。学生の年齢で、それがもう意識されている、はっきりと。
 

* 死者は抵抗しない。霊の存在を仮定すれば別だが。しかし生きている人の心のなかで死者は生き、その人の行動を見ている。ある意味では生きている人より死者のほうが怖い。だから古来どの民族にも死者を敬う風があった。死者は神と似ている。存在を否定するのは簡単で、存在を認めるのは現代では難しい。けれど結果において人はその存在を認めて敬う。お墓参りというのはその信仰心の表現だと思う。 (男子)
 

 日本語で「人のわざ」といえば、生者が、死者を葬り祭る行為をさしている。
 

* 僕の家は核家族なので、祖父母などの墓は、親方の実家に行かなければ、無い。だがこの前自分の親が近くに墓を買った、これで安心して死ねると言っていた。僕は次男で、この先大学を卒業してまで親のすねをかじって行くわけにもいかず、まずは一人暮らしをしようと考えている。だが日本全国または海外に行っていたとしても、親の死んだ日やお盆などの日は毎年尋ねようと思っている。その他にも、自分の未来が全く見えなくなり、どう仕様もなくなったとき、親の意見を聞くために墓参などしようと思う。そのときは親の大好きだった食べ物など持っていってあげようと思う。その他にもとても嬉しいことがあったときは知らせにいってあげようと思う。残念だが、他のときは全く行くことはないだろう。将来自分が死んだときは親の墓へ入って、またみんなで暮らしたい。 (男子)
 

 やむをえず大勢の中からごく少数の意見を強いて拾いあげている、のではない。予想をいくらか裏切られて、こういう考えの男子学生が相当人数いる。むろん科学の名をもちだし、またもちだすこともなく、頭から、墓の将来や墓参行為を否定的に切り捨てている学生もいる。少ない人数ではない。ただ体験から出て、このさきも関与を余儀ないものと見ている学生と、まるで体験のない学生とでは、さすがに「言葉」の重みがややちがっている。「墓」など東工大の学生諸君の日常からはほぼ完全に蒸発しているかと危ぶんでいたのに、逆に「墓」の話題が、彼等の、彼女らの「生きている・生きて行く」環境や状況を浮き彫りに浮かび上がらせてくれたのには、驚きかついくらか安堵した。ひとつには「K」の墓参りを孤独に欠かさない漱石作『こころ』の「先生」を、毎時間のように話題にしていた反映もあるだろう。
 

* 以前は私にとって墓のイメージは陰気で近寄りたくないものであった。しかし先日、亡くなった父の骨を自らの手で墓に納めた後、唯一父の実体(骨)が在る場所として(例えば仏壇などよりもずっと)大切に思うようになった。今でも、墓など、死んでしまえばどうでもよいものと思うこともある。しかしやはり静かで安らかな場所なのだと以前よりも強く思うようになった次第である。私は大学を卒業した後に、故郷に帰るつもりはない。むしろこの世界で立派に活躍できる人間になろうとするならば、これから何処へ行きどこで生涯を閉じるかなどということは予測もつかない事であり、また、どうでもいいことであろう。墓参もそうは出来ないかもしれない。しかし二十歳で、ろくな孝行もできずに父を亡くしてしまった私には、せめて墓参りにいくことが、せめても出来ることである。やがて私も兄も亡くなれば、今現在の家の墓を省みるものはいなくなってしまうかもしれない。しかし人の世は移り変わるもの、死者はそこまで生きている人に迷惑をかける必要もない。その期に及んだら墓も自然に朽ちて行けばよいと考える。 (男子)

* 私の親は別に長男でも何でもないのですが、田舎の家を継いで墓を守ってくれる人がいないといって私や兄にも跡継ぎの話が及んで来るほど、今跡継ぎが熱望されているようです。私は無責任にも、誰かが必ず墓を守っていかなければならないと思う一方、自分は関係ないやという勝手な考えを持っています。お盆に祖母の家にいったりすると祭壇のようなものが飾られてあり、毎日お供え物を替えたり、お盆が終わるとその祭壇に使った木などを川辺で焼いたり、とても大変そうです。でもそれらを見ると、そうやって毎年迎えられる御先祖様は本当に幸せだろうなとつくづく感じます。 (女子)

* そう言えば長い間墓参りをしていないなと思いました。小学生の頃は祖父に付き添って墓参に行くことが多く、定期的な行事でした。中学高校生となってからはほとんど墓参をしなくなりました。しかし父が病気になったとき私は、「ご先祖様、どうか父が早く元気になりますように」と仏壇にお願いしていたことを思い出します。私は何か願い事をするときは、たいてい仏壇の前か近くの神社でしています。「ご先祖様どうか…」と願いながら、墓参りを全然していなかったのを考えると、罰当たりな気が、今しています。大学受験が終わって春休みにほんとに久しぶりに墓参りに行きました。その季節でしたから家の墓もちゃんと手入れがしてあると思っていましたが、着いてみると誰も墓参りに来たようではありませんでした。祖父は年齢的にも来れないでしょうが、叔父などはどうして墓参りしていないんだろうと思いました。私は一人で落ち葉拾いや墓石を洗うなど、一時間ほどかけて掃除して、最後に線香を上げて帰りました。このままみんな墓参りはしなくなるのだろうかと考えながら。きょうはとてもいいテーマで、ありがとうございます。考えさせられました。 (男子)

* かなり多くの人の歩む道を私も行くのであれば、私は嫁ぎ先のお墓に入ることになるだろう。あまり抵抗を感じないのは、きっとまだ私が若いせいだろう。生きているうち、特に若いうちは、家なんて関係ない、私は私だと思いがちである。しかし本当に家から逃げる勇気のある人はそうはいない。結局「?家の墓」に入ることに甘んじてしまう。子孫がその墓を手入れしてくれるよう望んでしまう。どんなに科学が発達しても人は見えないものに恐れを感じてしまう。お墓を手入れしなければ、実際そんなはずはない非科学的だと思っていても、やはり祖先が怒っているのではないか、祟りや災いがあるのではないかと思ってしまう。娘しかいない夫婦が墓のことを心配するのも、家がどうのこうのと言うより、このことが気になるからだと思う。それでは集合墓地を建設して、業者が一貫して管理を引き受ければよいではないか、それを永代使用にすれば、その苗字を名乗る家が例え無くなったところでたいした問題はないではないかと、そういう人もいるだろう。しかし私はそうはならないと思う。合理的かもしれないが、それだけでは割り切れないものがあるからだ。墓にしろ家にしろ自分の周りのしがらみを完全に解ける人もいないし、解きたがる人も、そんなにはいないのだ。永代使用なんて言っても、人の命に限りがあるかぎり、永遠なんて誰にも約束できない。墓参も、ただ「今」を重ね続けて行くだけだと思う。そうしていれば人は安心するのだから。 (女子)
 

「墓」の話など、若い世代にとってこれほどダサイ話題は無いはずで、受験勉強に明け暮れの高校生なら、九割がた、実感をもてまい。しかし大学生の二十歳前後ともなると、意外にも、他のもっと内面的な話題に負けないほど、深く対応してくる。「大人の判断」で考えてくる。学生たちは「墓」の話題だけで、400人強が、合計650から700枚(400字用紙に換算して)書いて提出している。優に単行本の2冊分ある。内容はバラエティーに富み、これほど落ち着いた読み物はないくらい、我が身に引きつけ考え考え書いている。生と死、人間、男と女、人生、親族、家、跡継ぎ、墓守り、科学、信仰、そして住所と墓地との距離等々、とてもとても「ノー プロブレム」なんて言っていられないのだ。言っていられないほど、もう「大人」を強いられている年齢だと自覚しながら学生諸君は書いている。遠い未来の問題とも目前に迫っているかも知れぬ問題とも、決めてしまえないまま、身につまされ考えている。選び抜いてなお数十人分がこの手元にあるが、書き写しきれないのが、惜しいし残念だ。
 

* 少し前に父方の祖母がなくなった。初めてお骨をお墓に納めるのにも立ち会った。そのときふと、お嫁に行くということは、私は我が「**家」の墓には入らず、よそのお家の人間として嫁にいった先の家の墓に入るということなんだ、と思い当たりました。嫁ぐとは20年あまりを**家の者として生きてきたことに、ある意味で区切りをつけ、よその家の者になってしまうという重いことなのだと、さみしくなった。いくら墓参りをしてご先祖さまにお祈りをしても、私はここには入れてもらえないのだな…と。
 それはともかく、骨は灰にして撒いてほしいといった声もあり、因習的な墓や戒名や何かに比べて、そのほうが自由な感じも個人として生きた感じもするけれど、それでも私には日本の慣習としての家を重んじる方が好ましい。ずっとこのように続いてきた墓の制度にはやはり意味があると思うし、個人と個人との関係が稀薄な今日なればこそ、そういう繋がりは大事にしたいではないかと思う。 (女子)

* 墓は死者の象徴である。遺骨や遺体が埋めてあるので象徴化しやすい。事故などで亡くなった人の墓は、事故の現場の山や海であるとされることが多い。レイ・ブラッドベリ作『宇宙船乗組員』では、乗組員の夫を持つ妻が、「夫がどこかの星に落ちたら、その星の出ている空は見たくない」と言っている。結局宇宙船は太陽にのみこまれ、彼女は夜と雨の降る日だけしか外出しないようになる。太陽は夫の墓であったろうに。
 戦時中戦死者の遺族には、遺体はおろか遺品も受け取れない人が多かったろう。どこが死んだ場所などと確認できなかったろう。どことも知れぬ場所に思いを馳せたか、遺影や、あるいはカラの墓を大切にしたのか、私には想像もつかない。日とによってとらえ方はまちまちだと思われる。
 しかし生物としてみれば、生き物の死骸は食物連鎖の一部なのである。その調和を乱しているのは人間だけである。その死の場所、遺体のある場所を墓としたいなら、地球そのものを墓と考えていいと思う。土に帰る。そういう考え方もいいんじゃないかと思う。
 半年間の教室を、ありがとうございました。Have a nice summer. (女子)
 

 アロハで短パンのわたしらしい男が、緑陰の寝椅子で「ごくらく・ごくらく」と快眠の図が描いてある。東工大でメッセージを読み続けている間は、幸か不幸か「ごくらく」とは縁がなく、夏のレジャーも無い。
 それはさて、なかなか簡単にだれでもどこでも「土に返す」なんて出来ないので、人間は苦労してきた。その苦労が文化を成し社会を成したとも言える。
 

* 先日私は母方の祖父母から養子になるように頼まれた。母の実家は割りと伝統のある家なのだが、祖父母には私の母とその妹の娘二人で、家の跡継ぎがいないのである。墓の跡継ぎもいないと言うことである。こういう問題は将来子供が減って行くにつれて、どこでも身近な問題になるに違いない。養子になれば苗字が変わるという問題があり、今の姓でだれからも認識されて来た立場では、考えたくないことではある。夫婦別姓を認めようという人の気持ちが、この問題で少し分かったような気がした。墓も養子もいますぐの問題ではないのだが、結局、墓と家とには難しい繋がりがあり、今度私がかかえこんだのは、「家」の存続と「個人」の自由の問題と言えるだろう。 (男子)

* 私が最後に家のお墓参りをしたのは、確か小学校の頃だったと思う。家から10分程度の所にあるのだが、いつもお参りしているのは祖父母だけだ。この頃は仏壇を拝むことも私はしていない。父は一人っ子で、わたしもその一人娘だ。家のお墓を守って行くのは父から私へと受け継がれて行く。しかし私があと数年(!?)でどこか他家に嫁いで私が死んでしまったら、お墓はどうなることか。祖父母や父母が可哀相だなあと思う。私の生きている間はきちんと世話をしようと思う。祖父母は毎日仏壇を拝んでいるが、現在の父母を見ているといつか祖父母のようにするのだろうか、分からない。まして自分のそんな姿は全く予想もできない。しかし年齢をとれば人はそうなって行くのだろう。結局お墓も今までのように守られ受け継がれて行くのだろうと思う。 (女子)

* 私の家は3人姉妹。父は一人息子なので、家の墓があります。一般には3姉妹のうちの1人が家を継ぎ墓を守らねばならないのでしょうが、私の家の考え方は他の家とはかなり違っていて、「お墓参りさえしてくれれば家も墓も継がなくてよい」と言われています。養子をとってどうこうという考え方は、まるで、ありません。「家」や「墓」に人生を左右されてしまうのは勿体ないことだと思います。かと言って「死んだ人はもういないんだし」忘れてしまっていいなどと思いません。「自分の先祖だから」などという理由でなしに、もうすこし先祖の呪縛から解放されたところで人の死を人の問題として考えてはと思うのです。会ったこともない先祖のお墓参りをするような考え方は、私にすればちょっと変です。
 私の家の考え方は他の家とかなり違うと言いましたが、家や墓についてだけではありません。
 私の実家は広島にあって、高校の同級生の女の子のうち半分ぐらいは「大学は家から通えるところにしなさい」とか「西日本から離れてはだめ」とか言われていました。その他の人でも「きまった大学が遠いから、仕方がない」という感じで余儀なく1人暮らしを許してもらっているのがほとんどです。でも私の家では「大学は絶対家から通えないところにし、1人暮らしをしなさい」と言われていて、姉が東京の大学に通っていたので2人で暮らすこともできたのですが、「別々に住みなさい」と言われ、昨年まで姉とは歩いて10分ぐらいの所に、わざわざ別々に住んでいました。「なんで一緒に暮らさないの、お金がかかるじゃん」とよく驚かれますが、「大学時代に1人暮らしをする」というのも我が家の教育の1つなのです。実際親から離れて1人で生活すると、お金の使い方や、掃除をしないととんでもないことになることや、その他親といる時には気づかなかったことが体験を通して分かって、今ねとてもいい経験をしていると自分でも思います。 (女子)
 

 若い人達はさまざまなバック・グラウンドを背負っている。十把ひとからげな物言いは極力慎まねばならず、しかも大掴みにもできる目配り・心配りなしには、なかなか付き合えない。この女子学生の家庭の考え方は、やはり少数派に属しているだろうが、彼女の墓や家への視線の向け方自体は、むしろ東工大のわたしの教室では、半数にちかい多数派のものでもある。
「墓」の話題は、学生の彼や彼女ら一人だけでの判断をゆるさぬ、厳しい根糸に絡められている。父は北海道、母は南九州に家の墓をもっている。そして一家は首都圏に暮らしている。これでは、墓参は、したくても出来ない、しないまま何年にもなると言われれば、唸ってしまう。どうして墓地を手に入れるか、その費用の問題に親は困惑していると言われれば、そうだろうなと思う。東京で暮らし、京都にわたしの親の墓はあり、和歌山県に妻の家の墓はある。ご多分に漏れずなかなか和歌山のすさみ町まで行ってあげられない。京都で仕事をしてきても、鼻のさきの父の墓にも参らずに帰ってくることが再々ある。そして、自分たち夫婦の墓をどうするか、東京に新しく求めようかどうか、ふと考えている。
 東京なら息子や孫たちもと、計り知れぬはずの彼等の将来に、いくらか頼む気持ちがあるわけだ。気迷いというものだろうか、難しい…。
 ビル式の「引出し墓」や「集合墓」また散骨などの「自然葬」についても、肯定否定入り乱れて帰趨は容易に定まらないが、概してまだまだ昔ながらの墓と家とへの、積極的とは言えないが余儀ない追従の姿勢は、そう大きく崩れていないようである。
 美しい形の墓に思いをいたしている学生は皆無に近かったが、墓地の環境には相当な言及があり、そこに故郷への懐かしみ方が自然に露われていた。海の見える墓地、山の上の墓地、家に近い静かな環境。都会の墓地の問題がただ能率だけで言われているのが、やはり問題ありと思わせる。学生たちにずいぶん教わった「挨拶」であった。

 学生が、「家庭」でなく、「家」をどう考えているか、確かめる手はないかと考えていた。現在の家族に絡めて問いかければ、自然に、親または父なり母なりに焦点が行き、そしてきょうだいや親類ということに落ち着いて行く。つまり現在の自身を起点に、せいぜい横へないし以前へ思いが集まり、自分より以後の家系ないし家のことは視野に入ってこない。そこで「墓」を思い付いた。
「墓」ないし葬送は、人類はじまって以来の一大文化的複合である。つねづねは意識の表層から無意識に遠ざけられている主題であるが、面と向かってこれに対処しなければならない事態は、誰にでも訪れる。訪れるものと覚悟していなければならぬことである。人が人を葬り墓に納めて祭るということは、好むと好まざるにかかわらず「死なれ・死なせ」て生きて行く者には避け難いことであった、少なくとも昨今までは。
 ことに「墓」の問題は、墓地という地所確保の問題と絡んで現代の難儀な社会問題であり、今後は政策問題とすらなって行きそうなほど難しい条件を噛み込んでいる。こと改まって考えるなら、その辺のことは二十歳前後の学生諸君にも分かっているだろう。「家の墓とどう付き合ってきたか、どう今後も付き合って行くか」とともに、「墓参をどう受け入れているか」また「墓なるものの将来はどうなって行くか」を尋ねてみた。若い諸君には気のない疎い質問かなと心配したが、想像よりずっと緊密な応えが戻って来た。
 

* 父の実家は山形にあり、祖父母はそこに住んでいる。私の家は昔は庄内の地主をしていたため、先祖の墓や屋敷が山形にある。よって墓とどのように付き合うかは、いずれ私にも目の前にあらわれる問題である。小学生だった頃は田舎によく帰っていたし、その都度墓参りをした。生まれてから小学生の時まで、当然のようにそうしていた。しかし今は田舎かにはほとんど帰らず、墓がどんな状態なのかよく分からない。将来山形の家や墓をどうするか、きちんと保持するに越したことはないが、きっとそうもいかないだろう。それらを失ったら、これから生まれて来るだろう私の子や孫らに、私の体験した田舎というものを残してやれなくなる。私の経験上墓参りなどの田舎での体験はとても重要で、幼き日の思い出の多くを占める。墓は昔の人と今の人そして未来の人を繋ぎ、心でお互いの事を感じ合える不思議な力がある。 (男子)

* 母は「自分が死んだら灰にして海に流してくれ」と言う。墓などはいらないから、私の手で大島行きの連絡船で地に返してほしいと言った。子孫といっても見知らぬ者に祭られても仕方がないし、死んでまでしがらみに縛られたくないと言った。動物が地に返るように人間もそうであるのだから。墓とは、滞った人の念である。生き残った者の念であり、死んでいった者の念である。その念の力は重すぎて、人はどこかの地にその思いを預けるだろう。またその念ははかなくもあるので、どこかの地にその思いをおさめるのだろう。亡くしてしまった人を思うのは辛い。忘れるのも辛い。日常にこんな思いを抱えるのは切ないだろう。母は自分が死んだ後、私が母を忘れようと忘れまいと自由なのだと言う。形なきものになって自然の流れに帰るのだと。それを聴く私の心は複雑だが、私の愛した彼女が望むようにしよう。心に墓標を据え、ただ、それが朽ち果てようと永遠に残ろうと、見つめつづけよう。 (女子)
 

 男の墓、女の墓。ここに挙げたふたつの思いは対照的にそれぞれに重い。まぎれもなく学生の書いたものを見ていて、「墓」にこそ、「男の立場と女の立場の差」のようなものが絡んでくるだと言うことを、教えられた。男は墓をかなりの意味で確保し、女はどこの墓に入るのかで揺れている。学生の年齢で、それがもう意識されている、はっきりと。
 

* 死者は抵抗しない。霊の存在を仮定すれば別だが。しかし生きている人の心のなかで死者は生き、その人の行動を見ている。ある意味では生きている人より死者のほうが怖い。だから古来どの民族にも死者を敬う風があった。死者は神と似ている。存在を否定するのは簡単で、存在を認めるのは現代では難しい。けれど結果において人はその存在を認めて敬う。お墓参りというのはその信仰心の表現だと思う。 (男子)
 

 日本語で「人のわざ」といえば、生者が、死者を葬り祭る行為をさしている。
 

* 僕の家は核家族なので、祖父母などの墓は、親方の実家に行かなければ、無い。だがこの前自分の親が近くに墓を買った、これで安心して死ねると言っていた。僕は次男で、この先大学を卒業してまで親のすねをかじって行くわけにもいかず、まずは一人暮らしをしようと考えている。だが日本全国または海外に行っていたとしても、親の死んだ日やお盆などの日は毎年尋ねようと思っている。その他にも、自分の未来が全く見えなくなり、どう仕様もなくなったとき、親の意見を聞くために墓参などしようと思う。そのときは親の大好きだった食べ物など持っていってあげようと思う。その他にもとても嬉しいことがあったときは知らせにいってあげようと思う。残念だが、他のときは全く行くことはないだろう。将来自分が死んだときは親の墓へ入って、またみんなで暮らしたい。 (男子)
 

 やむをえず大勢の中からごく少数の意見を強いて拾いあげている、のではない。予想をいくらか裏切られて、こういう考えの男子学生が相当人数いる。むろん科学の名をもちだし、またもちだすこともなく、頭から、墓の将来や墓参行為を否定的に切り捨てている学生もいる。少ない人数ではない。ただ体験から出て、このさきも関与を余儀ないものと見ている学生と、まるで体験のない学生とでは、さすがに「言葉」の重みがややちがっている。「墓」など東工大の学生諸君の日常からはほぼ完全に蒸発しているかと危ぶんでいたのに、逆に「墓」の話題が、彼等の、彼女らの「生きている・生きて行く」環境や状況を浮き彫りに浮かび上がらせてくれたのには、驚きかついくらか安堵した。ひとつには「K」の墓参りを孤独に欠かさない漱石作『こころ』の「先生」を、毎時間のように話題にしていた反映もあるだろう。
 

* 以前は私にとって墓のイメージは陰気で近寄りたくないものであった。しかし先日、亡くなった父の骨を自らの手で墓に納めた後、唯一父の実体(骨)が在る場所として(例えば仏壇などよりもずっと)大切に思うようになった。今でも、墓など、死んでしまえばどうでもよいものと思うこともある。しかしやはり静かで安らかな場所なのだと以前よりも強く思うようになった次第である。私は大学を卒業した後に、故郷に帰るつもりはない。むしろこの世界で立派に活躍できる人間になろうとするならば、これから何処へ行きどこで生涯を閉じるかなどということは予測もつかない事であり、また、どうでもいいことであろう。墓参もそうは出来ないかもしれない。しかし二十歳で、ろくな孝行もできずに父を亡くしてしまった私には、せめて墓参りにいくことが、せめても出来ることである。やがて私も兄も亡くなれば、今現在の家の墓を省みるものはいなくなってしまうかもしれない。しかし人の世は移り変わるもの、死者はそこまで生きている人に迷惑をかける必要もない。その期に及んだら墓も自然に朽ちて行けばよいと考える。 (男子)

* 私の親は別に長男でも何でもないのですが、田舎の家を継いで墓を守ってくれる人がいないといって私や兄にも跡継ぎの話が及んで来るほど、今跡継ぎが熱望されているようです。私は無責任にも、誰かが必ず墓を守っていかなければならないと思う一方、自分は関係ないやという勝手な考えを持っています。お盆に祖母の家にいったりすると祭壇のようなものが飾られてあり、毎日お供え物を替えたり、お盆が終わるとその祭壇に使った木などを川辺で焼いたり、とても大変そうです。でもそれらを見ると、そうやって毎年迎えられる御先祖様は本当に幸せだろうなとつくづく感じます。 (女子)

* そう言えば長い間墓参りをしていないなと思いました。小学生の頃は祖父に付き添って墓参に行くことが多く、定期的な行事でした。中学高校生となってからはほとんど墓参をしなくなりました。しかし父が病気になったとき私は、「ご先祖様、どうか父が早く元気になりますように」と仏壇にお願いしていたことを思い出します。私は何か願い事をするときは、たいてい仏壇の前か近くの神社でしています。「ご先祖様どうか…」と願いながら、墓参りを全然していなかったのを考えると、罰当たりな気が、今しています。大学受験が終わって春休みにほんとに久しぶりに墓参りに行きました。その季節でしたから家の墓もちゃんと手入れがしてあると思っていましたが、着いてみると誰も墓参りに来たようではありませんでした。祖父は年齢的にも来れないでしょうが、叔父などはどうして墓参りしていないんだろうと思いました。私は一人で落ち葉拾いや墓石を洗うなど、一時間ほどかけて掃除して、最後に線香を上げて帰りました。このままみんな墓参りはしなくなるのだろうかと考えながら。きょうはとてもいいテーマで、ありがとうございます。考えさせられました。 (男子)

* かなり多くの人の歩む道を私も行くのであれば、私は嫁ぎ先のお墓に入ることになるだろう。あまり抵抗を感じないのは、きっとまだ私が若いせいだろう。生きているうち、特に若いうちは、家なんて関係ない、私は私だと思いがちである。しかし本当に家から逃げる勇気のある人はそうはいない。結局「?家の墓」に入ることに甘んじてしまう。子孫がその墓を手入れしてくれるよう望んでしまう。どんなに科学が発達しても人は見えないものに恐れを感じてしまう。お墓を手入れしなければ、実際そんなはずはない非科学的だと思っていても、やはり祖先が怒っているのではないか、祟りや災いがあるのではないかと思ってしまう。娘しかいない夫婦が墓のことを心配するのも、家がどうのこうのと言うより、このことが気になるからだと思う。それでは集合墓地を建設して、業者が一貫して管理を引き受ければよいではないか、それを永代使用にすれば、その苗字を名乗る家が例え無くなったところでたいした問題はないではないかと、そういう人もいるだろう。しかし私はそうはならないと思う。合理的かもしれないが、それだけでは割り切れないものがあるからだ。墓にしろ家にしろ自分の周りのしがらみを完全に解ける人もいないし、解きたがる人も、そんなにはいないのだ。永代使用なんて言っても、人の命に限りがあるかぎり、永遠なんて誰にも約束できない。墓参も、ただ「今」を重ね続けて行くだけだと思う。そうしていれば人は安心するのだから。 (女子)
 

「墓」の話など、若い世代にとってこれほどダサイ話題は無いはずで、受験勉強に明け暮れの高校生なら、九割がた、実感をもてまい。しかし大学生の二十歳前後ともなると、意外にも、他のもっと内面的な話題に負けないほど、深く対応してくる。「大人の判断」で考えてくる。学生たちは「墓」の話題だけで、400人強が、合計650から700枚(400字用紙に換算して)書いて提出している。優に単行本の2冊分ある。内容はバラエティーに富み、これほど落ち着いた読み物はないくらい、我が身に引きつけ考え考え書いている。生と死、人間、男と女、人生、親族、家、跡継ぎ、墓守り、科学、信仰、そして住所と墓地との距離等々、とてもとても「ノー プロブレム」なんて言っていられないのだ。言っていられないほど、もう「大人」を強いられている年齢だと自覚しながら学生諸君は書いている。遠い未来の問題とも目前に迫っているかも知れぬ問題とも、決めてしまえないまま、身につまされ考えている。選び抜いてなお数十人分がこの手元にあるが、書き写しきれないのが、惜しいし残念だ。
 

* 少し前に父方の祖母がなくなった。初めてお骨をお墓に納めるのにも立ち会った。そのときふと、お嫁に行くということは、私は我が「**家」の墓には入らず、よそのお家の人間として嫁にいった先の家の墓に入るということなんだ、と思い当たりました。嫁ぐとは20年あまりを**家の者として生きてきたことに、ある意味で区切りをつけ、よその家の者になってしまうという重いことなのだと、さみしくなった。いくら墓参りをしてご先祖さまにお祈りをしても、私はここには入れてもらえないのだな…と。
 それはともかく、骨は灰にして撒いてほしいといった声もあり、因習的な墓や戒名や何かに比べて、そのほうが自由な感じも個人として生きた感じもするけれど、それでも私には日本の慣習としての家を重んじる方が好ましい。ずっとこのように続いてきた墓の制度にはやはり意味があると思うし、個人と個人との関係が稀薄な今日なればこそ、そういう繋がりは大事にしたいではないかと思う。 (女子)

* 墓は死者の象徴である。遺骨や遺体が埋めてあるので象徴化しやすい。事故などで亡くなった人の墓は、事故の現場の山や海であるとされることが多い。レイ・ブラッドベリ作『宇宙船乗組員』では、乗組員の夫を持つ妻が、「夫がどこかの星に落ちたら、その星の出ている空は見たくない」と言っている。結局宇宙船は太陽にのみこまれ、彼女は夜と雨の降る日だけしか外出しないようになる。太陽は夫の墓であったろうに。
 戦時中戦死者の遺族には、遺体はおろか遺品も受け取れない人が多かったろう。どこが死んだ場所などと確認できなかったろう。どことも知れぬ場所に思いを馳せたか、遺影や、あるいはカラの墓を大切にしたのか、私には想像もつかない。日とによってとらえ方はまちまちだと思われる。
 しかし生物としてみれば、生き物の死骸は食物連鎖の一部なのである。その調和を乱しているのは人間だけである。その死の場所、遺体のある場所を墓としたいなら、地球そのものを墓と考えていいと思う。土に帰る。そういう考え方もいいんじゃないかと思う。
 半年間の教室を、ありがとうございました。Have a nice summer. (女子)
 

 アロハで短パンのわたしらしい男が、緑陰の寝椅子で「ごくらく・ごくらく」と快眠の図が描いてある。東工大でメッセージを読み続けている間は、幸か不幸か「ごくらく」とは縁がなく、夏のレジャーも無い。
 それはさて、なかなか簡単にだれでもどこでも「土に返す」なんて出来ないので、人間は苦労してきた。その苦労が文化を成し社会を成したとも言える。
 

* 先日私は母方の祖父母から養子になるように頼まれた。母の実家は割りと伝統のある家なのだが、祖父母には私の母とその妹の娘二人で、家の跡継ぎがいないのである。墓の跡継ぎもいないと言うことである。こういう問題は将来子供が減って行くにつれて、どこでも身近な問題になるに違いない。養子になれば苗字が変わるという問題があり、今の姓でだれからも認識されて来た立場では、考えたくないことではある。夫婦別姓を認めようという人の気持ちが、この問題で少し分かったような気がした。墓も養子もいますぐの問題ではないのだが、結局、墓と家とには難しい繋がりがあり、今度私がかかえこんだのは、「家」の存続と「個人」の自由の問題と言えるだろう。 (男子)

* 私が最後に家のお墓参りをしたのは、確か小学校の頃だったと思う。家から10分程度の所にあるのだが、いつもお参りしているのは祖父母だけだ。この頃は仏壇を拝むことも私はしていない。父は一人っ子で、わたしもその一人娘だ。家のお墓を守って行くのは父から私へと受け継がれて行く。しかし私があと数年(!?)でどこか他家に嫁いで私が死んでしまったら、お墓はどうなることか。祖父母や父母が可哀相だなあと思う。私の生きている間はきちんと世話をしようと思う。祖父母は毎日仏壇を拝んでいるが、現在の父母を見ているといつか祖父母のようにするのだろうか、分からない。まして自分のそんな姿は全く予想もできない。しかし年齢をとれば人はそうなって行くのだろう。結局お墓も今までのように守られ受け継がれて行くのだろうと思う。 (女子)

* 私の家は3人姉妹。父は一人息子なので、家の墓があります。一般には3姉妹のうちの1人が家を継ぎ墓を守らねばならないのでしょうが、私の家の考え方は他の家とはかなり違っていて、「お墓参りさえしてくれれば家も墓も継がなくてよい」と言われています。養子をとってどうこうという考え方は、まるで、ありません。「家」や「墓」に人生を左右されてしまうのは勿体ないことだと思います。かと言って「死んだ人はもういないんだし」忘れてしまっていいなどと思いません。「自分の先祖だから」などという理由でなしに、もうすこし先祖の呪縛から解放されたところで人の死を人の問題として考えてはと思うのです。会ったこともない先祖のお墓参りをするような考え方は、私にすればちょっと変です。
 私の家の考え方は他の家とかなり違うと言いましたが、家や墓についてだけではありません。
 私の実家は広島にあって、高校の同級生の女の子のうち半分ぐらいは「大学は家から通えるところにしなさい」とか「西日本から離れてはだめ」とか言われていました。その他の人でも「きまった大学が遠いから、仕方がない」という感じで余儀なく1人暮らしを許してもらっているのがほとんどです。でも私の家では「大学は絶対家から通えないところにし、1人暮らしをしなさい」と言われていて、姉が東京の大学に通っていたので2人で暮らすこともできたのですが、「別々に住みなさい」と言われ、昨年まで姉とは歩いて10分ぐらいの所に、わざわざ別々に住んでいました。「なんで一緒に暮らさないの、お金がかかるじゃん」とよく驚かれますが、「大学時代に1人暮らしをする」というのも我が家の教育の1つなのです。実際親から離れて1人で生活すると、お金の使い方や、掃除をしないととんでもないことになることや、その他親といる時には気づかなかったことが体験を通して分かって、今ねとてもいい経験をしていると自分でも思います。 (女子)
 

 若い人達はさまざまなバック・グラウンドを背負っている。十把ひとからげな物言いは極力慎まねばならず、しかも大掴みにもできる目配り・心配りなしには、なかなか付き合えない。この女子学生の家庭の考え方は、やはり少数派に属しているだろうが、彼女の墓や家への視線の向け方自体は、むしろ東工大のわたしの教室では、半数にちかい多数派のものでもある。
「墓」の話題は、学生の彼や彼女ら一人だけでの判断をゆるさぬ、厳しい根糸に絡められている。父は北海道、母は南九州に家の墓をもっている。そして一家は首都圏に暮らしている。これでは、墓参は、したくても出来ない、しないまま何年にもなると言われれば、唸ってしまう。どうして墓地を手に入れるか、その費用の問題に親は困惑していると言われれば、そうだろうなと思う。東京で暮らし、京都にわたしの親の墓はあり、和歌山県に妻の家の墓はある。ご多分に漏れずなかなか和歌山のすさみ町まで行ってあげられない。京都で仕事をしてきても、鼻のさきの父の墓にも参らずに帰ってくることが再々ある。そして、自分たち夫婦の墓をどうするか、東京に新しく求めようかどうか、ふと考えている。
 東京なら息子や孫たちもと、計り知れぬはずの彼等の将来に、いくらか頼む気持ちがあるわけだ。気迷いというものだろうか、難しい…。
 ビル式の「引出し墓」や「集合墓」また散骨などの「自然葬」についても、肯定否定入り乱れて帰趨は容易に定まらないが、概してまだまだ昔ながらの墓と家とへの、積極的とは言えないが余儀ない追従の姿勢は、そう大きく崩れていないようである。
 美しい形の墓に思いをいたしている学生は皆無に近かったが、墓地の環境には相当な言及があり、そこに故郷への懐かしみ方が自然に露われていた。海の見える墓地、山の上の墓地、家に近い静かな環境。都会の墓地の問題がただ能率だけで言われているのが、やはり問題ありと思わせる。学生たちにずいぶん教わった「挨拶」であった。
 
 
 

  大人の判断 ー大人とは何かー

 年度内に成人する、つまり二十歳に達する学生が多い。二十歳になったから大人に成ったと言えるものでもないが、二十歳になって、まだ子供ですと甘えていられても困る。居直られては、もっと困る。
 学生諸君にしても辛いところで、これまで、やたら「大人の判断」とやらを強いられて来なかった段ではなく、しかも二十歳にもなると今度は「大人としての判断」を、都合よく当然視される。大人の判断を義務かのように求められる。
 そこで、「大人の判断」とは、どんな判断なのか。「大人」とは何かを問う意味もある。自分を大人と自覚してものを言うか、大人なるものを向こうに置いた感じでものを言うか、それを問う意味もある。「大人の判断」を価値あるものと肯定して自身もそこへ近寄って行くのか、批判的に論難するのか、その辺も分かれてくるだろう。

* この冬は渋沢龍彦の世界に、どっぷりと、つかっていた(こういう人間を「渋沢家の人々」というらしい。)ので、「大人の判断」と聞いたとたんに、パラケルススや、シュバリエ・デオンや、サドや、ジル・ド・レエ等、「大人の判断」が出来なかったためにみじめに死んでいった人々のことが頭をよぎった。「大人の判断」が出来ていればパラケルススが大言を吐くこともなかったであろうし、デオンが女装することもなかっただろうし、サドがアナーキストを名乗ることもなかっただろうし、ジルが子供を犯すこともなかっただろう。
 そこで思いついたのだが、「大人の判断」と芸術性とは相反するのではないだろうか。というのは、「判断」全般が理性のもとにあるのに対して、「アート」は狂気が司るからである。芸術家は理性という当局の目をぬすんで狂気を走らせる、言わば自己崩壊的なアナーキストなのではないだろうか。と、話が「大人の判断」から大きくかけはなれたところで時間がきてしまいました。どうもすみません。 (男子)
 

 なにを専攻しているかまで出せるといいのだが、それをすると匿名度がうすれて特定の人の名や顔が透けてくる。それは遠慮すべきだろう。こういうメッセージが届くと、嬉しくなる。東工大にも実にいろんな側面をもった学生がいる。なかなか的を深く射てくる。
 

* 判断にあたって、他人の気持ちや視線を過剰なくらい意識しているとき、それは「大人の判断」だと思う。「本当はこうしたいんだけど…」と自分の気持ちは決まっているのに、もう一人の理性的な「大人」の自分が「やめておけ」と言っている。世間体が気になりだしたらもう大人だと思う。そう考えると、最近の自分は大人だなぁとつくづく思う。そして周囲に「大人でない」判断をしている人をみると、「大人気ない…」と思ってしまう。でもそれを自分で、情けないとか、「大人になってしまった」と感傷的になることもない。忘れもしない去年の3月に,「おかげさま」という言葉の意味が心からわかった時から、子供の頃の自分が思っていた様な大人が全てではない、私は私の思っていた様な大人にはならない、だけど良い大人になりたいと、思っているから。私は今、とても前向きな気持ちでいるので、自分で読んでもなかなか前向きな文章で、私にもこういうのが書けるんだなと益々前向きになれました。 (女子)
 

 あまりに大勢で学生の顔は全然といっていいほど見えない。が、書いてくれるものと署名とを通して、印象的な人物像は、いくらも蓄えられている。この女子学生は、いつもしっかりものを語りかけて来るが、「去年の3月」に東工大に合格するまでは、前向きどころではない苦しい瀬戸際をさんざ行き悩んでいたことを、何度か告白してくれている。そしてわたしの方でもメッセージに反応して、例えば次の時間に前回の文章を皆のまえで読みあげたりして、それとなく励ます感じはもっていた。明確に内心や事情が語り切れている文章ではないが、「問答有情」の感はただよっている。この方法のよさは、どちらかというとクラい感じだった学生が、だんだんに明るい心境へすすんで来るのが、またその逆も、よく見える点にある。励ましたり共に喜んだりしやすいし、他の学生にもその気分はよく反射するようである。
 元日から間もなかったこの時間、はじめに、井上靖の「そんな少年よ」という詩を配って一緒に読んでいた。この女子学生はこの詩を、「とても素敵だと思います。私より1つ年上で、今、東北にある国立大学人文学部2年生の友人(男)は、今年、「どうしても理系に行きたくて」センター試験に再々チャレンジします。彼にこの詩を教えてあげたいです」とも書き添えていた。四節もある長めの散文詩だが、第二節ーー

  俺には正月はないのだと自分に言いきかせていた。入学試験に
  合格するまでは、自分のところだけには正月はやって来ないの
  だ。そして一人だけ部屋にこもって代数の方程式を解いていた。
  私は十三歳だった。あの頃の私のように、ひとり正月に背を向
  けて、くろずんだ潮の中で机に向かっている少年はいまもいる
  だろうか。いるに違いない。そんな少年よ、おめでとう。

「いまもいるだろうか。いるに違いない。そんな少年よ、おめでとう」と繰り返されるこの詩が好きで、声にだして読むときっとわたしは声をつまらせてしまう。亡き井上先生の温容も彷彿とし、いつのまにかどの科目の授業も、かならず最初に靖の詩の朗読から始まるのがスタイルとなっている。二十歳の青春に、実にふさわしい詩であり詩人である。こういう反応が自然にあらわれ、それでいいのである。詩の解説など、していない。しない方がいいのである。
 

* 大人の判断とわざわざ言う場合、そのほとんどは選択が2つある場合ーー一方は理詰め、他方は感情的ーーに「理詰めの選択」をすることだと思う。そしてその責任が重くのしかかることである。逆に子供であれば答えは決まっている。だれかをいじめるのは悪く、拾ったお金はおまわりさんに届けるのが正しい。
 理詰めで判断する場合、その基準は「安全」であろう。そして先人たちも似た場面に何度も出くわしたので、いわば定石が存在している。とはいえ理詰めで考えれば「失敗の可能性大」であっても、何か「大きなもの」がそばに転がっていれば取りたいと思うのが人の常である。かくてここに「正解のない問い」が誕生する。
 いわゆるサクセス・ストーリーとは、あえて感情的な選択をして、たまたまうまく行った数少ないケースである。自分の才能と運とを信じ、これまでの安定した何かを捨てる覚悟なしに選べない道だ。だからこそ今までにない何かを産み出すことができるのだ。大人として生きるために「大人の判断」が必須なのは言うまでもない。ただ、何か新しい大きいものをつかみたければ、あえて賭けに出ることも必要である。そしてその機会は、「大人の判断」が出来るからこそ見出だし、作り出せるのだ。 (男子)
 

 「何か」を三度も四度も繰り返しながら到達した最後のところは、なかなかの意見である。「理詰め」の思考に長じた東工大生らしい若々しい見解に、青春の模索が感じられる。
 

* 「今」の状態で最善を尽くそうとするのが大人の判断である。くだらない見栄から医学部ではなくて東工大を受験したことを後悔しているからといって、今までの大学生活をすべて捨てて再びセンター試験を受け医学部をめざすことは、あまりにも危険な賭けである。この賭けをしようとするのが若い力でもあるのだが、それは幼い故の甘い考えである。そんな危険をおかす覚悟があるのなら、今の東工大生の自分のままで、最善を尽くすのが大人の判断である。 (男子)
 

 批評するのは簡単だが、こういう心の動きに、からくも耐えて日々を乗り切っている学生は、必ずしも少なくはない。必死に、と言うと大袈裟だが、大袈裟に言っても差支えないほど、この学生の声に代表される大勢が、こういう自問自答を痛々しいほど重ね重ね努力しているという事が実は大切なのである。
 

* あけまして、おめでとうございます。
 大人とは、人によって定義が全然違いそうですね。私は、大人の判断とは、「どれだけ許せるか」だと思います。中学生の頃は特に、社会や学校の不正とかにいらいらしてて、先生や親が自分をしめつけ「自分」を失わせようとしているみたいで、そして何も知らない自分にすら怒っていました。「まちがった」社会になんか染まらない、自分は子供の考えでもいい、王様は裸といえるままでいたい、と思っていました。
 ところが、ちょっと成長してみると、まず経験が増えることでいろんな立場の見方を覚えました。何かに自分の意見をもっても、「他の人はきっと異見をもっているにちがいない」と思うようになりました。自分の考えは核として確固とあります。でも、他に対して攻撃的な思考はしなくなりました。そして目的は、向上ではなく、維持になります。そこから生れる判断は「守り」だと思います。ですが、そこで終わるのではなく、守りでも攻めでも何かの判断をしても、それ以外を許容するふところの深さ、それが「大人」という気がします。自分は今、分裂してるなー、って思います。移行期なのかもしれませんね。 (女子)
 

 日頃はまことに鋭い視角からきびきびと発言してくる学生だが、ここでは、穏やかに自分の「移行」の度を推し量りつつ、ものを考え語っている。
 こういうメッセージが、玉石と長短とりまぜて、最低でも二百数十人、多い科目では五百人以上も届いて、一人として残さず赤鉛筆片手に読んで評価して次の時間までに取り纏めて伝えられるようにするのだから、わたしの日々は劇痛のような多忙で痺れあがるのだが、それでも「読む」ことにためらいは無かった。興味津々であった。わるく言えば心の覗き見であり、ある学生はこれを評して告解を聴く神父のようだと譬えていた。
 

* 「大人の判断」って何でしょう。私は、「それは子供の考えだ」とか「十代の気でいるのじゃないか」とか言われるのが嫌いです。その対極にある「大人の考え」って何ですか? たしかに大人には経験もあり問題の対処もうまいと思います。しかしそれを経験の少ない人間に向かって、理由も説明せずに頭ごなしに否定するやり方は嫌いです。「大人の判断」ということばが嫌いです。私がそのことばから連想するのは、「betterな方法をとる」ということです。bestではなくbetterなのです。(わたしだけが感じていることで、一般には通じないことだとは十分わかっています。)大人には守らなければならないものが多いから。それが家族であったり社会的地位であったりするから、です。今週の土曜、成人式に出席します。もう一度「大人」とは何なのか考えたいと思います。私は、「成熟した人間の判断」を下したいと思います。 (男子)
 

 いろんな表現が「大人の判断」という物言いに対して下される。それを、片端から短く書き取ってみた。重なるのも多い。若い、熟さないものも混じる。鋭いのも尋常なのも入り混じる、が、掛け値ない学生諸君のそのままの物言いに、新鮮な意味があると思う。誰もが、「年齢」では決められないと「大人」というものを見ている。忸怩たるものも胸に抱いたまま「言葉」を拾いあげてみた。
                                        

『大人の判断』とはーー  「どれだけ許せるか」「異見を許容する懐の深さ」「論理的な、理詰めの選択」「責任を取る」「基準は安全」「定石にしたがう」「正解のない問いに挑み下しうる決断」「あえて賭けにでる必要も知った勇気」「他人の気持ちや視線を過剰なくらい意識」「世間体に配慮」「他者を大人気ないと思う」「客観的」「冷静かつ適切」「自分の思いをなにより優先」「没個性に陥らぬ」「常に状況・世間を顧慮できる」「優先順を見極める」「ベストよりベター」「豊富な経験が裏打ち」「芸術性とは相反した理性」「真の勇気が支える」「結婚・就職など大きな事態に発揮されねばならぬ判断」「もう一人の自分を常に自分の中に用意できること」「常識にマッチ」「常識に流されない」「大事な事を先送り・やり過ごす」「納得づく」「折り合いを上手に」「重要な本質を貫いて悔いない」「和をはかる」「民族性を反映」「逃げと諦め」「自分の基準に忠実」「意識して責任をもつ」「妥協する」「慎重に一歩引いて下す」「世間の価値観にしたがう」「自分を抑制して他者に配慮」「慣習や社会への協調」「洞察」「自分を見失わない」「集団の秩序を尊重」「ストレスをためない」「自分を露わに出さない」「精神的な成熟」「適切な時機に適切な行為や発言」「言葉の暴力に暴 力でむくわない」「がまん」「つまらぬ意地を張らない」「理論的で非感情的・社会的」「ずるさ」「個人的な判断をためらわない」「その人の常識が計られる」「影響を考え責任をとれる」「大局的な判定」「計算ずく・利己的」「つまりは大衆が多くする種類 の判断・常識」「「なにか無理をしている」「親の判断」「一歩引ける・一肌脱げる人の判断」「道徳・常識・型」「深くかつ長期に生きる判断」「思想に裏打ちされた判断」「利己的なのに利他的にみせるラインを引ける」「相手をいかに傷付けないかの気配り」「欲に逆らい・いわゆる正義にも逆らいうる判断」「自然な判断」「侮辱や挑発に乗らない強さ」「心の円熟」「誰もが受け入れ得る」「非難されない」「無難」「うーん、大人だなぁと感じられる」「信号が赤でも(安全なら)渡ってしまうような」「自分にとって最良の結果の出る・満足できる判断」「非との気持ちを分かって・察してする判断」…等々。
 

 それぞれに裏も表もよめるものかも知れず、強いてポジティブともネガティブとも分別もせず列挙した。かえって「大人の判断」なるもののややこしい正体が、ファジーな像を浮かばせて見せている。
 安易に「大人の判断」などと、誇ったり、責めたり、笑ったり、感心したりはできないという事だけが、よく読み取れる。二十歳の青春は、きわどい判断に惑いながら、しかし不真面目ではない。
 知っていることよりも遥かに多く、知らないことが、在る。分かりあえることも在るが、どうしても分かり合えないことも在る、だから、人の世にルールという定めが出来る。決めたルールには従うべきだが、ルールは改められて良いものにしてこそ意味がある。分からないことを分かったふうに言うのは大人ではない。人は容易に大人になり切れない。忸怩とはその謂であり、学生諸君に教わって内心冷や汗をかきどおしである。
                                        

* 「大人の判断について」 自分がある判断を下そうとしているとき、そういう判断を下す自分を、他人はどういう風に受けとめるのかと、そういったことを考えることのできる「もう一人の自分」を、常に自分の中に用意できることが、より確かな大人の判断につながって行くと思う。 (男子)
 

「もう一人の自分」という提言に、共感した。それならば、次はそれを問おうと思った。
 
 
 

  もう一人の自分 ー拝啓。私ー

 自分がただ一人の自分でありえないことを、学生諸君も「仮面を被る時」を自覚するにつけ、認めざるをえなかった。「もう一人」どころか「自分」が何人も何人もいるのかも知れない。そう気付いているのだ。ただ数の問題ではなく、そこに成長とか時間とか、心境の変化とか、端的に利害の感覚とか価値観が変わるとか、ともあれさまざまな自己環境の推移に耐えるべく、いろんな「自分」を繰り出しては対応せざるをえないわけだ。
 それでいて「もう一人の自分」などと、改まって考えてみたとも思われない。まして「もう一人の自分」に手紙を書くなどということは、日記というものとトンと縁遠くなっている二十歳の青春には、むしろ芝居がかった行為なのである。
 だから書かない、書けない、照れ臭いとも言えるが、だから進んで書いて見ようとも考え付く。おおかたは書いてみたようである。「自我」がどのように表現し表現されるか、興味深い。
 事前にちょっと触れておいた方がいい。「自分」と「もう一人の自分」との位置関係が、学生によって二重に正反対になっている。「自分」と「もう一人の自分」のどっちの側に「ほんとの自分」をみているのか、人によって逆様になっている。また批判にせよ批評にせよ、また激励にせよ評価にせよ、それの出てくる側がまるで逆様にもなっている。読んでみると分かる。「手紙」という仕掛けだけに、奇妙なほど作りつけてあるのも面白い。
 

* 私よ。二十歳の私よ。君は今、何の悩みもなく幸せそうな顔をして過ごしているが、本当に君は幸せなのか。毎日楽しく生きているのか。君は「不幸でないことが幸せ」「悲しくないことが楽しい」といつか思っていた時があったが、果たして今もそう思っているのか。私は、君のことなら少しは理解しているつもりだが、全てが全てわかりきっているわけではない。しかし今の君は昔の君とは少しずつ変わりつつあると私は感じている。いつも顔をつきあわせているので、その日その日の変化はなかなか感じづらいが、数か月前、数年前の君と比べると、変化しつつあるのはわかる。外見はもちろん考え方だって随分変化してきた。
 話を元に戻そう。君は平穏無事な毎日に不満を持ちはじめてきたようだ。やりたいことが色々出てきたようだ。そして実際にさまざまなことに挑戦しているようだ。挫折も味わったようだ。結構波のある生活を送っているではないか。私としてはそんな人生の方が面白いと思うよ。 (男子)

* や、俺だ。毎日顔をつき合わせてはいるが、こうして手紙を出すのは初めてだな。まずは、こんにちは。もういいかげん目が覚めただろう。期末試験まであと三週間だ。勉強以外のことは「封印」してもいいんじゃないか? 学科所属ー去年所属できなかったーは簡単なものじゃないぞ。しかも留年復活がかかってるんだ。いままでサボってた分のことを考えれば気が重くなるが、仕方ないだろう。わかってる。やる気が出て来ないというのは、*学科に進んだとして、やっていけるんだろうかって事だろ。今までさんざん苦労してるし。それに生涯かけてやっていこうと思えるものに、まだ出会ってないからな。だからこそ昨日の新聞の記事はショックだったよ。「文明社会の野蛮人」だったっけ。「ありあまる文明の利器に囲まれながら、その原理や仕組みには全く関心がなく、利用することしか考えない」人間か。ひどいよな。俺もこうはなりたくないと思った。でも、今の自分の方向性は間違いなく「野蛮人」の方向を向いてないか? 思い出せよ、色んな現象、実験etc…に胸をときめかせ夢みていたあの日の事を。誰だって自分の進む道には不安を覚えるものさ。とりあえずは目の前の問題を片付けよう。がんばろうぜ、相棒。 (男子)

* お元気ですか。と言いたい所ですが、どうも何か悩んでいるご様子。先日は壁に本をなげつけて、かなり荒れたとか。今の君を見て、ふと、ある神話(ギリシャ神話?)を思い出しました。ーーある美青年と女神が恋に落ちた。しかし青年はやがて歳をとり醜くなるに違いない。そう考えた女神は青年に「永久に眠る」ーー若く美しい姿のまま、動くことも想うこともないーーよう頼んだ。青年は考えた末それを受け入れた。女神は青年を洞穴に納め毎晩眺めに来たという。あえて解釈はつけません。思い当たる節があるでしょうから。ただ、一つ言っておくなら、おそらく君には毎晩眺めに来る女神はいないでしょう。
 努力を人に見せつけることは、たとえ努力のふりであったとしても、悪いこととは思いません。はったりは、しばしば大きな飛躍への起爆剤となるからです。事実君はそうやって大きくなったことを知っています。ただ今回ばかりは掘った穴が大き過ぎて、基石を入れるよりは墓にした方が簡単かも知れないということです。僕はただ、その大きな穴まで何としても基石を運びなさいとしか言えません。どうしても無理なら小さい石で埋める方法を考えなさい、墓にしたくなければ。君が非常に苦しんでいるのは分かります。でも誰だって苦しみ悩んでいるのです。はったりで生きるなら、苦労は決して見せてはいけないのです、役者が舞台裏を見せないように。どうしても苦しかったら、立ち止まって、広い視野を持ちなさい。何も持たずに考えだけが先行したとき、一種の狂信となります。狂信の先に何があるかはご存知でしょう。
 友を信じなさい。そんなものいないと言っていたようですが、確かに甘えられる友人はいないようですね。でも信じられる友なら5人はいたはずです。もう一人ほしければ、その人を信じなさい。信じるためには君自身が信頼し得る人間となることが必要です。先輩面をした割に何の解決にもならないことを言ったかも知れません。ですが、誰かに甘えて出せる答でもないはずです。君はもっと強い人間のはずです。がんばって下さい。草々 平成六年一月十七日 W521教室の授業中にて (男子)
 

 いくつか感想が湧く。具体的な事情は「自分」でも「もう一人の自分」でもない者にはよく分からない。しかしおよそ何が問題で、問題の前でどうもがいているかは察しられる。大勢の諸君に、恋であれ学業であれ友人関係であれ、そうは他人事でない種類のトラブルに想われる。同じ東工大の二十歳前後なら、皆が皆、分かるよ…と呟くことだろう。面白いのは、この「手紙」を貰っている方が「もう一人の自分」なので、「先輩」がって激励したり助言しているのは「自分」だとなっている。この使い分け、意識してか無意識にこうなったのか、二人の「自分」の配役に興味をひかれる。正反対の配役もたくさんある。
 またしても断っておくが、手紙にせよわたしへの挨拶にせよ、書いてくるのは(大方は)二十歳前後の人たちで、高校をでてまだまる二年とは経ていない少年、ないし青年だということだ。昔の二十歳とは違うといった、失礼な比較をわたしはしない、が、東工大生だからといって、成熟した大人の思想や態度を暗に期待するばかりでは同情が足りないだろう。二十歳なりに真剣に考えたり悩んだり自負したりしていることを、親切に読みとってあげたいと、少なくもわたしは始終考えている。
 

* 君はすでに輝きを失っていた。あの、見る度に会う度に、まぶしいばかりだった輝きはそこになかった。僕はその輝きを見るのが楽しかった。好きだった。しかし手を伸ばそうとはしなかった。輝きの失せるのが悲しかったから? いや、ただ勇気がなかっただけだ。僕は楽しみにしていた、久しぶりに目がくらむのを。いまだに僕はそれ以上の輝きを見た事はなかったただけに。
 だけど、そこに輝きはなかった。久しぶりに見た君は輝いてはいなかった。何故? 君が輝きを覆っていたから。僕が輝きに対して鈍くなっていたから。楽しさと悲しさとが入り乱れた。ふっきれました。僕はまた新たな輝きを捜そう、もちろんかつての君以上の。 (男子)
 

 若い魂が「もう一人の自分」と感じる場合、それが「輝いて眩しい」異性であることも多いことを、この「手紙」はせつなく告げている。
 

* やっほー元気かい。君はいつも悩んでいるね。僕は君が笑っている所をみた事がないよ。いつも人目を避けるように歩き、親切にしようものならはねのけ、孤独だから友達になってあげようと思ったら寂しくないふりをする。
 君はいったいどういう人なんだい。
 君にとって人生の楽しみとは何だい。
 いつも勉強をして、目標の人に近づくことばかり考えている。君は君でいいじゃないか、何も人の真似などせずに。そうか君には自分の姿が見えないんだね。かわいそうに周りの人に流されてしまったんだね。小さい頃から家庭に恵まれなかったんだね。自分のやりたい事をことごとくつぶされてきたんだね。そうか、わかったよ。だいじょうぶ僕がいるから。そのうちみつかるよ、本当の君が。このことは人に言うたらあかんで。心の内に秘めときや。 (男子)
 

 この可憐な手紙の場合も、「本当の君」と「自分」との関係は微妙に意識して分断されているように想像される。「本当の自分」はどこにどう立場を得ているのか。
 

* 拝啓 お前の事だから病気一つせず、ピンピンしていることだろう。今日は俺が普段お前について思っている事を書こうと思う。別段お前を褒めるつもりはない。お前に優れた所がないと言うことではないが、少々恥しいと思うからである。
 お前が「世の中に流されないように」そして「世間で言われている大学生になりたたくない」と考えた上で行動しようとしているのは、よく分かる。しかしどうもお前は俗世を捨て切れぬようだ、仕方ないことかもしれないが。人付き合いの為にに必要不可欠だろうし、周囲と異なることを行う孤独のつらさもあるだろう。だからまるまる離脱する必要はないんだ。
 お前は自分自身の中で、世にまかり通る全ての中から真実を抽出し、その真実のもとに生きるべきだ。何が真実なのかはお前が生きてゆく日々の中で探し求めなければならない。そしてその真実は御前自身のためだけに利益を与えるものではいけない。家族、友人、そして自分を取り巻く全ての人々を生かすようなものでなければならない。それに反するものであれば、どんな困難が待っていようとも立ち向かわねばならないだろう。それ自体が「人生」の意味であり、「人生」のつらさなのだろう。でも「つらさ」のない「人生」など、のっぺりとした直線道路を歩くかのように無味乾燥なものなんじゃないか。登山の場合、登りが苦しければ降りの喜びは倍増するし、先の見えない急カーブに差し掛れば次に何が来るだろう起こるだろうと胸をはずませる。先の見える人生ほど詰まらぬものはないんじゃないか。ただ、一つ注意すべき事がある。それは曖昧でもよい、自分の目指すゴール、大きな「夢」を抱くことだ。世界の誤った常識を打ち破るスケールの大きい夢がいい。
 それを実現するには、多かれ少なかれ「俗世」とは対立することになるのかもしれない。そして「俗世」の悪い点を十分知り、その悪さを世界に納得させるだけの正統性を見つけ出す大困難もある。(でもそれが「世の中」の、失われてはいけないものを発見する手掛かりになるに違いない。)今のお前には、それを実行するだけのハートも実力もないかも知れない。しかし、誰かがやらなくてはいけないことだ。誰かがやってくれる、ではいけない。皆がそう思えばこの世は悪くなるばかりだ。どうかくじけずお前が心に抱く真実のもとに頑張ってほしい。
 追伸 少し偉そうなことをずらずら書いてしまったが、お前は上記のことを行う前にやらねばならぬ事がある。それはもっと日常生活をしっかりしてほしい。早寝早起き、なるべくムダな時間を減らし、自分に厳しく周りに迷惑を掛けないようにしろ! こっちが本音である。それでは、また。 (男子)
 

 この長広舌に失笑するのは簡単な、だが、ただ上から見下ろし優越にひたるだけの行為でしかない。二十歳の青春にどれほど卓越した「人生」や「俗世」への見解を求めるというのか。幼稚すぎても困るが、ふざけた所のない自問自答という行為で、精一杯「もう一人の自分」に呼び掛けているのに、わたしは素直に感謝する。こうして書いて考えて、じれったいほどに何か大事な思念をまさぐっている事実に、感謝する。
 これは、仮りにも、授業を聞きながら書いた文章・手紙である。言い換えれば授業中の「らくがき」ですらある。わたしは、敢えてある意味の「らくがき」をさせている。私語されるより静かでよろしく、また一つには、こういう自問自答のなかに「文学」を読むに必要な内部の葛藤が、当人に見えてくるからだ。この「らくがき」は文学と人生への準備体操だと考えていいのである。
 協調と自主と真実。この問題に悩んでいない学生は少ない。しかもこれと当面直面しないまま「自分」を確認し信頼することは難しい。この長い生真面目な手紙に、かなり多くを代弁されている学生諸君の内心を、わたしは覗き込んできたと思っている。
 

* はじめまして。こんなに近くにいるのに初めてお便りします。もっとも一方的に話しかけたことはありますが、一度だって応答はありませんでしたね。あなたが決断に迷っていたら、いつも冷静な判断をもって助言しましたが、いつだって聞き入れることはなく、結局ははじめに考えた方向に進みましたね。早い話が、あなたの迷いは「どちらに傾くか」という迷いではなく、どうにかしてもう一つの考えを負かすための理屈の思案だったのですよ。結局最後に判断するのはあなたで、僕であることは決してないのです。「僕」は誰?僕は「H・K」。あなたは誰?あなたは「もう一人のH・K」。でも、他人にとって何かの判断をしているのは「H・K」という一人の人間だよ。まてよ。ということは判断しているのは「もう一人のH・K」だし、他人にしてみれば「H・K」。ということは、あなたが「H・K」!? すると僕は誰? なんだか頭が痛くなってきたぞ。
 今度こそあなたの意見を聞かせて下さい。ではまたお便りします。もう一人のH・Kさんへ。H・K (男子)

* 消えて失せろ! (男子)

* 自分への手紙ーーということで考えてみたけど書けないので、(書けない)理由を考えて書いてみます。現在、未来、過去、どの時点の自分を想定しても、一律同じになってしまってつまらないのです。内容はどうしても「救い」というか「気安め」というか、対象である自分に「大丈夫よ」と語りかける感じになります。
 浪人のとき、今の同居人によく出していた手紙は、なかなかウケがよかったのですが、あのころは日々あったことについて感じたこと、又、主に「深く読んだ」ことの結論とその筋道などを説明する感じでした。(「同情って失礼と思った。だって……つらつら……結局自分の方が恵まれてるって思わないと生まれないよね。特に云々」という調子。)
 ところが自分に対しては救済の手紙となり、そしてまた面白いことに、どう考えても「丁寧語」になります。まあ確かに、私の考えていることを「知ってもらう」手続きはいらないかもしれません。「そんなに救ってもらいたがっているのかなぁ」と首も傾げます。未来や過去に時制をとって、「今はこうです。だから大丈夫。安心して」という調子になると、なんて自分を信用していないんだろうと思ってしまいます。でも「です、ます調」が入って謎はとけます。「他人行儀」なのです。一歩退いて、そして相手はまったくしらない人のように見つめているようです。そのくせ誰よりも親しい気もするから、あたりさわりのない励ましに逃げるのかもしれません。子供がいたとして、その子に手紙を書いたらこうなるかもしれません。
「一ばん近い他人」を体内に抱いて私たちは生活しているのですね。
 でも「近い他人」は、最も「手紙を書く主体である自分」に対して、評価が甘くなりがちで、またその逆もハマリそうな陥穽です。それはちょっと気にいらないので、子供ではない逆方向にいる近い他人ーー「友人」でいてほしい、そうありたいと(「もう一人の自分」と「自分」とのことを)思います。その場合、書くなら以下の手紙になるでしょう。(以下、自己満足のみ)
『あたしへ』  これからあたしの人生まだあるだろうから、いちいち考えてること書いてられないみたい。でも覚えといて。あたしはあんたに恥ずかしいと思うようなことはしないわ。少なくともそう心に決めておくわ。でも、もし、あんたがあたしを忘れてもかまわないよ。それでもあたしは見てると思う。あんたを見続けると思う。そして、まあ、できることならあたしのことをたまに思い出して、思い出せなくてモヤついてみたりするならうれしいんだけどね」(口語失礼)  (女子)
                                        

 この女子学生の考察! には,思わず手を拍った。三百人からの他の学生諸君の「もう一人の自分への手紙」を一挙に批評し去っている。たしかに、おかしいほど皆が「もう一人の自分」を激励したり、逆に、激励されていたり、しかも「丁寧語」でやや「他人行儀」なのだ。「もう一人の自分」とは「わが子」のように扱いがちだとの批判は利いている。
 だからむしろ「友人」のように「自分同士」が在りたいという考えに、実感も説得する力もある。いい意味で乾いた間柄に「もう一人の自分」を置きうるかどうか、「離見の見」といった世阿弥このかたの心術にも教室でふれながら、やはり、落ち着くところ「自分」とは「何か」に、また思案を深くするのだった。
 
 

   日本観 ー日本を理解し説明できる漢字ー

 キイ・ワードには、独特の魅力がある。うまくとらえたキイ・ワードからはたくさんなことが学べる。だからキイ・ワードを見つけ出すという判断・選択・認識にも、ま、それ相応の「人」が表れ出てくる。それを、「日本」という国に関連させ聞いてみようと思った。
 「日本」を理解し、また説明するに資すると思われる「漢字一字」を、めいめいの思いで、「三つ」挙げ、所見も添えてほしいと。
 こういう問いは、もとより、敢えて、強いて、思い切っての「解」を求めることになる。理屈を言っていては、始まらない。知的なロールシャッハ・テストに、近い。

 その結果、出てきたのが以下の一覧である。

 「和」が圧倒的に多く、ほぼ3人に1人以上が「三つ」のなかに入れている。挙げられた理由はほぼ誰にでも推察できるところに、この「和」の魔力も魅力も問題も、ある。おおかた平和や柔和や温和や緩和やの「和」を想像されるだろうし、事実その意味で学生諸君も挙げている。
 しかし、一人だけだったが、これを「足算」の和、つまり総和の、合算の意味で挙げていた。ちいさなものを幾つも幾つも積み上げ積み足して、けっこう大きな外見を成して行く「日本」という意味だ。いかにも東工大生らしい語感ではないかと感心した。

 「島」は島国であるが、「シマ」というヤクザな用語の語感もある。せせこましく「われわれ」と「かれら」との対立・対決を意識しながら、しかも獅噛みつく領分という意味になる。

 「金」は金銭であり、またジパング以来の黄金のイメージにも触れてくる。金は、天下のまわりものというよりも偏在こそが問題であり、いわゆる「価値」の尺度を、質よりも金額にしか求めなくなってきたのも、大変に問題である。

 「義」は、どうも正義道義の義というより、義理人情のほうから選択されているらしい。

 「内」は、「外」との関係で授業中に問題提起したことがあり、その反映であろうか。「内主義」の過ぎたるものは、とかく外に対し過酷に、狭量に、なりやすくて危険なこと、かなりよく分かってくれている。

 その他、「神」は八百万の神々への評価だろう。「勤」勉に過ぎた国民性と自覚してもいる。「勤め人」根性も、日本人は過ぎているとみている。「狭」は分かる。空間的に狭く、時間的にもせわしなく、人の心も狭くなっている。この当時にマスコミを騒がせていた朝鮮韓国人子女のチョゴリ切りのような、陰湿で残忍な「いじめ」や「差別」のありように、この「狭」一字が、残念ながらぴたり適合することに唇を噛む思いの学生がいた。それだけでも救われる心地がした。

 「心」の挙がるのは分かるけれど、みながみな「心」を善玉のように崇め気味なのは解せない。実は「心」こそ諸悪の根元かも知れないと批判してくれる目も欲しく、関連して「体」の重みに言及してくれる一人や二人もいてもらいたかった。

 ま、けっこう面白く興味深く文字が勢揃いしている。なかなか皆よく考えている。難解なものも混じっているが。

 * 「日本」を理解も説明もし得る「漢字」

「和」79「島」23「金」22「義」16「内」11「神」10「勤」10「狭」10「心」10「桜」8「小」8「米」7「情」7「水」7「技」7「美」7「偽」6「同」5「季」5「礼」5「謙」5「日」5「道」5「無」5「孤」5「間」4「集」4「冷」4「静」4「嘘」4「守」3「人」3「古」3「仏」3「公」3「耐」3「努」3「個」3「武」3「忍」3「閉」3「上」3「穏」3「柔」3「豊」3「善」3「忙」3「家」2「志」2「下」2「固」2「恩」2「外」2「似」2「皇」2「団」2「二」2「目」2「大」2「工」2「理」2「蟻」2「安」2「単」2「真」2「形」2「茶」2「労」2「忠」2「力」2「貧」2「木」2「受」2「魂」2「天」2「過」2「雅」2「働」2「笑」2「楽」2「群」2「政」2「倣」2「怒」2「我」2「雑」2「陽」2「侍」2「優」2「混」2「倭」2「信」2 (数は挙げた人数)

 (以下各 1)
「飽」「光」「窮」「降」「興」「暖」「死」「言」「盛」「衰」「律」「加」「傘」
「潔」「雲」「改」「悲」「荒」「離」「盲」「秀」「巧」「利」「門」「法」「敗」
「取」「衡」「東」「素」「純」「隘」「適」「稲」「褌」「輪」「未」「結」「受」
「位」「富」「週」「知」「俺」「念」「哀」「郎」「進」「率」「益」「涼」「寂」
「文」「趣」「勉」「中」「本」「鎖」「世」「塊」「仁」「浮」「恐」「健」「物」
「花」「依」「亜」「陰」「融」「影」「気」「競」「戦」「解」「猿」「通」「低」
「誠」「察」「犠」「儀」「堅」「頼」「温」「誤」「伝」「匠」「相」「軟」「親」
「価」「鐘」「徳」「規」「縦」「後」「智」「迷」「鉄」「良」「山」「均」「川」
「緑」「卑」「卯」「史」「乱」「品」「質」「類」「恥」「乏」「才」「海」「杭」
「羨」「激」「梅」「裏」「厳」「細」「様」「士」「密」「急」「汚」「重」「然」
「村」「徹」「場」「祭」「護」「控」「座」「学」「異」「問」「三」「慎」「悪」
                                    (以上)
 この程度では、だが、だいじなものが網羅できているわけではない。わたしの思いで追加してみた。

「例」「式」「名」「折」「色」「客」「蛇」「筋」「遊」「縁」「葬」「祝」「職」
「私」「土」「手」「身」「治」「暦」「女」「風」「時」「俗」「官」「都」「能」
「医」「空」「清」「会」「衆」「制」「性」「芸」「一」「流」「氏」「派」「隣」
「船」「旅」「株」「型」「今」「老」「墓」「変」「論」「勘」「想」「他」「草」
「雪」「虫」「霊」「怪」「月」(等も考えられよう。)

* 日本に来てからまだ半年も立っていないので「日本への理解と説明」に、三つの漢字で表現することが、なかなかできないと思います。でも自分の体験から言わせてもらえば、日本は、とても女性的な土地です。女の温柔さ、優美さなど、いわゆる女の気質を備えている。さらに女の善変さ、はかなさ、やきもちまで女性の特徴を持っていると思います。 ときとき、わけもない、いわゆる何気なくのさびしさに陥って、そのさびしさを味わうことをたのしむことも、この国の大きな特徴だと思います。そのことを夏目漱石と川端康成の作品で再度感じました。 (留学生 女子)
 

 わたし自身、多年、日本の国を「女文化」という表現で語りつづけて来たので、はしなくも留学生の、それも、まだ半年しか日本を知らない若い女性の目が、直観的にこのようにとらえていることに、感心した。「いわゆる何気なくのさびしさに陥って、そのさびしさを味わうことをたのしむ」とは、「風情」をよろこぶ素質を巧みに言い当てている。それに、この日本文のうまさ。
 

* 「日本」は「神」「和」「内」で説明できる。日本人は何かにすがる。例えば他人に、また書物に。言えることは、この、すがる相手を、ほぼ「神」と考えている。客が頼りの時は「お客様は神様」となるように。「和」は無難を意味し、中立の立場をとったり、長いものには巻かれたりする。「内」とは、自分らが仲間(でありたい)と認めている人達とは平等に接し、認めていない人達には極端に冷ややかである意味。アジアの国々との冷たい接し方と、欧米への卑屈な姿勢の対照に、よくそれが見える。 (男子)

* 「和」全体の利益のために、「律」個のわがままを規制し、「忍」じっと耐えるココロの3字で、「日本」は表せると思う。 (男子)
 

 一概にものを言えば、生じる誤差の幅は大きいのが普通である。このような問いかけを一人や二人にしてみてもお話にはならないだろう、が、百、二百と意見や判断が集まると、それなりの一般化・標準化が成され、読み込みに耐える「材料」が目に見えてくる。一つの試みでしかない出題なりに、上に挙げられた「漢字」の集積は、決して無意味ではないようにわたしは考えている。学生の年齢と経験なりに、彼等は彼等の「日本」を捉えている、捉えようとしている、と言えるだろう。
 
 
 

   孤・病・兵・貧 ー最も怖れるものをー

 ものごとに強いて順位をつけてみるという行為には、若干、いやな一面もあるのは否めない。しかし徹して自問自答を強いられ、ひいては批評の力を磨き鍛え、趣味の洗練などへすすみ行く「文化的な行為」であるという面もある。「春は」と問われて「曙」と即答できる能力などには平生この手の訓練がものを言うている。
 孤独、病気、貧乏、そして兵役。二十歳の学生たちには、兵役を除いて現実に直面しているみな難題であり恐怖であり、兵役といえども、将来にわたって「想像」「想定」するならとても余所事ではない。わたしが勝手にそう決め付けて言うのではない。膨大なメッセージを現につぶさに読んでいるから、疑いもなく知っているのである。
孤・病・兵・貧の恐怖につき、強いて順位をつけ、さらにその一項のみに所感を述べよ」と提示してみた。「1mと1kgとがどちらが大きいか」と聞かれているようだとボヤク者も当然いたが、問題が問題だけに避けて通れなかったようだ。
 

       1    2    3    4    発言
 
                            
  孤    83    55    66    32     71

  病    70    92    60    17     63

  兵    70    63    58    48     79

  貧    15    31    52   141    26
 

「怖れる」第一位は「孤」で、以下「病」「兵」「貧」となり、しかし一位二位を合算すると、「病」と「孤」とは逆転し、若い学生たちの大勢が予想以上に病気を怖れているのが分かる。「所感」となると「兵」に関するものが一位に、そして「孤」「病」が次ぐ。
 予想通り「貧」への怖れは格別低く、所感を述べた人数も断然少ない。やっぱりそうか…。貧乏を、こうも怖れていないという大勢に、現実に、怖れを覚えないではなかった。わたし自身の青春は、もっと、個人も時代も貧しかった。それゆえの不安があった。いつも、あった。今でも、ある。
 時勢は動く。良くは動くこと少なく、悪く動くときその勢いは甚だしい。バブルはすでに砕けかけていて、なお「貧乏」への予感が希薄で、裏返せばどうにでもなるという自信のほど。これには降参の思いであった。東工大生ですら、就職難を必死に感じ取るような時節が、だが、もう忍び寄っていたのであるが。
 

* 病、兵、貧、孤。 自分がもしそうなったときに、むしばまれそうな順。負けそうな順、ということです。そして「兵」について。
 兵は、自分がなったとき、ということです。徴兵制があったら、逃げるつもりですが。どれも自分の精神を壊してしまいそうなところが怖いですが、「兵」は、他の3つとは逆な崩壊をおこしそうです。私は兵として死ぬことより、兵として殺すことの方が狂っていると思うのです。人を殺せるほどの正義? 自分たちが正しいと信じるのは至難ですが、きっと戦場にいれば、「楽に」生き残るために味方の正義を信じるようになるのでしょう。それが恐ろしいから逃げるつもりなのですが…さてさて。
 戦時中の話を聞くことがあります。TVや本の中で「全員がアジテーションされていくさまを感じた」ようなことや「疑問をもっていた」ようなことがよく語られますが、私は話3分の1(半分以下)くらいで聴いています。本当にあの異常な時代にそこまで冷静だった若者が、やたら、いたか? というフシギがあるのです。しかも、無批判だったり協力的だったりした人がいたという証言は多いのに、その通りだったと名乗りをあげる人が少なすぎます。この50年でどんな精神的逃避がおこっているかもわかりません。
 「自分が生きのびることを選んで、他人を食いものにした」という事実。仕方ないけど、私自身がそうならない自信もないけど、そういう心を強制する「兵」という状況は、やっぱり怖ろしいですね。嘘をホントだと信じこむ精神状態が怖いのです。 (女子)

* 兵、病、貧、孤の順。  「民主主義を守るために徴兵制は当然」というのはサッチャー女史の言葉だったと思う。そしておそらく多くの国で、多くの人は同じことを考えているのだろう。しかし軍隊とは、統一の考えのもとに統一の行動を取る集団である。違う考えを持つ者は、それを抑えるか、考えを変えさせられてしまうか、いずれかである。その上基本的には人を殺す集団である、しかも正義と平和の名に於いて。戦争となれば互いが己れの正義を信じ、相手を憎みつつ、平和の名で平和のために人を殺す。その結果何が残るのか…。そのような下らない理由で人を殺めたくない。そんな連中とは徒党を組みたくない。絶対に正しいと大勢の人が信じたとき、人は視界がせまくなり狂的になる。だから怖い。そういう時こそ自分は自己自身でありたい。その先に痛烈な孤独が待っていたとしても、だ。 (男子)

* 兵、病、貧、孤の順。  兵は死よりも怖い。兵は精神の死だと思う。赤ん坊を抱いた女性をうち殺すかも知れない、隣で友が死ぬかも知れない。しかも戦いは誰かが誰かの利益のためにおこしている。つまり兵は、病、貧、孤そして「死」を、みな含んでいると思う。目の前の敵を撃つなら自分を撃つ方が楽である。 (男子)

* 兵、病、貧、孤の順。  兵役のイメージは理由なき殺人者になるということだ。恐れている死を、他人に強制する立場に自分が立つなど、とてもじゃないが耐えられない。自分が兵になるとはそういうことだけれど、もっと身近に考えられる兵は、自分がそうなることではない。(わたしは女だから)愛する人(男)が兵役にとられたら…ということだ。戦地へ行くとその人は死ぬかも知れぬ、ということももちろん恐れる。しかし、本当に恐れるのは、その人が、人を殺す、ということだ、人を傷つけるなんて、信じたくない。私の好きなのは人を傷付ける男ではないのだ、と、どんなに主張したところでどうにもならないだろう、その時は。死に至る病気の様に人力で解決できないものならあきらめもつくけれど、兵役はそうではない。私よりもっもっと強い力を持つ「人」によって、私も、男も、男にあやめられる人も、皆が傷つくのだ。あぁいやだいやだ。やはり「兵」がいちばんいやだ。恐ろしい。 (女子)
 

 たまたま「孤独」を四つのなかで一番怖いとは感じていない、珍しい方の四人の「兵」観が並んだ。国を愛する・守るという問題と、兵隊・兵役という問題との関連は解き難く難しい。もともと解ける問題ではない。愛する人に人を殺させたくないという意思と、目の前で愛する人を人に殺させるかという苦しい選択に、多くの民族が悩み苦しみぬいてきた。日本はその点、かなりの特異事情下に建国され保守されてきた、むしろ例外的な国だとも言える。それにしても兵役や軍隊を肯定する声はさすがに絶無であった。
 絶無はいい。しかし絶無を守りたいなら、常に常に「戦争と平和の問題」には腰をすえて関心深くなければならないだろう。平和ボケのまま、ただ恐れたり遠ざけたりしていて済むほどの問題ではない。しかも政治がわるく絡めば、一朝にして「徴兵・兵役の復活」へ拍車がかかる。兵役や軍隊を拒みたい以上は、もっと真剣に「投票する誠意・熱意」が欲しいと、わたしは、二十歳の学生諸君に強く言いたい。また、そう言いつづけてきた。「兵」について、寄せられた東工大生全部の声を広く聴いて欲しいと願わずにおれない。改めて補充の機会を持とう。
 

* 孤、病、兵、貧の順。  一番いやな「孤独」について書きます。以前の「親を頼るか、子に頼るか」では、九割以上の人が親に頼っていて、また子に頼らざるをえまいという人も多くありましたが、それはその人たちが「孤独じゃない」っていうことですよね。以前にも書いた気がしますが、人間一人じゃ生きられない。「オレは一人で生きる」と言ってもそれはタダの意気込みであって、いざ本当に一人になった時、誰にも頼らずに生きていけるか、非常に疑問です。「一人で生きる」といっている人にはごめんなさい。でも誰にも何も頼らずに、本当に一人で何もかも出来るのですか、と質問したい。人間、精神と物質との両面で生きているわけで、物質的には一人で生きるのは不可能な以上、孤独にされたら何もできないのではないかという強い怖れがあります。
 「貧」は四番めにあげましたが、それは物質的な「貧」です。精神的な「貧」はむしろ「孤」よりも怖いです。周りに座った友人の「アイサツ」を盗みみたところ(ゴメン!)四つに、ぼくと同じ順番をつけていました。友人ってやっぱり気が合うのかな。そんな友人を大切にし、「孤」とは離れた状態でいたいです。 (男子)

* 孤、病、兵、貧の順。  病、兵、貧も怖いが、それらは徐々にまわりに押し寄せてくる状態・状況的な恐怖である。自分として最も恐ろしいのは、心に押し寄せてくるものだ。その意味で孤独は最も恐ろしい。話す相手がいないのは最も怖い。嬉しいことも辛いことも全て自分のうちに秘めていると、心が異常化してくる。心が痛むとあらゆる行動が自信のない迷い、恐怖心をもったものとなり、一日一日が暗くなる。外からの恐怖は仕方ないといえば仕方なく、乗り越えればまた何か良い事がありはしないかと希望がもてる。心が痛められるという内からの恐怖は、自身をむしばみつつ大きく膨らんで行く。 (男子)

* 孤、病、兵、貧の順。  人の一番もろいところが「孤独」だと思う。人はどんな苦境にいても誰かと一緒にいることで強く在れる。病気も看病してくれる人があれば闘える。貧乏も兵役もその困難は一人ではうち砕きにくい。自分は浪人時代から東京に出て一人暮らしをしている。その体験からも、一番つらいのは、つける薬もなくどうしようもない苦しみの伴う「孤」だと思う。「孤」に耐え得る強い人間になりたいと思う。 (男子)
                                       
* 孤、兵、病、貧の順。  この世で人間一人というのはちっぽけな存在です。私もちっぽけな存在です。人は誰かから「情」を注がれて生きています。つねは自覚していないだけで、必ずそうであるはずです。それを無意識のうちに当然として受けとめている自分がいる。その自分がふと気づいたときに孤独であったとき、すごく恐いと思います。ギリギリのところでは人間って、そういうものだと思います。見知らぬ街で迷子になった子供と同じ気持ち、同じ恐怖です。 (男子)
 
* 孤、兵、貧、病の順。  孤独の恐ろしいところは、世の中が豊かだろうが貧しかろうが、平和であろうが無かろうが、やって来る可能性のあることだ。一度孤独を感じた人を元に戻すのの容易ではないことだ。孤独になっている人は最悪の状態にあるといえる。そして最悪の状態にある人は、何をしてもそれ以下にならないのだから、何をしでかすか分からない人、希望を失い切った人、といえるだろう。それが人間としていちばん恐ろしい。 (男子)
 

 「孤独」を語らせれば学生諸君は、ほとんどがエキスパートである。孤独は過去から未来永劫、人間の心の業病かもしれない。漱石の『こころ』を熱心に語りうる資格は、みなが持っている。明治の精神よりも何も、もっと切実に間近にとぐろを巻いている「K」や「先生」や、「奥さん」の孤独の厳しさを、学生とかぎらず、多くの読者はしらずしらず自身にひきよせて読みつづけて来たのである。想像以上に東工大生のなかにも、神・仏や信仰・宗教へのアンビバレントな関心が高い。かすかな実感だが、仏教への心よせの見え隠れするメッセージにときどき出会うことにも気付いている。
  漢字の「位」から、最も今心に触れる熟語を書けと言うと、なにしろ「東工大生」であることを社会的にも公認された「地位」だと自覚している学生も多いのだから、地位もむろん優位だの首位だの一位だのと並べられるだろうと想うと、それも有ったが、断然多かったのはなんと「位置」「位置関係」だったので、ウカツにも仰天した。自分が周囲や所属集団や社会の中でどういう位置・位置関係にあるかが分かりにくい、知りたい、分からない・知れないための「孤独」に悩んでいる、つらい、と謂うのだ。目から鱗が落ちた。
 同時に学生たちの大勢が謂う「孤独」とは、むしろ「孤立」感なのだとも分かった。孤独には価値質が有るとも謂えるが、孤立は烈しい苦痛になる。
 みんな、同じようなことを感じているのだよ、きみだけでは無いんだ、だから、自分から手を伸ばせば、同じ思いの仲間と触れ合えるよと、わたしは言い続けたものだ。「アイサツ」を読んで聴かせるだけで大勢がそれに気づいてくれた。安堵し喜んでくれた。その気持ちが、畏ろしいほど莫大で真剣な述懐や手記に稔っていった。

* 孤、兵、貧、病の順。  なぜ「病」を怖れないか。ここでの「病」は気の病でなく、生体内の物質(反応)の異常からくる病のこと。一年生の時にも秦さんの授業で書いたように、僕はインスリン依存型糖尿病にかかっており、毎日注射を打ち続けていて、はっきり言ってものすごくこのことに対してストレスがたまっています。しかしそのハンディをのりこえようとする気迫があれば、人生楽しく生きることができるし(今、楽しい)怖れることなど全くない。他の三つに対しても、乗り越えようとする気迫と行動とがあれば怖れる必要はないと思う。そうなったと気付いた時に怖れる順番はつけたが、みな怖いものだとは考えていない。 (男子)

* 病、孤、兵、貧の順。  兄が5、6年前に大病した。数か月高熱がつづき一時は医者に諦めてくれとまで言われた。血液をありとあらゆる施設に検査に出していたが、原因は分からず、幸い兄は奇跡的に助かった。後遺症もない。あの時つくづく病気の怖さを知った。原因不明の病気に自分もかかるかも知れない恐怖だけではない。一人の病気で家族全員が暗い気持ちに陥り疲れきってしまう、あれが凄く怖い。母は毎日東京にある病院へ兄のために通い、夕食は家族で分担して作ったが、何を食べてもおいしいはずがなかった。毎日がお通夜のようだった。「病気を苦に自殺」「看病疲れで心中」などのニュースのつど、分かる気がして痛ましい。貧、孤、兵の怖さも分かるが、大病にかかった家族を持った体験のあるものには、病気の怖さの比ではない。 (男子)        

* 病、兵、孤、貧の順。  私は下宿しています。病気しても誰も何もしてくれません。食べ物も自分で買いに行かねばならない。「病」には孤独が含まれています。もしかすると「死」も含まれています。いつ病気にかかるか知れない無茶な生活をしています。分かっていてやめられない。やめたら今度は貧しくなってしまう。病気すれば働けない上にかなり治療費もかかる。「病」には貧乏もからんでいます。病気が怖い。 (男子)

* 孤、病、兵、貧の順。  心室性期外収縮という心臓病をもっています。悪性のものではなく日常に影響はないが、診断されたときはショックでした。病は直接死につながります。自分の意志に反する意味で死刑と同質です。病は突然に誰にでも襲いかかる点で最も恐ろしい。自分の場合、あと何年の命と宣告されていたらどうなっていたか。親がそして子が、互いに不治の病と告げられたらと思うと恐ろしい。「文学概論」で考える 問題は、すべてが深く繋がりあっていて、頭がパンクしそうです。 (男子)

* 病、貧、孤、兵の順。  病が、一番可能性があります。身近の者が病でもあります。現在の私はいたって健康で病んでいませんが、だからこそ突然半身不随で寝たきりになったりしたらと思うと目の前が真っ暗になります。病は突然人を襲い、時に命も奪う。病は予め用心すべきです。今一番怖いのは、両親が病気することです。最近友達の父上が病で亡くなったこともあり、かなり現実的なことなので本当に怖いです。 (男子)
 

 同じ質問を予めわたしの息子にしてみた。社会人になって三年経ていたが、言下に「病」と答えた。正直のところ、若いのにまさかと思いつつ教室で聞いてみると、一位二位を合計すれば断然「病が怖い」と答えた学生が多い。実感も体験もあり、ことに下宿の一人暮らしなどが不安なようだ。若い人の健康は根の深い社会の課題なのに、意外に楽観的に放置されている。
 

* 病、孤、兵、貧の順。  貧乏でも何とかやって行ける。人を羨むこともあるけれど、意欲があり家族もあればやっていける。せっせと働いて裕福になって行けば、どんなに嬉しいことだろう。だいぶ前に父から聞いた話だが、昔、うちはひどく貧しかったそうだ。今、うちは小さな工場をやっている。もとは一戸建の一階を工場に改築し、両親とおじ夫婦の四人でやっていたそうだ。一室のアパートを借りて交互に泊まり、片方は工場の二階に泊まったという。貧しくて食事もきりつめていた。一生懸命に励まし合い、子供のためにとよく働いたそうだ。今では別々に一戸建の家が建てられるようになった。それでも周りと比べると平均よりはちょっと下だろうが、父は、いつも家族がいてちゃんと毎日食事がとれ、満足していると言っている。僕も「貧」は頑張り次第でしのいで行くもの・行けるものと思うことにしている。逆に、裕福な生活から一気に貧乏に落ちた時、意欲をうしなって何をしでかすか分からなくなるのでは、怖い。 (男子)

* 貧、病、孤、兵の順。  金の切れ目が縁の切れ目。大方の人はそんな事はないと思いたいだろうが、どうだろう。極貧になっても普通に生活する人達と仲良くやって行けるだろうか。古くからの親友でもあればまだしも、少々の仲良し程度ではうまく付き合って行けまい。親しくない人など、すぐ遠のいて行くだろう。貧しい上に孤独にもなるわけだ。お金はあって困るものでなく、無くては悲しいものだ。日本人的思考だが、みんなが中の下ぐらいな経済力をもっている状態が一番いいのではないか。 (男子)

* 病、貧、孤、兵の順。  生活を楽しんで行くにはお金がやっぱり、手段として、目的としてではなく、必要。手段を失っては楽しいものも楽しめない。貧は、怖い。祖父には、「人生は思いっきり楽しめ。でも楽しむ為にはお金が必要だから、お金『ぐらい』は持っていろ」とよく言われている。人生を楽しむのはその人の価値観によるとは思うが、貧しくては僕は楽しめない。生活はやはり面白くなくてはいやだ。楽しみと経験り為にお金をつかうのは惜しくない。いつでも楽しむに足る準備はできているようにしたい。 (男子)
 

 日本の経済的基盤に東工大生はかなりの自負を隠さなかった。だから貧乏することは無い、何とでもなるのが貧乏だと言い切る人がじつに多かった。わたしの世代では、近所で夜逃げの一家を、いくつも知っている。昨日までは絶頂、今日は離散という例が、戦後にはいくらも学校友達の家庭でみられた。インフレもあった。新円発行、旧円封鎖であわや祖父の葬式を出すのにも差支えそうな瀬戸際を歩いたりしたのだ。落語「芝浜」の話などして、路地裏のボテフリから表へ店を出せるほどになった魚屋夫婦が、大晦日に、払うべきはとっくに済ませ、取るべき勘定はまだいくらも余しながら、「いいさ、春ながにゆっくり貰えば」などと話しあえる身の幸せを、学生諸君に伝えてみたくもなった。学校の女友達の家へ、大晦日、何度も何度も父の命令で「掛けとり」に行かせられ、どうしても貰えなかった。その家では友達の女の子を出して断らせるのだ。しまいには両方で言葉もなく、ただ路地の奥のくらがりに向き合って立っていた。
 貧乏を軽くは見て欲しくない。日本経済もいま、深刻な成り行きだ。意欲があれば維持できると限らぬ身すぎ世すぎが、世間にはまだ、いっぱい在る。増えて行くだろう。
 
 
 

   後 悔 ー活かせたかー

 後悔にも「活かされた後悔」と「活かせていない後悔」とがある。後悔は年を経てますます募るもので、若い人にさほど痛切な後悔があるとは思わないが、それでも「後悔」との向き合い方というものは、小さい頃から自然と身につけざるをえないもののように思われる。その辺を聞いておくのもいいかと思った。
 後悔が、人を死なしめることもある。漱石の『こころ』などは切実にそう訓えている。後悔のし過ぎも困るのである。
 

* 毎日後悔しないで眠る日はありません。多くは目先のことにとらわれ、深い考えなしに起こした行動によるものです。そしてほとんど活かされていません。良かったと今でこそ評価できる後悔は「浪人」したことでしょうか。一年半程前に或る大学を中退し、試験まで三か月強しか無かったのに、一年浪人するのが嫌で私立大学を受験しました。結果は無論全敗で、最後に発表のあった大学に落ちたとき、家に帰ってからずっと泣き通しでした。あのときの挫折感、浪人中の目標に向かっての一途な頑張り、自分の内なる弱さを克服してゆく勇気などは、わたしにとって一生の財産になりましょう。もし浪人せずにこの憧れの大学に受かっていたら、今ほどの充実感はなかったでしょう。大きな後悔には活かし甲斐というものも有ると思い、活かして行こうと思っています。 (女子)

* 「活かせていない後悔」体験を三つあげます。
 一つめは中学のときです。僕は野球部の秋の新人戦で投手として初登板しました。エースではなかったのですが、前の試合でたまたま調子がよかったので先発メンバーになったのです。結果は初回に四球と安打で5失点、5回降板で4ー8で負けました。二つめも中学のときです。最後の大会でした。味方が4ー1から4ー4に追いつかれ、ノーアウト1、3塁でリリーフに入りました。その時も味方のエラーやタイムリーヒット等の3失点、結果も5ー7で負けました。そうした後悔をひきずって高校生となり、野球から離れハンドボール部に入りました。自宅とは遠く離れた学校で、部の友達とのつきあいも自然悪く、皆と一線を隔てていました。そして迎えた新人戦、こっちは二年生、相手は三年生でしたが、ゴールキーパーの堅守で6ー7と1点のビハインド、もう残り5分のことでした。こっちの攻撃で、僕がゲームの組み立て役のポジションに入りました。パスを回して相手の様子を見ている時、味方の一人が相手の背後にスルスルッと回ってフリーになっているのが見えました。それを見ながら、僕は別の人にパスを流してしまいました。その時フリーになっていた人から誰にでも聞こえる大きな声で「バカ」と言われました。結果はそのまま1点差が守られて7ー8で負けました。それ以降なにか友達によそよそしさを感じ、あの一瞬で残りの2年間を、それまでは親しかった友人まで失いました。あのセイだけじゃ無かったでしょうが、ソレらが頭にあって僕の方から態度を硬くしてしまっていたのです。
 以上です。 でも、人には「活かされない後悔」があっていいと思います。その分だけ何か心に一種の温度が保たれるのでは、ないでしょうか。 (男子)

* 私は小さい頃からわがままで自己中心的だった。そのせいで中学のときに一時的にではあるが、友達から仲間外れにされたことがある。全く口をきいてもらえずに大変辛い想いをした。そこでそれまでの自分の言動を「後悔」し「反省」して、以来、周りの人の事も考えるようになった。「活かされた後悔」であるかと思うが、その「後悔」と「反省」とが行き過ぎて、今では周りの人の目を気にし過ぎ、自分を主張できなくなってしまった。それをまた「後悔」している。二つの「後悔」の間で身動きの自由がとれていない。結論としても、中学時代の「後悔」は活かせていない気がする。 (女子)

* 中学一年生の時に友人としたある喧嘩は、その後の私の一面を決定してしまいました。
 今思えばつまらないことから始まった喧嘩であったけれど、あのときほどに一つの言葉の重みを感じたことはない。言葉が人を傷つける武器であることをお互い十分知りながら、お互いを、ぐさぐさに傷つけあって、ぼろぼろになった。人が感情的になるという愚かさをこのときに思い知った。数か月後に、見かねた友人の仲裁で仲直りし、彼女とは今では離れ難い親友である。私はあの時に自分という人間の弱さのどん底を知って以来、人と喧嘩をしたことがない。もう何年も私はあのときの経験でずいぶん成長できたのだと思ってきたけれど、裏から見れば、人と、自分をさらけ出してつき合うことを少し恐れるようになってしまっている気がする。活かせているといえるのか分からないけれど、あのときの後悔は私にとっては忘れ難い精神のこやしになっている。 (女子)

* 後悔が活かされるか活かされないかは、その後悔の度合いによるでしょう。だれでも後悔はします。新たな進歩も後悔から生まれ出ることは多いでしょう。ただ後悔を後々までひきずることは、かえってマイナスになります。 (男子)

* あまり後悔した記憶はありません。言ってしまったことへの小さな悔いはありましても、一晩寝れば忘れてしまいます。後悔を活かす、活かせないという考え方は、後ろ向きもしくは立ち止まった生き方に思われ、あまり好きではありません。 (女子)
 

 「後悔」は無数にするというのも過度であり、まるでしないことも無いはずで、日々に、擦り潰すようにして忘れているのが普通だろう。深海からの泡のように、忘れたころに後悔が心の海面表によみがえって来て、思わず「ムー」とか「アッアッ」とか声に出して喘いで、どこかの暗闇へ捩じもどしている時がある。わたしには、ある。後悔は「一種の体温のような」ものという一学生の表現には、なにかしら慰められた。
 
 
 

   絶 対 ー在るか、無いかー

 理数系の素質にあまりに貧しいわたしは、自然科学における「絶対」の有無や認識についても語る資格はない、が、学生諸君が何を考えているか、興味はもっていた。
 それに学生諸君のわたしに宛てた内緒ごとめく訴えのなかで、しばしば、友人との楽しげな会話が必要以上にバカ話に終始し、そうでもないと人間関係が円滑に持続しにくいとコボしてくる事実が、いつも頭にあった。学生たちは、お互いに、「もうチョットでいい、堅い話も仕合いたい」と願っている。
 「かなふはよし。かなひたがるはあしし」と、利休は人間関係の本質を喝破していたが、要するに友人同士で「かなひたがる」ものだから、自己規制して「バカ話」ばかりに安易に流れ、窮屈なヤツと互いに思われまいとしているのだろう。ずいぶん大勢が似た希望をもっていた。それがまた、こうしたわたしとの「挨拶」を進んで受け入れ、自問自答の資とする空気にもなっていると思われたのである。

 さて「絶対というもの」を、3年生以上に問うてみた。哲学的な思索を求めたのではない。
 要するに学生生活での観想や内省に、絶対といったものの影が忍び込んでいるかどうかを知りたかった。あの『こころ』の「K」が頻りに口にした「精神的向上のない奴はばかだ」式の観念でもいい、知識でなく、非具体的な話を具体的・体験的に出してみて欲しかった。
 

* 大学で化学や物理という分野を手掛けると、「絶対」というものが信じ難くなる。世の中を構成する物すべてがそこに在るのでなく、確率的に、そこに在ることが多いというだけであるという「理論」を学んだためである。
 また倫理や思想に於いても「絶対悪」「絶対善」というものは存在しない。善が善であるには、それ自身が善であると示す「考え方」が必要である。宗教的な考え方の差、国家間の考え方の差、個人個人の立場や考え方の差で、「善」の定義はちがってくる。それは必要悪といった言葉で指さされている差である。そして人により必要悪は嫌悪される。しょせん人間が一人一人違う人間である以上、現実的にも抽象的にも「絶対」は存在しないのだと思う。自分ですら絶対に自分であるとは考えられぬのだから。 (男子)

* 絶対と謂いうるものに「過去」がある。過去とは事実である。それが起こったという事実は何年たっても事実である。ただ過去は絶対とは思われにくい。忘却と脚色によってーーこれらはしばしば意図的に行われるーー外見を変えるからだ。しかし人がそれを知り考えるときに、たとえ外見を変えたとしても、過去は人の触れようのないところで永遠に停止している。確かめようのない事を絶対と言い切るのは非科学的・非論理的と言う人もいるだろう。その通り非科学的である。科学の対象は確かめようのあるものであり、科学に絶対は存在しない。確かめるとは何かのフィルターを通して人が現象を解釈することだ。フィルターを変えればちがうものがいくらでも見える。しかも非論理的である。論理的に正しいことが真実であるには、その論理世界が十分に広くなければならない。
 かつて天動説が正しかった。ローマ法王庁がマヌケだったわけではない。充分すぎる観測データから、それ以上ないほど論理的に正しかったのだ。それにも拘らずその当時も地球は黙って太陽系の軌道を回っていた。確かめようのない物事、確かめようのない側面、それらそのものは絶対である。そしてその一つが「過去」ではないだろうか。 (男子)

* 絶対ーーわからない。痛いところを突かれた感じ。今の私に確実なものは何もない。求めて手探りしている状態である。ただ頭の中で推察するに、それは恐らく人間と人間との関わりの中に存在するのだろう。世の中に確実なものなどあり得ない中で、人として生きているからには、人と人との交わりに意味があり、愛情或いは良心といったものが絶対になり得るだろう。情けないことに私はそれを感じることができずにいる。もっともっと悩み苦しみ苦労して困難を乗り越え、また喜び、そうした経験を積んだ上で何か見えてくるだろうと信じている。願っている。もしかして一生のうちにそこに到達できないかもしれない。が、希望があるから、生きて行ける。余談になるが、トルストイはそうした愛情、良心などが、誰の心にも存在することこそが神の存在の証明であるとしていた。 (女子)

* 絶対というものが無いのなら、絶対というものが無いということも無い。これは仮定をその体系内に取り入れたために生じたトリックみたいなものだ。絶対はその基準によっては存在し得る。例えばよくあることだが、ある人の考えの中での絶対。絶対とはその地点での永遠の停止ではなかろうか。後退と共にある進歩の可能性の放棄。僕も絶対が、安心が、欲しい。しかしもう少し前に行ければ、もっと何かがあるのではなかろうか。 (男子)
 

 この総合講義Bという授業では、この期は、初期仏教から日本へ持ち越された仏教、そしてその変容、また日本列島にありえた信仰の土壌、そして神仏の習合を経て行きながらの日本人の死生観の成熟、それにともなうわが古典文学や芸能の表現上の特質といったことを取り上げていた。後期では中世末期まで辿り着いてみる予定をもっていた。そういう授業を承知で申告している学生たちであることは断っておいた方がいいだろう。こういう授業を受けにくる学生が何十人もいる大学なのでもある、東工大は。
 

* キリスト教では絶対というものとして神があって、すべては神にしたがって善と悪とに分けられるものだとされているようですが、こういう考えで以てものを言われると、私は困ってしまいます。言われることが純粋で絶対な善悪であるようで、実生活・実社会では適用できないのではないかしら、融通が利かないのではないかしらと思ってしまいます。絶対なものなど考えても仕様がないのではないでしょうか。それは死後を考えるのと同様、目を向けていられないことです。死後というと虚無のようなイメージがありますが、この世のことは絶対の存在と虚無の間のことのような気がします。絶対の存在と虚無との間のイメージとして、ピカソなどのキュビズム、相対性理論のシュレジンガーの猫の譬え話、R・Bキタイやフランシス・ベーコンという画家たちの絵画を思い浮かべます。 (男子)

* 絶対なものが何か「在る」気はしている。しかし20年間生きてきたが、今だにその存在を確信できたことはない。今こうして自分が見聞きしていることが、他人の目にも同じように映っているかさえ確かめることは出来ないのだし。ただ、そう謂ったこととは別に、「他人と意識の共有ができた」と感じる瞬間はある。同じ本、同じ音楽などにふれて、同じように感動したとき、その人と自分との中に絶対的な価値基準が生じているのではないか? と考えた。…とはいえ、それもまた幻想だということも気付いている。他人のことを理解したつもりでいたが、実は全然分かってなかったということは多々在る。今まで何度もそういう悲しいすれちがいを経験してきた。また日々変わって行くのが人間である。一秒たりとも立ちどまっていることは出来ない。…ショギョウムジョウ。というわけで今のところ私が感じる事のできる世界では、絶対というものの存在は確認できていない。しかし、私はまだ小さな人間であるので、もし、もっと大きな視野を持つことができたら、何か見えるのかもしれないという気はする。固体分子は常に運動しているが、人の目から見れば一つの動かぬ塊である。 (男子)

* 絶対という「物」はないと思う。絶対という「事」はあると思うけれど。 (男子)

* 絶対と言えるもの、それは「自分が存在していること」だろう。仮にこのことを否定してみよう。即ち、ある人が「存在していない」としてみると、その人は存在していないのだから、その人のことなど誰の頭にもないことになる。すると皆の頭の中には「存在している」人のことしかないと言える。それは「存在していること」が絶対であることを示しているのではないであろうか。 (男子)

* 無いと思う。何を基準に考えるかで変わる。科学的・感情的な様々な基準のうち、その時々に一番強く思う基準で選択する。基準が幾つもある限り絶対と言うことは無いと思う。 (男子)
 

 これらの発言を私は、批評しない。若い頭脳や心臓がなすこれらの自問自答が、絶対に不変なものとも思われず、さりとて一時の口から出まかせだと読むような人もいない筈だ。テレビのブラウン管などから氾濫してくる若い人の映像だけみていると、こういう思索がどこに隠されているかと思うかも知れない。しかし、隠れているのではなく、出口を求めているのでもある。いい出口を導くことは、わたしたちの時代にたいする大人の、また個々人の、務めではないか。
 
 
 

   恥 ー何が恥ずかしいかー

 何が恥ずかしいか。恥ずかしいことは誰にもある。恥ずかしければこそ話したくない。「恥」を概念として論じることなら、また、誰にでもできる。誰にでもできることは聞いても仕方がない。言いにくく話しにくいことを、どう、どこまで話せるか。「挨拶」にはそういうキツいところがある。押し込んで押されっぱなしになるか、押し返すか。年度の初めの問いかけは、「何が恥ずかしいか」だった。
 

* 自分の「恥」の部分を他人(それが親であっても)に話すのは大変苦しい。その「恥」の部分を、高校を卒業して別れてしまう親友に指摘された時、当たっていただけに顔から火が出るほど恥ずかしかった。「暗い人間」だと言われた。この「暗い」は、世間一般にいわゆる「真面目で面白くない」意味ではなく、人間の性格の根本に関わる「暗さ」のことで、自分でも少し気付いていたけれど、はっきり自覚はしたくなかっただけに、親友の口から、指さすくらいの言葉となって出て来たショックは大変なものだった。自分の「暗さ」について繰り返し考えた。どうしたら暗い自分から抜け出せるか。どこがどう暗いのか。人は何といおうと自分では恥ずかしく、自信崩壊の原因になるのなら取り除きたいと思った。高校卒業を機に、ものごとをネガティヴに考えるのはよそうと決めた。恥ずかしいことには逃げ腰にならず、直面する「気の明るさ」をもってゆきたい。 (女子)
 

 ちょっと抽象的だけれど、自分にはかなり厳しいところをさらけ出しているようだ。
 

* 第三者が私を見て、私が恥ずかしがっているだろうと誤解していることを、ここには書く。私は昨今問題のアトピー性皮膚炎に罹っており、肌も荒れて、健全者から見れば非常に恥ずかしいことだろうと同情してくれている人もあろう。しかし私は全く気にしていない。この病気を気に病み、また社会へ出て苦しい思いに悩まされている人はたぶん多いはずだ。ただ私の場合、小さな頃から苦しみ抜いた気管支喘息炎が治って行く過程からこの皮膚炎に移行したのであり、喘息の苦しみに比べれば、皮膚炎は比較にもならないほど楽で、喘息が直った喜びの方が余りにも大きく、恥ずかしいどころではなかった。 (男子)
 

 一つの闘いがあり、苦しい勝者がいる。「よかったな」と思わずメッセージの裾へ書き込んだ。心身に病気を持った人のものは、万一の迷惑をはばかり取り上げないようにしているが、この挨拶には大きな力が籠っていて、紹介してよしと判断した。障害を克服して、また克服しようとして書かれたものにはいい文章がある、が、残念だけれど控えている。

* 先日ボブ・グリーンの『ホーム・カミング』を読んだ。「ベトナム帰還兵が帰国したとき、つばをかけられたという話を聞くけれど本当だろうか」というボブ・グリーンの問いかけに対し、来た返事の手紙が載っていた。事実唾をかけられたと言う人もいれば、そんな話は聞いたことがないと言う人もいた。唾をかけるかけぬは一つの行為であって、ここで問題とすべきは、それにこめられた心情である。帰還の空港に着いたとたん唾を吐きかけられ「赤ん坊殺し」呼ばわりされた話のあとで、「僕はトイレのなかで何年ぶりかに泣いた」という兵士の言葉に、心がえぐられる気がした。
 戦争に反対するのは間違った考えではない。しかし違う立場や違う考えの他人に、「あんたなんか死ねばよかった」などと口走る権利はない。そして…今まで、この自分の意見や主張のために、どれだけ他人を言葉で傷つけて来ただろうかと思い至り、恥ずかしさと怖ろしさに、まさに穴があったら入りたい気分であった。自分の愚かさが恥ずかしい。 (女子)
 

 こういうメッセージを教室で流すと、きまってせいぜい三、四人だがその「偽善性」を罵倒してくる学生がいる。残念なことに罵倒のための罵倒で、それを表現する言葉もまた対立する意見の表明もないのが普通で、それもついでに聞いてもらうと、大勢が反批判してくる。偽善がいいとは思わないが、真面目な考えや、いくらかはこう在りたいと願う気持ちがあっての意見などを、暴力的に、またやみくもに非難し罵倒するのは、逆にその人の幼児性の露出とみられる、というわけだ。
 自然に流露する意見もあれば、根の深い体験に出た意見もある。最近の読書に学んだものもあるだろうし、時事問題に触発されてでてくる考えもある。意見とか考えとかいうのはそういうものであり、限定された時間と難儀な状況(立ったまま授業に参加の学生はいっぱいいる)のなかで、ふだんに思い付きもしなかったような咄嗟の挨拶に答えねばならないのだから、一種の精神的・言語的なロールシャッハ・テストに近い。善の偽善のと問うべきではなく、どの程度まで自分の言葉を創出してくるか、それをわたしは大事に見ている。背伸びがあろうと、見当ちがいがあろうと、笑う気は全くない。しょせん「文は人なり」に近い線の表れ出ることを期待するのが、この「挨拶」習慣なのである。ボブ・グリーンの著書がもたらしたこの女子学生の「恥ずかしさ」は、むろん尊重すべきであり、また尊重されてこそ彼女の内に根をおろして行く。真面目が、かりに生真面目、かりに愚直なほど生真面目であろうと、それゆえに「偽善」をいうのは行き過ぎている。いや、間違っている。天に唾している。
 

* 自分の「いま読んでいる本」が他人に見られるのは、とても恥ずかしい。電車の中ではたいてい読んでいるけれど、必ずカバーを掛けている。本屋のレジに本を出すときに、裏表紙を上に出してしまうのも、裏に定価が出ているという理由ではなさそうだ。読んでいる本を見られ知られて最も恥ずかしい人は、親、それも父親だ。秦さんに、何の本を読んでいるか見られるのも、けっこう恥ずかしいかもしれない。 (男子)
 

 同感できる。読んでいる本や雑誌の内容を知られるのは、かなりの被害感である。その意味では、私信が無関係な人に読まれるのに似ている。そう思うだけでも、わたしが学生諸君に押して強いているこの「挨拶」などは、よく書いてくれると、ただただ感謝し感心する。それをまた、無署名とはいえ紹介し公開するのだから、学生諸君の信頼に背いているという意見もあろう。これが、相当に貴重な資料性をもつ実感がなければ、わたしは公開しないだろう。無記名化することで、これらの声は、いわば一つの「時代と世代」とに関する、「普遍性と特殊性」とをともに備えた「証言集」になりうる・なっていると信じているので、あえて編んでいる。
 

* 僕は恥ずかしがりやだからなあ。いろいろあります。今だにマンガ家になりたいと思ってること、これは夢でも誇りでもあるけどね。ちょっと照れくさい…。最近では酔っ払ってサークルの連中に高校時代の恋愛話をしちゃったこと。今思うと耳の先まで真っ赤になる。でれでれ。去年の総合A(一年生)に引き続いて「文学概論」もお世話になります。もっともっと書きたいけど、少ない限られたスペースで書くのも練習ですよね、一期一会の桜のごとく。いっぱい人がいるけど、「単位が欲しいから」で来た人たちも、「ああこの授業を受けてよかった」と思って終えられるといいな。僕は去年「人間」にしてもらいましたから。 (男子)
 

 「一期一会の桜のごとく」には笑った。「一期一会」とは一生にたった一度きりのことをいうのでなく、「無際限に繰り返す一度一度を、あたかも一生に一度かのように繰り返す、」清新な誠意をもって繰り返しうる、実意の深さに籠っている。桜の咲いて散ってまた咲いて散るようなものだ、桜の美しさは繰り返してもいつも新しく珍しい。
 そんな「秦サン」の持説を、もう何度も何度も聴いて覚えてくれていたのだ。この学生の提出紙片には、マンガのお添え物もついている。
 

* 人の目ばかりを気にする自分が恥ずかしいのは何故か。偽善だと思うのか、それを道徳だと教えこまれたからか。他がいなければ世界は成立しないのだから、「恥」を感じるのは日常のことだ。他人に言えない見せられないから「恥ずかしい」のである以上、こういうことでも書いてお茶を濁すしかないではないか。 (男子)

* 今、私が愛する人の私に対する愛情に疑いを抱いていること。また、そういった感情を持ってしまっている自分の弱さ。そして、それを理由に表面的な苦しみから逃げている自分。恥ずかしいこと。 (女子)

* いちばん恥ずかしいのは、私が、皆の前で「いい人」だということになっていること。性格のいい人だと周りの人達から言われているけれど、本当はそうではない。嫌なことではないので表面にこにこしているけれど、心のうちでは本当に恥ずかしい。こうなった理由を考えると、中学の頃に一時期「いじめ」の対象になったことが思われる。嫌われるのを極度に恐ろしく思うようになった。人前では本当の自分でいられない。「いい人」になっているばかりで、そこから抜け出せない。恥ずかしい。 (女子)

* 自己顕示欲、及びそれが生む誇張。 (男子)

* 私の心は、いつでも私に対しポーカーフェイスだ。私は今まで随分私の心をいじめ過ぎた。心が隠している表情を見たいが為にその顔をつねったり、目を見開かせたり、口を開けて舌を引っぱったりーー。そうするうちに、彼は、私が求める表情を絶やさぬようになった。私が 振り返ると彼は「こうでしょう」と言わんばかりに愛想の良い顔をして、私をじっと見ている。その顔はまさにーー私が人に向けているその顔なのだ。彼はそれを、やめない。
「何故だ。今まではいつも僕を助け、僕の言うとおり素直に聞いていたのに…。僕と同じ顔をするのはもうやめてくれ!」
 彼は答えない、私はガク然とした。私の中の人間はいなくなってしまったのだ。 (男子)

* 最も恥ずかしいものは心の中に棲んでいる。時々自分が胸の中で考えていることにハッとする。何てひどいことを考えているのだろう、こんなことは人にはとても言えない…。多かれ少なかれ人間はそういうものだと思うけれど、私は、口で都合のいいことを言っているだけに、よけいにそれを浅ましく感じる。それでも今はまだ心のなかのそのドロドロを恥じる感情があるだけ、よい。いつかそれを恥じることさえ出来なくなったら、私はどうなっているだろう。そうなることを今はひたすら恐れていたいと思う。これからも恐れていたいと思う。無くしてはいけないのは、美しいものに感動する心、そして恥じる心だと思う。 (女子)

* 僕の父はとても厳しい人で、あれこれ僕の行動に口を出してきました。そんな父が大嫌いで、ひどい言葉で抵抗したりしていました。東京に下宿して一人暮らしをするうちに、父の言っていた本当の意味などが分かってきて、父のいろいろの言葉に何度も救われました。父にひどい言葉を投げつけたことがとても恥ずかしくなりました。今の僕にはそれ以外に、それ以上に恥ずかしいと思うことはありません。しかし何年もすると、今の日々の言動を思い出しては恥ずかしさに身を縮めるのかなぁ。 (男子)

* オレはプライドが高過ぎて人にバカにされることが嫌いだ。だから少しでも人に自分の穴を見透かされないように、自分を周りより高く見せるように気取っているのが周りにバレた時、恥かしい。オレは気取って生きてるような、中身のない人間である。そこがオレの恥ずかしくてならないところだ。 (男子)

* やはり「しなければならないこと」をしなかった時に恥かしい、と感じます。目の見えない人がいて「案内した方がいいのかな」と思いつつしなかったり、年配の方がいても座席を譲らなかったり。「恥かしい」というより「良心が痛む」といえばよいのでしょうか。良心が痛むのに平気な顔をしていられる自分が一番恥ずかしいと思います。(この用紙の幅、狭い。紙ぐらいケチらないで下さい。) (男子)
 

 挨拶用の紙幅は、井上靖の詩と、穴埋め詩歌問題の余白だけ。縦20センチ、幅は平均して6-7センチ。それへ小さい字で表裏両面に書いてくる学生たちが大勢いる。平均400字よりも多い。尋ねられた問題以外にもプライベートな話題で話しかけてくれるからだ。
 

*半年ぶりの再会です。秦さんお元気ですか。今日の挨拶は難しいぞ。思想でなく暴露ではないか! 恥ずかしい気持ちはいつから話しにくくなったのだろう。おねしょが恥かしかったのは五歳のときだが、不思議におねしょをしなくなった頃にはそれを自慢できたっけ。その後しばらく(まだ子供でしたが)恥かしさは口に出すことで取り消せるということになっていた。ところが口が上達するにつれ、喋れば回復可能だった恥かしさが、もう回復困難なものになって来た。「オナニーは週1回」と言ってみる。ほんとは3回だったりする。桜はいい。汚れることなく自分を終えてしまうではないか。だが、桜ってすごく苦い。 (男子)
 

 この学生はよく詩を書き添えて来る。このときも桜の詩が添えてあった。「すき透るようにかわいらしい花びらをちぎってたべた」らしく、「苦かった」と結んであった。
 
 
 

   不 安  ー言いしれぬ不安ー

 だれしも「言いようのない不安」を抱いている。ひそかに抱いている者もあり、見るから露わに不安におののくふうの人もいる。エリート意識の比較的高いとみえる東工大学生だが、一方孤独や孤立感に悩んでいる者の多いことも驚くばかりで、しかも、そんな気持ちは押し殺している。わたしのような者ーー教授にも相違ないが、それ以上に作家であることに精神の自由の地盤を得ている者ーーには、ひそかに、それこそひそかに愬えてきている。
 名前と筆跡とは隠しようがない、が、あまりに大勢の教室ににまぎれて、顔はわたしに知られていない。だからチャランポランも出来はする、が、何度も何度もチャランポランは利かない。自分で自分を侮蔑するような真似になってしまう。挨拶の好機を真剣な自問自答の好機にしなければ損だという見極めに至るのは、意外に早い。そのためにこっちもツボに嵌まる、グッと来る「挨拶」で挑まねばならないわけだが、わるい言葉で譬えれば「釣り」のようなことになる。うまく食ってくれれば、学生たちのメッセージは熱気を帯びてくる。
 一度や二度の質問ではない。三年間もずっと受講してきた学生もいる。顔は知らないのに、自分の息子や娘以上に微妙な告白や感想や意見や喜怒哀楽を、毎週のように、愬えられ続けてきた自負も確信もわたしには有る。
 そういうなかで、「言いようのない不安」を表現してみたい、また他の学生仲間のそれを聞きたい、聞いて自身の支えにしたい、だから「出題」して欲しいとの希望すらとび出してきた。主に三年生に聴いてみよう。
 

* 人前で言うのははずかしい。私は今まで俗な欲求、例えば女性と交際する欲求など、普通の男性の求め得るそれを、外見と世間体と立場のため、自制する自分を見せびらかすために、求めずに来た。あるとき、唐突に不安になる。私は、人の、人間の幾星霜にわたる平常の営み、家庭を持つことをよく成し得るのだろうか。 (男子)

* 春先、桜が咲きはじめ陽の光がいかにも春めいてくる頃に、私はいつも体調を崩したり、あるいは「言いようのない不安」で胸も頭もいっぱいになる。これといった理由も原因もないのに、なんとなく気づくと、既に自分のなかに不安が充満している。はっきりとした悩み事があるわけではない。とても不安定で、何も手につかない、気が乗らない状態なのだ。私は、自分をこんな状態にさせるのは、春の、桜の魔性だと考えることにした。母親に「言いようのない不安」を話した時、そう教えられたのだ。透けるような、やわらかな桜の美しさには、人を、ほ…とさせる魔力があるのではないか。私のこの状態はやがて四月も半ばを過ぎるとしだいに体からぬけ、気づくとふだんのノー天気な自分に戻っている。 (女子)

* 誰しも不安に陥る。不安の強さは感じる対象にもよるが、言いようない不安は、対象のはっきりしていることもあれば、全く分からないものもあるだろう。高校時代からの友人は正体不明の不安にかられていた。彼は気功術を通してその不安について考えていたようだった。彼は気功術に縋っていたわけではないが、物ごとを深く考える男だった。彼は不安について考えぬいて、その不安を明らかにしたいようだった。彼のそんな様子を見て自身を顧みると、不安に溢れている自分に気がついた。
 自分の場合は両親がいないので、人生を歩むことに先ず不安を覚えた。金銭的にも精神的にも自分の人生に大きな後ろ盾(バック・アップ)になるものが無いことが、その原因であった。さらに現状への不安もあった。その頃自分は、本当の親友がいないのではないかと、少々鬱っぽくなっていた。この二つとも、自分が常々抱いてきたものであった。それをはっきりこう自覚するには、精神的な成長が必要だったのを、今にして思う。
 これらの不安は未だに私につきまとっている。独りぼっちの時、寝る前など、強烈な不安に襲われる。昼間の自分とはまったく違う自分に自分自身で驚くほどだ。不安の対象は分かっていて、冷静に考えればさほどに悩むことではないことでも、この不安は、否応なしに心の隙間に湧いてくるのだ。
 この不安に直面したと時、私はつい友人に電話をかけてしまう。月の電話賃が数万に及んだこともあるほどだ。自分だけで対処しきれないことの多くは、友の声に耳を傾けることでどうにかしている。しかしこれにも限界がある。もう誰の声も心にひびかない時、不安が消えるまで(または他のことを考え出すまで)私はじっとそのことを考え続ける。これを越えるには、なおもう少し精神的な成長を待つしかないだろう。 (男子)

* 「言いようのない不安」と対立する言葉は「揺るぎない自信」であると思う。言いようのない不安はどこから生じて来るか分からず、打ち消すには自分を鍛え、また自分を痛めつけるしかない。部活動の不安は夜おそくまでの練習で打ち消した。受験の不安は必死に問題を解き続けることで打ち消した。将来への不安は、毎日毎日を一心に生き、定めた目標へ突き進むことで打ち消してゆくしかない。言いようのない不安は自分自身への不信感から生じている。外から目に見えるかたちで来る不安ではない。内的な、したがって自分の心次第で消化可能な不安だと思う。不安が現実のものとなろうとも、そうなればなったで自分を鍛えることで解消させることは不可能でない。元気が大切、元気に生きよと自分を鼓舞することが大切だ。昔、父とこんな話をしました、人生、暗く不安を抱いて生きるよりも、少々自分を痛めつけても明るく元気に生きたほうがいい…と。不安な時こそ元気にと思って来た。これからもそう生きて行く。言いようのない不安を取り除くには、それが一番だ。 (男子)

* 何が心にひっかかっているのか分からない。人に相談するにも言葉が出てこない。はっきりしないから言いようもないし、言えたにしても理解してもらえる自身はない。でもだれかに分かって欲しい。自分を理解してこころから信頼してくれる人をさがしたい。人間は最終的に独りだということ、自分と他人とは常に対等でありたいと思うこと、だから頼ってはいけない、独りで全てを背負って責任を負わねばならないと、そう思うことが自分の心を閉ざしている。そんな心を開けば不安も解消されるかも知れない。だけど自分の望む通りに菜にかが不安から解き放してくれるとは思えない。望んでも手に入らない存在をどこかで求めている。手をさしのべてほしい、そう思っても、素直になれるほど人を信じられない。だから余計不安はつのる。緊張の糸は張りつめたままだ。それを心に残したまま日常の生活に追われて、いっとき忘れる。そしてまた一人になった時に不安が顔を出す。そんな繰り返しばかりだ。だけどほんの一時、周囲の人や物が忘れさせてくれることを知っているから、人との関わり合いを大切に、そして自分の視野を外へ外へ向けようとする気がわいてくる。 (女子)
 

 東工大の学生たちは、1年次の成績で志望の学科に所属が許される。学科に定員があり志望者が多ければ弾き出されて、志望でない学科にまわされ、それがいやなら留年の感覚で来年度の再所属の機会をまたねばならない、らしい。だから1年生は入学してなおもう一年間の受験競争のような試練を課されている。想像以上にこの学科所属での挫折がこたえていることは、わたしへのメッセージに、しばしばこれが嘆かれていることでも明らかである。
 それだけでなく、この大学各科・各教室での課題や実験が学生にのしかかる時間的・質的重圧は、文系学生にはとても想像もできないだろう。週の半分は大学に泊まりこまねば必須の課題がこなせないと、例えば建築科の学生たちは言う。幾分は誇らしげでもあるのは差し引いても、その凄さは聞きしにまさる。ぐったりやつれてわたしの教授室へ休みに来る。他科の学生でも概ね似ている。そして四年生になれば「研究室」に配属され、一人一人の研究テーマを与えられる、らしい。四年生になると、無形の重圧で、もうわたしのような部外の教授室へ休みに来れるヒマもなくなり、やっとメイルボックスに手紙を投げ込んだり、キャンパスで駆け寄って来たり、突如として顔を見せてくれたりする程度になってしまう。ほとんど九割近い学生が大学院をめざしているから、その内選や院試でもプレッシャーを受けている。男子も女子も同じ条件、それどころか極端に人数のすくない女子には、文字どおり「言いようのない不安」があるようである。「自信」が大事という意味も分かる。
 

* 僕は言いようのない不安に襲われたという記憶がありません。覚えていません。多分、自分に自信を持っているからだと思います。不安は自信喪失のすきをついて来ます。多少は傲慢に思えるほどの自信を持つ・持てるようにすべきです。 (男子)

* 一人で部屋にいると不安になる。誰も助けてはくれない。このまま死ぬのかな。俺の人生って何なの。十年後、二十年後はどうなっているだろう。こんなことこのままやってていいのかーー。いろんな考えが頭をかけめぐる。答えは出ゃしない。ぐるぐると同じ道を往ったり来たりだ。そのうちどうしようもない苦しさに陥り、バッと外へ駆け出す。人と会う、人と話す、人と食べる、人と意志の通話をする。いつの間にか不安は消えている。でも一人になると、また、あの何とも言えない不安に襲いかかられる。ーー人間は一人では生きていけない。 (男子)

* 私は不安です。自分が求められているか、不安です。自分から求めなければ求められないのではないか。安定の中に不安定が在るのか、不安定の中に安定があるのか。私の場合は後者であり、その安定自体が不安定に定位してように感じます。 (男子)

* 不安はどういう際に生じるか。「虚」の時だと思う。人は仲間といてさえ孤独を覚える時がある。だれもが実感している。まさに「虚」の時である。この時に人は孤独だけでなく自身の不安定さ、未来への不安などを感じる。他人に教えてもらうよりも、「虚」の時間にわれに帰る、省みる時に、不安、言いようのない不安に人は直面する。「虚」の時間をつくらないよう、自身をべつの何かへいつも集中させることだ。 (男子)

* 友人に「自分は利他主義だ」という人がいた。「いつも相手のことばかり考えているので、自分がどこにいるのか分からない時がある」とも。(但し彼は僕の目には極めて利己主義に映るのだが。)一方僕もまた自分がどのようにどこに在るのか、分からずに悩んだ時があった。それまでは卓球ばかりを熱心にやってきた。かつてほど熱心でなくなった時、ふと、自分には何が残っているのだろう、と。練習に練習、そして大会に出る、強くなる。でも、それで生きていけるわけでは、ない。かと言って練習をやめたら、自己表現のすべも無くなってしまう気がした。結局卓球は今も練習している。なにかをがむしゃらにやって、ふと立ち止まったとき、それに疑いをもったときに、自己を見失ったような不安を感じるのではないか。今と未来とが見えない不安。しかし実際は見えてしまっているから不安なのだ。しかも説明できず、だから相談もならない。相談したとて「努力不足」か「じゃ、やめたら」で終りかねない。努力もし、やめられもしないから、不安なのに。
 不安の処理は時間に任せてしまうのが一番だ。解決にはならない。解決は無いからだ。しかし時は諦めさせ、妥協させ、忘れさせてもくれる。もう一つの解決法は、もう一つのべつの世界へがむしゃらに入って行くこと、それを見つけること。努力のための努力に溺れてしまわず、目標と目的と手段を区別して生きねばならない。 (男子)
 

 わたしの高校生の頃、言いようのない不安に襲われると、食べ物を求めた。それが無いと睡眠を求めた。それでもだめなら読書に没頭した。一種強烈な相対化が読書から得られる。『嵐が丘』『モンテ・クリスト伯』『異邦人』『戦争と平和』『ハムレット』『パルムの僧院』『従姉妹ベット』『凱旋門』『ボヴァリー夫人』などを読み、『源氏物語』や『平家物語』や『こころ』『細雪』『山の音』『風立ちぬ』『新生』『旅愁』『歌行燈』や茂吉、白秋、牧水らの短歌を貪り読んでいれば、少々の不安なら軽減できた、すぐまた立ち戻ってくる厄介な客ではあったが。
 しかしまたそういう読書でえた体験自体がわたしの人生の「言いようのない不安」の源泉でもなくはなかったという、ある種の哀しみにも、年をとるにつれ、とらわれる。読書会などで、大勢で寄って、あたかも美食をたのしむように、買い物を楽しむのと同じ賑やかさで、読書の多彩をただ楽しんでいるグループなどに出会うと、けっこうな事だとは思いつつ、ときどき空恐ろしいような気がしてしまう。「読んでいる本の題をよこから覗きこまれるのが、いちばん恥ずかしい」と、「何が恥ずかしいか」を問うたとき答えていた学生があった。それもよく理解できた。
 
 

  損 ー身にしみて忘れがたい損ー

 「身にしみて忘れがたい損」と問うてみた。
 損だ得だと何かにつけて言う心習いを、毛嫌いしてきた。そのくせ心にそれを思うことの無い道理はない。言うのはどうか、思うのは仕方ない、そういう事が他にもある。たとえば性欲など、思うなかれと言われてハイとも従いかねるが、口にだすなと言われるまでもなく、普通は黙っている。
 二十歳の青春である、「性欲」についても問うてみたい、が、ともあれ、また「得」の方もともあれ、痛切に記憶にある「損」を吐き出してもらおうと思った。
 なんと言っても、若い。どう思い起こしてみても、そう痛切な「損」などしていまい。やや気の楽な「損」物語に出会うものと予測していた。生活が見えるか気質が見えるか過去が見えるか。そんな関心だった。
 

* 今までいろんな人との関わり合いを大切にしてきたつもりです。そんな中で、この人とはもっと早く出会っておきたかったと思う人が何人もいました。仕方ないことで、損とは思いませんが、自分の怠慢ゆえに知り合える人と知り合わずに過ぎた時間は惜しい・ 口惜しいと思います。
 以前私はあるグループに属していましたが、ある事情で二た月ほど参加できない時期がありました。もともと人見知りする性格で、その後参加しそびれてそのまま脱会してしまいました。そして今またそのグループの人と会う機会があるのですが、あのとききちんと復帰していたらよかったと、空白を悔いています。こういう「損」の感じ方には身にしみるものがあります。 (男子)

* 信条として「損したと考えるより、損して得をしたのだと思う」ことにしている。例えば見当外れの本を買ってしまったときでも、普通なら出会う気のなかった何かに出会えたのだと、いうふうに。自己満足の感もあるが、損した損したと思うより前向きで好きである。例として本を買ったことなど挙げるのも、つまりそれほど手痛い損はしてこなかったということにもなり、そう思うとむしろ得をした気分になれる。損得は、気分次第また人次第。とらわれない方がよい。 (男子)

* 一年間浪人したこと。精神的な利点(勝負強さや粘り強さをえたこと)などを除けば、浪人がいかに人生において損か、まず、時間の損。東工大なら現役+3ヶ月位で受かる力はあったと思う、しかしやっぱり不安で、3ヶ月分の勉強を1年かけてしなければならない。青春の明るい一年をほぼ無駄(今の受験勉強は理系でも覚えることばかりという暗さがある。)な勉強に費やす。浪人の一年間はただミスを少なくするような勉強ばかりだった。新しく自分のためになる勉強は少なかった。しかも「時は金」である。一年の浪人は一年の就労年数減につながり、退職前の最高給与を一年分失うわけだ。うちの父でいえば今の金額で一千万円以上を失うのだ。おまけに予備校でも百万円ちかくかかる。そして同級生を先輩とし、サークルなどで敬語を使うのはやはり辛い、僕などは年子の妹と今は同学年。損ばかりではないと思いたいが、やはり浪人は高い買い物だったと思わざるを得ない。べつに後悔はしていないけれど。 (男子)

* 金銭的な損はたいしたことはない。高校の時、僕の言った一言で友達を怒らせてしまい、以来それきり。すぐに一言あやまればよかった。時がたてばたつほど謝り難い。人の一生でいい仲間だった友を失うのは「損」だ。ま、今は身にしみてというほどでは無いが。仲間を失ったと言えば小学校二年のとき、毎日一緒に遊んでいた友達が交通事故で亡くなった。今彼が生きていたら僕の人生もどうだったろうなどと思う。運命で、損得では計れぬことだけれど。 (男子)

* 自分は損得感情がはげしく「損」かどうかがいつも頭にある。「ああすればよかった」「ああしなかったらよかった」と、よく思う。本当を言うと思い出したくないのだが、小学校の頃、とても仲のよかった友人を、半ば失ってしまった。なぜそうなったか、はっきりしないのだが、気付いた時はもう彼との仲は修復できないほど気まずくなっていた。大きな大きな損だったが、つらくて、思い出したくない。
 それよりも秦サンの「前期」は教室の人数に圧倒されて、「出席」でなく「論文」評価を選んだのですが、課題の一冊の本を、あんなに何度も読み直すことなんて、めったに(絶対に)なく、読むたびに想像がどんどんふくらんでいきました。大変な論証でしたが、とても面白く出来ました。「得」をしました。 (男子)
 

 前期は、三百人でも溢れる教室へ、千人に三人足りないという大変な数の受講申告があり、半分近くの人には「論証課題」を論文で提出してもらって評価したのである。東工大の諸君には、文学作品の「鑑賞」などといったのでは、ラチがあかない。課題を与え、肯定にせよ否定にせよ根拠をあげて「論証」せよと言うと、この学生君のように熱中してくれる人が多い。なにしろ課題やレポートのべらぼうに多そうな大学である、が、「こんなに楽しんで書いたレポートは、過去にも経験がありません、面白かった」と付箋つきの論文が沢山出たのは嬉しいことだった。事実、みな、よく書けていた。
 ちなみに論題は、三つのうちから二つを選択してもらったが、三題とも提出した者がかなりの人数あった。成績もよかった。

 一、漱石作『こころ』のなかの「私」と「先生の未亡人=静」とが、「先生」の自殺後、おそらく「結婚」にも至るであろうことを、本文に即して適切に「論証」せよ。または 否定されることを、本文に即して具体的に「論証」せよ。作品の受容と鑑賞とに、どん な変化が生じるかも、簡潔に述べてみよ。 10枚
 二、谷崎潤一郎作『春琴抄』における「春琴」の火傷が、「春琴」自身の自傷・自害と思われることを、本文に即して適切に「論証」せよ。または否定されることを、本文に即して「論証」し、結局「火傷」がいかに起きたかを、本文に即して「結論」せよ。それらにより作品の受容と鑑賞に、どんな変化が生じるかも、簡潔に述べてみよ。 10枚 
 三、人知れず愛読し、人にも読んで欲しいと思うほどの「隠れたる傑作小説」1編の魅力を、簡潔に伝えよ。洋の東西と時代とを問わない。 2枚

 これに答えるのは簡単ではない。自分で読んで応じるしか、参考書が全く無い。繰り返し「読む」以外に手がかりがない。つまり知識を問う課題ではなく、絶対的に「読む」行為に没入させる挑戦なのである。しかも在来の読みからすれば「まさか」というような大胆な仮設がしてある。最初の二題とも、学界でも騒然という表現のあたるほど論争になった、今でもなっているらしい「読み」であり、この二つとも、私が、一愛読者として専門家たちの世界へ投げ込んだ刺激的な一石であった。学生諸君が「論文」に応じるかぎり、「読む」以外に一字も書けない課題、それは自賛すれば理想の課題である。
 ましてここは「文学部」ではなく「工学部(文学)教授」の教室であり、名作を繰り返し読んでその魅力や秘密や構造的美観に触れてもらえれば過半の目的は達するのだ。まして「論証」的に得た「読み」の微妙な体験は、設問に対して肯定的であれ否定的であれ確実に若い想像力や思考力を知的に刺激して、かならず他の読書、他の諸問題にも波及効果が期待できる。「面白く」「得をしました」は狙いどおりの反応であった。課題自体がいわば私の創作であり、借り物ではない。
 その気迫で、学生諸君をいい意味でつよく挑発し、「かかって来い」という位にもちかけてみると、「かかって来る」のである。夢中で「論証」してくるのである。少なくも「損」はさせないのである。
 

* 他人から見るといっぱい損をしているはずですが、主観的にはほぼ「0」ですね。転勤族で田舎といえるものを持たない「損」は、私にしてみれば心及び体を地方的イデオロギーにしばりつけられなくてすむ幸運だし、浪人したことも得難い経験です。強いてあげれば高校時代そのもの、という気もしますが、自分とまったく違う価値観を押しつけて来る相手(なにしろ地方名門校ですので生徒もなかなか相容れない)の中に身をおいて一人で闘うことも学べましたし。私のモットーは「後悔をしない」プラス「自分の生き方に責任をもつが、自分でどうしようもないことは背に負わない」です。「損」というのは「自分以外のものから受けた物質的・精神的不利益」というふうに考えると、自分の意志がある限りでは「損」はなく、幼年時代とかはいつまでも「損」した…と思っているのは……あぁこれこそ人生の楽しい面の「損」になりますね。私は宣言します。これまでもこれからも。私は何ごとからも得られるものをすべて得る!その限り「損」はない! 
 ついでに「前期論文」について。おもしろかったです。自分だけの『こころ』ができあがっていくのがわかりました。1つテーマを持って読むことで登場人物が動き出すんですね。分量を書き過ぎたので心配です。いきなり第1次審査できられる応募小説の立場か!? ダメなら次、再チャレンジと燃えるぐらいです。1つだけ論文に書かなかったこと(必要ないから)。「鎌倉の(先生と私との)出逢いは偶然ではない。」めがねを拾うシーンのわざとらしいこと。それまで遠くから見てたくせになぜ先生より先に手をのばせる位置にいるんだ「私」!? なんかクスクス笑ってしまいたくなるかわいらしいアプローチですよね。  (女子)
 

 この女子学生の『こころ』論には、惜し気もなく満点をつけた。東工大学生諸君の隠れたキャパシティーを見る思いがした。そういう思いは、この人以外にもしばしば持つことがある。ある種の偏見から(国立東京工業大学に)接して行ったからだと言われると辛いが、偏見など消え失せてのちにも、やわらかい、するどい、いいもの持ってるなあと思わせてくれる学生の声に、挨拶に、何度も何度も何度も出会っている。
 

* 高校の時、一年生から三年生まで親に頼んで予備校に通わせてもらった。行ってさえいればいいだろうと思い、また学校でもけっこう成績はよかったので、深刻にはなにも考えていなかった。そして現役で受けた大学という大学をどんどんと落ちた。親に「今まで何をやってたんだ」と言われ、まいった。予備校三年、時間も金も「損」をしていた、痛切に身にしみた。忘れがたい。浪人で一心にうちこめたのも、そのおかげと言えば言えるので考えようではあるが、埋め合わせがついたというには「損」の痛みは残っている。 (男子)

* 進路を決めるために親のすねをかじって費やした「金銭」を身にしみて損だと思う。ただ金銭がもったいないという意味ではない。親に「ーーがしたいから予備校へ行く」と言ったとき、親は何も言わずに金銭の援助してくれた。僕は高一のときから予備校へ行っていた。しかし行ってさえいればよいという考えがいつからか自分をだらけさせ、このままではいけないと思いつつも道を見出だせない日々が続いた。結局一年浪人してしまった。つまり計四年間も予備校へ行ったのだが、親はそれをさせてくれた。今思えば僕の甘えがこんな浪費を親に強いた。悲しく申し訳ないと痛感している。しかも一年の浪人で合格したとき、親は僕のそんな経験こそ財産だと言ってくれた。今でも親の仕送りを銀行で引き出すたびに思いだし、感謝の気持ちがこみあげてくる。これが僕の忘れられない損であり罪であり、また財産である。 (男子)

 
 これを読んで、思わず目頭を熱くした。今でも、涙が出る。「ありがとう」とわたしから感謝したい、この学生にも、親御さんにも。
 

* このごろとても忙しい毎日です。一日が三十時間あったら良いなあとよく思います。こんな時、去年の夏やその前にもまとまった時間を無意味にすごしてしまった、そのことが今思えば、悔しくももったいない、たいへん損したと痛感しています。 (男子)

* 時間の無駄損は後悔先にたたない典型です。つもり積もって何十年か後に「身にしみて忘れがたい損」をしたと思うはずです。脳みそが有意義に十分に活用された時間をあまり持たない自分自身、いちばん「損」をしている。 (男子)

* 時、それは一度失ってしまえばだれにも取り戻すことは不可能である。特に自分は今年、学科所属が出来なかった、すなわち留年である。身にしみて忘れがたい損、それは怠けてしまった為に無駄にしてしまった時間である。一生の時間は限られている。時間がほんとうに貴重なものだと思われる。人は余裕を与えられ、怠けて時間を失いやすい。逆境のなかで時間を輝かせたい。 (男子)
 

 「時間」を失った「損」感覚には、一種取り返しのつかぬ悔いが伴うようだ。しかも時間ほど安易にとりこぼして行くものはない。「時間を死なせた」といった悔いの告白の多いのはこの「提題」での特色だろう。よく努めている東工大の学生にして初めてこういう悔いが価値をもっているのか知れぬとも思う。文系の学生だと、こういう悔いはかえってもつヒマすらなく、一般に、あまりによく遊んでいる。本気で悔い始めるのは社会に出て数年も経てからではなかろうか。身近な「実例」ではそんな感じだ、一概に言う気もないが。
 

* 身にしみて忘れがたい損といえば去年の夏、青森県の野内という駅で荷物をとられたことであろうか。野内駅は青森市内であるにもかかわらず大変ひなびた無人駅で、海が近くにひろびろと見えた。先輩と北海道まで行く途中だった。とられるなどと思いもせず、衣類など荷物を暗い待合室にのこして外に出てしまったのだ。荷物がそっくり無くなっているのを見ても、忘れ物と思ってだれかが届けてくれたのだと思ったほど、それほどその辺りはのどかで、駅の乗降客もほとんど無かった。今思うとたいした被害でもなかったけれど、その後の旅行は大変で、精神的なダメージは大きかった。以後、荷物から目を放すということはしなくなった。よい教訓ともいえるが、人間不信に近いものを味わったのも確かだ。あののどかな駅で荷物を持ち去ったのがどんな人か、私は思い浮かべることも出来ない。 (男子)

* 単刀直入に言って「この世代に生まれて来た」のが、損です。僕は昭和四八年生れですが、第二次ベビーブームに当たっていて、そのため大学受験志望者数は過去最高でした。現役で東工大に受かったのですからこれは大したことではないとしますが、他にも有るのです。就職です。今の不況が続けば苦労は目にみえています。景気回復を祈るしかないですね。
 あと、これが一番ですが、中学生のとき丸坊主を校則で強いられました。ところが三年後、なんと後輩たちはふさふさと髪の毛をのばしている。校則が変わったそうです。はっきり言って僕はムッとしました。坊主頭のせいでどんなに苦労したか。他の中学のやつに町で笑われたり…、おまけに頭ひとつでどこの中学かわかってしまう。つくづく損をしていたと思います、もう三、四年おそく生まれてればと。他に、神奈川県内の今の家に住んでいることも損です。東京目黒の大学へ二時間半は遠すぎ、下宿するにはやや中途半端。 (男子)              

* 小学生の高学年から高校生になるまでファミコンゲームを毎日やりつづけた。親にさんざん目をわるくすると注意されたのに電灯もつけず夢中になっていた。このため今では視力が非常にわるく眼鏡なしでは何も出来ない。文字どおり身にしみて一生つぐなえない損である。 (男子)

* 中学高校とも男子校で、大学もこのような女性の少ないところへ入ったのを、この夏ごろから、後悔とまで言わないがかなり損をした気になっている。学生時代に周りに若い女性との付き合いの経験が少ないのは、もしかしたら生涯の損になるかも知れない。学科にもサークルにも女がいない。町で「ナンパ」する度胸も甲斐性もない自分としては、女性と話す機会すらじつに少ない。バイトでとも思うけれど、ついつい女気はないが時給の高い家庭教師を選んでしまう。 (男子)

* 去年の春、ダンスパーティーで知り合った女の子。一生懸命誘って遊びに行ったりして、たまにワリカンだったが、ほとんどおごっていて、「あたし、好きな人がいるの」と言われ、何もないまま、飛んでいったお金と時間。あぁ、損。また、一時限だけのために朝早く出て来てその授業が休講のとき。往復三時間の時間を返せ!あぁ、損。 (男子)

* 高校生のとき、まだ自分が文系か理系かはっきり決心していなかったにもかかわらず、兄が理系だからというだけで、いつのまにか自分も理系だと思い込んで、結局こうして東工大にいます。実は昔から本を読むことや英語が好きだったので、ときどき自分は文系かも知れないと思うことがあり、いろんな先生にも尋ねたところ全員に理系だと言われました。しかし一番信頼していた先生には聞きそびれていたのでした。それが、つい最近久々に会ったとき、言われました。「おまえは文系に合ってると思ってたがな。」ちょうど今の大学生活に疑問を持ち初めていたときだったので、なおさら痛い言葉でした。あのとき、この先生にも尋ねていたら…。この心の損失が、忘れがたいものとなるでしょう。 (男子)

* 僕は今、損に直面しています。これからやろうと自分で決めた事について親の賛成が得られないからです。賛成が得られないから損なのではなく、賛成が得られない自分の考えを変えることができないことが損であるということ、そして、それが親子にとって損であるということです。しかし僕は損であると分かっていても自分の考えを変えるつもりはありません。 (男子)
 

 「損」ということを認めずに、なるべく、「得」とまで行かなくても気分を「損」にしない方へ方へもって行くのが、あたかも「心術」として大事であるといった考え方の学生諸君の多いことに、もっともなような、妙にかったるいような、かるく肩すかしを食った気がした。それなりに、だが、出るべきは殆ど出ていた。
 
 
 

   性 −性の重みー

「性の重み」を端的に問うてみた。ところがこれが端的ではなかった。
 性的欲求とのじつに苦しい闘いがあったものだ、二十代に入るや否や。現在では女性の初潮もはやまり、全体に第二思春期はティーンの半ばにはもう始まっているとされる。されば「性の重み」というだけで意味は通じたものとわたしは考えた。ところがその辺が理系の頭をわたしがしていない証拠かのように、東工大の学生諸君は、男女の「性別」がいかに生物学的・遺伝学的に大事かという観点から、単性生物との比較において、さながら「解説」してきた。また「男女差」という社会的な見地から、その平等や不平等をいろいろに「論議」してきた。少なくも半数ちかくがそんなものであった。なるほど「性」の重み、か。参った。理系万歳!
 ひとつには挨拶の仕方あまりに端的すぎ、わざとハズシて反応してきたのでもあると、
次の週のわたしのボヤキに対して、弁明もあった。ともあれ「性」のことはやはり避けて通れない。
 

* 性。いつからだったか、常に頭の中心にあるものだった。時には狂ったように追い求め、また、時には否定した。 (男子)

* 最近性が乱れているといわれる。性を神聖視しない若者が目だって来ただけで、僕らは別に乱れていない。性が重いものかどうか考えたことはないし、そんなことを考えていたら性欲など失せてしまう。もっと性を素晴らしいものとしてとらえたい。もし、みどりむしのように、性が一つしかなかったら、何てさみしいこの世だろう。 (男子)

* 非常に難しいが、セックスはしょせん生殖行為にすぎない。それはそれで重い。ただ、セックスが愛という不思議なものの最上の表現方法であるとは絶対に思わない。それに関する重さはチリ程もない。 (男子)

* 要するに性交のことだと思うが、これは結婚しているのでない限り、いつ、だれとしようと構わないと思う。もちろん強姦などとんでもないし、子供ができた時はちゃんと何とか出来なくてはいけない。出来ないようにしてすれば問題はない。これが僕の考えです。でも(谷崎の)『蘆刈』の話はとんでもない。姉お遊の代わりに妹お静を妻に貰うなんて。しかも姉との方が実質的に夫婦関係以上だったなんて、納得いかない。 (男子)

* 性という文字を見ると僕は胸がドキッとして、ついその字のある記事を読んでしまう。なぜか。恐らくその字のつく言葉に期待してしまうのだと思う、例えば性交、性器など。性という言葉は僕にエロチックな想像をかきたてる。僕でも、たぶん大多数の人でも、本能的に性はたいへん重い、大きなウエイトを占めている。そう思う。 (男子)

* イエロー・キャブや売春など、女性に対する負の観点からばかり「性の重み」の薄れたことが論評されるのは困りものです。もっと別に、女が自由をえてゆく過程においての性も平静に見てもらっていいはずです。自分で自分を管理して行ける範囲内でならば、女性にも性の自由があって当然です。 (女子)

* 性ということを考えるとき、僕は「純粋なもの」と「ふしだらなもの」の二面を考える。「性の重み」となると純粋さや誠実さが強調される。僕自身のことを白状すれば、今の彼女とは月に2、3回はホテルに行ってセックスをする。今、彼女を愛しているし真面目につき合っている。セックスをしているなんて彼女の両親は思っていないと思う。またもしばれたら別れさせられるかも知れない。真面目に好きでいるのに、何故セックスをしてはいけないというふうな風習・慣例があるのだろうか。僕としては体だけを愛しているのではなくて、本当に好きで心から愛していて、責任の取れる行動をともなっていれば、年齢に関係なくセックスはいいことだと思うし、彼女が望むならばしなければいけないことだと思っている。もちろん性を軽く考えてなどいない。愛していない人とは絶対にしない。 (男子)

* 大学生になって、自分が女性であることを強く意識させられた。東工大が事実上ほとんど男子校であるからかもしれないし、男子が「男」になっていく年頃だからかもしれない。高校時代まで男子も女子も対等で、クラスメイトであり仲間であった。しかし今、大勢の男子たちにまぎれて暮らして行くうちに、男の動物的本性というものが見えてきた。あからさまではないけれど、ちらりちらりと感じ取れる。「女の子は可愛くっておとなしくて、ぼくについてきてくれるような人がいいな」と。男の本音も分かってきた。入学当初「女の子ーー」という扱いを受け、無意識にそれを演じようとする自分がいて、ほんとうの自分のギャップに疲労していた。「男にとって女は、性のはけ口である」という説もまんざら嘘ではないのかもしれない。少なくとも同世代の男子達のじりじりした思いは時折伝わってくる。男を愛することにも愛されることにも自信がなくなってしまった。前途多難…。 (女子)

* 今や性の関係ぬきに恋人同士であり得るのかと聞かれたら、ナントも返答に窮する。無しでもうまくやってゆけるというのは、もはやタテマエに過ぎないのか。結婚するまでは駄目という娘がまだいるが、それも性の重みを感じてのことなのだろう。僕のほうは、そのほうが、手当たり次第にする娘よりも好ましい。 (男子)

* 性にはセックスという行為の性と、性別という状態の性とがある。私にはセックスは未知のものであり、好奇心のカタマリになっています。その行為に興味があります。しかし誰でもよいとは思っていません。(少し思っているかも…。)ま、好きな人、恋愛の対象の彼女でなければそういうことはしたくないと思います。好きだから彼女と一つになりたい、すべてが欲しいのです。確かめたいのです。それも勝手な言い訳で、きれいごとで、女をただ抱きたいだけなのかも知れません。抱いてしまえば自分の「もの」という風に考えてしまうのではないでしょうか。それでは女の人がカワイソウですねーー。男って勝手です。 (男子)

* 昨年入学当初、クラスのA君に「どうして女の子なのに東工に来たの」と尋ねられた。挨拶代わりに言ったのだとは思うが、私は正直言葉に詰まって笑ってごまかした記憶がある。自分の好きな学問分野を深く勉強したくて、それの出来る大学に来たのであって、A君にしてもそうだろう。性別なんて関係ない。しかし一年間この大学で生活してきて、ここに根づいた男社会の構造、考え方にふれるにつけ、女を(少くも学問分野から)排除しようとする雰囲気を感じずにはいられない。女であることの不自由さ、やるせなさを深く感じた一年間だった。 (女子)

* 地球上の生物の雌雄はほぼ同等に分配されている。しかし人間でいえば男性の方が女性よりも弱いために僅かに男性の方が比率が高くなっていて、一方が多くなり過ぎないように自己抑制し、そうして子孫を残してきた。子供の産み分けが簡単にできるようになってきたのは、この自己抑制のバランスを人為的に傷付けることになりかねない。道徳の問題である以上に、性の重みのバランスが崩れ初め、人類の滅亡に繋がるのではないかと心配である。 (男子)

* 後輩が関西から今年東工大に入ってきた。新入生の歓迎コンパでなぜ東工大にと尋ねると、彼は何のてらいもなく、「僕の好きな人が東京の大学に入学したからです」と答えた。その女性は一つ年上で同じ室内楽のサークルにいた人らしいが、彼のその人への思いがすばらしい。「とにかく見ているだけで幸せです。彼女の吹く音色(フルート)に高貴なものを感じ、心が浄化されるようです。ただもう恋というよりか、好きなんです」と。先輩として、自分の恋体験が恥ずかしくなってしまった。私も、純愛にめぐりあいたい。性に縛られない恋はきれいで、憧れています。 (男子)

* 元来動物である私たちは、本能にねざした性衝動をもつ。どちらかというと受け身の女性は性交に嫌悪感をもっているが、男性は性衝動と理性とを闘わせていることが多い。性が生殖行為だけで無く快楽の追求とも重なりあう人間の場合、理性とはまさに性の重みを理解する意味になる。器能や名称だけしか教えない現在の性教育は、そういう性の重みを理解するのに役に立っていない。愛にまで掘り下げた人間教育が学校と家庭との両方でぜひ必要だ。 (男子)

* 大正生れの祖母は僕が台所に立っていると、「男の癖に」「男らしくしなさい」と、僕の嫌いな言葉を連発する。小学校の頃家庭科を男女いっしょに学んだ。料理も編み物もミシンもやった。初めて料理をしたとき、まるで魔法のようで不思議の感に打たれた。以来料理は僕の趣味の一つになった。今でもカレーなどの主食だけでなく、時々クッキーやタルトを焼くこともある。人に食べさせ喜ばれるのが僕の満足の時である。小学校の頃の担任の先生は男だから女だからというのが嫌いだった。その感化は大きかった。性別よりも互いに一人の人間でありたかった。
 しかし20歳を越そうという今、自分の考えは違っていた、どこか間違っていたと感じている。人間としてというのは、どこかひ弱い自分を庇う言い訳だった。鏡に映る線の細い弱々しい自分を見ると僕は空しい気分になる。男は男であり女を守る強さがあっての男だと思う。男の本質的な役割を放棄してしまったかのような自分を見ながら、性の重みを感じている。 (男子)

* 性というのはかったるい厄介なものです。近頃そう思うようになりました。というのも性による区別を考えるようになったからです。区別なんか無いと思っていても、やはり異性は異性で相手もそう思っていて、同性の人とは同じように仲よくは結局できなかったのが一番のきっかけでした。今の私は「なんで男と女がいるんだ」という気分です。ゾウリムシか大腸菌かそこら辺の生き物が羨ましいです。自分だけの力で勝手に暮らせて勝手に子孫を残せるのですから。人間も分裂で増えるとか、完全雌雄同体で、一固体で繁殖可能だとしたら、人間関係に性の区別も無くなり、「男女の間に友情は成り立たない」なんてことはなくなって楽だと思うのですが。 (女子)

* 肉体上、性の相違とは、根本に戻れば男性ホルモンと女性ホルモンの違いであり、さらには蛋白質の配列、DNA配列の違いである。2つの性を分子レベルまでバラバラにしてしまえば只の炭素、水などの集まりであり差はなくなってしまうだろう。でも実際に現代を生きている限り性の相違は日常あらゆる所でつきまとい、性の重みは非常に顕著である。しかし、男性優位か女性優位か平等が比較的保たれているかは、この地球上でいろいろに異なっている。私は、性の重みは、古代人の日常生活での男女の役割の重要性に対する思考からきているのだと思う。また男女数の比率にもよったであろう。今の社会はそれらの歴史的社会の継続上にある。だからそれに従うしかないというのでは悲観的すぎるだろうが、大勢はそんな有様ではある。せめて職業選択や日常生活でのわが国の男女不平等は早く無くしたいものだと思う。 (女子)

* 性の乱れということをよく聞くが、身辺の人のいうのは、安易に性行為が行われ過ぎる意味であり、マスコミのいうのは、つまるところエイズ等の病気が怖い意味である。個人的にはどっちにも賛同できない。僕は好きな人とだったら、婚前交渉や複数の人との性関係に余り抵抗は感じませんし、間違ったことだとも思いません。かと言ってよくマスコミのメディアが扱っているような、快楽のためには何をやってもいいといった興味本位に性を扱った番組内容などには、当然のこと合意できません。僕の考えている「性の重み」とは、そのまま人間の「存在の証」の重要さであり、「本当の愛」の価値に気づいていない人が増えている現状に、性風俗の病因があるのだと思います。現代社会が物質存在にしか価値を見出だせず、心の重みや夢を育むことを軽視してきたことの大きなマイナスの結果だと思うのです。 (男子)
 

 優に550人もが書いた中から拾いあげているので、偏っているかも知れないという危惧が、これを読む人にはあるかも知れないが、じつはわたしはその心配をほとんどしていない。以上でかなりを言い尽くせている。年寄りを或いは驚かせる内容かも知れず、いやいや実に温和な傾向であるかも知れない。若者の性、とてもそんな程度じゃないよという声があがるだろう、わたしもそう感じているが、東工大生の「性」としては、この辺に落ち着いている。東工大生よおまえもかと嘆く大人がいても、慰める気はない。
 別の教室だったか、一般論として、性生活が夫婦生活のなかで占める妥当なパーセンテージを「将来の問題」として尋ねてみた。むろん年齢段階で異なるのだが、解答結果もなかなか示唆に富んでいて、結果として十五から二十五パーセントという評価であったのを付け加えておく。極端な百パーセントもゼロもあったけれど。
 
 
 

   政 治 ー政治を考えるー

 省くわけに行かない出題だが、その余の問いと比べてどうしても気疎く、それだけに全般に型にはまった答の出てきそうな予感があった。
 政治の問題ほど、平成の青年たちにとって極端に言えば「きれいごと」の言える話題はない。言う気なら左にも右にも真ん中にも自在になれる。つまりディベート・ゲームで、割り当てられたサイドの意見を、口角泡の感じで言おうと思えば言い募れる話術をもっている。それでは紛い物の言葉であろう。
 むろん少数の政治的センス尖鋭な学生のいるだろうことは、予測できる。
 どっちにしてもこっちが熱くなるほどは、学生諸君は政治には熱くない。冷たい。冷たくてもいいが、参加の意志を放棄されては困る。
 あえて入学して間もない1年生の声を求めた。時期は宮沢内閣への不信任が現実化した頃に当たっている。

 東工大には、学生の自治機能は無いも同然の現状であった。2年3年を過ごした学生たちの、半分投げ出したような説明を聞いても分かり難い、なんだか2次的な組織は在るらしいが、いわゆる学生自治会は大学当局に否認され、存在しないという。教室が狭く、申告した全員どころか半分も三分の一も収容できない。そういう申告制度も問題だし教室の整わないのも問題だ。学生はこの私に改善を訴える。私も何もしないわけでなく、私の授業の味を損なわない範囲で、工夫はする。しかし追い付かない。260余りしか入らない所へ、700,800,多い時は1000人に3人足りないだけの人数が申告している。追い付くわけがない。
 私は、こういうカリキュラムや施設上の改善は、学生の自治権・学習権と大学当局との交渉の議題だろうと思うがねとポロリと言ったら、この大学に学生の自治権は無いんですと声が上がった。無ければもてばよかろう。学生の自治の自由がなくて、どうして大学の自治の自由がその質において維持できるのか。すると「持たなくてもいいと思う」という意見も現れた。ちいさなクラスや団体単位で意思の疎通がはかれれば、全学的な組織はむしろ煩わしい、と。
 この考え方は、その「政治」観をほぼ代弁している。いわばそういう声ばかりなのかどうかの点検のようなものだと思っている。
 

* 私は政治についてほとんど何も知りません。衆議院と参議院の違いすらまるで分かりません。高校3年間このままではまずいと思いつづけ、大学に受かったら政治について勉強しよう、新聞の一面をちゃんと読もうと思ったのですが、まだ実行していません。内閣不信任についてもよく分からないのですが、自分たちで選んでおいて不信任も何もないと思います。むちゃくちゃです。 (女子)
 

 けっして不真面目な学生でなく、1年、2年生を通じて私の授業には休まず出てきちんと「挨拶」に応じている。評価もいい。ただ政治への意識は「むちゃくちゃ」である。だが、どっちかといえば東京工業大学ではむしろこれが多数派といえそうなほどだということは指摘しておきたい。
 

* 私はあと数か月で選挙権を得る。今度の選挙には間に合わないが、間に合ったとしても有権者としてきちんとした考えで投票は出来ないだろう。正直,自分が政治を動かす一員だという自覚がない。あと数か月でそういった意識を持つ自信もない。 (男子)

* 私は政治が嫌いです。よく分かりません。政治だけをする人がいるというのが変だと思います。政治家なんていなくても何とかなるものじゃないでしょうか。いざ何か決めるときは皆で多数決にしてしまえばいいのに。順番で政治家になってもいいかなと思います。 (男子)

* 僕が政治への関心を全く無くしてしまったのは高2の頃だった。問題はすべて政治家にある。彼等は金の為だけに政治家になったとしか思われない。最近有名人が立候補して当選したりしているが、あんな政治に知識のない者たちに票を入れる有権者の気が知れない。 (男子)
 

 政治への「知性」がすこしも感じられない。偏差値教育の中で愚民化政策がかくも顕著な効果をあげ、そしてこういう学生たちが近い将来に日本の中枢部に指導的な地位を得て行くかと思うと、その可能性は東工大という実力ある名門ゆえに十分あるだけに、寒くなる。柳田国男が、いい政治いい選挙の実現にいちばん大切なのは国語教育だ、いい判断力は立派に国語がつかえるかどうかできまるのだ、といった趣旨の発言をしていた。東工大に最も不要なようにも思われがちな「文」学こそ、広く科学や文化の真の「要」である重みを、大学当局も全然分かっていない。
 しかし、こんな発言ばかりでは無い。
 

* 昨今、イデオロギー論争はもう終わったとか、保守二大政党をとか、よく聞く。革新の衰退は認めざるを得ないが、今の状態で保守へ保守へと雪崩を打つのは大変恐ろしい。保守も革新もレッテルであったが、革新のたかがレッテルと一緒に、そのレッテルの陰で主張されていた「よきもの」まで葬り去られていいわけがない。反戦も平和も護憲も、日本人が大事に考えていい政治的価値であり国民の基本の立場だと僕は思う。「革新の時代は終わった」の声とともに安易に葬り去っていいものではない。真実は殺してはならない。イデオロギー論争が本当に終わったと言うよりも、僕は、経済理論闘争が終わったのだと思う。市場経済には賛成する。しかし自由と平和への問いは護憲の信念と共に問いつづけられるべきではなかろうか。 (男子)

* 政治は人類社会のいろんな悲劇の源でもあります。人類社会には政治が無ければ発展はできません。政治的に対立の両方は社会と時代の車輪を動いています。しかし政治の争いは残酷なものであるため、いつも血と涙を伴なっています。それに、今日の社会から見れば、政治には少数政治家、政客の手のひら中のおもちゃであるのは事実であります。民衆は政治の実質と核心には触ろうにも触れません。これは全人類の悲劇。ですから私は政治に対して、好きとも言え、嫌いとも言えます。この矛盾は宇宙とともに共存していて、これは我々の宿命であります。 (留学生 男子)

* 明治大正昭和にかけて架けられた橋を調べていくと、個々の橋は、コンセプトも業者も発注者も年代も全く違っているのに、現在から振り返って見ると、水の都市東京の、東京湾からの入り口としての「門」を形成しているという。僕は土木工学というものを、未来を意識した環境の整備を行う学問であり、歴史(土木史)というものはそれほど重要性を持っていないと思っていた。それが違っていた。過去の建造物とは全く異なるものを作ろうと意識しても、未来から見てしまえば、歴史という大きな流れでくくられてしまうのだ。それが分かった。もっと歴史という事を考えてみなければと思った。以上を踏まえて僕は7月11日に選挙に行かなきゃならない(大変だ)!! (男子)

* 僕が初めて政治を意識したとき、自分は必ず日本をよくしてやると意気込むばかりに、政治に疑問を感じては憤っていた。しかし知識が増すにつれ諦めが急に出てきたのが分かった。毎度毎度の政治不信、これだけのものをだれだって変えられるわけがない…。しかしある団体に入って、自分が動かなければ絶対によくならないという状況に陥ったとき、必死になった。このとき少し自分に自信が持てた。たしかに何千万人の一人なんてわずかなものだ。しかし一人一人が政治は自分のもので自分の目前にあるのだという自覚を持てば、動かせる。動かさねばならないのだ。 (男子)

* 高校時代、日本史の先生に「政治は国民を映し出すものであって、今の政治腐敗は私たちが衆愚であることを示しているにすぎない」といわれました。一瞬憤りを覚えたのと同時にどこか納得してしまいました。どうにもならないと思うことは楽だけれど、一種の逃げです。きっと永い時間の中で様々な人がやってきて、もう諦めるしかないのかも知れないけれど…。日本の伝統的な美徳として「隠す」という文化があるけれど、これほどの情報化社会においては、少しは「ひも解く」という行為が必要だと思います。暗闇の中にある今の政治に少し光を注ぐことが、国民の目を向けさせる事につながると思うのですが…。 (女子)

* 政治についての視線は国についての客観視ができなければ有効ではない。鉄のカーテンで固めていたソ連も、西欧からの情報が入り初めて誤った自己の絶対視から逃れ、自ら体制を崩壊させた。アメリカの自称正義も中身を見なければならないだろう、パナマ侵攻ではノリエガを、湾岸ではフセインを一方的に悪者に染め上げての正義であったし、その実態は悪魔のようですらあったと言われている。アメリカの正義は概して利権で動く。パナマでは運河、湾岸では石油。ひどい話はその湾岸で日本は金まで出している。国は利益のためには偽りの正義を振り回すことを恥じない。こういう事実の客観視こそが政治への最初の参加を動機づける。目を背けない洞察が大切だ。 (男子)

* 腐敗した民主政治の責任は誰に帰着するのか。政治家の倫理に欠けるものがあるのはむろんだが、有権者国民の責任も免れない。「自分の生活が保障されるなら、面倒な政治になんぞ誰が関わるものか」という本音も分からなくはないが、それではエサと引き替えに人間の支配に甘んじた家畜と何の違いがあるのだろう。自己を律すると言うのは口で言うほどたやすくはないが、それを諦め投げ捨てては歴史の濁流に飲み込まれてしまうだろう。 (男子)

* 日本史・世界史を学ぶとき、政治を無視することはできない。政治家が世の中の在り方をつくって来たとも言える。戦国時代、人々は闘った。しかしその闘いは誰のためのものだったか。結局その地に暮らす農民はそこを治めるのが誰だろうと関係なかったと思う。ただ豊作で安泰に暮らせればよかったにちがいない。昨今の世の中もそれに似ているのかもしれない。結局誰が議員で誰が首相をしていてもたいして変わりはないのである。そう錯覚しているのである。選挙権があり国民主権であるのも建て前の事実で、どんなに悪徳を叩かれている政治家も滅多に落選によって葬られたということがない。私たちも戦国時代の農民の政治意識と同じなんだなぁと思う。農民は圧政に対して一揆で闘うこともあったけれど、そんな気も起きないほど、今の政治はくだらないと思う。  (女子)
 

 日本新党や新生党や新党さきがけなどのブームを巻き起こしていた、そしてついに自民党政権が崩れ去った頃の当世学生政治談義である。それから一年立たずして政権は三度び交替し、想像も出来なかった社会党が自民党と組んでの村山政権も成立した。そして、またしても「侵略は無かった発言」の大臣の首を首相は急ぎすげ替え、八月十五日の戦没者慰霊式で挨拶をしていた。政治は動いている。余りにも安易に動いているとも見えるが、そんな評価を急ぐ必要はない。よくやってほしいと思うし、よくさせるのは我々国民の政治に対する意識の高さでなくてはならない。衆愚政策を許してはならない。そのためにも「私」を大きく立てて、「公」の肥大化と高飛車に対し、チェックの手を休めてはなるまい。
 
 
 

  誇れる国 ー国を誇りに思うときー

 こみあげるように(わたしの場合ならば)日本の国が誇らしく愛しく思えてくる時がある。(わたしの場合ならば)美しいものと出会ったときに特にそれを思う。上野の博物館で『やまと絵展』があった。よくもこれほどのと感嘆しながら、日本の美術の遠い昔の達成の、じつに深くも高くもあることに胸を高鳴らせた。
 こういう体験はじつは何度ももっている。しかし残念なことに、なんて日本は、日本人は恥ずかしくもイヤなところを持っているのだろうと、我が身をさて措くわけにも行かずに情けない思いをしてきた覚えも何度も何度も持っている。だからよけいに国の誇らしい時が嬉しくなる。そういう思いをもっともっといろんな時・所・人について持ちたいと素直に願う。
 そこで二十歳の青春に問うてみた、「『国』を誇りに思う時」は、と。日本のと限定しなかったのは当然のこと、東工大には大勢の留学生がいる。留学生でなくても、日本ではない母国をもった学生が何人もいて自然当然である。わたしが「国」と意識するとき、自分には日本であるにせよ、一般にいつも日本をさしているわけではない。言うまでもない。 ところで「わたし」というやや半端な人称を用い、めったにわたしが「私」と書かないようにしているのは、頭の中に「私」と「公」との並んだ関係を乱すまいと思うからだ。この場合の「私」が、必ずしも「わたし=I」と限定できないことは察してもらえると思う。もう少し広くて根本的な「私性」という基盤のうえに、無数の「わたしたち」が生活している。その生活が「公」と結び合う関係の質や形こそが、たいへん大事な課題なのである。間違っても「滅私奉公」で幸せに充実した「わたしたち」など、在りえないと思っている。その意味では「わたし」の場合、「公」と「私」への不等記号は確実に「私」よりに大きく開く。そうなくてはならぬものと信じている。
 東工大の学生諸君がどう不等記号を置くか、まだ正面から聞いてみたことがない。当然かのようにわたしの考えは否定・否認・批判・非難されるかも知れない。その辺をやや手さぐり出来るかも知れない期待もこめて挨拶してみたのが、この提題であった。持ち掛け方をわざと茫漠とさせておいて解釈の入ることも期待した。
 

* 「国」…カッコつきだと身構えますねーー。日本文化と日本国とは違うと思うし、私自身括られるのは嫌いだから、「国」と括られたモノの立場を考えてしまいます。日本語を誇ると言ったら、それは日本に属するものかしらん、などと。曖昧さを残していいのなら、私は日本が好きです。電車の中で眠れる平和や、一神教に縛られない、よく云えば懐の広さ、悪く云えばポリシーの無さ、食べ物の無国籍性…etc。でも「好き」と「誇る」とは違いますよね。日本人で日本国を素直に誇れる人は少ないと思います。私は国を誇らない自分が好きです。私は、日本語の本が、今と同じ量質種で手に入れられるならどんな「国」でも構いません。(でも、そうすると言論・出版の自由が必須だな…と考えてしまうけど。)「国」を誇りに思うためには、まず、自分がその「国」に属しており、一生属するのだという明確な認識が必要なのではないでしょうか。ところが私は「日本国」は滅んでもいい、とすら思ってるんです。嫌悪からではなく、滅ぶ可能性はどこの国にもある、それなら滅んだところで大した問題ではない、という考えからです。ローマ帝国もイスラム帝国も元も滅んだし、日本が私の生きてるうちに滅んだってアメリカが滅んだってフシギじゃないでしょう。現にソ連という国は滅びました。でもロシア人は滅んでません。ロシアの文化も滅んでません。国へのこだわりは、何か、身を重くする気がします。でもそれは私の価値感であって、誇れる人はそれでまた、こだわりにこだわる私のオモリから解放されているんだし、それでいいでしょう。ただ私は「国」を誇れない。「国」という概念を有していることも誇れません。そのくせ日本は好きだしな…。矛盾してますよね。人間や地球が滅んでも「いい」んだが。 (女子)
 

 最後の一句だけが、受け取りにくい。
 

* 日本の国は大好きだが、誇りに思うのはなかなか難しい。強いていえば日本が発展途上国に技術援助をした時か。日本の先端技術を世界のために生かすのは素晴らしい事だ。しかしである。最近この技術援助に関して疑問に思うことがある。最新の技術を援助するのだが、それがその国に与える影響をまるで考えていないのである。親切のつもりが逆効果になってしまう。先進国の味わった先端技術の裏、その恐ろしさという教訓がまるで生かされていない。このままでは地球をさらに危険に状態にしていくだけだ。技術援助をするなら先を見通す事が必要だろう、それが日本の役割と言うものだ。 (男子)

* 最近はそうでもないが、日本の工業製品の技術力が優れていると感じた時に自分の国を誇りに思う。下品な優越感に限りなく近いのだが、そう感じてしまうものは仕方がない。また、日本人独特の(と思われている)奥ゆかしさ、感受性の豊かさを些細な事でも実感すると自分の国を誇らしく思う。例えばある家庭を訪ねた者が、「灰皿は」と聞いたとする。日本では、「すみません。いまお持ちします」となるのが普通で自然だが、外国だとたいてい「要りますか」という返事が来る。日本人は「お茶が入りました」などと表現も人間を主語にしないぶん恩着せがましくなくて美しい。ほんとに些細なことだがそんな事で自分の国を誇りに思ったりするのである。しかし、自分の国に誇りをもつという事は、一歩間違うと他の国を見下すことになってしまうので、気を付けたい。 (男子)

* 朝、通学途中の中延駅からときどき富士山が見える。そんな時はとてもさわやかな気持ちになり、いつまでも眺めていたくなる。そして「やっぱ、富士山だよなぁ」となんだか誇らしくなる。鳥羽の海辺から神島などの多島海をみたときにも似た気持ちをもった。唯一無二の美しい場所が自分の国にあるという誇りだ。ただ、逆に、私たちの国を恥じることも、しょっちゅうあります。 (男子)

* 日本が平和であること。この平和とは皆が幸せに暮らせるといった理想郷のごとき様子ではない。ただ単に「戦争状態に無い」という平和である。もうずいぶん昔だが、なにかの授業で「第二次世界大戦以後に戦争のあった国、なかった国」を色分けした世界地図を見たが、地図は真っ赤だった。どっちが赤いかは言うまでもなかろう。その時に思った、日本が平和であるということは何と貴重なことか、憲法に軍隊の永久追放をうたった日本を誇りに感じたいと。 (男子)

* 今までに国を誇りに思ったことはない。日本という国に自分が属しているという意識も持ったことはない。私には「国」がよくわからない。日本には歴史がある。日本は安全である。だけれどそれらは(私にとって)全て与えられたものであり、偶然の産物であると思う。なにも誇れることはこの国にはないと私は思う。国を恥ずかしいと感じる時という設問であれば、もっともっと簡単だったのに…。国を恥ずかしいと思うとき。それは過去の上に胡座をかいて、いつまでも進歩しようとする気配すら感じられない、ということを確認させられたとき。自分を恥ずかしいと思う時と同じことだけれど。結局私は国(日本)を自分を写す鏡ととらえているのかも知れない。 (女子)
 

 この女子学生はこんな附記を添えている。「『自殺は克服できる』という人がこの講義室に多いことに驚いた。人の気持ちに意見できる立場ではないけれど、きっと、そういうポジティヴな考え方のできると人は、『耐え難い絶望』の経験がないのだろうと思う。おだやかな十代を過ごしてきたであろうそういう人達がすこしうらやましくも思う」と。
 

* 日本以外の国で住むことは考えられません。昨年家族でヨーロッパ旅行をしましたが、もう三日もすると「あと何日で帰れるか」と考えている始末でした。父母には心苦しいほど日本に帰りたかったのです。私には畳の感触こそあたたかく、障子や襖で穏やかな気持ちになります。緑茶なしに一日を終わらせるなんて考えられない。お米の御飯や煮物などの和食を食べずに三日も四日もなど、悲しくなります。外国の景色も美しくて「絵が描ける」と感動しますけれど、それでも四季おりおりに表情を変える日本にこそ「ずうっと、ここにいたい」という共感・感動を覚えます。歌舞伎も好きです。おととい母と歌舞伎座に行きました。「娘道成寺」「八百屋お七」「敦盛」など衣裳も女形もみごとでした。茶道もおもしろく稽古しています。時間のゆるやかに流れる感じに落ち着きます。うまく書けませんが、これら全てからも自分の国を誇りに思っています。日本に生まれてよかったです。 (女子)

* 日本に飢餓や戦争の無いのは誇るべきかも知れませんが、それは貧しい南の国々の資源をあさり、大国のバランス・オブ・パワーの陰に安住していると考えますと、簡単には言えない気がします。 (女子)

* 毎夜けっこう遅くなっても、今まで一度も危ない目にあっていない。日本は、国際的にはそうそう誇れた国ではないと思います。戦争を仕掛けたし、戦後急成長したといっても朝鮮戦争など米国の保護下にいて、主にアジアを踏み台にしてきたし、戦争放棄と言いながらしっかり軍隊なみの自衛隊(あまりアテにならないと思うけれど)ももっている。古い歴史はあるにもせよ、どんな国にも有るといえば有ります。ただ身近なことを言えば、治安のよさは誇れます。大学に入ってから暗くなってからの帰宅が増えました。遊んでいるわけではありません。一応駅までよく父が来てくれますが、とにかく危険な目にあっていません。この間ある大新聞でアメリカの事情を読みました。「女の人は文字通り『暗くなったら』一人で歩けない。大学構内でもTELでバスを呼び、独りで待っていてはいけない。時には大学のガードマンについてもらう。そうでなければ暴行、強姦etc…。アメリカは自由の国であるために自由を奪われた」といったエッセイでした。あぁ日本で良かったと思います。 (女子)

* 今までに京都へ5度行った。京都では時間の流れがゆっくりしている。遅いと感じるときもある。最近京都の景観論争がさわがしいが、あまり高すぎるビルなどはどうかと思うけれど、街が変わって行くのは仕方ないことだ。これまでも京都の街ほど歴史的に変わってきた街はすくない筈だ。現に京都に住む人達が、より良い快適な生活を求めて変えてゆくのを咎める気はしない。ただ出来れば他の街や都市とおんなじようになってしまうのでなく、京都ならではの工夫が欲しい。変わること自体を悪と決め付けたくないし、今の京都も素敵だと思っている。京都以外でも、旅していると日本って良いところがたくさん残っているなぁと誇らしく感じる。 (男子)

* 大学に入って故郷を離れてから、とくに、自分の故郷に誇りを持つ自信がついてきました。
「自分の国を離れ、そのとき自分の国はよかったと思える、それが愛国心なのです」と読んだことがある。私は日本を離れた体験がありません。もちろん日本に生まれて感謝していますし少なからず愛国心ももっているつもりですが、他国の土を一度も踏んだことはないので、本当のところはどうなのかなとハッキリしません。愛国心とは誇りに似た意味でしょうが、ふがいない日本の外交などを見聞していますと、誇りもかすむ感じです。海外へ出て活躍している人や団体を誇らしくよく感じます。が、それは彼等を誇りに感じるのであり、日本という国家を誇りに思ったのではない自分を意識しています。日本を誇りに感じるのは私自身が日本を離れたときでしょう、ぜひ、そう感じたいものです。 (男子)

* 実際私の周囲の人で「自分は日本を誇りに思う」と公言する人はいません。ヘタをすると異端者か変人扱いをされかねません。おそらく日本人にとって国を誇りに思うということは、50年前の悪夢を思い起こさせるものなのでしょう。でも私は今自分が生きていられるということだけでも、日本という国を誇りに思うに十分値すると信じます。 (男子)

* 経済大国といわれるまでに日本を育て底辺を支えた労働者たちを僕は心から誇りに思い尊敬する。働き過ぎだと非難するなど全く当たらない。働き過ぎて家庭を顧みないのも健康を損なうのもよいこととは思わない。が、身を粉にして働いてきた人のおおかたは家族のためにと考えていたと思う。感謝こそすれ非難の権利はだれも持っていない。そういう一人一人に国民栄誉賞をあげたいとさえ思う。おやじ! ありがとう。 (男子)

* 市民が銃をもたない日本は誇らしい。世界一安全な国である日本が誇らしい。ただ安全であるがゆえに自分の安全の管理意識の点に不安はのこる。それでも全国民規模で安全がほぼ保証されているのは、素晴らしいことだ。 (男子)

* 今日本は多くの外国の反感を買いがちです。経済面での一人勝ちなどを咎められ、ひがまれ、ねたまれているところが多いようです。他国からそのように思われること自体、私は誇りに感じます。それは「権力のない強者」を意味しています。日本は他国に対してそう強い姿勢を示さずいます。能力は持っていても控え目に振る舞っています。理想の人間像ともかさなってきます。 (男子)
 

 「国」を選んで生まれてくることは当人には出来ない相談であり、「国」との付き合いが個人のアイデンティティーに関わる面は多い。無視も軽視もできず、つかず離れずという気分でいる人が多いのも、いくらか無理はない。一つには国という名の「公」が、率先して「私」の為に為にとは存在してこなかった人間の歴史も微妙なのである。公は強く富み私は貧しく疲れているという奇妙な本末転倒が当然視されるような理屈ばかりが、お上から下げ渡されてきた気味は大いにある。
 しかし又、国とは公だけの意味ではなく、いくら国破れても山河あって、山河は自分の国ではないのだとは言えない。ある意味では国家以上の国土としてわれわれの生活や判断は、より深くそこに根ざしている。しかも今や国際的にグローバルにものを感じ考え行動しなくてはならない時代で、そこでの「国」の意味はより重くなっているとも軽く小さくなっているとも、これまた微妙なところにある。
 経済、治安、平和、憲法、自然、高度の技術、日本語、歴史、造型、繊細に豊かな感覚など、学生諸君の「国」への誇りは多彩であったけれど、それが必ずしも学問、創意の面へと、つまり東工大の諸君の本命の部分へと拡大言及されていないところに一抹さびしいものがあった。
 
 
 

  無 題 ー感想を自由にー

 課題が与えられると、曲がりなりに考えるよすがとなる。「自由に書くように」と言われてしまうと、途端に「不自由」に頭も手こわばってしまう。そのかわり何が飛びだすか分からない。そこが面白くて、半期に一度は「無題」の挨拶を強いる。読む方は楽しい。
 

* ベイビー・オブ・マコンという映画を観ました。劇中劇になっていて、ストーリーを説明しろと云われても困るんで、渋谷パルコ3前のシネマライブで機会があったらどうぞ。心温まる映画ではないですけどね。私はこれを観て、現実と劇をまったく同じレベルにとらえる主人公の感覚の方がひょっとすると正しいのかもしれないと思いました。虚構と現実を区別する私たちが変なのかもしれない。本を読みます。気持ちがわきおこります。嬉しい哀しい楽しい悔しい…。この気持ちにとって、あの世界は虚構ではなかったはず。それなのに頭は本に対し一種の「かまえ」をつくる。そんな感覚こそ虚構ではないのか。嘘をついているのは本ではなくて、気持ちそのものを虚構にする私たちではないのか。そんなことを考えました。 (女子)
 いい指摘だと思った。
 

* (「子に頼る方が自然で美しい」というある男子の説に批判的感想を寄せていた女子の、さらに追記。)別に「自然云々…」の以前の話は、むかついてたわけでも意見の否定でもありませんよ、念の為。ただ、価値に「自然」を持ち出すのはそれがオールマイティであるだけに、その人の意見がつまらなくなっちゃうな…と思ったのです。ちゃんと「子に頼ることが美しい」という意見は受け入れてたでしょ? それとも言葉がたりませんでしたか? 私はもともと「過激」と云われる考え方が多いので、言葉が足りなくて誤解をうむかもしれません。先生と話してみたいと思いましたが、自分の国文学に対する知識のうすさがブレーキになっております。 (女子)
 
* 最近同居人と話した話題。1 イスラエルとパレスチナの紛争… さてこの二族から紛争をとったら、彼等の民族性は他のユダヤ・イスラムとどれほど区別されうるものか。日本における「地方色」ぐらいになるのではないか? 彼等の紛争終結と民族独立は両立するか。 2 ボランティア活動とは… 政府が推奨するのは福祉政策の失敗のおしつけだ。交通遺児募金等、まっ昼間から若者が街頭に立っているが、そんなヒマがあったら働いて寄付したらどうだろう。世間に訴える、広めることを目的とするなら、もっと効率良く行え。 3 米について… 大学生ぐらいでは「パンを食べればいいや」という意見が多い。騒ぐのは中年以上。これには2つの見解がある。?日本の食文化などそんなレベルだ。?仏のマリー・アントワネットの「パンがないならお菓子を食べれば?」という名(?)台詞そっくりである。かくして搾取はなくならない。ちなみに私は、米の自給云々の前に政府も農家も甘えすぎだと思っている。 (女子)

* 私はこの授業を受けるといつも、自分という人間が情けなく思えてしまう。毎時間、「自分は本当に何も考えていない人間だな」とか「くだらない事ばかり考えているのだな」と思われる。私がこの時間に書くメッセージは、おおよそくだらないもの、自分の無能さや無知さをさらけだしているのではないかと時々怖くなる。この最近、特に今までの自分は本当に何も考えずに、なあなあで来てしまった、知らぬ間に21年以上もたってしまったと悩むことが多い。何を今までしていたのか、これから先何をするのか。勉強の方も行きづまり、どんどん周りの人たちに置いて行かれているのが今頃身にしみて分かる。このままで果たして自立できるのか、怖くて仕方がない。さっき、これからなにをするのかと書いたけれど、やはり自身が満足できることをして行きたい。それは何だろうと考えた。出た結論は、自分の存在のおかげで自分の好きな人が幸せになることが一番自分にとっても幸せ、あるいは満足できるだろう、ということであった。こんな結論が出てしまったのは、現に今私に好きな人がいるからであって、そんな人がいなくなってしまったら、きっと別のもっと良い結論がでるだろう。だからこんな結論は結論と認めない自分が自分の中にいるのも確かである。でも今はそんな別の自分の存在は消すとして、好きな人を幸せにできるだけの人間に自分が成れるのか、この疑問に対する現在の答えはかぎりなくnoに近い。その私の好きな人は私の性格というか人間を好いてくれているらしい。もしかすると男として好かれるよりも価値あることかも知れない。しかし男として好かれたいと思う自分を否定できない。その人が私を男として好いてくれないのは、学年が下というのもあろうが、やはり私の頼りなさというものを見抜いているからではないのだろうか。 (男子)
 

 実は別のクラスで、あたかもこの文中の「その人」の立場にある女子学生から、痛烈に「頼り無さ」批判が提出されていた。一般論としてみて、この男子多勢大学に席を得て自立している極少数女子の、本当にいい意味での獅子のような健在ぶり、逆に男子の羊のような優しさが、ときどきひどく印象的なのである。ちなみにその女子は、おそろしく難しい学問に勤しむかたわら、池波正太郎を愛読し、中村吉右衛門のフアンで、武道をたしなみ、服装もセンスよく言葉づかいも文章も清潔で、敢然として健康な精神の持ち主である。そういう学生と話していると、「工学部(文学)教授」でよかったと嬉しくなる。男子学生たるもの、毅然としなけぁと尻を叩いてやりたくなる。
 

* 今の私はどうも物事をポジティヴに考えられなくなっています。何事にも前向きに来たつもりなのに、果たして良かったのか、今の私には何も見えません。この3ー4週間この授業も受けずに何をしていたか。ただ寝ていました。何もしたくなかった。この授業に出てメッセージを書くと、今の自分を考えてしまう、それが辛かった。どうもすみません。悩んでいるのは、またか、と言われるかも知れませんが彼女のことです。学問については何の迷いもありません、自分を信じればよいのですから。力は自分で伸ばすことができるし評価もできる。しかし人間関係はそうもいかないようです。私が私の気持ちをしっかり持っても、それだけでは30%でしかない。彼女は私を理解しているのだろうか、無駄な努力をしているのではないだろうかと思います。私のやり方をしても彼女の言うようにしても、満足な結果は出てこない。気持ちが素直に通じ合えないでいます。私は彼女を失うことはできない。理由はない。ただ一緒にいればそれで良い。心が通じ合ってさえいればそれで良い。しかし通じ合えなければ、何もかもが気になってくる。すべてが欲しいと思ってくる。私はくじけそうです。何をどうすればよいのか、何も見えません。 (男子)
 

 勉学には絶対的な自負がある。それへ埋没するならすぐにも出来る意欲がある。しかし恋は恋である。この学生の悩みはかならずしも彼一人のものでない。恋する東工大学生のかなり多くのものととらえていい。恋に悩むことさえ羨ましがられるほど、恋から遠い日々にある学生も数多く、その両方の悩みを合計すれば、在学生の人数にほぼ相当してしまいそうに、大袈裟に言うと恋を満喫しているより悩んでいるほうが常態である。こうした学生をわらうことは出来ない。二十歳の前後。男である私が「男である性」として生涯でいちばんキツかったと回顧できる年代は、大学時代であった。わたしの教授室をわざわざノックしてくる男子学生は、おおかた恋に寂しい。そのことは分かっていてあげたい。
 

* わたしは自他ともに認める「考えるタイプの人間」であった。そして、この学期にこの講義に出席してわたしの思考能力というものに疑問を持った。わたしは私について考えることは多いのだが、わたし以外のものにについて考えることがとても少ないのだ。正確に言うと、少なくなってしまった。わたしの能力を超えて私にふりかかることが余りに多くて、自分以外の事に目をむける余裕がなくなっていた。いつの頃からだろう。中学卒業・高専入学・文系への捨てきれない憧れ・友人の退学・過去になった恋人・新しい恋人・級友とわかりあえないもどかしさ・大学編入試験・その失敗・避けられない別れを待つ毎日・卒業研究ーー特に恋人と遠く離れて雪深い地へ行かねばならない自分が、どうしようもなく情けなかった。他のことなど考える余裕はゼロだった。今思うと、気付かぬうちにわがままになって周囲にめいわくをかけていたことだろう。ところが、である。時期はずれの東工大の編入生募集にわたしは救われた。試験を受けたのは私自身ではあったが「おかげさま」とはこういうことかと思った。わたしは東工大生になることに救われたのではなく、東工大生になる 実家から通える 恋人と100kmしか離れないですむ、という事実に救われたのだ。わたしとはなんと弱く単純な人間なのだろう。つらかったことがあるからこそ、今の自分がどれだけ幸せかが、わかる。100kmの距離は苦にならないと心から思える。そう思えるから、私は今、すっかりおとろえてしまった自分以外のものへの思考能力をきたえ直したい。そうして、優しい心で自分以外のものと接したい。21歳になって思うこと。今年を振り返って思うこと。今後のわたしの課題である。また結局自分のことばかり書いてしまった……。 (女子)
 

 こういう「自問自答」の力、よき文学が読者に常に期待し、またよき文学が常に読者に与えうるであろうこの力こそ、人生という海をたしかに航海して行くいい羅針盤となることを信じたい。「文学学」は知識を与えるが、「文学」はこの考える力を与える。
 

* この授業も今年最後ということですけれど、後期の文学概論は前期に比べて、かなり充実したと思います。人を減らしたためか、(注・前期は二六二人定員の教室に申告者が九九七人も殺到して学生諸君もわたしも対策に苦慮。やむをえず後期は、前期の成績九 0点以上の者を中心に選別し,四百人ほどを心ならずも割愛してしまったのである。) ゆったりと先生の話を聞くことが出来たからかも知れません。この授業は本当に楽しかったです。日頃理系の大学のこと数式ばかりに追われる毎日のため、文学的なものにふれる機会が少なく、よけいにこのように人間的に豊かになる話は、とても新鮮でした。読んだ作品はもとより、親と子の問題から、脳死・自殺・死刑などの社会的な問題まで、いろいろと考えさせてくれました。今、自分では漱石の『それから』を読んでいます。授業を受けてから登場人物の心理関係をかなり注意して読むようになり、読書もかくべつ面白く感じられるようになりました。 (男子)

* 先生の影響(が、70%ほど)で漱石の本をいくつか読んでいます。『こころ』は高校の授業でやった後、自分でも読んでみて好きになったのですが、それ以外はほとんど読んだ事がなかったのです。(「吾輩は?」は文章がダラダラしてると感じたので途中で止めてしまったが…。)三部作といわれている『三四郎』『それから』『門』をたてつづけに読みました。一番感じるところがあったのは『それから』でした。代助と平岡との若い日の、また現在の関係や、代助のものの感じ方、考え方などいろいろと思うことがありました。(感想文が下手なので、何を思うかをどう書いていいのか。しかし、本当にいろいろ感じました。書けなくてすみません。) (男子)

* 愛とは何だろうか。今、この問題について深く考えている。今、彼女と別れ話をしている。「あなたは私のことを好きかも知れないけれど、愛してないんじゃないの」この言葉に自分は悩む。好きと愛する、likeとlove,どう違うのか。一時の感情と永遠か。もう一年以上付き合って来たが、たしかに今、冷々したものしか残っていない。あるのはただの「情」だけで、これは愛情とはちがうらしい。たしかに好きだけではずっと一緒にはいられない。好きで結婚するのではなく、愛するからするのだろう。愛がなければ好きでも別れるというわけだ。複雑ですね。先生の長い人生から掴まれた愛と好きとの違い、教えて下さい。 (男子)
 

 教えてあげることは容易でない。こういう関心はほとんど毎時間のメッセージに混じっている。比較的大胆に、こういう質問にはわたしは率直にものを言っている。言う中身が正しいなどと自信はもてない。だから率直に言うしかない。ソフィスティケートしないことが大事だと思う。そらぞらしく気取ったりしていられないほど、学生諸君には重い悩み深い不審なのだ。きみ、幼いねぇなどとヤニさがっても何にもならない。
 

* 授業でみんなの意見を聞くと実にまじめで、時には考えもつかない内容のもあったりして、いい人たちばかりだなぁと思います。自分のこれまで書いたのはみな姑息で詰まらなくて、ひねくれたものばかりだったと恥ずかしさを感じます。しかしその一方、こういったいい人たちの「鼻もちならない」育ちのよさに少々腹が立ち、違うんだと感じます。「親を頼るか、子に頼るか」のテーマは僕にはつらかった。母は胃癌で死んだが、その痛みようはただごとでなかった。痛みの余り看病している家族のみんなに対しうらみの言葉を吐いた。母は痛みと向き合ってこらえているのに精一杯で、僕はただ見ていることしか出来なかった。父はそんな母に対して本当にもくもくと看病していた。僕はこの父と母との間には入っていくことは出来ないと感じた。 (男子)
 

 この日の一字埋めに、「父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の( )子とうつれよ」という、佐佐木幸綱の短歌が出題してあった。この学生は躊躇なく「(獅)子」と正解していた。

* 一年の前期、そして二年になって秦先生の授業を受けて何が良かったかと言うと、それは「自分を知った」ということです。今までオレは自分のことをしっかり理解しているのだと思っていました。しかし意外にただ漠然としか日ごろ考えていないことを知りました。あらためて毎週の「挨拶」を考えて書いていると、しだいに自分の考えがまとまり「****(この学生の名前)」という人間ができあがっているという感じでした。そして一度この快感を知ってしまうと(自分の中の未知の部分を明かにするというのは、オレにとって一種の快感なのです。)日ごろからいろいろなものについて自分の意見をしっかり持つ努力をするようになってきました。今オレはかなり自信をもって「****」という人格を表に出すことができます。自分という人間を本気で考えているからです。これからもそうありたいと思います。 (男子)

* 以前のメッセージにも書いたが「恋」をしている自分を書く。最近思考の大半を占めているのは「彼女」である。幸運にも付き合っている。片思いでもない、愛し合っていると思う。付き合って一年をとうに超えたが全然飽きない。会っても会っても会うたびに好きになる。こんなに人のことを思ったのは初めてだったけど、それだけならこんなことをここには書かない。書きたいのは自分の「嫉妬」のことだ。今まで嫉妬などしたことがないのに、彼女の周りの男がみんな気になる。もちろん彼女は真面目で他人にうつつを抜かしたり絶対にしない、と信じている。信じているからこそ嫉妬し心配する自分がいやでいやでしようがない。嫉妬と信頼は矛盾する。自分は嫉妬するようなダサイ男ではになかった。彼女をしばりたくない。でもどうしようもなかった。昨日二人で飲んでいて酔って思わず言ってしまった。言っても言っても言葉が足らないように思えた。彼女は黙っていたが、「そう思ってたの」と泣いた。ぼくも自分がバカに思えてくやしくて涙が出てきた。初めて人前で泣いた。泣きながらあやまった。彼女も泣きながらあやまって、雨降って地固まった。前よりも、もっともっと信じられるようになった。  (男子)
 

「ごたく」を並べていると言ってしまえば、言えるのだ。読みにくい字を読んで書き写しているのが、冷静な他人の目にはバカげて映るかも知れない。しかし、これを「ごたく」と言うなら、文学作品とは「ごたく」の手のこんだものと考えてもいい。シェイクスピアの悲劇にも激しい嫉妬が主題の名作がある。漱石の『こころ』でも嫉妬は見逃せない感情だ。春琴すら盲目ゆえに佐助の女弟子に嫉妬している。自分の嫉妬をこのように書いて語れる者は、すでに文学の髄を嘗めうる心用意ができている。わたしは笑いも嘲りもしない。この学生の心根の、しなやかに温かいことに、わたしは拍手した。
 

* われわれの周囲には電化製品や精密機器があふれているが、その修理や整備はなかなか立派な面白い趣味である。どんなに精密すぎる感じの機器も器械も、原理は単純だと再発見できて楽しくなる。機器器械を精密高機能化するのも進歩だが、度が過ぎては自由度を欠き創造性を窒息させる。難しい問題であり、存外に温故知新という四字は、科学技術者のためにあるような気がしたりする。 (男子)
 

 学費の配分が不公平ではないかと、学科によって必要となる実験や課題の費用を具体的にあげて悲鳴もあげている学生、社会に出てからの理系待遇の低さに不安と不満とを書いている学生、宗教の教団組織を激しく批判する学生、米輸入問題や農業行政を論じている学生、読書、趣味、アルバイト、家庭等々、話題はさすがに広がるが、紹介するには絶対量が多すぎる。個性横溢という文章にであうことは少ないし、また、簡単に出会えるものとも思っていない。率直に書いているなら上等である。署名とともに読むのは私ひとりだし、ふざけてみてもウケねらいをしても何の役にも立たないことを、付き合いなれていてもう皆が承知しているから、同じ書くなら自分を多くは偽らない物をと思っている。それでいいのである。もう一つ「最近思うこと」と題されたものを紹介して、「無題」の幕を引こう。非凡さは窺えない、が、ごく普通に実に東工大生の真面目な青春がほのみえる。
 

* 今回は、自分の近頃考えている事を書ける良い機会だと思う。私は中学と高校のあたりから「自分がどう生きるべきか」を求め続けてきた。直接社会へと繋がるだろう「大学進学」について考えはじめたのがキッカケだった。スポーツ以外に趣味らしいものはなかったが、スポーツの仕事につくつもりは無かったので、大学で何を学ぶかの方向づけはぜひ必要だった。選んだ学問が自分の将来をほぼ決定づける。仕事と人生とが多かれ少なかれ関わりがあるのなら、進学の方向づけはまた人生のそれとも重なる。それで、自分の人生は何のために費やされるべきかをしきりに考えた。自分の利益だけのために生きて良いのか、何となくそれでは良くないのでは、とも。それじゃ、少なからず社会に役立つことをやろうと思った。そして社会で問題になっているのはどんなことかと見回してみた。「地球規模の環境問題」がいっぱいだった。これに関わる学問を選ぶことにした。「社会工学」だった。予備校の先生も言っていたが「環境問題」は一筋縄ではゆかない、様々の要因が複合して起きている。社会工学はいろいろの学問要素の結集であるから、これは希望にピタリ当て嵌まると思った。一年間の充実した予備校生活を経て何とか入学することが出来た。
「大学とは遊ぶ場所だ」とよく聞いたが、そのレッテルが大嫌いだった。キチンとして目的をもって入学したつもりだったので、初志を大切にしたかった。一年生で、かなり頑張ったと思う。そして今年度「社会工学」に入科した。考えていたものと全く異なっていた。良い意味で期待外れだった。考えていたよりももっと沢山の事があった。学科志望の直接の理由だった「環境問題」をやろうとという気持ちは薄れた。その理由は、一つにはこの問題があまりに強大で自分の手に負えぬものと思われたのと、もう一つには、もっと様々なものを見て決めてもいいではないかと思ったからである。ここまでは少し前まで考えてきた事だ。                           
 次は最近思うことを書こうと思う。半年位前から「尾崎豊]の曲を聴くようになった。それにより「愛」というテーマについて生まれて初めて深く考えるようになった。また自分は家で自分の事しかしないので、兄に近頃「家の事をもっとしろ、家族の事をもっと考えろ」と強く言われ、「他人を思いやる心」についても考える状況ができた。「愛」は、昔は、単なる「決め台詞」に思えて嫌いだった。「思いやり」もありきたりの言葉だと思っていた。しかし尾崎豊が彼の詞の中で「人生」と「愛」とを関連付けているのをみて、大きく考えが変わったようだ。「人生」とは「愛」のためにあると彼は言う。もちろん自分の事も考えるのだろうが、「他人を思いやって」生きてゆくべきだと。当然の事だろうが、実践するのはすごく難しいと思った。家族や恋人、友人に与える「愛」が本物なのだろうか。その愛は一点の曇りもない澄んだものになりうるのか(例えば見返りを期待しないなど)。尾崎はその事にも疑問を投げ掛けている。私も思う、愛とは特定の人(知人)にのみ与えるものなのか、それとも人を問わず、見返りも期待せず与えるものなのかと。最近はそういった「答えの見つかりそうにない事」を一生懸命になって考えている。答えは無いにしろ、自分で「これ」と納得できる「愛の型」が見付けられればよいと思う。とりあえず、了。 (男子)
 
 
 

 ー 跋 ー

 わたしは、ここに盛り込まれた東京工業大学の学生、主として一年・二年・三年生の言葉が、同世代の全部を代弁し得ているとは、全く考えていない。これらをあえて世に送り出してみようと願う理由は、むしろ、そこに在る。一の特殊ゆえに意義をもつのだと。
 じつにさまざまな青春、二十歳の青春が津々浦々に、山に、里に、都市に溢れている。十把ひとからげな物言いは避けねばならず、だからこそ個別の発言には重みがある。重みがあればこそ、また、その個別を介して大掴みにものを捉えて行く発想や判断の基盤が大事に生れてくる。その意味で「東工大の学生」はいい「特殊」を形成し得ている。表向き自然科学畑の、つまりは理工系といわれる大学の最右翼に位置し、掛け値なく知的に優秀な、感情的にも優秀な学生が揃っている。内実を知れば知るほど、必ずしも彼等の感性は、ただ自然科学的にのみ「感想」してはいない。現代の代表的な一理系大学性らの、ここに紛れもない「意見」「感性」「生活」が彼等の内なる言葉で語られ、一つの現代日本を証言し得ている。
 そういう一種のエリート感覚の豊富そうな学生、それも一握りの学生たちの意見や判断など、何の参考になるだろうかと疑問符をつける人も必ずあるだろう。現時の若い学生達に対する先走った嫌悪感や軽蔑の思いから、そんな方面違いの特別の学生たちの声など、ごくごくの少数意見に過ぎないと排撃する人もまた必ずあるだろう。
 繰り返して言うが、そこに逆に、わたしは積極的な意義を求めたい。そして他の大学の学生諸君にも、文系の諸君にも、高校生の諸君にも、彼等の声を(本当に限定された量だが)中継したい。そしてまたそういう学生・生徒諸君からの思索の声のあがるのを期して待ちたいと思う。
 時代は若い人の手で動いて行く。そうあるべきものだと信じている。だからこそその声をもっと時代は聴くべきである。聴かそう聴かそうとするだけでなく、もっと聴こうとすべきである。若い人ももっともっと自問自答の言葉、創造的に内発する言葉を育ててほしいし、その為にも自分で「問う」べき問題そのものを創造してほしい。
 いささか教室の中で強いられての言葉ではあるにせよ、ここに集めた、選んだ言葉はいわば「理系学生の文学的青春」を表現しえているだろう。「文学的」とはだれかの文学作品への感想などを言うのではない。彼等が真に「文学・芸術」に触れるための、基盤づくりの自問自答を、そのまま指さしている。これらの言葉を拙いなりに紡ぎ得て、はじめて「文学や芸術」から、彼等を勇気づけ喜ばせる人生の顔が見えてくるようになる。自らに問いまた答えることのない魂に「文学・芸術」は多くを恵んではくれない。

 問題は、だが、一つ在る。このように公表されることをおよそ期待することなく、これらは書かれている。教室で何度となく、選んで、纏めて、本にするよとは言ってあるが、本気にしなかった学生も大勢いただろう。それを思えば、秦教授にだけ読まれるという前提で包み隠しなく書かれたものの公開には、私信の公開に等しい明かにやや信義にもとるものがある。承知している。しかもその一方で、これだけのものを死蔵していいとは思われない確信がある。確信に従っておくのである。手元の材料の十分の一にもこれは満たないが、まずは一段落し、新たに取りまとめて行きたい。